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鋭いご指摘(6/5/09) コメント返しを打っていると、玄関にヤクルト・ママさんである。本日は三歳の娘さんを連れての週ワンコールである。窓辺の鳥籠を持って、玄関上がりに置いて遣る。気の済むまで、母子観察をするが好かろう。 私は座り直して、PC続行である。本日辺りは、斜向かいさんがDVDの交換に見えられる頃合いである。何しろ貸出のサイレント洋物テープの観賞?爆笑座談会に為るのは、必至であろう。それまでに、本日分を打ち上げねば、男が廃ると云うものである。
細ぼそ辛うじて、読者を掴んだ我がブログである。今では私の妄想ブログにも、奇特な御方のコメントが入る状況である。大事なお得意さんは、後生大事にさせて頂かねば、天罰が当たると云う物のである。<継続は、破廉恥漢の根性あるのみ>である。
午後に成って、さて昼寝かハヤ釣りかを迷っていると、斜向かいさん登場である。 今週分は印刷して置いたから、下絵ファイルと一緒に持って隣部屋に行く。 「そうそう、この<昭和枯れすすき>の絵は、お兄ちゃんの最高傑作だよ。360度、こう遣って回し見して行くと、色んな形が見えて来るんだよ。ほらほら、ここに焦点を当てて見ると、俺には、この黄色の形が黒の洞窟で、コウモリがぶる下がっている格好に見えるんだよ。」
<為るほど、黄色を首座に置けば、そう見える。逆に黒に注目すれば、黒い楕円の卵が、黄色のサングラスを掛けた様なマンガチックな形にも見えて来る。これは面白い。他に炙り絵は・・・黒いヒップに、赤いTバックもある・・・>
「赤と橙の螺旋の帯と、その中の黒の闇の三色文様が、其々に絡み合ったり、掴み合ったり、抱き合ったり、吸い付いたり、・・・とてもじゃないけど、エゲツ無さ、一途さ、愛おしさ、切なさ諸々の生き物の世界を、描いている様な錯覚まで覚えちゃって、一体、お兄ちゃんの頭の中は、如何なっているんずら?? ピカソか岡本太郎か、単なる精神分裂症かいな?・・・何て失礼な想像までしちゃったいな。」 「やいやい、言われちゃったい。俺ぁ娑婆に未練があるぜ、精々、変人・奇人の範囲に留めといておくれや。行儀も好いし、まだまだ、世間様のお役には立つんね。馬鹿とハサミは、使いようって言うずらい?? へへへ。」
「それでさ、赤い火の竜が男火で、橙色の竜が女火だと分かるんだけどさね、こりぁ、如何見ても、男火の方が、女火に押されて、逃げようとしていると見た。」 <ほう、してその根拠は?> 「何て言ったって、白人毛唐のアナザーホールのでかさと云ったら、地球内部へのブラックホール状態だもの。あんなの持って居られたら、地球の男がデカイデカイなんて幾ら自慢したって、勝負にぁ為らすか。もう結構、トテコッコって逃げるしかアンメイずらよ。ケッケッケのケツの穴なんて、軟なもんじぁなかんべやぁ〜、ギャハハハ。」
遺憾いかん、同時にサイレンサー・グレート・アナザーホールの画面が、脳裏にアナコンダの大とぐろ状態に活写されてしまったから、暫し収集の付かない爆笑状態に陥ってしまった。共通映像に、手を叩いて浸るしかないのである。 何しろJIS規格品なら、裕に二本、無理をしたら三本は、入りそうな巨大ブラックホールとしか云い様の無い『強靭さに満ちた代物』なのである。加えて云うならば、全編男が女を責めているのでは無く、如何見ても男が女に執拗に奉仕させられている<女はタフにして魔物の構図>なのである。あんな物をトーキーで見せ付けられてしまったら、それこそ夢で魘されてしまうのが落ちである。還暦まで大事に培って来た女性観が、一気に壊滅してしまう。くわばらクワバラ。
「バクダットの盗賊なんて、美男美女の登場するアラビアンナイ映画なんて、軟なものじゃないわね。幾ら好い女でも、クネクネ腰振られて、好いわエエワ遣ってたら、完全に男は、<腎虚の世界>に引き摺り落とされちまうぃんね。ニヤニヤ、蜃気楼を眺めている分には、好いけど。スポンと誘い込まれたら、ギュッと軽く絞め上られて、肝心の腎臓・肝臓が、グイグイ生気を吸い尽くされて、フラフラ、オタオタの『蜃気楼』じゃないかい。即アラジンのランプ擦って、助けてくれ〜だよ。なんたって、肉食と菜食の人種の違いだわね。沢庵・漬物ポリポリとじゃ、逆立ちしたって追い付かねぇや。土台、スケールが違い過ぎるわね。お兄ちゃん、空飛ぶ絨毯どろこじぁあるめい。そのまま、フワフワ火葬場に直行ってもんだじ。ギャハハハ。」
ご主人は快調そのものである。色白の前田吟さんは血色も、頗る良好である。そう云えば、タフネス・ホワイトウーマン達は、あれだけの巨大ブラックホールの持ち主であったからだろうか、・・・ 豊胸・ご立派な臀部の持ち主であったが、腹部はスッキリしていたのが共通であった。然もありなむ・・・<どんぶらこ大浣腸>の出る幕など、あろう筈も無い。 便秘に悩む女性達も、己がダイエットにアナザーホールの開拓も、一方法かも知れぬ。尤も、時間を十分掛けない俄か療法に掛ったら、病院送りは必定の沙汰であるから、事前のオイルマッサージは、省略しては為りません。遺憾いかん・・・変態の一歩手前である。
「お説、ご尤も。俺ぁ、笑い過ぎて息が続かねぇわ。タンマ。ジャスト・モーメント!! あんな化け物・吸引口三段活用で、責められたんじゃ、歓喜の世界が一転して、腎虚の三乗にして、一カ月もしない間に<しなくれゾンビの完成>だわね。走れる内に、逃げるが勝ちしか防御方が無いわね。スケベも、命あっての物種だんね。<君子、危うきに近寄らず。> こりぁ、先人様の命と引き換えの実践訓だいね。大事にしなきゃ、イッヒッヒ。」
「本当だいなぁ〜。ご当人達は好きで遣ってるから、好い様なものだけど。お兄ちゃんは、幾ら描く物が無いと言っても、あんな世界を描いたら、奈落のブラックホールへ直滑降しちゃうよ。絶対に止めときましょ。ニャハハハ。」 「あいあい、大丈夫だんね。俺ぁ、ゲテモノは嗜好の外だぜ。ノーマル・ホールで十分!!」
「俺はさぁ、絵って言う物は、不思議な物だと感心してるんだわ。良いかい、あそこの写真を遠くから眺めると、遠くに成れば成るほど、形がぼやけて沈んで来る。でも、絵は違うんだよね。離れると離れるほど、何かが見えて来る、主張して来るんだよね。俺は、それが絵と写真の違いだと思っているだわ。」
ほう、鋭い指摘である。人間が描く物には、何かしらの想いが込められている。想いの強弱が、知らず知らずの内にも、絵に現れて来るのは、当然の帰結であろう。想いの強弱が、絵に主従のメリハリをもたらせる。 メリハリは、近視眼では感知出来ない。距離を保って全体を見る事によって、際立つ。絵が写実性から脱却した処に、デフォルメと云う形の自己主張が、人間の感性を刺激するのであろう。そうでなければ、人は抽象画に芸術性のショックを感じないのだろう。掴みどころの無いショックの源泉を求めて、見る者は???の心の探求に誘われるのであろう。 浮世絵・ゴッホ・ムンク・ピカソ・岡本太郎・現代アートにして見た処で、デフォルメと云う作家の放出する視覚ショックに、見る者は何かを触発されて、自分と作者との間の心の深層の探求を求めるのであろう。近付いて見ても好し、退いて見ても好し。人間の知性・痴性・好奇心とは、留まる処を持たぬ流離い人の様なものである。
嗚呼、人間、汝の心や何処に・・・である。 一曲の歌謡曲が、深夜の夢うつつに紅蓮の男女の燃えさかる炎を現わし、それを下手絵に写し取って、それを肴にロートル談義に花を咲かせる。善きかな、ご近所スローライフ。
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