心何処ーショート 罪滅ぼしの呆け二席
               罪滅ぼしの呆け二席(1/15/09)
 毎日、詰まらぬロートル日記に付き合って下さる皆様に、申し訳の無い気持ちに捕まる事が有ります。本日は、嘗ての成人の日でありました。机の中にある未公開ストックから、見繕って掲載致します。お互い姿形の見えぬ者同士・・・暫しのお付き合いの程を。
 大学休学中の貴方も、呆け話でお笑い下さい。イラスト修行中の貴方は、是非ともイメージを広げて、イラストの一助とされたし。紳士淑女の諸侯・ご家庭円満なるご家族様に於かれましては、記載内容は、世の末端の一風景とお蔑み下されば、本望で御座ります。 
 ゆめ夢、付き合いでネオンの巷で、お過ごしに為るご亭主殿の姿に投影為さらずに、お願い申し上げまする。尚、受験生の皆さんは、お控下さい。時間の無駄で有りまする。

         では、何方様も心構えも整ったご様子・・・ 開演致しまする。
      

                 一席・セイテンノ ヘキレキ
                            
 久し振りに現場に出た。大型の台風が時速16Kmで、日本を目指していると云う。猛暑から一転して涼しくなってしまった。昨夜から雨が降ったり止んだりしている。合羽を着たり脱いだりの作業は、面倒この上ない所作である。機械堀が困難である。大半を手掘りで行くより仕方が無い様である。手掘りは重労働である。5:30からの断水である。手足の自由を欠く合羽は昼に脱いだ儘である。肉体労働は発汗労働であるから、Tシャツ姿のずぶ濡れ泥だらけ作業である。携帯電話は車に置き離し状態である。応援が駆けつけ、一服つける。お盆が過ぎると日は短くなるものである。
 
 何時も思う事であるが、日の長さと気温の誤差の大きさに大気の断熱効果の偉大さを、思い知らされるのである。小学生の頃、Kという検事の息子がクラスに転校して来た。変わった奴であったが、私とはいやに気が合った。見るからに都会育ちのお坊ちゃん風の奴であった。日の長さと気温の誤差の原因が大気にある事を、教えてくれたのがKであった。都会の学校はマセているなと感じたものである。2年程で彼は再び転校して行ったが、記憶に残る奴であった。大気、空気の比熱が脳裏に浮かぶ時は、何時も奴のお坊ちゃん顔がセットで出て来るのである。父親の職業柄、エリートの渡りを強いられていたであろうKの寂しさが、私には十分過ぎる程解っていた。
 そうであるから、セットで出てくるKに向かって私は「おぅ、Kか、元気でやってるか? 生意気言って、嫌われるんじぁ無いぞ。天上天下唯我独尊はいかんぞ。挫折を味わったか? 」等と、彼に声を掛ける事にしている。
 
 9時に会社に戻った。携帯電話には『着信あり』の表示があったが、9時では仕事にならないから放って置いた。翌日は事務所に居たので、一件打ち合わせを済ませて『着信』相手を出すと、『 N 』の表示が出るでは無いか。嬉しい様な、狐に鼻を摘まれた様な感じである。

 着信時刻は19:48とある。彼女らしい時刻である。難関を突破して三度目の出稼ぎが叶ったのであろう。彼女の起きる時刻を見計らって、電話をする。「現在、使われておりません。」のボイスである。『????』再度コールして見るが、同じである。『 N 』と表示されている以上、N なのであろう。そうすると、前の番号なのであろうか? 
 二度目の時は違った携帯番号を使用していたので、私のプレゼントした番号は『削除』してしまっていたのである。機械いじりは大の苦手であるから、インプットも削除も会社の若い者任せである。私事に関しては、『整理整頓』が出来ない性質である。私は物臭な性質であるから、電話帳なるものは持った例が無いのである。必要な番号は、語呂合わせで記憶に頼っていたのである。無駄な足掻きと知りつつ、精神を統一してテレホンナンバーを呼び寄せようとしたが無駄骨であった。携帯電話の『誤作動』なのであろうか? 最後の足掻きで『着信 N 』に従ってコールすると、プレゼントした携帯番号らしきナンバーが液晶画面を走るのである。繋がっている。『只今、電話には出る事が出来ません。』のボイスである。何度か試すが、結果は同じであった。

 ・・・28816・・・とこじ付け易い数字の並びである。8が二つであるから16である。2(8+8=16)・・・28816 如何にも私が、記憶する手法である。
 
 203高地の Y からは、代書による日本語の返事と写真が一枚届いていた。女房から手紙が来ていると電話があった。会社の帰りに女房の処に寄る。渡された手紙を見ると、どうも開封された様子である。女房が何も言わない以上、私が何か言えば返って『薮蛇』と云うものであろう。そ知らぬ顔で手紙を受け取り、上がらずに帰る。車のルームライトで、文面を速読して胸を撫で下ろす。彼女は膝の怪我で、大分手術入院をしていたらしい。電話で二回目の手紙をその日のうちに書く約束をした。日本・ウラジオストック間の手紙の所要日数は10日を要す。写真が彼女からすると、彼女自身、余り納得の行かない写りであるから、もう一枚同封すると言う。私は飾らない、彼女らしい良い写真だと満足しているのだが・・・ 美形の写真は何枚あっても、困らないから有難く頂戴する事にする。
 
 Y の手紙の一文に、もっと英語を話せる様にとあった。二人の会話は少しの英語とジェスチャーだけで、不十分であった由である。金髪美形の女性にそう書かれたのでは、日本男児の一員として此処は一つ大いに奮起して、立派な便りを認めなければならない責任があろうと云うものである。私は普段の私の文章その儘の文体で一枚書き、今度は和英辞典を必死で捲って拙い英文で、それを二枚に亘って『英訳』したのである。休日の半日を注ぎ込んだ『労作』は、疲労困憊の作業の為せる業であった。自分の書いた文章を自分で『英訳』する試みは、意外と乙なものである。
 私は白人女性が好みである。長寿国日本の男子平均余命はさて置き、性(精)命、幾許も無い身であろう我がchinseiである。白人女性とお近づきになるには、先ずコミュニケーションである。それには、共通語は確率から云ってイングリッシュである。手始めに此処は、Y との文通で英語に慣れようと考えていたのである。

 そんな矢先の『嬉しい珍事』なのであった。『着信 N 』は、多分 N であろう。N であるから、液晶画面に浮かぶ私の携帯番号と名前を目にして、彼女は立派なライオンの鼻を、高々と持ち上げて得心しているのであろう。プライドの強い生意気女である。彼女としてみれば、私のプレゼントしたカード電話で『謎掛け』を仕組み相手が一日遅れて、電話を掛けて来たのである。自分に対する相手の気持ちが明確になった以上、少しばかり焦らせて、次を待てば良いのである。私と彼女の間には、『ウクライナ・トライアングル』で学習したお互いの手の内が読めるのである。電話に出ない処から察すると、彼女は松本には居ないのであろう。推理を働かして行くと、私は生意気なライオン娘の『立派な鼻を立てて、1日二回のコール』が必要なのであろう。

「もしもし」
「モシモシ 私分かりますか? 」
「うん、分るよ。N だろう。」
「おぅ、ありがとね。覚えていてくれて、元気? R さん。」
「 うん、元気だよ。今、何処で働いているよ? 」
「今、伊豆、鎌倉にいる。松本、遠いですネェー。」

 N も Y もそうであるが、白人女性の日本語はハスキーボイスである。電話の声だけで、彼女達の年齢を想像してしまうと、完全な中年女性のものである。しわがれた魔法使いの様な声色なのである。彼女達からすると、日本語の発音がそうならざるを得ないのか、彼女達の鼻と咽喉の造りから低音ハスキーボイスにならざるを得ないのか、門外漢の私には分からないが・・・・、

「そうだなぁ、ちょっと遠いかな。N は売れっ子だから、もう松本には来ないだろう。松本に来る時は電話くれよ。付き合うよ。」
「うん、松本に行く機会があったら、電話します。」
「うん、有難う。処で N は幾つになった? 」
「バッカねぇ―、私22でしょ。会った時はハタチだったでしょう! もう2年でしょう。J の店行ってる? 」
「去年の9月、N が来た時以来行ってないよ。好きな女が居ない処に行っても、しょうがないだろ? 今度もA と一緒? 」
「どうしてA よ。関係無いでしょ! A ロシアにいる。R さん元気そうね。変わらないですネェー。」
「N も相変わらずだなぁ。フフフ、余り日本の男を騙すなよ。」
「なぁーによ、それ! あなたパロパロでしょ。一番のスケベでしょ。ヘヘ 私みんーな知ってる。へへへ、」
「そうか、フン、でもしょうが無いもんな。本当だからな。処でN は、まだ『良い女』かい? 」
「モチロン、そうです。安心して下さい。また、会いたいですね。R さん。」
 
    声に慣れてくると、N の素顔が胸一杯に広がって来る。
           懐かしいライオン娘の陽気で、生意気な声が続く・・・

 J の店から後輩のK ・ママ・バーテンのY の面々が去り、残っているのはチィママだけである。N、A  の帰った店には興味が失せて、私の足は当然の如く遠のいて行った。去年迄はJ の店の近くに韓国のS がチィママをしていたN の店があった。S との関係は俗に云う腐れ縁の様な関係で、切れたりくっ付いたりしていた。お互い気に入って『逆上せ上がった』男と女である。思惑が違ったからと云って、キレイさっぱりと関係を無に帰する程ドライに徹し切れぬのが、男と女の感情の綾なのであろう。S とケンカした帰りに、J の店に顔を出した位のものであった。そのS も母親の病気で国に帰ってしまった以上、私の足は全く夜の街から遠のいてしまっている。習慣と云うものは面白いもので、飲みに行かない、彼女が居ないのが日常になってしまうのである。

 N からすれば、当時二十歳のウクライナ娘が家族のために意を決して、遥々日本に出稼ぎに来たのである。ホステスの道に足を踏み込んで、6ヶ月を暮らしたのが松本の地であったのである。日本語も分からず、夜の日本男の実態も分からずホステス業を稼ぎの対象として、無我夢中で日を送った筈である。そんな時期の彼女の客の一人に私がいたのである。私として観れば、生まれて初めて親しくなった西洋女性がN であった。私の中でN のライオン娘振りは、実に強烈な印象と輝き振りを残しているのである。それに加えてA の存在が、私とN の関係では切っても切り離せない『彩り』を加えてくれているのである。N はこれからも、何時でも引き出し可能な私の脳裏と云う小宇宙に在って、強い個性的な輝きを放ちながら流離い続ける事であろう。 
 
 彼女の微笑を湛えた澄まし顔は、気品に溢れ映画で観る西洋貴族の令嬢を、目の当たりに見る感動すら覚えるのである。微笑を持つ彼女は、実に侵し難い美貌を誇っていた。嘗て映画が美男美女の正義・忠誠・至上の愛の発信基地の役割を、演じていた時代のスターの美貌を持ち合わせている。
 勿論、『美』に対する人間の尺度は、『個人の好み』が幅を利かせる領域であるから、私の『主観』が多数の支持を得るとは思わないが、・・・・  然し天は大にして、人間に二物を与えないものの様である。短気・直感で物事を捉える彼女の性格・性向は、一度思い込んで感情に火が付くと、全く手に負えない『肉食動物ライオン娘』に変貌してしまうのである。肉食・ウォッカ・レディファーストの小娘に対して、草食・ノンアルコール・夫唱婦随の団塊の世代の私は、その落差につい『本気』を出してしまうのであった。Nは、喜怒哀楽をはっきりさせ過ぎる欠点はあるものの、順を追って話せば分かる頭の聡明さと感情の抑制の術を持っていた。頭の回転の速さは、私達の会話にテンポを作ってくれたものである。年が30も違うのに、生意気なN は、臆する事を知らず『我』を通すのである。

「あなた、それ違いますねぇー。ワタシ ロシア。あなたN 好きでしょう。N ロシアでしょ。これロシアンスタイルでしょう。どうして分からない! なぁーによ、それ。違うでしょ。どうして、あなた怒る、恐い顔する? 私たち 好みのタイプでしょ。ワタシ良い女でしょ。頭良い・話おもしろい、顔良い・一番キレイでしょう、心いい・素直・ウソ言わないでしょう。これ三拍子でしょう。あなた、ワタシに教えてくれたでしょ。どうして、ワタシをヒテイする。ゼェーンゼン、ワカリマセーン。日本語、日本人難しいですネェー。ワタシ、ここビンカン、日本人の考えること、大体すぐ分かる。でも、あなたの頭の中、クレイジィ・難しいですねぇ〜。へへへ、そうワタシ、スゴーク、生意気。でもショーガナイですねぇ〜。私たち好みのタイプ。あなたパロパロ、ワタシ真面目。火と油。水と油と違いますねぇ〜。 」

 機関銃と日本刀の違いである。お互いケンカには成らず、笑ってお終いの爆笑談の山が積まれたものである。                                                                                    

 或る時、寝付かれずに見るとは無しに、テレビのチャンネルを押していると、ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンの『昼下りの情事』が放映されていた。興業を当て込んだ、ハリウッド映画お得意の大物俳優が演ずるラブ・コメディ映画である。私はこの手の映画は好きでは無かったから、題名は知ってはいたが見る気が無かった。クーパーとオードリーの余りの年の違いに、最初はウンザリであった。寝る迄の時間潰しの積もりでお付き合いをしていた。ストーリー展開を見れば見る程に退屈で、年の違いを我が身に置き換えて、『穴があったら、隠れたい』心境を抑え乍ら、漠然と見ていたのである。

 その当時クーパーは頭髪が大分薄くなっていて、カメラアングルに依っては『老醜』を曝している様なものであった。一方売り出し中のオードリーは、存在そのものが瑞々しい無垢に輝く絶頂期にあった作品である。往年の大スターと世紀の妖精スターの夢の様なラブ・コメディとして話題をさらった映画であった。1時間見ても、私にはこの作品の良さが伝わって来なかったのである。画面に付き合えば付き合う程に、私には隠したくても頭部には髪が無いのである。不貞寝をするには、些か頭が冴えて来てしまっていた。『年甲斐も無く、バカな事をしている自分』を直視せよとのご先祖様の無碍に出来ないお達しと考えて、見続ける事にした。
 然し、さすがに NHKの教育テレビで放映するだけの事はあったのである。ドラマが佳境に入ると、人間 『年・姿・容』だけでは無いのである。『通い合う心・気持ち』が事を決めるのである。私は単細胞人間の典型である。ニヤニヤ頷き乍ら、クーパーとオードリーの『昼下りの情事』に最後迄付き合ってしまったのである。そして、何の事は無い。感動の涙さえ溜めて、画面に拍手まで送っているのであった。

 唐変木の私にとって、女は実に掴み処の無い存在である。漱石が何かの本でテーマとして書いていたが、『則天去私』なる言葉が、ふと頭に浮かんだ。男の私には女の『則天去私』は皆目見当が付かない。現在の心境に倣って『    』内の文字に振り仮名を付けよ。等と試験に出され様ものなら、『女の気紛れ』としか入れ様が無い処である。然し乍ら、手に負えないライオン娘ではあるが、美女が私を忘れずに嘗てのプレゼントした携帯電話でTELをしてくれたのである。実に、心ウキウキ 有難い事である。
         
             唯唯、天に厚く感謝するのみである。 

 お盆の休みが過ぎた、最初の日曜日である。名残の夏が、セミを鳴かせている。形の呆けた入道雲に吹き抜ける風は、目に秋を感じさせている。目覚めて習慣になっているテレビの政治番組を布団の中で聴いた後、寝直して起きた午後である。パソコンを開いて『宿題』を打ち始めるが、打ち直し作業は一向に気乗りせず、遅々として先に進まないのであった。『本日は日曜日、休息日である。明日が有るさ・・』意志薄弱者の常である『安易な理屈』に、私はすぐさま迎合して、パソコンの画面を切り替えた次第である。
 四畳半の机の上にウィスキーの水割りを作り、パンツ一つの身でトム・ジョーンズのCDを聴いている。水割りは二杯目に成りCDは、プレスリーに替わり灰皿のタバコの山からは、青い煙がユラユラと立ち昇っている。机上の水槽のグッピーが彩り鮮やかな尾を振るわせ乍ら、珊瑚に付いた藻を啄ばんでいる。昼酒の酔いに身を任せ、窓から見える入道雲の移ろいに、そして、楓のしなやかな枝先を時折揺るがせる風を目で追う。CDはスクリーン・ミュージックに替えている。物憂げなマリリン・モンローの『帰らざる河』が流れている。頭は何も働かないでいる。酩酊と弛緩した目の動きが、時をただ刻んで行く。
    
・・・何もしない・・・一人の私らしい時間が、黙って時計の針を進めて行く・・     

 パソコンを思案の末購入する事にした。買っては見たものの、完全なる消化不足・否、完全なる未消化状態である。ワープロとキー操作は大差ないと甘く考えていたのが、大きな間違いであった。目下、悪戦苦闘中である。
 息子・娘の世話になるが、当方訳が判らない故を以って、質問すら出来ないのである。質問が出来ない以上、教える方も答えようが無いのである。ガイドブックを購入して、眺めてみるが、未知の言葉の連続である。まるで霊峰富士の裾野に拡がる青木ケ原樹海である。押すキーの回数に2乗・3乗比例して魔界に嵌まり込んで、一条の明かりさえ見えて来ない状況である。
 業務なら、早々に若い者にバトンタッチをして、逃げ出す処であるが、ライフワークの一環として大枚を叩いて、購入した代物である。おいそれとギブアップする訳には行かない『重い個人的事情』があるのである。覚えるより慣れろが、この手の物の常道・王道らしい。か弱き匹夫の凡人には不得手を克服する手立ては、タダタダ忍耐の途しか無いらしい。私がもう20も若かったなら、とっくに得意の短腹を起こしていただろう。亀の甲より年の功である。諦めて眠い目を擦りながら、パソコンに内蔵されている「ぱそガイド」の練習マニュアルを実行している処である。目下、手探りのトンネル状態から,漸く脱出しつつある。何週間振りかで、文章を打ち始めている。

 9月も明日で終わりである。秋雨が秋の夜長を静かに運んでいる。二日続けて飲んでしまった。起きて洗濯を済ませ、久し振りに釣りでもしようかと思ったが・・・・・・・・パソコンに向かう。薄日が差したのも束の間、雨がぽつりぽつり落ちて来た。出掛けずに良かったのかも知れない・・・・・・・・・・・・。               

    操作ミスで消してしまった文章を、書き直すのが当面の宿題である。

調べ物があって、朝から図書館に行く。図書館は社会人になってからは、数度足を運んだだけであった。街の本屋で参考資料となる書物を漁っては見たものの、適当な本は見当たらなかった。ふと思い出したのが図書館であった。高校時代は進学校であったから、校風に倣って図書館を良く利用したものである。私が図書館を利用したのは、決して向学心に燃えてばかりいた訳では無かった。図書館には他校の女子高生が来ていたからである。その中の一人に仄かな恋心を抱きながら、勉強をする振りをしていたのである。図書館で勉強する美形には、侵し難い緊張感と云う一種のバリアが張り巡らされているものである。私の通っていた高校は校是に『質実・剛健・大道を闊歩せよ。』を黒々と墨書する伝統の男子校であった。

 人生で中学・高校時代ほど、多感な年代は無いであろう。誰が『最大の異性に対する興味』を捨てて迄、勉強するものかである。目前の異性に対する好奇心・恋心は、抑制される分、想像に拍車を駆けるものである。その当時流行った劇画の台詞の中に、『恋の本意は、偲ぶ恋と見立て候、・・・』と云う行を見つけ、独り大いに得心したものである。
 余談はさて置き、さすがに出版大国日本である。図書館は実に宝の山である。参考資料となりそうな書物を5、6冊抱え込んで机に重ね目次を漁る。万年筆で抜書きをして、長い所はコピーをする。暗くなる迄、図書館で過ごしてしまった。肉体労働の合間を縫って、集めた資料を『起承転結・メリハリ』を付けて、コンパクトに完成させねばならない。

        益々、夜の街からは、縁遠くなりにけりの様相大である。
 
 これも内向的、自問自答型の性向であろうか・・・・・・・・・、自分自身、意識する訳では無いが、自分が手を下したものに疑問詞・未整理部分があると、それらに対する落ち着かなさ・空白部分への苛立ちが生じてしまうのである。そして、その引っ掛かりが、頭の別系統の小部屋で『??』を探して、内職仕事をしているのだろう。疑問と疑問を繋ぐヒントの断片らしき物が、頭の中を勝手にチョロチョロ蠢(うごめ)いている。バラバラな蠕動の筋が、その内に未だ形を形成していないのだが、周辺の蠕動運動の蓄積に依って、モヤモヤした殻を打ち破ろうとして来るのである。モヤモヤした感覚が、頭の薄皮の一枚下で凝縮・離散を繰り返えし始める。タイミングが合えば、そのモヤモヤは、打ち上げ花火の如き『爽快感』を思案者に、もたらすのである。

 私は物臭な思案者であるから、余り深刻な捉え方・のめり込み方は出来ない性質である。脳細胞と云うものは基礎知識・周辺知識・情報を与えてやれば、それは頭の中の『自律神経ならぬ自律思考』が自然と働く仕組みになっている様なのである。人間、思考・思索に真面目に、且つ深刻に付き合ってばかり居たのでは、この世に精神病院は幾つ有っても足りないのである。どう考えても、そう云う計算になる。
 
 この様な自己観察理由から、天から才能を賦与されなかった凡人が、健康な精神で居られる仕組みが、人間には『自律思考機能』として備わっているのであろう。私はもうこれ以上、毛髪を失いたくは無いし、精神病院に拘束されたくは無いから、そう考えているのである。
そう考えると、不思議と『調べる・考える・形にすると云う苦役』は、閉塞感を伴った苦役には感じられないのである。普段、怠惰・物臭を決め込んでいる私に、考え・考えるべき時が巡って来たのであるから、事の流れに従順に応えるのが浮世の義理と云うものである。従って、文句の財布の紐を閉じて、考えなければならないのであろう。   

 考える以上は、単なる意見を発する類のものでは無い筈である。考えを纏め、一つの結論を導き出す為には、自分に知識が無ければ、その知識を補填する過程を要するまでの事である。必要な過程は努力とは表現せず、唯必然の過程である。それだけである。知識・情報は思考の方向性と階段の石積みの様な物である。人間、四六時中、思索・思考の囚われ人である訳では無いのである。人間生きている以上、それは年に何回かの必然的遭遇事であろう。幸か不幸かは別にして遭遇してしまった以上、素直に、真面目に『宿題』を解く作業をこなすのも、人生の一ページであろう。

 Nから写真が届いた。透けるように美しかったが、どれも疲れた・寂しい顔をしていた。サンキュウの電話をした後、平仮名・カタカナなら大丈夫と言う彼女に、カナを振った手紙を送った。


                  二席・バカヤロ

     風呂も入ったし、洗濯も脱水が終わるのを待つばかりである。
 食事は如何しようか? 途中で食べて行こうか、それとも、家で食べようか、・・・・・・・

 タバコの煙を肺にスゥーと一息入れ、事務所の掛け時計を見る。今日は水曜日、テレビを観る日である。NHK総合『その時、歴史は動いた。』の放送は、9:15からである。確か「項羽と劉邦」の筈である。未だ、1時間強の時間がある。例年より5日早い初冠雪を受けて、外気はすっかり寒くなった。一人身の寒さは、身に堪える。蒲団の中で観ることにしよう。終われば10時である。今夜は、四畳半に入らずに置こう。55歳の身体は、休日返上の肉体労働で、相当に参っている。何もせずに、睡眠を取る必要がある。・・・・・・・・・さてさて・・、家に帰るとするか。

    机の上の携帯電話が、鳴った。誰だろう? チョン切電話だろう・・・
               電話は、尚も鳴っている

「もしもし」
「バカヤロウ、」
「何、??? 」 <間違え電話かな? それにしても、開口一番、バカヤロウは、大した物である。>
「オボエテル? ゲンキ?」
「うん〜?? おぅ?おぅ!」       

            <ロシア人だな、Nの声だが、Mかなぁ?> 

 先ず脳裏に浮かんだのは、Nの生意気顔であった。然し、私に発しられた『バカヤロウ』の言葉には、大変な親しみが込められて、使われている様である。耳に達する声は、紛れも無くNの声音である。Nと私の間には、『バカヤロウ』が挨拶代わりとなる言葉の遣り取りは、無かった筈である。
 『バカヤロウ』は、「チクショウ、チクショウ、バカヤロウ」に登場する言葉であり、私とMとの間の親しい投げ言葉であった。私とMとの間にだけ通じる「アイ・ラブ・ユー」「可愛いヤツ」に相当する言葉であった。論理的に推察すれば、声の主はMに違いない。声音だけでは、判定は着かなかった。

             早とちりは、私の悪い癖の一つである。
 急いては、事を仕損じるの譬(たと)えもある。Nにしろ、Mにしろ美形のロシア女性からの電話である。後の後悔、先に立たずである。All or Nothing は、『愚の骨頂』 避けねばならない。此処は一息入れて、名前抜きで行くべきである。

「おぅ、久し振り元気か? 今、何処よ。日本か?」
「イマ、ロシア、ニホンニユク。マタスグ、ロシア、カエル。」
「そうかチクショウ、電話したのに居なかったじぁないか!嘘つきめ。バカヤロウ、どうする結婚は?」
「バカヤロ、オボエテル。」
「今、フィリピンで仕事が動き始めている。俺と一緒にフィリピンに行くか?」
「モチロン、ソレモ、オボエテイル。フィリピンデ、ワタシ、ナニシマスカ?」
「勿論、結婚して、SEX・sexだろ。」
「アイカワラズ、アナタ、イチバン、スケベ!コンド <プツン>・・・・・・・・・・・・・」

 短い電話ではあったが、5ヶ月振りに聞くMの嬉しい声の便りであった。白人美形の記憶に、私の断片が漂っていると考えると、年甲斐も無く、心が弾むものである。

 家に帰って本棚のMの写真を、机の上に置く。エンジのセーターの首から吊り下げた携帯電話を臍の位置にして、にこやかに笑う金髪・エメラルドグリーンの瞳・紅の無い薄い上品な唇・こぼれる白い歯並び・・・。赤地に白抜きの観音菩薩の幟をバックに、お寺の参道の手摺にポーズを構え顎を引き、笑窪で悪戯ぽい瞳を輝かせているM・・・・・。洗い髪の細い髪の頭部に、サングラスをちょこんと乗せて、黒いTシャツのふくよかな乳房を、アイボリーのジャンパーに包み、木製の肘掛け椅子に腕を置き、斜に構えて形の良い鼻筋と青い瞳で微笑むM・・・・。

 私はクリスタルの錐子硝子のウイスキーグラスに、ウィスキーを並々と注ぎ、彼女にグラスを捧げた。
     『アイ・ウォンチュー。アイ、ニィージュー。ハッチュウ、チュビァ。』

テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

【2009/01/15 01:19 】
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