心何処ーショート 今日も駄文

 気掛かりだった大きい水槽に、ゴマを振った様に稚魚の群れが浮いている。ビック・ママが死んでしまってからは、新しく入れた黄色のメスの腹部が、はち切れんばかりに膨らんで居るのに、一向に姿を現さない芥子粒に、頭を捻っていたのである。実の処、水の透明度・水草の水槽一杯の繁茂振り・タニシの繁殖振りが、大いに疑問に感じていたのである。水道水を一切使わず、小水槽の水との交互補充を試みていたのであるが、功を奏しない現状であった。兎も角、観察飼育者としては、ほっと胸を撫で下ろした次第である。
    
     嘗ての自分の姿をダブらせて見ると、頭を掻くしか無い心境である。
 プロスポーツの選手が、現役引退の言葉の中に<闘争心の萎え>をしばしば挙げている。私の趣味であった川釣も、そんな中にある。会社の一つ上のOさんに、釣りの手解きをして遣ろうと何度か誘った事がある。彼の辞退の弁が奮っていた。<オヤジの遺言で、殺生は、するなと言われた。> 魚釣りに、それを適用されては、私としては形無しの態であった。海軍の軍人であったと云うOさんのオヤジさんの幾つくらいの時の言葉か?は、存じ上げないが、そんな言葉が馴染んで来る心境なのである。

 俗に云われる言葉であるが、同じ本を10代、20代、30代と読むと、本が語り掛けて来る物は、其々に違って来る。読み手の経験・体験が違って来るのであるから、理解力が深まって来るのは、当然の事、何をバカな事を言っているのか!! だから、文学好きは、性に合わないと一蹴して来た男である。
 頭で理解する事と、自然の心境で知らず知らず頷いている事とは、目に見えない位の大きな差がある。人間のちっぽけな心の翻訳機は、所詮、自分の体験に負う処なのであろう。翻訳機の訳語が、自分の心にしっくり来るか否かは、その時の自分である。50代の翻訳が、10代・20代の人間に有効な訳語とは為らない道理でもある。このメカニズムは、理性と感情を併有する人間の哀しさとでも云うのであろう。

 釣れなくとも、気に為らなくなってしまった。何時でも出来ると云う毎日の中での心境の端境期であるから、これが固定するか如何かは、定かでは無い。何れにしても、先延ばしをしてしまう、消極的この上ない退歩傾向である。困ったものである。

 こんな時、つい苦笑いをして思い浮かべる映画は、我が師と仰ぐバート・ランカスター氏が演じた<終身犯>ある。一人の俳優を見続けると云うものも、映画ストーリーだけでなく、俳優個人の生を見る様で、実に味わい深いものである。激しさと穏やかさを併せ持つ人間の陰影は、特に興味がある。少なからず共通項のあるものには、その分、感情移入が出来るからであろうか・・・ マーロン・ブランドも、その一人であるし、相棒の水谷豊にしても、その傾向がありそうである。

 穏やかな5/1の朝、ラジオのボリューム好しの老母の動きを待ってのパソコン打ち、どんな風の吹き回しか、何時もながらの出た処勝負の駄文の綴り・・・これも日課、ご容赦されたし。

テーマ:BL小説書きの日記 - ジャンル:小説・文学

【2008/05/01 10:06 】
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