旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート そうじぁ、在るめぃよ。
                 そうじゃ、在るめぃよ。(2/28/14)
 大きな音を立てて、ご近所さんの屋根の雪崩が連発する。春の陽気だった昨日を継いで、今朝の予報最低温度は8℃との事であったから、屋根雪崩が朝の静けさを破って連発するのも無理からぬ事である。障子を開けて、庭を見ると一気に融雪が進んでいる。

 起きて、朝の始動を開始すると、妖怪様はベットの中である。柱時計を見遣れば、何と、何と、通常時よりも1時間も早いでは無いか。これまた、失礼致しました~の段である。

 本日、どんよりとした灰色の曇天である。昨ラジオ深夜便では、会津若松の盆地では中狂国のPM2.5の大飛来で灰色の雪が降ったとの事であった。そんなラジオ刷り込みが在ったから、この曇天の正体は、果たして何ぞやの猜疑心が大きかった。

 まぁ、起きて仕舞ったのであるから、布団を上げたり掃除をして、四畳半定位置でラジオを聞く。ラジオを聞いて居ると、中国人ジャーナリストの登場で中狂目線の中華思想然とした<如何にも、上から目線>で、日中友好の民間交流の進めを言って居た次第である。

 いやはや、こんな処がNHK目線と云う物であろうが、何を馬鹿な幼稚な事を宣伝して居るのか。全く以って、『日本の民度』も低く見られた物である。笑止千万、噴飯物の極みである。こんな愚にも為らぬ、<膜趣味な事>を平気の平左で垂れ流して居るから、臭過ぎる報道姿勢と為るのである。

(※膜趣味の膜は、私の場合、処女膜から採った揶揄語である。従って、歳不相応な理想思考並びに平和友好を掲げる視点こそが識者の視点と考えているのは、現実とは乖離し過ぎた『為にする妄想』に繋がるの意味である。ヘヘヘ。)

 悪態序でに云えば、世論調査が好きなのが、マスコミ界の一大特性である。そんなに長くは無い日本語に依る中国人ジャーナリストの日中論評であるから、それを街頭で流して幾つかの設問形式で、道行く人の感想を調査して見れば、きっと<一目瞭然の総スカン>を喰らう結果とも為ろう。ギャハハ~!!

 中狂共産党に依る言論・思想統制の下でのジャーナリストの論評、民間思考解説など、所詮は統制の掛った五星紅旗色の宣伝でしかあるまい。自由民意と統制民意とでは、そもそもが『一次資料』とは云えまい。

 続いての報道の中に、日本の新大久保辺りを攻撃目標として居る<在特会に依る民族差別的=ヘイトスピーチ>が大問題と世界ランキングに昇っているとの由。

 左様でゴザンスかね。不思議な事に、反日・排日デモが盛んな中狂・韓国の毒亜圏が世界に巻き散らかして居る歴史捏造、ヘイトスピーチが、上位ランキングされて居ないと云うのは、これまた、摩訶不思議な報道姿勢では無かろうか。

         さてさて、お時間も宜しい様で、通常の朝飯と致しまするかね。

 食後は、雪落ちを片付けたり、妖怪様の使う事も出来無く為って仕舞った手押し車を拭いて、片付けたりする。四畳半定位置で、インスタント・コーヒーと煙草を吸いながら、この文章を打って居ると、薄陽が差して来た。北からは青空が見えて来たが、大処は、薄い灰色空である。

 お向かいさんの老夫婦が、お揃いで東の玄関前の雪の片付けをされている。四畳半前の南天も何週間振りの身軽さで、風にそよぎを見せている。本日で、2月も最終日である。さてさて、本日金曜スタバトーク日であるから、トーク後の買い物リストでもメモして置くと致そうか。

   Tのお迎えを待って外に居ると、沢庵漬けのお礼だと言って、カップラーメン一箱を頂戴する。

 スタバ二階席は、お天道さん暖房で暑いから、毛糸の帽子を脱いで居ると、Tの奴は眩しいと来たもんだ。

「眩しいのは、春を告げるお天道さんの輝きだぜや。感謝の気持ちが無いと、三度目の大雪を見舞うぞや。あい~!!」

「毎日、楽しんで遣って居た雪掻きだ。筋力トレーニングだと遣って居たからさ。雪が溶けて無く為っちゃうと、寂しいわや。俺ぁ、全然苦に為らないわね。」

 本日の世相観察を交換し合うと、頻繁に起こるアンネの日記本に対する執拗さと、対にしてコメントされるナチスドイツと毒亜周辺国に依る安倍政権への右傾化論評は、余りにもタイミングを連動させて居る感じである。

 こんな余りにも符合する件は、云って見れば室町時代の勘合符貿易、秀吉時代の御朱印船貿易の歴史教科書の頁を捲る様に物でも在る。まぁ、私は相棒の杉下右京警部、科捜研の榊マリコ研究員のドラマをテキストに通信教育を受講している次第であるから、<事実は、小説より奇なり>の結果として、『某国工作員に依る組織犯罪』として、表に出て来るのであろう。

 少なくとも、好色ヤクザもどきのロートルコンビとしては、完全なる<推論の合致>を見た次第である。へへへ。

 買い物リストを持って来ると、楽な物である。Tはメモを持参して居るが、それに該当する探し物は無かった由である。

 ペンキは買って来たが、Tの言う様に何時でも出来る事は、焦らずノンビリ遣るのが、ロートルの嗜みとの事である。へへへ、巧い事を言う物である。

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心何処ーショート いやはや、世の中とは、困った物である。
              いやはや、世の中とは、困った物である。(2/27/14)
 今日は雨だと云うから、雪解けも大いに進む事だろう。昨夜は湯たんぽ無しの寝床で在った。朝賄いには、少々早い。血圧が低い事も在って、私のスィキングタイムと云うか、妄想タイムは、幼少の頃から寝床の中での起きるまでの時間が使われて居た。

 昨日を振り返ったり、今日の予定を考えたり、妄想を浮かべたりで、それが一応の脳細胞アイドリングの様な形で過ごして来た次第でもある。

 そんな時に、玄関が開いて人が入って来た。おやおや、弟か。<今日は予定が在るから、来れない>と言って居たのだが。

              左様で在るか。然らば、起きると致そうか。

 弟も妖怪様の部屋に行くのは早いと思ってか、私の布団の敷いて在る横には、来客用のコタツが在るから、コタツのスイッチを入れて胡坐を掻いて余裕の顔である。

         へへへ、除雪も一段落して、ストレス解消の息抜きに来たのだろう。
         
 先日は、緊急の漏水修理が入って、お茶も飲めずに帰って行った次第である。弟は馬力も在るし、頭も好いし、話しも上手いから、次々と除雪の苦労話、本末転倒のとんでも無い話が出て来るわ、出て来るわで、抱腹絶倒の世間、世相の凝縮図である。

 此処でも、根底にあるのは、自分だけ良ければ良いの<何と、さもしい根性のオンパレード>である事か。低能児に文明の利器を持たすと、見苦しい個利個権の道具と為ると云う事である。会社の名前の入った車、バックフォ、運転する人間、作業をする人間の顔を携帯電話のカメラでパチリ、パチリして居ると云うのである。

 人力じゃ、手に負えない大雪の除雪作業を時間外、休日出勤して遣って貰って居ると云う<感謝の気持ちが皆無>だわな。顔役なんだから、即、組合の会議でさ、断りも無く写真をパチリ、パチリなんてザマは、人を犯罪者扱いして居るのと同義だろう。『肖像権の侵害』だと<役所>に強く抗議して遣りぁ良いんだよ。業者に丸投げして、糞反り返って居ても、職務遂行って事には為らんぜや。行政が商社の真似して、上がりだけを喰って居ちゃ、示しが着かんぜや。仕事をすりぁ、市民にも業者にも、クレームは付き物だぜや。クレーム調整がだって、立派な職務の内だぜ。少しは、かまって遣れや。

 顔の見えない簡単便利な個器に胡坐を掻いて、<気は心の協働心を喪失した馬鹿>は、人間扱いして遣る必要なんか、ツメの垢ほども無えぜや。自助の額に汗する性根が無いから、行政の公助を、当然のサービスだと思って居る。サービスの転化したのがサーバントだけどさ、サービス、サーバントは奴隷じゃないんだよ。
 日本の麗しい伝統文化にぁ、奴隷制度なんか容認され無かったんだよ。<困った時は、相身互い>の協働精神が崩壊しちゃたから、世の中、碌でも無い個利個益の個権ばっかりが、大手を振って闊歩するんだぜや。
 
 100%の個利個益個権を主張し始めたら、収拾が付かんわね。通理の範囲内で、お互いが折り合うしか、方法が無いってぇのが、神代の昔からの人間の仕来たりずらよ。

 毎日、毒亜の中狂、北朝鮮、韓国が、言いたい放題を喚き散らかして居るんだから、その間の見苦しさを学習して居ても、良さそうなんだけどさ。

 この前の名古屋の13人轢きだとか、ロリコン変態野郎がさ、10歳の幼女を脅して、キャリーバックの中へ入れ事件だとかさ。丸で、世の中、正義・義侠心・良識って物が、吹っ飛んじゃった。

 言いたか無ぇが、何で低能児如きを正常人の人数に入れ無くちゃ為らんのよ。ホテル、レストランばっかりに、偽装表示を袋叩きを仕出かすのにさ、賃金、身分には、差を付ける癖してさ。何で人間だけが、頭割りで、ピンからキリまで<平等一色の色付け>で片付けてしまうのか。丸きり、程度の低い世の中に嵌り込んだって事だぜ。

 自由だ、平等だと、ギャギャ云う前に、等級別のフルイを掛け無きゃ、世の中スムーズにぁ、動いて行かんぜや。馬鹿の一つ覚えで、効率=単一工の発想しか出来んから、多能工と云った一人完結仕事が出来無く為っちゃったて事だ。

 全体と個の仕組み、役割が理解出来ない様じゃ、話しの外じゃがね。同じ屋根の下、同じ釜の飯を食って、組織構成員が其々の場で、有機的に一つの仕事を作り出して行くと云った率先垂範型の<日本型労務管理の神髄>が継承され無く為っちゃったから、JRにしろ東電にしろ、ポカミスのオンパレードを晒しちゃうのさ。単価だけの下請け丸投げが、経済効率なんて、涼しい顔してるから、ポカミスの責任とって、米突きバッタの頭下げが、専属業務に為っちまうのよ。

 その癖、給料が安いだとか、人間は機械の一歯車じゃないと、ホザキ遣がる。へへへ、馬鹿に付ける薬無しなんだけどさ。エテ公(猿)にセンズリ覚えさせりぁ、四六時中掻き捲って、『腎虚』でアッサリあの世だって話だ。

 俺はさぁ、人種差別者でも、レッテル貼りでも無ぇけどさ。近時のご時世と来たら、お山のエテ公に個利個益の個権って、個器を与えちゃっているって図だと思うんだけどさ。情けなくて、涙も枯れ果てちゃったいね。如何するだい、あい~。

 都会人辺りが、耳通りの好い言葉だけ多投してさ。やれ絆とかお持て成し、感謝、恩返しなんて、勝手に流行語製造し遣がってさ。

 冗談じゃ無ぇやね。東日本大震災、冬季五輪選手達が、雪深く、酷寒の地でスキー、スケートに子供の頃から勤しんで、才能と努力で夢に邁進して、五輪選手に為って居るんだわね。

 別な意味からしたら、殆どの選手達が地方、過疎の出身者ですがね。彼等、彼女等が、自然と口に出す感謝、恩返しの言葉だからこそ、土着の人間達の絆の強さ、深さに、自然と観衆が涙の感動・共感をもって感涙するんだぜや。人間って奴は、自然から遠のいたり、額に汗する事を忘れたら、感性なんて醸成されて来んのですがな。へへ。

 世の中、馬鹿ばかりでさ。ストレスが溜まるだけ。此処に来ないと、気持ちが共有出来んから、寂しいもんさ。さてさて、遣って見るかいね。

 午前中で残り仕事が終わって、早い昼を親子三人で食べる。いやはや、弟の話が面白いから、妖怪様は何時に無く、自分の歩んで来た道を饒舌に話して居る。午後は車を乗り換えて、脚立、梯子などを持って帰ると言う。

    動き序でであるから、日課と為って居る雪壁を道路に出して、雪の処理をする。

 今日はお天気も悪いから、ジョービタキのバルディナは、家の中で過ごせば良かろう。風呂に入れと言って置いたが、如何やら体調が悪いのだろう。折角、沸かした風呂であるから入って居ると、弟が遣って来て片付け始めている。早や目に風呂から出て、お礼に行く。

 未だ来るから、軽で来たとの事である。左様で在るか。風呂の湯で、トイレ掃除を始めて、洗濯をしたり、台所の洗い物、米研ぎ、掃除をする。

 バルディナは了解したらしく、マイペースの動きをしている。それでも、私の動きに顔を見せに来るのであるから、完全に吾が家の同居人と云った次第である。へへへ。


心何処ーショート 是、種別の体内時計の為せる処か?
               是、種別の体内時計の為せる処か?(2/26/14)
 本日は、春の陽気に為るとの事である。朝の冷え込みも、お天道さんの輝きでマイナス帯から、プラス帯に移って居る。外回りの雪処理は大体が終了して、本日はお天道さんへ、完全にバトンタッチしても好かろう。依って、本日は休養日とすべきである。

 庭木に掛かった雪も、ミネゾの木に残る2か所だけと成った。それでも庭一面の雪の埋もれは、厚さを1/3程度に薄くして居るだけである。地表を雪に閉ざされてひもじかろうと、金華鳥の餌吹きとか零れ餌、ミカン、リンゴの皮とか芯は、それなりに小さく刻んで外に出して居る次第である。

 そんな次第で軒下の餌場には、雀、ヒヨドリ、ツグミが寄って来る。この処、好いお天気さんが続く事から、ジョービタキのバルディナには、変化が訪れて居る様に見受けられる。
 
 ミルワームの餌入れは相変わらず廊下に置いてあるのだが、一昨日からはソゥ~と入って餌を食べ終わると、サッと出て行くだけで、家の中に留まる事をしなくなった。

 いやはや、味も素っ気も無く為って仕舞った。これじゃ、丸るで60代女族が提唱するる『卒婚』見たいな物では無いか。<惚れた男の痛恨の弱味>では在るが、それじゃバルディナ本尊様に疵が付くと云う物で在ろうぞ。現金過ぎる薄情さでは在るまいか。この薄情女が~!!

 然しながら、私は奥ゆかしい性格なので在る。<モテぬ男の深情け>から幾ばくかの考察を試して、吾が身を慰めるしか無さそうである。とほほ・・・為りや。

 これは人間の脳味噌で考えると、陽の長さと気温の上昇に依って、北帰行準備のスイッチが入りつつ在る様に思われる次第である。大雪二度の襲来で、すっかり目晦ましを受けて居たが、来週は早や三月でもある。

 外に居る時のバルディナは、電線に止まったり、柿の木の高い所に止まったりして、兎に角、高い所に居る。低い位置を小さく飛んで居た姿は、高い所を飛んで、さっと遠くに飛び去って行く風に変化して居る。詰まりは、行動範囲が高く、広く成って来ているのである。

 本日は余裕があるから、じっくり腰を落ち着けて庭に面した二畳小部屋での鳥観察記を打って居る次第である。

 先ほど、本日二回目の餌食べにバルディナが入って来て、僅かばかりに廊下で遊んで行った。餌を食べて、二畳小部屋の私に挨拶に来たのだろう。テレビのアンテナ線に止まって、私に姿見せをすると、高く飛び去って行ってしまった。

 ジョービタキの北帰行とは違って、ツグミの北帰行は遅い。そんな次第で庭に姿を現したツグミの行動は、今を盛りの様子で緩やかな物である。渡り鳥達には、其々の種による越冬期間のタイムスケジュールが組み込まれて居て、それに応じた生活を送って居ると考えた方が、人間の私には納得出来る次第である。

 一時、執拗なまでに家の中に居たバルディナとは打って変わっての空じらしさは、その頃が彼女の越冬期間のピークだったのだろうし、ツグミと違って北帰行の早いバルディナにとっては、越冬から北帰行のスイッチが入り始めて、それなりの行動パターンに変化して行って居るのだろうと考えられる。

 加えて吾が家の<飼われ鳥達4番い>では、2番いが抱卵中で在るからして、正確・精緻な体内時計を持った鳥達は、その体内時計によって、季節、一年を進めて行って居るのだろう。

 私としては、バルディナの北帰行に備えて、餌の分量を加減して行かねば為らないと考えていた次第では在るが、<自然感知能力>を文明・科学の下で衰退させて終った人間の老婆心は、如何やら鈍感、無知に依る『小さな杞憂』で終わりそうである。へへへ。

 さてさて、陽気の好さを実感しに散歩でもこなして参りましょうかね。雀とハイエナギャングのヒヨドリウォッチングでは、余りにも退屈であるからして。

        面喰い性根は、死ぬまで治りませんですがな。ご免なさいね。イッヒッヒ~!!

心何処ーショート 米屋さんにて、ボヤキ漫談の一節為り。
            米屋さんにて、ボヤキ漫談の一節為り。(2/25/14)
 ソチ五輪選手達のエピソード集の放映が在って、その事に就いて本日は打って見ようと思い、布団の中で文面を考えて居ると、妖怪様の動きである。

 もう少し、温い布団の中での言葉探しをして居ると、玄関が開いて人が入って来た。弟が3時過ぎに来るとの事であったが、都合が付いての朝から来たのだろう。

「未だ寝てたわ。起きるから、ちょっと待っててお呉れや。」
「やっと除雪が終わってさ。偉い目に遭っちゃった。今日は余裕だから、ゆっくりで好いよ。」

 へへへ、予定が狂って仕舞った。朝食後は、土手から出入り出来る通路の除雪を考えて居たのだが・・・。

「こっちが、夜間作業、休み返上で遣ってるのに、ああだ、こうだと文句、イチャモンばかり付けてさ。あんまり、ガタガタ抜かすから、脅し上げて遣ったぜや。馬鹿ばかりで、遣っちゃ居れんわ。世の中の出来が悪く為り過ぎた。」

「そうかい、ムダゴト扱いたら、遣らせりゃ好いんだよ。兎角、口煩いのは、下衆の証拠だしな。」

「俺は人格者だから、大人しいけどさ。肝の短い兄貴だったら、その場で殴り倒されるわな。暇なんだから、今度一緒に遣るか。俺達の体付きと顔見たら、黙っちゃうぜや。
 怖い者知らずで下らん事言ったもんなら、頭で圧倒されちゃうしさ。俺は、煙草吸いながら、高見の見物させて貰うがね。ヒヒヒ。」
 
「何を扱いてるだ。俺なんか、360度温厚な善人だぜや。兄弟だからって、人聞きの悪い事言ったら、親が可哀想だぜや。なぁ、婆さん。」

 お茶請けに野沢菜と沢庵を切って居ると、弟の携帯が鳴った。緊急の漏水修理が入ったとの事である。仕事の手配をして、準備の為に帰社するとの事である。殊、仕事に関しては、生真面目な男である。そそくさと帰って行った。

      業者が水道管を引っ掛けて仕舞ったとの事で、噴水洪水では無理からぬ事である。

 朝食を採って、さて、厄介な雪掻きを完成させねば為らない。作業動線を確保して遣らないと、作業効率が悪い。作業効率が悪るければ、肉体的負担が増すだけである。気持ち好く、効率的な仕事をして貰う為には、作業環境を整えて遣るのが<知者の嗜み>で在る。

 汗だくのキツイ作業では在るが、遣り遂げて仕舞えば、次のアラが気に為るのが貧乏性の泣き所である。今度は家の前の坂道の凍結した轍の剥ぎ取りをする。コチンコチンに凍った物をスコップで剥ぎ取り、思いスコップを抱えて乾いた土手道に返す作業である。
 本日も良いお天気さんであるから、毎日、半氷状態の雪処分をして行かないと、前には進まない雪処理なのである。

        その作業をして、休憩方々、自転車で米屋さんに米買いに行って来る。

 いやはや、大雪に祟られて、善人達は、思わずコンニャローメ~!!のエピソードを重ねて居るとの事である。米屋さんも雪に嵌った車救出にヤッキに為った物の、常識あるお礼が無くて、『頭に来て居た』との由。我々ロートル世代の社会儀礼の風潮は、廃りに廃って仕舞った次第である。

 離婚と為ると、家事労働を労働時間×賃金に換算して、慰謝料為る物を請求して当然の顔をしていたり、昨今は『卒婚』などと称して第二の人生を<活き活きと自由気ままに過ごす>などと云う女族では在るが、殊、他人の善意労働には、賃金換算のお礼行為が出来ないと云うのであるから、善意の男族からしたら、心穏やかに為れ無い次第なのである。

★ふざけ遣がって、雪道走行も出来ない、嵌った車の脱出算段も出来ない女は、自分のケツも拭けない馬鹿女だ。とんでも無ぇ女に関わっちゃった。本当に、頭に来たぜ。

 へへ、心中、お察し致しまする。何が、女の社会進出じぁい。手前のケツも拭け無え女が外見の化粧だけして、如何するんじゃい。

 善意の行為で在っても、其処には善行に対して<褒めて貰いたい>の願望が在るのは、紛れも無い心情にして真情と云う物であろう。増してや、<気は心>なのであるから、菓子箱、煙草、酒などの『後日の心付け』が在っても然るべきと思うのも、人情の内と云う物である。

 いやはや、全く、仰せの通りで在りまする。女族というだけの<性差に価値が在る>訳では無いのである。

    余りにも、米屋さんしょげ返って居るから、ソチ五輪選手秘話の感想を披歴して来る。

「長い低迷経済の日本、東日本大震災を蒙った日本で、毒亜諸国のエゲツナイ反日感情の中で、日本が精神的な揺り戻し期に入りつつあるじゃないのかと、少し期待してるんだけどね。

 今回の五輪選手達に共通する『感謝の言葉』の数々が、俺には何か時代の変わり目の様に感じられるんだよね。

 冬季五輪って雪と氷のスポーツだから、夏の五輪とは違う。雪と氷に閉ざされた地方は、云って見れば<過疎を意味する地方の人間達>だよね。昨今流行った『絆』とか『持成し』の言葉が在るんだけど、都会人が生意気面して、簡単に口に出す言葉じゃないですがね。

 それが現わす心・慣習は、同じ土地に何代も住み続けて来た地域で、云って見りゃ、長い時代を紡いで来た<心の在り様>なんだと思うんだけどね。単なる一過性で終わる軽い言葉じゃないんだと思うけどね。へへへ。

 耳当たりの好い言葉だと、誰かが使うとマスコミが『定型語』にして、猫も杓子も使用頻度を拡散して仕舞う。少しは、言葉の重みを噛み締めながら使って貰いたいわね。

 <仏師、仏像作って魂忘れる>じゃ、様には為りませんわな。底が浅過ぎて、言葉に申し訳が立ちませんがね。言葉だって、人類の遺産でしょうが。あい~。

 多くの選手達は、土着の中に生きている人達なんだよね。長く暗い冬の中で、地道に生きて来た人達ですがな。土地と云うハンディを負って居てもさ・・・純朴で、一途で、頑張り屋さん達で、他人様から受けた行為、気持ちを素直に感謝して、それを糧に、自分の高見を目指す、そんな克己心と生真面目さが、人の心を魅了する。

 日本の伝統的な神々は、そんな純朴で、一途な選手達の心に応えて、後押しをして下さる。これが<日本が守り続けて来た人間の生き方>だと、教えて呉れる。心技体には違い無いだろうけど、その後ろにはヤオヨロズの神々の頬笑みとご褒美が待って居る。

 人間は、やっぱり自然から遠のいて仕舞ったら、人間の心を失うって事じゃないですかね。昨日の五輪総集編は、ただただ、静かな感涙の連続だったいね。へへへ。」

「やいやい、流石に、Rちゃだ。立て板に水で、巧い事を云うもんだ。大したもんだ。尊敬しちゃうぜや。」

「そんな事ぁ無ぇさね。この位の事言って置かなくちゃ、コーヒー代にも為らんわね。ギャハハ!!」

      好い日和で、道路にばら撒いた氷雪は粗方、お天道さんに溶かされている。

 米袋を自転車から下ろして、家に入らずに、もう一踏ん張りで在る。体育会系の単細胞ロートルは、大きな角スコを手に、道路全開の氷雪捨てに筋力トレーニングに乗り出す。

 いやはや、老体はヘロヘロ状態では在るが、男一匹、誰にも頼らずに道路全開を遣り遂げましたで御座りまする。

 私にはメダルも入賞の栄誉には浴しないが、物音を聞き付けて柿の枝で見待って呉れて居るるバルディナの<気は心>の姿見せが、真に嬉しい限りである。へへへ。


心何処ーショート 今日も、早や夕暮れ時である。
               今日も、早や夕暮れ時である。(2/24/14)
 いやはや、信じられない事件が起きる物である。不特定多数の殺人を目的に歩道の車を走らせて、次々と歩行者を薙ぎ倒して行くと云うのであるから、人間の遣る事では無い。街路樹に衝突して車は大破との事である。世の中は、完全に狂ってしまったのか。

 こんな場面に遭遇したら、私は年甲斐も無く大破した車から殺人犯を引きずり出して、半殺しの目に遭わせて、縛り上げて110番通報である。これが生物としての生物反応と云う物であろう。

 遣られたら、遣り返す。これは、当然の行いであろう。戦国時代には、百姓の落人狩りが在ったし、ご存知西部劇では、自警団によるリンチも吊るし首も在った次第である。生物としての反撃本能が喪失してしまった世の中では、この様な脳に支障を来した狂人が、無辜の民に襲い掛かって、『誰でも好かった、人を殺したかった』などと、人を馬鹿にした様な<戯け言>を平気で口にするのである。

 理不尽な狂行に対して、一個の生物として<燃え上がる噴弩の感情>が、湧き立たないのだろうか。幾ら平和な個人主義法治国家と云えども、これではみすみす無防備な羊の群れに、狂犬病に侵された狼の好き勝手を許して居る図で在る。一個の生活者としては、安全安心便利な社会に越した事は無いが、防衛本能、報復本能を忘れ去って終った<生物の脆弱さ>は、却って空恐ろしい事である。

 極普通の生物反応すら出来ない生物は、何時かは地球上から死滅するしかあるまい。本能を薄める事で理想社会は構築できるが、本能を滅してしまえば、それは現実的な理想社会とは為るまい。

 現実から始まる理想への手順のベクトルが、進歩のベクトルとして時代に即した矢が放たれて、人類は此処まで来た。然しながら、感情を理性一辺倒に置き替える事は、容易い事では決してない。家庭、学校、社会、国家の構成員としての躾けが大半崩壊してしまった時代に在って、退歩のベクトルに照準を合わせて、人間の持つ負のベクトルを併せ持っての教育、社会監視する事が必要に為って来た時代では無かろうか。

 躾は、とどの詰まりが<飴と鞭の複合技>で在る。個人的自由からしたら、社会秩序の負担をしなければ成り立たない個人の自由の権利は、その取得、確立過程に在っては、窮屈この上ない修業期間を要する物だと思うのだが・・・

<カラス何故鳴くの? カラスの勝手でしょ!!> こんな何でも在りの世の中で在っては、世は廃るばかりである。精神の均衡社会の再現には、一体どれほどの時間と手痛い経験を積み上げねば為らないのか・・・。いやはや、脳味噌の軽いロートルには、ウンザリするご時世である。

 降り積もった白雪の世界も、大分溶けて草臥れて来た。通りの積雪は煤、埃に黒ずんで来た物である。本日は、河川敷に降りる階段部分の道開けをして汗を掻いた次第である。私が外に出れば、何処で見て居るものやら、ジョービタキのバルディナが近くに飛んで来て、声で応援をして居る。これも小さいながらも、生物としての反応の一つのであろう。

                  へへへ、アリガトさんよ。


心何処ーショート 願わくば、ジョービタキ物語を打って見たい物である。
         願わくば、ジョービタキ物語を打って見たい物である。(2/24/14)
 日曜日の午後は、バルディナが餌食べに入って居たので、遊び半分で戸を締めて見た。一体、どんな行動を採る物やら? 何事も、実際に試してみないと解らない物である。アハハ!!

 陽の暖かさ満載の廊下は、一足先の春の気持ちの好さである。妖怪様の洗濯の手伝いをしながら、廊下のバルディナを見る。好奇心旺盛なバルディナは、すっかり家の中にも馴れてしまった様子で、家の中を自分の思い通りにしている。

 それでも、廊下を中心にして、各部屋の端に身を置いて居る。如何やら、廊下からだと戸は閉まって状態なのだが、ガラス越しに見る庭の様子は、自分が普段通りに過ごしている外に居る時の感覚なのかも知れない。その感覚が安心感に繋がり、家の中の暖かさ故に、羽毛が寝て見るからにスマートで野性の精悍さすら作り出して居る。

 そんな感じで、中々の美人さんである。外の寒さに、羽毛を膨らませて丸くなっている姿とは別鳥の趣である。化粧も整形もして居ない素の八頭身美人振りは、ロシア美形・美人さんを排出しているロシアの大地の住人と云った処か。へへへ。

              妖怪様も、実の処、大の生き物好きなのである。
 
「可愛い、綺麗な小鳥だね。もう、自分の家だと思って居るんだろうね。安心し切って、毎日、遊びに来るんだから。好いお友達が出来て、退屈しないだろう。」

「そうだな。類は友を呼ぶで、下手な人間の女よりも、男を見る目が確か見たいだわさ。こんなに怖がらない鳥は、生まれて初めてだよ。閉じ籠り独り暮らしも、悪くは無いわさ。アハハ。」
 
 それでも、バルディナには縄張り維持の巡回行動が在るから、何時の間にか姿を消している次第でもある。アハハ。

 腹が減ると、餌を食べに来る。きっと餌漁りの縄張り巡回では無く為って来て居るので、然程広くは無い縄張りからは直ぐ帰って来て、入れて置いたミルワーム・テーブルに就いて居る次第でもある。

 する事も無く、コタツに当たって居る内に眠く為って来た。毎日の雪始末で、些かオーバーワークの態で在る。布団の中で一時間ばかり熟睡し様と、廊下のサッシを開けて置いたのだが、バルディナは一向に外へ帰る風も無く、私の寝て居る八畳のDVDを入れて在るラックの上に止まったり、廊下の工事用の道具ケースの上に止まったりして、小刻みに廊下を主要行動の場として居る。

 その気配からすると、廊下の抱卵中の金華鳥番の籠を見たりして居るらしく、飛ぶ音とか、短い鳴き声が聞こえてる。如何やら、DVDラックの上が居心地が好さそうで、其処を中心に動き回って居るらしい。

 雪も大分小さく為って来て居るから、サッシ戸を開放したまま寝入って仕舞ったら、廊下の抱卵中の金華鳥が心配である。何度もイージーミスを犯している吾が身であるから、<帰らないバルディナが悪い>のである。猫の狼藉に備えてサッシ戸を締めて、小一時間の夕食前の昼寝に移行する。

 私の頭の先で、サッシ戸を突っ付く様な音が連続して、バタ付きがして来た。好い気持ちで寝て居たのだが、時は夕刻であった。八畳のサッシを開けて遣ると、サッと外に出て、柊の枝に止まった。

     <じぁな、今日は、これでお終い。縁の下のネグラに帰れ。また、明日な。>
 
          バルディナは察した様に、縁の下に飛んで行った。
 
   いやはや、野性の小鳥が、こんなにも慣れる物とは思いもしなかった。
そう云えば・・・グレゴリー・ペック主演の息子と子鹿の交流を描いた<子鹿物語>なんて、好きな作品が在った。

 まぁ、開拓農民の作物を荒らす処までは行かない<冬の渡り鳥>ジョービタキのメスだから、過保護の極みでは在るが、心配は無かろう。彼女の好きにさせて置くべしで在る。

 還暦半ばの私としては、<北帰行の時分>に為ったら、バルディナを野性の習性に戻して遣るべく餌の数を少なくして遣らなくても為るまい。北帰行の半年後にも、無事に越冬に帰って来ても、私との記憶が刷り込まれて居るか否かは、バードウォッチャーとしての最大観察事項である。

          願わくば、ジョービタキ物語を打って見たい次第でも在る。へへへ。

 明けて本日も、青空である。朝の始動を開始するが、未だ姿を現わさ無い。朝方には、起きろと鳴いては居たが、中々姿を現わさ無い。掃き掃除をして、廊下で胡坐を掻いてミルワームを摘まんで居ると、声である。軒下の物干竿に止まって、餌入れにミルワームが一匹一匹落とされて行くのを黙って覗き込んで居る。

 バルディナが入って来たから、廊下のサッシ戸を締める。朝食が済んで、四畳半定位置でPC打ちをして居ると、部屋に入って来た。外に出たいらしくガラス戸に向かってホバーリングをしているが、面倒臭いから知らぬ振りを決め込んで居ると、部屋から出て行った。

 とうとう、本日は妖怪様の部屋にもテリトリーを拡げて、暫く遊んで行ったとの事である。廊下には、餌入れと水入れも置いてあるから、日差し一杯の廊下で、バルディナは水を飲んだりして、丸で外に居るのと同様のマイペースの行動で時間を過ごしている。

 道路の雪も片付いて来た事でも在るし、ブログ打ちが終了したら、長靴では無く靴を履いて、久し振りの散歩がてらに、外の模様を見て来るべしである。帰りに、来るかどうかは解らぬが、メジロ殿にミカンとリンゴでも買って来るべしである。

 余り家に居ると、自分の一方的勝手で、暇潰しに上がり込まれて、興味の無い下らない事を長々と喋り捲られて仕舞っては、吾が知性に疵が付くと云う物である。

 人間には厄介な共通語がふんだんに在るから、時には気持ちの進まないご近所付き合いもこなさなければ為らないのが、真に厄介な事なのである。その点、50~60cmの距離感を保った冬の渡り鳥・バルディナの方が、私の気性には頃合いと云う物である。へへへ。


心何処ーショート 穏やかな日曜の日差しである。 
                穏やかな日曜の日差しで在る。(2/23/14)
 好いお天気さんである。朝食後のテレビを見ていると、弟が入って来た。連日の除雪仕事で休みなく仕事をして居るとの事で、もう嫌に為ったから、息抜きにお土産だとか、頂戴物のお裾分けに顔を出したと言う。

 お茶でも入れるかと言うと、仏壇に燈明を上げて線香を点して<仕事途中だから、現場復帰をする。>と言って短時間で出て行った。

 入浴洗濯後は、私も掻き上げた<雪の壁>をお天気具合を見て、毎日少しづつ道路に帰して居る次第である。敷地内の雪は、雪解けに任すしか無いのだが、街場の生活道路は、市の委託を受けた業者が、バックフォー、ドーザー、ダンプで市指定の雪捨て場に運搬するしか手立ては無いのである。市の除雪予算も底を付いてしまった事だろう。

 まぁ、便利な時代であるから、市民生活者は<電話一本>で、散々に市の適応の遅さに文句を言って居れば良いのだろうが、遣らされる方にしたら堪った物では無かろう。いやはや、雪搔き、除雪仕事は大変な事である。

 考えて見れば、私もすっかり半月も散歩などして居ない。散歩運動時間以上の雪搔き時間を毎日遣らされている勘定である。

                 いやはや、疲れる訳である。とほほ。

 お天気さんが良いから、子育てを終えた町の中心道では、女性群が道路脇に堆(うずたか)く壁を為して居る雪を乾いたアスファルトに撒いて、こつこつと『雪減らし』をして居る姿が何軒か見られる。ロートル女性のプラスチック雪搔きでは、道路の氷と為って終った圧雪は始末出来ないから、止む無しで在る。暫く、遠征をして来た。

 斯様に田舎の人は勤勉実直で在るから、町の生活道路は全て住民の自助、共助で維持されて居るのである。例え戦後生まれでも、家庭では戦前教育の親の躾けを受けて来た世代である。この当たり前の日本の生活習慣が何時まで続くのかと、寂しい観もする次第では在るが・・・ それを踏襲するのも、日本人の生活の佇まいでも在る。へへへ。

 雪一色の庭では、雀、ハイエナギャングのヒヨドリが、穏やかな日差しの中で、餌を啄んだり、雪解け水を飲んで居る。メジロ用に置いたミカンは、二つともヒヨドリに食い散らかされて、雪に何箇所も黄色い糞を落として居る様である。
 ミカンもリンゴも底を付いてしまったが、ムザムザとハイエナギャングの腹を満たすばかりでは、『私の慈悲心』も一切湧いて来ない次第である。

     本日・日曜日にして、個人スーパーも定休日であるから、無視で良かろう。ニャハハ!!

 廊下の籠では、ペアを変えた効果で、卵ばかり産んで一向に抱卵をしなかった白いメスでは在ったが、出来の良いオスに触発されて交互に抱卵の態勢を採って居る。現在、卵は5個である。玄関に置いた鳥籠も動かさずにして1番いは、抱卵態勢に入っている次第である。

  まだまだ酷寒の季節では在るが、陽の長さに呼応して繁殖の兆しを見せている様子である。


心何処ーショート 二週間振りのスタバトーク為り。
               二週間振りのスタバトーク為り。(2/22/14)
 明けて、本日は予報通りの手厳しい冷え込みで在った。玄関に置き切れない籠を廊下に一つ置いてあるのだが、朝の早い金華鳥は水が凍って居るらしく、不満の音をカタカタとしつっこく立てている。人間も食事には何かと飲み物が必要である。

 好きで飼っている以上、責任は私に在る。さてさて、起きると致そうか。起きねば、一日は始まらないのである。

 朝の始動を開始する。空気の総入れ替えと、大雑把な掃き掃除をしてバルディナの朝の餌入れである。私の動きを縁の下で窺って、松の小枝にサッと姿を見せる。

 昨日は夢奇譚・番外編の貯金が在ったので、駐車場の厄介な氷砕きをしたり、車でドライブがてら買い物に行ったり、久し振りに挿絵を描いたりの余裕で在った。挿絵をスキャナーして、ブログに挿絵付き読み物をアップして居ると、四畳半に突然の羽音がして振り返ると、バルディナが部屋に入って来た。

 私も家を空けて居たので、昨日はバルディナも縄張り巡回をして居たのだろう。夕食のミルワーム入れの時には、珍しく姿を見せなかった。寒かった次第でも在るから、妖怪様も開けて置いては寒かろうと思って、一個所だけの小さな開きとして置いたのである。

 そんな次第で、外に出れなくなったバルディナが<戸を開けてよ>と言いに来たのだろうと思った。それにしても、動じる風も無い態度で、野性の精悍さすら見せて居る。そんな雰囲気が、催促に託けて、家での行動範囲の拡大を目論んで居る様にも見受けられた。

 暫く見学をさせて、四畳半出窓の戸を開けて遣る。私が椅子から立ち上がると、本箱裏の狭い所に逃げ込んでしまった。余り心理的圧迫を生じさせても可哀想であるから、奥の方の戸を開けて遣ると、サッと外へ飛んで行った。

 そんな経緯が在った次第で、私としてはバルディナが一夜明けて、如何なる態度を見せるかが、『ウォッチングの関心事』であった。

  何時もと同様に、餌入れをじっと見ている。まぁ、ゆっくり食事をして行けば良かろう。

 此方は人間様の朝の用意があるから、台所に移行する。食事を運んで居ると、何時もの如く入り込んでミルワームを啄んで居る。午前中は、四畳半は寒いから、陽の当たる二畳小部屋の温かい空気の中で、炬燵から庭の模様眺めをして居ると、彼女が入って来て、妖怪様の部屋の廊下まで遠征して来た。二畳小部屋からは、廊下が全部見えるから、彼女の動きが見える。六畳に入ったり、八畳に入ったり、多分そこから、四畳半にも入ったりして居るのだろう。いやはや、チャッカリしたと云うか、好奇心旺盛な縄張り拡張行動である。

         いやはや、これだから女族は、油断が出来ない生き物なのである。

 そんな同居人の動きを見遣ったり、庭を見て居るとメジロとは動き、シルエットの違うくすんだ緑の色合いの小鳥が楓の木に遣って来た。凝視して居ると、小鳥の全容が解って、ウグイスであった。今シーズン初めての遭遇である。ウォッチングして居ると、縁の下に飛んで行った。

                そんな事をして居ると、Tからお誘い電話である。

 沢庵漬けを袋に入れて、お迎えの来るまで、駐車スペース周りの雪を道路に拡げる。毎日、少しづつでも道に拡げて雪の処置をしなければ為らない次第である。そんな事をして居ると、斜向かい吟さんが遣って来て、野菜は在るかとの事であるから、貰える物は何でも貰うよと応える。白菜を進呈して呉れるとの事である。

                     Tの車が遣って来た。

 スタバスタッフさん達も、好色ヤクザもどきロートルコンビの二週間振りにして、金曜為らぬ土曜であったから、如何しちゃったんだろうか?と、それなりの心配をして呉れて居たとの事である。

 雪も大分溶けて来た土曜日であるから、スタバ二階席は、入りが多かった。いやはや、雪に完全に没した二度の大雪に祟られた二週間で在った。

 へへへ、Tも流石に<名門★陵生>である。ご近所の雪掻きだとか、嵌り込んで仕舞った郵便局の車を救出したりと、私同様のボランティアサービスをしていたとの事である。Tの所は角地で在るから、吾が家と同様の幅員の狭さである。Tは四台の救出をしたが、お礼に来たのは、たった一人だったと言う。

 一人暮らしのお向かいさんには骨だろうと雪掻きを遣って遣ったら、雪掻きの仕事として、屋根の雪を指差したから、
「俺も歳だから、そんな怖い事は出来ない。業者を頼んで呉れや。」と言って、取り合わなかったそうである。

「ったく、一人暮らしで可哀想と思ってボランティアして遣ってるのに、厚かましいにも程のある糞婆ぁだ。それを、爺っさに言ったらさ、<あそこの家は、横着で人任せにするのが得意の口だった>ってさ」

「ほう、そりぁ頭に来るわな。そう云う時は、如何云う顔するだいね。あい~。」

「ああ、俺は、端(はな)から馬鹿は相手にして無いから、無視してるだけさね。それよりも、郵便局のお兄ちゃんの方が面白かったぜや。
 雪の経験が無い見たいでさ。普通だったら、こんな大雪に遭ったら、車にスコップを入れて置かなくちゃ、にっちもさっちも行かんだろうが、学習効果がゼロと来て居るんだから、可笑しなご時世よ。
 バック、前進をスローで繰り返せって言ったらさ。オタンコナスでさ、ギアを入れないでさ、こう遣って、自分の身体を前後に動かしてる始末だ。あんまりマドロッコシイから、<兄ちゃん、降りろ。俺に替われ>って言ってさ、全部、俺が遣ったって訳さ。R同様に、俺もオーバーワークだぜや。」

「そうかい、そんな場面じゃ、頭から湯気噴いてるだろう。ギャハハ!! でもなぁ~、そりぁ能力の違いで、しょうがねぇわさ。
 何て言ったって、男子番から高OBは、<優秀な縁の下の力持ち>だぜな。ただな、こっちが大人の対応をして遣ってるのに、馬鹿はそれが理解出来ない処が、能ある鷹の切ない処だいね。あい~。

 そう云えばさ。何処の馬鹿教授の研究成果かは忘れたけどさ。ラジオで、就学前の幼児が如何に遊んだかで、その後の高偏差値大学の進学率が顕著に現れるとやらで、幼児の遊び学習の進めを提唱してたんだけどさ。馬鹿は肉体労働したって、劣るわね。何も、勉強と体育の脳作用が別建てって事は在るめいよ。何かと、為にする研究じゃ、そんな物は糞の役にも立ちませんがね。」

「あいあい、そう云う事だいね。へへへ。俺達の頃は、勉強の出来る奴は、スポーツも出来たしな。そんな事は常識でさ。研究対象にも為らなかったわいね。何事も、軟じゃ物には為らんさね。」

「あいあい、フニャチン、コンニチワオジサンじゃ、相手が湿原だって挿入は叶いませんがな。」

「おっ、やっぱり落ちは、そっちに行くかいね。」

「あいあい、冬季五輪が、ロシアのソチって云うんだから、シャ~無えねね。へへへ。」
 
 ホームセンターには、漸くの雪掻き、竹箒の品揃えであった。それらを買って来て、庭の動線拡張をすべしである。

   家に帰ると、家の中にはバルディナが入っていて、私の<お迎え>をする始末である。

 竹箒と雪掻きを持って、家周りの雪道の拡張をして居ると、バルディナの奴は、庭の私の動きに合わせて、廊下を飛んで模様見をして居るのであるから、大した物である。本日は、洗面所の洗濯機、風呂にまで行動範囲を拡げて居る始末である。へへへ。

夢奇譚・番外編2・・・衆生の交わり。
               バルディナのオネダリ_001ご挨拶_001夕食の時間よ~!!

           夢奇譚・番外編2衆生の交わり・・・ジョービタキ考(2/12/14)
 <その1>
 ジョービタキの故郷は、シベリアで在る。その小鳥は、雀位の大きさでスマートな体躯である。日本へは冬鳥として、全国に渡来する。平地から山地の林縁、農耕地、河原、市街地の庭、公園の少し開けた所に、単独で縄張りを持って越冬する。

 オスは見るからにシックで、ハンサムで在る。灰褐色の頭部に黒いマスク。腹部から背は橙色で、黒い翼には白い班を持つ。メスは全体にくすんだ鴬色で、背の下にはオス同様の橙色があり、翼に同様の白斑を持つ。
 止まって居る時は、尾羽を小刻みに震わす様に振る。声はヒッ、ヒッとか、クワッ、クワッの単声を上げる。好奇心旺盛と云うか人見知りをしない行動から、その気質には人懐こさが在る様にも見える。

 ジョービタキの尉(じょう)は、オスの頭部の色を銀髪に例えて、老人を意味するそうな。そしてヒタキはヒッ、ヒッorクワッ、クワッorカチ、カチとも聞こえる鳴き声が、火打石を鳴らす音と似ている処から、<火叩き>に由来して居るそうな。

 斯様にしてオスは非常に目立つハンサム振りで、日本全国に飛来して越冬する身近な野鳥であるから、きっと見掛けた事が在ると思う。私は幼少の頃より鳥が好きで、人一倍の関心を持ってバードウォッチングをして来た次第でも在る。

 <バルディナ1世>
 歩けなく成って独居生活が困難に為って来た実母の介護を始めて、最初の晩秋、私の定位置四畳半窓辺のコブシの枝に遣って来たのが、ジョービタキのメスであった。それは夏には四畳半の目隠しと為って居るコブシの葉群が、落葉して数枚の葉が残るだけの冬を迎える時期であった。

 雌ジョービタキは、雄と違って地味な羽色で動きも大人しい。そんな動きの穏やかさが、如何にも雌らしかった。彼女は、寒々としたコブシの細枝に止まって、部屋の私に尾羽を小刻みに震わせたり、タクトを振る様にして姿見せをする様に為った。
 そして、私の座る正面=東お向かいさんのブロック塀の上を、チョコンチョコンと歩いたりして、目の保養をさせて呉れた。まん丸の黒い目と緩やかな仕草が何とも言えず、私はその姿見せに、何時しか北国の使者、観音様と呼んだ。自己主張の薄い穏やかな仕草の姿見せに、ロシアの金髪福与か美形・バルディナの名前を取って、彼女の面影にオーバーラップさせて居た次第でも在った。ヘヘヘ為り。

 私は生き物に興味が在るから、自然と観察の目が向いて仕舞う。窓辺に訪れる野鳥達の比較、行動を目にして居ると、色んな事が解って来る物である。縄張りが在って、縄張りを一定の時間帯で、巡回しているらしい事が解って来ると、彼等にも日課と云う習慣の中で生活して居るのが見えて来る次第である。そんな彼等の眼の中には、人間と言う動物は狭い範囲(籠)の中に暮らしているとの生意気眼が在る事も解って来る。

 それは、彼等が空中を飛ぶ翼を持っている事から来る境の無さに由来する物なのだろうと、私は勝手に推測して居るのだが・・・

 幸い、彼女とは気心が通じたのだろうか・・・ 私が外に出ると、何処で見て居たのか、サッと姿を現す始末であった。散歩に出掛けると、河川敷を歩く私の前で、河原を小刻みに飛んで、尾を振って呉れる。散歩から帰って家に近付くと、お出迎えまでしてくれる『深情け』に、私はジョービタキにして置くのが、惜しい気持ちにまで為って来たものである。

 そんなジョービタキ・ウォッチングの過程で、ジョービタキ個体の縄張り範囲を知ったりもした。日課の散歩ウォッチングの中で知った事は、わが町内には雄、雌、雄の三個体が川を跨いで、東西に縄張りを持って越冬して居る様子が解って来た。縄張りは然程の広さが在る訳でも無く、縄張りの堺で縄張り争いが在る訳でも無く、至極平穏な関係の様にも見て取れた。

 勿論学問的な目的意識を持って、縄張りの観察をした訳は無いから、迂闊な事は言えないが・・・雄・雌・雄の整序的な位置関係が、功を奏して居るのかも知れないとも思ったりするのであるが。

 バルディナは、自分の縄張りをマイルドキープして、その範囲で<お見送り>と<お迎え>行動をしているとの『行動パターン』に気付いた次第でも在った。

 次に私が関心を向けたのが、縄張りの中心地であった。四畳半から玄関に向けて、手入れを一切して居ないアジサイ、ツツジ、ドウダン、ツゲなどの灌木が密集して居る。其処が、彼女の根城の様であった。
 玄関には金華鳥を置いて居るから、夜が明けると玄関鳥達が活動の声を上げる。それに呼応して、玄関周りでジョービタキの単発の声が聞こえて来る朝で在ったから、彼女のネグラ場所としては、<当たらずとも遠からじ>の推理だと思われる。

 春が訪れて、バルディナはシベリアに帰って行った。その年の晩秋、コブシの葉が落葉した頃、クワッ、クワッと声がして、鳥影が動いた。嬉しいバルディナの帰還で在った。

          <来たか来たか、帰って来たか。息災で何よりだ。>

 それは、同じ個体のバルディナの化身・ジョービタキのメス鳥であった。私を覚えて居て呉れた事に、嬉しくも思い、感謝の気分さえ湧いてしまった、本棚の柔和美形・バルディナの写真に投げキッスであった。正直、彼女の化身にも思えた。

 <バルディナ2世>
 4年目のジョービタキは、同じ雌でも別個体であった。野生の生命は短いものである。寂しい想いでは在ったが、渡りをしなければ為らない自然界は厳しい。代替わりをしても、それは致し方の無い次第でも在る。1世と違って若い個体で在った。時折、姿を見せるだけで、嘗ての様な濃密な関係には発展しなかった。これも、個体差の為せる処で在った。

 或る時、庭に居ると、雄ジョービタキがスモモの木の下のイチゴの地面に降りて、私を見ていた。<縄張りの主が変わったのかな・・・>と思いながら、見ていると雌ジョービタキが飛んで来て、雄を追い払ってしまった。

 そんな小さな追い立て行動が1、2度有った位で、我が家はバルディナ2世の物と為った。

 それはハイエナギャングのヒヨドリとは全く違う平和的縄張り成立の様でも在ったし、また考え様に依っては、約半年間に及ぶ越冬期間中の餌分けに於ける<紳士協定>の様にも見える次第でも在った。

 縄張りは、思うに餌の確保とネグラの確保であろう。餌の確保は、環境と広さに依って決まるのだろう。ネグラと為れば、それは家でも在るからして個体其々の好みと為ろうか。 
 従って個体差が歴然と現れると云った次第で在ろう。加えて、単独の縄張りを持つジョービタキに在っては、当然、縄張りの申し送り・引き継ぎ行為が為されない以上、ネグラ選択は個体嗜好の独壇場と云えよう。

 2世は西の家庭菜園に宛がわれて居る梅木の下の、南天の茂みをネグラとしている様子で在った。私の日常動線の死角に立つ位置関係で、私の定位置四畳半とは遠い位置で在ったから、余り顔合わせが出来なかったのであろう。
振り返って頭を整理して見れば、何事もお互いの認知度が進まない事には、警戒感が薄まらない。従って、親しくは為れないのは詮無き事でも在った。

      斯様にして、人畜無害のバードウォッチングとは距離間の維持でも在る。

 <バルディナ3世>
 今シーズンは、若い個体のメスの訪れで在った。それもコブシの木に大分葉群の在った頃の姿見せであった。猛暑の長夏を呈して、草臥れたし、例年に無くキリギリスの寿命が短かった事も在り、渡りの予想外の早さであった事からして、気象異変を兆向か?とも思った次第でも在った。

 今年は無果の結果と為って仕舞った渋柿の落葉が済むと、冬は一気に遣って来た。庭を見渡せる二畳小部屋に早々に炬燵をセットして、寒い時は炬燵で旧PC打ちをする事が多く為って居た。

 四畳半周りには、余り姿を見せなかったバルディナ3世は庭の地面とか、テレビのアンテナ、アンテナ線に止まって、庭を本拠地にして居る様子である。そして、廊下下の縁側地面にもよく姿を現して居た。
 また、然程寒く成らず羽虫が飛んで居る頃には、ミネゾの枝に虫柱が立って居ると、それを空中捕食して居るシーンを何度も見掛けた。それは、如何にも野性の動きであった。

   為るほどジョービタキは、この様にして虫を食べて居るのかと認識した次第で在った。

 春の訪れとともに北へ飛び立って、カップリング、営巣、抱卵、育雛をするシベリアの大地は、テレビのネィチャー番組が映し出す様に、至る処に虫柱が萌え立つ繁殖の大地なのだろう。そんな映像とのオーバーラップで、私はバルディナ3世の個体観察をしていた。

 そんな次第で頻繁に姿を見る内に、彼女のネグラが縁の下である事が解って来た。加えてバルディナ3世が、私を怖がっていない様子が解って来た。私は金華鳥の慈養餌用に残って居たミルワームを、廊下の上がり石の上にばら撒いたり、好く見かける百日紅の辺りの地面に、餌鉢を置いて入れて見たのだが、一向に見向きもせずに放置されて居た。

 へへへ、私としては、<以心伝心の術>を使った心算では在ったが、元来が女族には一切モテぬ事を、ついつい『忘却』して居たと云う事なのであろう。とほほ為り。

 その内、<効果無し>と私も諦めてしまって居たのだが、或る時、地面に捨て置かれたミルワームが無くなって居る事に気付いた。それからは、時々、上がり石の上に数匹を置いて見た次第で在った。そんな過程を経て、ミルワームは石の上から餌入れに変わって、それを食べている姿が見えて来た。

 そんな信頼感見たいな物が<学習効果>として定着して来ると、縁の下を定位置、ネグラとする彼女は、廊下の私の動きを読んで行動し、朝昼夕方の餌入れを要求するまでに為った。

 俗世間では、これを『餌付』と云うらしいが、私には餌付と云う<人間の上から目線>の気持ちは一切浮上しては来なかった。私の中では、飽く迄も、人間と野鳥との信頼関係の成立の形と位置付けている次第である。

 夏に中断した外壁工事が再開して庭に人の出入りが頻繁に為っても、彼女は一向に気にする風も無く、私の近くに煩い程に姿を見せ続けている始末である。工事に平行した形で、私が縁の下の整理、縁の下に潜ってのコンクリート補強作業をして居ても、平気で縁の下に覗きに来たり、禽舎の取り壊しをして居る時でも、近くに止まってクワッ、クワッと翼の脇を開閉して、尾羽を震わして私を見て居るのである。

 何時しか、私は私でバルディナを同居人と思い、彼女は彼女で私を、自分の縄張りの同居人と看做して居る感じを共有し始めたのかも知れない次第であった。

 一度目の大雪の後、土手の駐車スペース、材料、工作スペース、焚火スペースの雪掻きを完了させて、<本日は工事に来るかな>と思って、布団を上げ掃除をしてからの朝食で在った。玄関鳥を廊下に並べて、些かの魂胆が在ったから空気の総入れ替えの為に、廊下を開けて置いた。

 朝食を終えて、籠鳥達の餌吹き、水替えをして遣ろうと行くと、餌を待ち切れない彼女は何と、廊下に入って居た。私の姿を見て大慌てで、私の寝室の8畳の廊下から飛んで行った。

 習慣とは面白い物で、毎日、ミルワームのケースから摘んで、餌入れに落として居る姿を<待ち切れな~い!!>とばかりに至近距離で見ている。従って、ケースを狙って入って来たのである。

 雪に埋もれたひもじさで、本日は吹き零れの餌を求めて雀が四羽、楓の木に止まり軒下の零れ餌、雪解けの水を飲んだりして居る。そして、出っぷりしたイカルのメスが一羽来たり、今シーズン初めてのメジロが一羽、一カ月も前に吊るして乾涸びたミカンを啄みに来ている。

 さてさて、雪のすっぽり埋まった飢餓の日々である。折角、姿見せに遣って来たメジロ殿でもある。個人スーパーまでリンゴ、ミカンでも買いに行って来るべしである。

 そして、在ろう事か。二度目の大雪に、軽自動車は雪に埋まって仕舞った。2日に渡って降り頻った細雪に、バルディナは終日姿を見せなかった。雪が止んで、姿を見せて呉れた時は、安堵に頬が緩んだ物である。

 危ぶまれた南岸低気圧に伴う三度目の大雪は、幸い回避された。周囲は相変わらずの深い雪覆いでは在るが、進み行く陽の長さに玄関鳥達は、抱卵の兆しを見せている。去年は繁殖出来なかった吾が家の飼い鳥達では在るが、孵化ラッシュと為るやも知れぬ。

       <その2>・・・ジョービタキ・バルディナ3世の観察考(2/20/14)
 
 私は、ジョービタキのメスよ。シベリアで生まれて大人に為って、日本で越冬して再び繁殖の為にシベリアに帰るのよ。日本では冬の渡り鳥の仲間なんだけど、『渡り』と云うと、何か<住所不定の根無し草>見たいに聞こえるらしいけど、全然、そんな事は無いのよ。

 どちらかと云うとシベリアの夏と日本の冬を往復して、毎年決まった二か所での<定住暮らし>って具合かしら。

 私は今年初めて日本に来たんだけど、幸運を引き当てて『好い暮らし』を送って居るわ。冬は食べ物が少ないから、私達ジョービタキは、生活の知恵を踏襲して、それぞれが一羽、一羽の小さな縄張りを接する中で、越冬暮らしをするんだけどね。

 日本での小さな縄張りの区割りは、オス、メス、オスの順序を保って生活してるの。別に逸れての一羽鳥での『孤独な越冬生活』をしている訳じゃ無いのよ。アハハ。

 生まれ故郷のシベリアに帰って、夏の萌え立つシベリアの原生林で半年強を過ごすのよ。
言って見れば、生命を繋ぐ繁殖の季節だから、とても忙しい時期なのよ。シベリアの大地で番を組んで、子供達を育て上げる。
 当然、シベリアの大地では人間で言えば、血の繋がり、土地の繋がりの中から生まれる部族見たいな関係が在るのよ。渡りにも部族色があるから、決して知らない者同士でも無いしね。

 其処でカップリングをして営巣・抱卵・育雛をするから、オスとメスは決定的な縄張り争いをしないのよ。これって、当然の事でしょ。日本の生活は、生きる為の越冬生活だから、共存するのが大前提なのよ。分かるでしょ。

 渡りの季節に為ると、何んと無く仲間達が集まって来て、旅は道連れでそれなりの集団で渡るんだけどね。目的地に来ると、一羽一羽が縄張りを持つんだけどね。私達の寿命は、精々が3年前後なんだけどね。空きがあると、其処に入るって<決まり>なんだけどね。

 縄張りの条件としては、先ずは食糧なんだけど。私達は虫が食料だから、冬の虫と云うと、木の枝、木の葉の中で越冬して居る虫達なのよ。だから、木の多い場所が好条件なのよ。それから、雨、雪、風から、身を守るネグラが必要と為って来るのよ。そう為ると、如何しても人間の近くが好条件と為るのよ。

 良くチャカリして居るって、鳥仲間達からも言われて居るんだけど、最低限の食料入手だけで、細々と5カ月強の越冬生活をするには、人間の近くだと、何かと便利だし安心なのよね。要するに、<頭は使い様>と云う事なのよね。

 これって、凄い事でしょ。遠い昔の御先祖さん達の知恵の深さには、つくづくと感謝するだけ。そうでしょ。遠い昔、人間達と生活範囲が重複して居た狼の仲間が、犬と為ったりした訳だし、別に人間を恐れる必要も無いと思うんだけどね。アハハ。

 そんな事で、好条件の住処と縄張りを得るには、他よりも先駆けて渡るか、空きの出た縄張りに入れるかなんだけどね。これは、多分に運が在るわね。オホホ。

 そうそう、さっき言ったけど、渡りの季節に為ると仲間達が集まって、それなりの集団渡りをするって言ったでしょ。その渡りの中で、情報を得るのがコツなのよ。それで大体の情報をインプットして、次の渡りに活かすんだけどね。

<鶏は馬鹿だから、三歩も歩けば、前の事を忘れて仕舞う>なんて酷評が在るんだけど、それは嘘よ。人間達の話の通りだと、渡りと好条件の縄張り確保なんか、絶対に出来はしないわよ。自然界の生存競争は、大変なのよ。
 人間だけが、言葉を話す訳じゃないのよ。言葉の数は少ないけど、私達だって立派なコミニュケーション をしてるのよ。

 日本人には、縄文人の血脈が滔々と流れて居るから、良く云うでしょう。
 言葉は言霊(ことだま)って、それなのよね。生き物としての情感さえ在れば、言葉の多い少ないは、枝葉末節の事よ。アハハ。

         まぁ、前置きが長く為って仕舞ったけど。私は幸運を掴んだのよ。

 私の越冬場所は、信州の松本なんだけどさ。此処は寒いんだけど、雪は殆ど降らないのよ。考えてもご覧なさい。雪に埋もれてしまうと、食料探しが大変なのよ。
 私の引き継いだ住処は古い家だから、長い廊下の縁の下がネグラなんだけど。床が高いから、充分なスペースは飛び回る事も出来るし、雨風雪が当たらない縁の下は、虫達にとっても越冬の場所なのよ。そんな事で、この縁の下空間は、使い勝手が最高なのよ。

 それが、巧い事に工事の序でに、縁の下整理をして呉れた物だから、広々としてるのよ。人間の近くに居ると、本当にラッキーなのよ。ウフフ。

 庭には結構、木が在って。好い感じなのよ。私達は翼があるから、人間達の家と家の堺などお構いなしに自由に縄張りを飛び回れるから、関係が無いのよね。私達にとっては、縄張り内に如何に多くの食料調達が賄えるかが、最大の関心事なのよ。
 ここは住宅街なんだけど、庭木の多い一角だから、好条件と云った所ね。川を挟んで東西に縄張りを並べて居るから、食料調達には何かと立地条件が整っているのよね。

 でもさ、私達ジョービタキの種族からしたら、何も人間界にちゃっかり割り込んで越冬生活をしに来ている訳じゃないのよ。新参者じゃなくてさ、<先住権者>なのよ。

 大袈裟な言い方をすれば、私達は何千年もこの地に縄張りを保ち続けていると言っても過言じゃないのよ。言っちゃなんだけどさ、植物も昆虫も動物も、皆、其々の生き方で場所を共有しながら、棲み分けて居るって事なのよね。オホホ。
 
 まぁ、それが地球生命体の実態なんだけど、近頃の人間と来たら、そこいら辺の『地球の理』が解らずに、傍若無人な振舞いに明け暮れて居るんだから、迷惑して居るのは人間以外の生命体なんだけどさ。

 大きな声じゃ言えないけどさ、人間の質も落ちた物よ。何さ、地球は人間だけの物じゃ無いのにね。それが解って居る人間が少なく為って仕舞った物だわ。生物として頂点を極めて居るのに、『万物の長』としての自覚と躾けが為されて居ないんだから、馬鹿に付ける薬無しって物よね。困った生き物に成り下がった物よ。本当だよ。

           この家の住人は、中々、見処が在るんだよね。ウフフ。

 歳老いた母親と暮らすロートル息子でさ。二人だけの静かな暮らしなんだ。男は小鳥とか金魚を飼って居て、動植物には理解が在る様子なんだね。お婆さんは、一日中、部屋に居て、男は食事をお婆さんの部屋で食べて、1,2時間を其々部屋で一緒に過ごした後は、自分の部屋の四畳半とか二畳小部屋で過ごして居るんだけどね。

      見るからに、仲の好い親子だわね。生憎、人間の言葉は解らないけどさ。アハハ。

 散歩をしたり、買い物に行ったりで、マイペースの一日を過ごしている感じね。ご近所さんとの話しは在る物の、男はどちらかと云うと一人タイプの性格見たいね。

 私の縄張りの中心がこの家だから、必然的に私との接触が多く為るわよね。そんな事で、私の一日の行動パターンも、男の行動パターンも、日常の歯車の様に噛み合って動いて行って居ると言うのが、実態なのよ。アハハ。

 ちょっと男の話をするとさ。がっした体格でね。スキンヘッドにしてるから、歳より若く見えるのよ。精悍な顔立ちをしていて、中々のハンサムでさ。見るからに、インテリさんなのよね。ウフフ。

 きっと、若い頃は女にもてた口だと思うんだけどさ。真面目な顔をしてて、女の出入りは無いんだけど、相当な女好きでね。男の部屋には嬉しい事に、故郷のロシアの女達の三人の写真が並べて在るんだけど、その中の一人で、ふっくらした金髪美形のバルディナに因んで、私達冬鳥のジョービタキのメスを、バルディナと呼んで、優しくして呉れるのよね。フフフ。

 これも、女好きの御利益を頂戴して居るって事かしらね。まぁ、それ程までに、私に魅力が在るって事でしょうけどね。エッヘン。

 何でも、私は三代目なんだってさ。まぁ、私の好みのタイプだから、何とは無しに近距離で付き合って居るんだけどね。毎日、何回も恋人同士の様に、目を見詰合って居るから、解るんだけど、がっしりした体格と精悍な顔立ちとは裏腹に、相当な感性の持ち主だと思うわ。ウフフ。

 それが或る時、この時期、貴重な生き餌のミルワームをサービスして呉れる様に為ってさ・・・ それで、ついつい私も安易に流れちゃって・・・餌強請りの関係に為って仕舞ったんだけどね。

   でもさ、私は尻軽女じゃないから、<1m弱の操>だけは守って居るって処かな。オホホ。

 今日はさ、前々から興味の有った男の寝間に、思い切って観察に行ったのよ。人間って面白いのよね。布団と云う中に入って、顔だけ出して寝てるんだよね。暑く無いのかしらね。

 この前はさ、障子を開けたまま、私の夕食時まで寝て居るもんだから、男の部屋の中が丸見えの柊(ひいらぎ)の枝に止まって、<起きろ起きろ、私は腹ペコだよ!! 何時まで昼寝してるんだ。>って催促して遣ったんだけどさ。

 鳥も人間も、オスなんて物はメスが大人しくして居ると、直ぐズルを決め込む習性があるから、時々、お尻を叩いて遣るのがコツなのよね。アハハ。

 男は、私が図々しいのを知ってるから、<家を開放して遣るから勝手に使え>見たいにして呉れて居るのよね。それで、私もこの頃じぁ、開いている廊下サッシから、自由に出入りしてるんだけどね。

 だって、男が云う処に依ると、私達は遠い氷河期の時代には、ロシアのバイカル湖の湖畔辺りで、身近に生活して居たって言うじゃない。そんな遺伝子に刻み込まれた一種の親近感の様な物が流れて居るんだろうと思うんだけどね。
 翼を持たない人間達は、寒さに南下して日本に住み着いた。翼を持つ私達は、渡りをしてシベリアと日本を往復して生活する事を覚えたって事なんでしょうよ。

 だから、古の血が、お互いを求め合うなんて言ったら、ロマンチック過ぎるかしらね。アハハ!!

 そうそう、さっきは私、ちょっと図に乗り過ぎちゃって、外に出れなく為っちゃったのよ。それでも、男には悪意が無いからパニくる必要も無かったんだけどさ。私が外に出られずにバタ付いて居ると、寒いのに廊下の戸を全部開けて呉れるのよ。

             どう、これって渋い男の気配りでしょ。ウフフ。

 それでもさ、これも、好い機会だと思ってさ。お婆さんの部屋の廊下の鉢植えシクラメンの上に止まったりして、じっくりと部屋の中の様子を見て来たんだけどさ。男の母親だけあって、ニコニコと目を細めて、私を静かに見て居たわよ。

 男はさ、廊下の戸を開けて、サッサと自分の四畳半へ戻って行くのよ。私も今では至近距離の関係だから、小飛びをして、男の定位置四畳半の様子を八畳の隅から覗いて居たのよ。男は煙草を口に、コーヒーを飲みながら、打ち掛けのPC画面に向かって、キーを打って居るのよ。

 こんな処が、この男の並の人間じゃないのが解るのよね。きっと、私に心理的負担を掛けない様に、放って置いて呉れて居るんだから、大した男なのよ。

 人間の男にして置くのが、勿体無い位の<心読み>が出来る男だもの。そんな処が、バルディナとの仲を築いたのかな・・・とも思って、書架の赤いセーターのバルディナの写真を見るとさ、彼女、優しい頬笑みをして居るじゃ無いのさ。

       はいはい、遣られちゃったわね。私は静かに退散しますね。アハハ!!

 男が、この前、<ジョービタキ考>なんて打って居たから、それじゃ一つ、私も<ジョービタキから見た男考>って事で遣って見たんだけどさ。アハハ。

 序でが在ったら、二作を読み合わせて、皆さんも庭に訪れる小鳥達に想いを馳せて頂きたい物ですわ。オホホ。

             
                  私の観察考・・・by ジョービタキ・バルディナ3世



心何処ーショート 遣る事は、在る物だ。
             何だかんだと云っても、遣る事は在る物である。(2/20/14)
 さてさて、本日は月に一度のケアマネさんの来宅である。朝は念入りに掃除機を掛けて、朝食とする。食後は気合いを入れて、力仕事である。玄関のコチンコチンの氷を砕いて、滑り転ばない様にして上げなければ為らない。

 雪解け水が、夜の寒さにガチンガチンの数センチの氷と為って居る。午後一と云うから、午前中の作業としては、融けの兆しすら無い。剣スコで氷を砕いて渡り石を出して行く作業である。-10℃を超える凍み上がりであるから、参って仕舞う。

 砕いた氷、拡げた通路の雪は、土手道の乾いた車道に振り撒いて、竹箒で掃いて広げる。後はお天道さんのお仕事である。相手は女性であるから、綺麗に仕上げて、定位置でアメリカンコーヒーの一服をして居れば、何と何んと、小水槽の流金が引っ繰り返っているでは無いか。

 いや~、人跡未踏の川から生命の水を汲んで来なければ為らない。参ったなぁ~。こりぁ、大事である。

<義を見て、助けざるは勇無き物なり>である。長靴を履いて、バケツを持って川に下りる。ズッポリと膝上まで埋まる積雪量である。一歩一歩、雪に埋まっての河川敷歩きは、力が要る。途中で断念しようとも思ったが、金魚にとっては死活問題である。水を汲んで、今度は足跡を準って行けば大分違う。それでも、今度は水の入ったバケツを下げての人間ラッセルである。

 いやはや、遣り切れませんわね。ふぅ~、小休止に雪の上にバケツを置いたら、傾いて貴重な水を溢して仕舞った。漸く、水を補給する。その際に、今度は溢れさせてしまった。

           嗚呼、吾輩は何をして居るのだ。机の雑巾掛けの段で在った。

 午後はラジオを聞いて居ると、河野談話成立の経緯について、突っ込んだ質問が在って、妖怪様の部屋に行って、テレビ中継を見る。妖怪様は着替えをしてお茶の用意をして居る。

 今日は、ケアマネさんが随分と遅い。廊下の日差しの中でテレビを見て居ると、バルディナの昼食の催促である。大雪で物流が滞っている関係で、ミルワームはホームセンターには無かった次第であった。
 然らば、代用としてソーセージを細切りにして見たのだが、生意気なバルディナは、代用品を嘴で捨てて仕舞い、本物のミルワームだけを食べるのであるから、遣り切れ無い次第である。コンニャロ~女!!

   2時に成って、漸くのお越しである。雪が在って道が狭いから、歩いて来たとの事である。

 左様で御座るか。何事も、転ばぬ先の杖である。時間が掛っても、安全が第一である。先日、町内で死亡火事も在った次第で、事務所が近かったから、大変な騒ぎだったとの由。そして大雪で土日は、駐車場の車掘りで大変な目に遭ったとの事である。雪掻きをしても雪捨て場が無いから、何処彼処も雪が積み上がって車を運転するのは怖いとの事で、訪問も差し控えているとの事である。

            へへへ、自然には勝てないのが、人の世の常でしょうかね。

 月に一度の楽しい会話をさせて頂いて、帰りは沢庵漬けのプレゼントである。二回も大雪に見舞われて仕舞うと、戦意喪失の態である。この大量の雪が姿を消すのは、何時の事に成る物やら。


心何処ーショート これも、衆生としての縁の一コマ為りや。
             これも、衆生としての縁の一コマ為りや。(2/19/14)
    障子を開けて、庭を見ればバルディナが楓の木に止まって、私の朝を待って居る次第である。

 お天気は好い物の、寒い限りである。日向と日陰の雪の厚さは対照的で、お天道さんのお陰で、日向の積雪量は半分程度に成って来た。それに引き換え、庭の日陰部分の雪は、信州の寒さで完全に寝雪と化して居る。いやはや、見るもウンザリ感である。

 おやおや、お隣さんとの境のブロック塀の上に、ツグミが一羽である。今シーズン初めての姿見せである。ツグミ殿も雪に埋もれた庭を見て、<為す術も無い>の焦燥感なのであろう。心中、お察しするしかない。

 朝の始動は、空気の総入れ替えと掃き掃除である。廊下に置いた餌入れの中身は空である。それを知っているから、バルディナは羽音を立てて、クワッ、クワッの単声を立てて、止まる場所を変えながら、私がケースからミルワームを入れるのを待って居る。

 へへ、それはお前さんの勝手で、私にも<物事の順序>と云う物が在る。大人しく待って居れ。そんなにせっついては、ロシア女の名が廃れるぜや。本性曝け出して恥じぬ『自己中女』と在っては、丸で中韓毒亜圏の女であろうが。『百年の恋も冷めまする』がな。カッカッカッ!!

 廊下の日向で、徐(おもむろ)に一匹、一匹、摘まんで餌入れに落として遣る。バルディナは待ち切れ無い様で、私の回りを忙しなく飛び回る。縁の下に飛び込む。へへ、そんなカモフラージュ作戦など、こっちはお見通しですがな。戯け!! 

 縁の下で頃合いを付けて、忍者の様に羽音をバッと立てるや、廊下の縁に姿を現わしたり、迂回作戦で布団が敷いてある8畳のサッシから入って、部屋の中にサッと飛んで行く。暫く、部屋を物色して居るのだろうか、一向に姿を見せない。

 いやはや、何と好奇心旺盛なジョービタキで在る事か・・・ 家の中に居る私を絶えず観察して居るのであるから、家の中の大体の事は、庭から覗いて頭の中に入って居るのであろう。小鳥為らずとも、外から絶えず見て居れば、実際に中に入って見たいと言うのが、脳細胞を持つ生き物の感情と云う物であろうか。

 バッと羽音がして、バルディナが障子の敷居に出て来て、廊下をチョコンチョコンと歩いて来る。それでも私との1m弱の距離を保っての動きである。

         へへ、こんな処が、残念ながら肉体関係の無い男女の仲と云う物らしい。

 本日、最初の食事である。空腹に違いあるまい。背に腹は代えられぬを取るか、人間と野性の距離を保ち続けるか、それは、バルディナの判断である。

 私は餌入れの前で胡坐を掻いて、何処まで近付いて来る物やらと眺めている。彼女は私から云うと、吾が家と云う目に見えない籠の中に生活して居る様な物である。

 まぁ、<来る者は拒まず、去る者は追わず>の家であるから、長く厳しい信州での越冬生活を暮らして行けば良かろう。好きにするが良い。

       さてさて、妖怪様の朝食、気分解しが控えて居るから、俺は下がるわいな。
 それにしても、こんな風に餌付が出来ると、人間と野性の渡り鳥との交流には、情の交流が芽生え、通い合う物である。

 相手が冬の渡り鳥なのが、惜しい限りである。夏の渡り鳥ならば、家は開放して有るから、燕の様に家の中を自由に出入りして半歳を暮らして行ける物を。信州の冬では、開放するには寒過ぎる。これも、衆生としての縁の一コマでも在ろう。
 
 外壁工事の再開から始まって、二度の大雪に祟られて、散歩運動の時間を連日の雪と対処している次第である。そんな事で、オーバーワークの煽りで、腰が痛い限りの日々を送って居る。本日は休養方々、風呂に浸かってゆっくりしたいから、先に妖怪様に入って貰う事にした。

 部屋の水槽にも川の水を補充して遣らなければ為らないのではあるが、膝まで埋もれる雪の深さであるから、それも叶わぬ次第でもある。餌を撒いて遣るから、それで我慢をして貰うしか無い。

             ドアがノックされて、風呂が空いたとの事である。

 左様で御座るか。賄い夫、サーバントとて、休養は必要である。長湯をして、腰を労ると致そうか。嗚呼、歳は取りたくは無い物である。


心何処ーショート テレビを見て、下衆の雑感一つ。
                テレビを見て、下衆の雑感一つ。(2/18/14)
 食事時のテレビニュースを見ていれば、10歳の女の子をナイフで脅して、キャリーバックに入れと言う<気違い男>が居ると云うのであるから、完全に狂って来て久しい世相と云うより他ない。

「なぁ、婆さん、俺だって長い長い女日照りの年月ですがな。良い歳かっぱらって、善からぬ想像をして、<助平妄想>に耽る事もあるけどさ。そんな年端も行かない幼児を弄ぶなんて妄想なんか出て来んわな。
 こりぁ、根っからの『変態男』だぜさ。こんな物は、幾ら刑務所でお努めをさせたって、性根は治らんぜや。娑場に出てきたら、またぞろ、同じ事を仕出かす。
 国家財政難の折だ。犯罪予防の見地から云って、<即刻死刑>にして遣るのが、『日本人の温情』ですが。こんな輩こそ、顔を『大公表』して遣らないと駄目だぜや。あい~。」

「お前は、何でもかんでも、死刑が好きだね。」

「そりぁ婆さん、読みが浅いぜ。死刑は極刑かも知れんが、裏を返せば<温情刑>でも在るぜや。清水の次郎長三国志の馬鹿の森の石松、馬鹿は死んでも治らないの浪曲・名台詞も在らぁね。
 世の中、見所の有る奴には、教育は有効性が大だけど、世の中の実態としては、箸にも棒にも引っ掛からない奴が、五万と居るってぇのが、真相ですがね。

 馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし、教育に過大な期待をして見ても始まらんわね。いやはや、欲望の短絡実行じゃ、教育の根底が成立せんわね。丸で、漫画の世界を見せ付けられてる様な世相ですがな。もう、お手上げ、匙投げのご時世ですがな。あい~。」

「もう少しだから、私が生きている間には、見っともない事はしないでお呉よ。頼んだよ。これ以上、生き恥は晒したくないからね。」

                  続いて、深刻な大雪被害の報道である。

 物流の大動脈を失って、甲斐の国・山梨県は、全県に渡っての<陸の孤島>の様相を呈して居るとの映像報道である。

 何かのドラマの台詞だったが、地味薄い甲斐の国の<カイ>は、貝に例えられて、周囲の道を閉ざされると忽ちにして、行き詰まりの貝の様だと云うのである。そんな次第で、甲斐の武田信玄は、信濃攻略を界の生命線と捉えていたとの事であった。今回は行き詰まりが、『雪詰まり』と為って終った。大変な事態である。

 雪と云えば、ナポレオンもヒットラーも、ロシアの冬に完膚無き程に打ちのめされて、敗北地獄に嵌り込んだ。マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィァ・ローレンの<ひまわり>なんて、涙無くしては見られなかった戦争悲話の名作も在った。

 平和な時代のボーダレス新時代の人・物・金・情報の世界基準が進む一方の地球に在っても、人間の日々の生活が地理的一定場所で営まれて居る限り、大動脈を切断されてしまっては、人間は為す術も無く成って終う『脆弱さ』を持たされてしまった感がする。

 現代社会の大動脈は、水・電気・ガス・道路・金融のライフラインで在る。『地産地消の生活基盤』を大きく超越して、今や好むと好まざるを問わず生活の隅々まで世界分業化が進んでしまった。嘗て地産地消型の日本の風景が、農村の都市化と云う事で見馴れた風景、生活が都市化の波に没して行った。

或る意味、都市化は再生産と云う右肩上がりの経済活動をその『機動力』として居た。全ての曲線が、初動の遁増、終期の遁減を描く様に、サイクルの有限的再生産を失った地域・地方は、衰退の道を辿る。都市と地方の格差、過疎化は、必然の道程でも在る。

 グローバル経済の進展は、歴史を俯瞰すれば、定住型の農耕民族と移動型の遊牧民族の抗争物語の様にも見えて来る次第でも在る。恰も放牧騎馬民族然としたマネーゲームに現を抜かすエコノミー世界金融資本は、マネーを騎馬に変えた我欲満載の遊牧の民と云って良かろう。

 地方の活力の復活を考慮出来ない脳構造は、国柄に想いが至らない。TPPの危険さに鈍感で在っては、真の協調者には為れまい。

           大雪に埋まって、幾つかの感想、思いが加わった次第でも在る。

 氷柱から溶雪の連なりで在る。幾分の白雲では在るが、晴れ渡った日差しに滴の放列が、光って落ちている。軒下の物干し竿にバルディナがチョコンと止まって、眩しい雪の反射を眺めている。もう、積雪は御免蒙りたいから、お天道さんの力で早い処、雪を溶かして貰いたい物である。溶けの進んだ南屋根と陽の当たらない北屋根の違いは、大変な物である。

 それでも、目には見えない屋根の積雪は、多少なりとも動いている。微妙な積雪の動きは、想像力を発揮すれば、氷河の動きを連想させるに足る趣を見せている次第でも在る。

 さてさて、すっかり日課と為って終った雪の始末で、社会貢献のボランティアをして来ると致そうか。土手の雪道にもお天道さんの熱が加わって来ている事だろう。頑固なアイスバーンを剝して見ましょうかね。長い長い女日照りの日々では在るが、<健全なる肉体に、健全なる精神宿る>の格言も在った次第でも在る。ギャハハ~!!

心何処ーショート 娑婆は、週の始まり為り。
                娑婆は、週の始まり為り。(2/17/14)
 矢張り、掛け流し温泉銭湯は、気持ちが好い。帰りにパン屋に寄って、ミルクとパンで昼とする。お天気の良さで、道路の雪溶けも進むだろう。日曜日でも在るから、温泉浸かりの気持ち好さを引きづって、布団の中でノンベンダラリと昼寝とする。

 気持ち好く眠って、そろそろ起きようとして居ると、庭でクワッ、クワッの声が連続して聞こえて居る。この声は、如何やらバルディナの声である。

 それにしても、しつっこい。煩い奴ちゃ~。寝床から庭を見ると、柊の枝でバルディナが、寝床の私に向かって、盛んに夕方の餌強請りをしている魂胆が、有り有りと見受けられる。

 バルディナは、家の中の私の行動を熟知して居る様な物である。廊下で金華鳥の世話とか、鉢植えを眺めて居ると、庭から1m位の距離で私を見て居る。妖怪様の部屋とか二畳小部屋に居ると、テレビのアンテナ、アンテナ線に止まって、中の様子を覗いて居る。それが二畳に居様ものなら、本当に近くまで遣って来て、たっぷりと時間を掛けて居座っている感じなのである。

        いやはや、私とジョービタキのメスは、大した関係に為って仕舞った。

 起きて、ミルワームのケースから摘まんで黄色の餌入れに落として、もう直ぐ夕暮れであるから、ネグラの縁の下に置いて遣る。そして、食べ易い様にサッシを締めて遣ると、サッと縁の下に飛んで来た。

 明けて、週が始まった。朝一番の空気の総入れ替えで、掃き掃除をして居ると、バルディナはサッと廊下に飛んで来て、ミルワームのケースの上に止まって、餌強請りをしている。此処まで来ると、控え目なバルディナでは無く、ウクライナの生意気女・ナターシャ見たいな物である。ニャロメ!!

 娑婆の様子は如何な物かと・・・長靴を履いて、アルミのスコップと竹箒を買いに出掛ける。雪を積んだダンプが、大通りを走る。歩道は雪の凸凹細道である。大雪で、週初めの出勤は社員総出の雪掻きをしている会社も、何社かある。

 ホームセンターに行くと、綺麗さっぱりと、雪掻き道具、竹箒が完売の態である。手ぶらで帰る訳にも行かず、スーパーで買い物をするが、いやはや、此処も売り切れコーナーが多いのにビックリした次第である。

 大通りの車道には雪が無い物の、その他は分厚い雪景色である。帰りはレジ袋を両手に提げての土手道歩き。車が来れば、歩行者は雪の中へ入って、道を譲らねば為らない始末。まぁ、これも大雪の形でも在る。へへへ。

 今シーズン、吾が家では冬の常連鳥・ツグミを見掛けないのであるが、ツグミを一羽見付けて安堵の気持ちにも為る。雪原の川原には昼に為って雪解けが進んで、音を立てて流れが回復して居る。過日、大型バックフォーが入った川原の更地を、広く浅く流れている。

 町内の民宿旅館の歓迎ボードには、中国、韓国客の名前が入って居る。中国・韓国はパスしたいと言って居たのだが、とうとう、入り込んで来ましたか。

 家に帰って来ると南隣の2級上の奥さんが、ジャンバー・長靴・帽子・サングラスで雪捨てをしている。

「★ちゃん、遣るじゃん。」
「しょーが無いさ。運動だと思って遣るんだ。それにしても、本当に良く降って呉れたわ。」

 しゃ~無い。私も遣るより仕方が在るまい。雪ですっかり道幅が狭く為って仕舞った土手道である。要所要所に、車のすれ違いスペースを確保して置かないと、ドライバーさんが気の毒である。現役時代の事を考えれば、雪道のすれ違いスペースの確保は、大事な社会貢献でも在る。

 さてさて、こりぁ、大事である。ジョレンを持って来て、上着を脱いでのスペース作りである。直ぐ様、バルディナが飛んで来て、柿の枝で見学を始める。凍った圧雪部分を角スコで剥がして、砕いて轍に入れて車に潰して貰う。

      もう、汗びっしょりで在る。それでも遣り遂げて、荒い息での自己満足である。

 カレーを仕込みながら、漸くの本日定位置のコーヒータイムである。昨日、温泉銭湯でペットボトルに汲んで来た温泉水でインスタントコーヒーを飲む。

 此処で、疑問が一つ。南側の屋根の雪は、北側の半分程度にも拘らず、南側の障子が重くて開閉するのに大義なのである。北側の戸が屋根雪の重みで渋く為るのは合点が行くのだが。現実は腑に落ちない事の、何と多い事か・・・。


心何処ーショート 青空に白銀眩しく、餌漁りに鳥達忙しく。
           青空に白銀眩しく、餌漁りに鳥達、忙しく。(2/16/14)
 漸くの青空である。風が在るから、時たま木々の綿帽子を払って雪煙を流して行く。廊下は南に面して居るから、雪溶けの滴音を落とし始める。これだけ雪に閉じ込められると、嬉しくも聞こえる融雪の音である。庭の甘柿の枝に、バルディナの姿が在る。

 空気の総入れ替えに、全部の戸、窓を開ける。そんな私の行為を見て、テレビのアンテナ線、松の小枝に止まって、餌の催促をし始める。開け放した日当たりの廊下で、ケースの中から、これ見よがしにミルワームを一匹、一匹摘み上げて、黄色の餌入れに落として遣る。外では滴の跳ねが飛ぶから、ドンと廊下の真ん中に置いて台所に立つ。

 食事の用意をしながら廊下を覗くと、バルディナは難なく入って来て、生き餌を啄んで居る。前回の経験で、私が悪さをしない事を学習したらしく、私が見て居ても気にする風でも無く、落ち着いた風情で全部食べて去って行った。

 例の雀達4羽グループも飛んで来て、金華鳥の吹き零れた粒餌を啄んで居る。雪に埋もれた庭の中で、軒下、縁の下周辺で、鳥達が餌を探してチョコチョコと動き回っている様子は、微笑ましいものである。

    二日間、間断なく降り頻る雪の中で、身を潜めて空腹に耐えていた野生の者達である。

 お天道さんの輝きは、全てに優しい。ラジオを聞きながら、二畳小部屋から、そんな小さな動きを眺めている次第である。

 バルディナがサッと廊下に入って、弟の置いて行った道具ケースの上に止まって居る。そんなバルディナに釣られて、雀も廊下の端をチョロチョロして居る。

         雀が廊下に入ろうとすると、バルディナがサッと追い立ててしまう。
          バルディナの奴は、先住権を主張して居るのだろうか・・・。

 その気持ち、解らないでも無い。何カ月も掛かって、私の餌付けの要請を受け入れるのには、相当な勇気を要したのだろうし、毎日の弛まない私と我が家の様子を観察し続けての成果を、日常の物として確実に身に付けて来たのである。

<冗談じゃ無いわよ。昨日今日の新参者には、決して土足では、吾がエリアには入らせないわよ!!>と思うのが、当然の感情でも在ろう。

      へへへ、強(あなが)ち、それを<女族の独占欲>とは言い切れまいて。

 廊下を出入りしたり、軒下の物干し竿に止まったり、松の小枝に止まったりで、確実に自分の餌入れへの監視行動には、抜かりが無い。あはは。

 時々、廊下に入り、その範囲を広げて行くのであるから、チャッカリした好奇心旺盛な個体らしい。もう少しで、妖怪様の部屋の廊下に達する処まで来た。

 日差しの長さに、玄関鳥の4番いの2番いは、産卵を始めた。廊下の日差しを浴びて、シクラメンの紅、白花も気持ち良さそうである。

 さてさて、折角のお天道さんのお志しである。煙草買い方々、温泉銭湯まで長靴散歩で足を伸ばして参りましょうかね。



心何処ーショート 障子開ければ、其処は深い雪国であった。
         障子を開ければ、其処は深い雪国であった。(2/15/14)
 雪の重みで、障子が開かない。思い切り力を込めて障子を開ければ、其処は深い雪国であった。いやはや、ビックラ扱いて、二の句が継げませんわね。

 戸、窓を全開して、日課の掃き掃除である。庭の雪は前回分と合わせて、1mは在ろうか。こんな松本の積雪は、初めての経験である。昨日の夕方、搔いた玄関回り、庭周りの雪道も、膝まで埋まる有り様である。

   これじゃ、松本の積雪が、全国ニュースに為る訳である。とほほのコンニャローメ!!

 先ずは、玄関回りと台所の不凍栓迄の『日常最低動線』を確保して来ての朝飯である。ズッポリと埋まった車、風呂の不凍栓、洗濯機の不凍栓、庭周りの動線は昼過ぎで好かろう。幾ら何でも、その頃には雪も止む事だろう。

 妖怪様とコタツに当たって、松本初の雪国の重さに呆れ返っているると、昨日は一日中、姿を見せなかったバルディナの姿見せである。
 漸く雪が止んだので、テレビのアンテナ線に止まって、此方を見て居る。安心した。実は、朝に餌を入れて置いたのだが、食べに来て居なかったので心配して居たのである。嬉しく為って、ミルワームを補充して、雪の掛らぬ縁の下に置いて遣ると、直ぐ様、縁の下に飛んで行った。

  ★バルディナ3世は考えて見れば、広い縁の下と云う最良のネグラを選択した物である。

 さて、<雪掻きをするか~!!> 気合い、根性を入れて遣らないと出来ない雪掻きである。先ずは、埋もれた車の救出である。大袈裟に云えば、車を掘り出して車輪回りの雪をスコップで掻き出してのエンジン掛けである。スリップして空転する車輪を、バック、前進で、空転部分の除雪をして、助走を付けながら、距離を伸ばして行く。漸く、助走路が出来て、通りへ出た次第である。

            住宅の中の道は、奥さん連中が出て雪掻きをしている。

  吾が家は角であるから、雪溜め場所と化して、私の背丈程の集積量と為って居る始末である。

 さてと、今度は敷地への『人間ラッセル』である。先ずは、ズッポリと雪の中に踏み込んでのラッセル開始である。次に長靴の足を横に揃えての横歩きで雪を踏み固めて行く。それを両側に施して、大まかな雪道を作る。そして、今度は、縦に同様に踏み固めて行くと言う寸法である。そうすると、幅50cmほどの雪道が出来る。仕上げは、凸凹を均す様に竹箒を掛けて終了とする。

 この原始的作業は、息は切れるし、汗びっしょりの苦役なのである。本日も、雪掻きを完了して、妖怪様にお茶を入れて貰って居ると、私の苦役を嘲笑うかの様に、またまた、雪が降って来たではないか。

 おいおい、これ以上降られて仕舞っては、雪の溜め置き場所が無く為って仕舞う。除雪車が来て貰わないと、ギブアップの事態と為って仕舞う。

 然りとて、除雪車は幹線道路を休みも無くフル稼働して居るのだろうが、こんな住宅街に来て呉れるのは、何時の事に為るやら、望み薄の次第でもある。明日は日曜日であるから、出勤しなくても良いが、・・・ 住宅の道は、軽自動車が通行出来るには、未だ未だ程遠い道幅でしかない。月曜の朝は、大変な事に為りそうである。ドライバー通勤者は、バスで行くしかあるまい。


心何処ーショート これも、大雪注意報の効果為りや。
              これも、大雪予報の効果為りや。(2/14/14)
  そろそろ晩飯にでもしようかと思って居ると、携帯に電話である。おやおや、倅からである。

「明日、また大雪だって云うから、婆ちゃんを余り待たせても可哀想だから、これから行こうと思うんだけど、車止めれるかな。」
「ああ、綺麗に掻いて在るぞ。」
「分かった。じゃあ、晩飯に何か買って行こうか?」
「いいよ。飯は有るから。」
「じぁ、親父の所で飯食べて行くわ。」

 妖怪様に、そう伝えると、<無理をしなくても、好いのに・・・>と言いながらも、嬉しさを隠して、調子の良い事を何時の『女族口調』で言い始める。嗚呼、始まった・・・。

 妖怪様の言に依ると、短腹男が、仏さんに変じたとは云う物の・・・正直に告白するが、私の温厚さは<見せ掛けの演技>でしか無い。見え透いたこんな言葉を聞くと、生来のムカ腹が立った来る物である。

     いやはや、クダクダと煩い馬鹿女の物言いであるから、私としては堪った物では無い。
 大人しく聞いて居れば、太ぇ婆っさである。此処は一発、嚙まして置か無ければ、<家長としての威厳>に拘わる重問題である。

「男が、毎月、顔を出すと約束したんだから、○も、『男道』を実行して居るだけの事だ。素直に有り難く気持ちを貰って置けば良いだろう。何をさっきから、お為ごかしのお体裁をしてるんだ。馬鹿馬鹿しい!!
男が口に出した事は、実行するのが<男の見栄>だ。言って見れば、それは自分との約束だよ。出来ない事は口にしない。言い訳は、男の恥ですがな。

 そう、俺が倅を鉄拳で躾けて来たんだ。良く育って居るんだから、文句は有るめぃ。残念ながら、倅の俺の方が婆さんより、数段優秀だぜ。お伽話じゃ在るまいし、親が倅より優秀とは限らんわさ。馬鹿も休み休み言えや。
 俺は、申し訳無いが、婆さんのそう云った物言いは好きじゃ無いね。格好付ける前に、もう少し、素直に気持ちを頂戴しろちゃ~。それの方が、あっさりしてて、気持ちが好いもんだぜ。あい~。」

 ざまぁ、見遣がれ。俺だって、言う時は言う位の事は出来ますぞえ。へへへ、妖怪様、黙って下を向いて仕舞った。ニャハハ~!!

 幸い、大鍋に豚汁が仕込んであるから、飯には為る。野沢菜、沢庵漬けを切って、魚を焼き、冷奴に豆腐を切る。

 面倒な事では在るが、約束を愚直に守って行く過程で、本当のプライドが造られて行くのである。プライドの醸成には、苦労と努力は付き物である。
 未亡人を守り通して女手一つで、五人の男子を育て上げて来たのも、妖怪様のプライドである。そのプライドの背を見て、倅達は育ったのである。
 舟に乗った以上、最後まで手漕ぎで介護、賄い夫を務め上げて、自宅で看取るのが子の務めで、私のプライドでもある。

 四の五の言い出したら、弱い人間である以上、ブレが生じるまでの事。決めた事を実行するまでの『単細胞に徹する』のが、己の迷い道を知って居る者の常道と云う物である。人は其々の人道に合致した<通理に基づいた自分との約束の実行=プライド>を守って、月日を重ねて行くのが、人それぞれの人生行路と云う物であろう。

 安直、安易に流れて個利個権、個益の時流に浮遊しているだけでは、精神のメリハリを喪失して『個に生きるだけの存在』に成り下がって仕舞うだけである。それでは、世の中は無味乾燥な無機質な世の中と為って仕舞う。
 
 人間と生まれた以上は痩せ我慢をしてでも、何処かに不変為る核・芯を持ち続けて、愚直ながらも<自分の絵を描きたい>物なのである。所詮、この世が有限の生で在ればこそ、堪える痩せ我慢も美学の一つとも為ろう。

           ってな物で、お恥ずかしい限りの人生哲学の一片で在りまする。

「じぃじ、きたよ。」

 生意気にサングラスにジャンバーを来た孫の凌佑(りょうすけ)が、玄関廊下にゴロリと這い上がって来た。へへ、相想の好い色白小わっぱである。幼児のばぁばの御挨拶に、『良う、来た。』の妖怪様の破顔一笑の態である。

 嫁さんから、実家の母からのバレンタインチョコレートとの事で、『アリガトざんす。』と有り難く頂戴する。<お返しは、色気の無い貧乏所帯だから、漬け物で我慢してお呉れでガンスよ。>と言い添える。

               早速、熱々の豚汁で晩飯とする。

「わぁ、お父さんの豚汁、美味しい!! 何時も、美味しい手料理で嬉しい。」

 私に似て大食漢の倅と私は一膳飯で、餅を焼いて豚汁の中に2切れずつを入れた丼で豚汁を啜る。

「オヤジ、これ行けるわ。アイデアだね。」
「そうだろう。これだって立派なユネスコ無形文化の和食よ。別名・庶民の工夫だわさ。」
「流石にオヤジだ。巧い事を言うね。アハハ。」

 熱々の豚肉に、孫は熱い熱いと言い、力余って唇を噛んで仕舞い、痛い痛いと大ベソを掻いて、大人達を笑わせて呉れる。豚汁に懲りて、孫の凌佑はラーメンが食べたいと言う。倅が、息子に即席麺をチョイスさせる。<じぃじ、これ、いいですか。>と味噌ラーメンを所望である。

 カマボコ、ネギ、卵を入れて煮て遣る。丼にあけて、味付けのりを丸く入れて遣ると。<じぃじ、アリガト>と来たもんだ。

 倅は豚汁のお代わりを注ぎに、台所である。倅は小さい頃から、私が極偶に作る料理が好きだった経緯がある。

 面倒見の好い倅は、凌佑に入れ知恵である。<カマボコを海苔に巻いて食べると美味いぞ>の言葉に、父ちゃん子の孫は、器用に巻いて、ムシャムシャ、ポリポリとハイテンションの愛嬌撒きを仕出かしている。

             その内、痛い!!と火が付いた様に泣き始めた。

        調子に乗り過ぎて、今度は自分の手を思い切り噛んで仕舞った由である。

「いたいよ。ここ、ばんそこー、してよ。いたいよ。エ~ン、エ~ン。」
「此処には、そんな気の利いた物なんぞは、無ぇよ。自業自得だ。ざまぁ、見遣がれ、泣け泣け。俺ぁ、痛くも何んとも無ぇわさ。馬鹿だから、自分の指とカマボコの区別が付かんのじゃい。この戯けが。ギャハハ!!」

 暫く泣きじゃくって居たが、再び食べ始める。今時の子であるから、輪っかの付いたマイ箸で器用に食べる物である。いやはや、幼児の知恵の付き方のスピードには舌を巻く次第である。

 小さなコタツ板であるから、食器を片付けて遣ると、母親の膝に座って広く為ったコタツ板で、自動車の玩具をブイン、ブイ~ンと転がして、私とお遊びである。夜で、凌佑お気に入りの廊下遊びが出来ないから、ストーブの付いた暖かい部屋でのキャッカキャカの大声で、玩具遊びに興じる孫である。

 へへ、私との相性は好いらしい。トイレから帰って来た<足の付け根の物>を触って遣ると、嬉しそうな顔をする。大分、股隠しの内股<オカマ逃げ>はし無く為って来たから、見所は有りそうである。知恵が付いたのだろう、『敵討』に私の後ろに回って、スキンヘッドにタッチをして行く。

「この馬鹿垂が、生意気じゃないか。凌佑、30年早いぞや。」

 孫のお気に入りは妖怪様のステッキと、昇降椅子の昇降遊びである。そして、本日、新たに加わったのが、私のスキンヘッド撫でらしい。いやはや、何度もチョコと障っては逃げて行く。スキンヘッド撫でに味を占めて、女の子のスカート捲りなんぞを覚えて来たら、出入り禁止にするぜや。

 台所で片付けの洗い物をして居ると、「じぃじ、なにしてるの?」「子分が居ないから、仕事だわさ。手伝うか?」「ううん、ぼくしない。また、くるね。」「そうか、じぁ、じぃじに、ロシアから綺麗なおネェチャン連れて来て呉れよ。」「ぼく、わかんない。」

 父親がトイレに行けば呼びに行き、煙草を吸いに行けば、後を追う。買い物に行って、父親が外のベンチで煙草を吸うと後を追って、綿棒を咥えてスモーキングタイムをして居るそうな。そう云えば、倅も娘も同じ事をして居た物である。

    へへ、幼児にとっては、目下、『真似る事が、最大の成長の証』と云った処なのだろう。

「如何する? 臭いけど、沢庵漬けには、糠毎入れて置くか?」
「それの方が、有り難いです。お願いします。」
「あいよ、了解。」

 梅干し、沢庵漬け、沢庵の粕漬けをお土産に、車を見送る。道路のシャーベット雪も、ザクザクと凍り始めている。二月は酷寒の盛りである。

 私は幼過ぎて、殆ど父親の存在を知る事が無かった。そんな次第で、父親とは如何振舞えば良いのかが分からず、父親に為った自分が、如何云う訳か<苦手>であった。それでも、倅は親父としての私の存在が大きかったと言って呉れる。自分の様に育てて貰いたいから、凌佑には、<じぃじ合宿>をさせると言う。自分の親父との比較が出来ないから、父親としての自分が好かったのか悪かったのかは、定かではないが・・・

 倅ファミリーは、掛け値なしに好いファミリーの道を歩んで居る。私としては、目出度し目出度しで在る。命とRイズムを伝えたのであるから、生物としての賞味期間は、何時尽きても文句は無いのだが。アハハ。

 何時に無くキャカ、キャカとはしゃぎ回る孫に、妖怪様は大喜びの段で在った。孫の小わっぱは、如何やら私の血筋なのだろうか、面白い男に為りそうである。

 ムダゴト扱いたら、有無を言わせず<ひっ叩いて蹴飛ばして、大いに可愛がって、長所を伸ばして遣ろう>と観察している次第である。運動量の多い、骨太の骨格だから、鍛え甲斐があると言う物である。

 さて明けて、本日。細かな雪が、降り頻っている。玄関鳥達も、音無しの構えである。餌入れに入れたミルワームは、手付かずの儘である。如何した物やら・・・。
 スズメ、ヒヨドリ、メジロの姿も無い。二畳小部屋から、降り頻る細雪に埋もれて行く庭を見て居ると、モズが遣って来た。雪帽子を被ったミネゾの枝の下で、全身を丸めて雪模様を暫く見て居たが、何処ぞへと飛んで行ってしまった。山を隠した灰色一色の世界に、間断無く降り頻る細雪にはウンザリである。

 斯く為る上は、寝床読書で過ごすしかあるまい。積り行く積雪に、吾が身は雪掻きの気持ちも遠に失せて仕舞った次第でもある。いやはや、今シーズンは雪国信州の態である。参りましたでガンスよ。


心何処ーショート 何、明日は大雪とな~。
                何、明日は大雪とな~。(2/13/14)
 いやはや、吾が身は単細胞と云うか、順応性があると云うか、外壁工事の手伝いとかガラクタ整理をして居る間に、大雪が降って雪掻き、立ち往生車の救出などをしている内に、体細胞が目覚めて仕舞った。何もしないと手持無沙汰に為って仕舞い、本日はコーキング作業を始める事にする。

 手がベタベタ汚れるから、妖怪様には先に風呂に入って貰う。脚立を出して、合羽を着込む。一人でボチボチ、如何に汚れずにコーキングが出来るかを思案して、コーキングの出し方、撫で付けを上手くさせるかを考えながらする。

          私の傍で見守るバルディナとマイペースと言いたいのだが。

 アジャジャ・・・コンニャローメ!! 云う事を聞かないコーキング野郎め~。などとのお遊び段である。それでも、カップのインスタントコーヒーのプラスチィック匙が使い勝手が良くて、後半はまぁまぁのスムーズな運びと為った。

 風呂から上がってコタツ地蔵を為されている妖怪様に、お茶を所望して庭を見ると聞き慣れない囀りである。楓の枝にメジロが来ている。メジロは普通二羽の番?で来る事が多いのだが、一羽である。へへ、何か事情でも在るのかな。詮索は無粋でも在る。

 左様で在るか。ミカンのお礼に一節と云う事であるか。物事には、礼の気持ちが肝心で在るぞよ。その心、健気で在る。うい奴じゃ!!

 さてさて、ラジオを持って長湯である。何々、また明日は大雪とな~。信州では松本が前回より大雪の見込みだと~、冗談じゃ無ぇぞや。今度は、60cm70cmかいな。なんちゅう事っちゃい。腹立つな~、もう。

   ★物事には、限度と云う物が在るぜや。馬鹿垂が、其処に直れ、手討ちにして呉れるわ。

 仕方が無い。土手道のアイスバーンを砕いて置くか。角スコで轍(わだち)と轍の間にアイスバーンが残っている。お天道さんが一日当たって居たから、アスファルトとの接地面は、融け水が回って居るから、角スコをグィと押し込めばバカンと剥がれる次第である。それを轍に被せてスコップで砕いてから、車に乗り換えて車輪で潰して行く。

        さぁ、これで文句は在るまい。いやはや、今日も働いて仕舞った物である。

 餡パンを齧りながら、本日の四畳半定位置で、ブログ日誌を打ち始める。アッジャ~、天気予報通りに、空は灰色雲が占拠し始めているでは無いか。何の因果か、祟りか知らんが、労賃只だと思って、寒気団野郎が~、酷使が過ぎませんかね。雪掻きボランティアは、疲れまするがな。あい~。


心何処ーショート ジョービタキ考
                   ジョービタキ考(2/12/14)

 ジョービタキの故郷は、シベリアで在る。雀位の大きさでスマートな体躯である。日本へは、冬鳥として全国に渡来する。平地から山地の林縁、農耕地、河原、市街地の庭、公園の少し開けた所に、単独で縄張りを持って越冬する。

 オスはシックでハンサムで在る。灰褐色の頭部に黒いマスク。腹部から背は橙色で黒い翼には白い班を持つ。メスは全体にくすんだ鴬色で、背の下には橙色である。オス同様に翼に白斑を持つ。
 止まって居る時は、尾羽を小刻みに震わす様に振る。声はヒッヒッとか、クワックワッの単声を上げる。好奇心ないし人見知りをしない行動から、その気質には人懐こさが在る様にも見える。

 ジョービタキの尉(じょう)は、オスの頭部の色を銀髪に例えて、老人を意味するそうな。そしてヒタキはヒッヒッ、クワックワッ、カチカチとも聞こえる鳴き声が、火打石を鳴らす音と似ている処から由来して居るそうな。

 斯様にして身近な日本全国に飛来して越冬する野鳥であるから、きっと見掛けた事が在ると思う。私は幼少の頃より鳥が好きで、人一倍の関心を持ってバードウォッチングをして来た次第でも在る。

 <バルディナ1世>
 歩けなくなった実母の介護を始めて最初の晩秋、私の定位置四畳半窓辺のコブシの枝に遣って来たのが、ジョービタキのメスであった。夏は四畳半の目隠しと為って居るコブシの葉群は、落葉して数枚の葉が残るだけの冬を迎える時期であった。

 雌ジョービタキは、雄と違って地味な羽色で動きも大人しい。そんな動きの穏やかさが、如何にも雌らしかった。彼女は、コブシの細枝に止まって、部屋の私に尾羽を小刻みに震わせたり、タクトを振る様にして姿見せをする様に為った。
 そして、東お向かいさんのブロック塀の上を、チョコンチョコンと歩いたりして、目の保養をさせて呉れた。まん丸の黒い目が何とも言えず、私は北国の使者、観音様と呼んで、ロシアの金髪福与か美形・バルディナの名前を取って、彼女の面影にオーバーラップさせて居た次第でも在った。ヘヘヘ為り。

 幸い、彼女とは気心が通じたのだろうか・・・ 私が外に出ると、何処で見て居たのか、サッと姿を現す始末であった。散歩に出掛けると、河川敷を歩く私の前で、河原を小刻みに飛んで、尾を振ってくれる。散歩から帰って家に近付くと、お出迎えまでしてくれる『深情け』に、私はジョービタキにして置くのが、惜しい気持ちにまで為って来たものである。

 そんなジョービタキ・ウォッチングの過程で、ジョービタキ個体の縄張り範囲を知ったりもした。日課の散歩ウォッチングの中で知った事は、わが町内には雄、雌、雄の三個体が川を跨いで、東西に縄張りを持って越冬して居る様子が解って来た。縄張りは然程の広さが在る訳でも無く、縄張りの堺で縄張り争いが在る訳でも無く、至極平穏な関係の様にも見て取れた。

 勿論学問的な目的意識を持って、縄張りの観察をした訳は無いから、迂闊な事は言えないが・・・雄・雌・雄の整序的な位置関係が、功を奏して居るのかも知れないとも思ったりするのであるが。

 バルディナは、自分の縄張りをマイルドキープして、その範囲で見送り、迎え行動をしているとしか思えない行動パターンに気付いた次第でも在った。

 次に私が関心を向けたのが、縄張りの中心地であった。四畳半から玄関に向けて、手入れを一切して居ないアジサイ、ツツジ、ドウダン、ツゲなどの灌木が密集して居る。其処が、彼女の根城の様であった。玄関には金華鳥を置いて居るから、夜が明けると玄関鳥達が活動の声を上げる。それに即応して、玄関周りでジョービタキの単発の声が聞こえて来る朝で在ったから、彼女のネグラ場所としては、<当たらずとも遠からじ>の推理だと思われる。

 春が訪れて、バルディナはシベリアに帰って行った。その年の晩秋、コブシの葉が落葉した頃、クワッ、クワッと声がして、鳥影が動いた。嬉しいバルディナの帰還で在った。

          <来たか来たか、帰って来たか。息災で何よりだ。>

 それは、バルディナの化身・ジョービタキのメス鳥であった。私は、本棚の柔和美形・バルディナの写真に投げキッスであった。

 <バルディナ2世>
 4年目のジョービタキは、同じ雌でも別個体であった。野生の生命は短いものである。寂しい想いでは在ったが、渡りをしなければ為らない自然界は厳しい。致し方の無い次第でも在る。1世と違って若い個体で在った。時折、姿を見せるだけで、嘗ての様な濃密な関係には発展しなかった。

 或る時、庭に居ると、雄ジョービタキがスモモの木の下のイチゴの地面に降りて、私を見ていた。<縄張りの主が変わったのかな・・・>と思いながら、見ていると雌ジョービタキが飛んで来て、雄を追い払ってしまった。

  そんな小さな追い立て行動が1、2度有った位で、我が家はバルディナ2世の物と為った。

 それはハイエナギャングのヒヨドリとは全く違う平和的縄張り成立の様でも在ったし、また考え様に依っては、約半年間に及ぶ越冬期間中の餌分けに於ける<紳士協定>の様にも見える次第でも在った。

 縄張りは、思うに餌の確保とネグラの確保であろう。餌の確保は、環境と広さに依って決まるのだろう。ネグラと為れば、それは家でも在るからして個体其々の好みと為ろうか。 
 従って個体差が歴然と現れると云った次第で在ろう。加えて、単独の縄張りを持つジョービタキに在っては、当然、縄張りの申し送り・引き継ぎ行為が為されない以上、ネグラ選択は個体嗜好の独壇場と云えよう。

 2世は西の家庭菜園に宛がわれて居る梅木の下の、南天の茂みをネグラとしている様子で在った。そんな死角の位置関係で、私の定位置四畳半とは遠い位置で在ったから、余り顔合わせが出来なかったのであろう。何事もお互いの認知度が進まない事には、警戒感が薄まり、親しくは為れないのは詮無き事でも在った。

       斯様にして、人畜無害のバードウォッチングとは距離間の維持でも在る。

 <バルディナ3世>
 今シーズンは、若い個体のメスの訪れで在った。それもコブシの木に大分葉群の在った頃の姿見せであった。庭を見渡せる二畳小部屋に早々に炬燵をセットして、寒い時は炬燵で旧PC打ちをする事が多く為って居た。

 四畳半周りには、余り姿を見せなかった3世は庭の地面とか、テレビのアンテナ、アンテナ線に止まって、庭を本拠地にして居る様子である。そして、廊下下の縁側地面にもよく姿を現して居た。また、然程寒く成らず羽虫が飛んで居る頃には、ミネゾの枝に虫柱が立って居ると、それを空中捕食して居るシーンを何度も見掛けて、為るほどジョービタキは、この様にして虫を食べて居るのかと認識した次第で在った。

 春の訪れとともに北へ飛び立って、カップリング、営巣、抱卵、育雛をするシベリアの大地は、テレビのネィチャー番組が映し出す様に、至る処に虫柱が萌え立つ繁殖の大地なのだろう。そんな映像とのオーバーラップで、私はバルディナ3世の個体観察をしていた。

 頻繁に姿見る内に、彼女のネグラが縁の下である事が解って来た。3世バルディナが、私を怖がっていない様子が解って、私は残って居たミルワームを廊下の上がり石の上にばら撒いたり、好く見かける百日紅の辺りの地面に、餌鉢を置いて入れて見たのだが、一向に見向きもせずに放置されて居た。

 へへへ、以心伝心の術を使った心算では在ったが、元来が女族には一切モテぬ事を、忘却して居たと云う事なのであろう。とほほ為り。

 その内、<効果無し>と私も諦めてしまって居たのだが、或る時、地面に捨て置かれたミルワームが無くなって居る事に気付いた。それから、時々、上がり石の上に数匹を置いて見た次第で在った。ミルワームは石の上から餌入れに変わって、それを食べている姿が見えて来た。

 そんな信頼感見たいな物が学習効果として定着して来ると、縁の下を定位置、ネグラとする彼女は、廊下の私の動きを読んで行動し、朝昼夕方の餌入れを要求するまでに為った。

 外壁工事が再開して庭に人の出入りが頻繁に為っても、彼女は一向に気にする風も無く、私の近くに煩い程に姿を見せ続けている始末である。縁の下の整理、縁の下に潜ってのコンクリート補強作業をして居ても、平気で縁の下に覗きに来たり、禽舎の取り壊しをして居る時でも、近くに止まってクワッ、クワッと翼の脇を開閉して尾羽を震わして私を見て居るのである。

 本日は工事に来るかなと思って、布団を上げ掃除をしてからの朝食で在った。玄関鳥を廊下に並べて、些かの魂胆が在ったから空気の総入れ替えの為に、廊下を開けて置いた。

 朝食を終えて、籠鳥達の餌吹き、水替えをして遣ろうと行くと、餌を待ち切れない彼女は何と、廊下に入って居て、大慌てで私の寝室の8畳の廊下から飛んで行った。毎日、ミルワームのケースから摘んで、餌入れに落として居る姿を待ち切れないとばかりに至近距離で見ている。従って、ケースを狙って入って来たのである。

 雪に埋もれたひもじさで、本日は吹き零れの餌を求めて雀が四羽、楓の木に止まり軒下の零れ餌、雪解けの水を飲んだりして居る。そして、出っぷりしたイカルのメスが一羽来たり、今シーズン初めてのメジロが一羽、一カ月も前に吊るして乾涸びたミカンを啄みに来ている。

 さてさて、雪のすっぽり埋まった飢餓の日々である。折角、姿見せに遣って来たメジロ殿でもある。個人スーパーまでリンゴ、ミカンでも買いに行って来るべしである。


心何処ーショート お天気静良為れど、すっぽり雪の冷蔵庫為り。
          お天気静良為れど、すっぽり雪の冷蔵庫為り。(2/11/14)
       朝に成れば、金華鳥達が活動し始める。さてさて、起きると致そうか・・・。

 掃き掃除、朝食が終わって、廊下に鉢植え、鳥籠を並べれば、松の小枝にバルディナが止まって、ミルワームの催促である。

 おやおや、本日は珍しく、地表を雪に奪われた雀、カワラヒワの一団が、吹き零れた金華鳥の粒餌を食べに遣って来た。

 寝床の中では、ジョービタキの三代に就いて、纏まった物を打とうと考えて居たのだが、一日が始動して終えば、後回し後回しの時の流れである。

 日々の生活とは、何やかやと遣らねば為らない事が在って、それなりの時間を要して流れて行く物である。まぁ、時間の前後は在ろうとも、どっぷりと日常習慣の中に身を置いて、四季の中に暮らしを維持して行くのがロートル男の身の丈、頃合いと云う物であろう。

 掃除、入浴、洗濯、風呂洗いを済ませて、不凍栓を閉めて、長靴を履いてスーパーまで買い出しに行って来る。真っ青な青空に、眩しく反射する白銀の世界であるが、横道に入れば、雪に埋もれた巨大な冷蔵庫の中に居る様な寒さである。

 風があるから、体感温度は寒い限りである。日陰は紛れもない-の気温を維持したままでツルツルのアイスバーンである。スッテンコロリを仕出かして仕舞ったら、メタボの打撲傷である。歳を取ったら、安全が第一である。

 へへへ、雪解けの水溜りに、薄らとした氷の膜である。こんな光景を見ると、記憶の中の冬百景が浮かんで来る物である。まぁ、現在は隠居生活の様な物であるから、寒い日は極力外に出無い事にして居るのだが、学童時分には、こんな積雪後の寒冷を望んで居た物である。
 
 団塊の世代であるから、石を投げれば子供に当たった時代であった。あの当時の子供達は、外を集団の遊び場として駆け回って居た。外に出れば、ノラ犬、ノラ猫も子供達の子分であった。

 雪が降れば、喜び勇んで雪だるまを転がして、土手の斜面に大層な滑り台を作って土手の上から川原に向かって、ミカン箱を台にした手製のソリ遊びに興じて居た物である。昔の子であるから、ほっぺたを真っ赤にして、鼻水を垂らして、馬鹿の一つ覚えで遊び呆けて居た物である。
 
 そうそう、耳はシモヤケ、手はひび割れ、アカギレで、何故かその特効薬は、近江兄弟社のメンソレータムと相場は決まって居た。長靴は月星マークの黒長靴で、不格好な継ぎが当たって居た物である。足袋は福助と決まって居た。
 手袋は、親指とその他四指纏めの足袋の形で、母親お手製の物であった。マフラー何て、洒落た物は無かった。手拭いを頬っ被りして、鼻口には手拭い覆面をしての出で立ちであった。

 今だったら、<寒さを物ともせずに遊び呆ける子供達>ってな具合で、グラビア写真誌を飾るコンクール展物の被写体に為る物だが。
 
 滑り台が細って呉れば、補修用の雪だるまを周辺から押して来たり、夕方には川からバケツリレーで、滑り台を長持ちさせる為に水を撒いて凍らせる。濡れた衣服を乾かす為には火を焚いて、餅を焼いたり焼き芋をしたりで夢中で遊び呆けて居た。降雪は、子供達への冬の贈り物で在った。

      ★河川敷には親が子供に作った事が、有り有りの何個かの雪だるまが立っている。

 少子化現象の過保護社会と見るかは、過ごして来た親の体験に負う処大なのであろう。まぁ、人は生まれて来る時代も選べないので在るから、生まれ育った時代時代の中にこそ、その存在の懐かしい想いも培われて行くのであるから、致し方の無い次第でも在ろう。

 さてさて、日は長く成って来た物の、4時を回れば氷点下に進む寒さである。廊下鳥を所定の玄関鳥に戻して、バルディナ様への夕食入れである。彼女は何処へ行った物やら、先程は四畳半定位置でPC打ちをしている私を見て行ったのだが。

 それでも、何処で見て居たのか、スッと姿を見せて、黄色の餌入れにサッと下りて、ミルワームを次から次と咥え、呑み込んで行く。

<はいはい、今日は、これで終わりじゃい。> 四畳半に戻れば、写真立ての金髪に赤いセーターのバルディナが、にこやかに笑って御座る。


心何処ーショート 一週間振りのマイペース為り。 
               一週間振りのマイペース為り。(2/10/14)
 昨日は二日続けての<男の見栄>で、雪掻きに精出してグロッキーであった。工事、作業に支障が無い様に、作業動線、作業場を確保したり、材料のブルーシートの雪掻き、材料加工スペース、焚火場所の雪掻き、薪の振り起こし、土手の工事車両の2台分の雪掻きと、何時間も掛けての孤軍奮闘であった。

 まぁ、クタクタの段では在ったが、これも体育会系の血の為せる次第なのだろう。遣る時はトコトン遣って仕舞わないと、気が済まない『体細胞の習い性』なのであろう。男の見栄とは、そう云った物である。

 見栄の報酬は、汗だくの達成感と、仕事に来た人の励みのお膳立てと云った処か。へへへ、身体を酷使して、気分で笑えってなものである。

 本日、無風の青空である。多分、弟の会社は除雪分担で本日は忙しくて、工事には来れないのだろう。火曜日から始まった工事で、私は土日返上の働き放しで<漸くの休み>と云うか、日常ペースでの時間の進み具合で在る。

 通常時間に目覚めて、空気の総入れ替えの掃き掃除をして、廊下の日差しに鉢植え植物を並べ、玄関鳥の籠を並べる。私の姿を見てバルディナが、松の小枝に止まってカッカッと単発の声を上げて、餌強請りをしている。

 ミルワームをひぃ、ふぅ、みぃー・・・10匹摘まんで、黄色のプラスチィック容器に入れて上がり石の上に置いて遣る。彼女は直ぐ様、飛んで来て、ミルワームの頭部を咥えると、反転させて呑み込む。

 いやはや・・・上手い物である。金華鳥にミルワームを落して遣ると、雑穀を餌とする彼等は、ミルワームを突くだけの遊びをして仕舞う。食性の違いとは、面白い物である。

 さて、応援して居た田母神さんの都知事選では在ったが、投票終了と同時に出口調査とやらで、舛添さんの当確が出てお終いであった。投票率は46%強との事である。

 投票率より棄権率の方が過半数を越して居ると云うのは、常識的には選挙不成立と呼んでも好さそうな物では在るが、これが義務とは分離独立した権利行使の実態なのだろう。

 いやはや、棄権が降雪危険か、その本態は、甚だ怪しい物である。都会人、横着もテイゲェ~にし遣がれってなものである。三年前の東日本大震災の翌日は、雪でヤンしたわね。映し出される悲惨な映像に、口だけの同情をするだけで、何の事は無い。自分の住む大都会に少々の降雪が在ったぐらいで、閉じ籠りの投票棄権とは、頑張れ東北、絆、オモテナシも無かんべや。冗談も程々にしなされや。あい~。

 そもそもが、西周がRIGHTSを<権利>と誤訳したのが<諸般の躓きの基>で、福沢諭吉先生の『権理』への回帰を果たさなければ、真っ当な法思想も法体系も構築出来ないのではなかろうか。

 個人の身勝手自由から発する権利の弊害は、婚外子相続分の悪平等、同性結婚、夫婦別姓、外国人参政権、・・・etcと際限の無い拡がりを見せている。

 一方、団体の中で生きている人間と云う社会に於いては、社会的に通用する理=『通理』に基づいた個人の自由・平等・権益だけが認められると云う法益が、個人の権理なのだと云う全体と個のバランス思想が、RIGHTSに相応しい。
 通理のルーツ、所在を辿れば、その行き着く源は、歴史であり伝統であり、それは即ち民族が培って来た国柄であろう。
 
 投票率46%が映し出す世相が、今日の日本の姿なのだろう。いやはや、こんな処が、私が都会人を蔑視する最大の原因である。

 偉そうに、主義・主張の個利個権個益には、一丁前の権利自由を生意気面をする癖に、<投票の義務>には知らん振りをする。天候に投票行動が直結するなどと、平気で怠惰を良しとする。

 自然現象に抗う意志と欲の力で、技能技術の文化文明を発展して来たのが、人間の進歩では無かったのか。たかが年に一度の雪位で自分達の施政者選択の意志と欲を反故にするとは、笑止千万の選択肢であろうが。

 これは、何も都会人だけに当て嵌まる風潮では無い。先日の軽乗用車立ち往生の一件にしても、符合して仕舞う精神の退廃振りと言え様。助けて貰った事への感謝の礼儀を、ちゃんとした形で現わせ無い世の風潮は、真に嘆かわしい『世の廃れ様』である。

 人間、誰しもが自由気ままに、怠惰に過ごしたい物である。然しながら、それをするには他人様の世話に為らないと云う見栄を張り通さねば、自分の自由行動は無く為るのである。

          これは、云って見れば<見栄道を通す為の自明の理>でも在る。

 己が権利を主張する為には、権利の裏側の義務を果たさずして、<何の常識道為りやの大疑問>なのである。

 それにしても、日本の顔・東京の知事選投票率が46%じゃ申し開きが出来ないし、マスコミ本社のお膝元で、マスコミの果たす社会指導側面の機能から云っても、その主体性の無さ、非力さが顕著では無いか。

 勝ち馬に乗る事で体面を保とうとする政党、現象だけの後追い、結果報道だけでは、社会、国の改革前進など出来はしまい。大衆迎合の責任転嫁からは、駆動力は生まれて来ない。

 恰も、冬タイヤの軽乗用車であっても、積雪数十センチに埋もれて仕舞えば、駆動輪は虚しく空転するのみで、排気ガスは黒煙を吹くだけである。幾ら、ご近所ウバ桜連が雪掻きをして見た処で、圧雪上の空転から、駆動力を回復させるには、男・田母神さんのスコップ力と誘導作戦しか、成果を上げる方途は無いのだが、・・・。
 東京都民の共鳴箱としての総体力が崩壊して居る様は、同じ日本国民の一人として、歯痒いばかりの選挙結果と為って仕舞った。

 へへへ、こんな事をクダクダと打ち重ねて居ると、何やら昨日の50cm超の積雪が、日本の大衆にも、政治家にも、マスコミにも見えて来て仕舞うから、奇妙な物である。

 蛇足では在るが、腹癒せ代わりに一発、『屁っ扱き』を噛まして遣ると、舛添さんは流石に元学者さんで政治家である。当選抱負で語った内容は、何の事は無い。田母神さんの選挙公約からの拝借では無いか。好い所取りの摘まみ食いは、その人物の本態を曝け出して居るのかも知れません添え~!! ギャハハ!!

 へへへ、舛添さん、田母神さん、私も、団塊世代の真っ只中昭和23年の産で、65歳との事である。

      さてさて、折角の上天気さんであるからして、長靴散歩でもして参りましょうかね。


心何処ーショート 嗚呼、ニャロメ、とほほ為り。
                嗚呼、ニャロメ、とほほ為り。(2/9/14)
 漸くの青空である。昨日は、布団の中でジックリと昼寝で体力回復をしょうとしていたのだが・・・四畳半横のカーブで軽乗用車が、雪に埋もれて仕舞った。運転者は、若い娘っ子である。町内の娘なのだろうが、無謀な事をする物である。へへへ、これも好い体験であるから、煙草を吹かしながらカーテン越しに眺める。

 斜向かい吟さんの部屋は、道路ギリギリに接して居るから、雪掻きを持って夫婦が雪掻きを始めた。そうこうして居る内に、隣近所の奥さん達が雪掻きに加わり始めた。皆、60、70代である。

     しゃ~無い。出番であるか。大きな角スコを持って、救援活動に赴く。

 何しろ、50cmの積雪、尚も降り止まずである。スリップだけでは、<車は前には進まないの道理>である。圧雪部分を除去して、車輪の空転を解除するのが先決である。前輪の向きを真っ直ぐにさせて、スリップ部分の圧雪を剥がして行くのが『脱出の道』である。

  ★根気仕事にして、力仕事。急がば回れの愚直行動の繰り返しが、成功の本道でもある。

ロートル奥さん連中には、道路の雪掻きを先行して貰って、私は縄文人の力仕事をこなすしか無い。

 数m進んでは、雪に嵌る。それを、何度も繰り返しながらの前進である。いやはや、世の中には、口達者だけで役に立たない者ばかりである。丸で町会一斉草刈りの態で、人数は多いが、役に立つ人間は皆無の態で在る。

 聞くと、全町会長さんの孫娘との事である。家は、町会の端に位置する。普通なら、大通りは圧雪状態で走れるから、逆コースを選択するのが常道である。町会の真ん中の道は、生活道なのであるから、雪掻きは人力でする。従って、車が入るには、敬遠する道なのである。

よしんば車が立ち往生した事を考えれば、助力は<いの一番>で身内に、SOSを出すのが常識である。増してや、そんな時の『スマホ』では無いか。

<敵を知り、己を知れば、百戦危うからず>の孫子の兵法では無いが、少しは脳味噌を使い為され。死んでからでは、使えませんがな。

 町会の半分の公民館まで遣って遣れば、私の任務を終了とすべく、共助に力を尽くす。公民館の半分まで来た処で、前町会長さんが遣って来た。タイヤチェーンを探して来ると帰って行った。

  へへ、アリバイ作りにだけ長けた案の定の行動パターンである。

 男手は何時の間にか、私一人である。スリップした圧雪を角スコで剥ぎ取り、助走距離を確保して、車を誘導して2~3mずつの前進を、何度かの失敗の下に進めて行く。

 馬鹿野郎が、これじゃ丸っ切り、スチーブ・マックィーンの大脱走の『穴掘り』ってな物である。

枝葉末節な冗長さだけで町会長を任じて来た御仁であるから、私とは対極の人種として、私はそっぽを向いて居たのだが、この程度の男なのだろう。男の三種の神器は、脳味噌、体力、根性ですがな。

 雪掻き先行隊の年配奥さん連の道作りも進んでいる。バックして助走路の距離も確保出来て居る。

 脳タリン娘っ子に、策を講じてゆっくり説明をして、車をバックさせる。吹かしたら嵌る。微速一定速度で真っ直ぐ前進である。

      途中、吹かして仕舞った物の、公民館広場まで行った。成功である。

 と思った瞬間、カーブを切った。緊急時措置の観念すらも無い。タイヤチェーンを装着する為に、道を開けた心算で在ろうが、緊急時と平常時の区別が付か無いとは、呆れ果てて、何をや、言わんかの軽挙妄動振りで在る。

『馬っ鹿じゃないの!!Rさんが、全部面倒見て遣ったのに、何を考えて居るんだろうね。もう、私達の仕事は終わりにしましょう。』

              奥さん連中は、自発的に共助の任を解かれた。

 身体の内部も、ジャンバー、毛糸の帽子もずぶ濡れの段で在った。遺憾いかん・・・脳ある豚は、臍を隠して置きたかったのでは在るが、『吾が実力の一環』を世間様に垣間見せて仕舞った物である。とほほ、ヘロヘロにして、この世のヘタレ振りには、恐れ入谷の鬼子母神の態で在った。

 夜、倅から電話が掛って来て、大雪で身動きが付かないから、11日に顔を出すとの事である。ニャハハ!!

 本日は、雪掻きから始まった朝である。膝まで埋まる雪に往生したが、昼からは真っ青な空にお天道さんの輝きは、雪を溶かして行く慈悲心の現れである。お天道さんの下で、然しもの大雪も、神妙そのものである。有難や有難や。

 さてさて、工事の為に、作業スペースの確保をして置くと致そうか。私の本態は、仕事嫌いの筈なのであるが、子分無しの悲哀に抗する物は、吾が人力でしか無いのが、つくづくと辛い物である。嗚呼、遣り切れませんわね。とほほ為り。



心何処ーショート 嗚呼、埋もれ行く庭模様為り。
              嗚呼、埋もれ行く庭模様為り。(2/8/14)

 松本にしたら、何年か振りの大雪で在る。朝食前に、雪を払って来た次第であるが、一向に止む気配の無い粉雪の積りで在る。ソチ冬季五輪の開会式を観て、入浴、洗濯をする。

 本日は工事が無いから、久し振りの休息日である。凄い雪で、朝からひもじかろうとミルワームを入れて置いた。それが、中々現れずに心配して居たのだが・・・。漸く現われて、全部食べて行って居た。

 玄関鳥を廊下に並べて、コチンコチンに凍った水を取り換えていると、バルディナが姿を現した。ガラス戸を開けて廊下の縁に餌鉢を置くと、縁にまでは遣って来るが、やはり警戒して、家の中には入って来ない。

 どんなに入魂(じっこん)に為っても、人間界と自然界の境界線を維持して居るバルディナは、大した物である。北に帰るまでには、未だ何カ月か在るから、どの程度まで近付いてくれるかの愉しみが、私には在る。

 禽舎を撤去してしまったので、バルディナは縁の下を場所としているらしい。三代目バルディナ観察で、縄張りの中心が我が家である事の原因が、如何やら縁の下スペースに在るらしい事が解って来た。複数越冬なら<申し送り>で、縄張り中心地が引き継がれて行くと考えるには合点が行くのだが、ジョービタキの越冬は単独縄張りである。

 初代バルディナは、玄関横のアジサイ、ドウダン、ツゲの灌木の茂みを根城として居た様である。朝に為ると、玄関鳥との鳴き声の応対が在った物である。そんな次第で、私が外に出ると、姿を現したのだろう。二代目は違う場所だったらしく、私との出会いは稀であった。そして、三代目は廊下下の縁の下を根城にして居る様なので、廊下の気配を察して、サッと姿を現すタイミングを得ていると思われる。

 一切、申し送りが無い中での縄張りの引き継ぎとは、引き継ぐ個体差の違いで面白い観察を提供してくれるものである。

        餌鉢に止まって居る処に雀が一羽遣って来ると、さっと縁の下に飛んだ。

 もう一度、外に出て溜まった雪を竹箒で掃いて居ると、カッカッとジョービタキ特有の鳴き声である。何処で見て居るのか、面白いものである。

 雪質が変わって、サラサラの粉雪から水分を含んだ粒の大きな雪が間断なく降り注いで来た。先程のラジオだと松本32cmとの事。これは予報に違わず『大雪注意報の凄さ』である。

 二畳小部屋から、降り頻る雪模様を眺めている次第である。雪の重みを支え切れずに、ミネゾの枝から雪が落ちて、雪煙が舞う。

 然しものシベリア産ジョービタキも、ザンザンと降り頻る雪に呆れ返って、餌鉢占拠は二の次で、縁の下待機を仕出かして居る始末である。

         いやはや、全く以って、手の施し様も無い降雪のカーテンである。

       さてさて、もう一度、庭木の雪払いをして布団の中で雪籠りをすると致そうか。

 へへへ、大雪から雪に埋まる豪雪へ、確実に進行してる様である。豪雪地帯とは、この様な降り方を云うのだろう。いやはや、大変な事である。


心何処ーショート 迷宮事件は半世紀を経て・・・
           迷宮事件は半世紀を経て、本人の口からポロリ。(2/7/14)
 明日は大雪との事では在るが、如何為る事やら。<大雪だったら、除雪作業が在るから来れない>との事である。

 そんな次第で、私は玄関部分の木部の防腐剤塗り、水道管の保温掛け、ゴミの積み込み、モルタル補修、火の番などをお手伝いする。その間に、米屋さんへ米買い、ホームセンターへ、目覚まし時計の交換、ミルワーム、土のう袋、テープ、モルタルを買いに行って来る。

 へへへ、吾ながら良く働く物である。外壁貼りは後、精々1坪を残す迄に為った。後は、コーキング作業で、これは手間が掛る。

 散歩中の老人二人が、『坪幾ら位、掛かるのか』と質問であるが、<俺達は設備屋で素人だから、他人様の家は出来ないよ。>の応対で在った。興味、必要に駆られた人は、如何やら工事のつぶさを見て居たのだろう。

 ガス屋さんが来たが、本日は代金支払いと今月分の貸出<夢奇譚、ナターシャ作・フリーズバリア島にて>のお渡しだけであった。

 二人が帰って、私は掃除と火の始末である。炭が結構採れたから、浴を掻いて山盛りにして火鉢に入れて、妖怪様の暖房にと置いて部屋に入ると、何と何んと煙がもくもくと充満して居るでは無いか。

        慌てて火鉢を外に出すと、火鉢の木部の処が延焼して燻って居たのである。

 妖怪様、曰く。「炭の入れ過ぎは失敗の元だよ。私も焚火をして炭が一杯採れたので、一杯に入れたら、父さんが大事にして居た大きな瀬戸物の火鉢がバシッと割れて仕舞った。」

 子供の頃、お客さん用の大きな立派な瀬戸物火鉢が在った。前後の記憶は一向に定かでは無いが・・・ その火鉢が、縁の下に在った。
 家は男兄弟5人で在ったから、誰かが粗相をして、その火鉢が縁の下に隠して在ったと直観したが、私は序列5の発言権の無い小学生である。障らぬ神に祟り無しであるから、<報告して、痛くも無い腹を探られたら、多勢に無勢で在る。拷問されるに決まっている。>から、弱者の直観力で『知らぬ振り』をして居た。

 その当時、縁の下を遊び場として居たのは、私と弟だけであったから、下手な事を言うと疑われるのは、私と弟である。然しながら私は遣って居ないのであるから、小学生の推理だと2-1=1でしか無い。私としたら、罰を受けるとしても『弟は幼過ぎた。』

 吾が家では告げ口は御法度の掟であったから、犯人探しも記憶に無かった次第で、私は長く守秘義務を守って居た。
 
 そんな妖怪様の失敗談がポロリと出て、縁の下の割れた火鉢の一件が、脳裏に浮上した次第である。道理で、吾が家では犯人探しが記憶に無かった次第に合点した。

★この糞婆っさめ、これだから、女族は信用為らないのである。秘密を墓場までの魂胆だったんだろうが、長生きし過ぎてツイ秘密をポロリかいな。

「火鉢は炭を少なくして、手を温めるか、煙草に火を付けるか、ヤカンを掛けて置くかで、昔の人は、辛抱強かったんだよね。大正、昭和、平成と色んな時代を生きて来て、今は恵まれて居る時代だよ。」

★おうおう、妖怪婆っさが、悟った風な口を利き遣がってからに、これじゃ、長生きする訳ですがな。

 以上★部分は、奥ゆかしい吾が性向為るが故に、言葉としては一切発して居ないのは、当然の事である。エッヘン!!

 いやはや、血筋は争えない物の様である。焚火の木炭に、ついつい欲を掻いての使用適合で、幼な心の迷宮事件は、半世紀を経て、本人の口からポロリの段とは、・・・・。

 まぁ、親子足して二で割って、80越えをしなければ、こんな面白い場面も訪れはしないのである。ギャハハ~!!

心何処ーショート あっじゃ~、当てが外れて仕舞った。
              あっじぁ~、当てが外れて仕舞った。(2/6/14)

「お早うございます。早いけど、工事始めます。好いですかね。」
「はい、どうぞ。」

 やや、当てが外れて仕舞った。私は未だ布団の中で在る。起きて、布団を上げて支度をして外に出る。いやはや、今日は冷え込んだ物である。-10℃に0℃との予報は大当たりの様である。今日は三人である。

 寒い寒いと、朝から焚火の用意である。私はゴミ出し用のダンプに、燃えないゴミの積み込みで在る。台所の水が出るまでに、ヤカン二杯の湯が必要だった。

 外壁の下地作りに、弟は余念が無い。帰りに曰く。3日間用事が出来たから、二人が貼って行くから、現場監督をして呉れれば良いとの事で、仕事の概要を承る。

「はいはい、了解致しました~。復唱すると、以上だね。」
「そう云う事だね。」

 11時を回って、私は昼の用意である。12時前に朝飯抜きの私と妖怪様は、食事をする。弟は昨日モツ煮を貰って行くのを忘れたから、昼に出して呉れとの事である。里芋、鳥肉をたっぷり入れて、さつま揚げ、揚げ豆腐を入れた煮物を作って遣る。

 私の8畳のコタツを入れ、灯油ストーブを炊いて、限の好い処で昼にして呉れと伝えて、漬け物、梅干しを出して置く。

 本日は玄関鳥の世話が昼に為って仕舞った。水入れ容器がコチンコチンである。ジョービタキのバルディナも、ミルワームが欲しくて、私の前をチョロチョロしている。

 へへ、困った物である。人間の女には一切モテない男では在るが、如何云う訳か、お役目だけは回って来る物である。これを称して俗世間では、<モテぬ男の深情け>と云うそうな。

                  妖怪様とお茶を飲んで居ると、呼ばれる。

「如何した?」と聞くと、60歳定年で雇った人が、梅干しが気に入ったから、在ったら欲しいとの事である。
「そう、丁度好いわ。そのタッパの物を全部、この袋に入れて、そのタッパに、この煮物入れて遣るから、晩飯のオカズにすれば好い。」

 私は片付け物をして、忘れぬ内に沢庵漬け2本を入れて弟のザックの横に置いて置くへへへ、幾ら兄弟の仲と云えども、2連ちゃんで忘れて仕舞っては、妖怪様の子息に疵が付くと言う物である。

               弟の好意に甘えて、盛り沢山のゴミ出しをさせて貰う。

 さて、この際である。庭の禽舎解体に取り掛かる。大学卒業で戻って来た私が、禽舎を作って、放し飼いにしたいと言うと、弟が分かったと言って、兄弟で造作した物である。半分朽ち果てている。二畳ほどのスペースである。

       それは破れた金網から鳥達が入って、雨雪を凌いでいる残骸でも在る。

 禽舎の木材は、明日の焚火用として、積んで置く。縁の下整理で、木製火鉢を見付けて、焚火から炭を取って来て、二畳小部屋に入れて見る。火鉢の火には温もりが在る。へへへ。

  ジョービタキは人なつこいと云うか、物怖じしない小鳥である。それが、私から生き餌が貰える事を『学習』して仕舞うと、仕事の邪魔に為る程の付き纏いをする。<付き纏い>などと云えば、ロシア美形さんのバルディナに失礼に当たるから、『好奇心旺盛』と云うか、私に『ゾッコン』なのだろう。
 昨日は、縁の下でコンクリート作業をして居ると、縁の下に飛んで来たり、禽舎の土均しをしていると、近くをウロチョロするのであるから、何か男と女の関係と言えなくもない次第である。ギャハハ~!!

 皆が帰った後、掃除をして居るとダンプが止まった。おやおや、弟である。如何したと聞くと、材料が入って居たので持って来たとの事である。一緒に下ろす。こんな生真面目な処が、妖怪様の子で在り、番から男子高の気風、校風と云った処なのだろう。率先垂範は、日本が世界に誇る美風だったのだが、昨今は、すっかり出来が悪く為り過ぎたご時世でも在る。

 先週買った目覚まし時計は安かろう悪かろうの域を脱して、完全なる不良品で在る。幾らメードインチャイナと云っても、物作りの態を為して居ない機能不全の代物である。秒針が止まったり、逆進みとは、不整脈も良い処である。

 生意気面するのも、好い加減にし遣がれ。所詮は、世界の工場にも為れずに、毒亜の毒を吐くだけの国家体でしか在るまい。毒亜諸国とは、決して仲好くは成って為らない。反面教師として、日本は美風を維持して行か無ければ為らないのである。

 いやはや、本日も疲れた。夕飯の支度、洗濯。食後の一時間の眠りで風呂に入って、漸くのマイタイムである。

心何処ーショート 男は、体力と根性ですがな。
              男は、体力と根性ですがな。(2/5/14)
  さて、起きるとするか。朝食が済んだ頃、弟が遣って来た。今日は一人との事である。

 男兄弟である。手の必要な時は声を掛けるからとの事であるから、私はこんな時でも無いと出来ない廊下縁の下の整理に取り掛かる。いやはや、長い廊下下はズーと不要物の放置場所であったから、乱雑この上も無い出鱈目コーナー見たいな物である。

 嫌だけど、これもお天道さんの思し召しで在る。午前中一杯掛かって、さっぱりする事が出来た。東お向かいさんは、10時、3時のコーヒーを持って来て下さるから、へへへである。小さい頃を知って居るから、ガッタ坊主の弟達見たいな感覚なのだと言う。

 縁の下が整理されると、粗が立ち処に丸見えである。買い置きの簡易セメントが3袋在るから、遣るしか無い。コンクリートを練って、縁の下でコンクリートの補修仕事である。子供の頃は、広くて格好の遊び場で在ったが、還暦半ばの熊男には窮屈この上ない。

 粉う事無き、吾が身は、子分無し貧民の切なさである。歳を考えて、休み休み遣れとのご舎弟殿のお達しでは在るが、兄貴の私が根性無しでは、『男の涸券』に拘わる。

 それでも、腹ばい、寝転がり作業であるから、もう、肩、腕、腰がパンパンである。もう嫌に為って、火に当たっての煙草の一服の連続である。スケジュールが在るのだろう、弟は目標達成に、無駄な動きをせずに黙々と進めて行く。

 事務所に用事が出来たから、会社に戻らなくちゃ為らぬと、片付けて帰って行った。<アリガトさん。そっちが予定終了なら、俺も遣り遂げるわさ。>と見栄を張って仕舞った手前、男はコツコツと遣らねば為らないのである。とほほ。

 スキズキした縁の下に、昼からバルディナが入ったり出たりして居る。私からは餌が貰える事を『学習』したから、1mの直近で一日中庭に居座って居る始末である。

 喉が渇いて、モグラの格好で妖怪様にお茶を貰いに上がると、昼の洗い物がして在って炊飯器が入っている。倅が仕事をして居ると、絶対にベットの中に入らない気丈な母である。いやはや、<この親にして、この子在り。この子にして、この親在り>である。親の背中を見て、子は育つの『日本社会の典型』である。

「まだ、終わらないのかい。」
「向こうはプロ。俺は頭脳労働者の素人だから、手が遅いんですがな。奴が一生懸命遣って呉れて居るから、俺が泣き事を言ったんじゃ、人間の屑だいね。」

    すっかり暗く成った縁の下で、最後のコンクリート補強である。3袋全て使い切った。

 ★明日は材料が入らないから、ダンプを回すからゴミを持たせて呉れとの事である。助かった!!

 デカイ声じゃ言えませんが、もうヘロヘロの五体である。風呂で筋肉を温め解してから、晩飯の用意とする。

 飯を食べて、コタツで1時間のバテ寝である。弟も私も中学時代は有名な陸上選手であった。古き扱きの時代の習い性で、体力回復方法は、体細胞の隅々にまで行き届いている。

 起きて、湯たんぽの湯を沸かしながら、洗い物をする。明日は-10℃との由。湯たんぽ二つを布団の中に入れて、車でスーパーまで食料品と煙草を買って来る。

 さぁ~てと、本日のブログ日誌を猛スピードで打ち上げるべしである。この位の事で、今日はパスの逃げでは、男が廃るってな物である。へっへっへっ~。


心何処ーショート 工事再開初日
                    工事再開初日(2/4/14)
 予報通りに、冬の寒さである。何やら、白い物までチラ付く有り様である。本日から工事再開であるから、サッと起きて布団を上げる。

 朝食後、弟が遣って来た。別れた女房殿から電話が掛って来て、歓待を受けて嬉しかった。帰りはRさんから、漬け物のお土産まで貰って嬉しかったとの事である。

 そんな報告を弟は妖怪様にして、『家は、来る者は拒まず、去る者は追わずの親の躾け・訓えを確り守って居るんだ。なぁ、婆さん、家はそこん所そいらの不出来者とは訳が違うんだよな。アハハ。』

 こんな事でも無いと、顔を出さない弟では在るが、妖怪様も末っ子の親孝行息子の話を聞くのも嬉しいのだろう。仕事の段取りに長けた弟が、時計を見ながら親子団欒をして居るのだろう。へへへ。

 私は、その間に洗い物を済ませる。上に一枚着ようとは思ったが、働けば暑く成るだろう。鈍った身体には、喝を入れて遣るのが番から男の意地でもある。
 11時前後からは、応援が来るとの事である。ボチボチ始めて、台所周りのガス管の配管をバラしたり、灯油ボイラーの配管も同様とするから、時間が掛るとの事である。

 ボチボチ遣って居ると、東お向かいの御夫婦がコーヒーを持って来て、10時のお茶として呉れた。

「兄弟、仲が良くて漫才しながら仕事してるんだから、楽しくて好いよね。」
「あいあい、仕事だと嫌だけど、オテコ遣らしたら、俺ぁ巧いもんだんね。何てったって、<脳ある豚は臍を隠す>って言うぜね。毎日、婆っさ相手に漫才してるから、年季が入ってるってもんさね。」
「血は水より濃いで、遣ってても気が楽せ。何しろ、お膳立てが良いから、片付けながら仕事が進んで行くから、スイスイ仕事が進むしね。他人だと、こうは行かんわね。」

         庭木の切り枝も乾燥して居るから、これ幸いと焚火をして始末する。

 応援の二人が来て、私の役割は、玄関屋根の瓦を撤去して、下のマサ部分の剥ぎ取りである。いやはや、埃モウモウでバッチィ物である。瓦の後始末が大変である。一石二鳥を何か考えねば為るまい。さてさて、如何すべぇや・・・。

 本職さんが居るのであるから、邪魔に為らない様にゴミの片付け方々、この際である。焚火で不要物の燃やしをする。本通りでは、消防車のサイレンである。夜のニュースに依ると、近くで火事が在ったとの事である。

 庭から庭木剪定のゴミを掻き集めて何往復もして運んで居ると、ジョウビタキのバルディナが1m位に寄って来て、餌の催促をして来る。いやはや、筋の好過ぎるバルディナ3世さんである。

<朝、遣ったじゃないか。今日は仕事だから、サービスは出来んぞ。邪魔だ。どけ。>

 瓦を割って砕石に見立てて、外壁周りに敷けば、泥濘防止とそれなりの風情にも為ろう。実際、遣って見ると、これが様に為るのであるから、一石二鳥の段である。

     夕方に為ると、めっきり冷え込んで来た。明日は久し振りに-9℃との事である。

 昼はガスが使えなかったので、焚火の火を利用して熱々のモツ煮に薬味のネギをたっぷり乗せて、丼に盛って遣ると好評だった。暗く成って、焚火の後始末をして、本日の作業は終了である。

 庭も片付いて、これで春の草木灰も出来た。普段が物臭モード一辺倒の男であるから、何事も序でで遣るしかないのである。

 本日は昼兼オヤツが無かったので、流石に腹が空いて、身体の随所が筋肉痛である。食後は、疲れて果てて、小一時間のコタツ寝をして仕舞った。

 さてさて、夕食の洗い物をして、湯たんぽに湯を入れて、布団の中に放り込んで、台所水道の不凍栓を払っての本日のブログ日誌打ちで在る。


心何処ーショート 明日からは、通常の冬の居座りである。
            明日からは、通常の冬の居座りである。(2/3/14)
       
       曇天では在るが、春の暖かさである。明日からは冬に戻るとの事である。

 この数日は朝の暖かさで、あれやこれやとブログ物語の種に為りそうな物を考えたり、言葉遊びをしたりして、始動の時を待って居る次第である。朝が早く成って来て居るので、玄関鳥、廊下鳥の動きも早く成って来た次第である。朝は静かであるから、庭のバルディナのカッカッと単発の声も聞こえる。彼女も元気の様子である。

 静かで温い布団の中で、昨日を振り返ったり、物音に耳を澄ませたりする。如何云う訳か? そんな中で人生の一コマが流れて来たりもする。人間の脳作用とはする事が無いと、ランダムに雑多な物が浮かんでは消えして、面白い物である。

 朝を終えて、一風呂浴びた後は散歩に行こうとして居ると、弟から電話である。時間が出来たので、明日、工事をしに来るとの事である。

 左様で在るか。明日は世間様に倣って、早起きをして肉体労働を致しましょうかね。偶には、筋肉に苦痛を与えて遣らないと、男持続の足しには為るまいて・・・。

 雨が降って来そうな雲行きでは在るが、鳥の世話をして外の餌入れを見ると、ミルワームが無く為って居る。補充して、自転車で明日の駄菓子を買いに行って来る。時間が在るから、モツでも仕込んで置いて遣ると致そうか。美味く煮込が出来たら、<気は心>で持たせて遣れば良かろう。

 帰りは上り勾配であるから、ペダル漕ぎは結構な運動にも為る。ヒィーコラヒィーコラ、ペダルを漕いで居ると、小さな輪っぱの自転車親父が、スイスイと私を追い越して行く。

         へへ、相手は、疲れを知らぬカラフルな電動自転車様である。

 モツを仕込みながら、ラジオで国会中継をBGMに流す。お天気さんは冬に向かって、風が出て来た。朝のご近所挨拶には、『暖かくて楽』の言葉交わしでは在ったが、明日からは通常通りの冬のお出ましである。いやはや、風呂温まり効果も薄らいで来た。半纏を着込んで、夕方に模様替えである。妖怪様の廊下のカーテン引き、鉢植え、鳥籠を所定の位置に戻して居ると、妖怪様はベットの中から、顔を出して居る。

 本日・節分とは云う物の・・・猛暑・冷夏・暖冬・寒冬と、地球の気候が変化して居る乱高下気象である。

    はいはい、風邪の前に、布団の中で安静にして居るのが、省エネの極意でヤンすよ。


心何処ーショート 本日・日曜日。雨→曇り→晴れ。
                本日、日曜日。雨→曇り→晴れ。(2/2/14)
 雨音に目覚め、寝床の中で、それを聞きながら時を流す。温い布団の中で、雨音を聞くのも乙なものである。雨の薄暗さの所為で、玄関鳥達も静かな朝を迎えている様子である。

 さて、起きると致そうか。朝の始動は、籠った空気の総入れ替えと、大雑把な掃き掃除である。妖怪様の部屋を開けて、洗顔中に掃き出しと空気の入れ替え方々、廊下に鉢植えを移す。朝賄いをして、妖怪様のケアで、戯け話をして血流を頭に循環させて、私は四畳半定位置でモーニングコーヒーである。

★精子提供者から生まれた子供の自分のルーツ探しとか、万能細胞への研究とか、性同一障害者のレズ、ホモ夫婦の子供願望、婚外子の法廷平等思想だとか、日本は日本人だけの国では無いとの思考・思想、個人万能思想、・・・etcとまともな人間なら、思考分裂をして仕舞うより他無い個利個権の自由平等ばかりのアドバルーンが、空狭しとばかりに打ち上げられて、何やら市民権を得て行ってしまうばかりの世相・ご時世である。

 そんな時代遅れで、何でもかんでも自由平等の錯綜して仕舞った個利個権個益の複雑怪奇な思考論には、単細胞のロートルには安定を欠くばかりの昨今世相である。

「何を扱きぁがる。男同士、女同士で結婚して、子供が生まれる訳ぁ無ぇだろ。それが生まれちゃうってぇのは、変な細工が在るんですがな。細工の仕込みの時点では、生まれて来る子供の事なんか、実際問題、頭が働かず自分達の個利個権個益に傾いて、科学利用してるだけじゃ無いのかい。

 知らぬが花、沈黙は金だけどさ。知って仕舞えば、自分の出自と云うルーツ探しの欲求が止まらなく為る。それが感情・思考の波紋って事ですがね。育ての親、瞼のおっかさん、おとっつぁん恋しさに、揺れ、翻弄されるのが、理と感情を持った人間道でしょうが。

 心って代物は、理と感情を行き来するヤジロベーの覚束なさ、儚さでヤンスわね。心の安定域が中庸域って事なのに、それに気付こうとしないから、個人の事にばかり満足を置けば、その論、思考、行動も、益々、特化を求めて在らぬ方向を目指して仕舞う。
詰まりは、心からテクニックを駆使しての個人願望の個利個権個益の方向に妄信して仕舞うって寸法さね。

 宗教は、所詮、人工物ですがね。宗教を捨てた高教育の現代人なら、今度は宗教が果たして来た、心の問題に就いても個人が心の安定=満足思考・行動に対して、理と感情の統合の処方箋を構築し無きゃ為らんのに、面倒な事は嫌だと来ている。困った事ですがね。

 何から何まで、特化特化して専門性ばかりに血なまこに為るから、人としての精神が疎かに為る。非科学的だと言って、経験則って物が必要以上に疎かに為る。科学だって、その本質は<経験則の積み重ね>での実証学でしょうが。

 出血すりぁ、輸血だ。輸血だって、血なら何でも言い訳が無い。成体に別の成体が入ったんじゃ、即異物の侵入で、生態拒絶反応が出来る。そんな失敗・研究の過程で、ABOの血液型が解って、同じ血液型でも、RHの違いが解って来る。

 遺伝子の螺旋を上から辿るか下から辿るかで、新しい結果が齎される。生態拒絶反応に注目すれば、組織細胞の防衛反応の実態が見えて来て、新しい発見も出来る。

 生命体は総べからず、維持・攻撃・防衛の三位一体の仕組みを兼ね備えて居るって事でしょうが。特化する前に、均衡する仕組みの原点に立って、物事を観察、感じ、考え、応用して行くのが、経験則の提示する処だと思うんだけどね。

 昔、オウム真理教なんて、化け物猛信教が在って、マインドコントロールと色、金の力で、悪魔の研究をして居た化学者・医者が居て、世間を震撼させて居たんだけどね。

 言っちゃなんだけどさ・・・。俺には、同根の個利個権個益の行き着く先の無機質人類社会の図に見えて来ちゃうんだけどね。孤独死に無縁仏、墓友、絆にオモテナシだとよ。へへへ。

 何て云ったって、俺ぁ、頭の造りが粗雑に出来て居るから、テレビのキャスター、コメンテーターの学者、識者、評論家先生達の話にぁ、そう簡単に頷く事が出来ないんですがね。ああだこうだと、解説して呉れてもさ、言われりゃ言われるほどに、頭の中がコンガラカッチャッテサ。俺見たいにスカンポ脳には、シンプルイズベストのお話で無きぁ難しくて理解出来んのですわ。

 キリギリスのオスは、死ぬまで擦り切れてボロボロの羽根を擦り合わせて、ギースをしてさ。メスは死ぬまで、産卵管を土に挿し込み続けて最後は壊死して行くんですがな。

 97にも為って、あそこが痛い、此処が痛い、何も出来無くて、只生きているだけで情けない。ああ、早く死にたいって言ってもさ。心臓が動いている以上、しょーが無い事ですがね。

 キリギリスはキリギリス。人間は人間ですがね。生まれて来ちゃったんだから、嘆いて居ても始まりませんがね。生とは、限の好い処での<諦めが肝心>ですぞえ。分不相応に往生際が悪いと、汚い肖像画の蔓延ですがね。あい~。」

「はいはい、女同士で結婚しても、子は出来ません。善かれと思っても、其々の相手の居る事。自分建てれば、相手が倒れる事も在る。生きて居れば、はい、色んな事があります。人生、色々。男も女も色々。
 でも、人間は独りでは生きられない。支え、支えられる中で、常識を身に付けて、棘を抜いて、角を落して。普通の人に為って感謝感謝で行かなくちゃね。老いては子に教えられ、面倒見て貰って・・・ はい、その日、その日を頂戴して居ります。」

「おやまぁ~、流石に妖怪様だいね。優等生見たいな作文を朗読してからに。まぁ、手の掛る糞婆っさだけどさ。やっと、悟りを開いたかいね。何て言ったって、ワンツーマンの先生が優秀だいね。
 あれだ。三途の川で、ムダゴト扱かれたら、三下鬼に未だ尻が青いとお説教して遣れちゃ~。私を天国に行かせないと、凶暴な倅を呼んで来て、張り飛ばして遣るよってな憎まれ口を聞いて遣んなよ。はい、本日の講義は終了だぜね。へへへ。」

 昨日は、目が回って頭がボ~として居たと言う母では在ったが、異常無しの様子である。お天道さんに、感謝感謝である。

 金華鳥の婿取りをしたから、その籠を持って来て出窓に置いて観察をする。藁巣の位置が使い勝手が悪そうである。スケールと剪定鋏を持って、枝切りをして来る。枝三本を色々と配置して、アレンジして遣る。

 鳥の動きを見て、止まり木の位置を調整するのであるが、其処は飼い鳥の習性なのだろうか・・・ パニくる訳でも無く、藁巣に出たり入ったりして居る。婿は新居を獲得した高揚感からか? 積極的に藁巣に入って、遣る気満々の行動である。

 雨は止んで、一時、青空が見えた物の・・・再び全体に雲が掛って、お天道さんの無い寂しさである。

 廊下鳥を見に行けば、鳥影一つである。容器の中のミルワームが無く為って居る。庭に動きを追うと、地面にバルディナのお姿である。容器に生き餌を補充して遣る。

     へへへ、東京有権者各位。私は田母神候補と同様に、本当は優しい好い人なのである。


心何処ーショート ちょいと、実観察考為り。
                 ちょいと、実観察考為り。(2/1/14)
 この何日か、バルディナとは会えないで居る。それでも、餌入れのミルワームは無く為って居るから、食べに来ては居るのだろう。

 昼前に、近場散歩をして来る。バックフォーが入った更地の川原には、一杯の薄い流れが出来て居る。カラスが三羽、流れの中を歩いて居る。ハコベを見付けながら、ブラブラ歩きをして居ると、ムクドリが5~6羽の小群れで、冬枯れの地面に餌を探している。川原の木には、珍しくモズが2羽飛んで来て、尾を振って居る。

 薄曇り、無風のお天気さんである。流れの深みを奪われて仕舞ったカルガモの番が、枯れ葦の小さな溜まりが、大きな羽根音で飛び立って行く。座敷犬散歩の女性が二人と、ジョギングをする男子学生の姿だけで、土曜の風景は静かな物である。

 お土産のハコベが無かったから、家庭菜園の落ち葉の中から、萎びたハコベを探して中に入る。遣る事の無い昼間であるから、廊下の暖かさを、これ幸いと廊下に並べた番籠のペア替えを思い立つ。 

 元気なオス、元気なメスを新番いにして、<次代を担う若鳥を誕生させて置くべし>の魂胆からである。老齢オス、虚弱メスはペアとして、負担に為らない番状況の下、小籠住人に為って貰う事にした。

 まぁ、これも近親婚に依る弊害の除去にして、同程度体力鳥に依る安住への御招待・老婆心と云う物である。斯様にして、生き物飼育の管理者たる者は、観察と情に長けて居ないと務まらないのである。オッホン!!

 人間感情だと、大きなお世話、仲を引き裂く様な惨い事と為るのだが、新ペア達の普通にして居る処が『薄情』云うか、『一腹の血縁関係』と云うのか、何時も、お互いの存在を見て居る『コミニュティ関係』と云うのか、単なる<擬人化感情>では追いて行けない部分が在る。

 こんな処が、テレビ・ネィチャー物のナレーションとは、全く異なる『実観察』と云った処だろうか。へへへ。

 本日は、食後、目が回ると云う妖怪様で、収まったとの事では在るが、『医者には行かない』と言う。
 『はい、左様で御座るか・・・。』

 まぁ、安静を第一とするしか無いから、私は大川栄策、フランク・シナトラのテープを聴きながら、妖怪様の具合を見に行っている次第である。


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