旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート へへへ、恒例・大晦日の愚痴を聞く為り。
           へへへ、恒例・大晦日の愚痴を聞く為り。(12/31/13)
 縁側の下に、ジョウビタキが居るでは無いか。いやはや、三代目バルディナさんは筋が好い。地面の上を、チョンチョンと動いている。六畳の上がり石の上に行って、尾羽を小刻みに震わせて、廊下の私を見て居る。暫く姿見せを続けると、パッと飛んで行ってしまった。

 さてさて、本日の料理作りである。エビを甘辛く煮締めたり、チャーシューを作ったり、雑煮の汁を仕込んだりの台所仕事をして居ると、廊下から次兄さんのお越しである。

               私は台所仕事が忙しいから、話だけを聞いて居る。

 いやはや、愚痴を語らせたら右に出る者無しの相も変わらずの『愚痴溢し』である事か。倅が如何のこうの、嫁さんの実家の親が如何のこうのと、私としたら、笑止千万の愚痴オンパレードである。まぁ飽きもせずに、愚痴を溢すのが<趣味>なのだろうから、妖怪様相手に勝手にほざいて居やがれってな物である。そんな物は、一々真に受けて居たら、私の存在など『奇蹟中の奇蹟』で表彰者ですがな。

 皆、個利個権に走ったら、見苦しき世の中でしかあるまい。誰かが、貧乏籤を引いて、黙々と淡々と同居して、歳老いた親の面倒を見るしかあるまい。貧乏籤の当事者が愚痴を溢すのは、致し方無いが、単なる傍観者が生意気な口を叩くなってな物である。

 へへへ、個利個権の付けが、『倅の転がり込み』に現れているだけの事である。土台、弟の私にオンブにダッコをし続けて居て、笑わすでは無かんべよ。

 人間とは諦観と言うか、往生際を好くしないと、一幅の絵には為りませんがな。
ふん、この馬鹿垂が。

 その点、弟は事あるごとに、悪い、申し分け無いと言って呉れるだけ、人間がマトモと言う物である。いやはや、流行り言葉では無いが、じぇじぇじぇで困った野郎である。

 台所仕事が一段落したので、愚痴話を聞く事にする。何の事は無い、女房の尻に敷かれて、ネコ可愛がり行脚の結果で好い歳かっぱらった子供の尻拭きと来れば、そんな物ぁ、『自業自得』ですがね。

 世の中、兎角・・・労い、感謝の感覚が、そもそも欠落or麻痺して居るから、個利個権思考&行動パターンの悪循環をしているだけの事である。傍目から見たら、お目出度いだけの<脛齧らせ>が趣味なのだろう。

     何を遣っとるんじゃい。男のキンタマは、何処に忘れて来たや。嗚呼、阿保臭~!!
 
 婆さん、差し入れのお返しに、沢庵2本を袋に入れる。さてさて、私は風呂に入って洗濯をして、風呂磨きをすると致そうか。

 次兄さんも、親恋しいで、本日は長々と時間を過ごして行った。まぁ、これも婆さん孝行の一環なのであるから、良しとすべしである。へへへ。

 残り湯で、廊下の雑巾掛け、トイレ掃除を終えて、漸くの四畳半マイタイムである。後は、夜の年越しそばを茹でるだけである。

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心何処ーショート 先ずは、大鍋仕込む為り。
                 先ずは、大鍋仕込む為り。(12/30/13)
      さてさて、正月の食材を買って来て、今日、明日で料理を作って置くべしである。

 朝食後は、自転車で大手スーパーにまで行って来る。風の寒さでは在るが、絵に描いた様なアルプスの雄姿である。乗鞍岳は全身を真っ白に輝かせている。その山容の北には白雲が雲海の様に収まっている。何処までも青い空で在る。中央アルプスの連峰は皆、白銀に輝き、パウダーされた中腹の拡がりが盆地を屏風の様に、南北に縦貫して居る。東山系の美ケ原、鉢伏山にも、雪が掛って居る。

 上り勾配のペダル漕ぎで、息は切れるが、こんな清々しいパノラマは車では味合えぬ次第である。川の流れが陽光の下、底まで透き通って寒く清らかな眺めである。流れの淀みには、氷が張って居る。空には向かい風に凧の様な風情で、翼を動かさず滑空する鳶が見える。

 三時過ぎには、弟の会社に頂戴物と沢庵漬けを持って行って遣らねば為らないから、早速、吾が家の正月煮物の仕込みに取り掛かる。大根、ニンジン、ゴボウ、レンコン、里芋、アゲ、さつま揚げ、昆布、鳥肉をザックリと切って、味を浸み込ませる。

      台所で、賄いに専念して居ると、四畳半の携帯が鳴って居る様である。

「悪い悪い、えらく待たせちゃったな。如何したい?」
「好いから、玄関開けて見ろや。」

 玄間を開けると、Tの車が止まっているではないか。相変わらず、茶目っ気、たっぷりのTである。

「カァちゃんが、これってさ。奴の実家の豆餅だ。」

 これは、丁度好い。鹿児島のミカンが今朝届いたから、早速のお裾けとする。車の後部座席には、可愛い盛りの孫娘が乗って居る。ハハ、どちらかと言うと、婆ちゃん似の顔付で在る。暫く見なかったが、大きく為った物で在る。

「じぃちゃんは、怖いか優しいか?」
「うん、やさしいよ。」
「じゃ、じいちゃんは、助平だろ。」
「いまねぇ、ゲームやってるから、ふたりのとも、しずかにして。」

 へへへ、空色ジャンバーのプリンセス様に、軽くあしらわれて仕舞った。いやはや、還暦半ばと為れば、昭和天皇のお守役・乃木希典元帥の心境で、はいはいとプリンセス様にかしづく白髪髭老臣見たいな物である。幼な孫には、ついつい、ロートルは頬が弛んで仕舞う様である。


心何処ーショート 年末年始に向けて。
                   年末年始に向けて。(12/29/13)
 またまた、足を攣って仕舞った。痛い物である。昨夜は、松本に低温注意報が出て居たから、台所の雑巾もガチガチに凍って居る。霜柱が、ザクザクの感触で在る。

 痙攣も老化現象の一つなのであろう。避けては通れない歩みの一つである。痙攣手入れに、風呂に入って筋肉解しでもするしかあるまい。幸い、お天道さんが出て居るから、布団を干す。

 昨日、正月の花に買って来た、白と赤のシクラメンを廊下の日向に出して、頂戴物のミニバラにも、軽くスプレーである。出歩く事の出来無い妖怪様には、花は目の保養にして、老境の慰めなのであろう。おやおや、妖怪様も松と南天を仏壇に供えて、鏡餅をお供えして居る。

 さてさて、一家の主であるからして、剪定鋏を手に庭の松、南天をあしらって飾り物とセットで玄関飾りとする。庭に在るものを見繕って、アレンジして見るのも、ロートルとも為ると楽しい物である。え~と、釘が在った筈なのに、何処に置いた物やら・・・。
 
      よっしゃ、これで様に為る。一件落着である。センスが良いですなぁ~。

 へへへ、お次は、差を付けられて仕舞ったから、私の八畳の床の間にもド派手な南洋掛け軸に替えて、花瓶に松、南天を配して鏡餅をセットする。これで一応、正月らしく為って来た。

 風呂に入って、マッサージをして妖怪様に貰った塗り薬を擦り込んで、洗濯物を干す。お天気さんは、曇り空に覆われて来た。そう為ると師走の吹く風の寒さである。庭に、ジョービタキのバルディナの姿見せである。

 さてさて、散歩代わりに自転車でカツオの大和煮の缶詰でも探しに行くべしである。カツオの缶詰が無いと、R家の雑煮が出来ないのである。最悪の場合は、カツオのなまり節を砂糖醤油とミリンで煮締めて出汁を取るしかあるまい。

 結局は無かった次第であるが、妖怪様が灯油ストーブの上で、コトコト煮て呉れた身欠きニシンの大きな昆布巻きの味が忘れられず、初挑戦し様と買って来た。風呂から上がった妖怪様に、昆布巻きの手解きを受ける。

                了解。遣って出来ぬ事も在るまい。

 明日、明後日で、ボチボチ作って行けば、時間配分上、支障が無い。今日は、これにて通常モードに移行すべしである。

 晩飯を食べて、小一時間のコタツ寝をして洗い物をすれば、二畳小部屋での小編打ちを進めて、嫌に為れば湯たんぽの入った布団に、足を伸ばせば好いだけの事で在る。今年も、後二日である。

心何処ーショート 寒冷地・年の瀬為り。
                   寒冷地・年の瀬為り。(12/28/13)
 雲の合間に日差しは在る物の、西のお山は灰色に包まれ、吹雪いて御座る。昨夜は、米研ぎをする前に、ついうっかり不凍栓を払って仕舞ったので、朝は切り餅を切って、汁子と菓子パンで済ませる。

 不凍栓を開けに行くと、ザックザックの霜柱と云うよりも土柱の始末である。いやはや、寒冷地松本の姿である。湯たんぽのお湯で洗顔して、布団を挙げて真似事掃き掃除をする。

 昨日は、如何やら消滅文章の復元をして、今夜は頁数を伸ばせる次第である。寒々とした庭に目を遣りながらの復元打ちをして居ると、この処、御無沙汰で在ったバルディナが姿見せに遣って来た。

 野鳥とロートル人間の頷き合いである。日常の一コマにして、取るに足らない小さな確認行為では在る。然しながら、お互いが認識し合っている関係は、好い構図でも在る。

 昨日、葬式で一日伸びたスタバトークへのお誘い電話が鳴る。財布に補充して、Tのお迎えを待つ。年の瀬が近付くと、こんな寒さが妙にマッチして来るのであるから、年の瀬の原風景とは可笑しなものである。

 何か、客の込みが多い。そうか、本日土曜日で在った。二階席は、女子学生達の勉強室の様相を呈している。何時もの席に座れず、窓際のソファ席で在る。窓辺のカウンター席には、これ見よがしの美脚自慢の口紅を引いたおネェチャンが、勉強をしている。

       それにしても、女の顕示欲とは寒さを物とはしない突っ張りと云うしかない。

 さてさて、肝心要の御面相は如何に。へへへ、むべ為るかな。キツネ目のおネェチャンでしたがね。後ろ奥の席は、白人女性である。化粧もそっちのけで、冬の服装で一心不乱の勉強モードで在る。

 昨日の葬式では、胃癌手術ですっかり意気消沈して仕舞った72の故人との事で、彼には104でも尚且つ毎日300mほどの距離を歩いて、デイサービスに日参して居る母親が居るとの事であった。Tも胃癌手術をした身であるから、術後のリハビリも一緒にして遣れた物をとの感想で在った。

    世の中、未来は不明瞭。<総べからず、生きる気力が物を言う。>の段でも在る。

 また、昨日は96の親父さんがヘルパーさんと近所のドンキホーテで、買い物デートを愉しみにして居たのだが、生憎の悪天候で没に為って仕舞い『世の中、思い通りに行かん物だ。』の大溜息だったとの由。

 いやはや、こんな親子会話が出来るのは、男同士の面白さなのである。私の処は、母子の関係であるから、同族の誼での本音に肉薄するのは難しい次第でもある。

      下手に突っ込みを入れると、母親から<侮蔑の視線>を頂戴して仕舞うのである。

 言っちゃ何では在るが、菊の御紋個所の鬱血覚悟で、寒冷地・松本に在っても、美脚を見せびらかしたいのが、女の自己顕示欲である。見せたい女に、覗きたい男。女の自己顕示欲の下心に、迎合して遣るのも男の大御心の一環である。

 とは言え、還暦半ばを住処とする身には、我慢出来ぬ尿意である。失禁防止のパンパース無きロートルコンビは、好色よりもネェチャー・コールズ・ミィ。(ネェーちゃん、こっち、見~。)である。階下に『連れションコンビ』では、洒落にも為らぬ。

 車パッパの後は、巡回である。年の瀬であるから、ホームセンター内は、正月の飾り物が、ドーンと売り場を占めて居る。正月の飾り物を買う。続いて、スーパーに行くが、未だ先で好かろう。

 ネギは冬の味覚の一端でも在るからして、ちと欲を張って仕舞った根付きネギの消費を手伝って貰う事にする。今年の沢庵漬けは塩が効き過ぎて、我田引水出来ない次第である。先週の味見の結果を聞くと、倅殿曰く。

「年々、腕を上げている。シャキシャキの歯応えがあって、OKの口。」との事であるから、デカイ処を2本進呈する事にした。へへへ。


心何処ーショート いやはや、遣らかして仕舞った。ニャロメ。
              いやはや、遣らかして仕舞った。ニャロメ。(12/27/13)
 昨夜は、結構な雨が降った。二畳小部屋で、小編を打ち始める。1.5頁を加えて、続きとして<その3>として終了とする。確認の為に、開いて見ると保存が為されて居ない。

★嗚呼~!! 一頁半が消滅して仕舞った。こんな事は、年に数回ある次第では在るが、落胆はデカイ。

 どんな悔いても、足掻いて見ても、これは<覆水盆に返らず>の冷厳たる物理現象である。自らに、引導を渡すしか術は無し。

 へへへ、これは、余りにもののヘタレ文章群で在ったから、お天道さんの思し召しで『没の裁可』が下ったと諦めるしか無い。お天道さんの慈悲心と『有り難く』頂戴するしかあるまい。吾は奥ゆかしき性格の持ち主の特性を忘れるのは、天に唾吐く行為である。

 昨夜の雨で、湯たんぽが熱く感じられた朝であった。妖怪様の動きを追っての朝の活動開始である。手抜き掃き掃除と空気の総入れ替えに廊下の戸を全開すれば、白い物が舞い降りて居る。

 朝食後は、自宅介護のアンケート調査票に答えて、郵便局、個人スーパーまで足を伸ばして、本日の散歩とする。雪がチラチラする外は、寒いから真面目歩きをして来た次第である。この処、ジョービタキのバルディナの姿が見えないので、些か案じて居る次第でもある。

 灰色雪雲の下、濡れたアスファルトが寒い感じを続ける。電線に止まったカラスがカアカア鳴いて居る様は、頂けない冬の風情である。雀の群れが、羽毛を膨らませて気に止まっている風情も、また冬日の様である。早いお宅では、正月の注連縄が飾られている。

 それでも、テクテク歩く事は、身体には心地良い物である。何時の間にか、サンダルから靴に代わっての歩きである。買い物は少な目であるから、レジ袋も手を交替する必要も無い。背筋を伸ばして、スタコラ歩くには丁度好い自重の充足感すら在る。

 はいはい、お待たせの玄関鳥の餌吹き、水替えをして、買って来た物を冷蔵庫に収めて、四畳半定位置でのコーヒータイムをする。南天の実が見事に色付いて、緑の葉が風に揺れている。

         さてさて、一服した後は、二畳小部屋に入って、リベンジをするしかあるまい。

                嗚呼、馬鹿は死ぬまで治らない・・・とほほ。



心何処ーショート 是、ロートルの一雑感為り。 
                 是、ロートルの一雑感為り。(12/26/13)
 妖怪様の部屋を辞そうとすると、安倍首相の靖国参拝報道が始まった。満を持しての『悔恨の極み』の実行である。兎角、毒亜圏諸国、左巻きマスゴミ界が、軍国主義の復活、A級戦犯合祀の靖国は如何な物かと、毎度のキンタロー飴報道を垂れ流して居るばかりであるが、普通の感覚から言って、公式参拝するのが当然の国家指導者の行為である。

 余りにも酷過ぎた民主党政権から、奇蹟の自民総裁選、衆議院、参議院選挙に依って、捩じれ国会を収め、地球儀外交と云われる毒亜圏包囲網の足掛かりを付けて来た安倍政権は、<日本を取り戻す>の地歩を歩み始めている。日本を取り戻す為には、戦後占領期を経て60年強の手枷足枷の中、戦後民主主義と云う名の戦後体制が敷かれて来た。

 戦前=軍国主義=非民主主義。軍国主義日本=悪=敗戦=米民主主義の勝利=米流民主主義=正義。敗戦反省=自虐史観。戦後体制の象徴は取りも直さず、占領期の限時憲法の強制と、追認の歴史で在った。米国優位の戦後体制を、日本の歴史、日本人の精神的伝統に組み替えて行くのは遠い道程であるが、日本、日本人の心・技・体を取り戻す為には、避けて通れない道程である。

 大東亜戦争敗戦から68年。細胞の隅々にまで到達した戦後体制からの脱却、自存自衛の道程の遠さに想いは在る物の、毒亜圏諸国の言語道断の酷さは追い風と為って居るのは、幸いな事である。

<婆さんや、日本には鎌倉時代の元寇にばかり、神風が吹いた訳じゃ無かんべよ。今だってさ、東西の大陸からの邪風に、ヤオヨロズの神々が風を起こして下さって居るんですがな。左巻きマスゴミ如きに、付破雷同してちゃ、御先祖様達のDNAに申し開きが出来ませんがね。解ってるだろうな。ギャハハ!!>

 昨夜は洗い物をして部屋に居ると、妖怪様が呼びに来た。私の好物<科捜研の女スペシャル>が始まったとの由。2時間スペシャル物で在ったから、じっくりと拝見させて貰った次第である。

 二転三転するドラマのストーリーに、いやはや、苦労して居るの段で在った。お目付役の科捜研監察官の苦しい論理構成、指揮権は、物語を構成する上では、仕方の無い事とは云え、脇を固めれば固める程に、血の通らない法に於ける論に陥って仕舞うだけの形に為って仕舞う。キャリアだか超エリートだか知らないが、情を失した論の、何たる問題解決能力の無さかと呆れ返るばかりのストーリー進行で在った。

 おいおい、所詮は、情を失した論理構成をゴリ押ししても、問題・事件の解決には為らないのである。情から脱した論理に一体、如何ほどの説得力、協力が得られると云うのか。

 論=筋・立場をゴリ押しして仕舞えば、其処には法に名を借りた部署益、職位益、個人益が、小我を張るだけの方向に進んで仕舞う。法に血を通わせ、組織の自発的行動力を発揮させるには、法の運用に情を込めるリーダーの人間力が不可欠である。

 まぁ、この手のドラマ構成としたら、そんな手法の下、起承転結の配分をして行かなければ為らないのは承知の上では在るが、人間とは真に厄介な生き物であるから、上に立つ者は、匙加減の道理を弁えてその時々の差配をしなければ為らない。

 こんな処は、時代劇にこそ似合う。その最高峰が、鬼平犯科帳なのであろうか。時代劇であるから、四角四面の論を構築する必要も無く、法と裁きの運用に、鬼平の情が香り立つ。
 一方、現代劇の科捜研とも為れば、現代組織論と法律論に、拘泥されて仕舞うのが現代社会で在る。鬼平が法・裁きの中に運用も与えられて居るから、鬼平の色が満喫出来ると云う寸法なのである。
 詰まりは法・運用・裁きが、余りにも個別独立して仕舞えば、一切杓子定規の束縛だけが前面に出て来る。論に凝れば、凝る程に見苦しき様を見せて仕舞う次第でもある。

 そう為ると、行けませんがね。美人の顔を、鬼顔に見えて来て仕舞いまするがな。へへへ。人間、凝り固まったんじゃ、屁も扱けませんわね。やっぱり、男は度胸、女は愛嬌の方が、此方の顔も綻ぶと云う物じゃ在りませんかいね。

 へへへ、長々と脱線致しました。はい、安倍首相の靖国公式参拝は、マスゴミ界十八番の世論調査などをして、安倍内閣の支持率変化を見てから、参拝賛成、反対のチェックをして見たら面白いでしょうね。自縄自縛の平和憲法死守して、国を掠め取られるでは、マスゴミさんも逆立ちしても追い付けませんがね。←A級戦犯どころじゃ済みませんわね。

    そうそう、法律には事情変更の大原則も在った様に、記憶してるんですがね。へへへ。

心何処ーショート 推して知るべしや。
                    推して知るべしや。(12/25/13)
  今日も、好いお天気さんである。朝のウォーミングアップに、布団の中の腹筋運動で起き上がる。

 台所の不凍栓を開けると、蛇腹ホースからポタポタ水が垂れている。これからが寒冷地・松本の酷寒の季節である。ビニールテープを持って来て、応急処置をするしかあるまい。古く硬く為ったホースで在る。流し台キャビネットの中の物を取り出して、ホースを抜いて、漏れ個所をぐるぐるテープ巻きをすれば好いだけの事では在るが、相手は古く硬く為った代物である。事を急いては、ホース交換の憂き目を見て仕舞う。外と中を何往復貸して、応急処置をして原状回復の段である。

 飛んだ朝飯前の一作業を終えて、朝賄いをして、妖怪様の気分解しの朝講義を終えると、11時近くで在る。無風の上天気である。布団干し、玄関鳥の世話をする。

 シチューが食べたくなったので、個人スーパーに自転車で食材を買って来る。買って来た序で仕事であるから、朝の洗い物をしてシチュー作りを開始する。

 昨日のニュースには、笑って仕舞った。南スーダンでの現地派遣韓国軍と国連要請に基づいて銃弾一万発を現地派遣自衛隊が提供。一見落着に見えた。現国連事務総長は、韓国・パン氏である。事の真相は、きっと同国の誼で、現地韓国軍からヤイノヤイノの銃弾要請で在った事に間違い無かろう。

 然しながら、ニュースは瞬時にして世界を駆け巡る。敵国への要請と在っては、到底是認出来ぬ。事が明るみに出て、火病国本国では瞬間湯沸かし器同然の反日、排日感情に火が付いての『銃弾突っ返しの公式報道』であった。

 火病国では、前大統領の竹島デモンストレーション時、日本王に対して、土下座させて謝らせるの『虎の尾』を踏んで在ろう事か、正式外交文書を受け取らず、郵送で返送した国である。

 日の下・日本の首都に於いては、金五千万円を個人的に借り入れて、手を付けずに返したからと言って<御破参に願いま~す。>とは、絶対に為らないのである。

『告げ口外交』に『タカリ根性』、『突っ返し』と、正しく世界<奇人種・奇習国家>の暴露沙汰である。窃盗、強盗、詐欺、恐喝で奪取した他人物を返せば、無罪なんて法治国家、社会規範など、この世には無かろう物を。

 防空識別圏にNo2を機関銃・火炎放射機粛清に、告げ口、タカリ、突っ返しと、毒亜圏国家は、21Cの御代に於いては、化石国家として何重にもバリアで囲って絶滅種として兵料攻めにして置くのが、人類の常道で在りましょうや。虚勢が頂点を極めれば、真偽・信義が危く為るばかりである。人類の英知としては、バリア室にて去勢施術をプレゼントするしかあるまい。

               いやはや、猪瀬直樹氏も、首都の選定を誤ったものである。
 
 便利な時代に為って、閉じ籠りロートル生活では在るが、只生きて居るだけでも何かと家仕事が出て来たり、面白いニュースにも在り付けるものである。へへへ。

 これが口の悪い戦前・戦中世代の日本人の感覚から、評価されて仕舞えば中国も朝鮮も、虚勢すら張れずに堪った物では在るまい。小心者にして奥ゆかしい私とした処で、このザマなのであるからして、推して知るべし。ギャハハ~!!


心何処ーショート いざ、妄想よ、出でよ。
                  いざ、妄想よ、出でよ。(12/24/13)
 昨夜は手持無沙汰で在ったから、防寒ズボンを履いて夜散歩に出掛ける。雲と星と街の明かりにテクテク歩きをする。流石に、寒さは感じない。只歩くだけでは体内エネルギーの浪費で在るから、24時間営業のスーパーまで足を伸ばす事にする。スーパーに入れば、ついつい買い出しをして仕舞う貧乏性である。行きは好い好い、帰りは重いレジ袋である。

 帰りは毛糸の帽子を脱ぎ、ジャンバーのファスナーを開けての頻繁の持ち手替え帰路である。まぁ、これも腕力保持の一環でもあるからして、嘆いても仕方の無い次第でも在る。

 或る程度、身体を泣かして自己満足するのは、体育会系の細胞なのであろう。キツイときつかった時々のシーンが、脳裏に現れる物である。そんな体験が、後押しをして呉れる。なんのこれしき、此処で休んで仕舞っては、男が廃る。

 その一方で、歳を考えてスローライフ。適当に休んで帰っても、誰が文句を言う物か・・・などと囁くのでは在るが、一人冬の夜道をテクテクorヨボヨボ歩き切るのも、悪く無い物である。

 脳裏を過る走馬灯をアルバムの頁を捲る様に、あんな時も、こんな時も在った。こんな走馬灯との再会も、興味深い物である。色んな時代の自分が会いに遣って来る。脳裏の走馬灯とても、偶には回して遣らねば、油切れと為って錆付いて仕舞えば、脳裏に浮かばなく為って仕舞うと云う物である。極力運動で新陳代謝に務めて、脳の鬱血を回避するのが、管理者の務めでも在り、体力・根性の確認行為も、これまたロートルの嗜みでもあろうか。

 明けて、-5℃との予報であったから、不凍栓で水を払って置いた。台所、洗濯機、風呂の不凍栓を開くと、外水道が凍って居る。へへへ、とうとう信州の冬が始まりましたがね。

             今朝は、面白い夢を見た。これは、小編のネタに為る。

★朝の洗顔時に鏡を見ると、鏡に映る吾が顔は骸骨で在った。口を開けると、何とベロらしき骨?・・・乾燥数の子は知ってるが、ベロ骨は聞いた事も見た事も無い。そいつが気味悪くガタガタ、ケタケタと笑って居る様に動いて居るのである。酷い物である。尚も見ると、その骸骨から下がったベロ骨は、不気味にも左右コチコチと、時を刻んで居る様にも見えて来た。
★時を刻む骸骨とは恐れ入って仕舞った。夢か、マジックか、??? 自分の骸骨に、卒倒する訳にも行かぬ。

「おい、ゴンちゃん、何か鏡がおかしいぜ。ちょいと、来て顔写して呉れや。」
「どれ、おっ、何時見ても、水も滴たる好い男だ。普通じゃないか。馬鹿野郎、何を寝ぼけて居るんだ。」

 学生時代、脛を齧って居た今は亡き三兄に、頭をポカリと遣られて仕舞った。ニャロメ、俺はデリカシィの塊なんじゃい。凡人の見れない未来図を予見出来るんじゃい。凡人は長生き出来無いが、選ばれし者は、長生きして凡人達に未来を警鐘を鳴らすのが、天命じゃがね。

       う~む、・・・ この鏡の啓示を何と、解き明かそうや・・・ これが、問題だ。
                     さぁさぁ、妄想よ、出でよ。

①地球=奇蹟の水の惑星→命の根源の水→水の汚染=生命の衰退=地球の衰退。地球のサイクル=氷河期&間氷期。
②現在=間氷期→人類の誕生・大発展期・爛熟期・精神の衰退期。
③為れば、次は氷河期=ゼロ払い→環境適応に依る首座の交代劇→地球第★次ステージの幕開き。次なる首座は、ネズミかテンか地リス・マーモットかペンギンか。はたまた、先祖帰りのマンモス、ナウマンゾウか。
④地球サイクルの氷河期突入期を大きく残しながら、地球の提供物・大気・土壌・水の環境汚染の中、自業自得の三汚染に依って朽ち果てるのを速める現代は経済効率一辺倒文明。その自業自得の悲鳴の足音の大接近。
⑤生命体・地球を宇宙から俯瞰すれば、地球は宇宙に浮かぶ一体のバリヤ・ドームである。水蒸気は天に満ち、冷却されて雨・雪と為り、地に注ぐ。天と地を媒介するのは、水の循環である。動植物を問わず、体内巡るは是また水の循環である。人体の60~80%は水分との由。
⑥また、水作用は、浸透、溶解、分解、伝播との事を聞いた事も在る。天と地を結んで、水が作用する根源的な作用は、浄化とも云えようか。森羅万象の理の中心を為す『地球の神聖なる浄化神』を殺す事は、キリスト教の説く人間の原罪以外の何物でも無かろう。

 まぁ、こんな夢見を寝床の中で考え、朝立ちの代わりに、バッコン、バッコン、グリグリの腹筋寝床運動を朝の始動開始のウォーミングとして、朝起きした次第である。

 本日は入浴後は、洗濯、浴槽洗いに、雑巾掛け、トイレ掃除を致すますかいな。何事も、運動である。何かをしなければ、ロートルの一日は過ぎ去っては呉れ無いので在る。とほほ為り。


心何処ーショート 親父と倅のバトンタッチ為り。
                親父と倅のバトンタッチ為り。(12/23/13)
 
            廊下のカーテンの中に包まって遊んで居る内に、膝を付いて言う。

「なにか、いるよ。」
「何だ?」
「へびだよ。へびがいるよ。」
「どんな蛇だ?」
「おっきぃよ。あかいのも、くろいのも、しろいのも、いっぱい、いるよ。」

 廊下でタバコを吸って居る父親と、幼児の会話で在る。幼児は、三連休の両親と一緒で、嬉しい限りのハシャギ様にして、自分の世界での遊びの最中である。カーテンの世界から、二畳小部屋のパソコン配線を蛇に見立てて、想像の世界に遊んで居るのだろう。立ったり、膝を付いて小さな尻をモゾモゾ動かしながら、カーテンの中から二畳の蛇の模様を実況放送して居る。

 その内に、廊下の日向に置いて在るミニバラ、石を配して苔を埋め込んである山水状の鉢に、物の見事に、幼児はドスンと尻餅を付いて仕舞った。

「いたい。」
「コラ~!! 爺ちゃんの大事にしている物に、爺ちゃんに謝れ!!」
「いたい、やだ。ここ、いたいよ~。」

 尻餅を付いて、泣いたら父親は自分を優しく庇って呉れるとばかり思って居た幼児の心理であった。それが、父親に凄い形相で怒られて仕舞った幼児で在る。

  ????、全く自分の予想に反して、○★◆☆の大パニック状態である。さて、幼児は如何する~!!

 幼児の特権で、大きく泣きじゃくり、自分は悪く無い。痛い思いをしたのはボクだから、謝る必要は無いの<一大アピールを敢行>する幼児の姿である。

「無理と遣った訳じゃないのは解る。でもな、自分のした結果には、責任を持たないと駄目なんだよ。泣いて誤魔化すのは、男のする事じゃ無い。我儘で、悪い事だぞ。爺ちゃんに御免なさいをするのが『先決』だぞ。」

「やだ、あやまらない。」「ううん、あやまらない。やだ。」「いたいよ。」

 蜂の巣を突いた様に、泣いて頑(かたく)なに、自己主張する幼児の姿である。父親は、噛んで含める様に物の道理を諭すが、聞き入れない幼児と父親の対決が続く。

「此処まで言って解らん馬鹿は、痛い思いをするだけだ。手を出せ。」

 父親にバシッと手を叩かれる幼児は、火が付いた様に泣きじゃくる。母親に助けを求めるが、拒否される。母親は此処が躾けの正念場と、頬に涙を流しながらも、亭主に処断を任せて居る。

              父親が、隣の部屋に息子を抱えて行く。

 母親曰く。
 保育園でも、謝る事が出来無いって云われている。素直に、悪い事をした時には、直ぐ謝れる子に育って貰いたい。

 左様で在るか。素直にスクスク育って居る様に見えるが、愛嬌の有る笑顔にも性格的な物が在るのだろう。狡さの在る目付きでは無いと思うのだが、性格の欠点は、日ごろ接して居る親が見付け出し、早急に矯正して遣らなければ、子供の良い面が開花しないのである。これは、親の務めである。

 父親が戻って来た。<爺ちゃんに謝る>の約束を交わした親子では在るが、爺ちゃんは怖く見えて、『親子の約束』を忘れて我を張る幼児で在る。

 いやはや、オヤジは迫力満点の目の据わりである。両足をムンズと掴まれて、廊下から庭にぶら下げられ、とうとう、外の上がり台の上に放置されてしまった。

★煙草に火を付けて、吾が子を睨み付ける父親の姿である。鉄は熱い内に打て。三つ子の魂、百まで。欠点を矯正して、良面を伸ばす。幼な心に刻み込む親の心かな。いやはや、私も倅にこうして来たのだろう。

      寒い外に立たされて、許されて父親に抱かれて、泣きながらコタツに入る幼児。

 許された勘違いして、父親にしがみ付き甘えて泣き続ける幼児は、<いと、醜くかりけむ。>・・・度が過ぎる幼児の頭に、バシッと私の平手打ちが発せられる。『青天の霹靂!!』とばかりに、父親にしがみ付く幼児の尻を、<男の癖に、まだ泣くか。馬鹿者が~>とギューッと、捻って遣る。

「なぁ、爺ちゃんは、父ちゃんより怖いんだぞ。謝る事が出来無いのは、こう云う事なんだぞ。泣いて誤魔化そうとするのは、男じゃ無いぞ。」

               ★母親も、妖怪様も泣いて御座る。

         妖怪様は手を付いて幼児の所に這って行く。そして抱き締めて。

「もう、泣くな。泣くな。婆が一緒に謝って遣る。なぁ、爺ちゃんに婆と一緒に謝ろう。」
「ええん。やだよ。あやまらない。」
 
               幼児は男達に怒られて、失禁をして仕舞った。

「しっこしちゃった。つめたいよ~。」

 で、失禁後の着替えの後の手打ち式で、私が差し出したケーキを頬張って、ケロリとして居る幼児の姿で在った。

 倅曰く。
 婆ちゃん、家に居る時は、こんなもんじゃないよ。俺は親父の倅だからね。親父は、もっとおっかなかった。でもさ、後に残さ無かったから、善悪の区別さえ在れば、自由放任だったしさ。体罰喰らって、その理由をちゃんとして呉れたからね。
 自分がその気でしなくても、結果が×だったら、結果責任を取る。言い訳は、親父の前じゃ通用し無かった。俺も妹も、体罰貰う時は、パンツ脱がされて風呂場で、バチン、バチン遣られたもんだよ。それで、後は頭を撫でられて一件落着だった。
 だって、親子だもの。それ以上でも、それ以下でも無かったよ。親父も、そう遣って一番上のオジサンに殴られて男磨いて来たんだってさ。男は結果にも潔く責任を持たなくちゃ、一丁前の男には為らないんだってさ。アハハ。

 妖怪様曰く。
 それでも、未だ歳端も行かない子供だよ。解らないじゃないか。可哀想だよ。何故怒られて居るか、分からないんだよ。大人と違うんだよ。解って遣れ。

 私曰く。
 当たり前だよ、こんな幼児が言葉で説明しても解る訳が無い。だから、痛い目の記憶に残して遣るのさ。大人に為ってからじゃ、手遅れだ。怒られた事の無い奴が、父親に為れる訳が無い居じゃないか。吾が子を躾ける事で、自分の記憶を実行してるんだ。
 倅が父親から学んだ事を、自分の子供にして躾け教育をしてるんだ。厳しく躾ける親と、庇って呉れる親の間で子供は、気持ち、親の心を写し取って行く物だぜや。

『有難う』と『ゴメンナサイ』は、人間社会の基本だ。泣くのは小我の現れ。泣いて誤魔化すのは、打算の見苦しき行いさね。度が過ぎる幼児の甘え姿は、<R家には不要>ですがな。負けて覚える相撲と同様に、躾け貰って、覚える善と悪じゃがね。へへへ。

 コイツも、その内に男に育つだろうよ。俺流子育ては、立派に倅にバトンタッチ出来て居る。俺の務めは終わったんだから、糞婆っさにアリガトさんをするのが、俺の務めですがな。あい~。

 いやはや、孫は両親からスプーンに入れて貰い、ケロリとしてショートケーキを平らげている。よしよし、お仕置きを貰った位で、捻くれる様じゃ筋が悪いぞね。そうか、美味いか。

 二つお土産に、アリガトとバイバイ、タッチをを妖怪様、怖い爺ちゃまにして、『また、くるね』のバイバイをして帰って行った次第である。

                へへへ、吾が倅は、子育ての才能が旺盛らしい。


心何処ーショート 窓拭きをするなり。 
                   窓拭きをする為り。(12/22/13)
 お天道さんである。今日は、窓拭きである。バケツにお湯を入れて、洗剤を溶く。市販の窓拭きスティックで、外から窓洗いをして行く。道具が在ると、簡単である。外側を終えて、中に入る。今度は手が届くから、スティックを外して、スポンジで洗い、雑巾を絞っての窓拭きを一枚毎に進めて行く。バケツは、洗剤、水の二個セットで在る。

 外から中に入ると、日差しの温室効果で汗を掻く作業である。本日も、散歩運動以上の作業量をこなして仕舞った物である。

 如何にか、作業を遣り終える頃に為ると、お天道さんは、雲の中に隠れお寒い限りである。朝起きたお天気具合で、作業に進む次第であるから、お天道さんに扱き使われて居る様な物である。途中からお天気さんが下り坂に為ったとしても、作業を途中で止めるのは、男の風上にも置けない体たらくで在る。

 馬の鼻先にニンジンとは云う物の、物臭男には鼻先にお天道さんの喩えなのだろう。

 さてと、すっかり遅く為って仕舞った。四畳半定位置に座って、本日分ブログ日誌を始めようとして居ると、玄関が開いて『こんにちは』である。『何方かな』と言うと、孫が相想の笑顔で在った。

 ハハハ、<三連休だから、きっと来て呉れるよ。>と妖怪様待望の倅ファミリーの来宅である。中々に良い『家族の図』であったので、子細は明日のブログにて・・・ギャハハ!!

心何処ーショート へへへ、遅まきながら、コタツをセットした為り。
          へへへ、遅まきながら、コタツをセットした為り。(12/21/13)
      おっ、お天道さんの輝きである。ヨッシャ~、八畳を大掃除をしてコタツを作るべし。

 朝食後は、家を開け放して作業開始である。部屋の天井から始まって、蜘蛛の巣払いをして、何回も掃除機を掛けて<観念の掃除仕事>である。部屋の真ん中にコタツをセットして、やれやれの段である。

 それにしても、お天道さんもゲンキンな物で在る。掃除が終わって仕舞えば、曇り空にポツリポツリの雨である。妖怪様の洗濯物を取り入れ、軒下玄関鳥達を所定の位置に戻す。

 へへへ、何やかやと仕事が出来るから、人間は生きて行けるのだろう。遅い昼兼オヤツは、切り餅で汁子と半分漬かりの沢庵で済ます。妖怪さんをからかって、本日漸くの四畳半定位置でのコーヒーを飲む。

 ラジオを聞きながら、昨日を振り返る。500円DVDを寝床の中で見たのであるが、退屈な映画で在った。第二次世界大戦でヒットラー・ドイツに侵攻されたポーランド、ソ連と連合軍の取り決めで、ポーランドの独立を約して居たにも拘らず、火事場ドロボーでソ連の侵攻が始まっている。その情報を、英将校と独将校、ポーランドの看護婦が戦火の中、連合軍に伝えると云う内容である。

★連合軍司令官は、未だ日本との戦いが在るからとの政治判断で、ソ連の火事場ドロボー行為を黙認する。彼の国は、火事場ドロボーを得意とするお国柄ですわいね。

 日の目を見なかったマイナーな映画にこそ、歴史の『稗史』が顔を覗かせて居る事が多々在る。ソ連軍の大東亜戦争終結時の満州、北方領土侵攻と同じ事がヨーロッパの隅で行われて居たのである。ウラジオストクのシングルママのヤナは、ポーランド人である。彼女とは、こんな歴史の一幕を語った事も在る次第である。
 遠くは、ジンギスカンの騎馬軍団が、草原の道を一気に怒涛の進軍をしてポーランドに達したと云う歴史も在った。また、先頃読んだ西尾幹二先生の<国民の歴史>の中には、『北の十字軍』に就いての記述も在った。海を隔てて、二度の元寇も歴史教科書には記載されている次第でも在る。

 世の中とは面白い物で、何かと興味を持って居ると、本にしろ、DVDにしろ、ラジオ、テレビにしろ、向こうから何かと<雑学の足し>と為るものが転がり込んで来る物である。

 そして、昨日のローカルニュースの一つに、憂鬱な気分に為って仕舞った。私の様な古いタイプの男には、『芯の薄れ行く個権の拡がり』が益々個の弱さを蔓延して行く日本社会への憂欝感を強めて行くの感頻りで在った。
 
★食物アレルギーを持った子供への学校配慮で、学校が何重ものチェック体制を敷いている姿を映し出して居た。私には、それ等のレポートは、『及び腰配慮の沙汰』にしか見えなかった。

<一人は万人の為に、万人は一人の為に>戦後民主主義代一号世代にとっては、良く耳に馴染んだ、インターナショナルなスローガンでも在った。「立て、万国の労働者!!」と相まって、第二次世界大戦後の共産主義の一大スローガンとして、農民、労働者、市民のイデオロギー的合言葉として、<世界に赤い大旗がひらめいて居た>一時代が在った次第でも在った。

  ★キューバのチェ・ゲバラは、私達が青臭かった大学生時代の世界的な英雄の一人だった。

 私は大正5年生まれの母親の手で、高校まで育った。<父親が居ないから、『病気』に為ったら、終わりだよ。><男の子だったら、出された物は、どんなに不味くても、嫌いでも、箸を付けた物は、全部食べなくちゃ、男としてみっともない事だよ。><弱い者苛めをするな。嘘を突くな。責任は、自分で取れ。責任の取れない事は、するな。間違った事をして、他人様に迷惑を掛けたら、自分で腹を切れ。間違った子に育てた自分にも責任が在るから、私も死んでお詫びをする。>と云われて育った。

 極々、真っ当で、当たり前の事だと思って居る。これが教育、躾けだと思って居る。私の中では、母親、兄達が先生で在った。学校では知識を学べば良いのであって、教師の中に立派な人格者が居れば、参考・見本とすれば良いだけの事であった。

 皆、恩師だなど軽く月並みな常套句で、教師を持ち上げるだけで、世の中にそれほど参考・見本と為る魅力的な人格者など、早々はお目に掛れ無い次第で在るのは、誰もが知っている世の中の実態であろう。私の人生の師匠は、バート・ランカスター氏でしたがね。

                 さて、本題に戻りましょうかね。

 例外には『例外』を持って対処するのが、生物界の掟である。全員が同じ給食を食べる処に、教育的な何かが在ると思って居るから、学校給食制度が在るのだろう。食物アレルギーの子を持つ母親として最初に取る事は、これこれこうで在るから、例外的配慮で『弁当』を持たせて下さいと願い出るのが、本筋だと思う。学校は画一的見地から、集団的社会の一面を覚える処で在って、有料のリクエストを受け付ける<お持て成し>を以ってするサービス業では無かろう。親が、学校が、クラスメートが、アレルギーを持つ体質が哀れと思うなら、問題無いメニュー日は、皆と一緒に給食を食べれば良いだけである。一週間のメニューの内、母親がチェックをして弁当を持たせる日を決めれば、良かろう。

 基本的には、生物の掟は自助である。群れ生物として出て来るのが、共助である。そして確りした大きな自治体、国家に為って来ると、公助が出来る。共助も公助も、組織を同一とする個々の『連助意識』が旺盛で無ければ出来ない相談である。

 説明・解説に便利な言葉だけが満ち溢れて、自助、共助、公助、連助などと云う言葉が巷に溢れ返り、言葉本来の核心が薄れて行く。スマートな段階毎に使用される言葉のパターンだけが、人間社会のメニューに上って仕舞う帰来の現代社会とは、<一体、何なのかの思い>が、私には憂鬱を運ぶ次第なのである。例外を主張する裏側には、甘えの構造が見え隠れするのは、偏屈な私の性なのだろうか。人は、時代も国も親も、選択して生まれて来る事は出来ないのである。生まれた事を定めと思って、その大きな環境=器の中で、自分の運命を切り開いて行くより、術は無かろうと思うのだが。へへへ。

     ①夫婦別姓。
     ②外国人の取り扱い。
     ③女同士で結婚して、他人の精子提供を受けて出産して、個権を振り回す。
     ④婚外子を子の平等の観点だけから、相続平等とする。
     ⑤シングルマザー問題。
     ⑥一票の価値の格差とやらで、違憲判決の目白押し。

 国政とは何ぞや。日本人が居て、日本の山河が在り、人が山河を維持せしめる。国権の発様は領土・領海・領空・人を対象として居るのであろう。人はその一つの対象である。そう考えれば、諸要素の中で生活する人間を、物理的な一票の平等性だけで論じる事は出来まい。

 人間に感情・心・意識が在る以上、『日本人が棲まう器』を脆弱にして如何する積りなのだろうか。歴史、伝統、風土、地域、家族、常識、・・・etc、その殆どは、日本人が営々として体内に印して来たDNAの螺旋模様では無いのか。

★いやはや、変に数字、字面だけで、電卓でも叩く様な人間力喪失の時代見たいでヤンスわね。

 幾ら個権を振り翳し、振り回して見た処で、器が確りして居ないと個の輝き=個性は一輪挿しの花には為り得ませんがね。器と花が、喧嘩をしたら、不調和で在ったら、興覚めですがね。

 一人黙々と自助に励む人が居るから、周りが共助の手を差し伸べる。人数の少ない共助であるから、それを公の手が差し伸べられて公助の制度を造り上げて行く。全ての源泉は、自助に励む人の姿で在ろう。自助が、連助の輪を拡げて行くのである。連助は共通の共鳴力を収めた器と云う事じゃ無いですかね。ギャハハ~!!

心何処ーショート とほほ、雪舞う風の寒さや・・・。
               とほほ、雪舞う風の寒さや・・・。(12/20/13)
 本日は昼前に、ケアマネさんの来訪との事。朝飯前にちょいと、真面目に掃除をして置くと致そうか。玄関鳥の籠も綺麗にして置く。<午後からは晴れ>との事では在るが、降雪後の大気では、丸で冷蔵庫の中に居る様な物である。

       朝食を終えて四畳半定位置でコーヒーを飲んで居ると、ケアマネさんである。

「30分、早く来ちゃいました~。」
「はいはい、どうぞ。婆さん待ってるよ。」

 部屋からは、<お茶を頂戴した>らしい遣り取りが聞こえて来る。それでは、お返しに自家製梅干しでもお持ち帰り致そうか。お茶請けに、リンゴを剥く。

 ケアマネさんとは、大いに話が弾む次第である。そして、妖怪様お気に入りの女性である。Hさんは、私の馬鹿話にも朗らかにアハハと笑って迎合して下さる。

 私の話の半分は、助平な呆け具合である。こんな戯けロートルはセクハラトークの咎(とが)で、通報されて終えば、その都度『始末書』を書かされ押印させられても、文句など云えない次第なのであるが・・・ 其処は、酸いも辛いも弁えたケアマネさんの<慈悲心>と云う物であろう。

「お婆ちゃんも、一つ歳を取って、また、来年も宜しく。元気で居てね。」

「巧い事扱いちゃって、これだから女のお世辞言葉にコロリだ。俺ぁ、女には騙され通しの人生だ。年越しで一つ位歳取ったからって、女族の甘言にぁ、騙され無ぇぞや。」

「またまた、女が大好きな癖して、そんな無理しちゃって~。今日は寒いから、お婆ちゃんに風邪なんか引かせないで下さいよ。」

「はいはい、アリガトザンス。Hさんも、好い年末年始を。」

               いやはや、一年の短さ、速さに驚くばかりである。

「婆さんや、又、雪が舞って来たぜや。」
「午後からは晴れると言っていたのにね。コーヒーに行くんだろ。悪いけど、太田胃酸を買って来てお呉れ。」
「おっ、分かった。」

 Tはスタバスタッフさんに、ホカホカ焼き芋の差し入れである。いやはや、中々に油断の出来無い男である。

 二階席は、女子が一人で在るだけである。笑い声が聞こえるから、見遣れば、下で買って来たのだろう、お気に入りの漫画単行本シリーズ4冊を置いて、声を挙げて笑い捲って居るの図である。

「おいおい、ありぁ、小学生かね、中学生かね。あんな姿見たら、親も困っちゃうだろうに。俺達は他人だけどさ、こっちが小っ恥ずかしいぜや。親は何て言うだいな?」

「これっ、漫画ばかり読んで無いで、少しぁ勉強しろ!! 馬鹿もん。一応、そう云うしか在るめいよ。言っても無駄だけどな。これが時代って物よ。困ったもんよな~。」

           本日は、午前も午後も、都知事辞任の話題に尽きる。

「只で金5000万貰っちゃうんだから、舞い上がっちゃうのが<人間の真姿>だがな。俺だって、舞い上がっちゃって、家へ帰ってカァちゃんとテーブルの上に札束ドンと置いて、万歳・万歳・万歳!! の夫婦で万歳三唱でさ、小躍りしちまうがな。

 後から考えりぁ、『収賄』だけどさ。そん時は、舞い上がっちゃって、そこまで想いが至らなかった。傲慢・高慢マジックで自分を目一杯大きく見せても、虚像って奴は、リーマンショックと同じでバブルは弾けるもんさね。虚像が萎んじゃえば、残るのは等身大の実像だけだからな。アマチュア政治家以前の甘ちゃん小説家先生だったって事さね。

 知らぬ存ぜぬ、秘書が遣ったなんて、厚顔無恥の面の皮を厚くする間も無く、トントン拍子の大躍進と来ている。ぶんぶく茶釜じゃ無ぇけどさ、タイトロープから落下の一幕で、完全に一夜の内に扱けちゃった。所詮、器じゃ無かっただけさね。まぁ、楽しませて貰ったわいね。ひひひ。」

「成る程、Tも口が悪いってもんだ。じぁ何かい、100条委員会での公開吊るし上げは免れたけど、黒塗りの公用車で家で、本を書いて居る御身分が、今度は何かい、同じ黒塗り公用車でも、特捜検差し向けのお車って事かいね。」

「あいあい、そう云う事だいね。」

「昨日、妖怪様とテレビ見てたら、次の都知事候補者の進行に成ったんだけど、妖怪様がさ、<お遊びじゃ無いんだよ!!>って瓦版テレビを一喝してましたがね。
 俺達、戦後生まれは、精神が軟弱に為って居るから、下衆の突っ込みを平気の平左で遣らかしちゃってるけどさ、大正生まれの日本人からして見たら、日本崩壊の様は、嘆かわしいの一語に尽きるだろうな。」

                  アハハ、ワハハ、キャハハ。

「おいおい、何か言って遣れっちゃ~、俺ぁ、今時の娘っ子にぁ、手の打ち様が無ぇぜや。大正は遠く為りにけり、昭和も遠く為りにけり。如何するだい? あい~。」

「おぅ、今度は漫画に疲れて、スマホでゲーム遣り始めたぜや。コミック、スマホ、ケーキに、お気に入りのブーツ履いて、黒タイツのショートパンツ。へへへ、現世可愛い女の子のファション文化だぜね。
 今度の日本の首都の顔は、誰が務めるのかね。安部さんも、これからの日本は『女力』と煽て上げるから、女の方が多いんだから、堪らんわな。」

「そうだなぁ、天動説女は、駄目だんね。人の上に立って、人を束ねるにぁ冷静・客観的な地動説女でなくちゃ、女の時代は来んぜや。へへへ。」

 さてさて、寒い冬日である。車の中でパッパタイムをして、周回コースの買い物をして帰る。いやはや、雪の舞う風の何と寒い事やら・・・。

心何処ーショート へへへ、雪が積もちゃいましたがね。
              へへへ、雪が積もちゃいましたがね。(12/19/13)
「おや、国谷女史は如何したや?」
「おかしいねぇ・・・」
「ドラマじゃないか。そうか・・・ちょいと見て行くか。」

 そんな次第で始まったNHKドラマ『かつお』が、良いドラマで在った。へへへ、涙が出て来ましたがね。

 馬鹿野郎~、NHKの野郎。作れば、こんな佳作ドラマを作る力が在るのに、出し惜しみばかりしてからに。言いたか無ぇが、これがNHKじゃい。公共放送NHKの心を忘れて何とするんじゃい。母子共に、感涙に浸りましたがね。サンキューですわ。

 内向的な中学生男子から見た東日本大津波のその後の生活が、淡々と描かれて行く。大声を出す訳でも無く、大きな動きが在る訳でも無い。挫ける訳でも無く、捻くれる訳でも無い。あの悲惨さを声高に主張する訳でも無い。

 被災地・気仙沼の今の生活が、家庭、学校、地域の中で淡々と描かれて行く。台詞、表情も、極普通の生活を映し出して行く。

 台詞、表情を強調しない処に、東北の<土着の風土>と<人と人との絆の芯>を見せている。直接話法と間接話法の違いにして、カメラは退いて主演の一見頼り無げにも見える内向的な中学生の目は、ドラマの進行を程良いテンポに導き、それに依って『間接話法の深さ』が際立って来て居る佳作であろう。

      人間にとっての<想い出とは、何か>を語って聞かせる視点が、流れている。

 親父が良い。倅が良い。娘が良い。娘を亡くした後悔と懺悔で、同じ年頃の娘の生活する仮設住宅(父親・倅・娘)に世話に来る元看護士、自分だけが無傷だった事に深い自責の念に囚われて、頑なに閉じ籠りを続ける老漁師。

 女房の車が引き上げられる。一目散に駆け着ける父子、車の主は居なかった。キャッシュボードの中から、きつく二重に結ばれたレジ袋に最愛の女房・母親の最後の言葉を書き留めたノートが出て来る。
地獄の大津波に流され、浸水する車中の中で、女房・母親・一人の人間として、胸中に錯綜した想いは、いかばかりの物だったか・・・結びの言葉は『ありがとう』で在った。

              大漁旗たなびく祭り会場で、老漁師の大漁節が響く。

 間接話法のドラマは、多くを語らない。日本人が日本人の心象、作法に基づいて心で観て、其々が噛み締める<ありがとう>の意味が、涙を通して、共感出来るドラマで在った。日本人の気持ちの中には、多くを語らなくとも、間接話法の意味を理解出来る同床にして同心円の心情が流れているのである。ユネスコの世界文化遺産より、もっともっと価値の有るお互いへのありがとうの心なんでしょうね。へへへ・

 明けて、飯前に雪に押し潰された南天の雪払い、車の雪払いをする。そんな時、頭上の鳥の声に目を向ければ、屋根擦れ擦れに飛んで行く、チョウゲンボウorハヤブサの姿を目撃する。一瞬の出来事では在ったが、野性の輝きとでも言うより他の無い凛々しさが在った。

 雪に成ったり、雨に成ったり、雪に成ったりの一日である。テレビでは猪瀬東京都都知事の辞任記者会見が始まった。
 
 へへへ、こんな会見位では、幕引きには為りませんぞえ。世の中、そんなに舐めたら行かんぜよ。
 
 風呂に入り、妖怪様に後を譲る。四畳半定位置で、熱々のアメリカンを飲む。雨に打たれた積雪量は、見るからに重そうに屋根、植え木の上に被って居る。道路の雪は既に溶け、灰色雲の下、のっぺりと黒い道で佇んで居るばかりである。

 家に閉じ籠りばかりでは、気が滅入るのみである。大分、収まって来たから、ちょいと身体解しに、長靴散歩でもして参りましょうかね。へへへ。



心何処ーショート 外は雪為り。
                     外は雪なり。(12/18/13)
 へへへ、咳をすると腹筋が痛い。この頃は、温い布団から這い出るのが嫌で在るから、布団の中で、暫しのウォーミングアップをして、気合いを入れて『さぁ~て、起きるか!!』と一声上げての起床なのである。いやはや、歳は取りたくは無いですわね。へへへ。

 恥を忍んでウォーミングアップ内容を白状すれば・・・布団の中で、正常位の形で、バッコン、バッコンの機関銃腰運動を30~40発かまして、今度は、仰向けで腰左右の横機銃発射をする。見た目は、トンデモナイ変態乃至は欲求不満の戯け馬鹿の態で在るが、これは真面目な上下、横のキツイ腹筋運動と為る。息が切れる次第である。とほほ。

 これは散歩運動とは違っての、腹筋専門運動である。<健全な肉体に健全な精神宿る>の努力の一環でも在る。ニャハハ。

        昨日の晩飯時のNHKローカルニュースでは、聞いて噴飯物が一つ在った。

 教師の体罰・淫行不祥事で、吾が長野県は全国4位との事であった。人口比率から推測するに、断トツのトップと云う処で在ろうか?。ローカルニュースに度々登場する県教育長の苦り切ったコメント表情に、その内心の苛立ちたるや・・・惻隠の情すら禁じえない次第でもある。
 教師が水泳時の女子脱衣室にビデオカメラを設置して盗撮と云うのであるから、道徳・倫理教育の崩壊した教育現場とは、実(げ)に噴飯物にして、親子共々、吹き出して仕舞った次第である。

 まぁ、私も頭の中の大半は、エロ脳に見事に占拠されて終っている身であるから、全くの他人と冷たく突き放す訳にも行かぬ。弱ったご時世である。

 へへ、内心の自由としての妄想の自由には、何時も御厄介に為って居る私である。従って、エロ教師、変態教師と100%の大糾弾は出来無いのでは在るが。何事に於いても、想像するのは自由であるが、想像・妄想を、行動の自由として実行するのは、時として職を失う事に直結する。
 現世は、哀しい限りのサラリーマン世界である。皆が皆、己が生涯の職を得て、輝き続ける栄光のステージが与えられている訳では無い。例え、幸運にもそのステージに立てたとしても、栄光の女神は所詮、女心と秋の空である。
 そんな、極々稀な人間を除けば、皆十把一絡げの人生でしかあるまい。多少の自尊心は、職を得て組織に隷属して、心ならずとも生きる事は、恥を晒して生きるのが、人間の宿命と諦観しつつ人生を歩んで居るのが、『人の世の実相』とも言える次第である。

<職無くして、食無し。食無くして、色無し。>のショクの三段尻すぼみ帰納法を理解出来ない様な半人前の人間が、教壇に立つなど『お門違いも甚だしいの実態縮図』である。

          俺ぁ馬鹿だから、飽く迄も小さい個人的な呟きでゴザンスがね。

 言いたくは無ぇが、学校には理科室も在るからして、盗撮なんて小細工をせずに、透明人間薬でも余暇の全てを注入して、『透明人間』に変身すれば良かろう。

 妄想人間の究極のテーマである透明人間は、映画でも何本かの名作を諏訪の御柱として『屹立』させて居るでは無いか。この変態野郎が、馬鹿もんが~!!

 朝食後は、白い物が雪に代わって結構な勢いに成って来た。水分の多い初雪は、地面を濡らしながらも、枝葉に雪を載せて行く。

「へへへ、雪でゴザンス。おっ母さん。」
「今年は、遅かったね。これじゃ、散歩に行け無いね。」
「あいあい、今日はのんびりと、二畳小部屋で、雪見とするわいね。」

 妖怪様の部屋を辞して、二畳小部屋から庭を眺めれば、枇杷の木には雪宿りのキジバトが、身体を丸く竦めて、ボゥ、ボゥの声で在る。さてさて、ミカンでも庭に添えて遣ると致そうか。上手く行けば、メジロの姿見せにも与かれるかも知れぬ。

心何処ーショート 冬のペダル漕ぎは、息切れの元為り。
               冬のペダル漕ぎは、息切れの元為り。(12/17/13)
 寒くて起きるのが嫌では在るが、今日も好いお天気さんである。ゴミ出し時に見るアルプスの冬の雄姿に、お寒うゴザンスである。朝食後は風呂に洗濯をするべしである。

 風呂を妖怪様に譲って、洗濯物をして居ると、ドターンと尻もちを突いて、顔を顰めて居る。大丈夫と云うから、此方は見守るだけである。暫くして見に行くと、浴槽の中に小さな身体を入れて静かにしている。大丈夫そうであるから、私は近場散歩をして来る。

<出来る時は、洗濯をする>と言うから、大した物である。へへへ、昼飯のカップラーメンを、血圧の上がった顔付きで息を切らせながら、洗面所のリクライニング椅子で洗濯番をして居る妖怪さんに持って行く。私は妖怪様の動きに耳を澄ませながら、廊下の日当たりの中でカップラーメンを啜る。

 おやおや、お隣さんとの境のブロック塀の上に、漸くのツグミの出現である。例年とは違い、大幅な遅れでは在るが、無事で在ったかと安堵した次第である。

 洗濯物を干す時に、廊下から落ちて仕舞ったら大事であるから、干し役を買って出る。後少しで三時であるから、薬を貰いに行って来れば片が着く。自転車で行けば、足を伸ばして米屋さんまで行って来ると致そうか。

 町医者には歩いて行った方が、楽である。テレビは極力見ない、車にも極力乗らない事を習慣化して仕舞うと、結構なノンビリ感と歩く事で適度な運動にも為る。きっと、こう云った生活が人生第二ステージと云う物なのだろう。物臭で非社交的な私の生活には、頃合いのスローライフでもある。

 その前に、水槽の水が少なく成って来て居る。<爺さんは山に芝刈りに、婆さんは川に洗濯に>に倣って、ロートルはバケツを持って、川に水汲みに行って来るべしである。

       水槽にたっぷり補充水を遣って、パラパラと餌を撒いて遣る。

 さてさて、冬の陽は薄情である。寒く為らぬ内に、行動開始である。薬を妖怪様に渡して、自転車乗りである。森進一の冬のリビエラでは無いが、冬の上り勾配、ペダル漕ぎは息切れがするばかりである。

 然りとて、徒歩は楽為れど、米10kgの帰りは苦痛である。帰りは下り勾配だから、ペダルを扱ぐ必要も無い。個人スーパーに寄って、野菜を買って来る。
 明けて本日、曇天の朝である。さてさて、妖怪様に教えて貰ったモチ米8にウルチ米2、水8分目、市販大粒甘納豆の<お強飯>の塩梅は果たして如何に!!である。早速、飯を掻き交ぜて味見をして見る。へへへ。ちと、水が多かったわいな。

      味噌汁を作って、野沢菜、粕漬けを切って、貰い物の昆布巻きを切る。

「美味しいね。オカズが居らないね。大したアイデアだ。遣れば、簡単だろ。」
妖怪様は目を細めて、大目に盛った茶碗をペロリと完食して仕舞った。
 
 満更でも無い<お強>初挑戦で、お代わりをしたかったが、モチ米は腹持ちが好いから止めて置く。相変わらず、テレビは面白くないから、パスである。

          妖怪様の左鼻から、鼻毛が黒々とツンツン伸びている。

「ッタク、糞の役にも立たない婆っさだ。」

    部屋から、鼻毛鋏と老眼鏡を持って来て、妖怪様の鼻毛カットと目薬落としで在る。

「どうも、スイマセンねぇ。何の役にも立たない親で・・・。」
コタツ地蔵の小さな吾が老母は、戯け倅の為すがままにニコニコ顔で収まって御座る。

  いやはや、こんな落語見たいな母子関係が待って居ようとは、神のみぞ知るの面白さである。

 朝覗いたネット情報に依ると、北朝鮮故No,2殿に在らせられては、機関銃90発を喰らい、原形を留めないほどの飛散状態にして、その始末は火炎放射機での焼処分との由。喜び組の愛妾を妻に紹介されての意趣返しの有無も、噂に上って居るそうな。

『国家転覆を策謀した大犯罪人に、墓など一切不要!!』と、国家放送が大々的に報じるお国柄とは、吾が日本国は21Cに同じく肩を並べられる隣国では在るまい。

     勝手に気違い振りを、ほざいて居やがれ。そんな物ぁ、世界には通じませんがね。

 昨日、<夢奇譚第21部・バリアドームにて>を投稿した次第では在るが、大陸・半島国で何千年も繰り広げられて来た火病症状の重篤状況に、唯傍観視するだけのニュース整理などでは、埒も無かろう。

 つくづくと火病本症の発露の様は、人間として情けなくも、おぞましい人間に対する大逆と断ずるより他無し。これは米国が好む人権思想からして、『人類に対する罪』として、大中華・小中華思想に対する大法廷を国連の場で、戦勝国の拒否権を封殺して、多数決で評決すべきで在りましょうや。・・・へへへ。

     日本のマスコミは、この周辺毒亜国の現実を黙視する事など、尋常な精神では在るまい。


 

夢奇譚第21部…バリアドームにて。
                   夢奇譚第21部・・・バリア・ドームにて。
 <その1>
             天候不明、気温16℃、季節不明、視界度不良、生命感ゼロ。

 視界一杯に、無残な世界が広がって居る。テレビ、ネットで見る『中国、発展の光と影』の陰の部分。遺棄の世界で在る。如何云う訳か・・・私は其処に立って居る。

 向こうに赤、白、此処には青、黄色と毒々しいまでの原色ペンキを流した様な態である。流れを失った大河には水面を埋め尽くして、何でこんな物までもがと腹立たしい程の、家畜の死骸、有機物、無機物のあらゆる廃棄物が浮かんで居る。何処までも廃墟の様な灰色の世界が、漠として淀んで続き・・・視界全てが、沈んで居る。

 重なり合った夥(おびただ)しい廃棄物の山の間の、ペンキの河にしか見えない水中からは、至る所、沸々と不気味な泡が浮き上がり・・・それらがパチパチと音を立てて弾け続け・・・悪臭を大量に生産し続けて居る・・・その臭気の根源・水底のヘドロの堆積量たる如何ばかりか・・・

 そんな視界以上の異臭、空気の重苦しいどんより感は、呼吸も出来ないほど気持ちの悪さである。既に、嘔吐して仕舞った。嘔吐には胃の内容物と胃液の異臭が、鼻の粘膜にこびり付いて、再度の嘔吐を引き起こす。この場に在って、自分の異臭など小さな物でしか無かった。

 正にこれらは、惨たらしくも、おぞましい程の<強欲に走った人間達の恥部・暗部>を、微細にまで曝け出して居る光景で在る。
 
 何年か前に、YouTubeで海外ドキュメンタリーの長時間番組で、環境破壊進む中狂国の実態を観た事が在る。それは発展の光・現代高層ビルが建ち並ぶ大都市の表層が、超高層ビル群の表層が、唯長い影を地表に落とす様に、発展の影・闇の部分を映す様に、癌村、奇形児村、貧者村、遺棄村等の映像群の告発でも在った。

    日本人の私にとっては、それらは目を背けたく為る様な衝撃映像の連続で在った。

 口ではG2と世界二大強国を吹聴するも、世界の環境汚染&非常識人民輸出国の実態を曝け出して居るだけの『小笑千万国』でしか無い。誇大妄想・非常識の責任をと問われれば、厚顔無知にも『我が国は未だ発展途上国』と、自由先進国への累積責任を殊更問うだけで、自らの問題解決責任を回避し続ける浅ましき姿でしか無い次第である。
 斯様にして、その実態は物心双方に於いて、巨大環境汚染を排出し続ける<世界の嫌われ国家>の姿である。

 河川は廃棄物を浮かべた汚い貨車の残骸と化して、その水は上流では農民の農業用水の使用すら許されずに大都会に送られる。汚染物質は地表のみならず地中をも犯し続け、深く浸透して地下水脈までをも汚染し切って毒水と為し、遺棄された農地に砂塵吹き荒れ砂漠を増大させる。

<施政者に法在れば、民に対処在り>と如何に知恵者振って、中華四千年の歴史などと嘯き、恰も平然と懐の深さを強調して見た処で、裏に在る彼の国・人間心理は、上も下も共に強欲の鍔競り合い以下の『唾の吐き合い』でしか在るまい。

 国家経済の過半を占めると云われる不動産産業は、私有財産制禁止の共産国の国是の下、党国家のエゲツさの象徴にして、<濡れての粟・打ち出の小槌>として状態化して居る。土地・人民を外資に提供して、国家は恰も『経済歓楽地』を構築して、その揚がりだけに喰らい付くだけの<強欲の置き屋営業>で、暴利を貪り尽し、相互不信を以って<裸官>と称して海外に個人的不正蓄財を為す。
 
 世界の工場と豪語するも、企業城下町の自然的企業群の発展も不可能にして自国の世界ブランドも確立出来ぬ国柄である。例え不動産城下を建設したとしても、それは投資対象の張り子の街でしか無い。而(しこう)して、お家芸の張り子の虎ブランド・ゴーストタウンが建ち続けると云うのであるからして、おぞましき心の空虚さのお国柄を晒すだけで在る。

   ★既にPM2.5の大気汚染に晒された都市104、呼吸すら満足に出来ない人民8億人。

 足りぬ農業用水、重金属に汚染した土と水、真がい物の肥料・農薬の大量散布に依る安全安心度ゼロの農作物、畜産物。水・土・大気が汚染されて、遂に洗浄の雨すら汚してしまった自業自得の中狂国家の態で在る。内陸での農民の遺地、流民化して都市に流れ込む民原、貧富の極大化、絶対的貧民の経済的・精神的ストレスのマグマ溜まり・・・etc。

   ★此処は紛れも無く中国人にとっても、打ち捨てられた一帯である。私の他に二人が居る。

 彼等の性別すら、外観では分からない始末である。露出した皮膚は丸で爬虫類の様に硬い麟状に為って居る。映画、ドラマに出て来る様な爬虫類インベーダーの様な生き物にしか見えない。私はと見れば、既に手の半分が鶏の脚の様に、鱗皮膚が生じている。その手で、顔を触ると顎から頬にかけてザラ付きと硬直が進んで居た。

 これは、『無の阿鼻叫喚の光景』で在った。恐怖の悲鳴など出る状況では無かった。完全なる絶望の光景の中に在っては、人間の感情などは、完全に打ちのめされて終う物なのだろうか・・・。

 現実を前に、きっと正常な思考回路が、断絶されてしまっているのだろう。何故か感情、表情を伴わない涙が、体液が破壊される様に、はらはらと頬を流れるばかりであった。草木一本も無く、生命すら感じられない世界に、三人は無言のまま立たされていた。

 どんよりとして悪臭の再生産状態の、薄暗く灰色に霞むPM2.5の大気汚染に、私は時が朝なのか、昼なのか、夕刻なのか、丸で分からない感覚で在った。東西南北さえ分からない。

★遠く遠く朧気に・・・山々のシルエットの濃淡の中に、・・・曇りガラス越しに見る微かに・・・薄い光体が見えて居た。

 それは、奇妙な形で在った。山の重なり合う遥か彼方に、光体が薄い光のドームの様に被って居る光景で在った。私には、それが何故か<バリア>の様に見えた。

 古代中国文明が消滅して、幾多の異民族征服統治、或いは内乱の果てに公共心を灰塵と化した中国の大地に、強欲、個欲に走ったおぞましい人間達の無責任極まりない精神破壊、環境破滅の中で、その一個所だけが何故か・・・守られて居る世界の様に見えた。

 それは地球と云う一個の生命体が、周囲の癌細胞の侵攻を必死に食い止めて、自らがバリアを張り巡らせて、必至の抵抗を続けて居る様な<痛ましい姿>にも見えた。

               ★あの遥か彼方に、何かが残されて居る。

 私には、それが<最後に残された生存の場所>と思われた。行き着く事が出来るだろうか。そんな不安などは、この絶望の地では意味が無かった。また、こんな状況下での活字、映像に登場する『希望』の想いなど、私には全く浮かんでは来なかった。それでも、<生きて居る以上、行く>のが『生命体の宿業』と云う物だろうか・・・。

                誰言うまでも無く、私達は歩き始めた。

 ネイチャー番組などで、アフリカの大ステップで雨季と乾季に、営々と続けられて来た草食動物達の大移動を映像で見る様に、或る物に向かっての『本能の行進』とは、こんな物なのかも知れないと思った。彼等に希望と云う<宗教心>が在るから、行進する訳では無いと実感した。

★心臓が鼓動し、身体が動ける以上、動きを止める事は出来ない。行進を止めたら、其処が死で在る。生命とは動で在り、死とは止である。

 生命が在る以上、歩を進めるだけで在った。状態・情況が在って、其々に応じて五感が作用されて発揮されるまでである。五感を阻まれた中での、生命の仕組みとは、『こう云う物だろう』と知った。私達は、乾燥したアフリカの大ステップを行進するヌーの一頭で在った。

 三人の身体は、既にトカゲ化していた。人間がトカゲに為ったのであるから、醜かった。でも、何故か呼吸は楽に為って居た。これは、不思議な実感で在った。この状況の変化は、何に例えて伝えるべきか。
陸上動物が、水中でもがき苦しむ肺呼吸から、水中動物が鰓呼吸を持って水中に居ると云った感じなのである。呼吸の確保は、生命の根源である。

 呼吸の回復が、思考回路を次第に繋げて呉れる。そんな回路の回復が、感情を運んで来る。この醜い身体の変化は、若しかしたら『環境対応装置』かも知れない。こんな状況に置かれて、こんな事が脳裏に過る。これは、不思議な感覚、感想であった。

 これは、生物としての生命の最低限の確保だろうか、<これが宇宙飛行士の宇宙服と酸素ボンベに匹敵するものなら、脱着が可能なのに・・・。>と思った。
 然しながら、遥か遠くの小さな発光体目指して歩くには、考える事は不要の事でもある。脳裏を一瞬過ったテロップを打ち消して、私はトカゲの為り切った。

 <その2>
     私達は平地を横断して、既に何年も前に立ち枯れした無味乾燥の山麗に進んで居た。

 振り返ると、半日を要して横断して来た平原を、ヘリコプターが低く地上を点検しながら来る様に、爆音を響かせて居る。それは、陸上自衛隊駐屯地のグランドに置かれて居る<大型の兵員輸送ヘリコプター>の形で在った。

                 『嫌な予感がした。』

 現代はボーダレスにして、瞬間的な電波映像の時代である。尖閣の海での漁船体当たり、官制反日デモ、日本企業襲撃・略奪の暴徒化、ウイグル一家の天安門抗議死、抗議の焼身自殺が頻発するチベット、ウィグル弾圧、貧富拡大に依る各種の抗議デモの蔓延・・・etcの度に、暴徒と化した人民に容赦無く打ち振るわれる警棒、殴打、蹴りを入れる武装警察隊・公安警察隊の暴虐非道振り、そして外に向かって発せられる、高慢・不遜この上ない中狂国スポークスマンの報道姿勢などを、日常的に見ている時代である。

 加えてテレビでの討論番組などで、一応の言論人との肩書で登場する中狂国、半島国の所謂『火病国民の論』を聞いて居ると、ハチャメチャ論理、厚顔無知の多言様、高慢、傲慢の聞く耳持たぬの威気高な下品さの放列である。彼等低民度の異常脳の前に、此方の脳細胞が壊されてしまうの感しか出て来ない。

 日本人の常識から見ると、彼等の異常脳から発する言動は、私にとっては危険極まりない『毒亜への拒絶決意』でしか無いのであった。

    ★死の平原に、何かを見付けようとする軍用ヘリ。私は本能的に、危ないと思った。

         軍用ヘリは爆音を轟かせて、此方に向かって来て居る。
           私達は空中から見えない岩陰に、身を隠した。

 相手は、同国人民を同胞とも思わない<殺戮集団>だと直感した。自分に都合が悪いと、全てを闇から闇へと隠蔽して仕舞う共産国体制の野蛮性は、テレビ、活字で日常的に報道され、十二分に学習されて居る次第で在ったからである。

 この無の阿鼻叫喚の世界は、体制にとっては一切知られては為らない『封殺・封印の世界』と看做されて居る。増してや、化け物に変化しつつある<この世界の生き証人>の存在と為れば、結果は見え過ぎているので在った。

                息を詰めて、凝視し続ける。

 旋回、直進する軍用ヘリは確かに物体では在るが、人間が載り操縦する以上、意思を持った媒体存在である。形を大きくする空のヘリは、血塗られた凄みと殺気を発散させて居る。ヘリから白い煙が見え、地上に爆発の火が立つ。丸で『殲滅に証人無し』の非道の荒っぽさである。

★先日のニュースでは北朝鮮・三代目の若輩将軍様の身内後見人の国家No,2が、クーデター容疑で逮捕されるも、逮捕4日後には、罪状を認めたとの事で、即・機関銃処刑が断行されたとの事で在った。No.2は口汚く罵倒され、銃殺体は火炎放射機で焼かれたとの事である。

 私達の他に、未だ人間が居るのだろう。口封じの任務を負った猟犬ヘリである事は、これで証明された。私達に出来る事は、発見を免れ、猟犬ヘリが何処かに去る事で在った。目を閉じて、爆音が通過するのを唯、祈り続けるだけで在った。

 世界史を素人趣味とする私の雑駁な中国歴史観では、中国大陸の歴史は延々と繰り広げられて来た<征服王朝の歴史絵巻>である。

           新王朝は、億面も無く自分達の正当性を歴史とする。

 王朝が変われば、秦の始皇帝の焚書抗儒教の人・文物の大粛清が行われる。彼等にとっての歴史は事実の歴史では無く、現施政者だけの正当性を宣伝する為の唯我独尊的な改懺の『プロタガンダ』が、その骨子である。
 その過程の中で、殷・周・漢の古代中国思想、随・唐のインド仏教思想が死滅して、それ以後、断絶した思想の空洞を欲しい儘に埋めて来た<独善的中華思想>が極大化して行った。継続を断絶した思想無き功利主義の形態は、都合の良い<易姓革命思想>とやらで、皇帝の座に就く者は恰(あたか)も大人振って、孔子の儒教の建前を振るまい、人民を統治するには韓非子の容赦無き刑を以って臨み、中央集権の行政には、地方長官の裁量権を与える。多大な裁量権は、人治と云う縁故習慣で一族郎党が、美味い汁を分かち合う<私欲肥やしの饗宴舞台>を構築する。

 そして化け物の権化・共産思想と中華思想がドッキングを果たして仕舞った。これが、私の観る歴史俯瞰的に見えて来る。それが猟犬ヘリにオーバーラップする、現在の赤い王朝・中狂国の実態である。

 これは、上から、礼(孔子の儒教主義)、律(韓非子の法治主義)、令(有力者の縁故主義)の律令国家たる所以である。中国人の使う法治国家と近代法治国家の枠内に在る法治国家の概念は、全く『同音異義語の世界』なので在る。国家からの横暴を回避する為の民主主義から発する護民思想の有無を想起しないで使用する体制錯覚が、独り歩きして居る感が強い。

 旧態依然と云うよりも、<旧態不変の国家体制>は、現代の赤い征服王朝・中国共産党にも見事に踏襲されて居る。国家主席を現代の皇帝と看做す国家体制の証左は、嘗て故宮の大広場に柵封の属国を立たせ、巨大な舞台装置の中で権力者の威厳と威光を徹底して演出して見せる。
 これは、現代の全人民大の政治的ショーその物であるし、刑の執行には迅速裁判と迅速処刑を以ってする遣り方は、容赦無い法の実行・韓非子の刑罰を以って、人民に当たるを意味しているし、中央集権下に於ける地方行政の遣り方は、その裁量権の大きさ故に、賄賂の個利個略の私腹肥やしの温床として踏襲されて居る。

 旧態不変のこの遣り方は、ボーダレス拝金主義の中に在って、富の海外貯蓄と、亭主だけが本国に残って利権・賄賂を重ねる『裸官』の巣窟と為って居るのが共産党幹部の本姿と云うのであるから、どうしようもない国家体制と云うしかあるまい。

★中狂国を象徴する猟犬ヘリは踵(きびす)を返して、爆音と共にPM2.5の灰色の中に消えて行った。

 <その3>
 一切の生物を死滅させた枯れ木が累々と続く山容は、白骨を晒す<威容にして異界の様>で在った。想像して見るが良い。生命の営みさえ在れば、例え冬枯れの荒涼とした大地の中で在っても、其処には幾ばくかの小さな緑も痕跡も在れば、落葉して箒と化した樹林にも、凍て付く寒さの中での冬眠の佇まいを感じる事が出来る。

       ★見渡す限りの実在の無さが、死を屹立させて『荒涼と沈む遺棄の光景』である。

 痛ましくも、自然殲滅への罪深き人間の原罪、懺悔の祈りの衝動を掻き立たせる。そして、私は激しい義憤に身体が震えていた。

 然し、休む訳には行かなかった。見たい、知りたいの欲求が強く為って居た。山を登り、尾根を進み、下り、登り、尾根を進む。遠望・眺望を殺ぐ大気汚染には違いなかったが、濃淡が重なり合う山々の輪郭の中に<バリアのドーム>は近付いて来て居た。

  もう一つ、山を越えれば眼下にバリアの全容が見える筈である。『希望』が見えて来た。

 何度も休憩を取りながら、山越えを遣り遂げた。私達が眼下に見た物は、奇跡の光景で在った。それは深い峡谷の中に周囲の死界を割って、其処には燦然と輝く生界がドームの下に広がって居たのである。汚染大気を半円のドーム形状に区分けして居る外部と内部の仕切りは、明確な外界と内界を仕切る形で、明確なバリアを張って居る様相で在った。

 光、白雲、緑の森林、川、大地が、恰も<箱庭の世界>を見せる様に、バリアドームの中に存在して居たのである。地獄の中の浄土か、神・仏・自然の奥深さの奇跡か。熱い涙が流れ、暫し嗚咽し、ただただ合掌する時間で在った。

         私達は尾根に沿って進み、バリアドーム直近の山の斜面を直下した。

 転んだ、転がり落ちた。駆け降りた。擦り傷、打撲の出血、痛みに顔を顰める者など、誰一人居なかった。縛られて居た縄目がバッサリ切られて、弾む身体を、自由を、肉感の全てを力一杯炸裂させるかの様に、皆、ウァーとか、オーとか、声に為らない歓喜の声を挙げて、山を駈け下って行った。童心に帰った様な、躍動する体内のエネルギーの炸裂でも在った。

 深い峡谷の中程の斜面まで来ると、尾根から見た奇跡の光景は、峡谷全体に厚い天井を被せる様に雲海が覆っている。丸で空からの遮蔽蓋の様にも見え、そして思えた。私には、それが『地球生命体の明らかな一個の意思』の如くにも感じられた。その意思は、人間拒絶の<明らかな意志>にも感じられた。

 自然への畏怖と云った常套句を使用するべきでは無いと思った。直接的で明確な地球生命体への部外者の接近とでも言うべきか・・・それは、生物体としての未知なる存在への、胆力を抜いた途端、弾き飛ばされてしまう。それは、生物同士の緊張の漲った対峙であった。

 周囲を注意深く確認しながらの雲海行を、始めた三人で在った。雲海域を通過すると、尾根で見た光景が広がって居た。大げさな形容では在るが、その光景は正しく、漆黒の宇宙に浮かぶ宇宙船から見る『水の惑星のズームアップ図』であった。

 峡谷に下り立つと、完全に外界と内界の明確な遮断が創られて居た。両界を遮断するバリアが張られて居る以上、迂闊な行動は禁物である。此処では、上空からの猟犬ヘリの心配は無い。きっと探せば、ドーム内界に入る出入り口が見付かる筈であろう。二手に分かれて探索行動を開始する。

         手掛かりを探っての峡谷二回り目に、遂に出入り口を発見した。

 <その4>
 渓谷は緑と澄んだ空気、川底の見える清らかな川も流れていた。気温は24~5℃であろうか、身も心も、晴々として来る。鳥も動物、魚も、蝶も昆虫も、花も果実も溢れかえり、且つ広々して居た。

 私は渓谷を歩きながら、脳裏の中に去来する様々なシーンの一コマ一コマが浮かんでは消えて行く。

 それは、旧約聖書の天地創造を映画化したシーンの数々とか、ロマン溢れる千夜一夜物語のエピソードを彩る不思議の土地のイメージであったり、シルクロードの砂漠に現れるオアシス都市、西部劇に登場するニューフロンティアを目指して大幌馬車隊が見たであろう手付かずの豊穣の土地、アニメに現れる異星での人工都市の模様でもあったりした。

 せせらぎの水を飲み、果実を捥いで食べ、鳥達の囀りに耳を澄ませ、木々を走るリスの動き、木陰に寝そべる鹿の親子を見ながら、無の阿鼻叫喚の世界に突如として現れたエデンの園或いは極楽浄土の現出に、吾知れずの感謝の熱涙が溢れて来るのを実感して居た。

 峡谷の変色した岩盤の一部から、湯気が立った居る個所が在った。流れる温泉に手を入れて見ると、程好い温度で在った。幸いな事に、温泉溜まりが出来ている。日本人にとって、温泉はこの上ない癒しの場である。

 衣服を脱いで、湯溜まりに浸かり手足を存分に伸ばした。私を見て、二人も同じ事をする。身体内部から、じわ~と噴き出して来る汗の流れの気持ち好さは、何とも云えぬ気持の好さである。暑くなると出て、石の上に胡坐を掻いて汗を冷やす。汚れた衣服を揉み洗いして、互いに絞り合って、近くの木に掛ける。 

         衣服が乾くまでは、此処で湯溜まりに浸かって居るしか無い。 

 程良い温泉でふやけたトカゲの皮膚が、手を当てて擦るとボロボロと垢の様に剥がれ落ちて行く。その下から、人間の皮膚が現れる。お互い、指差して小躍りして抱き合った。一人は、おいおいと号泣し始めた。
 温泉にどんな成分が含まれて居るかは不明であったが、温泉の湯花の結晶の様な物であったが、掌に押し付けると容易に崩れ、粗塩の様な触感である。臭いを嗅いで見ると、硫黄分を含んだ臭気が在る。それを石鹸、砂代わりに手に取り合って、手の届かない互いの背中を擦り合った。温泉の温度とザラザラする摩擦感が、皮膚を通して何とも気持ち好い。

 面白い様にトカゲの皮膚は、剥けて行った。トカゲ人間がさなぎの殻を脱ぐ捨てる様に人間に、人間として現れた。

 相手のトカゲは、私と同じ男二人で在った。一人はチベット僧の趣で在り、一人はトルコ系のウィグル人の風体で在った。

      話す言葉は違っていたが、何故か言って居る事は、お互い全て分かった。 

「私は、日本人のR。」「私は、チベット僧P。」「私は、ウィグルジンのS。」

 歳は、私が最年長で在る。次いでウィグルのSが45歳、チベットのPが39歳との事である。共に、歴史ある祖国を中狂に蹂躙され、理不尽な人民浄化の名の下に残虐非道が跋扈して居るとの事である。平和ボケした日本人には、それらはニュースの断片でしか報じられて居ない。殆ど彼等が置かれた言語に尽くせないほどの現実を知らない次第であるが、近時の中狂国の日本への毒亜国振りは、漸く日本国民の知る処と為った。日々の痛ましい生活は、人の顔付、表情を現すものである。

★SもPも、脂気の無いカサカサした皮膚に、暗く老け込んだ顔を載せて居る。不条理の力に依る抑圧に対して、彼等の眼だけが暗闇で研がれた鋭利な刃物の様に、時々、凄みをもってグサリと胸を抉る様に光を放つ。

 平和ボケして、言葉だけを一人前に使って居るだけの私と、言葉を吟味して発し、その言葉の反応に、全神経を使って居る人間との明かなる違いに、私は余りにも違い過ぎる<生まれて来た環境の苛酷さ>を思い知らされるのみで在った。

 それでも、二人は私が日本人である事を知って、警戒感を薄めて行って呉れた。先ほど前までは、歳も国籍も顔も無く同じトカゲ人間で在り、無の阿鼻叫喚の地から、中狂の猟犬ヘリから逃れ、苦楽を共にして来た生き物としての『協働行動の共有』を持ち合って居るとの感情の故に起因するものだろう。

「Rさんは、中々の人物と思う。日本の素晴らしさはテレビでも、メードインジャパンの車、家電、電子機器でも知って居る。そして、高い教育水準、礼儀正しさの武士道精神も知って居る。中国の言葉に表せない圧政下に在る私達とRさんとは、中国に対する埋め様も無い温度差の違いも、十分に知って居る。
 私もRさんも仏教の国の男だ。それに、イスラムのSだ。全く宗教心の無い中国人とは、世界観も人生観も違う。中国人とは、私達は理解のしようも無い『水と油の民族』だ。残念ながら、私達は教育と言論を奪われて仕舞って居る。私は、<現在の生きた世界>が知りたい。」

「私も、そう思う。大きな視点での世界が知りたい。悲惨さを知らない日本人の目から見た中国が、知りたい。是非、聞かせて貰いたい。」

「そうです。中国一辺倒の身勝手な中国人の嘘では無く、教育程度の高い自由な日本人の考え方が知りたい。」

「そう言われても、私は極普通の日本人でしか無いよ。でも、二人は生まれ付いてからの反日教育の刷り込みを受けて居たんだろうから、カルチャーショックも思考・行動の資料にも為るかも知れんからね。一応のほほんながら、常識的に65年生きて来たからね。へへへ。」

 人種、年齢が違っても、向学心・向上心旺盛な人間は、目が違う。このバリアドームには、三人しか居ないのである。人間とは何かをして居なければ、落ち着いては居られないのも事実であった。差し当たり、この峡谷には、三人が生活して行けるに足りる自然の恵みが在る。一番の年長者が『及び腰』では、先に進まない次第であるから、私は役目を引き受ける事にした。

 衣服も大方、乾いて来た。私達は衣服を着て、塒(ねぐら)探しに出掛けた。峡谷であるから、格好の洞窟をチョイスするには、然程の時間を要しなかった。PもSも、実に手際良く洞窟内に居住空間を作って行った。私は経験の無い素人であるから、彼等の後ろに立って、そのお手伝いを務めた次第である。

 草が敷かれ、ベットに為った。未だな生の草であるから、しなやかさも何もあった物では無かったが、ゴツゴツした岩の緩衝剤と為って居る。草を敷き足して行けば、具合は程々に為るとの事であった。何も無い自然の中に居るのだから、現実の前に体内のDNAを遡上して、慣れるより他の無い事である。

 <その5>
 翌日からは、峡谷の探索が始まった。外敵の不安の無い探索は、好い物である。本より何も持って居ない人間達であるから、食糧の調達は、果実と川の魚を手掴みして捉える事が専らで在った。川原で適当な石を物色して、石器道具にする位で在った。暇が出来ると、温泉の溜まり場で、私の趣味とする人類の歴史講座などをしても質問に応える毎日である。

 少なからず生活のリズムが身に付き始めると、渓谷探索の結果分析も出来て来る。この渓谷一帯の水の循環は、渓谷上部で湧き出して沢として流れ、下部の落ち込みから噴水の原理で上部から湧水として、水の循環経路が巡って居るらしい。詰まりは、渓谷の底で水路が繋がって居るらしい。ドームのバリアの作用は、ドーム内の気圧と外界の気圧差で保たれて居ると考えた方が、理屈が保たれる感じである。従ってドーム内の気圧が高い構造と為っているらしい。

 この仕組み、作用の根源を夢想するに、一度テレビで見たシーンが脳裏に浮かんだ。それは空気の無かった原始の地球に、生物には有毒なガスを、水深の浅い所に発生した原始生物が、その有毒ガスを消化して酸素を排泄した事から始まったとの事である。その原始生物のコロニーがオーストラリアの浅い海には、丸で蟻塚の様に累々と化石の乱立を残して居る映像で在った。

 有毒を撒き散らす『無の阿鼻叫喚の世界』をまざまざと目撃して来たのであるから、原始の煮え滾る無の世界が発生した微生物群が、無の地球上に、生物の生命帯・酸素を創り出して行った事を考え合わせれば、それを類推解釈として採用する事も出来る筈である。

 私は、単純単細胞の男である。こんな妄想ファンタジーが芽生えると、尚一層の問題意識と観察に躍起と為る性分で在った。目には見えないが、こんな微生物・微生物群相が、共生し合ってコロニーを造り、コロニーとコロニーが合体し合って、雨の一滴が集合して一つのドーム状の巨大コロニー世界を構築して行く。その結果が、無の阿鼻叫喚の世界にも、このエデンの園、浄土の渓谷を作り上げて来た。或いは蘇生、或いは死滅を防御して来たと云う『仮説』が成り立つのでは無いか・・・

★人間が死滅させた大地に、再び人間を迎え入れる事は、不条理である。それ故に、自然の神秘さへの畏敬の気持ちより、拒絶を伴う地球生命の強い意思=拒絶のバリアを強く感じたのでは無いだろうか。

       その夜、私は頭が次から次へと巡り、眠れない一夜を過ごした。

 <その6>
 夜が明けるのも、もどかしく、S、Pを起こして、私の仮説を捲くし立てた。彼等は、私の言わんとする処を理解してくれた様であった。直ぐ様三方に分かれて、その論証を探すべく丹念にドームの外を探索して回った。

 私は、気短い性質である。ドームの縁に沿って注視居て行くと、草木悉く枯れ果て累々と砂礫を晒す死界の地表に、菌類を思わせる赤褐色、灰、黄、白、黒、緑の斑模様が、所々に散在して居る。色の違った、それらの菌床には形状の異なる何種類ものキノコが生えて居るでは無いか。

 キノコは菌床に繋がり、各種の菌床がバリアドームに繋がって居ると云うよりも、確り連結して地表を走って居る・・・そんな<明確な生物としての意思>を持って居るかの様な直感がした。

★若し、これらを直線の人工物に置き換えれば、さながら大都市(バリアドーム)と連結する幹線網(菌床)で連結される地方都市・町・村(キノコ群)との形態を現して居ると観て、差支えない。

 人工物と云う無機の直線構造と生命体としての有機体の曲線構造は、単なる目視の相違だけで要素分析を試みれば、一つの有機的機能態・機能体として、全く遜色の無い構造群と云って良かろう。

 現代科学・科学・技術の世界とても本を質せば、所詮は自然観望から発した森羅万象の理の世界への探求なのである。人間の途方も無く歩んで来た足跡とは、森羅万象の理を写し取る事で、それを真似、学んで来たに過ぎない。
 こう考えると、森羅万象の理を体現する生命体の作用の奥深さに、打ちのめされると同時に、深い感銘が胸に溢れて来る次第で在った。

 各種雑多な菌床、キノコ類は、さながら不毛の悪環境整備への適材適所の前処理を受け持って居るかの様に見えて来る。それらは毒素を解体して、マイナスの階段を一歩一歩上り、マイナスをゼロに繰り上げ、ゼロからプラスに一歩一歩前進させて行く様な<環境改善リレーのバトンタッチ>をして行くプロセスを構成して居る様にも見える。
 一つの環境因子がクリア出来ると、次なるステージには環境変化に即応した適材適所の微生物が増殖して、微生物群が共生と云う協調関係の相乗効果で、微生物群相を造り上げて行く。それによって有害物が分解されて浄化が一歩一歩進んで行く。

 これは人間が造れば莫大な資本投下の巨大装置と為るが、<無の阿鼻叫喚の世界>では、物云わぬ、そして肉眼では決して見えないミクロの世界下で微生物達が、黙々と毒素分解をして居る証左なのである。

     ★私の仮説は、多分、当たらずとも遠からじの『総論』では、妥当域であろう。
 然しながら、こんな理不尽な事を平気でして居る中狂国、並びにその人民には、改めて憎しみと強い義憤が沸々と湧き立って来るのを、血の実感として覚える次第でも在った。

          ★★S、P共に、私同様の外界模様を持って来た。★★

 <その7>
 これは過去に夢奇譚を連発して来た処の、異次元界に於ける一つのエピソードに進んで居る様であった。夢奇譚と云えば、私の相棒・異界のライオン女・ナターシャが登場しないのは、如何やらクリスマスなどの行事で多忙を極めて居るのかも知れぬ。

 まぁ、こんな世界に夢奇譚賛同者のロシアン・アマゾネス団に登場願っても、美形・美人さん達には失礼の段である。私は生まれ付きの欲の無い男であるから、全ては状況合わせの消去法の中で、動くだけの事である。

★今回も見えぬ大いなる力・異次元界の管理人が、何らかの使用価値を私に持たせて、この異次元に招聘(しょうへい)したに違いあるまい。

 チベットもウィグルも中狂国の名ばかりの自治区である。自治区と云えば、もう一つ内モンゴルが在った筈である。三国とも第二次大戦での戦後どさくさに紛れて、狂人・毛沢東に国を奪われた民原である。
世界に告げ口外交を性懲りも無く展開するパク・クネ大統領を頂く韓国と中狂・習近平、三代目将軍・金正恩の北朝鮮は、大中華・小中華の毒亜圏でしかないから、範囲の他である。反日・排日で、男も女も股間にエクスタシーを感じてしまう火病国家民とは同席するのも、汚らわしいだけである。

 私も一応の日本人であるから、大塩平八郎、松田松陰、福沢諭吉、山本五十六などの歴史的傑物達の話などは、頭に残っている次第でもあるし、夏目漱石、森鴎外の小説なども読んだ覚えもある。日本史には疎い男では在るが、世界史との絡みと日本人である事の存在としては、外国人に語る事も出来る。

『松下村塾』と云う訳には到底行かぬが、エロ牧師、ほら吹き男爵、落語長屋のご隠居さん位の<面白話>は出来るかも知れない。差し詰め、<湯浸かり庵>でも営もうと考えた次第である。

   案の定、翌日には内モンゴル人のトカゲ人間が、バリア・ドームに加わった。

 地球生命体の一部を現して居るのだろう、異次元管理者の大御心の中で、踊るのが吾が宿命の様でもある。内モンゴル人青年は29のYと云う男である。

 アルコールは無かったが、温泉杯で乾杯する。これも、こじんまりとした『東亜会議』の感がしないでも無かった。吾が現実界では、影響度ゼロの貧民好色ヤクザもどきのロートルでは在るが、へへへ、異次元界管理人様も、中々にして人使いが荒いご存在である。

 さてさて、生徒さん次第では異次元界での長逗留と為るのだろうか・・・、今夜は、<湯浸かり庵のカリキュラム>でも夢想して、眠りに落ちると致そうか。これとても、生きている事の証明にも為ろう。嗚呼、俺ぁ、女が好きなんですがね。

 遺憾いかん、『国家百年の大計は、教育・軍事力に在り』との大格言もある。アジアの先達・日本としては、東条英機首相に倣って大東亜共栄圏建設の為に、生徒の一人として中狂国に塗炭の苦しみの中で、虐げられた民原に自主独立の灯火の一助足らん事をするのが、日本人の努めでもある。

  ★夜に成れば、バリア・ドームは頭上の雲を払拭して、空に満点の星々を煌(きらめ)かせる。

      その夜、私は久し振りに夢の数々が、脳裏に去来して興奮した夜で在った。

「歴史に勝者、敗者の歴史あり。勝者の正史の裏に、敗者の稗史在り。一書、悉く信ずるは、書無きが如し。知るは、人の知の喜び・嗜みなり。知って苦難の中に行うは、勇者の喜び。善き者の下に、善行受けるは、民の喜び。民善ければ、国楽しからずや。」

 いやはや、豚も煽てれば、木に上るの例えである。<湯浸かり庵>で始まるロートル戯けの口演のお決まり口上も、何時しか、S、P、Yの軽く諳(そら)んじる次第でも在った。

 このバリアドームの湯浸かり庵も、同心円の様に勇者達を排出して行くのだろう。今回の異次元行は、徹頭徹尾、女運には恵まれなかった次第では在るが、是も吾が不徳の致す処でも在る。さてさて、異次元管理者からの現世招聘の思し召しである。

               さらば、アジアの友よ。後は皆に託す。


          夢奇譚第22部・・・バリア・ドームにて。・・・完

                      2013/12/14 by アガタ・リョウ

心何処ーショート 清々しや、小春日和全開為り。
                清々しや、小春日和全開為り。(12/15/13)
 <夢奇譚21部・・・バリヤ・ドームにて>が完結して全15頁の小編と為った。午前中は、日の当たる二畳小部屋で、読み直しをして誤字脱字を直す。ジョービタキのバルディナも姿見せに遣って来た。

 テレビの下らなさに、こんな有意義な時間が過ごせるのであるから、有り難い物である。

 無風の好天で在るから、散歩に出掛ける。小春日和の典型では在るが、新暦では小春日和の形容は時季遅れとは云うが、新暦と旧暦では一ヶ月半程の時差があるから、本日の様は、正しく<小春日和全開日>であると言って良かろう。

 お天気の良さと小編を打ち上げたと云う充足感からだろうか、足の方が活発に為って、長散歩コース・二時間の散歩をして来た次第である。

 それにしても今年は、めっきりと野鳥との遭遇が少ない。モズとキジバトを見ただけである。お目当てのツグミの姿は、一切無い。草枯れした川原には、ホウジロもカワラヒワの姿も無く、唯、日差しだけが降り注いで居る。

 暖かいお天気に、川面には水面ぎりぎりに無数の羽根虫が群れ飛んで居る。川に下りて水中に目を凝らすと、中々の大きさの魚影がスー、スーと落ち込みの中へ姿を消して行く。新たに出来た好ポイントは、来春には大いに期待出来る。

 水田も畑も、冬枯れの中に土を並べて居るだけである。水田地帯の広い一本道の農道をヒタヒタ歩く。

 グッと山が迫り出して来た早落ち城址の下を歩いて居ると、小学高学年生の男子が、上下のスポーツウェアで、私を追い抜いて行く。誰も居ない山際のコースで在る。彼は、時々、ヤッホーと大きな声を出して走って行く。

 へへへ、将来のプロサッカー選手を目指して居るのだろうが、一人ランニングでは淋しいのかも知れん。面白い性格の様である。然らば、少年にヤッホーのエールを三声送って遣った次第である。ギャハハ!!

 道脇で立ち小便をして居ると、ランニングウェアの中年男がジョニングして来る。まぁ、途中で止める訳にも行かないから、続行である。ブッ!! 追い越して行った中年男が、一発扱いて行き遣がった。おのれ、ふざけた野郎である。

           さてさて、野郎の放屁の意味を何と解釈すべきか。

            ①自物と他物を比較して、負けたの思いか?
            ②吾、勝てりの思いか?
            ③単なる出物、腫れ物、所構わずの結果物か?
 
     こんな三択問題を作っては見たが、何れが正解か? 訊く由も無い次第で在った。

 それにしても、素晴らしい限りの好天で在る。何とも清々しいばかりの空の青、雲の白さ、山の松、竹の青さか。家の中、人混みの中では、手にする事の出来無い解放感の拡がりである。

 二時間も歩いて来ると、日の短い冬の日は、夕刻に向かって足早に気温を下げて行く。川面の反射光が暖かい。下り勾配、発熱体温も下がって来た。毛糸の帽子、手袋、ジャンバーを再び着込んで、ヒタヒタ歩きモードに変換である。


心何処ーショート 来た来た、痛痛~!!
                   来た来た、痛痛~!!(12/14/13)
 湯たんぽに足を動かして、寝返りを打とうとすると、左脛に痙攣の兆しである。来るなよ、成るなよと祈ったが、来た来た!! あ痛痛~・・・おお、痛ぇ~。 トイレ、トイレ、足を引き摺り、引き摺り・・・我慢我慢の脂汗。先ずは失禁回避である。間一髪、粗相を脱して、うぅ~、うう~奥歯を食い縛っての寝床の上、足の親指をひん曲げての我慢我慢の苦痛の段で在った。

 漸く突如の災難から脱して、布団の中に潜り込む。すっかり、身体が冷え切って仕舞った。妖怪様の動きでは在るが、目下、収まった痙攣の様子見の最中である。此処で下手に動けば、痙攣の続きとも為り兼ねない。

 暫くして、ビッコを牽きながらの朝のお茶貰いで在る。手抜きの有り合わせで朝食とする。

「ほら、小鳥だよ。」

 庭を見れば昨日に引き続いて、ポールにセットしたテレビアンテナにバルディナが止まって、尾羽を振るわせている。大分、馴れて来た様子である。

 食後のお茶の時間をゆっくり取り、ポットを持って日当たりの好い二畳小部屋で、読み直し校正方々、小編を11頁まで伸ばす。そんな事をしている間にも、再びバルディナがアンテナに遣って来た。

 脹脛(ふくらはぎ)には痛みが残っては居るが、足慣らしに近場散歩でもして来るのが良かろう。昼寝は何時でも出来るのであるからして・・・

 いやはや、お天道さんは在る物の、風の冷たさに、これでは体温を取られて仕舞うだけの歩きである。何時もの70%以下で切り上げて来る。河川敷からの階段を上がって来ると、またまたバルディナがサッと姿を現わして、河川敷に立て看板に止まるでは無いか。

 結構結構。三代目バルディナさんは、筋が宜しい様である。暫く口笛を吹いて、小さく地味なジョービタキのメスを眺める。

 散歩で些か身体が冷えて仕舞ったから、昼は練り餡で、切り餅を小さく切って熱々の汁子とした。台所の洗い物を済ませて、四畳半定位置で本日日誌を打ち上げて投稿した後は、寝床に潜って、小編<その7>のストーリー展開を彼是と思案して居る内に、眠りの中に落ちて行く事で在ろう。へへへ。


心何処ーショート 寒い時は、助平話に限る為り。
                 寒い時は、助平話に限る為り。(12/13/13)
 おお、寒~い。嫌じゃ嫌じゃ・・・ 今年は早い冬のお越しである。起きるのが嫌では在ったが、昨晩は、早々に戸締りをして寝た仕舞った一人暮らしのオバさんで在った。昨日、弟の会社に行って貰って来た工事代金の領収書を、お渡しに行って来るべしである。<寒いから、上がって行け>との仰せであるから、上がらせて頂く。ストーブの付いた部屋は暖かい。オバさんも独り暮らしで、人恋しいのだろう。

 へへへ、『笑いの角に福来る』でも在るからして、一時、時局口演をさせて頂いて来た。さてさて、これで仲介役も完了である。朝飯の支度をして四畳半定位置に座る。本日、金曜トーク日であるから、その前に寝床で彼是と小編妄想した物を、忘れない内に万年筆書きをして置く事にする。

       Tとの電話が、『おお、しゃらっ寒い』であるから、行けませんがね。へへへ。

 コーヒータイム前に、トイレで用足しである。いやはや、曇天に風の強さで、一段と冷え込む空気の冷たさである。

 寒い時は、南洋遊びの助平話が、一番の口で在る。社員旅行、無尽旅行で足繁く通ったサイパン、東南アジアでの顰蹙旅のオンパレードである。メンバー達のズッコケ談議をして居ると・・・飛んでも無い<不良中年の会>で在った物である。現在は退職でロートル親父をして居る次第であるから、引退と共に疎遠と為って仕舞った次第では在るが、『好き者愛好クラブ』の馬鹿話、戯け話は、尽きる事が無い。

Mさ・・・「俺はビックリしちゃってさ。Tさんとフィリピンのバタバタ・タクシィに同乗したんだわ。向こうの道はデコボコで、運亭手アンチャンが荒っぽい運転するから、Tさんの連れの女のバックがバウンドの弾みで、道に転げたんだ。それでTさんに、<バックが落ちたよ>って言ったら、Rさん、Tさんは平然とした顔で、何と言ったと思う。<どうせ、碌な物は入いちゃいない。ほっとけ>と来たもんだもんなぁ~。冷たいと云うか、白ばくれた人と云うか。こんな人と大親友と来て居るんだから、雲を掴む様な得体の知れ無い人達だと、感心しちゃってね。」

R・・・「ほら、あの俺達より一歳上のMさが、旅行の話をする時には、必ずその時の話が出て来るのさ。Tさんって、如何云う人だって聞かれてもなぁ~。俺としちゃ、見ての通り<ああ云う男>だって感想しか無いしさ。」

T・・・「連れ合いなんて言われたって、現地調達だいな。フィリピン通さん達と違って、俺達アンチ・フィリピーナにとっちゃ、全ては自己責任ズラよ。如何って事無いわね。気付いて、ネェチャン、ストップストップでバックを拾って来たんだからさ。それよりも、無尽旅行の時の隣部屋が、★★でさ。松本の店からお里帰りのチケットをマンマとゲットしたおネェチャンが、<ヤラせろ><ヤラせない>でドタンバタン、跳び蹴りの深夜大騒ぎでさ、俺なんか、事が終わった後は、ネェチャンと二人で壁に耳当てて大笑いよ。」

「おぅおぅ、★★パパァ~かいね。おネェチャンが、空港に迎えに来ている物とばかり思っていたら、空振りでさ。散々携帯し捲って、<葬式が出来て来れない。>って事で、翌朝早起きして、セブからダバオに飛んで、葬式に列席したってんだから大笑いさ。」

「おうおぅ、そうそう。そう云えば何人も、フィリピィーナの甘言にとっ掴まって、現地で<豚の丸焼パーティ>遣って、大判振る舞いをして来た、こんな象の鼻みたいに、ベロ~ンと伸ばして来たオッサン達が居たわな。皆さん、皆退職して、一体如何して居る物やら。困った猛者も居たもんだわ。アハハ。」

「まぁ、公金横領の24憶円男じゃなくて、皆自腹を切っての<一時の大人の振舞い>だったんだから、文句は言えないけどさ。フィリピーナにしたら、ジャパニーズ・オッサンなんか、騙すのはチョロイものさね。俺ぁ、好みの違いで『フィリピン通』に為らずに済んだわね。」

「そうだそうだ、○○さんも、えらい目に遭ったもんだしな。独身の身を定年退職後は、フィリピンで暮らす計画でさ。付き合って居た女に商売させようと先行投資をして居たら、自称バツ一女とその実亭主の男がグルに為って、遁ズラされたなんて話もあったしな。」

「おうおう、○○さんね。あれだよな。他人の振り見て、吾が身糺せだけどさ。人間観察、人種観察には、何て云ったって、世界史的洞察力を涵養させて置かなくちゃ、好色男は、コロリと足元を掬われちゃいまするがな。ギャハハ。
 おっ、思い出した店のナンバーワン・ホステスを口説き落とそうとして、労金から100万借りて、女を落したなんて自慢して居た市職員も居たわな。」

「居た居た。あそこまで行きゃ、変態一歩前だわな。まぁな、それでも・・・人其々の生き方、人生だしな。自己破産も、犯罪も無かったから、考え様に依っちゃ、外道に外れず老後に見る夢の跡で、全部が全部、持ち出しでも在るまい。芭蕉先生だけが、老後の<夢の跡>を辿る訳でも無いだろうしな。ヒヒヒ。」

 いやはや、こんな話を交わして居ると、つくづくも男と云う生き物は、評価に値しない下衆生き物と云うべきや。何事も、是、自己責任為り。へへへ。


心何処ーショート コタツで、これ親子する為り。
                 コタツで、これ親子為り。(12/12/13)
 いやはや、世の中は千差万別で呆れ返りもすれば、飛んでも無い連中が蠢いて居ると云った次第でも在る。

★自由の大国・米では、女子トイレの便座に強力接着剤を塗布して、あられも無い格好で便器に拘束される事件が続発。
★東北のショッピングモールのパーキングで、公然猥褻行為中に(下半身モロ出しのセンズリしこしこ気象庁職員)、それを目撃した女性に110番通報され逮捕。
★楽天ポイント300万円分不正取得で、中国人大学生逮捕。160万人のIDなどを保存。
 以上、ハシビロウコウさん記事より、拝借。

       朝食時は、これを話しの肴に、妖怪様と下衆の大笑いの一時で在った。

「な、世の中は、楽しいだろ。中狂国の留学生は月17万の返還無用の奨学金を貰って置いて、このザマだ。好い機会だから、留学生全員の素行調査をして、不逞の輩は全員逮捕して、即刻・強制送還と奨学金詐取で、反則金共々返金させてだ。これこれこう云う不逞の実態に就き、留学制限を断行すりゃ良いんだわさ。これが<世界自然法の自業自得の掟>でガンスわね。」

「うん、そうだ。税金の無駄使い。盗人に追い銭だ。その分、大学基準を高くして、優秀な日本人生徒の奨学金に回さ無きぁね。役人、政治家は、何を考えて居るだい。当たり前の事が解らないと云うのは、日本の教育が間違っている。駄目だねぇ~。」

「女子トイレの事件は、罪科の無い一般女尻に飛んでも無い事を仕出かす不埒者だ。故に、目には目をで、犯人をとっ捕まえて身包み剥がして全裸にしてさね、亀の頭全体にアロン・アルファを塗って便器拘束させて、三日間晒し物にすりゃ好いのさ。」

「クッくっく・・・ すっぽだかで、日本の冬だと、風邪引くよ。幾ら何でも、可哀想だよ。お仕置きが過ぎるよ。」

「この手の公然猥褻行為は、場所が違っても古典的な行為で、然して面白い事でも無いんだけどね。これがさ、女だったら、男なんて誰一人勿体無くて、<110番通報>なんかし無ぇわさ。皆寄って集って、被り付きの大フィーバーですがね。」

「お前は、直ぐそっちの方へ話しを持って行く。黙って、本を読んでる姿見ると、真面目な男にしか見えないんだけどね。頭の中身が、毒されてる。それじぁねぇ~、困った戯け息子だ。それで。」

「やっぱり、話しの続きが聞きたいか。女の裸踊り・ストリップなんざぁ、男が高い銭払って観賞に入ったもんだぜや。反対に、男が赤・ピンク・紫のステージライトを浴びて、<諏訪の御柱>おっ立てたって、誰も見向きはせんわね。この変態野郎って、ぶん殴られ、御柱に蹴り入れられて、口から泡吹いて悶絶・気絶の醜態晒すだけだんね。」

「アハハ。昔から、馬鹿と男の助平には、付ける薬が無いと云うからね。如何して、あんな物に、男は興味が尽き無いのかね。馬鹿馬鹿しい。」

「生意気に、何を扱きぁがる。幾らバッチィ周りに毛の在るゾウリムシ、もぞもぞアワビの形状だってさ。其処は生まれた河川を忘れずに、生まれ故郷の川を目指して遡上してくるのが、サケ・マスの哀れなる本能にして、宿業さね。少しぁ、憐憫の情が働かないのかね。この下等動物が~、ギャハハ。」

「ああ、そうかい。その割には、女を前にして、毎日まいにち、女の悪口ばかり言ってるじゃないか。女から生まれて、女に育てて貰った癖に。笑わせるな。この馬鹿息子!!」

「煩い、この糞婆っさが。畑だけの処女で、子供が出来るか。男の鍬入れで、土壌に空気を入れて、子種を挿入させなくちゃ子は作れ無いぇのさ。
 5人も産んだベテラン経験者の癖して、飛んでも無ぇ事を抜かし遣がる。何だったら、小学校は生徒不足だってよ。ランドセル買って来るか~。
 俺の母親が、こんなに馬鹿だったとは、知らなんだわさ。昨日だって、一緒に『相棒』見て、解説して遣ったのに。」

「もう、頭が霞んで、テレビ見てても、絵が動いてるだけで、何を喋って居るか?全然分からなくてね。もう生きてる価値も無い女だからね。スイマセンねぇ~。アハハ。」

「おうおう、そうやって勝手にほざいてろ。婆さんは、馬鹿男、変態男と笑うけどさ。処がドッコイ、こんな小さな三面記事の裏側に在る、男族と女族の<根本的な性差>に気付かなきゃ、明き盲目(めくら)ってもんさね。云って見りゃ、女の特技は『告げ口』って事の証左ですがな。」
 
「ほぅ、そうかい。初耳だね。それで。」

「お隣半島国の韓国大統領様なんか、典型的な告げ口・蛇の様な執念深さでさ、天地驚愕の<告げ口外交>を、世界展開してるじゃ無いのさ。なぁ~、見方に依っちゃ、ありぁ<無垢なる女族の代表>って事だいね。」

「難しいね。説明して。」

「男女同権・機会均等・男の独占許すまじの旗立ても良いけどさ。一国のトップに昇ったら、一国の代表にして世界の協調者で指導的役割を果たして貰わ無きぁ行けませんがね。その為にぁ、諸々の代表者なんだから女を脱した『中性域』にレベルアップして貰わなくちゃ、世界に示しが付きませんがね。告げ口外交は、昔から告げ口スピーカーって云うずらよ。」

「そう云えば、何処にも居たねぇ~。人の家の事を根掘り葉掘り聞き回って、在る事無い事、言い振らす厄介者の奥さんが居たもんだ。うんうん、目に浮かぶよ。」

「へへ、<日本の発展は、女力の発揮>なんて、ピィーヒャラ、ドンドンって安手のチンドン屋囃しなんかしてると、あれだよ、滅相も無いヘンテコリンな社会に為っちまいまするがな。口、調子踊りは禍の下で、都知事の二の舞い、お調子者・そのまんま東の轍を踏んじゃ、人相が品相に為っちまいまするがね。土台パフォーマンスなんて代物はさ、大道芸人のする事で、長続きは致しませんわね。あい~。」

「はいはい、毎日、お勉強させて貰ってますよ。有り難い事です。でも、生徒の出来が悪過ぎて、御免なさいね。テレビ見てるより、為に為って勉強に為るよ。アリガトさんね。」

 さてさて、吾が親愛なる妖怪様の血色も良く為って来た事でも在るし、目薬落としをして、四畳半定位置でマイタイムに進むと致そうか。

「ほれ、婆っさ、目薬じゃい。」

    本日ブログを打った後で、風呂とすべしである。先に入浴して貰う事にする。アハハ。


心何処ーショート こりぁ~、雪でも舞って来そうな寒さとお天気さんである。
        こりぁ~、雪でも舞って来そうな寒さとお天気さんである。(12/11/13)
 寝て居ると、玄関が開いて大きな声である。暫し待って貰い、出て行くと、贈答用マスカットの訪問販売のおネェさんである。そんな高級な口は持ち合せて居ないから、お断り申し上げる。へへへ。

 再び、寝床に戻って、時間の来るのを待つ。私は夜更かし人間であるから、現役さんの娑婆には、付いて行けない次第である。・・・とほほ。

 今朝は-3℃との予報であったから、真にお寒い限りである。廊下から庭を見れば、何と珍しい。冬鳥の嘴の太いイカルではないか。いやはや寒く成ると、吾が家の庭にも珍客さんが姿を見せる物である。

 郵便物を見て、青く為って電話をして聞いて見る。左様で御座るか、一か月遅れと為って仕舞った。遺憾いかん・・・。

 朝食後は、自転車で買い出しに行って来る。お天道さんの無い灰色空の寒風は、完全に真冬の寒さで在る。これで昼も出来る事であるから、二畳小部屋の小編続きを打ち足して置く。区切りの好い処で切り上げて、ベットの中から、チョコンと顔を出して居るだけの妖怪様に、負担の掛らない昼とする。100%手抜きのリンゴに、カボチャ、プリンにビスケットである。

               昼の並べに、妖怪様は目を開ける。

 いやはや、ベットからモソモソと起き出して来る姿は、笑って仕舞う程の可愛さである。こんな事を云ったら、勘当されて仕舞うが・・・ 寒風吹き抜ける外で、小さな犬小屋で丸まって居た番犬が、飼い主の餌遣りお出ましに嬉々として犬小屋から出て来る仕草に良く似て居るのである。ギャハハ!!

  出来立て熱々のカボチャの煮付けに箸を出して、上品に炊けて居ると、ニコニコ顔で在る。

 この処、咀嚼力がめっきり低下した妖怪様に、気配りしての私なりの献立で在る。男族は女族と違って、見て居ない様な振りをして、『無言実行が出来る達人』なんじゃい。

 へへへ、そりぁ、そうである。大部屋施設になんか入った日にぁ、こんな至れり尽くせりのリップサービス付きの看護サービスなんか、逆立ちしたって受けられんわね。言いたか無ぇが、文句言ったら閻魔様から舌を抜かれちゃいまするがな。嗚呼、妖怪様は幸せですがな。あい~。

 まぁ、私はこの頃ではコツを覚えて来たのである。自分のストレスの溜め込みを削減すると同時に、妖怪様のエール代わりとして、思った事をズケズケ言う事にして居るから、妖怪様も、この頃では、負けじと生意気口を叩く事を覚えて、親子でふざけ合っている次第である。

 先日、南ア大統領を務めた事の在るネルソン・マンデラさんの獄中経験からの『悟り解説』が在った。へへ、悪くは無かった感想で在る。

★アパルトヘイトに依る被差別黒人の怒りだけで、行動しても問題は何も解決しない。被差別からの解放と差別側の心の解放もしなければ、両者の不幸からの解放は出来無い。相手の心に訴えには、相手の言葉を話し、彼等を理解する必要がある。⇒国民和解政策。

 私流に言えば、<相手を許すと云う根源は、拘泥する自分を許し、解放する事である。>これを知り悟る事が出来る人は、哀しいかな・・・圧倒的に、数が少ない。これは憎悪との葛藤から漸くにして生まれる『人間存在・信頼への光明』であろう。云って見れば、これは肉体語であろう。決して活字で注入されるべき抽象語では無かろう。
 
 肉体語であるからこそ、その言葉の語りは優しいのであろうし、肉体語であるから、それを語る人の風貌、眼差しには、人に対する優しさと温か味の慈愛と味の濃さが滲み出て居るのだろう。

               詰まりは、言葉が言霊で在る所以でも在ろうか。

 そんな次第で、私は神の存在には否定的な不信心者である。この世に人間が創った神などは不要で在る。唯一つ、お天道様の眼と云う『己が最後まで対峙しなければ為らない良心』さえ在れば、人は<真っ当な判断行動>が出来る。人の世には神は存在しないが、神・仏の様な人が居るのである。そんな偉人、巨人を吾が鏡として、紆余曲折しながらも、一本の道を歩いて行けば、それで良いのでは無いだろうか。殊更、齷齪して我を張る事も無かろうに。

 私は、こんな話しがテレビを見ながら97の母と、会話出来る幸せを感じる事が出来始めて来た戯け倅である。

 兎角、現世は教育が行き届いて居る所為か、言葉が多投され過ぎて、一つ一つが相手の言葉のベールを一枚一枚、無残にも解説されて行く。そんな現代の風潮は、汚い絵を見て仕舞うばかりである。
 
 所詮、解らない人間に、言葉だけで解説して見た処で、<仏師、仏像を作りて魂忘れる。>の喩えの実証を見るだけの事である。言葉は言霊にして、共鳴箱を有する者にだけ伝わる。これもまた、人の世の哀しい現実でも在ろうか。へへへ。

 いやはや、本日も取り留めの無い長駄文を打って居ると、丸で雪でも舞って来そうなお天気さんと為って仕舞った。季節柄とは云え、嫌に為って参りましたがね。


心何処―ショート 感謝に、歌一つ。
                    感謝に、歌一つ。(12/10/13)
 へへへ、本日は寝不足である。昨夜は大風が吹いて、煩い事、夥しかった。加えて、暖かかったから、湯たんぽが裏目に出て眠りの邪魔をした。煩い風音に寝返りを打つばかりで、何時の間にか奈落の底へでは在ったが、今度は雨音に悩まされる。何と季節外れの大きな音を立てて降って居る物かと、疎(うと)ましい限りで在った。

 アスファルトの水を切って、通勤時間が始まった様である。朝賄いには、充分な時間が在るから、寝直しが肝要と布団を被って眠りの中に落ちて行こうとすると、今度は妖怪様の動きでは無いか。ニャロメ、飯は未だ炊けては居らんわね。

 師走の雨は、凄い勢いで降り続いている。しゃ~無い、起きると致そうか。障子の開いた老母の部屋に行くと、電気も付けずにコタツでお地蔵さんをして居なさる。

「ごめん、時間を間違えてバタバタしてしまった。夜が遅いのに、早く起こしちゃって。」

「別に好いって事よ。働きに行ってる訳でも無し、遅刻とは一切関係無しだわね。へへ、未だ、飯は炊けて無いぞ。まぁ、干し芋でも食べて、待っててお呉れや。お茶でも貰いましょうかね。」

 お茶に干し芋を口にしながら、テレビを見る。いやはや、何処の局も同じ朝のワイドショーである。面白くも、何んとも無い。単なるお仲間お茶会では無いか。阿保臭~。

 雨が小振りに為って来たから、自転車を外に出し、玄関鳥の餌吹き、水替えをする。飯が炊けた様であるから、朝食に掛る。寝不足は、身体に堪えるからして、早い処、お勤めを果たして、二度寝が肝要である。

   火曜日であるから、ヤクルトママさんのコールを受けて仕舞えば、本日は終了である。

 コール後は就寝前の続き物打ちで、ポットを持って二畳小部屋の旧PCに向かう。<その4>7頁に進んだから、後は『結び』に向かって、頭の中の妄想図柄を文字化すれば、大体の目鼻が立つ。慌てる必要は無い。区切りの好い処で、二畳小部屋を修了とする。

 ポットを持って、廊下から洗面所を見遣れば、柿の小枝にバルディナさんが例に依って黒い尾羽を振るわせて止まって居る。

 左様で在るか。折角であるから、四畳半定位置に座る前に、彼女の姿見せを観察して行くと致そう。

 廊下で待って居ると、庭に回って来て、サッと地面に下りてチョコチョコしている。地面から南天の茂み脇の石灯篭の帽子に止まったり、地表近くの小枝に止まったり、地面に下りたり、お隣さんとのブロック塀の上に止まったりで、愛くるしい小さな姿・動きを存分に見せて呉れる。そして、気が済んだ様に、パッと視界から飛び去って行った。

            『はい、今日もアリガトさんね。』で在る。あはは。

 昨日はコメントを頂戴して、身内の仲の良い姉貴の様な気分を頂戴して居るご婦人に電話をした。今度は、息子さんの居るカンボジアで暮らすとの事である。話題豊富で頭の回転も早く、思った事を歯切れ良く仰せに為るご婦人である。そんな次第で談論風発の饒舌タイムと為るから、真に有り難いご存在である。

        話を交えて居て、気分がスーとするから、小気味の良い笑いトークが出来る。

 彼女とは、すっきりと世代の通い合う時代の者同志の感がする。ブログを通じての相性の良さとでも言うのだろうか。お互いに毎日記事を更新して居るから、文面の行間にも通じて居る間柄でも在るし、初対面の時に驚いた事に、母の一番上の姉に良く似た風貌(才色兼備の美人さん)にして、その物言いも、良く似て居て、全くの違和感も無く『身内』と話している感覚で在った。

 こんな天晴なご婦人と、ざっくばらん、ズケズケとお互いが、自分自身の声で話を交換出来るのは、ビックリ驚愕の思いであった。へへへ、人生とは捨てた物では無い。

 私の様な何の取り柄も無く、広大無辺のブログ樹海の辺境の地に在って、方向感覚すら覚束ない引き籠り賄いロートルに、慈愛の目を注いで下さったご婦人は、『希有の御存在』であった。

 自由にして個の時代とは云う物の、一本筋の通った確固たる個性を放ち続けているニョショウの存在でもあろう。そんな個性に感化されるのは、人生の宝の一つとも云えよう。

「またまた、巧い事言っちゃって。本当に、口が巧いんだから。油断も隙も無いわね。アハハ。これが最後と思って、嫌に煽てて呉れるじゃ無いのさ。プンプン臭うわよ。」

「分かったぁ? 今度は、仏教遺跡も私も、朽ち果てない内に、絶対にカンボジアに来るんだよ。約束だからね。待ってるからね。」

「お母さんは好い息子持って、きっと幸せよ。大事にして上げてよ。向こうでも、ブログ続けるから。悪い事しちゃ、駄目だよ。」

「まぁ、あなたは硬派の番から男だから、私は安心してるけどね。身体に気を付けなさいよ。じぁ、行って、最後の一踏ん張り、楽しんで来るからね。私は、変わり物だからね。アハハ。」

          いやはや、賢姉の前では、一切頭の上がらない愚弟の段でありました。

            往年の名曲・マイク真木の<バラが咲いた>では無いが・・・
                 作詞:浜口庫之助 作曲:浜口庫之助
    バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが 淋しかった僕の庭に バラが咲いた
      たったひとつ咲いたバラ 小さなバラで 淋しかった僕の庭が 明るくなった
        バラよバラよ 小さなバラ いつまでも そこに咲いてておくれ
    バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラで 淋しかった僕の庭が 明るくなった

    バラが散った バラが散った いつの間にか ぼくの庭は前のように 淋しくなった
      ぼくの庭のバラは散ってしまったけれど 淋しかった僕の心に バラが咲いた
         バラよバラよ 心のバラ いつまでも ここで咲いてておくれ
    バラが咲いた バラが咲いた 僕の心に いつまでも散らない まっかなバラが

 へへへ、歌って好いですね。ブログ樹海にも、真っ赤なバラの花が、皆さんの心に一杯拡がり咲く様に。大和の八州(やしま)が、益荒男と凛とした大和撫子が堂々として、一本背筋の通った生き方が出来る様な、『日本を取り戻す世』に為って貰いたい物ですね。


心何処ーショート キムチと沢庵
                     キムチと沢庵(12/9/13)
   湯船に浸かって居ると、snさんから電話である。すっかり親しく為って、話しが弾む。

 入浴後は風呂を妖怪様に譲って、洗濯機を回して居る間に、車でホームセンターまで漬け物容器の蓋を買いに行って来る。生憎、無くて、その代用品を彼是と物色して来た。昼は軽く済ませて、コタツでノンビリと油を売って四畳半定位置のマイタイムを始める。

             午後からは空も曇って来て、風が強く成って来た。

 洗濯物は乾くだろうが、散歩には向かない。風邪引きは御免蒙りたいから、偶にはサボるべしである。12月も9日に為るのだが、如何した訳か・・・冬鳥のツグミの姿が見えないのは、不思議な物である。鈍感さを増す人間社会からは見えないかも知れないが、大きな規模で地球環境が変化して居るのだろう。

 テレビを見て居ると、防空識別圏と領空の区別すら出来無い中狂国の傍若無人の覇権主義、たかがキムチ如きで韓国の食文化を世界遺産化したと言って、鬼の首を取った様な騒ぎ振り。

    いやはや、これじぁ~、北の国からツグミは飛んで来れんわね。可哀想な物である。

 たかが<白菜の南蛮漬け物>位で、一張羅の色彩り彩りの民族衣装で、宮廷白菜漬けのファンタジー絵巻の映像発進でも在るまい。大量の漬け物作業をする時は、何処の国の人間も汚れても惜しく無い『かっぽう着、作業着』でするもんじゃい。
 信州の漬け物・野沢菜、沢庵漬けとも為れば、通りに漬け物桶を出して、桶に水を張ってゴム手袋、合羽、長靴姿で寒い冷たいと洗うんですがな。

 振り袖、裃(かみしも)で漬け物作業なんて、俺ぁ聞いた事も見た事も在りぁせんわね。ファンタジーにファンタジーを重ねて、精々、『韓国民度』を世界に発信するが良かろう。馬鹿馬鹿しいにも程が在らぁね。
 序でに云えば、漬け物が和食のメーンになにか為る訳が無いではないか。一事が万事の<最優秀民族・吾が朝鮮万歳!!>の火病気質でしか在るまいに。ギャハハ。

 宗主国・中狂様が防空識別圏の拡張をしたから、韓国も右に倣えをしなければ、<朝鮮族の涸券に拘わる。>の胸張りを仕出かして居る。

      いやはや、笑止千万。勝手に遣ってましょ。そんな両国の低級度見せで在る。

 長らく劣等感に苛(さいな)まれて居ると、その反動でチョイと生活程度、国力程度が多少上向いて来ると、仮面を脱ぎ取って、マグマとして溜め置いて来た劣等感が噴出、炸裂して来ると云う図式なのであろう。
 個人も集団、国家も、力の維持が長く保たれてこその実力と為る性質の物なのに、時の積み重ねに依る実力を伴ない者、国家力の誇示は、大々にして『奇を衒(てら)う』子供染みた<張ったり>を重ねて仕舞う物と為る。

 これらは、俗に云われる処の<お里が知れる>の蔑み、顰蹙買いの態なのであるが、彼らには戻るべき『お里』が知らされて居ないのであるから、『むべ為るかな、毒亜国の限界・存在』でしか無いのである。

「お里」とは歴史で在り経験値である。中国大陸では、異民族征服王朝の興亡が繰り広げられて仕舞ったら、継続した歴史を持たないインベーダー国家群でしか無い。
 日本は継続の歴史を持つから、歴史は事実としての記録・国家の経験値である。中国の歴史は前王朝に対する焚書坑儒の意味から、現王朝の政治的宣伝(プロタガンダ)で在り、中国大陸王朝の属国として時を重ねて来た朝鮮半島には、大陸王朝にかしづくしか無かった歴史故に、歴史捏造も儘為らず、戦後の独立国家としては、『忌まわしい過去との決別』に妄想(フンタジー)の歴史を捏造するしか無かったのだろう。

     共に歴史・経験値を持たない国家・国民の偏狭性は、見苦しき悪行三昧の図である。

 私は別に、博愛主義者の様な心の広さなど持ち合せて居ないから、毒亜国から発せられる雑音は、ただ単に自業自得の不協和音としか思っては居ない次第である。
 世の中、総べからず因果応報にして、好い時も悪い時も在る。現在に生きる物は、良いも悪いも、総体として過去を引き継ぐしか方途は在るまい。四の五の言った処で、日本人は日本人を引き受けて、日本人を時代に託すしか在るまいに。

 強欲・不埒の限りを尽くして、好い所の摘まみ喰いだけでは、真っ当なお里など、生まれ様が在るまい。人間が利に走るのは致し方無い次第では在るが、<行き過ぎた利>を戒めたり、ブレーキを掛ける装置が、『知』で在り『理』で在る事には違い在るまい。

『国益』などと云われる事が屡(しばしば)あるが、お里を持ち得ぬ人間モドキ達が、個利個略に基ずく<扱く益>などに騙されては行けませんわね。

 いやはや、風が激しく成って来た物である。こりぁまた、冬日に突入ですがな。へへ、玄関鳥達も震えて御座ろう。鳥籠を取り込んで、沢庵漬けの点検でもして見ましょうかね。

 早速、半分切って味見をする。当然、味は廻って居ないから、塩っぱい。味の素をたっぷり振り掛けて、極薄アメリカンをお茶代わりとして食す。まぁ、この分で推移すれば正月には、良い味に為る事で在ろう。イッヒッヒ~!!

心何処ーショート 久し振りに戯け二態、じゃれ合って見ましたがね。
           久し振りに戯け二態、じゃれ合って見ましたがな。(12/8/13)
 河川敷を歩きながら、腕を回したり、両手反りをしながら、普段動かして居ない部位を動かして居ると、キャップに薄茶のジャンバーを来た小柄なオジサンが、ベンチに座った。

「久し振りだね。元気だった?」

「おやまぁ、一年以上、会わ無かったね。心配してたんだ。糖尿病で、入院しちゃったかと案じてはいたんだけどさ。」

「そりぁ、どうも。サンキューですわ。ボッチラ、ポッチラ、生きてたんね。散歩しないと、如何も血糖値が下がらなくてね。久し振りに歩き始めて居るんだけど、こっち見たら、えらい元気の良いオッサンが、体操してるもんだからさ。橋を渡って顔見に来たんだわ。」 

 へへへ、これは久し振りの顔合わせで在る。彼は坊主頭のヒョウキンな風貌をした、憎めない九州は50代男さんである。

 河川敷のベンチで、煙草と飴を進められて、ざっくばらんなベンチ談笑を始めた次第である。彼は重度の糖尿病なのでは在るが、長年の飲酒が止められないとの事である。長崎は<浜辺育ち>だったと云うから、生まれ故郷に帰って釣り糸を垂れて、余生を過ごしたいとの事である。

 今夏は兄の居る実家で、温泉に浸かりながらノンビリと釣りをして来たとの事である。浜辺育ちであるから、車で新潟まで足を伸ばして釣りをしているとの事である。釣って来た小魚は、馴染みの煙草屋の婆さんにプレゼントすると、婆さんも浜辺育ちで、形は小さいながらも、新鮮な魚を喜んで呉れる。喜んで呉れる顔を見ると、ついつい自分も嬉しく為るものだと云う。好い温もり感の在る表情、話のテンポで在る。

★こんな処が、女族の歓心を擽(くすぐ)るこのオッサンの天賦の態なのであろう。いやはや、その羨ましい限りの技を習得したい物である。

「う~む。そうだよな。鮭・鱒が生まれ故郷の川に帰るシーズンだ。それが好いよ。帰るに当たっちゃ、<臍下三寸の下がり物>は糖尿で役に立たんのだろうから、俺がボランティアでマンホール巡回して置いて遣るぜ。見栄なんか綺麗さっぱり廃棄して、<通い帳>を俺に渡せや。
 なぁ~、役立たずじゃ、オスの役目は果たせんだろう。この世は総べからず、<袖摺り合うも、他生の縁>だ。もろ肌脱いで、俺がISO規格物で成仏させて遣るわさ。後顧に憂い残しての故郷帰りは、行かんぜよ。ギャハハ!!」

「またまた、親分に掛っちゃ、遣り切れませんわ。俺達って、如何してこう為っちゃうのかね。一度、その頭を勝ち割って頭の中を覗いて見たいわ。
 あれだろうねぇ~。へへへ。こんな大中小、白・黒・ピンクのひだ襞アワビが、こう遣ってさ。厭らしい動きをしてるんだろうな。嗚呼、俺ぁ、糖尿病で無かったら、・・・嗚呼、涎が垂れちゃうわ。」

「何だ、その卑猥な両の手の動きは!! 全く、好き者に掛っちゃ、俺の品格が地に散るぜや。女遍歴を聞きゃあ、高校時代から勉強もしないで、バイクの後ろに娘っ子乗せて、お山の公園通いしてたゴールドフィンガー・オッサンだって経歴の持ち主だ。留年確実で、関西に出たなんて、意気地無しと来てる。知性のエキスで更生させて遣りたいのは、山々だけどさ。

 俺ぁ別次元の生き物だから、効くお説教も無ぇオッサン相手に、無駄鉄砲は勿体無いぜや。

 コリァ、反省してるか!! 森羅万象、何事に於いても、使い過ぎ・遣り過ぎは、後に為って祟って来るんじゃがね。十代の手習いが、今じゃしが無ぇ、バイアグラ頼りじゃ、生けるシカバネの態じゃ無いぇかい。」

「やいやい、流石、大親分だ。良く覚えてるもんだ。俺ぁ、何にも言えん。すっかりお見透しだわ。煙草吸うかい?

 それがさ、バイアグラは心臓に負担が掛り過ぎるって、先生の奴、薬も出して呉れ無くてさ。そんな事で、焼酎に頼り切りの日々にのめり込んじゃってさ。それに何時の間にか、寒く成って来たしで、散歩もすっかりご無沙汰しちゃってさ。

 これじゃ駄目だと、再開したんだけどさ。足がすっかり錆付いちゃっててさ、歩くだけでもしんどくてさ・・・」

「そりぁ、そうだよ。関節だって、毎日動かさ無くちゃ錆付くさや。インタバルで痛いだろうけど、動かせば潤滑油が回って来るもんさね。ヨッシャ、散歩も道連れよ。付き合うぜ。さぁ、行って見るか。」

「やぁ、親分は顔に似合わず、優しいね。じゃ、付き合って貰うよ。へへへ。」

 私は未だ健康体で在るから、鈍感である。おやおや、糖尿患者で錆付いた関節オヤジには、歩く事も疲れるらしい。橋の袂のベンチで、休息の座り込み話で在る。彼は週刊誌記事を彼是とご披露してくれる。彼の話を、一々ご尤もと相槌を打たせて貰う。

 いやはや、このご時世、中国、半島国、米国、政治家も都知事、金庫番、男も女も悪い奴、下品な奴が、横行しているとの事である。

 さてさて、橋を渡ってコンビニ手前の別れ道の奥が、彼のアパートとの事である。別れて、私は何時も通りのテクテク散歩で帰宅する。

 二畳小部屋に入って、バルディナさんの姿見せを待ちながら、小編の続きを打ち始める。

 実は、繋ぎの部分の<その3>の頁が、イマイチ納得出来ずに、足踏みをしている次第である。<その4>のイメージは確りあるのでは在るが・・・とほほ。

 まぁ、何事もそうでは在るが、良し悪しは別にして、形にしなければ何癖も、修正も叶わないのであるから、先ずは打って見る事が肝要なのである。インスタントコーヒーを入れ、煙草に火を点ける。

 そうこうして居ると、庭に小さな動き一つである。へへへ、来ました来ました。<待ち人現れる>で在る。

 小さく動いて、地面に降り立つ。チョコチョコと歩いて、パッと小枝に止まる。パッと飛び上がって、立ち木の周辺を飛び回って餌取りをして居る様子である。常緑樹の回りには、如何やら羽根虫が飛び回っているらしい。こんなジョービタキの捕食シーンは、初めてで在る。へへへ、中々に敏捷な動きである。

     本日も、ジョービタキのバルディナの息災振りを見て、一安心である。アハハ。


心何処ーショート 佳き一時を得た為り。
                  佳き一時を得た為り。(12/7/13)
 さて、起きるか。朝賄いをして居ると、ガス屋さんの集金である。灯油の配達で休み返上との事である。私も、ポリタンク二缶を入れて貰う事にした。ガス屋さんは忙しいらしく、話も出来ずに、今月分の読み物を持って帰られた。

 へへ、相も変わらぬ駄文小編ではあるが、楽しみにして居て呉れるお人が、居ると云う事は嬉しい事である。
 
 まぁ、この処の冬の到来で、一気の需要量大で商売繁盛と云った処で在ろうか。アハハ。大いに稼ぎ為され。

 食後をお茶のお代わりをしながら、コタツでテレビを見て居ると、玄関が開いて四畳半、寝室の八畳に回る足音で在る。如何やら、弟が来たらしい。私を探して、老母の部屋に入って来ると、仏壇に燈明を付けて、線香を付けてチィ~ンである。

「仕事を見にこっちに来た序でに、オバさんの所に請求書持って来たんだけど、留守見たいだわ。悪いけど、説明して渡してや。」

「あっそうか。今日は、ディサービスに行ってるんだ。了解。」

「お前は、頭は真っ白に為ったけど、何時も、明るくて元気で好いよ。仕事が在って、キツイだろうけど、良く頑張ってるね。大した物だ。良い事だ。」

「そりぁ~、当然だんね。俺ぁ、婆さんの子だぜな。女手一つで育てて呉れたんだから、ちゃんと後ろ姿見て育ってるよ。安心してお呉れや。女好きは、親父の血を引いてるから、我慢しときましょや。アハハ。その内、娘と別れたカカアが、婆さんの顔見に来るってさ。」

「お茶飲んでくか?」

「そうだな。折角、実家に来たんだからな。まぁ、少し位なら、文句は無いだろう。」

 お茶を入れて、肉好きの弟に昨夜作って置いたチャーシューの厚切りを出して遣ると、美味い、美味いと食べて居る。口直しに、蓮根の酢漬けを出して遣る。弟も独り暮らしで在るから、自炊のネタを何かと仕込んで行く。兄弟だから、性格は似ている。アハハ。

「料理は遣って見ると、何かと工夫の産物で面白いもんだ。婆さんの味を思い出しながら、雑煮を作ったり、Rちゃからの仕入れを再現したりでさ。持つべきは出来の良い兄貴ってもんでさ。俺ぁ、重宝させて貰ってるよ。ハハハ。
 考えて見りぁ、口煩い女の専売特許にして置くのは、勿体無い話だ。男がその気に為れば、如何って事も無い事だわね。それに、この歳に為れば、カンナ女は不要だしさ。婆さんの味が一番だったから、舌に残ってるんだ。婆さんに、感謝感謝だわね。」

「俺だって、そうだよ。馬鹿じゃないから、婆さんの後ろ姿の薫陶を受けて居るから、遣って見りぁ出来るもんさね。婆さんは頭が良いから、段取りが抜群だったからな。
 何しろ、デカい声じゃ言えないが、俺達ぁ出来が好いから、記憶力も応用力も抜群だからな。生んで育てて貰った手前で、一応のリップサービスで97の妖怪様にぁ敵わんけど、大した女ですわな。
ほれ、婆、褒めて遣ったんだから、二人にお茶継げや。アハハ。」

 弟も如何やら一番きつい処を潜り抜けて、仕事はきついらしいが、心に大分余裕が出て来た様である。いやはや、見上げた根性をしている。男は逃げずに、真っ向勝負で人生に足跡を残して行かなければ、男の風下にも置けませんわね。へへへ。

 人間の顔、風貌は、その人の記して来た看板の様な物である。ブレずに真っ向勝負、真っ当人生が、男女を問わず人に『風格』を創って来る物だと感心する。

 いやはや、97の母も62の弟も元が好いから、俳優さんよりも余程味の濃い風格の持ち主である。DNAと同心円の交わりと云う物は見て居て、粉う事無き穏やかなる<一幅の日本画の趣>さえ在る。為る程、人間と云う生き物は、それなりの年輪を刻み込んで、低温発酵・熟成されて行く存在なので在ろうから、人間はそれなりの長生きをしないと一幅の絵とは為らない物の様である。

 人間の顔は、整形、化粧に非ず。内部から、時間を掛けてコツコツと自らが彫刻して行く結果物なのだろう。

 月並みな形容では在るが、『この親にして、この子在り。この子にして、この親在り。』全ては、同DNAが集い合う同心円の造りし結果なのであろう。

 本日は、朝から良い物を、見させて頂いた物である。無風の青空に、お天道さんの輝きである。昼散歩に出掛けて参りましょうかね。イッヒッヒ~!!

心何処ーショート とうとう、冬が来ましたねぇ。
                 とうとう、冬が来ましたねぇ。(12/6/13)
       
             いやはや、本日は低く垂れ込む雪雲の拡がりでは無いか。
     これは、困ったお天気模様である。朝食後は落ち葉を掃き集めて、所定の貯め置き場に。

 昨日は散歩から帰って来ると、西向かいオバサンが落ち葉を袋に入れて居る処で在った。ご近所挨拶の立ち話をして居ると、ジョービタキのバルディナが、咲き始めた赤いサザンカの枝から、庭に降り立って、暫く愛くるしい姿で、地面の上をチョコチョコして居た。そして、直ぐ上の電線に止まった長い間、尾羽を振るわせて呉れて居た。

            私が注目し始めて三代目のジョービタキのメスであろう。

 三代目バルディナさんは、初代のバルディナに似て、筋が良さそうである。彼女は物怖じせずに、人懐っこい個体に思われる。初代さんは、何処で見て居るのか・・・私が外に出るとすぅ~と、何処からとも無く姿を見せて呉れた物である。四畳半定位置に居ても、日に数回、窓辺のコブシの枝に遣って来て、部屋を覗いて居た物で在る。

 まぁ、彼女達からしたら、半年を過ごす冬の縄張り巡回の一環行動なのだろうが、色彩のシャープなオスと違って、くすんだ羽根色とメスの動きの柔らかさが、何んとも愛らしくて、ついつい擬人化の対象と為って仕舞う。そんな次第で、私には必要欠くべからぬ冬の知り合いと云った存在なのである。

 今年は如何云う訳か知らないが、ツグミの姿が見えないので気にして居る次第でもある。

 今朝は目覚めて布団の中で、現在打ち始めている小編のストーリーの流れを彼是と夢想して居ると、好いアイディアが浮かんだ。ど素人がする事も無いから、毎日の日記ブログの傍ら、暇に飽かして妄想物語を打ったりして遊んで居る次第でもある。

 何事もそうでは在るが、白紙の無の状態から何かを作って行くと云う作業は、人間の特権にして面白い創作活動でも在る。へへへ。

 人間の脳味噌活動とて、それほどの活動域を持たされている訳でも無く、何かに取られて仕舞えば、目前の事に脳作用を占拠されて、その方向に煩わされて仕舞うだけの事である。云って見れば、遊びの無いハンドルで突き進んで仕舞う帰来が生じて仕舞う。
 脳味噌に溜まった物を一気呵成に吐き出す事も必要で在るし、一気呵成に走らずに、脳味噌っ云う小宇宙にも似た漠然として位置する脳世界に、一つの命題の下に、漠然とした溜まり物の中に、適当な破片を放り込んで置けば、それらは長い低温発酵を齎せて、何時かポッコリと姿を見せて呉れる事が、経験則として認識出来る処でもある。

 私は知識とは、そう云うものだろうと思って居る。たとえば本を買って来て、読まずに積んで置くの<積ん読>では、本は物体として埃を被るだけの事で在る。それでも買って来た以上、根性で読破してしまえば、後は広大無辺の小宇宙の脳内で、知らず知らずの低温発酵が進んで、書物のエキスだけが残ると云う寸法である。
 読む努力下では<退屈でしか無かった細々とした論証材料>などと云った色気の無い行は、素人脳にとっては、言って見れば枝葉末節の棘の様な物である。

 棘・角・辛味・臭気の枝葉末節な物は、沢庵漬けが天日干しで余計な水分を抜いて、米糠に各種の調味料・食塩の配合に依る糠床を作り、容器に大根を並べ、重しを掛けて水が上がって来たら、重しを取り除く。冷たい片隅で、2~3カ月の低温発酵の過程を踏んで、素材と乳酸菌のコラボレーションで棘、角、辛味が取れ、じっくりと味の廻った一品と為る。そして沢庵漬けが、食卓に上がるのである。

 天日干しをして萎びた素材に、塩と重しと云う物を課し、素材から絞られた素材エキスと、糠床の乳酸菌が低温発酵の時間を要して醸成されて、糠床の乳酸菌が重しを解かれた素材に浸透して行くのが、漬け物の醸成過程で在る。斯様にして、是はエキスとエキスの相乗行為と云う事なのである。従って、残ったエキスが知識の発酵菌の糠床と云った具合なのであろう。脳味噌だって、ご多聞に漏れず、発酵床と云って良かろう。ギャハハ~!!

           こんな次第を打って居ると、Tのお向かいの車である。

「やいやい、丸で雪でも降って来そうなお天気じゃないかい?」
「あいあい、12月だぜね。文句も言え無ぇさね。婆さん、元気にしてるかい?」
「あいあい、妖怪様は、ご壮健ですわいね。」

     スタバ二階席は、オバタリアン座談会の様子で、空いて居るソファ席に着く。

 長い付き合いの似た者同士の好色ヤクザもどきコンビで在るから、好き嫌いのパスパスの状況も、真に好く似ている。Tも選り好みが激しくて、テレビにイケスカ無いタレントなどが映って居ると、パッと替えて仕舞うとの事である。

「あんな小チンピラ野郎が、人気が在るってんだから、付き合い切れんわさ。何でも知った被りで、世間の批判をしてても自分の筋の通った選球眼も無い輩が、何を生意気面して表層踊りをして居るのか。まぁ、テレビの質の劣化は、目も覆いたいもんさね。Rは、肝が短いから、アンナのと一緒にさせたら、<この野郎、碌な知識も持って無ぇのに、生意気扱くな>で即座に張っ倒しちゃうんだろうがさ。同席させて見たいもんさ。アハハ。」

「へへへ、そうかいね。本音を言えばさ。松本駅前辺りでさ、マイクを向けて呉れれば、俺だって日本国民の一人だ。後期高齢者の感想・意見を、ご披露したいんだけどさ。マイクが回って来んのだから、仕方あるめぃよ。」

「そりぁ、無理だ。インタビューする方だって、選択眼が在らぁね。Rにマイクなんか渡したら、30分、1時間占領されちゃって、Rに睨まれたら『君子危うきに近寄らず』で善男善女は皆、逃げて行っちゃうぜや。テレビ局だって、編集権を持ってるから、『没』扱いよ。
 マッチ・ポンプのマスコミの街角安手インタビューなんて物はさ、駆け出しの仕事ズラ。なぁ、帰って来て、上司に見せて見ろ。頭からドヤシ上げられちゃうがな。<お前、こんな賛成派の意見取って来ても、政府批判の世論誘導には為らんだろう。無駄足、無駄金使い遣がってからに!!お前は、マスコミの立ち位置を認識して居ないでは無いか。馬鹿垂が~。>・・・所詮、サラリーマンマスコミとは、そう云うもんじゃないの。馬鹿馬鹿しい。」

「はいはい、分かりやした~。世間知らずで、御免なさいね。」

 寒過ぎて、外パッパは車の中で在る。隣の車では、中年女性がせっせと化粧の最中である。さてと、スタバ後の周回コースを回って行くと致そうか。いやはや、寒く為った物である。

 Tの奴は孫の成長で、体力増進の要を感じているらしく、走ったり、足上げ、跳び上がりをし始めているとの由。へへ、成長体力と衰退体力の差は、歴然の相違との事である。明日の孫預かりに、ジィジの意気込みは大した物である。

 そんなTのニヤ付きを見て、明日は我が身を想定して、引っ転ばぬ様に、私の散歩運動にも採り入れて行く事に致そうか。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 風邪も治まって、抜ける様な青空為り。
              風邪も治まって、抜ける様な青空為り。(12/5/13)
 さぁ~てと、起きるか。昨日は、殆ど静かにして居たから、体細胞が欠伸をしている。朝飯前に歩いて、郵便局と煙草の買い出しに行って来ると致そうか。好いお天気さんである。個人スーパーに行くと、生憎煙草が無い。オカズと野沢菜一束1200円との事であるから、運動がてら持って帰る。

                家まで来ると、お向かいご夫婦で在る。

「凄いね。朝から買い物。女をしたり、男をしたり、大した物だわ。」
「間に、肉体労働もするしね。何てったって、俺ぁ才人だぜね。ギャハハ。お役御免でも、何かして無いと、頭、身体、感性も腐ちゃうぜね。何でもそうだけど、習慣に為れば、面白いもんですわね。へへへ。」

 風呂に火を付けて、朝賄いである。昨日の分まで身体解しで在る。風呂の湯で雑巾掛け、トイレ掃除をして、玄関鳥の世話をする。動き序でに、野沢菜を洗って桶に漬ける。

「無駄なく動くねぇ。吾が子ながら、関心する。」

「何を扱いて、俺ぁ婆さんの倅だぜ~。出来の良い婆さんの働く姿を見てりぁ、遺伝子の為せる業だ。自然と真似が出来るってもんだわさ。それに俺は、兄弟の中で一番仕事嫌いだったから、面倒な事は纏めて片付けるタイプさね。
 兎角、馬鹿に限ってチンタラチンタラ嫌々仕事をするから、手より口が先行するんだわさ。そう為ると、余計に余分な時間作業に為るわね。仕事なんざぁ、量を纏めて次から次へと片付けて行くのが、男仕事だいね。
 仕事が嫌いだと、ダブリ作業は無駄作業ですがな。遣る分量が在れば、無駄口なんか叩く暇は無わさ。へへ、男の実力を舐めちゃ行けねぇよ。」

     家事仕事を終了して、ラジオを持って風呂浸かりである。好い気持ちで在る。

 風呂は遠慮して置くと云う妖怪様の言で在った。入浴後は裸で、ゴシゴシ浴槽洗いと多居る洗いで在る。シャワーを掛けて、一見落着。軽い昼にして、真っ青な空の下、元気に囀り動く、籠住人に生き餌のミルワームを数匹づつ落して遣ると、直ぐ様、見付けて啄み始める。

  さてさて、無風の青空である。ちょいと近場散歩をして来て、マイタイムと致そうか。

  小編物は、3頁に駒を進めた。そうだ、煙草買い方々、妄想歩きも良かろう。ハハハ。


心何処ーショート へへ、本日、安静日為り。
                 へへ、本日、安静日為り。(12/4/13)
 遺憾いかん・・・これは風邪の症状では無いか。咳が止まらず、間節の節々に鈍痛である。昨日、咳き込んで居て食欲の無かった妖怪様が、廊下のカーテンを開けて居る音がする。如何やら、空腹の態なのであろう。今度は玄関がソロリと開いて、回覧板置きの様である。

 こんな時は寝て居たい物だが、そうは行かない賄い夫の身である。するだけの事をして、風邪薬を飲んで早々の安静が、吾が仕事である。

    自転車を出し、大根を外の干し台に並べて、朝の賄いで在る。嗚呼、腰が痛い。

 馬鹿と変態は風邪を引かないと言うが・・・こりぁ、完全に風邪に掴まりましたがな。煮物に火を通し、味噌汁、魚を焼いて居ると、キリスト教の布教訪問である。感じの好い御婦人二人で在ったが、風邪と賄い中で在る。好色の気持ちも惹起されず、お帰り願う。

 お互い食欲も無い次第であるから、長芋を擦って胃袋に流し込んで、風邪薬が肝要である。普段なら、こんな簡単な朝賄いも真に億劫と為って居るのであるから、方無しで在る。
 
           テレビでは、国家特定秘密法案の参議院審議の中継で在る。

「ほれ、婆っさ、薬だ。」
「こんなに、大きいのかい。薬ばっかりで嫌だよ。医者嫌い、薬嫌いで生きて来たのに。」
「何を扱きぁがる。具合が悪い時は、薬を飲むんだわさ。親子揃って、黄色いパブロン三錠だ。文句はあるめぇ~、あい~。」

 布団に戻ってラジオとは思ったが、自民党質問が終わって民主党質問で在る。自民党質問に続いて、凄い民主党野次でラジオよりテレビの方が面白い。本日、無風の好天で在る。炬燵に下半身を伸ばして、上半身は太陽熱の温かさである。座布団を背中に頭には枕を宛がって、国会中継鑑賞をする。

 いやはや、民主党さんは質問時間の半分を、当てがましいばかりの興奮時間に当てて居る。国民の選良審議採点からすると、彼等は完全に落第点である。質問者も応答者も気色ばんで、意地の張り合いの様相である。
怒号に近い野次の充満で、テレビ中継を念頭に置いたパフォーマンス政党の民主党の下衆根性が、象徴されて居るの図で在った。後半の議論は真ともで在ったから、知って居て、『為にするパフォーマンス』だった事は、否めない映りである。

   質問政党は野党・民主党から、与党・公明党に変わるや、ピタリと野次が無くなった。

「婆さん、見て見ろや。野次がぴたりと止んだぜや。奇蹟かね。何委員会か知らんけどさ。委員会なんだから、与党も野党も委員会の平等な構成員だろうに。
 テレビカメラの前で、手前達の主義主張のパフォーマンスだけを演じ切ったら、後は休憩時間宜しく、一斉に退場協議かいな。笑止千万!! 全く野合の衆にして、下衆の醜でしか無いぜや。

  野次がぴたりと止んだのは、煩い民主党議員が居なくなったと云う、一目瞭然の結果でしょうが。

 言論テロが如何やらこうやら、鬼の首を取った様に口撃するのなら、委員会構成員の政党なら、大人の政党らしく、反対・賛成の意見を全部、平等に聞くのは、人間のエチケットして最低限の仁義ってもんだぜ。こいつら、ガキの集団かいね。あい~。

  民主党の正体見えたり。これ即ち、単なる『パフォーマンス優先政党』と云う事ですがね。

 マスゴミ連中が、この怒号野次シーンだけを切り取って、テレビパフォーマンスを仕出かして、映像、活字を駆使して世論誘導するって寸法さね。相も変わらず安手のマッチ・ポンプで、表層世論操作を仕出かして居る大罪への反省が丸で無い連中だから、国民の信を失くすんですがな。民主・自民の関ヶ原の戦いは遠に勝敗が着いて、日本を取り戻す布石が着けられて行くのが、この数年の日本政治でしょうが。民主党に何年間かのチャンスが与えられたのに、大失態を演じた癖に、<夢よ、もう一度>も屁った呉れも無ぇだろうに。

    見るからに、魅力の無い踏ん反り返って居るだけの『下らん面相連中』ですがな。

 何か在れば、<欧米先進国の制度はこんなに進んで居て、吾が日本は・・・>の決め台詞でさ、聞き慣れない横文字を多投して一般庶民を煙に巻いて、先生面してる連中さね。

 独立国として、一家を張って居る国にぁ、国家機密保護法も、スパイ防止法も定着してるのが、常識ですがね。日本見たいに、当たり前の国家機密防止法が欠落して居るのが、世界の中で異常なんですがな。

 文句、チャチを入れる気に為ったら、幾らでも言えますがね。若しかしたら、薄らトンカチの俺だって、言えるかも知れんわね。あい~。」

 12時で中継終わりである。風邪薬を飲んでコタツで安静にして居たお陰だろうか、大分楽に為った。さてさて、台所の洗い物、米を研いで置かなければ、晩飯には在り付けない。賄い後始末をして、お待たせの玄関鳥達の世話である。鳥籠を日当たりの軒下に吊るす。

 それが終われば、リンゴを丸齧りにして、念押しのパブロン三錠を口に入れる。乾いた口には、リンゴが美味いものである。寒い四畳半を敬遠して、炬燵の二畳小部屋で本日のブログ日誌打ちに取り掛かる。

 へへへ、吾が妖怪様は、廊下の椅子で日光浴の据わりで在る。小畳小部屋から空を見上げれば、青空中央に白雲の雲柱の屹立である。些か風が出て来たが、穏やかな光景である。散歩のお時間では在るが、本日は大事を取って安静日と致そうぞ。




心何処ーショート 総べからず、お天道さん為り。
                総べからず、お天道さん為り。(12/3/13)
 ゴミ出しに外に出ればゾクゾク、青空にアルプスさんが綺麗では在るが、今朝も霜の白さである。妖怪様は体調芳しからずで、ベットの中で在る。

 左様で在るか・・・ 起きてから、賄いを始動させれば良かろう。吾は湯を沸かして、四畳半定位置でのマイタイムである。

 今日は小編の一行でも打とうかとしていると、玄関が開いて、お向かいさんがリンゴを頂戴して仕舞った。

 ラジオのニュースを聞いて居ると、外務省アフリカ大使館の三等書記官が、賭博で金庫に在るべき筈の現金2000万円が無く、『公金横領』がばれるのを恐れて、大使館に放火との事であるから、全く世の中も『幼稚』に為って仕舞った物である。

 テストが嫌で、学校に放火した中学生とか、証拠隠滅の為に村役場に放火したとか、24憶円を使い込んでタイに逃げ、お手当の多いの少ないのとで、女にチクられてご用とか、チンケな5000万円借用書を高々と振り翳して、今後も都政に全身全霊邁進するとか、学校での道徳教育が如何のこうやとやら、手前は真っ当だから学校で一々、道徳授業を正課として採点するのは必要ないとか・・・

 馬鹿も休み休み言い遣がれ!! 多少勉強が出来たからと云って、道徳・倫理点が赤点じゃ、そんな輩は、社会人として使い物には為りぁらんわね。シャキッとせんかい、恥を知れ恥を!! 

★俺ぁ、でかい声じゃ言えませんが・・・「お前、胸に手を当てて、考えてご覧。自分が正しいか、間違って居るか、一番良く知ってるのは、お前だよ。」←はい、コンチクショーと悪態扱いてましたが、吾が母親には頭が上がりませんでしたわね。とほほ。

 誰が見て居無くとも、お天道さん、お月さんが、お星さんが、見て居なさるわね。お天道さん、お月さん、お星さんは、『是即ち、己が良心の存在&尊厳』ですぞね。それが道徳・倫理に形を変えて居るにしか過ぎませんわね。

         こんな突っ込みをしていると、ヤクルトママのコール声である。

 やや、ママさん、溌剌として美人さんの清々しさでは無いか。さては、濃厚為る愛の交歓を遣り為すったな。若いって好いなぁ~。寒いから、代金を手渡す時に、お手手をギュッと触らせて頂いた。ギャハハ!!

 こんな戯けをして居ても、腹が空く物である。妖怪様の部屋に行って、食べれるかと朝飯の催促をした次第である。『ああ~、腹減った~。コーヒーなんぞ飲んでも、腹の足しには為りませんがね。』

 朝の片付けをして、家庭菜園の野菜を抜いて来て、野沢菜の下に入れて漬け物の足しとする。野沢菜も食べ頃に為って来て、大分減って来た。沢庵漬け迄の間を繋ぐのが、野沢菜である。さてさて、好いお天気さんである。夜の鍋物の具を調達に行って来ると致そうか。

           個人スーパーに行くと、何と野沢菜の小振りな事か。

「如何したい? 今年は不作かいね。今食べてる方が、倍も大きかったよ。しゃ~無い。節約節約、折角蒔いて、菜っ葉に為ったんだから、食べて遣らねば、成仏出来んズラよ。俺ん処は、家のウラナリ菜っ葉で我慢すっか。」

「今年は夏が長かったから、蒔き時をズラしたら、寸足らずに為っちゃったってさ。アハハ。百姓は自然相手だから、しょうが無いけどさ。」

 それでも、ロートルさん達は、季節のお仕事であるから、漬け物をしないと堪能しないのだろう。老夫婦で、買いに来て居た。店頭には小振り白菜が並び始めた。

 自転車で帰って来ると、斜向かい吟さんが畑から帰って来た処で、車から野菜を下ろして居る。吟さんも蒔き時をずらし過ぎて、今年は失敗の段との事である。へへへ、小振り白菜を一つ頂戴した次第である。

 定年退職をして、手を染めた奥さんの実家での野菜畑。私と比べたら何倍ものセミプロの腕前である。然しながら、自然を相手の作付は裏を掻いた心算が、異常天候に苦も無く捻り潰されて仕舞う。

 まぁ、これもご近所話の種とも為るのであるから、アマチュアの気楽さでも在る。自然界作物相手に、太陽、水、土の三要素中、人間が精々出来る事は水遣りと土の肥料遣り位な物である。所詮、お天道さんの軍門に下るしか結果は無いと云う事である。

 総べからず、動植物は、お天道さんの下で生きるしかあるまい。お天道さんの下で、真っ当に生きる為には、道徳心、倫理観を確り持って生きて行かなければ、お天道さんの匙加減の恩恵には浴せ無いのであろう。アーメン、アッラッー、南無阿弥陀仏の前に、お天道さんに合掌ですがな。へへへ。


心何処ーショート ブログ紹介二つ。
                    ブログ紹介二つ(12/2/13)
 本日は、久し振りに夢の続きを見る事が出来た。一度夢を見て意識が醒めて、中々に意味深な夢であるから、その続きが見れたらと思いながら、再び眠りの中に落ちた。次に目覚めたのは、好い夢模様の直後で在った。二つの夢を反芻する。勿論、前夢、後夢には大きな断絶が在るのは、当然の成り行きで在る。

 早朝散歩の時間帯であるから、会話散歩が主目的のロートルオバサンコンビの声が響いて、通り過ぎて行く。その内に廊下の鳥も、朝を遣り始める。未だ動くには早い。夢の出典を、あれこれ思案する。為る程、左様であるか・・・ 夢もまた、火の無い処、煙立たずである。人間の脳作用とは、真に面白い働きを見せて呉れる物である。

 夢の出典に合点しながら、前後の夢の断絶を縄文土器の欠片から、全体修復をする塩梅で、不足の部分を妄想力で補填して行く。これは、夢奇譚に使えそうである。へへ、儲け物をした気分である。

 本日、ゴミ出しであるから、起きると致そう。ゴミを出して来る。さてさて、<記録に勝る記憶無し>であるから、寝床妄想をメモして置くと致そうぞ。メモは記憶の扉と為る。ニャハハ。

 ゴミ出しに家周りをすれば、霜に打ちのめされて葉野菜は、葉をだらしなく<地面へたりの図>である。風呂の用意をしながら、朝の始動で在る。

 一風呂浴びて、薄い青空にはボヤケタ白雲のたなびきで在る。これだと、洗濯物も乾くだろう。お天道さんの在る時は、二畳小部屋の方が暖かい。洗濯機を回しながら、小部屋の旧PCに文字打ちをしながら、軒下に吊るした鳥の動きなどを見る。

 四畳半の方から、塀に沿ってバルディナが姿見せである。庭の端を植え木の陰伝いに、尾羽を震わせながら、何処へぞと姿を消してしまった。楓の下に黄色の容器に、ミルワームを入れて置いたのだが、何時気付く物やら。

 洗濯を終えて動き序で、バルディナの姿が良く見える様に、四畳半脇のコブシの剪定をする。バサバサ鋏を入れたら、丸坊主に為って仕舞った。遺憾いかん・・・ちょいと遣り過ぎて仕舞った感は在るが、私へのLOVEが在れば、恥ずかしがってばかりでは居られまいて。ギャハハ~!!
 
       本日は、ブログ徘徊をしてる内で、好ブログさんを二つご紹介致しましょうかね。

 一つはhachiman01さんの<韓国、中国や時事について、ダラダラと>である。韓国、中国の記事、ネットから、韓国人、中国人が、日本に対して、世界に対して、どんな意図、感想を持っているかとか、毒亜圏に就いて世界がどんな反応を見せて居るかと云った記事紹介をして、hachiman01さんが、手短にバッサリと斬り捨てて下さる。

 私ばかりで無く『日本人なら、誰でも溜飲が下がる』事ばかりで、此の切り口を以って、日頃のチンケなマスコミ報道と対比して見ると、世の中の事が好く見えて来ると云った具合である。
 加えて、<本日の美人さん>コーナーは、私が日頃、女体美観賞の対象として居る双丘(ヒップ)の観賞コーナーでも在るからして、毎回、堪らんですなぁ~の涎状態なので在る。

 もう一つは、ウナさんの<ハシビロウコウ>である。身近な写真と新聞記事のアレンジの良さは、舌を巻く次第である。そして、短い文章と云うよりも短い日常語で本質を、グサリと抉りながらも、ユーモアを忘れないタッチは、写真、貼り付け記事との見事なブログ空間を構成して、読む人の気持ちをリラックスさせながらも、心に残る名台詞を刻んで居る。へへへ、人間は、こうで無くちゃ行けませんがね。ギャハハ~!!

 こう云った好ブログを読んで居ると、世の中とは実に広い物で、こんなにも色んな本物の人達が居るのかと嬉しく為って来る次第である。

 やれマスコミだ、識者だ、インテリだ、政治家だと、彼等は粋がって、テレビ、新聞、雑誌、ラジオで自惚れて居なさるのだろうが、どっこい、市井の日本人は、そんな小手先のサラリーマン根性の世論誘導の網には引っ掛からないと云う側面を、絶えず肝に銘じて置かないと、<裸の笑い者>に為ると云う事である。

 2ブログさんには、何時もお世話に為って居りまする。感謝感謝の気持ちでアリンスよ。この場を借りて、お礼の段で在りまする。お二方の健筆が末永く続かん事を、陰よりお祈り致して居りまする。へへへ。
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