旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート これも、兄弟付き合い、ご近所付き合い為り。
             これも、兄弟付き合い、ご近所付き合い為り。(11/30/13)
 おや、ご近所さんで工事かいな。朝の始動開始に玄関掃除をすると、西向かいさんに弟の会社のダンプが止まってる。排水舛の工事に来たらしい。左様で在るか。知らぬ顔は出来ないから、妖怪様に朝飯を食わせたら、お手子に来ると言って、朝飯である。

   着替えをして靴を履く。コンクリートのはつり仕事が有るから、それを遣らして貰う。

 昼はラーメンライスで良いから、食べさせて呉れとの事である。大の男が散歩運動ばかりして居ると、<中性域>に安住して終う。偶には、肉体労働をしないと『男』を維持出来ない次第で在る。お陰さんで、弟の会社は忙しいとの事である。

 昼は妖怪様も末っ子の顔が見れ、話が出来て、上機嫌で在る。オバさんは週二回のデイサービスであるから、お帰りは4時である。それまでに、完了させるとの予定との由。

 お隣さんが、10時、3時にお茶を入れに来てくれるのであるから、ご近所さんと云うのは有り難いものである。一段落したので、社員さんのお仕事を奪っては為らないから、私は家に戻る。

<沢庵漬けを、ごっそり当てにして居る>との事であるから、個人スーパーに有れば、ミヤシゲ大根を10本程買って来る事にする。実は、今年はミヤシゲ大根の入荷が少なくて、重しを取り外したら一段程少なかったので、如何したら物やらと気にして居た次第である。

     そんな次第であるから、兄弟とは可笑しなもので、良いタイミングで顔を出す。

 個人スーパーの先輩レジさんも買おうとすると、<こっちの方の大根が安い>からと、進めて呉れる。干し台を再セットして、茎と尻尾を切り落として10本を並べる。

 ハハハ、そんな事をして居ると、早や4時である。四畳半定位置で、アメリカンコーヒーを飲んで居ると、仕事が終わったらしく玄関で礼だけ言って、弟は帰って行った。

      本日は散歩運動以上の労働をしたから、散歩はしなくてもOKである。

 へへへ、オバさんが杖を付いてニコニコして、<有難う御座いました>と、挨拶に来られた。<如何致しまして。>と、一緒に工事終了を見に行く。

 小さい時からのお付き合いで、仕事を頼む方も、仕事をする方も、気持ち好く出来る。

 いやはや、これが縄文人から伝わるDNA同士の御近所付き合いと云う物なのだろう。些か、筋肉疲労では在るが、気持ちの良い一日であった。
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心何処ーショート おお、寒いでアリンす。
                   おお、寒いでアリンす。(11/29/13)
 いやはや、寒いじゃ在りませんか。寒さに青空、くっきり中央アルプスの連峰。信州の冬が始まりましたがね。重なる楓の落ち葉に陽の光である。寒々とはして居るが、綺麗な物である。

 炊飯器を入れるのが遅かったから、飯が炊けるまでテレビを見ながらの、妖怪様のコタツでお茶飲みである。

 早漬かり用のミヤシゲ大根の水も上がって来たから、ドッコラショと重しを取り除く。これで両容器共に、糠床での低温発酵をして頂くだけである。長期予報によると今冬は、多雪、寒冷との事である。信州の冬の保存食・沢庵漬けにとっては、好条件と為ろう。渋柿が一つも生らなかった次第であるから、冷凍柿をその代わりとした次第である。

   さてさて、今年の沢庵漬けは、如何なる味に仕上がる物やら、全ては結果待ちで在る。

 Tはセーターの着込みで在る。二階席は木椅子に座る。それでも、二階席は太陽熱に暖かいから、ジャンバーを脱ぐ。

「飲み屋の領収書じゃ在るまいし、不正は一切ないと、借用書に5000万円の数字と、サインを高々と挙げて見せて居るのが、日本国首都の知事さんじゃ、話にぁ、為らんぞや。あれだってよ、5000万円の前に、改竄防止の『金』の打ち止めも在りゃせんのだから、全く幼稚な独り芝居、猿芝居って事だいな。」

「あいあい、S大出てるんだから、漢用数字位知ってると思うんだけどな。へへ、ありゃ、大した自信家って事だいな。あんな男に上司面されて、部下の落ち度は部下の物、部下の手柄は上司の物なんて、扱き使われた日にぁ、白ヘルに鉄パイプで知事室に乱入しちゃく為っちまうわな。如何するだいな。あい~。」

「あれだぞ。背が小さいから、こんな高いヒールの靴を履いてるんだってさ。
 Rの口癖じゃないけど、<小男は潜在的に身体コンプレックスの為に、相手無視の威張りのポーズとネチネチした多言を駆使する。兎角、背伸びをし過ぎるから、はい、そうですかと鵜呑みに信用する訳にぁ行かん。眉に唾付けて、よ~く観察してからハンコ押さ無くちゃ為らん。>の一例だぜや。あい~。」

「やいやい、天下の都知事閣下に、酷い事を云うじゃ無いのさ。俺、そんなきつい事を言ってるかいな。世の中にぁ他人の事だと思って、飛んでも無ぇ事云ってるオッサンも居るもんだな。こんな事、相手に知られたら、俺ぁ、侮辱罪で刑務所行きだぜや。お~、怖い!!」

「ダイジョウ、だいじょう。日本の天皇陛下に直訴した山本太郎だって居るんだから、断然セーフだぜな。大手を振って、100まで妖怪様の介護が出来るわさ。」

         へへへ、Tの野郎も、抜けシャーシャーと抜かし遣がる物である。

「ほれ、こんな飼い主探しの子猫記事が在った。良かったら、電話して見ろや。」
「おっ、そうかい、サンキュー。」

 お互い歳を取って、世の柵から解放されると、兎角、口が悪く為るものらしい。加えて世間が狭く為るから、話の餌食のトバッチリを喰って仕舞うのが、身内、ご近所さん達である。市井の片隅に真っ当に暮らす私人であるから、公人、有名人、芸能人とは違って、話の餌食内容を公表する訳には行かぬ。
 
 ロートル好色ヤクザもどきコンビの毒舌殺法に掛っては、いやはや、<こっ恥ずかしくて、外になんか出れませんわね>の対象とされて仕舞う。ニャハハ~。

 まぁ、一々猛反省をするまでの事も無いのだが・・・認知症防止には、①大いに喋り、②大いに笑う事と、③散歩は欠かせ無い。これは、『ロートル三種の日常心得』との事でもあるからして、医療費高騰にして、高齢少子の21Cの住まい人としては、社会貢献の一助でもあろう。

 Tに指摘されれば、私は殊の他、口が悪いのだろう。それでも、話の餌食に為って居られる顔々には、何故かニコニコ顔に溢れて居るのであるから、これも、御愛嬌の世界でもある。ギャハハ~!! 

       人間、幾つに為っても話題を提供出来ると云うのは、幸福な事で在ろう。

 おやおや、常連中年女性に挨拶を頂戴して仕舞った。へへへ、私も後期高齢者入りで人畜無害の<風の理想体>と為って来たのだろう。

 本日、風強き低温である。ベンチパッパは、車内パッパとする。例に依って、賄い夫目線で買い物をして帰る。冬日突入の霜月末の一日は、呆気無く足早に暮れ行くばかりで在る。

    いやはや、遣り切れんませんわね・・・。しゃ~無い。朝後日からは、師走である。


心何処ーショート へへへ、ジグザグ日誌為り。
                 へへ、ジグザグ日誌為り。(11/28/13)
 ハハハ。お向かいさんに、大きな白菜を頂戴した。今年は白菜が不作で、高値のキープである。流石に、長野は農業県である。知り合い、友達の誰かには、畑をして居る人が居るものである。

 掃除、風呂、洗濯をして、米の買い出しに行って来る。向かい風が強過ぎて、ペダル漕ぎでフゥーフゥー、息切れである。帰りに個人スーパーから、根付きの松本一本ネギの太束を買って来る。家庭菜園の脇をガッポリと掘って、タップリの水を入れてネギの束を入れて、土をこんもりと被せて置けば、一冬のネギとして使える。

 ネギは、刻んでヤクミ、炊いて鍋物、味噌汁、卵焼きと重宝な野菜である。子供の頃は、<ネギを食べれば、頭がよく為る。><鮭、鰤の目玉を食べれば、頭がよく為る。>なんて事を良く云われた物である。真に受けて、それを励行したら、好色ヤクザもどきが出来て仕舞った。従って、真偽の程は、全く解らない次第である。ギャハハ~!!

 昨日のクローズアップ現代では、内戦が激化するシリア難民を取り上げて居た。持って行き場の無い戦争の悲惨さには、胸を引き裂かれる思いである。『アラブの春』と云われた民主化の熱嵐は、砲弾飛び交う収拾の着かない泥沼状態である。倒れ無いアサド政権に非難の国際メディアの大半が向いては居るが・・・ 民主化リーダーの居ない、或いは顔の見えない反体制派の罪も、冷静に問題にされ無ければ為らないだろう。

 イスラム教の多数派スンニ派と少数派シーア派の色分けをして見ながら、テレビを見て居た。シリアは、イラク難民の受け入れ国だったと云う。陸続きの難民は、陸、海を渡って、ヨーロッパ、北欧スウェーデンにまで及んで居るとの事であった。

 日本の隣国には、困った事に中国、北朝鮮、韓国が在る。中国も北朝鮮も、内実は閉鎖的、強権支配の共産国である。自由主義国韓国は、ご存知の通りに相手構わずの火病大国である。強権の力に依る縛りが衰えた時に、今まで抑圧、圧殺されて来た民衆のマグマが一気に燃え上がり、内戦状態と為らないとは言い切れない。

      毒亜の隣国としては、日本が危険極まりない危惧を抱いても、可笑しくは無かろう。

 歴史を辿れば、中国の春秋戦国時代には、揚子江中流域の難民が稲作文化と武器を持って、九州に渡って来たと云う説も在る。又、朝鮮半島では日本と親交の在った百済が新羅に滅ぼされると、日本に大挙して避難して来たと云う。
 近い時代には、帝政ロシアが崩壊した時には、白系ロシア人が、日本を経由してヨーロッパ、アメリカに避難して行ったとも云われている。そして近時に於いては、朝鮮戦争時の難民密入国者から成り立つ在日半島国人も、多数居るのである。

 戦争、内戦を問わず、戦火とは大量の難民を生じさせるものである。大東亜戦争末期に於いては、空襲、空襲で都会の日本人は、田舎に疎開したし、東日本大震災、福島原発事故でも、避難民、疎開行動も生じた。根底からの生活変更は、日本国民同士であっても、流言飛語、風評被害・・・etcで、各種の軋轢、苦難を伴なう。

 それがシリア難民を他岸の民として、傍観者的に見ているだけでは頂けない気がして為らない。国柄も国民性、民度の違う毒亜諸国民を、安易に難民として受け入れて良い物かと、深刻に考えて仕舞う次第である。

 私の中には、日本人の歴史の中で、戦火を逃れて海を渡った者が居ただろうか?の疑問が在る。規模は小さいが、日本にだって百年に及ぶ戦国時代があった。連日の空爆、広島、長崎の原子爆弾投下、占領軍米に依る徹底した日本解体が在った。
 然しながら、個人には遺伝子のDNAが流れ、国柄には日本の歴史と云うDNAが流れている。逃げずに必死に耐え切ったのも、日本国並びに日本国民であった。

 時の体制が民衆・国民を顧る事無く、実質上の棄民政策を摂り、国民、民衆が棄国をする様な体質者に、日本の言わずもがなの同心円の国土を開放して良い物なのか。

 私は大反対である。毒亜国に共通らしい在日特権を都合好く振り回すだけの、一身義務回避型の人間は、そもそも人道主義の対象には為らないのでは無いかと考える次第である。利用一辺倒では、余りにも見苦しき図でしか無い。そんな見苦しき一団は、<腐ったリンゴが一つ在れば、他のリンゴも皆腐って仕舞う。>の言い回しに、ついつい頷いて仕舞う。

 その国に生まれ、育った国民は、第一義的にはその国で暮らさなければ為らない。それが国民として生まれた宿命である。時に戦火を逃れて、他国に避難しても、それは飽く迄も、『一時凌ぎの仮の生活』である。国籍・身分を以って決められた期間内の避難を終えたら、速やかに祖国に帰還するのが筋と云う物である。そして、祖国に帰った後は、一生懸命働いて、祖国の国力を回復して、避難民受け入れ国への負担分を償還すべきである。

 差し伸べて呉れる手に<感謝して、受けた恩は、必ず返す>の気持ちが無ければ、是は人道に背く行為でしか無い。人の世に、一方的な人道主義など存在しない。これは、人の常識である。もう、そろそろ戦後日本人も、お花畑から卒業して、日本の国柄、日本人の矜持を回復して、正々堂々と発進し、態度で示して行かないと、日本を取り戻す緒には付けないと思う次第なのでは在るが・・・ 生存権と自衛権の葛藤、落とし処を踏まえて置かないと、禍根を残すのが、人の常、国家の歴史でもあろう。

  おっ、事件の続報でアリンスか。いやはや、色恋沙汰でのストーカー殺人事件が、多過ぎる。

 言っちゃなんですが、当事者の問題解決能力、処理能力が希薄に為って居るのが、この手の事件の真相であろう。『好きと嫌いじゃ、恋には為らない』のは、神代の時代からの真理である。

 好きに為るのも、それなりの時間を要すし、嫌いに為るのにも、それなりの時間を要す。そして、相手を説得したり、諦めるのにも、それなりの時間を要すのが、感情動物の人間たる所以である。

 国民の選良先生達が集う国会だって、所要時間を短絡して終えば、『強行採決』と大騒ぎと為るではないか。

 合意が無い以上、一方的絶交・断絶は、感情ルールに反する行いでしかあるまい。短時間の事務連絡で在っては、男女の仲は<凶器の沙汰>を引き起こすのみである。一時で在っても、狂喜・歓能を交換し合った仲なのであるから、考え様に依っては『無理心中』の方が、まだマシである。

 人を殺めて仕舞えば、自分も生きていては為らないのである。他人の命は、自分以下と云うのは、頂けない蛮行でしかあるまい。これも自己中心権利の蔓延なのだろうが、自己中同士の何んとも薄平らな時代に進んで仕舞った物である事か・・・。

 へへへ、ジグザグ日誌の態では在りまするが・・・丁度、<決定版・国民の歴史>を読了したタイミングで在ったので、感じる処、思う処、考える処が、大の番組で在った。


心何処ーショート 炬燵考
                      炬燵考。(11/27/13)
 夜はポットを持って、炬燵の出来た二畳小部屋に行く。椅子の四畳半と違って、狭いながらも、炬燵に胡坐掻きが出来るのは好い。

 全てが手に届く範囲に在ると云うのは、真に使い勝手が良い。一人空間としては、理想的な間取りかも知れぬ。然も炬燵で転寝と云う事には為らない処が、これまた宜しい。狭いから、ラジオの声が好い具合で、良く響いて居る。(尤もラジオ番組次第で、好いBGMにも為るし、反対に一々耳障りのトーク番組で煩い、ニャロメの時もある。)

 熱源代わりの電気ヒーターのオンオフは、手元のスイッチのオンオフで可であるから、これも好しである。それよりも一番重宝なのが、手が温い炬燵の中に入れる事が出来ると云う点だろうか。未だ11月であるから、冬の序ノ口でも無い。従って、本格的な冬に為ると、毛糸の帽子に半纏を着ないと、大きな口は叩けない次第では在るが、寒い四畳半で、ファンヒーターを点けたり、消したりして居るよりも、余程居心地の良い小部屋である。

 12、1、2、3月と成れば、私の寝室にも炬燵を作って置かねば、人が来た時に何かと不都合を来す。部屋に炬燵を作ってしまえば、深夜は炬燵で就寝前の時間を過ごす事にも為るし、昼間も温い炬燵で怠惰の昼鼾を掻く事にも為る。まぁ、それでも就寝前の時間を短編の万年筆動かしで、何編かを打った次第でも在る。手書き原稿を其の儘、PCに再現する程のキー操作が出来ない不器用さであるからして、原稿は要旨だけで、文章は様代わりしてしまうのが何時もの流れであった。

 同じ物をコピー作業する事は、私の様な物臭者にとっては、真に窮屈で退屈な作業である。そんな次第であるから、就寝前の万年筆書きは、絵で云えばデッサン見たいな物であるから、文章の<質より量・目安>と云う位置付けで、書くも打つも然程の負担には為らなかった。

 頭が廻らなければ、<炬燵での転寝は、風邪の元>で、布団に潜り込んで、湯たんぽで周辺の暖まった布団に足を乗せて、眠りの中に没して行けば良いだけの事である。

 炬燵の季節に為ると、夕食後の満腹感に温い炬燵で大の字に為って、小一時間の浮遊タイムが大の好物と為って来る。子供の頃から、そうであった。97の妖怪様は、何も言わず炬燵の温度を調節しながら、図体のデカイ倅を見ながらテレビを見て居る。母子の関係とは人間に限らず、皆そう遣って来たのだろう。

 明けて、薄い青空に風が吹き捲る外模様である。千頁の読み物は、ボリュームが在って、自分の栄養素にする為には、思いの反芻も大変な分量で在る。文字としては残って居ないだけの圧倒される縄文の文化、日本人が初めて目にした文字との千年にも及ぶ文字との葛藤、神話と限りなく融合する天皇の存在、政権実権の天皇→貴族→武家→平民、開国→鎖国→開国。世界四大文明の第一次の文明軸の時代、ユーラシア大陸の西端と東端から時代を同じくして萌芽して来た第二の軸の時代、大陸と海に大発展して行ったヨーロッパ文明の地球的規模の発展は裏返せば、新大陸、アフリカ、アジアへの侵奪の時代であり、白人の時代である。
 
 豊臣秀吉の朝鮮出兵は頓挫したものの、時を同じくして生まれた第二の軸の時代に、アジアの海に雄飛して居た日本人の海外進出の時代は、正に世界史を開かんとして居た時代でも在った。東洋から見た世界史が世界史を観る『東洋世界史観』と現在の西洋から観る『西洋世界史』と互角の世界史観の観方を持って、人類文明史を形成して居たのだろうと思われる。

 西洋文明の出自を、ギリシャ文明と任じて居るのが、西洋人の根底にあるのは確かな点である。ギリシャ文明は、その前の段階で地中海を世界の海と見做して居た古代の世界観では、メソポタミア、エジプトが、世界の海・地中海での覇権を争って、二文明が凌ぎを削って混合して文明の駆動力と為ったのが、ギリシャ文明であり、ギリシャ衰退期にマケドニアのアレキサンダーが東西の混交を図った300年のヘレニズムの時代が在り、それを受けて一大世界帝国を築き上げたのが、ローマ帝国で在った。

 大陸と云う文物が自由に移動出来ると云う大枠の中に在って、栄枯衰退の歴史の舞台、その継承は、ヨーロッパ白人世界からしたら、ギリシャ、ローマの継承者としての位置付けを持ちたいのは、当然の成り行きであろう。云って見れば、取捨選択の自由が在ったと云う事でも在る。それが大国の興亡史を大陸に刻んで来た歴史証左と云う物であろう。

 一方、ユーラシア大陸東端の島国・日本に於いては、入って来る全てを溜め置き、長い時間を掛けて・・・詰まりは千年を掛けて、漢字を日本語として行く方法が取られた。

 何故ならそれは、小さいながらも日本列島には、一万数千年に及ぶ縄文・弥生の日本文化を途切れる事の無かった連綿と積み重ねて来た『動かす事の出来ない歴史の厚み』が在ったからに相違あるまい。
 縄文の時代こそが、日本人の精神・文明の長くも豊かな『揺籃期』であった筈である。信ずる事から始まる人付き合い、互いに額に汗して黙々と創意工夫を凝らして、苦楽を分かち合う。民のかまどに現れる様に、協働精神で家族の様な国作りを標榜した心の根底には、<同心円思考の発露・発現>で在って、それは文字で記録され無くとも、語り部の口承によって、天皇の根源は限りなく神話と混交するのが、『日本・日本人の精神核』として生き続けて居たのであろうと考えるのが、<一番違和感の無い日本人の心の在り様>と思っている次第である。

 私は素より、一介の好色ヤクザもどきのロートルにしか過ぎない。年に一、二度、本格的な読書をすると立ち処に、消化不良の下痢ピーを仕出かして仕舞う脳薄である。然しながら、生きて居る以上、一過性のマスゴミ口車に乗って、右往左往するのは御免蒙りたいと考えて居る。ユーラシア大陸の東端日本列島のニッポンジンでは在るが、どっこい世界に異界を誇る縄文文化の末裔である。異脳を持つ日本の由緒正しい常識は、絶えず持ち続けて居たいと思っている次第である。

 黒船に続き、ロシアのバルチィック艦隊を撃沈した、その当時の帝国連合艦隊の7隻を16隻の大西洋艦隊を回航させて、<白船恫喝>に遣って来たセオドア・ローズベルト米大統領が居たと云う事を教えて呉れた現東京都知事・猪瀬直樹氏の報道陣理前に提示した5000万円借用書とは、素人目からすると、これぞ正しく白船恫喝為らぬ『白地借用書』以外の何物にも見えぬ。いやはや、態は、その人を現すの一証左でもあろうか。

 中狂国さんも、何でもかんでも威張りたい一心の中華帝国の態では在ろうが、漢字発祥国と云っても、今や漢字輸入国でしかあるまい。文献の多くは日本書籍だと云うでは無いか。外資・工場誘致・技術移転・生産販売ノウハウ・・・etcと少しは、客観的視点を持たないと、世界、地球の嫌われ者道を驀進して、自壊・自滅の道を辿るだけですぞえ。

 日本が表意文字として漢字を輸入して、当初は表音文字として万葉文字として使用する。次の段階で表意文字を大和語に置き替え、訓読みにする。次の段階では漢字からひらがな、カタカナ文字を考案して、てにをはを振って、漢字を『日本語化』して行ったと云う。その変遷は、書物の残る漢字比率を辿ると、一目瞭然の時代区分が在るそうな。(※万葉集0.3%、平安前期10%、中期以降15~20%、鎌倉時代25%、室町時代30%、江戸時代35%、現代45%との由)

 私の文章は漢字が圧倒的に多いとの事である。然しながら、私は漢字程、重宝な文字は無いと気に入っている次第である。漢字は表音文字にして表意文字であるから、文章もそれなりに引き締まり、例え読み方を知らなくても音読みにすれば語呂の調子が取れるし、意味も漢字一字一字に内包されて居るから、当たらずも遠からじの形で、意味も何となく分かる。

 読むと云う行為は、読むに先行して見る事でも在る。その点、ひらがな、カタカナ文字と違って、漢字はアピール度が断然に強い。漢字を見る事で、ひらがな、カタカナ文字より数段の速さで、意味が分かる。云って見れば、速読に適した文字が漢字の凄さであろう。

 斯様にして、古代のご先祖さん達の理性は、漢字を日本語に同化するのに『千年を要した』と云うのである。漢文にレ点、テニヲハを点けて、漢文を日本文としたのは、正に<民族の英知>として、何と云うべきか。これぞ正しく『大和民族快挙』で在りましょうや。

 一方、アイウエオ表記にして、あっさり漢字を捨ててしまったハングル民族の思考停滞の様は、音だけのギャンギャン、ワァワァ騒ぎ立てるだけの、おぞましい限りの火病の輩国家でしか在るまい。

 へへへ、半島国のご仁は、口を開けば<歴史を直視出来ない民族・国家に、明日は無い。>と述給うだけで、全ての『千年の恨』に激するばかりである。所詮、脳回路に天と地の開きが在るのであるからして、生物本能からして、毒には近寄らない事が、一番である。

 私の性向は、観察者に近いのだろう。歴史を俯瞰して観るのは、己が人生を振り返る心境とも似て居る。赤子幼児が、真似る事から始まって、真似る→真似ぶ→学ぶ→知る→行うの過程を辿って生きて行く事に通じる。
 それなりの人生を辿って、経験知、経験値を多少なりとも持ち得て来ると、歴史俯瞰の読み物は、身近に感じられて来る次第でも在る。そうか、左様であったか・・・etcと何かと、『確認する思考時間』とも為る物である。

 そもそもが、お役御免のロートル読書であるから、一々、赤線を引いて丸暗記する必要など更々ない素人読書である。計千頁の万分の一にも満たない読書結果では在るが、これも歳の功でスカンポ脳に辛うじて残った読書の幾つかの残滓を元に、反芻して行けば、幾ばくかの思考、思索の糧にも為ろう。

 現役時代は、何かとしたくても出来ないのが、人の常である。そんな現役世代の代理として、偶には本格的な読み物に徹して、代読をして見るのも、ロートルの社会構成員としての分担の一環でもあろう。へへへ。

 アジャジャ、顔貌が見えないのを幸いに、下衆の調子付きで長々と打ち連ねて居る内に、お天道さんは雲隠れのブューブュー、鳥籠揺らす冬模様である。大事な玄関鳥に風邪を引かせては、相済まぬ。所定の玄関に置く事にする。いやはや、西のお山は、吹雪いて御座る。いやはや、寒々とした光景に様変わりである。

       本日も、取り留めの無い長駄文の館にお出でなさって、感謝感謝で在りまする。



心何処ーショート 観葉野菜?
                     観葉野菜?(11/26/13)
 昨夜は、よく降って呉れた物である。朝も雨が残るものと思って居たが、雨の基が無く為って仕舞ったらしい。障子を開けて見れば、快晴ではないか。

 朝食後は、妖怪様は洗濯、私は二畳小部屋の模様替えである。椅子、机を出して、ポータブル温風機を熱源に、コタツを作る。これで、寒い夜は二畳小部屋でマイタイムが出来る。コタツ台に旧PCを載せて、漫画本にラジオを掛けて、庭ウォッチングをする。

 庭に、小さな動きである。百日紅(さるすべり)の幹が、邪魔して居る。姿が見えるまで待って居ると、期待通りにジョービタキのバルディナである。

 庭の中をチョコン、チョコンと飛び回り、尾羽を振るわせる仕草は、真に可愛いものである。私も観察しているが、相手も観察して居る。部屋の模様替えに、気付いた様子である。窓から2m程の距離に止まって、クリっとしたまん丸の眼で此方を見て居る。

     私の目とジョービタキの目が合致した後、パッと視界から去って仕舞った。

 パンとリンゴの昼食後は、妖怪様に<寒く為らない内に、散歩に行って来い>と、尻を叩かれて仕舞った。

 お天道さんは青空の中では在るが、冷たい南風の強さである。トンビ殿が低い飛翔で流されて行く。山の黄葉もすっかり死に体で、水分の枯渇した紅葉は、カサカサした乾燥肌の様な物である。山も潤いを亡くして、長い冬に冬眠の支度である。

      移ろい行く季節の速さに、嗚呼、冬の到来か・・・と、溜息が出る始末である。

 蝶もトンボも見えず、河川敷の芝生には、ボコボコとモグラ塚が散見されるだけの殺風景さだけである。温度は、それなりに有るのだろうが、風の強さに耳の穴が痛く為って来た始末である。

 本日は何と、白セキレイ、ホウジロ、カラス、トンビの計4匹なのであるから、昼散歩も空振りの口である。まぁ、こんな事も在るのが、自然と云う物であろう。

 家に帰って来ると、柿の木にヒヨドリ一羽である。家に入る前に、家庭菜園の様子を見る。野菜としての役割は果たせ様も無い次第では在るが、この時期の緑は気分、目の保養としては、充分に貢献して居る。

 へへへ、観葉植物の言葉も在る。従って、負け惜しみ隠して、『観葉野菜』も在って良かろう。へへへ、世の中、全ては言い様である。


心何処ーショート 11月下旬、お天気さんは下り坂。
                 11月下旬、お天気さんは下り坂。(11/25/13)
 本日は夕刻からの雨予報であった。暗い曇天朝に、温い布団から抜け出せずに、読書中の書物の反芻時間とする。この本は、77万部を売り上げたと云う大ベストセラーとの事である。日本人口1.4億と云うのであるからして、チョイと計算して見る。77万部は、ブックオフ分を販売に入れると、遠に2回転はして居るだろう。

 77×2=154万として、計算が苦手であるから、それをザックリ割り算すれば、1/140であるから、0.7%と云う事に為る。上下巻合わせて千頁の大著である。積ん読を計算に入れれば、上下巻読了者のパーセンテージは、その半分。大著の要旨を脳味噌に収納せしめるパーセンテージは、そのまた、半分以下と云う事に為ろうか。
 従って、0.7×0.5×0.5=0.175%・・・へへへ、こんな幼稚な計算をして見ると、決定版・国民の歴史の認知度たるや、暗澹たる思いである。

          こりぁ、シャキッとせんかい、日本人!! シャキッと。
 戦後70年近くにも為って、未だに刷り込み自虐史観でも為ろうに。流れる日本人の血の常識を以って、胸に手を掛けて反芻すれば、毒亜、米公に謙(へりくだ)る筋合いなど在りはせんわね。

<じぃじ、や~よ。やめてよ。>なんて、股を閉じて内股モジモジ防戦一方では、世界ヴァギナにに突入するISO以前に、JISの階段も上れやせんぞね。股をおっ拡げて、踏ん張って小さいながらも、マイ・チンコ・イズ・No,1のモロ見せを仕出かす位の土根性が無くちゃ、コスモポリタンにぁ、為れ無ぇわさ。縄文以来の御先祖さん達に、申し開きが出来んわさ。へへへ。

 本篇を読んで現在、あとがきを読んで居る次第であるが、頁に著者の顔が浮かんで、理解力の無い戯けの身が、真に申し訳ない気分である。

 然しながら、これが西尾幹二先生に、天が下し置かれた才と学者としての道なのであるから、日本国の歴史を背負って、頑張って頂くしか無いのである。世の中は全て分業に依って成り立っているのであるからして、その分野、分野の、司、司の才能と努力によって、牽引して頂き、何の才も無き者が、その慧眼に接し何百分の一かの真っ当論の恩恵に浴して、己が心、行いを糺す。これが、国の総体力なのであるからして。有り難きかな、読書と云う物であろう。へへへ。

      朝の家庭菜園では、久し振りにジョービタキのバルディナとの顔合わせである。

 本日は午後一で、ケアマネさんの来宅との事である。掃除をして、払い込みをして来ると致そうか。吾が身も65歳に為って、『介護保険料の払い込み』の開始であるか・・・。

 朝食後は、郵便局で他一件の払い込みを済ませて、リンゴと駄菓子を買いに個人スーパーまで足を伸ばす。一面の曇天にして、風の吹き様である。昨日までの上天気と打って変わっての、しょげかえった風景に、落ち葉がカサカサと舞い飛ぶ光景は、いやはや堪らない冬姿である。




心何処ーショート じぃじ、ヤ~よ。やめてよ。
                 じぃじ、ヤ~よ。やめてよ。(11/24/13)
 防空識別圏だか、何だか知らんが、中狂国の執拗極まりない悪行、韓国の反日排日言い振らし外交の図である。これは<完全なる時代遅れの蛮族・匪賊・不逞民族の常道>にして、真っ当人種からすれば、天地動転の『火病行動の異常振り』としか見えない次第である。

  いやはや・・・錯覚錯誤狂国、大国強国を国是とする脳回路とは、見苦しい限りである。

 それでも、こんな異常振りが世界にポンポン打ち上げられて仕舞うと、常識の逆襲を受けるのが常である。世界の常識は、<こりぁ、どないかせんば、世界は毒亜国の生物汚染に、人類そのものが、神経障害を来して終う危険性>に気付いたらしい。

 そんな次第で、『毒亜国包囲網』がアジアに見えて来たと云うのは、是即ち『朗報』であろう。へへへ、野郎共、図に乗ってとうとう『天に唾しちゃいました』がね。

 これでは日本の先人達が、何度も何度も、開国、鎖国、開国を繰り返して、大陸にからの発生発症する<毒亜汚染>から日本の国柄を護って来た筈である。さぞかし、煮え湯を飲まされ、歯ぎしりを散々経験した来たに違いあるまい。
 現代であるから、毒気もPM2.5で明確に測定出来る。異常血の及ぼす化学測定が出来るのではあるが、そんな術も無かった歴史に於いて、先人達の嗅覚たるや大した物である。

 現在を、歴史を、振り返り俯瞰して見ると、大中華・小中華と国境を持つ周辺アジア国は、大変な迷惑を浴びて来たのも道理である。

              下巻を読み進めて居ると、面白い行があった。

★日露戦争が勝利に終わった直後の新しい、冷たい太平洋の向こう側の壁は、日本の政治指導者のあいだに激しい危機感を呼び起こした。アメリカだけでなく、カナダやオーストラリアにおいても排日の共同戦線が張られた。・・・中略。
 なんと驚くべきことに、アメリカはこのとき突如として対日威嚇行動にでた。1908年3月のことである。アメリカの大西洋艦隊を大挙して太平洋に回航させ、日本近海に近付けるという行動に出たのである。日本の連合艦隊の二倍の規模もある大艦隊の接近は、たちまちのうちに日本に恐慌をもたらした。白船来航。
 船は白いペンキで塗りたくられていて、グレート・ホワイト・フリートと呼ばれていたので、日本はかつての黒船と区別して白船と言い始めた。時の大統領は、親日家で知られるセオドア・ローズベルトである。

                 以上、西尾幹二著・決定版国民の歴史・下巻。抜粋。

 さて、この記述はノンフィクション作家・猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』で知った白船事件との事である。

 この数日、ノンフィクションと事実の糾弾で、一躍論壇の雄と為り、副都知事、都知事に昇り詰めたS大全共闘委員長出身の知事さんではあるが、都知事立候補に当たっての医療法人・徳州会からの5000万借り受け事件が、マスコミ界で連日取り上げられている。
 兎角、小男の虚勢張りで上から目線の言動で、五輪招致での迂闊発言=アラブの宗派闘争発言、尖閣諸島の東京都買収キャンペーンの発案者までは良かった物の、その後の宙に浮いて仕舞った国民の浄財14億円の棚上げ状態・・・etcと、振り上げる拳の威勢の良さは、その持ち味では在るが、組織での躾けを受けて来なかった自由業の限界で、収拾の分野は、好い加減さ、粗さが内包されて居るのだろう。

 顔相・態度からして見て、自分に甘く、他人には事に手厳しいタイプの御仁なのであろう。さてさて、己に如何なる終止符を下す物やら。へへへ。

 偶には、甘い物が喰いたく為って歩いてスーパーに行く。途中で例の喫茶店の婆さんに見付かって仕舞い、87歳婆さんとの道行きである。御老体は、今年もモンゴル行を果たして来たとの由。いやはや、大した物である。顔出しに喫茶店に顔を出せとの事では在るが、男話と女話とでは色合いが異なって仕舞うから、中々に敷居の高い女族の戯れる空間なのである。私としては、パスパスの小心者である。

 本日のブログに取り掛かって居ると、倅ファミリーのお越しである。孫は、またまた成長して居る。色の白い、中々に可愛い子に育って来て居る。私の仕事は漬け物出しとお茶の用意である。日当たりの好い廊下で、玩具と大きな声で遊び捲って居る孫である。四畳半の定位置に居ると、孫がトコトコ声を掛けに来る。膝に捕まえて遣ろうとすると、するりと逃げる。

    おのれ、この小わっぱ。得意の男同士の親愛行為のチンチン攻撃をして遣ると。

 ジィジ、ヤ~よ。やめてよ。のオカマ逃げで、私を睨んで見せるのであるから、孫の行く末が心配の種でもある。男は、番から知性派を目指して、縄文人の意志を継承しなければ為らない次第なのでは在るが、困った事に、今からオカマ笑いでは、この先が大いに危ぶまれる次第である。ギャハハ~!!


心何処ーショート 上天気の、空気の美味さである。
                 上天気の空気の美味さである。(11/23/13)
 無風の好天気である。朝日に霜が溶け始めて、家庭菜園の菜っ葉が朝のウォーミングアップに開始し様として居る様である。もう西の常念岳は、白い冬の輝きを青空に映えさせている。大根干しも霜の水分が蒸発した後は、漬け物容器の中へである。

 さぁ~て、一日の始まりじゃい。空気の総入れ替え方々、寝具を物干に掛けて、掃き掃除から始めた朝の始動である。

 人間の朝食後は、玄関鳥達の餌遣りである。さて、遣って仕舞うとするか。廊下に大根を取り込んで、干し台、ブルーシートを収納する。外を片付けて、中に入る。

 ヨッコラショと大根を運び、台所奥の漬け物置き場で、採り入れた大根を並べて調合糠で埋める。糠が余ったら、それで白カブの糠漬けを考えていたのだが、ドンピッシャリの糠消化である。良し好し。ヨッコラショと漬け物石を乗せて、ビニールを掛ける。

                  やれやれ、これで全て完了である。

 何事も動き序での動きの中に、流すのが仕事嫌いな者の活用法である。さてさて厄介では在るが、吾が寝室の八畳の本格的掃除をするか。天井掃きにハタキをパッパと振るい、埃沈下のコーヒータイムとする。

  いやはや、ウンザリするほどの埃である。然しながら掃除をすれば、気分が一新される。

 今度は布団叩きをして、廊下にどっかりと胡坐を掻いて、コーヒーを飲みながら目下宿題中の読書の頁を捲る。

 稀に見る上天気であるから、妖怪様も廊下に座布団を敷いて、上に毛布の横たわりである。こんな季節に為ると、何は兎も角、お天道さんの輝きが一番である。母子揃っての廊下での、のんびりタイムである。下巻も半ばまで読み進んだ。昼の部はこの位にして、台所の洗い物、布団の取り込みをして、昼とすべしである。

 昼食後はホカホカ布団に寝そべって、昨夜の続きの二流マカロニ・ウエスタンを見たり、教養本の反芻をしながら昼寝と致そうか。いやはや、穏やかに上天気の空気の美味さでもある。へへへ。



心何処ーショート 晩秋の日差しに、時折の微風為り。
               晩秋の日差しに、時折の微風為り。(11/22/13)
 雲一つ無い日本晴れである。朝の賄い前に、家を一周りである。指程の白カブが地面に顔を覗かせている。野沢菜は市販の1/5にも満たない形で、日差しの下でそれなりに伸びている。落葉した庭に楓の黄葉が見事に、日差しに映えて居る。四畳半前の干し台の大根を、ぐりぐりと中の水分を揉み解して、表を裏に並べ替えて遣る。フェンスの南天の実が紅く色付いて居る。

 お茶を入れて貰い、それを飲みながらの朝の支度に取り掛かる。廊下の民生委員のFさんのプレゼント・淡いピンクのミニバラにスプレーして遣る。お天気が好いから、掃き掃除後は、廊下の戸を少し開けと居て遣る。

 浅漬けの野沢菜の茎の部分も漬かって来た。些か塩が、利き過ぎて仕舞った。それでも、白米には漬け物が一番の取り合わせである。食後は妖怪様を相手に戯け漫談をして、気分解しである。昨日は風呂にも入れ無かった妖怪様では在るが、今日は意外と血色が好い。

「これ、糞婆っさ、粗相をするで無いわ。良いから良いから、俺が拾うわさ。あはは。」

          お茶の足し入れに、急須の蓋がコロコロと転がった。

「すいません。ありがとう。」
「なっ、婆っさ、俺が居ぇと困るだろ。益々、俺には頭が上がらんだろう。困ったもんだろう。合掌しろよ。」

 足して2で割って、81の親子水入らずの日々である。来宅して呉れる女族のFさん、Hさんの前でも、<糞婆っさ><妖怪様><コタツ地蔵様>を平気で使用して居る様を、窘められる事はその都度では在る。
然しながら其処は親子であるからして、これらは全て『親愛なるニックネーム』見たいな物である。

 まぁ、私としたら、産み育てて呉れたご母堂様為れど、AV81歳とも為れば同じDNAの為せる業で、遠に親子関係など超越して終った本体、分身の感である。母であり、連れ添い、兄弟姉妹、子、孫で在り、何百、何千、何万年と流れて来た<同祖血の継承者同志>と云った塩梅である。従って、想い、希い、感情は、同根・同心円にして、老母は私に宿り、私は老母に宿りで、一体化して居ると云った感じがして来る物である。

 こう云った観じ方は、経験して見なければ分からない親子の満足感なのであろう。喜怒哀楽を共に生活の日々の中に体験しない他人には、実感出来ない領域為りで在ろうか。アハハ。

 四畳半定位置で、インスタントコーヒーと煙草の煙で、こんな事を打って居ると、ブロック塀の上に、シジューカラの姿である。時折の微風の中で、日差しに羽毛の光沢が真に見事である。背筋を伸ばして空を見遣れば、何時の間にか薄き白雲の浮かびである。

           河川敷で近場散歩をして居ると電話である。

「悪い悪い、爺っさをインフルエンザの予防接種で来たら、えらい混み様で、今まで掛かっちゃたいな。これから行くぜ。」
「あいあい。分かりやした~。」

           へへ、一人っ子の孝行息子は、大変である。

 スタバ二階席は、太陽熱でムンムンした暑さである。早速、上を一枚脱いだ次第である。目下、読書中の国民の歴史の記述から話題を取って、好色ヤクザもどきトークの開始である。先生の専門が、ドイツ文学と云う事も在って、日本人には殆ど知られて居ない※『北の十字軍』の行は、驚愕の歴史事実であった。

 人間とは、宗教の名を免罪符に、狂気の殺戮をしても平気の平左らしい。比叡山焼き討ちの信長なんて物では無く、正にヒットラーも軽く凌駕するほどの徹底した殺戮と略奪を、何の躊躇いも無くして仕出かして居る。現在はイスラム原理主義者のレッテルで『聖戦』テロには、手厳しい報復と非難・糾弾が、轟々と叫ばれる。

      然しながら、人間とは宗教の名の下に、平気で悪魔の所業をする生き物である。

※第一はエルサレム奪還、第二はイスラム占領のスペインの奪還、第三は殆ど日本では知られて居ないデンマーク、ザクセンの東のほう、北はバルト海から南はシュプレー川以西に棲む土着的な多神教を奉ずる異教徒をバルト・スラブ人といい、リトアニア人やラトビア人やエストニア人が暮らしていた地域である。改宗しない異教徒を殺害する事を進めたのが聖ベルナールの教義だという。(下巻より抜粋)←この教義を引っ提げて、南米大陸、アジアを席巻して行ったのが、西洋の大航海時代、植民地帝国主義であった。正に、絶対的一神教とは狂気の沙汰である。

 こんな本の内容を引き合いに出して、歴史と云う時空をジグザグに交差させながら、色々な時代を当て嵌めながら比較人類学として、友と気楽に語るのは愉しいものである。根底の思想、思考とは、ドラマ、映画にも登場する次第であるから、それ等に現れる幾つかのシーンの振り返りも、面白いものである。ハンニバル、ベン・ハー、アラモ、ショウグン、グローリー・・・etc。

 いやはや、第何次の十字軍か知らんが、グローバル経済、TPPも、白人思想の根底には、そんな物が引き継がれて居るのだろう。

「処で、如何だい? 孫の子守も大変だろう。」

「それがさ、YouTubeには幼児向けのアニメも盛り沢山に在るからさ、無我夢中で見て居るんだ。簡単な操作も覚えちゃったから、楽な物さな。解らないとさ、<ジィジ、なんか、へん。>って呼びに来るんだから、大したもんだわ。アハハ。」

「そうかい。子供の知恵の進歩は、凄いもんだな。英才教育で、裏サイトは止めときましょや。<わぁ、ジィジ、オッパイだぁ~!!>じぁ、娘に示しが付かんぞや。あい~。」

「ダイジョー、だいじょー、誰も居ない時の個人的趣味のお時間だぜな。あれだな、SNちゃん、リハビリを開始したんだって、あんまり頑張ると、逆に負担が来ちゃうだろ。程程に、スローテンポで行かなくちゃ。何しろ、俺達は自分が思っている以上に、爺っさだぜな。」

 さてさて、外パッパで買い物をして帰ると致そうか。本日は、穏やかな上天気である。出て来る時には、妖怪様も廊下に転がって日光浴をして居た次第であった。


心何処ーショート 本日、書籍推薦為り。
                  本日、書籍推薦為り。(11/21/13)
 家事を遣って、汚れ序での風呂を済ませば、早やこんな時間である。やれやれの定位置、アメリカンコーヒーを飲みながらの一服で在る。ミヤシゲ大根の一期生を漬け物容器に並べて、糠を掛けて置く。これで金曜、土曜辺りに第二期生を糠埋めすれば、終了である。

 昨日は寝ていようと思ったら、メール設定とやらで予定狂いと為って仕舞った。まぁ、閉じ籠り生活であるから、人が来て呉れるのは有り難いものである。梃子摺っていたから、素人の私が何度か試しても、設定が叶わなかった代物である。

      本日はお天気さんが好いから、何かと身体もすんなり動いて運動と為った。

 普段は読書を敬遠して居る性向で在るが、本を通して硬く為った頭を研ぐ解さないと、偏執の方向に行って仕舞う。時々、外部からの刺激を注入しないと世間様から逸(はぐ)れてしまう。然しながら、脳味噌の収納機能が粗雑に出来て居るから、干支はネズミで在っても、牛の様に寝そべって反芻して行かないと、折角の注入物が栄養素として血液に入って、身体の節々、末梢には循環して行かないのである。

 学問分野に一生を捧げる秀でた学者さんが居ないと、研究も評価も蓄積されて行かない代物である。そんな知的集積は言って見れば、社会、時代と云う開拓集積作用と云って良いのかも知れぬ。社会と云う広大無辺の世界は、押し並べて分業の成果でもある。

 農林水産、鉱業と云った第一次産業が在って、加工と云う製造の第二次産業が在って、運搬、販売・金融・情報サービスと云う第三次産業が在り、行政、外交、国防と云った地方組織、国家の統治機能が稼働している。

 日本国民であるから、何らかの形で籍を置いて居るのであるから、各分野毎の生産物の恩恵に浴して居る。斯様にして成果を対価を持って利用させて頂くのは、極自然の行為で在る。労働分配率だけが、配分の分野だけでも無い。知的成果、集積物に関しても当然に、配分に与って、知識を享受するのが世の倣いと云う物である。

 中華帝国統治の三要素とも表現出来る『礼』『律」『令』への踏み込みは、大いに参考とすべしの感で在った。
宮中儀式に於ける『礼=政治儀式』←日本人感覚からしたら尊大に徹した張子の虎に見える。
『律=刑法』←儒教の建前でも、実際は韓非子の強行刑の実地に見える。
『令=行政法』←行政法では在るが、その実、賄賂の蔓延に見える。

 中国大陸の実態は、今も昔も変わっては居まい。中国人の云う法治主義とは、近代法治主義とは異質のものである。

 先頃、中狂国の<三中全>の模様、天安門ウイグル人一家焼身自殺、山西省共産党委員会前・連続爆発事件を報じるテレビニュースを見て居ると、正しく西尾幹二先生が説かれる礼・律・令の行(くだり)が、為る程と膝を叩く形で実感出来る次第である。

 如何にも中華思想の尊大極まる外交態度、民の主張に対する公権力の殴る蹴るの暴行態度、地方行政の半独立ともとれる民への無関心、賄賂行政の日常性。これらは全て、他国から見れば、異臭と腐臭渦巻く中華帝国の実態として、歴史を彩って来た大陸風土・大陸民度でしかあるまい。

 昨日今日と、クローズアップ現代では、世では才媛キャスターと云われる国谷女史の中国リポートとの事である。昨日は、さてさて女史様は如何云った形の切り込みレポートをするだろうかと、意地悪度を全開にして、彼女の感性・教養度拝見と致して居た次第である。

 へへへ、女史は美人さんの英語ペラペラさんでは在るが、根底の歴史観が乏しいご様子で在った。社会を牽引すべきジャーナリスト、キャスターさんと為れば、そのインタビューには、インタビューアーとしての教養・感性・分析力から構成される知見・識見が横溢するインタビューの冴えを期待していたのだが、単なる映像報告でしか無かった。へへへ。

 西尾先生は、もう何十年も前から歴史観の無い、見られなNHKは一切見て居ないとの事であった。私は好色下衆男であるから、女族観賞の一環として、見ては居ますけどね。

『決定版・国民の歴史』の方は、下巻100頁辺りに進んで近代に入り、安土桃山、江戸時代の日本と、大航海時代に入った西洋との比較に入って居る。上巻では元々の私の白人美人好みから、端を発して居るのか? 白人観察の結果物として、日本人は元々中国・半島人のアジア人的気質よりも、白人気質に近いのでは無いだろうかのウォチッング成果を持って居たのだが、先生の論でやっぱりそうだったかとの頷きの連続で在った。

 先生は歴史に『軸の時代』と云う第一、第二の軸の時代を掲げられて、<日本から見た世界史>眼で、論証を進めて居られる。

★大略「軸の時代」が頂点で在った紀元前500年頃から八百年ないし千年の後に、ユーラシア大陸の東端と西側において文明の新しい組み換えと再出発を開始する地域があった。日本と新羅、そして現在西ヨーロッパと呼ばれている地域である。ここでは「軸の時代」の生んだ文字、思考、法、宗教を借りつつも、自らの基底文化との結合を通じて文明の諸要素の新たな組み替えを成功させ、自覚的な精神運動が開始された。いま述べた様にひとつは日本であり、また中国専制国家体制に押し潰されるまでの朝鮮半島であり、そしてゲルマン民族の新しい動きであったといえる。(上巻36頁より抜粋)

 基底文化=日本では一万数千年も続いた<森と石清水の縄文文化>、神話へと続く日本の歴史。西欧では<森の民・ケルトの文化>

※BC500年を中心として、前後600年程の間、人類の歴史の中では東西とも全人類に深く関わる重要にして決定的に大きな一連の動きがあった。哲学の出現、科学の成立、高度宗教の誕生・・・略・・・この「軸の時代」に中国、インド、イラン、ユダヤ、ギリシャにおいて、別々にしかし同時代的に、驚嘆すべき人間精神の覚醒が経験され、自覚された。(この時代をドイツの哲学者カール・ヤンパースハ「軸の時代」と呼んだ。)

                           以上、引用・抜粋終わり。

 如何です。西尾幹二先生の名調子でしょう。お手頃価格の文春文庫でありまする。きっと日本人の心の在り様、日本人の持ち続けている東洋、西洋文化比較としての、靄として漠として覆っている心のつっかかりが、す~と除去されて行く様な名著で在りまするぞえ。

 先生、長年の真摯な学究の蓄積、成果が、読者共有の<国民の歴史>に為るのでありまする。国民の歴史常識として、本箱に置いて置く価値が御座りまする。へへへ。



心何処ーショート 脳味噌休息日を決め込む為り。
                脳味噌休息日を決め込む為り。(11/20/13)
 昨夜は目下宿題中の大読み物の上巻496頁を、閉じるに至った。太陽薄い朝を幸いに、温い寝床の中で頭の整理方々、反芻をする事にして居た。朧気だった諸々の物が、<それ等を解き明かす核を与えられ、私的歴史観への確認>を得た。そんな晴々として気分が、湧いて来た次第である。イッヒッヒ!!

 久し振りに充実した朝のシンキングタイムであった。本日も、風寒き日の始まりである。朝の始動開始に、干し台から硬大根を取り込んで、容器に並べる。ピッ足しカンカンの満杯状態と為った。

 いやはや、何処ぞで見て居られるのか、お天道さんの眼力の的確さには、脱帽の感頻りで在る。御加勢、痛み入りまして御座りまするがね。上にタップリの粗塩を振り撒いて糠で覆い尽くす。漬け物容器を台所奥の貯蔵場所に持って行き、重しを掛ければ一件落着である。後は冬の信州の、低温発酵を待つばかりと為る。

 さてさて、問題は収納場所まで、太鼓腹の乗せて運べるかである。私は脳味噌こそ薄いが、力だけは自慢出来る。然しながら、当年65の後期高齢者である。ぎっくり腰にでも為ったら、間尺に合わない。それこそ、身も蓋も無い<バカ親父の図>でしか無い。

 部屋にシートを敷いて、引き摺るか・・・・ いやいや、それにしても、廊下から部屋への持ち上げ動作が必要である。持ち上げてのショート置きと為れば、是、一時の逃げに通じ、腰の割り込が疎かに為る。半端な動作は、躓きの元で在る。是、吾が経験知にして経験値である。

  馬鹿は馬鹿為りきに、一応のシュミレーションを巡らすしか方途は無いのである。

 差し詰め、20歩位の運びであろうから、この位の重さに堪え切れぬと在っては、好色ヤクザもどきの男が廃ると云う物であろう。

 ヨッシャ、遣って遣ろうじゃないか。男は気合いじゃい、キンタマは、伊達にぶら下げては居らんぞい!!

          腰を充分に割って、オゥリァとばかりに太鼓腹に乗せる。

                 ウワッ、こりぁ、重い。
 腹に抱え込んだ重量物、落としたら大事である。何のこれしき、男の見せ処じゃい。足元注意、足元注意・・・
                
             ヨッコラショと。フウ~、遣り終えたわい。

 如何じゃい、畏れ入ったか!! 未だ未だ、俺ぁ、男でゴザンスわね。見たか、俺様の実力をば!! 俺ぁ、JISをのっ越してISO規格じゃがね。ギャハハ~!!

 漬け物石を重ねて事無きを得たが、腰の蝶番がミシミシ言って居る。これで良し。ミヤシゲ大根も干し上がるから、後は今週末に漬け込みをすべしである。重しを取って、その容器を下の容器の重しにして二段重ねをして置けば、底辺貧民の冬備えも完了の運びと為る。
 
     為せば成る。為さねば成らぬ。是、子分無しの悲哀でもある。とほほ・・・。

 少々、お待ち頂いた朝賄いをして朝飯である。切干大根を軟らかめに炊いて置いたので、妖怪様のオカズとして遣ると、咀嚼力の低下した妖怪様は、好物の切干大根を美味そうに食べて居る。

  そりぁ、そうである。何てったって、俺ぁ、婆さんの味の継承者ですがね。ギャハハ!! 
 
 本日、強風日に就き、家で息抜きするが肝要である。そうで無くとも、スカンポ脳でスキズキしては居る物の、体育会系性格である。従って、脳味噌の部屋数が圧倒的に少ない。学者大先生のペースに嵌ったら、消化出来る物も詰め過ぎで、敢え無く消化不良の下痢ピーに陥って仕舞うのが、関の山である。

          故を以って、脳休息日とするが肝要であろう。へへへ。

心何処ーショート 半日遅れのマイタイム為り。
              半日遅れのマイタイム為り。(11/19/13)
 朝食後の戯け漫談をした後は、冬備えの沢庵漬けである。干し上がった第一期生の硬大根を持って来て、廊下に広げる。沢庵容器は二つである。その一つに昨日、米屋さんが米糠を貰って来た。糠、塩、色子、ナスの乾燥葉、タカノツメ、味の素を投入して、もう一方の容器で、掻き混ぜる。納得した処で、その混合糠を丸容器に移し替える。

 空容器の底に混合糠を敷いて、ミヤシゲ大根の1/3程度の硬大根をびっしり敷き詰める。その上に、大根が埋まる程に混合糠を入れる。次の二段目を並べ敷く。以下、その繰り返しである。う~む、第二期生を入れて、遅漬かりの容器の分量と為る。へへへ、今年は大根の目測を間違えて仕舞った。

 今年は吾が家の渋柿は、時期外れの大雪で一つも生らなかった。そんな次第で、沢庵漬けの必需品・柿の乾燥皮が一切入らない。従って、どんな沢庵漬けに為るかは、定かでは無い。まぁ、これも或る意味では、愉しみの内で在る。へへへ。

 もう一つの容器には、早漬かりのミヤシゲ大根用とするも、ちと量が少ない。止む無し。買いに行って来ると致そうか。払い込みが一件あるから、郵便局経由で煙草買い序でに、個人スーパーまで車で行って来る。買って来た大根の尻尾を切って、干し台に並べる。

 これで、分量の確保は出来たと云う物である。何だかんだと云っても、私にはリクエストが在る。妖怪様の言葉では無いが、『男の子五人は、産めない人の分も生んで置いた。』と云うのであるから、97の妖怪様とも為ると、大した事を言うものである。曲がりなりにも、私も母の薫陶を頂戴して居るのであるから、大きな意味合いで、この世は全て<役割分担>と考えて、纏めて沢庵漬けをして居る様な物である。ギャハハ。

 そんな事をして居ると、早や昼である。風は在るが、座って仕舞ったら、何事も億劫に為る。物臭には、鞭入れが肝要でも在る。マイタイムに移行する前に、散歩運動をこなして来る事にする。

 好いお天気さんである。東山山系の黄葉が、青空に萌える様に色と光を放って居る。家に居たのでは、お目に掛れない自然のパノラマである。河川敷の芝生道を土の感覚を踏み締めて、歩く。川原には葦の穂が風に翻弄されながらも、白く光っている。風は強い南風である。

 白泡滾らせる落ち込み、それに続く深みの泡切れの中に、魚影が二、三走る。デカイ!! ヤマメの走りだろう。橋を渡って、雪のパウダーの纏った常念岳のスッキリした連峰を見ながら、再び、河川敷に下りる。

 浅い瀞場に吹く風は、波を川底にフェンスの網目の様な光の四十万を作って、透明な川底を南から北へと流れて行く。浅い瀞場の川底には、ウグイが群れを為して、緩やかな泳ぎを見せている。好い眺めである。

 葦の陰には、身を竦めて川面を凝視して居るアオサギ一羽である。本日、トンボも、蝶も未だ遭遇出来ずに居る。

 漸く、ホウジロ一羽であるが、小群れの一員では無いから、きっと通年の棲み付きをして居るホウジロの一羽なのであろう。

 風は寒いが、お天道さんが在ると歩いて居る内に、ベストの背中がポカポカして来る物である。折り返し点の橋を渡って、下り勾配の流し歩きに移行する。やっと、草臥れ果てた赤トンボ、ツマグロヒョウモンのメスと遭遇した。

        昼は、あっさりの月見うどんで済まし、軒下の鳥籠を玄関に戻す。

 昨日は昼風呂に入って居ると、民生委員のFさんが、任期満了との事で鉢植えのミニバラと柿を持って、妖怪様に挨拶に来られた。自分の介護していた<母親を亡くして、寂しいから仕事以外でも、顔を見に来た居から頼むね>との事であった。

 好いお人である。折角の妖怪様へのプレゼントであるから、粗相の無い様に廊下の日当たりに置いて、妖怪様の目の保養を長くして遣らねば為るまい。へへへ。

 本日は大分遅れて仕舞ったマイタイムへの移行である。さてさて、本日日誌を打ち上げて、読書の続きをすると致そうか。明日辺りには、上巻が終了出来そうである。


心何処ーショート へへへ、然も在りなむ。
                へへへ、然もありなむ。(11/18/13)
 風がビュー、ビュー吹いている。斜向かいさんの二階ベランダの洗濯物が、風に大層煽られて居る。干し台の大根をクリクリと中の水分を解きほぐしながら、並べ置いて行く。第一期生は、今日一杯でOKの運びである。風呂に入った後は、米屋さんから米糠を貰って来て、ミヤシゲ大根を10本程買って来ると致そうか。

    昨日はYouTubeの3時間に及ぶ<決定版! 在日問題を考える>を見て居た。

 いやはや、凄い連中である。歳甲斐も無く、PC画面から一々参戦して終った。ああ云えばこう言う。日本側が大上段から振り下ろせば、重箱の隅を突っ付いて枝葉末節のイチャモン付けをして、質問、応対の真意を一切斟酌せずに、自分の体裁論理を長々と喋り始める。いやはや、完全に捻くれ者の表情・目付きと論理と論調である。日本に生まれ育った密航2世、3世にして、この程度であるからして、国民の17%が精神疾患を患って居ると云われる世界に冠たる火病国本国人の、想像を絶する反日・排日脳味噌回路とは空恐ろしい限りである。

 詭弁、ハグラカシ、論旨のすり替え・・・と、私と同年輩の先生は、眼鏡の奥の目をパチクリさせて、途中からは、<所詮、この類。吾、何をや言わんや>の不貞腐れ常態であった。いやはや、御心境、察して有り余るの仏頂面であった事か。

 一時、世間を震撼させたオウム真理教の『上裕論法』を重ね合わせて、<こりぁ、何を言っても駄目だ~。>の重い溜息が付いて出るだけであった。三時間討論番組で在ったから、きっちり、元は取らせて貰った。

    まぁ、彼等の日本での異常さ、特殊的メンタリティを知るには、好い機会であった。

 自分ではインテリ振って居る心算では在ろうが、傍目から見たら鼻持ち為らない毛糸帽子の小わっぱである事か。何でもかんでも、法律が如何たらこうたらで、身勝手この上も無い論を展開する男である。自分以外は、全て異論と看做して悉く抹殺する。1%か、1/1000%かも知れぬ自我独尊の論理展開の異常性を一顧だにしない毒論を吐いて、粋がって居る。へへへ、これじゃ、オカルト平原の偏執ガンマンって処でしょうかね。

<密航棲み付き>に就いて、敗戦日までは日本国民で在ったのであるから、日本政府としては既成事実に鑑みて、『惻隠の情』を以って密航違法状態を『追認』せざるを得なかったまでの事である。
 その本来ならば、お情けを持っての<例外措置>を、一端永住許可を手中にすれば、何でもかんでも法律上認められた権利・無欠の正当権利と嘯いて憚らない。これは悉く、感謝も義理も、恩も、和合の気持ちすら皆無の思考回路である。

 目前のありとあらゆる物に、一々自己主張をしてマイノリティだ、弱者だと開き直る。加えて<人間は生まれながらにして、権利と自由を持つ>と天賦人権説を持ち出して、粋がる女性ライターさんに至っては、中学生の左巻き教科書の教条主義の権化にして、好い処獲りの女狐ってな物である。

 今や、世界連邦構築に向けてのスローガンにも為らない夢想無政府主義者のお題目にも為るまい。思想も思考も、時のフィルターを潜って成長する物である。言いたくは無いが、そんなスローガンは、化石思考、化石思想でしかあるまいに。学歴が泣きまするがね。

 天賦人権説などと云った物は、既に時代的役割を終えて居る。フランス革命、アメリカ独立時の18Cに於ける思想的花火ショーのシュプレヒコールが、その時代的主張であったのである。18~19Cに於ける、新思想萌芽・発展の基礎思想で幕を閉じて居る。

 まぁ、人間と云う物は兎角、名言、古典が好きで在るから、それを引き合いに出して、己が主張の材料とするのは宜しいが、住む時空が違うのであるから、その時代、その時代の時代背景から、紡ぎ出され、定着した思想・思考方法を、様変わりした時代への時代、状況加工をして行かなければ、多数に支持される<日常民主主義の論>とは為り得よう筈も在るまい。

 これは勿論、言葉を使用する側の経験知・経験値に依る事も多かろうが、それ以前に、使用する『人間の感性』に依拠するものだろう。顔の見えぬ活字オンリーの世界ならいざ知らず、映像に依って全てが映し出される討論場で、四の五の言う前に、一般視聴者は、五感で感じ取って、人物評価をして仕舞う物なのである。

 世界史、日本史、法哲学も、法史も勉強して来なかった輩、実践社会と云う組織の柵と云う社会的、国家的フィルターを通って来なかった連中が、幾ら生意気な事を扱いたって、日本人の精神の揺籃期・悠久の一万年もの縄文期で培われて来た、情の大和国である。その出自を辿れば『密航追認』の法の弁方の脛齧りをして居るに過ぎない図式では無いか。

★たかが70年位、住んで居るからと云って、日本人の精神・心の在り様、法に書かれて居ない圧倒的に多い社会規範に近付ける訳が無かろう。
 言葉、法律を知って居るからと云って、日本語・条文の意味の拠って立つ真意を知ったり、理解する事は簡単には出来ませんがね。国家社会の成熟度は法の網羅に非ず、<言わずもがなの社会規範>に、従順に従うと云う生活態度にこそ存在する民度なのである。

 在日さんは、私の何百倍も弁が立つし、己が才能に絶対の自信をお持ちの様であるから、そんなに日本が住み難いのなら、己が才能に堂々と胸を張って、錦を飾りに<祖国での永住>を断行した方が宜しかろう。へへへ。

     祖国に骨を埋める御決心なら、努々、以下の言葉は『禁句』でありまするぞえ。

    帰化申請手続きは、厄介で金も掛かるから、面倒だ。此のままで、何の不自由も無い。

★永住(特権)で実質の日韓両国籍を自由に出し入れ出来る稀貨(日本に取ったら、取りも直さず禍事の『奇禍』でしか無いのだが・・・)を、手放す馬鹿は居ないだろう。方法は例え密入国であっても、日本政府が我々に認めた永住権である。正しく、願っても無い水戸黄門の天下の副将軍・三葉葵の印籠である。加えて、フランスはルソーの<人間は生まれながらにして、権利と自由を持って居る>のだ。帝国植民地の戦犯の輩如きには、とやかく言われる筋合いなど、微塵も無い!! お前達、日本人は、アジア侵略の長本人の自覚が無~い!!

 いやはや、私としたら彼等の魂胆は、そうとしか見られ無かったし、聞かれ無かった次第である。何が、レイシスト反対、ヘイトスピーチ反対じゃい。言葉隠して、魂胆丸出しの図では無いか。

     庇貸して、母屋乗っ取られる。三つ子の魂、百まで。目は、口ほどに物を言い。

 日本に於いても、彼等の本性がこれなのであるからして、火病国本国では、パク・クネ大統領の国民的指示とは、到底、日本人の常識では理解出来ないのも無理からぬ事である。時間を追う毎に、論を聞けば聞くほどに、毒亜とは一切係り合いを無くすべきである。

 中狂・半島国の毒亜太鼓も変な具合に為って来て、安倍さんのアジア外交訪問の旅も、毒亜国包囲網の成果を築きつつある様である。

 へへへ、戦後の一方的自虐史観から、そろそろ日本を取り戻す緒に付か無ければ、老い先短いロートルとしては、死んでも死に切れませんわね。

 
 ★★桜チャンネルYouTube、面白かったですよ。これ社会学の一環にも為りまするよ。

心何処ーショート 偶には、読書読書である。
                偶には、読書読書である。(11/17/13)
 風が強いが、好いお天道さんである。廊下で日向ぼっこをしながら、読書をして居る。いやはや、読み出の在る本である。1000頁強の内、230頁まで来た。面白いから、退屈では無い。私的歴史考2を打った後であるから、ほっとして居る。この本を読んで仕舞えば、私的歴史考2は、この本のレポートに為って仕舞う。Tの差し入れは、好いタイミングで在った。

 本ばかり読んで居るのは、武闘派の番からロートルとしては、様には為らない次第である。気分転換に、熊手と竹箒で、落ち葉収集をして来る。じっとして居るよりも、身体を動かして居た方が、私には様に為ると云う物である。

 それにしても、木枯らしとは良く言った物である。私もすっかりロートルに為って、落ち葉溜めも、然して気に為らなく為った。反対に、これで家庭菜園の土の慈養に為ると思い春の畝作りの励みとも為って居る沙汰である。甘柿を一つ採って食す。ヒヨドリ、文句を言うで無いわ。ギャハハ!!

 ミツバ畝部分の落ち葉を熊手で浚って見ると、何と、その下にはウジャウジャと見るもおぞましい限りの2cm前後の幼虫が、集まっての<集団越冬の様>である。何の幼虫達か知らぬが、自然の営みとは凄い限りである。

 季節は晩秋・初冬である。山には輝くばかりの黄葉、土手の欅は残る葉も空き空き。四畳半コブシの葉も、嫌に少なく為った物である。

 漬け物大根の第一陣は、大分しなしなに為って来た。浅漬け用の野沢菜も、漬かりの早い葉の部分は、食卓に供して居る。歳の所為で自分で買って来て漬けて居ると、野菜其々に漬け物の風味と云う物は、野菜の個性に依って如何に違う物かと気付かされる次第である。今年は、好物の白菜が高過ぎて手が出無い。代替えの野沢菜の浅漬けが美味いから、昨日も一束買って来て漬けた次第である。

 然しながら、実際は家庭菜園で種蒔きから野沢菜漬けを思い立ったのであるが、今年の長夏であった。そんな次第で、ど素人の浅はかさで、蒔き時を大いに逸して終った。ニャロメ!! 漬け物に為らぬ菜っぱ状態でしか無い。此のままで推移すれば、辛うじて物に為るのは、白カブ位な物であろう。

 こんな報告を妖怪様にすると。

「家は農家じゃないからね。色々試して、覚えて行くしかないよ。先は、未だ長いよ。物は考え様。小さくても、栄養満点かも知れないよ。ほほほ。」

「この~、口だけは上手い事、扱きぁがってからに。未成熟、ウラナリに栄養が回るなんて、話ぁ聞いた事が無ぇぞや。俺が毎日、事に触れ、森羅万象の理を講義して遣ってるのに、丸っ切り、学習効果が無ぇんだから。
 そんな事じぁ、至宝・R塾の認定書は交付出来無ぇぞや。マンツーマンの理想的な環境なのにさ、兎角、女族って生き物は、耳触りにだけ特化した『お為ごかし先天族』って事かいな。
 心血を注いで講義しても、向学心の無ぇ生き物は、買い被り、見掛け倒し、とんだ食わせ者って、『結論』に達しちゃうぜや。言いたか無ぇが、妖怪婆っさの子供の顔が見てぇもんだわさ。あい~。」

 ハハハ、妖怪様は、戯け倅を<馬鹿に付ける薬無し>と、無視して鼻でせせら笑って居る。

  へへへ、何のそれしき、これもまた、男族の人心掌握術・タヌキの術ですがな。

 予報通りに、お天気さんは下り坂である。さてさて、動き序でである。漬け物容器の漏れ個所を点検して置くと致そうか。軒下の鳥籠を中に入れて、台所仕事をする。

 野沢菜容器を一つに纏めて置くと致そうか。昨日の容器から、現在の派や漬け容器内の物を、一番下にして、現在消費分の野沢菜を上に乗せ換えて、重しを掛ける。容器を洗って安物容器を見れば、ひび割れである。アロンアルファを垂らして置く。

 良し好し、これで賄い夫仕事は完了である。本日分、ブログ日誌を打って、読書モードに移行すべしである。


私的歴史考2…遥か為る想い、繋がり。
        バイカルのマンモス_001縄文人参上_001ご挨拶_001

                私的歴史考2・・・遥かなる想い、繋がり
 <1>
 シベリアの真珠と云われるバイカル湖は、世界自然遺産の一つでもあり、東シベリアに位置するブリヤート共和国に在る。琵琶湖の46倍にして水深は1700mを越す世界一を誇り、透明度も摩周湖を越す世界一の透明度との由。湖には奄美大島に匹敵する島を始め、22の島を浮かべて居るそうな。
 淡水湖では北米大陸の五大湖の一つ、スペリオル湖に次いで世界第二位。その貯水量は世界最大にして、世界中の淡水の17~20%に及ぶと云う。これは、想像を絶する圧倒的存在である。

 このアジア最大湖の歴史は、3000万年前に遡り、元々は海溝で在ったとされる。印度亜大陸がユーラシア大陸に喰い込み、北東と南西を結ぶ線で引き裂くユーラシアプレートとアムールプレートの境界線に当たる地溝陥没部に当たる為に、現在も年に幅2mm深さ6mmずつ拡がって居るとの事である。

 人類誕生が500万年前、猿人、原人、旧人、新人、現代人と進み、現代人の直接の祖先ホモサピエンスが、アフリカ大地溝帯に誕生したのが20万年前であるそうな。人類は10万年前に大移動して、ヨーロッパ、東南アジアに。そしてマンモスを追ってシベリアに向かったグループも在ったそうな。

 日本人のルーツは、①シベリアルート、②南海ルート、③中国ルートの時代を隔てての渡来形態であるそうな。DNA鑑定に依ると、その中で一番数の多いのが、シベリア原住民・ブリアート人との由である。

 北部ユーラシア大陸を東西に横断する草原の繋がりの中、大シベリアに訪れる短い夏に人類の祖先達は、果敢に生きて居たのだろう。バイカル湖の近く、マンモス、大型草食獣を狩猟して居たブリアート人の2万3千年前のマルタ遺跡には、酷寒の地での創意工夫の生活の跡が記されているそうな。大型獣を狩る道具は、ガラス質石を鋭利に加工して木・骨に溝を彫り、其処に埋め込んだ<細石刃>の付いた狩猟石器である。彼等はそれに依って強力な槍、刀、ナイフを作ったそうな。

 地球環境は寒冷化が進んで、マンモスなどの大型草食獣は、南下を始める。それを追って凍った海を渡って、樺太→北海道に渡来した人達が焚火をした跡が、北海道千歳に在るそうな。その中に、渡来人の出自を示す<細石刃>が在った。それは、2万年前との事らしい。

 生きる事は、狩りをして食料を貯蔵・保存する事である。狩り道具の細石刃と貯蔵道具の器が、人間生活の基礎とも為る。

 土器のルーツは、1万3千年前にシベリアのアムール川流域で、川魚の脂を貯蔵する容器として使われて居たそうな。エジプト、メソポタミアの土器よりも数千年前の1万2千年前に日本の土器は存在して、煮炊き用に使用されて居たとの由。

 気象の大変化に依り、大型動物(草食獣・肉食獣)は環境の変化と共に死に絶え、日本列島は広葉樹林と変化した。当然に鬱蒼と茂る広葉樹林での狩猟は、対象動物の小型化、狩猟道具、狩猟方法の不適合等で食糧危機に見舞われる。

 日本列島先住民は深刻な食糧危機を迎えて、背に腹は代えられぬ飢餓の中での創意工夫が死活問題であったらしい。此処に、広葉樹からのふんだんの贈り物・ドングリを如何に食用に供するかの『食料革命』が生じたとの事である。

 原日本人の食料革命は、ドングリを煮て渋みを除去する方法に、工夫に工夫を凝らす事に為った。食料革命の道具が煮炊き出来る土器への改良で在った。

 劃してシベリアの土器は、日本で改良されて行く。貯蔵用土器と煮炊き用の土器で在り、それは形状と厚さである。シベリアの厚い貯蔵用の土器から、薄い煮炊き用の薄い土器に改良されて行った。熱効率を求められた土器は、より薄くに改良された。強度を有する粘土の繋ぎには、動物の毛の投入が工夫されたと云う。粘土の繋ぎは、混ぜる、捏(こ)ねるの工程に応用されて、現在の粉もの食品の蕎麦の繋ぎにも受け継がれて居るのかも知れぬ。

 発見・発明は、工夫・加工に於ける要素から成り立ち、其々の要素群は<汎用性の基礎>を築く。詰まり発見・発明は、周辺に応用の思考・技術を発展させて行く。

 そして、シベリア狩猟文化の担い手・細石刃は、黒曜石を使った鋭利な石器と動きの速い小動物狩猟の道具として、ヤジリに転化して、日本列島には<狩猟採取の縄文土器文明>が、穏やかで温暖な悠久の時の刻みの中に、豊かな1万数千年を刻み込んで、日本人の精神性の揺籃期としてDNAの中に確りと刻み込んで行ったのであろう。(※この辺りのファンタジーは、夢奇譚第16部・・・縄文にハングライダーに記した次第である。)

 こんな地球に刻まれた痕跡は今や、考古学・DNAに頼る<夢紀行の世界>でも在る。然しながら、そんな考古学的旅を現在に伝えて居る物が、『鳥達の渡り』なのでは無いだろうか。お役御免と成ったロートルの私としては、時の合間に時空を遡る夢想の一時を彼是と思い巡らせる時を得たと言う次第である。

 <その2>
 アジアモンスーンは、5月中旬にアフリカ東岸→印度洋→東アジア迄1万kmに渡る大気の運行との事である。日本では夏季に太平洋高気圧から吹き出す南東風、冬季にはシベリア高気圧からの北西風の季節風が吹く。

 この季節風の恩恵に逸早く乗ったのが、翼を持つ鳥達で在った事は、当然であろう。南風に乗って夏鳥達が群れを為して、日本列島を目指して繁殖に遣って来る。秋に為ると南に帰る夏鳥達に代わって、北から冬鳥達がやはり群れを作って越冬に遣って来る。

 翼を持たない島国の人間達は、そんな自然観望に想いを馳せつつ、工夫を巡らせる。人間の季節風利用は、遣隋使・遣唐使船にも利用されたし、室町・戦国時代の倭寇にも、秀吉・家康時代の40年前後と云われる日本に於ける大航海時代とも称される御朱印貿易で、千石船、中国のジャンク船、ポルトガルのガレオン船をモデルにした航海船、航海術で、ベトナム、タイ、フィリピンへと交易の時代を歴史に記している処でも在る。
 その担い手は、呂宋助左衛門、角蔵了以、天竺徳兵衛、角屋七郎兵衛、末次平蔵、浜田弥兵兵衛、山田長政・・・etcである。

 隋唐に倣った文化が第一回文明開化なら、絢爛豪華の安土桃山文化は、南蛮文化を採り入れた第二回の文明開化の時代でも在った。第三の文明開化は、ご存知・明治の文明開化である。

 日本は模倣の島国に非ず、立派な海洋国家で在ったのである。そして何よりも日本の凄い処が、開国→鎖国→開国→鎖国を繰り返す事で、開国の異国の文物を採り入れた後に、鎖国をして日本人の生態から行き過ぎた異物を、牛が反芻して体内で消化して日本風の加工をして来た国柄なのである。

 決して、是、猿真似に非ずして、得た文物に不断の工夫・応用・援用と称すべき加工に富んだ特異性を持つ民族で在り続けている。この特異性を称して『天晴』と云うより他無いのである。

 この縄文時代からの脈々と培われて来た日本人の一大特質は、戦前なら大いに持て囃(はや)された『良質の国民性』にも拘わらず、たかが一回の敗戦で、<戦前悉く悪の東京裁判史観>の下、占領国の米に勝手放題をさせられ続けているのが、戦後日本の姿である。
 然しながら一寸、考えて見るが良いでは無いか。米本国が斜陽と為ればTTPに依る米ブロック経済の傘下に国体=国柄さえも提供せよと云うのであるから、棒振りに大学時代を浪費した民主党・菅無理総理の開国論に国の進路を開いて仕舞った次第である。
 戦後は言って見れば、占領下限時憲法下の個利個権の自由と似非平和主義を内外の左巻き勢力に洗脳されて、今日にまで至って居る。米に依る思想統制で日本は精神的自立と云う面では、正に『米国の鎖国政策』に封じられて来たと言っても良かろう。
 
  ★戦勝国・東京裁判の押し付けられた自虐史観など、『笑止千万・噴飯物』である。
 世に歴史好き、大河ドラマ好きの輩が多かれど、戦国の大タヌキ・家康が、秀吉を相手に面従腹背の恭順振りを見せても、時を待って豊臣の世を一掃して、徳川300年の基礎を築いた史実との比較に於いて、『だらけ切った戦後70年』を考察しないと云う脳回路の幼稚さは、摩訶不思議と云わざるを得ない次第では無いか。

 冬鳥・ツグミはシベリアから千島列島、樺太の島伝いに渡来するグループと、大陸から日本海を渡って能登半島→南下するグループが在るとの由。これは、夏はシベリアでツグミと暮らすジョービタキの間柄でも在るからして、この二者は渡りのルートも近いのでは無かろうか。

 地球儀を持って来て眺めれば、バイカル湖を南下すれば、ゴビ砂漠・荒涼とした山岳の地である。大気の運行・北西風に乗って、東に進めばロシア沿海から海を越せば、能登、樺太、千島、北海道、本州と為る。因みに、新潟→ウラジオストクは、飛行機で一時間弱の距離である。

 翼を持つ渡り鳥は、翼を持たなかった人間達にとっては、長距離旅の先導者で在った筈である。詰まりは陸路を採れば、蒙古高原からヨーロッパのハンガリー迄の草原の道は、ジンギス・ハーンの破竹の走破路にして、海路を採ればアジアモンスーンが吹く渡りの回路と為って居るのである。

 差し詰め、大気の運行に従って、ユーラシア大陸を東進した方が、理に適っている。翼を持つ鳥の強みで、陸路で進み、適当な所で南下して、ウラジオストク辺りから日本海に飛び立てば、能登半島に到着する。能登半島から日本アルプスを跳び超えれば、冬の越冬地・信州は松本平に着く。そう推理すれば、真に直行率の好いシベリア⇔松本の渡りルートが出来上がる次第である。

 <その3>
 此処は、バイカル湖の西岸である。この時代、シベリアの乾燥した大地の植相は、柳に稲科の植物に覆われた草原の大地である。草食性のマンモス、トナカイ、オオツノヘラジカが悠々と群れを作り、草食獣を狩る肉食獣が寝そべる・・・そんな広大無辺の大地でも在った。

 シベリアの大地は長い冬を閉じて、足早の4か月の春夏秋を迎え、再び深い冬に閉じ込められる。内陸気候の特徴は熱し易く冷め易い。加えて高緯度であるから、太陽高度はかなり低いが、日照時間はかなり長くなる。夏至の時は北西に沈んだ太陽は、3時間もしたら北東から昇って来る。サンセットの夕焼けが、其の儘、サンライズの朝焼けと続く光景である。

 ブリアートの男達が10人、大声を発して巨大なマンモスを遠巻きにして騒いでいる。男達は手に手に、マンモスの牙に威力抜群の細石刃を施した長い槍を構えている。先頭の男は痩躯ながら精悍な筋肉と精悍な顔付、鋭い目付きと良く通る声で、集団を統率しながらマンモスとは一定の距離を保って<或る方向に>追い立てている様子である。

 冬の凍土は5月を迎えて、雪解けを促しザクザクしたシャーベットの地表である。その土目からは、春を待ち兼ねた<駄打っ子>の様に柔らかな緑が、随所に一斉の成長させている。芽吹き・成長・開花・結実の<四カ月の一生の時>を種子達は、丸で命を燃やす様に躍動を開始するのである。
 草食動物は群れを為して一斉に緑を追って、シベリア・タイガを北上して来る。冬の雪原は、雪解けに依って雑多な湖沼を作り出す。蚊などの小昆虫を大量に発生させる。それを追って、鳥達が繁殖の季節を過ごしに遣って来る。

 草食動物達は、皆、大型である。それはシベリアの寒さを体を大きくして体脂肪を巻き、長い毛で長い冬を生き抜いて来て居る動物達である。マンモスは春の草を食べに来ているのであった。

 開氷したバイカル湖は、増水した水を下流の平地の雪を溶かし、幾つもの池を生じさせている。リーダーの男は、マンモスをその一帯に追い立てている様子である。

 後世マンモスハンターなどと形容されているブリアート人では在るが、その狩りの対象は、1にトナカイ、2にオオツノヘラジカが圧倒的に多ったらしい。トナカイ、シカ20に対してマンモスは1の割合だったとも云われている。それは当然の結果であろう。幾ら、落とし穴を作ったり、水に溺れさせての狩りと云っても、人間の何十人にも当たる巨大マンモスに、例え集団で在っても生命を張ってまでの狩りが、日常的に行われると考えるのには無理がある。

(※余談では在るが、ゾウは大きく二つの系統で、アジアゾウとアフリカゾウで、マンモス、ナウマンゾウは、アジアゾウに分類されると云う。)

「お~い。マンモスの左右を絞って行け。そんなに開いたら、落とし穴から逸れるぞ~。」

 マンモスは、煩い人間共には構わず、長い毛で覆われた長い鼻を生き物の様に器用に動かして、草の芽を吸う様にして口に運んで居る。それは、悠然とした王者の態度である。マンモスとしたら、冬の間は分厚い体脂肪を消費しながら、積雪を牙で押し退けて枯れ草、苔で空腹を凌いで来ての漸くの新鮮な幼緑の味である。邪魔立てされて堪るかの思いである。

 自分の前をウロチョロする小さな人間など、自分が煩いと言って、少し威嚇の声を上げれば、逃げて仕舞うだけの生き物である。人間など、取るに足りないちっぽけな小動物である。

 ブリアート人からすれば、長い冬が明けて早秋の色が芽生える時、一年の狩りの吉凶を占う神事の様な物が、早春のマンモス狩りなのである。

 集落の者は、冬明けにマンモスを切り刻む象牙のナイフを作る。象牙を50~60cmの両刃状に設えて両側に溝を彫る。溝にガラス質の黒曜石を薄く鋭利に欠いて、埋め込む。それが出来ると、丹念に両刃刀の形状に丹念に磨き上げて『神刀』を作るのである。
 神刀が完成すると、トナカイの心臓を神とする太陽に捧げ、満月の夜に集落を挙げて空を司る太陽と月に、狩りの成功と一年の生活を祈り踊り明かすのである。

 冬明けのマンモス狩りは、一年の吉凶を占う集落を挙げての狩りである。全員で落とし穴を数個作り、狩り行には腕の秀でた男達が選ばれる。これは男の名誉と同時に、重い責任を負った使命団でもあった。

「3名、前に回って進路を阻め。後は左に回れ。怯むな、大声を出せ~!! 右へ行かせろ。動きを揃えろ。気合いを入れて行け~!! ソリァ~、ソ~レ、ソリァ、ソリァ!! 太鼓を鳴らせ!!」

 マンモスの前に、リーダーの男を先頭に3人の男達が、大声を張り上げて、長い石槍を繰り出して進路を阻む。マンモスがブオ~と威嚇の声を挙げて、丸太ん棒の様な鼻を擡げ、振り回す。パッと後退する勢子(せこ)の俊敏さである。
 
  狩りのリーダは綱引きチームを先導して、引きと待期・我慢を指揮する役割に似ている。

「下がれ~、下がれ。よ~し。そのまま、待つんだ。」
「マンモスが向きを変えた。さぁ、押し出せ~。」

 間髪を置かずに6人の男達が大声に呼応して、マンモスの左側から長槍を繰り出す。興奮したマンモスの耳が、バサッバサッと空気を打つ。

「ソウリャ、ソレソレ、構えて、押し出せ~!!」

     マンモスと人間達の至近距離での鞘当が何度も繰り返される。

 大地に四本の足で立つマンモスと人間では、石器の槍など、通用する物では無い。マンモスを怒らせたら、人間は散り散りに逃げるしか算段は無い。人間の戦法は、目に煩く集かる小虫の様に、追っても追っても、何処までも執拗に執拗に波状攻撃で苛立たせて、落とし穴に誘導して行く戦法しか無いのである。マンモスの巨体が、自ら落とし穴に落ちて、自由が利かなく為るのを待つ。マンモスの狩りは、正規では人間に分は無いのである。

 従って、ドラマの様には進まないのが、マンモスハンターの実態なのである。狩りは2~3日を要す事が殆どである。

 狩りは成功した様子である。落とし穴に依って狩り獲られたマンモスは、細石刃を施した神刀で、解体されて、集落の全員が肉を担いで集落を往復して居た。

 春のタイガの大地に、狐、タヌキも、ワシ、タカ、カラス、ツグミ、ジョウビタキも、マンモスの削ぎ落とされた肉の小片のお零れに浴して居る。

 <その4>
 氷河期は一段と進んで居た。気象変動を司るものは、海と大陸で生まれる気温と気圧に依って引き起こされる<地球規模の大気の運行>で在る。天空の大気移動さながらに、地表の動植物に生存・移動分布の変化は、云って見れば天空の大気移動を地表に写した図とも云えよう。
 
 植物、昆虫、動物も、生存環境、食料を求めて、南下して行った。翼を持つ鳥類は、その飛行距離の長さの故を持って、定地から定期的な冬と夏の移動を持ち始めて居た。その南下分布は、何千年にも及ぶ定住を求めての移動並びに適応の歴史を地球に刻んで来たのであろう。

 七万年前に北方からマンモス、ヘラジカ、トナカイ、ヒグマ、ナキウサギ、キタキツネが、南方からはナウマンゾウ、オオツノジカ、カモシカ、ニホンジカ、ツキノワグマ、ニホンザルが渡って来たと云われている。最後の氷河期が終わるのが一万三千年前~一万二千年前との事で在り、この時期に日本は完全に大陸から離れて、現在の姿と環境を整えたとされる。

 嘗ての北限の輝き・バイカル湖西岸のタイガステップは、一草一木も育たぬ大氷河の下に眠って居た。石器文明の雄・ブリアートの生活も氷河の侵攻に、南下する大型獣を追って広大なユーラシア大陸を、東南下をして行ったのであろう。大型獣は凍った日本海を渡り、樺太、北海道に渡り、北海道千歳では、2万年前の集団焚火跡から北方狩猟民族の証・細石刃を用いた石器が発掘されたと云う。

 北海道と本州を隔てて居た津軽海峡も氷結して、ユーラシア大陸の東端に達したと云う。海を臨む大陸の東端の気候は、氷河期の寒冷を和らげて踏み止まって居たに違いあるまい。マンモス、ナウマンゾウ、オオトナカイ、オオツノヘラジカなどを、先祖達がバイカル湖西岸での狩猟生活の再現して居たのかも知れぬ。

 南下分布・適応の中で、彼等はアムール川での素焼き土器を生活道具として物にして居たとの由でも在る。

 斯様に水の惑星・地球は、冷却と温暖を繰り返しながら、温暖期の雄・恐竜天国を発展させたり、寒冷に立ち向かう生物達の創意工夫を糧に、種を発展させ、首座を交替させながら、地球と共に生きて来たのであろう。

  現在冬鳥として渡って来る鳥達は、留鳥として一年の大半を日本列島で暮らして居た。

 <その5>
 此処は、ユーラシア大陸から再び切り離された縄文海進が進んだ日本列島で在る。氷河期に寒冷の大陸から南下して来たマンモス、ナウマンゾウ、オオトナカイ、オオツノヘラジカなどの大型獣も絶えて居た。

 植物達は根、風に飛ばされ、水に流される種子に依って移動を重ねる。昆虫達は、植物と共に移動する。昆虫を捕食する小動物、鳥達は、それに倣い、小動物を追って、肉食動物達も続く。魚は沢・川・湖沼・海を棲み分け、回遊・回帰をして生命を次に繋ぐ。

 動物は四足で移動し、人間は徒歩、舟に依って移動、定住を繰り返して来た。翼を持った鳥達は、水平の渡りとして、繁殖の夏鳥、越冬の冬鳥、上下の渡りとして高地・低地を往復する留鳥にと環境適応を果たして居た。

 氷河期の草原と針葉樹の植相は、がらりと変わって鬱蒼と重なり合う広葉樹の大地に様変わりして居た。温暖な気候の下、陸は緑に肥え、海は豊穣の輝きを以って、北方狩猟民族の末裔・縄文人達に、石器と土器の縄文文化を花開かせていた。
 バイカル湖西岸の大型草食獣の狩猟が主体であった北方狩猟民は、それ等が死に絶えて、ニホンジカ、カモシカなどの中型草食獣を狩りながら、広葉樹の森林に、たおやかな海で、食料革命に依って素朴では在るが、豊かな暮らしを開拓して居た。

 森林の狩猟は、弓矢に移行して木の実採取は、栗の栽培、野菜類、家畜までにも拡がり、海では貝・魚を常食にして農耕と同様に貝類の養殖も在ったと云う。当然に、山と海の交流も盛んで在ったらしい。着る衣服にも、デザインが施され、女達は装飾品を日常的に身に付ける様に為って居た。

 <その6>
 悠久の時は流れて、営まれて居た痕跡は、地中深く眠ったままで在る。時折、人類の発展の手で地中が工事で掘削される時、悠久の時の証左が発見される事が在る。考古学上の大発見、定説を覆す最大の発見などの活字が時々上がるが、それは埋もれた悠久の時の一断面にしか過ぎない。圧倒的な悠久の時の証左は、依然と土中深くに眠ったままである。

 例年通りに里で越冬した鶯が、お礼に庭でホーホケキョと鳴いて山に帰る。若葉茂る五月とも為れば、留鳥の雀、カワラヒワ、ヒヨドリ、キジバトが巣を作る。川原に葦が勢い良く緑のカーテンを伸ばす頃に為ると、オオヨシキリが卑猥な囀りでベベッチョ、カイカイと大声を発し、托卵のカッコォ鳥が、早朝に声を挙げる。夏の渡り鳥達が、山野に囀り繁殖をする。七月とも為れば川原に蛍が飛ぶ。

 秋に成れば南に帰る鷹類が、青空一杯の白樺峠の天空に二千羽を超す鷹柱を作る。落葉が寒く舞う頃に為ると、冬鳥の純白のコハクチョウを皮切りに、ジョービタキ、ツグミなどが遣って来る。アルプスが白い服装に覆われて、アルプス下ろしが肌を刺す頃には、マガモ、コガモが凍て付く流れに浮かぶ。

 今年も吾が家の庭に、ジョービタキのメス・バルディナが姿を見せに遣って来た。冬の渡り鳥ジョービタキに注目して数年で在る。私の想像では、三代目に当たるジョウビタキのメスで在る。

 老いて独り暮らしが危ぶまれて来た母の賄いを始めて、七年に為るだろうか・・・。介護と云う或る意味・閉じ籠り生活へのシフトであるから、自ずと目前の物への自然観望が、それなりに身に着く物である。

 まぁ、私は幼少の頃から出不精の内向性の性質である。従って、人生第二ステージとしては、良い頃合いと良い環境で在るかも知れないと思っている次第である。

 私の一つの性向として、人間を動物に喩(たと)えると云うか、動物を人間に喩えると云うか、そんな想像遊びが好きなタイプなのである。当然、私は好色戯け男であるから、女が大好きである。
 然しながら、天は吾を見捨てられ給うた。依って、毛無し・金無し・女無し、止めが甲斐性無しの四重苦に喘ぐ底辺貧民の暮らしにどっぷりと浸かって居る。従って、この世に生を受けて65年。一度も男子としての快感を味わった事の無い不幸な存在である。

 そんな不幸な男の習い性と云えば、決まり切った事である。俗に云う『開き直り』の捻くれ根性に骨の髄まで染まった次第である。後発的なふてぶてしい態度と減らず口だけは、大いに成長特化して来た様である。
 如何に足掻いても、モテないのは絶対にモテないのである。従って、それが振られ放しの人生荒路・既成路線ならば、望みだけは誇大妄想に極大化するのが、せめてもの悪足掻きと云う物である。そんな諸々の次第で、私は大の面喰い男を任じて居る次第である。

 然しながら、然しながらである。縷々(るる) 生半可な雑学を踏襲して臨めば、こんな風にも日本人のルーツ探しは侘びしき男の遊びの友とも為る。バイカル湖周辺に暮らして居たブリアート人が、日本人の祖先の多数を占めると云うのであるから、私の異常なまでのロシアン・ウーマンへの親和性は、DNAの為せる宿業と言っても良かろう。

 そんな次第で、彼女達から金髪福与(ふくや)か為る美人さん・バルディナに因んで、冬鳥ジョービタキのメスをそう名付けて、見守っている次第なのである。本篇も、そんな心優しきジョービタキの姿見せに端を発した一篇である。これまた、バルディナ様に感謝感謝の段である。

           私的歴史考2・・・遥かなる想いと繋がり。・・・完。

                     20013/11/15 by アガタ・リョウ。



心何処ーショート 妖怪様、ニコニコの段為り。
                 妖怪様、ニコニコの段為り。(11/15/13)
 早速、T差し入れの西尾幹二著・文春文庫<決定版・国民の歴史>を読み始める。流石に、学者先生の文章は、保守の烈迫の気迫が在って、実に頼もしい限りである。先生の文体も、名調子で在る。
 何を隠そう、私は西部邁、西尾幹二大先生のファンの一人なのである。学者さんは、こうでなくちゃ行けませんがね。上巻496頁、下巻541頁の1037頁なのであるから、この先が大いに楽しみで在る。

 朝方、雨の気配である。予報とは違って、早い雨ではないか。シートを掛けなければ、買って来た価値が無い。昨日のマイナス1℃の予報に、昨夜は湯たんぽを使用して寝たので在る。温い布団から這い出るのは面倒では在ったが、シートを掛けて来る。

 服を脱いで、再び布団の中へ。小編打ちの続きを彼是思案していると、妖怪様の動きである。昨夜と云っても本日で在るが、布団の中で読書を続けて仕舞ったから、スカンポ脳は知恵熱の発症である。もう少し、布団の中に居様と思って居ると、玄関が開いて襖が開いて、弟が入って来た。

 服を着て妖怪様の部屋に行くと、仏壇に燈明・線香をした弟が、朝飯と言って高校同期のパン屋でパンを買って来たから、一緒に食べようとの事である。漬け物の粕漬けタッパから、本瓜と秋ナスを出して、朝飯とする。

 西向かいの独り暮らしのおばさんの下水が詰まったと云うので、見に来たとの事である。実家のご近所さんであるから、無碍には出来無い。時間が在るから、実家で時間調整との由。

 クルージングの話をしながら、伊勢海老の配分話を聞くと、弟は1匹、私は0匹で在ったから、笑って仕舞った。へへ、流石に婆さんの倅二人で在る。自分の事は一番最後で、周りが喜べば、それで良しとする。いやはや、『母親の薫陶』とは大した物である。

 続いて、長野県建設業者の厚生年金基金の金庫番が、24憶円の使途不明金問題で、昨日業務上横領の犯罪管轄権の問題で、タイから長野県に送致されたニュースを受けて。

「あんなのは、一人で出来る事じゃ無い。バックに何人ものハイエナ見たいな悪いのが居て、金を回し合って居たんだぜ。頭の黒いネズミが、芋蔓式に御用に為るぜ。知り合いにも、ビクビクしてるのが居るわ。とんでも無ぇ野郎共だ。
 一人じゃ使い切れない金額だしさ。それにしても、お気軽なもんさな。自分の稼いだ金だったら、豪勢に1年位で、物価の安いタイで6000万なんて使い切れんぜや。」

 弟は現役社長で在るし、小さい時から弁が立つ。人前で話す事には長じて居るから、話のメリハリが利いて居ているから、はにかみ屋の私としては、ニヤニヤ頷いて、合いの手を打つだけで良い。中々に、日頃の観察眼も行き届いて居て、比較論証も上手いものである。頭の良い男である。

            俺ぁ、楽でヤンスわね。妖怪様、大喜びで在る。へへへ。

 いやはや、建設業界では噂が満杯らしく、Aと云う女には幾ら幾ら現金を渡し、月のお手当は幾ら。Bと云う女には、現金と高級腕時計。そんな次第で、分け前の少なかったB女に通報されて『御用』に為ったと云う。業務上横領男の家庭と生活振りは云々と、色々と面白い話を語って呉れた。

 弟が懇意にして居る街金さんは、女房殿に金庫の5000万と通帳を持ち逃げされて、チクられて、貸金違反の咎で拘置所の身で在ったそうな。追徴金が2000万との事。2000万返せと云ったら、ケンもホロホロに拒絶されたとの事である。

  いやはや、世の中とは怖いものである。ウツボカズラ満載が、世の実態らしい。

<さぁ、仕事だ。>と言うから折角、妖怪様の顔を立てて来て呉れたのであるから、ご舎弟様のお手子でもしなければ、男が廃ると云う物である。

 小雨降る外で在る。おばさんの御出座を仰いで、排水経路の確認作業である。コンクリート桝に蔓延った木の根が、排水詰まりの犯人であった。おばさんも歳であるから、重い旧式のコンクリート蓋を持ち上げての桝の管理は、肉体的に不可能である。金は掛るが、木の根が侵入出来無い塩ビ舛に取り換えるのが得策との見立てである。 三か所であるから、見積もりを出すから、財布と相談して呉れと云う事で、詰まりを除去してオーライの運びと相為った。

          電話が入って、仕事が出来たから帰社すると言う。

 その弟が、再び入って来て、<漬け物を忘れた。これを忘れたんじゃ、日当にも為らん。>との事である。今年の沢庵漬け準備の大根干しのシート掛けをニンマリ確認して、弟は軽トラで帰って行った。

 さてさて、雨も止んだ事でも在るから、個人スーパーに車で行って、早漬かり用のミヤシゲ大根の入荷状況でも見て来ると致そうか。今年は弟好物の吊るし柿は無しなのであるから。


心何処ーショート へへへ、有難や有難や。
               へへへ、有難や有難や。(11/14/13)
 馬鹿に明るいな。何時だ。8時である。アッジャ、寝過ごした。シャ~無い。もう一時間寝よう。

 本日は資源ゴミの日であるから、その心算で寝ていたのだが、夜更かし人間には、未明は貴重な熟睡滞である。急に遣って来た真冬の寒さであるから、スキンヘッドは寒いから半纏を被って寝て居る始末なのである。温い布団の中で、現在頁を進めている小編の次なる事柄を如何云う風に繋げて行くかに、想いを巡らせる。<私的歴史考・・・遥かなる思い>も<その4>を終えて、8頁に駒を進めている次第である。後2頁程を打てば、小編のフレームは出来上がる。

 一応のフレームが出来れば、後は簡単である。他人面をして再読、気に喰わない所、意味不明の所を修正したり、加筆して行けば良いのである。幾ら読み手の私が底意地が悪くても、何も無い物には文句を付けたくても付けれないので在るからして。ギャハハ!!

 まぁ、そんな頭のウォーミングアップをしながら、9時を待つ。さてさて、起きて、オマンマの用意でもするか。妖怪様の入れて呉れたお茶を台所で飲みながら、朝の算段である。冷蔵庫を開けて使い切るのは、工夫の研磨でもある。とほほ。

 朝食後は妖怪様の気分の解き解しで、テレビに対しての悪態三昧を仕出かしながら、風呂の湧くのを待つ。明日は雨との事であるから、大根干しのブルーシートでも買いに行って来なければ為らない。

                      ルルルル、

「今日は、何か予定は有るかい? 金土とさ、また孫を預かっちゃってさ。」
「別に。暇してるからOKだいね。」
「そうか、じゃあ、昼頃行くわ。」

 風呂に入って迎えの来るまでに、健忘症進み行く吾を反省して、忘れない内に頁進めをして置くと致そうか。軒下の鳥達は、日光浴でもして世話は帰って来てからで好かろう。洗濯も後で良し。言葉よ、出でよ・・・。

   風呂から上がって、<その5>の取っ掛かりを半頁ほど打って居ると、Tの車である。

「ほい、妖怪様に焼きイモ、Rには本だ。」

 差し入れ物を置いて来て、車に乗る。平日木曜のスタバ二階席は、何やら試験が近いのだろうか、女子学生達の勉強姿で指定席の壁際席は埋まっているでは無いか。ブラインドの下りたソファ席で、熱々のコーヒーを飲む。

「この前さ、プランター・ハンターなんてタイトルで、白人植物収集家の本を基に、標高4000mの山の植物相を紹介する番組が有ってさ。其処にウツボカズラが紹介されて居たもんだから。糞婆っさをからかって遣ったんだわさ。いやはや、面白かったぜや。」

<何~、マンコカズラだと~。NHKが、そんな事言って良いのか!!>

 そう素っ頓狂な声出したらさ、普段は愚痴ぽく散々に、<穴も小さく為って、耳が遠く為って、テレビを見てても何を言ってるか、半分も解らない。生きてる価値も無い。>ってほざいてるのにさ。完全に聞こえてるから、『女面』して下向いて居遣がるのさ。

<見て見ろや、あの先端のビラビラなんざぁ、女の持ち物そっくりじゃねぇか。俺は理科も得意科目だったから、よ~く覚えて居るんだけどさ。ありぁ、れっきとした食虫植物でさ。
 あのウツボ見たいな容器に、甘い香りの液体を湛えて、せっせと昆虫を垂らし込むんだわさ。落ちたら最後でさ、甘い香りの液体なんて、『真っ赤な大嘘』でさ。本態は、消化液って寸法なのさ。
 婆さん、良く見て見ろや。あれが、何を隠そう『女の粉う事無き本性』ですがな。ウツボだかバギナだか知らんがさ、鼻の下を伸ばして蜜の味に浸ったが最後、消化液に溶かされて、チィ~ンコロコロとお陀仏でさ、底にゴロゴロと男の骸(むくろ)を晒すだけですがな。
                  
           俺ぁ、女の甘い誘いになんか、騙され無えぞ~。

 まぁ、そんな事言っても、妖怪婆っさには倅の務めで、理性と抑止で騙されては遣るけどさ。ギャハハ~!!>

「そう解説して遣ったらさ。妖怪様の顔と云ったら、無かったぜや。丸で聞えない振りして、『不動の顔』で窘(たしな)められちゃったいな。へへへ。」

「やっぱ、Rは異常だわな。そんな事を言う還暦半ばの息子は、他に居らんぜや。俺も、高校の時、デカイ声で猥歌(わいか=卑猥な戯れ歌)謳って自転車で家出たらさ、お袋が飛んで来て、<お前、何て歌を謳ってるだ。恥ずかしいと思わないか!! 恥を知れ。>って、凄い剣幕で怒られちゃってさ。<煩い。天下の男子高だ。今日は先輩の前で、謳わ無きぁ、蹴り入れられるんだ。学校まで、練習してか無きぁ、何されるか解ったもんじゃ無ぇさ。アバよ。>って、言ったんだけどさ。アハハ。」

★何を扱きぁがって。天下の公道で猥歌を謳って行くなんて図は、完全に公序良俗に反する。反社会的行為では無いか。俺を異常者扱いして、家庭に法律は立ち入り禁止ですがな。

 外パッパの後は、ホームセンター、スーパーに寄って、しがない賄い夫の買い物で在る。家に帰って、袋を開ける。何度かツタヤで探して居た本が二冊入っていた。『西尾幹二著・決定版・国民の歴史、上下』で在った。

 へへ、持つべき者は心友である。Tは素知らぬ振りをして、何カ月もブックオフに足を運んで、私の為に買って置いて呉れたのである。有難や有難や。


心何処ーショート 徒然に、古賀メロディ一考。
              徒然に、古賀メロディ一考。(11/13/13)
           へへ、寒いものである。冬に為っちゃいましたがね。
 毎週、楽しみにしているNHK歌番組は、昨夜の古賀メロディで大いに涙腺が緩んで、聞き惚れて居た。大正生まれと昭和生まれの母と倅であるから、歌の良さがロートル世代の日本人の琴線を抒情たっぷりに浸して呉れた。

 古賀政男曰く・・・歌手は泣いては行けません。涙を堪えて、お客さんに泣いて貰うんです。

 流石に一流の人は、言う事が違う。含蓄を超えて、核心をスパッと仰るものである。これぞ、名言では無いか。

 影を慕いて、人生の並木道、誰か故郷を思わざる、白虎隊・・・etc。ロートル世代には、歌詞の一句、一句が、古賀メロディに撹拌されるが如く、瞬時に胸に血に感情を湧き立たせて来る。古賀メロディは、日本人の心の原風景を謳う物である。

    歌とは、本来、そう云う物であろう。妖怪様曰く、『今日は、皆、良い歌だった。』

 テレビニュースでは、道徳教育の導入に就いて、彼是と報道、解説をして居た。こう云う場面では、兎角、道徳教育と云う躾け・心の在り様を教える教科に対して、評価点を用いて成績を付けるのは、如何な物かとの識者のコメントが提供されるものである。

 躾けにしろ、教育にしろ、何かを教える事は、それの習熟度を確認する為に、評価点を付けるのは、当然の過程である。それを押し付けと看做すか否かで、評する事の可否の意見が別れて来るだけの事である。

 社会性と云う最低限の押し付けをしなければ、社会総体としての許容範囲も共通項も壌成出来ぬでは無いか。押し付けを以って、最低限の社会性を老いも若きも、幼きも共通項として実践して行くのが、社会の営みの姿だと思うのだが・・・

 兎角、学問とは西洋学問とばかり錯覚して居る輩が多過ぎる。日本人は長い間、東洋思想の中で生きて来たのである。天皇・皇室を敬い、親の有り難味に感謝して尊属犯を刑法に認め、家族の紐帯に重きを置いて、嫡出子・非嫡出子の相続分に差を付けて、社会全体の秩序を、民法の親族法に認めて来たのである。夫婦別姓と云う動きも在った。

 事細かな法律条文など必要とせずに、如何に宗教放れした無神論者の多い国民性で在っても、昼はお天道様が見て居る。夜はお月さんが見て居る。悪い事をすれば、お化けが出て来る。善行も悪行も廻り回って、自分に戻って来る。正しいか間違って居るか、胸に手を当てて、考えて見ろ。・・・etc。昔の親は、これだけで、学校の先生以上のお説教が出来たのである。

 日本人は国家の一員の自覚の下に、国旗、天皇を敬い、神社仏閣に参拝して、古より継承されて来た文化を見て、感じて、思い考えた。唱歌の調べを聞いて、日本語の抒情の豊かさを心に残し、長じて世に連れ、歌に連れる現在を考える。日本と外国の歌、流行と歌い継がれている歌を比較して、感じて、思い、考える。

 一度作られた物は不動為れど、読み、聞き、思い、考える主体は、己が経験知・経験値に依って、新たな視点を見出して人生の年輪を肥やして行くのが、人生の味と云って良かろう。

               人間など、押し並べて失敗の連続である。
 史上最高の受験地獄世代であった団塊の世代の失敗?に鑑みて、タイムラグの高校・大学の粗製乱造で、教育の機会均等性は計られた物の・・・過ぎたるは及ばざるが如しである。
 私は石を投げれば、餓鬼に当たるお粗末な時代に生まれ育った世代である。此のままでは、地球は人間でパンクして終う。お前達は結婚したら子供は二人にして置けと、産児コントロールの必要性を教えられて居た物である。
 三つ子の魂、百までとは、良く云った物である。私なんぞは、甲斐性が無かった物であるから、その通りと為った。それが、高齢少子化との事で、国力の衰退とやらで、掌を返す様に『お手当付き増子策』である。

 受験地獄から、ゆとり教育。ゆとり教育世代に為ると、教師余りも手伝って少子化に即した30人学級。言いたくは無いが、団塊世代時にぁ、50人学級なんて、ザラに在りましたわね。粗製乱造の高・大は、或る意味では時代の要請で生まれただけの事では在るが、誕生して終えば、ゴーイングコンサ~ンと云うのが、世の倣い。
 四当五落と言われた受験選別の高垣から、推薦の敷居の低い<若者の集い舎>と為り果てて仕舞った。分数計算、小数点計算が出来無い大学生の群れと云うのであるから、噴飯物でしかあるまい。

 そんな大学生達が、4年もすればトコロテン式に社会に放出される。大学出た物の、就職無しの親の脛齧りの延長をすると云うのであるから、何をや言わんか。である。

★家のローンがキツイから、得意の闇サイトちゃかちゃかで、<仕事しませんか?>で俄か誘拐を実行して、盗難自動車検問で、御用!!
★相変わらず、教員の不祥事・盗撮行為が長野のローカルニュース。
★中高一貫校と銘打って、時流に乗って新装営業をすれども、高校教員免許の先生が、中学生を教えて居たとの由で、教員免許違反との事で社会問題。

 兎角、1+1=2の計算は出来るが、躾けも道徳も採点出来無い代物であるからと、<逃げの一手>である。昔の日本人社会なら、1+1=2の前に、真っ当な人間に育てる為の躾け、教育と云う<天下御免の押し付け>が家庭力、社会力、国家力として充分に作用して居たのである。

       何が教育者・識者・政治家じゃい。馬鹿も休み休み言い遣がれってな物である。
『駄目な物は駄目、為らぬ事は為りませぬ。』『為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。』←俺ぁ、出来が悪かったから、坊主頭を着物の物差しで、バチンと遣られましたがね。ギャハハ!! 体罰を頂戴しても、育つ者は、育つんじゃい。
 
 古賀メロディを聴かせて、涙度、頷き度をモニターすれば、道徳度・抒情理解度は解りまするがな。総べからず、核家族・個室・個器・個利個権の氾濫社会に、総体力など涵養出来る訳が在るまいに。

            日本の強みは、<和を以って尊し。>でしょうが。
 和とは他者と交わり、己が足らざる処を他者から頂戴する。頂戴した物には感謝をして、受けた恩は、お返しする。自助・共助・公助の考えにして、それは取りも直さず、他者と連帯して生きて行くと云う<連助の考え方>なのだと思う次第なのであるが・・・

 言葉が踊り、多投される世の中である。<和を以って、尊しと為す。=他と連帯して助け合う。> 絆も連帯も、持成しも、繋ぐ物は共感力・共鳴力の存在である。

 考えて見るが宜しかろう。太鼓、琴、バイオリン、ギターも、胴と云う器の共鳴体が無ければ、音は増幅も響く力を有しないのである。胴の部分を疎かにして、子供、家族、組織、社会、国家が栄える訳が無かろう。へへへ。


心何処ーショート やれやれの段為り。
                   やれやれの段為り。(11/12/13)
 いやはや、真っ白く霜が降りましたで御座る。好い天気では在るが、ブルブルの空気の総入れ替えである。山に雪や有りや無しやとアルプスを見るが、アルプス連峰は、灰色の中である。

 湯を沸かしながら、家庭菜園を見て来る。へへ、軟肌に霜の萎れである。まぁ、夏野菜では無いから凍傷で、落葉と云う事は無い。昨日の予報だとマイナス1℃との事であったから、此処は2℃位に冷え込んだのだろう。嗚呼、ちゃっぷい、ちゃっぷい。

 妖怪様の洗顔中に掃き出し掃除をして、暫しの空気入れ替えである。婆ぁ、暫しの我慢じゃい。へへへ。寒いなんて、抜かしたら白髪シャレコーベに、ゲンコツ一つじゃがな。

 朝のお茶を入れて貰い、台所で熱々の茶を飲みながら朝賄いである。部屋では茶ガラの始末が面倒であるから、専らのインスタント・コーヒーでは在るが、日本人には、熱いお茶が一番である。朝の一杯が、実に美味い。

 朝食後は、退屈なテレビであるから皺皺の上瞼をこじ開けて、早々に目薬落としをして小鳥様の餌吹きをして居ると、ヤクルトママさんのコールである。

 寒ハヤは脂が乗って美味いなんて形容もあるが、妖怪様もヤクルトママさんも、本日は殊の他、美人さんである。ズロース、パンツ、パンティの違いを質問させて頂く。短さ、厚みの違いとの事である。

「私達の頃は、ズロースなんて言葉は無かったですよ。ショーツですよ。アハハ。」
「左様でゴザンスかい。じぁ、シャネルの5番なんて形容は知らんズラ。」
「なんですか、それってブランド香水じゃないですか?」
「何を扱いてるだい。彼の有名なマリリン・モンローさんの下着ですがね。へへへ。」
「えっ、どう云う事ですか?」
「パンチィの代わりがシャネルの5番だから、寝る時は、スッポンポンの真っ裸って事さね。寒いなんて、毛糸のパンツじゃ女の色気は台無しだんね。あい~。」
「何言ってるんですか、主婦は、健康が一番。体冷やしたら、主婦は勤まりませんよ。」

     さてさて、午前中の区切りに、妖怪様の薬でも貰いに行って来ると致そうか。
 
 寒いが、山の黄葉が見事である。街路樹のコブシも葉が落ちて、見えなかった鳥の巣(多分、カワラヒワの巣だろう)が幾つも見える。小菊の花が盛りで、色とりどりの家周りである。

<おぅおぅ、このお宅も、大根干しですがな。信州・長野は有数の農業県。地場産野菜で、冬の漬け物作り。風土に合った風物詩の中に暮らしてこその土地の暮らしですがな。そうで無くちゃ、人間が廃ると云うもんですがな。へへへ。> 

        ハコベが在れば、小鳥の土産としようと思うのだが、生憎見当たらない。
       
          町医院は、幸い誰も居ない。待合室のファンヒーターが暖かい。

「お婆ちゃん、元気~?」
「昨日、今日と、上品で美人さんですわ。週の半分は、小憎たらしい山姥状態で、早い処、くたばって欲しいと思ってるんだけど、相手は妖怪様だぜ、中々にしぶといですわ。」
「アハハハ。凄い事、言うじゃん。親子だから、言える事だよ。急に寒くなったから、風邪ひかしちゃ駄目だよ。」
「はいはい、分かりやした~。ロートルに為ったら、女に従えですがな。へへへ。」

 紅葉の景色は好いが、此のまま、ぶらぶら歩きの散歩移行と云う訳には行かぬ寒さである。農園の赤いリンゴを見ながら、近道の細い路地を帰って来る。

「ほい、婆さん。<お婆ちゃん、元気~。>と言って呉れるから、<糞婆っさ、中々、くたばらん。昨日、今日と美人さん遣ってるわね>って言っといたよ。」
「アハハ。そうかい。ご苦労お掛けしました。済まないねぇ。有難う御座います。」

      さてさて、遣る事は遣って、午後は目一杯、マイタイムと致そうぞ。

 台所の片付けをして、米を研ぐ。野沢菜の水が上がって居ないから、塩を足して、重しを加える。おやおや、空に大分雲が出て来て、お天道さんの雲隠れである。本日の予報気温は、6℃との事であった。灯油を入れて置くと致そう。やれやれの段である。


心何処ーショート ニャロメ、寒いじゃないか!!
               ニャロメ、寒いじゃないか!!(11/11/13)
 朝の内はお天道さんが在ったので、風呂に入って洗濯をして居ると、予報通りに雨風が吹いて来て、荒れ模様と為って来た。買い出しに行って来る心算であったが、止めにして置く。軒下の鳥籠を中に入れて、台所仕事をする。

 それを終えて、四畳半定位置でコーヒーを飲む。雨、風に落ち葉が吹き飛ばされて、大変なものである。斜向かいさんのベランダには洗濯物が風に煽られている。朝のお天気に、外出したのだろう。折角の洗濯物が寒さでクシャミをして居る様である。

 いやはや、お天道さん無き霜月は寒々として絵に為らぬ光景である。侘びしき四畳半であるから、廊下から鳥籠を持って来る。窓から見える山にも、黄葉が色濃く為って来た物である。

 籠の鳥は見る景色が違って、元気に飛び回っている。私はする事が無いから、小さな事でも熊の様にうろついて、歩数を稼ぐしか無い。困った物である。

 如何やら、雨も止んで東の空の一角が明るく為って来た。風はある物の近場散歩でもして、小編の参考気分でも味わって来ると致そうか。何事も体感する事の方が、脳細胞を刺激すると云う物である。へへへ。

 寒いから、軍手をして行く。河川敷を襟を立てて歩く。一気に紅葉・黄葉が里に下りて来た。曇天のお寒い限りでは在るが、家に居たのでは山野の移り模様は見えて来ない。

 西のアルプスは、重い灰色の中である。晴れれば、薄ら雪パウダーなんて事にも為りそうな感じである。いやはや、嫌な季節の到来である。

 おや、あの羽根色に混ざる青とズングリしたシルエットは、カワセミでは無いか。久し振りの遭遇である。ご存知、カワセミの飛翔は短い。川の流れに沿って、低空飛行を繰り返して行く。風呂上がりであるから、寒気に身を晒して風邪を引いても詰まらない。河川敷から上がって、昼食用のパンを個人スーパーで買って行く事にする。

 レジの先輩に「1箱1000円を9000円にして置くよ。」と言われて、地場産硬大根3箱を買う。小物だけをレジ袋に入れて貰い、再び車で引き取りに入って来る。私は白菜漬けが好物では在るが、今年は白菜が不作らしく店頭には並んで居ない。小振りな野沢菜が在ったから、それを白菜の代わりに漬けると致そう。

 家庭菜園の脇をスコップで、深く掘り込んでネギの束を生けて、この前セットして置いた干し台に大根を並べる。後は早や漬かり用のミヤシゲ大根を、買って来て並べれば良い。

      落ち葉道路走り、山の黄葉、里に下りれば、西山雪を纏い始める。
        信州人は長い冬に、実りを漬け物にして、長い冬を越す。

    ハチ、チョウ、トンボは死に絶え、ハヤは水底に沈み、サワガニは冬眠に入る。

        身を刺す北風、川面走れば、カモ類川面に浮かぶ。
     枯れ葦の原に、ホウジロ小群れ為し、モズは独り、枝に止まる。

     晩秋、初冬は、時に足踏み、時に豹変して、冬を定着させて行く。

 いやはや、本日は冬並の寒さじゃゴザンせんか。鼻水垂らしても、風邪引くなで在りまするぜえ。罹ったと思ったらルル三錠でありまする。へへへ。


心何処ーショート 風の8段活用
                    風の8段活用(11/10/13)
 暖かい朝では在ったが、小雨の後はどんよりと曇った風日である。朝食後は民放テレビの報道番組を見ながら、妖怪様相手に、マスコミキャスターさん達への下衆の突っ込み漫談をする。人間の食事が済めば、小鳥様の執事役、家事仕事である。

 食器を洗い、米を研いで、酸味の廻った漬け物を薄くスライスして、生姜、厚い削り節、唐辛子を振りかけて、チャーシューを作ったラードを油に炒め物をする。仕上げは砂糖に醤油である。人参の歯応えと粕漬けの酸味が、正に田舎の味である。

     高級ホテル料理では無いから、<誤表示>の出る幕は無い。イッヒッヒ~!!

 テレビの料理番組などを見て居ると、カボチャはバランスの採れた栄養化の高い野菜との事である。果物・野菜・魚にしろ、大体の物は、皮と果肉の間に栄養素が凝縮して居ると云うのであるから、皮を剥かずに、其の儘、調理・食用に供するカボチャが高栄養食品と云うのは、理に適っている。そんな次第でカボチャは、吾が家の食卓にも時々載る様に為った。

 昼はリンゴとカボチャの煮付けに、一日浸して置いた豆をコトコト煮て、カボチャと一緒にすれば良かろう。咀嚼力の乏しく為った妖怪様に付き合って居ると、こんな中性食と云うか、半流動食の昼と為って仕舞う。

 いやはや、これでは<私の好色蛮性>が、如実に衰えて行くのも無理からぬ事である。人相風体は殊の他、悪いが・・・ 『人畜無害の風に為る』のが、私の理想とする処でも在るからして、これも定められし、吾が人生の歩みと云った過程の一つかも知れぬ。へへへ。

                 それにしても、風のヤツは煩い奴っちゃ~。
★風吹けば、桶屋が儲かる。①大風で土埃が立つ。②土埃が目に入って、盲人が増える。③盲人は三味線を買う。④三味線に使う猫皮が必要に為り、猫が殺される。⑤猫が減れば、ネズミが増える。⑥ネズミは桶を齧る。⑦桶の需要が増え、桶屋が儲かる。

   これは、お江戸の庶民文化の隆盛時に大流行りした<風の7段説法>との事である。

 勝新の座頭市シリーズで、掠れた勝新の、あの台詞回しを聞いて、中学生の頃、大いに流行った物である。若くして他界して終った成績一番の男が居た。仲の良かった男である。体格も良く、スポーツも万能で在った。雰囲気は、東映の千両役者・片岡知恵蔵の貫禄充分の男だった。

 如何云う訳か、そいつは物真似が得意で、<風が吹けば、桶屋が儲かる。>の勝新の真似を仕出かして居た物である。

 私としたら仲が良かったから、<この馬鹿垂が、また始め遣がった。出来の悪いガッタ坊主を集めて、蘊蓄話を涎垂らして、講義を始め遣がってからに。中学から酒、煙草遣ってるんだから、全く、手に負えん奴だぜや。この馬鹿垂が・・・ 少しは、自分の色を付けろや。> 馬鹿に付ける薬が無いのと同様に、利口で在っても好きに付ける薬無しも、この世の実態でも在る。

 窓打つ風の煩さに、親友Oが遣って来たのだろう。Oが寂しくて来たんだろうから、暫しお付き合いをして遣らねば為るまい。些か、恩を売って置かねば、私があの世に行った時に、妙な先輩面をされても癪である。

    此処は一発、Rアレンジで還暦半ばの抑止力を見せて置かねば為るまい。ギャハハ!!

☆風が吹けば、貧民潤う。①風吹けば葉が落ちる。②葉が落ちれば、落ち葉掃き。③落ち葉溜まり、腐葉すればミミズの餌。④ミミズ集まり肥えれば、モグラの餌。⑤モグラがトンネル作れば、土に空気通う。⑥土に空気通えば、土壌菌が繁栄して有機分解。然すれば、⑦土壌豊かに作物実る。⑧作物実れば、軽く種代の何倍もの御利益を貧民に齎す。

 Oよ、ざまぁ見遣がれ、俺ぁ歳の効で<風の8段活用>だぜや。大人しく、冥土で俺の席を確保しとけや。俺ぁ、未だお努めが残ってるから、冥土にぁ行けんぜや。

 さてさて、本日・日曜の休息日である。食物繊維ふんだんの昼として、昼寝後は夜の部で小編の頁数を伸ばして置く事に致そうぞ。


心何処ーショート 苦も無く、日は暮れ行く。
                 苦も無く、日は暮れ行く。(11/9/13)
 え~と、明日は雨かいな。シャ~無い、落ち葉掃きでもして置くとするか。朝食後の作業開始である。

 道路脇に溜まった欅の落ち葉、庭の落ち葉を竹箒、熊手で集める。石コロだらけの土地柄であるから、掃き集めた落ち葉は、貴重な土の原資である。落ち葉を貯めて一冬越させて、春には川原から砂土を持って来る。それらを春の畝に鋤き込んで、土量を増やして行く事にして居る。

    そんな繰り返しの中に、家庭菜園の土はまぁまぁの深さと為って来て居る。

 そんな事をして居ると、ジョービタキのバルディナが庭から飛び立って、電線の上で尾羽根を振るわせて、短く鳴き声を発して居る。今年の陽気は変わって居る。ジョービタキの姿見せは、例年だと窓辺のコブシの葉が落ちて、数枚残した頃にサッと姿を見せるのだが・・・。

 今年は木には沢山の葉が付いて居て、その葉群に漸くの黄葉の混じり状態を呈しているばかりなのである。従って、庭の落ち葉は未だ例年の半分位である。楓もドウダンも紅葉を始めて居ない。きっとそんな次第であるから、バルディナも庭には姿を見せるが、四畳半脇のコブシの枝には一向に姿見せをしに来ないのかも知れぬ。未だ未だ、落ち葉は本格的では無いのだから、真似事掃きで良かろう。

 現在打ち始めている小編の主人公は、ジョービタキである。ジョービタキの渡りの姿に、地球のメカニズム、人間の歴史を投影しての打ち物とする思いである。従って、小さな冬鳥のDNAに刻まれた悠久の風景と云った物を写し取りたいと考えて居るから、ジョウビタキの生態に就いては、何かと興味が湧いて観察している次第である。

 対象鳥は、夏のシベリアで繁殖するジョービタキである。生物には<刷り込み>が付きものである。生まれ育った針葉樹林の原野は、きっと密集する樹林帯と云うよりも、針葉樹が疎らに連らなる『疎林の風景』では無いかと想像して居る。
 従って、広葉樹の落葉した枝がツンツンと残る空き空きした樹容にこそ、刷り込みの親和性、親近感が運ぶのでは無いだろうか。そんな刷り込みの故を以って、未だ葉群を残す四畳半・窓辺のコブシの木には姿を見せないのでは無かろうと<独断的推理>して居る次第である。

 庭の落葉した柿の木、スモモの木は、四畳半周りのコブシ、ハナカイドウ、南天と云った緑とは対照的な様相を呈している。

         まぁ、この私の推理が妥当か否かは、間も無く解る筈である。
     何事も好奇心を持って、仮説を立てて観察する事が、頭の肥やしに為る物であろう。

 さてさて、そろそろ漬け物の季節であるから、大根干しのスペースの確保をして置かねば為るまい。弟も仕事が忙しいらしく、外装の張り替え作業は中断して、大根干しのスペースには材料が、其の儘ブルーシートに被って場所を占拠して居る次第である。

       動かすべきか、動かさざるべきか・・・思案を要する。やれやれの段である。

 昨日はガス屋さんの集金で、月に一度の男話に話しが弾んだ。それと面白かったのは、個人スーパーに散歩方々、マイバックを持って野菜類・果物類を買ったまでは良かった物の、財布を開けたら金が底切れであった。アジャジャの大失態で在った。

<お許し在れ、帰って支払いに来る>と言って帰って来たのであるが、赤っ恥のマイバックたるや、その重い事にトホホの思い頻りで在った。買い物を玄関に置いて、財布に金を入れて、自転車でひぃこら、ひぃ、ひぃと往復して来たのだが・・・ いやはや、とんでもない大戯けを晒して仕舞った物であった。

 来週の半ば辺りには漬け物大根を買って来て、大根干しをしなければ為るまい。これも信州の風物詩の一環にして、季節のお仕事である。明日は日曜の休息日にして、雨との事であるから、動くと致そうか。

 諸般の事情から、東のスペースを片付けて、干し台をセットして見る。まぁ、悪くは無かろう。へへへ。

 いやはや、苦も無く、日は暮れ行くばかりである。日が暮れれば、寒い夜の始まりである。流れる月日の速さに、ロートルは只溜息を付くばかりである。とほほ。


心何処ーショート 時は静かに、流れ行く。
                時は静かに、流れ行く。(11/8/13)
 快晴で在る。起きるには早いが、偶には早く起きるのも良かろう。湯を沸かしたり、台所仕事、掃除、鳥の世話などをする。

「俺の都合だから、まだ起きる事は無いわさ。ゆっくりで良いよ。」

 廊下の洗濯物を物干に掛け、序でに妖怪様の物も干す。その間にヨロヨロと仏壇に供える茶を受け取って仏壇に、花も萎れて来たから庭から、白、黄、小紫の小菊を切って来て花瓶に挿す。

 妖怪様は仏壇に燈明を点し、線香をあげている。倅の私も、倣ってチィ~ン、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏をする。

 天気が好いから、婆さんには悪いが空気の総入れ替えに、廊下の戸は開放したままである。食の細い老母との生活であるから、残り物整理係は何かと面倒である。美味い物を作っても、残って仕舞うから鍋の回転が悪く成って仕舞う。少々、朝飯を待って貰い、鍋を整理して洗って置く。

 何事もゼロからのスタートなら、気分が好い。マイナスからのスタートだと、根がナマクラ男であるから、ヤル気が殺がれて愚痴が出て仕舞う。真に、面倒で嫌な事では在る。<他人に優しく、自己に厳しく>が、吾がモットーではあるが、物臭、短腹男には難し過ぎるお題目である。へへへ。

           これは、習慣行動には程遠い<意識行動>である。

 本日は、孫の子守を仰せ付かったと云うTは、金土が塞がって仕舞ったから、スタバトークはパスとのTELであったから、時間にはゆとりが在る。

 朝食後は廊下の日光浴用に椅子を出して遣ったり、チョイと河川敷に出て気分の深呼吸をしたり、河川敷の幼稚園児の遠足?を眺めたり、里山に下りて来た秋の色合いを眺めたりの日光浴をする。何日振りかで、ツマグロヒョウモン、黄蝶との御対面である。

 寒くなると、河川敷の彼方此方にモグラ塚が出来る。モグラ塚は、モグラの巣作り時に発生する土捨てと云うそうな。寒くなるから、防寒用に巣も深く作り直さなければ為らないと云う事だろうか・・・ 冬眠出来無いモグラも冬に備えて、セッセと冬備えの図と云う次第で在ろうか。

 モーニングコーヒーを飲みながらのラジオBGMでは、医師で冒険家、大学教授のゲストさんが、徒歩でアフリカ大地溝帯から南米に至った足跡を、逆回りで南米からアフリカのタンザニア迄歩破したと云う縦線に、人類とは何ぞや、二足歩行とは何ぞや、人間の生き方とは何ぞや、食料に就いて・・・etcを淡々と語られて居られた。

 一ツ橋法学部を皮切りに12年も大学に居たと云う御仁であるから、個性的な御仁である処に、実態学に根差した極々普通の目線と人間観、文明観、死生観が混淆統一されて居て、知性の高さが大いに伝わって来た次第で、人間の好さと云う物を感じた。

 現在小編で打ち始めている縦線に即した先生の登場で、ゼミで聞いて居る様な感じで、心穏やかな気分で在った。

 11月も8日とも為れば戸を開けて置けば、大きな蠅が何処からとも無く入って来て、戸越しの日光浴などして、ブンブンと飛ぶ物である。ありゃりゃ三匹、四匹とうろついている始末である。

 蠅叩きがあった筈である。蠅叩きを探しに行くと、妖怪様は廊下の椅子で、たどたどしく爪切りをされている。コタツで小さくお地蔵さんをして居るより、廊下で日向ぼっこの方が健康的で在る。へへへ、97にも為ると可愛いものである。

             蠅叩きを見付けて来て、寒蠅に対処する。

 如何じゃい、道具を持てば人間様の勝ちじゃい。ほれほれ、逃げろ逃げろ。バシッ、如何じゃい。先ずは一匹、お次は、どいつじゃい。

 蠅を追って遊ぶ。叩き落とした蠅は、食物連鎖で金魚水槽に落として、金魚に提供する。おやおや、日に当たる電信柱を見遣れば、肌色のイトトンボが日光浴に遣って来た。その下には、赤橙色に染め上がって来た南天の実が頭を垂れて、微風に揺れている。何はし無くとも、時は静かに流れ行くものである。


心何処ーショート ガマの油を、思い出した。
                  ガマの油を、思い出した。(11/7/13)
 いやはや、<百聞は一見に如かず><名は体を表す><行いは素性を現わす>とは良く云った物である。

            本日はのっけから、凄い物を見て仕舞った。
①通称「ツナミ」と呼ばれる韓国ソウル市庁の新庁舎。そのコンセプトは日帝時代に建てられた旧市庁舎を襲う巨大津波を表現して居るとの由。←へへ、<恨のモニュメント>かいな。
②韓国ミスコンテストの整形美人さんの勢揃い写真。5×4=20人の美人さん達は、揃いも揃って同じ顔付、目付き。←こんな物ぁ、たかが<マネキンコンテスト>でしょうが。

 日本のマスコミは、パク・クネ大統領の言動のバックに、①②の映像を配置するだけで、ニュースキャスターもコメンテーターも一切不要で、火病国南朝鮮ひいては北朝鮮、中狂国の『民度の実態並びに精神疾患性』が瞬時に解かろう物である。

    いやはや、毒亜国の火病状況と言ったら、正に<気違い沙汰>で、屁も出ませんがね。

 火病宗主国様の中狂に至っては、天安門に続いて山東省炭鉱都市での共産党建物への不満爆発事件との事である。事件後10時間にして、共犯者逮捕のスピードとは全く異って、汚職の巣窟・地方共産党幹部の右往左往している様が見て取れる。

 チベット、内モンゴル、ウィグルに対しては、残忍強圧策。漢人には右往左往の二重統治の狼狽振りが、丸で一目瞭然の国姿を曝け出して居るだけである。砂漠化が深刻とは云え、砂上の楼閣は、共産等の独善・強弁に築かれた楼閣に等しく、嘗ての砂塵に埋もれた湖・ロプノームの儚さと云うべきであろう。

 私の様な団塊世代の脳裏には、国家のエネルギー転換期に於ける三池炭鉱闘争などがくっきりと浮かび上がる。あの当時、日本は今と違って社会を切り開いて行く原動力の一つに労働運動が、活き活きとして存在して居た時代である。
 振り返れば労働者には連帯力が漲って居た。社会的生き物の男達には、ややもすると条件闘争と云う妥協の気持ちが在ったが、家庭の生活が一番のカァちゃん達の土根性は、肝が据わって居た。炭鉱闘争は、日本の経済史の中に在って、上座に位置する生活闘争でも在った。

 貧富の巨大化に私服を肥やして来たのが、中狂国共産党幹部の実態である。素人目に見ても、中狂国・共産党が乗り越えられる訳が無かろう。張子の虎の実態が、瓦解して行くのは目に見えて居る図式である。赤い王朝も、中国大陸の王朝絵巻の一枚として、黄巾・紅巾・太平天国の乱の様に、農民一揆の巷にその赤い征服王朝を閉じざるを得まい状況に差し至って居るのであろう。

 戦後民主主義の乱熟期を扇動して来たマスゴミコンセプトが、『より解り易くのレッテル貼り』がそうで在った様に、此処はマスゴミの原点に帰って、それをすべきなのに何故か地上波には活用されない手法は、<是、何ぞや>のお笑いでしかあるまい。

 一時は、使い回し吉兆が槍玉に挙げられ、続いてミートボールの偽装食肉、中国産ウナギのレッテル貼り替えで大騒ぎをしたのは良いが、この数日は一流ホテルでの食品偽造商法を言うに事欠いて『誤表示』と来ている。

           <馬鹿も、休み休み言い遣がれ>ってな物である。

 巨悪を摘発して社会正義に供するのが、報道の立ち位置で在ろう。遣って良い事と悪い事の区別を付けて、善の平等性を維持するのがペンの力、言論の力では無いか。スポンサー怖さに、偽造を誤表示と迎合するは、正にマスコミ界のイカサマ振りを曝け出して居るの図である。

           嘗ての大道売りには、万能薬ガマの油が在ったそうな。

「皆の衆、とくとごろうじ在れ。筑波山から取って来たガマガエル。四方を鏡で囲い。ガマガエルを入れる。ガマガエル、鏡に映るその醜き姿に、垂らりたらり、流した油を集めて、トロリとろとろ煮詰めたのが、このガマの油。是、古来からの万能薬~!!」

 こんな輩が造り出す橋下徹、辻元晴美、レンホー、山本太郎、アントニオ猪木、・・・etcのタレント政治家の乱像たるや、マスゴミの大罪と云わずして、何と表現すべきか。

 百聞は一見に如かず、名は体を表す、行いは素性を現わすの喩えで、四面を鏡で囲って、鏡に映る己のが醜き姿を、思い知らさせて遣らねば、日本は沈没して終う。へへへ。

   さてさて、雨も止んでお天道さんも顔を出した。米屋さんへ行って参りましょうかね。


心何処ーショート 快晴為れど、木の葉、剥ぎ取る風の強さ為り。
            快晴為れど、木の葉、剥ぎ取る風の強さ為り。(11/6/13)
 今朝の冷え込みは2.2℃との事で、寒い訳である。天気は好いが風の吹き通しで在る。そんな冷え込みの影響で、庭の百日紅の黄葉が散ること散ること・・・ この分だと、大方が散ってしまうのだろう。

 朝食後は、四畳半では寒いから陽の当たる二畳小部屋で、モーニングコーヒーを飲んで居る次第である。小窓を開けると、アルプスがくっきりと見える。今年は一つも実が生らなかった渋柿の落ち葉が、小さな菜っ葉畑を一杯にして居る。

 軒下の鳥籠も、ユラユラと揺れて居る。まぁ、それでも外の空気に当たって日差しの中の小鳥達も、悪くは無かろう。トンビが風に煽られて左から右に飛ばされて行く。ヒヨドリが奥の枇杷の木に遣って来た。

 木の葉、<静かに舞い落ちる>の風情には丸で大違い。木の葉、ガンガン吹き飛ぶ庭模様では在るが、ラジオを聞きながらの太陽光線の温かさは好い物である。今度はモズが遣って来た。

 ひろふき大根の朝食で在ったから、<ほっお>と力んで大屁をブガンと一発扱いたら、股ぐらから一気に臭いが湧き上がって来た。こりぁ、堪らん。慌てて、窓を開放する。

        まぁ、狭い二畳小部屋で在る。空気の入れ替えなんざぁ、屁の河童である。

 窓下のコンクリートには、赤とんぼが風に抗して太陽熱の吸収を図って居る様である。ひょいと見れば、先日入れ忘れた剪定鋏が置いてある。まぁ、する事も無いから油差しを持って来て、刃のヤスリ掛けをする事にする。

 おやおや、またまた流れトンビの通過である。こう風が強いとトンビも上昇気流を掴む前に、風に飛ばされるだけの低空飛行と為るのだろう。天高くクルリと円を描くのがトンビの風情であるが、本日、儘為らぬ風勢いと云った処であろうか。

 へへへ、低空飛行だと何かと人工物が邪魔をする空域で在る。トンビにしたら冷や汗飛行の有り様なのかも知れぬ。

 さてさて、お天道さんも早や中天である。二畳小部屋も、お天道さん別れで御利益が無くなって来た。四畳半定位置に移行すると致そうか。

 場所替え序でに台所の洗い物をして、板粕があったから妖怪様の好物・砂糖一杯の粕汁を作って置くと致そうか。昼は屁序でにサツマイモを茹でるとするか。

 大根、サツマイモを喰って、腸内ガスを排出して腸内浄化も生活の知恵と云う物である。女と違って有音屁っ扱きは、男の独壇場でも在る。ニャハハ~!! いやはや、この頃ではすっかり、野菜食と為って仕舞った物である。若い頃は、芋、カボチャ、マメなんぞは、<男の食べる物に非ず>で、拒絶反応が在ったのだが、今ではすっかり中性域の生き物に落伍して終った物である。

 午後は、大分形に為って来た小編の第一歩を打ち始める事に致そうか。へへ、小編打ちは、ロートル閉じ籠り賄い夫には頃合いの呆け予防策効果にも為るのであるからして。


心何処ーショート 拡がる快晴に、紅葉下りて来るの図。
              拡がる快晴に、紅葉下りて来るの図。(11/5/13)
 好いお天気さんで在る。散歩方々、煙草を買いに行って来る。歩き始めは、些かの寒さである。赤トンボ達が河川敷堤防のコンクリートの上で、体温上昇を待って居る。粗相が在っては、申し訳無い。踏み付けない様に歩く。

 東山山系の上部には、紅葉・黄葉のモザイク模様が出来てきた。盆地を包む低山にも、ぽっ、ぽっとした赤、黄色が目立って来た。西のアルプス山系は、薄い靄の中で在る。

 川原の葦の穂群が、白く光って居る。落ち着いた流れは、底を映して清流の流れである。アオサギが低空飛行で、翼を煽って行く。本日は珍しくタテハチョウの姿が見えない。冷え込みで、未だ草叢の中なのだろうか。

      風も無く、眺めが好いから、もっと上流を目指して歩く事にする。

 都会人と違って、一歩外に歩を運べば、紅葉が見れる。山野の恵みに感謝すべきである。この時期の私の愉しみの一つとして、ヤマメの産卵シーンがあるのだが、何年振りかの大増水で川相がすっかり変わって仕舞った。そんな事で幾つかの産卵ポイントが無く成って仕舞い、ヤマメの姿が目撃できない次第である。

  ヤマメの方からすれば、川が流れているだけでは、産卵に漕ぎ付けない事情が在るのだろう。

 お天気が好いから、汗ばんで来て疲れる物である。中狂さんのPM2.5の視界の悪さとは別天地の遠目の好く効く信州の透明感である。早落ち城址までの長散歩はパスする。休憩方々、コンビニで煙草のカートン買いをして、雑誌コーナーで立ち読みをする。

 さてさて、向こう側に渡る為には、4~500m歩くしか無い。汗を掻かぬ程度に、ボチボチ行く事に致そうか。車での素通りでは、勿体無い紅葉・黄葉の始まりである。

 散歩の帰りは個人スーパーに寄って、地場産野菜を買う。漬け物大根が出始めているが、未だ未だ先の事である。根付き松本一本ネギがテンコ盛りに為って居る。1束150円の安さである。家庭菜園の隅に植えて置けば、何かと重宝である。大根の瑞々しさに、あっさりと<ひろふき大根>でも煮付けて見ようか。

 サツマイモ、昼のパン食用に牛乳、コロッケなどを買い、帰りはレジ袋二つをブル下げて、チョイとした筋肉酷使で帰って来る。文明の利器に頼らないのも、これまた、運動の一環で在る。へへへ。

心何処ーショート 日差し束の間の、冷たき風が吹く為り。
            日差し束の間の、冷たき風が吹く為り。(11/4/13)
      
          雨は止んだか、晴れるか? 小雨未満の外に自転車を出す。
 お向かいさんと朝の挨拶を交わして、柿の落ち葉敷く蒔き時を逸して家庭菜園の柔らかU
緑を眺める。時期遅れでは在るが、大きく成って来た物である。へへ、不出来の言い訳で野菜は収穫だけに非ず、『観賞対象』でも在るのである。

 朝飯に11月のカレンダーを見れば、何々・・・『家庭の平和無くして、幸せ無し。』と書いてある。

「やいやい、今月の婆さんの部屋はお説教部屋かいな。俺にぁ、当て付けがましいキツイお言葉だぜや。如何するだいな。あい~。」

「何を言ってるんだい。何も束縛されずに自由に暮らして居て、そんな事を言ったら罰が当たるよ。自然の中に居る見たいで、鳥も蝶も来て、川が在って、散歩するには四季折々の色が在って、ゆったりと自分の好きな事をして暮らして居るじゃないか。
 私なんか、動けないけど、只座っているだけで充分に自然が味わえるよ。此処に居るだけで、何にも要らないよ。そう思って居るよ。」

「やいやい、流石に妖怪様だ。言われちゃったいな。体調が良さそうだから、風呂でも沸かすかいな。
 おっ、何だ、カワラヒワか? やっ違う。やいやい、ジョービタキのバルディナだぜや。そうかそうか、今年も忘れずに来て呉れたか。婆さん、北国の観音様ですがな。嬉しいねぇ~。来たか来たか・・・。」

 サツキの茂み奥の、去年長散歩の山際の道に、小紫の実を付けて居た灌木の風情が気に入って抜いて来て植えた物である。場所が良かったからか、良く伸びて小紫の実を付けて居る。その小実を啄んで居るのであった。くすんだ羽根色に翼の白い斑点は、紛れも無くジョービタキの印である。

               ジュクジュク、ピィー、ピィー。

「おっ、今度はシジューカラだぜ。日が差して来た。好し好し、玄関鳥を軒下に吊るして遣るか。」

 晴れて、野生達は空腹の餌探しの開始なのだろう。フワリフワリと黄蝶が日差しの中を飛んで行く。雨が降ろうが雪が降ろうが、飼い鳥達は、住まいは小さいながらも外の空気にも当てられ、毎日餌と水が与えられる。俺様の保護下に在って、気楽な生涯と云う物である。

 人間様の食事が終われば、小鳥の世話をしなければ為らないのが、賄い夫の仕事である。それをして真似事掃除をして、温いコタツで茶を入れて貰う。

「ジョービタキって冬鳥はさ、シベリアで繁殖して、ロシアと日本で半年づつの渡りをするんだけどさ。冬の食糧難で、個体で縄張りを持って冬を越すんだ。此処を中心にして川を挟んで天理教から公民館までが、メスの縄張りなんだわさ。その上下が、別々のオスの縄張りなんだけどさ。

 ロシアの大陸気質なんだか知らんけどさ、人なつこい性質で、姿見せに遣って来るんだわさ。相手が黒と茶のシャープなオスと違ってさ、地味な色合いで、メスだから、動きにも緩やかな仕草が在るから、何処と無くロシア美形さんのバルディナの面影を運んで来るんだわさ。

 散歩をして居ると、何処で見て居るのか知らんけど、尾をタクトに振って姿を現すんだ。付かず離れずで、縄張り内での姿見せをして呉れる。小さいながらも、可愛い物よ。

 日本人のルーツの縄文人は、シベリアはバイカル湖周辺のブリアート人だったって考古学上の検証が在るんだけどさ、何万年も前に、シベリアで暮らして居た人間とジョービタキの関係は、穏やかで平和だったんだろうよ。
 それが大氷河期で海が繋がって、2万年前にぁ北海道に渡って来たって話だ。南下して日本に住み付いた縄文人、何時の間にか間氷期で海に分断されて仕舞った日本列島だ。ジョービタキ達にしちゃ、忘れられ無いブリアート人の末裔達だ。そこは<情の深さ>で、ジョービタキが冬に成ると一斉に海を渡って、日本人に会いに遣って来る。

 婆さん、考えて見ろちゃ。健気なもんじゃないかい。それも、俺ん処は、オスじゃ無くて、メスですがな。七夕の織り姫・牽牛物語より、こりぁ奥の深い話だぜ。へへへ。

 ぱっと見た処、去年よりも若返っている感じだから、若しかしたら三代目かも知れんな。勤めて居た頃は、仕事にばかりの<近視眼の毎日>だったけどさ、こう遣って閉じ籠りロートルの賄い夫生活をして居ると、周りの自然が見えて来る。

 定住者の猫、シジュウカラ、ヒヨドリ、キジバト、冬鳥のジョウビタキ、ツグミ、メジロ達からしたら、人間なんざぁ、自分達の縄張りの一軒、一住人にしか見えんのだろうさ。そんな事に気付かされるから、賄い夫生活も悪くは無いもんさね。

 全然知らなかったけどさ、若しかしたら、どんなメカニズムが働いて居るか分からんが、<自然の掟>って奴は、何百何千年前から、此処はれっきとしたメスジョービタキの指定エリアとして引き継がれて来たって事かも知れんぞや。そんな事を考えるとさ、人間って奴は、<掟破りの半端物>ってもんだわさ。『種の平和なくして、地球の幸せ無し』って事ずらいな。」

 戯け倅の長々とした話を、目を細めてニコニコ顔で頷いたり、こりぁ、おっ魂消た。中々の物知りじゃわいと、目を白黒させたりして聞いて居た妖怪様が、口を開く。

「ほぉ~、大したもんだ。あの世行き寸前の私だけが聞いて居るのは勿体無い。喫茶店も公民館も貸してくれるんだろう。もっと若い人に聞いて貰わなきゃ、勿体無い話だよ。未だ若いんだから、全国を説法して回らなくちゃ駄目だよ。」

「この~糞婆っさが、馬鹿にし遣がってからに。こんな話したって、誰も聞きにぁ来んわさ。尻触った、股ぐら覗き込まれたって噂立てられて、塩撒かれて追い出されるのが<関の山>だいな。
 口演して帰って来たら、妖怪婆っさが、干からびて死んでたなんて話で、それの方が話題に成るわさ。俺ぁ、そんな恥は世間様にぁ晒したくは無えぞや。先に風呂入ってお呉れや。俺はマイタイムしてから、ゆっくり入るわさ。」

「はいよ。ご苦労さんでした。好い話だったよ。」

 シャ~無い・・・。お世辞を頂戴したのであるから、目薬落としでもして、部屋に帰ると致そうか。兎角、女と云う物は、口が巧い生き物である。

 四畳半定位置でインスタント・コーヒーを飲んで居ると、本日は良くシジューカラの動く日である。天気は良くないとの予報で在ったから、お天道さんがお隠れに成って仕舞った。開けて置いた窓からは、寒さが入って来る。さてさて、風呂に浸かって温まると致そうか。


心何処ーショート いやはや、<ふふふ>と来たもんだ。
               いやはや、<ふふふ>と来たもんだ。(11/3/13)
 薄い灰色雲に覆われた日曜日である。遅い朝食後は、温い炬燵でテレビを見る。へへ、白人女性が映って居たから美人鑑賞をしていたのである。真に動機は不純この上ないが、好い番組であった。

 東北復興で刺し子を持って、スイスで縫物の実演販売する内容である。会場は、日本の着物柄に感嘆する白人さん達である。好い物を見る目が在るヨーロッパは、流石に民度が高い。カズさんと云う白人女性デザイナーが、真に日本的であった。

 震災で何もかも失ったグランマさん達が、自活の為に立ち上げた針仕事工房への想いをインタビューするカズさんは、頬笑みで話すグランマのその想いを知って居るから、通訳に先行して感情に胸塞がれて、涙が滲み言葉が先に進まない。

 そんなカズさんの肩を、娘、嫁への暖かいエールの様に、ポンと叩くグランマの姿である。へへへ、日本人とスイス人に通い合う以心伝心の妙で在った。

 Kazuブランドの商談の様子も紹介されて居て、スイス人の気質・表情も窺がい知れた次第である。スイス人気質はどちらかと云うと、控え目で淡々と話し、聞くと云った日本人の気質に似て居る様に見受けられた。

 スイスはバイ・リンガルの国とも云われ、六、七割がドイツ語で、他がフランス語だと云われて居る。実演販売会での遣り取りに、ドイツ語、フランス語が普通に流れて居た。映画で云えばサウンド・オブ・ミュージックの伏線である処のナチス・ドイツへの併合がある時代背景を映して居るのではあるが、そんなヨーロッパの幾多の帝国模様の中に在る朕は国家なりの王統に列するパピスブル家の時代などを、脳裏に置きながら観て居た次第である。ヨーロッパの王侯貴族の譜系は、血筋の譜系でもある。

 ヘヘヘ、それと併せて、今では小国と為って終ったオーストラリアの隣国が、永世中立国スイスなのであるからして、表情を変えず相手の言う事に耳を傾けると云った控え目の雰囲気を持った商談風景が在ったのだろうか・・・ 歴史への耽美眼が、日本の着物の柄に対する理解にも開かれて居たのかも知れないと思った次第である。

 これは不思議なもので在るし、また当然の事でも在る。人は個にして一個の個に非ず、個にして全体を印す存在である。そして、全体は現在のみに非ずして、歴史を引き継いで存在する。これは勿体振った解説など必要としない<感性で伝わる自然の姿>なのであろう。

 こう云った一服の清涼剤の様な番組を見て居ると、ニュース報道に出て来る中狂国・北朝鮮・韓国、山本太郎の国家・民族・個人の個権だけを振り回して輩の目付きの悪さ、態度の悪さには、辟易とさせられる思いである。

 これらを総称して、<汚い絵、見苦しくも下品極まりない表情・目付き、刺に満ち満ちた言の葉>と呼ぶのだろう。脳に直接作用する解毒剤の開発こそが、現代地球の火急の処方だと思うのだが。

          本日は気分直しに、ポットを持って二畳小部屋の住人に為る。

 庭には白、黄の小菊が、満開に咲いて居る。雪虫と云われる白い小さな羽虫が集まって飛んで居る。今年も何時の間にか、<冬知らせる晩秋>を見せ始めて居ると云う事であろうか・・・。電線にはシジューカラが一羽、首を左右に振って居る。

 二畳から見る庭の百日紅の枝払いでもすると致そうか。脚立を出して鋏、高枝鋏で遣って居た次第であるが、バッサリと二か所切りうと思い立ち、鋸作業に移る。一本を切り落とし、その倍の太さに向かう。脚立に乗っての片手切りは、疲れる、草臥れる物である。

              何度も一息入れて、汗を掻き掻き切り進む。

         さぁ、切れた。と思った瞬間、下のテレビアンテナを粉砕して仕舞った。
       えらいこっちゃ~・・・ 如何すべぇや。仕事を増やして仕舞った。やれやれ・・・。
 
 二か所割れ飛んだアンテナを、アロンアルファで修復である。部屋から老眼鏡を持って来て、スンナリ行かないチマチマお仕事である。接着を終えて、ビニールテープを巻いて再設定で在る。

 もう止めである。片付けをして、幾つか生って居る甘柿を高枝鋏で採る。昼のパン食のデザートとしたが、何と何と二連発の渋である。三度目の正直で甘柿の味で在った。

「こんなに真面目に日々のお努めをこなして居る男に向かって、一体誰の怨念か・・・ 弱り目に祟り目で、天のお裁きも可笑しな事をするもんじゃい。そう思わ無ぇかい、婆さん。」

「失敗が在っても、動けるのは幸せな事だよ。世の中には、歳、病気で動きたくても動けない人が、一杯居るんだよ。丈夫で健康なんだから、それが一番だよ。」

「何~!! 巧ぇ事、扱きぁがって。キリギリスの終焉見てぇに、ひっ傾ってる97と65を同列に並べて貰っちゃ困るぜや。俺ぁ、そんな女の口先にぁ、ほいほい騙され無ぇぞや。
 昨日の<散歩でも四歩でもして来い>にはおっ魂消たが、ひっ傾がってる割にぁ、口が自在に動くじゃ無ぇか。恐れ入谷の鬼子母神だぜや。あい~。」

「若い頃と違って、頭が回らなく為って、もう駄目だ。ふふふ。」

          ★何が、<ふふふ>じゃい。格好付け遣がってからに・・・。

 こんな親子漫才をして居ると、雨が降って来た。こりぁ、散歩は割愛って事である。へへ、婆っさをかまった天罰と見るか? 本日・日曜日の休息プレゼントか? 人それぞれ、託付けも人それぞれである。


心何処ーショート 新村祭り?
                   新村祭り?(11/2/13)
 好いお天気さんである。朝食後は、散歩に入って来ようかと言うと、『明日から天気が悪く成る。三歩でも四歩でもして来い。』との仰せである。<この糞婆っさ、洒落た事を抜かすもんじゃい。> 朝飯の肉丼で精が付いたと言う処で在ろうか。いやはや、97の妖怪殿は、健在の様である。

 長散歩には頃合いであるから、財布を持って行く。例に依って河川敷を上流に向かって歩く。暖かい日差しに適度な南風が吹いている。里山の雑木林も僅かながらも、赤・黄色の紅葉が見え始めている。刷毛雲が青空に幾筋も走って居る。南風は川に雑木林に緩やかな戦ぎを与えている。

 小学校上の橋の所で東に折れて、浅間温泉脇の山際道を山の雰囲気を眺めながら行くと、新そば祭りの幟が続いている。おやおや、アナウンス声が聞こえて来る。T字路を南に折れると、珍しく人通りが在る。

 ポットプラザの広場が、開催場で在るらしい。上の駐車場から日帰り温泉のホットプラザに回る階段中間の踊り場をステージに、中年女性達数人の踊りが演じられている。10軒程のそば屋のテントが、広場にコの字型に配されて、中央テントが食事席と為って居る。 
 そんな設定で、『浅間新そば祭り』が開催されて居た。本日・土曜日の三連休初日である。

 10月に松本城で開催される<信州そば祭り>の規模を小さくした感じで、実にアット・ホームな感じである。結構な繁盛振りでは在るが、客層は6:4位で年寄りが多い。

 私は朝飯が遅いから、好物の蕎麦と言っても未だ並ぶ気持ちには為らない。ステージの演目をのんびりと見物させて貰う事にする。数曲踊られると、次はロートル女性の歌が始まった。いやはや、好い喉に大した歌唱力である。これで若く器量好しなら、文句無しの雛に稀なる歌姫の太鼓判である。

 如何やら、踊り手5人と歌手1人はセットの様である。踊り手の衣装替え、休憩の間は、歌い手さんが演目進行・マイクを分担して居られる。

 日差しの当たる石の階段に腰を下ろして、祭り見物をする事にする。列に並んでもりの大盛りを注文する。

 蕎麦茹では親父に倅、盛り付けは娘二人、食券掛りは小学3~4年生の孫娘の様子である。何れの顔も、親父の顔に似ている。何れも器量良しの素朴で真面目な感じのする家族である。

 新そばを食しながら、ステージの<わさびーず>のフォークソングを聴く。わさびーずの旧リーダー掘六平氏は、高校時代次兄と同窓との事であるから、男子番から高のOBさんである。ギター、ボーカルの2氏も雰囲気からして、OBさんなのだろう。

 フォークソングと云うローカル性を、生まれ育った信州を拠点に歌い続けて来たグループらしいから、味が在る。飾らない歌詞の響きにも、インテリ性が窺がわれる次第である。当年とって68歳なのだろうが、好い雰囲気である。伝統の番から男子高OBであるから、当然でも在り、土の匂いを失って居ない処が好い。ハハハ。

 続いては、中年お母ぁちゃん達のクラリネット吹奏の調べで在る。へへへ、ステージの終わったOBさんは、裏方に徹して椅子を運んだり、譜面立てが風で飛ばされない様に、土のう袋を置いたり、マイクの調整などをして居られる。

          好いですなぁ~。そうで無くちゃ、先輩とは言えませんがね。

 俗に良く言われる処では在るが、ヨーロッパなどでは芸術が生活の中に溶け込んで居て、小さな町、村でも住民達が、音楽をこなし音楽を楽しんで居るとの事である。そんな視点からすると、日本の音楽は西洋レベルには程遠いと言う輩が多い。

 まぁ、『希少価値の音楽1』を拝領し続けた私なんかが、言うべき筋合いではないが、何も西洋音楽だけが音学では無かろうと思うのだが・・・ 民謡も踊りも好いでヤンすよ。老いも若きも集った村祭りも遠き思い出では在ったが、新村祭りの萌芽は芽生えつつあるって事でしょうかね。へへへ。

 68歳に成って、一見、そこいら辺に紛れ込んだら区別の付かないロートルさんが、ステージで好い喉と雰囲気でハーモニーを外さずに歌を歌うなんて、大した光景でしたわね。イッヒッヒ~!!

 帰りは市民球場の欅並木を歩いて来る。隣接するテニスコートでは女子高生の試合が行われて居て、プリプリした大腿部と干高い声に圧倒されて、好色観賞も出来ずに、路面をカサカサと風に舞う欅の落ち葉を見ながら帰って来た次第である。


心何処ーショート 躾と棲み分け。
                  躾けと棲み分け。(11/1/13)
 今年も呆気無く、11月を迎えて仕舞った。やれやれと云うか、待っておくんろと言いたい物である。こんな月日の速き日々を送って居ると、呆けても当然と思う次第である。

 金曜スタバトークであるから、漬け物を出してビニール袋に入れて、庭の辛うじて実の付いた甘柿を二つポケットに入れて、Tの車を外で屈伸運動をしながら待つ。

 漬け物を渡し、柿を二人で車に乗りながら食す。熟しが回りつつある柿は、少し柔らかく糖分が回った甘さである。例年から言うと、採るのが遅いの段である。

 スタバでは、おばさんスタッフさんに、ラブレターと言って昨日のブログ日誌のコピーをプレゼントする。同フロアの書店コーナーには、私達と同背丈の170cmは優に在る黒いセーター姿の女性のラインが目に付いた。高い位置の肉厚ヒップが、何んとも好色コンビの嗅覚を刺激する。スタイル良しの女性の顔は、果たして如何に・・・

 何しろ好色ヤクザコンビの行動等、推して知るべしである。Tの野郎は本を見る様な態度で、女性の側面に回り込んで、如何だと言わんばかりの評点下しの目線を、私に送って居る。

「好いじゃない。好い線行ってるね。」
「今時の女と違って、好い肉付きだ。成人女体は、あの位で無くちゃ、肉弾合い撃つセックスプレイは出来んぞや。好いねぇ。ロシア並の体躯だいね。」

          さてさて、熱々のコーヒーを持ってのスタバ二階席である。

 被圧殺民族・ウィグルさんの天安門突入の抗議死には、二人とも同様の思いであった。続いて天皇陛下に対する山本の馬鹿小僧の振舞いに就いては、戦後民主主義一号生の団塊世代としても、絶対に在るまじき且つ許せない行為である。

「あんな馬鹿っ小僧なんか、不敬罪で即逮捕し無くちゃ。あんな不敬の輩は絶対に許しちゃ行けねぇやね。原発反対を叫んで議員バッジを手にしたからって、丸っきり日本人の作法を弁えて居ない。あんな輩が国会議員の席に座るってんだから、世の中、落ちる処まで落ちちゃったぜや。」

「常識の隅々まで、法律に網羅なんか出来っこない。言いたかぁ無ぇがさ、法律条文は文字に書かれて居ない条理・常識・仕来たりって物がさ、海洋の大海原の様に滔々と流れて居て、法律なんて物は、その海洋の突き出た陸地、島、岩礁だって事が理解出来て居ないんだから、法を四の五の言う資格も無い<非常識・低能児の極致>って事だな。
 まぁ、元俳優って事だから、それなりの面相はして居てもさ、男の顔として魅力が出て来んのだわさ。あんなのは、顔とファションを売りにして、タレントしてるのが分相応なのにさ。自惚れが過ぎるわな。嫌な顔付してるわさ。アハハハ。」

「直訴は領地の殿様、幕府の将軍様に、一命を賭してするもんだろう。磔、切腹の覚悟も無い人間がする行為・行動じゃ無ぇんだよ。
 権威の神官・天皇に、直訴なんか次元が全く違うだろう。国会議員に成ったんだから、直訴を受ける側の人間が、日本文化の伝統の権威に、直訴なんて端から頭の整理が出来て居ない戦後左巻き馬鹿の典型だぜや。
 憲法憲法、法律法律を唱えている連中の頭の薄さにぁ、呆れ返って、糞ぶっ掛けて遣りたぇもんだ。

 俺達が学生の頃にぁ、新宿行きぁ痩躯の迫力満点の赤尾敏が、街宣してたぜや。赤尾敏の回りには、鉄砲玉が居てさ、ムダゴト扱いてると、刺殺されちゃったんだぜ。言って好い事と、遣って悪い事の世間の刃は、光って居たもんだがさ。」

「怖い人が居なくなったって事でさ、芸NO人上がりが、遣りたい放題だ。パフォーマンスの前、遣らなきゃ為らん事が在るだろうよ。規制されるのが嫌で、自分の行動の自由を道に付けたかったら、勉強して弁えの道で、強い自制心を持たなくちゃ様には為らんぜや。昔から、<偏り者は、所詮、半端者>って云うしな。まぁ、お天道さんの裁きで、ツキテイカチョウ、オオハシキョセン、タジマヨウコって事に為るんだろうがさ。数の内だからと言っても、嫌な風景ですがな。あぃ~。」

 話は、Tの卵を産み孵化したカブトムシの幼虫二匹の話に移行する。Tのキリギリスも今年は11月の声を聞かずに、3~4日前に削り節の中に蹲って、昇天したとの事である。

 へへへ、昨日は松本城近くにイノシシが現れてすったもんだの挙句、御用と成った次第であるから、今年は異変の年と言って良かろう。

 Tはカブトムシの幼虫観察が、目下の処の愉しみだと云う。犬を8匹飼い、今は歳老いた白猫を飼って居る男である。犬猫の生態には、中々に詳しい男である。

 犬は外で飼い、毎日散歩をさせれば、糞尿は外でするのが犬の特性なのだと言う。人間が手を掛け過ぎるのは、愚の骨頂との事で在り、距離を持って接するのが王道との事である。躾けと棲み分けこそが、人間と動物の在るべき姿なのだと言う。感情移入をし過ぎるから、愛玩動物などと称して、迷道に陥って死を嘆き悲しみ過ぎる。
 所詮、人間と比べたら、犬猫は短命動物。短命故に、最初から死を想定して躾けと棲み分けをして、飼うのが飼い主の作法との事である。

「これ、そんなに飼育の奥義を言うで無いわ。頭のメモ書きは、筆記出来んのじゃい。」

「あら、そぉお。金魚と話し出来るんだから、大したもんだぜや。この位、メモ出来無くて如何するだい。そうか、そうか・・・ひひひ。Rも脳細胞が鈍化して来たって事だ。来年は、呆けが待ってるって事かいな。確りしましょや。あい~。」

 へへへ、まぁ、そう言われてもしゃー無い。この頃では、肝心な事は頭の中をテロップが流れるだけで、すっかり脳味噌の歩留まりが悪くなる一方で在るからして・・・。嗚呼、歳は取りたくは無いものである。

      外パッパの後は、お決まりのホームセンター、スーパー回りで在る。

 今日は嫌に私を見て居る女の視線を感じて仕舞う次第である。スキンヘッドは少ないにしても、さ程に珍しい訳でも在るまいに。瞬きもせずに、そんな目で見詰られちゃ臍下三寸の海綿体に充血しちゃいまするがね。イッヒッヒ~。未だ未だ、セックスアピールは、見る人からすると健在の様である。

 然しながら、T曰く。躾けと棲み分けが、何事に於いても涵養事と云うのが、地球全体を網羅する森羅万象の訓えでもある。

       Tは帰って、孫を病院へ連れて行く用事を仰せ付かったとの由。

「大変だね。」
「全然。年寄りと女房相手の大人の日々は退屈さね。孫付き合いは、愉しいし、若返るぜや。未だ未だ百薬の長には為らんが、孫相手の躾けと棲み分けは、若さの秘訣だいな。」

 週に一度の、世間様から見たら好色ヤクザもどきのロートルコンビではあるが、<是、お互い無くては為らない心友の歩み>でも在る。

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