旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処―ショート 是、下衆の突っ込み為り。
                 是、下衆の突っ込み為り。(10/31/13)
 へへへ、中狂国の<天安門突入事件>報道に、何処までが真実で、シナリオなのか疑問の連続で在る。世界に向けてのウィグル・テロの報道で在るが、これで人類が共通に憎むテロ行為の糾弾報道に為るかは、私には大いなる懐疑である。

 逆に北京五輪聖火ランナー時に世界で巻き起こったチベット弾圧に対する抗議活動、チベット、ウィグル、内モンゴルに対する力に依る言論弾圧・民族浄化と言われる民族・文化の殲滅策、尖閣諸島への執拗な威嚇行動、アフリカに於ける我武者羅なランド買い・・・etcに見られる中狂国の異常さを念頭に考えて見ると、中狂国スポークスマン、日中記者協定の日本側報道の『裏を取る事も出来無い』一方的な中狂国報道の垂れ流し報道の実態を勘案して考えれば、日頃の毒亜宗主国と断じている私からすれば、懐疑的以上に、中狂国のシナリオ先行劇としか映って来ない次第である。

 事件後10時間で、共犯者逮捕と云う事であるから、驚天動地にして白髪三千杖の沙汰である。思い起こして頂きたい。毒餃子問題に就いて、実行犯が逮捕されたのは、事件後1年半も経った事では無かっただろうか。それがたったの10時間のスピード逮捕と云うのである。

★状況は突発に非ずして、或る意図を以って仕掛けられ炸裂する。必要は発明の母であると同時に、政治的恣意・意図は、綿密為る作為を以って行われ、恣意的作為に則って報道される。これを以って、統治と謂う勿れ。・・・by Agata Ryou

 毛沢東の革命スローガンが、彼の有名な<造反有理>である。火の無い処、煙立たずであるから、人間行動・社会行動には、明らかな因果関係が存在する事には、全く異存は無い。造反有理の行動因子に、声無き声に耳を傾け、反対因子を調整したりして社会不安の行動を未然に防止するも、民衆の山津波の如く押し寄せる力に体制が崩壊するかは、時の流れの内で在ろう。

 造反有理に依って体制を手中に収めた毛沢東がした事は、ご存知の様に銃に依る体制維持・カリスマ毛沢東の偶像崇拝で在る。自分の地位が飾り物と為れば、再び赤い毛沢東語録を振り翳した紅衛兵を扇動して、権力の座に復帰する。何の事は無い。中国大陸で何千年と無く演じられて来た王朝交代劇が、赤い征服王朝として君臨して居る構図でしかあるまい。

       さて、今回のウィグル・テロのレッテル貼りであるが、・・・・
 ウイグルは放牧の民にして、トルコ系民族の回教徒である。映像を見ても中国人とは一目瞭然の異人種である。顔かたち、話す言葉、宗教も異るウィグル自治区で在る。
 然しながら、自治区とは名ばかりの中狂国占領地政策が苛斂誅求の中で行われて来て居る慟哭の民族である。彼等にとっては、正しく<民族独立の造反有理の地>なのである。同じ事が、毛沢東に許されて、自治区のチベット、ウィグル、内モンゴルの民には許されないと云うのは、余りにも理不尽であろう。
 
 嘗て、長州の桂小五郎後の木戸考允は、薩長会談に於いて<政治は感情だ>との言葉を発して、坂本竜馬を困らせたと云う逸話がある。日本人なら、私の様なスカンポ脳ロートルだって、この位の頭は持ち合せて居る。

 世界のニュースを報じ、ニュースの真意・真相・深層を解説して、茶の間に提供するのがマスコミの一大責務である筈である。隣国の経済大国・人口大国・我欲大国・嘘八百大国・無責任大国の<言い為り垂れ流し報道>で在っては、日本人の思考力が一切育たないでは無いか。

 義務教育に於ける日本の成績は、ゆとり教育の所為で芳しくないと云うが、成人の知的水準は非常に高いとの事らしい。<鉄は熱い内に打え>の喩えで、日本のマスコミ共通の戦前悪の自虐史観の刷り込みには、一定の成果を得て居る様では在るが、成人の知的水準は世界のトップクラスとの由で在る。
 このヘンテコリンな現象を拡大して見れば、次の様な証左で在ろうか。小中学生相手の報道姿勢で在っては、この少子高齢化の時代の社会を映す鏡としてのマスコミ界は、成人のレベルから見たら、大分見劣りのする域にまで、レベルダウンをして居ると見た方が、真実なのでは無いだろうか。

 高い必要経費を出して報道駐在員を配置している実態が、彼国の一方的政治報道だとしたら、口は悪いが<彼国のプロタガンダの垂れ流し装置>でしか在るまいに。

 金の掛らない毒亜国報道の垂れ流し三昧では、最早、マスコミ界の恥の垂れ流しと思うのだが、如何で在ろうか。自虐史観の本態は、勇無き追従報道であろう。戦後は占領軍米に追従し、近時経済は毒亜国に追随して何の国益か。

 馬鹿扱くのも、大概にしろやね。そんな国に害する害虫の巣窟が、高給取りとは噴飯物である。シャキッとせんかい、シャキッと。手前等、男のキンタマぶら下げて居るんかいな。馬鹿垂が~!!

   以上、ホームズ、杉下右京、長谷川平蔵バージョンで、打って見た次第で在りまする。

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心何処ーショート 本日、風の寒さ為り。
                  本日、風の寒さ為り。(10/30/13)
 期待薄の朝では在ったが、晴れて来た。布団を干す。面白い物を聞いたから、昨日メモって置いた物を、私的歴史考に加えて置く事にする。歴史本は何冊か本棚に在るのだが、或る程度の私的ダイジェスト版にして置かないと、いざと云う時の使い勝手が悪い。他人の言葉より覚え易い自分自身の言葉として、纏めて置くのが<私の流儀>である。へへへ。

               そんな事を、午前中のマイタイムとした。

 世界最古の土器のルーツは、シベリアを源流とするアムール川流域で、魚油を貯蔵する道具に供されて居た由。日本人のDVAはシベリア原住民のブリアート人に由来して、縄文人の先祖達は大氷河期進むシベリアからマンモスを追って南下。樺太・北海道に達して、凍った津軽海峡を渡って本州に来たとの由。

 シベリア狩猟民は、その後の開氷期で針葉樹は、温暖化で密生する広葉樹にとって代わられ、小動物しか狩猟出来ずに食糧危機に陥った由。

 地球を襲った気象大変化期である。食糧危機を乗り切る為に、食料革命を余儀なくされ、彼等はふんだんに在るドングリ類の食用化で、渋抜きの為にドングリを煮て食べる事を発見したとの由。

 そんなアフリカ大地溝帯を10万年前に分派大移動したヨーロッパ、東南アジアルートと別に、マンモスを追ってシベリア進出した一派は酷寒の地で、創意工夫の狩猟文化に生きて来たとの由。

 夢は夜開くなんて歌も在ったが、極寒の地を生き抜いたDNAは、<必要は発明の母>で、煮炊き用の薄手の土器を工夫した。先祖がアムール川から持って来た土器は、熱効率と強さを求めて、その厚さを1/3の5mmにまで薄く進化させた。その薄さを実現させた粘土と粘土の繋ぎに、動物の毛を入れる事で薄さと強度を確保したと云うのである。

 劃して、メスポタミア、エジブトの土器に先駆ける事、数千年の世界最古の土器文明たる狩猟採取の縄文時代を造り上げて行ったそうな。

 その関連部分を、参考書代わりの歴史本から引用して、縄文と弥生の数百年の文化対立・争い・宥和混淆の時の流れを『備忘録』として加筆をした次第である。数百年で文化人種混淆を為し得た日本と比べると、千年の恨を忘れないと云う大陸文化の継承者・毒亜諸国とは、相容れない精神性が根底に横たわっているとしか思い様が無い次第である。
 興味のある事に就いて、見知った事を手早くメモり、自分の言葉で再構築して記す事は、<記憶は繰り返し>の喩えで、頭の歩留まりに供する。これもボケ防止の時間潰しの一環でもある。

 昨日は、体調の好かった妖怪様とケアマネさんを相手に、女2:男1ながら、散々に女の悪口を言って、気分のリフレッシュをさせて貰った次第である。

「何を扱きぁがる。俺ぁ、女は大好物だが、そんな女の綺麗事なんかにぁ、騙され無ぇぞ。これ以上騙されたら、男の代表として、化けて出たり、怨霊として神社に祀って貰うしか無ぇわさ。如何するだ、女二匹。」

「えぇ~、それって、逆恨みじゃん!! 何神社にして貰うの。御利益あるの? 」

「そりぁ、決まってるさね。今流行りの<ストーカー神社>だいね。女のストーカー被害者にばかり、目が行ってるけどさ、事実は小説より奇なりで、男と女の色恋沙汰の結末なんだから、同情出来るストーカー男だって、当然、在って然るべきって事でしょうよ。
 若しかしたら、最近の異常気象だってストーカー男達の怨霊の為せる処かも知れんぜや。憚りながら、今の日本じゃ、菅原道真、平将門を祀る気持ちが失せちゃってるんじゃないのかい。ギャハハ。」

「げぇ~!! ストーカーは、男の未練たっぷりの女々しい付き纏いじゃないの~。そんなのお門違いよ。スッパリ踏ん切りを付け無きぁ、女が可哀想よ。」

「何を扱きぁがる。何が踏ん切りじゃい。裏を返しぁ、多情・薄情女の言い訳ってもんずらい。幾ら外面を化粧して、耳触りの好い事を抜かしたって、気位の高さ丸出しの中狂国の女報道官、韓国のクネクネおばさん見てりゃ、女の本性なんか手に取る様に分からぁな。
 自分の都合の悪い事は、一切カットでさ、人の悪口を涎垂らして告げ口するのが、女の本性だぜや。駄目駄目!! 
 女が二人、首振ったって、俺ぁ毎晩、鬼平犯科帳でさ、火盗改め長官・長谷川平蔵の門下生だぜな。女の上辺に惑わされて居ちゃ、火付け盗賊をお縄にぁ出来無ぇさね。男は、天下の御正道に邁進するだけだわさ。」

「きぁ~!! 女から生まれて、女大好き遣ってるくせに、あるったけ言いたい事、言ってるんじゃん。お婆ちゃんも、こんな事ばっかり言われてて可哀想だわ。母親の前で、こんな罵詈雑言、女として許せないわよね。」

「この子は口が悪くてね。私はもう慣らされて、耳を素通りするだけだけど。知らない人が聞けば、罰が当たるよね。全く。
 こんな子に生んだ心算は無かったんだけどね。父親を早く亡くしたのが、躓きの始まりだったかね。★さんは、子供を確り育て無きぁ駄目だよ。」

「うんうん、Rさんは、完全に間違ってるよね。女の敵だよね。」

「ほざいてろ。女二人を相手にしてると、稼働率120%だから、喉が渇くわさ。婆さん、お茶入れと呉れや。」

 先月は体調悪く、うんともすんとも口を開か無かった妖怪様であったが、上機嫌でニコニコ、話に参加して呉れる老母に、愉しい一時を得た次第であった。

 さてさて、日が陰って来た。布団を取り込むと致そうか。いやはや、陰れば途端に寒いだけの風が吹くばかりである。困ったもんで在る。


 心何処ーショート アジァジァ、
            アジャジァ、曇って寒くなって来ましたがな。(10/29/13)
 竹箒で集めて落ち葉溜めに、ケアマネさんが来るから見栄の掃き掃除である。昨日に続いて、好天の兆しである。まぁ、それにしても落ち葉の季節と為って仕舞った物である。朝食後は、真面目掃除でもして置くと致そうか。ほれほれ、玄関鳥は場所替えで在る。

 就寝前のYouTube遊びをして居ると、モスクワでは大のラーメン流行りとの映像が在った。日本人の連想するラーメン屋では無く、立派なラーメン・レストランの雰囲気である。ヘヘヘ、ロシアさんは美人・美形さんが多いから涎が垂れる。

 ラーメンに続き、具を自由に選んでのうどんレストランも、行列の出来る大ヒットとの事であった。肥満の少ない日本食が、健康食を連想させてブームとの事で在り、箸の使い方も上手なものである。調味料、出汁以外は極力、地場産を使うとの事である。小麦粉を練り、ラーメン、うどんを打って、客の前で茹でる。天婦羅を揚げる。その秩序立った仕事場は、手際の良さと清潔感に満ちている。接客、厨房の様子が、客には日本を感じさせて、常連客と為るのだと云う。

 明るいスマートな雰囲気に、テーブルに出されるラーメン、うどんは、何処から見ても御馴染みの醤油・味噌・とんこつ・チャーシュー、野菜、餃子と日本ラーメン、餃子その物である。うどんも掻き揚げ、天ぷら、きつね、月見、肉うどんで在る。いやはや、ラーメン、うどんの啜り方まで大した物である。皆、嬉しそうな顔をしている。

   Y・Tの良い処が、関連動画のオンパレードである。気に入った物をクリックする。

 何と何んと、スペインに飛び、ドイツまで登場して来る。スペイン、ドイツでは、ラーメンに魅せられた同国人のスペイン、ドイツ人が提供するゴージャスなラーメン・レストランの紹介で在った。その紹介には、未だ日の浅いロシアと違って、ラーメンに魅せられた男達の職人性が在った。繁盛するレストラン経営者であるから、経営的センス、知的雰囲気も在って、観て居る日本人の私としては、日本語を流暢に話す彼等に、<食は日本文化>の感を強くして拍手と感謝の動画で在った。

 文化を下支えするのは、紛れも無く職人達の腕で在る。食に於ける文化は、作る、見せる、もてなすの三位一体の在り様である。味覚を満足させるには、①調理の腕。食材を見て楽しみながら食するには、②素材の姿、盛り付け、器と云った演出も食の肝である。③もてなすは、場の雰囲気と接客態度で在る。

 それ以前に何よりも必要なのは、食に対する心掛け、大きく云えば『文化に対する熱心さ』と云っても良かろう。

 日本食は、ボーダレス時代に在って、一大ブームで鮨屋・ラーメン屋・牛丼屋が凄い数で、海外で商売をしているとの事である。そして、その商売人は、日頃、日本を目の敵として居る彼の<毒亜国の中狂人、韓国人>と云うのであるから、イカサマ日本レストランを呈して居るそうな。いやはや、面白い国民性と民度である。

<勤勉さ、生真面目さに於いて、ドイツ人と日本人は、相通じる面がある>とは、良く云われる事である。種子島に漂着伝来した火縄銃を自前で造り、百年に及んだ戦国乱世を統一に漕ぎ付けた織田信長、西洋帆船を手本に、海洋航海船を造り、太平洋を横断した伊達正宗、活版印刷を物にした徳川家康。
 何も明治維新の開国だけが、西洋文明への文明開化では無かろう。鎖国で築き上げた平安時代の国風文化も在りで、古来より日本人の持つ習得力は並の高さでは無いのである。

 西洋人、東洋人の外観に違いは有っても、日本人の体質は、明らかに東洋よりも西洋に近い。日本人には押し並べて、科学する心、好奇心が旺盛にして、素直さ・勤勉さと云う努力心が、習得の錬度をDNAに貯め込めて来たのだろう。技術立国の本態は、きっと神代の時代から培われて来たに違い在るまい。

 その連綿たる紡ぎを持たない毒亜国如きバッタの大群が、詐欺紛いの好い処取りをして見ても、早晩、自然淘汰の波に没するだけの運命だろう。

             下品は、所詮、一時の泡沫に帰するのみ。

 テレビ・ラジオに接すれば、世界世界と言いつつも、世界の大半が、米・中狂・半島国のニュースが多数を占める。馬鹿扱いちゃ行けんわさ。

 地球にぁ人の住む五大陸・ユーラシア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米と氷原大陸・南極大陸が在りまするわね。

 肥え桶、土壷だって、よ~く撹拌して、希釈して撒かなくちゃ畑の肥料には為りませんがね。確か・・・天下の御老公様・先の副将軍・水戸黄門様も、そんな事を仰られて居た記憶が在るのだが・・・ へへへ。

<肥え桶の撹拌>なんて打ったら、雲が撹拌・濃厚で、アジァジァ、曇天の寒さですがな。遺憾いかん・・・。

心何処ーショート 気持ち好く、遠出散歩為り。
               気持ち好く、遠出散歩為り。(10/28/13)
 本日は、文句無しの好天で在る。郵便局に払い込みをして来る。午前中に風呂に入って、午後からは『遠出散歩』に行くべしである。朝飯を終えて居ると、ヤクルトママさんの声である。おや、本日月曜日じゃ無かったかな。

 玄関に行くと、明日休むから、今日の訪問との事である。主婦であるから、色々有るのだろう。そうだ、似顔絵を見て貰うとするか。額縁絵とA-4一杯の3色の添え文を四畳半から外して、お見せする。

「うわ~、凄い!! 上手ですねぇ。雰囲気まで、優しく描かれている。どれどれ、こっちも凄い。えらく褒められて居るじゃないですか。へぇ~、ブログだけで、こんなお付き合いが出来るって、凄い事ですよね。羨ましい!!」

「如何だ~。参ったか!! 男同士の付き合いの実力を、見たかいな。此処が女と違う処だいね。女は化粧ばかりして、素地を誤魔化して居るから高見に行かんのですわ。素地丸出しで付き合えば、こんなご褒美まで頂戴出来るだいね。化粧止めて見るかい、あい~。」

「化粧取ったら、只のおばさんで~す。Rさん見たいに、魅力が無いから光らないで~す。」

「ニャロメ、俺ぁ毛が無ぇから、隠し様が無ぇだけだぜや。真実一路で<素地一路>で行くしか無ぇわね。」

「巧い!! 座布団3枚。」
   
     さてさて、鳥の世話に、掃除に洗濯、風呂に入って、秋の遠出散歩ですがな。

 ラジオ、双眼鏡、デジカメ、携帯電話をポケットに、出発である。雲一つ無い晴れ渡った空に、暑からず寒からずの散歩日和である。靴を履いて来たから、歩くのが楽である。河川敷を上に向かって歩く。赤トンボ、モンキチョウ、タテハチョウが秋の日差しの中で、気持ち好さそうに飛んで居る。増水で繋がった水路も、減水で小池のハヤ達である。そんな小池のハヤ狙いに、川にはアオサギ何羽かも入って居る。

     この時期、よく姿を見せるのは、タテハチョウのツマグロヒョウモンである。
<地域にもよるが、成虫は4月頃から11月頃まで見られ、その間に4、5回発生する。他のヒョウモンチョウ類がほとんど年1回しか発生しないのに対し、多化性という点でも例外的な種類である。冬は幼虫や蛹で越冬する。・・・ウィキペディア抜粋>

 殆どの蝶が、メスよりオスの方が綺麗なのだが、この蝶は珍しくメスの方が羽根にアクセントが入って居て、綺麗に見える。オスがスッキリの黄土色の地に黒い斑紋、それがメスなら、羽根上部が黒地に大振りな白い斑紋を入れ、一部に青をあしらって居るから、シックで良く目立つのである。そんな例外性で、覚えて居る蝶の種類なのである。

 メスが葦の葉の中に、逃げる様にして下りる。それを黄土色に黒い豹紋のオスが、スイッと入って行く。増水で薙ぎ倒された葦の葉の下で、オスメスは交尾を始めた。こう云う風に交尾の仕草を観察して居ると、矢張りメスはメスで在る。オスの動きに緩やかに呼応して居る様が見て取れる。折角、覗き見が出来たのであるから、記念撮影をしたいのは山々では在るが、距離とアングルが悪いから、『覗き見』だけとする。

 薄いベストを着て来たのだが、歩くに連れて背中が汗ばんで来る。途中、自動販売機で、天然水のペットボトルを買う。水を口に含みながら、コースを山端の小道に採る。山全体の黄葉は未だ先では在るが、見事に紅葉した枝、蔓の先に、赤い実、紫の実を付けた灌木が、光を好く反射させている。静かな小さいながらも、目の覚める様なコントラストで在る。

 本日は、距離散歩と目の散歩で在るから、ゆっくりゆっくり、何度も立ち止まっての模様眺めの繰り返しである。

 早落ち城址の下まで来た。行く手の北は山が迫り、振り返れば中信平が、四方の山々に囲まれ静かに収まっている。傾斜地の畑の青々した野菜の成長、種類などを見ながら、上り勾配の道をボチボチ進む。里山の二峰先の高い山には、紅葉が現れて来て居る。双眼鏡で見る。

 折り返し点の橋を渡って、通常コースのルートから外れて、田園地帯の農道を歩く。コースが変われば、アングルが変わって来る。川を隠して農道から見る早落ち城址のある丘陵は、切り立った急峻さを山々の下に置いて、柔らかく見える。松、広葉樹の混成する山々に、紅葉、黄葉のスポットが、膨張して色をポツンポツンと置いて居る。

 花の少ない河川敷と違って、田園には花が咲いている。ツマグロ豹紋のメスが、何匹も飛んで居る。その内の一匹をデジカメに収める。

 些か、腹が空いて来た。真面目に歩いてコンビニで鶏の空揚げと肉まんでも買って帰ると致そうか。

 今日は、大分歩いた。日焼けをして仕舞った。途中で、弟の会社の事務員さんに会った。こんな所までと言われて、<呆けの徘徊老人ですがな。>と謙遜して来た次第である。へへへ。


心何処ーショート 青空為れど、空気冷たく。
                 青空為れど、空気冷たく。(10/27/13)
 青空である。本日は日曜日であるから、下拵えをしながら、のんびりと朝賄いをする。歳を取ると、兎に角、野菜主体の食卓と為るものである。

 日曜の報道番組を見ながら、市井に暮らす『菜っぱ貧民』としては、報道番組の視点・論点に於けるお粗末さにウンザリの感で、早々に老母の部屋を辞して来た次第である。

 英語が使えて一応の偏差値者で、活字理解力はそれなりに在るのであろうが、活字の世界は云って見れば<汎用性の利く抽象表現、余所行き表現、杓子定規論>である。抽象表現・余所行き表現・杓子定規論の活字内容を、其の儘、実社会に当て嵌める訳にも行かぬ。実社会は、その実、表も在れば裏も在り、大まかを以って正義とするも、微を以って正義とするも、匙加減で如何にも為る魑魅魍魎・摩訶不思議な人間社会の実態なのであるからして。

 人間社会は、数式万能の化学社会に非ず、均質性など皆無の数式が中々に成り立たない代物である。変数変数の織り為す自然科学の掴み切れないのが、その実態かも知れぬ。

 建前、本音が錯綜する現実用語に如何置き換えて、自分自身の実態語に置き換えて、自分の体験、経験に当て嵌めて、類体験を積み重ねて知見を築き上げて行くのが、説得力の在る彼等知識階層の論点・視点の披露なのだと思うが・・・ 机上視点・論点ばかりで、市井に暮らす末端貧民の私の胸には、ストンと落ちる現実視点・論点が欠落している様な感じだけに終始して終う。

 遺憾いかん・・・こんな事を打てば、<お前の知識不足・論理力の全欠を棚に上げて、何を罵詈雑言を為すのか!! その場に直れ、無礼打ちにして呉れるわ~!! 下郎は黙って居れ。>で、済まされて仕舞うのが落ちである。

 まぁ、馬鹿は馬鹿為りに、分相応を躾けられて居るから、私ぁ、それ以上は言いませんがね。へへへ。

 昨日はYouTubeで、時代劇徘徊をして居ると、白虎隊を扱った5時間前後のテレビドラマが在って、お芝居で在っても感涙に次ぐ感涙で観て居た。

 だらし無く歩道橋の上で彼女と座り込んで食べて居る<飛んでも無いグウタラ孫>の姿を見て、野際陽子演じる婆さんが、だらけ切った倅の家(夫・高島政伸・嫁・薬師丸ひろ子)に乗り込んで来て、白虎隊隊士を持つ家柄の躾けをする。『会津婆ちゃんの喝~!!』の幕開きである。煩い婆さんに恐れを為して、孫は友人と一緒に、婆さんの裏を掻いて、孫に甘い会津の爺ちゃん(伊東四朗)の家に逃げ込む。

<よく来たな。美味い昼飯を食いに行こう。未だ時間が在るから、会津に来たんだから会津館を見学して居ろ。>と言われて、二人は白虎隊・隊士二人の自分達そっくりの肖像画を見て、<先祖のその時代=為らぬ事は、為りません。藩主の為、会津の為、武士らしく死ぬの世界>にタイムスリップする。

        詰まりは、NHK大河ドラマ・八重の桜の会津悲劇の舞台である。

         ★薬師丸ひろ子が、出色の演技で泣かせに泣かせてくれた。★

 巷間では、<テレビが変われば、日本が変わる。>と云う名言が在るそうな。私は、これは実態語だと確信している次第である。人間の活字・言葉理解力など、たかが知れている。
 視覚・聴覚・触覚(体性感覚・平衡感覚)・味覚・臭覚の五覚を以って、人間の五感と云うそうな。
一方、知覚と云うのは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味付けする事で、視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚などの感覚情報を基に、『熱い・重い・固い』などと云う自覚的な体験として再構成する『処理』を云う由。

 活字は視覚、言葉・音を聞くのは聴覚の世界である。共に知覚の支えが無ければ、理解に遜色を来す。五感から云えば、本、ラジオは1/5の世界である。テレビは視覚と聴覚の世界だから、2/5の世界と云えよう。音を伴なった映像の世界は、触覚・味覚・臭覚こそ無いが、映像反射効果でその三感覚を投影する。当然にそれらを引き出す為にも音を演出し、表情・動作・台詞をバックの構成で進めて行くのが、ドラマ、映画の世界である。

 人間の記憶として五感+知覚を組み入れた総合性ほど、優れた記憶法は無かろう。而もストーリー性を持つ物は、作者の意図・意思、演じる役者達の想いが鮮明に綴られて居るから、記憶付けには最良の方法と云っても良かろう。こうして考えると、映画が総合芸術であるとの位置付けも、的を得た表現で在ろう。

 白虎隊を観れば、歳若き者達の精神・行動は、幾多の戦争に投影して、日露戦争時の203高地の戦闘、大東亜戦争時の予科練の神風特攻隊にも及んだり、ジャングル戦、イオウ島玉砕にも及ぶ。

 テレビキャスターが世相を解説し、コメンテーター達が感想を口に出そうとすれば、平和、個権の自由平等、権力の不当性を口に出さなければ、様には為らないと云うのが<マスゴミ界の娑婆模様>なのである。

 その点、時代劇と為れば、自由が利く。鬼平も、呑舟も、東郷平八郎も、山本五十六も英雄・軍神である。『為らぬ、物は為らぬ』の本筋が闊歩して居た時代を映像表現出来るのであるからして、喜怒哀楽の真っ当な情が炸裂する映画・ドラマを創る事が出来る。

 へへへ、これを称して、人の心を<代理表現する手法>と云うのであろう。喜怒哀楽の情表現は、抽象語に非ず、杓子定規の世界に非ず。実態語表現で在り、簡素・明快を旨とする。映画、ドラマがヒットするのは、それらが『庶民の深層心理』を映し出すと云う処の、<代理表現機能>を持っているからであろう。

 母(薬師丸ひろ子)の真意の引き出し役の婆様(野際陽子)の願っても無い好キャスティングに依って、お芝居の世界が胸を痛打して、感涙・嗚咽に過ごした5時間弱であった。

 国会中継などを聞いて居ると、兎角、学校での道徳・徳目授業の有効性・必須科目入れが質問されている次第では在るが、テレビから時代劇を駆逐してしまった<日本人の精神の劣化は、殊更、罪が重い。>と考える次第である。

※野際陽子、薬師丸ひろ子、伊東四朗、東山紀之と云った女優・俳優の水を得た様な演技は、明らかに仕事を得た役者の喜びの様な物まで、此方に伝わって来た次第であった。

 本日も長駄文の館訪問、感謝感謝の段で在りまする。空、青けれど、空気冷たき折、風邪など召さぬ様に・・・へへへ。


心何処ーショート おぅ、ちゃっぷい。
                 おぅ、ちゃっぷい。(10/26/13)
 午後から天気は回復するとの事であるが、音を立てて降ったり、小雨に為ったりで、長い雨である。朝の賄い夫前に傘を差して、川の様子を見て来る。濁流の迸(ほとばし)り程ではないが、倍に増量した黄土の川が勢いよく流れ下って居る。まだそんな状況である。

 雨に打ちひしがれた落ち葉が、道一杯、庭一杯に拡がって居る。いやはや寒い。ウンザリ感満載の朝である。敷地に点在する小菊の花に、庭のサフランの薄い紫の花も咲いている。蒔いては見た物の物に為るか為らない時期遅れの葉野菜達は、雨で成長を見せている。来週からは霜月・11月が始まる。

 動き出す時間には、まだ間が在る。一枚上に来て、足元のヒーターを入れる。湯を沸かしながら、白湯を飲む。煙草にライターを付ける。

 四畳半窓辺のコブシの葉群は未だ青々しているが、正面の南天の実は色付いて来て居る。ラジオでは、重い調子で松本清朝の小説朗読が始まっている。27号の次は28号が控えている。雨雲製造機に祟られて、日本列島は灰色雲の下で在る。

 昨日はスーパーで大根を買った私は、Tに<おっ、如何した。庭の大根を引っこ抜いて来れば好いじゃないか。>とおちょくられて仕舞ったのであるが。鰤のアラをたっぷり入れた鰤大根は美味く炊き上がったから、それに火を通せば美味い朝飯に為る。

 ホームセンターで500円DVDの中に先頃亡くなったジュリアーノ・ジェンマのマカロニウエスタン<荒野の一つ星>を見付けた。これも映画ファンの一つのお弔いである。夜は布団の中で、見て寝た次第である。

 イーストウッド、ネロ、クリーフと云ったマカロニウエスタン・スター達の残虐さ、裏切り満載物よりも、ジェンマ物には彼等と比べるとインパクト、シャープさは無いが、真面目な責任感をベースにしたマイルド感が在る。こんな処が、俳優さん達の色なのである。

 そう云えば、<英雄、色を好む>の解釈に、色にも色々、色エロあって、殊更、英雄たちの女色、男色、etcのエロの部分にばかり焦点が当たって、<本来の文芸美術面への造詣の深さ>が陰に隠れて仕舞って居るとの段を思い出した次第でもある。へへへ。

                おっ、老母殿の動きである。

 朝食時には、民放テレビで山小屋日誌を遣って居た。CMの多さにはウンザリでは在るが、好い雰囲気であるから二人で見入る。映像の美しさにCMが中断を入れる。中断に目を庭に転じれば、音立てる雨に柿葉の落葉の寒々とした絵である。

「嫌だねぇ。あれあれ、風が出て来たぜや。頭に毛が無いから、ゾクゾクと寒さが這い上がって来るぜや。駄目だ。今日は遣る気が出て来んぜや。」

「全部自由時間なんだから、好きな様に使えば好い。寒い日は、布団の中で寝るも良し、布団の中で、ラジオ聞くのも、本を読むのも、テレビを見るのも好いよ。誰も来ない家だから、自由にするが好いよ。」

「はいはい、アリガトざんす。じぁ、温い布団に帰るわいね。目薬落としするかいな。」

 目薬落としをして、洗い物を台所に返して、老母殿の部屋を辞して来る。寒いでヤンすわね。お言葉に甘えて、物臭者は寝床に逆戻りの段である。へへへ、仕切り直しは、午後の部で良かろう。

          おぅ、チャプイ、ちゃっぷい、寒いでガンスわね。

 布団の中でラジオを聞いて居る内に、呆気無く寝入って仕舞った。明るさに目を開けると、日差しで在った。日が差せば、暗い玄関鳥では可哀想で在る。鳥籠を光溢れる軒下に吊るし遣る。自転車を出して一周りして来る。

 一応の台風一過と云う事で在ろうか。雲も大分撤退して、薄い空色が拡がっているが、結構な風が吹いている。菜園を見れば小さな葉野菜達は、健気にも日差しの中に立ち上がって居る。左様で在るか。その健気さに、気は心である。タップリの顆粒肥料を撒いて遣ろうと致そうぞ。

     鳥、金魚の餌遣り、履き掃除、台所仕事で、へへ、吾は半日遅れの始動開始である。


心何処ーショート 男が女に迎合して、何とする。
              男が女に迎合して、何とする。(10/25/13)
   NHKパーソナリティとやらの言葉が、一々気に障る。トークの一部に、離婚が在った。

 昨夕のコーナーにも離婚問題が在って、結婚式為らぬ『離婚式』が在って、離婚式の挙行に在っては、出会い・馴れ初め、新婚、子育ての足跡を振り返って、これこれの理由で離婚して別々の人生を歩むに至った<報告>をして、ケーキカットの代わりに、二人で結婚指輪を打ち割る『フィナーレ』との事であった。そんな離婚式で離婚を思い止まったり、復縁するケースが何割か在るとの事であった。

 馬鹿野郎が、甘ったれるのも好い加減に晒し遣がれ!! 自分達の処置能力の無さを、他人から修正して貰うなんざぁ、恥の上塗りじゃい。

 離婚に携わる専門家の言に、夫婦のコミュニケーション不足が、多々あるとの指摘であり、女の社会進出、女の自活に依って、我慢出来無く成った女の性にも言及して居た。そして、離婚に伴う親権の帰属に就いても、父親が子育てをするケースが多く成っているとの報告も在った。

 男は未練たらたらで、女々しいと云う言葉は、男に対する表現に相応しい。その点、女は過去に膠着せずに、自分の生き方を通す。そんな事を言いながら、自分にも娘が居るから、結婚相手を紹介されたら、その場で殴って遣りたい衝動に駆られるとも言う。

 何を扱きぁがる。作家だか、大学教授だか知らんが、こんなふざけた野郎は、女を敵に回さない自虐口調で薄っぺらな世相表層に迎合して居るだけの好い加減野郎にしか過ぎまい。こんな輩に限って、個利・個権を振り翳して、世渡りをスイスイしている連中の代表格なのであろう。

 締めくりの言葉が、女言葉の『自分で決めた事だから。』との事であったから、思わず、正体を現したか、<女脳の男もどき>であった。
<過去に膠着せず>を裏返せば、ドロドロした物を引き受けるのは、真っ平御免の『薄情者・無責任者』にしか過ぎまい。生きるなんて事は、或る意味では生き恥を晒す事の連続である。一見上では権利選択に伴う自己責任の真っ当さ、自立心の強さを主張して居る様に聞こえるが、内実を点検すれば自己中心の格好付け屋と本態には大差が在るまい。

 情を持ち、与え、深くすれば、早々は自分が決めた事だからと、自分の色・殻を押し通す身勝手など、子供の手前、出来る訳でも無かろう。幾つに為っても、親は子供に後姿を見せ続けなければ為らない宿命を背負って居るのである。

 作家だか、大学教授だか、競馬評論家だか、パーソナリティだか知らんが、下らん男が公共電波で、何をほざいてケツかるかってな物である。

 其処へ行くと、昨夜見た鬼平犯科帳での鬼の平蔵曰く。「女には、過去も未来も無い。在るのは、現在だけだ。夢を持って生きる男とは、別の生き物じゃ。哀れよのう。」の池波正太郎の女観の方が、余程的を得て居ると云う物であろう。

 いやはや、真に以って易きに流れる核家族・個室・個器・個権のじゃじゃ漏れ世相では無いか。自分を中心に回って居ると錯覚して居る<天動説の女>に、柵、柵の中で『地動説の男』。ヒトの染色体はX染色体の女とXY、XO染色体のY染色体の男との事で在り、生命・種の進化の中で、雌雄同体から雌雄異体へ進んだとの事らしい。

 私は男の端くれであるから屁理屈をこねれば、女の天動説のX染色体から、Y染色体を持つ過程で、観察力因子がY染色体を造り上げて来て、地動説が男の思考回路に加味されたと云う事で在ろう。その観察・自省因子が、情の徽ビ、繊細さに投影されて居るので、未練の作用を助長させていると考えた方が、女々しいの表現よりも合点の行く処なのであろる。世に草食系男との揶揄される一群の男達が居るらしいが、これらの染色体は、若しかしたらYの無いXO型染色体群かも知れぬ。

 世界三大宗教のキリスト教、仏教、回教にしても、イエス・キリスト、ゴータマ・ブッダ、マホメットと何れも男である。男女平等同権とは云う物の・・・この事実は、面白いものである。

 一体、どんな男かとインターネット検索して見れば、私の好かない顔付で在る。顔は、その人間の履歴書との表現も在るらしいから、大いに納得した次第である。

 本日のスタバトークは、そんな次第で私の罵詈雑言が縷々響いて仕舞った次第である。へへへ。

<その名は、キャロライン>の小編で、呆けの話に移行すると、流石にTは吾が心友である。或る時、松本へ電車に乗ろうとして居ると、ホームで徘徊婆ちゃんが、実家に帰ると言って、駅員さんその他の人と、噛み合わない話に為って居たと云う。
 痴呆症で、行き先が分からないらしい。見ると、近所の婆さんである。Tは婆さんの手を取って、タクシー乗り場に行って、<家は何処何処だから、悪いけど乗せて行ってくれ。家には家族が居るから。>と、千円を運ちゃんに渡したとの事である。そんな事で、事無きを得たとの事である。

 好い話では無いか。四回離婚して、五回目の結婚をしているパーソナリティが、一丁前の口を聞くなってな物である。

 T曰く、女房も亭主も、一人で沢山。お互い、運命と諦めて、折り合いを着けながら生活して行くのが、人の道。女が欲しければ、工面・工夫して裏で遊べば良いだけの事。その覚悟と、度量の無い者が、遊ぶから下手を打つだけとの事である。教師の盗撮、コンビニ弁当の万引き、・・・etcと漫画の世界と為って仕舞ったご時世との事である。

「おいおい、R。さっきから、あのオバサン、チラチラ見てるぞ。<わぁ、好い男。遣りたい>って目付きしてるぜ。」

「おっ、そうかい。水臭いじゃないか。遣りたいって素直に申し出てくりぁ、俺ぁ、何時でもお相手するぜや。別に減るものじゃ無ぇしな。おいおい、また降って来たのじゃ無いのさ。」

 奥さんの身体の不自由な母親にトースターを買ったTは、昨日は一日中、孫のお相手で疲れたとの事である。「おかあさん、いない。」と泣く孫を、「煩い、男の癖に、メソメソするな。ゲンコツか。男は我慢するもんじゃい。馬鹿垂が。」と躾けるジィジを遣っているとの事である。

       ハハハ。男子番から高OBの孫守は、それで良いのである。


心何処ーショート 台風の前触れ、終日の曇天為り。
               台風の前触れ、終日の曇天為り。(10/24/13)
        
              昨日はブログ日誌を割愛したから、時間が在った。
昼にSNさんからクルーザー上の私を描いて呉れた58cm×45cmの額縁絵が届いた。早速、四畳半と八畳の仕切りドアに掛けた。ロシアン・アマゾネスさん達の面影を拝借して、夢奇譚の乱発する四畳半戯け部屋で在るからして、部屋の美形・美人のロシアウーマン達も、話し相手が出来て退屈はしまい。ウッシッシってな物である。

    こんな大きな絵が掛ると、部屋の雰囲気は大きく違って見える物である。

 時間が浮いて仕舞ったから、廊下、床、トイレの雑巾掛けをして、夕刻前に国会中継のラジオを持って、久し振りに長散歩に出掛けて来た。川の模様を見たり、里山の模様を見たり、畑の野菜の種類、成長振りを眺めながらの一時間半のテクテク散歩で在る。

 先日の立ち話での斜向かい色白吟さんでは無いが、野菜に依っては大変な差異が生じている由。玉に為らない白菜、伸び過ぎて硬い野沢菜漬けに為って仕舞う野沢菜、同様に早過ぎる大根の成長など、今年の漬け物は<危ぶまれる様相>との事であった。
 そんな野菜事情を置いて、畑の作物を見れば、大根、野沢菜、ネギの成長振りは生半可では無い。安く出回るのだろうが、豊富な漬け物も早いと酸味が回って仕舞う。それでは、長い冬の保存食には供さ無い。漬け物は低温発酵の熟成期間を保たねば、良い漬け物とは為らないのである。

 私の漬けた奈良漬、粕漬けも酸味が回って来て、保存食に為らず、せっせと消化している次第なのである。

 長散歩から町内に帰って来ると、黒い柴犬を連れた同年生『難敵女』が歩いて来る。遺憾いかん・・・軽くお説教を頂戴して終う。そっぽを向いて、河川敷のサツキ植栽に避難して居ると。

「そんな熊が隠れたって、駄目だよ。見てみ、犬だって寄り付かないよ。逃げようとしてるじゃないか。」
「如何した。犬散歩のボランティアか。顔は悪いが、優しいじゃないか。」

「うん、例の家の犬だけどさ。かまって貰えなくて、ウンコだらけの庭でゴロ寝してるから、何か・・・可哀想に思ってさ。」
「そいつは、一年中、不貞腐れて地べたでゴロ寝してるからな。見れば、ちゃんとした好い犬なのにな。」

「そうずら。可哀想だよ。人間は、白・黒・黄色、国、時代、親を自分で選んで生まれて来れる訳じゃないし、犬だって飼い主を選んで、飼われる訳じゃ無いしね。こればっかりは運命だしさ。
 運命を定めだと、健気に努力出来るものも、捻くれて根性悪に為るものもいるけどさ。誰かが、手を差し伸べて遣れば、和む気持ちも与えて遣れるんだしね。そうズラ。」

「やいやい、この頃は、一丁前に悟りを開いて来たって事だいな。大したもんだ。尊敬しちゃうぜや。昔ぁ、鰯の腐った様な、とんでも無ぇ目ん玉してたのになぁ。大器晩成型の典型じゃ無ぇか。俺の貯金が、無くなっちまうぜや。」

「またまた、おちょくって。馬鹿にしてるね。こんな処で、油売ってないで、晩ご飯用意して遣り。オバサンに、美味しい物作って遣ってよ。私は、これから散歩だからね。真面目に遣んなきゃ駄目だよ。じゃぁね。」

 へへ、口じゃ逆立ちしても敵わない女では在るが、犬が活き活きして居る処を見れば、好人物に相違あるまい。

   明けて本日は、台風の影響だろうが、曇天の雨の降りそうなお天気さんである。

 風呂に入って、浴室洗い、調理台磨きで、時間潰しをする。普段は魚派では在るが、後期高齢者の仲間入りを果たしたと云えども、偶には肉を頬張りたく為る事も在る。山賊焼きで昼にしようと、自転車に乗ろうとすれば、雨である。偶には、ハンドルを握らなければ、車の乗り方も薄れて仕舞う。駄菓子、バナナなどを買って来て、昼食とする。

 進みの遅い台風28号は、居座り雨台風との事である。土曜日まで雨の影響下に為るとの由で在る。こんな事からすると、改めて台風の巨大さを思い知らされる次第である。

 暗く雨が降ったり止んだりの、パッとしない一日である。鳥籠を綺麗にして遣ったのだが、玄関鳥は音無しの構えで在る。散歩にも行けぬから、退屈なものである。


虫眼鏡老人・その10
                 その名は、キャロライン
                   その名は、キャロライン_001

                   虫眼鏡老人・その10
 <1>
 今年は振り返ると、天候不順の季節コースを行って居る。猫の目の様に、寒かったり、暑かったりのスパンがデコボコと続いている感じがする。此処は、虫眼鏡老人とダケンの暮らす地方都市の一隅で在る。

 高原に紅葉などの便りが映し出されて、秋が順調に進むと思いきや、一変して夏を思わせる暑い日が一週間も続く。丸で『台風増産年』の様である。雨の後はグンと気温が下がる。太陽の運行は間違いなく秋である。陽が落ちれば、途端に朝夕の寒さが身に沁みて来る10月なのである。

 こんなチグハグ気象を受けて老人の庭では、苺の狂い咲きが在り、小指にも満たない赤い実が付いたり、山ツツジが数個花開いたり、カワラナデシコが、夏を引きずって居たりである。それでも、向日性の小菊の花が、落ち葉の中、秋の風情で咲き始めている。

 老人はこの処の昼と夜の温度差に、身体が付いて行かないらしく、盛んに黄色のパブロンS錠を飲んで居る。

「クシュン」

 空気の入れ替えに廊下の戸を開けて、秋の日差しに後ろ手姿で庭、空を見上げて居る老人の横目が、ニヤリと笑う。

「クシュンだと、誰か風邪引きかの~。歳の所為で、俺の空耳かの~。」

                クシュン、グシュン。

「これは驚いた。駄犬でも風邪を引くのか? この頃は、人間が火病で野獣に、犬畜生が、人間気取りとは、全く以って崩壊して行く世の中じゃわな。」

<何を抜かすか、この糞オヤジが。余は江戸公方のオトシタネで在るぞよ。毒見役が居らんから、こんな性質の悪い『下衆の風邪』が移って仕舞うのじゃ。ウダウダ言わずに、余にも、その黄色い丸薬を与えよ。>

 老人は殊更に蔑んだ眼を、縁の下からノロノロと出て来たダケンに向けながらも、後ろ手の薬瓶をチラチラ見せ付けている意地の悪さである。

「これ、駄犬や。そちも飲んで見るかな?」

<当たり前じゃろう。余に風邪を移したのは、お前じゃろうが。昔の武士は、皆、薄着で、身体を鍛え、精神を鍛えて居た物じゃ。弛緩仕切って居るから、隙を付かれて風邪を引くのじゃ。この世に人間経由の風邪程、性質の悪い物は無い。四の五の言わずに風邪薬を飲ませろ。この戯けが・・・。」

 老人はやんごとなきダケンの潤んで弱々しい目を尻目に、胸のポケットから老眼鏡を取り出して、徐(おもむろ)に掛ける。

「何の役にも立たぬ駄犬じゃが、これも腐れ縁。生類憐みの喩えも在るからして、温情を掛けると致そうか。
 つい出来心の慈悲心が一生の不覚・・・お前は、只飯食いの拾われの身じゃが、今や、居なくては寂しいからな。用法・用量に粗相が在っては、飼い主の不徳でもある。お前は得難い人間に拾われたと云う物じゃい。努々(ゆめゆめ)、感謝と報恩の気持ち忘れるで無いぞ。分かったな。」

        老人は、物云わぬ番犬の頭をコツンコツンと叩いて言った。

<ク~、世が世なら、それは余の台詞で在るぞよ。血筋の水戸黄門にでも為った気で居遣がる。糞っ垂れが。
 おっ、今度は何を言う心算だ。何を細かい字を読んでいるんじゃい。ええい、爺や、薬は未だであるか。馬鹿に付ける薬無しじゃわい。・・・>

「何々、15歳以上3錠、11~14歳2錠、5~10歳1錠、5歳未満使用しないこと。1日3回とある。犬畜生への記述が無いではないか。如何した物やら、ニャハハ。」

          クシュン、グシュン・・・

<アア、意地の悪い下衆の「弱い物苛め」が始まって居るではないか。先ずは1錠で良いわ。早うせんかい。悪寒がして来たでは無いか。早うせい。この嫌われオヤジが。>

 ダケンは鼻水で詰まった鼻を、ダルそうにブルン、ブルンと数回頭を振って、鼻通りを確保しようとする。糸を引いた鼻水、涎が、老人に飛ぶ。

「おうおう、駄犬の癖に、一丁前に鼻水を垂らして居る。こりぁ、そんなに醜い顔を振るで無い。汚ない鼻水・涎が、掛るでは無いか。バッチィ奴じゃい。イッヒッヒ。」
 
 老人と犬が暮らす日々である。こんな遣り取りが無いと、全てが進まないのであるから面白い。それでも、人前でこんな事を始めないだけの『常識』を持って居るのであるから、良しとすべきであろう。

         総べからず、人の世は、多様性に満ち満ちている次第である。

 老人は1錠を掌に載せて駄犬に与える。駄犬は熱ぽい舌で一錠の黄色を口に入れ、水を飲む。老人は駄犬の頭を撫で、廊下にダケン用の毛布を置いて、蜂蜜を舐めさせて遣る。それから、背中に毛布を掛けて遣る。

<クシュン、最初からして呉れれば良い物を。下衆は、何処までも根性が螺子曲がって居る。お犬様の生類憐みの令のご時世が、懐かしい限りである。>

 老人はポカポカする廊下のリクライニングシートに座って、読書を始める。ダケンは少し離れた所で、掛けて貰った毛布から顔を出して目を摘むって居る。

    ★殊勝な心掛けじゃ。風邪には安静が一番じゃ。へへ、体質が軟であるぞよ。

 <2>
 秋晴れの太陽が、廊下に差し込んで居る。寝床から這い出した老人は、空気の総入れ替えに、家の戸、窓を開放して回る。廊下で大きく背伸びを二度三度して、外の空気を深呼吸する。これが、老人の朝の始動で在る。

 廊下下を根城とするダケンもノソリと出て来て、四肢を踏ん張って背筋を湾曲させグィ~と伸ばして、牙を剥き出しての大欠伸をする。

 老人と犬とは同等の関係を現わして、背筋伸ばしと大欠伸を掻いた後に、二拍を置いて犬は老人を見上げるのである。そして、朝の挨拶代りの尾を振ってから、ペロリと一度だけ、老人の足を舐める。

「やれやれ、今日も、一日が始まるな。」

 老人は庭サンダルを履いて、庭を一周りして家庭菜園のミツバを数本千切って来て、朝飯に取り掛かる。ダケンは、家に居る時は繋がれて居ない。敷地内は自由の身で在る。戸締りをして居ない家であるから、専ら家巡回はダケンの仕事である。

 この家は、老人一人と犬一匹が暮らす共同生活である。冬以外は、老人は廊下で食事をする。玄関上がりの大石の上が、ダケンの食事場所である。老人と犬は一緒に食事をする間柄である。食事が終われば、老人は廊下のリクライニングチェアで、お茶を飲みながら長い時間を掛けて新聞を読む。

 話し相手の居ない気儘な独り暮らしであるから、老人は独り語では無く、普通に人に話す程度の明瞭な言葉とボリュームで言葉を発する。こんな次第であるから、ご近所さんからは、変人扱いをされて<虫眼鏡老人>と呼ばれている。
 然しながら、彼はそんな『ご近所評』を物ともせずに、一人暮らしの気儘さを楽しんで居る様にも見える。

「馬鹿扱いちゃ行け無ぇぞや。お前さん、ちゃんと足で情報を得て、裏を取って来たのかい。そうじゃ在るめぃ。俺の目は誤魔化せ無ぇぞ。
 この若造、環境の好い机の上で、独りよがりな作文して遣がるな。横着な野郎だ。適当に文字を並べて、結論は結果待ちの尻切れトンボを遣りやがって。毒亜宗主国に<権謀術数>なんて言葉使い遣がって。それを言うなら『低民度国の見利忘義』って四文字熟語を使うんじゃい。馬鹿垂が。
 俺の知ら無ぇ、カタカナ文字ばかり使い腐って、丸で中身の無ぇ記事じゃい。フン、こんな物ぁ、<記憶に留める必要無し>だ。」

「次は何だ。またまた、娘っこのスカートの中を盗撮して、懲戒免職だと。全く、公務員の野郎共、良い給料貰って置いて、丸でケチケチしているな。
 世相を鏡に映せば、個権・個器・個利の何でも有りの有り難いご時世だ。そんな物ぁ、<有料の館>で思う存分、羽目を外せば好いだろうが。とっ捕まったら、首に為るのは当たり前の結果だぜや。
 退職金剥奪の給料無し、女房からは変態扱いされて、離婚、子供達には一生<人間失格の烙印>を押されて、その身はホームレスかいな。教員が終いの住まいを、橋の下じゃ示しが付かんだろうが。馬鹿垂が。」

<おぅおぅ、今日も、爺やの午前の部が始まったか。これもボケ防止の日課じゃろうて。下手に呆けられて、食事回数を抜かれたら、困るのは余で在るからして。良い心掛けじゃ、爺。頭のブラシアップと観て、煩いが励むべしで在ろうぞ。アハハ。>

 老人は新しい煙草を口に、100円ライターをカチッと鳴らして、一息深く吸って、苦がそうにフゥ~と吹き出す。冷めたコーヒーを喉潤しの様に、グィと飲んで、言葉を続ける。 

「<只ほど高い物は無し>って学習も人生観も無い者が、学校の先生遣ってるなんて凄い時代に成った物よな~。恥を知れ、恥を。喝!!」

 カァ~ツと叫んで、老人は虫叩きをビュッと鳴らして、廊下を叩き上げる。一々、大袈裟な行為を仕出かして居る。これは一人暮らしであるから、寂しさ故の『一人遊び』をして居る様な物なのである。如何やら、テレビで覚えた反応所作らしい。

<おぅおぅ、誰も居ないと思って、馬鹿デカイ声で『喝!!』と来たもんだ。お隣さん、引き付けを起こすだろうが、・・・ 垣根が在っても、空気は繋がって居ろうが。爺や、その歳に為ったら、少しは品を励行するものじゃ。下衆の性根は、独り身に為って振り返して居るわ。>

 其処は長い付き合いのやんごとなきダケンであるから、耳の方向を変えただけで、表情を変えない。駄犬は、並の犬では無い。老人は指にツバをつけて新聞を捲る。

「株、為替にぁ、金が無いから、興味無しじぁ。保険金目当ての殺しに、指導不足を以って、損害賠償請求だと。何々、相変わらずの毒亜国の火病シュピレヒコールかい。阿保臭。テレビは、如何じゃい。フン、碌なドラマの無しか。芸no人ばかりが旅行して、風呂入って、料理を食べて、<わぁ、美味い!!>だけで、何が面白いんじゃい、馬鹿馬鹿しい。」

「ほぅ、今日は国会中継があるのか。今時の政治家は多弁過ぎて、教師か、講師みたいなもんで、サラリーマン見たいな顔付ばかりじぁ。頭に響くだけで、胸、心にストンと落ちてうならせる国士が少なく成ったもんじゃい。それでも、まぁ、下らん芸NO人・仲間内番組より余程面白いわい。」

 お茶代わりの極薄インスタント・コーヒーを注ぎ足して、灰皿には数本の煙草が吸われて行く。そんな老人の朝の日課を、ダケンは半ば呆れた冷やかな目で見て居る。

<フン、困った爺だ。下衆と云った下々は、兎角、言葉を呑み込むと云う『所作』を心得ては居らん。何でもかんでも、思った事を、其の儘に口に出すと云うのは、見苦しき下衆の行いと云う事が、毛筋の程も分かっては居らん。丸で、躾けが為って居らん。
 そんな世間との向き合い方をして居るから、幾ら時間を掛けて新聞を見んでも、知性が備わらんのじゃ。まぁ、爺やも歳で在るから、余が鍛え直す訳にも行かぬわ。精々、言葉を忘れぬ様に『一人トレーニング』でもして居れ。余は犬で好かった。人間なら一蓮托生と見られて仕舞うわ。一切、無視無視・・・。>

 こんな調子で、長々と新聞と話している老人を尻目に、ダケンは糞尿を催せば庭の隅に与えられた一角に、前足でガリガリと穴を掘って用を足し、後足で始末をして来る。子犬(ダケン)を拾って来た老人は、庭を自由にさせる代わりに<下の後始末>だけは手厳しく躾けた。

 一応は主人と番犬の体裁が在るから、ダケンは廊下の主人との距離を1m保って、お坐りの首筋を立てて居るポーズを守って居る。ダケンは賢いこくも、番犬を演じ続けている。

「何々、ジュリアーノ・ジェマが亡くなったか、75歳か。未だ若いのにな。マカロニ・ウエスタンか・・・クリスト・イースウッドにリーバン・クリーフ、フランコ・ネロと一世を風靡したイタリア映画だったなぁ。
 あれだ・・・名前は覚えなかったが、黒髪イタリア女優さん達も、端正で綺麗な顔をして居たもんだ。左様で在るか・・・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。」

<くっくっく、爺やのヤツめ、体裁振り居って、名前は覚えなかっただと・・・ 好物白饅頭の名前が出て来ないでは無いか。ハハハ、歳じゃのぅ~。
 世を忍ぶ仮の姿が犬の身で在るからして、人間の何百倍もの臭覚じゃ。余も年寄りの加臭を身近で嗅いで居ると、脳軟化菌まで侵入を許して仕舞うわ。>

<さぁ~てと、地表の水分も蒸発したじゃろうから、場所変えを致そうぞ。>

 庭の隅には川砂を厚く敷いた砂場が作って在るから、砂が太陽に暖められると、ダケンは其処へ行ってゴロリと寝転ぶ。この場所だと、四方の内、三方までは視覚に入る。

 <3>
 それは、秋晴れのポカポカする温かい昼下がりで在った。玄関に人声である。ダケンは砂場の寝そべりから身を起こして、庭を回って玄関に回る。歳の頃、60代後半だろうか。オバサンが玄関の前に立って居る。ダケンは驚かさない様に、1mほどの距離を置いてお坐りの姿勢をとって、主人を待つ。廊下→畳間→玄関廊下に足音が伝わって来る。

「開いてますよ。どんなご用件?」

 玄関の引き戸が半分ほど開けられて、オバサンが顔を見せる。女はニコニコ顔をして、丸で自分の家に上がる様に、上がり廊下から勝手に上がって来る。

「何方かな。」と家の主の虫眼鏡老人は、身構える様に低い声で言った。

「あなた、何を他人行儀に。私を忘れたの。ちょいと留守してる間に、歳取ったわね。若い頃は、男前だったのにねぇ。そんな怖い顔してると、世間を狭くするわよ。おほほ。」

「あい~、???」 何じゃ。この女は、気は確かか? それとも堂々たる錯覚か?・・・ 待てよ、これが、流行りの認知症の徘徊か・・・

 あれあれ・・・女は勝手に上がり込んで、廊下をスタスタ通って居間に座って仕舞った。

 やんごとなきダケンは、早や足で庭に回まる。居間を真正面の位置に前足を揃えて、凝視の眼で耳をピンと立てて、ニヤリの段である。

★丸で自分の家に帰って来た様に、部屋を見回して居る。さてさて、顔付・態度を見ても、とても認知症の淀みなど、一切感じられ無い目の涼しさである。

            ほぉ~、世の中には、図々しい女も居る物だ。

★ダケンも警戒の唸り声も発しないし、未だ未だ女如き盗賊・ペテン師の餌食にも為るまい。さて、如何した物か・・・追い返すタイミングを逸らしてしまったし、此処でつっけんどんに追い返す訳にも行かぬ。言い争いに発展して仕舞ったら、お互い、世間体も悪いし・・・さてさて、困った。落ち付け落ち着け。

 女は、虫眼鏡老人の内面の呟きなど、一切気にも留めて居ない、リラックス・モードである。

「大分、歩いたから、私、喉が渇いたわ。お茶は何処なの? 他人じゃないんだから、お茶位、入れなさいよ。」

★アジャジァ、こりぁ、完全に錯覚・錯到の世界の住人らしい。どうせ、暇を持て余し居てる日々である。先頃、痴呆症の解説テレビも在った事でも在るし、些かお付き合いをして観察するのも<何かと向学の足し>にも為ろう。全く以って、困った侵入者である。

「歳の所為で、すっかりお名前を忘れてしもうた。何子さんでしたかの?」
「キャロラインよ。忘れたの。」

       ★何と、キャロラインとはデカク出たもんだ。こりぁ、太ぇ婆さんだ。

<クッ、純度100%の日本人顔して、好い歳かっぱらってキャロラインは無かろうよ。爺のヤツめ、如何捌くか、これは見物だ。アハハ!!>
 
 家の中では、虫眼鏡老人は嫌な顔もせずに、台所で笑いを必死に堪えて、自家製漬け物などを切り、菓子盆に駄菓子などを見繕って、お茶を入れている。女は何やら、懐かしそうに廊下から、秋の日差し溢れる庭を眺めて寛いで居る感じである。

「キャロライン、よく忘れないで、訪ねて来てくれたな。嬉しい限りじゃい。遠かっただろう。如何遣って来たんだい? 飛行機に乗って成田で、新幹線かい?」

「あら、あなた、歳でモウロクしたの? バスに乗って、歩いて来たのよ。今、世間では認知症が流行ってんのよ。心配ね。私が病院連れて行ってやろうか。未だ、呆ける歳じゃ無いのに。本当に、困った人ねぇ。先が思いやられるわね。アハハ。」

<クックック。爺め、猫撫で声の探りも、カウンターパンチか。豆鉄砲喰らった面して、余を見て居るわ。確りせんかい!! 幕は開いたばかりぞ。>

★ダケンの奴め、小馬鹿にしおって。涎を垂らして、こっちを繁々と見て居遣がる。この頃じゃ、下衆のお前なんぞの<心の内>など、手に取る様に読めるわ。
 フン、こっちは人間ぞい。こっちは、初対面と云えども、名前がキャロラインなんだから、異国人じゃろうが、粗相の無い様にレディファストで、飛行機と云ったまでの事じゃ。

★毎日新聞、テレビを読んで見て居れば、凡そ社会の在り様は見えて居るのじゃい。昔は、目から鼻に抜ける<頭脳の明晰性>を誇って居たのじゃい。駄犬如きに笑われたんじゃ、還暦半ばの男が廃ると云う物じゃて。まぁ、ゆっくりと見て居れや。事を急いては、怪我の基、<病人への包容力の欠如>と云う物じゃろう。老齢社会とは、その様な物じゃて。俺は、奥ゆかしい性質なのじゃ。ウヒヒヒ。

「キャロラインは、相変わらず美人だなぁ。よく訪ねて来て呉れた。若い頃が、重なり合う。歳を取っても、美人は美人じゃい。あの頃は、楽しかったなぁ。お互い、若さが溢れ返って居たもんじゃ。」

「あなたも、私が留守をして居る間に、大分まるく成ったものねぇ。塩っぱいけど、上手じゃないの。何でも、遣れば出来る物なのよ。喉が渇くから、もっと、お茶を入れてよ。お茶は、もうちょっと、高いお茶にしたら。安いお茶は、色も悪いし美味しく無いわよ。私が居ないと駄目な人ねぇ~。」

「そう注文を出すな。何しろ、今は落ち目の三度笠・年金だけで、犬と暮らす細々とした生活でな。刺激が無いから、すっかり気が利かなく為ってしもうて、済まんすまん。」

★何処のボケ女か知らんが、女と云う生き物は、生意気・減らず口が、さらりと出て来るもんじゃい。まぁ、お茶をたんと飲ませて置けば、その内にトイレに行くだろう。

「トイレは何処だったっけ?」

「あいよ。案内しようか。」

 トイレに案内して、老人は女のバックを開けて手早に調べて、ウンウンと大きく頷き、メモる。バックの中身を元に戻して、庭のダケンにウインクを送った。

                  女が戻って来た。
「キャロライン、ちょっと10分位、此処に居てよ。煙草が切れたんで、自動販売機で買って来るからさ。積もる話が一杯あるからな。ゆっくりして行けや。あっ、ダケン、留守を頼んだよ。」

「うん、そうするわ。あなた、ボケが来てるから、気を付けてゆっくり行っておいでよ。」
「分かった分かった。キャロラインは、優しいね。ありがとさんよ。」
        
            老人はニコニコして、そう言い残して外に出る。

「ああ、もしもし。☆☆さんのお宅ですか。私○○と云う者ですが、今、お宅のお母さんが、家に来てましてね。御心配でしょう。
 ◆○のスーパーマーケットの駐車場までお送りしますから、如何でしょうか? どの位、時間掛ります? はい、分かりました30分ですか。」

★良し好し、これで一件落着である。家での身内のゴタゴタは勘弁して貰いたいからな。家族もご近所さんの世間体も、悪くなる。娘さんの。応対も穏やかだったから、安心した。『何事も、知らぬが花よ』の喩えも在る。人には温情で接しないと、世の中は丸く収まらん。
 
       ★★此処が、駄犬には想像も出来無い俺様の凄い処だわさ。イッヒッヒ!!

「お待たせ、キャロライン。漬け物塩っぱかっただろう。如何だ、お口直しに、スーパーで、お前さんの好きなケーキでも買って来るかいな。一緒に行くか?」

「あら、嬉しい。あなた、私の好物を覚えて呉れたの。そうね、行きましょう。」

            老人二人は仲好く、軽自動車に乗った。
 
            一方、車を見送ったダケンは、首を捻る。
☆これは、奇妙な運びでは無いか・・・バックの中身は、きっと女の連絡先を示す物が在ったのだろう。外へ出て、携帯で連絡をしたのであろう。
☆戻って来た爺には、在り在りとゆとりが生じて居たからな。あれで、中々に配慮の利く男であるからのう。余の出番は無かろう。
☆吾が祖の東照宮大権現様も、偉大なタヌキ親父の世評も在った次第であるからのう。まぁ、果報は寝て待てとするしかあるまい。爺や、頑張るべしであろう。ワッハッハッ。>

 スーパーに着くと、二人はケーキコーナーに行って、彼女の指差すケーキを買って、外に出る。車に乗らず、外のベンチで話の続きをして居ると。

「すいません。母が、お手数掛けまして。恐縮です。」

        母親そっくりの40代後半の娘さんが、頭を下げ放しである。

「いえいえ、如何致しまして、お母さん美人ですから、楽しかったですよ。私は一切役に立たない駄犬との二人暮らしですから、偶にはご婦人の訪問は<百薬の長>ですからね。気兼ねは無用。次も、歓待しますよ。アハハ。」

「そんな温かいお言葉まで頂いて・・・。でも、こんな事って、奇蹟ですね。亡くなった父にそっくりです。母はきっと『思い出の中に居た』んでしょうね。」

「そうですか。それは光栄ですわ。ふ~む。為る程。お母さんは、<記憶の中に居た>んですか。これも何かのご縁でしょうから。お母さんを𠮟らないで下さいよ。リハビリだと思って、また寄って下さいよ。その時は、連絡しますよ。」

「キャロライン、また来てよ。待ってるからね。バイバイ。」
「うん。また、顔出してチェックして上げるからね。元気で居てよ。バイバイ。」
 
             虫眼鏡老人は、帰って来た。

「駄犬よ。今日は、奇想天外な好い日であった。如何だ。晩飯には未だ早いが、庭でバーベキューでもして、秋の夕暮れにゆったりと身を置きながら、酒でも飲もうか。」

<何が在ったか知らんが・・・ 爺やの奴、何か好い親切をして来た少年の様な清々しい顔をしているでは無いか・・・。これは愕いた。ハハハ。何かと世知辛い人の世では在るが、爺も偶には良い事をするものじゃ。良き行いじゃ。オッホン。>

 バーベキュー・コンロに炭火の煙が立ち上り、鉄板に肉の焼ける臭いが立ち込める。庭の柿の黄葉が、カサリ、カサリと落ちる。サツキの緑に小菊の花々が白・黄・小紫の点を添えて居る。ジュウジュウと肉が焼けて行く。

 トクトクと琥珀色のウィスキーがグラスに注がれ、肉を頬張る虫眼鏡老人とやんごとなきダケンの男コンビは、鱗雲の夕焼けの下でバーベキューを進めているの図で在った。

        虫眼鏡老人・その10・・・完 20013/10/22 by アガタ・リョウ

心何処ーショート 好天に、呆けの一席為り。
               好天に、呆けの一席為り。(10/22/13)
 好い日差しで在る。お天気さんが好いと、自然と身体が動くものである。ゴミ出し序でに家庭菜園の葉物野菜の成長を眺めたり、鳥籠を軒下に吊るしたり、掃き掃除をしたりである。そんな私の動きに、妖怪様はヨロヨロと洗顔に立つ。

 家を全開して、空気の総入れ替えで在る。廊下を掃けば、ウンザリするほどの埃が外に吐き出される。空気爽やかな信州にして、この有り様であるから中狂国のPM2.5の世界に住まう国民とは如何なる物かと、ついつい想像をして仕舞う次第でもある。

 仏壇を開けて、花開いた小菊に水補給、灯明を点して線香を着けて、チィ~ン。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏をする。頂戴したお茶を台所で飲みながら、朝賄い夫をする。

 妖怪様は歯が浮いて仕舞ったとの段であるから、負担軽減で長芋を摺る。テレビでは岡田さんに代わって、平沼先生である。国会議員の先生は、こうで無くちゃ拝聴する気にも為りませんがね。良いですなぁ~。これぞ日本人の背筋がピンと伸びた政治家の言で在る。

  朝食が終わって片付けようとして居ると、ヤクルトママさんのコール声である。

「はいはい、少々お待ちを。」新作戯け画は、一枚だけである。

 細身の美人さんも、お天気の好さで何時に無く冴えて居らっしゃる。美人さんは、私の好物である。ちょいと観賞させて頂くと致そうかる。ヤクルト代金に、上乗せされる事も無かろうて。1015円と戯け画ファイルをお出しする。

「はい、500円のお釣りです。どれどれ、カラフルなオッパイに、これはおヒップね。これは、ウエストの括れ。私は貧乳だし、細身だからウェストも見劣りで見せるに値しないですけどね。アハハ。厭らしさが全然無いから、楽しい色使いですね。相変わらず、好きですねぇ。困った人だわ。」

「この絵には、顔が無いけど、女体のリズムを描いて見たんですがな。見たい男に見せたい女で、世の中、プラス、マイナス、ゼロなんだけどさ。昨日、ラジオ聞いてたらさ。ネットサイバーとやらで、警察も健全な社会構築に乗り出したんだとさ。女子中学生、高校生がさ、サイトでパンティ売りますで、何と一万五千円で購入したオッサンが居るんだってさ。
 良い情報貰って、家の婆さんを唆(そその)して、『パンティ商売しようか』と言って見たんだわさ。まぁ、大正女の一応の親だからさ。多分に笑いを抑えての親の教育的指導だったんだろうけどさ。<恥を知れ>って怒られちゃったよ。
 本音から言えばさ、易きに流れる世相。・・・ヤクルト販売より、高率だと思うんだがね。如何だい、俺と組むかい?」

「本当に、男は何を考えて居るものやら。そんな箸にも棒にも引っ掛からない変態男は、<写真付きで報道>して遣らなきゃ駄目ですよ。妄想するのは自由ですけど、行動に移したらRさん、外歩けなくなりますよ。
 ヤクルト飲んで、整腸作用・整脳作用をケアし無くちゃ駄目ですよ。安易に流されて、個人の自由で遣りたい放題だと、世の中、漫画の世界に為るだけですよ。確りして下さいよ。おほほ。」

「俺は婆さんの仕込みが良くて、自制心・克己心に優れているから好いけどさ。世の中にぁ、妄想実行予備軍がワンサカ居るんだから、ママさん、慈悲深い観音様のお勤めでさ・・・積極果敢に開拓して回るのも、現代の社会貢献だんね。あい~。」

「パスパス、<ヤクルト契約に、一枚パンツ買わせて>なんて迫られたら、身も蓋も無いですよ。即、風邪引いちゃいますよ。アハハ。」

「そう来たかい。そりゃ、神代の時代からの<女の被害妄想狂>ってもんだいね。最初の頃は、こんな話なんか出来無かったのにね。若しかしたら、化粧の下の『地金』が出て来ちゃったかいね。イッヒッヒ!!」

「ええ、Rさんの毒気に当たって、何年でしょうかね。<毒を喰らわば、皿まで>ですからね。あい~。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇやね。素地を花開かせるのが、ロートルの務めですがな。ギャハハ。」
 
 いやはや、これもお天気さんの有り難い御心の内なのであろう。はい、雨の暗さから解放されれば、人間の気持ちにも日が差すと云う物である。然りとて、人間、魔が刺したら、御用の悲劇である。

 好いお天気さんに、呆け話にすっかり和んで仕舞った。さてさて、<虫眼鏡老人・その10>も打ち終えた次第であるから、昼散歩などを取り入れながら、本日は小編挿絵なんぞを描くと致そうか。ギャハハ!!



心何処ーショート 晴れも、足早やに暮れ行く為り。
                晴れも、足早に暮れ行く為り。(10/21/13)
 靄って居た空は灰色を薄めて、空色に為ってお天道さんの御出馬である。お天道さんの輝きは、嬉しい物である。

 朝食後は掃き掃除をして、風呂に入る。本日は股引無しで在る。台所の洗い物を片付けて、郵便局経由で米屋さん、個人スーパーを回って来る。帰って、お天道さんの輝きに、洗濯をして干す。鳥籠を軒下に吊るして日光浴、キリギリスケースは、軽くスプレーをして、廊下で日光浴をさせる。

 四畳半定位置は、久し振りに窓を開けて居る。ラジオの国会中継を流しながらのマイタイム。友は、差し込む光に魚鱗を輝かしてユラユラ泳ぐ金魚達である。パラパラと餌を撒いて遣ると、直ぐ様浮いて来て大口でパクパクと吸って行く。

 予報では昨日13℃、本日は23℃に上昇するとの由。暖かいに越した事は無いが、こんな温度差は願い下げの段である。

 それでも、秋の日差しを受けて、この時期の蝶・黄土色のタテハチョウが飛んだり、赤トンボが見える。ピー、ジュクジュクと久し振りに、シジューカラの声も聞こえる。昨日は寒い終日の雨日であったから、昆虫も鳥も、空腹でウズウズして居たに違いあるまい。

 昨夜は好い調子で小編が進んで、大体のフレームが出来た。後は読み直して、ボチボチ打ち加えて行けば、まぁまぁのボリュームに為ろう。現在8頁である。

 日々の日誌代わりのブログ文章と、纏まった一篇を時々の宿題に持つと云うのは、強弱、けじめが付いて、何かと頭の整理、活性化に資する物である。

 さてさて、買って来た菓子パンで、昼と致そうか。再び、空は薄雲に覆われて来てしまった。キリギリスの餌が無い。私も、散歩方々、果物、煙草でも買いに行って来て、仕切り直しと致そうか。

 マイバツクを持って、個人スーパーまで河川敷を歩く。紅葉の早い欅には1/5程の赤味が進行して居る。空にはトンボが群れ飛んで居るし、モンシロチョウ、シジミチョウが地表近くを飛んで居る。川相も、大分変わって来て居る。来シーズンのポイントも様変わりで在る。好天が続けば、暇潰しに探って見ると致そうか。

 個人スーパーは、見て呉れは悪いが、安い値段で地元野菜で一杯で在る。里芋の皮を剥いたり、土を落したりしないと行けないが、時間だけは充分にある賄い夫である。従って、野菜類は地元野菜で充分である。ロートル賄い夫の付加価値は、一重に手間暇の産物である。へへへ。

 レジの先輩が彼是と料理指南をして下さるから、帰りのバックの重さである。帰りは住宅の中の道を、各お宅の花々を見ながら歩いて来る。町内には大学生相手のアパートが何棟か在る。人声に目を遣れば、同棲らしき学生が折り畳み自転車を下ろして、私を抜いて行く。いやはや、女子学生の乗る自転車は、全く実用に供し無い<アクセサリー小輪自転車>で在る。

 他人の恋路に石を投げ付けたくは無いが、親の脛齧りの分際で、何を生意気に<個権の振り回し>か。親がこの実態を目撃したら、どんな顔をするだろうか。だらしの無い男女の仲とは、だらし無き絵でも在る。夫婦別姓に離婚、婚外子の平等相続、日本は日本人だけの日本では無い。権利・権利、自由・自由、個権の振り回し三昧のご時世である。

 国会中継を聞いて居ても、身形は立派でも魅力の無い口調で物を言っているだけである。饒舌に長けた連中が、こうも幅を利かせて来るとパフォーマンスにしか過ぎない様である。

 言葉を多投すればする程、人間力の重みが無く成って来るのであるから、人間とは可笑しな生き物である。まぁ、愚にも為らぬ長駄文を打って居る私の文章とて、同様ではあるが、私の場合は一円たりとも稼いで居ないのであるから、得にも害にも為らないブログ樹海の辺境地での<個権の趣味>でしか無い。国会議員の先生方の負う責任とは、異次元のウダ打ちなのである。

  さてさて、カブとアラ、鳥皮の煮物の味調整をして、火を止めて来ると致そうか。

 どれどれ、先ずはスプーンでスープを一掬い。好いじゃ無いのさ。鳥皮の油が、コクを載せているでは無いか。晩飯の時に、火を入れればコクが増す。じっくりとカブさんや、味を浸み込ませて待つべしである。

 軒下の鳥籠を所定の場所に戻して、本日分の日誌は、これにて終了。後は夜の部で、小編のお手入れでもして置くか。空は完全に、灰色雲に占拠されて仕舞った。


心何処ーショート 明日からは、10月も下旬である。
              明日からは、10月も下旬である。(10/20/13)
 深夜から降り出した雨は、強弱の違いは在れど、間断なく降り続いて居る。日曜日であるから、寝床でラジオを聞きながら、老母の動きを待って台所に立つ。寒さにとうとう昨日から炬燵の入った部屋である。テレビでは古屋大臣の靖国秋の例大祭参りが報道されて居た。

「飽きもせずにマスゴミ女キャスターが、物知り顔でほざいて居やがる。婆さん、あれかい、俺が春秋のお彼岸・お盆にオヤジの墓参りに行っても、テレビにぁ全然映らんが、戊辰戦争以来の国の斎場・靖国さんに行くと、ヤイのヤイの騒ぎ立てて、両脇の父ッアン小僧が知たり顔の外交懸念をコメントする。如何考えても、可笑しな国だね。
 お彼岸・お盆には風物詩として、お墓参りの模様が、カメラを退いて全景を映し出す。それだけで良いんじゃないの。当たり前の事は、風物詩として風景として映せば好いんだわさ。それを四の五の言うから、汚ない報道に為るんですがな。ハハハ。」

「こんな下らん事を、ジャーナリストの心得として教育して居るんだから、<自虐の徒の養成所>ってなもんだわさ。たかが英語が話せるだけで素養・知性のシンボル職業だと思って居るんだから、鼻もち為らん連中だわさ。」

「おっ、今度は伊豆大島かいな。被災者さんには悪いけどさ。船から見たら海に突き出た火山島だからね。火口が剥き出しに為って居る神津島なんかと比較して見るとさ、きっとあの剥き出しの草木一本も生えて居ない荒々しい火口が、何百年・何千年かで樹木に覆われて現在の大島が在るんだわさ。
 黒潮滔々と流れる海洋に、人も登れないほどの凄い傾斜で、島々が配置されて居るんだわさ。クルージングには、雄大な海洋の景観なんだけどさ。ああ云った島々平らな部分は、何百回と無く土砂崩れを積み上げて現在の平場を形成して来たんだろうよ。」

「火山島のお山は一様では無いから、島の周りが一様な平場誕生と云う訳には行かず、ほんの何ヵ所かの平場形成を呈して居るって事でしょうが。とどの詰まりが、平場の後背地は土砂崩れ多発地帯ですがな。言って見りぁ、平場と危険は表裏一体の産物ですがな。現代土木技術を持ってしても、自然を克服する事は出来ませんわ。」

「諸条件の制約の中で、人間の営みは営々と築かれて来たんだから、これとても苦しいには違いないが、乗り越えて自然と共生して行くのが、生きる事の本義だと思うんだけどね。その人間が引き受けなければ為らない諸般の事情の中に、靖国さんへのお参りも在るんじゃないの。」

「こんな事を言ったら、被災者さんには殴り殺されるだろうが、百年のスパンで見たら、致し方の無い<必然の繰り返し事>なんでしょうな。
 此処のちっちゃな川だってさ、お江戸の頃の治水事業として、川の流れを引き直したんだってさ。」

「でもさ、何千年も通って居た川の流れは地下水脈と為って居てさ、お城近くの一帯には昔の流れを汲む地下水が湧水として、ポコポコ噴き出して流れて居るんですがな。悠久の時を刻んだ水脈と人口の水脈との違いは、いざと云う時に出て来ますわな。人間だって、若い頃は気に成らなかった古傷が、歳を取れば、季節によっては疼くもんさね。」

「そんな事よりも、一ヶ月強で台風が11個も発生して居る事の異常性、竜巻の発生に就いて、テレビは特別番組を組んで高質な番組を作るべきだと思うんだけどね。」

「さてさて、今日は一日中、雨降りだってよ。暗く寒い日は、ベットの中が定位置だよ。目薬落して、鳥の世話でもするわいな。風邪引くなよ。」

 目薬落しをして、玄関鳥の世話をして四畳半定位置に座って、インスタント・コーヒーを飲む。またまた、雨が音を立てて降って来た。へへへ、気分滅入る四畳半で在る。

 ポットを持って二畳小部屋に移動である。こんな滅入る日は、ポータブルヒーターで部屋を暖めて、雨に打たれる庭の風情などを眺めながらのPC打ちしかあるまい。

 インターネットに繋がって居ない旧PCではあるが、大変にご厄介に為ったPCである。機械物は、使って遣らねば埃が溜まるだけである。本日分を此処で打って、メモリーチップで移せば良いだけの事である。

 無風の雨に打たれて、緑が蘇って居る。白い滴を溜めた松葉の呟きは、如何なる物か・・・。サツキ、山ツツジの緑の中から、小菊の黄、白、小紫の小さな色が、可愛くも哀れの風情である。ジャンボのマツバボタンは、花弁を収納して冷たい雨を堪えて居る風情である。蝶もトンボも、雀も見えず。

 こんな日は、四畳半に居るよりも、二畳小部屋の庭眺めの方が、様に為る次第である。明日からは10月も、下旬である。過ぎ行く月日の速さに戸惑うばかりの日々である。とほほ。

心何処ーショート これも、吾が一日為り。
                 これも、吾が一日為り。(10/19/13)
 いやはや、寒く成った物である。温度環境に慣れるまでには、人間の身体は一週間程度を要するとの事であるから、致し方の無い次第では在るが、身体が縮こまって仕舞うのは困り物である。同時進行の小編も座っているだけで寒さに、根が続かない有り様である。

 コーヒーも直ぐに冷えて仕舞う。出るは鼻水なのであるから、気分がシャキッとしない限りである。

               一気の寒さに 鼻水垂れり
               見上げる曇天に 気は委える
           定まらぬお天気さんに 吾はやれやれの段なり。

 妖怪様も食事以外は、ベットの中で顔だけを出して居るだけの『音無しの構え』で在る。それでも一応は親であるから、<風邪を引かない様に温かくして遣れ>との仰せである。

 この処、玄関鳥は菜っ葉の下ろ抜きを頂戴して、寒い時は藁巣の中で番いで温まって居る。<ニャロメ、当て付けがましい限り>である。日差しの無い廊下のメスキリギリスは、未だしぶとく生きている。為らば、慈悲の心ぞ。足元のフットヒーターの上に乗せて遣る。

 今日は、外へ出るのも億劫であるから、家の中をうろうろしている次第である。重い腰を上げるのでは無く、何か思い付けば即動く事にして居る。水槽に補給水を入れたり、何か無いかと思案したりである。へへへ、家の中で歩数を稼ぐ魂胆である。

 何もする事が無いと、私も妖怪様同様に、布団の中に潜り込んで仕舞う。布団の中で本でも開けば、数頁を捲っただけで、頭から布団を被って寝て仕舞う。是、ナマクラ者への誘惑である。寒い日は<古典的省エネ>で布団の中が一番では在るが、布団の中に入れば『習い性』で、確りと熟睡して終う。そう為れば、夜が寝付かれない結果と為って仕舞う。

       夜をモンモン、昼寝で熟睡で在っては、<是、本末転倒の様>である。

 汲み置きの川水を水槽に補充して、川から汲んで来る。庭の柿の落ち葉を熊手で浚って、草置き場に載せる。落ち葉を溜めて冬を潜らせて、春の土混ぜに供すれば、一応の循環が叶う次第である。

 そんな事をしたり、とうとう物に為らなかった生姜を掘って見ると、小さな小カブが辛うじて一つづつ付いている。種生姜は未だ生きて居る様なので、土に戻す。そんな遊び事をして居ると、寒さダウンと思って居た藪蚊に何か所も喰われて、スキンヘッドにムヒの擦り込みで在る。

        生き残りキリギリスには悪いが、往生際の悪い蚊の野郎共で在る。
 
 まぁ、是とても彼等のDNAに深く刻まれた刻印の為せる『宿業』なのであろう。キリギリスを飼って居ると、オスキリギリスは命尽きるまで、ボロボロに成った翅を擦り合わせてギィー、ギィーと死んで行き、メスはヨロヨロしながらも、産卵管を土に挿そうとして居るのである。

     其処へ行くと、人間は<中途半端な生き物>なのかも知れぬでは無いか。


心何処ーショート 外パッパも、寒く為った物である。
               外パッパも、寒くなった物である。(10/18/13)
 朝の晴れ間も、スタバに行く頃には一面の曇り空の、うすら寒さである。女にして置くのが勿体無いのスタッフさんは、髪を切ってニコニコ顔の応対で在る。意味あり気な笑い顔が、何んとも早や、武者ぶり付きたくも為りまするわね。へへへ。

 翻訳コーディネーターとはどんな仕事内容かと、Tへの質問に始まったコーヒータイムである。日本語の基本は、てにをはを明瞭にした5・7語調で在る。直訳を如何に日本語とするかは、難しい。大学の時には如何云う訳か・・・英語が必修科目で在った。

「あなた、それじぁ、日本語に為ってませんよ。高校の英語授業は、為ってませんね。」と、教授先生には、よく皮肉を言われた物である。

 T曰く。
 50音文字の日本語と26文字のアルファベットじゃ、仕方無いだろう。言って見れば、10cm、1m単位の英語と1cm、1mm単位の日本語とじぁ、日本人の感性に合った翻訳なんか仕切れんだろう。日本人の情感に馴染む様な翻訳をするなら、何度も通読して、その世界を今度は、日本人の感性で組み立て直さない限り、文学を理解する事は出来んだろうさ。直訳してOKは、業務連絡の範疇だろうさ。

★いやはや、言われて見れば、そうである。何十年か前、<カゴメのジョナサン>なんて小説が世界ヒットして、日本では大作家の五木寛之が創作翻訳とやらで、出版してヒットしたものである。

 お天気さんは優れない次第では在るが、二階席は美人さんが二人居た。二人も居ると、お互い、目がキョロキョロしてトーク精度が、緩慢に為って仕舞う。遺憾いかん・・・

 テレビで国会中継も始まった事でも在るし、華々しく再デビューした安倍・麻生双頭政権では在るが、国民目線と施政目線との乖離が見え始めて、狼少年為らぬ<狼壮年>などとの陰口も叩かれ始めて居る。そんな世評への感想交換をしたり、野球が終わって、<相棒>、<科捜研の女>が始まって、テレビドラマの感想などを交換し合う。

 私は就寝前の時間を鬼平犯科帳に当てて居る次第で在る。小説派のTは火盗改め方の密偵にスポットを当てた小説が在って、お気に入りの本だと言う。女房、子供を人質に取られて、使い捨てにされて行く密偵達の悲惨さが描かれているとの由。

★<ふむふむ。然も在りなむ>の裏面小説なのであろう。江戸時代の前の戦国時代では、軍事同盟と云っても、力の差はもろに人質に依って、人的担保が保たれる。拷問は一過性の物で、担保を取るには人質が幅を利かせるのは、力全能の主従の常識だった事に相違あるまい。増してや、密偵の前身が相敵対する改め方と盗賊の関係なのであるから、当然と云えば<当然の差し出し物>であろう。

 Tに言わせると、戦国時代、江戸時代を題材にした小説群は、嵌り込んだら抜け出せない<面白さ>が在るのだと言う。

 へへ、Tの奴は、1cm、1mm単位で、タイプ煙草を燻らせながら、時代小説を読み進めて居るのだろう。

★これは、好い話を聞いた物である。今夜は、鬼平さんの目配りの中に、鬼の強かさを観賞して見ると致そうか。

 蛇の道は蛇。鬼の道は鬼。密偵に密偵を付けて、裏を取る。人を束ねて、組織を動かす<改め道>の光と影。安部・麻生双頭の政治道は、果たして念願の戦後体制打破の<憂国の国士>か、はたまた<鬼のアメ平>か。

 踏絵はTPP、靖国神社参拝を乗り越えて、戦後体制の牙城・占領限時憲法の廃棄・改憲の緒に付けるか否かである。周辺国・占領国への配慮・配慮だけでは、折角の機運が絡め捕られて行くばかりである。

 さてさて、尿漏れは失態の沙汰である。小走りで連れションをする好色ヤクザもどきのロートルコンビで在る。

 いやはや、外ベンチの一服は、寒い沙汰である。ホームセンター、スーパーに寄って帰って来る。


心何処ーショート 嗚呼、出端を挫かれて候。
                嗚呼、出端を挫かれて候。(10/17/13)
 好いお天気さんである。川の流れは正常に戻って、清らかに川底を見せて流れている。一周りして来て、さぁ、朝の賄いとちゃぶ台にオカズを並べて、炊飯器の蓋を開けたら。
何と何んと、水に浸った米が在るのみである。

 いやはや、とんでもない粗相を仕出かして仕舞った物である。ニャロメ・・・朝から、インスタントの焼きそばと相為って仕舞った。

 妖怪様曰く。
「色んな事が在っての生活だよ。人生に失敗は付き物だよ。」

 いやはや、軽く慰められて、俺ぁ、何も言えませんがね。如何云う訳か知らんが、今度は瓦斯コンロの一方が付かない。電池を交換しても駄目で在る。

「駄目な時は、色んな事が重なるもんだよ。」

 完全に一日の出端を挫かれて仕舞った。好物の国会中継が始まったので、妖怪様の部屋で拝聴する事にする。本日は参議院の自民党脇先生の代表質問で在る。参議院自民党では、中曽根、脇先生の話は真に堂に入って、これぞ選良・知性の参議院の先生の観がする次第である。

「立派な人だね。総理の風格が在る。」

 さてさて、仕切り直しで在る。男は口に出した以上、行動が肝要である。自転車でスーパーを往復する。

 平日昼のスーパーは年寄りだらけで在る。年寄りであるから、動きはスローモーである。時間を掛けて、パックを選んで籠に入れる。運動方々、歩いて来る年寄りが多いのだが、これも住民生活の一コマでも在る。スーパーの時間帯には、其々の光景が在るのだろう。こんな処も、人間生活の面白さでも在る。

 一人暮らしの長かった吾が母も、こんな風に日常を送って居たのだろう。後十年もすれば私も、この一員と為るのだろう。へへへ、時は平等に流れて行くのであるから、仕方の無い事でも在る。

       完了して、電話を一本かける。これで、良し!! マイタイムに移行である。

 上天気の秋の景色は、真にのんびりとした光の溢れ方である。住宅地の農園には、リンゴがたわわに赤い実を輝かせ、家々の庭には黄橙の柿の実が光っている。畑には野沢菜、大根、白菜が、柔らかな緑の色を見せて伸びている。黄土色のタテハチョウが、秋の中にヒラヒラ飛んで居る。裏道は歩き、自転車の道でも在るからして、目は自由である。新築外装塗装の家が二軒ある。空は青空、形のぼけた羊雲が空に載っかって居る。

 例年なら、嗚呼、柿採り、皮剥き、吊るし柿の作業に辟易とする感想であるが、今年の吾が家の柿は、物の見事に全滅状態である。辛うじて、甘柿が数個付いているだけである。今年は、個人スーパーから柿を買って来て皮を剥いて、大根干しの様に並べるしか手立ては無かろう。柿の皮は沢庵漬けの必需品にして、干し柿はスタバトークの大事な添え物である。そして、それ等は閉じ籠りロートル賄い夫には、季節の時間割の一つの置かれている次第なのである。

 さてさて、午後は廊下の日向で読書でもすると致そう。お天道さんの温もりが欲しい季節と、一気の早変わりで在る。


本日の一枚
                     妄想曲線
                   妄想曲線

 すっかり寒く成りましたね。遣る事が無いと云って、こんな戯け画を描いて居る様じゃ、面目次第も在ったもんじゃありませんわね。それでも、こんな物を良い年をかっぱらって、何かと思案顔して遊んで居るのも、悪くは無い物で在りまする。何の意味も無い戯け画です。アルタミラの洞窟絵為らぬ四畳半絵で在りまする。さてさて、女体曲線から、如何なる妄想の扉が開く事やら・・・是、全て個々人の自由で在りまする。ギャハハ。

心何処ーショート 晴れたのも束の間、さてさて、何をすべぇか。
             晴れたのも束の間、さてさて、何をすべぇか。(1//16/13)
 昨日は終日、よく降った物である。朝も降って居たから、傘を差して川の様子を見る。降った割には、然程の流量では無かった。

 テレビでは台風の惨状を放映している。台風が去って青空も顔を出して来たが、今度は台風余波の風が強く巻いて来た。庭に出ると、木の葉の散乱たるや、凄い物である。家庭菜園の子供達も、雨と風で惨めな姿を晒している。明日は、落ち葉掃きをするしかあるまい。

 環境、風雨に強い小菊は蕾に白、紫、黄の色を貯めて、近日中の開花の模様である。咲き始めたら、仏壇に供えて遣ると致そう。土手から川を見れば、濁流も大分退いて来て、薙ぎ倒された葦がギブアップの様相を呈している。

 河川敷をロートル男が一人、風に逆らって歩いている姿が在る。きっと終日の雨で日課の散歩運動が叶わ無かったので、体内に疼く運動細胞に突き動かされての物に違い無かろう。

 それでも、松本は周囲を高い山岳で守られて居るから、台風の直撃を受ける事は無い。冬の寒さこそ大変では在るが、恵まれて居る。

 何んと無く、BGMのラジオの流れにインスタントコーヒーを飲みながら、煙草を口にして居る。上空の雲は風の為すままなのであろう。日が照ったり、陰ったりで南天を揺らす風は、時折、唸りを発して居る。

 漸く私の重い腰もムズムズして来て、掃除をしたり、終日の寒く鬱陶しかった玄関鳥達にも、外の空気を吸わせて遣る事にする。吾が老母状態のメスキリギリスも、廊下の日向に当てて遣るべし。序でであるから、鋏を持って庭の小菊を切って仏壇に供え、灯明を点して線香を上げて、チィ~ン、南無阿弥陀仏である。ベットの顔だけ出して居る妖怪様は、そんな倅を見て、ニコニコしている。

 お菓子をポケットに、自室定位置に戻る。再び空は灰色雲に蓋をされて来た。さてさて、本日は、何をして時間潰しをしようか・・・ 偶には、お絵描きでもして見ると致そうか。

 そんな事をしようと思って居ると、国会の代表質問が始まった。やれやれ、する事が出来た。老母殿の部屋でお茶を飲みながら、拝聴して参りましょうかね。


心何処ーショート 寒けれど、待望の雨なり。
               寒けれど、待望の雨なり。(10/15/13)
 老母の部屋から声の弾みで在る。倅ファミリーが来たのだろう。吾が家の玄関は他人用で、何故か家の者は昔から廊下から上がる。先月は留守をして居たので、二カ月振りの孫との対面である。またまた、成長した物である。言葉の数の多さに、ビックリ仰天である。

 オシメの取れた<もんぺ風のズボン>が好く似合って、面白い。孫は玩具の仮面ライダーを、廊下に走らせてきゃっきゃっと喜んで居る。倅は灰皿を廊下に、寝転がって煙草を吸って居る。廊下は好い遊び場に為るから、孫お気に入りの空間である。そんな姿を見ると、倅の小さい頃を思い出す。へへ、私も廊下で遊んだ餓鬼である。

 好い天気で在るから、孫に川で釣りを見せる事にする。ソーセージを餌にバケツを持って河川敷に下りる。流れが変わって居るから、堤防階段に腰を下ろしての小竿釣りである。川を覗くと、誰かがペットボトルを細工してウケを沈めて在る。其処に何匹かのハヤが入っている。その横にはサワガニの死体が一個ある。

 ソーセージの餌に小ハヤが群がって、餌をつつく。スイスイと三匹が釣れて、バケツに入れて遣る。孫は母親と覗き込んで大はしゃぎで在る。さてさて、一匹をハリ掛けさせて遊ばせようとするが、如何した事か・・・失敗の連続である。内心、大焦りで在る。やっと、ハリ掛りして小竿を孫に渡す。

 この世に生を受けて、二年半弱である。竿に伝わる魚の振動など分からない幼児であるから、竿を上げたり沈めたりして、浮き浮きして喜んで居る。これでは、幾ら相手が馬鹿っハヤでも、堪らない筈である。外してバケツの中に入れて遣る。

 未だ未だ、孫はチンパンジーの領域である。バケツに顔を近づけて、知り覚えた言葉を駆使して、はしゃぎ回っている。そんな処に、同じ様な歳格好の孫二人を連れたババアが遣って来て、暫くバケツを覗き込んで遊んで行く。

 何事にも興味深々の幼児である。飼いたいと云えば、持って行くのだろうが、魚は直ぐ死んでしまう。為らば、サワガニをお土産にすると致そうか。小さなコンクリート斜面をタッタと下りて、私はサワガニ探しで在る。

 落差の在る流れの吹き出し口辺りの石コロ部分に足を入れると、ズルズルっと沈み込んで、危うく尻もちを付く寸前で在った。土石流とはこんな状態の為せる仕組みなのだろう。小石の下は砂で在るから、忽ちにして濁り水状態に為って仕舞う。尤も、水清き中のサワガニにしたら、<すわ、一大事!!>とばかりに、姿を現わして呉れるので此方は儲け物となる。

 生憎、大きいのは居なかったが、小さいのが四匹取れた。カニさん、カニさんと言葉でははしゃぐが、からっきし度胸の無い幼児は、手で掴む勇気が無い次第である。

       ★この馬鹿垂が、家は由緒正しい男系である。オカマは仲間外れじゃい!!

 孫は父親にサワガニを見せると言って、バケツを持つ。共稼ぎのアパート住まいであるから、未だ飼わない方が好かろう。粕漬けは未だ早いが、タッパにナス、キュウリ、本瓜を入れて、持たせる。父親と倅は、サワガニを川に返しに行って来た。

 ご近所さんの幼児とジィジ、ババァの姿を見て居ると、幼児主体の我儘振り、大きな声が目立って、宜しく無い絵で在るが、流石に吾が倅である。気の短い私すら、安心して見て居られる躾け振りで在る。明るく素直で聞き分けの好い孫の姿を見て居ると、老母→私→倅→孫の譜系は、自然体で流れて居る様である。

『ジィジ、ババア、また来るね。アントンね(ありがとうね)。』のタッチで、孫は手を振って帰って行く。

 昨日は、ブログ姉様と好テンポの内容盛り沢山の長電話が出来たし、倅ファミリーの訪問を受けて、好い日であった。

           明けて本日、寒い次第では在るが、待望の雨である。

 火曜日であるから、細身の美人さん・ヤクルトママさんの顔も見れた。<寒いから、未だ布団が敷いてあるから、チョイと二人で温まろうか>とお誘い申し上げたが、<仕事で温まるから。>と、けんもほろろに断られて終った。仕方が無いから、メスキリギリスも寒かろうと、廊下からケースを持って来て、布土ヒートの上に置いて遣る。電話を見ると着信アリである。早速、電話すると、押し間違えたらしいとの事では在るが、M氏との電話話も出来て、好いペースで在る。

 へへ、毎日が日曜日の人生第二ステージに、彼は野良の子猫を飼い始めて、庭に来る小鳥達の多さを見たりのスローライフに馴染み始めている由。飛行場近くの田園環境には、キツネが出没して居るとの事である。従って、子猫は家飼いにする由。来週、定期検査が在るから、顔を出すとの事である。

         然しながら、インターネットの具合が悪く、往生して居る次第である。


心何処ーショート 分とは何ぞや。
                 分とは、何ぞや。(10/14/13)
 いやはや、朝夕はめっきり寒くなった物である。とは云え、10月も半ば近いのであるから、例年通りなのでは在るが・・・。これは一週間ほど、夏を思わせる様な『異な物』の挿入に依るものである。

 今年は、真に変な気象の連続で在る。長い酷寒が終わったと思いきや、4月の大雪に吾が家の柿は、全滅の憂き目に遭って仕舞った。それが短い梅雨が終わった途端、長い猛夏の行進。その後は9月半ばの台風18号で大揺れのクルージングで、神津島二泊の予定は、一泊も出来ずに逃げ帰って来る始末。それが現在、台風は25号と云うのであるから、1か月の間に8個も誕生して居る勘定に為る。

 このブログでも、何回と無く異常気象=気象新時代に立ち至っている感を打っている次第である。『地球温暖化危機』とやらの一時のCO2削減の機運は、リーマンショック後の世界経済低迷で完全に尻窄み状態である。

 2008年、テレビ中継の北京五輪のマラソンでは、首都北京の空は嘗ての<光化学スモック>を思い出させた。
 あれから、5年である。大気汚染は、とうとうPM2.5のハチャメチャ振りを<黄砂のオールシーズン化>として恒常化させて終っている。

 アヘン戦争以来の<積年のコンプレックス&恨み>が経済大国浮上を機に、形振り構わずの領土領海の野心を形にしてあからさまに邁進する毒亜大国中狂。並びに輸出偏重路線が日本の円安に依って、国際競争力が一気に萎んで経済危機すら取り沙汰される火病半島国が、毒亜圏の実態である。

 大陸進出企業への気違いじみたデモ、焼き打ち、暴徒の略奪は無くなったとは云え、毒亜国政府の報道官に依る日本へのヘイトスピーチ同然の騒ぎ立ては、今や常道を逸して居る有り様である。

 そんな毒亜三国は、何事に於いても<気違いじみたあからさま>がお家芸・中華思想の証らしい。全く以って、火病に付ける薬も無ければ、飲ませる薬も無い。口では、ナチスドイツを悪魔の権化の様に引き合いに出すが、第二次大戦を引き起こさせる直接のナチス台頭を産んだのは、第一次大戦に於ける戦勝連盟国の敗戦国ドイツに対する天文学的賠償地獄であろう。歴史を俯瞰すれば、そう云う事で在ろう。中狂国・半島国が日本叩きをするのなら、少しは第一次大戦敗戦国のドイツに親和性を感じても良かろう物を。自分達だけは愛国無罪を主張して、ゲルマン民族愛国無罪には、悪魔の行いと糾弾し捲る脳細胞たるや、到底、歴史に対する素直さがまるで感じられ無い次第である。アハハ。

 97に為る老母と云うか妖怪殿との親子水入らず?の日々を送って居ると、此方も無味無臭と云うか、人畜無害の生き物に退化して行く物らしい。妖怪殿は、仏壇、神棚の在る8畳の住人である。ベットと古びたちゃぶ台とテレビが在る。仏壇の上には、母の父母、親父、長兄、三兄の遺影が掛けられて居る。

 倅の私は三度の食事を用意して、その部屋で食事をしてテレビを見ながら、ご機嫌伺いの漫談をしている。それが終われば、台所で洗い物をしたり賄い作りをする。食事が終われば、妖怪様は体調が良ければテレビを、其の儘見る。体調が優れない時は、ベットに身を横たえている。

 私の日課と云えば、朝起きて玄関の自転車を外に出して、庭を一周りして家庭菜園から味噌汁の具を取って、一応の真似事掃き掃除をして玄関鳥の世話をする。食事、ご機嫌伺いが済めば、通りに面した四畳半定位置でPC相手に時間を過ごす。気分変えには庭に面した二畳小部屋で時間を過ごす。眠く為れば、四畳半隣りの八畳で昼寝をする。テクテク散歩をする。
 
 母と倅の関係である。男と女との性差が在るから、ああだこうだとの長話が出来る訳でも無く、増してや手を摩ってのスキンシップ会話なども、出来無い相談である。

 歳の所為か、この何年もテレビ付き合いは疎かに為って居る。ロートルの感性には響かない<今時ドラマ>ばかりであるから、仕方が在るまい。然りとて、読書をする根気も失せて居る。

 そんな次第で、YouTubeで古い映画を見付けて、古き良き時代を観賞して居る。

 古き良き時代の映画に映されているモチーフには、ひっそりと且つ力強くも地に足が付いた社会規範と云った物が、脈々と息ついて居る。それらは、『分、情、けじめ、静と動』と云った物である。それらは日本人の価値観と云うよりは、日常生活・日常社会の価値観以前の常識・状態として描かれている。ロートルとしては、これは懐かしい日本の原風景を準っている安心感・和みなのであろうか。へへへ。

★分は、分を弁(わきま)える。分を守る。与えられた有限の土俵の中で、型に嵌る事で克己心を磨き上げる自己確立・完成・老成を連想させる。
 
★情は、大きくは万物への慈悲の心、人に対しては温情、惻隠の情、武士の情けを連想させて、地位身分での与えるべき情の許容範囲を連想させる。
 
★けじめは、責任論、罪の断罪、禊(みそぎ)、改心の前提を連想させる。
 
★神仏と鬼神の二律合一は、教え諭して、救える物は救う。教え諭しても分・情・けじめの何たるかを知らずして、畏れぬ物には、神仏は鬼神と化して、倍返しの懲罰を厳として下す。どちらも本質的には、表裏一体の神の姿である。

        鬼平犯科帳は、これら凡てを映像化した好作品シリーズで在る。
               
               何時の世にも、悪は絶えない。
 その頃、徳川幕府は火付け盗賊改め方と云う特別警察を設けていた。凶悪な賊の群れを容赦なく取り締まる為に、独自の機動性を与えられた、この火付け盗賊改め方の長官こそが、長谷川平蔵。人呼んで、鬼の平蔵である。

     へへへ、偶には是非とも観て欲しい真っ当な人間達のドラマシリーズで在る。


心何処ーショート 本日、連休中日為り。
                 本日、連休中日為り。(10/13/13)
 快晴にして、秋らしい温度で在る。布団でも干して置きましょうかね。一応、毎日掃き掃除をして居るのだが、よく埃が溜まるものである。

 コンニャローめ。こちとら、誇りも金も一切、溜まりゃせんわね。世の中、おかしいじゃ無ぇか!!

 昼の賄い夫を終えて、インスタントコーヒーで、青一杯の空を眺めて、一服のスモーキングタイムである。三連休の中日である。こんな昼下がりの一時は、ハスキーボイスの青江三奈さんのCDでも聴くと致しましようか。顔も声も、艶ぽいお人である。

          へへ、男も女も、歳と共に円熟味の味が加わるものである。

 金魚も玄関鳥も静かな物である。金魚のヤツが静か過ぎるから、餌を遣るとしようか。餌の袋を持つと、金魚達がスーと浮いて来て、口をパクパク水面に出して来る。

<こりゃ、慌てるで無い。昔から、慌てる物貰いは、上がりが少ないって云うんじゃい。この戯け共が。ニャハハ!!>

       大口で餌を吸い込んで、帰りに長い尾ヒレで水ジャバリを遣って行く。

 金魚達との四畳半生活も長い物である。金魚達が、どんな目で私を見て居るのか訊いて見たい気も在るが、翻訳機の無い次第であるから、無理である。而(しか)も瞼の無い金魚であるから、<目は口ほどに物を云う>の意訳も出来兼ねる次第である。

 そんな次第であるから、金魚の表情と云えば、まん丸の眼と口パクのコラボレーションから、彼等の脳裏を探る事だけである。時々、金縁眼鏡に黒目玉を此方に向けて、あんぐりとしたデカ口を欠伸状に空けて居る顔付を見て、私は以下の呟きを以って、深く諦観して居るのである。

★この野郎、生意気面し遣がって、誰に、飼われているんじゃい。分を弁えて、分を守るのが、この世の仁義ってもんだ。そんな事じゃ輪廻転生を何回繰り返したって、人間様にぁ、生まれ変わりゃせんぞや。手前ら、水で顔を洗って居る筈なのに、自省心ゼロだから、進歩が無いんじゃい。この馬鹿垂が・・・

 全く、雨から見放されて終った。さてさて、夕方には未だ間が在るが、ジョロ散水でもして参りましょうかね。双葉から本葉が日に日に伸びて、今や可愛い盛りである。小菊も小さな蕾を割って、色を見せ始めている。可愛い物、健気な物には、好物を与えるのが、家の主の仕事である。

 十月も半ば近くに生ると、暗く成るのが駆け足でヤンすからね。さて、重い腰を上げるべしである。


心何処ーショート 偶には常識・直観力の源泉を読むのも、是、涵養為り。
          偶には常識・直観力の源泉を読むも、是、涵養事為り。(10/12/13)
            
                快晴では在るが、風吹く涼しさである。

 昨日から、TのプレゼントしてくれたWILLを読む。私は小説は読まないが、この手の本は嫌いでは無い。保守系の読み物との事であるが、至極常識的な雑誌で在る。著述を生業(なりわい)としている諸氏群であるから、その文体も其々、使用する言葉も其々である。

 とどの詰まりが日下公人(くさか・きみんど)先生の持論<机上の秀才より、庶民には見えている。庶民は気楽なもので、常識と直観力で大抵のことは瞬時に分かる。>・・・流石に大先生である。

 喋る、講演する、著述を生業とする言論業界人であるから、何かと箔を付ける必要性が在るから、引用する原典・条約に就いては、年号・発言者・時代的背景に就いては、豊富にして事細かい次第である。これが、机上の秀才たる所以だろう。

 一方、それを読む庶民としては、机上秀才さん達の彼等特有の習性を<古今の歴史>からの挙証・傍証の退屈な引用の列挙>と見て仕舞うから、こりゃ硬くて堪らん・・・逃げの一手と為って仕舞うのだろう。
 然しながら机上の秀才さん達と云えども、腹が空けば飯を食べるのだし、食べれば大小便もする。男なら女が好き、女なら男が好き、勉強よりも遊ぶのが好き。苦より楽が好き。所詮、人間なのであるから、感じる事も考える事も、する事も大差無かろう。何も此方が浅学非才と相手を建て崇める必要など無かろう。

 その位の厚顔無知で気分だけは、フム、フム為る程・・・それで如何発展させて結論付けて行くのかなと『お付き合いして行く』事に為ろうか。

 従って、殊更、諂(へつら)う事も卑下する事も在るまい。十人十色の<活字寄せ>ですがな。一心太助では無いが、< お足は天下御免の廻り物。ちょいと蹴躓いただけで一々、無礼者で斬られたんじゃ、バシャクに合わ無ぇや。べら棒め、二本差しが怖くて、目指しが食えるか!! このとんとんちき。>位の開き直りが、取捨選択に長けた日本国民の民度で在りましょうかね。イッヒッヒ!!

 一庶民としては、何も学問・専門家としての知識を蓄積するなどと云った欲張りな気持ちも無いから、常識と文体、行間から発生する臭いを嗅ぎ分けて、直感的に<そうだろう>とか、<流石、血の通ったインテリさんだ。庶民の味方だぁ、拍手拍手!!>とか、<そうじゃ在るめぃ>とか、<そりぁ、勘ぐり過ぎだ>とか、<拘り過ぎだ>とか、<馬鹿こけ>の読後感を置いて行く。一心太助が、天下の公道で胡坐を掻いて斬れる物なら斬って見遣がれ!!なんて、威勢の好い啖呵を切る必要は無いが、下衆の突っ込みで書き手とお話するのも、『広義の自己研鑽』の内で在る。

 尤も、彼の大中狂国の毛沢東の無謬性・個人崇拝に依って、<土は深く耕せば耕すほどに収穫量が増す>などと大号令を掛けられて、それに盲従した結果が、土の土壌菌を殺して仕舞っての不毛の土を中国全土に蔓延して仕舞ったとの実績も在るとの由。

        過ぎたるは及ばざるが如しで、行くのが浅学非才の身の丈なのであろう。

 一応、大体を読み進めて見れば、公人大先生の知性に、一礼二拝三拍手の態に終わる次第なのである。

 この雑誌に所狭しと縷々書き連ねられて居る内容そのものは、至極真っ当で常識の線で在る。一説によると『保守とは、旧来の風習・伝統・考え方を正常な状態として保ち守る事』との由。<正常な状態を、俗に常識と云う>のであるから、このWILLに登場して居る内容は、云わば常識の範囲内に在る。従って、300数十頁の内容は、『常識は常識に強く響く』の証左でもある。

     <庶民は気楽なもので、常識と直観力で大抵のことは瞬時に分かる。>

 マスメディアの目線、耳線ばかりにアンテナを張って居ると、安易な刷り込み洗脳を受けて仕舞うのが、昨今の事情で在る。マスメディアの解毒剤として、偶には常識へのお里帰りは、精神作用の均衡を図る為には必要不可欠な処方箋である。

 真に以って、盛り沢山の雑誌では在るが、偶には日本人の一人として、『常識・直観力の源泉』に、目を通して置くのも、常識・直観力の涵養事では無かろうか。へへへ。


心何処ーショート 女にして置くのが、勿体無い。
                  女にして置くのが、勿体無い。(10/11/13)
 朝方、凄い風の音で目が覚めて仕舞った。廊下の戸は網戸にして在るから、雨でも降ったら大変である。戸を締めて、待望の雨の気配濃厚である。さてさて、起きて仕舞ったのであるから、二度寝する訳にも行かぬ。何時もより一時間半程、早い朝賄いとする。またまた、<雨は降らず>のお天道さんのお出ましである。

 安倍政権も、小一年に為る。毒亜国封じ込めの『ニュー大東亜共栄圏』への外交路線は、真に嬉しい限りであるが・・・ 長期デフレからの脱却、自虐史観からの脱却。毒亜国に依る対日ヘイトスピーチに対する河野談話、村山談話撤廃からのトーン・ダウン、消費増税、企業減税、靖国参拝への過度な自粛、TTPの米国への滲み寄りは、国際政治への自縄自縛からの脱却には、道遠しの政治の非力さ故なのだろうか。

 政治は有権者の投票行動に依って決定される。当たり前の事である。そして、実際の政治は、国民・組織・企業・地域・官僚で構成される国家の運営と為るのであるから、厄介この上も無い集合体と云うのが政治対象と為る。

 云うまでも無く選挙権を持つのは、唯一の自然人たる国民有権者だけである。一人の力では、たかが知れた事しか出来ない。人の手を借りて、『合力』で遣って行かねば拉致の行かないのが<人の世の常>である。その合力体が組織で在り・企業・地域体・国家機構と云う組織である。

 当然に、組織体にも合力体としての意思が在る。組織体に行為能力・責任能力を付与したのが、云わずと知れた『法人格』である。個人が一端、組織に編入されて終えば、個人の意志よりも組織の意思に従うのが、組織の行動原理である。現代の経済活動の主翼を為すのが、組織・企業である事は論を待たない。

<法益を得る人>に、二種類在って、一方は自然人としての人で在り、もう一方が法人で在る処が、厄介この上ない『代物』なのである。

 参政権と云われる選挙権と被選挙権は、自然人たる人が有する専属・属人の権利と義務である。一方、現代では<個人の上に立つ組織体・企業体にも拘らず>、法人格であるが為に、それ等は選挙権と被選挙権を持たない。

 従って、事、選挙に於いては有名無実が、その実態なのである。然しながら、法人格を付与されている存在なのであるから、当然の如く、それ等の代弁者は自らの税負担・雇用実績に依って、社会体としての『参政権』を高からに吹聴する。業界参政権行使は、しばしば<強固な業界圧力団体>として、彼等が持つスケールメリットを最大の梃子として、政治に物申す力を行使する図式を採る。

          これは、当然と云えば当然、矛盾と云えば矛盾である。

 古くを言えば、士農工商と云って、経済社会が進展して行けば、貨幣経済・信用経済の担い手の商人が幅を利かせて来る。
<御前様、例の一件、難儀を致して居りまする。誼なに・・・>
<なに、例の件じゃと。>
<世の中、魚心に、水心。深山名山の水には、魚棲まずと申しまする。>
<越後屋、そちも、悪よのぅ~。>
ウヒャヒャの袖の下小判、黄金色の饅頭と為る。

 一時の熱、選挙が終われば、自然人からバトンは法人に移行して仕舞うのが、経済・社会を駆動している実態である。世は歌に連れ、歌は世に連れ、経済は商人次第。国籍から離脱したグローバル企業は、拠点を変え、品を変えて、法人が私人を甚振り続け、1%が99%を制して、巨大にして抗う事も出来無い大旋風、季節風として、人間荒野を吹き抜ける。

          こんな自然人と法人の戦いが、現代の縮図で在ろうか。

 個は個にして、個に非ず。同心円の人間社会を構築しない限り、個人としての自然人と合力体としての<組織人の葛藤の迷宮>から脱する事は叶わない次元の物である。同心円の核たる倫理・条理・情・正義・家族・地域・国・公正・平和の普遍性・配分の心情が壊滅して仕舞えば、人間世界は荒野の大魔神が闊歩するだけの末法の世に為るしかあるまい。

 米はウオール街に占拠され、中狂は狂惨(共産)に走っているし、半島南部は、非生産・非建設的反日排日の<恨の、恨に依る、恨の為の>火病狂いを爆走して居るだけの様である。

 一過性選挙の民が、恒常的政治圧力団体の要求、圧力に抗する為には、一過性の選挙民が、恒常的な政治監視組織、政治圧力団体として組織運動をして行かなければ、一自然人たる国民・庶民の思いは、法人勢の軍門に下るのみである。

           こんな処まで打ち進めて居ると、Tのお迎えである。

 漬かり始めの本瓜の奈良漬の切れ端と、漬け物片を持って、車に乗り込む。助手席にはWILL11月号が置かれている。おやおや、『韓国滅亡論の特集号』で在る。

「おっ、こりぁ、塩っぺぇじゃ無ぇかい。」
「あいあい、今年は暑いぜね。たんと塩利かせとか無きゃ、端から湧いちゃいますがな。薄く刻んで、塩分調整してお呉れや。その位の生活の知恵は持ってるズラよ。」
「薄く刻んで、お茶づけにすると重宝するからな。サンキュー。」

 いやはや、本日は、暑い。スタバの二階席は夏の様な暑さである。途中で、相想の好い若いスタッフさんが来て、<暑いでしょう。クーラー温度下げて置きますね。>と声掛けに来た。

 彼女とはセクハラトークもご法度では無いから、此方も来たを幸いに好色ヤクザもどきの目をランランと光らせ、頭のテッペンから爪先まで、舐め回して・・・

「やっぱ、笑って目を細めた、その顔が何んとも好き者顔で、此処ら辺がビンビン来ちゃうね。色っぽいわ。女の身体は、ぽっちゃりヒップの柔らかさ、笑顔の柔らかさが無くちゃ行けませんがね。それ以上、痩せたら艶を損ねるぜね。あい~。」

「またまた、そんなに褒めて貰っちゃって、如何しましょう。オホホ。」

 彼女は黙って仕事をして居ると、隙の無いバリアが掛って居るのだが、言葉を交わすと、何んとも目と唇の綻び加減が、大らかな色を為す。肝心な処は、<アハハ、オホホ、まぁまぁ>でかわすタイミングが、とても好いのである。こんな風にかわしの才は、天賦の物なのだろう。その軽いかわし振りが、私としてはツイツイ軽口を注ぎ足して仕舞う次第である。

           真に女にして置くのが、勿体無い限りの娘さんである。

 まぁ、<気の置けない男用語>からすると、私達同様に、先天的好色の性質に違い在るまい。普段はT同様の読書をする娘さんとの事である。

 本日は、冷蔵庫に食材が溜まって居るから、財布には補充をして来なかった。ホームセンターで500円DND<古城と宮殿をたずねて>だけを買う。Tは買う物が在ったのだが、思い出せ無くてパスとの事である。←へへへ、歳は取りたく無い物である。

 スーパーでは、孫用のミニパック綴りの菓子類と夜食用の袋焼きそばを買う。お互いの爺っさ、婆っさの悪口を交換しながら、レジ袋を提げての好色ヤクザもどきの連れ歩きである。

 いやはや、本日は、完全なる夏日の暑さである。常道を逸した物は、兎角、癪の種である。

 パタパタの音に、窓辺に目を遣れば、金髪お嬢ちゃんである。その後ろにザックを背負った白人夫婦である。町内の民宿旅館の泊り客なのであろう。こんな住宅街の細道を抜けて来る処が、流石に白人さんの行動である。好いですなぁ~。たんと日本人の平均的暮らし向きを見て行って下さいませや。アハハ。


心何処ーショート 友、帰る為り。
                 友、帰る為り。(10/10/13)
 天気予報さんの雨は、この処、外し放しである。ジョロ散水が夏同様に復活して仕舞ったから、困った物である。何しろ、この数日は暑い。そんな次第で、夜散歩に逆戻りをしている次第である。

 昨夜は空の半分が晴れ渡り、星が好い輝きを呈して居た。色彩の無い夜散歩で在るから、大分小さく為ったコウロギの声をバックに運動量を稼いでいるのであるが、丈の伸びたコスモスの葉は、<本体大事>とばかりに、半分ほどを枯らして居る有り様である。

 そんなコスモスの繁りを見て居ると、蕾を膨らませて来た小菊には、セッセと水遣りを施して遣らねばと考える。何事に就けても<仕える身とは、苦役が付き物>の様である。とほほ。

 昨夜は美味いチキンカレーを仕込んで置いたから、火を通せば朝賄いはOKである。風呂残りを使い切ろうと、ジョロ散水に勤(いそ)しむ。

        水遣りで、活き活きとして来た小菊の蕾を見ると嬉しい物である。

 イチゴの白い小花が幾つも見える。菊、イチゴは、乾燥に強い植性では在るが、矢張り水分を得ての瑞々しさが『植物の形』と云う物である。小さな畝三個には、大根、ホウレンソウ、シュンギク、カブなどの種類を見せて来た若芽が生育して来た。

 武骨な手で触って仕舞えば、立ち処に萎れてしまいそうな、まるで赤ん坊の様な幼緑の瑞々しさである。

 奥の山ツツジにも、狂い咲きの赤花が数個付いて居た。土の乾きは平等である。
『エコ贔屓は、人間として在るまじき行い。是、全てお努め為り。』・・・そんな自省心を呟きながらして居る間に、結構な運動と相為った。

 カレーを温めて、ちょっと大目によそって遣ると、ゆっくりゆっくりと食べて居る妖怪様である。へへへ、美味かったのだろう。完食の態で在る。

 さてと、浴槽を洗って、塩漬けのナスを水洗いして粕附け用にネット干しをする。こう遅くまで暑さが続くのは、漬け物にとっては鬼門である。長持ちさせる為には、塩はキツ目にせざるを得まい。まぁ、漬け物の本義は保存食である。止む無し・・・である。

 漬け物好きの弟に進呈すれば、塩がきついと講釈を頂戴して仕舞う事、必至である。嗜好のチョイスなどと云った物は、所詮、諸般の余裕から出て来る代物である。嗜好の前に、保存食・漬物の本義が在るのである。本末転倒は、奥義に反する。ギャハハ。

          おやおや、着信在りであるか。ブログ友・SNさんからである。

 夫婦のイタリア旅行から、昨日帰って来たとの由。現地随行員は、スケジュールこなし先行で、盛り沢山の観光スポット周りで、強行軍で在った由。飛行機の旅は12時間で在ったそうな。

 彼は、コロシアム見学時には、彼の誕生祝いとして挿絵入り小冊子にしてプレゼントした<私的歴史考>の行を準(なぞ)って呉れたと云う。←へへ、お役に立てて、嬉しいでヤンスわね。

 嘗て地中海は世界の海・覇権を競った海、四大文明・メソポタミア文明、エジプト文明が、地中海と云う世界の海で、揉まれ混淆し合って新たな文明の<駆動力>と為って西洋文明を築き上げて行った諸々の歴史の舞台だったとか、エジプト一国がローマ皇帝の私有財産だったなどのエピソードを思い描きながら、奴隷闘士の殺し合いの場、キリスト教徒殺戮の場・コロシアムを見学したと云う。

 彼は水彩画描きを人生第二ステージとする御仁であるから、何百枚と云う写真を撮って来たと云う。技術系の人だから、準備段階として、ルネッサン期のダビンチ、ミケランジェロの絵などを見て行ったとの由では在るが、<一見は百聞に如かず>の感頻りのお土産だったとの由。←全く、私同様に、生真面目な性格である。人間、素直にして真面目が、肝要である。へへへ。

 今回のイタリア行が、彼の画風にどんなアングル、色彩を齎すか、人間ウォッチャーの私としては、興味深々の思いである。


心何処ーショート 時知らずの暑さ為り。
                 時知らずの暑さ為り。(10/9/13)
 台風の影響だろう、強い風が吹いている。長い事、雨が降って居ないから、秋の花・小菊が大分萎れて来た。朝食後は、風呂の残りで真面目にジョロ散水を施す。浴槽からハンデイ水ポンで汲み上げて、ジョロに受け取るのである。外水道の蛇口を捻れば、歩く距離も少なくて簡単に済むのでは在るが、時間だけは在るロートルの腕筋肉の維持事である。男が、生白く、ひ弱で在っては、一切様には為らないのである。還暦半ばとは云え、一朝有事と為れば、男として<荷物の担ぎ上げ位のお役>には立ちたい物である。左手で満タンに為るまで持ち続けるのである。

 それを15杯程、庭、家周りの植物達に散水して回るのである。まぁ、結構な運動量と為る。

 そんな事をTシャツ姿で二杯位して居ると、曇り空から雨がパラパラ落ちて来た。<渡りに船>とは思いつつ、この処、天気予報は外し放しである。吾が身はA型である。運動、運動と続けて居ると、陽が差して来て『雨は中止』の沙汰で在った。

 山椒小木のアゲハの幼虫達も、木から離れて冬越しの蛹変身も完了して居るのだろう。葉の先には黄葉の兆しが見られる。

玄関鳥の世話をして、畝の幼葉の下ろ抜きを小鳥達に進呈して遣る。今日も暑さのぶり返しで在る。唯一匹残った メスキリギリスは、未だ生きている。リンゴの一欠片を入れて遣る。

 一仕事終えて、四畳半定位置でのマイタイムのスタートをして居ると。ガス屋さんの集金である。月に一度の、愉しい玄関男話で在る。私は、財布、貸出用の夢遊び、戯け画ファイルを持って、玄関廊下に胡坐を掻く。先ずは代金の支払いを終えてスタートである。

「<歴史考>、堪能しましたわ。良く此処まで知ってますね。好い~勉強に為りました。ただ、俺の知らない漢字が多くて、読むのが大変なんですがね。
 初めて知ったんだけど、『火病』なんて精神障害症があるんだね。読んでて、Rさんが書いてる様に、大陸国、半島国の歴史の為せる業で、火病症状が煮詰められて来たんだろうけど、火病症状を見れば、小難しい、面倒な歴史なんかすっ飛ばして、<一見は百聞に如かず>で、すんなりと納得出来ますわ。
 古代文明あり、東南アジア史、アメリカ史、縄文史あり、エッセイ部分在りで、面白かったですわ。大したもんだわ。金出して下手な本買って読むよりも、すんなり納得しちゃうもの。大した実力だいね。普通だったら、俺なんか、とても畏れ多いお方で、こんなに親しく話なんか出来無いのにね。アハハ。」

「そうかいね。そりぁ、良かったわいね。唯、禿頭のスキンヘッドだけだけどね。ギャハハ!!
 これは、今月の貸出だけどさ。用意しといたわね。今回のは女との絡みが無いけど、あんまり火病国のセックススレーブのイチャモン付けが煩いもんだから、実録版男と慰安婦の関係を自己体験から、反論しようと思ってさね。
 序でに、東南アジアの仏教観と日本の神仏混淆観との違いへの一考察としたんだがね。へへへ。」

「そうですかい。じゃ、これは今月の楽しみとして。これがその挿絵ですな。へへ、良い味だしてるじゃないですか。夢奇譚の発想は、何処からです?」

「そうそう、ちょっと待ってましょや。」

         先月の羽根伸ばし行の写真を持って来て、彼に見せる。

「先月、弟に誘われて、チョイと羽根伸ばしのクルージングだったんだけど、予定が台風18号で大狂いしちゃってね。そんな事で浮いた日数をブログ友SNさん家に御厄介に為って、横浜、鎌倉見物して来たんだわ。
頭に小古都・鎌倉の仏教残滓が在ったもんだから、俗称竹寺・報国・功臣寺での感覚比較を備忘録として打って見たんだけどね。
 へへへ。云って見りゃ、俺の打ち物全般に流れて居る思いは、ディスカバー・ジャパン&ジャパニーズって事なんだけどさ。」

「やいやい、流石にRさんだ。当たってる。巧い事、云うもんだいね。アハハ。」

 斯様にして、月に一度の男話は愉しい物である。夕方に成ったら、妖怪様の薬でも貰いに行って来ると致そう。廊下の日差しは真夏並みであるから、鳥籠を四畳半出窓に於いて遣ると致そう。はいはい、金魚殿には、補給水を入れて遣ると致そう。


心何処ーショート ちょいと、考えて見ました。
              ちょいと、考えてみました。(10/8/13)
 <1>
 私はトム・ジョーンズとエルビス・プレスリーが好きで、所蔵のDVDもCDも愉しんで居る。トムのデイラィラ、グリーングリーングラス・オブホーム(GGGofHome)は殊の他、好きな曲目である。尤も、私はヒィアリングが全く出来無い。従って、歌詞の内容など一切知らない男である。

 それでも、GGGofHomeは、思い出のグリーングラスホームで、森山良子、天地真里、チェリッシュなどが吹き替えで歌って居たので、故郷の父母・故郷の友人達の下に帰る望郷の歌だと思って居た。

 それが実は、死刑囚の執行に際しての『魂の歌』と云う事を始めて知った次第である。それは、昨日の毎日訪問して居るブログさんの<本日のミュージック>の中に貼られて居た歌詞付きのトムの曲の中に在ったのである。

         真に有名して、世界的名曲であるから、ご存知の方が多かろう。

 天地真里、チェリッシュの望郷ムードで、トムの歌を聴いて居た。然しながら、聴けば聴く程に、トムの情感溢れる深刻な歌い方と、前二者の歌唱雰囲気が違い過ぎて、私には長い間、『謎』であった。

 それが昨日、歌詞内容が解ってトムのGGGofHomeが何故故に、息の長い彼の持ち歌に為って居るのかに、『大合点』した次第である。トムの雰囲気を良く現わして居る歌唱は、森山良子の物である。

   この歌で一番伝えたかった部分は、三番である。私の稚拙な直訳では在るが・・・

      目覚めた時、周囲が見えた。私は灰色の壁の中に居た。夢を見て居たんだ。
      看守と哀しい顔をした老牧師が居た。腕を引かれて、夜明けを歩いて行く。
      また、グリーン・グリーングラスの吾が家に、触れる事が出来るだろう。
             そうさ、みんな、私を見に来るだろう。
      あの緑深い吾が家近くの古いチークの木の下に、私は埋められるだろう。

 日本人の悪い癖で、暗い物、深刻な物には二の足を踏んで、軽く、好い処だけを取り入れると云う国民性が在る。それが、天地真里、チェリッシュバージョンなのであろう。歌手が原曲を知って居れば、ああ云う風な歌唱には為らないだろう。知って居れば、当然に森山良子の歌唱に為ろう。

 原曲は米カントリーとの事である。売れ無かったと云う。翌年、トムが謳って全英ベストワンに輝いたと云う。英国人トムはサーの称号を持ち、女王陛下も臨席すると云う国民的大歌手である。トムの謳う死刑囚の心情を謳ったこの曲には、聴衆の<歓呼の向かい入れ>が見て取れる。
 米国で生まれヒットせずに、英国で魂の曲としてされ続ける英国人のこの曲への感情の中には、長く続いたアイルランド独立闘争への共感が在って、単なる死刑囚の心境以上の共鳴感が在るのだろう。赤いバージンロードに対してグリーンロッドは、死刑囚の進む道との事である。

 原曲の心情は、歌詞を省略・カットして、日本風にアレンジして日本テイストとするのは、宜しく無い事である。私に言わしめれば、無礼千万の行いである。

 原曲と向き合う事で、見えて来る物の方が味合いは深く為るものである。暗い物、深刻な物に尻込みして仕舞う処に、安易な迎合と誤解が生じる元を作り出して仕舞う。これは考察の訓練には為らない筈である。増してや、<観賞に値しないと態度>と云う物である

 安易な迎合と誤解の基が、自虐史観などと云った<刷り込みの餌食>に為って居ると云う事で在ろう。音楽界は、原曲に対して真に失礼の極みである。
 マスコミ界も、往々にして発言者の文脈を省略・カットして、麻生さんのナチス擁護発言をいとも簡単にでっち上げて仕舞う<マスコミ風潮・風習>にも、その悪弊が見られる次第でもある。

  いやはや浅学非才とは、流されて終うだけの<切なさ>を思い知らされた次第である。

 <2>
 昨夜は、良い映画を見付けた。1953年・大映映画『あにいもうと』成瀬己喜男監督、主演京マチコ、森雅之、久我美子である。室生犀星のあにいもうとの映画化との由。

 大映映画文学作品には欠かせぬ京マチコと森雅之のコンビであるが、その二人は心底では妹思いにも拘らず、表面では父に反発する野卑な兄と身籠って転落して強がって見せている妹の役である。

 川と共に生きて来た生活。蛇籠で堤防を造らせたら右に出る者無しの川頭だったが、時代はコンクリート堤防の時代で落ちぶれ果てた父・山本礼三郎、そんな亭主に代わって、川の袂で小商いをする母・浦辺粂子、確り者の末娘・久我美子。

        物語は川をバックに末娘・久我美子の目から描かれて行く。

 否応なしに、京マチコは美人で演技抜群の艶ぽさである。阿婆擦れと為った妹が、謝りに来た優柔不断な恋人船越英二を兄が可愛い妹を傷物にしたとの憎悪で殴り蹴って、腹癒せにしたとの話を聞いて、激情する妹。兄と妹が取っ組み合いの大喧嘩をする。着物の胸元がはだけて、ぽっちゃりとした肉付きの好い肌に汗を掻いて、兄に<さあ、殺せ!!>と啖呵を切るシーンの何んとも白熱したシーンで在った事か・・・

 羅生門、雨月物語とは違った、魅力が在った。どんなに野卑、阿婆擦れと為っても、どんなに憎悪に暴れても、夫婦・親子・兄弟は、血の繋がりなのである。抑えて居た感情を爆発させて、姉と妹は川を渡って東京に帰る。そして、また顔を見たく為ったら帰って来ると云ってバス停に歩いて行く仲の好い姉妹の後ろ姿で終わる。そして、其処には川が流れている。まるで川の流は、変わらぬ家族の血液の様に。

  昭和28年の作品にして、私は、その当時5歳である。口より先に手の出た時代である。

 あれから60年、民主化は進んで・・・個々人の表現力は、あの当時とは隔世の感、雲泥の差である。然しながら、芯・核を喪失して、表層を巧く浮遊する世相とは如何なものだろうか。GGGofHomeの原曲を都合好く省略・カットして時代にマッチさせて、流行歌として仕舞う。省略もカットもせずに、日本人の生活の中に生身の感情の儘に、体当たりして居た時代が、親子兄弟の中に厳と存在して居た時代が、紛れも無く在った。
 
 この映画から60年・・・ 日本人が手にした物は、家長の崩壊に依る核家族、個室、個器の氾濫、キレる、逆ギレ、集団苛め、家庭内暴力、鬱病の蔓延、モンスターペアレンツ、事無かれ主義の個権の蔓延、地方の衰退、労働の使い捨て、独居死、無縁仏、行きづり殺人、バラバラ殺人・・・etc

  60年前、この普通の息づかいで暮らして居た日本は、果たして野卑の時代だったのだろうか。



心何処ーショート 本日、抜ける様な快晴為り。
               本日、抜ける様な快晴なり。(10/7/13)
 昨日も暑かったが、今日は朝から暑い。朝飯の前に、寝具を干して真似事掃き掃除をする。小鳥の世話をして、家中の戸、窓を開放して空気の総入れ替えである。暑さに上を一枚脱いで、久し振りのTシャツ姿である。それでも、日差しの色は秋の色である。気持ちが好いから、網戸無しの解放にして置く。

 昨日は、ブログを打つ必要も無かったので、浮いた時間を家の前で、石を腰掛けにソーセージを餌に、小竿でハヤ釣りをして居た。釣れて来るハヤも前回と違って、太って来て居る。水中昆虫、プランクトンが新しい流れにも回って来て、太って来たのだろう。暑いから、水の冷たさが気持ちが好い。
 釣り遊びをして居ると、トノサマカエルが、足元に遣って来た。半分水に使った格好で、一向に逃げる気配も無く、じっとして居る。何処を見て居るのやら、とぼくれた顔付で在る。吾が方は、マンネリ賄い夫のラジオBGMの日々である。都市化進んだ日本では、トノサマカエルも今や立派な<絶滅危惧種>とやらで在る。

 日中は暑かったので、久し振りに夜散歩とした。雲と星が空を分けて居た。暑からず寒からずで、丁度好い。そんな次第で、確りと距離を稼いで来た。

 イカを物は試しと、漬け物粕に漬けて置いたから、サッと焼いて朝食の一品とする。甘くて、柔らかく、成功の口で在った。スローモーな口の運びに付き合って、私は何杯もお茶を飲んで待つ。妖怪様は、小腹が空いた様で茹で卵と、残したサツマイモを食べたらしく、朝飯は半分を残して仕舞った。

 座卓の上を片付けて、台所へ。さて、私のマイタイムであるから、お努めの目薬落としで老母の部屋をお暇すると致そうか。

「おい、婆ぁ、目薬だ。」
 へへへ、素直な物である。昨日は飛び出た鼻毛切りをさせて貰った。全く、手の掛る妖怪様である。
「薬は、有るのかい?」
 倅の問いに答えず、上品振って頬笑み笑いである。97にも為って、気取って未だ女だと思って居遣がる。生意気なもんだ。
「有るのか、無ぇのか、ハッキリしろ。糞婆ぁ。」
へへへ、婆さんは、手を伸ばして、ベットの下からゴムバンドした薬を手に。
「後、4日分あるよ。」と笑って居遣るがる。偉そうに・・いやはや、流石に妖怪様である。

 好いお天気さんでも在るし、元気そうだから、風呂でも沸かして遣ると致そうか。

「今日は、嫌に鼻水が垂れるな。あっそうか。秋の花粉症が始まったぜや。フンフン、嗚呼、体質と云え、厄介なもんだわね。」

        ティシュで水鼻をかんで、ホイとばかりにゴミポットにスローインである。

「上品だねぇ。私は、花粉症とは無縁だよ。生まれる処を、間違って生まれたんだねぇ。」

 クワァ~、抜けシャーシャーと、倅の風体に似合わぬ過敏症を、鼻でせせら笑って居遣がる。壊死寸前婆ぁの軍門に黙って下るのも、癪の種である。

「ああ、そう云う事だ。風呂屋の子沢山の家系らしいが、御先祖さんを辿りゃ、やんごとなき貴族さんだったって事だろうさね。俺だけ、先祖返りって事だ。貴族の御曹司に、両の鼻毛を切らすなんざぁ、大した芸当だぜや。そう遣って、憎まれ口きいてる内は、未だ大丈夫だ。」

「ほう、やんごとなき君の血筋とはねぇ~・・・ こりぁ、驚いた。ハハハ。」
 
 それにしても、外の明るさで在る。赤トンボも、シジミチョウ、モンキチョウも光一杯に浴びて、ハイテンポに舞って居る。ジャンボマツバボタンも、青々と伸びて、白、ピンクの花々を開かせている。

  はいはい、定位置四畳半のマイタイム前に、ヤカンシャワーして遣ると致そうか。

 ニャロメ、玄関鳥達も、清々してブンチャカ・ピィーピィーと好い気な物である。俺の世話は誰もしちゃ~呉れんのに、こちとらは、<因果応報のボランティア専属>ですがね。

         お天道さんよ、こりぁ、片手落ちってもんでしょうに。

 お天道さんに、不平不満なんて、罰当りな事を抗議して居るんじゃゴザンせんよ。へへ、単なる軽口叩いて見ただけでゴザンスよ。平にご容赦のほどを。


夢奇譚第20部・夢遊び
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                    夢奇譚20部 夢遊び

              ほぼ無風にして、空快晴為れど、空気思いの他、寒し。
いやはや、昨夜の冷え込みには往生した。深夜のPC徘徊を切り上げて、布団の中に入るが・・・ 冷え込みの不意打ちに、身を丸めて居た次第である。

 それでも、未だ九月である。朝方の暖かさに、久し振りに夢を見て居た。夢内容は、無尽での海外旅行で在った。この会は、全くの無礼講にして、不道徳・不謹慎を旨とする遊び旅行を楽しむ会で在る。アハハ。 

 <1>
 今回の旅は、流行りの東南アジア・・・ベトナム、カンボジア、ミャンマーの何れかだろうか? 一切国名が不明な処が、如何にも夢たる所以であった。

 海外に出れば、到底、堅気には見て呉れ無い風体の面々である。旅行それも海外旅行での羽根伸ばしと為れば、『旅の恥は掻き捨て、何事も経験をモットー』にしているのが、この不良中年共の集まりである。従って、世間様の顰蹙バッシングなど、<どこ吹く風の異国の空>と云った面々である。
 増してや、此処は未だ未だ観光後進国の様なお国柄でも在る。ナケ無しの金を叩いて異国の土、風、生業(なりわい)に全身を晒して、とくと『非日常』を体験しなければ為らないのである。救道の徒としては流行りの経済用語・費用対効果に則って、長く記憶に留めて、その引き出しから何回と無く出して使い回さないと、<貧民の算盤勘定>が合わないと云う物である。ウヒャヒャ。

 私流と云うか弟流と云うか・・・こんな思考回路を持つのが、私達兄弟である。加えてTも参加して居るから、これが『男子番から高の色』なのであろうか。弟の運営する無尽の会旅行では在るが、お役御免の私、T、M氏が抜けて、弟は様替わりした無尽旅行には、今一つの欲求不満を抱えているらしい。そんな次第で、お役御免と成ったM氏も駆り出されて居る。左様な次第で、今回は往年のメンバー復活組も加えての新開地旅行である。

           ★真に以って、付ける薬すら無い。困った男達である。

 <2>
 無尽旅行会の御一行様が、国際線から国内線で地方都市の空港に降りたのが、湿気ムンムンする熱帯の夜の帳が始まる頃であった。体重過多のメタボの吾が身は、流石のエコノミー症候群の長旅の疲れで在った。ホテルでチェックインして、部屋で軽くシャワー浴びて一服した後は、無尽旅行恒例のレストランでのビールで乾杯し、現地料理をたらふく食べる。

 例に依って、市街のレストランで夕食を済ませば、身体の自由とビールの酔いが夕食の消化を急かせ、『上下の頭』を刺激し始める次第である。宴の終盤とも為れば、無尽の会・会長の弟は現地ガイドにチップを弾んで、夜の街は<蛇の道は蛇の案内で>・・・バタバタタクシーをチャーターして、夜の集団行の一幕である。海外旅行では毎度のワンパターンなのでは在るが、高温多湿の熱帯夜は、気だるい倦怠感とほろ酔い加減のアルコールに、弛緩し放しの初夜行と云った次第である。

         ★気に入れば、男、女、店共にシェイクハンドで数日間を共にする。
 面喰い有り巨乳有り、デカイの小さいの有り、ロリコン有り、年増有りで、メンバー各人の好みは人其々である。不干渉が、不良中年男組の海外旅行の不文律である。

 不道徳と云えば、真に不道徳。不謹慎と云えば、真に不謹慎。日本人の面汚しと云えば、真に面汚しである。一切、開き直って自己弁護等する必要も無い。蓋(けだ)し、これは世間様の当然の評価である。

 然しながら、好色・好奇心の原点に立ち返れば、<世界最古の商売が売春>であるそうな。断じて言うが、吾が無尽会は祖父・父の血を引き継ぐ『真っ当人の集まり』である。今時流行りの火病韓国が連日、歴史捏造をして棺桶に下半身が入り掛けてる婆さん達が、ギャァギャアと騒ぎ立てる彼の<銃剣を突き付けての強制連行・無報酬の性奴隷狩り>をしている人非人の会では無い。
 魚心在れば、水心在りの・・・これは至ってシンプルな伝統遊事と言っても過言では在るまい。決して、悪徳女衒が横行する暗い世間では無い。曲がりなりにも、職業選択の自由が、一応成立して居る21Cの時代である。云って見れば、お天道様の下で繰り広げられている<明朗会計の風俗営業>でしかあるまい。

 お国柄の所為で何処にでも幾らかの例外はあるとしても、現代の観光地歓楽街の開けっ広げ感の中では、稼ぐ方からすれば『疲れない割りの良い稼ぎ頭商売』である。
 一方、顰蹙代名詞・買春ツアーなどと<知った被り>をして、非難轟々のマスコミ界、教育界、インテリ界が、餓鬼の様な論調から騒いで見ても、仕方の無い世界最古の商売の繁盛振りで在るだけである。

 買う方からしても、大抵の場合が、一時の快楽・異国経験故の<ボランティア・セックス>の面も多なのである。それが、男達の夜の実態でもある。

★水は高き所から低きに流れ、凹地を見付けて溜まる為り。劃して川に淀み生じて、池、湖を造りたり。水溜まれば、魚住み付き、其処に釣り人訪れる。・・・そんな類の理(ことわり)事である

 云って見れば、是、自然の大摂理にして、魚心在れば、水心在りの自然発生的な商い・性業が生じる。男と女の世界。こんな事は、太古の昔からの人の倣いでしか在るまいに。火病国の『朝鮮戦争時、日本軍』に銃剣で性奴隷にさせられたなんて、丸で歴史認識ゼロの無い言い掛り等、正に噴飯物にして、一々、尖ってて、咎を断ずるまでも無かろうに。

★尖るのは尖閣諸島に於ける日本固有の領土問題で然るべきであろうが。←デカイ声じゃ言えませんが、私は大学では『倫理学・優』を頂戴した経験も在るんですがな。イッヒッヒ~!!

 人間と云う生き物は、少なからず学習効果を積み上げて行くものである。店に入れば店の雰囲気で、其処が性奴隷の巣窟か否か位は、どんな馬鹿にも雰囲気で分かろうと云う物である。学習効果の蓄積が、体感すると云う『勘働き』を溜め込むのが人生の経験知・経験値と云っても差支えなかろう。へへへ、勘働きは、決して長谷川平蔵の一身専属の技では無かろうに。

 以上・・・ 長々と、こんな事を打って仕舞ったのは、日頃の毒亜国火病患者の日本叩きに、ウンザリとすると同時に、たかが売春婦遊び位に目くじらを立てるばかりで『脳の無い振りっ子報道』に、笑止千万の<男の常識の一撃>を打って置きたいと考えただけの事である。大人の度量として、許されよ。

 <3>
 初夜行の翌朝は、昨夜のお相手との相性の良し悪しがモロに出て来る。それが、テーブルでの二人の食事光景である。会の恒例として、大体の者は、<旅の楽しみは道連れ>で女とショートバカンスを共にする。そんな次第であるから、男達は店を何軒か回って、好みの吟味をして来るのである。私は生来の下衆根性で、そんな朝食でのカップル・ウォッチングをして、妄想力を鍛えて居るのである。

 へへへ、一緒のテーブルで、仲好く食べて居る。『これぞ、心優しき日本人の習性』であるから、戦中の兵隊さんと慰安婦の関係も、推して知るべしで在りましょうや。

 ロートル組は寄る歳波の体力・精力の萎みの所為か、女に対する関心が薄れ始めて居る様である。メス傷を持つTもM氏も、朝食後は女を帰すとの事である。弟は未だ若いから、若いメンバーと女達を連れて海のオプショナルに出向くと言う。別行動時には、責任上、兄弟は別グループに行く事に為っている。

 そんな次第で私も、胃無しT、肝硬変のM氏に同行する事にした。私のお相手は日本語が分かるから、通訳に為って貰う。異国に在っては、言葉不通の沙汰は、躓(つまず)きの元で在る。へへ、これもボランティアの一環である。
 そんな次第で女に掛ける費用をちょいと張り込んで、小型機をチャーターしての一泊二日の奥地オプショナル飛行と相為った次第である。ホテルから、東南アジア特有のバタバタタクシーに乗り込んだお役御免衆三人+一人で在る。

 街を抜けて走る事、一時間強。到着したのは、何とジャングルの中の個人滑走路である。

                 へへ、参りました。
 滑走路、唯一機の飛行機が奮っている。熱帯ジャングルを適当に伐採して整地しただけの土剥き出しの滑走路に、双発プロペラ機が一機置いて在る。
 機体には、きっと歴戦の銃創痕なのだろうが・・・それを隠して、ガムテープのバンソコーがペタペタ貼って在る代物である。見る処、これは軍の払い下げ機であろう。パイロット氏は、日本人の我々よりは小柄では在るが、精悍な顔付に背筋の伸びた屈強な身体の持ち主であった。

 この国にして個人パイロットと為れば、男も軍隊パイロットが前職なのだろう。差し詰め、パイロット&飛行機は、軍払い下げと云った処だろうか。<愛機と共に、第二の人生>に違い在るまい。為らば、愛機の癖も軍隊で鍛えた操縦の腕も確かであろう。

 簡単な書類にサインして、オプショナルツアー代金を、三人は其々の財布から出して支払う。財布の中身はツアー代金を払うと、帰りのバタバタタクシー代と飲食代しか残らない。それを大袈裟に見せながらの支払いである。これで、手続き終了である。

           ★おいおい、大丈夫かいな。ドアは閉まるんだろうな。

         そんな落胆を発しながら、草茫々の赤土滑走路に、私達は向かう。

 或る時、仲間と一緒にサイパン島からカジノの在るテニアン島へのローカル小型機に乗った事が在る。ペンキの見栄えは良かった物の・・・相当な年代物で在った。にやけた白人ベテランパイロット様は、念入りに体重バランスを採って何度か乗員の配置換えをした。
 そしてニヤニヤして、私を手招きして助手席に乗せて計器類を見せて、<如何だ。お前は、ラッキーだ。助手席は一等席だろう。>の胸張りで在った。

 まぁ、私の性格としては、『折角、この世に生を受けたのであるから、何事も経験。』の奥ゆかしい性質であるから、フムフムと頷いて居た次第であった。

 管制塔から、発進許可が下りたのだろう。小型機はプロペラを回転させ、ノロノロと滑走路に進んだ。それが何とした事か・・・ドアは開いたままだった。ドアを指差したが、オーライ、オーライの返答で在った。滑走路でエンジンを全開して居る間に、ドアは閉まるだろうと<高を括っていた>のだが・・・何と!! 飛行機は其の儘、滑走路を走り出した。

 冗談じゃ無ぇ、ドアが開いて居る。俺は高所恐怖症だ。相手は白人パイロットである。

           その内、フワリと飛行機は滑走路から離れた!!

★ノー、ノー、ストップ、ストップ、ルック・アット・ドア。ドア・オープン。デイイズ・ベリーデンジァラス。ストップ。
★ヘイ、ユー、ルック、ルック。ドアイズ、オープニング。ヘイ、アーユー、ノウアイズマン? ストップ、ユァバッドジョーク。
★ユー、アブノーマル。ヘルプ、ミィ。オオマイゴット。

           これが、私の知っている全ての英単語で在った。

 それに対して、白人パイロットの野郎は、ニヤニヤして、オーライ、オーライ、ノープレブレルム。ブリーブ・ミイ。と来たもんだ。この、糞っ垂れ毛唐が、笑って居遣がる・・・。

 よもや、手前の命も商売も懸かって居るんだから、飛行機諸共墜落はせんだろう。大事には至らんだろう・・・。この変態野郎が~、こう為ったら、こっちも大和男児の見栄じゃい。

★覚悟を決めて、三船敏郎の山本五十六長官のガダルカナル撃墜死を決めた一瞬で在った。

 目眩と脂汗・カラカラに為った喉の渇きに硬直した私を尻目に、オンボロ小型機はガンガン高度を上げて行く。おのれ~、この脳梅毛唐が・・・。

☆ヘイ、ユー。ルックアット、ドア。パーフェクト。ユー、サムラ~イ。アハハ。

 ドアは風圧でシャット・ドアと成ったのだが・・・ 何をこの糞野郎。高い銭取って、大事な客のキンタマ縮み上げらせ遣がってからに。何がシェイクハンドじゃい。飛んでも無ぇ野郎だ。           

 嗚呼、・・・ 戦争には負けたくは無いものだ。負けさえしなければ、此処は日本の南洋領土じゃい。こんな下衆野郎には、おちょくられずに済んだ物を!!

 その時の狼狽振りを何度、私は無尽の会の<酒の摘まみ>とされて居るか。世の中には、全く以って善人をからかうのを趣味として居る下衆人間の多い事か・・・私は、人間の『性悪説』をその時、つくづくと感じた次第であった。

 そんな大失態の出来事が、丸で条件反射の様に、記憶の堰を切って脳裏に再現したのだが、・・・。小型機はガタ付き、エンジン音こそ騒々しかったが、正に空を体感する様に鬱蒼たる熱帯ジャングルの上を飛行して行く。きっとジェット機がお目見えする前までのプロペラ機での空の状況とは、こんな物だったのだろう。戦闘機の乗員の様な気分に為って居た。

 <4>
    オプショナルツアーのパンフレットには、隠れた仏教遺跡巡りと在る。
 
 小一時間の低空飛行の後、薄い黄土色の川が蛇行する鬱蒼とした熱帯ジャングルの中に、その仏教寺院遺跡が見えて来た。日本に居ると、川は如何しても澄んだ色で無いとしっくり来ないのであるが、粒子の細かい赤土の大地を流れる川は、こんな色をせざるを得ないのだろう。<ビルマの竪琴>の一節には、ビルマは赤い血を吸った土との形容が在った事を思い出した。

 オンボロ小型機は、旋回して風向きを読む。ジャングルを伐採した剥き出しの赤い土の小さな滑走路に、エンジンはニュートラルでプスン、プスン、ルルルとプロペラを止めた形で下りて行く。推進力を止めた両の翼は、時々煽られる。然程の長い時間では無いが、緊張して体重移動も憚られる心持で、前方をじっと凝視する。小型機の着陸態勢は、何処と無くアオサギなどが降下して行く覚束なさを見る思いである。接輪着地の衝撃が、何故か嬉しい。

 オンボロ小型機は、スローにしたプロペラ回転で滑走路を移動して、機首を変えて止まった。狭い機体から身を屈めて滑走路に立って、グィっと背伸びをする。

                嗚呼、地上は熱い。

 滑走路は飛び立った滑走路以上に、粗末な道路の様で在った。それでも、飛行機は発着陸が出来るのである。愕きで在ると同時に、何も舗装滑走路だけが飛行機の飛べる滑走路では無い。・・・と確信した次第である。一応の整地された長さが有れば、推進力を持った飛行機は飛ぶのである。『それも、道理だ』と思った。滑走路脇には簡単な小屋が在って、燃料のドラム缶が数本置いて在る。

 滑走路を造った周辺は、ザックリとした耕地に為って居て、作物が植え付けられている。鶏も居れば、ヤギも居る。オプショナルツアーの足・馬が数頭放し飼いにされて居て、番犬らしい犬達と家番の中年女が居た。

 見た処、オプショナルツアーの一泊二日の商売は、そこそこの商いらしい。連絡が入っているらしく、滑走路の続きのジャングルの端には、壁の無い椰子、バナナの葉葺きの東屋風小屋が在る。その小屋の前で、中年女が手招きをしている。
 行くとテーブルの上に、串焼きの肉とハムエッグ、パンとバター、ミルク、バナナ、パイナップル、そして野菜サラダが用意されて居た。 

 空から見たジャングルは、降り立って見ると、意外に太陽光線の入る疎林の感じで在った。地面のシダ類、小木、灌木を刈った平らな空間は、見通しが利いて拡がりを持っている。

       パイロットと女は、夫婦なのだろう。連れの女に聞くと、そうだと言う。

 ジャングルの中と云えども、ジャングルを飛び越す足としての飛行機も在れば、連絡用のPCも携帯電話も在る。電池も在れば、発電機も在る現代社会で在る。為る程、差し詰め・・・時流に流される事無く、<時の中に個を活かして行く生き方>を選択して居ると云う事だろうか。何処と無くインテリぽい感じの夫婦である。

 私は人種、性別、年齢を問わず、こんな人間達が好きなのである。『個の質の高さ』が感じられる人間は、矢張り<静かなる個性>が滲んで居る物である。
 
 腹ごしらえが出来ると、食料・水を持って馬に乗る。案内人は女房殿である。パイロットの亭主は、残って飛行機の整備をしたり、力仕事の農作業をするとの事である。亭主とは、手を振って別れる。

 犬の一匹が、先頭を歩く。起伏の無いジャングルの中には、<ガイド用の細い道>が出来て居る。所々に馬糞が落ちて居る処が、何んとものんびり感を持って来る次第である。

       ★へへ、如何にも頭の好い男である。気に入ったねぇ。

 私達は山刀を持たされているから、時々、身体に掛る枝などを払いながら進むのであるが、それが何んとも、『先祖帰りをした様な気分』で悪い気はしなかった。

 まぁ、私達はひ弱な現代人であるから、ガイド役の女房殿から手渡された虫除けスプレーを満遍なく吹き付け、網の掛った虫除け帽を被っての乗馬である。

 ガイドの中年女も、通訳の店の女も色は浅黒く小柄では在るが、私達と同じ東洋人と云う事で在ろうか・・・何処と無く<親和性>を感じる処から、安心感が在る。女二人は現地語で話しながら馬を並べ、私達は私達で話をしながら女の後を付いて行く。

 我々団塊世代は、野山を散々に遊び捲って居た少年時代を共有して居る。余程の怖い物との遭遇さえなければ、愕きもしない次第である。

 小柄な女二人が、話を交わしながら前を行くし、危険探知機のベテラン犬も居るのであるからして、然程の事はあるまい。此処は日本で無いからと云って、ビクビクする必要も無かろう。

 それでも初めて踏み入る異国であるから、経験知としては、それなりの用心は身に付いている。飛行機に乗る時には、金目の物など無い事を充分に知らせてあるから、残ったパイロットが、凶悪犯に様変わりして<途中待ち伏せ>でドカンと撃ち殺されて、死体を置き去りにされる事も無かろう。

 人間、疑えば、全てを疑って掛り、品相が不味く為る。言葉は通じなくとも、顔付、目付き、話し方で、大凡の見当は付く。三人共、義務を果たしたロートルである。何か在れば、三人の経験値が文殊の知恵・対処方にも為ろう。

         ★先ずは馬の背に揺られて、非日常を愉しむべきである。

 然しながら、西部劇などでの乗馬シーンを普通に見て居た物だが、ケツが痛いし、疲れるものである。

 或る時、テレビで三船敏郎氏が、還暦に為っての馬駆けのシーンは、しんどいと言って居た事を思い出す。為る程、人生の師でも在るバート・ランカスー氏も、映画ズールーの戦闘シーンでは、疲労困憊の態が見て取れた。百聞は一見に如かず。両氏への御同情の感頻りで在る。

 それでも、飛行機のエコノミー症候群よりは、ズーとマシである。4時間ほどの行程で、仏教寺院跡に到着した。

 <5>
 それは、ジャングルに埋まった仏教寺院で在った。加工のし易い砂岩で建築された小じんまりとした仏教寺院で在る。二度、タイ旅行をした事が在る。石造りの仏教寺院の第一印象は、形も構造も写真だとか映像で見る御馴染みのアンコールワットとかアユタヤの仏塔とかの感じでは在ったが、・・・ 実際の印象は、その意外な程の構造の小ささであった。それは天井の高さ、回廊の幅の狭さから来る物で在ったのだが・・・。

 日本も仏教国であるから、寺院の造りは、木造・瓦では在るが、同じ出自の仏教建築であるから、ある種の共通な雰囲気を感じる。深々と合掌して仏教寺院へ向かう。参道だろうが・・・日本の杉木立の中に苔むす地像並びの趣と違って、参道には砂岩の威圧感すら在る仏頭が、古の化粧漆喰の跡を留めて、両側に並び立っている。

 これは神社仏閣を日常目線で見て居る日本人の感性からすると、違和感の在る威圧感と云った処であろうか。仏教に大乗仏教、小乗仏教在りと云う。大乗にしろ小乗にしろ、此処には『施政者の大きな力への寄らしめ』と、『特権たる庇護』が臭って来る。

 感じるに、日本の仏閣の佇まいは、雰囲気としての空間を配置している感じである。それは、仏教以前の神社の造りが醸し出すヤオヨロズの神々の息吹、木霊を配置する様な鎮守の森を備えている全体の構造が、日本人の宗教色を現わして、後続の仏教寺院もその並びで造られて来た事に起因している様に思えるのである。

 動植物の一毛一草にも、等しく魂が宿る。人間は生きる為に礼をして山の自然界に入り、最小限の狩猟をして、獲物への提供を自然界に感謝する。そんな自然との共生が、日本人の精神の揺籃期として縄文の一万数千年の内に、縦糸横糸の紡ぎ物として、精神文化が築かれて来た。それが、日本の精神性の生い立ちであろうか。
 森は永遠の時代を継承して、古色蒼然の原生林に悠久の姿を示し続ける。そして悠久の象徴・森が、ヤオヨロズの神々の御寝所と為る。

 神々を祀る神社仏閣も、古色蒼然の色合いに為ってこその<安らぎの場>と為る。日本人のDNAには、きっとそんな縄文からの心象風景の宗教観が横たわって居るのであろう。

 東南アジアの仏教寺院の造りは、こじんまりとした規模の中に手の込んだ彫刻が盛り沢山に入れて在る。新造当時には、これらに熱帯の眩しい太陽光線に伍して、まばゆい限りの<色彩浄土>が再現されて居たのだろう。

 何しろ金箔大仏を信仰する稲穂の民・クメール人が栄枯衰退を歴史に刻んだ王国なのであるから。

 日本人の感覚からすると、ケバケバしさ、まばゆい光彩よりも、自然の中で古色蒼然たる風情の方が、歴史探索には頃合いの感覚で在る。然しながら、アジアは一つに非ず、仏教も一つに非ず。文化を受け入れ、土着の文化と融合する処に、土地・民族・時代の中に存在としての『文化の多様性』が花開く物なのであろう。歴史建造物とは、それら諸々の足跡を映す物であるが故に、価値を保ち続けると云っても過言でも在るまい。

         私の異国見聞録とは、大体に於いてこう云う事に為る。

 <6>
 その日は、遺跡の開けた場所でテントを張った。近くには、小川が流れて居た。寺院建造の石材は、この周辺で採掘されたのであろう。岩石の多い地質に在って、川の水は土を通さずに、水は飲めるほどに透明で流れている。

 清い流れに熱帯の太陽が暑く反射して、蝶が水を飲みに群れとして羽根を開閉して居る様、大小の色彩豊かな鳥達が、人を恐れずに思い思いのポーズ、テンポで水浴びをしている。尾の長い猿の群れも、涼しい木陰で気持ち好さそうに寛いで居る。

 女房が手桶と石鹸を持って来て呉れる。ジャングル暑さに毛穴が閉塞して居る我々は、日本人である。早速、素っ裸に為って、手桶で水を掬って頭から水を被る。大石の上に胡坐を掻いて、タオルに石鹸をタップリ塗り込んで、前を洗い、タオルで背中をゴシゴシ洗う。ひんやりとした川の流れでは在るが、日本人の身体洗いは、こうで無くちゃ堪能し無い物である。剃刀が在れば、言う事が無いのであるが。
 
      女二人は、木立を置いて少し離れた所で、女らしく水浴をしている。

 不良男達も日本人の看板を背中に、還暦も半ばと為れば、行儀が好い物である。何百年も昔の寺院の往時を考えれば、住む人も人の往来も多かった事だろう。赤土の大地に、透明の清らかな川は珍しかったに違い在るまい。こんな所に寺院を造ったのは、聖為る流れに<煩悩の穢れを落とし清める>と云った気持ち・意図が、きっと働いて居たのかも知れぬ。

 へへ、女二人の全裸姿にも、邪な勃起も無い処を見ると、それも在りなむの得心でも在る。

 オプショナルツアーは、パイロット&ガイド夫婦の合作にして役割分担を巧く考案実行して居る。それは、こじんまりとした『現金商い』で在る。小型機の定員上、精々が5~6人の客数である。米、肉、調味料などの食料は、ツアー案内時の飛行機で持って呉れば好い。食事は滑走路の自宅でするから、滑走路周辺の耕地の野菜、果物、鶏の卵肉、ヤギの乳、肉で、それなりの自給自足が成り立つ。滑走路から遺蹟への乗馬行程は半日である。遺跡にはキャンピングの道具、食料の備えもして在る。

 夫婦の間では、商売を大きくさせる気持ちは無いとの事である。食べて、それなり現代生活と物質、贅沢を時に享受しても、決してそれに囚われない世界が出来れば、それで十分との由。私は大きく頷く次第で在った。

 これは、<現代に於ける晴耕雨読の生活>だと思った次第である。足らざる物だけを現代文明から調達して、基本部分は自然の中から額に汗して収穫する。正に両世界を行き来きする晴耕雨読の生活であり、小乗仏教徒の生活でもあろう。

 私は宗教には丸で疎いし、然程の興味も持って居ない。それでも須弥山(しゅみせん)の言葉位は知っている。古代印度の世界観の中で、中心に聳え立つ聖なる山が、須弥山である。この聖為る須弥山を取り囲んだ形で、宇宙観、人生観、死生観が語られて居るのが、東洋宗教の特徴・仏教との思いが在る。
 この世界軸としての聖山は、バラモン教、仏教、ヒンドゥー教にも共通していて、聖山の須弥山は、一神教のキリスト教、イスラム教の様な教祖信仰とは全く異なる宗教歴史を刻んで来た様に、私の世界史観の中にはインプットされている次第である。

 本家インドに地理的にも近い事などが起因して居るのだろうが、寺院の塔は須弥山を形取って、塔にはブッダの仏頭が祀られて居るのも、そんな表われ方の一つだろうか。仏教伝播の過程で、石造仏閣は木造の塔と為り、グロテスクな須弥山仏頭は消え、三層五層の優美な形で日本の仏閣構成を造り出したのだと感じる。
 須弥山思想は、日本の庭園にも自然と及んで、日本庭園の様式美を定着させても居る。日本庭園の構成は、宇宙を表現しているとも云われている。その庭園の中心は、紛れも無く須弥山を象徴する建て岩であろう。それは、須弥山を中心として拡がって居る形式を踏襲して居る。

 私は、所謂活字好きの人間では無い。日常的な常識、知識で日々を、感覚的、情緒的に生きて来ただけの人間である。活字中毒、知識中毒に陥って仕舞えば、その分、感覚、情緒が疎かに為って、美への己が感性が鈍化して来る。そんな思いを子供の頃から漠然と抱き続けて来た男である。
 感性の選択・指向基準には、それなりの素養・知性を持たないと、主観から客観への扉は開かれ無い事は、当然の道行きでは在る。

 然りとて、見て、感じて、思い、考えるの五感回路で、妄想の時と友達に為るには、五感バランスは理にばかり偏重して仕舞っては拙い事に為る。それでは、感の領域が狭まって仕舞うばかりである。

  此処でも、<晴耕雨読のバランスを保ちたいの願望>が、私の中には在る。

 晩飯は、飯を炊いてくれた。ジャングルに没する夕日を眺めての夕食であった。川で冷やした缶ビールが、美味かった。

 <7>
 熱帯雨林のジャングルの植相は、色濃く多種多様である。ジャングルに埋め尽くされた朝は、野生動物の目覚め、起き出しのウォーミングアップの喧騒に満ちている。遺跡は、猿達の住処とも為って居る。色とりどりの鳥が甲高い声で羽ばたき、極楽の色を映した大きな蝶が舞う。夜の石壁をチョロチョロ走り回って居たヤモリ達も、暗部への移動を始めた。寺院をネグラとする猿達はジャングルへ、夜明けのジャングルからは、コウモリ達が舞い戻る。

 ジャングルから放たれた曙光の中に、私は一瞬、白い漆喰の中にきらびやかな色彩を纏った往時の寺院の煌びやかさを見た。

 女房殿と女が、朝食の用意を始めて居た。カマドには火が焚かれ、鍋、釜が掛けられ、飯が炊かれ、鍋の油の中では現地料理がジュウジュウと炒められて行く。鶏肉、干し魚が焼かれ、汁物の鍋も白い湯気を立て始めている。

 食事が終わると、女二人は川へ洗いに出掛け、全てを片付けて、食料保管場所に鍵を掛ける。女房殿は、亭主に電話をする。昼食は、帰りの途中で食すバナナの皮に包んだ握り飯とオカズである。川で水筒に一杯に水を汲み入れて、乗馬してオプショナルツアーの帰路に立った。

 <8>
 今回の旅を団塊世代3人組は、其々に如何なる思い感想を抱いて、老後の思い出し反芻をして行くのだろうか。

 趣味の世界史の本などを読むと、その中には<イスタンブールは東西文化の十字路>で在り、<東洋の末端島国の日本は果て>との記載を見る事が在る。謙虚と云えば謙虚な日本の国民性は、戦後自虐史観の下で、変な刷り込みに追従して居る様に思えて為らない。

 たかが西洋被れの連中が知足り顔で云う<文化の果て思考>は、直進するだけの排他的一神教のベクトル思考でしかあるまい。ベクトルの先を持たない東海の島国構造は、観方を変えれば『文化の集積場所』でもある。集積場所で在るがこそ、集積場所で行われる思考は、加工と精度を高める事にも通じる。これは一方ベクトルの思考しか持たない者の<限界>と云う事にも通じよう。

 加えて云えば四方を山岳に囲まれたネパールの地で誕生したブッタの生きとし生ける衆生の<輪廻の思想>である。輪廻は循環を意味して、自然を司る。自然を司る神々は、日本語で言えばヤオヨロズの神々である。ヤオヨロズの神々を祀る神道と宇宙への覚醒を説く仏教思想とが、合体・混淆した物が日本人の宗教観なのであろう。

 やれ、漢字を教えた大中華圏、西洋合理主義を教えた白人西洋文化圏。彼等が等しく言うのは、<日本人の猿真似文化>と云う類である。物的資源こそ乏しい国では在ったが、日本はそのハンディを古の時代より人的資源に依って賄って来た。
 古くは鎖国に依る国風文化の醸成。世界一鋭利にして優美な日本刀。江戸の庶民文化。貯め置かれた民度で一気呵成に西洋技術を取り込んだ明治の躍動感。戦前の戦艦大和、ゼロ戦。戦後の新幹線、先頃のイプシロンと、その優美で精巧な造りを産み出す国家・国民が猿である訳が在るまい。元来の日本を取り戻さずして、何の日本人であるか。

             夢奇譚第20部・是、夢遊びなり。・・・完

                       2013/10/2 by アガタ・リョウ





心何処ーショート 曇り空に、一杯ひっかける為り。 
               曇り空に、一杯ひっかける為り。(10/5/13)
 雨が降るとの予報で在ったが、降らない。雨を望んでいるのだが。昨日は懐かしい紅玉(こうぎょく)が個人スーパーに在ったので、一袋買って来て食べて居る。あの赤い酸味の在るリンゴで在る。子供の頃は、先物の紅玉と後物の国光(こっこう)が秋のリンゴの代表で在った。国光は、実の硬い甘味の在るリンゴで在った。現在では両者ともお目に掛れ無い代物である。

 お向かいさんの友人がリンゴを作っているとの事で、夕方どっさりとお裾分けを頂戴して仕舞った。信州もブドウからリンゴの季節に移行して居る。容器の関係上、ナスを3袋買い足して重しを一つ加えた塩漬けからは、水が上がって来た。ナスも終わりである。

 畑では野沢菜、白菜、大根、ネギと云った冬野菜の季節である。これらが実れば信州は漬け物のシーズンで冬を迎える。今年は、吾が家の柿は全滅状態であるから、スタバトークの吊るし柿は、柿を買って来て皮を剥いて軒下に吊るすしかあるまい。沢庵漬けの調味料としては、渋柿の干し皮は必需品であるからして。

 昨日は半干しの小魚のパック2ツで、佃煮もどきを作って見た。ぱっとしないお天気に、ラジオを聞きながら、それをツマミにウィスキーを飲んで、ほろ酔い気分に為って来た。

                  曇り空に 定位置 
               一杯ひっかけて 早や 遣る気 
                薄れる吾が身の だらしなさ

 遺憾いかん・・・挿絵を描く心算が、この体たらくで在る。今日はパスして、もう一注ぎして、一寝入りするとしようか。へへへ。


心何処ーショート 嗚呼、多様性は、目の保養にして毒為りや・・・。
            嗚呼、多様性は、目の保養にして、毒為りや。(10/4/13)
 本日、無風、灰色の曇天である。午後から金曜スタバトーク日である。太陽が無いとは、真に寒い限りである。山椒のアゲハ幼虫グリーンモスラ数匹も、等しく寒いらしく、老眼の目には止まらない次第である。

 家庭菜園の芽出し双葉も曇天の下で寒そうである。する事が無いので、顆粒肥料をパラパラ撒いて、朝賄いに台所に立つ。老母様は、毛糸のカーデガンを着込んで居る。私は昨日の寒さで股引を履いている始末である。

 重しを掛けたナス・キュウリの漬け物容器は、えらく沈んでいるが、未だ水が上がって来て居ない。粕漬けの本瓜をちょいと味見して見ようか。これも、学習の一環である。

 朝食後は、粕漬け甕に砂糖を加えて、調整である。さてさて、四畳半定位置で、『夢遊び』の読み直しで最後の校正をすると致そうか。

 纏まった文章を残すと言う事は、それなりの手が掛ると言う物である。字数を打って居る時は、如何しても目先に浮かぶ文字の<後追いに終始>して仕舞う。一応の分量を打ち終えて寝かして置けば、次に読む時には、打ち手の近視眼が読み手目線からと為る物と為る。詰まりは、絵からすれば、デッサンから色塗りの工程に入る次第なのである。

 これは可笑しな話では在るが、これが人間特性の『凝る』と云った五感回路なのである。打つ面倒臭さから解放されて、ちょこちょこ弄りである。これは<凝る愉しみの一つ>なのである。別の表現を借りれば、余裕の行為なのである。

 それが、10頁が、11頁、12頁、13頁と為るのであるから、面白いと同時に、真面目に遣っても、人間の能力などと云う代物は、大した事も無い不出来に出来上がっている物と実感される次第なのである。

 沈思黙考、千思万考の意味は真に大きな物が在る。高々一般人の文字打ちでさえ、斯くの如しなのであるから、表現を生業として持つ者は、如何に大変かとの思いに駆られる次第である。

 さて、お誘いのお電話である。すっかり黄色に色付いた長芋の葉である。初挑戦のムカゴ飯でも炊いて見ると致そうぞ。Tの車が来るまで、ムカゴ採りをする。

 スタバでコーヒーを待って居ると、金髪の痩せこけた女の後姿である。一体全体、どんな顔をして居る物やらと、振り返るのを待って居ると。

 アッジァ~、凄い顔をした婆ぁでは無いか。凄い物と顔を合わせて仕舞った物である。

「おい、見たか。」
「あいあい、ありぁ飛んでも無ぇ、詐欺バックだぜや。えらい物と目を合わせちゃったぜや。完全に夢で魘されちゃうぜや。飛んでも無ぇ婆だ。」
「俺は、ありゃ、男と睨んだが・・・」

 Tは私と違って<ゲテモノ観賞>をする男である。一方、私は飽く迄、美しき物への目の保養に力点を置いて居る。幾ら<見るだけ只アルよ。>と云われても、拒絶権は私に在る。

 二階に行くと、久し振りに客の入りが好い。私達の横テーブルには、例のエロ画観賞の同年代の男がコーヒーを飲んで居る。本日はヤッコさんの指定席には先客の中年女が居るから、例の古びた本は開かれては居なかった。
 窓際のソファ席には、短パンの太ももにタトゥーを描いたフィピーナがノートパソコンを開いて、パソコン電話でもして居るのだろう。いやはや、何処から見ても、格好付け屋・目立ちたがり屋のフィリピーナの小生意気な態度で在る事か。

 先日、YouTubeを見て居たら、ロシア・シベリア鉄道の旅が貼って在ったから、その話をする。

「如何だい、俺達もお努めが終わったら、乗って見ないか。ウラジオストクからペテブスブルクまで、一カ月程の旅だってさ。ちょいと張り込んで一等席に乗れば、個室のテーブルを真ん中に置いた両サイドに、ソファベットだってよ。食事は社内食堂だ。一か月も旅してりぁ、ロシアさんの顔馴染みも出来るって物さね。ジャンケンポンで部屋をバトンタッチで食堂って自由も利くだろうしさ。」

「おうおう、007じゃ、オリエント急行で、そんなシーンがあったな。」

「あいあい、ショーン・コネリーにダニエラ・ビアンキ、それに殺し屋・ロバート・ショウとの大格闘が在ったんだから、せせこましいファイトじゃなくて、大らか且つ激しくファイト出来るって事だいね。それにぁ、一等席だわさ。あい~。」

「う~む。そうかそうか。母為る大地・シベリア行か・・・悪くは無いな。あなたも、好き者だわな。ヒヒヒ。」

「あいあい、俺ぁ、あの映画観てさ、必至こいて覚えたもんさね。
           From Russia with love I fly to you,
           ロシアから愛を抱いて、君の元に飛んで行くよ
           much wiser since my goodbye to you.
         それが一番賢いと思うからさ さよならを言うよりも
           I've travelled the world to learn,
              世界中、飛び回って学んだよ
           I must return from Russia with love.
            僕の戻る処は愛するロシアからなんだとね

                 こんな好い歌、滅多に無ぇぜや。」

 こんな事を、鼻を伸ばして話していると、客が入って来た。さてさて、空間を譲って、外パッパのお時間とする。へへへ、先程の後姿・金髪嬢が歩いて行かれる。

「なぁ、好い歳かっぱらって、あれが男と云えば、今流行りの女装ファッションって事だろうけどさ。何かね、女房に先立たれて、潜在願望の女装妄想が、堰を切って全開って事かいな。
 それとも、女房を偲んで、女房の遺品のパンティ、ブラジャー、ストッキングまで身に纏って、恋女房と何時も一緒の思いなんだろうかね。
 それとも、侘びしき老後の一人暮らしに、適度の認知症が加わって、変態願望の全開沙汰ですかいね~。」

「まぁ、その内の一つには違い無かろうが、・・・ ああは、為りたかぁ無ぇな。何か知らんが、この頃、あの手が多いぜや。困ったもんよ。老後の趣味とは云え、精々の処が、Rのド助平位に留めて置かないと、日本は崩壊しちゃうわな。さてさて、爺、婆の食材でも買って行くかいね。」

 へへ、スーパーへ行けば、また会う。いやはや、自由にして多様性の世の中に住まうと言う事は、目の保養にも、目の毒にも付き合わなければ為らないご時世なのであろう。


心何処ーショート ったく、もう・・・誰が悪いんじゃい。
             ったく、もう…誰が悪いんじゃい。(10/3/13)
 やれやれ、昨日と一変して寒いじゃないの。何々、<着払いで、郵便局から返却せよ。>だと。こりぁまた、手の掛る事ですがな。適当なハコは在るかいな? 致し方無い事であるから、済ますべしである。朝食後は漬け物用の酒粕も大分余って居るから、個人スーパーに出向いて、ナス、キュウリを大量に買って来ると致そうか。

              風呂は、老母殿に先に入って貰おう。

 ペダルを漕いで町内の通りを行くと、番犬殿は地面に座布団を敷いて貰って<身を竦めて>寝て居る。昨日のだらけ寝とは雲泥の差の寝姿である。毎度の事ながら、その黒い柴犬は横着生物である事か・・・。
 この腑抜け馬鹿犬と比べたら、私は甲斐甲斐しく『好く働く賄い夫』で在ると云っても良かろう。

★幾ら何でも、飼い主が飼い犬に似ると云う事は無かろうから、きっと好い加減な飼い主なのであろう。ギャハハ!!

 個人スーパーの先輩レジさんから聞いた様に、確り塩漬けして砂糖で塩出しの漬けを2日して、水分取りの陰干し、粕漬けの工程を複唱しながらの塩漬けで在る。帰って来て、漬け物容器を出して、長持ちする様に大目に塩を振る。ヨッコラショと漬け物石を重ねる。

 私は漬け物大好き人間であるから、市販の漬け物は好まない。従って、好きな漬け物の為なら、手間は惜しまない口で在る。手間には大差が無いから、漬けるなら大目に漬けて配るのも歳の効用と云った処である。

            風呂に入って、マイタイムである。

 昨日のUP記事を読んで、ドキュメントを開いて誤字脱字、言い回しの訂正をした後は、他ブログ徘徊をする。新聞は取って居ないから、ネットでニュースを読む次第である。昨日は10枚を読み直して、加筆校正をして11枚と為った『夢遊び』の一篇である。
 
          まぁ、そんな次第で隠し玉を持つと、気が楽な物である。

 金魚水槽に水を補給したり、餌を施したりの煙草吹かしで、お気に入りの歌CDを掛けて時間潰しを始める。朝から降りそうで降らない重い曇天の寒空である。

 ぱっとしないお天気さんに、水槽金魚は、私を目に欠伸を仕出かして居る様である。昨日のラジオニュースでは、此のまま人類が地球温暖化防止策を採らなかったら、今世紀末、地球の温度は4.8℃の上昇との事であった。

 平均温度が上昇すると云う事は、昨日、今日みたいに、日替わり温度格差が増大すると云う事も含まれて居るのだろうか・・・ いやはや、人類は大変な世紀に足を踏み入れて仕舞った物である。

 世界CO2排出国の両横綱・米中がそっぽを向いている世界である。両国ともに、世界大国と豪語する割には、酷い鉄面皮のお国柄である。国益ゴリ押しして、地球滅ぼすなんて地球賊に為ら無きぁ良いんですがね。

 遺憾いかん・・・寒いですがな。もう一枚着込んで、靴下でも履かない事には行けませんがね。ったく、もう・・・誰が悪いんじゃい。この罰当りが~。
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