旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート ウダウダの長駄文為り。
              ウダウダの長駄文為り。(9/30/13)
 本日は、九月の最終日。いやはや、日流れの呆気無さには抗する術も無い。午後から曇りとの由。曇りなら、塩出し中の縞瓜を出して、ネットで陰干しするには丁度好かろう。

         食後の妖怪様への漫談ご機嫌伺いをした後は、それをする。

 昨日は上天気で、家の前の川でハヤ釣りをして遊んでいたから、大分陽に焼けた。川相がすっかり変わって、水は綺麗な物の・・・次々と釣れるアブラハヤはスリムそのものである。今まで草、葦茫々の場所が台風18号の大激流ですっかり流れが変わって仕舞った。それ故の水中昆虫の無さ、栄養分の無さに起因して居るのだろう。

 手を掛ければ、それなりに食せるアブラハヤでは在るが、面倒であるからその気には為らない。一度、秋のまるまる太った奴を初挑戦として大量に釣った事が在る。臭い腹わた、浮き袋を取って、塩水で滑りを取って唐揚げとし、ニンジン、タマネギをスライスして赤唐辛子を振って、甘酢の南蛮漬けとしたのである。
 味は悪くは無かった。小アジの南蛮漬けよりも、物が川魚であるから、どちらかと云えばワカサギ風味であった。そんな次第で、好んでアブラハヤを採る人が居るとの話に、合点した次第でも在ったのだが。

 然しながら、手が掛り過ぎるのが難点である。そんな次第で端(はな)から、後腐れの無い釣り遊びだけである。釣った物を其の儘、放すのも面白みに欠けるから、バケツに水を汲んで釣り上げた物を入れて行く。

 水を並々と汲んで置くと、ハヤのヤツはスウーと水面に浮かんで来て、ジャンプして『ザマァ、見遣がれ』の段で逃泳するのである。その何処と無く私を窺がっている様な水面上昇の様が如何にも、<白らばくれている>から面白い。

 上から見下ろしている私は、どんな馬鹿でも釣れる<役立たずの馬鹿っハヤ>と見下しての釣り遊び。一方、ハヤの方としたら、釣り上げたと云って鼻高々の馬鹿人間。こちとらは、ジャンプ一跳びで川の中へである。<人間の馬鹿さ加減>には呆れ果てる。

 私の方は、どうせ最後にはハヤを川に空けて来るのであるから、如何と云う事は無いのである。そんな次第で、昨日は二度もハヤ釣りで遊んで居たのである。

 昨日は一日中、家の中に居るのが勿体無い限りで在ったから、家庭菜園の小石を拾ったり、山椒の小木を覗き込んで、並アゲハの幼虫を探したりで遊んで居た。アゲハの幼虫は何齢かは知らぬが、立派なモスラ姿と為って居た。自然界の偽色とは、良く云った物である。動かずに居ると、殆ど見付ける事が出来無い。この程度の木にはどの位の数が適正数なのかの小学生並の観察で、老眼の目を凝らして数えると5匹+アルファの様で在った。
 
  山椒の小木には、並アゲハがヒラヒラ訪問して居たのは、良く承知をしている。

 庭には後二か所、自生して居る物が在る。暇で在るから、それらを覗きに行くと、幼虫は見られ無かった。アゲハのメスも大した物である。

 一シーズンだけの短命で終わる蝶の一生であるから、蝶個体に然程の学習効果が在るでは無かろう。本能に属する木の大きさのチョイスと、産み付ける卵の数の認識たるや、いやはや・・・大した物である。
 地球人口今や70億人で、飢餓に悩む発展途上国、少子化に頭を悩ます先進国。果ては、自国民の食糧確保の為に、形振り構わずのランド買いに狂奔する人口大国、食料安保と云って、世界マネーが先物市場に殺到して、価格だか儲けだか分からない金融砂塵が地球を旋風(つむじかぜ)の様に舞い上がり続ける人間界である。

 何か在れば、それは生存としての本能、欲望としての本能などと、聞いて呆れ返る程の手前勝手の理屈をこねて、生意気面を押し通す人間界である。

 馬鹿野郎!! 利いた風な屁理屈を臆面も無く並べ遣がってからに。土台、アゲハと山椒の木の<本能バランスの妙>も観察出来ずに、ペラペラと活字本の頁捲りして居るだけの人間が、何を猪口才な事を言ってケツかるってな物である。

『本能には自制のブレーキも内蔵』されて居る事を見落として、何とするかである。動物界の自然界の営みと、人間界の自然界への営みが、生命力学の点で斯くも分断されて終っては、地球は滅びへの道を一直線に転げ落ちるだけの未来でしょうが。

 つくづくと、経済効率主義・楽主義の蔓延する人間界の現ご時世たぁ、無慈悲にして無情の身勝手界って事なんでしょうね。

            朝のテレビで、マークシートを見た。

 ありぁ、如何見たって、色気も屁った呉れも在りませんやね。無味乾燥なテストペーパーですがね。変な話、マークシート→ゲーム→携帯・スマホ→個人個人の連動ザマ→無機質現代風景なんて図柄が、脳裏に投影されてしまいましたがね。へへへ。

 学校試験なんて物は、何処も彼処もマークシート一色。黒く塗り潰して、パンチングすれば自動的に採点の仕組みである。へへ、機械装置丸投げのご時世ですがな。世の中全て、○×で出来上がってる訳では無ぇのに、真に以って好い加減な物である。

 ○×の間にぁ、聞くも涙、話すも涙の人間悲哀が、・・・・と膨大無辺の形で横たわって居るに、結論、管理が出来無ぇからと、敢えて安易の領域を抽出して、○×で事を済ませて仕舞う。

 教え、教えられて行くのが、本来の人間社会の営みなんでしょうが、授業で教え、試験問題を作り、採点して、生徒の学力・性格を知って対話して行くのが、教師の本分との弁えも足らずして、教師は管理社会でガンジガラメで生徒と向き合う時間も無いと、尤もらしい責任逃れをして仕舞う世の中で在る。

  教員の職務は、ベルコンベアに張り付く一工程を受け持つのが職務では無かろうに。

 その気に為れば、私の様な好色ヤクザもどきのスカンポ脳でも、穏やかな秋の日差しの中で動かず山椒の緑葉の中で、偽色で身を太らせながら、長い信州の冬を蛹に変身して春を待つ並アゲハと、山椒の小木との共生関係も見えて来る筈で在ろうに。こんな思いを蝶の種類、食性、一生のマークシートだけで、教師と生徒の往復書簡など叶う筈が在るまい。市販テストの転用でも、工夫一つで、人間は賢くも無機質にも為るのである。

 ヘヘヘ、本日も、性懲りも無くウダウダ長駄文にて候。何の役にも為らぬブログ樹海の辺境ブログへの御訪問に感謝感謝の極みで在りまする。

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心何処ーショート 家に居るのは、勿体無しや。
             家に居るのは、勿体無しや。(9/29/13)
 昨日の日中の暑さに、久し振りに夕刻のジョロ散水をして遣った次第である。本日も、上天気である。植物は水分には素直に応えて呉れる物で、活き活きとして朝に収まっている。

              その素直さ、愛でるべしである。ハハハ。

 小さな家庭菜園も夏野菜が一掃されて、最初に蒔いた種からは発芽がされている。発芽して居るから、畝にはジョロ散水をしている。端には今や、花としてのシュンギク二株が、黄色い花を咲かせているし、種を一杯蒔いた積りが、たった一本だけが成長したタカノツメ唐辛子が、青い実を付けているだけである。野苺と化した苺の群生の中には、時忘れの白い小花が咲いている。家庭菜園の今の収穫物は、ミツバだけである。

 ミツバを摘んで、チョイと老母殿に精を付けるべく、朝飯はカツ丼と致そうか。山椒の小木を、丹念に辿って行くと緑の幼虫が居た。この歳に為ると、そんな小さな物の発見が嬉しく為るものである。家庭菜園で野菜を作るのも、何割かが<昆虫達への場の提供心>からである。

 聞く処に依ると、蝶は一種類の葉だけを食して立派な蝶と為ると云う。クルージングで家を数日空けて帰って来て見ると、ミツバの葉ッパだけが無く為って、茎だけがツンツンと残っている奇妙な様であった。どんな幼虫が食べて居るのか一切不明では在るが、これも小さき物達との葉の共有と云った処で在ろうか。蛇、鼠達との場の共有は一切困るが、ロートルとしては鳥、蝶、虫達との共栄は望む処である。

 ゴボウの残りが在るから、薄く先欠けをして、これまた残りもののネギをタマネギの代用として、カツ丼を作る。溶き卵を小鍋一杯に回して、上にはミツバを乗せて、蓋をして弱火で蒸らす。好い具合に熱が回って、一件落着である。丼に飯をよそって、へへへ、チョイと婆さんには分量が多かろうが、これも残り飯整理の一環で在る。協力すべしである。

 私の方は、朝から特盛りカツ丼の態なのであるから、頑張って貰わねば困るのである。

 私は早飯食いの性質である。老母殿は、普段でも私の3倍以上のスローモー食事である。味も出来栄えも、悪くは無い。時々、毛色を替えてスパゲティ、カツ丼、豚丼などを作って遣ると、時間を掛けても完食してくれる。そんな次第で、食欲が細って来ると、目先を変えて老母の食欲を誘っている次第である。


 私は奥ゆかしい人間であるから、<妖怪なんて代物を騙すなんざぁ、チョロイもんである。>なんて、白髪頭の上からベロを出す様な事は、極力避けて居る次第でも在るのだが・・・。

 テレビは詰まらない事、夥(おびただ)しい。それでも、日曜日であるから極力老母の部屋に居て、ご機嫌伺いの漫談でもして遣りたいのだが、・・・ 腹一杯で、好きな日本茶もそんなに入る容量も無い。

 興味無しのテレビにはお付き合いなんか出来ないから、空気の入れ替えで廊下の戸を開けようとすると、カマキリが、サッシの陰で日向ぼっこである。滅法、庭には赤トンボが飛び回っている。

                いやはや、秋ですなぁ~。

 本日、日曜日。ソーセージを餌に家の前の川で、ラジオを聴きながら、お馬鹿ちゃんのアブラハヤでも釣って、時間潰しでも致そうか。ハヤ遊びをして、打ち掛けの夢話の起承転結でも捻るのが頃合いのお天気具合である。さてさて、すっかり川相が変わって仕舞った水中には、何が居りまするかな・・・。

         家に居るのは、如何にも勿体無い、外の空気のお招きで在る。


心何処ーショート 快晴為れど、寂寥感在り。
               快晴為れど、寂寥感在り。(9/28/13)
 今日も、実に好いお天気さんである。一昨日見た夢を膨らませて、本日のブログアップの心算で在ったが、回り道をし過ぎて途中頓挫の息切れである。只今、4頁の運びでは在るが、此処まで伸びて仕舞ったのであるから、何日か掛けて妄想を膨らませる事にする。

 奈良漬用の塩漬け本瓜の、塩抜きの漬け込みも解除する。表面の塩気を水洗いして、干しネットに並べて小半日の干しをする。暑い位の日差しに好い具合に水分が抜けたから、漬け物用の粕を容器に出して、ザラメ、白糖を適当にぶち込んでヘラで掻き混ぜる。こんな・・・<何は無くとも、漬け物>作りを何度かして居ると、手が汚れない方法を工夫する物である。

  ★やっぱ、俺ぁ、馬鹿じゃなかったぞい。これだと一切、手は汚れない。アハハ。

 掻き混ぜ終えて、甕に粕を敷いて、瓜を皮を上向きに並べ、ヘラで粕を置いて瓜で粕を押し付ける様にしてグイグイと並べて行く。暫時、その繰り返しである。白瓜4パック分は、甕にテンコ盛りの状態には為ったが、丁度良かろう。上に二重にラップして、蓋を被せる。後は台所の隅で、粕が回って、馴染むのを待つだけである。

 さてさて、お徳用の漬け物粕が、半分以上も残って仕舞った。止む無し。明日は日曜日であるから、個人スーパーに冷蔵庫用の第二弾を作ると致そうか・・・ 上手く行けば奈良漬は、高級品、貴重品である。私の漬け物ファンは、何人か居るのであるからして。

 個人スーパーは、地元農家からの仕入れで在るから、値段が安い。序でに野菜類を買って、お目当ての瓜の塩漬けを買う事にする。白い大振りの本瓜は既に売り切れている。代わって青い縞の入った縞瓜が、6パック在る。2パックを買いレジに行くと、今年の瓜は、これで最後との由。最後と為ると、意地汚くなるのが、人間の性と云う物である。もう1パック買って、3パックを後に譲る。

        小振りの縞瓜であるから、出して使う分には姿形が丁度良かろう。

 地元産のマツタケが見栄えの良いケースに入って居る。<今年は生り年で安いから買わないか>と言われたが、3本で6000円の値入れがして在る。へへ、吾が貧民家庭の食卓では、先日買って味噌汁とした『雑キノコ』が精々の身の丈である。

 売れるかい?と聞くと、売れて居るとの由。歳老いた親が、都会の子供に送って遣ると云って、買って行くそうである。好い話である。お役御免と為った老後の親の有り難さを噛み締めて、親の心を食すべしである。親の務めを果たしたら、田舎に帰って親の面倒を見るべしである。
 
 さてさて、自転車にマイバックを乗せて、秋の暑い日差しの中を、ゆっくり帰る。虫の声も、蝶も、バラの花も、快晴に好く映えている。番犬はだらし無く、土の上で寝て御座る。公民館の下のお宅では、老兄弟と思しき老人が二人が、雨避けの波板の張り替え作業をして居られる。下では腰の曲がった女房殿が、片付けとゴミ掃きをして居られる。

 こんな姿を見ると、子の去った老人家庭とは、寂しいものと思ったり、皺皺顔の老後高齢者夫婦の生活に微笑ましさも感じる次第でもある。

 まぁ、人と生まれて成長し、伴侶を得て家庭を持ってがむしゃらに働き、子育てを終えて、夫婦二人の生活の中に歳を重ねて、老境に至る。人の一生は、円を描いて無の土に還る、傍目には寂しくも辛そうにも見え様が、これもまた円を描く人の一生でも在ろう。

 吾が家のキリギリスケースも、オスは死に絶え、残るは鳴かないメス2匹と為って仕舞った。

 遺憾いかん・・・人相風体悪しき、熊男が感傷に耽って居ては、前には進まぬ。へへへ、柄では無かろう。無風にして、天気快晴為れど、夏を閉じた秋の進みは、何かと寂寥感を誘って来る物である。

 買って来たカボチャを煮て、縞瓜3パックの塩抜き作業に入る。軒下の小鳥達は、快晴の日差しの中で、些か暑かろうが元気な物である。何事も無く一日は、実に呆気無く過ぎ去って行くばかりである。


心何処ーショート 女盗賊頭に託けて・・・コーヒーブレイク為り。
           女盗賊頭に託けて・・・コーヒーブレイク為り。(9/27/13)
 
      朝食を終えて、今朝見た夢話を打って居ると、Tからのお誘い電話である。

 午前中は<風僅かばかりに、天気快晴為れど風寒し。>で在ったから、長袖である。

「やいやい、信州のお山には雪だってよ。昨夜は寒くて往生したわね。」
「俺は寝ちまぇば、朝まで安泰だぜな。処で婆さんの方は、大丈夫か?」
「ああ、留守にすると毎度の事で、気分解しには一週間、10日の時間が掛らぁね。兎角、女は扱い難い生き物さね。まぁ、トックリと話を聞かせて遣るぜ、待ってましょ。」

 土手道から大通りに折れると、歩道にスタイルの良い学生である。

「ありぁ、日本人の腰付きじゃないな。S大留学生だな。何処の国の女かね?」

 小柄にして色白、癖の無いストレートな黒髪。整った顔立ちは、如何にも利発そうで在る。近くにはS大留学生の寮が控えている。アジアの何処の国か、大いに興味が沸いた次第である。

 スタバの二階席は、ブラインドは下りては居るが、ムンムンと太陽熱で長袖姿には暑さを感じる。

「さっきの話の続きだけどさ。此処ん処、ズッポリと鬼平さんに嵌って居るから、池波正太郎さんの女観がさ、為るほど成るほどとイッヒッヒ笑いの連続でさ。
 岩下志摩さんの女盗賊の頭役が、堂に行っててさ。物語は、志摩姐御の<平蔵の奴、好い気に為り遣がって、今に見て遣がれ。>で始まるんだけどさ。
 何でも若い頃、惚れ合って居たのに、無頼の徒からお家相続の身で、『袖にされた』のを根に持っての意趣返し・平蔵殺しの算段を張り巡らせる陰湿女を、演じて大女優さん、凄みの演技よ。
 ラストシーンのお縄頂戴の時にぁ、平蔵さんをして<改心する人間も居りぁ、性根のねじ曲がった人間は性質が悪い。特に、女の性根のねじ曲がった奴ぁ、手の施し様が無ぇから、厄介だ。> 何しろ押しも押されぬ大女優さんの貫禄だから、性根のねじ曲がり方が、尋常じゃ無ぇんだわさ。顔好し、演技好しと来た日にぁ、抜群の実在感よ。あんな女見せ付けられたら、こっちゃ、縮み上がって、立つ物も立ちゃせんわね。ギャハハ!!」

「ハハハ、お縄を頂戴しないで、97の妖怪様にぁ、Rは手も足も出無ぇって事かいな。」

「あいあい、途中を端折って結論付ければ、そう云う事だいね。それともう一つ、艶大年増姐御沢たまきの演ずる女盗賊の頭が、これまた様に為っててさ・・・ 密偵おまさに依ると実年齢は40に為ると云うのに、滅法若くて妖艶女で30そこそこにしか見えないんだってさ。その女盗賊の頭は、股ぐらが最大の武器らしくてさ、押し込もうとする大店の若衆を股ぐらで昼間から茶屋に垂らし込んで、店の内情・見取りを聞き出して、一人残らず口封じに惨殺しちゃうって飛んでも無ぇ盗賊さね。勿論、若衆も用が済めば、あの世行きさね。

 お仕事前に、伊藤雄之助の倅さんが、<お頭、そろそろお支度を>とたまき姐御の部屋に行くとさ、『如何だい、こっちへおいでよ。好きなんだろう。うふふ。可愛がって上げる。』と来たもんさね。

 子分も用心棒の浪人達も、みんな股ぐらでの飼い慣らしだわね。丸で、女王蜂見てぇ冷血女だいね。物語だからさ、例に依って盗人宿に、火盗改めが一網打尽に踏み込んでの大立ち回りがラストなんだけどさ。一向に、沢たまき姐御が出て来ない。部屋を次々と探し回った挙句、用後の洗いで湯船で素っ裸の姿の儘、手首を剃刀で切って、息切れて居たってラストだ。

 平蔵さんが顰め面で言ったねぇ~、こんな女の顔なんぞ、見たか無ぇて、唾吐きのシーンで終わるんだけどさ。」

「そうかい、懐かしいね。沢たまきはハスキーボイスで、色ぽかったしな。お股を開いて、元手の掛らない男調教は、女の最大の武器だぜな。あい~。盗族なんて荒ぽい仕事は、若く無くちゃ出来んしな。
 俺達みたいに、ロートルに為っちゃ、折角のお零れに在り付けても、その時に為ら無きぁ、言う事を利くか利か無いかが、分かりぁし無ぇしな。女って奴は、中々に計算高い。立た無ぇ奴なんか、急ぎ働きにぁ、何の役にも立たんからな。へへ、物語の行間を読みゃ、池波正太郎先生、幾つの時の一篇かね。イッヒッヒ!!
其処へ行きぁ、バイアグラのご時世とは、儲け物の御代だんね。あい~。」

「まぁ、その手も在るけど、折角の御利益でも飲み過ぎて、火盗改めに現場に登場されて見ろや。薄皮一枚で刀を交わしたと思ったら、臍下三寸の勃起物をスパンと切り落とされた日にぁ、元も子も無かんべや。男の逸物を落として遁ズラ出来ても、後が行け無ぇだろ。」

「それも、そうだな。銭湯にも入れ無ぇと在っては、男、末代の恥よの~。他には面白いのが無かったかい?」

「おお、そうだ。岸部一徳がゲストでさ。女優の方は名前は知らないがさ。店を持たない真面目一方の小心者で、腕は優れ者って云う出向き髪結いの話が在ったな。一徳さんの恋女房が盗賊団に誘拐されて、大店と平蔵の暗殺を企てるってストーリーさ。
<弱い男は大嫌い、男は乱暴でも強く無くちゃ価値が無い>って女でさ。盗賊団に代わる代わる遣られて居る内に、すっかり味を占めちゃう女さね。<此処まで来たら、仕事は成功するから、お前一足先に、大阪にふけろ。俺の帰りを待って居ろ。>って事で、女は弱虫亭主を見限って腰をフリフリ大阪さね。物語だから、全員斬られたり、お縄を頂戴して事件は一件落着だ。

 平蔵さんが言ったねぇ~。<女には、過去も未来も無い。在るのは、現在だけだ。>ってね。」

「そうか、女はバギナで感じ、男は頭で考えるってセオリーで、永遠の平行線って奴だな。どれどれ、好い天気だ。外でパッパ吸うかいね。あい~。」

 お互い好色ヤクザもどきのロートルコンビで在るから、この位の話の方がリラックス気分には丁度良い。ひひひ。

 外へ行くと、ベンチには可愛い娘っ子がスマホちゃかちゃかの最中である。一服吸い終えて、ホームセンター、スーパー回りである。今日の昼は、面倒だから掻き揚げ天ぷらに、チクワ天ぷらを乗せて、うどんで逃げるべしである。

 T曰く。
「爺っさの野郎、孫が来ると。<うどん、らーめん、パンしか食わせない。困った父ちゃんだ。>ってさ。この前はさ、そろそろ涼しく為って来たから、押し入れの布団干して、布団カバーに入れてたら、<おうおう、女みたいに良く遣るわ>と来たから、糞爺っさ、『寒く為って来たから、爺っさの布団の世話だ。』と言って遣ったら。<あっ、そりぁ失礼を。有難うさんだねぇ~。申し訳無い。>と扱きぁがる。阿保らしくて、遣っちゃ居れんわさ。まぁ、言って見ても、しゃー無い事だけどさ。」

「まぁ、男同士だから、未だ好いわさ。俺の方は何しろ、妖怪婆だから、手が焼けるわさ。」

 まぁ、お互いの爺っさ、婆っさは、孝行倅の扱き下ろしにクシャミでもして居るのであろうが、それも介護料の内でも在る。大クシャミの連続で、鼻の通りを確保して置くのも、長生きのメインテナンスの一つですがな。ニャロメ!!

心何処ーショート お薦め・・・中村吉衛門・鬼平犯科帳シリーズ
           お薦め・・・中村吉衛門・鬼平犯科帳シリーズ(9/26/13)
 時代劇がすっかり形を潜めて仕舞ったから、寂しい限りである。私に言わしめれば、勧善懲悪を示し、情と温情の綾で物語を構成する時代劇は、日本人の精神性を謳う一大エンターティーメントその物である。このシリーズは、日本の大衆娯楽の伝統を踏んだ集大成でも在る。少なくとも、私はそう思う。

 日本の話芸には、偉人伝を格調高くビシッビシッと語らせる講談が在り、庶民の英雄伝を節を作って唸り、語る浪花節が在り、庶民の下世話話を手振り、身振り、顔相、声色で語って見せる落語が在る。そんな語りの世界を劇にしたのが芝居小屋の世界である。

 私は戦後世代であるから、生憎町々を回る旅芝居の思い出を持たない。辛うじて、小さい頃に花見時に為ると、旅芝居の舞台が立って居た記憶が在るだけである。それも極幼少の頃であったから、大人達が大勢集まって酒を汲み交わして一日を過ごす。そんな微かな光景の記憶が在るだけである。

 その舞台で何が演じられて居たかには興味は無く、近所の餓鬼大将の後に付いて、朝、その舞台の周辺を銭拾いに行って、見物客の落して行った小銭を拾って、浮き浮きと駄菓子屋で籤を引いて、チンケな小紙を舐めて、アタリ、スカの透かしに一喜一憂して居ただけの餓鬼であった。いやはや、育ちの悪過ぎた餓鬼の端くれで在った。

 今思えば、もう少し大人びて居れば日本の良い文化、芸能の残滓を記憶に辿りつつ、現在の妄想の一助としたかったのであるが、真に惜しい事をして仕舞った。そんな感頻(しき)りで在る。

 さて前置きはこの位にして、時代はITの嬉しき御世に為って、PC個器でYouTubeで色んな時代劇を、任意の時間チョイスで、自分の好み、一存で、心置き無く観れるのであるから良い時代と成った物である。何度も打っている次第では在るが、中村吉衛門の<鬼平犯科帳>を毎夜観て居る。何しろ、そのシリーズのボリュームは群を抜いている。

 それは取りも直さず、日本国民が太鼓判を押すほどの大人気シリーズであった証なのである。

 YouTubeでの、そのラインアップの充実たるや・・・、思わず涎が落ちる処でも在るからして、ブログ樹海の辺境地に位置する吾がブログの迷い込んだ御訪問者の紳士淑女各位に於かれては、一度、その世界に嵌り込んで貰いたい次第である。

 私は無類の映画好きで在るから、映画・ドラマには、ちょいと煩い。ご存知007シリーズ、インディ・ジョーンズ、ハムナプトラ、シャーロック・ホームズ、名探偵ボアロシリーズなどを抜いて、ぶっち切りの断トツのラインナップを誇るシリーズ物であろう。日本贔屓の身としては、<シリーズ物の金字塔>と形容しても、強(あなが)ち詐欺では在るまい。

 恥ずかしながら小説を読まない男では在るが、きっと原作者の池波正太郎さんも、シリーズのどれを採っても出色の出来栄えに、大満足の口で在ろう。
 劇画本好きのM氏などは、私にちょくちょく<さいとうたかお>の鬼平犯科帳の単行本を差し入れをして下さる。さいとうたかおと云えば、ゴルゴ13ではあるが、私は日本人離れしたゴルゴ13の世界より、江戸情緒たっぷりの鬼平犯科帳の世界の方がしっくり来るのである。

 私の好きなドラマシリーズには、水谷豊の『相棒』と沢口康子・若村真由美の『科捜研の女』が在るが、中村吉衛門の鬼平犯科帳シリーズと比べると、別次元のシリーズ物である。

『相棒』『科捜研の女』は、共に推理劇であるから、扱う世界が違う。推理劇の構成は、事件への結果と動機、犯行、トリックの物証的起承転結の冴えが、その見せ処である。その起承転結をドラマを見ながら、自分自身で先回りをしながら、キーと為る台詞・表情に目を配らせながら、時間配分の1/4,1/4の起承転結を追いながらのシナリオ作家、監督、役者の力量を見て行くのが、ドラマの楽しみ方なのでは在るが・・・

 世界の拡がりに欠ける処が、映画、ドラマとしての限界点と云った処だろうか・・・

 一方、中村吉衛門を中心にして、江戸家猫八、蟹江敬三、綿引洪、梶芽衣子の密偵、同心の高橋悦二、御木本伸介、尾美としのり、勝野洋と云った重量級の芸達者の面々が、毎回を脇をギュッを締めて、盗賊役と為るゲストの役者さん達が<鉄壁の鬼平軍団>に戦いを挑んで来るシリーズ物である。

 此処には勧善懲悪の命懸けの戦いが繰り広げられて居るのでは在るが、それは表向きの事で、シリーズの中身は毎回変わらぬ敢然と悪の前に立ちはだかり、悪を切って捨てる。勧善懲悪のストーリーにして、情を描いたシリーズで在る。組織・個々の人情に、目配り気配りをして、清濁併せ呑んで手配し、敢然と指配、犯罪を処断する。<鬼と仏が同居する長谷川平蔵>の法と義理人情劇が、シリーズを横断する真骨頂なのである。

 組織が、組織に集まる個々に、義理と人情の縦糸・横糸が織り込まれて、一枚一枚の柄が施されて行く・・・これが、鬼平犯科帳の世界である。そして、この世界には、講談の語りも、浪花節の唸り、落語長屋の熊さん、八っつあん、御隠居さんの身振り手振り、声色も存分に入れ込んである。其処の秀逸さが、日本の一大エンターティーメントたる所以なのである。

 演ずるは、伝統歌舞伎の御曹司・中村吉衛門である。立ち振舞いも、音声・声色、テンポ、眼技も腰の据わりも殺陣も、鍛え抜かれた本物芸である。劃して親父さんの当たり役・鬼平犯科帳の枕に<中村吉衛門の一枚看板が立つ>のも道理と云う物であろう。

★言いたか無ぇが、馬鹿な左巻き義務教育をする位なら、勧善懲悪の義理と人情劇の鬼平犯科帳を、義務教育の中に取り入れて遣った方が、もうちょっいとマシな情操教育が出来ると云う物であろう。

 へへ、こんな本日のブログ日誌を打ち始めて居ると、昨日の記事を心配して、SNちゃんから、私の声が聞きたくなったとの事で電話を頂戴して仕舞った。そして、hachiman01さんからも、労わりのコメント。昨日のおっちゃん事・MacoTan氏のコメント返しの温かいエール共々、ブログの交わりに感謝感謝の気持ちである。
 然しながら、機械とは奇妙な物にして、吾がナニワのmaso♪大明神様へのコメントが、『書き込み制限』とやらで、何回アタックしても不通の段には困った次第である。

 本日、台風の影響で、いやはや『寒い風立ちぬ』の状況である。先日、整理畝に種を蒔いた処、芽が出て来た。それでもう一方の日陰畝ではあるが、其処へホウレンソウ、白カブの残り種を蒔いてジョロ散水をして置いた。まぁ、収穫は期待薄では在るが、これも時間潰しのロートル日常と云う物である。ニャハハ。

         さてさて、寒い日は、風呂で温まるのが時間潰しの一つでも在る。


心何処ーショート こんな時も、偶には在らぁね。
              こんな時も、偶には在らぁね。(9/25/13)
 さてさて、午後一でケアマネさんのお越しとの事である。見栄の月に一度の真面目掃除と致そうか。こんな時で無いと物臭男所帯と云う物は、真似事掃除だけで汚れ、埃が、加算されて行くだけの事である。

 家中の空気が入れ替わって、埃がフワーフワーと家から追い出され行く次第である。面倒なガステーブルも油汚れが落ちて、洗顔髭剃り後の小奇麗さである。さてさて、ノルマ達成で30分程のマイタイムが出来た。紅茶袋が一つ在ったから、それで喉を潤す。幾ら物臭ロートルと云えども、この位の身体動かしをしないと夜散歩時にムラムラと良からぬ行動発作に及んでしまうかも知れぬでは無いか。

 遣り付けぬ事をして仕舞ったから、午前中の快晴は何時の間にやら雲の出張りと為って仕舞った。これも台風の余波であろうか。平日の昼下がりは、微風が吹いて静かな物である。先程、キリギリスの世話をして来たが、今年のキリギリスは短命である。死んでしまったオス籠であるから、残ったメスを別ケースに入れて、卵を一杯産み付けた土を庭に埋めて遣る。

 今年初成功の川原のキリギリスの卵は、台風18号の激流に表土を毟り取られて、強制移住地に命を繋ぐ事は叶わ無かったに違い在るまい。自然界に在っては、全ては自然任せの成り行きに任せるしか術は無いのであるからして。

 予定時刻に成って、ケアマネさんの御来宅である。へへ、体調悪い老母殿は、如何なる態度で接する事やら・・・

 老母様は帰って来ると、何時もの様に機嫌の悪い顔をしている。弟が私のケアをしようと連れ出して呉れるのは有り難いのだが、留守をすると決まってこんな感じに為る。気難しい性分と体調の悪さが重なり合うと、血を分けた親子では在るが、戯けを演じられ無い母の出来の悪さには、処置無しで腹が立つばかりである。
 私も極普通の人の子であるから、こんな山姥状態の母を見て居ると、感情が苛立って来る物である。然しながら、決めた以上は、馬鹿、ロボットに徹するのみ。依って、ぼやいていても『詮無き事』である。へへへ。

 ケアマネさんも、話をしない、笑顔を見せない母に、調子が出無い様である。<絵は有りますか>と振られて、この処、夢奇譚を打って居ないから、この一カ月の間では一枚だけである。
 先日の息抜きで、SNさんが一杯撮って呉れたクルージング、鎌倉・横浜の写真を持って来て、楽しかった模様を話す。然しながら、体調悪い老母殿は、一切話しに加わろうとはしない。

 いやはや、困った御方である。体調優れぬ時は、ベットで安静しかあるまい。変に口を滑らせて仕舞ったら、一大事である。やれやれ、<触らぬ神に祟り無し>の心境である。

 老母の前では話せないから、ケアマネさんのお見送りに託けて、外でお話申し上げる。

「大変ですね。介護には苦しさ、感情のワダカマリが付き物ですからね。」

「御明察。へへ、そう云う事ですわ。生身の俺の中には、日々黙々と介護をする自分が居て、兄弟としての自分も、親としての自分も、友達関係としての自分も居る。ご近所さんの中での自分も居る。単純明快の中じゃないのが社会生活。そんな中で息をして行くのが、紛れも無い生身の人間の生活・感情だしね。
 バランスを欠いたら、人間って奴は変な方向に行っちゃいますからね。婆さんも大変だけど、俺も外で楽しい事を遣って来ると、賄い夫の日々が鬱陶しく為るもんだしね。反省ばかりもして居れないのが感情人間ですわ。へへ、人間が出来て無いから、困ったもんですわ。」

「Rさんは、奥の深い事を言いますね。分かりますよ。私は職業として、ケアマネして色んな家族を見て来て居ますからね。自宅介護の裏側は大変ですよね。おバァちゃん、夏の疲れがどっと出てるんですよ。それに、今日は蒸し蒸しと暑いし、体調が回復すると良いんですけどね。
 おバアちゃん、頑張り屋さんで矍鑠として居るから、気難しい処が在るし・・・でも、介護するRさんは、それ以上に気持ちを一定に保って居ないと、介護は出来ませんからね。愚痴を溢すのも、精神衛生上、必要ですよ。何でも言って下さい。自宅介護は、介護される者と介護する者の二人三脚ですからね。」

「はい、有難う御座います。Hさんの顔見て、話すだけでも、気持ちが和やかに為りますわね。世の中、俺みたいなのが何万、何十万と居るんだから、限り在る命に向かって、お努めをして行かなくちゃね。
 無期限の介護なんて物は、世の中には存在しないしね。その内、何時かは解放されますがね。俺も大変だけど、見える目を持つケアマネさんも大変だ。毎度の事で、体調が戻るでしょうよ。へへへ、家を留守にすると気分を解きほぐすのにも、時間が掛りますわね。」

     へへ、そんな立ち話で終わった今月の介護ケアの頂戴であった。

 さてさて、布団でも取り込んで、針に糸通しをして足掻いて見る事に致そうか・・・

 針の穴に糸が通らないのであるから・・・タイテのコラサで、人間歳は取りたくは無いものである。老母の部屋が明るいから、廊下でご太い指で、針を打つ。何か気配がすると思ったら、ベットで死んでいた筈の山姥妖怪様が畳をいざって来て、目を細めて眺めている。老母様は、皺皺に成って血管の浮き出た老衰の腕を差し伸べて来る。

          へへへ、ピエロとは哀しい生き物である。

「いいだいいだ。97の目より、俺の目の方が利くわね。少しは、腹に何か入れた方が良いぜや。晩飯には程遠いからな。」

 月に一度の見栄張り掃除に際しても、テレビを切って私の掃除が終わるのを待って居る老母様である。オヤツを出して遣っても、自分一人では絶対に口にしない大正女の老母様である。

 何しろ、家庭科1の不器用な手である。アイタタを何度か遣らかして、糸かがりを終えて、婆さんとヤクルトとカステラでお茶にする。付けて遣ったテレビで、老母殿は相撲中継に頷いている。

             左様で御座るか・・・まぁ、悪くは無かろう。

 外の鳥籠を所定の玄関に移して、本日分のPC打ちのお時間と致そうぞ。自宅介護の裏には、こんな日々も在りまするがな。


 

心何処ーショート 遺憾いかん・・・早や三時では無いか。
             遺憾いかん・・・早や三時では無いか。(9/24/13)
 毒亜国の経済基盤は、土地国有化、低賃金労働の置き屋経営とパクリ営業による安価粗製乱造と国際為替を手玉に取ったダンピング国家運用の態でしかあるまい。恩知らず、恥知らず、怨嗟の坩堝(るつぼ)でしか無い火病体質の低民度国家の傍若無人の苛振りに、日本が一人<忍の紳士>で、これ以上耐え続ける必要が在るのだろうか。標的は『無人機』で在る。凛として粛々と国防の一太刀で良かろう物を。

 喜怒哀楽の行動を示す事が、多人種間の国際道路に於いても、必要不可欠の国家意志と云う物であろう。脳味噌の言葉と身体と云う力を持つ人間行動として、理と冷静を持って言葉の解決に臨んでも聞かない輩には、力の行使を見せねば分からないだけの事である。

 日本人は、スポーツ観戦好きな国民である。スポーツの王道は、基本事の錬磨と言われている。地道に基本を築き上げる事が、アベレージを上げる。アベレージを上げる事で、心技体が備わって来る。この帰納法には、全く異存は無い。
 然しながら、基本通りだと相手に手内を読まれる。コントロールの良い投手が配球の手内を読まれると、却ってコントロールが災いして、逆に打たれると云う事が屡(しばしば)ある。一本調子の好コントロールでは、早い話が投球機でしかあるまい。練習されて、付け込まれるだけの結果に為る。

 経験値からすると、適当に荒れ玉を持った時の方が、投手は好成績を手にする事が多い。荒れ球の多さに、打者は的を絞り切れずに、集中力を欠かされる。ノーコンと侮れば、バシッと投げ込まれる。<意外性、意表>を突かれて、打者はキリキリ舞いの結果と為ると云う事が在る。

 兎角、勝負の世界と云う物は、どちらが主導権を握るかに掛っている。相手に縛りをかけつつ、自分は如何にフリーハンドを保ち続けるのが、勝利の法則とも云う。がんじがらめの自縄自縛の不戦憲法を持たされている日本の外交力は、専守防衛の両手両足を捥がれた状態でしか無い。

 言葉対力、礼儀対不遜・傲慢、真実対嘘、常識対非常識、ルール対遣りたい放題の無法。

 こんな馬鹿げた言葉外交で、領海・領土・国民・社会の国益が守れるなどと云う御伽話は無かろう。凡そ、毒亜国にスマートさ、理性的行動等、期待する方がおかしいのである。彼の宗主国は、<便衣兵と人海戦術>を旨とし、力無い小中華国半島国は、どっちに付いた方が得かの『虎の威を借りる事大主義を歴史国是』とするお国柄である。誇れぬ歴史には妄想脚色で糊塗して強がって見せる物の・・・その歴史コンプレックス故に、<千年の恨み>を胸に刻んで、在る事無い事、誹謗中傷に明け暮れる火病の重症精神疾患国である。

 普通の国家、国民なら、長い歴史、人生の中には、良い時も悪い時も在る。悪い時には、良かった時を思い出し、夢よ再びで努力をする。良い時には、良い時は長くは続かないと、悪かった時を思い出して、何んとか良い時の持続性を願って努力する。これが国の歴史で在り、個人の人生と云う物である。

 千年の恨みと云う事は、千年も良い事が無かったと云う事と『同義』では無いか。いやはや、全く以って、国家の歴史、個人の人生に於いて、恨みだけを蓄積して恥じない精神構造とは、常道を逸した精神疾患と云うより他在るまい。

 平和平和の刷り込みで、何時の間にか、何でもかんでも<力の行使=悪>の戦後刷り込みが、東西冷戦の解除にも拘らず、金科玉条の如く精神の縛りを掛け続けて居る事は異常な事である。教条主義的な不戦平和主義の好い加減さが、コンプレックス主義に漬かった毒亜国の一時の経済成長で恨み晴らしの反日・排日として、一気に堰を切った様に日々発信されている。これが歴史俯瞰から見えて来る構造では無かろうか・・・。

<外交とは力の行使である>・・・現在の日本は、そんな低レベル国に好い様にあしらわれている。これは、常識以前の乱暴狼藉の悪態である。歴史は繰り返す、事件は繰り返すの感で在る。まるで、『年端の行かない赤衛兵』を組織して焚き付けて、過去の人と為った毛沢東が、汚ない手口で政権の座に返り咲いたのと同じ様相を、毒亜国は日本に仕掛けて来て居る。毛沢東夫人がクーデターを起こして、その四人組が裁判に掛けられた模様をテレビで見た人間は、多かろう。所詮、中華帝国、中華小帝国の政体と云うか、生態はたかがそんな物であろう。

 礼を尽くし、理を持って、穏やか、含蓄ある言葉、態度で話し合える国家レベル、民度であろうか。少しは冷静に為って、躾ける鞭を振るうべき時で在りましょうぞ。専守防衛で行使出来る、行使しなければ為らない範囲にまで、力の行使=悪の弊害は、断じて断ち切らねば為らない。これは当たり前の自衛力の行使である。

 再び言うが、何を躊躇う必要があるのか。この期に及んで躊躇うは、勇無き亡国の沙汰である。それは他力本願、責任逃れの卑怯者の逃げ口上にして、苛めを自ら呼び込む思考と行動停止の幼児性でしかあるまい。

 幼児なら<雀のキンタマ>で、可愛くも在ろうが、『大人のキンタマ』と為れば、それでは大人の仲間入りも出来ぬし、キンタマの性嚢無くば、子作りも叶わぬでは無いか。祖国日本は、忽ちにして子枯れして海に没するのか。馬鹿も休み休み言い遣がれってな物である。

         こんな事を調子付いて、打つ俺は精神障害者ですかいね。あい~!!

         以上、昨日のブログ文面を読んで、加筆した次第である。へへへ。

 今朝は食欲の無い妖怪様に、飯を一人用土鍋でオジヤ風にしてミツバ、卵を落し込んで遣ると、あら不思議・・・完食して下さった。腹が空いては、血の気も薄れまするがね。やれやれの段である。

 昨日の仕切り直しで、郵便局に振り込みをして、個人スーパーへ。奈良漬用の塩漬け瓜を4パック買い、粕漬け用酒粕を買って来る。貧民食卓には、何は無くとも、漬け物である。

★砂糖を塗して、重しを掛けて塩出しをする。それを3日遣って、引き出して水気を切り、粕に砂糖をたっぷり練り込んで、甕に漬け込む。・・・はいはい、アリガトさんね。記憶致しましたがね。

 玄関横の地面には水が漬いている。アジャジャである。水道メーターのボックスを開けて、メーターの回りを見る。異常無しで在る。然すれば、排水管の不都合である。奈良漬の塩出しに取り掛かって、排水管修理をする事にする。

 庭木の在る石コロだらけの地面で在る。いやはや、スコップが利かない始末である。ゴツイ草掻き、手シャベルで、実質の手掘り状態である。大小の石に、びっしり絡み合った木の根っこ。ロートルの身に中腰作業は出来無い。泥んこ土に腰を下ろして、嗚呼、嫌じゃ、嫌じゃの軍手掘りである。
 長靴・長袖・長ズボン・軍手に帽子の出で立ちでは在るが、剥き出しの顔を蚊に喰われて痒い事、夥(おびただ)しい限りである。地中のLボー部分が割れて、土が入っての洗面所の排水が、行き場無く地上に浸水して居たと云う事である。

 ホースで排水管の通りを確保する為に、水攻撃を繰り返す。棒で突いたり、ホース放水をしたりして、漸く通水を見る。穴に溜まった水を掻い出して、ホームセンターにパイプ、継ぎ手を買いに行って来る。汚れ物を着替えるのも面倒であるから、汚れた儘で行って来る。

 何しろ、毎日が日曜日の金無し貧民である。遣る気さえ起こせば、何事も如何にか為るものである。接合部は取り外しが出来る様に、幅広テープで巻いて一件落着である。次兄さんが何かの足しに為るだろうと、置いて行ったコンクリート基礎塚を庭から二個、ヒィーコラ、ヒィーコラ運んで、外流しをセットして完成で在る。

 いやはや、吾ながら<インテリ、色男、力は無かりけむ>とは云う物の、流石は還暦半ばと云えども、『熊男』である。まぁ、そんな自画自賛は後回しにして、へとへと、べっとりと泥んこ状態である。汚れ物を洗濯機に放り込んで、シャワーで汚れを落とす。

             遺憾いかん・・・早や、三時では無いか。


心何処ーショート 彼岸の中日に、頭の整理為り。
               彼岸の中日に、頭の整理をする為り。(9/23/13)
 毎日が日曜日を遣って居ると、カレンダーには全く疎くなって終う。てっきり週の始まりとばかり思って居たのだが、朝食時のテレビを見遣れば三連休の戻り渋滞の中継で在る。

 郵便局への払い込み方々、個人スーパーに寄って、塩漬け瓜でも買って来て奈良漬けでもと考えて居たのだが・・・へへ、予定が狂ってしまった。さてさて、本日、無風の曇天日である。雨が降って来ても、文句も言えない空の暗さである。

 軒下に鳥籠でも吊るして、偶には二畳小部屋でPC打ちでもすると致そうか。一応、昨日、庭を熊手で浚って置いた事でも在るし、庭に対しながらボケーとするのも好かろう。通りに面した四畳半と違って、二畳小部屋からは人影一人として見えない場所である。くぐもった小スペースの窓を開放すれば、直ぐ様の外気温とイコールに為る小部屋で在る。軒下の洗濯物と鳥籠の並びに小鳥達が、ちょこんちょここんと飛び回り、コオロギ達の声が、重奏しているひんやりとした空気である。

 さてさて、本日は何を打とうか・・・ スカンポ脳をそれなりに整理しないと、言葉も出て来ない次第であるから、ラジオのボリュームを絞る。湯を沸かして来るとしようか。

 クルージング、鎌倉・横浜行をして居る間に、台風の裏には色んな時事が在った様である。少しばかり頭の整理をして置く必要が在る。

 シリアのサリン攻撃に就いては、案の定、パク事務総長の国際紛争解決能力の無さを晒して、救いの手のプーチン提案で、事は進んで行く様である。

 外交音痴と云われて居るオバマ米大統領は、内向きのウォールストリート主導の金転がし先兵役がチェンジ・チェンジで沸いて、ノーベル平和賞まで手中にした大統領の役柄らしい。一斉を風靡したチェンジ旋風は、吾が国に飛び火して、グルーピー・鳩山を産んで、菅、野田といった第三国奨学金生政権と為って、日本に国威・国力の低下を招いた三年三カ月であったのだが・・・

 グローバル、開国などと叫んで見ても、所詮は手負いの熊・アメリカスタンダードの金融資本主義の世界席捲を目論んで居るだけの事である。それも、現代の錬金術師の切った張ったのイカサマ博打の胴元を張って居るのが、アングロサクソンの米英なのであるから、真に性質が悪い。

 ヨーロッパは、米抜きのユーロー圏のEUの経済ブロックを敷いて、アジアはTTPを構築しようとした物の・・・何時もの事ながら、米が白人仲間のオーストラリア、カナダを引き連れて、強引に割り込んで来るや、でかい面をして先任面をして、米スタンダードのごり押しをして、日本の富を侵食して我が物顔の尊大ぶりを押し付けようとして居る。

 人間も国家も貧すれば窮するで、屋台骨が傾くとエゲツ無い物である。南北アメリカ大陸と云う巨大な自由主義市場を持って居るにも拘らず、そのエゲツ無さと来たら超ド級の国益連呼である。石油もオイルシェールもガスも在るにも拘らず、確り自分の埋蔵量は確保・後出しの汚さで、アラブ、中東のオイル・ガスでメジャー資本の奇麗事でボロ儲けを維持する。

 いやはや、口先だけでは自由の連呼を紳士的に吹聴して居るだけで、世界に冠たる帝国主義・植民地政策国の権化と云った処が、米英の本態であろう。

 さて、日本からシリアを見れば、遠い異国にしか見えないが、西洋史ではエジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマの時代には、地中海こそが世界の海だったのである。地中海を挟んで、東岸に位置するのが、トルコ、シリア、イスラエルである、地中海の南岸にはエジプト、北岸にはイタリア、フランスであり、黒海の先にはウクライナ、ロシアが続く。地中海はヨーロッパにとっては、今も昔も歴史の表舞台で在る。

 日本のテレビには、米経由のアラブ、中東情勢しか入らないが、嘗ての世界の海・地中海を挟んだヨーロッパ世界とは、体感する温度差が日本とは比較に為らないほど近しいのである。対岸の火事とのニュース報道で在っては、日本の政治感覚が問われてしまう沙汰である。マスコミ界の知見の薄さに驚き行くばかりである。

 たかが一度の敗戦で、エゲツ無さNo1の歴史小国米の軍門に下って、平和憲法為るマヤカシ国際平和共存主義の米国のくびきに没し続ける戦後日本人の酷さには、歯ぎしりをするばかりである。
 折角の平和繁栄に於ける高学歴化社会の日本なのであるからして、少しは主体的に、地理、歴史、経済、政治などの複眼を持って日常事象に就いて、キンタマを持って感じ取って貰いたい次第である。何が高偏差値学歴社会じゃい。冗談扱くのも、テイゲーにし遣がれってな物である。

 まぁ、私も日本人の端くれの一人であるから、同胞の悪口はこの位にして。比較上からすれば、お隣との比較で自虐はすまい。

 毒亜国のパクパク、クネクネ音頭の火病国の民度としては、国際舞台でまともな仕事すら出来ないのであるから、強制連行従軍慰安婦の喚き散らし位が、彼等の偽らざる知見と民度では在ろうが。真に以て、<真っ当舞台では糞の役にも立たないパクパク事務総長様>である。いやはや、当初から睨んだ通りでは在るが、その存在感無したる醜態は、流石である。
 然しながら、穿った見方をすれば、流石に火病大国の選んだパクパク・クネクネの両頭は、民度の象徴として、その火病の何たるかを世界に発信して紛れも無い国家国民のアィデンティティを世界に焼き付けて居るのであるから、それも好かろう。

 へへ、こんな事を調子付いて打ち進めて居ると、雲は薄れお天道様のお出ましである。ちょいと、一服付けましょうかね。容量の無いスカンポ脳であるから、早くも酸欠状態である。

 お天道さんが出れば、松葉牡丹が開き、シジミチョウがチョコチョコ飛び回り、キリギリスが細く鳴きまする。秋の穏やかな日差しの明るさに、名残の百日紅の白花、ミネゾの緑に赤実が冴える。

 さて、続けましょうかね。尖閣領海には毒亜宗主国の中狂無人機が、飛来して居るとの事である。全く以って、野蛮国に文明の利器を持たせると、制御の利かない餓鬼行為の様である。こんな輩は、町内の爆音糞っ小僧とズベのツーショト見たいなもんですがね。民度追い付かぬ共産党マネキン女が、一丁前のファッションで演技報道をして、お高く止まって居るのであるからして、笑止千万の偽大人振る舞いの態で在るから、オタオタする事はありゃせんのですがね。

 抜けシャーシャーと無人機を飛ばして来るのであるから、この無礼者!!と、勝新の座頭の市つっあんの仕込杖の居合い斬りでも、近衛重四朗の素浪人月影兵庫の大たぬきで、一刀の下にぶった斬って遣れば良いだけの事である。

           一体全体、何を躊躇う必要が在るのか!!

 中国の狙いとか、何とか大人ぶった冷静さを、マスコミ、識者、コメンテーター連中は、一見まともな事を並べ立てる物だが、それらは態の好い<事なかれ主義者の常套手段>でしか無い。世の中、国際関係、そんな奇麗事では成り立って居ないのが実情である。馬鹿も休み休み言い為されやって物でしょうに。
 世界一の好戦国にして、国内外の戦争に徹して20C最大の覇権国家米国にして見ても、自国経済のみで戦費調達が不可能と為った。第一次大戦、第二次大戦の華々しい戦果も、朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクと米国の斜陽振りを目の当たりにして見て居る現代人である。生産力は後進工業国に追われて衰退し、為らば生産力の上に立つべくして世界金融と銘打って、手の込んだ債権商法を編み出して、金転がし三昧を仕出かして居る国家である。極一部の金転がしグループだけが好い思いをして、99%が大ブーイングを始めた国家の有り様である。

 TPP交渉も、既に敗色濃しの取り込み状況である。1%が99%を支配して、何の感情すら持たない様は、中狂国と相通じるものが在りそうである。片や自由の国、片や共産主義の国である。共通する原点は、1%が99%を支配する差別国家・差別思想としか信い様が無いではないか。勝ち組負け組などと称して、成功者の無謬性を謳歌する思考・思想国家に、<中間層のカマド>を『民のカマド』として来た皇紀2673年の日本の国体が、守れる訳が無かろう。
 デフレ化脱却を最大の柱として、取り戻そう日本を掲げて、奇蹟の返り咲きを果たした安倍政権では在るが、経済の上げ潮ムードに冷水を浴びせる消費増税策と言われて居た国民の関心事にも、<知って承知の橋本内閣時の悪夢の再現>らしい。

 中華思想国の一の子分・小中華への先祖返りをした韓国のパンパン・クネクネ音頭の実態を見れば、共に円安に市場が食われて、経済ガタガタの経済成金国家が、最大の効果として喚き散らす反日・排日口撃に対して、言語交渉で関係修復などとは以ての外である。
 毒亜国の経済基盤は、置き屋経営とパクリ営業による安価粗製乱造と国際為替を手玉に取ったダンピング国家運用の態でしかあるまい。

 恩知らず、恥知らず、怨嗟の坩堝(るつぼ)でしか無い火病体質の低民度国家の傍若無人の甚振りに、日本が一人<忍の紳士>をこれ以上絶える必要が在るのだろうか。対象物は無人機で在る。凛として粛々と国防の一太刀で良かろう物を。

 喜怒哀楽の行動を示す事が、多人種間の国際道路に於いても、必要不可欠の国家意志と云う物であろう。脳味噌の言葉と身体と云う力を持つ人間行動として、理と冷静を持って言葉の解決を持ってしても聞かない輩には、力の行使を見せねば分からないだけの事である。

 先頃起こった有名校運動部監督の傷害事件に就いても、体罰などと称して、傷害と体罰の区別さえ付けようとしない日本のマスコミ報道体質とは、何たる不甲斐無さであろうか。こんな低級な輩が、テレビ発言するなど亡国の沙汰である。ギャハハ~!! 

 俺ぁ、スカンポ脳の好色ヤクザもどきのロートルだけどよぉ~、毎日、就寝前の時間を中村吉衛門の『鬼平犯科帳』を一本づつ見てりゃさ、火盗改めのお頭の鬼とも仏とも為る仕事師のお裁きにぁ、毎晩、涙と大喝采のお時間ですがな。

 歴史と云えば、司馬史観が持て囃されて居るらしいが、池浪正太郎の鬼平犯科帳は、色んな事を教えてくれまするがね。へへ、横文字、カタカナ文字に、現を抜かして居るよりも、鬼平犯科帳の時代劇見てた方が、人生の足しに為ると思うんですがね。イッヒッヒ~!!

 毒亜の言いがかり、苛めは反日・排日の目立つばかりのユニホームを着て居るから、大勢に影響は無い物の、TPP、消費増税の難問は、ユニホームが目立たない分、事は重大である。日本も、エゲツ無い輩には、相手と同様にエゲツ無い作法に則って、対処して行か無ければ某国の憂き目を見るだけの事である。

  趣味の国会中継が見れないのは、真に以って政治家に疑心暗鬼を運んで来る物である。

     さてさて、秋の国会は、如何なる政治風景を見せて呉れる物やら・・・。



心何処ーショート これも、ロートルの嗜みかな? 
               これも、ロートルの嗜みかな?(9/22/13)
 さてと、夏野菜の整理でもして置くと致そうか・・・。幸い、午後からはお天気さんは下り坂との事である。太陽さんの在る内に布団を干して、朝食後は、長ズボン、長袖、帽子、軍手に長靴に着替える。

 トマト、ナス、キュウリ、インゲンの夏野菜を全部引き抜いて、鍬で土お越しをして家庭菜園の整地作業である。庭木散髪の切り枝は、熊手で集める。秋の落ち葉溜め用に凹地を作って置いて、其処に集める。黙々の一人作業では在るが、いやはや、疲れまするがね。

 何事も、重い腰を上げねば始まらぬ、嫌々ながらも我慢して遣れば終わる。これで、片付いた。やれやれの段である。汚れ物を洗濯機に入れて、一風呂浴びる。

 一風呂浴びてシャキッとすれば、折角、整地した家庭菜園でも在るし、種も余って居るから、大根、白カブ、シュンギクを蒔いてジョロ散水を施す。

 別に家庭菜園を趣味としている訳では無いが、土が在れば雑草が生えるよりは、野菜が植わって居た方が様に為るし、幾ばくかの野菜の足しにも成る。野菜の成長を見るのも、目の保養と云う物である。それと、幾ばくかの運動にも成る。

 本日日曜日では在るが、これで一応の夏との区切りが付いたから、月曜からはのんびりと秋の日常に進める事だろう。未だ体育館・県文会館一帯の銀杏並木には足は向いて居ないが、横浜の山下公園前の銀杏並木には、ギンナンの実が一杯落ちて居て驚いた。細長い日本列島にして、太平洋と日本海の差、高低の差には、改めて驚いた次第である。

 並マツバボタンは花を終えて、ジャンボの方は、相変わらず白、赤、混合の花を咲かせている。台風で蘇ったカワラナデシコが赤・白の小花を風に戦いがせて居る。ニラの白い花は、何時の間にか実に為って居るし、庭のミネゾ(イチイ)には、赤い小さな実が付いている。

 ちょいと河川敷に下りれば、台風18号は流れの変化を荒々しく残しながらも、水嵩も川色も大人しくさせて、白い泡を見せて流れ去って行く姿を見せている。

 高地信州の秋は足早に、山々を紅葉させて里に下りて来る。そして、長く寒い冬を定着させる。こんな風に、信州の四季を振り返ると、一年の呆気無さを感じて仕舞う次第である。へへへ、歳ですかね・・・困った次第である。

 自生する長芋のムカゴを一つ取って、口に入れて見る。おやおや、斜向かい色白吟さんの云われる通りに、食べられるでは無いか・・・ 零れ落ちたムカゴから、長芋の芽が出るのであるからして、ムカゴの小さな実の味は、長芋そのままの味で在った。

 どうせ暇して居るのであるから、ネット検索してムカゴの食仕方でもマスターして置くと致そうか・・・ いやはや、先祖返りとは良く云った物である。一つ試して見る事が出来て、縄文人の趣と云った次第である。これも、人畜無害を標榜するロートルの嗜みの一つかも知れ無い。へへへ。


心何処ーショート ちょいと親父の墓参り
                ちょいと親父の墓参り(9/21/13)
 真に穏やかに晴れ渡った秋空である。朝食を済ませて、オヤジの墓参りに行く。途中で、花とお供え物を買って、車を南に走らせる。

 途中の小学校では、大運動会と描いた門の中で、楽しそうに運動会が挙行されている。お天気さんに恵まれて、盛況さが伝わって来る。橋を渡って脇道を進めば畑、稲田が続く。小山の一角を削った球場では、社会人の同好の集まりチームが、真剣に試合をして居る。

 稲田の6~7割は稲刈りが終わって、はぜ干しが為されている。コンバインが2~3台出て、実りの田を刈って行く。この連休中には全ての田が、刈り入れを終了するのであろう。青空と山の緑が、澄んだ空気にひとしおのコントラストを描いて、気分が弾む次第である。

 英語が堪能で美声なら、007の<ロシアから愛を込めて>のスローバラードでも唄いたい心境では在るが、そんな事を仕出かしたら、マット・モンローさんに殺されて終う。そんな次第で、ダニエラ・ビアンキさんの整った美人顔を思い浮かべながら、市の東端を走る。

 霊園への山道を上る。手入れのされて居ない杉の密集林は暗いが、これも墓参りの長い参道と思えば、それなりの気の引き締めとも為る。墓参りの途中で事故ったと為れば、洒落にも成らない。狭い日本、そんなに急いで何とするである。

 丘陵一帯が全て霊園と為って居るから、中信平が一望出来る。本日は、お彼岸の中日で在っても、意外と墓参の人数が少ない。物の数台しか止まって居ない駐車場に車を止めて、手桶に清めの水をたっぷり汲んで、親父の墓に行くと、先客が在ったらしく、大振りな花が手向けられて居た。

          何方か存ぜぬが、アリガトさんねである。

 殆ど墓参人の居ない広々とした霊園で在るから、ゆっくりと丁寧に墓を素手で磨き、胡坐をどっかりと掻いて、秋の穏やかな空気を味わって来る。

 墓の親父には、線香を手向けて、あっさりと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏の念仏だけである。こんな場合、映画、ドラマでは心を表すが如く、幾つかの言葉が添えられる物では在るが・・・ 戯けの私には、浮かぶ言葉とて無い次第であるから、困った男である。

 手向けた線香は、山の風に吹かれて、消しても直ぐ炎を伸ばして、呆気無く燃えて行く。へへへ、まぁ、こんな味も素っ気も無いのが、四男坊の墓参りでガンスわね。親父、怒って見ても始まりませんがね。それじゃ、俺は帰るぜ。

 昼は貰い物の梨を剥いて、巨峰にお萩を出すが、ベットの老母様は、食欲が無いらしい。私だけ、そそくさと食べて、朝の洗い物をして米研ぎである。さてさて、冷蔵庫の中をどうやって、消費して行こうか・・・ いやはや、賄い夫とは厄介な稼業で在る。

 午後のマイタイムは、昨日格安DVDで買って来たTom JonesとBrenda Leeでも観て、昼寝でも致しましょうかね。


お知らせ
 神津島クルージングに同行して下さったブログ友SNさんが、早速、私の似顔絵を描いてアップしてくれました。

 当ブログ内リンクの『のんびり親父の水彩画』を、クリックして頂ければ見れます。好い絵が沢山掲載されて居ますから、これを機にSNさんの絵を観賞して行って下さい。

               先ずは、お知らせまでに。

心何処ーショート マンネリ日常へ。
                マンネリ日常へ。(9/20/13)
 無風、秋晴れの好いお天気さんである。軒下の物干竿に鳥籠を四つ吊るして、小鳥達に日光浴である。廊下の日差しの中で、キリギリスが鳴いている。朝食を終えて四畳半定位置でインスタント・コーヒーを飲んで居ると、SNさんからの写真が届いた。

 早速、お礼の電話をすると、彼は私の写真をPCにアップして、似顔絵の色付けをして居る処だと云う。絵が完成したら、彼のブログに載るのだろう。へへへ、どんな男として描かれるか?楽しみで在る。

 私の方も帰って来て、旅行記を二日に亘って、9頁、6頁と計15頁を打って居たから、疲れて仕舞った。その間に、M氏が来られて大いに談笑して帰って行かれたから、オーバーワークと云った処だろうか。それでも、寄る歳波の健忘症であるから、記憶が薄れない内に一気呵成に打ち進めるのが、肝要で在った次第である。

 宿題を終えて、秋の日差しに光る南天の葉揺れに、灰色のシジミチョウが飛んだり、赤トンボが飛んで行ったり、キリギリスの声々が届く風情は、秋の静けさを実感させるものである。そう言えば、空気の入れ替えに二畳小部屋に行けば、カマキリが一匹入って居た。へへへ、秋ですわ。

 尤も、飛んだ春の大雪で、今年の吾が家の柿は全滅の憂き目を見て仕舞ったから、秋に色付く柿の実の風情は無くなって仕舞った次第であるが・・・ 

         西向かいのオバサンが、母にとブドウを差し入れて下さった。

 お向かいさんの道端の赤いマツバボタンが微風に揺れ、数匹の蝶がちょこちょこと飛んで居る。水槽の中には、留守中にたっぷりと餌を貰って居たらしく、腹を膨らました金魚達がゆったりした泳ぎを見せている。昨日は中秋の名月で、良いお月さんで在った。暑く遣り切れ無かった長夏も、前線に依る雨日の続きで夏を閉じた。

 そして、留守中の台風18号は、茫々と生い茂る葦、雑草の丈を薙ぎ払って、川の流れをすっかり変えて仕舞って居た。川原に下りる階段の横を流れる様に為ったから、水汲みが楽に為った。これからの河川敷散歩は、虫達の声と赤トンボ、タテハチョウ、アオサギ、コサギなどとのお付き合いで、昼散歩と為る。再び、マンネリの賄い夫日常生活が始まる。

  おやおや、キアゲハが遣って来た。ルルル・・・金曜トークのお誘い電話である。

   スタバの二階席は、大分暑い。長ズボンの私と違って、Tは短パンで在る。

 お土産の伊勢海老は、ちゃっかり娘さんが全部持ち帰って、豪勢に食べて美味しかったとの事である。左様でゴザンスか。へへへ、Tにそっくりな娘さんには、オヤジは殊の他、甘い。孫にも、ジィジ、すごいを連発されたとの由。

 荒れに荒れたクルージングの話に為って、えらい騒ぎに為って仕舞った顛末をSNさんが送って呉れた写真を見ながら、好色ヤクザもどきコンビは、ニヤニヤ話である。無事に帰って来たから良い様な物で、飛んでも無い事を仕出かす男達である。

 まぁ、大荒れクルージングも横浜、鎌倉行もブログに投稿して在るから、割愛するとして。何事も経験。経験の記憶は色褪せない思い出の引き出しに溜め込まれて、老後の暇潰しとも為ろう。先ずは、目出度し目出度しの感である。

「あれだな。滞在期間はショートだったけど、好く焼けてるじゃないか。」
「そうだろ。焼けてるか?って聞いたら、カカアの奴は、<何時もそんな顔してるわ!!>だとさ。可愛げの無い女で。このヤロメってもんさね。」
「へへ、そうかいな。心配してのエールって事で、手打ちしときましょや。」
「あいあい、歳の功だぜ、そう云う事にして置いて遣るかいな。」
 
 久し振りに顔出しをして呉れたM氏は、一段と腹が出て来た。氏は肝臓癌・肝硬変との長いお付き合いである。注射針の使い回しに依るB型肝炎で、その補償手続きが進んで、近々、和解額が入ると云う。入れば、旅行無尽に復活するとの事である。

 Tはお前達兄弟は何処も悪く無いと云うから、羨ましい限りだと云う。クルージングで、手術傷を見せ合っているシーンを思い出せば、何は無くとも健康が第一のセカンドライフである。

 お役御免のセカンドライフは、趣味を持ち健康を旨として、友との語らいに時間を割かないと、ただただたそがれて行くだけの詰まらない老境を流離うだけである。頑張る気力も体力も無いが、日常をこなし、友との語らいに自然体を維持して行かなければ為るまい。

 お役御免のロートルの三種の神器とは、趣味・健康・友と云った処で在ろうか。へへへ。


心何処ーショート 同年生ブログ友・SNちゃんと。
            同年生ブログ友・SNちゃんと。(9/19/13)

 天地動転為らぬ<天海動転の海>から解放されて、不動の陸は天国その物で在った。現地解散は、10時半を回った頃だっただろうか。別行動の私は、SNさんの車に乗る。途中、回転寿司に寄って昼食とする。丘陵の一角に在るSN家の玄関前には、おやおや、白とピンクのジャンボ・マツバボタンが両側に咲いて居た。

 ドアが開いて、奥さんのお迎えである。小柄で目の繰りくりとした明るい感じの人である。
「お邪魔します。Rです。図々しくまかり越しました。熊じゃ無いですから、ご安心下さい。」
「どうぞ、どうぞ。お待ちしてました。」

      居間に通されて座ると、車庫入れしたSNちゃんが遣って来た。

「如何だい、カァちゃん、Rちゃんは写真で見るより、ずっと優しい目をしてるだろ。好色ヤクザもどきだとか、クマ男なんて印象は全然無いだろ。男前で知的で上品な人だろ。想像していたよりも、ソフトな感じで、温か味のある人だろ。
 もう、俺なんかはさ、ホント、惚れ直しちゃた位だよ。初日はさ、夜を徹してベットの上で話に夢中に為っちゃってさ。次から次と、人生観に共通する処が多くてさ。幅も深さも在ってさ、思っていた以上の人だわ。」

「立派な、逞しい身体で、なんかオーラが凄いですよ。もう主人がRさんにゾッコンでしてね。好い人とお友達に為ったって。家でも、Rさんの事はベタ褒めなんですよ。他人の家に来たなんて思わないで、気を楽にして下さい。
 洗濯物在るんでしょ。出して下さい。お風呂も入ってますから。初対面ですけど、全然、そんな気がしないから不思議と云うか、御仁徳と云うか・・・主人が言う通りの人ですわ。どうぞ、どうぞ、寛いで下さい。」

「いやいや、買い被りは、見かけ倒し、飛んだ食わせ者って云うのが、世間相場ですわね。俺は詐欺師だから、危険人物だんね。あい~。何にもお土産が無いんですよ。梅干しとワサビ漬けしか無いですよ。」

「いえいえ、吊るし柿のお味と言ったら、本当に高級和菓子。それに沢庵漬けの美味しい事と言ったら、もう絶品でしたよ。」

「一個一個、皮剥いてさ、紐を通して吊るしてさ。大根干して、漬け込んで・・・、それであの真っ白な粉が噴いて、沢庵が上品な黄色に成ってさ、大根の甘味が。皆、手作りの穏やかな味に染まってる。飽きの来ない素の味だからね。Rちゃんの温かさが入ってるだぜ。そうそう、カァちゃん、今年の梅干し抜群だよ。食べて見な。人柄が入ってるよ。」

「あら、ホント。これ南高梅ですか、色と言い、柔らかさと言い、塩加減と言い。私好きなんですよ。お庭の梅に、紫蘇もそうなんでしょ。心がこもった逸品ですもの。並の男じゃ出来ませんよ。こんなに男性的な外観なのに、驚異の人ですね。持てるんでしょ。」

「奥が深いんだよ。Tさんに吊るし柿、沢庵漬けの事を話したら、それだけの奴じゃないよと言われてさ。RちゃんとTさんの長い心友振りが、ぐっと解ってさ。」

「へへ、夫婦揃っての買い被りは、後悔の元だんね。何てったって、俺ぁ今じゃ落ち目の三度笠で半男に半女の二足の草鞋でガンスわね。
 持てるのは、重い物だけでしてね。ニョショウさんには、話すも涙、聞くも涙の『連戦連敗』ですわ。そんな次第で、夢奇譚で妄想愛を仕出かして居るだけだんね。本当に、可哀想な傷だらけの裏街道の人生ですがね。へへへ。」

「またまた、何を仰います事やら。話術の巧みさと言ったら、ブログ以上ですね。Rさんは、人を惹き付ける魅力が在りますよ。亭主が言う通りの人ですよ。」

 こんな大歓待を頂戴して、ブログが取り持つ縁の面白さ、有り難さと云った感頻りで在る。煽てには滅法弱い人間であるから、風呂へ逃げ込んで、スキンヘッドと髭剃りをして来る。奥さんは洗濯物を洗濯機に入れて、美味いお茶を入れて下さる。未だ時間が在るからと、SNちゃんは、早速に鎌倉を案内して呉れると云う。

        流石に地元である。細い裏道をスイスイ走って鎌倉へ。

 鎌倉は起伏の多い土地柄である。水彩画を描くSNちゃんは、画題探しにバイクで寺周り、海岸巡りをすると云う。鶴岡八幡宮を脇から入る。脇から入って見ると、違った印象である。そんな次第で、観光客とは違った目線で、幾つかの発見をした。

 続いて、是非とも見せたい通称竹寺・報国寺に着いた時には、閉館であったが、細い通りの向かいには住宅が立ち並んで居る。小山の続きに取り囲まれた鎌倉と云うこじんまりとした空間の中で、観光寺院と街が同居している感じで、面白い感覚で在った。

 地元の歩く人の数の多さには驚いた。それも背筋がピンと伸びて、垢抜けした服装の普段着スタイルが、流石に田舎の松本とは違う。普段着の中にちょいとした垢抜け部分が、決して目立つ垢抜けでは無く・・・如何にもその人に馴染んだ感じである。そんな人達の雰囲気が、街全体の生活感を醸し出している。・・・そんな感じなのである。

 鎌倉幕府と云う侍の政権を打ち立てた武士団の本拠地・鎌倉の雰囲気なのだろうか。そんな雰囲気の中に、京都の豪勢、雅を嫌った武士団の歴史の様な物を、ふと感じたり、思ったりもした次第である。

 京都の雅を嫌った坂東武士団の意思は、こじんまりと確りした鶴岡八幡宮のあっさりとした色彩にも感じられた次第でもあるし、鎌倉と云う小山の続きが造り出す土地の狭さからの影響だろうか・・・そんな限られた土地柄から来るコンパクトさ。・・・鎌倉の雰囲気は、そんな諸々の物から来る個々の雰囲気とも関係して居るのかも知れないと思った次第でもある。

 鎌倉と云う歴史の大きさとは違って、実物の鎌倉の佇まいは、<妙なコンパクトさのバランスの中に在る>と云う印象である。

 帰りは、SNちゃんの水彩画に登場する海岸通りを案内して貰う。小さな漁港が在って、此処で水揚げされるシラスの説明を受ける。一度、魚の干物とシラスを送って貰った事が有った。説明を聞きながら、そのシラス丼の味は柔らかさと仄かな甘味が、ショウガ醤油の熱々の飯にマッチして美味かった。その時の上品なシラス丼の味が、口中に拡がって来た。

 夕食は、伊勢海老を如何して食べるかの質問であるから、大きいのを残して、小振りの奴を二匹出して貰う。

「え~とですね。料理鋏有りますかね。先ず頭の所を包丁で切りまして、胴の部分の背に鋏を入れて、こう切ります。
 そしたら、背を開く様にして開きます。そして指で身を剥がして、刺身に切り分けます。頭は包丁でがっつりと二つに割ります。味噌を味合いますから、汁が大事なエキスだんね。全部鍋に入れて味噌汁とします。
 味が濃いですから、味噌を濃い目に入れると風味とコクが出ます。薬味は、刻みネギをたっぷりと。大丈夫ですね、日本の主婦だから、大物は夫婦で食べて下さいよ。」

               熱々の味噌汁が運ばれて来た。
「これは美味い!! 」

「奥さん、好いですねぇ~。こんな美味い味噌汁、俺ぁ、生まれて初めてだいね。大したもんだわさ。」

「どれどれ、私も。ああ、美味しい!! 香りが在って、コクが在って、エビ味噌の甘味が・・・ 何か、幸せな気持ちに成りますね。」

 SNさんは鹿児島の産、奥さんは横浜の産、私は北海道の産では在るが、心温まり、話題が多いに弾んだ夜の一時であった。

         夜から、台風の影響が出て来た。翌朝は風と雨であった。

 テレビでは台風の猛威で、京都の川の氾濫を映し出している。そんな各地での生々しい台風災害の映像を見て居ると、クルージングと云うには全く対極で在った強行軍の結果と為った大荒れクルージングでは在ったが、無事に帰って来れて『大正解』で在ったと思った次第である。

 午後から天候が回復して、SNさんと私は横浜見物に行く事になった。横浜のシンボル港みらいの展望台から、全景を見る。展望台で母、娘夫婦?の三人連れの娘さんと云っても30半ばの大柄で落ち着いた雰囲気の美人さんが、良かった。

  ★鎌倉・横浜二日間の中で、一番の目の保養をさせて頂いた次第である。へへへ。

 其処を出て、帆船日本丸が停留する界隅(かいわい)をぶらぶら歩き、巨大なクジラを模した施設に入り、海を眺める。其処を下りて山下公園でジュースを買い、テーブルで一休み。

 テーブルには先客が一人居て、スキンヘッドの私の顔を見て、その男は余り聞き取れない声で話し掛けて来る。聞く処に寄ると、彼は今朝方、出所して刑務所内労働で40万円を所持して居るが、早く働かないと生活が出来無く為るとの事で、何か仕事は無いかとの事らしい。

 へへ、彼は、私も同様の<その筋の人間>と見て取ったらしい。想像は100%個人の自由との事でも在るからして、私としては抗議をする術も無しで在る。

 夕食は中華街で食べようとの事で、中華街に向かう。横浜の目抜き通りを歩いて居ると、私の様な田舎者には、何んと無く『中国系』と思しき顔立ちの人達が多い事に気が付くものである。それは髭の薄さとか、幾分のっぺりとした細面の目の細さの顔貌、日本人とは多少の皮膚の色の違いから来るのかも知れないが・・・それでも日本人・日本の光景に同化して居る。

 中華街を適当に歩いて、横道の適当な店に入る。中には居ると、店のスタッフは中国人である。そして客達は、テレビで本国映像を見る様に刺々しさを孕んだ丸顔の福建省辺りの人間達の様な感じである。

 この処、私はすっかり嫌中感情が高じて、彼の国を毒亜国・中狂国と扱き下ろして居る次第では在るが・・・ これも類は友を呼ぶの世の倣いで在る。先ずは友を祝して、生ビールで乾杯して、夕食とする。

「さっきの男はすっかりビビっちゃって、何か、ヤクザの親分に接する見たいに立って、オジギするんだから、Rちゃんは大したもんだわ。」

「またまた、こんな品の在る男をヤクザと見ちゃうんだから、人を見る目が無い。だから、刑務所なんて所で、臭い飯を喰っちゃうんだろうね。困ったもんさね。へへへ。
 其処へ行きぁ、展望台の美人さんの方が、人を見る目が在らぁね。ホントは、美人さんだったから、トックリと目の保養をさせて貰いたかったんだけど、男が亭主殿だと頭かち割られちゃうからね。好い女だったね。もうちょっと観賞したかったね。イッヒッヒ~!!」

「うんうん、向こうも見てたね。Rちゃんは市川団十郎見たいに、目立つもの。伊達にロシア女とジッコンには為らないよ。あれだね、Rちゃんと一緒に居ると、俺も面白い観察が出来るもの。Rちゃんが女好きで助平な事は、手に取る様に分かるからね。ひひひ。相当、人生楽しんで来た口だよ。」

「何を扱いてるだい。SNちゃん、俺の枕詞知ってるズラ。<金無し、毛無し、女無し。止めが甲斐性無し>のヘレン・ケラーの三重苦を突き破っての四重苦、落ち目の三度笠、妄想に生きる底辺貧民だんね。あい~。ブログ毎日読んで呉れている割には、俺の実態を誤解してるんね。」

「またまた、抜かしちゃって、俺は65で、Rちゃんは未だ65には一カ月届いて無いんだぜ。俺だって、65の経験知・経験値で、人を見る目は在るよ。何しろ、俺は『心眼』を磨いて、被写体を観察してるからね。アハハ。」

「やいやい、心眼が出て来ちゃ、俺ぁ、お終ぇよ。人さらいの元締めシンガンスで無くて好かったってもんさね。ギャハハ!!」

 いやはや、<人は時の子、時代の存在。依って、個にして個に非ず。団塊・番から男子高OB>と云った処で在ろうか。新コンビ誕生で、ビール二杯に、たらふく食べて楽しい夕食であった。

 夜は生真面目なSNちゃんは、大船から新宿への電車をメモして渡して呉れる。明日の午前中は、鎌倉の大仏さんを案内して呉れる由。

 明けて、清々しい限りの秋の空である。バックを車に乗せて鎌倉の大仏さんをバックに写真を取って貰った。さてさて、日頃の大戯けを見下ろして、鎌倉の大仏様は、何をお諭し下さる物やら・・・空き晴れの青空の下、汗顔の至りである。ギャハハ~!!

「ほら、此処の蓮池の藤棚のベンチがさ、この前の老夫婦二組の絵の場所なんだ。」

「ああ、そう。此処がねぇ・・・ 鎌倉、横浜に近くて、絵の題材には事欠かないロケーションに住んでるんじゃないの。好いねぇ~、第二の人生を趣味の水彩画を通して、研鑽して行く行くは、個展を開く。好い人生の歩みだねぇ。
 大したもんだ。あれだねぇ・・・お天道さんは、自ら歩む者に、さらりとロケーションとステージを用意為されている。SNちゃん、日本人にはお天道さん信仰が一番だんね。あい~。」

「やぁやぁ、またまた良い事を、さらりと言ってのける。好いね、好いね。あれだ・・・カァちゃん追い出して、老後は二人で共同生活したくなっちゃうね。へへへ。」

 次は健勝寺?とやらを、ナイスバディの白人女性3人組のはち切れんばかりの肉厚ヒップに、生唾物のシングルママ・ヤナさんのヒップを重ねつつ、お寺を拝観する。

 再び、車に乗って<是非とも見せたい>と言って居た竹寺・報国寺に連れて行って貰う。

 境内の奥は、真っ直ぐ屹立する竹林である。その太さと高さは、圧倒されるほどの世界観で在った。鬱蒼と屹立する竹林を眺める様に、茶屋が設けられている。抹茶とサントウ(三糖)?とか云う小さな和菓子二個が添えられて居る。竹林の奥は絶壁状の砂岩に成って居て、其処に三か所の磨崖仏が彫られている。

 参道の脇には5~6体の石像が在って、その中央二体のレリーフは、明らかにガンダーラ様式の仏像で在った。鎌倉武士団が進行した仏派は、禅宗との事であった。本殿階段には報国寺、功臣寺の石碑が建って居た。

 竹林、ガンダーラ様式、磨崖仏、報国・功臣をキーワードに、暫し脳裏に世界史テロップを追って見た次第である。『武士の精神世界』を、コンパクトに現わして居る感じのお寺さんで在った。

  へへへ、中々にSNちゃんも遣るものである。好いお寺を見学させて貰った次第である。

 駅で駅そばを食べて、SNちゃんと別れて新宿に向かう。新宿駅で中央線は、相模原付近で脱線事故、運休との事である。然らば、高速バスで帰るしかあるまい。

 西口に出れば、いやはや電車にあぶれたバス待ち人の長蛇の列である。三時間待たされて、漸くのバス乗りであった。

 旅は非日常体験と云うのであるからして、確かにクルージングも帰りのバスも、これまた非日常の体験なのである。

 何から何までブログ友・SNさんには『至れり尽くせりの大歓待』を頂戴して、<人生冥利に尽きる>の次第で在った。感謝感謝の横浜・鎌倉の巻きで在った。


大荒れクルージングの巻き
                大荒れクルージングの巻き(9/18/13)
 
 弟から電話が掛って来た。早速、Tに電話をする。
「7時、会社だってよ。」
「あいよ。」

 Tシャツでも買って行く事にしようかと思ったが、結構な分量に為って仕舞ったから、パスする事にした。車にバックを乗せて、弟の会社に向かう。会社には既にKちゃんの車が在った。

「お久し振り。この車で行くの?」
「5人だから、乗れると思うんだけど。」

 弟は未だ仕事から帰って居ないらしい。私とTは年金生活者であるから、毎日がフリーで在るが、現役さん達はその点、辛い処が在る。そうこうして居る間に、会社でシャワーを浴びたと云う通称ブーちゃんが、汗を拭き拭き事務所から出て来た。彼はボラカイ・バカンスの折に、張り切り過ぎてバイアグラを使えずに<下痢ピー>でホテルで、点滴を受けて居た男である。まぁ、今回は女抜きのクルージングであるから、下痢ピーには為らないであろう。へへへ。

 仕事から帰った弟が、シャワーを浴びて着替えて、荷物を積み込んでいざ横浜浅田運河に向けて発進である。途中で釣り具、網を買って、皆ファイト満々である。何しろ、土産はクーラーボックス満杯のアジ、サバ、伊勢海老なのであるからして。

 もう一人の彼は、子供の運動会とやらで、残念至極の不参加との事である。車中では後部席に陣取った私、T、弟の男子番から高のOB会で政治談議、世相談議で、時間は過ぎ去り、良い雰囲気である。途中、PAで食事とする。現役大食漢の弟に、<それしか食べないのか? 腹が減るぞ。>と言われて、二杯目を牛丼とした次第である。

 横浜に入って、ブログ友のSNちゃんからTELが入る。彼は、前へ前へと計画を立てる技術系人間の生真面目さである。運河に到着すると、横浜兄弟の兄さんが出港の準備を一人でして居られた。各自の荷物を積み込んで、弟は早速、船の整備に取り掛かる。機械に長けている弟は、不況で自分のクルーザーを手放して仕舞ったから、年に2~3回横浜組のクルーザーで、松本組を引き連れて神津島へのクルージングを一緒にして居る仲である。云って見れば、私とTを除いては、皆クルージング仲間なのである。

 横浜組との最初の出会いの折に、Tも同行していたから、初対面では無い。船の整備も終わり、定員数16名のクルーザーは広い。前後に寝室、全部にキッチン、中央にリビング、後部にトイレ、シャワー室と豪勢な造りと成っている。
 今回は台風の接近で、台風状況が一番の関心事である。それでも、現代は情報化の時代で、台風の様子が分かるから便利と為った次第である。安全第一を最優先にして、打ち合せが行われる。

 参加出来無いと言って居た横浜組の末弟さんが、仕事を終えた足で遣って来た。スーツ姿で店の帰りとの由。ママさんに美味い焼酎を二本貰って来たと言って、お返しの伊勢海老のオーダーをタンマリ頂戴して来たと云う。

「あれ、今回は仕事で来れないって言って居たんじゃ無いの? あれだろ、女よりも俺達と一緒に居たいんじゃないの。素直じゃ無いね~。」

「違うよ、俺、経営者だから、暇人じゃないからね。でもさ、皆が来ると云うのに、俺、仕事とは言えんしさ。お兄さんも来るって言うし、シェフの俺が居ないと盛り上がらないし。
 Kちゃん、タッカ持って来て呉れた? 治って無いじゃん。如何したの? 俺なんかさ、ベロベロに酔ってるんだけど、シューマイ、美味い焼酎の差し入れ持って来たんだよ。女を振り切ってさ、男の友情最優先なのにさ。松本組は、本当に駄目だねぇ~。
 ブーちゃん、あの島で買った焼酎不味くて、残してあるから、全部飲んで行ってよ。ホントに、顔も拙いけど、味覚もセンスも悪いから、俺、バッチィ奴は船に乗せたく無いんだけどさ。分かってる~?」

「あっ、また始まった。酔っ払いは、早く寝て。ねちっこいんだから。」

 まぁ、こんな風に始まった出港前のクルーザー仲間のじゃれ合いで在る。矢張り海の男達の経験で、小眠を取っての『早や目の出港』と為った。横浜港を抜けて外海に出る。空は灰色雲が低く覆って、台風の影響が見え始めて居る。矢張り太陽の薄い海は、解放感に欠ける。

 伊豆大島までは、東京から120kmである。途中、トビウオの10匹程の群れを見ただけで、カメラを首からぶら下げるSNちゃんには、絵の題材としてのショット数の足しには為らないだろうから、些か気の毒な感じである。台風は小笠原諸島の先に在るらしいが、その影響は、こんな遠くまで来ているらしい。

 それでも大島に来ると、夏の色に変わった。波浮港には台風を避けに東京に向かうと云う役所の大きな船舶が、荷物の搬入の為に一隻停泊しているだけであった。クルーザーを繋ぎ、給油と朝食を埠頭にテーブルをセッティングする。トイレで用足し、洗顔をする。弟は揚げ物屋に串カツ、ハムカツ、メンチカツを買いに行く。クルーザーのキッチンでは、調理師の免許を持つブーちゃんがハムエッグを見栄え好く調理して運んで呉れる。いやはや、何んとも手際の好さである。

 シェフ役の弟さんは、口は悪いが親切で行き届いた御仁である。口とは裏腹の味に煩い末弟さんは、美味いパンをソツ無く揃えて居て下さる。当年63歳と云うから、弟より一歳年長である。船長さんの刺青社長さんは67歳と云うから、67、65×3、63、62が6/8を占める。

 先ずは、大事を取っての早や目出港である。一路東京から178kmの神津島を目指す。この間には利島、式根島、新島が控えて居るから、天候さえよければ空の青、雲の白、島の緑とクルージングのハイライトが続くのであるが、低く垂れ込める灰色の墨雲に、天然の大パノラマはお預けの感で在る。

 後部デッキで、黒潮の通り道に沿ったこれらの島々の遠景を見ながら、地球と云う器は巧く出来上がって居る物だと感心する。台風の影響で、島々の上部には雲が掛り、幾分、心寂しき思いなのであるが、動力を持たない昔の帆船乗組員からしたら、黒潮流れる大海原に浮かぶ島々は、正に安心感の象徴に映って居た事であろう。

 新島と分かれ、黒潮の大河を眺めながら360度の太陽と海風のクルージングに身を置く。お天気さんは芳しくは無いが、横浜港のくすんだ曇天と比べると、数段に好い。

 南洋特有なシュークリームを浮かべた積乱雲の昇りは、天候の具合で灰色がかった小さなボリュームで、海面からスッキリと浮かび上がらせる事無く続いている。気象解説では、台風の形状は、巨大なレコード版の様な形をしているとの事である。これも台風前夜の前触れと見ると、台風の巨大さを想像する事は、人間の視覚の域では到底及ばない巨大さと云う事が、おぼろげながらも想像出来る。

 まぁ、想像出来ない事には、頭のエネルギーを使っても仕方の無い事である。そんな次第で、航行を愉しむ。

 行く手に神津島が見えて来る。神津島の中央は荒々しい絶壁状の火山口である。

 クルーザーは、速度を絞っ入港する。神津港は台風に備えて、漁船は全て引き上げられて居る。さぁ、上陸である。弟達はコマセを買いに、何しろお土産はクーラーボックス一杯の自前調達なのである。前回の盆休みクルージングでは、アジ、サバの入れ食い状態だったと云うのであるからして、夏をキープしたままの神津港埠頭は、航空母艦並の広さで<さぁ、居らっしゃい、幾ら釣っても只よ>と、ど~んと待ち構えて居るのであった。

 さぁさぁ、皆勇んで釣り開始である。短パンに裸、Tシャツで雰囲気こそ、ファイト満々では在ったが、ニャロメ~!! アジのサビキに喰らい付いて来るアジの群れが来ないでは無いか。地元さんは埠頭の最前線に軽トラを止めて釣りをしているが、ぼちぼちムロアジが掛る程度で、釣果に乏しい限りである。粘っては見た物の、コマセも使い果たして、万事休すの次第であった。アハハ。

 クルーザーでは、シェフが腕によりを掛けて、本格的フランス料理に勤しんで居る。後部デッキにテーブルをセッティングして、役立たずの私達はシェフの仕事振りに驚愕の眼差しである。キッチンのガス、ポータブルガスコンロ2台を駆使して、いやはや、その手際の良い事と言ったら、プロ並である。美味い物を仲間達に振舞って、大いに食い飲むのが、クルージングの醍醐味なのである。口と態度は悪いが、実にマメに人を歓待するのに天性の才能を持った御仁である。

「さぁ、これはこうして使って、こう遣って食べてよ。信州の山猿連中には、本当は食べさせたくは無いけどさ。これが横浜のセンス、エレガントさ。皿だってさ、陶器だからね。

 如何? 肉も上等でしょう。肉の種類を替えて、調理法も替えて在るんだぜ。こっちの肉は、これ掛けて、こっちはバターにレモン絞って食べて。それでこの赤ワインで。ニンジンも美味しいでしょ。下地を確りさせてるから。ちょっとしたレストランの感覚と味でしょ。パンはこれこれ。ちゃんと用意をして来たんだから。ブーちゃんはこの不味い焼酎飲んでなさいよ。駄目だよ、こっちの高級焼酎なんか飲んだら、駄目だよ。口で幾ら反省したって、自己責任だよ。俺は下品で、バッチィ奴は絶対に許さないからね。」

「ああ、また始まった。シェフの腕はプロ並みなのに、口が悪過ぎるから、店持てないんだわ。天は二物を与えずって言葉知ってる~?」

「それを言うんだったら、<貴族は食べ、豚は残飯漁り>って云うんだぜ。ご飯の欲しい人は言って、良い米で炊いたんだ。美味いよ。」

「梅干しが欲しいな。」
「駄目だよ。折角、兄さんの手間暇かけた梅干しだもの。兄弟だけで分けるんだ。勿体無い。」
 
 女無しの男だけのデッキ・ディナーは、夏をキープした裸の男連である。そして、還暦組が6人と為ると、刀傷ならぬ手術傷の面々である。胃癌に直腸癌と手負いの男達である。へへ、男の傷は時代と共にメス傷が付けられて行く様である。

 風呂は『名物・神津風呂』との事である。漁船用に水道が敷かれて居るので、そのホースでシャワーをすると云うのである。ホースの下に大きな漁師用のポリ桶が置いて在ったから、それを綺麗に洗って、水を溜めそれをバケツで汲んで身体を洗えば、立派な神津温泉と為る。水は丁度良いぬるま湯の温度で在る。早速、先頭を切って使わせて貰う。

              これが中々に好い具合で在った。

 漁港の隣のビーチでは、ビーチボールの大会が行われて居て、大きな歓声とアナウンスがされている。トイレはその方向に在るから、大分歩いて行かなければ為らない。其処までの間には、奇岩状の長い通路と為って居る。<竜が洞>?とやらの名前が付いて居る。本島は火山島であるから、色的には花崗岩の島である。然しながら奇岩の群れは、灰色の泥岩である。従って、これらは海底隆起である。火山島と海底隆起が同居する様は、自然の摩訶不思議なコントラストを呈している。

 台風の接近を考慮して、クルージングの調整である。夜の漁と為って、それの御手子役をする。フランス料理シェフは、夜中の出港に備えて再び飯を炊き、握り飯の用意を始める。海の男達は、其々に分担と役処をこなしてクルーを回して居るのである。

 空振り空振りの果てに、弟の指図に従って漸くの一匹で在った。握り飯を完了したシェフさんと如何云う訳か・・・コンビに為って掬う。二匹をゲットした物の・・・『下手だね~。』を連発されて、2勝4負の不出来を散々に言われて仕舞った。

 雨が降って来た。嵐を予兆する雨脚である。2時出港を繰り上げて11時出港とする。

 外海に出た途端、来ました来ました。荒海クルージングである。交代で仮眠する事に為って、後退組はベットへ。弟は1時に起こして呉れと云ってリビングを後にする。少しでも寝かせて遣ろうと思い、5分前に寝室に行くと居なかった。凄い揺れであるから、何の役にも立たないロートル組の私、T、SNちゃんは後部寝室へ。

 Tは、エロ本を持って来たから、余裕の読書をするとの事である。その内に、海は完全に嵐状態である。こんな時は、ただひたすらに仰向けに為って居るのが、船酔いを回避する手立てである。そんな心の強がりも束の間に吹き飛んで、棚から物が落ちる、身を起こす事も出来ずに、凄まじい状況に為って来た。いや~、こりぁ大変な騒ぎと為って仕舞った。如何すりぁ、好かんべよ。311並の超ド級の猛襲沙汰である。

 ベットから放り出される、投げ飛ばされる状況に為って、両手でベットの上の棚を握って、必死に耐えるだけである。Tは寝室からリビングに上がる階段に座って、両手両足を踏ん張って居る。ドアのフックが外れてドアがバタンバタンしているが、立ち上がってフックをする事も出来無い。

 ベットの下のSNちゃんはベットの足を両腕、両足で抱え込んで振り落とされまいとして必死である。ベットの上は私一人であるが、下に居る方が振り落とされない分、安全と云う物である。然しながら、身動きなどしたら、ゲロの放散沙汰である。ムカつく内容物の臭気を深呼吸を繰り返して吐き出す。下手に鼻に上げて仕舞えば、一巻の終わりである。

 もう、この頃に為ると全身『脂汗』でぐっしょりである。そして・・・とうとう重度の船酔い状態を示す吐き気と便意の催しが始まって来る。

 動いたら飛ばされる、一気に吐いてしまう。気持ち悪さとの長い長い格闘が始まった。

 顔の上に何か落ちて来た。蛍光灯が割れて落下して来たのである。拾おうにも拾えない揺れの真ん中に居るのである。

「おお、岩だ。ぶつかる!!」

 緊迫した模様が飛び込んで来る。ルッルッルッ、ルッルッルッ・・・船はニュートラルにして、ガガッガガッ、ガガッガ、バリバリバリ・・・スクリューをバックに入れた凄まじいエンジン音に満ちている。ギアがガツンガツンと入って、荒波を掻き分ける様に船体が振動してスピードを増して行く。そして、噴かし音が息を付く様に下火に為る。

 如何やら寸前の処で、衝突は回避したらしい。一気に冷や汗が沸き上がって来る。暴風雨の真っ只中で在る。起き上がる事も出来ずに、エンジン音の状況で経験知にダイヤルを合わせて、船の状況を想像するしか無かった。時計を見て、後どのくらいの時間が掛るのだろうか、頭の中で距離と船のスピードの割り算をして、忍の一字を噛み締める。慌ただしい声に混じって、式根島、新島の声が飛び交っている。

 あの辺りの海域にはとんがった岩礁が二か所ほどある。夜間航行では在るが、名前は知らないが、ナビゲータの様な物が付いて居て、航行出来るのである。それでも、船長さんは目視操船しかして来なかったから、コースを大分逸れて仕舞っていたとの由。

 これは後から弟に聞いた事では在るが、彼は、何と無く嫌な予感がして、早や目に起きて船の見張りに出て居た由。夜中のナビ航行も何度も経験して居るから、レーダーを睨んでの操船には長けている。目視操船とレーダー操船の違いに不吉な予感を抱いたとの事である。

 これも、後でSNちゃんに聞いた話ではあるが、初めてのクルージングのSNちゃんに、<生命に替えて無事に帰港しますから、信じて、安心して下さい。>と言った由。

 途中、船は式根島で2時間程の仮眠を取ったらしい。再び、船は回転数を上げて荒海に出た。私は操船が大分荒ッぽくなったから、弟が替わった物とばかり思って居た。弟らしく強引に荒波にスロットルを一杯に蒸かして、突進、ジグザグ、大波を信号待ちする様に微速、一気に回転数を上げて突き進んで居るなと感じながら、必死で船酔いと格闘して居るしか無かった。

 操船が弟に替わったと云う事で、恐怖は無くなったから、兄弟と云う血の繋がりは、不思議な物である。

 台風は未だ来て居ないのに、これだけの大荒れを呈する大海原を昔の越前船、西洋帆船の船乗り達は、航海をしていたのだから凄まじい限りと思って居た。舵を失ってカムチャッカに漂流した大国屋光太夫、咸臨丸のインテリ侍さん達の太平洋航海のしんどさを、マジマジと噛み締めて居た。

 割れ散った蛍光灯の欠片が、カチカチ、カシャカシャ、ピシッピシッと鳴り続けて居る。危ないの意識は働く物の・・・ 完全にグロッキー状態である。意識は在れど、一切、身動きの取れない脂汗と吐き気との格闘が続く。

 手を伸ばしてカーテンを開けて外を見れば、叩き付ける雨飛沫に、船は波の坩堝に翻弄されている様である。立ち処に、目眩(めまい)がして、ベットに叩きつけられる。

 暫くして、<シェフさんが大丈夫ですか>と聞きに来た。操船する兄貴と一心同体と為っての『兄弟の立ち向かい』で在る。気を張り詰めて、奮闘して居ない限り、船酔いは等しく身に降り掛かる。

 私も、何か手伝おうとフラフラと立ち上がった瞬間、オエッである。

 口に手を当てて、トイレに何回もぶち当たりながら、トイレのドアを開く。便座を開けて、オエッ、オエッ、オエッと胃腸の内容物を無理矢理に、指を舌に押し込んで吐き出す。吐ける物は、全て吐き出さ無いと後が大変な苦しさと為る。辛い事は一回で済ませるのが、私の経験値である。

 粗相の無い様に、便器に吐き出すのも大変な物である。尻もちを何度も付いて、内容物を嘔吐してコップに水を汲んで、口を漱ぐ。好かった。上下の口から同時だと収集が付かない結果と為る。下から出ずに、全て上から出て事無きを得た。

 これで大分すっきりした。後は、ひたすら我慢との戦いである。後顧に憂い無しでは無いが、上門、下門に憂い無しの気分が、落ち着きを取り戻した様で意識が薄らいで行った。

        東京湾に入ったのだろうか、大分揺れは下火に為って来た。

「Rちゃ、珍しいな。大丈夫か。これ、酔い止めだから。飲めば少し楽に為るから。もう少しだ。」

 弟が、薬を持って来て呉れた。ベットの下のSNちゃんは、洗濯物のビニール袋から衣服を出して、ビニール袋に嘔吐したと云う。大変なクルージング参加をさせて仕舞い・・・面目次第も無い。

 クルーザーは、スピードを緩めて浅田運河に無事帰還した。全員で船を洗う。私はてっきり途中から弟が操船して居た物とばかり思っていたのだが、彼も私同様に船酔いに沈んで居たとの事である。

「あれ、そうかい。化け物とばかり思って居たんだけど、やっぱり人間だったか。」

「何言ってるだ、Rちゃだって、完全ダウンは初めてだったぜや。途中で覗きに行ったら、足踏んだって、ベットの棚を両手で掴んでさ。苦痛の顔だったぜや。こんな事初めてだぜ。参ったよ。如何してかな?」

「俺も、それを考えてたんだけどさ。お前さんの船は、丁度好いサイズだったから、揺れが上下に分散してたんだと思うよ。それが、この船は大きいから<横揺れ>だったんだよ。ほら、地震でも横揺れは波長が長いから、大事に為るって云うだろう。そのタッペだと思うんだけどな。時化の航海は、これよりも酷かった事が在ったけどさ、酔わ無かったぞ。」

「嗚呼、了解。多分、その線だわ。相変わらず、分析力は抜群だね。」

 台風は、本土に近付いている。疲労困憊組は、大事に為らない内に松本を目指すと言う。私はSNちゃんの好意に甘えさせて頂いて、横浜二連泊で御一行様と別れた。


心何処ーショート 帰って参りました。
                帰って参りました。(9/17/13)
 台風に祟られた神津島クルージングで、帰りは二日早めての夜の出港でありました。ベットで寝て居ても、蛍光灯は割れて落ちて来るし、ベットから放り出されるわで、大荒れの航海でして、皆、重度の船酔いにただただ帰港を念じて居た次第でありまする。

 はい、私は死んでました。吐きました。神津島連泊の予定を雨が降って来たので、出港した次第でありますが、判断が好かったと云う物です。いやはや、嵐に遭遇した咸臨丸の事、大国屋光太夫の事などを思い浮かべながら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を脂汗にびっしょりと為って居る身体で、ひたすら唱えて居りました。

 無事帰港してテレビを見れば、京都の大洪水の凄まじさに、肝を冷やして居た沙汰でありまして・・・ 

 私は、今回は仲間と別れて、ブログ友の<のんびり親父の水彩画>さんのSNさんのお宅に連泊をさせて頂いて、身に余る程の歓待を頂戴して、鎌倉、横浜見学をして来た次第です。それが、新宿で中央線に乗ろうとすると、相模原で脱線事故との事で、高速バスで帰ろうとすると、延々と続く長蛇の列で、やっとの事で18時を回って松本着の次第で在りました。近々中に、その間の報告書を上げますので・・・お読み下さい。

            先ずは、無事帰宅の御報告までに。へへへ。

心何処ーショート 息抜き前に、悪態一つ為り。
               息抜き前に、悪態一つ為り。(9/13/13)
 お天気さんのする事であるから、筋違いにして文句を言える程の人間存在では無い事は、勿論の事である。然しながら、二日続きの夏のぶり返しの様である。水槽の水も大分蒸発しているから、水汲みに行って来る。数日続いて降った雨量に、堤防の脇を流れて居た支流は、細っては居るが透明で冷たい水である。バケツでぐいと汲む程の水量は既に無く、不足は手で掬って入れて来た次第である。完全に夏日の暑さであるから、直射日光下は短時間で終えさせる。

 人間の身体の適応能力に就いては、外環境への適応には一週間程度の時間を要するとの由。そんな次第であるから、些か堪えている次第である。それでも、予報だと台風が控えているとの由。午後は雲が拡がって、然程の温度には成らないとの事であったから、それに期待するしかあるまい。

 NHKラジオでは、昨日に続いて尖閣国有化一年を振り返って解説委員に依るニュース丸かじりを流して居た。1968年から始まる中狂国の尖閣へのチョッカイ、領海侵略のベクトルを時系列に並べ立てて、海洋大国を目指す中狂国の国家意志行動を紹介していた内容であった。

 国家意思を剥き出しにした中狂国と、外交=話し合いで何とかし様とする戦後日本病の呪縛だろうか・・・防戦一方の日本の在り方云々には、歯痒いばかりの話の流れであった。 
 尤も、一つの見方として、領土問題を抱えるロシアの対ポーランドの例を引き合いに出して、ゴルバチョフ、シュワルナゼの話を引き合いに出して、尖閣諸島は日本固有の領土で、領土を守り抜く必要性を解説して居たのだが・・・

 領土問題を歴史に採る事には、全く異存は無い。歴史に学ぶ事で、冷静な選択肢の数を持つ事は有意義である。然しながら、選択肢のカードを有効に使うと云う事と選択肢の数を持つだけでは、初期の目的を達する事には為るまい。
 歴史とは、諸般の結果事である。歴史の因果関係と、当事者国の根底を見て、見破る、見抜く、見切る眼力を持たなければ、それは単なる歴史単語の年号覚えのひけらかしに過ぎまい。増してや当事者国為らば尚更の事、相手を見て、判断、行動しなければ、事は一方的な既成事実の積み上げを許して仕舞う。

 ソ連とポーランドの領土解決法を其の儘、性質の悪い中狂・半島国に応用出来る筈も無かろう。判断の過程には宥和策も在ろうが、決断に宥和は無いのである。策を実行に移して、初めて結果が生まれるので在るからして。

 近代化思想の萌芽・運動も見ずに、農奴に君臨する帝政から一気に共産主義革命を成功させて、農民・労働者の独裁体制と宣伝して赤い王朝に君臨したのが、ソ連で在り中狂国であった。

 互いに前近代的な封建体質を脱して居ない大陸国家内で起こった革命政権で在った。中産階級が育たなかったお国柄で在る。資本主義を素通りしての共産革命政府の樹立並びに王朝維持で在ったから、個人崇拝に依るレーニン、スターリン、毛沢東は、共産主義の誤謬性を体現すべく、彼等個人に集中した。鉄のカーテン、竹のカーテンが取り外されて白日の下に暴かれたのは、血生臭い党内粛清の嵐で在った。

 その直近例は、カンボジア・ボルポト政権の地獄図であろう。ソ連も中狂国も、カンボジアの比では無いから、その残虐さと規模の大きさは、想像を絶する阿鼻叫喚の裏面史を積み重ねて居た筈である。何しろ、共産主義の見本は、スターリン→毛沢東→ポルポト、金日成の流れなのであるから。

 協調を旨とする日本人の精神構造が、強調が国威・国力・国際地位と妄信して居る国家・国民・人民・民度とは、一線を画して居るのが日本文化、日本人民度なので在るからして。

 増してやパクパク、クネクネ音頭で、火病像を世界に建て捲って居る半島国には漢字が消滅して居るから、キョウチョウの同音異義語の区別すら一顧だにせずに、協調を強調強調で、他国の国旗を焼き払い、日本人を犬犬と喚き散らしているだけの事である。

 今日は、偶々、面白いネット記事を読んだ。福島原発事故に依る放射線汚染で、日本の8県の表示の付く海産物の禁輸措置を、東京五輪招致の妨害工作として、全世界に高らかに発進した韓国で、韓国産海苔、昆布から、日本を上回る放射線量が検出されたとの由。加えて首都ソウルでは原発廃棄物粉砕してコンクリート骨材にして使い回す、原発排水は海へ垂れ流し三昧を重ねて居るらしく、2000年頃から、基準値を何倍も上回る放射線量が検出されている由。毒亜国の放射線濃度は、日本の比では無いと云うのが実態らしい。

 放射線量と火病の因果関係と来れば、私の様な単細胞人間は然も在りなむと片膝をポンと打つ次第では在るが、日本の書物に現れる朝鮮火病の沙汰は、江戸時代の朝鮮通信使行列の絵巻とか、朝鮮通信使の日本見聞録の日記にも、その火病の症状は色濃く記されている次第であるから、放射線量との直接関係は無い。然しながら、昨今の火病狂いの沙汰は、若しかしたら放射線量が、彼等の火病を助長させている因子の一つかも知れぬ。

 どちらにせよ、ノーベル賞を狙って、クローン羊だか牛の捏造論文を発表して大学を追われた教授が居たりするお国柄なのであるから、自分、自国に不利な事には、一切口を噤み事実たる歴史に就いては、恨とガラス玉ファンジー一辺倒の捏造捏造のペンキ塗りのお国柄である。

★丸で、嘘付き野郎が、熱い鉄板の上に乗せられて、下から火を付けられて居るから、アッチッチ、あっちっち、と跳びはねるイナゴの塊見たいにしか見えて来ない次第である。
 まぁ、信州じゃ、蜂の子、イナゴ、ザザムシの佃煮は、<珍味の郷土食の雄>ですがね。イッヒッヒ~!!

 いやはや、驚愕天地の国民性・民度とは凄まじいばかりの内実である。これぞ正しく、毒亜の証左である。

 私は細々と老母と暮らす日本の下層貧民ロートルに過ぎないが、無神論者と云えどもお天道さん信仰者の一人である。『天に唾する』不遜は、当然の結果として『己が身に降り懸かるの愚』を経験値で承知して居るし、『天罰覿面』も、『お天道様はお見通し』も、『天道は正直』も知ってる次第である。

 一説に依るとイエス・キリストは韓国出自にして、キリスト教者が多いと云うから、<天は自ら助くる者を助く>のアーメン語も知って居る心算である。

 へへへ、NHK解説委員さんも、受信料で賄われる公共放送なのであるから、国民感情・国益にスタンスを置いた日本人感覚で物を言うべきでは無かろうか。尖閣は日本の領土領海にして、数と回数に物を言わせて領海侵犯から、自国領の既成事実を積み重ねようとしている中狂国なのであるからして。

 へへ、言いたくは無ぇが、NHKが独占中継をする国技・大相撲にだって、制限時間内の仕切り時間が、ルールとして厳格に機能して居るんですがな。<待った無し、見合って見合って・・・> TPOを逸脱して、何時までも平和主義の日和見行事をして居ては、入場料を払って見に来ている、観客から行事に向かって座布団が喰ら付けられるばかりでありまするぞよ。当然、経験知・経験値から割り出した両力士の魂胆・癖を知り尽くした行事が、仕切り役を務めて居るのである。

 好い加減に敗戦・冷戦時には有効だった平面過ぎる平和主義者的理性の棒読みは止め為されや。この程度の一般論でお茶濁しの解説をするとは、<巨大組織に胡坐する官僚頭脳と感性>でしかあるまい。日本のインテリ集団も、地に落ちたと云う物である。

 今や、吾が祖国は、米TPP、毒亜・中狂・半島国に、日々苛まれて国難の時で在りまするぞえ。国の求心力を強固にするべき時で在りましょうぞ。へへへ。

 ※明日14~17日まで、ブログ更新は出来ません。帰って来たら、クルージングの記を打つ次第であります。さてさて、どんな息抜きが待って居るかは、神のみぞ知るで在りまする。


心何処ーショート 一日中、コウロギ鳴く秋である。
              一日中、コウロギ鳴く秋である。(9/12/13)
 夏のぶり返しの午前中までは大義であったが、水槽の水を汲んで来たりで、そこそこの過ごしをする。天気予報通りで午後からは雲に覆われて来て、太陽の照り付けに終止符が打たれて、やれやれの段である。何日振りかに汗ばんだ身体をシャワーで落とす。

 本日は、暑かったから老母共々、小蚊にはよく食い付かれて痒い痒いでポリポリ掻きの態で在る。

「こんな生きて居るのがやっとの婆さんの血を吸わなくても・・・不味いだろうに・・・痒ささえ無ければ、幾らでも吸わせて遣るのに・・・」

「蚊が血を吸いに来るんだから、まだまだ寿命が在るって事だ。・・・うう、って事はさぁ、100の大台に乗っちゃうぜや。冗談じゃ無ぇぞや。この糞婆、俺の青春を返せ~。」

 こんな何時ものエール交換をして居ると、体罰、躾け問題に話しが流れて。

「昔の餓鬼は今と違って、体罰躾けの毎日だったからな。俺も婆さんの長物差し、箒でえらく遣られちゃってたわね。三つ子の魂、百までの常識で言えば、仕返しをして遣りてぇんだがさ。下手にひっぱたきぁ、即死で夜な夜な化けて出て来られちゃうしな。俺ぁ、からっきし度胸が無ぇから、それは御免蒙りたいしさ。困ったもんよ。あい~。」

「ああ、あの頃は若くて元気だったからね。男の子5人だったからね、毎日、廊下を走り回っていたからね。うんうん・・・大変、無我夢中だったけど、楽しかったよ。」

「そりぁ、そうズラよ。人間の中にぁ、幾ら上品振ったって、サドの血は在らぁね。しなる長物差しのバシッの炸裂と来た日にぁ、堪えられん快感だぜや。遣る方は快感だろうけど、受ける方は痩せ我慢の逃走劇ですがな。目を三角にして、オン捲られたんじゃ、相手は親だ。手向かう訳にぁ行かんぜや。
 そう言いやぁ、あの頃から逃げる時の捨て台詞としちゃ、<糞婆ぁ~>だったもんな。糞カカァじゃイマイチだし、糞婆ぁが一番合ってたんだろうな。イッヒッヒ!! 

 思い出しゃ、あの頃は、今にして思えば、日本中漫画みたいな世界だったからな。何しろ、言葉は二の次の時代だったからね。親、大人は、怖い存在。餓鬼は碌でも無いガラクタの代名詞だったしな。アハハ、子権なんて代物なんか、端から在りゃせんわね。」

 親子共々、ムヒを擦り込んでテレビを見て居るのであるから、様には為らない次第である。

 さてさて、洗濯物を干してブログ日誌打ちでも致そうか・・・。すっかり、秋の口で、庭にアキアカネ、一日中コオロギが無く季節と為った物である。


心何処ーショート 日本と毒亜を思う。へへへ。
                 日本と毒亜を思う。へへへ。(9/11/13)
 さてさて、線を切って仕舞った工事費の支払い方々、個人スーパーまで自転車で行って来るか。おやおや、レジでオッと、Uのオバサンに声を掛けられ、エヘヘである。

 土曜の夜から火曜まで家を留守にするから、日持ちの良い物などを作って置こうと考え、ゴボウ、ニンジン、挽肉で唐辛子の利いたキンピラゴボウを作って置く事にした。毎日、何年も賄い夫をして居ると、要領を心得て来て手際が良くなる物である。へへへ。

 掃除をしたり小動物の世話をしたり、台所仕事をして居ると午前中のお時間は、それなりの密度を持って進んで行くものである。

 さてさて、昨日は不在であった姐御さんの心豊かに為るお声、お言葉を拝聴する事に致そうか。声好し、トーン好し、テンポ好し、内容好し、雰囲気好しのお人である。こんなに話しが弾み、ソフト感満載の中に入れるなどと云う事は、長い人生の内でも『奇蹟の様なお人』である。

 つくづくと思う次第では在るが、同類の価値観・人生観を共有出来る幸運に、日本人の心象・想いの拡がりを愛でる気分が、拡がる電話トークのお時間で在った。

 へへへ、私にとっては、心のオアシスの様な物である。得難い4拍子、5拍子を兼ね備えた御婦人の存在である。夢奇譚相棒のナターシャの上を行く5拍子で、ポンポンと続く話波の飽きない話の名調子が運ぶ、気分、心の和やかさは、穏やかな一時を作り出して呉れる。

 捨てる神在れば、拾う神在りの日本文化の拡がりとは、大した物である。イッヒッヒ!!

 それに引き換え、お隣の毒亜中狂、半島国の<火病日報>の有り様と来たら、全く以って、毒亜のテンコ盛りと云う物である。自問自答するにも基準軸の無い脳細胞と云う物は、全く以って『打つ手無しの惨状』である。排日反日の刷り込み一辺倒で成り立つ<脳無い細胞>は、正にNONO細胞なのである。反対意見・反証から来る疑問、事実は何処に在りや、と云った正常為る頭脳回路が備わって居ないので在るからして、自問自答から極普通に導き出される処の客観性への誘因も、客観性から生じる間違い、未熟為る物への反省心も、一切、惹起されて来ない。

 いやはや、異分子の存在を全否定するのは、完全にファシズムへの猛進沙汰なのであるが、ファシズムの本態すら知らずに、ファシズム、軍国主義、右傾化とやらで、相手国を徹底的に誹謗中傷する国民性・民度とは『如何なる精神疾患』なのかと、断ずるしかあるまい。

 これを当て嵌めて考えて仕舞うと、先程の電話トークが果たして可能か?如何かと、真面目に考えて仕舞う次第である。誹謗中傷は、仲間内の見た目には過激で気持ちが良いのかも知れないが、小手先の誹謗中傷だけではトークの幅も厚みも加わらずに、表層雪崩を呈して、次から次へと表層雪崩の場所を替えて行かねば為るまい。

 語気凄まじい限りで在っても、<馬鹿だチョンだ、憎い、生意気だ、許せない、好い気味だ、潰れろ、死ね>と言って見ても、それは取りも直さず、お互いの感情語をぶちまけるだけで、後が続くまい。

 従って、後が続かない感情語交換だけで終わって仕舞う。そう為れば、話題を見付ける為には、<新たなケチ付け>を探し回ら為れければ為らない。

 然しながら、極普通の生活をして居れば、そう簡単にはケチ付け対象は、出て来ない物である。出て来ない物に対しては、仕方が無いから、同じ所を掘り返すしか手は無くなって来る。

 幾ら金、銀、銅、石炭鉱脈で在っても、所詮は有限鉱脈でしか在り得ない。無限では無いのであるからして、その行為は『枯渇の一歩を刻む』だけの事でしかあるまい。それは取りも直さず、<労多くして、実り無しの枯渇行脚の態>で在る。

 所詮、有限物たる草木に焼き畑農業で作物を得ても、草木の再生産性を省ずに焼き畑農業をを展開して行けば、草木一本も生えぬ禿山野、禿野原が侵攻して行くだけの事である。人間生活の再生産と自然の再生産のバランスを考える事の出来無い頭脳とは、果たして人間の頭脳と呼べるものなのか。

 日帝侵略かなんかは知らんが、日本敗戦後に勃発した中狂国内での内戦、権力亡者の飛んでも無いオッサン・毛沢東の仕出かした大失政に依る大虐殺・大飢餓の現在史。片や、日帝敗戦撤退に伴う朝鮮内戦の阿鼻叫喚沙汰は、一切焚書坑儒してその空白に排日・反日を毎日まいにち、飽きずに喚き垂らし、今や、国内専用の縛りを解いて、身の程知らずで全世界発信と来たもんだ。

 言いたくは無いが、3流4流週刊誌の馬鹿見出し其の儘の態で、日替わり大騒ぎを仕出かして居る国民性・民度たるや、推して知るべしの中狂・半島国の政治レベルで在る。


 斯様にして、火病国に在っては、安物ビーカーでの<火病純粋培養が量産されて行くの図式>なのだろう。純粋培養に欠かせないのが近親交配と云うのが、一方のセオリーらしいから、愛玩用の犬猫にしても飛んだ悪弊が生じると云う。
 一般対処療法としたら、隔離病棟に於いて隔離する事が、帰納法から導き出される<妥当性>なのだろうが、何しろ、人口が半端では無い。此処は人類が総力を挙げて、ノーベル化学賞・平和賞のダブル受賞と冠して、経口薬の火病特効薬、ワクチンタイプの予防接種を、国連決議で早急にしなければ為らないのでは無かろうか。

 へへへ、俺ぁ笹川さんの身内じゃないから、<世界、みな兄弟>なんて殊勝な気持ちは、ツメの垢ほども無いですがね。これら毒亜国の粘質性・粘着性を指摘する感想、多では在るが・・・安手のメイド・イン・チャイナの粘着テープなんて代物は私に言わしめれば、他人様に投げ付ける物では無く、精神疾患者の喚き口に貼る物である。


 

心何処ーショート 秋に、チョイと肉体労働。 
                 秋に、ちょいと肉体労働。(9/10/13)
 ゴミ出しに外に出ると、大振りなヒツジ雲が拡がる空である。さてさて、空は晴れるか?それともヒツジが追われて白雲に蓋をされるか? どちらに成るだろうか。

 太陽の下、並マツバボタンの花はスッカリ少なく為って、種を成長させている時期である。此処へ持って来て少々高い買い物をして仕舞ったと期待外れだったジャンボの方が、俄然目立つ様に為って居る。並と違って花数の少ないジャンボはテッペンに一つだけ花を咲かせて、様に為って居る。ジャンボ種は花期が長いらしい?

 昨夕、高枝鋏で楓のツンツンと伸びた枝を腕の疲れに抗して、マメに切った積りでは在ったが、未だ数本の落ちが在るでは無いか。とほほと云うより他無い。お天気次第では、真面目に脚立を立てて、他の庭木にも鋏を入れて見ると致そうか。何事も運動、時間潰しの一環である。

 老母の動きを待って、定位置でモーニングコーヒーを啜る。残り物整理で朝食を取る。ヤクルトママさんが、腹痛で休んだと云うボクちゃんと一緒に参られた。ボクちゃんの手前で在るから、得意のセクハラトークを封じられて仕舞った。遺憾いかん・・・ 来週は留守にするから、1週休みと言ってバイバイの段で在った。老母の部屋で、お茶を飲みながらテレビにお付き合いをする。

           来週16日は、敬老の日との事である。

「何を扱きぁがる。俺ぁ、糞婆っさがしぶとく生きてて、<こっちの方が敬老の歳>じゃがね。糞っ垂れが、自慢じゃ無ぇが、誰も面倒見ちゃ呉れんわね。馬鹿野郎が~。なぁ、婆さん。ほれ、目薬落としじゃい。」

 嗚呼、また始まった・・・ この四男坊は、困った戯けだと笑って居る妖怪様である。それでも<老いては子に従え>の諦観なのであろうか。昇降椅子のレバーを下げて、歯医者の治療を待つ要領で椅子の背に身を預けて、目を閉じた格好で待つ。

         ★ヘヘヘ、<神妙為る格好、可為り>ってな物である。

「全く、手の掛る婆ぁだ。」
「すいませんねぇ~。」

 歳老いた萎れ瞼を指で明けて、目薬2滴を両の目に落として遣る。これで、老母と戯け倅の午前の部は終了である。

    おお、良い具合に曇天と成って来た。さぁ~てと一発、遣って見るかいな!!

 長袖、長ズボンに帽子を被って、長い脚立を出して庭木の散髪屋を始める。遣り始めればA型人間は、黙々と生真面目な者である。6本を遣って、疲れてヘロヘロの段である。アジャジャ、もう、こんな時間である。疲れると食欲も無い次第である。昨日と同じで菓子パンと梨の昼兼おやつの時間とする。

「好く遣るねぇ。スッキリして明るくなった。」
「あいあい、遣る事が無いから、この位しないと一日は進んで行かんわね。疲れるけど、これも体力維持の運動だわね。何だかんだと言っても、俺ぁセンスが良いからね。アハハ。」

 いやはや、疲れた。肩の筋肉がパンパンに張って、筋肉痛である。顔を何か所か蚊に喰われて、ムヒを刷り込んで四畳半定位置である。昼寝をしたい処では在るが、こう涼しくては布団を敷いて寝なければ、風邪を引いて仕舞う。予定が控えているから、油断は禁物である。


心何処ーショート ちょいと、映画の話。
                   ちょいと、映画の話。(9/9/13)
 本日は、ネットのKDDI→NTTの戻しで、9時に工事に来るとの事である。一応、部屋を掃除して置くと致そうか・・・

 寝具を干し、掃除をして、朝飯を食べる。片付けて居ると、遣って来た。丁度好い機会であるから、ブログのテンプレート変更の指導を受ける。右も左も分からぬブログなどを始めた折に、チョイとした弾みで現在のテンプレートに為って仕舞い、恥ずかしい限りのミスマッチ、テンプレートを長々と貼って居た次第である。何しろ文科系の機械音痴のロートル脳味噌であるから、訳が解らない。何度か変更を試みたのだが、一向に要領を得ずに放置して来たテンプレートである。

 それが今日から、一応の大人感覚のテンプレートに為ったという話だけである。へへへ。

 雲は多いが、晴れ渡ったお天気さんである。太陽のキツイ棘も落ちて来たから、玄関鳥を軒下に掛けて遣る。キリギリスケースも、たっぷりと土に霧吹きを施して、廊下の日向に並べて遣る。金華鳥、キリギリス達も、太陽を頂戴して嬉しらしく、好く囀り、鳴いて居る。

 風呂を老母に譲り、自転車で買い物をして来る。温度の加減で、空に浮かぶ入道雲は輪郭をぼかして、小さな塊を空に浮かべ、その上には筋のハッキリしない雲が拡がって居る。秋風の体感に、下り勾配で在る。

 この処の雨で増水した流れも大分濁りが払われて来て、笹濁りの流れと為って居る。オオハンゴンソウの黄色い花が、川原の彼方此方に群生している。アキアカネのトンボの数が、大分増えて来た。夏の塩辛トンボから、群れるアキアカネを見ると、季節は秋に入って居ると言う事である。土手道にはすっかり盛りを迎えたコスモスの花々が、ピンク、白の花を日に映えさせて居る。

 買い物帰りの上り勾配のペダル漕ぎは、矢張り薄らと汗を掻く物である。昼は軽く菓子パンと梨、ヤクルトで済ます。

 この処、就寝前はYouTubeで昔懐かしい映画を探して、ニヤニヤしながら見ている次第である。そんな次第で見付けたのが、梶芽衣子の日活ヤクザ映画<怪談昇り竜>である。鬼平犯科帳の密偵・おまさ役のガラスの目をした好い女優さんである。

 その当時のヤクザ映画は、断トツの東映ヤクザ路線で、鶴田浩二、高倉健、藤純子、菅原文太、若宮富三郎と云った重量級スターが、日本映画の任侠路線を担って居た時代である。きっと、東映に移ってからの女囚・サソリシリーズで頭角を現して来た彼女の注目作なのであろうか・・・まだ若くて、幾分ぽっちゃりとした感じが、日活女優で在った頃の彼女を彷彿とさせる。

 目下の処、鬼平犯科帳は一日一本を見て、どっぷりと池波正太郎の江戸情緒と人情、仕事の世界を、うむうむと大きく頷いて観て居る次第である。密偵おまささんは1947の産と云うから、私より一つ上の66歳である。幸薄いガラスの目をしたゾクゾクとする程の良い女では在るが、痩せるタイプであるらしく色気に欠けるのが、真に惜しい限りである。
 本名の太田雅子で出て居た頃から、注目して居た女優さんである。ふっくらして居た頃の、如何にも意味あり気の<助平そうな大きな瞳>は、痩せるに従って、私にはガラスの目に見えて来て仕舞った物である。

★他人様、増してや大女優様の体質に文句を言ったら、立ち処に白鞘の長ドスがビュッと閃光して忽ちに絶命の沙汰では在ろうが、神代の昔から『女の皮下脂肪と色気』は切っても切れない関係に在るので、好色ロートルとしては、残念至極の域なのである。とほほ。

 さて、脱線はこの位にして・・・ 私には主演の梶芽衣子以上に、共演陣が面白かった。佐藤允、内田良平、安倍徹が顔を揃えて居て、面白かった。第三勢力のチンピラ集団を率いる、内田良平の下半身赤褌だけの役処は面白かった。ご本人さんは充分承知の上で、赤褌の後ろを尻の割れ目からずらせて、面白がっている。
 ワッハッハ笑いの佐藤允は、東宝時代と全く同じキャラクターで在ったし、野獣剥き出しの日活の悪役・安倍徹は、歳を得て中々に品が出て来ていた。曲者俳優の大辻伺郎も、悪い奴には違いないが、卑怯で弱い役を演じながらも、彼の地色の為さる技で何処と無く憎めない側面を見せて居た。砂塚秀夫も白ばくれた個性で、笑いを取って居た。

 計算をして見ると、梶芽衣子23歳の時の主演作である。一癖、十癖もあるオッサン男優が、若い娘っ子の脇を固めて、セクハラ三昧を仕出かして居たと云うのが、見て取れる映画で、映画の筋よりも、そちらの方に妄想が弾んで・・・いやはや、俳優業と云うのは男にとって、止められない職業なんだろうなぁと、羨ましい限りで在った。ニャハハ。

 さてさて、4時にも成ると、すっかり風が冷え込んで参る次第で在りまする。明け放った戸、窓などを締めて来て、散歩でもして参りましょうかね。へへへ。

心何処ーショート こりぁ、雨はもう要らんぜよ。
            こりぁ、雨はもう要らんぜよ。(9/8/13)
 本日は、本格的な雨である。2020年五輪開催地も消去法で絞れば、常識の線で東京の結果と成った。報道もそんな事は分かり切って居るのに、伸ばしに延ばしての決定の瞬間の喜び映像の放送である。

 喜ばしい事では在るが、然程の事でも在るまい。IOC委員とやらへのロビー活動への熾烈な誘致活動などの実態が報道されると、私としてはロビー活動を幕府供応役差配・吉良上野介を連想させて、スポーツの祭典の裏舞台で、金品・ゴマ摺りが蠢いて踏ん反り返って居る豪華会員クラブを間の辺りに見て居る様で、余り気色の良い物では無い次第である。へへ。

 折角五輪を開催した実績が在るのであるから、国家が巨費を投じて造った施設が一回こっきりの五輪開催地では、有効利用とは行かない次第であるから、何回か開催しないと勿体無い限りである。五輪開催の骨格と云う物は、有形・無形を問わず多い為る財産である。その骨格を元にリニューアルして回転させて行くのが、一番の有効利用法である。先進国日本のインフラ網で競技場は、安全・安心・便利・速いの東京集中型なのであるから、選手達は東京から短時間で結ばれた地方の練習場で思う存分調整をして、試合に臨んで欲しいし、大都市東京を支える地方都市の姿も見て、クールジャパンの実態をお土産に帰って欲しいと思う次第である。

 世界のテレビを釘付けにした311東日本大地震・大津波の映像は、世界を震撼させた。そんな日本での開催は、訪れた世界の人達に何かを残して行く事だろう。東京と地方都市を知り、それが世界に発信される事で、世界の人々に息の長い観光動機と為る事を祈りたい物である。21Cのグローバル世界はグローバル故に、世界の都市は高層ビルに彩られるに従って、其処に住まう民達の日常の中に見える雰囲気・心・気持ちが浮き上がる時代と為るのかも知れない。願うらくば、物質から心の揺り戻しの世紀と為って欲しい物である。

 それにしても、よく降って呉れる物である。すっかり涼しく為って仕舞い、雨のボヤキとウンザリ感であるから、廊下のキリギリスケースを持って来て、隣の机の上に置いている次第である。窓辺のキリギリス共々、好く鳴いている。机の上に5匹のキリギリスケースであるから、中々の賑わいである。

 それでも気温が下がっての雨日である。すっかりどす黒く為って仕舞ったキリギリス達は、動きもスローモーで侘びしさを感じさせる次第である。まぁ、私とてキリギリス同様に、動き鈍き雨日の日曜日の過ごしで在る。尤も、寝るには暗さ好し温度好しでも在るからして、折角の日曜日でも在るからして、此処は得意の物臭寝で過ごすのが、自然体といった処で在ろう。2020年には未だ7年も在るのであるから、長生きの基は是、睡眠と云う事でも在るからして・・・ニャロメ、いやはや、雨日は調子が上がらない物である。

心何処ーショート 歌を忘れたカナリアは・・・
             歌を忘れたカナリアは・・・(9/7/13)
 それにしても、一向に安定し無いお天気さんである。キリギリス飼いでは毎年、Tに大きく水を開けられているが、如何した物か・・・今年は、オスは死んでしまい鳴かないメスだけだと言う。音無しのTにオスを遣っても、そう長くは生きられぬから、詮無き事である。

 私の方はケース3だったが、一つを整理して2ケース飼いをしている。一つのケースにはとうとうオス・メスの1Pで、他ケースは纏めたから、オス3、メス2である。今夏の長さとは裏腹に、今年のキリギリス達は短命である。食住環境の整ったケース内にして、この有り様であるから、自然界では異変の影響は顕著なのであろう。数年前の猛暑・熱暑の時と同じで、山焼け、野焼けが実態なのであろう。今年の川原の雑草にも大異変が見られ、草丈の異常生育は裏に何か在ると思わせる状況である。

 先日のローカルニュースでは、早々と猿が人間界に下りて来て、女性に襲い掛かり数か所<噛み付いた>との事であった。

 私の方は空になったケースの土を庭に軽く埋めて、無数に産み付けられた卵の孵化を祈った次第なのである。

 昨日のカンカン照りとは一変して、本日は無風曇天の暗さである。朝食後は、家庭菜園の整理などして、秋の種蒔きの為に一仕事を目論んでいたのだが、ポツリポツリと雨が降って来た。ラジオを聞きながら、アメリカン・コーヒーを飲んで居るとガス屋さんの集金である。月曜日だと思っていたのだが、丁度良いタイミングで在る。

「歴史考の方は、選択が日本史だったから、もう少し、貸しと居て下さい。夢奇譚の方は読みました。相変わらず、面白かったですよ。
 それにしても、世界史と云うか知識・観察眼・洞察力は凄いですよ。よく知ってるし、理詰めで、表現力が半端じゃ無いから、一字一句読んで、分からない所は、またバックしたり、辞書引いたりして、確り勉強中ですわ。

 難しいけど、得る処、大ですわ。月に一度、此処に来て話を聞けるのが楽しくてね。世の中には、こんな人も居るんだって、凄い刺激を貰ってますよ。本当ですよ。文章好し、絵好し、話好し、人物好しで、時間なんて、あっと言う間に過ぎって言って仕舞う。飾らない男前だし、雰囲気が深いし、その・・・、何て言ったって、Rさんの独特の助平節が只者じゃ無い。アハハ。」

「そうかいね。そりぁ嬉しい事で。何てたって、歴史考の方はデカイ声じゃ言えないけど、俺の代表作見たいな物でね。自分で言うのもおこがましいけど、結構良い事書いて在るし、アングルが良いと思ってるだけどね。へへへ。」

  そんな話から始まって、玄関廊下で長々と月に一度の男話が弾んで終った。

 世間様からすると、家を開ける事の出来無い介護賄い夫の閉じ籠り日々の毎日であるが、話し相手と為って呉れる世間様との交流は、大事にして行かなければ為らないと言う物である。

           ふと、こんな童謡を思い出した。

       歌を忘れたカナリアは、後ろの山に棄てましょか。
          いえいえ それはかわいそう。
       歌を忘れたカナリアは、背戸の小薮に埋けましょか。
          いえいえ それはなりませぬ。
       歌を忘れたカナリアは、柳の鞭でぶちましょか。
          いえいえ それはかわいそう。
       
        歌を忘れたカナリアは、象牙の舟に銀のかい。
        月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す。

 この家は今年で足して二で割って、81歳親子の住まうあばら家である。世間様から見たら、後ろの山、背戸の小藪、柳の鞭で、棄てられ、埋けられ、ぶたれても、冷たい世間に抗する事も出来無い処では在るが、住まうお国が大和の日本為ればこその有り難い世間様からのお力添えである。
 
 つくづくと<歴史を忘れた民族に明日は無い>の言葉を噛み締めている次第である。

 若し、仮にこれが中狂国・半島国で在ったのなら、<・・・ましょか>なんて事には為らず、<・・・ましょう>の断定だけの括りで終わって仕舞う。そう為れば、『可哀想』も『為りませぬ』の情、教えすら一切出て来ない次第である。そんな次第であるから、結びの<忘れた歌を思い出す>の『情世界』も唄われ終いの結果と為り、抒情の童謡は皆無と為ろう。

 情と恨の違いは、取りも直さず脳回路と感情回路の差異を歴然と現わして居る。へへへ。


心何処ーショート へへ、スタバは<共益の場>為り。
           へへ、スタバは<共益の場>為り。(9/6/13)
 気温は、グングン上昇中である。老母の部屋からは、掃除をしている音がして居る。私は夜更かしタイプであるから、起きるまでには未だ間が在る。寝床の中で、昨日検索した中国史に現れる日本の記述に就いて、頭の中でのお浚いをして置く。一応、時間を掛けて読んだのであるから、その概要を頭の中で反芻・整理をして置かないと、<勿体無いの気持ち>からである。

 さてさて、飯も炊けた頃であろうから、蚊刺されに家庭菜園から味噌汁の具材などを取って来ると致そうか・・・
 
 ゴミ出しなどをして、朝の賄いに取り掛かる。ネギタップリの卵焼きなどを作りながら、台所で朝の茶を飲む。食後は妖怪様を相手に、世評の悪口・悪態をご披露して気分の解き解しをする。いやはや、ネットでは中狂、韓国さんの面白い記事が毎日テンコ盛りの沙汰である。それでも、私は根が下品に出来て居るから、良い時間潰しに為る。

 この歳に為ってからの教養の積み上げには一切為らぬが、話のネタには充分の面白さである。スイカに塩では無いが、日本のブログに綴られている日常の一駒との比較をすれば、日本人の持つ良さが好く分かると云う物である。

 へへへ、遣り為され、遣り為され。パン、パク先頭にパンパン音頭を我鳴り立てて、火病、誹謗中傷に、女は股開き、男はレイプツアー、お国は挙って東京五輪阻止と来た日にぁ、その内、世界の御裁き<火病ブーメラン>で国家民族諸共に壊滅状態と為りまする。

 髭剃り方々、風呂に入り熱くなった下賤の身を清める。Tお迎えの車でコーヒースタバの二階席へ。

 本日の議題は、当然に<婚外子の相続均等への最高裁判断>である。法理論としての個人の平等・権利を付き詰めて行けば、権利の平等の観点で、そう為らざるを得まい。 

 然しながら、結婚と云う厳格な枠の中で考えれば、常識としては真に倫理観を衰退させた可笑しな判断である。尚且つ法律婚と云った法益の観点で考えれば、不倫・浮気の薦めを国家自らが先頭に立って奨励している様な物である。増してや、法律婚の意味が衰退して呉れば、結婚式産業は壊滅状態に陥るのは自明の理でも在ろう。法は社会の秩序形成と保持の機能を持ちされて居る筈だが・・・

 社会の最低限のルールを法制化して、それ以外は社会の良識・常識に従うと云う古典的法哲学を逸脱して、『法の根源は全て憲法に在り』にして法万能主義の<机上の論理の追及>沙汰にしか思えない次第である。

 これは法の番人としての裁判所としては、偏狭過ぎる判断と云うべき所業である。左巻きの唯物論的現世至上主義の思考からは、人の道→倫理は儒教的古色蒼然とした忠君・忠国の非近代的国家観・組織観・家族観・個人観としか見て居ない為にベクトル化された『抑制思考』だと考えているからであろう。

       是は如何考えても、宇宙人インベーダーの思考方法である。

 世界国数206か国、世界人口70億人。世界には其々の文化圏が在って、当然の国家社会である。カソリックキリスト教的西欧社会、ギリシャ正教的東欧社会、プロテスタントキリスト教的米社会、スンニ派イスラム社会、シーア派イスラム社会、インドネシアイスラム社会、ヒンドゥー教インド社会、大乗仏教的社会、小乗仏教的社会、儒教的社会、政教分離の経済優先社会、部族優先のアフリカ的社会、アングロサクソン社会、ゲルマン社会、スラブ社会・・・etcとレッテルを付けて行こうとすれば、それこそ限の無い括りが出来る。何100万年間に亘って、地球全体に伝播して行った人類の足跡と伝播の実態が、そんなに簡単に理解も仕訳出来る訳が在るまい。

 それが近世19Cヨーロッパで始まった自由平等人権思想如きで、鄧小平の先冨論じゃ在るまいし、産業革命~帝国植民地列強競争~世界大戦~イデオロギー冷戦~経済グローバル時代・金融資本時代かなんかは知らんが、欧米的一律思想の法制化と云うのは、如何なものだろうか。

 根本に在る民族的歴史伝統の中で培われて来た其々の民族・国民の国柄を忘れて、西洋一神教を唱えるのでは、どうしようもない『曲学阿世の徒』としか表現できない次第である。どんな学問の領域に在っても、過ぎたるは及ばざるが如し、先鋭特化の刃先に止まる数の少なさに、<万人の法たる法の存在意義を忘れるべからず>の憤り頻りで在る。

 いやはや、左巻きの連中は頭は良いのだろうが、チョイと自惚れが強過ぎるのでは無かろうか。日本の無辜の民に対して民主党で失敗した法革命で日本の国柄を崩壊させようと目論んで居るのでは無いだろうか。高給取りの国家公務員が、日本の国柄を解体して如何するんじゃい。馬鹿も休み休み言えってな物である。

 これも福沢諭吉の権理が、西周の権利と誤訳したツケの一つかも知れぬ。

 こんなロートル・トークをして居ると、自分の美脚に余程の自信を持っているおギャル様の登場である。<全ては美脚の為に>のお召し物で、様に為って居る。へへへ、当然に好色ヤクザもどきのロートルコンビは、話を中断して美脚観賞の一点張りで在る。

 それにしても、彼女は、お召し物の丈を完全に把握して居る様で、絶対にショート・ワンピースの中身を披露して下さらないのである。スカートの丈知る物は、決してパンティ見せずの動作、仕草である。・・・こりぁ、中々のおギャル様である。

 嗚呼~、真に以ってじれったいでガンスわね。吾が得意の<妄想透視の術>を持ってしても、添え物パンティの形状、色・柄に依って、妄想本尊様とて色合いを変じられるのであるからして・・・ 

★コーヒースタバは、こじつけて考えれば<街のオアシス>なのであるから雑多な趣味で構成される人群れの『共益の場』でもある。街のオアシスの片隅で、自慢の美脚お披露目願望と助平オッサンコンビの覗きは、飽く迄も個人的な共益の最大公約数の範囲を硬く守らねば為らない次第である。う~む、品位・教養が邪魔をしおってからに・・・

 此処が常識人の常識と言われる所以である。おギャル様も調子こいて、お召し物の中身を露見させてしまったら、<単なる露出女>。当方も二人でアングル調整の座り込みなどしようものなら、これも単なる<ド助平オヤジ>に成り下がるだけである。

 自慢の趣味と覗きの趣味は、時と場合と許容度に応じた常識を持って忖度(忖度)行動しなければ、<趣味の提供、公共の場、共益の観点>からは大きく逸脱して仕舞う危険性を絶えず孕んで居ると云う事例で在ろう。最高裁判事と市井の片隅ロートルの常識を比較すれば、どちらに軍配が挙がるかは、常識の在る訪問者各位なら、容易に見当が着くでしょうが。ギャハハ~!!

 久し振りに外ベンチでのパッパタイムは、熱暑の中で在った。お決まりのホームセンター、スーパー回りの買い物である。

「R家の昼は、何にするだや?」
「袋物の塩ラーメンに、マイタケ、カキアゲ、卵落として、天ぷらラーメンさね。」
「ラーメンに天ぷらかい?」
「あいあい、塩ラーメンとは相性が合うだぜや。騙されたと思って遣って見ろや。」

      送って貰い、馴染んで来た今年の梅干しを差し入れする。

「如何だ、良い具合に為って来ただろう。ビニール袋に入れたまま、冷蔵庫なんて<横着>はするなよ。見栄え良く瓶に入れて冷蔵庫だぞ。分かってるだろうな。」

「何処で覗いてるだ。よく知ってるじゃないか。」
「あいあい、俺ぁ、ホームズ先生の通信受けてるし、右京警部の受講生だわね。」

 へへ、Tのヤツはオヤジさんの梅干しを買って帰る予定だったとの事で、手間が省けたとの由である。


心何処ーショート 是、ロートルの日重ね為り。
              是、ロートルの日重ね為り。(9/5/13)
 老母の薬を貰いに行って来る。私の方は、気管支に何か入った様で、いがらぽい。咳が出る。昨夜も、雨が降ったり止んだりの不安定な一日であった。本日は無風曇天の蒸し暑さである。風邪の予兆で無ければ良いのだが。

 昨日の午後は、裸ん棒スタイルで、YouTubeで市川雷蔵の眠狂四朗と中村吉衛門の鬼平犯科帳を観て居た。

 其処へ町会の民生委員のFさんが、お婆ちゃんの顔を見に来たと来宅であった。Fさんは、大柄の私より一歳上の姉さんである。人間と云う生き物は、還暦を越せば男女の性差も掠れて、ロートル中性域の住人と為る。そんな事で余分な物が無く為ると、後は人間味の多寡に依って、話は弾む物である。

 友人からの頂戴物・栗金時の水羊羹を、三人で食べようとのサービスで在った。お返しに自家製梅干しを食卓の共に袋に入れて差し上げると、今年は結婚式、法事で、梅時を逸して終い、梅漬けが叶わなかったとの由で、大喜びであった。夫婦二人の食卓には、梅干し、焼き海苔、漬け物さえ在れば死なないとの仰せである。婆さんの風当てには、外部からのお人の訪問が、何よりもの刺激である。私としても、実に有りがたい顔出しである。

 そんな一時のお茶話に、子育てを終えた町会には、めっきり空き家が増えて居るそうな。

「あれだね、この頃じゃ土地に住み続ける風習が無くなっちゃったから、人間の家もすっかり鳥の巣見たいなもんで、男女の番が嘴に小枝咥えて巣作りして、卵を産み落として、抱卵、育雛して巣立ちをして仕舞えば、巣はお役御免と為る。

 同じ巣を使うキジバトだって、年に数回使って仕舞えば、翌年は新しい巣作りだわさ。人間の家は、現代の諸般の事情が在っても、何代も土地に住み続ける覚悟が無くちゃ絆も思い遣り、助け合い、お持て成しなんて物は生まれて来ないと思うんだけどね。

 無縁社会だとか、墓友だとか、チョイと度が過ぎた個人主義生活のツケですがな。あれだね、折角長寿の寿命を授かったのに、第二の人生を円を描いて余生を送る段に為って、個人主義の薄平らさと付き合って行かねば為らないんだから、イソップ物語のキリギリスの時代に差し掛かって居るんでしょうな。姉貴、一体如何すりぁ良いだいね。あい~。

 此処まで、崩壊しちゃった日本社会だから、時代、心の揺り戻しが、そろそろ出て来ないと、人間の住環境&情環境は根こそぎ持って行かれちゃいまするがね。へへへ。」

 そんな昨日を受けて、路地を歩いて居ると、タテハチョウがゴールドマリーの花にヒラヒラして居る。大通りの向かいには、店舗が在る。この処の雨に、店舗裏の雑草は引き抜いて遣りたい程の草丈を呈している。

 今時は皆ドライな従業員であるから、建物周りの雑草・ゴミには無関心の様である。正規社員・非正規社員・パートと為って、<そこに働く者の帰属意識の薄れ>は日常と為って久しい限りである。建物周りも含めて<自分の就業場所>と云う躾けの観点が、抜け落ちて仕舞った路地から見る光景は、真に以って頂けない物が在る。

 躾けだとか、道徳教育と云うと、兎角、過去の遺物の様に煙たがれて仕舞う現代の風潮では在るが、困った次第である。絆、思い遣り、助け合い、お持て成し・・・etcの耳当たりの好い言葉、自助、・共助・公助の厳めしい言葉も、カタカナ文字のソーシャル・コミュニティ、ソーシャル・ネットワークなどと云った言葉だけは流行るのだが、田舎者のロートル・おっさんには、如何にも『中心体が欠落』して居るから<言葉多投されど、実効実らずの表層語界の様>にしか映らない次第である。ヘヘヘってな物である。

①『画竜点睛』・・・竜を描いて目玉を入れる。二匹の竜を描いて、目玉を入れたら、直ぐ様、飛び立つと作者が豪語するから、嘘だろうと皆が言った。それで目を入れたら、目の入った竜は、忽ちにして天に昇ったとのお話。 
②『仏作って、魂入れず』・・・仏の優れた魂が、入って居てのこその仏像の価値。

①②の諺の対は、受験勉強で覚えた物の一つである。素直な受験期の少年の頭の中には、昔の人は良い事を言う物だと、酷く感心して居た物である。

 薬の会計時に、保険証が新しいピンクに為って居るから、次回はそれでと言われる。帰って、見付けるが見当たらない。自転車に乗って市役所に行く事にする。紛失と云う事で新しい保険証を交付して貰う。

 一件落着である。さてさて、上り勾配の帰路である。序でに米屋さんまでペダルを扱いで行って見ると致そうか。散歩運動の前倒しで在る。

 いやはや、松本は扇状地のすり鉢盆地であるから、キツイ事、この上ない。意地の一徹で、ノンストップの米屋さん着きであった。息切れと汗の段では在るが、自転車目線で街を見て回るのも、時間には不自由の無いロートル目線と云う物である。

 勿論、半分は負け惜しみでは在るが、斯様にして吾輩は、奥ゆかしい心の持ち主なのである。ヘロヘロ・・・

 米屋さんも、暇を弄ばしていたのだろう。すっかり、餓鬼時分の話に花を咲かせて終った。何んとかの小槌では無いが、出て来るわ、出て来るわ。話の玉手箱の一時で在った。

 夫婦二人の米屋さんは、ロートル寄り合い所の存在意義でも在るからして、親孝行の鏡なんて、煽てに煽てられて、帰りには特辛味噌のお裾分けとか、自然飼育の鶏卵などを頂戴して仕舞った。

 さてさて、後は下り勾配である。楽ちん自転車で帰って来て、台所の洗い物をして、茹で卵、桃、ミニトマトにヤクルトで、昼とする。またまた、空は曇天の覆いにして、風の涼しさである。


心何処ーショート 朝から、小蚊に喰われて候や。
            朝から、小蚊に喰われて候や。(9/4/13)
 今日は、朝から暑い。暑いと小蚊のヤツが活発化するから、立ち処に喰われる。ポリポリ、カリカリと痒いばかりである。私は食事係であるから、ムヒを手で塗って仕舞うと、臭いが着いて仕舞う。そんな次第で、押し出した軟膏を指代わりのチューブの口で、痒い部分に拡げて居る次第である。

 家庭菜園、台所で数か所喰われて、飯を盛って食べて居ると妖怪様もポリポリで在る。小蚊が2匹居るのだが、余りの小ささ故に直ぐ様バックの色に欠き消えて仕舞う。憎たらしい事、この上ない始末である。箸を置いて小蚊を追って両手でパチンをするも、哀しきロートルの錆付いた数馬身遅れである。

 おやおや、妖怪様は・・・茶碗と箸を置いて・・・如何したのかな・・・ 気分でも悪いのかな・・・

 妖怪さん、パシャリと皺だらけの両手鳴らしをして、皺皺の掌を拡げてニンマリの段である。<今年初めて、退治した>と喜色満面の態で在る。

「やいやい、お見事!! 今日は朝から、飢餓蚊の奴から集中攻撃だわな。風呂入って石鹸でゴシゴシ遣らにぁ、痒みは収まらんぞ。」

 朝食後は、目薬落としを遣って、掃除、鳥の世話、台所始末をしてササッと済ませて、湯船にどっぷりと浸かって痒み退治とした次第である。本日は、30℃超えと云う事であるからして、どんどん気温が上昇して、風呂上がり後は、裸ん棒での四畳半定位置のマイタイム開始である。

               以下、昨日の宿題為り。
 昨日は涼しかったので、夕食前に散歩に出掛けた。河川敷をS橋まで行くと、前方に上から下りて来る<口じゃ逆立ちしても敵わない同年生女の姿>である。あっじぁ・・・飛んだ『天敵女』に出っ食わしたものである。何しろ、同じ町内の住人である。粗相が在っては、直ぐ様、投石を喰らって仕舞う。

   ★へへへ、これも浮世の義理の一つである。漫才でもして帰るしかあるまい。

「おっ、如何した。体調が悪いか? 今日は、化粧の乗りが悪いじゃないか。」
「そんな熊見たいに人相が悪い男が、棒切れ振り回して、何してるだ。おっかなくて、側に近寄れ無いじゃ無いのさ。おバァちゃんは如何? 元気にしてる。もう何年も、顔見て無いけど。」

「ああ、俺ぁ、飼い方が良いわさ。重要文化財だから、一般下々にぁ拝観させ無ぇのさ。何しろ、霊験現たかな<秘仏様>だからな。」
「アハハ、Rちゃんも巧い事言うじゃん。昔から、頭じゃ敵わないわ。」

「何を仰います事やら。M殿。口数、睨みの悪態にぁ、こちとら、餓鬼の時分から一切頭が上がらんですわ。ギャハハ。」
「また、レディに向かって、失礼な。それを貸せり。そのスキンヘッドに、ガツンとお仕置きして遣るわ。口が悪いんだから、如何して、あんなに上品なオバさんから、こんな出来損ないが生まれんだか、信じられないわ。」
 
★おのれ~、Mの女郎、罵詈雑言の速射砲じゃ無ぇか。この糞っ垂れが、俺様のプライドを粉砕しおってからに。無礼者、其処に直れ、手後目にして呉れるわ。

 おっとっと・・・日頃の四重苦に釣られて、飛んでも無い売り言葉に買い言葉反応であった。遺憾いかん・・・ ロートルは、心にゆとりを持って、<会話を楽しむ技量>を持たねば『程良い年輪重ね』とは為らないのであった。

 お陰さんで、Mとは一度も同級生には為らなかった次第であるが、兎に角、面白い女である。口も顔も態度も悪いが、気持ちのスッキリした女である。同じ町内で在るし、同年生でも在る。この頃、爆音集団が形を潜めて居るから、ズベ公の家も近い事だし、そんな話を振り向けると。

「そうずら、あんまり酷過ぎるから、私、小娘に長々とお説教して遣ったんだよ。<お前だって、こう遣って同じ町内の住人なんだから、音を出すのは他で遣っといで。爪弾き者だよ。人間は子供も大人も、人の中で生活させて貰ってるんだよ。少しは、近所迷惑って事を考えろ。この、馬鹿!!>って、コンコンとお説教して遣ったのさ。私はM婆と言われててさ、あそこの家とは、それなりの付き合いも、内実も知ってるからさ。」

★町内だけ普通音で、他町内では爆音たぁ、Mらしい。へへへ。然しながら、良い話である。私はMの遍歴を知って居るから、若い頃と違って棘の無くなったMの穏やかな目、表情と共に長々と続く<M節>にニヤニヤして、相槌を打っている次第である。

「そうか、Mも立派なズベ公経験者、水商売のママさんだからな。へへへ、類は類を嗅ぎ分ける、類先輩の凄みも説得力も在るからな。」
「またまた、私をそう遣って、オチョくって。でもさ、人間って、経験が物言うからね。学問だけじゃないよ。分かってるずら。馬鹿じゃないんだから、私の言う事、分かるね。弱さが在るから、グレる。」

★いやはや、昔も今も変わらぬMの強引さである。まぁ、これがMの真骨頂でも在ろうか。

「そうだな。弱さと寂しさは、背中合わせだしな。グレればグレる程に、引き上げて呉れる手は無く為って来る。人間、偏りの仲間話・行動だけだと、あらぬ方向に特化しちゃうのが、人の常だ。自業自得が蟻地獄に為ったら、人間の一生は終わりだもんなぁ。誰かが、話を聞いて呉れる、怒って呉れる人が居なくちゃ、偏りは修正出来んからな。それで、如何したや。M婆。」

「私は、どんな事でも良いから、一つでも褒める事にしてるんだ。私だって65の婆だけどさ、褒められると嬉しいものよ。それを教えて呉れたのが、死んじゃったけど10歳違いの亭主だったのさ。大人で、本当に好い人だった。今でも、感謝してる。

           それでさ、云々云々(しかじかうんぬん)でさ。

 そうしてるからさ、兄貴の方の19歳なんかはさ、私に抱き付いて来て、<M婆有難う有難う、俺、頑張るよ頑張るよ>と、ボロボロ涙出して泣くんだよ。出来の良いRちゃんには、絶対出来ない芸当だよ。」

★・・・いやはや、偉くデカク出られちゃいましたがね。己が弱さを曝け出せる甘えは、私にしたら赤面の至り、克己心の無さで切腹ものですがね。

「そうかい、爆音止みには、こんなエピソードが在ったって事か。そりゃ、アリガトざんした。流石に、その道の姐御さんだ。経験知・経験値に勝る説得力は無しの結果って事かいね。
 喧嘩・放蕩三昧の経験者にして、情と怒の火盗改め長官・長谷川平蔵在り、日本海海戦で指を吹っ飛ばした山本五十六さんの・・・人間は、遣って見せ、褒めて、見守って遣らねば為らぬ・・・の人間教育の実践。近所に、M婆が居るって事は、有り難い事だよな。好い話だったぜ。Mを見直したわさ。大したもんだ。」

「そうズラ、Rちゃん、もっと褒めてよ。幾つに為っても、人間、褒められると一日がパッと明るく為るもんだからね。アハハ。
 絵もブログも遣ってるんずら。忘れない内に、私の事、書いてよね。駄目だよ、忘れずに書いてよね。もう、家だから、此処で別れるよ。」

「何だ、せっかく好い話が聞けて、家で個別調書しようと思ってたのに、書かせるだけ書かせて、お茶一杯も入ら無ぇとは、Mはやっぱり飛んでも無ぇ婆だわさ。」
「何言ってるだ。おバアちゃんに、ご飯して遣らなきゃ待ってるよ。宜しく言っといてね。じゃあね。アハハ。」

 閉じ籠り、根っからの世情に疎い性質であるから、活字化して居ない部分に就いての、Mからのアドバイスに就いては、良い拾い物が出来た次第でも在った。へへへ。

                 ・・・以上、宿題終わり。
 
 まぁ、部屋通う風は気持ち好い物だが、風が止めば流石に30℃超えの外気は、未だ夏の熱である。いやはや、口では逆立ちしても敵う相手では無いM婆との約束も果たした事故に、後の午後時間は、マイペースの運びと致しましょうかね。


心何処ーショート さて、本日の雲行きや、如何に。
          さて、本日の雲行きや、如何に。(9/3/13)
 おっ、いかん。寝過ごしたか。隅の置き時計に目を遣ると、8時前である。雨が去っての晴れの朝である。お天道さんの熱が、部屋に寄って来ての目覚めである。自転車を玄関から出して、軽く家回りをする。明るい青空に白い雲のたなびきで在る。山椒の木に、キアゲハが飛んで来て止まる。卵でも産み付けに来た居るのだろう、中々に飛んで行かずに山椒の葉をウロチョロして居る。

 先日、その山椒の実を一粒口にしたら、大変な事に成って仕舞った。<山椒の実は一粒でも、ピリリと辛い>なんて、そんな生易しい代物では無かった。舌も唇もピリピリ、ヒリヒリ、口中、あの得体の知れぬ異臭の坩堝(るつぼ)と為ってしまった。長い時間、その得体の知れない辛さと、独特な異様な臭気に無条件降伏の事態であった。

 余りの酷さに、一粒を妖怪様に進呈した親不幸に、反省の念頻りで在った。遺憾いかん・・・馬鹿・戯けは死ななきゃ、治らんの一幕で在った。

 若芽の山椒味噌位なら、その異臭も乙な大人の味の範疇なのでは在るが・・・ キアゲハも、幾ら種の保全と云えども、こんな山椒の葉を食材としてチョイスするなど、大した選択をしたと云う物である。いやはや、キアゲハ御先祖様のご慧眼には感服するのみである。

 さて、ゲップの出るほど潤った地面に、マツバボタンは、活き活きと蘇り幾つもの色を咲かせている。そんな中をミツバチがせっせと蜜集めの段である。そして、ニラの白い小花にはタテハチョウ1、シジミチョウ3、セセリチョウ6と蜜を吸いに来ている。土手の欅ではミンミンゼミの声である。

 この二、三日の雨ですっかり行動を抑え付けられて居た小さな生き物達が、太陽を浴びて飛び回っている様は、<然も在りなむ>の光景で、此方も嬉しく成って来る物である。

 河川敷に下りて川の流れを見ると、今年は異常なまでの雑草の丈で、流れは完全に葦原の中である。纏まった雨が降ると枝に流れを見せる。水槽補給水汲みには便利なのであるが、幾分濁った支流の放水路は、然程の水量では無い。些か、当てが外れて仕舞った。

 引き続いた降雨で冷やされた草原では、秋の虫達が、大きな声で合唱を呈している。昼間でも鳴き続ける秋の虫達の声は、季節の衣替えを確実に知らせている次第である。
 
 東のお山は、瑞々しい緑をバックの白雲に浮き立たせ、西のアルプスのお山は、未だ霞みの中で眠って御座る。

 天気予報だと、雨の確率大なのでは在るが、台風一過の清々しいまでの空の青と雲の白のコントラストに渡る風の秋の涼しさである。

 さてさて、衛星カメラで地球の雲運行を捉えて、風速で天気予報をする現代の天気予報であるからして、きっとお天気さんは、下降線を示すのだろう。もう少し、輝く初秋を脳裏カメラに収めて置くと致そうか・・・

 家庭菜園から、ミニトマトを頬張り、インゲンを摘む。さてさて、朝飯の汁物はインゲンの千切りと、タマネギの具として、鳥ガラ粉末&粉末コンソメで遊んで見ると致そうか・・・そうだそうだ、それにミニトマトピューレを加えて、味見をして見ようか。

 台所でそんな事をして居ると、ヤクルトママさんである。財布を取りに行って。

「ママさん、如何したのさ、えらく痩せちゃってるじゃないのさ。女から皮下脂肪抜いたら、蛻(もぬけ)の殻、鳥ガラスープにも為りませんぜ。確り食べてお呉れでヤンすよ。」

「やっぱり、分かります? この頃、夏バテで・・・食欲が無くて・・・」

「またまた、体裁振っちゃって、涼しくなって夜を励んじゃってるんでしょうが。あれだよ、嘘付いても、身に覚えの在る経験者の目は、誤魔化せ無ぇよ。好きこそ、物の上手為れってのは、確かにそうなんだろうけど、どんなに優秀なアスリートだって、シーズン開幕時にぁ、体力消耗で、痩せるもんさね。アハハ。如何だ、参ったか。」

「ド助平~。直ぐ、そっちの方へ話を持って行くんだから。私、そんなに体力の余力は、無いで~す。」
「猪口才な。昔から、<痩せの大食い。痩せの好き者>って、言い回しが在らぁね。それを知ら無ぇなんて、日本人じゃ無ぇ、潜りだろう。正直に白状しろや。毛唐にぁ神父懺悔、日本人にぁ、坊主頭に白状さね。遠慮は要ら無ぇよ。イッヒッヒ!!」

「もう、ああ云えば、こう結び付けるで、何言っても『結論在りき』って、駄目ですよ。素直に女の言う事を聞けないのは。ヤクルト飲んで、反省して下さい。暑かったり寒かったりだから、気を付けて下さいね。じぁ、バイバイ、また来週~!!」

 そんな軽口を叩いて、ヤクルトママさんの細ったデン部を視姦して差し上げると、尻を手で隠して逃げて行かれた。ギャハハ~!!

     さてさて、はいはい、妖怪様、お待たせ、おマンマでヤンすがね。

 いやはや、天気予報通りに、くすんだ灰色雲のお越しである。これを打ち上げようとして居ると、雨が落ちて来た。まぁ、良いか・・・午前中は、初秋の清々しさを見れたのであるからして。


心何処ーショート 雨さんや、凄いじゃ無いのさ。
            雨さんや、凄いじゃ無いのさ。(9/2/13)
 本日は前線と台風の影響で、雨の一日と成りそうである。気温もすっかり低く為って、関節が疼く次第である。暗い月曜日と云った具合である。誰も来ない家であるから、パジャマの儘で、何時でも寝床に行ける様にとは思うが、そう云う訳にも行かない。

 朝食後の目薬落としをして遣り、雨の庭を見る。おやおや、廊下でコオロギの声がして居る。そりぁ、そうである。コウロギとて雨は嫌いな筈である。暗い雨日では気温の低下で、進む秋の具合である。

 未だ未だ先の事では在るが、コウロギが家の中で鳴く様に為ると、光景としては秋の陽の心地良さと為る。古い隙間だらけの家にして、戸を開け放して居るから蝉もトンボも蝶も入って来る。そして、年に一、二度は鳥も入って居る次第である。

 物音のしない家であるから、例の徘徊猫も飼い鳥をかまいに進入して居る事も在る。昨日も、夕食賄いの折に玄関を閉めに行こうとすると、六畳から猫がサッと逃げて行った次第である。廊下の鳥籠はと見ると、何事も無かった次第である。毛色は同じであるが、徘徊猫は、如何やら世代交代をした様で若くスマートで敏捷である。

 それまでのメタボ猫は、始末が悪かった。加齢とメタボで在ったから、態度が実に悪かった。コラッと怒っても、直ぐ出て行かないのである。場合に依っては部屋を替えて、私との距離を保って様子を窺がう動作の鈍さであるから、実際、小馬鹿にされた様で腹立たしい限りなので在った。

 まぁ、それでも幾ばくかの<加齢に依る経験知>を持ち合せて居る様で、鳥に直接の悪さをし無かった。鳥籠の小鳥の動きを追うだけの知見を持って居た様子である。

 年に一、二度大袈裟に鳥籠を引っ繰り返すのは、見掛けない野良猫達である。

 私は猫を飼った経験が無いから、観察知識は殆どゼロに等しい。それでも、閉じ籠り生活で、四畳半、二畳小部屋に居ると、猫にも徘徊ルート、時間帯が在る様で、猫は猫らしく、その日課をマメにこなして居る事に気が付いた次第であった。従って習慣日課の一つのポイントとして、吾が家の庭が在り、吾が家の小鳥達が居たのであろう。

 可笑しな事で、そんな風に観察して居ると、此方も怒りの棘は無くなって来る物である。

 一時、小降りに成った雨も、またまた雨音を鳴らせ始めた。これで、今年も川の水は枯れずに済む。未だ未だ、昼時の散歩は蒙りたい暑さである。その内、秋の鱗雲の下で時間潰しの釣り糸垂れもしなければ為らないから、川には一定量の水は流れて居て欲しいし、金魚槽の補給水のバケツ汲みもある次第でもあるからして、悪さをしない降雨は歓迎である。

 何々、明日も雨との予報であるか。そりぁ困る。身体が鈍るでは無いか。少しは、俺様にも、配慮すべしですがな。あい~!!

 キリギリスの声に、玄関鳥のブンチャカ・ピィーピィーの囀りを聞きながら、泡の踊る水槽に、コメット、流金の緩やかな鰭使いに、時折揺れる南天の緑の佇まいは、雨日の静けさと云った処か。

 一応、雑草の繁りを始末して置いたから、庭も家庭菜園もスッキリして、じっと雨を受け止めている風情である。

 さてさて、何時瞼が閉じても良い様に、寝床で漫画本でも読みましょうかね。アリリャリャ、台風の影響だろうか、風が強まって来たでは無いか。昨日の徘徊猫殿は、家で丸くなって、ウトウトって処でしょうかね。

   こう云う時こそ、上がり込んで来たら箒で、追い回して遣りたいのだが・・・

 やいやい、急に如何したんでヤンスか。雨さんや、凄いじゃ無いのさ。あれかい、お前さん、女に逃げられでもしたかい? 男の八つ当たり、ヒステリーは行けませんわね。


心何処ーショート 締まらぬお天気さんで、在りまする。
          締まらぬお天気さんで、在りまする。(9/1/13)
 昨日は曇天に成ったのを幸いに、散歩運動の代わり真面目に雑草取りを開始して、汗だく作業をした。草取り→散水の時間配分は良かったのだが、疲れ具合を計算に入れて居なかった。風呂の残りでのジョロ散水は、キツイお努めで在る。長袖・長ズボン・帽子に長靴、露出の顔面には虫除けスプレーの出で立ちで在る。普段の裸ん棒とは訳が違う暑さである。草臥れての嫌嫌作業を重ねて居ると、雨が落ちて来て<これ幸い>に奥への運び散水をパスして、家の中に入っての夕食であった。

      それが・・・雨はパラパラだけに終わって、自省の感で在った。

 面白いテレビが在る訳でも無いから、自室定位置に戻ってのマイタイムをして居ると、今度こそは本格的な雨に見舞われて来た。アスファルト道に、弾け飛ぶ飛沫は路上を流れと為って、吾が家の地面に侵入して来る。好い眺めであった。それでも雨は、そう長くは続かなかった。

 明けて朝の太陽である。日曜の遅い朝食として、洗濯機を回して居ると、何やら本格的な雨雲と成って来た。アジァ、マァ・・・雨ですがな。次兄さんに工事費負担のお礼と、9/14~17の留守番依頼の電話をする。

 昨日までのシリア内戦状況に於けるアサド政権による化学兵器使用疑惑に就いて、評価の分かれる国連世界は、統一見解の出せない状況に在るらしい。強硬派の好戦国同盟の米英ですら、英首相の武力介入提案に議会はNOを突き付け、米は孤立化の方向に在るらしい。国連を束ねるパン韓国氏は、調査団の報告待ちで、いざと為ったら、火病国体質の結論付け回避の意向らしい。

 さてさて、斜陽の大帝国・米オバマ氏は、どの様に振舞うのだろうか。イラクのクエート侵攻、サダム・フセインに対する911報復撃滅行動とは一変して、大国米の台所事情大逼迫で、一人相撲の出来無い大国米の本態が、世界に映し出されて居ると云った状況なのであろう。

         いやはや、歯切れの悪さばかりが浮き出て居る。

 大国の興亡足跡が、取りも直さず世界史の語りである。一人相撲の連戦連勝の世界の絶対強大国が、経済の衰えと共に各国から戦費を調達して、世界の守護神のパフォーマンスを仕出かして君臨の玉座を護ろうとする。

 全く以って、第二次大戦・戦勝国の見え透いた植民地支配の魂胆では無いか。天の邪鬼ウォッチャーから見上げれば、丸で斜陽のエゲツ無きパフォーマンスに見えて仕舞う。

 沿岸戦争時には、子飼いのニッポンに戦費の大所を拠出させて置きながら、<金を出した、出したと生意気な事を抜かすな、多少の金を出した位で、戦闘に於いて一滴の血すら流して居ないでは無いか。実戦者・米国と同等と思うなんざぁ、片腹痛し。顔を洗って出直して来い。主役は俺様よ。立場を弁えて、黒子に徹するのが東京裁判史観じゃろうが!!>・・・へへ、痛い処を付かれると、つい本気に為って、本音がポロリは人の常でありまする。

 何か在れば、<自己都合の酔い>で『人道に対する罪と罰』を大上段に振り翳して、経済封鎖とミサイルの雨を降らせる。丸切りの日米開戦以来の米国の常套手段ですがな。

 正規軍相手には、ミサイルの雨、嵐で、向かう所敵無しの現代最強の軍事力を持つ米国では在るが、殊更にゲリラ戦には弱いのが正規軍のアキレス腱である。勝負の着かない泥沼に引き込まれて終えば、恐怖の休まらぬ神経に、軍令も効を奏さず、正規軍の士気は壊滅方向に持って行かれて終う。

 冬のロシア戦線でのナポレオン軍、同・ナチス軍、中国大陸での日本軍、熱帯ジャングル・ベトナムでの米軍、荒涼たる山地・アフガンのソ連軍、砂漠都市・イラクでの米軍、アフガンでの米軍・・・etcと、正規軍とゲリラ軍・民衆との戦いは、大同小異の戦史の沙汰である。

 911の貿易センター、ペンタゴンの旅客機に依る同時多発テロ事件に就いても、自作自演の情報策謀なんて声も、声高に叫ばれ、民間検証も盛んである。そんな処に持って来て、何んとも歯切れの悪い化学兵器使用の犯人探しである。

<熱ものに懲りて、ナマスを吹く>と云うのは、人間の学習効果の一つでも在るからして、早々は、軽んじては為らない世の倣いで在ろう。国連調査団にしても、満州鉄道爆破のリットン調査団の顛末を歴史的証左と観る為らば、大本営総長のパン氏は、総長室に陣取って、調査報告を以って、戦火の拡大を未然に防ぐべく無用の刃を抜かせない様に、目を配るのが『最大の理性に基づいた職務』と云う物であろう。

 そんな、小学生にも解る事の理から逸脱して、火病国へのお里帰りで、国内パンパン音頭の先頭に立ってパンが、パン節を櫓舞台で唸って、パンパンを踊ったと云うのであるから、処置無しで在る。

 パン国が、世界中にパンパン輸出して、国連パン氏が、先頭に立ってパンパン音頭を唄うなんてザマは、大したパフォーマンスである事か。臆面も無く、滑稽な姿を世界に発信する火病の本態を晒すとは、正常脳の沙汰では在るまいに。

 パンに塗るバター、ジャムは世界各国、多種多様ですあるが、火病バター、ジャムじゃ誰も代価を払って買いには来て呉れませんわね。遣り為され遣り為され。

 聞く処に依れば、韓国さんは偏狭し過ぎた輸出立国との事。嘗て、資源乏しき輸出立国の日本と云うお国は、材料を輸入して<自前の創意工夫の加工>に邁進して、技術立国を目指した。その一方、加工品を輸出するには、善隣外交に是務めて、物資輸入→加工→善隣外交→安定的輸入拡大→ブランド製品の確立→善隣外交→輸出拡大→信頼の経済先進国の地位を得たと云う。

 へへ、パンさん、パクさんや、輸出立国・大国を国の方針として掲げるのなら、パンには真っ当なバター、ジャムを塗って、パク付くのが、世界の普通の食習慣ですぞえ。パンにパクは好マッチッングでは在りまするが、パンとパクの間を取り持つ仲介物の無さが、命取りって処でしょうかね。火病バター、火病ジャムなどと云った飽く迄マイナーな地域限定物じゃ、世界の門戸は開けられませんがね。

 柳の下のドジョウ。引くに引かれず成功を忘れ為らぬ英雄・施政者。二度ある事は三度ある。三度目の正直。その手は桑名の焼き蛤。所詮、嘘はばれる。・・・etc 

 猫に小判、脳足りんロートルに諺・・・で在りまして、とんと行方解らぬ世界、人の世で在りまする。

 止~めた。幾ら脳味噌を内部刺激しても、吾が頭根は、マリリン・モンロー唄う、帰らざる川のノー・リターンの御趣旨で在りまする。脳足りんは、脳足りんの休養日にするのが、<身の丈の生き方>でありまする。・・・とほほ為り。
 
 折角、斜向かいさんがベランダの洗濯物を取り入れたのに、雨は止んでしまった。ハハハ、私と同様に、全く締まりの無いお天気さんである。空が明るく成って来て、救急車とヘリコプターの音である。

 さてさて、私の方も小動物達の世話、掃除などをして、シャワーを浴びてシャキッと致しまするかな。それをして仕舞えば、本日・日曜日の物臭モードで、昼を潰せば良かろう。

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