旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 等しく困り者である。
      高校生も、ロートルコンビも、等しく困り者である。(5/31/13)
 本日はカラリと晴れて、暑く為る事必至である。寝覚めの玄関鳥に起こされるも、『冗談じゃない。』釣られて起きたら、寝不足の一日と為って仕舞う。トイレで放出して、睡眠続行である。時間に為れば、部屋の暑さで起きるまでの事である。

 タバコをポケットに、朝の靄掛りの身体を家庭菜園で放出しながら、本日は最終的なダイコンの下ろ抜きで在る。寸足らずのダイコンを抜いた後は、葉の密集が無く為り、これでインゲンへの日射量も確保出来る。物の見事に成長したダイコン葉は、老母に聞いて葉を湯がいた後は、みじん切りにして油揚げ、唐辛子で炒めて砂糖醤油で甘辛く調理して、食卓に載せれば良いとの事である。発芽しないのは生姜だけと為った。

 小粒野苺を摘んで、朝のデザートに回す事に致そうか。野菜、庭の緑を眺めながらの石に胡坐を掻いての一服は、好いものである。シジミチョウ、並アゲハ、そして待望のタテハチョウ、青色イトトンボが姿を見せて、季節の確りした巡りを実感する次第である。

 質素な朝食を終えて、人間様の食事の後は、玄関鳥殿の餌、水遣りである。本日金曜日であるから、昼からのスタバタイムである。髭剃り序でに一風呂浴びて、シャキッとすべしである。忘れぬ内に買い物メモをして置くとするか・・・

 いやはや、日向は暑い。Tの呉れた後ろ頭巾の着いた帽子を被って、草むしりなどをしてTの車を待つが、黒いTシャツは丸で夏の暑さで在る。

「おいおい、オイさん、それで銃剣でも携えて居れば、立派な南洋一等兵じゃないか。日の丸の小旗でも、帽子におっ立てて見ろや。ビルマの竪琴の三国連太郎より様に為ってるぜや。」

「やあやあ、そりぁ、有難うざんした。その内、尖閣義勇軍が結成された暁にぁ、天皇陛下、万歳で御国の為に散華して来るわいね。俺の命日にぁ、靖国詣りしてくれや。ギャハハ!!」

          本日は当然に、アイスコーヒーである。

 私達の横のテーブルには、黒いTシャツを着た中学生or高校生の男子が、アイスコーヒーにケーキで漫画本を読んで、歯を剥き出してケラケラ笑いをしている。それを還暦半ばの好色ヤクザもどきコンビが、蔑んだ目付きで苦笑いの態で在る。

「ッタク、何処の高校生じゃい。シャキッとせんかい、シャキッと。」

「あどけないと云えば、あどけなしで、天下太平の世だわな。漫画位、家で思う存分笑って読みゃ好いのにな。コーヒー代、ケーキ代払ってまで、戯け面を外に晒す必要も無かんべや。あい~。」

「あの年頃だ。身に覚え在りでさ。手前の個室はピンクティシュの山で、干からびたクリ花臭でリフレッシュ出来無ぇのさ。ありぁ、何処から見ても<千摺り小僧のニタ付き>ですがな。何か、トミの野郎の顔を思い出しちゃうぜや。」

「あいあい、身に覚えのあるお年頃だぜね。ヒヒヒ。野郎も、<掻き過ぎ>が祟って、若死にしちまったのかも知れんわな。未だ生きて居たら、面白い話が出来たのにな。」

「あのトミの野郎は、今にして思えば、頬がコケて嫌に生白い顔付してたもんなぁ・・・ありぁ、俗に云う腎虚って奴だったんだろうな。」

「トミの野郎も、R位の体力と精力が在りぁ、スキンヘッドに為る位で、創建で生きてたんだろうけどな。0・3の快感に、人生の目測を誤ったって事だいなぁ~。心が猿だったから、抑制が出来なかったんだろうな。過ぎたるは、何事も、及ばざるが如しって事だ。」

「人生の目測たぁ、巧い事を言うじゃないか。野郎、あの世でクシャミして、夜はRの布団の中に潜り込んで来るぜや。あい~。」

「冗談じゃ無ぇぜや。潜り込まれ無いぇ内に、夜散歩の序でに護国神社行ってお祓いして来るわさ。俺の布団は会員制で、ウクライナ、ロシア専用ですがな。」

 ドヤドヤと5~6人の大学生集団の登場で在ったから、場所を譲って外パッパとする。

 いやはや、カラリとした風の通りでは在るが、カッカと照り付ける夏の日差しで在る。ホームセンターの野菜苗コーナーを覗くと、活き活きと成長した野菜苗のオンパレードである。嗚呼、今日買えば好かった。失敗こいたの段である。Tはお向かいさんに倣って、<トマトの森>に挑戦意欲満々で在るらしい。100均一で円形支えを工夫したとの事。本日もトマト苗を二本買って行くとの由。

「俺も、よもや二人攣るんでRと野菜苗コーナーをブラ付くなんて生活は、夢想だにしなかったのになぁ~・・・う~ん、人生とはツクヅクと分からんものだ。予定通りに運んでりぁ、今頃、二人して南洋小島でマイナーなハーレムの構築中だったぜや。」

 冷蔵に入れて置いたキャラ蕗、味噌漬風味の沢庵、抜き取り寸足らずダイコン、湯がきダイコン葉を消費をお願いして、本日のスタバタイムを終えて来た次第である。後は老母の薬を貰って来れば、マイタイム流しの段と為る。へへへ。
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心何処ーショート 五月も、後一日を残すのみ。
            五月も、後一日を残すのみ。(5/30/13)

「さぁ~て、真面目に掃除をするか。ほれ、婆さんベットで待機だよ。」

 ヨロヨロとベットに上がる老母殿で在る。雨は降っては居るが、家中を開けて、ハタキ掛けをして、掃除機で月の一度の<見栄張り掃除>である。

「それなら、蛍光灯の上も払ってお呉れ。」
「はいはい、かしこまりました~。」

 仏壇、神棚、天井の埃落としをして、

「ほれ、爺ちゃん、婆ちゃん、親父に、兄ちゃん達、洗顔ですがな。」
 
 せっせと掃除機掛けをして遣ると、老母殿は大喜びで在る。序でであるから家中を掃除して回ると、汗だくで在る。ケアマネさんは1:30であるから、シャワーで汗流しをすれば充分に間に合う。

「綺麗に為ったねぇ。部屋が明るく為った様で有難う。遣れば、出来るねぇ。」

★糞っ垂れが、<遣れば、出来るねぇ>と来たもんだぜや。いやはや、女の口には逆立ちしても敵いませんがね。はいはい、仕事仕事。

 元来が物臭男の仕事真面目人間であるから、それが仕事と思えば、確り遣らないと気が済まない性分である。

 ささっとシャワーを済ませて、お茶の用意をして置く。手を付いて茶ダンスから、見栄えの好い容器を二つ取り出して、此処に茶菓子を入れて呉れとの仰せである。

 へへへ、自分の部屋のお客さんなのであるから、これも『女主人の嗜み』と云った処で在ろうか。一応、収まりが着いたから四畳半定位置で、熱々のアメリカン・コーヒーを飲む。一時、凄い勢いで降って居た雨も止んで、灰色雲の梅雨空である。

「こんにちは。お邪魔します。」のケアマネさんの定刻コールである。

「何にも無いよ。沢庵尽くしのお茶請けですがな。月に一度の恋人の為に、きゃら蕗しといたから、お味評価しておくれや。」

「前回、頂戴した沢庵、美味しかったですよ。どれどれ・・・、あっ、美味しいじゃないですか。Rさんは、良く遣るわ。才能が在る。家庭菜園も青々してて、さすがに只者じゃ無い。ブログ打って、短編書いて、絵を描いて、家庭菜園に、お台所で充実した毎日でしょう。」

「何を言ってるだい、毛無し、金無し、女無し。止めが甲斐性無しの四重苦でおまけに<気難しい婆っさ飼い>だわね。ギャハハ。
 還暦過ぎて、よもやの男賄い生活。これで首釣りしないのは『奇蹟』ってもんせ。吾が心の葛藤や、誰が知るってもんずらよ。如何して呉れるだいね。あい~。」

「またまた、冗談言って良く笑わせて呉れるわ。こんな良い親子関係してて、罰が当たりますよ。人生で一番好い時期を迎えてるんじゃないの。私はこう見えても、ケアマネですからね。訪問観察のプロですからね。ねぇ、お婆ちゃん。毎日が楽しいでしょう。」

「男の子で、四男坊だから、口は悪いけど好く遣って呉れる。親ながら、感心しちゃう。私に学が有ったら、話し相手に為って遣れるんだけど、無学の切なさでね・・・ もう、毎日が感謝感謝の何も手伝って遣れないのが、辛くて情けない。生きて居るのがやっとで、申し訳無い申し訳無いと、手を合わせるしか無い・・・」

「お婆ちゃん、良いの良いの。出来たお婆ちゃんに、出来た息子さんだもの。ピッタンコの親子関係よ。庭には緑が溢れていて、こんな環境だから、心穏やかに過ごせるんだもの。幸せだよ。」

 昇降椅子にチョコンと座る老母殿は、お気に入りのケアマネさんとの月に一度の交流で、ニコニコ顔の相想崩しで在る。アハハ、一世紀近い老婆ではあるが、<気分は百薬の長>なのであろう。吾が母為れど、昔美人の面影は今も健在である。

 一応の観察が済んだから、後はリラックス・タイムである。世間話、政治話、従軍慰安婦話、爆音高校生を肴に、漫談が次から次に風発して饒舌が饒舌を産んで、笑いが絶えない老母の部屋で在る。

           ケアマネさんをお見送りしてくれば。

「大変だったね。ご苦労様。今度は、ガス屋さんだね。」
「はいはい、左様でゴザンスよ。何だかんだと言っても、月の巡りは早いもんだわね。疲れたろう。ベットで安静にしておくれ。俺ぁ、部屋でマイタイムですがな。」

 はいはい、私も穏やかな気分を頂戴して、好い一時を過ごさせて貰いましたがな。サンキューでゴザンスわね。へへへ。五月も、後一日を残すのみ。

心何処ーショート 速過ぎる今年の梅雨入り
              早過ぎる今年の梅雨入り(5/29/13)
 長野県も梅雨入りした。昨夜の夜散歩は街場に下って見た。珍しく回数の少なかった爆音バイクが、ウィンウィン、バリバリと喧(やかま)しく走って居た。へへへ、こりぁ、ご近所さんは大変だ。街場から橋を渡って何時ものコースに上って来る。夜の川原に白菖蒲を見付けて、紫のアヤメとコントラストをさせて見ようかなどと思いつつ、散歩を終えて来た次第である。

 明けて今朝は、夜半に雨が降って居たのだろう。雨を受けて蘇った緑一面の庭である。雨の滴に濡れた紫つゆ草が青紫の小花を咲かせて居る。イチゴを採ったり、菜園の雑草の芽などを摘んで、爪楊枝にも満たない注目株・三つ葉の生育に目を遣る。庭のサツキも赤ピンクの花を咲かせ始めて、雨に洗われた緑とのコントラストが好い具合である。

 ロートルの性で目に着いた草むしりをして居ると、雨が降って来た。まぁ、それでも梅雨入りしたのであるから、松葉牡丹の芽出しを移植ごてで掬って、移植をして置く事にする。

 さてさて、これ以上、外に居ると拙いから、朝の賄いに移行する。締め切った老母の部屋の障子、廊下を開けて空気の入れ替えで在る。障子、廊下のカーテンを開けられて、モソモソとベットから起き上がり、朝とする老母殿で在る。

 はいはい、ゆっくりゆっくりで好うござんすよ。賄いはゆっくり遣りながら、仏壇の花交換をして置くと致そうか・・・

 鋏を持って小雨の外に出て、マーガレット、紫つゆ草、カワラナデシコなどを適当に切って来て、仏壇に供える。

「いやはや、これじゃ丸っ切り、俺は女に為り下がっちまったわね。へへへ、歳は取りたくは無いわね。如何するだい、婆さん。」

「それだけ、人間が出来て来て、丸く為ったんだよ。人間、歳を取れば男も女も無いよ。燈明を上げて、お線香しておくれ。喜ぶよ。」

「あいあい、」

 燈明を上げて、線香に火を点けて・・・ 正座して、ちぃ~ん、チィ~ン。

「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。これで、文句も在るめぃよ。婆さんの分も、遣って居たぜ。」

「はい、ありがとう。」

 梅雨入りの雨を眺めての朝食である。老母の表情を観察して、風呂に火を点けて置く。

 入浴後は、二畳小部屋で庭を眺めながらのラジオをBGMに、PC打ちをして居ると、風呂から出た老母が、何やら聞こえない声で洗面所を指差して居る。洗面所に行くと、雀が一羽入り込んで居る。洗面所から廊下に飛んだ雀を追って、御用として外に放して遣る。

 再び椅子に座って続きを打とうとすると、足元にモゾモゾ感である。下を見れば梅雨の侵入者・ムカデである。見るからに毒々しい醜態である。手元のヤスリで頭部を潰し、灰皿に入れて火刑に処そうとするが、中々火が回らない。

 其処で、金魚の餌にしようと思い立つ。鋏で三分割して、水槽に落とすと水槽ボスのコメットが喰らい付いて、バクバクと呑み込んでしまった。いやはや、姿形に似合わず、自然界は獰猛な物である。後の流金、コメットは、口にはするがポイと吐き出してしまう。生意気に水飛ばしをする奴では在るが、流石に水槽のボスである。お見事の段である。

 そんな暇潰しをして居ると、雨は止んで風戦ぐ梅雨空である。然すれば、庭を一回りしようとすると、電話である。月に一度のケアマネさんのコールアポである。

 へへ、婆さんは、倅の言い付けを守って、風呂疲れの老体をベットに横たえて居られる。さてさて、雨で中断した草むしりでも致しましょうかね。

 零れ種が発芽して、マツバボタンの密集を移植コテで土と一緒に掬って、チマチマとバラ植えをして遣る。そんなウォーミングアップをして仕舞うと、体細胞がお次の運動を所望して来る。止む無し、長靴を履いて花菖蒲の掘り出しに向かったのだが、菖蒲の丈の長さにマッチする場所が無いからパスして来る。

 まぁまぁの運動をして、遅い昼をして居ると民生員のFさんが、お婆ちゃんの顔を見に来たとの事である。直ぐ帰ると言うが、こっちは女日照りの毎日である。『飛んで火に居る梅雨の姐貴殿』である。<俺の茶が、飲めないか!!>と、老母と三人でよもやま話である。

 同じ町内にしてズベちゃんに近い住まいで在ろうから、当然に爆音小僧の話題に花が咲く。へへへ、警察に苦情がバンバン行き、三馬鹿小僧と一ズベちゃんは、警察に完全マークされているとの事である。何時の時代にも、拗ねて意気がる不良は居るものである。意気がる小チンピラに、さぞや家族は肩身の狭い思いをして居るに違いあるまい。

 さてさて、馬鹿に付ける薬無しの<克己心の欠乏した高校生>では在るが、何時、それに気付く物やら・・・家族も大変な被害者かも知れんが、所詮、子供の出来が悪く、親が弱過ぎるんでしょうね。このアホンダラが!!

 その点、吾が母上殿は女手一つで、プロレスラーの様な男5人を育てたのであるから、天照大神or観世音菩薩or聖母マリアのご化身で在ったのかも知れぬ。イッヒッヒ~。

 今じぁ、すっかりお地蔵さんに為って仕舞い、戯け倅の目薬を神妙に受けて居る童女なのでは在るが・・・ギャハハ!!

心何処ーショート へへへ、偉そうにほざいちゃいました。 
            へへへ、ほざいちゃいました。(5/28/13)
 変な気象は、とうとう梅雨入りとの事である。さてさて、今年は如何なる季節の巡りと為る物やら・・・

 テレビでは大阪市長兼共同代表さん、大変らしいですね。先生の政治出自は、テレビ時代のタレント弁護士さんである。従って、その個性の発揮は、したい放題のパフォーマー先生である。良いに付け悪き足きに付け、目立ってナンボの物との生き方が身に付いて居るのだろう。

 まぁ、私の生き方とは所詮、流儀、生き方が違うのであるから、最初から好い印象は持って居ない次第である。7月参院選状況を踏まえて、何やら目立ち過ぎての<誤解解凍>が、必要不可欠だったのだろう。外国人記者クラブでの2時間に及ぶ口演に、及ばざるを得なかったとの由。

 行き過ぎたパフォーマンスは、両刃の剣で一瞬にして奈落の底に落ちる危うさに満ち満ちていると云った処が、パフォーマー諸氏の陥穽と云った処で在ろう。早速喰らい付いて来たのが、アジェンダ、アジェンダの伸び悩み党首であったから、へへへ、暫く見ない間に、すっかり品相の欠けたお顔であった。

 私が一番残念に思うのは、折角、中山先生が穏やかな口調で、その当時の新聞記事、写真を歴史資料として、東京裁判史観から来る自虐史観の実態を国会の場で行い、衆目の目を引いた大実績を、台無しにして仕舞った軽挙妄動なのである。

 市長兼共同代表さんの政治出自は、<たかじんのそこまで言って委員会>のテレビで在る。維新の会共同代表の自惚れパフォーマー症候群が高じて、沖縄海兵隊の将軍様に向かって『風俗業の活用』などとテレビ目線で口を滑らせて仕舞ったから、サァ、大変!! 日本のテレビ目線が墓穴を掘って、<覆水盆に返らずの大失態>を演じて仕舞った。

 同じ様に大失態を演じたのが、猪瀬都知事のオリンピック招致に因んだテレビ目線でのイスラム観であった。

 可笑しな事で、片や、慎太郎さんとの共同代表、片や、慎太郎都政での副知事である。

 どちらも、慎太郎さんの口から出た言葉なら、これほどの反撃は加えられ無かったに違い有るまい。両氏には甚だ失礼に当たる感想では在るが、所詮は未だ両氏ともに世間体には、若輩者の範囲で見られていると言う事なのであろう。コンチクショーとの想いは山々では在ろうが、これが世間と言う物である。個人の持つ能力と世間の下す評価のタイムラグは大きい。

 山本定朝の<葉隠れ>では無いが・・・自分が切れ物だと言う顔が出て居る内は、良い仕事が出来無い。自分の力が存分に発揮出来る年齢に達するまでは、毎日、鏡で自分の顔見て、戯け顔にして置くのが肝要なりの訓えも在った筈である。

 嘗て、金丸信なんて老怪さんが鎮座おわした。環境アセスメントと言うべき処を、環境セメントと発し、間違いを指摘されると、表情も変えずに<そう云う言い方も在る。>と言って退けた。いやはや、畏れ多くて軍門に下るしか無いの一幕であった。

 それで、好いではないか。従軍慰安婦なんて戦後の朝日新聞の造語が、造語大賞で独り歩きして、それを元に、ああだこうだの大合唱をしているだけの話である。従軍記者、従軍看護婦は、その当時正式に使われて居た歴史用語では在るが、従軍慰安婦が歴史用語で在る訳が有るまい。・・・政治家として世界に発信するのなら、シャキッとせんかい、シャキッと!!

★非戦闘員の女郎を軍の傘下に置いて、行動を共にする軍隊行動の足枷に為る軍編成を採る国軍など何処に居るのか。冗談も休み休み言えと言うしかあるまい。
 中国さんの三国志で有名な情の人・劉備さんが何で困難な民衆を引き連れて蜀に入らざるを得なかったかとか、毛沢東の長征にしても、歴史の表向きの美談だけで語られるべき物でも無かろう。言いたかは無いが、そんな殊勝な心根など在る訳が有るまいに。

 所詮、中国人、半島人(北朝鮮、韓国)とは物の考え方も、行動の仕方も違うのである。同じものを見れば、中国人、半島国人は、自分達のフィルターで考え行動し、日本人は自分達のフィルターで考え行動する。これが或る意味では、当然の国民性の特徴にして差異であろう。
 然しながらフィルターには、当然に其れなりの濾過効果が在るのだが、彼等のフィルターには、如何やら一切の濾過効果は存在せずに、分厚く素材な材質の遮光の色眼鏡でしか無い処に、毒亜の本質が在るのであろう。

 きっと彼国の戦時慰安婦は、制度として軍が徴用する従軍強制廓の伝統しか無かったのだろう。人権、人道、と事あるごとにステレオ言葉としてポンポン出てくる言葉ではあるが、奴隷制度を持たなかった特異な国・日本人には性奴隷などと言う発想自体が、腑に落ちない<異国語>なのでは在るが・・・

 女郎は当然に居たが、従軍慰安婦も性奴隷も、日本には居なかったし、軍の強制連行も無かった。そもそも、日本には奴隷制度は無かった。従って、日本人には強制連行の発想、それ自体が無かった。アンタら、煩いよ。黙らしゃい。勝手な造語を作る物じゃ無い!!・・・後は黙して突っぱねれば良いだけである。

 日本人同士が騒ぐから、相手は寄って集ってスピッツ見たいに、ワンワン、吠え付かれるまでの事である。相手も同じ事しか言わないのであるから、此方も<録音>して同じ事でお返しして置けば良いだけの事である。

 私の好きな西部劇を見れば、町から町を渡る娼婦馬車が良く出て来る。当然、砦守備隊前の広場に、馬車を止めて何日か逗留して行く移動式遊郭が在ったと言う証左で在ろう。伊達に世界最古の商売が、売春などと古文書に記述されている訳でも在るまいに・・・

 表現方法は色々在ろうが、そんな事に一々目くじらを立てずに、<魚心在れば、水心在り>で、お互い需要と供給の関係にして、商売が成り立てば、人は其処に参集するまでの事である。

 斯様に総じて歴史を俯瞰して見れば、仏教、儒教にして見ても日本人は真面目過ぎて、善意の加工をし過ぎて、日本的仏教、日本的儒教として集大成して仕舞った。その一方、敗戦で加工の下と為る<日本学>を破棄されて仕舞った戦後民主主義の日本的加工たるや、見るも無残な精神の荒廃振りを偽善者の厚化粧をしているだけの事である。

 自由の裏側には責任、権利の裏側には義務、私人の裏側には公人、平等の裏側には公平、成功の裏側には失敗。・・・etc 本来一体の物を、自分に都合好く分離独立させて特化させて終えば、そんな物は、人間が人間で無く為る方向なのに、知らん顔で勝ち組負け組に右往左往するだけの御都合平和主義見たいな物でしかあるまい。
 いやはや、言うに事欠いて、日本の常識は世界の非常識、日本のガラパゴス化とは、好い気な物である。米国流企業の整理は、採算部門と不採算部門を切り分けて、解体して売り払っておさらばするのと、日本の企業再生は異っていたのである。企業の求心力を高めて、皆が企業再生の努力を分かち合って、読んで字の如く企業体を再生すると言うのが、日本流で在った筈である。

 人間意気に感じるを無くしたら、幾らスマートに西洋合理主義・公利主義などと嘯いて居ても、そんな物は弱肉強食の<獣道>ですがな。獣道に人間の絆が生まれますかいな。偶には、鶴田浩二の<傷だらけの人生>でも聴いて見遣がれってな物である。イッヒッヒ!!

 殊更、<男だけが性獣>で在る訳でも在るまい。何を戯けた事を言って居るのじゃい。言いたくは無いが、女衒(ぜげん)も強制連行も無い平和な御代に、何故に風俗産業が絶滅しないのか。元手の掛らない見入り大の商売が、世界最古の商売として、繁栄しているだけの事で在りましょうや。

 ★ハニ―トラップだか何だか知らんが、スパイと云えば通りは好いが、若しかしたら、これって強制調教、性奴隷かも知れませんわね。へへへ、これも、語り口からすると、<愛国無罪の英雄>って事でしょうかね。・・・

 多元価値論、職業の自由、表現の自由が定着して居るご時世なのであるから、少しは本音を語れば良かろうに。助平オヤジは下心ビロ~ンで女狐ホステスに財布を緩め、助平オバサンはイケ面ホストクラブに財布を緩めて居るのが、実態でしょうが。男女の性を殊更愛に求めて居ても、娑婆の実態では半数を超える主婦が不倫経験をして、性格の不一致、金の切れ目は縁の切れ目。他に相手が出来れば、三組に一組は離婚とのご時世である。内輪同士の鉄仮面偽善の糾弾は、丸で稚児の類ですがね。

 内輪揉めをしている場合では無いでしょうが!! 言われ無き無礼の口撃には、相手を引っ倒す位の迎撃口撃をして遣ら無きぁ、駄目ですがな。相手は駄目元の毒亜スピッツなのである。

  クダクダと下衆の遠吠えをするのは、私ども底辺の悪態口で宜しかろう物を。
地位のある公人の言動は、TOPを充分暗算して為されるのが、国益でゴザンスよ。

 マスコミ識者だけが、国民の意見とは違いまするがね。何時の世も、市井の多数は、落語長屋の熊さん、八っつあんの世界に色濃く現れて居ると思うんですがね。ギャハハ!!

 長々とブログ樹海の偏狭の館にお留致しまして、恐縮の極みで在りまする。お付き合い、感謝感謝で在りまする。

心何処ーショート さてさて、週の始まりである。
            さてさて、週の始まりである。(5/27/13)
 昨夜の雨パラパラに続いて、降りそうで降らない曇天の蒸し暑さである。朝飯前の日課をこなして、中途半端であるから、キュウリをもう一本植えるべしである。米屋さん、煙草買いに自転車に乗る。いやはや、アスファルト道の輻射熱は暑いものである。県文会館横の並木に差し掛かると、流石に涼しい。

 甘い過ぎるコーヒーを頂戴して帰ろうとすると、常連さんの登場である。へへへ、昔ガッタ坊主の子供時分の話にスッカリ盛り上がって、愉しい一時を過ごして来た。

★柿を盗んだ、リンゴ、桃、ブドウを盗んで、追い捲られて、捕まって往復ビンタを喰らった。逃げ切って、家に戻って来たら、自転車で先回りされて、親の前で坊主に散々おっ説教を喰らって、坊主の前に父親に、シコタマ殴られた。
★チンチン電車の線路に五寸釘を置いて、電車プレスの釘でナイフ、忍者手裏剣を作ったとか、見付かって電車の車掌に追い捲られて、ボコスコ鼻血が出るまで殴られた。車掌に殴られ、父親に殴られ、教師に殴られた。
★お医者さんゴッコをして、陰部に麦わら注射をしてる処を母親に見付かって、その母親が家に怒鳴り込んで来た。両親は真っ赤な顔で平謝り、娘の親が帰った途端に、<この馬鹿野郎、勉強もしないで、何の勉強をしてるんだ。恥を知れ、恥を!! >と殺されるほど父親から殴られた。母親は真っ赤に為ってオイオイと泣いて居た。

 etc・・・なんて『汗顔の至り話』は、遣り始めたら<出るわ出るわの話の泉>の様な物である。

 いやはや、斯様にして昔の子供は、大変な被害者だったのである。何故ならば、法治国家なのであるから、本当は『一事不再理』の大法則が働いて、一つの罪に一つの罰が通り相場なのにも拘らず、<世間様の掟>は、当事者間、家庭、学校の場に依って、一罰百戒の時代であったのである。罪刑法定主義も知らずして、良くもまぁ~、子供の人権無視の体罰特権が幅を利かせて居たものである。ギャハハ。

 体罰反対、体罰反対の大合唱をする前に、少しぁ歴史検証をしなくちゃ、中狂国、半島国に押し込まれるだけですがな。

 石をビュンビュン投げ付けられ、捕まれば、ボコスコに殴られて育った世代である。

ガッタ坊主の目からすれば、<大人、大人と威張るな大人。大人、子供の為れの果て。>
大人の目からすれば、<子供、子供と威張るな子供。子供、大人の一滴(ひとしずく)>

 振り返れば、大人と子供の世界には境界線が在った。背伸びをして大人の棲息圏に忍び込むには、其れなりの運動力と覚悟が必要だっただけの話である。子供もお兄ちゃんも、オッサンも、みんな半分は、楽しみながら<境界線遊び>をして居たのである。

 タバコとキュウリ苗を買いに、個人スーパーに回る。山蕗が入ったから、キャラ蕗にしたらの仰せに従って、どうせする事が無いのであるから仕込んで置く事と致そうか。
「ああ、やっと帰って呉れた。刑務所から出て来て、昼から酒喰らって、プンプン臭いさせて、ああでも無い、こうでも無いと喰っちゃべって行くんだよ。もうもう、沢山。」

 へへへ、レジ先輩さんの仏頂面に、私は帽子を取って、スキンヘッドをグィと差し出す。

「ほれ、あのオッサンの白髪坊主は伸びてるけど、こっちゃ、刑務所から今出て来たばかりだから、ツルツルだぜや。俺の方が酒は飲んじゃ居ねぇが、<新鮮出獄>だぜや。値段、まけねぇと店荒らすぞ。如何するだい。先輩!!」

「何言ってるだい。兄さんは怖い顔してるけど、心が優しいから、駄目駄目。悪人顔と善人顔は、生まれ付きだから無理しても効果無しだよ。アハハ。」

 降りそうで降らないから、困った物である。キュウリ苗を植えて、これで収まりも良く為った次第である。白カブ、ミズ菜畝の後には、キュウリとナスが育って呉れれば、キリギリスを迎えに行けば様に為るだろう。

 ダイコンが形を見せて来たので、ついつい嬉しく為って、朝はキュウリスペースに、ダイコンの種をチマチマ蒔いて、ニンマリして居る戯けロートルである。イッヒッヒ~!!

心何処ーショート 気が付けば、早や夕刻なり。
           気が付けば、早や夕刻なり。(5/26/13)
 昼からは、倅と孫が来た。朝は二度寝をして仕舞ったから、遅い朝飯で、昼飯も入らない次第である。昼を買いに行くと云う倅の車に乗せて貰い、ナス、キュウリの苗を買いに行く事にする。場所明けに白カブ、ミズ菜を引き抜いて、倅に持って行って貰う事にする。そんな事で、昼飯にして居る倅・孫の相手は老母に任せて、私は家庭菜園の土弄りに汗を流す。

 途中から孫が出て来て、ジョロ遊びをしている。何事も、興味深々の脳細胞の成長期なのであろう。どの位の力を発揮するものかと、私の方も興味が在るから、お代わりの度に、ホースの水量を加えて行く。へへへ、中々強情にして、力が有る。ホースの水を霧状に葺き掛けて遣ると、ズボンが濡れたなどと生意気な主張をしている。

 馬鹿もんが、水が掛れば濡れるのである。軟な主張は、俺の前で通用すると思って居るのかい? ムダゴトこいてると、頭にゴツンだぞ。

 ジョロを引き摺って、水を入れろとの催促である。まぁ、相性は悪く無さそうで在るから、意外や意外で面白い男に為るのかも知れぬ。筋が良かったら、スパルタで遊んで見るのも面白そうである。男が軟じゃ、生物としての示しが付かんぞね。イッヒッヒ!!

 ナス5、キュウリ3の苗の手を作って居ると、西向かいのオバサンである。中では廊下にテーブルを出してお茶をして居るから、偶には婆さんの相手でもして貰おうと、お誘いする。石段は、もう歳で怖いからと言うから、補助を買って出る。一人暮らしのオバサンは、83歳である。二人で庭の苺を探して掌に摘んで、庭から婆さんとご対面である。倅、孫は、満腹の昼寝である。

「オバサン、久し振りだから、婆さん同士で、エール交換して行きましょや。俺は、遣り掛けた仕事を完了させて来るわね。」

 96歳、83歳の婆さん同士は、お互い、相想を崩して手を取り合う姿である。ゆっくり、<あそこが痛い、此処が痛いと、手を摩り合って>の廊下で久し振りの未亡人同士のお話も宜しかろう。

 一人暮らしの母の相手をして呉れたオバサンであるから、これも旧知の女話の通う楽しさでも在ろう。畑整理の葉野菜を持って行って貰おうと、綺麗に水洗いしてレジ袋に入れる。足の不自由な年齢であるから、一足先にお宅に置いて来る。

 倅と孫は、老母の部屋でくっ付き合って、良く寝て居る。私は縁側の石に腰掛けて、煙草を吸いながら、婆連のお相手を仕る。自然の儘に放置して在る庭は、緑の濃い野趣の空間である。

「おばさんの処は、庭が広くて自然の中に居る見たいで、私、ほっとする。これだから、二人とも穏やかなんだよね。土と緑が、人間には一番だよね。家庭菜園の成長を見るのが楽しみで、もう歩けないから、近場を杖突いているだけだけどね。庭の苺と野菜貰って、嬉しいわや。」

「私はもう歯が駄目だから、ホンの少ししか食べれないから、どっさり貰って行って。この子も、やっとこう云う事が出来る年齢に為って、欠かさず朝夕、水遣りをしたりして、外に居る時の方が長いんだ。する事が有る、出来ると云うのは、幸せな事だからね。」

「そうそう、野菜を作ると云うのは、遣った分だけ返って来るから、それが楽しみだったんだけど、もうもう、あちこちが言う事を利か無く為って来て・・・歳を取ると云う事は、もどかしいし、寂しい事だからね。年々、それが大きくなる・・・」

「へへへ、愚痴ったって、人間、若返る事は出来んわね。もういい年なんだから、悟りを開いて<足るを、知る>の老境に遊ばなくちゃ、お天道さんの罰が当たるぜや。二人とも、強欲婆ぁって事だいね。少しぁ、反省心を持ちましょや。」

「おばさん、Rちゃんに、お説教貰っちゃった~。」

「80超えりゃ、品格じゃ無いんね。鈍格に落ち込むだけだいね。でもねぇ~、こんな事が出来るのも、田舎暮らしの特権だからね。都界、街場、施設に入ったんじゃ、こんな空気は吸えないからね。特権の効用を活かすも殺すも、その人次第ですがね。ギャハハ!! 
 お互い、<死ぬまで長生きして、田舎暮らしに感謝する>だいね。俺は女話は苦手だから、何時でも来て話の相手して行ってお呉れや。あい~。」

 大分日が陰って来て、灰色雲の行進で在る。苗の植え付けをした次第であるから、天からの雨が欲しい処である。

 ぐっすり寝た孫は、アイスクリームをパクついて居る。雨が降らぬ内に帰ると言う倅の車を見送れば、ポツリと雨である。

 いやはや、一日は呆気無い程の早さで進み行くものである。さてさて、雷神様に、じっくりとした降雨をお願いして置きましょうかね。へへへ。

 おやおや、本日形を潜めて居た爆音小僧のお通りである。いやはや、煩い餓鬼共である事か・・・


心何処ーショート 今年初めてのアイス・コーヒー為り。
         今年初めてのアイス・コーヒー為り(5/25/13)
 
  本日は昨日と違って、湿度が高いのであろう。ムッ、ジトーとする暑さで在る。

「如何だったい? 今度は肺癌かい?」
「3カ月して再検査だってさ。タバコは駄目だよ。あい~。」
「俺ぁ、煙草吸って無ぇよ。」
「今、吸って無ぇだけだろ。嘘は行け無ぇよ。髪の次は、舌を抜かれちゃうぜや。あい~。」

 本日は、アイスコーヒーにする。壁際席が空いたから、窓際のソファ席から空かさず移動する。

「婆さんは元気かい?」

「何か、未だ動けると自信を持った様でさ、二畳に行く時に、妖怪様はヨロヨロと棒に縋って庭に出て居たんだわさ。それで、抜き足差し足で四畳半に逃げて来たんだわさ。アハハ。」

「そうそう、自分で何かを遣ろうとする気力が一番だぜな。人間、錆付いたら、全く動けなく為るだけだからな。動機は何でも良いから、本人がその気に為る事だからさ。」

「あいあい、そう云う事だいね。それがさ、昨日、俺の前で皺くちゃな手を動かして、<お前の言う様に、体の末端から壊死して行くんだねぇ。>と萎らしい事を言うからさ。『やっとキリギリスの姿が分かって来たか、素直に現状認識する事が人の道だわさ。真理の前に、親子も屁ったくれも無し。人間一生勉強だぜや。』と言ったら、頷いていたわさ。ギャハハ~。」

「ああ、また、この子と来たら、歳老いた母親に血も涙も無い事を、平気で言う。誰に産んで貰って、乳を飲ませて貰って、学校に行かせて貰ったんじゃい。人相も悪いけど、心の中は全部、鬼だ。きっと、何時か、仇を取って遣る。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏、お釈迦様、良いしっぺ返しは無いものですかね。本当に、小憎たらしいたら、ありゃしない。」

★嗚呼、Tの野郎、涎を垂らさんばかりの声色使いで、長々始め遣がってからに・・・

「俺がさ、<おお、そうかそうか、可哀想にな~、分かる分かる。>なんて同情して遣らないから、諦めたんだろうよ。頭が確りして居るから、お地蔵さんばかりしてると、キリギリスの二の舞と考えて、『腐っても、鯛は鯛』の土根性が沸々と湧いて来たんだろうさ。

 俺がテレビに向かって、悪態ばかり扱いて居るから、婆さんもすっかり感化されて、<北朝鮮も口ばっかりで、お国が遣ると言ったらミサイルでも、ロケットでも打って呉れば好いんだよ。だらしが無いって言ったら、ありゃしない。>と鼻先のせせら笑いと来たもんだぜや。大正女は、凄い根性してるわ。」

「そりぁ、そうだ。口には出さないけど、戦争経験世代は、いざと為れば腹の括りは出来て居るからな。でもなぁ~、Rの処は男と女だから、親子漫才が出来るんだろうな。比較すると耳の遠い爺っさとは、親子漫才も出来んしさ。」

「いやいや、女族なんて類は、臍曲げたら仕返しの機会を淡々と狙って、逆襲して来るから、始末に負えんわね。男族から見たら、女族なんて代物は、とんでも無ぇ<根に持たれら、男の最後でさ・・・絶対に許さねぇ>の執念深い生き物だぜや。
 俺ぁ太刀打ち出来無え『痛い弱み』を握られちゃってるから、水戸黄門様の三葉葵の印籠見たいにさ、慈母と鬼女の二重細胞膜のミトコンドリア印籠をチラつかされちゃ、<この糞婆ぁが、俺ぁ、部屋に帰る!!>の捨て台詞しか扱けねぇぜや。」

「声色使って、再現して見るかい? ヒヒヒ!!」

  ★あっ、Tの野郎め。眼鏡の奥の目を光らせて、唇を舐めて居遣がる。

「煩ぇ。寄って集って、コケにしやがって~。俺ぁ小便弾んで、お漏らしの危険域だいね。」

 ホームセンターで、Tのお隣さんは、トマトを渦状に伸ばして、鈴生りの収穫を享受して居る由。それ同様の支えを是非ともゲットしたいとの事である。私は、今年のシャクヤクの花は幾つ付いて居るかとの問いに、植え替えをして仕舞った追い目で、売れ残って50%引きのシャクヤクを2ポット買った次第である。

 無農薬、庭の落ち葉の有機野菜は、美味かったとの事であったから、白カブ、チンゲン菜、シュンギクを抜いて、水洗いして贈呈する。

 さてさて、昼は買って来た物をそのまま出せば、事足りる。シャクヤクを植えて、土の補充にスコップを持って川原に行く。いやはや、真夏並みの大汗をタラタラ落として、自己満足のお遊びとした次第である。

心何処ーショート 鉛筆削りも、面白きもの。
             鉛筆削りも、面白きもの。(5/24/13)
 外は夏では在るが、家の中は涼しい風が通り抜ける。日中の日課はこなし、四畳半定位置でのマイタイムの始まりである。廊下で横に為って居た老母が、ミネゾの木を指差して、キジバトが巣立ったのかとの質問である。巣も無いのに生まれ育つ筈がない。枝の茂みに目を凝らすと、キジバトが中で動いている。暫くすると小枝を咥えた一羽が飛んで来て、中の一羽に渡して、再び飛んで行った。

 如何やら、楓の木には産座に適した枝具合が無く、ミネゾの木に営巣を始めて居る様である。思うに若い番いかも知れぬから、目利きも根気が無いからラブハウスに扱ぎ着けないのかも知れぬ。ヘヘヘってな物である。

 トゲトゲのカワラヒワのラブハウス内では、待望の雛が孵って居る様子で、時々、雛達の餌強請りの声が聞こえて来る。親の居ない雛達だけの巣では、きっと親に泣くなのキツイ教えが在って、気配すらしないトゲトゲの茂みの中で在る。

 一方、吾が方の抱卵に失敗した玄関鳥は、再び抱卵を始めている次第である。

 カワラヒワ、キジバトとは、良くした物で人間との至近距離を巧く利用して、付かず離れずの生態圏を作っている様子である。一週間ほど前に、何年か振りにカッコーの声を聞き、昨夕は名も知らぬ鳥が、電線に止まって長い間、囀りをして居た。目下の処、アオダイショウ目撃の無いのが、幸いな次第である。

 昨日は、紅茶にウィスキーなどを垂らし、四畳半出窓から足を投げ出して読書などをして時間潰しをしていたから、眠く為って久し振りに確りと昼寝をして仕舞った。二日続けの読書では頭の負担が堪らないから、本日は逃げるべしである。

 偶には、ケーキとコーヒー牛乳で、昼兼おやつタイムと致そうか。どっちみち、暑い日中は、家の中をクマ男がノシノシうろつくだけの事である。

 暑い外に、自転車漕ぎをして来る。庭のサツキも幾つか花が咲き始めた。大通りの天理教の石垣のサツキも、花を咲かせて居る。サツキが咲いて終われば、今度は梅雨の季節でアジサイ、ムラサキツユクサの季節へと進む。寒く滞った信州の冬は嫌で在るが、冬が明ければ季節の進展は、呆気無くも速いものである。

 オヤツ後は洗濯機を回しながら、戯け画フィルをパラパラと捲って、薄過ぎるバックに色を重ねて見る事にする。色鉛筆をカッターナイフで削る。鉛筆を削り始めると・・・これが何んとも懐かしい気分に為る。

 団塊の世代は、真面目一直線の受験勉強世代でも在った。30倍、50倍であったから、目を三角にして勉強せざるを得なかった世代である。勉強には鉛筆とナイフは必需品であった。芯が直ぐ丸く為る鉛筆であったから、鉛筆は何本も使わ無ければ為らなかった。そんな事で、受験生は知らず知らずの内に、鉛筆削りが上達して居たものである。そんな受験期の習い性か・・・鉛筆を削って居ると、何とは無しに気分が落ち着くのである。

 自分の老後にこんな光景が在るとは、一切予想もして居なかったのであるが、これも人の人生でも在る。拒むよりもどっぷり浸かるのも、何かの縁(えにし)と諦観するしかあるまい。自分が如何変わるかを、ウォッチングするのも興味の湧く領域でも在った。

 母親介護の自由時間潰しに、ブログを始め、文字だけの長駄文の館を覗いて下さる好奇の方々の目の保養にと、戯け画を描く事に為って、何十年か振りに色鉛筆を削っている次第である。直ぐちびて終う色鉛筆に、文房具コーナーを見れば、懐かしきサックを見付けて、すっかりレトロ気分に為って、時代を反芻する事を覚えて仕舞った昨今である。

 さてさて、本日も夕刻が近付いて来た。お向かいさんに倣って、私も夕刻ジョロ散水のお時間と致そうか・・・ 雨は、当分無いとの事であった。

心何処ーショート へへへ、これ、ほっこり感為りや。
           へへへ、これ、ほっこり感為りや。(5/23/13)
 湿度が低いから、カラリとした風の通いで在る。予報では昨日より5℃前後涼しいとの由。時知らずの雪に遣られて終った柿の枝にも、漸く芽吹きの淡い緑が拡がって来た。四畳半の目隠し兼パラソルの葉の繁りも、勢いを増して来て好い感じに為って来た。

 葉野菜を収穫して、色付いた小イチゴを10粒程ゲットして、朝の賄いをする。妖怪様の朝のご機嫌伺いをした後は、鎌、鋏の研ぎをして、その切れ味を確かめる。

 ミニトマトも、スイスイ伸びて来た。支え手を入れて遣ろうと数本の支柱を地面に押し入れて居ると、ヨチヨチ歩きの幼児を連れた若いママさんが、道横のアヤメ、カキツバタの花を見て、幼児目線のユルユルとした歩みをされている。多分、同班先輩の娘さん母子なのであろう。今時の子は・・・坊や?お嬢ちゃんか?は、断定出来ないが、母親似の可愛い盛りである。盛んに私にまで幼児のお相想を振り撒いて呉れる。

「うん、如何した? こんな頭は居ないから、物珍しいだろ。人相風体は悪いけど、化け物じゃないから、安心しな。アハハ。」

 穏やかな自然体のママさんに似て、好い雰囲気で育って居るのが、良く見て取れる。家庭の温かさ、落ち着きを体現した様な幼児の笑顔で在る。へへへ、娘さんは、相当な出来の好さなのであろう。

「あそこのトゲトゲの木の中に、カワラヒワの巣が在るんだよ。」

 どれどれと、母子は見に行く。空の青味は薄いが、新緑から青葉に向かう季節に、カラリとした涼風が抜ける太陽の輝きで在る。そんな光景にマッチした<母子のほっこりとした情景>である。私は花鳥風月を愛でるタイプであるから、好い物を見るのを愉しみとしている次第なのである。

★単なる好色ヤクザもどきのオヤジじぁゴザンせんわね。イッヒッヒ!! 心の保養を頂戴したのであるから、お返しをするのが『人の道』である。

「婆さんと二人きりだから、野菜も飽きちゃった。如何だい? 押し付けで悪いけど、消費を手伝ってよ。」

「好いんですか。新鮮野菜。遠慮なく頂きます。」

 チンゲン菜、白カブを菜園から抜いて、外水道で根を取り水洗いして、レジ袋を持って来てプレゼントする。

「安い野菜を買って来て、遣り繰りしてるんですよ。こんなに一杯貰って、嬉しいです。有難うございます。」

「いやいや、こちらこそ。お天道さんの恵みを無駄にしたら、天罰で髪が生えて来ちゃうわね。俺は、白カブの浅漬けが好きでね。カブを刻んで菜っ葉も一緒に漬けると、柔らかくて美味いもんだよ。一応、無農薬・庭の落ち葉の有機作物だから、悪い味はせんよ。」

 へへ、こんな処が街場人間には、味合う事の出来無い<人間同士のホッコリ感>である。

 

心何処ーショート <父子草>観ずして、俳優・渥美清を語る勿れ。
      <父子草>観ずして、俳優・渥美清を語る勿れ。(5/22/13)

 この数日、夜散歩に出掛けようとすると土手の花壇の石積みの石が、道路に転がって居る有様である。車が石積みを擦って石を散乱させて居るのだろう。宅配便のトラックが、この場所に駐車させてくれとの事。天下の公道であるから<どうぞお構い無し>にと言ってある。そんな事で、宅急便の頃合いの駐車スペースと為って居る次第である。現代は車社会であるから、駐車スペースが無いと車ほど不便な物が無いのも事実である。車の御厄介に為って居る者同士で在るから、『相身互いの快諾』なのであった。

 宅配便トラックとか、その他諸々の車の擦れ違いで石積みに接触して行くのかは、目撃していない以上、道路への石の転がりは花壇設置者の管理補修責任である。

 コンチクショーと脳天に血が昇る次第では在るが、所有権、悪意の占有権が及ぶ訳も無いからして、器物損壊を訴え出る事も出来ない。民事に不法行為による原状回復義務を行使したくても、被害者原告の私が不法行為の挙証責任を負わねば為らないのであるから、行為現場を目撃するしか手立ては無いのである。

 去年はこんな事が無かったのであるが、爆音バイクが登場し始めてから、こんな事がチョコチョコ起こり始めた。先々日は夕刻の水遣り時に、爆音バイクが通り掛かったから、<煩い!!>と怒鳴って遣ったのだが、その翌日(昨日)の夜散歩に出掛けようとした有様が、今までで『最高の壊し振り』であった。見た処、明かなる人為の手が加わって居る様子である。軍手、ジョレン、移植ごてを持って来て、散歩前の一仕事に及んだ次第であった。

 馬子にも衣装とは云うが、武闘武断派が、法学を習い常識を身に着けると、世の憂き目を見るとの喩えなのかも知れぬ。

 誰の仕業か知らんが、いやはや、斯くも<情け無き人心の荒廃の世>と云うより形容もあるまい。ミッドナイト散歩のウォーミングアップを終えて、田んぼ一面に響き渡るトノサマ蛙のゲロゲロ・ゲーロの大合唱に歩調を合わせて、人畜無害の運動散歩を終えて帰って来る。

 昨日の日中は暑くて、お絵かきタイムをして昼の時間潰しとして居た次第である。

                 四畳半の眺め_001


 寝る前に何か面白いYouTubeは無いものかと遊んでいたら、素晴らしい映画を見付けた。
渥美清、淡路恵子、石立鉄男、星由里子出演の『父子草』である。興味、時間のあるお方は、父子草(ちちこくさ)で検索するとYouTubeで、その一~その九までを、じっくり鑑賞出来ますよ。各分割時間が10分弱であるから、90分弱の白黒映画である。<東宝映画・宝塚映画>と在る。私は結構、往年の映画は見て居るのだが、この映画は初めて観た。日本で一番人口比率の高い団塊世代は、松竹映画、東映映画の渥美清喜劇を観て、<テレビ版男はつらいよ>から『映画版フーテンの寅』に移行した。私も、そんな世代の一人である。

 フーテンの寅さんよりも、大学時代アパートの部屋で見た再放送の名作シリーズ<テレビ版白黒・男はつらいよシリーズ>の方が、私は好きであったし、私の個人的評価は高い次第である。
 テレビ版、映画版の物とこの父子草の制作時期を調べれば良いのだが、面倒であるから割愛する。映画が好評で、テレビシリーズが始まったのか、テレビシリーズが好調で、映画が撮られたのかは、私には分からない次第では在るが・・・これは、同根の作品群だと思われる。

 最初の頃のフーテンの寅さんシリーズは、封切りを欠かさず観に行ってはいたが、余りのマンネリ化に若い頃の私は付いて行けず、テレビで見る様に為って終った。フーテンの寅さんは国民的映画の定冠詞を以って、色々な人から評価されて居るのは周知の事実である。

 然しながら、<この父子草を観ずして、俳優・渥美清を語る事勿れ!!>である。

 好い映画ですよ。親父役の浜村純を引き継いで、飯場仲間のチョイ役の大辻伺朗さん巧いですよ。彼の起用、巧いですよ。若しかしたら、口には出さなかった物の・・・この二人は『生きて居た英霊同士』だったんでしょうかね。説明が無かった分、行間が拡がりますねぇ。

 映画は時代を映す窓、鏡なんですよね。家制度が在って、家族が在って、絆を求め合う人間の姿に、人間とは時代の子、時代の存在・・・そんな叙事・叙情を映像に再現して見せるのが、監督・脚本家・カメラ・役者・・・etcの職人さん達が居た時代が懐かしく、大粒の落涙、頷き、好かった、良かったと拍手を送って居た次第である。

 映画を観終わって、煙草を吹かしながら、映画と現代を比較すれば、通い合う情を失くした個人効率主義、個人合理主義の経済ご時世に、苦いコーヒーを飲んで寝た次第である。

 さてさて、下手な文章打ちでは在るが、幾ばくかの人の胸に、この映画が届かん事を願って・・・。いやはや、本日も暑い日中で在りまする。とほほ。


心何処ーショート 妖怪様&ヤクルトママさん。
           妖怪様&ヤクルトママさん。(5/21/13)
 家庭菜園も収穫期を迎えて、せっせと消費をしなければ為らない。チンゲン菜の見事な処を6本引き抜いて根を鋏で切り、外水道で水洗いをしてお向かいさんに<八百屋の配達だいね。>と置いて来る。シュンギク、ミズ菜を収穫して、ミズ菜は浅漬けに、シュンギクは豚肉と共にチョイと煮付けて、朝飯とする。

        妖怪地蔵様はニコニコして、調子の良い事を言う。

「ご近所さんに配って来ると良いよ。少しでも、嬉しい物だよ。私も、良く遣って居たよ。皆さん喜んで呉れて、話も弾むし、お裾分けで遣ったり貰ったりで・・・小さな喜びの交換でね。それが、ご近所付き合いだよ。」

「この~、歳の効か何か知ら無ぇけど、何を扱きぁがる。そんな事してたら、俺は100%女に様変わりだぜや。洗脳されちゃう処だぜや。油断も隙も在りゃし無えや。」

「だって、押しも押されない<主婦>してるじやないか。腕前は、女以上だよ。」

「煩い。好きで遣ってる訳じゃ無ぇやさ。皆、出来が悪過ぎるから、お鉢が俺に回って来て居るだけの事だわな。冗談じゃ無ぇや。そんな見え透いた<女の調子口>にぁ、俺ぁ騙され無ぇぞ。ッタク、返す返すも、女の股ぐらから生まれて来た吾が身の不運にぁ、泣いても泣き切れ無ぇぜや。」

「あれ、今は男も性転換して子供を産む時代だよ。お前、知らなかったのかい。不勉強だね。」

「やいやい、壊死寸前の糞婆の減らず口たぁ、人間技じゃ無えな。誰に飯食わせて貰ってるんじゃい。ほれ、目薬だ。」

 昇降椅子の背にもたれて、目薬を受ける老母は童子(わらべこ)の様な物である。目も開けられぬ次第であるから、皺皺の瞼を指で開いての2~3滴落としを、日に数回施して居る次第である。何事も無駄な事は無い様で、白濁した目にも青味が蘇って来て居る感じである。

「これ、婆ぁ、至れり尽くせりで、俺に感謝しなきゃ、天罰が下るぜ。解ってるだろうな。はい、終了。」

    ポンと白髪頭を叩いて、妖怪様ニコニコ、戯け倅ギャハハの段である。

「こんにちは~。ヤクルトで~す。」

「おっ、今日は如何したの? 学校は休みかい?」

「今日は、ずる休みです。年長組です。」

「そう、ボクは両親に倣って、背が高いんだね。男の子は体格が一番だからな。そうだ、チンゲン菜でも持っててよ。」

             家庭菜園に、母子を案内して回る。
「あっ、トマトがあるよ。これは何かな? ダイコンさんだよ。ほら、ホウレンソウさんもあるよ。これはねぇ、え~と、おマメさんだよ。イチゴさんも、一杯生えてるね。」

 ママさんの半分のボクちゃんは、きっと美人の母親が大好きなのであろう。ウンウンと頷いて、母親の腰に付いて行く。

「洗って呉れるんですか? すいません。」

「そりぁ、常識ですがな。他人様にプレゼントする時は、好い物を綺麗にして差し上げる。これが日本人の伝統的美徳ですがな。アハハ。」

「どうやって、食べようかな。そうだ。油揚げとゴマ油で甘辛く炒めて、食べようか。きっと新鮮だから美味しいよ。」

 ハハハ、ヤクルトママさんは、ずる休みボクちゃんに母親言葉で話し掛けて居る。好いですなぁ~。母親はこうで無くちゃ行けませんがね。可愛い吾が子を仕事の為と言って、一人寂しい想いをさせちゃ行かんのですわ。親子の絆は、幼少時にスキンシップの刷り込みに、その本態が在るんですがな。そんな本質的な事は、学校じゃ教えて呉れんのじゃい。

 へへへ、<♪この道は、何時か来た道。ああ、そうだよ。あかしやの花が咲いてる。あの丘は、何時か見た丘。ああ、そうだよ。・・・北原白秋>

 例え、親は大人娑婆の鈍感・忘却に進んでも、純粋無垢期の子供の心に焼き付けられた母親の優しさは、色褪せない記憶と為って何時かは、伏流水の湧水の様に地表に湧き出すものである。

「こら、ボク。好いお母さんなんだから、素直にすくすく育てや。高校生に為ったからと言って、ズベを後ろに乗せて、伝書鳩爆音小僧になんか為るんじゃ無いぞ。
 好い男は、馬鹿目立ちをしなくても、ロシア、ウクライナ、チャイナ、コリアンと民間親善外交で、黙って居ても、女の方から遣って来るんじゃい。勉強して、自分を磨いて真っ当な自己主張をするじゃぞ。へへへ。休みに為ったら、またおいで。バイバイ。」

「Rさん、未だ男女学の講義は、早過ぎま~す。家の子は、オクテなんです。アハハ。」
 
 さてさて、本日、無風の夏の日差しで在る。日中は、省エネで暑さを遣り過ごす事と致そうか・・・


心何処ーショート へへへ、二匹目のドジョウは居なかった。
       へへへ、二匹目のドジョウは居なかった。(5/20/13)
         
         人間の脳作用とは、真に以って面白いものである。
 昨夜は無性にラーメンと餃子が食べたく為って、雨の中、夜の10時過ぎに車で行って来た。帰りにコンビニで西岸良平の<鎌倉物語>を買って来た次第である。然しながら、胃袋の小さく為って仕舞ったロートルには、腹が張って如何し様も無い膨満感で在る。布団の中に入って、雨の音を聞きながら、西岸ワールドの頁をニヤニヤして捲って居た次第である。

 私は日課の家庭菜園見回りから、葉野菜を持って家に入り、台所仕事をして居ると・・・

 ドヤドヤと人が入って来る。何事かと思って見て居ると、その後ろに見覚えのある顔で在る。ナンジャラホイ???

「先生、此処が噂の民宿ですか。」
「はい、どうぞ、そちらの部屋に行って下さい。」

「おやまぁ、何時から政治家女史に為ったんだい? 音大出て、銀行員に為ったまでは、風の噂で聞いて居たんだけど。」

「うん、色々有ってね。市民活動して居る内に、何時の間にか政治家に為っちゃったのよ。噂を聞いて、覗きに来たのよ。まぁ~、スキンヘッドで!! でも、間違い無くRさんだわ。良く似合ってるわよ。何十年振りかしら、元気そうじゃないの。私も、おバァちゃんに為ったでしょ。ウフフ。」

 おいおい、如何為ってるんだろうね? 老母介護の時間潰しに、歳の離れたロシア女を女房に持つ『ぶっ掛け屋』なんて食堂の亭主の話なんぞは、何篇か打って居る身ではあるが、民宿のオヤジなんて話は打った事も無い次第である。府に落ちない再会で、首を傾げている私では在ったが・・・。

「適当で好いから、ご飯に、お味噌汁、漬け物に、生卵、焼き海苔、それに焼き魚で十分だから。女手が無かったら、私が手伝うから。好いでしょ。」

「あ、そう。良く解らん話だけど、そっちにはそっちの立ち場が在るんだろうから、仰せに従うかね。民宿のオヤジか。分かった。じゃあ、人数分の葉野菜でも抜いて来るか。」

「相変わらず、物解りが早いのね。好いわよ。一緒に行きましょう。」

 いやはや、世の中には可笑しな話もある物だ。彼女は日本人放れした大柄で色白、彫の深い美形さんで、私より一歳下で在った。

 やっぱり、好い女は、歳を取っても好い女ですがな。小さな家庭菜園で、シュンギク、白カブを腰を屈めて並んで採ってると、白いのっぺりとした額、高い鼻、薄く小さな口、細い髪、胸元の白い膨らみなんかも、歳に応じた肉付きで、好い風に歳を重ねた物だと感心すると同時に、才女さんであるから、政治家稼業もソツ無くこなして居るのだろうと感じられる次第である。

「あなたも、色々有ったみたいね。鋭さが影を潜めて、とても包容力のある感じで、好い感じで年輪を重ねて来たって感じ。」

「ああ、そうかい。<孫にも年輪>とは、昔の人は、巧い事を言ったもんさ。アハハ。」

 彼女の顔を見ながら、為るほどねぇと思う。人間には、其々、好みの顔、タイプと云う物が在る。振り返って見ると、男女の仲は一本の敷かれたレールの様な物で、諸般の事情でその時々に於いて、好みの女性が現れる各駅停車が人生模様なのかも知れない。彼女の面影が、何人かの女性達にオーバーラップして見えるから不思議なものである。

   そんな夢から覚めてのニヤニヤ苦笑をして、さて、起きるべしであった。

 雨が浸透した大地に、緑が勢いづいている。へへ、嬉しい事に、ミツバの幼生を幾つか見付けた。本日は、フサフサしたシュンギクを初収穫して、お浸しにして朝食の一品とする。色付いたイチゴも、ラッキー7の収穫であった。

 折角、好い夢を観たのだから、ホップ、ステップ、ジャンプと朝飯前に一振りと助平心を伸ばして、長靴を履いて露原で暫しテンカラを振った次第では在ったが、空振りで在った。

 あそこに大物が居るのであるが、スーと二回ほど毛バリに浮上して来るのだが・・・糞っ垂れが。後が不発で在る。しゃ~無い。老母様に飯を食わせるのが、吾が仕事である。手がアブラハヤの生臭さに染まっては、朝飯が不味く為る。釣れる時は、馬鹿でも釣れる。釣れない時は、粘っても釣れずである。時間とチャンスは、漬け物にする程ある。へへへ。


心何処ーショート 本日、下衆の藪睨み為り。
           本日、下衆のヤブ睨み為り。(5/19/13)
 維新さんは、騒ぎに為ってるみたいですね。戦後タブー視され続けて来た分野・領域に、『日常言語』で切り込んだ西村慎吾先生、橋下共同代表の突進力に、ネタ探しの報道界、足の引っ張り合いの政界と過敏<過劇>に走り捲っている沙汰は、或る意味、真に滑稽に見える。極当たり前の事を、抽象的且つ品格を落として言えば、両先生方の本音持論、口調に為るだけの話である。少しは本質、気概に日本国民として、溜飲を下げても良かろうと思うのだが・・・

 言っちゃ為ら無ぇ本音なんかは、山ほどある人間界である。フーテンの寅さんの<それを言っちゃ、お終ぇよ。>を引き合いに出すまでも無い。本音の寸止めが、人間渡世の世渡りルールである。それで、如何にか回って行く協調世界が日本社会でもある。

 それが、世界の言った者勝ちの強調世界で跋扈する『沈黙=黙認』で在っては、幾ら上品で敗戦国日本だって、行き過ぎた歴史捏造・<歴史に於ける冤罪>は、断固糺して行くのが本筋である。品格からしたら、勇み足かも知れぬが、政治生命まで手を伸ばす程の致命症にまで、糾弾する偏狭さは如何と思う次第である。

 両先生共に、強個性にして弁の立つ弁護士さんである。ペンは剣より強しの<羽織ゴロ>の頃の新聞記者には、『強きを挫き弱きを助ける侠気が在った』次第で、そんな文屋さん達には、庶民は拍手を送って居たのだが、時代はスッカリ様変わりをして仕舞った。
 昨今のテレビ映りばかりに神経を使うテレビキャスターの体たらくで在っては、弁護士1:マスコミ3で在っても、ケツを捲って本音持論を展開されて終っては、所詮タブー視の分野・領域を品格らしきお体裁言葉で、意見・見解の相違を質問形式で交わしたとしても、そんな物は真実・実態の前に、説得力の乏しい滑稽な姿でしかあるまい。

 そんな報道姿勢の中に、沖縄で風俗業に従事して居ると言う若い女性の意見が在った。当然、顔も音声にも網が掛っていたから、それが尚更の事、面白かった。

★おいおい、おネェさんや、そんな事を言うのなら、如何してお前さんは風俗で飯を食っているんじゃい。即刻、女の人権を無視した様な商売に身を置くのは、それこそ、論理破綻の態でありまするぞえ。論理破綻の割には、淀み無く論理を展開して居るのは、手前、サクラじゃろうが。

★一般論としては筋の通った意見を言って居る処を見ると、若しかしたら映像だけを移して、役者がアテレコしてるんじゃ無いの・・・ へへ、そんな穿(うが)った下衆の感繰りを働かせて見ると、おネェさんインタビューのお時間が長かったのが、これまた面白い次第で在った。

 陽気に恵まれて、ミズ菜、シュンギクが大繁茂の沙汰である。セッセと浅漬けをして消費しなければ為らない。やれやれ、無職では在るが、何だかんだと、遣る事だけは在るものである。

 入浴後は、洗濯、掃除をしながら、動き序でであるからミズ菜を抜いて来て、塩漬けとする。

 テレビではたかじんの<そこまで言って委員会>で、憲法改正発議の2/3、1/2の論議を遣って居る。ああだ、こうだ。と言う論議の中で、私の様なスカンポ脳人間には、何かと折衷案のまぁまぁ主義の日本人の特性からして、如何して、その真ん中を取っての60%=3/5が出て来ないのは、真に不思議な想いがする。

 2/3≒70%、1/2=50%であるからして、その真ん中と云えば60%論が浮上して来ると思うのだが、増してや歴女とやらの歴史ブームがあったとの事である。当然に歴史好きならば、戦国の雄・武田信玄さんに言わしめれば、『六分勝ち』が戦争の勝ち方としては一番良いとの実践・訓えが在ったと云うでは無いか。

 微党乱立で、『橋下発言、看過出来ず!!』で、一列に並んだ女性議員先生団を見れば、国会中継への下衆ウォッチングを趣味とする戯け眼からすると、何と『刷り込み主義者、噛み付き主義者』の多い事だろうか。

 アッシャ、女大好き人間なんですがね。いやはや、女史先生達の迫力の前に、孫悟空の如意棒も萎えるばかりでヤンすわね。

<個を見て全体を見ず、木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。>言いたくは無いが、宇宙の真理を見分けるお釈迦様からしたら、マスコミ、政治家諸候は、蝸牛角上の争い、お釈迦様の掌に金遁雲大飛行をしてガッツポーズをしている孫悟空の図って事に為りはしないですかね。イッヒッヒ~。

 さてさて、早い処、恵みの雨が降って呉れ無いものかと、懇願する次第である。


心何処ーショート 嗚呼、疲れまするなぁ~、とほほ。
          嗚呼、疲れまするなぁ~、とほほ。(5/18/13)
 朝の日課に出ると、斜向かい吟さんが独り暮らしの西向かいオバさんの家庭菜園に、野菜苗を植えて居られる。然すれば、私もチョイと遣って見ると致そうか。ダイコン横のホウレンソウを全部収穫、土起こしをしてトマト横に芽を出した蔓無しインゲンの移植をする。出ない出無い・・・で、ヤキモキして居たのだが、結果的には好い運びと為った。

 来週中には白カブの収穫が終えるから、其処をトマトの枝芽の挿し芽にして、トマトスペースにする心算で在る。トマトにも蕾が出来て、これからはグングンと成長をして行く。従って成長阻害の枝芽は切って、新天地に移植して利用するのが<収穫連鎖>と云う物であろう。
 
 少量多品種は、日本の製造業の十八番との事でも在るからして、私も充分日本人の一員として、胸を張っても良いのかも知れぬ。ギャハハ~。

 朝食後は歌CDを聴きながら、マイタイムをする。それでも、一度身体エンジンが掛って仕舞うと、手持ち無沙汰に成って仕舞うから、困った単細胞体質である。仕方が無いから何時かはしなくては為らない東側の<私道の草毟り作業>を開始する。無風のお天気さんであるから、すっかり汗労働をして仕舞った。

 とあるブログさんの記事を読んで、痛く感心して『雑草とて生命在る存在』である以上、人間尺度で殺生与奪の蛮行は宜しく無い。而も無用無益で打ち捨てられては、仏法に背く。<雑草、死して、果樹・野菜の緑肥、暑い炎天下の傘に為れ。これ、仏法の説く輪廻の衆生の姿。>の御教授を承って、トマト、インゲンマメの地面に敷いた次第である。

        ※『竹林乃方丈庵』の主様、有難うゴザンした。

 まぁ疲れる事は疲れるが、遣れば当分、物臭が出来る。これだけスッキリさせて置けば、孫の手を引いて、奥の家の奥さんも気分良く通れるという物である。好い運動に為ったから、暑い午後は昼寝でもしてのんびりすれば好かろう。

 昼寝から目が覚めれば、どんよりとした灰色雲である。そろそろ、雨のお湿りが欲しい処では在るが、こればかりはお天道さんの決める事である。

 涼しく為ったら、日課のジョロ散水の使役をするしかあるまい。カワラヒワは孵化した様である。キジバトは巣を作って居ない。痛々しいばかりの老衰の雌金華鳥は、とうとうあの世に旅立った。代わりに娘を入れて近親婚とする。

 さてさて、ジョロ散水前に、蒸発活発為る水槽水の補充水を汲んで来て、満たして遣ると致そうか・・・。嗚呼、疲れまするなぁ~!! とほほ。

「おい、これ要らんか?」

  四畳半網戸から、斜向かい吟さんが顔を覗かせて、蛇を見せている。

「おお、びっくりしたなぁ~。そんな物ぁ、要ら無ぇ!! 早く始末して来ましょ。」

「庭の手入れしてたら、コイツがニョロニョロと動いててさ。ほれほれ、可愛い物じゃないかい。ひひひ。」

 と来たもんだ。今年はアオダイショウは見て居なかったから、シメシメと思っていたのだが、紛れも無くアオダイショウの幼生である。去年は庭に二匹、開けて置いた玄関から入って、玄関鳥の鳥籠を伝って居た幼生であった。

 12~16個程、産卵すると言うアオダイショウの孵化期が、もうそろそろ、と思っていたのだが・・・とうとう、姿を現し始めたのである。いやはや、嫌な季節の到来と為って仕舞ったか。縁起が悪過ぎる。今日の夕刻釣りは、止めて置こう。

 吟さんは、私の蛇嫌いを鼻でせせら笑って居るから、真に以って性質の悪い性格である。まぁ、アオダイショウの子供も、吟さんに発見されて<生命拾い>をしたと云う物である。私は、高校生の時、十姉妹を大きなアオダイショウに呑まれて終った『怒り心頭の記憶』が在るから、蛇と遭遇するとその場で情け容赦なく叩き殺して居る次第である。

  左様であるか、宿敵蛇に注意をして、水汲み、ジョロ散水を遣ろうではないか。


心何処ーショート スタバ帰りのトーク為り。 
             スタバ帰りトーク為り。(5/17/13)
 ジョロ散水をして居ると、中年フィリピーナが覇気の無い顔付で散歩なのか放心徘徊の様な姿で歩いて来る。

 先日はホームセンターで、体の線を誇示するかの様な格好での買い物姿が在った。若いおネェチャンでも、幾ら何でもそれでは<露出度過剰>である。Tバック喰い込みパンティを拝見しようかと思ったのではあるが、それでは余りにも下品であるから、理性制御をした次第である。
 それがである。レジを終えて外に出様とすると、見覚えのある網ストッキングでは無いか。そうじゃ在るまい!! バックシャンの顔を見て、ビックリ仰天の中年フィリピーナであった。好い歳かっぱらって、太ぇオバサンだ。好色根性で、コーナーストーカーをしないで、大正解の沙汰で在った。フィリピーナの自己顕示欲の凄まじさに、スタコラサッサの素通りで在った。

 まぁ、そんな伏線が在ったので、目を合わせぬ様にジョロ散水に目を落して居た次第である。

「あの、ちょっとすいません。ネコ見なかったですか。ネコ、どこかに行っちゃった。」
「そう、見なかったよ。猫だったら、その内に戻って来るよ。」

 それにしても、外国人が多く為った物である。それに加え、何とフィリピーナの<花の命は短りし>の御同情を禁じ得ない次第でもある。

 本日金曜スタバトークの日である。朝食後は、妖怪様を相手に政治漫談をして、ご機嫌伺いをする。妖怪様も体調が好いと、突っ込みが良いから面白いものである。

 平日では在ったが、其れなりの客が入って居た。本日は昔懐かしい映画の話をした。

 ホームセンターで、トマトの枝芽の挿し芽の質問を受けて、実物を前に説明をする。帰りに、家庭菜園の場所明けに野菜を持って行って貰う事にする。

「本の少しで好いからな。」

「種以外は、オール・ハンドメイドの100%無農薬、有機栽培だぜや。野菜を喰ってさ、俺見たいにピュアな生き方をし無きゃ、若い頃に慰め物にした<女族の怨霊が祟る>ぜや。胃を取った位じゃ、無罪放免にぁ為らんずらい。あい~。」

「あら、ソォオ、何処のどいつだろうね。思い当たる節は無いなぁ~。Rは何処も悪く無いんだから、幸せだぜや。この前の山椒味噌は、美味かった。」

「ナニョこいて、思い当たる節は無ぇだと、とぼくれてるだか、健忘症だか知らんけどさ。俺なんざぁ、只の『妄想』だけで罰が当たって、しがねぇ落ち目の三度笠のスキンヘッドだぜや。」

「あっそう云う事か。アイ・シー!! Rの場合<祟りの毒素>は、毛髪と共に抜け落ちたか。そりぁ、悪運が強いってもんだぜや。あい~。」

「馬鹿扱いちゃ行けねぇやさ。それを言うなら<髪と共に去りぬ>って云うだわね。」

 山椒味噌に高得点が入ったから、もう少し持って行くかと言うと、自分の所にも山椒の木が在ると言う。役に立たない木で在るから、バッサリ切って仕舞ったが、また生えて来たから、それで山椒味噌を作って見るとの事であった。作り方はとの問いであるから、斯く斯く云々と言い添える。

「山椒の木にはアゲハ蝶が卵を産んで、幼虫が葉を食べて蝶に成るんだぜや。如何してアゲハ蝶の<生存権>を奪うんじゃい。そんな惨い事をしちゃ行かんわね。地球生命の共同体と云う自覚が無かんべよ。中国、朝鮮半島人見たいな事を日本人がしちゃ行かんぜや。幾ら女にマメで優しいからって、小さき物の生存権を奪うなんてぇのは、男の遣る事じゃ無ぇわさ。あい~。」

「やいやい、丸で俺ぁ、人非人の扱いかいね? はいはい、そう云えばアゲハ蝶が飛んでたわ。あいあい、次からは人間の山椒味噌とアゲハの山椒っ葉で共存共栄するわいね。ヒヒヒ。」

 白カブ、ホウレンソウ、チンゲン菜を適当に抜いて、外水道で土落としをして車に持って行くと。

「ホウレンソウは、これぽちじゃ使い物に為らぜや。もっと抜いて来いや。」
「あいあい、了解~。」

 序でに、色付き前の苺を2粒持って行くと。

「何だ、未だ青いじゃないか。腹~下しちゃうぜや。俺は縄文人じゃ無くて、街場の現代人だぜや。内臓はナイーブで上品に出来てるだぜや。」

「文句を言うな、一日置けば、ハイエナギャングのヒヨドリの腹ん中に入っちまうがな。つべこべ言わずに、男は喰うんじゃい。ほれ、好物・・・初物のオボコ娘の味ですがな。」

「おっ、酸っぺぇ。家の苺が生り出してさ。ジャンボ苺だから、こんなにデカイんさ。」

 孫持ちのTは、トマト苗を買い忘れて仕舞ったから、帰りに一本買って行くとの事である。Tのヤツはスッカリ情操教育掛りに、目覚めて仕舞った様である。

 そう云えば、昭和天皇の教育掛りが乃木大将だったとの事でも在る。すっかり核家族化して仕舞った御代では在るが、意外や意外で教育とは、祖父と孫位の一世代を隔てた関係に酸いも辛いも知り分けた<達観視教育の効能>が存分に発揮される領域なのかも知れぬ。間柄ジェネレーションが近過ぎると、何かと現役世代は感情に任せて、親子共々ムキに成って仕舞う帰来が在るのであるからして・・・

 へへへ、凡人が感情を超越した存在で教育をする事は、現実問題として中々にして難しい物が在る。テレビシリーズでは、松平健の八代将軍吉宗公にも船越英二と云う人情味溢れて筋目を通す爺が、加山一郎の若大将シリーズには、飯田蝶子の婆ちゃんが居たものである。


心何処ーショート アヤメ観賞
                 アヤメ観賞(5/16/13)
 風呂の残りを全部使い切ろうとして欲を掻いて、ジョロ散水をして仕舞ったら偉い時間が掛って仕舞った。ホウレンソウとチンゲン菜を抜いて、お浸しにする。自家栽培をして朝夕のジョロ散水を施して居るからだろうか・・・市販物よりも柔らかくて瑞々しい限りの食感と香りで在る。白カブの葉漬け、山椒味噌など、吾が家の食卓は仙人食見たいな物である。

 トマトの枝芽の有効利用で、それを挿し芽にすると殆どが成功して収穫に在り付ける。去年、斜向かい吟さんに教えて貰い<目から鱗のウッシッシ状態>であった。そんな事で、今年のトマト苗はミニトマト2、モモタロー1のケチケチ作戦で在る。
 日当たりの良い一等地には、現在白カブとホウレンソウが成長して居る。その収穫をした後の一等地に、トマトの挿し芽と漸く芽出しをしたインゲンを移植しようと目論んで居る次第である。そんな事で、トマト、インゲンマメの成長を見ながらの畝空けの準備でもある。

 夏に為れば、恒例のキリギリス取りが待ち構えている。目下の処、成功率0ではあるが、『キリギリスの移住計画』を目論んで居る次第でもある。そんな魂胆から庭に其れなりの自然環境を残して置けば、お天道さんから至誠通天為らぬ<姿勢通天の御利益>が下るかも知れぬでは無いか・・・ ギャハハ!!

 時忘れの降雪で<梅は不作>としょげて居たが、梅の小実は鈴生りを見せている。それに引き換え、柿の新芽はほぼ全滅状態で如何為る事やら・・・の惨状を呈している。今年は、適当に苺の株分けをして置いたから、結構な野苺ジャムが出来る事だろう。

 アヤメの株分けは大いに成功して、スッキリとした可憐な姿で、藍色の小花を太陽光線に活き活きと輝かして咲かせて居る。アヤメの群落は、ツツジ、オダマキ、カキツバタとは違った<凛とした野性の筋>を通して居る様に見える。鋭利な小葉の屹立を従えて、スクッとした花茎を一本伸ばして、一輪の藍色の目の覚める様な小花を咲かせる。

 緑と藍のコントラストは、正に凛として粋で在る。そんな凛として粋を具現した花姿で<私も、汚れる事無く、曲がらず、一生を終えたい物だ>と思う。アヤメに学ぶでは無いが、そんな返礼の為に、朝夕のジョロ散水をしている次第でもある。

 この処、何んとか初物を釣ろうと、夕刻の一時を意地でテンカラを振るって居るのだが・・・ヤマメのジャンプは在る物の、引っ掛かって来るのは馬鹿でも釣れるアブラハヤばかりである。それでも、この頃はすっかり歳の所為で、気合いを入れての早朝釣りの行動も出来無い。

            ニャロ~メ!!・・・とほほ為りである。


心何処ーショート お洗濯ですがな。
              お洗濯ですがな。(5/15/13)
 本日も暑くなりそうである。朝のお努め時には、カワラヒワが場所を開けろと催促し、庭に回って山ツツジに水を遣って居れば、私の頭を掠めて、キジバトが威嚇飛行をする。

<何をするんじゃい、この馬鹿垂れが!! 俺はスキンヘッドの毛無しじゃい。家賃も払わない棚子の癖し遣がって、太え野郎だ!!>・・・キジバトさんも本能行動であるから、私としても本能反応で、この位の事を言って遣らないと、収支ゼロには為らないのである。

 木の中を透かし見れば、中にもう一羽が居る。キジバトの番いは、土手の欅の木の梢から枯れ枝を咥えて来て、それで巣作りを始めて居る。実に効率の好い営巣作業である。

 本日のラジオは、参院国会中継で在る。米・中・露・北鮮・韓と其々が国益本能で、やれ、歴史認識、靖国問題、北方領土、尖閣、竹島、南京大虐殺、従軍慰安婦性奴隷、TPP・・・etcの遣りたい放題を億面も無く仕掛けて来るのであるから、過日の<諏訪湖の悪玉バクテリアと善玉バクテリア>の10超年に及ぶ天下分け目の大決戦と同じである。

 従って、忍の一字だけでは健さんの唐獅子牡丹の兇状沙汰に為って終う。そう為れば、不幸にして決闘に破れてしまえば、勝てば官軍、負ければ賊軍の東京裁判の刑期満了無き捕囚国と為って終う。日本人の意識の中には『滅びの美学』なんて物もあるが、武人の魂美学が、早々は醸成されないのが人間の本態で在る。
 滅びの美学が醸成されて来るには、同民族が栄枯衰勢の長い長い二千数百年の歴史を持たなければ出て来ない美学である。多かれ少なかれ、美学には普遍性と時の継承性が無ければ、存在し続けられない物である。

 日本に在って、心の普遍性と時の継承性は、紛れも無く天皇を戴く国家であり続けたという現実で在ろう。それも天皇の権威と政治権力の分離と云う形で、刻み込んで来た日本の歴史である。日本の天皇の権威は、ピラミッドの頂点に立つ権威と違って、同心円たる日本民族の中心に二千数百年を不動の位置として来られた『求心力の存在』と言って良かろう。

 四千年の中華文明とやらであるが、その本態は、易姓革命とやらで勝てば、天に与えられし絶対無二の唯我独尊体制で、前王朝人は皆殺しのそれまでの歴史は、焚書坑儒にされて来た異民族征服王朝と漢人王朝の跋扈する大地が中国だったに過ぎない。こんな事は、一々歴史の先生から教わる事でも無かろう。
 中国年表を見て、大人のシンキングタイムをすれば、自ずと出て来る経験知と経験値から導き出される推量と、厳に中狂国、半島国の現在の姿でしかあるまい。推量と証左が提示されて居るのであるから、素直に証左に向合えば好いだけの事である。

 時々、私が馬鹿の一つ覚えの様に引き合いに出す、春望の<国破れて山河あり>ではあるが、此処に滅びの美学が在るのだろうか。少しは自分の感性で、国民性の違いを感知して貰いたい物である。

 民族・国家は高尚な滅びの美学以前に、本能的に安定・発展の継続的本能を持った生命体でも在る。

★高々政党支持率数パーセントの主義者共が、義務教育程度の教条歴史観を威け高に、何を偉ぶって居るんじゃい。人品・素養知識そっちのけで、小沢ガールが何をほざき遣がる。ってな物ではあるが、芸NO人番組よりも、面白いし為に成るから、還暦の手習いで、日本の選良・議員先生達の言を拝聴させて頂いて居る次第である。

 互譲『互敬』の終着点が互譲<互恵>の政治的、経済的手段から抜け出せない処に、人間のおぞましさが存在するであろうが、権力者とそれを取り巻く御用学者、政商達の個利個略振りは、到底庶民の遠吠えすら届かない『伏魔殿の盾と矛』なのであろう。伏魔殿の住人には、一切見えぬ庶民の目と云った処でしょうかね。

 へへへ、他国奨学金生とか、左巻きの諸先生方は、相も変わらず、<真っ当為る民族精神の揺り戻し期>に際しても、占領下時限憲法とやらを、金科玉条の宗教法典の様に、言圧を強めて居る次第である。今や自分達が時代、状況に合わせて脱皮を図って行かなければ為らないない<どし難い内憂外患>に立ち至って居るにも拘らず、井伏鱒二の山椒魚を仕出かして居る様は、余りにも低能児の沙汰では無かろうか。

 これを称して、世俗では<貸す耳持たぬ主義者>と云うのである。手前達にとっては、日本国が永遠の敗戦国なら真に都合が好かろうが、そうは問屋が卸さないのが『人道の道』なのに、真に以って、口は重宝な物である。

 天賦人権説なんて、仏のルソーさんも巧い事を言う物では在るが、天賦人権説前の本能が在るのであるからして、一々、人間、敗戦国だと云って、早々は奇麗事だけで事を済ます訳には参りませんがな。ギャハハ!!

 快晴にして風日であるから、洗濯するには持って来いである。思い切ってハンガーに掛けられた埃物の一挙洗濯に使用させて頂くとするか。何しろ、夏日であるのであるからして、じっとして居ても暑いだけである。

 徹底的に洗おうとしたが、黄ばみが落ちない。斯く為る上は、漂白剤で退治するしかあるまい。家庭菜園の肥料も欲しかったし、トイレ洗剤も無く為り掛けて居る。ストレートな漂白剤を物色するが、其処は素人であるから分からない。適当な物を買って、DVD、CDコーナーに回って、青江三奈の18曲入りのCDを買って来た次第である。

    いやはや、日中の外は、頭がクラクラする程の完全な夏である。

 さてさて、ハスキーボイスの三奈さん節を聴いて、暑い午後を遣り過ごしましょうかね。

 本日も、愚だ愚だオヤジの訳の分からない話にお付き合い下されて、恐縮至極で在りまする。どなた様も、眼精疲労には目薬ですぞえ。ギャハハ~!!

心何処ーショート さて、お天気さんは、どう進むか・・・
        さて、お天気さんは、どう進むか・・・(5/14/13)
 昨日は二畳小部屋を夏仕様に変えて、夜の一時を過ごして居た。夜更かし派人間であるから、散歩も夜散歩に移行させた。家庭菜園を始めて終うと、昼散歩の時間を取るのが目詰まりを引き起こして仕舞う。この処、暑い日が続いて居るから、昼散歩は駄目の口で在る。その点、夜散歩は身体に負担も掛らず、時間の自由も利くから、私の体質に合って居ると云う次第である。

 色彩の無い夜の風景を星空を見たりして、独り歩くのは墨絵の世界に居る様で気分も身体も楽である。街灯にコウモリが掠め跳んだり、車のヘッドライトに色が現れたり、川の水音が流れて居たりである。

 そんな中でちょこんちょこんと、お茶を飲んでお菓子を摘まむ様に、思い出とか日々の感想が過るが、それは感傷的では無い。墨絵の世界であるから、カラー映画の様に、視覚が先行する訳でも無く、白黒映画の様に風景に対する緩い感覚で、脳裏を過る諸々の過去、現在の想いなどが、単片として流れて行くだけで、歩くと云う体感が先行して居る世界で、退屈する事は無いのである。

 今朝は老母の部屋から音がして居る。ゴミ出し台所に行くと、コタツを片付けている様子である。先日の掃除に未だ遣れると思ったのだろう。<出来る事は遣る>を見て見ぬ振りをするのも、人間の尊厳に対する礼儀でもある。

 ゴミ出し後は、何時もの通りジョロ散水のお時間とする。漸くのインゲンマメの芽出しである。カキツバキ、アヤメが咲いて、野苺の白花が咲き乱れ、家の中には居るのが勿体無いの気分である。菜園の脇に腰を下ろして、煙草を吹かして自転車通学の高校生達の朝を眺める。

 コタツから、ちゃぶ台に為って広く為った。食事中、<ハトが来たよ。>の声に振り返ると、キジバトがミネゾの枝に止まって、此方を見て居る。

<カエデの葉が茂って来たから、巣を掛けたいんだろうよ。去年は作ら無かったけど、一昨年は4回も雛を孵したから、親を入れて2+2×4=10羽が楓の木を実家だと思ってるんだから、ハトの帰巣本能が断ち難いんでしょうが。そう云えば、去年は二畳小部屋に子ハトが入って居たもんなぁ~。
 婆さん、ほれほれ、見て見ろよ。格好付けちゃって、今度は、奥の方のミネゾの木に行ったぜ。ササッと入れば好いのに、一応、『陽動作戦の心算』なんだろうけどさ。馬鹿垂が、人間様の脳味噌が、ハトの脳味噌の何十倍在るか?を知らないから可愛い物さね。アハハ。>

 朝飯を食べた後は、ヤクルトママさんのコール日である。<どちらさん?>と言うと、『綺麗なおネェさんで~す。』と来たもんだ。欲求不満であるから、一発、遣らしてくれと懇願するも、『それは、駄目で~す。』とにこやかに逃げられて仕舞った。私としては、人類みな兄弟で<ケチ>と云うしか他無い次第である。

 老母様を手招きして<オンブをして遣るから、庭を見よう。>と言うと、『足元が覚束ないから、嫌だ。怖い。』と言う。

「何を生意気に。」と白髪頭をポカリとして遣る。介護5年であるが、母は女房に為り、妹に為り、今や孫の様なものである。人の一生が円を描いて無に進む・・・そんな感懐が強く働いて来る。そんな老母との日々である。
へへへ、可愛いものである。車椅子持って来るから、其処に居ろと言って、玄関から車椅子を持って来ると、妖怪様は杖に頼ってヨロヨロと庭にお出ましである。陽に当たらない老母の歳老いた顔、姿は、真夏並みの太陽の下、掠れて萎んだ白い表情で在る。

 コタツ地蔵の老母の目には、きっと浦島太郎の様な<緑の乱舞>に見えるのだろう。杖に頼りながら、覚束ない一歩を引き摺って、両手を杖に重ね置いて、弾む血圧の中で、ウンウンと頭を小さく頷かせている。

「何時の間にか、こんなに手入れをして、綺麗に為っている物だ。」

「手を掛ければ、物は言わないけど、ちゃんと応えて呉れるだろう。」

「小さなアヤメ、苺の花も綺麗だね。野菜も、こんなに青々と茂って居るんだ。」

「うんうん、無理させても、見せたく為る気持ちが良く分かる。」

 ボケの下枝、小枝を指差して、お下知を承る。
「こう云うのは、早い内に、切って置いた方が好いよ。」
「そうだな、忘れない内に、切って置くか。」
 見事に咲いたアイリス、カキツバキ、アヤメの花々で在る、序でに仏壇に飾って遣ると致そうか。

 何時でも支えられる様に、背後に居る私に辛うじて聞こえる様なか細い声で、丸で独り言の様にポツリ、ポツリ感想を言って行く老母の痛ましい程のスローモーな一歩、また一歩の引き摺りである。

 さてさて、<腐っても鯛は鯛、の大正女の生き様>を見させて頂いたのであるから、私も昨日に引き続いて、吾が寝間のコタツの撤去と致そうか・・・。

 いやはや、面倒な事、疲れる事は嫌では在るが、遣れば片付き、綺麗に為るものである。

 漸く倅も夏仕様に変えて、ベットで伸びている妖怪様とヤクルトと菓子パンでオヤツ兼昼とする。へへ、私は働き過ぎて、上半身は裸ん棒である。


心何処ーショート 31℃は暑いですわ。
              31℃は暑いですわ。(5/13/13)
「昨日、イチゴ見付けて、初物を食べさせて遣ろうと思ってたんだけど、幾ら探しても無いんさ。失敗こいたわさ。あはは。」
「鳥だね。良く見てて、知ってるからね。鳥も、生きて行かなくちゃ行けないからね。」

「ああ、そう云う事だ。伊達や酔狂に、ヒヨドリが毎日巡回してる訳じゃ無ぇからな。あいつらにしたら、人間なんか、手前の縄張りの付属品位にしか思っちゃ居ねぇからね。」
「私もそうだったよ。早起きして、鳥と競争したら。お前は自由過ぎるからね。」

★萎びた山姥が、ニヤニヤして居遣がる。マッチポンプの吾が演技力を知らずに・・・。

「この~、オチョクリ遣がって。太ぇ婆ぁだ。糞婆っさの苺一粒の為に、そんな事ぁ出来無ぇわさ。早朝滞は、俺にぁ熟睡滞だぜや。去年は、廊下に入ってバタバタしてた奴を、とっ捕まえて、羽根を毟って焼き鳥にする処を、頭を撫でて紳士的に放して遣ったのに、とんでも無ぇ忘八者さね。中狂国の大気汚染で、鳥も人間も逝かれちまったご時世だぜや。
 婆さん知ってるか。鶴の恩返しが、苺泥棒とは、PM2・5の仕業ですがな。」

「あはは、お前が、学が在るねぇ。家に置いとくのが勿体無い。塾開いたら。うん。」

★何を扱きぁがる。糞婆っさが・・・まぁ、脳味噌の血の巡りも叶ったのであるから、好とすべしである。

 本日は体調悪く、薄暗い閉め切った部屋で、ベットの中で息をして居るのか、して居ないのか定かで無かった婆様の言である。一家の主であるから本音感情を封印するも、ズボラも出来ず、ベットの老母を後目に、障子、廊下の戸を開け放して、サッサと掃き掃除をして淀んだ空気の総入れ替えをしての朝の賄い夫であった。いやはや、嫌に為りまするわね。・・・遣っちゃ居られない<没我・悟りの境地>である。

 朝食後は、斯様なる心身のウォーミングアップで、山姥状態の吾が老母へのリップサービスをして、この処日課と為って居る<目をこじ開けての目薬落とし>をして、マイタイムに四畳半定位置に座った次第である。

 本日も暑い日であるから、風通しの好い部屋の中の方が、断然に気分が好い。コーヒーにタバコをふかしながら、PC打ちを始めて居ると、西向かいのオバサンが手押し車を引いて、四畳半横の小庭の西洋シャクナゲ、ツツジの花を見て居る。

 そうかそうか、オバサンの処は子供が居なかった。然すれば一日遅れの母の日である。不肖・戯け男が倅役を務めて見ましょうかね。

 ウウン、ウウンと聞こえよがしに咳払いをして遣ると、西向かい独り暮らしの小母さんは、スローモーな仕草で四畳半定位置の私を見て、ニッコリである。

「綺麗に咲いたね。手入れをすると、応えて呉れるでしょ。可愛いものでしょ。」
「あいあい、そう云う事だいね。俺も遣る事が無いから、この頃じゃ、すっかり性転換して女ですがな。ギャハハ~。」

「畑も、青々して大きく為って来たじゃないの。成長を見てるだけで、気が和むからね。お婆ぁちゃんは元気?」

「歳が歳だから、元気と云えば元気で、でも日々進む老衰道だぜね。歩ければ、好い眺めなんだろうけど、如何せん三畳、四畳の世界だからね。本人としちゃ、老境は寂しい限りだとは思うけどね。これも、自然の掟だから、逆らう訳にも行かんわね。
 歩ける内が花だって言うから、動ける内は、ベットの想いで友として歩いときましょや。ご近所さんも、皆、寄る歳波だぜね。明日は我が身の辛さですがな。イッヒッヒ。」

「そうそう、皆が通って、自分も通って行く路だからね。私も、歩きたいんだけど、足のお皿がもう駄目で、痛い痛いだけの身体だもの。家に閉じ籠りだけだと、気分が暗く為るだけだからね。人生なんて、あって言う間だものねぇ。」

「そうだねぇ、若い頃は、年寄りが当たり前の事を、愚だ愚だと何を扱きぁがると苦手会話だったんだけどね。手前がその段階に近付いて来ると、全く仰せの通りと頷くしか無いわね。アハハ。
 今日は31℃まで行くってよ。歳考えて、熱暑病で引っくり返らねぇ様にしときましょ。あい~。」

「そうそう、そうだね。もう言う事の効かない半端な身体だからね。ああ、すっかり邪魔しちゃったね。御免ね。お婆ちゃんに宜しくね。じぁね。」

 さてさて、アスファルトの照り返し熱が、部屋に入って来る時刻に為って仕舞った。31℃超えと言うが、四畳半のパラソル雑木のコブシの葉は、未だ全然、その用を見せもせずである。乱高下を繰り返す砂漠気性の沙汰は、幕閉じにして貰いたい物である。とほほ。


心何処ーショート 終日の雨は去って、快晴の輝き為り。 
               縄文に倣って、ジョロ散水。
                  縄文に想い馳せて、ジョロ散水。_001

             終日の雨去って、快晴の輝き為り。(5/12/13)
 昨夜は縄文夢奇譚のイメージを重ねて、日課の家庭菜園ジョロ散水の図を描き遊んで夜を過ごして居た。<絵遊び>と云う言葉が在るのであるから、白紙の中に一本の線が引かれ、それが次の線を引く。引かれた線に次の線が足されて、形を作る線が継ぎ足されて行く。

 当然に、頭の中に確りしたイメージが在る訳では無い。一つの形が、イメージ、バランスの中で、幾つかの形を作り出して行く。この過程が、絵遊びの面白さなのかも知れぬ。一応の形が出来て線を万年筆で準り、ゴチャゴチャした鉛筆線を消しゴムで消して行くと、線画が完成する。色配置の躊躇(ためら)いを色鉛筆で薄く付けて見る。色が決まれば、色塗りを濃くして行く。線と色に依って、絵が顔を見せて、見る人に何かのイメージを提供する。

 絵遊びは、その過程で先ず自分と遊び、見て貰って他と遊ぶ。是、自他二重の遊び絵の面白さと云った処で在ろうか。終日の雨日の深夜に、<縄文に想いを馳せて、ジョロ散水>の戯け画の完成と云った次第である。

 今朝は、年に何度かの『好い夢』を見た。ブログの師と仰ぐひまじん兄貴が、一緒に映画を観に行こうと来宅したのである。了解とばかりに老母に断りに行くと、何と何と・・・若い母は、お茶を入れて、私が支度をしている時間をニコニコと接待をして居て呉れるのであるから、驚き桃の木状態であった。

 その内に見掛けない幼女が登場して、ひまじん兄貴の前に座って居る。何処の女の子だろうかと見て居ると、その女の子は相当な人見知りの強い子の様である。人生の達人・ひまじん兄貴と極度の人見知り幼女。これは面白い2ショットであるから、果して、兄貴は<如何に幼女に対するのだろうか?> 其の儘、見て居ると・・・・

 ひまじん兄貴の手招きで、その子は兄貴の胡坐の中にチョコンと座って、コックリコックリの頷きから、何やら話をしている。私を見ると、兄貴に耳打ちされたその子は、胡坐の中からスクッと立ち上がった。そして、母の置いて行った急須に湯を注いで、私の湯呑に、たどたどしく並々と茶を注いで呉れたのである。

 私は<お嬢ちゃん、ありがとう。>と言って、湯呑一杯の茶を溢さない様に八分目程に飲んで、湯呑を置いて、大した物だ。・・・・と兄貴を見る。

 兄貴は只、自然体の穏やかな笑みを浮かべて居るだけで在った。その穏やかな目は、『この子は、只の人見知りだけじゃないよ。好い物を持っている女の子だよ、人一倍の好奇心の強さが、マイナスに作用しちゃってるだけで、ねぇ~。本当は、優しい子でしょう。』・・・そう、私に語り掛けて居る様な笑みで在った。

 一目見て、女の子の心の中に入って行って、女の子の持っている好い物を引き出させる力とは、如何なる<周波>なのだろうか・・・と嬉しい感想に浸って居た。其処で、夢は終わって仕舞ったのではあるが・・・

 本日、日曜日であるから、ラジオを胸ポケットに日課の家庭菜園観察である。終日雨にじっくりと平等に潤った大地である。雨に洗われた緑の初々しさは、快晴の空に眩しい限りである。チンゲン菜を間引きして、ハムと油炒めをして朝の一品を確保すべしと始める。

 ラジオでは政党討論会が始まっている。微党乱立が祟って、6党だか8党だか知らんが、公職選挙法見たいに一人一票宜しく、一党一人の平等意見応酬劇であるから、事情を知らない外国人から見たら、安倍総理の歴史観は、圧倒的少数意見と聞こえて終う事だろう。

 それに司会・行司役のNHKも野党的であるから、国民多数意見の自民党が、1/7、1/9の丸で『四面楚歌の形』で在る。いやはや、全く奇妙としか言わざるを得ない<錯覚誘導の政治ショー番組>で在る。

 自由・平等・博愛の精神も大事な<現代価値>の基本では在ろうが、平等自由の私権の衝突ばかりだと、家族・組織・地域・国家のスケールメリットが発揮出来ないでは無いか。公と私の区別を持って、国益の御旗を立てて、グローバル世界に伍する為には<国論の喚起、涵養>が必要だと思うのだが。国家・国論の求心力を求めずして遠心力ばかりに、『党利党略個利個略』の旧態依然たる政党討論などして居る場合か、内外を取り巻く経済・政治状況は、遠心力を脱して求心力に向かわねば為らない危機を孕んで、飽くなき綱引きが目まぐるしく展開されているのではないか!!・・・とラジオを切りたく為る心境である。

 拠って立つ政党支持率を考えて、国政レベルの論を展開して呉れれば、拝聴するに値するのだが。然しながら、彼等は充分に自分達が拠って立つ政党支持率を自覚し過ぎる程自覚して居るのである。従って、国政に無責任と言える程の『唯我独尊の政党色』を我鳴っているだけの<微党乱立の道を行く事無かれ主義者>でしかあるまい。万年少数野党で在ればこそ、『言うだけ番長』は光彩を放つ。然しながら、<噛み付くは易し。国を護るは難し。>の実力無き政権党の国家運営の悪弊は、三年三カ月の民主党政権を見れば、どんな馬鹿でも学習して仕舞ったのである。

 身の丈に合った野党に復帰して、気が楽に為ったのだろうか?・・・好くも抜けシャーシャーとほざくものである。いやはや、この程度の国会議員意識、レベルなのであるから、当選して仕舞えば、国会議員の先生職業は気楽な物だと嘯いて居るのであろう。

 どの道、後二か月もすれば、参院選挙で大勢が決まる。NHK政党討論の四面楚歌ショーと民意のギャップの程が、白日の下に晒されるのである。然かも、出口調査とやらで投票締め切りから、一時間もしない内に当確速報が蔓延するのであるから。

 吾が身は落語長屋の熊さん、八っつあん程度であるから、民意から<遊離>した思想議員さんも議員さんであるから、その言動も自由と思うが、選挙に落ちれば民意から『隔離』されるのであるから、それを指折り数えて待つだけである。ギャハハ!!

心何処ーショート 庭展望
                   庭展望(5/11/13)
 降りそうで降らず・・・蒸し蒸しする朝である。手元の煙草に火を点けて、布団の中でラジオを聞きながらの一服をして居ると、珍しく老母の早い動きである。晩飯は半分しか食べられずに、腹が空いたのだろう。

 へへ、残り飯でも食べて居るのだろう。目が覚めて仕舞えば、布団の中にも居れず・・・しゃ~無い。起きて水遣りでもして来るか・・・はいはい、日課で御座りまするがな。

 浴槽からポータブル吸いポンでジョロに受け取っての、間引きを終えた家庭菜園散水である。白カブの方は去年も成功して居るから、成長著しい葉の繁りは嬉しい物である。そっくり浅漬けにすると、葉も株も良い漬け物に為る。淡白を良しとする私の好物の一つである。いやはや・・・カブ類の成長の速さで、白い小さなカブの膨らみも土目から覗いている次第である。

<収穫したら、浅漬け用に進呈しようか>と言うと、Tはカブ部分をスライスして、味の素を振って醤油を垂らして食べるのが美味いと言って居た。然すれば、じっくり大きくして進呈すべしである。

 駄目元で蒔いた大根も、まぁまぁの葉の繁り具合である。所詮、土の厚みが無いから期待はして居ないのではあるが、川土を運んで畝を作り、ホームセンターで種を物色して種蒔きをして発芽を待ち、幼芽に散水を施し、日々の緑の成長を愉しむのは、ロートルの人畜無害の日課とする処でもある。 

 ホウレンソウも大きく伸びて来て居る。去年の成功に味を占めての蔓無しインゲンを蒔いたのではあるが、如何云う訳か・・・一本しか芽出しをして居ない。生姜も未だで在るし、ミツバもペケである。

 背後のトゲトゲの木の中には、カワラヒワの巣が在る。未だ雛達の声は聞こえては来ないが、親鳥の姿が散見出来るから順調に行って居るのであろう。人畜無害も此処まで来れば、本物なのであろう。ニャハハ!!

 柿の木の下の菜園スペースには、チンゲン菜、水菜、シュンギクが形に為って居る。タカノツメも発芽して、2~3cmに伸びて来て居る。

 今年の野苺の収穫は、好い線に行く事、間違い無しで在る。去年から始めた家庭菜園で、何度か肥料のお裾分けで撒いて居た『効果』が有って、面白い事に花位置が断然に高いのである。そんな事で、ジョロ散水も粗相が在っては悪いと思い、菜園に水撒きをする時には欠かさず<お裾分け>をしている次第なのである。

 何しろ、野性と化した苺は乾燥痩せ地でも、生命力の逞しさ、数の多さで小指程の真っ赤で酸っぱい実を無数に作り出す。収穫しないのも見苦しくも勿体無いので、時間潰しにジャムを作っている次第なのであるが、中々に深紅の色と酸味一杯のジャムの野性味が好評を頂戴して居る次第である。今年は進呈先を二つ増やして、サプライズの魂胆が在るから、家庭菜園への水遣り時にも、セッセと振り掛けて居る次第なのである。ギャハハ!!

 昨日、2~3個の開花に過ぎなかった四畳半横のピンクのツツジが、一斉に開花していた。買って来た安物西洋シャクナゲも、赤とピンクの花を地上間近で満開とさせて居る。

 マツバボタン回廊の中間点には、カキツバキに混じって、去年、今年と株分けをしたアヤメも咲き始めた。地味の薄い砂地で何十年も耐えて来たアヤメの生き残りであるから、草丈30cmにも満たない<矮小種>の様な物である。そんなカキツバキとアヤメの対象は、面白い。私は文句無しに、矮小種のアヤメが好きである。ヘヘヘ。

 種蒔きのカワラナデシコは多年草であるから、確りと根を張って砂地での雑草の逞しさを存分に発揮して、ぎっしりとした若芽の繁茂を示している。零れ落ちたマツバボタンの芽出しは、芥子粒の様な赤を地面に色為して居る次第である。いいね。頑張っておくれ。

     予報では本日・雨日との事であったから、この位で好かろう。

 朝食後のお茶を飲んで居ると、雨が落ちて来た。好いですな。これでしっとりと降って呉れれば、地面が満遍なく潤う。ジョロ散水など足元にも及ばぬ天の恵みが、一番の散水である。


心何処ーショート いやはや、笑い過ぎた。
              いやはや、笑い過ぎた。(5/10/13)
 四畳半脇のピンクのツツジが、二輪咲いた。その横の小紫のツツジも一両日中には咲くだろう。アシナガバチが低く、シャクナゲの蜜を吸いに来ている。本日、暑からず寒からず、曇天の無風日である。ラジオをBGMに、そば茶の香りを愉しんで喉を潤している。

 昨夜は如何な私でも、余りの複数爆音のオンパレードで、<不埒千万脛齧り小僧に、縄文棍棒を握って退治に行こうか>などの衝動に駆られて仕舞った物である。

 暴音バイクも、平日の昼間で在るから、学校に収容されて居るのであろう。全く静かな物である。
異分子さえ騒がなければ子育てを終えた平日の町内は、時が止まった様な静けさである。ハクセキレイの親子が飛んで来たり、ハイエナギャングのヒヨドリが、部屋の私を覗きに来たりで退屈はしない。金魚達も餌を貰って、狭い水槽の中をユルユルと泳いでいる。

 テレビ、ラジオでは川口順子大先生の問題で、ギャースカ、ピースカと蝸牛角上(かぎゅうかくじょう=カタツムリが俺の方、吾が輩の角の方がデカイぞ、争って居る様)の争い宜しく、党利党略、個利個略の見え透いた茶番劇をして、その茶番劇を殆ど解説する事も無く、政治寄せの様に垂れ流してインテリ面を決め込むだけのマスコミ界の様で在る。

 尖閣の中国漁船体当たり事件後、不発弾処理の発注をして、日本企業をまんまと誘き出す。中国人案内役を立てて業務写真を撮れば、軍事施設への写真撮影と云う『騙し打ち』で平然と逮捕を仕出かす。仁義無用の厚顔無恥の人非人の悪行の限りを尽くす。そんな悪行三昧の<人質交換>を迫った中狂国の常套手段の二番煎じだけの事である。

 こんな下衆劇は、相棒の杉下右京警部のお出ましを拝する事も無い。中狂国、中狂国奨学金生の民主党、反日マスゴミと示し合せての茶番劇でしかあるまい。政治家、マスコミが笛を吹いた処で、日本国民の多くは『真っ当な嗅覚』で嗅ぎ分けて居る次第なのである。

 まともな感覚と臭覚を持った人間には、屁理屈・ニュース解説以上にストレートに米・中・北鮮・野党・マスコミの魂胆など、百も承知の沙汰なのである。自分達の姑息な手法など・・・庶民の直感力の前には<蛙の小便>だと云う事が分かって居ないのであるから、楽しい物である。
 こんな事は、遣れば遣るだけ<己がお里とレベルが暴露される>だけなのであるから、逆効果でしかあるまい。遣れば遣るほどに、有権者との乖離が膨らんで、総選挙にズバ~ンと結果が現れるだけの事であろう。とどの詰まりが、憲法改正、自主憲法制定が、絶対に困る勢力の単なる毒饅頭配布でしかあるまい。

       携帯が鳴って、金曜スタバトークのお声掛かりで在る。

 お天道さんは雲隠れでは在るが、むっとする程の暑さである。へへ、Tはすっかり薄物姿である。

「ほれ、蕗味噌と山椒味噌だいね。昼の握り飯の足しにして呉れや。」
「其処の山椒の葉っぱだな。あいあい。今日は、降るかな?」
「降って貰わなきゃ、困るぜや。朝夕のジョロ散水は、結構な運動量だぜや。」

 二階席の壁際のソファ席が無いから、窓際のソファ席にコーヒーカップを置くと、壁際の木製椅子で良いと言う。

「そうか、ケツに肉が付いて来たかいな。そりぁ、オメデトウござんす。」
「58kgが64まで回復したしてさ。ちょっとこの頃は、腹がぷっくり出て来ちゃってさ。ダイエットしなきゃ行けねえさ。」

「そりぁ、良かったじゃないか。俺ぁ南海ハーレムで、シコシコ遣り捲って、腎虚にでも為らなきゃ好いと思ってたんだが、ハーレム肥料が良かったって事だ。帰りに、亀の子タワシでも買って行くかいね。」

「未だ病み上がりだぜ、ソフトにシコシコ、スポンジから始めるさね。今日はキュウリの苗を買ってくだいね。」

 本日は、爺っさ、婆っさの声音を使って、妖怪様の扱き下ろしをして大いに溜飲を下げ捲った次第である。親孝行倅だって、言う時は言うんじゃい。ザマァ見遣がれ~、ギャハってな物である。きっと、松本盆地の北と南で、クシャミの連発をして居るに相違在るまい。

 何しろ、声音使いには才秀でた処が在る役者・Tであるから、自分の爺っさをも飛び越して、吾が婆っさの言をも再現して呉れるのであるから、他人の目からは戯けロートルコンビにしか映らない事、必定である。

 いやはや、Tの野郎は、吾が親子の遣り取りを一部始終覗き見して居る程に、的を得た婆っさ言葉を口演して見せるのであるから、人間の才能とは凄い物である。

  パッパタイムの後は、ホームセンター→スーパー→ホームセンターである。

 キュウリ苗を2個買って<美味いキュウリが生るかね?>とレジオバちゃんをカラかって居る。不味いキュウリだと、どの面下げて言えるんじゃい。ッタク、とぼくれたオッサンですがな。

         家に戻って来ると、Tから電話である。

「○のワタハンに売ってるぞ。一匹31円、10匹で300円だってぞ。」
「サンキュー。」

 ヒメダカ、グッピィでも飼おうかと思ってはいるが、最寄りのホームセンターが別系列に為って仕舞ったので、二の足を踏んで居ると言ったら、Tが帰り道に見に行って呉れた次第なのであった。へへへ、相変わらず、面倒見の好い男である。

 昼はパン食で済まし、家庭菜園を眺めて居るとポツリポツリと落ちて来た。鳥籠を軒下から玄関定位置に戻し、戸、窓を閉めて待望の雨を待ち構えるも、降らず仕舞いで在る。


心何処ーショート これも、ロートルの一日為り。
            これも、ロートルの一日為り。(5/9/13)
 おっ、未だ早いか・・・後一時間は眠れる。本日は、早朝資源ごみの出し日である。何しろ夜更かし派であるから、早朝の一時は貴重な熟睡滞である。小一時間後に起きて、公民館まで歩いて行って来る。再び布団の中にも戻れずに、ジョロ散水を前倒しして眠気覚ましで在る。

 ゴミ出しを終えたご近所さんが、見事に成長して居る白カブの菜園を見て、朝のご挨拶話である。朝練の高校生達の自転車が行く。本日は、気温がグングン上昇して夏日を提供するとの事である。アヤメ、オダマキの紫の花が咲き始めた。野苺は半ば落下して、現在は日陰スペースに白花を移行して居る。庭の一番の色どりは、山ツツジの緑と朱の花々で在る。もうそろそろ一雨来て呉れ無いと、困る次第である。

 朝飯の用意をしながら、早い処、賄い夫を終えて不足睡眠をカバーしたい。飯が炊けて、ベットの老母には早や目の朝食では在るが、こんな時は、吾が身第一である。

     朝飯前の一仕事と満腹感に、そそくさと寝床にゴロリである。

 暑い暑いで、目が覚めて家中の戸、窓を開け放して行く。老母殿はガサゴソ音をして居たが、廊下に座ってズボンを幼児の様な仕草で履いて居る最中である。今は化繊物であるから、兎に角、洗濯をすると毛玉、埃屑が一杯着く。

「チョッと待ってろ。良いのが在るから。」

 粘着テープ方式のローラーで、擦り取りをして遣る。私が寝て居た間に、ベットの寝具を物干竿に掛けて掃除をしていたとの事である。へへ、大分血圧が上がって、大きな息切れをしている。

「ああ、良かった。出来た。2時間もかかった。」

 息切れ激しい様であるから、廊下で缶詰のミカンとお菓子で昼とする。花が咲いて居たら、仏壇に供えたいとの事であるから、お下知に従う。鋏を持って、アヤメ、オダマキ、山ツツジの花を切って、仏壇に供える。

「上手なものだね。ありがとう。」
「あいあい、俺ぁ、何て云ったってセンスが好いからね。爺ちゃん、婆ちゃん、オヤジに兄貴達も、これで文句はあるめいよ。ホンじゃ、線香にチィ~ンもオマケですがな。」

 いやはや、予報に違わずこりぁ、夏日でガンスわね。外に吊るした玄関鳥達も、流石に暑いらしく、嘴を開けている始末である。涼しい玄関定位置に戻して遣る。

   何か電話が鳴って居る。遺憾いかん・・・ブログ友・シゲちゃん様である。

 吾等は、日本の南と北に生まれた同期の桜である。番から男子高・硬派の時代の子・時代の存在であるから、言葉の遣り取りがスイスイと、談論風発の春風の如くゆったりモードで進む。愉しい雰囲気と云うよりは、お互いの息遣いさえ伝わって、好い時を頂戴した次第である。

 言葉なんぞは、言って見れば海面に浮かぶ氷山の一角の様な物で、氷山全容の7~80%は海面下である。海中の氷山が確り支えて居るから、海上の氷山が存在するのである。全ての表徴は、下で支える物量の存在が無ければ、存しないのである。

 文章なら、差し詰め行間を読むと云った処なのであろうが、ゆったりとした会話では、以心伝心の琴線の繋がり、共振の存在でもある。

 へへへ、世代の共通因子が取り持つ縁には違い無かろうが、矢張り、私には<人は時代の子・時代の存在>の観を強くする処である。

 こんな事を打ち進めて居ると、例の爆音バイクの走りで在る。学校が終わって、愛しいズベ娘のお迎えに馳せ参じているのであろう。降って湧いた夏日に爆音バイクの走りは気分爽快には違い無かろうが、未だ未だ散歩に行くには、苦役の沙汰である。
 
 さてさて、老母の寝具を取り込んで、ベットメーキングに行きましょうかね。

「あっ、馬鹿猫。コラッ!!」

 顔馴染みの徘徊猫が、玄関廊下で目をクルクルさせて<金華鳥を狙って居るの図>である。ご近所の飼い猫であるから、毛並み好く、腹も出っぷりとしている。私は猫には興味が無いから、雄か雌かも知らない。ソイツが私の一喝に、パッと跳び退いたものの・・・逃げずに横柄な態度で、2mほどの距離を置いて、六畳から此方を見て居る始末である。

「この馬鹿垂が!! 庭徘徊は自由。家に上がり込むのは、打ち首じゃい。コラッ!!」

 日頃、私を舐めて、完全に見下して居る馬鹿猫であるから、六畳から距離置きで未だ視線は鳥籠に向けている始末である。ッタク、可愛げの無い猫なのである。

「この野郎、痛い目に遭いたいか!!」

 こんな時は拳を振り上げて床を足でドスンと遣って遣らないと、退去しないのである。私の経験値からすると、出自は中狂国、半島国産なのであろう。
 へへ、そうして初めて、廊下から飛び降りて庭に行く始末であるから、<この~、生意気に馬鹿垂が!!>ってな物なのである。ギャハハ!!

 日本政府も、確りしないと尖閣諸島も竹島見たいに泥棒猫に占拠されて、取り返しのつかない事に為りまするぞえ。


心何処ーショート へへ、チョイと噛み付いて見ました。
        へへ、ちょっと噛み付いて見ました。(5/8/13)
 寒さは今日までで、今週は平年並みで、来週また冷え込むとの事であるから、5月も半ば過ぎって事なんでしょうかね。

 お天気情報も、流石に<衛星からの雲行読み>だけでは済まされずに、異例の『偏西風の蛇行』と来たもんだ。為るほど日々の雲流れ、雲行き放送だけでは、問い合わせに応え切れずで、偏西風の蛇行とお茶を濁しているのだろう。偏西風の蛇行=気象異変を、科学の時代であるから、こんな時こそNHKのお天気解説をとっくりと拝聴したい物であるが、そこは優等生組織であるから、<言質を取られては、フリーハンドが利かなく為る。???>と、お天気さんに倣って『物言わず』をしているのであろう。

  ニャロメ、国民の知る権利・向学心を何だと思って居るのか!!ってな物である。
まぁ、世の中は<噛み付くは易く、解説は困難>と云った処なのであろうから、ヘヘヘってな物である。

 股引を脱いで仕舞ったら、昨夜は寒く、布団の中でラジオ深夜便を付け放しで眠って仕舞った。眠りが浅く為ればラジオが耳に入り、眠りに落ちればラジオは聞こえない。

 未明の明るさの中に、金華鳥達の朝の目覚めの一時が始まり、意識にノックが加わる。ラジオは、一時間毎のニュースを流す。内憂外患の閉塞し切った日本に、敗戦後『澱の様に』日本人の精神を蝕んで来た東京裁判の戦勝国歴史観からの脱却に依って、是々非々の日本を取り戻すの真っ当為る<日本人に依る、日本人の為の、日本人の歴史観への構築>を提唱して、活発に動く安部&麻生の両姿が、米・中・韓には真に都合が悪いらしい。

 気弱で金持ちで品行方正な『タマ無し日本』に封殺するには、大東亜戦争の戦争犯罪国家で無ければ、彼等戦後利得権益国家体制は維持出来ないのであろう。その本音は、諸々の既得権益の美味味を継承出来ないまでの事である。インテリ、識者連中は、それを彼等の国益とノタマウのでは在るが・・・

 俗態に云えば、『病いは、気から。』と云うのであるから、事ある毎にヤイのヤイのと<元手の掛らない口撃>を仕出かして、加害者と被害者、勝者と敗者のペンキ塗りを声高に邁進するのが、中狂国、半島国の常套手段にして、憲法前文(まえぶん)に込められた米国の国是なのであろう。

<彼等の用いる歴史を直視せよ。=犯罪人は、未来永劫、審判を下した者に従うしか無いのだ。>・・・そう云って居るだけの偏狭観でしかあるまい。やれ、法治だとか、民主主義、世界平和だとか、自分の都合の好い国益を代弁させるには、根も葉もない手前勝手のプロタガンダを執拗に喚き散らかしたり、同盟国、世界の民主主義の推奨者にして擁護者然として、綺麗事の言い回しを取っ替え、引っ替え強調する。

 国益、組織益の為には、都合の悪い出過ぎた釘は叩く。その為には、国益と称して民主主義大国が非民主的大国と、裏で握手をする。いやはや、身為り、言は立派に見えても、トボクレた連中である。

 パク・クネ大統領だか、捻くれ白大根だか知らんが、好い加減なものである。実績味に薄いオバマさんも、すっかり頭髪が白く為り、人相が悪るく為った物である。習近平さんなどは、一切人間臭・生活臭も皆無の共産党試験管ビェィビィ見たいな薄気味悪さでしか無い。こんな連中の顔色ばかりを窺がって居たら、日本は東海のゾンビ国に転落しちゃいまするがな。

       国益と称するならば、どの国にも国益は存する物を・・・
 事無かれ主義のお品にばかり従順苦心して居れば、<腹黒き魑魅魍魎の泥沼>に嵌ってアップ、アップするだけの姿である。

 罪を憎んで人を憎まず、復讐刑よりは教育刑、法の下の平等、犯罪因子の社会因子・属人因子の区分けから、量刑を決め、起訴猶予・執行猶予・仮釈放・再犯加重執行、死刑制度の廃止、・・・etcの精神の優位性ばかりを強調しているのが、『語理』の世界である。

 大体が森羅万象の理(ことわり)から発した『自然界の理』を、人間のコントロール可能と錯覚して居る<人間の理性>に適用するは、その高邁なる<進化の箱>の蓋を開けて見れば、土台、<砂上の楼閣にして身勝手過ぎる門外不出のアクセサリーだけ>かも知れぬでは無かろうか???

 勝つも負けるも在るのが、自然界の営みである。スポーツにもトーナメント戦、リーグ戦も在る。敗者復活戦も在る。法にも国内法、国際幇、限時法、時効も厳として、法体系には網羅されているのである。

 いやはや、インテリ、識者、評論家、政治家諸候は、こんな事は先刻承知で国益、団体益、組織益、私益を匙加減して、その時々の論を張って居るに過ぎまい。

<世に同音異義語の多数在り>である。強調民族と協調民族の区分けを、歴史を俯瞰して見れば、民族・国家の底流に流れる共通因子が、自ずと解ろうと云う物である。同じ土俵に乗るのなら、そのルールが強調ならば、強調技を身に着けねば為らないし、ルールが協調ならば、相手も協調技を身に着けて呉れ無ければ事は進まないのである。

<一事が万事><二度ある事は三度ある><三度目の正直>なんて、言葉も在った様に記憶して居る次第では在るが・・・
敗戦68年も経過して、ワンパターンのヤイのヤイので在っては、如何し様もあるまい。

 そう云えばソ連映画に<デニス・ウザーラ>なんて物が在った。全く以って、ウザったい毒亜の口害で在る事か。嘗て日本の国力は、欧米白人国には<黄禍>と呼ばれ、現在では毒亜大国の中狂国は、<華禍>と呼ばれて居るそうな。そして半島人の文化は<怨の文化>とも呼ばれて居るそうな。

 戦後レジュームからの脱却を標榜して、果敢に戦後体制に挑んでいる安部・麻生の双頭運営では在るが、諏訪湖の浄化と同じで澱に淀んだ富栄養化した緑の水質には、ハードの下水処置施設が整っても一朝一夕に水質が改善する訳では無い。

 何故なら冨栄養化した澱の水質を最適環境として、悪玉バクテリアが繁茂し切って居るのであるからして。

 自然水、廃水処理された水の流入とても、悪玉バクテリアは環境変化に抗して、其れなりの防御をして<化身の術>を持って対処して行くそうな。云うならば悪玉バクテリアと善玉バクテリアの壮絶な戦いが、緑の不透明観の中で、休み無く繰り広げられているのである。それが悪玉バクテリアの化身の技が通じなくなると、途端に水質は改善されて行くとの由。善玉と悪玉の攻防は、10年前後の長き期間を要するとの由でもある。

 悪玉バクテリアも抗体を要して、善玉バクテリアを多勢に無勢とばかりに殲滅作戦に出る物の・・・入水を制されて、冨栄養化の澱が再生産出来無く為れば、悪玉バクテリアの攻撃に『免疫力』を発展させた善玉バクテリアの勢力が、ジワジワと諏訪湖を占めて行くの図式なのである。

 大勢が決まれば、オセロゲーム、ドミノ倒しで、諏訪湖が変わるのである。これを称して、<自然の理>と云うのであろう。

 へへへ、諏訪湖に自然水、処理水が導入されて、悪玉バクテリアが天下分け目の戦いぞとばかりに、彼等の本性を凶暴に曝け出して来て居るのが、安倍政権下の日本の現況かも知れませんぞえ。

 未だ未だ、多勢に無勢の大和決死隊の様である。三歩前進、二歩後退、ジグザク行進、ホフク前進で、先ずは免疫力を蓄えつつ、怯まず障害にぶつかって行くしかあるまい。

 個人としては戦後体制利得者側の言論誘導に洗脳される事無く、自分軸の免疫力を高めて、善玉バクテリアを涵養して行くのが、諏訪湖ひいては、太平洋、日本海、オホーツク海、東シナ海に浮かぶ日本列島の住人の民原と云う物では無かろうか。

  やいやい、お天気さんの具合か・・・偉くデカクほざいちゃいましたがな。

        こんな事を打って居ると、ガス屋さんの集金である。

 へへ、丁度好いタイミングで在る。早速、お約束の貸し出し用夢奇譚16、17部と挿絵ファイルを持って、玄関廊下にどっかりと胡坐を掻いて、月の一度のエロ色自由の男話開演である。


心何処ーショート へへへ、これを称して『ロット纏め』為り。
       へへへ、これを称して『ロット纏め』為り。(5/7/13)
 おお、今日も晴天なり。空気の総入れ替えで、戸を開ければ、<おお寒い。>である。9:30の訪問であるから、家庭菜園の水撒きで頭を起床させて、掃き掃除をして置くと致そうか。外に出ると、強風でゴミ袋が4つも風に吹き飛ばされて路上に散らかって居る。拾い集めて、重しの石を乗せて置く。

 いやはや、上空には寒気団の襲来とやらで、寒い限りである。水遣り後の一服どころでは無い。早々に家の中に、逃げ帰った次第である。

 ベットの老母様には悪いが、パパと掃き掃除をさせて貰い、老臭の追い出しをさせて貰う。食器を洗い、味噌汁を作ろうとしていると電話である。介護認定調査員さんは、公民館の駐車場に来ているとの事である。未だ大分時間は在るが、宜しかろう。

 体調も今一つなのであるから、調査員さんの前で大見栄を張って元気を演出して、その後はバッタリと<ベットの人>に為って仕舞うのが、何時ものパターンである。今年は気温の乱高下気象であるから、私が応対するから、ベットの中に居るべしと言って置く。

 チェックシートに基づいて、進んで行く。ベテランさんだから、聞き取りよりも観察の雰囲気に、好感が持たれる。前回の調査員さんは若過ぎて、些か速射砲の質問が祟って、気難しい老母殿の『拒否権・黙秘権行使』に晒されて、気不味い雰囲気に為って仕舞った物である。

 へへへ、人間は、学習の産物でも在るからして、経験知で経験値を知らない調査員では、長幼の序に於いて失礼に当たると云う物である。

 調査が終了したので、お茶と漬け物を出す。老母の代筆と印鑑が必要との事であるから、部屋から朱肉、老眼鏡を持って来る序でに、話の切っ掛けに戯け画ファイルを持って来る。

「ワァ、凄い。色遣いと絵の明瞭さ、迫力がありますね。私、現代アートが好きで、ワシリー・カンディンスキーとかダリが好きで、・・・ これって、Tシャツのプリント画に出来ますよ。一目見た時から、只者じゃ無いと思って居たんですが、お話を聞けば聞く程、存在感が違いますね。あの~、玄関に吊るして在った掛け軸も描いたんですか。」

「ありぁ、フィリピン土産で買って来たもんですわ。あれだけ描けりゃ、それで飯を食うわね。俺のは、素人のお絵描きだわね。婆さんと二人の生活だから、時間潰しにブログ打ったり、妄想話を打って、挿し絵を入れたりして遊んでるんですわ。そこら辺は、挿し絵なんだけどさ。ほら、冊子に為ったのが在るでしょうが。」

「文章も凄いですね。勿体無い。本を出したり、個展開いて、多くの人に読んで見て貰えば好いのに。こう云う絵は、普通の人は描けないですよ。カラフルでインパクトの強い絵で、樂しい枝から、若い人にも通用しますよ。自分だけで楽しむのは、勿体無いですよ。」

「えらい褒めて貰ちゃって、頭に毛が在ったら、恥ずかしさで顔隠したいけどさ、生憎、毛が無ぇ辛さだいね。
 へへへ。ブログに出してるから、実質の出版、個展遣ってるから、それで好いんさね。顔見せてまで、恥は掻きたかぁ無えさね。この位が、丁度、俺の身の丈ですがね。ギャハハ!!」

 ハハハ、こんな具合で、話が大いに盛り上がって仕舞い、話し足りないが、次の番が待ち構えているとの事で、もっともっと、話を伺いたいとの<嬉しいお言葉>を頂戴して仕舞った。

 さてさて、マイタイムに移行する前に、米屋さんに行って来るべしである。米が無くては、生活出来ない次第である。自転車漕ぎも向かい風の冷たさと強さで、息切れがして仕舞う。

 逃げようと思ったが暇らしく、夫婦にとっ掴まって、色々とお相手をして来る。序でであるから、個人スーパーで野菜類などを買って来る。四畳半定位置でマイタイムをしようと思えば、水槽の水が大分蒸発して居る。バケツを持って川水を汲んで来て補充する。

 朝飯が遅かったから、昼にする訳にも行かぬ。夕食のオカズの仕込みなどして、今年は長芋でも育てようか思い、その土取りに川原にスコップを差し込んで、バケツで4杯運ぶ。

    カボチャを煮て、オヤツ兼昼とする。老母の薬はと見れば・・・

 嗚呼、三時か・・・少量多品種生産よりも、ズボラ男には、ロット纏めの方が楽である。午後の診療時間が始まって居るから、行って来るしかあるまい。遅れ序でであるから、マイタイムは、それからで好かろう。やれやれ・・・

 へへへ、米屋さんじゃ無いが、<介護は大変だね。> 婆さんの言の<もう薬は好いよ。薬を飲んだからと云っても、痛いの、苦しいのは治らない。大変だから、もぅ、いいよ・・・>

 何を扱きぁがる。介護は馬鹿に為り切らにぁ、出来ませんがね。行うは、知る事。知るは、己が抑制力を養う事でヤンすがね。あいあい、大変でガンスよ。行くべし行くべし!!

 路地の細道を抜けて行くと、庭々はツツジ、西洋シャクナゲ、ボタンが咲いている。雲一つ無い青空に、風が吹く。山の緑には、山桜の白花がそよぐ。地面を見れば、蟻が動き回る。天上天下、生命在るものは、生きて行くしか無いのである。難しく考えても、詮無き事である。生きている以上、仏頂面は汚き絵である。己が手で、自らのキャパスを汚すのは、愚行・誤りであろう。

              「ほい、婆さん貰って来たよ。」
           「ご苦労様、厄介な親だね。すいませんね。」
            
            と言って、お茶を注いで呉れる老母で在る。
              
               さてさて、マイタイムである。


心何処ーショート さぁ、風呂入って、掃除掃除!!
          さぁ、風呂入って、掃除掃除!!(5/6/13)
 本日は青空ながら、風唸る日である。昨日は自転車の籠に長靴、釣り竿、ラジオを入れて、自転車乗りをして来たから好かったと云う物である。少々、日焼けをして帰って来た。釣りの方は、馬鹿ハヤしか釣れ無かった次第では在るが、外の風景、空気を吸って来るのは好い物である。

 老母に言われて、去年からは米の研ぎ水を家庭菜園にジョロ散水をしている。そんな事で、朝のジョロ散水、雑草の摘まみ取りでの外の日課を愉しんでいる。<寝る子は育つ>では無いが、『水は植物を育てる』の手間対効果の覿面性に好い気分を頂戴している次第である。目下の成長株は、白カブ、水菜、ダイコン、ホウレンソウ、チンゲン菜、シュンギクと種蒔き一期生達である。同じ緑で在っても、其々の種の色合いが違う。

 それ等の緑が太陽光線の下で輝き、風に揺れる様をタバコを吸いながら、石に腰掛けて眺めているだけで、何とは無しに気分も心も和やかに為るのである。こんな情景を『癒し』なんぞと形容するらしいが、私には癒しと云う<人間目線の高さ>が気に喰わない次第なのである。私としては、余り使いたく無い言葉の一つである。ニャハハ。

 全ては『地球生物の平等観』すれば、一個の対等感で良い筈である。此方が目、気分、心を愉しませて貰うのであるから、お返しの其れなりの世話をして、作物の成果を無駄なく頂戴する。へへへ、この関係を表記するならば、嫌な政治用語では在るが、<互恵対等の関係>と云うのであろうか。

 訪ね人も無き老母との二人生活をして居ると、この頃は歳の所為か・・・ 何かと角度の違った感覚で、言葉の反芻が起こって来る物である。

<衣食住足りて礼節を知る>なんて言葉も、『衣食足りて時を持ち、反芻を知る』の方が、私のスカンポ脳には、手の届く感懐である。己が経験知・経験値に照らし合わせて、言葉を反芻する事に依って、凡人も礼節を知るの領域に進むのだろうが・・・ 兎角、人間なんて<個人主義の権化の様な生き物の目>からすると、自然の拡がり、奥の深さを、ただ単に耳当たりの好い語感語で、癒しなどと流行語に載せて、一件落着の自己満足にウフフとしているだけなのかも知れぬ。

 まぁ、言葉は意思伝達の客観性・共通性としなければ、大同の画一性・迅速性も保たれないので在るから、言葉の流行りは、世に連れ、人に連れの時代性を内包せざるを得ないのは、当然の流れと云う物であろう。
 
 この様な言葉の総論に一々噛み付く必要は無いが、何事も『総論は社交辞令の様な物』である。人間関係だって、然程関心の無い者同士なら、敢えて各論に進まず総論で無難な会話で一般的人間関係を留保して置くのが、社会性動物人間の<生活の知恵>と云う物であろう。
 他人に興味が在れば、総論から各論に至って、その人間の持つ属人的な感性・知性・教養の在り処を確かめたいとの欲求が、少なからず働くのが人間の精神作用とも呼ぶべき好奇心の存在と思われる。各論に至って類を嗅ぎ分けて、初めて友に為り絆を持つのが、人と人の交わりと云う物であろうが、兎角、総論に於いては<巧言令色仁少なし>は、太古からの人間観察なのであろう。

 いやはや。中指が本日は在らぬ方向へと、向いて居る始末である。困った物である。

 この原因は、朝食後に見て居た<お座成り・陳腐丸出しのテレビドラマ>と体調優れ無い老母の態度に在るのでは在るが・・・  嗚呼、何を扱きぁがる。ドラマ版バラエティお花畑じゃ在るまいし、糞っ垂れが、長居をし過ぎて仕舞った。NHK受信料返せ!! コリァ、テツヤ。ツラ出すな。 

 気は心に作用して、心は気に作用するの典型である。へへへ、八つ当たりして御免なさいよ。持って生まれた吾が偏屈性格であるから、己が手で気分の撹拌をせざるを得ない。

 さぁ~てと、風呂も好さそうであるから、風呂に入って、老母の入浴中に掃除をして、明日の介護認定調査に向けて、チョイと念入りに掃除でもして置くしかあるまい。体育会系男が、文学系哲学のお時間をして居ても、始まらない次第である。

 さぁ、風呂入って、掃除掃除!! メランコリー撃破じゃい。コンニャローめ!!

心何処ーショート 本日5/5、子供の日か・・・ 
            本日5/5、子供の日か・・・(5/5/13)
 おっ、好いお天気さんである。朝のウォーミングアップでジョロ散水である。五月の朝は、こうで無ければ為らない。

 小紫のオダマキも咲いて来た。野苺と化した白花の間には、イチゴの芯もチラホラ見える。サクラソウの淡いベージュも色褪せて来て、ユリの芽がグイグイと大きく為って来て居る。牡丹は赤紫の蕾を<さぁ、咲くぞ>とばかりに膨らませて、ジョロ散水を待って居る。淡い朱の山ツツジは、今が満開時である。

 成長一番手の白カブの葉群にはモンシロチョウが毎日来て、卵を産んで居る。葉には大分、穴が開いて来て居る。花を落としたサクランボの木に、カワラヒワが飛んで来た。

       <はいはい、分かりやした。場所を開けまするわね。>

 カワラヒワはトゲトゲの常緑樹の中に、私の姿を気にしながらも中に入って行く。中に入っても雛の声はしないから、未だ未だ抱卵中なのであろう。ジョロ散水も結構な運動に為る。些か汗ばむ陽光に散水して居ると、ブ~ン、ブンブンと羽音が聞こえる。

 高校生の頃、良く見た勝新の座頭市の台詞<アハハ。ああ、春だねぇ。花の香りに、虫の羽音・・・>が聞こえて来る様である。

     ♪赤い夕陽に、流離いながら、死んだ奴らに、子守り、子守唄。
      何処で果て様と、誰が泣く。知らぬ他国の蝉、蝉が泣く。

       斬っちゃ為らねぇ人を斬った時にぁ、目先が真っ暗、
      あははは、あはは。目先は端から、まっ暗だよぉ・・・

    ♪風に追われた、流離い者よ。死んで行く時は、一人、独り旅。
     馬鹿な奴らに、手向けて遣ろうか。俺の情けの子守、子守唄。
             あああ~、あぁぁ・・・

 そう云えば、上の映画主題歌のドスの利いた勝新の唄と違って、テレビシリーズの唄には、こんな優しさが在った物である。唄は石原裕次郎であった。

       ♪夕べ、不思議な夢を見た。夢見て、泣いて目が覚めた。
         青い空に白い雲、風に揺れてる赤い花。

      ♪暗い暗いと思っていたが、結構、この世も明るいじゃないか。
            それが嬉しくて、それが嬉しくて。
             涙一粒、流れちゃったんだよ。

 いやはや、人間の記憶とは奇妙な物である。60半ばの脳軟化症にして、健忘症甚だしい昨今では在るが、汗ばむ陽光に幼緑の重なり、モンシロチョウにクマンバチの羽音である。どれとどれが噛み合って、勝新の座頭市の笑い声が聞こえて来たのかは、定かでは無いが・・・ 流石に、お天道さんの力は絶大な物である。

       バリバリ、ボボボォ~、ウイ~ン、ウィゥィ~ン!!

 この~、糞っ小僧が偉そうに、後ろにズベ公乗せて、5/5の子供の日は、遠に卒業だろうが!!

    ★一瞬にして、吾がプュア為る詩人の境地が、引き裂かれて仕舞った。

 糞っ垂れが~!! とんでもない小娘が、町内に引っ越して来た物である。兎に角、ふざけたキンタマ無し高校生である。普通だったら、待ちに待ったGW連休で在ろう。親などそっちのけの突っ張りなのであるから、爆音ツアーに遠出して呉れば好いのである。高速代にガソリン代、宿泊費を稼ぐのなら、それもアルバイトの励みに為る物を・・・

 兎に角、ヘルメットで顔は一切見えないのであるが、遣る事がミミッチイ限りである。奴らの行動パターンは、朝食後、昼食後、夕食後、真夜中と時間割が出来て居る。いやはや、伝書バトじゃあるめいし、三度三度のオマンマを喰いに家に戻って居るのであろうから、何処までも銭を掛けずに、親の脛齧りの突っ張り餓鬼と餓鬼娘振りなのであるから、甘えの権化の様なウツケでしか在るまい。

 こんな輩が、トコロ天式に社会に放出されて仕舞えば、振り込み詐欺の裏街道を、『騙されて、引っ掛かる馬鹿が甘い、大馬鹿なんだ』と嘯くだけなのであろう。
 嗚呼、箸にも棒にも引っ掛からない性質なのでは在ろうが、少しぁ座頭市の主題歌でも、口ずさんで見ろや。裏街道を行く者は、行く者で<裏街道仁義>って物が在らぁね。そんな時に使うのが、男のキンタマじゃろうが。イタリア精力絶倫男の<金玉3個症>の振り回しじぁ、早晩、インポテンツのお天道さんの裁きが下ちゃいまするがね。

 言いたか無ぇが、私なんぞは欲求不満に、ご近所の『下着泥棒』なんぞをポロリ口に出そうものなら、96婆っさに<そんな恥晒しは、私が死んでからにして呉れ。目が開いて居る内は、世間様から後ろ指さされる様な恥は掻きたく無い!!>で、一蹴されて居るのである。

<どうせ、家でお地蔵さんしている妖怪様であるから、幾らだって貸し出しして遣らぁな。リース料なんて、ケチな事は言わんぜや。>ってなものである。

 さてさて、昨日は空振りに終わった釣りで在ったから、本日は自転車散歩にでも行って参りましょうかね。へへへ。


マイギャラリー23
                 マイギャラリー23   
   色々南洋慰労島_001ウ、メェ~。_001検証図_001
   南洋慰労島にて_001微党選挙戦_001要注意_001喜劇よ、何処や。_001
   靄、もやもや_001春の恵み_001好いお手前で_001風の中の二人_001
   縄文考_001縄文の海で_001コーヒールンバ_001縄文人参上_001

 やっと連休らしいお日和で、先ずは一安心でありまする。大いにお出かけで、美味い空気を吸って楽しんで来なされ。毎度の戯け画画廊のお披露目です。行楽の疲れに、一服、ご笑和下されば、本望で在りまする。イッヒッヒ。

 クリック頂ければ、大きく成ります。もっと、お笑いをご希望の方は、カテゴリー内、マイギャラリーへクリック為されれば、戯け画廊のドアと為って居りまする。ギャハハ!!













心何処ーショート やっと、連休めいて来たお天気さんか???
       やっと、連休めいて来たお天気さんか??(5/3/13)
 昨夜は体調優れず、風邪薬を飲んで早々に布団入りした。当然、夜更かし人間であるから、おいそれと優等生寝が出来る訳が無い。其処で、黄金の七人の<金玉三個症>の伊艶笑DVDを付けての安静養生であった。安物DVDであるから、吹き替えなしの字幕スーパー物である。

 じっくり見て、大笑いをしたDNDであるから、目を開けて見たり、目を閉じて音を聞いて居ると云った具合である。

 イタリア語は普通に喋ると、男と女の雰囲気なのであるが、一端捲し立てると強調言葉で、女も男も男女同権であるから、凄い語調劇と為って仕舞う。いやはや、イタリア語は、強弱のハッキリした言葉の様で在る。

 こんな国民性は、マルチェロ・マストロヤンニ&ソフィア・ローレンの名コンビを産んだのであろうし、歴史を遡ればボッカチオさんのデカメロンの世界でもあり、もっと遡れば、ローマ皇帝、貴族のハチャメチャ男女交遊に進んで、地中海の海を世界の海と断じて、繰り広げられた<男女のフリー・セックス>へと収斂されて行くのであろう。

 そんな睡眠学習の刷り込みが在ったのであろう。根が感化され易い単純無垢の脳細胞に出来上がって居るので、久し振りに凄い夢を見てイッヒッヒ、ギャハハの目覚めであった。いやはや、白人女のボリューム満点のナイスバディの挑発に乗って、はしたない蛮行に及んで仕舞った物である。あらぬ寝言を発して居らねば良いのだが・・・

 目覚めれば、好いお天気さんである。起きて、風呂の残りをジョロに受けて、せっせと成長期の家庭菜園の野菜に散水、花木に散水をして回る。気温が高いと、スイスイと身体も動くのであるから、身体と云うのは正直な物である。

    朝食後は5/3とやらで、憲法論議の遣り取りをテレビで拝聴する。

 これだけ遣りたい放題の<毒亜諸国の猪介>を仕掛けられ捲って居るのに、政治家の護憲派議員達は、相も変わらず『仮面舞踏会』の様な事を言っているだけである。

 国際政治学者の舛添先生の論は、大学助教授以来からの妥当論である。護憲派は不戦・平和憲法下の外交力こそが、安全保障の要諦とは言うが、民主党時の仙谷左翼法廷弁護士さんが、幾ら格好付けた処で柳腰外交(=弱腰外交、腰砕け外交、中国朝貢外交、自虐史観外交)でしか無かったのは、国民の殆どが周知して居る事実である。

 戦後米国占領のリモート・コントローラーの自虐史観&占領下憲法からの脱却しか、<日本を取り戻す方途は無い>にも拘らず、未だに陳腐この上も無い、小学低年生レベルの話し合いしか出来ないのが、全く以って『だらしの無い処』である。小学低年生にとっては、教師、親と云った保護者の『管理監督下での物言い』にしか過ぎないのであるから。

 タブーがタブーの儘で在ったら、<憲法残って国滅ぶ。>で、インテリ・平和主義の仮面連中は、涙を流して『国破れて。山河在り。城春にして、草木深し。時に感じては、花にも涙を注ぎ・・・』で在ろうか。

★冗談じゃ無ぇぞや。丸で、40年も前の私の大学生時代と、何も変わっては居ないでは無いか。聞き飽きた<状況無視の台詞>が、飛び交うだけである。大学新学期を国際標準の8月、9月に移行するのなら、国防・国家の意思も、国際標準に戻す時期でしょうが。

               Tのお誘い電話である。

 小冊子と為ったT主役の夢奇譚と縄文の部、挿絵の原画ファイルを持って、遺憾いかん・・・買い物メモも持って行か無ければ・・・

 雲は在る物の、スッキリ晴れ渡った空の青さである。アルプスの残雪の白さが、強いコントラストを描いている。

     連休後半のスタートであるから、スタバの二階席は空いている。

「あいよ。ブログ以上の挿絵入り完成本ですがな。」

「おうおう、今回は大分、切り口を変えて書いてあったじゃないか。」

「あいあい、主役がTだぜ。品好くゴマすっと居たわね。アハハ。
ほれ、此処に世界地図が入ってるから、色々と参考に為るから面白いズラ。ベリーダンスのアラブの美女も二枚入れといたから、のんびりニタニタして読んどくれや。
 助平話に釣られて、世界史の真空地帯・東南アジア史が頭に残るなんて事は、歴史教科書読むよりズーと物に為るわね。それにしても、コメント無いのが、俺の非力さでさ。」

「まぁまぁ、そう腐るな。セックス描写し無え処が、Rの品格だぜさ。戦国、縄文、遣唐使と来たら、次はお江戸かいね。江戸時代は、結構、面白いぜ。」

「そんな事したら、俺ぁ捩じり鉢巻きして、受験勉強しなくちゃ行けねぇをさ。俺の受験科目は、世界史だったぜね。記録、記述が確り記録されている時代区分にぁは、おっかなくて、妄想ロートルの出る幕なんざぁ無ぇわさ。何てたって夢奇譚は、大人のメルヘン童話の世界だぜね。あい~。」

 お互いの爺っさ、婆っさの近況&減らず口批判を交換し合って、外でのパッパタイムとする。本日Tは、ミニトマトの苗を買って行くとの事である。ポケットから、メモ用紙を取り出して、ホームセンター、スーパーで買い出しをして来る。

 連休後半がスタートして、ホームセンターの園芸コーナーは土、ブロック、花、野菜苗を求める人達で、繁盛している。赤、黄、オレンジの三色のミニトマトを買って、Tは孫達の顔を思い浮かべて、ニヤニヤして居る。


心何処ーショート 先ずは、散歩じゃい。
              先ずは、散歩じゃい。(5/2/13)
 洗濯機を回しながらのマイタイム開始である。もう4~5℃気温が上昇して呉れれば、長散歩にでも行きたいのだが、雲の多いお天気さんであるから、お天道さんが雲に入ると、肌寒いだけである。

 前回入浴をパスした老母は、入浴中である。明日は金曜トークであるから、忘れない内に、買って来なければ為らない物を、思い出しながらメモる。行く度に買い忘れて仕舞うのであるから、困った脳軟化症の進みで在る。

 それと、この処の気温の乱高下で、気分も体調も芳しく無い。そんな次第で失敗ばかりしている。『コリァ、確りせんか。シャキッとせんかい!! この馬鹿垂れがぁ~』 と𠮟って居るのであるが、直ぐ忘れて、<アジャジャ、失敗こいた。嗚呼、人間、歳は取りたくは無いわさ・・・>の嘆き節で在る。いやはや、タイテノコラサ状態に在る。

 子分無しの、全て失敗は身に掛る火の粉であるから、仕出かした粗相は自分で始末をしなければ為らない。一時流行ったバイオリズムの低迷期に、心身共に居るのであろう。

 斜向かい吟さんもゴミ出しに行く姿を見ると、何やら一気に老け込んでしまった感じである。昔ぽっちゃり美人さんだったお向かいのオバサンも関節が曲がって、ガクッと老け込んで、肉が削げ落ちた姿で、夫婦共々、日課の鉢植えの世話をしている。オヤジさんも、すっかり好々爺と為ってスローモーな動きと化して居る。

 吾が観察眼に依ると・・・70の半ばを迎えると、人間の身体は一気に<老いの段階>に進む感じである。『老いの門』を潜って、身体が一踏ん張りすれば、老母の様ななだらかな老境を迎えるのだろう。

 へへへ、皆さん、歳を感じさせない様に、活発に動いて居たのに寄る歳波の方向とは、抗し切れない物が在るのだろう。加えて安定しないお天気さんは、心身ともに堪えて居るとの由。

 本日は資源物の日であったから、何やかやとそんな町内の先輩さん達の姿を見掛けた次第である。大病・痴呆症に罹らず、日課をこなして居たとしても、後10年前後を経過すれば、メタボのクマ男の私も老境の肉の削げ落ちで、そんな目で見られて仕舞うのである。まぁ、順繰りが人生なのであるから、それも仕方の無い近未来図でもある。

 電線の上では、何処で巣立ったカワラヒワか知らぬが、チィチィーと親鳥に餌をせがんで居る図である。
 
 さてさて、洗濯も終わった次第であるから、洗濯物を干して、近場散歩で気分の漫ろ歩きでもして参りましょうかね。人間、メランコリーに為ったら、老い腕力に襟首を掴まれて持って行かれるだけである。

     ピンピン、コロリが戯けの締め括りですがな。イッヒッヒ~!!
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