旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 取り留めも無く候
               とりとめも無く候(3/31/13)
 今日で、三月も終わりである。東京では桜も散り始めて居るとの事であるが、此処信州では未だ咲いて居ない。霜予報が在って寒かった昨晩であったが、霜は降りずに黒みの掛かった灰色雲が垂れさがった朝であった。午後から雨との由。

 普段は殆どの乗らない車のエンジンを掛けて、回覧板を置きに外に出ると、温かい雨がぽつりぽつりと降って来た。傘を差すのも面倒であるから、そのまま行く。斜向かいさんの小道には、プランターに幼ネギが育ってる。薄ピンクの椿も盛りを終えて、幕を閉じ様として居る。

 大通りの辛夷(こぶし)の街路樹には白い花が満開に為って、町内に春を見せて来て居る。一軒置いてTさん宅に行く。乗用車2台が縦列に止まるスペースには、地面に張り付く様にしてサクラソウの薄黄色の花々が小さく咲いて居る。同様に青紫の小花ムスカリも、垣根に沿ってポツンポツンと咲いて居る。青垣の間をチョチョンとシジューカラが鳴き渡って居る。

 日曜日にして生憎の天気であるから、煙草、ポットを持って、庭に面した二畳小部屋で過ごす事にする。雨は束の間に、今度は風が出て来た。マンジュシャゲは15~20cmにも伸びて、百日紅の根元の地面を覆い始めて居る。サツキも冬の錆を落として、緑を呈し始めているし、落葉の山ツツジ、コメヤナギにも薄っすらと小さな緑色を見せ始めている居る。楓の落ち葉の中からは野性シャクナゲの紅の芽生え、牡丹にも同様な紅の芽吹きが見られる。この数日の春の足踏みの中にも、日当たりのスイセンが一つ二つ黄色の花を着けた。

 明るみを増した曇天に、風が騒ぐ。そんな中、ミネゾの天辺を切った切り口に、ヒヨドリが止まって、部屋の私に向かって黄色の鋭角の舌を見せて、甲高い単発の声を数度発して、縄張り宣言をして居る。本日は未だ玄関鳥の餌のお零れに有り付いて居ない雀達が、彼等の定位置・楓の枝で様子見をして居る。

 私はアメリカンコーヒーを飲み、煙草を吹かして、耳はラジオに、目は庭に向けながら、此処数日の縄文時代読みの事柄などを反芻している次第である。何事も頭の整理から、記憶が構築されて行くものであるからして・・・

★縄文の時代は一万五、六千年前から始まって、一万年以上も<悠久の時代の中>で日本の原歴史を紡ぎ上げた考古学的時代区分である。旧石器、新石器、狩猟採取、焼畑に依る雑穀(ヒエ・アワ・キビ)・栗・イモ、エゴマ、野菜、陸稲(赤米・黒米の古代米)栽培、麻の機織り、縄文の火入れ土器、クジラ、イルカ、マグロなどの大型漁労もこなし、調味料は塩・魚醤・甘味・辛味も取り揃えて居た由。
 
 ウルシを栽培採取しエゴマ油で溶解する漆技術を擁して、糸居川の姫川産のヒスイで勾玉などの呪(まじな)い要素の強い装飾品などを身に付けていた、鍬・鋤き・鎌・ナイフ、黒曜石矢じり、ナイフなどは、ただ単にそれが鉄では無く、石で出来て居たと云うだけで、形状その物は現代と違わない精巧な物だったと云う。

 釣り針、銛(もり)などは、鹿を中心とした骨を用いて精巧に出来て居たと云うし、三人乗りで左右にフロートの付いた縄文丸木舟は、十分な安定性と麻布を織って居たのであるから、当然自然観望の結果として帆掛けの設備もあったと想像する事も易しい。従って、結構な航海性すら兼ね備えて居たと云って良かろう。

 既にこの時代には、狩猟の友・犬も居たそうである。犬が居れば、きっと鶏も居たと思っても間違いあるまい。

 はたまた、一万何千年も続いた縄文の時代区分の中には、氷河期、開氷期、天変地異、大気象変化に依って、新天地を求めて丸木舟で海洋に乗り出した。其処は運命の悪戯か・・・茫洋の海洋に滔々と流れ行く大河・海流に乗せられ太平洋の小島に、太平洋を横断してエクアドルに辿り着いた事を示す縄文土器の遺物などの話もある次第でも在る。

★縄文時代の推定人口26万人、奈良時代推定人口600万人との説もあるそうな。

 加えて昨日土曜の夜は、特別時代劇スペシャルとやらで、大和朝廷の東北征倒で蝦夷の雄・アテルイの物語を2週連続と放映して居たタイミングで在ったから、縄文文化を色濃く継承する蝦夷文化圏と、大陸ナイズされた大和文化圏の対照が顕著であった。
 
 唯、バックは春or夏にも拘らず、吐き息が白かったり、戦闘場面の続きが冬から春の緑に変わったりの<お座成り箇所>が頻繁に出ていて『恐れ入谷の鬼子母神の態』で、老母とは<コラァ、NHK手抜きのし過ぎじゃい!! 視聴者を馬鹿にするな!!>と突っ込みを入れて居た次第である。

★解説、特集物には、頻繁に物作り日本の形容詞として、日本人の物作りに対する研究熱心さ、工夫力、手を抜かない物作りへの真摯な姿勢を吹聴して居るのでは在るが、外注・下請け化の採算主義が、とんだ処で露呈している感じが否めない次第である。

 もう一つ、突っ込みを入れて置くと、ケビン・コスナーの制作・監督・主演のアカデミー受賞作ダンス・ウイズ・ウルブスのフィナーレを飾る叙情的名シーンとの瓜二つ振りが在った事である。それは、落ち行くインディアンの行く末を象徴的に映した初冬の雪の渓谷シーンに木霊する<俺達は友達だ。決して忘れない。>を準(なぞら)った長い流しの描写であった。

 斯様に出典は明らかでは在ったが、それでも、やはりぐっと胸に迫る物が在った。映画・ドラマの手法は、或る意味では『万人の共有財産』とも云うべき領域であるから、そんな手法流用に大スター・ケビン・コスナー氏が、<著作権侵害>とやらでクレームを付けるべきも無いと思うが・・・ 

 然しながら、浅学非才の下衆育ちの臍曲がり・アマノジャク感想を云えば、NHKの野郎が、手前は勝手に徴用して置きながら、中山成彬議員さんの戦後自虐史観の嘘を暴いた魂心の一時間国会質問を『著作権』の名の下に、YouTube削除の言語道断の不埒を働いて居るにも拘らず、『自分に不都合な真実は、封印する』のアカラサマの愚を押し通す。

★それは、<驕(おご)る平氏、久しからざる>の『裸の王様』が落ち入る陥穽であろうか?

 いやはや、NHK集団と云う組織体は、厚顔無恥の強心臓振りを晒して居るのであるから、語るに落ちる巣窟と云っても好かろう。そんな物ぁ、下衆に言わせれば、<あからさま>では無く、『あら、逆さま』でしたで、頭を坊主にして平謝りの図ですがな。ギャハハ~のハってな物である。

 遺憾いかん・・・ ロマン満載の縄文時代への想いが、思わぬ脱線ですっかり下卑てしまった物である。さてさて、本日日誌の纏めをして置きましょうかね。

 日本には、自然物の最大利用から為る世界に誇るべき縄文文化が、悠久の時を刻んで存在していたそうな。知れば知るほどに、縄文時代はより身近の親和性を以って、想像・夢想の時を運んで来る物である。

 おっ、頃合いに雨が止んだ。ちょいと自転車徘徊でもして来ましょうかね。スカンポ脳でも、些か酸欠状態ですからね。へ・へ・へぇ~。

 外に出ると、何やら金属音である。へへ、西向かいの一人暮らしのOのオバサンが、不自由な身体で家の前の草掻きをされて御座る。家から長柄の草掻きを持って来て、助成する事にする。縄文石器時代と違って鉄製草掻きでは在るが、何しろ日本が誇る縄文文化の末裔の一人で在るからして、この位のご近所さんとの絆は確保して置かないと、26万人の御先祖様達に、申し開きが立たないのである。日本文化の原風景=縄文人の優しさは、無言の助成である。ニャハハ。

 へへへ、この一週間、私が根を詰めて土弄りをしてサッパリとさせたので、オバサンも雑草ポコポコでは<世間体が悪い、家の恥>との御出座で在ったそうな。

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心何処ーショート 呆け一席。
                呆け話一席。(3/30/13)
 庭で聞いた事の無い鳥の鳴き声である。早く起きても仕方が無いから、布団の中で縄文時代にトリップして想像遊びをする。

 この処、気が向くと縄文時代を検索して、時間潰しをしている次第である。小中学校での授業も、サッと流して済まされている太古の時代である。へへ、半世紀も昔に素通りした一過性の記憶と比べると、読み進んで行く内に目から鱗の連発で、考古学研究の成果は、丸で異次元の扉を開けて見る思いである。

      老母様の動きでもあるからして、起きると致そうか・・・

 布団から出て着替えをすれば、何と寒い次第であるか。こう気温の乱高下をされて終うと、ロートルは遣り切れないのである。花粉症であるから、クシャミと鼻水、目の痒みは、忌々しい限りでは在る。然れども、気温の乱高下とは然程相関関係が無いらしいのである。

 本日土曜スタバトークの日であるから、気温さえ暖かければ、チョイと草毟りなどしながら<お迎え待ち>と洒落て見たい次第であるが、自棄に寒い。それでも、沢庵、吊るし柿を用意して、外に出る。

 連日の土弄りで、大方の春支度が整い始めている。種蒔きの家庭菜園に芽が出て呉れば水遣りが日課と為り、部屋で過ごすより陽光の下、庭で過ごす事が多く為る。昨日整地して、アヤメ、イチゴを株分け移植したスペースは、ジョロで散水して置いたから、イチゴ達はシャキッとしている。イチゴは逞しい生命力を持って居る物である。四畳半前も整理して、ツツジ、サツキを見栄え良く配置して置いたから、気分が良い物である。

 ネット検索をすると、生姜も春の植え付けとの由。私は生姜が好きであるから、何かと消費量が多い。どうせ遣る事が無いのであるから、物の為しに生姜も加えて見ようと考える。然すれば、何処に植えると致そうか・・・ スペースとして見れば、あそこしか無い。スタバトーク後は、始めて仕舞った作業である。川土を運んで筋力トレーニングに励むべしである。

 Tの車の助手席には、自転車用ミラーが置いて在った。それを自転車かごに入れて、タッパに入れた刻み沢庵に味噌漬の素を入れた<試作品>を渡すと、早速、一切れ摘まんで、モグモグとしている。

 T曰く、バイオリンの才能教育の演奏会とやらで、街にはピチピチした白人オネェーチャンが一杯との事である。

「そりぁ、<一寸の好機逃すまじ>だ。直ぐ横へ行って、鼻の穴をガバ~ンとおっ広げて、鼻深呼吸の三連発しなきゃ駄目だぜや。」
「駄目さ。車運転してりゃ、遠過ぎて臭わんわな。しょうが無ぇから、瞬きしなんで、ジッと見て来たよ。あの腰、出尻、太股から脛に、ギュッと絞られて行く脚のライン。涎が出ちゃうぜや。」

「この助平オヤジが~。そう云えばさ、町内の民宿旅館にも来てるんだけど、父親と男の子だから、深呼吸には及ばんのさ。この前、密着警察捜査番組でさ、前科二犯の無職盗撮30男の張り込み御用劇が在ったんで、<今日はもう遣る事が無いから、下着泥棒でも遣って来るかいね>って言ったらさ、糞婆っさのヤツは、『親が死んでから、遣って呉れ』だとさ。何言ったって、妖怪様にぁ一本取られちゃうわね。」

「其処は羨ましいわな。俺ん処の糞爺っさは耳が遠いから、ポンポンとフザケ話が出来んからな。その歳に為って頭も呆けずに、会話が成立するなんて、幸せって物よ。」

「お陰さんで、お天道さんに感謝感謝ですがな。この前はさ、女二人を前に女の悪口三昧してたら、ケアマネさんと協調されちゃってさ。俺ぁ、女二人に寄って集って、<逆ねじ>喰らちゃうしさ。
 まぁ、女族にぁ男は逆立ちしたって、敵わねぇわな。まぁ、何しろ、女なんて生き物は、心とは裏腹に調子の好い事を、キャッキャほざき遣がってさ。世の中にぁ、偽証罪って物が在るのに、『偽善罪』ってぇのが無ぇのが不思議な位だぜや。あい~。」

「おうおう、そうそう、この前、カカアがさ。子供の前で調子の好い事をペラペラ抜かすもんだから、<フザケルナ。俺は、そんな事は言った覚えは無いぞ。子供の前で、勝手な作文するな>って怒って遣ったらさ。キョトンとした顔して、『あれ、覚えて無いの? 自分は正しい』って抜かし遣がる。
 まぁ、女なんて物は子供を味方に着けて、自分だけ偉そうに振舞ってケツかるのよ。偽善罪は、俺も賛成だぜや。嘆願署名募集なら、サインするぜや。それで、刑罪は如何するや。」

「刑罪か・・・そんな物ぁ、決まってるじゃ無ぇか、執行猶予無しの即処でさ、問答無用で裸にひん剥いてさ、女は兎角煩いから猿ぐつわを咬ませて、四つん這いにしてさ、赤・青・黄の原色100匁(もんめ=375g)ローソクを交互に使い分けて、タラリ、タラ~リの刑しか無ぇだろう。」

「この変態野郎が、そう言うと思ったぜや。お前は、ワンパターンのローソク責めが好きだねぇ~。あい~。」

「あいあい、素直がプュアで、俺みたいな脳足りんにぁ、『不変の真理』さね。死ぬまでに、一度で好いから、遣って見たいもんだけど、何しろ知性と自制心が大災いして、<未経験>って事だいな。それに、人間として間違った行動は御法度って、妖怪婆に念を押されちゃってるしさ。ギャハハ~!!」

「もう一つ、加えとくと、素地の変態行為は、俺が死んでからにして呉れや。幾ら、長い腐れ縁だってさ、『変態野郎』には面会に行く訳には行かんぜな。俺は、世間的には紳士だぜな、分かってるだろうな。世の中にぁ、世間体って物が在るからな。」

「そりぁ、大丈夫だ。俺だって岡田刑務所で、毎週毎週、Tに<この変態野郎が、恥を知れ、恥を知れ!!>なんて、糞味噌にお説教貰ったんじゃ、非の打ち処の無い模範囚が、あれだ・・・仮出獄前に、『神経衰弱で獄死』しちまうぜや。人間、死んじゃ花見が出来んわね。あい~。」

「R見たいな変態戯けは、長生きするぜや。ああ云や、こう云うで、<オウム真理教>から誘いは来なかったかいな。オフレコだから、正直に言って見ろや。」 

「あいあい、恥ずかしながら入信試験にサリンの製造問題が出題された物だから、お手上げで一発で試験に落ちたいね。」
 
 いやはや、スタバに着くまでに、真面目トークのブレイクタイムの戯け漫才を仕出かして仕舞った。本日は、効率良く買い物メモをして来たので、本を探すが矢張り無かった。

 空いたスタバ二階席で、真面目な時事感想交換を行う。外のベンチでのパッパタイムは、些か寒かったが、それを終えてホームセンターに行くと、種生姜が置いてあったので、それをゲットする。スーパーで買い物をした後は自転車にミラーを取り付け、スコップとバケツを持って、川土運びをして生姜を植え付けた次第である。

 家の梅は満開ではあるが、桜の開花は未だ未だ先の様である。相変わらず日が沈めば、寒さに続々とする日々である。


心何処ーショート へへ、これもご近所会話なり。
           へへ、これもご近所会話なり。(3/29/13)
 偶には温泉銭湯に行こうかと考えて居たのだが、またまた、庭弄りをして仕舞った。厄介なニワウメを引き抜いて、根元を整地すれば石ころだらけの有り様である。

 アヤメの自生群が在るから、序でに株分けを始めて仕舞うと不足の土入れをしなければ為らない。やれやれの態では在るが、遣って置けばそれなりに為る。此処は<馬鹿の真骨頂>で、四の五の言わずにスコップとバケツを持って川原に赴く。石コロは花壇風に石堤を作って土止めとする。6杯は運び上げずば為るまいて・・・

 野生種と化したイチゴも株分けして、小さいながらもイチゴスペースにしようと考える。移植されてイチゴ達の実りに変化が在るのかは、結果を待つしか無い。それでも、土弄りは遣り始めると面白いから、止められない次第でもある。遣れば遣った分だけ、見栄えも良く為る。

 昨日はケアマネさんが帰った後、自転車で本を二冊買いに行ったのであるが、お目当ての本が無くて、DVDコーナーの中古DVDを物色したが触手の動く物も無かった。そんな次第で、安物ツツジを3本買って来て四畳半前のスペースに、川原から石を物色してセットして見た処である。
 未だ全体バランスが芳しく無いから、庭からサツキを一株持って来て、適当な石二つを持って来てセットしたり、既存のツツジの下枝を地に這わせて、それが根付いたら株分けをと思い立ち、下枝を二本土に潜らせて、重しの石を置いて、ニンマリの段である。

★人相風体に似合わず、吾輩は花鳥風月を愛でる繊細さを持ち合せて居るからして、センスが好いのである。世間様はこれを称して、<馬鹿と鋏は、使い様>と云うのである。

「あれまぁ、すっかり綺麗に為って、精の出ることで。今年は、何を育てるの? 何だかんだと云っても、男手には敵わないわ。馬力が違うものね。大した物だわ。凄いもんだ。」

「あいあい、手許、不如意で女遊びも出来ないから、一人寂しく土弄りしてるだいね。可哀想な物ずらい。オバサンに女紹介しろと云っても、その歳のお仲間じぁ、口から泡噴き出してご昇天じゃ、お手手が後ろに回っちゃうしさ。婆ぁを一匹飼ってるぜ、刑務所の御厄介には為れ無えし・・・困ったもんだいね。あい~。」

「アハハ。その気も無いくせに、またまた、年寄りを笑わせて呉れて。私も、庭をかまいたいんだけど、もう歳で身体が言う事を聞か無くてね。こう為ると、本当に張り合い無い物だよ。動ける内が幸せだよ。お婆ちゃんは、元気で遣ってるかい? 新鮮な野菜を作って、一杯食べさせて遣ってね。」

 へへ、一人暮らしの西向かいのオバサンである。さてさて、本日はこの位で良かろう。道具を片付けて、シャワーを浴びて汚れ落としをするべしである。

 シャワーを浴びて、洗濯物を干せば、早や日は暮れようとして居る。日は伸びた次第では在るが、いやはや、一日は呆気無く過ぎ去って行く物である。今度は夕食のお三度役である。


心何処ーショート 晴れ行く空に、南天揺れる日差しかな。
        晴れ行く空に、南天揺れる日差しなり。(3/28/13)
 深夜に成って、ラジオではNHKの国会審議を遣り始めた。別にする事が無いから、布団を敷いて中で聞く事にする。各党から質問に、会長が応えて行く。国会議員の先生方は忙しいから、多分資料中心の質疑を挙行為さって居られる様である。

 一方、私の方はする事が無いから、一日中NHKラジオをBGM替わりにして居るし、食事時はNHKのテレビニュースとか、興味のある時事問題についてはお世話に為って居るし、スペシャル版も良く見て居る次第である。

 そんな始末であるから、コンニャローメ!! NHKの偏向報道は時として目に余る処も在る次第である。戦後民主主義教育と云われている自虐史観・左翼的イデオロギーに染まって居る感じがする処から、中国・韓国には弱く、米国には強い。
 それが・・・私の様な世界最古の縄文式土器と特異稀なる抒情に富んだ日本語、万世一系を任じて神話と深く混合する君民一体を標榜する日本を誇りとして好きな者の古風な目からは、如何しても偏向報道の嫌な臭いが、プンプンと臭って来るのである。

 ジャパンデビュー、唯々只管(ただただひたすら)に、平和憲法を護憲して反戦平和・厭戦のお題目を唱えるが如く終戦日報道、大河ドラマの平清盛、中国4000年の謎・・・etcを観て居ると、歴史史観そのものが自虐史観に毒されているとしか見えて来ない。 
 その面白い証左が、国会中継での<辻元議員の従軍慰安婦に対する謝罪要求>と強制連行は無かった。西洋風、中国風植民地政策に依る苛斂誅求の搾取をし無かった日韓併合時代を引き合いに出して、『語りは穏やかながら、その当時の新聞記事を資料に、真っ向から戦後自虐史観からの脱却を述べた中山議員』の好対照の有為な国会中継が在った。

 その国会中継の一部始終を、私は老母と何度も大きく頷き拍手を贈りながら、隈なく見入っていた次第である。極自然と熱くも大いに溜飲の下がる想いで、拝聴して居た経緯が在った次第である。無名の私が言ったのでは、拍手は起こらないだろうが役者が違うと、こうも真実は光るのである。正に忙しい現役世代に代わって、それを永久保存版にすべき国会名場面で在った。

 然しながら、云わば国民からの強制受信料の徴収に依って運営されている公共放送が、<国民の知る権利を遮断>して、NHKの『著作権の侵害』を盾に取ってネットのYouTube削除を敢行したと云うのである。

★NHK、テメェ~何ととんでもない事をするんじゃい!! 自前の脚本、配役、ロケ、編集もせずに、カメラを回すだけの中継で、寝ぼけた事を言うんじゃ無んべよ。貴候、気は確かで御座るか!!

 この間の事情をとくと承知して居る国民の多くは、NHKのこの報道姿勢、経営姿勢に、『国会の場』で手厳しく糾弾されると思うのが<市井の人情>と云うべきだろう。

    当然、日本人の平均値と疑わない私とて、その一人で在った。

 入浴後の耳垢も綿棒で綺麗にして在ったから、ラジオの模様は聞き逃さずに、その『質疑応答の冴え』を心待ちして居たのだが・・・それが、それが・・・<事実は、小説より奇なり>を地で行って終ったから、おっ魂消て仕舞った次第である。

 へへ、きっと政治家諸候様達は、日頃のNHKウォッチングが出来て居ないにも拘らず、大層なご発言を為される物なのである。奇しくも、演説屋の本態が見えて仕舞いまするがね。

 いやはや、げに世間とは恐ろしい物である。日頃、大物振りを見せてはいる物の、テレビ時代の第三の権力マスコミの先頭を行く巨大組織NHKを敵に回す事は、『政治活動のセオリーに反する』の魂胆が見え見えの国会審議の摸様で在った。一応、大物議員先生らしく、トラノスケ節で辛口口調でお灸を据えて見せては居たが、肝心要の目に余る偏向報道を糾弾する事をし無かった責めは、何時か形に為って出て来るに違い無かろう。

 へへへ、大先生、『市井の目を誤魔化す』のは、自分が思っている以上に難しい事で在りまするわね。政治家として権謀術数に多忙の日々で在りましょうが、市井感覚を摩耗させてしまったら、そんな物ぁ<ピント外れの象牙の塔の内輪話>で終わって仕舞いまするがね。

   いやはや、権力集団と云う生き物は、怖い習性存在でありまする。

 でも、如何なんでしょうかね。少子高齢化が進めば進む程、市井にはお役御免に為ったロートル層が、うずたかく堆積して来るのである。現役の柵から解放された有権者層は、柵の分だけ不要物を脱ぎ棄てて、シンプル・イズ・ベストの薄着に為って行くものでありまするぞえ。
 従って、政治家諸候は、この有権者層の<交差方程式>を如何解いて行くかが、頭の痛い処にして、墓穴の幕明きと為るのかも知れませんぞ。お気を着け遊ばされませ。イッヒッヒ~。

 はいはい、何々、電話ですかね。月に一度のケアマネさんのご来宅との事である。さてさて、本日日誌はこの位にして、老母の待ち人来たるであるから、掃除でもしてお地蔵様に恥を欠かせぬ様に、親孝行でも致しましょうかね。その後は、本屋でも行って、時間潰しの材料でも探して来ましょうかね。

    垂れ込めし朝の曇天は、晴れ行く空に南天揺らす日差し為り。




心何処ーショート 今日も一日過ぎたなり。
              今日も一日過ぎた為り。(3/27/13)
 本日は、どんより曇り空である。遅い朝食後は、台所、トイレ、風呂の掃除をする事にする。「汚してから、風呂に入ってさっぱりするから、先に風呂に入って呉れ」と老母を急かして、汚れのこびり付いた瓦斯コンロを洗剤・磨き粉を付けてゴシゴシ遣るが駄目である。ワイヤブラシを持って来て、お清掃である。次は、トイレと便器を丹念に洗う。

 漸く終えて、一風呂浴びた後は、おニュー自転車で米屋さんへ。帰って来て、嫌に為らぬ内に、旧自転車に乗り換えてホームセンターに家庭菜園の種を買いに行く。町会長さんとお会いしたから、男の立ち話をする。

「何処、行くだい?」
「俺ぁ、銭が無ぇから自給自足するのに、野菜種を買いに行くだいね。」
「銭だけなら、好いじゃ無ぇの。俺ぁ金が無ぇわい。如何するだい?」

 やいやい、私より先を行かれて仕舞い、返す言葉も無い次第である。巧い事を言う物である。三級上の先輩さんと話していると、昔ガッタ坊主の世代であるから、次から次とふざけた話が炸裂して終い、タイテノコラサのギャハハの連続である。

 自転車に乗って居ると、後ろブレーキが戻らず、キィーコ、キィーコの反乱である。自転車から降りて、ブレーキ部分をガタガタ遣って居る内に、血が出て仕舞った。やれやれ・・・素人が遣ると碌な事が無いの証左である。帰りは自転車曳きでゴザンスかね。

 ホウレンソウ、ダイコン、ミツバ、シロカブを買って、植え木コーナーを覗いて来る。此処まで来たから、スーパーに寄って、近日中に来宅するケアマネさんのお菓子、食材などを買って行く。まぁ、駄目元では在るが、再度カチャカチャ遣って、ペダルを漕ぐとブレーキが解除されている。へへへ、こりぁ、儲けたと云うべきである。

 吾が家の梅も咲き始めたが、何処のお宅も梅が満開である。小振りの寒桜もほっそりと咲いている。ソメイヨシノと違って花数が疎らであるから、ほっそりと咲いている様に見えるのである。サクラソウ、パンジーなどの早春の花々がパッと咲き始めて、寒からず暑からずの上り勾配の自転車漕ぎには頃合いである。

 自転車の油呉れは後回しにして、完成した家庭菜園には少量多品種の種蒔きを愉しむと致そうか・・・ 土には緑が似合うのであるから、土の剥き出しは無粋と云う物である。これから長いロートル人生が待ち構えて居るのであるからして、お向かいの御主人を見習って、ツツジ、サツキ類は市販物を買わずに、挿し芽、挿し芽でボチボチ気長に増やして行こうと考えて、買わずに来たのである。

 去年は、マツバボタンの別名がツメキリグサとの事で、ツメでポチンと切って、土に指を押し込んで入れ、水を掛けて遣るだけで面白い程に根付き、マツバボタンの回廊を呈したのである。毎日が日曜日の長丁場であるから、効率一辺倒の生活は宜しく無いのである。 
 敢えて労を惜しまず時間を潰すべき、何かしらの仕事量を確保して置くのが、スローライフの嗜みなのだと、この頃はつくづくと思う次第なのである。

 一日家に入るのであるから、植物達の生命力に本の少しだけ、介添えをするだけでも生命は成長するのであろうからして。

 へへへ、私は天国も地獄もトンと興味は無いが、若し仮にあの世が在るのなら、日頃の行いが大戯けであるから天国・極楽へは望むべきも無いが、地獄は真っ平御免である。従って、天国極楽と地獄の中間点に住まわせて貰えば、それで万々歳の気持ちである。
そんな事で、家庭菜園も上物の葉物野菜にして居る次第なのである。地下へ伸びたら、辛うじて可の男であるから、地獄の亡者共にどんな理不尽な事をされるか堪った物では無いのであるからして。ギャハハ~!!

 それにしても、機械油が見当たらない。最近、何処かで見た筈なのに・・・熊の様にウロウロして見るが・・・一向に所在が掴めない。嗚呼、歳は取りたく無い物である。自慢じゃ無いが、記憶力だけは良かった筈なんですがね。

 そんな倅に向かって、妖怪地蔵様曰く。
「物覚え、度忘れは、通過点だよ。私も一時は駄目だったけど、期間が過ぎるとそれ程にも為らないよ。」

★ナヌ~、一見、人生経験みたいな巧い事扱き遣がって。ニヤニヤ笑い腐って、フン、俺ぁ、女の口先になんか騙され無ぇぞ。何処で見たんだったっけなぁ・・・ スローライフが痴呆ライフじゃ、先が思い遣られるわいね。理想としたら、ピンピンコロリが大往生なんだけどさ。


心何処・・・春の恵み
                   春の恵み
                 春の恵み_001

 本日の一枚で在りまする。川土運びの連続でしたから、それを描かない訳にも行かず、久し振りに戯け画を描いて見ました。単純肉体労働の図だと面白くも有りません。そんな事で、黄色のバケツにはお天道さんを入れて、土中には青天の霹靂で、驚くドバミミズ等をあしらって、絵と致した次第でありまする。

 へへへ。本日の本文と共に観て頂けたら、この数日のブログ参考とも為りますれば・・・

心何処ーショート 何事も、ボチボチが肝要なり。 
           何事も、ボチボチが肝要なり。(3/26/13)
「お早うございま~す。ヤクルトで~す。何時も、お世話になってま~す。」
「何、今日は火曜日か。ちょっと待っておくれ~。」

 へへ、二度寝をして仕舞ったら、ヤクルトママさんであるか。矢張り、陽気が良く成ると、ついつい二度寝の心地良さにべったりと云う処である。本日はヨーグルトにして、朝の賄い夫を始動させる。

 本日も、杉花粉が活発の様である。いやはや、遣り切れませんわな。大寝坊をして仕舞ったから、老母との漫談は割愛して掃除に、台所仕事、鳥の世話をして庭に出る。家庭菜園場も畝が完成して、好い眺めである。小ざっぱりとすると、次の粗が殊のほか目立つ。

       これを称して、比較上の『目の錯覚』と言うのである。

 コンニャローメ、何と人使いの荒いボロ家でヤンすがね。本日は四畳半前のセッティングをして見ると致そうぞ・・・である。

 先日は、コブシ、アジサイの落ち葉を掻き集めて、それなりの始末をした処であるが、此処にも川土を運び入れて見栄えを好くすべしである。帽子に軍手、長靴に剣スコ、バケツを持って川土の採掘である。スコップに足を掛ければ、グィとばかりに突き刺さる。へへ、真に以って良質の土である。川の恵みを放置して置くのは、小資源国の日本人としては全く以って『勿体無い限り』である。

 風の無い穏やかな日差しの中での川土運びは、疲れる次第では在るが悪くは無い労働である。そんな事を黙々としていると、孫娘を連れたご近所さんが遣って来て、此処へ桜を植えたら駄目かと聞かれる。何かと行政の意向ばかりを気にする昨今である。建前からすれば、私なんぞは公共物の<市財産からの窃盗罪>ですがな。

「本来は、公共物ですから、如何です、思い切って何本か植えて桜の名所にして下さいよ。すくすく育てば、何時かは他人様の気分を和ませ、花見の提供も出来ますからね。」

「そうですよね。規則規則で、この頃は他人行儀に社会ですからね。でも、好い土ですね。」
「あいあい、遊休資産の活用も、生活者の知恵の応用ですわ。へへへ。」

 小学低学年らしき孫娘は、砂遊びの様な道具で、ママ事をする様にサツキの植栽ベルトの横に、穴を掘り桜の苗木を生け、川の水を小さな柄杓で何度も運んで居る。おやおや、今度は柄杓に土を掬って、苗木に被せてござる。土手道では隣班の老夫婦が、熊男の私に手を振って行かれる。へへへ、昔新婚さん夫婦もすっかり老境に入って、今や夫婦の散歩が日課と為って居るのである。

 変な話では在るが、戦中派と戦後派とは、こんなに体格差が在ったとは、驚き桃の木である。大東亜圏世代の日本人も日本軍も強かった物である。何事も気迫と気合い、我慢の踏ん張りと云う事であろう。

 遺憾いかん・・・形ばかりデカクてもウドの大木であっては、諸先輩方に笑われて終う。

 バケツに6杯を運び終えて、形の好い石が有ったから、それを肩に担ぎ上げてフゥフゥと堤防の階段を上がる。石をツツジの根元にセットして、ニンマリ。バランスを考えると、もう一つ必要である。

 川原からの担ぎ上げはもう沢山であるから、庭から一つ探して来てセットする。へへ、好い感じで整理が出来た。こんな事をして居ると、凝り性の悪戯心が湧いて来て仕舞うが、物臭男にはここら辺が収め時と云う物であろう。戯けが凝ったら、庭師に行き付いて仕舞う。そんな事をしたら、またまた弟に白骨温泉に強制連行されて仕舞い兼ねない。

 さてさて、もう3時であるか。これで本日の運動量も消化した次第である。足がガクガクして居るから、軽くペダル扱ぎをして時間調整をして置くと致そうか。何事も、ボチボチが肝要なり。愉しみは、細く長くがロートルライフですがな。


心何処ーショート へへへ、これで良し。
             へへへ、これで良し。(3/25/13)
 本日は、お誂え向きの曇天日である。いやはや、お恥ずかしながら、完全のグロッキーである。至る所、筋肉痛である。布団は上げずに、何時でも伸びられる様にして、朝の賄い夫に取り掛かる。遺憾いかん、如何もシャキッとせんがね。・・・嗚呼、全く歳は取りたく無い物である。

 斯く為る上は、筋肉解しで早い処、風呂に浸かってシャキッとするべしである。

 食後は長湯に浸かって、掃除と玄関鳥の世話、洗濯・台所の洗い物をして・・・、漸くの四畳半定位置である。ティーバックの紅茶に練乳を落として、昼のモーニング・ティとする。

 さてさて、煙草の一服に火を付ければ、アジャジャ、金魚水槽の水が大分蒸発して居るでは無いか。トホホでは在るが、其処が子分無しの切ない処でも在る。何事も動かねば、吾が身は先に進まない貧民屈の住人である。

 汲み置きの川水の残りを補充する。洗濯物を干して、マイタイムとすべしである。洗濯物を干しに行くと、薄日の中で軒下に吊るした金華鳥達が気持ち好さそうに、ブンチャカ、ピィピィと鳴いている御座る。←フン、好い気な物である。遣っちゃ居れんわね。

 さて、今度は紅茶にウィスキーを垂らして、昨日打とうと思って居た事を、頭の中で纏めて見る。

 ブログ散策をして見ると、写真ブログが圧倒的に多い。細長い四季の国・日本に春が南から遡上して居る様が、思い思いのアングルから捉えられて、其処には俳句、詩、添え文などが綴られて居たり、随筆のバックに写真が添えられて居る物・・・etcで、何かと気分を愉しませて頂いている次第である。

 それでも、私はどちらかと言うと、人工物、洒落て決まった物よりも、土臭さの残る物の方が好みである。自然の中に咲く風景としての桜、草花、野鳥、昆虫などの写真に、ニンマリするタイプである。

 風景、小動物、植物の写真には、撮り手の素直さが偲ばれる想いがする次第である。自然描写の中に在る物は、若しかしたら撮り手の中に在る望郷心、郷愁心が働いて居て、被写体を探し、その被写体のアングルを選択して一瞬を、シャッターで残す。そんな潜在的行為が在り続けているのでは無かろうか・・・と勝手に想像して居る次第なのである。

 詰まりが撮り手達の自然に対する感受性が、気分・心を潤し、自然・土・小生物への少なからぬ関心が在る。関心の奥には自然との絆から発する、郷愁感・望郷の念を保ち続けている感受性と感性が存在して居るのだろう。そんな処に、私は彼等・彼女等との親和性を感じて居るのである。

 元よりどんな時代、環境で在っても、人間の五感・思考から、<土との親和性>を削ぎ落して仕舞ったら、人間は都会に呑み込まれて、都会風景の中の無機質の添え物に転化して居舞うだけである。

 故郷(ふるさと)と云う何んとも云えぬ語感に、故郷が脳裏に蘇り、故郷のメロディが呟き歌と為って口に出る。

故郷・・・兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。
    如何に居ます父母、つつがなしや友がき、雨に風につけても、思い出る故郷
    志を果たして、何時の日にか帰らん、山は青き故郷。水は清き故郷。

 その口ずさみが終われば出て来るのが、ちょいと大人に為った気分で、藤村である。
         小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ。
      緑なすはこべは萌えず 若草も藉(し)くによしなし。
      しろがねの衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る。

         肩から力を抜けば、千昌夫の北国である。
 北国・・・白樺 青空 南風。コブシ咲くあの丘 北国の ああ北国の春。
      季節が都会では分からないだろうと 届いたお袋の小さな包み。
          あの故郷へ 帰ろうかな 帰ろうかな。

        締め括りは、四の五の言わずとも、啄木である。
           故郷の山に向かいて、言う事無し。
            故郷の山は ありがたきかな

 へへへ、こんな事を打ち始めて居ると、Tから電話である。やっこさん、100均ショップからで自転車用ミラーがあるから、新旧二台のミラーをプレゼントして呉れるとの事である。

             友の心遣いに向かいて、言う事無し。
              心友は、有り難きかな。ニャハハ。

 さてと薄日も差して来て、疲れも取れて来たから、チョイと自転車漕ぎでもして参りましょうかね。


心何処ーショート 遣ったぜ、ベィビー!!
            遣ったぜ、ベィビー!! (3/24/13)
   7時であるか。日曜日でも在るからして、もう一眠りすると致そうか・・・

 この何日かで、体細胞がすっかり苦役モードに入って居るから、本日も散歩代わりに落ち葉・小枝を燃やして、焼畑でもするか。いやはや、冬眠明けはロートルクマ男でも、何かと体細胞が疼く物なのである。へへへ。

 熊手と竹箒で、せっせと集めて火を着ける。乾燥して居るからパチパチ、メラメラと赤い炎が立ち昇る。火が付けば、こっちの物である。Tに喝破されて居る様に、吾が性格は強引その物である。次々と上乗せして、白い煙が濛々では在るが、人相風体が完全に縄文人であるから、ジロリと睨まれたら他人なんぞは、スタコラサッサの<触らぬ異人に祟り無し>で素通りして行くだけである。

 濛々たる白煙に一気に火の手が上がる。これだから、焚火は止められないのである。家庭菜園スペースは二か所で在るから、二か所で落ち葉焚きである。アジャジャ、燃やして居る内に、風に煽られて『火の番』をする羽目に為って仕舞った。遺憾いかん。

 昼に近い朝食は、冷や飯をチャーハンにする。盛り付けの時にフライパンでアチチの粗相を仕出かして仕舞った。『糞っ垂れ!!が、ボディブローが効いて、足に来て遣がる。嗚呼、歳ですがな。』ってな物ではあるが、子分無しの身では当たる相手も無し・・・ やれやれ。

「婆さん、倅待つに及ばず。熱い内に食べて呉れや。俺は自分の粗相は自己責任だから、食べる前に遣っちゃうからさ。」
「はい。」
 
 後始末をしてチャーハンをかっ込み、洗い物・掃除・玄関鳥の世話をして、苦役作業の続行である。雑学に依ると、古代の農法は焼き畑が中心であったから、雨の時期を計算して、火を入れた由。そんな焼き畑の有効性を高める為に、暦が発達して神官共が権力の中枢を占めて居たとの事でも在る。

 へへ、貴重な草木灰であるからして・・・、私としては、灰を熊手で広げて川土と自前土を鍬で鋤き込めば、必然的に炭も土と混じる一石三鳥である。ちっぽけな菜園であるから、今年は畝を作らずにスペースの全部使用を考えて居たのだが、これでは考えれば手が届かないでは無いか。

★やっぱ、俺は戯けですがな。ニャロメ~。間違いに気付けば、即修正が、吾輩の持ち味である。

 さてさて、通路を確保して長方形のスペースを取るしかあるまい。使い勝手の好い剣スコに持ち替えて、ヨッコラセ、ヨッコラセの土起こしに移行する。全部で6スペースを作り終えて、嗚呼・・・腰が痛い。遠にTシャツ一枚の汗だく状態である。土だらけの軍手を外して、長靴を脱ぎコンクリートの上にどっかりと腰を下ろしての一服である。

    おやおや、またまたジョービタキのバルディナさんの姿見せである。

    ★あれかな、もうそろそろ北に帰るので、御挨拶に来ているのかな。

       本日三度目の姿見せである。へへへ、可愛い物である。

 如何だい? オッサンも遣る時は、遣る物じゃろう。俺に惚れるなんざぁ、お前さんも、目が高いって物だぜや。そこん所そこいらにぁ、こんないい男は居らんわさ。イッヒッヒ~。本物の金髪美形のバルディナさんだったら、半年の別れであるから、たっぷりと男と女の官能の交わりをするんじゃがな。近々の北帰行だから、体力一杯付けて行けや。はい、アリガトさんよ。その深情けが、バルディナの好い処だからな。

 さてさて、これで春の大方の苦役も完了である。老母様に、熱い茶でも入れて貰って、本日のブログ打ちをして、少し横に為ると致そうか。

 本当は少し打ちたい物が有ったのだが、如何せん脳味噌の回りも根も尽きて仕舞ったから、ギブアップの態である。


心何処ーショート 本日、花粉量多し。
            本日、花粉量多し。(3/23/13)

「お早うざんした。百姓仕事は終わったかい?」
「あいあい。俺ぁ恒例の花粉症劇場だわね。」
「おやまぁ~、野獣の外観とは違って、繊細だねぇ。オイさんは。」

 いやはや、本日、クシャミ、鼻水、目の痒みで、<こりぁ、いかんぞなもし>の態で在る。斯く為る上は、ティッシュ・ペイパーをポケットに車に乗り込む。

 本日は曇天で、結構寒い次第である。スタバのツルヤで新刊本を覗いて行く。読んで見たい本が何冊か並んでいるので、その数冊を目次で見て行く。然しながら、読書嫌いな性分であるから、結局はパスで二階席へ。

 お土産に頂戴した饅頭を持って来たので、それをケーキ代わりにスタバの苦いコーヒーを飲む。

「なっ、上品な味だろ。」
「おっ、美味いな。此処のは苦いから、甘味を補充しないとな。」

 昨日は<男前二人が行くバスの旅>の2時間スペシャル版を放映して居た。世の中とは、中々に奇妙な物で、その冒頭が鹿児島の桜島をバックの旅から始まって、能登、知床と続いた。旅の締め括り感想の一つが、<一期一会>と云う事であった。

 昨日の吾がブログのタイトルが、『一期一会の現代バージョン』で、ブログ友の事を打った次第なのであるが、その彼が薩摩隼人なのである。そんな事で、桜島を見ながら薩摩人の人情などをニヤニヤと頷きながら、彼と重ねて合わせて見て居た次第であった。

 そんな報告・感想を交えながらコーヒーを飲み、他ブログさんから仕入れた貼り付け動画で見る真っ当に海外で農業指導、井戸掘り、芥子栽培から梅栽培に生活の糧を移行させたと云う医師の話などを紹介する。

「この前は、<自分軸>に就いてチョイと打って置いたんだけどさ。ネット樹海を漂流してるとさ、人間と云う奴は、如何しても感化され易い傾向を持って居るから、左、右を問わず、一方に感化され過ぎると妄信に突き進んじゃうし、一度、妄信色眼鏡を掛けちゃうと、3D映像見たいに立体で責められちゃうし・・・困った物さね。
 中道自分軸をそれなりに作って置かないと、見えて来ない物が世の中多過ぎるし、へへへ、困った物だいね。」

「そうだいなぁ~。この前、言った様に縄文人の三人乗り丸木舟でも左右のフローを付ければ、海流に乗ってエクアドルまで行っちゃうって話だしさ。フローを付け無きゃ、波間の木の葉で海の藻屑だわな。
 まぁ、そのイメージで行くと、ちっぽけな丸木舟でも、左右にフローを付ければ、波間に翻弄されても、ひっくり返らずにプカプカ海流に乗って、運が良けりゃ大迂回の太平洋横断って事だろう。
 云って見りゃ、それが本体の自分軸・丸木舟って事だぜな。太平洋は差し詰め、世間の荒波、時流の海流って事だいな。イヒヒ。」

「やいやい、巧ぇ~事云うじゃ無ぇかい。あれズラ、胃無し人間に為って、ネェチャン口説く機会が無く為ったんで、スケコマシ才能を<歳相応に修正>せざるを得なく為って来てるずら。加齢現象にぁ、未だ早ぇずら。」

「この野郎が~、孫三人持って、未来を託す為にぁ、教育が肝要だぜな。あい~。
 俺だって、その位の引き出しを持ってるぜや。」
「おっ、行けねぇや。今日は冷えてるから、駄目だ。我慢出来ねぇや。」

 パッパタイムを終えて、ホームセンターに行く。自転車にミラーを付け様と思い、コーナーで探すが、どれもバイク用である。

「如何した?」
「歳でさ、道を横断する時に、後ろを振り返るんだけど、体が言う事を聞か無くてさ。それで自転車にもミラーが有ったら、便利と思ったんだわ。転ばぬ先の杖だわね。」

「へへ、Rもそうか。ホントホント、もう体が硬く為って居て、頭じゃ振り返ってる心算なんだが、後ろが見えないんだわ。だから、俺は止めて確認してるんだ。Rは、強引に遣ってるだろう。あい~。」
「馬鹿こいちゃ行けねぇぞや。俺ぁ、インテリの慎重さも兼ね備えて居るわね。」

「何を扱いてるだ。頭はインテリかも知れねぇが、頭と行動は別物だぜな。見栄張ったって、俺に通用する訳無ぇだろう。自転車用のミラーはちゃんと別にあるから、大丈夫だぜ。
 サイズの合わ無ぇ穴に押し込んだって、官能の世界は得られねぇぜや。<ワタシ、此処イタイ。R強引。ワタシ、痛イ痛イ嫌イ。>ってさ。あい~。」

「ニャロー、ほざいていやがれ。」
 
★そうだよな。幾ら考えたって、あれじゃ取り付けられんわさ。買って頭の体操をしなくて助かった次第である。へへへ。

 バナナとヤクルトで昼をした後は、幸いお天道さんのお出ましであったから、バケツに4杯ほど川土の補充をする。石垣の斜面には頃合いの隙間が幾つも開いている。未だ人騒がせな大アオダイショウは姿を現わしては居ないが、半粘土状と為った土で、穴の埋め込みをして遣った。

 へへ、アオダイショウのヤツ・・・冬眠明けしたら、どんな顔をするか見物である。漸く迂回して出て来た物の・・・綺麗さっぱりと葦が刈られて空中からは、丸見えである。トンビに狙われ、カラスの集団攻撃を受けて、緊張の2013年の幕明きに違いあるまい。

 次のスペースは、次回に取って置くと致そう。へへへ、愉しみはボチボチが頃合いでも在るからして・・・

心何処ーショート 本日は、一期一会の現代バージョン為りや。
        本日は、一期一会の現代バージョン為り。(3/22/13)
 さて、起きるか。如何やら、老母殿は体調が芳しく無さそうである。為らば、<朝飯前に、一仕事して見るか>である。スコップとバケツを持って、川原に下りる。後10杯は欲しい処である。本日は朝から暖かいから、ロートル連中の一人散歩が多い。陽気の所為で、のんびりと河川敷のベンチに座って居るロートル男達の姿が見える。

 ハハ、訳の分からぬ熊見たいなオヤジが、せっせとスコップでガバン、ガバンと川原の土を掘り起こして、休まずに重いバケツを持って石垣の堤防を上って行くのであるから、オッタマゲの物見なのであろう。

 へへ、そんな体格じゃ縄文人には為れませんわな。第一、目が死んで御座るぜよ。人間は、馬力が肝要で御座りまするがね。何だったら、手伝わせて遣るかいね。そうすりぁ、目が生きて、胸が張って、少しはシャキッと為りますわな。ギャハハ~!!

 バケツの川土を開けて、軍手の手を熊手の様に使い、土を解して中の葦の根、雑草の根の土を落として広げる。土の不足個所を数えて、ヒィ、フー、ミー、・・・ アジャジァ・・・12も在るでは無いか。こりぁ、昨日の二の舞でゴザリまするわね。

            いやはや・・・これは長丁場で在る。

 それでも、こんな重労働が出来る身体に産んで貰って、有難やである。年に何度かは、トコトン遣って自分の体力測定をして置かないと、いざという時の目安には為らないのである。←そんな魂胆も在る次第なのである。

 肉体的には疲れる単純作業では在るが、遣れば遣った分だけ、先が見えて来る。こんな単純明快な引き算の世界は、心身ともに悪くは無い作業時間でもある。←乗りかかった船だ。遣ったろうじゃ無いのさ。俺ぁ、男で御座る。

 一念発起して、土弄りをし始めて3年である。当初は余りの土の少なさに、周囲を掘り起こして畝を作って、漸くの土の厚みを確保した。当然、畝を作った畝間はガッポリと凹地と為った。其処へ落ち葉を堆積させて腐葉土にして、葉物野菜が終われば、その畝間に土を乗せて、次の畝とした。去年はそれに川土を同様に運び入れて、土量を加算して行った次第である。

 そして今年は、これで畝を作らなくても、それなりの土量が出来た。ざっと見た処、イメージ通りの家庭菜園場と為った次第である。今年は、地中の落ち葉も分解されて、砂ぽい土にも、微生物群の賜物で自然味の土壌が撹拌して行く事であろう。
 
 振り返れば、物臭者の第一歩から始まった<スペースの有効利用>で在った。一つの形さえ整えば、後は齷齪(あくせく)して川土上げもせずに、気の向いた時に補充すれば好いだけの事である。何もせずに放置して置けば、雑草が蔓延(はびこ)るだけである。土と親しんで、何かしらの物を蒔けば、芽が出て生育して目・気分を愉しませ、食卓の具材にも為る。

 朝に夕なに、水撒き、雑草毟りの時間潰しが、日課の時間割が加わる。蝶、イトトンボの定住地にも為るし、夏に為れば、キリギリスの放牧場とも為るのである。場が整えば、小さき物達への気晴らしも提供して呉れるので在るからして、この世に無駄な事など、何一つとして無いの<有り難いお言葉への反芻>にも為る。

 斯様に、閉じ籠りロートルには身近なオアシスともなる。へへへ、何事も、遣れば終わる物である。さてさて、ネギでも抜いて、味噌汁の具と致しまするかな。

   朝食を終えて、風呂に水を張り、ブログ心友にお礼の電話を掛ける。

 自然体の口調、テンポで長々と同年生の男話に興じる。へへ、変な話では在るが、<親子水入らずの関係>という形容詞も在るが、『男同士水入らずの関係』の形容詞も在って然るべしの段である。類は友を呼ぶ、一期一会も、一歩踏み込んでの<人の和の愉しさ>と云うべき物であろう。

                  彼曰く。
 有限の時と場所に、有限の人生を送るしかないのが、有限の生命・人間でしか無いから、どんな人にも気軽に声を掛けて見る。唯素通りするだけでは、一期一会には為らない。従って、素通りして仕舞っては、実に<勿体無い人生時間>との事である。

 へへへ、真に以って、含蓄のある言葉である。世界人口60億70億と云っても、こうして電話で話が出来るのは、たった一人なのであるから、人間は不要のバリアを脱ぎ棄てて、人間モロ出しで垣根を低くして、一期一会の中から、宝物を得て生きる<己が肥やし>にすべしとの由である。一期一会が宝物に為るか、為らないかは、その人間の持つ『人間力の魅力』との事である。

 いやはや、ウッシッシと云うべきで、ブログ樹海にも、スットコドッコイで花咲く世界も在りである。はい、本日は、一期一会の現代バージョンでアリンス。


心何処ーショート なんの、これしき・・・
             なんの、これしき・・・(3/21/13)
 おはぎで昼をして一服付ければ、早や三時である。嗚呼、疲れた。腰が痛い。

 まぁ、それでも好い仕事をしたと云う物である。お天気が良かったら、草むしりをしようと思って居た処である。草むしりをすれば、何かしらの悪戯心が出て来る。去年作った家周りの花壇の在る野生種の菖蒲を掘り起こして、株分けをする。石ころだらけの土地であるから、石を取り除くと土が無くなって仕舞った。

 バケツとスコップを持って、川原の葦の根元に足でグィとばかりにスコップを入れると、ナイルの賜物では無いが、良い土が厚く堆積されている。

★こりぁ、予想外の掘り出し物ではないか。一発遣って見っか。しめしめの感がして来る。

 去年から家庭菜園を始めている次第では在るが、兎に角、土が無い。そんな事で、去年も川から砂土を結構入れた。庭の落ち葉は土に還元しようと、それなりに腐葉土にしている。そんな事で、結構、家庭菜園の土も多く為って来て居る。もう、一息である。
 
★どんなに文明文化が進歩しても、其処は自然の中で生まれた人類なので在るから、人間は土にこそ『親和性』を持っている生き物なので在る。

      <冬明けて、春の息吹に 吾は従うのみ>で在ろうぞ。

 普段は物臭者では在るが、一度エンジンが掛ると、最後までしないと気が済まない体育会系体質である。まぁ、風も無い事でも在るからして、物は考え様である。散歩の時間を肉体労働に替えれば、体力には未だ未だ自信が在るから一挙両得で在る。思い立ったら、吉日の喩えも在る。

 12~3杯を運び終えて、完全にフラフラの態で在る。これで、まぁまぁの感じである。腕は痺れる、背中は張る、足はガクガクの疲労困憊ではあるが、<何のこれしき>男たる者、ヘラクレスが理想よ、肉体労働に全身汗を掻いて、ナンボの物じゃい。途中でギブアップしたら、男が廃る~。・・・で、悪足掻きをするのが、男の体細胞なのである。・・・とほほ。

 へへへ、苦役から解放されれば、我田引水の一服で、煙草に火を着けて、家庭菜園スペースに、<如何じゃい、参ったか。これが、文武両道の男姿よ。>のニタリ顔なので在るからして、私は救い様の無い大戯けと云った次第である。ギャハハ~!!

 さてさて、ブログ日誌を打った後は、流石にヘバって居るから、昨夜は途中で寝て仕舞った映画DVDを見ながら、昼寝でもするべしである。


心何処ーショート 老母様、連チャンのワラシベ顔。
         老母様、連チャンのワラシベ顔なり。(3/20/13)
 晩飯の炊飯器にスイッチを入れて、ブログ打ちをして居ると、民生員のF姉様が見えられた。喫茶店のK婆さんの所からの帰りで、ブログ日誌・絵ファイルの返却とお婆ちゃんへとのケーキお菓子の差し入れである。K婆さんは、Fさんが19から習った生け花の先生との事で、40数年来のお付き合いとの事である。

 へへ、老母の部屋に案内して、女同士の話に興じて貰う事にする。ブログ文書は切りの好い処で中断させて、女部屋に参加させて貰う。いやはや、妖怪様は自分の娘に手を摩って貰い、丸でワラシベに戻った様なハシャギ様である。こんな光景は、絶対に日本の男には出来無い女族のスキンシップ術と云って良かろう。有難や、有難やのF姉様である。

    お見送りの玄関では、F姉様に厳重注意を頂戴して仕舞った。
「Rちゃん。母親に向かって、糞婆ぁなんて言っちゃ、駄目だよ。年寄りは労って遣んなくちゃ。解ってる?」

「へへへ、其処が、女の浅はかさってもんせ。俺だって、賄い夫5年の実績さね。綾小路きみまろの話術を見習ってさ、昔から、良薬と劇薬の匙加減て云うでしょう。それで試行錯誤の産物で<悪態の寸止め技法>を体得してさね。今じゃ、木戸銭只の漫談配達してるんだんね。口の重い婆さんが平気で、他人様に倅の悪口を話せる様に為ったんだから、筋の好いお弟子様ですがね。
 あれだよ、こんな調教は、ディサービスじぁ、絶対に出来無い<高度テクニック>ですがな。ギャハハ~。」

「こりぁ、Kのお婆ぁちゃんの云う通りで、一切、見込み無しだ。束に為っても、太刀打ち出来無いわ。Rちゃんの文章は、レベルが高過ぎて、80超えた女の頭には消化し切れ無いってよ。あれだよ。頑張り過ぎて、体壊しちゃったら、共倒れだからね。
 息抜きに喫茶店に顔出して遣ってね。お婆ちゃん、Rちゃんと話してると楽しくて、若返ちゃうってさ。美男子だってよ。う~んと褒めてたよ。行って遣ってよ。じぁ、また来るからね。」

 明けて本日は、午後から倅ファミリーが墓参り後に来るのであろう。あっじぁ~、掃除に取り掛かる前に、遣って来た。

 ベットの在る老母の部屋では狭いから、寝所の吾が居住区の掃除に取り掛かる。前回は風邪引きで寝てばかり居た孫は、ジィジ、ジィジの愛嬌を振り撒いてトコトコと走り回って、悦に行っている。おやおや、バァバも言える様に為っているでは無いか。

へいへい、この家は女の居ない家だから、ジィジはお仕事、お仕事でゴザンスよ。

 掃除機掛けに、玄関鳥の世話に、台所の洗い物、食事のセッティングと・・・はいはい、これ全て、賄い夫の守備範囲ですがな。

コラッ凌祐!! チョロチョロしてると、とっ捕まえて、掃除の助手にしちまうぞ。

 早起きをして作って来て呉れたと云う五目寿司飯に、手っ取り早く澄まし汁を作って、いざオマンマタイムである。月に一度の孫見では在るが、その成長の速さには舌を巻く物が在る。

<おちゃ><ふぅ~、ふぅ~、あつい><おかわり><なんまいなんまい><いらない>と来たもんだ。いやはや、それに良く食べる物である。腹が満腹に為れば、現役世代は、日頃の疲れで眠く為る。

 倅と婆様のゴールデンコンビは、ぼそぼそと話して居る内に、倅はコタツで転寝、嫁さんは老母の部屋で転寝。私は、昨日からとあるブログさんで見付けた、世界で活躍する日本人達の美談を収めたYouTubeを見てのマイタイムである。

 孫は、マイペースで家中をトコトコ走り回って、お相想を振り撒いて一人悦に行っている様子である。部屋中開いて居るから、ジィジ、ジィジと顔を見せに来る。それでも掴まえ様とすると、ニコニコとしてトコトコ走りで逃げて行く。

      生憎の曇り空の風日であるから、外への連れ出しも儘為らぬ。

 さてさてと、吾が仕事は賄い夫である。台所の洗い物をして、沢庵をビニール袋に詰め込んで、弁当の添え物・口のひん曲がる自家製梅漬けを小ビンに押し込む。

「ウチの職場は、年配者が多いから、お父さんの沢庵をお茶請けに出すと、もう無いか、もう無いか、って言われちゃうけど、そんなに出して居ると、こっちが食べる分が無く為っちゃうから。早々、お人好しには為れ無いもの。実家も、喜んで食べてますよ。お父さんの沢庵、干し柿は、全然違うって。沢庵も干し柿も、干しが肝心だから、外で働いて居ると出来ないから・・・」

「そうズラ、何て云ったって、俺ぁ天才だぜな。種明かしは、そうだよ。干す事で味が凝縮される。ギャハハ!! 今日はさ、風味が長持ちする様に、たっぷり糠を入れといたからさ。梅漬けの方は、一杯入る様に潰して入れといたからさ。」

「何時も、すいません。家はお父さんの手作りファンですからね。アハハ。」

 さてさて、お帰りの時間である。老婆は、ニコニコ顔のワラシベの顔で、玄関廊下から何度も何度も頭を下げて、手を振りながらのお見送りで在る。

 さぁ~てと、お茶を一杯所望して、風呂に入って、浴槽、風呂場洗いが残っている。それを済ませて、本日日誌ブログを打つと致そうか。


心何処ーショート 春に吹かれて
                 春に吹かれて(3/19/13)
 明日の春分の日は、お天気さんは悪いとの事である。ヤクルトママさんも来たからして、ドライブがてら<親父の墓参り>に行くべしである。気温はグングン上昇して、暑い位の感じである。

 車窓を全開して風景眺めの安全運転である。途中でスーパーに寄り、切り花、おはぎ、果物類を買って行く。市の南部に位置する丘陵全体が、墓地公園と為って居る親父の墓である。墓参りには明日が予定されて居るのだろう、空き空きした見晴らしの利く公園の一方通行に従って、西のアルプス連峰のパノラマに冬を脱した心が和み、また弾む物である。

 裸の枝木は、未だ冬枯れの服装では在るが、公園の桜木にも春の気配を感じる。公園をほぼ一周してグランド状の駐車場に車を止める。へへへ、何処にも横着者がいて、最短距離の路上駐車、車止めのギリギリにまで車を乗り入れている不心得者達が居る物である。

 親父の墓を清めて、花、お供え物、線香を手向ける。親父の墓には、正座をして南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏を念じるだけの事である。それが終われば、墓前にどっかりと胡坐を掻いて、何思う訳でも無く・・・脳裏に浮かび動く親父のスライドに苦笑いをしているだけである。

 さてさて、親父殿、俺ぁ帰るわいね。花粉症は、鼻水にクシャミ、目の痒みのコンニャローめですがね。

 丘陵を下ったアルプスの眺めが、実に好い。吾が家からは常念岳が中央に見えるのだが、この辺りからすると、北への眺望がグーンと伸びる。常念岳を中心に、南は青いアルプス。常念から北は白銀が覆って峰々を凝縮させて安曇野、大町と続くのである。冬の信州は、辛い寒さの連続で在るが、冬が幕を閉じれば自然が芽吹き、季節が躍動する地である。

 せっかくのドライブであるから、少々遠回りをして行く。小学生の4~5年生と云った処で在ろうか。二人が楽しそうに仲好く話しながら歩いて居る。その一人は、都界の街行くファション誌のお洒落ギャルを其の儘、縮小したジャリンコである。いやはや、恐れ入谷の鬼子母神の沙汰である。

 丁度信号止まりであるから、どんな御面相かと興味深々で拝見させて頂く。へへへ、<将来性乏しき面相と見たり>であった。

 仏壇に花を飾り、お供え物をして、蝋燭に火を点して、線香を焚きチ~ンの南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏である。

 さてさて、婆っさに昼の支度である。掻き揚げ天にチクワの天ぷら、卵を添えて、熱いうどんを啜って、一件落着である。

 20℃超えとの事であるから、<婆さん、車椅子で一周りしようか>と言うと、<こんな惨めな姿を世間様に晒したくは無い。此処で、庭を見ているだけで充分>との仰せである。

   へへ、この糞婆っさ、真に以って、可愛げの無い婆さんである事か。

 さてさて、美ケ原、鉢伏山の東山山系の山裾に、春の訪れを感じて来た次第でもある。雪解けの水の旅に準えて、昨日ブログに次の一文を加えて見た次第である。

           <ロボット革命>に因んでの加筆部分
e、ロボットを同じ屋根の下の仲間として、協働する日本の精神風土。嘗て人間の労働を奪う存在として、日本の産業ロボットを敵視して居た欧米のロボット観を思い出させる。

 その中に在る外国の精神風土と日本の精神風土の相違の出処に、『国柄』の相違が見えて来る。その奥には、其々が作って来た『歴史』が蘇る。国柄が歴史を造るのか、歴史が国柄を造るのか・・・国柄、歴史も、その国の<国民に内在する統合物の所産>なのである。
 
 地上に降った雨、雪は幾重為す地層に浸透して、普段は見得ぬ地下水脈を為す。その地下水脈は伏流水として、地上に幾つもの湧水と為って姿を現わす。<手に掬いし、その湧水、風味の如し>と云っても良かろう。

 斯様にして、一つの現象・工作物は、正に<字は体を表し、現わす>の諺通りの観が在る。森は木を現わし、木は土・水・風土を現わし、造り手は、森から木を選んで社会・国家に還元する。

           吾は一人 親父の墓に 花・線香手向けて、
                   唯、唯、
           南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の合掌ぞ・・・


心何処ーショート 灰色空に、風吹き荒れる。
               灰色空に、風吹き荒れる。(3/18/13)
 凄い風が、夜来から間断無く吹き荒れている。完全なる睡眠不足の布団出である。こんな日には、朝の賄い夫をストライキしたい物である。

 これでは外へ繰り出すお天気さんとは、到底思えない凄さである。雨は夜からとの事であるから、洗濯をすれば、この強風で乾きも早かろう。国会中継の続きをラジオを聞きながら風呂に入り、風呂を譲った後は、自転車で郵便局へ支払いに行って来る。

 風音は煩いが、気温は高い。風呂上がりの薄着で、四畳半定位置でPCを開く。昨日分を読み直して、半ページ程、加筆をして置く。ブッ付け本番で打ち進んで居ると、多かれ少なかれ説明不足のマスターベーションと為って仕舞う次第である。一応は自分の保存用として、ブログアップ後は読み直して誤字などを修正して、気に喰わない個所を直して居る次第である。

 それでも、私のブログの先には、私が生きた形を倅、孫へ伝えたい想いが在る。そんな次第で、自分の本音・思考の根底にある物が顔を覗かせて居る文章には、打ち手としては極力、省略、説明不足の不備な点を加筆して置きたいと云う気持ちが働くのである。
 
 まぁ、未だ機会が在るから、文章を寝かせて置けば、何かしらの加筆が出来よう・・・
 
 昨日の大河ドラマの後は、コタツでウトウトしてしまい、途中から見たスペシャル番組<ロボット革命>ではあったが、中々の好番組で在った。スペシャル番組も、ただ単に番組の切り口、進行に盲従してしまったら、何の感想も起こらないし、頭の引き出しに収納出来無く為ると云う物である。
 自分軸を持つか持たないかで、興味・感想・分析の扉は開かれて、色んな側面が見えて来る物である。頭の引き出しは、単なる記憶の蓄積では無く、参考資料とすべき記憶の欠片なのであるからして・・・。

 記憶の断片・欠片が、或る時、関連の下に浮上して、それ等の整理整頓の中から目前の疑問への解析への『自分軸』を作り出して行くのだと思う次第のである。

 本田技研・東大・NASA・韓国企業と米国企業との融通(ハードとソフトの融通)、人間とロボットが始業前のラジオ体操から始めて、同じラインで協働する光景、・・・etc つくづくと人間の造る物の中には、人間の物に対する想いが込められて居る物だと感心するのみである。巨視眼でそれ等を見れば、そこには紛れも無い作り手の社会観が見え隠れして、その先に在る文明文化観も、それ等を創って来た歴史にも想いが重なると云う物である。人間が創る物は、等しく創り手に<内在する統合物の所産>と云って良かろう。

a、本田技研には本田総一郎のホンダイズムが仄見えた。後発自動車メーカーが米国市場で頭角を顕わした過程の中で、技術の最優先性と技術保持の痛みを知っているからこそ、独自完成を目指すホンダ。
b、学問・技術の不変性を優先する東大チームの違い。
c、ノックダウン方式で経済成長を遂げて来た韓国企業の効率・コスト主義。
d、NASA主導の呼び掛けをする事で、コーディネーターの胴元の地位を最大限に利用して、技術・ノウハウを得ようとする米国NASA。
 
 森は木を現わし、木は土・水・風土を現わし、造り手は、森から木を選んで社会・国家に還元する。

 ラジオからはTPP問題に就いて、集中審議が行われている。質問者もピンからキリまで・・・さてさて、どこら辺を引き出しに入れて置きましょうかね。

心何処ーショート 春日に釣り糸垂れて、反芻して見たなり。
         春日に釣り糸垂れて、反芻して見た為り。(3/17/13)
 日曜日であるから、朝食後はノンベンダラリと一週間の報道ダイジェスト版を、お茶をお代わりしながら見て仕舞った。

①広島の牡蠣工場での中国人実習性の殺傷事件、②対馬の盗難仏像の韓国僧侶の言い訳御挨拶、③TPP問題・・・etcに、日本のマスコミはシャキッとした辛口報道が何故出来無いものかと、呆れた口が塞がらない。ただ一つ、大いに拍手を贈ったのは、④樹木希林のコーナーだけであった。日頃、気に喰わない女キャスター、コメンテーター男では在るが、彼女の生き様に対して<偉大な常識人>と称した処には、大いに同調する次第で在った。

 その女優さんは70歳と云う事であるから、大東亜戦争開戦の前年に生まれた女性である。『人は時代の子、時代の存在』を、良く現わして居ると思う。人間は、その時代の定めの中に生きて居るのであるからして、<人は時代性を帯びて、自己の人格を形成して行く宿命>を帯びて居る。文学座の岸田森との結婚、離婚。その後、ロック歌手の内田裕也と結婚・別居、ロックンローラーの無断離婚届けの無効を訴えて、その後も正々堂々と別居結婚を維持して居るそうな。

 結婚・離婚→再婚・別居夫婦と、ケジメを着けて、意思を通し、意志を通し続けている。一個の個をを押し通すと云う事は、ケジメと我慢の人間道を背筋を伸ばして生きて行く。己が信念を曲げずに己が筋を通す処が、個の魅力と言うべき生き様である。偉大なか如何かは知らないが、これこそが『常識人の生き方』である。

亭主曰く。<癌で俺より早く逝ったとしても、俺を連れて行かないでくれよ。俺には未だ未だしたい事が在るから。>
女房曰く。「そりぁ、解らないよ。寂しく成ったら連れに行くかも。だって、好きなんだから、しょうが無いよ。ワハハ。」

 彼女曰く、内田裕也との<ご縁>が在る以上、彼女にして見たら『とんでもない許せ無い物』と好きだと云う気持ちの大きな混沌を抱えながら、ご縁と言う諦観の下、その定めに従う生き方を選択して居るのであろう。
『清濁併せ吞む』のが、常識・良識を持った個の強さと輝きなのであろう。清濁併せ呑むの心境と味が、自然体で滲み出て来るには、その意志と時間の積み重ねが必要なのは、言うべきも無い当然の要素で在ろう。

 太平洋と云う海底には、巨大プレートが沈み込む。西にユーラシアプレート、北に北米プレート、東に太平洋プレート、南にフィリピンプレート、更に相模トラフ、駿河トラフ、南海トラフの巨大落ち込みが控えている。太平洋に弧状列島を造る日本列島は、火山の島国である。大気運行でも季節風・台風が吹く島国でもある。

 地震、雷、火事、親父と逆らえない事には目を瞑って、営々と何万年もの太古の時代から、縄文→弥生→古墳→古代→中世→近世→現代と、日本と日本人を紡いで継承して来たので在る。呆然自虐で立ち竦んで居ても、物事は何一つ前には進まない。引っ越すか、それが出来無ければ、その場所を終いの住処として、次に備えて復旧・復興するしか無いのである。生きるとは、多かれ少なかれ、そう云う事では無いだろうか。

 これは、ご縁とお陰さまが、日本人の生き方の底流を為して居ると言っても好かろう。ご縁とお陰さまの中心に在るのは、他人様が出来る事は自分にも出来る筈だから、目立たず黙々と努力する。努力して一人前に為れば、お陰さまと云い、今度は他人様に何かお役に立ちたいと考える。他人様から後ろ指を指されない様に真っ当に生きて行く。此処にも、自助、共助、公助の精神が流れている様に思われる次第である。

 これって、取りも直さず<中庸の精神・公の中の個の認識>じゃ無いんでしょうかね。それが日本人の精神的常識を育んで、『和を以って貴しと為す』の協働の協調精神を日本・日本人に創り継承して来た精神文化の日常風景だったんでしょうに。

 俺が俺が、私が私がの<個利個略の強調文化圏のお国柄>とは全く異質の文化圏を築いて来たのが、日本・日本人その物だったんでしょうに。

 個利個略の文化圏侵害を受けて居るのが、歯痒くも苛々する戦後民主主義下の日本・日本人の姿である。

①②③の何れを見ても、個利個略の強調文化圏の毒牙・毒絵は、異次元のおぞましき出鱈目振り・狼藉三昧と言うより他無しの沙汰である。

①に就いて、コメントすれば、実習生制度の実態が当初の目的とは違って居るとの事では在るが、その制度を実効為らしめる為には、巨大国家中国為らば、水資源買占め、各都道府県に大そうな領事館購入を仕出かしている<人出と資金>が在るのであれば、自国民の人権を護れば良かろうに。文化・言葉の齟齬を解消する為に、国家の出先機関の大使館・領事館の手で、通訳を置くとか定期的工場巡視をして、日中間の労務会合を開いて制度の実効性を高めるのが本筋で在ろう。大声、馬鹿の言葉で、殺傷事件が勃発したと在っては、土台、北京五輪の長野での聖火リレー騒動、尖閣への連日連夜の領土侵犯の悪弊を繰り返すのみである。現場力の無さが浮き彫りにされるだけで、中狂国風の国家運用と云うのは、360度、旧態依然の人民は国家家産の一部にして『置き場経営』の域を脱して居ないお粗末さである。

②に就いては、仏教全盛・朝鮮文化興隆時の高麗時代の文化財は、韓国と云うよりも朝鮮民族にとっての誇りとする気持ちが、底流に在るのは間違い無かろう。然しながらその後の500年に亘る李氏朝鮮の時代は、完全なる中国支配である。仏教から儒教に変わって、廃仏毀釈が大々的に行われて、朝鮮の仏教は一気に衰退した。

 日本の文明開化期に於いても、廃仏毀釈が大々的に行われた。それを救ったのがフェノロサと岡倉天心だったと云う歴史は、日本人なら誰しもが知っている。ゴミ同然として遺棄されて居た仏像を対馬のお寺の本尊として、600年も拝んで来た対馬並びに檀家信徒さん達に、盗品のお里帰りを正当化する神経の脱線・切断振りは、流石に中狂国の属国にして事大主義を育んで来た怨の民族性と云うより他無い。この国が、世界有数の大学進学率75%を誇ると云うのであるから、何をや、言わんかの低民度国の実証様である。

 へへ、①②の如き毒亜国風情に、やれ、南京大虐殺、強制連行従軍慰安婦呼ばわりなど、笑止千万である。

③TPPに就いては、第一次世界大戦で、対岸の火事で大躍進したのが遅れて始まった産業革命国米国で在る。余勢を駆って第二次世界大戦では目の上のタンコブ海洋国家・日本を壊滅させ、冷戦時にはソ連との軍拡競争でソ連を崩壊に導き、向かう処、敵無しの世界最強の軍事・警察国家とは為った物の・・・その後の出費と国内産業の国際競争力の低下に喘いで、世界最大最強の債権国が、今や大変な負債国に陥っている。

 湾岸戦争では、戦費を日本に肩代わりさせて、美味しい処だけを持ち逃げした。それも、彼等にとっては酷く罰が悪かったと見えて、日本を、<金は出すが、自分の血を流さない国>とプロタガンダを仕掛ける。
 
 流石に米国の出自が奴隷国家だけ在って、額に汗して働くのが余程嫌らしく、国内製造業を捨て去り、物作りから金転がしに<転業>して、企業は株主の物と豪語して、株で企業を入手して終えば、切り刻んで高値で売り捌いて、その資金で次の獲物漁りを繰り返す。やれ、IT革命、ビックバーン、サブプライムローンだのグローバリゼーションとか、訳の分からない造語を編み出して、<目先の新しさ>で拝金亡者共の射幸心を煽りに煽って、世界の基軸通貨$を刷りに刷り捲る。

 とどの詰まりが虚盲経済と実体経済の必然的破綻をバブルの崩壊と口を拭う無責任体質を曝け出しても、マネーゲームの損は、再びマネーゲームで取り返す。そんな様で、一向に恥無い国家である。

 故郷の欧州からは、余りのアメリカンスタイルのエゲツ無さに、そっぽを向かれEU圏に入れ無かっただけの事である。こんな風に、米国の歴史を超特急で見て来ても解る様に、財政の涯っ淵・<米国の足掻きの凝縮図>がTPPなのである。そんな物は経済不可の私にだって、容易に米国の魂胆は嗅覚で嗅ぎ分けられる次第である。

 さて、④として当然登場願わなければ為らないのが、樹木希林&内田裕也の夫婦道と云う事である。樹木希林を偉大な常識人と敬称する為らば、『日本国が偉大な常識人』に復帰する為には、戦後占領軍の置き土産憲法を改正して、自国は自国民の意志と力で護る。自縄自縛の自虐史観を払拭して、是々非々の歴史観を確り身に着けて、個利個略のおぞましき身勝手個人権利を、公序良俗に即した『通理』に基づく権理教育を構築して行かねば為るまい。

 変な話では在るが、こんな戦後の日本の姿を見て居ると、米国映画にはお馴染みの刑務所の図が、頭に浮かんで仕舞うばかりである。気弱な小柄な男受刑者は、寄って集ってタトゥー紋々の人種マチマチの荒くれ受刑者共の餌食に為って、<肛門炸裂の沙汰>を待つだけの不抜け出所者と為って仕舞うだけである。彼有名なアラビアのロレンスさんだって、オスマン帝国の変態野郎に捉えられて、人格ハザードされて仕舞ったと言うでは有りませんか。

 言いたくは無いが、スチィーブン・セガールの様に、そんな変態受刑者連中は片わ者にして、正義の懲らしめ振りを見せて遣りたいと思うのは、正直な人間感情では無いでしょうかね。自衛隊を国軍と言った途端、オカマ予備軍が、あ~だ、こ~だと、イチャモンを着けて来るのであるから、困った平和憲法常識と云う物である。

 へへ、本日は好天で在ったので、家で過ごす事が出来ずに昼から、釣りを試した次第である。庭の落ち葉の下を穿ったのであるが、予想通りミミズ一匹たりとも見えずで、仕方無く小麦粉を練って、馬鹿っハヤを相手にした。
 然しながら、水温未だ冷たく、小さな辺りが4~5回有っただけで、竿を合わせる段階でも無かった。重い長靴をひきづって・・・ これも散歩の内と苦笑いの態で、何ヵ所かのポイと巡りをして来た次第である。

 空中に虫を捕食する為に、セキレイ、モズが飛ぶ姿を見ながら、以上の本日の一週間ニュース報道を私風に反芻して春日の一時を過ごして来た次第でありまする。


心何処ーショート 青空に、白雲横並び。
             青空に、白雲横並び(3/16/13)
 沢庵容器を掻き混ぜて居ると、Tからの電話である。へへへ、手は黄色い糠だらけである。へいへい、少々、お待ちを~である。

「お早うざんした~。如何した? 踏ん張って居たかい?」
「そうじゃ無ぇせ、T用の沢庵を出して居たんだわね。」

 今日はジャンバーも毛糸の帽子も不要の暖かさである。玄関鳥の世話をした後は、外で草抜きをしながらお迎えを待つと致そうぞ・・・

 いち早く、春を感知した雑草の執拗さ、逞しさである。まぁ、雑草との対し方は、根気勝負しか無いのである。去年は、私のマメ勝ちでは在ったが、花の終わった半年の間に、何処からとも無く種が飛来着床して、見えぬ地中の中で根を張らして、春をいち早く察知するや、次々と芽を伸ばす。油断も隙も在った物では無い。ニャロメ。

 言って見れば無主の地面に、先駆けて先取特権を宣言して、後発の栽培種の成長を邪魔する。雑草嫌いの人間種からすると、大した抜け目の無さと云う事で在ろうか。尤も利害得喪に依って、生物の攻防する処が『生物界の弱肉強食・適者繁栄の理』とも云われている自然界でもある。へへ、むべ為るかなの諦観の溜息でもある。

 そんな次第で在るから、人間種にも、<庇を貸して母屋盗られる>とか<蛇頭>(スネークヘッド)なんて揶揄される第三国人に代表される人種も居るのである。ご存知の様に、蛇は自分の頭が入るだけの隙が在れば、其処から頭を入れて、あの長々と太い胴体を潜らせて内部に入り、獲物を襲う狩りの名手なのである。油断禁物が所有者の心構えと言って良かろう。

 尖閣の海も、入り込んだら摘まみ出す、引っこ抜くが、所有者の国の義務ですぞ。

 さてさて、Tのお車の到着である。
「あいよ。差し入れだ。」
「サンキュー、今が一番の味だな。仄かに柿の香りがするからな。大したもんだ。」

「ああ、去年は柿の木を坊主にしたから、その煽りで、何時もの3倍位、柿の皮が入ってるからな。色と云い味と云い、今年のは最高の仕上がりに為ってるからな。」

「如何して、今頃が良く味が浸み込んで居るのかいな? 解説して呉れや。」

「難しい事は解らないけどさ、漬け込んじゃえば、後は乳酸菌様にお任せしか無いんだけどさ。微生物の活躍は温度に、湿度に、食料と為る糖分の住環境次第だぜね。取り掛かる対象の大根だってさ、毎年、形には変化が在るしさ。何しろ素人の漬ける家庭の手作りは、あれだ・・・結果良けりゃ、全て良しって事さね。ギャハハ~。」

 スタバ二階席は、頃合いの入りで在る。YouTubeで見付けた昔懐かしい映画とか、<歴史の謎>などの海洋を渡って縄文人、関東に在った騎馬帝国、琉球王国の祖は、ハ丈島に流された源為朝、家康は信玄の子だったとか、・・・etcのホンマかいな???の面白話などをお披露目して、ロートルトークをする。

「Rは、良く其処まで、人名、数字を覚えて居るじゃないか。」

「やや、それがさ。中学の時の教師が、巧い事を言ってさ。人間の記憶力と云うのは、その内容を三回話すと、相当な割合で記憶されるんだとさ。為るほどと、痛く腑に落ちてさ。それで俺は勉強嫌いだから、面白いと思った事は、好奇心のお裾分けで素直に実行させて貰う事にしてるんですがな。
俺の干支はネズミだけど、言って見りゃ牛見たいに反芻してるんですがな。Tは早や生まれだから、本当は牛年で反芻してりゃ、違った風景を観る事も出来てんじゃ無ぇか。」

「いいだ、いいだ。大体、ネズミはぐうたらだから、あれじゃ無ぇか、牛の耳の中に入ってゴール寸前に牛の前に出て、ネズミ、ウシ、トラの順番に成ったって話だぞ。牛の俺としたら、ネズミのRにぁ貸しが有るんだ。その位、働いて貰わんと<帳尻が合わん>ぜや。あい~。」

★ニャロメ・・・巧い事を言うもんだぜや。俺ぁ、太刀打ち出来ませんがな。

 さてさて、本日は上天気であるから、外のベンチでパッパタイムをして、ホームセンター、スーパー巡りで在る。へへへ、春に先駆けて、店内は園芸コーナーには色とボリューム満載の態で在る。自転車の品揃えにも圧倒されて終う。

 暑さ寒さも彼岸までの・・・来週は彼岸である。今年の初ヤマメは何時釣れる事やらではあるが、日が長く為って気分も外へ外への移行期でも在る。青空に白雲横並び、ロートルの気分は、ウッシッシ!!である。


心何処ーショート やれやれ、青空が手招きして御座る。
        やれやれ青い空が、手招きをして御座る。(3/15/13)
 黒い薄手のジャンバーでも、ポカポカの陽気で、歩くのに疲れて仕舞った。雲一つ無い、青々とした空である。結構な風では在るが、丁度扇風機代わりと為って好い気持ちで在る。布団干しをして来たから、そろそろ帰ると致そうか。

 暖かいに越した事は無いが、未だ未だ乱高下を繰り返すお天気さんには、要注意の用心さは持って居た方が良かろう。大通りの反対を見れば、西隣のオバサンが手押し車である。道を挟んで、声を掛けると歯医者さんとの事である。そう云えば、老母の通院も金曜日で在った。

 へへ、大儀では在ろうが、カレンダーに印が付くと云う事は、一つのリズムで動く事なのであるから、それもメリハリの一つでも在る。大通りから小道に入って、斜向かいさんの玄関には、ビニールシートに土が広げられている。左様で在るか・・・春に向かっての土の管理が始まったのである。

   まぁ、私は腰の重い物臭者であるから、土弄りは先の先で良かろう。

 午前中は、老母様にはタップリの漫談も御披露した事でも在るし、日光と外気で膨らんだ寝具を取り入れて、本日は晩飯までは何もする事が無い。軒下の鳥籠を玄関所定の場所に並べて、四畳半定位置でティーバック紅茶を啜る。

 ラジオをBGMにして、煙草を燻らせていると、水槽金魚の流金が、まん丸の眼で私の方をじっと見て居る。勿論、金魚に表情を求めても出来ない芸当には違い無かろうが、3年以上も同室の関係なので在る。一応、私も金魚達も動物には違い無いから、意識を持った者同士で在る。依って、何かしらの認知度が存在して、何かしらの観察蓄積から何かを感じて居るのだろう。

 時々、まん丸るの黒目が、上下左右に動く処が面白いのであるが、それ以上の擬人化が働かないから、面白みに欠ける次第である。

 小中学校の下校時らしく、学童達の姿が過って行く。立ち昇る煙草の行方を辿れば、斜向かいさんの二階ベランダに風にそよぐ洗濯物である。小さな羽虫の数が、上下左右に風に翻弄される如く飛び交っている。

 さてさて、昼寝する程でも無いから、自転車で違うコースを一周りして参りまする。やれやれ・・・暖かいと、何かと気分は外へ連れ出そうとしているのでありまする。


心何処ーショート 完全に遁ズラ春なり。
            完全に遁ズラの春なり。(3/14/13)
 朝食前の空気の総入れ替え兼大雑把な掃き掃除をして居ると、白い粉の様な埃が浮遊して居る。ナンジャラホイ??と訝(いぶか)しげに、良く良くと見れば、何んと粉雪の浮遊では無いか・・・ 一気に、気持ちが窄(すぼ)んで仕舞った。

 いやはや、昨今の気象は乱高下、乱調の目白押しである。乱調の夏・冬の間に立たされて、アイドリング期間の春、秋の悲鳴が聞こえて来ると云う物である。

 籠鳥の藁巣の中を覗けば、去年の夏子のメス二羽の巣内にも、白い小さな卵が産み付けられている。いやはや、小鳥の成長とは早いものである。卵だらけの親番いの籠では、完全の抱卵体制が整って、餌・水替え時にも、抱卵中の親は巣から出て来ない集中振りで在る。

 本日の様にパッとし無い日には、温泉銭湯にノンビリ浸りに行きたい処ではあるが、この頃では、自分で風呂も沸かせぬ老母である。風呂の用意でもするべし。

「この頃は、温泉に行かないねぇ~。」とノタマウ老母様では在るが、何を扱きぁがる。倅の私は温泉銭湯を止めて、家風呂で済ませているだけの事ですがな。

 風呂で温まって、洗濯物を掛けて台所の始末をする。さて、これで良し。散歩がてら隣班の喫茶店でコーヒーでも飲んで、お喋りでもして来ると致そうか・・・

 おやおや、本日定休日との事である。其の儘、散歩をして来た次第では在るが、完全に冬へ逆戻りの風の寒さである。先日の裾元の溜池のお山には、薄らとした雪の色である。

            こりぁ、寒い訳ですがな・・・

 幾ら戯けロートルでも『湯冷め散歩』では罰が悪過ぎる。モードを転換して、オッイチ、ニー、オッイッチ、ニーのせかせか歩きで、体温維持である。

 春まだ遠い信州の春駆け・梅の蕾とて、ピンクの蕾を膨らませた途端の、この寒さではクシャミどころでは無く、ブルブル凍えるばかりであろう。朝からチェーンソーの音を響かせて居た川原では、伸びて大きく成った水柳の木が始末されて居る。葦も刈られ、水量も申し分のない流れである。連日の春日が続いて居たら、釣りが出来た物を・・・

 本日、薄日すら射さぬ曇り空で在る。町内の道を歩けば、まやかしの春日続きにすっかり騙されて、プランターの色とりどりのパンジー達の姿が、如何にも侘びしくも哀れな様である。

<寒空に パンジーの色ぞ 哀しき 冬戻り><パンジーや 春の下こそ 光る色彩>
 遺憾いかん・・・<風流や 寒風に負けて 吾れパブロン>では、形無しで在る。

 おやおや、回覧板で在るか。かねて病気療養中の処、78歳にて永眠。回覧板を次に回して来る。


心何処・・・靄もやもや
                靄もやもや
              靄、もやもや_001

 本日は本日日誌文の如くで、一日中、家の中で在りまする。そして、先ほどから雨が降って参りました。そんな事で、時間潰しに久し振りに色鉛筆でお絵描きタイムをして居りました。いやはや、絵は文章打ちの何倍も疲れる物で在りまする。風は、一向に止まずの状態で在りまする。コンニャローメ!!

心何処ーショート さて、煙霧の正体や、如何に!!
            さて、煙霧の正体や、如何に!!(3/13/13)
 昨夜は<夜来風雨の声、花落つること多少>なんて、風情のふの字も無く『雨こそ無けれ、暴風の騒がしさ、苛立たしさよ』で在った。闇の盲目から朝の目明きに為れば、風音は視覚に分散されて、その分、注意を逸らされる次第であるが・・・煩い事夥しい。

 然しながら、夜から始まった暴風の執拗さは、一向に収まらぬ有り様である。朝食後、薄日は差して来た物の、見上げる空は<煙霧>に覆われている。雲らしき物は見得ぬから、煙霧さえ無ければ、昨日同様のスッキリした青空に違いあるまい。嗚呼、勿体無しや!!である。

 晩秋・初冬の煙霧ならいざ知らず、この時期の煙霧と来た日には、その実態は色こそ黄色くは無いが、黄砂を含んだ中狂国煙霧の沙汰に違いあるまい。気象庁のボカシ表示<煙霧>の手にぁ乗らんですぞい。PM2・5に代表される如く、『汚染大気の毒霧』と用心するのが、常識人の嗜みである。

 気温は閉じ籠りを排して、いざ外への体細胞の挙手ではあるが・・・吾が属性として、春先は兎角、過敏体質である。とどのつまりが花粉症・喘息症であるから、外へ出るのは止めて置くのが肝要である。

 クシャミ、鼻水、目の痒み、風の煩さと・・・やれやれ、本日は退屈で、とほほの一日と為りそうである。ラジオの国会中継を聞きながら、お役御免のロートルの強みで自己防衛と行きましょうかね。

 さてさて、ボカシ表示に託けて、風評被害に就いて、暫し遊んで見ましょうかね。

 日本人と云うのは、<奇妙な民族特性>を有しているらしい。風評被害→自粛→謙遜→自虐史観→恥の文化→長い物には巻かれろ→寄らば大樹の陰→金太郎アメVS知行同一などの言葉を連想ゲームの喩えでは無いが、幾つか並べて行くと頭の体操と為る次第である。

 本来ならば中狂国の大気汚染の毒霧こそ、風評を大換起すべき流れなのだが、他国に甘く、自国に手厳しいのであるから、真に弱り目に祟り目。為らず者国家連に、足元をさらわれて終うばかりの大失態続きなんでしょうかね。
 ボカシ表示をする一方で、国内の原発事故の放射線量には例え規制値以下のレベルで在っても、挙って風評被害の蔓延沙汰を仕出かす。何か在れば、自粛のステレオ共鳴・共振に精出す。21Cは否応なくボーダレスの混沌のご時世なのであるから、『日本民族よ、大いに覚醒せよ』である。

 天の邪鬼的毒霧を噴かせて貰えば、『謙遜』と云う自分を低く置いて、他に花を献上する外形を採るが、・・・その実、<情けは他人の為ならず>で、謙遜・謙譲の美徳をブーメラン効果として得ている次第である。

<出る釘は打たれる>の喩えで、加点主義を排して減点主義の秩序の中で、長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰で、事無かれ主義の小平和に浸かる。人と同じ事が出来無いのは、我慢の足らぬ証拠で恥ずべき小我と云う。

 流行に乗り遅れる事は、イモと言う。カラオケ、ウォークマン、メールちゃかちゃかにアイホン。絆に見せパン、過去はスッパリ忘れて、現在を輝いて生きる不倫に熟年離婚。両生類に真似て両性類まで大繁殖。他人の命は虫けら同然、自分の命は地球より重い。何でもかんでも、自助は低ポイント、共助、公助の門叩き。貰わにぁ損損の国家疲弊のセーフティ・ネット。

 正に芯無き身勝手個人自由の百花貧乱のご時世で在る。←俺ぁロートルの時代遅れだけど、一切染まりたくは無いゲテモノご時世ですがな。

    さてさて、これでは収集が付か無く為る。本題に戻るべしである。

 日本民族が他国と比べて、<持ち過ぎる良心的反省を逆手>に取られて、古今東西の人間界事象の紡ぎ事・歴史学問に投入して仕舞う。これは冷静に考えて、イデオロギー、戦勝国の歴史観、道義偏重の摩訶不思議為る自虐史観を蔓延させてしまう、真に以って可笑しな現象である。

 コーヒー、煙草をお代わりして沈思黙考で、幾らスカンポ脳を整理して見た処で、何の事は無い。そんな目前の事無かれ主義の減点主義の蔓延が、日本人の何処を切っても金太郎アメの日本的偽善的処世術を、戦後70年近くも作り上げて来て仕舞ったの観が否めないのである。

 学ぶ=1、真似る→2、真似ぶ→3、学ぶ→4、知る→5、行うの五段階活用の図なのでは在るが、何事も3の学ぶ、4の知るまでは、学習進歩が叶うのであるが・・・最終段階の知る→行うが最大の難所なのである。大体はこの移行期で、人は思考停止、退散して知ると行うとでは別次元と一線を画して、頬被りをして識者・批評家でお茶を濁して仕舞うのである。

 知った事柄を、行うの実行域・実践域に橋渡しをするのが、『勇気』その物であるから、生身の人間からすると、その障壁たるや<アイガーの北壁登攀>と云う事なのである。

 それが証拠に、本日の煙霧も然り。また苛め問題一つとっても、勇気=身体を張って苛め問題に真っ向から立ち向かって、傷だらけに為って問題を解決して居る少数の実行者が、発言する場を見たテレビの視聴者が何人居られるのだろうか。深刻な問題故に、小説・映画・ドラマ以上の修羅場が、現実には数多く存在して居る筈で在りましょうや。

 学ぶは、真似る→真似ぶ→学ぶの段階で一応の成果を結ぶのでは在るが、これとても地球と宇宙の例を取れば、この三段階は地球&大気の圏内と云うべき段階で、大気圏から離脱して宇宙空間に出無ければ、宇宙の闇に青く輝く奇蹟の天球・地球の全体像を観望する事は出来無いのである。
 大気圏から脱して、地球全体を知って、すべき事を知り、それを実行する為には、再び大気圏に突入する『覚悟・勇気』を示さねば、再び地球には還って来れ無い事は、自明の理である。

 へへ、纏まりが着くかな???と冷や冷やの打ち込みでは在ったが、如何やらアガタ節の下衆の遠吠えと相為りまして、胸を撫で下ろしている次第でありまする。

 それにしても、一向に収まらない風舞い、風唸り喚き散らかすばかりで在りまする。本日も支離滅裂・長駄文の館にご足労願いまして、感謝感謝で在りまする。ギャハハ~!!

心何処ーショート 足を伸ばして、自転車徘徊なり。
           足を伸ばして、自転車徘徊なり。(3/12/13)
 雲一つない青空は、青味を増して行く。老母を相手の漫談を続けて居ても、パッとしない。掃除、鳥の世話をして、おニュー自転車で気分の払拭に扱ぎ出す。双眼鏡、ラジオを籠に入れて春日の自転車散歩である。上り勾配で在るから、5段切り替えが有り難い。

 ゆっくりゆっくりペダルを扱いで、田園地帯を抜けて橋を渡り山際の道を進む。タテハチョウ達が冬眠から覚めて、カサカサと乾いた枯れ葉の中を、ヒラヒラと飛んで居る。クジャクチョウの多い事に、ビックリである。

 既に、早落ち城址の辺りまで来ているので、勾配のきつさに直進出来ずに、ジグザグ進行で在る。自転車を止める事など、男の涸券に拘わると『忍の一字』でペダルを扱いで居るのだが、歩く以上の難儀さである。帰りは下り勾配の無運動ではあるが、散歩に遜色の無い運動量の確保であろう。ニャハハ。

 長散歩正規ルートの折り返し点H橋を渡って、更に山の麓まで足を伸ばす事に決める。集落の脇道から幹線道路への道の半ばで、推進力ゼロに陥って、ギブアップの自転車曳きと為って仕舞った。

 然しながら、悪足掻きから解放されて自転車を曳いていると、簡単である。私も歳なのであるから、この位のマイペースの方が、頃合いと云う処で在ろう。

 さてさて、これで気持ちがグ~ンと楽に為って、ペダルを扱いだり、曳いたりして山の傾斜地に足を伸ばす。既に盆地の全景が見渡せる。山裾の最奥を東西に渡す道に達して、小さな溜池を見付ける。

 薄緑をした水中に、昔懐かしいモロッコ(モツゴ)の姿を見付けて、自転車を降りる。ヨシノボリ、ウキゴリらしき物も見える。これなら、ヌマエビも居るに違いあるまいと・・・小さな池の周りを覗いて歩くが、見付からなかった。

 さてさて、盆地の全景を眺めながら西に自転車を進めると、山際の台地に軽自動車が数台止まっている。傾斜面の畑では爺さん、婆さんが、ネギを採ったり、レタスの苗を植えたりの作業をしている。雪が解け、土の凍みが取れて、日差し、風が畑に呼んで居るのであろう。

 ほいほい、行って見るべし、行って見るべし。行って見ると、これまた溜池である。先程の池の5~6倍の大きさで在る。完全に爺さん連の釣り人が6人釣り糸を垂れている。へへへ、爺っさ連中は、ゲートボール為らぬヘラブナ釣りの友なのであろう。未だ早かろうとは思った次第であるが、好いお天気さんであるから、自転車を止めて、池の周りを一周りして来た。

            待ち切れず、隠し池でヘラ釣る。
     冬眠明けの鈍き食いに、春陽はさざ波光らせてるばかりなり。
         然れど、春誘いに思わず竿出す爺連為りや。

     空青く、そよ吹く風の暖かさに、隠し池、松林の山に佇みて・・・

 真鯉、緋鯉が、釣り人の落とす餌を知ってか、護岸コンクリートに突き立たせた釣りスタンドの回りにユルユルと姿を見せている。皆、釣りが三度の飯よりも好きな年寄り連なのであろう。その中の一人が傑作であった。双眼鏡を固定したポールを立てて、浮きの動きを双眼鏡で覗いて居るのである。

      へへへ、爺っ様、戦時中は潜水艦乗りですかいな。

 いやはや、趣味と工夫は一対の物なのであろう。きっと、この連中は近場の御隠居さん達に違いあるまい。直ぐ様に、畑の野良仕事に移行出来る身為りで、各自が好きな様に釣り糸を垂れて居る。普段着の釣りが、好く山の風景に融け合って居る次第である。

 さてさて、食事の時間でも在るからして、私だけが蕎麦屋で好物の蕎麦を啜って帰る事も出来まい。そうだ、帰りにフキノトウを幾つか摘んで、蕗味噌で作ると致そうか。

 ヘタリ自転車の3段だと、此処まで自転車で来ようとは一切思わないが、5段なら散歩以上のエネルギー消費と為るから、其々を使い分けるのも知恵の一つかも知れぬ。

 へへ、如何やら、私は老母様への戯け漫談よりも、こんな風に一人で徘徊して居た方が、性に合う性質なのであろう。それにしても、気温の上昇と共に青味を増した空と風の通りの清々しさは、心身ともに酸素の供給で鼻歌の一つも出様と云う物である。


心何処ーショート さてさて、本日は何を打つべや・・・
          さてさて、今日は何を打つべや・・・(3/11/13)
 暦の上では<まだまだ冬の諦め>なのでは在るが、20℃近い日を経験して仕舞うと、真冬に逆戻りのブルブルの態で在る。前日の最低気温が+の6℃、今朝が-の6℃なのであるから、その差たるや12℃である。いやはや、堪ったものでは無いのである。

      雲一つ無いお天道さんであるから、風呂に入って洗濯をする。

 老母に風呂を譲って、その間にスーパーまで自転車漕ぎであるが、いやはや軟肌を寒風に吹かれて・・・やれやれ、『春は名のみの風の冷たさよ』である。甘いお菓子でお茶昼をして、四畳半は寒いから、二畳小部屋空気の暖まりの炬燵に胡坐を掻く。

 部屋の窓を開けて置いたら、大きな蠅が一匹入って居る。それがブブ~ンとばかりに、狭い部屋を飛び回ってる。気に為ると真に以て煩い。

 この~時知らずめが。<五月蠅い>には二カ月も早いんじゃい。この馬鹿もんが~!!

 お隣さんの白壁に陽が当たって、目には春の膨張色で好い感じなのでは在るが、外気の寒さは先ほど体験して来た次第である。常緑樹の松、ミネゾ、ビワの葉が、青空の柔らかなコントラストを見せて、枝葉が風に小さく揺れて居る。

 昨日から老母の愉しみの相撲が始まって、炬燵でお地蔵さんをするも好し、ベットで首だけ向けて見るも好しである。昨日に引き続いて、ラジオでは震災関連の番組で占められて居る。庭には雀、ヒヨドリが時々姿を見せるだけで、変化の無い佇まいである。DVD映画も見てしまった次第でも在るからして、ページを捲るだけの読書でも致しまするか・・・

 へへへ、本の題名は真に宜しく<教養人の世界史>なのであるが、本の哀しき宿命か・・・『本は、読み人を選ぶ事が出来ない』が辛い処なのである。

           さてさて、ページを捲ると致しまするかね。

 本日は、古代世界帝国のローマ軍の軍組織並びに軍人の年棒に就いての記述である。それに伴っての皇帝の支出、帝国の諸身分、属州の州議会・・・etcで読んで居るだけでも結構面白い。

 映画的には、クレオパトラ、ローマ帝国の滅亡、クオヴァデス、ベンハーなどのハリウッドのスペクタル史劇でお馴染みのローマ帝国の恋と戦闘の大活劇なのであるが、その実態の詳細エピソードの記述は、義務教育、高校の教科書には決して出て来ない内容である。

 ローマの軍隊は皇帝の私兵であったそうな。従って皇帝は軍隊の維持費を一人で背負わなければ為らなかったとの由。1C前半に於いて正規軍・近衛軍・帝都守備軍の給料・食費だけでも毎年56億526万円を要したと云う。

 当時の日雇い労働者の日給は90円、小麦は6升で120円。一般兵士の年棒は2万7千円(=日雇90×25日×12月=2万7千円)。正規軍の首席高級将校の年棒は、240万円との事である。

 ローマ帝国皇帝の依拠する処は、軍で在る。軍並びに軍人を個人が丸抱えをする私兵の頂点に立つので在るからして、大変なのである。尚且つ退役兵に年金を出す為に、相続税と売上税を振り向けた由。

 皇帝の収入は皇帝領の属州、皇帝所有の不動産(帝国全土に分布する土地、鉱山、工場)加えて驚愕すべき圧巻は、エジプト全土が皇帝の私有地であったそうな。
 また相続に関しては、強制的に一部を皇帝に遺贈させ、死刑、追放者に処せられた者の財産は、悉く皇帝の没収する処であったと云う。

★ベベェ~ン、ベンベン・・・「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす…」で始まる<平家に在らざれば、人に非ず。>の平清盛の比では無いのである。

 ラスベガスの賭博場で大負けして、議員辞職を為さったハマコーなんて、実に可愛い物である。ローマ帝国皇帝閣下が賭けに負けて、手元に金が無く為れば、州の戸籍調査表を持って来させ<最も裕福な者を死刑にして、財産没収>をする。美しい妻を持って居れば亭主に死刑を科して、妻を没収してしまうと云うのであるから、暴君ネロだけが極悪人では無かったと云う。
 ヤオヨロズの神々が共存共栄で暮らすアキツシマの末裔からすれば、正に<天球反転驚愕動地>の暗黒世界ですがな。パックス・ロマーナ(ローマの平和)、パックス・アメリカーノなんて、政治屋、政治学者諸侯が、ノタマウほどの綺麗事じゃ語れない凄さなのである。

 ギャハハ、古代のローマ帝国という実態は、暗黒の恐怖大世界帝国だったのである。従って、パックス・アメリカーノのTPPの米国魂胆にぁ、そう易々と迎合しちゃ行けませんがね。

 斯様に、ノック不要の<興味の部屋>に立ち至れば、面白き時間潰しも可能と為るのであるからして、ウタマロの大マラ&性技48手を持つ大和の民原なので在るからして、48手の何分かを使って、正義の探索をして見るのも、一興で在りまするぞえ。

 好いですかな。韓国さんが青筋立てて、従軍慰安婦だの性奴隷だとか、在る事無い事、世界に喚き散らして居るとの事で在りまするが・・・

 大和の国・日本には、奴隷制度も奴隷観念も無いので在る。世界で奴隷制度の無かった類稀なる国家なのである。へへへ、『天皇の下、一君万民思想』が、神話と混在して皇紀2673年を紡いで来たのであるから、もう少し大人のニヤニヤ笑いをして居ても良いと思うのだが・・・如何で在りましょうや。


心何処ーショート これも、本日日誌でも在る。
            これも、本日日誌でも在る。(3/10/13)
 曇天→雨→曇天→晴れとは成ったが、早や四時半である。ズーと太陽が無かった所為で、寒く感じる始末である。そんな次第で、500円DVDの一本、<オペラ座の怪人>を観たり、日曜日に託(かこつ)けて、だらし無くコタツで鼾を掻いて居た。

 オペラ座の怪人は、1943年作品のミュージカル映画で在る。ミュージカル映画には興味は無かったが、・・・ 米テレビドラマで、バート・ランカスターのサスペンス調のオペラ座の怪人の20年近く前だろうか・・・レンタルビデオ店で見付けた。
 私は彼の大ファンで在ったから、ランカスター物を見逃すと在っては、<ファンの涸券に係わる>の気持ちで観た次第である。彼の映画に失望した事は一切無かったから、そんな懐かしさで手に取った一本である。へへへ、何事も『比較から脳味噌の皺も加算される』の喩えで在るからして・・・

         以下は、DVDパッケージからの引用である。
「オペラ座の怪人」としてミュージカルにもなり、数々の映画化、作品が競ったガストン・ルルーの怪奇小説の映画化。レインズの名演で怪奇映画として以上の感動がもり上がる。
 オペラ座の怪人を演ずるのは「カサブランカ」で警察署長を演じた名優クロード・レインズ。パリのオペラ座に住んで居る怪人。彼は一人の唄姫を何故か愛し、その女性の為に恐怖の仕掛けをし・・・・以下略。
        第16回アカデミー賞 撮影賞、室内装置賞受賞

 ミュージカル映画とサスペンスドラマの違いは在っても、パリオペラ座のスケールと人間の声帯の持つ名器&凄さに圧倒されて観て居た次第である。もう一本は就寝前にする事として、昨夜の風音の煩さと来たら・・・寝不足と知恵熱は、昼寝で調整するが肝要である。

 庭には福寿草の乾いた黄花が地面に顔を並べ、スイセン、マンジュシャゲの青目がツンツンと顔見せをして来た。玄関鳥の10数個を産み放しにして居た籠では、オスメスが交代して、抱卵を始めて数日に為る。三回分卵数で在るから、腹の下に抱えられる数は精々が5~6個である。何しろ、産んでから大分日数が経って居るからして、孵化するか否かは望み薄と考えた方が良かろう。

 この数日で、水槽の水温が高まったのであろう。久し振りに、生意気コメットのヤツが、長い尾ヒレで水飛ばしをして餌の要求を見せた。

 本日3/10である。<暑さ寒さも彼岸まで>の言葉も在るからして、春が早いのか、春の長足踏みで、今年の春の行方を占うには、未だ未だ早計の段階なのである。テレビでは黄砂の飛来を報じて居たが、此処も午前中の曇り具合は、多分に不純物混濁の色具合で在った。

 ゴビ、タクラマカン砂漠に、黄土の大地を持つ大中国版図に、形振り構わぬ14億16億の民が世界の工場を邁進して、経済急成長の裏では環境汚染の域を遥かに凌駕して、地球汚染を仕出かしている。これは、『端から、生物としての感覚が欠落している』としか表現法が見付からないと云った方が、的を射ている。

 そんな中狂国の風下に位置している朝鮮半島、日本列島は、宗教がイスラム教為らば、成敗戦争のジハードを仕掛けても可笑しく無いのかも知れない。言うならば、大気、海洋、食品、領海汚染と悪行三昧の不埒国家である。キリスト教にジハードを挑み続けるイスラム教の対立を例に取ると、21Cの世界は中華思想帝国に対する聖戦に突き進むのかも知れない。これは由々しき問題と同時に、避けられない文化の違いから来る不可避の構造かも知れぬ。

 おやおや、又、風が吹いて来た様である。いやはや、またまた不純物満載の曇り具合に、夕暮れ迫る昼の終わりでも在る。



心何処ーショート お天道さん、高温大判振る舞いで、後が息切れじゃ困るんね。
  お天道さん、高温大判振舞いで、後が息切れじぁ困るんね。(3/9/13)
 暖かく為ると云うよりも、暑く為るとの予報通りである。股引を脱ごうかと思ったが、メタボ・ロートルであるから、慎重にして置く。

 Tの車待ちは家の中では勿体無いから、外で待つ。『雑草は、春に目敏い。』おやおや、去年は伸び放題の雑草根絶を思い立ち、重い腰を上げて延べ一週間程を投入して整理した家周りで在った。マツバボタンとカワラナデシコの花壇として、私としたら朝夕の水遣り、雑草抜きにマメ男を貫徹した次第では在ったが・・・厄介な雑草の登場である。

 雑草の生えを抜くと、確り土を抱え込んだ草丈の三倍もの根が抜けて来るから驚きにして、雑草達の強か根性の証明の沙汰である。
 う~む、恐るべし。こりぁ、油断禁物である。零れ種子からの発芽までは、エリア管理人の仕事とすべきである。

 そんな処に、Tの車である。チョイと話題の似顔絵をお披露目して、車に乗り込む。

「ほい、沢庵と解凍柿だいな。」
「おお、サンキュー。似顔絵は、そっくりじぁ無ぇか。Rが好みの女を見付けて、ニタニタと助平顔をする図で、大した絵描きさんの腕前だぜや。ヒヒヒ。」

「助平顔は無ぇじゃねぇか。まぁ、自分の顔は自分じぁ解らんから、Tが言うからには、反論は出来無ぇわさ。」
「あいあい、そうだよ。世間様は、Rの内面観察はして呉れ無ぇから、多数決に従うのが民主主義の鉄則だぜや。あい~。」

 本日、GWと言っても好さそうな春爛漫の気温では在るが、スタバ二階席はガランドーの有り様である。余りの上天気に、屋外繰り出しの誘因の方が強いのかも知れぬ。

 TのPCが不調で、駄目らしい。そんな事で、ブログのお浚いでこの一週間のブログ内容を念頭に、土曜トークを始める。お互い文科系であるから、機械弄りは御免蒙りたいの口である。PCの不調・フリーズは、しばしば有る事で、私も昨夜は懐かしいチャールトン・ヘストン、ユル・ブリナー、エドワード・ロビンソンの『十戒』を見付けて、3時間半の長丁場を観たのだが画面がフリーズして終い、朝はその後始末で小一時間を要して仕舞った次第であった。

 文科系と理工系とは脳味噌回路が異質に出来上がって居るから、機械に臍を曲げられると、ギブアップするしか無いのが、文系のタイテノコラサ状態なのである。話を聞いて見ると、へへへ、Tも概ね私と同じ様な対処の仕方で、機械のご機嫌待ちを仕出かして居るそうな。続いて、自転車修理に関しても、ブレーキのワイヤの調整にはギブアップで、ワイヤの弛みを紐で縛って居ると云うから、全く同程度の低能児域と笑い合うしか無い。

 昨夜は口寂しく為って、深夜に冷凍柿を三個持って来て、未だ解凍出来ぬ内に、食した。夏の氷菓の様でサクサクのフリーザー感覚で充分行ける。そんな事で、残り少ない冷凍柿は、夏の愉しみとする心算で在る。それを話すと、Tはそれを十二分に心得ていて、全開進呈した冷凍柿は、其の儘、冷凍庫に保管して在るとの事であった。常温解凍した柿二個の運命や如何に・・・と云った処である。

 ホームセンターで500円DVDを2本ゲットして、スーパーに回る。レジ袋を手に、いやはや、汗ばむほどの陽気である。

「この暖かさが、10日位続いて呉れると、釣りが出来るな。冬は、気分が後ろ向きで駄目ですがな。」

「Rは、趣味が広くて、一人でも退屈せんだろう。この前、従兄の葬式が在って出て来たんだけど、電車で見染めて口説いて一緒に為った夫婦でさ。カァちゃんが一年前に亡くなって、寂しい寂しいを連発して居たんだけど、急に血圧が下がって呆気無くご昇天さね。」

「女房に先立たれて、オヤジが1~2年で後を追う様に死ぬって話は、好く聞くけどさ。俗に云う処の<心気症>ってやつだ。その反対ってぇのは、あんまり聞かないなぁ~。何しろ、女は口ほど、亭主の先立たれには弱くは無いからな。
 しぶといと云うか、強かな生き物だぜや。昨日の辻元議員さんの従軍慰安婦じぁ無ぇけどさ、男が従軍慰安夫にさせられたら、直ぐ様、赤玉ポートワインで<腎虚>で商売にぁ為らんぜよ。
 人間、純文学だけじゃ生きられんのに、あれかね・・・女の方が業が深いから、あの世で適当な男が見付からないと、強引に亭主をあの世に連れて言っちゃうのかね。

『牡丹灯篭』にしても、『雨月物語』にしても、そうだしな。へへ、男と違って、女は※天子(てんこ)ちゃんだぜな。Tも死にたく無かったら、それなりにカァちゃんに長生きして貰わにぁな。ギャハハ~。」

「巧い事言うじゃ無いのさ。この頃は、<異界の女ナターシャ>は連れに来ないかいな。アハハ。還暦半ばまで来りぁ、お互いマイペースのピンピン・コロリが一番よ。Rは長生きするわ。長い腐れ縁だ。どちらかが欠けたら、心気症に為っちゃうから、死ぬ時は一緒の方が楽だぜや。あい~。」

「そうだいな~。<夢奇譚の戦国初頭にて>の時にぁ、二人して生命第一で、遁ズラして隠れ里を作って女漁りだったぜな。
 あれだ・・・有終の美で、尖閣が荒れた時にぁ、志願兵か義勇軍で、爆弾ロートル兵で国難に殉ずるかいね。葬式代は、国葬にして貰ってさね。靖国神社に祀って貰うかいね。へへへ。」

 好いお天気さんであるから、ロートル自転車の錆落としをして、シルバーのペンキを塗ってお遊びである。ロートル自転車、おニュー自転車のペダル扱ぎをして、気分散歩をして来る。Tは庭木の剪定をするとの事であった。

 いやはや、・・・ お天道さん、高温の大判振る舞いで後が息切れ、しっぺ返しのM2・5混濁の大黄砂、寒波の揺さ振りじゃ頂けませんがな。ロートル親子にぁ、騙し打ちは辛うゴザンスからね。あい~。

※世に天動説、地動説の喩え在り。男族と女族の違いに、男は社会が躾け、造る。女は家庭が躾け、造る。社会は客観性が物差しにして、家庭は独占感情の主観が物差しの喩え在り。依って、女の世界は、夫婦・家族を貴び、己が居場所を不動とする、是、天動説の世界為り。


心何処ーショート 辻元VS中山に、ロートル親子は溜飲を下げる為り。
    辻元VS中山に、ロートル親子は溜飲を下げる為り・・・(3/8/13)
 本日・曇天為りで、午後からは雨に為りそうな薄黒き雲模様である。<もう少し、布団の中で・・・>とラジオを聞いて居ると、何と何と9時から国会中継との事で、通常番組はショートバージョンで在った。

 国会中継が始まって暫くすると、『おお~、その声は!!』 印象度抜群・声・顔・態度こそ馬鹿デカイが、圧倒的マイノリティーの女史の登場である。

 ボートピースの市民活動家から<遣るきゃない。山が動いた。>の土井たかこ全盛期の土井チルドレンの一人として当選。秘書給与事件の有罪判決&議員辞職で名を売り、社民党・福島党首の後釜最有力候補と一時云われて居たが、連立与党民主党・国交副大臣に為ったが、社民党連立離脱に伴って、社民党に還らず民主党に鞍替えした。目立ちたがり屋&無責任パフォーマーの亜流、女菅直人・辻元清美女史である。

 そんな経歴を持つ『辻元清美』議員さんの護憲・強制連行従軍慰安婦確認質問が、ラジオから流れて早速、老母の部屋にテレビを見に行った次第である。

 へへへ、俺だって、ノンポリ平均値の日本国民の一人である。テレビの辻元女史の扱き下ろしをしないと、腹の虫が収まらないと云う物である。

 女史が、維新の党・松野頼久議員に交替して、後学の為に拝聴に及んだが、ズル平(鶴平)→頼三→頼久と家系の為せる業か・・・核心を突いてはいるが、兎に角、ネチっこい。細かい。雰囲気が食わせ者の臭気が、プンプンして来る。体育会系のスカンポ脳には、女には人気が在るのだろうが、男同士としたら信頼するに足らない<虫の好かない御仁>である。こんな御仁の質問を聞いて居たら、柔肌にジンマシンが出て、痒く為るばかりである。

 パスパスで風呂に入る。洗濯機を回しながら、老母の入浴中に部屋を掃除して空気の総入れ替えとする。玄関籠には、卵を産むだけで一向に抱卵し無かった番いが、この2~3日前から、抱卵の兆しを見せている。その卵の数13個であるから、恐れ入谷の鬼子母神の態で在る。その籠を動かさずに、他2籠と廊下の籠を軒下に吊るす。

 ラジオを胸ポケットに、旧自転車で煙草と偶にはパン屋のパンで昼と致そうかとペダル扱ぎで在る。気温は高い物の、風と曇天であるから、昨日と比べるとパッとしない気分である。然しながら、馴染んだ古自転車でもあるから、新車持ちで在っても、手のひらを返しては、男が廃る面も在る。

 パン・牛乳・クリームコロッケ・白身魚のフライで、遅い昼食である。テレビでは日教組は敵と『常識』を述べた途端、マスコミから袋叩きに遭って大臣辞職を為さった中山成彬先生が、浪人生活から維新の党で復活為されて、得意の自虐史観満載の日本の近現代史に就いて斬り込みの最中である。

 へへ、『日韓併合時代の写真に観る歴史の真実』と云った具合で、拡大写真パネルを元に持論を大展開されている。その圧巻は、従軍慰安婦問題で在ったから、映像に移る午前中の辻元女史の顔・表情共々に、愉しませて頂いた次第である。

「やいやい、婆さん。こりぁ、落語かいね。敗戦78年目にして、遅まきながら吹き始めた神風の微風の到来ですがな。写真記事の引用が<朝鮮朝日新聞>と来て、強制連行従軍慰安婦キャンペーンを遣り捲ったのが同じ朝日新聞で、朝日新聞記事を読み捲って、市民活動家馬鹿図(場数)を踏んで、国会議員にまで上り詰めた御女史様だぜ。

<正しい歴史認識が、日韓の未来>とボク・セイキ大統領の娘ボク・クネ大統領の言だけど、元ネタがバレて国会中継で、こんなに大々的に放映されちゃうと、反日自虐史観勢力は、如何辻褄合わせをするんだろうね。赤っ恥掻いて、ヒステリーを秘書達に炸裂し捲って、議員宿舎で焼け酒かいね。バイブ政間帯に当てて瞑想の果ては、パフォーマー菅師匠を見習って、頭を丸めてお遍路回りでもするのかね。ええ~、如何するだいね。ギャハハ!!」

     テレビに向かって、こんな下衆の悪態を演じて居ると老母曰く。

「こんな事は、国会で初めてじゃないかね。私の様な無学の者でも、日本・日本人がそんなに極悪非道をする訳が無い。一目瞭然で、何か胸がスッキリしたよ。
流石に、中山恭子さんの旦那さんだね。うんうん、確りした政治家さん夫婦だ。それに引き換え、午前中の辻元清美は日本の国会議員の癖に、悪い女だ。好くも、あそこまで言える物だ。許し難い女だ。そんなに日本が嫌いだったら、中国、朝鮮に帰化すれば好いんだよ。料簡が腐ってる。ああ、好い物を見せて貰った。好かった好かった。」

 おお、家の婆さんも、言う時は言う物である。まぁ、イデオロギーに凝り固まった主義者達とは、多かれ少なかれ同様なのであろう。それでも国民には何%かの主義者が居られるので在るから、これも表現の自由・民主主義の一環でもある。
 例え、大勢の考えが90%の絶対的多数意見としても、彼等主義者の耳には届くまい。絶対的少数者が、絶対的多数者に言(※論では無く、単なる咬み付きの言の域でしか無い)を挑んでも、それは彼等の少数・偏向・異常振りを際立たせるのみで、多数を作る原動力とは為らないまでの事であろう。

『百聞は一見に如かず』で、主義者達は自分の思う処を、存分に遣れば良いだけの事である。へへへ、ガンガン遣り為され。<水は高き処から低きに流れる>の喩えに為るしか在るまいに。言を咬み付かせた処で、却って自らの信を亡くすばかりの愚行・愚口の負のスパイラルに陥り、民主党は嘗ての社会党の轍(てつ)を踏むだけである。

    私としては、この展開こそが万々歳の垂涎劇場なのでは在るが・・・

心何処ーショート へへへ、男話は楽しからずや。
            へへへ、男話は楽しからずや。(3/7/13)
 途中で起きて仕舞い、その後は寝そびれて心身ともに重い起床であった。それでも朝食後は、気温がグイグイ上昇して・・・何かをしなければ堪能しない気に為って仕舞った。

 然すれば、自転車のチューブ交換に取り掛かろうとすると、ガス屋さんの声である。

「明日が集金日なんだけど、仕事が立て込んじゃって一日早く来ました。やっと、春めいて来て、気が楽に為って来ましたわ。寒いのは、人間が悪く為ってしょうが無いですわ。」

 美大出の和製ブロンソンさんであるから、SNちゃんが送って呉れた吾が似顔絵の額を持って来て、玄関で月に一度の男話である。

 絵に関連して、こんな付き合い方にも発展する<ブログ世界に展開する人の輪>に、彼は羨ましい限りだと言う。性別・年齢・生活も違う者同士が、写真・絵画・詩・文章で、その中に在る何かを感じ取りながら、何処とは無しに、フィーリングと云う<類は友を呼ぶ>の磁石に引き付けられ、集い合う。それがお互い、顔も声も名前も知れぬ個で在っても、何時しか友の感覚へと発展する。世間は広いし、また同類者が居ると云う世間の狭さも、同時に感じる物である。

「振り込め詐欺、遊ぶ金欲しさの短絡行きづり殺人、幼児虐待に親捨て、無縁社会と、遣って好い事、悪い事の区別も出来無い犬畜生三昧の荒んだ世の中で・・・好いですねぇ。こんな人情味溢れる似顔絵をプレゼントして呉れるブログ世界。機械はデジタルだけど、人間の心は、何時の時代でもアナログなのに、それが一向に解らない時代ですからね。

 一枚の似顔絵の前に、描いた人、描かれた人の双方に、想いが重複されて好い物を見せて貰いました。私も早い処、貧乏暇なしの稼業から足を洗って、Rさんの様なスローライフを手に入れたいもんですわ。金は食える分だけ在れば良し。
 雑事、俗事に振り回されず、悩まされず、社会へのアンテナをそれなりに立てながらも、マイペースを失わずに世間を眺めて行く。少年らしい悪戯っ子の感性を持ち続けて絵を描いたり、ブログを書いたり、私の理想とする人生の第二ステージですわね。」

「あいあい、現役時代は、仕事が第一だぜね。真っ当に真面目にゴールを切れば、真っ当、真面目さのお返しで、お天道さんが導いてくれるせ。お役目御免に成ったら、肩の荷を下ろして、個の世界に還って、晴耕雨読の絵描きさんのステージが待ってるんね。
 老後は宗教の時間じゃないけど、心の時間を如何に持つかで、三途の川の<口頭尋問>で、コースが上下、左右に分かれるって言うぜね。何て云ったって、それが俺達日本人の生き方だぜね。ギャハハ。」

「流石にRさんは、スイッと巧い事を言うもんだ。何か、その額縁の絵から、話し掛けて来るみたいだわね。徳のあるお坊さんのお話ですがね。Rさんの内面が好く描けて居るから、これ『遺影』に使えますよ。」

「実はね。俺もそう思ってさ。電話でSNちゃんが似顔絵が気に入ったら、送るよって言って呉れたんで、俺の葬式の『遺影』に使わせて貰うって言ったのよ。下手な写真よりも様に為るし、<戯けR死んで、笑い残す>で洒落てると思って居るんだけどね。イッヒッヒ!!」

 ラジオで国会中継を流しながら、敗者復活戦の自転車のチューブ交換をする。二日間に亘る高い授業料を支払った次第であるから、手際良くスイスイと一発で決まった。ただ、後ろブレーキが変になって半自転車の態では在るが、一応は乗れる様になった。へへへ、悪戦苦闘の末の成果としては、半自転車の沙汰では在るが、充分乗れるし、最大の成果としては、一応は馬鹿で無かったとの証明が叶ったのであるから、良しとすべしである。

     依って、本日散歩は、自転車散歩とした次第で在る。ニャハハ。


心何処ーショート 国会質問に、下衆の減らず口一つ。
           国会質問に、下衆の減らず口一つ。(3/6/13)
 昨日と比べると温度は高い物の、軒下の物干し竿に吊るした鳥籠が、揺れて居る次第である。朝食後のテレビでは参院の国会中継をしていたから、お茶をお代わりしながら拝聴して居た。日本教育再生の一環として、道徳教育の正課入りに慎重にとの質問が在った。

 質問者は道徳教育の効果に就いて、<懐疑的のご様子>である。創価学会政治支部の公明党の懸念なのであるから、私の方こそ質問意図に懐疑的と為らざるを得ない。私としては、道徳教育の正課入りに関しては『大賛成の口』である。

 感と理、決まりと情、評価と満足、己と家族、己と他、己と組織、己、個と社会、個と国家、国家と国家・・・etcから、親孝行、長幼の序、公私の区別、公共心、強気を挫き弱気を助ける慈しみの心・義侠心、平和と防衛、知行合一の垂範率先、家族間、組織間、地域間、国家の秩序、言動に関する動機論・行為論・結果論の加重、総合判断基準、自助、共助、公助・・・etcと、人が人として、人が関わる物事を、頭に浮かぶ儘を列挙しただけでも、人倫・倫理の何たるかを語る道徳の授業は、当然に義務教育の正課として入って居なければ為らない筈なのである。

 人倫、倫理を大上段から構えられると、何となく古色蒼然として苔むした『古刹のイメード」ばかりが先行してしまう。従って科学妄信下では<過去の遺物>と一刀両断に切り捨てたいと反応してしまうのが、戦後民主主義の刷り込みなのでは在ろう。
 然しながら一歩引いて、真っ当さの目で見れば、自然科学・人文科学・人体科学・宇宙科学の文学・音楽・絵画彫刻・技術・技術体系も、化学分野に於いても、その出発点は、人倫・倫理に基づく秩序体系の中に在る民主・法治の現われの拡がりと見るべきものであろう。

 個人の自由と権利と云って見た処で、自、他、社会の均衡を逸脱して仕舞っては、そんな身勝手自由権利主義だと、遊ぶ金欲しさ、欲求不満だけの行きづり殺人で<抜き身のジャックナイフの世の中>でしか在るまい。西周(にし・あまね)が『RIGHTS』を権利と訳して、利の字を本来用いるべき福沢諭吉の人間社会の<通理(真っ当な社会に立派に通用する理)の理>を誤用して仕舞った由。従って理と云う拡がりが薄められて、個々人の<個利>を連想させる様な誤訳にしてしまったとの由である。へへへ、何十年も前に、そんな得心する講義を受けた物である。

 その苦い経験を持つ日本語の権利の悪弊すら認識もせず、封建社会からの御維新・御威信で古きをご破算するかの如く『御一新』して仕舞った経緯が在る。

 増してや、大東亜戦争敗北に依って、7年に及ぶ米国占領、そして米国の置き土産・平将門の呪詛封印の如し『自縄自縛の不戦平和憲法下』の戦前日本の大否定・自虐史観のバックコントロールを受けての戦後70年に及ぼうとして居る経済一辺倒の御世である。

 へへへ、<道徳教育>をきっと、当たり前過ぎて、それを口に出すのが先祖返り見たいに錯覚をして現代人としては『恥ずかしい』と云う事なのだろうんか?? ギャハハ為りって処でしょうかね。

本日も散歩日和であるから、冗談はこの位にして、結びに移行しましょうかね。

 私を含めて<人間は真に以て、好い加減な生き物>なのである。一端、評価点に即結する『課業』を与えられると、目の色を変えて『点取り虫に豹変』する生き物なのである。
 きっぱりとした正課にされてしまうと、先ず最初に生徒に教える立場の教師が勉強せざるを得なくなって終う。勉強すれば、理を優先させようとする人間の脳裏には、『温故知新のセンサー』が稼働せざるを得ないのである。そのセンサーが、道徳教育が単なる「温故知新の鑑賞物」に収まって居ると考えてしまうと、猜疑心の域を脱しないまでの事である。

 温故知新の真意は、知行合一の率先垂範の形を取らない限り、教育の実践は叶う筈が無いと言うのが、『教育現場の生の応え』である。教育の浸透は、逸に教える側のレベルの向上に掛かって居る。教える側のレベルの向上こそが、第一段階である。

 学ぶのベクトルとは、<真似る→真似ぶ→学ぶ→知る→行う>の五段活用との事である。

 従って、教育の初歩は『刷り込み』以外の何物でも在るまい。従って、無の段階に於いて、真似るの刷り込みを『国家権力の強制力の干渉』とばかりに云う如きは、使い古された人間の教育システム・パターンの亡霊復活とばかりに嘯き、それを持って自己の進歩性を誇示する様な物である。私からすると、教育の王道に唾吐く未熟の愚挙にしか思われない次第なのである。イッヒッヒ!!

 フーテンの寅さんの決まり文句では無いが、『それを言っちゃお終ぇよ。』解って居ても、<言っちゃ為らない真も在れば、敢えて言わなくちゃ為らないお体裁の嘘も在る。> 『そそ、ソクラテスかプラトンか。皆悩んで大きく為った。』・・・これが、生身の人間が暮らす娑婆の世界だと思うんですがね。

 お釈迦さんじゃあるめぇし、どんなに後世優れたお方で在っても、オギァと生まれて『天上天下・唯我独尊』なんて言う訳が無かろう。何時の時代にも曲学阿世の劇作家は存在するのであるから、立派なお釈迦様に『神話』が進呈されただけの事である。

 これとても、宗教哲学宗教学の教育的産物であろうか?  宗教・宗祖への不敬は、人間に在るまじき行いで在る。覚者・偉人・豪傑に礼を尽くすのは、凡人達が彼等の威行に対して贈る『畏れの一端』でもある。

 考えても見為されや・・・有限思考しか持ち合せて居ない人間の事であるから、唯物論的に宗教のルーツを辿れば、善悪二神と預言者を希求する人間の心に光明を灯したのは、500年前後を生きたと言われるイラン=ペルシャのゾロアスターさんが唱えた拝火教が、近隣のヘブライ教へ、ヘブライ教→キリスト教→イスラム教へ。拝火教、ヒンズー教、バラモン教→仏教→ヒンズー、北進、南進仏教と遷進して現在に至って居るそうな。

 神武天皇の「民のかまど」に象徴される様に、家族的国家観に基づいた国作りを続けて来た日本の国柄は、男子一系の万系を以ってする皇紀2673年を数える日本の歴史である。その歴史・歴史観が、天皇を神話に同化して居るからと云って、そんな物は全て出鱈目と言ってしまっては、身も蓋もあるまい。

 500年を生きたゾロアスターさん、杖の振り翳しで海を割ったモーゼさん、三位一体にして復活したキリストさん、天上天下唯我独尊と誕生したお釈迦さん、ジハードを叫んだマホメットさん、・・・etc。日本にだって弘法大師さんだって居なさるのである。

 デカイ声じゃ言えませんが、そう一々目くじら立てて、電卓叩きで費用対効果を論(あげつら)う分野の事でも在りますまいに。

 全てには、功罪在りである。<政権党が変われば、政治が変わる>を見させて頂いたのが、自民→民主→自民の此の数年間の政治模様であった筈である。

 教師が変われば教育が変わる。家庭変われば子が育つ。マスコミが変われば日本が変わる。

 然しながら、人倫・倫理失っては、使い捨て、切り捨ての経済功利主義、簡便主義の蔓延に依って、何時しか気付いた時には、何とも嘆かわしきや・・・心・情の衰退した無縁の現世個利個略の末法の人界では無いだろうか。
現役で流行りのファッション、アクセサリー、化粧で自主独立の闊歩の行く末が、孤立孤独死の無縁社会・墓友で在っては、人間社会としては余りに無残では無いか・・・。

   へへ、減らず口は、この位にして日課の散歩に出掛けて参りまする。


心何処ーショート いひひ、爺っさ、婆っさも啓蟄かいね。
      いひひ、爺っさ、婆っさも啓蟄(けいちつ)かいね。(3/5/13)
 好いお天気さんである。昨夜は豚汁を仕込んで置いたから、それに火を掛ければコクのあるドンブリおかずに為るから、沢庵を切って、イカのモロミを焼けばオンの字である。余裕であるから、掃除、玄関鳥の世話を同時進行で遣れば良い。

 好いね、好いね。散歩には、もってこいの上天気である。食後は老母の洗濯物を干すのを手伝って、変わり映えのしないテレビに、四畳半定位置でのモーニングコーヒーと思って居ると、玄関に元気な声のヤクルトママさんコールである。

「やっと、春日のお目見得だね。はい、お駄賃だいね。」

       四畳半から、財布と私用のタッパの干し柿を持って来る。

「この綺麗な白い粉の回り様は、何んとも云えぬ美味で~す。頂きま~す。」
 ヤクルトママさん、好物の干し柿をタッパから一つ摘まんで、ニッコリの図である。

「そうだ、俺はこの頃、絵は描いて無いけどさ。ブログ友達が俺の似顔絵を描いて、額縁に入れて送って呉れたんだわ。暫し、お待ち在れ。」

 二畳小部屋から絵を外して、沢庵一本と朝飯時に切った沢庵タッパを持って来る。ヤクルトママさん、目を見開く。

「えっ、凄い。そっくりじゃないですか。今にも口を開いて、話して来る様に・・・ え~、ブログの世界って、こんなお付き合いにも為ってるんですか。凄い世界ですね~。」

 ヤクルトママさんは、干し柿を呑み込んで、今度はタッパの硬大根を手で摘まんで、口の中に入れる。コリコリ噛んで・・・

「う~む。色と云いお味と云い・・・Rさんは才能が有るわ。好いお茶請けになります。ラッキー、ラッキー。」

 さてさて、私は食器を洗って、米を研いで、散歩タイムである。こんな日は、家の中に居たのでは大罰が当たって仕舞う。散歩の後は米屋さんへ行かなければ為らないから、本日の散歩コースは、街場に向かっての歩きである。
 寒さが緩んでお山の氷、雪融け水の供給で、川の水量が大きく回復して居る。澄んだ流れに、カルガモ、マガモの番いが穏やかな風情で、流れの岸辺に身を寄せ合って居る。へへへ、日も春に向かっての暖かさで、繁殖に向けての番いの完成と云う処か。

★ニャロメが、えらく当て付けて呉れるじゃ無いのさ。恋は盲目で、猫の餌食に為らねぇ様にしておくれやね。あい~。

 葦の刈られた川原には、ドバト、キジバト、ムクドリが、拡がってノンビリと餌漁りをして、未だ群れ合う寒雀の一団が、私の姿に一斉に飛び立つ。今日はコサギの姿が見えんですな~。

 おっ、モズ一羽である。さてさて、モズは雄か雌か・・・雌雄の違いは、腹部の網目模様の有無である。ふっくらと丸みのあるシルエットは雌に近い。はいはい、当たりでゴザンスわね。腹部は色の薄さに網目模様であった。

 ジャンバーは着て来なかったのであるが、背中のチョッキがポカポカして、背中が汗ばんで来る。散歩を終えても、外の空気の方が美味い。米屋さんには、昼時に行っては野暮である。然すれば・・・時間調整の為に刈り込み鋏、剪定鋏を出して、玄関の柘植の散髪でも致そうか。

 一応、気には為って居たのだが、冬の寒さに逃げて居たのである。普段、ナマクラな人間は、重い腰を上げると凝り性のタイプが多いものである。脚立を持って来て、チョッキン、チョッキン、チョッキンなで、遣り始めると面白い物なのである。鋏を入れると、バランス上、不具合が出て来るから、周りの木にも散髪を仕出かす。散髪が終われば、竹箒でお掃除である。

 一時を大きく回って、時間調整も完了である。新車自転車に跨って、上り勾配のペダル扱ぎである。米屋さんの帰りには、県文会館の林の中では、冬眠明けしたロートル二グループが、カッキィーンとマレットゴルフの球音に、「あれ~、失敗こいた~。」の笑い声である。

 そう云えば、啓蟄とやらで、冬眠中の虫達も、土の中からノソノソと這い出て来るとの事で在るからして、コタツ亀、コタツ潜りの爺っさ、婆っさも、ゾロゾロと林に繰り出したと云う事であろう。それにしても、本日の河川敷散歩の折りには、水中は水の澄み具合が際立つだけで、魚影は無かったのだが・・・ 

 へへへ、爺っさ、婆っさ、あんまり張り切り過ぎて、ギックリ腰で整形外科を繁盛させなんどくれ。明日も上天気だってさね。先ずは虫見たいに、土を軽く落とす位の自重心が無いと、馬鹿爺っさ、馬鹿婆っさの馬鹿ハシャギの図に転落ですぞ。ギャハハ。


心何処ーショート 週始め、好天に釣られてボランティア???
         週始め、好天に釣られてボランティア???(3/4/13)
 老母殿が、動き始めた。私は布団の中で、短編などの構想を想い浮かべ、彼是とスーリー展開をしながら、布団の住人に為って居たい気分なのである。

 へへへ、婆さんのヤツは、腹が空いたのだろう。さてさて、起きるしかあるまい。布団から抜け出して、廊下と部屋の敷き居に腰を下ろして、煙草に火を付けて廊下の戸を開ける。

 好い日差しで在る。着替えて、布団を上げる。洗濯機、風呂、台所の不凍栓を開けて来て、玄関鳥を軒下に吊るし世話をする。続いて掃き掃除をして、朝の食事を配膳する。

 風呂を母に譲って、個人スーパーまで野菜類を買いに行って来る。高齢の爺さん、婆さんが買い物を終えて、ロートル寄り合い所の風情で、腰掛けてレジの先輩さんと世間話をしている。其処の内科医院の診察が○○時であるから、それまでの時間調整との由。年寄りさん達は、自由人さん達でも在る。

「話し始めたら、出放しで、兄さんと呼ぶのには、トウが立って居るからオジサンだよね。」
「あいあい、今年で還暦半ばだぜ、俺ぁ爺っさだんね。小便出たら、出っ放しせ。」
「私なんか、60代の時なんか、働き盛りだったよ。未だ、若いのに。」
「へへ、働くだけが人生じゃねぇぜね。お三度も仕事の内せ。」
「兄さん、久し振り。芋蒸かして在るから、食べてき。この兄さん、話しが面白いよ。」
「何を言ってるだい。婆ぁ、爺相手に、芋まで食ったら、俺ぁ、屁ばっか出し放しで、店の鮮度がガタ落ちですがね。俺ん処も、婆ぁを一匹飼ってるぜ、帰るわね。へへへ。」

 カット南瓜を煮付けて、焚いた小豆の残りが在るから、中間食はそれで良かろう。もう一品仕込んで置くと致そうか。老母殿は体調が好さそうで、洗濯機を回して居る。息切れがして直ぐには、食事も難しいから、その間、散歩方々、隣班の面白婆さんの喫茶店で、家の婆さんの休憩時間を稼いで来ると致そうか・・・

 散歩の帰りに、喫茶店のドアを開けると、アッジァ~、私と同年輩のオバタリアン軍団が、ざわめいて居られる。いやはや・・・場違いな所に踏み込んで仕舞った物である。

「あら、Rさん。どうぞ。」
「隣班で、パスする訳にも行かないんで、顔出しに来ました。カウンターで好いですかね。」

 弁当とかコーヒーカップなどの片付け物が、カウンターの半分を占めている。う~ん、中々の繁盛振りであるから、次回は来ても来なくても好かろう。商いをしている以上、客が在れば、結構な事である。

 嫁さんは私と同年輩であろう。初めての客であるから、当たらず触らずの話をしながらコーヒーを飲んで居ると、奥からお婆さんが、白髪頭の小柄な高齢者婆さんと出て来た。K婆さんは私が分からずに、澄まし顔の出来の好い品好く矍鑠とした目付きで、私をジロリと一瞥する。

「こんちわ。何を偉そうな顔して、澄まして居るだいね。よもや、このハンサム顔を見忘れちゃ居ぇずら。あい~。」

「あら~、Rさんは来てくれたの。嬉しいねぇ。ちゃんと最後まで読んだからね。。お婆ちゃん元気? 今度、一緒に連れて来てよ。」

 へへへ、妖怪予備軍二人が、ゆっくりした足取りでカウンター席にお座りに為る。

「これ、コーヒー代。」

 と嫁さんに700円を置くK婆さんである。

「好いねぇ、気に入った。<親しき仲にも礼儀あり>で、家の婆さんと同じだ。大正女は筋が通って居て、大和撫子だね。最敬礼ですがね。」

「でも、あなたはあれねぇ・・・私の様に馬鹿な女には敷居が高くて。全部は到底理解出来ないけど、一字一句じっくり読ませて貰いましたよ。如何? 此処は結構常連客が居るから、何か皆さんに講義でもしたら、きっと喜ぶわよ。」

「嫌な事ったぁ、俺ぁ、女は嫌いだからね。そんなに人気が出ちゃ、御亭主さん達に申し訳が無いわね。ギャハハ~。」

「この前、FのMちゃんが来てさ。あなたの事、色々教えて呉れてさ。黙って居るとがっちりした体付きで、眼光が鋭いから『怖い感じ』が第一印象だけど、硬軟入り混じった人間味のある人だって。親孝行が凄いんだってさ。 でもさ、最初会った時、あなた私を怪訝そうに見てたでしょ。フロアでお婆ちゃんと話してると、大きな男の人が入って来て、お婆ちゃんの横に座って、あっそうか、顔がそっくりだから息子さんだと直ぐ分ったけど・・・何か只者じゃないと、<オーラ>が在ったからね。」

「またまた、流石に妖怪予備軍さんですがな。好くもスラスラと立て板に水で、巧い事言うじゃんかい。だから、俺ぁ、女の言う事は信じ無ぇ事にしてるだいね。第一印象の只者じゃ無いは、当たってたかい? へへへ。」

「私は、人を観る目が在るからね。私の頭には、余るわ。そうそう、この前話したモンゴルに旅行した写真が在るから、見てよ。」

「どれどれ、何々<モンゴル スタディ ツアー>だと、駄目じゃんかい。大正女が敵国文言で、写真の題名なんか付けるとは、大和撫子の風上にも置けねぇやね。世が世だったら、憲兵隊にしょ引かれて、全裸で拷問だぜや。俺ぁ、口が軽いから、口止め料は高いんね。あい~。」

「またまた、Mちゃんの言う通りで、立派な美男子の顔立ちなのに、一端口を開けば罵詈雑言の速射砲で、付いて行くだけで80女は息切れよ。あんな綺麗なお婆ちゃんに申し訳ないと思わないのかね。」

「煩ぇ、婆。<老いたら、若造に従え>って諺知らねぇな。これを知らなきゃ、日本人としてモグリだいね。イヒヒ。でも、流石だね。モンゴルに惹かれて、『五体投地』でまた行きたいと云うんだから、尊敬の二礼二拝一礼ですがね。
 大学のゼミの先生がさ。東洋法史が専門でね。代々学者の家系で、20の時に単身何カ月か掛けてモンゴルを旅したんだってさ。<何処までも、真っ平らの天空の台地>の礼賛、感動から始まる口火から・・・所、生活様式が違えば、法理も異る講義なんだけどね。

 詰まる処、放牧の民には土地所有の概念は無くて、牧草が所有権と云うか正確に云えば『専用使用権』なんだけどさ。これは、後年読んで知った話なんだけど、アジアのモンゴロイドが、凍ったベーリング海峡を渡って南下して、アメリカインディアンと続くんだけど、そのインディアン達の伝承詩に<吾が魂を大地に埋めよ>なんて物が在るんだけど、其処に語られて居るのが自然崇拝の縦糸なんだわさ。

 西洋農耕民族の土地所有と東洋放牧民の大地は天の物・その大地からの賜物の牧草を使用させて貰っているとの感謝を主体とした自然観の違いが、西洋の一神教アーメンのクロス切りと自然の壮大な森羅万象・宇宙への霊的繋がりで、ただただ万物への大地に五体を投げ出して感謝する東洋の違いが在るんでしょうかね。

 俺達は馬鹿の一つ覚えで、シルクロードと云えば、砂漠ルートしか無いと錯覚してるけど、地球は丸いの最短距離でさ。モンゴル・ジンギスカンが疾風した草原の道、海の道の三ルートが在って東西の交易は、頻繁だったんですわね。中狂国如きが、明の鄭和がなんちゃらかんちゃらとほざいて居るけど、遠の昔に、アラブ、インドの海の商人さん達が活躍して居たオーシャンですがね。
 ちょいと、そんな世界史の雑学を頭に携行して行くと、また別の時空を越えた歴史考も想いのまんまって事ずらいね。」

「ええ~、戦後生まれの歳も殆ど違わないのに、Rさんは何か戦前教育を受けた様な人だわ。如何遣って、そんな事を知ってて・・詳しいの? 」

「何を扱いてるだい。俺も御同輩のレディさんにしたって、同じ教科書で嫌な受験勉強して居ただけだんね。同じ教科書で学んでも、人其々、興味如何で幾らでも、雑学の扉は用意されているだけだわね。
 雑学の扉には、ノックは無用でさ。ドアを開きゃ、部屋の中にはテレビも映画もラジオも本も転がってますがね。へへへ。机に向かって、教科書に赤線塗った繰るだけが、大人のお勉強じゃ無かんべさ。」

「うぅ~。驚異の人ですね。圧倒されちゃう。お義母さんが言う様に、此処でゼミを開いて下さいよ。話が上手だから、皆、喜びますよ。勿体無い。」

「駄目せ。俺ぁ婆ぁを一匹飼ってるぜ。還暦半ばで、ニューラブなんて、面倒な事は嫌だわさ。ギャハハ~!! 俺にとって、ニョショー連は、鬼門中の鬼門の大好物せ。」

「本当に、何処までが本当か、如何か解らないけど、お婆ちゃん幸せだわ。こんな好い息子を持って、解る分かる、お婆ぁちゃんの笑顔が、全部物語って居るもの。でも、駄目よ。糞婆っさなんて言ったら、罰が当たるわよ。」

「その手は桑名の焼き蛤。毛無し、金無し、女無し。止めが甲斐性無しと来てるから、罰の入り込む隙なんざぁ、端から無ぇわさ。参ったか!! 未だ未だ妖怪と手前のカンナ連如きにぁ、負け無ぇよ。アッハハ!!」

「やや、もうもう、もっと笑わせて貰いたいけど、残念残念。今日は、歯医者さんだから、あ、そうそう。好い物お返しに持っててよ。」

 K婆さんは、きっと海外旅行で買って来たお土産なのであろう。貝を芯にした細かい刺繍を編み込んだキィーホルダーを二個プレゼントして下さった。

「私、本当に嬉しかったんだよ。好い親子のツーショットが見れてさ。人間は、こうで為くちゃ。テレビじぁ、鬼か化け物が跳梁跋扈して、日本はガタガタに崩壊しちゃってるけどさ。でもねぇ、お婆ちゃん見て、息子さん見て、日本は未だ未だ健在なんだって。

 又、絶対に来てよね。近いんだからね。隣班なんだからね。待ってるからね。ありがとね。楽しかったよ。死に別れた夫を思い出して居たわ。」

 いやはや、私も加齢期ですっかり、人間が丸く為って来た物である。へへ、個人スーパーの高齢婆ちゃんには些かの異論は在ろうが、これも社会の一員としてのボランティア精神の一端でしょうが。イッヒッヒ!!
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