旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 早や、一月も月末為り。
              早や、一月も月末為り。(1/31/13) 
 昨日の平沼、本日の中曽根の両先生方の国会代表質問は、格調高く、落ち着いた選良の好いお話で在った。やはり胸に金バッチを付ける国会議員先生達は、こうでなければ様には為らない。私は人間に興味が有るから、国会中継は殆ど欠かさず見たり聞いたりして居る。96歳の老母も、私のお付き合いで確り見て居る処である。

 先生方は国民を代表して、勉強をして経験を積み、知識・見識・人品を体現為さって居るのであるから、その知識・見識・人品の様を、まじまじと観察させて頂いて、語る内容を確り拝聴させて頂かないと、税金を納めた意味が無いのである。国会中継が在ると、散歩時でも入浴中でもラジオで拝聴して居る次第である。

 へへ、人が悪いのか?真面目過ぎるのか?は、些か推量出来ない次第でもある。

 報道ニュースは、ダイジェスト版である。マスコミ各社の色と云うフィルターが掛かった編集物であるから、原本との比較でマスコミの思惑なども少なからず見て取れる。
 従って、全部を中継せざるを得ないNHK国会中継は編集のしようが無い。依って自分自身の私観・感想とマスコミの社観・キャスターの私観との比較対照が出来て、対話も突っ込みも出来るから、効用が高いのである。へへ、私は不器用者であるから、斜め読みが出来ないのである。ギャハハ。

 昨日は水曜日であるから、好物の『相棒』を見る為に四畳半から出て来たのであるが、老母曰く<残念だね。今日は遣って無いよ。>と来たもんだ。全く以って、ニャロメ~である。  スペシャル番組とやらで、芸NO人のクイズ番組をしている。他局はと見ると、何処も右に倣えの『金太郎飴』で・・・芸NO人番組であった。

 拍子抜けで在ったから、YouTubeで映画Fullで豊川悦司の2時間物時代劇を見付けて、映画鑑賞とした次第である。

 本日は14時からケアマネさんのコール日にして、明日は老母の歯医者日である。掃除をして入浴、洗濯をして、穏やかな日差しに洗濯物を吊るして、鳥籠を一列に日光浴としている。昨日も同様の一列鳥籠吊るしをして居ると、例の中年期に差し掛かったメタボ傾向の徘徊猫が、1m70~80cm位の大ジャンプを敢行して、鳥籠の上に乗って居たのであるから、大慌ての態で在った。

 お天道さんに恵まれて居れば、薄暗く寒い玄関よりも、日光の下、外気に当てて遣りたいと思うのが人情と云う物である。徘徊猫の大ジャンプも、猫の胎内に宿る狩り細胞のなせる処でもあるからして、其処は間を取って、管理者としての私が二畳小部屋で仕切り役を務めるのが順当と云った次第なのである。

 おおっ、婆さん。風呂から出たか。洗濯物のセットでもして遣りまするかな。皺しわ、肉垂れの正に老醜・老いさらばえた裸体を椅子に落として、チマチマした手付きでのスローな動きである。まぁ、見える物は仕方が無い。自分で出来ると言うから、PC打ちを続ける。脱水音が止まった。はいはい、物干し竿に吊るすと致そうか。

「悪いねぇ。お願いします。」
「あいあい、廊下から落ちられたら、後が大変だぜな。明日は歯医者だぜな。あい~。」

 老母殿は、恥ずかしそうに満面に笑みを浮かべて、うんうんと大きく頷いて居る。それが、丸で童女に還った様に実に嬉しそうである。へへへ、困った物である。遠からず、吾が近未来の図でもある。

「婆さん、風呂に入ってホカホカ顔してると、やっぱ美人さんだな。若い頃は評判の美人さんだったもんなぁ~。アハハ。」
「もう駄目だ。生きて居るだけで、何にも出来なくなっちゃった。長生きは辛いね。」
 
 ★生意気に、この糞婆っさが、何を扱きゃがる。さぁさぁ、奇麗に為った処で、一時間の休憩ですがな。お気に入りのケアマネさんが、エールを送りに来て下さるぜよ。台所の洗い物も済んだし、私もスキンヘッド、髭もツルツルに剃り上げて、男前も上々で在りまするがね。

「こんにちは。お邪魔します。」
「どうぞ。ご遠慮無く。」

 私は老母とケアマネさんの話を後目(しりめ)に、台所で沢庵を切り、リンゴの皮剥きである。婆さんは待ち人来たるで、上機嫌で在る。白い粉満載の吊るし柿を器に盛って、お持ち帰りの小袋を添えて、私は廊下の日向で煙草吹かしの戯け漫談で、観客二人のお相手を仕る。好い突っ込みと、大笑いをして下さる婦人であるから、綾小路きみまろ、ケーシー高峰の両師匠が、一度嵌ったら、二度と抜け出せない漫談冥利に得心が行くと云う物である。ギャハハ~のイヒヒ、ウッシッシってな物である。

 さてさて、ケアマネさんをお見送りした後は、婆さんの薬貰い方々、近場理散歩運動ついでに、個人スーパーに足を伸ばす。

 レジの先輩さんに、蒸かし立てのサツマイモを摘まんで行けとの仰せに従って、芋をモグモグして居ると、おやおやUさん家のオバサンである。左様で御座るか、然すれば帰りは、ランデブーでもして帰りまするかな。オバサンは吊るし柿のお礼だと、果物を買って下さる。餓鬼の頃は、年下のオバサンの所の息子とは好く遊んで遣った仲である。何度かはお宅に上がって、オヤツも頂戴した覚えも在る。

 オバサンも80近くに為っての一人暮らしで在る。此処は今流行のマスコミ御体裁言葉『地域力』を発揮して、戯け話をして帰るべしである。

<危ないから手を繋ごうか>と云うと、
<それは、夫婦じゃないから駄目。>と云う。
<オバサン、テレビ見て無いだろ。現代主婦の5割は不倫経験者だってさ。滑って転んで骨折するより、『不倫のお手手繋いで町内闊歩』の方が、増しだわさ。へへへ。>
<そうか、そりぁそうだ。噂よりも安全第一って訳だ。Rちゃんは、上手い事言うわ。アハハ。>
<オバサン。オートバイ煩いずらい。>
<うん。この前、あんまり煩いんで、戸を開けて煩い!!って大声出して遣ったのよ。年頃なんだろうけど、馬鹿が多くてね。あの手の輩は、本当に許し難い。
 酷い時は9時、12時、夜中の2時、3時だからね。ああ云うのは、とっ捕まえて、火炙りにして遣りたいわよね。アハハ。>

 デカイ声じゃ言えないが、男も女も、還暦を乗っ越すと、丸で『中性域行進』で在るから、口達者だけの漫才見たいな物である。オバサンは、リンゴ、ミカンを二袋も下さったから、貰い過ぎである。吊るし柿の補充と、硬大根の沢庵を一本お返しとさせて貰う。

 へへへ、本日も、好くも喋ったりである。還暦半ばに差し掛かって、隠された新才能の冴えに、吾ながら失笑の段である。

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心何処ーショート 何事も、程々に棲み分けが肝要為り。
         何事も、程々に棲み分けが肝要なり。(1/30/13)
        
              今日も、好い天気である。

 昨日の散歩では、久し振りにジョービタキのバルディナの姿見せで在った。橋を渡って対岸の河川敷を家の近くまで来ると、川原にジョービタキのシルエットである。ポケットに双眼鏡が在ったから、それを取り出して焦点を合わせる。もう好かろうと、歩き始めると、またまた遣って来た。可愛い物である。

 ジョービタキは縄張りを持って居るからして、彼女の縄張りの範囲内なら私を追って来てくれるのだが、それを過ぎればお別れである。こんな処が、自然の面白さなのである。

 世界の嫌われ者・連日の尖閣詣での中狂国様も、自然の中に暮らす生物としての常識と行儀の好さを見習って欲しい物である。へへ、こんな自然観望に晒されると、如何に人間などと云う代物は、出来が悪過ぎると云った観頻(しき)りである。いやはや、出来の悪い好色スカンポ脳では在るが、自然からは教えられる処が多々在るものである。

 コサギとカルガモが、バタバタと飛び立ち、モズが川原の水柳の枝に止まる。葦を刈られた原には、キジバト、雀達が暖かい日差しの中で餌を探して居る。

 それにしても、如何したものか・・・今シーズンは至って渡りが小さい。例年のツグミの河川敷歩きも殆ど無いし、コガモに至っては、唯の一羽も見掛けない。カワセミとはとんと御無沙汰の限りである。留鳥のムクドリ、コムクドリの群れも、余り見掛けない有様である。

 川の流れは、相変わらずの根雪の溶け水で笹濁りを呈して居る。ヤマメの姿も少な過ぎる。折角の双眼鏡では在るが、その対象の少なさに方無しの態で在った。

 さてさて、本日に戻ると致そう。散歩時に粗縄を拾って、それで暇潰しに藁巣を作って見たのであるが、それが落ちて居たので針金で鳥籠に括った次第である。不格好極まりない出来では在るが、これから先は交尾、産卵、育雛への助走期である。巣の選択肢はこれしか無いのである。不格好を詰るより、工夫して使って貰うしか無いのである。至れり尽くせりに、100%文句を言う立場には無いのである。ギャハハのハですがな!!

 この頃は庭で餌吹きをして居るから、零れ餌、捨て餌を求めて、雀達は玄関横から庭に移行して居る。楓の枝で常連の三羽が、終日を過ごして居る状態である。鳥籠四つから提供される零し餌は、結構な量と為る。従って、供給と需給のバランスが働いて、日差し一杯の楓の木は、網さえ掛かっては居なくとも、自由な鳥籠空間と云っても好かろう。<食足りて、日向ぼっこ。> or <やっと見付けた餌場、他に渡すまじ。> か否かは、雀語を解せぬ私には分らぬ処である。

 そう云えば、『屯田兵』なんて言葉が在った。日本で云えば、江戸期の北海道開発に纏わる言葉ではあるが、満州国の満蒙開拓団と関東軍の関係も在った。古来、侵行者、征服者が被侵行地・被征服地で展開した策である。
 イタリア半島の一都市国家ローマが世界の海・地中海に伸ばしたローマ帝国の時代もそうであるし、米の西部開拓史の開拓民と騎兵隊の関係もそうである。外敵が存在すれば、衣食住足らんと欲すれば、外敵ある処、屯田兵を必要とする。

 それらの関係を映画で見れば、黒澤明の七人の侍、ユル・ブリナーの荒野の七人だって、このパターンである。これ『弱肉強食の生物の宿命』と云うべきか・・・なのであろう。

 おやおや、今度は女子柔道オリンピック強化練習時に於ける扱きの告発沙汰で在りまするか。体罰にスポーツ界に於ける扱き問題は、常に古くて新しい永遠に解けぬ問題でも在る。スポーツは、或る面、格闘技の側面が在る。心身持つ宿命で、心に語り、身体に檄を飛ばして、叩き込む要素からは、そう簡単には語るの自主性に任せるだけでは、強者は育たないと思うのだが・・・

 食の種が、メジロの果物、種子の雀、雑食のヒヨドリと違えば、其処には自ずと『棲み分け』が働くのでは在るが、雑食を遙かに通り越した『問答無用の私益・社益・国益ダボハゼ』に特化してしまった人間種の遣る事と言ったら、家族、血縁、地縁、倫理、良識、ご法度も何のその・・・地表、地下、海中はもとより、文明技術の大躍進によって海底深部にまで悪手・魔手を勝手放題に伸ばし捲るのであるから、全く以って不埒千万の悪行三昧としか断じ得まい。

 さてさて、ロートル親父が、煙草の儚く消え行く紫煙に漠とした時代観望をして見た処で、何も変わらずである。何時の間にか、無くなって終ったミカンの補充をして、心身解しの昼散歩にでも出掛けて参りましょうかね。へへへ。


心何処ーショート 体罰・学校への一考為り。
             体罰・学校への一考為り。(1/29/13)
 寒いじゃないの・・・もう少し、寝かせて貰おう。廊下の若鳥三羽が、朝日の中で活発に朝を始動して居る。玄関よりも、廊下の方が気温が下がる。餌を食べても、水が凍って飲めないと消化に悪かろう。止む無し・・・起きると致そうか。

 少々早いから、布団を上げて掃除から始める。鳥籠を軒下に並べて、鳥の世話は後回しである。一応は毎日掃き掃除をして居るのであるが、埃の溜まりは好くもまぁ溜まるものである。小一時間の空気の入れ替えである。掃除をして居ると、老母の洗顔である。

 さてさて、朝の賄いをすると致そうか。台所でお茶を飲みながら、変り映えのしない貧民の朝食である。お天道さんさえ在れば、二畳小部屋は結構温まる。朝食後は廊下で、餌の殻吹きをして居ると、ヤクルトママの声である。本日、火曜日であるか。へへへ・・・

 冷え込みはキツイ限りではあるが、無風の雲一つ見えない陽ざしの中で洗濯物もこそりとも動かず、鳥達は名々が水浴び後の羽繕いであるから、長閑な物である。私はラジオをGBMに炬燵に足を伸ばして、モーニング紅茶で一服である。庭は半分日蔭であるから、雪の残りを被って居る。

 昨今は体罰ニュースが盛んである。教育法関連で体罰の定義とか、教育に体罰不要論とか、兎に角、庶民の話題の中心を為すには格好の題材の様である。そんな次第で、ラジオ、テレビで聞いたり見たりして居るのであるが・・・ 元来、私の脳味噌が粗雑に出来上がって居るから、上品な教育専門家の解説を聞いても、ピンと来ない始末である。

 そもそも『体罰』と云うのであるから、これは罪と罰との関連から生じて居る<罰>でざっくり論じれば済む事では無いのか。そんな感想すら浮かんで来る始末である。

 人は少なからず、自分の落ち度、罪を自覚して居るから、それに合った『罰の範囲内』なら、素直に従って居る筈である。依って、それで一件落着の筈である。それが違法、不適、不条理、行き過ぎで在ったら、された方は従わないのである。

 口で言っても従わない時に、指導的或いは感情的に発せられるのが、外的物理的な力の行使である。感情的に為って居る両者の間で、多少なりともそれが理の在る処から生じた物ならば、その時分からなかった外的物理的な力の行使が、後に為って理解出来ると云うのが、所謂<成長の力>と云う物であろう。
 当事者間の未熟と云ってしまえば、それまでの話では在るが、それが人間の未熟さの裏返しと云う物なのである。何でかんでも、愛情等の教育的指導面を殊更『教育に於ける治外法権・聖域』として語らなければ為らないのか。大きな疑問を持っている次第である。

 罪と罰を考えれば、罪にも各種各様な罪が在って、大・中・小・微の区分けが在り、それに連動して罪も、大中小微の区分けに従って、其々の罪に応じて量刑が決まるまでの事である。

 罪にだって、その状況次第で正当防衛、過剰防衛と云う刑罰構成要件上の阻却要因の吟味も為される。罪と連動する罰にしても、それは当然に量刑と云う物が付いて回るのは、当然の話である。

 凡そ、人間のする事であるから、行為に関しての責任が問われれば、其処には自ずから、正当・妥当・不可抗力の負担責任の解除フィルターが掛かり、それを検証・吟味して判断が下されると云った人間社会の秩序意図が示されるまでの事である。

 <過ぎたるは、及ばざるが如し>で、バランス好く社会が回って行くのが、理想なんでしょうが、不心得者が跳梁跋扈するのは興醒めのご時世ですわね。へへへ。

 法治社会と云うのは、兎角、人間などと云う生き物は権力を持つと、エコ贔屓、恣意的な傍若無人的な振る舞いを犯しがちな側面に鑑みて、三権分立の方法を編み出して、行き過ぎを抑制していると言って良かろう。不完全為るが故に、裁判にも三審制度も確立して居るのだし、オリンピックの順位付けにしても敗者復活もあるし、安部さんでは無いが、再チャレンジ社会の構築もあるのであろう。此処に働いて居るメカニズムは、正当・妥当・不可抗力の原理だと思うのであるが・・・如何であろうか。

 バスケット部のキャプテンと云う立場からすれば、部員を束ねると云う側面が、個人の上に加算されてしまうから、一発で済む処が二発と云う事も在る。

 それが20発、30発と為れば、そんな物は体罰などでは無い。脅を以って、戦績を吹聴する狂のカリスマ自己保身の典型としか断じ様が無いでは無いか。その本質は、単なる教師の感情の捌け口にして『暴力』以外の何物でも無かろう。完全なる傷害罪の立件と、刑罰に服するのが当然の話でしかあるまい。これで、一件落着なのである。

 これが作用しないのは、組織内の身内意識から来る<自治意識>である。自治は事なかれ主義の部外者お断りの閉鎖的隠蔽体質に陥るのが、多々にして在る。自治とは自らが治めるの意味だろうが、全体を治めると個別を収めるは、違って当然の話だろう。

  脅行く狂育は、同じキョウイクと発音しても、到底教育の足元にも及ぶまい。

 権利義務を担保実践する上での個人の自由と、義務そっちのけの自分に都合の好い権利だけを主張・行動する自由などは、吾が町内の高校生爆音撒き散らし糞っ小憎を連想すれば、丁度良かろう。

 誰もがお世話になる教育と云う耳当たりの好い語感を、教育は聖域、教師を聖職などと嘯(うそぶ)いて、<自治能力を持たない集団>が、不祥事を陰に収める事に窮々として居る様は、如何にも見苦しきザマでしかあるまい。
 自分に、組織に自己解決能力が無ければ、治外法権、聖域は、国に返上して一から出直すのが、真っ当な選択じゃ無いでしょうかね。よしんば、如何でも『自治を護りたい』と思うのなら、行動を通して自浄能力の実績を社会に見て頂くしか方途は無かろう。四の五の言って見た処で、敗者復活戦で克ち上がる事は出来ませんがね。単に勝ち上がるのでは無く<克ち上がる>処に、人間の価値が在るんですぞ。へへへ。

 参考思考・・・幕末大政奉還、朝鮮併合、ニューべルンク裁判、東京裁判、学級崩壊、家庭崩壊、自己破産、権利無能力者・制限制度、成人後見人制度、横行する教員による淫行事件、退職金改定に依るクラス担任教師の早期退職の申し出、スタバで観る当世若者光景、テレビの政治寄せ番組、会社更生法適用、世界紛争地に於ける国連活動、・・・etc

 折角の裁判員制度でも在るからして、法治に於ける罪と罰・量刑に対する思考から、体罰とは何ぞやに就いて、考えるのも面白い事ですぞえ。但し、付和雷同に陥ってしまいますれば、何が何やら頭の中がこんがらがって、自分の意見が無くなっちゃいますから、程々に!! それも、<過ぎたるは及ばざるが如し>で降参でガンスからね。ギャハハ。

 本日も、長丁場の長駄文の館にお付き合い下されて、汗顔の至りで在りまする。それでは、昼散歩に出掛けて参りまする。


心何処ーショート 寒けれど、光に、色に、変化見え始める為り。
      寒けれど、光に、色に、変化見え始める為り。(1/28/13)
 月末、ケアマネさんのコール日も近いから、掃除をして置く様に老母に促されて、月に一度のマメ掃除に取り掛かった。掃除に、鳥の世話、入浴に洗濯を済ませると、夕食の仕込み、洗い物を終えると結構な時刻と為って仕舞った。

 まぁ、それでも家中の空気が入れ換わって、それなりの掃除が完成すると、気分も清々しく為る物である。加えて、散歩を割愛しても好い運動量と為ったから、それもまた好しである。

 そんな次第で、四畳半定位置でのコーヒー飲みは、二時半を回って仕舞った次第である。

 ノンビリとしたラジオを聞きながら、煙草の一服を付ける。おやおや、フェンスのミカンが無くなって居る。ミカンを二つ持って、庭、フェンスの所に配って来る。本日は、お天道さんの恵みが一杯であるから、軒下の並んだ籠鳥達も長閑な風情でお天道さんを楽しんで居る。底板に溜まった餌を地面に撒いて遣ったから、雀達も餌に有り付けたと云う物である。

 こんなにサービス精神旺盛な人間なのでは在るが、如何したものか・・・お天道さんの御利益が一向に差し込まない処が、私としては<大いなる不満>>なのである。昔話を紐解けば、鶴の恩返し、河童の恩返し、狸の恩返しと『恩返しの例』は、枚挙に暇無しの次第なのであるが・・・如何やら、現実は昔話には到底及ばないと云うのが実態らしい。あい~。

 まぁ、ぼやいて見ても仕方が無い処である。左様に、世間とは太古の昔より『薄情』なのである。

 宗教の言葉を借りれば、愛とは無償の奉仕。朝丘ルリ子さんに歌わしめれば、愛は耐える事。上条恒彦さんに歌わしめれば、人は誰かに借りを作って生きている。その借りを返して行くのが、人の人生。・・・etcとも喩えられるのであるから、<即答型のギブ&テイク>のさもしい根性を以って、日々を暮らして居たら、『人相が貧弱に陥る』だけである。

 これ以上、人相風体を悪しき方向に行かせて仕舞ったら、恥ずかしながらお天道さんの下を歩けなく為って仕舞う。そんな事をしたら、長散歩は出来無く為って仕舞う。へへへ。

 本日、何時に無く青味の濃い空である。ご近所の黒、カーキ色の屋根瓦は、雪の埃落としが叶って、眩しい程に陽に好く反射して居る。青のキャンパスに白雲のゆっくりした北から南の動きが、一幅の絵画の様な清々しいコントラストを見せている。

 斜向かい吟さんの所の手入れの行き届いた松の枝葉が、微風にそよいで居る。日蔭の屋根には、未だ未だ溶けの凝った雪が被っている一月の下旬である。

 3時も45分を回って居る。それでも、日伸びする太陽の運行は、冬を脱して春に向かって居る事は、紛れの無い事実である。こんな光の変化に、色が即応して居るのであるからして・・・<寒けれど、光に、色に、変化見え始める為り。>とすべしである。

 さてさて、風も出て来た様であるから、鳥籠を所定の玄関に戻して、コタツ部屋に移行すると致そうか。夜更かし人間にとっては、コタツで転寝(うたたね)タイムは、コアタイムであるからして・・・

心何処・・・喜劇よ、何処や。
                 久々の一枚

                喜劇よ、何処や。_001

 一日は、何もしなくても過ぎ去って行く物で在りまするね。偶には悪戯描きでもしたく為りまして、昔懐かしい松竹喜劇の雰囲気を描いて見ました。へへへ。

心何処ーショート これ、喜劇への淡い一郷愁か・・・
          これ、喜劇への淡い一郷愁か・・・(1/27/13)
 昨夜はYouTubeでフランキー・堺の松竹喜劇のご当地巡りの<国鉄マン>を見付けて見た次第である。フランキー・堺、倍賞千恵子、伴淳、森田健作、都蝶々のレギュラー陣に、財津一郎、鈴木やすし等のコメディアンと東京ロマンチカ、ピンキーズ、金井克子などのヒット歌手などを織り込んだ喜劇である。

 その当時の喜劇と云えば、東宝・森繁の<社長漫遊記>と松竹の国鉄マン物が、双璧を為して居た時代であった。私はフランキー映画の方がピッタリ馴染んで、喜劇に関しては、松竹に通って居た物である。序でに云えば、勝新・田村高広の<兵隊やくざ>も、痛快で面白かったですな。へへへ、人間って、不完全な者の方が、味が在って好いですわ。

 尤も、YouTube物であるから、フルムービィでは無く精々が30~40分物である。それでも、面白い。幾つかのシーンが記憶にオーバーラップして、深夜のPC画面に向かって、抱腹絶笑の一時で在った。振り返り、高度成長期の熱気が在って、笑い・共通の人情が画面の其処此処に見え隠れして、嗚呼・・・懐かしい。あんな良い時代が、日本には在った物である。
 伴淳もフランキー・堺も本当に一流の芸人であった。笑い在り、人情在り、パフォーマンス在り、臭さ在り、真っ当さ在りで・・・其々が日本の風景の中に収まり混沌一体と為って、日本の喜劇映画を社会の潤滑油として場を得て居た感じがして来る物である。

 翻って、現在のお笑い界を見るに付け、質も技量も地に落ちた<仲間内芸NO人交遊会の低き>に陥って居る事か・・・ 語る気にも為らない芸の荒廃振りとしか言い様が在るまい。

 ゲラゲラ、ギャハハ、イヒヒ、ニンマリの笑いの映画見の後で、若しかしたら、日本の映画、ドラマから、『日本版喜劇』が無くなって来た頃辺りから、家庭、社会から、庶民の喜劇的資質の吐き出し口が無く為って、共稼ぎ・鍵っ子、管理社会の所謂サラリーマンの社畜化が進んだ様である。

       卵が先か?鶏が先か?は、私には如何でも好い事である。
<世は歌に連れ、歌は世に連れ>の言葉が実態として在る以上、これらの関係は、相乗の関係にして、補完、裏表の関係なのであろう。

 管理生産性の効率主義の名の下に、無形にして計測し難い物は、生産性の寄与度に於いて、全体の中で切り捨てられて来た。哲学・感情よりも、目に見える実績を管理監督の目標とすべしが、現代の実績偏重の『成果主義』が蔓延する組織の論理である。

 計数化を目標とした管理監督技法の<縛り、縄目のキツサ>に、大袈裟に云えば人間が本来持ち、共有化して居る筈の喜劇を好む性向を捨てさせられて居るのでは無いのだろうか。笑いは、庶民の発散でも在り、共有・共感などを伴なう市井の心のオアシス部分であった筈である。有形・無形の上に成り立つのが、人間の満足の実態にしか過ぎまいに。へへへ。 

 眼を瞑れば昭和の時代には、言葉以上の表情が溢れて居た。人が自然から遠のき、管理社会に為って幅を利かして来たのが、言葉に偏重した知識・技術・技能教育・解説・決定通達の日常洪水の中で、語り・話す人間から<人間の表情>が無くなって来たと思われる。

 世の中が複雑に為ればなるほど、専門化・特化に生産は進む。専門化・特化を促すには、教育・訓練が幅を利かせて来る。大変なのである。神経は余所見を許されずに、酷使を余儀なくされる。言葉をこれでもか、これでもかと微に入り細に入り、話せば話す程、それは観念・専門用語に進んで終う。

 良い例が、訳の分からぬ使用者のカッコ付け=マスターベーション語=横文字の多投である。専門化・特化が進めば、人間の同心円は、それ等を内包し切れ無く為り、異心円として専門化、特化の別枠を持って仕舞うのが、集団の中の歩み、実態なのであろう。

 現実問題としては、私の様な人間は落ち零れに為るしか、仕方の無い処なのである。困った物である。とほほ・・・

 観念語・専門用語・横文字を即座に実態語・現実語に翻訳出来る頭の構造を持つ人間など、世の中に一体何%居るのだろうか。言いたか無ぇが、言葉は心に向かって発せられる<人間語>で無くちゃ、本来の目的を全う出来はしませんがね。いやはや、管理社会とは言って見れば偏差値社会の様な物である。
 従って、私の様なスカンポ脳で在っては、面従腹背の観念語素通りで下を向いて遣り過ごすしか、観念語への対処の仕方など無いと云うのが、その実態である。

 そんな屁理屈を捏ね始めると、日本版喜劇の廃退と苛め、セクハラ、パラハラなどが蔓延、横行して来たのでは無かろうかなどと、頭の中をテロップが横切って来る次第である。

 恥ずかしながら、昨夜はそんな事などを、睡眠導入の伴にさせて就寝した次第である。

 明けて、本日はまぁまぁのお天道さんのお出ましであった。本日・日曜日、週刊報道のテレビを見れば、アルジェリア、大阪の市立高校の体罰問題、尖閣への領土侵犯問題、安倍ノミックス・・・etcである。

 私のテレビ離れも、日常の事故に、ポットに湯を注いで四畳半定位置でモーニング・コーヒーをする。正面フェンスの縁にミカンを置いて居るので在るが、長らく見捨てられて居た。其処へ、鳥影が動いて、メジロ夫婦が久し振りに姿を現した。

  昨日はM氏から電話が在って、元気な声で在ったから、一安心である。

心何処ーショート おお、寒い~。
               おお、寒い~。(1/26/13)
 長らく続いた寒気団の緩みで2、3日の中休みが在ると、寒気の戻りに対する抵抗力は激減してしまう物である。恥ずかしながら、何度トイレに起きた物やら・・・ 温い布団からトイレで体内湯たんぽの一気放水をして来ると、その間に身体は冷え冷えとしてしまう。布団におお寒い、ブルブルと潜り込んだ処で、布団の中の暖気が身体に回るには、それなりの時間を要す。

 B型人間のTは寝入りも早く、一度眠りに落ちれば朝までの体質との事ではあるが、A型デリケートな私としては、寝入りには苦労する体質なのである。

 寝入りまでの時間には、色んな事が浮かんだり、妄想遊びをしたりの状況を迎えてしまうのを常として居る次第である。そろそろ短編物では打って見ようか・・・何か、ネタは無い物かなどと考えたりしている内に、意識が遠のき・・・尿意を催したりの睡眠中断を余儀なくされて仕舞う。ヤレヤレの熟睡と為れば、老母の物音に朝のお迎えと云う有様である。それでも、夢のモザイク模様に、使えそうな物が在ったから良しとすべきであろう。

 障子を開ければどんよりと垂れ込めた雪雲に、白い物が動いて居るでは無いか。いやはや、今冬は遣り切れませんわな・・・。

         朝食後のTの電話でも、今冬へのボヤキである。

「おいおい、この一週間は、寒いってぞ。でもな、それを過ぎると好いらしいからな。」
「でも、両手を挙げて、信用する訳にも行かねぇよ。この頃は、女もお天気さんも信用すりぁ、下手打つわね。ひたすら耐え忍んで、四月の声を聞くしか有るめいよ。あい~。」

 本日のスタバの二階席は、正しくお勉強空間である。高校生達なのであろう。三学期の中間試験期なのであろうか。時代も様変わりして、勉強も一人では出来ないご時世なのであろうか。所詮、勉強なんて代物は孤独な単独作業と心得て居た時代の男であるから、個室文化真っただ中の高校生達が、こんな風にスタバで勉強して居る光景を見ると、この程度の学習では<一生の無形財産>と為るべき知識は、脳裏には残らないのだろうと納得してしまう次第である。
 自分の経験からすれば、学童学生の勉強とは所詮覚える事であるから、神経を集中して頭に叩き込む作業で在った。従って、自分に対峙するかの様な真剣勝負見たいな物が在った。人前で勉強するなど、考えた事も無かった次第であった。

 私達の横は男女テーブルである。耳にはイヤホン、テーブルにはアイホン。教科書、ノートは広げられては居るが、男女の目線はお互いの目に注がれて居るのであるから、困った連中である。コーヒー飲んで、ケーキを食べて、デートじぁスタディ為らぬスッテンコロリンの赤点ですがな。昭和の時代では、『学生の本分は、学業為り。』なんて、耳の痛い決まり文句を教師から、耳にタコが出来るほどに聞かされていたのではあるが・・・

「なぁ、Tよ。何しろ長野県の教育長さんの顰め面じゃ無いけど、教職員の猥らな行為にぁ、歯止めの掛からない昨今のご時世だわな。教師がだらしが無いのか、勉強に身の入らない生徒が悪いのか…知らんけど。」

「あいあい、困ったもんだわさ。教職員の猥らな行為が報道される度に、ニュースのインタビューの矢表と来たら、エリート県職員でも、あんな苦々しい面構えに為っちゃうわな。教員だって好い銭貰って居るんだから、ホステスの居る店、ロリコン専門店、SM専門店、ニューハーフ専門店と何でも御座れの<風俗文化圏・ニッポン>でしょうが。
 幾らケチな男だって、『急がば回れ』『安全パイ』位の常識は持たなくちゃな。バレりゃ、懲戒免職、離婚の無職生活なのにさ。」

「本当にな。何を考えて居るんだか。長野県はこの数年、不祥事が多過ぎるんじゃないか。昔、カッコ好い女バーテンダーの居る店が在ってさ。お姐ちゃんの胸触ったらさ、行き成りバシッって平手打ち喰らってさ。この店は、そんな店じゃ無いってさ。いゃ~、痛かったぜや。
 でもなぁ、それだけで一件落着で、セクハラ、猥らな現行犯で、逮捕されて懲戒免職には為ら無ぇものな。そもそも、一丁前の大人が、<只で淫行を重ねる>なんて言語道断よ。遊びのルールも知らん様じゃ、男失格だぜや。神経麻痺は未だ未だ続出って事だわな。」

 実際問題、Tと云う野郎は酒が入るとトボくれた男だから、全てをアルコールに濡れ布を被せて、本能遊びを仕出かす男である。ビール瓶で頭を殴られたり、ロシア女に果物ナイフを突き付けられても一切動じない男なのであるから、遠の昔に官憲、マスコミの餌食に為って、臭い飯を何度も喰って来ないと<娑婆に野放し>など叶わない男なのである。

 へへへ、本人、幾ら酒に恍けて見ても、星は何でも知って居る~。ってな物である。

 本日、滅法冷え込むから、車内にてパッパタイムである。ホームセンター、スーパー巡りである。

 いや~、凄い!! 見上げる程の引き締まった<サラブレット牝馬>の様な若々しい白人女性が買い物をして居る。黒いパンストにショートスカート。相撲取りの様な硬太りの大腿部の付け根は、高い位置の重量感満載のヒップが載り、長い大腿部はすらりと先細りの足首に繋がって、ボンボンと隆起した胸部にあどけなくも、官能的な顔が乗っかって居る。

「おい、如何する。好い女だけど、圧倒されちゃうぜや。」

「好い女で鼻で深呼吸してたんだけど、迫力が違い過ぎる。柏戸見たいで、一発で弾き飛ばされて、浴びせ倒しになんか、された日にぁ身動き取れんぜや。2m位こっちの身体が無きぁ、合体にぁ為らんぜや。
何処から見たって、ホワイトは肉食アマゾネスだ~。俺の粗チンじぁ、到底<奥の院>にぁ届かんぞや。Rに譲るわさ。」

「いけね、いけね。幾らiso規格にだって、限度が在らぁな。北の将軍様の三弾ロケット構造にでもしなきゃ、それこそ、<オオ、アナタ、女の私に恥掻かせるか!! 最後まで満足しない限り、解放しませ~ん。女はスリーホール。これホワイトの常識デス。>なんて言われたら、俺ぁ、数時間も経たない内に、玉砕・熨しイカだぜや。君子、危うきに近寄らずも男の嗜みの内だいね。

「あれ、今日は、嫌に弱気じゃないか。<工夫は、性交の心得>だぜや。ホームセンターに引っ返して、道具見繕って抜かずの三発勝負を挑まなきゃ、宇宙戦艦大和の波動砲にぁ為らんわさ。あい~。」

「ノーノー、俺ぁ、未だ糞婆っさを看取る仕事が残ってるぜ。潔く、白旗上げるわね。」

 白き物、チラチラ舞う鉛色の風に吹かれて、好色ヤクザもどきのオッサン二人のブツブツ話とは、精々がこの程度の物なのであるから、お恥ずかしい限りである。ギャハハのハ。

 

心何処ーショート いやはや、饒舌の日であったわいな。
         いやはや、饒舌の日であったわいな。(1/25/13)
 田舎のオッサンのお節介をした処、お礼の電話が来た。いやはや、団塊世代の男話で言葉と笑いの大笑談会であった。同年であるから、産地は日本の北と南では在るが、其処は<時代の子・男子番からガッタ坊主の為れの果て>であるから、談論風発為らぬ『談笑風発』の態で、丸で仲の好かった運動部連中との語らいの感じである。

 へへへ、スタバでも携帯チャカチャカの同席タイムの『今時の個室文化の中で育った者達』に、ニッポンのオッサン達の素面(しらふ)怪気炎を実況放送して、お賽銭でもチャリンコと入れて貰いたい物である。ギャハハのハ。

 PCを開くと、これまた以心伝心のコメントが入って居るでは無いか。早速、電話を掛ける。お相手は私の姐貴分の様なお方で、私同様に或るブログさんの突然のブログ更新無しの状況に、心配していたとの事である。まぁ、私としては姐貴様は雲の上のご存在であるから、人生のエキスを何んとか伝授させて頂きたく、お話を頂戴して居る。

 何しろ、このお方も、背筋にピンと一本筋が入った様な古き良き時代を体現した様な『大和撫子様』である。スイ、スイ、バサ、バサと隙の無い薙刀の達人の様な闊達なトークを、次から次と展開して下さるから、イヒヒ、ギャハハ、アッハッハの尽きぬ人生道のエキスを拝聴させて頂いて居る次第である。こう云った関係は、出来の好い姐貴に絶対の安心感を持つ、出来の悪い弟見たいな図柄とでも形容するしか無いのであるが・・・私としては、好い気分を頂戴して居る果報者である。テヘヘ。

 お二方とも、ブログが縁の付き合いをさせて頂いている次第であるが、閉じ籠り賄い夫生活者にとっては、心のオアシス見たいな物である。お天道さんを天に仰いで、東に西にオアシス在りであるから、有難いの一語に尽きると云う物である。

 さてさて、本日金曜日である。風呂日である。時間の関係上、老母殿に先に入って貰い、宅急便を出して、米屋さんに行って来なければ為らない。沢庵漬けの糠を貰って居る。漬かったら、味見がしたいとの事であったから、ミヤシゲと硬大根を『手土産』として自転車のペダル扱ぎである。昨日は暖かかったのではあるが、いやはや、風の冷たさに息切れの態である。

「あいよ~。お約束の物だいね。奥さん、二切れ位切って、夫婦で品評しておくれや。」

「やいやい、Rちゃんは、口に出した事は違えない人だわ。やぁ、その記憶力は何処から来るだいね。流石に、お母さんの子だわ。尊敬しちゃうわ。」

「何を扱いてるだい。根が馬鹿正直の大真面目人間だって事ずらい。はいはい、味見、味見!!」

「どれどれ。色と云い、う~む。塩っぱからず、甘からずで、う~む。大根の仄かな甘味が在って、上品な味だわ。こりぁ~、オドケタ。○子、晩飯のオカズにして呉れや。」

「そうかいね。合格点が出て、俺ぁ嬉しいわや。小泉・竹中コンビ、キリスト教の三位一体は、気に喰わ無ぇけど、国技・相撲で言う処の心技体の三位一体は日本人の道への境地だぜね。イッヒッヒ。

 目立たず、地味に、お天道さんの恵み・大根をせっせと干して、大根本来の甘味を絞り込んで、米屋さんのたっぷりの米糠に塩・ナスの葉・柿の皮・黄粉・唐辛子・味の素を加えて、後は信州の冬の冷たさに、低温熟成させりぁ、自ずと、お天道さん・信州の冬の御<心>に、俺の本の小<技>と大根さんの<体>で、庶民の心技体の三位一体の出来上がりだいね。如何だい、好い事言うずらい。ギャハハ。」

「やいやい、流石に巧い事言うぜや。Rちゃは只者じゃ無ぇぜや。不抜け政治家の野郎共に、爪の垢でも送り付けて遣りてぇもんだぜや。」

「あれ、俺ぁてっきり先輩が、小宮山洋子先生にご送付して下さったから、御利益が即出て、<政界ご引退>だとほくそ笑んでたのに、あれかいね、念力一本で止めを刺すなんざぁ、やっぱ、先輩は只者じゃ無ぇね。あれずら、護国神社さん近いから、日ノ丸鉢巻きに、100匁蝋燭三本おっ立てて、藁人形に五寸釘遣ったずら。へへへ。」

「またまた、見て来た様な、そうか、その手が在ったか・・・何にも無ぇけど、黒飴持って行ってお呉れや。何~、配達して呉れだと、分かった直ぐ行く。悪いねぇ、仕事が入っちゃった。お母さんに宜しくね。」

 大寒、小寒、向かい風に、お空は雪雲の暗さかいな。やれやれ、信州の冬は長丁場である。へへへ、本日は、好く喋った物である。これで当分、日本語も忘れずに済みそうである。さてさて、帰って即席ラーメンで軽く昼食を取って、風呂に入ってじっくりと温まりましょうかね。

 

心何処ーショート 冬の中休み
                 冬の中休み(1/24/13)
 ヨッコラショと・・・ 遺憾いかん・・・余りの上天気で、食後の戯け話のオンパレードに、長居をし過ぎてしまった。廊下を開放して部屋掃除に鳥の世話などをすると、12時を大きく回って終った。二畳小部屋の炬燵にドッコラショと胡坐を掻いて、熱い紅茶を啜ってマイタイムである。台所で二品仕込んで置いたから、差し当たって<後顧に憂い無し>のマイタイムの始まりである。

 昨夜はチラチラと雪が落ちて居たのであるが、明けて見ればお騒がせのバイク爆音も無く、雪の残滓すら無い青空である。被り物を脱いだ庭木は、緑を陽に反射させている。庭の地面は雪に蓋われたままではあるが、屋根からの雪解けの滴りと陽の光が、何とも柔らかで穏やかな眺めである。

 軒下に吹き零れた餌を求めて雀達が三羽、雪の上をチョンチョンと動き回って居る。へへ、家の主が人畜無害無味無臭の透明ロートルであるから、安心し切った自然の動きである。然しながら折角、庭見の小部屋に居るのであるから、雀以外の訪問者を期待して居るのであるが、・・・一向に待ち鳥現れずである。

 尤も、六十有余年一切モテた試しの無い男の住まいなのであるから、これも致し方の無い処なのであろう。

 ぼやいて見ても詮無き事では在るが、何時に無く暖かい日であるから、地厚のシャツに防寒チョッキだけで炬燵熱源のポータブル電気ヒーチーも、一度入れただけでoffにしている。久し振りに、M氏に電話をするが出無い。患いを持った身体故に、体調の具合で病院にでも居るのだろうか。へへへ、振られてしまいましたがな。

 さてさて、好いお天気さんであるから、家の空気ばかり吸って居るのでは詰まらない。双眼鏡をポケットに、私も外気に当たって来るべしである。

 靴を履いたが、長靴にする。河川敷に残った雪を踏むと、雪の下は泥濘って居る。溶け行く雪の感触を踏み締めて歩くのも、一興である。まず最初はモズである。川原の水柳の枝に止まったモズに双眼鏡の焦点を合わせる。

 流れの上を白鷺が低空飛行で飛ぶ。雲一つない青空に、眩しい程の白と青のコントラストで在る。

 雪の上を歩くのは、エネルギーを要するものではあるが、これも散歩の好さでもある。流れは雪溶け水で笹濁りの色ではあるが、水中にはクレソンの緑も揺れて居る。外は雪が在る分、家の中の日差し程の温かさは無い。

 南風に、淀みの水面が波立って居る。橋下を過ぎると前方の落ち込みを背に、白鷺とコサギの2ショットがある。双眼鏡で暫し立ち止まり観察をして、踏みしめられた雪の上を行く。中堤防の縁を大学生と思しき娘が一人歩いて来る。

 見た処、雪の無い都会育ちの娘が、雪歩きを楽しんで居るのであろう。私は長靴であるから、道を譲って雪の河川敷を歩く。

 雲の無かった空には、薄っすらと雲が昇って来ている。薄い頼りなげな雲である。それが流れて来た雲なのか、地上から生まれた雲なのかは、判別は出来ない。

 日当たりの石垣の隙間には、雑草が黄色の蕾を膨らませて居る。苔の緑も、健気に色を放って居る。<小さい春、小さい春、見~付けた~。>の風情には違いなかろうが、此処は厳しく長い山国信州の一月下旬に、ぽっかり空いた冬の中休みの様な頼りなさでしか無いのである。

 へへへ、その健気さに歌って遣りたいのは山々為れど、<凍傷に掛かって、風邪引くなよ。>と声を掛けるしか無いのが、実状である。

 コンクリート大橋の下は、橋の排水管は大氷柱にして、滴り落ちる水は氷の堆積物を呈しているし、寸前の処で、滑って尻もちの憂き目に晒される処で在った。建設後何十年も経過する代物であるから、長い風雪にコンクリートの石灰分が溶け出して、鍾乳洞の様な石灰質の波状襞を作って居る。

 そんな寒々として濡れた異物を見ると、太古の昔の洞窟に住んで居た人類の厳しさに、矢張り生活するには現代が一番、と苦笑せざるを得ない次第である。

 頭上の雲は、筋状、鱗状からステージを挙げて、形の大きくして雲らしい雲を青空に発展させている。家に入る前にスコップで、緩んだ氷を剝して、道路に散布して置くと致そうか・・・防寒チョッキの下の背中は、ポカポカして汗ばんで居る次第であるから、何か力仕事をしないと体細胞が、家の中に入れてくれないのである。困った連中である。

 ソリァ、ソリァ、如何じゃい、如何じゃい。まな板の鯉で、跡形も無く溶けるんじゃぞ。ホレ、ホレ。もう、降るで無いぞや。手間を掛けるで無いわさ。



心何処ーショート 日々の徒然に
                 日々の徒然に。(1/23/13)
 さてさて、飯が半端である。干麺うどんを茹でて、晩飯の残りの野菜炒めとドッキングさせて焼きうどんと行きましょうかね。干麺を茹でながら、掃き掃除、玄関鳥の世話をする。その間に昨夜仕込んで置いた、玉ねぎスライス一杯の鰯の南蛮漬けの味見をする。

 前に小アジの南蛮漬けを試して見ると、老母の口に合ったらしく盛んに箸を伸ばして居た経緯が在った。この処の老母のお気に入りが、身欠きニシンと昆布の甘辛煮付けである。蓮の酢漬けに、沢庵、味噌汁を添えれば、文句は有るまい。

 時間さえ在れば、料理も文章、戯け画と同様に、時間潰しの自己表現のアイテムの一つにも為る。顆粒コンソメ、ウースターソースで濃い目の味付けをして、残り飯の友にする。
<家計の経済は、工夫次第。> この頃は、好く通った冬の熱々温泉銭湯での常連ハイカラ御隠居さんとは顔を合わせては居ないが、はいはい、御隠居さんの薫陶を日々実践致して居りまするがな。イッヒッヒ~。

 さあさあ、これで良かろう。配膳役で小鉢に焼きうどんをよそって、婆さんの前に置いて、味噌汁を口に朝食タイムである。何も出来無く為って仕舞った老母殿では在るが、美味しいと言って呉れると、作った者は途端に相想が崩れて仕舞うのである。へへへ。

 食後は婆殿のご機嫌伺いで、テレビのお相手である。仏師を案内役にモデルさんの仏像巡りの番組で在る。モデルさんが好みのタイプで在るから、彼女ばかりを鑑賞させて頂いて居る。魂胆からすると、有無を言わさず押し倒して、手後目にしたい程、続々と来る日本的美人さんなのである。

 今回は、岡倉天心先生の半生を辿る構成である。神仏分離・廃仏毀釈・フェノロサ・東京芸大と連想単語が<脳裏にテロップする>明治以降の日本美術の大恩人にして大啓蒙家で在った大偉人さんである。

 黙って居れば日本的な明るい美人さんなので在るが、彼女の無恥さには開いた口が塞がらない。お嬢さんや、こんなマメ知識なんぞは義務教育のイロハでしょうが・・・小中高と歴史教科書には、必ず記載されて居りまするし、美術の教科書にも、天心先生のお写真は掲載されて居りまするがな。

 ニャロメ~、少しぁ確りし為されや。折角のお天道さんから頂戴した外見の美しさでは無いか。折角の頂戴物を無にするとは、勿体無いお化けが出ますぞえ。

<花の命は短かれど、積み増す内面にこそ、永き美が宿る為り。是、美人美形の長持ちの秘訣。>で在りましょうや。『天は二物を与えず』で、安易に逃げたら、女が廃りまするがな。

 いやはや、困ったお嬢さんである。96の婆さん相手にオフレコで突っ込みを入れるのであるから、傍目には罵詈雑言の美人お嬢さん叩きで在る。今のご時世であるから、彼女とて学歴には申し分の無い高等教育を施されて成人したのであろう。日本には『勿体無いの文化』が縦糸に流れて居るんですがな。

 アッケンカラリンの<知らなかっただけ>の軽いノリだけでは、先が思い遣られる日本の近未来ですぞえ。・・・とほほ、困ったご時世ですがね、あい~。

 私とて、別段勉強が得意では無かったガッタ坊主の端くれの一人でしかない。それでも、学校の授業、テストに出て来るのであるから、低能児の誹りは、プライド上甚だしく宜しく無い処で在ったから、人並みに記憶して居たに過ぎない。出来が悪過ぎては、育てて呉れた母親に申し訳ないし、公費の無駄遣いでは名も無き納税者国民にも申し開きが出来ない事でも在った。

 世間に在っても、質問を受けて応えられないと在っては、これまた自分に申し訳・面目次第も無い『不徳の致す処』と、生きて来た次第でもある。

 人は其々の段階に在って、<鉄は熱い内に打て>の躾けと克己心が施され無ければ、好い花も良い実も結実しない物なのであろう。熱砂に日本を背負ってプラントに生涯を閉じた精鋭の徒を思う時、涙が頬を伝わるばかりである。
 ただ一つの華向けは、民主党政権が瓦解して、『日本を取り戻す』の戦後レジームからの脱却を目指す安倍政権が活動を始めている事であろうか・・・。


心何処ーショート 夢うつつに、ノタリノタリ為り。
             夢うつつに、ノタリノタリ為り。(1/22/13)
 今朝は、格段に暖かかった。温度と夢見との関連で、夢うつつのショート夢のオンパレードで在った。半分位の意識の中で、次から次へと細切れ夢が押し寄せて居た。老母の洗面の音が聞こえて居るのだが、その中でも夢が寄せたり退いたりして居るのである。こんな経験は珍しい事である。

 昨夜は500円DVDのエアポートシリーズの02を見て、シリーズ4本を見終わった次第である。云う為れば、有名俳優・女優が出ている訳でも無し、B級映画の典型である。その分、役者に釘付けに為らないから、却ってストーリーの好し悪しが、ストレートに伝わって来る。従って、無名映画では在っても、良い物は良いし、面白い物、面白いタッチの物も、これまた見て損の無い処である。

 へへへ、アメリカ映画の登場人物の安易さとワンパターン化の浅さと臭さは在る物の、何でもかんでも、観て見ないと映画は分からない物である。

 それ等を見終わって、さて寝ようとすると・・・長らく雪で形を潜めて居た暴音バイクの2台が、バリバリ、グウゥィーン、グウィーンの大デモンストレーションである。それが、コンチクショーメ!! 夜中の1時半である。真に以って、許し難き糞餓鬼の暴挙である。
 前も腹癒せで打った処で在るが、せこい過ぎる小チンピラ根性が許せない。その魂胆たるや・・・手前達の意気がりの爆音響かせは大好きなのに、雪道・氷道のスリップ事故は大嫌いの<身勝手放題の低脳細胞連中>なのである。それもパトカーの巡回コースを回避して住宅街を轟音を響かせて走り回るのであるから、そもそも根性が最低なのである。磔獄門の晒し首にして、カラス、トンビの餌にして遣っても余りある連中である。

 寝込みを襲われ、悶々として居ると、今度は風のビュービュー鳴りと来たもんだ。其の内に、今度は雨音までして来た。老母の部屋からは、珍しく鼾まで聞こえて来る始末・・・眠りに落ちたのは、きっと3時過ぎだった様である。

 如何逆立ちしても、睡眠時間の短さに<起きれる訳が無かった>のである。

 外の雨音、屋根雪の滴り音、気温の暖かさと寝不足を補おうとする身体の気だるさの鬩(せめ)ぎ合いの中で、エアポートシリーズのパニック映像の残滓が、夢うつつの中で結び付いての『支離滅裂劇場』と為って居たのである。ジェット機の貨物格納室のドアの外れに寄る気圧差で、吸い出されるシーンとか、変異した『ロケット蟻』の異常繁殖で、機内に蟻が充満して、それが乗客に襲い掛かるシーンと結んで、屋根の雪が雨に溶かされて、雨漏りのポタポタのシーンを夢の中に浮上させる。私の脳細胞としたら、夢うつつの中に居る次第であるから、ガラス戸を強く打つ雨音、風の強弱のうなりが、映像効果音のBGMと為って、近く遠く・・・パニック映像に繋げて居る。

 天井に回る雨漏りの裏には、知能を持った殺人ロケット蟻集団が、黒い絨緞のアメーバー集団と為って、黒い襲撃集団のザワザワと犇(ひし)めき合って居るパニック映像残滓を持って居るのであるし、天地茂の明智小五郎・美女シリーズの怪奇シーンとも連動して仕舞うのだから、遣り切れた物では無いのである。
 
 これらが、半分以上の意識の戻りの中で、夢見の因果関係を解説しながらも、如何せん・・・物理的な睡眠不足の五体に重く圧し掛かって、意識の戻りを半歩手前で縛り付けて居ると云った状況下だったのである。

 まぁ、それでも、多様に複層する虚ろ気なる意識の中で、それ等の支離滅裂さを観察して居る。そしてまた・・・それを<或る種の面白さで見て居る自分の意識存在>を愉しんで居る部分に、苦笑いをしている自分が居るのである。いやはや、実に困った状況下に置かれている次第なのである。

 そして、これらの状況を許して居る『大前提』が、毎日が日曜日の在っても無くても、大勢に影響無しとする<好い加減さの意識>なのであろうか・・・

 どの位の夢うつつの鬩ぎ合いが在ったのかは、一切不明では在ったが、目が覚めた。

 障子戸を開ければ、雨に解放された庭の木々であった。未だ雨は降って居るが、矢張り雨の暖かさと南天の緑・赤い実、常緑樹の緑は、融け残っている雪の白さとのコントラストを見せている。さてさて、夢うつつのお時間とは、オサラバである。大欠伸を2度3度して、煙草に火を付ける。

 夢の残滓を辿るが、奇妙な事に女性は唯の一人も登場し無かったとは・・・へへへ、如何やら、私の本態は女嫌いの様である。さてさて、朝の始動を開始致しまするかな。

 ラジオによると、松本の最低気温3・6℃、予想最高気温6~7℃に達するとの事であった。

 朝食を終えて片付けようとして居ると、元気なヤクルトママさんのコール声である。外はポツリポツリの雨では在るが、温い日である。いや~、何時にも増して美人さんである。初端からの不意打ちシェイクハンドをさせて戴く。

「また、油断も隙も無いじゃないですか。助平オヤジ~。もうちょっと、離れて。」
「あれ、男子、家の門出たら、7人の敵だよ。増してや、美人ママさん、外には五万の雄オオカミですがな。」
「ええ、それって、私美人って事ですね。嬉しいな。もっともっと、褒めて下さいよ。女はねぇ、褒められるとヤクルト以上に、ホルモンが活性化されて、活き活きとして来る生き物ですからね。」

   ヤクルトママのこんな軽いノリが、何んとも面白い美人さんなのである。

「この前の沢庵美味しかったです。早速、職場の皆さんと味見しました。好い漬かり具合でしたよ。休みの日は、子供のリフト代が只だったから、家族全員でスキー場に行って元気に為って来ました。子供の時にスキー遣らしとか無いと、スキー出来ない大人に為っちゃいますからね。それじゃ、カッコ悪いですからね。」

「そりぁ、良い心掛けですがな。言って見りぁ、<自然と遊んだ日々に、健全な人間心>だぜね。活字勉強ばかりに教育ママゴン遣らかして、『下らんオマセさん』に育てたら、親子共々、身包み剥がして獄門磔のヤイトして遣らなくちゃな。はいはい、頑張っとくれ。」

「流石に此処は、Rさんの干し柿、沢庵塾ですねぇ~。含蓄のあるお言葉。毎回、有難うございま~す。」

「そうかい。俺ぁ無料塾長として、本当はママさんの開却サービスが大所望なんだけどさ。今時のママさん達にぁ、何時も口先だけで軽く一蹴されちまうんだから、無口な俺にぁ、打つ手が無ぇぜや。ケチ~!! アハハ。」

 老母の部屋を辞して、四畳半定位置でモーニングコーヒーを口に、屋根の雪を眺めれば、如何やら、大方は融け行く屋根雪の進みで在る。

 いやはや、この分だと、学校が終われば、料簡違いの馬鹿餓鬼共が、憂さ晴らし、意気がりのお騒がせを仕出かしに走る回るに違いあるまい。仕方が無いから、暇潰しに紙でも折って、<五寸釘の刑に処す>と致そうか。

 へへへ、何時の時代に在っても『至誠通天』の市井貧民の願いは、儘為らぬと云った処でしょうかね。


心何処ーショート 何処も屋根雪は、何時溶け落ちる物やら・・・
       何処も屋根雪は、何時溶け落ちる物やら・・・(1/21/13)
 相も変わらず、凍み上がって寒い。風呂を譲って、コンビニ、個人スーパー経由の長散歩に出掛ける。連日の真冬日の行進で、雪の無いのは大通りの車道だけである。歩道でも雪が溶けて居るのは、日当たりの部分だけである。これで雪さえ無ければ、結構な気温なのだが・・・テクテク歩く分には、まぁまぁの具合である。

 物の10分も歩くと、耳当て、毛糸の手袋が不要と為る。マフラーも宜しく無い。午前中はお天道さんに恵まれて居たが、薄曇りと為って来た。天気予報では、また雪が降ると云って居た次第である。

 散歩の折り返しに近いコンビニで支払い方々、煙草のカートン買いをして帰って来る心算である。何時もの様に下の橋を渡って、西のアルプスの山並みを眺めたり、東山系、空の模様などを眺めて、北へ向かう。

 体育館方向から、スイスイ歩きの中年女性である。脇目も呉れず、計った様な歩幅とテンポである。団塊世代は、皆短足族で在る。従って付いて行くのが、やっとのハイペースで在る。幸い次の橋で左折して呉れたので、息切れし無くて済んだと云う物である。折角風呂に入ったのであるから、汗後の風邪引きは御免蒙りたいでガンスわね。好かった良かった。

 次の橋を通過すると、私の前にはレジ袋を持って、歩道の煙草の吸殻を拾って歩くロートル男さんが行く。私は散歩時にはタバコのポイ捨てをして仕舞う意志薄弱男であるから、散歩時には煙草は持ち歩かない事にして居る。
 到底、吸い殻拾いの積極的行動には出れないから、娑婆に対するせめてもの消極的協力として、散歩時には買い物をしない限り財布も持ち歩かない。食べ物、飲料を買えば、飲み食いした後の容器は、真に『面倒なゴミ』に変わって仕舞うから、これまたポイ捨ての誘惑に負けて仕舞うからである。←とほほ、以上は、痩せ我慢の為せる私の突っ張りでもある。

 へへへ、冷たく追い越して行くのも気が咎めるから、<ご苦労様です。>と声を掛けて行く。白い無精髭は生えて居るが、凡そ吾が身とは雲泥の差、現役時代は教育者さんだったのかな??

 振り込みを済ませて、煙草を買おうとすると3個しか無いと云う。帰りに個人スーパーに寄れば好いだけの事であるから、それを買いUターンの橋に向かう。雪の原を割って幾分濁りのある流れである。セキレイ、キジバト、雀達が、雪に埋まった餌の乏しさで、チョコチョコ、忙しく餌探しに余念の無い感じである。

 橋を渡って土手道の一本道を下って行くと、ホウジロの轢死体が一つ。死んで終えば、後はカラス、トンビの貴重な食料である。加えて、雪に閉ざされた飢餓の冬事情で在る。獲物に在り付けたと焦る余り、ホウジロ共々、<二次災害>で轢死体を重ねては身も蓋も無かろう。川原の雪の原に放物線を描いて遣った次第である。

       最初に見付けるのは、カラスかトンビか、はたまた猫か。

 土手道から住宅街の裏道を歩く事にする。何処の家も、低温続きで在るから屋根の雪も落ちずに、氷柱を長くしている。年寄り達が、路地の凍結凸凹道を頼り無げに歩いて居る。買い物か、用足しか・・・着膨れした老いた姿を見るのは、忍びない光景でも在る。老人達にとっては、何時に無く今年の冬は辛かろう。
 
 個人スーパーでは、煙草だけを買う予定だったが、帰りはレジ袋をひっ提げてのブラブラ歩きと為って仕舞った。いやはや、何処の屋根雪も、何時溶ける物やら・・・


心何処ーショート 寝そびれて、日曜の日を過ごす為り。
         寝そびれて、日曜の日を過ごす為り。(1/20/13)
 大雪以来、庭はすっぽりと雪に閉ざされて居る。陽が沈むと、丸で冷蔵庫の中に居る様な物である。それでも冬至を折り返して、日が伸びて来たものである。
流石に寒いから、夜は早々に布団を敷いて湯たんぽに沸騰した湯を注ぎ込んで、足元に入れ炬燵で過ごす事が多くなった。

 500円DVDコーナーを見付けて、久し振りに3本買って来た。エアポートシリーズの三本で在る。その一本を観る。これが中々の掘り出し物で在った。面白かったから、その続きを観ようとは思ったが、ロートルはスローが頃合いが肝要でも在るから、明日の愉しみとする。日本酒をチョコに二杯口にして、テープでF・シナトラを聴いている次第である。

 就寝までの時間を別にする事も無いから、偶にはPC替わりに万年筆を動かして見ようと考えた。幾ら悪筆と云っても、文字を書かないと健忘症・老化の進展で、書く事を忘れた<口だけ達者親父>と為って終う。それでもこれから先も人間の端くれとして、生きて行かねば為らない関係上、宜しくない処でも在る。娑場では今日明日と、大学センター試験が実施されて居るとの由である。

 寒々とした真冬の深夜での炬燵にどっかりと胡坐を掻いて、背中の冷気を感じながらの万年筆動かしは、遠い昔の受験勉強を思い出させて、真に静かな気持ちに為って来る物である。尤も青白き受験期とは違って、ガッ付いて問題集に齷齪(あくせく)する苦しみも無い。

 云って見れば、寒中の深夜の静寂さを愉しで居ると云った心境でも在る。これがロートルとして、漸く手にした束縛の無い静寂さと云った処であろうか。

 この寒さと静寂さが、私にとっては何故か心地良いのであるから、可笑しな物である。然しながら、う~ん、悪くは無い人生の歩みなのであろう。へへへ、私とて、人の子であるから、歳相応の心境を持ち始めたという事であろうか。

 コタツにはミカンが載り、カップにはティーバックの日東紅茶が在る。煙草に火を付けて、シナトラのスローバラードを低く流して、今日一日を振り返り、浮かぶままを万年筆の動きに移行させて居るだけである。コタツが熱く為れば手元のスイッチを切り、冷えてくれば入れる。鉛筆立ての万年筆を適当に替え、日頃のご無沙汰を詫びながら、文字を重ねて行く。インクの青・黒の色違いの文字列が、白紙の上に書き足されて行く。

 日は改まって、ラジオではニュースが流れて居る。ぽっかりと時間が止まった様な八畳の静寂の中に、ただ自分が居るだけである。眠く為れば、衣服を脱いで横の布団の中に潜り込んで、温い湯たんぽの上に両足を伸ばせば良いだけの事である。

 私も八畳の中の襖、障子、掛け軸、テレビ、DVDラック、文庫本、衣服類の一つでしか無い。こんな雰囲気が、何とも言えずに心地良いのである。考える事は、煩(わずらわ)しき雑音でしか無い。意識に靄(もや)が掛かり始めて居る。

 何事も無く、本日も音も無く、色も無く、終わりの時が告げられ様として居る。

 コタツから寝床に移動して消灯。ラジオの深夜便を聞くと、贔屓にして居る俳優の村上弘明さんの語りが在った。岩手は陸前高田市の出身との事である。小中高まで、野球に明け暮れ、大学卒業後は教員に為って郷里に帰ると父親と約束して、法大の法科に入ったとの事である。落ち着いた語りの中に、彼の俳優人生、故郷への想いの真摯な息遣いが淡々と語られて居た。当年56歳である。
 私は彼のデビュー当時からの注目俳優の一人で在った。185cmのスマートな長身と甘い都会的端正なマスク以上に、彼の持つ目が内向性のナイーブさと芯の強さを併せ持って居る処から、彼はきっと佐藤浩一、滝田栄、中井貴一、榎木孝明と同様な日本の映画・ドラマにどっしりとした存在感で、役処を確立して行く役者さんに成長して行くのだろうと見続けて来た一人である。

 こう云った番組で、じっくりと彼の語りを聞くと、矢張りこの俳優にして、この生い立ち、この想い、この人生観在りで在った。俳優に為るべくして天職を得て、その天職を全うすべく日々自分と向き合って居る真摯な人格を聞かせて貰った次第である。

 私としては、正に『棚から牡丹餅』である。良い物を頂戴したとつくづく機会を得た事の面白さに、ニヤニヤ笑いが出て来る次第で在った。俳優とは、外観・動作・台詞を以って、内面の想いを観客・視聴者に伝える職業である。

<内面への鍛練を経ずして役を演ずる事、能(あたわ)ず。これ即ち、ジャンル、有名無名を問わず、総べからず、己が事象に真摯に向かう人間の人間力と呼ばずして、何と評すべしや。>・・・知行合一は、全ての当て嵌まる人間に対する共鳴の力、説得の力、納得の力の源泉と云って良かろう。いやはや・・・彼は、大した男である。

 すっかり最後まで聞き惚れて、寝そびれて終った次第ではあるが、文句を言った物ならお天道さんにどやされてしまうのが落ちであろう。

 本日も上天気である。食後の老親子の会話では、こんなラジオ深夜便での感想を老母殿にご報告した次第である。本日、老母殿は体調が宜しい様で、『奇麗にして上品なお婆ちゃんの態』で、一々、嬉しそうに大きく頷きながら、戯け息子の話に目を細めて居た次第であった。まぁ、これとても寄り添う親子の図なのかも知れぬでは無いか。イッヒッヒ!!

 軒下に吊るした鳥籠の列を見ながら、屋根雪の滴落ちる軒下に餌漁りに遣って来る雀達、シジューカラ、ヒヨドリの動きを見ながら、二畳小部屋でのPC打ちである。


心何処ーショート 冬晴れ、無風為れど、冷気活発なり。
        冬晴れ、無風為れど、冷気活発為り。(1/19/13)
 へへへ、今シーズン三度目の便器の薄氷で在る。いやはや、遣り切れんですわな。

                  ルルル・・・

「如何だい? 水道は出るかい? 今さ、外に出たんだけど、寒いなんて物じゃ無ぇな。」

「あいあい、不凍栓対処してるから、水は出るけどさ。鳥籠の水は、コチンコチンですがな。あいよ、用意は出来てるから来ておくれ。」

 昨日、硬大根の試食をして見た処、上々の出来で在ったから、ミヤシゲ1本と硬沢庵2本を容器から取り出して、水洗いしてビニール袋に入れて、スタバコーヒーの友・吊るし柿3個をポケットに車に乗り込む。

  本日、大学センター試験との由。スタバ2階席は、受験生で繁盛している。

「昨日は冷え込みが堪らんから、火燵に当たって最後まで読んでさ。そしたら、パール判事の生い立ちが出て居てさ。日露戦争の日本勝利に大感激した極貧少年の一人だったてさ。出来の好い倅に、お袋さんが働いて働いて、苦学に苦学を積んで大学総長まで進んだとの事だわさ。首相のネールさんの大親友だったと云うし、インド独立戦争の英雄・チャンドラ・ボースの事も出て居てさ。独立インドが、敗戦国日本への恩返しの心情に胸迫る物が在ってさ・・・為るほど為るほどと、大きく合点した次第さね。

 あの当時の日本は、白人植民地施政下の苛斂誅求に喘いで居た有色人種に自主独立の夢を与えて呉れて居たんだけど、東京裁判史観が定着して、『日本全否定の戦後』だろ。
 本には書いては無かったけど、1945から始まった東南アジアの独立ラッシュに遅れる事、数年の中東独立ラッシュに関しては、エジプトのナセルに言わしめると、後数年、日本が頑張って居て呉れたら、中東の地もアジア諸国の独立に足並みを揃える事が出来たのに・・・なんて、言葉も残って居るんだけどさ。

 好いタイミングで、本が回って来たって事だわさ。それにしても、最初の<ハル・ノートを書いた男>は、退屈この上ない本でさ。やっとこさ読んで、清々したぜや。二度と読みたくは無い本だわさ。へへへ。

 まぁ、この一週間は、柄にも無く読書してたけど、壬生義士伝→劇画・自民党総裁→ハル・ノート→東京裁判無罪論と上手く円を描く様に<日本に始まって日本に還る>って感じが、つくづくとしてさ。その間に、小津安二郎、木下恵介映画だったろう。国内政治では刷り込まれ自虐史観の戦後駄々っ子政権の民主党政権が崩壊して、<日本を取り戻す>の安倍さんが、奇蹟の返り咲き総裁→総理で、あの中狂国は遣りたい放題の紅巾の乱宜しく、焼き打ち沙汰で経済失速の状況ですがな。俺としちゃ、ザマァ見遣がれって処だけどさ。何を血迷ったか知らんけど、ハワイまで自国領の馬鹿丸出し国家の本性を露見しちゃってるだろ。

 歴史は繰り返すの観で、現代史を<このご時世に準(なぞ)る>事が出来たんだから、考えて見りゃ、俺ぁ、Tのブログ上の操り人形見てぇなもんだぜや。あい~。」

「ノーノー、操り元は、ひまじんさんよ。俺はさ、ひまじんさん推奨本をメモして、ブックオフで探し物してるだけさね。Rの口癖じゃないけど、読書、映画、絵画鑑賞だって、観る側の技量如何で、どんな良書でも、積ん読(つんどく)じゃ宝の持ち腐れだぜな。
 俺はさ、ハル・ノート、パール判事と来た日にぁ、もう全然駄目で早々にギブアップさね。まぁ、Rは小説は読まんけど、この手の本は、スイスイだからな。本も俺の処から引っ越しが出来て、泣いて喜んでるズライよ。アハハ。」

   こんな話しから始まった、本日の好色ヤクザもどきのスタバトークである。

 途中で小学生の息子さんを連れた常連さんママさんが、二階席に上って来たが、如何云う訳か・・・下に行って終った。私の背後で在るから、私からは見えないのではあるが・・・

    Tは、眼鏡の眼を輝かせて、表情豊かにシーンの再現をおっ始める。
「おっ、可哀想に、僕ちゃん、ガラの悪いヤクザ見たいなスキンヘッドに恐れを抱いて、パッと眼を逸らして、<ママ~、怖いから止そうよぉ~。>と下へ行っちゃったぜや。還暦半ばなんだから、少しは、好々爺の雰囲気を作らにぁ駄目だぜや。ありぁ、恐怖の轢き吊り顔だったぜや。俺にまで悪印象が来ちまうぜや。」

「何を扱きぁがる。女垂らしの不良オッサンが、自分だけ紳士面なんて思い上がりも甚だしいってモンだぜや。積ん読の根性無しが、好く言うぜや。あい~。」

 こんな馬鹿話をして居ると、再びその母子は上って来て、習慣のスタバタイムに就いた。常連さんであるから、チラリチラリと観賞させて頂く。ママさんは中肉中背のぽっちゃりタイプの落ち着いた知性顔である。へへへ、人間、習慣を維持する事は好い事である。

「そうそう、俺はさ、就寝前は、天知茂の明智小五郎・美女シリーズを一本づつ観てるんだけど、面白いぜ。高田美和、鰐淵晴子、夏木陽子なんて綺麗処が、オッパイ丸出しの全裸姿で、入浴シーン、濃厚シーンが山盛りでさ。浪越警部役の荒井中とのコンビが何んとも味が在ってさ。イッヒッヒ~。ってなもんだぜさ。」

「おっ、そうか。<YouTubeで明智小五郎・美女シリーズ>だな。そりぁ、帰って観て見るか。そうかそうか・・・美女の濡れ場シーン満載かいな。へへへ。」

 外でのパッパタイムは、少々寒かったがお天道さんの盛りで在るから、ベンチで吸う。

 ホームセンターで、500円DVDコーナーを見付けて、エアポート・シリーズを3本買う。さてさて、スーパーでの買い物は何を買いまするかいな・・・ こう寒さが連続すると、勤労奉仕の誘因とても一向に起き無い次第である。未だ未だ、冬本番は、これからである。とほほ・・・なり。


心何処ーショート フィルターとフィルター
              フィルターとフィルター(1/18/13)
      
           へへへ、昨日のクローズアップ現代は面白かった。
 今巷では木下恵介生誕100年プロジェクトとの事であるらしい。プロジェクトテーマ ... 2013.01.17: 1/ 17(木)19時半~NHK総合「クローズアップ現代」<涙と怒りの"共感力"~今、世界が 注目の映画監督・木下恵介~>放送!!

 木下恵介監督と云えば、前回も打った処で在るが、小津安二郎→木下恵介の木下組・山田洋二、山田太一に繋がる松竹映画の系図である。松竹の映画の色は、日常茶飯の中に在る家族の喜怒哀楽に対する情・情愛を淡々と描く事である。観客はそんな小さな何処の家庭にも在る事件、出来事の描写の中に、人間としての、家族としての情、情愛を見て、自然にうんうんと頷き、不条理に憤り、涙し、常識・良識の落とし処に安堵する。

 観客は、普通で日常である事の中に、原寸大の喜怒哀楽の日常の営みに共感したり安堵する。これが松竹映画の色なのである。小津安二郎/東京物語、東京暮色、おはよう、晩春。木下恵介/二十四の瞳、悲しみも喜びも行く歳月、樽山節考、衝動殺人・息子よ。

 キャスターは才媛を自負している様な国谷女史、ゲストは山田太一さんであった。インタビューの背景として流れて居たのが、 陸軍省依頼の大東亜戦争参周年記念映画の『陸軍』であった。出征兵士の群れを母親の田中絹代が、万感の思いで人混みの中を走るシーンを映し出して、女史は<反戦映画とかイデオロギー、思想>についての問い掛けをして、太一さんにニコニコと軽く一蹴されて終う場面が在った。

 此処にこそNHKのGHQ刷り込みの厭戦平和思想・主権在民の米国型民主主義と自虐史観思想を刷り込まれたNHKの思想的背景が色濃く出て居る。そんなNHKのイデオロギー、思想丸出しの報道態勢を見事に焙り出して居た。

 小説、映画、ドラマ・・・etcと、多かれ少なかれ、見る方でも無色透明で見れる訳が無いのである。其処には自ずと自分自身の経験知・経験値のフィルターを掛けて見たり感じたり考えて観て居るのである。創るも自由、観るも自由である。一々自分の色付けで解説するのも自由には違いあるまいが、フィルターが過ぎると却って、馬脚が暴露されて終う帰来が多々在ると云う物である。

 但し、人間のそれらのフィルターは、<為にするフィルター>に為って仕舞うと、後味の悪い物に為って仕舞う。一々、この個所のイデオロギー的思考、行動だとかコジツケがましく為って来る物で、やれ軍国主義だとか、暗黒時代の思想統制、プロタガンダだとか、何だかんだと<何かに結び付けて仕舞わないと気が済まない輩>が五万と居るのが、インテリもどきの娑婆の様相なのであろう。

★何を扱きぁがる。手前らだけが、観賞眼を持ってる訳じぁあるまい。一々、煩いんだよ。机に向かって幾ら勉強したって、感性は育ちはせんわね。そんな物ぁ、お里を曝け出すだけの愚問ですわいね。引込んでろ!!ってなものである。ギャハハ!!

 観客が自分の財布から好きで映画を見て居るのであるから、一々、ああだこうだと、お節介を焼き過ぎるのは、観ている方としては<大きなお世話>と云う物だろう。普通に観て、普通に感じて、感極まれば、普通に涙が出て来ると云う物である。それが、人間の新の姿に近い物でしょうが・・・

 まぁ、私も戦後民主主義教育の初期世代である。団塊世代の真っ只中で生まれ育った事でも在るからして、良いに付け悪きに付けイデオロギー、思想真っ只中に多感期を送って来た次第ではあるが、凡そイデオロギー、思想に関してはノンポリで在り続けた。

 一般人の生活に在っては、イデオロギー、思想で飯が食える訳では無いし、そんな事ばかりに腐心して、絶えず『色付きフィルター』で物事を考えたり、行動しようものなら、立ち処に<♪このごろ、Rは変よ。如何したのかな? 遊ぼって誘って見ても、遊ばないって言うし、詰まんないな~。このごろ、Rは絶対変よ。詰まんないな~。いっその事、仲間外れにしちゃおうかな~。♪>ってな具合に為って仕舞いまするるがな。くわばらくわばら。

 軍歌と聞くと虫唾の走る人も居るし、軍歌の中にこの世の不条理、生まれた時代の悲しさに嗚咽する人も居る。人間は時代を選択して、生まれて来る物では無い。一切合財を時代と云う生き物の中に身を投じて生きて行くのが、人間の運命・性でも在る。生まれて生きる以上、人は一切合財を受け入れて、命ある限り精一杯生きて行くしか術は無いのである。太古の昔から、人間、動植物を問わず生命とは、そんな宿命を背負わされて居るのであろう。

 そんな時代の性の中に翻弄されても、生き続け無ければ為らないのが人間である以上、その時代の感性、経験が、例え勇ましい軍歌の中に在っても、胸中に迫る至玉の軍歌が、幾つも在って、時代を越えて歌い継がれて居るのだろう。これは事実である。

 その事実に普通に向き合えば好いだけの事である。そんな現実事象に、NHKが一々私に言わせれば、英語は堪能であっても<感性の薄い女史>が幾らインテリ面して、質問した処でNHKお気に入りの太一先生に、<アハハ、所詮あなたには分からんでしょう。>と云う顔をされて、其の魂胆を見抜かれ一蹴されて終うだけの事である。

 さて、グタグタと在っても無くても良い繰り語と打って仕舞った次第では在るが・・・

 パール判事の事は、大学の国際法の講義などで、一応の事は常識として知ってはいたが、Tからタイミング良く一冊の本として進呈を受けた次第である。この本は、真に有益この上ない『良書・公平の書』である。国際法に則って<東京裁判無効論の法律体裁>は採っているが、此処に描かれて居るのは、正に『世界史に於ける日本の現代史』そのものである。

『法とは何ぞや』を知りたいと思うのなら、法に於ける論理学のスケールの大きさ、奥の深さ、法の実効力を担保せしめる法曹家の真摯な論理哲学の凄さ。論理を立証する為の客観性への膨大な資料収集、熟読、分析、世界観、歴史観、人間観への壮大な検証は、パール判事の知識・見識・慧眼を余す処なく開示して、正しく何億・何十億の人類から選ばれし『大選良』と感銘するしか無い処である。パール判事曰く・・・私は正しき法を適用したに過ぎない。

 ジャーナリストとして、自負するのなら最低でもこの一冊を脳裏に置いて、何時でも間髪を入れずに、捲し立てる事が出来無い様で在っては、己が史観の脆弱さを曝け出すまでの事だろう。

 未だに、イデオロギー、敗戦・7年に及ぶ米国占領期間で刷り込みれた自虐史観を何の疑問も持たずに、学校、国家の歴史教科書と思い込まされて、平和イデオロギーの妄信者達が、絶えず色付きのフィルターで、一々解説をして行かないと、社会の一事象すら自分の感想にも為らないと云うので在っては、日本社会とは笑止千万の表層社会でしかあるまい。

 素の儘で、先ずは観て見ましょうよ。人間、ごく普通に市井の喜怒哀楽に接するに、何の色付きフィルターなど必要で在りましょうや。相手が『臭い恣意的技法』で来るならば、一寸の虫にも五分の魂で在りましょうや。これは、そんな真っ当過ぎる程真っ当な一書である。

 試し算・答え合わせの為に、此方もそれなりのフィルターを掛けて、面倒では在っても相棒の杉下右京さんの推理力を応用したり、沢口靖子の科捜研の女に因んだチーム検証技法を応用して、自分自身のフィルターを揃えて行くしかありませんからね。へへへ。

 斯様に、何時の世に在っても、国も一国では成り立たず人同様に、二本の棒で立って居る存在でも在りますれば、古今東西の大国の興亡史が、世界史の本流にして本流流れる処、周辺には色々な局面を刻み付けて行くものでありまする。

 人類の足跡を辿れば、幾多の共通項、共通因子が垣間見えて来る処でも在りまする。知ろうと思えば、知る事の出来る便利な時代である。チョイと余暇に寄り道をして、脳裏の引き出しに溜め置けば、いつ何時面白き出会いが待ち受けて居るかも知れぬでは無いか。これも、<脳内散歩の面白きかな>ですがね。

 日米摩擦、日中摩擦、日韓摩擦、日朝摩擦、日露摩擦・・・etcと、摩擦の地下鉱床は、二千年、千年、何百年、百何十年も前から、続いて居るんで在りまするぞえ。


心何処ーショート 転ばぬ先の杖・風邪薬飲んで、雪見タイム。。
        転ばぬ先の杖・風薬飲んで、雪見タイム。(1/17/13)
 昨夜は、少し雪が降った様である。まぁ、日差しはそこそこに在るから、良しとすべしであろう。昨日は雪中運動で大分汗を掻いてしまったので、薬を飲んで置かねばと思いつつも忘れてしまった。夜中の寒気は、冷え込みだけの所為では無かった様である。

 目覚め時の体調は、筋肉痛だけでも無い腰の重さである。鼻も愚図って居る。そんな事も在って、今日は寝床の中で本の続きなどして、のんべんだらりと思っていたのだが、こんな時に限って、老母殿の動きである。

 さてさて、止む無し。賄いを始動致しますかいな。布団は上げずに起きると致そうか。

 朝食後は母の部屋で風邪薬を飲んで、人間達の食事が終われば鳥達にも餌を遣らねば為るまい。
<老母曰く・・・生き物を飼って居る以上、仕方がないよ。>
<はいはい、重々、承知の助ですがな。遣るべし、遣るべし。> 
 食後の洗い物、米研ぎをして玄関鳥を廊下に並べれば、それなりの掃除もせざるを得ない。四畳半に入るよりも、二畳小部屋で過ごした方が気分が良さそうである。ポットを携えて、ラジオをBGMにアメリカン・コーヒーである。

 北向きの屋根には、ずらりと氷柱(つらら)の列。南向きの屋根には、雪解けの滴りが、ポタポタの光景である。薄っすらと被った新雪が風に吹かれて、フッ、パァーと白煙を見せる。拡大すれば、居ながらにして『幽玄の世界』である。地表を隠された雀達が、雪上に玄関鳥の落ち餌を漁りに三羽姿を見せている。

 雀達の去った後には、徘徊猫さんの登場である。屋根の滴落ちる踏み石に乗って、ガラス戸越しの玄関鳥達とのご対面である。ガラス戸の異空間に居る事を、猫も金華鳥達も百も承知の上での猫と小鳥達の光景である。猫の狩りの集中力と云うのか、猫の執着力と云うのか、如何考えても詮無きガラス戸の遮蔽物の厳とした線引きなのであるが、私の存在を視界に入れても、一向に立ち去らない猫の粘着性でもある。

 まぁ、これとても、徘徊猫の縄張り巡回行動の日常の一コマなのであろう。猫の振り見て、吾が身正せってな物でしょうかね。埒も無い事を、一人黙々と雪の原で仕出かして居た戯けなのであるから、徘徊猫にコラッと腕を振り上げる訳にも行かぬでは無いか。

★嗚呼、美味そうだな。ニァ~ゴ!! 本当に、邪魔な遮蔽物だったら、在りぁしない。

★ブンチャカ、ピィーピィー、お生憎様、猫さん、此方、垂れるのは涎だけね。アハハのハ。チイチィ、中はのんびり日差しの暖かさ。ブンチャカ、ピィピィー。

★あいあい、ガラス戸一枚隔てて、共存共栄ですがな。双方、遣り為され、遣り為され。これも、日常行動の一コマですがな。ニャハハのハ為りや。

 猫去って、再び雀達である。おやおや、青空が明いて居たのも何時の間にか、雲に制されて風に小雪すらチラホラである。本日の最高気温は0℃との事である。雲に覆われてしまえば、庭の雪見も洒落にも為らぬ。場所を寝床に移して、読書の睡眠導入と行きましょうかね。

       外は雪ごもり、内なるロートルクマ男は、布団ごもり。
 
 折角Tが進呈して呉れた好色ヤクザもどき緩和の教養本でも在るからして、友の好意を無碍にするは、人非人の行いでもある。イッヒッヒ!!


 

心何処ーショート へへへ、雪中行軍は大変為り。
           へへへ、雪中行軍は大変為り。(1/16/13)
 起きるのは遅かったが、朝食後の老母の顔は血色が良かった。部屋に帰ろうとすると、老母に一つ頼み事をされて、用足しに出掛けて来る。

 日向の歩道は雪が融け始めているが、日蔭は見事な氷道である。無風・快晴の白の世界に、目は眩しい限りである。ザクザクして凸凹の雪融けに長靴を履いて来た方が好かったと、苦笑いの態で在る。大通りの車道には既に雪が無い物の、その他は白一色の世界である。

 一月も既に半ばに居る。それでも、年末年始が在ったから、然程の月日の過ぎる呆気無さは感じられず、穏やかな日々の更新と云った様な物を感じて居る次第である。

 靴の縫い目から水が浸み込んで、靴下の濡れを幾分感じては居るが、降雪後の快晴青空の下を歩くのは、気持ちの好い物である。そんな気分が、過去の幾つもの同様なシーンを、走馬灯の様に浮かんでは消え、消えては浮かんで来る。走馬灯の中に居る自分は、幼稚園生であったり、小学生、中学生高校生、青年、幼子と遊ぶ父親であったりもする。

 斯様にして、過去の四十万(しじま)と現在の自分とを比較するのは、人間の脳裏作用の面白い処でもある。

 町会の公民館の前では、町会長さんと副会長さんの<縁の下コンビさん>が、嫌な顔もせずに雪掻きをしている。へへへ、ご苦労様で在りまする。男同士の戯け挨拶をして帰って来る。

 流石に家の中は、連日の低温続きで寒々として居る。外では、些か暑かったジャンバーでは在るが、家の中に居ると丁度好い防寒着と云った次第である。昨日は軒下に吊るして、屋根の雪融け水で濡れて仕舞った鳥籠である。本日は、廊下に並べて天然暖房とする。

 動きついでであるから、台所の洗い物をして、晩飯の米研ぎをして置くと致そうか。その後は本の続きで頁を捲り、嫌に為ったら双眼鏡をポケットに長靴を履いて、近場でも徘徊して呉れば好かろう。河川敷の雪をザクザクと踏みしめて、双眼鏡で野鳥覗きをして呉れば、それなりの運動量は稼げる筈である。好天気のお天道さんの御招きを無碍にしては、それこそ立ち処に天罰が下って、雪の積み増しと来た日にぁ、遣り切れませんわな。

 へへ、仰せに従いまする。<雪踏みしめれば、予想外の好事を得られるかも知れぬ>では無いか。はい、即行動に移りまする。

 河川敷へのコンクリート階段の雪を滑って転倒しない様に、長靴で雪を落としながら河川敷の散歩道に下り立つ。一面の雪の原に足跡が二人分続いて居る。25cmは裕に有る積雪である。長靴が、スッポリ埋まる。好いですなぁ~。この感触・・・

 最初の数歩は童心への誘いこそすれ、後は息切れの冬のアルプス登山を連想させる。10m行くか行かないかで立ち止まる。さて、前に進むかを何度か繰り返して居る内に、今度は<八甲田山・死の彷徨>を連想してしまう体たらくで在る。それでも、S橋まで行こうと意地を張る。

 いやはや、好い歳をかっぱらって、とんだ事を始めて仕舞ったぞい・・・遺憾いかん、俺って、馬鹿よね。大馬鹿でヤンすがね。

 斯様に物臭根性無しとは、架空連想に遊ぶ事は得手ては居るが、チョイと現実世界に放り込んで遣ると、舌の根も乾かぬ内の<白旗掲揚の不甲斐無さ>を露見して終うだけの男である。進むも戻るも、これ白銀の河川敷為りである。野鳥なんぞは、一羽たりとも居りませんがな。

 まぁ、お天気さんは上々でもあるし、雪と遊んで行くも好しである。中堤防の縁の雪を足で払い落して流れに浮かべる。小中時代には、登下校時には、一人好くそんな事をして居た物である。まぁ、ロートルであるから、雪中運動と洒落込む。これは結構な運動と為る。流れから離れた所は、もう既にそんな事をする気は萎えて仕舞って居るから、再び河川敷の足跡を辿って戻って来る。

<雪の原 歩き重ねて 道と為る> 指折り数えて5、7、5としたが、『犬歩けど、大小便、道為らず。』と来たもんだ。まぁ、こんな処が、人間と犬の違いで在ろうか。ギャハハ!!

 大分、日向の氷道も緩んで来たから、運動ついでに角スコで氷を剥がして、日向に放り投げてお天道さんの御手を拝借する事にする。

 さぁさぁ、これで本日の運動量としては申し分無き処である。風雲急を告げる尖閣の海で在る。日本国民と生まれた以上は、防人の大号令が掛った暁には、銃後の運搬作業には立候補もしなければ為らないのであるから、いざ鎌倉に備えて、この位の体力維持はして置かねば為らないのである。エッヘン!! 

 何を<えっ、変~!!>だと、カラスの野郎が、何を抜かすか。この罰当たり物が。

心何処ーショート 沢庵の季節
                  沢庵の季節(1/15/13)
 好く降った物である。いやはや、コンニャローメ!!ってな物である。本日は午後には、老母殿を歯医者に乗せて行くから、車の雪を落として、車周りの雪を整理して置かねば為るまい。朝飯前の一運動をするしかあるまい。しぁ~無い、遣るべしである。

 雪の後のお天道さんである。圧雪の道は、ガチンガチンの氷道と化して居る。お天道さんがこれだけ在れば、大通りは午後にはシャーベット道に為るから、大勢には影響は無かろう。

 昨夜から、二冊目の<パール判事の東京裁判日本無罪論>をスタートさせている。私も一応は法学部出身者であるから、学生時代にタイムスリップした感じで、すんなりと読み進む事が出来る。
 素人さんからすると、専門用語が随所に出て来るから硬過ぎる印象を持つのかも知れないが、其処は平仮名と漢字の違い同様で専門用語に依る時間短縮と用語と用語を結ぶ論旨・論調の予測が出来るから、一種の確認作用の様な速さ、親しみの上で、結構な頁数が進むと云った具合で在ろうか。作者田中正明さんの文体・文調は、丸で教科書に対する法学生に帰った様な<小気味好さの感想>すら持つ次第である。本の大体の骨子・論旨が見えて来るから、ボチボチの読み進みで良かろう。

 そんな事も手伝って、<ハル・ノートを書いた男>と比較すると、本に対する親和性は格段の違いである。知識を準(なぞ)る余裕と、開戦前夜の日米の交渉過程への細々とした検証作をウンザリとした気分で読み進める辛さとは、これまた雲泥の落差とでも言うのだろうか・・・

 歴史上の<日米交渉>>と云う一コマに焦点を当てて、膨大な資料を具(つぶさ)に、日米の交渉当事者の情報ルート・資料から、その意図・推理・判断を検証して行く書物は、そのスポットの当て方が広大な歴史絵巻の一スポットを、恰(あたか)も天眼鏡・顕微鏡で覗く様な退屈さの充満する処でもあった。

 私の勉強嫌いな性格から言うと、こう云った学究肌の優等生的な微細に亘る論証は、此方のスカンポ脳では到底付いて行けない『細密画』でしか無い<退屈さ>で在った。私としては大きな人物画、風景画の方が、如何してもピッタリと来る処である。

 細密画とは、満州を中国に含むや否かの<定義の飛ばし>から来る日米の解釈齟齬を論証しては要るが、日米双方が、噛み合わぬ交渉をしていたと云うのだが、対人交渉の場に置いて、先ず現実の問題として、そんな事は無い筈である。
 交渉は、発言し、相手の発言を聞いて、相互の意思を探り確かめ合う場なのであるからして、満州は中国に入るか否かの根本的齟齬・乖離が在っては、『交渉者』に於いては、見過ごす事の出来無い違和感である。違和感からは当然に疑問が生じるので在って、その疑問に終止符を付けたり、打ったりしないと『交渉事』が先に進む訳が無いのである。

     馬鹿も此処まで学問的と為ると、開いた口が塞がりませんがな。

 満州国が中国に入るか否かは、中国撤兵の最大の関心事で在って然るべき肝の部分である。米国頼みの蒋介石中国、満州を再びロシアの影響下に置きたいと考え、大部隊をモスクワ戦線に投入したい露国。フィリピンを施政下に置く米国としては、満州国以上に日本の南下政策は、深刻にして緊急の問題だった筈である。意識・無意識を問わず、米国の背負って立つ蒋介石因子、露国因子からすれば、中国に対する定義の玉虫色は、当然の<交渉布石>とも為ろう。

 大東亜戦争と云う日米戦に於いて、勝敗の決着が付いた次第であるが、公文書を焼却した敗戦国日本と戦勝国の膨大為る公文書を平面的に置こうとするのには、難が在り過ぎる。些かの判官贔屓をして仕舞うのは、果たして私の性向から来る物だろうか。・・・資料満載の戦勝国の論にスタンスを置いて仕舞えば、事実にも変な戦後刷り込みが働きかねない。

 そんな事で、敗戦国日本の心底には、抜き差しならぬ『軍国日本の外交下手の論』に進んで仕舞うのは、果たして学問的検証なのか・・・大いに、気が塞ぐ次第でもある。

 そんな次第で、人は時代の子にして時代の存在。国は時代の存在にして、時代に生きる生物。そして国民を産み育てて任せる。そんな国家と国民の関係の縮図が歴史その物であるから、白人優位のダーウィン進化論を邁進する弱肉強食の20Cの<ある種の熱病を患ったその時代背景の大因子>を、余り説明せずに交渉経過を丸で手術台の外科医が患部を切り裂いて、グチャグチャと入り混じった神経細胞・器官細胞を日本側、米側と切り分けて行く作業は、歴史絵巻の一シーンとしては、殆ど私の興味を引かない物で在った。

 この労作が、科学の勝利と云う産業革命は<学び実現すれば、白人・有色人種を問わず人類に等しく経済力での富国強兵の作用を齎す>事を実証したが為に、列強同士の弱肉強食の帝国時代の中で、覇権争いをしたまでの話で在る。人類史と云う大河のうねり、流れを<歴史冷視>からすれば、資源と市場と云う領土圏獲得に向かっての戦国時代の真っ只中に世界が在ったと云う事に他なるまい。

 その中に列強は権謀術数を張り巡らせ凌ぎを削って居たと云うのが、歴史俯瞰図であろう。その間の事情を、パール判事の東京裁判日本無罪論で展開して行くのだろうが・・・

 まぁ、何でもそうで在るが、<一書悉く信ずるは、書無きが如し><木を見て、森を見ず><人生、無駄な事は何一つとして無い>・・・と、人間の思考空間に在っては、<雑学こそ、面白きウォッチング無し>であろうか。

 こんな事を打ち始めて居ると、本日火曜日、ヤクルトママさんのコンニチワ~の御声である。

「凄い事で、怖くてノロノロ運転です~。はい、ヤクルト515円です~。」

「へへへ、緊張し過ぎて、小鼻がテカってるじゃないのさ。事故起こしたら、稼ぎが追い付かないよ。仕事は二の次の安全運転しておくれや。
 そうだ。毎回、吊るし柿じゃ芸が無いから、今日は沢庵一本進呈するか。絵でも見て、チョイと待ってましょや。」

 沢庵一本と、味見用の一切れを載せて、先ずは試食である。今年歳女と云うママさんは、白い細い手を出して、黄色の沢庵を摘まんでモグモグ。

「Rさん、グー!! これでお茶の友します。家は、硬大根のネズミ大根を10kg漬けたんですよ。硬大根だから、未だ漬からないですけどね。信州には、やっぱり沢庵が無いと、冬の感じがしないですからね。今日は、ラッキー。」

「あいあい、ママさんも土地っ子だから、信州の漬け物の味を継承して、子供に伝えといとくれ。夜、ダンナと仲良くするだけが<家庭円満の作法>じゃ無ぇからな。嗚呼、好い女だな~。火燵で一発遣って行くかいな。あい~!!」

「またまた、目を輝かせちゃって。駄目です!! Rさんは、それを言わなきゃ、ダンディで、インテリな人なのにねぇ~。例年に無い寒波ですから、変な物出して、風邪引かないで下さいよ。じぁ、また、来週。バイバイ。」

     さてさてと、早い処、打ち上げて歯医者に備えまするかいな・・・

 すんなり車が出ると思いきや、タイヤがスリップして終う。実にタイミング良く斜向かい吟さんの御姿である。早速、ハンドルを握って貰い、車を押して事無きを得た。歯医者の駐車場は圧雪状態であるから、此処は大事を取って老母を医院に座らせてスーパーの駐車場に車を置いて来る。

           待合室で、老母は婆さんとお話し中である。

 年寄り、私も当然にその入口に位置している次第では在るが、兎に角、年寄りは皆、人恋しい生き物なのである。ロートルクマ男の仏頂面をする訳にも行かず、私も話の一員と為る。

「綺麗なお婆ちゃんで、私、こんなお婆ちゃん始めて見た。私と丁度10違うって言うし、耳も頭も、凄くハッキリしてる。本当に凄い。きっと息子さんが立派だからでしょうけど、私には子供が居ないから、こんな親子関係は羨ましい。二人とも、本当に人間性が滲み出て居て、一目で分かる物。」

「へへ、そうかいね。96にも為って、綺麗も無いもんせ。人間90超えりゃ、人間じゃ無ぇせ。妖怪くらいに思って無いと、根首を掻かれちゃいまするがね。なぁ、婆さん。」

「まぁまぁ、お婆ちゃんそっくりな顔して、仲の好い親子だからこんな荒っぽい事をズケズケ言えるんだからね。」

「あいあい、そうだんね。87じゃ四捨五入して、立派な妖怪さんですがな。婆さんと、話一杯しておくれや。こんな時でも無いと、コタツにチョコンとお地蔵さんだけの毎日だからね。」

「お婆ちゃん、息子さんは、何時もこうなの? ズケズケ物を言う息子さんね。車から降りて、付き添いする姿見てて、私、胸がキュンとして目頭が熱く為っちゃって、・・・幸せね。良い息子さん持って、教育が良かったんでしょうね。楽しいでしょ?」

「私が無学で馬鹿だから、本当は息子の中で一番気難しい息子なんだけど、可哀想に馬鹿な事ばかり言って、笑わせて呉れている。何時も、有難い有り難いと感謝感謝。話が上手だから、面白いし、為になる事を教えて呉れる。それが嬉しくてね。だから、私も頑張って生きている心算なんだけど、もう歳で、自分じゃ何も出来無い惨めな姿を晒しているだけで・・・。」

「やいやい、女って食わせ者は、口だけは達者だぜや。な、婆さん、歯医者通いも悪かぁ無ぇだろ。偶にぁ、外の空気にも当たって見るもんよ。あい~。」

 いやはや、話して見ると中々大したインテリ婆さんである。話が面白いので、付き添いは止めて、待合室で大いに話に花を咲かせた次第である。去年は蒙古に旅をしたとの事である。此方が話を振ると、空かさずご意見を述べられる。

 表現力も只者では無い。お住まいは、隣班との事である。へへへ、<灯台もと暗し>とは、好く言った物である。さてさて、雪の融けた駐車スペースが開いた故に、車を回して置くと致そうか。


心何処ーショート これ、吾が読後感なり。
              これ、吾が読後感為り。(1/14/13)
 いやはや、午後1時現在20cmの降雪量である。明日の朝まで降るとの予報である。

 朝、一応の雪掻きと庭木の雪落としに汗だくと為り、風邪を引いては堪らんと、風呂に入った後は、もう一度庭の南天の雪払いをしてからの本日最初の四畳半定位置である。

 昨夜読み終えた<ハル・ノートを書いた男>の反芻をしながら、風呂の中で読後感と遊ぶ。まぁ、還暦半ばの非学者の一介の市井に暮らす者としては、ああだ、こうだと警察・検察が証拠能力のある諸資料を裁判上の挙証責任で膨大に主張しようとしても、一般人にはそんな挙証・反証の四十万(しじま)の中に迷い込んで仕舞っては、ただただ難しくて、土台頭の整理すら大難関であるからして、右へ左へと付和雷同して仕舞うだけである。

 所詮人間が繰り広げる軋轢・紛争とは、その状況下の中での錯誤・錯覚・誤解群から引き金が引かれると云った方が、事実に即して居る。

 ヨーロッパでは第一次大戦敗戦国のドイツは、ヴェルサイユ体制下の天文学的な賠償に国全体が切れて、ヒットラーを産み落として仕舞った。言うならば一人勝ちした米国はワシントン体制の下、一気に世界秩序の王たらんとして、最強国の帝国主義の野望を中国大陸へ大進撃を開始する。

 疲弊凄まじい清国末期の中国の大地は、西洋列強国の蚕食状態に在り、地理的に近い日本、ロシアは中国権益の拡大に衝突を繰り返して居た。遥か太平洋を渡って中国に触手を伸ばそうとする日の出の勢いの米国は、アングロサクソン大英帝国の嫡子を任じて居る<強かな好戦的出自の国>である。

 大陸国家米国は、既に悪名高きインディアン撲滅のニューフロンティア路線で大陸を横断して、海洋国への布石を着々と打ち続け、スペインを破りカリブ海を制し、パナマ運河を造り、太平洋の制海権を制すべくハワイ、フィリピンを手中に収めて居た。

 インドには大英帝国、海運の要衝マラッカ海峡には英領シンガポール、仏領インドシナ、蘭領インドネシア、そしてフィリピンの先には、最終獲物の清朝中国滅亡の地には、辛亥革命後の軍閥割拠の大中国の大地が在る。清朝の故郷・満州には関東軍の造った満州帝国が誕生して居る。日露戦争で駆逐された大陸から南下するロシアが、虎視眈々と失地回復の機会を窺がっている。

 時代は、弱肉強食の下剋上の戦国時代を世界規模にした列強同士の陣取り合戦の最中である。

 日露戦争時には、騎馬兵と蒸気機関の石炭燃料にして鋼鉄の戦艦の時代で在った。石炭資源に恵まれて居た日本は、燃料が石炭から石油にエネルギー革命が為された時代に、連合国のABCブロックに依って、物資包囲網がされて仕舞ったのであるから、徳川家の様に連合国に恭順を示すか、座して死を待つより打って出るべしの二者択一を迫られる国際情勢であった。

 米国の打つ手は、現在を見ても明らかな様に、イラク、北朝鮮、イランに対して為された様に、経済封鎖と海外資産凍結の強硬策で在る。形上の線引きをすれば、自国での兵糧攻めはお構い無しでは在るが、他国に乗り込んでの兵糧攻めと在っては、これは『完全なる戦争行為』である。へへへ、戦国時代では、豊臣秀吉さんの得意戦法で在ったそうな。

    こんな事を始めると収拾が付かなく為るから、省略するとして。

 要は、強国米国に対して、米・蘭・中・露が、自国の国益に鑑みて、色んなリクエストを出して米国を頼みにする構造が出来るのは、当然利害の複層状態だったのである。大日本帝国の北進策は中・露にとっては一大事。一方、南進策は米・英・蘭にとっては一大事。力の全くない中国は、米国の蒋援政策(蒋介石を援助する政策)が無ければ、日本の侵攻には手も足も出無い。ヨーロッパ戦線での連合国側の英・仏・露は、米国の参戦頼みの状況には変わりが無い。差し迫るヒットラーの戦車機甲部隊は、モスクワに迫り来る。日ソ不可侵条約など信用出来る筈も無く、反転攻勢に転ずる為には、満蒙国境線の露軍をヨーロッパ戦線に投入し無ければ、露の生きる道は無い。

 本は第二部として、ハル・ノートと「雪」作戦として、ロシアスパイの働き掛けを検証して居るのだが、当然、そう云う事も在っても全然不思議では無い処である。

 人は時代の子、時代の存在である。そして、その人を産み育てるのは国家にして、国家たりとも時代の中の国にして、時代の存在なのである。其々の思い、思惑が錯綜交差するのが、生身の人間の群れの実態である。

 互いの国益を丁々発止しても、最後は決闘の手段に出て仕舞うのが、生物の性としか言い様も在るまい。勝てば官軍、負ければ賊軍、勝てば<焚書坑儒の仕置きの虐殺の中国史>と、勝てば<平和への罪、人道への罪の東京裁判>の真に以って、敗戦国には冤罪の絞首刑が待ち構えるのみである。

 背景、状況が、或る意味では松岡洋右、ホーンベック、豊田貞次郎、スノー、ハル、ルーズベルト、近衛文麿、東条英機を歴史の当事者として登場させたまでの事である。

 嘗て、地中海は世界の海と呼ばれ、世界四大文明のエジプトとメソポタミアの二つが地理的に隣り合わせて居た経緯で、エジプトとメソポタミアは、互いに融合して地中海を交易の海として、ギリシャ、ローマに引き継がれ、その間にヨーロッパ対イスラムの十字軍遠征史を経て、ヨーロッパの文明へと収斂されて今日に至って居る。世界の海・世界の中心を担った地中海には、エジプト、ペルシャ、ギリシャ、フェニキア、マケドニア、ローマ、スパルタと幾多の興亡の歴史を刻んで、ローマの平和を達成し、その後はイスラムの平和を刻み、ヨーロッパの平和をも刻み込んで行った世界でも在った。

 大航海時代から始まるヨーロッパの時代は、大洋世界に植民地と云う大ネットワークを作り出して、現在の産業革命で形成された合理的な社会システムと電力・車・原子力・コンピューター・技術革新・世界分業化・自由貿易の行き付く先の覇権主義としてのTPPへと向かって居るのが21Cの現れなのであろう。

 人間の社会、歴史認識は、生き物にして生物でもある。19Cに体系化されたと云うヨーロッパ中心の世界史。征服・停滞・混乱・征服を繰り返す異王朝史を晒す中華帝国史。イスラム中心史。日本史を機械的に時間軸だけで整合させた処で、頭の体操には為らないのでは無いだろうか。

 何も試験勉強、学者に為る必要も無い人間の歴史物を読む時の愉しみ方は、所詮人間達が繰り広げる軋轢・紛争の過程の中に、遠い昔の地中海史、日本の戦国史、劇画・自民党総裁、昨今の自民・民主の政権交代劇の残した物などの交々(こもごも)を時空を飛び越えさせ、またそれぞれ交差させながら、人間の思考・感情に於ける共通項・共通因子などを探りながら、<人間とは何ぞや>の思いに暫し浸る事では無かろうか。

 へへへ、こんな雑文を打ちながら、一服の煙草の煙の先を見遣れば、漸く雪は小さく為って、灰色の雲に全てがどっしりと雪帽子の乗った夕暮れ近き静寂の光景である。こんな日には、景気付けに爆音撒き散らす糞っ垂れ小僧が、出て来んとは全くの根性無しと云うべきである。

      もう、雪は沢山ですがな。もう、降らずにおくんなまし。


心何処ーショート やれやれ、半日の好天日かいな・・・
          やれやれ、半日の好天日かいな・・・(1/14/13)
 昨日から、Tから回って来た文庫本を読み始めている。ラジオからは一時間毎にニュースが流れる。大体が同じ内容のニュースで在るから、知らず知らずの内に繰り返されるニュース内容は、幾つかの断片が頭に残る次第である。

 現在<ハル・ノートを書いた男>を読み進んでいる次第であるが、活字資料と劇画自民党総裁、日々流れて聞いたり見たりして居るニュース報道、そして自分が越して来た会社での、社会での、家族での人間模様、感情模様、映画・ドラマ、小説などで見たり、感じたり、思ったり、考えたりした物共が、混淆一体となって、読書が進むと云った具合である。

 それらの脳内巡りは、一つの歴史の中のモザイク模様、万華鏡摸様と為って、拡大されたり、歴史模様の俯瞰感想を齎せたりもする。とは言っても、所詮はスカンポ脳内での浮かんでは消えして行く事柄でしか無い。一々、過去(学び得た知識、体験して知り得た物・・・etc)が鮮明に蘇る訳でも無いのであるから、それ等が雨散霧消して脳裏の中を、時に拡大されたり停止したりの呆気無さで、通り過ぎて行くだけの事である。

 まぁ、それでも世の中には、何一つとして無駄な事は存在し無いと云う『有り難い訓え』も存在する事でもあるから、時に応じて何か如何かを仕込んで置きさえすれば、いつ何時頭の引き出しからポロンと良い物、参考と為る物が飛び出して来たり、滲んで来る事も在る。そう考えれば、人間のスカンポ脳の造りとは、広大な夜空に星星を散りばめた宇宙と云っても、然程の大風呂敷でも在るまい。

 日曜日のゴッソリと開いた時間空間の中で、こんな暇潰しをして居る内に、見上げる空には、薄い灰色の覆いが被さって来て仕舞った。いやはや、凡(およ)そ人相風態に似合わぬ事を仕出かして居ると、ミスマッチでこんな具合に為るのであろう。

 さてさて、陽を失えば軒下に吊るした玄関鳥達も寒かろう。冬の日光浴も叶った事でも在るし、所定の場所に戻して、吾輩は天候悪化の前に昼散歩に出掛けて参りましょうかね。

 へへへ、真冬の中の好天日なのであるから、早々は甘く無いのである。ニャロメ。


心何処ーショート これも、ピチピチ卵子考・・・為り。
           これも、ピチピチ卵子考・・・為り。(1/12/13)

                    ルルルル・・・

「歯医者は終わったかね~。ハハハ。」
「今度は、火曜だ。」

 さてさて、ミヤシゲ大根を一本糠床から引き抜いて、水洗いしてビニール袋に入れる。玄関鳥の世話をして居ると、Tの車である。助手席には<パール判事の東京裁判日本無罪論>と<ハル・ノートを書いた男>の文庫本二冊が置いてある。吊るし柿をポケットに、車に乗る。本日は然程の冷え込みでは無かったが、風の厳しさで体感温度は、冷凍庫並の寒さである。

 河川敷で正月の松飾りなどで作った三九郎作りが、行われている。三九郎は小学生達の行事で在るから、作り手の主体は、その保護者の父親、町会の役員達である。風は寒いが、青空の下、冬枯れの葦色をバックに、松の緑、ダルマの赤が日差しに明るく映えている。

      本日のスタバ二階席は、女子学生達のお勉強空間である。

 昨日のメインイベントの婆さん歯医者に連れて行くの時差ライブを一頻(ひとしき)りした後は、本当は昨日のブログでは、<卵子買い>の仰天世相に就いて糾弾する心算が、ラジオの天気予報に釣られて、地球大気運行などと云うあらぬ方向に中指が進んで仕舞った次第で在った。幸い、Tもその番組を見て居たとの事であるから、好色ヤクザもどきコンビのトークは、全開の運びと為った。

「言いたか無ぇが、今時の若い連中は、何を考えているんじゃい。晩婚化が祟って、若い卵子が排卵出来んから、海外に出掛けてピチピチした活性卵を買って来て、それに亭主の精子を受精して、手前の子宮に戻して胎児育成して出産だとよ。」

「ふざけ遣がって、フザケ遣がって、何処まで人間精神がサイボーグ化したんじゃ。早い処、ノスタルダムス、マヤの人類破滅の引導渡して呉れ無くちゃ、駄目だぜや。卵子は他人の物だから、ハーフって事だろ。一応、卵子提供者の御品書きが付いて居て、あれだ、言って見りぁ、写真付き、学業成績付きの血統書の中から、卵子を選んで買って来ると云った図式だろ。」

「卵一個が、500万だとよ。御品書き、血統書付きでも、そんな物ぁ、間に立つエージェント、ブローカーが幾重にも介在して、商売してるんだろ。行き着く処まで行って、人間の素が、物品販売の一アイテムだとさ。保険金掛けて、保険金殺人、精子、卵子まで販売対象に為って来るご時世とは、完全に狂って居るわな。」

「幾ら若いピチピチした卵子って言ったてさ。精々が年に12個しか作れ無ぇんだよ。まぁ市場原理から言ったら、需要と供給のバランスで高止まりと為るか、豊作貧乏のダンピングとも為らぁな。」

「中国産ウナギがさ、段ボール箱のラベルを中国産から日本産と張替えさえすりぁ、濡れ手に粟のぼろ儲けと来てる。産地偽証なんて応用力なんてのは、悪事千里を走るってな物ズラ。」

「<ハーバード大出身の絶世のホワイト・ナイスバディの美人卵子だ>と、大枚500万を支払って、十月十日でオギャ!! 生まれて来た赤子が、ブラック、ブラウン、イエロー、レッドと来た日にぁ、如何するだいね。こんな筈じゃ無かった。招かざるベィビーで、病院ポストにポイ入れかいな!!」

「言いたかぁ無ぇが、手前達の自己中行動を、他に転嫁してるだけじゃ、世の中の真っ当さは保持出来んぞや。人間だったら、多かれ少なかれ、世の不運、不条理に苛(さいな)まれたり、翻弄され続ける物だぜや。」

「欲と拝金に背伸びばかり繰り返して居たって、碌な人間成長は出来ぜや。責任転嫁は、所詮は<自己中・怨の文化>でさ、そんな料簡違いは、怨恨文化圏の中狂様・北朝鮮・韓国様で、身勝手自由を謳歌すりゃ好いんだわさ。」

「己が不運・不条理を受け止めて、有限の世界で真っ当さと云う諦観・悟りの境地を見い出して、努力を重ねるのが日本の精神文化じぁ無いのかね。何でもかんでも、世間の日陰の道・場所、恥部の部分を少数弱者保護の観点だけで、報道したりスポットを当てたりするのは、上品・良識報道とは言えんと思うんだけどな。」

「日本帝国海軍・連合艦隊司令官山本五十六大将だってさ、その名前の示す如く種は56歳にして、畑だって一周り違うとしてもさ、42歳ですがね。何が若いピチピチした卵子至上主義じゃい。馬鹿も、休み休み言い遣がれってもんだわな。普段、真っ当世論を牽引して居る実績が在ればさ、少しは日陰道・場所、恥部の不運・不条理の摘出報道も、悪いとは言えないが、全部に全部、市民権を与えて同列に報道しちゃ、世が廃るって物さね。」

「其処よ、其処が最大の肝だぜね。現代は無宗教の時代で、何でも個人の身勝手自由の大連呼と大闊歩の時代だけどさ。人間、遣って良い事、賛成して好い事は、自ずと決まっている。善悪の良識から逸脱した風潮・行動・行為にはブレーキを掛け無くちゃ、人間社会は廃れる一方だぜな。」

「処でさ、Rもニュース見て、待ちに待った円安更新だろ。為替マジックで、一人勝ちして居た韓国・中国の連中、真っ青い面して見て居るんだろうよ。散々、生意気面してのさばって来た底浅経済だ。へへへ、野郎共、根性が有ったら、日本に泣き付かないで自力更生して見遣がれって、ほくそ笑んでる処さね。アハハ。」

「あいあい、アジア通貨危機なんて事を観察して居る身だぜさ。生意気放題仕出かして来たんだ。悪夢よ、もう一度で俺ぁ、涎垂らしてニャニヤしてるんだわさ。
 民主党から、安倍さんに変わって、日銀さんの<政府冷視>も出来ずに、事実の前に、日銀踏ん反り返りから、政府との協調路線だろ。
 お次は、絶対にNHK包囲網が敷かれて、<NHK報道貴族の落日見ゆ>が始まると睨んで、待ってるんだけどな。へへへ。何て言ったってさ。

 日本人のDNAの中には、『一君万民思想』が滔々と流れて居りまするがな。正規・非正規社員、外注化の階級社会見たいな勝ち組・負け組なんて、強者の経営効率偏重主義でさ、非正規・外注と云った弱者多数の上に立った体制は、スーツを着た苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の管理・支配思想ですがね。若くてピチピチの卵子購入なんて、左巻き人間平等を吹聴したければ、自らの襟元を糺して、同一労働同一賃金の方向性を示して、率先垂範の示さにぁ、公共放送としての示しが付かんぜや。」

「そうか、今日は、卵から始まって、落ちが卵と来たか。いけね、いけね。歳だ。小便が漏れちまいますがな。トイレ行くぞ。」

「あいあい、俺ぁパンパース履いて無ぇから、連れションと行くかいね。ヒヒヒ。」

 天気は好いが、風が酷い。車内でパッパタイムをした後は、さてさて正月の鏡餅消費の為、小豆餡を買って行くと致そうか。斯様にして、好色ヤクザもどきコンビの土曜スタバトークは、ロートル賄い夫同士にとっては、無くては為らない世相噛み付きの場である。

 本日も、親父トークにお付き合いを頂戴致しまして、感謝で在りまする。これも市井の世相観察の一感想、意見でも在りまする。一切、噛み付き不要の笑い飛ばしでお帰り下されや~、ギャハハのハ!!


心何処ーショート 本日、老母の付添にて候為り。
          本日、老母の付き添いにて候為り。(1/11/13)
 ラジオを聞いて居ると、中東の大洪水に加え雪で内戦続くシリアの難民キャンプは悲鳴を上げて居るとの由。アメリカ、オーストラリアの穀倉地帯は大干ばつと凄い事に為って居るとの事である。

 斯く云う私の処でも、12月からのカチンコチンの大寒冬の始末である。そんな事で、風呂、洗濯機、台所の水道は、不凍栓の開閉で凌いでいる次第である。こんな事は、この方、何年も無かった。

 弟の処も水道の凍結騒ぎで、年末年始も貧乏暇なし、ガス屋の髭のブロンソンさんも、忙しく飛び回っているとの事であった。暖冬続き、核家族の気楽さで、何事も簡便快適生活を謳歌して来た文化生活では在ろうが、低迷続く経済文化に在って、この数年来の猛暑・熱暑・長夏・寒冬、冷夏・暖冬と一向に定まらぬ乱調気候に、人類は痛め付けられた居る。

★然しながら、人類に一方的に痛めつけられて居るのが、地球の姿でもある。

 共稼ぎ、高齢者夫婦、高齢者独居生活では日本列島、北海道の-30℃超えを皮切りに、この寒冷の空気に大雪、凍み上がりに覆い尽くされて仕舞っては、<水止まれば凍て付く氷道>が、水道の姿でもある。いやはや、えらい事である。

 鳩ポッポ総理の<地球温暖化CO2、25%大削減の地球規模の大連呼>は、一体全体・・・如何なるパフォーマンスだったのかと猜疑心が頭を擡げて来て仕舞う次第である。天気予報も、衛星から送られて来る雲の連続写真群だけを天気図に準(なぞ)るだけでは無く、大気運行の変化、その一連変化の原因について、本格的な分析検証をして、新運行解明の研究成果を示す段階に差し至って居るのでは無いだろうか。

★きっと下々には知らせるにも、げに恐ろしき地球破壊が進展して居るに違いあるまい。

 毎日が日曜日のロートル賄い夫生活である。する事が無いから、時には『義務教育科学のお浚いのシンキングタイム』などを試みる事も在る。歯医者へは1:30である。

 大気は丸い地球を赤道海洋域から上昇して、上空10km程に上昇、冷却され水分を失う。其の乾いた空気が地球の自転で南北に移動する。其々北回帰線、南回帰線付近で下降して、その際に冷却乾燥した空気が、水分を取り込むから、その周辺に砂漠化を作り出す。これが空気の対流圏と呼ばれる地球規模の空気の循環作用との事である。

 近場での陸と海に於ける空気の循環作用は、海から陸に吹く<昼の海風>、陸から海に吹く<夜の陸風>。海風と陸風が交代する朝夕の朝凪、夕凪。
 それを地球規模で見れば、『季節風』と為る。冬は大陸が海洋と比べて低温と為るからシベリア高気圧。高気圧から海洋低気圧に向かって、気圧平準化の大陸から海洋へと<寒冷の北風>が補充撹拌される。夏は太平洋高気圧が陸の低気圧に<熱い南風>が季節の恒常的大気循環として補充撹拌される。

 加えて、<海洋に大河流れる>であるから、暖流、寒流の海の撹拌作用もある。

 以上が、日本列島の四季を彩る季節風と日々の上昇気流のショートサイクルの海風・陸風、山風の下ろし風のメカニズムである。空気の循環を司る物は、太陽の熱にして、それを蓄熱・放散する比熱媒体の水、陸の物質に依る温度の分散&気圧の高低作用にして、地球の自転分散作用の合体値と云う事に為ろう。

 その『合体値の可視図』が衛星から送られて来る大気写真群=雲の運行図と云う事に為ろう。

★その物ズバリの大気運行図の垂れ流し予報から脱して、そろそろ・・・少しは時間を割いて、新大気運行紀行の様な大人の気候変動解析・解説などを『啓蒙』して欲しい処でも在る。

 海洋と陸で構成される地球の中に在って、その緩衝剤の役目を果たす存在は、陸地に在っては植物、海洋に在っては海流である。そんな風に義務教育程度の知識で、雑駁に考えただけでも、自分の少年時代の40~50年前の記憶との比較をすれば、少なからず地球の事が見えて来ると云う物である。

 植物の最大の敵は、砂漠化・都市化であろう。陸地の緩衝地帯緑の植物体が減少すればするほど、海・内水(湖・河川)と陸地との均衡バランスは崩れる。不均衡さが常態化すれば、それが新たな不均衡バランスに依って<新気候が登場台頭>して来る。内水が枯渇すれば、陸地は都市化と相俟って砂漠化が進む一方で在る。

★自然の摂理からして、季節風も海風も陸風も両極端化して終うのは、必然の流れで在ろう。それが近年富に現れているジグザグ、極端な気候現象では無かろうか。季節外れの黄砂現象、熱暑・長夏、集中豪雨、ゲリラ豪雨、大竜巻、大寒波・・・etc

 砂漠の真ん中に、巨大なダムが築かれ、嘗ての大河流域の水が枯れ、流域から緑のベールが引き脱がされて仕舞えば、人類は裸も同然の姿である。或る一側面からすれば、人類の進化繁茂は、環境からの直接性を職を核(都市化)として、衣食住の人工物に緩衝度を増殖して来て『繁栄の糧』にして来たのである。

 此処まで猛スピードで進化・特化してしまった文明、文化に後戻りをしろとは決して言わないが、将来に向けた持続可能なスローダウンな歩みをして行かないと、人間の築いて来た文明はハード、ソフト共々に、何時か短期間で<衰退の航跡>を残すのみと為る運命なのであろう。ソフト=精神性は、現世功利の極大化に振れて、加速度的に衰退を来しているのが、哀しいかな日本の現実である。

 煙草を吹かしながら、こんな事を妄想すると、手塚治虫先生の火の鳥とか、先頃読んだ<劇画自民党総裁>死闘・大角連合521頁、完結編779頁の計1300頁の真に以って、ウンザリとする程の人間本性の図式でもある。

   ★おお、時間であるか・・・車のエンジンを掛けて、温めて置くと致そうか。
歯痛の収まったと云う老母では在ったが、サインを見落として仕舞えば、正に不肖の倅である。吾輩は、家長である。

 歯医者に連れて行く。倅としては、目を覆いたく為る様な老衰の進み具合である。これからは益々以って、歩く事も動く事も儘為らぬベット生活に進むのであるからして、動く気力のある内に治して治る物は、その苦痛を小さくして遣るのが次善の策にして、倅の務めである。

 歯石を取ってレントゲンを当てて、虫歯治療との事である。こびり付いた歯石を次回も取って、それが取れて、漸く姿を現す虫歯状況との事である。

「ゆっくり、ゆっくり。転んだら、後が大変だ。ゆっくり、ゆっくり・・・そうそう・・・」

 顔を歪めるスローモーションの老母に付き添って、これから長丁場の歯医者通いである。

 靴を履くのも、脱ぐのも、車に乗るにも、降りるのも、順番を待つのも、全てが老衰の身には堪える苦痛かも知れぬ。でもなぁ・・・婆さんや、これも生きる姿でヤンすよ。何が恥ずかしいものか。

「気にする事は無いわさ。苦労して歯が直った直ぐあの世に行くかも知れんし、長生き出来れば、歯を治して置いて好かったって思うし。こればっかりは、全てが結果論だからな。悪い処が有ったら、我慢なんかしなくて直ぐ直す。ああだこうだと考えずに、思考回路をロボットのワンパターンにすりぁ好いだけの事だわさ。」

「悪いねぇ。お世話を掛けるけど、お願いします。」

「あいあい、好いって事よ。糞婆の介護が、俺の仕事ですがな。」

 へへへ、婆さん好く頑張ったわさ。流石に俺のご母堂様ですがな。俺は見て居るよ。一人の女の生き様として、大正女の意地も好く観察させて貰って居りまするがな。

 婆さん、あなたは立派な女だぜや。老いては、甘えるのも倅孝行ですがな。人間ウォッチングに関しては、文句無しの逸材ですがね。イッヒッヒ~!!
 

心何処ーショート へへへ、何事もフットワークが肝心為り。
        へへへ、何事もフットワークが肝心為り。(1/10/13)

「もしもし、元気で遣ってるかい。」

「オメデトウザンス。正月はさ、凍結、凍結で、俺ん処に直接電話し遣がるから、休み無しで、顔出しも出来なかった。婆さん、元気で遣ってるかいね。」

「へへへ、それが全然駄目でさ。さっきも怒り付けて来たのさ。歯が浮いて痛くて、食べれんとさ。歯医者に行くかと云えば、どうせ老い先が短いからとか、トイレが近くて外に行くのは嫌とか。
 こっちとしちゃ、96だから、ご機嫌を損ねない様に泳がして居るんだけどさ。埒も無い低能状態でウンザリですがな。それに俺は生まれ付きのどす黒い血を持って居るから、爆発寸前よ。それで、短腹者の懐柔策でさ、今日は車で風呂に行ったんだけど、温泉風呂は上々の気分でもさ、帰って山姥状態の顔見ると途端に、糞っ垂れ婆がってもんさね。修業はして居る心算なんだけど、俺は出来が悪過ぎるんだろうね。困ったもんだいね。」

「悪いねぇ・・・オンブにダッコで・・・」

★<馬鹿野郎が、お前さんがウルウルしたんじゃ、話が続かんだろうが・・・でも、アリガトサンヨ。やっぱ、俺達は兄弟だぜや。>

「でも、爆発させちゃ自分が惨めに為るだけだから、そんな時は俺に電話を掛けて呉れや。それしか出来んからな。好く耐えてるわ。俺にぁ出来ん事だ。
 Rちゃの事だから、気分が収まった処で、笑い愚痴を溢しに電話して来るんだろうけどな。分かってるよ。そんな男の気持ち。兄弟だからな。」

「へへへ、流石に★生だ。頭が良いさ。大当たりだ。今さ、徹底的にお説教して、明日歯医者に連れて行くんだけどさ。まぁまぁ、黙って聞いてりゃ、次兄さんと全く双生児さね。婆に為りゃ、歯茎が細って、入れ歯もガタガタするわさ。
 テレビ見ててもさ、笹子トンネルの学習効果ゼロだから、白髪頭引っ叩いて遣りてぇわさ。小便ちびらかしたく無きぁ、文明の利器パンパースが在らぁな。歯医者での時間を極力短縮させるにぁ、俺がサーバントの動きをすりぁ好いだけの事だろ。
 医食同源なんだから、食え無きぁ、山姥が二乗・三乗にも為らぁな。そんな幽霊見たいな山姥と居りぁ、俺の気分だって、一気に滅するわさ。それが正常人の感情ってもんだからな。アハハ。
 この馬鹿~、歯通は幾ら我慢したって、悪くなる一方だ。生きてる以上、神経は旺盛だわさ。生きてる以上、食わなくちゃ生活が出来んのだ。そんな事も、分かんないのか。この馬鹿垂が~って、四の五のゴタ句を並べる前に、老いたら子に従え、楢山節行じゃい。孝行息子の緒方拳の心境も少しぁ、考えて見ろってさ、呆けるにぁ、未だ早ぇわな。分かったか!! この馬鹿者が。って教育的指導をして来た処さ。ギャハハ!!」

「へへへ、家の兄貴は、いざと為ったらおっかねぇ(怖い)からな。一端口を開いたら、戦艦大和の艦砲射撃だ。半端じゃ無ぇからな。
 婆さん、今頃、泣いてるぞ。<何も、母親に向かって、あんな物云いをしなくても良いのに、丸で野獣の鬼っ子だ。育て方は間違って居なかったと思ったのに、この歳になって、アア、長生きはしたく無い。>・・・なんてさ。やや、目に浮かぶぜや。あれだ、家のおっかねぇ兄貴も、丸く為ったってもんだ。イッヒッヒ~。」

「何を扱きぁがる、嬉し泣きに決まってるじゃ無ぇか。」

「まぁまぁ、今度は、俺の愚痴を聞いて呉れやね。・・・・」

 いやはや、吾がご舎弟さんも、『腹に立つ娑婆に仁王立ちの日々』との事である。お互い筋者の頑固な処が、同根同畑の育ちであるから、同じ愚痴話でも次兄さんの様な愚痴ら愚痴らの湿性では無く、ギャハハの鬼瓦権造の乾性であるから、丸で落語長屋の熊さん、八っつあんの態で在る。
 奴も、大分ストレスが溜まっているらしく、電話が入ったから、終わったら掛け直すとのインターバルを挟んでの、久し振りのアッケンカランとした兄弟エールの交換に終わった。

 仕事現場は母校の高校近くとの事である。顔出しして呉れとの事で在るから、好物の吊るし柿、沢庵漬けの差し入れでもして遣るべしである。夜、スーパーへ老母のパンパースを買いに行って来て、本日に備える。

 朝一番で歯医者に予約を取りに行くと、本日定休日との事である。へへへ、予定が頓挫してしまった。斯く為る上は、明日に備えて婆さんに風呂を入らせて置くとするか。何々、蛍光灯のスモールランプが切れたとの由。

 何時もより早い一日の開幕であるから、それを買いに行か無ければ為るまいし、何事も、序でである。ご舎弟さんの処に差し入れ方々、顔を見て来ると致そうか。


心何処ーショート 穏やか為り、昨日を振り返る。
           穏やか為り、昨日を振り返る。(1/9/13)
 昨日は穏やかにして暖かい陽光に恵まれ、別コースの徘徊散歩をして来た。散歩の途中で、護国神社の境内で野鳥探しでもして、ノンビリと思った次第である。内鳥居から石畳の社殿に向かおうとすると、何処かの社員団体である。多分、現地集合らしく黒服を着た連中が集まって、立ち話の最中である。中央の社殿横には今年の大絵馬をバックに、写真を撮って居る老夫婦の姿が在る。

 大きな狛犬を据わらせた内鳥居横の松の大木の横には、靖国神社の分社たる所以の英霊の手紙がケースに収まっている。気を付けをして一礼して、拝読する。

 今年のそれは、フィリピン戦線で戦死した東筑摩郡出身の陸軍曹長27歳の父母に宛てた突撃前夜の手紙であった。読むだけで、胸が震え目頭が熱く為る。

 大東亜戦争に於いて、日本国民が共通に抱いて居た生死緊迫する戦時の想いである。俗に云われる軍国主義下の文面で在る。戦前教育の上に立った文面で在るから、常套句・色調も、往時の世相・思想・思考を引き映した文体である。国への忠義、親への孝行、先立つ不孝、兄弟姉妹への配慮、男子の誉・・・etc 

 達観視すれば、時代の色調と云うのかも知れないが、起承転結に満ちた余所行きの文面の行間に横溢する、その時代の日本人の息遣いに、文字は文字を超越して日本人の血を揺さぶる。

 敗戦戦後の刷り込み教育史観で、四の五の言う筋合いの物では、全く無い。自然体で、文面に対し、感じたままを素直に受け取れば好いだけの事である。

    一度読んで、拝礼して息を整えて、再び読む。同じ慟哭を覚える。

 黒服を着た男女の一団の中を進んで、本殿の賽銭箱に100円硬貨を落として、礼拝をした後は、本年巳年大絵馬の製作者の製作心情書き為る物を拝読する。

 長い文章では在ったが、古来東洋人、日本人が蛇に観て居た自然観などを知って、ロートル・スカンポ脳には、良い刺激と為った。然しながら、吾が身としては、蛇に厳かな心象に至るまでには為らなかった次第である。

 まぁ、伊達に十二支に鎮座する大絵馬なので在るからして、この位の格式高い蛇への思いを綴らねば、大絵馬の謂れ書きとは為らないのであろう。イッヒッヒ!!

 ヨレヨレの毛糸の帽子に耳当て、ジャンバー、ズボンの得体の知れない風体の悪しきオッサンが、一人、護国神社でこんな行動をしているのだが・・・ 誰一人として、私の様な事をして居る物は居ない。

 ざっと見た処、私が此処に居た間に参拝に訪れた人の数は、30は在った処である。いやはや、これではさぞかし、英霊の屹立する護国神社さんも落胆して居るに違いあるまい。

  時代が変われば、私は正しく変なオッサンにしか過ぎまい。へへへー、為り!!

 砂利の参道を歩いて、散歩の距離を伸ばす。久し振りにこのコースに来たのであるから、コスコまで行って、買い置きに適した物でも買って帰ると致そうか。

  私の悪い癖で、帰りはずっしりと重いレジ袋を提げてのブラブラ歩きである。

 それでも、陽気に恵まれた運動散歩とは心身ともに解れて、気持ちの好い物である。寒い信州では在るが、週に二日位は、こんな陽気に恵まれると有り難い物ではあるが、冬本番の日々は、この先、嫌に為るほど長い信州の冬である。考えるだけで、嫌に為りまするわね。

 さてさて、本日も、昨日に引き続いて、穏やか日なり。家で過ごすのは、お天道さんの罰が当たると云う物である。偶には車を走らせて、遠くの温泉銭湯でリラックスして来ると致そうか。マンネリ日々だけだと、兎角、閉じ籠りのストレスはマグマ溜まりに、鬱屈して来る物である。爆発せぬ前のガス抜きが長持ちの秘訣でも在るからして・・・

        へへへ、ピエロ役は、疲れまするわな。ギァ~~オ!!

心何処ーショート へへへ、遺憾いかん・・・人間、メリハリが肝要為り。
      へへへ、遺憾いかん・・・メリハリが肝要なり。(1/8/13)
 上天気である。空は薄いが、昼に成ればグ~ンと青味を増す事だろう。西のアルプス連峰が白銀を静かに、すっきり屹立させて南北に続いて居る。日陰に残った雪、流れの端の氷、然しながら、今日は絶好の散歩日和と云った処である。ゴミ出しをして来て、布団を上げ歯磨き洗顔、掃除をしながら、朝の賄いをスタートさせる。無風のお天道さんの輝きであるから、玄関鳥は全て軒下の外気当てである。

 ヨタヨタと洗顔を終えた老母には悪いが、全部屋掃き掃除の空気の総入れ替えで在る。ハハ、動いて居る方は何とも思わないが、動かずに炬燵に当たっている身からすると、寒いに決まっている。
 小さくなってお地蔵さんをして居る母の姿を見て、<おお、寒い。早く締めろ。>と文句を言って居た頃を思い出した次第である。<ざぁ見遣がれ、小言を言われないだけ、有難く思い遣がれ。>ってな物である。

 兎角、女と云う生き物は、文句、小言を口に出さないと気が済まない生き物なのである。其処へ行くと、社会性の生き物・男と云う物は、仕事と思えば、黙々と『例え思っても、一切口に出さない高等生き物』なのである。イッヒッヒ。

 食事を始めて居ると、ヤクルトママさんのお越しである。口をモグモグさせて財布を取りに行く。

「はいはい。」何を言われても、はいはいと答えると。
「Rさん、ハイは一回で好いんですよ。何回も言うのは、お座成り返事ですよ。」

 へへへ、新年初顔合わせで、注意されてしまったから<反省の意>を込めて、此処は吊るし柿の進呈しかあるまい。ニコニコと好物を両手で受け取るママさんの手を、戯けロートルの両手でギュッと握り締めて<ギャハハの段>である。

           さぁさぁ、オマンマの続きである。

 朝食後はポットを持って、陽の当たる二畳小部屋にシフトである。物干し竿に洗濯物、玄関鳥が吊るされて、お天道さんの柔らかな日差しに長閑な物である。ラジオは女族トークで、<何を小生意気にしゃら煩せぇや。俺ぁ、女族トークにぁ興味は無ぇぞや。早くニュースを流せちゃ。>で、大して面白くは無いが、これも日常の進み具合でも在る。

「こんにちわ」の声である。<はいはい>と玄関に行くと、ガス屋さんの集金である。こりぁ、丁度好い。<炬燵でコーヒーでも飲むかいね。>とお誘いすると、年明けで細々した仕事がメジロ押しで<今日は、とてもじゃ無いが時間が無い。>と言う。先月貸し出しの夢奇譚・男二人の狼話の返却感想は、レパートリーの広さには脱帽で、女無しでもこれだけの文章を書けるとは、驚き桃の木との事である。『その秘訣は?』と聞かれるから、

「是、全て厚顔無恥の戯けの一本道。あーだ、こーだと一々考えていたら、引き出しの無い脳味噌じゃ、何にも打てはせんわね。
 俺ぁ、どうせ馬鹿だし、頭もほれ、この通りスキンヘッドだから、格好付けたくたって、打つ手が無ぇんだから、素地を晒して出任せ放題打つのが、<妄想亭夢の助>の本分ですがな。まぁそれなりに、世間様に時間潰しの材料を提供出来れば、吾が本望だいね。イッヒッヒ。」

「またまた、御謙遜を。挿絵が効いて居て、Rさんの時代観・文明観・自然描写・野生に対する平等観見たいな物が、随所に好く描写されていて、つくづくとRさんは只者じゃ無いですわ。俺なんか、勉強して無いから言葉を知らないから、辞書引かないと分からない漢字、言葉が一杯だから、辞書を横に置いて読んでますわ。お恥ずかしい話だけど、本当に好い刺激に為ってますわ。
 実の処、月に一度此処に来て、Rさんと男同士の話が出来るのが楽しみでね、もっともっと、何時もの様に話して居たいんだけど、また電話だ。一段落したら、顔出しますわ。」

 ハハハ、台所の火を与る町のガス屋さんは、水を与る水道屋さんと同じく、大切なライフライン屋さんでもある。個人的な事で引き止めて居ては、世間様から石礫(いしつぶて)を頂戴して終うのが、落ちである。世間様の邪魔をしないのが、ロートルの心得でもある。

 アッジャ~、失敗こいた。灯油を貰うのを忘れてしまった。何しろ、寒冷に次ぐ寒冷の日々である。『貧民生活者・老親子、長引く寒冷に遂に<凍死>』と新聞の見出しに載った物なら、世間の恥晒しと為りかねない。

 止む無し・・・ガソリンスタンドに灯油を買い出しに行くしか有るまい。遣る事だけ遣って置いて、本日、願っても無い上天気。長散歩の後からマイタイムと致そうか・・・

 へへへ、メリハリの無い日常に流されて居るだけの身には、すっかりABC管理の緊張感が失せて居る。そう云えばインスタントコーヒーも底を付いて居た処でも在るし、チョイと車動かしでもして参りまするかな。
 ガソリンに灯油を買って来た後は、散歩方々のインスタントコーヒー買いと・・・ロートル・スカンポ脳さんよ。忘れずに頼みまするぞね。とほほのほ~。



心何処ーショート これも、日々の吾が雑感なり。
            これも、日々の吾が雑感なり。(1/7/13)
 午前中は好い日差しで在ったから、走る真似をして仕舞った。散歩の穴埋めに、河川敷でラジオ体操などをして、水槽の補充水をバケツに汲んでスポンジ洗いをする。余勢を駆って浴室・浴槽まで、真面目に洗って終った。

 然しながら慣れぬ事をすると、お天気が変わると云うのは本当である。灰色雲の風が吹き出して仕舞った。遺憾いかん・・・軒下に吊るした玄関鳥達が、これでは寒かろう。風邪を引かせてしまっては、申し訳が立たぬ。鳥籠を取り込みに行くと、へへへ、みな藁巣の中に収まって御座る。

  綺麗に為った水槽を見て、金魚達の腹具合を見る。餌は遣らなくても好かろう。

 昨夜はバイク気違いの御通りで、癪に障る事夥しかった。如何やら、とんでもない餓鬼が引っ越して来たのだろう。町内の困り者にして、さぞかし親も頭痛の種であろう。

「ああ云う手合いは、何時の時代にも居るんだろうが、どうせ鰯の腐った様な目付きで、悪臭をプンプン発散して居るんだろうが、一度、とっくりとチンピラ顔を見たいモンだわな。

 親の脛を齧って、免許証取る位だから、猪、熊の獣じぁあるまい。迷惑と自己満足の両立を図る位の脳味噌は持って居るでしょうが。
 高速料金払って、ポリ公と大チェイスをするか、夜の山岳道で心行くまで轟音とスリルを満喫して呉れば好いんだよ。凍結道路で大ダイビングして、三途の川で凍河を素っ裸で泳がされて、閻魔大王の前で地獄の量刑をして貰い遣がれってなもんだぜ。大通りは、10mと離れちゃ居ないんだよ。そんなに目立ちたきぁ、いきがって大通りですっ飛ばしゃ好いんだけだぜや。

 そんな事を仕出かすと、直ぐ様パトカーに捕まるから、こんな住宅街をガンガン騒音を撒き散らして、下らんカッコ付けてるだけの糞餓鬼だわな。きっと10代の反抗期なんだろうけどさ、下らん算盤勘定だけは長けている。
 どうせ算盤勘定弾くんだったら、高速代と罰金を見込んで、アルバイトに精出した方が、よっぱどツッ張り甲斐が在るって物じゃ無いのさ。土台、根性が意地汚さ過ぎまするがな。

 野郎は、流行り言葉の『自己責任』なんて言葉すら知らないんだろうな。まぁ、こう冷え込んで来ると、バイクは寒いだろうよ。ノロウィルスにでもショ捕まると、好い気味なんだけどな。
 アクセル目一杯吹かして、シートが爆音でビリビリと来た日にぁ、ブビィ~の黄金水のお漏らしって寸法さね。そうなりぁ、当分の間、静かな夜に為らぁな。ギャハハ!!

 アッ、また戻って来たぜや。糞っ垂れ餓鬼共が、藁人形作って護国神社に行って、五寸釘で懲らしめて呉れっか!! いやはや、困ったもんだいなぁ。」

 こんな感想を老母相手に述べた後は気分直しに、この処、嵌って居る小津安二郎/原節子・笠智衆物を見て居る次第なのであるが。昨夜は、そのトリオの『晩春』をじっくりと観賞させて頂いた次第である。

 こんな取るに足りない好色ヤクザもどきのロートル男ですがね・・・いや~、堪能して居る限りで在りまする。日本人に生まれ育って、日の下の国・日本に感謝してるんですがね。

 言いたか無ぇが、罰当たり爆音・糞っ垂れ小僧共が、未だ遅か無ぇぞい。インターネットで女の股ぐらシャカシャカ扱いてる暇が在ったら、タマにぁ『正調日本人節』に向き合って見遣がれ。

 日本も60年をタイムスリップしたら、こんな父と娘の、血縁の情愛が、そこはかと流れて居たのである。そして、日本人は小津安二郎の世界に重ね合わせた家族観・世間観を常識として持って居たのである。何か在れば、世界遺産・オリンピックと名乗りを上げて、★★興しなどと経済効果にばかり躍起となっている昨今のご時世である。歴史的建造物で在っても、それを造ったのはその当時の時代に住まう社会で在り、人々である。

 小津安二郎を産んで、彼が残した作品とて日本の立派な文化遺産であろう。

 便利な時代と為って、好きな時にYouTubeで、成瀬巳喜男作品・小津安二郎作品が観られるのであるから、嬉しい限りでも在る。

 好い物、真っ当な物は、残して、語り継がれて、観賞され続け無ければ為るまい。温故知新の観賞眼は、日本人のDNAを受け継ぐ者として機会が在れば、それを顕在化して行きたい物である。芸NO人ばかりが、テレビ電波を牛耳って久しい時代では在るが、選球眼さえ持てば、インターネットの世界は教えて呉れる事、考えさせてくれる事、思い出させて呉れる事が満載されている。へへへ。



心何処ーショート さてさて、娑婆も日常の戻りか。
           さてさて、娑婆も日常の戻りか。(1/6/13)
 先ほど分厚い劇画本を読み終えて、一服付けて居る処である。二畳小部屋の炬燵で演歌テープを流して、庭に訪れる鳥達に目を移しながらのマイタイムである。三度目のメジロ夫婦のお越しではあるが、途中からハイエナギャングのヒヨドリの登場、居座りであるから、メジロは瞬く間に緑の中に逃げ込んでしまった。

 ヒヨドリはミネゾの枝に止まって、寛いで居る。二畳部屋に炬燵を作って、昼は此処に居る時が多くなって居る。年がら年中ズーと四畳半に居た時は、冬は窓辺にリンゴ、ミカンなどを引っ掛けて居たから、至近距離でそれらを啄みに来ていた。餌が無くなると、餌を催促してガラス窓を嘴で叩いて居た物である。
 そして、去年は開放して置いた廊下から家の中でバタ付いて居た。それでも、然程、私を怖がる風でも無く捉まえても、静かにして居た。当然、放して遣った次第ではあるが、私にも、そのヒヨドリにしても、『日常の認知』が在ると、お互いに<そんな物なのだろう>と、苦笑した次第である。

 そんな事を思い出すと、巣立ちの餌強請りを柿の木でして居たキジバトの幼鳥の一羽が、二畳のこの部屋に入って居た事が在った。窓を開けて、私も部屋に居たのだが、網の掛かった小窓から、外の親鳥の声に反応して小窓の縁をウロウロして居た。イタリア料理などでは鳩の肉は、好く食されるとの事であったが、そんな気持ちも更々湧かない処で在ったから、暫く同室として居た。それでも何時まで経っても、出口が分からないらしいから、私の方が痺れを切らして、捕まえて窓から逃がして遣った次第であった。

 別段、私が心優しい訳では無いが、これも歳を取って全てに億劫に為って来た所以なのであろう。そう云えば、雀も一匹入って居た事も在った。

 おやおや、今度は地面をツツツとツグミが現れた。冬の渡り鳥のツグミは、ヒヨドリとほぼ互角の体格ではあるが、性格の大人しい鳥である。他の鳥達とのバッティングを極力避けて居る。去年までのツグミとは体色が違うから、別鳥である。
 ヒヨドリの去った後に、スーとメジロ夫婦が姿を現した。ツグミは直ぐ様、場所を譲ってお隣とのブロック塀の上に飛んで、場所の明くのを待って居る。

 本日・日曜日であるからして、何時もの徘徊猫は姿を現さないで居る。猫も正月の満腹感で、体重を増やして温い炬燵の中の怠惰癖が付いてしまったのかも知れぬ。この処の冷え込みで、私とて椅子の四畳半よりも炬燵の方に居場所を変えて居るのであるから、徘徊猫の<蔭口>は叩けまい。

 いつの間にか、お天気さんも灰色空に取って代わって、小窓の戸をカタカタと鳴らして居る始末である。さてさて、退屈であるから、台所の洗い物をして晩飯の米を研いで置くと致そうか。

 動き始めると、本日はサボろうと思って居た散歩では在ったが、習慣の体細胞が外に連れ出そうとしている。風が寒いから、それなりの格好で行く。ポケットには双眼鏡を入れて来たが、大体に於いて空振りの結果が多い。

 それでも意外や意外で、散歩者が多い。へへへ、正月の食べて飲んで寝ての身体の錆付きに、運動細胞がきっと<尻を叩き始めた>と云った風景なのだろう。寒い割には、座敷犬も四足でチョコマカと歩いて居るでは無いか。アハハ。犬も人間も、体細胞には逆らえない物らしい。

 劇画本は原作者・戸川猪佐武氏の急逝で、中曽根総理総裁で終わって居る。原作者が存命で、今次の第二次安倍総理総裁までを描いたとしたら、一体どんな劇画と為って居るものやら・・・ 是非とも、小沢一郎、民主党政権への氏の視点を読みたかった物である。

 小説と違って、劇画は風景描写、表情描写を絵にして居るから、読む方は小説の最大要素たる『心理描写、説明描写』は、省略乃至ワンパターン化して終う。まぁ、それが大衆化受けの<可視のイメージ>で、素通りしてしまう側面が在る。
 尤も、映画と比べると腑に落ちなければ、映画・ドラマと違って、頁を止めて前に戻って、読み直す事も出来る利点もある。原作小説を基礎とした物が、ダイジェスト版の映画、劇画の手軽さと云う物である。見る事は読む事とは違って、大半の人間には簡便な時間である。

 まぁ、それでも同時代の出来事を小説、映画、劇画で準(なぞ)ると、全てに首肯出来る訳でも無いから、それなりに下衆の突っ込みも可能に為る面白さが在る事は確かなで処でもある。
 この裏返しで、自分の時代として振り返り反芻する体験視点が無いと、人間とて動物で在るから、目の見えない赤子が、本能的に親の後を付いて行く様な『盲従行動=刷り込み作用』が働いて仕舞う物である。

            へへへ、これは、怖い事である・・・。


心何処ーショート 年明け、スタバトーク為り。
            年明け、スタバトーク為り。(1/5/13)
 昨日の予報だとマイナス10℃超えとの事であったから、途中でトイレに行くと、ブルブルの連続で在った。寒い時は、途端に寝相が良く為る。頭からは、半纏をすっぽりと被って寝て居るから、温い布団の中では、夢の囁きが結構ある物である。夢の子細は一向に思い出せ無い処では在るが、まぁ好い睡眠が出来た次第である。廊下の三姉妹籠では、お天道さんの光に、活発な動きがしている。

 さてさて、起きると致そうか。朝食後のテレビでは、<今後の日中関係や、如何に>で特番を組んで居た。出席者の顔触れを見て、へへへ、NHKさんも真っ当日本人政権が誕生して、日銀の次は、吾が身との焦り沙汰である。
 顔触れを見れば、親中派の面々である。さてさて、如何なる議事進行をして行くものやらで、じっくりと臭い番組を拝見させて頂く事にする。この番組で、先頃の衆院選挙の結果を見れば、例え投票率が低調だったと云っても、明らかに<民意の証明>は如実に表れた結果なのである。

   イッヒッヒ~、これを称して『姑息番組』と呼んで然るべき物であろう。

 不偏不党の日本の公共放送足る者が、こんな親中・事無かれ主義者達の座談会を、抜けシャーシャーと新春の特番で遣らかして居るのであるから、窮すれば鈍するの典型様でしかあるまい。極真っ当な意見を述べて居た人は、只一人国際弁護士の女史さんだけである。

 な、婆さん、この弁護士さんの言う事は、俺が普段言ってる事とそっくりだろ。こう云う座談会は、世論操作の魂胆が在るから、それを観察して行くのが、下衆の趣味だぜ。この解説委員さんだってさ、上からのお達しが在るから、その線で座談会の流れを誘導して行くのが社命にして、サラリーマンの宿命なのさ。

 まぁ、NHK職員一万人の平均年収が1760万円だとよ。このクラスに成ったら、4000万前後は貰って居る事さね。社命に背いて下手打ったら、目前の出世が閑職に追い込まれちゃうから、気合いが入ってるだろ。
 親中派の発言を聞く表情・態度と美形女史さんの発言を聞いて居る時の『落差』を見て居りぁ、野郎の腹の魂胆なんか、見え見えですがな。

 敗戦自虐史観に迎合して平和主義一辺倒で大人しく遣って来た『付け』が、このザマですがな。中国、米国に国益の納得を見せているにも拘らず、日本の国益は、一切無視とは、一体ナンジャラホイですがな。中国言い為りの日中貿易一辺倒が、日本の国益ですかいな。馬鹿も休み休み言っておくんなまし・・・それじゃ、完全に国賊振りでしょうが。

 この期に及んで、<まぁまぁ、近隣諸国は互恵・経済運命共同体の握手>じぁ無かんべよ。コリァ~!! 涼しい顔して、四の五の言ってる場合かよ。非常識と常識が、非暴力で対峙すれば、非常識に翻弄されて、振り回されるのが世の常だわさ。
 言っても聞かない奴には、昔からゲンコツと村八分が、真っ当社会の掟ですがな。日本の武士が、サムライとして、世界から熱い視線で尊敬されて居るのは、文武両道の礼儀正しさと刀の凄みの両立が在るからでしょうが。そんな常識なんざぁ、幼児の餓鬼だって、嗅覚で実感してるぜや。

 婆さん、あれだ・・・平和主義協調主義なんかだと、一様にインドのガンジーさんの非暴力・非服従なんてイメージで語られる事が多いんだけど、冗談じゃ無ぇよ。インドには自由独立インド軍が組織されて、徹底抗戦のチャンドラ・ブースなんて独立戦線の英雄が居たんだぜ。その英雄がガンジーと同時進行で居たから、チャンドラ死後のガンジーさんの非暴力・非服従運動が功を奏したって寸法なんだけど、その脈歴が抜け落ちている。

 いやはや、丸で歴史を見る必然の流れを見る目が無いねぇ。阿保臭~。東京裁判の日本無罪を主張してくれたインドのパール判事だって、その脈歴の中に居るのに、そんな頭の整理も出来て居ない連中が、紳士インテリ面して、何をホザイテけつかるってなもんさね。

 NHKは国民から無差別に受信料を徴収して、こんな事無かれ平和協調主義の強い物には巻かれろの番組を垂れ流して如何するんじゃい。手前らだけが、インテリだと自惚れるのも、テーゲェーにしやがれって物さね。困ったキンタマ無しの連中さね。
 下衆以下の親中魂胆が見え見えで、こんな物ぁ、マスゴミの安倍さん潰しの見苦しき糊塗番組ですがね。

 NHKの野郎、性懲りも無く善良無垢な有為の国民を愚弄するには、程が在らぁな。

 でも、この国際弁護士さんは、好いねぇ。顔好し、スタイル、雰囲気好しで、弁護士さんだけにして置いちゃ、宝の持ち腐れですがね。是非とも政界に進出して、稲田朋美・森雅子女史と並んで弁護士出身の保守政治家トリオを結成活動して貰いたい物だわ。毒婦はイカンけど、巴御前は大歓迎だいね。好い女だね~、股間が膨張するぜや。アア、遣りてぇ~な。」

                 ルルル・・・・

「イケネ、イケネ。Tからの電話だ。尻切れトンボだけど、本日の講義は、これで終わり。」

 Tの車が来て、携帯が分からない。携帯を鳴らして貰い、携帯の在り処を探した次第である。

「分かったかね。歳だぜね。置き忘れなんて、俺だってしょっちゅうだぜな。ヒヒヒ。」

 スタバ二階席は、まぁまぁの入りで在る。隣の女性二人席では、病気手術の話が、とうとうと話されている。後は女子学生さん達の御勉強タイム風景である。白い粉を噴いた吊るし柿をコーヒーの友に、好色ヤクザもどきのロートルコンビの土曜トークを始める。

 ハハハ、Tのヤツは、東京裁判のパール判事の本を大分前に、買っては来たもののその後、全然頁が捲れて居ないらしく、埃を被って居るから進呈しようかと言う。

「とんでも無い。教養・知識取得の邪魔をしたら、閻魔様に舌を抜かれちゃいまするがね。読み終わったら、貰うからさ。俺は小説は読まないけど、歴史本の類は、一応、常識として雑学でスカンポ脳に収納して在るからさ。へへへ、今は政治劇画本を400頁まで行ってるんだけど。チョイと時間が無いんだわさ。
 
 今日はさ、NHK特番で婆さん相手に、下衆の突っ込みをして来たんだけどさ。冷戦時同様の腐れ平和協調主義の有効性を説いている場合じゃ無かんべよ。つくづくと、戦後日本の外務省は、不抜けの体たらく官庁だわね。外務省が日本の、男のキンタマを亡くしたら、亡国迷走行脚ですがな。あい~。」

「マスコミ報道は大して、参考には為らんから。俺も見ないなぁ~。普通に遣るべき事を、ガツンと遣って遣れば好い事だけなのにな。鉄の女サッチャー見たいにガツンと遣って遣らにぁ、分からん奴には対抗出来んだけだがな。本当の痛みを避けて、口先ばっかりで言ってても、所詮は苛め自殺の問題同様に、何も解決せんだろうに。

 徹底的に遣る気も無いのに、口解説してたって拉致は明んのに、大の大人がインテリ振りっ子してるだけだから、世界にも世間にも示しが付かんだけの話だもんな。そろそろ、大人の独立した日本にせにぁ為らんわね。へへへ。」

 帰りは、少々待って貰い、手作りお節のテイクアウトに協力して貰う。聞く処に依ると、細君は実家との掛け持ちで、時間が足りなくて今年のT家のお節料理は失敗作だった由。

「昼は握り飯を買ったから、これで食べるわ。サンキュー。」

「まぁ、俺の才能を食べながら、愛でて呉れや。お互い爺っさ、婆っさを看取ったら、日本家庭料理の味の店を開くべや。腕の方が俺に任せて置いて、Tは調理師免許取って置けや。何事も、転ばぬ先の杖、方便だぜな。あい~。」

「おお、そうだったいなぁ。定年前の俺達の目標だったぜな。一年かな、二年かな。」

「思わぬ頓挫だから、飛び級で頑張って貰うしか無ぇずら、世界が、ヤクザもどきコンビの日本の家庭料理の味を待ってるぜね。頑張っておくれやね。あいあい、オーライだよ。」

   さてさて、片付けをして、お地蔵婆さんの昼の支度でも致しましょうかね。


心何処ーショート 何か、如何かと、日常には在る物だ。
          何か、如何かと、日常には在る物だ。(1/4/13)
 いやはや、見た目には冬晴れの上天気ではあるが、徹底的に冷え込んだらしい。風呂の不凍栓を開いても水が出ない。予報だと明日もマイナス8℃以下との事である。従って、何としても風呂場系統の凍結解除をして置かなければ、水道管破裂の憂き目を見て仕舞う。

 洗濯機の方からホースで湯船に水を張って風呂焚きとする。風呂が焚き上がればガスボイラーの熱が回って、出水の運びと為るのであるが、全然駄目である。管理人の私が長風呂をして出水を待つが、一滴の滴りも無いのであるから、内心穏やかでは無い次第である。

 本日は快晴であるから、布団を物干竿に干して居る。玄関鳥も外に吊るして居る。風呂から出て、布団の取り込みをして居ると、漸くの出水である。ふぅ~、恐るべし今冬の寒さである。

          老母を風呂に追い立てて、やれやれである。

 正月三ケ日が明けて、朝のゴミ出しに玄関の戸を開けると、ジョービタキのバルディナさんの姿見せである。例に依って直ぐには逃げずに、小枝を渡って尾羽をタクトを震わせて、丸い黒目を私に向けて居る。へへへ、可愛い物である。

 ゴミの出し場所は、流石にテンコ盛りの態である。スッキリした青空に白雲たなびかせて、アルプスの白銀の峰々が屹立して居る。最後の雑煮を作り、漸くの白米の晩飯が食えると云う物である。

 お猪口に日本酒を注いで、遅い朝飯とする。風呂の凍結で、本日は長々と老母相手の漫談を仕出かして仕舞った。世相戯け放談であるから、糞婆っさもニコニコと笑い、四男坊の口の悪さに、血の気が循環して来た。やれやれ・・・小憎たらしい山姥とは別人のジョービタキのバルディナさん同様の可愛さである。

◆そりぁ、そうだろうよ。こちとらは、馬鹿話の綾小路きみまろ以上の奥の深さじゃからな。本来なら木戸銭or受講料が無けりゃ、こんな<色・鋭さ・戯け・優しさ・ユーモア満載のヘレモコサ漫談>なんか、独り占め出来ませんわな。好い倅に育てて、本望じゃろうて。愛~ってな物である。

◆これは何も俺様が自惚れて言ってる訳では無いわさ。日頃、凄い写真と小話の名手と感嘆しているお江戸のオイチャンこと『MacoTan』尊師から頂戴したヘレマコサ印籠のお墨付きですがね。ギャハハ。
如何だ、参ったか。俺ぁ、貧民婆ぁの財布は一切当てにぁして無ぇから、安物茶で我慢するわさ。これ、糞婆っさ、茶を注がんか~。聞き逃げなんて、とんでも鉢巻ですがな。

◆印部分は、当然に口が滑っても、絶対に溢さない吾が本音では在るが・・・

          へへへ、婆さんは、お茶を溢して御座る。

「悪いねぇ。お茶も一人前に注ぐ事も出来無く為って仕舞った。アア、情けない・・・」
「好いって事よ。俺の仕事は、しが無ぇ賄い夫稼業だぜな。拭くのは、こっちの仕事だいな。昔から、<気は心>って云うじゃないのさ。」

 さてさて、懸案事項も片付いた事でも在るし、軽めの昼にして、後のマイタイムは、劇画本で、時代を振り返りましょうかね。昨日は200頁まで進んだ。この手の物は、若い頃<小説吉田学校>を読んで、その後、その劇画本を買って読んだ経緯がある。原作に忠実な劇画であるから、どちらかと云うと小説を見て居る様な感覚なのである。

 まぁ、気の利いた表現をするならば、<劇画で見る時代アルバム>ってな物で、NHK様の自虐史観満載の中狂国プロタガンダ・スペシャル物より、余程益しですがな。

 小説の漫画本と云えば、吉川英治原作の横山光輝の三国志を読んで居るから、確りした原作の漫画・劇画化は、決して悪くは無い作品群である。原作本を読んでの漫画・劇画化は、原作を読んで自分の絵で表現する事であるから、読む方も原作本から、横山先生、さいとう先生が、如何云った原作本に対する感想を持って居たかが分かるから、結構面白い読書感想の対話が出来る次第である。

 尤も漫画本、劇画本の帯には、描き手の『独自の解釈』を入れてなんて宣伝はしているが、大体はそんな物は嘘ッ八である。文字と絵の表現方法の違いだけである事が、大体の本態なのである。従って、簡単に、肩も凝らずに読めると云う利点の方が、遥かに大きいと言う物である。

 小説と、漫画本・劇画本の大きな違いは、文字から来る行間への読み取りと視覚から入って一過性で流れて行って終う『行間への踏み込みの有無の違い』であろうか。

 吉川英治作品は、しばしば私にとっては労務管理教科書の側面を持って居た。<三国志>は登場人物が多過ぎるので、私の様なスカンポ脳に在っては、頭の整理が出来ずに物語を読み進むだけに労力を削がれて仕舞ったのだが・・・<項羽と劉邦>は、私としてはうなる程の労務管理の糧を与えて呉れた良書であった。

 昨日の日誌にも少し触れた次第では在るが、人間とは紛れも無く<反芻の動物>なのである。反芻動物の身近な物は、ご存知の通り牛である。草食動物牛は、消化し切れない植物繊維を一度胃に溜め置き、胃内細菌に依って幾ばくかの発酵分解をさせ、それを口に戻して臼歯で細かく磨り潰して、再び体内細菌の助成を借りて、余す処無く栄養素に還元して居る賢い消化器官を持つ動物なのである。

 人間と牛の共通項は、反芻である。人間の反芻対象は、当然に脳細胞と云う記憶装置である事は、何方も異存の無い処で在りましょうや。

 従って、折角の記憶・経験知・経験値を反芻する事無く、未消化の儘、直ぐ様に体外に排出して終えば、それは飛ぶ事に特化して終った鳥類と同じに為って仕舞う。それでは人間の特性の反芻効果を、みすみす捨てて仕舞う様な物で在りましょうや。

 塗りたくり、着飾りファション、アクセサリー満載の使い捨て物質文明にどっぷりと浸かって居ては、到底戯けには為れないのでありまするぞえ。

 従って、人間生まれて来た以上は、時に時代のアルバムに時間を割くのも、好かろうと云う物でありましょうかね。経験を記憶に留めて、反芻しなければ経験知も益してや経験値も有用な栄養素には為りませんわね。ギャハハ~。

 へへへ。本日も訳の分からない長駄文の館に足を止められて、お時間を取らせて仕舞いましたね。まぁ、これも<袖触れ合うも、他生の縁>との事で在りまするから、平にご容赦の程を。お付き合い、真に感謝感謝で在りまする。

         さてさて、続きの頁を捲ると致しましょうかね。


心何処ーショート ちょいと真面目に、
     ちょいと真面目に、頭の整理と洒落て来ますかね。(1/3/13)
 雪が降って居るでは無いか・・・玄関鳥が朝の催促をして居る。起きて、不凍栓を開いて来る。シャー無い・・・。最低限の掃除、小鳥の世話をして朝の賄い夫をする。作り置き食材を容器に補充して、雑煮を作る。テレビは何処に変えても、面白くない。手酌をして正月料理に箸を伸ばす。

 自室定位置でPCを開いて、酔いを一段落させて、空も晴れて来たから煙草買い方々、散歩に出掛ける。

 いやはや、寒いでガンス。嫌だと思えば引き返したくなる、此処はひたすら、自家発電である。薄っすらと残った雪の河川敷をテクテク歩く。雪が降ると、野鳥達の姿が多く見られる。先ずは、コサギにシラサギが水の中に、白い蓑笠の姿でじっとして居る。葦の刈り取られた河原には、キジバトが6羽も広がって餌を探して居る。其処へムクドリの一団が舞い降りる。身を丸めたモズが居る。

 空にはトンビが低く飛んで居る。流れの淀みにはカルガモが、二の四の六羽浮いて居る。空は南の二割程が明いて居るだけ、雪雲越しの太陽が鈍い光を見せて居る。南は鈍色の山容を繋げて中信平を沈ませて、西のアルプスの山容は全て灰色の中である。近望の東山系は、北の分厚い雪雲の下、寒々としたくすんだ山色を重ねて居る。

 正月三か日だけあって、静かな物である。それでも、散歩を日課として居る中高年者は居るものである。二人を見たが、いずれも中高年婦人であった。男共は炬燵でほろ酔い加減の億劫病に違いあるまい。こんな処が、長生き女に後れを取る<男の意志薄弱性>かも知れぬ。

 コンビニで煙草を買い、暇潰しに何か読んで見ようかと手に取る。太平洋戦争歴史検証物をパラパラと捲るが、読みたい気が起らずに劇画コーナーを探すと<劇画自民党総裁完結編>779頁物が在った。原作・戸川猪佐武、画・さいとう・たかおである。

 煙草カートンと分厚い劇画本をレジ袋に入れて、解れて来た体細胞のリクエストに応えて次の橋まで行き、其処でUターンして土手道の一本道を歩いて来る。

 再び白い物がチラチラ落ちて来た。欲を掻いて霞の方向に足を延ばさなくて正解と云う物である。へへへ。

 先日の終日の雨で水量を回復した流れの落ち込みには、水泡の白い勢いが小気味好く弾けて居る。薄っすらと雪を被った岩、落ち込みの飛沫が凍った様などの灰色のコントラストに、冬色を眺めて行く。運動体温で歩くには丁度良いが、さっと風が吹けば、毛糸の帽子の網目から寒さが肌を刺す始末である。

 土手沿いの小柿の枝には、黒い小粒の実が一杯に付いて居る。野鳥達は越冬の辛さを知っているから、未だ小柿の実は温存して居るのである。採る者の居ない柿の大木の熟柿と云うよりは、凍柿にはヒヨドリ、ムクドリ達が何羽も来て啄んで居る。厳しい冬の季節に成ると、野鳥達は群れる。キジバト、ムクドリ、カワラヒワ、スズメと其々は食べる餌の違いで、住み分けをしながら寒冬の飢えを凌いで居るのであろう。

 生き抜く知恵とは、大したものである。人間見たいに個利に走らない処が、凄い事なのであるが・・・毎日散歩して居る人間共の一体何%の者が、気付いて居るものやら。自然界見て、人間の原罪意識を持たねば為るまいに。

 歩く事は好い事である。五感から色々な物が脳裏を刺激するし、頭の中の引出しに溜まった断片達が、語り掛けて来たり、見たり読んだりした物が、頭の整理をして貰おうと頭をノックしても来る。
 ロートルとは、反芻動物の一面もある。日々接する情報と云っても、それは多かれ少なかれ、送り手のフィルターを通してもたらされる処の物である。それらを全部鵜呑みにしてしまえば、付和雷同のオウム人間でしか無く為って終う。それでは人間として生を受けて来た価値が半減してしまう。映画もドラマも、書物も絵画も、全ては個人からの発信である。

 他人のフィルターを辿れば、フィルターの縦横のフィルター網とて、己が五感と知識、其々の経験知と経験値から為る感想・疑問・問題提起・判断と為ろうか・・・そう考えれば、他者の表現とて然程の違いがある訳でも無し、また権威、有名、専門家、識者と云えども、悉(ことご)く全てが正しい訳でも無い。説得力・感動与力・影響力の全てが、正解に直決する訳でも無い事は、世の中には多々ある事である。

 人生総べからず・・・人生とは極論を言えば、全て己と歩む軌跡と云う事に為ろうか。TPOに際して、またTPOを考えて、感、勘の主観、理の客観のウエートを斟酌して、<己が満足の確保場所>を如何に得るかの問題なのかも知れぬでは無いか。

 オウム人間に成り下がってしまえば、其処には人間の落とし穴=<木を見て森を見ず、一書悉く信ずるは、書無きが如し。>に嵌まるだけの事である。市井の凡人としては、極力比較検討して見るしか、物事の妥当性は見えて来ないのである。高邁な真理哲学は凡人の手には負えない高嶺の極みではあるが、巧言令色、仁少なしで、世の見掛倒し、喰わせ者に騙されない経験知と経験値のフィルターを、自分自身の手で作って行くしか方途は無いのである。

 さてさて、家も近く成って来た事でもあるし、後は779頁とお付き合いをして見ましょうかね。へへへ。
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