旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 本日、シメとモズを見た為り。
           本日、シメとモズを見た為り。(11/30/12)
 空気の総入れ替えに、目覚めの一服を廊下の敷居に腰を下ろして庭を眺めて居ると、坊主に為った楓の木に、ズングリした中型の野鳥が飛んで来た。シルエットからすると嘴がずんぐりと太いシメの様である。角度を変えてその色合いで確かめたいのであるが、此方が下手に動くと逃げられて仕舞う。此処は辛抱、相手が動いて呉れるのを待つしか無い。

 矢張り、シメであった。灰褐色と茶の纏いに灰色の<メタリックな光沢のある太い嘴>である。シメより一回り大きな同形シルエットのイカルも冬に為ると、何度か吾が家の庭に飛来する。例年だと彼等の飛来は、寒冬期の盛りの時期なのであるが、こんなに早く姿を見せる事は珍しい。矢張り、今年の冬は例年と違った様相なのであろう。

 昨夕は、斜向かい吟さんが、白采を2玉差し入れに来て下さった。その話に依ると、今年は大根も、野沢菜も長かった熱暑で蒔き時を遅らせたら、それが裏目に出て不作に為って終ったとの事であった。
 昨日の個人スーパーでも、<兄さん、好い時に大根買って行って、得したね。今は、うんと高いよ。>との事であった。山は夏焼けの煽りを喰らって、早々に熊、鹿、猪、猿が人間界に出没しているのであるから、里も人間が感じている以上の地力衰弱を内包していたのであろう。

 この数日、暖かい朝であるから身体が楽である。午前中は概ねお天道さんの恵みは有るが、午後からは総じて曇天の低温傾向を続けている。玄関鳥に、<日光の恵みを>であるから、軒下に吊るして遣る。

 朝食後は、下降お天気さんを先取りして、散歩に出掛ける。ロートルの回復力が衰退して居る。漸く、散歩時の足の強張りが癒えて来た。

 午前中のお天道さんの輝きは影を潜めて、薄鼠色のお天気模様と為って終った。河川敷では葦の刈り取り工事が、大分下がって来て、ほぼ町内部分が綺麗さっぱりの状況にまで進んでいる。
 河川敷には狂い咲きのタンポポなどが在る物の、既に蝶の姿は無い。それでも、しぶとい赤トンボが、くすみにくすんだ形で飛んで居る。葦の刈り取られた川原には、モズが低い波状の短い飛びをして居る姿が2つ程見られた。

 風景、動きを眺めながら、打ち上げた呆け話の内容を反芻しながら、挿入文句などが頭の中で、活動したりもする。厚手のシャツに防寒チョッキ、毛糸の帽子に耳当て、軍手の出で立ちであるが、テクテク歩きの自力発熱は寒からず暑からずの外気温である。

 本日は街場に向かっての散歩運動をして来る。途中、河川敷のサツキ植栽ベルトの下に、瑞々しいハコベの群生が在ったから、玄関鳥へのお土産に、たっぷり採って来た次第である。私へのお土産は、ド助平文句の浮かびで在った。さてさて、忘れぬ内に、打ち足して置くと致そうか・・・

          明日からは、本年の最終月12月のスタートである。

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心何処ーショート 貧民の冬備えも、完了為り。 
           貧民の冬備えも、完了なり。(11/29/12)
 <夢奇譚第15部・慰労島にて>が、思いの外、スイスイ運んで11頁の完結に達した。後は、ボチボチ字数を足し引きしながら、挿し絵を数枚描けば何時でも投稿出来る。

 本日は、ダイコン干しの状況で、沢庵の漬け込みをする心算で在る。朝は暖かいお天道さんで、廊下で干しネットの干し柿を揉み揉みする。干しネットは見た処は好いが、サッシの網戸と同様に、意外と風が遮断されて終うから、軒下の吊るし柿の様には干しが回らないのである。

 朝の掃除、朝食を済ませて、玄関鳥を軒下の所定位置に吊るして、漬け物容器を車に載せて、先ずは米屋さんでタップリの米糠を頂戴して来る。それを家に置いて、ホームセンター、スーパーへ行く。コタツの上掛けとコタツ板の代用と為る物を物色して、寄せ木の板を買う。スーパーでは、粗塩、黄粉、調味料を買う。ナスの葉が無いから、今度は個人スーパーでそれと炒り糠を買って、大根漬けを開始する。

 庭の干し台の大根を廊下に取り入れて、干し台の片付けである。これで、庭もスペースを復活させて清々した。風呂は沸いて居るから、先に老母に入って貰う。

 先ずは、漬け物容器の片方に、糠・入り糠・刻み唐辛子、ナスの葉、ジョウゲン、黄粉、味の素、粗塩を入れて、両手で充分撹拌する。それが出来ると、もう一つの容器の底に混合糠を敷いて、しなしなに為った硬大根をぎっしり敷き詰めて行く。その上に粗塩をパラパラ塗し、再び混合糠を敷く。その上に、柿の皮を敷いて、大根を敷き詰めて行く。以下、その繰り返しで、容器一杯に満たす。

 完成した容器の重しは、二段に重ねるので、上段の容器全体が重し替わりと為る。下の容器は、漬かるのには時間を要すが、日持ちする硬大根である。上の段は、大きな柔らかいミヤシゲダイコン。ミヤシゲ大根は、漬かりは早いが、味は大味で有るから、地元の人間には評価の低い沢庵漬けである。

 上段のミヤシゲが食べ終わる頃に為ると、硬大根に漬かりが回って来る次第である。私は<お菜洗いが面倒>であるから、野沢菜はパスしている。野沢菜の替わりに白菜漬けをしている次第である。

 山国信州では白采→野沢菜→ミヤシゲ沢庵→硬大根沢庵と云った形で、長く寒い冬の漬け物として食卓を回して居るのが、一般的である。

 吊るし柿、冷凍柿、白菜漬け、沢庵漬けと、今年も貧民食卓の下支え準備も漸く完了して、漸く私も風呂に浸かれる次第である。

 いやはや、貧民最低限の冬備えも、実に手間の掛る物である。嗚呼、アッシャ、腰が痛いですわね。

 暖かいお天道さんの恵みでは在ったが、何時の間にか空は一面の灰色曇天の寒さと為って来た。やれやれ、暖かい内に作業が完了して、良かった。さて、お次は入浴と洗濯である。

心何処ーショート へへへ、久し振りの悪態漫談であった。
        へへへ、久し振りの悪態漫談であった。(11/28/12)
 昨夜は咳き込んで、途中で寝床から抜け出して風薬をゴクンと飲んで、朝を迎えた次第である。寝床の中の寒気は薄らいで居たから、一安心であった。

 さて、廊下の大根を干し台に並べると致そうか・・・今朝は、今シーズン最低気温(-4・7℃)との事である。温い寝床から外気に当たるのであるから、着替えに依る冷えに慣らす為に、廊下で一服付けてからにする。

 外の水が凍って居る。干し台のアルミのフレームは、フリーザーの様に白い霜が前面に漂着して居るでは無いか・・・ いやはや、とうとう信州の長い寒冬のお目見えである。

 ヨヨイのヨッ、ドッコラショツと、グスンのハクション。寒いじゃゴザンせんか。あい~。

 シナシナ冷たい大根を干し台に並べる。干しで大根の容量は1/4程は小さく為って居る。目一杯であった干し場面積は、斯様に目減りしている。楓の落ち葉も終局である。熊手で落ち葉を集めて、腐葉土にすべく掻き集めて置く。冷え込みは放射冷却の産物でもあるからして、無風のお天道さんの輝きが増して来る。

 一応、家の掃き掃除を終えて、玄関鳥の世話をする。抱卵し無い卵が藁巣の中に在るから、鳥籠を横にして藁巣の糞と一緒に出して居ると、餌入れの戸が開いて、スーとオスが逃げて終った。

 アジャジャ、またまた粗相を仕出かして仕舞った。俺って、馬鹿よね。お馬鹿さんよね。

 逃げ出したオスは、玄関横のドウダンツツジの下で、事情が解らずキョトンとして居る。傍らには、鳥籠が三つである。しめしめ、オスが鳥籠に止まった。然すれば鳥籠を玄関に入れて、誘導して見るか。鳥籠を中に入れると幸いにも、それに釣られて、オスも鳥籠の上に飛んで来た。『はい、御苦労さんでした。』と事無きを得た次第である。

 さてさて、好い日差しであるから、鳥籠を軒下に吊るして、健康生活をさせて遣る。食後は、ケアマネさん来宅の電話が入ったから、お待ちする。

 空気の入れ替わった四畳半定位置で、モーニングコーヒーを飲もうとしていると、ケアマネさんのご登場であった。先ずは老母の部屋に入って貰い、私は賄い夫へ移行である。軒下から、見栄えの良い処を三個外して、熟柿を三個水洗いして器に出す。続いてキュウリ、ナス、ダイコン、本ウリの漬け物を出して、女話の中に加わる。

「Hさんは、家庭じゃ主婦だから、お茶係を遣っておくれや。俺は廊下の日向ぼっこで、一服付けるわね。へへへ。」

 お安いご用とばかりに、ケアマネさんが、お茶を入れて下さる。彼女は、既に熟柿を食していた。

「この熟柿美味しい。こんな美味しい柿食べた事無いですよ。家でも柿を買って来て、吊るし柿遣ってるんですが、此処見たいに白い粉が噴かないんですよ。如何しても、青カビが出ちゃうんですよ。難しいですよ。一杯、手を掛けてるでしょ。」

「手なんか掛けて無いわね。雨の養生だけだけだよ。日光の当たり具合と風の具合だけだよ。俺が作ってる訳じゃ無いせ。環境が作ってるだけだと思うよ。でもねぇ、これが中々の高評価でさ。お褒めを頂戴するから、<豚も煽てりゃ、木に登る>って例えさね。
 俺ぁ、自惚れが強いから、混じり気無しのピュア・オール・ハンドメイド・ナチュラルスゥィーツって自慢してるんだわさ。アハハ。」

「本当。此処の柿、吊るし柿食べたら、他の物なんか食べれないですからね。ほら、良く言う様に、<高級和菓子の趣>が有りますからね。男の人なのに、感心しちゃう。」

 続いて、無罪放免と為った冬の白骨温泉の露天風呂改修工事の報告に及ぶと、Hのケラケラ笑いの合いの手で、自作自演の笑劇場が沸騰して終った。

「俺が餓鬼の頃はさ、丸山明宏なんてのが歌う<ヨイトマケの唄>が流れて居たんだけどさ。敗戦占領後のインフラ再生の失対事業が盛んでさ。日当ニコヨンの254円の土方仕事が、そこいら中に在った物さね。増してや、時代が時代だったから、戦争未亡人の双肩に家庭の稼ぎが圧し掛かって居たんだわさ。

 今時のファション見せパン、アクセサリーチャラチャラのフリーセックスご時世で、女共の武器は、足の付け根なんて上長三昧でさね。過保護に突っ張りの甘やかされ放題。自己主張ばっかりでさ。家庭の崩壊まで、自己責任放棄の社会問題に棚上げしちゃってさ。専門家・識者・コメンテーター様のご解説と来た日にぁ、女ニコヨンなんて人は居無く成っちゃったんだけどさ。

 そんなに男女平等、同権をホザきたきゃ~、白骨のお山で、雪中・雨中のパンツまでビショ濡れの肉体労働させなきゃ、碌な女にぁ為れんぜや。」

「ヤダ~。そんな過酷な重労働なんか、女のか弱い身じゃ、無理無理。Rさん見たいに、逞しい肉体持って居ないと無理ですよ。」

「冗談こいちゃ、行けねぇわね。あい~。今時の女族は、歴女に山ガールってぇのが、巷に溢れ返ってるんだぜ。高齢女だって、万里の長城・雪中行脚までしちゃうんだよ。アルプス登山をこなす熟女が五万と居るんだから、女族を甘やかしたら、亡国道一直線だわさ。

 妙義山赤軍派の人殺し粛清女の永田某女、尼崎の死体遺棄・監禁殺人鬼の角田某女なんて異常者を内包してるのが、女族の陰の部分でしょうが。

 人間、外面化粧に騙されちゃ駄目さや~。女だからと、手抜き・油断こいてたら、男は、殺されてドラム缶のコンクリート詰めされて殺されちゃうんだよ。女は保護の対象なんて、自己宣伝の女族の口車に嵌ったら、男女平等・同権の理想郷は崩壊しちゃいまするがな。

 相手が相手なら、手加減無用で、白骨温泉の雪中・雨中肉体重労働の先頭に立って貰うのは、<論理的帰結>ってもんせ。四の五の言う時にぁ、言に勝る調教具を出して、即赤鞭、黒鞭で引っ叩きぁ、男以上に立派な仕事をするものさね。女には瞬発力は無くても、男に伍する持続力が備わって居るんですがな。

 上杉鷹山公の<成せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは、人の為さぬ成りけり。>って、歴女ガールが偉そうに言ってるでしょに。それに山ガール、百姓ガールが、自然回帰論を提唱して、実行してるズライ。女族だけがシベリア懲役拒否じぁ、天下の法が片手落ちだんね。

 歴史に関心の無いインテリ女史様だったら、経済用語にぁ強いずらい。経済用語だったら、埋没原価なんて言葉も在るし、政治用語だったら、霞が関埋蔵金なんて言葉も流行ったものだわさ。

 言葉を幾ら個別に理解して見ても、応用思考の出来無い<飛んでも鉢巻者>が、娑婆を跋扈し過ぎてるから、人間力が衰退して行くんでしょうが。あい~のギャハハ~ってな物さね。」

「キァ~、Rさん、そりゃ~、女二人を前に、ちょっと言い過ぎですよ。よっぽど、女に酷い目に遭わされたんでしょう。可哀想に大トラウマですよ。お祓いして貰いなさいよ。ああ、面白過ぎ、お腹痛~い。」

「あいあい、ご明察!! 俺ぁ、昔人間だから、金色夜叉の貫一、お宮の執念さね。如何だい。口じゃ敵わねぇズラ。男も女も人間と名が付く以上、真実一路、誠実一路が<人間の道>だんね。イッヒッヒ!!」

「お婆ちゃん、何時も、Rさんは、こうなんですか。面白過ぎ!! これじゃ、デイサービスは不要だわ。」

「そうそう、この子は、物知りで話が上手だから、何時も勉強させて貰ってるんですよ。私は無学だから、話に付いて行け無くてね。好い息子を授かって、私は感謝してますよ。」

 さてさて、書類に代筆して、柿三昧の締め括りに、冷凍柿を二個取り出して、お茶請けに出した物をビニール袋に入れて、お持ち帰り頂く。

「えぇ、こんなに頂いて良いんですか?」

「へへへ、気難しい糞婆っさの気持ちを、此処まで<解凍>して呉れたHさんだもの。倅として感謝感謝の一語せ。婆さんお気に入りのH大明神様だぜね。イッヒッヒ~。」

 玄関までお見送りをして、風の出て来た外模様に軒下の鳥籠を、廊下の戸越しの特等席に移す。さてさて、夢奇譚の頁数を稼いで置くと致そうか。

心何処ーショート お天道さんに、南天の赤実は輝けり。
          お天道さんに、南天の赤実は輝けり。(11/27/12)
 朝日の到来であった。吊るし柿、大根の雨覆いを外す。大根はシナシナに為って来て居る。今週一杯干せば、漬け込めが出来そうである。ゴミ出しに行くと、西向かいのオバサンが余所行きの格好で、杖を突いてディサービスのお迎えを待って居る。

「寒いねぇ~。とうとう冬に成っちゃったねぇ。」と声を掛けると、
「ほんとほんと、もう、嫌だねぇ。」と寒そうな顔で応える。

 玄関鳥の世話をして、空気は寒いがお天道さんのお越しであるから、軒下に吊るして遣ろうとして居ると、斜向かいさんの奥さんの声である。

「姐さん、未だ9時前だよ。風邪引いちゃうよ。家の中に入り~。」

 へへへ、如何やら、西向かいさんは、時間を間違えて終っていたらしい。さてさて、11月も早や27日である。ケアマネさんの訪問があるから、掃除をして置けと言い遣っていたから、朝食前に全体掃除をして置くとするか。

 掃除を済ませて、朝食である。昨日は、ハンディ電気ヒーターをコタツに入れて見た処、大ヒットであった。笑って終うほどの使い勝手の好さであった。そんな事で夢奇譚の方も、4頁まで進んだ次第である。

 食後のお茶に煙草を吹かして居ると、何だい、何だい、曇って来た。軒下の玄関鳥達は、寒そうに全身を丸めて居る。寒そうであるから、再び定位置の玄関に移動させる。

 さて、私も毛糸の帽子に耳当てをする。四畳半定位置でブログ日誌を打ち上げて、二畳小部屋の物語の続きを打つべしである。

   熱々のアメリカンにウィスキーを落して、PCを立ち上げて居ると、
「こんにちは~。ヤクルトで~す。」の声である。「はいはい、少々お待ちを~。」

「わぁ~、Rさん、重装備じゃないですか。耳当て、可愛いですよ~。アハハ。」

「あいあい、これが、還暦のっ越しの爺っさまの冬の普段着だぜね。嗚呼、カッコ付けてるから、えらい寒そうじゃないかい? 女族は年齢無制限のブリッコ根性だから、風邪引かなんどくれ。そうだ。風邪予防に、吊るし柿の味見して見るかい?」

   軒下から一つを外して来て、はぁ~と大袈裟に息を掛けて進呈する。

「食べ頃が、好いですね。未だ早いですよ。」

 しなしなピンクの吊るし柿を手に、じっくりと眺めるヤクルトママさんである。

「でも、白い粉が回って来てますね。どれどれ、今年のお味は・・・ あっ、未だ中は、柔らかいですけど、甘~い。やっぱり、此処の干し柿が絶品の味で~す。食べ頃まで、もう少しですね。期待してま~す。」

「へへ、好いズラ。最初から最後まで、お天道さんの恵み物だ~。100%オール・プュアのナチュラル・スゥィーツだもんな。女族の化け顔と俺様のプュア・ハンサム程の差が在るわいね。ギャハハ!!」

「う~ん、痛い物言いですが、さすが~、座布団2枚!! 風邪引かないで、じぁ、また来週来ま~す。バイバイ~。」

      さてと。仕切り直しで、本日分を打って置きましょうかね。

 打ち上げると、空は一面の青空である。何と色鮮やかなる南天の赤い実である事か。然すれば、再度のお天道さん当てで二畳小部屋に遠征すると致そうか。何は無くとも、お天道さんの輝きである。


心何処ーショート 降り頻る雨の月曜日なり。
           降り頻る雨の月曜日なり。(11/26/12)
      ナヌ・・・雨では無いか!! 9時過ぎの予報であったのに~。

 唯今、吊るし柿、大根干しの最中であるから、慌てて雨除けの一幕で本日の朝が始まった。おのれ、貴重な熟睡時間を奪われて、ヌクヌク布団からの一仕事であった。朝食時には些か寒気がするから、風呂に入って温まった後に、風薬を飲むと致そうか。

 本日は灯油買い、煙草買い方々、二畳小部屋にコタツでも買って来て、<椅子から座りへのPC打ち>の態勢を整え様と考えて居たのであるが、これは本格的な雨日の様相である。やれやれの段である。

 昨夜はする事も無いから、貧民の工夫で掘りコタツの台を持って来て、湯たんぽコタツをして見た。私はコタツが在ると、生来の物臭性質であるから、如何しても温いコタツで<コタツ亀>を仕出かして仕舞う。挙句の果てが、転寝の大鼾に移行して終う。そんな面目次第の無い生物であるから、私は『痩せ我慢の机派』を励行している次第なのである。

 何かをする場合は『足温頭寒の喩え』で、コタツで暖を取る気持ちが無いから、<頭の喝入れ>で過ごす。然しながら、寒く為ると日本人は、机姿が自棄に寒々と感じられて来る物である。昔人間世代には座る生活が馴染んで居るから、椅子から下に座りたいのが実感覚なのである。

 それでも二畳は真に狭いから、コタツの持ち込みは、閉塞感が出て来て終う。それに、掃除が面倒である。そんな事で、今までは小型の灯油ストーブの世話に為って居た次第である。

 深夜の自室コタツも熱く為れば、小まめに切ったり付けたりを繰り返して居る。私の場合、足温をするだけで充分なのであるから、物は試しと<湯たんぽコタツ>を思い立って、試した次第なのである。昨夜は薄い掛け物をして試したのだが、判定に窮する段階で在った。それでも、コタツの上でPC打ちが出来るのは、有難い結果であった。へへへ。

 本日は湯たんぽの湯を入れ替えて、厚手の毛布を掛けて、その効果の程を確かめる心算である。私としては、座れて足元にさえ温かみが在れば、それ以上の期待は湧かない。二畳小部屋では庭の一部始終が見えるから、四畳半に居るよりはズーと目の保養と為る。

 毛布を掛けて見ると、毛布の長手の丈が矢張り手狭感である。本格的にコタツを持ち込めば、全体バランスとして、ティーテーブルを出さなければ、収まりが付かなく為る。いやはや、買わずして正解の様である。

 お天気さん次第では、ディスクPCをコタツ、テーブルの上に置いて打つ方が、使い勝手が良い。従って、コタツ購入は、この時点であっさり没とした次第である。灯油をストーブのカートリッジに補給して、何も雨日に出掛ける事も無かろうと、パスを決め込む。

 四畳半定位置で、本日分のブログ日誌を打ち上げた後は、二畳小部屋の旧PCで夢奇譚の続きを打ちながら、終日の雨模様を眺めて過ごすも好かろう。毎日が日曜日のお役御免のロートル生活とは、軟体生物のアメーバーに徹して、お天道さん如何んに従って、息を潜めて<最低限の伸縮自在の省エネ生活>をするのが、身の丈と云った物なのであろう。イッヒッヒ~。

 さてさて、老母様の風呂上がりであるから、長靴を履いて、浴槽洗いをしてマイタイムと致そうか。


心何処ーショート 嗚呼、癪の種ですかいね。
              嗚呼、癪の種ですかいね。(11/25/12)
 明るさに目を覚ます。昨夜はお寒い限りで、早々にコタツ部屋に撤退した次第である。寝間と為って居る八畳にはPCが無いから、久し振りに万年筆で夢物語を描き始めて居た次第である。さてさて、廊下に取り入れた大根を庭の干し台に並べなければ為らない。

 1/3ほどにシナシナが回って来た。後2週間程は、干さなければ為らないだろう。氷点下に為らない限り、外へ出し放しで良いのであるが、凍み込んで仕舞うと素が入って終う。<仕事見れば、人間の質が見えて来る。> そんな日にぁ、管理不届きの誹りを頂戴して仕舞うのである。従って、毎日が日曜日のロートル管理人としては、面目次第も無い処なのである。

 現役時代には品質管理課に籍を置いて居た事が在る。<品質とは各工程の管理の成果物・総合物である。>なんて偉そうな事を言って居た手前、沢庵漬け第一工程の大根の甘味を引き出す干し工程に於いての物臭で在っては、吾が身は好い加減男に凋落して仕舞う次第なのである。

 本日は、雲一つ無い快晴である。吊るし柿の粉が回り始めると、粉は一気にその勢いを増す。吊るし柿の方は、今週一杯位で完成の運びと為ろう。老母の動きは未だであるから、玄関鳥の世話をして、朝の賄い夫である。さてさて、台所の洗い物を済ませて、中途半端な冷や飯を如何に成敗すべしや・・・と思案する。

 男賄い夫は言って見れば、<負けて覚える相撲かな>でもあり、<試して合点>の結果オーライの積み重ねに似ている。大粒小豆の炊いた物が在るから、それをスプーンで掬って、冷や飯をコトことオジヤ風に煮て見た。

「ほい、婆さん。残り物整理だから、文句を言っちゃ罰が当たるぜや。黙って協力して呉れよ。」

 アハハ、食して見ると、これは立派な赤飯風に仕上がっていたから、広い物をした次第である。これを称して、<貧意通天>と言うべき物であろう。

 縁側廊下は、好い日当たりであるから、焦げ付いた手鍋の焦げをステンレスタワシで磨くと、粗方、焦げ付きが取れた。食の細い老母との食生活であるから、手鍋は何かと重宝な容量器具と為って居る。捨て置けばゴミ、工夫すれば現役である。百日紅の枝払いの中から適当な枝を見繕って、小刀で柄を作る。

 アジャジャ、如何した?・・・ 為るほど・・・ さて、如何する・・・ ノコで切り込みを入れて、トンカチで叩き込めば良かろう。

    如何じゃい!! 俺ぁ大知恵は皆無だけど、小知恵は有るんじゃい。

 さてさて、お次は親離れ、子離れをさせて遣ると致そうか。親子関係は相変わらず良好では在るが、白メスは再び藁巣に入り始めている。若鳥達の為に一周り大きな追い込み籠として買って来た鳥籠は、廊下で埃を溜めて居る。

 若鳥三羽を新籠に移して、親番いの鳥籠を風呂場で洗い清めて遣る。広々とした新居に移って、若鳥三羽は活発に飛び回っている。再び夫婦籠と為った籠は、まぁまぁのスペースである。不思議な事に、若鳥達も親も何事も無かった様な落ち着き様である。

 こんな処が、生物界には安易為る過剰擬人化が、働かない面白さなのである。

 本日、日曜日。NHKでは大枠の日曜政党討論を遣って居る。NHKさんも大変である。これ程の微党乱立を予想だにし無かったのであろうから、巨大な楕円の円卓放送である。一体、何党為りやと政党数を数え様とするのであるが、<画面に収まり切らない>から笑止千万な沙汰である。

 凡そ、人間の感じる事、考える事をグルーピングすれば、精々が○、×、△と云った処でしか在るまい。国難に大同団結して事に当たると言いはするが、このザマは何たる体たらくか。

 戦後国柄解体の67年の無責任個性の時代とは言いながらも、国会議員の先生達も少しは真面目に『頭の整理』を為されませや。国民有権者を蔑(ないがしろ)にした微党乱立など、国民が望んで居ると思って居るのかである。<○×△の頭の整理すら出来無い連中>が、政治個性を力んだ処で、大同団結して国難に際して日本丸の舵取りなど出来る筈も無かろう。一国の舵取りとは、最重要の政治家任務でありましょうぞ。

 好い歳かっぱらって、国費でヌクヌク保身三昧。一体、何を考えとるんじゃい!!

 駄々っ子が、親に拗ねて背いたり、勘当されたからと言って、その腹癒せに細かい事で、ああだ、こうだと挙げ連ねて居るだけ。正にそんな政治光景にしか映らないのは、如何したものか。

 疲弊し切った日本国に、<微糖缶コーヒーの摂取>だけで国家のエネルギー源の糖質が賄い切れる筈は無かろう。ドカンと大匙に盛った砂糖を投入して速攻性・効率の好いエネルギー源としなければ為らない淵にまで、日本国家の社会と国力は疲弊して居るのであろうが。

 少しは金華鳥ファミリーの親離れ、子離れの見事さに襟を正しませれや。機熟せば、一人立ちして自然の理の中に生きるのが、生物界の掟でゴザンスわね。

 阿保らしい。この歳で脳軟化症に為るのも癪の種である。昼散歩に行って参りまする。へへへ。


心何処ーショート 相手には、ひと月早い福袋???
           相手には、ひと月早い福袋???(11/24/12)
 投稿記事を打ち上げて、絵のアップロードをしようとして居ると、倅ファミリーの訪問であった。孫はジィジと言って、頗る相想のテンコ盛り状態である。老母の部屋に行って貰い、その間に吾がコタツの上を片付けて、灯油ストーブに火を着ける。昼飯はと聞くと、未だとの事であるから、スーパーまで昼食を買いに行って来る。

 買って来た物をコタツの上に並べ、漬け物、汁を作る。部屋の温まった処で、部屋を移動して貰う。老母様は、『待ち人来たる』で大ハシャギの態である。満腹感に、コタツの上を片付けて、家族団欒の場である。ジィジ、ジィジでトコトコ後追いして呉れるのは、私としては嬉しい限りであるが、外を指さしてもジィジを連発されて仕舞っては、有難味に欠ける。

                  この馬鹿モンがぁ~!! 

 風邪を引いて居ると言う倅は、風薬を飲んでコタツで一寝入りした後は、嫁さんと孫は老母の部屋で、一時を孫との昼寝である。その間に、私と倅は、男同士の親子話である。

 倅には自家製漬け物、嫁さんの実家の方は、お袋さんが干し柿好き、妹さんは熟柿好きと云うから、何時も貰い放しの穴埋めに、吊るし柿、熟柿、冷凍柿を持って行って貰う。
 別荘地地帯の松林の中の住宅地であるから、二階のベランダに柿を吊るして置くと、お猿さんが来て、皆食べて行って終うとの事である。

 明けて、本日。枝に残った甘柿を採って、序でであるから高枝鋏で伸びた庭木の散髪をする。玄関鳥も、本日は軒下に吊るして日光浴である。

 さて、本日は2週間振りのTとのコーヒータイムである。昨夜から自然解凍して置いた冷凍柿をコーヒーデザートにするとして、熟柿、甘柿を袋に入れて置く。

「ほい、ナチュラル・スウィーツだぜや。貰うのも、浮世の義理だぜや。へへへ。」
「あいあい、何時も、アリガトさんね。遣るも親切。貰うも親切だぜな。」
「やいやい、巧い事を言うもんだ。そのフレーズ、貰っとくわさ。」

「あら、お久し振り。」
「あいあい、婦女暴行未遂でせ。冬の白骨温泉で、2週間のシベリア懲役労働して来たんだわさ。はい、これ夢奇譚の最新作だぜ。持って来たぜね。へへへ。」
「有難うございます。後で、前の文作お返しに伺いますから、ごゆっくりどうぞ。」

 スタバの二階席は、女性客が多かった。それでも、久し振りに壁際席に座る事が出来た。

「如何だい? 冷凍柿のお味は? なぁ、渋が抜けてるだろう。」
「おう、本当だ。冷凍して解凍するだけで、渋が抜けるんだな。知らなんだ。これだと、手間が省けるな。ほぅ~。美味いわ。」

「へへ、ナチュラル・スウィーツだからな。この際だ。甘柿、冷凍柿、熟柿、吊るし柿と、レパートリーを広げて呉れや。冷凍柿だったら、冷凍保存出来るから、俺も楽で好いわさ。来年は、たんと冷凍庫に保存しとけや。あい~。」

    酒飲みのTが、意外や、意外で柿が好物であったとは驚きであった。

  当然に本日のスタバトークは、雪中、雨中シベリア重労働の話が主体であった。

「そう云えばさ。シベリア抑留の本を読んで居たんだけど、読むか?」

「冗談じゃ無ぇや。山中での雪中、雨中重労働は、もう沢山だぜや。シベリア抑留小説なら、有名なハバロスク事件なんて個所も在ったろう。俺ぁロシア・ウーマンは、好物だけどさ。何しろ、火事場泥棒・日露戦争の怨念露助は性質が悪い。あの野郎共は、農奴制の連中だから、勝ったと為りぁトコトン『人非人の悪行三昧』よ。共産主義の本質を突いた映画なら、ハリウッドの<ドクトル・ジゴバ>、日本なら<人間の証明>だわさ。

 俺は、小説の類は読まないけど、歴史エピソードは、それなりに頭の引き出しに貯め込んで居るから、パスパス。小説は面白いけど、時間を取られて終うし、俺は単純馬鹿だから、直ぐ感化されて仕舞う。そんな事したら、俺流儀の文章が打てなく為っちゃうしな。従って、俺には小説は鬼門中の鬼門さね。ギャハハ!!

 世間体に云えばさ。ガリ勉優等生の継ぎ張りレポート見たいな形に成って、碌な文章・文体には為らんわね。<知識は万人の共有物>だけど、結果は本日の一枚同様に、10人10色の『色色鉛筆』さね。分析・感想は自語・自分体で表現するのが、個性って物ズライよ。そうで無きゃ、世の中は面白くは無ぇわさ。あい~。

 一回、頭の引き出しに入れてさ、適当に忘却が進んで、風化して来る頃に、自分の組立・味付けで、自分の文体で自由自在に組み立て直すのが、俺の性に合ってるってもんさね。へへへ。我流だけが、俺の文作の推進力だぜね。」

「おぉっ、悪天候・酷寒のシベリア懲役後でも、それだけ喋れりゃ、凍傷・アカギレの後遺症は無ぇって事だいな。イヒヒ。」

「この野郎が~、一本取られちまったがね。スパンと面喰らって、俺ぁ、口じゃ敵わ無ぇやね。あい~。」

 外でのパッパタイム後は、些か懐が温まって居るから、衣類、革ベルト、コンパクトクロックなどを買って、スーパーの出入口の陰に何時もの様に一時置きして、食材を買って出て来ると、無くなって居る。此処は日本であるから、落とし物として届けられて居るのかなと思って、店員さんに聞くと無いとの事である。

 へへへ、置き引きに遭った様である。貧民が思わぬ<臨時収入>を得ると、得てしてこんな物である。ニャロメ~、4000円の損害である。再び、ホームセンターに逆戻りである。

とほほ・・・二度目の買い物は、途端に財布の紐がギューと萎んで仕舞った次第である。

 Tとボヤキながら、車に向かう。海外旅行の空港ロビーなどでは、見るからに胡散臭い輩がウロウロして居る。置き引きを職業としている輩も居るのだろうが・・・ 謹厳実直の吾が祖国・日本ではあるが、引き続く経済混迷の不景気のご時世である。不審物にスイッと手が伸びる社会要因も在るのだろう。

<年始の福袋>見たいな物で、中に何が入って居るかも知らず、開けて点検の沙汰であろうか?? はたまた、置き引きのコツは、先ずはさり気無く、スィッと手を伸ばしてゲットして、スタコラ遁ズラするのが常道なのであろう。いやはや、困ったご時世である。とほほ・・・。


心何処ーショート 本日、勤労感謝日なり。
             本日、勤労感謝の日為り。(11/23/12)
 昨夜は、寒かった。ファンヒーターを置いて居るのであるが、何しろ四畳半は小部屋である。着ければ暑いし、切れば寒い。寝間のコタツに移る。日常生活に戻ったのであるから、時間潰しに戯け画でも描いて就寝とするか・・・である。

 然りとて、差し当たっては描く程の対象が浮かんで来ない。絵描きでは無いのだから、悪戯描きで好いのである。そんな事で、一枚描いた次第である。

 本日は雨との事であったから、老母に急かされて夕食後は、吊るし柿と大根にビニールを掛けて置いた。6時前後に目が覚めて、廊下から外を見ると未だ降って居なかった。二度寝をして、ラジオのビジネス展望で眠りから覚めて、ラジオに耳を傾ける。寺島実男さんの話で在った。新指導者習近平、オバマの米中関係の読みであった。

 今度目覚めた時には、雨が大人しく降って居た。倅ファミリーが来ると言うから、布団を上げて掃除を始める。久し振りに掃除を各部屋に掛けて回り、台所のガスコンロの油汚れも落とす。風呂に火を付けて、月に一度の見栄張りでもある。

 一つを綺麗にすれば、その比較で次の汚れ、汚ならしさが浮き上がって来る。いやはや、結構な時間を要すものである。然りとて、女と違って男と云う生き物は、こんな事が無い限り、掃除は苦手の無頓着傾向に在る。従って、掃除の誘因が訪れた折には、日頃の物臭を恥じて、精を出すのが当たり前と云う事なのであろう。

 とほほ、すっかり朝食が遅れてしまった。朝食後は風呂に入り、洗濯機を回す。

 老母殿は風呂に入る体力が有るかな?と思いながらも、声を掛けると入ると言う。何だかんだと云って、年寄りとは気難しい物である。幸か不幸か、先日の私の老母への手厳しいお説教に泣いて居た行は、投稿不能の段で在ったのだが、・・・ 兎角、女族と云う生き物は、根に持つ性向が顕著である。
 気分解しに2日を要し、多分その伏線故に薬を飲んで居なかった老母を諭して、薬を飲ませる事にして2日である。心臓機能は1/3にして、高血圧である。薬の助成に依って、辛うじて体調を維持して居る次第なのである。

 倅の存在は、老母としては何よりの百薬の長にして、気分のカンフル剤なのである。昨日は動けぬ身体で倅ファミリーの為に、長い時間を掛けて自室の掃除をして、本日は身綺麗で居たいの気持ちが働いて、入浴行動と為ったのであろう。

 まぁ、デカイ声じゃ言えませんが、私は相当に出来の好いタヌキであるから、その辺りの心理を読んで、無言の誘導させて居るんですがね。ギャハハ~!!

 ズボラ男が賄い夫に転じて、マメ男に変身したのか? はたまた能ある豚は臍を隠して居たのか? 往生際を悟っての倅の諦観行動と云うべきか? 吾が家の同居人の小動物達も、その余波を得て好い暮らしが出来るのであるから、正に果報者と云うべきである。

 さてさて、二人の子供達の倅、娘の何れに吾が遺伝子が色濃く印されて居るかは、これまたお天道様のみ知る処である。

      おやおや、老母様、待望の倅ファミリーのご登来である。



           さて、久々の本日の一枚で在りまする。

                    <色々鉛筆>
                    色々



心何処ーショート 本日も好天為り。
              本日も、好天気為り。(11/22/12)
 奇妙な事もあるもので、昨日は、一昨日のブログ投稿日誌に肝心要の部分が貼り付けられて居なかった。従って、文章が尻切れトンボで終わって居るでは無いか・・・

 最初は、私もモーロクして仕舞い、ドラックが最後まで行って居なかったと反省して、ドキュメント内のその不足部分をドラックしてブログに張り付けて、投稿するも何度繰り返しても、矢張り同じ箇所で途切れてしまうのである。そんな事で投稿は不首尾に終わって終った次第である。コンニャローメ!!

 本日も、好いお天気さんである。気温も昨日よりも4℃前後上昇するとの事であるから、有難い。昨夜はお互いの好物ドラマ<相棒>が有ったから、温い炬燵で熟柿の甘い汁啜りながら観て居た。複製指紋を使った犯行は、007シリーズのサンダーボール作戦に出て来た複製指紋、複製網膜紋を連想させる。従って、つくづくと映画・ドラマの世界とは追随・被せ思考の文化と云った様な物である。

 日常生活に戻り、老母との食事風景は傑作である。たどたどしい箸使いに、欲しいオカズを箸に取って遣ると、チョコンと飯茶碗を出して<悪いねぇ>と頭を下げる。食後のお茶入れは、老母の仕事である。おお、手元が狂って溢して居る。はいはい、良いでガンすよ。拭くのは俺の仕事ですがな。

         食後のテレビでは、外来種の毒クモのお話である。

 あれまぁ、今頃、気付いたんですかね。左様でゴザンすよ。兎角、外来種は悪さをする物でありまする。人間とて、兎角、外来種は既存生態(既存社会=国柄)に悪さを仕出かすものであるからして、本当は外来種を扱うと同様に<駆除の対象>としなければ為らないのに、日本は如何云う訳か脇が甘過ぎる。

 人間種を何故に殊更『特別視』しなければ為らないのか? 私は近代西洋の自然科学には疑問視を感じざるを得ない処でもある。人間種とて、生物界の一種である。自然界種である以上は、東洋風に<森羅万象の理>観から自然科学観視すれば、然程の選択に於ける齟齬は生じないで済むのでは無いか。種の保護とは、所詮、混淆・駆逐を避ける為には駆除の対象とすべき物も有ろう。

 昨今の余りにも自然観から遠ざかって終った自然科学観は、人間主導の理に走る。その積み重ねが反省を忘れて、底の浅過ぎる机上理性への偏重沙汰である。所詮、人間など幾ら偉ぶった処で、<人間の行動原理は自己満足への行進・更新>でしか在るまいに。自己満足の載る天秤棒の一方には感情が、他方には理性がブル下がって居るだけで、個々の選択行動には、その時々の感と理のウエート位置を変える事で、感と理のバランスを採って居るに過ぎまい。
 唯、一方の理には、経済側面が過剰に為り、国境を飛び越して憚らない利のウェートが高くなり過ぎたが為に、事に至っては感情セーブが利かなく為っているのである。

 昔の天秤計りは、置き皿、軽量棒、重りから成る一直線の形状で良かったのであるが、時代が複雑に為り過ぎて、今や感情、理性、損得の利の三方の天秤であるから、天秤の平衡が安定せずに、『重さの価値』を計れないと云った混沌・無様な世相を露見して居るのであろう。

 それが証拠に、民主党政権の立役者の鳩さんの空中分解振りが、その経緯を示して居るでは無いか。弱者への愛を提唱して、東シナ海を友愛の海へ、日本国土を日本人だけの物に非ずと異文化への博愛思想を連呼提唱して、顰蹙を喰らった。
 沖縄米軍基地問題での理想国外、最低でも県外へ、土壇場では、腹案在り!!の大見えを切っては見たが、外交音痴のお坊ちゃまが知った物は、<四面楚歌の総理降番>でしか無かった。そして、次は政界引退宣言。そして、引退宣言撤回、鳩前総理と菅無理総理同士のペテン師呼ばわり合戦。お坊ちゃまと全学連第四列のゲバ学生の応酬は、真に汚らしい落書きでしか無かった。

 そんな紆余曲折の南米大蛇アナコンダの様な<日本政界の大蛇行>は在った物の・・・水は高き所から低き所に向かって流れるの森羅万象の理に従って、如何な宇宙人・ルーピー総理と云っても、森羅万象の引力法則によって、大蛇行の衰行(水行)も、年貢の収め時で、目出度く<引退の大海>に呑まれたと云うのが、自然科学の実証だったのでは無いだろうか。

  これらを称して、大山鳴動して宇宙人一匹と云うしかあるまい。イッヒッヒ!!

 民主党政権三代の総理も、代を追って酷く為った。自分は王冠のカンムリと威勢を張った処で、世間体からしたら菅無理総理でしか無かった。彼の武器は、苛菅のドヤシ挙げのバリアを張る事で、逃げ菅を押し通す。
次いで、党内、第6クラスのドジョウ総理は、とうとうあろう事か、言語明瞭だけの『気合い見せ』にだけ終始する街頭演説を国会論戦に持ち込んでしまった<自己陶酔型>のご仁であった。

 居合い抜きの演武には、気合いは確かに必要不可欠には違い無かろうが、気合い以上に間合いが必須の要件で在りましょうや。

 事此処に至って、漸くの近い内解散の実行の火蓋が切られた。然しながら、選挙前哨戦の蓋を開ければ、何と何と微党乱立の理性為らぬ損得勘定の<個利個略の利性への突っ張り状況>である。

 私は高等数学赤点にして、経済原論不可の劣等生であるから、とんと現代グローバル=アメリカ資本システムの高邁なる経済理論など一切理解は不可能である。精ぜいの処が、自然観望から見えて来る<水は高き所から、低きに流れる。天秤に依る中庸の安定感>位しか、物の見方、考え方しか出来ない低能の性質である。

 従って『以心伝心』と云う言葉こそ、私の様な物臭者には<お誂え向きの言葉>は無い。以心伝心の伝わらない人間の関わり合いは、きっと何処かで間違って居るのであろう。
 言葉は本来が、お互いの心と意志(意志で在って、個別諸々の意思では在りませんぞよ。)を伝え合ってお互いを理解する原初的道具で在った筈である。
 お互いが異心過ぎては、言葉は伝わらず、言葉を多投すればするほどに言葉は虚飾に向かい心から離れて、テクニックを弄する道具に成り下がる。心の乖離が、不毛の疑心暗鬼に向かう。

 以心伝心を通じ合わせるには、同心円の世界の構築しか有るまい。異心円で在っては、波頭逆巻く損得勘定の利の世界でしかあるまい。世界の珊瑚島を見て見為され。ダークブルーの外洋とエメラルドグリーンのたおやか為る内海の境には、白い波頭逆巻く異波の砦がグルリと築かれて居るでしょうに。
へへへ、現代は、難し過ぎる世相では在りまするが、此処いら辺で、思い切って人間性の揺り戻しの段階に来て居るんでしょうね。

 今流行りの維新とは、異心連合の地方主権・道州制・TPP賛成の既成社会からの<ご一新>の様である。維新とは、温故知新と同語らしいですよ。理から利に偏重してしまうと、とんでもない現代解釈語に成って終う様でも在りまする。

 へへへ、世に見掛倒し、喰わせ者の輩多しの倣い在り。各々方、ご用心召されよ。

            さて、散歩の時間でありまする。

心何処ーショート 日常ペースに、ソフトランディング中為り。
       日常ペースに、ソフトランディング中為り。(11/21/12)
 朝飯が中途半端であるから、カツオ缶で出汁を取ってゴボウ、ナメコ、ネギで雑煮を作る。雑煮は老母の好物であるから、食も進むだろう。切り餅は二つ入れて遣る。昨日した白蕪の浅漬けも、柔らかく仄かに甘い。浅漬けの半分は煮イカとワカメを加えて、甘酢漬けを仕込んで置く。

 へへへ。老母は熱い、熱いと云いながらも、口に合った様でペロリと食べてしまった。外は曇り空の時々のお天道さんの顔出しであるが、些か寒かろうが玄関の薄暗さよりはマシであろう。軒下に吊るして遣ると、金華鳥達は水浴びをして震えて居る。まぁ、これも日課なのであるから<迎冬の慣らし>である。

 さてさて・・・ 大分のご無沙汰であるから、ポータブル電気ストーブを持って、久し振りに二畳小部屋のPCに向かう。楓の紅葉は、色褪せて風に葉を揺らせている。黄と白の小菊が、サツキの緑の中に顔を覗かせている。庭の干し台に広げられた大根が陽の光に反射して居る。奥には、ポツンとカワラナデシコの白花が一輪取り残されて居る。

 アメリカンと煙草を燻らせながらボチボチ文字重ねをして居ると、何時の間にか上空の雲は移動して、穏やかな日差しに物干し竿の洗濯物、吊るし柿、鳥籠の鳥達の動きが、長閑な眺めと為って居る。

 何は無くとも物臭者には、毎日が日曜日のマイペースの日々の眺めが何よりである。

 手前の鳥籠に鳥影が動いた。PCから目を移すと、サッとミネゾ、ビワの木陰に飛び去って終った。形、色合いからすると、ジョービタキのメスの感じであった。バルディナさんかなと思い、ティーテーブルの向きを庭の正面に変える。

 朝の庭下りの際には、今年の主・オスのジョービタキの姿が在ったのだが・・・遅れて遣って来た彼女は、<縄張り後退>で肩身が狭いのだろうか? 閉じ籠もり生活も5年を経過すると、何かと身近な小動物達ともお近付きに為って気を揉むものである。

 私の方は身体も、やっと疲労が抜けて来たが、セメント仕事で手が荒れて終い、指先はザラザラにして、親指にはアカギレが出来て痛い限りである。炬燵も出来た次第であるから、小部屋の南洋掛軸も寒色系から暖色系に掛け替えて、灯油ストーブの汚れを落としたり、PCキーボードの汚れを落としたりして時間を過ごす。

 空の雲は一掃されて、上天気に様代わりである。寒く為らない内に、近間の散歩でもして来るべしである。毛糸の帽子に優れ物の耳当てを着けて、外に出ると雲一つない快晴である。
 
        さてさて、本日はどんな出会いが有るものやら・・・

 東山の紅・黄葉は、盛りを終えてカサカサした退色を山容に見せてはいるが、ライトブルーの空に、松の緑とのコントラストをはっきり描き切って居る。西のアルプスの連峰は、冬の白銀の輝きを南北に縦断させて居る。今年のアルプスの屏風は、厳しそうである。

 然も在りなむであろう。白骨のお山には、難儀をさせられたのであるからして・・・

 最初の出会いは、モンキチョウであった。不思議な事にモンシロチョウが見えない。見えない処を見ると、黄色と白では、熱の集積力に違いが在るのだろうか??? お馴染のシジミチョウは、一匹も遭遇出来なかった。トンボとは2匹遭遇出来た。キセキレイ、セグロセキレイ、小さなバッタが続き、冬の透明感・流れの中にはアブラハヤ、ウグイ、ヤマメが泳いで居る。今年は、大分ヤマメの数が少ない。カルガモ夫婦も泳いで居る。

  未だ足がガクガクするから、ノンビリとした歩調で何度も道草をして歩く。

 ホウジロが居た。モズは未だ見当たらない。野鳥達の終盤の食料・コガキの実も黒く熟れて来た。イナゴが居た。長命だったキリギリスは、強制連行中にみまかっていた。タテハチョウが飛んで来た。日常生活ペースにソフトランディングであるから、正規ルートの半分を歩いて来る。

 さてさて、昼は大粒小豆を煮て置いたから、切り餅一個の汁粉とリンゴで良かろう。

 老母殿はモソモソとベットから這い出て来て、美味しいとお世辞を言う。

「若い頃は、豆なんか食べなかったのに、すっかり女性的に変わって来たものだ。」

★へへへ、何をこきぁがる。倅夫婦が23日に顔を出すと言ったら、朝食後は這いずりながら部屋掃除をしていたから、老衰体に糖分補給をして遣ったまでの事ですがね。

   さてさて、鳥籠を玄関に移して、本日日誌を完了させて置くと致そうか。

心何処ーショート へへへ、ピエロは、楽じゃゴザンせんわね。
      へへへ、ピエロは、楽じゃゴザンせんわね。(11/20/12)
 いやはや、すっかり手間が掛って終った。万年床、豚小屋状態の吾が寝室を掃除してコタツを作り、寝具を干す。終の住処が、豚小屋・埃三寸では聞こえが悪過ぎる。

   家中を開け放して、掃除に汗を掻いて居ると、ヤクルトママさんである。

「清々しい、お天気だから、頑張ってますねぇ~。何処に遊びに行って居たんですか?」
「婦女暴行未遂で、白骨のお山で雨中、雪中連行労働遣らされてたんだわ。ヘトヘトですがね。」
「またまた、冗談でしょ。」
「弟に頼まれて、土方遣って来たんだわ。柿は有るかい?」
「干し柿は、未だでしょ。柿は好きですから、生柿は家に有りますけどね。」
「冷凍柿にすると、渋が抜けるんだよ。試して見たから、吊るし柿の元を味見して見るかい?」
「頂きます。Rさん家の柿は美味しいですからね。」

 カチンカチンの冷凍柿を二つプレゼントする。さてさて、吾が身は掃除掃除である。掃除後は、風呂に浸かってリラックスをする。白菜漬けが終わったから、白菜を買って来ると致そうか・・・洗濯物を物干し竿に吊るして、老母に風呂を譲る。

 老母殿は、すっかり独り身での2週間ですっかり老け込んで仕舞った。96の老身には話し相手が居ない日々は、心身の油切れの停滞であったのだろう。それは充分見て取れる観察ではあるが、吾が身とて、体中が金属疲労の態であるから、こずんでベットで背中を向けて居る山姥状態の老母の姿は、一々癇に障ってしまうのが、偽わざる感情である。

 糞垂れが~、俺だって疲労困憊で、何にもしないで寝て居たいわさ。嗚呼、天に唾を吐けば、スキンヘッドにベチャと落ちるだけだぜや。嗚呼、阿保臭いたら、有りぁせんわさ。

 何んとか、口を開かそうとはして見る物の、相手は一切話に乗って来ないのであるから、私としてはお手上げの状態である。娑婆での仕事は、肉体的にはキツイ重労働の日々では在ったが、人との話は閉じ籠り生活に於けるストレスからは充分に解放されて居た次第である。

 下らん事を言って、私が激昂して居まったら後が厄介である。こんな時は、気休めに何かをして居た方が利口である。世の中には、私より悲惨な介護生活が五万と在るのであるからして、認知症で無いだけ幸せと云う物であろう。

 如何やら、老母は風呂に入った様である。まぁ、風呂に入れる体力が在るから、一安心とすべしである。介護は、介護する人間の平常心を如何に保つかで決まって来る。これが、私の実践から覚えた介護のコツである。生身の人間は絶対に神様では無いから、平常心など保ち続けられる訳が無いのである。

 従って、ピエロを振舞うアカデミー賞並の演技力が無ければ、務まらないのである。やれやれ、本当に駄々っ子の様に手の焼ける糞婆っさである。<逃げるが勝ち>の諺に従って、個人スーパーまで自転車漕ぎである。

 白采を2玉持ってレジに置くと、先輩レジさんは1ケース5玉の方が安いから、得との事である。一日干して、新聞紙に包んで置けば1カ月も使えるとの由。仕方が無いから、車に乗り換えて、再び個人スーパーへの足運びである。

 食欲の無い老母の昼は、リンゴとヤクルト、最中とする。ベットの中であるから、ベットから手の届く処に置いて遣ると、モソモソとベットから這い出て来た。

  ニャロメ・・・俺は置いて、部屋から遁ズラしようと思って居たのに・・・

 テレビのチャンネルを替えると、2局入ら無いではないか。弟と枝落しをしてる時に、アンテナに落下して、上の部分が割れてしまったのである。スーパーまでアロンアルファを買いに行って来て着けるが、アジャジャ、効果無しである。リモコンを操作してチャンネル設定の初期化をしたら、映った。やれやれ、テレビは老母の友なのである。

「凄いね。家の修理屋さんだ。」
「あいあい、何しろ貧民家庭だから、自分で遣らにぁ、お天道さんの御加護は無ぇわさ。」

         いやはや、これで漸く気分直しをして呉れた様である。

 実は、お山に手伝いに行き始めると、老母は私と同じ時刻に起きて、お茶を用意してコタツに当たって居たのである。倅として、母のその姿には胸に込み上げる物があった。実に有り難かったが、「そんな事は、しなくても好い。」と

心何処ーショート アジァ、中指が勝手に動いて仕舞った。
       アジァ、中指が勝手に動いて仕舞った~。(11/19/12)
 2週間も余裕ゼロの肉体労働をしてしまうと、自室定位置に据わって居ると、いやはや寒く成った物である。窓辺の雑木にも散髪が掛って、庭には白い大根が並び、吊るし柿にも白い粉が回って来た。冬への確実な季節の進みである。

 夜更し人間が6時起床で、時間帯が3~4時間早やまってしまったから、昼の時間が長く成って仕舞った。午前中は風も弱く上天気であったから、庭仕事の後に二畳小部屋の西のコンクリートの上に腰を下ろして、煙草を吸って居ると、好い日向ぼっこが出来た。

 矢張り家でのマイペースの眺めは、気が落ち着いて好い物である。落ち葉生産機の百日紅、柿の木も坊主頭に成って終ったから、大量の落ち葉は家庭菜園の畝の間で、信州の長い冬の間に、冬眠しながら腐葉土に成って土に還元すれば、来春の葉物野菜の肥料と為る。

 思えば、サヤエンドウ、コマツナ、チンゲン菜、シュンギク、インゲン、ミニトマトと、何かと重宝させて貰った小さな家庭菜園であった。家周りの雑草を根こそぎ抜き取って、マツバボタン、カワラナデシコの回廊としたのも、ご近所さんに好評で在った。来年には零れ落ちた種から、それ等は自生する事だろう。

 歳に為ると、兎に角、月日の移ろいの速さは驚きの態である。これは、きっと感性が鈍く成って来て居る所為であろう。

 本日の午後のワイドショーを見て居ると、何んと日本の政党は18も生まれて終っているとの事であるから、これまた、政治家共は何を遣って居るものやらと、呆れ返って居る。缶コーヒーの微糖は聞いた事が有るが、政党が小党ならいざ知らず・・・微党乱立状態で衆院選挙に突入と云うのであるから、選挙民としては迷惑千万な話である。

 選択肢の多さは、幅に通じるとやらで<豊かさの象徴>とも持ち上げられた時代が在ったが、趣味のファション、アクセサリーじゃあるまいし、政党18個の沙汰は、我儘、好い加減の無責任、遣りたい放題のザマでしかあるまい。

 少しは、自分の面を鏡でとくと見て見為されや。おぞぇ面してますがな。反省心を亡くしたら、そりぁ自己亡者の面でっせ。あい~。

 日頃は大言壮語の<自らを選良>とゴタ句を並べて居る輩達ではあるが、選挙区を代表する選良意識が在れば、例え所属政党に在っても、政治家としての見識で、正々堂々と自論を述べ、行動する気迫を堅持すれば好かろう。選良集団で構成されるのが政党ならば、何でもかんでも党議拘束などせずに、嘗ての派閥集団同士での緊張感を党内で活性化すれば、より精度の高い政党力が発揮される筈であろう。

  政党は企業に非ず、『一騎当戦の強者共の戦闘集団』で然るべきである。

 親分に為るには子分の数が必要。子分を養うには兎角、面倒見が必要。面倒を見る為には、銭が掛る。親分子分の温床?中選挙区制を改め、クリーン政治を目指して、政権交代可能な小選挙区制を導入して、業献金御法度に国民の税金=政党助成金を導入したら、何時の間にか、政党が企業に成って終った。

 安定を求めて物分かりの好過ぎる坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちの新入社員は、事無かれ主義の優等生達でもある。寄らば大樹の陰、長い物には巻かれろで企業幹部の顔色を伺い続け、選良の自尊心さえ喪失して仕舞った。
 選挙資金を配分する幹事長と為れば、国民の税金=党の資金を恣意的に配分して、いとも簡単に社員=所属議員の人事権まで握って仕舞う。挙句の果ては、不評の極致・NHK大河ドラマ・平清盛然として刺客だの小泉チルドレン、小沢ガールなどと、小選挙区制を私欲の為に利用し捲る。風見鶏にバルーンの個人パフォーマンスを繰り返し、風向き次第では、解散、居直りのしがみ付きをする。

        げに往生際悪き様は、末法の世の常なりや・・・

 政治理念無き<昨日勤王、明日は佐幕。その日その日の風任せ。どうせ、裏切り者よ。>に歌われた侍日本の新納鶴千代には虚無感が在ったが、論争テクニックのディベートには、所詮、心も信念も不在の論である。歴史新興国・移民立国の米国に於いてなら、いざ知らず、皇紀2700年に達する言魂の国・日本に於いては、そんなディベート達者の新脳ズル千代連の三有余年の居据わりザマは、全く以って人後に落ちる<日本国占領>でしかあるまい。

 小さい声じゃ到底言えませんが、笑止千万のぶんぶく茶釜の屁で湯を沸かす処じゃゴザンせんわね。屁ロケットで、金星まで飛んじゃいまするがね。フン、『日本国選良』と<日本国占領>の違いは、雪のお山の白骨お猿さんにも分かるわいね。阿保臭~。

 自分で近い内解散を一国の総理が口に出したのであるから、普通に衆院解散を実行したまでの事である。それも解散権は総理の一身専属権と云われて居るのであるから、約束を当たり前に実行したからと言って、何で支持率が上がらなければ為らないのか。非常識が評価される事が<摩訶不思議な民意の正体>なのである。

 現代日本人は、風邪薬ばかり飲まされている内に、生物の核心たる『自己治癒力』を亡くして仕舞った国民集団の様である。

 昔は、<風が吹けば、棺桶屋が儲かる。>と言われて居た物である。下らないマスゴミの扇風機に煽られて、民意・民意を捏造されて、詐欺フェストに投票した結果が、米・中・韓の棺桶屋が儲かって終ったのであるから、如何し様も在るまい。

 アッジャ~、遺憾いかん・・・四畳半定位置に据わって居たら、中指が勝手に動いて仕舞った。へへへ、他言は無用にお願い致しまする~。


心何処ーショート 吊るし柿から、大根干しへ。
             吊るし柿から、大根干しへ。(11/19/12)
 目覚ましは鳴らぬが、6時前後には目が覚めてしまう。寒いから布団の中でラジオを聞いて居る。8時に成って仕方が無いから、起きる事にする。2週間の労働であったから、その余勢をかって、庭木の枝下ろしをする。老母は体調が悪く全く元気が無い。食欲も無いから、朝飯は遅くても大丈夫であろう。

 支払い、米屋さん、沢庵漬けの大根を買って来なければ為らないから、昼前にそれ等をして置いた方が仕事が纏まって、午後がゆっくり出来る。窓辺の夏のパラソル役を果たして呉れたコブシの枝を、脚立に乗って綺麗さっぱりと散髪をして遣る。

 賄い夫稼業も要領を掴んで来て、庭木の枝払いは毎年伸びた分だけ払って遣ると、大事には至らない事を学んだ次第である。遅い朝食をして車で買い出しに行って来る。

  幸い、米屋さんは来客が居たので、油を売らずに個人スーパーに向かう。

「兄さん、大根を買いに来ないから、如何したか心配してたよ。一杯買って行って。」

 柔らか大根のミヤシゲと硬大根を大量(200本)に車に乗せて、庭に干し台をセットして一本一本並べて行く。根付きネギを菜園にガッポリ掘って屋外保存とする。

 風は少々強いが、上天気である。軒下に吊るした玄関鳥達は、家の中より明るいお天道さんの下で、気持ちが好いのであろう。元気にブンチャカ、ピィーピィーを遣って居る。吊るし柿を一つずつモミモミして乾燥の早めと果糖を平均化して置く。うっすらと白い粉が噴いて来た。後一週間位で、吊るし柿も完成である。

 今年は柿の木を思い切って枝下ろしをしたから、大量の柿が収穫出来た。好い加減に皮剥きは飽きたから、冷凍庫に入れた。冷凍して解凍すると、渋が抜けるとの事である。昨夜、その中から二つ取り出して、机の上に置いておいた。

         さてさて、本当に渋は抜けるのだろうか・・・ 

 為るほど、果実はハチヤ柿の様に多少のギトギト感は有る物の、渋は抜けて居る。甘味からすると、一に吊るし柿、二に熟柿、三に冷凍柿と云った処である。まぁまぁの食感であるから、今度の土曜トークのコーヒーのデザートには、お誂え向きである。

 相変わらず、腰は痛いし手の節々も筋肉痛で強張っては居るが、軽い労働をしながらソフトランディングをさせて行くしかあるまい。

 軽く昼食を採った後は、布団の中で昼寝を充分に採って賄い夫向きのマイペースに移行させて行くのが良かろう。へへへ、私は弟とは違って泳ぎ続けるマグロ人間では無い。何処らかと云うと、怠惰なマイペースのマンボー、トビハゼ、ムツゴロウタイプの人間であるからして・・・

心何処ーショート 日常復活初日なり。
               日常復活初日なり。(11/18/12)
 曇り空ではあるが、空は明るい。6時起きの2週間で在ったから、目覚めは早い。洗濯物を脱水に掛けて物干に吊るした後は、庭掃除と家中の掃除である。玄関鳥も、2週間振りの外の空気に吊るして遣る。朝食を取り、廊下の柿の整理を終えると、11時を回って終った。

 やれやれの段である。四畳半定位置で、煙草を吹かしながらのアメリカンコーヒーを飲む。2週間の間に、川原の葦は綺麗に刈られ、昨日の雨でブリ返した水量が流れている。窓辺の雑木の葉も粗方が落ちて、空き空きして仕舞って居る。
 
 遺憾いかん・・・金魚槽の水は冬の澄み具合ではあるが、自分の事に忙しく餌遣りをすっかり忘れて終って居た。へへへ、寒さで身体代謝が鈍っても、<捨て置かれての空腹>は申し訳無かった次第である。

 金華鳥の子供達の観察をしようと、窓辺に持って来る。子供達は嘴も赤く成って親と同じ大きさに成って居るのであるが、親番いは温厚過ぎる生活なのであろうか、子供追いもせずに狭い籠の中で、5羽が仲好く生活して居るし、相変わらず親から餌を貰って居る。子供達は皆メスなのだろうか・・・オスの頬の金色・脇腹の栗鹿の子模様、オスの囀りなどの性徴は現れて居ない。
 母親鳥は全身が白である。彼女は、母性本能が富に高い様である。親が外に回って三羽の子供達を中に挟む様にして、止まり木に並んで居る姿を見ると、酷寒の信州の冬であるから、親が子供追いをしない限り一緒にさせて置こうかなどと考えたりもするのである。

 会社の二代目番犬は、見ない内に大人に為って居た。初代番犬が老衰の為、逝って終ったので、弟が懇意にしている先輩業者さんの土場に居付いた野良犬の子供を貰い受けて来たとの事である。
 私は元来が動物好きであるから、動物とは相性が良いのである。然しながら、全てには例外が存在する。野良犬根性で私の姿を見ると、犬小屋からサッと出て、パイプ棚の下に潜り混んで仕舞う。へへへ。最初の一週間は、全く可愛げの無い犬であった。それが2週間も会社に行っていたから、1週間も過ぎると、気配を消して私に近付き、私が見るとサッとパイプ棚の下に身を潜めてしまう。それが、この2、3日で私の前に据わって、お手をする様になった。

 白地に茶の斑模様を持った耳がピンと立った中型犬であるから、まぁまぁのハンサムボーイなのであるが、<幼少の頃の苛め?>がトラウマに成っている様で、心がイジけて居るのだろうか? 私は片親で育った所為であろうが、そんなイジけた気持ちを持っている物には、何んとか『真っ当な気持ち』にさせて遣りたいと考えてしまうタイプなのである。

 まぁ、衆生が雑多に暮らすのが現世の地球の姿でもあるからして、袖触れ合うも他生の縁でもある。然すれば、日頃のアガタ節でも、以心伝心で言い聞かせて見ると致そうか・・・

<コラ、この意気地無し。お前さん、世の中に苛めの無い世界は無いぞよ。好い形をして、幼少時のトラウマを引き摺って居たら、男が廃るわさ。人生の幼少時なんて、単なる通過点でしか無いわさ。少年期・青年期・壮年期・初老期・老年期の方が、圧倒的に長いぜや。

 心の痛みが解るのなら、強く成って、苛められっ子の盾に為って遣るのが、キンタマをお天道さんから頂戴した男の務めだろ。所詮、男は強く為らないと、優しくは為れんぜよ。理解してくれる心友は、人生に一人だけ居れば『御の字』よ。そう考えれば、お前さん、寂しくは無いだろ。お前さん、内向性の良い目をしているじゃないか。その目を活かす為には、強く為らなきゃ内面の優しさを発揮する事は出来ませんがな。分かるか? 分かるよな。

 お前さん、ハンサムボーイだから、女にもてるぜよ。男らしく明るく正々堂々とシャキとせんかい。この馬鹿もんが!! ゴツン。

 ほう、そうかい、お前さん、俺の言う事が解るか。そうか、だったら、お前さんは低能児じゃないな。なぁ、頑張れちゃ~。アハハ。>

 昨日は土砂降りの雨の中、お近付きの印に頭を撫で撫で、首を摩りながら、イジケ犬に本の少しばかり、心を通い合わせて来た次第である。

 風は寒いが、お天道さんの輝きである。少し、散歩でもして来るべしである。


心何処ーショート 何んとか、無事にお努め完了。
          何んとか、無事にお努め完了。(11/17/12)
 <骨の髄までずぶ濡れ>とは、正にこの事を差すのであろう。朝から雨である。ホテルの施設管理者さんは、世界七つの海を巡った昔船乗りである。団塊の世代であるから、話が弾む。工事も目途が立ったから、彼は久し振りに松本に下って大いに呑むと言って居た。今日は一緒に山に上ろうと、7時に会社に迎えに来るとの事であった。

 そんな事で、彼の車に乗って白骨上りであった。口八丁、手八丁の御仁であるから、仕事上のチェックは厳しいが、一緒に手伝ってくれるから大した男である。気が合うタイプであるから、車の中は喋り放しである。政治・世相・好色談議に夢中に為って居ると、1時間半のドライブ時間は気が付いたら、白骨温泉到着と為って終った。

 いやはや、団塊世代は真面目な顔をして居ても、一皮剥けばタイテノコラサの悪餓鬼・ゴタ助の<為れの果て標本>見たいな物である。

 社長達は材料を、買って来るから遅れて来る。私は石のセットが在るから、土の中から適当な石を見付けて、掘り起こして、ヨタヨタと泥濘を息切れでヒィーコラ、ひぃーこら上り下りする。温泉排水で泥を丹念に流し落して石を確保して置く。手間の掛る石集め、石運びである。それでも土砂降りの氷雨の中であるから、温泉排水の暖かさが、気持ちが良い。

 3時には40名の団体客が到着との由。マゴマゴしていては、到底追い付かない。昼過ぎまでは、休憩無しの残工事と片付け、掃除である。雪中、雨中の鉄筋・配筋作業の連続で、合羽などは皆、かぎ裂きの鍵裂きのボロボロ合羽であるから、防水効果など有ろう筈も無い。着ないより着た方が益しの程度しか無いのが実態で、土砂降り雨には、処置無しなのである。

 昼の休憩時間は、皆裸足、股引、タイツに成ってファンヒーターをガンガン焚いて、ガタガタ震えて居た。それでも、タイムリミットが決められている突貫工事である。休憩時間が終われば、再びずぶ濡れのズボン、靴下を履いて、濡れた長靴を履き、気休めの合羽を着て・・・何しろ、皆体力のどん底状態での身支度であるから、時間が掛る。そして、土砂降りの雨の中、無口の作業開始である。

 清掃の終わった浴槽に温泉管のコックが全開と為って、湯張りが行われて行く。お客さんに工事ゴミが映ったら、<秘境温泉の名折れ>であるから大急ぎの工事撤収作業である。

 吾が身は最終日とは云え、土砂降りの氷雨の中の作業は、真に辛い限りである。力を振り絞って、材料、機械、工具、ゴミなどを二台の車に満載にして、ロープできつく締める。いやはや、ヘトヘトの敗残兵の心境の様な物である。世界最強と呼ばれたナポレオンの軍隊にしても、ロシアの冬将軍には敵わ無かったのであるからして、・・・

<冬将軍前の恵みの雨>と、弟は重機をユニック車に乗せて、山を下るとの事である。

 凍結路は恵みの雨で、シャーベット状の山岳路と様替わりして居た。漸く車の暖気が回って来て、ガタガタ震えは収まった物の・・・平地の波田まで下りて来ると、流石が寒さで封じ込められて居た疲労が、どっと押し寄せて来る。ずぶ濡れの衣服からは、湿気が窓ガラスを曇らせて、幾らヒートアップしても視界は悪くなる一方である。

     最終日にして、事故などとんでもない。安全運転に徹すべしである。

 倉庫で荷降ろしをする段に為ると、もう合羽を着る気力も無く、降り頻る雨の中で最後のお努めである。温まり掛けた身体に、嗚呼、無情の土砂降り雨の冷たさよ・・・

 会社に着くなり、風呂の湯を出して機械・器具を所定の場所に入れるや、ずぶ濡れの身体を湯船に浸けて暖を取った次第である。体が温まって来て、漸くのラストディの実感が湧いて来た。外は土砂降りの雨ではあるが、ラストディ祝いに回転寿司とラーメン、餃子を食べて行く事にする。

 本日は平らもお山も、土砂降りの一日だった様である。打撲、切り傷、擦り傷、足親指に落下物のクロネは作ったものの、風邪も連日の風邪薬の御蔭で、何んとか切りぬける事が出来て、弟への約束を果たす事も出来た。先ずは、合格点であろう。

心何処ーショート 明日は、ラストディ為り。
             明日は、ラストディ為り。(11/16/12)
         
            さてさて、明日もう一日で、お役御免である。

 本日の白骨は、好天の暖かい日であった。屋根の雪が溶けて、ドドッとばかりに落ちて来る。明日は湯張りで、女風呂の配管隠しの石の泥を綺麗に洗い落して、それなりにセットすれば、片付け仕事が主体と為る。重機は道路凍結の為に、天気の好い時に下ろすとの事である。

 男風呂の石を排湯で洗い清めて居ると、猿の一団が電線を渡って行く。山の中であるから、猿の方が堂々としている。設備屋の後は、大工さんが雪落ち防止の為に、屋根を掛ける工事に進む。12/1オープンとの由。

 2週間で遣って仕舞うのであるから、強行軍である。明日、石をセットして綺麗に片付けば、達成感・完成感もひとしおの気分と為ろう。私は明日が最終日であるから、心して安全作業に徹して、目覚まし時計の無い爆睡日曜日としたい処である。

 いやはや、3~4日の話が12日なのであるから、12÷4=3の結果である。まぁ、端から短期労働で終わる筈は無いと考えて居たから、別段如何と云う気持ちは無かった。私に柿の木、百日紅の高枝落しをしろと云われたら、その方が何倍もきつかったのであるから、これも、止む無しの感でも在った。

 粘りに粘ったドジョウ総理の<近い内解散>も本日解散された由。詐欺フェスト党・民主党も真っ当なお天道様の輝きで、白骨温泉の屋根雪の如くドドッと雪崩を打って、根雪の凍結と為って再び陽の芽を見ずに、一気に『衰退党』の烙印を押されるのであろう。

       私としては、祖国日本の為に、目出度しの感で在る。へへへ。

心何処ーショート えらいこっちゃ、出るは、溜息ばかり為り。
     えらいこっちゃ、出るは、溜息ばかり為り。(11/15/12)
 
 いやはや・・・お山は50cmの積雪である。屋根から雪が雪崩を打つ。山腹には突然白煙が立ち上り流れる。丸で白い生き物の様な神秘さすらある。兎に角、寒い。毛糸の帽子に耳当てをしている。ジッとして居ると凍えるから、働くしかないのである。

 雪掻きから始まって、フゥー、フゥーの連続である。設備の方も大体が終わり、下山時は、必要の無く為った材料、道具などをダンプに載せて帰って来るのであるが、チェーンの脱着が、泣きたい程の寒さなのである。

        今日も暮れ行く白骨のお山、友よ寒かろ辛かろう。
          お山の猿も生きている。我慢だ、我慢だ。
          我慢の先には、オール日曜日が待って居る。

        空は鉛色、空の重たさ、雪が横殴り。転がる身体。
             約束、お努め果たしたその先にぁ
             我慢と忍で、造るは、男の勲章さ。

   明日は、6:30の早や出である。白骨のお山よ、降るな~~~~!!

心何処ーショート 馬鹿の底力為り 
              馬鹿の底力為り。(11/13/12)
 日中は晴れていて、肉体労働には暑かったが夕方に成ると寒い。雨混じりの強風でメタル枠を外した露天風呂には、ブルーシートの屋根掛けをして練炭を入れて、本日の作業は終了。明日の浴槽の防水工事の為である。帰路のお山は、雪である。いやはや、深々と冷えて来て、お山は長い冬の到来と云った処である。

 明日の防水工事が終わり、乾燥が完了すると、何時雪が降っても気が楽に為る。型枠バラシから始まった本日の作業は、型枠から流れ出たコンクリートを、大バールの楔部分を使って削ぎ落す作業であった。いやはや、大バールは鉄アレイよりも重たい鉄棒である。

 その重量たるや、三国志の張飛だって、きっと根を上げる程の重さである。然しながら、その大バールの自重が無ければ、取れないのであるから、如何し様も無い。肩の筋肉がパンパンに疲労して、正に苦役の段である。

 何の因果か・・・善良なる小市民が、婦女暴行の咎でシベリア送りの重労働の刑に処せられている様な物である。

 労働の大半は、重い物を持って斜面、坂道、踏み越えの労働である。何しろ、団塊世代の日本人は短足人種であるから、もうクタクタの身体であるから、足が上がらず息が上がるだけの体たらくにして、標高が高いから酸素濃度が低い。足を掬われて顔面ダイビングで、頭を抱えて、<おお、痛て~、うう、ぅぅ。もう嫌だ!!>とロートルが泣いている始末なのである。それも、日を追ってその回数が遁増して行くのであるから、実に情けない実情なのである。

 何しろ、当年64歳である。日に日に加算される疲労曲線である。もうヘロヘロに成って、会社の湯船に浸かって居ると、ウトウト眠く成って仕舞う。弟がドアを開けて、言うのである。

「Rちゃ、体が引き締まって来たじゃないかい? エヘヘ。」
「何を扱きぁがる。こき使われて、俺は、過労死直前だぜや。」

 本日は回転寿司で栄養補給をと思っていたのに、本降りである。嗚呼、早い処帰って、吊るし柿の雨覆いをしなければ為らない。コンニャローメ!!

              ルルルル・・・

「大変だね。オヤジ生きてる? ブログ読んでるよ。アハハ。」

「しぶとく生きてるけど、もう、体がガタガタだぜや。4日が、2週間の重労働だわさ。兄弟ボランティアは、シベリア労働さね。」

「23日辺りに行くから、婆ちゃんに言っといてよ。後4日か、頑張ってよ。」

「嗚呼、終わりの無い物は、何一つ無いからな。如何にか為るだろう。」
 
 ガタイだけが取り柄の男兄弟5人の育ちであるから、軟な事はご法度の倣いである。肉体労働はきついが、頭の負担が無いからこんな風にマイタイムに為れば、ブログ更新も出来る。私はヤクザな性分であるから、兎角、口先だけの軟なご時世とは成るべくなら、お付き合いしたくは無い。

       何のこれしき、『男が逃げたら、男が廃る。』とほほ・・・

心何処ーショート 何んとか、此処まで来た為り。
          何んとか、此処まで来た為り。(11/12/12)

          てへへ・・・お恥ずかしい限りの大失態である。

 昨日は、雨中での整理仕事で寒気がして風呂で温まった後は、風邪薬2回分と黒砂糖湯を飲んで、ひたすら布団の中で体力の回復に是務めて、起きた時は大分回復して居た。さぁ休まずに出勤と思いきや、肝心要の車のキーが無い。探せどもキーは無い。

  嗚呼、小っ恥ずかしい限りの健忘症である。へへへ、過労状態なんでしょうね。

 電話をすると、迎えに来て呉れるとの事。それでも、悪足掻きで探して見ると何のキーか分からなかったが、駄目元で差し込んで回すとエンジンが掛った。スペアキーが有ったと言う事である。

『遅刻は男の恥』であるから、すっ飛ばして、会社着が7:20であった。一応は7:30の出勤であるから、面目が立った次第である。

 お山に着くと、ポンプ車は到着して居た。午前中にコンクリート打設が済んで、午後からは庭師の私の出番である。バックフォーは3台上って居るから、弟が大岩を大型バックフォーで移動させて、私の指示する場所に置くと言うよりも転がすのである。こう云う仕事は社員さんが彼是位置決めをすると、相手が社長であるからビビって仕舞う。ビビって外れると、カミナリ社長の怒号が炸裂する。ビビリが、ビビリ・スパイラルに陥ってしまう。

 そんな次第で一応、私の方が兄貴だから、私の言う事は全面的に聞いて呉れる。キリキリ、刺々しい空気より、兄弟コンビで遣った方が、後腐れが無いのである。へへへ、私は肝は短いが、普段は目配りの利く温厚な男なのである。
 それにしても、兄弟と云う物は可笑しな物で、阿吽の呼吸見たいな物が通い合うのであるから不思議な物である。

 デカイ声じゃ言えませんが、お互いに体育会系の獣性の様な物が在る。そして、言葉を発し無いでもヤクザ顔負けの真剣な目が在るから、以心伝心の結果に為る事が多いのである。

「此処へ、こう。出来無ければ、次を考える。来い。」
「おっ、分かった。」

「う~ん。そう来たか。じゃ、此処へ当てて、押して見るか。」
「了解。」
「そうそう、好いよ。ソリァ、ガンと押せ。駄目か、じゃ、今度は、此処を起こして見るか。」

「もう、無理だぞ。」

「おっ、分かった。それで好い。好い、OK。次のヤツで、バランスを採る。」

               暗くなる頃、漸く終わった。

「相変わらず、センスが好いねぇ。上等上等。ホテルだって、200万も値切ってるんだ。そんなに手間を掛けてたら、こっちの方が真っ赤かだわね。」

 設備屋が5人で遣って仕舞うのであるから、大した物である。もう、腰骨がメキメキ泣いて居る。鉄筋切りも重労働である。今夜は、乾燥の為に練炭を置いて、明日の午後には型枠パネルの取り外しとの事である。排水管を伸ばし、一部残った石積みをして明後日は、浴槽に防水処置を施すとの事。

 突貫工事も此処まで来ると、正にお天道様のご加護である。三日も雨中工事であったが、不思議とコンクリート打設日は、好天に恵まれているのであるからして。

 木曜日まで手伝って欲しいとの事である。いやはや、私の腰骨が持つかどうか・・・

 会社で風呂に入って、その間に洗濯機を回して床暖房のフロアに作業着を広げて帰るのであるが、老母の口に合うオカズ材料を買って作って置かねば為るまい。

 吾身は後3日、後3日と念仏を唱えるしか無い。トホホにして、シンドイでアリンスわね。


心何処ーショート いやはや、吾もマグロ人間にお付き合い為り。 
        いやはや、吾もマグロ人間にお付き合い為り。(11/11/12)
 一週間の癖が付いて、7時に寝床から出た。落ち葉が大変な騒ぎである。竹箒で落ち葉掃きをして、家庭菜園の落ち葉溜めに入れる。庭には、オスのジョービタキであるから、バルディナは、死んでしまったのだろう。これもまた、自然界の一コマなのである。さてさて、バタンキュー生活であるから、布団を上げて一週間分の掃除をする。玄関鳥の世話をして、朝飯を食べる。

 吊るし柿も、大分乾燥が進んで1/3程度に縮んで居る。モミモミをして本日は休日であるから、二畳小部屋のPCで打とうと考えて居ると、『来たぞ』と弟が遣って来た。

「靴、ヤッケ、具合の好い手袋を買って来たから、可哀想だけど最後まで手伝って呉れや。」
 オヤジの仏壇に線香を立てて、約束の枝払いの開始である。
「俺は、高所恐怖症だから、思い切ってバサン、バサン切って呉れや。見栄えは二の次。」

 思い切って屋根から上の柿、百日紅の枝を下ろして貰う。いやはや、庭中切り落とした枝の山である。枝の始末は、何時でも会社の2Tダンプに乗って行って、○の土場に運んで置いて呉れたら、焼却炉で焼くから、そうして呉れとの事である。

 枝払いが済んで、お茶を飲んで婆さんとの久し振りの親子会話である。昨日の大根整理の煮付けが有るから、タッパに入れて消化して貰う。

「やぁやぁ、朝、会社に入ったら前が綺麗に為っていたから、兄貴だなぁと思ってさ。何しろ,俺達兄弟は、お☆婆さんの躾けが良いからね。汁もタップリ入れといてよ。そうだ、ヒジキの煮付け有ったら、呉れや。ありぁ、美味かった。」

「干し柿も、大分縮んで来たじゃん。」
干し柿は、弟の好物である。子供の頃は、完成する前に、盗み食いをして御母堂様に怒られて居た物である。

「よしよし、ちょいと味見して見るか。ほれ。」
「おお、蕩ける甘味だわ。完成したら、貰いに来るわ。」

 弟は、明日の段取りが有るからと、短時間で帰って行った。私は、其の儘には出来ないから、手間の掛る片付け仕事に取り掛かる。途中から、雨が降って来た。生憎合羽は、お山の上で有る。止む無し。何日もこのままでは、如何にも世間体が悪過ぎる。とほほ、マグロ人間にお付き合いして、お努めを果たすしかあるまい。

 ジャンバーを着て、風呂に火を付けて作業開始である。何のこれしき、お山では3日間の雨中仕事であったのであるからして・・・

 背中が濡れて、おお寒いである。早速、湯船に浸かって温まった次第である。柿はビクに4つも採れて終った。やれやれ、皮剥きをしなければ為るまい。

心何処ーショート 明日は、休み為り。
                明日は、休み為り。(11/10/12)
 ふぅ、明日は、やっと休みである。後3日働けば、お役御免である。今日は恥も外聞も無く完全にバテて仕舞い、何度か休憩をさせて貰った次第である。お天気さんの方は、好天気で力仕事をすると、直ぐ様汗が噴き出して来るほどの暑さで有った。可笑しな事で、本日はお猿さんのお出迎えが無かった。

 月曜日は、二回目のコンクリート打設との事である。ジェットヒーターでコンクリートを乾かす為に、一人が泊り込みでヒーターの番をするとの事である。浴槽の型枠がバレると、新装露天風呂の全容が姿を現す。労働がキツイ分、楽しみでもある。

 下の旅館では、女将さんが野沢菜を洗って居た。冬の間は閉鎖されて居た道路が、通年通行出来る様に工事が進んで居て、その開通が12/1からなのだと云う。その道だと、乗鞍経由の林道とは30分以上は時間短縮も出来るし、雪からも解放されるので白骨温泉の繁盛が期待出来るとの事である。

 乗鞍も下から見るとテカテカの白山に見えるのだが、林道まで上って来ると雪の隙間が在るから、可笑しな気分でもある。青い空に、黄葉の終わりが膨張して山容の眺めは、秘境の湯に恥無い。

 道路開通を見越しての突貫工事の段なのではあるが、条件の好い時期に工事をさせて呉れれば有り難いのであるが、ホテルは客数を選んでの発注である。

 七面六臂(しちめんろっぴ)の弟も仕事の目途が立って、漸くホッとして居る。約束だから、柿の木を切りに来て呉れると言うが、<そんな物は、何時でも出来るのだから休め。>と言って置く。『幾ら化け物クラスの体力と根性が有っても、死んでしまうぞ。』と言うと、<Rちゃ、俺はマグロ人間だから、泳いで居ないとペースが狂って終う。>と言うのであるから、困った男である。

 会社の倉庫には、大根の差し入れがボンと置かれている。折角、持って来て呉れた物を無駄にするのは、礼儀に欠ける。止む無し・・・引き受けて、サバの味噌煮缶で大根をゴッソリと煮るしかあるまい。貰い物を有り難く頂戴するのも、浮世の義理の一つでもある。

 身体はクタクタではあるが、明日は休みで有る。明日にしようと思えば、しない事は目に見えて居る。これも業務の一環と思って遣れば、区切りは付く。土付き大根をタワシで洗って、大鍋に大根を煮付けて置く。仕込んで置けば、後々の手抜きにも為る。

 目覚ましの無い朝は、天国である。斯様に、兄弟ボランティアも大変な物である。

                  へ、へ、へ、

心何処ーショート とほほ、疲れますねぇ・・・
             とほほ、疲れますねぇ・・・(11/9/12)
 正直言ってキツイ仕事ではあるが、形が出来て来るのは嬉しい物である。流石に皆ヘバって、昼の休憩時間は鼾重奏の沙汰である。露天風呂を3Mほど嵩上げしたから、展望風呂と云った方がマッチする。現場は、図面、思い通りには進まない。<現場合わせの文殊の知恵>見たいな物が随所に現れるから、規格品の工場システムとは違って面白い。兄弟であるから、以心伝心のエィッ、ヤッの強引さも手伝って、全ては結果オーライの場面も多々ある。

 4日程の口車に乗せられて、結果は後最低は3日は駆り出される事と相為って仕舞った。弟は私が居ると、上機嫌だと云う話であるから、和気あいあいの雰囲気で、皆も楽しく仕事が出来ると言う。私は馬鹿であるから、<豚も煽てれば、木に登る。>で、頑張るしか無いのである。

 嗚呼、筋肉が悲鳴を挙げている。腰がガクガク、シベリア抑留・強制労働見たいな物である。妄想のモの字も出ずに、目覚ましを6:15にセットしてバタンキューの態である。

 ラジオでは相も変わらず、中韓国が生意気な事を遣って居るが、京劇じゃあるまいし、青龍刀を振り回してギャースカ、ギャースカ騒ぐよりは、日本刀は間合いを見極めて一刀両断するのが、中韓と日本の違いなのであるから、政府指導者は確りキンタマの重しを見せて貰いたい物である。

   世の中、口数が多く為った分だけ、人間が軟弱に為った物である。

 早起きの影響で、6:43から始まる<NHKビジネス展望>をハンドルを握りながら、聞いて行くのである。本日はタレント経済学者の森永某先生であった。

 先生は顔もふざけているが、考え方もふざけて居る。世間に阿(おもね)るだけの、この程度で経済評論家・学者先生として受け入れられて居るのであるから、困ったご時世である。この時間帯の聴衆は、NHK様が考えて居るより、硬派のインテリさん達が多かろう。送り手の選球眼を疑われまするぞえ。少しはNHK様も真面目に考えなされや。

 ナヨナヨした餓鬼の感想で、学者報酬料を貰うとは、笑止千万である。田中真紀子など、単なる<出しゃばりオバサン>でしかあるまい。そんな馬鹿オバサンの言動など、取り上げるまでも無かろう。阿保臭!! 全く言う方も、批判する方も、それを流す方も、何をや言わんかの沙汰である。

 こんな能天気人間は、白骨温泉の雨・雪の中で鉄筋担ぎ、一輪車押しを遣らせて根性を一から叩き直して遣らないと、使い物に為らない輩である。U字溝もパイプもズッシリと重いでゴザンスよ。

 弱音を吐いたら、空かさず<この根性無し!!>と、ケツに蹴りを入れて、崖下に蹴り落として遣るぜや。ギャハハ~。ニャロメ!!

心何処ーショート ロートル男なれど、汗中に何のこれしき・・・
       ロートル男なれど汗中に、何のこれしき・・・(11/8/12)
 いやはや、疲労と筋肉痛には、もうギブアップをしたい処では在るが、遁ズラをして終ったら男の面目が立たない。肉体労働はキツイ限りでは在るが、スポーツと同じで、それから解放されて仕舞えば後が残らない分、簡単な物である。

 某ホテルが旅館を買収して、内風呂から階段を下りて露天風呂に入って居た構造を、内風呂からドアを開けて露天風呂に入れる様に、改修する工事である。

 本日は朝一番で、そのコンクリート打ちであった。従って、昨日は投光器を当てての配筋を仕上げなければ帰って来れ無かったのである。昨日の夜8時回りの山下りは、冬の到来で猛吹雪でしたがね。夜の巻き上げる様に襲い掛かる吹雪は、雪女の手招きの様で、魔性の棲息域なのでありまするぞえ。

 生コンはポンプ車で吐き出されて来るから、月火水の様な肉体労働は余り無かった。3時頃には仕事は終わり、<一度入ったら、三年は風邪を引かない>と云われる貸し切り白濁硫化泉に入って、山を下りて来た次第である。

 明日は、露天風呂の底部が出来たから、其処に男女の風呂枠部分と、洗い場部分を造る工程に進む由。擁壁で囲ってあるから、重機に依る省力化は非常にも及ばない。重機で掬い揚げた砕石を内部の一輪車で受けて、砕石を敷き詰め転圧した後、再び配筋を施して、月曜日のコンクリート打設との由。

 従って、明日は徹底しての人力頼み一輪車作業である。体力と根性だけが物を言う<原始作業>である事は、紛れも無い事実である。

 まぁ、私は<原始細胞の出来>であるから、内に秘めたる負けん気の試し処でもあるし、団塊世代の運動部出身者にとっては、それほどの苦手意識は無いのである。<男たるもの、肉体労働が出来てナンボの物>の根性だけは持ち続けている心算である。
 但し、それが毎日で在っては、スタコラ遁ズラするより他は無いのであるが、年に何日かは、過酷な労働に身を置いて、肉体労働のキツさを五体に入れて置かないと、人間は日々の安楽さに永住してしまう帰来がある。

 私の持論は、<人間とは脳味噌・感情を持った優秀なロボット>である。言・論・地位を以って生業とする輩は、私としては如何しても『虫の好かない輩』が多い。現代は分業・特化に進み過ぎたご時世ではあるが、力・気合/言・論を兼ね備えて、地位に胡坐を掻かずに率先垂範するのが、『人間の真っ当力』と妄想して居る次第なのである。

 今は流行らない言葉ではあるが、<健全な肉体に、健全な精神が宿る。>なんて、言葉が、学校教育でも幅を利かせて居た時代が在ったのである。

 人間とは哀しい生き物で、自分の体験した程度でしか、<抽象語を肉体語に翻訳出来ない>動物である。相手の立場に為って考えろ、相手を思い遣れと『口走る事は出来る』が、此方に確たる実体験が無ければ、翻訳は功を奏し無い。見る、思う方に、技量が伴わなければ、けんもほろろの一過性の無関心に終わって仕舞うだけであろう。
 高々想像力豊かな人間でも、精々が他人の体験を<己が類体験>に置き換えて想像する事に依ってしか理解する方途は無いのである。

 知行合一の陽明学とは言ってしまえば、それまでなのではあるが、兎角学問好きに人間の説く知には、理性語の抽象論に偏重し過ぎる帰来が生じて終ちである。

 私は時代遅れの『番から人間』であるから、『知』には、少なくとも感性語をも付加し無ければ、<生身の人間の知性語>とは為り切らないのでは無いか?との想いを持って居る一人である。昨今のご時世下に在っては、ややもすると『知』は<論理テクニック>に矮小化されている様にしか見えないのであるが・・・
 人間は、小利口に為って土の匂いを失くしてしまったら、良い絵を人生キャパスに描く事は出来なく為って仕舞う。

 へへへ、困った物ではあるが・・・これも私の性分でもある。本日は、明るい内の山下りで有ったから、カラマツ、広葉樹の黄葉が、松の常緑にモザイク嵌め込んで色彩の妙を大パノラマに見せて居た。その上には、雪の白い等高線が伸びて居た。

心何処ーショート ひぃこらひぃこら、遣ってます。
          ひぃこら、ひぃこら、遣ってます。(11/7/12)
 
 はぁ~、疲れますねぇ。白骨のお山は、初日の月曜日は好いお天気さんでしたが、火・水と終日の雨とアラレ→雨→雪と天候に祟られて、疲労困憊の日々を送って居りまする。7時前に家を出て、帰って来るのが8~9時でアリンス。

 乗鞍への林道を抜けるのでありまするが、途中で子供連れの猿の集団が居ます。本日は、可哀想に、猿の轢死体が在りました。

 労働は真にキツイですが、紅葉は綺麗です。シーズンの終わりでしょうが・・・ 往復3時間程のドライブが在ります。色んな話題で兄弟話が出来るから、これも良い事です。

 何事も経験。経験をすれば、経験の引き出しに何かが貯まるので在りまするから、妄想の足しにも為りますからね。

 まぁ、そんな事で五体全てに筋肉痛では在りまするが、何んとか元気で遣って居りまするから、ご心配無く。へ・へ・へ。

心何処・・・夢奇譚第14部・二人の男
            夢奇譚第14部・二人の男 挿絵   

   拝金蛇_001山の紅葉野性の出没_001廃村再生団発足_001
        男二人_001遠吠えの響き_001市井の喝_001

                夢奇譚第14部・二人の男
 
 <序章・荒廃の21C初頭>
 過疎地、臨界集落、デフレ下、産業空洞化、ワーキングプア、言葉に責任を持たない・決める事の出来無い政治、隣国の恒常的領海・領土侵犯、子殺し、親殺し、無差別殺人、・・・etcと、丸で末法の世界に立ち至った日本の現世である。とどの詰まりが、共同体たる精神の求心力を失って、携帯チャカチャカの我没バーチャルゲーム文化、我欲に没して無縁に向かう社会の行く末の様な物である。

 世は心を捨てたボーダレス、グローバル規模の飽く無き利潤の追求である。金融経済交差線と云えば聞こえは好いが、一番の商売が『金転がし』。映像パフォーマンス政治は、世界押し並べてバラエティ、ショー化が進む一方である。日本政治とは見れば、市民言語での<言語明瞭・多言の低姿勢>と云えば聞こえは好いが、無責任・言い逃れの『言葉転がしのオンパレード』と云うのであるから、如何しようもあるまい。

 丸い地球を世界に張り巡らされた金融市場と称される賭場から賭場へと、<不眠の利>に飢え充血し切った電波が、PCを介して交錯する。血の滴り落ちる肉に群がり、所構わずバリバリと骨を砕き、貪り喰らうハイエナ。皮を引き千切り、羽毛の無い頭を肉塊に突っ込んで喰らい尽くすハゲタカ。丸でそんな悪食(あくじき)の執拗さで、一握りの富豪達が、ゲーム感覚で金漁りを繰り返す。

 グローバルの経済戦争の下で、巨大企業は<費用対効果>と云った経済数式の中、人間存在は遠に無機質の物に成り下がった。金が巨大な魔物に転化して居る。巨額の資金を得た者は、勝った負けたのマネーゲームに現を抜かす。金金、富富、色色の身勝手経済至上主義。我欲亡者の大行進の様である。

 世界にバブルの高層ビル群を屹立させた、経済オンリーの虚飾の都市国家が栄える。

 一方、国土の7割以上を占める山林の国・日本列島の地図を広げれば、態の好い経済用語・費用対効果で打ち捨てられた山林・山地が多数点在して、打ち捨てられた廃集落、廃地が無数にある。嘗ての自然界と人間界の緩衝地帯は、今や悉く壊滅して、現代経済合理主義の下、山河は動物の食害と野生界の山下りの状況である。

 荒廃進展する21Cの人間世界は、信義も人情も薄れ、閉塞感の深く冷たい溜息の連続ばかりである。

              <ロートル廃村再生団>
 <その1>
 此処にも、先祖伝来の深山の真空ポケットの様な一つの廃地が在る。それは何百年も若しかしたら、千年も続いて来た集落で在ったかも知れない。先祖伝来の土地と云っても、時代が求める価値が無く為って終えば、集落のサイクルはとぼる。不便の地は再生産が出来ずに一気に衰退して、人の営みは絶える。経済的効用を失った先祖伝来の山地の集落は、遅かれ早かれ、自然に回帰するだけの存在でしか無い。

 この真空ポケットの様な廃集落に、60代男が一人、腹の大きな木曽馬一頭と、狼のオス・メスの子二匹を連れて軽トラで姿を現したのは、雪解けの始まった三月の事であった。

 標高は高いが、なだらかな起伏に富んだ森林の山々が一枚の絵の様に、早春の霞みの中に静かに横たわっている。そんな感じの眺望であった。

 此処はもう何十年も前に遺棄されて、自然の中に朽ち果てて眠るだけの集落である。男は、仲間達と何度も下見に来ていた。彼是、一年を掛けて男達は此処に遣って来ている。使えそうな廃屋を物色して手を加え、遺棄された集落の畑地を手入れし始めて居た。男には同様な仲間達が居て、トラックに耕運機などを積んで廃集落の再生に取り掛かっているのであった。

 男は腹の大きな木曽馬を慎重に下ろし、子犬の様な森林狼二匹を大事そうに抱きかかえて、廃屋の中に入って行く。

 廃屋と云っても、その躯体と云うか骨格は、堅牢な風雪に耐えた見事な自然木から成り立っている。分厚い土壁も表面の漆喰こそ剥げ落ちて居るが、風雪に耐えて男性的である。

 廃屋の脇には、沢が流れている。沢の東側には石を積んだ小さな棚田跡が段を重ね、西側は山から続くなだらかな傾斜地を其の儘、畑地として何段かの畑が下りて居る。山と畑の境には、植林されたと思われる竹林があり、その先は針葉樹の赤松と広葉樹のブナが山林として続いている。

 隔絶された集落全体を自給自足の場として、山と共に生きて来た人間の営みは、建築材の松、薪・炭材としての生活材、何かと便利他用途な生活物資材としての竹と、上手く配置されている環境が、其処には在った。

隔絶された天空の地が、何もマチュピチだけで無い事を物語っているか様であった。

 廃屋の中は、コンパネで必要最低限の居住性が確保されている。コンパネを敷いた床に、パイプ製の簡易ベットが置かれている。畳を取り除かれたコンパネの住居であるから、椅子とテーブルである。居間として使用される部屋には、アウトドアで使うマット式のシートが敷いてある。
勿論、電気も水道も無い遺棄された集落跡である。ランプの明かりと、沢から引いた水路が、生活水である。土間には大小のプラスチック容器が並び、壁には農作業、山仕事の道具が掛って居る。

 面白いと云えば、サッシ戸を二重にした四畳半スペースのサンルームが真新しいと云った処であろうか。牛か馬でも飼われて居たであろう小屋にも、手が加えられて居る。

 <その2>
 男の仲間は、みんな定年期の不労者達にして、共通項として心奥には、現代に虚ろなる漂流感を抱いて居る。五体を使い五体で感じる生活の中で、<寿命下る儘、土に還りたい>の密やか為る願望を持っている男達でもある。
彼等にとっては、お役御免のロートル生活は、マンネリの連続日々である。この時代、60代は、未だ未だ若い。アルコールが入れば、『番からの遠吠え』宜しく、云いたい放題を繰り返す。暇であるから、何かと聞き齧りで軽口を叩いて仕舞うのが、人間の性と云う物である。

 酒が入れば誰彼が言うのでも無く、熊騒ぎ、猪、鹿の食害騒ぎなどが、聞き齧り、テレビ齧りで極自然に話題に上って、自分達の子供時代に郷愁を感じて終う。そして、盛り上がって仕舞う。過疎地、臨界集落、廃村、自然環境の衰退などを見聞きすると、自然界と人間界には、言として存在した緩衝地帯に話しが及んで仕舞う。

 嘗ての山間地の集落には里山が続き、川が流れて居た。そんな環境の中で子供達は、時間を忘れて遊び呆けて居た。決まって、そんな子供達と一緒に犬・猫達が居た。犬も猫も、そんな半自然の緩衝域では人間に気兼ね無く、彼等のDNAの狩り本能で、兎・蛇・山鳥・ネズミ・モグラを仕留めて食していた物である。

 夏が強く長ければ、秋の紅葉の下には夏の山焼けがある。秋の実りが薄ければ、山の動物達は山を下りて里に出没する。現代は嘗ての緩衝域には、住宅が立ち並ぶ風景である。犬は遠の昔に、人間の手に依って矮小化されて可愛がられる存在に<特化>して仕舞って、『座敷犬化』されている。緩衝域と見回り役の放し飼い犬が、絶えて終った自然界と人間界である。人工の柵を巡らした処で、根本的解決には為らない。

 為らば、いっその事、『ロートル再生団』でも立ち上げようと気勢が上がって仕舞うのである。自然は自然の摂理・食物連鎖の失われた頂点を復活させようかなんて、説も浮上して来る。

 そもそもの切っ掛けが、<気兼ね無く晴耕雨読の、五体で働き感じる老後の郷愁の生活場所が自然の中に在ったら、面白いだろうな。>の願望である。そんな其々の願望が、慌廃進む自然界のアンバランス情報の交換の中で、火が付いて仕舞ったのである。

「そりぁ、食物連鎖を考えれば肉食獣シンリンオオカミの移植しかあるめい。何しろ、由緒正しい日本狼は、明治の末に絶滅しちゃったんだから。ヨーロッパとかアメリカじゃ、狼の移植で成功を収めて居ると云う話だったぜ。」

「ああ、それテレビで遣ってたな。俺も見たよ。」

「俺はさ、常々、人間って便利の中に、唯々諾々として死んで行っても良いのかなって、思う事がある。五体が人間の原初的価値じゃ無いかってね。元気で、五体が動く内に、確かめたいって気持ちが強く為るんだ。
 全部は到底出来ないけど、自給自足の空間に憧れを持って居るんだ。若しかしたら、今が人生で一番、みんな自由な時じゃないかってね。」

「う~む。そうなんだよな。実は俺もな。一人で山の中を歩いて居る時に、そんな事を考えて居るんだ。」

「如何だい。トラさは雑学の大家だから、計画を練って見てよ。仲間内じぁ、トラさが、天涯孤独で自由の身でしょうが。イッヒッヒ~。」

「おいおい、女房が死んだからと云って、お前さん達、示し合せて、俺を人身御供にする心算だろうが。」

「だってさ、現役時代見たいに、一々、海外遊びじぁ金が掛るばかりだし、病気にでも為ったら、言葉の通じない外国じゃ、処置無しだぜ。」

「何て云ったって、自由の利く日本が一番の老後の本拠地でしょうが。そう為りゃ、秘密のスポットで<廃村再生プロジェクト>しかあんめい?」

「そうだそうだ。それが、論理的帰結ってもんだぜ。物は考え様だ。<共同で隔絶ペンション>持てば好いって事さね。トラさが其処の管理人って事で、手を打とうじゃないのよ。」

「好いねぇ。家は未だワイフとラブラブ関係だから、スッパリと浮世は捨てられんのせ。其処行きぁ、人望絶大のトラさは、・・・何しろ、晴れて天涯孤独の独身武者じぁないのさ。一々面倒な説得は、この際、すっ飛ばして多数決にすべや。なぁ、各々方!!」

「異議無し。流石に宴会部長の斬り込み様だぜや。ギャハハ~。」

「何を扱きぁがる。手前等~。他人事だと思って、云いたい放題じゃないか。」

「他に、異議御座いませんか。決議に入ります。動議賛成の方は、挙手願います。」

         賛成、賛成、賛成、賛成、賛成。

「はい、絶対的・圧倒的・非の打ち処なき<動議の可決>ですな。」

「トラさん、仲間を信じて呉れや。管理人のお手当は弾めないけど、勤労奉仕と差し入れはチャンとするから、俺達の夢を代表して実現して呉れよ。頼むよ。」

「そうだよ。俺達だって、トラさが居ないと寂しいからさ。泊まり込みで、勤労奉仕、土産持って遊びに行くからさ。」
 
 こんな酒会の経緯で非情仲間の口車に乗せられて、呆気無くも<ロートル廃村再生団>が結成された次第であった。皆、細々とした年金生活者であるから、海外移住・旅行に現を抜かすほどの財布も無い仲間達なのである。気の合う昔ガッタ坊主の充分な運動量も健康の内であるから、自給自足を基本とした『異空間』が欲しかったのである。

 男は連れ添いを失くしてからは、自由気儘の生活と云うよりは、怠惰の方向に進んでいる自分の生活を時々反省している。詰まりは、張りの無い生活に老いの進みを連想して仕舞う。幾ばくかの非日常の世界への憧れも在った。従って再生団の結成は、満更でも無いと思った。

 <その3>
 春は進み、妊娠中の木曽馬からは、オスの仔馬が生れた。廃集落の耕地跡の自生木は、再生団に依って伐採されて、平地に為って居る。馬の親子は好い環境を得たと云う物である。オオカミ二匹も、大分大きく為って来て、男の後を追って、吠えてじゃれ捲って居る。

 嘗ての集落であるから、其処彼処に梅、桜、桃、柿、葡萄の木が残されて、古木と為って居る。梅・桜の花期は終えて、桃の濃いピンクの花が盛りである。春の強い日差しは、Tシャツ一枚だけでも汗ばむ陽気である。男は逞しかった。男の廃村での生活も、それなりに順調であった。

    今日は、仲間達が差し入れと作業の手伝いに遣って来る日である。

 前回の全員集合の際には、発電機、チェーンソー、耕運機、丸リコなどをトラックに載せて来て貰い、人力、一人仕事では荷が勝ち過ぎる大量の作業を片付けたから、一泊二日で農作物の種蒔き、植え付けをしに遣って来るのである。

「トラさは、生きてるかや~。」「トラさん、元気か~。」「好い物、持って来たぞ~。」

「やあやあ、皆待ってたぞ。短期滞在の慰安婦は、連れて来たか~?」

「馬鹿こけ。ロートル財団にぁ、未だ、金が貯まってねぇよ。」
「トラさ、使途不明金するにぁ、10年早いぜや。イッヒッヒ~。」
「そうだぜ。トラさ、我慢出来無く成ったら、出産明けの<馬慰安婦>が居るんだから、挑戦して呉れや。馬く説得し無いと、股間はヒズメの餌食ズラよ。ギャハハ!!」 

 何時もの口調で、ロートル再生団の面々は握手を交わして、肩を叩き合う。

「リクエストのヒヨコ買って来たよ。餌も買って来たからね。それと、これが鳥小屋の材料だ。」

「俺はさ。ジャガイモ、サツマイモ、サトイモと後は、適当に野菜の種を買って来たよ。」

「俺は街場育ちだから、農業知識が無いから、米、小麦、食料の調達をして来たよ。本当はさ、皆で家畜の子でもなんて話が出たんだけど、それには屠殺しなくちゃ為らないだろ。」

「そんな殺生は出来ないから、鯉・ニジマスを分けて貰って来たんだよ。此処には沢が流れて居るし、皆で池を作ればさ。タンパク質の補充に為るだろ。沢で調達し過ぎると、資源の枯渇なんて直ぐだからな。アハハ。」

「やあやあ、皆、色々と考えて呉れて居るんだなぁ。有難いねぇ。まぁ、尤も、俺は皆にロビンソン・クルーソに無理矢理させられちゃったんだからな。
 この位の事をして貰わないと、本当の<狂う造の廃人・餓死者>にされちゃうからな。頼むぜや。皆の衆。」

「トラさ、何も心配要らない。俺達ぁ、一蓮托生の同士だぜ。」

「ホント、ホント。変な話だけどもさ。男にはクルーソーだとかハックルベル見たいな生活への憧景心見たいな物が、生き続けているだろ。それが運動部の合宿生活だとか、アウトドア・コンパ見たいな物を好むんだろな。」

「云って見たら、そんな童心の居場所を得た見たいでさ。色々考えて、物を作ったり用意するのが、何か楽しいんだよ。変な話、浮き浮きしちゃうんだよ。アハハ。」

「そうそう、カズちゃんの云う事、<大正解>なんだよ。分かる分かる。」

「そうなんだよ。独りでしたら変人過ぎて、そんな勇気が出無いんだけど、此処ではさ、皆で協力して作り上げて行く『秘密の基地見たいな愉快感』が在るんだよな。何しろ、管理人がトラさだもの。安心出来るからな。」
 
 皆、屈託の無い気の合う運動部の連中見たいな、付き合いの長いグループである。全員が全身に汗を掻いて仕事を終えた後は、定番のバーベキューで、呑んで食べて夜空に、肩を組んで唄った。

             <灰色森林狼に恋する男>
 <その1>
 それは落ち葉から、木枯らしが広葉樹の残り葉を一枚の凝らず剥ぎ取って行く初冬のシーズンの事であった。寒々とした晴天の空にトビが円を描き、西のアルプスの連山は、彫刻の様な灰色の山肌に、くっきりとした鋭利な白銀を輝かせ始めて居た。

 私は思う処が在って、車でM湖まで上って来た。標高を上げれば上げるほどに、C盆地を取り巻く山々は、裾を灰色の霞みに隠して聳え立つ。そんな眺望に、盆地は深く沈み込んで、人間の生活は殊更小さく見える。広葉樹の山林は色を落して、松の常緑も冬の眠り色に入る。自然のスケールの大きさと人間のスケールの小ささの対比をするには、これ程のコントラストは無い。

 人間の精神とは、つくづくと奇妙な構造に為って居る。身の回りの生活にだけ目を向けて居ると、如何しても人間界に偏ったギスギス感で不機嫌に為って来る。多分、それは視覚と精神の関係で、視覚に囚われ過ぎる帰来が精神の在り様に、大きな影響を与えて居る為であろう。
 そんな<偏向性>の調整に、四季の折り々に、私は車で此処まで遣って来る。勿論、M湖はシーズンオフであるから、誰も居ない。寒々とした湖面には、幾筋もの生き物の様な形で風が走る。M湖の眺めは、静寂にして何かを問い掛けて来る。標高の高さと閑散とした山中の景色は、真に寒い。ジャンバーの襟を立てて、ポケットに手を入れているが、顔よりも耳が寒い。

 私は車を落ち葉が堆積する駐車場に置いて、靴に履き替え、帽子を被り手袋をする。湖畔の散歩道から南へ進むと、旧開拓耕地が拡がって居る。それは、起伏の小さな山の続きが在る。現在は一部がゲートボール、マレットゴルフ場、高原野菜の耕地とは為って居るが、大半には自然回帰が進んでいる。

 この辺りは、カラマツの人工林である。その林の中に入ると、落葉した腐葉土のクッションと山の臭いがして、良い気分なのである。落葉したカラマツ林の中は、日差しが明るい。野鳥達が、梢、小枝を渡って、高く、低く渡って行く。それは、小さな音、気配が、身近に感じる空間である。

 私は気分が好かったので、大分歩いた。二山は越して来ただろうか・・・ 帰りの事も有るから、この位で帰る事にしようと考えて、切り株にどっかりと腰を下ろして、ポケットに忍ばせて来たピーナツ&レーズンを頬張りながら、ポットのお茶で喉を潤す。

 山中であるから、眺望の雄大さは望めないが、山の腹の中に抱かれている。・・・奇妙では在るが、母親の胎内に居る・・・そんな気分である。静寂の中のただ一人の存在では在るが、不思議と不安感は沸いて来ない。

 日差し、山風、山の臭い、小さな野鳥達の声、その動く物音、気配などが、全て自然の呼吸の内に居る様にさえ感じられる。これは不安さの無い、静寂さに満ちている世界とでも言うのだろう。その振幅は、深く波長の長い呼吸である。

              静寂の終わりは、突然に遣って来た。

 <その2>
 ドドッとニホンシカの一団が、峰の背から突如として視界に躍り出たのである。大きな一頭を先頭に、四頭が続いて走って来る。私の様な人間にとっては、こんなシーンを目撃出来るのは、『人生、至福のシーン』と言って良い。
 野性の躍動感は、神秘さ、威厳すらも感じさせる。それは爆走状態の中の、一瞬の静止ショットで在った。次に私の視界に、吠え盛る野犬の群れの様な物が写った。大きい、灰色、『狩り』を剥き出しにした牙の追走の一団であった。

 シカと牙の静止ショットで、頭が緊迫状態で占領されては居たが、私の脳裏には殺気立って緊迫したシーン全体が、凝縮されて残った。逃げる、追うの一団は、幾つかのショットを焼き付けて、疾風の様に起伏の中に、数秒の中で消えて行った。

            
   追走集団の体格、頭部のデカさに、或る『直感』が走った。

 ネイチャー番組で良く見掛けるあれは、シンリンオオカミに違い無かった。日本狼は残念ながら、明治の末に絶滅している。日本の環境中で適応して来た日本狼の標本は、日本犬の中型種程度の大きさである。

 私が目撃した動物は、ニホンシカと比べて、体長に於いては殆ど変わらず、シカとの差は、体高の違いだけであった。それと、犬と比べて頭部がデカかった。

          帰りの車中で、残像の正体を反芻して見る。

 動物の大きさは、寒冷の北に行くほど寒さ対策で、身体が大きく為るのだと云う。鹿、熊が、その典型との事である。イヌ属で一番大型なのが、オオカミと云う事でもある。勿論、オオカミがイヌの祖先との事であるから、日本犬と日本狼の大きさも、相関関係があって然るべきと考えて良かろう。日本犬の大型種と云えば、精々が秋田犬の大きさである。

     大きさが、丸で違って居た。顔相は、犬よりも尖って長かった。

※犬の起源は、4~1・5万年前との事である。犬が最初の家畜であり、犬の祖先・狼は、数十万年に亘る<人間との共通の地理的分布域及び生活環境>で暮らして居り、互いに、その中で人間と狼は頻繁に遭遇して居た間柄であったと云う。

 こんな記述を見ると、ケビン・コスナーのダンスウイズウルブスの映画が彷彿される次第である。

 1・5万年にも及ぶ家畜化・犬としての生活をする内に、狼の頭部は犬の頭部へと進んだと見て良かろう。従って、長い鼻面・デカイ頭部は、狼の証と直感したのである。

※博物学者シートンの<オオカミ王・ロボ>の物語で有名なアメリカでは、牧畜の死神としてオオカミが絶滅の運命を辿った。それまで自然界の食物連鎖の頂点に君臨して居たオオカミを失った自然界では、草食動物の天下に為った。困った米国は、ヨーロッパからシンリンオオカミを導入した。そんなオオカミ保護政策で、自然界の食物連鎖の復元・復興に成功しているとの事である。

 これに対して、小型種の日本狼は、牧畜を営まない山間・里山の農業であったから、民話の中に登場する狼は、実に人間との関係が良好であったらしい。現代的用語法での『送り狼』は、子羊女を言葉巧みに親切振って送り、隙を見て柔肌・蜜壷を喰らうと云う<レイプ魔>の用法が一般的との由。
 然しながら、本来の『送り狼』の意味する処は、夜道を心細く歩く人間を一定の距離を置いて、危険から身を守って遣ると云う『見守り狼』の意味との事である。

 兎角、西洋人、取り分けアングロサクソン系の白人は、好戦的思想の持ち主で、敵味方の区別だけの、『人間利害』で一方的に決め付けて終う民族性なのであろう。そんな処が、四季の移ろいの中での『自然との共生観念』に基づいての、花鳥風月を愉しむ優雅さに欠けているのであろう。

 荒野には一神教のキリスト教、イスラム教。豊かな山河には、生きるもの全てが衆生輪廻の仏教慈愛。まぁ、日本人には、そんな宗教根源感想も浮かんで仕舞う次第である。

 然しながら還元型の経済から、西洋合理主義に基づく産業合理主義の蔓延で、日本でも採算性の取れ無く為って仕舞った林業は、すっかり廃って果てて久しい。いきおい野放し状態の山野では、草食系の熊、猪、鹿、猿、兎が大増殖して森林被害は云うに及ばず、自然界と人間界の緩衝域・境界線が総崩れして、山の実り具合では、日常的に熊、猪、鹿、猿が人家、住宅地を徘徊して居るご時世と為って久しい処でもある。

 加えて先月には、山間地でのニホンシカの食害・行動被害に依って、自然環境への悪影響に加速が掛って居る由で、防護柵設置に協力金の要請が回覧板で回って来て居た次第でも在った。

 米国の成功例に倣って、日本にも山地の生態系をシンリンオオカミの導入を以って、好転させようと云う動きも在るとの事であるが、原生林、平地部の多い米国の自然と山々が重なり合う傾斜地の日本の地形の違いに、導入計画には反対意見が通説との事である。

       以上は、田舎暮らしの動物好きな私の雑学の一部である。

 変な話では在るが、就学前の私は、家のオオカミタイプの番犬Sに見守られて遊んで居た物である。そんな賢犬Sへの思い入れが小さい時の刷り込みと為って、オオカミに対しては人一倍強い親近感を持ち続けている。古今東西、人間とオオカミの親密な関係は、時として奇蹟の様な物語を残して居る処でもある。

 私としては人間界と自然界は、明確な方が良いと考えるタイプであるから、物理的人工的な防護柵設置よりも、自然界の食物連鎖・天敵の導入を以って、自然バランスを標榜した方が良いと思うのだが・・・以上、長々と私の個人的な狼考を打って見た。へへへ。

 そんな事も手伝って、先を越されたシンリンオオカミ導入策と確信した次第であった。

 <その3>
 日本の国土の7割以上が山岳山林で占められている。私にとっては、森林界の生態連鎖の頂点に君臨する社会性が富に発達した<灰色シンリンオオカミの存在>は、神々しさすら妄想する『神秘の生き物の地位』を保っている。その後の私は居ても立ても居られずに、定年退職の身をM湖周辺に足繁く通った。

★幾ら何でも北欧のシンリンオオカミが、この処の地球環境の大変化?か・・・日本でも頻繁に発生して、猛威を振るう竜巻で<突如降臨>する訳が無いのであるからして。誰かが彼等を導入した筈である。

 この処の私は、興味分野の獲得で活き活きとしている。知れば知るほどに、彼等の生態は興味深かった。オオカミの繁殖は、年一回4~6頭 成体には一年を要す。オスメス1Pを中心にして、血縁関係の2~15頭の社会的群れを形成して、縄張りを持つ。彼等の平均寿命は、15年との事である。

★そう考えれば、ニホンシカを追って居たオオカミファミリーは、最小期間でも2年内外と見て良さそうである。必ず彼等の背後には人間が居る筈である。

 人と縄張りの関係、送り狼=見守り狼の習性から推察して、私は定点観察を実行しようと考えた。勿論、遭遇したM湖北に拡がる旧開拓地を中心する一帯である。山地では在るが、山間の野生動物と云えども、傾斜地より平坦地の方が、行動するには楽に違いあるまい。

 私は山の稜線を双眼鏡を持って、存在を晒す様にして歩き回る。そんなエリアと時間帯を決めての観察を始めたのである。動物の足跡を求めて観察歩行をすれば、糞、足跡も見えて来る。開拓地と云えども農業には水が必要であるから、山上湖からの用水跡も分かって来る。それを辿って見ると、山の水の滲み出る凹地には、動物達がミネラル補給とするヌタ場と云われる場所も確認出来る。私の観察行動は、姿を見せない彼等にとっても、きっと私が観察されている筈である。

 ヌタ場は泥濘(ぬかるみ)であるから、此処に遣って来る動物達の足跡が無数にあるし、その形、大きさ、深さで、動物達の正体も凡その推定は付く。私は小さい頃から人間よりも自然の方に、興味が在った。そんな事で、興味は知らず知らずの内にも雑学知識の様な物を蓄積させる。これは、自然の流れでもである。便利な世の中であるから、興味さえ持てば、図書館・本・ネット検索が出来る。

※こんな事を始めると、団塊世代の男と云う物は、押し並べて西部劇ファンの時代であった。騎兵隊の斥候役には決まって、インディアンが案内役として登場して居た物である。

 彼等は、地面に残された蹄跡で、その頭数、乗せて居る人間の男女、大人・子供、何時間経過・・・etcを言い当てて居た物である。

 そんな映画の中で、私の一番印象に残っているのは、ゲーリー・クーパー、バート・ランカスター主演の<ベラクルス>である。侯爵夫人の乗る馬車が、川を渡る際に残したワダチの深さに、馬車には何かが隠されていると踏んだ二人が、夜陰に乗じて調べるや・・・馬車のカラクリの中から大量の金貨が隠して在るのを発見して、不敵にニヤリと笑う二人であった。

 余談はさて置き、人間は幾つに為っても、何か目的を持つと楽しい物なのである。まぁ、そんな事を知らない他人からすると、私はこの処、<変な妄想行動>をして居ると言った処であろう。ギャハハ!!

 ヌタ場の発見は、最大の観測地点と為った。そして、私は泥濘の中に人間の足跡を見たのである。それはオオカミの足跡と戯れる様に在ったから、足跡の主とオオカミ達はコミニュケーションの取れた関係である事が、苦も無く推察出来た。

              『やっぱりな、睨んだ通りだ。』

 予想が的中すると、人間は握り拳を上げて<遣った、遣った。>と歓喜の声を挙げたくなる物である。それでも、私は奥ゆかしい人間である。ギュッと握り締めた両の拳をグッグッと上下に振って満面の笑みで在った。

 山の稜線を往復して、ヌタ場を点検する日々は、既に3週間に及んで居た。二度双眼鏡にオオカミの影が走ったのみで、観察も出来なかった次第で在るが・・・私の感覚の中には、監視されている様な感じがズーと続いて居た。彼等が人間の手の中に居ると考えれば、彼等が私を敵視する事は無いだろう。その内に、堂々と姿を現わして近付いて来る。それが、人間と一緒に居るオオカミの習性だと感じた。・・・如何云う訳か、私には『根拠の無い自信』が在った。

★そんな訳で、私は同じ時間に同じコースをゆっくりと周回して、彼等の認知を待った。

 相変わらず、彼等は姿さえ見せなかった物の、彼等の遠吠えが確りと、そして場所を決めて居るかの様に発せられて居た。それは、私がM湖畔の散歩道から旧開拓地に足を踏み入れると、先ず最初の遠吠えが起こり、山の稜線の折り返し点での第二声、そして帰り際の第三声であった。

 日を追って、彼等の遠吠えは、私の耳には獣性から野性、野生から認知の挨拶の様な感じにまで変化して行ったのである。獣性→野性→認知への変化は、思考上から離れた身体の根底にある私の野生が感じる感覚であった。そして、これは<耳慣れ>とは違った『何かが、在る。』と云った確信でも在った。

 思えば、狼犬Sは夕暮れに為ると、トイレのコンクリートの上に立って、暮れなずむ西のアルプスの稜線に向かって、何度も何度も、狂おしいまでの遠吠えを繰り返して居た物である。就学前の私には、それが野性の血でも在り、生まれ育った北の大地への望郷の遠吠えにも聞こえた物である。就学前の私にとっては、彼女は犬では無かった。普段は大人しく、事が在ると猛然と疾走する。家族以外の者が近付くのを嫌い、他人の差し出す餌には一切目も呉れない。静と動が体現されて居た。彼女は、私のお手本として居た格上の存在で在り続けて居た。

 私には、そんな事が脳裏に蘇って居た。もう忘れて終ったが、きっと私は彼女の横にチョコンと座って、毎夕の遠吠えを見て居たのであろう。そして、遠吠えの色調違いの中に彼女の感情・心象風景と言った物を、感性として脳裏の底に記憶していたのであろう。

★それが、遠吠えの中に込められた彼等の意志を、感じ取っていたのであろう。それが、私の中での確信の根底に繋がっている・・・

 <その4>
 その日は、意外と早く遣って来た。11月の下旬であった。今年の秋は、駆け足の様相を呈していた。大地は、雨から遠ざかって居た。紅葉を落した渇いた落ち葉が、寒風に追われてカサカサと地面を走って居た。M湖の駐車場に車を止めて、湖畔の散歩道を抜けて、旧開拓村の耕作地跡に歩く。

 耕地跡の半ば程に来ると、左横のカラマツの林に動くものがある。彼等がとうとう姿を現わしたのである。大きな体格の物は、オスであろう。序列社会と云われて居るから、オスの後ろはメスであろう。その後ろには、その子達の若オオカミ4頭が続いて、10m程の距離を開けて、ゆっくりと並行して歩いて居るのであった。群れは、実に堂々とした物である。

  オオカミの一団は声も発せずに、そんな状態で何分も並行して歩いて居た。

 西部劇で云えば、稜線に現れたインディアンの騎馬集団が、平地の白人主人公の騎馬と並行して騎馬を向けて、進んで行く。映画的手法からすると、ゆっくり小さく始まったBGMの序曲が、次第にテンポとボリュームを上げて、畳み掛ける様な曲調に変わる。ハオ、ハオ、ハオ、インディアン軍団の裸馬が土煙を挙げて、一気に丘を駆け下がる。西部劇でお馴染みの『逃げる者と追う者の活劇シーン』が炸裂する予兆満載の場面である。

 一方、現実の私の心境たるや・・・認知の期待とは裏腹に、実物のオオカミ集団との対峙をして見ると、・・・

ベクトルの矢印は認知→野性→獣性へと一瞬の内に、逆方向へ真っ逆様の背筋の凍る緊迫感でしか無かった。私は迫り来る恐怖の緊迫感に掴って居る。既に足がガクガクと委縮し始めている。

★『如何する、如何する。』の呼吸と思考の錯走で在った。

 オオカミの一団は平行の距離から、角度を変えて交差の並行に移っている。一頭一頭の顔が、はっきり見えて居る・・・

 腹を決めるしか無かった。私は歩くのを止めて、大きく息を吸い込んで、地面に胡坐を掻いた。内心は怖くて、心臓が喉から飛び出る程に、ガンガンと高鳴って居たが、私も人間であり『動物のオス』である。彼等も何週間も・・・充分過ぎる程の観察をして来て居る筈である。

★此処は、痩せ我慢の人間オス。オス同士の見栄の対峙である。

 目を逸らしたら負けである。血の気が退いて行く叫びたい様な衝動を抑え様と、深呼吸を繰り返す。血の気が失っても、高鳴る心音は、恐怖である。心臓からポンプアップされた圧迫の震えを、フーと吐き出し、スーと息をする。スー、フー、息の繰り返しで抑える。その一方で、私は目を逸らさずに、ボスオオカミの目を凝視して居た。

 暫くの目合わせの後、ボスオオカミが一声吠えると、他のオオカミ達は前足を揃えて据わったのである。ボスオオカミが、頭を垂れる様にして低くして、ゆっくりと私の方に歩んで来た。

それは攻撃性と和性の振幅を体現して<野性と獣性の凄味>が発散されて居た。私は、彼の和性を信じるしか無い。彼の目一点に、私の目の照準を合わせた儘、瞬きを我慢して見続ける。

★呼吸は、苦しく無かった。

 彼は1mの距離を保って、ゆっくりと足音を忍ばせる態勢で、私の回りを臭いを嗅ぎながら一回りした。何時でも一撃の攻撃を秘めた、その動きは、後ろ脚に重心を残したままの動きである。それは、1分の隙も無い野性の鋭利な眼光で在った。そして、更に近付いて来て、鼻を私の頬に掠める様にして当てて来た。

 デカイ頭に尖った鼻面。生温かい湿気った息、赤く長いベロが、私の顔を舐め始めた。その口の大きさ、牙の大きさに、全身が震えて蚤の心臓は、今にも口から出て終うほどの緊張感であった。

 攻撃性から和性に拡がるボスオオカミの目は優しかった。見ると彼の太い尾は、横に振れれて居た。『認知の情』に応えるのが、<生物の礼儀>である。人間とオオカミの交わりは、太古の昔何万年前にも遡るのである。礼儀知らずと、ガブリ遣られて仕舞うのでは堪らないから、此処は私の<踏ん張り処>である。

 両手でデカイ頭部を軽く挟んで、鼻と鼻をくっ付けて、ペロリと黒い鼻を舐め上げて遣った。それがボスオオカミの望み通りだったのだろうか。私はその太い前足で手荒く転ばされ、上に圧し掛かられて、顔中を涎一杯の舌で舐め尽かされる。

 何時の間に忍び寄って居たのか、私はオオカミ達に、徹底して圧し掛かられて、舐めくり回されて居る有り様であった。堪らんから、置き上がって立てば、ボスが前足を挙げて浴びせ倒しで、私を苦も無く組伏して仕舞う。人と狼の力の差は、歴然としていた。

              ダジュケテ、もう、ゴージャン~。

 <その5>
 私は彼等ハイイロオオカミ集団から、目出度く『認知』を受けた次第である。お互いに敵意が無い事を交換出来ると、人間も動物の同類である。吾が家を縄張りに置くキジバト、ヒヨドリ、シジューカラ、ジョウービタキ、メジロ、蝶と云った具合に、相手が狩りの対象で無い限り<一定の距離間>を保ったまま、縄張り内に居る事が出来る様である。

 勿論、彼等の背後居る人物には、大きな興味がある。それでも、私は感覚が普通の人からズレて居るのだろう。積極的に知ろうと云う気は、起こらなかった。

 私のM湖通いは、短時間に為り隔日と為って行った。それでも、開拓耕地に行けば何処からとも無く、オオカミ達が現れ、彼等とのスキンシップを交わす事が出来た。

 そんな余裕が出来ると、確かに人間とは考える葦の側面を有している物である。雑学で貯め込んで来たオオカミと人間の関係、オオカミと犬の関係などが、活字知識から現実観察へと移行して居るのであるから、可笑しな感じに浸かって仕舞うのである。まぁ、これも結果オーライの、何時もながらの私の自惚れ気性の『我田引水』にしか過ぎない感想では在るが・・・

 或る時、山中に一筋の煙を見付けた。その方向は、M高原に向かう有料道路の通って居る方向で在った。M湖とM高原の中間辺りには、中学生の頃、仲間とハイキング兼釣りに行った小さな山上池が在った。何十年も行っては居なかったが、あの辺りにはなだらかな展望の利く傾斜地が拡がって居た筈である。中学三年の夏休みには、学年のキャンプ地と為って居た池の周りで在った。

 懐かしい思い出であった。何故か、オオカミとその人物が結び付いて、私は車を走らせた。小さな池は、未だ其処に在った。中学生時代に遊んだ池は、記憶の中の池と然程の大きさの違いは無かった。車から降りて、双眼鏡で周辺を探して見た。

 小さなログハウスの廃屋が、上方のなだらかな斜面の中に数軒見えた。その一つの煙突から、薄い煙が山風の中にたなびいて居た。焦点を絞って、ツブさに見て行くと馬が居る。鶏が居る。そしてオオカミ達が居た。初冬の日暮は早く寒い。場所が分かったから、何時でも訪ねる事が出来る。私は帰路に付いた。

 <その6>
 その日は、霧の濃い朝であった。霧の日は、好天に恵まれる。平地を抜けて、山の迫った北の登り口からM湖に車を走らせた。山は未だ霧の中に在ったから、ライトを点けて走った。

 途中、展望の利くカーブがあるから、車から降りてホットの無糖缶コーヒーを飲む。霧は太陽光に消されて、盆地から這い出て山々をゆっくり昇って行く。山の入り具合に依って、太陽光の当たりで地表の温度が異なるのだろう。霧の濃淡、高低が織りなす風景は、神秘的である。
 ずんぐりして黒い頭、白い頬、黒い首、脇腹の濃い茶のヤマガラは、人を余り気にしない野鳥である。ヤマガラの数匹の群れが、思い思いの格好で、餌を探しながらサッサッと赤松の小枝を渡って行く。

 コーヒーと煙草の一服をして、M湖を素通りして、カーブに次ぐカーブを上って行く。山中池の袂に車を止める。標高が高いから、大分寒い。霧に大分包まれている。

 白樺だろうか、混成林は、広葉樹よりも針葉樹が多い然程の傾斜では無い斜面に、車一台が通れる道路が、殺風景に伸びているだけである。霧は晴れて薄い青空が、覆い被さる様に広いM高原の上に在った。頂上は雲に隠れて居る。この辺りはバブル期には、別荘がブームではあったが、今は、その辺鄙さと景気の低迷で、見るからに荒れたバブルの残滓を晒して居る感じである。

 煙の出ているログハウスは、針葉樹にスッポリ埋まった様に在った。私の存在を嗅ぎ付けて、灰色のシンリンオオカミの一頭がノッソリ現れて、近付いて来た。私は既に認知が完了して居るから、その頭、背中をポンポンと軽く叩いて、『今日は、俺が遊びに来たぞ。』と言葉を掛けた。

 オオカミは、丸で犬がじゃれる様にして、私の脚にズッシリとした体重を何回も擦り付ける。そして、ゥゥと低い声を出して、案内するとでも云う態度で、私の前を歩き始めた。

 ハウスの周りには、斜面を削って、3段の平地が造られて居た。在来種の木曽馬だろうか、馬が一頭繋がれている。2段目の平地はかなり広く、こじんまりとした畑地と為っている。3段目には屋根の有る物置き風の小置が在る。ブルーシートを被せた薪の集積が在る。これから薪にするのだろう倒木が何本か積まれている。地鳥の様な褐色の鶏達が、半ば放し飼いの様にされている。

 私が2段目の畑地の辺りまで下りて来ると、ログハウスのドアが開いて、オオカミを連れた男が出て来た。私と同年輩の男である。見事な白髪と顔を覆う白い髭面に、がっしりした体躯の持ち主である。そんな男が、手を振っている。

「車は何処に置いて来た~。」
「池の端~。」

「ようこそ。」と握手を求めて来た手は頑丈で在った。精悍な顔付である。その目は、穏やかにして据わって居た。私は堂々とした風格に、これは大した経歴の持ち主であろう事は、容易に判断で来た。男の名前は長尾信虎と言った。そして、煙草のヤニで黄色くなった歯で、<変人のトラ>で好いよと、相想の好い笑顔で言った。
 変人のトラと自己紹介されて仕舞っては、私としては<落語長屋の八っつあん>と応じるしかあるまい。へへへ。
 
 ログハウスの造りは、至って簡素である。ベットの小さな寝室が2、浴室、台所、10畳程のフロアだけである。フロアの中心に鋳物製の小学校の時のダルマストーブを彷彿とさせる薪ストーブが、チロチロ燃えて大きなヤカンが湯気を立ち上らせて居る。木製の机と椅子がある。床には厚い古びたカーペットが敷かれている。オオカミが、二頭大きな図体で寝そべっている。窓は流石に寒冷地であるから、二重サッシと為って居る。卓上ラジオが在るだけで、ランプが部屋々に掛っている。

「何も無いでしょう。でも、こいつ等と暮らすには、これで用が足りるんだわ。八っつぁん、インスタントのコーヒーしか無いよ。それで好いかい?」
「ええ、それで十分だんね。」

 トラさんは、瀬戸物のコーヒー茶碗の埃を、フッと息で吹き飛ばしてスプーンでインスタントを一匙落として、ヤカンの湯を注いで私に渡して、自分にも同様に湯を注ぐ。

「そうそう、これに、砂糖代わりのウィスキーを入れるのが、俺流でね。」
「そぅ。実は、俺もそうするんだわ。何か、可笑しな感想だけど、初対面の気がしないわ。」

 トラさんは、気さくで饒舌の人であった。問わず語りで、この生活を始めた経緯を語って呉れた。オオカミは、一頭はトラさんの横に、一頭は何時の間にか私の横に来て、大きな図体でゴロンと腹を見せている。

 <終章・男二人>
   ★トラさんの話は身振り手振りを交えての話であったから、面白かった。

 そして、彼の仲間が同時代の男達である。友情物語が、好く活写されていた。私が彼等の中に飛び入り参加しても、其の儘に、話の中に入って行ける程の共有感満載の内容であった。

「面白いものでねぇ。冬に為ると、ヤマネが冬眠に来るんだよ。独り暮らしのコツは、思った事は、声に出す事でね。そうすると不思議なもので、動物達は人間以上に賢いんだよ。

 きっと表情・動作と言葉を結び付けるんじゃないかと思うんだけどね。以外と通じるんだよ。人間ばかりと付き合って居ると、人間は不遜に為る。

 ほら、相手が外人で、お互い言葉が不自由だと言葉を言っててもさ、言葉は目的じゃないだろ。お互い、相手が何を伝えたいかを知ろうとか、理解しようとする気持ちが先行するでしょ。そんな感じ。分かるでしょ。

 そんな事で、言葉は二の次なんだよね。オオカミも馬も鶏も、堂々と自分達の言葉を出せば、以心伝心の共同生活が出来る。然程、寂しいとは思わなく為る。ロビンソン・クルーソーも以外と<リビン・作る造>だったかもね。アハハハ。」

 彼は、そんな生活を2年ほど過ごしたと云う。自然の中で、動物と暮らす様に為ってトラさんは、よく夢を見る様になったと云う。それは同じ夢だったと言う。

①遠い遥か昔、樹海に拡がる盆地に、四方の屏風の様に聳える山々から幾筋の川が流れる。それが長い、長い一本の蛇行が、盆地を東西に分けて南から北に横たわって居る。川の中州に、オオカミの軍団と暮らす縄文人の生活の夢だったと言う。川を結んで、上流の民と下流の民との交流は、長閑にして素朴、豊かであったと言う。

②共同生活者の人間とオオカミの生活が規模を大きくした時に、彼等の中に『分化』が起こった。主従のグループと別離して、人間とオオカミの協働を維持して行こうとするグループが、新天地に向けて分派して行った。

③悠久の時を流れて、夢の舞台は盆地には水稲田が、川筋に拡がり盆地を埋め尽して居た樹海は、後退して居たとの事である。それでも、南の山々の重なり合う中腹には、広大に拡がる疎林の傾斜地が天空の台地の様に悠然と眠っていたと言う。

 矢張り、其処にもオオカミを軍団とする白人女性と放牧をする男の世界が在ったと言う。

「何か、そんな夢ばかり見る様に為って仕舞ってね。ほら、何時もはオオカミ達と暮らして居るだろ。こんな生活をして居ると、実に変な感覚と云うか、錯覚に陥って仕舞うんだろね。自然の腹の中で居る感じで、時間がストップして仕舞う。

 人間の生きる時の長さなんか、自然の時の営みからすると、<空気に浮遊する埃>見たいな物でさ。でもねぇ、『生物のDNAは、時を遡る』んだよね。不思議な感覚なんだよね。これって、ほら、『先祖帰り』って言葉あるでしょ。これ、俺の実感だよ。アハハ。」

 彼はコーヒーに湯を注いで、トクトクとウィスキーを落として煙草を燻らせる。カップの湯気にウィスキーの香りがプーンと匂い立つ。一口飲んで、話を続ける。

「そんな生活をして居ると、夢は、夢で無く成って来るんだよ。そうそう、一時、流行った言葉で、これって『デジャブ=既知感』ってヤツじゃないかって、酷く感心しちゃってさ。そう為るとさ。俺を呼んで居る声の正体見たいな物を確かめたくなるのが、俺の性分なんだよな。幸い、俺の仲間が、ロートル廃村再生団を引き継いで呉れる運びになってさ。

 それで、俺は一人、俺の内部の声に惹き付かれる様に、此処に来たんだわ。そして、<既知の風景を目撃した>のさ。正夢・・・そうじゃ無いな。DNAの故郷に戻って来たのさ。如何だい? 伊達に仲間から<変人のトラさ>なんて呼ばれて無いでしょうが。ガハハ。」

 私は、口には出さなかったが、小編<ギュンとクンの伝説><人と狼の伝説の地を訪ねて><天空の台地>を頭の中で準りながら、彼を眺めていた。彼の語る内容は奇想天外にして傑作な話ではあったが、私には否定出来る話では無かった。

 彼の分厚い胸板の体躯は、骨太でがっしりして逞しかった。それに引き換え、細面の高い鼻、彫の深い整った顔は、何処となく白人のDNAが、何時の時代にか入って居るかの様でも在り、知的で温厚である。男の饒舌でユーモアを持った飾らぬ言葉使いで構成される語りである。
 彼が相当な知識と教養、哲学、身体能力、強い意志、人望の持ち主である事を、物語って居る。

 涼やかにして穏やかに据わった彼の眼には、物音に対する鋭い判断が内蔵されても居た。ヌタ場の足跡から、灰色狼と暮らすこの男は只者では無いと直感して居た。男を実際を見て、これが『自然体の凄み』なのであろうと痛く感心する。

         車までオオカミと一緒に来た彼が、別れ際言った。

「兄弟。又来てよ。同じギュンのDNAの継承は、直感で分かって居たよ。アハハ。」
「有難う。俺達は兄弟だったな。じぁ。又来るよ。」

    帰路、見晴らしの良いカーブの所で車を止めて、夜の眺望に向かう。

人口の灯火の海と濃淡に重なり合い続く山並み。凍み上がる夜空に星々の煌々たる小さな輝きは、ダイヤモンドの冷たさに見えた。

 ウォオ~ン、ウォオ~ン、オオ・オオン~。ウゥオ~ン、ウォオン~、・・・・

 灰色狼の遠吠えが、私には時空を遡上する拡がりに聞こえた。沈む様に横たわる盆地に煌めく灯火の海に、オオカミ達の遠吠えが、時に雄々しく、悲しく、時に哀しく、時に私への親愛を込める様に、失われた時空を求めて、低く高く野性の糸を引いて、満天の凍て付く星々に、凛とした宙に放たれて行く・・・

 古代に於いて、言と事が同一の概念だったと云う。言と事は、共にコトと読む。声に出した言葉が現実の事象に対して、何らかの影響を与えると信じられていた万葉人の世界。幸、災の吉凶を齎(もたら)す一度発せられた言葉は、霊・魂の宿る存在として、言霊・言魂(ことだま)として慎重に用いられて来たと云う事を読んだ事が有る。

 私は冬の眺望に在って、灰色狼達の遠吠えに、言霊・言魂をはっきり聞いた感じがした。そして、宇宙の拡がりの神秘さの内に在る魂の存在を、見る思いに捉われて居た。深々と底冷えする闇の眺望では在ったが、去り難かった。

                   夢奇譚第14部・二人の男・・・完

                    20012/10/26 by アガタ・リョウ











心何処ーショート 意外や意外で、アッシャ真面目なんでしょうかね?
      意外や意外で、アッシャ真面目なんでしょうかね?(11/4/12)
 昨日の事である。煙草でも吸いながら、外の景色でもと思って外に出ると、老女さんがとぼとぼ歩いて来る。この時間帯の散歩では、チョイと寒かっただろうと思いながら、木の上の方に鈴生りになっている柿の実を見上げて居ると、声を掛けられた。

 おやおやUのオバさんである。寒さも有るのだろうが、老け込んで油気の無い顔である。<干し柿にするんだったら、持って行くかい?>と聞くと、<皮を剥くのが面倒だから、良い>と言う。<オバさん、何処のお姫(ひい)様だいね。華族制度は遠の昔に廃止されましたがね。女の風上にも置け無ぇや。熟柿と吊るし柿どっちが好きだいね。>と聞くと、『干し柿』だとノタマウから、吊るし柿一連を一人暮らしのオバさん(80)をプレゼントする。<折角、男の人が剥いた物を、畏れ多くて、頂戴する訳には行かないよ。>と、減らず口を叩く。

「如何って事も無いわね。一連プレゼントした事を<励み>に、明日、また採って皮を剥いて、吊るせば良いだけの事だわさ。柿は一年に一回しか実らないんだから、年寄りは、若輩者の云う事を聞くもんだ。軒下に掛けときましょや。風物詩で俳句でも創りましょ。」と言うと、嬉しそうに、「じゃ、遠慮なく頂戴します。」と帰って行った。へへへ。

 Uのオバさんは、若い頃は、隙の無い美人さんであった。そんな事で、矍鑠として一人暮らしを続けて居られる。雰囲気としては、吾が老母と同様のバリアの持ち主である。

 乱れ切った世相・政治に就いても、はっきりした物言いをするから、話をして居ても面白いご婦人である。きっと出来が良いから、『個性的な面白み』には欠けるが、話を振ると次から次と感想・意見が返って来る処が、大した物なのである。

 へへへ、そんな事で、明日から仕事であるから、朝の内に屋根に上って、高枝鋏で柿採りをして、先程まで日向ぼっこ方々、ラジオを聞きながら老母と皮剥きをして、吊るし柿作業をして居た次第である。私としては、プレゼントして柿簾の数を増やしたと云う処である。ギャハハ!!

 柿をビクから廊下に開けると、その数にウンザリするのではあるが、作業なんて物は、我慢して遣れば数が減って行き、紐をクルクル回して物干竿に掛ければ、終わるのである。私は女族とは違って、熟柿は性に合わない。然しながら、ご婦人方には、結構熟柿派が居られる由である。20~30個は、皮を剥かずに熟柿にして、老母並びに老母周りの<口の足し>にする。これまた、発想の転換の手抜きでもある。

 そうそう、昨日は久し振りに、松平定知さんの歴史スペシャル版・蒙古来襲があった。私は松平さんの古くからのファンである。歴史物は、名調子・松平さんじゃ無くちゃ行けませんがね。

 面白かったが、モンゴルとイスラム商人の関係が、世界史的捉え方の観点では無く、日本史・東洋史からの観点にウェートを置き過ぎていたから、今一の感であった。草原の騎馬の民がイスラム商人と結託して、イスラム商人のネットワーク網を、情報として駆使or道案内・斥侯役として強大な版図をユーラシア大陸に出現させたと云うのが、世界史の『モンゴルのイスラム化』との側面が在るとの事である。

 ゲストのタレントさんは、サクラ役としてコメントは無いが、作家さんは頂け無かった。私は市井の一好色ヤクザもどきのロートルであるから、小説家先生は、博学の持ち主と、常々尊敬して居る職業なのである。その小説家先生の世界史と日本史の並行思考感覚の無さには、正直言って<驚き桃の木、化けの皮>であった。

 一度、NHKのスペシャル版での日本軍の官僚的体質、御前会議の実態に対して、負けるべき大東亜戦争論を披歴して居られた先生である。大日本帝国の井の中の蛙の外交力不足を、滔々と述べて居られた御仁である。

 へへへ、意外や意外で・・・世界史の中の日本史、日本史の中の世界史の知識、理解度の無さに、俺ぁ、ビックリこいたわね。

 モンゴル軍が、攻め滅ぼした南宋・朝鮮の兵を前面に押し立てて戦争をしていたと云うのは、中国の大地に古代の時代から、<皆殺し、奴隷制度>が存在していたのであるから、何もモンゴルだけが合理的兵運用をしていた訳では在るまい。日中戦争に於いても、便衣兵・促戦隊の大陸伝統の用兵術が在ったのであるからして・・・

<一書、悉く信ずるは書無きが如し。><木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。>と古の人は、好い事を教えて呉れている。歴史に妄想を馳せる時には、日本史は木にして、世界史は森である。

 NHKのスペシャル版は、教養番組である。市井の教養に疎い者には、垂涎の勉強機会である。東洋人は舟の水漏れには漆喰を用い、バイキングはコールタールを用いたと云う。
 所変われば、品変わる。必要は工夫の母にして、用いるべきは、身近で利用出来る物資・物体なのであるから、漆喰加工が、特異な物でも無かろう。モンゴル版ナパーム弾も、必要は工夫の母でも有った。

 モンゴル船には、レンガ、石臼が積まれていたとの由。古来、中国の征服王朝は騎馬民族であるから、全ては現地調達で賄っていたとの由。増してや奴隷兵に、兵站(へいたん)の配慮など有ろう筈が無かろう。脱走兵・負け戦の敗残兵は、当然に馬賊・匪賊と為って、現地調達に奔走して、荒らし回る。

 日頃の反日教育、愛国無罪の民原が尖閣問題で、日本企業に襲い掛かった暴徒振りは、紅巾の乱・義和団の乱・・・etcで、彼等のDNAの中に滔々と流れる共通因子でしかあるまい。歴史に妄想を馳せる愉しみの中には、ハンドルに遊びを持たせないと方向を間違って終う事も多々在るんでしょうかね。


心何処ーショート 快晴為れど、速き流れ。
            快晴為れど、速き流れ。(11/3/12)
 ルルルル・・・

「お早うザンシタ~。お山は寒いかい?」
「あいあい、雪が降ってるわいね。あいよ、OKだんね。」

 快晴の好いお天気さんである。Tの昼飯・お握りのオカズに、カイヒモの煮付け、キンピラゴボウ風デカ切りの挽肉・牛蒡・人参の柔らか煮付けと奈良漬を少々ラップに包んで、庭の甘柿を5~6個捥いで置く。本日スタバトークの摘まみには、夢奇譚第14部挿し絵の入った戯け画ファイルが好かろう。

「ほい、握り飯だけじゃ、味気が無ぇずら、一緒に食べろや。」

 Tは手際良く、ビニールの小袋を取り出して柿、惣菜を別分けで袋に入れ、後部座席に置く。

「Rの所の柿は、美味いからなぁ~。サンキューサンキュー。」
「あいあい、貰い物も、浮世の義理だぜ。遠慮なく食べて呉れや。」

 スタバ二階席は、中学生か、高校生かは判断が付きかねるが、男子生徒のグループ学習室見たいな空気である。数学の教え合いである。差し詰め、普段勉強とは疎遠な運動部の連中が、追っ付け刃の集団学習と云った処であろう。

 へへへ、思い当たる光景で、イッヒッヒ。手前等、赤点取るなよ。分数計算、小数点計算の出来無い大学生が、一丁前の振りして、親の脛齧りをしているご時世で在ったも、男はプライドの為に、最低限の学力を身に着け無きゃ恥ずかしいでゴザンスわね。

      そんな事で、壁際の席は占領されて居て、端のソファ席である。

「如何だい? キリギリスちゃんは、未だ鳴いてるかや?」
「とうとうあの世に行っちまったさ。今はメスだけだ。」

「そうかい。俺ん処も、メス二匹が真黒に為って居るけど、未だ生きてるぞや。記録更新してるぜや。陽が差さないと、動かないんだけど、陽が差して温まって来ると動き始める。」

「そうそう、良く頑張ってるわさ。最後だから、一杯、餌遣ってるんだけど、可哀想に100歳超えの婆っさだぜさ。食が屠ぼってヨロヨロだいな。」

「あいあい、大往生させて遣るのが、飼い主の慈悲心だぜな。帰りに、花でも買って、花の香りの中で、往生させて遣れっちゃ。あい~。」

 チンタラ、チンタラの停滞国会であるから、政治は話題にも上らない。細君の母上は、手術をしてリハビリが始まっているとの事である。入院するかと訊ねると、<もう、病院は嫌だ。>との由。そりゃ、そうである。誰が好き好んで、病院の住人には為りたくも在るまい。自由の利く住み慣れた吾が家が、一番で有ろう。

    無風の好天気であるから、外でのパッパの方が、好い気分である。

 外ベンチで、煙草を継ぎ足して、ゆっくりタイムの態で在った。さてさて、月曜から肉体労働である。長靴でも買って行くと致そうか。嗚呼、お山は寒いだろうな・・・

 スーパーでは、作り置きの利く食材を求めて、セッセと婆殿のオカズを作りをして置かねば為るまい。朝昼は、自分で食べて貰い、夜は疲れて帰って来るのであるから、お三度はしたくないと云うのが『人情』である。

「婆っさの子守も大変だなぁ。何を作って遣るだいね。」

「カイヒモ、キンピラは仕込んどいたから、数の子を加えて、松前漬を仕込んでさ。カブと煮イカ、ワカメで甘酢漬けを仕込んで置くのさ。漬け物は、白菜、奈良漬があるから、それで御んの字よ。これで文句こいたら、特辛味噌喰わせて、庭に穴掘って、埋めちゃうぜや。」

「良く遣るわ。Rは料理にも才能があるから、スイスイと品作りが出来るから、大した物さ。大丈夫さ。頼る相手が居なく為れば、爺っさも、婆っさも、動くぜ大丈夫さ。
 何て云っても、相手は海千、山千の妖怪様だぜな。倅は、逆立ちしたって、妖怪にぁ敵わねぇさね。少しは一人にしとか無きゃ、賄い倅の有り難さが身に沁みねぇさね。へへへ。」

「そりぁ、言えてるな。俺達は出来が好過ぎるから、<立つ鳥、水を濁さず>の番から男子高OBだぜな。ギャハハ!!」

「そうだいな。お山で風邪引か無ぇ様にしましょ。さてさて、俺もボランティア巡回でもして帰るかいな。」

 無風快晴の日差しの好さも三時を回れば、陰増す霜月の寒さの忍び寄りである。一日はいとも呆気無い程に過ぎて行くものである。へへへ、困った時の速き流れである。

心何処ーショート やれやれ、短陽に鈍さ増すロートルかな。
       やれやれ、短陽に鈍さ増すロートルかな。(11/2/12)
 遺憾いかん、婆っさと馬鹿話をしていたら、こんな時間に為って仕舞った。予定して居た事は止む無し、パスである。こんな風に寒く為って来ると、温いコタツから自室に戻るのが億劫に為る物である。

 さてさて、日光浴の軒下鳥を玄関に戻すと致そうか。洗濯物は未だ乾かないから、其の儘にして、沢庵用の柿の皮も乾燥して来た。取り込んで置くか。

 吊るし柿も初日分は、シナシナに為って小さく為って終った。水分蒸発は思いの外、進行が早い物である。柿簾が大分縮小して来たから、未だ未だ余地がある。庭に出て、柿の木を見上げれば、未だ未だザクザクと生って居る。勿体無い限りであるが、手が届かない。

 それにしても、えらい数である。シャ~無い。大きい脚立で遣れるだけ採って見ると致そうか、日没までには間がある。

 古来より、<馬鹿は、高い所が好き>とは云う物の・・・何事にも『例外』が在るのも、この世の常である。クワバラ、くわばらの高枝鋏の屁っぴリ腰ではあったが、ビクに二つ取れた。

 60以上は有るだろう。手間は掛るが、吊るし柿にして置けば何かと重宝である。ファンが多いと云う事は、これまた無駄には為らない<勤労奉仕>である。いやはや、短腹者・口より先に手の出る社会の半端者でも、人の一生は丸い円を描く無への還元であるからして、いやはや・・・ロートルに達して、私も如何やら好々爺の道を歩み出して居るのであろう。

    へへへにして、とほほ為り。日が傾くと、足早やに寒さの出番である。
            短陽に、鈍さ増す為り。老の身は・・・

 夜はカレーの残りがあるから、手抜きのカレーうどんにすれば時間の遣り繰りも出来る。夕飯後はテレビも面白くないのであるから、温いコタツで皮剥きをすれば良かろう。




心何処ーショート 政治の直近課題
                政治の直近課題(11/1/12)
 昨日と打って変って、強い風の<おお寒い>の段である。落ち葉がパァーパァーと吹き飛ばされて行く。老母殿は訪問三連チャンで、すっかり体力を消耗して仕舞ったのであろう。本日は食事以外は、ベットの布団の中である。灰色雲の中に、幾つか青空が覗いては居る物の、霜月最初の日は鼻水が垂れる寒さである。

 余りの百日紅の黄葉の溜まりであるから、一度掃いては見た物の阿保らしくなって止めて終った。散歩をして風邪を引くのも癪であるから、散歩をパスして個人スーパーで野菜を買って来て、台所仕事で時間を潰す。

 川から金魚の補充水を汲んで来たり、白菜、カブ、ナスの漬け物作業を終えると、益々以ってお天気さんは下り坂に進んでいる。未だ11月に改まったばかりなのに、初日がこれだと、山国信州は『冬籠りへ一直線』の様な憂鬱な気分に囚われて、滅入りの態である。

 スーパーの店頭には、白菜、野沢菜、沢庵用大根が並び始めた。聞くと、漬け物も人其々で<人より早く漬けて、人より早く食する>タイプの人が、結構居るとの事であった。

 為るほど、<目に青葉の初ガツオ>がお江戸庶民の意気がり為らば、山国寒冷の地・信州では<目に木枯らしの初沢庵>の心意気なんでしょうかね。
 俺ぁ貧民で、寒いのは敵わんから、暖冬で、<消費待つ畑の優等生>の豊作安値の方が好いんですがね。イッヒッヒ!!

 さてさて、夢奇譚の挿し絵6枚をPCに取り込んで、ファイル・アップロードして置きましょうかね。

    国会中継をラジオで聞きながらの、何時でも可の投稿準備である。

 それにしても、民主党ドジョウ総理は、裸の王様と云うより、<錯覚の御仁>と云うより他無い。常々、人材不足の万年野党の面々が、不特定多数に対して駅前街頭演説を繰り返すだけの低姿勢、分かり易い日常言語で短絡論を持って、通行人に言語明瞭の単純語を持ってして、庶民に耳当たりの好さそうな言葉を多投する。正に、その姿である。

 その心は、語れども、所詮は面と向かい合わぬ無責任さ。用いるは、その時々の言の葉の一方通行。言霊亡くした言葉に、誰が耳を傾けようか。信無き言葉数は、木枯らしの侘びしさでしかあるまい。言葉を弄ぶ人間に、何の仁の見るべきかである。

『私、真面目です。責任感旺盛です。信じて下さい。私の名は野田圭彦です。私、皆さんの為に一生懸命頑張ります。私を信じて、日本の為、より好い生活の為、孫子の為、一緒に頑張りましょう。』・・・と連呼して居るに過ぎない国会答弁手法でしかあるまい。

 仲良しクラブの中学生徒会長、父っちゃん小僧の高校生徒会長の演説じゃ在るまいし、青臭さの大連呼をして如何するんじゃい。

 八木節のドジョー掬いじぁあるまいし、粘着、滑りを最大の武器にして、泥の中のドジョーがクネクネと逃げ回る。一方、政界のドジョー総理となれば、言葉巧みに言葉踊りだけで逃げ回る。

 私の感想を言えば、とんでもない男である。ドジョー総理の最大の罪は、国会の討論の場に、一方的な街頭演説手法を持ち込んだ事である。

※人口1・26億、65歳以上高齢者比率19%、国民平均年齢43・8歳、小泉チルドレン、小沢ガールで若返った国会議員平均年齢52・0歳(自民党56・6歳、民主党49・4歳) ドジョー総理55歳。

 私は当年64歳である。私が<錯覚の人>なのか? はたまた、ドジョー総理様が『錯覚の御仁』なのか?は、学問的解析は後回しにして、衆院解散で<日本国民の洗礼>を受けずば、とんと判断出来かねる『政治の直近課題』である。ギャハハ~。

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