旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 猛暑・熱暑に、極力自家発電は、お控為されませ。
      猛暑・熱暑に、極力自家発電はお控え為され。(7/31/12)
 こりぁ~、朝から猛暑、猛暑に確実に成って居る。嫌じぁありませんか。ゴミ出しをして来て、一周りして来る。オレンジ色の鬼ユリは、真っ盛り。カサブランカも数輪咲いた。それにしても、マツバボタンとナデシコが朝の太陽に照り返している様は、中々の物である。

 私立高校の自転車通学の通り道であるから、時々、ゴミに為ったペットボトルとか缶が家庭菜園の中にポイ捨てされている。『コンチクショー!!』と頭に来る処ではあるが、現行犯で無い限り不心得者を、ヤクザもどきの態でドヤシ挙げれ無いのが、残念至極の段である。

 そんな事で、私は道脇に人間の性善説に則って、これ見よがしの不要と為ったコンクリートの桝を置いて、それ等の物を入れて居るのであるが、勿論、不心得者が、そんな殊勝な事をする訳では無いのは、想定内の事でもある。独り暮らしをして居た時の母も、レジ袋を吊るして置いたと言うが、空振りの始末であったと云う。

    へへへ、むべ為るかな。これが人間社会の娑婆と云う物である。

 昨日は夕刻の日課、ジョロ散水をしていると斜向かい吟さんに付き纏われて仕舞った。この頃吟さんは、息が日本酒臭い。一頻り、植物の習性、受粉に於ける虫媒花、風媒花のご講話を聞かされ、草むしりの邪魔をされてしまった。

 まぁ、次から次と小さい頃の話が出放題で、いやはや、此方がウンザリの態であった。若い頃は、そんな話が大の苦手で、ご近所付き合いは、挨拶だけで殊更避けて居たのであるが、無職の老母介護の日々ゆえに、<鬼瓦権造の身を大修正>しているのが、昨今なのである。

 ほぅ~、ほぅー・・・へへへ、途中の中断は在る物の、私にだって鮮明な記憶力は在る。記憶力の優劣を競う心算は無いが、いやはや、機関銃並の身勝手?適当な?記憶力でヤンすがな。
 然しながら、私とて日本人の端くれであるから、<長幼の序>は、余程の事が無い限り守らねば為らない『ご近所付き合いのエチケット』でもある。

 高齢になると、何かと『生き証人』が必要と為るのが、『人間心理の一端』でもあるらしい。困ったもんでアリンス。鵜呑みにしてしまうと、<相手のプロタガンダ>の餌食にされて仕舞う帰来も在ると云う物である。

 大通りから外れた住宅内の小道は、杓子定規な事を言えば、皆私道である。隣接するお宅が半分づつを提供し合って、生活道としている。<いぎょう地>などと云って、袋地には法定通行権が保障されている処でも在り、通常の通行仕来たりなどと云う物は、慣習法の最たる物の一つでもある。もっと古く言えば、<聖徳太子の和を以って貴し>と為すの法理でもある。

 へへへ、法律は結構奥が深いんで在りまするぞえ。人間社会の掟、習慣は国家以前からの社会秩序でガンスわね。国会で作るのだけが法律では無かんべよ。掟・習慣を国家が継承して出来たのが、法の根幹ですがね。公法に私法、上位法に下位法、基本法に特別法、法の優先順位・・・etc、話したら、限(きり)は無いでがすよ。

 明治のエゲレス帰りの文豪・夏目漱石大先生とて、<智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。>などと云った達観視・諦観視も在る処なのである。

 大通りに行くには、吟さんの所の細道は、便利至極な無くては為らない通行路である。良く街中の路地散策をして居ると、中には<私道に付き、関係者以外の立ち入りを禁じる。>の書き物が立っているのを目撃する事も在る。テヘヘと云う物である。

 時々、頭に来たなんて事を、長々と口に出す御仁でもあるから、そんな話に為ると、また始まったか・・・と<敬遠の逃げ>をして居るのであるが、私権の雄・所有権意識が旺盛な処が、凄いの御人なのである。

 民法第一条・・・私権は公共の福祉に尊ぶ。①権利の行使及び義務の履行は信義に従い誠実にこれを為す事を要す。②権利の乱用はこれを許さず。
 第一条の二・・・本法は個人の尊厳と両性の本質的平等とを旨としてこれを解釈すべし。

 東の私道の小道を、一番奥の町会長さんのお婆ちゃんが、ずーと一人で自分の仕事と課して、年に数度二日程を掛けて草取りをして下さっていた。去年辺りから、お婆ちゃんもすっかり体力が無く為って来た様子であるから、私の家の分は、私が草抜きをしている次第である。 

 大分、草も生えて来たので、煙幕を張る気分から、話が聞きながら、草むしりを始める。涼しく為らないと、そんな気にも為らない連日の暑さである。

★へへへへ、それにしても、延々と良く続く物である。日本酒の所為だろうかなどと、腹の中で赤いベロを出しながら、聞かされて居た次第である。

 そんな時に、毎日夕刻に為ると犬の散歩に来ている御仁が通り掛かった。その途端に、ご両人は、大声の口バトルと為って仕舞った。話の前段に、<私有地を我が物顔に通行して居るのが気に入らないの感情>が燃え盛って居たのであろう。『頭に来るから、ゲートでも作って遣らっか』などと手荒な言葉を口にして居た。一般論として聞いて居ても、怖い感覚でもあった。


「おい、人の家に小便して、平気か!! テメェ~、如何云う料簡してるんだぁ~!!」

「何だ、その言い草~。何時、小便をしたんだ。しても居ぇ事を、何時までも、しつっこい。好い加減にしろ。この馬鹿野郎が!! 手前に野郎呼ばわりされる筋合いは無い!! 通路を歩いて、何処が悪いんだ!! ギャアギャア、ほざいて、本当に煩ぇ野郎だ。文句があったら、聞こうじゃないか!!」

「おぅ、上等じゃ無ぇか。この糞野郎!! 小便させて、反省心も無ぇとは、如何云う事だ!! 通れ無え様にゲート付けるのも、俺の勝手だぜ。この糞小僧!!」

 オオ、こりゃ小川ローザ並の<オオ猛烈の犬猿の仲バトルでヤンス>がな。お互いに、鼻持ち為らぬ犬猿の仲なら、大音声バトルをするよりも、河川敷に下りて、思う存分、相撲にレスリング、ボクシングの殴り合いの腕力決着をして呉れば、それで一件落着だけの事である。さぁさぁ、男は腕力勝負である。御両人、ファイト満々の、その勢いでご随意に遣って来為されで、私はツンボの態で草むしり作業続行で『奥へ奥へ』の段であった。

 お互いに晴れて、『飼い主無しのロートル』である。そもそもが犬が小便をした事が、その『犬猿の仲の発端』らしい。地所に塀を巻いたら良いのだが、それをしたら玄関周りが狭く為るから、して居ないのである。私道を提供して下さる三軒さんの二軒は、塀を施してあるのだが・・・ 私からして見たら、へへへ、閉塞感削除にして、何かしらの魂胆が在るから、そうして居るまでの事なのである。一方を得れば、他方の不都合を引き受けるのも、自然の流れと云う物である。

 悪い人では無かろうが、・・・人には『無くて七癖』の喩えでもあるからして、人間とは実に厄介な代物である。

「お父さん、また何か、変な事言ってたでしょ。家の土地じゃないんだから、大声出して、恥ずかしいでしょ。」

「何を言ってるだ。家の地所だ。コッチは、大人しく通らせて遣ってるんだ。只で通ってる方が、デケェ面されて、堪るか。冗談じゃ無ぇや。言うだけの事は、言って置か無けりぁ<世間の示し>が着か無ぇじゃねぇか。」

「何を言ってるだね・・・困った人ねぇ。もう、止めてよね。分かった!!」

「煩ぇ。女は黙ってろ。これは、家長の務めだ!!」

 当事者は不倶戴天の仲にして、周りはシラケ鳥が飛んで行く・・・が、人間娑婆の一コマなのでありましょうか・・・。
 今年の猛暑、熱暑には、幾ら節電流行りと云っても、『自家発電に狂走』してしまっては、後期高齢期とも為りますれば、脳卒中の引き金とも為りまする。庶民の既得権を是認・甘受するのも、<古からの人の作法>と云う物でも在りますれば、自制も必要でも在りまする。

 へへへ。こんなバトルの立会人になんか為れませんがね。酒息に何時に無く長い付き纏い、土地の境界話・・・勘繰って考えて仕舞えば、とんだプロタガンダのお先棒を担がされて仕舞い兼ねない。『その手は、桑名の焼き蛤』ですがな。イッヒッヒ~。

 相手がアッシじゃ、チイとばかり相手の選択ミスでアリンスわね。俺ぁ、大人しいけど、連隊長殿が思って居る程、馬鹿じゃ無いんね。

 尤も、私の様に言う事も言え無いノミのキンタマ男には、<泣き寝入り人生>にピリオドを打って、不埒者、不心得者に大音声の咆哮をして見たいのでは在りまするが・・・
 痴性と知性、自制心の狭間に、翻弄されて居るばかりで在りまする。とほほ。

 さて、本日の一枚でありまする。読んで見ての通りの一枚でありまする。ギャハハ!!


                おっ_001
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マイ・ギャラリー・・・21
                   マイギャラリー21

   さぁ、蟻帝国も活発化形ばかりの金魚為り庭を眺めての一服タイム_001これも、お仕事。_001
   花を夢見て_001記念のマツバボタン_001窓辺に鉢植え_001夏のセット_002
   天空の台地_002天空の台地2天空の台地3_001天空の台地4_001
   天空の台地6_001内と外_001名コンビのサデ網漁_001天下太平

   ジワ~と熱暑が侵攻して参りました。暑中お見舞い申し上げまする。
   何方様も、熱中症に為りませぬ様に。自己管理にご自愛下されませ。











心何処ーショート 猛暑の昼下がり、キリギリスの声ばかり為り。
      猛暑の昼下がり、キリギリスの声ばかり為り。(7/29/12)
 昨夜は花火が鳴ったり雷が鳴ったり、雨が降ったりで、中々に騒々しかった一幕も有った。柔道は男女ともに負けちゃいましたね。

 涼しい朝であったから、昨日の続きで剪定鋏で、チョッキンな、チョッキンなを遣って見た。四畳半前の雑木、アジサイの下に植えたマツバボタンは、日照不足でモヤシッ子で捻くれている。別名・爪切り草でもあるからして、伸びた茎をポツンポツンと切って、雑草を抜いた後の土溜まりに挿して、たっぷりのジョロ散水を施して置く。

 肥料粒を庭中にパラパラ・プレゼントして、本日は開花寸前のカサブランカを老母の名代として、届けて来ると致そうか。開花してからだと、折角の花を痛めて仕舞うと云う物でもある。昼前に電話をすると、友人の出産祝いに行って来るとの事で、夕方訪問と相為った。老母は、朝から孫の事ばかりを饒舌に話している。同じ女でも、えらい違いである。

 さてさて、時間は有効に使わないと、脳軟化症が進んで仕舞う。如何云う具合か・・・台所の水蛇口が空回りして、水が止まらない。手が利かないと云う老母が使った後は、空回りがしてスンナリと水が出ない事が殆どである。そんな苛々が、猛暑のウネリに便乗して仕舞う始末である。確り止水出来ないから、顔を歪めて・・・相当な力で回しているのだろう。それで、噛み合わせが舐めて仕舞って居るのである。

 老母殿は少なからず、それを知って居るから、それをお首にも出さず、知らん振りをして居るのである。そんな事で、益々、重症を呈している台所の水蛇口なのである。家庭菜園を始めて、風呂の残りをハンディポンプでジョロ水として居るのであるが、脱衣所のサッシ戸をロックして仕舞うから、これまた腹が立つ次第なのである。

★何度、同じ失敗を遣っとるんじゃい。この糞暑いのに、仕事を増やすな。この低能児!!

 と癇癪玉を炸裂したい衝動に駆られる事、度々の事なのである。その度に、ムカッとしながらも一々、黙って家に入ってサッシ戸を開けてしているのであるが、・・・ 短気は損気・・・怒りたくても怒れない状況は、内心、堪らない気分である。

★これを称して、猛暑の相乗ダメージと云うのである。ニャロメ!!

 お地蔵さんなら、<お地蔵さんに徹して呉れて居た方>が、私としては『習慣の我慢』が利くのである。所詮、人間なんてちっぽけな生き物は、どんなに澄まし顔をして綺麗事で内面を糊塗して居ても、絶対に神様の様には生きれないのである。鈍感と過敏は、本質が違う生き物なのであろう。へへへ、困った物でアリンスわね。

 気持ちと身体機能の落差が拡大して行くのが、<老いさらばえて行くと云う本姿>なのである。こんな風に、世間では呆けが始まって行くのであろう。所詮、言って見ても始まらぬ事。<無視無視の念仏>を唱えるしか術は無い。

 この数カ月、ホームセンターで混合栓コーナーに足を止めて仕舞う次第である。それらを見ると万以上のお値段である。貧民ロートルの悲哀であるから、騙し騙しで使用して居るのが現状である。昨日は、給湯サイドから使用するのも一時の便法と、現状是認を決め込んでいる次第なのであった。
 まぁ、吾ながら、ケツに火が付かない限りは、面倒な事は殊更避けて通るのが、性根なのである。ケツに火が付いて、遣らざるを得ないと観念すれば、頭と手足が在る以上は、如何にか為る物なのである。へへへ。

 さてさて、親分無しの子分無しの閉じ籠りロートル日常であるからして、時間は有効に使わないと、脳軟化症が進んで仕舞う。此処はチャンス到来で一発、挑戦して見ましょうかね。何事も1+1=2なのである。案の定、取っ手部分を外すと、空回りである。プラスチィックの嵌合部分には舐めた粉が一杯着いている。

★へへへ、何をや言わんか・・・老いさらばえたと泣きを入れる95歳にしては、なんと『凄い馬鹿力』である事か。それをしている老母の顔と気持ちを想像して仕舞うと、怒る気持ちは一気に後退して終い、笑いが込み上げて来る。これも、男族と女族の永遠の差異かも知れぬでは無いか。

  さて、機能不全の因果関係は理解出来た。蛇口を回して水を止める。

 キツイ時は潤滑剤のローション、緩い時はホータイを巻くのが、この世の常識である。対処方としては、嵌合部を密着させれば良いと云う事である。何処かに、シールテープが在った筈である。それを巻き付けて、密着度を確保すれば空回りは解消出来る筈である。

 不凍栓で止水をして来て、シールテープを二巻きして、取っ手ハンドルを被せて、ドライバーの握りで、コンニャローメのガツンガツンの三度叩きである。後はビスを捩じ込む。

       いゃ~、このフィット感は<成功の手応え>である。

 外の不凍栓を押し込んで通水である。オオ~、赤い錆水の放水沙汰である。錆が流れて、止水試しをする。成功成功、ピタッと水は止まりましたで御座る。<性交体験から導き出した経験値>は、見事に成功の運びと為った。いや~、大枚が飛んで行かずに、万々歳である。
 
 懸案宿題をクリアして、ニンマリの段である。行水をした後は、スッキリとパンツ一枚で、四畳半定位置で扇風機の弱風を当てている次第である。後ろの本棚を振り返れば、ロシア赤鞭アマゾネス様達が、にこやかな笑顔で写真に収まって居られる。


心何処ーショート 熱帯夜に早起きの段である。
            熱帯夜に早起きの段である。(7/28/12)
 <午前の部>
 植物の水遣りも、日没前後からするより他無しである。ジョロで何杯も遣るのであるが、この『非効率さ』が私にとっては、良い運動と為るのである。とほほ。

 汗を拭って、ペットボトル水筒を持って、散歩スタートである。太陽がアルプスを薄紅に染めて、漸くの風の涼しさである。首タオルで汗を拭きながらの歩きである。貯熱材アスファルトからは、未だ未だ暑い熱気が立ち上って居る。へへへ、体高の低い小型座敷犬は、暑くて堪らんだろう。
 下の橋を渡って桜並木のS橋辺りに来ると、犬を連れたオバサンが、キャ~なんて悲鳴を挙げている。シマヘビがサツキの植裁の中に入って行ったとの事である。

 ペットボトルの水を飲みながら、テクテク歩きの上り勾配である。歩き始めの涼しさに、日没後は、もっと気温が下がると思いきや・・・一向に涼しく為らない。ペットボトルの水を半分も飲んで、漸くの山際の小道の下り勾配である。
 もう大分暗く為って来たし、見上げる山の木々の雰囲気からして涼しい。そんな中に、大振りの蝶を見付けた。立ち止まって蝶の動きを追う。樹液を吸いに来たコムラサキであった。こんな事が在るから、散歩は愉しい物である。

 既にミッドナイトではあるが、・・・ 堪らずコーラにアイスクリームを飲食するが、完全に熱帯夜である。扇風機にラジオで、其の内に寝て仕舞った。気が付くとラジオ深夜便で、小山明子さんの介護回顧公演を遣って居たので、拝聴する。

 5時前である。終わって寝ようとするが、眠れぬ。家庭菜園のコマツナの畝を整理したり、庭の草むしりもしなくては為らない。毎日が日曜日のロートルである事を以って、何時でも出来るの逃げの一手を見透かされて居るのだろう。これも、業を煮やした有り難い『お天道様の御下知』であろう。暑く為らない内に、一仕事すると致そう。

 長袖・長ズボン・長靴・軍手で、未明の作業に取り掛かる。正体不明の蔓物は、伸びるだけで一向に花が咲かない。姿形からすれば、川原にビッシリ繁茂し捲って居るカラスウリに似ているから、全部ひっこ抜く事にした。これでお天道様の加護の下、シュンギクも、ミニトマトも、思う存分成長が出来るだろう。整理した畝には、残りのチンゲン菜の種蒔きをする。

 煙草の一服は後回しにして、伸び放題の庭の雑草退治に移行すべしである。草を抜き、長柄の草掻きで憎き雑草退治に汗だく作業である。遣れば遣った分だけ綺麗に為る。これが、単純肉体労働のシンプル・イズ・ベストの好さなのである。加えて、大処を退治して仕舞えば、人間には欲が出て来る物である。既に還暦も半ば近いから、鈍さと云う根気も備わって来て居る身である。

 嗚呼、疲れた。もう体力が、ウルトラマンタロウの様にピィーコ、ピィーコして来た。アジャジャ、もう、三時間近くも働いて仕舞っているでは無いか・・・、

          もう、止め!! 残りは、後日の枝剪定である。

 流石にヘタって庭石に腰を下ろして、水をがぶ飲みして一服を付ける。キアゲハが、幾つも咲いた鬼ユリの蜜を吸いにヒラヒラと飛んで居る。親分無しの子分無し、物臭男も、遣る気さえ起こせば、体力勝負で仕事は早いのである。

 ザマァ、見遣がれ。序でに、ホースで思う存分、散水プレゼントを進呈して遣ると致そうか。人間ばかりが熱中症・脱水症状に陥る訳ではあるまいに。

カンカン照りに、独り気を吐くのはキリギリスのギース、ギースの声ばかりである。

    さて、朝飯の賄い夫を致しまするかな。朝食後は、風呂で汗を流す。

 <午後の部>
 コーヒースタバの二階席は、女子学生のお勉強タイムで繁盛している。壁際席には座れず、ブラインドの下りた窓辺席である。ガラス一枚外は、サイパンかフィリピン並の暑さであるから、今年の夏本番は今から先が思い遣られる次第である。Tの処は、娘さんファミリーは朝四時に海水浴に出掛けたとの事、午後は、娘さんの座敷犬の散歩を仰せつかっているとの事である。

 私も老母を見送った後は、独り暮らしと為るから虫眼鏡老人に倣って、シェパードか秋田犬を飼いたいのではあるが・・・犬の寿命は、私より短命と為るから、痛し痒しの気持ちなのである。Tも飼い猫がもう既に10年以上の老境に入って居るので、今度は犬にするとの事である。大型犬を二回飼って居る処でもあるし、体力的に柴犬の大型種を考えているとの事である。

 T曰く、馬鹿犬に当たったら、目も当てられないとの由。それも、大型犬と為ると手に負えないと云うのが経験値らしい。Tの所は街場であるから、馬鹿犬、馬鹿猫は、敢え無く交通事故で妖逝して仕舞うとの事である。其処へ行くと、私の所は、河川敷の安全地帯がフンダンにあるから、大型犬などとケツの穴の小さい事は言わずに、馬を飼えと来られて仕舞った。

 団塊世代の小学生の頃の憧れと言ったら、マイカーなんて高嶺の高値の存在であったから、身近な夢としたら取りも直さず『馬』であったのである。私は、馬に乗って通勤するのが、夢であった。何しろ、嵐寛十郎の鞍馬天狗、大友柳太郎の白頭巾も、バート・ランカスーも、銀幕のヒーローは皆、馬上の人であったのであるからして・・・

「おい、今度は犬を見に行こうぜ。婆さんが死んでからなんて、悠長な事を言って居たら、犬を飼う前に、お前さんの方が死んじゃうって事も在らぁな。<思った日が、吉日>よ。お互い、この歳に為りゃ、小煩い萎れカンナ女よりも愛犬の相棒を持った方が、ツベコベ言わず、ウイン・ウインの『得策』ってものズライよ。散歩に釣りに山菜採り、蛇用心棒なんだし、文句の付け様が無いじゃないか。

 何て云ったって、妄想短編小説の灰色狼、ダケンの仕草、行動観察も出来るってものさ。『変態旅行一回分』で、お釣りが来らぁな。考えて見りゃ、安い物だぜや。やぁ、今日は、実に良い近未来の展望が開けた。

 但し、間違っても、メス犬は止めとけよ。Rは変態中の変態だから、メス犬の穴突いて、『半獣人』なんぞを作り兼ねんヤツだからな。そんな時は、南米インディオに倣って、アルパカでも飼っときましょや。<或る馬鹿>作品で、新種誕生で動物園に売れば、俺達の遊興費位には為るズラいよ。イッヒッヒ~。」

★アルパカ→或る馬鹿→新種誕生→遊興費と来たもんだぜや。ふ~む、<四段(しだん)活用>は好いが、掟破りの種付け役の俺一人が、神をも恐れぬ獣婚の咎で、全世界から『指弾』を受けるは必定の事である。重婚は先進国ではご法度にして、それが獣婚と来た日にぁ、引導を渡してくれる宗派なんぞは、在りゃせんわな。

 この~、涼しい顔して抜かしやがったな!! Tの野郎は、早くも熱中症で、脳細胞が酸欠状態で壊疽されている様である。パッパタイムに外に出れば、むべ為るかな・・・サイパン、マニャガハ島並の熱波の凄まじさである。然りとて、目前にエメラルドグリーンのサンゴの海などは無い人工物熱波のザマである。いやはや、これでは妄想界に生きるスキンヘッド野獣とて、<特殊ザーメン>の調合生産も出来ませんわね。

 さてさて、サラダの詰め合わせでも買って、サンドイッチにして牛乳で胃の中に落とし込むしかありませんわね。未だ未だ猛暑、熱暑は始まったばかりでありまする。皆々様に於かれましては、熱中症で脳細胞が酸欠状態に為る前に、何卒、自己管理を徹底頂いて、長丁場の今夏をお耐え下され。

   クワァ~、冗談抜きで、熱暑で御座りまする。・・・とほほ。


心何処ーショート おお、忙しい。
               おお、忙しい。(7/27/12)
 風も無く、朝から扇風機を掛けて居る。おやおや、朝から国会中継であるか・・・変わり映えのしない暖簾に腕押し、糠に釘であるから、風呂磨きでもして、風呂を沸かして置くとしようか・・・ 台所の洗い物はウンザリして居るから、後回しで良かろう。暑さの所為で、些か苛々が高じて来て居る。遺憾いかん・・・

 料理を作っても食の細い老母相手であるから、残り物整理ばかりが回って来る。親分無しの子分無しの身であるから、弱い老母に当たる訳には行かない。遣る気が無くても、三食の賄い夫が私の目下の仕事なのである。自分で作って、自分で始末しなければならないと為れば、外食で事済ませたいと思うのが、偽らざる人情である。

 こんな時は、自室で扇風機の風に当たって、本でも読んで居た方が良い。何なに、電話だと。ケア・マネさんの月に一度のコールである。11:30にお邪魔するとの事である。

 さぁ、急げである。母の部屋から始まって、寝室の8畳に至るまで大慌ての掃除開始である。玄関に水打ちをして、風の通りを良くする為に、玄関は開放である。へへへ、昨日、鳥籠を綺麗に水洗いして置いて良かった。
 長い廊下も掃除して、庭へのホース散水も充分して置く。ケア・マネさんは、老母の部屋から庭を見て、お茶を飲むのが好きなのである。

 まぁ、こんな時でも無いと、普段、真面目な掃除などしない怠け者であるから、これで帳尻が合うと云う物である。

 何事も物はついでである。玄関から老母の部屋には、台所を通るから、台所の洗い物をして米を研ぐ。いやはや、遣り始めると猪突猛進の性質であるから、嗚呼、忙しい忙しいの別人の動きである。自室の8畳間も掃除機を掛けて、テーブルを拭いて・・・もうもう、半ズボンの腹周り、股ぐらが、汗びっしょりである。テーブルの下に蚊取り線香を付けて、扇風機を回して置く。

 ケア・マネさんは、未だの様である。さあさあ、急げや急げ。老母の部屋から、声がして居る。

「Rさん、勝手にお邪魔してます。打ち水までして貰って、涼しいですよ。お茶頂いてま~す。」

「あいあい、婆さんの相手してておくれや。俺はズボラだから、こんな時でも無いと、ケツ叩きに為らないから、掃除を続行してるぜね。御免なさいね。」

 正直言って、老母の性格を知って居るから、同席して迄、チクリチクリと下らん繰り事を聞く気には為らないのである。女は女同士で、心行くまでケアを受ければ良いのである。幾ら親子でも、癇に障るポーカーフェイスの二連チャンは、御免蒙りたい物である。イッヒッヒ~。

 ケアは、介護される者、介護する者にも必要な二面のケアなのである。従って、私の居ない処で、本心ケアに与かるも良かろう。それが済んだら、私の方のケアもお願いしますわね。いやはや、気付かぬ間に、七月も月末と為ったと云う事である。

 ふ~、これで部屋も綺麗になった。次の患者さんが待って居るから、ケア・マネさんを手招きに行って来る。汗をタオルを絞って拭きぬぐって、扇風機の風に一服を付けて居ると、玄関廊下の方から、ケア・マネさんが入って来た。

「Rさん、お婆ちゃん、何故部屋に来ないのだろうと、気にしてましたよ。」

「へへへ、斯く斯く云々で・・・ 此処の処、婆さんチヤホヤされてるから、また、悪い性分が出て居るんですがな。婆さんの趣味だから、孝行息子としちゃ、気を利かして遣ってるんだわね。男と女の違いで、仕方の無い事だからね。気にする事ぁ無いですがな。」

「うんうん、分かる分かる。人間、建前・優等生ばかりじゃ、ストレスが溜まりますからね。Rさんは、タヌキが上手ですからね。アハハ。良い親子だわ。感心しちゃう。」

「あいあい、そうだんね。俺はつくづくと思うんだけどね。昔、<私は、貝になりたい>なんて本が売れたって云うけど、『俺は鈍感・薄情に為りたい』って気持ちに為って仕舞うから、遣り切れませんわね。これも、熱中症の亜種見たいな物さね。イッヒッヒ!!

 周りからは、考え過ぎだとか忘れちゃえとか、他人様は、平気でそんなアドバイスを呉れるけどね。本人としたら、意識的に悩んで、考え込んで居る訳じゃ無いんだよね。自然と、そんな流れに為っちゃうだけの事でさ。地が地だから、そんな物は不可能なアドバイスでしか在りませんわね。そもそも、人間なんて代物は、自分基準のフィルター通しで物を言うからね。へへへ。

 森の石松は、<意思松>じゃ無いんだから、死ななきゃ直らないまでの事でさ。俺なんか、意志薄弱だから、鈍感・薄情者には、生きてる以上、絶対に変われ無いのさ。困ったモンだわね。アハハ。」

「そうだよねぇ。この絵見てても、人それぞれで、見える目で見れば、伝わって来る物、考えを運んで来る物って一杯あるんでしょうけど、見えない、感じられない人間には、ただ頁を目捲って行くだけの絵ですからね。それが人間の限界ですからね。」

「そうなんだよね。感性力も理解力・思考力・判断力、意志力・行動力も持つ者と持たない者の乖離は、大き過ぎるからね。何何力(りょく)ってぇのは、云って見れば表裏一体、両刃の剣見たいな物だから、相手を抉(えぐ)ると同時に自己をも抉る物だしね。それに偉そうなことを言っても、二者択一には<意志力の無理>って厄介物が生じるしね。へへへ、俺も鈍感・薄情に為れたら、どんなに『楽』かと思う時も在らぁね。」

「う~ん、難しい処よね。でも、Rさんは強いからへこたれて居ないわ。ホント、凄いわ。此処へ来ると、庭を見て自然の空気を吸って、花、小鳥、キリギリスの声がして、こんなにレベルの高い本質的な話が、ベランメイ調で聞けるんだから、介護家族のケアの参考とも為るし、・・・

 でも、Rさんの処は、或る意味じゃ恵まれてますよ。お婆ちゃんは、頭も確りして居て矍鑠(かくしゃく)としているし、自分でトイレも、お風呂にも入れる。息子さん夫婦も孫を連れて、励ましに来て呉れて居る。お婆ちゃんの生きる励みに為って居るんだよね。もう、お婆ちゃん、息子さんのプレゼントの孫の写真を出して、もう、喋り放し。

 こう云う家族を維持して行くには、其々の人達が、頑張って居る。皆の気持ちが一つの方向に向いて居るから、それが出来るんですよ。これは、決して物では叶えられないし、測れない肉親の情が在って、普通に極々自然に流れている所為ですよ。

 ほら、Rさんの『同心円』と<異心円>の違いの話を思い出して居るんですが、本当にこう云った雰囲気の家庭って無いですよ。家庭を物の様に、ポイと捨てて仕舞う様な変な男と女の時代に為っちゃいましたが、絶対にそれって間違ってますよ。絶対にこの時代は、歴史の中で罰を受ける筈ですよ。真っ当じゃ無い鬼っ子の時代が、そんなに長くは続かないですからね。もう、私はこんな時代が、悔しくて、許せないんですよ。

 大津の中学生の苛め自殺事件、口先ばかりで遅々として進まない震災・原発災害、領土問題、慰安婦問題、ファンド、ファンドのマネーゲームばかりでしょ。難しい話は、私は馬鹿だから全然分からないけど、これって『真っ当さの欠片』も無いでしょ。
 普通に考えて、真っ当さの無い家族・社会・国家・世界って、絶対に間違って居ると思うもの。だから、絶対に長続きはしないに決まっている。そう思いません?」

「そうだよね。真っ当さって、単純明快のシンプル・イズ・ベストじゃないと、皆が真っ当さを守れないからね。多元価値論が、『多言価値論の個人的パフォーマンスの時代』だもんねぇ。大きな同心円で、愛のさざなみが伝播するのが、人間界の理想界だわさ。それが小さ過ぎる身勝手な異心円のぶつかり合いを繰り広げて居たら、家庭内も世の中も世界もギスギス、刺々しく『個人勝手主義のバトル・オンパレード』に転落だもんねぇ。

 所詮、個人パフォーマンスなんて代物は、日銭稼ぎの大道芸人の範疇だったのに、国家指導者の芸域に為って仕舞ったんだから、<何をや、言わんや>って処でしょうかね。

 嗚呼、俺ぁ、夢も希望もありゃせんわね。如何すりゃ良いだいね。早い処、俺にもお迎えが来ないものかね。観音菩薩様~、<彷徨う煩悩の炎>をお鎮め下され、助けておくんなまし・・・」

「またまた、心にも無い弱言を。さあ~てと、忘れない内に、今日のエキスをメモっとかなきゃ。何しろ、此処はR塾ですからね。アハハ。」

 さてさて、茹だる様な暑さである。ケア・マネさんに、ケアをして頂いたのであるから、風呂を浴びて、至らぬ心身の禊(みそ)ぎでも済ませましょうかね。


心何処ーショート へへへ、カサブランカの出前約束を仰せつかる為り。
     へへへ、カサブランカの出前約束を仰せ付かるなり。(7/26/12)
 鬼ユリが一輪咲いて居た。オレンジ色の蕾が幾つも付いて居る。今年は庭の一角に鬼ユリ村を作った処であるから、これからはラッシュが続く。何十年も前から、鬼ユリは、吾が家の盛夏の花で在り続けている。雑草除けに作った見た家回りの花壇もどきの松葉牡丹の咲き乱れは、鼻の高い処でもある。カワラ撫子のか弱い感じが、松葉牡丹との好対象を為して居る。家庭菜園のシュンギクも重宝な食卓の具と為って居る。小松菜も終いとする為に、全部を抜いて塩漬けとする。

 そんな春からの朝の日課・土いじりをして居ると、密集した野菜の中から、羽化し立ての蝉が数匹飛んで行った。目覚め時には太陽が出て居た物の、朝食を終えた頃には、曇天の蒸し暑さと成って来た。三日三晩の梅の土用干しに倣って、梅を干して居る次第なのであるが、最後の三日が、この数日、足踏みをして居る次第であった。カンカン照りを所望して居たのだが、本の二時間程度で、このザマである。

 朝食を終えて、台所で片付けをして居ると、ヤクルトママである。

「スイッチョが一杯鳴いてますね。虫も飼ってるんですか?」

「何をこいてるだい。田舎生まれの田舎育ちが、都会人見たいにキリギリスとスイッチョの区別が付かないでは、『信州の情操教育は死んでる』わいな。困った物だ。田舎には田舎を愛でる暮らしが在るんだぜや。アハハ。
 あいよ。新しい挿絵が、何枚かあるから見て行きましょや。」

「ワア、この蚊取り線香、トマト、花とキリギリスの絵は、素敵じゃ無いですか。こう云う絵好きですねぇ。おやおや、この絵は、モデルはRさんじゃ無いですよ。」

「あいあい、それは、短編の<虫眼鏡老人>の挿絵三枚ですわ。雰囲気が出てるだろ。」

「あれあれ、やっぱりエロが有った。何を描いてるんですか。天眼鏡にお尻が写ってる。」

「そうかい? ママさんの眼力も、おっ魂消たもんだぜや。余程の好き者ですなぁ~。」

「何言ってるんですか。絶対に何処かに、スケベな細工がしてありますからね。それが、Rさんの絵の特徴ですからね。アハハハ。
 繊細さ、大胆さ、奇抜さ、エロさが、それぞれの時のタッチで描かれているから、インパクト、和みが同居してるところが、並の絵じゃ無いんですよね。才能が溢れてて、何時も楽しい絵ですよ。アハハ。」

「こりぁまた、凄い観賞眼だわさ。」

「ええ、何たって、先生が常識を超えてますからね。はい、これもRさんの教え込みで~す。」
 
 へへへ、本日、曇天。肌出し、無帽であるから、何時もよりもスマートに見える。女族と云う生き物は、見栄えが第一優先でしょうから、中々大変である。其処は、裸ん棒の男族とは気楽なものである。

 曇天無風の蒸し暑さに、汗ばむ身体は宜しくない。それでも、曇天の外の空気の方が美味いに決まって居るから、玄関鳥を軒下の物干し竿に吊るして遣る事にしよう。

 L字の出っ張り部分が二畳小部屋であるから、草深い庭が良く見える。そろそろ、庭の草むしりでもしなければ為らない次第ではあるが、藪蚊満載の草むしりには、逃げのズボラを決め込んだ方が良い。ジョロ散水をするだけで、露出部分の柔肌はチクリの小蚊の早業に、ムヒのご厄介に為って居る始末なのであるから・・・。

 昼の歌謡曲をラジオで聞き、キリギリス達の夏の声を聞き、軒下に吊るされて、囀り跳ね飛ぶ金華鳥の動きを見て居るのは、ボケーのタイムには、丁度良い。

 午後に成って、小部屋から四畳半定位置に戻って、YouTubeで<戦国自衛隊>を見て居ると、玄関が開いて倅の嫁さんが「お父さん、居る~?」と大きな声で入って来て、老母の部屋に行った。

 部屋に行くと、彼女の母親の旅行土産を忘れたので届けに来たとの事である。私は倅の持って来た、その萩焼のコーヒーカップで、即インスタント・コーヒーを飲んで居る。老母は、白い上薬の萩焼の湯呑茶碗をプレゼントされてニコニコ顔である。

 嫁さん一人であるから、老母はもうあそこが痛いとか、何も出来無いだとか、いやはや・・・女同士の真に以って、男にはウンザリするほどの女話に饒舌を振るっている。老母自慢のカサブランカをお礼にプレゼントしたいらしく、回りくどい物言いをしている。

「婆さん、そんな下らない物言いは止めろよ。ストレートに言えば良いだろう。格好付ける歳でもあるまい。何時頃だったら家に居るの?」
「六時半と云えば、絶対に帰ってますけど。」
「うん、分かった。咲いたら、婆さんの名代で、俺が持って行って遣るよ。」

 親子と云えども、性格が違うから、小さい時分から母の持って回った、格好付けた、こんな物の言い方は、短腹者の私には鼻持ち為らぬ『見栄』にしか映らない処である。親に向かって、甚だしく不遜な批判ではあるが、虫ずの走る女族の物の考え方、お体裁付けである。何から何まで世話に為っても、そんなに『親の格好付け』を振り撒きたいのか・・・

 まぁ、労務管理用語で言えば、マズローの欲求五段階説(①生理欲求②安全欲求③諸族と愛欲求④承認・尊重欲求⑤自己実現欲求)には違い無かろうが、いやはや、相変わらず下らない物言いをする御仁である。俺なんざぁ、大見え張って、2/100の確率⑥の欲求・自己超越欲求に哀しいピエロを演じて、眠れぬ夜を悶々と耐えて居るんじゃい。ギャハハ~。

 思い通りに行かないのは、人間である以上、仕方の無い事である。一々、相手が同席している前で、人が来たからと、<詮無き事の繰り事を吐露>した処で仕方が在るまい。

 愚痴、繰り事を第三者に言って、同情して貰いたい、ヘドロのガス抜きと云った人間の心理・真姿は、『自分の胸』に手を当てれば、私だってそうである。それが人間感情・欲求と云う<普通の感情・欲求>である。それを、別に悪いとは思わない。
 然しながら、それを当事者の私の前で、話す事は<甘えにして、鈍感、恩知らず、意地が悪い。>と云う物である。『人間、知らぬが花』であるから、私の居ない処で、気が済むまで話せば良いだけの事である。頭じゃ分かっちゃいるけど、それに従えないのが、人間の性分の厭らしさなのである。<この糞っ垂れが!!>

 へへへ、何だったら、デイケア・サービスに通って、『同気質の相発散』すれば良かろう物を。それが人間のエチケットと云う物であろう。ギャハハ!! 困った性分である。まぁ、そんな処が次兄さんとフィットする所以なのであろう。
 へへへ、婆さんや、頼りの次兄さんの御無沙汰振りは、何も『俺の所為だけ』ではあるまいに。持って生まれた性根とは、そう云う物である。

 鋭敏の利巧者が、ピエロ演技をしている身にも為って見遣がれ。言いたくは無ぇが・・・婆さんに、それが出来るかい? 意志の弱い馬鹿、偏屈人間じゃ、ピエロ演技なんざぁ出来ませんわな。この馬鹿者が~!! 皆は、ズルイだけの事でヤンスがね。<とほほ>ってな物である。

 お茶入れ役を仰せつかって、手作りの黒豆の煮物、沢庵の塩抜き甘辛煮を出して、土産のウイロウを食べて談笑する。へへへ、女は女同士でお喋りは盛り上がっている。

              お見送りに外に出る。

「カサブランカが咲いたら、持って行くから。」

「お父さんは、凄いわ。きつく言っても、その場で収めて仕舞う。残さないから、大したピエロ様だ。そんなお父さんの倅を誇りにしてる亭主の気持ちが、痛いほど分かる。こんな事しか出来ないけど、ごめんなさいね。また、梅干し貰いに来ますからね。」

 嫁さんは、目の錯覚か、目を潤ませている。へへへ、有難いエールを頂戴して仕舞った。

「悪いな、若いのに、気を使わせちゃって。今度は泊りに来いよな。婆さん、待ってるからな。アリガトさんね。はい、良いよ~。」

「じゃね~。」

 さてさて、水遣り、散歩には、まだまだ時間が在る。続きを見ましょうかね・・・。


虫眼鏡老人・・・その8
                虫眼鏡老人・・・その8   

       内と外_001名コンビのサデ網漁_001天下太平

                 虫眼鏡老人・その8
 梅雨の合間の蒸し暑い日が、朝から始まって居る。昨夕から始まった雨に地面は、モヤッとした湿気に満ちている。

 ダケンは虫眼鏡老人から雨の止んだ朝には、早々に廊下から外に追い出されてしまった。

 ジメジメした地面は、如何にも気持ちが悪いから、彼は庭から廊下に上がる踏み台石にある老人の庭サンダルを、腹いせに前足でフンとばかりに落として遣った。平らな大石の上は、寝そべるにはひんやりとして気持ちが好い。
 それでも、目尻と濡れた鼻、口回りと云った皮膚の露出部分の粘膜を狙って、湿気満載で元気を得た藪蚊などの小虫達が、彼の体液を吸いに小煩い程に纏わり付いて来る。犬と云えども、蚊に喰われれば痒い。増してや、人間の様にムヒなど擦り込む事など出来ないのであるから、実際は痒くて堪らないのである。

<フン、相変わらず意地の悪い爺さんだ。余は、やんごとなき生まれ素性であるから、虫毒には抗体が無いのじゃぞ。無礼者めが・・・>

 雨後の七月の太陽は、湿気を増長させて、早くも暑く照り付け始めている。雨の肌寒さから、ジワジワと朝飯前から不快指数を高め始めている始末である。彼は長い舌を出しハアハアと涎を垂らしながら、涙腺に集る小虫達に目を閉じたり、首を振ったりして、・・・既に鬱陶しさの中に居る。

 庭にはユリに先駆けて一日だけの花・ニッコウキスゲの黄色の花が咲いて居る。背丈を1m以上も伸ばした鬼ユリ、カサブランカの蕾も顔を見せ始めて居る。手入れをしない老人の庭は、自然の態にして緑の濃い庭である。従って、小虫達にしてみたら、本日は格好の高温多湿のジャングル環境なのである。

 ダケンが不快の只中に居るのを知ってか知らずか・・・老人は急須にポットのお湯をグッグッと押し入れて、熱い日本茶を飲みながら、サッシの網戸の廊下で胡坐を掻いて、大きな天眼鏡で新聞を読んで居る。煙草を吹かしたり、新聞記事に明瞭な口調で批判では無く『悪態』を加えたりしている。
 老人は、一人暮らしであるから、何かと籠り勝ちに為る生活のアクセントとして、思った事、浮かんだ事は、そのままストレートに声を出して、喋る事を意識的に習慣付けて居るのである。従って、ダケンにとっては、彼もまた真に小煩い存在なのである。

 この家は老人と犬の生活ではあるが、彼等の関係は現代流行りの小さな玩具・座敷犬へのベタベタした関係では無い。此処に在るのは、冷めた関係の人間と犬の関係の様な物である。

<爺さん、一々文句を言って見た処で、詮無き事であるぞよ。所詮、お前さんは育ちが悪過ぎるから、下世話話に一々反応してしまうのだ。其処へ行けば、余は世が世なら、初い小町娘を10人、20人と侍(はべ)らかして、酒池肉林の高貴な身分よ。やんごとなき徳川公方様の落し胤故に、一々瓦版如き不浄の情報垂れ流しなどに聞く耳持たぬわ。阿保臭い。

 お江戸の時代も、平成の時代も、市井の下衆共と来たら、詮無き事に一々目くじら・青筋を立てて、カッカとばかりに喜んで居るばかりじゃて。封建教育時代も文明開化の西洋教育時代も、一切差異が無いではないか。これが日本人の変わらぬ気質よ。一族の慶喜如きが、はやまって大政奉還などするから、こう云う事に為るのじゃ。その煽りを喰らって、在ろう事か、余は犬の身に転落して終ったのじゃぞ。

 まぁ、身分制度の崩壊して終った日本国であるから、二食昼寝、散歩付きの犬の身分も悪くは無いが、犬の耳とは、聴覚が発達し過ぎて居るわ。フン、何かと小煩い爺さんである。瓦版も、文句の内容も、笑止千万。嗚呼、明晰為る余の頭脳が穢れるわ。

 それにしても、ブンブン、ネチネチと小煩い小虫共じゃわ。爺さん、俺も、中に入れて呉れんか。自分だけ網戸の蚊帳の中とは、『生類憐みの心も無い』と云う物。他愛も無い瓦版に人情を掛ける、そちの『神経の無駄使い』が在れば、何故に余の鬱陶しさが解らんのじゃ。これでは鈍感・薄情の典型では無いか・・・ウ~、ワンワン!!>

 彼等は基本的には、お互い人語と犬語を以ってする意識・思考の中の同居人と云えようか。従って、お互い目前の物に気を取られて居れば、相手への気入れなど不要の事でもある。

「う~む。相も変わらず、民主党の輩は、ダメな連中だ。国際協調の空念仏外交とは、情け無い屁っぴり腰、事無かれ主義外交だ。そもそもの元凶はだ・・・個室っ子、鍵っ子世代は、こまっしゃくれているばかり。丸で喧嘩の仕方も知らずに大人、親に為った連中である。
 生まれ付いての過保護と無関心、無責任教育の垂れ流し沙汰であるから、怒る事の実力行使が出来ない。仲間内、自国内だけで通用する言葉遊び、言葉逃げの似非自由の似非民主主義のいい加減国家じゃから、ロシア、中国、北朝鮮、韓国に舐められ呆けて居るんじゃい。

 盗人、何癖屋連中にぁ、言葉、援助は禁物。ガツンとゲンコツを喰らわせなきゃ駄目なんじゃい。昔から屁っ放り腰連中の口喧嘩にぁ、常識・良識は不要じゃがな。相手が相手なら、同じ土俵で相撲は取るもんじゃい。ッタク、だらしが無いにも、程があるわな。・・・」

<アハハ。爺よ。それが所詮民腹から生まれた民主主義の政治家共の狭量なる器よ。躾け・覚悟と帝王学で育てられた者達との違いよ。下らん私語は良いから、先を読め。>

 板の間廊下に広げた新聞のページを、親指をベロリと舐めて次のページを出して、新聞の見出しを、舐める様に目を動かす老人である。気に為る見出しが有ると、天眼鏡を構えて、本文の熟読に入る。ニヤニヤして相槌を打ったり、眉間に皺を寄せて、真面目顔のブツブツ読みを始める。新聞の長読みは、無職年金暮らし、話す相手も居ない老人には朝の時間割の大処を占めている。

 そんな虫眼鏡老人の日常を知り過ぎるほど知らされているのが、同居人のダケンである。彼の白けた冷視の眼差しが、そんな老人の横顔にチラッ、チラッと横眼を流して居る。

<ハハハ、爺さん、そんな端から遣る気の無い『サラリーマン記事』を相手にして居ても、始まらんであろうが。フン、埒も無い。そんなに一々些事末事に力み込むから、女房子供に『愛想尽かし』をされて、挙句の果てが、ご近所さんからの変人扱いの侘しき一人暮らしでは無いか。『侘しさの灰色の鳥が、己が偏狂為る拘泥気質に在る』事が、爺さんには丸で分かって居らん。

『生類憐みのやんごとなき情』で、余が拾われて来て遣った経緯があるのに、感謝のかの字も無いのであるから、その歳にしても人間としての『まろ味も枯れの味』も出て来んのじゃ。これ、爺、朝飯は未だか。余は腹が空いたぞよ。ワンワン、これ、早く用意をせぬか。>

 ダケンのワンワンの急かし声が、老人の耳に達したのだろう。新聞への特大天眼鏡を置いて、老人の眼が、ギョロリと飼い犬を見据えて、指差して言う。

「何・・・ おい、其処の役立たずの駄犬。お前さん、今何か、ワシの悪口を言わなかったか。何だ、その目付きは。『目は口ほどに物を言う』じゃ。ワンワンの声にも、蔑みと刺の心底が読み取れたぞ。人生を重ねれば、声のトーンだけでも、犬畜生の心底くらい分かるのじゃ。恐れ入ったか、身の程知らずの馬鹿犬が。ニャハハ~。」 

 世間体に従えば、此処は飼い主の御主人様と飼われ犬の身分差である。ダケンとて本音と建前の使用区別は十分承知の上であるから、演技犬を自負して止まない彼は、<二心ない忠犬の態>で、老人の目とバッティングしない様に老人の胸元に視線を置いた次第である。自惚れの強さにかけては人後に落ちない老人は、それを見てニタリと笑う。

「どれどれ、昨夜のたっぷり雨で、小さき者達も、勢いを増して居る事じゃろうて。さてさて、飯の前に、朝の見立てに行くとするか・・・お前は、来なくても良い!! 」

 老人は駄犬に人間の威厳を見せ付ける様に立ち上がって、煙草に火を点ける。そして、一呼吸を置いて、聞えよがしに独り言の態を取って、横眼でダケンの後頭部に向かって言い始めるのであった。
 
 ダケンは、全て老人の言葉は理解出来る名犬ではあったが、一宿一飯の恩義を心得て居るから、尖った両の耳をピクリと動かしただけのポーカーフェイスを保ったままであった。

<カァ~、また始まったか。何と、悪趣味の強い爺さんである事か。これじぁ~、女房子供に遺棄されるのが、『当然の成り行き』と云うものである。然もありなむ、むべなるかな・・・これが、孤独病と云う物であろう。ウワッハハ。>

「何じゃ、その飼い主様を見下した様な、その目付きは。孤児ダケンを我が家の住人として、教育を施して遣って居るのに、全く<見込みの欠片>も無い馬鹿犬である。
 こりゃ、素直な反省心を持ち合せて居ない物は、来世はユスリカに生まれ変わって諏訪湖のワカサギの餌に為るばかりじゃて。飯は食っても、お前の肉なんぞ誰の役にも立たぬわ。まぁ、人間語の伝わらぬ犬如きに、情を掛けたワシが浅慮だったわい。

 こんなタガが外れた映し鏡・新聞読んでると、血圧が上がる。庭の新鮮な空気を肺一杯に満たして来るとしようか。」

 老人は、ダケンの落した庭サンダルを手で引き寄せると、にやりと笑ってダケンの黒い尾を軽く踏んだ。

 キャンキャン、老人は、振り返りもせずに、庭の飛び石をスタスタと歩いて行った。

<おお痛い。オノレ~、糞爺~!! 犬の尾は、言って見れば武士の刀であるぞよ。それを小汚い庭サンダルで踏み居ってからに。其処に直れ。余の牙の餌食にしてくれる。ギャオ~め!!>

 敷地の西側は、小さな菜園と為ってる。老人は、ご近所さんに倣って家庭菜園を遣り始めて居た。その煽りで、ダケンのゴロリと寝そべっての砂浴び場所を取られてしまった。氏素性も<やんごとなきダケン>は、老人の耕した畝のベットで喜んで居たのだが、何度も戯け者と頭に、ゲンコツを数発喰らって痛い思いをさせられていたのである。

 虫眼鏡老人は、家族に遺棄された一人暮らしの身の上である。菜園には、季節折々の野菜が何種類か植えられている。成長すれば、勿論一人では始末に困るのではあるが、老人は農薬を一切使用せずに、庭の落ち葉、草、生ゴミなどを堆肥として土を作って居る。言うならば、野生状態での菜園である。
 従って、菜園には蝶、蜂、テントウ虫、蟻達が、飛び動き回っている。畝の雑草などを抜けば、土の中からミミズがニョロニョロと姿を現す。そんな小さな物達を老人は、大きな天眼鏡で眺めて居る時間を趣味として居る。そんな事で、彼の家庭菜園は、食材以外にも虫達を呼び寄せる為の装置なのである。

 ダケンは、勿論繋がれてはいない。ダケンの糞尿場所は前述の様に決められて居て、菜園の畝の凹みの堆肥拵えの上にする事を義務付けられている。ダケンにした処で、それさえ守って居れば、繋がれて不自由に為らずに済むから、お安い御用の聞き訳振りを守って居るのである。

 家の中の老人が、何部屋かを回し使いする様に、庭の中にも、ダケンが時間帯で過ごし易い<寝そべり箇所>が何箇所かある。老人もその個所には、手を加えずにダケンの占有権を認めて居る処でも在った。老人は、その場所をフルイに掛けて石を取り除き、不足の砂は、川原から砂を運んだ次第でもあった。

 老人は小松菜の葉裏のアブラムシと蟻の共生関係を見たり、アブラムシの天敵・テントウ虫の関係を、天眼鏡で覗き込んだり、山椒の木にヒラヒラと舞うアゲハ蝶を見付けると、小さな山椒の葉裏を丹念に調べて見たりもする。黒イトトンボは、老人の庭の古くからの住人でも在る。

 ダケンは、朝日の日蔭と為る洗面所の外水道の脇の菜園から取り除かれた小石の置き場所に伏せて、老人の朝の趣味タイムを眺めて居る。小石の上だから、鬱陶しい小虫達の付き纏いが無いから良い場所なのである。

<フン、下らない悪趣味など持ち居ってからに、・・・ 菜園場所に屈んで、虫眼鏡を覗いて独り悦に入って居やがる。菜っ葉の蝶ちょの卵、青虫がそんなに面白いものかね。下々の遣る事は、丸で訳の分からん事ばかりじゃて。
 余の広々とした砂浴び場所を返せ。余は、風呂の<洗濯石鹸洗い>よりも、ゴロゴロと転げ回れる熱い砂浴びの方が、健康には良いのである。嗚呼、腹が空いたわい。これ爺、朝飯は未だであるか。ワワオン。>

「フン、ワワオンと来たか。馬鹿め。お前如き駄犬の考える事など、先刻承知の上じゃい。全く、スローライフの心の余裕も無い捨て犬の意地汚さと云う物だ。食の本能だけで生きるとは、哀しいものよ。

 女房子供の鬱陶しさから、自主独立して余生を季節の花鳥風月を愛で、小さき者達の生活の営みを虫眼鏡で見る。これは、一方の老後生活と云う物じゃ。それが世間には理解出来ないとは、奥行きの無い娑婆の人生観と云うものよ。ウワッハッハ!!

 森羅万象のマクロ世界とてミクロの世界との対比を通してこそ、宇宙の神秘と生物の神秘も、仄見えて来る物なのに・・・ それが、全く理解出来ないのが、犬畜生の哀れと云う物じゃろう。<駄犬を人間扱いして居る吾が身が、恥ずかしい限り>じゃ。然りとて世の理も理解出来ない馬鹿犬にヒステリーを起こされて、後ろから脛を咬み付かれても、面白くは無い。さてと、飯でも食うか。」

<おいおい、今の爺さんの言い草を聞いたか。マクロとミクロじゃと。犬畜生の哀れに、吾が身が恥ずかしい限りだとよ。おのれ~、三つ葉葵の紋章に平伏せたろうか~、無礼者めが!!>
 
 そうは言いつつも、黒い太い尾を、ユラユラと揺らして、頭を垂れて老人の後に続くダケンである。老人は、台所からお盆に載せた自分の朝飯と、ダケン用のドッグフードと水を汲んで来て、ポンと彼の目の前に置く。

 老人は魚派であるから、食事には必ず味噌汁と魚が付く。味噌汁も魚の残りも、ダケンに回って来る。何日かに一遍は、老人とダケンは、同じ物を食べる。廊下を隔てての食事ではあるが、お互いの口裏とは違って良いコンビの朝の時間である。

 再び雨が降って来たから、老人はダケンを廊下に入れて遣る。老人は、部屋掃除をして自室に入る。部屋ではラジオを聞きながら、本を読んだり、クラシック映画を見たり、昼寝をしたりして時間を流して居る。
 
 家の中に居る時のダケンには、廊下の板の間が与えられてる。外に出たければ、自分の手でサッシの戸を開けて出入りして居る。散歩は日課ではあるが、季節によって、その時間帯は変わって来る。老人は夜更かしタイプであるから、夏に為ると専ら夜散歩と為る。老人と違って、ダケンに与えられているのは、廊下内だけであるから、外に出れないと退屈この上ない時間の運び具合なのである。前足に顔を乗せて、外の具合を見て、居眠りをするしか無いのである。

<雨よ、そろそろ止むが良いぞよ。雨が止めば、散歩に行けるじゃろうて・・・>

 春秋のシーズンには、散歩方々、半日ほどをのんびりと釣りに行く事が多い。梅雨の合間の太陽の照り付けは30℃を超す。七月も半ばを過ぎて、何時梅雨明け宣言が出ても良い。

「ふぅ~、暑い熱い。こう暑くては、昼寝をして居ても、一時間もすると汗びっしょりで眠れぬ。雨が止んだか。止めば、夏の太陽じゃて。夏の遊びでもして来るか・・・。おい、ダケンや居るか。川遊びに行くぞ。家にばかり居ると、気が滅入る。」

 老人は、物置小屋から虫籠とサデ網を出して、車に乗り込む。ダケンは助手席に座り、黒く太い尻尾を振って、ワンワンと応える、

 山の迫った川原の土手道に車を止めて、老人はエンジンを切って、耳を澄ませる。川原にはニセアカシア、水柳、葦、夏草が繁茂して中天の太陽に緑を濃くして居る。土手から老人はキリギリスの鳴き声がして居る個所を、確かめて居る。虫眼鏡老人の夏遊びはキリギリス取りとサデ網によるヤマメ捕りである。

 人間と犬コンビであるから、当然に勢子役は犬のダケンの役目である。嗅覚も聴覚も、人間の何十倍何百倍も優れた犬の本性であるから、ダケンのキリギリスの追い立ては、確実なのである。
 老人は、ダケンとはもう何年もコンビを組んで居るから、自分周りの雑草を長靴の足で薙ぎ倒して、『平場』としてキリギリスが追い立てられて、自分の目の前にソロリと出て来るのを待ち構えるのである。
 身の隠し場所の無い平場に追い出されて、キョトンとしてるキリギリスを、両の手で包み込む様にしてゲットして、虫籠に入れるだけの話なのである。虫眼鏡老人としたら、個人的な夏の恒例の風物詩としてのキリギリス取りであるから、数匹の捕獲で十分なのである。

 一方、川遊びのメインは、遊びと実益を兼ねたヤマメのサデ網漁なのである。塩ビパイプを半月状にした間口1mほどのサデ網を構えた老人に、ダケンが2~3mの上部から、バシャバシャと大袈裟に荒らし回って、サデ網に魚を追い込む寸法なのである。静かな環境に突然降って湧いた大異変に驚いたヤマメが、逃げ惑って水中の網目にドンとぶつかる。

 それをキャッチボールの捕球のタイミングで、両手で構えたサデ網で、間髪を置かずにソリァの掛け声と共に、間口を天に向けて掬い上げる。網に入った大ヤマメの太い魚体が、網の中で何匹かが踊って居るのであるから、老人にとっては堪えられない『有頂天の一瞬』なのである。

 こんな時の老人のスタイルは、スニーカーに軍手、長ズボンに長袖シャツである。全身びしょ濡れの川遊びこそが、夏の遊びなのである。

 長靴ブカブカ、素肌露出は葦被れ、擦り傷、虫刺されの元である。軍手は石の下に潜り込んだヤマメの滑り防止で、強引ににがみ取り、引っ張り出す為の装備である。小学生時分から、遊び呆けて居た成れの果てが、虫眼鏡老人その人であるから、ヤマメの潜むポイントに対する目利きは、大した物なのである。

 サデ網漁は、数が取れるから、川原で流木を拾い集めて、火を起こして獲れたヤマメを焼いて食べるのが、老人とダケンの常であった。割り箸に、紙皿、醤油に塩は、携行して居る処であった。

 カッターナイフでスイスイと腹を裂き、背骨の血筋を割いて、川の水で洗い腹の中、表面に塩をパラパラと塗して、竹ぐしでヤマメを刺し縫いして、焚き火の遠火で焼くのである。遠火にヤマメの目が白眼に為り、魚の焼ける臭いがして来て、焦げた皮からジュウジュウと魚の体液が煮えて噴き出して来る。そうなると、焼き魚の香ばしい臭いが、焚き火の青い煙の中に立ち上がって来る。

          ウウ、ワオ、ワオ~ン、ワンワン!!

 自称やんごとなき公方様の落し胤のダケンは、居ても立ても居られず、串刺しにされた焚き火の周りを目の色を変えて、狂おしく走り回るのであった。

「フン、何が公方様のやんごとなき落し胤か。やんごとなき御殿様には、お毒見役が控えて居るのじゃ。ワシとて義務教育は受けて居るのじゃ。その位の歴史知識は、持って居るのじゃい。この下衆犬が~。ハハハ。御殿様が聞いて呆れるわい。如何見ても、<尾殿>じゃぞ。完全に、捨て犬正体が露見して居るわな。
 お主、猫舌であったろうが~。冷めるまで待つが良い。ワシは人間じゃから、熱々ジュゥジュウの処を、お毒見をして遣ろうて。お先に~じゃい。ギャハハ!!」

 そんな老人のからかいに、ダケンがグィとばかりに耳を立てて、老人を睨み付ける。

<嗚呼、だから不浄の者は、有名な故事すら知らぬ戯け者じゃて。お主、<目黒のサンマ>を知らぬか。馬鹿者めが~。フン。>

「クックッ、何やら、ダケンの刺々しい目付きで在る。勢子の分際で、何か言いたい事でもあるのか? 獲物は、働きに応じて公平を旨として居るのじゃが・・・ これこれ、感謝のワンワンは如何がした。これ、ダケンよ。ほれ、ワンと吠えて見よ。イッヒッヒ~。」

<馬鹿抜かせ。勢子の腕が好いから、キリギリスも大ヤマメも、労せずゲット出来たのであろうが。虫眼鏡を覗き込んで居るばかりでは、獲物など取れる訳が無かろう。
嗚呼、己れの不出来を感知出来ないとは、全く以って、見込みの無い老人である。ワンなどと謝辞など与えられようか。>

 好い運動と童心返りを満喫して、家に帰る。青空に地上の水分を上昇させて、群立つ入道雲が夏の太陽に白く眩しく湧き立って居る。シャワーを浴びて、キリギリスをプラスチィックケースに分け入れて、台所で老人は、ヤマメの腹割きと塩振り、味噌塗りである。余禄として沢ガニも大分取って来たから、空揚げにして菜園のシシトウを毟って来て、晩飯はビールで良かろうと老人は、ニタリ顔である。

 廊下を開放して、背後に扇風機を掛けて、傍らには蚊取り線香を焚く。好きな長山洋子の演歌CDを流して、上半身裸の首タオル。ケースの中のキリギリス達は早くも夏の声・ギース・チョン・ギースを奏で始めて居る。老人の向かいには、ダケンがチキンの骨付き肉、氷の浮いた水が並べられている。老人は、赤く炒られた沢ガニ、シシトウ、エダマメを肴に、缶ビールを美味そうにゴクリ、ゴクリと飲んで居る。空いた手は、ダケンの頭を撫でて居る。

 ビールの次は、焼酎である。酔いに顔を赤らめた老人が、器に氷水を持って来て焼酎をトクトクと注いで、ダケンの前に出してニヤリ顔である。

 酔いが回れば、廊下に老人と犬の鼾である。首振り扇風機の弱風に、キリギリスの声、ユラユラと立ち上る蚊取り線香の煙・・・ 今年も遣って来た老人と犬の夏の一コマであった。

  虫眼鏡老人・その8・・・(老人と犬の或る生活より) 2012/7/23

※前編は、カテゴリー内・虫眼鏡老人に収録。自作小説は、カテゴリー内・短編にて収録してありますから、興味のある方は、遊んで行って下さい。へへへ。





心何処ーショート 屁へへ・・・
                  屁へへ・・・(7/24/12)
 曇天に風ではあるが、雲間から太陽が顔を見せると、暑い限りである。風呂に入っても、ちょっと動けば、汗が噴き出す始末である。背後から扇風機を当てて、ラジオの国会中継を聞きながら、虫眼鏡老人の二枚目の挿絵を描く。文章もそうであるが、何も無い処から有を生むと云うのは、面白い物である。

 洗濯機を回して居て、絵に夢中に為って仕舞い忘れて居た。物干に洗濯物を乾かし、ザル干しの梅をひっくり返す。今度は、キリギリス達のキュウリを取り替えて、削り節を入れる。未だ未だ散歩に出掛ける温度環境では無い。挿し絵2枚が出来たから、今日は<その8>の9頁をアップする予定であったから、余裕の日であったのだが・・・ 出来上がって仕舞うと、私の悪い癖で何時でもアップ出来るのであるから、本日の日誌打ちをしなければ、時間が浮き過ぎると思って終う次第である。

 お天気さんも意地悪な物で、大分曇って来たから、散歩が出来るかなと思って外に出ると、カッと照り付けて来る。スタコラ家に逃げ帰って、PC打ちを始めて居ると、小学生達の下校帰宅である。PC打ちにシフトすると、雨が降って来てもおかしくは無い程の灰色空に覆われて仕舞った。やれやれ・・・

 それにしても、暑さの所為なんでしょうかね。全く迫力に欠けた国会質疑・答弁である。若い議員さんと来れば、国会質疑とは程遠い高校生程度の作文朗読である。それに応える総理も噛んで含める様な口語体を長々と話すだけである。これでは、全くの『慇懃無礼』と云った処であろう。

 私の言葉理解が間違って居ると、恥ずかしい限りであるから、ネツト検索をして見ると致そうか・・・

※慇懃無礼(いんぎんぶれい)・・・慇懃無礼 意味
①言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、②表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。▽「慇懃」は非常に丁寧で礼儀正しいさま。
慇懃無礼 句例
◎慇懃無礼な態度
慇懃無礼 用例
二三軒おいて隣の一軒に入って行くと、また同じように慇懃無礼の手で断られた。<井伏鱒二・駅前旅館>

 嗚呼、恥を掻かずに済んだ。へへへ。果たして、ドジョウ総理さんは、慇懃無礼の四文字熟語を知って居るんでしょうかね。カタカナ文字の乱発ばかりが目立って、私の様な時代遅れの人間には、現代の<先進言葉>に着いて行けないのであるが、日本語と勢い余ってカタカナ文字の二刀使いをする議員・官僚集団様なのであるから、よもや慇懃無礼の言葉意味を知らぬ筈も在るまい。

 知ってて、慇懃無礼一辺倒のステレオ答弁を繰り返すと云うのは、『②の表面の態度は極めて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下して居る様。』そして、現政権下の外国に対する態度と来たら、慇懃遜(へだく)り様でしかない。
更に私の頭を過る言葉としては、『巧言令色仁少なし』である。きっと、厚顔無恥の紳士面とは、この様な物なのかも知れぬ。こんな輩、政党は、<睾丸鞭>を喰らわせて、永遠に絶対的少数政党に封じ込めなければ、如何し様も在るまい。

 さてさて、長散歩には頃合いの涼しさと為って居る。はい、戯言の頭冷やしに散歩に行って参りまする。


心何処ーショート やれやれ、夏日復活の月曜日。
            やれやれ、夏日復活の月曜日(7/23/12)
 ふぅ~、暑い。本日は歯医者である。予約が在ると云っても、実に良いタイミングで、殆ど待つ事も無く治療が始まった。診察台に乗って、<虫眼鏡老人・その8>のシメを如何打とうかと考える。短編であるから、頁数は不要である。現在8頁に差し掛かっているから、半頁を加えて終了とすれば良いのである。

 素人の文作とは好い加減な物で、適当打ちの気安さが在るから気分次第の指任せと云った次第である。時間潰しの文作であるから進まない時は放って置けば、勝手に頭が適当に具材を遣り繰りして、据わりの好い方向に進めて置いて呉れる。物臭男としては、それを伏流水の湧き水として待てば良いのである。そんな事で、ヒョイと湧き水然として話の続きが思い付くのであるから、人間の脳味噌の働きとは面白い仕組みと為って居る様である。

 治療時間は結構長かったが、思いも寄らず早く終わって帰って来た。へへへ、老母さんもビックリの様子であった。何しろ<健忘症増すロートル脳味噌>であるから、暑い四畳半はパスして、二畳小部屋の旧PCに向かう。

 出だしの何行かを打って置けば、メモ代わりとも為る。小蚊に喰い付かれてムヒを擦り込んだり、蚊取り線香を付けたりである。適当な言葉が見付からないと、庭の梅の干し位置を替えたり、四畳半の鉢植えを太陽の当たる外に出したりして、言葉の出現を待つ。再びPCに向かい何行かを加え、玄関鳥にも太陽光線を与えて遣ろうと、軒下に籠を吊るす。

 さてさて、<その8>を仕上げると致そう。読み直しをして、加筆をして丁度8頁の枠に収まった。へへへ、シメシメである。太陽も背後から照り付けで、二畳小部屋も暑く為って来た。小部屋をキリギリスに譲って、場所を四畳半に移して本日日誌で打ち始めると致そうか・・・

 軒下の玄関鳥も折角の外の空気を吸って居たのであるから、四畳半に移して遣るべしである。昼はソーメンで良かろう。ズーと廊下の椅子に居た老母は疲れたのだろう。部屋で横たわっている。

 三日掛かりの雨冷却後の夏日の太陽攻撃は、グングンと気温上昇を撒き散らかして居る。さてさて、ソーメンでも茹でて、朝のご機嫌伺いも出来なかった事でもあるし、再放送テレビドラマでも見て、時間を過ごすと致そうか。後は気が向けば、挿絵の一枚でも描いて、夕涼みの時間を待つと致そうぞ。

         いやはや、暑く為って参りましたぞえ・・・


心何処ーショート 一つの喜怒哀楽考・・・
             一つの喜怒哀楽考・・・(7/22/12)
 おっ、雨は止んで居る。ラジオの日曜討論では、大津の中学生苛め自殺の問題を討論として居た。昨夜は肌寒い夜であったから、久し振りに掛け布団を掛けて寝た。好い具合であるから、布団の中でじっくり聞かせて頂く。

 ふぅ~、言葉で上品に意見交換をした処で、問題は先送りされるまでの事であろう。力と行動でアピールするのが、一番の道なのだろう。反原発で、国会、官邸をデモ行進すると同様に、隠蔽の拠点・学校、教育委員会、市会にプラカードを押し立て、不条理に対する常識の怒りを現実化する運動の熱を見せ付けるのが、現状認識の早や道かも知れぬ。
 アピールの効果を極力アップするには、思い切って大手マスコミの新聞社、テレビ局に緊急の社会問題として、取り上げ、キャンペーンの要求書を掲げて、正々堂々とデモ行進するのも、良い手では無いだろうか。イッヒッヒ!!

 個別では問題クラスに教師・生徒・父兄が一堂に会して、喧々諤々の関係者団交の波状行動を起こす。その衝撃波が全校全体に依る(言葉は悪いが、)民衆吊るし挙げ集会を組織して、苛めの実態=生徒、親、教師、学校、教育委員会、警察の対処法を白日の元に晒して、国家的・国民的周知の目に晒すのが良かろう。
 情報公開も、その貯蔵庫が隠蔽の盾の館で在っては、糞の役にも為らない。多かれ少なかれ、管理する者と管理される者との利害差異が現実として幅を利かして居るのが、人間社会である。多くの場合、この強者と弱者の壁を突き崩して得るのが、管理される者・民衆側の情報公開の実態であろうが。云って見れば、それは戦利品でもある。権利権限は、奪い取ると言うのが、人間娑婆の歴史であったのでは無かろうか。

 言葉の綺麗事では問題の深部には到達出来ない。人間なんて動物はケツに火が付かないと、吾関せずの逃げ口上と冷静さと云う逃げを打って、『人の噂も七十五日』を決め込んで仕舞うばかりである。それが証拠に、『敗戦国日本のタマ無し民主主義』は、占領憲法からの自決=自前憲法を接着剤として自由党・民主党の戦後大合同をしたにも拘らず、戦後67年を経過しても、日の目を見て居ないのが、その実態であろう。

 本当か嘘かは知らぬが、辣腕・剛腕の名を欲しいままにして、師匠田中角栄を気取って居た大物政治家小沢一郎先生が、選挙区の放射能汚染が怖くて、逃げ回っていたとの噂もある処である。欺瞞・欺瞞の安易過ぎる事無かれ主義の糊塗糊塗厚化粧国家の凋落振りは、羞恥の極みではないか。厚く垂れ込めた黒雲(国運)は、日本を崩壊の方向に走らせているのでは無いか・・・

 喜怒哀楽などと達観視して見ても、喜・怒が、伊達に最初に位置している訳では無かろう。嘗て、蝶の様に舞い、蜂の様に刺すと言ったキャスア・クレイ(ムハメツト・アリ)のファイティング・スピリットは、『怒りこそ、最大のエネルギーだ!!』であった。集団で苛め狂喜に狂った犯罪者に、怒りの激情が炸裂するのは、『正当な生物の本能的権利』である。

 正当な生物の本脳権利の発露に、理性がガッチリとガードするには、正義と力の社会秩序の壁が、実効力として社会に厳として立ち塞がって居無ければ、理性的言葉など単なる同好会の<内輪言葉・適当親睦茶話会言葉>でしかあるまい。

 西部劇でのお決まりのコースの集団リンチ勃発の緊迫感が生じて来ないと、法と秩序の番人・ワイアット・アープ保安官が登場して来ないのである。

 喜怒哀楽に妄想を走らせれば、喜怒の二文字は『本能編』、哀楽の二文字は、衣食足りて礼節を知るの『人間成長編』でしょうが。こんな事は、誰からも教えられた訳でも無いが、そんな事にも気付かされるのが、人間の観察・経験力と云うものじゃ無いでしょうかね。嘗て、この位の人生観なんて、名も無き市井の常識だったんでしょうに。兎角、頭デッカチ、口から先に生れて来た様な輩が、天下の公道を跋扈し過ぎては居ませんかね。

 へへへ、哀し過ぎる吾が祖国のご時世ですがね。楽が早く楽しむから、愉しむの時代に進んで欲しい物で在りまする。
 
 さて、廊下の梅を庭の干し台に出して、味噌汁の具にコマツナを取って来るとしようか。ミニトマトを取って、キュウリを切って、キリギリス3ケースに入れて居ると、蓋を開けるとキリギリスが2匹這い出て来て、アッジャ~、廊下をピョンピョンである。

 これこれ、無駄な脱走をするで無い。五体が欠落して、困るのは自分じゃろうが。

 昨日は、サッシに貼り付いて居るキリギリス一匹を見付けて、苦笑いして捕獲した処である。逃げたのは、金曜日に捕って来たキリギリス達を、ケースに配分した時に、逃げ出した一匹なのであろう。きっと、丸一日を飲まず食わずのひもじさであったのであろう。

 キリギリスを飼って居ると、そんな事は何度かある物で、夜PCを打って居ると、机の上にキリギリスが頓馬な顔付でヒヨッコリと姿を現して、狭い四畳半の机の下の捕り物帳に為る事も、シーズン中には一,二度はある。
草叢を足で薙ぎ倒して、子細構わず生け捕り一辺倒の初狩りとは訳が違う。大事な後ろ脚が捥げない様に、ロートルメタボオヤジが、恐る恐るのスローモー捕り物帳をして居るのであるから、可笑しなものなのである。

 昨日倅が嫁さんの母親の旅行土産に、焼き物のコーヒーカップを持って来てくれた。それにインスタントコーヒーを入れて、煙草の一服を付けながら曇天の風の涼しさに部屋の小動物達の動きを眺める。金魚達の腹具合を見て、餌撒きは割愛する。水槽には補給水が必要である。昨日は雨で濁った水が涸れた水道にも轟々と流れて居た。多少の濁りが在るのだろうが、汲み易い。

 バケツを持って、水を汲みに行って来る。曇天灰色空ではあるが、矢張り、外は暑い。二回目を汲みに行くと。

「Rさん、マツバボタンがこんなに一杯、綺麗に咲いて・・・もう、散歩の体力も無いから、涼しい時は此処に来て、土手で外の空気を吸って帰るんだけど、ナデシコの花見たり、家庭菜園の緑を見て、今年もキリギリスが鳴いているって、愉しんで帰って居るんだよ。アハハ。」

「へへへ、そうかいね。じぁ、俺もチョッピリだけど、世間様に貢献してるんだ。そりぁ、有難い事ですわ。アリガトさんね。」

「あれだよ。シュンギクは根から抜かないで、葉っぱだけを取ると、また生えて来るから、そう遣って使うんだよ。分かった? お婆ちゃんは元気?」

「あいあい、しぶとくも、生に喰らい付いてるんね。へぇ~、そう云う物ですか。いゃ~、これで一つ利口に為りましたわね。アリガトざんす。」

 独り暮らしの昔美人のUさん家の老小母さんである。毎日が日曜日のマンネリ生活ではあるが、其処は日曜日と為ると気分が休息日である。怠惰モードにスイッチが入って、気楽な物である。水槽の濾過スポンジの汚れを、揉み洗いして、バート・ランカスターの西部劇でも布団の上で見ながら、昼寝でも致しましょうかね。


心何処ーショート へへへ、本日の出来事。
             へへへ、本日の出来事。(7/21/12)
 PCで時代劇映画を見て居ると、何と何と<壬生義士伝>のTV版が在った。主演は渡辺謙である。近藤勇役の柄本明を除いて、好い配役だったとのコメント感想も頂戴したTV時代劇である。上下巻1000頁にもおよぶ長編小説を読んだ記憶も新しい処であったから、これは見なければ気分が落ち着かない。見終えて、流石に目がチカチカする。

 見応え充分と言いたい処ではあるが、原作を血涙交々感動頻(しき)りの読破であったから、如何しても自分のイメージでドラマを見て仕舞う。そんな次第であるから、ヘヘヘってな物である。
 原作の映像ダイジェスト版と云うのが、TVドラマなのである。云って見れば、作品も監督と云う個人のフィルターで物語を読んでの感想映像ドラマとして居るのであるから、小説読者としては、ほう~、この場面は、彼は、役者は、こんな風に感じて表現したのかと云う感じがして来る。この場面は、こうこう、こうした方が、原作のイメージにピッタリ来るのにな・・・なんて、独り観賞故に、下衆の雑感を口走って仕舞う物なのである。

 原作の小説を読んで感性が違えば、各人各様のイメージの違いが生じて来るのは致し方の無い処である。然しながら、小説を読んで居る者の強みで、物語の流れ、見せ場が頭に在るから、さてさて・・・次は如何なる場面かなどと容易に待ち受ける事が出来るから、自分と監督さんのドラマ仕立ての取捨選択が出来る。従って、言って見れば待ち構えて見る事が出来る『強み』が生まれて来るのである。

 これも小説の読後感にして、映像作品への観賞方の一側面であるかも知れぬ。

 日本人の忠義、信義、心、人情を謳い上げた南部藩士父子の物語に、現代の時代を重ね合わせると、不甲斐無さと切無さばかりが頭の中を駆け巡る。そんな引き金が在ったのだろう・・・とんでもない女の夢を見て仕舞った。蓋をして来た<怒りの再炎>で、絶対に夢の続きを見たく無かったから、起きる事にした。
 本日は土曜日でもあるから、早朝ブログ打ちでもして朝の賄い夫時間を待つと致そうかで、PCに向かって居ると窓辺に斜向かい吟さんのお声掛かりである。

 八畳には未だ布団も敷いてある事でもあるから、私も外へ出てのお話である。へへへ、左様でゴザンスか。はい、分かりました。次に話題が進んで、おやおや、それが本音でアリンスかである。幾ら温厚常識派の私でも、向かっ腹が立って、丁重にグサリと返り打ちにして呉れた。

 いやはや、本日は朝から腹の立つ事の2連チャンである。まぁ、心友Tとのコーヒータイムがあるから、内部マグマを慰撫して置くしかあるまい。へへへ、南部武士の鑑を見たり、思い出して仕舞うと、人間のレベルと質の違いには、落胆の泣きたい程の心境に為って仕舞う物である。遺憾いかん・・・

 オス2匹、メス2匹の虫籠を持って、Tの車に乗り込む。コーヒースタバでは、フランス文学の教授先生と顔を合わせる。先生は些か痩せた様である。

「昨日、キリギリスを取って来て、オスメスのバランス入れをして居るとさ。婆さんのヤツ、<メスは鳴かないよ。>と来たもんだぜや。それで、一番いはオヤジさんの部屋、もう一番いはTの部屋用だわね。
 Tのヤツは変態野郎だから、キリギリスのギース、チョン、ギースの鳴き声と、オスメスの交尾を観察するのが趣味なのさ。俺の事を散々に変態男と糞味噌に言うんだけど、『変態度に関しちゃ、野郎の方が数段上だいね。』って暴露して遣ったら、婆さん、へぇ~って、目を白黒させてたぜや。ギャハハ。」

「この馬鹿野郎。お前は、そんな事を大正生まれの年寄りに喰っちゃべって居るのか。見下げ果てたヤツだ。お前みたいな変態男に、変態野郎扱いされちゃ、Tの家紋に傷が付くぜや。ったく、救い様の無ぇ馬鹿オヤジだぜや。あい~。」

「そりぁそうずら。経済学部の男が生物学教室の助手じぁあるめいし、取るに足らぬキリギリスの三角関係に於ける交尾観察してるんだから、如何考えたって正常じぁあるまい。日本語じゃ非正常を変態野郎と蔑視するのが、正しい日本語の使用法ずら~、あい~。」

「何を扱きぁがる。ムダゴト扱くな。」

 細君の母御は退院して、リハビリが始まったとの事である。脳溢血で倒れた連れ添いの手には余るから、Tも忙しいとの事である。昨夜放送の夏山に話題が行き、F高の登山落雷時に、Tは丁度その時、乗鞍に居たとの事である。雷が幾筋も光って、岩に落雷して岩が割れ、飛び散って居たシーンが脳裏に焼き付いている。そんな臨場感溢れる恐怖体験を話してくれた。生きた心がし無かったと言う。雨は止んではいるが、本日は雷注意報が出ている。

     ホームセンターに寄るが、如何せん・・・買い物が出て来ない。

「如何した? もう、認知症の兆しで頭の中には麩が入って居るんだろう。ちゃんとメモ書きして来なくちゃ駄目だわね。頭の良い奴は、意外と呆けが早いって云うぜ。精神のタガが外れちゃったら、後は変態男に真っしぐらだぜな。気を付けな。イッヒッヒ。俺は、確り今日の買い物が頭に入って居るから、スイスイだ~。嗚呼、歳は取りたか無ぇやな。イッヒッヒ。」

 ナロメ~。変態野郎の仇打ちかいな? 店内をうろついている間に思い出した。健忘症の連鎖も、溶解して行けば<思い出しの連鎖>に繋がる物である。へへへ。

 どっさりと買い物をして帰って来ると、玄関に倅のサンダルである。買い物を冷蔵庫に入れて居ると、オシメパンツ姿の凌祐が相想を振り撒いて、トットコ、トットコと台所に遣って来て、コンニチワ、コンニチワのキャッキャ笑いをして見せる。さてさて、ちょいと待ってろよ。爺っ様が昼の用意をするからな。買って来た物を並べて、キャベツの千切りをしてツナ缶を開けて、マヨネーズとケチヤップ和えを作る。

          孫が来て大喜びをするのは、婆さんである。

「オヤジ、俺が川に連れて行って貰ったのは、幾つの時?」
「俺は、物臭者だから、手が掛らなく為ってからだろう。オシメの取替えもした事無いし、言葉の通じない子と遊ぶなんて、そんな面倒な事は、真っ平御免の口だからな。」

「嗚呼、それは分かる。俺だってそうだもの。男親ってそうだよね。じゃあ、川遊びは、三歳くらいまで待つか。凌祐。」

「自由放任の見守り遊びには、子供の親の顔見と言葉での或る程度の意思伝達が、絶対要件だからな。のべつ幕無しで体教してたんじゃ、幼児虐待で刑務所行きだぜ。」
「そりぁ、そうだ。了解。爺っちゃまの家は広いから、存分に遊べるからな。今年の夏は、庭でタライで遊ぶか。」

 まぁまぁ、孫が来ると老母のハシャギ振りは、凄い物である。完全に女に戻って、口煩い世話焼きをする物である。へへへ、婆さんや、男と女は違いまするがね。赤ん坊好きの女特性と腕白餓鬼好きの男特性の違いは、仕方が在りませんわね。来る度に、覚えた事を見せて呉れる幼児の成長振りとは、面白い物である。

 T爺も、ミニトマトの色付きは無い物の、カブトムシに、キリギリスが加わって、ギース・チョンと鳴けば、<爺、これなぁ~に>の福与かな幼手がチョコマカと動いて、円らな黒目が愛らしくキリギリスの動きを追うのであろう。

 さてさて、T流キリギリス交尾のご講話を聞きに行きたい物である。ご講話に参加出来れば、『変態か否か』は、脳味噌スキャナーの文明の利器など借りずとも、立ち処に判明するのである。

★ギィース、チョン、ギィース。そんなに穴の開くほど、見なんどくれ。キリギリスの交尾は、草深い中で行われる秘み事でアリンスわね。キュウリと削り節の宛飼いに、羞恥を晒す終いの住処は、小さな虫籠。嗚呼、返す返すも、恨めしき海入道の強引さ為りにけり。


心何処ーショート これ、言わずが花の悪態為り。
            これ、言わずが花の悪態為り。(7/20/12)
 さて、明日は早くも土曜日である。降ると云われて、梅干しを廊下に取り込んだのではあったが、降らず仕舞いであった。夕方のたっぷりの散水に家庭菜園の野菜は、青々と息を吹き返して居る。

 昨夜は涼しかった。それでも、夜散歩はびっしょりと汗を掻く物である。矢張り、ジョギングをする人達も、運動は夜の時間帯に移行して居る。

 朝の庭様子を一周りして、外で朝の一服である。鬼ユリの蕾も大きく為って色付いて居る。この二、三日の間に花を咲かせるのだろう。蝉の声は無いが、夏本番が始まっている。

 朝食後は、風呂に火を付けて、車で米屋さん経由でTと倅用のキリギリスを取りに行くと致そうか。

 風呂は、斯く斯く云々で汗びっしょりに為って帰って来るから、先に入って呉れと云って、車に乗る。米屋さんで砂糖たっぷりのインスタントコーヒーを頂戴するが、然しもの政治談議を好物とするご主人も、相も変わらずの政権与党・民主党の体たらく振りには、食傷気味であるらしい。一くさり政治感情を口にしただけで、世間話に移行して終った。

 暇人ロートルオッサン達に愛想を尽かされているのであるから、日本の政治は危険水域にまで達して居るのに、鈍感・薄情の政界生物達は言葉遊びに興じている。そんな場合では無いのである。
 然しながら、クーラーをガンガン回して、生徒会の様な総論の質疑応答をして居るのであるから、お気楽なものである。上着を着ても扇子を使う必要も無い節電無視なら、スーツにワイシャツなら、ネクタイをして『襟元を糺すのが、男子の身嗜み』と云う物であろう。

★何が、クールビズじゃい。笑止千万!! <水は高きより、低きに流れる。>の理を以ってすれば、『口実を得れば、人は低きに流れる。』の実態を晒して居るにしか過ぎまい。

『人、態を以って中身を現わす』の証左が、尖閣の海であろう。尖閣諸島固有の領土、実効支配、国有化などと体裁の好い総論を並べたてて見ても、寄付金13憶円超の東京都が、現地調査の為の島上陸許可申請を出しても、許可申請については、検討中として保留されて居るそうな。体たらく政権で総選挙も近いのだろうが、東京都と国防有志の浄財の巨額さに、覚悟も無き横恋慕とは、男の風上にも置けないドジョウ内閣さんである。

『東シナ海は、友好の海。日本は日本人だけの日本では無い。』が民主党の党是らしい。

<一事が万事にして、親分を見れば、子分が分かる。子分を見れば、親分が分かる>ってな物で在りましょうや。

 むべ為るかな・・・万年野党だった民主党議員さん達の中には、市民活動・街頭演説時代からの『外国奨学金生』先生達が、多いのであろうから、中国・北朝鮮・韓国スポンサーには、<言う事を聞かないと、バラすぞ>>の秘密のキンタマを握られているのであろう。

 東アジアは、大中華思想国に事大主義を掲げる北朝鮮・韓国のお国柄なのであるから、一度与えた恩は、孫子の代まで政治・外交カードにして、際限無く執拗に集り続けるのが<民衆国是のお国柄>なのである。
 言いたくは無いが、相撲の勝負と同じで、力も無いのに安易に叩き込みを狙えば、相手の圧力を呼び込んで、『墓穴を掘っての敗退』でしか無かろう。こんな事は、相撲を取って遊び呆けて居た昔の小学生にも分かって居た理屈である。

 へへへ、小沢さん大ファンであった米屋さんも、小沢さんの本性が見えて来たらしく、今回の政局反乱劇には、尊敬妄想が吹っ飛んでしまったのだろう。小沢さんのオの字も出無かったのには、ビックリした。

 然りながら、大事なキリギリス採りが控えて居るから、政治講釈の吐き出し願望は山々為れど、コーヒーを飲み終えて、早々のハンドル握りである。

 乱獲は、資源枯渇にも通じるから、上のポイントに車を走らせる。長靴に履き替えて、キリギリス採りに腐心する。吾が方のメス投入も勘定に入れて、Tと倅用のキリギリスをゲットして来る。

 汗だくで帰って来ると、黒雲、俄かに侵攻して、半日遅れの本格的雨と為って来た。三日連続の猛暑日であったから、大地には丁度好いお湿りと為ろう。


心何処ーショート ふぅ~、夜よ、早う来りゃんせ。
            ふぅ~。夜よ、早う来りゃんせ。(7/19/12)
 いやはや、暑い。太陽が出れば、暑くて布団の中には居られない。庭に干し台を持って来て、大笊に大梅を並べて干す。庭には自生の赤紫蘇が繁茂して居るから、それを抜いて、市販の紫蘇に加えると致そうか。藪蚊に刺されるから長袖と軍手をしているのであるが、朝一寸動いただけで汗びっしょりである。ったく、嫌じぁありませんか。

 元気なのは、ミッドナイト散歩時の夜風の涼しさだけである。暑くて堪らないが、郵便局に行って支払いを済ませて来る。子育ての終わった昼の町は、人っ子一人、猫一匹も居らず、炎天を晒しているだけである。
 昼飯も面倒であるから、アイスクリームとヤクルトのヨーグルトで良かろう。仕事をして居ないのであるから、夏に託けてメタボ調整をするのも悪くは無かろう。自転車でコンビニまで足を伸ばすと、高校野球の応援者で店は、大繁盛である。母校の一回戦敗退さえ無ければ、私とTも、カチ氷、アイスクリーム、飲料などを買って、高校野球見物をしていたのだろうが・・・ いやはや、好きとは云えご苦労様な事である。

 このままの暑さが続けば、常識体裁は後回しで、川浸りにでも行って来なければ為るまい。キリギリスケースを三か所に置いて居るから、遠くの外からキリギリスの声が聞こえて来る。音は波紋で伝わるとは言うが、廊下、二畳小部屋のキリギリスの声が、家の中では色々の障害物で、外に出た音の方が、四畳半では良く聞こえて来るのであろう。

 へへへ、人間の五感の錯覚を利用して、『忍法音返しの術』なんて物も在ったのかも知れぬ。

 庭木が多いから、クーラーなど不要の家である。老母は廊下の椅子で過ごし、私は定位置である。午前中は暑くて堪らない四畳半ではあるが、午後からは涼しい風の入る四畳半である。玄関に水打ちをして、玄関を開放する為に、窓辺の鉢植え物を外に出して、玄関鳥を出窓に持って来る。背後に扇風機を弱にして、上半身裸のスキンヘッドには、水で絞ったタオルを載せて、PC打ちを始める。

 ラジオからは、公明党の自己顕示欲の権化女史が息撒いて居るのが、面白くは無い処ではあるが、国会中継を聞くのも国民の義務である。

 午前中の老母の感想では無いが、家の仕事が大嫌いだった私が、マメに良く動いているから感心しているとの事である。

「そうでも無いわね。男も女も、本質的に違う訳も無かろう。男は外で働いて、家の事は面倒の顔はして居るんだけど、退職ロートルに為ればさ、小学校の授業見たいに全教科の時代に戻るだけだわさ。

 高校、大学、社会人と為れば、否応なく専門科目主体に為ってるけどさ。それは、云って見れば『偏った生活』だぜや。人間が生きて自然に生活する以上、国語・算数・理科・社会・図画工作・音楽・体育・家庭科の小学校見たいな総合域で生活は成り立って居るんだわさ。
 云って見りゃ、偏った専門科目から万遍無く総合科目の生活に戻るだけだわね。本来、人間の生活は五感から成り立って居るんだから、総合科目を愉しむのが老後の生活じゃないの。それに早く気付けば、ロートル日々を愉しむ事も出来るって寸法さね。

 それがしたくても、現役時代は細分化が効率のコツなんだから、仕事が決められて居て、その中で齷齪せざるを得無かったまでの事さね。人間の一生なんて、無から生まれて無に戻る『円を描く』のが、人間を含めて生物の一生でしょうに。

 一生現役だとか、一生輝いて居たいなんて、妄想に踊らされて、何で能力・才能の無い凡人達が、『衰えの光陰、矢の如し』の老後まで齷齪し無くちゃ為らないのか・・・ 俺には、全然分からない<我道人間の足掻き振り>にしか映らんわね。
 意に為らない人生の柵(しがらみ)を、精一杯生きて来たんだから、円を描く自然体の流れの中で、死んで消えて無く為れば、オンの字じゃ無いのさ。

 俺に言わせれば、皆さん欲が深過ぎるから、耳当たりの好い流行語に踊らされて、仕事仕事、生き甲斐生き甲斐と、輝き続けるの虚勢を張ってるだけじゃないのかい。現役を離れたら、そんな洗脳の色眼鏡を外して、本来人間に備わっている筈の『物静かな真っ当さ』で自分の心、心象風景と向き合えば良いのさ。

 それの方が程、肩から余分な力が抜けて、自分らしく生活出来ると思うんだけどね。人間の人生が放物線なんて物は、俺に云わせりゃ『真っ赤な嘘ぱち』だわね。自分と真摯に向き合えない者が、幾ら足掻いて背伸びをした処で、自分の分・身の丈を弁える事の出来無い者が、逆立ちして力んで突っ張った処で、外野席から見れば『独り善がりの徒労の人生』じゃないのさ。自己満足の中に、社会的・客観的な尺度を採用出来ない様じゃ、所詮は<我道レールを暴走する薄情者・卑怯者>ですがな。

 アハハ。或る意味じゃ、今の生活は、俺の待ち侘びて居た老成の在り方かも知れんわね。

 こんな、極々当たり前の事なんか、学問したり、師匠に弟子入りして教えて貰う事でも在るまいに。普通の自問自答力さえ実践して居れば、大津の中二生徒の苛め自殺に対してだって、まともに対処出来た筈なのに、警察、学校、PTA、教育委員会のあの醜態振りは無かろうよ。

 自慢じゃ無いが・・・俺なんか、大処、筋目は、婆さんの生き方から教えて貰ったんさ。アリガトさんよ。

 皆、安易に勉強し過ぎるから、活字洗脳されて仕舞うだけの事だわね。民主主義だか、言論自由だか、自己主張の時代だかは知らんけどさ。戦後民主主義67年の成果が、この体たらくとは、日本人の御先祖さん達に、申し開きが出来ませんがね。へへへ。

 国会のドジョウ総理の答弁を聞いていても、ナンジャラホイですがな。言語明瞭、腰の低さ、多弁だけのオンパレードで、肝心なイエス、ノーなんて答弁なんか殆ど無いじゃないのさ。あんな物は、コンニャクの裏表の軟弱背骨無し男の言ですがな。言葉に責任を持つ専業者・政治家が、この体たらくで事足りて居るんだから、世間に四の五の言って見ても始まりませんわね。ギャハハ~。ってな物さね。」

へへへ、もう直ぐ95を迎える老母に向かって、こんな漫談を言えるのは、有難い事である。仏壇に掛るオヤジ、兄貴達の御加護に感謝感謝の段である。

 キリギリス鳴いて、金魚のんびり泳ぎ、金華鳥動き回る昼下がりの四畳半定位置である。いやはや、キンタマ蒸れるアスファルトの照り返しは、酷でありまする。然りとて、フリチン全裸に為る勇気も無い男である。ふぅ~、夜よ、早う来りゃんせ。


心何処ーショート 今年も、夏のセット完了なり。
            今年も、夏セット完了なり。(7/18/12)
 昨日のキリギリス採りである。未だ鳴いては居ないだろうと思っていたのだが、最初のポイントに車を止めてエンジンを切ると、何んとギースの確かな声である。サンダルから長靴に履き替えて、軍手をはめる。蛇退治の手作り木刀と虫籠を持って、川原に下りる階段に立つ。先ずは、鳴き声で凡その場所を確かめる。

 この場所は、草は生えては居るが小さな運動場として整地がされている。運動場の周辺は、自然のままの葦、雑草が繁茂して居る。その茂みの中にキリギリス達は居るのである。

 私の場合、鳴いているキリギリスを見付けて採るのでは無い。大体の居場所を想定して、周囲の草を長靴の足で薙ぎ倒してキリギリスを追い出して捕獲するのである。虫達が大魔神の薙ぎ倒しの前に、天地鳴動に恐れ戦(おのの)いて逃げ惑う。その草葉の揺れ具合を見て、キリギリスの有無を判断するのである。
 草叢の住人としては、カマキリ、青蛙、イナゴ、バッタなどである。それ等の中で、キリギリスが一番大きいのであるから、草葉の揺れが大きいのである。揺れ具合=体重×スピード×飛距離であるから、多少の観察力が在れば揺れの取捨選択は、難しい事では無い。従って、揺れの強弱具合を見てキリギリスの姿を探すのである。

 草薙ぎも先ずは周辺から攻めて、徳川家康の『夏の陣』の故事に倣って、外堀を埋めてから本丸を襲う戦法なのである。それもトンビ並の高見からの見降ろしであるから、草叢のキリギリス達とは、哀しいかな・・・視界力の優劣は歴然の沙汰である。然も草の少ない方に追い立てるのであるから、キリギリス達もお手上げの状態と為って、完全に姿を暴かれ、敢え無く大魔神・海坊主の私の手中に転がり込むのである。

 暑い暑い炎天下ではあるが、虫籠には、捕虜達が次々に入って、オス6匹にメス1匹である。残念な事に、オス1匹の足が1本毟れてしまった。流石に炎天下の肉体労働の様な物であるから、ズボンも汗でびしょ濡れである。首タオルを取って、川の水で汗を拭う。

 流石に30℃超えの3日であるから、食欲も減退している。帰りに個人スーパーで牛乳とパンを買って昼飯とする。

 去年の虫ケースを風呂場で洗い、底に川砂を敷いてキュウリ、削り節を食料としてキリギリス達を3ケースに分ける。汗でべっとりした身体は、風呂の残りで行水をする。キリギリスのケースは、四畳半、廊下、二畳小部屋に其々置いて、夏の声とする。

 今年の夏は、中々に豪勢である。窓辺のカワラナデシコ、マツバボタン、キリギリス、蚊取り線香である。へへへ。

 夜は二畳小部屋で、<虫眼鏡老人・その8>を打ち始める。風が止むと、汗が滲んで来る。涼みに河川敷のベンチに腰掛けて、蛍の光に一息付いて来る。

 明けて早朝のラジオを聞いて居ると、信州でも65歳の男性が熱中症で死んで居たとの報であった。

 昨夕は、たっぷりと散水を施して置いたから、植物達は青々としている。コマツナを収穫して、朝の浸しとする。ふぅ~。太陽が昇ると、暑いばかりの一日の始まりである。梅雨明け30℃超え3連チャンを得て、マツバボタンの大盛況振りは驚愕の態である。

 3か所からキリギリスの声がして居る。水槽のデカ流金が、私を睨んで居る様な目付きで私を見て居る。へへへ、昨日の抗議なのだろうか?? 金魚の餌袋を手にすると、金魚達が一斉に浮上して来て、大口を水面から出して忘我のセッツキを呈している。為るほど為るほど、恨みより喰い気が勝るの図である。


 本日の一枚は、当然に夏セットの図柄で有りまする。いやはや、無風の夏日で有りまする。ギース・チョン、ギース。何方様も熱中症に為らず水分・塩分補給を致しましょうぞ。
                  


                  夏のセット
                夏のセット_002


心何処ーショート とほほ、梅雨明け宣言。暑いでゴザンスわね。
       とほほ、梅雨明け。暑いでゴザンスわね。(7/17/12)
 裸ん坊の夏が遣って来た。昨夜は、裸で寝た。ゴミ出し、庭周りをして定位置に座る。ラジオを聞きながらの一服も、8時を回れば、早くも汗ばんで来る始末である。Tシャツを脱ぎPCをONにする。おやおや、拍手総数が2万で昨日拍手が10である。何か好い事でも在れば、見っ付け物である。ゲン担ぎをしたい処ではあるが、目下の処、その対象も無い侘びしきロートル日常である。

 やれやれ、昨日のへっぴリ腰作業で肩と外腿が筋肉痛である。些か腹は減っては居るが、未だ動く訳には行くまい。カーテン越しの光の中を、ユルユルと泳ぎ回る金魚達の紅白・朱の魚鱗の輝きが綺麗でもあるし、暑くも感じられて仕舞う。大きい方の水槽には、形のでかい流金とコメットが入って居る。同じに買って来たコメットの倍の大きさに成長して終った。短躯デカ腹、朱の流金は一段と大きく成った見たいに見える。

 する事が無いから、小さい方の水槽からコメットを手で掬って、流金とチェンジして見る。コメットと流金の水槽に分かれたのであるが、据わりとしてはイマイチである。種類、色合いの混合の方が、据わりと動きの面白さが在る。へへへ、元へ戻した次第である。

 通学・通勤の時間帯も去り、ラジオでは8:30の気温が28℃超えにして、34℃超えの一日に為るそうな。

 昨日の夕涼みの時に、斜向かい吟さんに真顔で質問を受けた。『海の水は塩水なのに、魚は何故に、塩ぱく無いのか』である。

         ★そんな事言われても、俺ぁ分かりませんわね。

 へへへ、さてはさては・・・小学生の孫からの質問に『吟爺様』は、ハタと困惑したのであろう。海の日を入れて、学童は三連休だったのである。海の日に釣られて、海と戯れれば、海難事故も報道される。夕食に刺身が出れば、ハタと、そんな自然の奥深き森羅万象の大疑問も、学童の口から出て来る。

★自慢じゃないが、私なんか、何時もそんな糞婆のオチョクリ被害に遭遇して居るのである。土台、浅学非才のピンク妄想の住人を自負している私に、そんな高邁な疑問を呈するのはお門違いと云う物である。イッヒッヒ~。

 その為に、子供は学校に行って居るんだから、学校の先生に聞くのが『世の常識』と云う物である。その位の子供の疑問への応答蓄積が無いと、<職業人としての教師>は格好が付かないでは在りませぬがな。

★人間とは、遣る事が無さ過ぎると、兎角、好からぬ『色妄想』に耽って仕舞う物である。それが証拠に、私なんざぁ~、女と見れば股ぐら、バック妄想ばかり仕出かして居る大戯けその物なのである。

 因みに、信州教育は岐路に立たされているとの事である。それも、県立高校教頭の出張盗撮、教師の淫行ラッシュなどで、崩壊の危機に立たされているとの事である。苛め自殺にも、責任回避の不合格会見しか出来ない教育委員会の報道も在った処である。狂師・狭師・狂指に他所見をさせる前に、生徒の疑問回答者の仕事を付与するべきでありましょうや。ギャハハ。

 もう直ぐ、夏休みである。『ラジオ、何でも子供相談』の季節である。生き物・植物観察だけが自由研究でもあるまい。涼しい図書館での<疑問解き>も在っても好いのである。何も大人が子供の『疑問説き』をする必要も無かろう。一緒に図書館に行って、<調べ方の手解き>をした方が、余程気の利いた『指導爺の姿』でありまするぞえ。イッヒッヒ!!

       おっ、老母様の動きである。朝の賄い夫に移行致しまする。

 朝食後は、倅がプレゼントしてくれた友人の静岡茶をお代わりして、老母を相手の漫談をする。如何やら、梅雨明け宣言である。いやはや、暑い限りである。ゲン担ぎの試しに、車でキリギリスの生息場所でも見回って来ると致そうか・・・

 暑い暑いと、座視してメゲテ居ても一日は、一日である。とほほ、暑いでゴザンスわね。


心何処ーショート 半日ペンキ屋さんをする為り。
            半日ペンキ屋さんをする為り(7/16/12)
 ラジオの声に目覚める。何、5:15だと・・・ ラジオを聞きながら、ラジオ体操を遣り過ごして、久し振りのビジネス展望を確り聞く。現役時代は、恥を掻かない様に欠かさず聞いていた番組である。

 退職後は、自由気儘の夜更かし生活で、その時間帯は熟睡中の熟睡時間である。7時のニュースでは、ネパールのバス転落事故を報じている。邦人客でも居たのだろうかと思いきや、そうでは無かった。何処にニュース価値があるのか??? 素人の私には、皆目、見当が付かなかった。

 なになに、本日は全国的に今年一番の暑い日との予想である。松本は32~33℃に達するとの事である。仕方があるまい。暑く為らない内に、ペンキ塗りでも致そうか。土曜日のホームセンターを覗いた折りに、ペンキとハケを買って置いたのである。
  
 押入れには娘が小学生か中学生の時に授業で使って居た大工セットの中に、当て板の付いたサンドペーパーがあった。親分無しの子分無しの生活である。何時かは遣らなければ為らない仕事である。

 これも、お天道さんのお指図だろう。天命に背いたら、お仕置きが怖い・・・

 手箒と、サンドペーパーを持って、弟の置いて行ってくれた長い頑丈な脚立をヨッコラショと抱えて、梯子代わりにして、へっぴリ腰でトタン屋根に乗る。何しろ、メタボ還暦男である。屋根を踏み抜いたり、屋根から滑り落ちるのが怖いのである。痩せたとは云え、77kg前後はある。如何やら、大丈夫そうである。脚立作業と比べたら、屋根上作業の方が、絶対に作業効率が好い。

 錆びた部分は元より、全体をサンドペーパーで擦って、ペンキの密着度を確保する。手箒で真面目に砂埃を掃いて、気は心であるから雑巾を掛ける。

 さて、下準備が出来たから、朝の賄い夫をすると致そうか。屋根の上は、居心地が悪過ぎる。

 老母の食事の終えるのを待って、食器を台所に片付けて、ペンキ作業である。こんな汚れ仕事の為に、ファスナーのパンクしたズボンがあるから、コジキ着に着替えて、ボッチラボッチラ、何は無くても『安全第一のペンキ塗り』を始める。

 根が単純な男であるから、遣り始めると面白い物である。それでも、縁の辺りは体が委縮して終う。面倒ではあるが安全第一であるから、その都度、脚立を移動して安心策を講じる。体重さえ軽ければ、もっとスムーズに運ぶ作業なのではあるが、だらしの無い事、この上ない。とほほにして、お天道さん、熱いじゃゴザンせんか。あい~。

 我慢我慢・・・もう少しで、終わりまするがな。塗って塗って、また塗って、俺らはペンキ屋さん。良いね、好いね。如何じゃい、物臭男も、遣る時は遣るんじゃい。

 おっ、危ねぇ~。後ろには、目が付いて無えやね。もうチョイとズリ下がったら後が無かったぜや。おお、ヤベェ!!

 さてさて、如何にかメインを遣り終えて、次は風呂、脱衣所の出窓部分の庇個所である。此処は面積も少ないし、脚立から充分に手が届くから楽な物である。同様の手順で、義務仕事から解放された。

 脚立を片付けて、ハケを洗い老母の部屋で日本茶の一服である。汗びっしょりであるから、パンツ一つに為ると、何箇所もペンキが付いている。さてさて、風呂を沸かせて、男前を上げるしかあるまい。へっぴリ腰の緊張作業であったから、腕、太腿、脹脛がパンパンしている。

 体のペンキを洗い落して、窓辺の鉢植え植物を外に出して日光浴をさせて遣る。これで当分、大丈夫である。物を対象とした仕事は、遣れば一目瞭然の結果が応えて呉れる。私の様な単細胞人間には、性に合った仕事である。気持ち、心の通じない難儀な人間相手では、徒労に終わる事の方が多過ぎる。兎角、人間と云う代物は面倒な物である。

 さてと、風呂から上がった時は、気持ちが好かったのであるが、上半身裸の肌にもう汗が覆い始めている。涼しい風の通り道・玄関廊下で漫画本でも読みながら、舟漕ぎでも致しましょうかね。


心何処ーショート ロートルトーク・ライブ
              ロートルトーク・ライブ(7/15/12)
 朝方、雨が少し降って止んだ。本日は曇天の風日と為りそうである。遣る事が無いから、Tから貰ったカシクルミを口に、コーヒーを飲みながら思い付いた。確か黒砂糖が少し残って居たから、黒砂糖を煮立ててクルミに絡めて遊んで見ると致そうか・・・。

 湿気ると思ったが、好い感じに出来上がった。何事も経験ではあるが、遣って見ればまぁまぁ上手く行く物である。そりぁ、そうでしょうよね。砂糖塗し、砂糖絡めの駄菓子は昔から在ったのであるから、企業秘密、一家相伝の秘儀でもあるまい。へへへ。これで一つレパートリーが加わった。

 昨日のスタバトークでは、『日本人の横文字好き』を散々に好色ヤクザもどきコンビで、扱き下ろして来た次第である。先日、日本の三大証券の社長が揃って、インサイダー取引の業界・社内風紀の乱れを謝罪したニュースに因んで、クローズアップ現代でも、取り上げて居た。規制緩和から始まって、<結論としては、コンプライアンスとガバナンスの在り方が問われている。>との例の如しで『お茶濁し談話』で終わって仕舞った。

        ニャロメ!! 相変わらずのブリッコキャスターさんである。
            言いたくは無いが、フザケタ番組である。

「規制緩和とは、お上の規制締め付けが緩和されるって事だろうに。業者、下々からすりぁ権利の拡大なんだから、権利の裏の義務だって、それに比例して義務の具体化、細分化、罰則の強化は、表裏一体の物じゃないの。権利と義務を天秤に乗せりゃ、権利と義務はピッタンコで静止の均衡を保って居るのが、秤の存在意義じゃないのかい。」

「誰かが儲かると云うのは、誰かが損をすると云う事のバランスで成り立って居るんだろ。厄介なルールの中じゃ、儲けが少ないから、ご法度の強奪・窃盗・詐欺を仕出かして居るだけじゃないのさ。太古の昔から割の良い遣り方が、ご法度破りなんてのは、人間界の裏の顔でしょうが。そんな事を繰り返して居たら、殺戮三昧に為るから、正義が大きく為って、社会正義の御法度が社会秩序の要として、近代国家の法治国家を築き上げて来たんでしょうに。」

「取引の透明化、機会の均等、取引者相互の権利保護は、権利義務の立ち場の平等化で、当然のセット化なんだろうに。それを殊更、義務負担の一側面の要素を、やれ法令順守(コンプライアンス)、組織管理(ガバナンス)なんて、下らない横文字を使用する必要があるのか。そんな横文字を使って、小学生でも分かる理屈を言う必要も無かろう。『火盗改めの長谷川平蔵の時代劇』を、NHKが徴収料の中から復活制作すりぁ好いんだわさ。」

「座布団三枚!! あんな汚い平清盛を撮る位なら、人情、渋み満載の鬼平犯科帳の方が、余程視聴率が挙がるわな。ひひひ。」

「あいあい、アリガトザンス。本当に、馬っ鹿じゃないのせ。次から次へと、訳の分からん横文字ばかりが踊ってさ。日本の世界に類を見ない高齢化社会と抜かしてさ。高齢者の比率が多くて、テレビの視聴者だって主婦、年配者が見て居るのが実態だろう。手前ら、横文字を理解して居る層の比率を考えた事があるんだろうかね。そんなに横文字が好きだったら、英会話番組でも担当してりゃ好いのさ。でも、顔見て居る分にぁ、好い女だけどさ。」

「ははは、高齢者に優しい社会だとか、絆の復活だとか、俺達みたいな出来の悪いオッサンからして見たら、横文字に躓(つまず)いて、捻挫にギックリ腰だぜや。」

「続けて言えばさ、インテリジェンスだとよ。それもそれを『知識・情報・<諜報・スパイ活動>』と表現すると、何かと刺激するからインテリジョンスだとよ。インテリ振って、何をカッコ付けて、情けなくて、屁も出無ぇわね。
 屁の替わりに、正直こけば、おいおい、こいつ等、本当に馬っ鹿じゃ無ぇの。インテリジェンスに、これだけの日本語の意味が含まれて居るんだったら、これ程『使い勝手の悪い未進化の言語』は無かろうさ。言語の目的は、迅速にして正確な誤解を生じさせないイメージ、意思の伝達手段でしょうが。言葉の有限性・有効性を本当に自覚して居るのかね。」

「日本語は雰囲気を伝えて、言わずもがなの『協調心情を』作るのが、日本語の一大特徴だと思って居るんだけどね。<小異を捨てて、大同に着く。>が、日本人の協調行動の最たる物だと考えて居るんだけどさ。玉虫色とか曖昧模糊とか、ボタンが掛け違えれば、同床異夢の世界が、日本人の精神構造・精神行動なんだろうけどさ。」

「だけどもさ、日本人は議論を戦わせて、人殺しをするまでは行かない。それほどに言葉に対して、一々過激には反応しないのだろうよ。<知行同一思想>見たいな物が、そんな言葉が日本に上陸する前から、実態思考、説得力で日常生活に浸透して居てさ、常識として作用して居たんだろうよ。・・・率先垂範なんて言葉が『人徳の一種』を担保して居るんだし、言葉以外に日本人は、発言者の総合的判断から、発言者の過去の言動、立ち振舞い、視覚からの全体像も、言葉と態度雰囲気と比較して観察して居るんだけどね。」

「返す返すも、曖昧模糊とした日本語に、俄か覚えの流行横文字を無理矢理加えて、一体どうする心算よ。俺は馬鹿だから、知識人さん達のアクセサリー横文字使いには、腹が立って仕方が無いんだわさ。言いたくは無ぇが、知識とやらのアクセサリーをチャラチャラ見せ付けて、自己装飾して、いざと為れば曖昧模糊の言葉の煙幕の中に隠れて知らん顔よ。最終的には、連帯責任で個々の責任をチャラにしてしまう国民性の温床に便乗する形で、横文字の大氾濫状況を助長している。それが、余りにも見苦しいご時世を呈して居るんだろうな。単細胞型武闘派の俺達にぁ、虫唾が走るご時世だわさ。へへへ。」

「たかが一度の敗戦で、国の大事なキンタマを毟り取られて、平和ボケの『アメ玉』をしゃぶらされ、経済が発達すれば『ライバル』として頭を叩かれ、本家が衰退して来れば、『元利合計を返せ』と、無理難題を押し付けられる。
 終いには、キンタマと同様の日本語に、TPPの早回りの『横文字の日本語置き換え』を、自分達が自発的に『先駆けて』使っている・・・これって、誰が考えても、可笑しいんじゃないでしょうかね。イチカワトミゾー、サカイより性質が悪いぜや。あい~。」

「おっ、そこで、また二人が出て来るかや。好いかも知れ無ぇな。お前のは癇癪玉が弾けちゃ、それで終わりだからな。あの二人は、粘着男で、ベタベタだから、ネズミぴったんこで、持久力の勝利に為るかも知れ無ぇよ。へへへ、二人も思い出して貰って、股間を膨らませて居るぜや。ギャハハ~。」

 自虐史観に日本語の横文字置き換えって、一体全体、根本が狂って居るとしか見えませんわね。私は還暦半ばのロートルであるから分からないが、現代はセックスライフも、四十八手から『マゾ四十八手』が、幅を利かせて居るんでしょうかね。

 ロートル信州人と云うのは、兎に角、口が悪いのである。まぁ、口が悪い以上に、きっとお互い女日照りで、欲求不満なのであろう。はい、こんな事を言って居るでありまするから、困った好色ヤクザもどきの土曜トークなので在りまする。お許しあれ。


心何処ーショート 市川雷蔵→イチカワトミゾー
          市川雷蔵→イチカワトミゾー(7/14/12)
ヒョンなネツト徘徊でSINOBI NO MONOのFULL MOVEに至って仕舞った。市川雷蔵主演の大映映画ヒット作<忍びの者>である。YOUTUBE所期の目的は、市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』だったのではあるが、それは予告編しか載って居なかった。残念!!

私達の時代の『娯楽の王者は映画』であった。自慢じゃないが、小説こそ読まなかったが、映画だけは次から次と見て居た。従って邦画五社、洋画の米・英・仏・独と其々の感じの違いなども、容易に感じ取れる処まで見て居た物である。松竹、大映、東宝、新東宝、日活、東映などの感じの違いは、上手くは表現出来なかった処では在ったが・・・その違いは、直感出来た次第である。

 昨夜の夜更かし観賞で思った事ではあるが、大映映画は妙に『色っぽい』のである。

 映画会社はその当時、一大産業であったから、各社には専属、子飼いの監督・脚本家、俳優・女優は言うに及ばず、カメラ、音響、小道具・・・etcの各分野に置いての先輩から後輩に受け継がれて居た『確固たる社風』と云う物が、厳として君臨していたのであろう。
 その証左は、例えばどんなに有名な俳優さんで在ろうと、違う会社ではその本領とも云うべき俳優さんのカラーが萎んで仕舞うと云った例は、幾らでもある。詰まりは、演じる俳優・女優さんは、大袈裟に云えばその社風を演じて居ると云っても過言では無いだろう。映画が総合芸術・娯楽と言われる所以でも在ろう。従ってミスマッチでは、総合力の恩恵には浴せないのである。へへへ。

 私が映画を見て居た時代の大映映画の社長は、進軍ラッパで有名な永田雅一さんであった。あの当時の女優さんの代表は、肉感的艶ぽさに於いては右に出る者無しの<日本的京マチ子さん、エキゾチィックな江波杏子さん>である。手八丁、口八丁の口髭、顔付からしても、相当な助平と感じて居た次第である。

 はは~ん、大映映画の妙な色ぽさは、陣頭指揮を振るう『社長の体質』が滲んで居たのだろうと。大いに得心した次第である。

       そんな事で、コーヒースタバは盛り上がって仕舞った。
「そう云えば、円月殺法の眠り狂四朗も、濡れ場シーンが一杯在って、映画館に通ったもんだぜや。大学の時に、実物の市川雷蔵を見たけど、スラリとしていて小柄な人だったぜ。まぁ、女を魅了するスターさんだったから、妙な色気が在った。映画スターさんは、普通の人とは違うからな。イッヒッヒ。」

「そりぁそうだわな。お江戸のカワラバン的に云えば、当世を代表するオトコゲイシャさん達だからな。世の中の半分は女だから、女のファンを獲得するかしないかで、スターさんだって、銀幕にぁ主役は張れんぜや。ギャハハ。」

「そう云えば、銀幕大スターの雷蔵さんとは違って、若くして死んじゃったけど、トミゾーなんて、傑作な奴が居たなぁ。空っきし弱かったんだけど、何故か相撲部だったよな。」

「おうおう、おトミかいな。ありぁ、完全に変態だったからな。市川雷蔵さんは、全然知らないけど、イチカワトミゾーは、好く知ってるぜや。ありぁ、今で云う性同一者って者だったんだろうな。生まれ付いての混線だから、ご本人にぁ罪は無いんだけどな。中学は違ったけど、目と鼻の先の『川向うのヤツ』でさ。小さい頃から、良く知ってたんだわさ。

 あの当時は、川の東側が村で、向こう側が市だったから、何かと仲が悪くてさ。遊ぶ事が無かった時代だから、しょっちゅう<集団出入り>ばかりして居たんだわさ。小柄で生意気面してるんだけど、運動神経の方が鈍くて、喧嘩の方は空っきし弱くてさ。良く『捕虜』に為って居たわさ。何しろ態度が悪いから、一つで済む処が、オマケが付いて、2、3発頭を殴られちゃうキャラクターでさ。アハハ。でも、不思議な奴でさ。脇役なんだけど、妙に目立つ奴でさ。

 それが高校に入ったら、何んと『同期の桜』に為っちゃってさ。俺達が一年の時は、上級生が怖かったから、服従してたんだけど、三年生に為れば、皆受験勉強でコンパの時にだけ顔出すだけさ。それが伝統だったから、不良コンパの実権は二年生が握って居たんだわさ。二年に為ると、中学は違ったんだけど、招待と云うか頼み込み自主参加でさ、チョコチョコ顔出す様になったんだわ。

 そんな事で個性派変態トミの野郎は、酔っ払うと剣道部の桶屋の倅と松本人生劇場(ストリップ小屋)の実演とか、あの頃流行った愛のラーゲを競演として、もうもぅ居なくちゃ為らない特技に<特化>しちゃった男さや。志村けん・加藤茶より、先見の明は在ったわな。」

「そうか、俺はテッキリ、同じ中学出身者だと思って居たんだけど。そうかい。まぁ、ありゃ、異常だつたわな。以上と云えば、ほれ、トヨシナ方面の電車通学の年がら年中、竹の括れたコウモリ傘を持って居たサカイって変態痴漢野郎と双璧を為した異常者だったわな。
 トミゾーとサカイは、どうしようも無い男だったわな。あの当時だったら、警察沙汰には為らなかっただけで、世の中って処はさ、或る一定の確率で、異常人が放し飼いにされて居たんだよな。
 あれさ、相撲の大会に為ると、部員が少ないから、『Tさん、Tさん、試合に出て呉れ。お願い。』って付き纏われてさ。<馬鹿野郎、誰が好き好んで、他人に尻ぺたを見せるんじゃい>って、頭に拳骨さや。」

「そうかい、そりぁ、シラフの学校内だから、それで済んだのさ。俺達なんかは、田んぼの中の公民館借り切っての★中の何でもありの『泊まり込みコンパ』だったからさ。そんな物じゃ、収まら無ぇのさ。

 酔っ払って布団敷いて、雑魚寝なんかして居りゃ、あの変態野郎が、喰らい付いて来て、キスをされたり、諏訪の御柱を擦り付けられたりで、えらい騒ぎだったぜや。
 何しろ、男の土台からズレちまってるがね。歳の瀬も押し詰まって、四当五落のラストスパートで、こっちが青く為って実力試験の駆け込み暗記をしてりぁ、あの馬鹿は頬の虚仮た顔してさ、『モヤモヤ、ピンピン助平妄想』で集中出来無えって抜かすから、<煩い。溜まってるんだろ。トイレで出して来い。>って言うとさ。あの変態野郎は、『証拠物件』だって藁半紙に栗の花の黄色い佃煮液を持って来て見せ遣がるのさ。でもなぁ、如何云う訳か、国語だけは抜群の成績でさ。長島さん以上の記憶に残る『個性派男』だったわな。

 可哀想に若死にしちゃったって話だけど、ありぁ、きっとお天道様が幾ら何でも、『異常文学の御柱』を押し立てられちゃ、日本の倫理秩序が崩壊すると思し召して、あの世に連れて行ったんだろうよ。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏、お裁きに従って、大人しく成仏してろよな。」

「そうか・・・過ぎたるは及ばざるが如しって、お天道様の慈愛だったって事か・・・ 俺の目の前にも、一人変態オッサンが居るけど、ダイジョーかい? なんだったら、念仏唱えて遣るぞ。あい~。」

「馬鹿野郎が、何をこきぁがる。ISO規格と変態を混同して呉れちゃ駄目だぜや。だから、県★生は駄目なんじゃい。野球の応援して遣ろうと思って居たら、一回戦で敗退じゃねぇか。何を考えとるんじゃ。根性無しが!!」

「なぁ~、まぁ、昔から弱かったけど、一回戦敗退なんて恥は晒して貰いたくは無いわな。」

 へへへ、雷蔵様が、トミゾーに下ネタ三段活用して終い、とんだ映画談議に為って仕舞った。

※四当五落=睡眠時間四時間は合格、五時間は不合格と云われた受験地獄を象徴した言葉。


心何処ーショート 不快指数・・・
                不快指数・・・(7/13/12)
 月に何度かは、眠れぬ夜がある。考えても詮無き事が、次から次と頭を占領して遣り切れ無い物である。漸く意識が朦朧として来て、眠りに落ち様とすると、玄関鳥のバサ付きである。

 糞っ垂れが、アオダイショウの執念深さか。蛇が出たか、ネズミが出たか、玄関の明かりを付けて、玄関に立ち掛けて在る木刀を取って、目を凝らすが何も居ない。玄関廊下に間接照明として、蛍光灯スタンドを付けて遣る。こうすると、小鳥達は落ち着いて呉れるものである。

 眠りに落ちて居ると、再びの警戒音とバサ付きである。クワァ~、遣り切れませんわな。

 風雨の強い夜であった。雨でサッシを締め切って居るから、寝そびれてしまうと、蒸し暑いものである。コンチクショーであるから、明かりを付けて寝床で、睡眠導入剤の本の頁を捲って見る。

 さてさて、どの位の歩留まりが残る物やら・・・ 私は意地汚い性格の持ち主であるから、効果の無い事はしたく無いのではあるが。

 そんなウトウトを繰り返して、朝を迎えて仕舞った。流石に、心身ともに重い。頭を振って、ゴミ出しをして来る。庭を一回りして、目覚めモードにするしかあるまい。

 夜来風雨の声多少なり・・・では無いが、枯れ小枝とか青葉が大分落ちて居る。先日埋めた白マメから、二個芽出しが見える。同じに蒔いたインゲン豆の方は、駄目である。風雨に打たれ放しであった菜っ葉の生命力は、旺盛な伸びを見せている。挿し芽のミニトマトも、太陽の日当たりを得て、成長著しく青葉を大きく茂らせている。茎葉を軽く撫で上げて、匂いを嗅ぐと、トマトの野性的な癖のある匂いが、プンと鼻孔を刺激する。

 へへへ、こんな植物達の生命力・躍動感に肖(あやか)りたい物ではあるが、吾が性向は、過敏にして繊細過ぎるのだろう。真に以って、困った性向で在る。

 未だ食事には早いから、汚れたガステーブルを磨く。キュウリとキャベツの浅漬けも水が上がって来たからタッパに入れて、冷蔵庫を片付ける。そんな事をして居ると、ヨロヨロと老母様の動きである。湯のみ、茶碗、キュウス、ポットを持って台所に置いて、老母は洗顔に行くのである。

 湯を沸かし、魚を焼いて、浅漬けの漬け物をたっぷりと出して遣る。朝食後は、私は寝不足であるから、取り留めも無い世相感想などを長々と喋る。さて、本日は金曜日であるか。浴槽を掃除して、水を張る。

 自室に戻ると、ボーとした身体に、蒸し暑さのお越しである。水槽の汚れをブラシでお座成り落としをして、スポンジの汚れを揉み出す。夏に成ると、嫌な位に水の汚れは進行して終う。蒸発した水量に、汲み置いた川の水を補充して遣る。

 次は、玄関鳥の世話である。『気は心である』から、水分タップリのハコベの瑞々しい処をプレゼントして遣ると、下りて来て早速の突きを始めている。ハコベの青臭さが、プンと臭って来る。

 ハコベは正月七草の一つでもある。私は食した事は無いが、野菜を入れて遣っても、彼等は然程の啄(ついば)みをしない。如何やら、彼等にとっては、余程美味いのであろう。 
 そう云えば、家庭菜園のチンゲンサイは幼葉を粗方、キジバトに食べられて仕舞った。コマツナ、シュンギク、ミズナには被害が出無かった処を見ると、食の嗜好性は歴然の違いがある。・・・と言った処である。へへへ、正直には打つ手なしと云った処であるか・・・

 ついでであるから、デジカメでマツバボタンを撮って、外に出られぬ老母に見せて遣ると致そうか。曇天、微風に蒸し暑さがモヤってとして這い上って来る。いやはや、寝不足はシャキッとしない物である。

 遺憾いかん。風呂に浸かって、シャキッとしなければ怠惰の海に没して終うだけである。季節である。不快指数の文字が頭に浮かんだ次第である。


心何処ーショート エイッ、ヤァ、トゥ、ソリァ。
             エイ、ヤッ、トゥー、ソリァ。(7/12/12)
 活発な前線の影響とは云うが、雨は無いが台風並みの強風が吹き捲って居る。衆院国会中継を見ているが、熊本・大分県の記録的な大雨に依る河川増水の様が映し出されている。この地方は梅雨の末期に、この様な大雨で何度も凄まじい氾濫被害に晒されているとの事である。大震災、原発事故、デフレ不景気と、日本は正に弱り目に祟り目の最中に在る。

 民主党の仲間内の国会中継は、殆ど参考とは為らないから、家庭菜園の様子を見て、トマトを添え木に何箇所か補強で括って遣る。夜は萎んで仕舞うマツバボタンの華やぎが、一斉に開いて、盛りの花々を風に揺れに揺れ捲って居る。
 家は私立高校の通学経路に当たるから、ジュースの空き缶が、放り込まれて居る事が度々ある。現行犯で無い限り、不埒者を知る術も無いが、馬鹿の居なかった時代は無いのであるから、困ったものである。

 生まれ付き人相も悪いし、声もデカイのに、それを正当に発揮出来ないのが、返す返すも『残念至極の思い』である。

 それでも、今年は少ない。これは、私が家庭菜園の真似事をして、彼等の通学時間帯にスキンヘッドのヤクザもどきの姿を見せて居るからだろう。真に以って、人間と云う生き物は、好い加減な物である。これも、抑止力のデモンストレーションの一環なのである。

 昨日は、太陽が灰色雲の中で在ったから、正規ルートの長散歩をして来た。途中で大きなアオダイショウと遭遇した。先日の玄関鳥襲撃の件も在ったから、蛇は私の敵である。従って、確りと退治をした。河川敷の座敷犬を散歩させる婦人方の多い場所であるから、蛇を咥えた座敷犬にギァの声も上がるのかも知れぬ。

 私は蛇嫌いである。加えて長丁場の正規ルートであるから、適当な角材を見付けて、それをステッキ替わりにして散歩から帰って来た。

 長さ、重さと言い、立派な木刀代わりと為るので、この前研いだナタを持って来て、河川敷のベンチの上で、巌流島の決闘の宮本武蔵に因んで、<戯け削り>をして居ると、斜向かい吟さんが下りて来て、ほぼ完成した木刀を握って、エイ、ヤッの素振りを始める。

 吟さんに言わせると、『仮想敵は国会の野郎共』との事である。吟さんは中学時代から、街場の柔道場に通って居た高校柔道部の出身である。当年72歳であるが、気迫に富んだ気合いと足の運びである。へへへ、今週は国会中継が在ったから、格好の獲物を得て、差し詰めストレスの発散なのであろう。

 振り返って見れば、戦争ごっこにチャンバラ、筏乗り、モモ、ブドウ、リンゴ泥棒で遊び呆けて居た近所の悪ガキの馴れの果てが、私達二人である。長じては、2B弾、ネズミ花火をポケットに、闇絵のアベックのラブシーン濡れ場に、『緊張のホフク前進』で近付き花火の投擲をして、一目散の全力逃走。『ザマァ、見遣がれ、このド助平アベック』と下卑た大笑いを仕出かして居た馬鹿少年であったのである。これとても、夏の悪ガキ遊びを考案実行の先鞭を付けて下さったのが、何を隠そう・・・連隊長・斜向かいお兄さんであったのである。
 
 映画だって、2・26事件の青年将校振りにヤンヤの拍手喝采、怒れる17歳の山口オトヤ、浅沼稲次郎さん、日本愛国党総裁・赤尾敏さんの時代が、吾が思春期だったのである。

 野蛮だったのか純情だったのかは、難しい判断ではあるが、取りも直さず『血の気の多かった世代』である。斜向かい吟さんは、完全に乗って居る。

『おい、お兄ちゃん。俺達は子育てが遠に終わった自由の身だ。口ばっかりで、からっきし根性の無ぇ国賊連中に、日本刀持って天誅下しに国会に乗り込むぜや。屁扱いて居たって、老い先はたかが知れている。認知症であの世じゃ、男として生まれて来た意味が無ぇじゃねぇか。天照大神から始まる皇紀二千数百年の、神聖な大和のお国じゃい。最後のお国の御奉公だぜや。額に日の丸の鉢巻きして、一緒に行くべや。

 あんな軟弱野郎共にお国を任せて置いたら、お国は崩壊して、融けちまうがな。手前の国が借金漬けってぇのに、海外にぁエエカッコしぃで、金バラ撒いて、ニコニコ顔しくさがる。冗談じゃ無ぇや。手前のポケットマネーじぁあるめいに。何をホザイテけつかる。あんな物ぁ、国賊政権じゃ無えか。

 溶けて海に没するのは我慢出来るが、チャンコロ、アメ公に奴隷にされて、ズーと生き血を啜られたんじゃ、堪らんぜや。御先祖様に申し開きが立た無えぞや。日本人のキンタマを見せ付けて遣ろうじゃ無ぇの。エイ、ヤッ、トォ~。ソリァ。天誅~!!』

 アッジァ~、嗚呼、始まっちゃいましたがな。私は、木刀を作ってヤマタノオロチ退治では無く、精々がアオダイショウ退治なのではあったが・・・

 まぁ、川では町内の小学生達が川遊びをして居て、その中の肥満坊やが水中眼鏡をして、川に潜って、子分達にサワガニの配給をして居たシーンを見て、日本再生の頷きをして来たのではあるが。いやはや、高齢化社会の日本は、元気な物である。


心何処ーショート ロートル男のスローライフ
              ロートル男のスローライフ(7/11/12)
 夏に成って仕舞ったから、玄関に水打ち、玄関を開放して上がり廊下に胡坐を掻いて、読書の舟漕ぎである。暑い夏日には、玄関から廊下に抜ける此処が、一番の風の通り道と成る。さて、夕方に成った。煙草も無く成って来たから、個人スーパーまで買い出しに行って来るとしようか。

     個人スーパーに行くと、先輩姉さんが一休みで腰掛けて居る。

「ニイサン、暑く成って暖房が要らなくなったねぇ。★中学出身で有名な画家知ってる?」
「イワブチ・タツオーマル。」
「アレ、ニイサン、好く知ってるじゃん。」
「あいあい、二番目の兄貴の高校の同級生とやらで、その名前は良く知ってるよ。中学時分から、相当な個性派だったらしいよ。地方じゃ有名らしいね。」

「展示会があるからと、誘われて行って来たんだけど、色遣いとインパクトがニイサンの感じに、好く似て居るんだわ。大きな絵を描いて、個展でも開いたら。アハハ。」
「そりぁ、駄目せ。そんな事したら、銭が続かねぇわね。貧乏人は、落書き帳にチマチマ色鉛筆画が、身分相応ってもんせ。何たって、俺ぁ常識派だいね。イッヒッヒ!!」

 そんな話をしながら、世間話をして居ると前町会長さん夫婦が買い物に遣って来た。子育てを終えた町会のロートルさんは、大手スーパーと比べると割高な店ではあるが、地元野菜の安さとロートル話の心安さに、此処を利用する人が多い。言葉と笑顔が通う店は、スローライフには、無くては為らない普段着のオアシスなのである。

 今日はたっぷりの野菜を買って、好物の<蕗の甘辛佃煮>風の日持料理でも作って置くとしようか。夕食後は欠かさず見て居る歌番組を見ながら、サッと茹でた山蕗の皮剥きをする。

「婆さん、好いよ。遣らなくても。気持ちだけで十分だよ。俺がテレビを見ながら、遣るんだから。無理はするな。」
「情けないねぇ。手も自由が利か無くて、こんな事も思う様に出来ない。如何なるんだろうね。何時まで生きるんだろうかね。」
「まぁ、心臓が動いている間は、死ね無いから、ボチボチあの世に進むしか無いわね。」

 老母は真面目な性格だから、ゆっくりゆっくり皺だらけの筋張った手で、倅にお付き合いをして呉れる。へへへ。

 遣り終えて、鍋を持って台所で土地の細長い茹でタケノコを刻み、油で刻んだ蕗と一緒に油で炒める。乾燥身欠くニシンを調理鋏で切って加える。七味唐辛子を振り撒いて、尚も炒めて、水気を薄めて砂糖・醤油・調味料を加えて煮締めて行く。味見を繰り返して、後は冷めたら、タッパに入れて冷蔵庫へ。キュウリ、ナスを刻んで塩を塗して、即席浅漬けで、これまたタッパに入れて冷蔵庫に。へへへ、これで手抜きの完了である。

 さて、これで今日も終わりである。老母の部屋を辞して、四畳半定位置で読書の続きを、ラジオを聞きながら過ごすとしようか・・・。

 風呂の残りで朝の水撒きをして居ると、斜向かい吟さんが、西向かいの独り暮らしの小母さんの家庭菜園に、ホースで散水をしている。ジョロを持って、朝のご挨拶に行く。本日は、風が強いから涼しくて気持ちが好い。一向に色付かぬ桃太郎トマトに、吟さんのご講義を承る。吟さんの見立てに依ると、日中温度は夏ではあるが、夜間温度が低過ぎるから、足踏みをしているとの事である。左様で御座るか・・・

 風呂の残りをハンディ水ポンでジョロに入れての水配りも、結構な運動とも為る。主張手入れを終えた吟さんからの声掛けである。一重、八重のマツバボタンが色とりどりの花盛りであるから、<お見事の感想>を頂戴する。スッと頼りなげに伸びたカワラナデシコも、白、ピンク、赤ピンクの花を咲かせて、風に揺らいでいる。

「如何だい? 自然の野草然として、マツバボタンの華やぎとの対照が、大したもんズラい? 」

「やぁ、そうだだよ。お兄ちゃんの絵とか文章の雰囲気と比較して、為るほど為るほど、これがお兄ちゃんの感性かと感心してるだいな。ガクアジサイも咲いて来たね。土を掻くのも、文章書き、絵描きと違って、好いもんズラ。色んな側面を持って居るから、面白い男だわ。お婆ちゃんは元気かい?」

「あいあい、俺の飼い方が良いから、しぶとく生きてるわいね。ギャハハ。」

 さてさて、今度は玄関鳥の世話をして、朝の賄い夫に移行するか・・・ 何ら変わらない一日が始まる。庭の鉢植えにも、花が咲いて来たから四畳半定位置の窓辺に鉢を並べて、気分解しの背景と致そうか。

 朝食後のご機嫌伺いを終えて、四畳半定位置でのコーヒータイムである。洗濯機と掃除機の音が聞こえて来る。吾が老母殿は、本日、体調が好いらしい。万遍無く吹き抜ける風の心地好さに、久し振りに下手絵でも描いて見ましょうかね。

                  夏の窓辺
                窓辺に鉢植え_001

心何処ーショート 遺憾いかん・・・本音が出て仕舞った。
         遺憾いかん…本音が出てしまった。(7/10/12)
 久し振りに二畳小部屋で、夜を過ごす。窓辺にはカワラナデシコの鉢植えを置いて見た。未だ咲いては居ないが、蕾を大きくさせて居る。部屋の明かりが漏れて、闇の中にサツキ、ユリの姿を墨絵の様に淡く浮き立たせている。正面の白壁には、青い地球を黒ヤモリが半分に乗っかって居る形の南洋掛軸が掛かって居る。

            ★ラジオを聞いて居るのだが、面白い。
 媚中政府の大肝入りで富裕者から中間層にまで広げたビザの大緩和策が裏目に出て日本の旅行会社、ホテル・旅館の大反発を受けて居るそうな。5泊6日で、1万円/1人の中国側旅行社の要求は、飲めないとの事で日本側のボイコットがされて居るとの事である。

 あたりきしゃりきの万々歳では無いか。いやはや、これではコメントするまでも無い。正に中国らしくて、何を考えて居るんじゃいの『笑い話』でしかない。これが中国様の中流階層の実態なのであろう。何も、やれ、<過当競争>だの<予算に見合った戦略>もヘチマも在る訳でも無かんべさ。専門家の大学教授先生の解説など、却って<為にする解説>でしか有るまい。

              ★昼は、国会中継を聞いて居た。
 物言い全てが勿体振って大物政治家振りを自己演出するだけの、私の大嫌いな小池百合子女史の質問であったから、興味も無くラジオの音を流して居ただけであった。
<害あって一利無し>なんて、あのお歳で省略、健忘症は無いですぞよ。こんな物は、慣用句中の慣用句であるから、『百害あって一利無し』ですがな。日本語の面白さ、奥深さを吸収、使用する大事な時に、エジプト留学で言語習得機会を失って終ったんですかね。ギャハハ。
 余談ではあるが、M氏と二人で行ったサイパンショートバカンス時のテレビでは、麻生、与謝野、小池各氏の自民党総裁選を報じて居た。何しろ、演説の丸で下手な女史であった事を印象付けられている次第と共に、テレビのニュースキャスターと云う物の<台本キャスターの実態>を垣間見た様な感じで、大いに虚像の実態に冷笑を禁じ得なかった処でも在った。
 女史は出身テレビ界が作り上げた虚像の、国谷裕子女史・小宮山洋子女史・白服レンホー女史などの『マスコミベルトコンベア』の象徴を為す面々である。

 はい、お言葉の一利無しに従いまする。途中では、昼寝をして夕方に為って、漸く散歩をして来た次第である。

 兎に角、日中は暑かった。民主党野田政権の不支持率も56%で、小沢新党への積極的支持率も6%との事である。当然の事であろう。

PCを打って居ると、蚊に食われたから、蚊取り線香を持って来て、火を点ける。

  ★仕事を持つ若い女性の間に、アルコール依存症が深行して居ると云う。
 兎角、女と云う生き物は、好いですなぁ~。男のアルコール依存症は、<人生の落後者の烙印>が押されるのだが、アルコール依存症の女性達には、『同情の扱い方』である。

 男と女の体質の違いで、アルコール分解臓器・肝臓の小ささもあると云う。従って、アルコールの回りが、男より速いと云う。これまた、態の好い同情論である。←アルコール詰まりはアルコール飽和点の性別的大小が違うだけで、<メイテイ度こそが、本基準>でありましょうが。←識者、医者が論理的誤差のハロー効果では、行けませんがな。
 そして、精神的ストレスに対する耐性も男と違って、格段に弱いとの同情である。精神的ストレスの非耐性は、自分を外部に向かって<出来る人間、強い人間、好い人間>に見せたいと云う性向の強さから生じるとの、これまた同情解説まで出て来る始末である。

 男に対してだったら、そんな物は<単なる自分の見栄を糊塗するだけの弱い人間のアルコール依存>と切り捨てられてしまうだけの事である。
 
 女性の社会進出、男女雇用平等法、男女同権思想、女性解放社会、個人自立型社会と云うのは、当然に権利の裏側の義務も引き受けると云う『当然の表裏一体の物』でしか有るまい。

※昼もひょんな切っ掛けで、男女の染色体の違いに対しての一感想を打った処ではあるが、私は女性が嫌いでは無い。正直、大好物なのである。本日は四畳半から通りを自転車で曲がって行く前回の梅取りの時に顔を合わせた金髪白人女性の遠さかるヒップを愛で、散歩時には私を追い抜いて行ったその女性のヒップを愛でて歩いて居たのであるから、私は女性愛好者なのである。へへへ。

                ★吾が馬鹿の一つ覚え。
 時々、私が打つ様に<男は社会が作り、女は家庭が作る。>は、きっと長い人間の歴史の中に在って、真理であった筈であろう。家庭が崩壊して、家庭の存在であった女性達が、大量に社会進出を果たして、新しい時代の男女平等にして同権の社会を歩み出したのであるから、当然に<女も社会が作る>の時代に突入したまでの事である。

 云って見れば、現代日本は雌雄同体の社会に突入したのであるから、肉食系女も草食系男も生まれて来るのだろうし、イクメンと云う子育て男も社会の在り方として、産声を上げて居るにしか過ぎまい。
 男と女の古典的伝統的棲み分けで、社会と家庭が<陽と陰>の関係を保って居れば、男と女の肉体的、生物的特性は、<相互に補完の関係>でプラスマイナス・ゼロの収まり具合が好かったのである。家庭に男が二人では、台所に女が二人同様に、バッティング、バトルが生じて、子供達は困惑してしまうのが、当然の帰結であろう。
 加えて我慢が人を作るの常識が廃れて、我慢は自己否定全盛の時代的錯誤から離婚が一般化されてしまえば、子供達は情緒不安定にも為るし、自分達が結婚しても、親の離婚を身近で経験して居れば、離婚を夫と妻の男と女の関係に『矮小化』してしまう刷り込みだって働いてしまう。亭主と妻の関係は言って見れば、重畳的関係である。 男と女の関係にして、社会人としての大人同士、倅、娘、父親、母親、爺、婆の側面も同時に負担しなければ為らない。こんな風に、多重の側面を有して居るのであるから、我を100%押し通す事などは<叶わぬ夢・妄想域>でしか有るまい。

         ★叱られて賢く為るんだよ。我慢して強く為るんだよ。
 人間と云う柵、器の中で、組織、社会の型の中で、自問自答して、自他との調整を覚えながら、自己を成長・完成させて行くしか方途など在る筈が無かろう。これが、人間の実践・実態哲学で在って、然るべき道程であろう。学習哲学と教育哲学の違いが解らぬ様では、人間力など育ち様が無いではないか。

 私はこんな風であるから、所謂学問が嫌いな男である。学問に専念して終うと、やれ、何時の時代の何処の国の誰誰が、こんな事を言った。こんな事を書いて居る。と言って、思考停止をして<受け入れ専門>に為って仕舞う帰来が、多々ある。私の様な浅学非才の好色男からすれば、そんな物は<思考・思想考古学>見たいな物である。何時の時代、何処の国の人間でも、自分の遭遇する事象の中で、悩み、考え、光明を得ようとして頑張って居るのである。この違いが、学習哲学と教育哲学の根本的違いでしょうが。

※私は或る人からのコメントの中に、<老後は柵(しがらみ)から解放されて、自分の生きて来た人生を試されて居る時だ。>との言葉に、強い感銘を受けた事が有る。

 誰も見て居ない時にこそ、人間の質の真価が問われると云うのが、私の小さい時からの粋がりであった。日本人は、誰も見て居ない時の身勝手な行いの戒めに、<誰も見て居なくても、お天道様が見て居る。>と云って、倫理観とか自分の良心に恥じないプライドを持ての訓えが存在して作用して居た物である。

 これを私流に解釈すれば、『自分で自分を汚す事程、無残な物は無い』との思いである。私は、日本と日本人が大好きである。西洋ならキリスト、中東アラブならマホメット、中華なら孔子さんであろうが、日本は飽くまで、お天道様なのである。

                ★日本のお天道様は、凄い。
 お天道様は、紛れも無く誰も見て居ないのであるから、『自分の全存在』なのである。詰まりは<自分に嘘を付かない正直さ>、<責任と云う良心>その物であろうか、・・・日本人はシャイであるから、それを自分とは云わずに、お天道様と云って謙譲語を以ってして『お天道様に進呈』するのである。

 道徳を説いた孔子さんの国の倫理道徳感は紀元前後に消滅してしまった。お釈迦さんの仏教も、本場のインドでは再びヒンズーの大海に没してしまった。キリストさんとマホメットさんは、十字軍以来、未だに喧嘩ばかりをして居る。

 日本人・日本の社会は、神仏混交曖昧模糊として『なぁなぁの文化』と云うが、・・・ 固有名詞の金科玉条主義を排して居る処が、日本、日本人の優れた理性の働きなのである。人間の複雑にして重畳的精神構造に関しては、所詮、数式で解明する事など出来る筈も無かろう。

 全体と個の対立図法では無く、全体と個の調整・統合に重きを置いて、精神の中庸を心の安定と考えるのが、他国の強調文化では無く、協調こそが、日本文化・日本人の特質でありましょうに。
兎角、和魂洋才すらも忘れて仕舞った西洋かぶれ如きが、顔の見えない日本人を卑下し捲るが、これこそが強調に在らざる『協調国民故の特質』でありましょうや。余りにも強調の度合いが強く為り過ぎると、強調が凶兆の源とも為りまするがね。イッヒッヒ!!

              ★古風な死語言葉と言う勿れ。
<一人は全体の為に、全体は一人の為に。><知恵のある者は、知恵を出せ。知恵の無い者は、汗を掛け。><自分の事は後回し、他人の為に働け。><大義に死する喜び>

      海行かば、水漬く屍(かばね)。山行かば、草蒸す屍。
         大君の辺にこそ、死なめ。顧り見はせじ。

  ★何時の時代からか、絶対的個人の尊重とやらで、多元価値などと云う。
 私に言わしめれば、こんな物は論理矛盾の何物でも無い。そんな物が流行り始めて、何時しか、それが当たり前の日本人の精神構造・行動原理と為って仕舞った。国の、社会の、家庭の、男の、女の価値観・秩序の崩壊を後押しする様な『個人主義の時代』が顔を利かせて、大道に蔓延して終った。

                     ★★★
 野坂昭如の<ソソ、ソクラテスかプラトンか、皆、悩んで大きくなった。>のキャッチコピーは、名作であったが・・・<カラス、何故鳴くのカラスの勝手でしょ。>のドリフターズの志村けんの大パロディが一世を風靡してしまった。山口百恵の<馬鹿にしないでよ。そっちの所為よ。一寸待ってよ。プレイ・バック、プレイバック。>の大流行歌は在ったのだが。

 崩壊の瓦礫の中から、プレイバックの精神の揺り戻しには、日本人並びに社会は、まだまだ幾多の醜態を積み上げて行かねば為らないのでしょうかね。
 目立ちたがり屋の個人が、老いも若きも、個人プレイのパフォーマンスを仕出かして、後は野と為れ山と為れの無責任、政党を為して政権を取れば、赤信号怖く無いであるから、倫理も良心も矜持もすっ飛んでしまったご時世である。

 遺憾いかん・・・隠して置きたい本音が、モロに出て来てしまった。さてさて、無粋な長文と為って仕舞った物である。似合わぬ事は、徒労に帰するまでの事である。頭を冷やしに、川原の蛍でも見て来ましょうかね。へへへ。

 明けて本日は、朝から参議院国会中継で在る。自民党参議院の迫力たるや、昨日の自民党重鎮の小池女史なんて物では無い。素人眼であるから、本物と紛い物の差は、嗅覚を刺激して一目瞭然の違いである。

 本日も、思い付くままの言いたい放題の長駄文を晒して仕舞いました。最後まで、お付き合い下されて、お疲れ様でした。感謝感謝に堪えません。サンキュー、ベロベロ、マッチ~でアリンス。


心何処ーショート ギャハハに、マツバボタンの咲き乱れ。
        ギャハハに、マツバボタンの咲き乱れ。(7/9/12)
 さてと、今日は歯医者である。朝の見周りでも致そうか。ミニトマトの脇芽を挿し芽にして居た物にも花が付いて来たから、添え木でも立てて遣るべしである。

 シュンギクの種を蒔いた時に、変な白い細長い種が混ざって居た。それが大きく為ってツルを伸ばして、菜っ葉に巻き付いて居る。そんな物が6本もある。私は反中国派であるから、シュンギクの種に、<正々堂々の異種混じり>と来ると、これは中国産種なのだろうと『変な勘繰り』を働かせてしまう男である。
 然りとて、家庭菜園初年兵見たいな物であるから、野菜種類の見分けなど勿論付かない。多分、ヘチマかユウガオ見たいな瓜科の植物なのであろう。それにも添え木を入れる。昨日、エンドウを始末したので、添え木は充分にある。

 大分前に、好奇心で買って来たソラマメ系のマメを一晩潤かせて、先程からトロ火で煮て居る処である。老母の賄い夫に為って見ると、それまでマメ、サツマイモ、カボチャ、ユウガオなどは、女の食べるものと<見向き>もしなかったのではあるが、母の作って呉れた食卓の模様を思い出して、そんな物を食卓に置く様に為って来る物なのである。

 如何やら、私の内部では中性化が進展している様である。いやはや・・・面目次第も無い<枯れ行く男の姿.である。そんな事で、マメを煮る前に、白い大きな豆を6コ、物は試しで土を被せて置いた次第である。

 前に打った処ではあるが、人の染色体のXとYの違いは、女がXXで男がXYとの事で、Xから一本減少したのがYとの事らしい。女の家庭主義、平和主義のXから、男のYに進化したとの説も在るそうな。ミミズ、カタツムリ、サカナの中にも、雌雄同体の物が少なからず在ると云うのであるから、きっと、そう云った『進化』を生物は辿って来たのであろう。

 競争原理・覇道主義の男とて、働き盛りを過ぎれば、YはXより生まれて、Xに還るのも、若しかしたら<自然の奥深い摂理>の一つなのだろう・・・昔から、そんな妄想に遊ぶ時も在る。
 男も女も、幼少の時は服を着た外見からは、区別も難しいし、歳老いてくれば、これまた男女の境は、内外共に擦り切れて来る物でもある。男も女も、眩しい程の『性徴期』を通過して仕舞えば、女はカンナに為り、男は角が取れて来て中性化してしまうのが、生物としての歩みである。

 時のスパンを長く取れば、歳端の行かぬ男女が、殊更、肉食系女とか草食系男などと、流行の先端を走る様に<老いのスピード>を速めて、デフォルメする必要も無かろうに・・・ 手前ら、宇宙の真理を知ら無ぇな。へへへ。

 歯医者は10時である、コマツナを間引きして、お浸しにでもするか。台所に置いて、マメの煮具合を見て、再び草抜きをする。家に入って、菜っ葉の根を切ろうとすると、老母様が切って、鍋の水の中に入れて在る。砂糖、味醂を加えて、煮マメを仕上げて食卓に出す。
 
 梅も水が上がって来た。さてさて、朝の賄い夫をして、歯医者に備えましょうかね。

 薬を飲めとか、歯医者は何日かだとか、何時だとか、何かと世話を焼きたがるのが、XX染色体の特徴なのでは在ろうが、これも老母の呆け防止作動のON入れなのかも知れぬ。有難くも、大した脳味噌の働きである。煩いなどと言ったら、罰が当たりまするがな。

 歯医者の先生は、絵が好きな人である。絵ファイルを一冊持って、自転車に乗る。おやおや、本日は結構混んで居るではないか。途中で打ち止めて来た本日日誌の続きを頭の中で進めながら、順番を待つ。

「Rさん、その後、如何?」
「痛みも無いし、歯ぐきの腫れも無いですわ。」
「どれどれ、あっ、本当だ。治りが早いねぇ。良し良し。」

「あいよ。絵の好きな先生に、お裾分けだいね。」
「おっ、好いじゃん。Rさんは、絵心が在るわ。色彩感覚に富んでますわ。好い絵だよ。」

   治療が終わって去る時に、女性スタッフさんにもお披露目である。

「Rさん、楽しい絵なんだけど、ヌードがちょっと多いのが玉に傷だわ。この花の絵が、最高。先ず、これからじゃないと、腰が引けちゃいますよ。アハハ。」

「私は、女の人のヌード満載の絵の雰囲気が何んとも、柔らかで好きですよ。あっけんからんとして、厭らしさの無い処が、もうもぅ、楽しくて素敵ですよ。金魚ちゃんも、細かく描けてる。大したもんだ~。アハハ。」

 へへへ、女性スタッフさんにも、ジェネレーション・ギャプは歴然の様である。こんな会話が出来る処が、同町内の歯医者さんなのである。

 再び待合室である。先程、老夫婦で来た私より年配のスキンヘッドの<昔お偉いさん>の雰囲気がプンプン漂う男が、真面目腐った顔付で雑誌を読んで居る。バリアを掛けて如何するんじゃい。それじゃロートル人生、面白くは無かろう。

 ファイルを開いて、彼の目の前に突き出して遣った。最初の絵は、<夢奇譚マヤの地にて>のトウモロコシ畑に立つ半裸の若い娘と子供の絵である。オッと、声を出して、頬が一気に緩んで仕舞った。頁を捲って、その御人は別人の好々爺の相想崩しである。戯け画は百薬の長為らぬ『リラックス剤』と云う物である。ギャハハ~。
 
 先日のTとの車の中の笑い話では無いが、道角で車にホーンを鳴らされて仕舞った。それが、真に中途半端な鳴らし方であったから。

「おい、T。あの馬鹿、息勝ってホーンをバンバン鳴らそうと思ったんだろうけど、Tの顔見て、尻混みしたんだろう。こんなヤクザのオッサンに係わったら、どえらい事に為っちまうって事だろうな。
 俺との付き合いが長いのに、ロートル人間の人畜無害の顔が出来て居らんぜや。女にだけニヤニヤ、デレデレじゃ、歳の功にも為らんだろうが。ったく。少しは、顔の修行でもしろや。」

「馬鹿こけ。俺は運転者だから、相手の顔をずぅと見て居たんだわさ。Rのスキンヘッドを見て、あの野郎、目を逸らしてさ。ホーンに遣った手が、こんな風に慌ててブレーキかってたんだや。アッジァ、鳴っちまったいな。えらい事をしちまったって顔だったぜや。 
 知ら無ぇ人が見たら、何処から見ても、そんなヤクザ顔にぁ目も背けるぜや。Rにジロリと睨まれて、可哀想に目が泳いでたぜや。」

「何をこくだ。馬鹿言ったもんだ。自称ヤクザもどきの俺だって、見る目の在るご婦人に掛ちゃ~、キァワイイ坊や顔だって事だぜや。何て云ったって、俺ぁ国際規格認定者だぜや。あい~。」

「あいあい、お前はノーテンキで無反省の男だから、長生きするわ。この馬鹿垂が。」
 
 為るほど、Tの見立ても、私の無反省も、どちらにも一理あると云った証左かも知れぬ。

 暑く為った日差しに、家境の花壇もどきのマツバボタンの花々が、太陽に暑く焙られて、目を見張るほどの赤・ピンク・黄・白の一重、八重の花盛りである。ふう~、今日は暑く為りそうである。上半身裸の首タオルの午後と為りそうである。


心何処ーショート 政治ヤブ睨みの一席
               政治ヤブ睨みの一席(7/8/12)
 昨日は些か疲れて仕舞ったので、12時に寝て仕舞った。ラジオの音に目が覚めて、暫くラジオを布団の中で聞いて居た。詳しくは知らないが、<国が遣らなければ、東京都が遣る。>との慎太郎さんの呼び掛けた尖閣諸島買い取りの募金運動は、12憶円前後にも達しているとの事である。

 中国に阿(おもね)って居た民主党野田総理は事も有ろうに、東京都のと云うよりも、続・国民意識の『タイガーマスク・伊達直人現象』にタジタジとして、遅まきながらの国家買い取りの『横恋慕』を仕掛けて居る。これを称して、厚顔無恥=ポピリズムと云う以外に、形容詞は無かろう。
 敗戦後67年・男のキンタマを毟り取られて、平和平和の言葉こそ最上の道具。ポピリズム(衆愚政治)の権化と云うか申し子と云うか、万年野党だった民主党の体質を、物の見事に露出している様である。街頭演説に長けに長けた、その演説口調は、心から、心から、心からに象徴される通りに、民主党の実態とは、『醜具』の言葉連呼一辺倒の様な<阿片窟の非生産連中>でしかあるまい。

 思えば、<国民の生活が第一>が、そのスタートであった。徳川埋蔵金為らぬ霞が関埋蔵金に、皆、そうだろう。そうだ。と威勢の好い掛け声に、善良無垢の国民は拍手喝采で迎合して終った。気が付けば、何の事は無い。大山鳴動して鼠一匹の諺の轍を踏んで仕舞った。

 国民は<ゴキブリころり>の態で、簡単に騙されて、万年野党の騒ぐだけの人材不足政党のアキレス腱で、座礁に次ぐ座礁で、難破船の醜態を晒し続けて早や3年である。烏合の衆政党民主党の<素質並びに実行力の無さ>に、彼等は国会恐怖症が高じて、何度も、何度も、国会登校拒否を仕出かして居る醜具政党にして政権なのである。
 その実態のお粗末さと云えば、事に際しては、口先で糊塗、糊塗で、具の少ない大鍋をコトコト国費の燃料浪費で、ひたすら煮立てて居るだけである。従って、無駄煮をされて居るばかりであるから、その<醜具>すら、愚の形も跡形も無く煮られて溶かされて仕舞って居る。とどの詰まりは、何の事は無い。全くの形無き『政権粘着性だけの醜の腐臭』を、巻き散らかしているだけの事である。

 鳩山→菅→野田と、政治不信、デフレ不況下、大震災、原発事故の国難の中、今日の政局に次ぐ政局に引き摺り回されている。

 その前を辿れば、『劇場型政治』とやらで、小賢しいばかりの鉄仮面竹中・人生色々在るの小泉路線のアメリカのゴリ押しに依る規制緩和の本丸・郵政民営化法案否決を<民意を問う>と息巻いて国会を解散して、組織の人事権即経営権に因んでの独断乱暴狼藉を仕出かす。反対有力議員を解雇して、死客を送り込んでの骨肉の争いをして、自民党凋落の礎を作って終った。

 俺ぁ、新聞も雑誌も買う余裕すら無い貧民ロートルだけどさ。金の掛から無ぇラジオをBGM代わりにして居たって、この位の常識耳位は持って居るわさ。

 なぁ~、皆、そうだろぅ~。ふざけ遣がって、埋蔵金が無いと分かった途端、今度は抜けシャーシャーと<霞が関白アリ軍団>だとよ。民主党分裂で誕生した新党の名称が、事も有ろうに<国民生活が第一党>と来た日にぁ、こりゃ、完全に漫画の世界じゃ無かんべや。
 漫画ばかりを読んで、漢字も知らないと、散々扱き下ろして居た世間様って、正体は一体全体・・・何なのでしょうかね。俺見たいなスカンポ脳にぁ、学業偏差値、世渡り秀才さん達の頭、心の中は、全然理解出来ませんわね。あい~。

 理解出来ない俺がバカなのか? 政治家、マスコミさん達が、立派なのか?

 何方か、冷静に教えて頂け無い物でしょうかね。遺憾いかん・・・好色親和性に馴染んだ脳味噌に、変なインテリバクテリアが住み込んだ日にぁ、バランスが狂って、俺ぁ発狂して終いまするがね。本日日曜日、幸い好い風が吹き込んで参りまする。知恵熱を冷ますのに、昼寝でも致しましょうかね。慣れぬ事は、疲労蓄積の元でもありますれば、知らぬ存ぜぬが一番・・・とほほ。

             以上、久々の政治ヤブ睨みの一席でありまする。


心何処ーショート ほーっ、本日はテンコ盛りの一日であった。
     ほーっ、本日はテンコ盛りの一日であった。(7/7/12)
 良く降って呉れるものである。数日前から、カワラナデシコの赤ピンクの花が咲き始めている。エンドウも終わりであるから、始末して整地でもして置こうと思って居るのであるが、これでは先延ばしである。

 梅雨寒に腕組みをしながら、戸を開けて煙草の一服をして居ると、キジバトのホウ、ホウ、とかクゥークゥーの潜もった声と、水を切る車の音が通り過ぎて行く。窓辺には雑木の密集した幅広の緑の葉の繁りが、雨の滴に揺れているだけである。雨が降ると、雑草が次から次と出て来る物である。

 少し明るく為って来たから、雨は上がるのかも知れない。靄の様な薄い灰色空に太陽の光が徐々に大きく為って居る感じである。止んだ様である。深呼吸をしに、外に出るとしようか。

 靄霧が、山から離れて行く。雨の滴を溜めた雑草の成長にウンザリしながら、しゃがみ込んで雑草を抜く。雨で地面が緩んで居るから、長い根がスーと抜ける。日当たりの好い場所のマツバボタンは、何時の間にか大株と為って居る。花と蕾が、一杯付いている。まぁ、マツバボタンには、照り付ける太陽の暑さの背景が似合うと云った処である。

 未だ未だ動くには早過ぎるから、菜っ葉のオロ抜きでもして、卵とじにでも致そうか。

 朝食後の老母への気分解しの時間を、お茶を飲みながら過ごしてから、自室の定位置に座り、極薄アメリカン・コーヒーを入れて飲む。玄関鳥を持って来て、出窓に置いて遣る。

 猫の飛掛りが無いと、直接、外の空気に当てて遣りたいのであるが、何度か猫に飛掛られて、鳥籠を落とされて仕舞った事が在る。それで、鬱陶しいが、網戸を閉めてガードしている次第である。

 金華鳥達は番いを組んで三つの鳥籠に入れて在るのだが、隣籠のオスの囀りに、別籠のメス鳥が盛んに反応して居る。へへへ、鳥であっても、其処は男と女の仲である。正直と云うか、・・・倫理上、困ったものである。見て居ると今度は、その逆をして居る。もう一つの籠の番い鳥は、反応しないから、番いの仲は良いらしい。
 それでも、親番いの仲は好い様で、寄り添って、お互いの身体を嘴でスキンシップをして居るのであるから、本当の処は、分からない。ジィーと変な音がする・・・ 如何やら、蝉が外界に出て来て、初鳴きに為らぬ初発声をし始めた様である。本日は、7/7七夕である。

 おやおや、ガス屋さんの集金である。ボラカイ旅行記は、とても面白いエッセイであったとの事である。ブロンソンさんは、旅行記の方がフィットするとの事であるから、旅行記綴りが、500~600頁以上あるから、その1の100頁強のファイルを貸し出す事にする。

 私が文章を打ち始めた切っ掛けは、何を隠そう・・・文章に依る旅行スナップ写真の様な物で、仲間内で回し読みするハチャメチャ旅行記からである。旅行記で、何十年も文章に御無沙汰して居たのであるが、勤めの傍ら長い休みには、ワープロでボチボチ打って、キー打ちを覚えた処でもある。彼是、30話位は在ると思う。埃を被って、忘れられて居ても仕方が無い。興味のある人に読んで頂ければ本望である。

 さてさて、本日は土曜日である。お迎えの車が来る前に、支度でもして置こう。

 ヒョイと外を見ると、Tの車が止まっているでは無いか。へへへの段である。

 空には、所々、青空が開いて居る。TのPCは、不調で一週間ほどブログを見て居ないと云う。そうで有れば、<蛇談議>は読んで居ないか。丁度、貸し出し用に持って来たから、それを読んで貰うか。

 昨今の時事問題を話して、外のパッパタイムである。好色ロートルコンビには、目の保養度満載なのではあるが、今時の若い女、幼児連れには、驚き桃の木、ピンクモード満載の当世ファッションである。チョイと腰を屈めれば、パンツ、尻の肉の膨らみモロ出しの露出度である。

「あそこまで、露出度をアレンジするのなら、パイティは、ビキニか、ノーパンで、ピンクの染め毛ハート型剃り込みにしなきぁ、トータル・コーディネィトにぁ為らんだろうに。何を考えとるんじゃい。恥を知れ、恥を。アホンダラ。」

  まぁ、これは私が言ったのか? Tが言ったのやら? 健忘症で、忘れて仕舞った。

 お互い、<今日は何を喰わして遣るかいな・・・ 嗚呼、もう、賄い夫は、飽き飽きして来たぜや。>とボヤキながら、スーパーで買い物をして帰る。

 安物調理パンと団子で昼飯として、マツバボタンの開花満載花壇の雑草を引き抜いて居ると、クラクションの音である。振り返ると、倅ファミリーの車である。

「こんにちは。お婆ちゃん、元気~、お待たせ、来たよ~。」

 ハハハ、老母様は、<来ない来ない、仕事が忙しんだろうか>と、寂しがって居たのである。孫が来ると思って、廊下拭きもして居た老母の心待ちであったのである。

 ビックリするほどの大きな声で、<おお、凌祐、よう来た。また、大きく為ったねぇ。婆の顔を忘れなかったかい。会いに来てくれたか。有難う有難う。コンニチワ、コンニチワ。>

 いやはや、効果覿面の大はしゃぎ振りである。もっと早く来ようと思っていたのだが、倅が孫から風邪を移されて体調不良で、婆さんに移したら大変と<自粛>して居たとの事である。三時のオヤツで、ドーナツを買って来たとの事である。

   忘れない内に、倅用のイチゴジャムを渡して、凌祐主役の吾が家である。

「おぅ、凌祐。好い男に為って来たじゃないか。最初は不細工で、こりゃ、伝統のR家の男としては、合格点が出無かったけど、良い顔に為って来たじゃないか。」

「おっ、凌祐。爺っちゃまの合格点が出たぞ。良かったなぁ~。好い男だってぞぉ~。」

 保育園にも慣れて、グンと成長した感じである。先生が駄目だと云うと、喜んですると云う。相当元気な子供らしい。そうかいな。見た処、馬鹿な顔をして居ないから、<個性的>と云う事にして置くべしである。

 庭で草掻きをして居ると、庭に出て来て、愛嬌を振り撒いて居る。未だ一歳児であるから、言葉は発しないが、移植ゴテを持って、オッ、オッと納得の声を発して居る。中々、屈託の無いマイペース振りを披露して居るから、意外と<番から男>に成長する要素を持っているやに知れぬ・・・。体格も、足も強いから、大いに引っぱ叩いて感性豊かな<メソメソしない質実剛健の男>に仕立てると致そうか。

 赤ん坊の時から、兎に角、元気の好い児であった。トコトコ、トコトコと部屋中を歩き回って、早くも吾が家の居心地の良さを実感しているらしい。婆さんを倅に任せて、私は部屋で嫁さん相手に、現在の心境語りである。

「お父さんは、何時も筋を通して、本音で物を語る人だからね。うんうん、苦しい胸の内が好く分かるし、良い人生訓を教えて貰える。ダンナも私も、どんな事が在っても、お父さんの味方だからね。差が、在り過ぎるものね。如何し様も無いよね。

 今日はね。絶対に<壬生義士伝の上下巻>を持って行って、読めと言われるよって、話しして来たんだ。読書感想文も、纏めた物があるから、それも持って行けって言われる筈だよって、話して来たんですよ。
 コメントにも在ったけど、お父さんは凄いわ。後は、凌祐に隔世遺伝を信じて、此処に合宿させて、お父さんに鍛えて貰って、お父さん3世にして貰うだけ。家の家族は、みんなお父さんの大ファンだからね。アハハ。

 善い悪いの区別を付けて、体罰に対する耐性は、毎日躾けてますからね。凌祐は、コツン貰っても、ケロリとしてますからね。物に為りそうですよ。アハハ。<凌祐~、爺っちゃまは、俺より怖いぞ。強いぞ。好い人だぞ。話の分かる暖かい人だぞぉ~。>って、ダンナが、洗脳してますからね。何んと云っても、『三つ子の魂、百まで』ですからね。」

「へへへ、読まれちゃってますがな。俺は、馬鹿で単純だからね。人間は、正直・無骨が、一番。頭の良し悪しは、二の次。自分で自分を汚すなよ~。凌祐。

 上、下巻に分かれて居るけど、順不同で読んでも、一向に差し支えないから、夫婦で同時進行で読んで呉れや。

 ひまじん兄貴の推奨本だから、日本人の心がバシバシ響いて来て、血涙の沙汰だぜ。時間が掛っても、読み飛ばしちゃ駄目だぜ。俺は医者にまで持って行って読んでさ。終わっても、居の残って、区切りの良い処まで、読んじゃってさ。
 日本人の絶対に廃れさせちゃ行けない<人間の心のエキス>が、ぎっしり詰まっている本だわさ。心底、俺の家族全員に読ませて遣りたい本だわさ。嗚呼、情け無し。」

 倅ファミリーを見送って、晩飯の用意である。倅ファミリーの婆さん孝行に、感謝感謝である。アリガトさんね。


心何処ーショート 雨に遣られず、ラッキー為り。
            雨に遣られず、ラッキー為り。(7/6/12)
 医者に行くついでに、支払いを済ませて来るとしようか。その帰りに、弟の現場に寄って、顔でも見て行く事にして、本日は梅も大分色付いて来たから、梅取りをしよう。結石の方は、殆ど意識する程でも無く為って来て居るから、暫く内服薬で良かろう。

 朝食後は、頃合いを見計らって自転車に乗る。曇天ではあるが、蒸し暑い。帰りに、そちらの方に回って来るが、それらしき現場は無い。まぁ、こんな時でも無いとサイクリングも出来ないから、これも良しである。帰って来ると、老母様は洗濯中である。体調は悪くは無いのだろう。←へへへ、留守をすると妖怪様は、動くものなのである。

 さてさて、脚立を立てて、梅干しの材料でも取りましょうかね。蒸し暑いから、Tシャツ作業である。老木に近い豊後梅である。梅の木は、小枝が硬くトゲトゲの痛さである。今年は裏年であるから、数は少ない分、形が大きい。脚立の下にタルを置いて、毟った梅をポケットに入れ溜めて、下りてタルに入れる。そんな繰り返しをして居ると、金髪白人女性が自転車で此方を見て、会釈をして行く。やや、中々の美形さんである。差し詰め、S大の英国人留学生さんなのであろう。

 時々、テレビで見るポーランド人の日本人好きは、大変な物であるそうな。ウラジオストクのシングルママのヤナも、出自はポーランド人との事であった。親日派はそれとなく分かる物である。世界では、日本のアニメで育った親日派が、西洋の国には多いとの事である。親日派と云っても、其処には似通ったフィーリングが備わっているのだろう。それが元で、人間個人が相互に感じ合う『親和性』と云った物が、存在して共有されて居る。そう考えた方が、現実的にはより近いのでは無いだろうか。

 洗濯物を干してくれと頼まれた後は、収穫した梅を水洗いして、タオルで一つ一つ水気を取る苦手作業をする。途中で斜向かい吟さんが来て、奥さんの実家で小梅を取って来たから、欲しければ貰って呉れとの申し入れではあるが、私は小梅は好かない。大梅が在るから、反対に持って行ってくれと云うと、逃げられて仕舞った。昔と違って、何処の家庭も少人数家庭であるから、生り物の処分には困って仕舞うのが、その実態なのであろう。

 昼は、手抜きのパン食とする。昼食を終えて一服して居ると、雨である。慌てて洗濯物を中に取り込んで、やれやれの段である。へへへ、用事を済ませて置いて、ラッキーとするしかあるまい。こりぁ、降り続きまするがな~。

 玄関の戸も開けて置く訳には行かぬから、玄関鳥を持って四畳半定位置に座る。無駄に為って仕舞った生き餌のミールワームがあるから、時々、それを摘まんで金華鳥に入れて遣って居る。そうすると、動く物に興味深々で、直ぐ様、嘴で啄んで遊びを始めるのである。
 金魚達にもお裾分けで、それを摘まんで水に手を浸けると、水飛ばしコメットがスーと浮上して来て、私の指をコツコツとして来るから、擽(くすぐ)ったくも面白い物である。
 
 降り続く雨に、窓辺の番い鳥達は寄り添って、まどろみの雨音を聞いて居るのだろうか。これも、静かな梅雨のシルエットなのであろう。番いは、仲好き事が一番である。へへへ。


心何処ーショート 蛇に寄せて。
                蛇に寄せて(7/5/12)
 昨日の夜の事である。玄関鳥が凄いパニくり方である。ネズミでも出たのだろうかと思い、玄関の明かりを付けるが何も見えない。それでも、小鳥達は切羽詰まった凄い警戒音を発し続けている。チィチィチィ、チィチィチィ、チィチィチィチ。・・・・ 鳥籠の中を覗くと、朝方見た?アオダイショウの幼蛇が、鳥籠の中を動いている。

                  この野郎!!

 ジャッキの棒で追うと、スルスルと籠から出て、籠伝いにスルスルと端の籠の下に潜って行った。長袖シャツを着て軍手を嵌める。金槌で頭を潰すか、幼蛇であるから剪定鋏で首をちょん切るか。鋏を右手に構えて、鳥籠を一つ一つ取って、廊下に置いて行く。最後の鳥籠を上げると、身を丸く縮めて首を擡げて居る。トグロを巻いての攻撃態勢では無く、委縮の感じである。

<そうだろう。俺様は怒ると、怖いんだぞ。覚悟しな。温情で説教をしても、本能は、改まらないだろう。それが、お前の本能・習性だからな。災いは、元から断つのが『セオリー』だからな。悪く思うなよ。> 

 私の気迫が、完全に上回って居るのだろう。幼蛇は、スルスルと身を伸ばして逃げ始めた。空かさず、その胴体に鋏を入れた。スパンとは切れなかったが、細い胴体から血を出して、蛇の動きは<のたうち>に変わって居る。

       さてさて、如何する。そうだ。先日研いだナタがあった。

 押し入れから、ナタを持って来て、ブッタ切って遣らぁな。即物的にトントンと、ナタの餌食にして遣った。

 前に、一度高校生の頃、朝、餌を遣ろうとして籠の戸を開けたら、大きなアオダイショウが飛び掛って来て、戦慄と悲鳴を上げた事がある。中の鳥が呑まれて居た。恐怖より怒りが先行していた。あの時は、軍手を二枚嵌めて台所から出刃庖丁を持って来て、興奮の中で、蛇をブッタ斬りにして遣った。

             『怒り』とは、そう云う物である。

 あれから約半世紀である。そんな経験をして居ると、弱肉強食の一環として、<蛇の呪い>などと云う迷信染みた考えは無く為って仕舞う。蛇が生き物を、生きる為に呑み込んで、蛙、ネズミ、小鳥を殺しても何の<祟りは無い>のである。これが弱肉強食の自然の摂理ならば、その頂点に立つ人間が『即物的』に、因果応報の仇打ちをした処で、所詮は『動物界での些事』でしかあるまい。この頃は、そんな感覚で物を見て居る。

 幼蛇は、河川敷に放り投げて置けば、ネズミ、カラス、トンビの食料と為って、植物連鎖の一助とも為る。フー、これでは暑いからと云って、玄関の戸も開けては置けぬ。何しろ、アオダイショウの産卵数は10を超えると云うのであるから、次があるのかも知れぬ。

 先日の無尽の会では、季節柄、蛇の話で盛り上がって仕舞い。凄い話を聞いて仕舞った処である。田舎生まれの田舎育ちの<ゴタッ小僧達の為れの果て談議>である。昔、松本の町外れに蛇専属の店があったそうな。物好きが高じて、彼は店に通ったそうである。その話から一気に過去が蘇ったのであろう。

 こんなエピソードを、面白おかしく身振り満載で、語って呉れたメンバーが居た。

 長距離トラック運転手をしていた、近所でも有名な気の短い男が居たと云う。彼が帰って来ると、女房は男を真っ昼から引っ張り込んで、その最中だったと云う。亭主はハンターでもあったから、猟銃をぶっ放したと云う。
 その男は、大のカナリア好きで、高価なカナリアを飼って居たと云う。或る時、その大事なカナリアをアオダイショウに呑まれて仕舞った。何しろ興奮したら手に負えない強烈な男であるから、逃げる大アオダイショウの尻尾を握って、穴から引きずり出して。

<この野郎、俺の大事なカナリアをよくも、呑んで呉れたな。許さねぇ。こうして呉れる!!> そう云って、その男は、大アオダイショウの頭を歯で砕いて、引き千切って仕舞ったとの事である。その彼は、大酒飲みであったから、早死をして仕舞ったと云う。←近所では、『蛇の祟り』との事で、噂されて居たそうな。

 世に浮気、不倫現場に<亭主の踏み込まれ沙汰>は、結構あるらしい。これは私が聞いた高校同期の猛者男の話であるが、高校時代からソイツは持てる男であった。そして、女癖が頗る悪い。まぁ、好い男でもあるし、剣道部の主将も務めて居た。肝が据わって、腕力も強いから、半分は女も悪いのであろう。
 或る時、事も有ろうにヤクザの情婦の家で、事に及んで居る最中にヤクザの亭主に踏み込まれて仕舞った。日本刀を畳にブスリと突き刺され、<オンドリャ、テマェ~。如何、落し前をするんじゃい!!> と凄まれたとの事である。野郎は、素っ裸の儘、日本刀を交わして、逃げたと云うから、矢張り、大物であった。その後も懲りずに、女癖の悪さを晒しているとの風の便りである。

 私の様な品行方正な硬派の男だって、人間を長く遣って居れば、一度位、不慮の災難だって、向こうから飛び込んで来る時は在る物なのである。
 私は普段は真面目一辺倒の男であるから、何処で如何間違って終ったのか・・・全ての元凶は、吾が弟に在るのだが・・・ 何時しか<朱に交われば赤く為る>の喩え同様に、海外旅行の<旅の恥の掻き捨ての極意>を体得してしまった。

 或る時、売る方、買う方の利害が一致して、<元締めを介しない時化込(しけこ)み中>に、中国蛇頭に安ホテルのドアをガンガン叩かれて、私とSちゃんは、フリチン姿で青褪めて居た事があった。窓から飛び降りても、即骨折は明白の絶体絶命のピンチであった。
 中国語の凄い剣幕であったから、私達はテッキリ青龍刀で、男の一番大事な物を切り落とされると観念してしまった。丸で、度胸の無い始末であった。

 まぁ、フリチン姿の儘、救急車で異国の病院に搬送なんて羽目に陥ったら、日本人の面目丸潰れであるから、一応、バスタオルでも巻いて、チャイニーズ的お裁きを待ちますかいなと、震えて居た経験も一つ有している次第である。

 まぁ、付き合いの長い酒宴時の男の馬鹿話の内容なんて物は、振り返れば『抱腹絶笑のオンパレード』なのである。

 余りにも、蛇談議で宴が盛り上がって仕舞った後遺症なのだろうか・・・ 蛇を見て、玄関鳥を蛇に襲われ、私が小鳥達に為り代わって、幼蛇の退治である。

 やれやれ、本日日誌は、朝っぱらから、困った顛末に為って仕舞った物である。季節柄、兎に角、蛇と不倫は、ご法度で在りまするぞえ。

 諸般の事情は在れど、他人様の伴侶に手を出せば、猟銃をブッ放なされて、日本刀で叩き斬られる恐怖にも遭遇するし、腹が空いたからと云って、買い鳥を呑み込んで仕舞っては、頭を砕かれて、首を喰い千切られて仕舞う事だって在るのである。世の中、真っ当に生きるのが、人間の道でありまするぞえ。モテルなんて、自惚れて居たら、碌な大怪我をしませんぞえ。道を踏み外してしまえば、露見した暁には、お天道さんの下を、マトモには歩けませんわね。お気を付け遊ばされませ。へへへ。

 嗚呼、俺は幸せ者である。毛無し、金無し、女無し。止めが、度胸無しの甲斐性無し。惨めさを友に生きたとて、命を取られる心配は無しなのであるから・・・ギャハハ~。

            以上、久々の呆け一席で有りまする。

心何処ーショート 嫌な物は嫌である。
              嫌な物は、嫌である。(7/4/12)
 今日は晴れて、30℃を超すらしい。あれほど雨が降ったのに、川の増水は余り無い。庭に出ると、小蛇が日光浴をして居た。土手の石垣には、あんなに大きなアオダイショウが棲んで居るのであるから、シーズンに成れば蛇も誕生するのである。気持ちの良い物では無いが、これも仕方の無い事である。

 家庭菜園の方に行くと、産毛の抜け切らないキジバトがイチゴの中に蹲って居る。そっと近付いても逃げない。怪我でもして居るのかと、私もしゃがみ込んで暫く見て居ると、羽繕いをし始めたので、安心して口笛を吹いて遣った。私が立ち上がると、バサバサと飛んで行った。ちゃんと親を呼んで、餌を貰って呉れよ。

 ミニトマトを一つ口に入れる。エンドウも、そろそろ終わりである。今年の梅の生りは少ないが、今週中には熟し始める。通勤の車が下って行き、通学の自転車が通り過ぎて行く。

 四畳半定位置に座り、煙草の一服である。晩飯は小食であったから、腹が空いて来たが、未だ未だ早過ぎる。老母の動きは聞こえて来ない。

 金魚の魚鱗が、光の中をゆっくりと過って行く。餌を手に取ると、スゥ~と浮上して来る。パラパラと餌を振り撒くと、大きな口でガボガボと吸い込んで行く。餌のお礼か如何かは分からぬが、コメットのヤツは長い尾ヒレで、バシャリと水を飛ばす。根性が好いのか、捻くれて居るのかは、全く分からない。因みに水飛ばしをするのは、コイツだけである。

 流金はスローモーで大人しいが、大きさと云うか太さは、上から見ると、横から見るよりも目立つ。彼等を飼って居る身ではあるが、これ以上大きく為られると、困惑の気分である。然しながら、色形と云い立派な物である。やれやれ・・・

 ラジオを聞いているだけでは宜しく無いから、玄関鳥を持って来て出窓に並べて遣る。暗い玄関よりも、小鳥達も好かろう。部屋に動きがあると、これも良い物である。始業のチャイムが聞こえて来る。

 未だか・・・ 遣る事が無いから、ネツトでアオダイショウの産卵数でも検索して見るか。在ったあった。何なに、大きな腹の膨らんだアオダイショウをゲットして、ラッキーだと。世の中、千差万別・・・凄い好き者も居るものだ。何なに、ケースの中で11個の卵を産んで卵を守ってトグロを巻いて居るではないか。オイオイ、11匹の誕生かいな。えらい物を読んで仕舞った。これで庭では二匹見たから、まだまだ見掛けるのであろう。

 河川敷を散歩して居ると、大きなアオダイショウ、シマヘビと出っ喰わす事がある。蛇も生きて行く上で、テリトリーを持っているらしく、この町会の面する河川敷ではアオダイショウ4匹とシマヘビ1匹が距離を置いて棲息している様である。大体の居場所が分かるから、その辺りに来ると、眼を走らせている次第である。
 そう云えば、去年は水の退いた溜まりでは、小魚を丸飲みして居たジモグリの幼蛇も観察した処でもある。葦原が所狭しと繁茂する川原は、人間が近寄らない野生のグリーンベルトである。

 一度釣りをして居て、蛇に三回も出っ喰わして、肝を潰して釣りに集中出来なくて帰って来た事がある。その当時、蛇マニアさんがブログに足跡を残して居られ、彼のブログで蛇の出て来る気象条件を読んで、以後、それを参考としている次第である。蒸し暑い無風の気象状態の、蛇族は大体決まった場所に居るとの事であった。それにしても11個とは、大きな数である。

 大きなアオダイショウに成るまでには、何年必要なのかは知らぬが、仮に3年なら11匹×3年=33であるから、増減無しのテリトリー適正数を1~2匹とすると、30匹以上が生き残れないと云う勘定に為る。4年なら1~2/44である。川原を生活の場とする抜き足差し足のコサギ、アオサギ達にして見れば、小蛇などは格好の餌でしかあるまい。きっと天敵の蛇と云えども、幼蛇はネズミ達にとっては、大禍を未然に防ぐ自己防衛本能並びに意趣返しの徹底殲滅作戦回状が、ネズミ達のDNAに刻まれて居るかも知れぬでは無いか。それに人間だけが意思伝達の言葉を持っているとは限らないであろうから、幼蛇撲滅運動が励行されて居るのやも知れぬ。

 そう考えれば、嫌な生き物には違いないが、生存競争の厳しさも、生存弱者の悲哀も伝わって来る。然しながら、嫌な物は嫌である。

 朝食後はラジオを聞きながら、ウトウトとして昼夢の中に居た。次兄さんが遣って来て、釣りに行こうと誘われて、支度をして居ると・・・

「ヤクルトで~す。今日は暑いですね~。何時もお世話に為って居ます~。」
 の大きな声で、意識が呼び戻されて仕舞った。無意識の中で起こされると、これは大変な心身の重さである。頭を数回振って、ヤクルトを頂戴するのがやっとであった。

 やぁ~、暑く為って来た物である。インスタントコーヒーを入れて、煙草に火を付けて、遣れやれのスカンポ脳への酸素送りである。


心何処ーショート 雨に、気付けば、またまた長駄文なり。
         雨に、気付けば、またまた長駄文為り。(7/3/12)
 先週は分別不行き届きで、回収されなかった。別段、普段と違っては居なかったが、回収者が変わったのだろうか? 再挑戦である。やれやれ・・・

 ゴミ出しをして来ると、斜向かい吟さんがプランターのお手入れである。朝から、しゃがみ込んでのロートル同士の言葉交わしである。聞くと、牛糞堆肥を入れて居られる。無農薬・有機の土作りに関して、講義を頂戴して終った。これは、奇妙な繋がりである。

 昨夜は、東北人の演歌が聞きたくて、千昌夫・新沼謙治のYouTubeを見て居たら菅原文太のトラック野郎の映像が在ったから、そっちに飛んで見ると、面白い一時間物が在った。

 元農水官僚の政治家?キャスター?なのかは知らぬが、其処に文太さんと政治学者の福岡先生が出演されていた。話題は日本農業であった。文太さんは山梨で農地を借りて、若者を募集して無農薬・有機農業に取り組んでいるとの事であった。
※ほぅ、こんな下地があったから、先日の福島県の自由民権運動、明治憲法の草モウ憲法案のレポート役を務めて居たのか。為るほど為るほど・・・

 松下政経塾で講師を務めた福岡先生も、塾卒業生の余りの出来損ない不甲斐なさ振りに、嫌悪感に苛まれ、憤懣遣る方無しの現政党・政治家達への絶望感に陥っているらしい。教育者としての忸怩たる思いが、真っ当な農業の育成が日本の精神風土には欠かせない急務との焦燥感らしい。先生は私より三つ上の昭和20年生まれとの事である。

※丁度、たけしのTVタックルで、福岡先生が、小沢一郎よ、鳩山由紀夫よ、野田佳彦よ。即刻、政治から去れ。松下政経塾出身の政治家達よ。創設者の松下幸之助さんが、生きて居られたらどんなに嘆かれるだろうか。破門されて当然の醜態を晒しているではないか!! と怒気を含んだ表情・口調が印象的であった。

<日本の無農薬・有機農業は、どの位の割合か>との文太さんの質問に、元官僚さんは、1%位と答えた。文太さんの蔑視の目と口元の冷笑が答えて、0・16%にしか過ぎないと云う。ヨーロッパでは、30~40%が無農薬・有機農業との事らしい。

※これも、実にタイミング良く、『東洋の復権を求めて・・・』の寂光-cosmosさんの西洋文化に憧れ、研究していた若い頃、パリに暮らした経験を書いた文章の中に、消費税と絡めた農産物の豊富さと消費税の仕組みを絡めた行(くだり)があった。文章の余韻として、ヨーロッパ、フランス・パリの農家と直結する<露店の商い>と生産者・農協・スーパーが一体化する『日本の農政』との違いが、土に対する<有機体としての土>と<無機質の物体としての土>との捉え方の違いを浮き立たせて、人間の精神価値の軽重が頭に流れた次第である。

 多くを語らない文太さんは、宮城県の農村地帯で生まれ育ったと云う。子供の頃の農業をするのが、『真っ当』と考えて素人ながら無農薬・有機農業を始められたとの事である。落ち葉を集めて堆肥として、額に汗水たらして田畑を耕す。
 農場で働く若者の殆どは、東京・大阪などの都会育ちであると云う。コンビニ弁当で暮らしていた若者達は、農場で売れ残ったり、売りに出せない野菜などを与えて、<自分で料理して食べろ。>と言って居るそうである。そうすると、何か月か経つと、もうコンビニでは買いませんと言って来るそうな。

 冷蔵庫に無農薬・有機野菜と市販野菜を入れて置くと、有機の物は枯れるが腐らない。<枯れる>と<腐る>の違いは歴然としていると言うのが、福岡先生の談であった。

 文太さん曰く。日本の農政は、根本が間違っている。刑事が現場百回で靴を擦り減らして、『事件を追い』犯人を突き止める。工場では、机上の論よりも、現場第一主義で問題の真因を掴み出し、対処して行く。現場に立つ事で、机上では見えて来なかった物を、五感の全てで、見て聞いて調べて考えて、判断の元にする。それが人間の真っ当さなのだと言う。
 農政の最前線にいた官僚が、現場に立たない『資料漁り』で農政をデザインする。そんな<体たらく>だから、地に着いた真っ当な農政、政治が出来ないのだ。声も聞かず活字だけの安易さに、魂など入る訳が無い。
 安全安心の農産物が必要と思うのなら、効率の悪い所で、一生懸命思考錯誤で額に汗を掻いて居る無農薬・有機農業をして居る者にこそ、農業者個別保障をして、日本の農業を育成して行くのが本義であろう。←(文太さんの意を、私流に打って見ました。)

 昨夜は、こんな考えさせられる下地を得て居たので、斜向かい吟さんの野菜、植え木、花育成感想は、一々、ご尤もの説得力に富んで居られた。

 私は常々思って居る処ではあるが、人間とは五感・思考力と肉体と言う機能持った優秀な生物なのである。感性・思考機能と行動・完成させる機能を分離独立させてしまっては、人間の持つ特性は、台無しに為って仕舞う。両機能がピッタリと噛み合った処に、動力が伝わり、動力を次の歯車に伝えられるのである。こんな人間の使用方の本姿が薄れて仕舞っては、元も子も無かろう。勿体無いの一語に尽きる。
 人間は、元来、土臭くバタ臭い物である。分業、細分化が進めば進むほど、それは物質経済の無機質過ぎる程の一歯車のその又一つの歯にしか過ぎなく為って仕舞う。一歯車如きが、毎日、衣装をとっ替え、ひっ替えした処で、中身は益々ガラス目のマネキン人形に下落するばかりで在りましょうや。

 やれやれ、雨の始まりである。へへへ、現世噛み付きついでに、悪態の一つを加えて置きましょうかね。お付き合い下さるお方には、感謝感謝の極みでありまする。

 先日のNHKスペシャル<大英博物館2>の西洋文明の故郷・白い文化・ギリシャの酷さは、大した物であった。白い大理石の彫像文化は、白い文化を捏造した色彩の残滓を削ぎ落して『イギリス人が造った美』と云う事であった。
 長い起承転結の編集スペシャル物で在った。ギリシャ文明がエーゲ海に、その最初の形を現わして来たのが、BC7Cとの事である。その切っ掛けと為ったのが、土地・土地柄に恵まれなかったギリシャ人達が、古代エジプトの傭兵と為って紛争地に出征し、其処(アブ・シンデル大神殿等)で巨大・極彩色・絢爛豪華なエジプト文化に接して、故郷に帰ってそれを広めた事に発するとの事であった。

 古代の歴史資料と云えば、ヘロドトスさんである。何処で現存する最古の歴史書を著したヘロドトス(BC5Cの人)が登場するのかと、待っていた処・・・3/4辺りで、漸くの登場で在った。正体を現わしましたな~。

 へへへ、これもまた、一見ドキュメンタリータッチの『構成作為の証』であろう。出稼ぎに出るしか無かった国土の痩せ地の民が、非生産的な芸術活動に邁進出来る為には、経済の興隆期を迎えなければ不可能である。
 不可能を可能にしたのが、<エーゲ海と黒海>を結び付けたギリシャ人の海洋技術と交易に寄る冨でしょうが。それをそっくり割愛して居る処が、大した物なのである。地中海は、古代に在っては名実ともに世界の海で在ったのである。地中海を通して、ペルシャ、エジプト、小アジアが結ばれ、世界史のエンジンが駆動した。因みに、マケドニアのアレクサンダー大王が、乗っ取りの侵略を仕掛けたのも、小アジア、メソポタミア、エジプトの肥沃な農地と富であった。

 地中海の制海権こそが、文明の栄枯衰退を現わして居たのでしょうに。地中海はフェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人の利権の海だったんでしょうに。

 この行の解説が出るかで無いかが、私の興味する処であった。へへへ、こんな処がオリンピックを目前にした<大英帝国の招客番組>なのであろう。番組案内役がNHKドラマの篤姫での亭主役を演じたニヤケ男なのであるから、肩に力が入り過ぎて、如何にも演技レポーター振りが鼻に付いて仕舞った。ギャラを貰って『猿演技』をする前に、少しは地中海古代史にも目を通して置かないと、末端の軽視聴者如きにも、軽く見られて仕舞いまするわね。邪魔だ。失せろ!!

※旧人ネアンデルタール人にとって代わった新人クロマニヨン人が、北スペインのアルタミラの洞窟に描いた絵画にも、色彩が施されて居たのである。←18500~14000年も前の作と云われているそうな。

 斯様にして、人間が描けば、当然に色彩が施される。これは人間の美意識以前の写実の意思から生じる<自然の行い>にしか過ぎまい。殊更に、目をまん丸にして新発見(白い文明・ギリシャ芸術は捏造の結果)などとテレビの言い成りに為る必要も無かろう。

 人間とは、斯様に捏造を繰り返してプロタガンダを仕掛けて来る物なのである。福岡先生曰く、枯れると腐るの違いだけは、心に銘記して置きましょうよ。イッヒッヒ~。

 遺憾いかん・・・雨故に、遣る事も無く、長々と文字重ねをしてしまいました。御許しあれ。


心何処ーショート 思い付く儘に。
               思い付くままに。(7/2/12)
 さて、本日は米を買って来ないと、餓死して終う。不器用者には荷が勝ち過ぎる大工仕事が、一つ残っている。昨日の終日の雨が上がって、暑さが寄せ始めている朝である。

 煙草を咥えて、庭に出る。朝日を一杯に浴びて、家周りのマツバボタンが、見事に咲いている。漸くにして待望のツル無しインゲンが、幾つか頭を擡げて来た。峠を越したキヌサヤエンドウを毟り、ミツバを千切って、味噌汁の具とする。

 朝食後のテレビでは地井さんを偲んだ番組を遣っていたから、老母と二人、素地の儘の好人物・地井さんへの感想を話題とした処である。

 本日は最高気温が32℃にも上がるとの事である。米屋さんに行く序でに、Sちゃんの奥さんがデイサービスの中の市役所支所フロアに居るから、昨日の文章を印刷して、プレゼントすると致そうか。昨日は、良くして貰ったのであるから<気は心>である。好い具合に、A-4、2枚の収まり具合である。

 話をして、今度は上り勾配のペダル漕ぎである。農園の横道を使う。終日の雨に洗われて、山の濃い緑が実に近くに見える。リンゴ、梅、桃、トウモロコシ、キュウリ、ナス、トマトの青々とした成長に、太陽が眩しく照り付け、空には入道雲の成長である。

 時折の風が、気持ちが好い。高校の窓を開放した体育館では、1、2、3、4と暑苦しい掛け声が聞こえて来る。橋を渡って、桜の日蔭歩道を行く。体育館、県文会館の駐車場は、何か催し物があるのだろう、満車状態である。

   米屋さんは来客中であったから、米だけを買って自転車漕ぎである。

 朝の洗い物をして、米を研ぐ。さてさて、頭を捻りながら、苦手な障子戸の下駄履かせに挑戦して見ましょうかね。不器用この上ないロートルではあるが、<時間だけは腐る程ある>のである。

 と気分だけは余裕の取り掛かりではあったが、こりぁ材料も道具も無い。ど素人が加工なんか、とてもじゃないが出来無い。こりぁ、駄目である。ホームセンターへ薄材を買いに行くのも、大儀である。早々に諦めて、誤魔化しの開かずの一枚とした。

 引っ込みが付かないから、鋸の目立て、ナタの研ぎをする。ナタの切れ味を確かめに、枝打ちをした木に腕力を試して見る。へへへ。

 何年も前に、ウラジオストクのホテルで珍しいゼンマイ式腕時計を見て買って来た。私としては、電池交換が不要な処に、郷愁を感じたのである。

 素晴らしい時計で、一日に5分も進む処がまた、苦笑いの代物であった。その時計を濡らして仕舞い、錆でも回ったのだろうか、全然動かなく為って仕舞った。二年程埃を被って、見捨てられていた。

 机の片付けをしている時に、それを見付けて<物は試し>と、リューズを巻いて見ると、何と何と???動いているのである。勿論、この腕時計には時の正確さなどは無い。
 それでも、生まれ育った時代は、アナログの大雑把な時代であったから、今の私には、捨てがたい物である。その旅行時に買って来たスポイト式万年筆も、同様の郷愁物である。

 私は、地井武男さんが、身近で好きだった。好い俳優さんであった。劇団出身の俳優さんには、味がある人が多かった。好きな俳優の道をコツコツと歩みながら、演技を素地に同化させて行く。或いは、素地に演技を如何かさせて行く。云って見れば、これらの過程は、<幾多の市井の職人芸>と同様の道程なのであろう。
 執念の刑事役も、ヒョウキンな役柄も、同等の実在感が在った。こんな実在感を以って演技が出来る程、人間は器用では無い。これは、地井武男さんの素地から来る物なのだろうと、私は確信している。きっと、氏はゴタッ小僧の憎めない学童・学生時代を過ごして、其の儘に歳を重ねて来たお人なのであろう。云わば、アナログ人間の典型の様な御人だったに違いあるまい。

 それにしても、俳優さんが天職の様な御人を亡くしたものである。合掌・・・

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