旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心何処ーショート 本日の土曜スタバ・トークライブ
            本日の土曜スタバ・ライブ(3/31/12)
 凄い雨である。傘を差さない私が、差して車に乗り込んで来たので、Tが言った。

「傘を差さないオッサンだから、如何するもんだと見て居たら、傘を差したかね。」
「あいあい、俺ぁ、前世は白人西洋人だぜね。普通の雨なんざぁ、無粋さね。」

「それを言うんなら、インド人じゃねぇのか。イギリス人のコウモリ傘は、伊達傘で、殆ど降っても、使わないって話だしな。」

「おうおう、そう云やぁ、ボクちゃんインド人かい? なんて、餓鬼の頃は、からかわれたもんだわさ。野球を遣ってりぁ、バルボンなんて声援ばっかだったしな。まぁ、兎に角、俺は学校一の黒ん坊だったわいね。アハハ。」

 Tは春目の薄いダークピンクのジャンバー姿であるが、夜来風雨の嵐に冬へ逆戻りの荒れ模様なのであるから、遣り切れた物では無い。昨日の暑き日は、一体全体なんだったのだろうか・・・である。

 コーヒー注文の順番を待って居ると、手の込んだショートパンツファションの小娘を自慢そうに連れたファション男のカップルが、チョロチョロして居る。へへへ、見せびらかして、満足する小娘の自慢の脚なのであるから、<脚の付け根>を凝視して遣るのが、ロートル男の<返杯>なのである。へへへ、大いにチョロチョロしなされ。機会に便乗流し目を享受するのも、スカンポ脳の戯け道でもある。

 見せたがる子娘阿呆に、便乗する老阿呆。これにて、プラス、マイナス、ゼロの均衡でしょうが・・・ギャハハ!!

 昨日は春日とは、天地の違い。悪天候の前に、二階席はまばらである。干し柿を取り出して、昨日のケアマネさんとの貸し出し夢奇譚感想を伺って、offコタツで談笑した経緯を肴に、スタバトークを始める。何しろ、戯けロートルとカンナ域のケアマネさんとのインスタント・コーヒー談議であるから、月に一度の『女日照り解消タイム』とも為って居るのである。

「<本当に、Rさんの頭の中と云うか、妄想力にはモウモウ、圧倒されて笑ちゃうし、何しろ、助平だわ。これで助平部分を消去して呉れれば、知識豊かで文章の巧みさで、好い勉強の教養書になるのに。根っからの助平人間なんでしょうね。真面目さと助平オヤジのコラボレーションがアガタ・ワールドの域なんでしょうね。アハハ。 ・・・>だってさ。江南の春、千里鶯啼いて、緑紅に映ず。だけが、世の中じゃねぇんだよ。『硬軟使い分けて、周囲エロ吹聴して、桃色に映す』なんて手法もあらぁね。ギャハハ。」

「またまた、このド助平野郎。相手の業務に付け込んで、とんだ戯け談議を遣らかして居るのかい。まぁ、素人さんにぁ、鉄壁の臍下三寸の倫理観の持ち主だから、安心して聞いて居られるけど、Rはその頭蓋骨に、上品神社のお札をペタンと貼って遣りたいけど、そのツルツル・ピカピカのスキンヘッドじゃ、霊験あらたかなお札だって、ツルリ、ヒラヒラで風に飛んじゃうしな。正直、打つ手の無い、どうしようも無い助平オヤジだからな。

 この前の無尽連中も、初対面で呆気にとられて<度し難い助平兄弟>と面喰らって居たぜや。やっぱり番から男子高の毒気は、一般人にぁ、カルチャーショックだぜや~。俺達には、あの位で無くちゃ面白くもなんともないしな。

 おお、飛んで火に居る一番若いおネェチャンスタッフさんのご登場だぜや。お手並み拝見と行くか、あい~。」

「おお、好いねぇ。彼女は素直な処が、最大のセールス・ポイントだぜな。イッヒッヒ!! 」

 早速、手招きにて、貸し出し用夢奇譚小冊子を提示して、チョイスを任せる。どんなタイプの小説が好きかと訊ねると、流石に大学生アルバイトさんである。武者小路実篤・夏目漱石・森鴎外・堀辰夫・・・etcと来たもんだ。ニャロー、生意気にカマトト振りぁがったな。そんな総論如きで、好色ヤクザもどきのロートルコンビの関所は、越せやせんぞい。イッヒッヒ。

 絵ファイルを見せて、彼女の目の置き処、口元の綻び具合をTと観察して、モンゴル高原からの草原のシルクロードから始まる黒海、地中海東進、青ナイル遡上編の<神域にて>をチョイスさせた次第である。

 今度は女店長さんが顔見せをして呉れて、ナターシャ登場の<異界回線にて>が、一番しっくり来たとの読書感を述べられた。楽しみにしているとの有難いお褒めの言葉を頂戴して、嗚呼、有難や、有難やの感謝感謝の思いである。

 さてさて、昨日はバタバタして仕舞って、第十部をすっかりサボって仕舞った次第である。本日こそは、真面目にコマを進めて置かなければ、手持ちの小冊子が種切れに為って仕舞う。散歩には行かれそうも無いその時間を充当して、頑張りましょうかね。

スポンサーサイト

心何処ーショート 一日遅れのブログ日誌
               一日遅れのブログ日誌(3/31/12)
 いやはや、昨日は怒って、電話で言い争いをして、コーヒーショップで仕切り直して、途中まで送って、つくづくと人間とは向き合って話をしないと唯我独尊為らぬ唯我独善の応酬と為る事を、またまた気付かされた次第である。
 加えて行司役の必要不可欠の助力まで頂戴して、へへへ、トホホの心境である。この先どう遣る物やら・・・匹夫・凡夫の私には分からないが、これも私の素地である。怒って、吠えて、泣いて、笑って、反省して、懲りない男を進めて行くしかあるまい。

 そして、夜来の暴風に眠りを妨げられ、起床後は、暴風雨の凄まじさでもある。さてさて、本日はスタバ・トーク日でもあり、夢奇譚の昨日打ちも手付かずの長い一日と為って仕舞った。尻に鞭を打って、遣らねば途中頓挫してしまう。肝の据わらぬ戯けは、宿題に向かって、亀の歩みをするしかないのである。とほほ。


心何処ーショート これ、吾が不注意為り。
               これ、吾が不注意為り。(3/29/12)
 へへへ、やっぱりであった。マメが未だ硬いと云うから、弱火でかけて居た事を忘れて、散歩に出て仕舞った。途中で気付いたが、もう手遅れである。火の方は過熱だと切れる仕組みに為って居るから、火事の心配はあるまい。願うらくは、老母が気付いて呉れれば良いのだが、鈍く為っている五感である。これ、吾が不注意為りである。助力を期待する方が、身勝手と云う物である。

 そんな事に気付いた散歩ではあるが、素晴らしい上天気である。河川敷では、孫を連れた夫婦がベンチに腰掛けて、無心に遊ぶ幼児を見守っている姿や、幼児の歩行の後に追いての春のウララの中で、目を細めて居る姿も有る。

 流れには若い父親が、就学前後の兄弟に釣りを覚えさせているのだろう。玉ウキの付いた竿を流れに入れている。日差しを一杯に浴びた外の世界は、清々しいばかりの光に満ちている。
 雨に水量を復活させた青味の川である。流れの早瀬、落ち込みに群れ生まれる飛沫、泡立ちは、太陽光線に反射して、白く凄烈為る躍動感を漲らせている。葦の新芽が、流れの中にある。クレソンも新芽を出して居る。流れから独立した、浸み出した水溜りの中には、蛙の卵がゼラチン状の大きな塊に為って、二つ見える。何蛙の物なのかは、一向に判断出来ないが、赤蛙、カジカ蛙の物で在って呉れたなら、嬉しい自然の営みと云えよう。

 キセキレイが、電線に止まって囀りを始めている。越冬した茶色勝った肌色の糸トンボが、まだまだ飛翔力の乏しい動きで、低地飛行を始めている。常念岳の雪、真っ白なツルツルした白で覆われた乗鞍岳を持ったアルプスの峰々が、何んとも山国信州の春の訪れを演出して見事と形容するしか無い好ロケーションである。

 足元に目を転じれば、オオイヌノフグリの可憐にして楚々した蒼い小花の群生が、石垣の隙間を埋め、その横には緑、黄緑の苔のビロードが点在する。空には、ツバメ達の飛行も見える処である。モグラのポコポコ土盛りが幾つも続いている枯れ草の河川敷である。

 昨今の犬は、私の犬観とは程遠い・・・殆どが矮小化の座敷犬達である。時代の流行、飼い主様の嗜好に、文句など言ってしまえば、即座に喫煙糾弾されてしまう御時世であるから、アッシャ、何も言いませんがね。へへへ。

 色がくすんで濃い目であるから、あれはカルガモでは無くマガモのメスであろう。近付けば、ガガッと警戒音で鳴いて飛び去る。続いてマガモの1/3程度のコガモが、枯れ葦の間から姿を見せて飛び立つ。先日は、ジョービタキのバルディナの姿も見た処でもあるから、今年の<長冬>に北からの渡り鳥達も、まだまだ帰りそびれて居るのであろう。

 テクテク、ブラブラと春のウララに釣られて歩いて居ると、鼻歌などが出て来る始末である。マメ炊き如きで、このロケーションとこの高揚する春の気分を<邪魔されて堪るか>ってな物である。

おやおや、地下水の復活で、沁み入る程の清楚な湧水の流れに、サワガニの骸が幾つも沈んで居る。さてさて、彼等の死因は何だろうか・・・

 おっお、久し振りのカワセミのお出ましである。嗚呼、双眼鏡を持って来るべきであった。さてさて、この辺りで、Uターンするとしようか。

 帰りは新鮮な漬け物でも食べようと思い、個人スーパーで大根、キャベツその他の食材を買って帰る。玄関を開ければ、焦げの臭いが充満して居る。火の消えた鍋は、煮マメの炭化状態である。老母の姿は、何処ぞと廊下に回れば、春に誘い出されての庭歩きである。

 籠った焦げ臭を窓、戸、換気扇を回して追い出す。むべ為るかな・・・老いれば、鈍感赤子に帰るまでである。一々、感情をぶつけても詮無き事である。へへへ、私も漸く、悟りの入口に差し掛かっている様である。

 さて、本日日誌を打った後は、夢奇譚第十部、<その3>に打ち進めましょうかね。現在6頁、挿し絵2枚の進捗具合である。


心何処ーショート 本日、お天気さんは、悪いでゴザンス。
          本日、お天気さんは悪いでゴザンス。(3/28/12)
 自転車で、米屋さんに行って来る。久し振りに意見の対立で、へへへのお開きと為って仕舞った。聞き流して居れば、何んとも無い意見の相違なのではあるが、相手が余りの分からず屋と為ると、遺憾いかん・・・遂にニャロメ!! カツンと来て、論破して仕舞うのが、私の偽らざる性向である。うららかな日に誘われて、個人スーパー経由で帰ろうとすると、小中時の同窓生と出っ喰わした。彼の田んぼを潰した駐車場で、ロートルの世間話に及んだ処である。

 彼は、肺炎、盲腸手術から腹膜炎を発症して、首の神経系統から来る身体の痺れで、散歩も運動も儘為らず、この数年を大変な日々で送っているとの事である。兎に角、話好きな男であるから、次から次と巷の噂情報が出て来る。私は世情に疎い毎日を送って居るから、人生の悲哀、悲惨を味わって居る同窓生の幾人かの話を聞くと、大きな溜息が出て仕舞う。

 或る意味では、人生の一歩先には、何が待ち構えて居るか・・・神のみぞ知るのドンデン返し、闇の世界かも知れぬ・・・なのであろう。

 毛無し、金無し、女無し、止めが甲斐性無し・・・四重苦の吾が身ではあるが、今の処は正常域の健康状態である。文句を云ったら、罰が当たると云う物である。彼の首神経の手術には飯田での一か月程の入院が必要との事である。成功するかしないかは、20%程の確率だと云う。

「そうかい。一カ月程度の入院だったら、<奥さん孝行>だと思って手術をしろよ。昨日、家の婆さんがよろけて抱き上げたんだけど、重かったぜや。そんな滑車の御厄介に為るしか無い<デカイ図体>を、小柄な奥さんに任せたら、可哀想だぜ。そんな人非人のする様な事は、還暦過ぎた男はしねぇよ、
 長生き時代、80も90も二人三脚で生活して行かなきゃ為らんのだぞ。四の五の言ってないで、女房孝行するのが、亭主の嗜みだわさ。ムダゴトこいてると、その白髪頭をひっぱたいて呉れっか。この馬鹿垂が!!」

「やいやい、Rちゃんに言われると、説得力あるわ。そうだよなぁ~。ピンピンしてたのに、何処で大脱線しちまったのか。情けなくて、遣り切れん。人生なんて、分からんもんだ。」

 すっかり、話し込んで仕舞い、個人スーパーで菓子パンなどを買って行く。町内に入ると、民生員の姉上に遭う。これから、町内の老人宅を回るから、後で顔を出すとの事である。

 明けて、曇天雨交じりのお天気さんである。薬は有るのかなと聞くと、無いと言う。無ければ無いと言ってくれればいいのに、全く世話の焼ける老母さんである。さて、行こうと思うと、確り降って来た。

 雨が止んだから、町医者経由で個人スーパーで売り出し物でも、補充して来るべしである。昨日チラシを貰ったので、これもお付き合いの一つである。町医者では、先日の検査結果が出て居るから、聞いて行ってくれとの事である。老母様は、中々にしてしぶとい。好い線を行っているらしい。

 如何云う訳か、本日は患者さんが多い。背中の曲がった老人が、老女房殿に付き添われて来ている。声を掛けると、ズケズケ、元気な老女房殿である。へへへ、<老いては女房が頼り>の実証例と云った処である。具合が悪いから来て居るには違いないが、皆、元気の無い姿、顔付で在る。嗚呼、明日は我が身であるか・・・

 食物繊維も肝要との事であるから、買って来たサツマイモを茹でて昼イモとする。

「昔はサツマイモなんて、嫌いで口にし無かったのにねぇ。変わったもんだ。」

「あいあい、何て云ったって、俺ぁしがねぇ落ち目の三度笠・賄い夫だぜね。個人スーパーに行きぁ、先輩さん達に、色々アドバイスを頂戴して来るわね。それに、還暦過ぎりぁ、精の付く物は、胃袋に負担が掛ちゃうからさ。イモでも喰って、メタンガスを発射しなきぁ、前へ進む推進力もねぇって事さね。アハハ。」

「サツマイモは美味しくて、体に好いんだよ。どれどれ、黄色くて、こりぁ、美味しいよ。」

 いやはや、この頃では、すっかり吾が身も中性域に雪崩れ込んで、豆を煮たりの<精進男>に成り下がって仕舞った物である。町医者から電話である。保険証を渡すのを忘れてしまったとの事である。

 へへへ、流石に雲の中のお天道さんのお計らいである。幾ら何でも、散歩量が不足し過ぎたとの即断・即決らしい。はいはい、取りに参りますですよ。


心何処ーショート 老母の裸体と倅夫婦の気遣いに思う。
           老母の裸体と倅夫婦の気遣いに思う。(3/27/12)
 昨日は番組が変わって居て見る物が無かったから、温い老母の部屋のコタツで転寝をして居ると、倅から電話である。

「婆ちゃん大丈夫? オヤジのブログ読んで心配でさ。」

 心配性で心優しい男である。斯く斯く云々で、心配無いだろうと応える。途中から嫁さんに替わって、長々と話して仕舞った。これも<怪我の功名>と云うのであろう。好い話が出来た。老母はベットの中である。

 心配性で心優しい倅家族を見て居て、私は母の実家の跡取り嫁さんの事を思い出す。勿論、顔を見た事も話した事も無い。北海道から母はこの地に引っ越して来たから、勿論、親戚など一軒も無かった。母の実家は、風呂屋である。信州と北海道であるから、私が従兄弟達と初顔合わせ、交流をしたのは、私が東京の大学生の時である。風呂屋の同年長男の居候も何ヵ月間か在ったし、姉(母)を慕って何度か顔を見せに来た叔父さんの年下の長男も居た。彼とは気が合って、就職して寮生活をして居た彼は、給料が出るとビールを持って、よく遊びに来たものである。

 その跡取り嫁さんが、筆マメで鉛筆書きの手紙を義姉さんの母に、呉れて居たのである。母は、そんな小母さんの手紙を読んで呉れたり、見せて呉れた物である。決して巧い文章でも無かったが、心配性で心優しい跡取り息子の嫁さんの気遣い・何処までもの純朴さの様な物を感じて、斯く在りたいと少年ながら感じて居た次第である。私の中には、純朴為る真心こそが、人間性の優劣を決する物だとの少年期の刷り込みを頂戴した記憶がある。その割には、その長男坊は甘やかされて育ったのだろうデリカシィの薄い男で、私に何度か殴られた事が在る。へへへ。

 私は男兄弟5人の中で育ったから、兄弟観察も日常の事であったから、同じ種・畑で育っても、持って生まれた性格の根っこの違いで、想いも考えも行動も違うと云う事を目の当たりに見て来た次第である。
 現代は科学が発展・特化し過ぎてクローン技術が確立しているとも伝えられる処である。そのクローン為る難しい事は一切分からぬが、結論的に云えば、異体同細胞で在っても、育つ環境に依っては別方向に行く迄の事なのだろう。
 吾が家には、<接ぎ木>の柿の木が何本かある。同じ木の枝からの接ぎ木であるから、それは紛れも無くクローン木なのだろう。それでも、どの木の柿の実も味が違う。土に根を張り、養分を吸い上げ、幹を太らせ、枝葉を茂らせて、秋の結実を待つ。宅地の小さな取るに足らないスペースの中でも、土の養分、日照具合の環境差異であっても、実った果実の味が違うと云うのは、環境因子の強大さと云う事に他なら無いのであろう。

 こんな事などが、頭の片隅で過る中、倅と嫁さんとの長い長い電話話であった。明けて、本日、素晴らしい程の快晴である。ゴミ出しの折りに見るアルプスの峰々は、白銀に悠然とした姿を見せている。

     老母の部屋の空気の総入れ替え方々、雑な掃き掃除をする。

「婆さん、具合は如何だい? ベットで飯を食べさせて遣ろうか。」
「ご飯を半分位にして呉れて、置いて呉れれば自分で何んとかする。気にし無くて好いよ。」
「へへへ、そう仰いますな。俺の仕事は、介護だわさ。土鍋でオジヤでも作って、スプーンで口に運んで遣るわさ。」

 パジャマ姿でベットから起き上がって、ヨタヨタとコタツに移動しようとして居る老母である。痛いだろうが、こんな大正女の精神の意地を見ると、この母の子に生れて、多少たりとも、その遺伝子を頂戴した事を、誇らしくも思う一瞬でもある。

「悪いねぇ、悪いねぇ。感謝してます。私も、最後まで頑張らなくちゃね。」
「そうだな。婆さんは、立派だよ。」

 昨日は、老婆の全裸体を支えて、風呂入りを確かめた。95の正に<老醜の裸体>で在った。生物の老いさらばえて行く肉体は、言葉には為らない<悲哀を見せ付ける>物である。そして、それはこの世に生を受けて、円を描いて終焉の骸(むくろ)を晒す無に還る生物の歩みの様な物を感じさせて、胸に万感の想いを生じさせる一コマでも在った。

 母の生き方は、私に生物としての哲学を見せて呉れた様な物である。本より、時代の中に生きるのが人間である。大正女の生き様は、多くを語らず自分の生きる背中を見せて、最後まで矍鑠と生きる。その母の背に、感じさせられ、考えさせられ、自分の不出来を振り返り、自問自答の修行をさせて貰う。高学歴と民主的個人の時代と云う趨勢の中で、私は遅まきながら、言葉の意味と言葉の伝達力を一つの自己表現として位置付けて、子に伝える。

<信長が餅をついて、秀吉が捏ねて、家康が食べる。>・・・為る程、人間の観察眼とは、面白くも含蓄に富んだ名言を残す物である。こんな事が過(よぎ)る。人は決して一代に在らず、時代、世代繋ぎの大きな時の器の中に在る、或いは活けられている<切り花>の一本にしか過ぎまい。切り花一本が凛として、楚々として一輪挿しに堪える物なら、いざ知らず・・・多くの生け花は、総体の形を取る。

 己が一代の個人的自由の中で一生を遂げるのが、自由なる個人、個性の生き方などと云う風潮が、敗戦60余年の中で定着しつつある現世であるが、それが人間の満足感・満足観であっては、余りにも個人の思い上がりでは無いだろうか。人間が遺伝子の集合体であり、文明・文化の遺伝子たる科学・技術の継承者為らば、其処には当然として、心の遺伝子も継承して行く義務が在ると思うのであるが、私の思考回路は古過ぎるのだろうか・・・

 さてさて、柄にも無い事を、だらだら打って終った物である。温まった事でも有るからして、散歩に出掛けて参りまする。

心何処ーショート いやはや、参りましたわね。
           いやはや、参りましたわね。へへへ。(3/26/12)
 おっ、太陽の明るさである。風呂を沸かして洗濯、散歩と致そうか。卵詰まりのメスは、水入れ容器に浮いた卵を排出して、普通に止まり木に止まっている。ヤレヤレの感である。廊下の日当たりに玄関鳥を並べて、庭のハコベを乗せて遣る。朝食を済ませて、お天気さんは上々為れど、今朝も-5~6℃の冷え込みで在ったから、気温上昇を待って、散歩は午後に回す。

 為れば、夢奇譚・第十部を打ち始めると致そう。少しでも打って置けば、私の片付けねば為らない文作と為るのである。腕を組んで居ても無から有は生まれないが、芽さえ残して置けば、その内に成長も継ぎ木も見られるのである。太陽さえ在れば、午前中は暖房要らずのサンルーフ・二畳小部屋である。ラジオの国会中継を聞きながらのスタートである。

 区切りの好い処で、風呂に入る。洗濯物を干して、老母に譲ると廊下で杖の落ちる大きな音と尻もちの音である。脚がフラフラして立てないと云うから、老母を抱いて脱衣所の椅子に、ヨッコラショである。いやはや、重い婆さんである。洗濯をすると言うから、風呂にだけ入れば、後は俺が遣ると言って、PC打ちを再会する。

<要経過観察>であるから、近場散歩で済ます事として、散歩から帰って来ると不凍栓の所で、婆さんがヘタって居る。アハハ、如何にも、大正女の吾が御母堂様らしい。様子を窺がいながら、立てるか立てないか、支え助力が要るか如何かを、素早く、足、腕、手、表情で読み取る。不必要な力みと呼吸の荒さである。これは、駄目である。

『何を遣ってるんだ。馬鹿もん。俺が遣ると言っただろう。何もしなくても好い。一寸待ってろ。抱きかかえて遣るから。』

 う~ん、こりぁ重い。急がば回れである。ギックリ腰にでも為ったら、親子共倒れである。深呼吸して、腰を充分に割って婆さんを抱え上げて、10m程を歩く。途中で化繊の婆さんのズボンが妙に滑って、婆さんの身体が滑り落ちそうに為る。これで落としたら、大事である。<コナ糞、非力は男の恥~。>・・・力んで口をへの字に結んで、落ちす前のヒィコラ運びである。ずり落ちる老母の身体を、やっとの事で廊下に『転がした』次第である。

 いやはや、自由の効かない人間の体重と云う物は、本当に重い物である。首に手でも掛けて呉れれば、少しは余裕も有ったのだが、老衰進む身体には、そんな腕力などは無いのである。恐縮がる老母の言葉を遮って、洗濯をバトンタッチして、老母の洗濯物を物干し竿に干し終えて、パン食の昼とする。

「もう、足が言う事を聞かない。動けなく為って仕舞った。もう、子供より始末が悪い。情けない・・・ああ、もう駄目だ。情けない・・・」

「そりぁ、そうだろうよ。年寄りは子供に還る黄昏期だぜ。子供の方が年寄りよりは、成長の分だけ未来が有るけど、年寄りは円を描いて無に没する存在だぜや。95の婆ぁが、足腰立たなく為るのは、自然の掟だぜ。贅沢言うな。馬鹿もんが。
 体調が優れない時は、遠慮無く頼めば好いだけだわさ。怪我でもされたら、その分、俺に負担が掛らぁね。母親だから、俺の性格を一番知ってるだろ。俺は仕事嫌いな男だよ。生意気こいてると、その白髪頭引っ叩くぜや。この馬鹿垂が。へへへ。」

 へへへ、こんな事を言われても、老母はニコニコと、丸で幼児が親に叱られて照れ隠しの様な笑顔で、<子供だ、何の役にも立たない子供>を連発して居るであるから、これも母親が、倅に対する<育て利息の還付>を受けて居る様なのであろう。

 人間、女房子供親兄弟の関係に在っては、こんな老後の日々を過ごして、青空に一筋の飛行機雲を残す様にして、あの世にスーと旅立ちたいと考えて居る次第である。


心何処ーショート へへへ、脱線しちゃいました。
              へへへ、脱線しちゃいました。(3/25/12)
 漸くのお天道さんの輝きではあるが、寒風のガラス戸叩きである。一昨日から玄関鳥のメスの一羽が、すっかり羽毛を膨らませて元気が無い。多分、卵詰まりを呈して居るのだろう。場合に依っては、死んでしまう可能性大である。そんな心配が在るから、しばしば様子を覗いて行くのである。夜の遅い性質なので、夜中に物音がするとやはり心配が心を過る。

 眠りに就いて、未明の闇の中で小鳥の小さなクンクンとも聞こえる酷く感情的な鳴き声がする。こんな闇の中での小さな声であるから、とうとうメスは死んでしまったのか・・・

 寄り添ったオスの悲嘆の声と感じて、玄関の明かりを付けると、羽毛を膨らませたメスが、下で大儀そうに蹲(うずく)って居る。

 丁度、同じ様な事が、何週間か前の親メスの身に降り掛かって居た。今は、体調が回復して普通の動きをしているのだが、冬の間にすっかり縮こまって仕舞った身体には、春を告げる陽の長さに反応しての交尾→産卵は、内臓器官が解れて居ないから難産に遭遇して仕舞うのだろう。或る意味、これは仕方の無い通過過程なので、私としては、見守る事しか出来ないのである。

  風は寒いが、ガラス戸越しの陽の暖かさの中に置いて遣るべしである。

 兎に角、この数年の気候変化の高低差は、余りにも大き過ぎる。猛暑長夏→冷夏短夏、暖冬→寒冷長冬の沙汰であるから、外気環境の直撃に晒される動植物には、過酷さが付き纏うのである。
 寒ければ、一枚余分に着て、暖房を付ける。そんな事が出来る人間は、真に動物として恵まれて居るから、『嗚呼、熱い、暑い、嗚呼、冷たい、寒い。』と挨拶代わりの言葉を交わして、遣り過ごせば事足りるのである。そんな日常の一傍観者として、季節の変動を一過性の物と流して行ける。

 私とて、こんな玄関鳥の苦しそうに羽毛を膨らませて、ただただ個体に存する自然治癒力の中で、耐えて居るメス鳥の異常な姿を目の当たりにしない限り、こんな事も打ちはしないのである。何時もとは違う変化、異常に遭遇して、初めてそんな事象の存在に頭が巡るだけであるからして、傍観者の鈍感さには恥ずかしい限りのボンクラ男である。

 然しながら、通常の『変化無しの基準』を脳裏の片隅に置いて置かないと、事象の変化を違和感として察知して、事象の変化に気付き、変化の底に働いている原因に思考力を働かす事は出来ない。通常基準を安定した違和感を感じさせないと云う基準値を五感の中に置いておく事が、いざと云う時の<鋭敏さ>と<鈍感さ>を分かつ分岐点と為るのだろう。

 鋭敏さは、変化を脳回路に繋げ、観察の過程の中で、分析思考を活発に働かせて、対処法へと進めて、一話完結の脳内整理に結び付けるのだろう。
 片や鈍感さは、変化を素通りして仕舞うから、観察のスタートさえ生じさせない。観察が無ければ、基準と事象の比較対象も思考として稼働しないのは、当然の結果なのであろう。

 斯様にして、鋭敏さと鈍感さには、多分、こんな五感力上の大きな乖離が、先天的に横たわって居るのでは無いかと、即断して仕舞う次第なのである。然しながら、人は大にして、性善説の側に立って教育・啓蒙の勧めを殊更吹聴するものである。(※性悪説を採っても、教育・啓蒙の有効性を標榜して居るのは同様なのではあるが・・・私の様なスカンポ脳者には、目的を同じくするが、飽く迄も<切り口の違い>から論証別れの性善説、性悪説との雑駁な想いなのではあるが・・・)

 然しながら、私は性格が天の邪鬼過ぎるから、所詮は鐘を突いて、余韻を引かせて大きく響くのも、単なる金属と突き棒の接触に依る金属音で終わるかは、鐘の質とレベルの差異に終わって仕舞う事の方が大半の沙汰なのであろう。鈍感者が正常域に維持管理する為には、普段の有意識行動が必要なのである。意識を働かせて居なければ、意識は無意識に戻ってしまうのは、これまた不可避の実態なのであろう。

       A・・・<誰も居無くても、お天道さんが見て居る。>
       B・・・<壁に耳あり、障子に目あり。>

 この二つの諺が私に、思わせ考えさせるものは大いに違う。A>Bの様に、私は個人的解釈して居る。何故なら、Aのお天道さんは、絶対物からの目を意識した言葉であり、Bの耳、目は、人間の物だと思うからである。従って、それは同等な人間同士の実利が作用する言い回しだと感じる次第なのである。お天道さんの目は、人間の考えから離れた自然の眼であるから、其処には実利は伴わないのである。お天道さん=天=私心無きもの=良心と考えれば、これは条理の世界であり、実利の世界に作用するのは、個人の責任性の追求=法律に於ける刑罰である。・・・そんな思考回路が、私には昔から存在する処なのである。

 へへへ、皆さんは、如何感じ思いますでしょうか・・・客観的な言葉の意味は在りましょうが、人が想いを込めて言葉を使用する時は、多かれ少なかれ使用する者の想いが込められているのが実態と云う物で在りましょう。

 徒労が徒労で終わる諦観を持つ者も居れば、徒労が悲嘆から増悪に転化して増悪の刃が相手に向かう者も居るのである。報道される事件の数々の裏を想像したり、刑事物、探偵物ドラマ、人間シリアス物などを見て居ると、そんな想いが頭を擡(もた)げて来る物である。

 遺憾いかん・・・BGM替わりにして居た保守派座談会の模様を聞きながらのPC打ちをしていると、出席者の言葉がガランドーの脳味噌鐘に変な作用をして仕舞った様である。
 毎度の取り留めの無いロートル思い付きの儘にの、纏まりの無い日誌と為って仕舞い申した。申し訳ござりませぬ。


心何処ーショート 何んと、本日トークの日?
            何んと、本日トークの日為り。(3/24/12)
 おっ、止んだか。洗濯物を軒下の物干竿に掛ける。朝の賄い夫を始めて居ると、雨音である。小走りで、洗濯物を取り込む。ニャロメ!! 何んと、執拗な雨である事か。

 老母の洗顔を待って、四畳半定位置で煙草を燻らせていると、窓辺の雑木にバルディナさんの尾羽のタクトである。

            はいはい、お久し振り。元気であったか。

 暫く、ジョービタキのメスは、雨に打たれながらも姿見せをして、黒いまん丸の目で私を見て居る。私は窓辺に近付いて、口笛を吹いて遣る。へへへ、そして、気が済んだのか、何処ぞへと飛んで行った。

 こんな仕草の<律義さ>を示して呉れる野鳥との一シーンは、好い物である。
斯様な生物の律義さの片鱗すら、通わせる事の乏しく為った現代人とは、如何なる薄情さか・・・野鳥以下の人間共が、我が物顔に巷に溢れ、偉そうに肩で風を切って闊歩して居るのであるから、嘆かわしくも笑止千万の世の中で在る。

 朝食後は、スタバトーク・タイムであるから、干し柿、沢庵漬け、貸し出し用の夢奇譚小冊子綴りを用意して置くとしようか。小雨の中、玄関鳥の餌吹きをして居ると、Tの車である。

 それにしても寒い物である。夢奇譚小冊子交換のチョイスを任せるべく、店長さんにお渡しして二階席である。過日の抱腹絶倒の旅行無尽の話などをして、政治・外交口撃談を交える。税と社会保障の一体化だけが、国民の関心事でもあるまい。偶には、国会の外交委員会、島嶼防衛国会中継も流して欲しい物である。

 Tの話に依ると、尖閣諸島への日本への平和的揺さ振りを掛けるべく、赤い帝国船が定期巡視海域に出張る旨を、日本政府に通達して来たと云う。元総理の鳩さんと輿石幹事長殿が、元祖小沢一郎氏に倣って、子分議員団を引き連れて、赤い帝国へのスナップ写真撮りに出掛けて居るそうである。

 おいおい、そうじゃあるめい。逝かれポンチの政治屋集団とは、如何なる集団なのか。これでは、想像を絶する程の日中の小汚い連携プレー沙汰である。言いたくは無いが、議員一人当たり、幾らの赤い帝国奨学金が交付されて居るのか・・・開いた口の塞がらない、遣りたい放題の<国辱・売国集団>と言わざるを得まい。菅、前原、野田各氏の北朝鮮からの『奨学金』と云い・・・

 通常の独立国の態を為す為には、憲法改正、スパイ防止法と早い処、日本国・日本人にキンタマを取り返さねば、日本は、<東海の海>に倒壊して没して仕舞うだけの事である。『日本海』を防御する為には、占領時下の限時憲法で手足を拘束され続けて居ては、もう既に国益も領土も、自主独立の国権も、到底維持も守る事も出来ない非常事態に陥っている事を、日本国民は銘記しなければ為らないのに、何たる国柱の無さである事か。

 馬鹿野郎共、バイアグラに頼って居ては、大和益荒男の摩羅が国際社会に発信出来る訳があるまい。自前の器官で海綿体に血液を充填させてこその東洋の大国大和益荒男の『真裸刀』の切れ味でしょうに。男の重し・キンタマ無しのヘナチン外交では、この国の行く末など、語れよう筈も無かろう。

 ボラガイ・バカンスは、来月に控えてはいるが、幾ら好色ヤクザもどきのロートル・コンビビで有っても、ボラガイと法螺貝とホラ女の区別くらい付きまするわいな。糞っ垂れ共めが!!

 さてさて、四畳半定位置でファンヒーターを焚きながら、本日分日誌に取り掛かって居ると、auひかりの勧誘である。料金が安く為るなら、大歓迎である。面白い青年であったから、話しがすっかり弾んで、日頃の欲求不満が一気に炸裂して、下手絵ファイルを肴に吾が戯け講談を遣らかして仕舞った。

<ムダゴト扱きぁがって、デケェ声じゃ言えねぇが、俺ぁ、番から天才だぜや。>

 ギャハハ~。初対面の青年に向かって、縦横無尽の言葉嵐を吹かせてしまった。可哀想に、好色ヤクザもどきのロートルの毒気に当たって、青年もゲラゲラ笑いの迎合談に発展して仕舞った。

「絵良し、文良し、顔良し、話し良しで、雰囲気満載の相当なプレイボーイで、さぞかし持てたんでしょうね。何て云ったって、<俺ぁ番から天才>ですからねぇ。凄い先生ですよ。圧倒的存在感って、この事でしょうね。」

「何を扱きぁがる。俺ぁ年金生活者の貧民。女日照りの閉じ籠りロートル稼業だぜや。毎夜、無常の落涙で、生きて居ること自体が、<世界の七不思議>ってもんよ。誰か、女を紹介してから<煽て太鼓>打っておくんなまし。今時の青年は、口が巧過ぎらぁね。」

「またまた、外に出掛ければ、女が放っときません。まだまだ、モテモテのオーラが満載ですよ。ブログ名教えて下さいよ。帰ってから、読みます。こんな魅力的な人は、本当に珍しい。遊びに来て好いですかね。」

「あいあい、毎日、暇してるから、何時でも遊びに来ておくれや。女と話して居るより、ゴマスリ神経を使わ無い分、話の内容がザックバランで効率が好いからね。オッサンに興味があったら、遠慮は無用だよ。ギャハハ。但し、俺の十八番は、エロ分野だけどさ。」

「とんでもない。隠してても、出て来る出て来る、感性と知識、洞察力の鋭さ、話の面白さですからね。本当に、遊びに来させて貰いますからね。カッコ好いですよ。魅力満載の人ですよ。世の中に、こんな人が居るんですね。感動しちゃいましたよ。本当ですよ。凄い人だ。あっ、そうか。<俺ぁ番から天才>でした。アハハハ。」

 いやはや、人間の出会いの面白さとは、何処に潜んで居て、何処で鉢合わせるかは、<神のみぞ知る>の摩訶不思議さでもある。ジョービタキに始まり、青年で終わるとは、遂に日の目を見なかった寒空では在ったが、お天道さんのお遣りに為る事は、中々に気が利いて御座る。斯様にしてザックバランに咲く話の玉手箱も、世には待ち受けて居る物なのであろう。イッヒッヒ~。



心何処ーショート 薄暗き終日の雨為り
               薄暗き終日の雨為り(3/23/12)
 良く降る雨である。気晴らしに温泉銭湯で、半日を過ごそうと考えたが、家風呂の後は、浴槽磨きでもしようか・・・ 朝から国会中継をしている。面白くも無いテレビに付き合うよりも、ラジオをBGM代わりにして、国会勉強をするしかあるまい。

 こんな色薄い内外の一日、雨で息を吹き返して居るのが、庭の苔である。土から芽を覗かせた小さな春以上に、独鈷周りの苔の黄緑の膨張が、何んとも目に柔らかである。本日、散歩が出来ないから、ウロウロと意識的に部屋から廊下に出たり、二畳小部屋から庭を眺めたりの<歩数稼ぎ>をしている次第である。

 それでも、身体がモゾモゾするから、傘を差して土手の石垣に群生する苔の緑を剥ぎ取って、独鈷周りの死滅して穴のあいた個所に補填する。そんな庭と石垣を何往復化して居ると、傘を差した散歩者が歩いて行かれる。

 然もありなむ・・・である。散歩を日課として居る年配者さんに取って、散歩をしないと気も心も、体も調子崩れに為って仕舞うのだろう。斯く云う私とて、同様の口である。

 こんな日は、何んとは無しに人恋しく為るのだが、差し当たって濃い話の出来る知り合いも無い。形だけの表層話をしてお茶を濁すだけでは、人恋しさの処方にも為らない。お互い、喰い足らなさ、消化不良であっては、後味も芳しく無い処であろう。それ為らば、マイペースのウロウロ動きの方が、気が楽と云う物である。

 きっと、こんな気分の裏には、過日の飲み会の盛り上がりが横たわって居るのである。昨日は一昨日の不良中年のゴタ話に、普段の閉じ籠りのカンヌキが外れて終い、もうもう、じっとして居られ無く為って仕舞った。

 ネオンの巷が恋しく為って・・・我慢我慢の<陰頭冷却>の呪文を唱えて居た次第である。

 私なんぞは、人を思い遣る心に欠けて居るから、こんな時の人様の気分、気持ちが、どの様に為って居るのかは、不明でしかない。散歩代わりに、ブログ散策などをして居ると、心動かされるブログなどに足を止め、コメントなどを残して来る。色んな想いが垣間見られるブログ主の心の一端に触れる事も出来る。これも、時の過ごし方の一つである。


マイ・ギャラリー19
                  マイ・ギャラリー19  
        
        煙草と妄想夢奇譚タイトル絵男話の中心
   再訪王&妃内・外の兵士戦闘戦士
   疾風黒鞭戦い済んで、女族の酒宴見えるかな~_001奇妙な道行_001
   マイピクチャバッカねぇ~抱かれて001太古の樹海
   吠える_001出現す!!いざ~、ぬぬ。_001一蓮托生


 以上、夢奇譚・第七・八・九部の挿絵を並べて置きました。この処の長駄文の息抜きに、笑って行かれませ。初めてのお方は、絵にクリック為されると、二段階で拡大されまする。尚、カテゴリー内、マイ・ギャラリーをクリックされると、今までの絵UPのギャラリーの扉と為って居りますので、遊んで行かれたし。ギャハハ!!













心何処ーショート さて、昨日のお浚い日誌為り。
             さて、昨日のお浚い日誌為り。(3/21/12)
 いやはや、疲れ申した。朝飯は、倅ファミリー差し入れの寿司とテンプラで腹一杯の頂戴物である。老母は、すっかり慣れて来た孫の頬擦り行動で、その余韻に上機嫌の饒舌振りである。老母と倅の、見ているだけで何にも増しての、心温まる映画のシーンを観賞して居る様な満足感に、私は浸って居た。親の目から離れても、倅は好い男の道を切り拓いて居る。

「お前は、好い男に為ったなぁ。今は倅にオヤジを擦り込ませて、オヤジを見せとかなきゃ為らない大事な二人三脚の務めが在るからな。女遊びは、一切ご法度だけど、手が離れる50代に為れば、海外旅行で思い切り、ボランティア・セックスの羽目を外して来いよ。それなりに、見聞は拡がるわさ。

 俺ほど、ロシア女に持てるかどうかは分からんが、きっと、俺以上に持てるぞ。男の雰囲気のある好い男に為って来たもんだわさ。アハハ、絵に為る雰囲気が出て来た。男も女も、中から滲み出て、魅力のオーラが出て来ん様じゃ、<半人前>よ。お前さん、吾が倅ながら、魅力のある男だわさ。」

「へへ、俺はオヤジの倅だからね。オヤジも、子育て中は真面目だったからね。俺も、真面目オヤジを遣りながら、オヤジのブログ読んで、イメージ・トレーニング期にしてるわね。頭の好い男は仕事も出来る。仕事の出来る男は、遊びも出来る。メリハリをちゃんと付けて居るから、根っこが振れない。
 本物の根っこが振れて居ないから、信用が出来る。根っこが不動だから、惹き付ける力が在る。人物観賞の基準見たいな物を、オヤジは見せて呉れて居るから、俺には、オヤジは興味深々の男に見えるからね。アハハ。

 オヤジは、世間体に云えば、破天荒男遣ってる様に見えても、半分以上は演技のサービス精神で遣ってるんだし、破天荒してても、根っこの部分は、一切ブレない男だからね。俺の目指す処は、オヤジだからね。

 そう・・・、オヤジの眼鏡に叶って来たなんて、本当に嬉しいよ。凌祐もオヤジに、じっくり仕込んで貰って、コイツが30年もしたら、オヤジと倅の自然体で、こんな話しをしたいと考えて居るんだけどさ。俺は、真っ当な心に影響を与える人間として生きて行きたいと考えて居るんだ。

 他に影響力を持つ為には、先ず、自問自答して自分を鍛えて行かなくちゃね。自分から逃げて、自分の安易さに迎合したら、進歩は無いからね。在るのは、安易堕落の責任転嫁人間に成り下がっちゃうだけだからね。そんな事をしたら、自分自身の心の安定さも、他に対する説得力も無く為って、自分の殻に閉じ困って、度近眼の下らない<我の虚勢を張る>しかないからね。オヤジの言う、自分で自分の絵を穢す『自傷行為の行進』しか無いからね。

 オヤジの眼は、鋭いからね。言葉を交わせば、洞察される。俺も色々辛い経験をしたけど、オヤジの心に戻って見れば、オヤジは全然変わっては居なかった。自然体で向かい合える事の意味を教えて呉れて居るのが、オヤジだったのさ。

 へへへ、敷居が高かくて、オヤジは本気出すと7位の所から話をするから、5,6辺りまでは、自分が辛い経験をして其処までに達しないと、オヤジの暖かい心が理解出来なかった。本当は、オヤジの方が見える分だけ、辛い思いをして居るんだろうけどね。今回の事で、良くそこら辺の処が分かった。俺っちの処は、何時でもオヤジの味方だよ。

 凌祐、お前の爺っちゃまは、そこん所そこいらに居る軟な男じゃないぜ。清濁併せ呑んで、調整と筋を通す立派で格好好い人なんだぜ。怖いし、喧嘩も強し、繊細で、敏感で、インテリで、問題からは逃げないし、時に過激な事をするし言うけど、本当は人情に脆い心の暖かい人だぜ。
 お前にも、その血が流れて居るんだぜ。痛いけど、鍛えて貰え。絶対に、匙投げられるなよ。<怒られて、賢く為るんだよ。我慢して、強く為るんだよ。>お前には、俺の血が流れて居るんだから、大丈夫だよな。ほらほら、オヤジだぞ。こっちへ来い。アハハ。」

「ほう、そうかい。オヤジは俺を残して、俺はお前を残して、サケマスの一生を考えれば、俺も生物の一匹として、お前に確りと遺伝子をバトンタッチさせたんだから、何時死んでも、文句は無いわさ。嬉しいね。
 俺の役目も終わりつつあるな。俺も、お天道さんから見れば、最低限の仕事が出来たんだろうさ。後はお前に任すわさ。へへへ。」

             さて、次なるシーンは。

 弟の隣席に手招きされて、ジャンバーを脱ぐ。ひぃ、ふぅ、みぃ・・・8席である。

「お兄さん、お久し振り。元気そうですね。何にします?」
「マンコ。」

「緒っ鼻から、なんちゅう事を云うだい。」
「そうだよね。初対面だから俺一瞬、耳を疑っちゃったいね。確か、マンコって言ったよね。ねぇ~。ねぇ~。」

「何をこいてるだい。俺の許しも無ぇのに、勝手にゴの濁音とって、コにするから、誤解が生ずるんだわね。フィリピンの特産物は、マンゴに決まってるじゃ無ぇかい。

 バカンス名目をド助平バカンスと誤解してるから、初っ端から、<濁音落とし>で身勝手解釈をするんじゃい。『耳は、自分の心を表す鏡』って諺が在らぁね。俺あ、真面目な籠りの賄い夫生活者だぜ、こんな場違いな下品な連中とはオサラバするわいね。」

「またまた、<歩く生殖器>が、ムダゴトこいて。これが<噂の性豪>のオッサンだんね。俺達の普段言ってる事が、欠席裁判の罵詈雑言・中傷か、真実か・・・とっくり、酔わ無ぇ内に点検しときましょ。」

「そうそう、やっぱ、★さんは、正しい事を言うわ。黙ってりゃ、何処から見てもヤクザ、難しい話をさせりゃ学者さん。今はこのスキンヘッドで、悟りを開いた様な高僧面してるけど、女の前に、一人放り出しゃ、とんでもない事を遣らかして来るオッサンだんね。怪人20面相見たいな役者のオッサンだぜ。外観だけで、人は見ちゃ行けねぇの好材料だぜや。あい~。」

「兄さん、ビールが来る前に、糞味噌に言われちゃってるじゃん。可哀想だぜ。弁明の機会与えて遣るかいね。マイクにするかい、それとも、セコンド・ストップのお絞り投げて遣るかいね。ヒヒヒ。」

「そんな事と予想して、俺ぁ、名刺代わりに渾身の絵ファイルを二冊持って来たわいね。ド助平野郎共、俺様のファイルに開示された極彩色の世界をじっくり観賞してから、ホザキ遣がれ!! 」

 へへへ、二冊持って来たから、一座の下と上から絵ファイルが回って行く。突然の変なオッサンの登場で、面を喰らわされて、今度は虚仮脅(こけおど)しの訳の分からない戯け画の回覧状況である。

「こりぁ、マンゴじゃ無くて、正にマンコが笑ってる絵じゃんかい。白らばっくれて、好い根性してるわ。俺ぁ、面喰らちゃって、何も言え無ぇわ。おっ魂消た。もう、ファンに為っちまったいね。ギャハハ。」

「ギャハハ~だ。ザマァ見遣がれ。人間なんて生き物は、如何に多様にして複雑な生き物か、人間の精神の奥深さを、好く観賞して置きましょや。あい~。」

 弟の新無尽会のメンバーには、三人の新顔さんが居られた。余りもの不良中年のハチャメチャ恥の掻き捨て<異国チン道中の模様>に、垂涎の羨望耳を立てて居た定年退職さんが、満を持しての旅行初参加との事である。そんな御一名様への歴史を誇る旅行無尽会の内幕暴露艶会なのであるから、ポンポコ、出て来るわ、出て来るわの『チン騒動記』の名場面、迷場面、醜態、失態場面の交歓会である。

   汲み交わすビールに焼酎、熱燗酒に、とんでもない不良中年の集いである。

 満を持しての、定年さん曰く。
「私、かねがね、凄いお仲間旅行との事で。今日も電車の都合で松本駅に早く着いて仕舞いましてね。それで駅から松本城まで歩いて、目標の体力作りをしましてね。人間ってヤツは、何か目的を持つと、自然と散歩からウォーキングにグレード・アップしまして、体力作りに汗を掻いてる次第ですよ。」

「何言ってるだいね。それだけじゃ。元は取れ無ぇじ。寒い風を押し通して、足腰と持久力を集中させるのは、男の『中足』ずらい。それも、中足の雁首周辺の一点鍛錬しとかなきゃ、いざと為ってのシナチクで、<萎れ竹>じゃ泣いても追っ付かない大枚叩きだんね。」

「そうだ。○ちゃん、好く言ってくれた。其処が大肝心事だんね。蒸しタオル、冷タオル、亀の子タワシで、チンチン、パシパシ、ゴシゴシのマラソンイメージ・トレーニングしとかなきゃ~、即、会から破門のお沙汰が下ちゃうんね。『郷に入ったら、性獣』に為らなきゃ~。グググッ。」

「そうそう、<性獣の金字塔>が、此処に一頭居るぜ。百聞は一見に如かずせ。参考にしましょ。旅行まで後、一ヵ月半しか残っちゃいねえよ。案ずるより、実行。時は金に非ず、チンチン、バシバシ、ゴシゴシ、それしか無えよ。ゲヘへ。」

「俺、歳だぜ。亀の子タワシは勘弁して欲しいわ。想像しただけで、過敏お肌が、裂かれて、血の涙だいね。見ての通りの優男だぜせ。初回参加に免じて、ローションたっぷり浸み込ませたスポンジじゃ駄目かいね。イッヒッヒ!!」

「何を馬鹿こいたもんだぜや。そんなの<早漏訓練>じゃん。幾らボランティア・セックス友の会って云ったって、早漏男なんて、フィリピーナ女狐軍団に、追い銭掴ませるだけじゃん。
 正当な労働の前に、正当な報酬がボーダレス世界のTPP仁義ってもんずらい。そう為りゃ、少資源国の日本男児が鍛錬して実践するのは、<遅漏の成果>ずらい。軟なお人好し日本人じゃ、ネギ・カモで日本男児の面汚し。プロの女狐フィリピーナの格好の餌食に為りまするわな。へへへ。」

「やいやい、そりぁ、行けねぇや。作戦変更で、バイアグラと道具持って行かなくちゃ。」

 歳の外観を引っ剥がせば、男族なんて物は、青鼻を垂らして居た<戯け小僧の性根丸出し>と為って仕舞うのが、精々の落ちなのである。好きの者は、通の者・通の道らしく、思わず、口にした物を吐き出しかねない、実践講座の盛り上がりに為って終った。

 いやはや、こりゃ、まるで変態プレーの報告会じゃ、ゴザンせんかい・・・同席も考え直さなければ為らない暴露爆笑の態で在る。座の話題は益々快調に進んで、夜陰に乗じてのバンカーポート乗り付けでの<浜辺交渉の説明>に入る。何しろ・・・未経験者には、肝心事であるから、幾つかの質問が矢継ぎ早に出る始末である。

 さぁさぁ、年功序列型の奥ゆかし派のゴタ句を遮って、ロリータ愛好者の好人物優しくモテ男のKちゃんが、ニヤニヤ顔の説明役を買って出る。

「そんな物、早い者勝ちだよ。何を言ってるだい。年功序列なんて、そんな消極的な事で、快感爆発なんて出来ないじゃないの。この会は、気兼ね、ゴマスリは御法度の会だよ。1番、5番,13番って、もう、そう為ったら、直感の挙手、抱き締めに決まってるじゃ無いさね。選択の成功、不成功は、翌朝の朝飯の顔見りゃ、一発だいね。イッヒッヒ。

 四の五の考えてたら、ジャンケンポンの外れクジでしょうが。好くしたもんで、人間には、人其々の好みの違いが在って、有難いゴットハンドのお力が作用して居る物だわさ。ねぇ~。」

「そうだよ。恋人、嫁さんを選ぶ訳じゃあるまいし、観光マネーを現地に落して来るボランティア・セックスのり一環だんね。そんなショート・バカンスに、私情・ゴマスリ下心の四の五の選択なんて、<愚の骨頂>だよ。馬鹿に為り切らなくちゃ、太陽カンカンの南国ショート・バカンスは、楽しい思い出の一助には為らんわね。」

「あいあい、そうだんね。日本人だけがしてる訳じゃないわね。白人も、韓国人も、中国人も、皆、同じ事してあるよ。日本のマスコミ顰蹙報道、あれ、嘘あるよ。したい人、させる人、これ魚心に水心。需要と供給のバランスあるよ。恥ずかしいの気持ち、あなた必要無いあるよ。商売、商売あるよ。何処の国にもある事よ。何も心配要らない。スケベに正直、これ、一番大事な心あるよ。アハハのハあるよ。」

 やいやい、?ちゃんの偽中国人口調が出て来て、ベテラン勢の出番炸裂状況である。

「そうだんね。非日常に日常感覚を持ち出して、如何するだいね。日常は日常で、区別して行動するのが、人間の真面目さだいね。ギャハハ!!」

「そう云う物ですかね。社長。」

「そうだよ。決まってるじゃん。遊びは遊びのフラット付き合いが、この会の真骨頂だよ。だから、何十年も続いて来た旅行無尽の会せ。遊びの女の取り合い位で、ギクシャクする様な狭い料簡だと、会の趣旨を履き違えて居る小物だんね。

 した、しないで、人格が変わる訳じゃないし、夜を除けば、白人英国人が開いた西洋風の明るい半月状のホワイトビーチで、ホエール・ウォッチング、シュノーケリング、ジェット・スキーの仲間遊び。自分の金で遊ぶんだから、相互に満足して、信用と親睦を図るのが、仲間の連帯意識の醸成だんね。ハチャメチャ遣って、そのハチャメチャさの中に、自然と出て来るのが人間の味さね。アハハ。」

 いやはや、抱腹絶笑の悪ガキの経時変化の為れの果てとは、傑作な眺めでもある。弟の東京に居る娘も参加して、総勢13名のショート・バカンスとの事である。




心何処ーショート 春分の日、吾には盆と正月の半日であった。
       春分の日、吾には、盆と正月の半日で在った。(3/20/12)
 春分の日がマイナス6℃とは、参りましたわな。昨夜は、よくトイレに行ったものである。些か、寝足らない次第である。寝床から抜け出るのが如何にも億劫で、寝床でラジオを聞いて居た。

 ラジオビタミンも、もうすぐ終わるとの事。<生命の会話>の最終回の思い出に残る話をしている。男族同士の話であるから、男の私には至極スーと入って来る。矢張り、女族が入らないと、男族と云う物は女族への持ち上げ、サービス口調が無いから、同族の話としては<女族には失礼>ではあるが、好い雰囲気で淡々と話を交わしている。それでも、余計な物が入って居ないから、其々の性格、心境などの人柄がストレートに伝わって来る。従って、差し引き算の面倒が無く、聞く方としても、素直な気持ちで、ウンウンと頷きながら二人のトークを愉しむ事が出来る。

 まあ、別も真為りであるから、女は女族同士で少なからず、そんな気分・気持ちにも為るのであろう。

 倅ファミリーが来るから、少々念入りに掃除をして遅い朝飯を食べる。倅から電話が来て、後30程度で着くからとの連絡が入る。私のコタツ部屋に、漬け物、お茶の用意をして、灯油スーブに火を付けて置く。

 驚いた事に、二ヵ月半振りに見る孫は、ヨチヨチ歩きをしている。老母は、もうもう、大喜びの態で、涎を垂らさんばかりの華やぎ振りである。オヤジの墓参りは大賑わいの様子だったとの事。

 倅、嫁さんに、私の正直な空回りに次ぐ空回り<情け無し>の現在の心境を語り、好い意味での濃い身内話が出来て、私としては満足の感で在った。倅ファミリーは半日を過ごして、和気あいあいの内に帰って行った。

 さあさぁ、お次は、飲み会が控えて御座る。自転車での街場であるから、文房具店で、シェーファー、パーカーの万年筆、ボールペンのカートレッジ・インクを買って行く事にする。

 会場には、皆さんお揃いであった。Tは電車で来たとの事である。初顔合わせは、お三方であるから、勝手知ったるハチャメチャ旅行無尽の会であるから、酒が入っても入らなくても、共通過去の棚卸三昧で、四年のブランクなど、<屁の河童の大宴会>と為って終った。

 いやいや、破天荒を地で行く番から男子高OBの旅の恥の掻き捨て漫談を、其々がガンガン言って、ゲラゲラ、ド助平、変態、好き者の大エール交歓会である。本当は其の儘ズバリの不良旅行の実況報告をしたい処ではあるが、それは自戒の次回に譲る事にして、その一端を、現実のフィリピィン・ボラカイ紀行とする事にしようと思う次第である。

 午後からは、盆と正月が一緒に来た程の楽しい愉しい10時間余であった。

 哀しいかな、無職の年金生活者である、名刺代わりに、絵ファイルを二冊持参したから、端からすっかり盛り上がって終った。
 シンメンバーさん達には聞いてはいたが、ご舎弟の社長さんには、とんでもない兄貴が居られたとの驚愕の実態であったとの事である。世に稀な、とんでもない兄弟との実感を深めたとの事である。

 私としては、冗談じゃないわさ。人間の原罪を世の好い加減世相を代表して心底、悔い改めて一人剃髪して、市井の片隅で人畜無害の霞みロートルをして居る私を、とっ捕まえて、言うに事欠いて『ジョレン魔羅』『精力絶倫』『4Pイン・ラッシャ』の色魔は有りますまいに。異口同音に、<常識外れ>呼ばわりされて、全く以って、私は酒のツマミにされ放題で、立つ瀬が御座いませんわね。

 お開き後のメイテイの熱る身体で、深夜の上り勾配を重いペダルをヒィコラ、何だ坂、こんだ坂と、男の意地のノンストップ走行で、帰宅した次第である。

 いやはや、<吾思う吾と、人思う吾の、その乖離の殊の他の大きさ>に、まだまだ、修行の足らぬ未熟者の悲哀に、つくづくと出るは溜息ばかりである。とほほ。

 ふぅ~、如何にかこうにか、超特急で本日分ブログに滑り込みセーフの段である。

心何処ーショート 長散歩と墓参り
                 長散歩と墓参り(3/19/12)
 土曜は、終日の雨であった。一区切り付いたから、ジャンバーを着て散歩に赴く。曇天黒雲にして、近くの山には霧が巻いて居る。春が見たく為って、途中から田んぼの中のあぜ道を行く。枯れ草の中に地にへばり付く様にして、春一番の小草の緑が顔を覗かせている。人の居ない田んぼ、畑の風景に目を遣りながら、周囲の宅地、山の風情を愉しむ。

 通りを横断して、集落の中を歩く。車が止まって、40代の夫婦者が下りて来て、玄関を素通りして庭に回り<婆さん、居るか~。>と声を掛けて居る。本日日曜日であるから、息子夫婦が、母親の顔を見に来たのであろう。へへへ、普段着の好い光景である。

 そんな集落を抜けて、広い農道の一本道を行く。大分歩いて来たから、ジャンバー、手袋、毛糸の帽子を脱いでのテクテク歩きである。霧雨が、汗ばんだ顔を冷やして呉れて、好い気持ちである。道の半ばで、左折して次の集落の端の道を歩く。農業用水のU字溝を流れる水は、二日続きの雨で、勢い良く流れ下って居る。梅の蕾は、まだまだ小さいが、花の色を覗かせて、大分大きく為って来て居る。

 この先には、フキノトウが顔を出す場所が在った。雨を吸った黒土の中に、早出のフキノトウが、薄い黄緑色のぷっくり膨らんだ親指大の形で、幾つか顔を出して居た。取ろうとするが、可笑しな事に取れない。まぁ、数も少ないのであるから、無理をしても仕方が無いと思い直し、手に付いたフキノトウの臭いを嗅いで、土に汚れた手をU字溝の冷たい水で洗う。

 降るか降らないか、お天気具合は微妙な処である。何時もの幹線道路に出て、少し引き返す。道路下の川沿いに、田んぼが続く一帯が在る。丁度、早落ち城址の対岸に当たる一帯である。其処へは道路下の小さなトンネルを、潜らなければ行けないのである。好く釣りに来ていた場所であるから、川の様子をチェックして行くのも好かろうと思ったのである。

 川原に生い茂って、釣りの邪魔をして居たニセアカシアの林は、綺麗に伐採されて、クルミの木が残っているだけで、早落ち城址を頂いた迫り出しの丘陵をバックに、川の流れと伐採された空間、昔ながらの段差のある小さな田んぼの続きが良くマッチして居る・・・此処は、田舎の原風景を、ポッとタイムスリップさせた様な雰囲気に溢れる一帯である。

 明るく見通しの利く好ロケーションは、空からも同様なのであろう。上空から、トンビより小型の鷹が飛んで来た。翼には白い個所が在る。そして、クルミの木に止まった。その距離60~70m位だろうか・・・鷹に遭遇出来るのは、年に一、二度位なものである。希少の遭遇に、双眼鏡が欲しい処ではあるが、持って来なかったのが残念至極の舌打ちなのである。

 増水した早瀬の流れではあるが、見るからに大物が潜んで居そうな好ポイントが、5~6か所あった。幸い、雨は降りそうも無い。細い野道を抜けて、長散歩正規ルートの折り返し点H橋を渡って、早落ち城址下の緩いカーブの道の下り勾配を、山肌の木々の中に野鳥の姿を探しながら歩く。おやおや、ジョービタキのメスである。未だ、帰らずに居たのか。チィ、チィと、シジューカラ、ホウジロが小さく枝を渡って行く。好いですなぁ~。

 下から、毛糸の帽子に黄色のジャンパー姿の犬散歩の婦人が遣って来る。連れて居るのは、黒い小太りの<タヌキ犬>では無いか。

「おっ、その犬は、タヌキ犬。」と声を描けると、化粧気の無い気さくで好感度の奥さんが、ニコニコして応じて下された。

「去年の夏頃でしたかね。時々、ブログ読んでますよ。色々、お書きに為ってるんですね。犬の事を書いて下さったから、東京に居る息子に教えて遣ったんですよ。そしたら、犬に逢いたい逢いたいって、電話くれました。嬉しくて、書き込みしようと思ったんですよ。おほほ。」

「そうですか。遠慮しないで、ズケズケ書いて下さいよ。何しろ、私のは、不人気ブログで、<閑古鳥が泣いてるブログ>ですからね。へへへ、内容は、戯けと好色満載の活字オンリーです。マイ・ギャラリーをクリックすると、顰蹙戯け画のオンパレードに為ってますから、笑って行って下さいよ。」

「見てます、見てます。それも、楽しく拝見させて貰ってますよ。あれって、色鉛筆ですよね。中々、ご趣味が広くて、羨ましいですよ。」

「いえいえ、95の婆さんとの二人暮らしで、暇に飽かして呆け防止を遣ってるんですわ。アハハ。」

 散歩中に、こんな思いがけずの会話が出来るとは、正に幸甚の極みである。犬も歩けば棒に当たるの高揚感に満たされて、大カーヴの先は、広い農道一本道をパスして、山に沿っての小道を進む。苔の緑が何んとも云えぬ柔らかにして優しい緑を呈している。

 今日は山の苔を手土産に帰るとしよう。途中でレジ袋を拾って、真面目に入れて行く。グ~と下りて来て、河川敷の道を行けば、石垣に小さな苔ビロードの群生である。レジ袋一杯の苔を入れて、庭の独鈷周りに、それらを配す。意外と、苔は根付かず、その歩留まりは、精々が30~40%と云った処であろうか。

 明けて本日。明日は倅夫婦が来て、夜は飲み会である。風呂に入って洗濯をして、オヤジの墓参りに行って来るべしである。晴れ間のお天道さんの輝きではあるが、風が兎に角寒い限りである。周囲のお山には、グルリと雪の等高線であるから、今年のお彼岸は困ったものである。仏壇にも花、供え物をして、燈明付けて、線香で、チィーン、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏である。

 動けぬ老妻・老母殿は、仏壇をじっと見詰て、何思うの姿である。昔人間であるから、仏壇のオヤジと夫婦の会話をして居るのかも知れぬ。邪魔をしては悪いから、私は自室に戻る。


心何処ーショート アッジァ~、長く為ってしまいました。
         アッジャ~、長く為っちゃいました。(3/18/12)
 <その1>
 風の煩さで、一番眠い朝方を失して仕舞った。大分早いが、起きる事にした。UPした短編を挿し絵入りにして、製本テープで小冊子にする。此処でウトウトして仕舞うと、大きく寝てしまうから、冷蔵庫整理にカレーでも仕込んで置く事にする。寝不足のボワンとした重い身体で、台所仕事をして居ると電話である。

 弟からである。20日PM6:30より、○○で旅行メンバーの顔合わせ、初参加組とのコミュニケーションを取りたいから、本日のスタバトーク時に、その旨、Tさんに伝えてくれとの事である。<了解。>と電話を切ろうとすると、何か機嫌が悪そうだなと言われて終った。<へへへ、鍋に火を付けて、まな板作業中だわね。>と言って遣る。弟は、思った事をニヤニヤ、ズケズケ言う。これも、彼特有の兄弟の気遣いの内なのであろう。

 今日は、終日の雨との事である。そんな話を老母にすると、四、五日なら這いずってでもする。だから一人でも心配要らない。好く遣って呉れて居るんだから、存分に羽目を外して来いとの仰せである。小鳥の世話も出来るのかと尋ねると、歩けないから無理との事である。為らば、予定通りに親孝行意思の次兄に、御出馬を要請すれば好いだけの事である。有言回避では仕方が在るまい。何事も有言実行である。

 さてさて、支度をして置いて、Tのお誘い電話を待つとしよう。そんな事をして居ると電話である。相手は業務であるから、社内マニュアルに従って丁寧な説明並びに確認である。時間が無いと言うと、流石に現代の若い女性である。早口言葉でマニュアルトークを実行して下さる。はいはい、はいはいで、お仕事に協力させて頂いて、おお、忙しい忙しいの私も特急運行であった。

「雨だねぇ~。オイさんは起きたかや。」
「何、雨だ。えれぇ田舎に住んでるじゃ無ぇか。俺っちの方は、止んだぜや。」
「あいあい、そうかいね。これから、そっちに拡がって行くだいね。あい~。」

 外で餌吹きをして居ると、またまた、降って来た。雨日の夜は暖かいが、お天道さんが無いと昼が寒いし、気が滅入る。絵ファイルと交換用の夢奇譚綴りを持って、Tの車に乗り込む。健忘症の脳軟化道中の行進で在るから、忘れぬ内に、弟からの伝言をする。へへへ、これで、後は私の責任は無い。おやおや、フロントに叩き付ける雨模様は、こりぁ、本降りの沙汰ではないか。これで、散歩サボリの口実が出来たと云う物である。

 本日トークの皮切りに、絵ファイルを拡げると、金髪裸女の下の眼鏡顔の好色性に大注目をするから、<馬鹿野郎、モデルはTだ。>と言って遣ると、野郎は、<そうじゃあるめぃ。>と言い逃れをする。

「此処に疣付けてゴマ塩のヘヤーを描き込めば、モンタージュ絵に為っちまうだろう。俺だって、人間だ。武士の情けで、其処までは出来んから、好みの女に向ける眼鏡の中の助平本性を活写して遣ってんじゃねぇか。何だったら、印刷して細君にプレゼントして遣らっか。そうすりぁ、ピッタンコ賞に有り付けるぜや。あい~。」

「ほぅ、そうかい。でも、あはは。この絵の芯は、この眼鏡の中の好色目には違い無ぇわな。まぁ、好くも、こう云う発想が出て来るもんだわな。チョチョイのチョイで、スラスラこんな戯け画を描けるとは、それも或る種の才能だわな。遣ってて、楽しいだろう。羨ましいぜや。」

「あいあい、そりぁ、そうせ。物語をデッチ上げて、その挿絵を如何すべぇや・・・とかさ、物語の停滞が在る時には、絵を描いて、その絵から妄想力を貰う事もある。如何だい、この狼咆哮図なんて、中々のもんだろうが? 言って見りゃ、自画自賛図だいね。アハハ。」

「さっきから気に為って居たんだが、口の中に、太古のコカコーラが入ってるのか?」

「コンニャロー、馬鹿にしやがって、この黒い所は狼の鼻で、赤いのは口の中の色じゃねぇか。ナロメ、好く言ってくれるじゃねぇか。ッタック、もう、相手にしねぇよ。スタバスタッフさんの登場だから、チョイと反応を見るわ。」

 スタッフさん中の一番の若さであるから、若しかしたら学生アルバイトさんかも知れぬ。イッヒッヒ。飛んで火に入るサービス業である。デカイ声じゃ言えないが、ファイルには、第八部の穴恥ずかしの<バカ>図が入っているのである。

 Tのヤツは、毎度の私の戯け発露であるから、Rのまた悪い癖が始まったと、<匙投げの顔付>である。煩い、その位の蔑み目線にオタオタしていたら、趣味の愉しみが出来んわさ。

 ファイルを手渡されて、<第七部・ユカ半島マヤの地にて>のインディオ世界の挿絵からである。さあさぁ、頁を捲って行き為され・・・ 彼女の目線・反応を見上げるのは、好色ロートル・ヤクザもどきの舌なめずり視線で在る事は、紛れも無い魂胆なのである。イッヒッヒ~。

 Tと私にとっては、これは広義の意味でのセクハラ観賞なのではあるが、相手は現代娘さんからすれば、そんな物は<お茶の子さいさい>の含み笑い澄ました顔での通過エチケットなのである。視線の先と『ウッ、』『オッ』のコンマ秒の刹那を観賞するのが、ヤクザもどきのロートル観賞の刹那的観賞の瞬間なのである。ギャハハ!!

 尤も、毎週土曜日のロートル・コンビは、常連客の末席を占拠して居るのであるから、スタッフさん達には、周知の徹底振りなのである。従って、<好んで飛び込む客とスタッフのコミュニケーション> 即ち、何秒かの思わず綻ぶ笑いの吹き出物なのである。

「いやいやぁ、何時も明るいユーモアたっぷりのカラフル・アートを見させて頂いて、何んとコメントして好いのやら・・・ フフフ。ごゆっくりして行って下さい。また、お願いします。」

 Tの野郎は、<私の褌>で歳甲斐も無く笑い転げている有り様である。斯様にして、広義のセクハラも肛門SHOW→口問笑とも為るのである。ってな物である。屁、へ、へ。

 <その2>
 さて、本日のメイン・トークである。昨日は夕食時のテレビは、面白い物が無かったから、チャンネルを次々と変えて行くと、教育テレビで『中学日記』を遣って居たので、『ドラマは時代を写す』でもある。そんな時代比較の魂胆で、何十年か振りに見た次第である。

 若い頃、私は名古屋局制作のこの番組の大ファンで、欠かさずに見て居た好番組で在った。ズングリむっくりの口髭を生やした<美術教師役の役者さん>が、真に以って良い味を出して居られた。その当時、<大草原の小さな吾が家>も、奥さん役の美形さん(グラン・キャセル?)の大ファンで在った。中学生日記は、主役の先生役者が交代して、魅力を感じなく為って、その内、興味を失くして仕舞った。

 何十年振りかの中学生日記は、すっかり切り口の切り込み方が変わって終って、若い担任教師の言動には、違和感満載の理解不能域で、付いて行く事が出来ずに、途中で見るのを止めようとした。それでも、時代比較も勉強と思い、他の番組よりマシだったので我慢してお付き合いした次第である。

 と云うよりも、父親入院中の<魚屋の娘>を演じる少女に、これは中々の読解力と感性の持ち主だと見て、彼女に注目して見て居たのである。良い演技をして呉れた娘さんである。彼女には、拍手喝采を贈呈しても、充分余りある将来有望な演技派女優に成るやも知れぬ。そう直感した。

      然しながら、このドラマの好い加減さには、本当に腹が立った。

 このドラマの演出者は、言葉だけに依る説得性の有限性・欺瞞性を承知して居る癖に、大人(教師)の優等生的正当性だけで逃げて居る。感情に依る行為・行動の説得力には、『表現力・伝達力』としての外形的肉体的力の行使と一体と為って居る時に限って、説得力、抑制力が発揮出来ると云う現実を、<法律・規則面の理>の中に収めて、一サラリーマンの保身とでも言いたい程の教師責任の範囲内で収めようとしている。

 当然に一人の人間の手に依る物語の構成には、自分の中に在る考え、思いを、或る程度分離独立させて、其々の側面を登場人物の設定として、位置付けて部分表現をさせて居る。ドラマは、そんな分業システムの意識的過ぎる程の形を取って、結果として総合的な一つの目指す物へと集合させて行くスタイルを取って居る。それがドラマの演出方法である。

 然しながら、そんな杓子定規な人間など、一人も居ないと云うのが人間の本態である。悪人の内部にも、善人の部分が併存するし、善人の内部にも、悪人の部分が併存する。それ等が渾然一体として居るのが、人間の日常の姿でしかあるまい。
 説得、発信の一便法として、際立ちの構成が、登場人物の誇張でしかない。元来渾然一体の物を、敢えて分離独立体の物として表現発信して、<人為的なデフォルメの世界>を見せる・・・そんな制作者、演出者の欺瞞性が、真に以って後味の悪さが残って終った次第である。

 教師の生徒への強制力・体罰への社会からの風当たりを避ける為に、在ろう事か、その役目を、苛め被害者の同級生同士の、然かも女子生徒が男子生徒を、叩いた叩いて、殴って殴って、『死ぬな、死ぬな、死んだら、この痛さも感じないんだよ。生きるんだ、戦うんだよ。一人じゃないんだよ。馬鹿野郎、馬鹿野郎。』と必至の表現・伝達力の行使をさせているのである。

 これは、正に待った無しの緊迫ドラマ。毎日苛め抜かれて、卒業式の日に<自殺予告>をしている生徒と担任教師の切迫ドラマなのである。本来ならば、職を賭してでも、身を張って『断固自殺回避役』をしなければ為らないのに、言葉だけに頼る説得に終わらせているのである。

 表現・伝達力の要素から、言葉と或る切迫した場合での抑止力と為らざるを得ない外形的物理的力を分離させながら、他者の手(同級生の魚屋の娘の手)を借りる事で、時と場合に依っての外形的物理的力の行使・有効性を認めて居るのである。従って、無垢の視聴者を掌で転がして居る作者・演出者の傲慢臭が、プンプンと悪臭を漂わせるのである。

 こんな遣り方は、論理の要素分析上から割り出された机上の認識でしかあるまい。理性と感情が、まるで数学、物理の如く、分離独立させて取り出す事が出来ると考えている異常者の行為行動としか言い様が無いではないか。
 理性と感情は、決して分離独立して作用する性質の物では決してあるまい。択一する事など不可能な人間の葛藤の世界の作用であろうが。理性を優先させて得られる満足も在れば、感情を優先させて得られる満足も、人間には、等しく存在して居るのである。

 結論的に言えば、此処にある物は、大人社会の欺瞞性の露呈でしかあるまい。<笑止千万の猿知恵>である。担任教師がこの体たらくの中に在っては、何をかや言わんかである。

 世の中、色に走り、金に走り放し。間男に間女、浮気・不倫に離婚、親殺し、子殺し、家殺し、嫉妬、ストーカー殺人、復讐殺人、保険金殺人、苛め自殺、孤独死、詐欺、身勝手幸福追求の自己中心主義の蔓延・・・etc これって、理性の言葉だけで説得出来るんでしょうかね。

 アングルを変えれば、賛同・拍手はするが、火中の栗は拾いたくは無い。詰まりは臆病者の吾関せずのスマート傍観者の蔓延沙汰では無いか。

 これが、現代の個人・組織の有限性・無関心の温床である事を、作り手は十分に認識して居るにも拘らず、罪を伴なう行為に対して、直接手を下さないと云う<不作為の傍観者>から一歩も踏み込まないで居る。<義を見て、助けざるは勇無き者。>の誹りを受けもしないし、恥とも思わない。
 自分自身を絶えずフリーハンドの自由人の偽善・欺瞞服を着て居たいから、不作為の傍観者の位置に保って置きたいから、殊更に、他人を善悪の対象として代理させている。ヒーロー、ヒロインを作り上げ、非道の悪魔・悪人・人非人を作り上げ、拍手喝采と罵詈雑言を叩き付けて、自分はコロシアムの観劇人で扇子を仰いで居る。この社会風潮こそが、現代人を覆う無機質にして欺瞞体質社会である事を、心の中で承知して居る筈なのに・・・

 魚屋の娘さんよ。あなたは素晴らしい。良い女優さんに成り為され。役者は顔だけじゃないよ。存在感だよ。あなたは、良い目付きしてるよ。役柄を演じるだけでは堪能しない明瞭な脳と感性の鋭さを、併せ持った者の眼を確りと持って居なさるよ。頑張り為され。

 他者、周囲への感受性、観察の鈍感さ。この狡猾なる欺瞞性は、一体何処から来るのだろうか。倫理、条理、社会常識、恥の概念の衰退した法治国家とは、何ぞや。最低ルールの法律ばかりに個人の保身を築く社会は、正に欺瞞に満ちた放置国家・放置社会・放置家庭でしかあるまい。

 少しは苦しくても、歯を食いしばって『人の道を』歩む葛藤と苦労を、自分の鍛錬として自分のアイデンティティにして見遣がれってものである。法律条文を読む前に、手前の胸に手を当てて、真っ当さに就いての自問自答力を鍛え直す事が、先決だろうが。

 へへへ、こんなトークに為って仕舞うと、<番から男子高の意気>は盛んと為って仕舞う単細胞コンビである。お役御免のロートル、爺っさは、この位のクダを巻かないと孤独死にまっしぐらと為って仕舞うのである。

 さてさて、パッパ切れと膀胱満タンである。連れションをして、降り頻る雨にくすんだ煙草の煙を吐いて、ホームセンター、スーパーへと賄い夫買い物をして行く。

 こんな日には、太陽燦々ボラカイのライトブルーの海に浮かぶカラフル帆と白いビーチ、白人女の股間に喰い込む超ビキニ、ロブスターに舌鼓を打って、明るく洒落た観覧車の目抜き通りをビールなどを飲んでの助平歩きを思い出して、ホテル横のマッサージ棟でのTとの好色話にウツツを抜かして、客の白人女のタオルの端から覗く胸の膨らみ、形を目配せして、ニヤける。旅は恥の掻き捨て、臍下三寸、全くの違人格。イッヒッヒ。円高、大いに結構じゃないのさ。

     嗚呼、とことん羽目を外して、ノンビリしたい物である。

 Tは、そんな旅行前の日数をニヤニヤ、ニタニタと待つのが愉しみなのだと言うから、いやはや、私とは比較に為らない程の助平オヤジの脳内持ち主なのである。


夢奇譚・第九部 <ギュンとクンの伝説>の地にて
               第九部・挿絵前飾り                 
                太古の樹海
吠える_001出現す!!いざ~、ぬぬ。_001一蓮托生


         夢奇譚・第九部 ギュンとクンの伝説の地を訪ねて。
 <その1>
 一本の河川が、中天の太陽に反射して、鉛色の流れを南から北へ大きく蛇行させている。広い盆地は、西の荒々しいまでの高く屹立した連峯の南北縦貫と、東のなだらか線で累々と描かれる山岳と、北から押し出された様な丘陵続きの低い山々で囲まれて居る。煩い程の蝉時雨れの中で四方の山脈の頭上には、巨人の力瘤をムクムクと重ね合わせる真っ白な積乱雲が、幾つも、幾つも湧き立って居る。

 真っ青な空、純白の積乱雲、山岳に雪の彫刻を施した青、緑の下、盆地は緑為す樹海の広がりの中に、鉛色に反射する蛇行が北に延びる。

 雄大な重量感・・・静かで・・・西に聳え立つ父性の稜線の縦貫と、東の幾重にも稜線を織り込んだ母性の緑豊かな山肌の繋がりと大きさ・・・これら全てが、私には中には、既知感として在った。

 私の居る位置は、東山山系と西山山系のやや東寄りに位置して、北へ延びる丘陵山系の南端である。そして、緩い傾斜地帯の灌木と広葉樹、松が混在する林の中である。四方が山々また山々の標高の高い盆地であるから、幾筋もの小河川が谷を縫い、平地で合流して、次の合流と繋ぎ合って、河川の規模を成長させて、南から北へ流れを運んで居る。緑の広大な盆地は、北に向かって勾配を緩めて居るのだろう。川幅を広げて蛇行する流れの中に、幾つかの中洲の緑地帯を見せても居る。

 既知感は、眺望の中で確かさを増して行く。これは、人間と狼が作り上げた<ギュンとクンの伝説>に登場する舞台である。間違い無い既知感である。

 その後の伝説の舞台は、如何様な変化、進化を遂げて居るのだろうか・・・興味と期待がそそられる。広大な緑為す樹海に、風が起こり、流れる様は、茫洋とした大海原を渡る風が、波を、光の輝きを運ぶ様と同様に、緑の樹海を吹き渡る波のエネルギーの広大さをも伝える眺めである。

 眼下に広がる緑の樹海は、狼の群れが守る世界なのであるから、私の存在は遅かれ早かれ、統率の採れた彼等のパトロール網に察知されるだろう。ギュンの末裔である私の血の中にも、出自を同じくする臭いが、幾分なりとも残って居る筈である。犬の嗅覚は、人間の100倍以上も鋭いとの事でもある。相手は、縄文時代の森林灰色狼クンの群れの血筋達なのである。その野生の嗅覚は、遙かに犬属を凌駕して余りある処であろう。

★これは、夢奇譚第九部の序章に違いなかろう。どんな世界が待ち受けて居るのか。
         ポケットの煙草を出して、火を点ける。
 
 山を覆い尽くす広葉樹と松の林の下には、山ツツジとか名前の知らない灌木の茂み、雑草などが生い茂って居る。私はさほど高くは無い丘陵級の山々が重なり合う、この場所から下り易い地形を選んで樹海に入る事にする。

 少し大回りに為るが、そのルートを辿れば目指そうとする河は、南から下る本流に西からの川がYの字を横にした形で合流して、この丘陵が走る線に沿って、北へ長々と緩やかに流れる広い流域を見せて居る中間辺りに下りられるからである。地形の勾配の緩やか為るを以って、川幅を広げた河川域には幾つもの中洲が続いて居る。

 きっと、その中洲の一つが、ギュンとクンが幾多の放浪の末に、安住の地として築き上げて行った舞台に違いあるまい。ルートが決まったから、その方に歩き出す。ギラ付く夏の太陽は、乾いた山肌に熱く、草いきれが強く臭う。噴き出す汗を手の甲で拭いながら、蝉時雨れの中を歩く。地面を、大きな黒アリが、忙しげに動き回って居る。時折吹き抜ける山風の涼風に、ホッとはする物の・・・盛夏の暑さは、苦役でもある。

 <その2>
 鬱蒼とした樹海の中では、現当主のヒュンとインとは、上手く行って居なかった。それは、無理からぬ変化の現れでもあった。

 初代入植者のギュンとクンから数えて何代目に当たるのかは分からないが・・・歩く事も覚束なかった孤児狼のクンを親代わりに育てた経緯もあって、絶えず一緒で寝食を共にした来たギュンとクンの関係は、特異な関係であった。
 言って見れば、クンの存在は、ギュンの刷り込みの上に在った。寝食を共にして、理想の土地を求めて流離って居た人間と狼の間には、知らず知らずの内にも以心伝心による、お互いの表情のコミュニケーションが存在して居たのである。彼等に在る要素としては、極端なほどの<属個体的要素>で成立して居た『特殊な関係』であったと云えるのだろう。

 それが人間も狼も複数、多数の中に存在して、代が代わって行くに連れ、変化して行くのは、致し方の無い自然の流れなのである。ギュンとクンが、彼等としたら極自然な形で築き上げて来た樹海の人間と狼の協働体は、人間主体の上下の分化傾向に在った。

 今やイン率いる狼の群れは、縄張りの監視役といざと云う時の傭兵・用心棒業務に分化、固定化の方向性に向かって居た。インの不満は、正にそこに在った。ギュンとクンは、人間と狼のコミュニケーションと以心伝心の情の重なり合い、通い合いの醸成・維持を図って居た。

 確かに、ギュンは家族を持ってからも、交流・交易による人間関係の広がりと長としての仕事が大きなウエートを持って来ても、家族と離れて<初心忘れず>を実行して居た。狼クンの群れと定期的な狩り行動をして居たのである。
 集団で獲物を求めて、集団で空腹と渇きに堪え、集団の協働で獲物を追い詰め、倒し、分配する。そんな風にして、ギュンとクンは何日も行動を共にして居たのである。人間と狼であるからこその、コミュニケーションの『これこそが、自分達の原点』を実践して居たのである。

 ギュンとクンとの間には、相互の信頼感の確認が在ったし、世代交代の速さは狼の方が圧倒的に早かったから、次世代を担う狼達に、ギュンとクンが身を以って人間と狼の協働体を醸成・維持させて行く訓えを伝えて行く為でもあった。子供が大きくなると、ギュンは子供も連れて、狼の群れの中で行動を共にして見せたのであった。何日かの群れ行動に在っては、全てが同格同士の協働行動・自給自足の狩り行動であった。

 そんな理想郷を築き上げたギュンとクンの言い伝えに、インは今の人間と狼の関係に、将来に向けての不安と疑問を持ち続けて居るのであった。上、下流域との交流で市が立ち、それが恒常化して来ると、言葉と云う媒体を持つ人間と、その媒体が無い狼との差異は、歴然として協働から、上下関係の分化、固定化がして行く。

<このままだと、誇り高き狼の血は廃れ、安易の生に迎合する番犬化に突き進む。>

 インは、クンから伝わるギュンとクンの同格の付き合いであった人間と狼の協働体を懐かしくも、理想郷と考えて居た。インの遠吠えには、時としてそんな人間界への、仲間への哀しさと苛立たしさ、嘗て存在したと云う理想郷への渇きが、相半ばして聞こえる事がしばしばあった。

    そんな或る日、インの脳裏に、或る声がはっきり聞こえた。

「インよ。お前の、その想いは当然の想い、嘆き。その声、聞き届けよう。次の満月を待つが好い。一人の男を遣わそう。その男は、私の末裔の一人だ。その男に胸の内を、話すが良い。行動を共にするが良い。

 この言葉が本当の証に、森の例の場所に赤い丸の付いた布、赤い長い布、刀、一頭の馬を置いて示す事にしよう。」

       インには、その声は、ギュンとクンの声に聞こえた。

 次の日、インは、その森に行った。欝蒼とした森の奥、一際古色蒼然さを体現している様なブナの大木が数本枝を重ね合う所、地上に近い枝に、赤い丸の付いた布が、蝉時雨と吹き抜ける涼風に揺れて居た。インは、ジャンプして布を取った。

        その布には、人間と狼の臭いが等しくした。

 それはまだ嗅いだ事の無い臭いであったが、何故か懐かしい臭いであった。伝説のギュンとクンの臭いだと確信した。インは厳かな物に対する様に、口と前足を使ってその布を人間がする様に畳んで、ブナの大木の洞の中に入れて、丁寧に落ち葉で隠した。

 次の日は、その洞の中に、赤い長い布が在った。前日と同様に、インは布を口で咥えて奇麗に畳んで、中に入れた。そして、落ち葉で上を覆った。

 次の日は、黒塗りの日本刀が大小一振り、洞の中に掛かって居た。満月の日は、後二日であった。<その男は、私の末裔の一人だ。>の言葉の意味がインには如何考えても、解せなかった。それが本当なら、男は未来から来る事に為る。何十万年、何万年、何千年と不変の悠久の時の中にある様な時代区分の中に位置する時代である。

 過去・現在・未来の概念など、その当時の人間にも分かろう筈も無い。そんな時代の狼インであった。

 それでも、洞の中には、声のお告げが本当である事を示す内容物が、一日一つづつ姿を現すのであるから、インにとっては神の手に依る物として、ギュンとクンへの畏怖と崇拝の念が愈々以って、確信的、絶対的に募るだけであった。

  今まで見た事も無い進んだ物である事は、紛れも無い現実の物であった。

 それは、未知の物への衝撃の走りと云って良かろう。その衝撃について、考えるなと云っても、それは無理な話である。インは好むと好まざるで、気が付けば、何かを考え様として居る自分自身を知るまでの事であった。全くの未知については、考え、想像する材料すら持ち合せて居ないのであるから、思考回路が繋がる訳は無いのである。その・・・思考回路が繋がらないと云うもどかしさが、未知への効果の無い足掻きの堂々巡りに陥らせるのであった。

 満月の前日には、灰色地に黒い小斑をあしらった馬が、ブナの大木の下に繋がれて居た。インは配下の狼を一頭、見張り役兼警護役として、森に置いたのであった。

 そして、遂にその日が遣って来た。ギュンの末裔と云う、その男は、一体何処から姿を現すのか・・・インは、選りすぐった配下の狼達に、不思議な男の出現を訓示して、粗相の無い出迎えを号令した。そして、自らは数頭を伴って、勘の働く処の盆地の北半分に丘陵の山々を迫り出した南の地帯で、その男の出現を待って居たのである。

 <その3>
 何分も歩いて居ないのに、山林の斜面に早くも、大きな灰色狼の姿が現れた。黒味を帯びた艶々した毛並みである。狼は私を見ても、威嚇する訳でも姿を消す訳でも無く、どちらかと云うとスルスルと音を忍ばせて、距離を縮めて来る。それも、私との距離を2~3mに保って、暫く斜面上方の位置で並行歩行をしている様子なのである。

 そんな位置と距離の間隔での並行歩行であるから、お互いに目が合うし、お互いが発散させて居るだろう空気を読み合う事も出来る。狼には不思議な事に私に対する敵愾心・警戒心の様な物は、一切感じられなかった。実物の野生狼を見たのは、初めてである。

 凛々しく立派な狼・・・野生の崇高ささえも感じられる次第である。野生の崇高さの前に、私には何故か恐怖感は無かった。

 ブログに何度か、小さい頃に見守られて遊んで居た大型犬エスの事を打った次第ではあるが、・・・ 私には、そんな目上の者に対する感じさえ、その狼に持ち始めて居た。

 それで、私は立ち止まって口笛を吹いて、狼を見る。すると、狼は頭を低くして、知り合いの仲間に近付く様な恰好で太い尾を下げたままで、私の所に近付いて来たのである。それは狼の態度と云うよりも、飼い犬の雰囲気・・・否、距離を置いた好意的野生と云った方が、寄り近い。・・・そんな雰囲気すら窺えた。股間の性別を見ると、雄狼であった。

 彼は私の臭いを正面から嗅ぐと、一回り私の臭いを嗅ぎ回る行動をした後、再び私の正面に来て、頭を低くして親しみを込めた目付きで、瞼を軽く二、三度閉じたり開いたりして、私の目を見て居るのである。

 私はゆっくりと右手を差し伸べて、その頭に軽く置いて、金色の中の黒い瞳を見ながら頭から鼻へ、軽くゆっくりと二、三度撫で下ろす。そして、その手を口元にゆっくり移動させて、口の前で止めて見る。雄狼の眼は、穏やかにして呼吸も穏やかな呼吸である。彼は私の手の甲を軽く舐めると、口を開けて私の手を軽く咥える様にして、人間の交わす握手の様な仕草を見せたのである。

 これは野生の狼である筈も無かった。人間と協働する世界を共有する<ギュンとクンの王国住人>である事の紛れも無い証左である。それも、群れを率いるリーダーの胆力と落ち着きであった。これは、<仲間入れの儀式>とでも表現するしか無い彼の意思表示の一端なのであろう。それが終わると、彼は一声、牙を向いて遠吠えを発した。

 忽ちにして、三頭の灰色狼が音も無く姿を現した。そして、ボス狼が私にしたと同様の臭い嗅ぎ行動を、一頭一頭がして行くのであった。どれも大きく、艶々した毛並みを持つ武の強者の様な雰囲気を持った『ハイグレードな狼達』であった。

 それが終わると、ボス狼が私の前を案内する様に、ゆったりとした落ち着いた歩調で歩き始めた。その歩調と落ち着いた雰囲気には、品格すら漂っている。後の三頭は、再び山の中へ姿を消して行った。きっと監視任務の持ち場に帰って行ったのだろう。

 狼の行く所は、目立たなくも歩き易いルートであった。きっとこれは、狼達の持ち場巡回の道なのかも知れない。私が想定していたルートよりズーと歩き易かった。丘陵の凹みの様な地形が、樹海の面して居た。その凹みは鬱蒼と生い茂る広葉樹の大木の森を造って居る。

 ギラ付く夏の太陽は、広葉樹の葉波に遮られて、蝉時雨の協和音の中で涼しい山風の涼に満ちて居た。ボス狼が案内した所には、広葉樹の大木の陰に、馬と狼が居た。

「ようこそ、ギュンの末裔・R。私は、クンの子孫インである。そこにある物に着替えて、馬に乗るが好い。吾等が領土に案内致そう。」

 狼がはっきり話したのである。馬は、灰色地に黒い小斑を全身にあしらった雄馬である。そこに有る物と言われても、有るのは日の丸の付いた鉢巻、赤い六尺物、一振りの日本刀の大小だけである。これも、全能の支配権を有する異次元支配者の指図する処なのであろうから、黙って従うだけである。日の丸鉢巻に肩掛けした日本刀、六尺の赤褌に小刀。靴は、私の履いて来たスニーカーである。

 まぁ、言って見れば、海を荒らし回った<倭寇>、北米草原をバッファローの群れを追った<インディアン>のシンプル過ぎるほどの恰好である。別に見合い写真、映画デビューする訳では無いから、気にしない事が、この夢奇譚を実感する秘訣なのである。早速、私は馬上の人と為る。

「さぁ、インよ。何処と為りと案内せよ。」
「行くぞ。R。」
「オゥさ。」

 と応じて、私はスニーカーの足で、馬の腹を蹴った。嘶(いなな)き走る名馬と行きたかったが、ヒズメが並走役の狼の頭を蹴って終ったから、子分狼はフギャッの腰砕けであった。灰色狼インのダッシュ力はすさまじいばかりであった。私も負けじとばかりに、手綱を取るや、ソリァ~、ソリァ~と腹に蹴りを入れて、樹海の中の隠し道を爆走する。

 <その4>
 先駆けをするインの速度がスピードを落として、早歩きのスピードにして来た。想像した通りに、樹海の周辺部こそ原生林の形にはして在るものの・・・樹海内部は、人間界の耕作地が造られて居た。主食は如何やら、栗の様である。栗林が広がって居る。
 間隔を置いた栗の樹の下には、家畜化されつつある鹿、猪、鶏、カルガモ、などが放し飼いにされて居り、髪の毛の色の違う子供達が、鹿の背に負ったり、猪の子供を追い回したり、屈託無く一緒に遊んで居る。そんな周りには、灰色狼の親子も居る。住居は、竪穴住居である。近くの河では、小石の上に魚が並べられて、日干しが作られて居る。

 ギュンとクンの世代から、何世代を進行させているのか?は、定かでは無いが、金髪の者も居るし、荷役用の鹿の数も結構多い所からして、樹海の道、川を利用した上流・下流異民族の交易・交流は、ギュンの種捲きの賜物なのであろう。
 ギュンの始めた中洲での交易・交流場は、縄文時代の交易場と云っても、想像以上に賑やかである。河の流れが大きく湾曲して淀みを作った場所に石垣が造られ、丸木舟、竹の筏を繋ぐ杭が打ち込まれてある。周辺には、石積みの上に簡単な屋根掛けだけの物置場が数個ある。

 有史以前の地球に在っては、人間と動物の区分けは、明確では無かったのだろう。革新的技術が誕生・伝播・浸透するには、長い期間を要するのが有史以前の歴史の歩みであろう。
 人類誕生が500万年前。人類の祖先が、森林からステップの乾燥地帯に進出して、稲、麦などの穀類を発見して、その改良に何百万年、何千年も費やし、道具、灌漑の施設を工夫して、集落が都市へと人口を増やして、文化・文明の牽引役して行く素地を蓄えるまでには、何百万年、何十万年・・・何千年も要するのであろう。
 初期の文化を歴史に刻むには、まごまごして居ると何十万年も要した筈である。旧石器時代が、始まったのが260万年前。新石器時代が始まったのが1万年前。青銅器時代が始まったのが5000~6000年前。鉄器時代が現在でもあるし、現代在っては、新素材時代が始まって居るのだろうが、それとて此処半世紀の物である。

 石器が現れるまでに250万年前後を要し、新石器へと、進むのだってに百何十万年も要したのであるからして・・・ この新石器縄文の時代に在っては、今から1万6500年前から始まって、その終期は前1000年頃まで続いたと云うのであるから、途轍も無い『不変とも云える悠久の時』の中に在ったのであろう。

 化石考古学の手法でしか想像出来ない太古の時代なのであるから、こんな区切り年譜など、足し算・引き算の整合性など、全てが近似差の範疇に入って仕舞うのかも知れぬが・・・。

 本より、そんなスケールの中で、この樹海の世界は何千年、何百年も変わらぬ悠久の時の中では、一世代などカチッカチッと秒針を刻むにも満たないだろう。そんな地球の器の中・・・全てが、自然と動物・人間の相互の営みの中に在ったのであろう。

 私は馬上からインの案内する人間と狼の領域を、以上の雑駁過ぎる遥か太古の歩みを、頭に眠る歴史知識の破片に準えながら、見て・・・想像して行く。

 異なる物と異なる物とが、<驚愕の出会い>をして、混合する処に進歩が始まり、速度を増す。それが自然の流れと云う物である。上流域、下流域の人間達の交流・交易によって原始的にも市が立ち、それが恒常化して来ると、言葉の媒介によって需要と供給の仕組みに知恵が回り、創意工夫の専業化・分業化が初期の段階で思考に芽生える。其処には人間躍進のエネルギーが宿る。言葉と云う他者とのコミュニケーションと思考発展の媒体を持たない人間と狼の差異は、歴然として固定されて来るのは不可避の現実でもある。

 『このままだと、誇り高き狼一族の番犬化が加速度的に進み、固定化されてしまう。』
 
 私は、確りと<インの呟きの声>が聞こえた。その呟きの裏にあるインの指導者の哲学的哀しみの真理が、痛い程に理解出来た。

 <その5>
 私とインは、何日も掛けて樹海に点々と散らばる集落を見て回った。上流の金髪族の集落にも、下流の黒髪族の集落にも逗留した。中流域は、<ギュンとクンの伝説>の終わりに語られて居た様に、上下流域の交流・交易に端を発した金髪族、黒髪族の混交集落が、河川を中心に南北に密度を以って点在して居た。

 余談ではあるが、この時代の新石器類、土器類の多岐に亘る使い勝手の好さそうな形状のバリエーションには驚かされた次第である。素材が、青銅器、鉄器、プラスチックに替わったとしても、衣食住への人間の道具の発明・改良の大本には、使い勝手の良さへの探究心が旺盛だったのであろう。

 ギュンとクンが定住を始めた中洲には、広い盆地の<新しい手法の発信地>として、樹海の中心地と為って居た。それでも、纏まった集落を形成する程の土地の広さは無かったから、『象徴的地位』を為して居た。ギュン本家として大きな竪穴式住居と栗の栽培林、畑、家畜小屋、河から引き込んだ水路・生け簀用として作られた池などが、ギュンとクンの時代からすると、二倍程度の拡充を見せて居るだけであった。
 
 象徴的地位は、現代的感想から云えば、自給自足を余儀なくされる時代の家族、集落としての『モデル空間』と云った方が、マッチする処であろうか。ギュンの血筋は中流域の数個の中洲を中心にして、其々の中洲を中心に河の両側に、中洲を本家とする分家集落を発達させている様子である。当然に、本家の中洲を警護する形として、クンの末裔達が配されて居るらしい。

 そんな時の流れの中で、人間と狼の精神的な協働関係体は、人間の数が多くなるに従って、上下の関係に色合いを変えて行ったのであろう。クンの子孫達も、現状肯定型の警護・番犬化の分業・上下関係が定着し始めて居た。定住生活の文化を知った人間集落が、何万年も続けば、定住為るが故の各種の家畜化が始まって来るのも、必然の流れと云う物であろう。

 群れで生活をする統率の利いた<狼の社会性>であっても、その根本は、如何にして獲物を狩るかの効率性に基いた統率の社会性なのである。狩りと云う死活の統率が、生まれ落ちた時から絶えず人間の中に在って、食と職に有り付けると云う環境下では、番犬化は、或る意味では、より好い環境適合化の狼文化と云えなくも無い。
 そんな刷り込みが働いている狼グループも居れば、インの様に、人間との係り合いを同格なる協働体の一員としてのプライドを保ち続けて、飽く迄も野生の狼として自給自足を保つ独立した身分と行動を持とうとするグループもある。

 独立自尊の気概に燃えるインからすれば、番犬狼は、正に『為り下がり群狼の一団』にしか映らないのである。一方、安定期に向かって居る中洲の主・ギュンの子孫からすれば、<格下の尾を振る番犬狼>は、『重宝』に映るのである。

 これは、ギュンとクンの同格同盟関係から、ヒュンとインの関係は同盟関係から従属関係への分水嶺期と呼んでも好かろう。ギュンの末裔として、とうのたったスカンポ脳のロートルの感想として見れば、これは大袈裟に云えば『文化の対立期』に投入されてしまったとの感頻(しき)りである。

 さてさて、如何対処すべきかである。対処のキーワードは、不変とも見える悠久の時の刻みと云う処であろうか。

 <その6>
「Rよ。お前の考えを聞かせてくれ。俺は、お前が気に入って居る。あの時、頭の中で響いた声に従って、俺は、お前をギュンとクンの『再来』と感じて居る。共通の血筋を持つ者として、俺には、お前に自然な形で身を任せても良いと云う気持ちを持って居る。

 きっと、お前はこの山々、樹海の神々が遣わした<ギュンとクンの集合体>の様な者だと感じて居る。それから、何日も行動を共にして来て、今では、きっとお前も俺と同様の考えを持って居るのが、察知出来る。

 最初に出会って、臭いを嗅いだ瞬間から、お前の中には在った。人間の心も、狼の心も、きっとお前は、持ち合せて居るのだろう。俺は、お前の判断に従う覚悟は、最初から出来て居る。お前は、俺に必ず言う筈だ。<ギュンとクンの世界に還れ>と。そうでなければ、俺がずーと感じて来た全く違和感の無い、お前に対する同調性、親和感の穏やかさの中には居られなかった筈だ。」

「左様であるか。俺もお前に対して、同様の異和感すら感じない同調性、親和感の中で、この盆地、樹海、河川、人間、狼の日々を観察して来た。

 俺は、お前達からすると、21Cの未来の時代から来た人間だ。従って、歴史を振り返る事も出来る立場の人間だ。自然の行く末、人間の行く末、狼の行く末も、歴史の流れと云う<方向性>に立って、知って居る立場にある人間の一人だ。
 何万、何千、何百年の歴史の歩み、区切りの中で、流れに抗して、理想郷を求め続ける一支流が歴史の中に埋没して居ても、それは時代に逆行する物では無い。

 幸い、四方の高い山々に囲まれた樹海の世界には、人跡未踏の新天地が横たわって居る。人間と狼の協働世界を造り上げた始祖が、ギュンとクンであるならば、第一のステージがギュンがクンを育て上げたのである。その第二ステージが、ヒュンとインによる枝分かれと為っても、全然問題無かろう。

 まだまだ、人間と動物が完全に住み分けをして居る時代では無い。異時代の俺が想像する以上に、この現実の世界は、人間と動物、自然は、隣合わせ、混じり合って、自然と云う器の中で生きて居る事を知った。

 インよ、お前は、実に哲学的な立派な狼族のリーダーだ。それ為らば、インが人間の無垢の子を育てるのが好かろう。狼に育てられた男が、世界帝国に君臨したローマ帝国の始祖と云う逸話も残っている。蒼き狼と云われたヂンギス・カンも居たし、大和の国の神社の狛犬にも、狼を置いて居る処も在ると云う。斯様にして、狼は太古の昔より、誇り高き存在なのだ。

 お前が長として、誇りに生きる決心をしたのなら、無垢の心に、自分の理想郷実現に向けて協働者に教育するしかあるまい。それが、クンの血筋を引く狼のリーダーの役目なのだろう。蜜蜂に『巣分かれの時期』が在るのと同様に、これも自然の巣分かれの時かも知れん。如何かな・・・インよ。」

「うん・・・ ありがとうよ。R。」

 私は蜜蜂の巣分かれに範を取って、強引にインを中核とした新世界を構築する事に決めた。私の姿は、縄文の名も知れぬ孤立した盆地樹海に在って、正に度肝を抜くほどの異界・異様の存在であった。
本より、吾が性分としては、目立ち、奇を衒(てら)うの行為・行動は、意に染まない処である。

 然しながら、何分、<逗留期間が限定>されている吾が任務を考えれば、相手・周囲の思い込み、錯覚に乗じて、事の進捗の速さを図るのも、決して『詐欺行為』では無いのである。斯くして、異界の全能の管理者の用意したコスチュームで、鬼神の役目を驀進するに至ったのである。

 私は事ある毎に、インを頭とする屈強な狼軍団を引き連れて、集落を駆け巡った。馬の腹を蹴って、疾走する馬上から大刀を引き抜いて、奇声と共に刀を振るい、枝葉を切り裂き、落して回った。
 次いで、家畜の屠殺時には買って出て、鶏、カルガモ、鹿の生首を、大音声の奇声を発して一刀両断の下、打ち落として見せた。血飛沫を浴びて、日本刀を持つ鬼神・魔人を演出して回った。日本刀の振るわれた後に残される鋭利な切り口に、縄文時代人は、ワナワナ膝ま付き恐怖の瞳で、私を見るだけであった。私には、血の臭いが浸み込んで居た。

 その裏で密かに、私とインは<ギュンとクンの伝説>の協働体を共に造る男女ペアの青年・少年・幼児を吟味して回り、狼達の品定めもしていたのである。新世界の予定地は、樹海の北西に決めて居た。
 川幅は、この河幅の半分程度ではあったが、背後には西の峻嶮な山脈が、夏でも山肌に雪渓を刻んで雄々しく屹立している。広葉樹よりも松が多い樹相に覆われた大地は、赤土であった。花崗岩の大岩が累々と剥き出しに為った早瀬は、川床を深く抉って流れて居る。

 この早瀬が樹海の本河に合流するのは、盆地の北の最終地点に近い所である。早瀬の河川は、交通の用を足さないほどに速い流れである。縄文の時代では隔絶された樹海の端に位置する立地である。

 ギュンとクンは、ゼロから人間と狼の協働体を、時々の交流から発展させて行った。そして、現在は其の協働体のノウハウが、集落の人間、半ば家畜化された動物、狼に引き継がれて居るのであるから、物理的にはゼロからのスタートであっても、ノウハウに関しては、同程度の文化を持つ集団の巣分かれなのである。

 私とインは、籠に家畜化された鶏、カルガモ、猪、鹿の雛・子供達を入れて、予定地に運んだ。夜陰に乗じて、インの配下の狼達が、鹿の背に乗せて子供達を移動させていた。

 仕上げの少年、幼児は、孤児を選んだ。集落は、一時『神隠し』に遭ったと騒然となったが、この時代、生命は、絶えず危険に晒されて続けて居た時代である。

 神隠し、祟りの元凶が私とインに在るとの『噂』が、集落から起こり、それが集落長のヒュンの処に殺到した。ヒュンが困り果てた顔で、インを連れて私の処に遣って来た。

「客人R様よ。この数日、子供達の神隠し、家畜の神隠しの被害が続出して、集落の衆は恐れ慄いて居りまする。金髪族、黒髪族からは、昔の様に人身御供の生贄を捧げて、悪魔の祟り、障りを除けと言って、騒いで居りまする。

 人身御供の悪習は、始祖ギュンの硬く禁止する処でして、・・・ それも、客人がこの地に現れてから、今まで無かった忌まわしくも、恐ろしい事が続発致しまして・・・不思議な事に、幾ら狼の警備を頭数を増やしても、一向に収まりません。加えて、不可解な事に、狼達の吠える声も誰も聞いては居りませぬ。」

 傍らのインを、<役立たずの狼達め>と番犬達の不甲斐無さを詰る目付きで、ヒュンは言外に狼への不満と不気味さを述べた。

「忽然と子供達、家畜達が消える様は、『神隠し』としか言い様が在りませぬ。就いては折り入って、客人にお頼みしたい事がありまする。これ以上の神隠しは、長として望みませぬ。集落の求心力を失っては、最早、長の務めが果たせませぬ。

 この期に及んで、背に腹は代えられませぬ。男女の人身御供を差し出す事にして、どうか、どうか・・・その鬼神の乗り物と鬼神の刀で、集落を襲う障り・祟りを為す悪魔を退治して頂きたく・・・どうぞ・・・集落全体のお願いでありまする。」

「何に~!! ヒュン、お前の言う事は、全て、俺から始まった事だから、俺にケツを拭かせようとして居るではないか。無礼者、俺の正体が、悪魔と云う事じゃろうが。馬鹿もん!! 

 何か、俺が悪魔か、そうで無いかを、俺自身が証明して見せろと云う事と、同義では無いか!! よし!! 分かった。

 俺も、長居をしてしまった。蹴った糞が悪いから、俺のプライドを護る為に、その下衆提案を引き受けよう。但し、条件が在る。生贄の男女の人選、家畜、食糧の吟味は、俺が指図する。それが条件だ。お前の魂胆は、見え過ぎるほど、俺には見えて居る。返答は如何に!!」

 へへへ、此処が、一回限りの一発勝負であるから、私は胡坐掻きから立膝にするや否や、背掛けの大刀を引き抜くや、ヒュンの持って来た夕餉の竹籠に振り下した。竹籠は中身諸共、真っ二つに為って床に転がった。

「ギャァ、お助けを、その条件、承知、承知致しまする~。平に、ご勘弁を。」
インは、尻尾を後ろ脚に隠して、弱弱しい声を発して、後ずさりをして逃げてしまった。

「ふん、何じゃい、お前達のその不甲斐無さは。恥を知れ、恥を!! 俺も、得体の知れぬ化け物、悪魔と死闘の限りを尽くさねば為らない。
 あらゆる事を想定して、有利な立地で勝敗を決する覚悟である。落命覚悟の死闘の場面を、絶対に見せる訳には行かぬ。それ故に、誰にも秘密じゃ。人選、その他、家畜の供え物は、後で良く考慮して伝える。下れ!!」

 翌朝、私は青年男女、選りすぐりの鶏、カルガモ、猪、鹿の番いをヒュンから受け取って、イン率いる屈強の狼軍団を引き連れて、中洲を渡って樹海の奥深く、馬を進めたのである。

 樹海に入って数時間、インの狼軍団は四方に展開して、細心の注意を払って目指す新天地に行進して行ったのである。

 新天地の樹海の平らも山の競り出しも、狼達にとっては獲物には不自由しない濃さが在るだろう。狼が完全に野生に復帰してしまえば、人間と狼は少なからず敵対関係と為って終う。それは人間にとっても、狼にとっても得策では無い。それは、人間のヒュンも狼のインも知って居た。人間の勢いを増す発展期の入口に入って、双方共に難しい段階に接して居たのであろう。

 ギュンとクンは、その意味に於いて、人間と狼の理想的とも云える協働体の世界を構築して居たと云って良かろう。新しく哲学者狼のインが造る世界が、果たして何世代続くのか?は、未来人の21C人の私には、一切調べ様も無い処である。

 そして、言うまでも無く、借り物コスチューム、日本刀大小を残して、或る日、私の姿は忽然と消えた。


          20012/3/14
          夢奇譚・第九部 ギュンとクンの伝説の地を訪ねて…完
                          byアガタ・リョウ


 追伸・・・今回の異次元探訪記も、血を流す事も無く、女気ゼロの形で、第九部を終える事に為って、胸を撫で下ろして居る次第である。へへへ。この夢奇譚の原話は、カテゴリー内の短編・ギュンとクンの伝説でありまする。お時間のあるお方は、クリックしてお読みに為るのも宜しいかと思う次第でありまする。












心何処ーショート 寒さ抜けぬ灯油代の嵩み為り
             寒さ抜けぬ灯油代の嵩み為り(3/16/12)
 夢奇譚・第九部を読み直して、誤字脱字、加筆をして、前飾りの挿絵四枚をアップロードして置く。縮小機能が作動しないから、挿絵は何度も明度・コントラストをスキャナー時で遣り直してからの縮小版である。下手絵ながら、原画とは見るからに見劣りがして仕舞う。時間の掛る見栄の足掻きザマである。

        さぁ、これで何時でも出せる<隠し玉>の完成である。

 さてさて、本日金曜日であるから、米屋さんに行って置くべしである。本日最低気温は-7℃との事で、外風はお寒い限りである。久し振りに、ペダル漕ぎの息切れ状態である。明日の最低気温は、7℃と云うのであるから、とんでもない。その差14℃である。
 
 尤も、昨夜の寒さ故に、早々にコタツ部屋に退散して挿絵2枚を描き、その後の寝床の中では、久し振りに洋画コーナーから、黄昏(1951年制作)を、ピック・アップして確り観賞した次第であるから、別アングルでは寒波の効用か? 私はロートルであるから、古き良き時代の文芸映画を見て居る方が、得る処が多い。
 
※黄昏・・・作品紹介
 ウイリアム・ワイラー監督による文芸映画の傑作。19世紀のシカゴ、田舎娘キャサリンを見染めた一流レストランの支配人ハーストウッドはレストランの金を盗み、キャリーを連れてニューヨークへと移り住むが、どんどん落ちぶれて行く。ついに彼が乞食にまでなってしまった時、彼女は女優として成功する。ローレンス・オリヴィエとジェニファー・ジョーンズは、溜息が出るほどの名演技で大人の恋を切なく描く。ラスト誰も居なくなった楽屋を去って行くオリヴィエの後ろ姿が胸に迫る。(パッケージを丸写し。)

 米屋さんは、暇を持て遊ばしている最中との事である。一向に寒さが抜けない今シーズン、<暖房の灯油代が嵩む辛さ>との事である。あいあい、右に同じでヤンスよ。いやはや・・・長々と引き留められて、次々と質問責めに遭って、時事放談を遣らされてしまった。

 ナロメ~、質問攻めも好いが、少しは理解しようとお努め為されませ。・・・

 まぁ、お見送り時の<おや、大分痩せたんじゃ無いの?>の減量傾向を認めて頂いたのであるから、良しとすべきか。イッヒッヒ!!

 朝は偶にはパン食にしようと、サラダとハムのトーストで、牛乳嫌いの老母の為に、砂糖たっぷりの酒粕汁にしたのだが、酒粕汁は、意外や意外で腹が膨れて、腹持ちするものである。金曜日の所為もあってか、国会中継が朝から行われている。如何やら、国会議員のお歴々は、週の後半からが仕事の様である。

 老母の言では無いが、毎回、とっかえひっかえ、お色直しで臨む厚労相女史に向かって、<外見にそんなにお金を使うなら、被災者・恵まれない人に、寄付をしたら。少しは、恥を知れ。>との仰せであるから、大正女の肝の据わりは、中々にして怖い物が在る。

 そんな老母の言をニヤニヤ思い浮かべながら、国会中継のラジオをBGM代わりに流しての、この文章である。映画とは云え、19世紀と21世紀との時代比較をして見ると、へへへ、台詞の数、ボリューム、質の違いとは、一体、何を意味するのか。

 おおっ、こりゃ凄い。民主党と共産党は、洋子女史と智子女史。女同士のバトルザマが始まった。やや、ブログを打っている場合では無い。テレビ、テレビ!!

心何処ーショート 珍客為りや。
                 珍客為りや。(3/15/12)
 朝食後、老母を相手に一席ぶち上げて居ると、廊下のサッシに音である。見ると、ハイエナギャングのヒヨドリが開けて置いた廊下の戸から入り込んで、ガラス戸に何度もぶつかって居るのである。放って置けば、勝手に出て行くと思いきや・・・中々出て行かない。

 余り驚かさないで、ゆっくり近付いて開いているガラス戸に向かわせようとするのであるが、透明のガラス戸の向こうが、直近の開放口と信じ込んで居る。困った戯けである。

 そんな事で、ヒヨドリを静かに手で押さえて持つと、意外な事に静かにしている。心臓の動悸も、それほど高まって居ないし、黒く細長い嘴も閉じて居る。それ以上に、目の動きが落ち着いて居る。

 こんな観察をすると、このヒヨドリは、完全に私を認識して居る事が見て取れる。四季を通じて、窓辺の雑木に止まり、冬の餌の無い時は、私の差し入れを啄んで居るヒヨドリに違いあるまい。

 そんな思いで見ると、手の中で大人しくして居るヒヨドリの目が、可愛く見えて来るから、可笑しなものである。ハイエナギャングの侮蔑は、撤回しなければ為らないのかも知れない。頭を撫でて遣りながら、老母にお見せした後は、放して遣った次第である。

 風呂に入ろうとして居ると、玄関でコンニチワの声である。統一教会・文鮮明氏の本の無料頒布との事である。見るからに骨相的には丸顔の民族的特徴をされた、歳の頃、50代の婦人である。玄関でお断りをするが、ニコニコとして話を続けられる。

「宗教には、興味は無いけど、時間を持て遊ばして居るロートルだぜ。話位は付き合うんね。外は、寒いから中に入りましょ。此処じゃ、俺が寒いから、コタツに当たって行きましょや。悪さは一切しないから、安心して入って来ましょや。」

 まぁ、女日照りで女性に飢えている訳では無いが、どの家でも門前払いでは、布教モチベーションも萎え仕舞うと云う物である。『和して、同ぜず』は、私の基本的スタンスでもある。故に世の中には、一人くらい、お人好しが居ても好かろう。

「宗教については? 」
「平和については?」
「政治については?」
「社会については?」
「本については?」
 
 などと、質問をして下さるから、へへへ。老母に先に風呂に入って呉れと言って来て、ニヤニヤしながら、持論を展開する。

 一応、ツッコミをされ無かったから、社会常識程度の考えの持ち主の判定が下ったのであろうか? それとも、唯我独尊の石頭と匙を投げられて仕舞ったのか? いずれにしても、言葉は人と話す為に存在するのであるから、これも言葉の活用・効用の側面であろう。ギャハハ~。

「如何だい? 可哀想に変なオヤジにしょ掴まって、大変ずらい。聞けば聞く程、見込みの無ぇ糞オヤジずらい。協力は出来ないけど、俺は毎日暇遣ってるから、下心を捨てて、話遊びに来ましょや。あい。」

 偶には、初対面の人と、のんびり持論を展開するのも、スカンポ脳の棚卸、陰干しと云う物である。こんな与太話をして居ると、丸で落語長屋の大家隠居の様なシーンを思い出して、嗚呼、吾が身は、隠居の一里塚を行進中なのだと・・・ついつい、ニヤリニヤリの段であった。


心何処ーショート やれやれ、難物を片付けた為り。
            やれやれ、難物を片付けた為り(3/14/12)
 お天気は良くても、空気は寒い。気温が上昇するのを待って、散歩に出掛ける。本日は街場に向かっての散歩行である。最初は、ジャンバーを着て来なかったので、セーターの網目からスースーと冷たい空気が入って来て、往生した物である。

 大分歩いてから、漸く体温が上昇して来て、好い具合に成って来た。午前中は、何だかんだと云って、老母と戯け漫才を仕出かして仕舞った。遺憾いかん・・・昨夜書いた夢奇譚の続きを元に、二畳小部屋でPC打ちをする。何を隠そう・・・ 種切れの、その続きの構想を練りながらの散歩行なのである。

 人間の脳味噌とは可笑しなもので、散歩をしながら風景などを見たり、他の事などを考えて居ると、ひょこんとヒントの様な物が頭に浮かぶのであるから、不思議な物である。

 途中から、気温の上昇と体温の上昇で、汗が出て来てしまった。最初は私も引き返して、ジャンバーを着て来ようと考えた次第であったが、薄着をして来てせいかいであった。着膨れした年寄り散歩者が、思わぬ気温の上昇で息切れをしてしまったのであろう・・・道に並べ置かれたU字溝の上で、ヘタり込んで居なさる。

 私は好天気の下、ウォーキング・ハイで心身ともに快調に成って来て、些か距離を伸ばそうと欲を掻いたのが、不味かった。途中で体温上昇で、私も何処かで小休止をしたく為って来る。それでも、意地のノン・ストップ帰宅に漕ぎ着ける。いやはや・・・疲れましたわな。

 さてと、折角、掴み掛けた物語の進展ヒントである。忘れぬ内に、二畳小部屋で、続きを打ち始める。有酸素運動が功を奏して、毛細血管の隅々にまで酸素が充填されたのであろう。驚くほどに、字数が進んで行く。

 こう為ったら、シメたものである。有る事無い事のでっち上げ世界が、私の真骨頂域である。厚顔無恥も睾丸鞭も一切、知った事では無いのである。息切れするまで、一気に打ち進めた方が、後が楽である。
 打って仕舞いさえすれば、後は幾らでも校正は利くのである。行け行けドンドンの出任せ文章を打ち連ねている内に、何んと何んと・・・夢奇譚・第九部、<ギュンとクンの伝説>の地を訪ねて の想いも掛けぬ完の運びと為って終った。全12頁の一編である。

 いやはや、私も相変わらずの我武者羅者である。デカイ声じゃ言えませんが・・・はい、疲労困憊の極みでヤンス。あい~。挿し絵の方も、二枚描いてあるから、後一、二枚描いて、一応の文章の校正をした後に、UPの運びと致そうぞ。いざと云う時の隠し玉さえキープして置けば、態度もデカク為ると云うものである。ギャハハ!!

 尚、この小編は、ブログカテゴリー内の『短編・ギュンとクンの伝説』から端を発した夢奇譚の形を取って居るので、お時間のあるお方は、前編としてお読み頂ければ、縄文前期の人間と狼の協働体の世界をお楽しみ頂けるかと思いまする。


心何処ーショート 一応の散歩をして来るなり。
             一応の散歩をして来るなり。(3/13/12)
 寒いが、お天道さんの輝きである。布団を上げたついでに、コタツセットもお天道さんに当てて、部屋を真面目に掃除すると致そうか・・・朝飯の支度は、その後でも文句はあるまい。と遣り始めて見ると、アジャジァ・・・思いの外、時間が掛って終った。

 へへへ、老母様は、既にコタツに鎮座なさって、お茶を注いで呉れて居る。まぁ、遣り始めた事であるから、<暫し、お待ちを>である。老母の部屋、廊下も掃き掃除をして、空気の総入れ替えとする。庭の福寿草もサツキの下で黄色の花を見せている。
左様であるか・・・春の暖かさのお裾分けで、廊下に鳥籠を並べて遣る。メスが数日前から、元気無く止まり木にも止まれずに、下で蹲っている。卵詰まりか、老齢なのか・・・、様子を見るしかあるまい。

 ついでに風呂を沸かすと致そう。洗面所の不凍栓を開けに行くと、外水道が凍って居る。この数日、雪ばかりで冬の居据わり状態であったから、無理もあるまい。まぁ、その内に出て来る事であろう。

 さあさぁ、お待たせの朝食を食べて居ると、外水道から水の音である。今日はお天気が好いから、<散歩は、早い方が好いだろう>のお勧めに、二畳小部屋のPCで、夢奇譚の続きを打つ心算だから、後回しと応え、昼風呂に入り洗濯機回しである。

 昨夜はメモリーの整理をして居て、第九部(5頁)の保存が無く、うろたえていた。ピンチヒッターに使用して居た旧PCに残って居て、ほっとした処であった。そんな事で、夜の時間は、頓挫して居たストーリーの進め方に、光明を見い出して万年筆書きをして居た次第である。その下書きを持って、頁数を伸ばして置こうと考えて居たのである。

 入浴、洗濯後は、二畳小部屋でPC打ちをしていると、楓の木にメジロ夫婦が姿を見せて、暫く遊んで行った。下書き物を打って居ると、ぶっ付け本番の物臭男の性分としては、如何しても『飽き』が来る物である。昨日は体調不良と寒さに付き、サボって終った散歩である。先ずは、外の空気を吸って来るべしである。

 この時間帯だと長散歩は宜しく無いから、ラジオで国会中継を聞きながらのハーフ散歩に出掛ける。私の視界には私を含めて、六人の散歩者の姿が見える。きっと、彼等、彼女等も、私同様に陽の光に誘われて、家の中だけでは如何にも退屈して来た御仁達なのであろう。おやおや、対岸には、斜向かい吟さんのお姿も見える。中学校の下校時間と重なって、テクテク歩きの散歩を終えて来る。

 散歩から帰って来ると、老母様はベットの中から、チョコンと顔を出して、テレビの相撲中継を見て御座る。へへへ、平穏無事が何よりの老母とロートル倅の日常である。さて、続きのPC打ちを続けましょうかね。


心何処ーショート 体長は下降線、無理せずに養生。
             体調は下降線、無理せず養生。(3/12/12)
 おいおい、そうじゃあるめぇ~。またまた、雪が降って来た。昨日の日中は、好かったのに、晴れ間が雲に占領されてからが、寒い寒いの連続であった。お昼散歩の帰りからは、気温がグングン下がって終った。

 三月の声を聞いて、水中微生物も冬眠から覚めての水槽汚れに、川へ水汲みに行った頃には、雪がチラ付いて居た次第であった。濾過材のフィルター洗い時の何んともはや、水の冷たさであった。
 
 そんな事で、夜は早々にコタツ部屋に移って、洋楽は懐かしのオールディーズなどを聞いて居ると、ラジオ深夜便では、イングリット・バーグマンの名画カサブランカ、誰がために鐘は為る、追憶など出しての話があった。語り手は、大学の英語の先生である。生の英語を覚え勉強する為に、足繁く映画館に通ったとの事である。三本ともに、吾がコレクションにあるお気に入り女優さんの名画達である。

 そんなラジオ深夜便、オールディーズなどをBGMとして深夜のお絵描きタイムとして居た次第である。

 明けて目覚めた物の、外では小雪チラ付く冬の空気である。布団も上げる気にも為らず・・・ 如何やら、風邪の前哨気分で寒気がして居る次第である。午前中は、ラジオ、テレビで国会中継を聞いたり、見たりして居た。こう日毎の寒暖の差が在り過ぎると、気分が委縮して仕舞うばかりである。こんな寒い日は、散歩に出る勇気も無く為って仕舞う。本日は、国会中継が面白いから、視聴者一辺倒で行く事にする。

             犯人は誰だ・・・男話の中心

 毎度の戯け画でありまする。さてさて、この二枚の絵が、御訪問者各位に如何なる想像・妄想小部屋の扉をノックするのでありましょうや。へへへ、寒い日は、妄想に遊ぶのが、マイルド・タイムかも知れませぬ。
 
 アッシャ、布団の中で、ひたすら体調好転を願って、ラジオで政治家観察でも致しまする。




心何処ーショート お天道さんの好機に、長散歩為り。 
       お天道さんの好機に、さぁ、長散歩為り。(3/11/12)
 さあ、待望のお天道さんである。朝食後と云っても、11時過ぎであるが、長散歩に出掛ける。デジカメ、双眼鏡、歌謡曲テープを聞く為に、フランク永井とアイ・ジョージのテープを持って行く。胸のポットから流れる懐かしの歌を聞きながらの、双眼鏡で鳥影などに焦点を合わせての日光浴散歩である。

 朝食後に、玄関鳥の餌吹きに外へ出た物の、未だ風が冷たかったので、時間をずらせたのである。懐かしの歌声を聞きながら歩いて居ると、真に気分が解れて来る物である。

 そんな気分の解れに誘われて、些かの里山の風情でも味合うと、通常ルートの途中から坂道に進む。旧養老院の跡地が綺麗さっぱりと更地に成っている。その更地の上は、土砂崩れ防止堤の大掛かりな工事が進められている。旧養老院の跡地前には、史跡の立て札が有って、此処は元々お寺の在った場所との事である。江戸時代のお寺で、その時代に焼失して其の儘と為っていたとの事である。

 まぁ、そう云う事なのであろう。里山の奥まった小さな平坦地の立地に、お寺が建立されたのであろう。大きなお寺の末寺としては、きっと格好の平坦規模だったのだろう。防止堤は、更にその上の山肌を大体的に掘削して工事が進められている。何年か前に、こんな立地の養老施設が、背後の山雪崩で死傷者を出して仕舞った災害が在ったからして、危険施設の断が下ったのであろう。のんべんだらりとした更地に成った所々には、水溜りが出来て、野鳥達が水浴びをしている。へへへ、これでは空中からは、丸見えの猛禽類の餌場と為って仕舞う。

 この工事用道路がくの字で、山斜面に作られている。砕石道であるから、雪解け水でグチャグチャしている。それでも、里山、春の雪解けの心象風景とマッチして、お天道さんの暖かさの下、気分が弾んで来るといった処でもある。

 工事の模様は、周囲を四角く深堀して水路で、水を逃がして地滑りを防ぐ形の様である。北の斜面は、石を入れたジャ籠を積み上げた形にして在り、滲み水で溜まった水掘りの様な格好である。そんな土色の水面が、何やら騒々しい事に成っている。蛙の交尾・産卵期らしい。

 多少雪の残る掘削斜面を下りて、暇潰しの蛙観察をする事にした。道の上から、覗いた分には、てっきりヒキガエルと思いきや・・・大きさ、格好からすると、赤蛙の様である。それも、馬鹿に黒い。山赤蛙に違いあるまい。私は、小さい時分から、動物に関心が在って、兎に角、遊んでばかり居たから、名前などを好く覚えた物であった。早くも、アオミドロが浮いている山の濁り水の中には、卵の塊がぼわ~んとした格好で、4つも浮いている。寄りかたまる一粒一粒の多さに、交尾・産卵の喧騒の結果物の感がして来て、

 いやはや・・・冬眠目覚めての一大事業。山谷越えて、早春の寒さもなんのその・・・ピョンピョン、ノッソリ、目指すは、山の溜まり水。年に一度の数日のオスとメスの大狂乱。子孫を残すと云うのは、生物にとって、一大事業なのである。

 頑張り為され、頑張り為され。格好付けて居たら、子孫は残せませんわね。アハハ。

 遮るもの無しの昼のお天道さんの陽光を前面に浴びて、恋は盲目以上の、交尾は早い者勝ちのシャカリキ合戦が、繰り広げられている。

 初めて聞く赤ガエルの声は、美声で名高いカジカガエルに似た単発の高音域の声である。テレビなどで時々登場する音響・音声学の専門家の言に依ると、身長、顔相の共通性に依って、声色も類似して来るそうな。為る程、カジカガエルも、赤ガエルも、姿形は良く似ているのであるからして、そんな処なのであろう。

 細竹の群生から先は、日蔭の雪道が山の中に続いている。何日振りかの空の青、竹の緑、雪の白のコントラストが、実に清々しい。その下の冬枯れの草叢に、僅かに花開く小さな小さなオオイヌノフグリの青と白の色合いは、春の拡大図と云った処であろうか。

 散歩日誌の足しに、何か在るかも知れぬと山道を上る。雪に足跡が結構ある。何の足跡かな?と、見て歩くが、ぼやけて特定出来ない。短靴であるから、靴下を濡らしても仕方が無い。

 戻る事にして、今度は工事現場のアスファルト道の方に下ると、足跡の主が分かった。『有蹄類』とは好く言った物である。雪の下のアスファルトの上には、丸で判を押した様な明瞭な蹄の跡である。ニホンシカの物である。私は、正規ルートの山際道で、山の斜面で一度目撃しただけであるが、この辺りには、複数頭のニホンシカが出没して居るのが実態なのであろう。

 さてさて、山赤蛙とニホンシカのお土産を持って、長散歩を折り返すとしよう。天気予報だと、お天気さんは下り坂で、またまた冬空に逆戻りとの事であったが、向かい風の南風なのに、灰色雲の進攻に伴って、大分気温が低下して来た。スローバラードをOFFにして、テクテク歩きの自己発熱にスイッチONと致しましょうかね。


心何処ーショート 何と、往生際悪き冬の居残りである事か・・・
       何と、往生際の悪い冬の居残りである事か・・・(3/10/12)
 春に向かう上雪であるるから、水分タップリの重い雪質である。外では、斜向かい吟さんが、早くも雪掻きのガリガリ音を発して居られる。一方は早寝早起き、片や遅寝遅起きの好対照であるから、活動する時間帯が違い過ぎる。こんなに早く起きて終ったら、吾が身は時差ボケの一日に成って仕舞う。それにしても早朝のガリガリ音は、嫌に響く物である。誰が起きるものか・・・温い寝床・・・ 

 障子の明かり取り窓から、庭の様子を見る。庭の南天が、その重みに皆ヘタっている。雪を払って遣らないと、折れてしまう。未だ細かな雪が降って居る。道の積もった雪の下は、シャーベットである。これでは、負担の掛らぬ竹箒掃きは、重くて用を為さない。スコップで遣っても、ベトベトして居るからこびり付いて、厄介この上ない。汗を掻いて、朝飯前のモーニングコーヒーである。

 さてさて、本日土曜スタバトークが控えて居るから、そろそろ朝の賄い夫をするべしである。

 朝食後のお茶を飲んで居ても、雪は降り止まない。いやはや、真にお寒い限りである。PCが戻って来たのであるから、挿絵の印刷でもして、スタバ店長さんへ貸し出しの小冊子に加えて置くと致そうか。そんな事をしながら、Tのお誘い電話を待つ。

 無帽のスキンヘッドが、スースーして寒い。午後には止むと云う雪の恨めしさである。

 お天気の悪さに、流石に二階席は空き空きしている。本当に久し振りの壁際奥のテーブルに陣を取る。今シーズンは実に寒いから、雪は後二回位あるのだろうか。白い粉の噴いた吊るし柿を口に、コーヒータイムである。

 本日は、目の保養対象が居ないから、目の動きも少なく真面目トークと為って終った。

 明日で、東日本大震災津波、福島原発事故から一年である。ラジオでもテレビでも、特番報道が盛んである。それにしても原発事故時の国家指導者・政府に対する指弾が、余りにも甘く好い加減過ぎる処が、理解不能域なのである。
 大東亜戦争の敗戦に際して、指導者に対する戦争・戦敗責任を未だに指弾し続けて居るのに・・・殊、原発事故に関しての内閣、政府責任の是非、追及に関しての一大資料と為る官民・米の調査資料が提出されて居るのに、三資料を比較検証して、相互に欠け落ちて居る空白の部分を、暴き、埋めようとする動きが見えて来ない処が、学者・識者・マスコミの好い加減さなのであろう。

 こんな処にも、戦勝国、長い物には巻かれろの頂き物、お仕着せ物には、渡りに船とばかりに安易に迎合して仕舞う『自虐史観』の温床が、横たわっているのかも知れない。成人した大人だったら、眉に唾して、目を見開いて、耳糞かっぽじいて、脳裏に走馬灯を走らせて見ましょうよ。あい~。

 復旧・復興に向けての被災者の心境・取組をルポするのもマスコミの役目であるのは、当然の報道姿勢である。それと同時に、原発事故、復旧の遅れに関する人災部分の検証も、マスコミの重要な責務である筈だ。
 戦争指導者の東条英機が、A級戦犯として糾弾されるのなら、菅直人も原発処理指導者としてA級戦犯なのであろう。民主主義の時代に在って、政府調査会が提出した書類の頁数は、何たる薄さであろうか。戦中の大本営の情報隠蔽・操作を声高に糾弾し続ける者達が、情報統制の大本営並みの隠蔽体質とは、何を以って情報公開・社会正義と云うのだろうか。

 真に以って、縦横、上から下まで、無責任にしてフザケタ自己保身者の群像ではないか。

 どんなに隠蔽しようと、千年に一度の大震災の痛ましい実況報道・国会中継・ニュース報道・ボランティア活動で、国民の多くはこの一年の出来事を確りと記憶して居るのである。好い加減な報道・解説・言い逃れで、事が沈静化して行くなどと錯覚して居たら、大きな間違いなのである。

 好色ヤクザもどきの真面目トークの要旨を文章言葉で表記すれば、こんな具合に為るのではあるが・・・話し言葉と為れば、こんな具合には為らないのである。

「野郎共、<江戸の仇は長崎、長崎の仇は江戸で>が、庶民感情だぜや。早い処、解散選挙をして禊(みそ)ぎを受け遣がれ。万年野党の『碌で無し集団』が、出鱈目放題して置いて、この期に及んで禊ぎ落選が怖くて、解散無しの大連合を目論むたぁ、柳腰弁当屋仙ちゃんに、宇宙人鳩ポッポ、第四列の男菅無理内閣、民主党番外男のドジョウ、多弁多弁の逃げ弁護士・爬虫類眼の枝葉末節男の厚顔無恥のオンパレードじぁ無ぇか。

 無駄事こいてると、異界女・ナターシャの睾丸鞭の折檻部屋に放り込んで遣らぁな。日本男児の肝っ玉の重し・キンタマの無ぇ下衆野郎共にぁ、黒鞭をバシバシ打ち込んで貰ってさね。睾丸壊疽であの世に旅立って貰うしかあるめぃ。刑務所でタダ飯喰わす余裕は、無ぇぜや。何しろ、肉体労働の嫌いな連中だぜな。

 あんな輩が、夜に成りぁ両手に韓国・北朝鮮・中国ホステス抱え込んでウハウハで、俺ぁ女日照りの婆ぁ介護ってかい。冗談じゃねぇや。一対一だったら、張っ倒して股間に二―ドロップで再起不能にして遣るのにさ。糞っ垂れが!!」

 遺憾いかん、吾等は奥ゆかしきコンビで在った事を、すっかり忘れてしまった。さてさて、一服後はホームセンターにて、製本テープでも探して行きましょうかね。希少為る御訪問者各位に於かれましては、文章言葉にだけ反応されたし・・・間違っても、会話体に拍手などお残しに為りませぬ様に。

 こんな事が、吾がご母堂様の察知する処と為れば、『私は、こんな戯けに育てた覚えは無い。父さん、先だった二人の息子に申し訳ないから、一緒に死んでお詫びをしろ。』なんて、一幕に発展して仕舞いまする故に・・・へへへ。


心何処ーショート ありゃりゃ、雨→ミゾレ→雪
             ありゃりゃ、雨→ミゾレ→雪 (3/9/12)
 雨である。庭を見れば、地面からスイセン、マンジュシャゲの芽が顔を出して来た。昼を過ぎると、しとしと雨に変わって来た。散歩にも出掛けられないから、家の中をウロウロして雨の外模様を眺めている次第である。

 この前の洗濯時にジッポーライターを洗濯して仕舞った。フェルトに揮発油を浸み込ませて着火させるタイプであるから、一度浸水して仕舞ったフェルトの水抜きには、4日も掛って、漸く火が付く様になった。

<同じ失敗を二度繰り返すのは、馬鹿の遣る事だ。>と、子供時分には、母親から注意を受けて居た物である。その言葉の源は、親爺で、よく母は親爺に言われて居たので、『二度と言われて堪るか』と緊張して、事に当たったとの事である。

 まぁ、<鉄は熱い内に打て>とは云う物の、歳を取って還暦越えをしてしまうと、健忘症並びに精神の弛みから、毎度の失敗続きを行進して仕舞う。する事が無いから、ポケットを確かめて洗濯機の中に入れて、スポンジ、亀の子タワシで、風呂掃除でもするしかあるまい。やれやれ、散歩代わりの身体動かしをしないと、気が落ち着かないのであるから、貧乏性この上ないザマである。

 そんな事をしている内に、ミゾレに成り、雪に変わろうとしている。ボケーとしてテレビドラマの事などを思い浮かぶまま、考えて居ると・・・贔屓にして居た『相棒』も『科捜研の女』も終了で、テレビの愉しみも当分お休みである。

『科捜研の女』は、沢口靖子、若村麻由美の御両人がお目当てなのである。二人を比較すれば、文句無しに若村さん贔屓である。まぁ、主役が沢口さんであるから、もうもう、大きな瞳、削げ落ちた頬、鼻の下のホクロ、薄い胸、小尻まで、隅から隅まで、観賞させて頂いている次第である。

 尤もテレビであるから、幾ら鼻の穴をおっ拡げて鼻深呼吸をしても、一切芳しい高級香水の女の香りなど望めないのではあるが・・・

 まぁ、好色オヤジの観賞本音とは別に、『科捜研の女』のドラマ仕立てに、私は拍手を送って居るのである。主役は沢口さんが演じる科捜研の<仕事ドラマ>である処が、何んとも好い味を出して居るのである。

 ドラマ中、役者はその業務を黙々と担当する脇役としてドラマが構成されている処が、素晴らしくも、人気を維持する継続番組なのであろう。美人・美形の沢口さんが、その美貌を前面に出して仕舞ったら、単なる沢口靖子ドラマでしか無く為って仕舞うのである。

 従って、彼女は笑わずに業務に私心を払拭して、科学の面から、犯行を<科学の力>で、冷静に実証して行くのである。それに向かって、科捜研のスタッフ全員が、役者の個性を抑えて出しゃばらず、目立たず、目前の分析業務にプロの腕を見せて行く・・・それが、類似のドラマが幾つも生まれて居るのに、他のドラマが主役の持ち味、詰まりは役者の個性、人気を前面に押し立てて作って行く手法との『歴然とした差異』なのである。

『役者が主役ドラマ』と『仕事・業務が主役ドラマ』のテーマ、アングルの違いが、歴然とした差異を産んで居るのであろう。

 そんなドラマ仕立ての中に在って、若村さんの美人笑顔の挿入が、出番は短い物の一服の清涼剤としてベストマッチの『ほっこり感』を出して、トータルバランスを作って居るのであるから、ドラマ構成についついニンマリとさせられて仕舞うのである。

 沢口、若村御両人の顔を思い浮かべて、ニヤニヤ、好い気分で鼻の下を伸ばして、この日誌を打って居ると、公明党・松あきらなんて、『自己顕示の権化』の様な女史が、キンキン声で国会中継に登場して来た。

 私の様なスカンポ脳のロートルには、何か女史殿は、宝塚の舞台と国会を混同・錯覚されて居る様な、ワンパターン演技をしている様に聞こえて来る次第である。

 いやはや、そんなにキンキン声で大見えを切りたかったら、宝塚のステージに復帰すれば好かろう物に・・・ へへへ、到底、科捜研のメンバーには為れない御仁なのであろう。


心何処ーショート 嗚呼、調子こいて、えらい事、言っちまったものである。
     嗚呼、調子こいて、えらい事、言っちまったものである。(3/8/12)
 長らく入院して居たPCが戻って来た。早速、セットして胸を撫で下ろした処である。旧PCを二畳小部屋の所定の位置にセットして、使い分けが出来る様になった。ボチボチ、旧PCに溜まった文作・絵などをコピーして、PCに移し替える必要がある。

 新旧のPCを移し換えて、老母の部屋で一服のお茶話をしていると、ガス屋さんの集金である。代金支払いの仕事をサッサと終了させて、コタツ部屋に場所を移して、月に一度の歓談タイムである。

 早速、貸し出しの夢奇譚の読後感を承る。風景描写が素晴らしいとの事である。風景描写と会話体の好色さ・ズッコケさとの落差が、これが同じ人間の手に依るものか?との面白さが在るから、傑作なのだと言い、それ等の共通した雰囲気が、アガタ絵画の世界に好く滲み出ているとの談である。真面目なのか?単なる助平オヤジなのか? 正に、正体不明の処が、興味深々なのだと云う。

      へへへ、真に我が意を得たりの感想談を頂戴した次第である。

 脳内の想いが文字で表現すれば、文章世界と為り、絵で表現すれば、絵画の世界と為る。絵が文字に為る時も、文字が絵に為る時もある。これらは全て、同根の物であるから、言って見れば、全て色合いは違っても、私自身の内面、脳内表現でしか無い処である。
 それが、お互いの絵好きから始まって、話しが談論風発の形でアハハ、ウフフ、ニャハハ、ギャハハの男同士のオッサン小劇場に戯け活用されて、弾むのである。

 文章・挿絵とオール・ハンドメードの大趣味は、羨ましい限りの世界と、大判振る舞いのお褒めに与かって、私は天にも昇る気持ちである。ギャハハ。本日の貸し出しは、シリーズ最長編<第七部ユカタン半島、マヤにて>である。

「普通、こんな事を書く人は、青き痩身痩躯のインテリさんだとイメージしちゃうのに、Rさんはガッチリした体格の野武士か、徳の高い坊さんに見えないのに、遣ってる事がゴタッぺですわ。まぁ、この位の体格・迫力で無いと、ロシア女を満足させる訳には行きませんわね。イッヒッヒ。

 こうやって、読んで見ると白人さんも、根は女ですね。可愛いじゃありませんか。メラニン色素との相関図が在るみたいで、締りは緩いとの事で、その分、持久戦とかで・・・ いやはや、その辺りが大いに参考に為りまして、TPPに賛成するんなら、日本の政治家共は、ちゃんとジャパニーズサイズを鍛えて居るんですかいね。そこいらは、如何なんでしょうかね。」

「そうだいね。四十八手+肥後ズイキを御柱に撒き付けるしか、手は無ぇずらよ。まぁ、横文字ばっかり得意にして、日本の伝統芸能を軽んじるバカばっかりじゃ、日本の男は、15~20Cの白人世界の下僕に転落しちまうわね。苦労して御維新・日露戦争に勝った御先祖様達の努力が水泡に帰しちゃいますがな。全く、罰当たりってもんせ。

 少資源国が安価なサツマイモばかり輸入して終ったら、肥後ズイキの原料まで消滅しちゃうわね。生活習慣病の糖尿病国民じゃ、心臓に負担の掛るバイアグラがベットの友じゃ情けない限りだんね。少資源国の宿命は、創意工夫と鍛錬で克服するしか無ぇずら。そう為りゃ、金の掛ら無ぇ、身近の道具の活用しか無ぇずらい。

 従って、入浴時にはドァロックでさ。冷熱法で、男根を鍛え直して、雁首は亀の子タワシで荒行しないと、真のグローバル世界に付いて行けませんわね。何て云ったって、日本の強みは、省エネ、エコってマスゴミが、国民喚起してるじゃ無ぇかい。ギャハハ。」

「やいやい、R節が炸裂して来たわ。仕事仕事、此処に居ると、仕事復帰が出来なく為っちゃうから、俺ぁ、逃げるわね。亀の子タワシは、おっかねぇから、風呂に入る時は、熱タオルと冷やしタオルで、フニァ朕を鍛えて見ますわ。痛ぇだろうな。ミミズ腫れに為らねぇかな・・・えらい事、聞かされちゃいましたわ。俺ぁ、日本人で一生我慢する。」

「何をこいてるだい。そんなんじゃ、敵逃亡でちょん切られて、しゃら恥ずかしい宦官の道へまっしぐらだんね。千里の道も第一歩からだんね。第二ステージにぁ、本番の亀の子タワシが控えているんだじ。ミミズ腫れには、大塚製薬のオロナイン軟膏、近江兄弟社のメンソレータムって、俺達世代の国民薬の味方があらぁね。

 痛さに泣くよりも慣れて、敵を蹂躙せよずらい。<社会が男を作り、家庭が女を作る。> 男根を鍛えずして、男がファション、化粧なんかして中性動物に下落したんじゃ、日本の未来は無かんべさ。あい~。」

「行けねぇ、行けねぇ。毒ガス吸い込んで、もう、フラフラ。ガス使用時には、換気に注意して下さいよ。さあ、仕事仕事。勉強に為りました~。」

 嗚呼、こんな話しが飛び交うのであるから、銀行引き落としなんて姑息な手段は、日本文化の恥と云った処であろう。何だかんだと云っても、男話は、面白い物である。


心何処ーショート 老母相手に、長トーク。 
           へへ、老母相手に、長トーク。(3/7/12)
 炊飯器を入れて、もう少し寝るとしよう。うとうととして居ると、母の部屋で動きである。おやおや、洗濯を始めて居る。体調、気分の好い時、遣る気の有る時は、動くべしである。杖を落した音が聞こえる。しゃ~無い、起きるとするか。

 老母の様子を横目に、やれやれ、朝の賄い夫をするしかあるまい。ラジオ深夜便の加山雄三さん、その後の東北方言で聖書を訳したと云う東北大での助教授にして、辛うじて大津波から命拾いした被災開業医の先生の話などを反芻しながら、クローズドアップ現代に登場したエピソードの切り口を比較して見る。

 老母は自主独立の気概旺盛な大正女であるから、倅と云えども距離置き観察が頃合いなのである。すっかり縮んでしまった背丈では、ちと物干し竿にシーツ、炬燵掛けを掛けるのは難儀である。

 はいはい、倅の出番である。代わって遣ると、ニコニコした顔で、悪いねぇと応える。

 朝食後は、昨夜の主役の陰に隠れてしまった亭主並びに父親の心境を、昨夜の第一印象から来る批判に加えて、娘さんレポと若大将、被災開業医さんの物の考え方と比較対照する形で、私の批判的見解を老母に披露した処である。

<頑張れ、頑張れ。お前は、前だけを見て歩いて行け、お前は生きろ。万歳、万歳>

 と言って、津波に流されて行った女房にして祖母の夫に託した気持に、私は万感の思いの中で嗚咽した。その場に居て、車のアクセルを踏まなければ為らなかった亭主の気持ちたるや・・・ 何でその場に居なかった娘が、父親を一時の感情で詰って済まされるものか。余りにも父娘の間柄と云っても、鈍感過ぎる。

 悪夢・地獄の大震災から、ほぼ一年。<親子のわだかまりが、解消に向かいつつある。>の番組構成では、到底済まされまい。隣部屋同士の父と娘が暮らす被災者仮設住宅。胸に一物の娘の視線、態度、言葉に対して・・・余りにも亭主、オヤジとしては、憤懣遣る方の無い思いの中で、娘の作ってくれた食事にも箸を出さないのは、当然の話であっただろう。

 亭主に対して女房は、孫と自分の想いを託したのであり、目の前の生死を分かつ<その瞬間>に、女房は亭主の心の重荷に為らない様に、『万歳、万歳』を叫んで津波に没して行ったのである。最後の瞬間に浮かんだ万歳、万歳の言葉の意味は、重く、正直な心の叫びであった筈であろう。

 万歳、万歳の言葉に込められた男と女の、亭主と女房の、正に命を掛けた夫婦の信頼感・絆の強さが、血液語で分らない様では、理解力が無さ過ぎる。勿論、テレビ映像であるから、時間の制約と番組上の起承転結の駒としての編集の網が掛かって、エピソードを具(つぶさ)に収録した内容は、きっと二者択一の形でバッサリと切られて居るのではあろうが、作り手の見せる意図だけが先行して仕舞う報道の取り上げ方は、如何なものか・・・へそ曲がりの私は、その鈍感さに激震が走るのである。

 頭言葉の<行間を読む、読め。>などと云った言葉、活字が世に久しく氾濫する物の・・・ それらを血液語として瞬時に理解する実感者、感性の持ち主が、一体どの位の割合で存在するのか。腹立たしい限りの後味の悪さであった。
 こんな報道の中に、母親が残した最後の言葉の解釈について、キャスターの短い感想が番組に、血を通わせるコメントなのであるが、両家お嬢さん育ちのキャスターさんは、鈍い限りである。←私は、美人キャスターさんが、本当は好きなんですがね。イッヒッヒ。だから、心を鬼にして、エコ贔屓は、ご法度にしてるんですがね。

 私と老母の会話はこんな風に為る事が多い。こんな倅の感情の吐露話に、吾が老母は、大きく頷いて、涙を流して下さるのであるから、私としても、こう云う男に教育してくれた母親に感謝のお披露目なのである。

「苦労、苦難を肥やしに出来る人間と、駄目に走る人間が居る。物は考え様。挫けたり、安易な自分に走ったら、人間はお終いだからね。努力して、威張らず、控え目に笑顔で穏やかに接すれば、明るさが自分に還って来る。胸に手を当てて、自分と向き合うのが、一番大事。それが出来るか出来ないかで、人間の進歩が決まって来るからね。自分が自分がだけじゃ、人間が刺々しく為るだけだからね。
 うんうん、お前が話して呉れた様に、加山雄三さんも、キリスト教者のお医者さんも、立派な人だねぇ。今日も、好い話を聞かせて貰った。」

「そうかい、そりぁ好かった。俺も偶には、好い事言うずら。アッハッハ。」

 さてさて、母の部屋に長居をしてしまった。散歩にでも行って来るとしようか。第九部は、<その3>に入って、4頁で足踏み状態である。ストーリー展開を真面目に妄想しなければ為らないのである。

 昨日よりも寒いから、セーターを着た物の、途中で引き返して毛糸の帽子、手袋、チョッキを着て、散歩の仕切り直しである。昨日の茶色の水は大分収まって、青みがかった笹濁りの水色を呈して、勢い良く流れ下って居る。昨日と打って変っての寒さであるから、真面目にテクテク歩きで、先ずは体温上昇に心掛ける。


心何処ーショート 本日、老いも若きも春本番の動き日為りしか。
      本日、老いも若きも春本番の動き日為りしか。(3/6/12)
 雨も上がって、本日は16~7℃にまで達すると云う事である。昼近く長散歩に出掛けようとすると、台所の換気扇の油汚れが如何にも目に付いて、腕捲りの段である。何年も掃除をして居ないから、大奮闘と為って終った。そんな倅の姿を見て、老母もお座り、居ざりの恰好で、自分の部屋の掃除を始めた。

        いやはや、遣りまするなぁ~!! イッヒッヒ。

 二日続きの雨日から解放されての温かい気温に、人間も春の目覚め運動と云った処なのであろう。私の方は、もう散歩に行くのも嫌に為るほどの換気扇洗いであった。それでも足の方が、散歩に連れて行けとの催促である。もう、根気が失せて居るから、近場の騙し散歩の気持ちで外に出て、下に歩いて行くと・・・おやおや、先日の九州男の糖尿病さんが、歩いて来るでは無いか。

 先日の話で、彼の散歩コースは教えて貰った。そのコースなら、手抜き散歩でも帳尻が合う。面白い男であるから、散歩も道連れでもあろう。一緒に歩く事にする。焼酎と睡眠薬の御厄介に為って居るとの事で、明日は病院であるから、医者に怒られぬ様に散歩に来たのだと云う。医者に死ぬと脅されて5~6年前から、セッセと散歩を続けている日々との事である。聞けば、相当な散歩量で体重を20kg減の現体重を維持して居るとの由。

 何しろ、小柄ではあるが、見るからに味のあるマイルド系の好色顔であるから、<類は友を呼ぶ>の格言通りで、いやはや・・・面白い話がポンポンと飛び出して来る。

 何でも、高校時代は女の子をオートバイの後ろに乗せて、山専門であったと云う。時代の常識に則って、子作り棒は入れずに<指入れ遊び一辺倒>で思春期を謳歌して居た由。子供が出来て、責任を取れと迫られれば、逃げる訳には行かなかった時代である。
 へへへ、中々の<自己責任の抑制>が効いて居た処が、まぁまぁの男である。軟派男であっても、心には硬派の血が通うとは、顔付、話を聞いて居るだけでも安心して、話迎合が出来ると云う物である。左様であるか。私の観察蓄積からすると、この手の顔相は、好色タイプが圧倒的に多いのである。然も、憎めない顔相であるから、好色道一本道に向かうのだろう。

 8つも年下であるから、現役ピンピンだろうとカマって遣ると、バイアグラの薬効が無ければ、用が立たないとの事である。相当な糖尿病であるから、各種の合併症を引き起こすらしく、心臓に負担の掛かるバイアグラの使用は、医者に固く厳禁されて居るとの事である。

<昔取った杵柄で、左右のゴールドフィンガーが在るじゃないか>と、贈り言葉をするが、九州男児でも、住まいは松本であるから、偶には保険の利く『信州諏訪の御柱をおっ立てたい』との事である。

 こんな事を九州弁のイントネーションで、幾分のスローテンポで飄々と語るのであるから、実に面白いオヤジなのである。そろそろ、Uターンかなと思いきや、今日は気分が良いから、もっと先に行こうとの事である。頭に好色霞の掛かったオヤジ同士のスケベ話を中心にした与太話をして居ると、足の運びは快調そのものである。

 次の橋も難なくクリアして、何の事は無い、正規ルートの1時間45分コースと為って終った。

 日々の習慣とは、知らず知らずの内に、徒歩力を蓄積して居る物だと感心して仕舞う。九州オヤジが別れ際に、私に言った言葉が<俺を上回る好き者>であった。

 如何も、世の中と云うものは、誤解の目が横行し過ぎて居る様である。

 さてさて、糖尿病オヤジと別れて、テクテク歩きをして帰るべしである。二日雨を呑み込んで、ゴーゴー音を立てて流れる褐色の川は、何と勢い盛んである事か。

 学校帰りの高校生カップルが、お手手繋いで河川敷をフラフラ牛歩の歩みである。ニャロメ、石手もクラ付けて遣らっか。世の中にぁ、ゴールドフィンガーの酷使が祟って、バイアグラにも頼れないOBが居るんじゃい。これこれ、励み過ぎて中年期から、糖尿病を患うでは無いぞえ。ギャハハ~!!

 河川敷から土手道に上がろうとすると、ジョービタキのメス鳥・バルディナさんが飛んで来て、尾羽タクトのお迎えである。はいはい、お出迎え、御苦労さん。

 家に入ろうとすると、斜向かい吟さんの車庫のシャッターが半分開いてる。ガレージでは、吟さんが自家製の小振り玉ねぎの根切りをしておられる。何しろ、春本番の温かさのお目見えで、何かをしなければ、気が退けてしまう暖かさの大判振る舞いである。


心何処ーショート 一雨毎に春運ぶ雨・・・とは云うものの。 
         一雨毎の春運ぶ雨とは云う物の・・・(3/5/12)
 雪がミゾレに為って、雨に為って・・・よく降り続ける物である。庭木の雪帽子は、雨に叩かれて惨めな醜態を晒して居る。昨日は車連れ散歩で山間集落をブラ付き、人跡未踏の雪面を悪戯歩きして見た。それは表面の雪すら在るものの、雪の固形物の下には、水がたっぷりと溜まって居た次第である。それが庭木に薄っすらと被った雪なのであるから、昨日の上面図の白い雪面の構図では無く、側面図の立体図なのであるから、雨に晒されて溶け行く様は、何とも早や、表面だけの冬、雪の醜態図と映るのであった。

 こんな雪の立体図を北極の氷河の細り、消滅映像に並行移行させて見ると、氷河の底に溜まった融雪水が滑り台の水の如き作用を働かせて、大地に氷の楔を打って留めて置いた大氷河を海に運んで消滅させて行く過程を想像させてくれる物であるし、山の表層雪崩、土石流のメカニズムまでも、見せてくれて居る感じなのである。

 本日は、老母を連れて検診を受けねば、通常薬も貰えない。歩いて行った方が近いのではあるが、生憎の雨であるから、車椅子を押して行く事も出来ぬ。面倒ではあるが、車で行くしか無い。余り待たないで済む時間帯を選んで、11時少し前に行こうと老母に話をして置く。
 私のブログにも目を通して下さっているベテラン看護婦さんに、偶には原画の色使いをプレゼントしようと、下手絵ファイル二冊も持って、玄関に車を横付けしてドアを開いて、

<大丈夫かな・・・ どれどれ、俺に掴まれ。そうそう、ゆっくりゆっくり・・・ヨッコラショと。シートをもう少し、倒して遣るわいな。さぁ、行って見るかいね。>と老母を乗せて、大回りの医院行きである。

 三婆トリオの町医者の看護婦さん達も、如何やらお二方はリタイアされて、若い看護婦さんが三人にシフト替えをしている。殆ど待たずに、老母の診察と相成った。ベテラン看護婦さんの姿が見えなかったので、新人さんへ、<私の名刺>代わりとして、絵見せの強要をさせて頂いた次第である。

 ギャハハ!! 見たか、吹き出したか、好色オヤジの戯けの世界をば。真面目一本槍じゃ、町医者の門は、盛らんのである。緩急、隠し玉のアットホーム感覚こそが、最寄りの町医者のスタイルでありまするぞえ。

 寒い雨であるから、月曜日の割には患者が少い。そんな待合室に居ると、西向かいの一人暮らしのオバサンが、腰を屈めて入って来られた。元気な時は、お互い未亡人の一人暮しであったから、茶飲み友達の付き合いの在った二人である。

「家の婆さんは、今、心電図を取るのに、ベットだいね。」
「ああ、そう。じゃ、ちょっと、顔覗いて声掛けて来るわね。」

 二日程、留守をするから血圧の薬を貰いに来たのだと云う。此処でも、戯け画ファイルが役に立って、オバサンと言葉を交わしながら、診察の終わるのを待つ。診察が終わって、先生から一応の話を承る。

 待合室では、老女二人が萎びた手を握り合って、話をして居る。男には絶対に出来ない握り手の女の会話にして、お互いへのエール会話である。久し振りなのであるから、一杯、楽しんで話すが好かろう。これも、人間の老境の人恋しさの、極普通の一シーンなのであろう。

 さてさて、車を回して横付けにして老母を車に乗せ、車ついでであるからして、米屋さん経由で帰るとしようか・・・ ハハハ、オバサンの言葉の一節では無いが、

<Rちゃんは、亭主であり、倅でもあり、おばさんは幸せだよ。うんと甘えれば良いよ。もう、動けないんだから、一杯我儘を言えば良いよ。黙ってても、お迎えが、直ぐ其処まで来ているんだからね。自分の家で、自分の子供と一緒に暮らせるのが、年寄りの幸せだからね。おばさんは、好い顔してるもの。>

<はいはい、左様でゴザンすよ。乗り掛かった船である。立派にお努めを果たさせて貰いまするわな。>←倅としては、そう胸の内で応えるしか無いのである。

 米屋さんに回ると、雨の中、御主人が車の所まで出て来て、何十年振りかの老母の顔を見て、拝み手で、何度も何度も、頭を下げて眼頭を潤ませて居られる。直情的な性格故に、見送った両親の面影などが胸に過ったのであろう。

 脳裏に蘇り、動く過ぎ去りし色々の記憶は、過去と現在を結び付けて、老境に身を置きつつある人の心に、熱い物を一筆書きにさせるのだろう。へへへ、私にも曲りなりに、時の年輪感情が備わって来た様である。

 世の柵から解放されて、漸く自分本来の個に還ったのであるから、敷居を低く低くして、間口を広げて自然体のスタンスで日々を重ねて行きたい物だと思う次第である。この歳で、個を力んで見ても、老境環境にはそぐわない。枯れて枯れて、人畜無害の野の風と為って、人知れず無に還りたいと思う次第でもある。

 さてと、終日の雨日で、深呼吸の散歩も叶わぬ処である。千里の道も一歩からである。夢奇譚・第九部の一頁目をスタートさせると致しましょうかね。


心何処ーショート 車連れ散歩も、偶には好い物だ。
          車連れ散歩も、偶には好い物である。(3/4/12)
 明日は老母の診察日として、お天道さんが出て居るから、寝具を干すとするか。入浴、洗濯を済ませて、風呂を譲った後は、寝具を取り入れる。

 散歩に出掛様と思ったが、偶には車を散歩に連れて行く事にする。車を上流に止めて、田んぼ横の細い土手道の草道を歩く。山際に沿って流れる川を土手道から覗きながらのブラブラ散歩である。
 
 この辺りまで来ると、左右の山がぐっと迫って居る。小さな田んぼが続く盆地の北端に位置して居る。山の斜面を切り開いた高みに、集落が家並みを連ねて居る一帯である。従って、集落の背後は覆い被さる様な山の連なりと為って居る。日蔭には、まだまだ雪の名残が散見される。

 川の流れの様子を見たり、足元の枯草に顔を覗かせ始めたオオイヌノフグリの青い小花を見付けたり、ハコベの小さな緑、葉を落した冬樹の枝に止まるカラス、モズ、枯れ葦を小さく渡るホウジロの小群れを見たり、幾分萌黄色を呈し始めた山の広葉樹の色合いを眺めたりのロートル独りの道行である。

 私の後方には、近所の野良着スタイルの年配女性が、上田に向かう幹線道路の歩道から、田んぼの畦道を通って、私の歩く人一人が通る野道に遣って来た。私は後ろ手で、歩いたり、立ち止まったりしての気分歩きを繰り返して居る次第である。崩れ落ちた山の斜面にしがみ付く様な木々の根の張り具合の面白さとか、山肌を鋭く穿った山水の流れを見たりの<早春の気分散策>であるから、年配女性に軽く追い越されてしまった。

 フキノトウを見付けようと思ったが、まだまだ地面の中で冬眠しているのだろう。野道を越して、山際集落に向かう小さなコンクリート橋を渡って、集落入口の坂を上って行くと、先ほどの年配女性が、民家の石垣の上に座って休憩中である。

 メガネを掛けた穏やかな表情さんであるから、私も石垣の上に腰掛けて話し掛けると、お互い、時間には不自由しない田舎のオッサンとオバサンの好い雰囲気の話が出来た。へへへ、私より四歳年上さんである。まぁまぁのお日和であるから、話が彼方此方に及んで、すっかり話しに興じてしまった。

 本当に、この辺りまで来ると、皆、気さくな生活態度で、私の様な人相・風体の悪い男の与太話にも気軽に応じて下さり、純にして素朴な雰囲気を頂戴させて頂けるから、好い気分に満たされる。

 さてさて、再び土手の草道に下りて、独り後ろ手歩きをして行く。民家の斜面に黄色の散らばりを見付けて、福寿草の群生かな・・・と、田んぼの畦道を通って近付くと、福寿草が斜面に散りばめられた様に、黄色の水分の薄いペラペラとした花を咲かせている。

 土斜面のオブジェは、柿の老木と、栗の木である。通行だけの砕石を敷いた小道の上には、栗の毬栗が古びた茶色を呈して、中に栗の実を覗かせ居た。そんな毬栗が幾つも落ちて居て、柿の実はどれもこれも、蔕(へた)を残して、奇麗さっぱりに喰い尽くされて居る。

 そんな小道を集落に上って行くと、下から見上げる集落の様と違って、家々の庭の広い事に驚く。その先を行くと、遺憾いかん・・・他人様の庭に通じてしまった。

 へへへ、人相・風体は、刑務所風では御座りまするが、決して怪しい者じゃ御座んせん。素通りの段、平にご勘弁を・・・

 集落の道に出て、手積みの年季の入った石垣を感心しながら眺めて歩く。石垣の高さは、高い所では3m程はあろうか。こんな牧歌的風景は、切り絵画家の原田泰治さんの描く日本の山村の雰囲気である。

 この道は、再び幹線道路に下りて行って合流する。道を下って行くと、寝具を取り入れて居るオバサンが、手を振って声を掛けて下さる。見れば、先ほどの年配女性である。

「また、今度、こっちにまで足を伸ばしてよ。また、話をしよ~う。」
「はいはい、有難う御座います。楽しかったですよ。俺の顔、忘れちゃ駄目だよ。」

 さてさて、お天道さんも雲の中である。真面目に歩いて、車に帰りましょうかね。本日は、車と散歩の両立である。散歩ばかりして居ると、兎角、車の運転は億劫と為るが、こんな両者均衡の時間潰しも、好い物である。


心何処ーショート 3/3女節句日とは云う物の・・・
           3/3女節句日とは云う物の・・・(3/3/12)
 おやおや、本日は嫌に電話の鳴りが遅いでは無いか? 何かあったのかなと思いながら、携帯履歴を見ると、着信が在る。

「やぁやぁ、申し訳ない。気付かなくて。」
「トイレにでも入っていたずら。」
「あいあい、そんな処だいね。」

 これから、家を出るのかなと構えて居ると、Tの車がスーと止まる。用意して置いた沢庵漬けを持って、車に乗り込む。太陽の輝きはあるものの・・・スキンヘッドの頭がスースーして、寒い限りである。今朝は第九部の物語の切っ掛けが頭に上り、温い布団の中でストーリー展開を彼是と夢想して居た。そんな次第で、朝の始動開始が小一時間遅れてしまったのである。

 本日の二階席は、殊の外、賑やかである。女子高生二人の勉強組の横に座ったのだが、小娘二人は勉強に飽きたのか、教科書とノートを丸テーブルに開いたまま、お喋りに夢中である。自分の部屋から直行して来た様なラフなスタイルで、マイルールに居る様な片膝着きのザックバランな行儀の悪さである。そんな小娘スタイルと比較すれば、好色ヤクザもどきのロートルコンビは、実に行儀の好い処である。

「如何だったいな。新装一変の関西風軽口漫才の第八部は?」

「やぁやぁ、ガラリと違った切り口で面白かったぜや。ナターシャに善花も実物を知って居るから、ほうほう、こんな遣り取りも在ったのかいなってな物でさ。こんな風に会話体だけでも、その気に為れば、こんな面白い戯け話にも組み立てられるものかね・・・と、お前さん達の顔を思い浮かべながら、吹き出して居たわさ。
 さて、持ち球を使い果たして、次なる展開は、日本人編と行くのかね? あい、如何するだい。老い先短い女の棚卸は、全て娑婆に置いて行かなくちゃ、ウェイト・オーバーで、有体離脱したって、土台、ホバーリングタイムは、ショートタイムに終わちまうぜや。」

「甘い事こいて、何をこきやがる。そんな物騒な事はしねぇわさ。8編中4編に、ライオン娘が主役の座を張って居るんだから、墓穴を掘る前に、お節介のライオン娘が話のネタを運んで呉れるずらよ。まぁ、待ってましょや。<待てば、回(海)路の日より在り>って物ずらいよ。アハハ。」

 スタバの女店長さんが、第五部の返却に来られた。為るほど、ウクライナのライオン娘・ナターシャの人柄も、同性から支持を頂戴して居る様である。左様であるか。これならば、夢奇譚の主役の座を彼女に譲り渡して、私はシャーロック・ホームズ物語の相棒にして、記録掛かりのワトソン先生の役を仰せ付かれば好いだけの事である。第九部の大雑把なスケッチも浮かんで居る事でもあるし、ボチボチ進めて行けば良かろう。ウッシッシ~。

 戯け話ばかりでは、誤解・錯覚を頂戴して仕舞い兼ねない。そんな事もあって、直近日誌二日分の校正をし終えた6頁を女店長さんにプレゼントする。へへへ。

「今さ、本機の方が入院中だから、動画が見れ無くて、その分、時間が浮いちゃってるから、婆さんの部屋に居る事が多くなってるんだけどさ。間食をしない男と云っても、早々お茶ばかり飲んでる訳にも行かないから、駄菓子を買って来てるんだわ。Tに倣って、一々、気を遣わなくても済むしな。」

「そうだよ。菓子鉢に、色んなお菓子、蜜柑、バナナを入れて置けば、食べたく為れば勝手に食べるから、それの方が楽だぞ。俺ん処は、男同士だから、そうやって放って置くんだわ。お前さんの処は、婆さんの耳も頭も確りして居るから、会話が成立するんだから、幸せってもんだ。俺ん処は、不成立だぜな。」

「あいあい、有難い物さね。婆さん、俺と一緒に居て馬鹿話の相手しなくちゃ為らんから、この頃、血色が良くてさ。ありぁ~、長生きするぜや。つくづくと、気分、心の窓は、表情だもんな。血色の好いニコニコ顔されちゃ、戯け倅の軽口も進むしさ。
 それに何て云っても、血の半分は婆さんの血だろ。<ほれほれ、こう云う女の人が好きだろう。>なんて、生意気口を叩くしさ。介護・保護者を小僧っ子扱いだわね。困ったものさね。
 ありゃ、テレビと好みの女が画面に出て来ると、俺の目付きが変わるのを観察して、喜んでるって訳さ。心の中で、<ああ、父さんも女好きで、スケベな男だった。>なんて、半世紀以上も前の自分達の浮世絵草紙を思い出して居るのかも知れんしな。馬鹿を言う戯け倅に、言わぬ婆。どっちが正直者か、その真相は<謎の域>だわさ。にゃはは。」

「何の事は無ぇ。お互いに親子三人揃って、スケベって事だいな。あい。」
「それを言っちゃ、お終ぇだ。<正直者の判定や如何に>位で留めて置いて遣らなきゃ、大正女の品格に関わるってもんずらよ。あぃ。」

 隣席では、こんな大人の高尚話をして居る筈なのではあるが、女子高生二人組は、丸で勉強する気は無さそうである。<お母さん、私、○ちゃんと勉強しに行って来る。>なんて、コーヒー、ケーキ代をせしめて来て居るんだろうが・・・ 小娘達は、親の目に隠れて、土曜スタバの開放感にすっかりロング・タイムの沙汰なのであろう。アハハ。

 ホームセンター、スーパー寄りをして、遅い昼は、手抜きの即席ラーメンとする。


心何処ーショート ニャロ~メ、雨なんか降り遣がって。
         ニャロ~メ、雨なんか降り遣がって。(3/2/12)
 暦も弥生三月に改まって、初日の昨日は暖かいお天道の降り注ぐ日で、ウグイスの初鳴きの便りもブログに在った処でもある。明けて二日の本日は、温い目覚めの朝ではあった物の・・・ 雨でゴザンす。いやはや、一向に上がらぬ気温に、僅かに残る日蔭雪の溶け行く様を見ているだけである。

 朝食後の炬燵から去り難く、何杯も老母に日本茶を所望して、時間潰しの態である。

 人間だけが朝飯を食べ終わって、何時までも一服して居ては、玄関鳥がオカンムリであろう。餌吹きに外に出れば、雨も小止みに為って来て、家の中に居るよりも生暖かさを感じる次第である。

 昨夜は久し振りにクラシックムビーを、DVで流して居た。勿論、字幕スーパー物であるから、それをBGM代わりに就寝前のお絵かきタイムとして遊んで居た次第である。

 深夜の独りお遊びタイムであるから、鉛筆の線書きの後は、ボールペンで線をなぞって余分の鉛筆の線は、消しゴムで消す。流して居たのは、サスペンス探偵ものであったから、チラッチラッと見て居た映画の色調が、脳裏に刷り込まれて面白い作画が浮き上がって来た物である。カッターナイフで、色鉛筆を削りながら色付けをして行くと・・・ウ~ム、作画タイトルとしては、<犯人は、誰だ?>のムードが出て居るような感じに仕上がった。

★しめしめ、これも無欲の産出物である。描き溜めて置けば、何時かの折に、挿絵の転用とも為ろう。

 こんな風にして、完成した落書き絵を見て居ると、つくづくと人間のする事の背景には、<刷り込み>と云うか、<外部からの影響の影>と云った物が、知らず知らずの内に脳裏に作用して居ると云う事に気付かされて、苦笑いをしてしまう物である。

 其れ程までに、人間と云う生き物は、脳の発達故の刷り込み作用に晒されて居る動物なのである。する事も無いから、ボケ防止に脳内散歩でもして見ると致そうか・・・

 世には、<本能>などと云う思考上の刷り込みもある。動物が先天的に持って居る能力との事であるが、時々、吾がブログの生き物レポートの中の感想として、私は玄関鳥の繁殖観察から、我々世代の漠として広がる<動物の本能観>の多くの物が、幼少時の親からの刷り込みに依って、学習されて行く様をレポートしている次第である。

 人間の様な高度にして複雑な社会性を求められる生物にとっての刷り込み過程は、<或る意味では家庭の躾、学校での教育、集団関係での長い期間を伴った刷り込み学習の賜物による処が大なのであろう。>と考えられる次第である。基本的な最小限の躾、教育を受けて、人は教育機関を卒業して、後は自分自身の中に培われて来た自己と云う素材に磨きを掛けて、在るべき姿とか、自己の標榜する高見まで自己鍛錬をして行くしか無いのであろう。それは学窓を卒業して、成人してしまえば教育してくれる機関は、残念ながら、普通は無いのであるから。

 自己反省、自己鍛錬の訪れは、其々が遭遇する事象の中での個別のケース・スタディでもあり、友を選ぶ事で発生する自己と他者の相互的影響交換の模様次第で、人間の質とレベルを向上させて行くしか方法は無いのだろう。勿論、他者の中には書物・歌・映画ドラマ・自然などと云った諸々の物も、当然に含まれては居るのだが。

 自己・自我の中に、他者を投影する作用が無ければ、人間の味を醸成する広さ、膨らみ、深さと云った個人の味も生まれて来ないのは、当然の過程であろう。従って、鈍感・無関心な観察で在っては、人間の味の醸成には結び付かないのだろう。味無き、味薄き個人で在っては、相手との会話も表層巡りをするだけで、味も素っ気も無い一過性の義理会話に陥って終うだけの事である。

 どうせ、この世は<類は友を呼ぶ>と云うのであるから、私も願わくば、そう云った類の仲間入りをしたいのではあるが、中々に類入門の敷居が高い様で、汗顔の極みにして、体たらくの惰性日々を送って居るだけであるから、お恥ずかしい限りの身である。

 さてさて、こんな体細胞の足しにも為らぬ下衆の雑感を、小雨の窓外に求めて居ても仕方が無い。寒くは無いのであるから、合羽でも来て外の空気を吸いに言って来るべしであろうか・・・ へへへ、合羽に着る為にあるのでありまする。

Copyright © 心何処(こころいずこ). all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。