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旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

心何処ーショート やれやれ、今日で霜月も終わりである。
       やれやれ、今日で、霜月も終わりである。(11/30/11)
 朝一か、午後一でケア・マネさんのご訪問との事である。見苦しき処を見せる訳にも行かないから、起きて布団を上げて、掃除掃除の大忙しである。エンジンの掛りは悪いが、プラグに点火すれば親分無しの子分無しのロートルとて、手際は好いのである。誰も、褒めて呉れちゃ呉れないので、自画自賛をするしか無いのである。全部屋、廊下掃除をして、朝の賄いである。

 相変わらず体力の衰えで見た目には<拗ねた山姥状態>の老母は、クシャクシャに為った白髪頭を布団の中から出して、後ろを向いて居る。手の焼ける婆さんである。

「婆さん、そろそろ飯だ。用意をしておくれ。」

 へへへ、拗ねた様な山姥状態の老母と一緒に居ると、息が詰まる。然りとて、老母との二人の生活である。私が短腹を起こしてしまったら、それでお終いである。

「婆さん、口じゃ巧い事だけ云ってるけど、誰も介護はして呉れんのだぞ。食事位、一緒に食べて呉れよ。習慣を崩したら、同じ屋根の下で、バラバラだぞ。

 昔なぁ、俺が餓鬼だった頃は、そんな事をして居ると<お袋>に怒られたもんだ。シャキとせいや。有終の美を飾れよ。俺は、感情的に為って大声を出すのは、嫌だからね。

 四六時中、同じ屋根の下で息遣いを感じて生活するとは、お為ごかしの傍観者、一過性の口数の多さだけじゃ務まらんのだぜ。俺の感情を逆撫でする様な<幼稚な真似>はしなさんな。俺が最後まで務め上げるから、習慣だけは崩さないで呉れや。頼むぜや。」

 へへへ、吾が老母は、未だ呆けては居なかった。倅から耳の痛いお小言を頂戴して、ガバリと布団から起きて、ヨロヨロと洗面所に歩いて行く。いやはや・・・ちと言い過ぎたかも知れんが、こう云う事も『意識的』に言わずば為らない時も在るのである。

 何は兎も角、流石に吾が母である。物事の道理は肝に入れて、素早く行動に現わす事が出来るのであるから、私の採点でも十分な合格点である。ウッシッシ!!

 具沢山のうどんを作って遣ったのだが、些か多過ぎた様である。残し物を処分する。脱衣室から椅子を持って来て、

「婆さん、今日は日差しが在って、暖かい日だから、廊下で日光浴すると好い気持ちだぜ。」
と、声を掛けて自室に戻って、コーヒータイムである。

 さてさて、ケアマネさんは、午後の口らしい。然すれば個人スーパーへ行って、食材の買い出しに入って来るべしである。

「こんにちは~。ヤクルトで~す。」

 おやまぁ~、本日、ヤクルトママさんはしっとり別嬪さんの口である。確り冬に備えて、温かい下着を着込んで居るのであろう。血色も頗る好い。然れば、新作4枚を元に、セクハラトークでも致しましょうかね。

 へへへ、流石に品行方正な人妻さんである。私の裸婦画を素通りして、トロピカルフルーツと蝶、蜂をあしらった<バカンスの図>の中の、魚が新鮮で美味しそうとの御感想である。

 やれやれ、私はロシア女性とはフィーリングがピッタンコなのに、日本人女性には見向きもされぬ男らしい。嗚呼、お天道様の仕打ちもキツイ処でしかない。

 さてさて、買い出しに行って来るべし。卵が安かったから、煮卵でも仕込んで置くか。タラと里芋を炊けば、あっさりとした煮込みに為るかも知れぬ。

 ケアマネさんの後は、暖かい内に散歩の距離を伸ばしに行くとしようか・・・ 明日からは、12月師走である。

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心何処ーショート 本日も引き続き・・・ 
              本日も引き続き・・・(11/29/11)
 本日も、庭整理の続きである。いやはや、疲れるが遣れば、スッキリする物である。自然石の石灯籠が、すっかり南天に隠れてしまったので、その移動を思い付くが、如何遣っても重くて動かない。これとても、私が移動した物である。嗚呼、力の衰えは、歴然として居る。幾ら若かったとは云え、馬鹿力の見本の様な物である。

 然りとて、この歳でギックリ腰などしたら、身も蓋も無いから早々に諦めた次第である。

 為らば、残された手段は南天の移植である。スコップで穿って、二本を引き抜く。ミネゾの木の下の雪柳の横に、野面の好い大石がある。これなら、転がす事が出来る。石灯籠移動場所に置いて、その近くに南天二本を移植すれば様に為る。

  へへへ、力の衰えも、これで、十分カヴー出来る。而も好い据わり具合である。

 でかい声じゃ言えないが、私はセンスが好いのである。庭の落ち葉を掃き清めて、スッキリした庭木とレイアウトした庭の模様を、六畳の廊下上がりの大石の上に腰掛けて、徐に一服を付ける。私は人間界の煩わしさが嫌いで苦手であるから、一人黙々と肉体労働をこなして、自然の物を独り眺めて居るのが性に合っている。

 風呂も沸いた事でもあるし、軽めの昼食を取って、風呂に入りながら洗濯機を回して、風呂を老母に回すとしよう。

 その後は、夢奇譚第三部のジョービタキのバルディナの挿絵でも、コタツで描こうとの魂胆である。戯け画の挿絵は、連チャンではあるが、明日は水曜日でもあるから、ヤクルトママさんへのセクハラトークのネタ元にも為る。頑張るべし。

 本日、霜月末とも思えぬ温かい陽気である。一枚の構想は、これしか無いの余裕なのであるが、もう一枚が何んとも難しい。いざと為れば、ご本尊様をチョイと見せて、写真を消去してしまう手もある。男族にとっては、美人・美形さんは、共有のお宝なのである。決して、秘蔵などの下衆根性を働かせては為らないのである。そんな事をしたら、お天道様の罰が当たると言う物である。

          夢奇譚・第三部、ジョービタキのバルディナ挿絵

        ジョービタキのBシングルママバカンス




心何処ーショート 久しぶりのお絵描きタイム
            久し振りのお絵描きタイム(11/29/11)
 玄関周りの枝落とし、剪定をする。いやはや、さっぱり綺麗にバリカンの入った感じである。スッキリ感は、私のスキンヘッド見たいな物である。脚立に、ノコギリ、刈り込み鋏、剪定鋏で、ギーコ、ギーコにチョッキン、チョッキンな、パチン、パチンであるから、汗も掻く。

 切り枝、落し枝を纏めて、乾燥場所へ運ぶ。庭の方へ、脚立を移動したまでは好かった物の、昼食後の続行を考えていたが、寄る歳波である。疲れて終い、<明日に向かって走れさん>のコメントに従って、後日の仕切り直しとする。

 木の成長は凄まじいばかりの結果であるから、子細構わずスキンヘッドにする位が、丁度好いのである。これも、経験知である。半熟卵にパン、ヨモギ餅を出すが、手を伸ばさない老母である。食事中、テレビを一緒に見るが、作業が効いて来て自分の部屋に戻って、コタツの中で昼寝をする。

 人間とは、仕事を持って居るのが、一番簡単な事である。仕事をして居ると、下らない事を考えずに済むのであるから。さてさて、私も正常域の物臭生活のリズムに帰るべしであろう。些か、散歩に行くほどの気力も、労働で萎えてしまったから、<パットン大戦車軍団・前編・後編>を連続して観て過ごす。

 遺憾いかん。そう云えば、すっかりペースが狂ってしまい、最近は戯け画を、一枚も描いて居ないではないか。月が改まれば、美大出の髭のチャールズ・ブロンソンさんのガスの集金日も控えて居るのである。戯け画放談が無くては、お互いが寂しい限りである。

 晩飯後は、老母と水戸黄門を見た後は、コタツに当たりながら、戯け画の一枚でも描いて見ようと思う。

<夢奇譚・第二部、広葉樹原生林にて>の挿絵二枚を描いて見た次第である。一枚は、七面鳥の狩り図にして、他の一枚は、洞窟生活の一ショットである。こんな全裸体で何を話し合って居るんでしょうかね。吾ながら、真に以って、困った戯けでありまする。 

               <夢奇譚・広葉樹原生林にて>
               七面鳥狩り図    洞窟生活
              七面鳥狩り図_001洞窟生活



心何処ーショート 人間哲学の朝
                 人間哲学の朝(11/28/11)
 『何事も、無駄な事は無い。』と言い聞かせるのが、生活をする上での<人間の知恵>なのだろう。老母も、久し振りの次兄の顔を見て話が出来て、気分が解れたのだろう。普段の態度に戻りつつある。性格の違い過ぎる息子には違い無かろうが、比較対象をして見なければ分からない事が多過ぎるのが、人間の内面と云う物であろう。

 自分・自分の生活優先にして自問自答力の無いタイプと自分の事は一番後回しの自問自答優先タイプとの落差・齟齬(そご)は、如何しても行き着く先が、<人間の質とレベルの差>として提示されてしまう。

 若い頃は、精神が青過ぎたし、未来時間が一杯あったから、『己がべき姿』に闘争心も旺盛だったのだが、還暦も過ぎれば終焉の時は、否応無しに見え始めて居るのである。

 どんなに意気がっても、間の辺りに厳として横たわる落差と齟齬に、如何折り合いを付けて付き合って行くかが、これまた、人間模様の現世でしかあるまい。

 へへへ、お恥ずかしながら・・・色々、短兵急に有り過ぎた。そんな事を寝床で考えて居た。母の部屋の障子が開く音がする。

 まぁ、偶には、人間哲学のキツイお時間とお灸に晒されるのも、『生きている証拠』でもある。

 さあさあ、一日の始動開始である。布団を上げて、トイレ、歯磨き、湯たんぽのお湯で顔を洗う。台所で湯を沸かしながら、掃き掃除に玄関鳥の世話である。

「おっ母さん、飯は食べれるかな?」

 ベットの老母が頷いて、身体を起こそうとしている。はいはい、左様でゴザンスよ。好い歳をして拗ねて居てばかりでは、自分で自分を汚す<馬鹿の図>でヤンスよ。

 台所の窓も開けて、籠る空気の一斉交換である。老母もすっかり体力が落ちて、仕事であった私へのお茶注ぎも、ポットを押す力も萎えて、私の処に回って来た次第である。

「はいはい、俺が遣るわさ。気兼ねは、無用だよ。最後まで、寄り添うのが、倅の務めだ。」

 スローモーな食事と咀嚼振りを眺めて、老母の食事の終えるのを待って、食卓を片付ける。自室に戻り、モーニングコーヒーを飲みながら、一服である。一服後は、庭木の枝落とし、剪定をする算段である。本日、曇天にして、然程寒くは無い作業日に成りそうである。

 私としては、ピエロに徹した吾が心、誰か知るやの心象風景ではあるが、鈍感者に吐露した処で、齟齬と乖離が、益々、広漠と拡がるのみである。馬鹿にピエロは、演じられないのであるからして、私は選ばれたピエロと諦めるしか無いではないか。ピエロの内心は、確りとドーランで隠し通すのが、ピエロのプライドと道なのであろう。

         男が泣いたら、男が廃る。さぁ、活動開始である。


心何処ーショート 詮無き間柄
                詮無き間柄・・・(11/27/11)
 さてさて、本日も次兄が来てくれるとの事であるから、彼が朝飯を作ってくれるのを布団の中で待つのも良かろう。何しろ、本日、日曜日である。そんな底意地の悪さも出て終うのが、人間と云う物である。へへへ、困ったものである。ノンビリ構えて、山姥状態の老母に、『何もしなくても、腹は空くわな。』と憎まれ口を利かれても、芸の無い事でもある。

 ニャロメと老母の部屋にベロを出して、朝の始動開始である。布団を上げて、掃除をしたり、玄関鳥の世話をしながらの朝の賄い夫である。老母の部屋の障子を開けて、廊下を開けて掃き掃除と空気の入れ替えである。当然に老母は、ベットに寝ているだけである。

 朝は、鍋焼きうどんとする。ネギにチクワ、テンプラ、卵を入れて煮込む。カブの甘酢千枚漬もどき、白菜の塩漬け、挽肉入りキンピラゴボウ。これなら、文句もあるまい。食べ終えて、片付けようとして居ると、次兄が買い物のレジ袋を持って、廊下から入って来た。おやおや、これから婆さんの食事の支度をする心算らしい。

 へへへ、何をや云わんかの超戯け振りである。オカズを作って行くと言うから、作っても残るばかりだよ。食べる分は、冷蔵庫に食材が入って居るから、それを使えば好い。食べない物を置いて行かれても、整理する俺が困るだけだから、持って帰ってくれ。

 そんな事をするよりも、子として兄として、賄い夫の俺に応分の経済援助をするのが、常識だんね。向き合って、話し合って行ってくれれば、俺の負担も減るし、婆さんも喜ぶでしょうが。老齢の親を介護するとは、そう云う事だわさ。まぁ、ゆっくりして行きましょ。俺の息抜きにも為らぁね。

 私は洗濯物があるから、洗濯を始める。そうして居ると、案の定、老母様は、親面をして、折角来たんだから、一緒にお茶を飲めとのお達しである。吾が母ではあるが、倅達の調整役も出来ないオンブにダッコ状態で、気の合う次兄が来たからと云って、親権を振り回されたとて、アッシャ~、拒否権の発動でヤンスよ。へへへ、この位の対等関係も在って好からずよ。

 何しろ、小さい頃から、反りが合わずに活け好かない性格の男であったから、中学生の二、三年に為ると口より先に鉄拳の出る私は、殴り合いの喧嘩をして、何度も叩きのめして遣った下らない男である。
 ああ云う口先だけの優柔不断タイプの男が、母性本能を擽るのであろう。散々、金の無心はされたが、こっちは一度たりとも、次兄の世話には為らなかった。私としては、反面教師の様な立ち場であった。好い歳をカッパラッテも、カカアに頭が上がらないらしい。

 然りとて、親子兄弟であるから、<最低限の長幼の序>は、守らなければならない。携帯を持って、散歩に出掛ける。曇り空ではあるが、10月に逆戻りの気温と予報されて居た通りに、暖かい日である。S大球場から中学、高校の間を通って、護国神社に入る。中学のグランドでは、サッカーの練習試合が、お神社さんでは、七五三の参拝客の姿がある。本殿をバックに、記念写真を取って居る三代親子の姿が、微笑ましい処であった。

 境内の弓道の的場を横切って、その上の旧納骨堂の公園に足を向ける。林のベンチには、お馴染みの年寄り仲間が、話しを交わし、小さな運動場では、70~80代の年寄り達が、ゲートボールに興じている。

 次は住宅街の路地を進んだのだが、行き止まりで引き返す。再びお神社さん横の道に出て、大通りの信号を渡ろうとすると、梢に小鳥の声である。ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラの混成群れである。暫く、彼等の樹上の姿を見上げて居た次第である。

 大通りを渡って、銀杏並木の歩道を行くと、ボランティアさん達の落ち葉集めのグループが居る。大きな声で、皆さん溌剌とした動きである。今度は、体育館・県文会館敷地の桜の林に進む。実を落した公孫樹のギンナンのあの臭気がプンプン臭う。

 林の奥は、マレットゴルフ場に為って居る。何処かの町会か、グループの大会なのであろう。20人近くのロートル男女が、カッキィーン、カッキィーンと競技の真っ盛りである。そんな中を、人相風体の悪い私が歩いて行くのであるから、ロートルさん達が場所を開けて呉れるのである。

<私は、人畜無害の男ザンスよ。>・・・とほほ。私は、余程の迫力で、ガラの悪さなのであろう。『失礼します。』と頭を下げて、林の中の散歩道を歩いて、S橋を渡る。土手道から、河川敷に下りて、川模様を見て歩く。

       ポケットの中で、携帯が鳴って居る。弟からである。

「如何した~。」
「おぅ、今は散歩で正常域だわさ。折角、ご紹介頂いた<賄い夫さん>だけど、ありぁ、駄目だいな。」
「おぅ? おぅ、ああ、次兄さんかい。流石だ、巧い事云うじゃんかい。へへへ、一事が万事で不採用かい。今、仕事でさ。三時半って云えば、顔出せるぜ。待ってましょや。」

 家に帰り、脱水した洗濯物を取りに廊下を歩いて居ると、締め切った障子の中から、老母と次兄のボソボソ話が聞こえて来る。老母が話して居るのであるから、これも好いプレゼントの内である。気の合う親子水入らずに、異気質の私が入るより、余程好かろうに・・・武士の情けの分からぬのが、何んとも遣り切れぬ本音でもある。

     12時を回った頃、次兄が部屋のドアをノックして帰ると言う。

「はいはい、御苦労ざんした。アリガトさんね。」である。言っても詮無き物は、所詮、詮無き物でしかあるまい。これも、親子・兄弟関係である。

 さてさて、近日中の沢庵漬けにしなければ為らない、庭の大根干しである。首尾は如何か・・・大根マッサージでもして、大根内部の水分を解きほぐして、後、一、二日の天日干しで良かろう。先ずは、点検であろう。

 小さい方は、すっかり干し上がっている。弟が来るのが3時半と云えば、漬け込んでしまおうか・・・ 明日は脚立で、四畳半窓辺の雑木(コブシ)の枝落としを、して置いた方が好かろう。唐辛子、漬け物昆布などの調味料を買って来て、沢庵漬けの仕込みである。タライに庭の大根を放り込んで、台所に胡坐を掻いて、ヌカ、大根、柿の葉・ナスの葉、塩、ヌカと漬け込んで行く。要は、その繰り返しである。

 好い具合に漬け物容器二つに収まった。硬大根容器の重し代わりに、ミヤシゲ大根の容器を乗せるのであるが、大丈夫かな・・・。見るからに相当な重量である。こう云う物を見ると、単細胞人間としては、『原始男の闘争心』がムラムラと湧いて来るのである。本当は、半殺しの目に合わせたい男が二人居るから、そいつ等に若い頃鍛え上げた蛮力を、如何無き発揮して<野生の雄叫び>を挙げたいのが、吾が本音である。

 まぁ、そんな怒りを集中させて、コナクソォ~。やっ、一発で挙がった。オゥリャ!! 腹に抱えて歩いて、ドスン。如何じゃい、見たか。いやはや、私はマダマダ、腕力に於いては、十分現役の様である。

 台所、庭の干し台を片付けて、落ち葉掃きをして、嗚呼、終わった。アッシャ~、腰が痛いわね。自室四畳半で、一服付けである。3時を回ったか。丁度好い時間である。

 へへへ、庭に居た時は、柏の木に、部屋に居れば窓辺の雑木に、ジョービタキのバルディナさんが、何声か鳴いての姿見せである。二世を襲名した彼女も、2年目の冬である。すっかり私の存在を認識して居るのであろう。


心何処ーショート 穏やかに、ヤクザもどきのコーヒータイム。
       穏やかに、ヤクザもどきのコーヒータイム。(11/26/11)
 次兄の用意した食事も、食欲が無くて食事は要らないとの事である。ネギを刻んで、大急ぎで卵焼きを作る。食事の用意をして、三人で食べる。へへへ、これでは、役に立たない助っ人である。

 いやはや、参りました。ナンジャラホイ。Tの電話である。清々しい好天に、外でTの車を待つ。土手のケヤキの大木の灰褐色の皮を剥がしながら、好天の空気を吸って居るとTの車である。

「おいおい、幾らロシア女のムッチリ感に似て居ると云っても、そんな木の股ぐらに妄想働かしても、如何にも為らんズラよ。無駄な妄想ゴッコは止めときましょや。」

「おいおい、今日は上天気だね。こりぁ、コーヒースタバも、きっと暑いぜや。」

 コーヒーを注文しようとすると、今日は俺の番との事である。定位置の壁際席は埋まって居るから、窓に面したソファ席である。これで、煙草でも吹かせると、好い雰囲気なのではあるが、禁煙は時代の趨勢でもある。

 如何云う訳か、益荒男の臭いがプンプンした番から男子高の思い出話に、花が咲く。昨日は、何十年か振りに前の会社の同僚と顔を合わせ、暫し立ち話を交わした処である。同年で、髪の毛は黒く染めてフサフサしては居たが、余りの精彩の無さと草臥れた顔に、吾が目を疑って終った。

 毛無し、金無し、女無し、止めが甲斐性無しのロートル閉じ籠り賄い夫の私の方が、数段、若いではないか。兎に角、我々団塊世代が退職して、街に溢れ出ているそうな。遣る事が無い様で、イトーヨーカドー、ジャスコ、ホームセンターには、そんな男達が、ウロウロしていたり、ベンチで口をあんぐり開けて、舟を漕いで居たり、コーヒーなどを飲んで居る姿ばかりと言う。

 人間とは習慣の動物であるから、人生の大半を仕事で埋めて来たのであるから、定年退職でお役御免と為れば、そうそう、第二のステージを趣味の探索で日常習慣としてこなして行ける人間達は、少なかろう。ステージが変わったからと云って、趣味が突然に湧き起こる訳も無いのが、これまた人間の性と言う物であろう。

 昨日の飯話では無いが、Tの場合は父親であるから、<おっ、そうか。じゃあ、勝手に食えや。>で、其の儘、自室に帰って知らん振りを決め込むとの事である。左様であるか。Tらしくて、それも親子の関係である。Tの処の吊るし柿も、小さく粉が吹いて来たとの事である。

「吊るし柿にして居ない方は、孫が来て興味深々の様で、ジジイジ、これ何」で、美味そうに食べているとの事である。

「そうかい、じゃぁ、吊るし柿の方も、半分以上は、孫に食べられちゃってるだろ?」

「あれは、俺専用だから、俺だけの物さ。まだまだ、一杯に白い粉を吹かして、味わって食べるんさ。
 あれだね、お前さんは、見え過ぎる目を持っているから、何かと大変だな。でも、一家のオヤジだから、しゃー無いわな。鋭くて、解決能力のある奴は、大変だわな。
 さて、パッパでも吸いに行くかいね。」

 本日は、トイレ洗浄剤、風呂釜洗浄剤を買って、沢庵漬け用のヌカ、ナスの葉、塩を買って行きますかな。ホームセンター、大手スーパーで買い物をして行く。

 如何云う訳か、オバちゃん連中に、スキンヘッドの吾が顔を見詰られて仕舞う。へへへ、スキンヘッドが、好く似合って居るでガンしょう。お代は要らないよ。こんな好い男は、早々は居らんからね。ゆっくり見て行きましょや。

 本日の散歩もして来た処でもあるし、野菜整理にキンピラゴボウを仕込んで置きましょうかね。

 老母は次兄に任せて、本日二度目の日誌打ちでもしようか。買い物食材を冷蔵庫に収納して居ると、玄関が開いてドサリの音である。斜向かい吟さんが、大玉白菜二つ、玄関廊下に置いて、ニヤニヤして居る。

「はいはい、アリガトざんす。セッセと食べるぜね。」

 次兄さんは、用事があると云って、滞在時間4時間未満で帰って行った。へへへ、相変わらずの<お為ごかしの口先男>である。お前さん、そりぁ退屈ではあろうが、親と向き合うと云う事が、少しも分かっちゃ居らんでは無いか。俺は4年間、毎日だぜ。

      だから、俺は、お前さんとは付き合わ無いのさ。へへへ。

 今次東日本大震災では、被災者に<寄り沿う>などと云う言葉が、マスコミのアナウンス効果で、平気で口に出るのではあるが、日本人の中から、土臭さ、直向(ひたむ)きさ、型に嵌って堪えるの自己犠牲の美徳が薄れて、自己中心の価値観の蔓延振りである。ただただ、呆れ返るしか無いのが実情である。

 言葉をアクセサリーにしたら、この世は無機質世界ですぞ。兄ちゃん、確りせいや。あい。


心何処ーショート これも、兄弟、親子の図なり。
              これも、兄弟・親子の図なり。(11/26/11)
 拗ね老母の気分解しには、2時間も掛って仕舞った。いやはや、コンニャロメの心境である。老母と夜の天気予報を見て居ると、松本地方はマイナス3℃との事である。こりぁ、いかん。庭の大根を夜、廊下に取り入れた処である。

 朝は、一服を付けて布団を上げて、部屋の掃き掃除。大根を廊下から庭の干し台に並べて、朝の賄い夫の台所仕事に取り掛かる。未だ、起きて来ない老母であるが、気は心である。部屋を開けて空気の入れ替え、掃き掃除をパッパの段である。起きて来るまでの間を、汚れたガス台、流し台などの洗いをしていると、次兄が入って来た。

「おっ、チョイと待っておくれ。洗い物を終わったら、台所を渡すからね。」

 へへへ、弟が、昨日の話で電話したのだろう。やれやれ、日頃の罪滅ぼしに、食材を用意して来た様である。再び、台所に来てボソボソ喋る次兄のお為ごかしの面を見ると、癇癪玉に火が付いて仕舞った。

「俺ん処も、色々あってさ。もう限界だ。婆さんに美味いもんでも作って遣ってくれや。俺にだって、感情表現する自由はあるだろう。婆さんと気が合うんだから、ゆっくりして行きましょや。俺は婆さんの部屋には行かんからさ。俺の飯も必要無いわさ。」

「Yに言われて来たんだけど、急なんで今日は四時頃に帰るけど、明日は泊りに来る。」

「泊りに来たって、何にも為らんでしょうが。甘ったれるのも良い加減にしろや。冗談じゃねぇぞ。まぁ、親子だぜ、ゆっくりと向き合って帰んなよ。俺は、これから散歩に行って来るわな。」

 何を考えとるんじゃい。手前も大学出てるんだろ。根本の感受性も感性も無い男である。

 靴を履いて、煙草とポケット灰皿を持って河川敷に下りる。無風の快晴の青空である。アルプスの初雪が、初冬の輝きを見せている。へへへ、婆さんと次兄さんには、胸にグサリと来ちゃいましたかね。まぁまぁ、これも、自己感情表現の自由の一つなのであるから、私一人が背負い込んで居たら、遅かれ早かれ、精神病棟送りと為って仕舞う。致し方無しと云った処であろう。

 頭に来た時は、外に出て漫ろ歩きをして、感情・脳味噌のウジャウジャを自然観望・お天道様の光の中で、総体比較するのが一番の処方箋なのである。些か寒いが、この時間帯は、真面目な散歩者の姿が、3、4ある。

 川面を覗くと、凄い透明度である。底の石々が手に取る様に見える。哀しいね。切ないね。いやいや、こんな物を見て居ると、自分の心の底を見て居る様で、何んとも遣り切れない思いである。漸く、気温も上昇して来て、運動体温も上昇して来た。

 河川敷の光を一杯浴びたベンチにどっかりと腰を下ろして、青空に浮かび上がるアルプス連峰を目に、一服を付ける。団塊世代の男には、煙草は無くては為らない物である。ベンチの足元を見れば、煙草のポイ捨てである。それらを拾い集めて、携帯灰皿に入れる。コーヒーの空き缶も一つ。

 へへへ、遣り切れませんわな。下衆ばかりの世の中に為って終ったら、日本のご先祖様に、申し訳が立たんでしょうが。困った輩の大跋扈である。

 家の近くまで来ると、水柳にジョービタキのバルディナさんが、尾羽のタクトでお迎えである。お前さんは、可愛いねぇ、健気だねぇ。
 
 さてさて、本日土曜日である。心友Tとのコーヒータイムである。心友に、険しい顔を見せる訳には行かぬ。修行の足りぬ情緒不安定さは、心友に対して失礼である。心落ち着ける写経代わりに、本日の一文でも打って置こうか。

 久し振りに顔を出して呉れた次兄なのであるから、社交辞令で母の部屋で、お茶でも飲むべしである。いやはや、定めと云えども、引き受けた物は、難儀な事である。


心何処ーショート やれやれ、還暦過ぎての一丁前かいな。
      やれやれ還暦過ぎて、一丁前かいな・・・とほほ。(11/25/11)
 朝日は当たる物の・・・寒い寒い・・・色々有ったのであるから、こんな寒い朝は、不貞寝をして居たい気分である。湯たんぽを両足で抱え込んで、スキンヘッドに毛布を被って、朝のラジオを聞く。

            電話が一本。はいはい、アリガトさんね。

 さてさて、起きなければ、一日は始まらないのである。空気の入れ替えに、廊下の敷居に腰掛けてタバコを吸う。湯冷めの白湯を飲んで、布団を上げて掃除、掃除である。玄関鳥の世話をして朝飯の用意をする。この処、すっかり食欲不振で飯も食う気に為らないが、何といっても吾が仕事は<賄い夫>である。冷たい水で食器を洗い、老母の部屋を開けて見る。いやはや、気が滅入るほどの山姥状態である。

 はいはい、御免為さって、真似事掃き掃除をさせて貰い、廊下も掃く。飯は食べれるかと気遣いの声を掛ける。頷くものの・・・一向にベットから起きる気配も無い。いやはや、これは一大事かも知れぬ。医者を呼ぼうか、兄弟達に電話を掛けねば為るまいか・・・

 残り飯で、オジヤにすべしで、薬味としてネギを抜いて来て刻み、卵を落とす。

 食事を運びながら、具合が悪いか、食事が出来ないかと気遣いの言葉を掛けると

「腹は、空くわな。」と来たもんだ。一気に癇癪玉が出てしまった。
「戯けた口を利くな!!」炬燵板をひっくり返したい程の激震が走ったが、深呼吸を二つ、三つして、飯を注いで遣るしか無い。へへへ、私もロートルに為って、すっかり肝が長くなった物である。

 これを称して、世間では<成長>と云うらしいが、私としては、『鈍感力』が身に着いて来たとの感である。すっかり<鈍感の退歩のザマ>でしか有るまい。不貞腐れ状態の山姥の顔を、倅の上から目線で睨みながらの、老母と倅の食事風景である。

 老母のゆっくりゆっくりした食事を見守りながら、食事を片づけて携帯を持って、外に出て河川敷のベンチに座る。こんな時は、口だけ男の次兄に八つ当たりの電話を掛けたい衝動に駆られるが、そんな事をしても何の効果もあるまい。思い直して、弟に電話を掛ける。

「おう、今日は、現場は何処だい? おう、そうかい、じゃ昼飯時に顔を見て、煙草でもたかりに行こうか。」

 気の合わない兄弟の顔を見るよりも、弟の顔を見て居た方が、気分が治ると云う物である。仕事現場は、母校(高校)の近くだとの事である。住宅地との事であるから、自転車散歩が好かろう。

「おい、聞いてくれや。あの糞婆~、人が飯の用意をすりぁ、具合が悪くて食欲が無い。腹が空いたら可哀想と、パン菓子とか、和菓子を用意して置けば、それも食わず。毎日残飯整理だぜや。こっちだって、神様じゃ無ぇぜや。鬼の倅が、若い頃の罪滅ぼしで、下出に出てりゃ、生意気な口を叩くもんだぜや。アホらしくて遣っちゃ居れんわな。」

「お怒り御尤も、然れど<腹は、空くわな。>じぁ、振り上げた拳骨を下ろす処が、無いわな。Rちゃも、肝が長くなったものだ。男同士だから、<こんな事は、そりあ、無えずら、糞婆あ!!>で、笑って済んじゃうけどさ。

 介護の兄貴にして見りゃ、そりぁ、ドタマに来るわな。俺がそんな事を言ったら、完全に殴られちゃうからな。あれだよ、爆発させちゃ行けねぇよ。俺達は、背骨の入った男だぜね。グッと堪えて、屁をぶっ飛ばすのが<番から男子校の訓え>だぜね。
 あれだな、昔だったら、婆さん、そんな事、Rちゃに言ったものなら、言った途端に張り飛ばされてるわな。ギャハハ~。

 おっかない倅に、おっかねぇ兄貴だったものな~。でもさ、親は子供に還るって云うから、しゃー無いわな。やぁ~、うちの兄貴も、大人に為ったものだいなぁ、イヒヒヒ。

 こんな話は、若い頃は、兄貴はプライドが高くて、一切口にはしなかったのにさ。歳を取ると、親も兄弟も、こんな話をケロッとした口調で、どっかから聞いて来た様な口調で打ち明けてくれるんだから、笑っちゃうわね。兄貴、やっぱ還暦越えをしなきゃ、人間味は出て来んわね。」

「婆ぁに悪態こかれて、弟に成長したとおちょくられて、俺ぁ、立つ瀬が無かんべよ。さてさて、お前さんの顔も見た事だし、帰って長座布団でも買いに行って来るか。<男心は、男で無くちゃ、分かるものかと諦めた。>・・・明治は遠く為りにけり。男心の団塊世代も、遠く為りにけりってな物だわな。嗚呼、嫌だねぇ、このご時世は。
 
さて、帰るわな。あんまり家を空けると、糞婆が捻くれちゃうからな。ニャロメ。」

「あいあい、何にもして遣れないけど、婆さん、頼むよ。車を直しに近日中に顔を出すから。怒っちゃ行けねぇよ。相手は、幼児だぜね。何かあったら、電話くれや。すっ飛んでくからさ。兄貴は、男だね~。頑張っておくれ。」

「仕事の邪魔をしたな。アリガトさんよ。じぁな。」

 いやはや、私は貧乏くじも好い処である。それにしても、好いお天気さんじゃ御座んせんか。自転車通学の頃を思い出して、ペダルを漕ぎ上げましょうかね。


夢奇譚・第三部 ジョービタキのバルディナ。
       夢奇譚・第三部 ジョービタキのバルディナ。(11/24/11)

 <その1>
 庭楓の紅葉映えが、見事である。今年の吊るし柿の出来は、初期乾燥の肝心な時の雨が、災いして不出来に終わるだろう。物干し竿に掛かる吊るし柿に洗濯物、庭には大根が早食用のミヤシゲダイコンと遅食用の形の小さな硬大根が、200本前後並べられている。黄葉の山ツツジの間、緑を保ったサツキの間からは、野菊と化した小菊の白、黄、薄紫の花々が、去り行く霜月に風情を見せて居る。

 霜月下旬の日向の小風に、それらが揺れて居る。米屋さんついでに、米糠も貰って来るべしである。セーターの網目から入る小風は冷たいものの、ペダル漕ぎは気持ちが好い。

 四畳半からバターピーナツとレーズンを小鉢に盛って、煙草、ポットを持って、庭の見える二畳小部屋に移る。

 まずは、軒下の干し柿を一つ毟って、ブラック・コーヒーの供とする。蕩ける甘露に、コーヒーの苦みが、丁度良い。口直しの白湯で口漱ぎをして、煙管煙草を吸う。ラジオを付けるが、電池切れの様である。先ほどまで、テレビが入って居た老母の部屋であるが、テレビが消され、老母殿はベットの中でのマドロミの最中なのであろう。

 火の気の無い小部屋にも、寒さが伝わり始めて居る。夕食の賄いまでは数時間ある。私も、吾が居住区に戻って、炬燵で暫しの転寝をするとしようか・・・

 枕を頭に、炬燵に大の字である。へへへ、これが物臭男の日常の姿である。

 <その2>
 私の肩口には、ジョービタキのバルディナさんが、止まってクワッ、クワッと尾羽タクトで、私の頬を軽く突いて居るでは無いか。

「アナタ、覚えてますか? 一緒に仕事するって話。私は覚えてますよ。私は、南のアイランドで何しますか?」

「おうおう、覚えて居るわな。昼は仕事仕事、夜はセックスセックスだったわな~。」

 ジョービタキが、バルディナに変身して居た。彼女は、ポッチャリとした皮下脂肪の雪の様に白い肌と、髪質の細い銀髪に近い金髪にして、グリーンに近い色で不思議な瞳あった。兎に角、顔付、身体付きからして、柔らかさ漂う穏やかさと和みさを湛えた観音様の様な美形さんであった。
 そんな事で、北国よりの使者・ジョービタキのメスに、私は彼女のイメージを重ね合わせて、北国の観音様として、彼女の名前を取って、バルディナと名付けたのである。現在、我が家の庭を縄張りの中心とするジョービタキのメスは、その二代目である。
 私としては、二代目さんは未だ若過ぎるのだろうか、まだまだ柔らかみの出て来ない処が、今一の感がして居る処なのである。

 そんな事などが、一気に蘇って来る。彼女が私の後ろに回って、スキンヘッドの頭頂部に軽くキスをして、フフフとばかりに両足でグイと私を胴締めするや、両腕を羽ばたかせる。

「アナタは、何も心配要りません。全てを私に任せて下さい。良いですね。ホホホ。」

               にこやかな笑顔である。

 それを二度三度繰り返すと、再びジョービタキに変身したでは無いか。私はいとも簡単に、部屋から抜けて初冬の青空に舞い上がった。

 もう、これは完全な夢奇譚第三部への突入である事は、間違い無い処である。

 <その3>
「アナタは、何処のアイランドに行きたいですか? 何処でも思いのまま、一飛びで行けますよ。」

 小笠原諸島か、いや待てよ。これは、夢奇譚の始まりなのである。私を掴んで飛んだとしても、彼女には殆ど負担は無い筈である。今度は趣向を変えて・・・見るべきであろう。

「悪い。引き返して、ちょっと金を持って行こう。何しろ、今は円高じゃないか。為替差益でバカンス気分も一興だぜ。そうだ。ロタ島だったら、煩い観光客も居ないから、二人きりで、ノンビリ出来るだろう。あそこなら、一度行った事がある。」

 異次元飛行が、ジェット飛行機より速いとは、正にこの事である。何も無い事を最大の売り込みとする日本人オーナーのホテルが一軒ある。サイパン島からの小さなオンボロ遊覧飛行機が離着陸する小さな滑走路の店で、南洋小島のバカンスに似合った二人の服と水着を買う。タクシーでホテルに向かう。

 本来ならば、此処はロタ島の雰囲気を些か描写したいのが、吾が習い性なのではあるが、兎に角、南洋風景はそっちのけで、積もる思い出話が、次々と口を突いて出て来る始末である。それでも、初冬の信州からの一っ飛びであるから、如何せん、身体が付いて行けないのである。

「おう、アナタ、夏ですねぇ。とても暑いです。」

「初雪便りの信州から、常夏の南洋小島だもんなぁ~。似合ってるじゃないか。美人さんは、着ても着なくても、何時も美人さんだわな。アハハ。」

 バルディナは、柔和な心優しき美人さんである。よくずっこけたデートをしていた物である。彼女は、モスクワ郊外の出身者である。私をクレージーなコメディアンと笑い、行き違いの喧嘩をすると、本気だから丸でハズバンドとワイフの喧嘩と怒って、私はパンチを食らい、彼女は泣く事もあった。

 私は離婚して独身の子持ちだから、アナタをロシアに連れて行って、私とコメディアンのコンビを組めば、仕事に為ると言われて居たのであるが、へへへ・・・

「私は、ジョービタキに為って、毎年冬の間は、アナタの家の庭で暮らしていましたから、アナタの日常は、好く知ってましたよ。私の写真も、アナタの書斎に在りましたからね。中々、真面目な暮らし振りでしたよ。」

「そうかい。俺もさぁ、何か単なる冬の渡り鳥以上の親しみを感じて居たんだけど、やっぱり、バルディナさんでしたか。まぁ、二代目なんだけどさ。一代目のバルディナさんは、お前さんそっくりでさ。色んな思い出が蘇って来て、閉じ籠り賄い夫生活も、寂しくは無かったわね。」

「私も、そうですよ。でも、アナタは一人で居る時は、引きしまった怖い顔ばかりですよ。私は、何時もスマイル、スマイルって言ってたでしょ。笑顔の方が、男前ですよ。私の日本語のラブレター覚えてますか?」

「ああ、覚えてる。<いつも、あなたのことをかんがえている。あなたのことで、あたまがいっぱいです。>だろ。結構、上手なひらがなだっぜ。」

「おぅ、そうです。私、一生懸命、練習して書きました。嬉しいですね。ホホホ。」

 <その4>
 ホテルの部屋には、テレビは無い。ラジオカセが在るだけである。クーラーも無く、カラン、カランと回る扇風機があるのみである。海が近いから、浜辺の椰子の林を歩き、海で泳ぐ。疲れれば、椰子の葉影のシートで缶ビールを飲んでまどろむ。朝食も昼食も夕食も、他に無いから全てホテル任せである。

 季節の所為か、潮の干満差が大きくて、午前中は、引き潮で大分先まで、海が退いてしまう。サンゴの凹凸に、小蟹、ハゼ、シャコ、名前は知らないがカラフルな熱帯魚達が、汐溜まりの中に、泳ぎ回っている。

 浜辺の椰子の林の中を歩けば、蝶も、昆虫も飛んでいる。ブーン、ブーンの羽音に、椰子の幹の先に目を遣れば、幹の小穴に蜂が飛び交って居る。常夏の花々もカラフルで、熱い太陽に好く映えて居る。海上には、等間隔でシュークリームの様な積乱雲が一様の高さで、珊瑚の海と青い空の間に掛って居る。何処までも、解放感を進める南洋の光・風・青と白のコントラストである。白いビーチに椰子の葉の緑が、サワサワと戦(そよ)ぐ。

「おいおい、見てみろよ。ありぁ、ミツバチの巣だぜ。」

「おぅ、おぅ、ミツバチ!! 私、蜂蜜大好物です。アナタ、木に登って、蜂蜜お願いします。パンにバターと一緒に、たっぷり塗って食べたら、ナチュラルハニーでグットテイスト間違いなしですよ。アナタ、私にプレゼントして下さい。」

「おいおい、そりぁ、勘弁して呉れや。俺は、高所恐怖症だ。お前さん変身して、少しばかり拝借して来てくれよ。」

「それは、ダメです。ハチに刺されたら、私、凄くブスに為るでしょ。アナタ、パロパロでしょ。アナタが好きなのは、奇麗な女だけでしょ。
 ええ~と、ちょっと待って下さい。アナタの面白い言葉・・・ ええ~と、何何・・・おぅ、そうそう。<冗談こくな。そんな事ぁ~、真っ平、御免よ。>で~す。オホホ。」
 
「いやはや、お前さんは、頭が好いわな。それで、思い出したんだけど、私、アナタの事、凄く、物凄く恨んでる。なんて言葉を聞いた時にはさ、びっくらこいたぜや。日本人だって、<恨む>なんて言葉は、普段は耳にしないからね。
 
 明治期の文学には、ロシア文学の影響が強かったらしくてさ、文学・演劇にも、ロシア民謡の調べも、結構、色濃いって話だ。自然観に共通したものが、流れて居るからなんだろうと思うけどさ。
 感性って云うのは、理屈じゃないからね。日本人には、ロシア的為る物が、ロシア人には日本人的為る物が、根底には流れて居て、それが響き合う部分が在るんじゃないかね。」

「アナタ、全然、変わって無いですね。アナタは、私に色んな事、教えてくれましたからね。お店の中じぁ、一番のクレージーで一番のスケベ男なのに、一歩、外に出ると、真面目で、行儀が良くて、インテリさんでしたからね。そして、トークが滑らかで、ユーモア一杯で、楽しかったですよ。

 お店のママさん、マスターが、伊達に紹介してくれた人じゃ無かったですからね。フィーリングが、最初の時から、合ってましたからね。初めての日本。六ヶ月間のホステスの仕事は、アナタが居てくれたから、とても好い思い出に為ってますよ。でも、ホステスの仕事は、ダメな仕事ですから、心が、ダメに為りますからね。アナタに言われましたよ。あれから二度としてませんけどね。私は、アナタと同じで真面目ですからね。」

 <その5>
 こんな具合に、付き合いのあった頃と、同じ様に自然体で、会話を楽しんで居たのだが、人間とは、可笑しなものである。何もしないと、やはり充足感が満ちて来ないのである。

「如何だい? 飽きて来るだろう。このロタとサイパンの間に、無人島に為って居る島があった筈だ。其処へ行かないか。こんな事をしていると身体が鈍るよ。」

「おぅ、好いですねぇ。実は私も、退屈して来たんですよ。これって、異次元ワールドなんでしょ。もっと、二人で協力して一日を充実させましょうよ。アナタと居れば、何しても面白いですからね。明日、チェックアウトして、私、変身しますから、連れて行って上げますわ。」

「そうだな。じゃ、これから、自給自足用の釣り具、シュノーケル、ヤスとか、サバイバルナイフ、当面の食料でも調達に行こうよ。」

「おう、それグッドアイデアです。ラジカセに電池も買いましょう。ノートとボールペンも必要でしょう。私は、スケッチブックと絵の具を買いましょう。ハズバンドとワイフしましょうか。何も無いから、本も必要ですよ。アナタは、店一番の物凄いスケベでも、本当は、インテリさんですからね。」

「おいおい、<物凄い>で思い出したよ。店仲間のふざけた女が居てさ。<アナタ、可哀そうね。バルディナにポイされた。バルディナは、今、男とモーテルだ。>とからかわれて、その話をしたら、お前さん凄い剣幕で怒り始めて、もう絶交と言って、店一番のスケベ、アナタ物凄く厭らしい女好き、浮気者、殺して遣るなんて、言い始めてさ・・・ 

<煩い。馬鹿女。迎えに行って遣るから、コーヒーでも飲むか>と言ったら、泣き腫らしているから、今、物凄くブス。嫌われるから、化粧する時間をくれと言ってさ。15分が、25分で折り合ってさ。迎えに行ったら、車に乗り込むや、俺を蹴飛ばすし、パンチを頂戴するわで、エライ目に遭わされたわさ。アハハ。」

「ああ、覚えてます、覚えてます。あれは、仲の好いハズバンドとワイフの喧嘩でしたね。あれも、楽しい思い出ですよ。アナタは憎めない好い人でしたからね。
 よくデートしましたね。ドライブして疲れると、私が誘って車の中で、キスタイムしてましたしね。フフフ。
その癖、お蕎麦屋さんの座敷で二人限りなのに、私がこっちにいらっしゃいって誘うのに、離れて座って・・・店では一番のスケベちゃんなのに、一歩外に出ると真面目な顔して離れて歩いてましたからね。日本人って、正直じゃないですね。男と女は、心を正直に見せ合うのが、本当の姿ですよ。オホホ~。」

「何をこきぁがる。雨の日、田んぼの農道でキスタイムに引きずり込まれてして居たら、農家のオッサンに、ホーンを鳴らされちゃって、小っ恥ずかしい想いをさせられましたわね。
 そうだよ。俺は真面目な日本人だからね。まぁ、周りは俺みたいなのが、お前さんみたいなハリウッド女優さん顔負けの別嬪さんと一緒に居るから、目ん玉丸くして見て居たもんなあ。<へへへ、ザマ見遣がれ、中身が違うんじゃい。>って好い気持にさせて貰いましたわさ。ハハハ。」

「ああ、あの時ね。キスタイムは、時々、目を開けて回りを見る物ですよ。ちゃんと私が見て居たから、覗かれ無かったんですよ。<何をこきぁがる>じゃないですね。それを言うのなら、サンキューでしょ。アナタは頭が好いのに、日本語が下手ですね。教えて上げましょうか~。フフフ。」

 <その6>
 いやはや、夢奇譚三部と為れば、三度目の正直とでも云うのだろうか・・・ これは、現代のアラジンの魔法の壺、空飛ぶ絨毯としか云い様の無い異次元管理者様のお計らいである。

 南洋小島の無人島生活も、日本円の現金を持って来たから、足りない物が有れば、直ぐ様、調達が叶う。日本統治の時代には、日本人も住んで居たとの事であるから、水も食物のトロピカルフルーツの種類も、それなりに在る。二人用のテントを二張り買って、一つで暮らし、他は物置代わりに使って居る次第である。

 穏やかなエメラルドグリーンの珊瑚の海に、二人でシュノーケルで、魚を突いたり、釣りをして食料を確保したり、島の熱帯ジャングルの中を探索して、バナナ、パイナップル、タロイモなどを探して、食糧確保の道しるべを付けて行く。
 一日の時間配分としては、課業を得て私としては、申し分の無い生活である。二人とも、初冬に向かう肌の色も、何回か、表皮も剥けて、今ではすっかり日焼けして、小麦色の肌である。

 いやはや、裸体に近くなると、やはり西洋人の体型・体躯は逞しい。気持ち、性格は大人しく、柔和な和み美人さんではあるが、尻の厚みと大きさである。
 歴史を辿れば、東ローマ帝国の国教ギリシャ正教を引き継いだ河川に進出したバイキングの末裔達が作り上げて来たのが、ロシアの歴史である。

 然しながら、其処は寒帯、温帯に属するDNAの二人である。アラジンの魔法の壺と空飛ぶ絨毯を持たされているのであるから・・・ どちらが言うまでも無く、冬が待つ信州への旅立ちの日が来るのは、これまた、当然の成り行きでもある。

「アナタ、此処は好い所ですけど、四季が無いと私たち、身体がおかしく為りますね。アナタの家に、帰りましょ。」

 コンパクトなアウトドア生活の延長見たいな暮らしであったから、収納も実に簡単であった。それに、女の手に依ると、流石に奇麗に片付いて、ジャングルの中の祠に全てが収納されてしまった。
 
 <その7>
 私は、彼女のポッチャリとして長く伸びる両足に、グイと胴締めされると、両腕の羽ばたきと共に、異次元の時空を一飛びに、軒下の吊るし柿、庭に並べた大根干し、一段と庭の紅葉・黄葉増す小部屋に居た。葉を全て落とした百日紅の細い梢が、薄い青空の中で風に戦いで居る。

 その百日紅の中央の梢に、ジョービタキのメス・パルディナさんが、クワッ、クワッと単発の声と連動させて、翼の根元をパッパッと動かし、黒い尾羽のタクトを小刻みに震わせて、私を見て居る。

 小部屋の軒下には、金華鳥の鳥籠が風に揺れ、三羽が光の中で活発に動き回って居る。廊下の日差しの中には、並んだ鳥籠からオス達の囀りがしている。
 
 老母の部屋の、障子を開けて差し込む日差しの中に、吊るし柿の影が揺れて居る。テレビには画面が動いている。日に日に長くなる影法師に、信州の厳しい冬は、もう直ぐである。

               
               夢奇譚第三部・ジョービタキのバルディナ・・・ 完。



心何処ーショート へへへ、アリガトさんよ。
           へへへ、アリガトさんよ。(11/23/11)
 午後からは、下り坂の雨マークとの事である。昨夜は、夢奇譚三部を二畳小部屋で打ち始めて、五頁まで進んだ処であるが、夜の寒さに、湯たんぽで寝た次第である。

 食欲の細い老母に、好物の雑煮でも食べさせて遣ろうと、汁の仕込みをして置いたのであるが、へへへ、鬼と云われている私とて、人の子である。正直な処、この処、トンと食欲が湧かないのであるから、弱い人間である。

 然りとて、賄い夫が目下の私の仕事である。本日、勤労感謝の休日為れど、落ち込んだら男が廃る。布団を上げて、掃除、掃除の呟き歌は、唐獅子牡丹である。へへへ、全部屋掃き掃除の背中で泣いてる、吼えてる唐獅子牡丹ってな物である。

     さぁさぁ、青空に灰色雲の侵攻と共に、風のガタ付きである。

 濡らしちゃ為らねぇ、大根干しに吊るし柿~。雨の降る前に、200本強の大根を廊下に取り入れ、軒下吊るし柿には、雨覆いを掛ける。小さな棚に並べた干し柿には、漸く白い粉が吹き始めた。

 今年は、遅いじゃないのさ。頼むぜや、吾が家の高級和菓子干し柿さんよ。

 すっかり、曇りの暗い玄関に成って、朝のブンチャカ、ブンチャカの金華鳥達も、藁巣の中が頃合いの様である。朝のヒヨドリ、シジュウカラ、ジョービタキのバルディナさんの姿見せも、一回こっきりの悪天候の予兆振りらしい。

  本日は、意義深い日であったが、打つに憚れる内容にて、敢えて打たず。

  へへへ、勤労感謝の日は、吾が結婚記念日であった。アリガトさんよ。



心何処ーショート 男話
                   男話(11/22/11)
 倅とお開きの話をする。五感のある人間なら、何事も無駄な事は無い。後は反芻力の有無の違いで、経験知・経験値に人間の質とレベルの差が生じて、蓄積されるだけの事である。むべ為るかな・・・であろう。

 徹頭徹尾作為的な人間とは、私は全く相容れない関係に在る。結果としては<作為に始まって、作意に終わった。>と云う事である。

 倅曰く。
 抉り出して、問題の核心を列挙して、対決して逃げ道を残して、結論に至る。道筋の示し方は、やっぱり怖いね。常人じゃないけど、オヤジは、情の人だわ。力強くてスピーディで意志が強過ぎるのが、オヤジにして見たら、哀しいだろうし、切ないだろうね。これが、オヤジが示して来た男の姿なんだろうね。

 へへへ、俺はオヤジの子だから、凄いプレッシャーを感じて居るんだけどね。今度は、婆ちゃん→オヤジ→俺→倅と繋げて行かなくちゃ行けないんだからね。オヤジ、本当に、これはでかいプレッシャーだよ。分かってるかい。

 オヤジ曰く。
 何を仰います事やら、アガタ・リョウ2世。もう、俺は何時死んでも良いわさ。立派に免許皆伝の倅を、確認出来たからな。男は、何も無ければ昼行燈さね。作意に走ったら、人間の行いは、見苦しきザマを晒すだけよ。情を以って自然体にして居れば好いさね。

 事が起こったら、真剣に事に対処すれば良いだけさ。その為に、日頃、多方面に興味を持って、自分の言葉で要素分析をして、問題の構造をシンプルに整理するんだぞ。シンプルにすれば、争点がはっきり見えて来る物さね。ABC管理の要点を行動指針とすりゃ好いのさ。
 後は、腹と情が、己がべき姿に導いてくれるわさ。但し、物事には相手が居るから、自分の描いたり希望する結果には為らん事の方が、多かろうよ。
 
 でもな、そんな事は決定的な事では無いのさ。自分の行動の軌跡を振り返って、自分の手で自分を汚さなかったと云う見定めが在ったら、自分を褒めて遣れば好いだけの事さね。自分で自分を汚す事ほど、惨めな事は無いぞ。男は、布団を被って嗚咽、自分を慰めて遣るのが、男の道・心情よ。

 普通のオヤジと倅は、こんな話しはせんだろうよ。映画・ドラマじゃ、下らん作家、劇作家が、デフォルメしても描き切れないオヤジと倅の淡々とした会話だぜや。酒なんか一滴も必要無いんだから、恐れ入りゃの鬼子母神の親倅の図ってもんだわさ。

 倅曰く。
 まぁまぁ、オヤジ、そりゃそうだけどさ。俺にはプレッシャーだよ。毎日、嫁とオヤジのブログ読んで、漢字ばっかりの長い文章だけどもさ。へへへ、同じ血が流れて居るって、遺伝子にニヤニヤして居るんだわ。

 それに小さい頃に教えて、拳骨で躾けてくれた言葉を覚えて居るから、その時の事なんかが、フゥ~と蘇って来てさ。そうかそうか・・・オヤジの言葉の中、裏には、ブログに書かれている内容が在ったんだなぁって、思って居る次第ですわな。オヤジの文章には、情と変な説得力があるからね。ヒヒヒ。

 あれだね、会話には思い出の映像は在るけど、内容は正確には保存されて居ないからね。其処へ行けば、大人に為った現在、ブログに拡がるオヤジの脳内散歩・スケッチは、何度も読み返す事が出来るから、こんな有難いオヤジの存在は無いからね。
 考えて見れば、こんなオヤジは、そこん所そこいらにぁ、居らんわさ。芯は野太くて、真面目で、割れ易いガラスの感性を持たされているのに、普段はズッコケ男の助平と来ているんだから、いやはや、こりゃ、おっ魂消たのギャハハ、イヒヒの連続だわね。俺も、経験値で知ったけどさ、オヤジは鍛えて来たんだろうね。それが、この歳で分かるとさ。オヤジの壁がデカかったのは、当然の話だわ。

 読んでる皆さんの事は、分からんけどさ。夢奇譚に現れて居るのが、俺のオヤジの素の姿なんだろうね。写真の金髪美人さんは、オヤジとの相性が抜群だったんだろううね。ありゃ、オヤジらしくて、面白かった。

 オヤジ曰く。
 へへへ、お褒めに与かって、光栄だんね。何時までも話して居たいけど、お前さんは現役だ。仕事に差し支えちゃイカンわな。世話を掛けて悪かったな。切るぞ。

 倅曰く。
 こんな事位しか出来ないから、気にするなよ。オヤジ、水臭いぞ。婆ちゃんを頼んだよ。

 今シーズン、最低の冷え込みではあったが、快晴の日差しである。四畳半雑木には、数枚の葉がへばり付いているだけの冬木と為って仕舞ったが、先ずヒヨドリ、続いてシジュウカラが遣って来た。クワッ、クワッの声に、窓辺を見遣ればジョービタキのバルディナさんが、尾羽のタクトも宜しく、部屋の中の私を覗いて居る。へへへ、可愛い物である。


心何処ーショート 為るほど、ふるさとか・・・
              為る程、ふるさとか・・・(11/21/11)
 風は寒いが、青空拡がるお天道さんの輝きである。この数日の冷え込みで、庭の楓が真に目に沁み入る紅葉を萌えさせている。私の布団の上げ下げも、三日坊主をあっさりクリアして、新しい習慣として続いている次第である。

 お天気さんであるから、老母の洗濯物を物干竿に吊るして、日光浴をさせる。玄関鳥も、廊下の日向に並べ、軒下にも吊るして遣る。気持ちが好いのだろう、上機嫌のオスの囀りである。

 朝食後の老母曰く、好いお天気だから、散歩には絶好だよ。左様であるか、色々あって、この数日、散歩をサボって仕舞った処である。北の空は灰色雲ではあるが、後は真っ青な青空に、真っ白な大きな雲がポカン、ポカンと浮かび上がって居る。鉢伏山の頂上、その奥の佐久に続く山並みには、薄らと白の被り物をしている。遠くの黄葉が、雲の下に霞んで居る。

 西のアルプスには、雪が在るのだろうが、生憎、西は灰色雲のベールの中である。近くの広葉は、松の緑との好コントラストで、光の中で膨張して居る。近い眺めであるから、黄葉のペンティングは、水分の薄い乾燥のタッチで、里山の風景を明るく描いて居る。

 セーターにチョッキの出で立ちで来たから、早くも背中は、荒神山のパチパチタヌキの暑さと為って仕舞った。一昨日の長雨に、川の流れも息を吹き返して、白いコサギが、低い飛翔をして居たり、流れの中に忍び足を踏み入れて、小魚を漁る姿が幾つかある。
 
 雨の前の河川敷散歩では、カワセミの姿を二日連続で見掛けたのではあるが、本日は遭遇出来ない。風呂に火を付けて来たから、風呂に入る前に、自転車のスタンドを交換して、本日のブログは、散歩風景をスケッチすれば良かろう。

 矢張り、私には一人が似合う。一歩外に出れば、こんなに清々しい山野が拡がって居る。柿の実を高枝鋏で取って居る老夫婦の姿があったり、河川敷の滑り台で、幼児を遊ばせる母親の姿があったり、老人の散歩姿も散見される風景である。

 ははは、老母に散歩を勧められるのであるから、私の顔にも疲れが溜まって見えるのだろう。

             ふるさとの山に向かいて
               言うことなし
           ふるさとの山は ありがたきかな

 いやはや、老母には、敵わないものである。遺憾いかん・・・ふるさとは、人間にとって家庭の思い出でもある。どんな人間にも、ふるさとは必要なのである。ふるさとを失くした人間ほど辛い者は無かろう。酷な事を強いたかも知れぬ。分からなかった事が、また一つ分かって来た。



心何処ーショート 吾が家の大根考 
                  吾が家の大根考(11/20/11)
 いやはや、直感力から始まった吾が家の大根畑は、出て来るわ出て来るわ。曲がりくねった大根ばかりであった。馬鹿に付ける薬無し、馬鹿者がぁ~。

 へへへ、まぁ、それとても大根には違い無いのである。水洗いして、天日に乾燥させて、私の調味料を加減して漬け物容器に入れて重しを十分に掛けて、台所隅に置いて、<低温発酵の時>を待つしかあるまい。

 斜向かい吟さんの大根畑が、豊年万作なのであったから、考えるアングルを変えれば、吾が家の大根も形は兎も角として、豊年万作なのである。

 人間の物質面と精神面との調和が、人間歩行の歩き様なのであるが、その変調の有無を日常点検で、自己管理して行くのが一般的総論なのである。然しながら、何処かが作動停止をして居ると、変な処に大負荷が掛り放しで、正常歩行からすると足を引き摺ったり、ダッチロールをして居る様なのである。

 加えて、実力も無いのに対抗心ばかりにシフト替えをしてしまうと、馬鹿の二乗恨で、加重が掛かり過ぎる、新田次郎さんの小説・<八甲田山・死の彷徨>の描く世界に入って仕舞う。方向を見失って、変な物に取り付かれて終ったら、体力も精神も疲弊して仕舞って、益々、足掻きの深みに引きずり込まれて終うだけである。

 所詮、人間の生きる方向性は、自問自答の経験知と経験値の総和でしかあるまい。但し、経験の反芻を司る自答自問の羅針盤が、正しい方向を示して居ないと、自問自答が折角のケース・スタディなのであるが、経験知・経験値に至らず、逃げ回り彷徨して仕舞うのみの結果と為るのだろう。

 狂いを生じている羅針盤を正常域に修正する、させるの工程が、絶対不可欠の要素なのである。馬鹿に付ける薬など、この世無いのであるから、地中に隠れて居る大根を引っこ抜いて表面の泥を水洗いして、お天道様の光と風で大根内部の余計な水分を抜いて、米糠・塩・柿の皮・ナスの葉・唐辛子の自然調味料を加えて、思い重しを掛けて、暗所で低温発酵の時を経過しないと、信州名物の沢庵漬けとして、食卓には上がらないのである。

 人間如き一個のちっぽけな存在が、幾ら背伸びをして見ても、お天道さんと風、時のご助力が無ければ、長い信州の冬の保存食・沢庵漬けの形にも風合いにも仕上がらないだけの事である。

 これを称して、自然の摂理と云うのである。へへへ、直感力大行使をして見れば、吾が家の大根畑の収穫は、驚き桃の木山椒の実であったに過ぎない。まぁ、それも現実だったのであるから、仕方があるまい。私は原始人・縄文人なのであるから、収穫物を疎かにしてしまったら、餓死してしまうだけである。

 この処、修羅場を潜り抜けて成長著しいアガタ・リョウ二世の倅が居るのであるから、私にとっては頼もしい限りである。いやはや、嫁さんの話では無いが、仕草・話方・物の考え方・思考過程・ムード・存在感が、驚くほど酷似しているとの事である。
 まぁ、これは私が笑ちゃうほど、見事に私の目からしてもそっくりに為って来たのであるから、立派な免許皆伝の口なのである。些か、鋭さには欠けるが、私には無い優しさを基本色に持っている好漢である。

 増して、兄妹の関係が小さい頃から頗る良い処である。私にとっては、娘へのアガタカラー配布の立派な代行者と言って良かろう。直感力行使に際しては、私は倅・嫁さんの全面の助力を頂戴して、何度も熱い涙が込み上げて来た物か・・・感謝感謝に堪えない家族の結束力の中に居るのである。
 これとても、倅が言うに云われぬ自問自答の中で、私の訓えと生き様を彼の経験の中で、逃げずに自問自答の葛藤の中で、経験知・経験値として得た過程が在ったらばこその、お天道様の微笑みなのであろう。

 叱られて、賢く為るんだよ。我慢して、強く為るんだよ。加えて、見切り千両の喩え、SOSの発信力も、人間の自己処方箋の鉄則である。

 亭主と女房は、或る面、一対一の男と女の関係でもある。当然に、物の感じ方も考え方も共有出来ない現実がある。お互いに個性の強い者同士であるから、男と女の対抗心も在って、当然の関係である。
 然しながら、好いた者同士のコンビで在ったから、好い時と悪い時の関係は、愛憎相半ばするのが、男と女の関係である。女房に言わせれば、私は強過ぎたとの事である。

 然しながら、諸般の事情の囚われ人が、<この世の柵>と云う物でもある。その柵には当然、哀しい現実を認め無ければ為らない二者択一の生き様行使の人間模様も生じて終うのは、避けられない重い現実でもある。

 そんな時には、如何しても<人間の質とレベルの対決>と云う解決出来兼ねる魔物が、牙を剥くのである。

 それへの対処方が、私と女房とでは、左右に分かれたまでの事である。そんな中で、女房を哀れと見て、一心同体の健気な気持ちで協力して来たのが、『娘』である。
 一方、私の生き様を良しとして、両親を客観視しようと踠(もが)いて居たのが、アガタ・リョウ二世の『倅』だったのであろう。

 性格的に許容量の狭い女房のマインドコントロール下に在った娘は、東京の病院勤務の独立生活体験で、或る時、母親に対する違和感から、私同様の<直感>を得て終ったのであろう。

 人間の直感とは、鋭くも辛い物である。直感の正体を知ろうとするのも、漠然と予見される直感の正体を、怖くて傍観視して遣り過ごすのが、これまた人間の弱さでもある。
 娘も遅ればせながら、私達夫婦の姿から『親を客観視しなければ為らない命題』を突き付けられて、自問自答の成長過程に突入したのであろう。

 私に言わしめれば、二人とも私の子でありながら、遅過ぎる、出来が悪過ぎたまでの事である。

 然しながら、そんな事は小さな事である。時期の到来の早い遅いの違いは、決して<自己完成の要素>では無い。娘が二者択一の辛さに選んだのが、父親回帰で在ったまでの事である。現在・娘は怖さ故に避けて来た、<人間の質とレベル>の命題に、踏み込んで仕舞ったまでの事である。

 娘が、女房の本質を炙り出した私の文章を読んで、
「此処に書いてある事は、お母さんと私の姿その物の本質だわ。オヤジは、何時も見通して居るね。馬鹿に付ける薬無しだわ。」

「オヤジの訓えに背き、本当に申し訳ありません。今日は、オヤジに殺されに来ました。それで、オヤジが許してくれるなら、この書類に署名・印鑑を下さい。」と、土下座をして懺悔の一部始終を語ってくれた。

「馬鹿野郎。お前みたいな半端者に、そんな事が出来るか。俺の下で、もう一度、お前を鍛え直して遣る。駄目だ。」

「そうか、私の判断は間違って居なかった。オヤジ、ありがとう。オヤジの言う通りにする。やっぱり、オヤジだね。オヤジに、捨てられて居なかった。今日来て良かった。」

「そうか、好かったな。もう、自分を追い込むな。俺が、お前を一人前の人間にして遣る。もう、何にも言うな。馬鹿もんが。ほら、歯を食い縛れ。」

                    バシバシ!!


「オヤジ、有難う。お兄ちゃんが、言ってくれた様に、全然変わらない、私にも、大好きなオヤジが居たよ。

 オヤジは、凄い。私のオヤジだもんね。ゴメンね。オヤジの方が、私達より、余程・・・辛かったのに・・・私のオヤジは、男の中の男だからねぇ・・・出来が悪過ぎて、・・・ 気付くのが遅過ぎて・・・オヤジ、ゴメンね・・・ゴメンね・・・許して下さい・・・許して・・・」

 その心境詩が、『感動の譜』である。何のこれしき、こんな事位で、潰れたら、お男が廃らぁね。お天道様に申し訳が立たんぞね。
 俺ぁ、男でゴザル。倅・娘にも、俺の赤い血が流れているんじゃい。直感が導いてくれたお天道様の大プレゼントであろうが。

 仕方の無い事である。これは、別居の道を選択した『私の引き受けねば為らない罪』である。私に何の怒りが在ろうか。やっと待ちに待った娘回帰の瞬間である。全ては、お前の表情の曇りに直感力が、揺り動かした吾が家の大根掘りの結果なのである。アガタ・ファミリーの大収穫祭の突破口を開いてくれたのは、吾が娘のSOSなのである。

 言って見れば、お前さんこそ、最大の功労者では無いか!! へへへ、きつ過ぎるプレゼントではあるが、其処は親子である。アリガトさんよ。

 何時かは、胸襟を開いて、分かり合わねば為らない『現実の提起』にしか過ぎまい。処理能力の無い者から、ボールが私に投げられたまでの事である。人間の直感力は、云って見れば『お天道様の天啓』であろう。鈍感な亭主・オヤジで無かった事に、私は胸を撫で下ろすまでの事である。

 昨日は、倅ファミリーが、老母に手作りの海苔巻き、おいなりさんを持って来て、楽しい一日であった。全員で、娘に応援エールの電話を掛ける。
 嫁さん曰く、娘はオヤジの血が流れて居る事に気付いて嬉しかったとの事。最後の締め括りに出た娘の声の向こうに、小学生だったアドケナイ娘の声が弾んで聞こえて居た。

『捨てたオヤジ憎し、されどオヤジの存在は、デカ過ぎた。』と思ってくれて居るのだろうか・・・

 顔は、私にそっくりだと倅の嫁さんは言うのではあるが。はいはい、娘は、小さい時から、それを嫌って泣いて居りました。
 俺に似て居るのであるから、娘は好い女なんでありまする。感謝し遣がれ。俺なんぞは、金髪も放っては置かないインターナショナルの好男子で、ISO規格の逸物男だぜや。

 言いたか無ぇが、アガタ家の家系はもてるんじゃい。好からぬ虫が群がって来ても、当然じゃないのさ。ギャハハ!!

 さてさて、こんな戯け話を打って居たら、好いお天気さんに為って来ましたわな。娘と一緒に廊下に取り込んだ大根を庭の干し台に並べて、お天道様の光と風に当てましょうかね。いやはや、性悪大根の大収穫祭に、小心者にして意気地無しの私は、腹のベルトも、緩く為って仕舞いましたがね。

 嗚呼、仕事は疲れる物である。俺ぁ、馬鹿の物臭男だから、今日は目一杯、昼寝でもさせておくんなまし。はいはい、何方さんもアリガトウさんでありまする。


心何処ーショート 直感を信じて
                 直感を信じて(11/19/11)
 直感を信じよう。ご近所なら、知り合いなら、同僚なら、友人なら、親友なら、恋人なら、家族なら。直感を信じて、観察して見よう。観察の中に何かのサインがあったら、比較推理して見よう。

 推理に思い当たる節を幾つか見い出したら、直感は、その時に相手の<心のサイン>が含まれて居る筈である。その直感が現実味を帯びて、頭に何かを考えさせたら、その直感を行動に移して、脳内比較推理から現実推理の材料として、幾つかの答え合わせをして見よう。

 結果として何も無ければ、杞憂の安吐にふぅ~と溜息を付けば良かろうし、付けば良いだけである。

 直感に際して、私は思う。絶対に、鈍感であっては為らない。鈍感さの結果が、幾つかの取り返しの付かない後悔、結果に結び付く事の多いのが、この世の倣いである。

 引き止めなければ為らない場合に躊躇したら、忸怩たる後悔が付き纏うだろう。そんな時は、迷ったら<悪い方向へ既成事実>が積み上がるだけである。己が感性の直感力を信じて、進むべきであろう。

          私は、自分にそう言い聞かせるのみである。

 所詮当事者の処理能力、当事者責任と傍観視で遣り過ごす事は、『己が直感力に対する罪悪』である。通常と違うから、その違和感が直感に何かを伝えるのである。その小さな違和感の奥に、海上の氷山の一角を海中に隠して居る8割の異変塊が、存在して居るのかも知れないでは無いか。

 一見、傍観視での流し行為は、スマートに見える。増してや、他人に対して、心の内を見せない社会・世相は、幾重もの無機質とも云える無関心層でラッピングされて居る事が多い。直感を得て、傍観視で振舞うほど、私はスマートな人間では無い。

       杞憂に終われば、大いなる<お節介の誹り>を受けよう。

 然し、直感が私を行動せよと、走らせる。夜来の暴風並みの風圧が、吾がボロ家に襲い掛かり、私を眠らせない。三時に起きる事にした。煙草に火を付け、暫く布団の中で起きて居たのだが、眠れそうにない。

 脳裏の去来物を整理する為に、四畳半定位置に座り、PC画面を立ち上げ、空白のワード画面に対する。
 
 この文章を此処まで打って来た時に、風は収まり、雨が降り始めている。直感が私を動かす以上、私は行動すべきである。感性乏しき鈍感の世に抗して・・・
 何故なら、これが私の流儀であるから。私は、自分の感性、観察力、推理力、判断力、対処能力を信じて、今日在るのであるから。

  その原動力は単純明快である。直感に、傍観視は相容れないものである。


心何処ーショート 感動の譜
                感動の譜(11/18/11)

             アリガトウ、ありがとう、有難う。


             好い話が出来た。良い話が出来た。
             感動した。嬉しかった。咽び泣いた。

           63年の歳月の中で、本当に男泣きした。
          お互いが、本当の気持ちで、泣いたのである。

                倅の、兄の手助けで
       父娘が手を取り合って、娘の頭を撫でて、初めて咽び泣いた。

        平坦な道の涙よりも、真実を明かした涙にこそ価値がある。
         天晴れ、吾が娘よ。人生の価値は、感動にこそある。

             有難う。アリガトウ。ありがとう。
           倅よ、娘よ。俺は、オヤジ冥利に尽きたぜ。



心何処ーショート 明日は、白骨の紅葉ドライブかいな。
         明日は、白骨の紅葉ドライブかいな。(11/17/11)
 朝食後は、先日、寿命が来た携帯電話を新しい物に替えて来て、不要の一か月お試しオプションの解除に行って来る。自転車で、晩秋の木々の雰囲気に目を遣りながら、ペダルを漕いで居ると、へへへ、通り越して仕舞った。

 やれやれ、閉じ籠り賄い夫生活を送って居ると、すっかり脳味噌が堕落し切って居ると云ったザマである。現役時代だと、大いに反省して、<シャキッとしろよ>と自分に喝を入れる処ではあるが、何も強迫観念も、緊張感も無いから、『人間は間違いをして当然』と、意に介しないのである。

      これを称して、ロートル街道の一里塚と云うのであろう。

 帰りに、バーピーナツとレーズンを混ぜて、ポリポリ、コーヒーを飲むのが好きであるから、丁度帰りすがら店があった。依って、買って来る。

 さてさて、PCを立ち上げて、ブログ散策でもしようと記事とその記事に対するコメント欄を見て居ると、きっとキリスト教に根差した<心のブログ・ブログ教会>なのであろうか、その中に、昨日良いコメントがあったので、今日はと覗いて見ると、中に中々の物がある。信仰心の厚い方々にとっては、ブログ懺悔の様な風合いが感じられる処でもある。

 失礼ではあるが、どの程度の経験知・経験値を持って、自問自答の咀嚼力を持っているのかなと、読み始めて居ると、四畳半の窓から、弟が顔を出した。

 仕事の関係で、時間が出来たから車を見に来たとの事である。昨夜は、久し振りに湯たんぽを入れて寝た次第であるから、本日は、お天気は好いが、風が寒い。弟は、メカに才能を持った男であるから、修理の腕はプロ顔負けの域に達している。日頃、世話に為っているとの彼特有のお返しなのである。

 車が駄目なら、安い車を買って持って来ようかと言うから、金も無い癖に変な処に、金を使うな。俺は自転車さえ有れば、それで足りる生活だわさ。と応える。

 如何やら、矢張り部品を待つしか方法は無いの結論に達して、大分気温も上昇して来たから、河川敷で一服付ける事にする。弱音を吐かない男ではあるが、大問題を抱えて、人恋しいのだろう。彼の顎髭は半分程に為ったが、未だ生やしているから、半額の入金は未納と為って居るのであろう。

 普段は、役者だし、頭も切れるし、羽振りも好かったから、適当付き合いで事足りて居たのだろうが、深刻さの中に居れば、心を満たすには『自分本来のレベル』を求めて人恋しさが増すのが、人間と云う物である。

 明日は白骨温泉の老舗ホテルの一寸した頼まれ仕事があるから、一緒に行こうと誘われる。七時半に迎えに来て、ホテルの大浴槽で風呂に入って、下って来れば三時前には還って来られる。それなら、婆さんにも負担は掛らないだろうとの事である。

 不景気で、何処も彼処も大変な時期である。そのホテルの社長も、同じ<番から男子高>の出身だから、男子高OBの会見たいな物である。『了解』と応える。

 さてさて、然すれば、明日しようと思っていた漬け物容器の洗いをして置くべしである。漬け物容器を軽トラの荷台に乗せて、川に洗いに行く。好い青空に、山の紅葉が映えて素晴らしいの一語に尽きる。

 まぁ、折角であるから、偶には紅葉ドライブと洒落込むとするか。好い青空と紅葉の拡がりである。

 ドライブから帰って来て、本日の日誌打ちである。へへへ、本日は二畳小部屋で庭を眺めながら、コーヒーなどを飲みながら、まともな物を何か打とうかと思い、軒下に鳥籠を吊るして置いたのだが、二畳小部屋の旧PCには電源が入らず終いと為って仕舞った。

  へへへ、仕方があるまい。これも生きている人間の日常と云う物である。

 本当に、明日は雨なのかい? やれやれ、明日は人恋しい弟との兄弟トークと為るのであるから、日が翳らぬ内に、大根を廊下に取り入れて置かねば為らないのであるかいな。

 やれやれ、今度は四時であるか。コタツ寝をしたい処ではあるが、大根の取り入れをしてからに致しましょうかね。


心何処ーショート 大根抜きに、大根洗い。
               大根抜きに、大根洗い(11/16/11)
 今朝は、斜向かい吟さん農園に、大根抜きをしに行く。昨日、大根洗いをしている奥さんに呼び止められて、大根が豊作だから是非貰って欲しいとの事であった。ナビゲーター吟さんを助手席に乗せて、軽トラで向かう。

 場所は、松本東端の傾斜地に拡がる農業地帯である。奥さんの実家なのであるが、跡取りが農業をしないから、農業好きの年寄りに貸し出しているとの事である。

 青空の下、常連さん達が、大根、ネギ、白菜、野沢菜などの自己消費分を生産していると云った処である。いやはや、たっぷりと野菜を頂戴して仕舞った。

 老母には朝食はと聞くと、食欲は無いから、腹が空いたら自分で何とかすると拗ねて居る。粗相をしたと云うから、風呂を沸かすから体力があったら、入ってくれと言い、食事がずれて終ったら、まちまちに為って仕舞うから、昼飯を一緒に食べようと言って来た処である。ベットの中でそっぽを向いている老母は、真に以って世話が焼ける。

 さてさて、頂戴した大根を洗うとするか・・・ こんな時は、何か作業をして居た方が、気が紛れる物である。何か洗い桶に為る様な物は無いかと思ったが、適当な物が無いからバケツを持って、外の日当たりの中でラジオを聞きながら、水洗いに取り掛かる。途中、煙草を吸いに部屋に行くと、変な物音がする。トイレかなと思うと、山姥の様な顔をした老母がヨロヨロと、六畳の押し入れから角型の漬け物容器を出そうとしている。

 此処に在ると云われても、男の私が知っている訳が無いだろう。ズーと一人で居た母であるから、何が何処に在るかは知っているのだろうが、私がそんな物を知っている訳があるまい。大いにカツンと来てしまったが、怒っても仕方があるまい。はいはい、アリガトさんとしか言い様があるまいに・・・<この糞婆が~>が、私の本音である。

 大根を洗い終えて、庭に脚立を横に開いて大根を並べ終え、昼飯の用意である。朝飯抜きのお仕事であったから、<疲れ過ぎて食べれないのだろう>と抜かし遣がる。<はいはい、ご明察。>でヤンスよ。 
昼飯後は、一寝入りしたいのは山々為れど、嫌に為らぬ内に風呂に入って、母に譲らねば為らない。明るい内に、ゆっくり入って貰った方が、心配が少ないのである。滑って、怪我をされたら、全てが私に圧し掛かって来る。昼寝の時間差など、それに比べたら小さな事である。

 風呂から出て、洗濯機を回して居ると痩せこけて暗い感じの女房が、廊下から入って来た。この馬鹿たれがと思うが、好く来たなと頭を撫でて遣る。女房は、ベットの母に声を掛けて、仏壇に線香を上げている。

 私は仕事が遣り掛けであるから、区切りを付ける。<婆さん風呂に入るから、俺の部屋で話すか。>と綺麗に片づけてある八畳のコタツで話しをする。昼飯の時に、老母が拗ねて居る理由が分かり、私としてはムカッとして居る部屋の綺麗さなのである。

 <何時死んでも良い様に、綺麗にしたもんだ。>と、言われて終った。私としては、老母の仰せに従って、三日坊主を過ぎて五日目に入った布団の上げ下げ更新中なのではあるが、・・・兎角、女の感じ取り方は、男とは違うから大いに厄介な物なのである。

 はいはい、今度は夫婦の自論に付いて、私が縷々述べるが、100%非は私に原因ありとの事である。女房に寂しい想いをさせて、『恨み辛みは、山ほどある。』と、女房殿に一々反撃を受けて、私としては笑って誤魔化すより他は無いのである。いやはや、女と云う代物は、扱い難い物である。

 今朝、吟さんの畑から抜いて来た千枚漬用のカブを、1人分か、2人分と聞くと、1人分で十分との事である。私の処も、食の細い老母との生活であるから、多過ぎるから、大きい処を、二つ持たせ、吊るし柿でも見て、物を考えろと吊るし柿一連を持たせる。

 実家に寄って行くと言う女房の車を見送って、<霜が来るから、大根は中へ取り込んで置いた方が好いよ。>とのお達しである。『生意気に、コンニャローメ!!』・・・勿論、吾が内心の呟きである。
 

心何処ーショート これも、コーヒースタバのトーク為り。
          これも、コーヒースタバのトーク為り。(11/15/11)
 漬け物用大根を個人スーパーに買いに行くと、皇太子殿下のお通りに、凄い数の警察官の警戒である。昨日は、車が動かなく為って仕舞ったので、弟にSOSを発信すると駆け付けて呉れたのであるが、燃料ポンプの不具合との見立であった。知り合いの解体屋さんに頼んで、部品が来たら取り付けて遣るとの事で、その間、会社の軽トラを持って行けとの事で、昨夜は、弟と久し振りに話をした。会社が大変で7キロも痩せて終ったとの事である。

 相談に乗って、行動を共にした日もあった。その後の経過なども聞き、明日(本日)は交渉の日であるとの事であった。私の引導で、スッキリ心が決まったとの事である。非常にサバサバして居る。

 そんな事も在って、軽トラで大根仕入れに行って来たのである。大根の尻尾を切りながら、庭の干し台に青首大根、短躯の硬大根を並べ終えて、私の部屋のコタツで昼寝をしようとして居ると、弟からの電話である。

 弟も、昨夜の体調不良の山姥状態の老母に恐れを為して、深刻な話を老母に聞かせたくは無いと言う配慮?が働いて、コーヒースタバで話しがしたいとの事である。自転車に乗って、スタバに行く。

 弟から交渉の報告を聞く。いざと為った時の小冊子が功を奏して居るとの事である。

「そうかそうか、相手の筋を読んでの交渉なら、隙間の主導権が握れるからな。何事にも、上・中・下位の基準があるもんさね。金が無いんだから、頭で勝負するしか無いわさ。手の中の知識をちらつかせて、その辺りの探りを入れるのが、脳味噌のレベルの差だからな。
 へへへ、好い線行ってるじゃないの。あのペーパーに、★の方法も入れといたんだけど、再度の交渉が有るのなら、それに触れなかったのは、<総べからく、塞翁が馬>で次の交渉時にこんなカードも在るぜと言えば、有利に働くだろうよ。」

「ああ、★かい? 確か、云々の筈だったけど。」
「そうだよ、流石だ。同じ高校出てるじゃ無いのさ。頭良いねぇ。それなら、大丈夫さね。」

「そりぁ、Rちゃの一級品のお知恵を拝借して、小冊子を何回も読んでるからね。あれで、本当に楽に為ったもの。俺の後ろには、最優秀の参謀が付いてると思うとさ。遣る気満々と云うか、こんな事でヘタって堪るかって、闘争心が漲って来ちゃうからね。アハハ。

 Rちゃの口癖の男のキンタマを見せて遣らぁってもんだわ。オヤジの言葉じゃないけど、腐っても、鯛は鯛だ。逃げも隠れもしねぇわさ。どっからでも、掛って来遣がれって、腹を決めてるからね。
 
 兄貴から、スパンと引導渡されちゃったんだから、あの晩は、ゼロから会社を立ち上げて、一世を風靡した会社だ。それが走馬灯の様に、グルグル回って、咽び泣いて寝れ無かったさ。

 でもさ、兄貴が俺の為に、きっと寝ずに考えて呉れた解決法だと思って、スンナリ受け入れる事にしたんだ。Rちゃの見抜いて、見切る眼力は、絶対真似出来ないからさ。それに怖いからな。良く殴られたからな。俺の兄貴が、電話の翌日には、道筋を説明して呉れて、ポンと小冊子に製本してくれたんだ。

 男は意気に感じるもんさね。弟の俺が、今度は男らしく交渉して、会社の行く末の為に戦うんだもんな。俺達兄弟コンビは、男の鍛え方が違うわね。本気に為ったら、怒らせたら、怖いからね。舐めたらあかんぜよさ。ギャハハ。」

 成る程、彼は良い感触を持った様である。いがみ合った時代も在ったが、兄にとって迷惑を掛けられた弟であっても憎み切れないし、可愛くもある。困っている者に、見ぬ振りをしたら、男が廃るのである。

「処で、婆さんの方は如何だい?」

「馬鹿野郎。こっちゃ、好い貧乏籤よ。体調が悪いとあの様だよ。老衰とは、あの繰り返しでお迎えの車に乗るんじゃい。皆は知らんだろうけど、気持ちを解きほぐすにぁ、半日、一日だって掛らぁね。
 死に際の兄貴達に約束したんだから、兄弟の約束は守るまでの事さね。俺だって、腹を括って居るんだ。何事も、終わりの無い物は無いのが、救いだからな。」

「Rちゃ、歳を取ると子供に帰るって言うからさ。悪いねぇ。感謝してるぜ。俺じゃ、兄貴の真似は出来んわ。頭が下がるぜ。
 それで、あっちの方は、如何なの? 家の兄貴は、外見は温厚だけど、中身はプライドが高くて、怖いほど鋭くて、馬鹿を相手にしないで筋を通す。昔のヤクザ見たいな生一本の男だからな。
 何も言わずに居る強い性格を、馬鹿・下衆野郎に利用されちゃったり、甘えられちゃったりされる帰来があるからさ。まぁ、そんな物は、織り込み済みなんだろうけどさ。
 でもな、自制して呉れよ。家の兄貴が切れたら、本当にヤバイからな。我慢出来なく為ったら、電話くれよ。直ぐ飛んで来るからな。下衆野郎の為に、大事なプライドを穢しちゃ駄目だんね。分かってるズラ、兄貴。おっ。」

「煩ぇ、好い気なもんだぜや、何をこきゃがる。へへへ、でもな、アリガトさんよ。
 分析も付いて居るから、まぁ、余程の事が無い限り、大丈夫だわさ。お前さんも、苦しいだろうけど、頑張れよ。俺達ぁ、オヤジとおふくろの子だからな。」

「ああ、分かってる。大丈夫だよ。」

 この頃、成長著しい倅の、その内訳話をして遣る。私の疑問の一つに、経験知・経験値の言葉に敏感に反応するから、純粋培養だけで、倅が此処まで、私に似て来るとは解せなかったので、<おい、お前は、どんな修羅場を潜っ来たんだ。>と質問すると、斯く斯く云々の痛い体験をしたとの事であった。

 私は全然知らなかったのであるが、自信を身に付けた倅の前には、小さい頃、大好きだったオヤジの顔が在ったとの事である。オヤジは、全然変わって居なかったとの喜びがあったと語ってくれた倅に、私は胸が熱く為った物である。

<そうかそうかと、流石にRちゃの子だ。好い話だ。野郎も立派に男だなぁ。>と、弟の目に涙が滲んでいる。矢張り、男兄弟で生きて来た男には、男の成長の軌跡が嬉しい様である。男の成長には、幾つかの壁を独力で這い上がった自信を身に付けない限り、男の顔の列には並べないのである。



心何処ーショート 私も、一読者為り。
               私も、一読者為り。(11/15/11)
 予報通り、本日は寒い朝からのスタートである。案の定、老衰進む母の体調は頗る悪い。食事を粥にして遣ろうかと云うと、食欲が無いから要らないと言う。左様であるか・・・山姥状態であるから、私だけ食事の用意をして、母の部屋でそそくさと食事を済ませて、自室に戻る。

 まぁ、好かれと思って声を掛けても、体調不良の容態なのであるから、老母も体調不良と戦って居るのであろう。此処は距離を取って置いた方が、相互の気持ちが刺々しくも為らずに済む。真面目に考えたら、瞬間湯沸かし器の私は文句、嫌味の一つも口に出して仕舞う心境である。

 本日は、大根でも買って来て、大根干しを始める算段である。掃除、ゴミ出しをしていると、一日早いヤクルトママのコールである。細身のママさんは、寒さですっかり縮こまった仕草である。
 本日、皇太子殿下が、安曇野を回って県民文化会館にお見えとの事である。<交通規制が掛るから、ちょっと大変ですよ。>との事である。<そうですか。大人しくして居ります。>と言って、セクハラトーク無しのお別れである。

 昨日投稿の短編を保存する為に開いて、保存用の再校正を始める。飽く迄も、素人の文章であるから、一編の物語として保存する為には、寝かして何回か読むと、気に入らない個所が幾つも露出して来る物である。反芻熟成が文章の校正には欠かせないのだろうが・・・

 ハハハ、先走り、説明不足の個所が目立つ物である。へへへ、出来が悪過ぎまするわな。

 まぁ、私は手を加えるのは嫌いでは無いから、これも或る面、楽しいお遊び見たいな物である。何日も空かせると、打った時点とのタイムラグが出来過ぎて、個性の熱が無く為って仕舞う欠点も出て来て終う。
 従って、打ち上げた解放感を頭の片隅に置いて、自分の文章を或る程度の客観性を持った一読者の目からの校正が、趣味として面白いのである。

 文章の通りから来る小さな直しは、当然の事ながら、此処は前後の流れを工夫して、大きく加筆を加えて、思索の個所として充実させて遣ろうか・・・さてさて、如何云う風に、弄(いじく)って遣るかなどと遊ぶのである。

 私の文作の目的の一つに、子供達へのオヤジの脳内風景を見せて遣りたいとの願望も強い処なのである。従って、文章にチャンスが有れば、私の人生観・メッセージを記して置きたい意図が明白に在るのである。

 そんな思惑も手伝って、彼是二頁弱の校正・加筆の保存であった。ラジオからは、野次の多い国会中継が流れている。青空も太陽の輝きも増して来た。大根を買いに行って参りましょうかね。


夢奇譚・広葉樹原生林にて
               夢奇譚・広葉樹原生林にて(11/14/11)
 <その1>
 母の薬を貰いに町医者に行く。霜月に入ったのだが、この処、好天に恵まれセーター抜きの温かさである。散歩コースを変えて、テニスコート、野球場に足を延ばす。テニスコートでは、クラブの学生達が練習に余念が無い。コートと球場の間の桜林を通って、旧ホテル跡地の在る山の小道に散歩を伸ばして見る。

 背後に山の迫る、人通りなど一切無い小道である。跡地は何十年も前に、更地に為った儘である。嘗ての庭樹なのであろうが、楓の真っ赤な紅葉が午後の斜光に、鮮やかな反射を見せて居る。小春日和以上の暑い日差しの中で、チョウ、トンボ、ハチ、小虫などが、盛んに飛び交って居る。

 小道の上は急斜面の松林、下は急斜面に密集した竹林に為って居る。車一台が通る幅の山土にバラスを撒いた道路である。些かの上り勾配をゆっくりした足取りで、小鳥達の動きを見付けようとするが、如何云う訳か、見当たらない。それでも全身を包む山の匂いが、懐かしい限りである。

 見上げる急な斜面には、土止めの古びた石垣が幾つもある。急斜面に根を張る松の木々の根の部分には、どれも小さな穴が在る。長い年月の内に、雨で斜面が削り取られたり、崩れたりした跡であろう。斜光が木の影を斜面に押し付けて、松の大木をその名の示す通りに、赤い幹に見せて居る。

 小学生の時分には、仲間達と好く遊んだ山である。今ではテープが張られて、入山禁止の張り紙がしてある。どれどれ、雑キノコでも生えて居るのかなと、透かしをするが全く無い。

 最初に、母の薬を貰って来ての足伸ばし散歩であるから、こんな気持ちの好い時は、適当な腰掛け場所を探して、山の雰囲気を愉しむのが無職ロートルの散歩時間とも言えるのである。日向石の温かさに、水筒代わりに持って来たペットボトルの水を一口飲む。

 無風の日差しの中で、林の中で小鳥達の小さな動きが感じられ、それらの動きで、松葉がカサリと舞い落ちて来る。

 <その2>
 余りの気持ち好さに、私は寝入ってしまったらしい。目を覚ますと様子が違って居るでは無いか・・・ アルプスの高い山並みも、盆地の平らに、北から延びる城山の丘陵も無い。何処を見渡しても、山しかないでは無いか・・・ 山は紅葉の最盛期の鮮やかさに、彩られて居るばかりである。太陽は、早くも山の端に差し掛かろうとしている。

 やや、如何なっとるんじゃい。俺は、南洋小島から帰還して間も無いのである。冗談じゃない。南洋小島から、晩秋の広葉樹の谷に放り込まれたとしたら、如何するんじゃい。

 おいおい、冗談は止めてくれや。大黒屋光太夫じゃあるまいし、ロシアくんだりの広葉樹原生林に引きずり込まれたんじゃ、俺ぁ、立つ瀬が無かんべや。
 セーターも着て無いし、古びたチョッキだけだぜ。それに、素足のサンダルですがな・・・財布に煙草に100円ライター、ペットボトル一本しか有りゃせんぞや。

  おいおい、日が陰ったら、晩秋は、一気のつるべ落としの暗黒と寒さだぜや。

 背筋が凍って行くとは、この事である。周囲を見回すと、大木の根元に適当な穴があった。時間との勝負であるから、もう必死であった。

 周囲の落ち葉を両膝を付いて、両方の手で搔き集めて、穴の中に放り込んだ。一息するまでも無く、今度は枯れ枝で穴を掘って、枝を搔き集めて100円ライターをカチッと鳴らして乾燥した落ち葉に火を付けて、頬っぺたを膨らませて息を吹き続ける。落ち葉がパチパチと鳴って、小さな炎の中で炭化した落ち葉が拡がり、ボゥッと炎が群立つ。群立つ炎の中に、乾燥した小枝を軽く乗せて行く。白い煙が青い煙に変わって行く。

 燃えて来た処で、太い朽ち幹を引っ張って来て、それに火を移す。これは、獣除けの火であるから、或る程度燃えてくれた後は、何時でも火が付く様に燻って居てくれれば良いのである。燃え移らない距離に、焚き付け用の小枝を配する。

 夜を前に、如何にか、最低限の夜の備えは出来た。晩秋のつるべ落とし帳は、駆け足である。漆黒の夜空に星々に浮かび、何時しか星々は数を増し、漆黒の夜空は幾つもの星雲の神秘さを提示して居る。

 これが正常時での夜空のパノラマ為らば、息を呑む様な宇宙の壮大さに、何時までも魅入って居る情景なのではあろう。然し、今の私には、心細さの恐怖感が渦巻いて、吾が不運に、咽ぶ泣くのみであった。

 夜陰の寒さが、素足、背筋に堪えて来る。落ち葉を手で掻き分けて、その中に潜る。ヒンヤリとした落ち葉の冷たさに、ひたすら身を丸めて、体温が落ち葉に回るのを、ガタガタ震えて堪えて居る。このザマは、情け無しの気持ちと同時に、体温の周りを一秒でも早めようと、筋肉の収縮・弛緩を1、2、1、2の声出しで堪えて居る足掻きでもある。
 どれだけの時間が掛かったか分らぬが、震えは止まって来た。これで、眠っても、凍死の心配は無さそうである。

  温かさに、余裕が出て来た。落ち葉から顔を出して、煙草に火を付ける。

 丸でヤマネの冬眠見たいなものである。内部の落ち葉寝所は、如何にか為りそうである。不足の工夫は、日中に遣れば好かろう。後は外部からの備えである。森林狼に喰われたら、一巻の終わりであるから、穴の入口には、木を重ねてバリケードをして、動物除けの焚き火チョロチョロの二重防御である。

 参った。この先、如何したら好からずよ。食べ物は、木の実、キノコ、虫に頼るとして、寒さ対策は如何するんじゃい。道具を作りたくても、ナイフも無い。旧石器人以前の棍棒原人の生活しかあるまい。一体全体、どれ位の積雪量に見舞われるのか。それへの不安と恐怖が増大して行くばかりであった。

 鳥を捕って、羽毛を毟ってシャツの中に入れて体温維持をするとして、靴下を作るには獣が必要だ。此処は広葉樹の原生林の様であるから、ウサギ、鹿は居るだろう。キツネに喰われる事は無いとして、オオカミは強敵だ。獣捕獲と為れば、精々が落とし穴か、落とし穴の底に、木槍を並べるのが、原始の捕獲法らしいが、私には槍に削るナイフも無い。

 さて、如何する。頭上から石を落して、獲るしかあるまいな。生活パターンを作る前に、空腹と寒さで一命を落とすしか無いのだろう。

 全ては、無い無い尽くしの現状である。そんな中で頭を稼働させたら、希望が益々遠のくだけである。何も考えずに、一日一日を長らえるしか有るまい。余分な神経は、絶望への道である。

<その3>
 夜明けの寒さと、焚き火の燻りに目覚める。外の落ち葉には、薄らと霜が降って居る。ガサガサと落ち葉の中から這い出して、朝の放出をする。うぅ~うの背筋の寒さである。

 黄色い小便が、湯気を出して地面に流れる。体内の湯たんぽを全部放出した様な気分で、何やら勿体無い熱放出の気分である。出し終えれば、その反動か、背中のゾクゾク感である。

 急いても、事態に一切進展は仕舞い。再び、体温の温もりが残る枯れ葉の中に身を埋め、考える。

 水場の確保と中で火が焚ける洞穴でも有れば、それを利用出来る。小鳥の食料摂取の大半は、体温維持に消費されると云う文章を読んだ記憶がある。私とて、その辺りの真理は、寒い信州が生活の場であるから、理解出来る。太陽の熱で、霜が融けてからの活動としよう。

        顔を半分だけ出した格好で、外部を見て居る。

 無風の静寂さと寒さの中で、落ち葉の落ちる音さえも、確り聞こえる。地上の霜降りの落ち葉に、太陽の光が徐々に差し込んで、霜の表面が硬さから緩く膨張して行き、それが濡れ、落ち葉に敷き詰められた地上から、湯気がゆっくりと小さく、静寂な広葉樹林の原生林に立ち上って行く。

 野鳥達が、短発の声で仲間と鳴き交わしながら、餌を求めて樹林を小さく渡って行く。

 これが、日常の中の自然観望の一シーンで在って呉れたなら、厳かな幽玄の世界なのではあるが、現実の私には、そんなゆとりなど期待する方が、土台無理な心境である。気持ちが萎えて内に籠ってしまえば、人間の精神などそれで一巻の終わりである。絶望に籠るより、<動く事が動物の生命の証>である。

 山に登って、辺りを見回す。幸い、近くに沢があった。沢が有れば、魚と水に有り付ける。きっと、ヤマメ、イワナが棲息する筈である。此処は完全なる広葉樹の原生林の山々の拡がりである。見渡す限りの野生界である。野生界に放り込まれたのであるから、『人間の野生』で対処するしか行動指針は無いのである。

 然しながら、生活の安定した旅の一ショットでは無い。美景であっても、美景では無い。深い悲しみの溜息が続くばかりである。

 私も、歳である。動くよりも、先ずは目の探索で、活動エネルギーの浪費を免れるのが、ロートルの知恵と云う物である。野生が生活する広葉樹林なのであるから、野生に倣って木の実採取と保存をすれば、活動範囲も少しづつ、展開して行く。

                そう考えるしかない。

 この広葉樹林の中で暮らすには、リス、熊の食生活を参考とするしかあるまい。熊は冬眠と云う奥の手はあるだろうが、人間の私には冬眠は出来ないのである。雪の降る前に、精々がセッセと、リスの食糧貯蔵行動が手の届く参考範囲であろう。

 それでも、この摩訶不思議の夢奇譚の世界は、私としては二度目の浚われ事であるからして、如何にかこうにか、生活が叶う安堵感の様な物が、頭の片隅には在った。

 案の定、沢に下りると、鮭の遡上が見られたし、お誂え向きの洞窟も沢に面した適当な高さに在った。ナイフ代わりの黒曜石も、あるではないか。北方民族展などでは、サケ、マスの魚皮で作った衣服の展示も見た処でもある。サケ、マスの干物と栗、ブドウなどの乾燥保存の手もある。

 これは、きっと夢奇譚第二部の始まりなのであろう。人間とは不思議な物で、そんな確信を持つと、妙に気が楽に為って落ち付く物である。今度は、お天道さんの気紛れお付き合いが、どの位の滞在期間に為るのだろうかと、一種の苦笑いの開き直りで生まれて来る処である。

   開き直りも、此処まで来れば大した物と、自分自身への苦笑いの態である。

 私の中の、こんなロケーションの中の映画映像からすれば、差し詰め西部開拓史の冒頭部分、テイラー&パーカーのMRTC、ケビン・コスナーのダンス・ウイズ・ウルブスとか森林の民ケルトの生活が脳裏に浮かぶ処である。

 映画の出演女優さんからすると、今回の共同女性様は、どんなタイプの方なのかとノーテンキの妄想も働いて来る。いざと為れば、女性コーラスグループのケルティック・ウーマンさん達も居られる事でもある。私の涎唾の願望と云えば、エレノア・パーカー様か、いっその事、日本語が通じるウラジオストクのシングルママさんの登場を、夢管理者にお願い致したい処である。

 冗談じゃ無ぇぞや、俺はモルモットじゃ無ぇぞや。全く、お天道さんのする事は、<気紛れお遊び>の延長ではありませぬか!! お役御免のロートルだからと言って、お遊びが過ぎまする。裁判員制度の裁判員だって、確率から云えば一生に一度あるか無いかの確率でしょうが~!! 

 まぁ、私とて、老後の余生は、ロバに乗ってのコジキ行脚の内に、人知れず野辺に白骨を晒すのが<妄想の終いの姿>なのであるから、こんな夢奇譚のお付き合いにも、諦めが付くのではあるが・・・ 妄想願望が、<至誠通天>なんて日にぁ、言語道断の苛め行為でしかあるまい。異次元空間では、こんな理不尽が罷り通るとは、神も仏も無い末法の時代でしょうが。

 嗚呼、糞垂れが!! 異次元界に、国語教師が不在なら、俺様が買って出ましょうかい。あい、お宅らに、幾ばくかの良心の欠片があるのなら、俺のリクエストに応えて見遣がれってなもんだぜや。糞ッ垂れ、俺は普段は温厚で物分かりは良い方だけど、怒ったら、大魔神にだって変身出来るぜや。

 糞ッ垂れが、こんな事で、負けて堪るか。こんな時の応援歌は、軍歌ぞい!!

 そうそう、こんな状況では、私の短編小説の中には、『ギュンとクンの伝説』なんて物を書いた事も在ったのである。相棒の狼クンの居ないのが、実に寂しい処ではあるが・・・

  劃して、私の広葉樹原生林での原始人生活が、始まった次第である。

<その4>
 広葉樹林の葉はすっかり落ちて、日差しの入る原生林の広さである。私の身為りには、靴下代わりのサケ皮の素足覆いも出来たし、黒曜石の石オノ、石ナイフがベルトに刺されて居るし、手には頑丈な棍棒も携えて居る処である。

 全てを樹林から採取して、生活するのであるから、食糧調達と暖を取る薪の調達に歩き回る。ウズラ、コジュケイ、野鶏の類も結構居るのであるが、道具が無いから捕獲出来ない。
 そんな事で私の主食は、栗、ドングリ、クルミとサケマスの乾燥物、焚き火に依る燻製物である。それに草である。初めは、柔らかそうな植物を恐る恐る口にして、食べられる草の種類を増やして行くのであるが、まぁ、これとても、身近で鹿などの動物が食して居る物を観察して、その後で試して行くと云った方法である。

 まぁ、冬に向かっての広葉樹林ではあるが、それなりの私の行動パターンも、拡がって来た。

 <その5>
 そんなある日、煙を見た。初めての人間の印か・・・ 煙に向かって、注意深く進むと小さな焚き火が燃えている。火の主の姿は、見えない。焚き火の大きさからすると、一人なのだろう。如何し様かと思ったが、これは夢奇譚の二部・広葉樹原生林なのである。それ程の、酷い事は予定されてはいまい。

 へへへ、私は日本人であるから、ヤオヨロズの神々を、先ず信じる処から始めるのである。

 何時の時代の何処に連れて来られたのか、一切不明ではあるが・・・火は、貴重品である。百円ライターしか<親火>を持ち合せて居ない私は、洞穴の火を絶やさない様に注意を払う毎日である。火の大きさ、周囲の落ち葉の踏み付け具合から、火の主を一人と判断した処であるから、私はその人間を知りたいと思った。

 これは飽く迄、とてつもなく大きな存在の管理下での出来事と考えるしかないから、南洋小島の生活同様に、その大きな存在に見守られていると云う安堵感が、一方には働いているからであろう。

 私の日頃のブログ日誌を読んで頂ければ、お解りの通り、私は<根っからの善人>なのである。貴重な火を只で利用させて頂くのも、心苦しい処でもある。

 私は、現代社会で俗に云われる<応分の受益者負担>をする事にして、周辺から薪を集めて来る事にした次第である。焚き火の具合から判断して、火の主は、余り長い時間を留守にするとは考えられなかった。

 場所は広葉樹林の原生林であるから、倒木は結構彼方此方に転がって居る物である。此処での生活にも慣れて来たから、私はロープの替わりにツタ、ツルの類を持ち歩いている。適当に太さのある倒木をツルで束ね、それを背中に背負い、腕には乾燥した小枝を乗せて戻って来ると、金髪の女が居た。

         互いの顔を見るや、走り寄って抱き合った。

              「オゥ、Rさん!!」
                 「Y!!」

 彼女は、ウラジオストクのシングルママさん、その人だった。彼女は、一人だった。彼女の話を聞くと、アパートから、近くのマーケットに歩いての買い物の帰りに、この世界に引きずり込まれたとの事である。何が何だか分からず、自分がとんでもない場所に居る事が分かり、恐怖と不安の一夜を明かしたとの事。自分の身に起こった悲惨さと同時に、娘の事が心配で堪らないとの事ではあるが、アパートには母親が居るとの事である。彼女は買い物食糧を食べ尽くして仕舞って居るとの事である。

 私は、この夢現象には二度目の経験であるから、前回に遭遇した<南洋小島にて>の事などを、ゆっくりと話して聞かせて、心配は要らないと彼女に話す。

 私の荒唐無稽な夢奇譚の顛末記を聞く内に、孤立無援の硬直し切った脳細胞にも、如何やら、打ちひしがれの絶望感に、確実な光明が差したのだろう。
 焚き火の火も、私の集めて来た枝に勢い良く火勢が移って、温かくも成り。私の差し出したペットボトルの水と、火の中に入れた栗の実が、パンパンと弾き飛ぶ頃に及んでは、彼女特有の手の甲をほっそりとした白い顎の下に置いて、端正な顔を僅かばかりの斜の角度に保ったまま、ダークブルーの瞳の光彩を大きくしたり窄めたりの聞き顔に為って居る。勿論、彼女の唯一の欠点のカーク・ダグラス張りの二重顎は、健在であったのだが、

「アナタ、それは本当ですか。アナタ、クレージーです。とても、信じられない。」

「信じられないのは、当然だけど、飛行機にも乗らずに、現実に俺と再会してるじゃ無いのさ。此処に在るのは、如何思おうが<夢の中の現実>だよ。夢の中の現実は、抜け出す事が出来ない以上、何ヵ月も、若しかしたら何年かも知れないけど、この世界が、現実の世界に為って居るんだよ。その間、留守にして来た<本来の現実の世界>は止まって居る筈だよ。何にも心配は要らないよ。俺は、経験者だよ。俺を信じろよ。」

「おう、そうお。若し、それが本当なら、ファンタジー・ワールドですね。面白い。アナタとのバカンスは、何時もショートバカンスだけでしたからね。
 ここはミステリー・ワールドですね。夢の世界と現実の世界が入れ替わって居ると云う事ですね。そして、二つの世界は、独立して居て、相互には一切、影響し合わないと云う事ですね。
OK、それって、好都合ですね。アナタ、頭が良いから、嘘言ってるんじゃないですか。でも、凄く分かり易くて、面白い異次元の世界ですね。私は、大変に気に入りました。100%騙されて上げますよ。マイ・ダーリン。一緒にファイトしましょう。でも、アナタ、そんな薄着で、寒くないですか? 」

「俺が引き込まれた日は、秋の好い日だったんだよ。Yは、セーターにブーツを履いてるじゃないか。まぁ、ロシアは日本よりも寒いから、順当だわな。」

「アナタ、何時スキンヘッドしましたか。似合ってとってもハンサムです。でも、寒いでしょ。これ、プレゼントです。」

 彼女が、自分のスカーフを取って、私のスキンヘッドを覆ってくれた。こんな処が、夢奇譚の可笑しな処で、私は既にこの世界に引き込まれて、一カ月以上は経過して居るのだが、髭も僅かばかり残っている頭髪も一切伸びないのである。

 彼女とは四年振りだろう。一人では生活の出来なくなった老母の賄い夫に為る事を決心して、私は女性の電話番号も住所も<全て処分>して仕舞ったから、音信不通の中での真に嬉しいご対面である。彼女は、ネグラも無いミステリー・ワールドの新参者であるから、暗く為らない内に、洞窟に戻らなければ為らない。

 吾が洞窟への道すがら、その後のお互いの四年間の事などを話しながら帰る。ウースキー島のキノコ採りの思い出話など、実に懐かしい限りで有った。

 楽しく心を通じ合わせた思い出は、決して<色褪せない>物である。現在を最重要視して、現在を無二の様に錯覚して、過去を封殺する輩が、この頃至って多数を占めて居る様ではあるが、私に言わせれば、そんな輩は<過去に頬被りをするだけ>の好い加減な人間達にしか見えない。
 過去に拘泥し過ぎるのは宜しくは無いが、<過去と現在に折り合いを付けて、物事を柔軟に考える方>が、私にとっては肩の凝らない生き易い極普通の人間模様と考えている次第である。

 私に言わしめれば、馬鹿程、過去を封殺して生きて居る物である。そんな了見違いが、しばしば<硬直人生を歩ませる>原因なのであろう。自問自答して反省する事で、還って自分本質に気付く絶好のチャンスに成り得るのではあるが、現在を正当化する為に、過去を封殺して虚勢を張る事しか出来無いのであるから、『人間のこなれ力』が成長しないで、墓穴を掘るケースが多々あるのであろう。

 先日の作家修業中のNHK集金人のおネェちゃんの見立てでは無いが、一割の少数派は、一割の少数派に出会えた途端に、歯車の噛み合いと円滑為る回転の歯車作用が始まると云った図式なのであろう。相互の四年のブランクなど、皆無に等しいフィーリングのベストマッチ状態である。

 アッハハ、彼女にとっては、豊富なスチーム暖房がガンガンするアパートから、原始の洞窟である。そして、ロシア人の必需品ウォッカが無いのである。

「オゥ、マイ・ガット。アナタに会えたのはハッピーですけど、如何しましょう。凍えて死なないかしら。本当に大丈夫ですか・・・私は、とても心配です。涙が出ます。寒いです。どう遣って、温め合いましょうか。アナタ、こっちにいらっしゃいよ。」

「そう言われても、俺がYを連れて来た訳でもないしさ。俺なんか、たった一人で、此処で生きて居たんだぜ。お前さんは、直ぐ俺と会えたんだから、俺の苦労を考えれれば、ラッキーその物だぜ。まぁ、病気にも為らんし、死にはせんよ。必ず帰れるから、心配するなよ。俺だって、還らないと婆さんが餓死しちゃうわな。」

「そうですね。アナタは嘘を言わない人ですからね。話も面白いし、気持ちが暖かい人だし、大らかな人で真面目な人ですからね。信じますね。フィーリングの合う私の恋人でしたからね。アナタは。」

 <その6>
 彼女は端正な顔に似合わず、行動も体力もキビキビして中々の度胸の据わり具合だから、私の好きなタイプである。女の粘々ネチネチした処が無いから、その分、気を遣わないで良いから有難い存在なのである。何よりも、堂々として居て判断が早いし、クヨクヨしない処が実に頼もしい限りなのである。

 本日は、Yがどんな事があっても、私に精力を付けさせる為に、肉を調達するのだと言う。まぁ、肉食ロシア人と魚食日本人の違いなのであろう。昨夜の洞窟では、私は幾度と無く尻を平手打ちされて終った。文明国の多少のスタミナ源とて、菜食中心の粗食生活では、昨日今日引き摺りこまれたロシアン・ウーマンとは、ハンディが違い過ぎるのである。ニャロメ~。

 広い広葉原生林の中には、野鶏の類も数種いるし、映像で見る処の七面鳥も5~6羽の群れで地上生活をしているのである。

 七面鳥は、オスはメスの倍位も大きいし、群れのリーダーはオスである。私はターキーを食した事は無いが、Yはあっさりしたグットティストと太鼓判を押す。オスは1mを軽く越すキジ目の最大種であるから、大きさ故の攻撃性の強い処が、私達の狙い目なのである。肉と羽・羽毛は、これからの時期、如何しても手に入れたい狩りの対象である。

「アナタ、魚とナッツだけでは、精力付かないですよ。夜は長いし、する事無いんですよ。分かってますね。私は弱い男嫌いです。確りして下さい。ホホホ。」

「はいはい、男と女はセックスをするもんですからね。はいはい、男は、尻にお仕置きの平手打ちよりも、蒸気機関車のピストン乱打ですかいね。へいへい、励みまする。」

「もちろんです。セックスは、男と女の間では、大事なファクターですよ。オホホ。」

 作戦は、こうである。攻撃性の強いオスにけしかけ、Yがロープの替わりにツタの重り石を括って、それをカウボーイ宜しくグルグル回して、挑発に乗って威嚇する七面鳥のグィと伸ばした首目掛けてツタを放つ。ツタが七面鳥の首にグルグルと回って、窒息で怯むその間に、私が棍棒で七面鳥の脳天を砕くと云う作戦である。

 ハイスクール時代は、バレーボールに勤しんでいたと云う彼女は、腰の入れ方が確りして居る。そして何よりも闘争心が、横溢して居るから大した物である。料理は下手ではあるが、スポーツ大好きの運動神経の良い端正型美形さんである。

 ハッハッ、ワァオなどと声を発して、七面鳥との距離を縮めて行く姿は、最初から気合十分の女狩人である。

 野生の七面鳥にとっては、人間とて野生種の一種に映るのだろう。動じる事も無く、Yの挑発に乗って、羽毛の無いヒダ状の露出した赤い皮膚、首下のヒクヒクと動く肉垂れは、挑発に益々興奮して赤・青・紫に目まぐるしく色を変えて居る。オス七面鳥は、間合いを測っての翼拡げと嘴攻撃で、早くも臨戦態勢の盲目の興奮状態に差し掛かっている。

 彼女を攻撃対象に絞り込んで居る七面鳥背後の死角に回り込む。私は彼女のツタ回しのブルン・ブルンの回転に合わせて、放擢の一瞬を息を止めて凝視しながら、棍棒振り落としの間合いをジリジリと詰めて行く。

 彼女も、私の距離詰めを視覚に捉えて、漲る一投の緊張感を見せている。私は、足の開きも宜しく、棍棒を上段に構えて、一気の脳天割りの体勢である。私と彼女の目が、お互いのタイミングを確かめる様に光る。

             「遣れ!!」「ヤァー!!」
         Yの手から、先端の石が放たれたその瞬間、
              「ウォリャ~!!」
          私は満身の力で、棍棒を振り下ろした。

 鈍い衝撃音と共に、脳天を砕かれた1mを超える七面鳥のオスが、ドサリと身を屈して倒れ込んだ。勿論、即死の段で在った。それでも、末端の羽がワナワナと痙攣して居る。Yの投げツタは在らぬ方向に飛んだが、彼女の挑発・引き付けの共同作戦の成功であった。

  重い。優に、10kgはあろうか。異次元世界での初めての狩りであった。

「オゥ、大成功!! アナタ、日本のサムライ。凄い、私達、ベストカップル~。」
 
 私はYに首をムンズと引き付けられて、チュ~ウ、チュ~ウの激しい唇吸いに、苦しくて目を白黒させている次第である。へへへ、色の違いは顕著ではあるが、如何やら、私とYの間には、紛れも無く原始狩人の血で結ばれているらしい。

              興奮・緊張の狩り体験であった。

 貴重な肉と羽・羽毛である。全ての解体は、有効利用の出来る洞窟工房でするが、肝要である。木に七面鳥を括り付けて、二人で担ぎ上げる。前を歩くのはYである。彼女の大きくて厚い臀部は、後ろの私への当て付けにして、茶目っ気たっぷりのお誘いなのであろうか・・・

 いやはや、これは、容貌・頭のクレーバーさには不釣り合いな、彼女の面白い側面である。トイレと云えば、私をオーイ、オーイと呼んで、私の目の前で、恥ずかしい顔をしながら放尿をする女心とは、可愛い物でもある。他人前では、おしとやかにして、隙を見せない大人の顔を持つYが見せる幼児性とのアンバランスが、面白い限りなのである。

 これ見よがしに、大きなヒップを左右にプリンプリン、グリグリの揺らせリズムにして、鼻歌交じりの意気揚々の洞窟帰還である。ハリウッド女優顔負けの端正美形さんは、気取らない処が彼女の持ち味である。

 さてさて、肉を腹一杯食べた彼女の夜のファイトが、思い遣られる次第である。彼女とのセックスは、吸引スタートで奇乗位に始まり正常位、佳境締め括りはバックの緩き祠は、突けども突けどもの吾がオゥ・マイ・ガッドにして、萎え様ものなら槍の根元をムンズと握られ、尻を平手打ちされる長丁場なのである。

 まぁまぁ、これとても、民間善隣外交にして、一人洞窟で落ち葉に埋もれて寝る侘びしさと比べたら、異次元世界での<正しい男女の関係>と云う物であろう。はいはい、文句など一切御座いませんわね。日本男児、俵星玄蕃の縦横無尽槍突きでお相手つかまりましょうかね。いやはや、ロシア女性は、アッケンカラリンの屈託の無さである。

<その7>
 終日の雨である。然程広い洞窟では無いが、男一人の洞窟にYが加わると、流石に女の視点で洞窟内の様相が変わって来る物である。整理整頓と云うか・・・何処と無く柔らかさと和みの空間が出来て来る物である。
 外仕事の男、中仕事の女と云った生物的な違いがあるのだろう。母親の住んでいたアパートを譲り受けたと云う彼女のアパートではあったが、然程、女らしい振り付けをする性格では無いタイプであるから、必要最低限のサラリとした感じであった。

 そんなYであるから、大雑把ではあるが、矢張り男の感じとは大いに違う。変な話、二人の共同生活であるから、共同作業も分業も利くから、行動範囲も広範に為って来たし、互いに気分にもゆとりが出て来た。採取狩りをしなくても、数日分の食料はある。

 私は、焚き火を洞窟の入口に追加して、洞窟の中からすっかり葉を落して沢の向こうに拡がる、雨に打たれてモノトーンにひっそりと沈む広葉樹の原生林を眺めている。

 この異次元の向こうには、現実の世界が停止しているに違い無かろうが、それに対する恋しいと云う気持ちも、然して湧いて来ない処なのである。此処に居るのは現実世界からしたら私の別物なのかも知れぬが、それは私が異次元の世界で、現実の生活をして居るの過ぎず、何ら私に変化など在る筈も無いのである。

 この世界が、短い虚ろな物なら、それは誰しもが見る儚き夢でしか無いのであるが、何の作用か、何の導きかは分からない処ではあるが、決して悪くは無い超現実の世界の存在がある事の証明なのであろう。受け入れようが受け入れまいが、この状況が私の一つの現実には違いあるまい。

 背後からYが遣って来て、背中から手を回して、私の頬に自分の頬を重ねる。

「雨ねぇ。アナタ、ライターが趣味ですから、何か書きたいんでしょう。でも、此処は原始の世界です。紙も鉛筆もありませんねぇ。オゥ、マイ・ゴットですね。可哀想ですねぇ。でも、私が居ますねぇ~。オホホ。」

「そうだなぁ~。折角の異次元世界だもんなぁ。此処でも、一杯楽しい思い出を仕込んで、現実の世界へ連れ戻されてから、文作はすれば好いだけの事よ。頭の中には、紙も鉛筆も在るからね。だから、この現実に素直にどっぷりと浸かるまでの事よ。」

「イエス。勿論です。だから、私はアナタが大好きです。ターニャももう、小学校に通ってますよ。アパートにはアナタの書いてくれたサムライの絵がありますよ。
 相変わらず、親友のオルガも遊びに来ます。アナタの話しますよ。私のママもグランドママも、穏やかでユーモアたっぷりの素晴らしい日本人の思い出話をしてますよ。オホホ。私も、此処での話を帰ったら、皆に話して上げます。みんな、ビックリするでしょうね。」

「そうかい。有難いねぇ。みんな、そんなに俺の事を覚え居てくれたのかい。嬉しいねぇ。この異次元世界へのご招待に、悪乗りして子供でも仕込むかいね。」

「オゥ、アナタ、それグット・アイデアです。この世界に、私達のベィビーが生まれれば、私達、この世界に何時でも還って来れますよ。アナタ、本当に頭良いですねぇ。私も、そのアイディアに大賛成です。アハハハ。」

 いやはや、ふざけた男と女のトークが始まって仕舞った。雨の幕に煙る風情の脳内スケッチをする矢先に、邪魔?が入ったと云う物である。成る程、男と女の相性とは、理屈抜きの自然の流れなのであろう。

 郷に入ったら、郷に従えである。業に嵌り込んで、業に取り付かれて終っては、人間には遊びが無く為って、宿業の地獄道を迷走する哀れ道しか無く為って仕舞う。過去を封殺して、現実・未来に自分を押し殺して進むなどと云う自殺行為は、何も人生のスパイスにも為らぬ<べき姿の偏狭さ>でしかあるまい。
 二律背反は、一面、論理の凶器でもある。所詮、人工物の論理など、生身の人間には本来不向きな物でしかあるまい。情の過去に遊ぶのも、人間の均衡精神の内で有る。

 へへへ、基本を違えない限り、異次元と現実世界を束ねる管理者様の逆鱗には触れぬ事であろう。いやいや、シングルママさんは、逞しい。私と良く似た好い女である。

                     夢奇譚・広葉樹の原生林にて・・・完

心何処ーショート 新しい習慣を覚えるとしようか・・・
         新しい習慣を覚えるとしようか・・・(11/13/11)
 
 老母に言われて終った。折角部屋が綺麗に成ったのだから、毎日、布団の上げ敷きをして、二日に一遍は掃除をすべしとの事である。へへへ、ロートルに為っても、<親に従え>である。布団を上げて廊下の戸を開けて、掃き掃除をする。庭のシイラギの木の中に、バルディナが居て、此方を見て居る。続いて、コタツを設える。

 まぁ、部屋を綺麗に使えば、それなりに気持ちは好いのではあるが・・・万年床が無く成って仕舞うと、何時でも布団の中へと云うズボラも出来ないから、痛し痒しの段である。まぁ、仕方があるまい。三日坊主に終わるか、新たな習慣が身に付くか・・・

 空気の入れ替えをして、四畳半定位置に座る。窓辺の雑木に鳥影が動く。おや、鳥影はウグイスである。ウグイスも、お山から下りて来たか。雑木には、まだまだ黄葉が付いている。本日は、今の処、雲が多い青空の態で有る。早く起きて終ったから、老母の動き始めるまでには、2時間は裕にある。

 少々眠いが、コタツが出来たからと云って、自分の部屋でコタツ亀を<常習>としてしまったら、老母が可哀想である。老い先短い老母との生活であるから、老母の部屋で大鼾でだらし無く転寝をするのも、<寄り添う倅の務め>でもある。

 本日は、日曜日にして遣る事も片付いたから、ノンビリすべしである。腹がグーグー為って居る。金魚達は、水槽の底に沈んで動きは殆ど無いが、黒いまん丸の目で私を見て居る。

     さてさて、打ち掛け中の物語を打ち足して置くとしようか・・・

心何処ーショート 季節外れの暑さ為り。
               季節外れの暑さ為り。(11/12/11)
 へへへ、この処、石積み、切り枝の整理をしたり、部屋の掃除をしているから、老母に嫌味を言われて終った。押し入れ、廊下を整理して、万年床を上げたら、部屋が空き空きするだろう。体が動けば、手伝って遣りたいけど、何にもして遣れない。生きて居るのがやっとで、母親として情けないとの仰せである。

★★ 言われ無くても出来りゃ、とっくのとんまに遣ってますわね。男には出来ない<気の滅入る>部屋の片付け仕事なのである。はいはい、遣りますわね。

 こんな時でも無い限り、遣る機会も無かろう。老母に、いつ何時、お召しの時が訪れるかも知れぬ。召されて、真冬の大慌てでは、ズボラ人間でも恥ずかしい限りの醜態を見られて仕舞う。気が重いのであるが、遣らざるを得まい。そう考えて、昨日の終日の雨にボチボチ始めた滅入り片付けなのである。

 土曜のコーヒースタバが控えて居るのであるから、目覚めてから直ぐの始動開始で、昨日からの万年床寝所の大掃除兼模様替えである。コーヒーブレイクの後は、安物のコタツセットを買って用意をして置いた方が、慌てずに済む。何事も着手すれば、遣らざるを得ないのである。遣れば、形が付くと云う物である。

 押し入れを纏めて万年床を入れて、床の間のテレビを移動する。えらい汚れ方である。座卓を部屋の中央に置いて、掃除機を何度も掛ける。廊下のゴミを分別してゴミ出し袋に入れて、漸く、人間の住む部屋の雰囲気が出て来た。お向かい夫婦が落ち葉の袋詰めをして居られる。はいはい、私も遣りますかね。

 本日は、上天気である。百日紅の高い所では、ジョービタキのバルディナさんが、朝の縄張り宣言をしている。洗濯物を干して、Tの電話を待つ。もう一度、洗濯機を回すしかあるまい。

「おいおい、今日は暑いぞ。セーターにベストじゃ、ふやけるぜや。」

「ホントだよな。洗濯物は干したかや。吊るし柿の方は、干し柿に成りそうだけど、直置きの方は、ペトペトに成っちゃうから、もう柔らかく成ったヤツから、熟柿で食べて居るんだよ。」

「やっぱり、そうかい。今年は生温かくて、湿気が多いんだろうな。平置きの方は、俺の方も、ほぼ全滅だ。これじゃ、農家さんも大変だろうな。こんなタッペでTPPと来るんだから、怒り心頭だろうな。」

 スタバ二階席は、太陽暖房で、暑い限りである。大震災に原発事故、EU危機、続いてTPPの騒ぎである。自然観望が一切話題と為らないのではあるが、今年は、気候の巡りに変調を来して居るのは、紛れも無い事実である。

 11月も中旬である。例年だと、窓辺の葉落としがジョービタキの姿見せだったのではあるが、今年は未だ葉が茂って居た事の初姿見せであった。
 それは、まぁ良しとして、干し柿の不調は、由々しき事態である。普通なら、こんなに自然観望が顕著為らば、やれ地球温暖化だのCO2削減だ。やれ、その責任は先進国の責任とかの大舌戦が繰り広げられている筈なのであるが、ニュースにも上らない世界景気の大変調期で、一切ニュースバリューに為って居ないのであるから、気候変調は、抜き差しならぬ段階に足を踏み入れて居るのかも知れぬ。

 Tはセーターとベストの所為か、体調に重みの兆しが見える。好色コンビの片割れからすると、嬉しい気持ちである。お互いに諸般の事情から、家庭から卒業して自由気儘な人生第二ステージを、南洋小島の現代ゴーギャンとしたい夢は有った物の・・・足元を見れば互いに爺っさ、婆っさを、心穏やかに見取る義務の真っ只中に、身を置いて居る始末である。

「なぁ、R、カカアは生意気な口を叩くけどなぁ、一人っ子の定め、お前にしたら、家族と別れての貧乏クジだろうしさ。言いたくは無ぇが、しゃ~無いの馬鹿を演じる男の悲哀を、女は知らんしな。
 幾ら自分の親だって、馬鹿じゃ無ぇんだよな。赤い血が流れて居れば、大声も発したい時だってあらぁな。俺は、ベストフレンドのお前と同境遇で、どの位勇気付けられて居るか・・・持つべき物は、心友だいな。俺より先に、死ぬなよ。」

「アリガトさんよ。まぁ、礼を言うのは、俺の方だわさ。週に一度、欠かさず4年に為るもんなぁ~。何にも変わらず高校時代と同じ感じで、付き合いが出来るんだ。
 番から男子高の好色ヤクザもどきのコンビは、そこん所そこいらにぁ居らんぜや。いざと為りゃ、<何にも言うな、互いの目を見ろ。俺達ぁ、男で御座る>ってなもんさね。

 なぁ、如何せん、今日は、ちと暑いわね。お外で、パッパでもたからせましょや。あい。」

「あいあい、その前に連れションするかいね。」

 パッパを吸った後は、コタツセットと買い出しをして帰る。本日、待ち人有りであるから、サッサと昼飯を食べて、あと半分の洗濯物を片付けねば為らない。へへへ、忙しい時は、忙しい物である。お茶菓子を菓子盆に見繕うって、何時でもOKの態で有る。

心何処ーショート 明日は、土曜日である。
             明日は、土曜日である。(11/11/11)
 嗚呼、身体中が痛い。労働の報酬は、庭の片付きと雨に打たれる石積みの風情で有ろうか。自然石の積み上げであるから、素人の作であっても、人工物には無い味が出て居ると云う物である。

          本日、如何やら、終日の雨に成りそうである。

 ラジオでは、国を二分されると云うTPP論議が、国会中継が始まっている。それにしても酷過ぎる民主党の政治手法である。彼等は、一体何の為に政治家を志し、政治の場で、何をしようとしているのか。考えると、上から下まで『真摯に生きようとする態度』が丸で無いではないか。

 これが精神の衰退、組織の衰退、国家の衰退と云う実態なのであろう。最初から民主党政権も、ドジョウ総理さんも信用しては居なかったのであるが、一国の精神を象徴しなければ為らない総理の資質に欠ける人間の酷さには、飽いた口が塞がらない次第である。

 本来最重要視されなければ為らない精神=志・哲学・人生観・歴史観・世界観・行動哲学・経験値・・・etcを、日々の物質=経済の高に、殺され様として居る事態なのである。
 経済主体の行き過ぎた考えに準拠させて、自己中心の事無かれ主義が身に就いて仕舞えば、他者に厳しく冷たく、自分に直接影響が出る事には、あからさまに自己主張を放出させて、全体と個との反省も無く、ただ個人主義の生活の中に没して居れば、遅かれ早かれ、人間が精神を堕落させるのは、避けて通れない人の世であろう。

 若過ぎる民主党の有能者と目される連中が、言葉だけを多用して、言葉数を持って事を済ませようとしている政権とは、一体、何を標榜して居るのだろうか。傍目から聞いて居ると、政治家の地位・大臣の地位もただ単なる<自己を飾るアクセサリー>に堕落して居る寒々とした不毛の荒野でしかあるまい。

 つくづくと、現代は、忌まわしい限りの世相に突入して仕舞った物である。そして、前総理は、朝鮮半島被れの度しがたい薄平ら三下男であった。

 嘗ての日本の社会には、家風、地域風、社風、国柄と云う物が、厳として存在していた。経済活動主体のグローバルの世界とは、経済効率の名の下に、精神性のタガが全く作用しなく為って仕舞う無機質な強者と弱者の構図でしかあるまい。
 日本社会、日本人の精神的特質の基本は、お互いがお互いを思い遣る、上の者が、下の者を温かく思い遣る。その温情の拡がりの中に日本人と日本がある。

 温情の拡がりが、日本と云う胎盤から胎児に繋がり、胎児を育む『絆』の筈なのであるが・・・ 現代日本には、絆と云う漢字と響きだけが注目を引いて、絆精神への復古が無い所に、一番の問題点があるのに、その深部に切り込まない摩訶不思議な世なのである。

 或る意味では、精神と経済の文明・文化の対立軸として捉えるべきTPP論議であって、然るべき国家の分水嶺なのではあるが、・・・

 情を語る事は、多分、どんなに言葉を多用しても、説明も納得させる事は出来ない次元の物であろう。情は体現されてこそ、説得力を持つ日本・日本人の特質なのである。前回も触れた処ではあるが、理と感の人間ではあるが、どんな時にでも、人間が情を失っては、個人も、人間関係も、組織、国も回っては行かないのである。

 人間は、どんなに時代を進化させようとも、本態は五感の存在である。日本の総理は、重い存在で無ければ為らないのである。党内事情に現を抜かしているのは、政治家に非ず、単なる揉め事を抱えた外面人間の家庭のオヤジで沢山でしょうが。

 さてさて、こんなメランコリーは止めて、夢奇譚二部に、この雨の風情を写し込ませましょうかね。

                  明日は、土曜日である。


心何処ーショート やれやれ、一つ宿題をこなす為り。 
          やれやれ、一つ宿題をこなす為り。(11/10/11)
 電話で起きたのであるから、これもお導きである。外仕事を済ませようか。落ち葉掃きに、枝落としの片付け、明日は雨との事であるから、漬け物用の柿皮を乾燥させて中へ取り込み、石垣の積み直し作業をして置かねば為るまい。

 切り枝の片付け、落ち葉掃きの済んだ時点で、朝食。朝食後は、煙草を一本吸っただけで、本日の主仕事の石垣の補修である。股引、セーターを脱いで、長靴に半袖ポロシャツの仕切り直しである。土圧に膨らんだ部分の石積みをガラガラと崩して、石積みの遣り直し作業である。

 重労働ではあるが、平地作業であるから、根気と腕力仕事である。ラジオ、水を持って、遣り始める。石積みを崩し始めて仕舞えば、後はヒーコラ、ヒーコラと重い石を、石と石のマッチングを考えながら、積んで行くしか無い作業である。

 いやはや、デカイ石が幾つもあるでは無いか・・・ こんな大石を見ると、単細胞人間としては、心密かに闘争心為る物が出て来るのであるから、単細胞男は疲れて終うのである。
 然しながら、運動部で扱かれて育った団塊番から世代と云う者は、唯一人、黙々と目標に向けて、額に汗する事に、少なからずの満足感を覚えて終うのである。

      まぁ、こんな時の自分への励まし言葉と云えば・・・

 何のこれしき、ヘタって堪るか。遣り終えてこその男じゃ無いか。全てに於いて、終わりの無い物など、この世に有ろう筈が無い。男は、肉体労働が出来て、なんぼの価値である。口先だけで稼ぐ頭デッカチ野郎達とは、俺ぁ身体の鍛え方が違うんじゃい。肉体労働なんざぁ、引き算よ。遣れば遣っただけ、終わりが近づいて来らぁな。

   昼飯抜きの三時半で形を付けた処ではあるが、ヘトヘトの態で有る。

 庭が整理されて来れば、目の錯覚で苦に為らなかった処が気に為る。真に嫌な目の錯覚作用である。刈り込み鋏、鋸、剪定鋏を持って、枝の散髪に移行する。

 あれあれ、<狂い咲きの木瓜>が、薄いピンク、白い大振りの花を咲かせている。斜向かい吟さんから頂戴したマツバボタンも、息を吹き返して、赤い花を数個咲かせている。朝から庭に居る私に、バルディナさんは、チョコチョコと尾羽タクトの姿見せをして下さる。

「可愛いねぇ、お前さんは。女は、こうでなくちゃ行けませんわね。アリガトさんよ。」

 さてさて、老母に何か食事をさせねば為らぬ。もう腰と腕がパンパンで疲れ過ぎて居るから、私には食欲などは無いのではあるが・・・ これも賄い夫の仕事である。手抜きの食パンとヨーグルトで済ませて貰い、米研ぎをしましょうかね。

 老母曰く、残り飯でオニギリを作って置いたから、食べてくれとの事である。台所は片付いて居て、炊飯器には米が入って居た。<はいはい、アリガトさんね>である。

 酸っぱい大梅を入れた握り飯を二つ食い、もうもう、温いコタツで大鼾で疲労回復したい処ではあるが、・・・嫌ではあるが・・・柿皮を中に収納して置くべしである。ほぼ乾燥して居るから、百日紅の黄葉をチマチマ取り除かねば為らない。物臭の根気無しの私としては、大嫌いな仕事である。

 然りとて、つるべ落としの呆気無さであるから、コタツ寝の前にして置くしか無い。何しろ、明日は雨との事である。これぞ、親分無しの子分無しの悲哀と云う物である。

 やれやれ、遣りましたぞね。俺もすっかりロートルに為って、根気仕事、手間仕事にも嫌気が起き無くなって来て終った。紛れも無く、<無理をせずに、ボチボチが肝要>の体力の衰えと云う物である。

 嗚呼、腰が痛い。腰の痛さに、嗚呼情けない、トイレに行く姿は、爺っさのヨタヨタ歩きである。男の意地を張るのも、大変な事である。とほほ。


心何処ーショート 前半は写経、後半はサプライズ為り。
          前半は写経、後半はサプライズ為り。(11/9/11)
 へへへ、流石に親である。日曜の電話以来、完膚無きまでに打ちのめされている。老母の前で、何も語らず仏丁面をしていても、老母の心も沈み込むだけで有ろう。

 体調の悪い老母の顔・態度は、血を分けた親子と云えども逃げたくも為る。それが、人間の真情と云う物である。こんな時は、厚顔無恥に為って、自分の真情を語って見せるのも老母へのサービスでも有ろうし、倅としたら母への甘えでもある。

<人生儘為らず、喜怒哀楽の浮き沈みの中に、目を閉じて行く>のが、人の一生の鳥敢図でもあるし、そのマクロ図をミクロ図に拡大して、内為る喜怒哀楽・愛憎を開示などして仕舞えば、文学・ドラマの仕立てに為って仕舞うだけの事である。

 ミクロ、マクロの図を頭の隅に描いて、直近の事象に立ち向かい、己が心に引導を渡すしか無いのが、厄介な生身の人間の現寸大の図としか言えまい。

 その現寸大の人間の中に巣作り、住まう諸々の、ドロドロした物も、紛れも無く私自身の分身達の姿であり、蠕動の様なのである。そんな内部に在って、揺れ動き、逆巻く激情の吐露も、生身の人間の一つの姿でもある。私の本質は、紛れも無く直情的にして直視的性に彩られた男である。場面に依っては、理をかなぐり捨てて、感の行動を取って仕舞う粗暴犯予備群の一人なのである。

 従って、こんな性格の男は、極力人畜無害の風の様な、人生の流離人に為るしか無いのである。まぁ、これは飽く迄、マクロの鳥敢図なのではあるが、ミクロの劇場に放り込まれて終うと、中々にして泥沼から脱するには、抑制のエネルギー消費量が、生半可なものでは無く為って来る。穏やかで強い人間に見えるらしいが、その実態は、直ぐ様に現実の嘔吐を何日も繰り返すばかりなのである。

 若い頃は、そんな硬過ぎる性に唯一人堪えて凌ぎ、次なるステップの踏み台として居たのである。然しながら、人間とは、経験知と経験値を持って、それ等を自分の処方箋として、行き方、生き方を覚えて行く物の様である。

 任侠世界の健さんの様に、ストイックに生きるだけが、自分の生き方でも無かろう。喜怒哀楽の狭間に揺さ振られ、漂うのが、人間ならば、それを正直に吐露しても好かろう。忍の一字で堪える自分も、喜怒哀楽の感情をストレートに語った処で、私自身の本質には、一切の変化など生まれ様が無いでは無いか。マグマ溜まりのベント開放のタイミングを逃せば、福島原発事故の様である。

 こんな経験知、経験値を得て、私の行き方、生き方は、若い頃と違って、大分、穏やかな世間渡りが出来る様に為った。理と感であっても、情を失っては、人間生きる資格も値打も無く為って仕舞うだけである。それだけは、避けたい物である。

 とは云う物の・・・私の様な半端者は、理と感の狭間に取り込まれ、押し潰されて、昨日の心、二時間前の心、さっきの心や、何処の支離滅裂にして、心定まらぬ心象風景の行進でしか無いのである。

 地下のマグマの溜まりが、沸点と、その許容量を地下に貯蔵出来なく為れば、ドカーンと巨大火柱を噴出させて、真っ赤な溶岩流と為って、周囲の樹木、民家を焼き尽くすのみである。
 日本の象徴・霊峰、秀峰、麗峰、富士山の崇め奉りで在っても、地球の長い経時スパンからすれば、そんな火山の大噴火、溶岩流の迸りを幾度と無く繰り返して来た結果の霊峰・秀峰・麗峰富士山の神々しさと和やかさの中に収まっているのである。
 然かも、富士山とて、現役の活火山なのであるからして、地球と云う長い長い時の刻みからすれば、いつ何時、地下マグマから一挙に大噴火の事態にも為ろう。秀峰・麗峰の上部が吹き飛んで、八つが岳の山容に転化しないとも限らないのである。

 そう考えれば、たかが市井で息をするだけの私である。精々内部のマグマ溜まりに翻弄されて、嘔吐を繰り返したとしても、時の注入でそれらも何時かは、収まるのであろう。 
 さてさて、むべ為るかな、人の世の儚さよである。ジタバタしても、この世は成る様にしか成らぬのが、本態で在る。潰されるのも、起き上がるのも、天の定めと諦観するのが肝要であろう。

 ラジオを持って、散歩に出掛ける。玄関横の梢には、ジョービタキのバルディナさんのお見送りである。川の流れには、アブラハヤが群れ泳ぎ始めた。県民会館近くの大ケヤキの紅葉は、葉の水分が枯れて来て、どす黒い色合いに為って居る。へへへ、お天道さん、そりぁ、俺に対する当て付けかいな・・・

 日差しの翳りに帰って来ると、NHKさんの集金人さんである。この処、NHKさんに異存が在って、支払い拒否をして居るのである。
 先日は、私の様な人間が増えて、専門の苦情処理、意思聞き取りの専従者さんが居られるのであろう。私の支払い拒否理由を、長い時間を掛けて、貴重なご意見ですから、確りとご意見を上部に送るとの事であった。

 料金徴収者さんは、初顔の娘さんの様なタイプの人である。ほぅ、好い目をしている。彼女は、玄関鳥に興味大の様子である。歳は若いが、同じ様な目を持った人である。

 私としては、料金支払い拒否をしたい処ではあるが、少なからず食事時は、母の部屋でNHKさんを見て居るのであるから、全否定の支払い拒否も心苦しい処なのである。
 まぁ、お互いに其々の言い分が有るのであるから、仕方があるまい。遅滞料金の1/3、1/2と云った支払いで無いと、私の抵抗が表現出来ないのである。

 まぁ、そんな処で手を打って、領収書を貰って、仕事はお開きである。興味深い資質の持ち主らしい彼女と話をすると・・・矢張り、睨んだ通りで話が弾んで来た。

 アラフォーに近いアパート暮らしの独身女性との事で、彼女は小説が書きたくて、書いているとの事である。

  左様であるか。部屋から、戯け画ファイルを持って来て、話の肴にする。

 同タイプと云う者は、目の雰囲気、動きで、何処と無く分かる物である。中々にして、感性豊かな女性らしい。彼女は、パッパッと目を走らせ、目を置く。私の趣味は人間観察であるから、彼女の眼の動きから、彼女の内心を探ろうとする。彼女の眼の動きのスピードの強弱、目の止まりが、内心の彼女の感性と直結して居るのは、明らかな処である。

「あの~、違って居たらスイマセンけど、ご主人は、凄い感性・感受性の持ち主ですね。こんな素晴らしい絵を、自分一人で閉まって置くのは、勿体無いですよ。世間に出して下さいよ。ご主人は、絶対に青が好きですね。青に特別の思い込みを持っていますね。そんな気がします。

 穏やかに見えますけど、相当に○と×の世界で生きているでしょうね。私もそのタイプですから、ピンと来ますよ。こんなにグチャグチャに為って仕舞った今の時代は、住み難いでしょう。

 支払い保留の説明を聞かせて頂くと、相当なインテリさんだし、筋が通って居るし、それでも、自分の意見・意思をごり押しするタイプの人でも無いし、私の様な集金人にも、腰を低くして応対して下さるだから、きっと人格的に凄い人だと直感します。
 多分、ご主人を理解出来るのは、多くて一割にも満たないでしょうね。オーラと出来の良さが、プンプン伝わって来ますからね。生きる事って、一割の人には辛いでしょう。理解される割合が、低過ぎますからね。私なんか、毎日、その中で、笑って生きている振りしてますけど、本当は辛いんですよね。」

 いやはや、現代人の素直さと云うか、物怖じしない会話力である。まぁ、この位、スパンと物を表現出来ないと、小説修行には為らないのであろう。

「ほぅ、大したもんだわ。それなら、好い小説書けるよ。頑張れや。物を書くんだったら、『青の発見』は当然だわな。好い筋もってるよ。

 青のヒントはさ、牧水さんの心象風景が、小学校・中学校の時から堪らなく好きでさ。これを教科書で読んだ時に、思わず胸が詰まって涙が込み上げて来た物さね。
<白鳥は哀しからずや、空の青、海の青にも染まず漂う。> <幾山川越え去り行かば、寂しさの果てなむ国ぞ、今日も旅行く>なんて心象に惹かれちゃってるんでさ。言って見りゃ、青が俺の色なんだわさ。へへへ、分かるかな~、小説家の卵さんよ。

 そうだ、俺、アンタが気に入ったから、言葉を一つプレゼントするよ。俺の青を見抜かれちゃったんだからな。<青のエッセンス>として、何時か、アンタの文章で加工して呉れや。

 感受性・感性を完全に共有する事が出来ないから、人は孤独を感じるのさ。孤独を打破するには自分を鍛えて、孤高に立つしかあるまいよ。それでもさ、情を失ったら、駄目なんさ。理、感、情を巧く描けたら、立派な小説家さんに為るよ。」

 彼女は、完全にフリーターさんらしい。日本は沖縄を除いて、全て行脚したとの事である。東日本震災地には、何度も足を運んで居るとの事である。小説書き中心の生活だから、貧乏この上なし、何にも無い簡素なアパート暮らしだとの事である。三人姉妹の真ん中、S20年生まれの父と22年生まれの母との事で有り、行く行くは両親と云うか父と生活して、面倒を見たいとの事である。因みに、彼女は山育ちとの事で、父親は大の動物・小鳥好きで、動物園の様な環境で育ったとの事である。へへへ、参りましたわね。

 何もせずに、悶々とした閉じ籠り生活なのではあるが、本日はヤクルト・ママさんのコール日であったし、こんなサプライズ級の同資質の女性と会話を交わせて、世の中の人の出会いとは、摩訶不思議な物である。

 本日の前半は、吾がマグマ燃えに、言うならば心落ち着かせる<写経の心算>で打ち始めたのではあるが・・・

  遺憾いかん・・・とんでもない長駄文の本日日誌と為って仕舞った。


心何処ーショート 久し振りの戯け画会話為り 
           久し振りの戯け画会話為り(11/8/11)
 和製ブロンソンさんのガス屋の集金である。何か、スマートに為った様な気もする。

 前月は来客中で、支払いだけで終わって仕舞った。従って、本日の戯け画のお披露目は、<夢奇譚・南洋小島にて>の挿絵四枚である。

 ガス屋さんは、ボルネオのオラウータン裸人とポーランド人ダニエラ・ビアンキさんの2ショットに、目を輝かせて喰らい付いて来なさる。続く、イクラ色の三日月、半月、満月の下、線画の正常位・騎馬位・後位、その下のテントウムシ交尾に、ゴマ塩口髭をワナワナ震わせての大感想談の始まりであった。

「Rさん、この発想力は何処から来るだい? この見開きセットに為って居るこの絵からすると、先ずインスピレーションじぁ、男の方は、ギリシャ神話の神を連想させるし、この金髪女性の笑い顔が何とも言えない茶目っ気が、何んともはや・・・硬と軟の思わず、両方を見比べて、この二人の間で交わされている男女の会話が、自然と浮かんで来る。

      何時も、Rさんの人物絵は人物の捉え方が、凄いですわ。

 そして、この南洋小島の島の絵と、イクラ色の絵との重なり合いが、真に柔らかで見て居るだけで、微笑んで来ちゃ居ますからね。エロスを、こんなにも柔らかく微笑ましく表現出来る感性と云うのは、やっぱり持って生まれた観察眼・感性、対象に対する柔らかな眼差しって物を感じて、心がほくそ笑んじゃいますよ。

 文章読んでも、一流。ほんとに、Rさんの好い歳の取り方と、奥が深くて、時に鋭く、和やかな気持ちを同時・同列に持っている人なんでしょうね。色使いの対照・対比に、奥行き、鋭利、大らかさが、ちゃんと出て居たり、滲んで居る。ほんと、羨ましい限りの内面の多様性を持っているんだから・・・ それがRさんの風貌、雰囲気として外にスーと出て居るんだから。ほんとに興味深いお人ですわ。」

「やいやい、流石に美大出のお人は違うわね。そんな風に、感想、解説してくれるなんざぁ、俺ぁ舞い上がちゃって、庭掘り起こして、北朝鮮直輸入の無刻印金の延べ棒でもご進呈してぇんだが、こんなボロ家のオラウータン裸人には、財産なんてガス代払うのがヤットコサだし、困っちゃうわね。まぁ、来月辺りは吊るし柿も食えるから、それまで、解説代の方は待ってましょや。」

「あいあい、玄関開ければ、庭の柿簾が先ず目に入るぜね。へへへ、高級和菓子の穏やかな甘露の味のお零れを狙ってるぜね。」

「そうかいね。今年も、お裾分け出来るぜね。イッヒッヒ。」

 男同士の通い合う会話は、そこん所そこいらの形だけ女の<合わせお世辞>よりも、充実していて、次から次と言葉が継ぎ足されて来る。

 外は、落ち葉が風に鳴る晩秋への訪れか。小部屋でコーヒーを飲んで居ると、この数日、姿の見えなかったバルディナさんが、殆ど葉を落して、冬木の態の百日紅の高い梢で、クワックワッの声を短く発して、小部屋の私の方を見て居る。細い小枝の先で、尾羽をチョッチョッとタクト振りして居る様は、既に冬鳥の印象である。

 ふ~む。私の心も、耐えねば為らない冬の訪れである。完膚無きまでの、因果応報の様である。自業自得為り。


心何処ーショート 紅葉を見て、長歩き。
               紅葉を見て、長歩き。(11/7/11)
 久し振りに、正規二時間弱のコースを歩いて来る。すっかり紅葉に覆われた山野である。取り残された柿の橙色に、リンゴ園の赤い実の数々である。畑には白菜、大根、野沢菜、ネギの緑が茂っている。曇天の三時半を回ってからの、ただひたすら歩け歩けの散歩である。

 寒かった身体も発熱で温まり、軍手を脱いだりセーターの上に着て来たシャツを腕捲りしたりの上り勾配、川に沿った上流目指しである。

 久し振りのコースではあるが、習慣的に歩いて居たコースであるから、ペース配分と云うか・・・負担具合と云うか・・・、そんな諸々が、体細胞が確りインプットされているから、殆ど苦に為らない。

 今暇に任せて、夢奇譚・その2の出だしを僅かばかり打ち始めて居る処なので、早落ち城周辺の紅葉の雰囲気を、脳内スケッチに長散歩に来たのである。

 折り返し地点のH橋から、川の流れを覗くと、ヤマメのジャンプする白い腹が見えた。グゥーと迫った山際のこじんまりとした橋である。山際のカーブした道、それを抜けると水田地帯の広い農道が一本真っ直ぐに走る開けた区域である。夕刻のこの辺りまで来ると、流石に散歩者は居ない。替わって、ランニングスタイルのジョギング者が、一人黙々と走る姿が、一、二あるだけである。

 鬱蒼と茂っていた川原のニセアカシアの大木は、去年の初冬に伐採されて、空き空きした物の、今や、切り株から若木が伸びて、道の高さまで無数に伸びている次第である。キリギリスの捕獲場所の湿田の休耕地には、黄色に成ったガマの草地に黒ずんだ茶のガマ穂が、風に小さく揺れているばかりである。

 五時に近いのだろう。沈み込む松本盆地には、ネオンの四十万が等高線を描いて、点り始めている。曇天の暮れなずむ灰色空には、山のネグラに帰るカラス達の群がりと鳴き声である。


 さてさて、晩秋、初冬の夕暮れ時は、つるべ落としの呆気無さである。せっせと歩かねば、先の長い帰り道である。三時前後のスタートで無ければ、駄目になった季節の到来である。

心何処ーショート 霜月の忍び込む風の冷たさよ
             霜月の忍び込む風の冷たさよ (11/7/11)
 午前中の曇り空が割れて、何日か振りの青空が拡がって来た。庭のビニールを掛けた柿の干し台を見ると、あれあれ、青カビ殿の大発生である。風通しを良くする為に、金網を出して、その上に移す。目に見えない微生物の世界は、こんな時が無い限り、ボンクラ人間の私には、気付かない生物界の世界と云うか、当たり前の世界なのであろう。

 煙草を吹かしながら、超ミクロの世界に想いを馳せると、こりぁ~、一大事の沙汰である。原発事故時の権相(喧騒)の中で、再生産可能エネルギーとやらで、日本の遊休農地にソーラーパネルを並べ立てて、遊休農地の解消とクリーン・エネルギーの一石二鳥の経済活性化を提言した企業家とパフォーマー総理が居られた。

 為る程、一見すると目から鱗の企業家発想である。大拍手喝采を進呈しても良いのだろうが・・・ 大事な干し柿に青カビ大発生の様を目の当たりに見て仕舞うと、何やら権相の好い加減さが、頭を過る処である。

 宇宙の、地球の、大きな自然の営みの中でバランスを取って来たのが、地球環境・生物環境と云うべき物であろう。光、空気、水、風、気温、海、大地、土、植物、動物が地球と云う一つの環境の中でバランスを取って、棲み分けをしながら生命を育んで来たと云うのが、宇宙から見た地球の姿なのであろう。

 それが今まで自然の中に在った大地の上に、ある日突然、国策とやらで<巨大な覆い>を被せられて仕舞ったら、光を遮られ、風を奪われ、雨水だけが沁み込む大地の様は、一体如何なる世界に取って代わられるのか、想像すると、大変な世界の繁茂、登場と云わざるを得まい。青カビ、赤カビ、白キノコの異星の世界にも為るやも知れぬ。長い年月には、土壌とて<腐れ土壌>に陥って、再生させるには何年も掛るかも知れぬでは無いか。

 現代人の全てを数量に置き換え、経済効率にばかり腐心して東奔西走する有り様は、如何なものかと首を捻らざるを得ない感想である。
 組織から、お給金を頂戴して生活を維持している以上、組織に逆らえないのが、生活者としての<人間個人の哀し過ぎる性>である事には違いあるまい。細分化分業群に君臨する巨大グローバル産業で、一つの巨大産業を構築して居るのが、現代のマネー資本主義の世界にして社会である。組織の構成員は、分断され入社形態に依って、身分的な恒久てき差別を強いられる。

 同じ仕事をしても、労働形態で理不尽な不定期・不正規社員のスタンプを押されて、唯々諾々とそれに甘んじるしか方途が無い世界である。口で、文字で、映像で、その理不尽さを散々に述べた処で、如何にも為らないと云うのが、社会の閉塞感を助長させ、社会の停滞を隅々にまで浸透させてしまっていると云うのが、現代社会の実態なのであろう。

 米国のウォール街デモのプラカード99%を、テラスでワインを飲みながら、写真を取って上品に笑って居る1%の世界が、21Cの初頭の象徴映像とするなら、フランス王国最後のマリー・アントワネットの時代と、一体何処が違うと云うのだろうか。

 教育現場の歴史観からは、戦前教育の全てを軍国主義の侵略戦争の所為にして、素知らぬインテリ面をして、横文字好きの西洋被れが、識者・ジャーナリスト面をするのであるから、現代も戦前も、何処が如何違うのかと言いたくも為る次第である。

 お上、御身大切の支配体制の一歯車でしかあるまい。発言者・発現者には、一方の刃に無頼の腕力を矯めずして、何の存在意義在りやでありましょうが。

 思想家と事務屋とは、所詮、タイプと次元が違うのである。思想家の前に、有能な事務屋が揃えば、べき姿、理想への大きな推進力と為って、国を変える事も出来る。思想家の枯渇した敗戦後66年を覆い尽くした物は、思想家無き事務屋達が作り上げて来た<自虐史観の跋扈>だったのかも知れぬ。

<思想家>と<思想無き事務屋>の一番大きな相違点は、頑固一徹者と八方美人のお調子者の違いであろうか。思想には、『筋の角』が顕著である。一方、八方美人の人当たりの好さには、踏み込む姿勢よりも、相手にニコニコのブリッコ対応で、『迎合の擦り寄り』が顕著と云う物であろう。思想家と事務屋は、バランスが取れれば、最良のコンビにして、最強の二人三脚である。ベストマッチの見本とも為るべき物であろう。

 へへへ、ラジオでは、私の大好きな小宮山洋子大臣の答弁である。何を偉そうにペラペラこきゃがる。生活臭ゼロの女権活動家が、何を言っとるやらである。
 差し詰め、世界のひのき舞台とは、主要各国の首脳が顔見せをするだけの『中世仮面舞踏会』の如き、陳腐の会議模様にしか思えて為らないのである。←私もすっかり脳梅菌の蔓延で、妄映が見えて来るのだろうか。

     遺憾いかん、コーヒーブレイクでも致しましょうかね。
 
 然しながら、思想無き事務屋が、世間体位の低レベルの選択・支持で、事務屋政治を繰り広げて仕舞っては、国は衰退の一途を辿るしかあるまい。

 これらの様を、一番身近な家庭単位で例えれば、外面だけの格好付け亭主と真面目女房or八方美人の外好き女房と真面目亭主。そんなミスマッチを考えれば、家庭の内面と外面の乖離は、等しく家族構成員の知る処でもある。

 考えて見ても、早々は、内・外の一致人間など、現実の娑婆では希少の存在なのである。そんな下世話な事は、家庭で経験して居るのが、昔の家族関係に於ける経験知・経験値であった筈なのではあるが・・・
 多少の齟齬、ミスマッチは、男と女の仲のご愛嬌かも知れぬ。そんな事は、割れ蓋に閉じ蓋で、夫婦、家族の色合いかも知れぬが、大ミスマッチでは、我慢も手の施しようもあるまい。刃傷沙汰に及ぶか心離れれば、男女は冷たい物である。サッサの離婚行動でありましょうぞ。

 具体例が、きつ過ぎましたかね。この位の本当の事を打たないと、日本人は、マスコミ、識者、政治家に甘過ぎるのでありまするぞえ。民主党政権に為ってからの、後手後手政策、後手後手の政治行動を見て居ると、家庭→社会→政治→国柄の崩壊を見ている様で、涙が出て来る次第である。
 
 簡単便利、スマートにしてリッチな消費社会に毒されて、共稼ぎ核家族化と個室文化の果てに、一番身近であった筈の内面と外面の欺瞞性を知って、それを類型として他を観察して、自身の経験知と経験値の自問自答の判断もせずに、外面映しだけの編集映像に判断基準を合わせて仕舞う。何と情け無しの日本社会・日本人に成り下がって仕舞った物か。

 この頃は、日本の政治家諸氏のテレビ報道には、真にウンザリの感である。説明・討論・国民意思の形成前に、<TPP参加在りき>のこの国の事務屋政治屋共に、何の期待をすべきやである。私には老母を見取る義務があるだけで、後は好きな祖国日本の荒廃する様は、見たくは無い処である。そこそこの余命であの世に行って、妄想三昧の日々を送りたい物である。

 さてさて、ラジオを聞いて居ては、メランコリーの捕囚に陥って仕舞う。風は寒いが、散歩に出掛けて参りましょうかね。とほほ。


心何処ーショート 役員さん達への謝辞なり
             役員さん達への謝辞為り(11/6/11)
 本日は、朝から雨である。午後は風呂に入って、町会文化祭の蕎麦でも食して来るとしようか。傘を差して、公民館に行く。中々の風流、通のお人達の出品作である。山岳写真のセミプロさんも居られれば、書の優等生さんも居られる。絵は無かったが、手芸、陶芸、活け花も展示されている。

 町内老人会の会長さんが居るから、椅子を横に並べて、ブログ日誌を話の種にお喋りをする。大柄でゆったりした会長さんと、ぼそぼそ、ゆっくりペースで話しをするのが、私は好きなのである。

 展示会は、三時で終了である。蕎麦打ち教室も、初めての催しにも拘わらず、好評だったとの事である。私の行った時は、もう終わりだったが、S大名誉教授にしてM私立大学学長さんが、町会班長さんとの事で蕎麦打ち教室の講師を為されたとの由である。

 二階席は、役員さん達の食事との事で、階下から笊に盛られた教室受講生に依る蕎麦が、次々と運ばれて来る。蕎麦代300円を払うと、缶ビール一本付きで食べ放題の慰労会見たいな物である。役員さん達は、云って見れば<老人会予備群の様な年配者>であるから、酒が入らなくても、ザックバランな空気である。

 蕎麦は大分太いが、蕎麦粉の割合も高く、良く練り込んであるらしく、肌理の細かいモチモチとした食感である。蕎麦の香りと仄かな甘味がある硬茹で蕎麦である。
 此処は信濃の国であるから、木曽の藪蕎麦に倣ったキノコ、山菜、チクワ、挽肉、揚げの入った熱掛け蕎麦の二本立てである。

 それを作ったのが、公民館長さんとの事である。そして、公民館玄関に、素焼きの大壷の中に、野趣と秋の色合い、風情をダイナミックに、ボリュームたっぷりに活け物を置いた作者も、館長さんとの事である。大壷の脇には、白樺の枝をザックリと組んで配置して有る。野趣を素手でザックリそぎ取った・・・此処には、取捨選択の力強さが表現されている。

 へへへ、有名・無名を問わず、市井の感性の発露に拍手の段である。館長さんは、小柄ではあるが整った顔立ちの垢抜けしたお人である。お椀に蕎麦を入れて、杓文字で熱々の山菜汁を掛けて、サービス精神旺盛な腰の低さは、活け物オブジェと山菜汁のダイナミックさと繊細さを併せ持った<通の内面>をお持ちなのであろうし、その辺りの具合が、良く容貌・雰囲気に現れている処でもある。

 そぼ降る雨の日曜日、子育て終えた町会に、趣味を展示して第二の人生を日々とする。第二の人生、交われば、人の好さが輪を作る。高齢化進む日本社会には、町会の公民館をサロン化する工夫が、直ぐそこまで来ているのかも知れぬ。

 老、高、中、少・幼と重なり合わさってこその、人間の社会の生きる様なのであろう。自然との距離が遠のけば遠のくほど、哀しいかな、人間は無機質の物質に呑み込まれて終う。

 ビールも蕎麦も、もうもう入りませぬ。さてさて、そぼ降る雨に、傘を差して若輩者は帰りまする。参化するのも、役員さん達への謝辞なり。

 役員さん達がお開きにする前に、大急ぎの一発打ちを致しましょうかね。スカンポ男も、鞭を呉れて遣れば、中指は勝手にキーを打つ。さぁ、印刷に掛けて、外に出ると町会長さんのお帰りである。未だ公民館長さんは、居るとの事である。

 へへへ、居ました居ました。早速プレゼントして、速読感想を強要した処である。私は館長さんを、悪趣味の表情観察に移行させて頂く。まぁ、こんな悪趣味も、原稿料の代わりってな物であるから、平らにご容赦のほどを~。

 館長さん、最初からニヤニヤ顔である。さぁさぁ、主役登場でありまするぞえ。

 うひぃ、うっうう・・・ いや~、頭良いなぁ~。やいやい、こりぁ~、鋭い。魂消た。

     へへへ、館長さんは、涎を垂らさんばかりの嬉し顔である。

「これは、俺一人が、ほくそ笑んで居たら、罰が当たるわね。コピーして、官報に掲載して皆さんに読んで貰うわね。よくも短時間で、おっ魂消た。・・・好いんだね。俺が貰っといて、嬉しいぞや、家でゆっくり味わって読ませて貰うわいね。

 いやいや、こんな謝辞を頂戴するとは。舞い上がっちゃうぜや。ほんとに、有難う御座います。この町会には、得体の知れねぇ大物が潜んでるわいね。ひひひ。」

 言いたかぁ無ぇが、これが日本の日本人の社会だぜや。TPPだか何だか知らねえが、一握りの輸出巨大企業の為に、円高介入で一日で、7.2兆の捨て金使って、ごり押し米公の米スタンダードを導入させて、日本の国柄解体をしなくちゃ為らんのだ。冗談じゃ無ぇや、成熟日本は、内需の国だぜや。坊っちゃん小僧達に、日本を滅茶苦茶にされたんじゃ、堪らんぜよ。←違いまするかな。各々方!!

心何処ーショート へへへ、良く話した物である。
            へへへ、良く話した物である。(11/5/11)
 町会文化祭に、自己作品?を出しに公民館に行く。役員さん達が、写真、書の掛け軸、布貼り画、手芸品などの展示作業をして居られる。いやはや、大した作品である。<年配趣味の会>でもあるのだろう。老女性達が、自分達の作品を大事そうに取り出して、飾られた作品を見て居る。

 遠に、子育てを終えた町会住人達である。ゆったりした時の中で、其々が自分に合った時の過ごし方をして居るのである。趣味を展示する機会・場所を得れば、趣味への励みとも為る。高齢化社会に在っては、これは必要な催し物であろう。

 然しながら、そんな所に、ブログ掲載の吾が戯け画集をファイルで6冊、詩集、ブログ日誌片を持って行ったのであるから、何んともはや・・・決まりの悪過ぎる思いである。私とて、分相応の常識は持ち合せて居るから、端の端にそれ等を置いて、恥の土産を持って、スタコラ逃げ帰って来た次第である。イッヒッヒ~。 

 明日は<蕎麦打ち教室>が開催されて、300円で蕎麦が食べられるとの事である。

 物干し竿の吊るし柿一連をレジ袋に入れて、外でTの車を待つ。渡すと、Tのヤツは熟し柿にしろと渡した柿を剥いて、干し柿を作っているとの事である。それを遊びに来る孫が、<ジィジィ、これ、なに>と手で突いて遊んで居るとの事。

「そうかい、一連だけど、これを物干竿に吊るして置くだけで、秋の風情にも為らぁね。」
「そう云う事ぁいねぇ。サンキュー。」

 コーヒースタバの二階席は、通常の入りである。S大の仏文学の先生が、一人でコーヒータイムを取って居られる。TPP談議などをして居ると、私服姿の店長さんが夢奇譚の小冊子を返しに来られた。盛り沢山の挿絵付きの物語りは、大変に面白かったとの感想を縷々述べられて、へへへ、大変に嬉しかった次第である。

 本日、些か寒い。何しろ、寄る歳波の尿意で、漏らすぬ内のトイレ下りで、外の喫煙場所で一服の段である。

 例に依って、一服後はホームセンター、スーパー経由である。ホームセンターの出入り口に行くと、中から私より年配の縮れっ毛、眼鏡を掛けたオヤジが、私の姿顔をまじまじ見て『ご苦労さんです。』と目上の者に対する様な挨拶をする。

「こんにちは。」と私も常識的に頭を下げたのだが、完全に何方かに間違えられて居る。

      へへへ、いやはや・・・俺は、何処ぞの組の親分さんかいな。

         玄関にスニーカーである。倅ファミリーが来ていた。

「孫は、珍しく機嫌が良くて、私の顔を見ても泣かないよ。ほらほら、お爺ちゃんが来たよ。抱いて貰え。」老母は、ひ孫のご機嫌の好さに、上機嫌である。

 そうこうして居ると、倅曰く、娘との事である。約一年振りである。結婚相手を連れての顔合わせである。そうか、結婚であるか。新番いの誕生である。似た者同士の雰囲気が有るのだから、類は友を呼ぶのであろう。私の処は、ザックバランを旨とするから、楽にして行けば良かろう。娘は友達の結婚式に出るとの事で、短い滞在であった。

 廊下で、倅と二人、煙草をプカプカ吹かしながら、親子の会話を愉しむ。倅も良い歳であるから、親子を離れて男の話である。つくづくと、遺伝子とは面白い物である。実に良く似た感受性・観察眼・思考方を身に付けて居る物である。吾が倅ながら、好漢の部類に属する男である。

「今の世の中には、とんでもない責任転嫁思考・行動が有るけど、結局は、何だかんだと云っても、オヤジの躾けが悪いんだろうね。職場の話を聞いて居ると、兎に角、家のオヤジは怖かった。オヤジの前で、そんな事をしたら、完全に殺されちゃうからね。」

「そうだな。一緒の屋根の下に居れば、子の不始末は、親の責任。碌でも無い男に育ててしまえば、見処の有無は後の祭り、見切るのが、父親の責任。世間様に申し訳が立たんわな。倅を殺して、俺も切腹して閻魔さんの所に首根っこ引き摺って行くしか無ぇもんな。
 躊躇ったら、文学的描写のお涙頂戴にしか為らんからな。先ずは、鬼に為って機械的に成敗して、あの世で倅れを、泣いて諭すしかあるまいよ。まぁ、お互い、そんな物騒な事に為らずに、良かったってもんだぜや。」

「ほんと、ほんと。今度はさ、俺が倅に、俺流オヤジを見せなくちゃ行けんからね。この歳になると、オカンとオヤジの色んなシーンが浮かんで来て、振り返り感想も、大分変わって来たからね。
 普段は、助平オヤジ、此処一番は一家の大魔神、独裁者じゃ無くちゃ、男のキンタマの価値は無いしね。へへへ、俺も、オヤジの厄介な遺伝子を注入されちゃってるわね。アハハ。」

「そうかい。まぁ、遺伝子の魔力の側面だから、しょうがないわな。俺としたら、何時、子供達が大人に為って親を客観視出来るか・・・それを見届けるのも、種付け親の責任だしな。男同士の話だから、こんなにスンナリと話も出来るんだけどもな。
 俺は片親の男兄弟5人の中で育った男だから、娘とはこんな話を交わして、娘の成長度合いを実感する事は、出来んのだわさ。其処が辛い処よ。

 でもなぁ、アイツは気難しいコアの部分が、俺に似過ぎて居るんだわ。ガラスは怜悧だけど、弾性が弱いから壊れる時は、呆気無い程の脆さを露呈しちゃうのさ。それが気掛かりなんだわさ。俺は自分を観察して居るから、良く分かるのさ。デカイ声じゃ言えないけどさ、コンニャクの裏表、背骨無しのアメーバー人間の演技力を蓄えるのは、紆余曲折の連続にして、中々の鍛錬の苦役のザマさね。

 でもな、お前達は、兄妹の仲が好いし、お互いの持ち味で、お互いがクッション材にも為れる。俺にも三番目の兄貴が居たんだけどさ、あの馬鹿野郎、四十代で死んじゃってさ。<俺の目を見ろ、何にも言うな。>で通じ合える肉身、心友が居るか居ないかは、デカイからな。熟成させろよ。分かるな。
 
 へへへ、これはさ、俺の態の好い責任転嫁なんだけどさ。正直な処、俺には、女が分からんのさ。その辺の処は、カカアが言う通り、俺はカタワ者だからな。

 娘が結婚して、それなりに経験して、俺とお前さんが、こんな風に話し合えると又違った味がしてさ、好いんだけどな。まぁ、それは天のみぞ知るで、成人した一個の人間としては、待つしか無いのが、自然の流れだわさ。あい~。」

「そりぁ、そうだ。こればっかりはね。俺も、妹もオヤジのブログを読んで居るから、大丈夫でしょ。普段の会話だけじゃ、人間の内面は分からない物ね。

 オヤジの脳味噌の中には、こんな世界が拡がって居るなんて、外観からじゃ見えないからね。毎日、あれだけの文章を事も無く打ち上げちゃうんだから、驚異の人でもあるし、父親の日常の脳内風景を、こんなに見させて貰えるのは、子供として嬉しい事だしね。

 オヤジに、好い育て方をして貰ったと感謝してるよ。今度はさ、俺が倅にして遣る番だけど、荷が重過ぎるもんなぁ~。アハハ。」

「やぁやぁ、大丈夫だよ。お前さんには、俺に無い優しさと屈託のない笑顔があるじゃないのさ、それにR家は、ハンサムの女にもてる家系だぜや。いざと為ったら、子の不始末は、子殺し、責任取っての切腹の基本線さえ持って居れば、後はお前さんの味付けで、次代に回せば好からずよ。俺達は馬鹿だから、正直一直線の生き様しか作れんわね。

 でもなぁ、良く似て来たもんだわな。倅と話して居ると云うよりは、何か昔からの親友と話している様な良い気持ちに為って来るから、不思議な物だわなぁ。これも、タヌキ親爺のご加護かも知れんわな。ギャハハ。」

 ハハハ、好い気持ちの親子対談であった。さてさて、日が改まる前に、本日の日記打ちに移行した次第である。

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