旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート あれあれペースに乗れずに、早や夜の帳為り。 
        あれあれペースに乗れず、早や夜の帳なり。(10/31/11)
 雨は上がったか。吊るし柿の雨覆いを外して、風に当てましょうかね。何々、午後は、ケアマネさんのご訪問であるか。しゃー無い。朝飯後は、お天道さんもあるし、寝具を干して部屋の掃除でもするか。面倒臭がり屋の私には、こんな切っ掛けでも無いと、掃除をする気も起らないのである。

 へへへ、ついでに見栄の台所掃除もして、大変な事である。如何にかこうにか、午後一に間に合った物の・・・Hさんは急な相談が入って、印鑑だけの玄関話である。斜向かいさん用に、昨日の改訂版日誌が印刷して有ったから、<休憩時間にでも、読みましょ。>とプレゼントする。

 風呂を沸かして、買い物、米屋さんへも行って来なければ為るまい。携帯ラジオを持って、洗濯機を回しながらの風呂入りである。首から上を、ツルツルに剃り上げて、風呂を老母に譲って、自転車で大手スーパーまで買い出しである。

 さてさて、<何を食べたら、好からずよ。> ブリのアラがあるから、作り置きの利くブリ大根と致そう。買い物袋を台所に置いて、嫌に為らぬ内に、米屋さんへ自転車漕ぎである。いやいや、賄い夫稼業も、結構な仕事量である。

 甘過ぎるコーヒーに、へへへ、本日は、質問攻めに遭って仕舞った。コンニャローめ、世の中には、辞書と云う重宝な物が有るのであるから、少しは自分で調べなされや。俺ぁ、馬鹿だから、辞書は手の届く範囲に在らぁね。

 然りながら、私は小心者の<長幼の序>を、躾けられている団塊世代のロートルである。

 好いお天気さんではあったが、三時も過ぎて雲間にお天道さんが入れば、明日からは霜月である。紅葉落とす小風は、流石に寒い。

 昼飯兼オヤツとテーブルに出して置いた大福持ち、和菓子には手を付けずに、湯疲れの老母は、ベットの中である。ご機嫌を取るのも面倒であるから、洗濯物を物干し竿に掛けて、腕捲りの台所仕事である。煮込み鍋二つで、ブリ大根と鳥モツの甘辛煮の同時進行仕込みである。

    さてさて、味を見て、後は弱火にしてコトコト煮込むのみである。

 本日分日誌でも打ち始めましょうかね。本当は、沢口靖子さんの<科捜研の女>に就いて、他の類似ドラマとの比較考を打つ心算だったんですがね。まぁ、何時でも打てるのであるから、後日の日誌と致しましょうかね。明日は、用足しであるか・・・やれやれ。

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心何処ーショート 早過ぎた雨・改
                  早過ぎた雨(10/30/11)
 根気仕事も夕食後の一踏ん張りで終わらせた。明日は午後からの雨との予報であるから、お目当ての若村麻由美さんの2時間ドラマを観る。いや~、好い女でありまする。

 中村梅雀、長谷川初範さんも好きな俳優さんである。然しながら、好きな女優さんの前では、お荷物である。『どいてどいて、麻由美さんの大写し、大写し~。』ってな物であるから、ストーリーの吟味など殆ど眼中に無い処である。

 へへへ、美人・美形さんには、全く抑えの利かないロートル・クマ男である。

 仕事嫌いな物臭者が、根仕事を遣り終えたのであるから、日曜の休息日は、一日の大半を布団の中にと考えて居たのである。部屋の暗さに、障子を開けて雨の確認をして二度寝をしたのが、七時を回っての時である。何やら、雨音の気配である。ガバッと起き上がり、大慌てで雨の養生である。

  ニャロメ、予想を外し遣がったな。予定が狂って、如何してくれるんだよ~。

 庭の干し台にビニールを掛けて、軒下の吊るし柿にもビニールの覆いを掛ける。とほほ、背中がじっとり濡れて仕舞った。再び布団の中に潜り込んで、ラジオを付ける。9時からは、TPP加入の是非についての討論番組が始まった。内容は識者・学者さん達の賛成、反対の理由説明である。

 私は、そんな議論には関心は無くは無いが、そんなに高尚な論を立てる必要があるのかと、<専門家達の厭らしさ>を感じている次第である。

A・・・100円ショップの例を出せば、こんな小難しい論議をする必要も無く、100円ショップがもたらせた中小零細の企業悲鳴を、体温を持って身近に理解する事も出来る。其々の国民所得の格差を一切度外視して行う<関税撤廃の自由競争>とは、差し詰め、こんな具合である。

★生産者と消費者が、そこそこの折り合いで、共存共生の生活出来る適正価格が、協調社会なのだと思うのだが、利害得喪ばかりに目が眩んでの、自己利益だけの追求合戦では、エゲツ無さ過ぎる。国益と産業益の区別も付かぬ様では、一国を与かる資質が無いのではないだろうか。
 古くは聖徳太子の和を以って、尊しと為す。戦国の世とて、武田信玄の訓えでは無いが、勝敗の要諦は<六部勝ち>が理想では無いだろうか。完膚なきまでの勝者と敗者とでは、敗者は皆殺しに遭うか、勝者に奴隷扱いされて終うだけの事である。地産地消の根本も、何も経済的な運送コストだけで見るべきでは無かろうに。

B・・・地方地域の衰退を考えるならば、団塊世代前後の者達は、ご近所の小さな店々がスーパーの出現に依って、駆逐されて行った日本の風景が激減して行った事を経験として共有して居る筈である。

★規模の拡大・画一化の効率は、生活に便利さを齎せ、正に躍進する高度成長の光の部分であった。然しながら影の部分には、対面すると云う人間の情の希薄を増長させて、個々の人間関係の無機質さへの扉を開く結果と為ったのも事実である。
 定形化・画一化は、量と質の拡大と高品質を齎せ、管理的、事務的な人間関係に拍車を掛けて、他者への無関心への助長を蔓延させている。
 嘗ての母乳はミルクに替わり、川の字寝の同部屋親子、子はカスガイの関係は、家庭に個室を作り、家庭での親子・夫婦の対話の機会を減少させて、対等の男女関係は、女の経済的自立と相俟って、安易な婚姻の解消を男と女の感情面の離婚行動に誘う。
 斯様にして、家族の絆も脆弱の方向に持って行った。家庭、地域、地方、国と進み、今日の無関心・希薄な人間関係、組織関係を作り上げて仕舞ったのでは無いか。

C・・・エネルギー転換の石炭から石油に替わった時代も知って居るのである。産業構造が変わっても、日本の社会の中に斜陽産業の受け皿と為る余力が有れば、それはそれで、新たな発展変化へのエネルギーにも為る。

★明治以降の日本のエネルギーを牽引し続けた巨大産業の終焉は、炭鉱労働者の争議行動と為って、物を考える核として今でも私の中で大きな歴史的エポックを刻んで居る。

 或る状況が激変する時代の端境期には、旧・現構築物を引き受けてソフトランディングをさせる受け皿と云う『国社会の受容力』が、如何しても必要である。それが在るか否かが、最大の物にして、最大の説得力でも有る筈なのではあるが・・・。TPP参加問題の賛否を単純化して考えれば、日本人、日本の社会は、十分に『経験知』として内蔵して居るのである。

 この様に個人の経験知を働かせて見ると、識者・学者達が殊更高尚な経済専門用語、横文字を駆使して上から目線で語らしめる必要など、更々無いと感じている次第なのである。

D・・・東日本の大地震・大津波の被災地と被災民と東電原発事故に依る被災地・被災民との比較で見えて来る物は、伝統と現在の違いであろう。そして、大方の日本人の態度としては、<伝統の中に在る日本的為る物の価値に気付き始めている。>・・・私は、そんな感じを持っている次第である。

★歴史的考察の好きな私としては、技術と哲学の観点から云って、人間の思考・思索の観点からすると、文明・文化の精神的観点の核と位置付けられる精神の普遍性を少なからず信じて居るから、今回の千年に一度の大震災・大津波は、『人間精神の揺り戻し』の一大契機と為るのではないかと期待している次第である。

 別な言葉で云えば、TPP問題の、此処に在る物は『価値観の選択』と云う問題を孕んで居ると云う事である。輸出の為に、内為る日本民族の伝統的価値観をグローバルと云う名のアングロサクソン系の米英の金転がし、金融至上主義の価値観に、人間存在の価値観を売り渡して良いのかと云う『根本』が、蔑(ないがしろ)にされているとしか見えないのであるが・・・

 高邁な抽象的観念的言語より、具体語の方が一般人には分かり易い。そして、具体語の多くは、経験知・経験値に依って担保されて居る事が、生身の世の実態である。

 学問、知識が先鋭に為ればなるほど、迷路に入って、益々難しい言葉の速射砲に変貌する。結果を見れば、弾丸の無駄打ちをしている様に似ている様な感じすら持って仕舞う処でもある。11月の初旬に進むべき道の態度表明を<米国さんに向かって発信する。>と云うのが、民主党現総理ドジョウさんの魂胆との事である。

 私の人生経験知からすると、慎重、好い加減、ズルイは、紙一重の事が多い様である。そして、猜疑心の薄い善人は、騙され損を一手に引き受けて仕舞うのが、実態に近いと云うのが、経験値の指し示す方角でもある。

 脳ある者、力のある者が先頭に立って『シンプル・イズ・ベスト』の答え見せをして、国・国民に針路を指し示すことこそ、彼等の本分でありましょうや。

 口では、慎重態度。国民の声を聞くとは言う物の、余りにも酷い政権党・民主党の体たらくのザマでは無いか。10月の末に、NHKの賛否両論併記の一時間番組の沙汰であるから、その魂胆の薄さには空いた口が塞がらぬでは無いか。

 これでは、余りにも底の浅い事件推理ドラマのアリバイ工作にしか過ぎまい。昨夜の弁護士・検事コンビのドラマで、中段辺りに出て来た『特別縁故者』のキーワードで、犯人が、長谷川初範さんに決まって仕舞ったのと同義であろう。
 ドラマ原作者、監督さんからしたら、好い切り口と自惚れては居ようが、ストーリー全体から云うと、無理な導入部と云うべき個所が多過ぎたドラマであった。まぁ、女優、俳優二人が良かったから、見る方としては、退屈はしませんでしたけどね。

 ジャーナリスト、マスコミ界が、本当の言論界の国士然とする為らば、この事態は、一生に何度も無い<言論の戦場>で在って然るべきであろう。言論、ペン、政治で生きる武士(もののふ)冥利に尽きる働き場所と考えるのだが、如何か。

 加筆して、説明不足の部分を補って見ました。真に舌足らずの文章で、お恥ずかしい前文でありました。お詫び致しまする。


心何処ーショート ははは、中学生は可愛かった。
           ははは、中学生は可愛かった。(10/29/11)
 さてさて、コーヒースタバ分の皮剥きでも・・・して置きましょうかね。仕事は総べからず、引き算である。引いて置けば、その分、残余の数が減るのである。四の五の遣りたくない口実を並べ立てれば、ウンザリの溜息しか出て来ないのが、人間の心情である。

 始めて居ると、老母様がゴソゴソ動いて来た。私は廊下に胡坐を掻き、老母は椅子に腰掛けて剥いて居る。今日も、雲一つないお天気さんである。16個を剥いて、ヒモに括り軒下の物干し竿に吊るす。その繰り返しである。手がベタ付くから、洗面器に水を汲んで、手、包丁を時々洗うのである。

 そんな事をして居ると、庭から斜向かい吟さんが、通い綴りを手に顔見せである。文作の続きは、未だ繋ぎ繋ぎの余白があるから、本日分を加算すれば頁の区切りが付くかも知れぬ。吟さんは、皮剥き器でスイスイ剥いて行く方法との事である。私の師匠さんは母であるから、母に倣って皮を為るべく薄く剥いて、一本の長い皮にして剥いて行く遣り方である。

 包丁の使い方も、其々の家庭の方法があるのだろうし、見様見真似が極自然な継承方法と云った処であろう。区切りの好い所で、朝飯とする。

 Tの電話に、レジ袋にカイヒモ、梅漬け、キムチ風味特辛味噌、熟し柿用の渋柿、皮を剥いた柿などを入れて、スタバコーヒー店長さんへの貸し出し用<戯け画挿絵入り夢奇譚>、元気に為ったオヤジさんへのプレゼントとして、先日のT家訪問文を用意する。

 文作の方は、清書・保存文章であるから、出来立てホヤホヤのブログ投稿の物よりは、手が加わって居る。誤字脱字の訂正、説明不足個所の補正、付け足し部も有るから、それなりに読み易く為って居る筈である。オヤジさんから、ヘルパーさんに回れば、それも楽しい<話の種>にも為ろう。

 斯様にして、<日本の伝統芸・男芸者>の気配りも大変なのである。ギャハハ!!

 いやはや、本日のコーヒースタバは、盛況の様子である。一階席も、ズラリと客の入りである。二階席も同様である。窓際の席では、ロートル男が並んで外を眺めながらのトークなどして居ても、一切<視線の運動>にも為らぬ。壁際席の視線運動の叶う席が、ヤクザもどきのロートルコンビには、定位置なのである。

 中、高生の未だあどけない娘達が、殊の外多い。試験が近いのだろう。テーブル一杯に教科書、参考書、ノートを拡げて、仲の好い友達とコーヒーを飲みながらの<今風お勉強サロン空間>と云った感じである。

 兎に角、好いお日和である。他人様と席が近過ぎる所為か、それとも・・・ヤクザもどきロートルの中に流れる常識人の慎み深さなのか・・・ 何時もの脱線話が影を潜めて仕舞った。

「それにしても言うに事欠いて、<陸アワビ>は、無ぇだろう。真面目な顔して、好く出て来るもんだわ。黒アワビ、白アワビ、赤アワビも、とんと、お目にぁ掛って無ぇよ。親指の先位の小アワビじゃ、目の保養にも為らんぜや。
 退職寸前に胃癌だぜな。全く、何の因果か・・・元気溌剌の第二の人生が、不発だもんなぁ~。嗚呼、人生は儘為らぬって処だわさ。」

「何だい、そりぁ、ジジィジ、シッコ、ウンチって事かいな。何の因果の溜息も無えずら、そんな物ぁ~、<女怨の清算>に決まってるズラ。往生際を悪くする魂胆なら、閻魔さんのお白州で、洗い浚い証言しても良いぜや。」

「あいあい、そう云う事かいねぇ、胸にズキンと喰い込む様な事を、平気な顔して言うもんだ。一寸、待ってろ。深呼吸して、胸に手を置いて思い出して見るぜや~。
 大丈夫だ。決して、恨みを買う様な事をした覚えは無ぇよ。まぁ、世の中、<忘八者の逆恨み>ってのが、多い物さね。」

 そんな話をして居ると、女店長さんの姿見せである。小冊子を一週間のお渡しとする。さてさて、お隣中学生お譲ちゃん達は、勉強疲れかな? 家で勉強せずに、大人の中に混じってのサロン学習である。社会のサロンで、一つカマって上げましょうかね。

「おい、そこの二人、オッサンの作文読ませて遣る。5分以内に読んで、其々に感想を述べて見ろちゃ。」

 へへへ、可愛い物である。あどけない顔を恥ずかし笑い顔にして、二人で真剣に読み始めて居るのである。これぞ、日本人の素直さである。好い二人である。

「これ、オジサンが書いたんですか。スゴイです。難しくて、分かりません。」

「馬鹿モン、難しいのは、漢字が多いからだけでしょうが。漢字なんて物はさ、前後の文面から、推測して読むもんだわね。
 何事も、脳味噌の体操じゃわね。想像・妄想も、勉強の内だいな。真面目だけじゃ、面白くも何とも無かんべさ。参ったか~。」

「会話の方言が面白かったです。」
「方言じゃ無くて、松本弁ずら。さては、オメ~ラ、モグリだな。中学何年だい?」

                ・・・省略・・・

「何の事ぁ無ぇや、立派に、二人とも俺の後輩じゃないのさ。そん中の<熊>は俺でさ、<T>って云うのは、このオジサンだぜや。」

「ええ、自分の事を書いたんですか。絶対に小説だと思いました。自分の体験って云うか、それって日記ですか? 本当ですか。信じられない。ねぇ~★ちゃん。」

「そうだよ、オジサンの毎日打って居る日記だわね。<宿題日記>で嫌々書いてると、小学生、中学生の日記に為っちゃうけど、大人が普通に書けば、こんな面白い日記にも為るんだわさ。アハハ。」

「おじさん、もしかして、どこかの校長先生?」

「馬鹿こいて、校長先生だったら、もっとギスギスした嫌な顔してるわね。俺ぁタダの馬鹿だわね。ヒヒヒ。」

 へへへ、引き続く女日照りの果てに、決してロリコンオヤジに<宗旨変え>した訳ではありません。希少なる有為の読者各位に於かれましては、全く無用なご心配には及びませぬ。ご安心為され。

 さてさて、好いお天気さんは、今日までとの事である。昼はスーパーで生寿司でも買って、皮剥きの続きをするしかありますまい。やれやれの段である。


心何処ーショート 今年も来た吊るし柿
               今年も来た吊るし柿(10/28/11)
 ああ、嫌だ嫌だ。今日は、これで止め!! アジャジャ、もう四時では無いか。朝から、柿さんとのお付き合いである。

 大きな一本枝を切り終えて居ると、助っ人斜向かい吟さんが、庭を回って、ヤル気満々の身支度である。木登り、枝落としが得意と云うだけあって、スイスイと脚立から木に上がり、手鋸で枝毎、下に落して下さる。
 私はそれを下で受けて、吊るし柿が出来るように剪定鋏で、切って行く。払い枝は適当な長さで鋸で切って、サクランボの木の辺りに積み上げて、乾燥をさせて庭で焚き火である。

 柿の実でバケツが一杯に為れば、それを持って廊下に拡げる。木の上から、屋根に移っても、上下の作業は同じである。

 昨日に続いて、今日も汗ばむ程の好天気である。私は煙草であるが、吟さんは吸わない。ヤクルトをお茶代わりに、お茶請けは、コトコト炊き締めたカイヒモの甘辛煮である。

「うぬ、お兄ちゃん、こりゃ~、相当、暖簾を潜って来た男の舌だぜや。何処の店で覚えて来たや。こりゃ、珍味の口だいな。大したもんだ。家庭主婦じゃ、こうは行かんぜや。」

「冗談抜きで、才能あるズラ。俺は酒飲みじゃないけど、舌のセンスが好いんだわさ。男の舌は、何も<岡アワビ>をベロベロするだけの物じゃねぇからね。舌だって、二刀流を使い分けられ無きゃ、剣豪どころか<性豪>にも為れんぜや~。ギャハハ。」 

「やいやい、岡アワビと性豪かいな。座布団二枚だ~。イッヒッヒ~、言い当ててるわ。カイヒモの乙な味もだけど、アワビと帆立てと来ちゃ~、貝尽くしじゃないの。伝統の四十八手にぁ、『帆かけ船』ってぇのも、確かあったズライ。お天道様も、助平ロートルの話聞いて、クシャミこいちゃうズライな。
 
 まぁ、こうでなくちゃ、イクラ色の月の満ち欠け、てんとう虫の交尾絵なんか、描けんぜや。人間、好い歳こいて、真面目一直線なんて、<勘違い馬鹿>がワンサカ居るぜ。困ったものさね。お勤め果たしぁ、こう遣って、助平話をしてる位が、人生の帳尻が合うって物ずらいなぁ~。<岡アワビに、舌の二刀流>か・・・、好し、今度、あの馬鹿に会ったら、カマってるわ。野郎、入れ歯吹き出すぜよ。ニャハハ~。」

朝夕、顔見に行って居る西向かいのオバさんの所に、柿を貰って行くとの事である。

「はい、たんと持って来ましょや。こっちは大助かりですわ。ご苦労さんでした。」

 さてさて、竹箒で掃いて、次は柿の皮剥きである。生真面目な老母は、廊下の日当たりの中で、椅子に座って皮剥きを始めている。

 へへへ、ご老体の御出馬であるから、煙草の一服逃げも出来ぬ。庭に台を置いて、吊る引っ掛かりの無い物、落下で傷付いた物は、台の簾の上に並べる。汗ばむ日光浴にラジオを聞きながらの、根気仕事のスタートである。

 根仕事で寝込まれたら、賄い夫の私の重負担に為る。様子を窺がいながらの、倅ストップをして、ベットへ移行して貰う。

 幾らA型の優等生タイプの私とて、根仕事は堪えまするわね。気分転換に、庭石に腰を下ろして、皮剥きの続きである。もう、嫌である。明日遣れば、終わるだろう。

 些か、疲れてましたから、余白埋めに、下手な心境詩で誤魔化しましょうかね。

             <今年も秋の巡り>

     軒下の柿簾、橙色の風物詩続けるも、忍の根気仕事かな。

       春が来て、夏来りて、落ち葉に実る柿。
  吊るし柿、粉を噴けば、大根干しの冬来りて、冬の寒さ一直線為り。

    春夏秋冬・・・過ぎる月日の速さに、吾、何を思うべしや。


心何処ーショート 秋晴れに、お務め為り。
             秋晴れに、お務め為り。(10/27/11)
 さてさて、柿取り兼柿の木を切ると致そうか・・・今年は、裏年であるから、殆ど実は無い。第一号の木枯らしも吹いたと云うのであるから、葉を落して高い所に生って居る柿を其の儘にして居ると、如何にも体裁が悪い。

 老母の長年の風物詩・吊るし柿は、今年は精々が自家消費である。好い加減に取って居たら、落下で砕けて干し柿に為らない。ヒモ掛けの部分を残して、剪定鋏でカットするのであるが、二段式の高枝鋏を動かして居ると、腕・肩が張って来る。

 生りが少ないから、高枝鋏で慎重に取って行く。甘柿の方は、去年、バッサリと横枝を切ったので一枝の生りである。伸び放題の渋柿の木は、大々的に電線を隠して居る。今年こそは、高い所の曲がりくねった横枝(幹)を退治して遣らないと、如何しようもない。

 煙草に水、ラジオを持って、ボチボチ柿取りを始める。雲一つない無風の好天気である。散歩のおバァちゃんが、声を掛けて行く。何時もは食べ切れないので、レジ袋に甘柿をプレゼントして居たのだが、今年は無しである。大体を取り終えて、本日のメーンエベント・高所鋸作業である。

   覚悟を決めて、大脚立の上段に乗っての高所鋸作業である。

 昨日は熊と云われたが、私が木登り上手の熊に為れる訳でも無く・・・ 休み休み、ヒーコラ、ヒーコラ、手鋸で切続ける。もうそろそろであるから、休憩代わりにロープで支えを取る。煙草を吸って、一枚脱いで水分補給である。屁っぴリ腰作業であるから、内股が早くも、ガクガクの筋肉疲労である。尤も、疲労の半分以上は、おっとり鋸の<力み疲れ>でしか無い処である。弱った偽クマ男である。

 アジャジャ~、遣っちゃいましたわね。想定内でそれなりに注意をして居た心算が、鋸歯が枝の自重で締まって、ウンともスンとも動かない。さてさて、弱り目に祟り目である。

 如何しましょうかね・・・ もう、鋸は無い筈だし・・・ロープを引っ張っても、ミキミキの兆しとて全く無い。フ~ン、これじゃ、石工、樵に倣って、楔(くさび)を入れるしかあるまい。然りとて、普通の家にそんな楔など有ろう筈も無い。楔の代用と為れば・・・

 やいやい、こんな中途半端で止めたら、後が大変だ。如何すべ~や。こりゃ~、真剣に考えなくちゃ行かんぜや。嗚呼、えらい粗相を仕出かしたもんである。

 そんな思案をして居ると、西隣のオバさんが杖を突いて、見学に来られた。鋸を所望すると、小さいのなら有るとの事である。借りて来て試したのだが、位置が悪い。幹の様な枝が、私の頭上に落ちて来たら、それこそ、不名誉の落下骨折なんて事にも成り兼ねない。

 君子危うきに近寄らず、凡夫不得手に近寄らずが、最善の策である。撤退か・・・

   そうだそうだ、手バールがあった!! ヤッパ、俺ぁ頭が好いわね。

 ガサゴソ探し出して来て、手バールの楔状の先を切り口に、トンカチで叩き込んで行く。シメシメ、良し良しである。好いじゃないの。鋸歯が外れた。此処で勇み足、無謀を仕出かしたら、風呂場のガラスを割って仕舞う。そんな日にぁ、入浴中の可愛い婆っさが、牽き付けを起こして、一瞬の内にご昇天遊ばされて終う。そんな事にでも為ったら、ご近所どころか、テレビ三面報道の餌食にされちゃいまするがな・・・

 遺憾いかん、此処は、黒鉄ヒロシ大先生を見習って、<千思万考>である。時間だけは、漬け物にする位、持って居るのである。とほほ。

 何分にも、吾が身は親分無しの子分無しである。ロープの張り、結びを確かめてバールの釘抜き部分を、ガツンガツンの叩き込みである。何しろ、力だけは健在である。メキメキ、ドサーンと一瞬の内に、目の前に落下して来た。

         遣った遣った。成功成功!! 大成功である。

 退治した大枝を、纏め易く鋸で切る。落下の心配の無い平地作業なんて、<天国と地獄>の開きである。遣れば、終わるだけである。庭の隅に持って行く。空が明るく為った。

 美人美形さんは大好きではあるが、仕事は大嫌いな男である。もう嫌である。本日の作業は、止めにする。お役御免のロートルが、齷齪(あくせく)しても疲れるのは、自分だけである。ひゃ~、疲れた。

 さてさて、竹箒で落ち葉掃きを済ませて、廊下に上がって大息切れである。

 働き過ぎの息切れで、食欲も無い。昼食として、大きな甘柿を頬ばって、省略の口とした処である。風呂上がりの老母は、『ご苦労さん。風呂に入って、昼寝をしたら。』とのご助言ではあるが、飯を炊かねば、晩飯が無いのである。やれやれ、親分無しの子分無しの身は、<夢奇譚・南洋小島にて>で無くとも、落葉樹の国・日本とて、日常の事である。

「はいはい、アリガトさんね。俺ぁ、遣る事だけは遣っとくわね。腹が空いたら、パンがあるから、適当に食べてくれや。」

 へへへ、力仕事、肉体労働の汗には多少の満足感は有れども、私は、内股ワナワナ、腕・腰・背中が泣いてる。こんな時に限って、ポーランド女のダニエラ・ビアンキさんは、真に以って要領が好い女である。

★南洋小島の何処ぞの茂みからか覗いて、私の出張浜仕事時には、留守を幸いに吾がバナナ葉のベットで眠り、吾が菜園の食糧・蛋白源の魚の日干しを喰らうのであるから、何をや言わんやである。

 皆の衆、兎角、女バラには棘がありまする。ピチピチ弾ける若バラにだけ棘があるなどと、錯覚しては為りませぬぞえ。若バラの柔らか棘は未だしも、花の盛りを超えたバラの棘は、殊更に硬く鋭いのでありまする。バラ切りも、老柿切りも、事前の支えの備えこそが肝要でありまするぞえ。

 さてさて、老いても、親に従うのが、日本の親子関係でも在りまする。夜にマイタイムを移行させるとして、ブログ打ちも完了である。さぁ~てと、晩飯まで、寝ると致しましょうぞ。

心何処ーショート 持つは、友為り。
                持つは、友為り。(10/26/11)
 自転車のタイヤに空気を入れて、街へ漕ぎ出す。一件用事を済ませて、時間に依ってはTの所に電話して、油を売って行けば良い。ジャンパーにするか、セーターにするか迷ったが、風も穏やかな好天であるから、薄いグレーのセーターにする。久し振りの街場漕ぎである。車と違って外気の中であるから、視覚気分だけは好い。

 思いの外、時間が掛った。Tに電話すると、丁度ホームヘルパーさんが来て、オヤジさんの入浴介護をしているから、見学して行けとの事である。へへへ、左様であるか。

「こんにちは。」
「おう、入ってくれや。」

 玄関ドアを開けると、大柄な40代のヘルパーさんが、廊下に居る。きさくで親しみ易い感じの女性である。靴を脱いで、<お邪魔します。>と、声を掛けると、Tが言う。

「★さん、そんな熊見たいなオッサンと話しちゃ~、喰い殺されるぜや。避けてましょ。何時もは、檻に入ってる男だぜね。おい、コーヒーか、お茶か?」

 ニャロメ、俺ぁ端から熊扱いかい? 感じの好いヘルパーさんである。ヘルパーさんとオヤジさんの遣り取りは、コーヒー・スタバで常々聞かされているから、為るほど為るほど・・・の第一印象である。そんな事でもあるからして、初対面の気持ちが全然して来ないから、『ザックバラン』も、ご挨拶の内である。

「熊じゃ無いから、安心しましょや。好い物見せて遣るぜせ。一寸、こっち来ましょ。」

 手招きをして、廊下からダイニングリビングに来て貰う。私は帽子を取って、日曜日に剃り上げたスキンヘッドを、ヘッディングのポーズさながら、グイと彼女の前に突き出して遣る。一瞬、仰け反って一、二歩後退するヘルパーさんである。

「うぁ~、ビックリした!! 驚かせないで下さいよ。やぁ、凄い!! インパクトが強烈で・・・アハハハ。いやいや、見事と云うか、似合って居ると云うか・・・Tさん、凄いお友達ですね~。」

「あいあい、そいつは、好い歳かっぱらった戯けだから、マトモに相手なんかしちゃ駄目だよ。品位が穢れちゃうよ。」

 Tのヤツはカップコーヒーを出して来て、テーブルに置きながら、好い加減アドバイスである。ヤツは普段からのシラーとしたお惚け態度である。

 へへへ、勝手知ったるTの家である。こんな機会でも無いと、閉じ籠りの私には<異性との言葉交わし>も儘為らないのであるからして、<風前の灯・ロートル戯け、一寸の好機も軽んずべからず、軽口を以って、愉しみとすべし。>である。それも、他家での恥掻きは、旅の恥捨てと同義である。

「そうずら、毛髪フサフサだけが、好い男じゃねぇんね。土台が良きぁ、タコ入道だって、立派な男前だんね。あい~。ギャハハ!!」

 浴槽に浸かって居るオヤジさんを部屋に迎え入れる為に、Tはヘルパーさんのリクエストに、湯を入れた洗面器、着替え、タオルなどを持って、洗面所とオヤジさんの部屋を甲斐甲斐しく動き回って居る。

   へへへ、恐れ入りやした。Tのヤツは、丸で優等生タイプの動きである。

 私は入れてくれたカップ・コーヒーを飲みながら、 煙草を吹かしながら、 入浴介護の運びを見学させて貰う。

 風呂から上がったオヤジさんが、
「Rさん、お遥か振りで、ワシは、もうこんな無様な格好になっちゃって・・・お母さん、元気にして為さるかね?」

「一進一退の終(つ)いの生活だから、そりぁ~高低差が大きいんね。オヤジさんの方が、家の婆っさより、確りしてるんね。安心したんね。」

「そう、94に95だから、もう、静かに待つだけだからね。お遥かだから、ゆっくりして行っておくれ。」

「あいあい、そうさせて貰うぜね。」

 Tの話に依ると、この一週間で歩く様になったとの事である。ズーと寝たきり状態だったので、自分で歩いてトイレに行ける様になり、やっと一息付ける様に為ったとの事である。

 Tは心友であるから、何でも話せる有難い友である。色んな話をしていると、長居をして仕舞った。もう一件回って行く予定ではあったが、後日とする。

 晩秋の夕暮れは早い。セーター姿であるから、日が陰って来ての延々と続く上り勾配は、息切れ道中である。十分な散歩量に匹敵する。三時に為らぬ間にお暇をする。

 中々に寒く為って来た。ボッチラ、ボッチラ、ペダルを漕ぎながら、晩飯の買い物をして帰る。


心何処ーショート 下り坂お天気さんに、午後は寒い風。
           下り坂お天気に、午後は寒い風。(10/25/11)
 百日紅の落葉が風に吹かれて、溜まっている。まぁ、落ちるだけ落ちて貰うしかあるまい。この数日、怠惰ペースが掻き乱されて、堪らない心境である。其処へ持って来て、ブログを開けば、何が何だか、分からぬ横文字コメントに、コメント欄を占拠されてウンザリの消去とマタゾロ占拠のイタチゴツコである。

 真に、困った連中の仕業である。遣る方は、セットさえして置けば、後は機械が自動的に遣って呉れるのであるから、お気楽な物である。

 私はスカポ脳であるから、日本語だけでも四苦八苦の在り様である。英語使いのコメント貼り付け屋とて、日本語を解する訳ではないから、そんな物の頁など執拗に紹介されても、此方としてはスケベ心は在っても、触手が伸びる筈も無かろう。
 彼等の魂胆は、妖しいサイトに誘い込み、あわよくば法外な入場料の請求に与かろうとして居るのだろう。若し、そうならば、実に性質の悪いインターネット遊びでしかあるまい。

<下手な鉄砲も、数撃てば当たる。>とは、或る一面の真理でもある。斯く云う私とて、下手な長駄文の館を、恥も外聞も無く日々更新して居る大戯けである。そんな確率論に、とやかく文句を言って見ても仕方が無いからして、馬鹿の一つ覚えで、消去のクリック押しをしている次第である。

 こんな無意味な事を仕掛けて来て、面白いんでしょうかね。世界人口67億人との事であるから、十人十色の世界が、人間社会と云う処ではあろうが、世の中には、こんな商売熱心な人間がワンサカと居るのであろう。困った連中である。最低限のお付き合い・消去をするにしても、溜息しか出無いのであるから。

コリァ、何処のどいつか知らんが、不埒者が!! 張っ倒して呉れっか~。ニャロメ!!

 某国・某組織に依るサイバー攻撃とやらで、何重にもバリアの掛った企業の○秘情報が、盗まれ、作動不能に陥っているとのマスコミ報道がある。時空を超えた便利なPC情報が、大量に氾濫するご時世である。これは、簡単便利さの拡大の光と影の実態である。便利総量の巨大さと、損失総量の巨大さは、真に表裏一体の総量物である。

 全てを金銭転化して物を考え、従う。一見<経済効率の合理性・スマートさ>に騙されても、その内実は単純化すれば、<拝金主義の蔓延>でしかあるまい。曲がりなりにも、顔と顔を突き合わせて生活をする人間連帯の縛りの家族・組織・地域・地方・国と云った縛りが希薄に為って終えば、社会道徳・常識・通念といった精神の縛りが利かなく為って来る。←真に、嫌なご時世の変わり様である。

 経済と精神面の各種の縛りは、人間思考・行動の両輪の輪にして、駆動とブレーキで然るべきなのに、簡便・迅速・確実性を機械が代行する社会に為って、それ等は人間同士の対面接触・交渉が意思伝達に偏重して仕舞った。
 対面接触・交渉は、多分に相互の意思と感情が交差する場であった筈である。意思と感情の交差する<理不尽さ、モタツキ>こそが、或る意味では人間生活の交差点であったと思うのだが・・・ 理性と感情を交差させて、或る時は理性に、或る時は感情に揺さぶられ、闇雲にそれ等に突き動かされて走るのが、人間臭い生の姿では無いんでしょうかね。

 それが、理と感を分断されて、効の思考に偏重してしまえば、人間行動は、無機質のサイボーグの一直線、蔓延沙汰に陥って仕舞う。
 経済優先主義の自由貿易・自由競争と為れば、嘗ての国家群は垣根を低くして実質のボーダレス世界を標榜するのは、当然の流れである。然しながら、其々の人間を見れば、国籍がある。国籍が有れば、其々に国柄の中で育って来た民度人種・人間達である。ボーダレス、経済効率偏重主義の中で、それ等の諸条件の中を、巧く泳ぎ回れる国柄の人間達の種類は、適者繁茂・繁栄する因子を元から持っている人間達である。

 土地に定住して、安定した農耕を営々と営む農耕民族と、草を求めて移動をする遊牧民族とでは、土地に対する概念も、集団に対する概念も大きく違うのは、生活の必然的違いであろう。

 世界がボーダレス化して、行き来が自由に為れば、翼を羽ばたかせるのは、遊牧騎馬民的発想である。素人趣味の世界史を俯瞰すれば、世界史の大国の攻防は、農耕社会と放牧社会の興亡史と云っても、過言では無かろう。
 大陸国家と海洋国家の区別も有るが、<底流に流れる根本思想>としては、矢張り定住型の農耕文化と移動型の遊牧文化の違いなのではなかろうか。嘗ての遊牧の対象が馬、羊、牛から、時代に合わせた<貿易と云う経済家畜>に衣替えしたとも云える。

 そんな風に妄想して見ると、何かと煩い『中国』にした処で、古代の農耕国が周辺の遊牧騎馬国に蹂躙支配されて、国家経営の本元は何千年も前から、苛斂誅求の搾取支配体制を構築して来た国柄である。為らば、現征服王朝は、赤い共産党王朝に衣替えしたに過ぎまい。

『ロシア』とて、バイキングが河川を駆使して建てた国である。モンゴル(タタール)の200年に及ぶタタールのクビキから脱したとは云え、その支配の実態の底流には、苛斂誅求の遊牧(水)民の搾取支配体制が、根付いていると見た方が良かろう。

『アメリカ』とて、メイフラーワー号のピューリタンと云えば聞こえは好いが、白人罪人・奴隷を送り込んで開拓奴隷と為し、それでは追い付かないからアフリカ黒人を大量に狩り出し、彼等を奴隷にした白人搾取経営を元にした。そして、先住者アメリカインディアンを殲滅に追い詰め、対岸のヨーロッパ戦争で武器・資金援助を為して、世界の一等国に上り詰めた国柄である。

 そして、何しろ口煩いのが、直近の朝鮮半島のお国柄である。古来中国の下で苛め抜かれて来たのが、半島の歴史なのであろう。何でもかんでも被支配の歴史を『怨念』に結び付けて、歴史捏造・改ざん行為など<屁とも思わない国柄>は、中国と対しても、一歩も退けを取らない厚顔無恥の騒ぎ立てである。
 流石に中国を大中華として上座に置き、自らを小中華と事大公言して憚らない国民性は、正に小粒の遊牧民族の思考方であろう。彼等の国柄に従うのなら、非常識に対しては非常識に徹して、大声で掻き回すしかあるまい。それが彼等の流儀なのであるから。

 流儀の共通した面があるから、中国対ロシア、中国対北朝鮮、中国対韓国、中国対米国、米国対ロシア、イスラエル対パレスチナ・・・etcは、それなりの外交を展開しているんじゃ無いでしょうかね。

 自問自答の反省心高き常識人の総和・日本で在っては、遊牧引っ手繰りの国柄人種達とは、一線を画くするのが順当な選択肢・行動では無いのだろうか。

 世界の趨勢。輸出立国。バスに乗り遅れるな。TPPお化け。・・・etcと、何かと空気眺めの小手先論だけで、ヤイのヤイの表層騒ぎに明け暮れるマスメディアさんの報道ではあるが、<肝心要の論議>と為ると、長時間放送、低視聴率の算盤勘定を弾けば、即無駄放送の経営的ご裁可が下るのであろう。非常識対非常識、常識対常識が、この世の常道でしょうが。これは、小学生でも知っている<理の常識>でしょうに。

 全く、無関心の隙間風、木枯らしが吹くだけの無機質ニッポンに凋落して仕舞った物である。脳味噌の良い連中が、この無様さを曝け出して居るのであるから、嘆かわしいじゃゴザンせんか。

 おやおや、斜向かい吟さんは、何やらお外で何かして居られる。息抜きに、夢奇譚の読書感想でも聞かせて貰いましょうかね。

 その後は、へへへ、横文字コメントの消去とマタゾロ占拠の落ち葉掃きでも、遣りまする。


心何処ーショート 吾、脳疲労?為り。
               吾、脳疲労?為り。(10/24/11)
 弟から相談を受けて、明日(本日)一緒に行動する事に為った。本棚の専門書からコーピーするが、文章が硬過ぎて、これでは一般的では無い。

 斯く為る上は、ネット検索をして、調べるしかあるまい。久し振りに、神経集中の段である。平易な文章の分かり易い物を探して、それ等を抜粋して、ワード画面に貼り付けて行く。おやおや、全25頁の大作に為って仕舞った。個々の関連ページも貼り付け、白紙の表裏表紙を加えて、<即席の小冊子>とする。これなら、手続きの大要が分かって、手元に置いておけるハンドブックの体裁である。

 二度精読をして、大筋を頭にインプットして布団の中に入る。さてさて、明日は神経集中の疲れる日と為りそうである。色んな下聞きの前提構想を頭の中で描いて居ると、眠れずに、・・・ 意識が遠のいたと思ったら、朝を迎えて仕舞った。

 ヤレヤレ、頭も体も重く、全て朦朧とした朝起きである。戻りは遅く為るから、玄関鳥の世話もして置かなければ為るまい。ボワ~ンとした脳味噌で、朝賄いをして迎えに来るまでの間に、もう一度、目を通して置く。

 仕事の段取りに時間が掛っている様で、9時を回っての声である。オヤジの仏壇に燈明を点して、弟は手を合わせて居る。

「ほい、これはお前さん用だ。そんなに難しい表現じゃないから、ウォーミングアップで一度、此処で読んで行けや。」

「いや~、素人の俺には、荷が重いよ。この分野は、全て任せるわ。」

「いやいや、最初から最後まで目を通して置けば、気持ちはグ~ンと落ち着くもんだぜ。このエキスは、その手続きの流れに、書き込みを入れて置いたから、最低限その頁は、暗記しちゃえよ。

 何にも知らないで聞いたんでは、相手の間違いにも気付かずに、失敗するもんだぜや。大丈夫だよ。同じ高校出てるんだから、それに緊張して居る時は、人間の脳味噌は、素晴らしい働きをするもんだぜや。」

 さてさて、お茶を飲んで、本日の筋書きを話す。大筋の方向、選択肢は決まって居るのであるから、一般的な相手方の出方、手続きとそのタイムスケジュールを事前に下聞きして置けば、それなりに空白の個所を埋めて、此方のタイムスケジュールを作る事が出来るのである。

     老母の注いでくれたお茶を飲み干して、いざ行かん!!である。

 先ずは、<探りの相談持ち掛け>である。仕組みをインプットして、次へ向かう。本日のメーンエベントである。昼時間抜きの3時間の説明、相談を持ち掛けて来る。こんな時は、兄弟と云うべき物なのであろう。ノーサインで、事が運ぶのであるから、<同DNAの阿吽の呼吸>である。

 一時を回った昼食を取る事にする。適当な食堂は?思えば、この先に残留孤児二世の中国人夫婦が切り盛りして居る中華飯店がある。彼是、三年振りの店である。長身痩躯の白い瓜実顔・素顔美人奥さんである。嫌味の無いサラリとした美人奥さんであるから、店は繁盛している。

「わぁ~、久し振り~。元気にしてました? 良く来てくれました。アリガトウございます。」

「嬉しいねぇ。俺、この通りツルツルのスキンヘッドにしちゃったんだけど、直ぐ分かった? アハハ。」

「直ぐ分かりましたよ。アナタ、好い人で顔綺麗だから、男前、上がりましたよ。元気イッパイの顔ですよ。もう、仕事辞めたんですか?」

「ああ、婆さん、動けなく為っちゃったから、婆さんの世話してるんだわ。収入が無いから、店に来れないしさ。自転車じぁ、此処は遠いからね。」

「私も、自転車ですよ。自転車は、健康に好いですよ。気持ちも、好いですよ。」

       美人さんの笑顔は、鼻下長男の最大の好物である。

「歳は幾つに為ったの?」
「39です。」

「ああ、そう。★さんは美人だから、熟れ時のジューシーさですよ。一段と、好い女に為ってますよ。へへへ。」
「嬉しい。アリガトございます。」

 遅い昼食だったので、食後のコーヒーを注文して、美人ママさんと言葉を交わし、久し振りの美人さん観賞をさせて頂いた次第である。←儲けちゃいました~。イッヒッヒ!!

 気を揉んで、未だ昼食を取って居ない老母に昼の支度をして、結果を掻い摘んで報告する。本日は、長袖シャツを着て居るとムッと汗ばむ暑さである。普段は冬眠して居るロートル・スカンポ脳であるから、寝不足と知恵熱で疲れましたわ。
 
 さてさて、昼寝前に、本日日誌を打って置きましょうかね。へへへのとほほ為り。


心何処ーショート これ、足掻きの復活文なり。
            これ、足掻きの復活文なり。(10/23/11)
 昨日の夜散歩は、好く歩いた物である。雲間に少ない夜空であったが、南風の生温い風の気持ち好さに、途中からセーターを脱いで山際まで足を伸ばして仕舞った。縄文人系単細胞の体細胞飼いは、困った物である。

 先日の<県内熊襲撃・射殺事件>を考えて、墨絵の川原に注意を注ぎながらの歩きである。幸い、暗闇で私に目を光らせて居たのは、白黒斑の大猫一匹だけであった。生暖かい南風に、草叢の秋の虫達が、息を吹き返して大きな音色で鳴いて居た。

 昨日の続きで、今日も生温い気温である。昨日と違って、風が強いから、窓辺の雑木の葉が次から次へと、剥ぎ取られて行く。黄葉の色付きも、風に追い立てられて、大分空き空きして来た物である。

   そう云えば先日の夕刻散歩の折りには、早くもツグミの姿を見た。
 
 後二、三週間もすれば、窓辺の雑木も哀れに葉を毟り取られて、冬の佇みに為る。北国の使者・メスのジョービタキも、枝にご挨拶の<姿見せ>に遣って来るのだろう。

 渡り鳥には、夏鳥、冬鳥の区別がある。夏鳥のツバメ、カッコウ、オオヨシキリなどが居るが、繁殖こそ北でするツグミ、ジョービタキなどの冬鳥達は、夏鳥と違って日本滞留期間は、思いの外長いのである。これらは海を渡っての<横の渡り>である。一方、山から里への<縦の渡り>が、ウグイス、ホウジロ、メジロ達である。キジバト、ヒヨドリ、シジュウカラは、一年を通して居付く留鳥である。

 思えば<梅に鶯>の言葉を、私は長らく錯覚して居た。早春の告げ花・梅の花の綻びと匂い・蜜に誘われて、山の鶯が里に下りて来ると<文学的・風情的>な勘違いして居たのである。

 それが、賄い夫生活の日課として遣り始めた漫ろ歩きの散歩時に、冬枯れの葦原に小群れで移動するホウジロに、目を遣って歩いて居る時であった。

 近くの枯れの中から、カサリ、カサリの物音に音を追って目を凝らすと、冬の枯れ葦原を地上近くの部分を、チョコチョコ移動するくすんだウグイス色の小鳥の影、姿を見付けたのである。その正体を藪ウグイスと確認して、その<驚愕の未知の営み>を知った処である。

   一度、確認すると面白い展開が進んで行くのが、観察の常である。

 庭の様子が、手に取る様に見える二畳の小部屋に居ると、雪帽子のサツキ、南天の低い位置で、ササッ、ササッとかチョコ、チョコと動くウグイスの姿を散見する処でもある。見過ごして来た住宅地の中に在る人間と野生の暮らしの交差に観察を向けると、真に身近に野生の暮らしが見えて来るのであるから、不思議な物である。

 そんな越冬鶯の里の生活を知ると、<梅に鶯>のホーホケキョは、私の個人的観察からすると、別に見えるのである。詰まりは、人間語に翻訳機に掛けると・・・半年間世話に為った里へのお別れ、アリガトウのホ~、ホケキョッに聞こえて来るのであるから、これぞ、『天動説→地動説のコペルニクス的観察』と云って好かろう。



 ★★追伸。 はぁ~、疲れましたわね。本日は日曜日でもあるし、緩く流してブログ打ちとして居たのであるが、殆ど打ち込んだ処で電話が為って、変な処に指が触れて仕舞ったのだろう。

 一字一句たりとも、保存されて居ないのである。そうじゃ~あるめい。如何すんだよぉ~。一気に眼精疲労、徒労の大落胆であった。これほど、情けない気持ちは無い。嗚呼~、遣り直しの<道のりの遠さ>を考えると、お先真っ暗な苦役でしか無い。苦役は、私の最も苦手の領域である。如何すんだよぉ~、このドジ男~。

 煩い!! 人間、誰にも間違いは付き物じゃい。碌な文章だったから、お天道さんが、<投稿に値せず>のご裁可を下したまでの事だ。チャンスを貰っての敗者復活戦に感謝すべきであろうが、この大戯けが!!

 ニャロメ、遣りャ好いんでガンしょう。遣って遣ろうじゃないのさ。どうせ、暇ロートルじゃわね。嗚呼、コンチクショーめである。

 貧民ロートルの意地汚さで、打ったのは自分であるから、自分の脳味噌の中にしか、頼る物は無いのである。男子番から高の校是を鞭に、<弱音を吐くな>の悪足掻きである。

 前文と後文のどちらに、軍配を挙げるべきかは、比較文章の無い処でもあるからして、へへへ、証拠の無い方に軍配を上げるのが、負け惜しみの下衆判断と云うべきでヤンしょうかね。

     さてさて、本日、日曜日であるから、この位の文章量で良かろう。


心何処ーショート 練炭とは、驚いた。
               練炭とは、驚いた。(10/22/11)
 雨が降って、止んだ。Tのお誘い電話に、昨日の文章が面白く打てたから久し振りに、コーヒースタバの女店長さんに、プレゼントする為に印刷に掛ける。

 雨上がりの水溜まりに、薄日が差して居る。コーヒースタバの二階席は、大入りである。階段上り口の端の席に座る。Tの見立てに依ると、お天気の悪い時は、コーヒータイムに向かうのが人間行動との事である。

「如何だい? 特辛味噌のお味は。」

「おう、重宝してるぜ。チョコンと舐めたり、お湯に入れて味噌汁替わりにしたりでさ。梅漬けの方は、カカアが専属で遣ってるよ。<Rさんは、極端だから、ああ、酸っぱい、塩辛い、半端じゃ無い~。昔、その物の強烈さ~。>だってさ。」

「そうかい。そりぁ、好かった。俺達ガキ時分はさ、味噌・梅干し・漬け物だけで、何杯飯だったぜさ。何でもかんでも、市販物のお行儀の良さ食品から、偶には先祖帰りをして見るのも、乙なもんさね。伝統食に、オマンマお代わりってもんずら。へへへ。

 地物唐辛子も終わりでさ。物は試しとTが、<韓国味が好み>をヒントに、隠し味にキムチの素を入れたんだけどさ。臭い嫌いの婆っさが、結構、箸を出して食べて居るんだわさ。三瓶作って、一瓶食べたんだけど、一瓶残して置くわさ。」

「あいよ。頼むわ。何だかんだと云っても、お前さんは、多才だわ。それを『熊』扱いされたら、堪んないわなぁ~。アハハ。
 お前さんと口悪幼馴染女との遣り取りを読んでると、相当、<とぼくれた女>なんだろうな。ハハハ。」

「アタボーよ。こんなに存在感が在って、男前のロートルは、そこんじゃそこいらには居らんぜや。見て見ろゃ、俺のフェロモンに圧倒されちゃって、隣のオバちゃんなんか二人とも、俺に目が釘付けだぜや。イッヒッヒ~。」

「存在感には、異存は無いけどさ。オバちゃん、こんな相撲取り見たいな男と懇(ねんご)ろに為ったら、それこそ<腰砕けのカタワ>にされちゃうぜよ。ロシア女好みの裏にぁ、マトモに告白出来ない<必然性>って物があらぁね。
 軟な体じゃ、病院通いが関の山だぜや。体を鍛えるか、檻に入れて、調教してから付き合わなきゃ~、駄目だぜや。ヒヒヒ。」

「この馬鹿野郎が、お宅、<行動心理学>でも始めたんかい? 抜け抜けと、人聞きの悪い事をほざいたってもんだぜや。
 行けねぇよ、そんな風に、他人様を色眼鏡で判断しちゃ、お天道様の罰が当たるぜよ。あい。」

 さてさて、舌のアイドリングも済んだ処であるから、本日の本題に入りましょうかね。

 歴史上人物の裏話の交換である。Tの言うには、戦国~お江戸期の物が、結構面白いとの事である。徳川三代将軍家光話が奮って居た。徳川幕府・生まれながらの将軍様は、凄いご威光で、<あいつ、出っ歯が気に喰わない。><顔が醜い>と言って、即打ち首だったとの事である。
 そう云えば、淀君も相当に、酷かったとの事。第一子を死なせて、ヒステリーお姫様は、妊婦を見ると憎さ倍増で、妊婦の腹を割いて、胎児共々殺して仕舞ったなどと云うご乱行は、私も読んだ処でもある。

 サダム・フセイン、カダフィー大佐も同様に、裏話を回収して一気に全世界公開と為れば、絶対無比の完全独裁者のご乱行振りは、血の毛もよだつ悪行三昧に違いあるまい。民の殺生与奪の権能を持つと確信している独裁者は、真に意地汚い末路を晒すものである。

 完全に、何処かが異常者なのであろう。人の命は、塵芥も同然。然も、自分命は最重要と来ているのであるから、一般感情からすると<とんでもない気違いのザマ>である。行け行けドンドンの隆盛期には、異常・異脳の才が、革命・改革の原動力にも為ったのだろうが、所詮、異常・異脳の才は、平時では異常さの蔓延であろう。

 両刃の剣であるのが、一般的評価でしょうが・・・どうせ、捕まれば殺されるのである。拳銃を持って居るのなら、如何して自殺する事が出来ないのか。

 往生際の悪いのが、現代の独裁者の気質なのだろうか。人間、守ってくれる盾も、ベールも剥ぎ取られて終えば、唯の逃走人、遁走人の敗残の日々でしかあるまい。何を言っても無駄である。其処に在る物は、一対一の原初的過ぎる<肉体的力の強弱>だけであろう。見切り千両の潔さで幕を閉じるしか手立てはあるまい。

 命欲しさに、死に損なってマゴマゴして居れば、寄って集って固ん棒で殴られ、蹴り飛ばされ、掛け値なしの命乞いと悲鳴を上げて<悶絶死の惨めさ>を晒すだけである。その点、信長さんも、ヒットラーさんも、往生際だけは良かった『異常人様』であろう。

T曰く。
「武将、将軍様に為っちゃお終ぇよ。俺達は雑兵よ。早落ち城の砦から、武田信玄の軍勢が遠くに見えたら、サッサと裏山に逃げ込んで、自給自足でホトボリが覚めるのを待つだけさや。
 目の前で、戦闘が始まちゃったら、男の端くれだから、戦うしかあるめいよ。一人も殺さずに、殺されちゃったなんてザマは出来んから、お互い、必至こいて刀振り回すだろうよ。
 雑兵が功名立てて、煽てられて、子分を持たされたんじゃ、逃げる訳には行かんぜよ。立場上、雄々しく討ち死にしなくちゃ為らんわね。お互い、血の気が多い性質だから、どっちかが殺されたら、仇打ちの単細胞だわね。

 ロートル頭で、若さを振り返りゃ、突進より、先ずは逃げるが勝ちだんね。死んじまったんじゃ~、こんなコーヒースタバの余暇は巡っては来んさね。<逸る短気は損気、土手零しは、男子一生の不覚。早漏は嫌われの素。>って、お前さんの旅行記に在っただろうが。あい~。」

「おいおい、ホンマかいな!! そりぁ、目から鱗、名言中の名言じゃないのさ。やいやい、それが本当だったら、俺ぁ<言葉の名手>じゃ無いのさ。ついつい、言葉が滑ったってもんだぜや。ホンマかいな???」

「あいあい、そうだんね。公人なら非難・糾弾の矢面、私人なら、ド助平オヤジのお気楽打ちだわね。ドヒャヒャ笑いで、俺ぁ、カップコーヒー吹き出しちまったせ。これじゃ、女房子供に逃げられたって、自業自得で文句も言えんわさ。ギャハハ!!」

 さてさて、パッパの一服に外に出ましょうかね。ホームセンターに寄ると、昔懐かしい練炭がボンとある。好いですなぁ~、練炭と云えば火鉢である。然しながら、火鉢が見当たらない。練炭火にチロチロ鍋が湯気を上げるなんてシーンは、今の生活には持って来いのセットである。婆さんに聞いて見ようか・・・ 有れば面白いではないか。イッヒッヒ~。

 土曜恒例のT主役のゴタ話の一席でありまする。本日も、お運び頂きまして、主役に仕える身と致しますれば、主役に為り替わりまして、感謝感謝のお礼でありまする。


心何処ーショート へへへ、当て外れ為り。
             へへへ、当て外れ為り。(10/21/11)
 今日は、午後から国会中継があると云う。ラジオビタミンの軽いテンポ、明るい笑いの番組進行にすら、八つ当たりしたく為る。民主党の政権担当能力の無さは、酷過ぎる。正に、<怒り>とその後の憤懣やる方無しの<重い溜息>しか出ない。←私も男の更年期症状なんでしょうかね。困ったロートルである。

 ニュースを聞けば、中国・韓国・ロシア・アメリカと、腹黒魂胆剥き出し周辺国は<人の好い大人しい日本>に何かとイチャモンを着けて、タマ無し国家に付け込み、富を根こそぎ奪い取ろうとしている。

 遅々として進まない被災地の復旧への『実績』に象徴される<内政>と外圧に屈する言い為り<外交>の体たらくの沙汰である。・・・・、・・・・ と真面目に考えれば、萬屋錦之助さんの破れ傘呑舟さんに登場して頂き、<手前ら、人間じゃ無ぇ、叩き斬って遣らぁ。>と胴タヌキを振り翳すか、刺客稼業の<子連れ狼>の拝一刀の無表情に、バッサバッサと切り捨てたい気持にも為って来る。

 不正、不条理に対して、<市井の人・人間呑舟>が全身を震わせ、啖呵を切るや、怒気を炸裂させ『情』を実行するのが、呑舟さんの真骨頂であった。
 一方、一刀さんは、過去を捨てたアウトローの無表情に徹した他の追随を許さぬ『惨殺のニヒリズム』である。拝一力役としたら、テレビの錦之助さんより映画の若山富三郎さんの方が、圧倒的な存在感があった。

 云って見れば、市井の人・呑舟さんの活躍するエリアは、<内政>の出来事である。一刀さんのエリアは、公儀介錯人拝家を断絶された裏柳生首領烈堂との死闘なのであるから、<外政>と云っても好かろう。共に、記憶に深く刻まれた秀逸な『日本の時代劇』であった。

 敗戦国・日本は、『武』を捥ぎ取られ封じ込められて、すっかりお人好しの去勢国に成り下がって仕舞った物である。口を開けば暴力絶対反対、話せば分かるの平和(キョセイ)憲法下で、筋も矜持も失くして、幼児並みの<好い子ブリッコの国>に成り下がって仕舞った物である。

 男の<キンタマ>、肝っ玉かあさんの<肝っ玉>を失くしてしまったら、呑舟さん・一刀さん、京塚昌子さんの日本の母ちゃんにも為れず、追い立てられる一方の暗愚・盲目の羊の群れでしかあるまい。

 野田さん、韓国に行って何をして来たんですか。遠の昔に決着した日韓の補償問題に、<赤い老ブリッコの仙谷さん>の手に為る菅談話、文化財返却のペコペコ訪問とは、一体、何を考えて居るんですか。・・・

 東西冷戦時代の自由社会と共産社会を明確に遮断して居た鉄のカーテン、竹のカーテンも崩壊して、拝金主義のグローバル化の混沌の新時代なのである。鵜の目、鷹の目で相手国の足元を見て、自国のエゲツナイ言い分・国益を押し通そうとするのが、現実の世界経済と政治では無いか。

 馬鹿の一つ覚えの善隣外交、協調外交の教条おバカさんが、日本国総理のカモシモを着て、お土産を持って、ウォン安支えの言い為り策を置いて来るのであるから、お人好しを通り越して・・・何を戯けた事を遣っとるんじゃい。ってな物である。

 政治体制・国民性・民度・教育・・・etcと<人の好いお坊ちゃま事>を言って居る場合では無かろうが!! 国際経済も政治も、仲良しクラブで遣って行けないのを骨身に沁みて居るのが、政治家の拠って立つ『立ち位置』でしょうが!!

  この体たらく、事無かれ主義では、全く馬鹿丸出し外交でしかあるまい。

 現在の日本の政治家に対して云われる言葉に、政治屋なる言葉が流行った物ではあるが、それよりも、現状は何倍もの荒廃が進んでいるとしか感じられない次第である。彼等は政治屋からすら転げ落ちて、唯の<選挙屋>でしかあるまい。
 選挙に当選さえすれば議員バッジを着けて、全ては国費を丸使いして国政の仕事を知らずして、<上の、強い者の、口煩い強弁国の言い為り行動>だけで議員面をしている。

 手前ら、一体、誰に飯喰わせて貰ってるんじゃい!! 名も無き国民の税金で、飯を食わせて貰って居るんじゃ無いのかい!! ふざけるにも、程が有らぁな。

 選挙時の当落だけに、全身全霊を傾注して、形振り構わずの西走東奔。詰めは、壇上での土下座で<浪花節票>を掻き集める。受かれば、議員先生。増してや、国務大臣にも為ろうものなら、有頂天。マスコミを利用して、売名・パフォーマンスを仕出かして、傲慢根性が、<津波警報に逃げない馬鹿(仲の好い友人)が、死んでしまった。>などと、政府高官が口を滑らせて、物議を醸し出す。丸で緊張感の無い選挙屋達の政治状況である。

 帰って来れば、沖縄基地問題、環太平洋戦略的経済連携協定(TTP)、増税問題が控えている。

 現実不認識、現実誤魔化し、現実逃避の現実度外視のブリッコ政治、政治家が、如何遣って、現実世界の七つの海を泳ぐ事が出来るのだろうか。横文字満載ボキャブラリー一流、中身三流・四流の知見・人情味であっては、直ぐ馬脚を現すのは『お天道様の目』でヤンしょうよ。

 一代総理・・・<日本は、日本人だけの物では無い。><CO2、25%削減のエコ社会の実現。>、<トラスト・ミー。>、<国外、最低でも県外。私には腹案がある。><国民が、私の言う事に、耳を傾け無く為って仕舞った。>

 二代目総理・・・<騎兵隊内閣>、<尖閣中国漁船体当たり事件に際しての言語道断の責任転嫁><TTP平成の大開国><東日本大震災・原発事故を人質に取った総理の椅子しがみ付き><北朝鮮への深い闇の拡がり><朝鮮学校高校授業料の無償化を、置き土産の夫婦お遍路の旅>

 民主党政権第三代目が、ドジョウ総理・野田さんである。組織とは、おおよそ、力の順番から頭が決まって来る物である。三番手の<口だけ番長>の前原さんの協力の下で誕生したドジョウ総理は、云って見れば、民主党の五番手・六番手のタマなのであろう。
『仕事の手始めが、韓国訪問である。』 党内順番から云って、<総理の衣装>に惑わされて過大評価は絶対にしては為らない政治家なのであろう。

 私共日本国民も、そろそろ敗戦後66年を振り返って、自分の目と頭、嗅覚で、国柄(歴史・国民・文化・思考)の違いを国際比較して、自分の国は自分で守り、国柄の継承を考え行動して行くべきでありましょうや。
 間接民主主義の国会と云うのなら、せめて議員さん達の一定比率には、呑舟さん、一刀さん、肝っ玉かあさんの様なお人を、国政に送り出す事が肝要でありましょうや。

<国会は、その国の民度を映し出す鏡>との表現も在る処でもありまする。こんなお上のお言葉を庶民が有難く拝聴してしまえば、出て来るのは<大きな落胆の溜息>でしかありませぬ。上の失政・責任逃れに、選挙の投票行動だけで、一蓮托生・共同正犯に仕立て上げられちゃ、善良為る国民の善意が蝕まれるだけじゃゴザンせんか。

<何をこきぁがる。ベラボーめ、二本差しが怖くて、目指しが喰えるか!!> < 手前ら、人間じゃ無ぇや、一人残らず叩っ斬って遣らぁ!!>の一心太助、呑舟さんでも良いし、<大五郎、是より、冥府魔堂に入る!!>の拝一刀さんでも良いでは無いか。<かあさんは、こんな子に産んで、育てた心算は無いよ。恥を知りなさい!!>の肝っ玉かあさんだって、好いじゃありませんか。

 不埒三昧の選挙屋バッジの面々を、選挙の折りに手薬煉引いて待ち受けて、完膚無き止めをば打って、彼等の思想・思考の故郷シベリアの永久凍土に葬り去るのが、再び武の復興でありましょうや。<筋と矜持>を持つ文武両道の道を開くのが、日本の道でありましょうや。

 戦勝国の拒否権舞う国連など、戦前の松岡洋介さんの<連盟脱退演説>を捩って、戦勝既得権で剥き出しの強国三昧の現国連から、筋と矜持を旗頭に『新国連旗揚げ演説』でも遣れば好いのである。国連第一の資金供出国にして、世界第三位の経済大国日本では無いか。一発噛まして遣れば、脛に傷持ちの戦勝国は、ビックリ仰天!! 他の国々の多くは拍手喝采の応援演説に挙手、挙手の大歓迎かも知れぬでは無いか。

 敗戦国・限時憲法の自縄自縛から完全に解放されて、国内憲法は本より、戦後世界の自縛の権化たる現戦勝国国連の欺瞞性も、一挙に構築し直す位の『大和のキンタマ』を見せるべきでありましょうや。

 ブリッコ社会は、もう立ち行きませぬ。日本国民様、ブリッコは、もう、この辺で止めましょうよ。

 午後から国会中継が始まると思い、それまでの言いたい放題を打って居たのではありまするが、中継は無い様でありまする。へへへ、正に、ドジョウ内閣の腰砕け殿でありまする。八つ当たり気味に、此処まで駄文を拡げて仕舞い、アッシャ~、脳疲労の態でありまする。

 外の空気を吸いに行って参りまする。こんな事をスカンポ脳の好色ロートルオヤジにさせるなど、日本の政治は赤点組ですがなぁ。議員バッジの先生方、確りしておくんなまし。


心何処ーショート 口じゃ、敵わない幼馴染猛女なり。
        口じゃ、敵わない幼馴染猛女なり。(10/20/11)
 すっかり落ち葉の季節に成りまして、必需品の熊手も竹箒も惨めな形に為って居る。好いお天気さんであるから、散歩がてらにホームセンターまで、足を伸ばす事にする。本屋に入って、新刊本コーナーで、お目当ての本を探すが無かった。<有ったら買う。無かったら、読まない。>と決めて居たから、これも良しである。

 ついでに隣のスーパーで<モツの煮込み>でも作ろうと買う。主目的の熊手・竹箒・長柄の箒を買う。長物をラップして貰い、それを肩に掛け、柄の先にスーパーのレジ袋を引っ掛けて、ロートルクマ男のノッソリ歩きの帰りである。好い秋晴れの午後に、気分は上々である。

 鏡で自分の姿は見えないが、時代逆行型・真に白ばっくれたオヤジの風体である。土手道を風景に目を遣りながらの長物肩担ぎをするオヤジに、パンツ隠しの短いスカートの女子高校生などが、私の顔をチラリと横眼で見て行く。後ろ手で、そのスカートの丈を気にして居るのである。

<フザケ遣がって、これ見よがしに。そんなにパンツが気に為るのなら、もっと長いスカートを履き遣がれ。この露出娘が~。低く見られたものである。俺の好物は、金髪美形の熟柿じゃわね。そんな青柿、渋柿は、一切、パス・パス!!残念でした~。>ってな物である。この無礼者めが、石でもくら付けて遣りたい気持ちである。イッヒッヒ!!

 肩が痛く為るから、時々、肩を替えての歩きである。橋の架け替え工事も、躯体が半分程に進んでいる。工事中であるから、脇道の通の車通りも真に少ない。赤トンボが、羽を反射に光らせて、土手道をゆったり飛んだり、アスファルトの道に羽休めなどをしている。

 そんな歩きをして居ると、上の方から、腕を90度に上げ、両手を大袈裟に振っての大股歩き。黒い大きな帽子に、黒い長スカートのオバさんが遣って来る。何処から見ても、文科省推奨の正しいウォーキング講座から抜け出して来た様な馬鹿女の歩きっ振りである。

 きっと碌でも無いお頭の持ち主なのだろう。私とは対極にあるウォーキング運動者なのであろう。私の散歩は、漫ろ歩きの距離伸ばしと眺め広角度の自由で、存分に外気を吸う事である。

 私はそんなニョショウ様とは、顔を合わせるのも嫌であるから、無関心表情で歩いて居ると・・・ 相手は立ち止まり、私を待ち構えている。

 アジャジャ、とんでもない女に出っ食わして仕舞った。待ち人は、同町内の幼馴染の口悪女殿では無いか。声を掛けて行かないと、私が石を投げ付けられて仕舞う。へへへ。

「如何したい? 未だ日が高いから、厚化粧で化けて、有閑マダムのダイエット・ウォーキングかいな。遠目で見りゃ、まぁまぁの婆っさ振りじゃないか。こりゃ、とんでも無ぇ女と遭遇しちまったわな。俺ぁ、逃げるわね。」

「Rちゃ、昼間なのに、何て格好してるだね。時代が違うよ。そんな熊だか、山賊だか分からない格好して~。男も色気を失くしたら、人間お終いだよ。話すのも恥ずかしいわね。でも、貫録十分で似合ってるじゃん。
久し振りだから、逃がさないよ。一緒に話しながら、歩くか。好いお天気で、気持ちが好いね。アハハ。」

 ★何だい、早々に踵を返して、折り返しかいな。この根性無し女が、それじゃ、運動にもダイエット運動にも為りゃせんがね。長散歩常勤者・私の爪の垢でも贈呈して遣りたいのではあるが、何しろ私は、奥ゆかしくも猛女恐怖症、小心者の男である。<本音は封じ込め>・・・粗相無き様に、言葉注ぎに苦心惨憺である。ギャハハ。

「何をこきゃがる。俺ぁ、風呂上がりだから、買い物してりぁ、世のカンナ共が、俺の顔ジッと見て行くぜや。俺ぁ、昔からハンサムだから、そんな目にぁ慣れてるけどさ。まだまだ、注目に値する男だぜや。それを、熊、山賊は無んべや。馬鹿モンがぁ~。」

「そう来たか!! 何言ってるだね。幾ら悔い改めてスキンヘッドしたって、その自惚れ心臓の剛毛を剃らなきゃ、外なんか歩いちゃ駄目さや。好い歳して、世の中の常識が分かちゃい無いんだから。ったく、手の焼ける男だね。そんな強がりは、<酔っ払い馬鹿男>の言う事だわね。お互い、孫が居るんだから、常識を見せる義務があるんだよ。

 此処は、初な小学生・中学生・高校生の通学路だよ。そんなデカイ態度で歩いて居ちゃ、皆、牽き付け起こして、ぶっ倒れちゃうわね。頭は好いのに、丸で常識が無いってもんだわね。開いた口が塞がらんわ。アハハ。

 私だって勇気が要るんだよ。こんな熊、山賊と話してると、変人・奇人扱いされちゃうから、本当は嫌なんだけどさ。ちびの頃からの幼馴染だから、勇気出して話してるだけじゃ無いのさ。有難いと思い~。感謝の気持ちが無いと、それこさ~、罰が当たるよ。

 真っ昼間に、こんな猛獣を檻から放して如何するだね。帰りにオバさんに、注意しとかなきゃね。オバさん、元気にしてる?」

★ニャロメ。遺憾いかん、天下の公道で、またまた漫才が始まって仕舞ったがね。<お説、ご尤も。毎度の事ながら、耳の痛い処ではあるが、全ての言い分には、部分的な一理もある。とほほ。> 女油田に火を注いでしまったら、大火傷は、必至の沙汰である。反論を続けると、私の方が、言葉を失って終う。鬼門の女には、幼少時から『逃げるが勝ち』である。

 厚化粧には違い無いが、化粧のノリが良いのは、体調良好なのであろう。老後の減らず口も、健康あったればこその発露である。へへへの段であった。

 そんな昨日の買い物を使って、朝飯前の落ち葉掃きをした次第である。さてさて、老母の体調も良い。安売りデーとの仰せであるから、個人スーパーなどへ行って、買い物をして参りまするかな。煙草の流し煙に目を遣れば、昨日の幼馴染猛女殿が、車の中から、吾が定位置を覗いて通過して行った。

             はいはい、元気で遣ってるわね。


心何処ーショート 嗚呼、穏やかな秋日なり。
            嗚呼、穏やかな秋日なり。(10/19/11)
<1>
 火曜のテレビは、歌謡ホールだけである。講談・浪花節・落語は、聞いたり見たりはするが、芸NO人バラエティ番組は、若い頃から嫌いであった。そんな事で、殆ど見ない。ニュース番組も、ラジオがBGMに流して居るから、この頃では興味薄で、見るのは食事時の時間帯だけである。

 そんな諸々で、実質一人身の閉じ籠り賄い夫生活四年目にして、テレビに囚われない生活が身に付いて仕舞った。時間がテレビから解放されて居るから、真に楽である。テレビを見ない事にして居ると、人間エネルギーの視覚に占める割合が、こんなに大きい物かと思い知らされる処でもある。人間の目と云う物は、人工物の映像に対しては、非常に疲れると云う代物であった事に、<愕然の思い>もして来る次第なのである。

 昨日は、大分前に、maso♪さんのブログに貼り付けてあったケルテック・ウーマンの平等院ライブに魅せられて、それ以来、彼女達のライブ集を<お気に入り>にして、YouTubeで何度も見て居る『隠れファン』なのである。

 そんな次第であるから、ケルティック・ウーマンの出演であったから、非常に有難かった次第である。←尤も、視覚的・音声的にはYouTube物の方が、素晴らしかったのだが・・・

 そのハーモニーの素晴らしさ、透き通る様な歌声は然る事ながら、皆さんには一人一人、素地の美しさがある。それにも増して、私には中年白人女性達のはち切れんばかりの中年女性の<たおやかさ>に結ぶ脂肪の厚み、柔らかさ、まろ味感が、何んとも早や・・・ 堪らんのですわ。

★歳と共に増す、その人の持つ、滲み出る表情の豊かさ、柔らかさ、女体の線に加わる『崩れの線』が、衣服を通して、何んとも<熟柿の甘露の味>と云う物じゃありませんか。

★何も、シャープさのみが、観賞の対象だけではあるまい。熟して増す<味合いの観賞>の方が、ズーと幅広い観賞対象と云う物でありましょうや。

★<花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき人の世なり。>・・・なんて、冗談じゃありませんわね。花期は短くとも、結実して実を成長させて行くが、人の味、人生の味でありまする。其々の期間に己が手で個の印を刻むが、人間の味・魅力の味と云うんでしょうかね。へへへ。

 古来、女体は恵み・豊穣の象徴であったのから・・・。ギリシャの女体彫刻、ヨーロッパの中世裸婦画、日本では、天平のふっくら円やか仏画・仏像にも現れて居たのであるからして、現代日本人のダイエット、ダイエット流行りの女体と云うのは、私にして見たら興醒めの態である。

 流行り物造機のCM洪水に巻き込まれて終えば、表層の文化・文明に足を掬われて、鳥ガラ女共が内実を隠して、衣装だけが街を闊歩するマネキン文化に陥落するばかりである。ガラス目と鳥ガラ女のマネキン・ファションなどは、ショーウィンドーを飾るだけの無機質で事足りる。

<2>
 ミッドナイトの就寝前の、Full Moveを探して居ると、強烈な一本があった。二時間半強の映画である。Pelicula Completaと題された中米ジャングルの異文化対決の映画である。ユカタン半島の現地歴史では、古代史ロマンの謎めいた雰囲気のある歴史未開の地でもある。ジャングルの中に栄えたオルメカ、古マヤ、マヤ文明が数多く記されている地域である。

 ご存知の通り、氷河期、ベーリング海峡を渡ったモンゴロイドの末裔達が、インディオとして築き上げた文明・文化の地である。私にとっては、若い頃、好んで読んだ処でもある。熱帯ジャングルの中に暮らす穏やかな集落の生活の中に、突如襲いかかった殺戮の嵐。集落の住民は殺され、捕虜となった男女は、竹の首かせ、肩かせに繋がれて、ジャングル、河、山岳を棒で叩かれながら、理不尽この上ない<死の旅>をさせられる。

 辿り着いた魔都は、ピラミッドが建つ奴隷・賤民・貧民と市民・貴族・軍人・神官・王の被支配と支配の過酷な身分社会であった。女は奴隷市で売られ、男達は全員青く塗られて、大ピラミッドの階段を追い立てられる。ピラミッド最上段は、病的な王と王族が玉座に座り、神官が、神に人間の心臓を取り出し神に捧げる。神官の奥には、コカインの燻しに朦朧とした老執政らしき人物が居る。生贄にされた人間は、断首されてピラミッドの下で狂喜する民衆に向かって、長い直線の階段から投げ落とされる。首を失くした生贄の骸も、放り投げされる。

 幻想・幻惑のコカインの葉は、歴史が長過ぎて、それに纏わる異常人が、多いのだろうか・・・

 こんなシーンは、歴史本で予備知識を持って居た処であるから、私にとっては活字の映像化として興味深々の物語りであった。或る意味では、学術的?受講の気持ちが強かった次第である。

 主人公が生贄の台に縛られて、神官の振り上げた石器の剣が、正にその心臓に振り下ろされ様とする刹那、皆既日食が始まった。恐れ戦いた神官は、不吉を老執政→王に諮って生贄の儀式は中断する。
 ピラミッドから下ろされた生贄一行の次なる試練は、剣士が待ち構える競技場に引き出されて、競技場の外に拡がるトウキビ畑を指差されて、走れと言われる。軍人達の投げ槍、矢、投擲器による石が一斉に飛んで来る中を放たれるのである。残酷この上ない生贄捕虜達の惨めさである。

 斯様にして、太陽の運行を神聖化して、独自の天文学を極めた古代ユカタン半島のインディオ文明・文化は、徹底した神への生贄文明を極地にまで発展させて来たらしい。
 競技場は、人間の生首をサッカーボールにして競技をしたと云われて居るし、捕虜同士、軍人同士での殺戮試合も催されて居たとの記述もあった。

 兎に角、書物からも生き血が噴き上げ、血臭がプンプンと臭う生贄の文明・文化の地であったらしい。

 撲殺、殺戮シーン満載の二時間半の映画であったから、現代人の五感、思考からすると、吐き気を催す凄まじい映像映画であった。それも、ミッドナイトの観賞なのであるから、ナイーブ、小心者の私などは、変な悪夢に取り付かれて金縛りの恐怖感に押し潰されるのでは無いかと、何度も、Offにしようと考えたのであるが、活字の映像化などと云う好機は、そう簡単にはお目に掛れないのである。何事も受講と思って、最後まで見て仕舞った次第である。

  へへへ、興味のあるお人は、挑戦して見るのも勉強の内でありまする。

<3>
 本日の日誌に打とうと思って、頭を整理して居ると、ヤクルトママんさのコールである。早速、<夢奇譚の四枚絵>があるから、それを突破口に、セクハラトークをさせて頂いた次第である。夢奇譚20枚、挿絵10数枚付きの小冊子を見ませたい処ではあるが、ママさんは大の活字嫌いとの事であるから、無理強いは不可能の段なのである。とほほ。

 昼風呂に入ろうとすると、斜向かい吟さんの登場である。奥さんのお婆さんが、手編みのセーターを編んで呉れたのだが、自分の体形ではブカブカなので、私に着てくれとの仰せである。人のご厚情は、有難く頂戴するのが、人間の務めである。

 六畳に上がって貰い、日誌文作と小冊子をお渡しして、戯け画感想を承る。へへへ、大きな声では言えないが、斜向かい吟さんは、私の戯け画の大ファンなのである。

「何時見ても、面白くて好い絵だ。頭の中が如何なって居るか不思議の一語だけど、こんな絵をいとも簡単にサラサラ描いちゃうんだから、大した物さね。スケベ画を描いても、全然厭らしさが無いから、大したものさ。」

「彼是、絵の謎解きも、頭の体操。分かって、このド助平~の面もあるし、皆個性に彩られている。笑いが有って、楽しい仄々とした物が伝わって来てさ。ほんわりニコニコ、アッジャ~のゲラゲラ、ワッハッハ笑いが、コダマしちゃうから、それこさぁ、ご近所さんの大家さんだわね。」

「如何だい、兎角、此処も、元気の薄れて来た爺っさ、婆っさ町会だけどもさ、一皮、剥きぁ皆ガキの時分は、鼻垂らし小僧のゴタっ子ばかりだぜさ。町会文化の日に、一挙大展示を遣らざぁよ。」

「こう云う絵は、皆に公開して、ニコニコ、ギャハハ、ワッハッハにイッヒッヒを提供して遣らなきゃ、<お宝の出し惜しみ>、<持ち腐れ>だっちゃ。」

「好いじゃないの。横にノートでも置いて、何でもかんでも、観賞感想を書いて貰えば、展示賃にも為らぁね。老後の人生は、楽しか無きゃ、味も素っ気もありゃせんわね。
減塩食品ばかり食って居たんじゃ、寿命は延びるかも知れんがさ、中身がお粥だけじゃ、元気印もトボっちゃうわね。」

「爺っさ、婆っさになってまで、NHKの紳士淑女じぁ、面白くも何んとも無かんべさ。戯け画に拡がる笑いの輪だんね。イッヒッヒ!!」

 へへへ、久し振りに、斜向かい吟さんの絶好調口調である。いやはや~、当歳72のガキ自分の天井人・連隊長様の言である。体調・気力・気分のバイオリズムの頂上曲線の態である。本日、無風の青空の拡がりである。風呂に入って、髭を当たって、漫ろ歩きなどをしたら、思いがけずに美形美人さんの顔とも出っ喰わすかも知れぬ。

 本日も、長々と打ち進めてしまいました。お付き合い、ご苦労様でした。感謝感謝の長駄文打ちでありまする。以上。 


心何処ーショート 偶には、詩歌の香り。
               偶には、詩歌の香り(10/18/11)
 お天気さんは、下り坂である。する事も無いから、早目の散歩に出掛ける。明るい内の散歩であるから、里にも下りて来た広葉・紅葉を見ながらのゆっくり歩きである。ケヤキ、桜、公孫樹の街路樹、学校周りの木々が色付いて居る。歩道の落ち葉も多く成って来た。

 護国神社では、太鼓の音がして居る。太鼓の音に釣られて、久し振りに境内に入る。赤児を抱いた参拝客の姿が、二、三ある。本殿の方には進まず、短歌・俳句・川柳が貼り出してある掲示板を、ゆっくりと全部読んで来る。結構な分量である。

 五・七・五・七・七、五・七・五の三十一音、十七音から成る文字列には、筆書きの落ち着きと、語感の良さ・言葉の拡がり、余韻の冴えがある。短歌は、ミソヒト文字と云うらしいが、好い響きと日本語の柔らかさにして、古の宮中リズムが彷彿とされる処でもある。私は、短歌・川柳・短歌は言うに及ばず、詩すらも凡そ門外漢の男である。

 然しながら、何もしなくても日本人の血が流れて居るから、三十一文字、十七文字に表れた想い、願い、感想、感傷などは、スンナリと入って来る処である。風体好からぬ男が、ズーと展示作を読んで居る姿は、些か奇異に見えるのだろう。

 読んで居ると、二人程年配オバさんが何首か読んで行った。真面目に、隅から隅まで味わいながら、読む雰囲気があったら、良いのだが・・・ お互い、時間に不自由しない雰囲気なのであるから、それで、読後感の交換でもしたら、これも<袖振り合うも他生の縁>なのではあろうが・・・

   二、三首、軽く目を通されただけで、そそくさと歩いて行かれた。

 へへへ、これも、<むべなるかな。>ってな物であろう。何しろ、此方はヤクザまがいの風貌なのである。私の顔何ぞ見たら、折角の秀作・佳作が死んでしまうと云う物であろうか? ニャロメ!! 人間、身為り風貌だけで判断しては為りませぬぞえ。折角、皆さん、応募して関門を潜って来た作じゃありませぬか。一句、一首毎に読んで、全てを読むのが、作者さん達への礼儀でありまするぞえ。オッホン!!

 体育館・県文会館の公孫樹・桜の林を抜けて、ギンナンの付き具合を見て歩く。ギンナン特有の臭気が漂って居る。こんな時間帯には、犬散歩のサークルさん達が集まる。シバ犬、座敷犬を連れたママさん達が、何時もの場所で話しをしている。

 其処を素通りして、橋を渡る。土手道から、河川敷に下りて芝生の上を歩く。アオサギ、カルガモ、マガモの姿が見える。草叢の虫の声も、小さく成って消え入る様な籠った音色に替わって居る。柿の色付きが増して、ケヤキの大木も薄黒い紅葉を呈して来ている。

            やれやれ、今年の冬は、早そうである。

 生徒達の下校時間である。中学生、高校生達が、土手道をワイワイ、自転車で下って行く。家に入ろうとすると、西向かいさんが、家庭菜園の土掻きをしている。声を掛けて、暫しお話相手をして参りまするかな。

「元気だね。今度は、何を作るんね?」

「うん、小松菜でも撒いとけば、味噌汁の具に為るからね。今年は、柿成って無いね。散歩はして来たのかい?」

「あいあい、今年は裏年だし、あんな高い所じゃ、駄目だわさ。散歩はして来たんね。」

 オバさんは、82歳との事である。肥満体であるから、医者には歩け歩けと云われているらしいが、体が付いて行かないとの事である。一人身であるから、六時に起きるものの、寒いと、再び布団の中で寝直すとの事である。紅葉、落ち葉、木枯らしの季節が、直ぐ目の前で、落ち葉掃きが大儀なシーズンの到来だと、大きな溜息を吐いて居られる。

 加齢共に、一年の季節の進みの速さには、驚くばかりである。呆気無く一日は幕を閉じる。寒さのうらびれに、何と夕暮れの速さと、夜の帳の速さと云う物である。

 やや、俺ぁ、洗濯物を脱水に掛けた儘であった。やれやれ、健忘症進む吾が身は、弛緩し切って、遺憾いかんの頭掻きである。さてさて、油売りをお暇致しましょうぞ。


 さてさて、本日の戯け画は、『夢奇譚・南洋小島にて』の追加二枚でありまする。

 一枚目は、オラウータンの詰問に対する中年白人女の強弁の図。もう一枚は、南洋小島に巡るイクラ色の月の運行図でありまする。本編にて、縷々描写した処でありまする故、説明を割愛させて頂きまする。ヘッヘッヘェ~!!

            女の強弁        イクラ色の月

         女族の抗弁  イクラ色の月


心何処ーショート 是、全てテヅクーリ。
            これ、全てテヅクーリ。(10/17/11)
 昨日は、晩飯後に堪らず二時間ほど寝て、身体も正常域に回復した処である。ラジオをBGMとして、『夢奇譚』の製本を思い付く。先ずは20枚を印刷する。今度は、マイピクチャーを開いて、ほうほう、こんな絵もあったかなどと、PC画面一杯のマイピクチャ列挙の中から、ストーリー・シーンに見合った戯け画をピックアップして、1/2サイズに印刷して行く。

 塵も積もれば、回り回って、挿絵の代用も叶うのであるから、ウッシッシと云う物である。これまた、<何事も、無駄に為る事は無い。>の人生の先達さん達の仰る通りである。アッハッハの段である。
そう云えば、先日の回覧板には11月には町会の文化展示会への出品要請もあった処でもある。小生、奥ゆかしくも、小心者の性質ではあるが、還暦後の戯けオヤジとして、町会文化のボランティア出品も、展示会役員さん達の時間潰し、話の種に為るやも知れぬ。

 老松男女の爺っさ、婆っさに、極彩色の戯け画ギャラリーの絵ファイルを置いて、老松の表情観察も、好い時間潰しに為るやも知れぬ。いざと為ったら、顰蹙糾弾に際しては、志村けんの<変なオジサン音頭>を遣って、逃げ帰って来れば好かろう。

 さてさて、戯け画をカットして、頁挿絵として文章に挿し入れて行く。一応、打ち手であるから、絵と文章の関連は、半行読むだけで、アレンジが出来る。
 嘗てのショーン・コネリーさんの丸大ハムのCM・<手作~り>の文句じゃ無いが、文字打ち、お絵描き、製本と、これも全て、手作りのお遊びである。ミッドナイトの四畳半での、こんな時間の過ごし方も、ウッシッシ、イッヒッヒ、ギャハハの趣味のお時間である。

 そう言えば、何処かに製本テープの残りが有った筈である。引き出しなんぞを探して、見付ける。ありりゃ、巾50mmでアリンスか・・・待て待て、<大は、小を兼ねる。>と云うでは無いか。半分で良かろう。

 へへへ、『貧すれば、鈍脳にも工夫の道も開く。』分冊の前後に白紙を入れて、好い体裁となった。

 アハハ、流石に義務教育美術も、堂々の『5』経験者である。挿入絵は12枚であるから、真面目な話、中々の仕上がりである。←我田引水×客観指数=<手作り合格域>ってな物である。

 へへへ、小本の第一読書人は、斜向かい吟さんには違い無かろうが・・・ 私の隠れた才能に、目を白黒させて、第三部の南洋小島のオラウータン怪人と白人中年女の遣り取りなんぞに、ヒィーヒィー、ゲラゲラ、ギャハハの転げ回り。余りのハシタナサに、短髪白髪頭をカカア殿にポカポカ頂戴する事、必定の様であろう。

 俺ぁ、有る事無い事でっち上げて、頭に思い浮かぶまま打ち連ねて、それを投稿してしまえば、後は御訪問者の読む、感じる、考えるの『技量待ち』じゃわね。一切、顔も見えぬブログ樹海の荒涼原野である。後は<野と為れ、山と為れ>のギャハハの戯けロートルである。
 恥晒し、掻き残しなんて羞恥心など、遠の昔に風化の飛翔消滅だわさ。世の中には、決して無駄な事も、無駄な物も無いとの事でも有りますれば、恥掻き産物とて、何かの肥やしの成分の一つにも為るのが、世の森羅万象の理って処でしょうに。

 顰蹙の誹りに、一々、ご近所さんに頭を下げて回る必要も無かろう。

 朝は、母の動きを待って、製本為った短編を静かに、精読した次第である。へへへ、小一時間の戯け画付きの読書タイムでありました。

 私としたら、楽しい一日ではあっても、老体には堪えた一日だったのでは無いかと、案じては居たが、元気で真に表情が生き生きして居る。こう為れば、昨日の出来事をお浚いして、母倅の会話も弾むのであるから、好いカンフル剤とでも言えようか。先ずは、どちらさんにも、感謝感謝の一日のスタートである。


心何処ーショート はいはい、オヤジ殿に向かって、敬礼なり。
        はいはい、オヤジ殿に向かって敬礼なり。(10/16/11)
 昨夜は生温い風の強さと、途中からの雨音で中々に寝付かれない夜であった。加えて、母の部屋からの物音で、慌てて部屋に様子を見に行くと、暑苦しさに障子を開けたとの事である。やれやれの一安心であった。

 そんな事で、日曜日でもあるから、朝寝をして居ると廊下から母の部屋に入って、声がして居る。兄弟が来たのだろう。フラフラと着替えをして母の部屋に行くと、弟である。連休明けに顔を出すと言っていたのだが、来なかったので<当分のパスだろう>と諦めて居たのだが・・・

 普段疎遠でも、其処は母子である。母も弟も、久し振りに会って、会話も快調の様である。親子兄弟水入らずで、話をした次第である。可笑しなもので、こんな母と弟の姿を見て、何やら、安心して疲れがどっと出て来たのだろうか、それとも、寝不足の身体の重さなのであろうか・・・

 兎に角、母の体調も戻って、母、弟共に好い時間が持てたと云う物である。不景気な時代、零細・小企業の社長様には、受難の時代である。挫けぬ弟の根性に、拍手を送りアドバイスも一つ出た処である。

 時差ボケの様な身体の重さである。然らば、風呂を沸かして、シャキッとするしかあるまい。自室に入って、煙草を吹かして居ると・・・

 玄関が開いて、

「お父さん、来たよ~。」

 倅の奥さんの声である。母の部屋に入る前に、鳥の世話と玄関周りの掃除をする。倅の言うには、<オヤジの誕生日には早いけど、誕生日祝いだから、皆で飯を食おうよ。>との事で、寿司持参で来てくれたのである。孫もすっかり大きく為って、可愛い確りした顔に為って来た。婆さんに抱かれて、早くも大声で泣き始めている。

 へへへ、婆っさは、朝から最良の日に恵まれて、先日の死相など何処吹く風の『血の蘇り』である。一番喜んで、上機嫌の老母の様である。何も出来ない老母が、重くなったひ孫を昇降椅子の膝の上に乗せて、破顔一笑の態である。心、気分が、人間を豹変させるの典型例である。←へへへ、私の出番など、一切不要の雰囲気である。

 娘の話を聞くと、嫁に行くとの事である。好きな男が出来て、所帯を持つ。好い事である。兄妹の仲は、好い。それなりに、話し合い・連絡が取れて居る様で、宜しい限りである。連絡の無い事は、無事な事である。自分で稼いで独立した子供達に、親が一々出しゃばる事も有るまい。目出度し、めでたしで良かろう。

 世の中的に云えば、真にドライな親子・家庭関係に映るかも知れないが、オヤジの日常は、ブログを見れば、一目瞭然の身近な点検とも言える。もう既に、一個の独立した人間の存在なのであるから、自分を持って、普通に世間を歩いて行けば、それで好かろう。

 吾が倅にして見ても、以心伝心の親子の情愛で、此処に足を運んで呉れて居るのである。

「おぅ、そうだ。これ、夢奇譚の短編を印刷ファイルして置いた。俺の人生観の元なんかをサラリと打って置いたから、何かの足しにしてくれや。
 興味が有れば、その先の枝葉を自分なりに考えて行ってくれれば好いさ。人生は長いんだ。自分の色を付け加えて行ってくれや。
 力を抜いて、自然体で生きて行ってくれれば、面白い妄想世界にも遊べるわね。但し、人間、土の匂いを失くしちゃ、お終ぇよ。分かるなぁ、アハハ。」

 女房の所を回って帰るとの事である。女房へのメッセージを頼んで、味付け煮込み茹で卵と、自作特辛味噌を持たせて、倅夫婦の車を見送りに外に出る。

 嫁さん曰く。
「お父さんのブログ見て、ダンナ、もう優しいから、気が気じゃ無くて、これで、孫孝行、親孝行が出来て、安心して帰れるもの。お父さん、大変でしょうけど、頑張って下さいね。」

 倅曰く。
「オヤジ、気難しい婆ちゃんで疲れるだろうけど、婆ちゃんの面倒見れるのは、オヤジだけだからね。辛いだろうけど、我慢してや。倅だから、オヤジの気持ちは手に取る様に分かって居るからね。男だからね。頑張るしか無いからね。アハハハ。この位の事しか出来ないけど、悪いねぇ。」

 オヤジ曰く。
「おお、アリガトさんよ。婆っさには、お前が恋人さね。これで婆さんも、当分長生き出来るわさ。世に限りの無いお努めなんて物は、一切無いからな。
 今日は、弟、倅が来てくれて、何か、役割分担が出来たんだろうが、一気に疲れが出ちまった気分だわさ。婆さんは、大喜び何だろうけど、<コッチは、緊張が取れて、安心疲れだぜや。ニャロメ!!>ってぇ事はさ、普段、気が付かないだけで、介護は重負担って事だわな。こりぁ、大変なお努めだわな。」

 倅曰く。
「アハハ、分かる分かる。何にも言わなくても、オヤジの顔に、そう描いてあるわ。こればっかりは、回り合わせでしょうがないもんね。
 小さい頃は、おっかないオヤジに善悪だけを躾けられて、こんな歳に為っても、オヤジが演じて見せてくれるんだから、オヤジは、そこんじょそこいらには、絶対に居ない教育者って物さね。スケベひっ包めて、正しく<諏訪の御柱>だいね。」

 オヤジ曰く。
「おいおい、お前さん、凄い事を言う様になったわな。ヤッパ、<大器晩成型>なのかね。倅ながら、大したもんだわさ。」

 倅曰く。
「あいあい、そうだんね。離れて暮らしても、俺はオヤジの通信教育を毎日、ブログ受講してるぜね。時々、打ってあるじゃ無いのさ。<オヤジは、お袋に俺を残し、俺には倅を残してくれた。タヌキ親爺の百年の計に嵌められちゃった。>ってさ。
 へへへ。まぁ、お互いR家の人間だから、しょうがないせ。」

 いやはや、秋晴れの青空に吹く風に、倅ファミリーをお見送りした次第ではあるが、倅も歳と経験を積み重ねて、サラリと話を交換出来るまでに来たのである。これは、親子の第二ステージ、男と男の話交換の面白きステージへの踏み入れ時期なのであろう。

     はいはい、オヤジの眠る霊園方向に向かって、敬礼の段である。


心何処ーショート ヤッパ、コーヒータイムは楽しい物である。
       ヤッパ、コーヒー・タイムは楽しい物である。(10/15/11)
 朝方、凄さまじいばかりの雨の叩き付けに、ガバリと起き上がり、軒下の切り干し蒸かしイモを取り入れる。市販の干しイモは、仄かな甘みが好きな味ではあるが、兎に角、歯にネチャ付くから、縄文人の歯にはチト願い下げの食感なのである。

 然しながら、イカの一夜干しもある処であるからして、昨年、老母への蒸かしイモの残りを干して見た処、半乾きのイモは、男族の食感にも合う事を『発見』したのである。

 そんな事で、個人スーパーで小物のサツマイモがあると、時間があるから、お遊びをしている次第である。栗も茹でて、軒下のザルで乾燥させて、夜のオヤツにしている次第である。硬く干からびた渋皮付きの小栗も、奥歯で磨り潰して居ると、唾液と上手く混じり合って、小学生の頃に、山間部の友達が、オヤツとしてポケットに入れて居た栗の味が彷彿と蘇り、重宝して居る処でもある。

 私の妄想世界では、インドネシアはボルネオ島のオラウータン怪人、貧民生活実態からすれば、兎に角、歯応えのある物が好物であるから、紛れも無く縄文人のDNA旺盛なロートルなのである。

 大騒がせ野郎の馬鹿雨は、一時の叩き付けで止んで仕舞った。今にも振りそうな灰色の雲に覆われて、風もあるが、些か、ムッとする生暖かさである。朝食後の母倅のお茶飲みをして居ると、Tからのお誘い電話である。

     へへへ、本日は、スタバコーヒーの添え物を持参するとしよう。

 外で、Tの車を持つ事にする。家の中に居るより、外の方が暖かい。上に一枚着込んで、失敗したと云う物である。車のドアを開けると、娘さんのお土産なのだろう。缶入りカリン糖の差し入れである。車に乗り込んで、自家製特辛味噌の第二段仕込みを味見させる。

 第一段仕込みは効を奏したので、好い加減男の私は、第二段では大量に唐辛子をぶち込んで仕舞ったのである。余りの酷さに、辛味の馴染みに冷蔵庫で寝かせて居たのである。Tは韓国おネェちゃん好みで、言う事に事欠いて、俺の前世は韓国人と抜かす<韓国料理の辛味に舌鼓を打つ男>である。いざと為ったら、Tへの丸投げを考えて居た。それでも、長い腐れ縁であるから、無責任丸投げでは、吾が良心が痛む処でもある。

 従って、製造責任者の務めとして、それを食べ始め、一応、一瓶食べても身体に変調が無いから、本日のプレゼントとした処である。イッヒッヒ!! 判定や如何に~ってなものである。

 小瓶の蓋を開けて、小指の端でスィッと味噌を取って、口に入れるTである。

「おっ、美味く出来て居るじゃないか。おぉ~、辛ぇ~。R、唐辛子全部、ぶち込んだんだろう。やいやい、こりぁ、オカズなんか要らんぜや。飯が無いと行けんわさ。
 おぅ、堪らん!! 口中、ピリッピリッするぜや。幾ら何でも、入れ過ぎだぜや~。あい~。」

 ハンドルを握りながら、文句を言って居たTではあるが・・・

「やぁ~、オイさんは、才能あるじゃないの。頭から汗出たけど、後がスッキリしてる。中々の技師じゃないの。こりぁ、好い物貰ったぜや。サンキューさんよ。」

 スタバコーヒー二階席で、私は切りイモの半干しと煮込み茹で卵を出して、コーヒータイムである。Tは冬に為ると、婆さんにと言って、焼き芋を差し入れて来るのであるから、サツマイモが<隠れた好物>なのであろう。私としては、へへへの段である。

「アナタも遣りますなぁ。スイスイとあれだけの分量打っちゃうんだから、一種の才能だわな。お前さん特有の旅行記タッチで、打ってあるもんなぁ~。面白かったぞ。
 夢奇譚を読んでニヤニヤでさ。どんなコメントが来るか、楽しみに待ってるんだけど、可哀想に来ないねぇ。骨折り損の草臥れ儲けって事かいねぇ~。アハハハ。」

「俺も、首を長くして待って居るんだけど、俺のブログは人気が無いんだろうね。それでも、『』コメさんとひまじんさんからコメントがあったわね。まぁ、ゼロと二つの間には、無限大の差があるんだから、良しとしなくちゃ、シャー無いですわ。拍手だけでも恩の字だわね、へへへ。

 これは、斜向かい吟さん用に、独立させて印刷した物だけど、20枚だから、内容は兎も角として、立派な短編分量だわね。それで、これが昨日描いた原画だいね。如何だい、白人中年女を尋問して居るオラウータン怪人の味が良く出てるズラ。あい、」

「まぁまぁ、毎度の事ながら、顔が見えない事を好い事に、抜けシャーシャーとお絵描き遊びをしてるってもんだぜや。この股間の顔は、えらい控え目に描いてるじゃないのさ。」

「何を言ってるだいね。<罪を憎んで、人を憎まず>の図だんね。ドロボーの罪を咎める赤い目とは裏腹の股間の穏やかさなんざぁ、<立派なお天道様のお白州の図>じゃないのさ。

 普通だったら、下心に獣性の『諏訪の御柱状態』だぜや。家に帰って、とっくりと再読しておくれや。デカイ声じゃ言えないけどさ、俺だって、それなりにストーリーの神髄に従って、挿絵を描いてるんだわさ。イッヒッヒ~。」

 こんな戯け交換をして居ると、女店長さんのお目見えである。早速、手招きをして、戯けギャラリーの公開である。

 私は、普段が普段の閉じ籠り女日照りの<人恋しさの毎日>であるから、羞恥心など、遠の昔に、完全に風化させたロートル動物である。一枚一枚、懇切丁寧に、微に入り細に入り、ご説明申し上げるから、Tの野郎は、壁に背を預けて顔をクシャクシャにして、笑い転げて居る。

 私にした処で、マイギャラリーファイルを捲る度に、女店長さんの視線の先が、どの辺りを捉えて、注がれて居るかをチラッ、チラッと観賞させて頂くのが、実に面白い観察なのである。ギャハハ~。

 これを称して、描き手、説明者が相手側からの頂戴する<反対給付>と云うのである。人間社会は、<袖摺り合うも、他生の縁。> 決して無視の片務行為じゃ面白くはありませぬ。双務行為こそが、人間の<気分解しの一コマ>でも有りまする。

 私と女店長さんの遣り取りを見て、目から涙も零さんの域のTを見て居ると、私の方がTにバトンタッチをして、大いに笑い転げたいのが正直な感想である。

 一回、割愛して仕舞ったヤクザもどき、好色ロートルのコーヒースタバでの語らいは、無くては為らない貴重なお時間である。本日も長々と、打って仕舞いました。さて、夕飯前の散歩に出掛けて参りまする。コメント頂戴よぉ~・・・トホホに御座る。


心何処ーショート 老母も元気、リラックス致しましょうぞ。
       老母も元気、リラックス致しましょうぞ。(10/14/11)
 朝の内は、お天道さんが輝いていたが、すっかり曇天風が吹いて来て、落ち葉が落ちて、カサカサ鳴っている。寒い風であるから、窓・戸を閉めて来る。

 玄関鳥には、好い季節なのだろうか。朝からブンチャカ・ブンチャカと囀って居る。若オスは、完全にオスの囀りを物にして、頭部の羽毛を逆立て、止まり木の上で体を左右・前後に動かして、尾羽を振り振り、オスの君臨振りを見せている。

 昨日辺りから、老母も体調が戻って来て、テレビを相手に戯け倅の一人漫才をニコニコして見て居る次第である。ゴミ出しの時には、久し振りに近くの川で、ラジオを聞きながら釣り糸を垂れて遊んでみるか・・・の思いが有ったのだが、きっと、午後からは雨が降りそうな気配である。

 夢奇譚を読み直して、加筆をして、20頁の短編として完成させる。完成品は、斜向かい色白吟さんが読む処であるから、お仲間男の<話のタネ>とする部分を、数か所膨らませてある寸法なのである。

 偶には、短編などと、邪な考えが頭を擡げて来る物である。多少なりとも云え、物語風短編を打つと為れば、それなりの構想を描いて置かないと、文字が続かないのである。大体は、それが頓挫して仕舞うから、物に為らない結果なのである。
 今回は、そんな反省も在って、久し振りに何か纏まった物を残して置くかと云う気持ちが有った。過去域・現在域・妄想域を、一部・二部・三部の構成で、描く事が出来たら面白いと考えた次第である。

 一部の南洋バカンス風景を描写して、人間の付き合いの様を過去域として表現する。二部として、一人の人間の内部・内面を一人語りとして表現して見る。三部としては、白人中年女を登場させて、日頃の妄想戯けのアガタ節として明るく締め括る。

 作者の私としては、二部が物語の中核を為す部分で在って、幾つかの感想の中に、私の感性、思考観、人生観、世界観の様な物を描いて見た処である。二部に現れた外行動・仲間行動が第一部の描写であり、妄想行動が第三部の描写なのである。内核を持った外見の
人間行動とは、一部の如くして、内心の遊びとしては三部の様相を併せ持っているのが、即ち人間の姿なのではないか・・・との思いから描き上げた物である。

 然しながら、全くの妄想域の産物とは云え、好みの白人女を登場させる為には、少々の停滞時があった。幾ら夢奇譚と云っても、出来の悪い私が外国語ペラペラでは、余りに酷過ぎるストーリー展開と為って仕舞う。はい、就寝時に二日ほど、無い頭を彼是と巡らした次第でありまする。翻訳テレパシィなる口実を思い付いた途端に、日頃の妄想装置がON致しまして、後は素地の儘の言いたい放題の結末に漕ぎ着けたのでありまする。

 へへへ、寒風訪れる寂しい四畳半であるから、久し振りに若鳥籠を窓辺に置いているのではあるが、オスの変な囀りに目を遣れば、ニャロメ~!!である。何時覚えたのか知らぬが、年上メスに飛び乗って、交尾をしているでは無いか。いやはや、恐れ入谷の早さである。

 さてさて、字足らずでありまするから。加筆部分を、一応載せて置きましょうかね。

 <第二部後段、加筆部>
 私は、この頃では、この小さな異次元世界を、嘗ての夢として居たロバの背に揺られての乞食坊主の流離と比較して、この世界の方が物臭の私に合って居るのでは無いか・・・そんな気分に浸る事も多くなって来た。
 まぁ、私の目下の心配事と云えば、なるべく火を使わない事位である。木材・火に頼り過ぎた人類の失敗の数々は、アカバ杉のヨルダン、インダス文明のドラヴィダ人、ユカタン半島のマヤ文明、イースター島の不毛・無人化と、自然の再生産を無視した森林伐採は、しばしば<人類の放逐>をしている処でもあるそうな。こんなちっぽけな島で、便利の火を浪費してしまえば、それは遅かれ早かれ、島の死を招くだけである。

 <第三部終段、加筆部>
 男と女の性器の違いにも困った物である。股閉じ正面の身体は、古来ギリシャの彫刻、中世絵画の裸婦画に現れる美の対象かも知れぬが、四つん這い作業では、真にエゲツ無くもヒワイな<陸アワビ>の様である。
彼女にして見ても、同様の感想を持って居るに違い無かろうが、これも避けて通れぬ現実と云うべきか・・・ 性器の誇張に体毛を消滅させてプライベートゾーンと為して、<プライベート性宴>を進化発展させて来たのが、人類の歴史なのである。

 先祖帰りをして、全身毛むくじゃらの身体に為って仕舞っては、如何にもむさ苦しい限りである。此処は、<過ぎたるは、及ざりし。>・・・人間、理性・観賞の動物であるからして、ニヤリ笑って、見過ごすしか無い日常なのである。へへへ。

 夜を軽くスケッチすれば、

 以上、夢奇譚のあとがき、並びに加筆の段でありまする。イッヒッヒ!!


 さて、夢奇譚の挿絵二枚で有りまする。挿絵を思い付いたのが、少々遅過ぎまして、本日は二枚で有りまする。


             南洋小島   お天道様のお白州

          南洋小島  お天道様のお白州


心何処ーショート 本日は、覚悟召されよ。
            本日は、覚悟召されよ。(10/13/11)

 昨日は、夢奇譚三部の残りを打ち上げて、<さぁ、保存。>と、遣り終えた満足感も、打ち増した2頁弱の物が、保存されて居なかったのであるから、目の前がクラクラして仕舞った。夕食後、気を取り直して下書きも、メモも無い記憶一本槍の悪足掻きを完了させた次第である。

 其処へ持って来て、本日は早朝の資源物出しの早起きである。起きて仕舞ったのであるから、中断された眠りをそう易々と続行出来る訳でも無い。老母の朝食には何時間も有る。

 やれやれ、斯く為る上は、二畳の小部屋PCに向かって、文章校正をするしかあるまい。朝食後は風呂に入って、温まった身体で一気に墜落睡眠が良かろう。

 完了した<夢奇譚・南洋小島にて>は、有る事無い事、出任せの硬軟取り混ぜた一部、二部、三部構成の全19枚である。

 へへへ、打ち上げるのも根性、読むのも根性で有りまする。日頃のアガタ節内核の炸裂と行きますれば、見っけ物。途中で訪問者様に逃げられたら、単なる草臥れ儲けでありまする。

 パスして素通り、覗いて、入って、清読するも、各者各様、木戸銭は一切不要で御座りまする。本日は、覚悟召されよ!!

 さあ、前置きはこの位に致しまして、夢奇譚・二部、三部の一挙大公開で有りまする。


          夢奇譚・南洋の小島にて・・・第二部

               <感想・その1>
 海洋空想小説とか映画の中では、漂着者はナイフで木に日を刻んだり、洞窟の壁に印を付けるのが定番である。逆境、絶望の淵でも孤独と困難に立ち向かって、不屈の精神・闘争心で、己が文明復帰の日を頑強に願い続けるのが、ストーリーの御膳立てなのではあるが・・・・ 彼等ヒーローと比べると、丸で私は意気地の無い男である。

 然しながら、定年後の私の夢の一つには、しばしばロバに乗って、異国の山村を流離って、乞食坊主の野垂れ死の願望がある。執着心の無い処が、私の小さい頃からの性向なのであろうが、こんなズボラな性向が、現在の私の<心の安定>には、少なからず繋がって居るのでは無いだろうかと、考えている次第なのである。

 絶えず、全神経を集めてセカセカするのは、真に性に合わないのである。私の理想としては、精神疲労は金属疲労にも通じる処でもあるからして、此処一番の時だけの集中、その後は鈍感に振る舞って、マイタイムの自由時間を持つが一番好い人生の過ごし方なのである。
 私の様に大した能力も無く、根がナマクラな凡人が、謹厳実直・努力の人を真似た処で、<大した成果など、手中にする事も叶わず。>であるから、端から先頭から距離を置くのが、凡人の生き方に一番近いのでは無いだろうか、と考えて居る男である。

 振り返れば、成る様にしか成らないのが、この世の大半の定めなのである。気苦労・足掻きの素たる<堂々巡りの思案橋思考>は絶対に御免蒙りたいと云うのが、私の生き方の本態の様であった。どうせ考えるのなら、負担の少ない無責任な分野が丁度好い。そうなれば、妄想に遊ぶのが、私の省エネスタイルなのである。

 従って、そんな次第なのであるから、ロビンソン氏の様なシリアスな島の生活感が湧いて来ないのであろう。云って見れば、異国を流離い生きる<野垂れ死にストーリー>が、とんでもないタイミングで、吾が身に降り掛かって来たと云った処なのであろう。定年後の乞食坊主の流離には、色々と夢の加工・育成もしていたのであるが、ご存知の様に、これは、突然に襲って来た大椿事なのである。

私にして見れば、これは全くの<運命の不意打ち>としか表現のしようも無かろう。これは、正しく以って、フザケ遣がって、フザケ遣がって、血も涙も無い大災難なのである。

 然しながら、どんなに喚き散らそうが、木霊すら帰って来ない南洋にポコリと浮いているチッポケな小島と海の広がりの中に、一人取り残された様な、自分の存在が在るだけなのである。

 私は無一文にして、『底辺人間の生活』すら脳内スケッチも叶わないし、乞食流離いの徒然を文字にスケッチするノートパソコンの用意も無い。ノートパソコン以前の『紙と鉛筆』すら無い。

 これでは、無い無い尽しの儘の<異次元放逐>の様(ザマ)なのである。私の乗るロバと、最低限の身の回りの荷物を背負うロバの購入代として、それなりの貯えをする心算だったのだが、・・・・・ 幾ら、気の弱い私だって、吾が身に襲い掛かった災難に対しては、神も仏もあった物じゃないと嘆き悲しんでは見たものの、こんな異次元世界では神仏の加護も期待出来ない状況であるし、私は無神論者で通して来たのであるから、この期に及んで、今更、虫の好過ぎる困った時にだけのご加護を頼る『浅はかさ』は、持ち合わせては居ないのである。

 尤もこれは、負け惜しみしか言えない真実なのではあるが、せめてもの<私のプライド>なのである。

現代貨幣経済の<蚊帳の外>に放り出されてしまった事態には違いないが、私には真に奇妙な落ち着きが有るのも、確かな処なのである。私は幼少の頃より、お天道様の信望者なのである。きっと、此処は異次元空間には違いなかろうが、誰にも気兼ね無く、世話にも為らずに、日々を送れると云うのは、『有難いお天道様のお計らい』に違いあるまいと、この頃では考えて居るのである。

 私としては、お天道様と云うのは、<お天道様が絶えず見て居る>と云われる如く、自身の内なる動機・行動・結果すらもお見通しの存在=良心への働きと嘘を見抜かれてしまう天の目の様な存在であり、天の存在は、宇宙であり、地球の自然であり、自然現象の大本を支配するエネルギーなのであろう。銀河系宇宙にあっては、その象徴は太陽なのである。従って、生命ある物に存在する動かすエネルギーの根底には、天意が作用して居るのであろうから、それに従うまでの事である。

 私は宗教には全く疎い人間ではあるが、宗教には偶像崇拝云々の考え方が存在して居る。人間は、外的視覚と内的思覚を併せ持つ。視覚からすれば象徴としての偶像を造るのが人間だろうし、思覚に肉体と精神の優劣を求めれば、精神の優位性を求める立場からすれば、其処には偶像否定するのが、一方の人間と云わざるを得まい。

 私は妄想趣味はあるが、思考、思想者では無い。突き詰めて結論を目指そうなどと云う大儀な事は、面倒臭いと考える人間である。両者に対して、それが如何に真理に近いなどと云う思考・思索の旅など一切興味の無い処である。お互いに一理あると思えば、結論としてそれで好いとする側の人間である。月並みにいえば、好い加減な男でしか無いのである。

 太陽が在り、月が在り、星星が在る。青空、雲、雨が在る。海が在り、川が在り、湖が在る。大陸が在り、列島が在り、島々が在る。山が在り、谷が在る。鉱物、植物、動物が在り、それらが生活をしている。
 詰まりは視覚の世界から、思覚を頂戴して居るのである。従って、私の様な物臭者には、お天道様信仰だけで、感じて、思い、考え、知れば、頭の痛くなる様な高邁な経典など不要と云って好かろうし、現にそれで心の安定を得て居るのであるから、己が能力の有限さを以って、足るの諦観の態なのである。

 さて、食住足りて、考える余裕が出て来るに従って、考えれば考えるほど、この異次元の世界には、命と精神を長らえる事の出来る<環境が提供>されて居ると考えた方が、何かと辻褄が合うのであるから・・・真に以て、不思議なのである。 

                 <感想、その2>
 一見、この何ヶ月間、私が色々工夫して来た幾つもの試みと、それらの成功は、過程と結果を結び付けて<セット>されて居るとの感想が、しばしば生まれて来るのである。それに思考と観察を加えて見ると、こうなるのかも知れぬ。
<セットされて居る>と考えれば、其処には目に見えない『大い為る力の作用』と考えるしか納得出来ない『意志の力』を感じてしまう次第なのである。神・仏・お天道様の存在を、その<大い為る意志>と考えて、消去法で考えれば、残るのは『お天道様の存在』しか残らないのである。

 成る様にしか成らない・・・<諦観にも似た、この精神の均衡感>は、正直、不思議な感情にして、考えである。精神の均衡感は、如何したものか、焦りとか自問自答の中で、自らが自らを傷付けない方向に進むから、『無駄な事への思考停止の作用』を齎(もたら)せているのである。変な話ではあるが、何か<居心地の良さ>さえも運んで来ている。そんな奇妙な生活と精神の均衡感が、私の中には在るのである。

 これはひょっとすると、生物が原初的に持っている<生きる為の慣性>とも云えなくは無い感覚???なのかも知れないのである。

 人間と云う動物は、何にでも『擬人化』を働かせてしまうから、ヤレ、弱肉強食制のサバイバルの野生とか、生死の壮絶な戦いなどと、緊張感を焚き付けて、妙な感心ばかりをしている。それは、丸で入場券を払って、高みの見物を決め込んで<格闘技>に声援を送って居るだけの観覧料の支払いを免罪符として、一切の責任を負わないし、そもそも、その気すら有しない『事なかれ主義者の傲慢さ』にも似て居る。

<生きる為の慣性>と云う言葉に従うならば、生きて居るから、生きて居る。生きて居るから、食糧・飲料を求めて狩りをして、流離う。多くのものから、生命の活源を得て生きる。命を落とせば、自分の肉体は他の生物の生命の活源に供される。全ては、その連鎖の中で、『運任せ』と云っても、それほど大きな誤りの無い大回転、中回転、小回転の<己が命の軌跡>を記すだけの事では無いだろうか。

 映画やドラマじゃあるまいし、人間、四六時中、意志旺盛に有意識行動ばかりして居ては、早晩、疲労困憊で発狂してしまうのが、その結果であろう。
 オドオドして安全パイばかりを取捨選択して、物陰にばかり隠れて居ては、水も食料にも有り付けないのである。警戒は安全上の鎧ではあろうが、警戒の解除が無ければ、食べる事も休むことも出来まい。群れを作って、その群れの中で、役割分担の分業化を確立したくても、一個の単体であっては、遅かれ早かれ、<運の網>に掛かって終うのは、避ける事の出来ない必然の模様でしかあるまい。

 生物が運命の只中に在ると考えれば、シンプル・イズ・マイライフ、ケ・セラセラで、生物の原初に帰るしかあるまい。

 生きて居るから、生きて居る。生きて居るから、腹が空く。腹が空けば、食糧確保に動き、食糧の安定・確実を思えば、栽培・貯蔵に頭を動かす。食糧・水確保が定型化して来れば、其処には定時、定周期の行動が生まれ、それが日々の労働に繋がる。定時・定周期の労働が習慣化された処に、安定と云う<生きる為の慣性>が発生する。

 私は、この頃では、この小さな異次元世界を、嘗ての夢として居たロバの背に揺られての乞食坊主の流離と比較して、この世界の方が物臭の私に合って居るのでは無いか・・・そんな気分に浸る事も多くなって来た。

 前置き、説明が、こんなにも多くなってしまったが、私の執着心の無さが、ロビンソン・クルーソー氏の様に、年月を刻まない理由なのである。タイプの違う人間が、何も異タイプを真似る必要も無かろう。云って見れば、還暦を過ぎた男の、これはオマケの人生なのであるから。

 それでは、私がこの世界を、何故<異次元との世界>と考え始めたかを、打って置きましょうかね。本日は、用足しに云って来たから、時間は十分にあるからして・・・

 これは、第一部に出て来る事ではあるが、私は必死に為って、海辺を徘徊した時の感じである。驚いた事に浜には一個足りと云えども、人工物の漂着が無かった。そのショックである。云うまでも無く、地球は七つの海に連なって、海は地球海岸の隅々にまで漂流する一個の生き物なのである。
 現代は、膨大な化石燃料から作り出される人工物の文明と云っても過言では無かろう。それが、自然物の漂着は幾つもあっても、一個だに存在しないと云うのは、<論理の断絶>を指す。これこそが、『不思議の連続』の正体であり、異次元世界の証拠の始めであった。

 私が次に驚いたのが、スコール溜めの代用品として捜し歩いたプラスチック容器、ビニール片は皆無であったのに、大きなウミガメの甲羅を幾つも見付けた幸運である。島内部への探索で、私は池を見付けて、その周辺の平坦地にバナナ、果樹、食べられる葉物植物、何かと応用の利く竹林を見付ける事が出来た幸運は、今に為って考えると、<出来過ぎている、用意されて居る。>としか言い様も無い。

 そう考えれば、此処にも、何か見えない『大いなる意志が作用して居る』との思いが湧き上がって来るのである。

ウミガメの甲羅は、現実としてこの浜辺での数日の滞在仕事の飲料水溜めとして、重用されて居るのである。甲繋を繋ぐパイプは、当然の如く半割にした竹であるし、水筒代わりに、竹筒を携帯して居る処でもあるし、竹の鋭利な切り口は、土の耕し道具にも使って居る。そして何よりも、シュノーケル漁法では、魚体を貫通させるモリ、ヤスである。

 それと、もう一つ、確信は無い処なのではあるが・・・ 何かの存在に監視されて居る妙な気分に為る事がある・・・

               <南洋小島にて、・・・第三部>

                  <その1、足跡>
 私が、砂に人間の足跡を見付けたのは、それから間の無い時期であった。足形は私の物より一回り小さかった。それは、裸足の足跡である。足跡の周辺の浜辺には、案の定、一切の漂着物は無かった。その足跡はジャングルの中に、消えて居た。

             私は、念の為に、手槍と弓矢を作った。

 シュノーケルを首に垂らし、脛にサバイバルナイフの入ったケース、肩には弓、背には数本の矢、手には竹槍。漂着時に履いていた海パンなど、既に擦り切れ、破れて、私の姿は全裸でしか無い。勿論ビーチサンダルなど海パンより先に、無くなってしまって居るから、裸足である。
 頭頂部は禿頭ではあるが、その周りの頭髪は伸び放題。それに髭はゴマ塩のカール髭で覆われて居る。全身南洋の太陽に焼かれ晒されて、地の色すらも消滅して、赤銅色の体色である。

 これで、ペニスケースでも付けたら、間違いなくパプアニューギニアの未開の徒である。最低限、褌でもすれば、<集落追われの孤高の徒>で、辛うじて人間の様には為るだろうが、生憎、この島には哺乳類も蛇も居ないのであるから、前隠しの褌の材料すら叶わない環境なのである。

 場所が場所だけに、ケースを装着して、男の象徴・ペニスを誇示する必要も無く、今では、すっかり使用出番も無く、尿路の末端物にして、走る時は、ブランブランと振り子を為して、その根元に鎮座する<過敏為る銀杏玉>などは、乱打されることもあり、困った一物に後退して居るのが実態である。
 乳房の無い男族としては、嘗ては、女族の乳バンドを無用の装身具と考えては居たが、それが必要性から生まれた物と、考えを改めた次第である。それでも、此処には競争が無いから、生死を賭けて全力疾走をしなければ為らない場面は無い。従って、二足歩行の全裸動物であっても、一向に気に為らない処なのであった。

 然しながら、一切姿を現わして居ない人間に対して、私は警戒心を呼び起こされて居る。

 気配を感じる事は時々あっても、気配に怯えてばかりいては仕事に為らないのである。ちっぽけな小島ではあるが、食糧調達は、生きる為の日課である。気配に殺気を感じないのが、幸いな処なのである。
 島内部の池周辺が私の主エリアにして、浜は漁労と干しの作業場である。一週間の内、4~5日を主エリアで過ごし、2~3日を浜で過ごすのが、固定して来た私の週間サイクルなのである。主エリアを留守にする2~3日の内に、食糧が激減して居るのである。

              これは、明らかに人間の仕業である。

                 <その2、足跡の正体>
 そんな事が、二週間ほど続いた頃である。私の前を、逃げて行く中年白人女の姿を目撃したのは!!

「こら~、ドロボー女!! 逃げるなぁ~。こら~、待たんか~。」

 白人女は、食物を抱え込んで、キャーキャーと高音の金切り声では無く、ギャツとかウォーとか、ヒィーとか、中音域の引き攣った声を張り上げて逃げて行く。

 まぁ、私としたら、見えぬ正体が、白人中年女と分かった以上、不気味感も恐怖感もすっ飛んでしまった。本当に怒っている訳では無いのは、勿論の事である。人間に会えたと云う歓喜の声なのである。

 私の歓喜の心情、声と金切り声モドキの追いかけっこは、追う余裕と逃げる恐怖のコラボレーションって処である。

    実際問題、そんなに長い時間は要しなかったのが、事実であった。

 私はこの異次元世界の立派な先住者である。従って、ちっぽけな島の地理に明るい。それに、メタボの身体は、遠に環境順応型にブラシアップが出来て居るから、動きも敏捷さが加わっているし、スタミナの面でも、長距離ランナーなのである。

 年の頃は、50前後だろうか、弛んだ日焼けの胸部、腹部が、スタミナ切れで波打っている。ビキニ水着の境からは、白い肌が見える。差し詰め、彼女もショート・バカンスの最中に、大異変で、この異次元世界に放擲された口なのであろう。

私とて人の子であるから、異人種だろうが、何だろうが、人恋しの日々であったのである。卒倒して、ショック死 などされてしまっては、一生の不覚に為って終う。私は、彼女のスタミナ切れの喘ぎを見て、もう逃げる体力も無かろうと、距離を置いて彼女の前に、背筋を伸ばして胡坐掻きで対した。

 一応、格好付けはしたものの・・・幾つか、英単語を頭の中で探すが、それもアホらしい。どうせ、此処は異次元の世界なのである。日本人であるから、三船敏郎さんスタイルで十分である。私にも奇妙な感覚なのである。余裕綽々(しゃくしゃく)の狩人の心境は、コミアゲテ来るお笑いを必死に堪えて居る大人の幼児への甚振りにも似て居る。斯様にして、私は<下衆根性>の持ち主なのである。笑いを押さえて、深呼吸の段である。下腹に力を貯めて、低音ボイスで先ずは、エッヘンの落ち着きである。

「おい、其処の女!! 何処の国の女か知らんが、ソコモトも文明人であろう。断りも無く、他人の物を掠め取るのは、『泥棒』では無いか。恥を知れ。私は、皇紀2671年を誇る日の本の住人アガタ・リョウである。

 西暦1948年の産である。困った時はお互いさまが、吾が祖国日本の人間関係・文化である。また、日本には、罪を憎んで人を憎まずの協調の精神風土もある。従って、有事・生死の作法を適用して、一切、ソコモトの行為は咎めない。

 因って、国籍、生まれ年、生命を名乗れ!! 文明、国民の程度は、ソコモトの受け答え、態度を以って、判断する。心して答えよ。返答や、如何に!!」

 へへ、誰も見ちゃ居らんのである。どうせ、白人女に高尚な日本語も通じる訳も無いのであるからして、これも、先住者の見栄にして、御愛嬌の三下活用である。ギャハハ!!

 ナヌ・・・ そうじぁあるまい!! 彼女は、日本語が分かるのか!! 私同様に、胡坐を掻いて、背筋をピンと伸ばして口を開いた。そして、機関銃の一斉掃射の捲くし立てである。

「abcdefg qwertyu uioplkjhg fdsazxcvb nmjhuyq・・・・・・:;lkjhgfd mnbvcxzq qdgptmcoan」

 これは何と云う異次元振りか、彼女の言葉は、一切分らぬが彼女の喋った通りの事が、頭にビンビン響き渡るのであるから、私は、赤恥物である。

 彼女曰く。

「あら、そう。ご丁寧な自己紹介だ事。笑わせないでよ。あなた、ロートル日本人らしいけど、あなた自分の姿を鏡で見た事があるの。何処から見ても、ボルネオ島に生息するオラウータンその物じゃないのよ。文明人が全裸は無いでしょう。レディの前で、前も隠さないと云うエチケット違反こそ、恥なさい!! 

 冗談じゃないわよ。あなたが人間だったから良かったものの、野獣の前に、下手に姿を見られたら、私なんかは、食べられちゃうって、恐怖、恐怖、そのもの日々だったわよ。

 チャールス・ヘストンの猿の惑星に迷い込んだと思って、余りの絶望感に、泣いたら、見付かって串刺しにされて、人間バーベキューにされてしまうと思って、じっと隠れて、様子を窺って居たのよ。たかが、小魚の干物と野生フルーツ、池の水を飲んだからと云って、殺されるくらい追い掛け回されて、死んだら如何するのよ。冗談じゃないわよ。フン!!

 単純動物のシンプルな行動パターンが、分かって来て、化け物の居ない内に、食糧の調達をしたまでの事よ。私は、1960年生まれのポーランド人よ。ポーランドと日本は、浅からぬ関係を持っているから、オハヨウ、コンニチワくらいの日本語は知って居るわよ。

  水を頂戴よ。オラウータン野獣に、食い殺される恐怖で、喉がカラカラだわ。」

 白人中年女の開き直り口上に、私は、目を白黒させて、竹筒の水を差し出す。女は、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み込んで行く。

「ああ、一息着けたわ。此処は、誰も居ない無人島でしょう。泣いても笑っても、私達は二人限だもの。いがみ合っても仕方ないでしょう。仲良くしましょう。私の名前は、007、ロシアから愛を込めてのダニエラ・ビアンキよ。」

★★・・・これは、参った。私の何倍も喋る女である事か!!・・・迂闊に言葉を出したら、西洋白人女の口数には抵抗出来まい。馬鹿女が、言うに事欠いて、俺はボルネオのオラウータン、猿の惑星の猿は無かんべさ~。

お前さんだけ、金髪美女様のダニエラ・ビアンキさんかいな。俺だって頭をスキンヘッドに剃り上げて、髭を当たれば、ユル・ブリンナー、ブルース・ウィルスにだって変身出来るぞや。ったく、開き直りも甚だしい女族根性だわい。呆れて、物も言えんわな。これがレディファーストの悪弊なんだろう。
 
 フン、馬鹿野郎が~。お早う、コンニチワを知って居て、『アリガトウ』を知らぬ筈は無かろうぜ。捕虜の分際で、アリガトウの<謝辞>を先ず述べるのが、文明人の礼儀であろうが。この三言葉は、云って見りゃ、協調国家・大和民族の三言の仁義だわさ。何がレディの前のエチケットじゃい。笑わせるんじ無ぇや。日本じゃ、屁で茶を沸かすって云うんじゃい。アホくさ。

 知ってて、知らん振りをするとは、全く太ぇ白人オバタリアンだぜや。減らず口封鎖に、テメェ~、フン縛って、テゴメにして呉れっか。

遺憾いかん・・・娯楽の無い無人島で焼けぼっくりに、火が付いて、味を覚えられたら、相手は締まり薄き、メラニン色素の欠乏白人種である。こっちの方が体力負けして、顎を出してしまっては、スグサマ、この白人女の下男にされてしまう。男は、我慢の意志力じゃい。目三角、引き攣りが無くなったら、中々の美人さんでは無いか・・・

 まぁ、レディファストの西洋文化人と思えば、オバタリアンの<女の強がり>だろう。まぁ、此処は寛容の精神を一応、発揮して置きまするかな。

 左様であるか、然すれば、丁度私とは一周り下のネズミ歳では無いか。顔も頭も悪くは無いから、お申し出は、渡りに船でもある。仲良くするしか有るまい。へへへ。

 どうやら、この異次元世界にも内心の自由は保障されているらしい。言葉を発しない以上、異種言語間には、翻訳機能が働かない様である。これは、面白いコントロール下にある異次元世界の様である。

☆☆・・・まぁ、よくよく見れば、落ち着いて穏やかな目をしているわね。顔の髭を剃ったら、意外とインテリで行儀の好い男かも知れない。日本人と云う処が、安心感が持てそうだわ。

 考えて見れば、私が喉の渇きも、空腹も乗り越えて来られたのも、この男のお陰だし、働き者・工夫を見ても、中々の頭脳の持ち主だと云うのは、十分観察出来たし・・・ 女一人の力じゃ、生きれないし・・・ 仕方が無いわね。

         状況が状況だから、女は、愛嬌よりも度胸だわね。

 まぁ、言葉に出して言わない以上、この異次元世界ではお互いの内心の思惑など、分からない処である。お互い、それなりに人生を重ねて来たのであるから、選択肢が無い以上、現状を把握して、握手協定を結んだ次第である。

 バナナの葉を重ね敷いた狭いシトネに、身を寄せ合って寝れば、弛緩した双丘の割れ目に、ペニスケース未装着のバナナとて、息を吹き返すのが男と女の夜と云う物である。魚心在れば、一方に水心在りと云うのが、これまた、自然の成り行きと云うものであろう。

          <その3、共同生活者の日常スケッチ>
 還暦を過ぎた男と閉経した女の共同生活である。してもしなくても、妊娠の不安も無ければ、異次元世界では、誰に責任を持つ必要も無くなってしまった。体話に気兼ねをする必要も無い。太陽の運行と共に日々を繰り返す生活である。

 主エリアのプランテーションも、共同作業によって収穫量を上げて居る。サンゴの海には、小振りではあるが、カラフルな魚が満ちて居る。私はシュノーケル漁をして、魚を蔦に止め海に浮かせて、次のサンゴの周りを漁をして回る。彼女は、それを集めてサバイバルナイフで、手際良く捌いて、サンゴの照り付ける浜辺に広げて行く。

 必要な分だけを取る漁であるから、一人が二人に増えたからと云って、大した仕事量では無いのである。魚の粗、内臓は、海鳥・フィンチ類が、脇で処理をしてくれる。

 保存用の干し魚が完成するまでの時間は、竹を薄く裂いて遣れば、彼女が器用に籠を編んで呉れる。私は、亀の甲羅を引きずって来て、中に塩水を入れて、少量の塩を持ち帰る。些細な事でも、気持ちを言葉に発すれば、異次元世界では、翻訳語がビンビンと響く。

 勿論、生まれも育ちも違う異人種間の男と女であるから、以心伝心が、そう簡単にはキャチボールが叶わないのであるから、何でもかんでも、言葉を掛け合う事にしているのであるから、漫才、そのものである。

 そうそう、レディ前の男のエチケットを偉そうに捲くし立てて居た彼女ではあったが、たかが掌サイズの<局所隠し>のビキニ水着など、遠に破れ擦り切れて、今や彼女は自毛の前貼りがあるだけで、私同様の全裸女の生活なのである。

            一応、夜を軽くスケッチすれば、

<嫌よ、嫌よも、好きの内。> カモン、マイダーリン・オラウータンの誘いに、突いても突いても、<糠に釘打ち。> 果て無き突きに見上げる夜空は、<イクラ色の三日月、半月、フルムーン。> お誘いパスするも、逃げるが勝ちの<東洋の対等>なり。

 こんな生活が何時まで続くのかは・・・此処は、一切、見通せない異次元世界の日々である。
     
    あなたなら、如何する。泣くの、笑うの、遣っちゃう
    あなたなら、如何する。突くの、逃げるの、死んじゃうの。

     あなたなら、如何する。この異次元世界。異次元世界。


                          夢奇譚・南洋小島にて。・・・完


         最後まで、お付き合い下されて、感謝感謝の極みでありまする。






心何処ーショート これも、日常為り。
              これも、日常為り。(10/12/11)
 一気に寒く為った物である。昨夜は堪らず、股引を履いて仕舞った次第である。履くと暖かくて楽なのであるが、これでは先の思い遣られる冬シーズンの越し方である。朝も、寝床の温りから出るのが、億劫に為る。少々早かったので、後30分の心算が、小一時間寝て仕舞った。面白い夢を見て居た。真に夢の荒唐無稽さであった。まぁ、これも何時か応用出来る面白さであるから、記憶に収納すべしである。

 ラジオを聞きながら、煙草を吹かして居ると、窓辺の雑木の葉の茂みの中に、ヒヨドリが一羽遣って来た。何ヵ月振りだろうか、葉蔭から、私の方を窺がっている。きっと冬の常連ヒヨドリに違いあるまい。いやはや、こんなヒヨドリの姿を見れば、今年の冬の訪れの速さは、確定したと云うべきであろう。微風に、葉の落ちるカサリの音を聞くと、出て仕舞うのが、秋の溜息でもある。

「コンニチワ~、ヤクルトで~す。元気にしてますか~。風邪引いて無いですか~。」

 へへへ、ヤクルトママさんは、顔を出さなくても、ポンポンとお声を掛けてくれるご性格である。玄関に複数人の気配である。今日は、お子さん連れかな? それにしても<声の出の高さ>が違う。子供だったら、低い位置から声がするのに。寒さで、私の耳道が衰えて来たのだろうか? 嗚呼、人間、歳は取りたくない物である。

「はいはい、分かりました~。チョイと待っておくれや。絵が一枚あるから~。」

 ファイルを持って玄関に行くと、何と、ヤクルトレディさんが二人立っている。

「おや、如何したの? 交代で引き継ぎかい? 可哀想に、嫌な人だから、大変でしょう。」

「おほほ、何言ってるんですか。私、嫌な女じゃありませんよ。交代じゃ有りません。今度一緒に★地区と○地区を、私と一緒に遣ってくれる事になった☆☆さんですよ。」

「あっ、そう。そりぁ、お初にお目に掛ります。先ずはご挨拶ですね。安心したわね。俺は気が弱いから、てっきり<セクハラ被害で退職>かと寂しく為っちゃったんだけどさ。そうかいそうかい、じゃ、これからもドサクサに紛れて手を握らせて貰えるって事だわね。ギャハハ。」

「ホントに、隙を見せると、直ぐこうなんだから。行儀良くしないと、お仕置きですよ。冗談は、ここまでで、今日は、ちょっと商品の説明させて貰いますね。」

      商品説明の段は、省略させて頂く事にして・・・・・

「新人さん、畏(かしこ)まる事は無いわね。絵でも見てましょ。真面目過ぎると、早や死にしちゃうわね。あい。」

 新人さんは、丸顔の日焼け、中肉中背ママさんであるが、落ち着いた感じの女性である。ヤクルトママさんは、色白小顔・スラリタイプであるから、好い対照である。歳の頃は、同年齢なのであろう。職場の先輩後輩と云うよりも、ママ友がヤクルト・ユニホームを着て居ると云った感じである。

 絵が面白くて、とても好い雰囲気を持っているから、驚きだと言われる。非常にハキハキとしたお母さんタイプの女性である。へへへ、中々にして迫力がある。左様であるか・・・絵が好きなら、もう一冊お見せするとしようか。

 我々団塊世代と違って、現代子育て真っ最中の女性は、男女の敷居・境が取れて、意思表示がはっきりして居る。こんな処が、現代風で、好色ロートルには、軽口がポンポンと出て来て、面白い限りなのである。
 ファイル中の自画像は、私そっくりだと笑っている。どの絵が似て居ると訊くと、童話ターニャ・ストーリーの差し絵とした空に浮かぶ山賊顔・海賊顔オヤジを指差すのであるから、トホホの限りである。

 こんな事であったら、無精髭を剃って置くべきであった。然りとて、カンナ予備群ママさん二人の感想には、ロートル一人では荷が重い。コケにされても、ニョショウの前では、頬が緩むのが、男と云う物である。

 色んな絵があるから、何枚か貰って行って、子供に見せたいとの<お世辞>まで頂戴して仕舞った。原画を進呈するのは何かと不都合なので、インターネットをして居るかと訊ねると、しているとの事である。

 為らば、私のブログのマイギャラリーのカテゴリーの中には、200枚以上の絵が収納されて居るから、好きな物を選んでコピーすれば好かろう。そんな事で、ブログ名をメモしてお渡しした次第である。

 さてさてと、思わぬお遊びの時間を持つ事も出来た故、賄い夫に移行致しましょうかね。

 買い物後は、夢奇譚の第三部の打ち足しである。頑張らなくちゃ行けませんやね。


心何処ーショート さぁ、鞭打って、一発打ちまするかな。
         さぁ、鞭打って一発、打ちまするかな。(10/11/11)
 さてさて、夢奇譚の第二部を大方打ち込んで、A-4四枚とした処ではあるが、次なる展開を考えて妄想構想に布団に潜って、昨昨夜の続きでサンド・ミュージックの第二部を見ている内に、すっかり寝入って仕舞った。

 妄想は、幼少の頃より得意分野であったから、大体のストーリー骨子は出来て居るのだが、母の解しお時間に時間を割かれている。用足しを一つ遣って来たから、日誌の方が未だ手付かずの態である。斯く為る上は、散歩をサボって打つしかあるまい。

 ラジオからは、東北大震災の仮設住宅の暖房仕様の事で、小生意気な言い訳解説が流れている。国会でも、ヤイのヤイのと国会議員さん達が、震災者の味方面をして政府に要求を突き付けて居たシーンが幾つもあった。こんな物は、解説以前の体感常識であろうが。

 気象情報は、漬け物にする程持って居るのが、国家と云う物であり、北から南まで細長く洋上に浮かぶのが、吾が日本国の在り様である。温暖地仕様、普通仕様、寒冷地仕様などの区分があるのは、普通に考えれば常識域でしかあるまい。それに、全国の選挙区から選出構成されているのが、国会議員の集団である。点検、思い入れは、事前加工も思いのままであった筈でしょうが、寒く為ってから、大騒ぎした処で、誰が有難がって、拍手などする物かってな物である。

 国会では被災地選出の議員が、国会質問に立ち、声を大きくして被災地情報を元に、政府の至らぬ処を、被災地視点に立って誇らしげにテレビに収まっている姿を見るに付け、こいつ等は笑止千万の体感度赤点組と見做して居た処である。馬っ鹿じゃないの!!

<何事も急がば回れ。>の二度手間、二度費用、手待ちの悪弊は、経験知・経験値の典型である。へへへ、俺なんざぁ、加工の四要素なんて事で、加工・運搬・停滞・検査なんて生意気講義をして居た事もあらぁね。こんな体たらく集団が、お題目唱えて、加工比率を上げようとしたって、一向に効果は上がりませんわね。国家財政逼迫の折りに、目立ちたがり屋のパフォーマンスをして、如何するんじゃい。戯けた口上を並べ立てるのも、好い加減にし遣がれってな物である。

 想定外、縦割り行政などと、言い訳口上、逃げ口上は巧いのであるが、其処に在る物は、赤点体感度と他人事の無関心さでしかあるまい。

 口先だけ、表情だけの関心度こそ、<下衆野郎共の口上実態>でしかあるまい。これが果たして、仕事を全うする人間の態度かと、軽蔑視している次第なのである。頭脳のバランスを欠いた<細物特化状況>は、正に目を覆いたくなるだけである。感じる、思う、考えるのは、天が人間に与えて下さった<脳味噌の基本中の基本>では無いだろうか。

 便利に為ればなるほど、自然と距離が拡大すればするだけ、人間の五感は衰退して行く。

 兎角、偉そうな、耳当たりの良いスマートな言葉を発して商売をする人間が、多くなり過ぎたものである。そんな人間の代表者にドジョウ総理が居られるのかも知れぬが、泥鰌と水底土壌の関連なども、確り認識されて日本の土壌改良をして行かないと、取り返しの付かない余の倣いを作って行くのであろうよ。
 何でもかんでも、金銭基準での費用対効果の事業仕分けでは、余りにも無機質過ぎませんかね。哲学・人生観・経験知・経験値の価値の割り振りすら出来ない脳味噌回路では、脳味噌の感じる、思う、考える『現場感覚』など生まれ様も無いではないか。

 五感と頭脳さえ健全為らば、人間は現象を感じ取り、施策に血の通った考えを導入出来る仕組みに為って居る『筈』なのではあるが・・・如何であろうか。

 地震学者の資料には、千年周期の大震災も検証されて居たのである。気象記録の積み上げは、裕に百何十年分も積み重ねられて居るのである。再度云えば、仮設住宅の仕様は普通仕様と、北海道を想定した寒冷地仕様の二種類との事である。

 仮設住宅の発注の時点で、カタログ仕様の欄も見ずに、発注して発注材が現地で組み立てられて行くのを監督業務として、巡回して回る人間の数が何人居たかは知らぬが、現地で生活する者として、それを通過させてしまう施政者の視点とは、一体如何なる五感、人生観、経験知、経験値の為せる処か、・・・それを考える人間の入り込む隙の無い行政体系・機構は、一体、如何云う構造に為って居るかが、最大の問題なのである。

 巨大行政機構の前に、生活者の五感が埋没・死滅して居ては、何の公僕機構か??? 

 言いたくは無いが、生意気面してヒューマン・エラーもなかんべさ。手前らの五感の無さ、脳味噌のアンバランスこそが、ヒューマン・エラーの権化でしょうが。何が東大教授様じゃい。馬鹿も休み休み、言っておくんなましってな物だわさ。

 まぁまぁ、そんな解説のBGMで、本日の戯け日誌を打つ事が出来たのであるから、御免なさいね。NHKさん並びに大先生様。他意は御座いません。思った事を打たせて貰っただけでありまする。ギャハハ。


心何処ーショート いや~、参りましたわね。
              いや~、参りましたわね。(10/10/11)
 体調の芳しく無い老母の気分・心解しに、時間を掛けて居る。日々老衰の進む母の気分を解し、会話に持ち込むまでが大変である。この数日、やれやれの気分である。

 昨日は体力が無くて、風呂に入れずこの三日程は、自分からは起きて来られない。漸く、本日は風呂入りが叶った次第である。来たるべきその日が、近付いて居るのを自覚して居るのだろう。親子で、心置きなく素直に話が出来た。

 その日が何時訪れるかは不明ではあるが、こう云った話は頭が確りして居る時に話し合って置いた方が、良いのである。話し合った気持ちが有れば、お互いに覚悟の基本線を持つ事が出来る。こんな穏やかな話し合いが出来た事に、私は母に感謝し、息子である事に誇りすら覚える。

                 好い話が出来た。

 伊達に女手一つで、男五人を育て上げた<並の女>では無い。私は、大泣きをするだろうが、母の穏やかな死に顔に後悔はしないだろう。

 そんな母の部屋の見れる二畳の小部屋で、夢奇譚の続きを打つ。血を分けた親子と云う者は、歳を取って来ると実に良く似て来る物である。言葉以上に、その表情、目の色で心の中を覗けるのであるから、凄い物である。

 私は決して文学的な男では無いが、・・・ きっと、命を繋いで行くと云うのは、こんな事を称して居るのだろう。感情・心が言葉に響いて、納得という<心の安らぎを共有>する関係が、近しい間柄には存在するのだろう。

 大袈裟に云えば、日本国民と云う言葉とて、ただ現存している現在の日本人だけに限定されて、表記されている訳では無かろう。親から子へ、孫へ・・・と何万年、何千年、何百年と営々と流れている<遺伝子の繋ぎ>に想いを馳せる不思議さと感謝を忘れたら、家族の絆も、民族、国民の絆も失われて終う筈であろう。

 言葉破壊が、殊に進む日本の現況には、閉じ籠り生活が続けば続くほど、感じられて仕舞う心境でもある。

 還暦を過ぎて、漸く世間様と何周遅れかで、此処まで来れたのであるから、吾が出来の悪さには、恥入るばかりである。

 こんな打ち方をして仕舞うと、近未来の事の様に深刻さを発信して仕舞うのではあるが、そんな事でも無いから、ご心配召されるな。老衰とは、こんな事の繰り返しの日々なのであろう。

<最後に母曰く。>
 昨日は、身体に悪寒が走って、痛んで眠れず、火葬場に連れて行かれ、父さん達が迎えに来た夢を見た。それで、こんな話をしたんだけど、恥ずかしながら、まだまだ生きて仕舞うかも知れないけど、親子だから、しょうがないよね。その時は、勘弁しておくれ。笑い話の足しにしておくれ。

<倅曰く。>
 あいあい、こんな話は、Tからオヤジさんの話で何度も聞いて居るから、恥ずかしがる事は無いわね。好いじゃ無いのさ。<婆死んで、思い出話残す。母の温りかな。>なんて、有難い句も在ったんじゃないのかい。へへへ。

<血行差した老母曰く。>
 何か、字数が多いんじゃないかい?

 と、指を数える95の老母である。

<倅、応えて曰く。>
 何をこきぁがる。そうかい、だったら下のかなを取りゃ好からずよ。う~ん、それでも駄目か。しゃねぇな。数合わせするわな。ババシンデ、ワライノコスハ、ソノヌクモリ。
 まぁ、字余り一つだけど、負けときましょや。ニャロメ、本当に可愛く無いねぇ。まぁ、まぁ、物は考え様だわさ。憎まれっ子、世に憚るで、当分長生きしておくれや。

 へへへ、秋の夕暮れは、呆気無く陽を落す物である。続編打ちは、仕切り直しとして、散歩にでも出掛けて参りましょうかね。


心何処・・・秋晴れ
             秋晴れに、誘われて。(10/10/11)                    

                    秋晴れ

                 秋晴れ

 素晴らしいお天気さんであるから、河川敷のベンチの上で、のんびりラジオを掛けて読書タイムと洒落込む。そよ風に適度な太陽さんの照り付けである。適温、眺望の広がり、空気の美味さは、正に気持ちの好さである。余りの気持ちの好さに、老眼鏡掛けの読書では真に勿体無い気分が生じて、カップにアメリカン・コーヒーを注いで来て、スケッチでもしようなどと云う気分に為って仕舞った。←柄にもないと嘲笑する勿れ。

 性格が奥ゆかしい性質であるから、私だけが外の空気に浸って居るのも気が引ける。ついでで有るから、玄関鳥も連れて来る。シジミチョウ、モンキチョウ、タテハチョウ、ベンチの縁には、赤とんぼも羽を休めに遣って来る。青い空には、一筋の飛行機雲が、グングン伸びている。

 対岸の河川敷には、母と娘の散歩姿も見えるし、老夫婦のゆっくり歩きも通って行く。散歩同伴の犬も、地面に置かれた鳥かごに、興味津津の鼻を動かして行く。

 秋の三連休の中日で有る。車の通りも少なく、長閑な秋のそよ風と拡がる青空の清々しさである。申し分の無いロケーションの中に居るのではあるが、不器用な男であるから、スケッチが儘為らぬ処である。
 然しながら、そんな事は如何でも良い事で有る。気分の好さを自然体で満喫するのが、お天気さんと時間の有効利用なのである。

 下手で不器用な絵には、色付けで誤魔化すのが一番である。青空のイメージが浮かび上がり、それが伝われば好しとすべき処である。

        さてさて、自室に戻り、色鉛筆で遊びましょうかね。

 へへへ、そんな経緯で描き上げたのが、本日の一枚で有りまする。文章を打つより疲れるお遊びで有りまする。山の端に掛る白雲と一直線の飛行機雲に青空の清々しさが、訪問者各位にお裾分け出来れば、ウッシッシの心境で有りまする。

心何処・・・夢奇譚。その一、南洋小島にて。
               夢奇譚。その1、南洋小島にて
  
                <1、海上の痛快感>

 夢とは奇譚なのであるから、そりぁ、もう、端から荒唐無稽な内容で好かろう。此処は、南洋のフィリピン国とやらの7500にも及ぶ小島の一つに、アイランド・ホッピングに向かう海上である。船の左右に剥げ落ちの目立つ白ペンキ塗りの竹フロートの付いた、現地の底の浅いバンカーボートに、並走して鏡の様な凪の海面をジェットバイクで、ブンブンすっ飛ばして居る最中である。

   兎に角、大気さえ安定していれば、午前中の海はたおやかにして優しい海である。

 白いサンゴの浜と椰子の緑の小島が、海にポコン、ポコンと浮かび、手漕ぎのカヌー漁舟、小さな帆掛け、船外機付きもあるのではあるが・・・そんな小舟が浮かぶ海でもある。

 アクセルから手を離し、それらの様を眺めれば、小舟の周辺で素潜り漁をする漁民達の頭が、波間に見えるし、小網を手繰る姿も見える。鏡面のたおやかな海の広がりの中で、進歩を止めた様な昔ながらの人と海の、穏やかな風景が其処には在る。

 静かな海上のバイク上で煙草に火を点けて、そんな風景を眺めて居れば、柄にも無く<人間の現代の進歩とは、何ぞや?>などと云う哲学的文明・文化論すら頭を過る処であるから、不思議な物である。

 大きな客船から見下ろす海では無く、海面から同位置で見る海のたおやかさは、小舟で漁をする人々と同じく、海に抱かれての『自然の恵み』の中に居る。・・・そんな気持がして来る。

 アクセルをスローにすれば、足元には揺らぐサンゴの海中が、過る魚影と共に手に取る様に見える。アクセルの弛緩も、コースも自由自在。太陽燦々と降り注ぐ海と、等間隔で白いシュークリーム状の積乱雲を空一面に、累々と伸ばしている青い空は、現実ではあるが、<これぞ非日常の壮快感、痛快>と云わずして、何の形容詞があろうかと云う物である。

 熱い日差しに水飛沫を挙げれば、エンジン音に驚いてコバルトブルーのトビウオ達(←日本のスパーなどで売られて居る物の1/3程度の小振りな奴である。)が、エンジン音にパニ喰って次から次へと、ジェットバイクの前方をジャンプして、左右に飛行して行く。その小さなコバルトブルーの飛翔は、翼・魚体に太陽光線が眩しく反射して、さながら低空飛行のハチドリのメタリックな輝きにも見える。

 バンカーボートとジェットバイクとでは、スピードが断然違う。バンカーボートを視界に捉えてさえ置けば、一切境界線の無いサンゴの海は、燦々と照り付ける灼熱の太陽であっても、海原の飛び散る水飛沫の爽快さあるのみである。

  ♪鏡の海に乗り出して、海は、たおやか。気持ちが好いな。
   トビウオ蹴散らかして、ソウリャ。
   浴びる飛沫にウァォ~。飛ばせ、飛ばせ、弾ける飛沫。

  ♪コバルトブルー、エメラルドグリーン、深浅の四十万。
   スピード飛ばせ飛ばせ、ワァ~オ。
   唸るエンジン音、原始の咆哮飛ばして、痛快、爽快。

  ♪格好付けにゼロターンの渦巻散らせて、渦の底からソォリァ。
   アクセル全開。ストレス発散。
   原始の咆哮、ギャァオに、ソ~ウリャの鞭打ちじゃい。

 何を叫ぼうが、此処は一切勝手の海の上である。歌が歌えたなら、俺ぁ、シンガーソングライターだべさ。海は広いな、大きいなじぁい。此処に満ちるは、言葉では表現出来ない開放感と原始の血潮である。分かりまするかな!!
 こんな所にまで日頃の常識観を持ち込んでいては、バカンス代の元は、絶対に取れ無いのである。働き蜂貧民が、拠出額の元を取るには、自然に任せて、<悪ガキ時代の馬鹿返り>するのが、異国のショートバカンスの鉄則である。

 ギャハハ~~。馬鹿に為り切れない皆さんは、本当に馬鹿ね~ってなものである。

            <2、アイランド・ホッピング散景>

 吾等、異邦人に非ずして、日本の不良中年・痴呆~人である。ジェットバイク三艇に跨るのは、相撲取りメタボのR、T、Mの出た処勝負の<番カラトリオ>である。行先は何度も行った旅行恒例の★島である。昼下がりの干潮に成れば、白いサンゴのビーチが半月刀に伸びて、浮かび上がったサンゴのビーチの其処彼処に、取り残された潮溜まりが続く。灼熱の太陽に海水は熱せられて、忽ちに海水風呂の温度にも為る。

 此処は島の離れ、突端に設けられた椰子の葉で屋根を葺いた、壁無しの吹き抜けのあずまや風の建物が、三つ建つだけの小さな観光スポットである。此処では、島の西が島民の暮らし場なのではあるが、引き潮に為れば、島の突端。満ち潮に為れば、格好の小島と為るバカンス・スポットである。

 そんな事で、島民が数人来て、バーベキューを提供してくれる。アイランド・ホッピングのツアーが二、三組あると、チップ目当てに、ギターを持った三人組が来て、歌を披露してくれる。また、漁民がカヌーの様な木船に乗って、獲れた魚介類を売りに来る仕組みに為って居る。ウニもサザエもエビ、魚も小振りではあるが、紛れも無く近場の海の幸である。

 豚肉の串焼き風照り焼きは美味いし、エビも美味い。焼き魚は、日本人であるから焼き過ぎの感で、モソモソとして美味くは無い、オニオンライス風チャーハンは、まぁまぁの口で、南洋フルーツは、ふんだんにして完熟の味がするから、文句無しで美味い。

 尤も、ビールをグイグイ飲んでいれば、もうもう・・・ 斜に構えた飽食日本人の<舌の出番>など無くなってしまうのが、落ちなのではあるが・・・開放感に空腹には、誰が何と云っても、シンプルで旬の物が、きっと一番美味い筈である。

 午後の干潮時に為れば、隣島までは、胸に浸かりながらも歩いて行ける遠浅の海である。シュノーケル遊泳をすれば、溺れる心配も無くサンゴのカラフル小魚探訪も出来る。遊び仲間達は、現地調達のフィリピーナをバイクに乗せたり、バナナボートを引っ張って転覆、転覆のキャー、キャー声の何処にでもある<南洋小島のバカンス風景>である。

 然しながら、帰りも我々トリオは、ジェットバイクの並走役である。午後の海は朝の海と違って、大波の連続であるから、大波をバウンドして帰らなければ為らない。波頭を荒々しく白い牙と化した山と谷の落差は、半端で無い。忽ちにして、股間の玉が乱打される。 
 そんな乱打防止には、持ち前の体力と闘争心で、腕と足の踏ん張りで堪えるしかないのである。

<行きは好い好い、帰りは恐い。>の心細さ以上の、胸突き八丁の海<急所連打>の帰路と云う事だってある。それに兎に角、南洋の島である。大スコールに見舞われる事なんかも、しばしばある。南洋の熱しられた水蒸気が、上空の冷気で冷やされて落下するのが、南洋のスコール野郎なのである。そりぁ~、完全に物理の世界であるから、『痛くて冷たい』のである。

  今時流行りの草食系男の軟な根性では、大波に抗する事は出来ないのである。

 周囲の波を眺め渡して、冷静に信号待ち為らぬ<波待ち>をして、ジグザグ運転をして行くのであるから、全身波の揺さ振りに遭って、唇ワナワナの冷たさである。そんな中に在って男たる者、武者震いと闘争心が無ければ、ハーバーには帰れないのである。へへへ、原始人並みのタフさが必要なのである。

 全てはお天道様任せの荒行で、<行きは好い好い、帰りは怖い>を知ってる処であるから、体力温存が肝要なのである。女遊びは、ホテルのベットの上でするのが、丁度良いのである。まぁまぁ、無礼講の不良中年様御一行は、昼夜を問わずのバイタリティの様であるから、観察者の私としては、恐れ入谷の鬼子母神、エロ母神様達である。

                  <3、天地動乱>

 そんな御一行様のショートバカンスの態を後目に、塩温泉に浸かって居ると、グラグラッと来た。腰を抜かしてオタオタいる内に、ドカーンと葛飾北斎並の盛り上がった海に呑み込まれた。

 ・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
 ・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

 気付いた時に、私は海に浮いていた。海に呑み込まれた刹那に、気を失っていたのだろう。一切記憶が無い処であった。眼前には、椰子の林にサンゴの白い浜が、波に洗われて居た。

 幸いな事に、五体は満足にして、痛みも無いからして怪我も無いのであろう。仲間は何処だろう。見渡すが、何も無い。静かな海と小島が、見えるだけの世界である。浮遊物も何一つ無い。青い空には、白いシュークリームの積乱雲が、累々と数を重ね、白い小振りの海鳥が舞って居る。地震とその巨大な津波からしたら、全く解せない静かな海と綺麗な海である。

 ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ 

  此処は、異次元の世界だろうか。折角、命拾いをしたのである。オタオタして見ても仕方が無い処である。幸い、首にはシュノーケル付きの水中メガネが下がって居る。これさえあれば、遠泳も叶う。泳ぎには自信があるから、バタバタ泳いで、体力消費の溺死では元の黙阿弥である。逸る気持ちをグッと深呼吸で呑み込んで、波に運ばれる様にゆっくりと泳いだ。

 足が底に着いた。これで、呼吸には心配が要らない。寄せる波に何度も、倒されながらも浜辺に立った。ヨロヨロと椰子の葉陰に倒れ込む様にして、私の意識は疲労と安心の底に落ちて行った。

 ・・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・

                 <4、南洋の真空スポット>

磯カニのモゾモゾ感に目を覚ました。体力の回復に、状況が明白に為って来た。暫くの間、置かれた状況に発狂したいほどの絶望感の中に居た。

 冷静に為れる訳が無いのであるが・・・ 私には、生きて居る事で、前進思考をするしか無いのであった。人間、生を受けた以上、何時かは死ぬのである。交通事故、病気で死ぬ事もある。自分の歳を考えれば、絶望に打ちひしがれて、ロビンソン・クルーソーさんの様な若さも無いのが、諦めの一助とも為ろう。

 此処は、雑学を頼りに、冷静判断するしか無いのである。持ち物はシュノーケルセット、サバイバルナイフとルーペがあるのみである。ルーペがあれば、火が起こせる。頑丈なナイフは、何かと道具を作れる。海中に食料を漁るには、格好のシュノーケルセットである。

 後は、水があるか否かである。小さな玩具の様な小島であるから、川など有る筈も無い。スコールの雨水を貯めるしか有るまい。此処は冷静に、三船敏郎とリー・マービンの『太平洋の地獄』を参考として、命を繋げて行くしかあるまい。

 当分は、サンゴの海に潜って魚突きで食料確保をするとして、難題は水の確保である。此処が異次元の世界で無ければ、21Cの御世であるから、海岸を探して行けば、ブラスチックの容器も打ち上げられている筈である。

 ラジオの戦時体験者の話によると、自分の小便を活用するのも、せいぜいが三回までとの事であった。それ以上は、小便古水が人体で濾過されずに、身体が拒絶反応を呈してしまう・・・そんな体験談を聞いた記憶がある。水さえあれば、人間は一ヶ月くらいは、生きられるとの事でもあった。水中メガネは、当面の器の代用とも為る貴重品である。

  何はともあれ、水分の保持が、直近の最重要課題である。全てをそれに費やした。

何んとか知恵を絞り数日して、スコール溜めの目途が立った。椰子の落実、磯カニから、小魚と最低限の食料と水で、島内部への探索を始めた。バナナの木、名前は知らぬが、食べられる果樹木を見付けたのが、最大の安心材料であった。

 兎も角、最大の命題・生命の維持は、クリア出来た。死地は脱したと言って好い。<大都会の孤独死>なんて言葉も盛る御世なのであるから、物は考え様である。

 小島の風景と五感を友に、心臓が動く間は、生きるしか方途は無いのが、私の<この現実>なのである。真面目に考えたら、発狂死するしか無い現実だろうが、此処は常夏の真空スポットの様な状況である。四季のある日本とは違って、衣服の心配も一切無かろう。

 深刻に考える事は、命取りにも通じる。極力、考えない事を、自分に言って聞かせる。

  然しながら、内心の自問自答は、誰もいない世界なのであるから、全て発散する事に決めた。淋しい思い、思った事、考えた事は、そのまま、言葉にして口に出した方が、精神安定にも一役買う筈である。そして、全てに話し掛ける事に決めた。これしか、無人島小島での、精神の慰めは無いのであるからして。

                 <5、漸くの余裕>

 食と寝床が確保出来ると、少なからず気持に余裕が出て来るのが、生き物の本能なのだろう。数週間で、島の模様が凡そ分かって来た。有難い事に、島の中央部には、小さな池があって、周りは平坦で小さなジャングル状態を呈して居る。

 南洋小島の雨季が始まるのだろうか・・・ 毎日、スコールが強くなる感じである。挿し木で十分根付くと云う南洋の実態を見て居るから、私にはルーペで火を起こす事も出来る。原始農業の焼畑を真似して、バナナなどの果樹を増やす事を思い立った。

何かをしなければ、人間は生きては行けないのである。食物を栽培する事は、生きる人間の知恵でもある。そして、食糧の保存方法を発見・進化させて来たのが、人類繁栄の基礎であったのである。幸い、此処には塩の元も太陽もある。

 深刻に考えれば、現代人が孤島でただ一人、生きて行ける精神の強靭さなど有ろう筈が無いのである。此処は原始の体細胞に立ち返って、動物的に生きるしか無いのである。新天地・食料を求めて、鹿が海を渡るシーンも、コドモドラゴンが海を渡るシーンも、テレビで見た事もある。

 状況の直視で孤島・孤独の囚人に陥れば、それは自殺行為でしか無い。孤独を絶望するよりも、人間の知恵で何か仕事を見出して、それに縋って生きる事しか有るまい。

 生きて居るから、生きて居る。生きて居るから、何かを見付けて、それを習慣化して一日を全うする。人間の知恵には、採取から始まって、保存、栽培の安定食料の確保の方途も知って居るのである。成る様にしか成らないのが、生物の必然なのかも知れぬ。

 唯一頭、海を渡った鹿、コドモドラゴンが、仲間恋しさに、血涙を流す訳も有るまい。生きる食料を得て、無人島に君臨するも好かろう。それしか、手立ては無いのである。

 斯様にして、私の孤島に於ける日課が始まった次第である。二畳にも満たないネグラも完成して、最低限の本拠地も完成した。海辺には、浜仕事の仮寝床も出来た。サンゴの浅海に潜って魚を突き、身を割いて干し、何日分かのタンパク質食糧を持ち帰ると云った具合だ。

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                 <6、成るしかあるまい>

 南洋小島の、それも箱庭の様な小さな島が四つ、半月状に並ぶ真空スポットの様な世界である。海鳥と島の先住者の小さなフィンチが二種類居るだけの、写真風景からすれば、小さなパラダイスの様な物である。

私の居る島と云っても、その大きさは、せいぜいがサイパンのマニャガハ島位の大きさである。他の三島は、真に小さく干潮時には、歩いて行ける程の環礁に続く椰子の浮島の様な心細さでしか無い。云って見れば、他の三島は、環礁主島のこの島の<離れ>の様な眺めである。従って、翼のある鳥達は、自由自在に四島を飛び回って一日を過ごしていると云った具合である。

 話し相手は居ないが、動く物、生命ある物が、身近にいると云うのは<精神の慰め>に為るし、私自身が生命の一種・一個に過ぎず、本質的には彼等と同位の存在と云う思いを齎せてくれる物でもある。加えて彼等にとっては、初めての人間との遭遇なのであるから、フィンチの好奇心旺盛な物は、私の肩に平気で止まる物まで居て、和ませてくれるのである。

 人間とは、衣食足りて礼節を知ると云う事ではあるが、現在の私としては、住食足りて、言葉訓練と云った処である。浜辺で、歌を歌い、サンゴの白い砂に字を書き、それを声に出して読む。浜の椰子林を、縄張りとするフィンチが直ぐ様、私を見付けて飛んで来る。

 熱い浜辺で、収穫した魚の腹を割き、開いて浜に干す。貝も大漁の時は、そうする。内臓には、海鳥が遣って来て、それらを啄んで行く。こんな時には、三船敏郎さんに倣って、蔦で蟹捕りのウケを作ったりの工作時間に当てたりして、海鳥からの日干し魚の番をして二日ほどを、浜で過ごして、島の本城に帰るのである。

 もう、彼是、数か月が経過して居るのだろうか・・・ 習慣が身に付けば、仕事の時間が短縮されて来るのが、<慣れの効果>である。目下の欲は、贅沢な願望ではあるが、粘土が是非とも欲しい処である。火が調達出来るから、縄文人の素焼の土器などを作れば、貯蔵には大いに役立つだろうし、幾ばくかの<創作の愉しみ>にあやかれる。煮炊き用の器が手に入れば、食事のバリエーションも違うのであろうが・・・ 然りとて、この島の歴史が、短過ぎるのであろう。せいぜいが、腐葉土の数㎝の表土でしか無い。

 従って、器と云えば椰子殻、貝殻を代用している。贅沢思考が頭を擡げれば、大津波の溺死を免れただけでも、文句も言えない処・・・そんな自戒を唱えるのが諦めと云う物である。普通に生きれる、この<天然の恵み>は、感謝すれこそ、絶望するには及ばないと云うべきである。

 還暦を過ぎてから、よもやこんな世界に一人放逐されるとは、夢想だにしていなかったのだが・・・ 運命の悪戯は、想像を絶するとしか云い様の無い処である。

 人間還暦を過ぎれば、周辺には他界した人なども、決して少なくは無い歳頃なのである。少なからず義務からの解放もある。これが成長期、家庭の稼ぎ役の時期で在ったのなら、こんな風に<運命に対して諦観>など決して起る筈も無い。人生60数年も重ねれば、生活の知恵も、それなりに蓄積されて来ている物である。

 勿論、私とて人の子であるから、T、M、無尽旅行のメンバーの安否が気に掛かる処なのではあるが、如何考えても、この世界は異次元世界の様である。どんな作用で、私が一人この異次元世界に放擲されてしまったかは知らぬが、異次元同士では、絶対に交信は出来ないのであるから、諦めるしか無いのである。

 この先、如何なる事やら、一切分らぬ展望ではあるが、生きて居る以上は、生きるしか無いのが現状にして、現実なのである。

 ☆あなたなら、どうする。泣くの、喚くの、死んじゃうの。あなたなら、どうする。

 へへへ、困りましたわね。私が異次元の世界で死に果てても、墓には入れない成り行きで御座りまする。不憫と思し召されるのなら、線香代わりに拍手など置いて行かれたし。

★追伸・・・本日、吾が親友Tは、娘さんの結婚式参加との事で、早朝より二人の孫を預かって、テンテコマイとの連絡ありで、土曜の主役Tの不在にて、急遽、打ち掛け<夢奇譚>の一文を打って見た次第でありまする。



心何処ーショート 親愛なるmaso♪様へ。
             親愛なるmaso♪様へ。(10/7/11)

 日々の賄い夫の徒然に、ブログを始めて四年である。今では、一日の核を為して居る処である。そんな中で、何人もの常連さんともブログお付き合いをさせて頂いている次第である。お互いに顔、声、字すらも知らないお付き合いなのに、もう親しい友人の様な感情さえ持って仕舞うのであるから、人間とは実に幸せな文明・文化を築いて来たと云う物であろう。

 こんな夢の様な世界を構築して下さったIT界の巨星が、急逝されたとの事である。感謝に堪えない<新文明の象徴>の死である。感謝とご冥福を祈る次第である。

 さて、話を戻しまする。そんなブログさんの中に、大阪の専業主婦様が居られる。彼女も、毎日更新のお方である。時空をワープするのがブログ世界なのであるからして、心情的には、正にご近所さんの様な親近感を持っている次第なのである。←へへへ、ブログで繋がる皆様、決して迷惑な顔をしては行けませんぞえ。

 彼女は、相当な頭脳の持ち主である。然しながら、彼女の打つ世界は、実に大阪人らしく徹底的に、<言葉遊びの世界を演じて居られる処>が、正に只者では無いのである。最初のコメントには、吾が老母のファンと云う始まりではあったが、吾がエロ戯けの文章にも、軽くアハハの共感を示して下さるのであるから、私にとっては、正に<後光の指すご存在>なのである。

 大雑把な吾がブログの読者比率から察する処、女性比率が男性比率より多いらしいが、そんな中に在って、彼女のコメントは、吾が顰蹙ブログ更新の大きなエールと為って居る次第である。

 嬉しい事に、前世では兄弟だったとの<暖かい母性の慈悲心>に励まされ、私なんぞは舞い上がって、『煽てられりゃ、木に登るロートル豚の素地丸出し』で、有る事無い事を日々投稿する高所にまで、上っている次第なのである。尤も、煽てられるのを良い事に、上った木から下を見れば、吾が身は高所恐怖症の性質故に、下りる事も叶わぬ体たらくなのである。

 そのお方の昨日の記事に、馬鹿、阿呆、戯けの記事が有った。その語源、言葉の伝播、語感から発する関東、関西の受け取り方の違いまでも、書かれて居て、浅学非才の私は、大いに勉強させて頂いた次第である。然しながら、これは飽く迄、表面上の事である。

 へへへ、私が一番興味深かったのは、普段、言葉遊びに徹して、ハチャメチャ振りを演じて居る、その根底に在る彼女の頭脳の良さなのである。真面目な事を発信する為には、普段の演技は障害に為るのであろう。語らずとも、出て終った<素顔の出来の良さ>に、ロートルオヤジのへへへが、ツイツイ出て終ったのである。

 こんなに楽しませて頂き、オマケに馬鹿、阿呆、戯けの有難い講義を受けたのであるから、先ずはお礼をしなければ、日本人では無いのである。前世兄弟の慈悲心に便乗させて頂いて、私の敬愛して止まない『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』の名著を世に残した赤松啓介先生も、関西のお人であった筈であるから、清水の舞台から飛び降りる覚悟でエロエロ知恵を絞って、コメントを差し上げた処、ご返礼に預かった。

 彼女特有の言葉遊びの端々に、ナニワのエロ露出坊主、南洋の無人島に、世界の美女離し飼い、ロバート・テイラーさんの逸物話やらが、軽く出て来て、いやはや、彼女の素地を物語る記憶力の良さに、ゲヘへの大笑いをして仕舞った次第なのである。

 以上、<雨女のささやかな願い☆> maso♪様への日頃のご愛顧に感謝しての、<煽てられりゃ木にも登り、高所恐怖症で下に下りれない好色戯け爺っさ>の謝辞でありまするぞえ。ギャハハ!!

 斯様にして、お互いは、顔、声、文字も知らぬブログ常連者同士ではあるが、言葉遊びの叶う御仁との遭遇は、心温まると同時に、同じ人間としてこの世に生を受け、同じ時代に同じ言語・文化・気質を共有出来る様は、真に以って、ウッシッシ、アッハハ、ギャハハ、トホホの大きな喜びでもある。

 お互い、顔・声・文字も知らない同士のブログ交流ではありまするが、これも何かのご縁でも有りまする。今後とも、宜しゅうお願い申し上げまする。


心何処ーショート これ、朝打ち為り。
                 これ、朝打ち為り。(10/6/11)
 いやはや、すっかり寒く為って仕舞った物である。雨は止んだものの、窓辺の雑木の葉にも黄葉がチラホラである。登校高校生の自転車姿には、マフラー巻きも通って行くのであるから、恐れ入って仕舞うの段である。

 これでは駆け足の初冬の訪れに為るかも知れぬ。雑木に葉が無く為れば、北国の使者・ジョービタキのメスが遣って来るのだろう。今年の気候は、春と秋の季節が殊に短い進みの様である。四季の風情が無く為って来ると、日本人の情緒感も薄まって来るのだろう。

 そう為ると、周囲に無関心な無機質日本が、益々蔓延して、面白味の掛ける日本・日本人に成り下がって行ってしまうのだろう。還暦を過ぎた団塊世代には、寂しい限りである。

 これでは益々、表層金太郎飴のテレビから離れて、ラジオ深夜便のゆったりした雰囲気を待つしかあるまい。隠居大学?のコーナーは、面白い。ミッキー・カーチス、山田太一さんの話は、どちらも好かった。下町言葉のミッキーさんの話には、大いに引きつけられた。山田さんと天野さんの路地裏の町・ナポリの洗濯物干しの話は、お互いのインテリ度が噛み合って、大人の雰囲気が良く出て居た。

 外見の印象は違うが、好奇心の塊、好きな事に熱中・没頭して、それらを物として仕舞う多彩・多才の器用さの発露は、加山雄三さんに良く似て居ると感心して仕舞った処である。信州弁で云う処のゴタさ、トボクレさ加減が、何んとも言えない親近さを運んで来る。

<朗らか饒舌型>の加山さんに、<即反応型のお茶目派>カーチスさんは、優劣付け難い『達人の域』である。加齢域は、こうでなくちゃ行けませんやね。話の引き出し役の天野さんも、適役である。
歌で言えば、小林旭さんの貫録と歌唱・味の濃さは、群を抜いて居る。皆さん、現役の70代である。へへへ、真に以って、壮健の金字塔の様なお方達である。人間の最大の魅力は、矢張りその人の味に在るのだろう。

 若い時分の角のある個性が、時の中で醸成されて『何んとも言えない味』に進むと云うのが、広く<生命ある物の魅力>なのであろう。
 
 嘗て、明大野球部監督の島岡さんが言って居られた様に、『人間力』の言葉が浮かぶ。言を進めれば、<人間力の完成域>とは、きっと、上記の諸先輩達の現在の姿なのであろう。そんな事を頂戴させて頂けるのが、ラジオ深夜便の好さなのである。へへへ、良い番組で有りまする。

 さてさて、未だ動きの無い老母ではあるが、朝の賄い夫をして上げましょうかね。


心何処ーショート 本日、雨含みのお天気さんである。
           本日、雨含みのお天気さんである。(10/5/11)
 おやおや、国会を遣っているではないか。民主党三人目の総理で、今や民主党政権には、何の期待も感じられない処である。総理も大臣も若過ぎるから、言葉数の多さばかりが前面に出て、肝心な処は、自民党時代の紋切逃げ口上だけは踏襲して居て、味の薄い政治家相の態で、拝聴すべき処が少ないのが、遣る瀬ない日本の政治状況である。

 説得力、説明責任は、ただ単に言葉数に比例する関係では無かろうに・・・ ウンザリの態である。リップサービスが過ぎると、聞いて居るだけで、その信憑性を疑って終うのが、<人間の天の邪鬼性>と云っても好かろう。

 本日は、午後から雨との予報でも有り、昨日の買い物時に渡された個人スーパーのチラシでは、安売りデーとの事でもある。安物漁りで、ストックでもして置こうかと、腰を上げると、老母曰く。

「まだ早いよ。店の方だって、用意があるだろう。品物が揃ってからの方が、落ちが無いよ。」

 と、武骨倅を見て、にこやかに述給う老母の言葉である。成る程、流石に<女の経験>である。真に以って、一理ある。理に適う事は、仰せに従うのが、吾が流儀である。へへへ。

 PC打ちを始めて終えば、中断は性に合わぬ。遣る事が有れば、それをして置いてマイタイムを、ロット纏めして遣るのが『効率への道』である。エンジンの掛らぬ内に、何かをして置こうとは思うのであるが、本日のお天気さんは、寒い灰色空の重たさである。

 昨日の夜散歩は、本日の雨を見越して、確り歩いて来たから、午前中の散歩にはズクが無い処である。ミッドナイト・シアターを前倒しにして、インターネットの無料クラシック映画を見ようかとも思うが・・・ 字幕スーパー無しの洋画は、どうも台詞時間が余って仕舞うから、余程単純なストーリーか、味の濃い男優、美人女優さんで無いと、時間が余って退屈で飽きて終うのである。斯様に、パントマイム理解と台詞観賞との違いは、大きな隔たりがある処である。

 表現を替えて、適当な例を試みれば、こんな説明も出来ようか・・・高校英語の授業でも、出来の悪い私なんぞは、直訳しか出来ないので、訳文は長く為る。然しながら、出来の良い者の手に掛ると、その訳は単純明快で、真にシンプルその物である。<何で、そう為るの?>ってな物で、成る程、言い当てて居る。単純明快である故を持って、前後左右に意訳の幅と深みが伝わって来るのであるから、大した物である。そんな出来の良い訳に、自分の不出来さに赤面するばかりなのである。

     これが、俗に云われる処の直訳と意訳の妙・差なのであろう。

 これは、同一教科書上の最低限の英単語を共有する関係での事である。それが、一切手掛かりの無い洋画の中では、直訳、意訳のプロセスなど『ゼロ』に等しいのであるから、ストーリー展開、状況を踏まえての役者の表情・動作を見て、<以心伝心の人間読み>をするしか無いのであるから、時間を持て余して仕舞うのは、必然の結果なのである。

「コンニチワ~。ヤクルトで~す。」
「あいあい、一寸待っておくれや~。言葉が逃げない内に、印を付けとくぜね。」

「今日は、絵ありますか~。」
「あいあい、一枚有るぜね。」

      へへへ、ヤクルトママさんは、ジャケット着である。

「如何したい、顔が浮腫んでるじゃないのさ。さては、昨日は寒くて、肉暖房ウハウハしたんでしょうが。」
「何ですか~、そんなに、ニヤニヤして見ないで下さいよ。してませ~ん。どれどれ、早速、見させて貰います。このメニーリバース・トゥ・クロスって何ですか?」

「これはさ、俺の訳だと、<渡るべき多くの川>だとか<越すべき多くの川>って事でさ。男と女が、一つに結ばれる為には、渡るべき、超えるべき川を幾つも渡って行かなくちゃ、一丁前の男女・夫婦・親には為れんって話だわね。まぁ、これはクラシック映画からの受け売りだけどさね。
 それを念頭に、この鳥籠のオス・メスの観察感想を絵にしたんだけどさね。こいつ等、出来が悪くて、籠の下から観察してる俺の胸中を絵にしたんだへさ。」

「それは、飼い主が悪いんです!!」

 ママさん、映画のストーリーを所望されるから、云々斯く斯くと映画の粗筋をご説明させて頂いた処である。

「ほぅ~、好いお話じゃないですか。Rさんのお話だから、この絵と同じで、エロい加工がプンプンしますけど、男と女が、夫婦に為って行く過程には、『渡るべき、越えるべき多くの川』があるんですよね。今、私は、その最中だから、何と無く分かりますよ。オホホ。」

「巧い事こいちゃって、ママさんの場合は、<乗せるべき、乗るべき多くの態位>ずらい。他人様の寝室を覗く心算は無いけど、あんまり励み過ぎると、風邪引くぜや。発汗後は、汗を拭いて、暖かくして寝ておくれや。ママさんの体は、亭主だけの物じゃないからね。主婦の身体、体調って事を忘れちゃ行けねぇよ。」

「ああ、それを言わなきゃ、Rさんは、尊敬しても良い好男子なのにねぇ~。スケベ!!」
「何を仰います事やら、俺からスケベを取ったら、何にも残りませんわね。ギャハハ!!」

 さてさてと。雨もポツリポツリと落ちて来た。安売りデーであるから、買い出しに行って参りましょうかね。
  

心何処ーショート ウチの修理屋さん?なり
              ウチの修理屋さん?為り(10/4/11)
 昨日の三面ニュースは、正に大笑いであった。夕方のテレビでも、それに触れて居たから、これまた二度笑いであった。見るからに立派な造りのお寺の住職さんが、袈裟着でバイクに乗って、自慢の逸物を女性に見せ付けて逮捕されたとの事である。

 家庭内、男と女の個室でのチン出しは、大いに結構。然しながら、<過ぎたるは、及ばざるが如し。>の典型でありまするぞえ。ギョギョ、ギョのギャハハ!!である。

 この御住職様は、そんな事を繰り返していたと云うのであるから、一度、ゆっくりとお寺のご本堂でお説話を聞いて見たい物である。粉う事無き『チン出し常習犯』なのではあろうが、仏法を説く坊さんが、それでは社会秩序の崩壊者である。従って、逮捕されても当たり前の沙汰である。

 毎日、読経をする坊主なのであるから、頭じゃ己のあるまじき性向・煩悩に苛まれて居たには違いあるまい。日課の読経に御仏の慈愛の効果が無かったのは、果たして如何なるご沙汰であろうか。心の無い読経に、お釈迦様が匙を投げられて仕舞ったのかも知れぬ。

 生臭坊主の、それが柵の檻を踏み越えて終うと、彼には想像・妄想を超えた別天地・新天地が拡がって見えて終ったのだろうか? 内為る悶々とした衝動も、清水の大舞台から飛び降りた途端に、スリルの開放感を手中にしてしまったのだろうか? 怖々が、何回か重ねる内に、その快感・面白さの虜に為って仕舞ったのだろうか?・・・ 人間の欲望・衝動と云う物の千差万別・強弱には、笑い事では済まされない<喜悲劇>が、眠って居ると云う事なのであろうか?

 こんな感想を打てば、紳士淑女様各位からは、罵詈雑言の大顰蹙買いを頂戴するのは、必定の事である。然しながら、私も男の端くれであるから、徳が高いのか毒が高いのかは、一切存じ上げない坊主さんの、そんな行動の動機に関しては、少なからぬ同調も出来る処なのである。内為る好奇の動機には同情もするが、動機を其の儘、実行に移して仕舞っては、社会の常識からは厳しく糾弾されて然るべき制裁である。

 尤も、こんな話はゴミにして捨てるほど、世の中には存在する処である。男が男相手に、そんな物を見せびらかしても、ニュースにも為らない。そんな事をしたら、『この馬鹿野郎』で、股間を蹴し上げられて、ジャイアント馬場さんの股間を抑えての悶絶姿でしかあるまい。
 
 吾が齢60数年の来し方を振り返れば、小学校時分から、変なおじさんのチン出し騒動は、耳にした処でもあるし、中学校では畑の中の<ポツネン中学校の立地>であったから、『センズリおじさん』の出没なんて話も、好く耳にした処でもある。加えて映画を見れば、洋画の中にも『マントおじさん』のシーンもあって、何処の国にも変な趣味を持った変態男が居る物だと、笑わせて貰って居た次第である。

 学校にも、そんな病質者が一人や二人居た物である。そうそう、そう云えば、小学校の同級生の中には、<チン出し馬鹿>が居て、クラスの女の子を追い回して居た奴も居た。  

 それでも、集団の調和と云うか、善悪の均衡の自然発生と云うか・・・クラスの中には姐御肌の女ボスが居て、『この馬鹿、スケベが、又、変な物出して、何やってんのよ!! そんなに見せたいのなら、見て遣ろうじゃ無いのさ。』なんて騒ぎで、反対に股間を蹴し上げられて、女共に寄って集っての、ボコスコに折檻されて居たシーンも覚えて居る処である。

 それでも少し間を置けば、彼は性懲りも無くチン出しを続行させて居たのであるから、<見せて好し、ボコスコ折檻されて好し。>の全く反省・進歩無しの態であった。私の目には、彼は完全に『病気』としか映らなかった次第である。

 相手が、キャア~、とかモジモジ、場合に依っては、目を吊り上げての罵詈雑言の連発を浴びる事に、<世にも稀なるチン出し男の快感>があるのであろう。従って、チン出し効果は、女を対象にしない限り成立しない『究極のセクハラ行為』なのであろう。人間が生きる現実の娑婆模様としては、善悪は別として<一定率>で引き起こされる事件なのであろう。

 チン出し男、盗撮男、全裸侵入男と、これらもオス生物の太古・原始時代から繋がるオス族の<デモンストレーション本能の遺伝子>と呼ぶべき部分があるのかも知れぬ。へへへ、実に困った遺伝子の勃発行為でありまする。吾が身の胸に手を当てて、深く身に住まう太古・原始の遺伝子に耳を傾ければ、他人事とは決して侮れないニュースの一端でもあった処でありまする。
 
 彼の18Cに活躍された『社会契約論』『エミール』でお馴染みの仏思想家ルソー先生にした処で、逸話としては講義の最中に、堂々と逸物を見せびらかして居たとの<大先生>なのである。チン出し大先生が、仏革命に大きな思想的影響を及ぼしたと云うのは、等しく教科書に載る処でもあるのだから、男の奇行だけで全人格を否定するのも、可哀想な気もする処なのではあるが・・・兎角、男共の淫行はヤリ玉に挙がるのは、タマ持ち動物の宿命かも知れませぬ。

  アジャジャ、とんでもない手の進みに為って仕舞った物である。遺憾いかん・・・

 朝食後、老母に電気毛布の不具合を見てくれとのリクエストを受けた。差し込み部分が、その構造からして、不可思議そのものである。使って居たのであるから、突起部分と溝部分は、すんなり勘合して居た筈なのに・・・摩訶不思議の左右入れ替わり状態を呈しているのである。<新しい物を買って来ようか>と云うと、お前に買って貰って、そんな使ってない物だから勿体無いとの仰せである。

 然すれば脱却防止の切り込みor突起を、差し込み溝を作るか、突起部分を除去するしか方法は無かろう。兎角、勿体無い世代の老母であるから、巧く行くか駄目かは別にして、老母のリクエストに応え遣るのが、倅の務めである。ニャロメ。

 差し込み部のプラスチックカヴァに、切り込みを入れてセットするが、通電しない。次なる手は、カヴァを開けて中の点検である。基盤がセットされて居るから、基盤不良か、

 一応、駄目元であるから、ハンダ付けの状態を見て、何処か動く所があるか、好い加減触りをして行く。

 ぐら付く個所が一か所ある。『此処かぁ~。』 中の明かりが付いた。シメシメである。

 カヴァを元通りにして、発熱を確かめると温まって来た。『お役目御免である。』

 片付けると、又、駄目に為って仕舞った。さてさて、<次のステップは?>と、素人の足掻きである。色々、遣って居ると、差し込みの所で、通電されたり不通である。これで、不具合個所が『特定』されたのであるから、半分は成功と云った処である。然しながら、今のコードは一体型であるから、脱線部分を切り取って繋ぎ込む事が出来ない。コードを買いに行くのも、面倒至極である。

 差し込み口を見付けて、線繋ぎの絶縁としてビニールテープを探せばOKである。色々、探し出して来て、差し込み口の繋ぎ替えをする。如何やら、逝かれた個所を繋ぎ替えれば、『1+1=2の世界』が、人間の考えた仕組みの世界なのであるから、一応修理が叶うのである。

               へへへ、修理完了である。

老母曰く、
「やっぱり、男の子だねぇ。トイレ、クロス張り、襖貼りと修理をするんだから、修理屋さんに為れるよ。大した物だ。電気は怖くて、女には出来ないからね。」

倅曰く、
「俺の苦手仕事だけど、成功して一安心だぜや。理屈で考えれば大凡の仕組みは分かるんだけど、嫌いな分野でさ。でも、考えた理屈が通らないと、男のコケンに関わるしさ。出来ないと、<俺はこんなに馬鹿だったか>と、ショックから立ち直れんしさ。男の見栄を維持するのも、大変だわね。困った物だわね。へへへ。」

 昨夜は、シーズン最低の冷え込みで、堪らず母は、電気毛布を出して来た物の、作動せずに靴下を履いて震えていたとの事である。一向に起きて来ない老母を起こしに行ったら、老母が布団の中で<凍死>して居たなんて事にでも為って居たら、それこそ<チン出し坊主>どころの騒ぎでは無いのである。

 さてさて、外は雲一つない秋晴れである。風呂に入って、散歩でもして来ましょうかね。


心何処ーショート 寒む風に、煙草吹かす定位置なり。
          寒む風に、煙草を吹かす定位置為り。(10/3/11)
 金魚の一匹、朱の流金で一番小さな奴が、『立ち魚』の様な垂直姿勢に為って仕舞った。そんな事で、昨日は水槽の水の入れ替えをしたのであるが、芳しく無い処である。種類の違いだろうか、大きく為らずに優雅な尾の拡がりを愛でて居る金魚さんなのではあるが、そんなヨロヨロの立ち姿を見て居ると可哀想に為って仕舞う。

 同部屋の彼等は、三年を超える金魚達ではあるが、体調不良は、私には手に負えない処である。お恥ずかしながら、<馬鹿の一つ覚え、命の水・川の水>を、様子を見ながら、横着補給するだけの『好い加減飼い』をしているだけなのである。

 吾が辺境ブログを訪問して下さるブログさんの中に、ランチュウ金魚の体調不良写真が掲載されて居た処ではあるが、その後の容態は、果たして如何なる事に為って居るのか、些か、気掛かりの処でもある。

 本日もお天道さんの輝きはある物の、すっかり寒く為って仕舞った10月の入りである。新籠を軒下に吊るしての、二畳小部屋での打ち掛け文章の続きを一打ちしてからの、四畳半定位置でのPC打ちを始めた処である。
 寒い風が吹いて、午前中の太陽の差し込みを失くした部屋は、寒い次第である。昨日の駆け込み日誌は、誤字・説明不足の処が散見されて、我ながら恥ずかしい次第であった。

   そんな事も手伝って、本日は、早目のブログ打ちにして居る次第である。

 ラジオからは、松本市在住のお便り常連さんが、『浅間温泉のたいまつ祭り』の便りを発して居られたが、夜散歩の折りに足を向ける事として・・・ 小・中・高と<たいまつ祭り>が全盛期の頃、担いで居た者の記憶と比較すると大層な様変わりで、大人しくなり過ぎたたいまつ祭りには、興味を失くして居る次第である。

 窓外では西向かいのオバさんが、コンパクトで新調した手押し車を押して、道を歩かれて居られる。昨日の水汲みの時に、言葉を交わしたから元気である。

 吾がお仕えする老母様と比較すれば、朝飯の時には、母と私の会話であるから、女優さんの顔よりも、ズボンの臀部をクローズアップして見せてくれやなどと、何時もの戯け感想を口に出して居ると、老母様に窘(たしら)められて仕舞った。

「お前、そんな事を世間様が聞いたら、よっぽど欲求不満の塊に見えるよ。」

 抜けシャーシャーと来たもんだ。何をこきぁがる。へへへ、誰も聞いちゃ居ないロートル親子の言いたい放題会話であるから、戯け倅も、言い返して遣った処である。

「馬鹿こいちゃ行けんわさ。俺ぁ、好みの顔じゃ無ぇから、このペチャパイ女優さんのセールスポイントは、スラリと伸びた脚の長さだけじゃないのさ。

 園芸番組で、折角、ズボンを履いて居るんだ。女優さんの長所に着目して、長所を褒めてるだけじゃないのさ。女も三十過ぎりゃ、痩せぎす女だって、体脂肪のマロ味が出て来て、<熟れ始めの柔らかさ>が出て来るんじゃい。云って見りゃ、褒め言葉だわさ。

 ほら、二の腕の肉付のぽっちゃり感が、何とも言えんでしょうが。女のマロ味は適度な体脂肪の纏いだんね。それを、言うに事欠いて、欲求不満の塊とは、とんでも無ぇ<思い違い>だわさ。それじゃ、観賞眼は発揮出来んわね。ムッツリ助平と比べりゃ、俺様なんざぁ、その純粋さを比べりゃ、月とスッポンの差だんね。これほど、正直・真っ当な女観賞者は居らんぞや。文句あっか!! 婆っさ。 ギャハハ~。」

「そうかい、そうかい。私も女だよ。そんなに女の悪口ばかり言ってると、その内に罰が当たるよ。
 こんなハンカクサイ息子の世話を受けるとは、知らなかった。こんなに長く生きるとは思っても居なかったよ。もっと、硬くて、真面目な子だと思っていたんだけどね。他所様へ行って、口を滑らせないでおくれよ。」

「あいあい、俺ぁ、とっくのとん間に罰が当たって、一人身だいね。人間の未来は、凡人にぁ、分からんぜね。俺だって、男の中の男と思っていたのにさ、今じゃ、しがねぇ男賄い夫の道だぜや。お互い、諦めるしか無ぇズラよ。アッハッハ!!

 俺にだって、世間体も見栄も有るから、相手を観察してから本音を喋ってるから、安心しておくれや。間違ったって、無駄鉄砲は撃ちはせんわね。変な噂をご近所さんに立てられて、通報されて、若いお巡りさんに、あらぬ職務尋問を受けて、精神病棟送りは、嫌だからね。イッヒッヒ。」

 そんな親子漫才を交わして居ると、軒下に吊るした籠の中では、あぶれメスが、黄色のプラスチック容器を巣として、番い鳥を追い掛け回して居る。今までは、二羽に苛められる一方であったのに、主従の座が激変して仕舞った。

 こりぁ、驚いた。窮鼠猫を咬むの例えで、抵抗して見れば、意外や意外で、己が闘争心の強さに君臨する女王なのかも知れぬ。

 へへへ、ジャニー・ギターの大砂塵の狂暴女様である。斯様にして、女の本性は、キツイのであろう。女日照りを全うして居る方が、男としては、心穏やかな日々を過ごせると云う有難い<お天道様のご啓示>かも知れぬ。

<妄想はナルイ夢を運び、現実は茨の道>かも知れぬでは御座らんか・・・ 老後の男道は、スケベ半分が肝要でありまする。スケベ男が、外国人出稼ぎニョショウの毒牙に掛って、生き血を啜られている様は、日本人の端くれとして、見聞するには余りある処がある。程ほどの距離間を持つのが、肝要でありまするぞえ。


心何処ーショート 一応、映画感想なり。
              一応、映画感想為り。(10/2/11)
 昨日と云っても、草木も眠る丑三つ時のインターネットでの映画見である。ジャニー・ギターの主題歌でお馴染みの西部劇<大砂塵>である。

 見たい見たいと思っては居たが、お恥ずかしながら、初めて見た処である。勿論、字幕無し、吹き替えなしのオリジナル映像である。そんな事で、私特有の好い加減さで、適当この上ない当てづっぽうでの筋読みで、専ら俳優さん達の表情・動作を見て居た。

 いやはや、これは凄い。男そっち抜けの女の意地と意地、増悪と憎悪の鞘当て、最後は女同士の決闘で終わる映画である。相手役の女が主役以上に、強烈な残忍さを発揮する<異常者>を演じ切って、凄まじいばかりの映画である。当然、そんな異常者と対峙する主演女優様であるから、その凄さも半端な物では無い。

 とてもじゃないが、主題歌・ジャニー・ギターの哀愁漂う調べとは違う。ストーリーとは、程遠い映画である。然しながら、真にインパクトの強い映画であった。いやはや、女の可愛さの欠片も無い豪傑女、憎まれたら、肉まで切り刻まれて終う程の残忍女である。こんな女性(ニョショウ)にとっ掴まったら、夢の中でも殺されて終う。←君子、危うきに近寄らずでありまするぞえ。

 その前に見た物は、アラン・ラッドの西部劇である。名作<シェーン>の後に作られた映画なのであろう。大分歳を召したアラン・ラッドが、聾唖者の息子とその愛犬を連れて、とある町の雑荷屋に立ち寄った処で、事件に巻き込まれる。野卑で粗暴・悪賢い羊牧場主親子に、裁判を仕掛けられて、未亡人農場主に助けられ、その農場で働く事に為る。
 作品の構成としては、シェーン同様の素朴で穏やかな生活が淡々と流れ、堪えに堪えたアラン・ラッドの拳銃が発車されると云うストーリーである。

 ←映画は、ヒット作に迎合して各社作られる物であるから、<ラッシー>、<子鹿物語>、<赤い子馬>などの映画と同時代の物かも知れない。ラッシーは、子役のエリザベス・テーラー、小鹿物語はグレゴリー・ペック、赤い子馬はロバート・ミッチャムである。アラン・ラッドさんも、シェーンの当時と比べると、大分お歳を召されて居た分、些か可哀想な気分を持って、観賞させて頂いた次第である。

 大砂塵を見た後に、何か他には無いかと探して居ると、私の好きなリー・バン・クリーフ主演のマカロニ・ウエスタンを見付け、ニンマリして見て居たから、もうもう、最後は朦朧の布団入りであった。←クリーフさんは、本国アメリカ西部劇では、脇のならず者役ばかりではあったが、イタリア・マカロニウェスタンでは、中年時の眼光鋭いアウトローの燻し銀演技を存分に活かし切って、スター役者とは、一味も二味も違った男の渋さと意地の魅力を花開かせて居た。文句無しに、捨て難い役者さんである。

 本日、日曜日で、水槽の水替えをした位で、のんびり構えて居たので、夕方に為って、本日は、何を打つか迷っていた処である。本当は、二畳小部屋で、呆け話をストーリー風に打ち始めて居たので、文章打ちに、疲れて終ったのである。当初の予定は、それを投稿しようとの魂胆だったのであるが・・・ まぁ、纏まった分量に為るまで、ボッチラ、ボッチラ討ち溜めて置いた方が良かろうの結論に達したのではあるが、ケツに火が付いて仕舞ったのが、本日分の打ち物なのである。

 まぁ、取り留めの無い、映画感想文と為って終ったが、これも続けて来た日課の一つである。

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