旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処・・・MRTC
                    MRTC

                 

 さて、本日分日誌の挿絵でありまする。絵の内容は、本日分を読んで頂ければ、すんなりと納得出来ましょう。一生懸命、スケッチに是、努めましたが、如何せん・・・生来の不器用さで有りまする。

 止まり木のスケッチが、如何にも上手く描けませんでした。決して他意を持って、描いた心算は御座いませんが、是、紳士淑女様各位の顰蹙買いも、私にとっての<渡るべき多くの川、越えるべき多くの川>と、心に確りと刻みつつ、戯け画修行を続けて行きたいと考えて居りまする。

 挿絵を見ながら、本文を読んで頂ければ、これほど正直な挿絵も無いかと思われまする。ギァハハ!!
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心何処ーショート 嗚呼、中途半端為り。
              嗚呼、中途半端なり。(9/30/11)
 下り坂のお天気とは云っていたが、朝は暑苦しさの中で、布団を蹴とばして障子、襖を開けての二度寝であった。強い風であるから、サッシを開けると煩い限りである。

 こんな日は、倅の私とて身体が重いのであるから、老母の身には堪えるお天気具合なのである。案の定、老母様は<山姥状態>で、昇降椅子に具合の悪そうな態でチョコンと身を預けて居る。そんな山姥状態を見てしまうと、幾ら親子の間とて、<触らぬ神に祟りなし>で逃げ出したくも為るのが、偽わざる人間の真情と云う物である。

 やれやれ、参りましたわね。へへへ、此処は、深呼吸。<短気は損気>を実践するのみである。然すれば、此処は倅の務めと諦め、ピエロに徹して、気分ほぐしから始めるしかあるまい・・・

 とほほの心境ながら、其処は<年の功の狸演技>である。朝の賄い夫と玄関鳥の世話をしながら、朝食を運ぶ。
 テレビを相手に、得意の女体感想を口に出しながら、老母の気分ほぐしである。言葉を交えれば、体調に向かう気分も、外に向かうと云う物である。<ほぐすとは、気分を分散する事と見付けたり>って処なんでしょうかね。

 11時過ぎまで、母の部屋でお茶を飲む。はいはい、これで一安心である。山姥状態から脱して貰えば、老母は可愛い物である。

 下り坂のお天気に、昨日、夜散歩をして置いて良かったと云う物である。毎日散歩が日課と為って居るから、体調不良で一日サボってしまうと、何かと体細胞が満足しないのである。
 斯様にして、習慣の中に居続けるのは、『然して、努力を要さない簡単さがある』のである。然しながら、それをサボって数日を経過してしまうと、根がナマクラ者に出来上がって居るから、億劫さが前面に出てしまう。正に、それが生身の人間には<厄介物>なのである。

 ナマクラ者には、<習慣の惰性に縋って日々を遣り過す>のが、一番の処方箋と云うべきであろう。これは、柵社会から卒業して、遅まきながらも到達した思いの一つである。

 新籠を持って、二畳の小部屋で過ごす事にする。軒下に鳥籠を吊るす。窓を開放して、ラジオを聞きながら、本日分のPC打ちを始める。私の据わり位置からは、母の部屋が見えるから安心である。軒下に吊るされた小籠は、風に揺られてブランコ状態ではあるが、小鳥達は太陽を浴びて、喜々として居る様子である。

 成熟メスと云うか、年増メスと云うかは分からぬが、囀りを物にしたばかりの若オスに、前傾姿勢の腰上げ、尾羽の水平小刻み運動。お次は<菊の御紋>周辺の羽毛を逆立たせての、メス主導の交尾誘導『デモンストレーション』である。私と籠の距離は、1mにも満たない至近距離である。

 こりゃ、好い加減に晒せ。女日照りの悶々生活者に毎朝、世話をして貰っている分際で、何も、俺様の眼前で<充血菊の御紋の振りかざし>も無かんべや。当て付けがましいにも、程があろうが・・・ とは言いつつも、私は好き者観察者である。

 ギャハハ、ザマァ見遣がれ、無垢な思春期の若オスには、お前さんの『全開充血口』など、まだまだ<驚愕の入り口>で、逃げられちゃって居るでは無いか。嗚呼、恥ずかしい。

 まぁまぁ、そんなに事を急ぐ事はありませんわね。神の造り給うたオスメスの世界じゃて、所詮、ありふれたオスメスの行為ですわね。隠してムードで誘う面倒衣服の人間界とは違って、ストレート一本槍の鳥界では御座らんか。事を急いては、淫乱メスの敬遠をされまするぞえ。

 俺様なんぞはさ、この前、ロバート・テイラー&エリノア・パーカーの<渡るべき多くの川=MRTC>の美男美女のアクション・ラブコメディを鑑賞したばかりであるからさ。押さば引け、引かば押せの男と女の珍道中=男と女が一つに結ばれる道程には、渡るべき、越えるべき多くの川が、待ち構えて居るのを知って居るのでアリンスよ。

 柔らか美人のエリノア様だって、事を急いて何度失敗したことか・・・ お前さん、幾ら年上強引女房とて、お前さんの容姿を鏡で見なされや。そんな一方的な三角眼で、年端も行かぬ少年亭主に、肉体の契りを強要してしまったら、女房恐怖症の刷り込みをして仕舞うだけでありまするぞえ。

 女房恐怖症が昂じて、女恐怖症に進展して仕舞ったら、それこそ、取り返しの付かない<種の絶滅の危険域>では御座らんか。グリム童話の森の魔法使いに因んで、じっくり性の満ちるのを待つのが、年長者の嗜みだんね。イッヒッヒ~。

  この馬鹿モンめが!! ←女日照りのヤッカミでありまする。・・・とほほ。

 長袖を着れば、些か暑く、脱げば涼し過ぎる。中途半端なお天気具合である。風呂にでも入って、雨の降らぬ内に、散歩でもして参りましょうかね。


心何処ーショート ヤッパ、外の空気は美味い。
             ヤッパ、外の空気は美味い。(9/29/11)
 今日までは、好い天気が続くとの事である。朝はケアマネのHさんの訪問を受けて、バタバタしてしまった。小鳥に関心のある彼女に、今度、鳥籠を持参したら、新番い鳥をプレゼントすると言った処である。

 朝飯の不足を干麺を茹でたら失敗して、その不味さに・・・とほほの段、頻りであった。昨日の一日グウタラ寝で、無精髭がザラザラの体たらくである。風呂を沸かして、顔・頭全体を剃って、シヤッキリする。食うに堪えない物を作って仕舞った反省から、夜は真面目に、美味い物を作らなければ男の名折れである。

 母に風呂を譲って、自転車で大手スーパーまで買い出しに行って来る。風呂上がりの身体に、何処までも清々しい初秋の青空と空気の美味さである事か。

 台風15号の大雨に依って、薙ぎ倒された葦の川原には、清楚で青々とした流れが、白い水飛沫を上げて居る。夏の射る刺々しさの無い陽光は、空の澄んだ青さの中で、霞んだ春の陽光とは異って、矢張り、透明感の清々しさがある。

 こんな時の鼻歌には、皆さんはどんな歌を口ずさむんでしょうかね。即興詩でも作って見ましょうかね。イッヒッヒ。

 ♪ウインド、ウインド、ヤッホー、ヤッホ~。スカート、スカート、靡かせて~。
  ペダル漕ぐは、夏の名残りの太腿よ~。恥じらいの若さ。見ちゃ嫌嫌よ~。
  それでも、青い空、白雲に、弾む若さ、解放感。ヤッホー、ヤッホ~。♪

  へへへ、下り勾配の土手道、橋の建て替え中であるから、車の通りは殆ど無い。

 柿の木の緑の茂りの中にも、実の色付きが見え始めている。コスモスの盛りではあるが、初秋の陽を全身に浴びて、微かに揺れるその様は、<秋桜>の当て字に、ついニンマリの風情でもある。その奥には、盛りを終えた赤い彼岸花の萎れの群生がある。
 アキアカネの尻尾も、何時しか唐辛子の赤である。プランターに植えられた花々には、モンシロ、モンキ蝶、シジミ蝶、タテハ蝶などが、ひらひらと飛んで居る。

 帰りは、買い物袋二つの上り勾配、長袖シャツの前ボタンを全部外して、エッチラ、ホイ、エッチラ、ホイの漕ぎ上がりである。それでも、秋晴れの外の空気は、美味い物である。

 風呂上がりの老母は、廊下の椅子で日光浴である。発汗に長袖シャツを脱いで、食材を冷蔵庫に入れて、手抜きの調理パンを持って、廊下の日差しの中で、ホイホイ、お待たせの昼食とする。

 駄目押しの風薬を飲んだ後は、途中で止めて終ったDVDの続きでも見て、昼寝タイムを取って置きましょうかね。本日、穏やかな国会中継の模様である。


心何処ーショート 大人しく観賞の巻
                大人しく観賞の巻(9/28/11)
 へへへ、風邪を呼び込んでしまったらしい。膝関節、肩関節に鈍痛である。水曜日であるから、先週取り逃がしたセクハラトークへの捲土重来もあったのだが、子持ち主婦のヤクルトママさんに、風邪を移してしまったらママさんファミリーに申し訳が立たない。今週は、老母様にヨーグルトを購入して、挨拶と代金支払いのショートで済ませた処である。

 早目の風邪薬服用で、最低限の賄い夫をして布団の中でのラジオ聞きである。些か、寒気もする処であるから、布団の中でのラジオ聞きが丁度好いのである。窓の外には、秋の青空が在って、無風の散歩日和なのではあるが、元来がデリケートな性質であるから、事は大事に至らぬ前の予防である。散歩は、止めにするとしよう。

 国会中継の午後からの仕切りでは、山岡先生への吊し上げが『炸裂』し始めた。いやはや、ラジオ放送は、テレビと違って、マイクが野次をよく拾ってくれるから、凄まじい事に為って来た。質問者が女性議員先生であるから、手厳しい限りである。こんな名場面を聴覚だけで聞いて居ては、甚だ失礼に当たる。厚手毛布を持って、母の部屋でのテレビ観戦に参加した次第である。

 論点は、マルチ商法に関する大臣の見解を糺(ただ)し、業界との癒着振りを糾弾する感情満載の弁護士議員女史さんの舌峰の凄まじさである。一方的に攻められるのは、民主党国会対策委員長時代の大きな顔で、解散総選挙をヤイのヤイのと攻め立てて、<国民の生活が第一>で政権交代を勝ち取った小沢一郎さんの大番頭さんである。

 昨日は小沢さんの元秘書さん達が、三人とも有罪判決を下された日でもある。不当判決と即控訴に及ぶとの事ではあるが、子分と云うか、業務上の分身達と云うか・・・揃いも揃っての<全員有罪判決>なのである。従って、確定判決前と云っても、子分・分身が有罪と為れば、親分・本身が無罪と云うのは、誰が考えても納得出来ない直感・感想であろう。

 東北公共事業のドンを親分と仰ぐ大番頭さんの錬金術が、悪名高いマルチ商法=ネズミ講業界のドンと来て終った。さぁ、大変である。党内に小沢問題、前原・菅の北朝鮮癒着疑惑、極左勢力を抱え込んだ民主党内部の起爆剤の数々である。それにしても、お天道様も、ソツが無い。

 大親分・小沢一郎さんと大番頭・山岡賢次さんとは、面白い事に、その体格・体形、顔相、エラの張り方など、酷似した容貌の持ち主である。冷静視聴をするまでも無く、罵詈雑言を以ってしても、余りある開き直りである。こんな厚顔無恥の輩は、選挙で罰を受けるしかあるまい。国会中継観賞は一庶民にとっては、斯様にして国会議員先生への値踏みをするべきライブ劇場なのである。

 いやはや、野田さんも総理の椅子と引き換えに、とんだ腐臭を背負い込んだ物である。

 これでは、ドジョウ総理も、民主党土壌の改良どころでは無いだろう。嫌気性バクテリアが巣作ろう『ヘドロの酸欠土壌』に潜って、ヘドロを掻き混ぜ酸素を導入させて、嫌気性バクテリアから好気性バクテリアの鋤き込みをして、国家・国民に対して有用な土壌改良にするには、大変な作業量であろう。

 幾ら、民主党内の保守派政治を目指すなどとの真っ当さを持って居様と、拠って立つ土壌は、荒涼と堆積するヘドロの海・膿である。ドジョウがエラ呼吸では無く、肺呼吸魚と云えども、肺活量の大きさには自ずと限界があろう。

 ヘドロに手足を捥がれて体力を消耗すれば、本作業であるべきヘドロに潜っての<鋤き込み作業>に辿り着くまでに、水面のフラフラと上って、空気を吸いに行かなければ為らないのである。

 嫌気性バクテリアが生産する物は、悪臭プンプン立ち込める<メタンガス>との事である。メタンガスは、引火性の高いガスとの事である。新内閣がスタートして、国会三日目である。前日に続いて、メタンガス田で発火が其処彼処から、噴出している。

 それにしても、人材無き政党とは、実に哀れな物であろうか。殆どの民主党議員先生達は、これが今生の議員バッジとの別れであるかを認識して居るのだろう。思想・思考の故郷の地ロシアは、シベリアの永久凍土・ツンドラの地に葬られる事を察知して、風前の灯の燃焼を大臣ポストに座れた事で、浮き浮きして居られる閣僚さん達の顔が幾つも見られるのであるから、これでは如何しようもない末期政権の顔触れと云って好かろう。

 浮かれて居遣がれ、選挙に為れば、主役は名も無き俺達の一票の積み増しじゃい。


心何処ーショート 立ち話と国会感想
                 立ち話と国会感想(9/27/11)
 昨日は散歩の帰りに家に入ろうとすると、斜向かい吟さんが玄関前の植物のお手入れを為されて居るから、声を掛ける。吟さんは、思う処があって、手の掛かる頭髪をばっさりとスポーツ刈りにしたとの事である。毛染をしていないから、見事な淡いグレーで、すっきりした分、何か数歳若返った感じである。細い通路での立ち話である。

 先日のラジオ深夜便で聞いた処ではあるが、マリーゴールドは、虫除け効果があると云う事を知って居て、吟さんは庭にも畑にもマリーゴールドを植えて居るとの事であった。

 そんな遣り取りの中で、植物と虫の関係に話が進んで、ラジオ聞きが話を広げてくれた。ニラ、ネギ、マリーゴルドなどは、虫除けとか、虫呼び、根張りなどの関係で、主菜の生育に有用な効果をもたらすとの事である。

 空中の害虫・益虫との植物、人間の関わりも然る事ながら、土中の入り組んだ微生物の群は、土壌分解の最前線である。その仕組みは、雑知識で理解している処ではあるが、何しろ虫眼鏡くらいでは、到底追い付かない電子顕微鏡を駆使して観察するしかない超ミクロの世界なのである。

 原生単細胞生物が、扇風機の様に周りに、胞子の様な酵素を撒き散らして、食糧分解を外砦でこなす様な仕組みで、食糧を体内に取り入れて居ると云うのが、原生生物の超ミクロの世界と云われて居るのである。
 これは、所謂、超ミクロの微生物の世界なのであり、大体が微生物は単細胞乃至は単純な仕組みの作りであるから、云って見れば、彼等の仕事は単一工の仕事振りである。従って、分解作用を司るそれらの微生物達は、その数と種類を頼りにして、気の遠くなるほどの時間と微生物の多様性の中で営々とバトンタッチをして、<分解作用の連鎖>を繋げて行くのである。

 この間の<微生物達の物質分解工程の作用>を、学者達は微生物群の共生、協調の『相』と命名しているとの事である。当然に植物、野菜達にしても、栄養吸収の最前線を担う箇所が、根なのであるから、地中に張り巡らした根からは、吸収するだけの作用以外に、分解液も放出されて居るのであろうし、その放出液を食料とする微生物達も寄り集まり活性化して、群の様なものを形成しているのだと云う。種類の違う根が地中で絡み合って、地中の栄養素争奪戦を繰り返していれば、種類によっては共生の相乗効果もあれば、敵対の枯れ関係も成立するのである。

 現代科学とは、云って見れば実証の科学であるから、超ミクロの世界に立ち至って、そう簡単に微生物を特定して、その作用を判断すると云うが如き<学問的実証性>が叶う訳にも行かない。それが、超ミクロ世界の正直な処なのであろう。科学的細部の合理性は実証出来なくても、経験知、経験値で知るのが、人間の知恵の一つなのである。

 嘗ては、祖父母、父母、子の三世代が同居するのが、家族の一般的構成であった時代・・・ 一世代30年と計算すれば、少なく見積もっても、家族には30 ×3=90年の経験知が在った筈である。経験知から得た経験値の相続を考えれば、祖父母の経験値は、伝承としての90年が有るかも知れぬし、それに父母、子の経験知を加えれば、150年以上の経験知が内蔵されて居ると云っても過言ではあるまい。

 詰まりは、古老の経験知には、経験値が含まれて居ると云う事の証左なのである。

 然しながら、三代家族の形が、核家族化に移れば、経験知・経験値は、教科書に頼るしか無いのは、これまた、当然の流れでもあろう。教科書頼りの知識も、経験のフィルターを通して見なければ、自信も予想も立たないと云うのが、残念ながら人間の経験則なのである。

 偶々、数日前にラジオの深夜便で、耳に入れた話ではあるが、ご近所さんの立ち話でこんな発展が叶うと、面白いタイミングと感心した次第である。
 
         話のお礼に、次の文作綴りを持って来て、お渡しした。

 立ち話の最後が、奮っていた。この玄関前の小道は、私道である。小道を提供しているのは、三軒さんである。花好きの吟さんは、小道の脇にプランターなどを置いている。マメな人であるから、玄関の松とかバラの剪定には、小道に脚立を持ち出して、剪定作業をしているのが習わしである。私道であるから、道の半分は、吟さんの地所である。

 偶々、其処へロートル女散歩の二人組が通り掛かって、嫌みの聞えよがしの不満を置いて行かれたとの事である。

「ねぇ、こんな狭い道に、脚立なんか持ち出して、歩き難いったらありゃしない。」

<糞婆ぁが~、頭に来たぜや。良かれと思って、道を開けて遣って居るのに、フェンスを作って、通り抜けしたかったら、通行税を取るぜや。憎たらしい面と捨て台詞だぜ。男だったら、蹴し上げて遣る処だったぜや。女の糞婆あってのは、一切使い物にゃ為らんぜや。>←<>内の言葉は、糞婆コンビに発せられた言葉では無く、私との遣り取りで出た言葉である。世の男は、口が重いのである。それに胡坐を欠いて居るのが、女の性悪さなのである。

  へへへ、散歩組婆連の顔を知って居るから、ギャハハ~の大笑いであった。

 明けて、布団に中で自民党石破先生の大講義に聞き入って居た次第である。やっぱり、政治家の先生は、この位の大質問を台本無しで、滔々と述べる事が出来なければ、国会議員先生の職責を全う出来ないのである。
 正論、名調子を母の部屋で確りテレビ受講をさせて頂いた次第である。力の差は歴然としている様ではあるが、対する民主党の非力さが、一国の内閣を構成する面々なのであるから、国民の一人としては、何とも情けない国会中継である。

 民主党担当大臣の不勉強さに依る非力さ、自覚の無さは、丸で学級委員会、生徒会のレベルである。政権与党の人材不足は、正に国難の元凶とも映って来るのであるから、真面目人間の私としては、涙が出て来てしまう次第である。

 まぁ、素人内閣の新閣僚お披露目式であるから、じっくり新閣僚先生達の実力の程、行儀の程をテレビウォッチングさせて頂く事にする。実況放送の国会中継に映るカメラの眼と云うものは、中々にして冷淡でありまする。質問を聞く態度、答弁する態度などをテレビカメラに乗って、観察して行くと・・・ 映画、テレビドラマ以上の生身の人間ウォッチングが出来て、時間を弄ぶロートルとしては、こんな興味のある実写は無いのである。

 ★本日黒服の立襟女史は、凡そ衣装、化粧、アクセサリーとは、チグハグ過ぎる少女ぽいハンカチが面白かった。風邪気味で使い捨てのハンカチにしたのか・・・ トータル・コーディネートからは、対極にあるハンカチでありまする。イッヒッヒ!!

 ★元NHK解説委員の厚労大臣女史は、質問を聞いている態度の中に、頬の牽き攣りが何度も見えた。顔面神経症ならぬ痙攣持ちのご様子である。答弁に立つ時のにこやかな笑顔とは裏腹な、若しかしたら、ヒステリック性向をお持ちなのかも知れぬ。穏やかな顔の表情と違って、言わなくても常識的な事までも長々と喋ってしまう性向は、内部の自己顕示欲の強さなのであろう。自信過剰の舌禍女史と為るのでは無いだろうか。へへへ。

 雇用保険の切れる<十月危機>とやらでの質疑応答の中で、官僚作成の文章を偉そうに読んでは居たが、NHK解説委員のプライドか何かは知らないが、たかがこの程度の女史が、偉そうに・・・ってな物である。嘗て、日本には炭鉱労働者身支援、繊維業界支援の一環で、不況特定業種などの括りで、失業者受給期間の延長策が採られて居たのである。現状救援・支援の動機が存在して居るのであるから、類似策を持っているのが官僚と云うプロ集団なのである。過去の類似施策に、状況に合った命名を付けて、GOの大発令を下すのが政治家の役目であろう。

 何を生意気面して、ほざいて居るのか、この低能児ってな物である。失業保険も、生活保護もある意味では、憲法に保障された生存権・生活権の一端であろう。

 少しは、大所高所から見た物事の本質を念頭に置いた答弁をすべきであろう。こんな所が、防衛問題に一家言を持ち続ける石破先生の言葉の鋭さ、重み、深みとの違いでありましょうや。

★法務大臣様には、驚きました。あの程度の男が、何で国会議員のバッジを付けられるのか。ドジョウ総理さんの人間選球眼を疑う以前に、ドジョウ総理のいい加減さは、鳩山・菅以上に、酷いものがありそうである。この任命責任は、由々しき大問題である。

★財務大臣様は、余りにも態度・言葉が軽過ぎる。身体特徴を云うのは、甚だ宜しくない事ではあるが、小粒過ぎる。その分、本人さんに自覚があるから、威気高に為るか、調整役に回るかなのであろうが、この手の人間は、上に対しては茶坊主、下に対しては高圧無慈悲の態度で向かうタイプが多い様である。

 嘗て、小粒の策士で<政界の牛若丸・珍念さん>と呼ばれて居た自民党の山口敏夫先生の面影と比較してウォッチングをして行こうと考えている処なのではあるが・・・軽いフットワークで、根回し上手の実績を積んで、何時の間にか掌を返すの周到さを身に付ける時間が無い部分、山口先生と比較対照するのは、酷かも知れませんけどね。ギャハハ。

 まぁ、どちらにしても、NHKOBが、小宮山、安住先生と並んで、NHKさんも鼻が高いのかも知れぬが、元解説委員、元放送記者の奇しくも重要閣僚としての起用である事は、間違い無い処である。このお二方のウォッチングは、取りも直さずNHKウォッチングの傍証にも為ろうかと、ニヤニヤしている観察対象なのである。

 上の人間は、下の人間を観察する。下の人間は、上の人間を観察している。へへへ、本日も、戯けロートル駄文にお付き合い下されて、感謝感謝でありまする。

 然しながら、呆け一席の文章にて、私の打つ事なんぞ、真に受けたら下品に為り下がりまするぞえ。選球眼は、それぞれで磨くべきでありまする。


心何処ーショート 曇天、寒き週頭なり。
                曇天、寒き週頭なり。(9/26/11)
 今日は、寒い。出窓に置いた小鳥達も、喧嘩をせずに年長メスを真ん中に、身を寄せ合って大人しくして居る。ドジョウ内閣の初国会中継がラジオで流れていたが、与党民主党の質問は、真に歯切れの悪い試運転発車の具合である。

 昨日の午前中の民放テレビでは無いが、土光さん、本田さん、松下さん、第二次大戦時のヒットラーのユダヤ人迫害で難民と化した彼等にビザを発給して、人道的支援を行ったと云う大使の話などを長々と再放送して、現況の政治・経済に確りした指導者の登場を促す国民の願望を現わして居る体裁を取っていたのだが・・・

 へへへ、要点の根っこの部分をタブー視している報道姿勢であるから、真に以って、歯切れの悪い再映像の繋ぎである。確りしなされや。八方美人放送ばかりしていては、テレビ離れには歯止めは掛りませんぞえ。団塊世代が大挙して、テレビを見守っているんでゴザンスよ。

 菊と鳥居、刀に象徴される皇紀二千六百六十一年を数えると云う日本の歴史観から離れた処には、決して土光さん、本田さん、松下さん、大使さんも居られないのである。

 菊は勿論、日本の天皇家の象徴であり、刀は武士道の象徴であり、鳥居は神道の象徴である。狛犬が守る鳥居の奥には鎮守の森が控えて居て、本殿の正面には太い注連縄が飾られ、お賽銭を入れて、神殿に二拝一礼二拝して、鈴の付けられた太紐を揺すって、願い成就の祈願をする。

 私は日本史には疎い処ではあるが、日本人として生まれ、日本の地に60数年も暮らして居れば、日本神道への雑知識も平均値として持ち合わせて来る物である。天照大神が上座に座るヤオヨロズの神々が居わすのが、日本人の精神構造の根っこにはある。

 一説によると、鈴の付いた紐は、臍の緒なのだとも云う。神殿に居わすのは、鏡が示す通りに天照大神であり、母神からすると日本人は、その子らであり、臍の緒で繋がっている赤子の一人一人なのだと云う。

 伝統の稼業を黙々と継承して築き上げて来たのが、日本の国柄の現れの一面でもある。従って、神職を継いで居る神主さんの中にも、医に携わった先生方が、結構居らっしゃるとの事である。
 そんな方々の中に、日本の天照大神は、素晴らしい<寛容の精神>と、実りの稲穂垂れる豊穣のアキツシマの国柄の行く末を鑑みて、輸入品にはその短所長所を良く見極めて、日本の国柄に合った広め方をすべしの<精神の涵養>を図られたとの事である。

 それは、医学的見地から現代風にアレンジすると、血液型の違う男と女が合体して、胎内に一つの生命を育んで行く過程に酷似しているとの事である。

 自身の血液型と違う胎児への補給・命の綱は、これ即ち、臍の緒その物であり、母体の胎盤が、血液型の違う吾が子に対して、栄養物を胎盤が、これはこの子には『毒』、これは『栄養』と取捨選択したり、毒を再加工して栄養に『転化』させて、胎児に送って居る様なのだと云う。幕末期・明治期に盛んに云われていた『和魂洋才』の言葉を反芻しながら、その喩えに、大いに合点した記憶がある処である。

 その頃は、私がA型、女房がB型、倅がAB型、娘がO型であったから、単純単細胞の私などは、感心し切って吾が女房は正しく天照大神の末裔と、思わず<祠>に二拝一礼二拝の厳かさすら感じた次第でもあった。イッヒッヒ!!

            さてさて、話を戻しましょうかね。

 土光さん~人道大使の話を、然もトーンを落して、然ながら結婚式の両親に捧げるベテラン司会者、葬式に於ける式場司会者の様に、情緒だけに訴え掛ける様な、ロートーンの演出だけで、その場を済ませて終う・・・ これは、<態の好い迎合演出>でありましょうや。儀式であるから、私には異存など無い。

 然しながら、国民の精神活動に多大の影響力を持ち続けるマスメディアさんが、それじゃ・・・一寸、マスコミさん、そりゃ好い加減過ぎませんかね。

 土光さん~人道大使さんまでの、精神の根っこには、富国強兵・国家の威信・戦前一等国と一目置かれて居た大日本帝国の謹厳実直、額に汗する価値、率先垂範型の指導者像などが、総体として、日本社会の隅々まで、社会規範として機能していたのであろう。
 当然、虫眼鏡で見れば、それは飽く迄も建前の風景だったのかも知れぬが、少なくとも建前が社会の規範として作用して居た社会は、立派に倫理・道徳社会で在ったと云っても、強ち的外れでは無かろう。

 云って見れば、<法条文無き人々の秩序ある社会生活の規律こそが、日本の伝統的高質の文化では無かったのではないか。>との思いが、私には強いのである。

 原典国の中国では、何千年も前に黄砂に埋もれて終った言葉では無いが、「天網恢恢疎にして漏らさず」のお天道様、世間様信仰によって、社会、人々が其々に自分の<良心>の名の下に、勤勉で、正直に、潔く世間を営む国民力こそが、究極の民度の高さと云わずして、何と云うべきか・・・ ってな物である。

 中心にデンと座って居た処の、『自分の国は自分の力で守る。』『公共に資するを以って、指導者の喜びとする志の高さ。』『名を惜しむかな男故にの潔さ。』『礼儀正しく、身分の上下に隔てなく』これらは、全てお天道様、世間様、ご先祖様達への<とくとご照覧あれ>の如くの、今を生きる伝統国家の極々当たり前の『日本国民の生き方』だった筈でありましょうや。

 根っこで全て繋がっている土光さん~人道大使さんの話を繰り返し報道して見た処で、『本当の日本人の根っこ』を語らずして、何の国民啓蒙の報道となるのか!!土光さん~人道大使さんに至る男のキンタマを語らずして、何するか!! でありましょうが。男のキンタマには、日本の武士道精神と次郎長・忠治の侠気が宿って居るんでしょうが。

 日本の戦前軍国主義の全てを罪悪視して、米国占領下の限時憲法でしか無い平和憲法を鵜呑みにしてしまった。日本国自らが自縄自縛の八方塞の中で、<自虐史観の域>を自らが脱出出来ない形で、政治美談・戦後復興美談を幾ら吹聴した処で、活力ある骨太の日本再生へのメッセージとは為りませんぞえ。

 憲法前文の国際協調の理想社会など、周辺国のロシア、中国、北朝鮮、韓国、米国と小学生が考えただけでも、それが大いなる幻影・欺瞞であった事は、明明白白の人間模様、国家模様では無いか。
 戦後66年、自縄自縛の日本国の政情は、政権交代の蓋を開ければ、戦後民主主義の申し子政権民主党の余りの幼稚さに、言を失うばかりでは無いんでしょうかね。

 ラジオからの国会中継も、午後の自民党にスイッチして、益々の民主党ドジョウ内閣の酷さが一層際立つ処である。吾が神道感想に関しては、土曜スタバトークの一部を打った次第でありまする。Tの柔道部仲間の一人が、宮司を為されて居るのでありまする。へへへ。

 以上、土曜~日曜に掛けての、私なりの<脳内反芻>を本日の日記と致しました~。さてさて、昼散歩にでも、出掛けて参りまする。


心何処ーショート 親爺の墓参り返礼
                親父の墓参り返礼(9/25/11)
 好いお天気さんも、昼に成ると下り坂の雲の侵攻である。風呂に入って洗濯物を干している時は、半袖のポロシャツでも好かったのだが、太陽の隠れた風は、やはり肌寒い。日曜日であるから、気分転換に二畳の小部屋で過ごす事にする。廊下で日光浴させて置いたキリギリスケースには、まだ十分な温もりが在るのだろう。久し振りに、キリギリスが好く鳴いている。小部屋には出窓が無いから、軒下に紐を掛けて若鳥籠を吊るして見た。

 空中に吊り下げられて、360度の外気の中であるから、三羽の小鳥達も空気の旨さに動きが活発である。同じ場所に置いておくと、番いにあぶれてしまった若メスが、番いの二羽に苛め抜かれて騒々しい限りなのである。独占欲、本能と云ってしまえば、それまでの事ではあるが、行動一直線型の動物の世界は、中々に激しいものが在る。
 
     新しいオスの誕生までは、何かと肩身の狭い生活が続くのである。

 風呂上りの老母は、ベットで身を横たえている。疲れが取れてからの仏壇のお供え物で、昼としようか。オハギ、バナナを食べて居ると、アジャジャ、雨が降って来たでは無いか。鳥籠、洗濯物の始末をして、ついであるから半袖ポロシャツから長袖シャツに着替える。

 小窓から外を見ると、車が止まって倅の姿が見える。恋人の訪問であるから、婆さんに声を掛けると、玄関から嫁さんの元気な声である。

「お婆ちゃん、元気~。孫連れて来たよ~。」

  いやはや、恐れ入谷の鬼子母神。一瞬にして漲る老母の精気である。

「あ~、来たか、来たか。また、大きくなったねぇ。待ってたよ~。ほら、抱っこするか。どうした、どうした、直ぐ、泣いちゃうか~。お婆ちゃんは嫌われちゃったか~。」

「はい、差し入れ、オヤジの好物の★屋の焼きそばだよ。俺達は食べて来たから、婆ちゃんと食べてよ。」

 友達の結婚式で娘が帰って来て居たから、兄妹一緒に墓参りをして来たとの事である。左様であるか。親父も吾が家族の全員から墓参りをして貰って、さぞや満足の口なのであろう。普段は一切電話もしない自由放任・不干渉家族ではあるが、其々が独立してもすべき事は、黙ってしてくれて居るのは、真に有難い事である。

 赤児もすっかり大きくなって、座卓に手を掛けて盛んに一人遊びをして居る。脚を盛んに動かして居た赤児である。生まれ付きの、脚力が強いのであろう。背中に軽く手を添えて居るだけで、自分の足と胸で立って居るのであるから、その成長の速さには舌を巻くものがある。

 言葉弾む母の部屋を背に、私は晩飯の賄い夫仕事である。人参を千切りにして、挽き肉、刻み揚げを軽く油で炒めて、カツオ出汁の素、味の素、麺つゆ、鶏がら粉末をパラパラ振り撒いて、砂糖・醤油で味付けをして、オカラ作りである。これは、簡単大量作り置きで、今や男賄いのレパートリーの一つと為った得意技である。

 早速、ドンブリに盛って、キュウリの粕漬けと一緒に、ドンと食卓の上である。

「お父さん、美味しい。上手。この前の特っ辛味噌も、母が抱え込んじゃって、一人占めで食べてますよ。」

「そうかい、自慢じゃないけど、俺の能力は多才だからね。単なるスケベ親父と見下していると、大火傷をするからな。
 そうかい、そうかい、豚も煽てりゃ、気に登るだ。最後のヤツだけど、里芋の煮っ転がしがあるから、味見して見るかい。」

  泥付き、皮付きの里芋を剥いて、甘辛く煮っ転がした自信の一品である。

「好く味が沁み込んで、美味しいでしょ。料理の腕は、私より息子の方が上手だからね。何処で覚えたのか、大きな声じゃ言えないけど、女は要らない腕前で感心しちゃうよ。見てても、段取りが好いし、マメだわ。
 若い頃は、気難しくて、こんな事は一切し無かったのにね。歳を取って、諦めの胸中に為ると、男は遣るもんだわ。本当は、頼り切りで、申し訳無い気持ちなんだけどね。」

「うんうん、分かる分かる。旦那も、お母さんも言ってるけど、お父さんは、相当に出来が好いんでしょうね。旦那が何時も、尊敬しているのが分かるし、お婆ちゃん、私は寝る前、お父さんのブログ読むのが日課で、内容が多方面に亘って居るから、面白いんですよ。

 字面だけでも難しくて、表面解釈する頭も無いんですけどね。行間の敢えて書いていない部分が分かって、全体の下ネタ話の可笑しさと、深さが分かって来ないと、お父さんの本当の文章の良さ、抱擁力に満ちた味は、伝わって来ないと思ってるんですけど、私には絶対に無理だから、隔世遺伝に望みを繋いで、ここに合宿させる計画なんですよ。

 旦那の中には、お父さんが居ますし、血が繋がって居るんだから、この子にもお裾分けをして貰わないと、損ですからね。」

「そうかい、私は無学だから、お前には何も教えてやれないけど、お爺ちゃんに鍛えてもらえ。腕節が強くて、男らしく賢い子に為っておくれ。
 どうした、どうした、また、婆ちゃんの顔見て泣くのかい。この婆ちゃんは、確り嫌われちゃったねぇ~。泣くか、そうか、男の子だ、思い切って泣いて見ろ。」

 倅夫婦は、ざっくばらんで仲の良い夫婦である。孫夫婦に囲まれて、吾が老母は、満面の笑みと笑い、饒舌の沙汰である。賄い夫オヤジは、焼きそばの器を洗って、たっぷりのオカラを詰めてのお返しである。

 まぁ、これとても、穿った見方をすれば、墓参りへのオヤジ為りのご返礼なのかも知れぬ。はいはい、オヤジのご加護を押し抱いて、有難や、有難やの日本文化の家族関係と云うべきものであろう。笑いの中に在っても、秋の夕暮れは早くなった物である。

 老母は玄関で杖に身体を支え、私は玄関外で、孝行息子夫婦をお見送りした次第である。へへへ。


心何処ーショート これ、勝手な観賞なり。
              これ、勝手な観賞なり。(9/24/11)
 いやいや、めっきり寒くなった物である。ラジオでは、最低気温が昨日が10℃、今日が9℃との事であった。観測所の提供する気温とは、多分1~2℃の下回りが、吾が居住域である。昨日の夜散歩は、チョッキの襟を立て、長袖の袖口のボタンを止めて、ボケットに手を入れての長歩きであった。加えて無帽のスキンヘッド歩きであるから、いやはや、寒かったのである。晴れた夜空に、星が散りばめられて、放射冷却に依る今朝の寒さを知らせて居た。東から西へと、飛行機が飛んで居た。

 足元の敷布に電気を入れ、それでも寒いから靴下も履き、深夜の映画見では堪らず、ファンヒーターを付けた次第である。昨日は流石に西部劇に飽きて、テイラー&エリノアコンビのエジプト編を見付けて見た処である。

 エリノア・パーカーさんは、テイラーのMRTC(MenyRivers To Crose=渡るべき多くの川)で見付けた運動神経抜群の柔ら美人女優さんである。今回見付けた物は、エジプトでの古代発掘調査をするテイラーの前に現れた貴婦人の役である。衣装がどれもマッチして、とても美しい。物語は、その亭主との三角関係を軸に、見事、秘宝に辿り着いて、テイラー、エリノアのハッピィエンドと為る展開である。

 私はアメリカ開拓史草創期のおおらか物語、MRTCのビーバー帽子に、鹿皮服の射撃上手のお転婆娘が、色男テイラーにゾッコンの、女の可愛らしさを活き活きと演じ切った彼女に、メロメロに為って仕舞ったのだが・・・、

 まぁそんな事は如何でも好い事なのである。テイラーの相手役としてら、『哀愁』のビビアン・リーに匹敵する程の似合いのカップルと云った処である。ビビアンの怜悧な隙の無い美しさとエリノアの柔らかで親近感を持たせる美しさには、同等以上に、エリノア贔屓をする次第なのである。

 ジョン・ウェインとモーリン・オハラ、エロール・フリンとオリビア・デ・ハヴィランドと同様に、二人は、お互いがお互いを引立たせる名コンビだったのだろう。何か、役柄以上に親密な感じが、映像から見られる処である。←強ち、下衆の勘繰りでも無かろう。

 へへへ、そんなテイラーさんとエリノアさんのシーンの中に、可笑しな処がある。美女エリノアさんの視線が、台詞の後に<下方の変な処>に向いて居るのである。それが一度なら、私も一切気付かなかったのであるが、矢張り『可笑し気な視線』なのである。美人さんの視線の先を追って見ると、『ヤヤッ!!』の大仰天であった。

 驚いた事に、知性・教養を兼ね備えている『天下の渋い二枚目大スター』ロバート・テイラーさんは、何んともはや、<デカチン男>なのであった。私も、男の端くれであるから、逸物が目立たない様なズボンの履き方を心得ている心算なのではあるが・・・、兎に角、動くとボコン・ダラリとした逸物が、これ見よがしに、垂れさがって居るのである。

 日本で云えば、ディク・ミネさんの裏ネームが、ビック・マラさんであったと云うのは、周知の逸話である。

 それからが・・・行けませんやね。一切英語を解さない男の深夜の映画見であるから、変な妄想を抱きながら、苦み走った二枚目テイラーさんと柔らかさの中に幾分艶ぽさを見せる<流し目>のエリノアさんが、私にはエロモア(eromore)さんに見えて仕舞い、へへへの観賞映画に為って仕舞った次第である。

 大きな声では言えないが、美男美女が集うのが銀幕界である。男優も女優も、両手に花のモテモテなのは当然である。男も女も、一皮剥けば、美男美女が好きなのである。<抱きたい、抱かれたい>と思うのが、男、女の偽わざる源初の感情である。云って見れば、恋多き、恋渦巻く世界・現場が、取りも直さず銀幕世界の裏側と云っても好かろう。

 好感情を持った同士の男と女のユニホームと為れば、それは一糸纏わぬ性器の交わりであろう。柔肌に胸の膨らみ、腰の括れ、臀部の厚みを男は愛で、女の愛でる対象とて、逞しい筋肉と力強さの象徴にして、官能の動入を誇示する男柱の雄々しさに違いあるまい。これを称して、世俗語では、<セックス・アピール>と呼称するのである。

 エルビス・プレスリー、トム・ジョーンズのタイトなパンツに、ツイストの腰くねりダンス、ベリーダンスの臍踊り・スペイン、ジプシィ、ハワイのフラダンスだって、立派な伝統ダンスなのであるから、人間は太古の昔より性宴に関しては正直な生き物なのである。 
 加えて白人文化には、男女平等の強調の味付け文化なのである。男が女体ラインを観賞し、女がそれを強調するのなら、男が股間のシンボルを堂々と強調して見せるのも、男の女に対する『返礼』の一つなのかも知れぬ。

 テイラーさんに、男族のヤッカミをすれば、嗚呼、主はテイラーに、二物、三物を与えた給うなり。稀代の色男は、逸物持ちの渋き二枚目俳優なり。ってなものである。

 此処は、『白人助平文化』に眉を潜めるより、大和民族の誇る協調文化人であっては、外文化に対しても協調の奥ゆかしさを働かせて、洋画をおおらかに愉しむのも<歳の効>と云うべきであろう。

 テイラーさんの隠れた人気の裏付けに、『ビックリ仰天の逸物の控えあり』でありまする。そんな処も手伝って、イッヒッヒ笑いをさせて頂いた次第である。何だかんだと云っても、白人美形・美人様達は、<目の付け処>が違いまする。←異文化に接するのも、映画観賞の範疇でありましょうや。

 尤も、日本にだって、『怪優』と呼ばれた勝新・三国連太郎・小松方正・殿山泰司さんなんて、豪傑俳優さん達があまた居られたのである。現代では、火野正平さんが居られるとの事ではあるが、彼等が浮名を流すと云う事は、その数だけ、お相手さんが居らしゃると云う事でもある。

 倫理の縛りがどれ程の物かは、エロ事素人の私にも、容易に想像出来る処である。

 何しろ、世界は裏表、世界は広いのである。それを妄想観賞して見るのも、人間の愉しみ方の一つでありましょうぞ。←へへへ、このコンビは、相当息が合って、親しかったのでありましょうね。

 さてさて、廊下には母の動きである。この辺で打ち止めて、朝の賄い夫を始動致しましょうかね。後は、ロートル・スタバトークでありまする。

 Tお迎えの車に、先週忘れて終った戯け画ファイルを持って乗り込む。

 スタバ二階席は、学生達の勉強サロンと化して居る。然しながら、そんな事に怯んで居たら、好色ヤクザもどきのロートル・コンビの名折れである。勿論、本日のメイントークの内容は、上記記載の口語体である。書体と口語体を比較すれば、口語体の方が、ダイレクトに為って仕舞うと云うのは、この世の常識である。とほほ。

 吾がコンビの左隣の席に着いたのが、スラリと背の高い一見大人しい女性である。彼女は、厚い本を開いて読書をし始めたのだが、ロートルコンビの話の端々に、顔を覗かせる??に興味が働いて、読書の邪魔をしている節が見受けられる。
 私達と云えども、レッキとした常識内の生き物であるから、読書の邪魔に為らない様に、ボリュームダウンの好色話なのではあるが・・・。

 そうこうしている内に、女性スタッフさんのお見えであるから、戯け画ファイルをお見せする。

「相変わらず、大胆な絵柄と色遣いで、思わずクスクスしちゃいますね。皆、楽しみにしてるんですよ。オホホ。」との仰せである。

「あいあい、コイツは、馬鹿の心臓に毛の生えてる男だから、笑って遣っておくれや。そんな処ばかり見てると、コイツは図に乗っちゃうぜや。何事も、限度が必要だぜね。」

「馬鹿こいちゃ、行けんわね。周りに毛のある草履虫だと思ったら、この絵は死んじゃうわね。<太陽神ラーの微笑み>と見なくちゃ駄目だんね。天真爛漫さが俺様の身上だわね。ギャハハ。」

 へへへ、馬鹿に付ける薬無しのロートル・コンビである。初対面の女性は、見たい好奇心が募って、黒目が左右に動いて御座る。

             外でのスモーキングタイム。

「中々、感じの好いおネェさんだったのにな。一歩踏み込んで、<私も見たい>と言ってくれれば、席を繋げて、面白い話を見繕って爆笑座談会が出来たのにな。まだまだ日本の男女文化は、欧米並みには行きませんわな。踏み込んで、禿げ頭ひっぱたかれても、切ないしな。イッヒッヒ~。」

「そうだな、Rにショ掴まったら、変な洗脳されちゃうからな。何しろ、ひまじんさんじゃ無いけど、<どんなに装っても、根っからのスケベ>野郎だからな。お前は、世間的に云えば、危険人物だからな。確り見張っとかなきゃ、火の子がこっちにも及んじゃうわね。」

「へぇ~、そうかいね。見臭ぇ事言ってくれるじゃ無いのさ。あいあい、俺ぁ、長生きのコツは、内心に逆らわずに、素地を出し切るって人生の奥義を、遅ればせながら気付いた処さね。
 天下晴れてのお役御免だんね。人間、見栄を張ってちゃ、面白可笑しくは、生きられんぜや。さてさて、賄い夫の買い物でもして帰るべや。」

 冷え込みの寒い日ではあったが、漸くお天道様の御利益である。澄み渡った青空に、上昇気流に白雲が姿を現わして居る。軽い昼を取って、廊下の陽に身体を当てて、本の続きでも致しましょうかね。


心何処ーショート 秋分の日なり。
                   秋分の日(9/23/11)
 風呂に入ってシャキッとすれば、家に居る事は宜しく無い。小降りに成って来たから、自転車で買い出しにと思って、外に出ると中で見る以上の降りである。仕方が無いから、傘を差しての川眺め散歩に出掛ける。

 大分水嵩が退いて、スッキリした川原である。流れの変わった処も何箇所かある。濁流増水で、空腹なのであろう。雨に濡れて、コサギ、アオサギ、カラスが、流れの脇で餌探しをしている。流れの拡がった脇でも底の見えない濁りである。

 こんな時の野生動物は、ひもじかろう。カワセミの姿にでも遭遇するかなと川を眺めて歩いたが、その姿は無かった。

 食料に不自由しない人間の感想からすると、何日くらいの空腹に耐えられるのだろうか等と、考えたりもする。餌を探して食べる事が、即ち生きる事である野生界であるから、こんな時の非常食もあるに違いあるまい。川原に辛うじて残されている草叢からは、コウロギの湿った声がしている。背に腹は代えられないのであるから、きっと昆虫類を見付けて食べる事もあるのだろう。

 悪い天気に傘を差して、河川敷散歩をしている物好きは、私一人である。台風の影響で左膝関節が重かったが、風呂に入って散歩をしている内に、大分滑らかに為って来た。車のエンジンでは無いが、雨に託けて怠惰を決め込んで居ると、還暦過ぎの五体には潤滑油が回らないと云った処である。

 大した雨でも無いから、自転車に乗り換えて個人スーパーにでも行って来るか。どうせ時間を持て遊ばして居るのであるから、野菜類買って、作り置きでもすれば好かろう。目下、老母専属の賄い夫であるから、年寄りには野菜類が一番である。この頃は、時間の都合で手の掛る土付き、皮付きの里芋などを買って来て、鼻歌交じりの台所仕事である。

 遅い昼食をパン、トマト、ヤクルトで誤魔化していると、庭には日が差して来た。へへへ、お天気さんも、根性が曲がって御座る。

★★・・・丸で、アマゾンかアメリカのカントリー・ロードの様に、アップダウンの大きな真っ直ぐな道が目の前に在る。その中を、下にローラーの付いたウインドサーファーの様に、カラフルな帆が行き来して居る。好く考えた物だと感心しながら、順番を待っている私が居る。片方のアップに立ち、吹き下ろす風を待って、一気にダウンロードを下って、アップロードを上がる。後はダウンロードに滑り込むだけである。
 遥か前方に、鈍く光る物体がある。ボード下のローラーの回転は、滑らかである。ドンドン、物体が見えて来る。否、巨大な物体が寝そべって居るのである。

 あれは、網目ニシキヘビの巨体では無いか!! 沈み込んでグゥ―と真っ直ぐ伸びる道路の中央に、巨大な全身を長々と横たえて、日光浴の図である。あんな物に近付こうものなら、呑み込まれる前に、尻尾の一振りで潰されて終う。スケートの様にエッジを効かして、急停止する。

 距離は十分にある。ガリバー旅行記に登場する小人の感覚で、巨大な網目模様に当たる陽の色の反射の色どりに唖然として、暫し魅惑されていた。気が付くと、誰も居なく、風景も様変わりしている。ジュラ紀だか沖積期だか知らぬが、どっちにしても化石期のど真ん中に取り残されている感じがして、変な気持であった。

 足元に目を遣った途端、腕ほどガラガラヘビが居た。そいつが目が合った瞬間、飛び付いて来た。ウギァ!! 太腿を咬まれた。

★★自分の発した悲鳴に、寝て居た私は飛び上がった。夢で好かった。そして、悲鳴を上げて、完全に母に聞かれたと思い・・・面目次第も無かった。何はともあれ、蛇は、私には鬼門中の鬼門である。

 さて、本日は秋分の日である。オヤジの墓参りに行って来るべしである。仏壇の花と墓参りの花、お供え物を買って来て、仏壇に供えた後に、動けぬ母は仏壇参り。私は、墓参りに行って来る。

 漸くの晴れ間である。地表タップリの水分は、日射で上昇して低い位置でのぼやけた積乱雲を幾つも青空に浮かせている。未だ熱不足なのであろう。雲の底部は、灰色の様である。丘陵霊園の上り口に来ると、後続車が数台バックミラーに映る。

 一方通行と為っている霊園でのオヤジの墓は、殆どぐるりと一周して来なければ為らない。駐車場は二か所であるから、それを取り巻く様に、道路傍は駐車域と為って居る。そんな事で、墓参り時期は一車線道路に為る。

 日和に恵まれて、墓参りの車で一杯である。ロートルが、年寄りを伴っての墓参りが殆どである。墓参りに来て、人身事故を起こしてしまったら、墓参りが台無しに為って仕舞う。周囲不注意のたどたどしいばかりの歩きが、車の陰から出て来て、杖付きの一点見据えの年寄り様達だらけである。老母の姿を見れば、それも致し方無しである。全ては、年寄り様優先の運転である。

 駐車場に入って、手桶に水を汲んで区画の最上段に歩く。秋晴れにしては些か雲が多いが、眺めが好いから気持ちがすっきりする。律義な女房がお参りをして行ったのであろう。アリガトさんよ。持って来た花を加えて、墓石に水を掛けて線香を手向ける。

   秋分の日、青空に、群立つ白雲の拡がり、山は緑に現れて、風涼しき。
        拡がる松本平。田のハゼ掛けに、実る果樹達。

      やっぱり、信州の初秋は、こうでなくちゃ行けませんやね。


心何処ーショート 又しても、ウンザリの雨為り。
             又しても、ウンザリの雨為り。(9/22/11)
 昨日は出されて居た幾つかの警報も、早々と解除されて、台風は通過して行った様である。夜は、轟々と川の流れが聞こえて居た。

 明けてゴミ出しに川を見ると、濁りもだいぶ薄れて、薙ぎ倒された葦原にツバメが高く低く飛翔して居る。北の空には台風一過の青空があったのだが、朝食後のお茶を母の部屋で飲んで居ると、バシャバシャと雨が降って来た。母の洗濯物を取り入れて遣り、解放して置いた窓、戸を閉めて回る。

 コンニャローメ、もう雨は懲り懲りである。キリギリスも、玄関鳥も鳴いて居るのであるから、雨さんも矛を収め為され。あんまりしつっこいと嫌われまするぞえ。
『根っからのスケベ』と正体の割れている私でも、物事には均衡バランスが肝要位の常識は弁えて居るのである。

 メリハリを欠いては、陰湿この上ないストーカーの沙汰であろうが。馬鹿モノが、シャキッとせんか!!

 如何やら、本日も気の滅入る雨日に成りそうである。風呂にでも入って、シャキッとするしかあるまい。雨が止めば、買い出し。止まねば、買い物を止めて、有るもので貧民工夫。

 お天気の具合を見て、散歩方々、川に沿って足を伸ばすか、昨日に引き続いて、歴史の裏本の頁を捲ったり、YouTubeのencore movie Westenを見るしかあるまい。

 その中に、スチュアート・ホイットマンのシェリフと云うシリーズ物を見付けて、この数日の深夜を当てて、見て居る処である。

 字幕の無い一本一時間二十分前後の物である。多分、テレビシリーズなのだろう。登場人物が決まって居て、個性的な顔付の中年男三人と若い少女ぽさの残る女性と若い保安官助手の繰り為す物語で、ゲストスターは大体が悪役として登場する。そんな設定がしてあるから、言葉など然程必要が無い。言って見れば、水戸黄門シリーズ、フーテンの寅、釣りバカ日誌を見る様で、一切英語を解さない私でも、見ているだけで面白いのである。

 登場人物、設定、物語の進捗具合がパターン化されていると、彼是と無い頭を働かせなくても、安心して見て居られると云うアットホームな気分で、肩凝りもしない処がシリーズ物の気軽さで受ける処なのであろう。此処には東洋も西洋も無いヒットシリーズの共通性があるのであろう。

 こう云ったシリーズの主演は、決して美男美女が演じては長続きしないのである。美男以上に、味のある男優が役をこなすと云うか、役に同化して行かないと息の長いシリーズとは為らないのであろう。

 持って生まれた姿形に、独自の味を付けて行くには、若さの華・張りよりも、渋みと皺が必要なのである。のっぺりして居ては、独自の味は刻まれて来ない。落語長屋のご隠居さん言葉ではないが、

<美人の顔も、三日も見れば飽きが来る。増してや、花の命は脆くも儚い移ろい。その点、男は噛めば噛むほどに、味の増す助平(スルメ)顔。味は長続きする秘訣って、昔から云うでしょうに。熊さん、八っあんや、男は、是一生修行が、男の顔を作るんですよ。

 お前さん達は、何時も顔を合わせると唾を飛ばし合って、口喧嘩だかりじゃないですか。唾は飛ばすんじゃ無くて、呑み込むのが男の嗜みですよ。

 それを何ですか。仕事が無いからって、昼間から、春画ばかり見て涎を垂らして居たんじゃ、男の修行は叶いません。無精髭に、股間のナマクラ物を撫で膨らませてるから、お家賃が滞る。私に小言を言われるから、チョンガー男の熊さん、八っつあんは、八つ当たりの口喧嘩の言いたい放題。

 良いですか、男が膨らませるのは、力瘤でしょうが。真面目に働いて居たら、私だって嫁さんを紹介して上げられるでしょうに。来月は許しませんよ。熊さん、八っつあん!!>

 へへへ、意外と助平がスルメに為るには、こんな長い味付けの工程を潜って来たのかも知れませんよね。やっぱり、歳を取ると味顔には、男も女も魅力がありますわ。

 お恥ずかしながら、毎度の事で大きく脱線して仕舞いました。さてさて、私もご隠居さんにお小言を頂戴しない内に、風呂に入ってシャキッと致しまする。ラジオからは、故郷を励ます味男・千昌男の好いお喋りと歌が流れている。好いですなぁ~。人柄に、胸が熱く為りまする。

      本日も、吾が戯け館にお越し頂いて、感謝感謝でありまする。


心何処ーショート 雨雨雨、雨にずっぽり為り。
             雨雨雨、雨にずっぽり為り。(9/21/11)
 朝、川の水を見て来る。それ程の濁りと増水では無かった。テレビ映像とは違って、まだまだ山には保水能力がある様で、安心する。

 水曜日であるから、ヤクルトママさんのコールは、昼前の雨の最中であった。茶色の長靴が好かった。私は余り女族の身為りには関心は無いが、流石に女族と云う生き物は考えていて、長靴の上に小さなバンド止めがデザインしてあった。
 セクハラトークの切っ掛けの新しい絵も無かったから、お釣りを貰う時に、すぃっと手を引っ込められて、<あっ、コンチクショーめ、手を握る絶好のチャンスを忘れて終った。>と気付いて、『後の祭りの歯ぎしり』をした次第である。

 茶目気で、確か二度握った事はあるのだが、へへ、ママさんは記憶力が良いのでしょうね。油断大敵の<助平オヤジの刷り込み>が、確りインプットされて居るのでありましょうね。

 ヤクルトママさんが思うほど、アッシャ、助平オヤジじゃゴザンせんわね。まぁ、この位の心構えが無くちゃ、<良妻賢母の日本の美風>は保てませんからね。Gooでありまする。嗚呼、俺ぁ、一回分、損こいちゃったわね~。遺憾いかん!!

 子持ちのママさん達が、ヤクルトコール部隊の担い手なのである。昼までが仕事時間との事であるから、子供達を幼稚園に迎えに行ってからの台風上陸なのである。台風に晒されずに良かったと云う物であろう。

 午後に成って静岡上陸との事、風が出て来た。もう一度、見に行く。傘が持って行かれそうであった。朝と違って、濁流の様であるが、川の許容量は十分にある。これで丸二日の雨であるから、チョッキを着て居る次第である。

 ラジオからは、台風情報が頻繁に流れている。老母は、布団の中で静かにしているし、玄関鳥も鳴りを潜めて静かな物である。金魚達も静かにして居る。動きのある物は、窓外のアジサイと雑木の揺れ、正面の南天の小木の騒ぎである。

 おうおう、風の唸りがして来た。長野では、今夜八時頃が一番の接近との事である。竜巻、大雨、洪水警報も出て居る。幸い、屏風盆地の松本の地は、竜巻警報があるだけで、パスの摸様である。

 隔日の餌遣りであるから、多目に餌を撒いて遣ったのだが、へへへ、喰いが悪いでは無いか。左様であるか・・・喰い気よりも、風雲急を告げる気配でありまするか。

 野生には、気圧への知覚が敏感に備わって居るのだろう。一度水槽でヤマメを飼って居た事がある。そいつ等が、水槽から撥ねて飛び出て居た事が何度もあった。気圧変化が、人間には鈍感に為って居て察知出来なくとも、野生のヤマメ達には察知出来るのだろう。そんな野生の知覚反応に敬意を表して、水槽上部に網を掛けた経験がある。

 川一面の増水に、或る時、夕散歩をして居る時に河川敷の上を、サワガニがせかせか歩いて居たのを見付けた時もあるし、庭でサワガニを見付けた時もある。人間社会の様に、警報が頻繁に出る訳では無いから、彼等は個体として気圧の変化を察知して、事前に待避行動をして居るのであろう。そうでなければ、川原に棲息する小動物などは、根こそぎ濁流に持って行かれて終うだけである。

 台風が襲って来ると、痛ましい死亡事故が伝えられる。土地に固定して財を持って暮らすのが人間の生活である。管理する事が生活財の中で暮らす人間であるから、家、田畑の見回りは当然の事でもあり、川、用水の様子を見回るのも自然の行動でもある。然しながら、その中には、怖いもの見たさの好奇心の結果と云う物も有ろう。

 それでも、好奇心の結果が、足を滑らせての濁流死であっては為りませぬ。サワガニを見習うのが肝心でありまする。


心何処ーショート 台風15号、雨音の中で。
               台風15号、雨音の中で(9/20/11)
 降り止まぬ雨に、また各地で水害を多発するのであろう。東関東大地震・大津波、不手際政治に因る原発被害、居据わり台風の山津波があったばかりなのに、この長雨である。天災、人災、経済不況の最中に在って、日本の国力は衰退に向けて大変な年に見舞われている。

 車で用足しに行って来るしかあるまい。米屋さんの帰りに郵便局に寄ると、コンビニ振り込みと為っているとの事である。これで踏ん切りが着いた。昨日は雨の為に散歩が出来なかったから、丁度好かろう。コンビニに寄らずに家に帰って、町医者経由で傘差し歩きと致そう。

 傘を差して歩くのは、久し振りの事である。連休明けの医院は、矢張り年寄りが多い。年寄り同士の話に耳を傾けながら、順番を待つ。町内患者さん達の話題は、昨日の敬老の日と台風被害の思い出話である。会話の一方は、耳の遠い爺様で、もう一方は、元教員と云う私より年長の女性である。カウンターの中では、世代交代の新人看護婦さんが先輩の引き継ぎを受けている様である。昨夜からの居据わり台風の雨は、雨音も大きく盛んである。

 母の薬を貰って、コンビニに足を伸ばす。私立高校の先であるから、帰りには女子高生の若いお喋りなどを聞いて歩く。住宅、学校に囲まれて、ポツンと残された田んぼが二枚と畑が一枚ある。稲刈りの終わった田んぼには、きっと自分の家で食べる米なのであろう。ハゼ掛けがして有る。

 再び、住宅の脇道を歩くと、幹が一面の苔に覆われた庭木が目に付いた。雨に打たれて居るモノトーンに近い苔のくすんだ緑が、雨の風情にピッタリの佇まいである。

 脇道から大通りに出て、通りを渡る。街路樹の若い幹には、まだまだ独立の苔には達して居ない苔の菌糸の様な、緑の色が拡がって居る。雨の時にだけ色を現わす子供達が、苔として独立した姿に為って行くには、きっと長い年月が掛るのだろう。それと比較すると、先ほどの苔木の様相は、大した貫録物である。

 雨の滴で衣服は濡れたが、まぁ、苔木が見れたのであるから、好しとすべきであろう。終日の雨と成るから、窓辺に新籠を持って来る。若鳥は何処から見ても、オスの姿である。姉鳥にすっかり籠落されて、早くも羽繕いを交換し合う<新番いの誕生>である。仲間外れと為って仕舞ったメス若鳥は、寂しかろうが、現在抱卵中の二番いの中から、相手を探すしか無いのである。

 雨音ばかりが、きつい。残暑の暑さから解放されたのであるから、こんな時は布団の中で、寝貯めをして置くのが一番である。昼寝導入剤は、映画DVを観るか、本を読むかである。

 布団の中で数頁も捲ると、温まって来た身体には怠惰の眠気がスーと入って来た。どの位眠ったのか分からぬが、玄関に声である。

 NHKさんの集金である。この処、NHK報道の根っこにある余りにも自虐史観的中国、韓国への阿(おもね)り、偏向姿勢と時代考証の手抜きと大河ドラマの漫画チィック歴史ファンタジー、お笑い芸NO人多用の低級民放化に、すっかり嫌気が差して、不払いの意思表示を試みて居るのである。

 私は子供の頃から、馬鹿騒ぎの過ぎる民放は性に合わないから、殆どを<良識の放送>として、NHK贔屓で通して来た。勿論、受信料を遅滞なく払っての事である。それがロートル賄い夫生活を始めて、テレビに接する機会が多く成って驚いた事には、NHKの惨状であった。
 表現をオーバーに言ってしまうと、俗世間の三面記事に登場する<恋女房も憎さ募って、刃傷沙汰の末の殺人>ってなものである。長年、大いに参考として居たNHKの上記の様な姿勢には目に余る。お灸の為に、個人的な反抗をし始めたのである。

 断って置くが、私は色が黒いだけで、右翼でも左翼でも無い。極一般的な自分の生まれ育った日本が好きなだけである。ジャパンデビューでのNHK史観、クローズアップ現代に於ける温家宝首相インタビュー、尖閣諸島報道、歴史の事件年譜だけを準るだけで、余りにも現代風に描き変えて終う陳腐で漫画チィック歴史ファンタジーの馬鹿騒ぎ、芸NOタレントを登場させてのNHKの民放化路線などの低級化に、NHKとの縁切りを覚悟して居る次第なのである。

 日本の天皇家を、王家と呼称するなど以ての外である。多少なりとも歴史に興味のある人間の常識では、日本の天皇を王と呼びたいのは<中華思想の権化>中凶国とその事大国家である処の韓半島国家だけであろう。こんな物は、朝貢外交、朝貢貿易、柵封体制で自国が世界の覇者として格好付けたいだけの中華帝国の覇道精神の発露でしかあるまい。

 4千年5千年の歴史を豪語するチャイナに在るのは、中国と云う『広大な土地が在るだけ』で、その土地の中で自前王朝、戦乱、征服王朝が興亡しただけの『混沌の歴史』が、在るだけの事である。日本に根付いた孔子、老子思想などの古代中国思想など、二千数百年も前に崩壊して仕舞ったのである。中国と豪語するだけで、其処には伝統的な国柄など、一体何処に在るのか言いたい処である。

 言葉だけが残っている国と言葉が生きている国とは、明らかに違うのである。人治と法治の国も、明らかに違う。毒餃子問題、コピー強大国が、自前新幹線として世界特許に乗り出した矢先の新幹線事故、事故車両の埋設、掘り起こしをしても、恥を覚えぬ国、国民。21Cの御代に、国境可変行動を取る国家とは、如何なる国と国民なのか。
 又、中国共産党幹部が、大半の富を手中にして裏のファミリー企業で金転がしをして裏富豪に為って、個人財産の隠し所を海外に持つなどと云う魂胆は、正に<リビアの風雲児>と云われたカダフィ大佐以上であろう。

 こんな国家体制こそが、昔、王朝、軍閥の張り子のトラ・中国四千年、五千年の証左でありましょうや。

 少なくとも、国民から受信料を徴収する公共放送NHKが、『放送記者協定』か何だか知らぬが、<中国様の不都合な報道は致しません>の『ヘリクダリ姿勢』は、中国の柵封体制の一員では無いか。

 幾ら自虐史観満載の日教組の義務教育を受けた団塊世代の男とて、日本人にとっては、神話と融合するまでの天皇家は、不可侵の精神的支柱でもある筈である。NHKの柵封体質が、有ろう事か、とうとう、朝廷・天皇家を王家と呼称してしまった。日本人の伝統的精神感情から云って、許される筈も無かろう。

 俺ぁ、普段バカだけど、怒る時は怒るぜや。表現の自由と云うのなら、中国シンパを募って、シンパからの資金のみで、鳴りを小さくして、好きなだけ<偏向放送>をすれば良いのである。へへへ。

 卑しくも、日本の放送界に君臨するNHKの社員が、そんな一般常識も知らない筈は無いのである。知って居て遣って居ると云う、その態度がジャーナリストとして、精神面で失格なのである。報道の一線に立つジャーナリストが、サラリーマン根性で、組織内の出世街道の中で、上の方針に唯々諾々とする姿勢は、<受信料で成り立つ公共の電波>を、官僚的機構に依る私物化と云わずして何とするかである。

 こんな本音を受信料徴収者に言うのは、或る意味可哀想なのではあるが、これも<生の顧客情報>でもある。嘗てのNHKシンパの一人として、個人的な不払い動機を説明させて頂いた次第である。イッヒッヒ!!

 へへへ、以上ではありまするが、これは強ち、日頃の女日照りと、外の空気を吸えない雨の叩き付けばかりの所為ではありませぬぞよ。


心何処ーショート 駄文にて候
                  駄文にて候(9/19/11)
 今日は、昨日以上に温度が上がると云う。寝る前に007映画ミュージックをYouTubeで見て居て、クリックをしている内に西部劇ミュージックが、西部劇Tubeに進んで、西部劇を二本も見て終った。懐かしい渋い二枚目ロバート・テイラー物であった。A、B、C・・・と7~8分割してある映画の繋ぎである。勿論、英語を話す国の人からの貼り付けなのであるから、字幕など付けてない。

 まぁ、日本には嘗て弁士付き映画の<大衆文化>が存在したのであるから、私も弁士に倣って、適当な台詞を挿入して映画を見て居た次第であった。

 テイラーのベテラン期の<帰って来たガンファイター>ともう一本の方は、若かりし頃の西部開拓史の初期の頃の物語である。一本を見て、寝ようかと思っていた矢先の、それであった。出て来る共演女優さんが、私好みの美形さんであったから、こんな美男美女の映画を見ない訳には行かず、三時過ぎまで見て終ったのである。

 何処と無く親交のあったロシア人ホステスさんOさん似ているのであるから、表情・仕草を重ね合わせて、ニヤニヤして見取れていたのである。

 モヒカン族と思われるインディアンが登場して、危うく落命寸前の処を男勝りの美女さんに助けられ、男兄弟満載の開拓民ファミリー一家に連れて行かれる。そんな中で、一目惚れした美男さんに甲斐甲斐しく傷の手当て、世話して結婚を夢見る女心を幾分コミカルに描いて、男を追う女のストーリーに仕上げてある。

 助け合いファミリーから、強引に結婚させられた色男が、<俺には自由の暮らしが一番>と美女から逃げる道中であるが、ホイホイ後を追って来た美女さんは、男に軽く追い付いて、ちゃっかりハネムーン気分である。ウリウリと事あるごとに、身を近付けて結ばれたい女心に、此処で合体し様ものなら、お先真っ暗と身を交わす色男の逃げが、面白い限りである。

 そんな道中、意気投合した大男の幼子が発熱して瀕死の状態で、『すわ一大事』と駆け付けて、不眠不休で湯を沸かして一命を取り戻す経験が、色男の自由人の生き方に一石を投じて、結婚指輪を投げ付けて帰って仕舞った美女(女房)の後を、追い掛けるのである。

 足取りを追う色男の前に、不吉な痕跡が次から次と現れて、さぁ大変である。その内に彼女の従者・ローインディアンが銃弾を浴びて、瀕死の状態である。走る、走る色男。一方、美女の方は、逃げる、逃げる最中である。追うはモヒカン族の男数人である。

 難を逃れて、川の流木の窪みに身を隠す美女に、モヒカンの手が掛る。危機一髪に間に合って銃声一発。抱き合ったのも束の間、銃声を聞いて、モヒカンが迫る。追われて、走って走って、洞窟に逃げ込む美男美女のハネムーンホヤホヤ男女ではあるが・・・ 何分、男勝りの気持ちが先行して仕舞う<度胸と行動力>の美女さんである。次から次への<助成>が空回りして、敵のモヒカンを殴った処が、亭主を殴ったりの活劇シーンである。

 ストーリーの始まりが、美女に助けられた色男。終わりが、色男に助けられ、美女主導で乗り切ってのハッピーエンドの結びである。これぞ、初期のアメリカ映画の如何にも明るい行動力に富んだ男女平等の娯楽作品とも云うべき作品であった。

 美男美女がスクリーンに弾けるシンプルにして、取り巻く登場人物の好人満載、字幕スーパーなど不要な娯楽作品である。ストーリーが単純明快な分、演じる役者さん達の表情が、実におっとりとして居て、見て居るのが実に楽しいのである。1950年代のカラー映画であるから、自然の中に人間が融け込んでいる分、人間達の動き、表情が実に<おおらかにして、逞しい限り>なのである。

 恋心を緩やかに、そしてオチャメに演じる美女さんの仕草、表情の柔らかさが、何んとも可愛くも微笑ましい限りである。そして、お転婆気質の運動神経の好い動きが、西部開拓史の初期の女を体現していて、こう云う二人三脚の日常があったればこその男女同権思想の歴史なのだろうとも感じじられる次第なのである。

 ウラジオストクの美人シングルママさんには、平気で幼児の子守を遣らされたのだが、高校時代はバレーボールの選手をしていたと云うママさんは、水泳も得意で、その泳ぎ振りは、男勝りのスタミナであった。
 自分が泳いだ後は、<今度はアナタよ。> 日本人には冷た過ぎる海に追い立てられて、ブルブルと上がって来れば、<意気地無し>と幼児を周りの人に預けて、カモンの生意気さである。率先して泳がれ<付いて来い>との仰せ振りであった。

 まぁ、こんな処が、肉食白人文化と菜食日本人文化の違いなのであろう。斯様にして、男並みのスタミナと度胸に、可愛い女の素顔を併存させる西洋美形さんは、私には魅力的に映る観賞対象なのである。

 人間と云う存在は、社会的な産物である。その核は男と女の関係に始まり、家族を構成して、他家族との家族関係を為して集落を築き、人種間で共通の社会土壌を築いて行き、より大きな社会が、地方、国柄を作って行く。土壌を共通させる中から、仕来りと云う文化色が作られて行く。そんな文化の中から、又一つ、又一つとして男女の番いが誕生して、文化と云う色と味を拡散して行くのが、生物の歩みなのであろう。

 集団の中に居る生き物達は、その中で表現方法としての言葉、表情、仕草を身に付けて行くのであろう。映画を見て居て、白人美形さんの言葉は一切知らぬ処ではあるが、観賞者の人間としては、人間のとしての共通項が横たわって居るから、表情・仕草の下敷きにある感情・感情傾向は、大いに理解出来る。

 生まれ育った日本の『時代に恵まれた』と云うのが、私の愉しみでもある。映画と云うスクリーンの中で、邦画と洋画を見る事で日本と西洋の違いを知らず知らずの内に教科書として見せられ、考える切っ掛けと為り、白人美形さん達への憧れが育まれた。

 社員旅行が海外旅行の先鞭を付けてくれ、団体旅行が、仲間旅行と為り、それが個人旅行と為る。念願の白人美形を目の当たりにして、洋画修行が功を奏しての違和感無き感想を持つ事も出来た。
 加えて、日本バブルの絶頂期には、出稼ぎ美人・美形さん達が、ホステスとして巷に溢れ返った時期もあった。嬉しい事に、彼女達は日本語を話す美女美形さん達であったから、二次元の美女美形さん達が、三次元の肉薄の世界なのであるから、こんな学習実践の場は無かった。彼女達の表情・ポーズ・仕草は、映画で知らず知らずの内に学習された物などの再現でもあった。

 言葉を交わし、打ち融ければ、人間のルーツは、アフリカ大地溝帯に記されたルーシーの足跡に帰結されるとの事である。何十万年、何万年にも及ぶ人類の地球伝播に依って、その地方地方で暮らす中で、皮膚の色、話す言葉、暮らす仕来りは変わっても、人類と云う原初的基本部分が別物に為る訳は無いのである。
 オタオタして、遠巻きで涎を垂らすばかりでは、楽しみの過去を蓄積させる事は出来ないのである。老後の愉しみは、過去の紐解きに為らざるを得ないのであるから、羞恥心をかなぐり捨て、馬鹿に徹する覚悟が肝要なのである。

 接すれば其処には、人其々の相性の問題が発生するだけの事である。二次元の美形美女さん達に、三次元の美形美人さん達の表情・ポーズ・仕草を重ね合わせて、睫毛に宿る過去達とのお話も又、愉しからずやの深夜劇場の段であった。

 個人的な好感情、嫌感情はあるにせよ、国家の外交交渉と為ると、兎角、国益の刺々しさばかりが先行して、日本外交は弱腰外交の足元に付け込まれて、歯痒いばかりの体たらくNOキンタマ外交の積み重ねである。

 三面ニュースには、痴漢、盗撮などの下らない物が、好く出て来る物である。陰に隠れて安上がりな淫行に及ぶ度胸が在るのなら、海外に行って堂々と遊んで来れば好いだけの事である。然すれば、私の様な素人でも、学者先生達とは違った切り口として、<メラニン色素と締り具合の体験的考察>も浮かんで来ると云う物である。

 我々、硬派の倫理的行動規範の<躾け世代>とは異って、神もお化けの存在も影の薄いグローバルな世界なのである。

 持ち出し額は、痴漢、盗撮よりも高く付くだろうが、『不名誉さ』からは脱却出来るのである。個人的な淫行よりも、相手の在る淫行の方が、活用範囲は拡がって、<官能の観光>と為るのでありましょうや。
 昼と夜の観光をバランスを程好く保てば、人間と云う物は、『均衡セーフ』が付くのでありまするぞえ。真面目に働いて、真面目に遊ぶのが、この世に生まれた人間の<真っ当な生き方>なのでありまするぞえ。

 へへへ、またまた、訳の分からない長駄文のロートル呟きと為って仕舞いました。


心何処ーショート 早朝の一仕事為り
               早朝の一仕事為り(9/18/11)
 夜更かし人間が、町会一斉草刈りと云っても、そう簡単に早寝が出来る訳も無い。一時を過ぎてから、5時半に目覚ましをセットして布団の中へ。寝苦しい暑さに明かりを付けると、未だ4時を回った処である。起きなければ為らないの意識が働いて居るから、早々は熟睡出来る訳も無い。これからの1時間半が、一番の熟睡タイムである。

 好い顔をした女房の夢を見た。好い夢に感心して居ると、目覚ましがけたたましく鳴った。へへへ、金髪美形さんよりは頼りに為るのが、女房殿なのであろう。はい、起きまする。ポットの白湯を飲んで、一服の眠気冷ましである。

 9月も中旬を過ぎようとしている。日の出がすっかり遅く成った物である。白んで来た外に風が吹いている。玄関鳥も朝を察して、目覚めの愚図りを始めている。歯磨き・洗顔をして、長袖・長ズボンに着替える。

 河川敷では、草刈り機が始動を開始して居る。支度が出来たのであるから、部屋に居ても仕方が無い。首タオルに帽子、長靴を履き、鎌を持って外に出る。東の美ケ原山系には未だ日の出は無いが、薄雲には日の出の色が拡がって居る。夏の色をした西のアルプスの山容には雲が群立っている。今日も、暑い一日に為りそうである。

 河川敷には役員さん達が、ビニール袋、熊手を配って歩いて居る。土手道には、早い人達が三々五々に姿を見せている。男は黙々と作業が肝要である。さてさて、勤労奉仕を始めまするかな。

 メタボのロートルであるから、中腰では骨が折れる。片膝を付いて、セッセと鎌を動かす。町会は300所帯にも及ぶ。一所帯一人の参加であるから、河川敷は人だらけである。平均年齢は60近いのだろうが、母親と一緒に小学生なども参加して居るから、何んとも町会伝統の勤労奉仕と云った様相である。

 年に二回の全所帯参加の田舎臭さが、私には何んとも好い光景なのである。皆歳を取って、餓鬼時代の面影を残す物の、爺っさ、婆っさの風体であるから、声を交わす眼の中には、お互い<へへへ>の含み笑いが、仕込まれて居るのである。

 少年野球の強制練習で散々に扱かれた野球気違いのオジサンも、オニイサンも、皆角が取れて、今や立派な高齢者様達である。私などは若い口であるから、適当な処で鎌を置いて熊手で草を掻き集めて、ひたすら難儀な袋詰め、石垣の斜面を上り下りして汗掻き仕事をする。

 何しろ、草刈り機の威力と人海戦術の早朝草刈り奉仕作業は、一時間もしない内に無事終了と為る。すっきり綺麗に為った河川敷に、太陽の暑さが顔を覗かせて来る。

 汗を拭い、四畳半で朝の賄いまでの時間を、PC打ちに当てて居ると、私の目の前に茶碗が伸びて来た。ビックリして振り返ると、老母の労いの日本茶の振舞いである。

 へへへ、女房の夢に起こされ、老母の労いのお茶を頂戴して、吾が家の女族は大した物である。到底、出来の悪い私なんぞでは、太刀打ち出来ない出来の好さと云う物である。

   さてさて、本日分を打ち終えて、朝の賄い夫を始動させましょうかね。


心何処ーショート 下り坂お天気さん
               下り坂お天気さん(9/17/11)
 今日は確り、夢を覚えて居りまする。久し振りに、金髪美形のシングルママさんの夢でありました。この数日、寝付きが悪く為って、三時過ぎの就寝である。私の場合、夢を見るには些か温度が高い方が、好い夢を見る確率が高い様である。

 台風の遡上でムッと蒸し暑い寝起きであった。寝汗を吸った下着を着替えて、すっかり寝過ごした朝の賄い夫に立つ。

 へへへ、10時半の起床であるから、ご母堂様に怒られて終うと云う物である。

 夢の残滓を繋ぎ合せて、その隙間に彼是と論理で加工して、夢のストーリー展開を反芻して見るのが、夢観賞の面白さなのである。

 朝飯を食べて居ると、携帯の受信音である。さてさて、寝過ごしたツケは忙しい。小鳥達の世話をして、歯磨き洗顔である。天気は下り坂ではあるが、蒸し暑さは半端では無い。

 コーヒースタバで注文して居る最中に、店長さんの顔を見て、快作の戯け画集を持って来るのを忘れて終った。遺憾いかん、本日のセクハラトークが不発に終わって仕舞った。

 奥の定位置で、アイスコーヒーを飲んで居ると、S大仏文学の先生が上って来られた。先生はニコニコして、紙袋から先頃行って来られたフランスの写真コピーを見せて下された。教え子のフランス生活とか、交換留学生の様子見とか、写真を出して説明をして下される。

 成田からの出発は、コーヒースタバでコーヒーを飲んでから出掛けたとの事である。車で行ったから、途中で台風に掴まって、高速を降りて迂回路、迂回路の連続で、やっと辿り着き、帰りの飛行機は足止めを喰らって、一日遅れの帰国であったそうな。そして、翌日は町内の早朝清掃で、大変だったとの事である。

 然しながら、流石に仏文学の教授先生である。コーヒーショップ、ケーキ屋など歴史に由緒ある店々の説明は、博識の専門家の語りである。

 コーヒーを初めてフランスに紹介したのは、イタリア人であると云う。黒い飲み物の余りの不評振りに、頭を抱え込んで仕舞ったエピソードとか、ルイ16世の前の時代に開業したケーキ屋のケーキの味とか、交換留学生の面倒を見てくれている教授の家庭に招かれて、歓待を受けた話の中で、中学生と高校生の娘さんの部屋にある日本の招き猫の置物などを指差してのフランス人の日本贔屓さなどを話して下される。行きと帰りには、思わぬハプニングに見舞われた物の、一週間のフランス滞在は、楽しかった様である。今日は、これから講演があるからと、先生は手を振って帰られた。

 フランス文学を講義すると云うのは、歴史・地理・政治経済にも通じて居ないと、味のある講義は出来ないのであろう。私も歴史が好きであるから、言葉の裾野にあるそれらの事柄が頭に浮かんで、先生の話を興味深く聞いた処である。

 スタバ・コーヒーの総帥がイタリア人との事ではあるが、こんなエピソードを聞かして頂くと、コーヒーとイタリア人の繋がりが、面白く感じられる処でもあるし、中東の飲み物コーヒーが、地中海こそが世界の海と古代では認識されて居たのだし、世界四大文明のメソポタミア、エジプトは、その距離的隣接と地中海と云う海に依って、混ざり合い統合して、世界史をリードして行ったのである。地中海を挟んで、南北は繋がり相互に文明を交換し合って来た歴史が息づいている。

 私の学生時代を振り返って見ると、周辺知識も経験も無い学生達が、先生の一寸した語りの中に在る素養・知識の拡がりを感知出来ないと云う未熟さは、真に勿体無いと後悔して仕舞う処でもある。
 大学は学問の府との事ではあるが、素養・教養の場と捉えれば、シニア、ロートル相手の市民大学、大学サロンと云う側面を、大きく伸ばして行った方が、味わい深いのだろう。教える技量に学ぶ技量が、程良くマッチすれば、その空間には、味わいの空気が流れると云う物であろう。

       へへへ、聴講料只で、好い話を聞かせて頂いた物である。

 さてさて、スモーキング・タイムを終えて、ホームセンターに金華鳥の餌買いである。

「おい、Tちゃんや、鳥でも飼わんかいな。近々、又誕生するぜや。孫へのプレゼント、情操教育って効果もあるぜや。あい。」

「手の掛る事は、パスだいな。明日は、娘の友達の結婚式で、東京なんだとよ。朝の三時に孫二人を預かって、ジィージだとよ。爺っさと孫に挟まれて、俺は身動きが取れんぞや。飼い主が、精力絶倫だから、それを見習って増え過ぎるんじゃい。」

 へへへ、ホームセンター後は、スーパーで、男賄い夫のボヤキ気分での、食材の物色である。まぁ、Tとオヤジさんの遣り取りを聞かせて貰うと、笑うしか無い。

 T曰く、「糞爺っさの野郎、する事が無いから、広告を見てやれ、刺身が喰いたいとか、季節だから、脂の乗ったサンマが喰いたいとか、生意気な口ばかり叩いてさ。いざ出して遣れば、ホンのチョコンと箸を伸ばすだけで、もう腹一杯、食べられんと抜かし遣がる。俺だって胃無し人間だから、食べれんぜや。ロートル夫婦に、爺っさの食事だわね。始末に困る。この糞爺っさって、頭ハッ付けたくも為らぁな。ヒヒヒ。」

「へへへ、以下同文だぜや。でも、あれだね。傍で聞いてる分にぁ、親子の<お笑い劇場>だけどさ。本音は、シャー無い、シャー無いの『コンニャローメ劇場』ってもんだしな。まぁ、こんな事が出来ると云うのは、血の通った親子だから出来る事でさ。基本は、子が親の面倒見て、見取って遣るのが人間の務めだし、理想だわな。
 いやはや、お互い大変な事ですわな。イッヒッヒ。ロートル街道は、馬鹿に徹するのがコツだぜね。人間が余程出来て居なくちゃ、孝行息子は務まらんぜや。あい。」

「そうそう、甘え遣がってさ。倅には、見苦しい面晒すのにさ、ホームヘルパーの訪問日と為りゃ、髭剃って、頭撫で付けて、サングラスなんか掛けてさ。
<ウワ~、★★さん、カッコ好い、男前~。>なんてチヤホヤされて、<おぅ、そうずら。俺だって、若い頃は、男前で、モテタもんだいな。>なんて、ほざいて居るんだから、とんでも無ぇ、糞爺っさってもんよ。」

「ヤァ、好いじゃないの。一子相伝のDNA繋がりで、明日は我が身の観察が出来るんだから。あれかね、俺がその歳に為ると、手癖が悪いから、ヘルパーオバちゃんのケツ撫でて、禿げ頭をビチャン、ビチャンとひっ叩かれちゃうんだろうかね。」

「アハハ、そんな野獣見たいな体と顔付だぜな。どうせ、世話される時は、<手錠>掛けられて割増料金請求されるんだろうが、今から、未来を想定して<行儀見習い>をして置いた方が好いズラよ。あい。」

「左様でゴザンスかいね。手錠、猿ぐつわ、行儀見習い、割増料金なんて日には、丸でSM調教ってザマじゃないのさ。」

「そうさや~、女王様~!!って、泣付くより仕方あるめぃよ。」

 へへ、コーヒースタバの前半は好かった物の、最後の落ちが、女王様~!!じゃ何んとも、嘆かわしい物である。まぁ、好いか。夢の中じゃ、好い想いをさせて頂いたのであるから。ギャハハ~。

 灰色の雨雲に、すっかり涼しく為って仕舞った風の強さである。明朝の町会一斉草刈りは、果たして如何なるお天気さんに為る事やら・・・


心何処ーショート 蔓み蚊
                   蔓み蚊(9/16/11)
 夢からの目覚めなのではあったが、半日を置いて仕舞うと、一向に夢の内容が浮かんで来ない処である。夢は、殆どの人が毎日見て居る脳内現象なのだと云う。夢現の幻、夢の儚き様は、夢から目覚めて5分以内に頭の反芻をして置かないと意識・記憶に残らないとの事である。歩留まりの極めて薄い夢に対して、<意識的な残し作業>をして置か無かったのであるから、幾ら精神統一をした見た処で、無駄なのである。

  それが、美形夢なら、真に勿体無い事をして仕舞った物である。とほほ。

 本日も、真夏日の容赦ない太陽の照り付けである。朝食後は、ラジオの国会中継をBGMとして、残暑の暑さに辟易として居る次第である。現役を卒業して、ラジオ流しの日常を送って居ると、テレビ視聴のエネルギー消費が、物凄い物と思い知らされる処である。こんなに疲労度が違う物であるから、余程良質の物で無ければ、時間と体力の浪費と云う物である。

 さてさて、グターとして居ても始まらぬから、風呂を沸かして洗濯でもするしかあるまい。母の入った後は、浴室を纏めて洗い流すとするか。束子洗いのついであるから、今度はトイレ掃除する。風呂上がりの身体であるから、汗掻きの私は、水を浴びた様な汗の流れである。

 まぁ、これも仕事と思えば汗の流れも、仕事の対価なのであるから、終われば気持ちの好い汗掻きと云うものである。老母も私も、食欲の無い残暑連続日であるから、昼はアイスクリーム、ヨーグルト、お菓子で済ませた。

 玄関廊下が、家での動線の中心と為るから、玄関鳥は目に入る。日中の暑さ故に、番い鳥は巣から出て居る事が多い。玄関土間には水打ちをして解放して有る。水打ちの有無は、家内の風の通りに、大いに作用して居る処でもある。

 そんな空中に、蚊が交尾飛びをしているのが見えた。バチンと手を打つと、掌に蚊の潰れである。ザマァ見遣がれ!! 刺され放題の憎き小蚊である。交尾中の蚊を潰して遣ったのであるから、その効果たるや、何十匹潰しの大効果である。嬉しい事、この上ない。

 交尾中の蚊を見たのは、初めてである。蔓んで飛んで居るのであるから、大きさは二倍、動きは1/2であるから、バチン潰しには、格好の対象なのであった。これで、外そう物なら、運動神経は下の下なのである。

<蔓み飛び>と云えば、トンボを連想する処ではあるが、蚊も蔓み飛びをするとは、驚きと共に、為るほどとも思えて、感心した次第である。

 人間の交尾とは違って、斯様に昆虫・動物の交尾は、云って見れば無防備の危険極まる行為なのであるから、一切官能無しのショートタイムで終わるのであろう。百獣の王・ライオンとて、交尾の最中を襲われたら、為す術も無く無様にオスメスの骸を晒して仕舞うに違いあるまい。人間娑婆にだって、<腹上死>などと云う真に無様この上ない『遁死沙汰』もある処である。ギャハハ。

 電話に出ると、インターネットからチューナーで繋げて、テレビでもインターネット映像が3000円弱/月で、世界のニュース、映画もアダルト映像も見放題との勧誘である。

 選択肢の豊富さを吹聴するセールス・トークなのではあるが、人間の一日は、全く平等な24Hに過ぎない。一つを選択すれば、他を捨てなければ帳尻が合わないのが、有限なるこの世の掟でもある。視聴は、何かと、時間を占拠されて終う<魔の口>でもある。官能と商売の虜に為って、交尾シーンを繰り返す人間とは、正しく特化の種なのである。

 私も好き者であるから、興味はある物の、そんな物に嵌って終ったら、毎日、寝不足の日々に陥って仕舞う。女日照りのロートルオヤジが、股間の一物を握り締めて、口から泡を噴いて、事切れて居たなんて醜態を晒したら、家族から葬式拒否を喰らって終うのが、落ちと云う物である。生命ある物、いつ何時、あの世に召されるか、油断禁物なのである。

   へへへ、バチンと即死送りをして遣った蔓み蚊を、念頭にお断りする。


心何処ーショート 眩しい朝日浴びての朝打ち為り
           眩しい朝日を浴びての朝打ち為り(9/15/11)
 昨日は網戸の張り替えをして見た。簡単と云うか、その仕組みの簡単明瞭さには、舌を巻いた。誰が考えたか? これぞ、合理性の極みと云う物である。

 網とサッシは、網戸に作られた溝にゴムで固定される仕組みなのであるから、抑えのゴムを引き抜いて網を被せて、サッシ周りの溝にヘラ状のローラーで押し込んで行き、余分の網を鋏でカットすれば出来上がりなのである。

 先週忘れて終った資源物のゴミ出しに、早起きをして出して来る。久し振りに<ビジネス展望>を聞く。現役時代は、欠かさずに通勤時の車の中で聞いて居た物である。専門家の分析、意見をコンパクトに聞ける好番組は、結構頭に入る物である。

 それに引き換え、昨日から始まった国会の代表質問は、如何も言葉とは裏腹の胡散臭さ満載と云った感じである。風貌・態度・声の質が、どっしり落ち着いた感じであるからドジョウ総理の答弁は、実に中身の確りした堂々とした物が、聴覚的・視覚的には伝わって来る。こんな処が、新総理誕生時での世論調査の<高支持率>と為って印象付けられて居るのであろう。そんな物は、言葉のアヤで<錯覚の好期待値>と云うだけの事である。

 そんな苦々しさを腹に抱いているから、昨日テレビからの映像からは、騙し口上の巧さが際立つ。尤も、前任者の菅無理総理が酷過ぎる域にまで達して居たのであるから、比較効果としての錯覚・幻影が働いて仕舞う。従って、普通でも<格段に好く見えて仕舞う>のであろう。

 聞いているだけで、好くもまぁ白々しくも、述べ給う物である。菅無理政権の重要閣僚として、唯々諾々として来た男が、表紙を張り替えただけで<抜けシャーシャー>と熱弁を奮う物である。質問書を提出して貰い、その応えを官僚が官僚言葉で認めて、総理が原稿を朗読するのであるから、官僚的逃げに長けた<抜けも卒無い>のも、当然の結果なのである。←これを称して民主党の厚顔無恥、心臓の剛毛振りと云うのだろう。

 然しながら、此処には作成側と読み手のクロスがあって、テレビ、ラジオでそれを見たり聞いたりする側には、全て総理が書いて読んで居ると云う『錯覚』が働いて仕舞うのである。この錯覚は、労務管理用語からすれば、<ハロー効果>とか<論理誤差>とか云われる物である。

 人間とは多かれ少なかれ、『錯覚の動物』なのである。刑法的に云えば積極的な偽計は、詐欺の口に入るが、相手が勝手に錯覚に陥るのは自らが招く<自招行為>として罪には為らない処である。又、法的には多くの場合、嘘は罪ではあるが、沈黙は罪とは為らない。
 こんな処から、人間は古来より『責任回避のテクニック』として、相手の無知に付け込んで<錯覚誘導の技法>を積み重ねて来たのでは無いだろうか。

 こんな風に、下衆の勘繰りを働かせてみると、面白い事に気付く。一般語としては<操り人形><単なる使者>と云う言葉がある。

 操り人形と云えば、操られている本人の罪より操る人間が主役なのであるから、その人間の罪は教唆と云う吹き込みの罪が、成立するのは当然の処である。或る事を相手に持って行くだけの使者は、単なる伝達にしか過ぎないから、本人の為に、本人を代理すると云う精神行動が無いから、郵便配達人が脅迫状を配達したからと云って、一切の責任も罪も無い処は、これまた当然の話である。

     さて、前置きはこの位にして、本題に入りましょうかね。

 錯覚の動物、詐欺、教唆、代理、使者の言葉を頭に置いて、国民、マスコミ、政党政治、政治家、官僚の関係を観て見ると面白い国家・社会・人間模様が見えて来るんじゃ無いでしょうか。

 政治家と言葉の関係が、当世富に取り沙汰される処である。各分野の専門官僚の作成した答弁書と云えども、それは閣議に諮られて大臣・総理大臣の言葉として発せられるのであるから、それは『注文書』でもあり『追認書』でもある。これは分業で成り立つ人間の実社会の様であるから、一切文句などは無い当然の流れである。これらの一連の運びに、幾ら臍曲がりの私とて、異存など無い処である。

 政治家と言葉の関係が、民主党政権に為って、目を覆いたく為る様な<軽さ>に陥っているのは、一国民として嘆かわしいの一語に尽きる処である。文章作成と朗読の分業化が此処まで顕著に為って来てしまうと、朗読側は単なる使者の体たらくの有り様である。言葉に魂を入れるべき政治家の言動への無責任さは、正に詐欺・ペテン師の段階にまで立ち至って居る昨今である。

 自分の言葉で自分が文章を書いて、それを朗読すれば、全てが自分の手から成る処であるから、人間、早々は健忘症・無責任には為れないのである。自分の中に備わって居る物なので在れば、言葉に血が通い、言葉に重しが掛るのは、極当たり前の<言行一致の様>なのである。
 
 それが借り物の言葉であるから、言葉が軽く為るのである。言魂が<言の葉っぱ>に堕落しているから、立ち場、波風が変わると、ヒョイヒョイ、フラフラ、ヨレヨレと行方知らずの人の踊りを仕出かして仕舞うと云うのが、その実態に近かろう。

 小宮山厚労大臣対安住財務大臣の煙草増税に関する所管の鞘当ては、その根底にNHKの先輩後輩関係の感情的不純物も含有されている様で、丸で政府高官の態を為して居ない様に見受けられる。就任9日にして更迭された鉢呂経産相のとんでもない馬鹿騒ぎ、白服女史、爬虫類目の責任回避に長けた条件限定答弁の域を脱し無い<原発事故A級戦犯>の能弁型枝野の復活・・・etcと、人材薄き政党のザマは、国辱の極みでしかあるまい。

 福田総理と小沢代表の時に、人材不足・経験不足政党故の<足入れ婚>騒動があった事は、お忘れでは無かろう。私は大人の常識と観察して居た処ではあるが、政権交代で鳩山・菅・野田と総理は交代したが、烏合の衆・民主党は、どうしようもない鵜合の衆の実態を晒して、反省も無き<低学年並の学級委員会の醜態>を、ただただ言葉の修飾で逃げ回って居るにしか過ぎない。

 新内閣最初の国会が四日との事である。昨日は13時から始まって15時半の2時間半の代表質問と答弁である。民主党ドジョウ内閣さんよ。錯覚の動物・国民を愚弄するのも、好い加減にしておくんなましであるぞよ。遣る気があったら、二日で済む中身ではないか。

 こんな実質ふざけた政治手法に手玉に取られる国民は、決して我慢強く、人が好いとは云わないのである。正に馬鹿国民として、『世界に映って居る』のだと覚醒すべきであろう。へへへ、違いまするかな。

 さてさて、朝食の賄い夫に移行して、寝床に戻りましょうかね。早起きは三文の徳とは云いまするが、少しはまともな文章に為って居りまするかな。へへへ。


心何処ーショート 下衆ロートルの吐露・・・なり。
            下衆ロートルの吐露・・・なり。(9/14/11)
 小鳥の成長は、実に速い。囀りも未完行進、嘴の黒も先にチョコンと残しては居る物の、頬の金、胸の横縞、脇の鹿の子模様も揃って来て、何処から見てもオスの容姿である。

 水曜日は、ヤクルトコール日である。今週のお披露目画は、二枚である。ママさんはヤクルトを持って来たのだが、老母はヨーグルトに手が伸びたから、ヨーグルトにして貰う。二枚の内、一枚が一枚である。幾ら吾が戯け傑作画と云えども、私の方が気が退けて、セクハラトークも何もあった物では無い。

<恋の情を訪ぬれば、名を惜しむかな男ゆえ>の、牧水様の一節もある事である。仕方が無いから、その個所を手で隠して、絵の説明をする始末である。へへへ為りや。

 男子番から高のコンパ歌に登場する<周りに毛のある草履虫>さんは、戯け画の右上部で、アハハと笑って居られるのではあるが、これでは余りにストレート故に、相対するニショウ様を前に、(★幾ら夫婦生活の盛りなのではあろうが・・・) 常識ある男族の端くれとしては、口が裂けても説明が憚れる次第なのである。

 男同士の猥談には格好の話の<肴・盛り付け>には為るのであるが・・・ まぁ、これ程ストレートに描いて仕舞うと、行けませんわね。物事には、互換性の有る物と無い物とが御座りまする。イッヒッヒ~。

 然りとて、この画の当初の意図は、鍬、鎌配置に、スケベと助平の違いの奥深さを拝聴して、ビックリ仰天の形相に、チャッカリ如意棒の好奇心のお出ましを<吾がベロ出し>で、茶化して見た図なのである。
 絵の細部の吾が苦心を遡れば、講師と聴講生の間に在る『ピンクの好色ベロ→鎌→鍬→女体の透かし・ラーの微笑み』に結んで、イタリアルネッサンス期のボッカチオが表したボッカチオに登場する男と女の下世話猥談集の世界を、長屋の熊さん、八っつあんの日本が誇る落語話に平行移動させて見たのである。オッホン。分かるかな~。

 好色戯け爺っさの百薬の長話に、脳裏には燦然と輝く<周りに毛のあるゾウリムシ>改め『太陽神ラーの微笑み』を隠してしまったら、それこそ、男と女の畑仕事・青春の麦畑の和みファンタジーには、絶対に届かないのである。

 然しながら、本日ヤクルトママさんは、体調が好いのだろう。頗(すこぶ)る艶々したお顔であるから、吾が邪(よこしま)為る戯けビームなどは、太陽神ラーのお光で軽くメルトダウンして、自省の念が頭を擡げて終った次第である。

 いやはや、如何も私は育ちが好いと云うか、内向性の強い小心者と云うか・・・兎に角、自省心・自制心が強過ぎる損な性格なのであろう。まぁ、此処は仕方が無いから、<ドジョウが金魚の真似をしたって、ショウガネェじゃん。>で、大人しく引き下がるのが、肝要の口なのである。テヘヘ~。

 本当は、こんな戯けロートルの作画意図並びに、楽しみ一杯の絵解きを、イヒヒ、オホホ、ギャハハ、オー、助平、ド助平、変態なんて、軽口を叩き合って、馬鹿を承知のセクハラトークをしたい処なのではありまするが、痴性に勝る知性・教養の禍で有りまして・・・

 へへへ、本日、セクハラトークの捌け口を、顔の一切見えないブログ訪問者の紳士淑女様各位に、限定報告させて頂いた次第で有りまする。ギャハハ!! 何卒、女日照りの続くロートルに免じて、暖かい御同情・惻隠の情を頂戴叶いますれば、幸甚の極みでありまする。

 さてさて、本日は国会中継があるそうな。全部屋掃除機を掛けて、布団でも干して置きましょうかね。

                 大講義なり



心何処ーショート いやはや、暑さ疲れなり。
              いやはや、暑さ疲れなり。(9/13/11)
 いやはや、身の置き所の無いどんよりとした蒸し風呂陽気である。何もする気にも為れずに、ゴロゴロとテレビを見ている内に一日が、早や夕方の5時である。テレビの半分は、扇風機の首振りで訪れる風の中で、おなざりの画面を見たり、目を瞑ったりの聞き流し状態である。

 台風の影響で巡って来た秋の足音に馴染んで来た矢先の、真夏ぶり返しの日々に、すっかり調子が狂って、残暑疲れの身の重さに捕まって仕舞ったと云った処なのである。何もして居ないロートルが、こんな事を言って居たら、現役世代には大目玉を頂戴して仕舞うのだろうが、これは生身の身体の正直な感想である。

 如何やら、このお天気さんは日曜まで続くと云うのであるから、ウンザリの『二乗恨』ってなものである。弁舌上手のドジョウ宰相で、民主党の表紙替えで糊塗するよりも、日本のヤオヨロズの神々に禊ぎをした上で、お祓いの国家行事を断行した方が、宜しいのでは無いだろうか。

 まぁ、一日の大半を母の部屋でゴロゴロして居たのであるから、何かと言葉を交わしたりであったから、僅かばかりではあるが、母の気休めにも為ったのだろう。ベットの上で、身を横たえて居るだけでは、感覚が一点集中で、不快指数が高まるだけである。遣り切れない蒸し暑さには、分断策が肝要なのである。

 母の部屋の蛍光灯が、寿命のチカチカをしている。買いに行って来なければ為らない処なのではあるが・・・ いやいや・・・如何ともし難く、身も心もシャキッとして来ない。

  これでは、遺憾いかん・・・賄い夫としては、サボタージュは、甚だ宜しく無い。

 さてさて、活入れにシャワーでも浴びて、ホームセンターまで行って来るしかありませんやね。吾が身のナマクラ根性に付き合って、<先送り口実>を四の五の言って居たら、国民・被災者に厳しく、自分とお仲間には優し過ぎる党内融和目線のナマクラ与党の民主党議員先生達と同レベルの好い加減人間に為って仕舞う。遣るべき事が有れば、口実回路を立ち切って、ロボット人間に徹するのが一番である。

 白毛混じりのラジエターながらも、中には男のキンタマが二個鎮座して居るのである。男は、最終的には、男のキンタマに恥じぬ行いをしなければ為らないのである。へへへ。



心何処・・・眼鏡
                     眼鏡
                 眼鏡

 今日も、暑い日中でしたね。それでも、夕刻に、強い雨が降りまして、涼しく為りました。散歩に出そびれて、お絵描きタイム等をして、雨の止むのを待って居た次第でありまする。相変わらず、訳の分からない絵で有りまする。

 へへへ、絵解きは、題名の『眼鏡』と右端に姿を現わしている<ドジョウ様>です。さてさて、右端のドジョウ様の腹の色は、<赤>か<土壌改良の土色>か、無色透明の眼鏡を通して、じっくり拝見して行きましょうかね。


心何処ーショート ぽっかり浮かんだ入道雲なり。
              ぽっかり浮かんだ入道雲為り(9/12/11)
 9月も中旬に為って、夏のぶり返しであるから、暑くて敵いませんわね。夏に帰って、今日も短パンだけの裸ん棒で扇風機掛けである。煙草の買い置き無くなって来たし、冷蔵庫は空に為って来た。買い出しに行かねば為らないのであるが、外の暑さを見れば、腰が退ける処である。季節の浮気は、尻軽女、性悪女よりも、性質が悪いのである。

 窓辺に若鳥籠を置いて、訳も無く煙草に火を繋いで、アメリカン・コーヒーを啜って居る。ボレー粉と巣替わりの容器の位置と止まり木の位置を変えてのレイアウトをして遣ったから、動き勝手が好く為ったのであろう。活発に飛び回る。羽休みには、夜のネグラの黄色容器の縁に止まって、じっとして居る。

 四匹いたサワガニは、一匹が逃走して、一匹が死んで、残るのは二匹である。如何云う訳か、水が汚れるのが早過ぎる。これは餌の所為ばかりでは無く、サワガニのヤツは、加熱が不足すると、ジストマ菌に感染するとの事でもあるから、<雑菌性が高い>のでは無いかと勘繰りたく思う。
 小さな容器は、四匹から二匹に替わって、水の汚れが格段に改善されて居るのであるから、これは強(あなが)ちピント外れの観察でもあるまい。それまでは、朝の管理として、容器内の小石毎、ゴリゴリ、バシャバシャと手荒に洗って、臭い消しと水替えをして居た次第なのである。二匹が減って、これが適正環境と云った処なのだろう。

 唯一匹、生き残ったキリギリスのオスは、この処の夏のぶり返しに精気が蘇って、ギース・チョン・ギースを鳴いてはいるが、二重奏では無いから窓下のコウロギの声の方が、好く響く処である。

 無風に近い眩しい程の光が、雑木の日蔭の外に在る。お向かいさんの盆栽が段を重ねた中を、シジミチョウが数匹連なって、チョコマカと地表近くを飛んで居る。眼前の車に緑の葉を窮屈そうに接して居る南天には、黄緑の小実を一杯に付けて、眩しい反射を見せている。

 無風の品垂れ真夏日である。扇風機の風は固定して有るから、風を逸らせると小部屋の空気は、もんやりとした熱気の溜まりである。さてさて、権力者80人の知られざる実像と銘打った<「皇帝・王様」たちの世界史>も読み終えて仕舞った。

 冷蔵庫が空だと、賄い夫仕事も出来ぬ処である。<何は無くとも、江戸むらさき。> 賄い夫には煙草、生きる糧は、食糧である。

 それにしても、青空にぽっかり浮いた入道雲の眩しさじぁ、ゴザンせんか。暑くも気だるいお外ではあるが、ボチボチと自転車漕ぎでもして参りましょうかね。それが終われば、水槽の水も、蒸発量が活発で、川の水汲みをして来なければ為るまい。

 嗚呼、あ、・・・真に以って、とほほでありまする。総べからず、浮気は行けませんわや。


心何処ーショート とほほ、遣れば片付く為り。
             とほほ、遣れば片付く為り。(9/11/11)
 遺憾いかん・・・また遣ってしまった。二度目であるから、失敗には直ぐ気付いた。玄関のカレンダーで確認すると、来週であった。

 まぁ、折角、草刈りの出で立ちで早起きをしたのであるから、直ぐ様庭に回って、気に為って居た楓の刈り込みをする事にする。メタボ相撲取りの身体で、脚立に乗って刈り込み鋏でチョッキン・チョッキン、チョッキンナの刈り込み作業である。脚立でも届かないツンツンと天に伸びた小枝は、高枝鋏で切る。

 面倒臭がって、脚立の上段まで乗って、落ち様ものなら、正に<仏滅の沙汰>である。歳を取って臆病、神経が鈍く為ると、人間と云う生き物は、無理を回避して、急がば回れの『迂回路を選択する』物である。

 然しながら、万年野党のお気楽民主党議員先生達が、政権与党の三人目の総理の下、新閣僚に登壇した途端に、舞い上がって政府高官の立ち場と云うTPO以前の暴言・失言のテンコ盛り状況であるそうな。正しく、漫画の世界を地で行く<万年野党議員の脳軟化症の退歩症状>とは、凄い物がある様である。

 新総理・野田さんは、こんな下衆、小物の品評会をして、如何する心算なんでしょうかね。<ドジョウが、金魚の真似をしてもしょうがない>の本当の意味は、大政奉還の衆議院解散宣言でしょうが。←こんな事は、日本の小学生にも分かる連想ゲームでしょうに。

 泥の中に潜んで腸呼吸のドジョウが、泥と水面を呼吸の度に往復すれば、泥が掻き混ぜられて空気の通う土壌の改良に資するのは、当然の作用である。日本の衰退一方の土壌を改良するには、『自分の国は自分で守る。自分の国の教育は、自分の国で行う。理不尽な外国勢力・圧力には、自主独立の国益を獲得維持して行く。』のが、政治家の気概であろう。それを持って体現して、国内問題・諸外国問題と厳として立ち向かう。←これなら、文句無しでカッコ好いでしょう。

 その為には占領軍限時憲法思想の<アメリカのクビキ>から脱却して、日本の国柄に根差した憲法改正は避けて通れない命題である筈。これを称して、『日本の土壌改良』と云うべきなので有ろうが。日本国民の多くは、政治家の言動に、それらを期待して待っているのでありましょうや。

 然しながら、外観とは裏腹に、それを言って終ったら民主党内では完全に『アウト』と為って仕舞うから、<ドジョウを金魚との比較で、ドジョウの儘>にして、一見、『保守的な情話』として語ったにしか過ぎないのが、野田さんの本音なのであろう。

 政治家の端くれなら、当然に想いが先行して、ドジョウ→土壌に論を進めて、硬直・酸欠衰退土の様相を呈している祖国日本の土壌改良に、立ち向かうと発信すべき処であろう。そう為れば、民主党代表選立候補者としての、憲法意識、外交姿勢、防衛姿勢が顕著と為って、内外共に日本丸の舵を執る日本国の総理の器か否かの国民的選球眼の対象と為ったのである。

 私が松下政経塾出身者で、気に喰わない点が、そんな体臭なのである。為るほど、彼等は一見平易な言葉で、政治の敷居・垣根を低くして、市民参加型の政治を語るのに長けている。

 然しながら、彼等の実態は、ご存知の様にマニュフェスト詐欺にして、ペテン師・言い逃れ逃避口・無責任責任転嫁人・無反省思い付き個人パフォーマー・ドロドロ内紛劇・自画自賛口上・イタチの最後屁・・・etc。←違いましたっけ。

 現代が多くの場合、統計的な手法で物事の因果関係を数字的に表す事で、事象の分析をして行くと云うのが主流である。経営学と為れば、生産して売るのが、その大骨格であるからマーケティング為る市場調査の手法は、大いに発展して、それらはコンピューターの発展に依り、いとも簡単に数字をインプットするだけで、多方面の因子入力に依ってスピーディーな管理システムに統合して、数字読みシンクタンク優先の企業経営をして居るのである。

 詰まりは数式とパターンから割り出される幾つかの予想・想定に基づいて、経営方針が決定されて行くのである。従って、要因の個々の物は、マクロの極々小さな組成物として捉えられて、余程の事が無い限りミクロの点検というライトも当たらずに、機械的な意思決定が下されて行く様なのである。効率・妥当性と云う物が、統計学と云う手法から導き出される時代は、管理する者・物と管理される者・物システムの時代なのである。従って、者の絶対多数は、今や物の分類に追い遣られて居るにしか過ぎないのである。

 此の統計学的大まかな妥当性の吹聴に長けた連中が、私には、松下政経塾の政治家達の大半を占めている様に思えて為らない処なのである。嘗ての早大雄弁部出身の総理が続いた時代があった。私は彼等の体臭が臭いほど匂って来て、嫌な連中と思っていたのだが、彼等の中には、未だ土臭さがあった。
 そんな雄弁部出身者が、このご時世では、松下政経塾出身者の何と多い事か・・・下世話では、彼等をもじって<松下出世塾>とも揶揄されているとの事である。
 平易な多言を弄するばかりで、いざと為れば腰砕け、軽い言動と言い逃れ体質が、目に余る処である。マクロに目が向いて、マクロを構成するミクロへの関心の薄さと、情の薄さ、大命題に対する腰の据わりの無さ・・・etcが、不満に思うのは、時代遅れのロートルのヒガミ、ボヤキなのだろうか。実際の処、如何なんでしょうかね。へ、へ、へ。

 これらの様は、私の様なロートル・スカンポ脳者に依ると、算盤勘定優先の石田光成の関ヶ原の決戦の敗北だとか、お役人、銀行が中小零細企業から嫌われる感情と、何処と無く似通っては居ませんかね。一般的に云えば、マクロとミクロの戦いは、民衆暴動で有ったり、ゲリラ戦であったりで、古今東西、何時の世にも遭った永遠のウネリなんでしょうかね。

 長ズボン、長袖シャツ、首タオルに帽子、長靴に軍手であるから、もう汗びっしょりの早朝作業である。

 親分無しの子分無しの日常であるから、何事もシャ~ナイの諦め先行である。溜まった宿題は、何時かの時に片付けるしか無いのである。それにしても、執拗な藪蚊共である。露出した耳、頬を何箇所か喰われて、痒い痒いでありまする。

 それにしても、昨初冬に枝切りをしたのに、あれよあれよの間に好く伸びる枝葉である事か・・・ ついでであるから、老朽化のキジバトの巣も取り除いて、巣を掛けるのなら新しい巣を掛けるべしである。二畳の小部屋から見ると、好い具合に散髪が叶ったと云う物である。

 へへへ、誰も、私のセンスの良さを褒めちゃ呉れないから、自分で自分の労力を労うしかないのが、寂しい限りである。刈り上げた枝葉を運んで、丁度、草刈り作業時の小一時間の仕事量であった。

 当然に早起きであるから、寝足らない処ではあるが、目覚めて運動をした体細胞が眠く為るまでには、時間が必要である。さてさて、何事もついで仕事である。一度も磨いた事も無い刈り込み鋏であるからして、廊下に胡坐を掻いて、お遊び仕事である。

 お茶を入れてくれた老母から、<早起きは三文の徳>などとからかわれて、磨いた後はガスコンロで水気を飛ばして、機械油を垂らして置く。現役の頃は、こんな手の掛る事は大の苦手であったのだが、毎日が日曜日のロートルに為ると、何かを見付けて作業をしないと身体が鈍って来ると云う物である。朝飯の用意をして、食べて、上半身裸のテレビ見をして、漸くの瞼の重みである。

 夜も暑く寝苦しかったが、今日も既にカンカン照りの暑さである。一時間半ほど寝て、暑さに目が覚める。四畳半に移って、隣机の椅子に足を乗せて、扇風機のご厄介に為って、ラジオを聞く。

 本日、風弱き湿度の高さ故に、何とムッと籠る蒸し暑さである事か・・・ 股間のラジエターもフヤケ気味である。シャワーでも浴びて、不快指数を強制冷却して置きましょうかね。

 イッヒッヒ、タマ無し女族には、分かるかなぁ~。分からなきゃ、女のモグリってなものでありましょうや。ギャハハのハ。

心何処ーショート へへ、孫の婆ちゃん孝行。
             へへ、孫の婆ちゃん孝行。(9/10/11)
 日が傾いた頃、散歩に出掛ける。本日はコースを別に取って、護国神社に行く。夕刻の神社は、犬を連れた同年輩の男二人とすれ違うだけで、誰も居ない静かな境内である。

 中鳥居から緑青の噴く本殿の佇まいを眺めるのも好いが、本殿から中鳥居、外鳥居を囲む鬱蒼たる森の佇まいを眺めるのも好い。この雰囲気が好きで、私は小学生の時分から、一人で此処へ遣って来て、森の中の静寂と野鳥達の姿を追って居た物である。

 さしもの暑かった太陽もアルプスに没して、広い境内には、盛りを過ぎたセミ時雨の残滓と夕刻の静けさ、涼しさがある。コウモリ達がネグラから飛び立ち、夕まず目の空を縦横に飛び始めている。

 私は本殿から両脇に構える狛犬像を従えて、大きく立つ木製の中鳥居に続く白御影の石畳みの中央をゆっくりと歩く。何やら奇妙な事に、コウモリが大鳥居から湧き立つ様に、次から次へと飛び立って居る感じである。近付いて大鳥居の下から見上げると、丸柱を貫通する横木の僅かな隙間から、コウモリ達が次々に現れ、空に飛び立って行くのである。

 こんな所の僅かばかりの隙間を、ネグラとするコウモリに感心すると共に、コウモリの身の薄さにビックリした次第である。翼の大きさと体毛に依って、見た目の厚みとは別物で、きっとコウモリは小さく薄平らな生き物なのであろう。
 生きたコウモリを実際に見たのは、唯の一度だけである。中学生の時、教室に迷い込んで居たコウモリを見付けて、男子生徒が箒、ハタキを手に追い回して、叩き落とした出来事があった。その当時の学童の読み物は漫画であったから、コウモリは吸血鬼ドラキュラ伯爵、悪魔の手先であった。

 恐怖と疲労の末に叩き落とされた<奇っ怪な生き物>は、見るからに豚鼻の見苦しき生き物であった。これでは、鳥類にも哺乳類にも相手にされなくて当然の醜態生き物との絶対の<確象>を覚えた処でもある。私は面食い趣味であるから、コウモリに対しては興味無く、今日まで過ごして来た。
 それが、コウモリが如何に小さく薄い生き物とは、全く知らなかった処であった。記憶の中のコウモリは、飽く迄、毒々しく大きく見えて居た様である。

   へへへ、斯様にして、人間の記憶とは、結構好い加減な物である。

 明けて、本日土曜日、代筆を仕った文作と挿絵が大層気に入られた様で、斜向かい吟さんが、畑のウラナリのミニスイカの輪切りを、キリギリスの餌用にと顔を出された。主役第二弾として、新ドジョウ宰相のドジョウを土壌に二段活用して、文章を書いてくれとのご希望である。いやはや、二匹目のドジョウの喩えでは無いが、早々、ドジョウの次を見付けるのは、難しいのである。
 立て板に水の如く、集中豪雨の如く自説を捲し立てられて、表層山崩れどころでは無く深層山崩れの態である。深層山崩れと為れば、森林、土、岩石ごと根こそぎの土石流の様であるから、到底、文作素人の私の手には負えない雲行きである。

 お相手は一周りに近い年長者様である。若輩者・小心者の私は、粗相の無い様に、頷くしか対応の仕様が無い処である。へへへ、ご感想、ご意見は大分違う様である。

 参りましたなぁ~。他説を打つには、自説に近い理解が叶わなければ、代理打ちは難しい相談なのである。

 そんな時に電話が鳴って、倅からの電話である。倅曰く、来週は婆ちゃんの誕生日だけど行けないので、今日行くから、昼飯は用意し無くとも良いとの事である。

 次いで、Tからのお誘い電話である。本日も、昨日以上の夏日である。Tシャツ、短パン姿でのコーヒースタバである。Tのキリギリスも暑かったり寒かったりの天候攻撃で、今残って居るのは、鳴かないメスキリギリスが一匹だけとの事である。斯く云う私の所は、オスが一匹だけが残っている有り様なのである。

 まぁ、人間の身体とて、温度環境に順応するには、7~10日を要すると云うのであるから、親指程度の昆虫キリギリスにとっては、例年とは違って乱高下の温度環境に順応する暇も無く、短命のシーズンに遭遇して仕舞ったのだろう。

 Tの町内では大宮があるから、縄が張られて縁日が並ぶそうであるし、明日は吾が町会同様の一斉町会清掃日との事である。前回は寝過ごして、不名誉の出不足金1000円を支払って来たとの事でもあり、二度続けて遣らかしてしまったら、何を言われるか堪った物では無いとの事である。へへへ、外目にはヤクザもどきの不良ロートルコンビに見えるかも知れぬが、根は至って、硬派の優等生なのである。

 例に依って、一服タイムの後は、ホームセンターに行く。昨日の鎌研ぎ時に、つくづくと安物鎌の薄さに思う処が在って、研ぎに値する本格的鎌を買う事にする。

 さてさて、本日、夏日の暑さである。ホースで玄関周りと母の部屋周りに、タップリの打ち水を放水していると、倅家族のご登場である。

 孫もすっかり大きく為って、首も据わって来た。首が据わると何かと、気が楽である。倅持参の寿司に自家製漬け物のキュウリ、ナス、ウリの粕漬けと特製とっ辛味噌を添えて、昼食会である。

 孫は周囲に囲まれて、至れり尽くせりの過保護状態であると云う。一人っ子政策の中国小天皇子にでも為ったら、お先真っ暗の<聞き分けの無い男>に育ってしまう。赤児抱きが私に回って来たのを幸いに、大泣きをさせて思う存分の『模様眺め』である。

「泣け泣け、世界はお前中心には、回って呉れないのじゃい。抱いて貰いたかったら、動いてタッチをして見んかい。ただ泣いているだけじゃ~、事態は好転せんぞや。馬鹿モン。」

「お前さん、幾ら泣いたって、アブドーラ・ザ・ブッチャーのエルボードロップの餌食に為るだけじゃい。這い摺ってでも、自軍コーナーへ転げて、タッチしか助かる手立ては無かんべよ。世の中、他力本願に非ず、自力本願じゃぞい。如何する、如何する~。イッヒッヒ~。」

 生後5カ月の赤児は、引き付けを起こした様な本格泣きの態ではあるが、これぞR家流好い加減さなのである。手が8本もあるに、1本の手すら伸びて来ないのであるから、赤児も可哀想な物である。

「如何じゃい、参ったか。この家はユニークの館だわね。これを称して、カルチャーショックって云うんだわさ。ギャハハ。三つ子の魂、百までじゃわい。見事、娑婆の大海を泳ぎ切って見ろや。へへへ。」

 兎に角、熱暑のぶり返しである。二度目の母乳を飲んで、裸にして貰うと赤児の笑い顔である。ワイフ殿に言わせると、若い娘っこにはキャッキャッと相想を振り撒く、先天性好色の血潮が流れて居るらしいとの事である。

 う~ん、左様であるか・・・底流に流れる好色さが有れば、後はカルチャーショックを早めに経験させて、爺っ様が果たせなかった<金髪妄想の夢>を、現実の物として果たして貰いたい物である。聞いて見ると、3歳児まではNO運賃との事であるから、先ずは手始めにウラジオストクでの世界見学をするのも、英才教育の緒かも知れぬ。

 何事に付けても、大計は、一代では果たせぬ。<信長公が餅を突き、秀吉公が捏ねて、家康公が餅を喰らった。>などと云う歴史揶揄もある処である。100年の国家大計との云い方もある処である。一世代30年として、私・倅・孫と為れば、丁度100年と為ろうが・・・イッヒッヒ~。




心何処ーショート 今日も残暑日なり
                 今日も残暑日なり。(9/9/11)
 朝の内は、カッと照り付ける太陽であったが、曇り空と為って来た。本日、最高気温は31℃に上がるとの事である。朝掃除をして居ると、ゴミ袋を持った斜向かい吟さんのお姿であるから、吟さん主役のイラスト入りの通い文作綴りを、お渡しして置く。

 この頃は、一日があっという間に過ぎ去って、唯生きていると云うだけの感じである。何もする事が無い時は、歴史本を細切れペースで読み直して居る。縦軸の大まかな歴史の流れを頭に置いておく為に、数カ月繰り返し読みをして置いたから、歴史面白本を読み直して見ると、記述、切り口の違いの前提と為って居る歴史の捉え方に、幅と深みが出て来て<実に面白い>処である。

 或る意味では、歴史と云うのは一つの認識と云うべき物であって、その認識の違いから其々の歴史観が作られて来るのであるから、立派な先生達の歴史観だけを鵜呑みにしてしまうのは、些か勿体無いと云うか、芸の無い読書である。世の中には、色んな観方・考え方、評価の違いが在って然るべきなのであるから。<混沌たるどっち付かず>が、世の実態なのであろう。

 そうであるからこそ、人は<目利き>の人の言を頼りにして、混沌たるどっち付かずの『不安定さ』に、『安定と云う望みを得る為』に、常識とか知性とか教養の目利き達の言を、拝聴して居ると云った処が、無意識の精神作用なのであろう。
 遥か時空の彼方の歴史上の人物と歴史的事象に対して、その先導的役割を果たす人達が、歴史家・小説家・教養人達なのであろうが、遥か時空の彼方人・彼方事象を現代人に<通訳>するには、当然に現代と云う様変わり世界に住まう人間達に、古文を現代文に訳すばかりで無く、<現代的焼き直し>を試みなければ、説得力が乏しく為って来てしまうのは、否めない処なのだろう。

 現代的焼き直しが酷過ぎると、歴史の改ざんが進んで先導的役割が何時の間にか、『扇動的役割』を演じて終う事が多かろう。歴史小説と云う歴史に題材を取った小説・物語は、作者の歴史観、人間観を現代視点で焼き直して、世に問うジャンルの意味合いが大きいのだと思う。それを一般的に分かり易く、映像で語る物が、映画でありドラマであろう。映像と云う敷居の低さが一般受けするのは、これまた世の常である。

 歴史への先導役が儘すれば、個人的な歴史改ざんの扇動役と為って終ったら、大変な薄っ平らなご時世と為って仕舞う。増してや、それが政治利用などされたら、とんだ宣伝行為のプロパガンダに毒されて終う。

 世の中、総べからず、相手の言を<鵜呑み>にしてしまったら、相手に付け込まれて利用されて終うのが、大勢である。云うならば、大学一年の時に、初めて接した言葉ではあるが、正に<一書悉(ことごと)く信ずるは、書無きが如し>の真理である。
<和して同ぜず>の一定の距離感を持って、耳を傾けるのが、凡人の平衡感覚と云うべきものでありましょうや。然しながら、くれぐれも、<相手悉く信用せずは、破滅の道>ですから、不信道、まっしぐらの被害妄想は絶対に行けません。へへへ。

 さて、話を戻しましょうかね。歴史は人間達の日々の出来事、暮らし、思いの積み重ね。組織、国の日々の行いの積み重ねである。外交・経済・政治の日々が、時の長いスパンが重しと為って、背骨・骨・筋と云った物が残るだけの<骨格標本>の様な物が、歴史なのであろう。周辺物が溶け出て、形を残して居ないから、何行かの記述で歴史が綴られているにしか過ぎまい。

 試験勉強で、歴史試験の点取り競争をする必要も無いのが、大人の趣味の歴史本の愉しみなのである。歴史記述の獏と拡がる空間に、雑知識・実体験の人間模様などを挿入して、歴史妄想のお時間とするのが、肩残らないマイタイムの過ごし方と云う物であろう。

 それが証拠に政治を見れば、野田新総理が好いと云う人も有れば、悪いと云う人もある。何故良くて、何故悪いかと云う理由も、人それぞれ。雑多である。野田新総理が誕生したからと云って、街の声でマイクを向けられて、<支持しますか><支持しませんか>と云われても、マトモな人だったら、即答など出来る筈も無かろう。

 マスコミなどでは『ご祝儀相場』などと、よくよく考えれば、全く<訳の分からない形容詞>で、国民の新総理への期待値を支持率の高低を数字に現わす事で、何だかんだと適当な言葉で結ぶだけである。

 人間の期待値を分析すれば、幾つかのパターンが出現するのは、当たり前の事である。

 目利き達の期待値の分析にこそ、最大の興味がそそられる処なのではあるが、それらへの言及が一切ないのであるから、マスコミも地に落ちたと云う物であろう。
 信ずる、期待すると云う頭脳回路は、観察と云う時系列を追った統計学から割り出した方向性への信用度、期待度の判定・判断でありましょうや。それが証拠に、信用は、長い地道な行為の積み重ねから頂戴するもので、不信への道は束の間の転落道と云うではありませんか。

 消化不良のスカンポ脳ロートルと致しますれば、高い知能指数と俸給を手にするマスコミ従事者様なのであるから、<真面目に仕事を遣っておくんなまし。>ってな物である。

 チョンジ、チョンジ!!の大歓喜の声で誕生した米国初の黒人大統領・オバマ大統領は、ノーベル平和賞に輝いた迄は好かった物の、その行政手腕の未熟さも相まって、再選戦線には多難な前途が立ちはだかっているとの報道である。尤も、テレビニュースでしか知らない異国情報であるから、テレビキャスターの何行かの情報を見るしか過ぎない処である。

 然しながら、米国国民から見たら、日頃、私が民主党政権をボロ糞に扱き下ろして居る国民が大勢居ると云う事でありましょう。ティーパーティとか云う市民支持団体の声が、一大旋風と為って、その国の指導者選挙に大きな力を持つ。映像・情報氾濫の現代先進国の民主主義選挙とは、きっとその様な物なのでしょう。

 そんな日常の諸々の出来事が、歴史と云う<漬け物樽>に入って、時と云う大きな漬け物石を乗せられて、歴史料理として食卓に並べられたら、違う見た目と食感、味覚と為って居るんでしょうね。

 時代の進みが緩やかであった時代には、漬け物は自家製で其々の地方、家庭の味が沁み渡って居たんでしょうが、今や分業の画一的漬け物工場からの商品がスパーに小分けで大量に並ぶご時世です。

 分業・小分けに徹して、分業・小分けの目利き達に、思考回路まで委託してしまったのが、忙しきも無関心な個人生活優先の行き着いた文化なんでしょうね。そして、文化が益々分化して、国家と云う大事な重し迄をも、分化軽量化させている様なんでしょうね。

 まぁまぁ、各分野の重しが軽く為った分、前後左右上下360度個人の主張意見お喋りは、活発化して上手に為って来た物でありまする。とてもじゃ有りませんが、気の弱い口下手な私なんぞが、四の五の言える場は一切御座いませんわね。

            ガサガサ、バタバタ、チィチィチィー、

 玄関に異変である。コリァ~、案の定、開けて置いた玄関から猫が侵入して、下駄箱の上に三毛猫一匹である。大慌てで逃げて行く大猫は、野生さを失くした飼い猫なのであろう。野生の攻撃力が無くて、助かった。遺憾いかん・・・油断大敵。年に一度有るか無いかの一大事である。

 抱卵を始めた矢先の猫パニックである。それにしても、吾が玄関鳥は、私のそんな心配をよそに、再び藁巣の中に入って居る。左様であるか・・・ この位の肝っ玉で無くては、飼い鳥の世代を繋げて、歴史を築き上げる事は出来ないのでありましょうね。イッヒッヒ!!

 さてさて、今日も残暑日である。日曜日は、町会一斉草刈りでありますれば、鎌でも研いで置きましょうかね。取り留めの無い変なオヤジのうだ話にお付き合い下されて、感謝感謝でありまする。


心何処ーショート やっぱ、ゴタっ話は楽し。
               やっぱ、ゴタっ話は楽し。(9/8/11)
 ハハハ、曜日を間違えて、資源ゴミを出しそびれて終った。六時にトイレに行ったのであるから、勿体無い事をして仕舞った。

 昨日のミッドナイト散歩の折りは、綿を引き千切った様な大柄な鱗雲が天空を覆い、橙色の半月の月が、異様な輝きを見せて居た。月を囲む累々とした雲の巨大渦は、さながら台風の全体像を見るが如く、漠とした拡がりとボリューム感に満ちて圧倒される。橙色の月光に照らされて、綿の様な鱗片の形が、色んな形に見えて来る。
 
 それは、叫びの顔、怒りの咆哮であったり、ニンマリとした顔であったり、古代インドの性典・カーマ・スートラの態位に見えたりで、一時間弱のミッドナイト散歩は、空ばかりを眺めて一切飽きなかった処である。余りの雲のパノラマと刻々と変わる其の造形群には、名残が惜しく為って家の前の河川敷のベンチに仰向けに寝て、暫しの観賞をして居た次第であった。

 一つ利口に為ったのは、夕方、顰蹙買いの挿絵を一枚描いた処であるが、痴妄想を働かせるのは、何も人間にだけに特有な物では無く、自然と云うご存在も、時には、斯く如き大造形群の放出をお示しに為ると云う驚きであった。

 為れば、私如き小物が顰蹙画などと恐縮してばかり居ては、<笑止千万の小心者の行い>と云うべき物なのである。依って、これからは、正々堂々と折りに触れて、素直に描くのが、天の思し召しに叶うと云う物である。

          へへへ、<文句あっか!!>ってな物である。

 出来たてホヤホヤの挿絵共々、斜向かい吟さんに文作綴りをお渡ししたい処ではあるが、そのお姿は、目下の処、見えぬ次第である。とほほ。

 朝食、真似事掃除を終えて、若鳥籠を窓辺に置いてマイタイムを始める。囀り練習を時折入れる少年鳥は、如何やら好奇心旺盛な性格らしい。巣代わりとした黄色のプラスチックケースの上で背伸びをして、籠天井から嘴を出したり、隣のキリギリスケースの黒い蓋の縁を突いたりして居る。寝屋利用し始めたのも、この少年鳥である。

 年長の薄茶の成熟メスは、黄色ケースを巣と認識したのだろう。少年鳥の横に止まって前傾姿勢を取ると、尾羽を忙しく左右上下に小刻みに震わせて、『菊のご紋』のデモンストレーションを仕掛けるのであるが、相手は内為る本脳の囀り練習も、その緒に就いたばかりのアドケ無さなのである。差し出したメスの背への飛び乗り以前に、母親の匂いが、未だ恋しい段階なのであろう。未発情の少年鳥は、あどけなき嘴で発情メスの尾羽を挟んで居る始末なのである。

 へへへ、<如何せんや、メスの本性を知らぬ吾が身は、未だ母恋しの少年鳥よ。>ってな段階なのである。まぁまぁ、メス鳥さんや、慌てずとも、その日は来るのである。

 そんな目の保養をして居ると、和製チャールズ・ブロンソンさんのガス料金の集金である。月に一度の集金日は、愉しい戯け画交換会見たいな物である。美大出の口髭ブロンソンさんは、私の戯け画ファンだと言って下さるから、奇特な御仁である。

 言わずと知れた本日のメイン画は、<斜向かい吟さんの大講義画>である。観賞以前の抱腹大笑からスタートしたのは、勿論の事である。流石にゴタッぺ男同士の会話であるから、我等が若かりし頃の男女間模様と当世男女間摸様との比較論で、話は大いに盛り上がって仕舞った次第である。

 根の隠しだての無い正直さだけが取り柄の吾が身為れど、連日の悪乗り投稿だと、少ない訪問者様からの不評が祟って、吾が辺境ブログなど、ブログ樹海に没して仕舞うのは、火を見るより明らかである。此処は大英断を以って、割愛と致しまする。ギャハハ~~。


心何処・・・9/5大講義の図なり。
                 9/5大講義の図

                 大講義なり

 9/5分投稿の<久し振りの面白話なり>の、そのまんまの挿絵でありまする。

              演目・・・スケベと助平の違い
             
             講師・・・斜向かい色白吟さん(70代♂)
            聴講生・・・アガタ・リョウ  (60代♂)
          怪気炎会場・・・庭臨む和室六畳にて
             
 さてさて、戯け画観賞にショックの紳士淑女に於かれましては、9/5分久し振りの面白話に是非とも、お目を通し為されて、70代+60代ロートル男の<痴能指数>などを、ご想像為されて吾身の上品・品行方正振りに安堵為されませ。

      今回は、絵の解説は一切無用かと存じまする。へへへ~の屁。


 

心何処ーショート 本日、清々しき日為れど。
              本日、清々しき日なれど。(9/7/11)
 秋には早いけど、秋晴れなんでしょうかね。雲一つない青空です。まぁ、残暑日が何日か復活すると云いますから、気温がグングン上昇して行くんでしょうね。はい、現在の処、長ズボンと長袖シャツでありまする。29℃まで上昇するとの事でありまする。

 昨日今日と、持病の腰痛である。これも季節の変わり目と云う物であろう。昨日の昼散歩の時には、長袖シャツで歩いて居ても、然程汗も掻かずに済んだ。
 尤も、昨日は久し振りのお天道様のご登場で、河川敷のベンチの上で、洋梨・リンゴを丸齧りしながら、ラジオをBGM代わりに、老眼鏡を掛けて読書をしてからの夜散歩の前倒しをしたのである。

 ボチボチ歩いて居ると、青葉の中に青い柿の実が覗き、コスモスが咲き、川原の中にはオオハンゴンソウの黄花の群生が在ったり、草の中に、白、茶、薄茶のキノコが、ポツンポツンと顔を覗かせていた。
 歩く足元からは、トノサマバッタ、ショウリョウバッタ、カマキリなどが飛んで、未だ色付かないアキアカネなどが、何んとも秋の歩みを知らせて居た次第であった。

 本日水曜日であるから、週一度のヤクルトママさんと、気楽に話を交わし朝食後のテレビ流しをして、自室の定位置である。先ずは極薄のアメリカンを啜り、煙草の揺らぎである。

 小風と太陽の輝きに、窓全開の小部屋である。藁巣に座り始めた番い籠は、玄関から動かす訳には行かないから、若鳥籠を窓辺に持って来る。少年鳥は、時折、将来の囀りの内為る血潮の囁きか・・・何と、下手以前の愚図りをし始めている。黒い嘴の根元には、脱色の白味を僅かに見せて、オスの特徴である頬毛、胸毛、脇毛が色ずんで来ている。

 ホームセンターには、適当な藁巣が置いて無かったから、藁巣代わりに大きめの黄色のプラスチック容器を、籠の上部に掛けて置いた。昨夜は、若鳥の一羽がその中に入って寝屋として居た。一羽が入れば、その内に巣として定着するのだろう。

 生物とは、有限の世界で代替物を探して、生活の一部として利用するしか無いのである。へへへ、まだまだ藁巣が恋しい若鳥の大発見と云うべき物であろう。

 為るほど為るほど、事情を抱えての女日照り邁進の賄い夫生活を励行する吾が飼い鳥達である。何事も、<足るを以って知り、生きる。>のが、日本人の美徳の一つでもある。お主、中々に筋が好いではないか。戯けは、生きる演技。戯けでは生きて行けぬのが、世の実態であるぞよ。イッヒッヒ!! 

 9月の声を聞いて、産卵管の剣を土に差し続けたキリギリスのメス達は死んで、オス2匹が残る。緩い動きではあるが、そのオス達は、命終わるまでギース・チョン・ギースと鳴き続けなければ為らないのが、彼等の一生である。

 もう一踏ん張りである。食糧は心配無用である。進み行く秋に向かって、有終の美を飾るべしである。

 部屋外の雑木、アジサイの茂みの中では、コウロギの声がせっせと鳴り、ミンミンゼミの夏を惜しむ様な声が、小さく聞こえて居る。

 さてさて、秋晴れを愛でて、昨日同様に河川敷のベンチにメタボの身体を横たえて、読書の続きでもして参りましょうかね。

 本日、清々しき日為れど、嗚呼、腰が痛いでありまする。ったく・・・歳は、取りたくない物で有りまする。とほほ。


心何処ーショート 秋風吹き抜ける定位置
                 秋風吹き抜ける定位置(9/6/11)
 一向に落ち付かないお天気さんである。夜散歩はタイミングを逃してしまった。まぁ、昼間の自転車漕ぎがあったのであるから、サボるとしよう。する事が無いから、台所で肉ジャガを仕込んで置く。仕込んで置けば、朝火に掛ければ味も浸み込んで、朝賄いの手抜きも出来る。

 台風の影響で、すっかり気温的には秋の夜長の様相である。当然に窓を閉めてあるから、窓辺のキリギリスが深夜に為ってもギース、チョンで鳴いている。金魚達は動きの少ない浮泳の前ヒレを静かに動かして居るだけのポーズで、私の方を見て、時折欠伸の様な大きな口を開けて居る。

 ラジオからは、小さなボリュームで深夜便が流れている。さてさて、斜向かい吟さん用の文作綴りの続きを印刷して置くか・・・ 8/29~9/4までの17頁分であるか。
 今日は、少し早目の布団に潜り込むとしようか。西部劇で寝付けと致そうか。アメリカンコーヒーにウィスキーを落して、印刷に取り掛かる。

 重過ぎると、真面目に最後まで見て終う性質であるから、軽めの物が好かろう。回転椅子を回して、書架のビデオテープコーナーの西部劇パッケージを物色して行く。

 久し振りに暑さの目覚めであった。先ずは寝起きの一服である。朝日に照らされてムンムンする四畳半である。ゴミ出しをして来て、深呼吸の気持ちの好さである。西のアルプスは分厚い黒灰色の雲に隠れているが、風に乗って、白い雲の合間に青空の進攻中である。

 黒灰色、白雲、青空の動的コントラストが、自然の不気味さを現わして、雄大なスケール感を見せている。ウォ~リャなどと、原始人の咆哮を発したい気持にも為って来る処でもある。

 馬鹿ほど声がデカイは、人の世の倣いである。私の弩声は大きいから、そんな声を発し様ものなら、即座に家々からご近所さんの顔が飛び出して来てしまう。ユニークが気違い扱いされて終っては、駐在お巡りさんの聞き取り調査に晒されて終う。縦(よ)しんば、そんな事態に立ち至ろう物なら、精神科の診断書と引き換えに、留置所放免なんて事にも為り兼ねない。

 何事も、人間の社会は<壁に耳あり、障子に目あり。>の柵社会なのである。決して本能的衝動に駆られる事無く、常識の範囲内を逸脱させないのが、生きるコツなのである。

 老母の動きを待って、小動物達の世話係をして真似事掃除の段である。番い鳥達は、藁巣の中に、其々に4個、5個の卵を産み付けて居る。いやはや、全部が孵化して仕舞うと大変な事に為って仕舞う。羽毛の違った物の誕生には興味があるが、<子供手当>が支給されないのが、貧民ロートル財布には、実に困る処なのである。

 民主党新厚生・労働大臣様の第一声が、煙草税のUPとやらである。欧米先進国と比べて、日本の煙草は格安の<健康野蛮国>なのだと云う。一箱700円程度が、現在の税収維持が叶うから、毎年の100円アップが望ましいとの事である。
 
 国民の嫌煙世論を味方に付けて、煙草撲滅の税収ゼロは困るから、値上げ分の増税と煙草減の収支を算盤で弾いて、多数決の味方面をして姑息な悦に入って居るザマでは無いか。 

 笑止千万!! こんな程度の女史が民主党の大臣なのであるから、政治家何ぞと云う輩は、好い加減なものである。そんなに煙草が憎かったら、正々堂々と『煙草禁止法令』を国会に提出すれば良いのである。

 ご法度、禁制品を<闇の世界>で大儲けするのが、アル・カポネさんである。大麻、コカイン、覚せい剤よりも、ご法度の煙草売りの方が、薄利多売で儲かるから、闇社会の商売もアコギさが薄まるかも知れぬでは無いか。ニコチン切れの禁断症状で、人殺しも、酔っ払い運転で、轢き殺し・轢き逃げ事件も起こらぬでは無いか。

 煙草発祥の地・北米のインディアンさん達が、国を奪われ衰退種族に陥ったのは、煙草のニコチン中毒の所為だったんでしょうかね。<インディアン、嘘付かない>の宣誓と友情・信頼の煙草の煙交換の方が、余程嘘八百、言い逃れ放題、無責任放題、責任転嫁法大の国会討論より益しでしょうに。

 兎に角、イタチの最後屁を咬ます好い加減男の象徴総理の菅Gからの入閣者なのであるから、帰り咲き白服女と同様の個人主義の権化さんなのであろう。きっと、顰蹙買いのオンパレードで、暴言・失言のテンコ盛りと為るのは、必至なのであろう。阿保臭。

 どだい、党の綱領すら作れない万年野党の烏合の衆が、マスコミの一大旋風の『風』に便乗して、政権の座に座ったまでの事である。ワイワイ、ガヤガヤの言いたい放題の体質から脱却する暇も無い総理交代、内閣改造の寄木大工なのであるから、推して知るべしの感想でしか無い。

 言いたかぁ無ぇが、日本の政治家が一番遣っちゃ行け無ぇ、外国人献金を受けて居て、その落とし前も付けれない政党の言う事なんざぁ、誰が耳を貸すんでしょうかね。拉致被害者事務局長の『政治の闇』に言及した増元氏の参考人演説の方が、一国の総理の言より心を打ったのは、一体何故なんでしょうかね。少しは、周囲を見て、物を言っておくんなまし。

 社会の不満分子の窓口如き市民活動家が、精々5~6%のコア活動をして来たからと云って、前後左右360度から成る国民全体の舵取りが出来る筈も無かろう。IQ指数がどんなに高かろうが、ちゃんとした組織で社会人・指導者としての躾けを受けて来なかった人間の未熟自惚れ程、周囲の人間の協力を得る事は難しいの典型である。

 周囲の能力を引き出し、それらの能力を組織の推進力に束ねて行くのが、指導者の最も必要な能力なのである。組織の躾けを受けて来なかった弱みの裏返しが、苛菅、閉じ籠り、各種委員会への丸投げ行動に現れているにしかあるまい。とどの詰まりが、菅無理内閣、ひいては、反自民だけで寄り集まっただけの集団が、民主党の旗を立てたまでの事であろう。少数の少数の色眼鏡で見続けた結果が、蓋を開けて見れば、後先、整合性すら持ち合わせて居ない『ピント外れの個人パフォーマンスの人騒がせの連発政治』であった訳である。

 昨夜、TVタックルを見たが、民主党の議員さん達の顔をマザマザと拝見いたしました。

 嘗ての政治家の言葉に、<信無くば、立たず。>なんて名言中の名言がありましたぞね。<信を得るには長い道程、信失うは束の間。> 堕ちた偶像は、然ながら<曳かれ物の戯れ歌>以下の虚しきも滑稽・失笑振りでしたわ。来たる衆院選挙での民主党の凋落振りが、間の辺りに見えて来た処でありまする。

 これでは芸NOタレント並みのお気軽ノーテンキ政治タレントのザマでありましょうや。少しは、テレビに晒す吾が身を恥為されませ。出てギャラを稼げて、知名度が増すとお気軽出演と錯覚しているんでありましょうが、馬鹿、恥の上塗り行為でありまするぞえ。

 選んだ国民、政権に据わった政党・・・ いずれにしても、<覆水盆に返らず>の苦みを共有するしか、処方箋はありませんね。『良薬、口に苦し』を噛みしめて、民主党最後の灯を見ると致しましょうかね。とほほに御座りまする。

 好いですか、人間騙されるのは、一度で沢山でありまする。二度三度騙されるのは、馬鹿と云うよりも、<真症マゾヒスト>と云うものでありまする。煙草のニコチン中毒者とは、異次元の心の病でありまするぞよ。くれぐれも、お気を付け遊ばされませ。ギャハハ~。


心何処ーショート 久し振りの面白話なり
               久し振りの面白話なり(9/5/11)
 好く寝た。夢を見て居たのだが、夢参加のご婦人には悪かろうが、いやはや、嫌に世帯染みた夢であった。若いだけが女の取り柄では無いのであるから、文句を言っちゃ行けませんわね。へ、へ、へぇ~。

 夜散歩の時は、雨も通り過ぎて居たから、二橋先まで足を伸ばして来たのであるが、明ければ、どんよりと曇って居る。パジャマ姿の儘、自室で煙草を燻らせて居ると、通い綴りを手にした斜向かい吟さんである。

  へへへ、朝の始動前であるから、ゆっくりとお話でも交わしましょうかね。

「あれずら、大分お見限りだったから、文作も分厚かったから、読み出があったずら。」
「あいあい、じっくり読まして貰ったわいね。相変わらず、硬軟取り混ぜて、アガタ節のお勉強させて貰ったわいね。イッヒッヒ!!」

 吟さんは、面白い事を言い為される。好色・エッチ・スケベとは、一緒くたんの物と思っていたのだが、スケベ=助平とは助けて平穏→平和への『徳の高い奉仕活動』との事だと説かれるのである。徳の文字を<スケベ得>と置き換えれば、好色男の私には、為るほどと胸にストンと落ちる説得力である。

 子種を授かって、胎児として十月十日を胎育・胎教してこの世に送り出すのが女の仕事。これとても男の事情で裏返せば、未墾の畑を見付けて<鍬入れ>をして、立派な農地にするには、男の助けが必要不可欠なのだと言われる。収穫までの畑は、常日頃の耕し行為が<土壌への酸素送り>が、好作物収穫に繋がり、不手入れだと嫌気雑菌の大増殖で<異臭畑>に大転落なのだと言われる。

 為るほど為るほど・・・微生物には確かに、好気性、嫌気性、中間性のグループに大別されると云われている。書物で読む処に依れば、堆肥作りの過程では、何度か切り返しと云う空気送りをして遣らないと、好気性微生物群が窒息死して仕舞い、替わって空気を嫌う嫌気性微生物の天下と為り、臭い臭気を発散させる栄養価の低い腐れ堆肥と為るとの記述が在った処でもある。

 へへ、真に理に適った科学的お話である。狭い畑にガンガンと力任せに煽って終ったら、空気過剰の鋤入れ同様に、不要の圧縮空気の排出音<ブピィ~>の連続音などが、暗室で響き渡る事などもある。流石に10歳の年長者様である。お説、一々思い当たる節が在ると云う物である。

   六畳の座椅子に、どっぷりと腰を沈めて、色白吟様は、怪気炎である。

 銃後の家庭の平穏・平和を願って、亭主は働き蜂に徹し、左右前後に頭を下げて社会に奉仕。家庭に帰れば、盆栽に手を掛けて、大小撫で撫で、チュバチュバ、ペッタンコ、ペッタンコの夜鍋・餅突きお仕事。家庭の平穏・平和を助けて、女房にはスケベと足蹴にされる。何のこれしき、大好物目の前にして、怯んだら男が廃らぁな~。

 スケベの漢字とその意味の不理解者とコンビを組んで、子育てを終えて、晴れてお役御免のロートル生活に差し至れば、娘も孫も、みい~な、婆ちゃん婆ちゃんのゴマスリ沙汰だぁ~。フットワークの軽い爺ちゃんは、何の事は無い。未だに女共の足代わりさね。
 冗談じゃ無ぇわね。我慢の一字で勤め上げりゃ、会社はご褒美に退職金を出して呉れるぜや。了見違いも、好い加減にし遣がれってもんズラい。蹴っ飛ばしてくれっか~。ギャハハ。
 
 何が、スケベ、エッチだや。気に喰わねぇったら、ありゃしねぇわね。土台、ハショリ言葉ばかりが大流行するから、<罰当たり解釈>が幅を利かして居るんじゃわね。スケベは、日本人なら正しく助平と書かなくちゃ、『男女の役割分担』の真っ当な事実と、それに続く感謝の気持ちが見えて来んでしょうが。教育を失ったら、国は滅びるぜや。

 農作地を、とっ替えひっ替え出来る男なんぞ、この世に一体何人居ると思ってるんじゃい。娑婆相場から云やぁ、一農地ずらい。法律にだってい一夫一妻って書いてあるじゃ無いのさ。一生に一農地と為りゃ、其処は庶民の知恵で、一毛作を二毛作、二毛作、日照時間をズラしたり、長短自在にして、開墾して春野菜、夏野菜、秋野菜のバリエーションを行くしかあるめぃズラ。

 それに何だぁ、山地だらけの狭い平地の日本と来たら、高地はだんだん畑の<口地利用>したり、近場の穴場だって、悪戯したく為るってぇのが、極普通の作男の勤勉さズラい。
 それを云うに事欠いて、スケベ、エッチ、変態、色情魔・淫ラン魔なんて、急所蹴りされたら、オオ、ヘルプミー、反則は厳禁、勘弁勘弁~でさ、男は立つ瀬は無ぇぞや。

 ギャハハ~、お説ご尤もで御座りまする~。痛く身に覚えのある処でありまする。

 然しもの軽フット・ワークの持ち主・色白前田吟様も、連日の雨雨の日々で、夏合宿所管理人のオーバーワークから解放されて、体力が漲って来たのだろう。スケベと助平との間には、これ程の奥深き違いが在ったとは、大いに勉強をさせて頂いた次第である。

 何でもかんでも、省略の<縮め言葉>の危険性を学んだ次第である。う~ん、恐るべし、歳の効。アジャジャ~、拍手喝采代わりに、叩き付ける雨音である。

 安息叶った吟さんは、先日の『青菜に塩』状態を見事に脱して、色艶回復して、久し振りの独演会を残して行かれた。何はともあれ、ロートルには下ネタ話の大笑いが、百薬の長と云うのは、確かな処である。ウッシッシ。

心何処ーショート 台風は去ったと云うが・・・
               台風は去ったと云うが・・・(9/4/11)
 風は収まり、台風は日本海に去ったのであろう。現在は明かりが欲しく為るほどの、薄暗き曇天無風にして、Tシャツだけでは肌寒い感じである。キリギリスは鳴いては居る物の、鈍い動きでノロノロと土の上を歩いて居る。盛夏の昆虫・キリギリスにしては、体が動かないのであろう。

 金魚達は腹が減ったのか、エアの泡をパク付いている。子供を別籠に移した番い鳥は、次の繁殖に向けて静かな玄関で、巣に入って居る事が多い。

 日曜日と云う事もあって、朝から休日モードである。加えて、こんなお天気さんであるから、目覚めモードに中々スゥイッチ・オンに至らないのである。YouTubeで政治討論を聞きながら、PC打ちをしている次第であるが、政治家・評論家の意見は、この位の個人の持ち時間が無いと、考えの一端が見えて来ない処である。

 テレビの細切れ意見・コメント交換では、する方も聞く方も、お茶濁しのお座成り番組で終わって仕舞うのが、感想結果と云う物である。知ったり、理解するには、それ為り、相当なお時間が必要と為る。話し手の語る内容に自分の類体験を重ね合わせて、言葉・表情に現れる話し手の言葉・言葉の行間に漂う<その人の人間像>を見極める感性が無ければ、心に刻まれる発見は無いのである。

 こんな論法を伸ばして見ると、一番の方法は、読書であったり、映画を見る事であろう。詰まりは読書に在っては、語り手は作家個人であり、映画の語り手は映画監督なのであるから。小説を読むよりは、その小説を美男美女に演じさせている映画の方が、私の性に合って要る。へへへ、私が小説を敬遠するのは、私に読解力が無いからであろう。

 観察対象としての人間ほど面白い生き物は無いのであるが、観察眼・観賞眼が無いと人間関係ほど<厄介で煩わしい生き物の関係>は無いのだろう。観察・観賞は、外部、他者からの刺激を自分なりの枠の中に引き入れて、自問自答のフィルターを掛ける事で、違いの分かれ目(対話者の争点)を把握・認識して、自分の中で整理整頓して行く作業と収納の過程と結果とも云えるのかも知れない。

 煩わしきは、所詮、限られた時間の中での表現は言葉に偏重して、言葉はその人の思考・意思窺がわせる<氷山の一角>でしか無い処なのであろうからして・・・ 表情を抑えて、使用する言葉の使用者の個性を極力抑えるのが、話す事の<作法>であった時代はテレビの文化の席捲で、個人の目立ってナンボの見苦しき『雑音パフォーマンスの大闊歩ご時世』と為って仕舞った。

 芸NO人が電波時間の主流を占め、芸NOパフォーマンスが、政治寄せにまでバラエティ化しているテレビ発信力の強さである。言葉に走り、言葉に流される。個人の自覚・自発性・行動力の涵養などの<言葉踊り>で、ゆとり教育が叫ばれ、授業の縛り、躾けが薄れて、本質を見抜こうとする人間の観察力・分析力・判断力以前の感性の涵養に失敗したツケは、真に大きかろう。

 歴史の時系列の行間に、西洋・イスラム・インド・東南アジア・中国・朝鮮半島・日本を知り、グローバルの原動力の経済の裏側に在る文明・文化の違いを頭の片隅にお浚いしながら、政治社会経済・その潮流を解説して欲しい物である。

 生まれ育った国柄が違う以上、思考方法も行動様式も違うのは、当然の事である。

 国柄は、当然に民族の遺伝子の中に流れる歴史の所産である。戦前全否定・占領軍現時憲法を金科玉条として、日夜<理想平和教>を妄信して居ても、国際連合などはこの世に存在しないのである。存在するのは『第二次大戦戦勝国連合』にしか過ぎないのは、大人の一般人が好く知っている処では無いか。

 これは金科玉条として教える教師・政治家が、一般常識から外れて居るのである。こんな事を言うと、殺されてしまいまするかね。

 孔子さん唱えた論語など、本国中華の国には、二千年も前に消滅しているのである。そして、漢人国家など完全に消滅して、今在るのは、周辺国家征服・混乱・混沌・抑圧の血筋から成る大混血国家でしかあるまい。それが証拠に、孔子の子孫とかを吹聴する中国人工作員が、しばしばテレビに顔を出すが、あんな輩が孔子の子孫なら、孔子塾が消滅するのは当然の結果なのであろう。人品卑しきにも程があると云う物である。←あの程度が、中国人の本性なのであろう。
 

 その古代思想を理想として、現代の中国・韓国に受け継がれていると『錯覚』して居るのが、理想平和教を妄信して居る平和憲法亡者共である。

 信じる事から始まる処の日本文化と、疑い、利用価値を見出す処から始まる異文化の違いすら学べない教育はと、<一体何ぞや!!>の思いが、甚だしい限りなのである。理想教育と同時に、疑い教育も、教育現場での提示であるべきであろう。

 北方領土のロシア、竹島の韓国、尖閣諸島の中国、日本を意の儘に酷使する嘗ての占領国アメリカ。ロシア、中国、アメリカも、彼等の根底には、農奴・奴隷の思想が色濃く漂っている。小中華と嘯いた事大主義の韓半島人にも、その少数が圧倒的他者を支配すると云う苛斂誅求の遺伝子が流れている。

     奴隷・農奴と日本の小作人とは、全く異なる社会制度であろう。

 ご存知の様に、黒人奴隷を禁止されて、米国横断鉄道敷設に導入されたのは中国人労働者のクーリー達であり、オーストラリアに労働者として大量に送り込まれたのも中国人労働者達である。労働を苦役と考える米国は、現代に於いても大量のメキシカンを受け入れ、ヨーロッパの経済大国も同様の策を採って居る。

 中国は少数征服王朝の支配策で、広大な領土と人民を、外国資本に貸し出して廓の様な置屋営業を仕出かして、支配者たる共産党幹部が富の大半を手中に収めると云った国家体制である。それにも増して、中国人の執拗さは、国内での国土と人民の外国資本への貸し出しと、積極的為る人民の海外貸し出し策なのである。

 オーストラリアが、此処へ持って来て俄かに、中国に呑み込まれようとしている訳では決してあるまい。東南アジアの国々で経済を牛耳って居るのは、華僑達である。この伝統は変わらず、日本にも大挙送り込まれているでは無いか。中国人は、スネークヘッドと云われる如く、頭さえ入る隙間が有れば、羊・子牛までも呑み込んで仕舞う大蛇なのである。

 これらの不埒千万な国に取り巻かれて居ては、田母神さんでなくとも、怒るのは当たり前の話では無いだろうか。ゆとり教育が、全く当初の効果・観察して考える素地を齎さなかったのは、火を見るより明らかな事である。戦後66年が経過して、大学進学率が50%を超えると云う高学歴社会にして、自己主張に長けて来たと云われている日本社会である。

 もうこの位で、無関心・表層合わせの段階から脱して、筋の通った日本の国柄主張が世界に向かって発信出来ない様では、天皇・皇族、靖国神社も消滅して仕舞うのは、時間の問題と為って仕舞う。真っ当な国柄に立つ日本国、日本人が復活すべきでしょうが。

 民主党内向き名演説『ドジョウ演説』くらいでは、如何し様も無かろう。これでは国の屋台骨が、溶けて行くのは当たり前の事である。←一国の総理・国難時の総理である以上、真面目に遣っとくれや。あい。

 休養の日曜であるから、流しの一日の様な物である。負担に為らぬ程度のシンキング・タイムに留めて置く事が、これまた、バランスの知恵と云う物である。昼散歩にでも出ようとすると、雨が降って来た。へへへ、お天道様から、不可の採点なんでしょうね。

 左様であるか、散歩は夜に回して、映画DVDでも見ながら、昼寝で致しましょうかね。
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