旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート うだ話為り。
                   うだ話為り(6/30/11)
 還暦後の手習いに似て、暇に明かつつ、結構真面目に世界史本に繰り返し目を通して居る昨今である。私の様に、無関心・不知・不勉強と云うのは、真に恥ずかしばかりである。世界史教科書も元を辿れば、西洋史と中国中心の東洋史の並列記述に傾いて仕舞って居るのは、否めない処である。

 マホメットのイスラム史、お釈迦様のインド史が、西洋史と東洋史を繋ぐ感じで、<軽く記述されて終わり>と云う感じなのである。歴史大国インドと中国の間には、『東南アジア』が、デンと据わって居るのである。

     ♪真紅な太陽燃えている。果てない南の大空に、轟き渡る雄叫びは、
      正しい者に味方する ハリマオ ハリマオ 僕らのハリマオ。♪

 然しながら、私の中で東南アジアの存在の何んと云う軽さか・・・ へへへ、白痴に近いスカンポ脳である。下手の横好きの世界史素人ではあるが、一応、頭の整理をして記して置かなければ、投入した学習時間が水泡に帰して仕舞う。『記録に勝る記憶無し』の真理なのではあるが、・・・

 然しながら、無い頭で自分に分かり易く歴史事象を整理整頓するのは、根気の要る嫌な<苦役作業>である。彼是、2週間以上も逃げて居る次第である。

 本日は8:15に震度5強の地震に肝を冷やし、その後何度も余震の脅しを頂戴して居る始末である。家を留守にする訳にも行かず、然りとて裸んぼを大の字にした処で、亀頭の海綿体に、血液が巡る力も無い。観念して、レポート書きでも致しましょうかね。

 世界地図を拡げれば、インドに接するミャンマー(ビルマ)、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナム、マレーシアが大陸部分で、東西の海を繋ぐマラッカ海峡を挟んで続くのはインドネシアの国である。その先にはフィリピンが在る。

 世界四大文明のインダス文明と黄河文明の中間点が東南アジアの国々なのである。高々20C西洋列強帝国主義からの第二次世界大戦後の独立国などと<侮って>居ては、それこそ白人西洋史の捕囚人の感想でしかあるまい。
 そんな狭偏思考を口に出して仕舞ったら、東南アジアの人々には、張り倒されて終う。東南アジアの国々は大陸国家であるから、全て陸続きの古の国家攻防の歴史を刻んで、今日を迎えて居るのである。

『海で結び付くインド世界と東南アジア』であり、『陸で繋がる北部ベトナム』と云った視点が必要であろう。

★南北に長いベトナムには、黄河文明の殷と交易した青銅文化のドンソン文化の『北』と鉄器文化のチャンパ文化の『南』が在ったそうである。←ベトナム北部は、1000年に及ぶ中国支配を受け続けた経緯も在って、ベトナム戦争は、米中の北と南で何年も争って居た根底の中には、青銅文化と鉄器文化の違いが横たわって居たのかも知れまい。

★ラオスと云うお国柄も、興味を引く処である。ラーオ族によるラオス統一国家の出現は、14C半ばのラーンサーン王国との事ではあるが、BC5000年頃には、既に黄河・揚子江の中間まで進行して、都市国家を造って居たとの事である。

 周・秦・前漢の時代には、中国との紛争が活発で在ったとの事である。唐の初期には唐の大援助を得て南詔国が立ち上がった物の、その勢力が拡大し過ぎて玄宗の時代に交戦を仕掛けたが、唐は二度とも敗れたとの事である。然しながら、漢人の権臣のクーデターにより国は滅亡したとの事。
 ラオスは都市国家的膨張をする流儀らしく、タイでは大理国滅亡後のスコータイ王朝を樹立して、王朝は変われども現在にも通じて居るとの事である。

 さて★カンボジアである。アジアの大河メコン川下流域には、インド移住者とクメール人(カンボジア人)が1~2Cに建国したプナム国があったそうである。水田の民・クメール人は、仏教を中心にして一代仏教国を東南アジアで開花させた大国である。大国の栄華は、アンコールワットに残る処でもある。6Cに興り13Cに衰退期を迎えるが、その版図・影響力は、ビルマ、タイ、マレーシア、南部ベトナムにまで及んだ。

 東南アジアの最盛期9Cには、北のチベット、東の宋に伍して、海の交易が盛んと為り、マラッカ海峡は交易の海として活況を極め、インドネシアには二つの王朝が栄えたと云う。イスラム商人、インド商人、中国商人の活躍する経済の海だったと云う。

 乱暴者モンゴル(勇者の意味)の活動期の後は、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムと云った国々が、肥沃の地メコン川流域に興亡を繰り返す歴史に突入するのである。

 此処で頭角を現すのが、★タイとビルマである。仏教文化の栄華を誇ったクメール(カンボジア)は、後発国ビルマ、タイ、古豪の南ベトナムのチャンパ王国に、蚕食されて行くのである。タイでは19C半ばには華僑の大規模移住に晒されて、都市住民の2/3が華僑で占められ、政治経済を乗っ取られて、それが現在にも定着して居るとの事である。

←与野党を問わず、低賃金労働者の移民計画などをぶち上げる馬鹿政治家が、偉そうな事を言って居るのであるが、お前さん達、国民に自惚れる程の脳味噌を持っているのかと、詰問したい処である。
 言いたかぁ無ぇが、俺ぁ不良仲間に連行されて、マレーシア、タイへは何度か足を伸ばして来たけどさ、好色男の視界にも、そんな華僑達の踏ん反り返り、胡散臭さは、プンプン臭って来た次第でありまするぞえ。偉そうに歴史を引き合いに出すのなら、一回こっきりの読み流し態度では無く、色鉛筆のマーキングの作業が必要だんね。あい。

 さて、脱線はこの位にして、話を先に進めましょうかね。そんな世紀を経て、時は19Cから20Cと西洋列強の帝国主義侵略を許す時代と為って仕舞った。

 ビルマは、英領インド帝国の一州に編入。ラオス、ベトナムは仏の保護国、カンボジアは仏領インドシナ。インドネシアは、オランダ領に。タイ一国が辛うじて、植民地の餌食に為らなかっただけである。

 そして第二次世界大戦後の独立復帰である。戦後66年。近年は、騎馬民族モンゴルの血を引き継ぎ過ぎたのだろうか、乱暴狼藉国家の大中狂国は、権益確保・資源確保で、陸はチベット、モンゴル、ウズぺキスタンに。海には南シナ海、東シナ海に悪手伸ばしを、言語道断の厚顔無恥の遣りたい放題の沙汰である。『国境は、隣接する国力の力関係で、動く。』のが、彼等の歴史的主張らしい。

 中国被れの馬鹿に私は、皮肉を贈呈したいのである。『悪手』を勝手に錯誤して<握手>と思い込んで仕舞って居る好い加減さが、どうも許せないのである。ニャロメ!!

 大陸国家間の攻防の歴史・大国・強国の興亡史が歴史教科書の説明である。そんな中では、西洋、東洋を問わず、版図と云う<力の線引き>が歴史であった事は、否めない事実である。
 大陸国家、半島国家、島国国家、島しょう国家と地理上・地政上の宿命が、国家には存する処である。吾が日本は、資源乏しき島国国家である。技術立国などと云う綺麗事ばかりでは無く海洋国家としての生きる術を平和ボケのノーテンキ思考でいては、日本国家は立ち行かないのである。←此処にこそ、歴史の提示するものが有るのでは無いだろうか。

 教科書知識ばかりだと、東南アジアへの無関心・不知が昂じて、南シナ海の異変にも素通りで過ごして仕舞いかねない。

 大した纏めも出来ない稚拙な知識仕入れである。こんな興味も無い長駄文を投稿して、ウンザリの訪問者も多かろう。然しながら、普段何かと忙しい現役世代に為り替わって、代理苦役を買って出るのも、時間だけは不自由しないロートルの務めと云う物であると考えている次第である。

 へへへ。是、即ち自己満足の一文でありまする。本日も、お付き合い、有難う御座います。中国の言い分なんか、フン(糞)、鼻でせせら笑って下さいよ。騙されちゃ、行けません!!


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心何処ーショート 先ずは報告まで
                  先ずは報告まで(6/30/11)
 いやはや、肝を冷やした。家が倒壊すると思った。揺れが止まって、母の部屋に行く。テレビを付ける。震源地は松本市で、震度は5強、M5・5との事である。こんな恐怖が有ると、極度の緊張感に身体が動くのだろう。老母はスルスルとベットから降りて、昇降座椅子に移り、お茶を注いでくれた。

「また、来るよ。これで二回目だ。日本が、如何にかなっちゃたんだね。」

 最初の揺れは微妙であったから、また東北で地震でもあったのかな、大事で無かったら良いのだが・・・と軽く遣り過ごして居たのだが、ミシミシ、グラグラと抉られる様に揺さ振られた。恐怖感は凝縮され撹拌されるから、半端な物では無かった。

 二度目が来た。半減した揺れである。余震である。地震エネルギーの半減で、気持ちが大きく安心に向かう。15分後の余震である。

 テレビでも揺れの大きさに比べて、被害は無かった様である。四畳半に行くと、水槽の水が零れて居た。金魚達は皆、底に固まってじっとして居る。メダカ達は普段の動きをしている。

 母の部屋で、電話が鳴って居る。電話を替わると、民生員のFさんからである。緊張した声である。連絡網を使っての確認行動なのであろう。町内の何軒に確認電話を掛けて行くのか知らないが、大変な事であろうと思う。

 ラジオでは、また地震が有ったとの報である。全く気付かなかった。窓ガラスが粉々に割れた被害と橋に被害があったとの通報で、被害確認の為に役所の職員が向かっているとの事である。

 金魚達は、漸くバラけて低層の動きをし始めている。地震予知のナマズの喩えもあるからして、これで安心だろう。私の方は、過敏な体質であるから、些か揺られて乗り物酔いの様な気持の悪さが、胸に残っている。今度は、有感地震である。

 薄日の曇天である。上空では、ヘリコプターの爆音がして居る。さてさて、<腹が減っては、戦が出来ぬ>である。朝の賄い夫を致しましょうかね。


心何処ーショート 今日も、暑い日で有りまする。 
            今日も、暑い日でありまする。(6/29/11)
 昨日の夜散歩では、蛍が良く見えた。何度か立ち止まり、かそけき蛍の光・飛行を見て、川原の墨絵の風情に、時が止まる思いである。夜にはサラリーマン世代のジョニング姿が多い。そんなジョギングさん達の目には、蛍のゆったりとした小さな蛍火が見えて居るのだろうか等と、声を掛けたくも為る気持ちである。

 自転車で乗り付けた河川敷では、学生達のバーベキュー・コンパがあった。夜半のバーベキューの臭いは、視界が広がらない分、結構な強さである。男女の境の無く為ったご時世であるから、ビールの入った若者達の声が橋下で活発である。

 日中が30℃を超すと、夜の涼みが必要である。そんな事も手伝って、足は勝手に動く。習慣は身体に負担を掛けないと、一定量の散歩を促す物である。

 此処まで来るのなら、財布を持って来るべきであった。コンビニで煙草を買って帰る事も出来たのに、失敗して仕舞った。外に出る時は、煙草のポイ捨てをしてしまう性質であるから、煙草は持ち歩かない事にして居し、自販機で飲料を買って終うと、これまた、飲み終えた容器はゴミと為るので、財布を持ち歩かない事にして居るのである。

 物臭者は、極力、ゴミの始末の煩わしさを予定して、<ゴミの元>の財布の持ち歩きをセーブするのが、コツでもある。物は、悉(ことごと)く考え様である。これまた、下衆貧民の生活の知恵でもある。

     汗でベト付いた身体をシャワーして、就寝前のマイタイムである。

 夜更かし男の朝は、太陽の暑気で目覚める次第である。部屋を移れば、本日もカッと照り付ける四畳半である。ラジオのスイッチを入れて、寝足りぬボワンとした頭に、モーニングコーヒーのアイドリングである。Celtic Womanの動画を見ながら、印刷用、清書校正の為に、文作を読み返す。

 彼女達は、素晴らしい雰囲気を持っている。『男の身体は上半身、女の身体は下半身。』これが本来のオス/メスが、備え持つ自然の体形なのである。私は、女体の胸の膨らみよりも、尻・腹部の量感・力量感を愛でるタイプである。加えて、軟からな白い皮下脂肪の上に載った森林の民ケルト女達の金髪系の素朴感を湛えて、整った顔立ちと生命の源・豊満な臀部は、正に<豊穣の祠に導く前庭>であろうが、・・・ なんともはや、<男は上半身、女は下半身。> へへへ、そんな素直な呟きも出て来る次第なのである。

 朝一番のアイドリングタイムで、こんな風に鼻の下を伸ばして居ては、予想気温33℃の日中ではスタミナが持たない。
 さて、雑念を払拭して真面目モードに切り替えである。保存版なのであるから、寝かせて置いた駄文にも、イースト菌が回って居ると云う物である。

 民主党閣僚人事が、ニュースに乗って居る処である。幾ら表現の自由と云っても、政治家、閣僚は、公人である。それもその他諸々の公人では無く、政府高官の意志を語る言葉なのである。
 菅無理内閣の面々は、余りに言葉が軽過ぎる。言葉が多過ぎる。類は友を呼ぶのか? ゴマスリ三人衆なのか・・・ こんなチンケな総理持ち上げ発言をして、仲間内だけの握手交換をしてニヤ付いている場合では無かろう。

       テメェ等、一体どっち向いて、俸給を貰って居るんじゃい!!
遺憾いかん・・・ これは、誰も相手にしちゃ呉れない下衆貧民の遠吠えである。前回の老醜尼様への文作を読んでいる内に、そんな政治家達への八つ当たり感情が、モコモコと頭を擡げて来て仕舞った。

 以下の文章は、補筆校正をした物でありまする。

★然しながら、女史お局には、今尚、女性信望者の多い現実が、厳として在る。言葉も、表情も、その作品も、全て個人の人格・個性から作り出される物である。全体は個に現れ、個は全体に通じる。それが偽らざる人間の実態であろう。
 作家・発言者であり仏門に在る身で、社会に自分の思いを発信し続けるお人であるから、当然にその知識として、時代背景とその時代を先駆けた諸々の事を周知して居る筈なのである。

 そして、影響を及ぼしたであろう<周知の時代背景>を、お首にも出さずに2時間スペシャルの案内役を遣って退ける存在に、若い頃、直感した『自己顕示欲の厭らしきエゲツ無さ』を、再び嗅いでしまった次第である。

 当然知って居る事、その影響下に在った時代と云う物の存在を一切語らずに、恰(あたか)も一対の男女が作り上げた<時代の先掛け>の様にして語って見せる態度は、余りにも主観的演出に過ぎると云う物である。此処まで来れば、『恣意』そのものである。恣意が過ぎれば、世はそれを『虚言・虚構(虚考)』と云うまでの事である。

 作家・仏門と云えば、一般人は客観論として鵜呑みにして仕舞う方向に誘導して仕舞う帰来が多なのである。恣意講釈は、虚構の世界の<小説>で遣れば良いのである。この辺りが、私にはエゲツナイ俗物尼に見えて来る処なのである。★

 へへへ、若しかしたら『仏罰』が下るかも知れませんが、<自己顕示欲の厭らしきエゲツ無さ>と遠望深慮なき目先の<飛び付き恣意脱線>ばかりに腐心する民主党・菅総理・ゴマスリ三人衆の政界遊泳に、この一文を読み替えると、何やら『世の魑魅魍魎の世界』が見えて来るかも知れませんぜよ。イッヒッヒ!!

「コンニチワ~。ヤクルトで~す。」
「あいあい、待っとくれ~。チョイと、区切りを付けるぜね。言葉が逃げちゃったら、スカンポ脳だから、復活困難だぜね。悪いねぇ~。」

「はいはい、お待たせ。スキンヘッドに、首タオルの裸んぼ大将だぜ、慰謝料だわね。味見して、OKならプレゼントだ。待って行きましょや。」
「ワッ、嬉しいな。Rさんの手作りイチゴジャムですね。ラッキー。」

 新作<小魚喰らう子蛇>があるから、下手絵を拡げて玄関廊下で胡坐を掻いて、そのシーンの再現報告をした処である。父親の夏のスタイル・短パン裸んぼ大将は、物心付いた時から見慣れているから、ヤクルトママさんには一切、拒絶感は無いとの事である。父上も、好い育て方を為された物である。有難い事である。

「Rさんは、明け広げで、明るいし、優しいから、助平な事を幾ら言っても、全然厭らしく無いですよ。がっちりした好い体格で、裸んぼ大将が良く似合いますよ。
男前だし、話が上手だから、楽しいですよ。きっと、人徳なんですよ。珍しい人ですよ。アハハ。」

 こんなゴマスリを頂戴しているから、私はヤクルトママさんの屈んで絵を見て居るキュロットスカートの白い太腿を見て、ケルテイック・ウーマンさん達との脳内比較をさせて頂いて、ニンマリの段なのである。

「自生自家製の野イチゴジャムだぜ、そんなに材料費は掛っちゃ居らんぜや。そんな<特大>のゴマスリされりゃ、別室に移って、全身マッサージでお返しするしか無ぇよ。それに、あれだわね。夏バテの人妻にぁ、ISO注射が効果覿面だんね。お代は要らねぇよ。ギャハハ。」

「またまた、助平オヤジ~。私、子供の時から、お注射は駄目で~す。又、来週お願いしま~す。バイバ~イ。」
 
 アリャリャ、一週間のお愉しみタイムも、あっという間に終了して仕舞った。ウナギ上りの気温上昇である。さてさて、吾が身は、賄い夫稼業である。煙草・蚊取り線香・殺虫スプレーを買いに行って参りましょうかね。


心何処ーショート 梅雨明け間近か?
                 梅雨明け間近か?(6/28/11)
 昨日の散歩の帰りには、メリケン粉の練り餌に玉浮きで、S大コンビが次々とアブラハヤを釣り上げて居た。バケツ持参であるから、私も川に下りて釣り話兼世間話をする。意外や意外で、こんな処にも大きなヤマメが居るから、遊びはハヤ釣りで、本気は日本古来のルアー釣り・テンカラ釣りをするのも面白いからと、話をして居ると・・・ポツリポツリ雨が、南洋のスコールの様な凄まじさで降って来た。

 雨ツブテ、艦砲射撃みたいな物である。こりぁ、堪らんから逃げ出すしか無い。帰って、ずぶ濡れの衣服は、其の儘、脱水機の中へであった。

 九州南部では、早くも梅雨明けとの事である。朝の暑さに、起床である。雨が降らなければ、天には夏の太陽が在る。今日は朝から、茹だる様な暑さである。じっとして居ても、暑いものは、暑いのである。
 然すれば、夏の観察でも致そうか・・・朝食後は支払いついでに個人スーパーまで足を伸ばして、夕方散歩の予備にして置こうと考える。

 テクテク歩きを始めるが、流石に暑い。<自転車でくれば良かった>との些かの後悔も浮かぶ処でもある。菅さん、原発停止の後遺症で、熱中死の続出とでも為って仕舞ったら、如何するんじゃい。節電の脅しで、去年並みの熱夏・熱帯夜行進なんてザマに為ったら、如何為るんでしょうかね。

 木々の枝葉には、この時期の害虫アメリカシロヒトリが、集っている。熟した梅の実が落ちて居る。子育てを終えた町内には、こんな空家のお宅が何軒かある。主の居ない家は、庭木も伸び放題、雑草も伸び放題の佇まいである。熱い瓦屋根の下からは、チィッチィッと、餌をせがむ声なのか、暑い暑いの連呼なのかは分からぬが、子雀達の声が盛んである。

 路傍の成長期を越した雑草は、夏の太陽に全身を焙られて、早くも<萎れの夏>を見せ付けている。手入れの行き届いたプランターの植物は、水分と栄養素を頂戴して、活き活きと夏色に反射して居る。丁度、ユリの季節であるから、観賞ユリの種類の多さには驚くばかりである。

 煙草だけを買う心算で入った個人スーパーではあるが、店に入れば吾が身は賄い夫である。彼是と買い込んで仕舞う。お目当ての煙草は、明日入荷との事である。

 手に喰い込むレジ袋を提げて、苦笑いの帰り道である。子育てを終えた町内のメインロードには、子供の頃、真っ黒に為って遊び呆けて居た上級生、下級生、その奥さん達が、緩い動きで、通りのプランター植物などに散水の世話などをしている。平日の昼下がり、子育てを終えたロートルの町には、静かな空気と時が流れている。


心何処ーショート 偶には、男芸者の出前為り。
             偶には、男芸者の出前為り。(6/27/11)
 散歩に出掛け様と外に出ると、ご近所さんの夕涼みお喋りである。御愛嬌を掛けるのも、ご近所付き合いの潤滑油と云う物である。散歩は何時でも出来る。早速、下手絵ファイル一冊を持って話題のご提供である。北隣の足腰がすっかり衰えた一人暮らしのオバさんが、玄関の横の椅子に座って、四畳半向かいのオバさんと話をしている。

 一人暮らしのオバさんは、ご近所の斜向かい吟さんとかお向かいさんが、日に何度か立ち寄って、話し相手に為って居るし、週に一度は、亡くなった旦那さんの弟さんが来て、庭木の世話などをして半日程を過ごして行くのである。

「あれずらい、そんな捻(ひね)たウバ桜同士で話して居ても、色気が無ぇずら、俺の馬鹿絵でも見て、笑いましょや。色気がくすんだお年頃にぁ、笑いが百薬の長だんね。」

「どれどれ、じゃ見させて貰うわね。」

「あれあれ、こりぁ、また、顔から火が出る絵もあるじゃん。まぁ、ホントに男は幾つに為っても、煩悩から解脱出来ないんだね。でも、好い趣味が有って、羨ましいよ。如何云う感じで描いて行くの? 私も、絵を描いて見ようなんて時期が有ったんだけどね。如何遣っても、描けないから止めちゃったんだけどね。きっと、そんなに時間も掛けないで、スラスラ描いちゃうんだろうね。色使いも好いし、描き振りが好いね。」

「あいあい、そんなもんだいね。人には其々、好きな物があるぜね。俺ぁオジサン見たいに、盆栽は出来ないから、感心して窓から見てるだけさね。盆栽だって、パッと木を見て、将来こんな風に仕立てようかなんて、考え無くても手が動いて、銅線を巻いたり、おっ、この枝は不要だな、ポッチンと剪定鋏が動くんだろうし、葉の色を見て、直ぐにチッソ・リン・カリウムの配合だって、暗算ずらい。
 好きって事は、自然に動くって事ずらい。俺ぁ、根っこは、みんな同じだって思ってるんだけどね。」

「アハハ、好く解ってるじゃん。ヤッパ、Rちゃんは出来が好いから、言う事が違うねぇ。そうだだよ。父ちゃんは盆栽好きで、私は歌が好きでさ。
 昔は今と違って、娯楽なんか無くてさ。お祭りなんて、直ぐ舞台が立ってさ。歌を歌うんだよね。そうすると、★ちゃんも歌が上手いから唄えって、煽てられるでしょ。子供だから、一生懸命練習して、皆の前で、大きな声出して唄ってさ。それで拍手、お菓子なんか貰うと、嬉しくて嬉しくてさ。
 それが、娘時代に為ると、今度は踊りでしょ。昔は娯楽が少なかったから、集中して練習して、お披露目したんだよね。今考えると、好い時代だった。」

「そうだ、そうだ。皆、そう遣って日本人は育って来たんだよね。今度の天災だってさ。都会の政治家が、右から左へなんて、人を移動すれば解決する問題じゃ無いのにさ。口じゃ巧い事言ってるけど、私ぁ、あんな連中なんか、一切、信用して無いんだよ。
 人の心の移動なんて、頭の中で考えて出来る訳無いのにね。テレビ見てても、言葉にも表情にも、全然人間らしさが感じられないんだから、人間味の薄い時代なんだろうね。嫌だ嫌だ。ワシは、そんな日本の姿を見たく無いわね。心の通わない日本は、哀しいね。」

「凄いわ。オバさん。<人の心の移動>なんて言葉が、スィッと出て来るなんざぁ、只者じゃ無ぇんね。マスコミの世界じゃ、都会のモヤシ子の為れの果て見たいな生白い人間達が、何かあれば<絆、絆>の馬鹿の一つ覚えだもんねぇ。

 瀬川瑛子の大ヒット曲<命くれない>は好い歌だけどもせ、男女の結び付きだけが、絆じゃあるめぇにせ。関係の糸が、個人から個人に、縦横無尽に繋がって、家族・職場・地域のそれが面と為ってさね。その地域に、何代も暮らして来てさ、それが面の厚み・深みを造り出して居るのにさ。絆って云うのは、単なる数本の糸じゃ無くて、大きな時代の中に在る立体形なのに、それを感じ取る感受性も無いんだから、笑止千万だわね。
 
 言いたくは無いけどさ、白服立襟の馬鹿女が、語尾の抑えが利かなくて、ホワ~ン、ホワ~ンと言葉流れがしてるんだけどさね。デカイ声じゃ言えねぇけどさね、顔は好い顔してるんけど、あんな物、素っ裸にひん剥いて見ましょ。鳥ガラ見たいな体付きで、本気でガチンコ・オールナイト・へイバーヘイバ~なんぞしたら、ぶっ壊しちゃいやしないかと、心配してさね。慈悲心が多少ある男は、立つ物も立たんぜや。ギャハハ。

 ありゃ、誤魔化しの目晦ましで、高級ブティック物の一着百数十万のお召し物だって触れ込みだけどさ。あんな物ぁ、男から見たら、鳥ガラ本体を隠す『甲冑女』ってなモンだじ。中身が鳥ガラのスカスカ、トゲトゲなもんだから、化粧してヘヤ―スタイルを整えて、目立つ着る物に銭掛けてるだけずらい。

 幾ら綺麗事、難しい単語を使った処で、男と女が分かり合う為には、直接の肌合わせが一番ずらい。肌合わせするにゃ、甲冑は不要だわね。昔から、女の体は、甲冑の替わりに皮下脂肪の円やかクッションを纏って居るって『仕掛け』に出来てるのにねぇ。自然の仕掛けをダイエットやらで捨ててさね、貧弱ボディを目晦ませの衣装で逃げる性根じぁ、人の心に届く言葉は出て来んずらい。違うかいねぇ~。イッヒッヒ。」

「ホントだわ。斜向かい吟ちゃんから、絵の話だとか文章の話を聞いて居たんだけど、Rちゃんの話は特級品だねぇ~。黙って居ると、隙が無くて怖い感じがするのに、真面目な顔して、よくもこんなに面白い話が、ポンポンと出て来るもんだわね。真面目なのか、遊び人なのか、分からない人だね。」

「ううん、違う違う。真面目な人だよ。男の子なのに、オバさんの面倒を一人で見て居るんだもの。おバァちゃんも、こんな親孝行な息子を持って、涙こぼして居ると思うよ。愚痴も零さないし、深刻な顔もして居ないし。意志の強い人なんでしょうね。」

「へへへ、アリガトざんす。何たって、俺ぁ馬鹿だぜね。」

「何言ってるの、馬鹿がこんな絵も、こんな面白くて楽しい話が、出来る訳無いでしょ。」

「あいあい、実は、そうだんね。馬鹿に為るには、馬鹿の修行をしなきゃ行けねえだいね。何事も、修行期間は辛いんだわ。イッヒッヒ。
 あっ、そうだ。今年も無事に、蛍がお目見えしたんね。さてさて、婆っさの飯の用意でもするわいね。久し振りに、異性さんと話が出来て、今夜は興奮夜だいね。じゃ又ねぇ。」

 政治家、自惚(うぬぼ)れて民を愚民と嘯(うそぶ)き、民は政治家の本態見抜いて、総選挙を手薬煉(てぐすね)して待つ為り。

 いやはや、この期に及んで、復興庁人事に、内閣改造の色見せを臭わす。こんな菅無理総理が、絆の言葉を多投して薄い言葉のキャチフレーズの羅列ばかりをして居るのである。これ程の見苦しきノーテンキ振りがあるのだろうか。

 先頃、安全日本を世界に発信させようと、報道陣を引き連れて、被災地松島を慰問して下さったデンマーク王子の爪の垢でも飲ませて遣りたい物である。俺ぁ、有難くて涙が流れたわね。デンマーク王子の背後に在る日本の天皇・皇后を中心とする天皇家の存在の有難さに、涙が流れたわね。

 あい、菅無理総理、民主党さん、如何しるだいね。少しは、目を拡げて、真面目に反省して、身を引く算段をしておくれや。選んでくれた有権者に誠意を見せる時が、来ているんでありまするぞえ。往生際の醜さは、日本人の美学に入って居ないのである。大義の欠片すら無い個人趣味のしがみ付きの美学なんて物が、あるんでしょうかね。ニャロメ!!

心何処ーショート コーヒータイム点描
                コーヒータイム点描(6/26/11)
 私は岡本太郎さんに注目して居た。あの顔付き、特に目付き、目力の強さに、尋常ならざる物を嗅ぎ取って注目して居たのである。ピカソを理解して唸る芸術的観賞眼などは、元より私には無い処である。解説を聞かない限り、私にはピカソさんの優れた芸術性は、インパクトだけで素通りして仕舞うに違い無い。私は、明らかに芸術音痴である。

 然しながら、同じ芸術枠の中に生きた岡本太郎さんの絵画には、如何云う訳か? ピカソさん以上に魅了される。それは太郎さんの混じりけの無い色彩の強さとある種の澄み具合なのだろうか、はたまた、日本人と云う何処かで繋がっている安心感からだろうか・・・そんな漠然とした親近感を太郎さんに感じている次第なのである。

 或る時、太郎さんから手紙を貰って、絵に進んだと云うお笑い芸人のジミー・大西が、ポップ・アートの第一人者の弟子に、弟子入りすると云う企画で、単身アフリカに行くと云うNHK番組を見た事がある。(当ブログに、打ってあるのだが)

 自然の大地アフリカで普通に暮らす現地人の先生の穏やかな目と包容力溢れる態度に、私は見入って居た物である。アフリカの風景と自然体でポップアートの後継者の指導に当たる先生の存在には、衒いも尊大さも微塵も無い。その静かで穏やかな目と、自分の感想と云う形でアドバイスを本の少しだけ語り掛ける様は、如何にも包容力に満ちた慈愛の様な雰囲気さえ醸し出して居た。

 ポップアートの後継指導者の先生は、キャンパスの下地を真っ黒に塗り潰して、その上に描く対象を下絵無しで、思い付くまま、自分の形と色で一気に描いて行くと云った師匠譲りの手法を伝授して居た。斯く言う先生も、現役の絵描きさんである。

 ジミーさんは、如何やらその粘着性がきつ過ぎる性格らしく、絵を描く為にはあらゆる構想と下書きを積み重ねて、地道な検証の上に絵を『清書』するという制作過程を良しとして居たとの事である。

 そんな事で、ジミーさんは、太郎さんのキャチフレーズ<芸術は爆発だ~。>の前にスランプに陥って居たらしい。精緻な努力と自然との一体性から生まれる一気化成な伸びやかな線と色のシンフォニー絵との比較が、きっと番組の企画、構成上のテーマなのであろう。
 計画性絵画と一気化成に描き上げる絵画の透明度の違いは、其の儘、現代都会人の人為性の強い不純部分を消し切れないインパクト画と、自然の中で協調する人間の澄んだ気持ちの中に在る素直さと暖かさとの違いから発して居るのだろうと思わせる対比が、二人の感画の違いに良く現れて居た。そんな感想が、記憶に在る処である。

       さて、伏線はこの位にして、本題に移行致しましょうかね。

 テレビで岡本太郎さんと、その養女にして太郎さんの有能な秘書から始まった<岡本太郎コンダクター>の女性・岡本敏子さんの話である。テレビドラマで、そんな事を放送して居たのであるが、私は一度も見ては居ない。そのドラマと対を為すドキュメンタリー風スペシャルと云った番組である。これは、NHKの好きな手法の典型番組である。

 私は太郎さんが好きである。それも、太郎さんの従兄の池辺良さんの<そよ風ときにはつむじ風>の本から、太郎さんに親しみを感じる様に為った経緯がある。良さんの映画は、若い頃から何本も見て居るし、学生時代は、健さん良さんの任侠映画<昭和残侠伝>シリーズにも、良く足を運んで居た物である。
 加えて、良さんが短文の名手だ云う事も十分に雑学として知って居た処でもある。言って見れば、良さんのお陰で太郎さんの表面の尋常ならざるトゲトゲしさを緩和させて頂いたと云うのが、正直な処なのかも知れない。

 然しながら、岡本敏子さんの番組案内役が、あの出しゃばり老獪婆であるから、拒絶反応が生じて仕舞う。まぁ、私の好きな池辺良さん、岡本太郎さんの関係なのであるから、目障り、耳障りなナビゲーターには違い無いが、・・・ これも傍証の切り口の一つだろうと、諦めて2時間程のお話を承る事にしたのである。

 相変わらず、この老作家尼様は、老いて益々盛んなる自己顕示欲の権化の様な御方である。さてさて、偉そうな口調で、新しい男女の関係の先駆者としての太郎&敏子を、自分も当事者との立ち位置のエピソードを細々挿入して、『自分を語っている』老獪女史である。

 私は、反吐が出る思いではあるが、じっと我慢の口で、テレビを見続ける。私は太郎さん、敏子さんを見ている訳では、決してない。瀬戸内寂聴女史を見て居るのである。

 太郎&敏子の男女像のルーツを、素直に『サルトルとボーボアール』に遡り、<新藤兼人と音羽信子>に映して、女性進出の世界発展の女権運動・ウーマンリブと云った社会背景を語るか否かを、見守って居たのである。

 日本で云えば、平塚らいちょうさんの<原始、女性は太陽であった。>フランスで云えば、文句無しにボーボアールの<第三の性>である。縛りから解放される男女同権、あわよくば女リード型への色んな模索行動が、発言権を持ち始めた時代であった。
 男女のセックスの縛り打破にも、積極的な時代思考であった。然しながら、セックスを肉欲とした物理的思考は、矢張りセックスへの独占欲の余りにも感情的な嫉妬心から、信頼関係・愛と云う形から、大体のケースでは頓挫してしまったらしい。人間の持つ理と感の統合は、失敗に帰して居る様にも見受けられる。自己顕示欲は、両刃の剣である。

 この経緯を語れば、私は僅かばかりの拍手と敬意を、女史に払う心算だったが、仏門に入っても、自己顕示欲の炎は収まらないのが、この女史様の老醜振りなのであろう。

 私は、女史の本は一応比較の為として一冊読んだ処ではあるが、嫌な読後感を持った。幸田綾の<弟>の情緒・感性すらも感じられなかった事を、記憶に留めて居る次第である。 

 然しながら、女史お局には、今尚、女性信望者の多い現実が、厳として在る。言葉も、作品も個人の個性から作り出される物である。作家であり仏門に在る身で、社会に自分の思いを発信し続けるお人であるから、当然に知識として、時代背景とその時代を先駆けた諸々の事を周知して居る筈なのである。
 影響を及ぼしたであろう<周知の時代背景>を、お首にも出さずに2時間スペシャルの案内役を遣って退ける存在に、若い頃、直感した『自己顕示欲の厭らしきエゲツ無さ』を、再び嗅いでしまった次第である。

  へへへ、坊主憎けりぁ、袈裟まで憎しの下衆の遠吠えでありまする。

 以上、昨日のコーヒー・タイムでのTと私の語らいの骨子の一つでありまする。何事も賛否両論が、人間娑婆の実相でありますれば、好色ロートルコンビの週に一度の語らいは、実に愉しいのでありまする。イッヒッヒ!!

心何処ーショート ニャロメ、覆水盆に返らず。
              ニャロメ、覆水盆に返らず。(6/25/11)
 昨日は夕方散歩に出て居ると、途中から雨が降って来た。大慌てで最寄りの橋を渡っての中断であった。夜に為ると、恐ろしい程の勢いで雨が襲って来た。そんな事で中途半端な散歩距離であったから、些か運動が欲しい処でもある。

 雨も止んで居るから、本の少しばかり歩いて、蛍でも見付けようと外に出る。幾ら何でも、あれだけ降れば、散歩時間位のインターバルも在って、然るべきであろう。布団に大の字に為るには、未だ間がある。久し振りに、ミッドナイト散歩に出掛ける。

 夕立の様な豪雨で、すっかり冷房効果が働いて居るのだろう。蛍探しには、生憎のひんやりとした夜気である。夜の川音だけがする川原に、蛍の仄かな光を探して行くが、中々見付からない。漸く、一つを見付けてホッとする。これなら、その内に見られる筈である。夕方散歩の不足にもう少し、蛍の光を探して歩こうと思った。大分歩いて、二つ目を見付ける。

 もう少しと思って居ると、雨が降って来た。遺憾いかん、本降りに成って来た。エエイ、これではジョギング走りをするしかあるまい。暗いと雨は見えないが、車のヘッドライトに照らされる雨を見れば、結構な降りではないか。

 参りましたわね。エッチラ、ホイホイで、少しでも雨に濡れる時間を短縮するしか無い。トホホ為り。運の無い時は得てして、こんな物である。

 明けて、予報では終日の雨との事ではあったが、雨は止んで居る。Tとコーヒースタバの二階席である。隣席は幼女を連れたママさんである。感じの好い素顔ママさんである。壁席は、長い続きのシート席である。Tは胃無し男に為って、尻の肉が削げ落ちて終ったから、木椅子だと骨が当たって尻が痛いから、クッションのあるシート席を専用として居る処である。イッヒッヒ。

 Tの孫娘も丁度同じ年頃であるから、もう涎も垂らさんばかりのデレーとした態度で、幼女相手に、ジジィジに転じている在り様である。いやはや、堂に云った物である。三歳に為ると云う幼女は、活発に愛嬌を振り撒いて居る。まぁ、客観的な外見では、Tは紳士然として居るから、現役時代は<女殺し>の俗称を頂戴して居たのであろう。

「凄い才能ですな~。英才教育でバイオリンなんて習わせないで、即、芸能学園に入れて英才教育を施せば、間違い無く『親は左団扇』で暮らせるんね。様に為ってるから、こりぁ才能だわね。」

「いいえ。何時もは引っ込み思案で大人しい子なんですけど、今日は馬鹿にテンションが高いんですよ。」

 母親に好く似た顔付である。Tはきっとこんな感じの女性が好みなのであろう。ママさんは自然体の受け答えも物静かな口調で、そつ無く対応する。
 何を隠そう、私もこう云った感じの女性は好きである。こんな事は、そう滅多に遭遇出来ない。好感度を持っている女性は、男にとって<一服の清涼剤>と云うべき物である。

 こんな場合こそ、便乗観賞させて頂くに限るのである。雰囲気に頬を緩めるのも、好い物である。

 そんな観賞と話の間に、中々お洒落な女性が、ママさんの隣席に座った。大柄な40前後の婦人である。身為りのセンスが決まっている。顔は彫の薄さが弱点ではあるが、それを化粧でカヴァしている処が・・・何んとも早や・・・へへへの感想ではあるが、遠目には中々の垢抜けした好い感じなのである。彼女は、静かにコーヒーを口に、本を読んでいる。

 子連れママさんは、残念な事に小振りである。口さがない不良中年の仲間からは、私は穴があったら入りたい俗称<歩く性器>などと云う蔑称を投げ付けられている。従って、鬼の目にも涙の喩えかも知れないが、私は挑んでも壊れない女体が好きなのである。

 何しろ、番から男子高以来の好色戯けコンビであるから、お互いの目の動きから、大体の内心は、十分に読める処である。ニヤニヤの目の中に、『おい、好みだろ。この助平が、Rは、全く進歩の無いヤツだ。お前の心の中なんて、手に取る様に分からぁな。スラリと体がでかくて、チョイと澄ました女に、目が無いんだから。お互い、好みが違うから、安心だけどな。このヤロ、またチラチラ見遣がって。』のチャチが見えて来る始末なのである。

 自然体のママさんに、自分のセールスポイントを発散させているお洒落女性の対象比較は、ヤクザもどきの好色ロートルには退屈しない目の保養にして雰囲気の保養でもある。

 外では雨が激しく叩き始めている。窓を開けて来たのだが、これでは廊下が大分濡れて終う事だろう。

 本日は、地デジ対応のアンテナを買って帰り、先週買った簡易チューナーに再挑戦をしなければ為らない。先週はチューナーをセットして見たのだが、全然映らず終いで再度の仕切り直しに挑戦する予定なのである。恥を晒せば、何度となく、焦って説明書と角突き合わせて格闘していたのだが、アンテナの所為にして再挑戦としたのであるが、理屈で考えれば、チューナーの不良の確率が大なのである。

 コーナーに行くと、テレビを買った方が、そんなに持ち出しでは無い額で売られている。大分迷ったが、アンテナを買う事にする。それでも駄目だったら、テレビを買うしか無いのである。<安物買いの銭失い>の結果に終わるかも知れないが、私は単純馬鹿の単細胞な側面が多分に在る。そんな事で、白黒が付かないと気が済まない性質なのである。

 庭に適当なポールを立てて、組み立てたアンテナをセットする。さぁ、映るか映らないか。

 そんな馬鹿な映らんでは無いか!! 私の部屋用に買って来たもう一台のチューナーをセットする。出た、説明書のある画面が表示されて、モヤモヤが一気にすっ飛んだ一瞬である。手順通りに進むと、確り映った。

 嗚呼、疲れたが、これで、私の面目が立った。私は結果が良いと直ぐ『我田引水』を遣らかして仕舞う戯け男である。生来の面倒臭がり屋、機械音痴の典型である。映らないと、『これ全て、自分の不器用さ』に打ちひしがれる。それでも、悪足掻きの執拗を試す男である。

 そんな時の心細さは、<変だよな。俺は馬鹿じゃない筈だから、皆が出来る事が自分だけ出来ない>の結果は、言葉に表せない屈辱なのである。

 一応文化系と云えども法学部の出身だから、論理とか論理構造は理解出来ると<自惚れ>ているのである。理論の過程を点検して行けば、映らない原因が朧気ながらも把握出来る。

 チューナーとテレビが繋がらないのは、チューナー本体に欠陥があると想定するしか、論理が繋がらないのである。詰まりはチューナーとテレビを繋ぐ設定画面が表示されないのは、チューナー原因説が浮上するしかあるまい。

 駄目な物は、誰が遣っても駄目なのである。然しながら、素人がそれを実証するのは、容易い事では無いのである。法学部ついでに、生意気口を叩かせて貰えば、刑事訴訟の挙証責任は国家権力の検事が負うが、民事訴訟の挙証責任は原告が負わねば為らないのである。此処には真に以って切ない物がある。即ち、知識のある者と、知識の無い者との間の『世の不条理』が横たわって居るのである。

 従って、この場合の購入チューナーの欠陥に対する挙証責任は、購買者たる素人の私が負わなければ為らないのである。都合、二日に及ぶ苦戦苦闘の末に導き出されたのが、チューナーの欠陥を、ど素人が独力で実証せしめたのである。科学とは、実証出来る物を云うとの事である。然すれば、私は科学的人間と云って好かろう。ギャハハ~!!

 早速、不良品の返品に行く。<交換しますか?>との申し入れではあったが、キッパリ御断りをする。私の部屋のテレビは、DVD、ベデオテープ専用画面で十分なのである。何しろ、自慢では無いが、生まれてこの方、不運続きの男である。こんな小っ恥ずかしい徒労は、願い下げである。いやはや、アッシャ~、疲れましたわね。

 世界に分業化を推し進める日本企業は、現地で確りと抜き取り検査の方法を伝授して居るんでありましょうかね。品質も企業から見たら、コストパフォーマンスの中に含まれて居るのだろうが、作動・機能しない物は、安かろうが高かろうが、商品としての価値は付与されないのである。それが生産者側の、心得であろうが・・・

            ニャロメ~、俺の徒労時間を返せ~。

心何処ーショート 嗚呼、歳は取りたくない物である。
           嗚呼、歳は取りたく無い物である。(6/24/11)
 昨日から、夏のスタイルである。長ズボンと半ズボンとでは、矢張り違う。気温が上がれば、水槽の蒸発量も活発その物である。川水水槽であるから、バクテリア、藻類も<吾が世の盛夏>で、水の汚れも一段と進む。
 人間は肌を露出させて気化効率を良くして、ベト着く不快さは風呂に入れば、表面の汚れも落ちて、毛穴が開く。好い気持ちに為るのも、思いのままである。循環する水槽水と云っても、淀んで来るのは自然の流れと云う物である。

 一日の大半を過ごす同部屋の住人であるから、人間様の私だけが踏ん反り返って居ては、余りにも人間が不出来である。それこそ馬鹿金魚達に、集団抗議の水飛ばしを頂戴して仕舞ったら、大変である。

 炎天下の水汲み作業は嫌であるから、ゴミ出しついでに、川からバケツ一杯の水槽補給水を汲んで来る。金魚槽には、散歩の折りに目に付いたサワガニが、2匹入って居る。
 金魚達も不用心で居ると、長いスカートのヒレをハサミで掴まれて終うから、狭い水槽のダイエットの足しに為ると云う物である。

 至れり尽くせりで、これ以上の<肥満ショー>を見せ付けられて仕舞っては、メタボの吾が身が情けなくなるばかりである。

 中サイズの安物水槽は、金魚8匹と長生きタニシ2匹が暮らす過密水槽である。金魚とタニシの関係は、共存の関係である。それがどちらかと云えば、夜行性でもある多動症のサワガニが、ポトリと放り込まれたのであるから、目下の処、水槽には些かの緊張関係が生じているのである。

 金魚はスカートの端を、貝殻の甲冑を付けたタニシと云えども、馬乗り押さえ込まれて、8本の足と2個のハサミで攻撃されて終えば、殻の確り閉じ籠って、是防戦の一手しか無いのである。
 
 未だ日が浅いから、如何なる様相を呈するかは分からない処ではあるが、腹を満たした百獣の王・ライオンとても、『無益な殺生はしない』との事である。金魚、タニシ、サワガニの食糧確保が、それなりにバランス好く保てれば、三者三様の緊張感を保っての共存社会が維持されて行くのであろう。ノーテンキ観察者とは、斯様な物である。

 尤も前回のサワガニ魔王の投入の折りには、まだまだ金魚達も小さくて、命さえ取られ無かった物の、魔王のハサミ攻撃でヒレをズタズタにされた。これもまた、弱肉強食の現実版であった。そして、その魔王は逃走の名手で、水打ちをした玄関とか、風呂場まで逃走範囲を拡げて居た処でもあった。

 夜の雨ではあったが、曇天の蒸し暑さに風が時折、強く吹き込む。天気予報に依れば、今週はズーと雲のマークと雨のマークが二つ程ある。強風の吹き込みは、台風の影響だろうか。一陣の強風の涼と無風の蒸し暑さが、交互に訪れる四畳半定位置である。

 窓辺の雑木のヒヨドリが遣って来た。少々、下手糞な止まりである。体色を見れば、薄い。巣立ちの若鳥に違いあるまい。庭の楓の枝葉の茂りの中には、抱卵するキジバトの姿がある。極小酸味一杯の庭イチゴも、最後のイチゴジャムに仕込まれた処でもある。

 風呂に入ったり、洗濯機を回したりの本日のブログ打ちである。アッジャ~、昨日の郵送書類に、印鑑を押すのを忘れて終った。嗚呼、歳は取りたくは無い物である。とほほ為り。


マイギャラー15
                  マイギャラリー15    

  下衆の一矢深夜を共に_002男と女_001妄想の時間
  五万、御礼。閉塞、見得ぬ時代_001干し柿茸と放屁
その正体は如何に?妄想の塔_001祈り_002想い_002

 夢想読書
襖貼り町会草刈りの図雨の小部屋_001

 
 毎度の戯け画廊・マイギャラリー15の展示でありまする。日頃の長駄文お付き合いへの感謝の気持ちで有りまする。描いてしまえば、観る紳士淑女様方の想像・妄想の扉でもありまする。暫しのお時間にお遊び下されば、展示甲斐ありと云う物でありまする。

 例によって、画像をクリックして頂ければ、それなりに大きく為りまする。戯け画に興味のあるお方は、カテゴリー内、マイギャラリーをクリック頂ければ、過去展示の戯け画のオンパレードと為って居りまする。イッヒッヒ!!


心何処ーショート 小魚食らう幼蛇
常識改め、小魚喰らう幼蛇を目撃する為り。(6/23/11)

                 小魚喰らう幼蛇

                 小魚喰らう蛇_001

 いやはや、私は凄い物を見て仕舞った。日中温度が32℃を超えた夏至の日であった。夕方に為って、散歩に出掛けた。松本の中心部に流れを進める小さな川である。そんな小さな川ではあるが、流れが別れる所が幾つもある。そんな小さな別れは水が細く為ると、あれよあれよの間に干上がって仕舞う。小さな流れには小魚達が住んでいる。

 散歩の最初には流れを絶たれた水溜まりに、周囲の小魚達が集まって来て、ピチビチと群がって居たのである。雨雲の迫り出しで、雨の降りそうな空ではあったが、雨は間に合いそうも無い。魚が死ねば、ネズミ、トンビ、小サギの格好の餌と為る。これも、自然のサイクルの一つである。

 帰りにもう一度見て行く事にした。水はもう殆ど無い。小魚がパニックに為って蠢いている。小さな場所である。其処に幼蛇が居た。赤茶の綺麗な体色は、紛れも無く希少種のジムグリの幼生である。幼蛇の腹部には、何カ所か凹凸が見える。それは丁度、小魚のサイズである。

 河川敷の中堤防の縁に腰を下ろして、観察を始める。幼蛇は、小魚の中心辺りをパクリと咥え取ると、スイスイとばかりにいとも容易く小魚を呑み込んでしまった。見て居る間に、三匹を呑み込んでしまった。お見事と云うか、呆気無い程の素早さであった。

 蛇と水辺の関係は、川原に住むネズミ、カエル、小鳥などの獲物と体温調整の必要からと思い込んで居た処である。水中の魚を捕食する蛇と云えば、テレビ、映画で見る南米の大蛇アナコンダ位しか思い付かなかったのだが・・・ 目前の蛇の生態をまざまざと観察してしまったのである。正に百聞は一見に如かずの思いで有る。海に暮らす海蛇も居るのである。

 極普通に出っくわすアオダイショウ、ヤマカガシも、きっと水中に潜って、魚を捕食して居るのかも知れない。知らなかった事とは言え、釣の最中に、蛇を多見するのも頷ける気持ちがした次第である。如何云う訳か知らぬが、今年は色んな物を体験する河川敷散歩である。

心何処ーショート 散歩と口散歩
                  散歩と口散歩(6/22/11)
 本日は、30℃超えに為るとの事である。風が吹き込まないと道路の輻射熱と反射光の眩しさである。幸いに中位の風が吹き渡って居るから、身体を撫でる風が気持ちが好いのである。

 昨日の散歩の折りには、大きなアオダイショウが水辺の石二つに橋を架ける様に、長く醜いニョロニョロを横たえて居た。夢の架け橋じぁあるまいし、とんでもないグロテスクな蛇姿態を天下に晒すとは、美的センスに欠けると云う物である。石でも投げて脅かして遣ろう(当てる心算は更々ない)と河川敷で石を探す。

 適当な石を探そうとすると、中々無い物である。私も好い加減な性質であるから、一発必中なんて自己コントロールへの過信は、端から持たない処である。投手から云えば三球三振、ノーコン四球の喩えもあるから、投げ易い石を四個持って、蛇の居た辺りを見ると何と何と・・・アオダイショウの野郎は、忽然と姿を晦ましていたのである。

 アオタイショウの目が良く見えるのか、殺気を感知したのか、身体干しが頃合いだったのかは、一切不明の処ではあるが、戯けロートルの愉しみが潰えて終ったのは、残念至極の思いであった。

 S橋の下では、学校帰りの男子生徒二人が釣りをしている。本日はちゃんとした釣り竿で釣って居る。二人の釣り場所は、学校帰りの高校生の一団に占拠されている。中学生と高校生とでは、マイナー中学生コンビは、場所替えをするしか無いのであろう。

 私も小・中学生時分には、通学時にそんな事ばかりをして居た物である。現在の体育館、駐車場辺りには池が有ったから、通学途中の朝に釣り糸を垂れ、学校帰りにも釣りをして来た物である。冬に成れば朝スケート、学校帰りの一滑りなどと、遊び呆けて居た物である。興味のある事、好きな事に時間を費やす事は、好い事である。

 行儀の好い優等生ばかりが、世に溢れたら碌でも無い世の中に為って仕舞うばかりである。へへへ、中々に筋の好い行いである。

 退屈な勉強なんて作業は、片手センズリをして居ても、遣ろうと思えば出来るのである。まぁ、人生なんて余り硬く考える必要などあるまい。飯が食えれば、それで好しである。為る様にしか為らないのが、娑婆の実勢にして実態なのである。
 興味のある事、好きな事を多情な時期に体細胞に刻んで置いた方が、人生のスパイスに為ると云う物であろう。

 本日・水曜日である。朝食を済ませて自室定位置でPC画面を見て居ると、ヤクルトママさんのコールである。

 ママさんは真面目なご性格であるから、会社からの配り物を出して、縷々説明をして下さる。原発被災により稼働停止して居た福島工場の生産が出来て、乳製品全品の供給体制が整ったとの事で、商品検査も万全との説明である。

「はい、ご苦労さんでした。今日は、嫌に生白い顔をしてるじゃないの。遣り過ぎじゃないの。」
「仕事一生懸命してますからね。梅雨で寒かったり、晴れると今日みたいに暑かったりで大変なんですよ、女の体は。」

「またまた、夜の生活が祟ってるんじゃないの。夫婦生活はロングランだから、幾ら夫婦の習慣事でもさ。体調に合わせたバリエーションを物にしないと、バテちゃうだけだよ。はい、本日のお披露目絵だいね。」

「は~い。雨の風情ですね。何と無く、言わんとするところが分かりま~す。好い雰囲気の絵ですよ。金魚さん、可愛く描けてますよ。私は、こう云った絵の方が好きですよ。
 Rさんの得意とする絵は、エロが弾けてますからね。一応、女ですから、感想も小出しにしないと助平って言われちゃいますからね。アハハ。これだったら、娘にも見せれますからね。」

「そうずら、でもなぁ~、俺ぁ女日照りの桃色吐息なんだろうね。金魚コメットの赤と白のコントラストを横から見てると、<魚心有れば、水心>でさ。ほら、この角度から見るとさ・・・此処が顔で、首、乳房の膨らみと乳首のポッコリにも見えて来るんだわね。」

「どれどれ、でも、顔が何か変な顔してるじゃないですか。」

「何を言ってるだい、これぞ正しく<無心が呼び込んだ浮き絵>だわね。下心が一切無かったから、浮き出た『無垢の浮絵』って事ずらい。言って見りぁ、天の下し物だわね。
 何事も、先入観は災いの元、視界の収縮は、思考の停止だんね。人の道、即ち、知る喜びの道って云うずらい。あい。」

「難しい事言われちゃった~。そうかなぁ~。もう一回、見て見るか~。」

「金魚の目玉が鼻の穴でさ、金魚の口が閉じた目なんだけどさ。見方に依っちゃ、これはピエロの顔ずら。そんな風に連想を働かせると、ピエロの化粧を除ったら、この女性の素顔の下に在る彼女の人生は、どんな物だったのだろうか・・・何て、文学的想像も膨らむんね。先ずは感じた事柄を素直に、頭の中に並列に置いてさね。考え整理するのが人間の思考力の奥深さだんね。先入観は、思考力の障害にも為らぁね。へへへ。

 言って見りぁさ。男は臍下三寸ばかりを膨らませて、祠侵入だけを考えて居る訳じゃ無ぇんだぜ。藤圭子の<圭子の夢は、夜開く>だけじゃなくて、文学に膨らむ男の想像だって有らぁね。男を短絡的に見ちゃ、罰が当たるぜや。ギャハハ!!」

「出ましたぁ~、R節~。Rさんの絵は深くて、私の様な夜のバリエーションが少ない女だと、観賞し切れませ~ん。Rは助平丸出しだから、含蓄の深いR節が、条件反射で色付きバリエーション動画に繋がっちゃうだけですよ。」

「ニャロメ!! 好い女で澄ました顔してる癖に、キツイ事言ってくれるじゃ無いのさ。」

「そうですか、バリエーションって、そんなにも深い意味が有るんですね。今日も、勉強に成りました。アハハ。
今日は、熱くなりますから、時々スキンヘッドを水で冷やして遣って下さいよ。変な物、外で振り回さないで下さいよ。また来週、スッキリ、分かり易い絵を待ってますからね~。」

「あいあい、アリガトさんね~。」

 いやはや、ヤクルトママさんもすっかり受け答えが、堂に行って来た物である。条件反射にスキンヘッド冷却で、一つ目小僧の振り回しは、ご法度との事である。外をフィールドにする散歩もあれば、こんな他愛も無い口散歩もあるのである。ウッシッシ!!


心何処ーショート 梅雨の晴れ間
                  梅雨の晴れ間(6/21/11)
 昨夜は寝苦しくて、途中で窓を開けて寝た次第である。そんな事で、朝の寒さで目が覚めて終った。しとしと降って居た雨は、上がっている。二度寝をしている間に、確り夢を見て居た。

 年齢不詳の私が、何やら大学を探して東京に居るのである。目的・魂胆は不明なのではあるが、理科系大学に通う心算らしい。構内をブラブラして生協のブックコーナーに入って、何冊かの本をペラペラと捲っている。理科系であるから、数学は必須科目である。私は私学文科系であるから、数学は高二で卒業して仕舞っている。

 そんな事で、数式を見ると頭がクラクラしてしまう。然りとて、中学までは得意科目では無かったが、そこそこのプライドを保てた科目である。『真面目に取り組めば、何んとか為るのかも知れぬ』と頁を捲って居ると、肩をポンと叩かれた。おやおや、サラリーマン時代の先輩さんではないか・・・

         先輩さんと、言葉を交わしている内に目が覚めた。

 曇り空と青空が半々のお天道さんである。雨が降らない内に、米も後一回分しか無いから、米屋さんに行って来るべしである。ついでに母の薬も貰って来るとしよう。朝飯は帰って来てからで好かろう。

 半袖シャツを着てボチボチ自転車漕ぎである。雲間に太陽が差すと、流石に六月下旬の太陽は、夏の色と暑さを呈する。県文会館周りの林の中では、10数人の男女混成のゲートボールのカッキィーンの音と、年寄りさん達のボソボソ声が聞こえて居る。

 この一団は、多分浅間橋近辺の町会住人さん達であろう。きっと、町会の旗振りさんが好人物で指導力が旺盛なのであろう。一年を通して、長く続いている。年寄りの健康スポーツが、習慣化されている<好い光景>である。

 私の様に、田舎で暮らしている人間達にとっては、こんな風景は極々当たり前の日常でしか無い。然しながら、故郷から巣立って都会暮らしをしている目線からすると、今回の大震災、原発事故の被災者が、故郷に拘り続ける心情を、殊更、スマートに地域の復活・復興、地域の絆などと、スマート且つ綺麗な言葉でレポートして締め括る都会人目線は、感性が地に付いて居ない感じしか受けない。・・・と云うのが、田舎暮らしの実感なのである。

 川があったら、河川敷を歩いてデジカメで撮るだけでは、『川』を感じる事は出来ないのである。川が有れば、流れに釣り糸を垂らし、アブラハヤを釣り、その魚信にハヤとヤマメ、イワナ、鯉の魚信の違いの感じ取って、見えぬ水中と対峙する。

 川の水が少なく為れば、ロートルの歳に些かの恥ずかしさをも顧みず、水に浸かって軍手でヤマメ、イワナを取る。水に浸かって、石に足を取られて、無様に水の中に尻餅を突く。夏草生い茂る草いきれの中で、ギース・チョン・ギースの声を頼りに、キリギリスを捕まえる。
 そんな中で、アオダイショウ、ヤマカガシに出っ食わして、肝を冷やす。喉が乾けば、清水を口に含む。迫り出した山の木陰の涼風に汗を拭い、林を渡る野鳥の声を聞く。

 路傍のフキノトウに春を見付け、雑キノコに秋を見付ける。山の頂に雪を見て、冬の訪れに首を竦(すく)める。日本の地方に生きる地域の絆とは、ただ単に人間との絆だけでは無いのである。人間の抒情・生活観・人生観などの根源的な物に働き掛けて居る『自然の恩恵』があったればこその地域と、そこに暮らす地域の感性を持った人々の生活者としての絆が、その本質なのであろう。

 教科書言葉とは、大地に根を張らない鉢植え花々のデコレーションにしか過ぎまい。下衆貧民ロートルの私に言わせれば、偉そうに、感性乏しき馬鹿が何を云うかである。ギァハハ!!

 斯様にして、自然とは、決して一過性の存在では無いのである。都会で暮らす現代人は、最早、『唱歌・故郷』への抒情・心情への回帰力を失おうとして居るのである。へへへ。

 さて、米屋さんである。庭の草取り最中の米屋から砂糖タップリのコーヒーを頂戴して、一時の談笑を済ませて、町医者に向かう。前回検査の結果を先生に聞いて行って下さいとの事である。

「お婆ちゃんは、歳だからしょうがないけど、食事の方は、少したんぱく質が足りないから、務めて補充させましょや。後は、別に無いですわ。Rさんも、大変だけど、頑張って遣りましょ。90過ぎれば、親子水入らずが一番の持続薬・栄養剤だからね。アハハ。」

「先生、アリガトざんす。家に帰って、<婆~、この現代医学のお墨付きが目に入らんか~>で、たんぱく質オカズを喰わせて遣りますわ。何しろ、年寄りは生意気で、可愛げがありませんわ。へへへ。」

 お待ちかねの朝飯を食べて、動きついでであるから、鳥籠洗い、真似事掃除に輪を掛けて、部屋の布団を気は心で外に掛けて、セッセと掃除をした処である。矢張り、日が照れば夏の兆しである。少し動いただけで、上半身は汗だくの態である。
 
 空気を外気に馴染ませての、熱いアメリカン・インスタントコーヒーが、私の舌には馴染む処である。おやおや、梅雨の晴れ間である。何時の間にか、灰色雲に覆われて終ったお天気さんである。適当な処で、布団を中に入れて置かねば為るまい。

 前回の大物ニジマスは、養殖物と違って身の締り、脂の乗り、食べ出もあって、実に美味かった。自転車に乗って眺める川の色にそそられて、<燃えよ、ロートル!!>を目して居たのだが・・・ 果たして、どんな雲行きに為る事やら・・・

心何処・・・雨の小部屋
                   雨の小部屋

                  雨の小部屋_001

 まぁまぁのお天気さんであるから、釣散歩に行こうと思って居たら、雨が降って来ました。午前中に行くべきでありました。後の後悔、先立たずでありまする。
 
 さてさて、これでは家に居るしか無い。下手に昼寝なんぞしたら、夜が眠れなくなってしまう。見るテレビも無いから、雨を写生して時間潰しをするしか有るまい。

 ムラサキツユクサ、金魚のコメット、漸く蕾を現わした額アジサイをアレンジして見ました。小部屋定位置の梅雨の風情が届きますれば、まずまずで有りましょう。これで16枚に為りましたので、近々マイギャラリーのお披露目でありまする。

心何処ーショート ヤッパ、吾は助平為り。
               ヤッパ、吾は助平為り。(6/20/11)
 久し振りにお天道さんの戻りである。東向きの四畳半はそう為ると、ムッとする暑さである。従って午前中はパスの部屋である。そんな事で朝食後は涼しい母の部屋で、テレビを見ながらタップリと日本茶を飲む事にして居るのである。

 とは表向きの話で、テレビの司会者アシスタントの女性を楽しんで居たのである。大きな目のスラリとした中肉30代女性である。美人さんには違い無いが、大きな黒い目は、<何処となく助平な目>と云ってはお叱りを頂戴するが、所謂男好き、男受けする顔付なのである。

 大きな黒い目の柔らかさが、男の好奇心、親しみ易さから生じて、男の助平心を勝手に想像から妄想へと誘うのである。見て感じるのは、一身専属の感情にして、まぁ、これは避けては通れない自然の流れと云う物である。へへへ。

 ついでに人間の観賞、嗜好面には、少なからず経験の網が被さって居るから、其処には当然の如く、『好みの顔』と云う物が存在して居る。そして、好みの異性に対しては、顔を見たい、声が聞きたい、話をして見たい、付き合って見たい、懇ろに成ってプライベートゾーンを探求して見たいとの願望が拡大して行くのは、これまた、致し方の無い人間の素直な感情にして行動なのだろう。

 加えて人間とは、経験を重ねて記憶すると云う<経験値>を蓄積して行く『習性』の様な物をもった動物なのである。その経験値の中の<誰かに似ている>などと言ったら、歌の文句では無いが『過去達が、まつ毛に踊る』ってな物である。これぞ、下衆にも分かる歌詞の普遍性でありましょうや。イッヒッヒってな物である。

 見た処のお淑やかさんには、甚だ礼を欠く下衆の所業ではあるが、吾が魔法は一瞬の早技にして、身包み剥いでスッポンポンの黒い大きな瞳の誘う妄想劇が進展して仕舞う次第なのである。
 白いうなじ、手足はさて置き、胸の膨らみ、大腿部、臀部への想像のチョイスは、これまた・・・<まつ毛に宿う過去達>から拝借して来て、些かの調整をば施して、ついでに脳内動画をクリックして、悦に入ると云った具合なのである。

 老いたりと云えども、母の御前であるから・・・そうは軽はずみの<内為る感想>も言葉に出すのは、常識上、憚れる処である。

 一部の隙も無い美人・美形さんも観賞には好いが、余りにも強固なバリアの女王様だと、親しみが湧かない処でもある。バリアの角が取れて、円味が備わって来ると、何かと下衆の妄想が拡がると云う物である。イッヒッヒ!!

 昔の人は、巧い事を云った物である。<青過ぎるのは、小便臭い。腐れ掛けの熟れた果実こそ、食べ頃、吸い頃。ふふふ。> この名言を呟いた最初の御仁が、何歳の頃の作かを想像して見るのも、一興では無いか・・・ 

 歯が欠落して、チュバチュバが本技と為れば、ケン・月影が描く処のお江戸の大店変態旦那衆の老醜を晒すばかりでもあるし、スケコマシ職人だと、これまた、ド助平野郎の下品グロテスク過ぎる世界にも為り下がる。

 ラジオニュースのレギュラー事件の中には、教師などの公務員が、青い果実の顰蹙買いとかロリコン趣味の商売繁盛との物もある。人生の貴重な経験値も、その蓄積方法次第では、世間様に赤恥を晒す結果と為る。

 折角、白服レンボー女史に、仕分けの大事さをパフォーマンスして頂いたのであるから、経験値の領域にも確りと仕分けをして、『実行域』と『妄想域』の仕分けを施して、妄想分子が原始炉からメルトダウンして、外気の色情分子と結合して水素爆発をさせて、半径何10kmの同心円恐怖とすべきでは無いのである。

 人間、小心者の分を弁えれば、脳裏に集う妄想の戯れを愉しむ事も出来るのである。

 さてさて、何時しか曇天の風通しの好く為って来た処でもある。自室定位置で、コーヒーと煙草の一服タイムでも致しましょうかね。
 

心何処ーショート 蒸し暑き曇天の日曜日
               蒸し暑き曇天の日曜日(6/19/11)
 庭の楓の木から、クゥー、クォー、クゥーとキジバトの声である。今年は遣って来ないのかな?と思って居た去年の巣に、キジバトが据わり始めた。廊下から覗くと、巣の中には首を伸ばしたキジバトが、私を見て居る。

 まぁ、去年からお互いに顔見知りなのであるから、別段の変化も見て取れない処である。

 雨上がりの蒸し暑い朝である。朝食後は、小鍋を持ってイチゴを摘むしかあるまい。日曜日であるから、怠惰に過ごすのが一番である。ジャムにして冷蔵庫に入れて置けば、何かと重宝すると云う物である。
 昨日は真面目に映画ビデオを見て居たので、些か寝不足である。枕元には、残りの一本がある。
 
 1971年モスクワ映画グランプリ受賞作品・<警視の告白>である。フランコ・ネロ、マーチン・バルサムの主演のイタリア作品である。

イタリアの政・行・官とマフィアの繋がりを『告白』と云う形で見せた社会派ドラマの会心作である。この当時、イタリアの政治とマフィアの黒い関係は、スキンダルとして度々新聞紙面を賑わして居た処でもある。
 
 イタリアと云えば、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、クラウディア・カルディナーレと云った映画スターさんが人気を博して居た。イタリア女優さん達の黒目勝ちの大きな目は、野生的にして豊満な体躯は、ピチピチの躍動感に溢れて居た。何しろ、日本人の貧弱な臀部とは別次元の刺激であった。中学・高校時代の<夜のお相手>をして頂いた大スター様達の母国なのである。

 彼女達の母国イタリアとは、如何なるお国なのか? 一ファンとしたら、当然、この映画を観に行って考えた物である。そして、ビデオ映画の時代に為って、探し求めて、この一本を手元に置いて居る次第である。

 テレビドラマなどに飽き足らない想いが浮かんだ時などは、一年に一度位で、この映画を見続けている。好い映画は、決して色褪せない力を持っている。

 主演二人の渋さが、実に好い。そして、イタリア映画の臭いがプンプンする処が好い。

 私がフランコ・ネロを注目したのは、『殺しのテクニック』のロバート・ウェーバーと共演したチンピラヤクザ役であった。ネロを世界のスターに押し上げたのは、マカロニウェスタンの『荒野の用人棒シリーズ』でのジャンゴ役であった。
 一方、マーチン・バルサムは、トラトラトラ、オリエント急行殺人事件、サブウェーイバニックなどの渋い脇役なのであるが、代表作と言ったら、文句無しに、この『警視の告白』であろう。

 男たる者は渋く無くては、味が出て来ない物である。渋さに到達するまでには、年齢と経験が必要である。渋さに濃淡を付ける役者の演技は、演技状況、演技対象、演技目的を、台本の中から嗅ぎ取る読解力と人生生活で積み上げて来た類体験をベースにした感情移入の結果で醸し出される役者達の表情、仕草、台詞の間、台詞の強弱に伝わるのだろう。

 そんな所に渋さの濃淡、幅、厚みなどが加味されて、映画の役柄に実在感が魅せるのだろう。映画全盛の頃は演技ですら、此処まで演じ切れる役者さん達が、銀幕にはひしめき合って居たのである。

 本日日曜日。テレビでは現代テレビ芝居のレギュラーさん達が、一週間分ニュースの交通整理をして下さる。政治家・解説者・評論家・キャスター達が、メイクアップをしてテレビに出放しなのである。中堅・ベテラン俳優さん並みの出演経験を積んで居る筈なのに、ベテラン諸氏達に、渋みが増して来ないと云う事は、如何なる相関関係が横たわって居るのか・・・ これは、人間ウォッチング上、真面目に考えて置かなければ為らない処でもある。

 渋さ本質とは、<間に>こそ現れるものかも知れない。間とは、相手の話を聞き、態度を観察して自分の判断を纏める。自分の印象判断の成否を、相手の言動の中で正誤を付けて行く。相手に対する自分の言葉を、取捨選択する間を言うのかも知れない。其処には、<静と動の間>と<駆け引きの間>が存在しなければ為らないのである。・・・

 とロートルは考えては見た物の、現代の情報洪水の交通整理要員さん達には、時間的制約から間への関心・配慮も不要の事柄にしか感じられないのだろう。言葉の速射砲だけでは、銃身も熱くなり過ぎて、次の銃器と交換するのが、手っ取り早いのだろう。これが現代効率主義の合理性と云う物かも知れない。

 然しながら、言葉の速射砲ばかりに苦心して居ると、肝心要の言葉の重みも真実も枯渇して仕舞うだけではあるまいか。
 へへへ、世の中は、難しい物でありまする。人間、患らわしき物の無いマイタイムが必要でありまする。


心何処ーショート やや、最後で躓いて仕舞った。
            やや、最後で躓いて仕舞った。(6/18/11)
 本日は、何時に無くガラ空きのスタバ二階席である。中・高校生かは分からぬが、少年2人が耳にイヤホンを当てて、数学のお勉強である。ロートル世代の昔を思えば、勉強なんて物は、深夜に一人で静かに神経を集中させて遣る物と思い込んでいるから、当世の勉強スタイルは解せない風景である。

 Tに自家製ケルティク・ジャムの小瓶を渡すと、これを婆さんの栄養補給に飲ませろと、ガッポリと缶入り補助食を頂戴して仕舞った。昨日のテレビ番組で小笠原諸島を確り見させて貰ったから、Tと色々とその話から発して、発展話が弾んだ次第である。読書量の多いTも、提供エピソードが豊富である。

 Tが面白い話をしてくれた。太平洋に何としても中継地が欲しかった米国のハワイへの移民は、凄まじい物が有ったとの事である。
 C.W.ニコルさんのレポートだと、自由のユートピアを目指して白人移住者が、小笠原諸島の最初の移住者で、幕末の幕臣達が、これでは先占国の日本領土が米英に奪われてしまうと日本人移住者を急遽、幕府が住まわせたとの経緯があって、サイパン航路の眼下に見える絶海の小笠原諸島は、西洋白人達と日本人達が、仲好く暮らして居たとのレポートであった。

 まぁ、私は捻くれたロートルであるから、NHK的脚色の掛ったレポートは、聞き流して居るのではあるが・・・
 現代に至っても、各国の領土権問題は、綺麗事では立ち行かない国家と国家の鬩ぎ合いの国益問題、メンツの当てこすりが、その実態と云えよう。北方四島のロシア、竹島の韓国、尖閣諸島の中国と、日本国内に限っても色々の応酬が繰り広げられている処でもある。硬い表現を借りれば、領有権の実質は、実効支配に行き着かざるを得まい。

 綺麗な海に、綺麗な自然、ゆったりと流れる時の世界・・・ 感覚的に平和共存のユートピアを連想させてしまうのは人情ではあるが、隣人を信ずる事から始まる日本文化と、相手を疑い、利用する事で損得勘定を合理的効率主義と弁えている他国の文化は違い過ぎる。日本人は徳が高いから、余りにも外国、外国人に敷居を低くして居る様に思えて為らない処である。

 この頃は、大震災・原発事故の深刻な進行形の影響だろうが、白服レンホーさんは余り出番が無い様である。何事に於いてもエコ贔屓、ヒステリーは極力抑えて、相手、対象を好く見極めて『仕分け』をする思考回路が必要なのは、当然の話である。

 今、この政権のどさくさ紛れに、政府は沖縄への中国人パスポートの大緩和をして、大量の中国人旅行客を入れて沖縄振興をさせようとしているらしい。沖縄の先には、尖閣諸島が控えている。中国の本当の狙いは、<沖縄の解放>との事である。

    私は漢字を多くは知らないが、開放と解放の違い位は、察しが付く。

 中国の明時代にイスラム宦官・鄭和の朝貢貿易軍団は、ヨーロッパに先駆けた中国の大航海時代でもあったらしい。海に乗り出した宋時代、再び内陸に還った明時代と云うのが、世界史の通説との事である。明の時代に中国人が、大挙沖縄に移住して、沖縄は明に擁護されて『明営・沖縄の大交易時代』を歴史に記している処でもある。

 ヨーロッパが未だ育っていなかった時代には、支那海、印度洋、アラビア海と華僑、印僑、イスラム商人達が、古代の海・地中海に中継港を都市国家と築き上げて来たのである。

 実効支配とは目に見える支配であり、それはシェアの獲得競争でもある。そのシェアは、人口割合、経済割合、指導者割合の形で、その地域に深く根を下ろして支配を長期に亘らせしむる処であろう。中国の千年に及ぶベトナム支配、ロシアに於ける240年に及ぶタタール(モンゴル)の軛(くびき)が在ったり、大きな所では、ローマの平和、イスラムの平和、アメリカの平和なんて、言い方すら在る処である。

 新しい処では、米国横断鉄道の敷設には中国人労働者がチープレイバーとして、海を渡り、英国のオーストラリア開拓にも、大量の中国人労働者が海を渡って根付いた経緯がある。最新の赤い中国とて、その例外では無くアフリカへの経済援助政策では、本土中国からの労働移民で、至る処にチャイナタウンが治外法権的に巾を利かして居るのでもある。

 スネーク・ヘッド=蛇頭と云われるが如く、中国人の習性は蛇が頭の入る隙間さえ有れば、手当たり次第呑み込んでしまう太い胴体を持った生き物なのである。
 中国残留孤児が父母の国・日本に帰国すれば、中国の親子兄弟・親戚縁者が大挙日本に入国して来るのである。言葉を覚えず、異国での生活苦を理由に生活保護を申請して、日本に居続ける。

 大蛇にトグロを巻かれて終えば、オタオタして仕舞うのが日本人と云う物である。自国並びに自国民の利益を考えて、柵を作るのは当然の自益行為なのに、余りにも鈍感過ぎるのである。

 私の様な古いタイプからすると、戦後66年の自主憲法も持てずに、自分の国は自分達の手で守ると云った気概すら去勢されてしまった日本並びに日本人は、<ヤンキーの軛>の中に在るのかも知れぬ。

 太平洋プレートとフィリピンプレートが、深海で出合ってフィリピンプレートに太平洋プレートが沈み込むプレート圧力が、地底のマグマを活性化させて、火山と珊瑚が造り出した絶海の楽園が小笠原諸島との事である。

 成るほど、正に溜息が出るほどに美しい島々である。幕末期、頭角を現して来た米国は、まだまだ父母の国・英国には頭が上がらなかった筈である。幕府海軍副総裁・榎本武揚は、『万国公法』を翳して西洋列強に『国際法上の真っ当な法益』を正々堂々と主張した<和魂洋才の侍>であったらしい。

 同時代の幕末期には、『万国公法』が立派に通用する西洋先進国に貫かれて居た<法理>であったから、西洋移住者の気持ちの中に、この地が日本領土との『大認識』があったに違いあるまい。

 こんな処にも、国家・国民の違いは、自然と出て来る物なのだろう。英・米・中と、世界史の其々の国の足跡を準えて見ると、見た目の美しさばかりに想いを馳せて、人間の善なる方向にばかり誘導してしまうと、人間は兎角、<短絡的思考>に導かれてしまいがちに為って仕舞う。

 これに触れないで、太平洋に浮かぶ綺麗な小笠原諸島のレポートをして見ても、過去と現在を結ぶ<大人のレポート>には為らないのである。


 原発停止、原発破棄の将来的方向には、何ら異存は無い処ではあるが、遣って居る事、主張して居る事は、余りにも無責任と言わざるを得まい。

 野球と云う高々9回のルールに則ったゲームにしても、先発、中継ぎ、抑えの投手リレーで構築されているのである。原発停止、破棄にも20年、30年を要する長い時を要するのである。
 再生可能の代替エネルギーとは口で言うのは0.3秒の早技ではあるが、原発の後釜に据え付けるにしても、何十年も掛る代物なのである。中継ぎ投手が居なければ、騙し騙しで先発投手に頑張って貰わなければ為るまい。

 経済低迷の折りの大震災、丸で目途の立たない原発事故の進行形、菅無理氏の往生際の悪さに依る政治停滞の惨状である。経済の原動力の一方の柱が、電力の安定供給なのである。電気・ガス・水道・物流・金融は、現代社会の最も基本的インフラなのである。

 以上、少しは、真面目に考えましょや。ヤクザもどきの好色ロートルの溜息である。

 柄に無くこんな真面目な話を交換して、調子が狂って終った。息抜きに、Tの野郎は、黒人女性に教えて貰ったと云う面白い話を披露してくれた。

 ブラック・ヤングウーマン・・・「ここも、気持ち好いよ。」
 イエロー・ヤングマン  ・・・「オーライ、ホットトギス~。」

「なんじゃい? そのホットトギスってヤツは。<不如帰>なんて受験勉強で覚えたんだけどさ。好色ロートルとしちゃ、『女陰』と書いてホトだろ。間に撥音便が付いてホット=熱い女陰で、これなら辻褄は合うわな。
 そうすりゃ、ベクトルとしちゃ、ノーマルとアブノーマルの両穴を研いで=お手入れ、訓練して、二穴使いかいな? トギは、夜伽のトギだな。ほぉ~、凄いもんだわさ。そうかい、異文化の味は、如何だったいね。ギャハハ。」

「おうおう、思い出したよ。或る馬鹿が居てさ。話の種に、アナザーホールを所望したんだってさ。そしたら、アブノーマルだから別料金を提示されたってさね。それで、その馬鹿が俺に言うんだよ。
 
 女は、アブノーマルは少ないから、<ここ高いよ。>だってさ。Tさんなら、別途料金払うかいって聞いて来るからさ。だから、経験者として言って遣ったんだ。<ここは高いじゃ無くて、『此処は臭いよ。』で、一蹴しろ。>ってアドバイスしてから、お前、そんな所に別料金なんか払ったら、えらい目に遭うぞ。
 
 デカイ声じゃ言えないけど、俺の知ってる大馬鹿野郎が、女の趣味に付き合って<生>で突っ込んで、訳の分からない『南洋菌』を背負い込んで、帰国したその足で『10日間入院』したって話をして遣ったんだわさ。
 
 そしたら、その小馬鹿野郎は、<ああ、あの人ですか!! 性豪さんも形無しですね。ギャギャギャ。> 遣らなんで正解だったって、大喜びだったぜや。何処の馬鹿か、知ってるだろうな。おい。」

「そうかいね。世の中にぁ、大・中・小の色んな馬鹿野郎共が居るんだ~。でもなぁ~、時効制度は、ヤッパ人間生活には、無くちゃ為らん<人間の知恵>だもんなぁ。今の世の中、変な方向目指しているんじゃないの。ギャハハ~。」

「お前さん、何が言いたいんだ。俺には、さっぱり分からんわさ。あい~。」
 
 いやはや、とんだコーヒーブレイクの締め括りと為って仕舞った物である。きっとこんな馬鹿コンビは、長生きコンビと為るのだろう。さてさて、外で一服した後は、買い物でもして帰りましょうかね。お互いに、爺っさ、婆っさを持つ賄い夫生活である。

         やれやれ、雨が降って来ているではないか・・・


心何処ーショート 遣って仕舞った大チョンボ
              遣って仕舞った大チョンボ(6/17/11)
 嗚呼、情けない。つくづくと、私は不注意極まりない男である。ホウジロ雛が、余りにも私に纏わり付くので、夜は布団の中に連れて来たのである。

 ビデオ映画を見て居る間、雛は布団の隙まで、羽ばたきをしたり、腕を伝って顔を出したりして、可愛いばかりであった。意識のある内は潰さない様に、寝返りにも気を付けて居たのだが、寝てしまえば、一切無意識の寝返り行動の沙汰である。トイレに起きる時、手で探すと雛に動きが無い。

                    死んでいた。

 とんでもない事を仕出かして仕舞った。悔やんでも、悔やみ切れない不注意の結果である。朝食時に、母に言われてしまった。

「可愛かったのに、楽しみが無く為っちゃったね。朝、鳴かないから、気に為って居たんだよ。」
「はいはい、何の言い訳も無いわね。全ての責任は、俺にある。あんなに愉しませてくれたのに、面目次第も無いわさ。」

「亀は一晩で逃げるし、又、何か拾って来れるよ。」
「そうだな。今度は、金髪女でも拾って来るかいな。あい。」

「馬鹿な事は考えないでおくれ。私は、真面目に生きて来たんだ。世間様に恥を持って、死にたくは無いからね。私が生きている間は、変な事はしないでおくれ。死んだら、何をしても好いからね。」
「やいやい、言われちまったぜや。女が御法度なら、後は散歩コースにぁ、アオダイショウ位しか居らんぜや。俺ぁ、蛇は駄目だ。」

「白蛇は、縁起が良いって云うじゃないか。可愛いかもしれないよ。アハハハ。」
「無駄事こいてると、本当に、蛇連れて来るぞ。嗚呼、気分直しに、風呂に入って、シャキッとするか。婆ぁに、おちょくられたら、還暦過ぎの男の立つ瀬は、無かんべさ。」

 私の蛇嫌いは、矢張り母の観察比較なのだろうか。母の中では、私が兄弟の中で<一番の蛇嫌い>と云うのを知って居て、茶化して居るのだろう。母は大の動物好きである。母は飽きもせずに、私と雛の戯れを目を細めて見て居たのである。その母の遺伝子を受け継いだのが、私である。糞婆っさ、知ってて言い遣がる。

「今年は、家の鳥は未だ孵らないのかい? 手乗りに出来るんだろ。楽しみが無く為っちゃったんだから、今度、生まれたら遣って見たら如何だい? きっと、可愛いよ。」

 ハハハ、94の老母と云えども、母は母なのである。私としたら、それほどショゲ込んで居る心算は無いのだが、母親としたら、ショゲ込んで居る倅に何かと言葉を掛けて居る心算なのであろう。

 へへへ、女は死ぬまで、母性を持ち続けて居るのであろう。畏れ入りました。

 さてさて、風呂に入って、スーパーの改装オープン日である。食糧調達に行って参りましょうかね。本日も、終日の曇天模様である。


心何処ーショート 曇天、窓辺にホウジロの訪問為り。
             曇天、窓辺にホウジロの訪問為り(6/16/11)
 へへへ、扶養家族が増えると、私の活動時間帯にも変化が起きる。ホウジロの子供は、兎角、朝が早い。野鳥だけあって、チィッ、チィッと鋭くも大きな声を張り上げる。起きるなと言われても、六時前後に起こされてしまう。すり餌を遣って再び布団の中へである。

 余り煩いので、仕方がないから取り出して脇の下に入れて遣ると、肌の恋しい乳幼児なのであろう。静かに為った。へへへ、可愛い物である。

 雛は、地味な黒茶色の幼毛である。雛であるから、足が異様に長い。丸でヒヨコの体躯である。加えて、羽毛を逆立て居るから、小さな達磨大師の様な不格好さである。腹が空けば、チィチィと鳴き、腹が膨れれば羽毛を逆立てて目を閉じて居る。まぁ、寝る子は育つと云うのであるから、これも<幼鳥のお仕事>なのであろう。

 人間の食事もホウジロ雛の食事も終わった事でもあるし、庭の野生イチゴを摘んで、ジャム作りをして置きましょうかね。

 吾が家の手入れ一切無しの極小イチゴは、先祖返りである。余りにも小粒で酸味がきつ過ぎるから、イチゴジャムにして、その野趣を愛でるしか無いのである。兎に角、赤が強いから、これも野趣に彩りを加えるのである。

 ジャム作りは、去年が初めてではあったが、栽培種の甘い大粒イチゴに馴らされた味とは、別次元の酸味と色の濃さである。まぁ、私はヨーロッパ白人が好きであるから、これもまた森の狩猟採集民族の白人の味と思えば、有難さが倍増すると云う物である。

 信州はリンゴ産地でもあるから、季節に為ると地物リンゴが格安で出回る。贈答用のリンゴから食み出した<不揃いの林檎達>である。イチゴジャムで気を好くして、物は試しと、二度ほどリンゴジャムに挑んで、成功を収めた処でもある。市販の物とは違った手作りの円やかさ・香りがあって、中々のあっさり系の物と為る。それから、アズキを炊いたりする事も覚えた次第である。

 山地の多い四季の島・日本の縄文時代は、狩猟採取の文化であったと云う。広大なユーラシア大陸の西と東で、体格・肌の色は白と黄色の違いはあっても、意外や意外で森林の民は、狩猟採取の文化の自然観で結ばれて居るのかも知れない処である。

 疑似鈎で鱒類を釣るのも、西洋ではルアー・フィシッング、日本ではテンカラ釣りと、実に似ている。中央アジアの草原の遊牧民族辺りが当たって居そうではあるが、何処がルーツかは知らぬが、タカ狩りなんて王者の狩りも在るのである。

 メタボの腰屈め、実にチマチマした採取行為ではあるが・・・ ウラジオストックのシングルママさんとかその女友達のオルガ、はたまた、ケルティック・ウーマンさん達の顔々・立派な臀部などを思い出しながら、ケルト文化と縄文文化の類似性=森の野イチゴ採取を連想させていると、思い出が蘇り、一人ニヤニヤの態なのである。

 加えて、私は奥ゆかしい人間であるから、世界史などを加えて彼是と、勝手な起承転結を挿入して見るのも、楽しい脳内散歩に為る次第なのである。

  ジャム作り終えて、鍋のジャムをビン容器に落し込んで、熱冷ましである。

 部屋でコーヒー片手にラジオを聞いて居ると、南シナ海の中国とベトナムの領海圏騒動である。やれやれ、東南アジア・東アジアの国々は、とんでもない国に位置されて居ると云うものである。
 農耕民族と遊牧民族との『大中華の旗の下』に参集されている大合体国が、顰蹙大国・大中国なのである。従って、彼等の歴史遺産が、何でも在りのお国柄・お国振りなのである。それが資本主義経済の下、国威向上が叶えば、これまた全て、勝てば官軍の大中華思想の易姓革命の我田引水国家の態である。

 自国領土域を、自前王朝時・征服王朝時の区別無く、中国史上の最大版図に迄、強欲に主張して憚らない彼等の常識は、凄まじい限りである。こんな中国的領土線引きからしたら、東南アジアのクメール人が仏教信仰で栄華を長く極めた、嘗ての大王朝アンコール朝版図は、本拠地のカンボジアは云うに当たらず、ベトナム、タイ、ミャンマー(ビルマ)にも及んで居たのである。世界史の無い自国史ばかりの国家教育と云う物は、形を変えた国家思想教育の強制であろう。
 
 現在もカンボジアが中国同様の東南アジアの大国であったのなら、両者の国家を上げての国際舌鋒鋭合戦を、冷静・つぶさに拝聴して見たい物である。

 こんな事を思い付くままに、キー叩きをして居ると、窓辺の雑木が何やら騒々しい。見ると、雛の声を聞き付けて親鳥のホウジロが来ているのである。網戸を開けて、雛の入ったケースを窓近くに置いて見る。

 一羽は色が濃いから、オスであろう。もう一羽は、色が薄いからメスだろう。それに色の薄い一回り細いのが居る。そう為れば、同じ巣で育った兄弟姉妹の一羽では無かろう。これでは、成長が違い過ぎる。河川敷では、複数のホウジロ・ファミリーが営巣・子育てをして居るのだろう。

 今年は、つい先ごろまで、居据わりのウグイスのホーホケキョの声も聞こえた処でもあるし、冬鳥とばかり思って居たホウジロが上流の山地に帰らず、河川敷のサツキの植栽ベルトの中で営巣していたのであるから、これは野生の大移動が始まって居るのかも知れぬ。

 私とて、人の子、人の親である。四畳半の内外で鳴き交わすホウジロを見て、『感情迎合』はする処ではあるが、雛を外に放して親ホウジロが付き切りで、後10日前後を無事育て上げられるかは、大きな疑問である。
 チラリチラリと観察して居ると、外のホウジロ・ファミリーは、この雛とは別ファミリーであろう。彼等は、アジサイ、雑木の葉裏の虫を食べに来ているらしい。それ程の雛鳥への関心度では無いのである。

 私は人間の教育を受けて居るから、此処は総合判断を下して、私が育ての親に為るしかあるまい。へへへ、斯様に大人の常識の範囲内と云うのは、大人しくも目立たない判断と云う物であろうか・・・

 大人の常識の判断を、国内政治の菅無理内閣、4000年史を持つ中国・民腹に応用して活用するのも、全て読者の紳士淑女各位のご自由である。

 以上、二転三転した変なオヤジのうだ話日誌でありまする。ご精読、感謝致しまする。




心何処ーショート やっと、面目が立った。 
               やっと、面目が立った。(6/15/11)
 本日は気温が上がらず、ズーと長袖で過ごしている。昼散歩に行って来るが、釣りをしたい物のこの温度では、餌釣りが良い処である。散歩後は、母の部屋で再放送ドラマのお付き合いをするが、朝起きが祟ってすっかり眠くなった仕舞った。布団の中で小一時間の昼寝をする。

 晩飯には未だ早い。テンカラ竿を持って、小一時間程度の釣りに行く。大きなアブラハヤが二匹釣れた。今度は、下に下りてS大横で振って見る事にする。このポイントは、結構釣れるのであるが、何かと人目に付くから夏の夕方の時間潰しに来る所である。格好の淀みが二か所あって、その入口の一寸した荒瀬の口が、暑くなると一番の狙い目と為る。

 矢張り、ハヤが喰らい付くだけで気温が低過ぎるのであろう。流れの速い浅瀬は、水温が高くなると、何匹か釣れる好ポイントである。今年初めてであるから、様子見の気分で二、三度の振りで、場所を替えて行く。前回の大増水で、川相が大分変わって仕舞った。

 小さな落ち込みを狙うと、ヤマメの白い魚体が反転したが、後が続かない。それを過ぎて、次の流れの速い瀬尻を狙う。
 振った途端にガツンと来た。即、合わせた。竿先がグイグイ差し込まれて、大物が走る。こりゃ、大ヒットである。ハリスは倍にしてあるから、そう簡単には切られまい。何んとか水面に出そうともがく。

 出ました!! デカイ!! やいやい、こりぁ上がらんぞ~。遣ったろうじゃないの。野生の魚が勝るか、俺様の知恵が勝るか、真剣勝負じゃい。

 今まで、このサイズだと、プツンの呆気無さだったが、今日は逃がして為る物か~。

 引き抜けないから、竿を立てたまま、慎重に堤防の縁に寄せて、その斜面を使って引きずり上げる。こりゃこりゃ、観念しろ。暴れるな~。
 俺様は、本気を出すとおっかない男だぜや~。ヨシヨシ、事を急いたらお釈迦だ。もう一息だ。

           そりぁ~、如何じゃい。遣った遣った!!

 引き上げた代物は、30cm級のニジマスであった。ヤマメで無かったのが、残念ではあるが、大物に免じて文句無しの達成感である。これで一気に調子付いて、下の大淀みの流れ込みにテンカラを多投すると、今度は十数㎝のヤマメが釣れた。もう、暗くなって見難く為って来たので止めとする。

 ビニール袋の中で撥ねて居るニジマスとヤマメをぶる下げて、ついつい頬が緩んで来る。帰って台所で、スケールを当てて見る。ピッタンコ30cmのどっしりとしたニジマスであった。ベットで丸くなっている老母に釣果を見せると、ビックリして居る。一時間強の大釣果である。

 早速、腹を割いて塩を振って冷蔵庫に、朝飯の尾頭付きで食べると致そう。へへへ、この数日間のモヤモヤが、すっかり晴れた。見たか、俺様の実力を!! イッヒッヒ~。


心何処ーショート 梅雨寒の小風に、ワッハッハ!!
           梅雨寒の小風に、ワッハッハ!!(6/15/11)
 昨日は煙草を買いに行く途中で、巣から落ちた雛を拾って来た。周囲にホージロがけたたましく鳴いていたから、その雛なのであろう。
 亀の拾い、逃げられて、今度は野鳥の雛を拾うのであるから、可笑しなものである。冬の野鳥の餌に練り餌を遣って居たから、その残りも在る。まぁ、鳥とは相性が良いから、如何にか為るだろう。

 巣から落ちた雛は、その殆どが死んでしまうのである。私の手で育てば、見っ付け物である。猫、蛇に見付から無かっただけでも、得をしたと思ってくれれば好い。

 キリギリスの飼育ケースに、ティッシュを入れて保温をして遣る。練り餌をお湯で緩く溶いてカップのインスタントコーヒーのプラスチック匙に乗せて、大きく開けた赤い口の中に入れて遣ると、グイグイと餌を扱き取る様に受け取る。
 
 金華鳥の子育てを何回も見て居るから、まぁ、こんな具合で好かろう。若い頃読んだ小鳥の飼い方本に依れば、小鳥の場合、食事の大半が体温維持に消費されると云う事であるから、保温に注意を払って餌さえ食べれれば、成長すると達観視している次第である。

 鳥族の朝は早い。玄関鳥に対応する様に、雛の声が四畳半から聞こえて来る。眠りには好い時間帯なのであるが、自分では餌の食べれない雛様である。『はいはい、分かりました。』で、給仕係りをする。それにしても、好く動く奴である。ケースから飛び出て来る。これでは巣から落ちる訳である。馬鹿者めが。

 私の尊敬する映画スターにバート・ランカスター氏が居られた。彼の代表作に『終身犯』と云う実話映画がある。生来の狂暴さで殺人を犯し終身犯として服役して居る男が、獄内で巣から落ちた雀の子を拾って育てる。
 獄中生活で一縷の光明を抱いて、彼は次々と小鳥を飼い、小鳥(カナリヤ?)の研究に生き甲斐を見付ける。彼の研究から、幾多の小鳥の特効薬が開発され、彼は鳥類学の権威と為るのだが、居固辞な彼の性格と同じく居固辞な刑務所所長の癖物俳優カール・マルディンが四つに組んで、迫力十分にして、重厚な社会派ドラマに仕上がっている。終身犯は、文句無しのは秀作の一本であった。

 嘗ての映画界には、文学の香りも、重い社会の暗部を抉り出して提起する人間の正義感の躍動が感じられたものだが、近年の映像テクニックを駆使したバーチャル映画は、私の様なロートルには、目が疲れるだけである。人間の内面への描写が希薄になって終った分、映画を見た後の<観賞者自身への反芻させる力>が失せて来ている。時間の浪費は、御免蒙りたい物である。

 そんな事で、膨大な制作費が投じられた大作と言われる物でも、私には単なる一過性の映画に陥っている感じがして、殆ど映画に対する興味を失って居るのである。

 吾が家の朝食は老母次第であるから、世間様からは笑われてしまうほどに遅い。食事をして居ると、ヤクルトママさんである。へへへ、本日は、是非とも見て頂きたい<町会草刈りの図>がある。玄関上がり廊下に、下手絵ファイルを拡げて、どっかりと胡坐を掻く。

「ヤダ~~。Rさん、又、何描いてるんですか。自画像ですね。目線が、その物ズバリですね。真面目な顔して、女の人のオッパイ見て、何考えてるんですか。草の中に在るのは、目ですか?」

「何言ってるだい。シャツに隠されたオッパイを、分かり易く、正面図と側面図に写し取ってるだけだわね。そんなのは、序の口だわね。ほれほれ、此処さね。この繋がりが、この絵のミソだいね。」

「別に、普通でしょう。何か、違うんですか~?」

「ゴミ袋の茶色のズボンに『勃起印』をチョコンと入れて、股ぐらから伸びる草の詰め込みが、刈り草を渡す奥さんの下腹部を窺がって居るって寸法さね。ギャハハ~。」

「キャ~、ド助平!! この助平オヤジ~~。
 ああ、そうか・・・それで分かった。な~んか女の人のジーンズの色の中が、何でこんなに薄い色にしてあるのか?って、思って居んですよ。
 ふ~~ん、これで、全部が繋がるんだ~。全く、何時もながら・・・初な人妻には、奥が深くて、一切、到達できませ~ん。勉強になりました。おほほ。」

「大丈夫だんね。全身から力を抜いて開脚すれば、俺のは太くて長いから、スンナリ奥まで届くんね。デカイ声さえ立てなきゃ、ご近所迷惑にぁ為らんわね。昔から、蜜壺は大人の味って云うじゃんかい。あい。
 俺ぁ、何時でも体空いてるぜ、気軽に誘っておくれや。イッヒッヒ!!」

「本当に、ああ云えば、こう突っ込んで来るんだから。ここはデンジャラス・ゾーンですよ。透視されない内に、逃げなくちゃ~、はいはい、目を瞑ったまま、バイバイ、又、来週お願いしま~す。」

「あいあい、お付き合い、アリガトさんね。興奮熱出して、風邪引かなんでおくれやね。イッヒッヒ。」

 さてさてと、今度はチィ、チィと鳴く、<お雛様>の給仕係りを遣りますかね。本日、梅雨寒の曇天である。ムラサキツユクサの紫の小花に黄土色のタテハチョウが蜜を吸いに来ている。

 おやおや、水槽のメダカの卵に変化を見付けた。へへへ、嬉しく為って虫眼鏡で覗いて見ると、針先の様な黒い<胎児を見付けたり>である。 

 閉じ籠りのロートル館にも、今年は何んと珍客の足入れである事か。節穴目開きの人間には、感じ取れない『私の慈悲の心』が、媚を売らず物云わぬ自然界の衆生には、好く分かるのであろう。

 好人の臭いを嗅ぎ付ける本能とは、流石の物である。人間も、見習いたい物である。ワッハッハ!!


心何処ーショート 亀ちゃんや、達者で暮らせや。
             亀ちゃんや、達者で暮らせや。(6/14/11)
 昨夕は寒く為って終ったので、未練釣りを諦めて通常の散歩に向かった。川向こうの河川敷を歩いて居ると、草刈りの終わったグリーの上に、変な物が置いてある。周りが綺麗であるから、その石ころの様な物は、置いてある様に見えたのである。

 近付くと、おやまぁ!! それは、紛れも無く『亀』である。
<ペットにミドリ亀を飼ったは好いが、飼育に飽きて仕舞い、河川敷にポイと捨てられた。>・・・そんな感じを受けた。好く見ると、それは緑亀では無く、草亀or石亀の様である。残念ながら、私には両者を区別する目は無い。

 まぁ、とんだ拾い物をして仕舞った物である。感性が合わないから、ペット・ショップで亀を買った事は無い。

 子供が未だ小さい頃、廊下に寝そべって庭を見て居ると、何やら動く物がある。結構大きな亀であった。倅が喜ぶ物であるから、庭に適当なプラスチック容器を埋めて庭で飼う事にした。大きい亀であったから、甲羅に錐で穴を開けて紐を付けて飼って居たのである。

 アイディアが功を奏して、草亀or石亀は半径1M強の不自由さには違い無かろうが、庭の住人に為ったのである。餌は、パンとか庭の太いドバミミズであった。亀が水中で太いドバミミズを喰らう様は、グロテスクで家の中で飼う気には、一切為らなかった次第である。どの位、庭に居たのか定かでは無いが、何時の間にか居なくなってしまった。

 あれから、二十数年して亀の拾い物をしたのである。私の左手には、全てを甲羅の中に閉じ込んで、生きて居るのか死んでいるのかも心配になって来る亀がある。途中でベチョッと糞をしたから、生きて居るのであろう。

 へへ、二十数年前の庭亀の水中捕食と水中糞垂れのシーンが、具体の色と臭いとして蘇って来る。爬虫類、両生類の類は、如何しても興味が湧かない処である。

 帰って来て、金魚槽の中に入れると、亀が首を現わした。金魚達と同居させる訳にも行かず、外で飼って見る事にする。インターネット検索と云う便利な時代であるから、一応の飼い方を見て置く。

 玄関横の外水道の受けに、古いコンクリート製の流し台が置いてあるから、それで飼う事を思い付いた次第である。甲羅干しに陸地が必要との事であるから、川から粗い砂を取って来て、セットする。逃げない様に甲羅にヒモでも繋ごうとも考えたが、先ずは越せないと考えて、明日にでもすれば良いと考えた。

 夜に見たが、亀は大人しくして居たので安心して居たのだが、朝見に行くとアッサリとモヌケの殻であった。別に失敗、損をしたと云う気は起こらない。まぁ、川が近いのであるから、ノロリ、ノロリと川の臭いに首を伸ばして歩めば、何不自由の無い『グレード・アップ、川の住人』に為れるのである。

              亀ちゃんや、達者で暮らせや。

 キリギリス、ウグイスと違って、その安否情報を声で聞けないのは、寂しい限りではあるが、亀に鳴いて安否の沙汰を知らせろと言っても、詮無き事である。

 さてさて、母の起きて来る前に、庭の野生化した極小・酸味一杯のイチゴを摘んで、野趣豊かなイチゴジャムでも作るべしである。へへへ、賄い夫も三年も遣って居ると、何事も工夫の興味が湧くと云う物である。


心何処ーショート 胸グサリ、遣られ申した。
               胸グサリ、遣られ申した。(6/13/11)
 母の動きがして居る。私の方は、久し振りに夢を見て、大のショックである。痘痕も笑窪の喩えでは無いが、サラリと言われてしまった。そんな馬鹿な!!とは思う物の・・・ 如何やら、夢の伏線は、昨夜見た『パチンコ是か非か』の三時間弱に及ぶ討論動画に在った様だ。

 まぁ、言いたい放題の暴言すらポンポン飛び交う討論動画である。これとても、一種の私の人間ウォッチングであるから、我慢して見て居る事が多い。

 二時間前後に為ると、真面目派・常識派は、何をや言わんかの仏頂面の態である。それにしても、辟易とする好い加減な輩が跋扈して居ると云う物である。

 好い加減な男と云う者は、幾ら目立ちたがり屋パフォーマンスで、討論の場をリードして居ると錯覚して居ても、ボロが出て来てしまう。偉そうな事を得意気に殊更饒舌パフォーマンスをしていても、論芯が二転三転している。これは、単にブレている訳では無かろう。論芯が二転三転していても、一切動じないのだろうし、恥とも感じないのだろう。

 こんな輩は、自分で自分の頭の中すら、整理整頓が出来ない連中なのである。そんな奴等は、信ずるに足りぬ輩である。そんなパチンコ賛成者が、三人も居られた。現世、私の主張とは、こんな物なのだろうか・・・ へへへ、相手にはしたくない輩達である。

 きっと空気の読み方に長けている性質なのであろう。流れの中で、目立ち度最優先の迎合型の男なのであろう。最後の一時間は、ウンザリの嫌悪感で、得る処無しの自己顕示欲パフォーマーの観察と云った処である。

 私の感想としては、偉そうな事を言って居るけど、お前さん達は日本人??の嫌悪感に苛まれてしまった次第である。国籍・出自だけで、人を色眼鏡で見て終うのは、甚だ宜しくは無い事ではあるが、先日中国4000年の歴史を下衆の突っ込みで、纏めて見た次第である。私の先入観、思い込みが強過ぎるのだろうが、何か、歴史の証左を見る思いがしたした次第である。

 中国文明は哀しいかな・・・五胡十六国時代に潰えて終ったのであり、その後の中国は混沌の中から得た、その時代時代での王朝への風見鶏迎合で進んで来たお国柄なのである。その大中華の民腹としては、迎合且つ目立ってなんぼのパフォーマー振りが、身に付いて居るのかも知れぬ。
 
 それが宗主国中国であったのだから、半島国朝鮮は自らを陸続きの小中華を吹聴して来た歴史を有するお国柄である。大国中国に接する宿命から<事大主義的>と云えば聞こえは好いが、いざと為れば『狡猾度を増大』させて、大国中国・ロシア・日本に擦り寄る。矮小なプライドの根底に在る、その実態は、イソップ物語の蝙蝠(こうもり)の様な国家・民腹なのであろうか・・・。

 惚れた女に『操』を期待したのだが、あっさり、「だって、興味が有っから、一度して見たかったの。だって<私、★国人>よ。人間の気持ちは、変わる物よ。たかが一回のSex位で、何でそんなに拘るの。心と体は、<別物の時>もあるわよ。男も女も、皆、同じよ。ショックなの? アナタも浮気するでしょ。」

 いやはや、例え『夢の中』例え心の『真実の声』で在っても、男のハートをグサリと抉られてしまった。いやいや、女族の本音・物言いは、凄まじいばかりである。

 以上の伏線が、夢を誘致した様なのである。紳士淑女の皆様、人間オーバーワークの時には、好い夢が見られる様に、心温まるラブロマンス映画を見て就寝する事が肝要でありまするぞえ。

                嗚呼、糞ッ垂れが~。

 久し振りに、台所で母の動きである。動ける時は、動いて貰った方が良い。頃合いを見計らって、台所をバトンタッチして朝の賄いに取り掛る。

 母の体調も好さそうであるから、庭の落ち葉を穿ってミミズを探して、昼釣りに行って来る。釣られて来るのは、どれもアブラハヤばかりである。誰も居ない川原でハヤ釣りをして遊ぶのも、気分転換に為る。昨日の町会一斉草刈りで、河川敷もすっかり綺麗になった物である。

 さてさて、余り家を空けるのも、宜しく無い。餌も終わりに近付いて来た。昼の賄いを致そうか・・・夕暮れ時に、今度はテンカラでも振って見ようか。


心何処・・・町内草刈りの図
                  町会草刈りの図

                 町会草刈りの図


 すっかり時間が空いて仕舞ったので、久し振りに今朝記事の挿絵を描いて見ようと思いました。さてさて、どんな戯け絵が仕上がるか・・・無い知恵を絞って描いて見た次第でありまする。

 はい、妄想と透視の真面目作業のワンシーンをスケッチして見ました。仕事ついでに、気に為って居た玄関のツゲの木を刈り込み等を脚立に乗って、ヒィーコラヒィーコラと刈り上げて、本日は、もう散歩に行く体力も使い果たしてしまいました。アッシャ、疲れましたわね。とほほ。

 下手絵をクリックして拡大しますと、透視と妄想、スキンヘッド・ロートルの視線の先が、浮かび上がって参りまする。ギャハハ!!


心何処ーショート 午前中が空いて仕舞った。
        へへへ、午前中が大きく空いて仕舞った。(6/12/11)
 目覚ましの催促で起きる。河川敷の町会一斉草刈り日である。遅刻は、男子の恥である。朝が全く苦手の生活をしているから、時間の余裕は十分に取ってある。大きな町会であるから、人数的には中国の人海戦術見たいな物である。

 然しながら、子育てを終えた町会は、老人の海である。石垣斜面のオオキンケイギク、その他の雑草、草刈り機の刈り残しが手鎌作業であり、草の袋詰めが主作業と云った処である。

 袋詰めは面倒で石垣の斜面を上って土手通りに運び込まなければ為らないので、皆さんが敬遠する作業である。私は未だ若い口であるし、体格も相撲取りであるから、草刈りの後半からは、黙々と体力の要る作業をする。例年、そんな事をしている。

 私は、<男は人の嫌がる体力作業が出来て、なんぼの物>と思って居る体育会系の体細胞を持っているのだろう。人間とは可笑しな動物で、私の様に生真面目な男には、生真面目なお人が自然とチームを作って仕舞う。唯、女性陣はお婆ちゃん、中年女性である処が、冗談も言えない処でもある。
 下手に普段のセクハラトークを披露してしまったら、同町内のご婦人方である。後が宜しく無いのである。そんな事で、精々が、中年婦人の胸の膨らみが眼前にある位な物である。

 へへへ、そんな日にぁ、それこそ、変態助平オヤジの噂が、パッと拡がって仕舞う。それで無くとも、他人様とは違った目で見られて居るのである。此処は、口を真一文字に閉じて額に汗して、ひたすらに町会ボランティア作業に邁進するのみである。

 或るブログさんの記事を読むと女性の更年期は、『オジサン化の悲鳴』との事である。私とて、<経時化に依る透視眼>を持っている処でもあるから、胸の膨らみに隠された、乳房の形、肉付き、はたまた、その弛み具合も、腹部の生白っさのポッテリ感も見て取れるのである。

 まぁ、言葉にして発しなければ、人の想像は『個人の自由域』なのである。女日照りの日常に在っては、この位の町会行事もあって好いのである。ウッシッシ!!

 然しながら、断って置くが、決して女性の悪口を言っている訳では無いのである。私はその様な経時バストに、崩れ掛って居る女体の線が好きなのである。何を隠そう、私は普段着の好さを愛でる気分を、持ち合せて居るのである。

 中学生・高校生の頃は、何処の家庭でも餅付きをして居た物である。夫婦が、亭主が杵を振るい、女房が餅を回す。寝床を共にする男女の雰囲気と云う物が、餅付きの呼吸の中に在った。それが好男子、美人の夫婦コンビだと、何んとも言い様の無い男女の相性と馴染んだ生活の雰囲気・味が漂って居て、横目でチラリと見るだけでも、何か仄々とした好い大人の男女の雰囲気を頂戴したものである。

    詰まりは、男女の雰囲気・味は、普段着の中にこそ漂う物なのだ。

 へへへ、それにしても、立ちん棒を得意とする御仁の何んと多い事か・・・ これも、人の世の縮図と云う物である。さてさて、これで作業も終了と云う物であろう。玄関鳥の世話でもして、熱い湯を沸かして、自室でモーニング・コーヒーでも点てると致そうか。

 本日、曇天の日曜日である。六時からの作業で、午前中が大きく空いてしまった。動きついでに、剪定でも致しましょうかね。


心何処ーショート どっちもどっちの戯けコンビ
             どっちもどっちの戯けコンビ(6/11/11)
 昨日の夜散歩の帰りには、雨がポツリポツリと落ちて来た。夜散歩は暗いから、面白い事がある。大きな声で歌を歌いながら、自転車の高校生の三人組が扱いで来たりもする。音痴な私が言うのは酷ではあるが、下手である。

 まぁ、気分が乗ってデカイ声を張り上げて居るのであるから、一応、<上手いぞ、下手糞>と拍手をして遣った次第である。熊見たいなスキンヘッドのオヤジが、擦れ違いざま、こんな事をするのであるから、女一人の男二人のトリオとて、ワニ(調子狂い)にて仕舞ったのだろう。ギャハハ!! 相手は、何処から見てもヤクザのオッサンなのである。

 雨が降ったり止んだりの夜が明けて、河川敷では明日の町内一切草刈りの負担を軽減し様として、働き者の町会長さんが草刈機を稼働させているのだろう。エンジン音が唸っている。
 庭木か電線の上なのかは定かではないが、キジバトのボー、ボーの鈍い声が、再び眠りを引き寄せる。玄関では、金華鳥達が朝を開始し始めたが、後回しである。暫く、夢現の温い布団の中で意識を没すべしである。この一時間弱の二度寝が、堪らなく好いのである。

 朝食後の時間を母の部屋で過ごし、時間を見計らって自室に戻る。本日・土曜日のコーヒー・ブレイクである。一応、雨は止んでは居るが、長袖の気温である。部屋でブログ散策をして居ると斜向かい吟さんのお越しである。 へへへ、Tとの週一度のスタバ・コーヒータイムが控えているから、余りお付き合いが出来ない処である。

      おやまぁ、斜向かい吟さんは、サンダルを間違えて帰られた。

 大分間を置いて、気付いて交換に参られた。ムラサキツユクサが玄関周りに伸び放題である。お迎えが来るまで、草むしりをする。明朝は草刈りであるから、コーヒータイム後は、ササッと草刈りをした後に、鎌の錆落としでもすれば好かろう。外に居ると、Tの車が遣って来た。

 二階の定位置で談笑して居ると、赤児を抱いたスラリと背の高い女性が一人で遣って来た。私の背後の席であるから、好くは分からないが、Tの視界には赤児と母親の姿が一直線に映っている。Tの表情は、自分の孫を見ている様な好々爺の表情である。いやはや、Tは相当な赤児好きの様である。
 
 好色男の中にも、色んなタイプが居るのだろうが、好色性と赤児好きは、<円やか助平>の線で繋がって居るんではないかと・・・私は、大きく納得した処である。そう云えば、Tの野郎は、若い娘を籠落させるテクニックとして、全身マッサージのテクニックを使うと云う。

 何度か、お付き合い中の韓国・ロシア女性と飲んだ事があるが、彼女達は、Tの優しさが好きだとの事であった。
 まぁ、<尊敬から、愛が始まった>なんて話が、世間にはザラにある。それと比べれば、『気持ち好さが、好き、愛に変わる』事の方が、ズーと男と女の世間の通りが好いのだろう。私は全くその様な体験が無いから、飽く迄推測の域である。

 兎角、女族は『優しい男が好き』と云うのではあるが、世の中には、<優しくタッチしてよ>なんて、歌の文句も在った次第である。気持ち好さからスタートする道も、気持ち好いを維持する男女の仲も在って然るべきであろう。へへへ、Tの一端を見た思いである。

 そんなニヤニヤ観察をして居ると、男が上がって来た。どんなタイプのダンナかなと振り返ると、団塊世代より10弱若い男である。私達が見て居ると、男は『初孫』で可愛くて仕方が無いと頭を掻いて居る。

    「俺達にも孫が居るから、あいあい、その気持ちは分かるんね。」

 と応えた物の、私の第一印象は、<この馬鹿オヤジ、若い女に子供を仕込んで、成長するまで稼がにぁ為らんぜよ。産ませた責任だ。頑張りましょや。>と下衆丸出しの直感力を働かせた次第である。
 尤も、Tの表情は、異議を差し挟まない好々爺の様であったから、下衆貧民の勘繰りは、一切口には出さなかった処である。こんな処にも、私とTの円やかさの違いが、大きく横たわって居るのである。←とほほなり。

     例によって、ホームセンターとスーパーに寄って、買い物をして行く。

「婆さんには、悪いと思うんだが、遣る気が一切起こらない時が有るんだわ。阿保らしくて、逃げ出したく為る『鬱の気分』に掴まちゃう事が、年に何度かある。今日は、その日だわね。
 婆さんも体調が悪いと、キツイから体調の好し悪が、表情・態度にストレートに出て来る。可哀想だとは思うけど、俺は神様じゃない。底の浅い演技だけの生身の人間だわさ。早々は平常心じゃ居れんわな。未だ下の始末が回って来ない俺が、Tの苦労を思えば愚痴は零せんけどな。困った物さね。」

「そりゃ、そうさ同感さ。365日、休み無しだもんな。本当に、疲れが溜まって来るもんだわさ。もう、昨日今日と、俺も、参ってるんだわさ。爺っさの下の始末を4回だぜや。怒って見てもシャー無いけど、お互い、口に出す程、介護は楽じゃ無い。女と違って、ヒステリーを起こす訳にも行かんしな。大変だぜや。へへへ。
 日々成長と日々老衰は、月とスッポン。ギャプがデカ過ぎるぜや。無理はするなよ。Rの愚痴だったら、何時でも聞いて遣るぜな。愚痴は、零す為に有るんだぜや。アハハ。」

「まぁ、そう云う事だわね。<終わりの無い物は、生身の世界には無い>と念仏を唱えてさね。乗り掛った船だ。ゴールを駆け抜けるしか仕方あるまいよ。ゴールを切って、一段落したら、海外旅行でハメ外しをするだいね。あい。」

「あいあい、毎日が日曜日だ。シーズンオフの一番安い時期を選べば、サラリーマン時代の2倍前後は回数行けるぜな。自由に為ったら、助平コンビ復活だいな。それも束の間でさ。寄る歳波の萎クレ爺っさコンビに為らざるを得んだろうな~。
 定年退職を、南洋の物価の安い島で、Rと好色ゴタ暮らしをしようと夢を描いて居たんだけどさ。人生は、思い通りには運んでくれないもんだわさ。
 まぁ、好物の女遊びをしなきゃ、安い物だぜや。俺達ぁ、根がインテリだから、歳を取れば、色情よりも知性だわね。そんな訳だから、籠り生活は充電期間中だと思って、世界史をマスターしとけや。そうなりゃ、ガイド料も節約出来るぜや。ヒヒヒ。」

「おいおい、そんな事言ってたら、Tを知ってる人間をどう説得するだいな。」
「あいあい、胃無し人間に為りゃ、人間生臭さは無くなって来るぜね。僕ちゃん、霞みを喰う仙人に向かってるぜね。アンタは、突く突く帽子の一本槍で、つくづくと修行が足らんわね。広い世の中だけど、Rは珍しい男だよ。あい。」

「見栄張って、何を扱きゃがる。勝手にほざいてろ。実態は、スタミナ切れのバイアグラ頼みって事だけじゃねぇか。俺ぁ、自慢する訳じゃねぇが、現役、妄想ピンピン草だんね。
<質実剛健・弱音を吐くな・大道を闊歩せよ>が、校是の番から男子高の出ずら。衰えを知ったら、訓練有るのみズラよ。
 自分の家の風呂だったら、誰も見ちゃ居らんわね。洗面器を二つ用意してさ、熱湯・冷水の竿浸けしてさ、亀の子束子で、亀頭の角質を擦り落して、リハビリしなんで如何するだい。萎えた倅には、『愛の鞭』打ち調教が男根の道だぜや。<男子、弱音を吐くより、ザーメンを吐け!!>ってぇのが、伝統高、天下の★★男児ずらい。頑張っておくれ。あい。」

「ブルブル。そんなおっかない(怖い)事を言うな。俺ぁお前さん見たいに、胸毛の生えた野蛮人じゃねぇぜや。街場の人間だよ~。スマートに振動マッサージ器じゃ駄目かいね。
 幾ら何だって、『亀の子束子』じゃ、俺の<敏感お肌>が、血ダルマに為っちまうわね。長い腐れ縁コンビだって、其処までは出来んぞや。お代官様~、勘弁しておくれや。」

 ヤクザもどきのロートル・コンビは、<如何して・・・こうなるの。>である。

 さてさて、雨は降らぬ様である。家周りの草刈りをして、鎌でも研いで置きましょうかね。

心何処ーショート 何事も、工夫次第?
               何事も、工夫次第?(6/10/11)
 昨日はムカ付く事が有って、早々0時過ぎの就寝であった。如何も私は、奥ゆかしさの無い世情ステレオタイプの御仁は苦手である。そんな事も手伝って、この処、私の個人的な世界史読書感想文を、ブログに挿入している次第なのである。

へへへ、全然、面白くないとの<逆襲>を頂戴して仕舞った。おお、怖い!!

 朝も、空気の通りを好くして、庭の小鳥達の声を聞いて居た処である。早や今週も金曜日である。毎日が日曜日にして、賄い夫稼業の無為無策・ペンペン草の生い茂る日常である。昨夜は、珍しく咳き込む母の物音がして居た。

 曇天の風が無いと蒸し暑い朝である。さて、起きて母の顔を覗いて来るとしようか。

 寝て居る母の顔を見て、未だ朝飯には早かろう。部屋で煙草を吸いながら、時間待ちである。畑作業から斜向かい吟さんの車が帰って来た。太いアオダイショウが居たとの事である。

 ラジオを掛けると、おやまぁ、国会中継である。老母の部屋に行って、テレビのボリュームを上げて、台所作業を始める。
 さてさて、野菜類も使わないと鮮度が落ちるばかりである。どう片付けて行くかが、面倒な物である。温泉銭湯の気の合うハイカラ御隠居さんではないが、<家庭の経済は、工夫次第、工夫で脳細胞の活性化!!>との事である。その工夫が出来ないヤツは、『馬鹿・脳足りん』との結論である。真に以って、人間への<単純明快な啓蒙のお言葉>である。

私も人間の端くれである以上、工夫足掻きの誤魔化しを励行するしかあるまい。とほほ。

 新聞購読も止めて終った昨今であるから、国会中継は或る意味世情仕入れでもある。テレビ報道、新聞、雑誌、インターネット情報で、国会議員の先生達が、国会質問を為されて下さっているのであるから、云って見れば世情情報のダイジェスト版の様な物である。

 私のスカンポ脳は、一周遅れ、二周遅れの世情情報かも知れぬが、新聞購読を止めても一切後悔の無い処である。←これも、家庭経済は工夫次第の『変化球』の一つである。

 テレビの国会中継は、下手なドラマよりも面白い。老母を相手に、彼是と下衆の突っ込みを入れたり、政治家のグレード分けをして、質問する人、応える人の『人間ウォッチング』をさせて頂いて居る次第なのである。

 さて、国会中継も、結構、私の様なファンが居るのであるから、テレビ画面も工夫して質問者・大臣席・野次議員席を小コマにして同時中継して下さると、視聴率が上がると思うのだが・・・ 
 野次席議員さんも将来の国務大臣・総理候補なのであるから、その贔屓の涵養には時間を必要とする物であろうし、テレビ画面を見て政治家への選球眼を国民がグレード・アップして行くには、大事な投票行動の過程として位置付けられて然るべきでは無いのだろうか。

 へへへ、下衆の国会中継感想でありまする。それでは、本日は、この位で。


心何処ーショート 趣味の纏め、中国考に続く。
             趣味の纏め・・・中国歴史考への扉(6/9/11)
 好い風が吹いている。朝から暑い日であるから、強風が適当に部屋を冷やしてくれるのである。昨夜は中国史の概略書きに、夜を過ごして居た。錆び付いた脳味噌に血液が回り過ぎて、布団に入っても中々に眠れないのであった。映画ビデオを見るが、脳死状態で1/3程度でギブアップである。

 然しながら、些かの暑さの為に寝苦しくて、寝返りを繰り返して居るのみで、うとうと睡眠で朝を迎えて終った。半分以上休止して居るボワンとした身体ではあるが、淀んだ空気は頂けない処である。それこそ、女族が居たなら、女臭いを棚に上げて、『男臭い!』で目を吊り上げての窓開けとされて仕舞う。

 空気の入れ替えに通りを見ると、斜向かい吟さんが、踏み台の上に乗って、西日除けの簾をセットして居る。緑の簾の朝顔は、まだまだ先の事なのである。

 外の空気を吸いに河川敷に下りる。高校生の自転車通学の時間帯である。女子生徒の夏服が朝の光の中で、好く映えている。
 日曜日は、朝六時からの町内一斉草刈りである。伸び放題の河川敷と堤防に群生するオオキンケイギクの花の黄色と葉の緑が、長い帯と為って風に戦いで居る。気温好し、太陽好しの初夏の賑わいを見せている。

 そう云えば、昨日は何日振りかで、ホー、ホケキョの声を聞いた処である。未だに里に居座る変わり者・ウグイスである。本日は聞けるだろうか・・・

 家に入ると、母が台所で湯を沸かして居る。体調は、悪くは無いのであろう。然すれば、私は時間差で庭の極小イチゴでも摘んで来るとしようか。

 朝食後はテレビに軽くチャチを入れて、親子漫才を交わした後は、自室に戻り煙草吸いのコーヒー・ブレイクである。Tシャツ一枚の上ではあるが、心地好い風に、豚部屋の万年床八畳でも掃除をするべしと重い腰を上げる。もう、半袖の季節であるから、洗濯機を回して衣類の確保をして置くとしよう。

 部屋をクマ男が動けば、水槽の金魚達は餌を遣せとばかりに、尾ヒレで水を撥ね上げる。こいつ等は、一日の大半を私と過ごして居るのに、丸で私の奥ゆかしき立ち振舞いが身に付いて来ないのであるから、全くの先天的下衆の輩共である。教育効果の無さの実態に、改めて深い溜息が出るばかりである。メダカ槽では、卵が数個産み付けられている。

 歴史に興味のある方は、次へ読み進まれたし・・・・

心何処ーショート 趣味の纏め中国考
                   趣味の纏め…中国考。
さて、昨日の知恵熱の触りを認めて置きましょうかね。受験勉強では無いのだから、超特急お浚いである。これは、個人的に纏めた趣味の部分で有りまするから、興味の無い方は、読むと疲れるだけで有りまする。イッヒッヒ!!

BC1600年頃、自前の殷の時代が500年。黄河の賜物にして、黄河を神聖視して黄帝、黄泉、黄瓦、黄袍。甲骨祭祀、甲骨文字、通貨はベトナムの子安貝。

自前の周の時代が700年。内陸の渭水盆地から勢力を伸ばして殷に取って変わる。革命=天帝の意思が変わり、王の姓が変わる。易姓革命と云い殷から周の変わりを殷周革命と呼ぶ。方法としては、話し合いの『禅譲』と武力行使の放伐があるとの事。←毛沢東の革命思想・造反有理もこの延長線か。
都市に親族・血縁を派遣して、極めて血縁の濃い中国型封建制度を誕生させる。給料は払わんが、任地で徴収して、中央に上納金を治めよ。地方官の栄華は、腕次第。←これが中国特有の賄賂社会と為る? 
帝都の周り千里四方を王畿、一万里四方を中華の地と定め、東夷・西戎・南蛮・北狄の文明の届かない野蛮の地とした。所謂、中華思想である。タテ社会と中央の思想が確立したのが、この時代である。

以上、自前の時代が、1200年続いた。この間で中国の国柄の骨子が作られて行った。

春秋戦国時代は混乱の時代で550年。フイゴの発明により鉄器の量産→畑大開発→大諸侯の経済力増大で群雄割拠の時代。『尊王攘夷』が唱えられる。王=周である。
戦国時代は戦国七雄に収斂されて、外交戦略の時代でもあった。

以上、混乱の550年。この間で、中国の『古典思想の開花時』を迎える。孔子を始祖とする仁・礼の実践で思想社会と天下泰平を説く徳治主義の<儒家>、儒教から性善説・性悪説。兼愛・交利・非攻を説いた<墨家>。仁・礼を人為的な物として、一切の人為を排して無為自然を説く老子・荘子の<老荘思想>。商鞅、韓非の<法家の法治主義>。兵法を論じた<兵家>など、550年に及んだ混乱の時代は、現代流に云えば、現実対応のケーススタディの実験場所だった筈である。正に諸氏百家の時代であったらしい。

自前の秦~後漢の時代が、400年である。云う為らば、諸氏百家の思想から得たエキスを実効為らしめる時代への進展である。

秦は騎馬軍団、法家思想による統治システム、灌漑事業による経済力を持って、混乱の時代を平定した。皇帝の意思=法=人治主義を正当化する為に、徹底的に焚書・坑儒を断行した。←殷周革命の好い処取りをした様な物である。これが、現在の中国共産党の人治主義を当然の事として居る『歴史遺伝子』なのだろう。
漢は漢字文化圏を構築した。朝鮮・ベトナム北部・日本。

五胡十六国時代は、混乱の370年である。中央アジアの草原遊牧民の席捲である。匈奴の一派フン族が西に向かえば、ヨーロッパはゲルマン民族の大移動として大混乱に陥り、匈奴が南進・東進すれば、中国、朝鮮、日本へと波及した。日本では渡来系の古墳文化として、その名残を刻んで居る処である。この時代に中国に仏教が渡り、椅子の生活習慣が浸透した。北の稲作文化、南の小麦文化の混沌の中で、<中国文明は、大きく変質した>のである。

隋・唐の時代は、自前の320年である。隋は中華帝国の再建を目指す農業帝国で、運河の開発をして、南船北馬の帝国の物流に精出した。
唐は帝国大版図を懐柔政策で統治して、冊封体制(形式的な君臣関係)とした。100万都市の長安は国際都市であり、人口の1/20が外国人である。アジア各地からの留学生が一万人、ペルシャ人、ソグド人が四万人と云う途轍もない開放都市なのである。唐帝国は遊牧文化の影響が強く、女性の社会的地位も高かった。そんな事で、則天武后の登場が有ってもおかしくは無かったらしい。←中華思想の尊大さが現れ始めている。

五代十国の時代は、混乱の50年である。

自前の宋の時代は、300年である。羅針盤と外洋帆船ジャンクで、国家財政の20%が貿易収入だったとの事である。キャチフレーズとしたら、<海に乗り出した宋>なのだろう。←軍事・経済大国に為った現中共国と同様に、南シナ海、東シナ海を荒らし捲ったのだろう。

金・元の時代は、征服の300年である。

自前の明の時代が275年である。回復中華の時代である。イスラム教徒の宦官・鄭和に国営貿易(朝貢貿易)をしたり、80万の軍隊でベトナム征服をする。琉球に中国人を移住させて、琉球大交易時代を作るも、足利時代には後期倭寇が暗躍して、密貿易の頻発で頭を悩ます。16Cになると、モンゴル人の圧力が高まり、万里の長城を築く。秀吉の朝鮮出兵、東北では女真人(満州人)の台頭で、帝国財政が圧迫される。
再び内陸部に後退した明である。←現中共国が、この明帝国の轍を踏襲するのだろうか。願わくば、大いに時間を短縮して内陸部に撤退して貰いたい物である。

清に征服された300年である。200万人の女真人が、数億人の中国人を飴と鞭で300年統治したのである。飴→中央官庁の要職を偶数として、同数配置する満・漢併用策。鞭→弁髪の強要、言論統制(文字の獄)本拠地の満州は、清の直轄地とした。日本関東軍の満州帝国の口実にも為った。
台湾の平定(1683年)台湾はマレー人の住む島だったとの事。
二重統治体制で、史上最大版図を支配する。朝鮮の李朝、ベトナム、シャム、ビルマ。
阿片戦争、アロー号戦争の仲介で、ロシアに沿海州を割譲、日清戦争敗北で、列強国の中国分割が一気に進む。←一国二元統治の手法は、中国伝統のお家芸らしい。

1912年辛亥革命で自前の中華民国、中華人民共和国。

          さてさて、中国の歴史を超特急で見てみました。
自前1200年→混乱550年→自前400年→混乱370年→自前320年→混乱50年→自前300年→征服300年→自前275年→征服300年→自前と云うよりも呑み込み中共国66年の行進中。

殷・周、秦~後漢、隋唐、宋、明、現共産王朝の自前王朝時代が、2561年
春秋戦国、五胡十六国、五代十国の混乱の時代が、        970年
金・元、清の征服王朝時代が、                 600年

 中国って凄いでしょう。普通の国家観だと掴み切れない。国、国民ですよ。紀元前から変わらぬ中華思想と易姓革命から来る天下を握ったら、施政者は何をしても許されると云う人治主義。散々に利用したら、諸氏百家は面倒臭いから、焚書坑儒。周時代から始まる血縁関係封建制度の賄賂政治は、共産党王朝で持続されている。

 春秋戦国の大混乱期で、思想哲学の大成熟を見せるも、その後の五胡十六国時代の大混乱期には、中国文明が変質して仕舞ったにも拘らず、平和の江戸時代には、論語が武士の嗜みで仁と礼が重んじられ、明治にもそれが引き継がれた。
 日本の武士道を貫く大義の中には、仁と礼への志が色濃い処でもある。近現代史で、日本の中国に寄せる古典的な想いを一刀両断に切って見せたのが、福沢諭吉さんらしい。現実では、日本人の思い描く徳の高い東洋の大国中国に於いては、千何百年も前に潰えて居たのである。

 近年、富に経済界と政界の中国詣でと中国の傲慢さが、鼻に付いて為らない処である。四千年を誇る大中国の歴史との事ではあるが、下衆の私には中国人様が声高に吹聴する自国の歴史なのかと、首を傾げる処なのである。私は、思い込み先入観の強い男である。くれぐれも、受験勉強の参考とは致しまするな。へへへ。


心何処ーショート 還暦過ぎの手習い???
              還暦過ぎの手習い???(6/8/11)
 おやおや、本日は動きが遅い。老母の顔色を見て、風呂を沸かす。急かしても可哀想であるから、ゆっくり朝を開始して行く。台所の洗い物をしたり掃除、小鳥の世話ついでに、廊下の雑巾掛けまでして仕舞った。

 母のお粥を置いて、飯にしようとするとガス屋さんとヤクルトママである。代金だけを支払って、さぁ、朝飯である。嗚呼、愉しみのお時間を取り逃がしてしまった。

 腹ごなしのテレビにお付き合いをした後は、風呂である。風呂を母に譲って、その間に個人スーパーまで買い出しである。朝の曇り空は一転して、夏日の太陽である。

 北西向かいさんの路地には、斜向かい吟さんが、家庭菜園のエンドウ、キュウリの世話をして居る。寄る歳波で家庭菜園は続けたいのだが、身体が儘為らない。へへへ、子育てを終えた静かな町は、そんな事で、お隣・近所さんが、お手伝いの日常なのである。

 Tシャツ一枚の自転車漕ぎで、買い物袋二つの買い出し。好物のフキが有ったから、フキを茹でて台所に胡坐を掻いて、根気が肝要のフキの皮剥きである。何事も同時進行が、時の有効活用である。いざという時のアズキを炊いて置けば、老母の食欲・栄養の足しにも為る。

        昼兼オヤツは、キナコ餅と餡ドーナツの手抜きである。

 台所の弱火炊き管理をしながら、四畳半定位置でのマイタイムである。二日前から始めている殷から中国人民共和国の歴史の『お浚い用虎の巻』を作って居る処である。
 私は普段、大国中国様を散々に扱き下ろして居るブログ管理人である。これだけ罵詈雑言の悪態を晒して居て、中国の歴史は全て忘れて終ったとは、出来ない<言い訳>である。

     私にだって、常識的な反省心も持ち合わせているのである。

 へへへ、流石に中国様は歴史大国である。汚ない万年筆文字でA-4、四枚の力作と為って仕舞った。中華思想の発祥と自前王朝と征服王朝の時系列と、その間に何回も登場して来る混乱の時代とか、人類史上の大激震地中央アジアの遊牧民族の動きなどが良く見えて来た処でもある。
 匈奴の一派が西に向かえば、フン族を押されたゲルマン民族の大移動と為り、東に進めば中国→朝鮮→日本と為り、日本の古墳文化となって足跡を残す。

 世界史の潮流とは、凄まじい物である。嘗ての縦横無尽に駆け巡った草原の騎馬民族国家、スペイン、ポルトガルの大航海時代、産業革命をバネに世界の海に君臨した大英帝国。そして、・・・現代では1970年代以降、情報革命・ハイテク技術に裏付けられた地球規模の高速ネットワークを背景とした『グロバリゼーション』が進んでいる。

 これは紛れも無く<アメリカ文明>の世界化とも云える。私は、臍曲がりであるから『アメリカの押し付け文明』と感じている処である。

 私の若い頃は、『アメリカナイズ』なんて言葉が流行った物である。敗戦後66年を経過して、日本精神の崩壊は、菅無理さんが主導する政治主導の実力度を、大震災・原発事故であっさりと露呈してしまった。
 口さがない評論家達の言を借りると、吾が祖国日本は、米の51番目の州に為るか、中国の日本自治区に為るかなどの、怖い揶揄が飛び出して居る昨今である。

 歴史に学べなどと云う口憚ったい事は、殊更言う心算は無いが、歴史を眺める視点は失くしたくは無い処である。現代に生きる人間が、現代を世界史に準えて理解するのも、国益と云う名のエゲツ無さを炙り出してくれる作用も有る。高学歴を謳歌する日本社会でもある。知らないよりも知って居た方が、多少なりとも御利益が有るのかも知れぬ。

           へへへ、還暦過ぎの手習いと云う物であろう。


心何処ーショート リベンジ諦めて、悪態を挿入する為り。
           リベンジ諦めて、悪態を挿入する為り。(6/7/11)
 朝だ。ゴミ出しである。廊下の戸を開けると、数日前に巣立った四十雀の一団が、枇杷の木の中で、チョコチョコと動き回って居る。昨日は好いお天気さんであったから、助平心から、毛バリのテンカラ釣りを試しに行って来たのである。二日続きの暑い日であったから、水温も高くなっていると踏んで試して見たのである。
 
 最初はハヤも追って来ずに、まだまだ水温が低いのだろうと諦め、長靴散歩で川の中をテンカラを振って居たのである。そんな事をしている内に、気温も上昇して前日のリベンジ・ポイントで遣って見た。そこでは不発に終わった。

 釣り人間は、兎に角、意地汚いのである。その次を流して行くと、ヤマメが姿を現わした。普通、二、三回毛バリを追って来るのであるが、後が続かない。水温が未だ低いから、魚の活性が鈍いのだろう。致し方ない処である。←衰えた反射神経に、負け惜しみである。

 水中に餌を沈めて釣る脈釣りとは違って、水面を流して魚を<誘う>テンカラ釣りは、目視の釣りである。そんな違いで、魚体がハッキリ見える。
 小さな黒い毛バリ目掛けて、バシャリとジャンプしたり、スーと水面に魚体を現わして、水面スレスレで魚体を反転させる姿が見えるのであるから、野生の神秘さを一瞬でも感じられる。それが堪らない一瞬にして、釣り上げた時の醍醐味は、格別の物と為る。

 それも、周辺の大物から先に姿を見せるのであるから、堪らないのである。結果は4回の姿見せで、あっさり不発に終わり、おまけが毛バリを葦に捥ぎ取られて、ゲームオーバーである。勿論、水を呑んだ長靴をブカブカ鳴らしての草臥れ・毛バリ落しの昼散歩であったのは、言うまでも無い結果である。

へへへ。全く以って、ロートルの釣り姿は、下手の横好きの態である。

 そんな事も手伝って、内心、本日の快晴を期待していたのだが、曇天の寒さである。母の動きは、まだまだ先の事である。待つ時間を昨日のブログ読みをして、文章寝かせの再点検をする。文章を寝かせて読み直すと、些かの部外者感が生じて来て、加筆・削除が出来て、少しは読み易い文章と為る物なのである。

  昨日の文章中<電力1/3・・・>の下に、以下の文章を挿入した処である。

『中国様相手に『柳腰外交』、現状の自衛隊様々に『暴力装置』の暴言を吐き、鼻糞いじりが手癖であった名参謀の仙谷氏にも、疎遠の仲に為って終った?らしい。仙谷氏と比べると、それに輪を掛けての軽はずみ言語と一人パフォーマンスの御仁が、菅無理総理であるから、如何し様も無いのである。

 お二人は弁護士さんに弁理士さんの名コンビであった。然しながら、文系と理系の最高峰資格者が、これでは頂けまい。左翼系法廷弁護士の辣腕振りにテレビの前で悪態三昧を繰り返して居たのだが、弁護士と弁理士の違いを見る感覚が私には欠落して居たのである。最高責任者の総理は、特許・実用新案申請を職業とする弁理士さんであった。

 そう考えれば、腑に落ちる処が無いでも無い。真偽・効果の程は別として、スピードが先決の申請領域である。スピード感満載の目立ち度が、効を奏すれば、巨万の特許料が何年もの間、入って来るのである。

 他に先んじてのパフォーマンスが、習癖として身に付いて仕舞ったのだろうか?』・・・ 以上である。

 いやいや、幾ら銭の掛らないテレビ人間ウォッチングが、大の好物と嘯いても、つくづくと私は臍位置がねじ曲がって居るのであろう。リベンジを諦めて、性懲りも無く悪態を挿入するのである。人の好き嫌いが激し過ぎて、箸にも棒にも引っ掛からない下衆の典型である。

    吾が身、見えぬが人間の性なんでありましょうかね。イッヒッヒ~。

さて、母も起きた処でもあるし、賄い夫を致しまする。朝飯は、何を食べるべきや・・・。

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