旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 妄想の館CelticWoman考
            妄想の館Celtic Woman考(5/31/11)
 先日打った安曇野特番の最後に、ローカル線の中で唄われていた『小学校唱歌』が懐かしかった。
                  <故郷>
  ♪兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川。夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。
如何に居ます父母、つつがなきや友がき。雨に風に付けても、思い出ずる故郷。
   志を果たして、何時の日にか帰らん。山は青き故郷、水は清き故郷。♪

 今の若い人達は唄えますかな? 音楽1の出来の悪い男ではありますが、抒情豊かな歌詞とメロディは、正に故郷への郷愁ですね。これぞ、古き良き時代の日本と日本人ですねぇ。『トイレの神様』も宜しいですが、ロートル世代には、これが一番の調べでありまする。

 下手な唸り唄よりも、正調文部省唱歌を聴きたく為って、文明の利器のインターネットで、『故郷』を検索した次第である。懐かしい幾つかの唱歌を動画で堪能して居ると、関連動画にCeltic Womanが出て来た。こりぁ、私の好みの白人女性である。

 澄み渡る歌声が好い。顔が好い。身体の造りが好い。臀部の大きさ、厚みのボリューム感に圧倒される。女性の身体は、これ位のボリュームが無いと喰い出が無いのである。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、これだけの顔々が有ると、好みの顔がある筈である。
 居ました居ました!!もうもう、ゾッコン中のゾッコンである。目と脳裏が、バーチャルに結ばれて、ツイツイ好からぬ妄想を膨らませて終う。

    ワンホール、トゥーホール、スリーホールへの妄想図はさて置き・・・

 Celtic Womanをセルティックウォマンと読んでしまったのだが、ケルティックウォマンと読むとの事である。為るほどと理解した次第である。狩猟採集の森の民が、ヨーロッパ白人種のケルトの民なのである。彼女達はアイルランドのバイオリン弾き、歌姫達である。余り若く無い処が、実に好い。『熟れた果実』の例えもある。素顔の肉体が透視出来る処が、味が濃いと云う物である。

    ミッドナイトの観賞なのであるから、お硬いお叱りはご法度であろう。

 イギリスは御存知の通り、『グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国』と云う様に、連邦制をとって居る。イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドである。
 ケルト人が居住していたブリテン島に、ローマのカエサル軍が進出した。ガリア、ブリタニアが、ローマ帝国の支配下に入った。然し、ローマはブリテン島北部を支配するに至らなかった。
 
 ローマ帝国が放棄した5Cの初め、現在のデンマーク、北部ドイツ周辺に居たゲルマン人(アングロ・サクソン)にブリテン島は征服されたが、ウェールズ、スコットランド、アイルランドにはケルト人の言語・習慣が残されているとの事である。

 へへへ、私の大好きなショーン・コネリー氏も、スコットランドであるし、バグパイプなんて、古式ゆかしき楽器も在るし、ケルト十字なんて幽麗な物も建っている。海と森の神話の世界に誘う風景も在る。

 私は如何云う訳か・・・ケルトと云う響きが心地好いのである。後年、雑学の賜物で、狩猟採取の森の民ケルトとか開国明治・大正期に於ける学校唱歌のメロディには、アイルランド、スコットランド民謡の調べが、多く採用されている事も知って来て、狩猟採取のケルトの文化と日本の狩猟採取の時代・縄文時代を遺伝子として受け継いでいる<日本と英国の親和性>の様な物を感じている次第なのである。

  開国メロディの中には、ロシア民謡も数多くあるのは、ご存知の処でもあろう。

 造形、言葉、旋律も、全ては『想念の中』から発するものであろう。自然、森の中で暮らす狩猟採取の生活の中では、自然の中の全てに神々を見出すと云う思想は、極自然の形なのであろう。これは識者に言わせると、『アニミズム』と云うのらしいが、日本語では『ヤオヨロズの神々』の自然崇拝の<心の在り様>なのであろう。アメリカインディアンの<吾が魂を大地に埋めよ>なんて、同趣旨の好い本もあった。

 ロシアの起こりは、ヴァイキング達でありノルウェー人が海に進出する一方、スウェーデン人が陸の河川(ボルガ川、ドニエプル川)に進出してロシアの基礎を築いたとの事である。

 詰まりは、イギリスにしてもロシアにしても、森の民の狩猟採取民の遺伝子で共鳴する部分が有るのであろう。こんなコジ付けをして行くと、私がイギリス人、ロシア人に親和性を持つ事は、極自然な遺伝子の共鳴部分なのかも知れぬと気付き始めている次第なのである。私は普段はお首にも出さないが、結構、感受性と感性を持っている男である。

 さてさて、本題から大きく逸れて終ったが、物事を整理しないと理解が進まないと云うのは、真に以って手間の掛る物なのである。

 カエサル=シーザー、ガリア人=ケルト人、フェニキア人=ポエニ人、Celtic=ケルティク・・・etc 言葉の違いから歴史呼称が別仕立てに為って居るから、錯覚に囚われて終う事が大半である。これが、世界史の理解に二の足を踏ませてしまうのであろう。還暦の手習い世界史の歴史用語は、整理整頓の苦手なスカンポ脳では、遅々と進まない処であるが、今まで知らなかった事に気付くのは、これまた楽しい事でもある。

 気の向き次第。ボチボチとカタツムリの歩みの様なお勉強タイムではあるが、世界の遺跡旅行をして、それをブログ紹介されて下さる方々が居られる。歴史本との比較で、好い訪問をさせて頂いて居る次第である。有難いお方達である。

 それにしても、見るも好し、聴くも好しのCeltic Womanさん達である。

 糞~、あの尻のデカさ厚み、ググッと来ますなぁ~。あの彫の深い知的な顔と表情。白い肌に、上気の恥じらいの朱。壷三種を駆使する白人女の運動量。
 遺憾いかん、西端エゲレスの肉食ケルト女性に東端ヤーパンの菜食日本男が、褥で相見えれば、歌姫が一変してスリーホールのアマゾネス。冷静な判断をすれば、迫力とスタミナが、月とスッポンの差である。

 当初は浮世絵の歌磨呂、秘技四十八手の裏表を駆使しての日英同盟の励みとて、四海の海を制覇して世界に冠たる大英帝国として世界史に君臨した国家である。彼女達は、世界の秘技をマスターしたであろう美女アマゾネス様達の子孫である。涎が出ますなぁ~。

 妄想の濡れ場は、当然に全裸ダブルベットの男女の<長戦>である。夫婦の会話が、『フン、その程度が限度? 口ほどでも無いわね。ワイフを愉しませるのは、ハズバンドの義務でしょ!! スタミナの無い男は嫌い!!』なんて、尻ペタを太い中年女の腕で、バシバシひっ叩かれた日にぁ、百年の恋も素っ飛んで、『飼い殺し腎虚死』に立ち至って仕舞い兼ねまい。

 こんな事を一方的に言われてしまっては、海綿体への血流は、否応無しに精神への血流と為って仕舞いまするがな。<足らざるは、植民地からの輸入の国>と<足るを知る節度の国>との違いである。歴史を紐解けば欲求不満で、日英同盟も1921-1902=19年の短さである。

 何事も、無知は人生の悲哀と短命を強いる物でありまするぞぇ。お気を付け遊ばされませ。ギャハハ~~。

 私の研究に依ると、『締り具合』と『メラニン色素』の関係は、正比例するのでありまする。詰まり、メラニン色素の薄さは、締り具合を緩い方向に導くのでありまする。従いまして、快感行動に関して、長時間を要すると共に、要求される行為の持続性へのアプローチに、目先のバリエーションを編み出して、スリーホールの時間工程を身に付けたのでありましょうぞ。

 一気化成に上り詰める方法と、有限の持続性に、中休み、再スタートの行程を組み入れたテクニックと『挿入口の開発』が、根底に在ったと見做して居る次第でありまする。

 従いまして、それなりタイムとシャープさに重きを置いた<日本の秘め事>に対して、ロングタイムとディープさに重きを置いた<西洋のプレイ>の差が定着したのでありましょう。是全ては、メラニン色素の多寡に依って、性文化も進化発展して来た物と思われる次第でありまする。

 アフリカの大地溝帯より発した共通の遺伝子を持つ人類の発展史の、知られざる一面が隠されて居るのも、人間の歴史でもありまする。歴史本の行間にさえ現れて来ない『比較性文化史』は、一重に妄想から紡ぎ出されて来る部分でもありまする。イッヒッヒ~~。

 本当は国会中継に就いて、打つ心算だったんですがね。酷過ぎますね。到底、私が打つまでの事は有りませんわね。紳士淑女様方には、真に以って、目の毒と為って仕舞いました。

      とほほ・・・ 精神を入れ替えに、散歩に行って参りまする。

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心何処ーショート 老母の積極さを拝借せり。
               老母の積極さを拝借せり。(5/30/11)
 昨日は寒気がして、深夜の寝付け歌・映画ビデオも前半の途中で、ギブアップで止めて終った。朝、トイレに起きるが、体が重い。その内に、母の動きがして来て、台所で洗い物の音がするのではあるが、体が云う事を聞かない。

 風邪なのであろう。腰が痛い。こんな時は、身体が休養を欲して居るのであろう。寝て居る振りをして、身体を休めるのがロートルの知恵と云う物である。布団の中で、続きの映画を見る。

 映画は、ロバート・ショー、ウォルター・マッソー、マーチン・バルサムの『サブウェイ・パニック』である。マッソーは好きではないが、ショーとバルサムの渋さが、如何にも堪らない男の魅力と味なのである。決して派手な映画では無いが、B級作品の佳作である。

     男の味は、渋みが利いてからが、本領発揮と云うべきであろう。

 昼に近い食事をして、母に風呂を沸かして遣ったのであるが、風呂を汚すから、お前の後に入るとの事である。母の生きて来た時代では、風呂は男が先の決まりには違い無かろうが、私にだって体調不良の時はあるのである。

 へへへ、私から云えば、こんな時の杓子定規の押し売りは、ワガママと云う物である。
 然しながら、歳の功で、ムカツキを表情に出すほど、私は低能児では無い。風呂に入れる体力が回復して居るのは、お守役としては有難い事である。洗濯機を回しながら、風呂に入る。
 
 女日照りの毎日ではあるが、風呂に入って体を隅々まで洗い、髭を剃れば、心身がシャキとする物である。廊下から洗面所に椅子を回して、母に風呂を譲る。

「有難う。これが無いと脱ぐ事も、着る事も出来ないからね。」

 起きた時に、玄関上がりに文作の通い綴りが置いてあったから、続きの印刷に取り掛かる。ブログ日誌の累積綴りであるから、頁の埋り具合で区切りを付けて、通い綴りに挟むのである。17頁の途中ではあるが、食み出した三行を改行分を短縮させて15頁にして、下手絵を二枚挿入して、今回分とする。

 母の部屋を覗きに行くと、おやまぁ~、老母はベットの上で『他所行き』に着替えて居られる。<近々、体調の好い時に、医者に行って診察をして貰わないと、薬を出して貰えないから、頼むよ。>と言って置いた処である。

 雨も止んでいる事でもあるし、実に有難い老母の積極さである。はいはい、喜んで車椅子を押しまするわな。私にとっては、『好機を逃して為る物ぞ。』・・・ってな物である。

 こんな積極さは、年に何度も無い。母を車椅子に乗せて、便乗の遠回りをする。本当は、老母に積極ささえ有れば、折りに付けて外の空気を吸わせて遣りたい処なのではあるが、中々、拒否権を行使する。へへへ、相手は、素直さが欠乏している母上様なのである。

「如何だい、偶には外の空気も好いだろう。」
「もう、三年もこっちの方は来て居ないからね。緑が柔らかくて、綺麗だね。其処を曲がらなくても好いのかい。」
「物事は、何事もついでと云うじゃないか。押すのは俺の仕事だから、ちょいと車椅子散歩だわさ。」

 三時からの診療に合わせて、ボソボソと話しながらの車椅子散歩である。検診の結果は、別段の異常は無いとの事である。帰りも、少々遠回りをして来る。暫しの青空のお目見えではあったが、再び灰色の雨雲が空を占拠し始めて来た。

 母を玄関に入れて、川を見て来る。川原一面の濁流である。流せる物は流し去って、水が引けば川も少しはスッキリすると云うものである。水槽の水も替えて遣らねば為らない処ではあるが、これでは当分濁りは収まらないだろう。

 通い綴りを斜向かい吟さんにお渡しして、本日のブログ日誌を打ち込んで居ると、民生委員のFさんのお越しである。気の合うお人であるから、母の部屋に案内して、私は定位置でブログ打ちを続行する。


心何処ーショート やれやれ、衰えぬ雨音。
               やれやれ、衰えぬ雨音(5/29/11)
 梅雨前線と台風の合体との事である。憎たらしい程の降りである。暗い日曜日であるから、二度寝の態である。老母もひ孫を抱いて、饒舌の時間を過ごしたのであるから、半日は起きて来まい。雨音を聞いている内に、意識は遠のいて行った。

 人間、寝て居ても、昼に為れば腹は減る物である。賄い夫に起き上がる。老母の部屋を覗いて、ベットの中に声を掛けると、意外と元気である。ボチボチと仕事に取り掛かる。

 食後は、寒いから、部屋から毛布を持って来て、スペシャル番組の安曇野を見る。

 塩尻・松本・豊科・大町が入る中信平の北半分が、安曇野平である。安曇野平は、唱歌<故郷>のスケッチ場所にして、日本人の故郷への原風景として、情景と情感の琴線を現在でも爪弾かせている唄と云って好かろう。

 オラが生きるエリアとして、日本全国に、大いにお国自慢をして見たいのだが・・・生憎、雨に祟られて、信州一番の季節映像を発信出来なくて可哀想な物である。ご当地番組には、『この場所は何処かな?』と、地元の人間には、お馴染みの<場所を特定する楽しみ>がある。

           二時から三時半のスペシャル番組である。

 晴れた日の上空からの安曇野平は、本当に絵に描いた様な山紫水明、風光明美、田園風景の拡がりである。傍目から見て居ると、さぞかし善人好人、老若善男善女の住まうアルプスの盆地に違いあるまいと思われるのかも知れないが、其処に現実に住まわって居るのが、斯く云う好色スカンポ脳のヤクザもどきの私とTのロートルコンビなのである。

 三年近くも、ロートル賄い夫の暇に明かして、有る事無い事の日記綴りを行進しているのであるから、信州人の日常など、手に取る様に分かると云う物である。

 これでは、日本並びに日本人の原風景『故郷』に水を指してしまう。まぁ、何事にも、例外が付き纏うのが、この世の真実でもある。然しながら何事も、思い込みが強過ぎると、心眼を曇らせると云う物でありまするぞえ。ギャハハ~。

 スペシャル版の中には、先週の日曜日にお宮参りをした穂高神社もあって、老母に『お宮参り』の説明も出来た。何にでも喰らい付く悪食馬鹿魚のアブラハヤも、映像の中では清流の生き物として紹介されてもいたし、ガサガサ掬いでは、何んと『貴重種・カジカ』が入った。自然とはスッカリ遠のいてしまった現代の日常目線からは、アブラハヤとカジカ殿が、同レベルの扱いを受けて居た。イッヒッヒ!!

 私の退屈しのぎの時間潰しの釣り竿に掛った時などは、アブラハヤの野郎はきっと生意気顔をして、<オイラだって、清流魚の一員じゃぞ。少しは、有難く思え!!>ってな傲慢さも見せるかも知れぬ。悪食馬鹿魚のアブラハヤを上座に祭り上げてしまっては、先の思い遣られる処でもある。都会目線で馬鹿を煽てたら、行けませぬぞよ。

 イワナ、ヤマメ、カジカ、とアブラハヤ、ウグイのグレード・ゾーンは、明確に線引きをして放映して下さらないと、渓流、清流の秩序が保たれませぬぞよ。イッヒッヒ。

 さてさて、降り続く雨に、お勉強タイムを挿入して、時間を遣り過ごしましょうかね。


心何処ーショート 何方さんも、アリガトさんよ。
              何方さんも、アリガトさんよ。(5/28/11)
 煩い奴ちゃ~、馬鹿たれが。遺憾いかん・・・ 昨日は、躾けの為に腹六分目の餌にして置いたのであった。餌を食べ尽くしての催促鳴きに違いあるまい。飽食飼い鳥を餓死させてしまっては、飼育者の不届きである。はいはい、起きまする。

           本日も梅雨寒の一日と成りそうである。

 鳥を大人しくさせるには、執事役を仰せつかってお世話が先決である。玄関を掃いて、熱い湯でも沸かして、モーニングコーヒーで一服するしかあるまい。煙草を吹かして居ると、ヒメダカの交尾シーンに初めてお目に掛った。活字に依ると、早朝交尾が一般的であるから、中々、見る事は無いとの事であった。

 二匹が纏わり付く様に、排泄口を交差させて居るではないか。為るほど、活字描写そのものである。まだまだ、朝飯には早過ぎる。ミッドナイトの続きをして、母の動きを待つとしようか。

 この頃は、全く文字を書かない日々である。人前で文字を忘れて赤面するより、錆落としが肝要である。そんな事で、昨夜は物にしたいと思って居る世界史の概略本の<赤鉛筆部分>を万年筆で書きながら、記憶しようと勉強していたのである。へへへ。

    Tの電話があった後に、ブログを読んでいる倅から電話があった。

「婆ちゃん、大丈夫。顔出すよ。寿司でも買って行こうか。」
「おぅ、サンキュー。婆さんには、お前の顔が、<点滴・カンフル剤>だから頼むよ。」
「あいよぉ~。」

 天気が悪いから、コーヒースタバの二階席は空き空きしている。階下の本屋では、ズーと幼児が泣いている。我々の頃と子育て方法が違って居るのだろうが、泣かすに任せて居る母親も、大したタマである。
 吾が子なら、完全に『煩い!! 未だ泣くか。』と頭をひっぱたいて一件落着なのであるが、これでは学級崩壊、モンスター・ペァレントが闊歩して居ても、不思議は無いご時世である。

 へへへ、苦いスタバコーヒーを飲みながら、Tと顔を見合わせて蔑み笑いの段である。

 本日は、お勉強中の世界史のお浚いに、<記憶の歩留まり確認>で偉そうな顔をして、友を前にアウトプットの段である。中身は、素人の歴史本仕込みの吹聴である。学生時代と違って、丸暗記の為のお勉強とは違うから、今まで素通りして来た『歴史単語』にも、否応なく関心が湧く処である。
 日本の教科書で素通りして覚えて来た歴史単語の呼称にも、ギリシャ読み、ローマ読み、ヨーロッパ読みなんかが存在していて、中々に面白いお勉強と為って居るのである。こんな処が、歴史本の面白さなのかも知れぬ。

 歴史上の出来事は、よく映画の題材と為って居る。映像で見る歴史背景と、活字のアングルを変えた歴史俯瞰図からの観方も加わると、映像と活字の相乗効果で、結構、頭にインプットされるものである。

 古代の世界=地中海世界から見ると、アジアの意味は日出る地方、ヨーロッパの意味は日没する地方との事である。その前に、世界四大文明のエジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明が存在して、エジプト、メソポタミア文明は同一性に向かい、歴史を駆動した世界。インダス、黄河文明は、地理的孤立性から伝統世界に向かったとの事である。

 歴史の駆動エネルギーは、衝突のエネルギーとも云える。衝突のエネルギーは、定住農耕世界と遊牧機動性世界との攻防史でもある。時に痩せ地、砂漠の民は、陸上交易、海上交易で定住農耕世界の架け橋にも為るし、豹変して侵略者・征服王朝を樹立する流れも在る。
 
 ローマの平和、イスラムの平和、アメリカの平和などの形で、経済と軍事力を得た大国の平和期が、世界史に繰り返されて来るのである。これが世界史の歴史俯瞰図なのであろう。

 本日は、買い物メモをポケットに入れて来たから、落ち無く買い物をして帰る。

 家に帰ると、赤ん坊を連れて倅夫婦が来ていた。一緒に食べようと、倅は大奮発の寿司持参である。婆さんは、ひ孫を抱きかかえて別人の蘇りである。遠慮なく、御馳走に為る。

 青菜に塩の老衰婆さんは、百薬の長の域を軽く飛び越して、点滴・カンフル剤の蘇りである。頭が馬鹿になって、喉も詰まって言葉も出て来ないなどと、体裁の好い事を言っては居るが、とんでもない『張り切り、饒舌のオンパレード』である。

「お父さんのブログ読んで、この前、お婆ちゃん三時間も抱き放しで、疲労困憊ってあったから、疲れない様にね。無理させると悪いから。」

「好いんだよ。毎日が安静日だから、伸びたら伏せって、体力の回復を待てば好いんだよ。お粥の病人食よりも、孫の買って来て呉れた寿司を食べれば、精力も付くわさ。顔を見せてくれるだけで、『秦の始皇帝の不老長寿の薬草』『ユンケル皇后陛下液』だわね。
<赤ちゃん、大きく為っただろうね。可愛く為っただろうね>の連発だぜや。好いんだよ。好きなだけ、抱かせて置けば。」

 古い写真を持って来て、それを拡げて、老母と倅は、大いに笑いこけて、人生の振り返りをしている。いやはや、好いコンビである。

「★は、神様が授けてくれた孫見たいな物なんだよ。好い子に育った。」
「そうそう、婆ちゃんが何時も居たからね。あっ、この婆ちゃんにオンブされてる写真と良く似てるわ。婆ちゃん、若いねぇ。俺の子にも、婆ちゃんの顔を覚えさせなくちゃね。だから長生きしなきゃ駄目だよ。分かった。」
「うんうん、成長が楽しみだからね。何回だけるか、分からないけど、頑張らなくちゃね。」

 私は嫁さんに、小声で。
「凄いコンビだろ。俺ぁ、親の出る幕は無いぜや。あれだろ、来た時は、布団の中で死んでたろ。それが、倅と赤ん坊の顔見たら、一気に海綿体に血の巡りだったろう。」

「そうそう、お父さん、お婆ちゃんは凄いです。見る見る内に、血行が良く為って、別人の顔に為って行くんだから。マジック見たい。」

「見て見ろゃ、ありゃ、死ぬ死ぬなんて言ってるけど、しぶといぜや。浮き浮きしてるぜや。俺なんか、こりゃ近い内かな・・・なんて、覚悟をしてるんだけどさ。
 幾ら病院で、点滴・カンフル剤を打って貰っても、此処まで回復させる保険医療は無かんべさ。生きる力は、<張り合い事を持つ精神力と支え>だって事だ。」

「そうそう、言えてる。生きる励みを失ったら、萎んじゃう物ね。お父さんの処は、雰囲気が好い物。温かいし、本当に、お婆ちゃん子で、仲が好いもの。見てるだけで、こっちの心が温まって来るもの。
 お婆ちゃん、お父さん、ダンナと、一本の線で繋がってる。もっと長生きして貰って、四代が一本で繋がっているシーンを見たいですよ。手が掛らなく為ったら、此処で、お父さんと合宿させるんだって、話し合ってるんですよ。アハハ。」

「そうだよ。親父の薫陶を受けさせなくちゃ。予定に入ってるからね。俺見たいに、育ててくれたら好いからね。」

「そうそう。男の子は、きかん坊に育てなくちゃね。善悪のケジメさえ弁えて居れば、それで好いからね。後は、自由にして遣れば好いよ。此処に連れて来れば、曲がった子には為らない筈だよ。好い子に為るよ。」

「おっ、婆ぁ、お粥が効いたか。ゴマスリも巧いもんだわさ。喉が詰まって、言葉が絡まるなんて、真逆の元気の好さじゃないの。俺ぁ、呆れ返って屁も出ねぇぞや。これも、歳の功かいね。」

 アハハ、これだけ母に元気を貰えば、私は何も言う事などは無い。親父は、母に私を残し、私に倅を造って呉れたのであろう。何時まで、この平穏さが続くのかは、神のみぞ知る処ではあろうが、創造主の親父、育ての母に、この平穏さを感謝すべきなのであろう。

 そぼ降る雨に、倅ファミリーを送る。杖を突いて、すっかり小さく為って仕舞った祖母が、上がり廊下からファミリーに感謝して、手を振って居る。

 家族の本質は、<循環する血の輪>なのかも知れぬ。これは長生きをして、体験して見ないと分からない静かな思いである。そんな感想を、場から頂戴した次第である。何方さんも、アリガトさんよ。


心何処ーショート 時節柄、小毒を少々。
                 時節柄、小毒を少々(5/27/11)
 本日は、歯医者の終了日である。型取りの詰め物を入れて、噛み合わせを調整して貰えばオーライである。昨日の草むしりの後半からは、雨が落ちて来て、夜はいい降りに為って仕舞った。考えて見ると、草取りなんかをし始めると、途中から雨に為る事が多い。

 きっと、慣れぬ事をするから、お天道さんがチャチを入れるのだろう。然しながら、草むしり、庭掃除をした後の雨は、汚れを落として呉れて好い物である。

 歯医者で詰め物をして貰った後は、自転車漕ぎついでに、米屋さんに足を伸ばして米を買って来る。甘過ぎるコーヒーを頂戴して、お話を承って来る。当然に、原発不要のご講義である。電力の1/3を賄う悪魔の火と云えども、それを如何にソフトランディングさせて、未来の電力に繋げるかを講義して下さらないのであるから、片手落ちと云う物である。

 再生可能エネルギーなどと、太陽熱・風力・バイオマス燃料などと、綺麗事ばかりが踊るマスコミ界である。赤道直下の太陽SUNSUNの国土ではあるまいに、日本には四季も曇り降る日もあるのである。

 風力発電とて、阿蘇観光をすれば林立する風車の異様さは、別次元の世界観すら去来する。物が動けば、物体からは周波が垂れ流しに為る。人間の居住区を割いて伸びる高速道にだって、遮音壁が造られて居るのである。
 成田空港にしたって、騒音公害に関しては、夜中の飛行制限をしているのである。私の定位置四畳半机上の水槽には、エア送りと濾過器を回すモーターが付いている。四六時中其処からは、モーター周波が鳴って居るのである。類推解釈すれば、風車から派生する低周波公害だって、当然に在っていい筈であろう。

 そして、CO2ゼロと云うバイオマス燃料の好い加減さである。現在の木材は空気中のCO2を取り入れて光合成に依って造られているから、それを燃料として再びCO2還元しても、大気全体に及ぼすCO2量には影響を与えないから、ゼロと『規定』しているとの事である。

 それに引き換え、化石燃料と言われている石炭・ガス・石油は、植物が元ではあるが、それが何億年もの間封じ込められていたCO2であるから、化石として封じ込められていたCO2の燃料還元と為れば、それを新たにCO2として換算せざるを得ないとの『規定』なのである。

      真に以って、分かった様な、分からない様な解説である。

『規定』のスパンの長短によって、CO2放出に依る大気汚染影響度をダブルスタンダードで規定して居るだけの事である。化石燃料、バイオマス燃料とて、現実の現象面を見れば、物を燃やせばCO2が生じて、大気に放出されるのである。
 放出されるCO2に、その出自の化石燃料、バイオマス燃料の色分けが不可能な限り、その両者ともに、等しくCO2濃度の濃さがカウントされるのである。CO2排出が問題視されているのに、私の様なスカンポ脳では、この問題は絶対にクリア出来ない『大疑問』なのである。

 同じものを測定するのに、そもそも何故にダブルスタンダードが必要なのか???を、永遠の疑問と片付けるのは、余りに虫の好い思考回路である。

 下衆の藪睨み感想からすると、ダブルスタンダードなんて物は、所詮は<強者・推進者の便法>にしか過ぎまい。化石燃料と原子力発電は、ダブルスタンダードには、都合の好い対比である。化石燃料と自然燃料・自然エネルギーも、これまた分かり易い対比軸である。
 何しろ、上位規範が、環境保全、地球環境の保全なのである。自然界を含めて、人類も地球住人の一員である以上、表立って文句など絶対に言えない。何故なら、それが<人間の知脳領域>なのであるから。

 話を戻せば、ダブルスタンダードのつい最近の好例としては、自由入札の下、中国が東京の一等地を大使館用地として落札したとの事である。中国国内法では、一切の中国領土の外国・外国人には所有取得が御法度なのだと云う。
 一般感情としては、実に『面白くない出来事』である。法治国家の日本の外務省見解に依ると、日本の国内法と中国の国内法との違いで、どうしようも無い適法の範囲内・所有取得の沙汰なのだと云う。

 普通日本人の感覚なら、解せないですよね。相手国が賃借権使用国なら、我が国も賃借権対応と云うのが、ごく自然の付き合いだと思いますよね。綺麗に云えば、ギブ&テイク。きつく云えば、ハムラビ法典の目には目を、歯には歯を。・・・これが対等な関係なんだと思うんですがね。
 日本人は、外に対して大人し過ぎますよね。キンタマは、単なる生殖備品・女族の弄り玩具だけでは無く、正々堂々と自己主張をする時の性根の据わり方を象徴をもする気概・闘魂の証。キンタマの重しなんですけどね。イッヒッヒ。

 それにしても、菅無理総理は、軽過ぎますね。外国相手の晴れ舞台だと、思い付き発想其の儘に、偉そうな事ばかりをスピーチして得意満面のポーズでしょうに。日本男児の感覚からすると、見ちゃ居れませんわね。
 菅無理総理は、軽さが身上の猿回し猿の滑稽さ・顰蹙買いなんでしょうね。『軽さが身上』の個人パフォーマーなんて輩は、所詮、自分の言動を反芻斟酌する神経回路が欠落しているのでヤンしょう。

 そうで無ければ、人間は<記憶力の動物>でもありまするから、自己矛盾・欺瞞性の隘路に嵌って、★自己嫌悪の自閉症を患うものでしょうが。『軽さが身上』とは、別名・無責任男の好い加減踊りと云う物でありましょうや。

 マスコミに釣られて、菅無理総理に拍手なんぞ贈ろうものなら、亡国の後押しに加担する事でありまするぞえ。ブログ拍手と同様に、責任を持ちましょうぞ。

 本日も、変なオヤジのうだ話にお付き合いをさせて仕舞って、感謝感謝に堪えません。吾がうだ話は、思い付くまま、浮かぶままを綴るストレス解消話にしか過ぎません。目くじらを立てて、異を唱えてもどうしようもない糞オヤジの長駄文にしか過ぎませぬ。異を唱えて、読み進むのは徒労の極みでありまする。

 落語長屋の熊さん、八っつあんと同程度にして、笑い読みをして下されば幸甚の極みでありまする。さてさて、本日のタイトルは、いかが見繕いまするかな。食中りの季節の到来でもありますれば、小毒でも少々入れて置きまする。イッヒッヒ!!

  はい、後のお時間が宜しい様でありまする。また、明日、お目を拝借~。


心何処ーショート 吾は、黙々と草むしり為り。
            吾は、黙々と草むしり為り。(5/26/11)
      
     こりゃ、参りました。母の体調が悪い。兄弟に電話をして置く。

「どれどれ、何にも出来ないから、体でも擦って遣ろうか。」
「好いよ。大分楽になって来たから・・・」

「まあまぁ、遠慮する事ぁ無いわね。こんな時は、女兄弟が一人でも居れば、好いんだけどさ。ゴツイ手だけど、俺が娘の代わりをして遣るわさ。」

 きっと半世紀近くも、母の素肌には触れて居ないのだろう。94を超えた母の身体は、弾力の無い肉の垂れ具合である。脚の脛、太腿、腕、背中を擦って遣りながら、母の体調不良の話などを聞いて遣る。親父の病床、臨終、亡くなった長兄、三兄達の話を、ウンウンと頷きながら聞く。夢の話も、彼是とニヤニヤしながら拝聴の段である。

 三兄の癌で痩せ衰えた身体を、母は静かな涙で頬を濡らしながら、衰えた手で擦っていた姿が浮かぶ。兄は黙って涙を流していた。直視出来ない場面であったが、母子は幾つになっても母と子なのである。

 其処には、母と子の何の衒(てら)いも無い源初の母子の姿その物の・・・ 母と子の姿が在った。掌から伝わる母の温もり、肌から伝わる母の有難さ、死に行く吾が子への愛おしさ、切なさ・・・ 病床の母子の物云わぬ情感の世界は、美しかった。

   私は、歯を食いしばって嗚咽を深呼吸に呑み込んで、黙って見詰て居た。

 今、私の掌は、母の老いさらばえた素肌に、ゆっくりと動いている。それも、素直に動いて居る。電気毛布の中の母の素肌は、温かい。

「こんな事を、お前にして貰うとは思っても居なかった。有難いねぇ。申し訳ないねぇ。疲れただろう。もう、好いよ。」

「へへへ、あれだね。この歳に為って、婆さんの素肌を擦るとは思わなかったけど、やっぱり、母子なんだろうな。物は立たんけど、気持ちが好いよ。気持ちが安らぐよ。

 ほら、○ちゃんの体を擦っていた場面を思い出してさ。傍で想像するよりも、こう遣って、自分で婆さんを擦って見ると、全然異和感が無いんだよ。歳を取るって事はさ、不必要で余分な物が取れて来ちゃうから、DNAの共通項がスンナリ出て来るんだろうなって、感心してるんだわさ。

 へへへ、面白いもんだわさ。飽きもせずに、ひ孫を抱いてアヤシていた姿も好かったしさ。先に逝った親父、兄貴達には悪いけど、親も子も歳を取って来ないと円味が出て来んわね。親子の関係以上に、DNAの面白さに感心しちゃうわな。

 人類が誕生して500万年だって事だけどさ。その間、ズーとDNAが繋がって来たんだ。高々、長生きをしても精々が100だ。DNAの連鎖からしたら、そんな物ぁ点にも為らない人生の長さだわさ。そんな観方からすれば、婆さんも俺も、云って見りゃ一体の存在、分身にしか見えんわね。

 だから、婆さんの体を擦って居ても、全然異和感を覚えんのだろうな。アハハ、一つ利口に為ったって物さ。これも理屈じゃ分からない血の為せる業って処だろうな。」

 緩いお粥なら食べれると云うから、その支度に取り掛かって居ると、次兄が顔を見せに遣って来た。性分とは云え、相も変わらず、愚痴の多い男である。

 些か腹が立って来たから、『好いねぇ、愚痴をこぼせるだけ幸せってもんだ。俺ぁ、愚痴もこぼせんぞや。まぁ、久し振りに来たんだ。婆さんとゆっくり話をして行きましょや。俺は、草取りを始めますわいね。』と云って、作業に取り掛かる。

 私は灘の気一本、体育会系の男であるから、男の口数の多い愚痴男は、苦手の口である。黙々と草むしりをして居た方が、性に合って居る。駄目な奴は、所詮、自覚神経が欠落しているから駄目なのである。詮無きを憂いても、単細胞に着火して仕舞うだけの事である。

 然しながら、愚痴を聞いて遣るのも、母性の現れなのであるからして、これも親孝行の一便法なのであろう。へへへ。


心何処ーショート 日本国民よ、心底から怒れ!!
            日本国民よ、心底から怒れ!!(5/25/11)
 昨日のラジオからは、この国のどし難くも情けないニュースが流されて来た。それは、東電の原発事故解析である。ふざけ遣がって、二カ月も経って抜けシャーシャーと、白々しくも、厚顔無恥の極みである。世が世だったら、当事者の一族郎党全てをしょ捕まえて、市中引き回しの上、三条が原で獄門磔の上、晒し首にも匹敵するザマである。

        現代日本は、その学力は別として高学歴社会である。

 震災、原発事故の模様は、連日連夜の報道洪水であった。専門家、政府、原子力委員会、原子力保安院、東電が、飽きもせず事細かく言い訳・言い逃れのパフォーマンスを続行していても、嘘をついて居る、事実を隠蔽して居ると考えて居たのが、国民の大半の気持ちだったのである。

    全く以って、自分の醜態にすら鈍感な保身亡者の無様な姿である。

 人間と云うものは、関心が有れば、どんな馬鹿でも考える。考えるには、多少なりとも外しては為らない幾つかの肝がある。『停止、冷却、封じ込め』を耳にタコが出来るほど聞かされれば、冷却が出来なければ、メルトダウンへ一直線の図式は容易に想像が着く。それも冷却水が循環しなければ、冷却は叶わないのである。

 俺ぁ、好色菌に罹患して居るスカンポ脳だけど、この位の道理は分かるわね。

 冷却機能は、循環に依って賄われている。循環機能はモーターに依って賄われ、その動力源は電気である。電気供給が出来なければ、停滞する冷却水は原子力の力で一気に加熱され『義務教育』で学習したボイル・シャルルの法則によって、密閉炉内では膨張気圧が加速されるばかりなのである。

 詰まりは、沸騰するヤカンの原理である。偉そうに、ベンドなんて横文字を使用しないでも、出口の無い密閉缶なら爆発する。そんな事は、日常でも幾らでも目撃、経験する処である。その為の参考計器として、圧力計が備えられているだけの事である。その圧力計にしても、中央管理センターでの表示には電気の力を借りて居るのである。役に立たない計器の替わりをしてくれたのが、水素爆発の原子炉建屋の残骸でしょうが・・・

<停止、冷却、閉じ込める>の原発事故の鉄則が、一番肝心な冷却工程で稼動停止しているのであるから、メルトダウン一直線の危険域にまっしぐらなのである。冷却機能停止の許容時間が6~8時間と云う段階で、メルトダウンの事態は、ほぼ決定されていたのである。

 政府・委員会・保安院・東電の当事者達は、二カ月もの間バレバレの幼稚園、小学校並みの学芸会芝居を演じて居たのである。これらは、とんでもない『共同正犯』の輩でしかあるまい。

 原発事故発生以来、政府、原子力委員会、原子力保安院、東電は、事故対策の当事者なのである。それを寄って集って、管理責任、現場責任への丸投げ体質の機能不全に加えて、事態をタダタダ取り囲んで見て居た構図である。正に、当事者責任の回避行動に終始していただけなのである。これが、<事の真相>だったのである。

 この馬鹿野郎共が~、『百聞は一見に如かず』見たいな傍観者の態度である。<専門家の理論的想定は、一見に値する。>と云うのが、『学問・技術の価値』では無いのか。

 これでは、全く以って、『悪の巣窟・無責任の巣窟・体たらく無能集団の巣窟』と言わざるを得まい。下衆貧民ロートルに此処まで打たれて、恥ずかしくは無いのか!!

 政府、原子力委員会、原子力保安院の意識が、丸で為って居ないのである。当事者意識、能力、責任感が無い処が、この国の空々しくも不幸の極みなのである。この事態は、言い逃れ、隠蔽の段階では無いのである。

 或る見方からすれば、原発事故会見では枝野長官の能力・労力を多とする報道もあるが、一体全体、何を戯けた事を言って居るのかと厳しく<糾弾>したいのである。

            宜しいですかな。皆様、確りお読み下さいよ。
★不眠不休の人間が、あんな艶々した顔で居られる訳が無い。★人間の体力など寝不足に為れば、真っ直ぐなんか歩けないのである。★疲労が貯まれば直ぐ様、目の下には隈が出来て、脳味噌だって働かなくなる。★そんな人間の言葉が、立て板に水の如く冗長に回る訳が無い。★長官の体重が、激減して見えましたかね。★身体の消耗を跳ね返す位の気迫ある眼力を、感じましたか。

 体、顔は、内心の態を現わすものである。人間の目は、外観と内観を見る為に備わって居るのである。外観と内観を繋ぐ器官が、目と云う物である。内観を写す表情を見抜けない様では人間の目とは言えまい。

 へへへ、偉そうな事を打ってしまいましたが、違いまするかな? 御同輩の紳士淑女殿。

 人間の身体の造りは、原始的にしてシンプルに出来て居るのである。エネルギーの収支が、支出に回されてしまえば、心身の再生産は失調するのである。摂取過多に為れば肥満。放出過多に為れば痩せ劣る。こんな物ぁ、体重計・血圧・血液検査などする必要も無く、一目瞭然の変化でしょうが!!

 それが証拠に、長官は弁護士出身であるから、言質を取られない様に用意周到に<条件付きの言い回し>を多投しているでは無いか。それを見抜けないのは、戯け以下の読解力の無さでしかあるまい。ギャハハ。
 ★彼に無精髭が見えたのは、唯の一度だけである。萎び果てた菅総理との顔付、肌の張り具合、言語の明瞭性の対照から、長官の方が外観的に好印象をもたらして居ただけの事である。

 人間の目は、節穴であっては為らないのでありまする。節穴から覗くのは、女風呂と相場は決まって居るのでありまするぞえ。くれぐれも眼の使用法を間違っては為りませぬ。

 勿論、官房長官として、他の大臣達より過密なスケジュールの日々であるのは、絶対に間違いの無い処である。睡眠時間も圧倒的に少ない筈である。睡眠時間をカヴァする方法は、熟睡しかあるまい。熟睡する為には、忘れる事しかあるまい。忘れる工夫は何かと問われれば、神経、頭の切り替えしかあるまい。

 この未曽有の有事に際して、神経、頭の切り替えが意識的に可能な人間とは、一体如何なるタイプの人間かを考えた事があるのかと、私は声を大にして問いたいのである。

 陣頭指揮、調整を職務とする政府中枢の要職にある者は、明らかに当事者の一員である。どんなに小賢しく振舞おうと、事実は何れ白日の下に晒される。当事者には、当事者意識、能力、責任が付き纏う物である。人間、嘘を付き通すのは、尋常な努力では無いのである。

 言い逃れ、隠蔽の姑息さに身を置いた人間には、ツケが回って来るのは、世の必然の習わしである。権力を行使する立場の者が、こんな人間の資質に欠ける連中では、日本の再生が叶う訳が無い。

 これ以上、日本国民は、好い加減な『保身至上主義者』連中に、馬鹿にされたくは無い物である。

 ※私の言い分に、同調出来る方々は、拍手をして頂きた~い!! 俺ぁ、怒り心頭なのでありまする。菅無理政権打倒!! コノヤロー、民主党消滅を渇望して止まない処である。


心何処ーショート 煙草探して、昼散歩為り。
            煙草探して、昼散歩為り。(5/24/11)
 昨夜は寒くて、暖房をした。ゴミ出しに外に出ると、西のアルプスには薄らと雪が塗されている。二日続きの雨で、川も濁り増水の流れである。いやはや、梅雨入りにして冠雪とは、とんだ気象新時代の幕開きである。

 朝食後は母の顔色を見て、風呂を沸かす事にする。洗い物をして手抜きの掃き掃除をして、自室でモーニングコーヒーを飲んで居ると、玄関で声がする。赤ん坊を背負った50代の婦人である。何やら、宗教関係者らしい。曰く、『倫理の会』との事である。

 小雑誌を手に話されるのであるが、何やら、上がり廊下のフィリピンのペイント画に圧倒されている様子である。強烈な色彩画三幅をバックに、スキンヘッドの相撲取り見たいな住人であるから、参って終ったのであろう。
 
 迷える子羊救済の気持ちも、『迷宮の館』に足を踏み込んで仕舞った<後悔の表情>も見られる処である。へへへ、玄関を開けて見なければ、分からないのが個人の家なのである。

 私は込み挙げて来る笑いを抑えて、<然もありなん>のご同情である。相手にして見たら、未知の好運を期待して、『ゴメンください』と玄関を開けた途端に、『場違い異教のオッサン』のお出ましなのである。小柄で温厚な婦人であるから、イスラム教徒の様に、聖戦(ジハード)を挑む訳にも行かぬのが、これまた人情と云う物であろう。

丁重にご挨拶をしてお帰り頂いた後は、ギャハハ~~の下衆の大笑いである。

 彼女の狙いは、決して悪くは無かった筈である。吾が身は、普段が普段のヤクザもどきの好色ロートルである。宗教以前の『倫理観の涵養』こそが、必要な男である事は、間違い無い処である。勧誘された毎朝五時半からの<倫理教室>は、私にとっては素行の浄化に繋がる『行』なのかも知れぬ。イッヒッヒ!!

 然しながら、世の中は、余りにも広過ぎるのかも知れぬ。眼力の備わったお人と云う物は、一瞬にして対象の取捨選択を下すのであろう。彼女の眼力を佳しとすべきである。本日の布教日誌に、場違い、迷宮の館の行(くだり)が書き込まれて、早朝倫理教室での雑談報告が有れば、お仲間連中にも、吾が家は鬼門のマーキングが書き加えられる事、必定であろう。

    私の不信心さは、宗教関係者の皆様には真に申し訳ない事である。

 私は、何も猜疑心の塊人間では無い心算なのではあるが、宗教に関しては幼少の頃より、拒絶反応を示してしまうのである。世の中には、神様みたいな立派なお人が存在するのは承知しているが、神様は人間の人工物の感じがして、全く馴染めない処なのである。

 ゾロアスター教→ユダヤ教→キリスト教→イスラム教、ヒンズー教→仏教→ヒンズー教、儒教→道教と云った宗教の出自、宗教間の影響度、宗教史の流れなどを頭に描いて仕舞うと、如何しても信じる事に興味を失って終うのである。

 所詮、人間とは考える葦にして、社会的動物であり、歴史を学習する動物なのであるから、宗教者とて例外では無かろう。時代と云う中に在って、諸要件に変化が生じて来れば、その時代の思索者、宗教者にも当然の作用として思想変革が生じても、何ら不思議な事では無かろう。

 思索者、思想者、宗教者が、時代の中の現在の疑問を払拭する為には、疑問の渦に抗して、新しい考えを導入して、思索、思想の整序性・整合性を構築しなければ、疑問の葛藤から脱出は出来ないのであろう。そして、葛藤から脱出出来た暁に初めて、心の安定と云う精神の安らぎを持つだけの話である。

 心、精神の安定、安らぎと云えども、その時々の時代に存在する物なのであるから、時代の要請因子から全く自由とは云えないだけの事である。

 施政者側から発した宗教も在れば、被抑圧者側から発した宗教も在る。一神教も在れば、多神教も在る。宗教の誕生、宗教の浸透にも、其々の人の営みと歴史背景があるまでの事である。人類の何千年にも及ぶ歴史をタイムトリップすれば、大国の興亡史と同様の宗教興亡史も見えて来る物である。

 全ては人間界の出来事にして、神を信ずるも、信じないも、神も仏もお化けも殺してしまった現代に在っては、最終的には個人の人生観次第で有ろう。
 真面目なご婦人にこんな宗教観を披露したら、神の前に素直さが皆無であるから、神罰が下るなどと、お説教を頂戴して仕舞う処である。総べからず、口は災いの元である。何事も、奥ゆかしさが身を助けるのである。イッヒッヒ。

 さてさて、風呂に入ってスッキリした事でもあるし、煙草の調達がてらに昼散歩をして来るべしである。

 晴れ渡った外は、まだまだ空気は寒いが、歩くには丁度好い。雨に洗われた東山山系の緑の濃淡を明るく照らす太陽の輝きは、実に清々しい。河川敷には、白いマーガレット、黄色のオオキンケイギクも咲いて居る。

 青味を増した葦原には、オオヨシキリの卑猥なベベッチョ、カイカイの声が盛んである。そう云えば、本日もウグイスのホー、ホケキョの声を聞いた処である。モンシロチョウとモンキチョウのヒラヒラ・ランデブーも見える。

 へへへ、私も蝶にあやかりたい物である。まぁ、好いか。先日は、久し振りに女房とデートが出来たのであるから。女日照りの日々ではあるが、物臭男には何かと面倒な女族の存在なのである。吾輩には、女日照りより自由気儘なマイペースが何よりの日常である。

 カートン買いは出来なかった物の、コンビニ、個人スーパーと三軒を回り、当分の煙草量を確保して来た。個人スーパーに寄って来たから、レジ袋を二つぶら下げての帰路である。地物のフキが安かったから、三束も買って終った。母の炊いて呉れたフキは、大の好物であった。茹でて皮剥きをするのは面倒ではあるが、大鍋一杯に作って置けば後が簡単である。


心何処ーショート 駆け込み日記
                  駆け込み日記(5/23/11)
 何々、九州では梅雨入りの報である。遅過ぎた春に、早過ぎる梅雨入りである。散歩に出掛け様として居ると、此方もポツリポツリと雨が落ちて来た。二日続きの雨である。天気予報によると、明日も雨マークである。

 小部屋の旧PCで、早々と本日分を打って置いたのであるが、コピーが作動せずに諦めた。別段大した内容が打ってある訳でも無いから、投稿する程でも無い。煙草は、何処も品切れ行進をしている。煙草吸いは、煙草が無いとイジイジして来る物である。

      そんな事で、本日は大いなる疑問が生じて来た次第である。

 煙草の大幅値上げに次いで、東日本大震災の煽りを喰らって、国産煙草の枯渇状態である。大麻・覚せい剤・酒が元の交通事故、暴力沙汰、殺人事件は、良く耳にする処ではあるが、煙草を吸ったからと言って、そんな話は一切聞いた事が無い。

 煙草代金の半分近くが税金である。煙草喫煙者は、言って見れば、犯罪に発展しない真面目な納税者なのである。<煙草は、百害あって一利無し>の健康至上主義のヘンテコリンなレッテルを、ペタペタ世界中に貼り捲られて、肩身の狭い中毒者の様な取扱である。

 カップラーメン、トイレットペーパーの買い占めに依る品切れ状態は、ニュースになるのに、煙草切れは一切マスコミには乗らないのである。これは、本当に不思議な現象である。

 世に死刑廃止論者が居たり、犯罪者の権利擁護運動も少なくないのだが、喫煙者擁護運動が無いのは、如何な物なのだろうか。

 ニコチン禁断症状に依る犯罪が有るのだろうか、煙草喫煙が元の窃盗罪、暴力犯罪、殺人罪が存在するのだろうか。精々が、煙草火から来る失火位な物では無かろうか。

         へへへ、馬鹿な日記と為って仕舞いました。

心何処ーショート お宮参り
                  お宮参り(5/22/11)
 本日は、孫のお宮参りと食事会との事である。九時半前後に、女房が迎えに来るとの事であった。母の食事を終えて、煙草を吹かして居ると庭から女房が遣って来た。

「あいよ。容器の返却。また美味い五目寿司の差し入れ頼むわ。」

「はいはい。おっ、綺麗になったじゃないの。Rさんも、遣れば出来るじゃないの。ズボラしてると、駄目よ。ねぇ、お母さん。Rさんも、丸く為って来たから、扱き使った方が好いわよ。
 お母さんと、ゆっくりお茶飲もうと、早目に出て来たの。赤ちゃんを三時間も抱き放しだったんだって、疲れたでしょう。可愛かったでしょう。アハハ。」

「色の白い子で、大人しい子だね。もう、歳だからね。疲れちゃった。子供の成長は早いから、楽しみだね。」
 
 女房が仏壇に柏餅を供えて、残りの柏餅を食べながらお茶を飲む。女同士であるから、赤ん坊の話で弾んで居る。

 穂高神社で十一時からなので、嫁さんの実家に顔を出してからのお宮参りの段取りだと言う。はいはい、分かりました。女房殿が居れば、全て落ち無く遣って呉れるから、私は楽な物である。

 天気は下り坂との予報ではあったが、朝の蒸し暑さに半袖シャツにしようかと思っていたのであるが、出発する頃に為ると雨がポツリポツリである。

 大口沢を抜けて、安曇野平をドライブである。おやおや、本格的な降りに為って来た。女房の両親ではあるが、・・・次世代が還暦を超えると、年齢に依る客感性で見て終うから、両親と云うよりも親夫婦に見えて来る物である。そんな事で、老夫婦の世話も大変らしい。 

 確り者の娘に、何かと頼っていた親であるから、八十後半の軽い認知症が混じる両親と、親を客観的に見て終う六十を超えた娘の目からは、中々辛辣にして、評価の厳しい処である。ウンウンと頷きながら、ニヤニヤの合いの手である。

「お母さんの前で、愚痴を零しても悪いから、言わないんだけど、身内には身内の気持ちも、感情もあるからね。分かるでしょ。」

「へへへ、お前さんも、苦労してるわな。可哀想にな。でもな、俺は、久し振りにお前さんとデート出来ると思ってさ、昨日なんか、興奮して眠れ無かったぜや。ヒヒヒ。」
 
 助手席から、女房の頭を撫で撫でして差し上げる。普段は、お互い電話もしない関係なのではあるが、女房と居ると矢張り好い感じである。別居している感じは、全く無いから不思議な物である。お互いベタベタする訳も無く、頼る気持ちも無いし、声を荒げる命令口調も無い。

 態好く言えば、我々の番(つが)いは、親番いとは別個の『野放し、独立系の人間番い』なのであろう。為るほど、俺の眼力も捨てた物じゃない。還暦オバさんには違い無いが、こりゃ、好い女である。へへへ。

 嫁さんの実家は、穂高の外れである。松林の中にある。この頃に為ると、強い雨脚に為って居る。松本、安曇の中信平も、南北に広いのである。女房の奴は、孫を見ると直ぐ様抱きかかえて、浮き浮きして居る。いやはや、これでは家の婆さんと好い勝負である。

 お茶と和菓子を頂戴しながら、嫁さんの支度を待つ。おやおや、女房はジャケットを着て、赤児を肩掛けにして居る。何やら、お宮参りの主役の段である。左様であるか・・・テンションが高い訳である。
 
 降り頻る境内に、
「ほらほら、Rさん、赤ちゃんに雨が掛らない様に、傘を指して上げて。私は好いから。」
 
 安曇野では、穂高神社である。赤児のお宮参りが、何組も居る。雨に濡れて、肌寒い気温低下と為って仕舞った。私は、こう云った行事には然程の興味が無いから、時間待ちの待合室で、お宮参りの其々の家族を観察して居る位の物である。

 有難い神主の詔を頂戴して、別室の木彫りの前で、家族の記念撮影をして、食事会に向かう。私の横に据わって女房は、好々婆一色の態である。いやはや、これが女族の本性なのであろう。男族の私には、おいそれと同調出来ないバリア域である。

 満腹感とビールの心地好さに、赤児の小さな玩具の様な足を撫でる序に、女房の足裏を擽って遣ると、軽く手を跳ね除けられて仕舞った。穂高神社のお宮参り後の食事会のコースらしく、幾組かの家族も会席をしている。

 如何な大食漢で鳴らした吾が胃袋であっても、老母との食事習慣で、胃袋もすっかり小さく為って仕舞った。もうギブアップの態である。

 女族の、『残りは、お婆ちゃんに』と、テイクアウトにして貰う。スナップ写真を見て、その場を感じるのと同様に、料理のテイクアウトを食しながら、お宮参りの疑似参加も叶うとの事である。

 ほぅ、そう云う物ですかいな。そもそも、『食事会』なる発想は、男族には無い<女族の発想>なのであろう。ワイワイ、ガヤガヤと料理に箸を伸ばして、楽しいお喋り会が、食事会のモットーなのであろう。

 賄い夫の私としては、一食分の手抜きも叶うのであるから、一石二鳥と云う物であろう。これぞ、ウッシッシ為り!!

心何処ーショート 遣ったぜ、ベィビー!! 
              遣ったぜ、ベィビー!!(5/21/11)
 夏の様な陽気に目が覚めてしまえば、布団の中は暑い。空気の総入れ替えに、窓、戸を開ける。朝を目一杯入れて、先ずは一服である。

 ボケーと外を見て居ると、30代と思しき白人夫婦が、通りから吾が班の路地に入って行く。そして行き止まりに気付いて、引き返して行く。きっと、民宿旅館の宿泊者なのであろう。雰囲気からすると、英国人のインテリらしき落ち着いた雰囲気を持っている。

 海外では、円高と放射能国・日本との事である。そんな事で、<外国からの観光客が激減している>の報が盛んである。例年だと、結構こんな住宅街に足を踏み込んで来る白人観光客が居る。為るほど気が付けば、今年は殆ど彼等の姿は見掛けない。
 
 差し詰め、この夫婦は、観光地巡りよりも普段着の日本が好きなのであろう。旅館での朝食後の散歩に、風に揺れる青葉・町内の住人達が育てる花々に、日本人の空気を吸いに歩いて居るのであろう。

 異国に身を置いて、自然体の五感で見て感じて臭いを嗅いで、自国との対比比較をして、夫婦で散策をする。空気の色・臭いも、蝶・鳥・植物も、きっと英国とは違って見える筈である。
 そんな何気無さの中に、日本の自然の風景・国の姿・国民・住民の違いを見て回る彼等の感性に、私は英国人の民度の高さとか、興味の観点・視点の確かさが見て取れる。

 気取らず視界を広く取って居る感じの物静かな雰囲気が、中々のインテリ夫婦に見える。日本文学とか日本史にも興味が有って、それなりの知識が有るのかも知れぬ。馬鹿と利口者とでは、一見で知れる物である。雰囲気は、内部から醸し出されて来る自然の物である。

   へへへ、私は、そんな観察をさせて頂いて、ニヤニヤの段なのである。

 コーヒータイムの迎えの車に、沢庵漬けを持って乗り込む。昨日は、30℃にまで上昇したお天気である。本日も、既に上昇一直線の口である。Tは上下とも夏の出で立ちである。

 二階席は、女子学生達のお勉強ルームの様相を呈している。コーヒーを飲んで居ると、S大のフランス文学の先生が姿を現した。フランス滞在で、先生は些かスマートに為って居られる。

 へへへ、席さえ空いて居れば、<フランス文学は、不倫文学>の神髄を参考とさせて頂きながら、滞在中の浮いたパリジェンヌの話など、聴講したいのではあるが、本日は満席に近い盛況振りである。嗚呼、残念為り!!

 左隣の女子学生は、英語の勉強中である。時代が変わって、電子辞書を置いての和訳中である。訳文をマメマメしくノートに書き込んでいる。何時に変わらぬ女族の几帳面さである。
 
 ヤクザもどきのロートルコンビは、ニヤニヤして小声のおちゃらかしである。
T曰く、<おネェチャン達、そんなに勉強したって、社会に出れば、学校の勉強は役に立たないよ。勉強は、そこそこが、好いんだよ。ヒヒヒ。>

<そりゃ、そうだ。世に出りゃ、襖貼りの方が、グレードは上だぜな。学校じゃ教えてくれなかったもんなぁ。日本人は、可笑しなもので英語が勉強だと錯覚して居る連中が圧倒的に多いからね。>

「少しは世界史の俯瞰的物の見方を身に付けると、時事問題、世界情勢に転用出来て、一生の夢想が出来るんだがね。勉強の価値が分からんのが、世の習いだしな。困ったもんよ。」

「今日も、襖貼り遣るのかい? そうかい。マメだね。あれだろ。婆さん、おったまげて<こりぁ、完全に女は不要。大したもんだ。>って言わないか? 」

「良く解るじゃないの。去年辺りから、好く言われて居るわな。糞婆、生意気だからさ。<俺も未だ若いんだ。いざと為ったら、金髪ロシア女を連れて来て、バッコンバッコン遣るだわね。>って言って遣ったらさ。

『私が死んだら、何をしても勝手だけど、生きている内は、世間様に後ろ指差されない様にしてくれ。この歳に為って、恥は掻きたく無い。』ってさ。何をこきゃがるってもんせ。

 ヒヨドリに使われ、金華鳥の召使に、婆ぁ相手に太鼓持ちだわさ。ヤクルトママさんの手を握ってセクハラトークと思いきや、歯医者の麻酔でウィーン、ウィーンでさ。
 おまけに、散歩時間を返上して、日夜、クロス張りと襖貼りで、息切れだいね。疲れ切っちゃってさ、立つ物も、立たんぜや。お勉強タイムも割愛の日々さね。」

「R、そんなに一気に遣っちゃうと、婆さん、これで何時でも死ねると、余裕が出て来て、そう簡単にぁ旅立んぞや。俺ん処の糞爺っさも、死ぬ死ぬ、死にたい死にたいの口癖なんだけどさ。戦争経験者の大正世代は、中々、しぶといぜや。軟な精神力じゃ無かんべよ。」
 
 さてさて、一服タイムの後は、不足の襖紙などを買って、作業開始の段である。昼飯抜きのラストスパートじゃい。完了すれば、後はマイペースの日常域に戻れるのである。何のこれしき、根を上げたら男意地が廃ると云う物である。

「婆さん、腹減ったら桃缶でも切って遣ろうか。我慢出来るなら、晩飯まで、お茶でも飲んで、寝ててくれや。遣り掛けた仕事だ。俺は、水飲んで体脂肪燃やしてダイエットするぜさ。アハハ。」

 掃除をして完了である。さてさて、手抜きの晩飯をして、風呂に入れば終わりである。



心何処ーショート 本日、休息日とす。
               本日、休息日とす。(5/20/11)
 本日は、普段の物臭マイペースである。ゴミ出しをしてスッキリした。雑草が早くも穂を出して居るから、鎌でチョコチョコ刈り取る。納豆の薬味にネギを抜きに庭に回ると、水を入れて置いた粕漬けの発泡スチロールの容器に、ヒヨドリが来て水を飲んで居る。

 目敏(めざと)いと云うか、チャッカリと云うか・・・ 縄張りの主と云うのは、全てを知って居る様である。

 田舎では根付きネギの大束を、土を被せて使う習わしがある。テレビからの入れ知恵であるが、その根を土に戻して使い始めたのである。この陽気に為って、根からはちゃんとしたネギが育っているのであるから、これぞ再生産の典型なのである。何事も、先人達の知恵である。従って、<試して、損は無い。>の実証例である。

 今日も日差しが暑い。風通しを好くしないと、夏の陽気である。玄関の土間に撒き水をした序に、玄関上がりの廊下にフィリピンのボラカイで買い求めて来たペインティング画の掛け軸三点を、万年床の八畳から移し掛ける。

 物は言い様にして、<玄関画廊>と打てば洒落ては居るが、『襖貼りの粗隠し』の魂胆なのである。サイケデリックな色彩に富んだインパクトな絵である。こんな絵は、そう矢鱈とはお目に掛れまい。
 ご近所ロートルさんが、ガラガラ、コンニチワなんて来た途端、目に飛び込んで来るのが、この掛け軸三点セットの趣向である。

 度肝を抜かれるも好し、う~~ん、と見入るも好し。真面目腐って、室内で放屁をしていても、世の中は面白くは無いのである。へへへ、これぞ、日常のサプライズでヤンしょうが。露出趣味は顰蹙を買うが、秘蔵が昂じて、埃被りも頂けまいて。
 
 描いた南洋の絵描きさんも、自分の絵が海を渡って日本の地方都市の玄関上がりの『玄関画廊』で、ご近所観賞に供されているなんて図は、・・・ これまた、ウッシッシの気分にも為ろうと云う物であろう。

 おっ、ホー、ホケキョの声である。五月も、早や二十日である。ヤヤもすると、先日の<冗談感想>が、現実味を帯びて来るのかも知れぬ。

 窓辺の雑木の若葉も大きく茂り、部屋の眼隠しに為り始めている。ツツジにオダマキ、イチゴのピンク、紫、白の花々が、夏日の太陽に反射して眩しい。風の抜ける部屋で、Tシャツ一枚の姿である。スズメの雛声も聞こえて居る。今季第一期生の成長振りが、聞き取れる。

 残念ながらと云うか、ホッと一安心と云うか・・・ 金華鳥は、無精卵か中止卵で繁殖には至らなかった。ナーバスな抱卵中とは云え、薄暗い玄関空間では、季節が感じられ無かったのである。
 為らば、鳥籠を洗って、籠を窓辺に置いて遣り、美味い外の空気を満喫させて遣ると致そうか。

 ラジオからは、国会中継が流れているが、何ら進展の兆しの見えない菅無理政権の国会中継は、遠に食傷の沙汰である。本日は休息日として、金華鳥を眺めながら、読書の時間と致そうか。


心何処ーショート やっと、一段落なり。
                やっと、一段落なり。(5/19/11)
 本日は、27℃に達するとの事である。昨日は、流石に疲れて仕舞い、二枚を貼って骨休めの段である。夕食後は、母の部屋で寝そべってのテレビ見の態である。寝るには、未だ早い。

 前回は、<衰国総理>なんてグロテスクな絵を描いて仕舞った。初めてのお人が迷い込んで来たら、『コイツは精神分裂症か!!』などと敬遠され兼ねない。本日は、真面目に襖貼りの工程表に実績を積み上げねば為るまい。
 
 そんな事で、お絵描き帳を一枚千切って、鉛筆を取る。御存知の通り、逆立ちしても写実的な絵など描けない処である。ど素人の日曜大工のイメージ絵としては、どんな風に描けば良いものやら・・・

 文章にしろ、絵にしろ、何にも無い白紙から始まる処に、面白さがあるのである。或る程度のイメージが浮かんだ処で、イメージの加工をして行くのが楽しいのである。字数を足したり、線を足したりしている内に、何と無く形が姿を現わして来るのが、流れと云う物である。出た処勝負の按配が、一番好いのである。

    さてさて、今回の絵は、如何なる収まりに為るのであろうか・・・

 小学校の図画工作、中学校の美術の時間でも、絵は苦手の口であった。中学の時、夏休みの宿題には、決まって絵もあった。夏休みの終わりに、駆け込みの絵を描いて居ると、絵の上手い二兄に散々に馬鹿にされて、サッサと下手絵を修正されてしまった。
 絵は才能である。上手い手に掛ると、下手絵に魔法が掛って仕舞うのであるから、大した物である。私は横着人間であるから、好い絵に為ったし、手間が省けた分、儲けものをした。
 
 其処までは良かった。然しながら、その後が『良心的に』拙かった。好い絵だとの評価を得て、品評会行きと為って終ったのである。言って見れば、これは立派な<詐欺行為>である。

 娘が小学生の時に、「お父さん、作文書いたんだけど、ちょっと読んでよ。この辺が、上手く書けないんだよ。」娘は、私と違って几帳面な性格を持っている。一方、私は好い加減なオヤジである。

 ほうほう、吾が娘だけの事はある。中々にして芯があるでは無いか。何を書きたいかが、良く伝わって来る。何箇所か、書きたい気持ちが強過ぎて、文章が長過ぎる。そんな事で、主語・動詞・目的語を探して整理するのが厄介なのである。小学生の小娘の癖に、欲が深過ぎるのである。努力を可として、助成仕る。その部分を分割して、文頭に接続詞を付けて読み易くして遣る事にした。

「お父さんは、やっぱ、頭が良いわ。スゴイね。もらうよ。書き直して来るね。」

「そうか、授業料の替わりに、お茶を注げ。あれもこれもと、欲張り過ぎると、こんがり返るんだよ。食べる物だって、小分けして一口サイズで口に入れるんだろ。

 文章の構図も起承転結って云うだろ。順番を組み替えるのも、説得力の内だわね。素地の好い物は、ゴテゴテよりもスッキリの方が、通りが良いものだぜや。あんまり詰め込むと便秘、緩過ぎると、一気下りの下痢ピーで、栄養には為らんだろう。ギャハハ。」

「そりゃそうだ。お父さんは、学校の先生よりスゴイね。尊敬しちゃう。」

 それが、エピソードは繰り返すの例えである。作文コンクールで、娘は賞を取って仕舞ったのである。

「お父さん、どうしよう。カンニングして賞取ちゃった見たいで、恥ずかしいよ。」

「気にするな。原文はお前の物さ。俺が悪戯しただけの事だわさ。実はな、斯く斯く云々で、俺も同じ経験をした物さ。恥ずかしいの気持ちがあれば、立派に合格点よ。イヒヒヒ。」

          こんな思い出を綴りながら、母の動きを待つ。

 午後からは、襖貼りの続きをする。へへへ、私は早漏と云うよりも遅漏の口ではあるが、セッカチな性分なのであろう。目前に遣らねば為らない物が有ると、ついつい突っ走ってしまう。普段は、物臭を決め込んでいるから、宿題が溜まって仕舞うのである。本日は、悪足掻きのラストスパートである。

 材料を買って来なければ為らない六畳の押し入れは、四枚である。押し入れ分は表だけであるから、流し仕事の様な物である。それは土曜日のコーヒータイム後に買って来て、月曜日にでも遣れば良い。遣り掛けた事は、遣るべし。

     従って、今週のマメ仕事図にして、本日の一枚でありまする。

                    襖貼りの図

                  襖貼り



心何処ーショート ホー、ホケキョと糞女
                ホー、ホケキョと糞女(5/18/11)
 おやおや、ホー、ホケキョの声である。今年は、長い『里留まり』である。笹に鶯と云うのが、山の囀りではあるが・・・ 川では、葦の緑が日に日に伸びている。葦が丈を伸ばして、風にそよぐ頃に成れば、ベベッチョ、カイカイのヨシキリが海を渡って来るのである。

 ウグイスにとっては、枯れ葦原は里の越冬の茂みなのではあるが、笹に準えて葦原で、ホー、ホケキョとべべッチョ、カイカイのコラボレーションでは、日本の風情としては如何なものであろうか・・・
 
 私の想像回路は、実に好い加減に出来上って居る。山と里の<高低渡り>をするのがウグイスの生態である。然しながら、どんな世界にも『異端の徒』は、存在するものであろう。中には里も住めば都の<横着者>が現れても、不思議は無かろう。葦原を笹に見立てれば、意外や意外で巣作り繁殖も叶うのであろう。

 移民は何も人間に特有な『開拓精神』でも無かろう。繁殖には、鳴かぬメスが絶対不可欠の存在である。動物番組では、オスの強者繁殖の解説が巾を利かしているのではあるが、鳥の中にもオス・メスの恋愛感情も無いとは言えまい。

 ウグイスのホー、ホケキョの囀りは、オス誇示にして、縄張り宣言との事らしい。

 キリギリス採りの実体験からすると、ギース、チョン、ギースの声の周りには、必ず雌キリギリスが潜んでいるのである。これを例示解釈~応用解釈すれば、オスはメスが居るから、ホー、ホケキョの囀りが有ると考えた方が、筋が通ろうと云う物である。

 尤も、横着者がオスかメスを特定する事は出来ないが、<恋は盲目>なんて卓見も伝えられている処である。オスに引きずられてか? メスに引きずられてか? の開拓精神かは別にして、番いが誕生して繁殖があれば巣立ったウグイス達には、『彼等の核芯的な刷り込み』が誕生するのである。

『世の常識』などと人間は容易く数の論理を持ち出して、少数者攻撃をするだけの事である。少数、多数の枠を外してしまえば、刷り込まれた常識眼は、その時点で逆転して仕舞うだけの事である。常識を破って誕生したウグイス・ファミリーには、通年の川原・人家の庭々の渡り非常識が、常識に逆転するのである。イッヒッヒ!!

 さてさて、お時間である。本日水曜日のヤクルトママさんの逢瀬日ではあるが、歯医者である。玄関上がりにヤクルト代金を置き、老眼鏡を持っての週刊誌勉強に行くと致しまするかな。

 大通りを漕いでいると、脇道からウバ桜の自転車が曲がって来た。こんなウバ桜ライダーの眼中には、一切周囲は無いのであろう。自転車と云えども、直ぐには止まれない乗り物である。顔付・素振りを見ても、周囲には完全の無関心。ウバ桜は、その手の口である。

 下手に自転車同士で接触転倒しようものなら、一方的に<被害者を演じられて仕舞う>のが落ちである。女の性質の悪さは、太古の昔よりである。こんな場面では、経験則が物を言う。転ばぬ先の杖である。引っ繰り返る先の車間距離を念頭に後に続く。

突然、曲がった物だから、後続自転車としては、急ブレーキの反射神経である。
キキィ、キキィ!! この糞女がぁ~!! 遣りやがったな。とんでもない糞女である。

 勿論、私にはロートル男としての『奥ゆかしさ』が横たわっているから、天下の公道で罵詈雑言など一切、口にしない常識人である。何事も無く、ペダル漕ぎの一幕である。

『気違いに刃物』なんて言葉もあるが、<糞女に乗り物>なんて言い回しは、未だ市民権を得て居ないのだろうか。女も、此処まで行儀が悪くなると、憎しみと蔑みの対象としか映らなく為ってしまうものである。

 女が亭主のカンナに『経時変化』するのは、世の習いではあるが、他人関係の無関係男にまで類を及ぶすのは、厳に慎まなければ為らない自転車乗りの常識でありまするぞえ。

 ニャロメ~~~!! 俺ぁ、好色男の前に、最低限の常識人でヤンスわね。
嗚呼、天は二物を与えず。俺ぁ女の持ち物の一物が、大好物なのではあるが、女の性根にぁ我慢が為らんのでありまする。

        へへへ。以上、本日の内緒の話・本音で有りまする。


心何処ーショート 真面目にロートル工作お時間なり。
           真面目にロートル工作お時間なり。(5/17/11)
 車で街に出掛けた序に、ホームセンターで、マタマタ買い込んで来てしまった。母の部屋のゴザの新調と、台所の床シートも張り替える事にする。襖紙も買う。
 
 午後から、ベット、茶ダンス、箪笥、テレビを一人で移動して、男の本領発揮である。続いて、台所のシートをヒィーコラ、ヒィーコラ、力任せに引き剥がして、両面テープにこびり付いたシート滓を、胡坐掻きのポーズでコンニャローメの根気仕事の段である。これが碌な道具も無いから、大変な苦労にして根気仕事の段なのである。

 シートの床貼りその物は、簡単な作業である。サイズに合わせて寸法を取り、カッターナイフでカットする。柱の出っ張り部は、マメにカットする。後は、両面テープで止めて行けば良いのであるから、襖貼りと比べると簡単な物である。11mのフローリングシートは、ほぼ使い切って仕舞った。

 へへ、好色スカンポ脳の日々ではあるが、まだまだ、算数は出来る様である。こんな事に為ると、単細胞人間は、俺は天才だ!! などと口走りたく為って仕舞う物である。

 作業を終えて、ゴミの片付けを終えぬ事には、吾がプライドが廃ると云う物である。ボロボロになったシートを丸めて、ガムテープで止めてゴミ掃除が終わったのが、6時過ぎである。

 老母曰く、流石に男の子だ。遣る時は、黙ってサッサと遣る物だ。明るく、広くなった感じがするね。明日も遣るのかい?

 吾曰く、<鷹は爪を隠し、豚は臍を隠す>もんだぜや。見たか、恐れいったか、俺様の実力を~と言いたい処だけど、働き過ぎて、顎が出ちゃったわね。嗚呼、腰痛い。歳だわな。 
 ああ、明日も、歯医者から帰って来たら、襖貼りを遣るわね。本当は、遣りたくは無いんだけど、遣り始めたら、物は序だからな。へへへ、鞭の替わりに襖紙を買って来といたわね。

 老母曰く、疲れない様にボチボチ遣るのが、コツだよ。何か手伝って遣りたいんだけど、トイレに行くのもフラフラして、体が動かないからね。情けないね。ゴメンね。

 吾曰く、好いって事よ。何時かは遣らなきゃ為らんのだからさ。散歩の替わりだわね。

 晩飯にして、食器を洗い米を研ぐと、アジャジャ、8時である。いやはや、流石に体育会系のA型は、遣る時は遣る物である。

    文武両道の男とは、私の様な男を言うのであろうか!! ギャハハ!!

 私は小さい時から、一人仕事が好きである。愚直に黙々と、ひたすら力を出し、彼是と怪我無く、二度手間を廃して、工夫で物事を進めるのが性に合っている。疲れる、腰が痛いと云うのは、当然の事である。
 人に頼らず遣り遂げた時の充足感が、男には何よりの自己賛美に繋がるのである。ワイワイ、ガヤガヤは、神経が疲れるだけの事である。

 仕事なんざぁ、いとも簡単な引き算なのであるからして、遣れば遣った分だけ、残りが少なく為って行く。世の馬鹿達は、この単純な理屈が分からないだけである。

 火曜日であるから、歌番組を見るのが習慣なのではあるが、日課のブログ打ちが残っている。日記打ちは、私のストレス解消法である。習慣をこなすのが、一番楽な生き方である。肉体労働の休憩時間の様な物である。本日、初めての四畳半定位置でのコーヒー飲みである。

 明日は歯医者であるか・・・ やれやれ、工作時間に嵌ろうとしている吾が身である。


心何処ーショート 眉間に皺寄せて、工作日なり。
             眉間に皺寄せて、工作日なり。(5/16/11)
 朝、起こされてしまったので、寝不足で身体が重くて敵わない。生きている以上、世間様との付き合いは避けて通れない処である。
 母は曾孫を抱き過ぎて、腕が張ってグロッキー状態である。差し詰め、『老心に喜びありて、老体は疲労困憊の図』である。如何にも、母らしい。

             朝食はパスして、昼食からにする。

 インターネットを見ると、原発について面白い賛否討論映像があるから、隣の椅子に足を乗せて見る事にした。何と、合計3時間弱である。耳学として常識の涵養にも役立つので、真面目に聴講し様と思ったのであるが、・・・兎に角、寝不足である。
 三部作構成に為って居るから、終わるとクリックして次の時間に移行しなければ為らない。映像を見る根気も失せて、受講の歩留まりは、1/3か1/4位な覚束なさである。

 その内に、如何にも為らずに、椅子から降りて、下に横に為ってのBGMである。

 母の動きに、やれやれ腹も空いた事でもあるし、飯の用意をするか。午後は、本日分は投稿して有るからして、母の部屋の襖の張り替えをする。前日は、要領を得ずに失敗の口であった。
 今度は、下地も良いし片面である。作業場所を廊下より広い台所でする。六畳のスペースがあるから、動きが楽である。襖二枚を張り替えて、ニンマリの口であったが、いやはや、普段使わない筋肉使いと神経使いで疲れて終った。

 夕食後は日曜日でもあるし、見るテレビも無い。押し入れの襖は、明日にすると言って部屋に戻って布団の中である。お茶が飲みたく為って母の部屋を覗くと、襖が外してある。

 へへへ、老母は普段私の事をセッカチと云うのであるが、ノシを付けて返して遣りたい物である。私の仕事振りを確り見て居て、『要領を掴んで、手際が好く為って来た。物臭で仕事が嫌いと思っていたが、遣れば出来る。大したものだ。』と来たもんだ。

  <ニャロメ、豚も煽てりゃ、木に登るって事かいな。調子の好い婆さんである。>

 そんな軽口も叩けない上下の関係であるから、
「そうか、合格点が出たか。ヨッシャ、忘れねぇ内に、遣りますわね。」
「そうかい、遣ってくれるかい。有難いねぇ。」

 日曜大工の店が業態として在るのであるから、男達の細胞には工作細胞がセットされて居るのであろう。重い腰を上げると、そんな工作細胞が稼働して来る物らしい。

 遣り始めると、面白いものである。今のご時世は、至れり尽くせりのノリ付きシートの工業品と成っているから、刷毛でたっぷりと水塗りをすれば貼れる体裁に成っている。満遍なく水塗りをして襖に被せて、皺を極力出さない様にごつい掌で伸ばし、ハケで仕上げて行く。

 尤も、皺が出来ると、アジャジャ、遺憾いかん。その部分を剥がして引き伸ばしての根気仕事の様な物である。鼻歌なんか一切出ぬ処である。

 若い頃は、短腹者で通って居たから、不器用さも手伝って、こんな根気の要る仕事は、大の苦手の口であったのだが、歳の年輪と親分無しの子分無しの境遇は、短腹緩和の『漢方薬』なのだろうか・・・ 頭の片隅で、そんな自分を見て居る目に、苦笑いの段である。

 襖枠に掛る部分は、三角定規を用いて隅を押し込む要領で密着させて行く。極力、皺伸ばしをして、仕上げは30cm程の三角定規を当てて、慎重にカッターナイフで余分のシートを、カットして完成の運びに為る。

 二人でシートをピンと張って下地に拡げれば、簡単で皺が出来難い作業効率なのではあるが、私には猫の手も借りれないのが難敵中の難敵と云った処である。まぁ、これも考え様では、頭脳労働の一環である。

 アッ、コンチクショーめ、皺だ、皺が寄り遣がった。シートの端から、ソロリそろりと剥がして、修正密着をする。短気は損気・・・男の沽券に拘わる。
『品質は、工程の中で作られ、維持されて行く。』現役時代、そんな教育を垂れて居た身である。見学にでも来られてしまったら、それこそ、化けの皮が剥がされてしまう。

 はい、修正箇所遣り直し~。やれやれ、お次は、アソコか・・・ こんな素人の連続である。これぞ、世間で言う処の<とほほの悪足掻き>である。

 ニャロメ、シートの分際で、抵抗して遣がる。最後に勝つのは、人間じゃい。馬鹿にし遣がって、本来だったら、幕なんか一気に貫き通して遣る処だが、処女膜を破ってしまったら、一巻の終わり。短気は損気、短気は損気・・・

 メタボの図体を左右前後に動き回って、嗚呼、腰が痛い痛いの屁っぴリ腰作業を継続するしか無いのである。最後のカッター切りは、シートが乾いてから遣れば、カット面が綺麗に仕上がるには違い無かろうが、時間の関係上、そうも行かない。カッター切りを二度入れして、慎重に根気好くするしか無い処である。

 こんな時の老母は、生真面目な性格その物で、黙ってじぃーと倅の働き振りを見守って居るのである。体が動いて居た時は、梅取り、柿取りの時に行って遣ると、木の下に居てお手子をして呉れて居た物である。根が働き者の性質であるから、体の自由が利か無くて、<吾が身の歯がゆさ>を感じて居るのだろう。

 そんな気持ちが作用して、私の眼を盗む様にして、襖を外して居たのであろう。母親ながら、大した女だと・・・ 倅は、頭が下がる次第なのである。

    襖を所定の位置に入れ台所を片付けて、完了のお茶を注いで貰う。

「パッと、部屋が明るく為った。遣れば出来る。上等上等。見直した。綺麗に為った。御苦労さま。」
「はいはい、俺ぁすっかり婆ぁに乗せられて、豚の木登りだわね。力仕事は嫌じゃないけど、こう云う仕事は性に合わないから、疲れるわな。これで、懸案事項が一つ片付いたわね。アハハ。」

 明けて、変な夢見である。玄関の鳥も煩く鳴いている。何時でも昼寝は出来る。起きるとするか・・・ゴミの整理をしてゴミ出しである。米も冷蔵庫の中身も乏しい。風呂・洗濯の後は、買い出しをして来るしかあるまい。閉じ籠り日常ではあるが、何かと仕事が回って来る物である。

当世は、何事も簡単便利な時代である。失敗覚悟で、物は試しである。テキパキとは作業は進まない処ではあるが、慣れぬ手付きで眉間に皺を寄せて、襖シートの皺伸ばしも、ロートル仕事のレパートリーのラインナップかも知れぬ。

短気は損気、損気の呪文を唱えて遣れば、光明が見えるかも知れませんぞ。
   Do it YourSelf!! 御同輩方々。Gahaha~~。



心何処ーショート 倅の母への特大プレゼント
                倅の母への特大プレゼント(5/15/11)
 
Tのお迎えの車が来て、乗り込む。

「如何だや、婆さんの方は?」

「朝、倅から電話が有って、赤ん坊を見せに来るってさ。これで、一気に若返り婆ぁに為るわね。倅が来ると、丸で恋人に逢った様でパッと花が咲くぜや。ありぁ、凄いコンビだぜや。倅も、俺のブログを毎日読んでいるらしく、好いタイミングで、フォローしてくれるから有難い存在だわね。」

「家の爺っさ、婆っさも、孫をネコ可愛がりでさ。まぁ、俺も孫は可愛くてしょうがないからな。待ちに待った孫の子だからな。そりぁ、婆さん、抱きたくてウズウズしてたんだろうさ。これで、婆さん張り合いが出て来て、100の大台乗っちゃうぜや~。孝行息子は、大変だ~。アハハハ~。」

「やいやい、そんなに長生きされちゃ、俺のフェロモンが枯渇しちまうがな。お先真っ暗な事を言っちゃいけねぇわさ。
 俺の本質は、優等生だから、結構気を使って賄い夫をしてるんだけどさ。夜中に二回も吐いたなんて事を聞かされちゃうと、一気に自信喪失で遣る気が失せちゃうもんなぁ。処で、沢庵漬けはあるか、無ければ酸っぱく為る前に持って行けや。」

「後、二三日有るから、来週頼むぜよ。好い色に漬かってる。Rは、業師だぜ。今時、黄金の手作り沢庵なんか、貴重品中の貴重品だからさ。味わって食べてるんだぜ。」

「毎日、<黄金のお世話>だって言うから、同じ黄金でも、沢庵の方がまだ益しずらよ。俺も、耳さえ遠ければ、悪態こいて遣りたいんだけど、耳も頭も確りしてるから、変な事も言えんわさ。その点、オヤジさんは好いズラよ。」

「それがさ、糞爺っさの野郎。この頃、耳が聞えてる見たいでさ。気に障る事を言うと、ギョロリと睨み遣がるんだぜ。睨まれりゃ、こっちゃ倅だから、言葉を見繕わ無くちゃなんねぇしさ。
 毎日、『夢の中で、お迎えに来てる。』って話だ。何時死んでも好い様な事を言ってる癖にさ、胸がムカムカするから、病院に連れて行ってくれなんて、直ぐ甘え遣がるしさ。全く、真面目になんか付き合っちゃ居られんぞや。」

「あいあい、右に同じだわね。オヤジさんも、家の婆さんも、好い倅を持って万々歳なのに、感謝が足りねぇんじゃないの。あい。」

「そうだやなぁ~。団塊世代の親孝行は、日本の美風だぜな。だけど、維持するにぁ、努力と諦めが必要だぜな。親孝行の見栄を張るのも、大変だぜな。ヒヒヒ。」

 コーヒータイム後は、スモーキングタイムである。寄って行くかであるから、ホームセンターで襖紙を買って行く。如何したと云うから、

「旅立ちを予想して、俺ぁ銭が無ぇから、勤労奉仕で、襖貼りに挑戦するだいな。幸い、時間だけは有るぜな。へへへ。」

「アハハハ、嫌味のねぇ様に、こっそり遣れや。夜中に、婆さんに、包丁研がれねぇ様に遣りましょや。俺ぁ、何にも言えねぇわね。シラーとして、好く言うぜ。Rってもんだわ。」

「上手い事を言うじゃないか。世が世だったら、緒方拳の楢節考でさ、倅の背中にオンブされて姥捨て山なのに、倅の襖貼りの先手を取られて、包丁なんぞ研がれちゃ、俺ぁ成仏も出来んぞや。墓にも入れずに、俺ぁ無縁仏かいな。日本の美風も屁ったくれも無かんべよ。」

 襖作業に取り掛かって居ると、倅夫婦が遣って来た。首の据わらない赤ん坊は、苦手である。ご対面のチョイの間の抱かかえである。その後が老母の凄さである。三時間近くを抱き放しなのである。見る見る内に母の精気は蘇り、流石は男五人を育て上げた実績である。
 これが食欲も無く、丸二日もベットに伏せって居た、94歳の息も絶え絶えの人間かとも思えて来る。とてもでは無いが、私の出る幕など有りゃせんわね。私は廊下を作業場として、区切りの好い所まで作業の続行である。

 母はベットの上に据わり、赤ん坊を浮き浮きとして眺め、彼是と話し掛けて居る。倅は、母の昇降座椅子にデカイ図体を乗せて、赤ん坊の名前を呼んで早くも、甘いオヤジを遣らかしている。
 
 倅曰く、オヤジのユニーク脳と鼻を希望して居たのに、俺の鼻で生まれて来るんだから、隔世遺伝の御利益が無かったわね。選りに依って、親の悪い処に似るって言うのは、本当だね。

 老母曰く、大丈夫だよ。低く無いよ。大人に成れば、高く成るから大丈夫。幼稚園に通う様に為ったら、連れといで、お父さんが男らしく鍛えて遣るってよ。どんな子に為るかね、楽しみだね。

 倅曰く、うん。婆ちゃん。俺もそう思ってるんだ。オヤジの育て方は、間違って居なかったからね。此処で遊ばせて居たら、絶対に軟な男にも嫌な奴には為らんからね。夫婦の合意が取れてるぜ、面白いと思うよ。
 婆ちゃんは、うんうんって頷いて見てれば好いからね。婆ちゃん、俺の倅の成長を楽しみにしててよ。もっともっと、長生きしてくれなくちゃ駄目だからね。

 老母曰く、お前は、何時も優しいね。きっとお爺ちゃんが、お婆ちゃんに贈り物をしてくれたんだね。ほらほら、寝てばかり居ないで、男の子の大きな声で泣いてごらん。男の子は、元気で喧嘩をして来ないと駄目だよ。お爺ちゃんに、強く鍛えて貰え。うんうん。

 30年も前の倅をあやして居る母の姿と、曾孫を抱いている母の姿は、矢張り違って見える。赤子が繋ぐ・・・そんな母と倅のツーショットの姿は、実に微笑ましいものである。もう、これは理屈の入り込む余地も無い特別な関係の祖母と孫なのであろう。

 変な話ではあるが、父親の私が、これでは入り込む隙も無い祖母と孫の絆の強さなのであろう。久し振りに、楽しい時間を過ごさせて貰った物である。倅夫婦に黄金の沢庵を持たせて、礼を言って車を見送る。

 勿論、晩飯は普通に食べて終った老母である。私は、台所仕事を片付けて、要領の分かって来た襖貼りである。後は、ボチボチ母の部屋の襖を張り替えて遣れば良い。


心何処ーショート 夜散歩為り
                   夜散歩なり。(5/14/11)
 昨夜の散歩は中々に好かった。出掛ける時は些か寒かったので、引き返してベストと軍手をして来る。最初は体温を温める為に、せっせ歩きをする。川を渡っての中学のグランドでは、ナイターで草野球チームが試合中である。ユニホーム姿は貫録十分ではあるが、何しろ歳の重みに腹が先の走りである。若さの気合で、お開きのビール、カラオケが草野球の本髄なのである。イッヒッヒ!!

 其処を抜けて体育館の方に向かうと、広い駐車場で消防が3チームで訓練中である。
「掛れ!!」「ヨシッ!!」の緊迫した声が妙に気に入って、暗い事を幸いに、私も訓練に倣って、掛れ!!を発して、2人1組の方水口を構えるポーズを取って、夜陰に塗れてのへへへの段である。
 
 体育館からは、何と云うのか分からないのだが、ダンスと踊りの中間くらいの振り付け体操愛好者達が、鏡に映る自分の動きをチェックしながらの訓練中である。美容効果同好会の中年女族様達である。その横は、筋力トレーニングルームである。

 腰振り、足上げ、回転のポーズは、流石に恥ずかしくて真似出来ない処であるから、私は、気を付け、掛れ、ヨシッの繰り返し歩行である。

 体内細胞が活性化して来て、体育館、県民会館の一帯を抜け、更に上に足を伸ばす。日中だと暑くて早々に根を上げて終うのであるが、夜散歩はそんな日中散歩の半分以下のエネルギー消費で歩ける。この処の散歩は、徐々に夜の比率が高まって行く。

 川筋をぐるりと東西に距離を伸ばす。大分歩いて小学校のグランドに来ると、小学生のサッカーチームのナイタ―練習である。今のご時世は、野球よりサッカーの方が人気スポーツである。男女混成チームなのだろう。小学生の時分には、女子の方が成長が早いから、男子以上のシュートの冴えを見せる女子も居る。
 
  そんな風景を見て居ると、自分の小学時代の同級生達の姿が目に浮かんで来る。

 差し詰め、<身体の大きな負けん気の強い★子は、あれだな。>などと云う観察である。お互いスポーツが得意の目立つ存在であったから、ラジオ体操なんかでは前に引き出されて、体操をさせられて居た物である。顔を合わせば、お互いに『あらまぁ、若い頃は好かったのにねぇ~、今じゃ形無しのメタボ爺っさにメタボ婆っさのヤレヤレの感想』なのではあるが・・・小学生時の思い出にニヤニヤして歩くのも、悪くは無い。

 気分の好い夜散歩であるから、今度は閑古鳥の鳴く温泉通りを抜けて、県営球場を経由して帰る事にする。球場も、テニスコートも、ナイターの鈍い光の中で、人声がワンサカと聞こえて来る。為るほど為るほど、中年男女溌剌のナイターシーズン到来の模様である。
 
    空には半月の月と、ナイター照明で夜に浮かび上がる山の姿である。

 毎年繰り返される光景ではあるが、長野県は中部電力地域である。浜松原発停止でナイタースポーツにも、影響は必至なのであろう。些か、愛好者の皆さんには可哀想な兆しである。

  明けて本日土曜日、コーヒーブレイクの控えている新緑を揺らす窓辺である。
 
 食欲の無いと云う母には、みかんの缶詰とバウムクーヘンを出して遣り、腹が空いたら喰うべしと言い、私は、一人通常の朝飯である。

 テレビを付けての朝飯に、彼是と話を振って言葉を交えるのも、老人暮らしと云う物である。とほほ。デカイ声じゃ言えない本音の<出来た倅を持って、老母は幸せ。文句を言ったら、罰が当たるぜよ。>と云う物である。

 だ~れも褒めてくれないから、自分で自分を慰めるしか手立てが無いのである。ニャロメ~~~。

                   ルルルル、ルルル、

「如何だい? 婆っさの食中毒は? へへへ。」
「オゥ、糞婆っさは、口とは裏腹に、しぶとい女だわね。あいあい、何時でも良いんね。」

   へへへ、時間が無く為って仕舞いました。続きは、明日と致しまする。


心何処ーショート 弁考である。
                   弁考である。(5/13/11)
 老母は、食中り?に為って仕舞ったらしい。生肉ユッケの食中毒で、四人も亡くなったとの報もある。乱高下お天気さんではあるが、食中毒の季節が遣って来たのである。賄い夫の私としては、何んとも一気の自信喪失、気持ちの重い処である。

 私は何んとも無いのであるから、食中毒の症状では無く、母の体調不良が微妙に作用して仕舞ったのであろう。偶には違った物をと思い、食パンを焼いて、ハム、サラダをサンドして食べさせたのではあるが・・・ サラダが、古かったのかも知れない。

 私はデリケートな体質なので、変な違和感があると、口に指を突っ込んで無理やり嘔吐する事にして居る。水を呑み何回も嘔吐を繰り返す。胃の内容物が体外に出され、呑んだ水が吐き出されて来ると、太田胃散をスプーン二杯呑んで、一件落着を遣って仕舞う男である。

 何かの折に聞き及んで、自分一人で出来る『合理的処置』だと感心した方法である。駄目な物は、元凶から断つ。元凶を吐き出すのが、先決である。中学時代から励行して居る。

 ゲッ、ゲェ~、ゲェゲェゲのゲエ~~。眼から涙、鼻汁タラタラ、異臭。全く苦しい限りであるが、源苦の異常物を吐き出して洗浄するのが、理に適った荒療治と考えている次第である。
 言って見れば、これは医者の施す『胃洗浄処置』である。医療意図と医療処置は、医者と素人の差だけで、それ程大差無い事だと思って居る次第である。

 母親とか、女房、他人の目からすると、私のこんな遣り方は、人間にあるまじき『野蛮』そのものに見えるらしい。でも、私はこの方法が一番合理的と考えている。何しろ、私は異物、異臭、異味に関しては、人一倍拒絶反応が強い体質らしい。そんな事で、食道管の<安全弁全開>の吐き戻しが、いとも簡単に作動して仕舞う。

      言って見れば、これは、私の数少ない特技中の特技である。

 海外旅行などでも、この件の安全弁は稼働の仕捲りでタイ、マレーシアの香辛料とかココナツテイストには、ゲップの臭いに直ぐ様、胸がムカムカ過敏反応して来て、トイレに直行なんて事が、よくあった物である。
 勿論、太田胃散は<良い薬>にして、胃洗浄のお祓い薬・お呪い薬であるから、常備薬にして携行薬である。

 然しながら、汚物、異臭位で一々、口に手を抑えてトイレに直行などしていたら、女族は出産も育児も出来ないのである。従って、女族の食道管の安全弁は、頗(すこぶ)る締めがキツイ造りに、出来上がって居るのだと<観察>して居る次第である。

 然れど、キツイを佳しとするケースも、キツイを拙とするケースもある。何事も挿入、使用するベクトル次第である。

 あっさりした物を食べさせようと、朝の賄い夫ではソーメンを茹でたのであるが、全く食欲が無いとの事である。それでも、大分症状が落ち着いたらしく、
「昨日は、酷い目にあった。もう駄目だと思った。・・・・ ・・・・ ・・・」

 昨夜は背中を擦り、何度と無く、部屋を覗きに行った私である。いやはや、食道弁はキツイ締り具合らしいが、報告弁はジャジャ漏れのスムーズの態である。こんな長弁を頂戴すると、安心した分、『フン、何をこきぁがる。変な物を喰わして、悪かったな!!』の気分が沸々と沸いても来る次第である。

 Tとのコーヒータイムは明日ではあるが、温厚なTの顔を浮かべて、『病人の定番』を思い出し、スーパーに桃缶、蜜柑缶を買いに行く事にする。外は初夏の気温で、木々の緑の爽やかさである。好いお天気さんである。

 へっへっへ。兎角、女族は愚痴をこぼし始めると、男族はスタコラと場所替えをするのが、肝要である。

 スーパーでは、ベビーカーに赤ん坊を乗せた幼児連れの若い母親が居る。胸の空いた黒いTシャツ姿である。白い福与かな胸元が、黒と白のコントラストで、妙に艶めかしい。覗き込みたい願望は多大為れど、嗚呼、常識の血が弁をする~。

 好色の血も、常識の血も、共に吾が分身達である。両者の間を取って、行司役の私は<横目でチラリ>に留めて、石部健吉は缶詰コーナーである。

 レジ袋ぶる下げて、白い柔肌の胸の膨らみに、見えぬ全貌を剥ぎ取り、果たしてその形は、どの形などと・・・鼻下伸ばしの帰りである。生足、生胸の季節が到来したのである。 

 見せたがる女族の本性に、見れば顰蹙顔を頂戴する男族の悲哀である。困った物でありまする。アハハ!!

心何処ーショート 妄想狂に候。(改)
                 正体や如何に!!

                 その正体は如何に?
                   

                 妄想狂に候。改 (5/12/11)
 缶に、紙、古着の資源物出し日を一日間違えて、六時半に目覚ましをセットする。世間様から『逸脱の夜更かし生活』を送って居るから、その時間帯は睡眠でも一番美味しい部分である。目覚ましをセットしたからと云って、就寝時間を前倒し出来る訳でも無い。

  開き直れば、時の主人は吾である。硬く考える必要は、殊更無いのである。 

 睡眠を中断して、雨なら車で、雨が止んで居れば徒歩で、公民館への二往復をして二度寝を開始すれば良いだけである。それにしても、呆れ返る程の嫌味たっぷりの雨である。

 偶にはお絵描きタイムで、眠気を待つとしようか・・・ 然りとて、『何を描くべし』かである。コーヒーに湯を注ぎ、煙草の火を付ける。明朝は<缶出し>なのであるから、菅さんを悪戯して見る事しかあるまい。漢字数の少ないスカンポ脳である。

 カン・カン・カンとあらん限りのアウト・プットを試みるが、吾が身は漢字勘の乏しいロートルである。

 菅、缶、管、寒をピック・アップして、今回は『字遊び絵』と致しましょうぞ・・・である。字が決まれば、後は教室の後列でノートを引き千切っての<落書き作業>と云う物である。

 現総理は、市民活動歴で腰の低さの親しみ感をパフォーマーする政治家である。<奇兵隊内閣>とか<平成の大開国>などのキャチフレーズの軽さは、何んとも軽佻浮薄な人間味・中味の薄い『工業製品の筒抜け土管』の態を呈している感じである。

      これは飽く迄、私の偏屈臍曲がりロートルの感想である。

 自らの保険料未納問題には頭を丸めて、飛んで飛んでテレビカメラだけの瞬間お遍路さんポーズ。カイワレ大根のO-157問題では、美味い美味いのカイワレ大根喰い。今度の原発放射能汚染では、イチゴにキュウリのパク付きの風聞被害への安全安心パフォーマンス振りである。保険料未納、O-157時とは、余りに遅かったパフォーマーの登壇であった。

『現代は総べからず、総可視化の時代。』とあっさり政治定義しているのだろうか。これらのパフォーマー振りは、市民、庶民の懐柔などチョロイ物だと、ベロを出して居る様にも見える処である。

 賢民も愚民も、法の元ではたかが一票。そんな権力者のサモシイ本音が、聞こえて来て遣り切れない想いがする。その口先と舌根の何と『寒』々しい事であろうか。

 眼は自分の政治観(市民に依る市民の為の市民社会=最小不幸社会の実現)を自惚れているのだろうが、その実、それは『菅』の個人的偏向眼でしか無いのである。そして、それを見て居る国民の目からは、その眼は『空き缶』にしか見えぬ処なのである。

 内閣低支持率、党内掌握度は過半数割れ。少ない身内をイエスマン、イエスウーマンで、<お飾りの雛壇>に並べても、国会に立たされれば、あの~その~のしどろもどろの逃げの一手orピント外れの平行線である。『熟議の国会』の何たる欺瞞性ぞや。
 テレビカメラから解放されれば、先制攻撃だけが権力者の最大の防御と心得て、途端に爆発させる『苛菅』パフォーマンスを徹底させる。これでは、余りにも底の浅い『権力志向丸出し男』の魂胆としか考え様が無いではないか。

 史上最低の総理と揶揄される氏からすれば、国会答弁で<苛菅の怒鳴り声を御法度>とするのが、熟議の国会の中身と云う事らしい。

 そんな輩は周りを見渡せば、幾らでも胡坐を掻いて居る。遠目で見て居れば、そんな輩の共通点は、醗酵醸成の行き渡らない腐れ堆肥、芳香・澄み・円やかさに欠ける濁酒の様な物である。『パワーハラスメントの権化』の様な姑息な思考回路の持ち主であろう。

 少なくとも醗酵醸成とは、雑多な種類の何億と云うバクテリア集団が、時を掛けて好気性微生物群層の中で共生の相を作り上げて、内部から醗酵醸成させて行く物であろう。
 詰まりは、俺が俺が菌が王制を敷いたら、行き付く先は腐れ堆肥の悪臭プンプンの醜塊が誕生するだけである。

 これも分からず、『森羅万象の理』を平気で口にする性根には、恐れ入谷の鬼子母神振りでしか無い処である。幾ら理工系と云えども、日本語への理解度が乏し過ぎるのではないだろうか。

 加えて、自分だけが王様でなければ、精神の安定が保てない性向であろうから、他人の意見に耳を貸す必要を感じて居ないから、その耳は驚くほどに『小さい』。

 国家の一大事に真っ只中に在って、子供手当、朝鮮学校の授業料、外国人地方参政権に拘り続け、東京の一等地を中共国にいとも簡単に売り渡してしまう。『苛菅』の怒鳴り声が、その性向の真骨頂為らば、どんなに理性的に振舞っても、時としてマグマの爆発は避けられない物の筈である。ルール違反国なのであるから、日頃の苛菅振りを炸裂させれば済む事である。然しながら何故か・・・中共国、韓国には、それが『出来ない』。

 こんな場合の下衆貧民の辞書には、致命傷の『キンタマを握られている図』としか出て居ないのであるが・・・

 佐々敦行氏に、事ある毎に言われる<弁の立つ学生運動家>。然れど、機動隊に対峙すれば、常に『第三列、第四列の男』とパフォーマーの生き様を喝破されて居た御仁である。 
 現手法の<煽るだけ煽って、後は丸投げ、逃げ菅>の一連の行動形式は、その片鱗を学生運動時代で身に付けた『手法』なのであろうか。
 此処に見える物は、他人は、『全て己が手駒』との自惚れの強さと、『責任負担は命取り』の余りにも、ギスギスした<個人感覚の寒さと精神の殺伐さ>としか言い様があるまい。

 詰まりは、性格の弱さを如実に露呈して居る。相手が弱いとタカを括っている心底が見えて居る。その実態は、度胸無しの軽石キンタマの持ち主で、表層迎合型の好色男。恐らく男にはモテ無い『弱い者苛めの典型者』にしか過ぎまい。

 へへへ、団塊世代の或る一面を代表するタイプなのであるのは、確かな処でもある。

 言葉は言の葉にして、然れど・・・言霊(ことだま)。心、魂の入らぬ言葉は、一葉の端にも留らぬ虚しき『流砂の群れ』でしかあるまい。言霊は、醗酵醸成から醸し出される想念の伝達形である。<言葉は、単なる記号に非ず。>では無いだろうか。

 市民運動家総理の仮面を外した菅直人氏の心の素顔とは、果たして如何なる正体を見せているのだろうか・・・ そんなミッドナイトの妄想タイムなのであった。

 一夜明けて、雨上がりの空に、お天道様が顔を出して居る。清々しき早朝の空気に、二度寝は後回しにして、昨夜の一枚の説明文を打っている内に、毎度の事ながら、取り留めの無い字数を羅列させて仕舞った。

 スカンポ脳にも拘わらず、一国の総理をスカンポ為らぬ『衰国総理』などと冠(カンムリ)を被せて終った物である。一市民の分際で、思い上がりも甚だしい限りの狼藉振りである。

 遺憾いかん・・・不敬罪の故を以って、斬首の刑も有り得るやも知れぬ。こんな寝不足の頭では、辞世の句も浮かばぬ処である。朝の賄い夫を務めて、寝るが肝要である。

 一読して、お笑いの後は、一切、記憶に留めては為りませぬ。こんな駄文は、ポイ捨てでありまする。くれぐれも再利用用として、資源物に出しては為りませぬ。二次製品の品質を落としめる事、必定の沙汰でありまする。ギャハハ。


                その正体は如何に!!

                 その正体は如何に?





心何処ーショート 雨は降る降る、ドバミミズも大変なり。
          雨は降る降る、ドバミミズも大変なり。(5/11/11)
 昨日、今日と、よく降る雨である。時間を掛けてのブラブラ散歩も出来ぬ処であるから、胸ポケットに老眼鏡を入れて、ズボンの裾を捲り上げてサンダル履き、傘差し歩きで歯医者に行く。

 町内のバス停には、白人女性が傘を指してバス待ちをしている。彼女も私を見て居る。私も白人女性が好みであるから、これまた、ギブ&テイクである。へへへ。

 白い彫の深い顔に、緑の瞳が印象的である。大分、若さには劣るものの、一切恥じらいを見せぬ素顔の様が、実に白人女性のものである。私は古いタイプの日本人の感性であるから、こんな白人女性のレディファースト系の態度は、女性と云うよりも中性の感じがして、私の波長に合うのである。

 これは、雨に濡れはするが、刹那時間でしかない車、自転車では、絶対に味合えない『儲け物』である。見形、年齢、バス待ちを考えると、日本生活が長いのだろう。

 待合室には震災・原発事故の特集号が有ったから、早速手にとって頁捲りに突入である。

 一説に依ると震災・原発事故当初は、執務室閉じ籠りの菅さんは、新聞・週刊誌をごっそり買い込んでの通読御仁との事である。見出しに踊るに踊る写真と活字群。『叩かれに叩かれている自分の姿』は、総理には如何反映されているのかは、ご本人のみぞ知ると云った処であろうか。

 それを<強靭な責任感>と見るか、『全くの鈍感さ』と見るかは、国民、社会が判断する処であろう。正常域の政党、総理ならば、退くを諦観とする処なのではあるが・・・

 麻酔を打たれて、ボワンとした口の周りである。近くにスパーがあるから、スーパーで買い物をして行こうと考えた。店は改修工事をするとの事で、暫くの間、休店するとの店内アナウンスである。レジ袋を二つ下げて、すっかり雨の流れと化した舗装路を、家に向かう。

 物は序であるから家を素通りして、町医者に母の薬を貰いに行って来ようかなどと考えるが、傘から流れ落ちる雨にシャツが大分濡れて来て、寒い限りである。

       とほほ、これでは、全くの梅雨の入り見たいな物である。

 麻酔の影響も有って、砂を噛む様な食事の不味さであろうから、時間稼ぎに家に寄って、ベストを着用して行ったが好かろう。何しろ、吾が身は閉じ籠りロートルなのであるからして、歯医者に行って風邪を引いたなど・・・落語長屋の洒落にも為らぬ。

 家からの再挑戦は、細い路地抜けの町医者への道である。雨量を吸い切れぬ地面にはドバミミズが、太くふやけた全身を曝け出して、ニョロニョロしている。伸びた雑草の群れも、雨に打たれて嫌悪の様である。

 ハハハ、ドバミミズ殿も、生きるのは、さぞや大変なのであろう。夏の暑い盛りは、土中の熱さに耐え切れずに、地表に出て干からびて絶命する。加えて、度を越した雨の攻撃を受ければ、土中は瞬く間の酸欠状態に様変わり。平時には、モグラ攻撃に晒される。日蔭の落ち葉の下でマイ・ペースをして居れば、気紛れロートルの私に穿られて、ヤマメ釣りの餌にされてしまう。

  さてさて、厚物に着替えて、朝飯抜きの昼飯の賄い夫を致しましょうかね。


心何処ーショート 雨日の四畳半
                   雨日の四畳半(5/10/11)
 寒い幕開けとなり、その後半で例年に追い付いた今年のG・Wであった。本日は、不燃物の収集日である。早い時間帯の回収であるから、普通に寝て居ると先に行ってしまうのである。

 昨日、布団干しをした所為でも無かろうが、蒸し暑さの寝苦しさに目が覚めた次第である。雨が降って居る。些か寝足りない気分ではあるが、ゴミ出しをして来る。明日は目覚ましを掛けて、資源物出しと歯医者日である。

 この蒸し暑さは、何とした事だろうか・・・ これでは、遅春に一気の梅雨見たいな物である。ボワンとした蒸し暑さの淀み空気を一掃すべく、窓、戸を開けて回る。雨で生き返るのが、植物の緑達である。

「蒸し暑くて、気持ちが悪いだろう。」薄暗い部屋で、ベットに腰掛けて着替えて居る老母に声を掛ける。さてさて、母のお目覚めであるから、少々早いが朝飯としようか。

 年寄りの食卓であるから、野菜の漬け物は必需品である。最初のカブ漬は昨日で終わったから、第二弾を漬けて置いたのであるが、上がり汁に白濁の兆し有りである。これでは、酸味が回って終う。水洗いをして、タッパに押し込んで冷蔵庫に収納する。
 
 親分・子分無しの賄い夫も三年も遣って居れば、失敗は次回の観察と対処の工夫に繋がる物である。へへへ。こんな偉そうな事を打っては居ても、先日は、とんでもない失敗を遣らかしてしまった。

 庭に自生するニラがたっぷりあるから、それを卵とじ、野菜炒めの具と重用して居るのだが、兎に角、元気旺盛な植物である。ニラの卵とじは母の好物ではあるが、女日照りの戯けが精力を付けても、対象無しの日々である。持て余して居た処である。

 そんな馬鹿話をお相想代わりに、個人スーパーのレジ打ち先輩にお話し申し上げると、<ニラと豚肉で韓国風薄焼きをして食べて見たら。>とのお薦めであった。しめた!! グット・アイデアと初挑戦で臨んだ晩飯では有ったが、・・・ 何と何と、糞婆ぁの奴は、食が細いなどと生意気な本音をポロリと口に、味見程度の拒否権の行使をされて終った。

 初体験、小出し観測の出来ない親分・子分無しの賄い夫とは、しが無くも切ない仕事なのである。今ご時世では、何事も『自己責任との括り』様である。いやはや、外見の出来栄えは兎も角として、その不味さたるや・・・ 古代の小麦文明のメソポタミヤの食文化にも遠く及ばないだろうとの感想であった。

 何か硬い纏まった物を打たなければ為らないと覚悟は決めているのではあるが、それを打ち始めると、多大なエネルギーを消費して仕舞う事は分かり切って居る。毎日が日曜日の物臭生活を送って居るから、脳味噌が鈍って億劫に成り下がるのみなのである。

 世相と現政権、見た目の覚束なさの裏で蠢いているとしか考え様の無い民主党のシンクタンク・教宣活動は、何か共産党国の書記局の薄気味悪さを示しているのでは無いだろうか・・・ 

 現政権の頼りなさ、覚束なさの裏で、抜けシャーシャーと閣議決定などの厚顔無恥さを実行して居る政党である。このザマは、彼等の常套句・政治主導の言を借りれば、共産党のシンクタンク書記局が政治家を『御用政治家』として、手足の様に操縦して居る構図とも重なって来る次第である。

 どんなにイカサマ・マニュフェストでも、政権さえ握ってしまえば、政党の勝ちと思って居るとしか理解の仕様が無いのである。それも、今度、衆議院選が有れば嘗ての社会党の様に、完全に浮かび上がれない現実が待ち受けて居るのである。

 それを、痛いほど自覚して居るから、真に以って始末に負えない政党の魂胆なのである。

 民主主義と云う公開の国会討論よりも、閣議決定で事を進める。国会と云う場での『叩かれ放題の醜態』は、必要最小限に留めて、ひたすら時間切れで逃げの一手。質問への真摯な応対など一切眼中に無く、政党間に割り振られた質疑時間を言葉数だけで糊塗して、ひたすらタイム・オーバーに持ち込む。男のキンタマのキの字も無い輩達である。

 官僚の答案原稿の見出しには、きっと原稿を読む『標準時間』の記載が、朱筆で大書きされているとしか思えない<心、此処に在らず>の政府答弁のオン・パレードである。

『閣議決定』と幾ら豪語した処で、閣僚の集いは、精々が民主党の半数近くを仲間外れにしたイエスマン、イエスウーマンの集いでしか無い。白服立襟女とあの~、その~を多用する労働組合上がりの組合貴族さん達の迎合集団であっては、心のこもった言葉も思考回路、行動も期待など出来よう筈も無い。

 仕立て下ろしの高級生地とテーラーの腕前見せが、国会中継の本態でも無かろうが、何を考えて政治家を遣って居るのか。コスチュームとの比較で、薄ぺらな顔と言葉をテレビに映して、何とするか。冗談もたいがいにしろちゃ。阿保臭い。幾らコスチュームに銭を掛けた処で、猿回しの猿人にしか見えませんわな。

 嗚呼、情け無しや日本の政治家の地位も、落ちるに落ちた物である。尤も、下衆貧民ロートルのこんな罵詈雑言の類がブログ投稿されても、一切、お咎め無しのこの御代に感謝すべきなのであろうか。

 産業組合、官公労組合に特有な書記局組織の思想的な臭さが、嫌な臭気を放っている。何か事が有れば、各種の委員会を立ち上げて、全てを丸投げにして居る現政権の政治手法の源泉には、個々の政治家よりも『党の存在が優先』すると云う左翼主義者の古い体質が、蔓延している様に見えて為らない処なのである。

    民主党には、そんな思考の化石、停滞が見えて来ないでしょうか・・・

 さてさて、これは終日の雨日と為りそうである。本日のうだ話は、何としようぞ・・・と思案しながら、煙草とインスタント・コーヒーを遣って居ると、ヤクルトママさんのお声が掛る。

 一日早い、コール日である。明日は、子供の用事で休みとの事である。左様でありまするか。明日の休みの為に、コール件数を増やさなければ為らないのだろうし、この雨である。趣味のセクハラ・トークのお付き合いをさせてしまったら、お天道様の『特大のゲンコツ』を頂戴し兼ねまい。

 仕方がないからお釣りを貰う時に『悪便乗』させて頂き、柔らかい手をロートル爺っさの厚顔無恥で、ギャハハのお別れの段である。

 先週のコール日は、お天気さんに恵まれて居たから、戯け画をお見せすると、キュロットスカートの太腿が、目前にパッと華やいで、思わず生唾を呑んでしまった。

 いやはや、目を点にする程の<意馬心猿>を露出させる訳にも行かず、『心頭滅却すれば火も亦涼し。』を呪文して、<浸透滅却すれば、白妙の艶腿も他人が女房の脚。喝~。>の常識への回帰と云う物であった。

 さてさて、不意打ちを喰らって、私らしさが一切出ず仕舞いの貴重なコール日を通過して仕舞った。パイプ煙草に替えて、シトシトと降る雨の外を見て居ると、傘を指したお人が窓辺に遣って来る。おやおや、斜向かい吟さんである。命の薬を貰っての帰りとの事である。一両日の間に、私も母の薬を貰って来なければ為るまい。

  雨の日は鬱陶しくもあり、心寛ぐものにして、中々の色合いを運ぶものである。

心何処ーショート 抜ける風に、H、S、J。
          抜ける風に、ホップ・ステップ・ジャンプ。(5/9/11)
 朝食時に、『今日はお天気が良くて、明日は悪いから、布団を干したら。』との事である。朝はウグイスの声も聞いた処でもあるし、親の言う事を、へいへいと聞いて遣るのも、倅の務めと云う物であろう。

 食後は万年床を干して、掃除の段である。母に風呂を譲った後は、洗濯と風呂の掃除である。男ヤモメからすると、こんな事は一切避けて通りたいのではあるが、遣れば遣った効果はある。夏並みの気温との事であるから、窓、戸は開放して在るから、流石に気持ちの好い事、この上ない気分である。

 風呂上がりの母の体力の回復を待って、生蕎麦でも茹でて昼飯としようか。ズーと未亡人で暮らして来た老母であるから、ディサービスの他人の空気には馴染めなくて当然の事である。好いた様に人生を全うするのが、幸福と云う物であろう。

 昨深夜には、赤流金が例の如く腹部にガスが溜まった様で、潜れずに腹を上に向けて、引っ繰り返って居たのであるが、その持病が収まったらしく、普通の泳ぎをしている。

 最初の頃は、初な飼い主と云うか、好奇心旺盛な戯けロートルと云うか、・・・ 金魚を掬って、プックリ膨張した腹部を押して『人工呼吸為らぬガス抜き』を試みたのであるが、予想に反して、見る見る内の『瀕死域』に達して仕舞った。

 アジャジャ~、<要らぬ節介、死に至らしめる。>であっては、寝起きが悪い。私はサディストとは縁遠い小心者であるから、それ以来、手を下す事は止めて居るのである。生きるも死ぬも、己が自然治癒力の為せる処であろうから、私は餌遣り、水替え、観察係りで十分なのである。

 陽気が好く為って来て、晩飯前の散歩とか、夜散歩が出来る様に為って来たから、夜型の私には、時間の自由度が増して来た。四畳半窓辺の雑木はコブシなのではあるが、若葉が大分成長して来た。もう一か月もすれば、丁度良い部屋の眼隠しと為る。

 覗くのは好きではあるが、覗かれるのは好きでは無い。何しろ、私は身勝手な精神の持ち主である。世には、露出狂なんて素晴らしい人種も居られるとの事でもある。一度マンツーマンで、その実態を体験・観察して、頭の体操をして見たい願望はあるのだが、運命の悪戯か・・・この歳に為るまで、その機会は一切巡って来なかった次第である。

 閉じ籠り生活が長く為って仕舞ったから、そんな馬鹿話の仕入れも無く為って終った。訪問して下さるブログさんの中には、そんな露出狂の傑作な写真などがある。兎に角、世界は広い物である。私の初な感想では、露出狂に男女の差は無いらしい。
 公衆の面前での大デモンストレーションなのであるから、彼等、彼女等の思い切りのプライベートSexシーンなどを観賞して見たいと思うのであるが、


 美女・美形が金髪を振り乱して、アナザーホール満開のポーズで迫って来ようものなら、ノーノー、プリーズ、ジャスト・モーメント~~。きっと怖気付いて、ヘルプ・ミー、オオ、マイ・ゴットの祈りのポーズである。

 ユー、卑怯者!! ジャパニーズ、億したか、こんなのは序の口、これからが本番ヨ。ヘナ珍~!! マウス・ヘルプして上げる。カモン、カモン~。ティーチ、ユー、マイスタイル。ノーノー、逃がして堪るか。カモン、ベィビー~!! アイアム・ストロングビューティよ。

『和して同ぜず』・・・己の本分を護って、富岳三十六景、逃げの一手しかあるまい。色を交えて、黄金に染まるは、<万病の元>である。黄金のジパングとは、同じ黄金でも意味合いが、全く違うのである。男の見栄外聞と云えども、生きてこそのアクセサリーの沙汰である。真っ当な日本人なら、『逃げるが勝ち』の日本の教えでもある。

 分かるかな~、これが分からない様じゃ、ナリスマシ・ジャパニーズでゴザンスよ。

<好きこそ、物の上手為れ。><朱に交われば、赤く為る。>とか<毒喰らわば、皿まで。>とか、<下手の横好き><習うより、慣れろ。>とか<生兵法は、大怪我の元。>なんて諺もある。
 
 戯れ歌の東京音頭では無いが、『♪おさねピンピン、まらグングン、前から横から後ろから~♪ ♪ハイ、クチャンコ、クチャンコ、好い気持ち~♪』 なんて名調子の唄も、聞き及んだ事もある。

 斯様にして世界の諺は、何もインテリさん達だけの物では無い。こんな諺を思い起こせば、何やら其処に展開されて居るのは、ホップ、ステップ、ジャンプの上昇跳躍or下降着陸の感すら覚える処であるから、摩訶不思議な世界でもある。

 あらゆる階層の人々が、折りに付け、振れ、真面目に格調高く、そしてふざけて経験の奥義を伝えて来た『万人の無形歴史遺産』なのかも知れぬ。イッヒッヒ!!

 然りとて、私は奥深い所では生真面目にして強靭なコア部分を持つ身であるから、ホップ、ステップ、ジャンプの跳躍も大墜落も叶わぬ処であろう。従って、平均値の『生酔いは、本性違わず。』で行くしかあるまい。

 ※中学生の時は、走り幅跳び、走り高跳び、三段跳びの学校記録保持者だったんですがね。今じゃ、スキンヘッドの太鼓腹で、アブドーラ・ザ・ブッチャーの態でアリンスわね。ギャハハ~~。


心何処ーショート 偶にはマンネリ打破
                偶にはマンネリ打破。(5/8/11)
 空の色こそ芳しくは無いが、五月らしい気温である。風にカーテンが捲れる日曜日である。日曜日のテレビには、飽き飽きとして久しい。通りでは、ご近所の小学生三人兄弟姉妹が、子供自転車に乗ったり、いじくったりのお遊びタイムをしている。ロールご近所さん達は、外の空気にお喋りタイムのアハハの声々が聞こえて来ている。

 私は自室の窓を全開にして、ラジオを聞きながらの、<嫌に為ったら止め>の世界史のお勉強タイムである。
 
 水が温んで来て、水槽住人達の身体代謝も活発に為って来て、腹が減るのであろう・・・ デカコメットの奴は、私を見て<餌よこせ>の尾ヒレの水飛ばしをして、本を濡らす狼藉振りをする。この馬鹿モンがぁ~、餌袋を手にすると、嬉々として群がって来る。
 
 此方は、そんな彼等を見て別段可愛いとも思わないのであるが、これも飼い主の義務と云う物である。中断してしまえば、勉強嫌いな性格である。隣のメダカ槽の数を数えれば、たったの6匹に為って仕舞った。

 店変わりしたホームセンターには、フィシュ・コーナーは無いのである。ネット検索すると、メダカの卵は累計250℃を以って、孵化するとの事である。早い処、次世代が誕生して呉れないと、水草と豆タニシの水槽に為って仕舞うのである。

 トイレに立てば、風で小鳥達の羽毛が廊下に動いている。抱卵中の鳥籠ではあるが、朝の食器洗いもしなければ為らない処でもあるし、汚れ放題であるから、鳥籠の底板を綺麗にして遣るとしようか。

 やれやれ。好い陽気の風の通る四畳半である。安物赤ワインでも注いで、続きの頁を捲るも好し。脳味噌がボワンとして来て昼寝をするも好しである。何をしても、小言を頂戴する事も無い。

 斜向かい吟さんの言葉ではないが、自由気儘な夜更かし生活は羨ましいとの事ではあるが、自由気儘の夜更かし生活なるものは、或る意味で私の様にズボラで内向性の人間でなければ務まらない側面もある。
 人間なんて生き物は、社会・家族の柵から解放されてしまえば、据わりの好さに胡坐を掻いて行く物である。気付こうが、気付くまいが、己の性向に似合った生活のペースを作り上げて、それを維持して行くにしか過ぎない。

 ラジオから流れるお喋り、音楽を四畳半のBGMとして、歴史本の年代・事件に洋画のストーリーを当て嵌めて、為るほど為るほどと・・・相槌を打つ。

 何故か心惹かれる映画の一本に<パスカリの島>と云うのがある。1988年カンヌ映画祭正式出品作イギリス映画とある。

★時は20世紀初頭。オスマントルコ帝国の末期。エーゲ海に浮かぶ小島に住むトルコ人パスカリは帝国のスパイとして島の出来事を報告する任務についていた。
 平穏なパスカリの日々は、自称考古学者のボウルズの出現で一変する。ボウルズをめぐる人間関係は複雑に交錯し、パスカリは次第に追い詰められて行くのだった・・・。
 ガンジーでアカデミー主演男優賞に輝いたベン・キングスレーを始めとする俳優陣の深みのある演技、美しい色調でとらえたエーゲ海の島々など、映画本来の魅力に溢れた作品である。
 世界から選りすぐった名作をお届けする「ブルー・フェザー・レーベル」の第二弾作★
          以上、ビデオパッケージからの引用。

 この時期の本の少し前のアフリカ大陸では、物凄い事が行われて居た。映画的には、そのものズバリの『ズール戦争』などと云う大作がある。これもイギリス映画である。ズール戦争は、1879年大英帝国と南アフリカのズールー王国との間で戦われた戦争である。

★絶対的に不利な状況で戦う勇者たちの姿を壮大なスケールで描いた傑作。この大作はローク砦を守る100人の英国兵が、圧倒的多数をほこる先住民ズール族の最強の戦士たち4000人を迎え撃った史実を映画化した物。
 テクニラマによる壮麗な映像には、少数の守備隊と波の様に押し寄せるズール戦士との先頭の恐怖と切迫した状況が見事にとらえられている。南アフリカの美しい自然を背景に描かれた「ズール戦争」は、画期的な映画であるとともに、戦争の歴史における英雄的な行動への賛歌ともなっている。
 その演技で世界的な注目を集めたのが、傲慢だが勇敢なブロムヘッド中尉を演じたマイケル・ケイン。またスタンリー・ベイカーやジャック・ホーキンスら英国を代表する名優たちも力強い演技を見せている。・・・以上、DVDパッケージより引用。★

 斯様にして、歴史、映画に興味があると、ひょんな処で、歴史と映画は繋がって来る物である。活字と映像を比べれば、私の場合は文句無しに映像ストーリーの方が、長く印象として残る。
 何しろ、この時期の英国を頂点とするフランス、ドイツ、ロシアのヨーロッパ勢は、帝国侵略を競って居た時代である。「ズール戦争」ではアメリカ映画のジョン・ウェイン演じた処の『アラモ』なんて云う凄いド迫力の映画もあった。軍隊・軍人の英雄的な大スペクタル映画の一方に、沈み行くオスマントルコ大帝国の姿を捉えた「パスカリの島」なんて、アングルの撮り様を変えた名作もあるのである。

 こんな風にして、活字歴史に目を通しながら、歴史を扱った映画を見たり、思い出して、赤ワインの一服を吸うのも、悪くは無い物である。

 昼のテレビには、アメリカ風に表現すると史上最悪のテロリスト、オサマ・ビンラビンの殺害ニュースに沸く映像ではあるが、ブッシュ、オバマ両大統領の映像と併像されている史上最狂・最恨のテロリスト、ビンラビンの整って静かな面立ちは、この経緯を全く知らない人の目からすると、どちらがより狂暴に見えるのかと・・・疑問を感じて終うと云うのが、率直な感想である。

   イスラムの世界では、彼を殉教者と叫ぶデモも発生して居るとの事でもある。

 歴史の多くは、勝者の歴史に流れて行く物ではあろうが、歴史事件を取り扱った映画などを見て、活字と映像を交差させて見るのも、時間の有用性とも言えようか・・・

 それにしても、田渕久美子女史の作る<漫画チック歴史ファンタジーのおフザケNHK大河ドラマ>とか、日本の大河ドラマの手法を真似て造られる中国・韓国の偽歴史ドラマは、酷過ぎる内容である。視聴率の高低に関わらず、歴史に題材を取る者に絶対必要な物は、歴史に対する『良心を持ち続ける態度』では無いのだろうか。

 365日、毎日毎日、変わり映えのしない長駄文を記して居る次第でありまする。偶には、こんなマンネリ打破の文章を打って見ました。
 私の想いに些かでも賛成出来るお方は、拍手のクリックをして頂ければ、幸いでありまする。へへへ。


心何処ーショート へへへ、娑婆は黄金週間なり。
             へへへ、娑婆は黄金週間なり。(5/7/11)
 昨夜はツイツイ寝そびれて、三時を回ってからの寝床入りにして、中々寝付かれぬ夜であった。そんな事で、朝の遅い母に先を越されてしまった。今思い出すと、如何云う風の吹き回しか・・・腐れ縁の関係が何年か続いた韓国美形さんの横顔が、ボワンとする頭の片隅に残っている次第である。夢のお出ましとは、不思議な物である。

 母の沸かして呉れたヤカンからポットに入れて、熱いアメリカンコーヒーを啜りながら、昨日分のブログ投稿記事にチェックを入れて、加筆訂正をする。

 外では遠く、久し振りにホー、ホケキョのウグイスの声である。校正を終えて、或るブログさんへのコメントを打ち込んで居ると、斜向かい吟さんの登場である。本日、土曜日にしてTとのコーヒータイムが控えている。

 校正した昨日分と5/4分の補筆訂正分を印刷に掛けて、清書保存版をTに読んで貰った後は、コーヒースタバの女店長さんにプレゼントしようと考えて居たのである。

 へへへ、折角のお相想掛けに寄って貰ったのではあるが、お相手が出来ない処である。御免なさいね。

 印刷に掛けて居ると、今度はガス屋のブロンソンさんの集金である。アジャジャ~。Tからの電話を頂戴した処でもあるし、こりゃ、時間がありませぬ。

 昨日、整理方々沢庵漬けの桶を掻き混ぜて居ると、思いの外、底には沢庵が眠って居る。『古漬』の言葉もあるからして、洗ってお裾分けにプレゼントしようと用意をして置いたのである。頁印刷を試みていると機械の誤作動で、同じ物が何回と無く印刷されて来る始末である。ストップ・ストップの態の内に、Tのお迎えの車が来てしまった。

          あいあい、悪いねぇ~。少々、お待ちを~。である。

「ほい、残り物整理の<黄金の沢庵>だいね。薄く刻んで<味の素>ごっそりか、適当に塩抜きして食べてくれや。」

「あいあい、アリガトさんよ。こっちの方は、朝から爺っさの『黄金の整理』だぜや。ッタク、遣っちゃ居れんわな。糞爺っさの野郎め。

 聞いてくれや。言うに事欠いて、<この頃、頭がぼやけて来て、夢の中で戦友達に手招きをされて居るんだけど、戦友達の区別が付か無くて、誰だったずらいなぁ~、って言ったら、そんな事では話に為らんから、呆けを直してから来いって言われちまった。だから、もう少し、娑婆の御厄介に為るぜ。頼むぞよ。>だって抜かし遣がる。

 まぁ、本当にトボくれた爺っさだぜや。白髪の骸骨頭を一発ひっ叩きたくも為るが、親だから、そうも行かんわね。俺にぁ、知性・教養・常識が障害だぜや。」

「あいあい、そう云う事だいなぁ。育ての恩は、日々成長の様。喜びも苦しみも、照らし続けて、オイラ、<灯台守>だけど、日々老衰進む下の世話し続けて、オイラ、『黄金守』かいな。お前さんは流石に、人間の出来が違う。大した男だ。アハハハ~。」

「この馬鹿野郎が!! Rもその内に、お役が回って来るぜや。待ってましょや。あい。」

 嬉しい事に、本日の二階席は、すきずきして居る。ロートルの空間としては、この位の雰囲気が有難い。我々コンビは、似た様でもあり・・・ 違う物でもある。
 Tは嫌な事は、最初に片付けて終い、後はユックリのマイペース・タイプである。私の方は、尻に火が付かないと怠惰・物臭のタイプにして、『悪足掻きの瞬発力』に快感を覚えて居るのである。

 これはきっと、一人子のTと、五人兄弟の四男坊の生い立ちの違いから来る物かも知れない。賄い夫に為ってからは、私は極力立派なTの真似を心掛けている次第である。
 手料理の好きなTは、何が食べたいなどと電話を呉れた物である。料理をして、盛り付けをしてくれ、後片付け・洗い物も、黙々とゆったりとこなして終う男である。

 Tは高校・大学時代の柔道部での団体生活と十年に及ぶアメリカ暮らしで、炊事洗濯を身に付けている。そんな事で、スムーズな一連の流れを示して居るのであろう。私はそんなTの姿をニヤニヤしながら、参考として見させて貰って居る次第なのである。

 我々は、道も空けて終うヤクザもどきのコンビに見えるらしいが、性根は折り紙の着く程の真面目な男二人なのである。

 喫煙タイムをベンチで取った後は、ホームセンターに立ち寄って、老母のクッション座布団と排水工作の為、蛇腹ホースとT(チーズ)の代用と成る物を思案しながら、買って帰る。パイプと継ぎ手がありさえすれば、物事は簡単なのではあるが・・・ 

 彼是と、頭の体操? 悪足掻き? をして見るのも、呆け防止策とも為る。へへへ。


心何処ーショート 酸欠状態
                   酸欠状態(5/6/11)
 へへへ、午後からはバタバタして仕舞って、調子が狂って終った。閉じ籠りロートルの生活とは、兎角、外部からの刺激には弱い物である。困った物でありまする。用足しの自転車漕ぎを何往復かして、これは、もう調子外れ序(ついで)に大手スーパーと個人スーパーで買い出しをして来た後は、台所仕事をして区切りを付ける。

 きっと、こう云う働き振りは、勤め人の『男の習い性の一環』なのであろう。いやいや、散歩の時間が無く為って仕舞った。まぁ、自転車漕ぎ運動を強いられたのであるから、帳尻は合う事にして、先ずは四畳半の定位置で一服である。

 本日の日記は、昨夜の母とのお付き合いで見て居た歌番組での感想を打とうと思って居たのではあるが・・・ 調子外れで、スカンポ脳が少なからぬ心臓の動悸で、酸素が回らずに<酸欠状態>なのである。

『トイレの神様』『ヨイトマケの唄』『岸壁の母』を聴いて、浮かんだ思いが<時代を繋ぐ架け橋>である。テレビドラマなんかには、<父と母の国の架け橋>に為りたいなどと云う使われ方を、良く見る処である。私なんかは直情的で涙脆いから、胸が締め付けられ、熱くなって、駄々嗚咽して仕舞う。

 どんな作家さんが書き始めたのか・・・ ラジオを聴いて居ても、この頃は頻繁に出て来る「国と国の架け橋」表現である。きっと好い語感と好意味の響きであるから、架け橋の用語は慣用句として定着しているのであろう。

 私は時代遅れの古いタイプであるから、『架け橋』なんて響きは、春日八郎さんの<夢の架け橋は~、>なんて、唄の文句の一節しか知らなかった次第である。

 どれも好い歌には違い無いが、この三曲には時代の変遷=社会・国変化の様な物が存在して居る。作詞も作曲も、時代を映して居る存在でもある。私は、どちらかと云うと、時代を『写して居る存在』と見て居る。

『トイレの神様』に描かれているのは、家族を離れた個人の立ち位置からの歌である。一方、『ヨイトマケの唄』『岸壁の母』には、親への倅の心情、倅への母の心情が、切々と語られている。団塊世代の母への心情を歌った物には、『我亦紅』なんて泣けて来る唄もある。

 プロの作詩・作曲の歌には、客感性と普遍性の様な心情の拡がりと云う物が、存在する。一方シンガーソングライターとグループ分けされているジャンルで歌われて居るのは、どちらかと云えば、プライベート的な個人の感性・立ち位置で綴られた物が多い様に思う。シンガーソングライターの走りの加山雄三さんには、自然と同調出来る客感性と普遍性が在ったから、私は好きだったのではあるが・・・

 まぁ、時代が変わって、核家族・個室・グッズ文化の中で育って来た若者達には、ミュージシャンとかアーティストなどの言葉が贈られて居るのが、昨今の御時世である。

 たかが個人的なプライベートソングに、そんな破格の言葉の贈呈をしても好いのだろうか・・・ などと、私は全く異次元な感想を持っている時代遅れ人間である。

 時々、私のブログには、『人は時の子、時代の存在。』などの一節が、チョコチョコ顔を出す。誰しもが、少なからず<時代の感性>を持っているのが、人間と云う物である。

 所変われば、品変わる。考えも変わるのも、人の常であろう。国境を越えた異文化の架け橋も大事ではあるが、時代を繋ぐ架け橋も、それ以上に日常的な事柄にして、大事な事なのだろうと思う次第なのである。

 嘗て、当然の様に行われて居た三世代家族の世界に在って、時代の架け橋は祖父母・父母達が渡してくれた<自家製の物>であった。
 大震災・原発事故の進行中に在って、図らずも地方に残っている家族の絆、地域の絆の力に、驚嘆と賛美の感想が贈られている様を見るに付け、私は少なからずの疑問とか違和感を感じている次第なのである。

 当然の事を失って、忘れ去られている人間の在り様と云う物を、考える契機に為って欲しい物だと考えている次第なのである。居心地の好い郷愁の様な物を感じたら、それを自分の周りから、実行して行けば良いだけの事である。言葉の贈呈だけに終わって仕舞っては、真面目さが薄いのでは無いだろうか・・・

      どうにかこうにか、想いが文章に為りましたかね。へへへ。

心何処ーショート 吾も、外の空気に誘われて。
              吾も、外の空気に誘われて(5/5/11)
 やっと、ゴールデン・ウィークのお天気さんである。昼飯前に散歩に出掛けて来る。多少の黄砂の影響で、薄いコントラストのアルプスの峰々である。少し歩いただけで、薄らと汗ばんで来る。
里の桜は葉桜の緑増す風情ではあるが、東山の山腹には、山桜の割り込みが、薄い緑の中に点在している。これで無くては、五月の散歩には為らないのである。

 S橋下の両側では、学生達のバーベキュー・コンパである。若草伸びる河川敷では、バトミントンなどに興じている。焼き肉の匂いにビールの匂いを嗅いで、遣り為され、遣り為されの脇歩きである。正規コースの半ばまで来ると、背中にまで汗が回って来ている。

 早い所では、田に水が張られて居るのであろう。水田を通った濁り水で、川は笹濁りの流れである。好い天気であるから、家に居ても勿体無い。昼飯後は、釣り糸でも垂れて見ようか・・・ 

 口実を付けて、あっさりUターンである。河川敷に下りて、家の近くまで来ると、雀達の騒々しい鳴き声である。立ち止まって辺りを見ると、ズルズルと中位のアオダイショーが、サツキの植栽から姿を現わして、川原の枯れ葦の中に入って行く。

 アジャジャ、嫌な物を見て終った物である。残り物で軽い昼食を取ってから、釣りの用意をする。餌が無いから、毛バリである。釣ろうと云う魂胆は、端から無い処である。
 私としては釣りに託けて、枯れ葦を折って川原の空気に身を置くのが、主たる目的である。幾つかのポイントでテンカラ竿を振って居れば、竿振りに邪魔な葦のへし折りも出来る。

 遣ろうと思えば、何時でも出来るご近所釣りなのである。釣りをする者など、この辺りでは、私一人なのであるから、ロートルは、ボチボチがマイペースなのである。

 二番目のポイントで竿を振って居ると、ガサリの物音である。ウォ~ッ、こりゃ又、ドデカイ青大将様である。何年物かは知らないが、此処まで大きく為ると『川原の主』の様にも見えて来る。

 オイオイ、そんな気持ちの悪い目付きをしなさんな。はいはい、地球は人間だけの物じゃゴザンせん。殺しはしませぬから、何処ぞへと御隠れ為さいませ。見苦しき日光浴は、お控え為さりませ。ほれ、ホレ、如何じゃい。それそれ、こうか~。退場!!

 1m半は有ろうかと思われる大アオダイショウは、頭部の三倍は有ろうかと思われる太い胴体を、気味悪くニョロリとくねらせ居る。目付きが大人しいから、メスだろうか。

 去年、何度か蛇ウォッチャさんが、吾がブログに足跡を残されて行った。彼のブログで知った事ではあるが、湿度の高い無風日には、蛇族との遭遇率が高いとの事であった。本日は、何と無くそんなムードなのであるから、或る程度の覚悟はして居る。
 
 加えて、本日覗きに行った『The Door into Summer』さんのブログ動画には、蛙を呑み込もうとしている蛇と絶体絶命の蛙の5分間模様が映って居た。人間のチョッカイに池に入って終った蛇と蛙の大どんでん返しが、出色の動画であった。生物界とは異な物、奇な物のが、その実態と云うべきかも知れない。

 そんな刷り込みがあるから、私には蛇に些かの同情心と見下しの気持ちがあったのである。何時もなら恐怖心の逆行動で、『処分も辞さない手荒さ』に出て終うのであるが、本日は、竿先で青大将の喉元への軽い刺激の連続で、姿を隠して貰った次第なのである。

       へへへ、人間とは可笑しな動物に違い無いのかも知れない。

 蛇に関しては、恐怖感一杯の硬直の一手だったのではあるが、・・・殆ど<呑み込み完了>の段階にまで達していた蛙の天敵・蛇であっても、上手の手から漏れる『大失態』も存在するのである。

 こんな映像を見て終うと、私の様なドジ人間は、『鬼門中の鬼門の蛇』であっても、何か蛇の弱みを垣間見た感じで、些かの優越感為る物を入手した気分で、余裕が生まれて来る物なのである。
 毒蛇のマムシ、コブラ、大蛇のニシキヘビ、アナコンダなら、いざ知らず、アオダイショウ如きで、人間様がオタオタしているのは、全く以って、恥ずかしき対応であった。

 流れ横の大石に腰を下ろして、釣れぬヤマメを度外視して、ノンビリと五月の空気を吸って来た処である。


心何処ーショート 昨日分補筆
                    昨日分補筆

 昨日の最後の改行部分に、以下の文章を挿入させて読んで頂くと、宜しいかと存じまする。 
 

 BC1C~AC3Cの<パックス・ロマーナ>13C~15Cの<タタール(モンゴル)の軛(くびき)>は、受験勉強で覚えて居たが、
7C~13Cの『パックス・イスラミカ』なんて言葉は、始めて知った処である。

 先日、9・11の同時多発テロの首謀者のアルカイダのオサマ・ビンラビンが、回教徒国パキスタンの潜伏先で殺害されて、その遺骸は『水葬』に付されたとのニュースであった。キリスト教徒とイスラム教徒の死者の葬り方も違う処でもある。

 日本人の多くが、『ローマの平和』に準えて、アングロサクソンの超大国米国に対して、『パックス・アメリカーナ』を良く口にする処ではあるが、イスラム圏からすると、スペイン・ポルトガルのイベリア半島を800年も支配し続け、7回の十字軍も撃退した誇りある『イスラムの平和』を6Cも維持して来た歴史を持っているのである。

 日本は、世界一の血筋を誇る天皇を有するヤオヨロズの国である。何処の国で有ろうと、自国の歴史に誇りを持つべき教育が為されているのである。
 其々の民族、国家の歴史を認めないと、連綿と続く歴史観の中にある民族・国民の精神性を逆撫でしてしまうものであろう。利害の衝突、国益と云う名の利権行動だけで、国家が動くのは、相手民族・国家に対して感情的禍根を残すばかりである。

 国家指導者に求められる一側面として、世界史的な俯瞰する戒めの様な歴史観が必要なのでは無いだろうか。その中から、和して同ぜずの相互のアイデンティティを認め合う度量が理想的なのではあるが・・・

 兎角日本人からは、大中華思想を何かと振り翳して来る中共国が、『パックス・チャイナ』などと、あらぬ未来を造らないで欲しいと思う処である。


心何処ーショート 漫ろ徘徊でも、スっか。
              そぞろ徘徊でも、スっか。(5/4/11)
 全く以って、お天気さんの安定しないゴールデンウイークである。家の中で、安物の赤ワインをチビリチビリ遣りながら、歴史本の短時間読み返しを繰り返している処である。

 中国様からの風物詩・黄砂も、こう頻繁に到来して仕舞うと、何やら『中国の攻砂』の様に感じられて仕舞う物である。<坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し>とは、下衆心を良く言い現わしたものである。

   ニャロメ。清々しいアルプスのお姿が、全然見えぬでは御座らぬか~。

 米の調達に自転車を漕いでいると、連休の里帰りなのであろうか、川には子供達を連れた魚釣りファミリーの姿があったり、葉桜の下でのロートル連中のバーベキュー姿があったり、河川敷での学生達のバーベキュー・コンパの用意が見られたりする。

 例年だと、ゴールデンウイーク中は、初夏を思わせる好天気に恵まれて、開放感溢れる野外宴会が花盛りなのであるが、今年は低調、その物の風景である。河川敷のサツキ植栽のベルトの中に、赤い霧島ツツジの一角がある。その花々は、例年同様に赤いのではあるが、陽気が意地悪をしている様なのである。

 餅を切って、冷蔵庫の炊きアズキで、世間様とはズレた昼食を済ます。晩飯の米を研いで、晩飯までの何をする事も無い時間である。然りとて、本ばかり読んで居ては、『吾が人格』が変調してしまう。

 暇を弄んで、リースの昇降座椅子の座布団でも買って来ようかと声を掛けると、『無駄使いは、するな。』との仰せである。左様でありまするか。私の座布団を一つ進呈する。

 へへへ、予定が狂ってしまった。涼しい風が吹く外界ではあるが、散歩をして来るしか有るまい。

 さてさて、読書で仕入れたばかりの『食糧生産革命』『道具革命』『都市革命』『価格革命』『産業革命』『情報革命』なんかの言葉を反芻しながら、農耕民、放牧民、狩猟採集民、海の交易民、草原の交易民、砂漠の交易民との文化・文明の興亡史なんぞをお浚いしながら、漫ろ徘徊でもして来るしかあるまい。

 学者先生とは、いろんな革命表現をお使いに為るものである。イデオロギーの宗教革命だとか、共産党革命なんて物が、大きく出て来ない処が、この本の好さである。
 尤も、普段の不勉強が祟って、私なんぞは六個の革命中、耳慣れた物は産業革命と情報革命の二個しか知らないのであるから、三分の一にしか過ぎない。

         へへへ、これでは完全な赤点組で留年域である。

 見栄を張る前に、出来の悪さの前に、トンズラは余りに格好が悪過ぎる。好い歳をカッパらって居るのであるからして、何か一つ位は、他人様に騙されない位の<歴史観の芯>見たいな物を持って居ないと恥ずかしいと思って居る次第なのである。

 まぁ、柄の悪いそぞろ徘徊には違いあるまいが、時には脳味噌の道連れは必要な時もあるのである。さてと、犬も歩けば棒に当たるとの例えである。好色ロートルも歩けば、何ぞの目の保養対象と遭遇しないとも限らないのである。


心何処ーショート ご近所<男族・百薬の長>タイム
           ご近所<男族・百薬の長>タイム(5/3/11)
 風呂に入ろうと、洗濯物を持って廊下を往復していると、斜向かい吟さんのお声が掛る。脱ぎ掛けたTシャツの上にシャツを羽織って、どうぞどうぞの自室招きである。おやおや、意に反して、ハイペースの読書テンポである。

「いやいや、お兄ちゃん。バッタバッタと世相を斬り捲ってるじゃ無いの。こりぁ、名刀なんて生易しいもんじゃ無いね。骨の髄までブッタ斬るんだから、青龍刀か、蛮族のマサカリ見てぇな頑丈さだわね。恐れ入っちまうわね。そのエネルギーの源泉は、何処から湧き出るだいな。久し振りに読んだから、すっかり堪能しちまったわね。ヒヒヒ。」

「何だいね。そりゃ、男の源泉は、全てこのキンタマから聳え立つ男刀からズライ。風呂前で、女日照りの夜泣きで、少々汚れて居るけど、出して見せるかいね。」

「冗談じゃねぇや。そんな蛮族の一物、毒松茸なんか見せ付けられたら、下剤飲んだって、猛毒は下らんぜや。夜な夜な、魘されて衰弱死りは、★橋の欄干からトラロープ垂らして、首括るしか無えよ。幾ら力んだって、ケツの穴が縮こまって、屁も出ねぇやね。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇやね。『闇の月夜茸、真昼の毒茸喰らうも、好き好き』って真理を知らねぇね。上品さ・気迫・切れ味から程遠過ぎるから、武器と芸術品を兼ね備えた<日本刀>じゃ無ぇって事かいね。ショッパナから、言ってくれるじゃないの。

 まぁ、俺ぁヨーロッパ・バイソンの角兜被った蛮族・バイキングの族長かいね。いやいや、巧い事言うじゃんかい。
 金髪美形に美人さんは、森林の民・ケルトに北欧のスラブ民族だぜね。剃刀の切れ味を持った日本刀の『芸術的な反り返り』を無暗矢鱈に振り回しちゃうと、快感どころか、ドバ~ンと二穴が繋がっちゃうぜね。其処まで行きぁ、大型帆船か、偽刀のバイブレーターが必要だわね。あい?」

「そう来たかい、二穴の大洋に大型帆船と偽刀のバイブたぁ、凄ぇ発想力だいな。そのスキンヘッドをカチ割って、中身を覗いて見たいもんだわ。大脳・小脳の真ん中に、第三の脳味噌の助平脳が入ってるんじゃねぇか。『放射能の突然変異』って言ったって、原発前だろうが・・・ まぁ~ず、おったまげちまうぜや。

 まぁ、それは置いといて、何て云ったって、アナザーホールがフィニッシュの民族だいな。乳製品と肉の<性典>と菜っ葉と魚の<秘め事>とは、端からスケールとスタミナが違うぜや~。冥土の土産で、『物は試し撃ち』って言葉も有るけど、助平心で棺桶にぁ未だ入れねぇわね。

 男刀も、それなりの文化圏毎に分化進展してるぜな。あい。ケッケッケのケツの穴~ってなもんさや。俺ぁ、大人しくテープ観賞で満足。そうか、久し振りに借りて行くわいね。ヒヒヒ。」

「行けねぇや。御無沙汰の端から、こんな話しをしてると、ムクムクして来ちまうわね。<弱気は、損気の元>って話だって言うんね。魔法の長芋ローションが有るズラよ。
 イッヒッヒ。チョイと待ってておくれや、続きを印刷に掛けるぜ。絵でも見てましょや。」

 吟さんは、絵が好きな人である。吟さんに言わせると、私の絵は若いのだそうだ。それで常々、奥さんに言って居る事があるそうである。

「カアちゃんや、一々60代なんだからと言ってると、その時点で老け込むだけだ。実年齢から20を引けば40代なんだから、自分の40代を振り返って、あんな時も有った、そんな時も有った。こんな時も有った。・・・と思って暮らして居れば、老化がその分、遅く為るんじゃい。オタオタして居たって、歳は待っちゃ呉れねぇやな。何時かは、お迎えが来るんじゃい。

『開き直るのが人間の知恵。サバを読むのが女の習い性』なんだから、20位のサバ読みなんか、屁の河童ずら。サバ読んだって、爺、婆二人の日常だわさ。何処からも、文句は無ぇだろ。そう言ってるんだけどさ。
 見て見ろゃ、このお兄ちゃんの絵を見て、これが60代の絵だなんて、誰が思うだいな。ヒップにオッパイ、男根様が、自由自在に描いてあるわね。

 晴れて、社会の柵(しがらみ)から解放されて、風景画・静物画を描いてたって、想像力も妄想力も旺盛にぁ為らんわね。『芸術は爆発じぁ~。』だわね。お互いに20を差し引きぁ、四十八手裏表の現役50代と40代だわね。<父ちゃん、タマには一発遣るよ~。>位の事が、嘘でも良いから、何で言え無ぇんだよってなもんさね。ギャハハ~。」

「へへへ、そりゃそうだ。<60に20足して如何するんじゃい!!>だわね。60-20=40で行かなきゃねぇ~。高齢化社会のフロンティア精神は、こうで無くちゃ駄目だわね。俺ぁ、岡本太郎さん見たいな芸術家じゃないから、精々が『元気は常識の打破~。常識は、老いの衣。』位しか言えんわね。ヒヒヒ。」

「そうだだよな。西部開拓精神は、畑の開墾が基本の基本だわね。、開墾にぁ『腰使いの鍬技』が大事だぜよ。皆、同級生はドイツもコイツも、タイテのコラサで老け込んじゃってさ。
 たかが水物の常識に埋もれて居たら、それこさぁ~、死神に足元を浚われちまうぜよ。常識を幾らほざいて居たって、長生きは出来んずら。性根がトボってるから、個性と覇気が失せちゃうんだわね。この四畳半に引っ張って来て、埃落しして呉れっかな。あい。」

「何か聞いてると、此処は『非常識・異常の小部屋』かいね。馬鹿こいちゃ行けねぇんね。此処は教養と常識の小部屋にして、書物・世相の行間を読むヘンテリ部屋だんね。
 変態妄想小部屋に豹変するのは、ミッドナイトからだんね。言うに事欠いて、俳優並みの好い男をショ捕まえて、何て事を言ってくれるだいね。

『死神友の会』見てぇな節穴連中の入室は、厳禁だぜや。あい!!インテリと変態は、繋ぎ難いから、俺ぁ見栄も外聞もかなぐり捨てて、世の為、人の為に『ヘンテリ』遣ってるだけだいね。見方に依りゃ、立派な社会貢献だいね。ギャハハ~。」

「ああ云えば、こう切り返す。こう云えば、そう切り返す。全く、親の顔を見てぇは、世の習いだけどさ。確りしてるお婆ちゃんだから、如何し様も無ぇしさ。
 でもさぁ~、こんな面白い話は、此処で無くちゃ聞けないしさ。まだ好いかい。時間の方は。」

「あいあい、久し振りのブログ主役の斜向かい色白吟さんの登場だぜせ。女族家族に取り囲まれちゃ、男族は多勢に無勢だぜね。ゆっくり話して行きましょや。
 お帰りの土産は、カルチャーショックのアナザーホールのオンパレード観賞仕入れをして行きぁ好いズラ。遠慮は要らねぇよ。」

 斜向かい吟さんは、頗る体調が良いらしい。人間とは一定の年齢に達すると、体調の好不調が、身体・顔にモロに出て来てしまう物である。私は女族では無いから、女族の百薬の長が、何たるかも知らない。
 然しながら、男族の・・・少なくとも私の個人的な『百薬の長』は、こんな風にお互いが馬鹿・戯けを曝け出して、助平話を交換し合える空気と云った物である。

 いやはや、森の石松、馬鹿は死んでも治らない。ご近所好色ロートル、助平は死んでも治らないの一席でありまする。はい、風呂前の穢れオヤジの顰蹙の大行進の図で御座りまする。

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