旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 勉学の徒に囲まれて・・・
              勉学の徒に囲まれて・・・(4/30/11)
 あれあれ、お天気さんは持つとの事であった筈ではあるが・・・ 灰色雲に強風の様である。本日土曜日のロートル・コーヒータイムである。

 コーヒースタバ横のホームセンターは改装為って、同業種のオープン日である。交通誘導員が何人も立って、賑わいを呈している。二階席からも声が聞こえて来ているから、スタバさんも繁盛らしい。何時もの奥の定位置は、先客だらけである。仕方が無いから入口に近い席に座る。人間とは可笑しなもので、場所が変わると何んとも落ち着かない気分である。

 熱いコーヒーを啜りながら、先ずは目の保養対象を探す。いやはや、参りました。

 女子学生達の勉強姿に圧倒されるばかりである。隣の眼鏡を掛けた女子学生さんは、本を三冊も拡げて赤ペン引きに余念が無い。覗き込めば刑法のお勉強である。お隣の外国人常連男コンビは、資料の英語ペーパーで英語の書き込みである。これでは、余りにも敷居が高くて覗き見する訳にも行かぬ。

 ヤクザもどきのロートル・コンビは、定位置周辺の場所開きを待って、アイドリングの小声・真面目話を続けるより他ない『状況』である。

 Tはお江戸時代の歴史裏話を趣味として、ニヤニヤ読んでいるとの事である。人間なんて一皮剥けば、出て来るわ、出て来るわの<艶話、ゴタ話>に満ちているから、それが面白いとの事である。
 はいはい、全く仰せの通りでありまする。人間、余所行きの顔、言葉だけを交えて居ても、一切、面白可笑しくは無いのである。歴史と云えども、裸のお付き合いをしてこそ、初めての面白さなのである。

 水心あれば魚心あり。♂♀のポッコリの膨らみに、嫌よ嫌よも好きの内。突けば、応える潤滑の泉もあればこそ・・・この世は、ムッツリ助平に、オープン助平。
 古代の世界の海・地中海に咲くは、シーザー、クレオパトラの権謀術策の倣いにして、男子禁制のお江戸の大奥も、コケシの行商の栄もありなむぞ。・・・ってな物である。ギャハハ!!

「そうなんだよな。世界史と云っても底に流れて居るのは、『白人史観』で書かれている物を、翻訳して学問として教えて居るのが、<日本の教科書>なんだけどさ。それに気付かないで敗戦国の日本人は、勝手に『自虐史観』を遣ってるんだから、丸で勉強する態度が『赤点組』なんだろうね。言って見りゃ、最初からボタンの掛け違いなんだわね。
 
 好い例を取るとさ。西洋の代表者としてマケドニアのアレキサンダー大王の連戦連勝の破竹の進撃の様が、<ヘレニズム文化>なんて刷り込みをされて居るんだけどさ。お前さん達、馬鹿も好い加減にしろっちゃ!!って具合だわさ。

 その当時、世界最大のイラン人の帝国・アケメネス朝を破ったんだから、新支配者の戦略品として支配地を巡察して回るのが、『新支配者の常識行動』だろうが。各地にアレキサンドリアの都市を構築して行ったなんて『大功績』を讃えて居るんだけどさ。古代最大にして先進文明の地のペルシャ人にして見りゃ、<何を生意気に、マケドニアの山猿が、馬鹿こいちゃ行けませんわね。>ってもんで、笑止千万が本音なんだろうね。

 ペルシャ王の娘と結婚して、その当時に絶対無比のペルシャ帝国を相続した様な物だろ。<権威の継承>を結婚で現わして、<新支配者の威光>を示す為のアレキサンドリアの都市構築は、タイムマシーンに乗って実地検証して行けば、きっと都市の名称変更的な意味合いだったんじゃないのかい。

 西洋、白人史観からすれば、『天才児アレクサンダー大王の遠征』と為るんだろうけど、史上初の大栄華を誇ったアケメネス朝ペルシャ帝国にしたら、とんでもない<西洋白人共の歴史の改ざん>でしょうが。その実態は、『戦勝国大王の占領地巡察の旅』見たいな物だろうさ。

 敗戦国日本と勝利・占領国の『マッカーサー元帥』見たいな関係が、その実態じゃ無かったのかね。これが、古今東西の人間の行いだから、征服と被征服を繰り返して来た歴史を持っている国々は、過去の栄光と悲劇を誇張し過ぎるんだろうから、ダイレクトに雑音を聞いちゃうと、現在の中国、朝鮮、韓国のザマなんですわ。

 このザマを応用して見るのが、人間のお勉強じゃないのかね。アラブ、中東のキリスト圏対イスラム圏の紛争だって、イスラム圏からして見たら、真逆の歴史観同士の戦い・紛争なんだろうよ。靖国、歴史教科書、領土問題に、周辺国からヤイのヤイのと、袋叩きに遭ってる敗戦国日本だけどさ。少しは、イスラム圏を見習う位の『日本人のキンタマ』が欲しいもんでしょうが。

 歴史は一点集中主義だと、その時代の政治に利用されるだけだからね。ギャハハ~。」

「Rは、勿体無いわな。好いセンスを持ってるよ。如何だ、時間があるんだから、真面目に歴史随想を書いて本にして見ろよ。面白い読み物に為るぜや。」

「何を扱いて、そんな事したら、助平な夢も見れ無く為っちゃうじゃないの。好色戯けに、そんなアカデミックな事は、似合わんぜや。それにさ、変な助平心を抱いて、この二日ばかり長い文章打ったら、その途端、訪問者数が激減しちまったわね。アッハッハ~だわね。」

「そりぁ、R、しぁー無いわね。俺だって、『あの馬鹿、長きゃ好いって物じゃねえぞ。』・・・なんだからな。俺ぁ、この歳に為ってまで、勉強はしたくは無いぜよ。
 俺は、お前の文章の読み方を承知しているから、飛ばし読みの極意で、面白い所だけ精読して愉しんでるんだぜや。ヒヒヒ。」

「巧い事こいて、この根性無しが~。仕入れは何日間、咀嚼・反芻するも何日間。打つは何時間、読むは10数分だぜや。ベストフレンドのTにも長駄文へのツレナサじゃ、『徒労の極み』ずらよ。
 俺だって馬鹿じゃねぇぜや。煽てられて、自己出版の騙しのテクニックで、借金苦で<インポテンツ死>にぁ為れんぞや。阿保臭。ブログ樹海の偏狭地で小さく毒付くのが、下衆貧民の立ち位置だわさ。脳ある豚は、臍を隠すんじゃい。」

 さてさて、漸くの席替えである。柄の悪いヤクザもどきのコンビには、定位置がお誂(あつら)え向きである。此処なら、気兼ね無く好物の助平話を交える事が出来る。

 以下、メーントークではありまするが、千年に一度の大震災にして、内容削除の自粛でありまする。

 それにしても、本日のコーヒースタバは、皆、勉学の徒である。余り一方的に読んでばかり居為さると、碌な思考の持ち主には為りませぬぞえ。コーヒータイムは、思考よりも嗜好でありますぞえ。

 強風の外ベンチで一服後は、新装ホームセンターを覗いて帰る。ホームセンターでも、会社が違えば、レイアウトも違って来る。さてさて、如何なる結果と為るのであろうか。利用者としては、この距離に在って欲しいホームセンターである。存分に、長生きをして欲しい物である。

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心何処ーショート これって、連休の手土産???
             これって、連休の手土産???(4/29/11)
 玄関の鳥達は、抱卵を始めている。トヤに掛って居るから毎朝羽毛の散らかりである。鳥籠を動かしてバタバタさせるのも可哀想であるから、小鳥達を無視している次第である。
 
 流金の白の混ざる奴が、時々おかしく為って腹を浮かせてヨタヨタしている。前はメダカ槽に入れて置くと、落ち着いたのであるが、今では形がすっかり大きく為って、メダカを食べてしまう。
 そんな事もあって、駄目元で其の儘に放置している。私は冷たい男であるから、死んでいると思って朝を迎えるのであるが、ドッコイ、しぶとくも生きて居るのである。そんな事が、年に何回かあると『持病』と見て仕舞いつつある。

 朝日の当たる水槽では、金魚達の<優雅な舞>ではあるが、彼等は大きく為り過ぎた。餌を遣せとばかりに、私を見て居るのであるが、安易に春夏秋の活発期に迎合してしまえば、困るのは彼等と私である。腹の膨らみ具合を見て、セーブ、セーブが肝要である。

 ヒメダカの腹には、何度目かの卵が付いている。孵化して呉れると楽しいのであるが、如何為る事やら・・・

 通りに斜向かい吟さんが通り抜けて行く。昨日散歩の帰りに、植栽の手入れをしている吟さんと出っ喰わしたので、立ち話をした次第である。何と、私の文作は未だ飽きて居ないと言われるから、一か月分を手渡した処である。

 畑仕事も始動開始との事、静と動のサイクルである。晴耕雨読の教養には程遠い活字羅列ではあるが、まぁ、活字も結構な分量であるから、当分の時間潰しには為る事であろう。

 本読みも一応赤線引きも終わったから、気楽に為った。後は、赤線部分に目を通して行くだけで、反復読みが叶う。無理をしない事が、ロートルの学習と云う物である。朝が少々早かったから、些か眠く為って来た。布団の中に移ると、ホー、ホケキョである。

 ラジオを聞いて居ると、国会中継が始まると言う。おやおや、『平成の黄門様を自負』する渡邊恒三先生の登場である。早大雄弁部の出身であるから、話術は大変な物である。見せ場を作る事に長けた御性格であるから、若い頃の田中派★奉行と言われた当時から、臭過ぎる弁法が祟って、虫の好かない御仁の一人である。

 然しながら、浪花節を随所に散りばめた手練手管の演説は、大した物である。菅無理内閣の若い面々の表情は、面白いほどに軟な物に見えて終うのであるから、下心見え見えの『民主党失笑の域』である。此処まで来れば、押しも押されぬ芸域であるから、拍手でありまする。

 この頃の国会中継で、小首を傾げる事がある。海江田さんの答弁である。海江田さんも、テレビマスコミの経済解説者と云う事で政界に移行した御仁である。大柄でヌーボーとしたカメラ映りと遜(へりくだ)った丁寧な物言いは、真面目な印象を与えて『好感度』を以って支持されているらしい。

 然しながら、東電の原発絡みで答弁の矢面に立たされる事で、氏の虚像と実像の乖離が見えて来て仕舞って居る。質問と答弁のピント外れが、目立ち過ぎる。場内の野次も氏の耳をダイレクトに直撃するらしく、胸の血流を逆流させている節が窺がえる。大柄な体躯と柔和で丁寧な物言いの外観と違って、氏は短腹な気性を隠して居る感じがして来る。

※これは、面白い事ではあるが、テレビよりもラジオの方が、外野席の野次を拾って居る感じなのである。

 原発現場での東京都からの出動消防隊員に、『言う事を聞かないと処分する!!』との暴言を吐いたと吐かないとかの、<怒りと顰蹙を買った>経緯を持つ担当大臣さんである。

 こんな刷り込みを持って仕舞うと、海江田さんには申し訳ないが、平衡感覚すら無くしたヨロヨロ菅無理さんを一生懸命に支えている感じなのではあるが、・・・ 海江田さんは菅さんよりも、もっと平衡感覚の乏しい性格の様子である。
 流石に見兼ねて、枝野長官が、その都度、『弁護士的フォロー』に出て来ているのであるから、海江田氏の実力とは如何程のレベルなのか???、と素朴な疑問を持って仕舞う次第である。人の話を聞けるのは、或る意味、<読解力の作用>である。

 ピントが狂って居れば、書物への読解力も、個性的に為って来ても無理からぬ処であろうか・・・個性派読解力の故を以っての両氏の盟友関係だと、悲劇を蒙るのが国民の図式であっては、堪った物では無い!!

 一般庶民が、有名人の能力も人柄も窺い知る事は出来ないのである。精々がテレビマスコミのキャスターだとか政治評論家諸氏のコメントで、『耳教育』をされて居ると云うのが、その実態にしか過ぎない処である。

 目下の国民的集中度は、原発事故問題である。何しろ、長丁場の原子力事故問題の解説であるからして、『日本の原子力村なる実態』が白日の場に晒されて来た昨今である。その実態、真相に、<怒り心頭の人>も居られるし、為るほど為るほど・・・然もありなむの<諦観を深める人>も居られ様。

 でも、日本の原子力村が存在すると同様に、『日本のマスコミ村』為る物も、厳として存在しているのである。民主党も、菅さんも、海江田さんも、その実力以上の虚像をマスコミから<授与>されて、現在の地位に据わって居るのである。

 国も組織も政党も政治家も、『批判』に晒されなければ、自分の姿は自覚されないし、自らの考えを修正する事も叶わないのである。どんな分野の何事にも、正しい方向に誘導する『目利き役』が必要なのである。

 社会が『目利き役』を失って終っては、取り返しの着かない社会・文明の衰退である。

 日本人の悪い癖が、<今は皆が一致協力して事に当たるのが先決。不平不満は後回し。協力が全ての道。>などと云う心情が強過ぎるのである。震災後一ヶ月半を経過して、漸く、隔日置きの国会議論が、放送されて来た。

               何たる体たらくの御時世か!!

 経営用語では、プラン→ドゥ→チェク→プランドゥ→チェックの『サイクルの持続性』が組織体の警鐘として鳴らされている処である。
 こんな事は管理の初歩で社会人に為れば、誰でも企業・上司のお小言として、耳にタコが出来るほど頂戴している。これは、組織の日常管理の一つなのである。

『六月までに仮設住宅★棟を計画して居ります。現在の完成数は把握して居りません。』素晴らしい答弁である。厚顔無恥の典型である。日本の民度も、落ちに落ちた物である。

 然しながら、国民が政治から無しのツブテを喰らうよりはマシである。久し振りに放送に乗る国会中継では、暗算でも口にする事が出来る口撃が展開されているのである。国会の議論を以って、国政を正すのが国会議員の役目である。
 ゴールデンウィークの初日を選んでの国会論争とは、空いた口が塞がらない。此処にも『日本の国会村の存在』が漠として拡がって居ると云うより他あるまい。

 国会議員の先生方は敗戦後初めての千年に一度の未曾有の国難との『枕言葉』を多用するだけで、アイディアの細切れ発射の段である。本来ならば、黙して待ちに待った政党政治である。
 政党政治・政権交代可能な二大政党制と自負するのなら、『国難克服の青写真』を提示して貰いたい物である。

 私は、臍曲がりの口先人間である。連休中に選挙区に帰って、『国会中継見てくれましたか、郷土の代表として政府に、斯く斯く云々で被災者の声を届けて参りました。ご不自由な事は、ドンドン言って下さい。政治の力で、国の復興を成し遂げましょう。』・・・こんな事を<手土産>に帰る先生方だろうか。

 もし、そんな事だったら、議員バッジとは気楽な商売に映り兼ねない職業と言わざるを得ないですね。

 国会議員先生諸氏に言いたいのは、P→D→C→P→D→Cの日夜の状況判断と状況変化に伴う計画の改良、指し替え作業なのである。計画の不具合をチェックするのが、国民の選良と云われる国会議員先生達の見識と云う物であろう。

 国会議員の仕事場は、国会なのである。政府が裸の王様為らば、出来損ないを正して、施政の服を着させるのが議員の職務である。選良達が立派に職務をこなして居る姿を見て、国民が納得するのである。

 出来上がった政府案は、時間と共に硬直する。ついている最中の餅、出来たての餅為らば、カボチャ、豆、ヨモギ、海苔、餡子も、餅の中に入れる事が出来るのである。先生方、幾ら何でも、お仕事が遅過ぎませんかね。へへへ。 


心何処ーショート お勉強、中間レポート。
               お勉強、中間レポート。(4/28/11)
 朝飯前に、支払いと煙草買いに行って来ると、言い残して朝散歩に行く。昨日の個人スーパーでの買い物時には、生憎グレードを落した煙草が無かった。元の煙草に復帰すれば良いのであるが、『その手は桑名の焼き蛤→意地でも抵抗するぞや!!』・・・そこが下衆貧民の居固辞さなのである。

 いやはや、無い物は、何処へ行っても無いのである。まぁ、これは予定内の諦めでもあるから、最後の一箱を貴重品として吸い、後は、キツイ刻み煙草のパイプ吸いで節煙するしかあるまい。

 朝散歩の本当の目的は、只今の処の歴史本内容の反芻散歩なのである。人類も個人も、諸要件の中に在っては、然程変わった思考、行動を取る物では無い。国家だろうと個人だろうと、『突き進む方向は、大して変わらない。』と云った処が正直な感想である。

 或る時期、堺屋太一先生が、信長→秀吉→家康の時代を捉えて、経済官僚出身者らしく経済・経営者的観点から解説されて、拍手を持って厚遇されて居た事を思い出す。
 
 国内統一を果たした成長企業の豊臣産業は、パイ獲得を目論んで大陸目指してニューフロンティア政策を敢行して大きく躓き、豊臣産業を衰退の道へと加速して仕舞った。その跡目を注いだ徳川産業は鎖国と云う保護貿易の循環型封建体制を確立した。←そんな切り口だった様に記憶している。

 足利幕府が権威を失墜させて、群雄割拠の戦国時代の100年の終わりに、彗星の如く登場したのが、御存知、天才と崇められている信長様である。日本の信長ファンに依ると、彼はナポレオンすら凌駕する『近代的才の存在』との事である。←これだから、私は学童時代から、日本史ファンが好きには為れないのである。

 下剋上の世界から立ち上がって、天下取りを目前とした男が、幕僚の武将に寝首を掻かれるなど云った大失態を仕出かして、天才も屁ったくれもあるまい。歴史のIF的な格好の英雄虚像の典型にしか過ぎまい。両者に共通する物は、後世の期待を途中で潰えさせた事だろうか・・・ 片や、寝首を掻かれ、片や、セントヘレナでの幽囚の末の孤独死である。

 こんな事は、世界史、日本史の絵巻を紐解けば、随所に見られる行動の必然性と云った物なのである。比較的に新しくて、身近な国の例を上げれば、これは正しくアメリカ合衆国の姿と驚くほど合致していると云って好かろう。

★信長・秀吉の安土桃山時代、関ヶ原の戦いが1600年、江戸開幕が1603年。メイフラワー号のアメリカ入植が1620年である。

 ヨーロッパの※7年戦争に連動して勃発した『フレンチ・インディアン戦争』後の1763年の北米の勢力図は、フランス領が駆逐されて、スペイン領とイギリス領で二分された。
※1756~63年プロイセン対オーストリアの戦争。途中からプロイセン+イギリス対オーストリア+フランス、スペイン、ロシアに発展。海外植民地での仏対英の戦いで、仏が敗戦して、七年戦争は、オーストリアが勝利した。

 謂わば新大陸発見の旧勢力と新勢力の色分けであった。←この戦争は、北米での米独立戦争・南北戦争に匹敵する。
 英仏は、北米・インドも含めて1689~1815までの126年間も対立し続けているのであるから、イングリット・バーグマンが演じたジャンヌ・ダルクで有名な英国王が、仏国王を要求して戦った百年戦争に因んで、『第二次百年戦争』と呼ぶ英歴史家も居るとの事である。←第一次百年戦争では、英国の敗北、第二次では、英国の勝利。

 その13年後の1776年が13植民地の独立宣言である。英国に製鉄を禁じられて居た植民地アメリカは、武器弾薬不足で『米仏同盟』を結ぶ。他のヨーロッパ諸国は、『武装中立同盟』を結んで対米貿易を継続して、<英国の覇権>を揺るがそうとした。

★産業革命が始まったのが1760年以降である。大航海時代の大規模貿易と商品市場の成長から生まれた。

 ヨークタウンの戦いで、英軍は米仏軍に敗れ去った。それを受けて1783年アメリカが独立国と為ったのである。フランス革命中に、中立を守った効に依り、1803年にナポレオンから、広大なルイジアナを1500万ドルで購入した後は、御存知の大西部開拓時代に突入するのである。←英国の敗北。アメリカは、この時期、英仏の代理戦争の時代か?

 1846~48の「米・メキシコ戦争」で米国は、カリフォルニア、ニューメキシコを獲得して、1846-1783=63で、高々63年の間に、北米を大西洋から太平洋へと突き進んで仕舞ったのである。←産業革命の拡がりで30年代から始まり、南北戦争後に本格化。

 南北戦争は1861~65年である。勝因は北軍の海軍力で海上封鎖して、南軍を圧倒したのである。西部開発での驚異的経済成長は、1890年に終わる。

★南北戦争の頃が、日本では丁度幕末期で、坂本龍馬さん達が、右往左往していた時代ですよ。映画では、ケビン・コスナーのダンス・ウイズウルブスの中のシーンで、草原で野糞を垂れている騎兵隊員が、聖書で尻を拭いて居る場面が印象的でしたね。ギャハハ!!

 大陸内部での成長を終えた米国は、大西洋と太平洋の中間地と云う戦略的位置を活かして、英国を手本に『海洋帝国への変身』を図るのである。
 此処で再度邪魔と為るのが、カリブ海のスペインであった。斯くして1898年に「米西戦争」を仕掛けたのである。←4カ月の戦争で、カリブ海域、グアム、マニラ、ハワイを併合して、目指すは、アジアへの進出であった。

★成長企業社長の秀吉の大陸制覇の失敗と米国の成功。資源欠乏海洋国の日本と資源豊富海洋国米国は、太平洋の覇権を争って、第二次世界大戦を戦って、大大東亜共栄圏の大日本帝国は、敗退したのである。

 古の昔には、世界の海=黒海・地中海の覇権を争って、ギリシャ、フェニキア、ローマが争い、イスラム教とキリスト教が争った。イスラムの世界では、紅海、ペルシャ湾からアラビア海、インド洋、シナ海を渡って、東西の交易が栄えて居た。
 ラクダでキャラバンを組めば、砂漠のシルクロード、海に乗り出せば海のシルクロード、草原に馬を駆ければ草原のシルクロードがユーラシア大陸を繋いで居たのである。

 私は、教師でも歴史家でも無いから、うだ話はこの位に致しまして、面白いでしょ。この悠久の歴史の流れを、ギュ~と凝縮したのが実質「フレンチ・インディアン戦争」から始まる高々250年のアメリカ史なのである。

 人工国・移民国米国の誕生とその凄まじいばかりの好戦的成長とヨーロッパの縮図とも云える『昨日の敵は、今日の友』『江戸の敵は、長崎で』を地で行く様な本国、植民地争い、骨肉の争いの<権謀術策の国是>←人権擁護、国益などと綺麗事を使用している実態の何とおぞましき事か。

 こんな面白い世界を、ただ単に、専門家、一部だけの抜粋知識で、自論の傍証として居る御仁達のご講演話として一方的に拝聴して仕舞っては、高学歴社会の『日本の名折れ』ではありますまいか。

 歴史を通読すれば、的外れな『自虐史観』など、生まれ様筈が無いのである。歴史の一点だけを取って強調すれば、其処には余りにご都合主義的に成り下がる『デフォルメ』が書き加えられるまでの事である。
 デフォルメが掛れば、『奇妙奇天烈な形と色の出しゃばり』が昂じて、他国様に反省と歴史改造の罵詈雑言を頂戴してしまう。オタオタしてばかりして居ると、その異常さに気付かない『国内のヒステリックな輩を増殖して行く』ばかりの様であろう。

★暗記不要の一通り読んで見る作業の『通読の効用』こそが、何よりも肝要な態度なのでは無いだろうか。
 EUの仏独のドッキングと英の駄々っ子振り、米英の親密振りに仏・独の米との距離置きだけを見ても、歴史の遺伝子が何処となく匂って来るのは、強ち、私の『臍曲がり見』でも無いでしょうが・・・ケッケッケのケツの穴でヤンスよ。

 全く以って、慣れぬブログ打ちをして仕舞った物である。馬鹿が背伸びをすると、疲れるだけである。さてさて、雨を吸って、ニラも勢い良く伸びている処である。ニラの卵とじでもして、精力の挽回をして置きまするかいね。


心何処ーショート 久し振りのお絵描きタイム
               久し振りのお絵描きタイム(4/27/11)
 さてさて、本日は、トイレの手摺の取り付けである。手摺位置の高さ合わせに、母の御出馬を仰ぐが、孝行倅を小馬鹿にした様な不遜に近い嫌な顔と態度である。昨日の風呂の器具の取り付けに関しても、不機嫌そのものであった。

 そんな老母の顔と態度を見て居ると、『一体、誰の為を思って居る行為だと思って居るのか!!』と、全く阿保らしくなる。順番であるから他の兄弟にバトンタッチをして逃げたくなるのが、人情と云う物である。ニャロメ~~~。
 
 取り付けに来てくれている人への配慮を、少しは見せて欲しいと思う処ではあるが、私は奥ゆかしい常識人であるから、荒げた声も出す訳にも行かぬ。

  はいはい、ピエロに徹するが吾が仕事でありまする。そう考えるしかあるまい。

 否応無しで日々、老衰進む肉体なのであるから、『転ばぬ先の杖、痛いのは自分自身。誰も、変わってはくれない。』と素直に従えば良いだけの事なのに、それが出来ないのが嫌な性格としか言い様が無い。部外者の他人様の目からすると、これも老母の<倅への甘えの所作>なのかも知れぬが、『親子の間にも、礼儀あり』ですわな。

 嗚呼、吾輩も爺に為ると、こんな醜態を晒してしまう物なのか・・・困った物である。てへへ。

 取り付けに来てくれた★さん曰く、「悩み事の相談は聞けないが、困った事のお手伝いは出来る。」との仰せである。為るほど、巧い事を仰る物である。介護器具の仕事をしているのであるから、この位の『達観視』を持って業務に当たらなければ、仕事には為らないのである。
 取り付けが完了して、自室でそんなコーヒー談話をした処である。へへへ、ニヤニヤしながら、介護の実態風景を聞いて、うんうんと頷くしかない。並大抵の自己コントロールでは、介護商品の商売は出来ぬと見た。官業と民業の<この違い>は大きいのである。

 気温は高い物の、強風、風の唸りである。一頻り読書をして疲れたから、久し振りに悪戯画でも描く事にしようか・・・ 

 何時もの事ながら、何かを描きたいなどと云う高尚な意図など皆無のスカンポ脳である。落書き帳の一枚を割いて、シャープペンを握れば、何らかの形が浮かび上がる。一線を描けば、後は足し算引き算のシャープペンと消しゴムが、イメージを加工して呉れる物である。

 お役御免のロートル時間は、遊びの中に生れるのである。『絵出る処は、妄想のスカンポ脳』なのであるから、定番として先ずは顔を描くべし。目下の処、世界史のお勉強中なのであるから、世界史=地球儀である。

 よし、描いた。人類の発祥・移動を陸に描けば、今度は、当然の事ながら、人類の海への進出である。よし、入れた。

 未だ、上部1/3が余白である。地球を描けば、人間だけの地球では無い。単純動物から高等動物も、歴史進化の一ルートでもある。

 適当な物は、無いものか・・・水槽のタニシに倣って、雨の振りそうなお天気さんであるから、カタツムリでも乗せるとしようか。
 風吹き込む外を見遣れば、野良猫が通りをスタスタ歩いて行く。猫は好きではないから、犬にでも致しましょうかね。海の地球にして、生命の源と言われて居るのであるから、海の生物を挿入しなければ、辻褄が合わぬ結果と為る。

         然すれば、海の王者クジラを描き込むしかあるまい。

 よしよし、これで絵のバランスも収まって来たと云う物である。悪戯画で一番楽しいお時間が、色付けなのである。色鉛筆を選んでカッターナイフで削りながら、下手絵にメークアップを施して行く。

 相も変わらず、訳の分からない下手絵の誕生である。さてさて・・・好色・妄想ロートルが、精魂を込めてファンタジーの世界を表現するのであるから、ワンポイントの性臭を幾つか施さなければ、面白くもあるまい。ギャハハ。

 交易・貿易の主要品目として、奴隷商売は、古の時代からあったのである。黒人奴隷商売など、最後の最後の時代に登場して来るのである。兎角、陸続き国家とは、酷い事をして儲けて居たのである。

 訪問者各位に於かれましては、普段活字だけのオンパレード・ブログでもありますれば、性臭探しも面白いかも知れませんよ。イッヒッヒ~。

                     夢想読書

                  夢想読書


心何処ーショート 物は使い様。
                 物は使い様。(4/26/11)
 おやおや、風呂から出て来ると、国会中継である。本日も、寒い雨が降って居る。

 お笑い芸人番組、下手なドラマもよりも、国会中継の方が余程面白い。国の総力を挙げて、復興に邁進しなければ為らないのであるから、政府の実行部隊と国会のチェック、アイディア提供機能は、車の両輪である。

 我武者羅、猪突猛進の沙汰は、兎角、一人よがりの近視眼行為と為って仕舞うのが、権力者側の常である。余程の玉座へのしがみ付き・聞く耳持たぬの<偏屈変人>で無ければ、三人集まれば『文殊の知恵』である。真面目に愚直に取り組みさえすれば、平均点並みの合格点が与えられるのが、人の評価の常であろう。

 遣り掛けたお勉強タイムであるから、せっせと赤鉛筆である。如何やら、半分ほど来た。部屋に居ると暖房が必要であるから、本を持って国会中継を口実に、母の部屋のコタツ住人と為る。

 歴史の骨格とは、大国の興亡史である。大国の誕生・衰退には、地理上の隔絶と開放、民族と民族、農耕と放牧、陸と海、武器・技術・機動力、宗教と宗教、宗教と政治と云った其々の時代背景を持った要素、要因から、導き出される『経済と人間達の意志行動の証』なのであろう。
 
 時間があるから、これらの雄大な経済と人間行動の流れを年代と中心都市の遷移を一表として作り上げれば、歴史の鳥敢図にも為ろう。これさえ出来れば、自分自身の歴史観も少しは鮮明にも為る。
 教養・知識として一つ位は、自分自身の『虎の巻』を持って居ないと、私の様なお人好しは、似非学者、似非識者、似非文化人、似非批評家、似非小説、似非政治家連中に、いとも簡単に<似非教に籠落>されてしまうだけである。

 老母も可哀想なものである。私と暮らす様になって、すっかり品が擦れて仕舞った様子である。私は一方的電波方向を逆手にとって、有る事無い事の下衆貧民咆哮をし捲って居る様なのである。

「婆さん聞いたか、こいつ等、馬鹿か!! 馬鹿が偉ぶったって、底が割れてるわね。応用力ゼロだわね。エロオヤジの妄想力のモの字も無いってぇのは、金バッジを付けた重傷患者達だぜや。

 越境ゴミの規制があるのなら、被災地に機械を持ち込んで、ゴミを仕分けて、破砕機に掛けりゃウッドチップ『のバイオ燃料』だろうが、燃料移動なら法規制は働かんぞね。仕分け名人の白服女が、初めてナッパ服を着たんじゃろうが。被災地の先頭に立って、現場仕分けをすりゃ好いだけだわさ。

 被災者さん達のエコノミー症候群対策には、日払いの日当を払って、仕分け作業をして貰って雇用の確保に役立てるとか、全国の失業対策に、現地での復興雇用を創出するのも手だわね。瓦礫と化した車だって、ガソリンを抜いて、現地プレスをしてクズ鉄市場の中国に輸出すりゃ好いんだわさ。

 それに菅さんに能力を認められて、節電担当なんだから、停電回避の増電には燃料が必要なんでしょうが。客寄せパンダの目論みも、慎太郎さんの聳え立つ実像に恐れ戦いて、民主党さんは『不戦敗』だったんだから、どうせ、白服パンダの効用を最大限に活かす政治決断としては、瓦礫仕分けの現地版を徹底させる事が、最大の効率処理でしょうが。

 散々CO2削減策の時には、化石燃料削減の運送費削減で地産地消キャンペーンを張って居たのに、ナンジャラホイの矢印だ。逆も真為りで→の方向を、反対にするって発想が無いじゃないのサ。普段はさ、『発想の転換』なんて、ゴタ句を並べて居るのに、丸で言葉の咀嚼力が欠乏して居るわさ。阿保臭~。

 木材破砕機、プラスチック破砕機、コンクリート破砕機、アスファルト破砕機、鉄屑プレス・・・etc コンクリート・アスファルトの破砕物は、埋め立て、復旧工事の立派な骨材として二次利用出来るんじゃないの。エコ流行の時は、お江戸の循環型経済を吹聴して居たのにね。

  被災地に機械を設置するだけで、雇用と瓦礫撤去・二次利用が叶うのである。

 増してや、それを指揮するのが自由の女神為らぬ民主党が誇る『白服マドンナ様』なのである。現場仕分けの女王為らば、ナッパ服の襟を幾ら立てても、顰蹙など一切受けないのである。言いたかぁ無いが、お頭は生きてる内に使うもんだぜや。ギャハハ~。」

 こんな事を、平気で抜かして居るバカ倅との暮らしなのである。入浴で体力消耗の母は、ベットに潜り込んで、心臓の動悸が収まると、布団から白髪頭をチョコンと出して、国会中継相手に、下衆の咆哮をニコニコして聞いてるのであるから、『この戯けにして、この親ありの態』である。

 菅さん、齢94の下衆貧民老母にも身限られて仕舞ったのでありまするぞえ。現職総理の落選とあっては、歴代総理の顔さえも潰そうと云う物でありまする。祖国復興のその日まで、遣り抜くなどと云う『世迷い言』は、言われまするな。『辞世の句』までは言いますまい。責めて、<引退の句>など用意為されては、如何でありましょうか。


心何処ーショート 新学問の進め。
                 新学問の進め。(4/25/11)

「ハ~イ、アナタ、起きて下さい。」

 シャワーを浴びた儘の白い裸像のシングルママさんが、ベットの私を起こしている。惜しげも無い全裸の姿は、中世絵画の様で堂々とした物である。好色ロートル日本オヤジの想像とは全く異なる、乳白色大理石のビーナスの観賞見たいな彼女の裸身である。金毛の恥毛などワンポイント・アクセサリー見たいな物である。

 彼女には、恥じらいなど一切無い。そんな極普通の態の彼女の前に在っては、如何な私でも鼻の下など一切伸び無いのであるから、私も真面目な男である。
<郷に入っては、郷に従え。>が、素直にして小心者の私のモットーであるから、私も、彼女にハブラシを渡され、黒毛ダラリで、急かされる様にシャワー室送りである。

「今日は、林に食糧調達です。手伝って下さい。確り働いて下さい。古い物を着て下さい。」

 タオルを首に掛けて出て来ると、ベットの上には、着て行く物が置いてある。おやおや、キノコ採りに行くのかいな。窓から見える外の景色は、春から初夏の様子なのであるが・・・ 彼女は既に古着を着て、外で手招きをしている。

 外に出ると、ポンと肩を叩かれて、
「アニキさん、ファイト、ファイトしたね。セックス・スメル臭い臭~い。ヒヒヒ。」
 
 何処のどいつか知らぬが、失礼な奴である。覗き見するとは、言語道断のハシタナサである。どんな馬鹿じゃい!! 振り返ると、

「何だ~、お前はアヌス・ボーイのタタイじゃないか。フィリピンから何時来たんだ?」
「何言う!! ワタシはストロング・ボーイ。オカマじゃないよ。恥ずかしい事言うは、ノーよ。」

 口を真一文字にして、ボディビルダーの様に上体に筋肉を集めて、横隔膜を吸い込んで居遣がる。全く、成長の無い男である。ポッコリした股間に手を伸ばして、ムンズと『握り潰し』のポーズを取って遣る。

「アニキさん、命より大事なマッシュルームよ。ワタシ、ヘルプミーよ。アヌス・ボーイ、OKよ。プライド捨てるよ。アニキさん、時々、怖い人よ。」
 嗚呼、バッチィ物を触って仕舞った物である。南洋高温多湿のインキンタムシが移るぜよ。おいおい、こりゃ如何したと云う事だ。周りは、色の黒いフィリピン原住民様達である。

「お早う。良く寝た~? 元気そうね。ウフフ。」
 剃り上げたばかりの顔の頬を下から撫で上げられて、蔓で編んだ籠を渡してくれたのはシングルママの親友オルガではないか。彼女は、黒髪のジプシータイプの好い女である。

 左右の迫り出した山の中間に平地の林が奥に向かって居る。前方は穏やかな海が横たわっている。人の集まりを見遣れば、フィリピン勢とロシア勢である。その雰囲気からすれば、集団には何やら、主従の関係がある様子が窺がえる。
 取り巻く主人側を見渡すと、皆白人ロシア女で、従側の方は、若いフィリピン男達である。木々は落葉樹であるから、熱帯の島では無かろう。海の色も、南洋のサンゴの海のライトブルーもエメラルドグリーンの光の四十万(しじま)は無い。深い海らしく海色は一色である。

         私には、場所が特定出来ない不思議感が満ちている。

 シングルママが、何種類かの植物を示して命令を下して居る。それらは、ハツカダイコンとかフキ、ミツバ、シュンギクに似た様な植物である。おやおや、野イチゴまでもある。

 タイムスリップした様な異世界に放り込まれた様な奇妙な感じである。丸坊主・丸顔のタタイに、質問して見る。斯く斯く云々との事である。彼は、日本語が話せると云っても、フィリピン人であるから、彼の話には文学的表現も無く、短文・短文の意思疎通だけである。短文・短文の隙間を想像で日本文に意訳して見ると、以下の通りであった。

 仕事にあぶれた彼は、生まれ故郷の小島で女房子供と、マンゴ、バナナ、パイナップルとトビウオなどの小魚で、真っ黒に日焼けして半農半漁の島生活を送って居たと云う。近年の日本食・刺身ブームで、現金収入の射幸心宜しく、仲間とバンブーボートを三艘連ねて、マグロ釣りに出掛けたとの事である。

 成る程、為るほど・・・フィリピン人は、その日暮らしの延長をしている様な国民性にして、闘鶏に現を抜かし、何処の家でも闘鶏キングを夢見て、小型の軍鶏を何羽も離し飼いにして居る。それらを抱えて、闘鶏ホールで興奮している様である。
 彼等の最高の生き方は、娑婆の美味に鼻を利かせて、お零れに与かるのを喜びとして居る様なタイプが多いのである。彼らしいマグロ釣りの動機である。

 三艘共にマグロが大ヒットして、ヌカ喜びも束の間、暴れ捲る巨大マグロの糸が絡み合って、外洋を海流に運ばれ漂流の旅が始まったそうである。その内、海峡部に運ばれ島に上陸して見ると、暮らせそうな無人島であったから、九死に一生と思った途端、気が緩んで全員、死んだ様に眠り込んでしまったとの事である。

 脚を蹴飛ばされて、海水を浴びせ掛けられて、飛び上がると、グルリと白人女集団に取り囲まれていたとの事である。長い漂流の果てであるから、抵抗も出来ずに全員捕虜に為って使役労働に為って仕舞ったとの由である。

『何を扱きゃがる。研修に来て居た時も、日曜日は敬虔なクリスチャンとほざいて、日曜チャーチルの礼拝義務と抜かして、フィリピーナ・ホステスを誘っては、アルコールに目薬を垂らして、
『アニキさん、<ウーマン イズ ザ グットテイスト オブ メンズライフ。> 意味分かる。日本人、皆、バカ。メニー、マニー。でもワタシ、テクニシャン。目薬オンリー。NOマニー、リトルマニー、アイ・ハブ・ベリーベリー、マイ、フィナガーテクニック。ワタシ、クレバーマン。日本人、フーリッシュ。セックス、オープン。男、女、みんな大好物。ドゥ、ユー、アンダスタンド・ミー?』
・・・こんな事を、自慢していた男なのであるから、信用度ゼロのコメディアン・アヌスボーイなのである。何処までが真実か、分かった物では無い。

 然しながら、現実は、ロシア女集団とフィリピン男集団の中に在って、私は異世界の存在なのである。見える物、感じられる物こそが、『現実の世界』と諦めるしか他ない。

「お待たせ。サァ、私達も林の中にランデビュ行きましょう。私は、この島のボスです。フィリピン男達は、オルガに任せてあります。アナタは、リラックスして下さい。」
 
 振り返れば白いホテルは、アッジャ~、掘立小屋の佇まいである。海を渡っての異文化交流は、長い人類史の伝播航路でもあった。ギリシャ人、フェニキア人も黒海・地中海に繋がる海として乗り出して、吾が世界を地球の中心として、幾多の文化文明を構築して来たのである。
 
 ペルシャ、インド、アジアの海には、イスラム、インド人、中国人が海を乗り継いで、ペルシャ商人、印僑、華僑の港都市を造って居たのである。南洋系の民達も、島伝いに大海に漕ぎ出したのである。勿論、四海の日本人の倭寇だって、例外では無い。それに、コロンブス、マゼランよりも先に、大海に漕ぎ出したのは、北欧バイキング達である。

 陸地以上に、地球は海で繋がって居るのであるからして、ロシア人、日本人、フィリピン人が、如何なる運命の悪戯か・・・ こんな形で海に囲まれるのであるから、奇跡の様なものでもあり、公用語が日本語であると云うのは、正にお天道様のお導きなのである。

  女バイキングに、倭寇、南洋海民に違い無いのだから、全くの夢でも無かろう。

 私は置かれた環境・境遇を静かに受け入れるタイプである。彼女の後を、豊満なヒップの揺れを観賞させて頂きながら、採取のお手伝いを仰せつかっている次第なのである。

「はいはい、集まりなさい。今日は、日本からマイダーリンを呼んで来ました。これから保存食を作ります。自然物は、一度に実ります。此処には、シーズンがあります。シーズンが過ぎれば、冬が来ます。自然を収穫して、保存して長く食べる。これは、人間の知恵です。
 此処は、常夏のフィリピンと違います。働かざる者、喰うべかざる。好いですね。働きなさい。アナタ、バトンタッチです。」

 おいおい、俺は賄い夫から格上げされて、タイムスリップの食糧担当大臣さんかいな・・・

 歴史本には、交易商品には日本の漬け物なんて記述は無かった筈ではあるが、衣食足りて、好物・珍味・装飾品だもんなぁ~。穀類などの食糧の交易も盛んなのであったからして、干物・塩漬け・ワインも当然の流れでもある。何事も真面目にこなせば、リクエスト有りって事かいな・・・

『食糧を制する者、孤立隔絶の無人島を制す。』は、原始の王者の階段かも知れぬでは無いか。文化文明の歴史の早読みではあるが、状況の与件に就いては、浅知恵が無くも無い処である。

『衣食足りて子を為す。子は王国の護り。』も集団の基本的工程の一つである。まだまだ、島内観察・調査は未着手の段階ではあるが、力関係からすると、この島は、男を昼夜酷使するアマゾネスの女護島なのか、女牙島なのか・・・

            う~~~ん、予断を許さぬ女臭ぞ~。
 ジョセフィーヌ、珍は、チーズが悩みの種ぞ。←一度で好いから、言って見たかった。

 ギャハハのハァ~でありまする。如何やら、歴史本を読んだ知恵熱が、飛んだ夢に発展して仕舞った物である。人間、一生勉強でありまする。ケッケッケの尻の穴~。

 福沢諭吉先生だけが、『学問の進め』を唱えているだけではありませんぞな。


心何処ーショート これも日曜日
                これも日曜日(4/24/11)
 矢張り変なお天気さんである。寒いから、日光暖房の小部屋に移る。庭は春の眺めであるが、お天道様が頭上に来ると、日差しが無いから寒い。ラジオからは、歌謡曲と百花繚乱の明るく温かい雰囲気が流れる物の・・・ モンシロチョウが、風に飛ばされて行く光景のみである。

 朝は夢うつつの中にあって、夢の話でも打とうと思ったのであるが、愚図愚図する鼻水をティシュでかんで居ても、一向に思い出されない次第である。目も痒くなってくるし、頭の方もボワンとしている。記憶が薄いと云うのは、愉しむに足らずの<女気無しの夢>だったのであろう。夢の欠片を追うに能(あた)わずのご沙汰であろう。

 こんな時は、趣味の歴史本でも読んで時間を潰す方が良い。引き籠り生活に為って、<ラジオを友>の日常であるから、頭の働きが相当鈍く為って来ている。怠惰な生活を送っているのであるから、頭の持続性を考えて、この際、勉強でもして見ようかと思いつつある次第である。

 歴史本を単なる読み物として、歩留まりゼロの一過性にしてしまっては、何か勿体無い感じが芽生えている。

 読み物から教科書とする為には、それなりの効率の良い時間にするしか無い。内容を覚える為には、色鉛筆でマーキングをして、記憶の効率化を図るのが一番の手である。記憶の本態は、『集中と反復』である。時間があるのだから、それも好かろうし、キーワードに赤線を記して置けば、効率の良い字引きとして、本を利用する事も出来る。そう為れば、後あと本の使い勝手も好かろう。

 とは云うものの・・・ 赤線勉強は、遠の昔の出来事である。現在の私としては、億劫が先に立つ『難行の沙汰』である。
 何だかんだと言っても、本日は昼寝には都合の好い肌寒の日曜日である。色鉛筆を持って、布団の中で遣れば好かろう。

 スカンポ脳のスタミナが何処まで続くやら、眠くなれば、夢の訪れもあるかも知れぬでは無いか・・・ 『ぼやき、慌てる乞食は、貰いが少ない。』との言葉もある。さてさて、素足の足も冷たくなって来た、先ずは温い万年床にステージを移すべしである。

 区切りの良い所で、昼飯の用意をする。へへへ、肉・ネギ・エノキを炒めて、ケチャップにソースで味付けて、男賄いの手抜きの焼うどんとする。カップラーメンに握り飯の定番も、世には有るのである。文句を言っちゃ、罰が当たりまするわね。イッヒッヒ!!

 嫌々ながらの食器洗い、米研ぎの後は、晩飯の炊き物でも仕込むと致そうか。身欠きニシン、チクワ、フキの煮物を作る。そうだ。米屋の奥さんの話だと、フキの葉も捨てずに『フキの葉の甘辛炒め』も食卓の一品に為るとの仰せであった。駄目元である。

 為らば、どうせ台所に立っているのである。削り節をたっぷり入れて、油で炒めて唐辛子を利かせて砂糖醤油で仕上げて見る。味見をして見ると、悪くは無い。日曜日は休息日なのであるからして、手抜きが肝要である。

 さてさて、本日分の日誌を打った後は、赤鉛筆を片手に、ボケ防止の読書時間に復帰しましょうかね。一時間坊主であっては、物の喩えにも為りませぬ・・・



心何処ーショート 困った物でアリンス。
               困った物でアリンス。(4/23/11)
 昨日の2時間ドラマの犯人探しは、10:10に為っても振り出しに戻って、『老母の犯人は誰か?』の問いに、『さっぱり分からん。しょうが無いから、一時間ドラマとして後、20分位大人しく見て居るしかあるまい。俺は作者じゃないんだから、無理を言うな。』と応えるしか無かったのである。

 風呂の洗面所の物干し竿に吊るした洗濯物を、外に出そうとしたが、水分混じりの風である。強風の乾き効果を取るか、雨への回避とするかである。安全牌を取って、洗面所に戻すを選択した処である。

 今日は「Tさんとのコーヒーだね。お父さんは、如何なんだろうね。」との御挨拶である。

 本日は最後の選挙活動であるから、一段とマイクの声が大きい。この処、就寝前の時間を歴史本の頁を捲っている。西洋列強のオスマン帝国、清国の蚕食下に見えるトルコの親日、中国の反日に就いての比較を考えされられている処である。

 まぁ、これは話の向きでは、本日のコーヒースタバ・トークにしても面白い。ゲルマン、アングロサクソン、フランク、スラブ、トルコなどと云った『民族の被せ』を以って、汎民族主義的な観点からの、産業帝国主義世界の潮流を考えた方が、イデオロギー一色の歴史観よりも、面白い見方が出来るのかも知れない。・・・そんな思いが、芽生えつつある。

 未だ産毛の様な段階なので、打つ事は時期早尚であるから、溜まった通い綴りへの印刷をする事にする。斜向かい吟さんも、この頃はすっかり飽きて来た様で、吾が四畳半にはお越しに為らない。それでも、何時お越しに為っても良い様にして置くのが、<人の嗜み>でもある。イッヒッヒ!!

 通い綴りを見ると、彼是一か月程の御無沙汰振りの様である。印刷をして居ると、Tのお誘いコールである。雨も風も、強く為って来た物である。

「如何だい? オヤジさんの具合は。」
「うん、家に連れて来て正解だよ。爺っさの野郎は、元気で機嫌が好いよ。お前の処は、大変だね。へへへ。」

「まぁ、しゃー無いわね。94にも為って、我慢させちゃ、倅として申し開きが出来んからさ。アッシが悪うゴザンしたで、頭を下げるしか無かんべや~。」
「あいあい、そう云う事だわね。アハハ。」

 生憎の悪天候の所為か、コーヒースタバの二階席が、ガランとしている。フランス語の大学教授の先生は、フランス留学に行って居るのであろう。常連さんの顔としては、韓国男と白人男の英語会話に依る勉強タイムである。国に帰れば、歴とした学問の研究者なのであろう。

「云々斯く斯くでさ。これが丁度一か月分の分量だよ。自分の事ながら、俺も良く遣ってるわ。」
「おうおう、こんなに溜まるもんかい。何頁くらいあるんだ?」

「90頁前後じゃないかな。継続は習慣ってなもんで、<塵も積もれば山と為る>の証拠だわな。俺は、こんなに真面目だとは知らなんだ。」
「そうだよ。俺達は、根が真面目だからな。それにしても、こりぁ、表彰状物だじ。あい。」

「そうだな、例えば、<国家の指導者像>とか<絆>に就いての俺の思いは、本の数行がテーマにしか過ぎないんだけど、それを短兵急に打ったら、木っ端で鼻をかむ見たいで、面白くも何とも無いぜや。
 赤・黄色・ピンクの尾ヒレ、フカヒレを付けて、道草を喰ってさ、油売りして行くのが、世の中、面白いんだわね。それしか、俺には取り柄は無いわさ。イッヒッヒ!!」

 煙草を吸いに外へ出ると、雨風吹き込む喫煙スポットである。入口に、これ見よがしのミニスカートの娘である。良くもまぁ、何色パンツか分からぬが、計算し尽くしたギリギリの線である。脚の肉付きが何とも、若さの特権ご披露の感である。小娘にして見たら、見せたくて見せたくて・・・しょうが無いのであろう。

「シャァねぇな。寒いけど、目の保養して行くべか。困ったオネェチャンよ。」
「あいあい、I am 好色man。見るは只アルよ。見ル見ル。見なきゃ、損損アルよ。」

           へへへ、小娘様もご苦労様な事である。
<花の命は短くて、早や色付きてパッと咲かせて、夏の夕立ち、秋の木枯らし、冬の閉じ籠り。やがて萎れの年月をば重ね重ねて、味の深みぞ増せるは、己が力ぞ。>・・・by Ryou

    小娘様も、その辺りの未来像は、ご理解為さって居るのであろう。
『厭らしい、助平爺!!』も、表面だけ。さぞかし、『見たか、糞爺っさ二人。アタシの魅力は、特級品よ~。』のニコリンコ、にこりんこでありましょうぞ。

 何しろ此方は、心臓に毛の生えた厚顔無恥のヤクザもどき組である。バケツの水を頭からドシャ~と落されたとて、<見れるだけ得々>の不良ロートルコンビである。見せる快感に、伸びる鼻の下は、男と女の太古よりの『不変の理・普遍の間柄』でしょうが。

 おネェチャン、文句あっか~。俺達ぁ、純粋培養・原始の性根だわさ。ギャハハ。

※近年、兎角、活字離れが濃厚との事。性根にマツタケなどの振り仮名など、努々(ユメユメ)為されまいぞ。


心何処ーショート バタバタ午前中
                バタバタ午前中(4/22/11)
 ヤバイ、本日は歯医者の日であった。時計を見て、一安心。着替えて部屋に居ると、電話との事である。介護用具の会社からの電話である。再度の電話で、午前中に来るとの事。慌てて、掃除の真似事をするが、会社が近過ぎる。とほほ。

 契約書を母に書いて貰う。おやおや、眼鏡無しで見えるのだろうか。多分、当てずっぽうの住所氏名の記入に相違なかろうが、手先不自由が久しい母は、たどたどしい文字書きの段である。

 ご母堂様は、背筋のピンと伸びた大正女である。大学時代は、鉛筆で何度も手紙を呉れた母である。へへへ。

 そそくさと、朝食にして、私は老眼鏡をポケットに、歯医者に直行である。時間予約をして居るが、患者さんが多い歯科医院である。訊ねると、50人/1日との繁盛医院である。繁盛の基は、先生の気取らない暖かさと、歯科医の腕なのであろう。

 町内の内科医院、歯科医院にしても、そんな先生達の地域との人間的な情の絆の濃さが必要なのであろう。

 震災地域の先生達の映像が、テレビで報じられている処である。寝食を取らずしての医療業務には、心打たれ胸が熱く為る事が屡(しばしば)ある。地方の町医者の先生達の心の基本には、三船敏郎が演じた『赤ひげ先生』の医術は仁術の思いが流れて居るのであろう。

 地域の絆とは、衣食住・健康のネット網が、物心共で織り為されている『全体の繋がり』を言う筈であろう。一見スマートなメスで患部を切り取って、移植する様なエコタウン構想であっては、申し訳ないでは無いか。臓器移植が、人体から拒絶反応を引き起こしてしまっては、取り返しの着かない症状を呈するに違いあるまい。

 理性と感情は、よく対比されて認識、語られる処がある。然しながら、理性によってややもすると、刺々しい感情を<加工>した物が、人間の『情』なのでは無いだろうか。大震災被災地・原発被災地の皆さんに『情を尽くして』応えるのが、指導者の旨とする処であろう。パフォーマンスは、哀しいかな所詮、パフォーマンに映るだけの事である。

 普段は週刊誌とは全く縁の無いのを、生活習慣として居るから、こんな時でも無い限り、週刊誌を読む機会が無いのである。

 読み物は、『週刊新潮』である。待合室に置かれて居る物は古い号で、治療室に置かれて居るのが新しい号である。私には、如何云う訳か? エッセイ風の読み物が性に合って居る。

 私もブログで変なオヤジのうだ話を連載??している様な物である。吾がブログリンクの『整体師の独り言』さんから頂戴した<変なオヤジのうだ話>の形容が、私はすっかり気に入って、最近、使用させて貰って居る次第なのである。

 世の中には、巧い事を言うお人が居る物である。番から知性派、男芸者、快男児、危険人物、画伯、助平オヤジ、助平が玉に疵、ヤクザもどき・・・etcと、有難いお言葉の数々である。

 週刊誌のエッセイストさん達は、皆、一角のお人さん達で『有料』の文字を書いて居られる面々なのであろう。一方私は、中学時代に『お前の文章能力、Neary 0』と太太と朱筆された男である。
 まぁ、それでも文章の出来の違いは、雲泥の差・月とスッポンの様には違い無かろうが、たかが人間の思う事など、そう大した違いもあるまい。開き直って、拝読させて頂くのが、下衆貧民の嗜みと云う物であろう。

 此方は、『無料』の変なオヤジのうだ話の発信を以って、ストレスの解消を図っているのであるから、次元も程度も、雲泥の差、月とスッポンの様で、丁度好いのである。私の長駄文、超駄文の字数を読んで下さるお人達には、敬礼にして畏怖の念を贈呈して、恐縮の極まりなのである。イッヒッヒ!!

 テレビの細切れコメント映像よりも、週刊誌の活字ボリュームの方が、雲泥の『肥やし』に為ると云う物である。私も受験勉強で鍛錬した速読精読の技を持っているから、歯医者さんの待合室と治療台での一心不乱の週刊誌読みは、結構、楽しいお時間なのである。

 一本の歯は、無事新品に替わり、もう一本の方は、連休明けに型取りとの事である。

 お天気さんは下り坂との事で、灰色空に強風の舞いである。大通りの宗教施設の枝垂れ桜の濃いピンクの花々が、風に煽られている。大きな石積みの間にあしらったシバザクラ、スイセンの花々も光の無さに、物憂げに見える。

 街路樹の白花も色褪せて、替わりに埴栽のサツキには小さな黄緑の芽生えが、色として現れて来た。

  さてさて、後は自室で、熱いコーヒーと煙草を吸ってのマイタイムと致そうか・・・

心何処ーショート ロートルの遠吠え為り。
                ロートルの遠吠えなり。(4/21/11)
 本日は、ウグイス為らぬ市会議員選のウバサクラ声の通過である。夕刻散歩の折りには、候補者さん達のポスター掲示板を見て来たのであるが、無関心の態であるから、困った物である。日曜日は、投票日である。選挙カー徘徊で、ウグイスは何処ぞへ雲隠れしてしまったのだろうか。

 お向かいにはロートル友達が顔を出して、趣味の盆栽を話の種に朝の井戸端トークである。お向かいさんの芝桜は、ご主人の手入れが好いから見事な色合いである。
 スイセンの黄色との明度・色彩対比が清々しい程の出来栄えである。モンシロチョウが降り注ぐ光の中でヒラヒラ飛ぶ様は、童話・童謡の世界に誘う様だ。

 キセキレイの声が、春の和やかさを歌う。斜向かいさんの二階のベランダには、洗濯物が小さく揺れている。

 さてさて、風呂を沸かして、米屋さん経由で個人スーパーに買い出しでもして来るか。

 餌を撒いた水槽の金魚達は、腹が膨れたのであろう。金縁黒目玉で、生意気口をポカポカさせて、私を見て居る。ヒメダカ槽の水草には、卵が産み付けてある筈なのであるが、確認する事が出来ずに居る。

 アジャジャ、またまた選挙カーさんの声である。彼等・彼女等にして見れば、何年かに一度の『選挙門』である。執拗に為らざるを得まい。さてさて、母の動きである。賄い夫をして、ご機嫌伺いを致しましょうかね。ブログ打ちは、中断である。

 食後のテレビを見て居ると、枝野官房長官の記者会見である。遅々として進まぬ原発封じ込め作戦は、レベル7の最悪状況下に在って、とうとう非難通告が発せられて仕舞った。

『二時間に限って、帰宅、必要な物を持って来るべし。』・・・散々、待たせた挙句の政府処置が、これである。福島県民、原発周辺住民の皆さんにとっては、怒り心頭に達する思いに違いあるまい。

『人体には、直ちに影響が無い』放射線数値のオンパレードで、数値も低下して来た折りの放射線累積数値比較でのレベル5から7の発表である。20km範囲の警戒区域の立ち入り禁止令である。
 
 私が地域住民なら、とてもじゃないが枝野長官に喰って掛り、その場でボコスコと馬乗りに為って殴り倒して居る事だろう。勿論、刑務所入りなのだろうが、そうでもしないと怒りの持って行き様が無い。散々待たせた挙句の果てが、このお達しと云うのなら、政府は爆発の想定をしているんじゃないかと、つい勘繰って仕舞いたくも為って来る怒りなのである。

 変な物言いをすれば、不戦平和憲法を順守して、『国破れて、日本国憲法残る。』見たいなものである。

 こんな時こそ、マスコミは挙って、原発被害住民にインタビュー突撃をすべきであろう。
こんな政府の、日本国民の礼儀正しさを逆手に『盗った』様な施政者の無策振りを看過しては行けない筈である。被災41日目の強制力を伴った、施政者の無策振りのツケなのであるから。

★ 帰宅二時間で、持って来れる物はタカが知れている。政府の無作為行為のツケを、何で引き受けなければ為らないのか。情報が遅過ぎる。結果的には、待っている間に、持って来れた物さえ、持って来れ無く為って仕舞った。
★ 何十万にも及ぶ住民の生活は、一体全体如何に進行するのだろうか。
★ 地域包みの受け皿構想は、出来上がって居るのだろうか。住む場所、生活保障、それらを取り纏める市区町村の行政本部とそれを支える末端の町会組織は、如何するのか。
★ 放射線が安全域に定着するまでの期間は、何ヵ月、何年なのか、
★ 留守のしている間の家財への防犯は誰がしてくれるのか。
★ 住民帰宅が叶い、地域が復活するまでの間の行政主体は、何処に置いて、その費用を如何に賄い維持して行くのか。

 旧約聖書の世界では、モーゼの率いる<出エジプト>にも匹敵する困難極まりない『約束の地』への道を、歩まなけれ為らないのである。映画世代の者から云えば、『十戒』である。
 チャールトン・ヘストンの演じるモーゼが、同胞のヘブライ人を引き連れて、ユル・ブリンナーがエジプト軍を率いて急撃する刹那、振り上げた杖に海が割れ、同胞が渡り終えた時に、再び海が閉じて、エジプト軍の呑み込んだシーンが、今も鮮明に脳裏に蘇る処である。

 シナイ山でヤーヴェに十戒を授けられたモーゼにしても、『約束の地・カナン』に到達するまでには40年を要したのである。紀元前13世紀と云われているから、三千三百年も前の話である。

 未曾有の大震災と原発事故の日本国である。日本の施政者が日本国民に送る政治命題は、日本の復興と原発非難住民への『約束の地・故郷』への導きである事は、紛れも無い『国家命題』なのである。

 何事にも猜疑心が強過ぎるのであろうか・・・ 自民党時代の組織を官僚組織とレッテルを張り政治主導の名の元に、次から次へと新委員会を作って、専門家の意見を聞くとは猜疑心の硬直、表向きの思考・判断の丸投げをしている様にしか見えて来ない。これが、中国漁船の体当たり事件で繰り返された『菅無理内閣の実態』なのであろうか。

  余りにも情けない『国民の生活が第一』『情報公開』の旗印しだけの政権与党、一国の総理像である。

 私はキリスト教徒ではないし、本籍は浄土真宗に置いているが、信じて居るのは真っ当さの象徴の<お天道様>だけである。真っ当さの鎮座おわす祠は、私自身の良心である。私は、神も仏も人間の心・志から発生した物であると思って居る現代人の一人にしか過ぎない。

 従って『十戎』なども、高々映画で知った迄の事である。私は無心者では無いが、<無神論者>である。

 然しながら、長たる指導者には、モーゼがヤーヴェと約束した様に、社長には、社員と社会に、総理なら国民との約束が存在する。約束がある以上、指導者達には、『約束の地・平穏な日常』へと先頭に立って、同胞達を導いて行くのが仕事の筈である。

 繰り返して問いたい。日本国民の我慢強くも礼儀正しい国民性を逆手に盗って、自らの無策のツケを、国民に回すのは言語道断の鉄火面振りである。

 大衆扇動型・大衆迎合型政治を、開かれた市民社会のモデルと散々に持ち挙げて来たマスコミ界である。市民社会に民主主義の根幹が在ると云うのなら、マスコミは現地退去を余儀なくされる現地住民の疑問の声、政府対応に対する不満の『肉声』を発信して、政治に役立てるのが仕事である。

 国→県→市区町村→町会→班→個人の図式は、個人に近い程、不平不満の罵詈雑言に似た叱責を頂戴するのは、当たり前の事である。そして、個人に近付かない限り、援助物資は回って行かないのも、これまた真の姿である。

 市区町村の平時の連絡網が、壊滅状態なのであるからして、前にも打った処ではあるが、→と←の循環機能が稼働して居ないから、情報・支援の経路パイプが、ジャジャ漏れの状態を呈しているんでしょうが・・・だから、サイクルが回らない。サイクルが回らないから、所定の目的が果たせないでいるのである。

 毎日毎日、原発事故報道で図解説明が為されている。冷却水の循環経路が損傷しているのであるから、当初の冷却機能が稼働して呉れないのである。

 もう好い加減に、こんな子供騙しな解説は止めましょうよ。両者に共通している状況は、循環パイプの断絶崩壊、パイプ破れでしょう。修理、移設替えには、大変な突貫工事を伴うだけでしょう。その時間を負担する為には、周囲からの立ち除きが必要不可欠に為って来る。

 これは、責任者として、考えるなと云っても自然と頭に描く『工程表』であろう。平時の踏ん反り返、左団扇は、誰もが望む処であろうが、背水の陣で指揮棒を振るうのは、誰だって嫌な仕事である。
 然しながら、その嫌な仕事を状況を直視しながら、発するのが責任者の仕事なんでしょうが。それだから、普段、下の者は嫌でも上の者に従い、実際の仕事との兼ね合いからして見たら、破格給料と待遇を<上納>しているんでありましょうが。

 此処一番の大仕事をするべき時に、尻ごみ、逃げられて仕舞っては、下の者は堪った物では無い。どんなに普段従順で上品な紳士淑女と云えども、『フザケ遣がって、この野郎、給料泥棒!!威張逃げ!! 卑怯者!!』と、怒り心頭に達して仕舞うのが、人の世の常なのである。

 幾ら、私が下衆貧民とて、菅さんに付け髭生やさせて、しゃくれた杖を海に投げ込ませて、<海よ割れよ~>なんて、奇跡は一切望まない処ではあるが、日本人の同胞を『約束の地』目指して、愚直に雄々しく導いて行く指導者の姿を見せて貰いたいと願うと同時に、徳川慶喜に倣って、『吾に総理の度量無しで大政奉還をして欲しい』と望むばかりなのである。

 へへへ、またまた、長く為って仕舞いました。まぁ、これだけ打てば、私とて常識人の側面も少しは有る。卑しくも、一国の政府高官に乱暴狼藉を働くのは、慎みたい処なのである。
 
 毎度の事ながら、変なオヤジのうだ話でありまする。真に受けちゃ行けませんよ。こんな駄文は、読んで忘れるべしでありまする。はい、お手間を取らせました~。

心何処ーショート とほほのほ
                  とほほのほ(4/20/11)
 おやまぁ、庭の独鈷に珍客・シメの登場である。地味な色合いながら、奇麗な鳥である。朝食後は、リンゴの微塵切りを提供して遣らねばなるまい。本日は、最低気温が1℃の冷え込みであったから、四月下旬の気温乱高下の激しさは堪ったものでは無い。

 コンニャローメ、ロートル親父の身体をいたぶって、如何するお心算なのか? お天道様よ、チョイと悪戯が過ぎまするぞね。・・・ってなものである。

 朝食時、本日のホー、ホケキョは、母の耳にもしっかりと聞こえたとの事である。テレビで、知床の自然を見た後は、母の薬を貰いに町医者に行って来る。

 老いた娘さんに付き添われて、ご高齢の爺さまが、レントゲンを撮りに来ている。話に依ると、偽歯を呑み込んでしまい検査の為に来ているらしい。間違って、肺にでも入ったら、事は一大事であるから、すっ飛んで来たらしい。
 偽歯の行方を探して、何枚も撮って、やっと偽歯の居所を探し当てたらしい。問題無きを得て、先生、看護婦さん、娘さん、爺様は大安心で、待合室は暫しの談笑に揺れている。

 歯と云えば、私は、割きイカで歯の詰め物がポロリと取れてしまった。22日が、その通院日である。私も、高齢になれば、こんな椿事に見舞われるのであろう。先生に依ると、年に一、二例は有るとの由。へへへ、これも高齢化社会の小さな日常の姿なのであろう。

『何時までも若いと思うな、吾身の歳の衰え』ってな物でしょうかね。イッヒッヒ!!

 帰りに路地のハコベを一掴み取って、籠鳥のお土産とする。早いもので、住宅地の庭の桜も終盤に向かっている。他人様の庭の様子を見ながら、春の緑、花を楽しんでの帰り道である。

 春に譲り渡した寒椿の花々の萎れが、春陽に、なんとも哀れな『過ぎの花姿』である。雲の合間の青空に、太陽が眩しい。太陽を見上げれば、花粉症の大クシャミの三連発である。

     さてさて、本日は、散歩時間を庭の草むしりに当てましょうか・・・

 ラジオ、剪定鋏、庭シャベルを持っての草むしり作業に取り掛かる。昨日の雨で、土が柔らかくなっているから、引き抜くのが容易である。土の薄い場所の草取りは、庭シャベルをグイと差し込んで、根の土を落としながらのシャガミ作業である。

 兎に角、相撲取りの太鼓腹であるから、そぞろ歩きの散歩の方が、数段楽な処ではあるが、これもロートル賄い夫のお仕事の一つである。

                   やれやれ・・・

 そんな事をしていると、シャベルの土の中から、トノサマカエルの出て来た。シャベルの剣先で首を刎ねられて、土だらけの手足がもがいている。アジャジャ・・・とんだ粗相を仕出かしてしまったものである。土に戻して、南無阿弥陀仏の<土送り>をする。

 蛙の大きさからすると、去年の生まれに違いあるまいが、川が近いとは云え、この辺りには田んぼなど一枚も無い住宅街である。野生動物にとっては、ウグイスにシメ、カワセミ、ホタルと川と繋がっているグリーンベルトである。冬の夜には、庭を通過する狸をも目撃したのである。

『知らぬは、人間ばかりなり』の地続きの人間と野生の住み合わせと云うのが、この世の実態なのであろう。

 冬の自然貯蔵庫の『松本一本ネギ』も、春の暖かさに葱坊主を付け始めている。野放しにしていると、硬くなってしまう。茹でて、ワカメを加えて酢味噌和えに致そうか、ニラも柔らかな青葉を茂らせて来た。長靴に履き替えてスコップを手に、落ち葉溜めには土を被せる。好い黒土である。何かを撒こうか・・・。

  へへへ、下衆貧民の食卓は、土の恩恵に与るのが生活の知恵と云うものである。

 嗚呼、アッシャ~、腰が痛いわね。嫌に為って来ましたぞね。然りとて、始めてしまった仕事である。一回り、草むしりをして行かねば為らない。嫌でも遣って置けば、当分、楽が出来る。

 ボヤいても始まらぬ<吾は親分無し、子分無しのロートル賄い夫>である。遣れば、遣った分だけ仕事が減る。『唯、遣らぬは、吾身の横着のみ。』 <毛無し、金無し、女無し、止めの甲斐性無し。> 何と侘しき女日照りの賄い夫街道である事か・・・トホホなりや。

       ニャロメ~、何のこれしき、弱音を吐いたら、男が廃らぁな。

心何処ーショート ~~~も、旋律の内。
                ~~~も、旋律の内。(4/19/11)
 昨日の夕刻散歩の途中から降った雨は、止んだり降ったりの繰り返しであった。今朝も布団の中で、静かな雨音を聞きながら、<地図と地名で読む世界史>の人類文明の伝播、鬩ぎ合いの図式を頭の中で反芻しながら、布団の中の居心地の良さに身を任している。

 雨は止んだ様子である。障子を開けて、寝床目線で庭を見て居る。時計を見ると、9時の手前である。ウグイスの声を待っているのであるが、未だである。ホー、ホケキョの声を取り戻した彼は、山に帰ったのだろうか・・・ 

 『梅に鶯』などと云う言い回しもある処である。小学生か中学生かは覚えて居ないが、そんな言い回しとピッタリの現象を知ったのは、感動的であった。あれから半世紀である。

 ロートル賄い夫の日々を重ねて、数年である。ウグイスが鳴く年も有れば、鳴かない年もある。一声で去る年もあり、山に帰るのを忘れてしまったのだろうかと思われる程、長居をして行く年もある。

 それが気候と関係があるのか、ウグイスの個体と関係があるのかは、一向に分からない処である。兎角、人間というヤツは、現象結果に彼是と小理屈を捻り出して、奇を衒う自己主張動物なのである。

 世の中には、アレキサンダー大王の偶然の大勝利とか、フン族から始まるゲルマン民族の、あれよあれよの玉突きドミノ現象も在れば、ロシアのアラスカ、千島列島の使い捨てポイも散見されるのが、人間の歴史・世界史と云う物である。

  何事も難しく考えるのは御法度で、気楽に付き合うのが得策の様である。

 ロートルに成ってからの歴史本とは、中々に乙な物である。試験勉強では無いから、好い加減な頁捲りである。それも、教科書では無い各アングル本の類は、横道、裏道の『道草を愉しむ趣』があるから、面白い読み物なのである。へへへ。

           そんな事が、頭の中を過る布団の中である。

  ホー、ホケキョ、ホ~~~、ホケキョ。ホー、ホケキョ、ホ~~~、ホケキョ。

 ほぅほぅ、今日も遣って来たか。ホーと、ホ~~~の同調の繰り返しである。音楽は鬼門中の鬼門の1で、間違って居るかも知れぬが、これが一つの音階、旋律と云う物なのだろう。夏のキリギリスのギース、チョン、ギー、チョンチョン、ギィーの様な物であろう。

 台所に母の動きである。流しの食器を洗って居る気配である。体調に依って、動ける時は動いて貰うのも、親孝行の内である。老母は、湯を沸かして自分のポットに入れた様子である。さてさて、私も朝の賄い夫をすると致そうか・・・

 居住区の空気の総入れ替えに、窓と廊下の硝子戸を開けて、小部屋のカーテンを引いて、窓を開ける。断続の雨で、庭の独鈷周りの苔スポットの緑が、しっとりと息を吹き返して居る。私の湯を沸かしながら、小鳥の世話と玄関周りの真似事掃き掃除をしての朝飯である。

 食後のテレビは、好い女だと思ったら、和服姿の檀れい様ではないか。女は、この位綺麗じゃないと、男の鼻の下は伸びませんぜや。イッヒッヒ~~~。

 さてさて、本日のブログ打ちは、何にすべ~~~やなぁと、紅茶にコンデンスミルクを落して、飲んで居ると。

「コンニチワ~、ヤクルトで~す。一日早いですけど、宜しくお願いしま~す。」
「あいあい、チョッくら待ってておくれ~。財布財布。」

「おっ、今日はカッコ好いじゃないの。赤と白のヤクルトジャンバーが、花を咲かせた見たいだわ。こりぁまた、涎が出るほど、好い女だね~。ペチャパイが玉に疵だけど、発情しちゃうわね。グルリと回っておくれや。」

「カッコ好いでしょ。そんなに好い女ですか~。じゃ、サービスしちゃいますね~。」

「サービスついでに、押し倒して、一発遣らしておくれや。」
「ダメで~す。子供達と旦那の物で~す。残念でした~。」

「ケチ!! 『観音様の慈悲に、衆生の区別無し』だよ。仏教徒の端くれでしょうに、全然、修行が足りんわね。困ったもんだいな~。親の顔が、見たぇよ。」
「危険人物!! 全く、何を考えてるんですか!! アハハ。」
 
 いやはや、美形のヤクルトママさんは、面白い奥さんである。美人、美形さんが、澄まし顔、ツンツン顔では、けんもほろろの『バリアの苑』なのではあるが、毎度の戯け挨拶を気軽に応えて下さる様は、美人、美形の二乗、三乗の輝きとも為る。

                  ギャハハ~~~。

心何処ーショート 国会中継を聞く為り。
                国会中継を聞く為り。(4/18/11)
 おやおやと云うか、待ってましたと云うか、本日は参院予算委員会の国会中継である。遅きに失した感じである。社会の実態と云う物は、総べからず『同時進行が日常』なのである。

 敗戦後、初めてにして最大の国難時の最中で、国会より国難処理と云う声も強かろうが、その一方での対処、処理法に就いて、確りした国会議論をして行かないと、国難が感情・情緒に流されて行くばかりで、後世に残すべきノウハウの蓄積が為されないのである。

 確かに<喉元過ぎれば、熱さ忘れ>は、上から目線の隠蔽意図が、少なからず見え隠れする一方の心理と社会観察ではある。

 然しながら、国家指導者は、<国難に在って、斯く闘えり。>の工程表を積み増すのが、彼等の仕事なのである。前線で戦いながら、後方では前線情報を的確に収集整理して、確り作戦を練る。これは、『一刻を争う修羅』の場でもある。修羅の場に身を置いて、的確な作戦練り、実行して結果を出すのが、指導者の仕事なのである。

 云わば、指導者の力量と実力の程が、如実に試され、否応なく『炙り出されて』来る。従って、己が政治生命を丸投げ出しての真剣勝負の舞台と云って好かろう。言いたくは無いが、好い加減菅無理内閣の手法は、<子分の手柄は、親分の一身的手柄。子分の失敗は、全て子分の落ち度。>と云った『丸投げ手法』と言わざるを得まい。

 丸投げの使用法が、丸で真逆のお人らしい。己が人望無き原因を、多に転化する様な者に、能臣が集まる筈も無かろう。手の打ち様を間違えれば、被災者・被災地への直接被害は元より、取り返しの着かない『多大の国家損失』を国民の一人一人に負わせ兼ねない。

 落ち度を指摘されて、散々に袋叩きをされるのは、人の上に立つ者として当たり前の話である。袋叩きの言葉一つ一つを聞いて、直すべき物、反省すべき物は、全て取り入れて、未曾有の国難の真っ只中に在って、『国民の最小不幸』を実現するのが指導者の務めであろう。

 最初は与党民主党の質問であるから、こんな政権与党のゴマスリ、エコ贔屓質問の遣り取りなど、聞く必要も無い。野党自民党に移って、漸くの『菅無理内閣の実態』暴露が為されて来た。

 ルーピー鳩ぽっぽ内閣、極左影の宰相仙谷さんの尖閣諸島領海侵犯事件国会での法廷弁護士内閣劇、牙を剥き合った党内内ゲバ闘争、平成の大開国と、<<政権素人集団の学芸会><生徒会>の様な幼稚さを、嫌と為るほどに見せ付けられて来た処である。
 従って、自分の保身を第一に置く『菅無理内閣』の下品さと底の浅さは、当然の如くに予想して居た処である。

 為らば、見なければ好かろうと思われるかも知れぬが、綺麗な絵ばかりを見て居たのでは、世の実態は見えて来ないのも、『世の真理』と云う物である。世に反面教師が居るからこそ、<真っ当教師の有難さ>が心に沁みようと云う物である。

 テレビ中継で、菅さんと云う男と、菅さんを任命権者として仰ぐ菅無理内閣の面々を凝視して、一人一人に真っ当さと日本を担う政府高官としての責任感・見識・志の有無・程度を確り心象漬けして行くのが、有権者の義務なのである。

 それにしても、菅さんと云うお人は、潔さの欠片すら無い言い逃れ、責任逃れの性向が強過ぎる。無謙虚な処が、このお人の最大の特徴かも知れぬ・・・

『親分を見れば、子分が程度が分かる。子分を見れば、親分の程度が分かる。』「亭主を見れば女房が分かる。女房見れば亭主が分かる。親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。」

「総理の顔を見れば、国民の程度が分かる。」←これも、きっと或る一面の真理なんでしょうがね。へへへ、これを言われちゃ、フ―テンの寅さんの様に、『それを言われちゃお終ぇよ。』のコッパズカシさなのではあるが・・・

 親子の関係は血の関係であるから、致し方は無いが、親分・子分の関係は、杯を返せば良い。総理と国民の関係は、選挙をすれば解消出来るのである。

 へへへ、昔の人は、好い事を言いますねぇ。現代の幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→大学院→モラトリアム人間なんて余裕も無く、精々が、寺子屋止まりなのに、皆さん、人間を良く観察して喝破してますよね。この違いは、一体、何処から生まれて来て居たんでしょうかね。

     スカンポ脳の俺らにぁ、分からない現代人間力学である。

心何処ーショート 長閑な庭を眺めて、そぞろ歩きの散歩に出掛けるなり。
       長閑な庭を眺めて、そぞろ歩きに出掛けるなり(4/17/11)
 今朝は、中々に面白かった。陽が早くなったから、玄関の鳥達はブンチャカ・ピィーピィーと、春を楽しんでいる様である。そんな中で、もう一つの声が呼応しているような感じである。きっと玄関前の植え込みの中に居るのだろう。どんな鳥だろうかと、耳を澄ませていると、ぐずりの感じである。ケキョ、ケキョ、の様にも聞こえて来る。その内に、案の定、ホーの声も混じって来た。

 しかしながら、ホー、ホケキョの一声が出て来ない処なのである。玄関鳥は総勢5羽である。外の鳥とて、百花繚乱の春の訪れなのであるから、縄張り主張のホー、ホケキョの一声を誇示するしかない処であろう。

 うんうん、間違いない。内外で、ブンチャカ、ピィ、ピィーとケキョ、ケキョの応酬をしている。ホケキョの小さな声が何回かして、漸くのホーホケキョの声である。喉の詰まりが取れた様に、ホー、ホケキョの声がしっかりして来て、ホ~、ホケキョの声が通るまでに為って来た。

 七時半頃からのウグイスの気配であったから、ホーホケキョに辿り着くまでに、小一時間を要したのである。声色からすると、前回のウグイスとは別鳥なであろう。ホー、ホケキョの声を取り戻した彼は、自信の表れか・・・ 暫くの間、家の周辺を要所要所に残しながら去って行った様子である。
 
 ウグイスのホ~、ホケキョは、想像するに縄張り巡回行動に違いあるまいから、犬猫の尿などのマーキング行動に通じる物があるのだろう。そう考えれば、ケキョだけの未成熟マーキングであっては、ウグイス仲間の『笑い者の謗り』を受けるまでの事である。女のメイクアップに、男のホーホケキョは、縄張り巡視行動の立派な見栄なのであろう。

 そりゃそうですわ。ケキョ、ケキョの不名誉は、陰に隠れての猛特訓でありまするわな。へへへ、こんな想像をすると、ご苦労様な事である。

 四畳半机上水槽にも、寒い一冬を越して七匹だけが残ったヒメダカの三匹の腹には、透き通る様な卵の粒が付いている。さてさて、二年振りの生命のバトンタッチが叶うのだろうか・・・ 全ては、小水槽の水質が決める事である。

 朝の賄い夫後は、抱卵を始めた籠を玄関に置いたまま、別の籠を小部屋横の母の部屋の物干し竿に掛けて、コーヒータイムとする。昨日と比べると、大分気温は低いものの光満る庭の眺めである。リンゴには、当然の如くヒヨドリが嘴で啄む姿がある。

 煙草を吹かして居ると、物干し竿が大きく揺れて、キジバトが一羽遣って来た。物干し竿を伝い歩きして、私の居住区の竿に渡って行く。昨年、楓の木に巣を掛けて三回の繁殖をしたキジバトの一羽なのであろう。それが、親鳥なのか、巣立った六羽の内の一羽なのかは、私には皆目、見当が付かない処ではある。

 いずれにしても、八羽の中の一羽に違いあるまい。巣を見に来たのは、明らかな処である。楓の小枝の先も、すっかり紅の動脈を鮮明にして来ている。あれよあれよと云う間に、殺風景に取り残されたキジバトの巣も、楓の葉に覆われて、今年の繁殖のシーズンを迎えるのであろう。

 何はともあれ、ウグイスも金華鳥も、ヒメダカもキジバトも、春なのである。

 政治の目を覆いたくなる様な『体たらく振り』に、日曜日のテレビには全く興味を失ってしまった。私の様な時間を弄ばしている下衆貧民ロートルからも、『愛想尽かし』をされている政治家、マスコミテレビは、恥かしいとの<真っ当さ>を、少しは持って貰いたい物である。

 彼等は自分達を超指導職層・超インテリ層だと錯覚している処が、『処置無しのザマ』なのである。裸の王様とは聞いた事があるが、<錯覚・居座りの君臨>とは、余りにも見苦しいザマでしかあるまい。嗚呼、阿保臭~。

  依って、PCに中村雅俊のCDを掛けての、徒然打ちをしている次第である。

 煙草の煙が、窓から外に流れる。太陽を浴びて、小鳥達は水浴びをして、羽を風に震わせ身繕いに精出している。この篭にはオス一羽とメス二羽の、一夫多妻の籠である。ハーレムなのか、メスの葛藤なのかは、鳥の睦言を解しない私には、一切分らない処でもある。

 さてさて、大体の字数も出て来た処でありまするから、PC打ちはこの位で終了して、春のそぞろ歩きに出掛けて参りましょうかね。閉じ籠もりスカンポ脳には、新鮮な外の空気が必要不可欠なものでアリンス。イッヒッヒ!!

 携帯双眼鏡を持って河川敷を歩く。町内エリアでカワセミを見付ける。カワセミを追って、双眼鏡覗きを繰り返しながらの散歩コースである。枯れ葦の川面に大ヤマメの波紋を見て、水中に目を凝らして魚影を待っていると、横の蛇籠の石積みに太い胴体の青大将を見てしまった。

 止せば良いのに、変な物を見るとツイ悪戯がしたく為るのが、小心者の常である。棒きれを探して来て、川に落として遣ろうとするのであるが、青大将は、スルスルと元居た石積みの中に潜ってしまった。

 本日日曜日である。河川敷にブルーシートを敷いて、花見のバーベキューをしているファミリーが幾組か居る。好き眺めではあるが、花見酒は、やはり一人では叶わない。
 然りとて、飛び入り参加も出来ぬ所でもある。アオサギ、コサギを眺めながらの散歩である。


心何処ーショート おやおや、満月のお月さんでは無いか。
          おやおや、満月のお月さんでは無いか。(4/16/11)
 玄関の金華鳥の番い籠の方は、抱卵が始まった様である。巣の中にオスが居る事が多くなった。現在卵が四個である。外では雀の交尾で、チィッチ、チッチと空中戦。挙句の果てが、地面を転がっている風景も散見されている処である。この処、春爛漫の様な汗ばむ日が続いているから、無理も無かろう。

 つい先日、或る動画サイトに飛んで見ていると、動画→動画で面白い『動物の異種間交尾』に到達した。

 登場したのは、首に細い鎖をした猿であった。その猿の近くには、黒ぽい羊が一頭居る。映像は、小さな獣舎の隅の様である。そのエテ公が実に、とぼくれた奴なのである。人間で云うところの、明らかな『挙動不審者の仕草・態度』そっくりなのである。

    落ち着き無しの<多動症>にして、キョロキョロし捲りなのである。

 窓の縁に居たエテ公は、地面に降りると羊の背後に回って、ヒョイと立ち上がると、黒羊の尻に顔を近付けて、一嗅ぎの品定めの態を見せる。<何するのさ!!>と言わんばかりの黒羊の態度に、エテ公はサッとばかりに窓の縁に戻る。

 そんなジャブの交換の内に、エテ公は態度が図々しく為って行く。その内に、黒羊の尻尾を掴み挙げたりの狼藉振りである。これが猿知恵の為せる処だろうか。黒羊の腰に手を掛けて、何と何と!! あろう事か、『押さえ付けのホーズ』をし始めた。

 チョコチョコ、『ウゥ、メエー、』チョコ、グイ、『ウー、メェー、』・・・『メェー、』グイグイ、グイグイ、『ウウ、メエエェ~』・・・to be Continued

 まぁ、動画のタイトルが、『動物の異種間交尾』なのであるから、言って見れば正直な動画である。

 黒羊の方も、繋がれている訳では無いから、痛いのなら、『イテェ~』とでも泣いて、逃げれば良いものを・・・ 
天賦の才か? エテ公様のテクニックが巧いのか? 『ウ、メェ~』と呻いているのであるから、如何やら、異種間合意の行為なのであろう。

 当然、人間世界の野外セックスにしても、当事者間に合意があれば、罪には為らぬ事でもある。青カンは、動物の世界であるから、天然の個室なのだろう。

 そうこうしている間に、調子に乗ったエテ公の奴は、黒羊の前に立ちはだかって、事もあろうに、黒羊の頭を押さえて、何やら『口役』を強いている様子である。
 勿論、メス黒羊は、ウッ、メェ~の落した発声なのであるから、ご褒美の濃密プロテインの味かも知れぬが、真に以て、恐れ入谷の鬼子母神の沙汰であった。

 この異種間交尾の顛末が、異種間動物の止むに止まれぬ自然発生的恋の本能の結果なのか・・・ はたまた、優秀なる調教役のトレーニングの産物か・・・ はたまた、飼い主の人間の交尾を覗いて、『学習した結果』なのか・・・ 待て待て、人類史の出発点は、500万年前の『アフリカ大地溝帯』からなのだと云う。二足歩行以前の人間の祖先は、同族の猿たちと暮らす森の中で在った筈である。

 事は、生殖本能が突き動かす衝動の行為である。動物の本能に於いては、人も猿も大差は無い筈である。人が猿の行為を真似たのか、猿が人の行為を真似たのか、そもそも、人も猿も同根の種なのであるから、何百万年前には、共通の行為だったのかも知れぬでは無いか。

  『踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らなきゃ損損』の唄もある。

 動画撮影者の撮影風景が一切不明なのであるからして、異種間動物の交尾未経験者の私としては、一切のコメントを差し控えるしか無い処なのである。
 余りにもオドオドしたエテ公の視線の揺らぎに、生殖本能にカッカ走っている暴走ザマの、強引さが感じられない雰囲気を、事に及んでも幾ばくかの冷静さを保ち続ける人間族としては、如何に解釈するかが、評価の分水嶺とは為ろうか・・・

 続いて登場したのが、犬、犬のオンパレードであった。いやはや、犬の対象範囲は、凄いの一語に尽きる。猫、ポニー、ライオン、トラ、ラクダに人間の雄雌に拘わらずのレパートリーの広さは、万物の長として、大いに見習わなくては為らない『度胸の良さ』なのかも知れぬ。

 私なんぞは、全く消極的過ぎる。女日照りの日々に、美人・美形を見ると、その美しさに畏まって、<あな、畏こ、穴、欲しこ>の平伏と願望を、心の中で唱えるしか出来ない『小心者』なのである。
 然しながら、羊への手籠め為らぬ『手込め』位は、果たせてもライオン、トラ相手にぁ、恐怖で一切近付く事も出来ない。

               とほほの体たらくでありまする。

 ありゃりゃ、こんな戯け日記を打っている間に、煌々たる満月のお月さまの登場で御座る。嗚呼、吾が日々の何と見苦しきかな・・・あな、恥かしや。恥かしや。


心何処ーショート へへへ、お互いに流れる血なり。
           へへへ、お互いに流れる血なり。(4/16/11)
 昨日は母をディ・サービスに送り出し、久し振りに一人の時間を過ごした。イカスミを塗した裂きイカを口に、ウイスキーをチビリチビリ遣りながら、庭を眺めて居た。

 そんな過ごし方をしていると、歯の詰め物がポロリと取れて仕舞った。歯医者に行って来なければ為らないのではあるが、そろそろ母が帰って来る時間である。留守にしては、拙かろう。時計を見ながら、・・・眠く為って来る。

 漸く、母のお帰りである。見るからに疲労困憊の態である。心臓が踊って、息も絶え絶えの様子である。歩けずに、物も言わずに這っての部屋戻りである。プライドがズタズタに切り裂かれた感じが見て取れる。
 お礼を言って車を見送り、母の様子を見に行く。小さく為って仕舞った老母は、ベットの中で大きく息を吐いて居る。悪いとは思ったが、歯医者に行ってから話を聞く事にして、家を出る。

 虫歯が進んで、被せ物の周囲が脆く為って取れて仕舞ったとの事である。無理もあるまい。私は全て自歯で、噛み応えのある物が好きな性質である。
 既に生長点を失った、今年63に為るロートルの歯であるからして、むべ為るかな・・・の諦めである。周辺の虫歯部分を削っての歯型取りをすると言う。

「一寸だけですから、麻酔無しで遣ります。痛いかも知れませんから、我慢して下さい。」

 何度か神経を直撃されて、苦悶、脂汗の態である。型取りをして、次の回で終了との事。

 帰って来て、母にお試しディ・サービスの模様を聞く事にする。車椅子での入浴であったらしい。ディ・サービス施設の見学をして来て、風呂の素晴らしさに、私は温泉並みの雰囲気だと母を促した処であった。
 私の『温泉』の言葉に、閉じ籠りの老母は、じっくりゆったり芯から温まれる温泉風呂に入れると連想していたのである。体操をさせられ、歌を歌わされ、老母はすっかり日常から『異空間の体験』をさせられて仕舞ったのである。途中で、動悸が激しく為り、苦しくて、食事も喉を通らなかった由・・・

 血圧の上がったボゥーとした顔と詰まる喉から、

「お前が、少しでも楽に為る事だから、・・・ 我慢しなくちゃ・・・」

「母さん。申し訳ない。好いんだぞ。94にも為って、我慢する必要なんか、何処に有る。駄目に為ったら、俺が風呂に入れて、体を洗って遣る。無理させて悪かったな。ゴメンな。お袋。申し訳ない。」

     胸が詰まって、それ以上、母の顔が見れずに、自室に入った。

             有難う。お袋。頑張ったんだなぁ。

 幼稚園の遊戯と歌の時間が嫌で、幼稚園に行けず橋の下で過ごし、行った振りをしていた男である。入学すれば教師恐怖症で、登校時間になると神経性腹痛を覚えて、登校拒否をした男である。
 多感な中学生の時代は、他校のチンピラ相手に大立ち回りをして、その意趣返しに、チンピラ達に家を取り囲まれた男である。
 女優の名前を間違えて、その間違いを兄達の前で『親権』を振り回す様にして言い張る母の頬っぺたを、<正解の前に、親子の垣根は無い>とばかりに、思い切りぶん殴って、兄達から『親に手を上げるとは何事ぞ!!』と、半殺しの目に遭わされた男である。

 母は、弱い子・曲がった子に育てたら、あの世のオヤジに申し訳が立たないと、毎日、学校に連れて行ってくれた母であった。感受性の強い、曲がった事を拒絶する一本気の性格と腕ぷしの強さ・肝の短さに、このまま行ってしまったら、何時かは他人様を殺してしまうのでは無いだろうかと・・・私の内部に潜む『黒い血』を見て、心を悩まして居た母でもある。

 私は、どれほどの『母の恩』に与かって居る事か・・・ 母は傑物の女である。そして、私と母には、同じ血が流れて居るのである。同類の血を持つ同志であるから、その衝突の場面は、他の兄弟達とは大きな違いがあった。それは言葉を交わさなくとも、互いの顔の表情、態度を見れば、直ぐに感知出来る処なのであった。

            流れる血とは、そう云う物である。

 馬鹿野郎が、何が、『お前が、少しでも楽に為る事だから、我慢しなくちゃ』だと、俺は、その何倍も、お袋に我慢をさせて来たんじゃないか。今度は、育てて貰い、黙って見守ってくれた『お袋の恩』に、俺が応えて我慢する番だぜ。

        申し訳ない。お袋。気を遣って貰って、有難う、有難う。

 核家族、マイホームが、個人的豊かさのライフスタイルであると云うのが、戦後民主主義の時代の趨勢でもあった。
『亭主、元気で留守が好い。』は、個人の本音部分を良く言い現わしたCMのキャチコピーである。自分で出来る生活ならば、女族、男族を問わず、当然の個人の本音部分である。

      然しながら、世は高齢化社会へ、まっしぐらの御時世である。

 田舎に取り残されてしまった父・母は、元気な内は、それで親子共に、好都合なのである。親子が同居しない老齢化社会で在っては、『業(ぎょう)』として介護のフォローをする必然性が、社会に生じて来る。介護はマンツーマンで遣る事は出来ない業としての側面が、当然にして在る処なのである。

 反復継続の有償行為としての『業』の経済単位として見れば、不特定多数への反復継続の行為は、画一的・効率的・マニュアル的なサービス提供を実践して行くしか方途は無かろう。社会とは、そう云う物である。
サービスを受ける個人とサービスを提供する側との軋轢、解離は、言って見れば1/100、1/200と1/1の別次元の平行線でもある。多かれ少なかれ、それは仕方の無い事である。

             へへへ、止む無しの結果なのであろう。

 ケア・マネージャーさんから、電話を頂戴して、その旨を話し、ディ・サービスの契約はしない事にする。

 苦笑いの態で、裂きイカをガッポリと口に放り込んで、ウイスキーを注いで、トホホのアルコール消毒をしている最中に、今度は反対側の詰め物がポロリと来てしまった。アジャジャ~、こりゃ、明日も歯医者へ行かなければ為らない。

 夕食後、部屋に帰ろうとすると、『鬼平犯科帳のスペシャル』があると引き止められる。

「そりぁ、好い。見て行くか。」

 時代劇は、この位の重厚さが無くちゃ~、決まり掟と義理人情の江戸話である。仕事・役目、裏表の柵の中にも、人情の機微、道理を交換し合って、長と部下・仲間と仲間・夫婦の味・色は、何一つ伝わっては来ませんわね。

     全部ひっ包めて、日本人の精神性が、『鬼平犯科帳』には在る。

 何時に無く、私への御機嫌取りの様な饒舌な母の姿に、息子を気遣って居る<親心>が嬉しい限りに在った。
日本人が最も得意とする人情話の2時間スペシャルで、芸達者な役者さん達のお陰で、テレビ画面への情の涙では有ったが、テレビドラマに乗せての、老母への親の有難さのロートル倅の涙でも在ったのである。

 へへへ、信長さんの人生50年の清元では無いが、人間も還暦を過ぎると、筋肉弛緩のザマである。尿道の締りも、胸の締り・涙腺の締りも、すっかり緩んで仕舞った物である。

 遺憾いかん・・・傑物婆さんに読心術をされぬ内に、自室に逃げ込むしかヤンチャ倅の沽券は保たれないのである。ギャハハ~。

 今朝は、正調ホー、ホケキョの二連発を聞いて起き、歯医者に行って治療をして貰った来た処である。


心何処ーショート 老母は、お試しディ・ケアなり。
           老母は、お試しディ・ケアなり。(4/15/11)
 母をお迎えのディサービスに送り出し、小部屋から庭を眺めている。今日も温度が上昇して、5月下旬の陽気に成るとの事である。

 あれよあれよという間に、雪柳の花は咲き、水仙は黄色の花を一斉に開く。木瓜の薄紅色の無数の花覆い、枝に塗したプラムの白い小花が開いている。

 地面は、夏のマンジュシャゲの咲き誇りを球根の養分として蓄える為に、水仙葉の5~6倍もの大きさで、地面を覆い尽くしている。

 その片隅には野生種のシャクヤクが、赤みの強い褐色の幼芽をポヤポヤと伸ばし始めている。母の部屋の前の園芸種シャクヤクは、薄緑の幼葉を太陽に向けている。

 大分の風に揺れる外である。その中を、小さな羽虫が光の中を流され、蜘蛛の糸が、時折、光に輝く。

 クリーム色のサクラソウ、ピンクのシバザクラと、春遅い信州は一気に活気付き、百花繚乱の喜びである。山国信州の、一年で一番好い季節を迎えるのである。唯、難点を一つだけ言えば、錆びついた喉で、ホー・ホケキョの一日だけで、山に帰ってしまった<鶯の薄情さ>である。

 窓を一杯に開けてボケーと、春の匂いなどを浴びて居たい処なのではあるが、窓を閉めていても、花粉症の鼻水と目の痒さである。

 携帯ラジオからは、何々、松本地方は強風注意報で、お天気さんは下り坂との事である。まぁ、乾いた大地であるから、天からの水掛けが必要な処である。ハイエナ・ギャングのヒヨドリにリンゴの微塵切りを与えて、独鈷周りの苔達に、『命の水』をタップリと施して遣らねば、これまた片手落ちと云うものであろう。

 バケツ2杯の水撒きをする。乾涸びてしまえば、苔の骸は何故か<不毛の砂漠>を連想させて終う。然しながら、一滴の水で、緑を蘇らせる苔の緑は、私にとっては『魔法の生き物』なのである。

 苔生す日蔭の静寂が好い。苔の織り成す柔らかで、深い色合いが好い。
 陽を浴びた緑の、ぽつねんとした瑞々しさが好い。
 湿気と木漏れ日の、空気の奥ゆかしさが好い。

 其処には、自然の持つ静寂に包まれた奥深さが、息づいて居る。
 言葉なんて、面倒臭い手続きなど、一切不要な風景と雰囲気がある。
 見て感じて、自分の頭、心に過る物と対すれば、それだけで好い。

 考え知る必要も更々無い。唯一人、身を置けば良い。
 匂いと風と静寂さを感じさえすれば、好いのである。

 そんな事で、私は子供の時から、苔の持つ神秘性に魅かれていた次第である。

 水を吸った苔の小スポットに緑が蘇り、独鈷に置いた餌台に主鳥のヒヨドリが止まっている。落ち着いて、飼鳥の様な餌の啄みである。風が背中の羽毛を逆立てて、流れ去る。

 お前さんは、きっとお頭が軽いから、俺様の親心が分かるまい。日向の水分の蒸発量を見込んで、薄っすらと水に浸されているのが、お前さんには分かるまい。

 それにしても、コイツは本当に野生さんなのかね? 無防備も、此処まで来ると飼鳥の様であろうが。

 窓を開ければ、ヂンチョウゲの香が鼻を擽(くすぐ)る。さてさて、煙草も後数本である。買い出しにでも、行って来よう。煙草吸いは、煙草と食料が同列なのであるから、嫌煙者には鼻も引っ掛ける価値も無い輩なのであろう。

 午後の一時は、昼寝誘眠剤の肩の凝らない本でも捲るとしようか・・・ へへへ。

心何処ーショート やれやれ・・・
                  やれやれ・・・(4/14/11)
 賄い夫を何年も遣っているから、世間様とは半日位ずれた生活を送っている。依って、世間様の朝には、全く付いて行けない。この数日、世間様の電話に、慌てて布団から飛び起きている次第なのである。
 
 要件の向きは午後からにして貰い、風呂に入って髭剃り、洗濯の後に幾つかの手続きに行く。車椅子利用の更新に、車に乗せて行く。南部センターはTの家の近くであるから、車ついでに、小部屋の逝かれてしまった旧PCの中古本体でも買って来ようと考える。

 この数日の暖かさに、女鳥羽川沿いの桜も一気に開花して来た。二件の用足しを終えて、彼に電話をして、家に寄る事にした。真に以って、好いお天気である。娘さんが、子供二人を連れて、玄関の前で、爺、婆と春の陽気を楽しんでいる。

 私の方も、昨夜は倅が、孫の写真を見せに寄ってくれた処である。婆さん相手に、老母と倅は、黄金コンビの様相で、出産と孫の様子を、愛想を崩し放しで喋っていた次第である。T夫婦も、孫二人を抱いたりして、愛想が崩れ放しの態である。兎に角、子供と違って、孫の可愛さは格別なのだと言う。

 まぁ、そうには違いあるまい。孫の大ヒット曲もある。現役時代の自分の子供と、退役ロートル時代の孫とのお付き合いなのであるから、それも当然の風景という物であろう。

 私の方としては、黙秘権、不貞腐れ、疲労の寝込みである老母を宥め賺して(なだめすかして)、漸くの明日の『ディケアお試し行』に漕ぎ着けた次第なのである。鬼でもない限り、張っていた気持ちが緩んで、タイテのコラサの疲労状態なのである。とほほ。

 現役時代だと、こんな事はチョチョイのチョイで楽な仕事だったのだが、『何もしない』のが当たり前の日常なのであるから、兎に角、『人疲れ』がして終うのである。こんな比較をすると、サラリーマンのストレスと云うものは、並大抵の『ストレス生産工場』だったのである。

 友の入れてくれるお茶を飲みながら、庭に遣って来るヒヨドリ観察である。奴も、私に感化されて、野鳥図鑑などを手元に置いているとの事である。野鳥観察は、私の方が年季が入っているから、質問に答える。

 ヒヨドリ、メジロ、未だ調子の出ないウグイスも徘徊しているらしい。イチョウの木の幹から捻くれて、棘を出した様な小枝の突起に、リンゴが刺してある。奴曰く、生意気なヒヨドリなので、施し主は、意地悪をしているとの事である。

 様子を窺っていると、相当な常連さんの様である。自分の当然の居場所と心得ている様子で、ヤクザもどきの二人が見て居ても、何処吹く風の態である。尾羽が抜け落ちているから、遠目の逆光に、細長い嘴を度外視すると、コムクドリのシルエットに見えてしまう。

「朝、カーテンを開けると、ギョエーなんて汚い声を張り上げて、餌の催促をし遣がる。俺は、容姿端麗なメジロが本命だから、無理と食べ難くセッティングをしてるんだわ。」

 話を聞いていると、メジロは小まめに顔を出すとの事である。本鳴き前のウグイスの声も聞こえると言うのであるから、きっとメジロ、ウグイス達が、潅木の茂みに身を隠しながら遣って来る<保護色の緑の回廊>がある筈である。
 帰りに、周囲を見回すと、為るほどの緑のオアシス、低木の緑の回廊が、チャンと存在しているのである。

人間の目には、街場、都市にしか見えない人間の風景も、野生の鳥瞰図からすれば、シルクロードのオアシスが点在する様なのであろう。

 土曜日のコーヒーブレイクは、オヤジさんの退院日で、パスとの事である。電化製品の量販店を二店回って、中古本体を仕入れて来た。

 セッティング、インストールをして、久し振りに年季物のPCに向かって、本日分の日記打ちである。陽気の好くなった春であるから、庭の見える小部屋にPCが無いのは、何かと不便な物なのである。四畳半と小部屋を行き来すれば、何かと目の保養、気の保養にも為る。

 夕食後の時に、老母は明日のデイ・サービスへの用意として、ベット上の物を、杖の取っ手で広げて見せる。一々、説明して、落ちが無いかと確認の沙汰である。

 へへへ、老いたりと云えども、賢母様は大したものである。所帯を持つまでは、全て抜かり無く、用意をしてくれていた母の姿を思い出した次第であった。母に比べると、面倒臭がり屋の私など、泥の中でクネクネするだけの泥鰌(どじょう)男である。

 泥中のどうしようも無い物臭から転じて、どうしようも無い→どーしようもない→どしょうもない→どじょう・・・と転化したのかも知れぬ。どじょう、ドジョウでは、些か格好が悪いから、泥鱠とは書いた物の、何の事は無い。たかが、『どろ・なます』でしか無いのであるから、結論としては、どじょうも無いロートル・オヤジなのである。

 やれやれ、これで一区切りが付いたのであるから、温い泥田布団の中で、ひねもす昼寝が出来ようぞ。人間、慣れぬ事を遣っては行けないのである。イッヒッヒ・・・

心何処ーショート 親心、子心。
                  親心、子心。(4/13/11)
 歌謡ホールを見終えて、母の部屋のポータブル・トイレの場所を整えて、自室に戻りコーヒーを飲んで居ると、携帯が鳴り始めた。電話を取ると倅である。

「おう、やっと生まれたかね。」
「嗚呼、やっと生まれたわ。一週間遅れで、参っちゃったよ。オヤジのブログ読んでるから、悪いと思って居たんだけど・・・ こればかりは、女の仕事だからね。アハハ。」

「まぁ、俺も男だから、馬鹿みたいに急かす訳にも行かないし。何かあれば、電話が来るだろうから、待つしか無いわさ。」
「お母んからも、電話が来ないし。予定日が4/5だったから、口には出さないけど、気を揉んで居たんだろうけどね。まぁ、それが、R家の家風だからね。へへ。
 処で、オヤジも大変だね。婆ちゃんは、難しいからね。こればかりは、オヤジじゃないと、操縦出来ないもんね。イッヒッヒ~。」

「いやはや、今日のブログを読んだ通りさね。俺は、もう、昨日今日で、ゴマスリ男でさ、ッタク、疲労困憊だわさ。
 下手に糞婆ぁ、何て手を上げたら<親殺し>で、マスコミの格好の餌食に為っちまうしな。俺が、刑法学んで居た時分には、親殺しは『尊属殺人』って、特級の外道・畜生の犯罪だったからな。ギャハハ。」

「婆ちゃんは、臍を曲げると、一瞬にして、難物中の難物に化けちゃうからね。活字の中に、オヤジの顰め面が見えて来て、悪いとは思ってるんだけど、一人で腹抱えて笑って居るんだわ。

 今日のTさんとの遣り取りの<・・・>の部分は、倅だから、オヤジの持て余し顔が、手に取る様に透けて見えて来るからね。イッヒッヒ~、で、もうもう、活字が前に進まなかった物。アハハ、オヤジは立派だよ。俺は、スパルタ親爺の印象ばかりが先行してたけど、オヤジも、丸く為ったもんだわ。へへへ。生半可な人間じゃ、これ程のピエロにもタヌキ親爺にも為れんわ。

 ねぇ、ゲラゲラ笑わせて貰って、何時も奥の深い勉強させて貰ってるよ。まぁ、こう云った硬軟使い分けの、一級の教科書なんて、そうザラには無いせ。楽しみにして、毎日、読んでるからさ。まぁ、何しろ、オヤジはしぶとい根性してるわ。」

「このスイカ頭の馬鹿野郎が、おちょくり遣がって。倅が幾らベスト・レクチャーだと煽てたって、<教科書の印税>は入っちゃ来んわね。
 でも、これでお前さんも、『オヤジ道』の茨の道を歩み始めるって事だ。ザマァ~見遣がれ。大いに泣き面を掛けや。婆さんに、報告するから。何時生まれの何グラムだや。」

           明かりを消した母の部屋に、報告である。
「はい、婆さん。お待たせ。22:20、体重3300g。母子とも、健康だってさ。」
「そうかい。生まれたかい。嗚呼、これでホッとした。好かった好かった。ありがとう。」

 当初、4/1→4/5に伸びた事が記憶に無くて、てっきり4/1と思い込んで、電話は未だかと、待ち受けて居た老母である。伸びた事を説明して遣り、5日の電話をヒタスラ待って居たのではあるが、とうとう鳴らず終い。

 私の方も、人相風体は悪いが、根はマトモな男である。或るお方のブログコメントの中に、孫の出産予定日の大幅な遅れに、気を揉んで居る様子の物が有った。そんな事も有って、予想の中に入れて置いたのである。

 先日は、何を言うと思ったら、母が「○君は,東日本震災の応援で行って居るのだろうか?」との質問であった。
「そうじゃあるまい。未だ、生まれて居ないから、電話が掛って来ないだけだわさ。アイツは真面目な男だから、何かあれば必ず、連絡があるわね。信じて、黙って待って遣るのも、<親心>だわね。アハハ。」

 普段は、私をセッカチなんだねぇと、笑い飛ばしている癖に、好い気な物である。老母=12-1=11、私=12-5=7であったから、老母としては、長い長い待ちの日々であった事は、想像に難くない処である。

 ベット横のポータブル・トイレも揃った事でもあるし、待ちに待った命の誕生である。心置きなく、眠れると云う物であろう。ウッシッシ!!

 私はロートルの早起きとは違って、夜の遅い生活である。聞き慣れたコツ、コツの頻尿の杖の音と、トイレの流し水の音が聞こえないと、変に心配と為って来るものである。
 明けて、母の部屋の戸を開けベットの老母に声を掛けると、歩かないで済んだから、楽だったとの事である。便器のバケツを持って、トイレに流してセットする。

「男の子に、こんな事までさせて、済まないねぇ。感謝感謝。」
「あいあい、俺ぁ、神様だぜね。なぁ、楽だろ。便利な時代は、時代に乗っかるのが、早道だわな。アハハ。」
「はいはい、お世話になります。」

 今日も、日差しの溢れる好いお天気さんである。親心に、子心。紆余曲折・所々に落とし穴もある凸凹道ではあるが、三代に通う心の絆を、ニャロメ!! アハハ、ギャハハ、トホホで進んで行くしかないのが、人間なのであろう。

 人間とは、長生きをして、その時その時の気分風景の積み増しにこそ、人生の色合い、風合いが描き込まれて来るのであろう。これまた、半端者の愉しみの一つなのかも知れぬ。


心何処ーショート アッシャ~、疲れましたぞえ。
            アッシャ~、疲れましたぞえ。(4/12/11)
 桜は、まだまだではあるが、梅は花盛り、シバザクラも濃いピンクの映えを見せている。それ以上に映えて居るのが、水槽の金魚達である。朱も赤も白も、鮮やかな膨張色を見せ付けて居る。

 本日は、9:30に介護器具とトイレの手すり等の見積もりに来てくれるとの事であった。ロートル家庭としては、早い朝飯にする。食事の洗い物をして、訪問を待つ。

 昇降機能の付いた座椅子は、優れ物と見た。夜のトイレ用に、木製のどっしりタイプのポータブル・トイレも購入する予定である。風呂は、デイサービスの施設を利用した方が、安全だし、周りに触発されて、気晴らし、活力付けにも為るとの事である。箱形の歩行器も施設に有るから、それを試して見るのも好いとのアドバイスである。

 一々、ご尤もなアドバイスである。最大の難関は、駄々を捏ねる老母を、如何に連れ出すかの『説得』にかかっている。気丈さは、子育て、独居暮らしには、最大の功の部分ではあった筈だが、老衰進む日常に於いては、独立独歩の気丈さは、真逆の負の障害部分である。両刃の剣とは、良く言った物である。

 難敵は、長年に亘っての精神の引き籠り・硬直である。その強張りの揉み解しには、多大の時間と神経を、工程の中に挿入しなければ為らない処である。此処が、タヌキ親爺の本領発揮なのではあるが、・・・

 然しながら、これが一筋縄では・・・ 事が運ばない難儀な処なのである。頭の重い処としか言い様が無い。午前の部が終わって、午後の部が待ち構えて御座る。とほほ・・・

 一応の話が付いて、自室でケァ・マネージャーの差し出す書類に記名押印をした後は、愚痴話のお相手をして頂く。とは言っても愚痴半分、馬鹿話半分のへへへ笑いである。

 正直な感想からすると、他人様の女房殿ではあるが、其処はセクハラトーク無しでも、男にとって女性は、何かと心が解れる物である。男と女の対の関係は、無くては為らない『気分の潤滑油』の様な物であろう。ついでに、介護をする私のモヤモヤのガス抜きケアを、して頂いた次第である。イッヒッヒ。

 世は、高齢化社会である。介護される者、介護する者、看護を援助する者、介護器具の物心両面が必要と為る。どうせ、ご厄介に為らなければならない事、物には、素直に流れに乗って仕舞うのが、得策と云う物であろう。

 ベテランさんの聞き上手と人柄が、きっと看護のケア・マネジャーの仕事なのであろう。

 終わって母の部屋に行くと、変な愚痴話をして来たのかとの『母の探りと声掛け』である。短い声掛けではあるが、棘のある語調である。

 折角の一週間のお試し椅子なのであるから、素直に据わって居れば好いのに、私から見ると、不貞腐れた様な態度で、別の所に据わった儘である。

 はいはい、左様で有りまするか。お節介が、過ぎましたで御座りまするか・・・

 こんな時は、携帯を持って、車の中でガス抜きが特効薬である。Tには悪いが、電話で感情の沸点を下げるのが、一番の処方箋である。炉心熔解であっては、原発同様の後処理が大変な事と為る。

「おうおう、如何したや? そうか、そうか。・・・ そうそう、家の爺っさも、全く、そう。本当に、生意気で、頭を張っ付けて遣りたい気持ちさ。・・・ 

 そうかそうか・・・ そうそう。何とか口実を付けて、連れ出す事だわな。 ・・・ うんうん、・・・ 嫌だ嫌だと言ってても、一回、外の世界に出しちゃえば、前に動き出すってぇのが、人間の性だぜな。

 へへへ、・・・ しゃー無いしゃー無い、それが一里塚ってもんよ。カッカ、カッカと興奮しちゃ行けねぇよ。お前、目を三角に釣り上げてるだろ。目に見えるわ。イヒヒ。

 そうそう・・・ 何しろ、俺も立派な経験者だわね。今じゃ、糞爺っさの野郎は、週二回の入浴介護に、ウキウキしてさ、涎を垂らしてるザマだぜや。なぁ~、歳を取ると、子供に還るとは、良く言ったもんだいね。アハハ。

 あいあい、そう云う事だいね。俺達も、後何十年かすると、爺っさ、婆っさの歩いた道を歩くだいね。

<この野郎、巧い事言うじゃないかぇ? この道は、何時か来た道~。嗚呼、そうだよ~。爺っさ、婆っさの歩いた道~。ってかい?>

 あいあい、大分、音程が狂ってるけど、そう云う事だいな。まぁ、愚痴は何時でも聞いて遣るぜ、ボチボチ誘導して行きましょや。お互い、介護は大変だねぇ~。ニャッハハのハ。焦っちゃ行けねぇよ。」

「アイアイ、サー。ありがとさんよ。」

 へへ、こんなTからの暖かいエールを頂戴していると、手摺取り付け工事の申請写真を、撮りに参られた。何事も書類申請・審査の御時世である。仕事の終了後、自室でコーヒーよもやま話とする。

 東京生まれの東京育ちのS17年の産との事である。面白い経歴の持ち主さんで、難病を患い、脱サラで伊那で農業を始めた物の、病気が発症して、松本の病院暮らしの後、介護の仕事に転職したとの事である。

 へへへ、男同士の話であるから、矢張り年配者さんの話は、人生の含蓄が随所に嵌め込まれて居て、拝聴に値する内容である。。母上は大分前に他界されたと言うが、昔人間の頑なさには『往生』したとの由。息子が介護用品の仕事をして居するのに、とうとう使い終いだったとの事である。

 闘病生活で、お世話に為った医療の末端の介護の仕事に着いたのも、感謝の気持ち、年老いた婆さんを見ると、自分の母親が二重写しに為るとの事である。因みに、母より1歳下の母上は、5年前に他界されたと言う。

 何事も、経験が人間を作るから、人生の経験は何一つ無駄には為らず、何かの時、拍子に、経験が顔を覗かせて来る物だとの『人生感想』である。経験とは、『自分の中に、取り込む事なのだ。』と言う。
 確かに、私も、何故か、そんな事を考え始めている昨今である。血の気が多過ぎて、半端な自分ではあったが、こうして老母と向き合って、二人暮らしの日々を重ねる身である。

 短腹を起こしそうになる気持ちを抑えて呉れて居るのが、オヤジであり、他界した兄達の見えぬ手なのかも知れぬ。・・・と、思いつつある今日この頃なのである。

 いやはや、こんなウンウンと頷くばかりの話内容である。ゆったりとしたテンポで、話を伺えるのも、こう云った事があったればこその『話の泉』なのである。午後に、仕事に行く途中で、ポータブル・トイレを持って来てくれるとの事である。

 玄関が開いて、どっしりとした木製ポータブル・トイレのお越し入れである。説明を聞いて、早速、母の部屋に配置して、説明を繰り返す。

 へへへ、母の顔も穏やかに為って、大きく頷いて笑って居る。いやはや、物臭男には、長い一日とは為った物の・・・ 『必要は、諦めの素直さ』に向かいつつある様子である。デイサービスへの入浴も、納得してくれた様子である。重い岩戸の扉も、開いたのかも知れない。

 ウッシッシなり。それにしても、アッシャ~、疲れましたぞえ。皆様、有難う御座いました。


心何処ーショート 静かな月曜日
                  静かな月曜日(4/11/11)
 静かな朝である。ボケーとしているから、何も頭に浮かんで来ない。午後からは、ケァ・マネージャーさんが見えられるから、掃除をして風呂を沸かして置こうか・・・

 母も老衰が進み、何かと補助器具のお世話に為るしか無いのである。親子と云えども、お互い性格に気難しさを共有している処である。老母の自尊心を傷つけない様に、事を進めるのが肝要なのではあるが、私の温和さなどは、底の浅い三文演技でしか無い。

 必要は、発明の母ばかりでは無い。<老衰は必要の諦め>と云うのも、紛れも無い一面でもある。ロートル親子の静かな毎日である。こんな事を可能為らしめて居るのも、二人きりの生活が出来るからなのであろう。女房子供が同居していたら、短腹な私の性格では、自分を曝け出して、バトルの『見苦しい絵』を描き連ねて仕舞うだけの事である。

 考えて見れば、マグマを噴出させてくれる御相手さんが居るから、そんな相棒さん達のご厚情に縋って、<自分の身勝手さ>が出来るだけの事である。

 私も遅ればせながら、大分、大人に為って来た物である。子分無しの日々は、天に唾すれば、その唾は『自分を直撃』するだけの事である。考えても仕方の無いニュートンの万有引力の仕返しである。これまた、自明中の『自明の理』でしか無いのである。

 哀しいかな、私は造りが粗雑にして粗暴に出来て居るから、何度も経験しないと身に沁みない半端者なのである。

 補助器具の冊子をペラペラと母の前で見せて、ロートルのニヤニヤの様子見をしている次第なのである。へへへ、老衰は、必要の諦めなのである。全く、往生際の悪い婆さんである。

 子供達の前で、私は女房に、『Rさんは、本当にタヌキ親爺なんだから、騙されちゃいけないよ。本性は、コイツは、とんでもない男だよ。こう云うのを女の敵って云うんだよ。嗚呼、騙された~。アハハ。』なんて台詞を扱かれて居た物である。

 私としたら、『何を扱きゃがる。この馬鹿女が、周りの出来が悪過ぎるから、奥ゆかしい俺が、慣れぬ演技をしているんじゃい。<白鳥は哀しからずや、海の青、空の青にも染まず漂う。>の牧水さんの心が読めんのじゃい。
 男族の寂寥感なんて、高級素材の有難味が理解出来んのじゃい。所詮、女族には屁の河童の沙汰なんだろう。こんなハンサム男を前にして、偉そうに、『女房の特権』を振り翳して、この罰当たりが~、手前の顔を鏡で見て来遣がれ!!』なんて、ニヤニヤしていたのである。

 ストッキングと女が強く為り過ぎたと云うのは、戦後日本の歩みとの事でもある。小中学校での教師の嘆き節の一節に、確かそんなご卓見が在ったと記憶している処である。教師の茶化しに笑いこけては居たが、この言葉の裏には、既婚者の深い深いペーソスが漂った居たとは、学童の私には、透視する能力が無かった。後年、知るに当たって、吾が理解度の浅さに、タダタダ恥入るばかりであったのである。ギャハハ!!

 勿論、こんな真っ正直な突っ込みなどは、私は小心者にして、奥ゆかしい人間であるから、そんな正直な『真理』を口にするのも憚られる処であるから、当然に、一切口にしなかった次第なのである。

 斯様に、・・・ 兎角、・・・女族と男族とでは、演技度が違うのである。『知らぬが花、言わぬが花。』の奥深き対人関係こそが、幸せ運ぶ生活の知恵なのであろう。きっと、辞書を引けば、包容力の根底には、タヌキオヤジの有用性に言及した物がある筈なのであろう。

 さてさて、風呂に入った後は、残り湯で丹念にトイレ掃除を致そうぞ。こんな時が無いと、ズボラ男は拭き掃除なんて事は、絶対にしないのであるからして。母が風呂に入って居る間に、そそくさと男の大雑把な掃除と、家の淀んだ空気の総入れ替えである。

 ハハッ、ハクション、ハクション、ツルツルと、別に女族の悪口を言った訳でもないのに・・・ ハンサムロートルの高い形の好い鼻からは、花粉症の高笑いのお越しである。

 兎角、この世は、総べからず、男の好さが分からぬご時世と為った物である。ニャロメ!!

心何処ーショート 日曜の雑感
                  日曜の雑感(4/10/11)
 本日は、県会議員選挙である。政治家不信の沙汰なのであろうか、如何も、行く気に為らない。別段、支持政党、支持候補者が居る訳では無い。棄権も白紙投票も、選挙行動の一つには違い無かろうが、投票所に行かないと云うのは、些か気が退ける。

 ラジオでは、最低の投票率に為る雲行きとの事である。重い腰を上げて、一票を投じて来た次第である。

 コタツで転寝も気温が上がって来たから、熱くて堪らない。久し振りに、布団の中で昼寝を楽しんだ次第である。久し振りの昼夢を見て居た。

 何やら幼児の娘にせがまれて、私はアンマテンコをして、娘にハタキを持たせて、遊んでいる図であった。歳を取って、家族と離れて生活をしている所為か、年に何回か、子供達が小さい頃の夢が、出て来る処なのである。これも、老化現象の一つかも知れぬ。トホホ。

 本日、日曜日である。NHKの大河ドラマは、今シリーズは願い下げであるから、夜はテレビとのお付き合いも無い。震災一カ月であるから、多少は時間を掛けた『骨太の番組』もあるのかな?と、期待はして見た物の、頭の足しに為る物は無かった。

 一か月経過の状況なのであるから、その方面の識者達を招いて、数時間でも、半日を掛けて、救助・救援・復興スケジュールに就いて、それなりの反省、総括をして、青写真を話し合って欲しい処なのではあるが・・・

 映像ニュースの交通整理も好かろうが、平時とは違うのである。じっくりとその道の専門家さん達のご高説を公聴する機会など稀なのであるから、放送して貰いたかったのではあるが・・・ 通常番組の芸NO人アワーであると、興醒めでしかない。

『未曾有の国難』を定冠詞に置く為らば、未曾有の国難に対して、国の心構え、国民の心構えを、語り、導いて行くのも、マスコミ、有識者達の使命なのでは無いだろうか。

 震災を知り、原発を知る。地域を知り、国を知る。市町村、県、国家の行政機構と政治機構を知り、政治家達の力量を見る。官民の違いを知り、組織の機能を知り観察する。支援・援助国に礼を言いつつ、各国の比較をしながら、今後の付き合い方を心に刻む。

 色んな視点を提供して下さるのが、有識者さん達の論点・視点なのである。国難を乗り越えて、強力な国家を造り上げて行くには、国民が共有出来る方向性を創り上げて行く努力を、惜しんでは為らない筈である。

         長い期間を要する東日本の震災復興と日本の復興である。

 資金、技術、年月と、日本人の挫けぬ心と連帯の絆が、不可欠であろう。挫けぬ心と絆の涵養と維持は、真っ当な地道な生活の延長線上にしかあるまい。大変な時は、専門家の話をじっくり聴いて、識者の視点・論点を参考に、自分達の思考・行動・行為で、実現して行くより他は有るまい。

 人間から、精神性を失っては、社会的存在が危うく為るばかりであろう。聴いて、考えて知るべき時は、その土俵を作りましょうよ。


心何処ーショート 悪戯画も、ペラペラ、じっくりオホホの巻き。
           悪戯画も、ペラペラ、じっくりオホホの巻(4/9/11)
 雨は、本の少しばかりのお湿りを運んだだけの様である。独鈷周りの苔が、息を吹き返して、柔らかい緑を見せている。雪柳の小さな小さな芽吹きが、何んとも初々しい。木瓜の薄ピンクの弾ける寸前の蕾の集団が、春その物を現わして居る。

 金魚殿に餌を撒いて居ると、Tのお車である。コーヒースタバの女性スタッフさんへの目の保養である。戯けファイルを持って車に乗り込む。

「如何だい? 生まれたかい?」

「予定日を過ぎて居るんだけど、電話が鳴らないんだわね。婆さんは、気を揉んでるけど、俺は電話をしないんだわね。電話をすれば、又、電話をしなくちゃ為らない。
 そんな事で、男族のオヤジと倅が、気を揉んでも仕方あるまい。何しろ、俺は、奥ゆかしい人間だわさ。へへへ。」

 二階席のコーヒースタバは、思いの外、すきずきとして居る。隣席は、小学生の娘を連れた母親である。階下で、コミック本でも買って来たのであろう。頁捲りに忙しい様である。頁捲りの速さに、活字飛ばしの速読と見た。為るほど、これもコミック文化の為せる業なのであろう。

「ラジオもテレビも、放射能、放射能で、素人にはチンプン・カンプンの毎日だわな。困った物だわね。真面目に、時系列を追って、頭の反芻をして見ると、何の事は無い。風評被害を戒めている本部会見その物が、風評被害の発信元じゃないのかい。」

「お前さんが、そう言うんじゃ、そうなんだろうな。技術も医学も、或る意味じゃ実証学、臨床学の積み重ねなんだから、症例の積み重ねで、手術、処方箋を積み増して行くしかあるまいな。」

「哀しいかな。人類は、原子力に手を染めてから、未だ日が浅いからな。その危険性に注目して、技術・対処方を云って見た処で、現代文明に毒された俺達には、ノスタルダムスの大予言なんて代物は、『はい、そうですか』と。大拍手で迎える事も出来ないしさ。何しろ、分からんと言うのが、正直な感想だわな。」

「要約すると、そうなんだけどさ。原爆の広島、長崎、ビキニ環礁の第5福竜丸。原発のスリーマイル島、チェルノブイリ位しか、放射能ファイルは公開されて居ないだろ。

 米英仏の大気圏実験で、地球全体に放射能が撒き散らかされるって事に気付いて、地下爆発実験に流れが変わったと云ってもさ、鉄のカーテン、竹のカーテンの中じゃ、相変わらずのピカドン実験を繰り返していたと云うしさ、シルクロード人気で、大挙シルクロード・ロマンに行った人達は、被爆して帰って来たなんて事もある。」

「兎に角、症例が少な過ぎて、健康被害の線引きさえも、便利豊かへの受忍数値と絶対安心の2極分離して居るって云うのが、実態じゃないのかね。原子力爆弾の唯一の被爆国が日本のみだから、放射能アレルギーはレベルが高いんだろうね。」

「政府も、風評被害を口に出しては居るけど、体質的には放射能アレルギーを持っているから、O-157のカイワレダイコン、狂牛病の米産ビフテキ食いのパフォーマンスも出来ないでいる。
 そんな政治家達のパフォーマンス劇場には慣れっこに為って居るのが、茶の間のテレビ視聴者なんだしな。デカイ声じゃ、言えないけどさ。家じゃ、婆さん相手に、言いたい放題の下衆野次を飛ばしてるだぜ。

 米の土壌残留放射能汚染の問題と、ホウレンソウの解除の問題は、素人の首を傾げる難解問題だしさ。米の種食いとホウレンソウの葉食の問題は、如何するのかね。米だってホウレンソウだって、土壌から養分を取って、人間の食料に供されるんじゃ無いのかね。ホウレンソウは洗って食べる。米は、精米して食べるんずらい。
 植物の体内蓄積なんて、命題は如何するんだろうね。プリーズ、ティーチ、ミィ~。だんね。あい、如何知るだいね。」

<この野郎、フラフラ、オタオタし遣がって、こんな時こそ、握り飯、ポパイのホウレンソウ、ミルク、ビフテキだろうが。密閉ペットボトルの水だけじゃ、精が出んわね。風評被害は、先ず、手前の身体を張ってからじゃないと、説得力なんか、ありゃせんわね。ニャロメ!!

 天地創造の旧約聖書のアブラハムとイサク、予防接種の生みの親・パスツールとその子、麻酔薬の華岡青洲とその母・妻の物語があったればこその、説得力じゃろうが!! 

 未曾有、千年に一度の、国難国難、想定外の出来事と、直ちに、健康被害を引き起こすレベルじゃないとか、自主待避とか風評被害の防止なんて、どっちつかずの自己責任要請ばかりに明け暮れて、もう、彼是、1カ月を浪費してるんだぜや。腹の据わりも無い輩の口数だけに長けた輩の言動不一致ほど、風評被害の発信源はなかんべや。この根性無しが~。>

「なんてさ、思い切り、下衆の無責任悪態を吐いて居るんだわね。それにさ、電力不足不足で、テンヤワンヤしてるんだけどさ。つい先ごろまでは、エコエコの大合唱でCO2を25%削減とやらで、一人一人が出来る節電キャンペーンを拡げて居たんだわね。」

「25%削減に見合ったアンペアに付け替えちまえば、それで好からずよ。餓鬼の頃を振り返りゃさ。電力オーバーに為ると、ヒューズが溶けて切れたもんだぜや。蝋燭と、ヒューズは、家庭の必需品だったぜや。その内、ブレーカーなんて、洒落た物が取り付いたから、ブレーカーのヒモを引っ張るだけで、通電が簡単に為ったんだけどさ。」

「省電を実効為らしめるにぁ、川下お願い要請じゃなくてさ、川上管理で、省電アンペアへの取り換えを実施すりぁ、一発必中の沙汰だいね。電気が来なけりゃ、配給電力の容量以内で、無駄排除の生活をするしかあるめいよ。
今時の赤い蝋燭は、SMの必需品らしいが、真っ当な緩やかで仄かな蝋燭の灯の中で、夫婦が合体した方が、出生率は向上するんじゃないの。イッヒッヒ。

 こんなのは、言って見りゃ、『味の元』の販促会議で、男族の眉間に皺寄せ会議の時に、お茶入れの女子社員さんが、<男は馬鹿ねぇ、容器の穴を大きくして、穴の数を増やせば好いのよ。バカバカしい男会議~。> なんてさ。俺達が、大学の経営学原論の講義を聞いて居た時には、コロンボスの卵の目から鱗エピソードだったんだけどさ。
 
 発想の逆転なんて、スマートな言葉を使ちゃうから、考えるのが専門家集団に、丸投げされちゃうんだわね。考え様に依っちゃ、これだって、嫌味インテリ集団からの、大衆への思考停止の風評被害だぜや。」

「そうなんだよなぁ~、耐久財の車も10年も乗り回されちゃ、儲からんから、チョコチョコとマイナーチェンジして、新装を回転させてるだけだもんな。燃料・エンジン・アクセル・ブレーキ・ハンドル・車体・タイヤの基本は、何にも変わちゃ居らんのにな。」

「あいあい、要素分析をすりぁ、見えて来るのが、核心部分だぜね。穴のデカさと数を増やし過ぎたんだったら、絞りゃ好いだけだわさ。ダイエットなんて、絞る事に就いちゃ、ノウハウ本、成功体験本が、ワンサカとあるのに、世の中、如何為っちゃっているんだろうね。ギャハハ。
 俺ぁ、馬鹿で下品だから、お高く止まったインテリさん達には、付いて行けんのだわさ。耳を澄ませて、拝聴して居れば、俺にはコンニャクの裏表で、難し過ぎて分からんのだわ。」

 ヤクザもどきの二人で、こんな事を話し合いながらの、週一度のコーヒー・タイムである。

 隣席の小学生女の子に、戯けファイルを見せる。いやはや、速い早い・・・ 私は、小学生の視線の先を眺めながらの、当世小学生の関心を目で追って行くのである。

 Tとのトークの合間に、顔見知りの女性スタッフさんが、お見えに為れば、新作をご披露する。へへへ、小学生と既婚者の女性とは、悪戯絵に落す眼の遣り処と、その滞留時間が、丸で異るのであるからして、これまた、人間ウォッチングの愉しみは、尽きない処でもある。

   へへへ、吾がブログの主役の一人・Tとのトーク報告のお時間で有りました。


心何処ーショート 妄想の塔
                   妄想の塔(4/8/11)
 いやはや、凄まじい風が吹き捲っている。ガス屋さんの集金日ではあるが、移動の季節であるから、アパートなどのガス設備の仕事に追われて、時間が無いとの事である。そそくさと検針、集金をして行った。ラジオでは、強風注意報が出ているとの事である。

 朝から、鼻水と目の痒み、ハクションのオンパレードである。ゴミ出しに空模様を見ると、曇り空が侵攻している。陽気は春なのであるが、気温は上がった物の、何日も雨の降らない<乾燥>の沙汰である。この辺りで、大地も水が欲しかろう。予報だと、今日明日は、雨マークが付いて居た処である。

 ハハ、ハクッ、ハクション!! ツッ、ツッ、ティシュ、ティシュ。ハァ、目が痒いでゴザンス。春と秋の花粉症禍である。糞っ垂れがぁ~、ではあるが、これも季節の巡りの一つでもある。天然、自然現象を甘受するのが、吾が生き方でもある。止む無し。

 金魚槽の大ボス・コメット野郎が、餌を遣せとばかりに、スーと水面に浮かぶや、その長い尾ヒレで、『バシャリ』と水を飛ばし遣がる。不埒千万な行いである。
 然しながら、一日の大半を、同じ部屋で過ごしている間柄である。私が、彼等を観察していると思って居るのは、私の早とちりで、彼等とて、毎日、私を観察しているのである。

 大局から見ると、このザマなのであるから、正直な処、彼等に、私は如何<見下されて居る>か、分かった物では無いのである。

 椅子から立ち上がって、隣の机の餌のパックを持つと、コメット三匹、流金五匹が、一斉に身を震わせて、水面に浮上して来るのである。こんな摸様を打てば、多くの人達には、『可愛い』などの気持ちも生じ様が、・・・ 私としては、興味のある絵としては、人間様の美女、美形にしか興味が無いのであるから、『この現金者達めがぁ~』が、正直な処なのである。

 水の蒸発量も半端では無く為って来た。やれやれ、水が住環境の全てである水生動物達なのであるから、川へ水汲みに行って来なければ為るまい。

 まん丸眼に、プカプカのおちょぼ口で、赤いスカート、白いスカート、朱のスカートをヒラヒラ、フラフラ、ソヨソヨと振った処で、私としては、何の艶めかしさも、官能を擽る『誘因』にも為りぁせんわね。

 俺様も、落ち目の三度笠。おちょくられて居る物である。嗚呼、情け無しや。

 不埒・戯け等を相手にしないのが、私の奥ゆかしい処なのである。さてさて、風呂に入る前に、バケツを二つ持って、長靴を履いて、川へ下りるしかあるまい。

 或る時のテレビ映像では無いが、何処ぞの白人国家の温泉では、温泉に住まう魚達が、入浴する人間達の体をコツンコツンと擽って居た映像があった。レポーターの説明だと、垢取り魚との事であった。

 然すればヒントを頂戴して、古代律令国家に於いては、『租庸調の税法』が在ったと云う。相手は、言葉の通じぬ水生動物なのであるから、『庸』を適用させて、労働力提供の代納しかあるまい。

 為らば、この戯け連中に、<温水調教>を真面目に施して、風呂で、吾が御神体の『口役』をさせて遣らねば、私のサービスの元が取れぬと云う物であろう。
 何しろ、下衆貧民の手元不如意であるから、恥を忍んで魚と暮らす『エコ官能のライフスタイルの提唱』と題して、全国・全世界を<実演講演>して回るのも好かろう。

 へへへ、デカイ声じゃ言えないが、人間の好奇心・変態振りは、何も今に始まった事では無いのである。紳士淑女の富者層よりも、圧倒多数が下衆貧民層が蠢くのが、太古の昔よりの『人間実層』なのである。

 云って見れば、俺ぁ、そのブロック層の『平均値』だわさ。下衆貧民層にも、言論の自由が保障されて居るのが、現代日本だいね。ギャハハ~。

 遺憾いかん・・・ こんな呆け妄想をしている訳には行かぬ。補給水が肝要なのである。『止める、冷やす、閉じ込める。』→これが異次元物への人類の英知の一つである。身の危険を顧みず、放射能最前線で、格闘している皆さんが居らしゃルのである。

『春の野趣・フキノトウ』ならいざ知らず、噴きの塔から妄想の到達とは、余りにも、<人間の出来損ない>と云うより他無しの態である。大いに反省すべしである。

                 はい、行って参りまする!!

                   


                   妄想の塔

                 妄想の塔_001

 へへへ、妄想あっても、絵心、技量伴わずの顰蹙画で有りまする。イッヒッヒッ!!


心何処ーショート 春なのね、春なのね。
               春なのね、春なのね。(4/7/11)
 曇り空から、薄日が覗く。薄い光に、水仙の黄花が、地面に近い所で揺れている。伸びた福寿草の黄花は、花期を終えて居る。花粉症運ぶ風に、モンシロチョウがヒラヒラ流されて行く。

 飼い鳥の粒餌を吹いて、庭のハコベを取る。春は姿を見せると、縮こまって居た躍動のエネルギーを、植物の生長点に充填して、一気にお目覚めの様である。

 風が舞う物の、暖かい日である。動きの無い玄関空間では、金華鳥達も、季節の移り変わりを感じる事も出来ないであろう。私は、仕えの身であるから、花粉症を堪えて、彼等にも春のお裾分けをして遣るのが、筋と云う物である。
 
 四畳半のガラス戸を開けて、窓辺に鳥籠を並べ置く。勿論、籠の上には、ハコベを乗せて遣る。ハコベの青菜を啄む姿は嬉しそうであり、風にハコベの青臭い匂いが、部屋に流れて来る。餌を食べ、水浴びをして、オス達はブンチャカ、ブンチャカ、ピィーピィーと、動きを活発化している。

 外からは、チィ、チィ、チィー、チィチィと、メスを求めて鳴くキセキレイの声が、遠く近くしている。冬の窮乏生活からの解放感にして、伴侶探しの幕開きなのであろう。数日前からは、ツバメも河川敷の空を飛んで居る処である。

 朝の新高校生達の自転車通学の弾む声の集団が、窓を通り過ぎて行き、昼は新生活をスタートさせたS大生の二、三人のグループが、土地勘を作る為の散策姿が、窓辺を通り過ぎて行く。

 春の温もりは、水槽にも及んでいる。黒く沈んで居た水草には、緑が通り、茎先には、生長点の薄黄緑色の蕾を見せている。冬眠していた植物プランクトン達は、春を浴びて光光合成の緑の成長を、水槽の壁面に滲ませている。金魚水槽のカワニナ、メダカ槽の豆タニシも、水草、水槽壁面に姿を見せている。

 歌の文句では無いが、春なのね、春なのね・・・ 巡る四季の有難さである。大震災、原発事故で、すっかり近視眼と為って仕舞った昨今である。

 春眠暁を覚えずの朝のマドロミの友に、昨日の昼は、日当たりの好い小部屋で、暫しの読書を試みた処なのではあるが、その御利益に与かる事は、叶わなかった。如何やら、刷り込みが足ら無かった様である。へへへ、歴史裏側の艶話の戯け本である。

      さて、本日も続きの頁を捲りましょうかね。ギャハハ!!

心何処ーショート お三方共、ご苦労様でした。
              お三方共に、ご苦労様でした。(4/6/11)
 本日は、介護認定更新に伴う聞き取り調査との事である。掃除をして待つ事にする。今日も好い青空が広がっている。朝食を済ませて、お茶を飲んで居ると庭のミネゾの木に、何か鳥が遣って来た。
 廊下に立って、その動きを見て居ると、漸く鳥が姿を現した。一羽のシメである。そんな事を、老母に言うと、分からないとの事であるから、部屋からハンディ野鳥図鑑を持って来て、見せて遣る。写真図鑑であるから、実物より鮮明写真である。

「おやおや、こんなに綺麗な鳥なんだね。」
「うん、前回の雪の在った時は、二羽で来て居て、大分の時間を楽しませてくれたんだけどね。多分来ては居るんだろうけど、こればかりは、タイミングだからね。」

 9:30からの予定であるから、自室でモーニング・コーヒーである。水槽に、陽が差し込んで、上層を金魚達が、赤、白、朱の鱗を反射させて、ユラユラ、フラフラ泳いでいる。餌の浮餌は、色上げ効果のある物である。彼是、2年の飼育であるから、コメットの赤、流金の朱も鮮やかな色合いである。

 3年近く飼育していた白地に頭部に赤を頂いた『丹頂』を主体とした流金達は、見事な色と形に成長していたのだが、餌の関係?で、一夜にして全滅して仕舞った。それ以来、餌を買う時は、表示に目を凝らすようになった次第である。
 3年ほど続いた自己完結型のグッピィ王国を示して居た小水槽ではあったが、これも如何云う訳か、水質の変化だろうが・・・衰退の内に死滅して仕舞った。一年間の休止水槽であったが、メダカ水槽として今日に至って居る処である。

 尤も、メダカ水槽とて、数を減らして行くばかりの死滅への道なのではあるが・・・

 何しろ、水槽の水質世界の内実は、目視出来ない超ミクロの微生物群、微生物相で出来上がっている世界なのである。従って、人間の私としては、唯、見守るしか手立ては無いのである。
 
 目視、感じる事の出来ない原発事故に依る放射能汚染は、空気に土に、海に拡散されて、直ちに人体に影響を及ぼす数値では無いと報道されている。
 然しながら、放射能汚染に関しては、物が物だけに、世界を例にとっても、それ程の臨床医学の積み重ねがある訳でも無かろう。
 はっきりした健康被害との実証データーを、持ち合わせて居ない様な下での推論では、正しい情報に依る沈着冷静な行動を、幾ら呼び掛けられても、風評被害に走ってしまうのは、或る意味では当然の事象であろう。

 絶対に安全だからと吹聴して、有事事態の対処策を怠っていたと云うのが、事の真相なのかも知れない。すっかり頭に馴染んでしまった『停止、冷やす、閉じ込める』の三大関門にして、三位一体の対処方なのではあるが・・・本日のニュースに依れば、ガラス構成物を投入した事に依って、海への水漏れは止まったとの事である。

 この裏に在る物は、放射能処理を専門とする特殊米軍チームと仏の原発最大手の力に依る物であろう。大雑把に推理すると米軍の『放射能防護服』と仏の『現場の対処ノウハウ』に依存する処が大なのであろう。

 初期の段階で、政府は米軍特殊部隊の申し入れを断って居る経緯がある。原発大国の仏は、大統領が原発最大手の経営責任者を同行して来日したと云う事実がある。
 事態が大きく変わった原因には、対処の手が替わった事を示している。これは、隠蔽体質から派生した政府の判断ミスなのであろう。時系列を追って行けば、残念ながら、容易に判断出来る『政府の力の無さ』としか、言い様があるまい。

 国難の最中に在って、民主党と自民党の大連立構想が、蠢いているとの事である。毎度、打ち連ねている事ではあるが、大連立をするよりも、菅無理内閣は、大政奉還をすべきなのではあるが、それが出来ない処に、この国の不幸がある。

 大連立を真剣に模索するならば、菅無理内閣は、施政能力不足の『無理』を以って、潔く総辞職をして、最低でも子供手当て、外国人地方参政権、朝鮮学校も含めた高校授業料無料化案などの撤廃、公務員の労働権の改正案等の撤廃等のセットで、衆議院選迄の国家復興に与野党が邁進すると云う限時処置案で、自民党の官僚統治ノウハウを味方に付けるしかあるまい。

 さてさて、時間である。母と調査員さんとの間に入って、<調整役>をして来なければ為るまい。チェックシートに基づいて、根掘り葉掘り質問して、各項目を時には、不躾な行為と認識して居ても、敢えて聞き直す工程を入れて、なるべく詳細にチェックシートを埋めて行くのが、調査員さんの『お仕事』である。

 老いたりと云えども、頭脳明瞭な老母にとっては、身動きするのにも時間が掛る物の、女手一つで、男兄弟5人を育て上げた豪の女である。プライド高き大正の女でもある。『プライド』を傷つけられたと感じると、拒否権を行使する始末である。

 戯け倅と違って、使い分けの出来ない老母は、真に以って、意地悪き態度と為って仕舞う。こんな時は短腹男であるから、母を叱責しなければ為らない。こんな時は、少なからず『大人に為りなよ』と、双方を睨んでしまう事がある。

 女同士の『業務』と『プライド』の狭間に在って、<これこれ、へへへ、いやはや、とほほ>の段である。

 調整役の私とて、奥ゆかしさを演技しているだけの身なのである。メッキが剥げ落ちない為には、自己処方箋で、深呼吸、諫めの言葉、呆け話の一つも演じなければ為らないのが、これまた、倅の務めの一つなのである。本当は、俺ぁ、無関心な物臭男なんですがね。

 へへへ、正直、遣り切れた物では無いのである。ニャロメ!! 俺様の爪の垢でも、煎じて、二人に飲ませて遣らっか~。(勿論、これは絶対に聞こえない胸の内なのである。)

 老衰が、日々進む吾が老母である。何時かは、ご厄介に為らなければならない介護の皆さん、グッズの御利益なのである。トホホ為り。

 介護更新の聞き取り調査を終えて、<老母殿、調査員殿、戯け倅殿、お三方、其々にご苦労様でした。へっへっへっ。>の煙草吸いである。

 さてさて、スーパーへの買い物ついでに、デイ、ケアに赴いて、今年中には必要となろう介護グッズのパンフレットでも貰って来ると致しましょうかね。


心何処ーショート 儚き脳裏散策
                   儚き脳裏散策(4/5/11)

「はい、少し待って下~さい。」

 慌てて、布団から跳び起きて、服を着て玄関に行くと、玄関上がりに回覧板が置いて在る。時計を見ると、8時前である。
 へへへ、世間様とは5~6時間ズレた生活をしている身である。取り分け、今朝は眠られず、寝返りと溜息ばかりを吐いての、未明の眠りであったのである。熟睡時の飛び起きで、意識は朦朧の態である。

       其の儘、布団に潜り込んで、睡眠時間の帳尻合わせである。

 母の音がする。玄関の金華鳥達の『朝飯食わせ』の大合唱である。ニャロメの態ではあるが、夜更し男は、身の勝手でもある。若い頃は、多血・短腹の半端者ではあったが、歳の修行ではあろうが、些かの自制心が出て来ているのである。

 昼を省略して良い程の朝食である。回覧板に目を通して、お隣の班長さん宅へ、町会の義援金も届けに行く事にする。集金は後日の記載ではあるが、物は序である。

「回覧板だけなら、庭から回覧板受けで好いのではないか?」との母のアドバイスではあるが、「いやいや、俺の場合は、トンビが鷹を産んだんじゃい。重複行為は、無駄な事だわね。一緒に持って行けば、班長さんの手間が省けるだろうよ。」と応えて、お隣に行く。

 <町会費と一緒に集金に伺おうと思っていた>との事である。財布には余力があったから、それも一緒に収めて来る。家に入ろうとすると、お向かいさん夫婦が、趣味の盆栽を日向に並べて、ジョロで散水中である。仲の良い夫婦さんである。

「何時見ても、仲の宜しい事で。精が出ますねぇ。」
「そうじゃないだよ。お父ちゃんが好きだから、しょうが無いから、遣ってる振りしてるだわね。アハハハ。」

 お二人とも、マスクである。今年は、取り分け、花粉が多いとの事である。如何やら、三人とも、過敏為る花粉症の口らしい。震災、原発放射能、花粉症と暫しの立ち話ではあったが、結論からすると、放射能騒ぎで大変なのに、花粉症如きで文句など言ったら、申し訳が立たぬとの仕捲りであった。

    母の部屋でお茶を貰いながら、テレビを見て居ると・・・

 東電から避難地域へのお見舞い金2000万円が、市町村に配られたそうである。ある自治体では、それを断ったとの由。断りの理由は、住民数に関わり無く一律2000万円のお見舞い金は、理解出来ない。因みに、それを住民数で割ると1000円との事である。

 次いで、海江田大臣の言があった。如何やら、政府と東電の間で、見舞い金の話があった摸様である。

 成る程、先日、小出先生の講演後半にあった天災に依る原発事故の『電力会社の免責条項の行』らしい。今度は、公務員の労働権への民主党の踏み込みが、報じられていた。

<国民の生活が、第一。>と、剛腕小沢幹事長の元、華々しく衆議院選での政権交代を果たしてデビューした政権与党の民主党であった。米国大統領オバマ演説の『チェンジ』に対抗するかの様に、異例の『命を守りたい。』をアピール、連呼する新首相の施政政見演説は、ロートルの耳には、正に驚愕の演説に聞こえて仕舞った物である。

 普天間基地問題、安保条約で、ルーピー・プリンスは、自らの舌禍に総理の椅子から、転がり落ちた。所謂、『抱き付き心中』とまで評された鳩山総理、小沢幹事長の勢力から、脱小沢勢力の菅政権が誕生して、マニュフェストに高々と挙げた<財源の裏付けなしのバラマキ政策の好い加減さ>が、次々と白昼の元に晒され始めた。

 代表選選挙に於いて、菅対小沢の真っ向勝負の真っ只中、突如として巻起こった尖閣諸島海域での中国漁船体当たり騒動。党体質の違いが、国会で衝突して、仙谷、馬渕の両氏は、野党の問責決議に基づいて、菅無理総理の弁護も虚しく、その職を解かれた。剛腕小沢氏は、強制起訴の手続きに入り、民主党一兵卒から、資格停止の沙汰が下りた。

 次いで、次の民主党代表の一番手との評が強かった前原外務大臣は、外国籍人からの政治献金問題で、あっさり辞任。次いで、今度は菅総理にも、同様の疑いが生じて、民主党瓦壊寸前の場面であった。

 それが、一夜明けると、M9・0の大震災、大津波、福島原発事故の深刻な進行下なのである。

 この政権の根底には、『変な執拗さ、拘泥さ』を感じて仕舞う。マニフェストの子供手当、高校授業料の無償化、高速道無料化。・・・etc、外国人地方参政権、地方分権化、帰化申請の条件の大幅緩和、・・・etcである。

 きっと、彼等には、国家観から発する国民観は無いのだろう。国家観を凌駕する市民観、市民権への標榜が、強過ぎるのであろう。少数派、弱者、小者の地位の向上、権利の実現に向けての、野党としての役割は、大いに結構であり、それらの意見・願いを国会の場で、主張し現行体制を改善して行くには、全体と個の調整手段として、大いに功を奏する存在でもあった筈である。

 然しながら、餅は餅屋の言葉通りにして、彼等の棲み処は、万年野党であって然るべきだったのだろう。万年野党の言いたくり集団が、玉座に座ってしまえば、覚悟・実力の欠落を露呈して仕舞ったのは、自明の理であった。

 唯、一般国民の目からすれば、国会議員歴何十年のお歴々であるから、野党時代と政権与党とでは、常識を以って前途波高しの外洋を、日本丸が針路を間違えずに、突き進んで呉れると思いこんで居たのである。期待と現実の差に、腰を抜かすと同時に、歯ぎしり頻りで見守っていたと云うのが、国民の多くの想いで有ったのでは無いだろうか。

 国民の総力の上に、政治があると思い込んで居たのが、日本人の感性であったのである。
衆議院選挙に於いて、自民党から民主党に一票を投じた私自身が、正に、その一員であったのである。余りの期待値と現実値の乖離に、呆然とするのみである。

 私は、大学時代を吹き荒れる学生運動の最中で、ノンポリで送って居る身である。如何しても、その時の彼等の行動思想から、彼等には体質的な反感・拒絶を覚えて居る。
 聞く耳を持たないと云う『主義的な無謬性に親和感』を持っている連中として、脳裏に強く刻まれている。知り合い、友達の中にも、当たり前の如く学生活動家達が居た物である。

 彼等には、私は冷淡な男であった。学生運動がセクトに分派して行き、大学構内で、『へっぴり腰』の竹竿合戦を繰り返して居る様を、私は屋上から冷たく見降ろして居た。

 受験勉強ばかりしていて、喧嘩のケの字も知らない様な連中の竹竿合戦は、私としては、真に見苦しい無様な様相にしか見えなかった。

 卒業時には、追い詰められた赤軍派が、浅間山荘事件を引き起こした。逃避行の榛名山中には、組織の粛清と云う名の下に、殺された同志の死体が、続々と発見されて居た。
 その当時、私の長兄は、機動隊の小隊長をして居て、浅間山荘事件に、当事者として派遣されて居た。兄弟であるから、その生の状況は、兄の口から何度も聞かされていた処でもある。

 それが、民主主義の選挙で、政権が交代するのである。万年野党の哀しさか、それとも、政権与党の傲慢さか、何でもかんでも、『政治主導』のお題目を唱えて、悪者にして叩きに叩いて仕舞った挙句の果てが、大震災、原発事故の進行で、馬脚を現してしまったのが、ノウハウを持つ<実動行政網>を有効に使えない『政治主導の弱体振り』以前の<能力無き政治集団の見苦しき様>を見せ付けているのである。

 国家業務は、一寸の空白も許されない。一般国民が、耳目を集める大震災、原発事故問題ではあろうが、この未曽有の大震災の裏で、国会討論を丁々発止で進めて行かなければ為らない国、体制の『根幹』を揺らし兼ねない<思想的法案>が用意されて、閣議で了承されて行く様は、如何な物であろうか。

 私は人畜無害な、日本の山国の市井にひっそりと暮らす一介のロートル賄い夫である。こんな取るに足らない人間ではあるが、『火事場ドロボー』の様に、ドサクサに紛れて、『己が執拗さ、拘泥さ』を押し通そうとする遣り方は、見過ごしにする訳には参らぬのである。

 有事に際して現れるのが、個々の人間、集団の持つ本態、本性なのである。片方の目で、現実を見ると同時に、もう片方の目で、次の行方を追う事も、肝要でありまする。

 私が日々、打ち上げる日記は、『声なき声の日常の想い、心を過る思い付き』にしか過ぎない。私は、唯、小学生の頃から歴史に興味を持っていた。歴史には正史と碑史ありである。誰もが手に取り習う正史は、総合判断史の記述でもある。

 正史の回りには、幾つもの夜空に瞬く無数の星星が存在する様に、名も無き、其々の階層の人達に依る感想の記述も、在っても然るべき物であろう。それらが、正史を語り理解する資料の一欠片にも為り得るものであろう。

 世は、実に便利な時代と為って居る。インターネットには、色んな世界が、宇宙の様に拡がって居る。個個人の想いが拡がって居て、其処には、色々な色を発信する事も、発信され続けている色を見る事も出来る。色を重ね、色を味合うのも、インターネット時代のお勉強なのであろう。

 いやはや、国語能力が乏しいので、本日も長々と要領を得ない活字の羅列と為って仕舞いました。ご精読に、感謝致しまする。有難う御座いました。

                 さてさて、散歩に行きまする。


心何処・・・少女、水に映る想い。
                少女、水に映る想い。

                 想い_002


 テレビを見て居ると、学友達が別れ放れに、被災地を去って行く映像が流れて居ますね。ある日突然に襲った大震災・・・原発事故・・・ 

 遣る瀬ない気持ちでいっぱいに成ります。卒業、入学と、本来、楽しい筈のごく普通の生活が、根こそぎ奪われてしまった。万感の思い募る少女の想いを、閉じた目の表情に込めて見ました。

心何処ーショート 生きて居れば、何かが心を過ぎる。
            生きて居れば、何かが心を過る。(4/4/11)
 寝床でラジオを聞いて居ると、おやおや、母が台所の片付けをしている様子である。体調が好いのだろう。こんな時は、知らぬ振りをしているのが、肝要である。障子から差し込む光は明るいが、風の音がピュウ、ピュウと唸って居る。

 昨日の散歩は、酷かった。堪らずに、手抜き散歩で帰って来たのである。何しろ、目は痒いし、大クシャミの連発に、鼻水タラタラの態にして、梅の花を愛でてのそぞろ歩きの風流も有った物では無かった。

 さてさて、賄い夫でも致そうか。台所に行くと、私のポット用の湯が、弱火で湯気を揺らして居る。へへへ、何も云わぬが、これが『母の流儀』である。部屋では、私の動きを聞いて、お茶を注いで居る音がしている。緑茶の湯呑を以って、冷蔵庫を開けて、煮物の下拵えをしながら、朝飯の用意をする。

  大震災から三週間を経過して、報道は福島原発にウェートが掛って居る。

 インターネットに依ると、日本、世界からの義援金の累計は、1200憶円に達している摸様である。前々から、腹立しく思って居た事がある。
 着の身、着の儘、全てを投げ打って、避難場所に来た被災者さん達の不自由な生活である。被災者に向けられた善意の金額が、行政の崩壊、損傷に依って、未だに被災者さんの手元に届いて居ない状況に、腹が立ってテレビ画面に、咆哮を繰り返して居る次第である。

 水、食料の現物支給が為されて居るのである。金銭とて、現物支給の内であろう。

 義援金の各種の窓口から、義援金が政府の中に入っている。そんな義援金ルートは、配分をする事で、国→県→市町村→被災者個人に向かうのであろうが、被災者への直接の援助金支給の窓口が、今や機能不全の態を来して居るのである。これは、極端な物云いをすると、日本、世界からの義援金が、『宙に浮いて』仕舞って居るのである。

 4/1の記事にも打った処なのであるが、行政の鈍感さには、呆れ返る他ない。行政に疎い私だって、法治国家であるから、『手続き』に依って法治が担保されて居るのは、十分承知している次第である。
 然しながら、平時の行政と有事の行政は、自ずと異質な物であろう。次元が異なるのであるから、当然、処置方が別個であっても然るべきにして、断固踏み出すべきである。

 一端、有事が勃発すれば、緊急の命題が発生する。分断された事態には、何はさて置き、『現場優先主義』を断行して行かなければ為らない処である。金銭だって、現物支給であって然るべき物であろう。
 人が、何日か一緒に暮らせば、それが『挙証の担保』とも為る。増してや、都会と違って、何世代も繋げて来た『地方の顔の見える地域の絆』が存在するのである。

 住所氏名・生年月日・拇印の形で、義援金の現物給付の『配布』で好かろう。その義援金で、被災者の皆さんが、援助活動をして下さる援助の手に、渡される援助物資に、感謝の気持ちで幾ばくかの金銭を払う。手渡された幾ばくかの金銭は、気は心の感謝の印でもあるから、それで、次の物資援助の足しにするのも好かろう。義援を受けるも、感謝の気持ちを、幾ばくかの代金で現わすのも、人間の心の現れの一つと言えまいか。

 気持ち、心の濃いのが、日本人の情の世界でもある。これから、長く続く復興の足取りである。気持ち、心の連帯が、熱い物、美味い物を食べさせて上げたい、勇気付けたいの長い交流の月日が必要である。
 現代は、何をするにも金銭が掛る社会である。仮に、500円のラーメンが200円で、提供されるなら、如何だろうか。

 善意の無料の施しに幾ばくかの心めたさを感じて仕舞うのが、日本人の感情でもある。勇気付けたい、何かのお役に立ちたいの提供者の気持ちと、有難い、申し訳ないと思う心と心が、『200円で繋がり』、200円が活動を継続させる後押しにも為るかも知れぬ。屋台・炊き出しの食べ物、日曜雑貨、野菜・果物の有志の屋台が、被災地に出現して、人の温もりと商売が拡がったら、如何だろうか・・・

 これも、大きく見れば、内需の拡大。小難しいくも小敏い<平成の開国・PTT>なんぞでは無く、身目麗しき鎖国の日本の人情の世界でも有りましょうぞ。

 行政が稼働する為には、金銭帳簿の金銭の入金、出金の整合性が求められるのは、仕方の無い処ではあるが、その事を以って、義援金のルートが止まって仕舞っては、本末転倒も甚だしい限りであろう。折角、『防災服』を着て居るのであるから、防災に見合った『踏み込み』を致しましょうぞ。

 実は、こんな現場主義の熱い心を発揮して貰い、義援額の推移を想定して、政府が義捐金の前倒しをして、金銭の現物支給をする位の勇断を期待して見て居た処なのである。

 俗に云われている言い回しではあるが、『後知恵』と『先知恵』の言葉がある。後知恵は、勉強・経験から来る処の知識・体験上の頭脳である。言う為れば、『過去に由来する知恵』である。秀才・優等生が持ち合せる事が多い性質のものである。
 これに対して、先知恵は、それらを基礎として、現実の諸問題を能動的に解決して行こうとする『直感力、応用の知恵』なのであろう。

<平時の能臣、有事の英傑>とは、こんな事を云うのでは無いだろうか。此処には、人間頭脳の手堅さの部分と、熱き血潮、熱き心、熱き行動と云った傑物の脳と血潮の違いが、根底に流れている様に思う次第である。

 平時の能臣、有事の英傑の素質を見事に見抜いて、要所要所に、能力と人物を配するのが、人を束ねるのを『公務』とするリーダー達の職務なのであろう。

 平時の能臣為らぬ『平成の保臣(保身)』ばかりが、テレビの画面にチャラチャラと動き回る様に見えて仕舞うのは、還暦ロートルの目の錯覚なんでしょうかね。全く以って、吾が身はお恥ずかしい限りである。

「コンニチワ~、ヤクルトで~す。一日早いですけど、宜しくお願いしま~す。」
「あいあい、今、好い所だぜね。言葉が飛んじゃうから、ちょっと待っておくれやね。」

 へへへ、何もしていない吾が身ではあるが、生きて居れば、何かを思う毎日である。


心何処ーショート バトン・タッチ。
                  バトン・タッチ(4/3/11)
 昨日は、水槽の水を半分ほど替えて遣ったから、魚達も水が美味いのだろう。金魚達も、ユラユラとスローモーな動きで、狭い水槽の中を行き来している。庭の緑も、日増しに成長を土に示している。

 朝飯の大根おろし納豆の辛味が、腹に残っては居るが。穏やかなお日差しである。本日、日曜日であるから、朝食後のテレビは、ノンビリとお付き合いをしていた処である。インターネットとは奇妙な物で、如何云った具合で初めてのお方が、吾が辺境ブログに立ち寄って下さるのか、不明ではあるが・・・新しい足跡があると、此方も興味を抱くから、そちらのブログに飛んで行くのである。

<もこもこのもこもこによるもこもこのためのきらふわ日記>さんの3/27の記事に、京都大学原子炉研究所の小出教授の『原発を考える~小出先生の講演。隠される原子力』と云う1時間46分強の貼り付けがあった。福島原発事故の進行が、日夜マスコミから放送される日々である。

 枝野長官の奥歯に物の挟まった様な言語明瞭、意味不明な政府情報の会見模様である。ど素人中のど素人の頭には、数値報道はチンプンカンプンの思考能力の冷静な判断など付かない処である。
 数値解説に現れている様に、素人の頭では『急性』と『遅性』の健康障害を縷々説明されても、頭の整理の出来ない私の知能にとっては、<狡猾なダブルスタンダード>の国民への情報報告の態にしか映って来ない処が、真に以って、歯がゆい処なのである。

 何事も、現実需要に基礎を置いた原発推進派と危険廃止を基礎に置く原発阻止派に大別される。はっきり言える事は、両派の言い分に耳を傾けて、その違い、整合性、長短を、或る程度、自分の言葉で訳し直して、頭を整理しなければ、自己判断など到底叶わないのである。

 その為には、両方の言い分に、先ずは耳を傾けるしか手立ては無い・・・と云った物が、方法論的には、妥当なのだと思う。両者の言い分を比較考慮して、ど素人は、どちらの言い分に説得力があるかと、精々、『個人的な見当』を付ける事しか出来ないのが、実態なのである。

 ど素人の知る権利とは、残念ながら高々、この程度にしか過ぎまい。人の意見を拝聴するには、討論の場はそぐわないものである。
 何故ならば、討論番組を拝聴して、討論で交わされる其々の自説に、我々、ど素人はその基礎とも為る総論知識すら持ち合わせて居ないからである。論を展開する専門家さん達の意見を聞く態度としては、取捨選択されて結論を導き出して居る専門家さん達の論理構成を、聞かせて頂くしか方途は無い処である。

 それには、こんなに掻い摘んで意見を述べる専門家としても、1時間46分強も要するのである。それが推進派、反対派と為れば、少なくとも4時間前後の講演を聞かせて頂いたとて、原子力総論の本の触りの一部分にしか過ぎないのである。

 『両論』を聞く為らば、専門家の4時間前後に及ぶお話を聞いて、その争点と為って居る部分を抽出して、その周辺に在る考え方を自分自身で、反芻して、どちらがより自分の性向に親しみがあるかの見当を付ける事しか出来ないのが、ど素人の悲しさである。

『真理の問題』を、己が性向との親和性に求めている<自分の心理>など、真理の前に、真に以って戯けた選択肢なのである。

 この小出先生の講演を紹介するにも、こんな感想を、長々と打ち込まなければ為らないのは、一種の面倒さを禁じえない処である。
 然しながら、何かのご縁があって、この記事を投稿して吾が辺境のブログに足跡を残して下さったのであろう。

 知る権利とは、真面目に考えると、大変な負担をしょい込む事にも為って仕舞うのである。私の得意とする意味の無いエロ話、呆け話とは、全くジャンルの違う領域である。

 然しながら、情報の一つの扉を開けて仕舞ったのである。現在一番、世界の耳目を集めている原発事故の進行中なのである。
 知って口をつぐむのは、勇無き者の行いである。知れば、何かの参考とも為る。左右前後上下の一端を見無ければ、感性も直感力も鍛錬出来様も無かろう。

 大いに参考に為る講演内容ですから、総論の講義として一見をお薦めします。長いですが全部見ないと、原発への印象が刻まれませんよ。未曾有の大震災、原発事故に際して、何もお役に立てないスカンポロートルである。時間だけはある。こんな、バトンタッチも、ロートルの務めなのかも知れません。へへへ。

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