旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート お化けシイタケ
                  お化けシイタケ(3/31/11)
 さてさて、お努めの班長も、昨夜の町会総会で、お役御免である。朝の賄いに、冷蔵庫を開ければ、此方もお役御免の空っぽ状態である。朝食後は、米屋さん経由で個人スーパーさんを回って来なければ為るまい。

 中途半端な陽気に、小粒の雨が雪に為れずに、シャーベットの冷たさである。米屋さんに行くと、仕事中である。声を掛けて、寄り合い所のストーブの一息である。

 甘味200%のコーヒーを頂戴して、今回の大震災話である。何やら、出典の孟子先生だか、孔子先生だかの天変地異に向かっての、人間の余りの小ささを表した『格調高いお言葉』に沿って、中国5000年の蘊蓄を拝聴していると、年配婦人の到来である。

 奥さんの友達らしい。スーパーでミカンが美味しかったから、との差し入れである。

 私は育ちが悪いから、先人、偉人さん達を枕言葉とする物知りさんの口上は、如何しても苦手の口なのである。へへへ、大振りのミカンを頂戴して、救いの女神様のご登場であった。

 個人スーパーに寄って、野菜類の補充である。豆類の炊き物が、こんなに楽で重宝な物とは知らなかったから、コツブ小豆と大粒のアズキを買って置く事にする。ホウレン草、ニンジン、ジャガイモ、大根、ゴボウを入れる。

 あれこれ物色していると、おやおや、売り物に為らない程に肥大化したシイタケが、只同然の値段である。二パック買って、甘辛煮にするのも好かろう。

 こんなお化けシイタケを見ると、ついニヤニヤして仕舞うのが、戯け男のスカンポ脳回路なのである。栽培者は、旅行にでも行って来たのだろうか、それとも、放射能の余風を浴びて、一夜にしての『暴走成長物』なのだろうか・・・

 中学時代、仲の良い農家の同級生に、シイタケ栽培をしているお宅があった。彼の家に遊びに行くと、シイタケが好きだと云う私に、おふくろさんは、シイタケ尽くしのお昼を御馳走してくれた。バター炒め、蒸し焼き、甘辛煮、天麩羅と、食べ盛りの中学、高校時代であったから、私は、一つ残らず平らげてしまった物である。

 思い出のあるシイタケである。そんな思い出に浸りながら、お化けシイタケの甘辛煮を作るべしであろう。懐かしき色に還れば、素浪人月影兵庫と焼津の半次の名コンビで鳴らしたものである。半次の彼は、農家の後を取って農閑期は、鉄砲撃ちをしていると云う。

 ナポレオン・ソロのロバート・ボーンに似たハンサムボーイであった。放って置くと、タコの糸が切れて終うオッチョコチョイであったから、鉄砲を担いで山中行で、シイタケの収穫をサボって仕舞ったのかも知れない。強ち、無いとは言えない『彼の性格』である。

 へへへ、これも何かのご縁かも知れぬ。半次の不始末は、兵庫が後始末をしなければ、吾が相棒に、相済まぬのである。ギャハハ~。

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心何処ーショート 本日も、長いです。
                 本日も、長いです。(3/30/11)
 鶯が鳴いて居る。今年の初鳴きである。何度か、小部屋から、冬の鶯を観察しているから鳴き声で、庭の南天、サツキの茂みの中を伝って、庭を渡って行く様子が、手に取る様に分かる。塀に沿って、南天、ニワウメの木を伝わって四畳半へと向かって居る。

 ホー、ホケキョの旋律には、未だ程遠い・・・のではあるが、川原の枯れ葦の越冬生活から、鳴きの鶯に立ち上がったのである。覚束ない初鳴きを、彼は何度も繰り返し、越冬で錆び付いた喉の付着物を吐き出しながら、ホー、ホケキョ、ホ~~、ホケキョの美声を取り戻そうとしている様が、何んとも・・・ 東北の被災地・被災者さん達の映像と重なり、寝床で、ウンウン、頷いている次第であった。

 朝食時の母への挨拶に、鶯の初鳴きを聞いて見ると、聞こえなかったと言う。何度も、庭に姿を見せて居た鶯であるから、その内、喉の詰まり・濁りも落ちて、立派なホー、ホケキョ、ホ~~~、ホケキョの名調子を奏でて呉れる事であろう。今年は、寒いのであるから、まだまだ、機会はふんだんにある筈だろう。

 おやおや、ひまじん兄貴の御訪問である。投稿為された由である。一流のコラムニストさんの抑えた文章に、私は毎回、心を洗われる思いがする。兄貴のブログは、私の大好きな文章の一つなのである。文章全体から滲む知識、観察力、洞察力の伴った見識者の文章とは、こう云った物なのであろう。ブログ中の最大の宝ものである。イッヒッヒ。

 私は兄貴の文章の中に、より良き先輩の匂い、日本の識者達が持ち続けている<武士道精神>と市井に暮らす者への<暖かい良識の眼差し>の様な物を感じて、毎回溜息を漏らしている次第なのである。兄貴の文章は、私にとっては、より良き先輩からのメッセージに聞こえるのである。何時も、感謝している次第なのである。是非、ご一読を。

 へへへ、皆さん、日本人って、本当は凄いんですよ。日本人が、何たるかを学びましょうよ。日本人が、現在ポツンとある訳では無いんですよ。時たま、大きな事件、事故、大震災が在った時にだけ、日本人が現れるんじゃ無いですよ。日本人が居るから、日本人が生活しているから、何かあると、日本人が何時でも現れるんですよ。

 普段の日本人の多くは、忙しさに託(かこ)けて、煩わしさを面倒臭がって、見て見ぬ振りをして、個人のライフスタイルに逃げ込んでいるだけですよ。だからこそ、そんな真っ当で無い都会型の自分の日々のライフスタイルのフィルターが、一瞬にしてすっ飛んでしまうだけの事ですよ。今回の国難的大災時に現れる善良な市井の人々の姿に、裸眼の目に、ただただ、心が洗われるんですよ。きっと、そう思いますよ。

             胸が詰まります。嗚咽します。

 でも、皆さん。現在の日本人が、ポツンと居る訳じゃありませんよね。四面を海に囲まれた島国日本の容器が、何万年も前から存在して、何万年も前から、山の多い日本の土地柄の中に、四季折々の気候風土の中に、日本人は、生活と精神を、営々として築き上げて来たんですよね。

 自然と共生するヤオヨロズの神々と共に、遺伝子を紡ぎ続けて来た日本人の姿が在ったからこそ、死後の魂の浄化を説く『輪廻の思想=仏教』の教えが、日本人の精神性に入って来たのでしょうね。そんな事も有って、現在の日本人が居るんですよね。

 山多き国土に謹厳実直の労働で、段々畑を営々と築き、肥料を天秤棒で担ぎ上げて、水の管理をして、実りの秋を待つ。耕地の少なさ故に、工夫と改良で、有限の土地と、巡る期間の四季を最大限利用する術を身に付ける。人知を尽くして、後は温度と水をお天道様に祈って、身の丈の生活を営んで来た。此処に見えるのは、そんなご先祖達の姿であろう。

 生活と、家、集落、藩、国家を束めて来た司つかさの国柄が、倭、アキツシマ、大和、日の本、日本の国家なのである。

 歴史教科書も、歴史授業も、その触りを軽く流すだけの物であろう。人間にとって、知識の風化は、速い物である。至れり尽くせりの変なご時世である。不知を教わらなかったと、直ぐ責任転嫁して、恥じない。
 然しながら、心静かに、心臓に手を当てれば、ドクドクと自らの血潮の中に流れている日本人の血脈・血流の中に在る核心たる音が聞こえて来る筈である。

 各宗教の神様も、魔界のお化け・魔物様たちも、科化学・技術の優位性、効用性を妄信し切って、効用性を経済転用して、文明を加速して来たのが、現代文明であり、効率性と低廉性の経済追及行動が、世界分業化のグローバルスタンダードの世界なんでしょうね。

 巨額の資金を要するグローバル資本主義の時代。地球を悠久の運行として流れて居た気流・海流の自然のダイナリズムに、膨大なマネーと云う資本のマッハ気流・海流が、不夜城の地球を翻弄し続けた。
 然しながら、その果てに、実業の何倍もの虚業マネー転がしの大津波が、第二次世界大戦の予兆とも為った世界大恐慌。

 第二の世界恐慌の引き金とも為ったのが、リーマンショックでの世界同時不況であろう。この不況下に在って、人類が着手し始めたのが、国家資本主義とブロック経済的な経済偏重主義に陥った国益の衝突・国益競争では無いでしょうか。

 20C、21Cと、天災と人災を持って仕舞ったのが、この科・化学、技術の現代文明なのかも知れませんね。

 私は、常々思って居る処なのですが、人間はロボットであり哲学者で無ければ為らないと云う『想い』が根底にあります。ロボット部分は、勿論、<肉体>です。哲学者の部分は、<心>と為ります。心とは、『良心=真っ当さ』です。単純明快です。簡単です。

 然しながら、『良心』を育むべき神様と、『邪心・悪意』の抑制力とも為るお化け様を葬ってしまったのが、悲しいかな19C後半から始まる20C、21Cなのであります。

 天変地異と技術の象徴福島の原発事故の進行形。被災地・被災者の映し出される映像と、日に何でも報じられる官房長官、原子力保安院、東電の会見模様であります。私には、この対比は、『精神と技術の対比』に、如何しても見えて終うのです。

 人間は、何時の時代に在っても、優秀なロボットであり、哲学者で在り続けなければなりません。瓦礫の山を見たら、人間起重機に為る。助けを求める人が居れば、手を差し伸べる。

 恣意的編集報告で教えて貰うのでは無く、<見て感じて、知る>確かな眼力を備えた哲学者が、人を束ねると云った真っ当さが、指導者で為くては成りませぬ。

 天災と人災を併せ持って終った現代日本人ではありますが、『科学技術文明の神話の綻び』などと云う高邁さは、口には出せません。然しながら、被災地・被災者への心寄せと同時に、この時代の人間の在り様として、注意深く事の推移を見守り、今後の<日本人の生活する糧>と致しましょうぞ。

 本日も、長くなりました。最後まで、お付き合い為されて、有難うございまする。

心何処ーショート 早起きは、三文の得?
                早起きは、三文の得?(3/29/11)
 火曜のゴミ収集車は、早い時間であるから、逃したら来週に為って仕舞う。世間様と同じに起き無ければ為らぬ。快晴ではあるが、薄い青空に、アルプスのお山は、霞んでお見えに為らない。後三日もすれば、四月なのでありますぞね。シャキッと致しませ。

 本日の天気予報によると、午後から雪または雨との事である。寒いのと花粉症のクシャミで、ハクション為れど、北に向かって合掌の一礼をした処である。

 さてさて、昨夜は母と二時間ドラマを見て終ったのであるから、体力の無い母は、遅い目覚めであろう。熱い湯でも沸かして、アメリカンコーヒーなどを飲みながら、ブログ徘徊をして、時を待つしかあるまい。

 おやおや、『水元公園』検定委員会のMacoTan殿は、これはまた、意味深な写真と詩を載せて居られる。う~~ん、何時もながらのお手前である。感心してばかりだと、<金髪友の会>のお仲間として、相済まぬ。何しろ、此処信州とお江戸とは、各国首脳を結ぶHotLine為らぬ『金髪糸電話』で結ばれて居るのである。

 ヨッシャ~、此処は一念発起して、オッチャンに、金髪で繋げた糸電話で、続詩を送信すべしである。

 さてさて、金髪友の会なのでは有るが、何しろあちら様は、漢学の氏であるから、ベースが漢詩である。う~~~ん、続詩と為ると、これは頭の体操である。メモ用紙を一枚切り取って、乳んプイプイ、チチンプイプイ。

 昨日、剃り上げたスキンヘッドではあるが、中々に出て来ない。へへへ、こんな時は、壁にピン止めした金髪美形のシングルママさんの、吾を見詰るブルーアイズに縋るより他無しである。何のこれしき、惚け撥ねなるぞ。出でよ、言の葉の精霊達よ。

               魑魅魍魎。
          崩壊した瓦礫の残骸の中で、
         冷笑し、虎視眈々と出没の時を待つ。
        人々の心の亀裂を、怒りの声を、待つ。
        罠を仕掛け、甘い囁きを携え、時を待つ。 by MacoTan


        光り没する処に、魑魅魍魎の棲む世界あり。

    千年に一度の荒涼の世界、引き裂かれた木々の幹、枝に、風に、
    魑魅魍魎の息遣いが聞こえる。悪意が囁き、悪意が頭を擡げる。

         夜が在れば、必ず朝が遣って来る。

    生きるのが、人間の務め。世界が差し伸べる手と手を繋げ。
     夜と昼、地球は丸い。魑魅魍魎の跳梁跋扈を許さじ。

 一方が夜為らば、片方は昼なり。善意と努力の光で、照らそうぞ。 by Ryou

 金髪糸電話で送信をしていると、

「コンニチワ~、ヤクルトで~す。何時も、お世話に為ってま~す。」の連呼である。
「はいはい、聞こえて居りま~す。少々、お待ちを~。」

 いやはや、ヤクルトママさんは、美人顔に似合わず、面白いお人である。

「今日は、火曜日でヤンしょう。」
「すいません。一日早いで~す。主婦なもんですから。」

「そうだよ。不意打ち喰らって、俺ぁセクハラトークを考えて無いわね。コンチクショーメ。嗚呼、一回分、損こいたわね。ロートルを労わる気持ちが在ったら、グルリと回って、コンニャク娘の腰フリフリ遣っておくれや。」

「またまた、朝から何言ってんですか~。危険人物に為るには、早いですよ。」
「ケチ~。コンニャク畑で、フリフリしてれば、腰も腹部も、魅力が沸くぜや。それに内臓物もこなれて、整腸作用が活発に為るってもんだじ。あい。」

「残念でした~。ヤクルトにヨーグルト遣ってま~す。」
「ヤダねぇ~、それを云われちゃ、お終いだわさ。へへへ。」

 さてさて、食器を洗って、母の部屋でも覗いて来るとしようか。油気の無い白髪頭がベットにある。動かないから、『婆さん』と声を掛けて動きを見る。<起きてから、飯にするから、無理しなくて好いからな。>と声を掛けて、沸かした湯をポットに入れて、自室に帰る。

 老母が起き出すのは、昼過ぎであろう。昨日のドラマは、中村雅俊主演であった。母に言わせると、彼は亡長兄に似ているとの事である。母は、長兄の面影を中村雅俊に追って、2時間ドラマを見続けて居たのであろう。

  時間があるから、為らば、本日分のブログ打ちに取り掛かるとしようか・・・

 目の前の路地を、同班のインテリ先輩さんの奥さんが、娘と孫を連れて通って行く。左様であるか、帰りも此処を通ったら、ブログでは見えない『呆け画の原画』でも、お見せ致しましょうかね。

 大分、本日分のボリュームも出て来た。煙草を吹かして、薄い空を見上げると、薄い白雲が、空を覆い始めている。奥さんを先頭に、赤いジャンパーを着た孫と娘さんが通る。窓を開けて、呼び止める。部屋より、日向の日差しの方が暖かかろう。

 下手絵ファイルを二冊持って、路地に回る。奥さんは、実に感じの好い婦人である。お孫さん目線である。日向に腰を屈めて、暫しの日向ぼっこである。

「このオジサンは、顔に似合わず、とても繊細なオジサンなんだよ。文章が上手なんだよ。ブログ遣ってるから、お父さんも、時々読んで居るんだよ。
 文章だけでなく、こんなに、一杯、楽しい絵を描いてるんだものね。ほらほら、カマキリさんが、居るよ。何処かな~。」

「ほら、これ、さっき居たでしょう。テントウ虫さんだよ。」
「うん、いたよ。あのねぇ、どっかに、いっちゃった。」

「そうかい。僕ちゃんは幾つだい?」
「ふたつ。」

「お孫さんは?」
「もうじき、生まれるそうですよ。男の子だって。」
「そう、楽しく為りますよ。」

 へへへ、矢張り、春なのであろう。これも、早起きは、三文の得の内なのであろうか。
さてさて、すっかり昼と為って仕舞った。賄い夫を致しましょうかね。些か、私も腹が減って来たなり。


心何処ーショート 快晴為れど、風は冷たく・・・
           快晴為れど、風は冷たく・・・(3/28/11)
       
         昨夜は怪我の功名で、好いドラマを見せて貰った物である。

 私は日曜日の食後は、NHKの大河ドラマを見る事を習慣として来た男である。四捨五入すれば、軽く50年を超すキャリアである。テレビで、CMの中断の無い一年に及ぶドラマは、私にとって、居心地の良い時間であった。

 テレビと映画の違いは、背景映像の拡がりの大小と、投入される物量の大小に依るスケール感の違いである。テレビは、映画と違って、小、小の制約を余儀なくされている処から、カメラをズームアップして、主人公の表情・台詞を以ってして、それらの人々の内面を通して、歴史を『私小説風』に描いて見せる流れを辿るしか無いのである。

   正に、ズームアップを多用するテレビ映像の真骨頂と云っても好かろう。

 私は映画世代の真っ只中に居て、育った男である。そんな中で、洋画と邦画の色合いの違いに、米と日の文化の違いを感じ取って居たし、洋画を何本も見ている内に、西洋と米の違いも、映画が醸し出している色合いの違いから、文化の違いの様な物も感じられる様に為った。

 そんな事で、大学の頃は、伊、英、仏、独、米などの『各国の映画の匂い』を嗅ぎ分けられる様にも為って居た次第である。

 机に向かって、ガリ勉するのは、団塊世代の硬派の男としては、格好の好い物では無かった時代風景であった。然しながら、好奇心・知識欲は、それなりに持っていた武闘派である。

 数学も理科も社会も得意であった。<お前の作文能力、nearly 0>とは太書かれては居たが、意外と、へへへ、国語も得意だったのかも知れない。

 社会は、歴史に興味をそそられた。今にして思えば、年号に続く何文字、何行かで綴られる歴史事象の羅列は、私にとっては『妄想学の扉』だったのかも知れない。
 全体と個を見る為には、地球儀と云う球体の中に在って、何万、何千年として人類が時空を超えて、印して来た足跡が『世界史』である。歴史時計と云う標準時の様な羅針盤として、其々の地域、地域に影響を与える因子として、世界史と日本史は、不可分の関係に在った。

 羅針盤、基準時の軸として、私は世界史に、日本史よりも多くの興味と好奇心を実行していたのである。何時の時代にも、戯けが居る物である。歴史の年号の羅列を、『丸暗記科目』と称して、下らないと決め付けて終う輩が多い。

 その癖、言葉の定義とか、数学・物理上の公理・方程式を持ち出して、応用力と暗記力の優劣にしている馬鹿が多過ぎるのは、全く可笑しな彼等の錯覚である。
 私には、鬼門中の鬼門である処の音楽の世界にだって、五線紙と♪、#、pの公理・原則、方程式が存在するのである。謂わば、歴史の年号だって、その公理原則、定義、記号の一つであろうが・・・ それすらも、認識出来ない世の風潮は、可笑しいのである。

     さて、長々と脱線して仕舞った物である。本題に戻りましょうね。

 私は、時代の寵児か如何かは知らぬが、歴史ファンタジーアニメをNHK大河ドラマで、堂々と実写している<田渕久美子女史>が、如何も好かないのである。
 そんな事で、篤姫も途中で無視、今回は、愛しの君・鈴木保奈美様見たさに、我慢してお付き合いをして居た次第なのであるが・・・ 勤勉実直な、我慢強い男であっても、到底、我慢出来ぬ『馬鹿ドラマ』で、この処、遠ざかって居たのである。

 誰が、こんな下らない番組なんぞ、見るか!!と、チャンネルを変えたら、金八先生のスペシャルドラマであった。日曜日の夕食後の老母とのお付き合いである。見る事にする。

 へへへ、武田鉄也氏とは同年配である。同年配為るが故に、私は氏に、好感を持って居ない処でもある。海援隊→幸福の黄色いハンカチ→金八先生→ラジオパーソナリティ→龍馬伝での勝海舟役と、氏は超有名人であるから、その活躍振りは、黙って居ても、目に入り耳に入って来るものである。

 福岡教育大学で教員の道を目指して居たと云うだけあって、氏は教育に熱い心を持ち続けている。素晴らしい事である。
 然しながら、私の様な下衆には教師の説く『人間賛美』が、苦手の口なのである。へへへ、彼の目線が、何時も教師目線なのであるから、私なんぞは、蛇に睨まれた蛙の様な物なのである。はい、苦手の口なのではあるが、氏は、間違いなく、正論の持ち主である。

 然しながら、煩い!! 個性を尊重する民主主義教育の励行と云っても、この馬鹿教師。グチャグチャ、お説教がましい。省略して、掻い摘んで話せ~。・・・なんて、素行の悪い私は、氏のお姿は、敬遠教師さんなのである。イッヒッヒ。

 でも、皆さん、武田鉄也氏は、きっと素晴らしい人なんですよ。ただ、ただ、彼の性質が、納豆以上の粘着力が、半端で無いから、口の中がネバちゃって来るだけの事です。
(但し、彼の英雄視し過ぎて、坂本竜馬像に心酔し切って仕舞うのは、些か、如何かと心配している次第なのではありますが、)

 氏の顔と云い、語り口と云い、文句無しの『鉄也節』でしょうが。氏の爪の垢でも、田渕女史に煎じて飲ませたい物でありまする。

 昨日の私なんぞは、ただただ、鉄也節に聞き惚れて、金八先生のお姿に、拍手喝采と感涙に浸って居りました。

 イヨッ、金八頑張れ、台本なんて、目じゃない。金八はお前さんの分身じゃい。鉄也節を噛ませ~。撮り直し無用の長回しじゃい。これは、他人書きの台詞じゃ表現出来ないお前さんの肉声だ。ガンガン遣れ~。応援するぜ。 無駄事こく奴は、俺に任せろ。端から、ハッ倒して遣るぜ。暴力で傷害罪は、俺が買って出るぜ。後顧に憂い無しじゃい。

 婆さん、見てみな。鉄也の野郎。野郎も、歳だ。口元に、粘々くっ付けて、鉄也が、金八が、乗り移ってるぜ。

 イヨッォ、名調子だ。これが、人間の言葉だ。肉声だ。鉄也さん、アンタの一生見せて貰ったぜや。天晴れだわさ。アンタは、夢を捨てなかったんだねぇ。
 教壇で、教鞭執るだけが、教師じゃなかんべよ。立派にテレビ画面の中に、『心の教師像』を送り続けて、卒業式をドキュメントしたじゃないか。俺ぁ、泣けたぜ。好い涙を流させて貰った。アリガトさんよ。

               見終わって、老母曰く。

「こう云う先生は、本当に居ると思うかい?」

「矮小化して、理想と現実の違いを云うなんて、婆さん、そりぁ、『下衆の勘繰り』ってもんだぜや。世間様は、広いんだぜ。こんな無名の教師が、学校、職場の片隅に居るんだぜ。
 ハイライトシーンを編集して、繋ぎ合せて見せりゃ、こう云った人達は、一杯居る筈だよ。
 
 たださぁ、人間の人生は、喜怒哀楽の長い道程だわさ。誰にだって、一つや二つのハイライトシーンを持っているんだ。ハイライトシーンを持つ事が出来て、それが幾つも持てる努力をするのが、真っ当な人生の送り方だろうね。

 どんな英雄・偉人さんだって、毎日毎日、ハイライトシーンの連続じゃ、身が持たんだろうが。緩急付けて、ここぞの時に、溜置いて居た物を、一気化成に実行・表現出来るかが、『人間の価値』ってもんでしょうが。イッヒッヒ!!」

 一夜明けて、本日は、若き官房長官殿の国民へのお願い会見である。声の通る筋道の通った説明ではあるが、国難の真っ只中に居る政府の要職である。言質を取られての責任回避の意思が、如何しても、この若い爬虫類の目の様な冷たさを持つ表情に、直結して仕舞う。

 多言を要して、中身の薄い会見摸様である。多言を要しながらも、心を尽くす金八節とは、余りに違い過ぎる感がする。

 嘗ての官房長官の後藤田さん、福田さんと比べると、一国を束ねる風格の無い処が、虚しく映る。現官房長官には、甚だ失礼には当たるが、企業で云えば、課長補佐位の頭の回転が速く、ソツの無い中間幹部の姿しか連想されて来ないのであるが・・・ 未曾有の国難に、人材無き内閣の姿は、悲しく映るだけである。

 漸く、NHKにも歌手の歌メッセージが、放映されて来た。北島三郎、千昌男が、万感の表情で、被災地・被災者へメッセージと歌を送る。
 ファンの庶民と共にある彼等とて、真っ先に、歌のメッセージを送りたかった筈であろう。きっと、様々なスポーツ界、芸能界から、役に立ちたいとの声が、殺到していたのではあろうが、放映の手順が、官僚的過ぎないのでは無かろうか。

          さてと、陽が陰らぬ内に、散歩に行って参りまする。


心何処ーショート 本日・日曜日、ボケーと過ごすなり。
         本日・日曜日、ボケーと過ごす為り。(3/27/11)
 三寒四温を軽く通り越して、今週は真冬並みの寒気の居座りである。母の動きも聞こえて来ないから、日曜日でもあるし、温い湯たんぽの上に足を伸ばしての二度寝である。

 昨日のコーヒータイムの折りには、下手絵ファイルを持参して行ったから、早速、Tに宗教画『祈り』を見せて、感想を聞くと。

「こんな物ぁ、ヤクルトママが云うまでも無い事だわ。クリックして拡大するまでも無い。Rの野郎は、性懲りも無く、抜け抜けと、こんな物を載せ遣がって、完全の<脳梅の末期症状>を来たしてる。鼻が捥げる前に、脳味噌を直撃してるぜや。あい。

 婆さんを病院に連れて行くより先に、Rの野郎を病院に連れた行かなくちゃ為らねぇや。病気だったら、しょうがねぇから、『死に水』くらい取って遣っても好いが、正気だったら即『絶交』して、1m以内立ち入り禁止の<広報活動>しなくちゃ、と考えてただいな。

 あんな物ぁ、体裁好く、指を加えて、色々、塗ったくったって、『女の祠』以外に、見える訳が無いじゃないか。トボくれ遣がって。その頭ん中は、好色菌に侵され捲って居るんだろうが、女日照りの軽症状じゃなくて、禁断症状じゃないのか。おぅ?」

「お前さん、俺の純粋無垢な『祈り』を、言うに事欠いて、脳梅の末期症状とは、好く言ってくれるじゃないの。
 俺ぁ、Tの名言の『女から、母親に戻ったんだ。』の名台詞を、ブログに打って、男女間に於ける性器の存在意義の違いを、仕捲りたかったんだけど・・・ 打たなんで好かったぜや。
 ッタク、俺の拠り処、理解者だと思ってたら、その他、諸々じゃねぇか。薄っぺらな世間の色眼鏡とは、恐ろしいもんだぜや。これじゃ、市井にぁ、芸術家は育たんわね。ギャハハ。」

「何をこきゃがる。手前のエロ眼鏡を棚に上げて、世間様を恨むなんて、そりぁ、出来そこないの人間の云う言葉だぜや。アハハ。」

 こんな馬鹿話をしていると、隣席の常連韓国カップルに、片付けに来たスタバ・スタッフが、躓(つまづ)いて、テーブルのコーヒーを零してしまった。

 いやはや、こんな事は、多少は起きる事である。こんな時は、母国語の韓国語同士で遣ると、韓国の人達の語気は、日本人の耳にはキツク聞こえるのであるが・・・
 外国語の日本語とは、トーンとスピードが違うから、面白い観察が出来るのでは有る。幾ら、バイリンガルの優秀な人間頭脳であっても、感情と見繕う感情表現語の間には、タイムラグが発生する物なのである。へへへ。

 韓国通のTは、そんな韓国カップルとスタッフの遣り取りを、ニヤニヤして見て居る。

 私は友に対しても、奥ゆかしい男であるから、Tのニヤニヤ観察の脳裏には、何人かの韓国おネェーちゃん達の面影が、動いているのであろう。多分、Tは、この手の顔のおネェーちゃんが、好みのタイプなのであるからして・・・ニャハハの段である。

 真面目な硬い話も、必要だし、戯け男同士の軟らかな話も、バランス好く入って居なければ、世の中は面白くは無いのである。私の様な度の過ぎた戯け男には、Tの様なブレーキ役が必要なのであろう。

 ボケーと過ごす日曜日は、好い物である。本日は、ラジオも付けずに、時を遣り過ごす為り。


心何処ーショート 堪忍袋の緒が切れた。
               勘忍袋の緒が切れた。(3/26/11)
 嗚呼、遣り切れない事故が起こって仕舞った。きっと起こるだろうと思って居た事故であり、切ない気持で一杯である。それは、昨日の福島原発事故最前線で働く人達の三人の被爆ニュースである。

 私は、体質的に武闘派であるから、こう云った事故報道に接すると、怒りが燃え滾って来る。
 
 あれだけ、連日連夜、放射能モニターで偉そうな事をほざいて居る連中を、一列に並べて、端から往復ビンタを喰らわして行きたいと、本気で思って仕舞うのである。

 現場の指揮系統、安全指差し呼称が、守られて居ない。現場作業員とか、協力会社作業員などと称して、危険・死と背中合わせの激烈状態の現場の、その人間達の安全へのチェック指導すら、行き届いて居ない様は、何事であるか!! との情け無しと怒りである。

 所謂、危険、汚ない、臭いの3K労働を、下請け業者に『丸投げ』して、<下請け業者の手柄は、自分の物。失敗は、下請け業者の責任。>と、好い処取りに終始して居る大企業、政府司令塔の実態が、浮き彫りにされている様なのである。

 私のブログに何度も登場して来る思いではあるが、『同一労働、同一賃金』の平等観、公正観が、人の根本的原理として備わって居ないから、この様な事が生じるのである。正規労働と非正規労働などの、『戯けた企業論理』を振り翳して、人為的身分制の線引きを敷く。

 こんな戯けの延長線上に、勝者・敗者の言葉を置いて、自己責任を持ち出して、自業自得を連想させる。名も無き弱者・少数者を踏み台にして、のさばって居る『支配者の冷血な論理』を誘導して振り翳す。この論理態度が、許せない。これは、有るまじき『汚ない絵』なのである。

 自衛隊、消防、警察、東電幹部には、何をさて置き、放射能のモニター数値で、作業の計画を練る。私は、それに文句を云う筋合いは、毛頭無い処である。

 その同じ目線が、下請け業者の最前線で作業する人達に、何故徹底されて居なかったのか!! その好い加減さに、腸が煮え繰り返るのでのである。

 自衛隊のヘリコプターからの海水の放水時に、政府・保安院・東電、テレビの専門家達は、如何報じて居たのか・・・ 情報、助言の分析、要点の周知徹底が、謂わば、事故と闘う最前線の場に、周知徹底されて居なかった事に、司令塔の大失態と腹の据わりの無さに、怒りが生じて来るのである。

 燃料棒が冷却水蒸発で、溶解を来している。溶解に依る放射能発散が、抜き差し為らぬ段階に来ているとの専門家達の解説が、テレビを占拠して居たのである。漏れ出た水には、大量の放射線物質が含まれているとの見立てであった筈である。

 水蒸気爆発で、建屋がスッ飛んで、水蒸気が立ち上り、黒煙が上がる。地上からの放水が功を奏しつつある中、電線ケーブルが敷かれ、配電盤に繋がり、一部では冷却送水装置が稼働し始める。

 そんな時系列の中で、官房長官は、ワイシャツにネクタイ、ズボンは私服。その上に、非常時を示す作業服の上着を着て、テレビに映り始めた。

 事故現場の最前線では、次の号機への配電の繋ぎ込み作業が、営々と行われて居たのである。普段、水の無い所に水が溜まって居るのである。
 作業の取っ掛かりは、普通に考えれば、放射能測定から始まり、その濃度によって、修復必要時間が、被爆許容時間で割り算されて、作業者人数と作業者一人当たりの作業時間が割り出される。所謂、作業要員数が決められるのである。そして、作業服装にしたって、防水対策は、決められる事なのである。

 言いたくは無いが、こんな初歩的な事は、現場作業の責任者の心得として、通常の製造業・建設業の実態としては、精々が班長・グループ長の日常マニュアルとしてある筈であろう。言いたくは無いが、こんな事は、一々マニュアルブックを開くまでも無く、暗算で出来る『職務の走馬灯』の様な物である。

 人は、そんな有事の際に、コンピューターの様な冷静な判断が稼働され難くなると云う実証学を自覚して居るから、現場作業を指揮する人間を置いて居るのである。有事に際して、腹を据えて、日頃の知識・体験を実践の場で、躊躇なく指揮出来る人間を、組織の職制・職位として、組織ピラミッドを構築して居るのであろう。

 これは、組織が造る総合の有機体としての『秀才造り』の実態なのである。人為的組織力では、通常の場合は、平時有事の指導力を発揮し得た者だけが、歴史上の天才・偉人と讃えられるだけであって、普通は、平時の能臣、有事の英雄と称されるまでの事であろう。

 然しながら、組織と個人とは異なる。組織は、ゴーイング・コンサーンと云われる様に、組織継続体なのである。人為的に個個人の能力を見出し、教育する事で、人為的秀才を造り出し、維持して行く生命継続体の様な物なのである。
 
 組織が一つの統率力を持って、一体の有機体として作用する処に、有機体としてのダイナリズムが発揮されるのであろう。田中角栄さんの言葉ではないが、『神輿に載る人、神輿を担ぐ人、担ぐ人の草鞋をなう人。』の喩えでは無いが、組織とは、其々が役割分担をして、協働して、共同の目的を達するのが、通常にして真っ当な組織体なのである。

 協働・共同の目的を達する個々の役割と共通の思いがあるからこそ、其処には、『お互いが、お互いを思い遣る』と云う協働意識の同心円で繋がる人の輪・和の統率が、出来るのであろう。

 そう云った聖徳太子以来の『人の和』に根差した日本人の精神性が、隅々にまで醸成されて来た処に、『謹厳実直な動と静が織り成す日本の精神文化』があったのであろうし、天皇陛下の弱い者、小さき物に寄せる心の有難さに、国民の多くは、天皇家を敬う心を持ち続けて居るのであろう。

 整列!! 作業環境、放射能数値★★。本日の作業内容。人員★名。一人当たり作業時間★分。防御服装★、★。服装、相互指差し呼称!! ヨシ、ヨシ、ヨシ。第一班、掛れ!!

  普通は、こうですよね。如何したんでしょうかね・・・ 長靴と短靴・・・

 酷過ぎますよね。3K現場仕事を、下請け会社に丸投げして、命令と報告だけに終始して居る様にしか、私の目には見えて来ないのですが・・・ そして、そんな『目視』とは異った報告だけの、そして、そんな情報収集だけの国民向け政府会見など・・・

 私には、何か『伝聞証拠』の採用にしか見えて来ないんですがね。枝野さん、仙谷のコンビは、弁護士さんコンビなのに、伝聞証拠の証拠能力に就いては、その訴訟上の能力の無い事を十二分に、ご存じの筈なんでしょうがね。

 この馬鹿野郎共、腐った性根にぁ、言葉は不要!! 身包み剥いで、放射能プールに沈めて呉れるわ。手前ら、男のキンタマ付けてるのか。エリートだったら、恥を知れ、恥を!!

国難の大災時の現在進行中の最中に在って、こんな軽はずみな事を打つ事は、不謹慎とも受け取られるかも知れません。

 然しながら、誰かがタイムリーなその時々に在って、極々、市井の片隅で暮らす平凡人が、思う事柄に就いて語るべきだと思って居る次第なのでありまする。
 時が経過すれば、感情の炎は沈静して、人間の精神の動きは、感情から理性に向かって、客観的な回想録の形に為って仕舞いまする。

 私は感情よりも、理性が小さな男でありまする。タイムリーな事柄を、日々記するのが、吾が日記の性でも有りまする。感情主体に打つのが、吾が日記の定めと致して居りまする。

 天皇陛下は、那須御用邸の風呂を一般の供用に付し、御用邸の1000個の卵、缶詰を寄付され、停電範囲外の皇居でも、国民に倣って、電気を消して、蝋燭・懐中電灯で食事を為され、消電には、『寒いのは、重ね着をすれば良い。』との仰せとの事である。日本の長い歴史の中で、神話と重なる天皇家の大御心が、時空を超えて、示されて居るのである。

 どんなに時代が目まぐるしく変わろうとも、人間の心は、普遍にして不変の形であって欲しい物である。

 本日、土曜日。親友Tとのコーヒータイムであった。ブログ紙面の関係上、この様な構成と致しました。

 以上、私の憤懣遣る方の無い個人の思いの丈を、Tとのロートルトークの中心に据えて、語り合って来た次第でありまする。

 へへへ、些か興奮気味で、一気に文章を打ち上げて仕舞いましたから、文章と為って居るか如何か、疑わしい処ではありまするが・・・ 常連さんの紳士淑女様に、於かれましては、日頃の吾が意を汲んで頂きとう存じます。


心何処ーショート 灰色雲に思う事 
                灰色雲に思う事(3/25/11)
 週間天気予報通りと云っても、真に以って歓迎せざる冬逆戻りの日々である。用事を済ませに自転車に跨(またが)る物の、毛糸の帽子の網目から、スースーと冬の寒さである。<梅は咲いたか、桜は未だかいな>・・・なんて、鼻歌が出る幕も無い。開花した梅とても、季節外れの寒風に、枝毎、ブルブル震えている有様である。

    嗚呼、こんな時は、息切れ上り勾配の息切れロートルのザマである。

 寒い日は、何事も億劫となる物臭性である。こんな時は、風呂に入って、身体を温めてから動くが肝要である。風呂から上がって、母に渡し、台所の洗い物を片付ける。洗濯を片付けて、部屋で熱いコーヒーを啜って、先ずは一服である。

 ラジオでは高校野球の中継ではあるが、余り好まないから、音無しの四畳半である。

 朝飯後の教育テレビでは、紙芝居風の童話が流れて居た。次いで、侍の写真から始まる明治・大正・昭和・平成の150年に亘る日本の社会の一コマを放送して居た。

 写真・・・写真が連写されて、活動写真。無声活動写真が弁士を置いて、活劇スクリーン。それがトーキーの時代と為って、映画。劇場映画が、テレビに主役の座を奪われて、テレビドラマ。テレビ時代からインターネット時代へ進んで、動画と来た。

 写真→活動写真→映画→テレビドラマ→動画と、誰が命名したのか? 巧くも面白い物である。その亜流には、紙芝居があったり、幻燈(スライドショー)があったりもした。

 映像と音声を媒体するのには、弁士があり、字幕スーパーがあった。お茶の間テレビでは、吹き替えが定着して、映画テープ、DVDには、音声の切り替えまでセットされているご時世と為ったのであるから、『至れり尽くせりの時代』である。

 成る程、私は62歳であるから、幕末から現在までの150年間の内、62年を体験している身である。映画館には、大変に御厄介と為った年代である。古典文学、社会派ドラマで勉強をさせて貰い、字幕スクリーンで、漢字を覚え、速読を覚え、台詞と役者の表情のパターンを覚えた物である。

 映画の合間には、国内ニュースと海外ニュースが、必ず入って居たものである。そんな中で、大人の世界と世界の出来事を感じる事も出来た。小学生低学年の時分には、自分が海外旅行をして、異国の地に足を留める事も、自分が車を運転するなどと、思っても居なかった。

 その時代の風景の一つに、馬に乗って松本へ行く大人が一人居た。私は、大人に為ったら、馬で通勤したい物だと『憧れ』を持って、馬上の人を見て居た位な物であった。

 然しながら、『高度経済成長の時代とは凄かった。』と、今に為ると思う次第である。

 あれよあれよと云う間に、自転車オートバイが、オートバイに変身して、オート三輪が、四輪車に変わって、私の高校時分には、オートバイで通学する友達が増えて来た物である。50ccバイクなんて物は、チャチな物には違いなかったが、自転車に替わる大人の足と為って仕舞った。それが、今度は、猫も杓子も四輪車の車時代と傾れ込んでしまったのである。

 現在の様に『失われた20年間・・・etc』と云う目立った動きの無い世相から考えると、敗戦後の日本の高度成長と云う時代のスピードの速さには、舌を巻くバイタリティがあった様である。

 今回の大震災、大津波に、日本産業の一つの象徴たる車が、10mの大防波堤を軽々と跳梁して襲い掛かる黒い海に、呑み込まれて行った。大海に漂う木の葉の如く運ばれ、津波に藻屑の様に翻弄されて居る映像が、繰り返し放映されて居た。

 嘗て、日本の造船は、重厚長大の経済の牽引車の一つでもあった。その船が、廃墟の陸地に虚しく放置された映像も、何度も見た次第である。物流の象徴の夥しい鋼鉄製のコンテナの散乱、現代の足・高速道、鉄道、空港の破壊と断絶の惨状である。

 震災から2週間。東北を襲った傷痕は、漸く復興への緒に付こうとしている。現在進行中の震災は、福島の原発であり、放射能汚染の行方である。情報公開に依る大衆社会下での震災二波のテレビ実況の日々である。

 情報公開に依る事態の説明と、沈着冷静の呼び掛けにも拘わらず、庶民の買い漁り行動で、店内から特定商品が、品切れに為る映像が映し出されている。

 沈着冷静を呼び掛ける作用は、判断意識に働き掛ける作用なのではあるが、人間は、体質的に類似行動に走る集団的側面を多分に持っている。
 沈着冷静行動を呼び掛けるには、『これこれ、こうだから、心配無い』と説明、納得させるには、それ為りのボリューム時間と学習能力を要する物である。

 然しながら、その後で、『品切れ報道』『商品疑い情報』を平気で流して居る報道姿勢とは、如何なるものか??? とマスコミ界の感性と神経を疑いたく為って仕舞うのが、下衆貧民の根性の悪さなのである。

「心理学の一説によると、何秒間隔で、或る映像を紛れ込ませて置くと、無意識の内にも、その映像が脳裏に刷り込まされてしまう・・・サブリミナル効果と云う物があるらしい。これは、昔見た<コロンボ警部>からの見齧りであるので、その信憑性については???ではあるが、・・・」

 私は無学であるから、直感的・独善的な事しか言えないのではあるが、意識と潜在意識との人間行動の心理に於いて、サブリミナ刺激の有意性を述べている説が存在するのである。
 沈着冷静行動の呼び掛けと並行して、『買い漁り行動・疑い行動』を報道する様は、<可視映像>に依る『潜在意識の掘り起こし、炊き付け刺激』なのでは無いだろうか???

         全く、理解に苦しむ報道姿勢、報道構成である。
 
 俺見たいな低能児には、マスコミキャスターさん達の様な『高等方程式』は、解けませんわね。あい。

 私には、有事、有事と云って居る割には、日本の政治家も報道陣も、平時のスタンスに立っている様にしか見えて来ないのである。この国には、一体何百人の国会議員が、俸禄を噛んで居るのだろうか。有意の国会議員も、若手の国会議員の先生方も、多数居られる筈である。

 国民の選良を自負するなら、現場に飛んでボランティアの励ましが出来る筈である。震災から二週間、被災地に足を運んで、救援物資の手渡し作業に汗を掻くも好し、体育館に座り込んで、被災者さん達の話し相手に為るも好し。悲惨な廃墟の街を歩き回って、祖国の意味を考え、自らの初出馬の政治への熱い志に立ち返るのも好かろう。

 有事に直面して、説得力を見せる行動は、ただひたすらに愚直さを見せる事では無いだろうか。一枚の写真から、活動写真、映画、ドラマが続き、掌に載る小さな携帯に情報の多くが見れて、発信も出来る重宝な時代には違い無かろうが。

 生活の場・手段、故郷、国が、今、悲鳴を上げている。便利さ重宝さで、国の復興は成り立たないのである。現実の世界にこそ、復興の種がある。その種に、愚直さを見せてこその被災者・被災地への心寄せであり、自らの仕事への叱咤激励とも為ろう。

 昨今の世相は、至れり尽くせりの『掌に載る携帯文化』である。一枚の写真から始まった情報が世界を突き抜ける時代であっても、<人が動かねば>、生身の人間の世界は復興・構築は叶わないのである。

 掌に載る携帯文化をバーチャルの世界にも、現実の世界にもするのが、『人間力』なのでは無いだろうか。

 遺憾いかん・・・大風呂敷を拡げて仕舞い、収拾が付かなく為って仕舞いました。この辺で、浅学非才の下衆貧民は、逃げるが勝ちでありまする。

 本日も、取り留めの無い長駄文の館に、お出で頂いて、感謝感謝でありまする。


心何処ーショート アッジャ~、俺は狼ロートル??
           アッジャ~、俺は、狼ロートル??(3/24/11)
 昨日も今日も寒い。寒いと、高齢の身には堪えて居るのであろう。昨夜は、酷く心臓が苦しかったと言う。念仏を唱えて、居たと言う。
 夜中の私の習性として、映画ビデオを耳にイヤホンをして見て居るのであるが、『史上最大の作戦』の後篇を見て居ると、母のトイレの杖の音がしている。

 もう、既に私の意識は、睡魔の中で粗方堕ち込もうとして居たのであるが、無事にトイレから出て、部屋に戻る音を聞いてからでないと、眠りの中に落ちる事は出来ないのである。

 まぁ、これもロートル賄い夫の日常の務めであるから、致し方の無い処なのである。

 トイレットペーパーの音がして、水が流れる。コツ、コツ、と小さな音がして、母の部屋に帰る様子が窺がえる。湯たんぽの上に乗せた足を引っ込め、寝帰りを打って、半纏を頭から被る、そして、テレビを消して寝る。

 朝である。一日遅れのヤクルトママさんのコール日であろうから、二度寝は罷り為らぬ。母の部屋を覗くと、ベットの上に白髪頭である。目を開けて私を見るから、『ゆっくりで、好いからな。』と声を掛けて、モーニングコーヒー用の湯を沸かしながらの、台所仕事、小鳥達の世話をする。

 部屋で煙草を燻らせながらの、アメリカンコーヒーである。庭の独鈷のリンゴの微塵切りを食べ尽くしたヒヨドリが、窓辺の奥の手の柿のミイラを啄みに来た。ふと浮かんだ事ではあるが、この柿ミイラに遣って来る、もう一つの動機は、独鈷の餌の催促なのかも知れぬと云う思いである。

 鳥籠二つの飼い鳥達は、餌入れに餌が無く為ると、彼等は何処ぞの三国人の様に、餌入れを嘴に咥えて、ガタガタ、コツンコツンの餌遣せの『大ブーイング』を始めるのである。私は気弱な男であるから、『はいはい、少々、お待ちを』と重い腰を上げて、彼等の執事を仰せつかる始末なのである。

 まぁ、私とて人間様の端くれであるから、餌を遣り過ぎると、散らかし放題の行儀の悪さを呈するので、何日かに一遍は、餌を半日ぐらいの少量に抑える。そうして置くと、朝で食べ尽くした彼等の大ブーイングが始まる。
 此方は、その事を百も承知して居るから、内心、ザマァ見遣がれのイヒヒ笑いで、徐(おもむろ)に執事役をこなすのである。

 この戯け!! 能ある鷹は爪を隠す。能ある豚は臍を隠す。能あるワシは、意地悪をするんじゃい。俺様を執事扱いするとは、この身の程知らずが、参ったか~。

 言葉の通じない者同士であるから、この位の意志表示をして遣らないと、私の様な下衆には、『人間の溜飲』が下がらない処なのである。ギャハハ~。

 こんな、飼い鳥観察をヒヨドリに応用して見ると、その主たる動機が、庭の独鈷餌台の補充に有ると考えるべきなのであろう。人間を屁とも思わない『人使いの荒さ』である。従って、好意を見せると、付け込まれて仕舞う様は、人間界、野生界を問わず・・・下品その物の様子であろうか。

「コンニチワ~、ヤクルトで~す。」
「はいはい、少々、お待ちを~。」

 今週の一枚は、私の被災地に送る『祈り』である。下手絵ファイルを持って、ご対面である。

「如何だい? 俺の快心の策だいね。好いだろう。」
「ヤダ~。Rさん、その物ズバリじゃないですか~。こんなに大きくは無いですよ。」

「ナヌ~、開口一発の感想が、吾が身の『女陰』と見て終ったかいな。そりゃホトホト(女陰女陰)ビックラこいたわね。
 これはさぁ、『邪心皆無』の宗教画だわね。寒々とした被災地さんへの『祈り』に込めた、春の桜花を散らした<暖への祈り>だわね。俺ぁ、口で云う程の助平じゃ無いでゴザンスよ。ったく、綺麗な顔して、何て評価を下してくれるだいね。このドスケベ。」

「だって、Rさんは、何時もが何時もなんだから、素直に、そう見えちゃったんです~。
 女性代表として、一言申し上げますと、女性の開口部は、赤ちゃんが出て来る処ですから、分娩時最大で10cmに拡がるんですよ。

 そのサイズが、赤ちゃんの頭の大きさに匹敵するんですよ。それが、女の身体の仕組みなんですよ。男と女のアソコの捉え方が、根本的に違うんですよ。確りして下さい。」

「アッジャ~。こりぁ、何んとも早や、狼少年為らぬ狼ロートルの大失態でヤンス。
 ふ~ん、ママさんのお説、ご尤も。ママさんは、偉い。そうだよなぁ~。流石に男と女とでは、物の存在意義が、こうも違うんだ。

『目から鱗』とは、この事を云うんだろうね。為るほどねぇ~。好奇心・性の対象としてしか、見えて来ない男の目と、精子を受け入れて祠で育て上げて、十月十日で、世に送り出す器官としての<認識の違い>は、男と女の根本的な認識のズレなんだろうね。

 ママさん、こりゃ、完全なる脱帽だわね。う~ん、そう考えれば、思い当たる事が、多々あるわいね。」

「如何したんですか、Rさん。真面目な顔しちゃって。」

「いや、正直に告白するとさね。俺、タイムリーで快心作と自惚れて居たんだけどね。その割には、反響が少なくて、??? と思って居たんだわね。へへへ。
 
 俺のブログは、普段が普段の好色戯けブログだから、多くのお人が、『祈り』に託(かこつ)けて、この糞オヤジ、とんでもない<女陰図>を描いて遣がる。この非国民って誤解されちゃったんでしょうな。一事が万事の、恥入る心境だわね。へへへ、ご指摘、反省致しまする。
 
 嗚呼、これぞ、汗顔の極み。穴があったら、入りたい物ですわ。ママさん、穴貸しておくれや。」

「Rさん、何処見てるんですか~。『分娩時最大で10cm』です。幾ら、スキンヘッドでも、そんな赤ちゃんの何倍もある大きな頭が入る訳無いでしょ。本当に、男は、何、考えてるんですか~。拝んだって、ロックの掛った岩戸の扉は、開きませんよ。」

「う~ん、猪口才な~。アリババと16人の盗賊じゃ、<開けゴマ>で開くんじゃなかったの?? ありゃ、嘘かいな。」
「反省した振りして、何を馬鹿な事言ってるんですか。又、来週来ま~す。風邪引かない様に~。バイバイ。」

「はいはい、アリガトさんね。今日は、好い勉強させて貰ったよ。」

 いやはや、還暦を越して、『目から鱗』の好い話を頂戴した物である。この様な性器に纏(まつ)わる男女の差が、根底に流れて居ようとは、今の今まで理解が出来なかった次第である。

 何十年も前の事ではあるが、食堂の週刊誌に、大胆なオールヌードの姿態を曝け出した、或る変わった問題多き女優さんの言葉に、<性器を内臓の一部>と見做して、大騒ぎをする男族を蔑んで居る行があった。

 私は好色・好奇心一辺倒の男であったから、彼女の言葉が理解不能であった。然しながら、長らく性器を内蔵視する彼女の存在は、意識の底に在った。こんなセクハラトークでも無い限り、私は、彼女の事を???・・奇妙な女との落印を押し続けて居た事であろう。

 人間とは、頑(かたく)なな刷り込み、第一印象に囚われて生活して居る存在なのである。何時、何時どんな切っ掛けで、<開けゴマ><目から鱗>の扉と、遭遇されるとも分からないのである。

 つくづくと、他人様の御意見には、心して拝聴する態度を持たなければ、或る一面の心理を窺い知る事は出来ないのである。男女双方の<心理>を理解した上で無ければ、『真理』に近付く事も叶わないのであろう。イッヒッヒ~。


心何処ーショート へへへ、お誉めを言葉を頂戴するなり。
       へへへ、お褒めのお言葉を頂戴したなり。(3/23/11)
 夜、夕食後の時間を母の部屋に居ると、玄関でコンバンワの声である。何か、町会の用事だろうか?と出ると、倅夫婦である。用事が出来て、墓参りが出来なかったから、仏壇に線香を上げに来たとの事である。おやおや、オヤジの私に似合わずに、真面目な男である。

「婆ちゃん、その後は如何? 顔色は悪くないから、元気そうだよね。」
「もう、歳だからね。お父さんが、色々薬を出して貰って来て呉れたんだけど、・・・」

「まぁ、意気地の無い婆ぁでさ、メーンの特効薬の浣腸を使わないんだよ。」
「あんな長い物を見たら、怖く為って、使えない物。こんなに長いんだよ。」

「分かる。介護の仕事して居るから、昔の物と違って年寄りには、恐怖だものね。うんうん、分かる分かる。」

 便秘話から始まった会話である。長い浣腸薬は、引き出しに封印されているとの事である。漢方薬を服用して、ボチボチしているとの報告を孫にしている老母である。

 震災の話に自然と進んで、嫁さんの口からも、菅さんの大臣、副長官、補佐官起用は奇異に見えるとの事である。

「オヤジのブログに出て居た『異国の丘』の唄を読んで、感極まって、泣けて来ちゃったよ。あれが、日本人の心なんだよね。倅の俺がコメント書く訳にも行かないから、拍手をポチョンとして置いたけどさ。
 ○も、時々、読んで居るって言うしさ。オヤジは、大したもんだ。漢字が多くて、大変だけど、この歳に為っても、好い勉強をさせて貰って居るわ。アハハ。何しろ、オヤジの俺の見立ては、『大器晩成型』って事だしさ。」

「そうかいね。そりぁ、有難い。お前は唄のメロディは知らんけど、俺達の小学生、中学生の時代は、アイ・ジョージの『戦友』だとか、二葉百合子の『岸壁の母』なんかが、ラジオから流れて居てさ。」

「『九段の母』もあったよ。」

「そうだよな。言って見りぁ、俺は戦後生まれだけど、戦争の燻(くす)ぶり見たいな物が、日常の中に在ったものさ。ほら、あそこに掛って居る三兄の★ちゃが、如何云う訳か、唄が好きで、『侍日本、戦友、人生劇場』なんて渋い唄を、ボソボソ口ずさんで居たもんさ。

 婆さんに言わせると、★ちゃは、オヤジに似て、感じ易くて涙脆い男だったてさ。

 感じ易く涙脆いのは、家の家系らしいけどさ。でもなぁ、人間はさ、頭で考えるんじゃなくて、血で分からなくちゃ、人非人よ。
 日本人に<熱い血潮の通い>があるから、小林旭の『熱き思い』が大ヒットするんだからな。

 時代は変わっても、日本人の熱い血潮を失ったら、日本を造って来たヤオヨロズの神々、ご先祖様達に申し開きが立たんぞね。縄文時代だか、弥生時代の初めかは覚えて居ないけど、その当時の日本人の人口は30万程だったんだってさ。

 それが、平成の御代には1億3千万人だとよ。細かい事を言うと、学者先生、運動家さん達には怒られるけど、四海を囲まれた大和アキツシマの日本は、単一民族の純粋培養民族が、大和民族だわさ。
 そんな悠久の歴史民族が、日本人だわね。日本民族の臍の緒には、精神の束ねとして、自然と天皇家の存在があるんだと思うしさ。幾ら敗戦して、日教組教育が蔓延したって、洗脳出来る事じぁ無からずよ。

 これは、理屈じゃなかんべよ。単一民族・純粋培養の持つ核たる部分に、繋がる日本人の思考の回路だろうね。この日本人の心の奥義が分からん様じゃ、経営者も政治家も、総理様も、赤点以下のウツケ者って事だわね。そんな輩の言葉になんか、耳を傾ける価値は無いぜよ。

 今時のシンガーソングの草食系の個人歌なんかじゃ、心を打つ『国民歌謡』が誕生する訳があるめぃよ。たかが、個体差にしか過ぎない物を個性と持ち上げてさ・・・ 見苦しい<ぬるま湯の世相>だわね。なぁ~、困ったもんだぜや。

 今回の大震災に寄せられた天皇陛下のビデオ・メッセージと菅直人のメッセージを比べて見れば、心と血に、どちらがストレートに伝わって居るかなんて事は、赤子だって分かる。その一目瞭然性に、素直に感じ入る事が出来ない様じゃ、赤点以下の日本瓦解の末法/末世の様だわさ。イヒヒ。」

「お父さん、もっともっと、続けて下さい。隔世遺伝に頼るしか無いですから、胎教教育して遣って下さい。」
「そうそう、おい、凌祐。確り聞いてけよ。オヤジの俺には、教育出来ない爺っちゃまの精神教育だぜな。アハハ。」

「この馬鹿野郎が、子供の教育をするのは、親の仕事だろうが。こんな下衆豚を木に登らせて、如何するんじゃい。お茶注げ~。」
「あいよ。只で授業聴けるんだ。お安いご用だわね。へへへ。」

 相も変わらずの戯け話に、時は流れて行く。老母にとっては、倅は百薬の長なのであろう。パッと花が咲いた様な笑顔のお地蔵さん振りで、うんうんと戯け一座の会話を愉しんで居るのである。倅夫婦の車を見送り、おお、寒い。ブルブルの態で、部屋に戻ると

 老母曰く、好い話だった。お前の家族が、一番暖かいねぇ。良い家族で、お前は幸せだよ。後は、すんなり、無事に生まれると好いね。楽しかった。

    へへへ、ご母堂様から、身に余るお褒めの言葉を頂戴して仕舞った。

心何処ーショート ヘヘヘの段、頻りであった。
             へへへの段、頻りであった。(3/22/11)
 久し振りに夢を見た。焼夷弾攻撃で街は焼け野原である。大きな工場が爆撃ですっ飛び、鋼鉄製の大型機械が、ブスブスと煙っている。映画シーンで見る様な、焼け出された住民達が、工場の焼け野原に集まって来ている。それが、全く不思議な事に、阿鼻叫喚の様相では無い。

 爆風で引っ繰り返って、大きな鉄の塊と為った機械の周辺を、皆が、手渡しの形で片付けて居る。私も、そんな人達の中に入って、作業の一部に為って居る。そんな私の耳に、こんな話しが聞こえて来る。

「街は足の踏み場も無い焼け野原に為って仕舞ったんだもの・・・ この街の象徴は、この工場だったから、この工場で皆、働いて居たんだから、男手が戦争に取られても、子供達、女達が、みんなそれを引き受けて、お国の為に総動員されて居たんだからね。だから、皆が集まるのも、『此処』しか無いんだよ。」

「また、爆撃を受けるかも知れないけど、こう遣って、機械の下を片付ければ、防空壕の様に、弾除けの避難場所にも為るでしょ。」

「戦争が終われば、戦地から街出身の兵隊さん達が帰って来る。もう兵隊さんじゃ無いもの。親子兄弟、何処何処のおじさん、お兄ちゃん、○ちゃんだもの。
 何にも無く為って仕舞った街だけど、街の象徴は、この工場だったから、帰る場所を作って置くのが、私達銃後を守る住人達の務めなんだよ。泣いてなんか、居られないでしょ。」

「何にでも、家庭・家族、街、社会、お国にも、中心が無くちゃ、復興は始まらないからね。無く為ったら、作るしか無いからね。これは、重いよ。二人でもって行ってよぉ~。」

 私は、そんな事を言い交わしながら、作業をして行く中に在って、悲壮感を感じさせない顔と顔、光景を見て居る。<大人、はやっぱり違うな。>と感心しながらも、手渡しの片付け作業に、全く疲れを覚えなかった。

 太陽は中天をやや過ぎて、汗の流れ落ちる全身から、協働作業の心地好さを感じて居た。季節は何時頃かと周囲を見渡すのであるが、焼け野原に季節を見出す事は無かった。太陽の傾き具合から察して、春なのであろうか・・・

 こんな人と人の光景を見て居ても、<逞しい>と云う感想は、一つも感じなかった。

 何か、これが極当たり前な日本人の社会、日本人の協働意識なのであるから、『自然な光景』なのだと感じながらの、作業の一員であったのである。

 場面は変わって、一日の労働が終わって、私は小部屋の壁に背をもたれて、煙草を吸っている。ラジオからは、東北関東大震災の摸様が報じられている。日本の前代未聞・未曾有の震災模様を、各国の記者達が取材に来て、その模様を本国に送って居る様子が報じられている。

 ラジオの中では、ロシア向け放送らしく、日本語で取材して、ロシア語で流して居る取材記者の名前が、度々出て来る。彼女は、○○だと云う。○○の名前ならば、それはシングルママさんの名前では無いか。

 懐かしく為って、その声の特徴に耳を傾注して居ると、夜の窓の隣には、何やら、ナースの格好をした愛くるしい黒髪・抜ける様な白い素顔のベッピン嬢が、黒い瞳で、白い歯並びで私に、手を振っているではないか・・・  おや、これは珍しい。彼女は、ウクライナはキエフ出身の生意気小娘のライオン娘の★★ではないか。

        薄い窓ガラスを隔てただけの、声の聞える近距離である。

「★★じゃないか、此処は、日本だぞ。如何した?」

「アナタは、何時も馬鹿ですね。今、日本は福島原発でしょ。私の出身地はキエフでしょ。チェルノブイリの街でしょ。私は、日本大好きでしょ。だから、日本に応援に来ました。」

「そのラジオの○○は、私の友達よ。アナタを結んで、皆、友達でしょ。○○も仕事終わったら、此処に来ますよ。懐かしいですねぇ。一緒に、飲みましょ。久し振りねぇ~、Rさん。元気見たいね。」

「今、私、仕事だからね。話し掛けちゃ、駄目ですよ。そこで、黙って見ててね。私、未だ、一番の美人、好い女でしょ。」

  <アジャジャ、ライオン娘様は、ウインクをして遣がる。好い気な物だわさ。>

「ホラほら、アナタ、日本人でしょ。男でしょ。こんなの、全然痛く無いでしょ。男は、ファイト、ファイトでしょ。はい、次~。アハハ。」

 いやはや、相変わらず、ちゃっかりして、茶目っ気十分な小生意気なライオン娘である。

 シベリア抑留、北方四島問題に関しては、火事場泥棒強国のとんでもないソ連、ロシアではあるが、こんな美形・美人の応援隊を目の当たりにして仕舞うと、抑え様も無く鼻の下がべローンとして来てしまうのであるから、私は、下衆貧民のハシタナサと、吾が身の『秘匿内蔵因子』に恥入るばかりである。

 嗚呼、つくづくと吾が身は、不謹慎為り。せめてもの慰め・恥の防波堤としては、夢の発展が無かった事だろうか??? 夢の中にも、節度を保ち遂せたとは、・・・ へへへの段、頻りであった。


心何処・・・祈り
                      祈り

                 祈り_002

 お彼岸と云うのに、寒いお天気さんで有りまする。春遠い信州で有りますが、東北の被災地暮らしの方々に、寒いなどと云って居ては、罰が当たりますね。春を込めて、祈りを北に向かってして参りました。

             どうぞ、ご利益が有ります様に・・・

心何処ーショート 南無阿弥陀仏
                  南無阿弥陀仏(3/21/11)
 遺憾いかん・・・春のお彼岸である。昨日の雨に、サボって仕舞ったのである。雨は降っては居るが、これ位の雨なら、傘を差さずで居られるだろう。

 花、お供え物を買って霊園に行くと、誘導員さんにエラく手前の駐車場に、誘導されて仕舞った。アジャジャ・・・ これでは大分、歩かねば為らない。ぬかった駐車場から歩いて来ると、年配の誘導員さんに、お相想を掛けられて仕舞った。

「如何したね? 傘は車の中かい?」
「いやいや、傘を持つ手が無いだけだわね。」
「濡れるよ。風邪引く無い。」
「あいあい、アリガトさんよ。さっさとして来るわいね。」

 一昼夜以上の雨を吸い込んで、枯れ芝生の地面からは、靴から水が浸みて来る。春まだ遠い山の霊園である。雨に打たれて、綺麗なオヤジの墓ではあるが、気は心である。タオルで、墓石を拭き清めて、花、線香を手向けて、南無阿弥陀仏である。

 雨の中の墓参りであるから、車がとんでもない所に駐車させて、誘導員に注意を受けて居る。ご先祖さん、身内の墓参りなのであろうが、雨に当たるのを嫌って、そんな行儀の悪い事をしたら、墓石からゲンコツが伸びて来て、ポカリと遣られて仕舞いまするがね。

          おやおや、私と同年配の身綺麗な夫婦である。

 スーパーでお供え物の買い物をして来たのであるが・・・ テレビが連日連夜、金太郎飴のトイレットペーパー、カップラーメンの品薄報道を展開している所為か・・・ 『無意識の刷り込み』をされて、こんな地方にまで刷り込みの衝動買いの『無駄買い風景』を生じさせているのであろう。

 さてさて、線香は売り切れであったから、別のスーパーに寄って、買って行きまするかな。

 オヤジには悪いが、アッシャ、背中が雨に浸みて来ましたわな。オヤジの居る霊魂の世界と、俺の居る肉体の世界とは、別次元の世界だから、文句を言ったんじゃ、罰が当たるぜや。
 ホンジャ、四男坊は帰るわな。感謝の気持ちがあったら、霊力で女の出前を頼むぜや~、ギャハハ。

 灰色の世界に、山の中腹まで雨靄が掛って居る。そぼ降る雨に、風が線香に炎を上げて、燃えている。週間の天気予報だと、雨と曇りのマークが続く一週間である。東北の大地に思いを馳せるなり。


心何処ーショート 唄を送りましょうよ。
                唄を送りましょうよ。(3/20/11)
 昨夜は、公民館で班長会議があった。来週の新旧班長に依る総会で、班長のお役御免と為る。前は、こんな様を下手絵で表現して見たのであるが、今回は、震災に遭われた方々の避難場所の映像風景に重ね合わせて仕舞い、黙って議事進行を見守るだけで終わって仕舞った。

 天気は下り坂との事で、朝の薄日は見る見る内に、灰色雲の侵攻で風が、吹き荒れて来る始末である。朝食後のマイタイムを砂糖無しの紅茶で、煙草を吹かして居ると、外に斜向かい吟さんの姿である。

 娘さんの所に遠征するのは、未だ先との事であるから、震災への日誌が続く昨日までの印刷をして差し上げる。当然に、ご近所ロートルの話は、震災感想の交換である。敗戦復興の時代を、小中学生の原風景として共有して居るから、生活の知恵、工夫を見て来たり、多少なりとも体験して来た世代であるから、現代のテレビ報道に登場する若い世代の報道視線とは、異なる点が殊更多いのである。

       これは、時代の違いで致し方の無い現代の風景でもある。

 冷気は、床からであるから、断熱材として、物資の段ボールを床に敷き付けるとか、焚火の火を利用して、湯たんぽの提供で、塩水を沸かして暖房を取るとか、即席ラーメンと冷えた握り飯を鍋に掛けて、熱い雑炊にするとか、餅の支給を受けて、力持ちラーメンとするとか・・・ 

 何か体を動かす事で、『協働の輪』で、何とか気分の輪を拡げて行って欲しいと考えている。皆が集まって、声を出し合って体操をするとか、唄を歌って、心を繋ぐとか。

 戦後、激寒の地シベリアに抑留されて、重労働に明け暮れしていた兵士の間で作られ、唄われた歌があると云う。原題は『昨日も今日も』との事である。

作詩:増田幸治 補作詩:佐伯孝雄 作曲:吉田正 編曲:清水保雄 1947年発売

                 異国の丘
        今日も暮れ行く異国の丘で 友よ辛かろ、切なかろう。
      我慢だ。待ってろ。嵐が過ぎりゃ、帰る日が来る、春が来る。

        今日も更け行く異国の丘に 夢も寒かろ、冷たかろ。
      泣いて笑って、歌って、耐えりゃ、望む日が来る、朝が来る。

        今日も昨日も異国の丘に 重い雪雲、陽が薄い。
      倒れちゃならない、祖国の土に辿りつくまで、その日まで。

 音楽1の音痴の調子外れのロートルではあるが、低い声でこの唄を歌いました。私のブログにお目を通された方々には、どうぞ、心の連帯でもありますれば、ご唱和下さい。

心何処ーショート ヤクザもどきも、他人様のお役に立つ???
       ヤクザもどきも、他人様のお役に立つ?(3/19/11)
 木曜日の散歩は、雪のチラ付く寒い散歩であった。金曜日の散歩は、暖かかった。

 散歩に出掛けると、同班の町会長さんが、作業服で作業をして居られる。三級上の三兄の同級生であった先輩さんである。立ち話をすると、知り合い、友人が居て、震災後、連絡が取れないとの事である。

 家に居ると、テレビを見て終うので、居た堪れずに作業をしている由。長男さんの市役所勤務であったから、阪神淡路大震災時には、三回ほどお手伝いに出張していたとの事である。

 話をする先輩の顔は、知り合い・友人の安否を、気遣って曇って居る。

 三月も下旬に差し掛かって、庭の福寿草は、黄色花を陽に輝かせ、水仙・マンジュシャゲの緑の葉がニョキニョキと土から、成長を見せている。薄いブルーの空に、アルプスは雪の峰々を刻んで居る。枯野の河川敷の所々には、オオイヌノフグリの小さな青花が色を見せ始めている。

 遠出散歩も出来ずに、適当な距離で引き返して来る。家の近くまで帰って来ると、川原の葦の茂みに、ジョービタキのバルディナさんの顔見せである。一週間振りであろうか・・・
 
   河川敷のベンチに腰を下ろして、川原の彼女を眺めて居た次第である。

 明けて本日は、土曜日である。昨日の暖かさを継いで、春めいた日差しが、庭に満ちている。独鈷の餌鉢に入れた金魚の粒餌に昨日の、薄いコントラストの三毛猫が、舌を伸ばしている。腹部の膨らみは、孕み猫である。毛並み、毛色は汚れて居ないから、飼い猫に違いあるまい。

 私は、猫には点が厳しい性質であるから、飼い猫にボランティアの賄い夫は、出来ないのである。此処は、野生の餌場なのである。

<コラッ!! 退場~。>の猫騙し、掌パン打ちを喰らわして遣った。イッヒッヒ!!

            天気が好いから、外でTの車を待つ。

 コーヒースタバ二階席の隣席は、年配の近いご婦人の一人客である。我々は、週一度のコーヒータイムを、欠かさず励行するヤクザもどきのロートル組である。下世話な話をするのが、何よりもの好物ロートルである。

「なぁ、命からがら非難された人達に向かって、通帳・印鑑は無いだろう。<震災金券>を大々的に発行して、買い物をして貰うのが当然じゃないのかい。
 お江戸の時代にだって、小判、大判の替わりに、藩札が通用したんだし、明治の財政逼迫時には、政府紙幣が出たんだし、大東亜戦争時には、軍票も出たんだぜや。
 普段は、景気回復のデフレ脱却策として、政府発行コインだの紙幣を出せなんて、経済評論家は、生意気なコメントを出している癖に、ナンジャラホイの意気地無しだわな。応用力無しのオタンコナスだわさ。」

「おぅおぅ、その関連で云えばさ、車が根こそぎ大津波で廃車に為って居るのに、ナンバープレートが、前後の二枚セットでなくちゃ、廃車に出来ないんだってさ。
 被災者さんに取って見たら、海底に沈んだ車から如何遣って、持って来るんだよ。馬鹿も休み休み言え!!って、事だわな。」

「法治国家の法令順守が公務員の職務の柱なんだから、個々の公務員に、八つ当たりは出来ないけどさ。平時の法律、法令が障害と為って居る場合が、これ『有事』だわさ。
 有事に際しては、有事現時立法を施行して、不条理の『法障害』を除去するのが、政府の役割だろうが。『非常事態宣言』をして、被災地、被災者への限定政策をスタートさせるのが、政治主導って事だろうが。

 公務員に有事の際の『免罪符』を与えられんのだから、何をか、言わんかの腑抜け野郎共の実態・人災だわさ。
手前ら、左翼の中国詣での癖してさ、小平の『一国二元統治』の意味すらも、機能させられない。言葉を知って居るんだったら、状況に応じて、応用実践させて見せるのが、政治家の技量ってもんズラよ。

<流れと大事は歴史に学び、ノウハウは経験に学べ。ノウハウは、個人に蓄積される。これぞ、人間実態学の奥義。>なんだよ。こんな事は、労務管理の鉄則だぜや。
 直近ノウハウの倉庫は、阪神淡路大震災にあるんだぜ。ノウハウを蓄積して居る人材を招集して、指揮に当たらせるのが、『直効率向上のイロハ』でしょうが。あい。

 これが、日本の教育水準かよ。言いたくないが、才能、資質、判断実行力を兼ね備えた人物を見抜く眼力が、有事の際の最高指揮官の本領発揮の場だぜや。まともに、指導力を発揮してくれやってなもんだぜや。コンチクショーめ。被災地、被災者に代わって、俺が言わなきゃ、誰が言うんじゃい。馬鹿っ面こいてると、フン捕まえて、戯け面引っ叩いて呉れっか!!」

 高校以来のポン友同士である。ついつい、話に熱が入って仕舞い。奥ゆかしい日本人としては、こんな時に冷静沈着に政府発表に耳を傾けて、国民一人一人が、自分の出来る範囲でお国の為に行動するのが、日本人の特性の一つなのであるが・・・ 私は、出来と行儀が、甚だ下等に出来て居る。

 Tは紳士であるから、ガッタ坊主の私の話にも、にこやかに、耳を傾けてくれる。そんなTに甘えての、罵詈雑言の政府批判を展開させて頂く。御免なさいね。

 文句を言わず黙々は、日頃の私の態度なのではあるが、相手が相手なら、黙って聞いて居る必要は、殊更無いのである。言いたい事は、その都度言い。決まった事は、黙々とこなすのが、好い事だと思って居る。
 そうしないと、とんでもない輩は、沈黙を了承と勘違いして、唯我独尊のヒットラー、信長の二の舞を演じて終うのが、人間の性と云う物であろう。

 喧々諤々の議論を戦わせて、個別の取捨選択をして、戦略・戦術の精度を高めて行くのが、王道であろう。一人の意見には、一長一短があるのは、自明の理にして、統計学の示す処である。『三人寄れば文殊の知恵』とも為るのである。

 私とて、幾ら単細胞のヤクザもどきと云っても、ブログにして良い物と、悪い物の仕分けは出来る。

                    以下・・・・削除。

「言いたかねぇが、久米浩の野郎辺りから、ニュース報道のレベルが、ガンと低下しちゃったんだぜ。報道と娯楽、下衆の勘繰りを混ぜ込んで、視聴率に色目を使った挙句の果てが、報道の体たらくのザマじゃないのか。

 学校卒業したって、人間には、本来向学心の血潮が流れて居るんだわさ。程度を下げて、報道の信憑性を低下させて、何を考えとるんじゃい。古館なんて輩は、訳の分からん多弁を弄して、プロレス中継遣ってるのが、身の丈の癖し遣がって、とんでもねぇわさ。

 俺達私学は、三科目なんだぜや。言って見りゃ、数学は高二まで、数学物理は、赤点組だわね。一端のインテリ顔の思案顔を造って見たって、説得力なんかあるめいによ。俺達、馬鹿は、馬鹿の程度が、自覚出来んのだよ。言葉数だけが達者に為ったら、番組は下卑るだけだぜや。番組が下卑れば、民度が下がるの図式だわね。困った物よ。」

「あの~、そのお話、凄く解ります。久米さんって、歌番組の司会してた人でしょ。すいません。凄い内容のお話が、次々から出てまして、さっきからズーと聞いて居たんですよ。もう、聞いて居て、頷き放っしでしたんですよ。
 テレビ、新聞解説より、ず~と、分かり易いし、切り口が鋭くて・・・ もうもう・・・」

「おやまぁ、嬉しい事を言って下さるじゃないですか。俺達ぁ見た目は、ヤクザだけど、勤勉実直なロートル男だんね。日頃、思って居る事、考えて居る事を口に出すのが、健康の秘訣だんね。此処は、日本語が通じる祖国日本だいね。

 遠慮は要らねぇよ。話の輪に参加しておくれや。澄まして読書なんかしてる場合じゃ、無いわね。なんて言ったって、国難の日本だんね。アハハ。」

 飛び入り参加のご婦人を交えて、フリートークのお時間と為って仕舞った。御存知の様に、私は女日照りの記録を更新中のロートルである。人間娑婆には、何時何時の話の輪が出来るとも限らないのである。
 
 普段は、顰蹙買いのヤクザもどきのロートルコンビではあるが、晴天の霹靂とでも言おうか・・・他人様のお役に立つ事もある様である。本日、外のベンチで吸う煙草も、殊の外、美味かった次第なのである。ギャハハ!!

心何処ーショート 自衛の段、宜しく。
                自衛の段、宜しく。(3/18/11)
 ラジオを聞いて居ると、窃盗、詐欺が姿を現わして居るそうである。とんでもない輩の出没である。昔から、こんな輩を『火事場ドロボー』と呼んで居たのであるから、世には何パーセントかの悪人が存在するのも、人間娑婆の実態と言えよう。

 私の小さい頃には、火の用人とか、夜周りとかの順番が回って来た物である。これは、<自警団の意味合い>もあったのだろう。『非常識対常識』の模様は、教育で100万遍『性善説』を教えられようとも、決して、お座成りには出来ない『自衛策の基本』である。

 火事場ドロボーは、何も個人レベルだけではあるまい。リーマンショックを巻き起こした張本人の金転がし集団も、悲嘆にくれる無防備の吾が日本国に、好機とばかりに牙を剥いて、ドル売り円買いに大挙して回る。

『非常識』が顕在化すれば、中庸を求めてヤジロベーの<常識>が稼働する。76円がG7の協調介入で円支えに、動く事をシュミレーションしての『揺さ振り』である。81-76=5円の超超短期の銭転がし儲けのあさましき実態である。

 こんな物は株で云えば、マッチ・ポンプの仕手戦。人の弱みに付け込んでの『火事場ドロボー』の実態である。借金塗れの日本財政の大震災への巨額な資金を必要とする日本財政にとっては、『怒髪冠を衝く』の狂ったマネーゲームエゲツ無さである。本来、被災者に回すべき国家財産が、円の買い支えに浪費されて、ゲイマー達の懐に注入されて行くのである。マネーゲーマーの野盗大津波が、日本に襲い掛かって居る様である。

 フザケルのも、好い加減にし遣がれ!!武器商人達だけが、『死の商人』では無かろう。

 世界に誇る原発先進国が、日本であると云われている。原発施設は、平時に在っては、『企業秘密』の象牙の塔である。善意で協力してくれる海外専門家チームではあるが・・・

 私の好きな映画の一本に、ヒッチコックの『引き裂かれたカーテン』と云うスパイ・サスペンスがあった。1966年ユニバーサル映画で、ポール・ニューマン、ジュリー・アンドリュースの主演であった。
★アメリカの宇宙物理学者マイケルは、東側のリント教授から<ガンマ5>の方程式を聞き出すため、亡命したように見せかけ東ベルリンに向かうが・・・(ビデオパッケージより抜粋)

 物事には、全て表裏の実態がある。専門家の目は、放射線と同様に、企業秘密・国家秘を見通せる眼力を有して居るのである。

 昨夜のニュースでは、有ろう事か・・・仙谷先生の実質的な『司令塔入り』が報道されて居た。

          ???・・・ 総理殿、そりぁ、無かんべよ!!

 中国漁船の日本領海侵犯事件を政治的な決着を図り、自衛隊を『暴力装置呼ばわり』をした挙句、問責決議を以って、更迭された人物である。国会でも、影の総理、赤い総理と国民の大多数から、顰蹙を買って居た『御仁の復活』なのである。

  くれぐれも、火事場ドローボーに、『追い銭』をしないで貰いたいのである。

 この未曽有の大震災さえ無ければ、菅無理内閣、民主党は、瓦解して居た筈なのに・・・

 余程、民主党には、人材が居ないのである。<菅極まる>の状況は、当然なのではあるが、この国難に際して、『感極まる』背筋の寒さと、菅総理の異常性には、言葉が出無い処である。

 緊急の事態の原発問題が一段落したら、国会は速やかに菅無理内閣の清算をしなければ為るまい。

心何処ーショート 冬日の寒さ
                 冬日の寒さ(3/17/11)
 昨日は、天皇陛下のメッセージのお言葉に、ただただ、涙を流し、頷くばかりであった。

 国家元首などと云う天皇、国王、大統領、首相、国家主席、書記長など、国家の象徴、指導者に対する総称がある。日本人にとって、天皇は、正しく、天皇陛下なのである。

 日本の天皇の前に、他の国家元首閣下殿の多くが、静かな厳かな威敬の気持ちを持つと云うのは、極当たり前な人間感情であろう。一代にしては、絶対に発露し得ないおごやかさなのであろう。

 今年は、皇紀2671年との事である。私は、戦後教育の一員であるから、其処まで天皇家に対して、畏れ多いとの感覚は無いが、神話と共にある日本の天皇家の歴史の体現を象徴する枕言葉の意義には、何ら異存は無い処である。

 本日・昨日の『森に暮らすひまじん日記』さんの記事には、日本と日本人の事が、兄貴の哲学・精神性の一端を匂わせて、透明感溢れた隙の無い文章で認められている。

                是非、ご一読をお勧めします。

 それに引き換え、毎日テレビ映像に顔を出す政府高官達の陳腐な台詞の羅列である事か。
 国民に語り掛ける、心に語り掛ける言語表現のお手本は、天皇陛下のお言葉の中にこそ、存在するし、国家の指導者としての覚悟、胆力の指摘は、ひまじん兄貴の文章の中にある。

『・・・御座います。』『・・・として居る処です。』中身がグチャグチャの交通整理未満の言葉数だけの修飾語の羅列を、長々と、立て板に水の態で垂れ流すだけで、文末の言葉だけの明瞭さである。これでは、非常時の最高指揮官、報道官としては、仕事をしている様では無かろう。幾ら何でも、低質な個人的パフォーマンスにしか見えない処である。

 レーガン大統領の様に、役者に徹して大統領を演じて、ソ連を崩壊に追い込んだ役者魂を見せる程の、覚悟と演技力の無さとしか云い様が無い。後先を考えずに、その場、その場のパフォーマンスの綱渡りでは、所詮は学生運動の第三列の男、第四列の男、弁当屋仙ちゃんと、その当時の機動隊責任者の佐々先生に見縊られて仕舞うのであろう。

 云いたくは無いが、民主党の議員さん達は、軽過ぎる。言葉が軽過ぎる。パフォーマンスが軽過ぎる。
 早とちりのパフォーマンスを仕出かしてしまった挙句の果てが、パフォーマンス、パフォーマンスをし続けなければ為らない『自縄自縛のパフォーマンス踊り』に陥っている感がして来る処で、腹立たしい限りである。

 未曾有の国難と訴えて居るにも拘わらず、何故『非常事態宣言』をしないのだろうか。

 国の持てる総力を結集して、効率的な作戦を敢行するには、非常事態を宣言して、有事優先型の司令塔を立ち上げるのが、有事の鉄則であろう。
 前線部隊の活動を支えるのが、点と点を結ぶ『兵站』なのである。前線と後部線は、謂わば動脈である。司令塔は、血流の動脈を送り出し、静脈を受け取る心臓部である。

 国家の最高司令官が、ジープで野戦本部に乗り込んで、延々3時間強も苛菅のヒステリーを暴露して何とするかである。そんな個別な事は、『配下のパットン将軍』に任せて置けば好い事なのである。
 暴れん坊パットン将軍だって、ヨーロッパ戦線のアイゼンハワー将軍の配下の一人なのである。太平洋戦線には、マッカーサー将軍が居て、彼等に指令を下すのは、米大統領のルーズベルトである。

 有事の際には、餅は餅屋の出動にして、機能集団に権限を大幅に委譲して、文民統制の政治分野は、調整役と責任負担の役割に徹するのが、国家指導者としての胆力の据え方であろう。

 天皇陛下の、<私のメッセージは後回し、大事な報道が有れば、それを最優先にしてくれ。>の陛下の御心こそ、有事に際する国家指導者の構えであるべき姿である。

 人は平時に在って、有事に際しては、如何在るべきかを考え、修行して、階段を一歩一歩、上って行かねば為らない。それも、指導的地位に立とうと志を抱いて、企業エリートの道を志す者、政治を志す者、道は違っても、それが人の上に立って、構成員・国民を導くエリートの志の筈である。

 支援を待つ者、支援物資の調達に尽力する者、支援物資の集積は為った物の、輸送路、燃料と云った点と点を結ぶ物流(兵站)に支障を来しているとの事である。これは、有事である。国難の有事に関して、非常事態の発令を持って、円滑為る兵站の確保を図るのが、政府の緊急課題である。

 非常事態発令には、人権と云う私権の制限は、当然の付き物であろう。平時で守られている人権と云う私権の開放は、『市民活動の大きな拠り所』ではあるが、有事に際しては、市民活動の権利よりも、公共の利益が最優先されるのである。

 局面に依っては、数式と答えが違って来るのである。一国の政府に対して、下衆貧民のロートル如きが、常識を語るのは僭越至極のザマではあるが、パフォーマンスに腐心して、延命内閣を敷こうとして居るかの様に見えてしまうのは、何故なのだろうか。

 油不足に陥って居るのなら、即、被害の無かった都道府県に通達を回して、何割負担かの重要制限をして、負担割合で調達した油量を被災地に投入するしか方途は無かろう。私権を制限するには、市民活動の常套手段の『個人レベルへのお願い』では、駄目なのである。

 非常事態宣言を発しての、全国民の協力を物資と云う目に見える形にして、被災地に『ロータリーキャラバン』を向かわせなければ為らない事態に立ち至って居るのである。

        民度の高い日本社会と日本人である。頑張れ、日本!! 
                ヘコタレテ、堪るか!!

心何処ーショート お知らせ一つ
                  お知らせ一つ(3/16/11)
 自室でモーニングコーヒーと煙草を燻らして居ると、ゴミ出し帰りの斜向かい吟さんが、部屋を覗いて、私が居るのが分かったらしく、部屋の窓を開けられた。
 
 この処、暫く顔を見せられ無かったので、私の長駄文読みも飽きて来たのだろうと、思って居た次第である。私の方は、毎日のブログ行進であるから、吟さんを想定して打っている訳では無い。ブログ文章の清書版として、校正を施して印刷ファイルとしている次第なのである。

 まぁ、私が死んだ後に、その気が有れば、女房子供、友人が、私の在りし日の日常を読んでくれれば、それで良しとする処なのである。

 吟さんは、二、三日、岡山の娘さんの所に行って来るから、留守をするとの事である。通い綴りには、続きの印刷が入って居るから、それをお渡しする。

 さてさて、朝食後は、買い出しに行って来なければ為るまい。遅い朝食をとって居ると、玄関にヤクルトママさんの声である。ヤクルトママさんは、面白い。顔を出すまで、『お早う御座います。ヤクルトで~す。』を連呼して下さるのである。

「はいはい、聞こえて居ります。お待たせいたしました~。」

 おやおや、本日は、マスクをした娘さん同伴である。幼稚園年長さんは、風邪引きの為に休みとの事である。へへへ、母親が恋しい年代である。風邪で一人寝かして置く事が出来ないのが、これまた、母親の母性である。ヤクルトママさんは、優しい母親なのであろう。
 女房ベッタリの娘の子供時代を連想させて、長居は無用である。オヤツの干し柿を握らせて、暖かい車の中に戻して上げるのが、ロートルの気遣いと云うものである。

 国難の日本である。セクハラトークなど、もっての他のハシタナサである。とほほ。

 被災地では、自衛隊、警察、消防、自治体関係者の殉職者が続いていると云う。願わくば、テレビ放送の中で、国民の代表として殉職を為された方々を、斎場映像の様な物を造り、殉職者の方々への遺影を飾っ行くなどして、国民が尊い殉職者の方々に、合掌出来る『場』を工夫して欲しいと思う次第である。

 幕末から大東亜戦争までの戦没者の御霊を祀るシンボルとして、靖国神社、護国神社が、日本人の普通の精神的背景として通って居たのであるからして・・・ 日本人は、何時の時代に在っても、国難に対する殉職者の御霊に合掌する心を、失っては為らないと思うのだが、如何だろうか。

 加えて『日本大事!!』とばかりに、世界各国からの救援隊が続々と日本入りをして下さって居る。世界の善意に感謝する意味でも、彼等の救援活動の映像もバランス好く放映して貰い、映像の向こうに在る世界の善意に、日本国民として、感謝の気持ちを共有するのも、人間と礼儀の一つとも為る。

 長丁場の救援活動の日常である。バランスの取れたテレビ映像であって欲しいと思う次第である。

 そんな事を考えながらの、自転車漕ぎである。冬に逆戻りの本日は、向かい風の雪混じりである。横着なロートルが、この数日、セッセと肉体労働をした所為か、とんだお天気さんと為って仕舞った物である。息切れと、太腿の筋肉痛に、ヒィ~ヒィ~の無様さである。

 米屋さん経由で、個人スーパーに回る。おやおや、これは珍しい。温泉銭湯のお馴染みさんのハイカラ御隠居さんとか、個性派のSちゃんの姿があるではないか。

 話を交わしながら、通じが芳しく無いと云う老母に、植物繊維の補給が肝要であるから、青物と豆を焚いて食べさせるが好かろう。

 福島原発事故の行方が、心配な日々である。そんな事で、インターネットを徘徊して居ると、好い番組があった。昨日の桜チャンネルの中での、札幌医科大学教授の高田純先生(放射線防護学)の解説である。素人にも好く解る先生の解説なので、お薦めですよ。

 桜チャンネル→YouTube-SAKURA SO TV‘S Channelで検索すると、見れますよ。36分強の先生の解説ですが、この位の解説時間が無いと、素人には理解と安心が出来ませんからね。細切れ解説だと、理解・安心が出来ないのが、娑婆の実態でありまするからね。

  お忙しい皆さんに替わって、時間の短縮と致しました。どうぞ、ご覧下さい。

心何処ーショート 被災地報道の徒然に
                被災地報道の徒然に(3/15/11)
 今日は、花粉が大分飛んで居るのだろう。花粉症の症状が重い。PCをonにすると、訳の分からない横文字コメントの瓦礫の山である。余程、私が、善からぬ事を打っている証左なのであろう。それとも、大地震、大津波で、横文字コメントのサーチライト機能に変調を来して居るのだろうか・・・ 全く以って、迷惑な話である。

 考え様によっては、これは『お前の下らないブログは閉鎖しろ!!』とのSUGGESTIONには違いあるまいが、今や、賄い夫ロートルの日常のコア部分を形成して居るのである。田舎の取るに足らぬ下衆貧民の戯け小ブログに、集中サーチライトを当てた処で、何ら効果などあるまい。

  唯、顰蹙を買うだけの事でありましょうや。お互いに時間の無駄でありまする。

 連日連夜の未曾有の大震災、大津波の国難報道である。国難報道に接して、色んな事が見えて来る物であり、考えさせられる事が多い。

 これは、長丁場の災害報道である。テレビキャスターは、次々と入って来る事象報道と共に、刻々と深刻さを増して行く原発報道に関しては、報道データーを整理して、時系列で幾つかの重要項目を関連付けて、グラフ化して、一般庶民の理解度を深める為の報道をしなければ為らないとの感想を持っている次第である。

 テレビ局の報道体制の薄さと云う物が、露呈されている。言葉を変えれば、キャスターが表の顔に例えれば、キャスターの報道原稿を作る裏方達の分析能力の低さと呼んでも好いかも知れない。何か事が有れば、その道の専門家を登場させての解説報道である。

 これ程、長時間に亘っての専門家の解説データーが、蓄積して行っているのである。原発の原理、その仕組み、仕組みごとの相関関係、連動関係が、解説されているのである。それらの事象を時系列を追って、グラフ化すれば、或る程度の予想が立つのである。

 専門家と云えども、それらの事を頭の中でフローチャート化して居るからこそ、解説と予想が立つのである。専門家達は、仕組み理論と類似事故の過去分析の蓄積から、解析とその解析から導き出される予想・想定をしているのである。専門家達は、それを見得ぬ頭の中で、フローチャートの順番を進めて、暗算で見解を披露して下さっているのである。

 極一般に云われている月並みな表現を借りれば、これは、『真似る→まねぶ→学ぶ→知る→行う』の図式なのである。<真似る~知る>までの行為パターンは、言葉を変えればフローチャート回路の世界である。外部からは見えない専門家達の頭脳のフローチャート図をパネル化して、それに基づいて、『見える言葉の解説』を演出するのも、報道のサービス任務と云う物であろう。

 この作業をこなして、『目に見える形』を提供するのが、テレビ局の頭脳と云うべきでは無いだろうか。甚だ素人の何気ない感想なのであるが、報道組織の人材層の薄さに、歯がゆさを感じている次第なのである。

 現代は、情報過多・情報洪水の様な時代でもある。政府の原発の情報も、鵜呑みにする訳には行かない『語られて居ない部分』が、多々ある事は、国民の多くが察して居る処である。『推定される処である。評価する処である。』・・・とかの、如何にも国会的答弁の域を脱して居ない総理、官房長官、原発保安院、東電の会見言語である。

 これは、『迂回言語表現』である。老母では無いが、『起こって仕舞った事は、どうしようも無い。勇気を持って、正直にハッキリ言わ為ければ駄目だ。』これは、正論である。

 平時と有事に在っては、伝達言語にも、工夫を凝らす必要があるのでは無いだろうか。

 調子乗りついでに言わせて貰えれば、限られた電力を有効に使う為の『計画停電』に踏み切った日本である。テレビ電波とて、公共の電波である。無理無駄を排除するのが、人の知恵の一つである。無理無駄を排除する古典的手法として、ダブリ行為を排除する事が先決である。

 これ程の広範囲に及ぶ災害状態である。テレビ局首脳は、受け持ち区域を協議して、Aテレビは、★県。Bテレビは○県。Cテレビは、■県。Dテレビは、原発。Eテレビは、自衛隊・警察・消防・自治体の活動中継・義援活動報告。とする。
 各テレビ局の選択は、視聴者の知りたい情報に応じて、任せれば良いのではないか。これ程の広範囲に亘る有事の際にも、どの局も『平時の金太郎飴の報道』では、芸が無さ過ぎる。

 国難を国民の総力を挙げて、救助、復興に立ち向かわなければ為らない非常時である。冷静に、情報を取捨選択して、出来る範囲内で、国民が助け合わなければ為らない日本の状況なのである。

 飲料水が不足して居るなら、水道水を利用して、ペットボトル飲料水の消費量を抑えて、飲料水を被災地に回す。灯油・軽油・ガソリンが不足ならば、極力交通機関を利用したり、バイク、自転車を利用して切り詰め、オイル量を被災地に回して貰う。食料品も節約して、被災地に回して貰う。乾電池が足り無ければ、節約して被災地に回して貰う。

 国民の意識を妥当な流れに、導いて行くのが施政者、マスコミの任務である。
 早く、この痛ましい中から、有事に際したノウハウを作り上げて行って欲しい物である。

 

心何処ーショート 頑張ろう!!
                  頑張ろう!!(3/14/11)
 昼から、石垣の修正である。ヒィーコラ、ヒィーコラ遣って居ると、おやおや、見た顔である。絵の巧かった、小中時代の同級生のYである。自転車で、市役所に行くとの事である。彼は白髪の老け顔であるから、顔艶が萎びて見える分、私より年長に見える。

 東日本大地震津波の話題を交わして、作業の続行である。若かった頃は、こう云った仕事が大の苦手で、逃げ回って居たのであるが、歳を取ると諦めの仕事感覚で遣るより仕方が無かった。

 尤も、現在は籠りの賄い夫生活であるから、意外と積極的なのである。もう若くは無いから、馬鹿力も出無くは為っては居る物の、男一匹、鍛えた身体である。そこん所そこいらの体たらく人間とは違うのである。男は黙って、黙々と肉体労働に全身汗まみれに為るのが、男の真骨頂と云う物である。

 お天気が好いから、西隣りのオバさんが、車椅子に乗って見学である。声を掛けて下さるから、
「如何だい、男前の力持ちだから、惚れ惚れするずらい。アハハ。」
「昨日は、火を焚いて、今日は、石垣工事で、好く遣るねぇ。私も動きたいんだけど、もう、身体が云う事を聞いてくれない。歳を取ると、惨めな物よ。お婆ちゃんは、元気にして居るかね?」
「あいあい、元気だわね。」

 途中で、水分補給の布団の取り込みをして、作業続行である。瞬発力の無く為ったロートルは、根気仕事で頑張るしか手立ては無いのである。下手に、休憩などしたら、後が嫌に為る。

『知恵のある者は、知恵を出せ。知恵の無い者は、汗を掛け。知恵も汗も掛けない者は、即刻、去れ。』
 団塊世代は、こんな薫陶を受けて育った世代である。仕事は、引き算。遣れば遣った分だけ、仕事は減るのである。これ程、単純明快な事は無かろう。脳味噌のスイッチを、ロボットモードに切り替える事が、得策である。

 腰は痛い物の、大地震被災者の方々の苦労を思えば、連帯の作業である。安易な迎合では、日本人として相済まぬ。

 ヘバりながらも、本日分の作業を遣り終えた。汗を拭い、下着を着替えて、アメリカンコーヒーの息継ぎである。

 ラジオを聞くと、冷却水の入らない事に対する疑問を呈している。解説委員さんとか、放送記者さんの学力、常識の無さに、唖然とする。
 炉内圧力と注水圧力の違いで、注水圧力が弱ければ、圧倒的な内部圧力に、注水が吹き飛ばされてしまうのは、当然の話であろうが、こんな理屈は、中学校の理科の問題にしか過ぎまい。
 
 潜水艦の映画を見れば、水中の潜水艦がハッチを開けても、海水が鑑内に浸水して来ないのは、圧力を掛けて、海水の浸入を抑えて居るからだろうが。引力の物理現象として、注水出来ないのが、不思議と云って居るお二人さんは、<馬鹿も休み休み言い遣がれ>ってなものである。大戯けである。

 幾ら、専門外の物理の分野とは云え、こんな脳足りんが偉そうにニュース解説などをしているのであるから、専門分野のコメントなど、鵜呑みには出来まい。若い者の学力不足を、生意気面して解説して見せるお前さん達は、ナンジャラホイ???

 日頃の不勉強さを恥るべし!! 高温、高圧、放射能被曝の危険を顧みず、最前線で作業に当たって居る職員、自衛隊の皆さんに、水を指す様な誤解報道をするとは、何事ぞ!!
 
 人類の観測史上最大のM9・0の大震災と大津波、原発の危機なのである。NHKを問わず民放キャスター達の知識不足、事象に対する頭の回転の弱さは、酷過ぎる。状況の報告放送だけでは、緊急時のキャスターは務まらないのである。

 大事なニュースキャスターが、そんな事では、被災者、固唾を呑んで見守る全国の視聴者に対して、申し訳が立たぬだろうが。平和ボケの細分化放送のタレントキャスターであっては、困るのでありまする。確り為されませ。

 国難の最前線で指揮を取るのが、関係閣僚である。作業服がダサいと思って居る女性大臣が居られる。非常時のユニホームが作業服なのである。作業着は上下がセットなのである。トップが作業着に身を包むのが、非常時の象徴なのである。作業着の上着だけを着て、会見に臨むとは、何事ぞ!! 


心何処ーショート 吾身は、役立たず・・・
             吾が身は、役に立たず・・・(3/13/11)
 テレビばかり、見ている訳にも行かぬ。壊滅の街にも、被災者の皆さんは、第一歩を踏み出さなければ為らないのである。

 秋に枝を払った木々の枝枝が、庭に満載にしてある。風の無い穏やかな日曜日であるから、乾燥には未だ早かろうが、庭で燃やす事にする。

 鋏と鋸で、火勢が強く為らない程度の小切りにして燃やす作業である。ミネゾの葉は脂分があるから、物凄い煙と炎を生じる。

 それに気兼ねをして、葉の付いた枝と鋏で切り落として、様子を見ながら燃やして行くのである。長い枝は、70~80cmの長さに鋸で切る。火勢を見ながらの焼却処分である。2tダンプで、二台近くの分量であろうか・・・ 作業開始と為れば、優に半日以上は掛る。
 散歩時間を当てる心算で、遣り始めたのであるが、火勢の強さと、久し振りの肉体労働で、全身汗びっしょりにして、手と腕が、ヘトヘトの体たらくである。
 
 此処で、安易にギブアップなどしてしまったら、被災者の方々の苦労に、申し開きが出来ない。腰の痛みに、男は黙々と作業の念仏を唱えながら、如何にか、遣り遂げた。

 暗く為るまで、燃えるだけ燃やして、焼却処分は完了である。これで、片付いたから、後は、石垣の膨らみを崩して、石垣積みをしようと思う。去年の春先に、1/4強ほどしたのであるが、天気の悪さと梅雨明け後の熱さに、早々に『来年伸ばし』の迎合をしていた処なのである。

 脳味噌の容量は小さいが、身体は強健の部類に入るロートルである。然しながら、老母を抱える賄い夫稼業の日々である。同じ日本人であるから、遠征ボランティアをして差し上げたいのではあるが、家を留守にする訳には行かない境遇である。

                   許されよ・・・

 然しながら、キツイ仕事をしなければ為らない被災者の方々の苦労を、ロートルの身に体験させて、気持ちだけは、被災者の方々の苦労と連帯しようと考えている次第なのである。

 さてさて、体力消耗で昼寝でもしたい処ではあるが、晩飯の米とぎとオカズ作りをして、火の様子も見て来なければ為るまい。嗚呼、腰が痛い。筋肉が張って仕舞った。吾が身は、役に立たない体たらくオヤジである。


心何処ーショート 一夜明けて。
                  一夜明けて(3/12/11)
 大地震、大津波から一夜明けて、壊滅の町の映像が続く。痛ましい限りの惨劇・惨状の様相である。これ以上、見るに堪えない。テレビを見るのを止めて、ラジオを聞く。混乱にパニックに為らない『日本人の民度の高さ』に、ただただ胸が締め付けられ、涙が頬を伝わるのみである。

 亡くなられた方々、行方不明の方々に、黙祷・合掌する。被災者の方々には、これから辛い辛い日々と年月が待ち構えている。言葉の掛け様も無い処である。

 本日、土曜日。Tとのコーヒータイムである。冗談とは言え、昨日のブログで天変地異の軽はずみを打って仕舞い、少なからず、慙愧の思い去らぬ処でもある。

               被災者の方々、許されよ・・・

   コーヒースタバの二階席は、何時に無く客も少なく、ひっそりとしている。

 車に乗る時に、Tがオヤジさんに出して貰って居る飲料を二缶プレゼントしてくれた。栄養の偏り補給と整腸剤が調合してある飲料との事である。オヤジさんは、功を奏しているとの事である。

 ロートルの会話も、街を呑み込んだ大津波の話に向かって仕舞う。壊滅状態の街に有効な手段は、『軍行動』でしかあるまい。自衛隊、警察、消防、行政の幹部がチームを組んで、先ずはヘリコプターで、現状認識をして避難所の設定をして、協力し合って住民の誘導、物資の輸送に全力を尽くすしかあるまい。

 高台のスペースを探して、避難所のテントの設営を自衛隊のヘリコプター部隊が、出動して指揮を取る。警察、行政は、区分けをして区分け事の避難所に被災住民をスピーカーで誘導して回り、消防はドクターヘリで怪我人を搬送する。

 文民よりも訓練の行き届いた『有事組織』の自衛隊が実務を掌握して、『平時組織』の警察、消防、行政が、其々を分担すると云った機能組織が、即座に稼働する事を希望するのみである。NPOは、ボランティアを呼び掛けて、勤労奉仕に汗を掻く。

 これも、広い意味での国防行動の一環で有ろう。御苦労様ではあるが、職務と善意の行動あるのみの状況である。そして、地震国日本人は、この惨劇、惨状を明記して、心に刻まなければ為るまい。

心何処ーショート これは、大変な事態である。 
             これは、大変な事態である。(3/11/11)
 予想して、待ち受けて居た事ではあるが・・・いやはや、大した野合民主党議員連合である。幾らキリスト教の牧師議員と云えども、キリスト教国にも、厳然とした自国の領土意識が存在するのである。竹島は韓国領土なんてアピール書にサインする与党議員など、有ろう筈も無かろう。

 宗教の神の国の精神世界と、現実の国益と国民を守る義務を持たされている国会議員の頭脳回路とは、別次元の物であろう。教会と政治は別物、自分の心情を語りたければ、政治から身を引いて、教会で、大いに熱弁と世界平和を祈れば<酔い>のである。

 牧師先生は、菅さんとは、盟友の関係とも云われている。前原さん、土肥さんの問題にしても、身内の甘さから来る庇い過ぎが、見苦しいばかりの様である。
 
 それが本日、ドカンと来て仕舞った。菅さん自身の外国籍を持つ人からの、政治献金問題が浮上して仕舞った。前原さんの『繰り返し擁護答弁』で、言い慣れたのであろうか・・・淀みなく、善意の政治資金受領者の『往生際悪き言い訳』を述べている次第である。

 その背後に映る与謝野さんの御老体の衰弱振りが、真に与謝野先生の心の呟きの様を象徴して居る様に見えて、『嗚呼、失敗こいた。民主党は、此処まで政治素人の政党であったか。晩節を穢してしまった。文人・歌人の名門を穢してしまった。嗚呼、選択の誤りは、むべ為るかな・・・』と諦観に似た先生の悲哀航路の意訳が聞こえて来る始末である。

 テレビを見て居た母の質問が、
「今日は、皆さん、黒い服を着て居るね。何か、意味があるのかね?」

「こんな新聞の素っ破抜きだわね。菅無理政権の実質上の『瓦解日』だから、皆さん、喪服の着用だわさ。但し、『閣議決定の喪服着用』に反して、防衛大臣の北沢先生だけは、白と黒のゴマ塩服だわさ。

 この旦那は長野県議の時から、いけ好かないオッサンで、脳味噌が無い物だから、態度だけはデカク振舞って、大物振って見せる『自己顕示欲の塊』さんだわね。
鳩山さんの時から、ルーピー鳩山さんを鼻でせせら笑って、デカイ態度でグアム移転交渉をポーズだけで、パフォーマンスしてただろ。

 仙谷さんの名言『暴力組織・自衛隊』を束ねると左翼思想の発露で、自衛隊の政治的中立を勝手に解釈して、共産主義的左翼発想の思想押し付けを遣らかして、踏ん反り返って居る男だわね。こんな下衆野郎なんぞの魂胆なんか、面と目付きを見りゃ、一発で分からぁな。

 あんだけ、自己顕示の強い白服女が、今日は『黒服』着てるじゃねぇかい。推して知るべしでヤンしょう。今日は、風呂に入れるかな?」

「これから、如何為るだろうね?」

「日の丸、君が代に文句を付けてる輩だわね。その癖、自国の領土も、自己力で守れない憲法と自虐史観の蔓延で、平和、平和の大合唱して、世界市民連合の変なマインド・コントロールを維持してる連中だからね。

 スパイ天国の謀略侵攻を受けてるのに、外国人参政権を通そうと画策してるザマの民主党さんだし、在日さんの政治献金は、ご法度でも車、運動員、ビラ張り援助隊は、合法と云うんだから、何をかや言わんやの政治家達の為にした立法ザル法だわね。法人の出資方には、金銭と同様に労働の出資だって謳われて居るんだわね。

 こんなフザケタ連中の出鱈目振りは、恥ずかしい限りのザマだけど、膿みは出し尽くさないと、治らんわね。余す処なく、白日の下に晒して、国民の判断に委ねてさね、投票と云う有権者のみそぎを受けなくちゃ、始まらんぜよ。

 俺は知らねぇがさ、敗戦の不安定な時代に、社会党政権が誕生した物の、<光秀の三日天下>なんて、歴史証拠もあるぜや。

 菅無理政権が、『意地汚い延命綱渡り』を晒して居ると、日の本の天照大神様のお国柄だから、マゴマゴすると、天変地異のお仕置きが出て来るぜや。俺は、国会中継聞いて、昼に風呂入るから、先に風呂入りなよ。」

「私は、テレビ見て居ても、何も分からないから、お前の後に、お風呂を頂戴するよ。」

 風呂に入って、ラジオを聞いて居ると、慎太郎さんの都知事出馬の報である。アンチ慎太郎さんも多いと聞くが、私は若い時分から、慎太郎さんのファンである。

 ハハハ、慎太郎さんは、老獪な政治家である。早い時期から、出馬表明をしてしまえば、アンチ派から、ヤイノヤイノと叩かれる。抜群の知名度と三期の実績を持っているのである。寝た振りの様子見をして、現役の組織力で<慎太郎コール>を懐に呼び込んで、バシッとバットを強振すれば勝てるのである。

 八百長相撲に揺れる大相撲にしたって、前に打った通りに、酸いも辛いも知った『興行相撲』ファンが、大勢なのである。打ち続く不祥事にマイクを向けられたら、大半の人は、相撲協会、相撲界に苦言を呈するのが、太古の昔からの人情と云う物である。

 本音と建前の使い分けが、日本の文化の一つでもある。本音に胡坐を描いた『踏ん反り返え』程、腹が立つものは無いから、皆、建前論を言うのである。不祥事に際して、放駒親方が頬を痙攣させて、開口一番に自粛の興行中止をぶち上げて、天岩戸を下ろしてしまえば、天照大神様の歓心を引こうと、外屋が踊り出すのが人の世の常と云う物であろう。

 老獪さの落し処を見る目も、武骨者の硬骨漢が見せる落し処も、本音と建前のコンビネーションの妙と観賞するのが、下衆貧民の愉しみの一つでもある。

 洗濯物を物干し竿に拡げて、自室で国会中継のラジオを聞きながら、この日誌を打って居ると、地震情報である。東北地方にM8・4との事である。NHKの東京スタジオも、強烈な揺れに掴まって居るとの報。ラジオからは、そのスタジオの肉声が聞こえて来る。

 やや、信州も揺れている。長いスパンの横揺れである。大きくは無いが、長い揺れである。金魚槽の水が地震の長いスパンの連続揺れに、大きくタップン、タップンの揺れを増幅して行く。この揺れが、液状化現象を呼び起こすスパンの長い横揺れなのであろう。船酔いの様な気持悪さを催して来た。水槽の水を掬って、隣のメダカ槽に入れる。

 母の部屋に行って、暫く、様子を見る。揺れは止まった物の、余震待ちの不気味な時間を過ごす。テレビでは、都心で黒煙が空を覆っている。大津波は、車、船を流して居る映像である。これは、大変な事態である。



心何処ーショート 周りは、オタンコナスばかり為り。
            周りは、オタンコナスばかり為り。(3/10/11)
 いやはや、体調が好いと、94歳と云えども、婆さんは利発で美人さんである。朝食後後は、有る事無い事の戯け倅の『出任せ放談』を遣らかしてしまった。

        アジャジャ~、早や、昼ではないか。遺憾いかん。

 静に構えて居れば、知らない人から見れば、私は物静かな学者か、芸術家の雰囲気を持っている・・・と言われる事が、シバシバあるのである。
 とは言え、振り返れば、育ちが悪過ぎた。何しろ、男兄弟五人の四男坊であるから、好色戯けの地金が出て仕舞うのである。何十年か振りに後腐れの無い無責任の『個態』に戻って、全く以って、堪え性の無いロートルである。

 然しながら、この『芸域』に達するまでには、石の上にも三年の涙無くして語れない『葛藤の日々の積み重ね』があったのである。ギャハハ~。分かるかな? ワカラネェだろうな。

 町内の民生委員の一歳歳上婦人が、盛んにデイサービスの効用を勧めて下さるのではあるが、頑として聞き入れない『吾がご母堂様』なのである。尤も、母為らずとも母が私であっても、きっと同様の心境と為ろうものである。

       吾が家には、『静穏と娯楽学習のお時間』があるのである。

 テレビとコタツのある母の部屋は、ニュース解説、時事問題解説、政治解説、ドラマ解説、歴史解説、美術解説と、漫談調の講義が拝聴出来るのであるから、高齢老人大学としては、正に出色の『マン、ツー、マン講座』なのである。
 笑い過ぎて、知恵熱が上がれば、コタツからベットに移動して、知恵熱を冷ませば良いのであるからして・・・

 感心したり、笑い転げて居る老母を見て、私は、これまた嬉しくも楽しいのである。親子とは、歳を経てこその『味わい』が、醸し出されて来る物なのであろう。

 偶には、口が滑って
『婆さんや、直近の助平話を聞きたいのなら、娑婆調査費を出してくれて、一晩空かせて貰えれば、ホヤホヤの湯気の立った話を持って来るぜや。
 何しろ、俺は、不名誉な女日照り記録を、更新中だわね。親とても、性の経験者だ。倅が不憫だろうが。ギブ、ミィ、マネ~。イッヒッヒ!!』

『オタンコナス!! 言って好い事と、悪い事があるよ。顔洗っといで。』 

 などと、母倅の不用心さから、ついつい本音まで吐露して仕舞うのであるから、<半分死に体>の老母から、あっさり軽んじられて仕舞う。親子には、越すに越されぬ山があるのであろう。

     へへへ、流石に歳の功である。母の言葉が、正論である。

      さてさて、内外の鳥の世話をして遣るとしようか・・・

 真似事掃き掃除をして、玄関の鳥の世話をして、庭の独鈷の餌台を見る。餌が無ければ、背に腹は代えられぬ。 リンゴの微塵切りは、出せば直ぐ様の喰い尽しをするのに、金魚用の使い勝手の悪い中粒のグリーンの粒餌は、最後の最後の口付けである。それにしても、『人気の無い粒餌』が、綺麗さっぱりと食べ尽くされている。

       ザマァ、見遣がれ。これぞ、人間様の調教だわさ。

 下衆貧民の家庭を縄張りにしている野鳥の分際で、グルメ嗜好とは、許し難い『思い上がり』である。ニャロメ。

 ひまじん兄貴から拝命した『憂国のリョウ魔』様からしたら、この野鳥達の無態さは、一国の内部的憂いの心情、心境では無いのである。

 憂国を軽く飛び越して、これは地球規模の『憂球のリョウ魔』『悠久のリョウ魔』としての、教育的慈愛に満ちた指導なのである。生きる事は、食する事為り。<食料の有難さ>を思い知らせて遣らなければ、森羅万象の理は、維持確保出来ない処なのである。

 オタンコナス、ナスナス、無し。本日は、果物はご法度にして、臭い粒餌のお浸しで済ますべし。衣食足りて、礼節を知るのが、生き物の本態である。衣食足りて、飽食に没しては、人類の二の舞の沙汰であろう。バカモン~。イッヒッヒ!!

 さてさて、自室に戻り、コーヒータイムと致そうか。本日、風無き太陽の光である。


心何処・・・憂国のリョウ魔
                 憂国のリョウ魔

                 


 いやはや、苦労しました。日頃、尊敬して止まない<ひまじん兄貴>に頂戴した『憂国のリョウ魔』の図を、漸くUPする事が出来ました。コメントに書いて仕舞った責任上、思考錯誤の末のマグレの様な物です。画像の悪さは、平にご容赦の程を~。

 本日は、向かい風の寒い散歩ではありましたが、橋の下から飛んで来る鷹の雄姿と遭遇致しました。鷹は、確りと獲物を掴んで居りました。一瞬の事で有りましたから、獲物の色と形、大きさだけを裸眼のシャッター収めをして来ました。歩きながら、総合的に考えると、鳩かヒヨドリの様で、私としてはヒヨドリと判定した処でありまする。

 余りの寒さで、引き返そうと致しましたが、生まれて初めて遭遇した『野生の光景』でありました。この絵の最初の観賞人は、ヤクルトママさんで有りましたが、一発で私の『自画像』と見抜かれてしまいました。ギャハハ~。

 何分、デフォルメ画でありまするから、『原始の粗暴犯』と勘違い為されて、110番通報など為されますな。へへへ。

心何処ーショート さて、本日は、何を打ちまするかな。
            さて、本日は、何を打ちまするかな。(3/9/11)
 いやはや、寒い物である。ヤクルトママさんも、寒さに震え上がって居る様子である。ゴミ出しに外に出ると、西のアルプスさんは、灰色雲の中で、吹雪いて居為さる。

 何時に無く、熱々の日本茶が美味く、喉から腹に落ちる。食後の薬を飲まない処を見ると、昨日で終わったのであろう。

 さてさて、電話で娘からのアドバイスを頂戴した処でもあるから、整腸剤の漢方薬も併せて貰って来るとしようか。

 曇り空に、風がビュービューと吹き捲って、寒い限りである。セカセカ歩きで、路地、路地を抜けて、町医者に足を運ぶ。家家のプランターには、大振りな色とりどりのパンジーが咲いて、日向の梅には、花が咲いては居る物の・・・ これでは、完全に冬の寒さである。

 薬を貰いに行く日は、その後、散歩をして、その日の散歩として来るのであるが、散歩は何時でも出来るのであるから、パスパスの逃げ帰りである。

 母に薬の説明をした後は、四畳半でファンヒーターを回しながらの、モーニングコーヒーである。漸く、薄日が差して来て、窓辺の枝の括りに、お馴染みにヒヨドリが遣って来た。
 
 私も些か知恵が付いて来て、無駄食いに為らぬ様にミカンの皮を大半残して、枝に突き刺して居るのである。ヒヨドリにして見れば、私と目と鼻の至近距離の餌木は、他の鳥が近付かない『専用の餌場』なのであろうか・・・ ヒヨドリの目には、ハイエナ・ギャングの刺々しさが無い。大人しい目の色で枝に止まり、ミカンを突いたり、私の顔を見たりしているのである。

 昨日の散歩は、中学の下校時間と徒逢って、俗に言う『美少女』とすれ違った。色白、うりざね顔の彫の深さで、サイズも申し分が無い。顔付も利発そうであった。特大のリュックサックも持参して居ない処であったから、踵を返して尾行する訳にも行かず、へへへの段であった。

 美形さんに出会うと、本当に『得をした気分』である。昨日は、スーパーに買い出しに行くと、白人女性の後ろのレジであった。彼女とはチョクチョク顔を合わせる。如何やら、私立高校の留学生、鈴木メソッドのバイオリン留学生の様である。それも、英国人orドイツ人らしい。白人女性もヨーロッパ系の人は、質素そのものである。

 並んでレジの順番を待ちながら、無垢そのままの様な女子学生の仕草を観察して居るのも、ロートルオヤジの趣味の一つなのである。勿論、化粧などして居ないから、眉毛の生え方も、地の儘にして、皮膚に生える産毛も、頭髪の茶色ががった金髪の産毛の薄さが、妙に色ぽい処である。

 円高で仕送り額も、使い出が薄く為って来ているのであろう。必要な物だけの小口の買い物である。レジのおばちゃんがレジ袋を渡そうとすると、それを断って、手作りの様な布のショルダーバックに入れた。

 化粧をすれば、数段上の女前の彼女なのであるが、素地のままを通して居る。不必要な物は、断る。その合理性が身に付いている文化が、私には心地好いのである。

 私は人付き合いは、苦手の口だし、付き合う人も限られている。然しながら、美形に憧れる気持ちは、人一倍に大きい男である。私に言わせれば、化粧をしない美形ほど美しい存在は無い。そんな事で、私はロシアン・ビューティに心惹かれるのであろう。

 此処は、ウラジオストクの中心地。小高い丘から海が見える。宿泊ホテルの近くに、シングルママさんのアパート団地がある。その団地から坂を上った界隈に、こじんまりとした市場と青空マーケットがある。
 小さな屋台で、果物、野菜、日用品を商いしている。屋内のスパーマーケットの様な造りには、小振りな専業店が商いをしている。肉屋、ハムソーセージ屋、パン屋、チーズ屋、ケーキ屋、文房具屋などが、入っている。全て、対面商売である。

 私は、そんな雰囲気の中を、一人ぶらぶら歩きをするのが、性に合って居る。シングルママさんは、面倒見の良い優等生タイプの女性である。

「あなたは、日本人です。言葉を知りません。迷子は困ります。私は、これから友達の用事で、それをして来ます。良いですか。ここに居て下さい。分かりましたね。約束ですよ。」
「はい、了解。」

 そんな事を実行して居ては、折角の異国情緒なのである。飛行機代を払って、来たのである。立ちん棒では、日本に一番近い西洋の息吹を感じる事は出来ないのである。振り返り、手を振る金髪美形さんの姿が見え無く為れば、太陽の下、ブラブラ歩きは、お手の物なのである。

  へへへ、旅は一人、見る物・感じる物、心の引き出しに貯める物である。

「あなた、約束破りましたね。どうして、守らない、駄目でしょう。私、あなた居ない。<さぁ、大変。> 私は、一生懸命探しました。疲れました。
 さぁ、私に謝って下さい。あなた、何時も、駄目な人です。私は、心配です。ここは、日本じゃ無いです。みんな知らない人です。危険です。」

「へへへ、俺は、あなたの三歳の娘・ダーリアと同じかいな。はいはい、御免なさいね。」

 彼女は、ポーランド系ロシア人である。ポーランドと日本は、浅からぬ出来事を持っている。そんな事で、日本贔屓の人が多いらしい。
 トルコにしても、『日本の過去の善行』を忘れずに、語り継がれている人々の心がある。実に有難い事であると同時に、通い合う心の在り方に、何か共通な物が響き合って居るのかも知れない。

 彼女は、その美形振りを鼻に掛ける訳でも無し、普段着の素顔のオープンで接してくれる。男女平等にして、合理的、躾けに厳しい処があった。

 私なんぞは、生意気盛りの幼女をアンマテンコをさせられて、遊園地歩きをさせられたものであるし、親亀が子亀を背中に乗せて、冷たい海を泳がされた事もあった。
 私は小心者の奥ゆかしい男であるから、文句も言わずにレディファーストの西洋文化のベビーシッター役を、苦笑いしながらさせて頂いた次第であった。
 
 素地の民謡にも似た、何処までも続く青空に、遠く響き合う様な『お互いの感情・感性の調べ』を持ち合わせて居るのかも知れない。
 人間とは、化粧などの枝葉末節に囚われ無ければ、喜怒哀楽の情は十分伝わるし、言葉の数が少なければ少ない分、<目は口ほどにものを言う。>の例え通りに、目を見開いて、相手の表情と言葉の『勘合』に目を向けるのである。

 言葉と表情の勘合を、違和感無く伝え合う事が出来る為には、両者を育んで来た環境強いては、その国々に源流として流れている人々の感覚、感情、表現方法への興味を抱かねば為るまい。

 こんな取り留めの無い事を、煙草を吹かしながら打って居ると、三度目のヒヨドリのミカン突きである。よくよく見れば、丸い黒い瞳は、可愛げのある目である。

 発散嗜好のケバケバしい化粧・服装、言葉の羅列・速射砲よりも、在りの儘の姿の方が、人間にはストレスは貯まらないのかも知れない。

 さてさて、これ以上、打つ事も無く為って来ました。ジャンバーにマフラーをして、出会い妄想の仕入れでもして参りましょうかね・・・

心何処ーショート 遺憾いかん、反省頻りの段為り。
             遺憾いかん、反省頻りの段為り。(3/8/11)
 昨日は雨が止んだので、散歩に出たら、途中からマタマタ雪が降って来た。尻尾を丸めて帰って来るのも癪であったから、雪中行軍をしてしまった。

 晩飯が早かったし、テレビも見る気がしなかったから、偶には美味いラーメンでも食べようと町内のラーメン店に行った処、月曜日休みであった。踵を返して、帰ろうとすると、人懐こいインドネパールのカレー店の男に、手招きをされてドアを開けられて仕舞った。

 此処のカレーとナンは美味いから、これも娑婆のお付き合いの一つである。ウエストの括れも確りしたネパール婦人も居られるのであるから、彼女の厚い尻のボリューム感と腰の括れ、彫りの深い顔立ちを見ながら、妄想食事をするのも好かろう。

 何しろ、籠り生活の長きが、すっかり胃袋を小さくして仕舞っている。苦しいばかりの満腹感である。湯たんぽに足を乗せながら、バート・ランカスターの<プロフェショナル>のDVD映画を観ての就寝であった。

 この数日、冷え込みのキツサではあるが、陽光の明るさである。本日は、母の体調が好いのであろう。台所で母の動きが聞こえて居る。さて、起きるとすべし。

 台所には、私のポット分の湯も沸かしてある。朝茶を入れて貰い、それを飲みながらの朝の賄い夫をして、食事に取り掛かる。

 玄関に、コンニチワの声である。ガス屋さんの集金日である。髭のチャールズ・ブロンソンさんであるから、下手絵ファイルを持って、玄関上がりの廊下に胡坐である。最新作・ウッジァー、アッジャ~の『エリン茸と放屁』の絵を肴に、暫しの男漫談のイヒヒ、ギャハハの交歓タイムとする。

「本当に、今の日本は、如何為っちゃってるんだろうね。三歳の幼女の口に手を当てて、首を締めたら、死んじゃうのは当たり前の話じゃないの。それを、殺す気はなかった。死んじゃったの『言い草』は無いでしょうに。

『遺体遺棄事件』だなんて、犯罪人の人権か何か知らんけど、マスコミも綺麗事過ぎる。立派な<殺人・遺体遺棄>でしょうに。そんなに、ロリコン変態趣味がしたかったら、真面目に働いて、結婚してさね。カアちゃんに、女の子を産んで貰って、毎日、流行りの『育men』に精を出しゃ好いんだわね。世も末の、シッチャカメッチャカの時代ですわ。

 人殺しをして置いて、言うに事欠いて、『死んじゃった』なんて事しか思えない男が、大学生なんて、チャンチャラ可笑しいわね。勉強する価値も無い人間に、教育して一体全体、日本の社会は、何を考えて居るんずらい。何が豊かさ、教育の機会均等だ。笑止千万。社会の尺度が、完全に狂ちゃってる。

 ねぇ、Rさん、こりぁ早い処、日本でも『徴兵制』を復帰させ無いと、皆、神経が破滅して、国が破滅しちゃうんね。

 それに、ジャスミン革命の大暴風雨の真っ只中なのに、カダフィの野郎の往生際の悪さは、何だだい。反吐が出ますわね。30年40年も、裸一貫から王様に為り上がって、散々、独裁者の贅沢三昧をして来たんずらい。

 こりぁ、駄目だと思ったら、一族郎党引き連れて、亡命すりゃいいんだわね。無駄な流血を避けるのが、人間の理性って物ずらい。それが出来ない処を見ると、散々酒池肉林の日々で、完全に梅毒菌に脳髄を蝕まれているとしか、考えられませんわね。

 逃げるチャンスを逃しゃ、ルイ16世とマリー・アントワネットと同じで、呆気なく断頭台の露と消えるのが、この世の常だわね。往生際を間違えなきゃ、独裁40年間の不正蓄財で、一生豪勢に暮らして行けるのに、海外資産の凍結じゃないですか。

 欲の皮が突っ張ると、化けの皮が剥がれるどころじゃ無くて、ルーマニアのチャウシェスク夫婦の二の舞の為るのが落ちだわね。ザマァ、見遣がれって物さね。

 黄金の玉座に座って、<下郎、控え居ろう>なんて、収まって居た人間が、下郎集団に取り囲まれて、罵詈雑言と共に、殴られ蹴り飛ばされて、なぶり殺しの末に絶命して行くんだわね。怒り狂う群衆の前に、吊るし首の骸(むくろ)を晒される。本当に、嫌だねぇ~。人間の本性は、おぞましくて。嗚呼、嫌だ嫌だ。」

「やいやい、今日は、俺のお株を取られちゃって、俺ぁ、一切、出る幕はねぇわね。」
「何、言ってんですか。私だって、月に一度の訪問だぜ。この位の下準備をしとか無くちゃ、Rさんの話の相手にぁして貰えんですよ。イッヒッヒ!!」

「そうだわね。俺も、めっきり視力が衰えて、テレビに映る綺麗なおネェちゃん達が、本当の女か、ニューハーフだか、区別が付かんのだわね。

 こっちは、還暦ロートルだから、男おんなとか、オカマなんて想像しか働かないから、直ぐ見分けが付いて、お笑いの対象にしか為らなかったんだけど、今時と来たら、シリコン、ホルモン剤投与の『完全人体改造の時代』だって云うじゃないの。服を着ている分にぁ、女以上の偽女って事ズライ。女以上に、女だもんね。

 男なんか、太古の昔から好奇心の塊。酒なんか飲まなくても、皆、助平の動物だわね。酒の勢いを借りて、ホステスさんとラブホテルに時化込んだ挙句が、ピンクの花柄摸様のパンティを脱いで、この馬鹿絵見たいな『エリン茸』をニョッキリ聳え立てられてさね。

 まばゆい光の中で、主従の役割が豹変して、オカマ掘られた挙句の果てに、<はぁ~、オッサン、騙された~。>なんて、小娘に軽くこかれて、『黄色い放屁一発』なんて事に為ったら、それこさぁ、水戸の黄門様がヒリヒリ泣くなんてもんじゃ、済まされんわさ。

 ご先祖様に、申し訳が立たんから、首吊り自殺するしかねぇわさ。本当に、度エライ<騙し打ちの時代>に為っちまったもんだぜや。あい。

 言われて見りゃ、その通りだわね。徴兵制さえ布いてくれれば、入口検査が、身体検査だぜね。人造オッパイに、花柄ピンクパンティなんか付けて居たら、その場で、鬼軍曹の鉄拳制裁が下るぜね。『男は男、女は女』の真っ当な線引きをするのが、真っ当な世界だわね。

<ロートルの菊の下門>を鮮血に染めて、橋の下で首吊り骸を晒さず、人生を閉じるってぇのが、真っ当な男の生きる道って事だしね。ギャハハ~。」

 いやはや、とんでもない時事放談に為って仕舞った。これまた、戯け画の効用と云う物だろうか。斯様にして、戯け画と云う物は、時として会話を在らぬ方向へと導いて行く物らしい。

 お恥ずかしい限りではあるが、再度の戯け画の登場である。この絵の本旨は、久し振りに顔を見せて呉れたM氏との戯け話の再現画であったのだが、成程、こんな話の導入画とも為るのである。男の本性とは、つくづくと困り果てた物である。

 遺憾いかん、反省頻りの段である。さて、お天道様に当たって、精神を石部健吉モードにセットし直して参りまする。


                 干し柿茸と放屁


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心何処ーショート 雪の月曜日
                  雪の月曜日(3/7/11)
 雪である。昨日は、遠出散歩をして来たから、本日の散歩は、パスしても好かろう。水分タップリの春の雪であるから、庭の南天は、軒並み雪倒れしている。雪を払って遣るしかあるまい。勿論、通りの道は、通勤の車でシャーベットの溶け行く雪でしか無い。

 地表が雪で覆われて終うと、ヒヨドリが、窓辺に止めた甘柿の干物を突きに遣って来る。私とは精々が1m強の手の届く近距離である。吾が家の庭で育ったヒヨドリであろうから、向こうからしたら、私なんぞは人間ゲージの生き物にしか見えないのであろう。
 
 四畳半の雑木、庭の木々に止まって、私を観察して居る姿が、毎日ある。真に以って、小生意気な次第なのである。きっと縄張りの中心なのであるから、餌が無い時に限って、柿の干物を突きに遣って来るのである。いざという時の食糧と云った位置付けをしているのであるから、ヒヨドリも然るものである。

      知能指数の高さが、きっと、ハイエナギャングの域なのである。

 昨日の長散歩の折りに、山際の落ち葉の中から、瑞々しいハコベを一掴み取って来て、金華鳥の籠にたっぷり入れて遣ったのである。二つの籠の藁巣には卵が産み付けられては居るが、抱卵には至っては居ない。

 金華鳥の習性で、ハコベは巣材に見えるらしく、ハコベを食べるよりも、せっせと藁巣に運びこんでしまうのである。<お前さん達、卵を温めずして、冷たいハコベで冷蔵して何とするか・・・>の気持ちは、人間特有の観察である。抱卵で次々と雛が誕生して仕舞っては、正直、私も困るのである。従って、私は、全てが彼等の本能の為せる業と達観して居るのである。

 雪は、小雨に変わって居る。風呂を沸かして、スキンヘッドを剃り上げる事にして、久し振りに、鳥籠を窓辺に置いて、勢揃いした水槽、鳥籠住人達に、目の保養をするしかあるまい。

 ラジオでは民主党同士の『お仲間時間潰しの質疑応答』が流れている。私は民主党憎しの『野次馬聞き』であるから、こんな物には一切興味が無いから、野党自民党が登場してから聞けば、それで好いのである。

 昨夜のニュースでは、案の定、前原さんの辞任が報道されて居た。官邸入りした前原さんと菅さんの密談は、長い長い話し合いだった。下衆としては、盗聴器報道が欲しかった処である。

 外国人地方参政権の付与・選択制夫婦別姓・子供手当・地方主権・・・etcの政策の裾野には、『友愛の海』『日本は日本人だけの物では無い』などの日本国民解体の左翼市民連合から為る『国防意識薄き世界市民妄想』があるのであろう。そんな彼等が、『国益』を振翳さなければ為らないのであるから、井の中の蛙・日本国民の普通の感覚では、理解し難い政党・政府の舵取りに見えて終うのである。

 在日組織の政治活動に少なからず頼って居たのが、野党民主党であった筈である。参議院には、菅さんに抜擢されたと云う有名な朝鮮日報出身の『白眞勲』先生も居られるのである。
 日本での一大産業とも呼ばれるパチンコ産業からの政治献金は、民主党議員さんへの強いパイプラインとも称される。政治には金が掛る。前原さんの政治資金の出処には、彼一人の『特異性』だけではあるまい。

 外相の外国人の政治献金問題は、蟻の一穴で、民主党崩壊にまで飛び火してしまう一大事であった筈である。外相辞任受諾なんてショウは、物の何秒、何分の沙汰にして、外国勢力に毒された民主党内の隠蔽に対する事後策が、『顔面蒼白の表情』で、密室で語られて居たに違いあるまい。

 野党から与党に為って、公安警察のその手の情報収集資料は、全て与党の手の内に在るのである。マスコミ報道が敢えて語らない処にこそ、深い権力の闇が拡がって居るのであろう。へへへ、下衆の嗅覚が刺激されて、仕方の無い処である。

 秘密情報を握って居る者は、何時の時代にも、アドバルーン、マッチ・ポンプの鍵を握って居るのである。アドバルーン、マッチ・ポンプの言い回しが、『リーク』と為っただけの話で、政敵を翻弄させたり、権謀術策を弄して、ほくそ笑むのが、人間心理の闇の部分なのであろう。

 ゴルゴ13の世界では、様子見、揺さ振り、脅しのスマートな抑制効果が、十分作用して居るのであろう。

 然しながら、今や情報、学習の時代とも評される時代である。政治家の権謀術策と一般庶民の妄想との間は、嘗てない程の距離の埋めが、進行して居るので無いだろうか。

 一方に於いて、インターネットを自由自在にこなして、大学生にレポートを提出させれば、全く同じ答えをコピペと称して、其の儘、レポートに張り付けて終う<倫理観乏しき時代>だとも云われている。
 そして、大学進学率50%超の大学の中では、有ろう事か・・・小学生高学年の算数すらも出来ない生徒に対して、大学が塾講師を招いて補習講座を設けているとの背筋の凍る<学力乏しき実態>が存在すると云うのである。

 その一方で、まともな情報・学習を身に付けた国民が、多数居る時代なのである。己が権謀術策の小ささに『自惚れて居る』だけでは、漫画にも為らないのである。
 有権者国民から、その程度の低さに、『失笑』を買っている吾が身を映せないで居る政治家諸氏、マスコミ諸氏の姿は、余りにもみっともないザマなのではあるが・・・ 

 彼等は、今日も何時もと変わらぬ高い所目線でしか、娑婆が見通せないのである。

         へへへ、困った娑婆の世相でありまする。

心何処ーショート 老母の椿事が、呼んだ漫才一座。
            老母の椿事が、呼んだ漫才一座。(3/6/11)
 部屋でブログ徘徊をしていると、倅の声である。PCをoffにして、玄関を見るとスニーカーが二足並んである。仲の良い事は、好い事である。

 先日、東京の娘から母の容態に付いて電話があり、兄妹の間で電話があった由。妹の命を受けて、来て呉れたとの事である。来月にはお産がある。嫁さんは来れないので、当分、お婆ちゃんの顔が見れないから、見に来たとの事である。

 老母の様子も、普段と変わり無い様で、安心して居る。然すれば、何時もの事ながら、馬鹿話、戯け話に、大笑いをしながら時間を過ごした次第である。本日は、女の好い加減さをヤリ玉に、有る事無い事の大袈裟放談のオンパレードである。

 嫁さんの乗せ上手に、倅も迎合して、へへへ『趣味の女叩き』のザマである。

「デカイ声じゃ言えねぇが、家の家系は、女族にモテるんじゃい。遺伝子は継承されているから、堂々と胸を張って行け。但し、子育て中は、品行方正の『据え膳喰わぬが、男のプライド』じゃい。
 子育てが終わって、女房に嫌われた時が、『一子相伝の隠れた才能』の一気化成の海外旅行だわな。<旅先の恥は、掻き捨て>ってのが、お江戸の庶民文化だわね。大和魂の槍の俵星玄場のインターナショナルよ。分かるかな~、分からなきゃ、三波春雄さんのYouTubeをクリックして、勉強してくれや。

『不倫』なんて物は、下衆野郎のする事だわさ。<男の恋の極意は、偲ぶ恋いと見立て候(早漏)。>だわね。硬軟併せ持って、『多様の海』を泳ぎ切るのが、男の珍生よ。言って置くけど、珍生と人生を混同すると、大変な目に為るぜよ。混同する前に、下衆貧民はコンドームが肝要だぜや。イッヒッヒ!!

 目先の官能に感染されちゃ、日本男児が廃れるぜよ。今のご時世、予防を怠ると、国際問題にまで発展しちゃうぜや。孕み捨ては、国際法違反だぜ。そこん処は、常識人の嗜みって事だ。

 刑法で云う処の『原因に於いて、自由為る行為』って法理論があってさ。<酔っ払って居て、何を仕出かしたか、全然覚えていません。> なんて幾ら逃げ口上を言ったって、お白洲じゃ一切通らんのだぞ。
<酒癖の悪さを知ってるのなら、酒に呑まれるな!! この馬鹿野郎。>って、取調室で、熊見たいなデカさんに、張り飛ばされるのが落ちだぜな。ギャハハ!!

 俺達、出来の悪い下衆共は、その位の予備知識を持って、事に当たらないと国債発行で借金塗れの『日本国財政』だ。得体の知れねぇ諸外国に<子供手当の大判振る舞い>なんかして居たら、ご先祖様達が、営々と歴史の中で築き上げて来た日本の財産を、一代の放蕩息子が食い潰すザマだぜや。遊ぶんだったら、真面目に国益考えて、遊んでくれや。
 
 遺言書くにぁ、早過ぎるけど、これも男親の倅教育の一環だぜ。カカアにゃ、オフレコだぜや。内緒の話だわさ。イッヒッヒ。」

 婆さんも、気難しいとばかり思っていた倅の話上手には、驚愕の抱腹絶倒の態だと言う。こんな馬鹿倅の姿を目の当たりにして、自分だけ責任逃れの魂胆だろうか?? 

      仏壇の上のオヤジ、兄達の遺影に、手を合わせて居遣がる。

 産んで育てたのは、何を隠そう。この母親なのである。ッタック、絵に描いた様な女の好い加減さである事か・・・

 倅と孫を見比べて、好く似た親子との有難いコメントを頂戴して仕舞った。腹が空いただろうから、一緒に晩飯を食べて行けとの事である。『老いても、親に従う。』のが、日本人のDNAである。私は台所に追い遣られて、賄い夫のオヤジである。

 ネギ、ハムをたっぷり刻んで、砂糖・コショウをパッパと振って、厚焼きの卵焼きを作るべし。塩マスを焼いて、沢庵、作り置きのシラタキ入りのキンピラゴボウを温め直して、男賄いの夕食とする。T差し入れの棒タラの甘辛煮も、好評であった。

 馬鹿・戯け家族の与太話も、老母には『百薬の長』なのである。オヤジは、女房の母へのプレゼントに私を残し、私には倅をプレゼントしてくれているのであろう。これまた、遺伝子の継承と云わずして、何とするかである。

 何は無くとも、有難や有難やの身の丈の幸福の一幕にして、車を見送る夜空には、満天の星星の輝きであった。ウッシッシ!!

心何処ーショート せっせと、マーキング。
                せっせと、マーキング(3/5/11)
 沢庵二本と、干し柿二個を持って、Tの車を外で待つ。寒の戻りの冷え込みの続きではあるが、晴れ渡った空に、アルプスの峰々が清々しいばかりである。

 二、三、ラジオ体操の真似事をしながら、身体を解す。庭の木瓜は、蕾を膨らませては居る物の、梅の老木は、硬い蕾に、ほんのりした赤味を二、三見せているばかりである。

 車が玄関の所で止まり、手招きをするが、Tは其の儘、私に手招きをしている。

「お前さんの言う通りに遣って見た。塩辛いけど、味見してくれや。」
「そうかい、アリガトザンス。あいよ。最後の方で、沢庵も漬かり過ぎだとは思うが、男手作りの味だわね。」

 コーヒースタバの二階席は、流石に弥生三月の太陽の恵みで、汗ばむ様な暖かさである。

 マスコミ報道に倣って、入試漏洩事件、昨日の参院予算委員会での攻防、幼女殺人事件などの感想の述べ合いトークを始める。高校で出逢うた番から男同士であるから、感想も共通項の多いヤクザもどきのコンビである。

 本日、外気に恵まれたお天気さんであるから、コーヒータイム後は、外のベンチで、煙草トーキングである。便利で重宝な情報交換が、『掌の上』で叶う時代摸様である。
 結局は、対面関係を面倒臭がる世の風潮であるから、便利さ、重宝さの中に置き去りにされてしまった『対面の楽しさ』が薄れ行く時代なのであろう。

 それでも、心の隅っこには、砂を噛む様な味気無さに気付いて居る筈なのに、一歩の踏み込みが出来ないで居る。機械頼り、他人頼りの『薄味の時代』であろうか・・・
 閉塞・鬱屈の心象風景を持っている人間達の表情は、即物的な他人同士の街の風景にしか過ぎない。

 私には、変に縮こまった感じがする隙間風の風景である。柄の悪いヤクザもどきコンビには違い無かろうが、少なくとも我々には表情と言葉の選択、嗜好、ボリューム、テンポ、リズムが溢れている。

「どうだ。スーパー覗いて帰るか。」
「あいよ。行って見るかいね。」

「リンゴは、安い呆けリンゴを八百屋で買って行くわ。微塵切りにして遣ると、メジロ夫婦が遣って来てさ、目の保養をさせてくれるんだよ。それに、この頃は、多分モズだと思うんだけどさ。それも、常連さんよ。ヒヨドリとモズだと、モズの方が強い様だしさ。」

「そうだよな。ヒヨドリ、メジロ、ジョービタキ、ツグミ、シロハラの中では、ヒヨドリが君臨してるけど、この前来たシメなんかは、ヒヨドリなんか、全然気にして居なかったしな。スズメも、ヒヨドリに抵抗力がある見たいだぜ。」

「若しかしたら、食性の違いかも知れんぞ。」
「成る程、そうかも知れんわな。」

「俺がさ、この頃、そんな事ばかりして見て居るから、カカアが、ブーブー言うんだよ。晴れて、退職ロートルの人生で一番好い時期を、働きに出ろなんて、抜かすんだぜや。」

「へへへ。そりぁ、男と女の包容力の違いでさ。所詮、女族なんて物は、デコレーションには飛び付くが、在り来たりの自然の中での花鳥風月を、嗜む性向には疎いんだわね。
 花鳥風月に、己が心の『何を重ね合わせる』かで、花鳥風月に対する滞在時間の長短が、決まって来るからね。亭主を所有物と勘違いして、聞き耳持たない者は、相手にしても、所詮は、へへへの段だからな。」

「ハハハ、そりゃ、そうだ。巧い事言うじゃないか。」
「あいあい、在り来たりに云えば、目を閉じてする女族と、相手の表情を観賞しながらする男族のマグアイ形態の違いだわね。言って見りぁ、本能の根本的差異の違いって物さね。」

「この馬鹿野郎が、結局は、落ち着く先は、そっちかいな。その助平回線を半分にして置けば、結構好い事を言ってるのに、好色回線が、玉に疵の未発達男だわな。ひひひ。」

「あいあい、持って生まれた物を磨き上げるのが、是、人生だわね。お役御免の身だわね。本性のマーキングを、せっせとして置かなきゃ、俺ぁ、その他諸々の下衆貧民だわね。死んだ途端に、誰~の記憶にも残らねぇずらよ。ギャハハ。」

「Rは、長生きするぜや。これなら、安心だ。俺の方が、先だわな。」
「おいおい、冷たい事を言うなよ。取り残された日にぁ、寂しくてイカンぜや。」

 Tは握り飯とウィンナーを車の中で頬張りながら、帰って布団を干すとの事である。


心何処ーショート 俺は、何を言いたいんだろう???
            俺は、何を言いたいんだろう???(3/4/11)
 おやおや、やっと本日は、参議院・予算委員会の国会中継である。しどろもどろの答弁に、素人目にも、<民主党、菅無理内閣の命運>は、尽き様としている感じである。

 長らく政権の座に在った自民党政権末期の短期転がしの、醜態首相交代劇の醜態を晒し続けた中での国民の政治不信、呆れ返り観の蔓延を背景に、『国民の生活が、第一。』を謳った庶民感覚のマニュフェストを高々と挙げて、圧倒的な強さで政権の座に付いたのが、民主党であった。

 ダボハゼの様な剛腕政治家と称された小沢さんの強面・凄みの迫力の中で、『国民の生活が第一。』の選挙ポスターは、名も無き庶民・国民の声無き声を象徴する『近年稀に見る』一大アピール効果であった。そのポスターに、私は<単純明快!!>と、感動さえ覚えた。

 従って、私も、その衆院選挙に一票を投じた身であった。それが、チェンジ、チェンジの大合唱の、オバマさんへの対抗意識も手伝ったのか??? 鳩山さんの男としては、歯の浮く様な『驚愕の首相施政演説』を聴いて、????と恐れ入って仕舞ったのも束の間、『特大子供手当』の沙汰に、少なからず貧乏人生まれの悲哀を、痛切に感じた物である。

 それが、あれよあれよの間に、問題発言の洪水であった。『東シナ海、友愛の海』『CO2、25%削減の大見栄切り』『日本は、日本人だけの物では無い。』『普天間基地問題に於いての腹案茶番劇』『国民が、私の言葉に耳を貸さなく為って仕舞った』・・・etcと、こりゃ、とんでもない<戦後駄々っ子、甘ったれ鬼っ子>を選んでしまった物だと、背筋の寒さを思い知らされた。

 続いて総理が替わって、登場したのが菅・仙石ラインの学生運動家コンビの登場であり、尖閣諸島への領海侵犯の中国漁船の体当たり攻撃であった。『法律を私視』して、黒を白と言い包める敏腕弁護士の<張ったり答弁>に、完全に脳味噌は限界点の沸点に達して、民主党の出鱈目さが骨身に突き刺さった次第である。

 幾ら『平成の大開国』のTPPかPPTか知らぬが、姑息な手段で、現行障壁の各種の規制を、『大名行列の先払い』を目論んでの模様替えの目論みである。

ふざけ遣がって、フザケ遣がって、この野郎共メがぁ~。無礼打ちにして遣らぁな!!

『規制仕分け』なんぞと抜かして、マネキン人形の白服なんぞに、チャラチャラさせた処で、追い付く筈も無かろう。柳の下のドジョウが、そんなにボコスコと取れる筈が無い。日本の自然共生型の農業は、化学肥料とコンクリートのU字溝の網羅で、庶民のドジョウ鍋が、とっくのとん間に、高級食材と化して居るのである。

 それが証拠に、地球規模で環境破壊の進む防止策として、<CO2削減><生物多様化>の問題が、国際会議の主要議題と為って居るんじぁゴザンせんか。
 民主党と菅無理内閣には、度し難い未熟性と危機的状況が、続いて居るのである。

 自党が内在する未熟性と危険・危機的要素を棚上げして、これほど、国民の目を舐め切った政治家集団は、無かろう。民主党とは、如何なるレベルの政治家集団なのだろうか。

  それでも、彼等には国民は、愚民にして、家畜か石にしか見えないのだろう。
もう、何をや、言わんかの『政党信用失墜のザマ』は、一日も早く、倒壊するしかないのである。もう、ウンザリして、見たくも無い日本社会の現状である。

 ラジオからの国会中継は、聞き流すとして、夢の反芻をして置くとしようか・・・

 それは、薄暗い、果樹園と神社さんが見える田園風景の続くシーンであった。昭和30年代の風景の中、凸凹道を自転車で走って居る。自転車は、頑丈だけが取り柄の実用一点張りの物である。
 先頭を行くのは、高校の自転車通学の時に、お世話に為ったウクレレ漫才でお馴染みの牧伸二に似た元競輪選手のお兄さんである。私の後ろには、小中学時代の同級生のR子が居る。好くコンビで学級委員を遣って居た彼女である。

 如何云う訳か知らぬが、彼女は時々夢の中に現れる。背の並びも、成績も同程度であったから、それなりに話を交わして居た。

 夢の中で、丁度、昼時と為って、弁当のある自転車屋さんは、神社さんで昼を食べると言う。私達は、何処か食堂でも探して昼にしようと言う事で、自転車を田園風景の中に進める事にした。

 自転車を並べる私と彼女は、親しかったのだろうかなどと、小首を傾げている私の姿があった。残念ながら、夢は、其処で終わって仕舞った。

 田園風景の凸凹道と実用自転車と、男女の垣根が確りと付いて居た時代の中に居て、何故か私は、居心地が好かったのである。これは、古賀メロディの指し金かも知れぬ。

 ※風呂に入ったり、洗濯をしたりの国会中継聞きではあるが、大変な騒ぎを呈している。いやはや、議員バッジを付けて居ても、とんでもないお人達が闊歩して居るらしい。

    アッシャ、怖くてテレビなんぞを見る勇気も出て来ない処である。

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