旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 吾ら・・・
           吾等、歳は取れど、進歩無しの男話。(2/28/11)
 昨日は、散歩に出掛けようと部屋を出ると、玄関にM氏の姿がある。土曜日に、相談事があるからとの電話であった。久し振りの姿見せである。

 へへへ、四畳半でお互いアメリカン・コーヒーを飲みながらの相談事の片付けである。

 彼も嘱託社員の身に為って、会社で私のブログ日記に目を通して呉れているとの事である。何だかんだと云っても、長い付き合いであるから、顔も声も長い御無沙汰ではあるが、私の日記を通して、私の日常を知って居るのである。

「相変わらず、多方面に展開してるじゃないの。中身が濃過ぎて、付いて行けないからね。」

「そんな事ぁ、ねぇずら。相変わらず、女にモテないし、相手も居ないから、惨めな生活さね。この頃じぁ、皆、冷たい女共だから、ケチで夢の中にも出て来んぜや。あの世にトンズラしたい程の、落ち目の三度笠だわね。」

「飲みには行かないの?」

「人間って可笑しなもので、飲みに行かないのが習慣に為ると、面倒に為るんだよね。
 まぁ、根が女好きの助平だから、助平心に火が付いたら、銭が無いから、目刺し帽でも被って、銀行強盗でもして来て、費用を捻出し無きぁ、ホステスに相手して貰えんわね。そんな日にぁ、婆っさが日干しのミイラに為っちゃうからね。情けねぇもんさね。ギャハハ。
 俺ぁ、単純明快の<愛は要らねぇ、マンホールさえありぁ、それで好し。>の後腐れの無い好人物なのに、世も廃れた物だぜや。如何するだいね~。」

「またまた、笑わせて呉れちゃって~。久し振りで聞くね、R節の決まり文句。Tさんとは、飲みに行かないの?」

「ヤッコさんも、あれだけ好きだったのに、胃無しの所為で、身体が寄せ付けないらしいよ。胃が無いのは、大変らしいよ。」

「R&Tのコンビは、ツルませて置いたら、酷ぇもんだからね。無尽の海外旅行を派手に遣って居た頃が、懐かしいね。Rちゃんが抜けちゃったから、本当に、面白く無く為っちゃったもの。」

「何を言ってるだい。部屋に入りゃ、世界共通の体語で同じ事してるずらい。俺なんか、大人しいもんだんね。俺ぁ、趣味の道・ボランティア・セックスを、素直に実践して居ただけだぜね。へへへ。」

「またまた、巧い事言っちゃって、二人の世界に嵌って居たのに、好く言うよ。」

「何を言ってるだいね。俺なんか、小心者の奥ゆかしい性質だから、他人様の恋路の邪魔をしない様に、影に回って観察させて貰っていただけだわね。観察の積み重ねが、芸の道じゃねぇかい。吾が足らざるを、他人様から頂戴するのが、真摯な修行態度だわね。
 
 でもねぇ、多少なりとも仕事絡みのお付き合いだから、止む無しの処があったけど、仕事を離れちゃえば、個人同士のお付き合いだわね。無理してお付き合いするとストレスが溜まるからね。『ストレスは、万病の元』って言うずらい。年金生活者には、細く長くが、生きる術だしね。へへへ。
 
 現役時代と違って、世間様は狭くは為るけど、100%こっちに選択権があるって生活も悪くは無いもんさね。何も銭出してまで、無理する事も無ぇずら。

 振り返りゃ、仲間が悪過ぎたから、俺ぁ、<人生最大の汚点街道>をつっ走ちゃったわね。悪所通いも、それ為りに遣らして貰ったから、こう遣って、『無味無臭の霞みを喰って生きられる』んだわね。塞翁が馬の心境に為れねぇのが、修行の足りなさだわね。これ、100%負け惜しみだけどね。イッヒッヒ~。」

「アハハ、度胸満点の一人旅を仕出かして来て、好く言うわ。知らない人が聞いたら、真に受けて、<立派な人生訓>って受け取っちゃうわね。いざと為りゃ、生き証人で、証言台に立つわね。」

「何をこいてるだい。密室で行われて居る事だわね。そんな物ぁ、伝聞証拠で、証拠能力なんて、ありぁせんわね。東方見聞録のマルコ・ポーロにしろ、ドンキ・ホーテのセバスチャン様だって、誰も信用しねぇから、牢獄作家だったじゃねぇかい。俺ぁ、文才が無いから、スカンポ脳の嘘話だいね。

 その証拠に、俺ぁ、有る事無い事、出任せ放題に打ってるんだけど、俺ん処ほど、コメントの無いブログは無いからさ。皆さんに、賢い人達だから、こんな馬鹿相手にしたら、穢れると思って、ソッポを向かれちゃってるって寸法さね。文句ぁ、ねぇズラよ。ギャハハ。」

「またまた、ご謙遜を。Rちゃんは、本気出したら、目から鼻で、怖い人だからね。コメント入れるのも、大変なんだよ。読み逃げするのが、一番だわね。何て言ったって、驚異のブログ打ちだもの。並みの男じゃないもの。

 俺達、知ってる人間は、顔を見無くても、電話しなくても、毎日、Rちゃんと顔合わせて居る様な気分で居られるからね。安心安心だわね。
 1日24H、投稿して有るのは、その内の数時間だわね。<その手は、桑名の焼き蛤>って、ヤジさん・キタさんの珍道中もあるわね。読者を見くびっちゃ、行けねぇよ。アハハ。」

「やいやい、えらく煽ててくれるじゃないの。手土産まで持って来てくれて、こんなにお世辞を頂戴しちゃ、恐縮しちゃうぜや。
 しょうがねぇな。恥を忍んで、過去の栄光・秘物ISO規格品をお見せするかいね。」

「ビック、ストロング、ロングタイムのモッコリアンは、何回も見させて貰ってるぜ。出さなくても、好いんね。 そんな物、見せ付けられたって、目が潰れて、腐るだけだわね。高級和菓子の干し柿でも、持って来ましょ。あい。」

「別に舐めさせる訳じゃ無し、拝んだからって、目は潰れねぇのに。あいあい、上品な粉吹きにするかいね。
 稀有の秘物でも、見せて使う相手を間違えると、潮吹きが、白い粉吹きに為っちゃ、男も一巻の終わりだわね。イヒヒ。」

「何を、馬鹿こいたもんだぜや。こっちゃ、腹、痛てや。屁が出ちまうぜや。」
「あいあい、窓開けてから、思う存分に、ぶっ放しておくれや。その間に、持って来るぜ。」
 
 何しろ、男子校の番から団塊世代の男と云う者は、<助平の病は、草津の湯でも治らぬ>類の物の様である。戯け話に、狭い四畳半は、煙草の煙モウモウのヤニ部屋と為って仕舞った。

 まぁ、これも立派な言語障害予防と、笑いの交換に腸内メタンガスの放出でもある。腸内メタンガスも、体内ストレスの元でもある。お見送りに外へ出ると、優れぬお天気さんは、雨を呼びそうな具合である。嗚呼、明日で二月も最終日である。

 皆様、還暦を通過した男には、上品さが無ければ為りませぬ。他山の石と蔑み下され。

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心何処ーショート 外は、花粉舞う大クシャミの日曜日。
           外は、花粉舞う大クシャミの日曜日。(2/27/11)
 昨夜の『最後の仇打ち』が、秀作であった。テレビに釘付けに為って、感銘のドラマ観賞であった。いやはや、北大路欣也さんの気迫溢れる演技に、見入っていた次第である。田村正和さんの『告発―国選弁護人』と云い、久々の重厚さに満ちた社会派、精神文化を体現したドラマらしい見応えのある内容の物であった。

 役者とは存在感を持って、その精神性の高さを魅せてこその輝き、重厚さなのであろう。現代は高齢化の時代である。昔は、働き盛りが40後半から50代と云われて居た時代があったが、現代では肉体的若さから云っても、60代~70代に達してからが、円熟味を増した役者の演技の『魅せ頃』と表現しても好かろう。

 私は、このお二方が好きである。田村正和さんは、あのか細い些かの掠れ声故に、老境の淵に棲む母の耳には、台詞が届き難いらしく、何を言っているか好く分からない短所があると言う。

「まあまぁ、婆さん、あんまり文句を言っちゃ、役者さんが可哀想だよ。オヤジさんの阪妻の御大と重ね合わせちゃ、行けませんわね。
 此処ぞと、決める時には、声量も決めて『一気に畳み込む役者の迫力・説得力』があらぁね。只で、見せて頂いて居るんだ。役者さんの其々の色を見抜けない様じゃ、観賞者としての『技量』を問われまするがな。ギャハハ。」

「好いねぇ。欣也さんは~。日本映画のお家芸のヤッ、トォーは、腰の据わり、体裁き、剣筋に込められた気迫の冴えは、何十年にも亘る『自己鍛錬の賜物』だぜや。生半可な自己鍛錬じゃ身に付かない芸域だわさ。

 腹から発生する声量と云い、言葉の明瞭さ、眼技に込められた台詞と眼様の間と云い、オヤジさんの歌右衛門さんを見事に、受け継いでいる。現代劇を遣らしても、異和感ゼロの演技力の確かさは、群を抜いて居るわね。
 ストーリー全体の掴み方、台詞の読み込みの確かさは、欣也さんの頭脳の明瞭さと言葉に対する感性の鋭さを現わして居るわね。大した役者さんだよ。生唾飲んで、見居ちゃうわね。

 主演を張る役者さんは、こうで無くちゃ、お天道様の罰が当たるってもんさね。俺なんか、演技の先に在る『欣也さんの人間の奥深さ』に、拍手を送ってるんだぜ。
 観賞者の態度の一つには、映像を介して、監督、脚本家、演技者との会話を差し込めるか如何かで、『観る側の技量』が品定めされてるんだからね。演ずるも真剣勝負、観るも真剣勝負だわね。この緊張感の有無が、大根役者との分水嶺だわさ。へへへ。

『国選弁護人』『最後の仇打ち』と云い、骨太の好ドラマ放映の大きな潮流の源には、敗戦65年の迎合社会の経済表層に漂流して、自虐史観の平和ボケのツケを、民主党のお粗末さと中国の尖閣諸島の領土侵犯事件、火事場ドロボーの北方領土居座り何かで、グサリと胸元に付き付けられている現状があるんだろうね。

 映画・ドラマは、流行り歌以上に、社会心理を焙り見せている側面があるんだぜ。

 遅まきながら、日本は、日本人は、何か奇妙、絶対におかしい、間違っている。・・・そんな事に、日本人の多くが、気付き始めているんだろうね。乱暴にして、不埒千万な中国、ロシアの侵略に、お礼を言いたいわな。

『グローバル経済、株取引、正規と非正規の身分格差の増大を放置して居る輸出大企業の海外展開って、冷静に考えれば、弱者を踏み台にして、日本、日本国民を見捨てて、自分だけが富を手中にする『弱い者苛め』の醜い限りの経済亡者の独壇場じゃないのか!!』と身体で感じ始めている証左の現れなんだと思うんだけどね。

 経済の為に蔑にして来てしまった『精神性の揺り戻し』が、日本人の個個人のヤジロベーの中で、バランスを取ろうとしている。これらの萌芽は、至極当たり前の人間が持っている精神性への回帰現象なんだと、俺は喜んで居るんだわね。

 その先には、迎合表層の惰眠をむさぼって居た『敗戦後の事無かれ主義に偏重した日本人の精神的堕落』に漸く気付き始めて、精神性の復古には、避けて通れない『限時法』であるべき占領軍押し付けの現憲法の改正と、世界史の中の必然情勢であった世界史的な観点からの日本の近現代史の読み解きが、個人レベルで必要なんだがね。ギャハハ。

 西洋被れの似非インテリ面をした馬鹿野郎達が、ルネッサンス、レキンコスタ、アンシャンレジームとかの横文字多用文化論をほざいてるだけでさ。
 気付いて見りゃ、横文字ばかりで、俺なんかの時代遅れ人間のスカンポ脳人間にぁ、一体全体、今のご時世は、ナンジャラホイの体たらくだわね。

 ベースボールを野球と訳してくれた正岡子規さんの翻訳力も無いくせに、カタカナ文字を『教養のアクセサリー』にぶら下げてばかりいる軽佻不埒な輩の大行進のザマさね。日本人の一人として、情けねぇたら、ありゃしねぇよ。
 手前ら、一端のインテリと自惚れるのなら、一般レベルの日本人がスーと理解出来る様な、翻訳をして見遣がれや。そんな知性も粋さ加減も持ち合わせないで、責任逃れの原語を口に出すとは、とんだ料簡違いだわさ。

 言いたくは無ぇがさ。頭の中にも、心の中にも、真っ当なヤジロベーを持って居ないから、テレビコマーシャルの安手のキャチコピーで、やれ、『奇兵隊内閣』だとか、『平成の開国』だとか、迎合表層の言葉の連呼ばかりを仕出かしているご時世に、先頭切って、真っ逆さまの『日本の醜態』を演じているだけだわね。

 ヤジロベーが無いから、揺り戻しの『中庸の支点・観点』が無いんだぜ。民主党の野郎共、馬鹿の一つ覚えで、マニュフェスト、開国のアジ演説で、前つんのめりを晒しているザマだわね。

 そんなに遣りたきゃ、スーツ、ネクタイを捨てて、ヘルメットにタオル覆面して、竹竿振り回してくれれば、機動隊の出動で、一網打尽で護送車送りが出来るんだけどさ。コストパフォーマンスか、費用対効果かは、俺ぁ一向に分からんが、手っ取り速さから言ったら、こんな単純明快な手は、無ぇだろうが。

        ニャロメ、張つ倒して呉れっかってなもんだぜや。

 マトモさを少しは持っているのなら、機動隊の放水喰らって、歳の功だ。<世は歌に連れ、歌は世に連れ。世は映画・ドラマに連れ、映画・ドラマは世に連れ。>の連動を観察出来る物を。観察も反省も出来ない様じゃ、リビアのカダフィ大佐一族と、大して変わらんじゃろうが。へへへ、困ったお人達の一団が、世を支配して居るって事だわね。

 好い加減、この辺りで、日本国民よ、目を覚まされませってなもんよ。嗚呼、好かった。俺ぁ、感銘して、胸が詰まって、何度、涙が出て来たもんか。水戸黄門様のドラマじゃ、到底、描き切れない日本人の魂を揺さぶる秀作だったねぇ。

 本当に、俺ぁ、安心したわね。日本のドラマ作り集団も、まだまだ健在。魅せてくれました。有難や、有難や。
婆さん、お付き合いで体力消耗だろ。明日は日曜日だ。ゆっくり寝てなよ。はいはい、遅くまで、お邪魔致しました~。アリガトさんよ。」

 以上、ドラマ、役者考の一片から始まった、足して156歳の市井の末端下衆貧民母倅の悪乗りの一幕でありまする。

心何処ーショート 心遣い、アリガトさんよ。
             皆様、心遣い、アリガトさんよ。(2/26/11)
 昨夜の椿事も見当が付いて、老母は倅夫婦の駆け付けで、好い団欒の時間を過ごした様である。ベットの布団の中で、何時もと変わらぬ姿である。数日、様子を見て居る事で好さそうである。

 昨夜は嫁さん家族からも職業上の知識を頂戴して、それらを総合観察して、心配摸様が縮小した。心配が去れば、何時に変わらぬ馬鹿話、呆け話で、笑いの思い出話に花が咲いて仕舞った。

 そんな光景を見て居ると、私は倅の人間としての出来の良さに、胸が熱く為る思いであった。好い夫婦で、時を重ねる事であろう。婆さんと孫の心温まる好シーンであった。大らかで熱い心の糸は、確りとDNAの中で繋がれている光景でもあった。心の温かさでは、私の数段上を行く倅である。創造主としては、見守るだけで、へへへの段である。

 夜が遅かったので、老母も疲れたのであろう。母の動きを待つ間に、朝の散歩をして来た処である。河川敷に下りようとすると、例の口達者女様である。
 食べても、さして腹の足しにも為らぬ座敷犬様を連れて居る。声を掛けねば、後が煩いから、ご機嫌伺いをしてから、足を伸ばして来た次第である。座敷犬に向かって、<近寄っちゃ、食べられちゃうよ。>と、来たもんだ。

 遅い朝食を取りながら、母の観察をする。へへへ、心配は無かろう。本日、土曜日である。Tからの電話が鳴って、

「お早うザンシタ~。賄い夫は終わったかね?」
「あいあい、待ってたぞ。ほい。今日は、思い切り、愚痴を聞かせて遣るぜ、覚悟して来いや。」

「おっ、そりぁ、行けねぇな。如何したや? 何かあったか?」
「そんな物ぁ、何も無いさね。安心しろや。」

 見せたい文章があったから、それと、下手絵ファイルを出して、苦いコーヒー請けに、干し柿を幾つか入れて、外でTの車を待つ。

「おい、これだろう。これは、如何遣って食べるんだい?」

「おうおう、棒タラの干物じゃないか、見付けて来たかね。これはさ、米の研ぎ汁に、一日くらい浸してさね。砂糖醤油で煮詰めると好いわさ。七味唐辛をパッパと振り掛けるのも好い。干物だから、冷めると硬く為るけどさ、それを焙って齧るのも、酒の摘まみに為るわさ。」

「そうかい、相変わらず、レパートリーが広いじゃないか。大した物だ。男にして置くのが、勿体無いぜや。よし、その手で遣って見るわさ。」

「そんな事ぁ無いわね。家は皆道産子だから、お袋が、身欠きニシンを、そう遣って食べさせてくれた物だわ。レパートリーの大半は、<記憶の中に在り>って事だわね。イッヒッヒ。」

 コーヒースタバの二階席には、S大の教授先生が、外書を読んで居られる。袋から硬く為った干し柿を取り出して、指でモミモミ解して、コーヒーを飲む。さっさと、議題を片付けて、ロートル・トークを始めて居ると、小柄なスタッフさんが掃除に遣って来た。

へへへ、本日の餌食さんである。早速、手招きをして、移動ギャラリーの開始である。

「ほれ、この絵のモデルは、コイツだ。その証拠に此処にイボがあるだろう。度助平丸出しの鼻の下伸ばしているずら。これがコイツの本性だから、確りバリア張って置かないと、大変な事に為るぞや。ギャハハ。」

「そんな風には、絶対見えませんよ。落ち着いた紳士さんですよ。あっ、これは自画像ですね。色鉛筆ですね。色使いの割には、柔らかな感じが拡がって居て、楽しい絵ですね。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇや。こんなヤツは、坊さん顔してるけど、助平が人間の皮を被って居るんだぜや。エロ坊主なんて、生易しい物じゃねぇわね。『エロ快人』だぜ。男を見る目を磨いて置かなくちゃ、不幸蜘蛛の餌食に為っちまうわさ。
 ほれ、この図は、正体を見破られて、お釈迦様に、ジョロで水撒かれて居るんだぜや。真面目腐った面してさ、この馬鹿野郎は、『女の股ぐら』を覗き込んで居るんだぜ。こんなのと、一緒に居たら、頭が腑抜けに為っちまうわね。アハハハ。」

「えぇ~、本当なんですか。危険人物なんですか。そうは、見えないんですがね。そうですか~。困りましたねぇ。色んな絵があって、楽しいじゃないですか。」

「あいあい、そうだんね。俺ぁ、気が弱いから、他人様の口には、文句は言えねぇわね。でもさぁ~、人間の多様性こそ、人間の個性だぜね。ヤクザもどきのロートル・コンビでも、それ為りに、多面性も引き出しの中に、収まってるんだいね。イヒヒ。」

「また、持って来て、見せて下さい。待ってますよ。ごゆっくりして行って下さいね。」
「あいあい、アリガトウござんす。」

 おやおや、本日のお隣テーブルは、韓国語を喋る男二人である。英語を主体語とする常連の男二人、韓国語の男二人である。近くにS大があるから、国際色が豊かなのであろう。

 陽の色は、春めいては来たが、日々の寒暖の差である。本日のベンチ喫煙は、風が寒い。気兼ね無く、自分のペースで話せる友は、貴重中の貴重の友である。こんな好友に愚痴など零したら、男が廃ると云う物である。

               何時も、心遣い、アリガトさんよ。


心何処ーショート 男夢一つ
                   男夢一つ(2/26/11)
 夕食前に、如何にも眠く為って仕舞い、寝床に潜り込む。ドアを開けて置いた四畳半からは、ラジオの声がして居る。風呂上がりであったから、スーと寝入って仕舞ったのであろう。

 小学校時代の仲の好かった友達が出て来て、高校生と思しき年頃で、河川敷で学生服で、キャチボールをしている図である。家に入ると、今度は、矢張り、学校帰りの友達が来ている。好く遊んだ三人組である。高校は別々と為って仕舞ったが、学校帰りに寄って行ってくれた友達であった。

 懐かしい気持ちで話し込んで居ると、場面は山小屋風の場所で、薪ストーブを囲んで、酒を飲み交わしている。年頃は、何と現在の年頃に為って居る。山小屋風の薪ストーブを囲んでのロートルトークに、傍らを見ると、何やらひまじん兄貴らしきお人が居るではないか・・・ 酒のツマミは、鮎の燻製の焙りの様である。

  へへへ、友人共々、和歌山の生石高原に、ワープして仕舞っている様である。

 如何やら、話の内容は酒を酌み交わすロートルの定番らしく、世界情勢とか政治談議らしい。煙草を吹かしながら、ひまじん兄貴のご高説を前に、私は、何十年も昔の友人達の姿、顔に、ほうほうと頷きながら、お互いに歳を重ねて来ても、昔と変わらぬ雰囲気が残って居て、好い気分である。

 おやおや、私の婆さんも、話の中に加わって居る様である。奥方の姉貴殿は、何処に居られるのであろうか・・・ 私は、粗相の無い挨拶は、したのかな?

 意識の戻りに、隣室から聞こえて来るラジオが、こんな夢を産ませた事を感じた。友達二人は、何十年も音信不通なのではあるが、こんな形で、再会が叶ったのであるから、嬉しい物である。

 夢とは、幾つかの外的因子と内的因子とで構成されて居るのであろう。外的因子には、適度な温度、明るさ、音・・・etcと、内的因子の記憶の破片達が、まどろみと云う意識と無意識のさざ波の中で、チョイの間の『離合集散』を繰り返して居る様が、夢の正体なのであろう。

 脳細胞が、意識の方向に傾くと現実的な思考に依って、目が覚める。眠りに落ち入ってしまえば、脳細胞も眠る。適度な高温帯にある時に、まどろみの夢現状態の中で、断片的なシーンが何コマかと為って、朧気なモヤの情景を、脳内スクリーンに映して居るのであろう。

 如何やら、私の賄い夫生活、ブログ生活も、すっかり日常の物と為って、夢の中にもひょっこりと姿を現わして来るのである。夢の世界は、日常生活の何周遅れかで登場して来るものである。こんな現象を見ると、日常生活の完全なる一部としてウェートを占めている様である。

 これも、夢へのロートルの感懐の一つでもある。思考回路の点検として、夢との向き合いも、悪くは無い物である。嗚呼、艶めかしい夢の訪れぬは、如何したものやら???

心何処ーショート ロートル脳内整理
                  ロートル脳内整理(2/25/11)
 庭のサツキの下には、福寿草の黄花が咲いたものの・・・アラブ、中東は、大変な暴動の渦である。リビアでは、他国から金で雇われた傭兵が、軍事ヘリから『頭上乱射』との事である。軍事独裁政権40年の末路とは、想像を絶する見苦しき様である。

 リビアを体現するカダフィ大佐は、暴動沈静化の失敗の責任を、誰かに取らせようとして居たとの事である。側近の国家公安大臣の処刑で、糊塗しようとしていた矢先、大臣はいち早く、それに気付いて国外逃亡との事でもある。加えて、カダフィ大佐が撃たれたとの報もある。

 団塊世代には、エジプトのナセル大統領も、緑の革命を提唱したリビアのカダフィ大佐も、革命児ゲバラも、英雄の一人として報じられていた物である。

 時の英雄、建国の父も、権力を掌握して、新体制構築に汗を流して居る時は、輝いて見える。それが、体制が定まり、体制が利権を手中に収めれば、利権に群がる支配層が、社会に根を下ろす。
 利権と云う地下茎は、体制安定の下に植物の根の様に細部にまで毛細根を拡げて、民原の生き血を吸い続ける。

 俗に云う処の、『権力・体制は、腐敗する』の人間の歴史の繰り返しなのであろう。

 地上の大木と、それを支え維持する根の関係は、表裏一体の図でもある。地中の養分が枯渇すれば、根は枯れ、巨木は倒れるのである。暗黒の中世の時代ならずとも、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)のツケは、指導者が負うべきである。

 イエスマンの取り巻きに囲まれ、裸の老害を晒す権力者の晩節は、『自由の国の庶民』から見ると、如何にも滑稽にして老醜の極みである。

 嘗て、フィリピンでは、ドロボー・マルコスと庶民から揶揄されて居た絶対権力者のマルコス大統領が、君臨して居た。政敵・民主運動リーダーのアキノ氏を空港で暗殺した事で、民衆デモに荒れ狂っていた、
 その末期、テレビでは盛んに大統領執務室で、老マルコス大統領が、イメルダ夫人を伴って、側近の将軍にテキパキと指示を与えている映像が、繰り返し放映されて居た物である。

 ○宮殿に足を踏み入れれば、『夏草や、兵者どもが、夢の跡』どころの騒ぎでは無く、<ドロボーマルコス、イメルダ、民原喰い尽して、靴三千足の下衆宮殿。>であったそうな。侘び寂びを重んじる日本の精神文化と、南洋のフィリピンに咲き誇った仇花とは、大きな違いがあった様である。

 私は遊び呆けて居た『戯け餓鬼』であるから、読んだ事は無かったが、<童話の裸の王様>の『実写版』を見せられている様な錯覚を覚えて、『老醜の遣らせ映像』に対する吐き気を催すばかりであった。
 
 居心地の好い大統領執務室とは、下界と完全に遮断され、茶坊主に囲まれて都合の好い、耳当たりの好い情報だけを耳打ちされて、『自分の威光が』国民の隅々まで及んでいると錯覚して居るのであろう。それも、経済と軍事を握る指導者なら、きっと大半が感染されて仕舞う権力者ウィルスの作用に違いあるまい。

 若かった私なんぞは、そんなマルコス大統領の姿に、スカルノ大統領、スハルト大統領の姿を重ね合わせたり、平清盛、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康なんかの姿を重ね合わせたりして、ニヤニヤして居た物である。

 こんな権力者達への妄想の対極として、マーロン・ブランドの『革命児サバタ』の強烈映像を思い出して居たのである。イッヒッヒ!!

 さて、話を戻す事にして、中共国では、政府のインターネット遮断策が功を奏して居る様で、デモに至らない情勢に在ると云う。北朝鮮では、中共国国境近くの市場で、許可証無しの商売への官憲の暴力沙汰を切っ掛けに、民衆との衝突が在ったとの事である。

 如何云う訳か知らぬが、日本での北朝鮮研究家がゴロゴロしているらしく、虚実諸々の情報が飛び交っているらしい。中には、北の将軍様が亡くなられたとか、脳溢血で倒れた時には、『病気を踏み絵』として、離散する一派を捕らえて『粛清』をした経緯があるから、今度も、そんな権謀術策が、口を開けて見て居るとか・・・etc、

 アラブ、中東暴動の直撃を喰らって、石油の大高騰に、火事場ドロボーを国是としている大国ロシアが、大涎を垂らし捲って居るとか・・・ 兎も角、塵魍魎(ちりもうりょう)の欲ボケ怪獣が、跋扈する五里霧中の国益争いが顕在化する勢いなのであろう。

 私のスカンポ脳では、こんな有史以来の歴史絵巻が、バカスカと『オムニバス映像』で、凝縮させて提示されて仕舞うのであるから、脳味噌回路が追い付いて行かない処なのである。アメリカ貿易センタービルの世界同時多発テロなんて、生易しい物では無いのである。

 国賓パンダ様、民主党小沢の乱など、足元にも及ばないニュージーランドの直下型地震に依る『世界規模の液状化現象』とも為りかねない様相を呈して居るのである。

 酸欠状態の脳味噌への酸素補給に、玄関で抱卵を始めた金華鳥ファミリーの観察をして居ると、通い綴りを持った斜向かい吟さんのお越しである。

 へへへ、下衆貧民のスカンポ脳で、背伸びどろこじゃなくて、竹馬に乗ってこんな好い加減な事を打ち始めて仕舞い、『こりぁ~、収拾が着かんぞ。』と、息切れを呈して居たのであるから、セコンドから、タオルが投げられたのである。

 ボロが出ぬ内に、ウッシッシ、ギャハハ、ケッケッケェ~のご近所ロートル話に移行致しまする。

                 はぁ~、助かり申した~。

心何処ーショート これも、日常の一断面。
            これも、ロートル日常の一断面なり。(2/24/11)
 目は覚めたが、起きるには、未だ早過ぎる。<春眠、暁を覚えず>には、如月では早かろうが、暖かい朝であるから、其の儘、寝床の中で、勝手に浮かび去る光景、者に、まどろみの遊びをして居ると、玄関から大きな声がする。

「はい、少々、お待ちを~。」慌てて、服を着て、玄関に出ると、班内の★さんの奥さんが、見えられた。
「お婆ちゃんは、元気ですか?」「はい、如何にか、ヨロヨロして生活してますよ。」
去年、お婆ちゃんが、100歳の大往生を為された奥さんである。

 自宅の敷地内に、パーマ店を出されている美容師さんである。長年の客商売であるから、気さくな婦人である。玄関の金華鳥に興味深々であるから、<今度、雛が孵ったら、里子に持って行きますよ。>と云うと、飼っていた老犬が、お婆ちゃんの後、一か月ほどで後を追って仕舞ったので、寂しいとの事であった。

「そうだ。一寸待ってましょ。こんな時でも無いと、話が出来ないから、俺の馬鹿絵でも見て行きましょや。」

              最近作のファイルを御呈示すると、
「あらあら、インパクトの強い、独特な色使いで、どれもこれも、楽しい絵じゃないですか。私も、絵が好きで、描いて居た事があるんですよ。私の場合は、写生をしている時間が無いから、写真に撮って、それを描いて居たんですけどね。
 こんな風に、頭の中に在るイメージをサラサラと絵に描けるなんて、羨ましい。こう云う絵は、一気に描いちゃうんでしょ? 面白い世界ですね。これを描いて居る時の、楽しさが伝わって来るもの。やっぱり趣味は、自然体で、楽しく無くちゃ~ね。」

 為るほど、有名寺の娘を義母に持つ奥さんは、中々の趣味のお人である。為らば、話も合うに違い無い。残りの4ファイルも持って来て、さぁ、ご覧あれの態である。

「まぁ、そうですけど、手先が不器用なもんで、マトモな写生が出来ないんですよ。それで、不器用さを逆手にとって、色で逃げて居るんですがね。
<絵は、見る人の想像力・妄想力の扉。>って側面がありますから、言って見りゃ、私は、その水先案内人って処ですよ。アハハ。」

「あらあら、Rちゃんは、やっぱりインテリさんだわ。深い事を、サラリと言ってのけるもの。普通の人じゃ、そんな台詞は出ないですよ。如何しようかな・・・ 店、開けたまま来ちゃったし、でも、全部見て行きたいし。」

「皆さん、常連さん達でしょうから、折角だもの、全部見て行きましょや。無料ギャラリーだわね。俺としちゃ、皆さんに絵を見て貰いたくて、絵を描いて居るんだから。
 俺の心理としちゃ、俺の文書と同様に、打ったり描いたりするのは、数時間。読むのは、何分。見るのは何秒だわね。一々、文句を言っちゃお終ぇよ。これも、<袖擦り合うも、多生の縁。>ってもんずらいよ。イッヒッヒ~。」

「アハハ、一本取られちゃった。そりぁ、そうだ~。描いたご本尊様を前に、来ているか居ないか分からない、商売なんかを気にして居たら、失礼に当たる物ね。
 絵と同じで、Rちゃんは人を乗せるのが上手だからね。全部、見させて貰いますよ。オホホ。」

 普通に生きて居ても、『捨てる神あれば、拾って下さる神も居らっしゃる。』のである。朝ぱらから、好いお話が出来て、全く、この世は、筋書きの無い好雰囲気を頂戴する事もあるのである。ウッシッシ、吾、市井の和みに、つい、ニヤニヤの段であった。

 さてさて、朝食後は、郵便局経由で、個人スーパー、副町会長さん宅を回って、後は、怠惰の時間を遣り過ごすと致しまするかな。本日、風強き日である。


心何処ーショート 春の裾野に、ほっこら。
               春の裾野に、ほっこら。(2/23/11)
 春日の朝である。いやに母の動きが早い。居住区の空気の総入れ替えに、窓、戸を開ける。独鈷に乗せた餌が、殆ど食べ尽くされている。母の部屋を開けると、座り込んで箒をのろのろと動かして居る。『ああ、好いよ。バトンタッチ。』

  掃除ついでであるから、朝の賄い夫前に、大雑把な掃き掃除をして回る。

 オカズの一品を作って、さて、朝飯である。アジャジャ、保温スイッチを入れ忘れて終い、寒冷地の冷や飯である。朝飯をモグモグさせていると、ヤクルト・ママさんのコールである。

『来たかホイホイ、待って居りました。』先日の快心作があるのである。下手絵ファイルを自室から持って来て、ドッコイショとばかりに、玄関廊下に胡坐を掻く。

 ヤクルト・ママさんが、頁を捲って行く。私は、ママさんの表情と視線の先を観察する『真摯な態度』である。

 ★へへへ、まだまだ、余裕で見て居為されや。本日のメーン画は、未だ先で御座りまするわな。イッヒッヒ~。

 ババァ~ン、・・・・・ おっ、現役ママさん、直感サバンナの口籠り、目のウロタエである。此処で、救いの手を差し伸べ無ければ、本日のセクハラ・トークは進展しないのである。ママさんは、観賞に耐えるご婦人さんである。

「分かった~?」
「ええ、Rさんに馴らされてますから、<女性の一番美しい所>でしょ。それは、直ぐ分かりましたけど、この目の感じが、何を意味するのか? 不思議な表情ですね。女の顔ですよね。」

「へへへ、この見開きの頁の二枚の絵から、男と女の生態上の空想・妄想を拡げて貰いたいもんだわね。男と女の間には、名曲もあらぁね。 
 ♪男と女の間には、人の渡れぬ川がある。人の渡れぬ川為れど、今日も一人櫂を漕ぐ、ローアンドロー♪ だわね。」
「そんなに、深い絵なんですか・・・」

「あいあい、男と女の間には、『バックの泉』にピストン運動を、シャカリキに遣っても、埋め様の無い回路の違いが、厳として在るんだわね。肉の快楽と男女の回路上の哲学は、別個の物だぜね。イッヒッヒ~。」

「Rさん、今日は哲学的じゃないですか。何時も、画く内容が深いんですね。付いて行けません。才能か?単なる助平か?が、全く不明な人ですからね。下手に、Rさんの話法に乗っかっちゃったら、女のお淑やかさの失格者に為っちゃいますからね~。」

「ママさん、何を仰います。『付いて行けません。』じゃ無くて、『もっともっと、ダーリン、突いて~。』が、夫婦和合のコツずらい。
 <花の命>ばかりじゃ無くて、<泉の命>も、短いもんだぜや。俺あ、夫婦の経験者だぜや。少子化、励めやが、日本の緊急課題だっちゃ。国益は、日本の子作り夫婦だわね。ギャハハ。」

「ああ、またまた、純粋無垢な私は、セクハラ・オヤジの餌食に為っちゃいましたね~。また、楽しい絵を描いといて下さいよ。又、来週ね。バイバイ~。」
「あいあい、アリガトさんね。ヒップに投げキッスだいね。アハハ。」

 さてと、お日柄も好い事でもあるし、話の肴に下手絵ファイルを自転車の籠に入れて、米を買いに行って来るとしよう。

 自転車を漕いで居ると、町内のオシドリ夫婦のNちゃん夫婦が、河川敷を散歩している。足の不自由亭主殿に寄り添って、老夫婦が散歩をしている。ライトブルーの薄い空には、白銀を輝かしたアルプスの峰々が、柔らかにして薄いコントラストでゆるゆる続いている。

 体育館・県文会館辺りの散歩コースには、老夫婦のゆっくりした散歩の歩みが二、三見られる。河川敷の鉄棒、滑り台には、幼児を見守る若いママさんの姿もある。光溢れる枯れ芝の河川敷には、ツグミのチョンチョン歩きも見える。

 ロートル寄り合い所の戸を開けると、スーツを着た中年男がコーヒーを飲んで居る。市会議員選のご挨拶との事である。
 へへへ、早速、下手絵ファイルの押し見せである。今度は、珍しい。高校時代の同期生のお従兄さんである。左様でありまするか、彼も此処の常連さんであったとは、世の中は至って狭い物である。今度は、中々の強面の御隠居さんの登場である。

 春の息吹は、人を外に連れ出す物の様である。帰り道では、川面に魚影を眺める若者の姿もあった。寒冷地信州では、まだまだ春は先の事ではあるが、春の裾野を見せる外の空気は、美味い物である。


心何処ーショート へへへ、懲りずにボヤキ節。
              へへへ、懲りずにボヤキ節(2/22/11)
 日、月とNHKの大河ドラマとクローズアップ現代、ニュース9の在り様には、ほとほと嫌気が差してしまった。当世の女流脚本家の作とは云う物の、歴史ドラマを誰の言葉かも、出所、出典もお構い無しに、<漫画チックに継ぎ接ぎ>して、全くの底の浅い『学芸会ドラマ』に仕立て直して、悦に入っているのであるから、空いた口が塞がらない。

この悪ふざけ振りは、日本人共有の遺産の歴史に対する暴論・暴挙の様では無いか!!

 幾ら視聴率が取れるなどと云っても、作者の受けを狙っただけのパントマイムを遣らせられている俳優さん達が、余りにも可哀想である。面白ければ、何でも許されるのか!! 

 ★先生、先生、高視聴率で~す。笑いが止まりませんね~。この線で、ガンガン行きましょうね。大河ドラマに、エンターティメントを登場させた先生の視点は、天才の沙汰であります。

 ★ドラマは、飽く迄も空想の産物でありますから、先生、どうぞ、思う存分の歴史ファンタジーをお願いしますよ。ドラマは面白くなくては、視聴率が取れません。視聴率が、取りも直さず、支持率の現れですからね。イッヒッヒ~。

 コラッ、馬鹿野郎が、イチャ付くのも好い加減に晒し遣がれ。世の中、芸NO人ばかりの、お茶の間のテレビ番組を垂れ流して、今や、『病、膏肓に入る。』の沙汰では無いか。
 『逸物、肛門に入る。』とは、ご近所ロートルの戯け話のケッケッケのケツの穴で、一笑に付せるのではあるが、高橋秀樹の<桃太郎侍>が健在であったなら、不埒千万と一刀両断されてしまいまするぞえ。

 クローズアップ現代を見れば、結婚出来ない男女の社会的実態をレポートしているのではあるが、其処に立ち塞がる正規社員と非正規社員の経済格差の実態には、適当な大学の教授などを招いて、最後の最後で在り来たりの感想だけで終わらせて仕舞う。
 
 何を偉そうに・・・人間尊重も平等も言葉面だけに終わって居る。こんな物ぁ、真に好い加減際まり無い<お茶濁しの逃げ報道>でしかあるまい。『同一労働同一賃金の真っ当な尺度』が、罷り通らない世の中の異常さに踏み込まなくて、何のジャーナリスト、学者であろうか。

 国際競争力、富の再配分化、弱者救済などと、殊更、小難しい経済用語など使う必要もあるまい。世の中に、真っ当な尺度さえ通れば、自ずから物心両面の同心円に近い格差の小さな社会が回って行くのである。国際競争力を欣喜の御旗に<祭り立て>て、非正規雇用実態と云う弱い立場の者を創出させて、その者達を『犠牲』にして成り立つ社会など『真っ当な社会・国家』と言えようか・・・ 

 こんな幼児でさえ理解出来る『自明の理』が、作用しない社会こそが、異常なのである。

 事は、それだけでは収まって居ないのである。藤井官房副長官様は、悪しき者の権化の様な国会答弁である。『記憶はあるが、認識が無い。』との跳ね除け一辺倒なのである。

 私はスカンポ脳であるから、寝ずに一生懸命考えたのである。嘗て、田中角栄さんのロッキード疑惑で、国会に証人喚問として出席した経済界の大物達の一人に、『記憶に御座いません。』のシラ切りが居られた。

      人間のシュミレーション能力は、学習効果に依って高められる。

 筆跡鑑定を強行されてしまえば、『記憶に、御座いません。』は、如何にも拙い。拙いが、事実を認める訳には行かない。これは、お付きの弁護士さんの『窮地の言葉当て』なのではあろうが、白々しくも『認識が無い。』と来たもんだ。

 これは、『今年度の言葉』として、片付けるには、真に以って<勿体無い一句>である。記憶と認識の狭間には、一体如何なる物が、横たわって居るのか。文学・法律・哲学の領域にまで論を進めて、一人の人間考証をして観るほどの対象なのである。

 大学入試の論文試験の問題にも為るし、卒業論文の立派な研究対象としても、重量級の重さである。場合に依っては、博士論文とも為り得よう。

 私は浅学非才の身であるから、NHKのニュース9のトップ報道に、『記憶にはあるが、認識が無い。』の解説を置いて貰いたかったのではあるが、何しろ『パンダ様』であったから、天下の公共放送NHK様に、怒り心頭の自室戻りであったのである。

 それで、乱れる吾が心を落ち着けようと、悪戯描きをしていたら、その出現画と来たら・・・
        へへへ、如何し様も無い困った男の実態でありまする。

心何処・・・妄想の時間
                    妄想の時間

                  妄想の時間

 冬の中でも、珍しく過ごし易い夜である。明日は、-4℃との事ではあるが・・・ 悪戯の線を描いて居ると、とんでもない方向に行ってしまった。幾らなんでも、こんな物を投稿してしまったら、通報されてしまう。

 然りとて、丸めてゴミ箱に捨ててしまうのでは、芸が無さ過ぎる。人生とは、修正、誤魔化しの連続なのであるからして、此処は一発、知恵を絞るしか無いのである。『快刀乱麻』とは当然行かぬが、知恵を絞るのが、妄想の遊び心と云うものであろう。ギャハハ!!

 まぁ、悪くは無い処であろう。他人様が、如何見て、感じて、想像するも、他人様の100%の勝手である。

心何処ーショート へへへ、声の出所も色々。
            へへへ、声の出場所も、色々。(2/21/11)
 おやおや、老母様は、体調不良のご様子である。パジャマの上に半纏を着られての朝食である。本日は、国会中継がある。自民党の稲田、平沼先生のキツイ質問に悪乗りして、コタツ亀の突っ込みをして、ギャハハのお時間である。

 これぞ、生劇場であるから、変わり映えのしないテレビ番組より、余程の脳味噌の活性化が出来ると云う物である。

 お昼の中断で、温いコタツ亀を脱する。小鳥の世話が、すっかり後回しに為って仕舞い、ブーイングの沙汰である。上天気であるから、廊下に鳥籠を移動である。独鈷の餌台は、リンゴスライスの微塵切りは、物の見事に食べ尽くされている。練り餌の方も、大分食べられている。リンゴを微塵切りにして、補充して置く。

 老母様はテレビを消して、ヨロヨロとベットに潜り込む処である。
「如何する、障子を閉めて遣ろうか?」
「いや、明けて置いて。」 との事である。左様であるか、日差し溢れる眺めも、気持ちの好い物である。休養のまどろみに、日差しの頬笑みは、何かと宜しかろう。へへへ。

 昨日の夕方散歩は、寒くて仕方がなかった。寒の戻りで余りの寒さに、堪らずにコースを変えて、体育館・県文会館の階段の上り下りをして、体温を上げて来た次第である。本日は、天気予報通りの暖かい外日和のお天気さんである。

 国会中継前のラジオビタミンでは、<白鳥の北帰行>の話もあった処でもある。本日の駄文打ちの前に、色白吟さんの為に、通い綴りの続きを印刷して、綴りに加えて置く事に致しまするかな。

 何はともあれ、私には稀少・貴重な読者様である。稀少・貴重な御方に、凡人はエチケットを惜しんでは為らないのである。ギャハハ。

 午後の国会中継は、実に面白い。藤井副長官との問答が、面白い。片や、知って居て飽く迄、シラを押し通す。片や、挙証責任は質問者の負担である処の国政調査権の行使である。民事と刑事の違いであるから、現実の政治の世界は、真相解明には時間を要する物なのであろう。証人喚問では無いから、テレビ中継で放映される質問と答弁の内容である。

 テレビ、ラジオを見たり聞いている一般聴衆からすると、一人一人の『自由心証主義』で中継を愉しむしか手立ては無いのである。質問者の努力を可として、確りと記憶に留めて置くのが、真っ当な視聴者の態度と云うべきであろう。

 老政治家の言葉の使用法は、真に短句であって、短かな言葉の中に、渦中の政治家の現在の立場と政治家個人の性格が、込められて居る様に見受けられる。好い悪いは別にして、言葉に対する捉え方には、明らかなる『世代断層』が横たわっている。言葉の軽さと重さとを比較する上で、好対象の物である。

 ラジオは映像が無いから、面白い感想をもたらせてくれる物である。『秘密は、墓場まで』なんて言葉に、大きく頷いて育って来たのが、団塊世代の端くれである。
 短句の発言を繰り返す老政治家の声は、腹の底から聞こえて来る『覚悟の言葉』の様に聞こえる。一方、立て板に水の言葉の速射砲を連射する議員さん、大臣さん達は、多弁の息継ぎ方法なのであろうか、口から発せられている声の様に聞こえて来る。

 如何やら、人間にとって言葉も、食物の様な物であり、腹でじっくりとこなしてから発しないと、消化不良の軽い一過性の垂れ流しと為って仕舞う性質の物なのかも知れない。
 そう云えば、声楽家とか舞台役者さん達の発声練習は、横隔膜を鍛えて、腹の中から発声するのだと、聞いた事がある。

 声の出場所に依って、言葉の信憑性を占う下衆目線も必要な嗜みの一つかも知れない。ギャハハ!! 

 尤も、選挙民である処の有権者の自由心証主義の結果が、選挙の判断、投票行動と収斂されて、結果に結実しなければ民主主義の真っ当さには直結しないのであるから、古のプラトン先生も、頭を悩ます結果なのであろう。

 さてと、訳の分からない駄文日誌は、この位にして、外の新鮮な空気を吸いに行って参りましょうかね。家に居たんでは、真に勿体無いお天気さんである。


心何処ーショート 休日のお遊び 
                  休日のお遊び(2/20/11)
 本日は、暖かい日に為るとの事であった。為るほど、朝の日差しは好調、その物である。日曜日でもあるし、枕元のラジオで政党討論会を聞きながら、母の動きを待つ事にする。石破さんの凄みのある言葉に対して、玄葉さんの何と軽さであることか・・・

 ああ云えばこう云うの多弁過ぎる説明は、如才ない能吏・社長秘書の様な感じを受けるが、国政を与かる政治家の言葉としては、何故か?? 琴線に触れて来ないのである。彼も、松下政経塾の出身である。彼等の能弁振りは、政治家と云うよりも大学で講義をして居た方が、その能力を発揮出来るのでは無いだろうか。

 遊んでばかり居たガッタ坊主上がりの生い立ちの私には、多弁型のソツの無さは、どうもムズ痒い。明らかに、『苦手の口』である。我々の頃の学校時代は、民主主義カブレの教師の口癖の中には、<自己表現の出来ない国民性が、軍国主義を許した。>なんてお説教が、幅を利かせて居た物である。

 そんな当時の教師からすると、玄葉さんは、優等生中の優等生なのであろう。へへへ。

 民主党の議員さん達の中には、松下政経塾出身者の先生方が、権力の中枢に居らっしゃる。これだけ知識と弁舌が爽やかながら、外交が弱過ぎる。如何も、得心が行かない処である。多弁でスマート過ぎる話法は、人を束ねたり、交渉相手を圧倒する程の押しの強さとは、質が違う物らしい。

 お互いの意志を通じ合わせる有効な手段として、言葉が存在するのは、自明の理である。意を尽くして、言葉で表現して相手を説得するのが、言葉上の理性でありルールである。 

 然しながら、所詮は言葉での表現は、全てでは無く、意志の一手段であろう。相手に依っては、メガトン級の突っぱねる押しの強さも、表現の一つであり抑止力と為るのであろう。

 朝食後の時間を、テレビとのお付き合いをして居ると、何やら日が陰って来た。天気予報とは違って、ブラブラ日光浴の散歩日和とは行かなそうである。
 
 まぁ、休息日の日曜日なのであるから、気の向かない時は、サボるのも好しである。散歩サボリの時間を、昨日に引き続いて、お絵描きのお時間とすべしである。

 絵を描くと言っても、適当描きの授業中の悪戯描きでしか無いのではあるが・・・
私は行儀の悪い性質で、授業中の半分位は、教室の仲間観察をしたり、悪戯描きをしたり、コックリさんをしていたものである。決して、不真面目な男では無いのであるが、気が付くと、そんな事をして居たのであるから、病気の一つだったのかも知れない。

 そんな事で、野放しにして置くと、周囲に示しが付かなかったのであろうか、学校でも会社でも、司会役を遣らされていた物である。葬式でも、コックリさんを仕出かしてしまうので、好くお隣さんからは、肘打ちを喰らっていた物である。
 
 観察を趣味としている私の経験からすると、これは私に限った事でも無く、大半の者がする行為なのではあるが、如何やら、私は目立つ存在だったのだろうか???
 斯様にして、他人の目と云う物は、大々にして不平等な物なのである。ギャハハ。

 さて、本日の一枚でありまする。題して、<閉塞、見得ぬ時代>でありまする。どれもこれも、ワイシャツとネクタイをきちんと結んでは居りまするが、『遮断』と云う眼鏡を自分に掛けて、本来据わって居なければならない、顔達が変な所から覗いて居りまする。これが、閉塞の本質かも知れませぬ。イッヒッヒ!!


                  閉塞・見えぬ時代
                 
                  閉塞、見得ぬ時代_001


心何処・・・五万H御礼
                   五万H御礼

                 五万、御礼。


 ブログ樹海の辺境、マンネリ長駄文の賄い夫日記も、五万の訪問者数を記録致しました。これも、ひとえに皆様の温かいお心遣いと感謝致して居りまする。拙くも硬い文章だけのブログ日誌も、今では、すっかり生活の一部と相成りました。これからも、中指に全てを託して、日々の行進をして参りますので、これからも、宜しくお願い申し上げまする。

                感謝感謝でありまする。

心何処ーショート 世は、過保護スパイラルか・・・
            世は、過保護スパイラルか・・・(2/19/11)
 昨日は寒い散歩の途中で、共産党の宣伝カーの拡声器で思い出した。折角、党員さんが雪の中、二人でチラシ配りに来てくれたのである。日々、有り余る時間である。忘れ無かったら、義理で拝聴に行こうと思ったのであった。

     へへへ、これも、何かのご縁であろう。行くと致しまするかな。

 講演会は、18:30からとの事である。早めの夕食を済ませて、毛糸の帽子を深々と被って県民会館に歩く。寒々とした夜空には、満月の月が、煌々と浮かんで居た。

 暖房の効いた会場は、流石に共産党の動員数である。ほぼ満席に近い。会場の雰囲気を観察する為に、最後部の座席に付く。

 市会議員さん達の立候補挨拶に続き、参議院議員の紙智子女史の議員報告と為る。流石に、市会議員さんと国会議員さんとでは、存在感が違う。確り、拝聴して行か無ければ失礼に当たる。

 場馴れした立て板に水の、聞き取り易い、ハッキリした口調の整然とした話法である。

 流石に『組織』と『教宣活動』で鳴らす党風であるから、市会議員さん達同様の重複する社会現状、政治現状への切り口である。持ち時間の長短に依る内容への時間振りと話の洗練さの高低の違いのあるのは、当然の事ではあるが、大した物である。

 命と平和を守る党であるそうな。社会保障とTPP問題に、多くの時間が割かれて居た。私は党員でもシンパでも無いから、迎合拍手も出来ない処であるから、第三者の態度として、拍手は送る事は出来なかった。一人だけ拍手を送らない私の態度は、芳しく無い物である。

 まぁ、これも個人の自由の作法なのであるから、許されたく思う次第である。へへへ。

 経済的・社会的弱者への手当は必要ではあるが、日本の世の中は、豊かさと共に家庭の過保護化が社会に蔓延して、家庭での過保護化を助長させて、再び社会への過保護化をもたらせている様な、デフレ・スパイラルの様な過保護スパイラルを呈している様な『錯覚』を見て終う気がしてしまうのは、果たして私だけなのだろうか・・・

 毛無し、金無し、女無し。止めの甲斐性無しのロートル賄い夫の私は、立派な経済的・社会的弱者の一員である。一見、お説尤もの拍手喝采が出来ないと云うのは、余程、私は臍曲がりの性格なのだろうか???

 余りにも、情緒的に流れ過ぎる経済社会への物見だけでは、地方政治も国政政治も、立ち行く筈が無かろう。弱者サイドの情緒的政治不満だけで、政治が語られては拙い風潮では無かろうか? 政党政治の組織官僚的な異口同音の政治信念・主張ばかりでは、面白みと政治家個人の色合いが伝わって来ない・・・そんな感想であった。

 本日の収穫物は、『過保護スパイラル』の国家の衰退風景を見た処だろうか。
 
 昼の時間に、母の部屋を廊下から覗くと、母は、<徹子の部屋>を見て居た。三浦友和・山口百恵夫妻の三男さんが、ゲストであった。二世議員、二世役者・タレントの全てに罵詈雑言を吐き散らす思いは、更々無いのではあるが・・・

 一般庶民の中から、秀でた物を持った才能が、時と運の下で、切磋琢磨して、才能を磨いて、才を発揮するのが芸能界と云う物である。
 現象としては、トンビの中から、鷹が出現するのである。トンビが鷹を産むのであるから、真に稀有な存在なのである。

 従って、衣替えした鷹が、百発百中の確率で、鷹を産む事が叶わないのが、この世の確率の為せる『真理』なのである。親鷹の<心理>は理解出来るが、踏み止まるのが、親の『戒め』であろう。

 芸能界で生きて来た親は、この事を骨身に沁みて明記して居る筈なのであるが・・・ 大体の親は、職業の自由と本人の気持ちに押し切られて、『玉と石の見立て』を間違って仕舞う事の方が多過ぎる。最終的には、人生は、その個人の物であるから、本人が選択すべき物である。
 
 然しながら、親は子供に対して、観察者であり引導者でもある。自分の子が、玉なのか、石なのかの怜悧な見極めの無い処に、私は首を傾げるしか他ないのが、現代の風潮の様に見えて終うのである。

 一般大衆から、お足を頂いて、芸能活動をして行くのが、芸能人の生活手段なのである。芸能界は、庶民に『華』を提供してお足を稼ぐのである。
 明らかに、魅力を感じさせない二世達に、映画・ドラマ・歌を占拠されてしまったら、その安易な垂れ流しを見せられる方としては、<好い加減にし遣がれ。公私の常識も持ち合わせて居ないとは、何事ぞ!!>の悪態の一つも演じて終う物である。

 市川歌右衛門→北大路欣也、坂東妻三郎→田村高広・正和・亮、近衛十四朗→松方弘樹・目黒祐樹、船越英二→船越栄一郎、三国連太郎→佐藤浩市、宍戸錠→宍戸開・・・
 
 芸能界広しと云えども、役者として観賞するに値する鷹が鷹を産んで、世に送り出している確率は、稀少中の稀少の世界なのである。
 個人的な親馬鹿は、ブラペートの中で、お遣り頂いた方が、宜しいのである。度が過ぎると、これまた、『過保護のスパイラル』で、社会から<バイタリティーを衰退させる愚>でしかあるまい。

 一歩、外へ踏み出しさえすれば、何かを見る事も感じる事も出来る。それにしても、寒気が先立つ夜空に、煌々たる満月の白さだけが浮き立つ。厚手のジャンバーのポケットに手袋の手を突っ込んで、足早に帰る家路であった。

 明けて、本日土曜日である。Tのお誘い電話が来る前に、デフレスパイラルばかりが、吹聴される世ではあるが、社会風潮の中に巣づ喰う過保護スパイラルに陥っている日本社会へのメモ書きを認めて居ると、斜向かい色白吟さんの訪問を受けて終った。

 Tのお迎えの車が姿を現す迄、ご意見を拝聴する。Tの車に乗って、コーヒースタバである。昨日の寒さと打って変っての太陽溢れる上お天気さんである。

 以上活字で打ち上げた内容を、口語体のヤクザもどきのトークで、ロートル・コーヒータイムとして来た次第である。
 へへへ、些か喋り過ぎて、スカンポ脳は、酸欠状態でありまする。昼寝をしてから、散歩に行って参りましょうかね。


心何処ーショート テレビとのお付き合い
                 テレビとのお付き合い(2/18/11)
 昨日・今日と、好いテレビを見た。船越栄一郎のコミカルタッチの『ホンボシ』に続いて、田村正和の『国選弁護人』 YouTubeでは、sengoku38の一色正春氏の外国記者クラブでの講演・記者会見の模様を見て、感心すると同時に、拍手を贈った処である。

 そして本日は奈良大仏殿の襖絵制作のドキュメンタリーである。一色さんも、老画家さんも、船越栄一郎、田村正和以上の実在感溢れる魅力的な顔と表情であった。丸で、一遍のドラマを見ている様な、観賞に値する人間の『存在感の確かさ』であった。

 演技上の存在感と生身の人間の存在感とは、別次元の物には違い無いが、何と言っても、現実の存在感の静かさと深みには、敵わない物がある。壮と老の好い味わいが在った。

 老画家の顔の第一印象は、ピカソの晩年の顔にそっくりだと思った次第である。桜と蓮の屏風絵は、制作に3年余を費やしたとの事である。

 私の屏風絵に対する感想と云えば、精々が時代劇でお目に掛る域から、一歩も脱して居ない物である。絢爛豪華の安土桃山文化から発して江戸時代の加納一派が画く処の、デフォルメの先掛けとも云える一点豪華的な虎図、鷲図、鳥図、松図の刷り込みでしか無い。

 そんな文化の刷り込みの中から、安定のお江戸の時代には、庶民の絵画の浮世絵は、図柄のデフォルメを一気に開花させて、美人画、役者画へと進んだのでは無かろうかと・・・素人の妄想を働かせているのではあるが・・・

 私は、そんな妄想を抱いているから、時の戦に忙しい時の権力者の信長、秀吉の城造りの性急さの中での、屏風絵としては、一点豪華図の形式を持ち込まなければ、時の権力者の意向に沿う事が出来なかったのでは無いかと、妄想をして居るのである。

 現在の家の建築にしても、所謂内装は、一番最後の工程である。外部・内部が完成されて、その空間の中に、どの様な絵画空間を作り出すかは、外部・内部の造りからの調和が求められるのである。
 襖と云う無垢の空間に、何かと短兵急な性格を有する時の権力者の管理下で、大壁画とも云うべき大絵画を描くのであるから、一気化成の仕事が求められる筈であろう。

 秀吉の一夜城にしても、そのカラクリは、部組の為せる業である。人員を大量に投入させて、分割した部分・部分を同時進行させて、一気に部品を繋ぐ方式である。
 従って、雑駁な心理の推理を働かせば、細部に亘る緻密な絵画の登場する過程は無かろう。一点豪華なべた塗りの絵画法に依って、多くの職人達が、突貫作業で描き上げるしかあるまい。

 従って、絵画集団としての狩野一派が職能集団として登場して来るのだと思う処なのである。浮世絵とて、絵師・彫師・擦り師から為る職能集団から生まれた大量生産に依る絵画の庶民化と云って好かろう。

 老画家は、3年余を費やして、浮き出る様な桜の大襖絵を描き、蓮の襖絵を一人で完成させた。桜の花弁一枚一枚に何度も、色を重ねる根気と辛抱の制作過程である。それは、仏教の生きとし生ける衆生の世界を、中間色の浮かび上がる様な世界を映し出している。

 これは、仏教的に退いて見ると、地球を構成する一つ一つが命を持っているからこそ、全体が一つとして浮き立つ世界観を、現わして居るかの様な協調・慈愛の世界へと導いて居る感じすらして来る。

 一方、蓮の花々は個別に観れば、其々が一本一本個性的に描かれている。詰まりは、生きる個の努力と云った世界観を、現わして居る様に見える。

 無信心の私には、仏教も宗教の知識も無いのであるが、何故か、全体と個の協調、共存の奥にある悟りとか慈愛が、仏教の教えである事を、伝えている様に思えるのである。

 こんな感想を母に話しながら、

「婆さん、此処が、この先生と<芸術は、爆発だ>の岡本太郎さんの違いかも知れんよ。この先生の顔は、正しく老境のピカソさんの顔だ。穏やかさ、静かさの目の据わりと、眼光の鋭さは、きっと芸術を極める事に一生を打ち込んだ人の実在の確かさを、実証しているね。惚れ惚れとする先生の全体像だわね。
 それに引き換え、下らないオバさんが、言っても言わなくても良い、感想を喰っちゃべっているわな。在り来たりの習い音階を繋げただけのアンタの音楽なんざぁ、タカが知れてまするわね。イッヒッヒ~。さぁて、風呂が沸いたから、男を磨いて来るわいね。」

 ジャンバーを着て、自転車に乗る。麓は、融雪の雨であったが、山には薄らと雪の等高線が画かれている。お天気さんは、寒の戻りとの事である。新鮮な鰤のアラに目が止まって、二パック買い求めて、鰤大根を作る事にした。ついでに煮込み料理であるから、モツ煮もすべしである。
 昼は、手抜きのハムに野菜サラダを入れて、食パンとする。偶には、婆さんも、毛色の変わったサンドイッチの毛唐食も好かろう。へへへ。

 折角、風呂に入って髭を剃り、JRを念入りに石鹸洗いをして来たのではあるが、本日は目の保養の対象は無しであった。まぁ、これも仕方無しの日常である。

心何処ーショート ラジオとの会話
                  ラジオとの会話(2/17/11)
 雪の滴りが有るのだから、然程寒くは無いのだろう。曇天の風であるから、体感温度が寒く感じる。独鈷の中に入れて置いたリンゴの微塵切りが、全て食べられ、練り餌の方も、半分位食べてある。

 昨日は、暖かい日差しの中で、メジロ夫婦が、せっせと餌を啄みに来ていた。庭の雪の中に、ポツンと置かれた餌置きである。野鳥達には、テリトリー内の見慣れたスペースにしか過ぎまい。雀達は、飼い鳥の餌吹き場に遣って来て、お零れの粒餌を漁りに遣って来る。

 彼等には彼等の日常行動としての巡回行動がある。その中の一つで、庭に姿を現すまでの事であろう。

 そんな彼等ではあるが、餌入れの私の思惑とは遠く、中々にして食べに来ないのである。雪に閉ざされてしまえば、何かと寒くヒモジイに違いあるまいと、食べ易く、リンゴスライスの微塵切りをしたり、砂糖たっぷりの練り餌をセットして置くのだが・・・

 人間の私が諦めた頃、遣って来て啄んでいるのである。それは、野生界で暮らす習性上の『警戒心』と呼んで好かろう。

 本日は、お天気の具合か、久し振りに腰が痛む。買い物に行って来なければ為らない処ではあるが、残り物の整理で済ます事にして、身体が重い時は、ボチボチ遣るしかあるまい。

 ニュースでは、民主化運動が地中海アフリカから中東に飛び火して、大変な騒ぎを呈しているそうな。大戦後の西欧列強国の植民地からの独立から数えて、半世紀である。独立後の施政には、軍が権力を握るのは、一般的傾向である。

 この動きを韓国の近現代史と比較して見ると、成程と歴史を準る事が出来る。清国の属国から、独立→日韓併合→日本敗戦・独立→軍事クーデター→軍政政治→民生政治の現在。下関条約から数えて、116年である。この歴史のスパンにも、人間(施政者・民衆)の習性上の『警戒心』の様な物が、見え隠れしている。

 時代の速度は加速度を増しては居る物の、そう簡単には、平民社会の民主主義が、その国に根付くまでには、100年前後の月日を要すると云った処が、常識なのでは無いだろうか。

 鉄のカーテン、竹のカーテン、コーランのカーテン、カーストのカーテンと、世界には他国から見ると、色んなカーテンのフィルターが掛って居るのであろう。
 民主化の嵐は、兎角、カーテン国には、喉元に当てられたナイフの様な物である。コーランの先には、カーストの、その先には、竹があり鉄が続いている。中国では、鉄道省トップの賄賂が報じられていた。これは、ガス抜き策なのか、嵐の予兆なのか・・・日本のマスコミは、小さく報じただけである。

 一説には、共産国はオリンピックは両刃の剣とも呼ばれているそうである。経済振興の晴れやかな国際舞台と同時に、自由化の波が殺到して、国民、民衆が自国体制との比較をして仕舞う事で、民主化の引き金とも位置付けられている様である。ソ連が崩壊して、オリンピック、万博を成し遂げた多民族国家中国の内情は、想像するだけで、大変な内部マグマが燃え盛っているのでは無いだろうか。

       勇気あるマスコミ映像と、その解説を聞きたい物である。

 人間は、ややもすると『自分の国の現在』からの物の見方で、感情的な感想を持って仕舞う物である。その少なからぬ、そんな『色眼鏡の思い込み』を修正する為には、茫漠たる歴史のウネリの過程の様な物を、頭の片隅に置かずば為るまい。

 有難い事に、各種のカーテンを除去する世界共通の方法として、『勉学の薦め』がある。日本だって、<封建のカーテン>を押し開いた裾野には、教育の機会均等化と教育への充実化があったのである。
 教育機関が拡充してくれば、義務教育・高校教育・大学教育と、其々の過程で、単位取得の為の其れなりの学力テストが実地される。当然に、試験が有れば生徒は、勉強せざるを得ない生き物なのである。

 一般的に言えば、早々は勉強好きの人間など少数派でしかあるまい。勉強好きな少数派は、放って置いても勉強をする物である。
 一方、勉強嫌いな人間でも、学生と名の付いて居た時は、少なからずの勉強を余儀なくされていた事実があるのである。その知識の残滓が脳味噌の皺の一部と為って居る筈なのである。

 従って、皺の一つとして皺数を作って居た時期を思い出して、自分で反芻をして見れば、世の中には<そぅじゃ~、あるめい。>の下衆のツッコミが、生じて来る物であろう。

<ナニョこいて、馬鹿こいちゃ、行けねぇや。そぅじゃあるめぃ。俺ぁ、騙されねぇぞ。>と、口に出して、悪態を扱き始めると、世の中は、圧倒的に戯けと下衆根性の持ち主で構成されて居るのであるから、一気に、落語長屋の熊さん、八っつぁん、ご隠居さんが、俺にも云わせろ言わせろと、腕捲りをして来るのである。へへへ。

 そうでもしないと、テレビ・ラジオの識者・専門家・歴史学者の一方的な知識に、洗脳されて仕舞うだけである。そんな事では、ご町内・ご近所の物知りさんと云われる御仁達の様に、新聞・雑誌・テレビの見出しゴジック活字の読み齧り、聞き齧り、見齧りの何の事は無い自分自身の感想すら無い『空疎な記憶見せ』だけで終わって仕舞う。

 人間が戯け話、呆け話、寄り合い話をするのであるから、それらの耳齧り、目齧りの話題を、縦糸、横糸に自分の色を織り込んで見せてくれなければ、面白くも無かろう。
 日本全国、マスコミさんの垂れ流す金太郎飴の様なテロップを以って、踏ん反り返って社会批評していても、個性の光は見えない処である。そんな話に現を抜かして居るよりも、風で捲られる女子高生の太腿に涎を垂らして居る方が、余程好いのである。

 民主化要求のアラブの熱い風は、世界の穀倉地での不作と原油高に影響して、投機筋を刺激して、農産物の高騰を更新して居るそうである。PTT加入に舵を切った菅政権ではあるが、コーヒー、小麦、コーン、乳製品の高騰をもたらし始めているとの事である。

 後進国の経済国入りで、世界の食料は食糧安保の買い漁り競争が始まっているそうな。何事も、軽いフレーズのぶち上げだけで、底の浅さを暴露しく捲っている民主党政権である。この儘、形振り構わずにつっ走るか、天の下した冷却期間と考えて、知恵を絞る絶好の機会と捉えるか・・・ 政治家達の実力が試される処であろう。


心何処ーショート 馬鹿とユニークは、紙一重。
              馬鹿とユニークは、紙一重。(2/16/11)
 昨日の事である。部屋でPCに文字を綴って居ると、誰か来た様な、来無い様な・・・
 斜向かいさんなら、勝手に部屋のドアを開けるのであるから、それも好し。他人なら、コンニチワか、ゴメンクダサイの声を出すのだろうから、それで好かろう。
 
 そうこうして居ると、母の部屋の方から誰かの声がする。台所、廊下と声がして、弟でも来たのであろう。ドアが開いて、「あれ、オヤジ居たのか。」と倅が顔を出した。

 おやおや、玄関には倅夫婦の靴がある。母の部屋に行くと、母の姿が無い。風呂の方の洗面所に居るとの事である。話を聞くと、インフルエンザに罹って、今日まで『出勤停止』との事である。嫁さんが、<遅れたけど、バレンタインのチョコレートの替わり。>とお菓子の持って来て呉れたとの事。

「そうかい。医学の進歩でインフルエンザは、出勤停止の沙汰かね。有難いマスコミさんの力だね。俺達の頃は気構えと根性の時代だったから、肩身が狭かったけどな。」
「そうだよ。俺も学校時代は、家庭が封建的だったからね。アハハ。」

 お茶を飲みながら、予定日4/1と云う男子誕生に向けて、倅は大事を取って自らアパートで隔離生活をしていたとの事である。嫁さんは、食事を運んで居たらしい。

「まぁ、しゃ無いわな。それが男女の仲だからな。俺ん処も、来なくても良いと云うのに、○子が勤め抜けて食事掛りに来て居たもんな。好きで一緒に為ったんだから、好い光景だわさ。好かったねぇ。モテルDNAを受け継いで。」

「そうそう、まぁ、そう云う事。」

「そうか、あれだな。お前へのラブレターじゃないけど、親が最初に子供に、プレゼントするのが名前だから、そろそろ考え為くちゃな。」

「お父さん、もう、出来てるんですよ。お父さんの教育が、立派に行き届いて居て。」
「そうだよ。もう、名前は考えたよ。『凌祐』って名前さ。リョウスケさ。」
「ああ、そう。センスあるじゃないか。やっぱり、俺の子だわ。ふ~ん、中々、個性的な文字の並びと語感があるな。合格点だな。」

「サンキュー。うん、好く俺の名前の由来は、子供の時からオヤジに聞かされていたし、『困った二人』の文章も、大事に取ってあるからさ。オヤジからの文章は、三通、大事にしてるからね。
 それに感化されているから、結婚した時から考えて居たのさ。でも、男の名前だから、女が生まれたら、如何し様と悩んでたけど、タマが写って居て、本当に、ホッとしたわ。」

「アハハ、婆さん、聞いたかや。俺もさ。男兄弟だけで育っているから、うちの家系は男だけと、信じ込んで居てさ。○の時も、生まれる前から、名前を決めて居てさ。○子も、几帳面な女だから、産着に刺繍しててさ。
 それが、晴天の霹靂。女が生まれたから、直ぐ女の名前を考えろって、電話が来てさ。俺は、うろたえちゃったわね。男が女の名前を考えるとさ。
 何かと、名前以前に、名前を持った実物が顔を出しちゃうもんでさ。そんな名前を付けたら、女房様に申し訳が立たんのが、男の純情ださ。分かる分かる。男で好かったじゃないか。これも、DNAの内かね。へへへ。」

 吾が家は、天下御免の正々堂々たる『別居生活』ではあるが、家族の会話は、多かった。そんな中での倅であるから、倅も、マイペースで思った事を、好く喋る。
 親子と云えども、其々に性格の違いが有るから、話の色も其れなりの物が有る。お互い、小心者でプレッシャーに弱い性質である。然しながら、自分の性質を自覚して、その対処方の違いが、戯け観察者の目からすると、実に面白いのである。

 私は、プレッシャーの弱さを、考えると<思案の捕り子>に為るから、気分だけは正常域に置いておく為に、目前の宿題から逃避して出た処勝負の成り行き任せの形で修正している。
 一方、倅は、プレッシャー逃れに、猪突猛進して、丸暗記をして仕舞う程に執心して仕舞う性向を持っているらしい。

 まぁ、これも『自問自答の自己観察』から体得した自己処方箋の服用なのであるからして、私がとやかく言う筋合いの物では無いのである。

 娘は思春期には、私を毛嫌いして居たのではあるが、自分の中に眠るDNAの存在に気付いたらしく、過敏過ぎる程の神経の束を、『世の中、他人同士の思惑・心・感情の絡まり摸様。為る様にしか為らない。』それ為らば、上・中・下のABC話法を身に付けて、等間隔で生きるが、吾が生き方と悟りを持ったらしい。

 棘の無く為った娘は、マイペースで、これまた面白い処なのである。この頃は、『しょうが無いワ。オヤジの子だからね。』の一言で笑われて仕舞うだけである。それでも、神経の棘を、のほほんのオブラートに包み込む術を覚えた娘の自己鍛錬の努力を、私は佳しとほくそ笑む処にして、エールを送って居る次第なのである。

「本当に、○さんも、★ちゃんも、お父さんに好く似ているもの。この前、お母さんと、一緒に食事に行って来たんだけど、お母さん言ってましたよ。
<○さん、結婚式、本当に楽しかった見たいよ。好く笑って、話して居たもの。あんな上機嫌な○さん、珍しいもの。好い結婚式だった。>って、言ってましたよ。仲が好いんですね。」

「そうかね。まぁ、人生ってヤツは、そんなもんずらい。へへへ。生意気女房様は、そんな事を言ってたかい。アリガトさんよ。
 男と女が好き合って、一緒に暮らすんだ。人生は、儘為らなくて、山あり川あり、途中で一休みの湖ありだわさ。
 でも、根っこに好きだの気持ちさえ流れて居れば、一緒に住もうが、分かれて住もうが、如何って事は無いわさ。顔を見て話せば、何にも変わって居ない女房殿が、目の前に居るって感想だわね。
 世の中、マスコミ、トレンド・ドラマに飼い慣らされて、肉食系女と草食系男の訳の分からん装飾・アクセサリーのご時世で、兎角、ギャーギャー言う馬鹿が多過ぎるんだろう。
 そんな低能児は、無視するのが、<長生きのコツ>だわさ。ギャハハ。」

「出ましたね。お父さん。アガタ節!! 拍手拍手。お父さんの言い付けを守って、子供が歩けるようになったら、此処で鍛えて貰いますから。」

「ああ、好いよ。望む処だわね。オシメの取り換えは嫌だから、言葉が理解出来る様に為ったら、此処に置いて行けや。観察して、男教育して遣るわね。餓鬼をひっ叩くのは、教育的指導で面白いからね。ギャハハ。
 俺ぁ、若返ちゃうぜや。自慢じゃないけど、ロシアのシングルママさんの幼女も、俺様にお仕置きを喰らって、泣いて居たぜや。逸物も、教育方法も、俺ぁ、世界規格のISO取得者だいな。イッヒッヒ!!」

「オヤジに掛ったら、相手が悪過ぎるから、文句も言え無くて、笑ちゃうしか無いからな。親の顔、見せろって言っても。俺は、父ちゃん子、婆ちゃん子だったから、居心地が好過ぎるから、如何し様も無いしさ。困ったファミリーだね。お婆ちゃん。アハハ。」

 女房の処に回ると云う倅夫婦に、女房様へのゴマスリに沢庵漬け一本を持たせて、縷々述べたオフレコ罵詈雑言の後始末をして置いてくれと懇願して、車を見送った次第である。

   世に言う処の、馬鹿とユニークは、紙一重の差を実感して居る次第である。

 さてさて、無事、本日分の創作日記も打ち終えた事でもあるし、柔らかな陽光の下で、散歩運動に繰り出すと致しましょうかね。本日も、長駄文の館にお越し下さって、感謝感謝でありまする。


心何処ーショート 大雪に、呆け一席。
                大雪に、呆け一席(2/15/11)
 いやはや、お見事と云うより他は無い。朝飯前に、雪掻き出動である。夜更かし人間であるから、降り頻る雪に、今日は雪掻きからと観念して居たから、冬のお天気さんには、従順な諦めである。

 積雪量など、恐れるに足りず。この時期の雪であるから、通りの雪など昼に為れば、通勤の車でシャーベットに為って、あれよあれよと濡れたアスファルト道が復活すると云うだけである。
 庭の南天の雪払い、サツキの雪除けが肝要である。雪を払い除けて、白一色の中に、緑がお目見えするのは、矢張り気持ちの好い物である。地表を深々とした雪に覆われて、一番困るのは野鳥達である。

 昨日は午後からの雪であったから、練り餌にリンゴのミジン切りを添えて、独鈷のオブジェにセットして、雪囲いをして置いたのであるが、殆ど変化無しの摸様であった。
 昨日、四畳半に居る時に、フェンスにジョービタキのバルディナさんが、羽毛を膨らませて姿見せに来たのである。雪と羽毛の膨らみが気に掛って、虫を食性とする彼女に食事をプレゼントしようと思い立って、お節介を思い立った次第なのである。

 これを称して、<モテぬ男の深情け>と云うのではあるが、近年益々、女族の嗜好・思考回路から、男族の情けを汲み取る視神経が衰退して居る結果が、先進国の世界共通の結果の様である。

 子供手当以前の嗜好・思考回路の変革が、叫ばれて良い筈なのではあるが、何処かピント外れのバラマキ施策にしか見えないのは、モテぬ男の僻(ひが)み根性なのだろうか???

 昼を過ぎて、漸くの雪上りの青空が広がって来た。通りでは、斜向かい吟さんが、屋根から落下する雪の片付けに、精を出して居られる。お向かいさんでは、二階のベランダから、ご主人が屋根の雪落としをして居られる。斯様にして中々に、男族は、小まめである。

  通い綴りの先を印刷して置いたから、それを持って冷やかしに行って来る。

「やいやい、この前の処に、珍しく馬鹿女のデビ夫人が出て居て、俺もあの女が、大嫌いでさ。あんなのが、何で公共の電波に乗らなきゃ為らねぇんだ。向かっ腹が立つから、直ぐチャンネル変えちゃったけどさ。糞ったれが。はっ倒してくれっか。」

「<粗暴犯>は歳の効だぜ、止めてさね。此処は一発<愉快犯>で行くじゃんかい。相手は畏れ多くも、『見せたくて、見せたくて』ウズウズしている『露出狂さん』だぜ、頬被りのヒョットコのお面被ってさね、フン捕まえて、肩に担いで来てさね、身包み剥いで路上展示させちゃうじゃねぇかい。
『私を誰だと思ってるの、社交界の仇花・デビ夫人よ。下郎、下がり居ろう。』なんて、騒がれたら近所迷惑だぜせ、猿ぐつわ噛まして、此処ん所にせ、両手足をトラロープで括ってさね。大開脚の、大の字に晒してさね。屋根から滑り落ちる雪で、頭冷やして遣るじゃねぇかい。」

「<ズルズル、ドシャ。ギャ~。>ってかい。そりぁ、傑作だいな。目瞑らなくても、活き活きと見えちゃうぜや。流石、妄想の大先生だわな。ヒヒヒ。オオ、目玉ひん剥いて、怒ってるわ。ヒヒヒ。
 昨日は黄門様の日だったから、天下の御威光の三つ葉葵の後だから、何十カラットの利権ダイヤの指輪も、関係ねぇずらよ。
 狭いながらも、此処だって立派な天下の公道だわね。あんな利権ダイヤの御威光で、雪を溶かして蒸発させる御利益なんざぁ無ぇずらよ。それこさぁ、悶え怒ったって、ケッケッケのケツの穴ってなモンだわね。」

「やいやい、久し振りに、ケツの穴の登場かいね。何か、目付きが爛々と輝いて、涎垂らしてるじゃねぇかい? 俺ぁ、寝た子を起こしちゃったかいね。ギャハハ!!
 そうか~。それで、一つ疑問がふっ飛んだ。虎の穴の伊達直人が、ヒーローに為っちゃってるから、マダム・デビはジェラシーの炎をメラメラ燃やし続けて居たって事か。

    虎の穴に対抗するには、女の武器・ケツの穴って事だったのかい。
 
 やぁ~、Sちゃのご高説を拝聴して、やっと得心したわいね。その実態は、小説よりも奇なりって事だわね。」

「いけね、いけね。こんな話をカカアに聞かれちゃ、又、変態扱いされちまぅぜや。老いちゃ、カカアに従えってぇのが、世の習いだぜ、もう一回りして来るわいね。ヒヒヒ。」

 へへへ、ご近所ロートルと云う物は、全く以って、馬鹿に付ける薬無し、助平話に禁止令も無い処である。さてさて、精神の調整に河川敷で、ラジオ体操でもして、家に入るべしである。男族にとっては、戯け話が百薬の長である。ウッシッシ!!

心何処ーショート 反吐の沈下 
                  反吐の沈下 (2/14/11)
 今日は、寒い。月曜である。週頭が、肝心である。コンチクショー、起きるべしである。

 母の部屋を開けると、白髪頭はベットの中である。コタツ板の上には、薬の空がゴムで束められて、チョコンと置いてある。ボチボチ、朝の支度をしながら母の洗面を待つ。

 太陽が有ると無いとでは、まるでタイテのコラサの違いである。食後のお茶をお代りして、町医者経由で米の買い出しに行く事にする。未だ寒いから、午後にしたらとの仰せではあるが、どうせ行かなければ為らない仕事なのである。機械的に動くのが、楽である。

 雪解けの水、圧雪の個所は、コチンコチンの冷凍庫の様である。月曜日にしては、待合室には誰も居ない。薬を貰って、裏道を漕いで米屋さんに向かう。矢張り、低温だと息が切れる。

 砂糖過多のコーヒーを飲みながら、話を始めて居ると、銀行員の女性が入って来たので、お暇をして来る。米屋さんも、同性ロートルを相手にするよりも、異性の方が百薬の長と云う物であろう。へへへ。

 米を買ってしまえば、後はペダルを漕がないでも帰って来られる。世に『依存症』なる言葉が定着して居る。アルコール依存症、ニコチン依存症、パチンコ依存症などの形容である。
 男依存症、女依存症、妄想依存症、化粧依存症、組織依存症、大国依存症、便利依存症・・・etc、言葉遊びでは無いが、依存症の語句を持って来ると、何か、据わりが良く為る物である。考えて見ると、依存症の前には、中毒の言葉で語られて居た物である。

 阿片中毒から始まって、アルコール中毒、ニコチン中毒、西洋被(かぶ)れ、流行被れが、古典的形容句であったと思う。女狂い、男狂い、博打狂いなんて、云い方も有った。

 中毒、被れ、狂いなどが、『依存症』と云う医学用語が被される事で、個人的資質の問題から、一気に様相が変わって来るから不思議な物である。個人の持つ意志の病根から、専門医の治療を待つ医学の対象と為り、その患者数の増加で、社会問題化して立派な『依存症候群』と云う社会認知が定着して居る。社会認知が進めば、それへの施策が走り始める。

  『病は、気から。』との古からの臨床結果が、厳然とした事実として有る。

 人間は社会的生物であり、ご時世、世相の中で生きているのであるから、病症・病根と云えども、気・・・詰まりは、社会と云う『気』から発生して居るのは、紛れもない事実なのであろう。

      社会に内在する病巣は、政治のターゲットと位置付けられる。

 社会の気を直す処方箋には、漢方・東洋医学的な生薬の服用効果の内為る体質改善と、外科手術的な西洋医学の両者の併用が必要なのであろう。時間を掛けての生薬の服用方は、家庭教育、学校教育の側面であろうし、外科的施術の多くは、政治と行政の側面であろう。

 自転車に乗りながら、こんな過ぎりが浮かぶ引き金は、土曜の深夜、詰まりは日曜の夜中に、偶々見た海外ドラマへの違和感であった。BBCだかABC制作のドラマかは、大した問題では無いのだが、それは、SFサスペンス・ドラマであった。
 
 私は、この手のドラマは性に合わないから、直ぐ消してしまうのであるが、その中に金髪の吉瀬美智子風の出演者が居たから、彼女の顔に興味をそそられて見て居たのであるが・・・形は、立派な大人の作りなのではあるが、自己人格の形成半ばの少年少女達の遣り取りは、自己主張の反発の鞘当で、ロートルには冗長過ぎる演出に見えて終うのではあるが・・・

 金髪→吉瀬美智子→初恋の★ちゃの図式で、私は勝手な個人的妄想を働かせているのであるから、所詮、文句を言って見ても仕方が無いのである。彼女の顔の表情を見ているだけで、懐かしい初恋の走馬灯とのお付き合いが叶うのであるから、ウッシッシってな余碌なのであった。

 きっと西洋先進国のテレビドラマとしては、この手のSFドラマが、西洋社会の若者達の『精神の実相』の一部分を現わして居るに違いあるまい。少年少女ドラマであるから、先進国の若者には、ゲーム世代、バーチャル世代で、超現実の世界が身近の物であるのだろう。これとて、ウォッチングの一環である。へへへ。

 日本だって、ゲーム世代が親と為り、バーチャル映像の中で育って来た世代が、ロートル世代には『無用の多機能携帯』を自分の身体の一部として、カチャカチャと使いこなす世代が、街を闊歩して居るのであるから、仕方の無いジェネレーション・ギャプの時代なのである。

 これは、家族も世代も<棲み分け>をしている様な『個に偏重した社会摸様』でもある。

 <個に偏重した社会摸様>の中で、訳の分からぬ『依存症候群』が、次々と、その発症例を現わして居るやに思えて為らない処なのである。個に『偏重』する余り、逆に個に『変調』を来して、社会のタガが、脆くも瓦解して居る様相を呈している世相である。

 個の偏重は、安易な社会病巣のレッテル貼りに終始して、丸で過保護の馬鹿親の如き施策を巻き散らして、個に変調を来した者達が、生活保護費を手にしたその足で、競艇・競馬・パチンコで、生活費をドブに捨てる使い方をして、生活保護者の施策を喰い物にしたり、子供手当を喰い物としてしまう。

   そんなテレビリポートを見るに付け、滅入る人間性の瓦解世相である。

 勝手自己表現にだけ、長ける社会は病巣を抱えて、それを増殖する社会でもある。自分の殻に閉じ籠って長生きをしても、見て行きたくは無い『吾が祖国の衰退傾向』である事か。反吐に似た滓(おり)の沈下の様な物が、頭の片隅に重く停滞して居たのであるが、本日の日記打ちに活字と為って、整理出来たのであるから、週頭の日記としては目出度しの段である。

 皆様、宿便は不健康の元でありまする。快便こそが、体調のバロメーターでありまするぞえ。ギャハハ~。


心何処ーショート 解放されて、足を延ばす為り。
              開放されて、足を伸ばす為り(2/13/11)
 降雪後の上天気である。昼近くに、ブラブラ散歩に赴く。カミ雪であるから、道路には雪は無く、既に乾いたアスファルト道が続いている。然し、道路以外は白い雪の中である。

 雪上りの快晴の空であるから、空気の透明度が違う。雪と松の緑が、ライトブルーの空の下で、好対象の輝きを見せている。東山山景は、緑の松に掛る雪との混合色と、落葉樹のブナ林に、遠景としての春の忍び寄りを、感じさせる萌え木の薄い赤味を見せ始めている。

 勿論、春遠き西の雄峰アルプスの峰々は、白雲を従えて、雪の彫刻を鋭く刻んで居る処である。近景と遠景との間には、春の忍び寄りにも、遮断の趣が見て取れる。

 雪で覆われた川原の葦原には、何本もの水柳の自生木が枝木を伸ばし、拡げて居る。その細い枝々にも、薄らとした薄緑が差し始めている。庭木の日向の梅木にも、蕾の赤味が見える。

 冬至を折り返して、春に進む事、早や2カ月弱。植物の奥深い処では、陽の進行に則して、静脈から動脈への変換が為されて居るのであろう。

 住宅地を抜ける頃に為ると、ベストの背中が、ポカポカと汗ばんで来る。上り勾配の一本道を、川に沿って歩き続ける。

 幹線道路の街路樹には、小枝の粗い巣が残されている。高さと形状からすれば、それはキジバトの巣であろう。河岸段丘の際に大木の欅の木が、空を掴んで居る。ヤドリギの緑のコブが10程付いている。カラスの巣か、トンビの巣かは、分からぬが、巣が一つ掛って居る。

 そんな斜面に、小さな朱と云うよりも赤塗の鳥居と、小さな小さな祠が、雪と溶けた雪の枯れ草の中に、ぽっこり日を浴びている。

 田園地帯に差し掛かると、流石に雪原を渡って来た風は、冷却されて居て、温度が下がって居る事を実感出来る。

        丁度好い。これで、体温調整が出来ると云う物である。

 折り返し点の橋を渡って、日蔭道と日向道が、相半ばする。喉の渇きに雪を掬えば、カミ雪特有の水ぽさである。冷たい雪を口中で転がせば、それは餓鬼の頃と変わらない無味にして些かの埃臭さの雪の味である。

 ブナ林の高い梢の雪が、太陽の熱に滑って落ちる。その刹那に、雪煙がサッと舞い、スッと消える。山の斜面の雪には、足跡が続いている。マタギの知識が有れば、その足跡だけで、足跡の主を推理出来るのであるが・・・ 私には、そんな知識など皆無である。

 一年を通して、散歩をしている目撃観察から、その経験から逆追いの推理を働かせるしかあるまい。シカ、イノシシ、タヌキ、キツネ、アライグマ、ハクビシン、ウサギなどが想定出来るから、足跡の大きさ、深さ、歩幅の違いで、シャーロック・ホームズの呟きをしてブラブラ歩きを愉しんで帰るのが、散歩の効用でもあろう。

 時間は、漬け物にする程持っている。せっかちに為る必要は、更々ない。ウッシッシ!!

 住宅地に近付いて来ると、おやまぁ、お久し振り・・・ ★のお人ではないか。お互い、立ち止まって、挨拶である。同じ会社のカマの飯を食った仲である。

「元気だったぁ。長幼の序だぜ、ご一緒するわね。」
「そうか、話しながら、行くか。」

 彼は、今年80を迎えるそうである。町会の副会長職と詩吟の師匠と俳句同好会の事務局で、ボランティア活動に忙しいとの事である。糖尿病を患っているから、一万歩の散歩運動を体の許す限り続けているとの事である。私の散歩は、不定期の時間帯であるから、年に数度の顔合わせなのである。

 彼の折り返し点は、小学校の上の橋である。橋の横に、喫茶店のベンチが有る。其処に座って、息を整えてから引き返す散歩パターンなのである。無風にして、太陽溢れる好位置である。お互いの近況をスロートーンで報告し合いながら、帰り道を御一緒して来た次第である。

 雪と寒さで小休止していたのであろう。本日は、絶好の散歩日和であるらしく、ロートル女性の一人散歩の姿が多く見受けられた。この数日の出歩きが閉ざされて居たのであるから、散歩を日課としている人達にとっては、気持ち好く足が運んだ事であろう。

               雪原に、かそけき春の色。

             触発されて、人の歩みも伸びる為り。


心何処ーショート 男のお時間
                  男のお時間(2/12/11)
 朝から、共産党さんのチラシ配りである。女性参議員先生、県議選予定候補、市議の時局講演会とある。地方統一選挙の幕開きなのであろう。政治悪口、悪態ばかりこいて居る吾がブログである。頭に残って居たら、どうせ暇をして居るのであるから、脳軟化症防止の為に聴いて来るとしようか。寒い中、御苦労さんにゴザンス。へへへ。

  折角であるから、玄関周りの雪掻きでもしてから、朝飯の用意を致しまするかな。

「おいおい、如何したい、スキーにでも行くのかい?」
「何て言ったって、昨日から雪だぜね。この位、着込んで来なくちゃ寒くて、凍えちゃうわな。」

 Tのヤツは、黄土色のフワフワのジャンバーで着膨れ状態である。私も、流石に寒く、セーターを二枚着込んで、毛糸の帽子である。いやはや、今日も積もるのかいなの雪降りである。

               今日は、馬鹿にファミリー客が多い。

「昨日の安住アナの番組見たかい?」
「ああ、見た見た。」

「まあ、具志堅さんは、傑作な人だったな。第一声が『コラッ』と来たもんだぜや。普通じゃ、アアは行かんぜや。あれが田舎の味と云うもんだろうが。田舎の顔見知りに掛ける『声掛け』ってぇのは、長閑で、ゴタな味が有って最高だわな。ついつい、引きづられて、最後まで見ちゃったよ。」

「そうそう、田舎育ちの机を並べたガッタ坊主OBが、交わす最上級の親密さがあるわな。石垣島も、松本も、昔は日本全国あんな『荒っぽい男同士の挨拶』で、溢れ返って居たんだがさ。」

「いや~、そうさね。人間ってヤツはさ。土の匂いを失くしちゃったら、無機質人間の他人行儀で終始しちゃうから、味も臭いも屁ったくれも失せちゃうからな。
 アリァ、大物だわね。伊達に日本最強のチャンピョンじぁなかった証拠だわさ。」

「ボクシングの輪島功一とか、相撲の輪島大士とか、あの当時の連中は、面白いと云うか、傑作な奴が、ワンサカと居たもんだもんな。時代の色と云うか・・・ やっぱり、個性派の色がひしめき合って居たもんなぁ~。今のナヨナヨ風景を考えると、懐かしい限りだっちゃ。」

「本当だよな、俺達の頃は、ゴタッ小僧達じゃなきゃ、男として一丁前には扱って貰えなかったからな。ガリベン優等生だと、人は付いて来なかったからな。
 悪さと潔さを兼ね備えて、腕力と勇気が無かったら、男としちゃ、一目もされなかった時代だったもんな。
 そんな時代だったから、顔付も、身体からも、凄みって物が、立ち上がって居たもんな。今の中性顔の若い連中とは、顔付が全然違ってたもんな。へへへ。」

「そうそう、ガリベン優等生が、天下を握ったら、会社も社会も、国会も面白い訳が無いじゃないか。キンタマもさ。昔は生殖器と精神の据わりの象徴で、語られて居たのに、今じゃ、生殖器だけのカタワ物だわな。トホホの情け無しって事だわね。」

「そうだわな。ほら、具志堅さんが、パイナップルを軍手の素手で叩き割るシーンがあったろう。流石にプロの一瞬だった。
 でもさぁ、ありぁ、ボクシングで覚えた拳の使い方以前の、天性の拳の使い方だと感心しちゃたんだけどさ。パイナップルを持った手の角度と、拳の角度の中に、俺は『凶器の拳』を垣間見た思いさ。ありぁ、喧嘩の中から、体得した拳法だぜや。」

「ほう、そうかい。Rは、<角は取れたが、危険人物は危険人物>だな。為るほど、一瞬にして、Rの獣性が蘇ったかいな。類は類を見分けるって事かいな。アッハッハ。」

「何をこきぁがる。そんな物ぁ、お互い様だ。世間様から見りぁ、ヤクザもどきのバリアだぜや。横にネェーちゃん置いといたら、Tの所なんか、堅気の人は目を背けちゃうぜや。」

「おうおう、そう言えばさ。フィリピィーナから、此処ん処、電話が煩いんだよ。」

「パパァ~、ワタシ、お金ない。パパ、助けて下さい。お願いします。仕事無い。ビンボー、ビンボー、嫌い、苦しい。」
「ワタシ、ストマック無い。仕事辞めた。お金無い。ミーの臍下ジュニアは、パタイ(死んだ)。アナタに、ワタシ用事無い。」 

「そりぁ、エライ国際電話じゃないかい。日本語に英語、タガログ語かいな。女遊びも、語学力って事かいな。この助平野郎が。」
「あいあい、ソフトウエアは未だ健在なんだけど、世界共通語のハードウェアが、萎えていちゃRにぁ、対抗出来んわね。ヒヒヒ。
 まぁ、駄目さ。飲みに行きたいとは思うんだが、チョコと飲んだだけで、後が続かんのだから、阿保らしくて飲みに行く気にも為らんのだからな。
 退職したら、お前と二人、南洋の島で屋台を引きながら、『ゴーギャンの余生』を計画して居たのにさ。最終コーナーで、蹴躓(けつまづ)いちゃったわ。一生の不覚とは、この事を云うんずらいな。」

「そんな気弱な事で如何するだ。昨日今日の付き合いじゃ無かんべや。俺ぁ、親友の為なら、ハードウエアの手足・中足に為る覚悟はあるぜや。
 奥ゆかしい常識人だけどさ、『義を見て、助けざるは、勇無き為り。』だ。態位も所要時間も、ご指示通りに、行為の代交サービスだって、演じちゃうぜや。
 費用さえ払ってくれりゃ、実演料は不要だぜ。粉骨砕身の大パノラマ見せちゃうぜや。遠慮なんざぁ、水臭いぜや。ギャハハ。」

「おうおう、当て付けがましいにも、程があらぁな。勝手に、ほざいていろや。さて、パッパでも吸いに行くかいね。」
「へへへ、そうですかいな~。」

 雪は、止みそうな雲行きである。ホームセンター横のスーパーで、昼の弁当と買い物をして行く。

「今日の書く分は、決まったかい?」

「未ださね。パソコンに向かえば、中指が何かキーボードを叩くわね。俺のブログは、有る事無い事を、適当に綴る『創作日記』だぜさ。一々、考える事も無いさね。
 今日は、これを書こうなんて料簡を起したら、先に進まんわね。格好付けたら、俺の味が出んわね。『無い無い強請りは、愚の骨頂。』
 スカンポ脳には、スカンポ脳に合った打ち方が、有るもんだいな。イッヒッヒ。」

「そうか、まぁ、毎日好く続けてるわさ。毎日、感心して読んでるんだ。お前は、スラスラと遣っちゃうから、大したもんだわさ。完全に、道を間違えたわな。へへへ。」

「あいあい、学校時代宿題をサボって居たから、その分の放出エネルギーが、未だ有るんだろうさ。真面目に考えたら、疲れるだけだわね。マイペースが一番よ。」

 さてさて、昼弁当の後はイカの塩辛を仕込んで、日記打ちでも片付ける事にしよう。

心何処・・・男と女
                     男と女

                  男と女_001

 田村正和主演の国選弁護人を観て居ますか? 前回、前々回のゲストスター若村麻由美さん・・・好かったですね。伊藤四朗さんも好かったですね。大人しい美人顔の若村さん、男にだらしの無い役を演じるのに、胸の割れ目を見せる事で、役柄を出して居ましたね。

 好色戯けロートルとしたら、『ご馳走様でした。』のへへへでありましたが、確りした演技を見せてくれていましたね。男と女・・・不思議な生き物ですね。

 男と女の間には、深くて遠い川がある。人の渡れぬ川為れど、今日も一人櫂を漕ぐ。ロー、アンド、ロォー・・・でしたっけ? 心に沁みる唄の一つでしたね。



 

心何処ーショート 雪や、こんこん。
                雪や、こんこん。(2/11/11)

        雪は降る、降る。二月の湿った雪が積もる、積もる。
            道はシャーベット、庭は綿雪帽子。
            雪は降る降る、静かに降り積もる。
        
          モノトーンの世界に、音も無く只、降り積もる。
        鳥影も無く、リンゴスライスも、雪に埋もれて、降り積もる。

 天気予報によると、本日は、雪日のマークで埋め尽くされている様である。豪雪の地は、奈落の底を見る想いにして、都会の道は大混乱を呈して居るのであろう。三連休初日にして、胸を撫で下ろして居る事であろう。

 これでは、散歩も儘為らぬから、熊の冬眠気分で、雪の降る様を見て居るしかあるまい。こんな時は、如何しても視界が狭く為って仕舞うから、話し相手が恋しく為る物である。

               雪は降る降る、雪が積もる。
             光薄い部屋に、金魚のゆらゆら泳ぎ。
           寒さと暗さに、飼われの小鳥達も音無しの構え。
            重み払って、ドサリと反発する木々の強さ。
         熱々のココア口に、煙草の燻り、小降りの雪に風が舞う。

 おやおや、崩れ落ちる雪帽子が、白煙を上げている。こんな風情の下では、何を聴きましょうかね。その前に、積雪量を測って庭木の雪落としと、玄関周りの雪掻きでも致しましょうかね。

 おお、現在14cmである。雪作業をして居ると、斜向かい吟さんも、雪掻き作業中である。はいはい、少々お待ちを・・・続き綴りを持って、ご近所さんとの言葉交わしである。

「やいやい、此処ん処、エライ大ナタをバッサバッサで、叩き割ってるじゃねぇかい。無駄事こきゃ、ナタで頭かち割られるんじゃないかと、俺ぁ、おっかなくて近寄れんぜや。ヒヒヒ。」

「そうじゃあるめい。俺ぁ、至って蚤の心臓だわね。大人しい物さね。それにしても良く降るわね。」

「これで、カミ雪だぜ。春がぐっと近寄るずら。水ぽいから、重くていけねぇわさ。」

「豪雪地帯と違って、此処は雪が少ないから、有難いもんさね。雪に埋まって、ご昇天なんて事故が無いだけ、極楽だいね。さてさて、真面目に、雪掻きするんね。あい。」

 まぁ、これも散歩の替わりである。人間、少しは体を動かさねば、脳味噌と肉体の調整が利かない処なのである。へへへ。

心何処ーショート 嗚呼、吾、単位の取れない落第生なり。
          嗚呼、吾、単位の取れない落第生為り。(2/10/11)
 日が、長く為って居るのだろう。天井に、陽の明るい色である。昨日は寒かったので、床入りが早かった。寒さで寝相が好かったのであろう、ほかほかの寝起きである。

 夢を見て居た。女房、思春期の娘にうとまれて、一々煩い女族の物云いに、男族の私は、憮然たる思いの『日常の一コマ』であった。へへへ、女房も娘も可愛い者であった。

 女房、娘には悪いが、それに比べれば、今の独り身は、気楽な物である。一緒に居れば、楽しくも面白い事も多いのであるが、自由気儘の気楽さには、居心地の好い物である。感じ方も、考え方も一様に行かないのが、個の為せる業でもある。個を繋ぐ絆の其々の糸には、一緒にしても居なくても、それ相応の制約が付くと云う物である。

        まぁ、これはお互い様なのであるから、当然の事と為る。

 お互い、元気なら、其々の現在が有るのであるから、それで好いのである。大体が、亭主が先立った女房族と云うのは、長生きをするらしい。これは、<ストレス無きは、百薬の長>らしく、その間の事情を、全く好く知らせて居るのであろう。

    へへへ、『それも、然もありなむ』の同調感がして居る次第である。

 昨夜は、お気に入りの『相棒』を見ようと、食後のテレビタイムを期待して居たのだが、池上さんの3時間スペシャルとやらで、私の楽しみが頓挫してしまった。池上さんは、絶好調らしく、オールマイティの大解説の態である。この番組も、最初は面白かったが、この頃は、食傷気味でパスする事が多く為って仕舞った。

 インフレ、デフレの解説も、未だグローバル経済下でのスタンダード理論が、『教科書』に無いらしく、一国内での経済理論の下で解説されている光景である。所詮は旧理論体系では、現経済事象に効を奏して居ない結果を曝け出して居るのであろう。
 従って、長引く経済事象たるデフレへの有効な手立てを見せない結果であろう。理論に基づく解説であっても、世界の現実の経済事象には追い付いて行かない解説では、頭の中に在る現在についての解決・出口の光明が自覚出来ない以上、優等生のお話の域を脱する事は出来まい。流石に元NHKさんの、解説者稼業とは、お気楽な物である。

 一国経済に及ぼす世界経済と云う外的要因が、想像以上にダイレクトに影響しているのではあるが、実業の実体経済注視の旧理論では、巨大な虚業経済の金転がしマネーゲームのウェート高と、その反省の無さが巨大マネーを打った買ったの瞬時売買で、神出鬼没の悪態三昧を繰り広げているのである。有効な施策を打てない混沌の時代に入って居るのであろう。

 城壁を高くして、門を締め切って国内の混乱を収拾するか、それとも兎も角、形振り構わず混沌の中に割り込んで、我武者羅に順位取りの渦の中に入って、翻弄されるかであろう。
 内向き、外向き、その折衷策を採用しても、内外のウェートの置き方の選択肢を間違えれば、元の黙阿弥、瀕死の大火傷に為って仕舞う。国民衆目の関心事である。

 古の城塞都市国家も、万里の長城も、米国のモンロー主義も、ブロック経済圏も、ローマ、モンゴル、オスマンの世界帝国も、根底に流れる<守りと攻めの>攻防史と興亡史に例えられ無くは無い。

 現政権の掲げる『最小不幸社会』の実現に向かって、それが書かれた当時の社会情勢・状況と現在を比べて、如何調整して行くのかが、施政者の見識に違い無かろう。
 然しながら言葉の選択・理解度に、大きな<疑義・懐疑>を持たせて仕舞う『奇兵隊内閣』『平成の開国』を言葉の目立ちだけで使用する癖のある御仁でもある。

 人々が持つ信頼性とは、過去の言動に見られる処の統計学から来る類推の結果物でもある。彼の言葉には、信憑性の特段に低きが、如何にも鼻持ち為らぬのである。

 多分、イラ菅の言葉通りに、彼が画く方程式には、幾つかの骨子と為るべき『カンスウ・関数』があるのではあろうが、或る意味数字は、物質に近い物である。それも純粋培養で生まれて来た『均質な性質を持った物質』なのである。
 均一・均等・均質性を持つ物は、自然界には何一つ無いのが、この世の真理にして実態なのである。その辻褄合わせ、緩和剤として、<、>などの記号を用いて、或る範囲の付けて、答えの成立する条件、範囲を示したり、傾向値を入れて、答えにある一定の範囲を指し示す為に、考案されたテクニックが、若しかしたら関数なのではないか???

 私は、正真正銘の数学赤点組であるから、高等数学の世界は、チンプンカンプンの鬼門中の鬼門なのである。然しながら、俗に云う処の、『1+1=2ではあるが、人間社会では、それが3であったり、2であったり、0であったり、マイナス1で有ったりする。』との一般説得用法が有る。

 これは、私の様なスカンポ脳の数学赤点組から云わせると、何を当たり前の事を偉そうに云っとるんじゃい。馬鹿面、水道の水で面洗って来遣がれ!! 人間の人数を数える手段としての数字を、人間の個々の能力を測る単位に使ったら、そりぁ、結果に於いて、空中分解するまでの事だわね。

 異質の物に無理矢理に、数字記号の均等スケールを当てて、測るのは気違い・お馬鹿さんが遣る初歩的大錯覚だわね。数学的計算は、生身の社会に在っては、予想を簡略的に現わす一つの検討の道具にしかあるまい。

 予想と現実の乖離に、人は当初の1に見えた『錯覚・幻想』に気付いて、天眼鏡とか顕微鏡で覗いて見る事で、一見1に見えた物を凝視して、その実態に近い数字に置き換えて、再び計算の修正を図るのが、人間の真っ当さと云うべき態度なのである。

 学んだ過去の蓄積だけを前提に、物を云うのは、この目まぐるしき与件、条件が変質する混沌の時代に在って、言葉・方程式を持って、解く事が難しくなるばかりの世界なのであろう。マゴマゴして居たら、『施政者の勝手な錯覚・幻想』に、完全に弱者は切り捨てられる強者の時代・世界へと突入して仕舞う怖さと不気味さを示している。

 きっと、解説する方も、聞く方も、納得・得心の行かぬ歯切れの悪さなのであろう。

 私は背伸びも、従順さも捨てて、『正直に分からない物は、分からない。』と、開き直り、下衆の藪睨みで老後を、天の邪鬼気分で悪態を付きながら、コロリと死んで、人生の幕を閉じたいと思っている次第である。へへへ。

 さてさて、日課の散歩をして参りまする。本日も、長駄文のブログにお越し下されて、有難う御座います。御精読、感謝感謝でありまする。


心何処ーショート 淡雪に、ひと呆けの一席。
                淡雪に、一呆けの一席(2/9/11)
 アジャジャ、狭い四畳半で扱けてしまったら、シングルママさんの写真立てが落下して、安物フレームが壊れて終った。写真の彼女は、形の好い白い手で、高い鼻を豚鼻に押し上げて、馬の嘶(いなな)きの様な、特大の醜女(しこめ)女のアッカンベーをして居られる。

 はいはい、賄い夫に徹するを機会に、音信不通の日々を送っては居りまするが、戯け男も、情は深いのでありまする。楽しき思い出の日々を、反芻して居りますれば、御安心為されませ。罪滅ぼしに、チュッチュッチュッのキス三連発で許されよ。イッヒッヒ!!

 何処の馬鹿か知らぬが、吾が取るに足らぬブログ樹海の偏狭戯けブログに、これまた、凄まじい限りの横文字チョン切りコメントの埋め込みである。やれやれ、削除だけでも根気の要る単純操作である。

 送り付ける輩は、一度セットさえして置けば、後は機械が自動的に送り続けて居るのであるから、お気楽な物である。
 私は応用の利かない単純馬鹿であるから、こんな事をしてニヤニヤして居る連中の心理には、到底付いて行けない処である。感情を持たない<機械人間>に対して、生身の人間の感情を発しても、詮無き事ではあるが、相手にしない事が『肝要』と云う物である。

      こんな馬鹿に、『寛容の精神』など不釣り合いな言葉である。

 外は、綿帽子を被った雪景色一色である。二月の雪であるから、昼を待たずに、日向の雪は溶けて終う儚さなのであろう。然しながら、乾燥続きの大地には、好いお湿りの効果をもたらす事であろう。先ずは、目出度しの段である。

 母の動きを待って、廊下から庭の雪纏いを見て居るのであるが、雪を吸って苔の緑が雪の白さと相まって、中々の風情を見せている。

         さてさて、母の動きである。朝を開始しまするかな。

 有り合わせの朝を終えて、買い出しに行こうとすると、玄関には通い綴りが、チョコンと置いてある。母の部屋で話をしながらテレビを見て居ると、玄関の声が聞こえて来ない処である。斜向かい吟さんには、失礼をば致しました。

  個人スーパーに、自転車漕ぎである。淡雪の儚さで、雪は早くも姿を萎めている。

「どうだい? お婆ちゃんは、元気にしてるかね。」
「あいあい、お陰さんで、元気にしてるわいね。話し相手には、立派な相棒さね。」

「ほう、兄さんの相手が出来るなんて、お婆ちゃんは、相当レベルの高い人なんだろうね。」

「まぁ、大した婆ぁだいね。頭が確りして居るから、話して居ても面白いからね。親子漫才が出来るんだから、俺ぁ、お天道さんに感謝感謝だわね。

 それもさね、減らず口が奮って居てね、昔は、一度聞いた事は、頭にすっと入って、父さんにも、世間様からも褒められて居たのに、今じゃ、何を聞いても、見ても、何にも頭の中に残らない。嗚呼、情けない。長生きをし過ぎた。早い処、あの世に旅立ちたいってさね。

 婆ぁに、そんな事言われた日にぁ、スカンポ脳味噌の健忘症の俺なんざぁ、人間以下のメメズだわね。いっその事、メメズならさ、雌雄同体だって云うから、女日照りの侘びしさから解放されるんだけどさね。

 こちとら、未だオスの名残が有るから、テレビ見ててもさ。女のふくよかなヒップなんか見てると、ポッポ、ポッポと蝋燭の火が灯るんだいな。困ったもんさね。イッヒッヒ!!」

「またまた、兄さん、笑わせてくれるじゃんかい。もう、私達の歳に為れば、男も女も卒業し無きぁ駄目だわね。男も女も卒業して、中性に為る年頃だよ。」

「あれまぁ~、何時の間にか、あれかいね。男女共学が進み過ぎて、中性社会かいね。そりぁ、先輩、進み過ぎた中性社会じゃ、色気も屁ったくれも無いじゃないの。バイタリティの失せた世界は、棺桶世界だんね。
 デビ夫人見たいに人造女に為る必要は無いけど、そりぁ、あんまりだわね。アスファルト、高層ビルに、吹き荒ぶ棺桶社会が、日本の近未来かいね? あい。」

「そんなの当たり前の話じゃん。幾らダイヤモンドをチャラチャラ見せびらかして、シリコンで改造したって、動けなきぁ勝負あったってもんだよ。」

「へへへ、同性の見る視線は厳しいねぇ~。動けなきゃ、人造女も肉体の宝の持ち腐れで、オスを迎え入れる事も叶わんわね。二、三度体重掛けて、煽ったら、ヘルニヤ、股関節が元に戻らず、ガニ股歩きのヨタヨタじゃ、女の価値が無いからね。
 幾ら男が馬鹿だって、官能と傷害罪の天秤棒は、暗算出来るわね。ギャハハ~。」

「兄さん、ナンチュー事を云うだいね。入れ歯がすっ飛んじゃうわね。私ぁ、そんな想像はして無いのに。本当に、男って生き物は、死ぬまで、それから卒業出来ないんだから。これじゃ、日本の世の中から、性犯罪が無く為らない訳だわね。困った物だ。
 駄目だよ、この辺りは、ミニスカートの通学区だからね。若い娘に飛びかかっちゃ。お婆ちゃんが可哀想だからね。」

「あいあい、大丈夫だんね。色魔の前に、賄い夫の課業は、確りと脳味噌にインプットしてるぜね。何しろ、出る処に出りゃ、俺ぁ品行方正な優等生だぜね。ギャハハ。」

 遺憾いかん、マタマタ、とんだ素地をお披露目して仕舞った。好色戯けは、どうも行けませんわな。何事も、反省が人の道でもある。
 呆けリンゴをスライスした後は、小部屋で野鳥ウォッチングをしながら、午後は、真面目に読書でもするべしである。へへへ。

心何処ーショート 煙管咥えて、国会スケッチ。
              煙管咥えて、国会スケッチ(2/8/11)
 初めに断って置くが、真に失礼な千万な貧民コタツ見感想である。団塊世代の男は、結構真面目な世界・世相観察趣味を持ち合わせているのである。政治にも経済にも、歴史、映画にも、大いに関心を持って、ロートルに立ち至っているのである。

 そんな事で、日本全国から選出されて国会を舞台に、『政党闘論』をしている事にも、大きな関心を持って、テレビを見たり、ラジオを見たりしている次第なのである。

    従って、その態度たるや、生真面目そのものの態度といって良かろう。

 勿論、私は時間の余裕が出て来た一般素人であるから、ニュース報道の様に、何箇所かのピックアップで、全体を知った様なマスコミの不遜さなど持ち合わせていない。時間があれば、その一部始終を聞いたり、鑑賞させて頂いているのであるから、マスコミ報道と観察者との違いは、結構異なる事の方が多いと云うのが、率直な感想なのである。

 当然、人間であるから、十人十色の見方・感じ方・考え方があっても、当然なのである。マスコミを職業とする専門性のある見方に、合理性・妥当性を感じる事もあれば、『如何して、そう為るの??? アンチョコ流しの体制的過ぎる』とのマスコミの恣意的世論の煽り意思を見てしまう事もある。

 私の率直な感想は、一緒にテレビを見ている94の老母に向けての、菅さんへの突っ込みの柄の悪い野次に依って、展開される処である。この頃は、品の好かった私の母も、日々の戯け倅の行儀の悪さが浸透して仕舞った様である。
 面白いシーンが有ると、私のツッコミを催促する様な目付きで、私に視線を向けるのであるから、私の下品さは、老母に依って益々、一国の総理大臣閣下に対しても、速射砲の不敬を余儀なくされている始末なのである。

 母も歳を取れば、はしたなさの羞恥心など枯渇するばかりである。手を叩いて、声を出して笑い、もっと言えもっと言えの下衆老婆の催促なのである。こんな馬鹿親子を仏壇の上の母方の父母、オヤジ、長兄、三兄の遺影が見下ろして居るのであるから、どうしようもない。笑わば笑えの開き直りである。

「おいおい、菅さん。質問者は、そんな事を聞いている訳ではないですわね。それは、はぐらし、すっ呆けじゃ無くて、質問理解能力と云った国語力の欠落だわね。

 幾ら理工系の数学力があっても、国語力の欠落じぁ、真っ当な数式も、方程式も選択できませんじゃろうから、応用問題は解けませんわね。こんな脳味噌の持ち主が、イラ菅だってかね。冗談じゃあるめい。

 ズカーンと目から鼻に抜ける直感を持った才人が、下衆の鈍感さ・低脳児への血の巡りの悪さに、癇癪球を破裂させるのは、まぁ、こっちが低脳児だから、多少の我慢も出来るけどさ。言葉の理解・真意すら聞き分けられないのに、頭ごなしにドヤシ上げられたら、明智光秀じゃなくても、コンニャローメ!!で、寝首を掻いちゃうわね。ギャハハ~。

 野党に居て、マスコミにチョコン、チョコンと登場している分には、舌鋒鋭く捲くし立てる様は、イラ菅のマスコミ・アナウンス効果で、それなりの信憑性があったんけどさ。聞くと見るとじぁ、月とスッポンの大きな違いだぜよ。
 幽霊の正体見たり、枯れ雄花だったら、洒落にも為るんだけど、イラ菅の正体見たり、抱き付きミイラ男じゃ、立つものも立ちゃせんわね。どうせなら、牡丹灯篭のお化けだって、女なら少しは我慢のしようが有るわいね。

 マスコミさん、評論家さんの口車に乗っ掛かちゃってると、飛んだ恥を掻いちゃうわね。冗談も、休み休み言っておくんなまし~。『見るな、寄るな、抱き付くな。』ってな物で、野党全党でそっぽ向いてらぁな。イッヒッヒ。

 へへへ、婆さん、ダイジェスト版のニュース報道見てるよりも、国会中継をトックリ見てた方が、よっぽど面白いだろ。こう遣って、じっくり見てた方が、俺みたいな馬鹿でも、どっちに〇を付けて、×を付けりゃ良いかが、骨の髄から分かるって物ずらよ。ギャハハ!!」

 菅さんの『熟議の国会』の呼び掛けとは裏腹に、国会は討論の場とは、程遠い様相を呈し続けているだけである。

 私流には、討論の中身は、論を交えて、自論に足らざるを見付ければ、相手の論から善き物を導入して、補完してより精度の高い論を『創り出す』と云う共同作業の前提が無ければ、討論の存在意義も価値も無い処であろう。

 討論無くして闘論の空回りの国費乱用罪は、法律には書かれていないのだろうか。
 待てよ、枝野・白服コンビの事業仕分けも、法的拘束力・執行力は無かったとの事でもあったからして、不効果・無効化に対する国民目線の国会運営方に対する『仕分け』が、有っても悪くは無かろうに・・・

 まぁ、闘論も、勉強するには面白い場面もありそうなのではあるが、理工系と云われる菅さんの国語力たるや、相当の低レベルに在る様に見受けられるのは、一国の総理として、実に嘆かわしい限りである。

 国語力は、活字の前では、読解力と文章力であろうし、人の前では、相手の言葉・表情に対する理解力と自分の言葉・表情の表現力と説得力によって、左右される物であろう。

 菅さんに欠けているのは、発言者に対する関心度の薄さと、如何やら言葉に対する理解力が、頗る低い様なのである。興味の分野に、好き嫌いがはっきりして居るらしく、好き嫌いのフィルターが殊更に作用して仕舞う性向が強いらしい。従って、適当応えのテクニックには、長けているらしい。

 数学の公理原則・公式・方程式から、理路整然と数字で現れる理工の分野と、兎に角、十人十色の文科系の分野とは、丸で勝手が違うのは、分からぬ訳ではない処ではあるが・・・

 イラ菅、丸投げ菅、逃げ菅、抱き付き、菅空ラ、呆れ菅、ムリ菅とか・・・ 兎に角、あだ名には事欠かない総理である。
 
 これらの贈り名の根底には、菅さんの国語力の無さから発進される病根があるのではなかろうか。言葉の理解力が乏しいから、質疑応答の趣旨が噛み合わず、闘論にも為らず、従って、熟議の国会を標榜しても、討論に進まないのである。

 誤魔化しの叩き台の案を提出しての議論を、殊更避けての言葉逃げの連発である。幼稚園児、小学生の学級会並の<皆で共同して、作り上げて行きましょう。>のポーズの裏の『ミイラの抱き付き』の下心が見え見えで、臭く臭うばかりの無様振りが、一切見えないのであろう。

 きっとこの辺りが、『皆で頑張り連帯して、行政・政府を動かしましょう。』の市民活動家の限界点なのであろうか? 政権党の内閣としての立法・行政・司法を束ねる政府の意気込み・責任の重さが感じられないのは、腹の据わりの欠如と、政党内の政治家個々の実力の無さに起因居ているに違いあるまい。

 まぁ、これも知名度の内かも知れぬが、知名度が『恥名度』に誤記に為らぬ内に、出処進退をシュミレーションして置いた方が、宜しいのではないだろうか。平成の開国よりも、平成の大政奉還の方が、時宜を得ていると思われるのだが・・・ 衆院解散選挙は、菅総理の頭には、無いとの事である。へへへ。



心何処ーショート ちあき・なおみのCDに乗せて。
             ちあき・なおみのCDに乗せて(2/7/11)
 アジャジャ、飯が一人分しか残って居ない。然すれば、焼きそばでもして、誤魔化すしかあるまい。野菜と肉をたっぷり入れてフライパンで、手抜きの間に合わせ賄い夫である。

 あれあれ、味付けが濃過ぎて、婆っさ、爺っさの朝食としては、失敗作と為って仕舞った。

 日の長さに反応して、金華鳥達も卵を産んでしまい、これでは、鳥籠を移動して廊下で日光浴と云う訳にも行かぬ。散歩は適当にして来れば好いから、部屋でコーヒーを飲みながら、歌CDを聴く事にする。

 さてさて、なおみさんの歌声に釣られて、どんな妄想が頭を過(よぎ)るか・・・

 八百長の物証が露呈されて仕舞って、国技大相撲は大混乱・大騒動である。うろたえ狼狽する放駒理事長の言動・表情には、理事長の素顔の性格が溢れて居て、好ましい感想を持つ処である。頑張れっちゃ、応援するぜや。思い通り、遣って見ろちゃ。

 こう不祥事が白日の下にボロボロ出て来ると、国技大相撲の閉鎖社会の伝統・因習のムラ社会であっても、21Cの御代の『大開国』を断行するしか生きる道は無かろう。状況に依って、人が与えられ、選ばれると云う事は、歴史には度々登場する物である。風の噂だと理事長は、現役時代八百長を頑としてしなかった硬派・気概の人との事である。

 世の常識の通じる人だと、彼の言葉使い、表情を見て、そんな気持ちを抱かせる処である。理事長、歳を経て、気概と気骨を存分に見せて、育ててくれた大相撲界に立派な恩返しを為されませ。

 刑事犯なら、度々の不祥事で、執行猶予も叶わない常習犯と断罪されても、一切文句の無い処である。執行猶予中の保護観察も付かずに、累犯加重を付けられて、弁解の余地も無い大失態と云った処であろう。

 然しながら、私は法律には疎い日本人体質で構成されている『叩けば、埃塗れ』のロートルである。相撲協会は、最低半年位の閉門蟄居の態で、組織改革の開国策を構築して、出直して欲しいのである。遣らねば為らない時は、鬼に為って徹底的に遣るしか、生きる道は無いのでありまする。過労死は、男の本壊でありまするぞえ。

 十両の月の給金が100万円超との事であり、それ以下は給金が0との事である。飲まず食わずの人減らし、丁稚奉公が、世の実態だった頃の封建体制の常識では無いのであるから、労働と報酬の相関関係は、社会常識として組織改革をしなければ改革の端緒には付けまい。

 相撲協会が、部屋の親方に部屋の運営費として、親方に運営経費を丸投げして仕舞う体質は、現代社会には通じない。このムラ社会の大店(おおだな)の旦那衆の寄り合い感覚が、部屋・親方・上位力士・兄弟子の専暴を、許して居る『温床』と為って居る因子の一つだと思われる。

 相撲協会の管理監督権を鮮明にする為には、労働と報酬の常識を導入する事で、『協会が束ねる』生活出来る最低限の賃金体系を作って、稽古出世に重きを置いたハングリー精神の高揚とのバランスを図るべきであろう。信賞必罰の公正さを担保した力士達の稼ぐ誘因を正々堂々と、打ち出すのが一番の組織活性化の根本原理である筈だ。

 常識人が、土俵の宝を掘り起こそうと、技を磨いて切磋琢磨の真剣勝負の技で対峙する。少数の者だけが、序列順位の有限の会員性クラブの様な土俵で、美酒を味合うとすれば、有限の待遇を失う事を嫌って、『秘密会則』を作って<秘密互助会>を作って仕舞うのが、脳味噌を持った人間の『悪知恵習性』でもある。

 強いばかりで、血も涙も無い上位力士にヘイコラする悪臭・悪習に歯止めを掛ける一助とも為ろう。心技体の総合美は、拝金主義の下では、絶対に叶えられぬ『人間の美』と云って好かろう。相撲協会が集中管理監督の権能を持つ態勢を持つ為には、強力な下部への統制が必要とも為る。貨幣経済故の公明正大な力士個人単位への配当の仕組みを作る事が、実利を示す事であろう。

 閉門蟄居するのは、日本人の『みそぎ意識』にも通じるDNAの作法・囁きかも知れぬが、年六場所・九〇番の主要都市での大相撲興行は、国技の巡行でもある。国技を支える国民の相撲ファンの意向を、『大募集』して国技大相撲に馳せる『広範な国民の願望・意見』に目を通して、国技大相撲の開国策を構築して貰いたい物である。

            返す返すも、八百長は持っての他の愚行である。

 然しながら、七勝七敗の千秋楽・・ 蹲踞(そんきょ)・仕切り・睨み合いの時間の中に、去来する両力士の内面に去来する心の狭間に、思いを乗せて観賞するのも、相撲観賞の大きな一面なのである。
 この過程の中には、『狭間の捕囚となるか、未練の払拭となるか、』とでも表現したくなる様な日本人の勝負に掛ける精神性への古来からの物の見方が、絡まって居るのである。

 勝負は時の運・・・叙事と抒情の短い時間ではあるが、其処には茶の湯の心も、箱庭、盆栽と云った日本人の、そこはかとなく漂う精神性が、垣間見られるストーリーが存在して居るのである。

 歳端も行かぬ自分の容姿・衣装・化粧にばかり腐心している様な、帰化人国会議員女史が、高い処目線から、聞いた風な『財団法人』の取り消し問題に、軽々に私的感想を漏らす必要など殊更無いと思うのだが・・・

 放駒理事長、これは天から与えられた職責でありまする。人知と真摯な気概を持って、伝統と現代のソフトランディングの大舞台を束めて貰いたい物である。

心何処ーショート 嗚呼、出任せ日記。
                  嗚呼、出任せ日記(2/6/11)
 ブログをしない人の質問には、<如何してブログが楽しいのか?>との質問が多々ある。
 其処で私が答えるのだが、ブログには色んなタイプの物が有る。海外での日常を綴った物も有れば、世界の情報もあるし、日本各地の日々の暮らしの綴りも有れば、詩も物語も、旅行・映画の紹介もある。読書感もある。

 個人の日常などと云った物は、変わり映えの無い風景が続くばかりである。それを居ながらにして、写真付きで見せて貰えるのであるから、こんな重宝な媒体は無かろう。考え様に依れば、インテリさんから、老若男女の極々一般生活者のレポートを、読んだり見たりする事が出来るのであるから、実に有難い。

 それも、商業主義に毒されて居ない個人の趣味・感性に基づいたブログデザインにして、その多くは写真付きレポートなのであるから、十人十色で面白い。これは或る意味では、日本人の民度を感知出来る様相でもある。

 この様は、ブログ樹海の、一種の代理行為の様な物である。私事で我田引水的に解釈すれば、私の退屈な長駄文にした処で、読みに来て下さる御方には、何らかのお土産が有るのであろう。
 私のブログは文字だけの物には違い無かろうが、文字空間から訪問者の方々は、何かしらの雰囲気とか臭いを感じて、読みに来て下さるに違いあるまい。真に、有難い事である。

 その方々からすれば、私はご近所さんとの交流とか、老母との向き合い日々、親友Tとの語らい、庭に来る野鳥達、机上の住人との向き合い、妄想レポートの中で、私の文字を通して、何らかの物を感じたり考えれたりして居られる筈なのである。

 見方を変えれば、私はそれらの方への代理行為・報告をしていると言っても好かろう。

 それと同様に、私も他のブログさんから、少なからぬ代理行為を拝借させて頂いて居るのである。ほぉ~、こんな所が有って、こんな風に見て、感じて、考えをして居られるのか・・・為るほど為るほどの段なのである。それも、手作りの味は、敷居が高く無い処が好いのである。

 兎角、政治経済・時事問題と為ると、一般的には専門家の書く処が多いから、無意識の内にも学習して仕舞う帰来が少なくない。従って専門家であるから、表現がスマートで抽象的に為って仕舞う。従って、素養・教養の無いスカンポ脳が、疲れて仕舞うのである。

 世の中の出来事の本質は意外や意外で、大上段に振り翳して打ち込まれるよりは、斜に構えてバサリと脇腹を掠め斬られた方が、『アリャリャ、一本取られ申した。』なんて事が、多いのでは無いだろうか。

 講談・浪花節よりも、長屋のご隠居さん、熊さん、八っつあんで構成される落語の方が、納得する個所が多いのは、きっと要点の落ちが、短くて大笑いの中で締め括られているから、流して好い部分と押さえるべき要点が少ないから、その分、記憶に確りと残るのであろう。

 とどの詰まりが、弛緩のリラックスの中の、落ちの本の少しの緊張の方が、記憶としては鮮明に為るのである。緊張緊張の連続では、大概の人間は、眼精疲労の捕り子と為って、目薬と強精剤の御厄介に為るしかあるまい。

          斯様に考えれば、人間は怠惰が一番なのである。

 現役時代は、家と職場の往復。車窓の四季の移ろいも、頭の中は仕事絡みのシュミレーションが、頭の中でカチャカチャと動き回り、花鳥風月を愛でる感性も冬眠して居るのが、勤め人の習い性なのである。
 週休二日制と云えども、管理手法が発達した過密業務の中では、最初の休日は、疲労で一日を寝て過ごすばかりである。女房子供にして見ても、お互い様なのではあるが、女房子供が居れば、早々はマイペースの仏頂面も叶うまいの処なのである。

 太古の人間にだって、時にはアルタミラの洞窟絵の様に、アートもして見たく為ると云うのが、人間の自然為る精神の在り様なのでは無かろうか。狩猟採取のヒモジイ時代から脱皮して、人間の生活は快適便利に様変わりはした物の、身体への負担は軽微に為ったのと正比例して、精神のストレスと云う高度文明病に囚われて居るのが、現代人病と云う物である。

『人は考える葦』との事である。然しながら、合理性・効率性ばかりを考えて居たのでは、人間の精神は疲労して擦り切れるばかりである。五感をリラックスさせて、感じる事に身を任せるのも、精神の再生産上、欠かせない保全活動である筈である。

 場を求めて移動するには、これまた宣伝された対象に向かって、ハイウエーの上を大移動して、渋滞と人混みの中で、疲労を溜め込んでしまう結果が待ち受けているのも、現実の姿である。

   従って、現代の即物的網の中の『囚われ人』と化して仕舞う処なのである。

 其処で登場するのが、お役御免と為った私の様なロートルが綴る何の変哲も無い『時の浪費人』の様な、<長駄文の文字空間の有用性>が生じて来るのであろう。

 ユトリとは、裏を返せば、無駄の中に在るスローテンポなBGMの様な物なのであろう。

 現役時代の近視眼を余儀なくされた『眼精疲労症状』が、お役御免と為って、散歩をする事で近視眼に眺望が開けて、眼精疲労が回復されて行く。
 時間が有るから、BGMのラジオからは、種種雑多なニュース、話題が耳に入って来る。現役とは全く異なる日々の時間空間に身をどっぷりと浸して居るのであるから、カツンと来る出来事に就いては、浅学非才の門外漢であっても、落語長屋の熊さん、八っつあんの延長で、悪態三昧をほざいて仕舞う。

 専門家・識者のエリートさん達からすると、『この大戯け!! 素人の出る幕じゃないだろう。この低能児、小学校から出直せ~。』などと一蹴・一喝されて仕舞うのが、関の山だろうが、・・・

 処が、スットコドッコイ、シャラ臭ェヤ!! 花のお江戸の下衆庶民文化こそが、国民の民度を素直に表示する『社会・民度のバロメーター』なのである。そんな暗算も出来ん様じゃ、大した事も無い活字読みの口害虫だわな。文句が有るんだったら、四の五のキリギリス見たいに、青筋立てて、罵詈雑言の叩き合いは、男らしくは無いぜや。此処は一発、先祖返りをして、腕力勝負で決着を付け様じゃないの。

 俺ぁ、時間の割けない現役の皆さんに為り替わって、妄想お時間、フィールドお時間、悪態三昧お時間を分業化しているんじゃい。俺のブログにだって、マイナーのマイナーの民意位置付けだって有らぁな。ギャハハ~。

 国家公安委員長時代は、公権乱用で航空機爆破犯の<ノース>だか、<リース>コリア女だか知らんが、<自分好みの面の出来だけ>でVIP待遇で招聘して、鼻下長を白日の下に晒し、皇族に対する鬼瓦権造(オニガワラ・ゴンゾー)の不敬極まりない罵詈雑言を浴びせ、予算委員長席では、携帯チャカチャカの遣りたい放題。

 国技大相撲界では、焼けボックリの八百長メールに火が付いてのテンヤ・ワンヤの大騒動。

 7か月も前に押収された力士・親方の携帯電話のメール解析が行われての時のタイミングを押し図った様に、如何してこの時期の大リーク騒動なんじゃい。奇妙じゃないか。下心見え見えじゃないの。臭過ぎまするわな。

 放駒理事長さんとしたら、野球賭博の不祥事で、失地回復を肝に銘じて、改革に取り組み始めている矢先に、今度の天地がひっくり返るほどの大騒動である。膿み一掃の大改革を断行する為にの筈が、この後出し大膿みの噴出である。警察の旦那、そりぁ無いだろうと・・・テーブルをひっくり返したい怒りに違いあるまい。

 同様の論理と怒りで、憮然としているのが、政界の実力者・小沢一郎さんである事は、下衆の直感として働く処である。イッヒッヒ!!

 勝てば官軍、内ゲバに勝利すれば、遣りたい放題の何処かの政権与党さんに、酷似している様でありましょうや。
 ヤロー共、フザケ遣がって、フザケ遣がって、スーダラ節の植木等さんだけに、任しちゃ居れんわね。ヤローの携帯を押収して、消去分も回復させて、全国津々浦々にスピーカー再現すべしである。完全に盟友中狂様には、お伺いを立てるに及ばずである。

 好色三昧の携帯実態の解明に、国会調査委員会を立ち上げて、懲罰委員会に上程などされた日にぁ、示しが付かんわさ。
 
 そんな日にぁ、八百長相撲なんて生易しい事じゃ済まんわね。チュニジア・エジプト・サウジアラビアの現政権糾弾の民衆デモが、一気に日本の国会議事堂を十重二十重に取り囲んで、予算成立・小沢問題の党内抗争など、一気にすっ飛んでしまいまするわね。踏ん反り返るのも、ティゲィにし遣がれってな物だぜや。

 ニャロメ~。『睾丸無治』の、薬の飲ませ様も、塗り様も無ぇ太ぇエロオヤジの様である。
   早い処、総謝罪の出直し解散選挙をすべしであろうが。馬鹿モンがぁ~。

 ★★★・・・ 嗚呼、何時も、何でこ~う為るのよ~。何方か、至急、私目に、馬鹿全治の特効薬をお送り為されませ。嗚呼、此のままでは、誰も私の葬式など、しては呉れませぬ。とほほ。

               SOSsosSOS・・・・・


心何処ーショート 似非比較文化人類学トーク
              似非比較文化人類学トーク(2/5/11)
 へへへ、婆さん相手に、漫才をして居たら、もう、こんな時間のお誘い電話である。さてさて、熱いお茶をもう一杯頂戴して、親友Tを待つ事にしまするわいな。

 コーヒースタバの二階に行くと、S大フランス文学の教授さんが、居らっしゃる。何やら、地図を拡げられているから、フランス留学が目前なのであろう。『お早う御座います。』の挨拶を交わして、ヤクザもどきのロートル不良コンビは、所定の奥の席に陣取る。

 常連さんの丸坊主スタイルの白人学生と東洋人の学究コンビが、何時ものトークタイムを繰り広げている。中国細身スタイルの男女コンビは、未だ姿を見せては居ないが・・・見渡せば、本日の目の保養は、中々の物である。

 すんなりと伸びた脚線美を黒のタイツに見せて、中々の美形学生さんがお勉強中である。我々の席からは、好アングルで彼女の観賞が叶う。お互い、目配せをした後は、クリーム、シュガーをコーヒーに掻き混ぜて、ニヤリの段である。

「モンゴル帝国、チンギス・ハーンの映画TuBeは、見たかいね?」
「おお、見た見た。ありゃ、迫力満点の戦闘シーンだったぜや。逆手殺法での一撃必殺って訳には行かんだろうけど、最速・最短殺法の技だもんなぁ。あんな戦闘シーンは初めて、お目に掛ったぜや。チャイナ・ドレスは未だ見て無いけどさ。」

「そうだろう。へへへ、『推薦に、偽り無し』だったろう。今日は、その各論でさ。あのシーンの終わりに出て来る場面が、比較人類学の参考資料に為るんだわ。惨殺騎馬集団が、正面突破の大仕事を終えて、踵を返して敵軍を自軍に引き込む場面が有るだろう。

 その場面には、弓矢の一斉攻撃が待機されて居てさ、矢の射程距離を示す張り綱が、地面からパッと引き上げられるや否や、空中に放たれる矢の集中砲火だろ。硫黄島の日本軍のロケット攻撃に匹敵する矢の恐怖だぜや。イッヒッヒ!!

 ああ云ったシーンは、ユル・ブリンナー、ジーナ・ロロブリジーダの『ソロモン王とシバの女王』なんて迫力満点の歴史活劇のクライマックス戦闘シーンにもあったけどさ。遅れた一騎当千の戦闘騎馬集団の中にも、間に合わず、味方の矢襖に倒れる者が、続出するシーンが有っただろう。

 正に、あのシーンこそが、俺としちゃ、比較人類学の象徴的資料を見る想いなんだよ。日本人なら、あのシーンに、刹那の『人間の情』を描くんだよな。
 日本人の映像作家の感性からすると、皮兜を被って居る殺戮騎馬集団の『隊長の素顔』と『矢を放て!!』って、指揮を振る将軍の見合わせる眼の一瞬に、『覚悟の情』を描かなくちゃ収まりの着かない戦闘と情の世界なんだけどさ。

 あそこに描かれて居るのは、敵対する勢力の戦闘絵巻を、『叙事に徹する冷徹な合理性』とでも云う描写があるだけだわね。それが、彼等の文化・歴史観かも知れん。一方、叙事の中にも『抒情』をも、謳わ無ければ為らない日本人の死生観・抒情性が描写出来ないと考える日本人の文化・歴史観。それの相違が、象徴的に現れていると、俺は見て居るんだよ。

 それが証拠に、八面六臂の武功を立てた戦闘騎馬集団であってもさ、彼等は一切顔を見せない。叙事に対して、『抒情は禁物』なんだろうな。彼等にとっては、全体の中に於ける個の力関係・立場の捉え方は、全体の中での一部品の如く消耗品の扱いを受けて居るに過ぎない。

 この捉え方の違いに、俺なんかは、彼等の即物観に、背筋が凍るほどの『冷たさ』を感じるんだよ。

 叙事と抒情の本質的相違は、物体と心情の違いだろうし、それが、物事に対する物の哀れを理解する『根本の違い』に現れている・・・そんな感じを持っているんだわ。島国・同一民族・農耕民族・歴史の連続性の中に居る日本人の感覚・感性の文化と、大陸・多民族・遊牧民族間で、征服王朝絵巻の大国の興亡史を歴史の断絶として持つ文化との違いなんだと感じて居るんだけどさ。

 極端なこじ付け解釈をすればさ、叙事は『断続の歴史』が有ればこその描き方だし、抒情は『継続の歴史』の中に在る敗者・弱き者への心情が、根底に有るんじゃないのかね。 
 その象徴的な心象の核には、天皇の大御心と表現される自然・人間に対する天皇家の『心を寄せる』伝統的政体が存在して居る様にも思えるんだけどね。

 そんな大きな拡がりの中で培われて来た物が、侘び寂びで花鳥風月を愛でる日本人のDNAを構成してるんだと、妄想が走るんだけどね。活字を読むだけでなく、観察して感じる事で、少しは、真面目に異文化との違いへのアプローチを、日本人はするべきだと考えているんだがね。へへへ。」

「成る程なぁ、俺は歴史には疎いから、それ程の感じ取りは無いけどさ。ジンギス・カンの軍隊は、皆殺し・都市丸ごとの大殺戮と大破壊だって、授業で習った記憶があるもなんな。『違和感の出処に、心を澄ませ』って事かいな。あい。」

「あいあい、御明察だわね。俺は小説本は性に合わないから、殆ど読まないけど、若い頃に、西洋人が書いたジンギス・カンの研究本を読んだ事があってさ。その中では、ジンギス・カンの事を『偉大なる機会主義者』と高く評価して居たんだけどさ。俺は日本人だから、体質的に如何も、その検証・論証に違和感が有ってさ。
 
 でもさ、モンゴルと云えば、蒙古だろ。身近な蒙古と云えば、大相撲の朝青竜と白鵬をイメージするんだよ。この二人を対比して、得意の妄想を働かせると、朝青竜はジンギス・カーンのイメージとダブルんだよ。へへへ。
 まぁ、色々焚き付けちゃうと、Tの好奇心の扉を締めちゃうから、これ位にして置くけどさ。興味がそそられたら、モンゴル帝国の関連記事に目を通すのも、時間潰しには為らぁね。ギャハハ。」

「そうだよな。俺達には、多かれ少なかれ、受験勉強の残滓があるからな。始まったばかりの、長いロートルのステージだ。丸暗記する必要は、更々無いんだから、色んな専門家のエキスを吸わせて貰うのも、活字の愉しみの一つだわな。
 フリータイムの活用法は、バリエーションとウェートの置き方次第で、話題の肥やしに為るからな。ひひひ。」

「ハハハ、インテリさんは、言う事が違うわね。インプットして、使わせて貰うわね。
 そう言えばさ、エロビデオ見てて、誰かに似ていると思っていたんだけど、それがハッキリしてさ。大笑いしちゃったんだわさ。

 観賞相手が白人さんだったから、へへへ、それが障害の元で、イメージを東洋人に転化する事が、出来なかったってだけでさ。
 それが、何かの切っ掛けで種明しが出来ると、為るほど惹かれるけだわね。洋の東西を問わず、好みの顔・好みの雰囲気と云うのは、辿って行くと同根って事だわね。ギャハハ!!」

「それでか、お前、RedTube見てたろ。横文字コメントで盛んだったじゃないか。」

「ノーノー、俺にだって、学習能力はありまするわね。あんな動物魔界なんざぁ、何ヵ月もお邪魔してないわね。俺ぁ、口で云うほど、変態助平じゃないからね。俺の本質は、品の好いインテリ男だぜ。心眼が曇ってるんじゃねぇのか~。

 俺のブログは、長駄文の創作日記だぜ、あんだけ文字が多いと、何かの言葉にひっ掛るんだろうね。それで、キーワードとやらの反応で、張り付けコピーのコメントが、自動的に来るんだろうね。
 まぁ、相手は無人操縦の旋回機見たいな物だから、一々目くじら立てても、始まらんわね。来出すと消しても消しても、来ちまうんだから、手の打ち様が無いわね。へへへ。」

「そう云う事かいね。世の中、色々で仕方ないか・・・ まぁ、インターネットは、何処へ飛ぼうが、飛ぶ人間の自由だしな。色んな趣味を持った人間が、五万と居るからな。へへへ。」

「あいあい、そう云う事だいね。」

 煙草を外のベンチで吸った後は、お決まりの様子見である。この13日で店終いすると云うホームセンターは、補充が無いから、商品もすっかり品薄状態である。

 経営効率化の下に、又一つ、店が消える。撤退店舗に、今度は如何なる店が登場するかは不明ではあるが、街も動態生物の様に営利を求めて、流離う生き物の様である。これも街の栄枯盛衰の移ろいを映す様であろうが、寂しき感想である。


心何処ーショート 立春、お付き合い散歩なり。
           ブラブラ散歩に、お付き合い散歩。(2/4/11)
 如何云う訳か知らぬが、予定して居た国会中継が無い。清々しくも素晴らしい日差しである、母に、散歩をするなら暖かい内に、行って来いと急かされて仕舞った。家に居るのが、勿体無い冬の上天気である。セーターの上に、コール天のシャツを着ただけで、ゆっくりブラブラ歩きの正規ルート2時間弱の散歩遠征をして来た次第である。

 雲など一つも無い無風の青空に、雪のアルプスが眩しく迫っているロケーションである。こんなロケーションの下、アスファルト道を歩くのは、暇潰し作法としては、下の下の選択である。

 河川敷から上がって、今度は中学下の田んぼ、畑、リンゴ・ブドウの果樹園が続く幅20~30cm程度の畦道を進んで、小さな集落を抜けて、川の東側の広々とした農道を歩く。この辺りまで来ると、標高が高いから、松本平が大きく沈んで見える。

 幸い、広い田園風景の中には、人の姿は無い。野火の入った乾いた田んぼには、カラスが居たり、ツグミが居たりで、冬の田園風景が好い眺めと雰囲気なのである。

 本日は、テクテク歩きは目的の範囲外であるから、何度も足を止めて、フィールド観察を旨として歩いて居るのである。

 それと、真面目に歩くと、汗を掻いてしまうから、汗ばんで来ると体温調整の為に、立ち止まり観察をしているのである。折り返し点のH橋を通過して、下り勾配の帰り道には、音痴な私の口にも、鼻歌がハミングして来る。

 誰も居ない昼下がりの散歩遠征である。その内に、気持ちが好く為って来て、歌詞が二番三番と繋がって行く。まぁ、これもボケ防止の一助とも為るやも知れぬ。

 どうせ、他人の目からは、ヤクザもどきにしか見えないロートル・クマ男である。『女の蔑み目線』が怖くては、女を手籠めにする蛮勇など生まれる訳が無い。蛮勇が枯渇すれば、妄想力にも影を落とす。
 何しろ、吾が妄想相手は、肉弾果つるまで撃ち尽くさねば、納得しない豪の者・肉食金髪アマゾネス族なのであるから、手合わせを願う前から、日本的常識に囚われて居ては、勝負には為らないのである。

 アナザー・ホールを所望されれば、日本男児たる者は黙って、それに応える懐の深さを見せねば、開国グローバル化の時代・・・ 坐して居ただけでは、国威に疵を付ける行いなのである。外交の前に、民間善隣親善の要素も、大事な日本人の気概の一つと云う物であろう。

 さて、本日も好いお天気さんである。風呂、洗濯を終えて、四畳半で一服して居ると、散歩に行くとの斜向かいさんのお誘いである。本日、立春為り。はいはい、少々お待ちを!! お伴つかまりまする。

 体育館・文化会館横を通って、護国神社さんに入る。境内には干支を描いた大絵馬が十二支に因んで展示して有る。斜向かい吟さんは、その絵馬制作現場を見学して居たとの事である。それらの2m×2m程に及ぶ絵馬は、スプレーで描かれた物だと云う。

 描き手さんは、芸術家の端くれサンなのであろうが、これ程のスプレー画を自在に掛けるのであるから、ご本人様にとっては、好い仕事であろう。好きな事をして、飯が食えるのであるから、実に羨ましい限りである。

 私の日課とする散歩は、テクテク歩きの長丁場であるから、或る程度距離が延びて来ると、歳の差は歴然として来る様子である。まぁ、遠出は止めにして、コースを折り返すとしよう。イッヒッヒ~。

 遅い昼は、野菜たっぷりの焼きそばとする。私も今では、立派な賄い夫である。ロシア辺りで、奇特なスポンサーでも見付けて、『日本貧民家庭料理の店』でも持たせてくれたら、金髪美形の一人や二人を持てる身分に為るかも知れぬ。ギャハハ~。


心何処ーショート 節分に乗せて
                   節分に乗せて(2/3/11)
 洗濯物に日が当たって、長閑な微風の揺らぎである。百日紅の根元の日向には、ヒヨドリが地面の何かを啄ばんでいる。楓の小枝の芽を啄ばみに、メジロ夫婦が遣って来ている。野鳥達の其々の食性に気付かされるのは、愉しい物である。スズメが来たり、カワラヒワが来たりで、退屈しない物である。ラジオからは、幼児達の豆撒きの声が中継されている。

 豆撒きと言えば、子供達が幼児の頃、鬼のお面を描いてくれとせがまれて、幼稚園に通っている娘のクレヨンで、鬼の絵を描いて、出来上がったので着けて、ガオーと子供サービスをして遣ったら、怖い怖いとギァーギァー泣かれてしまった。

 自分でリクエストしたくせに、とんでもない小娘であるから、手荒く扱っていたら、女房殿にこっぴどくお説教を喰らってしまった。そんな事を言われても、私は幼児性が強い性向なのであるから、反省の仕様も無い処なのであったが、如何も私の色使いというか色彩感覚は、その頃から異能のレベルに在った様である。イッヒッヒ!!

 年に何回かしか顔を見ない娘ではあるが、可笑しな事に、娘は私の戯け画が好きの様であり、未だに『節分の鬼絵』の印象を根強く持ち続けているらしい。娘は、絵心も文章力も持っている。
 今は、何かと仕事が忙しくもあり、仕事に興味を持っているらしく、その方面に割く時間が無いとの事で、小さな趣味がデジカメでのパチリとの事である。

「そうかね。まぁ、焦る事は無いわさ。蛙の子は蛙。鮭も、帰るべき生誕の川を忘れんわね。自覚しようが仕舞いが、人間の血液には、DNAの逃げられぬ川が流れているんだわさ。文学的表現だから、インプットして置けや。損は無いぜや。ギャハハ!!」
「スケベ親父だけど、親父は、好い事、言ってるからね。アハハ。サンキュー。」

 日々の業務関連の知識は、年季と共に脳の部屋に、整序正しく蓄積されて行き、コンパクトに収納がされて行けば、趣味としての空き部屋も出て来る筈である。遅くとも、5、6月には、専門分野を進化させて、元の病院に復帰するとの事である。
 東京暮らしを終えて、故郷の地で歩む人生の中で、自分の心の在り様と向かい合いながら、時折の心境を綴ったり、絵を描いて、親父と娘の感想を述べ合う時間を持ちたい物である。

 親子にとって、底に流れるDNAの共通項と繋がりは、単に親子の二代に限定される訳では無く、何世代、何百年にも繋がる共通因子を内包している者同士なのであるから、面白可笑しな共鳴し合う物に違い有るまい。

 現に、足して156歳に為る老母と私の間には、少なからず、その様な感覚・感想がある処である。94の母にして見たら、現実の姿として自分の脳裏の中にある父母の姿から数えて、母の兄弟姉妹の姿、自分の子供達、その家族、孫、曾孫などの姿を反芻して行けば、其処に現れる時空の中に、時代と血の流れなどを感じているに違いあるまい。

 そして、同居して、日々をニュース、ドラマ、国会中継、旅番組を話の種に、親子で言葉を交わす、その中で感じ取っている『自分の分身』との思いも、少なからず認識しているのであろう。これは、母のそんな思いが、以心伝心の空気の様に感じられる処である。

 母を見送った後、私が現在の母同様の確認が出来る子供達との語らいが、何十年先の事に為るかは、分からない処ではあるが、興味深い予想をしている。詰まりは、種を蒔いて育て、自分の分身たる子供達が、其々が一本立ちして、自分の木に『如何なる色付け』を施して、再び親の前に姿を見せてくれるかなのである。

 色のバリエーションは、其々が歩む外的バリエーションによって、色付けのコントラストは変わって来るのではあろう。それは、『色の三原色』為る物が、確りしていなければ、見苦しき色合いで終わってしまうだけの事である。
 三原色をDNAと捉えるならば、子供達の三原色の中の如何なる色を主調として、自分達の色合いを作り上げて行くかであろう。

 こんな自由放任主義の下心が私にはあるから、人間ウォッチングとして、面白観察が出来ると言うものなのである。

 素朴で骨太で、のほほんとした色合いを、子供達が醸し出してくれていたら、私の役目は終わったと言う事で、静かに目立たず人生を閉じたいと思っている次第である。へへへ。
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