旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 妄想詩人?
                  妄想詩人?(1/31/11)
 さてさて、天気予報だと今朝の最低気温は、松本でマイナス11℃弱との事である。ここは郊外に位置するから、それよりも1、2℃は低く為る筈である。夜の21時の段階で、早やマイナス5・1℃との事である。

 インターネットで、モンゴル帝国のジンギスカン、その子、又、その子達に依る大征服記の長い文章を読み進んでしまったから、きっと知恵熱が回って仕舞ったのであろう。睡眠時間からすると、もう少し眠って居たいのではあるが、母の動きと、玄関の小鳥達の大ブーイングである。

 仕方あるまい、動かなければ、一日は始まらないのである。水道の水は出る物の、矢張り排水パイプは、コチンコチンの凍結の様である。朝食後は、パイプに熱湯を掛けて、通水作業をしてから、米屋さん経由で個人スーパーに買い出しをして来るとしよう。

 郵便受けを覗くと、葉書きが一枚。宇部市、『思い出館』さんからである。私のお節介に対する礼状である。へへへ、如何やら、ロートルクマ男は、田母神氏と同様に、危険人物では無く、好い人の様である。有難い葉書きであった。

 米屋さんに漕ぎ着けると、おや珍しい。ご主人は配達で不在ではあったが、味の豊かな御老人が、コーヒーを飲んで居られる。

「やあやぁ、先生、御無沙汰致して居ります。お元気そうで、何よりです。何ヵ月ぶりですかね。
 此処で会ったが、100年目だじ。今日は、逃がさねぇよ。どうせ、俺達ぁ、役立たずロートル同士だわね。さぁ、漫才こいて、帰るぜや。あい。」

「やあやあ、大先生、校長先生のお出ましと有っちゃ~、無学非才の俺が、出る幕は無ぇぜや。はいはい、此処へ据わりましょや。奥さん、コーヒー入れて遣っておくれや。」

 まぁ、味の濃い元営業職からの社長様のご隠居さんであるから、もうもう、話し出したら、談論風発のエロ色話が、出るわ出るわの・・・ゴタ話、話の泉コーナーに陥って仕舞った。御隠居さんはキヤリの名手との事であるから、私も『景気付けに、諏訪の御柱に摸して、寝床の磯(ISO)柱を出しましょうか。』と、モゾモゾ股間を弄り始めると、ヨロヨロと席をズラされて仕舞った。ギャハハ~。

 折角の私の好意を無碍にして・・・ 全く、口ほどでも無い。然しながら、私も、それなりの羞恥心を持ち合せて居るから、子細に亘るロートル漫才の内容を、打つ訳には行かないのが、真に以って残念至極の極みなのである。イッヒッヒ!!

 個人スーパーに行って、再び先輩相手に戯け話を展開して来る。相手が、男族から女族に変わると、これまた、面白い女の観点からの『お説、御尤も』の耳の痛い正当論を拝聴して来た次第である。

「何が、女日照りだね。父ちゃんを信じて、『一人しか居ない親を、心行くまで確りと介護して上げなさい。それが人の道だよ。』って、送り出してくれる女房なんかは、今時、稀少価値なんだよ。
 あんな綺麗で出来た好い奥さんなんか、居ないよ。それを、何だだい。欲掻いて、『女日照りで、愛は要らねぇ、穴さえ有りゃ、吾が世の春だ~。』そんな無駄事こいてると、ミンチに掛けて、カラス、トンビの餌に撒いちゃうよ。

 どうせ、そんなタークラターのミンチじゃ、カラス、トンビだって、馬鹿じゃないから、鼻も引っ掛けちゃくれねぇズラよ。」

「やや、行けねぇわ。カカアの再来見てぇに為っちまったから、俺ぁ、婆っさの所に帰るわいね。人恋しさに、フラフラ自転車漕いで来たのに、

 今日は、仏滅だわね。米屋さんで、秘物の御柱を見せようとしたら、恐れを為して、逃げられちゃうし、御柱の穴埋め相手の情報を貰おうとしたら、先輩に『逆ねじ』喰らちゃうし・・・ 、

 しょうがねぇから、カット・カボチャを焚いて、婆っさを楽しませて遣るわいね。」

「そうだよ。男と女は身体の仕組みが違うから、兄さんが、サツマイモ、カボチャ、マメが、好きじゃないと言っても、植物繊維の多い物を、お婆ちゃんに食べさせて遣らないと、駄目だからね。女房も親も大事にしなきゃ、罰が当たるよ。分かってるね。」

「あいあい、一句、浮かんだわいね。

    <女の口車に乗らされて、日々感謝感謝の女日照りの遠き道を歩まん。
              吾、愚かなりや。> 

   <この世の半分は、女為り。何と、男見る目の乏しき、この世の荒廃や。
     侘びしき寒き寝床に、独り御柱握り締め、暖を取る手の冷たさよ。
          握れば、冷たき掌に、妄想も思い浮かばず。>

 やいやい、若しかしたら、俺ぁ、妄想詩人の才能が、有るかも知れんぞね。へへへ。」

「まぁ、そう云う事だね。一見、オブラートに包んじゃ居るけど、男の頭の中は、それっきりだね。
『御柱』ねぇ~、変な物を、振り回して、幾ら近いからって、O刑務所に行くんじゃないよ。私の所に、テレビ局がインタビューに来たら、幾ら兄さんだって、庇い様が無いからね。アハハ。」

 へへへ、口じゃ男族は女族には、敵いませんわね。遺憾いかん、米にレジ袋、これぁ少々思いでありまする。これでハンドルを取られて、自転車から落馬では、世間様から笑われて仕舞う。右好し左好しの前方確認の自転車横断である。
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心何処ーショート 嗚呼、馬鹿に付ける妙薬無し。
             嗚呼、馬鹿に付ける妙薬無し(1/30/11)
 サッカーを見て居る内に、抗し切れずに寝て終った。最後の最後で決まった、日本の優勝であったそうな。先ずは目出度しの結果である。

 目を覚ますと、寒かった所為で、行儀の好い寝姿であった。寝過ごしたかなと思って、時計を見ると、未だ早い時刻である。餌を催促する小鳥達の鳴き声がするだけで、母の動きは無い。

 空気の入れ替えに、廊下の戸を開けると山ツツジが、乾燥で萎びている。苔にばかり水を遣って居ては、春の山ツツジの花が愉しめない。ヤカンに水を汲んで来て、数回水を巻いて遣った次第である。

 一面の灰色空である。休息日の日曜であるから、寒さと相まって、物臭休息には持って来いのムードである。さてさて、朝飯のオカズは何としようか・・・などと思案しながら、賄い夫の始動を開始しまするかな。

 台所に立って、昨夜浸して置いた切干大根と、干しシイタケを鍋に取って、切干大根とシイタケの甘辛煮を仕込みながら、掃除をして母の動きを待つ。

   ラジオでは、変わり映えのしない日曜政治討論のお時間が流れている。

 温泉ミネラルウォーターの熱い湯で、モーニングコーヒーの煙草の燻りである。陽の光の無い水槽住人達は、金魚の中層泳ぎとヒメダカ達の低層編隊の様である。

 朝食後は、日本茶を飲みながらテレビを見て、母のご機嫌伺いのお時間である。体調も戻ったらしく、シャキッとしている。先日は、一日中、パジャマ姿で、コタツとベットの布団の中で過ごして居た母である。

 母には、私を一日中あやして育てた記憶があるには違い無かろうが、私としては一日を母と向かい合って暮らす記憶が薄いのは、仕方が無い処でもある。賄い夫三年にして、親子が向かい合って暮らす日常が、馴染んで来て面白可笑しな、それも何やらくすぐったい感じの観察と云うか感覚がして来る物なのである。

 母親と倅の関係であるから、女族の様な手を摩るとかのスキンシップは皆無なのではあるが、言葉の遣り取りには男と女の微妙な齟齬があって、女房とは違った面白さがある。

 私は、四男坊の悪口叩きの性向が強い。私とて、人前に出れば口の重い常識人の端くれであるから、男族のTPOに応じた使い分けを『習性』として持たされている処である。
 
 然しながら、他人では無い女房子供の前では、下品・好色のリラックスモードで、家族の雰囲気を楽しむのが常であった。女房子供の前では、当然に私が家長であるから、常識を払拭して、亭主関白の人治主義の好い加減舵取りをさせて貰っていただけの次第である。

 尤も、度が過ぎると柳眉を逆立てた相棒の女房から、シャレコーベにお仕置きゲンコツと強烈なエルボーが炸裂したに過ぎない。

 それでも、母の前では、家長は母なのであるから、それ相応の上下の関係が維持されている次第なのである。昨日の土曜時代劇の後は、ワンダー、ワンダーのお時間で、久し振りに、私の大嫌いなデビ夫人のお姿が有ったから、茶化し見物をする事で、自室直行を暫し猶予したのである。

「おっ、珍しい。ノーテンキ馬鹿女様じゃないか。仕様が無い。ちょっと、カマって行くかいな。おお、凄いじゃないの。見て見ろよ婆さん。

 好い歳かっぱらって、大金叩いて肉体大改造の手術後のお披露目だな。やや、凄い!! デカ胸にぁ、一本の皺すら無いぜや。年齢に逆ベクトルの化け物進化論の実験モルモット様だぜや。確り見て置かなくちゃ、NHK受信料の元は、取れんぞね。

 そうかそうか、こりぁビックリ魂消たわね。顔の弛み皺は、上唇と下唇の延長線上でカットして、シリコン補強して居るんだぜ。手術テクニックとしたら、それしか無いだろうな。理に適っている。
 それで、口の動きがスムーズじゃないんだ。ほら、別仕掛けの操り人形的な異和感が有るだろう。手術の断線で、未だ自律神経の結束が出来て居ないんだろうな。

          好いね好いね。人間サイボーグって代物だわさ。

 おっ、出ました出ました。我慢し切れずに、見せました。これ見よがしの大カラット・ダイヤモンド。ほれ、カメラ、ズームアップ、ズームアップ!! これぞ、馬鹿女様のエクスタシー顔だわね。イッヒッヒ~。

 見せびらかして、雛壇のお官女様で薄ら笑いを湛えている居る分じゃ、好いんだけどさ。あんな物ぁ、ちょいと立たせて歩かせて見りゃ、トボトボ婆っさのお姿だぜや。直ぐボロが出ますわね。

 好色スカルノの隠し不正蓄財を引き出して、自分が生きて居る内に、大浪費しなくちゃ、濡れ手に粟の転がり銭は、あの世には持って行けねぇから、タンと浪費しておくんなましって事だわね。
 受け取り手の居なくなったシークレット巨万の富を、銀行にネコババされちゃ、大損だもんな。分かるなぁ、その位の暗算は、下衆貧民の俺にだって、容易に想像は付くぜや~。ギャハハ~。

 自分の実年齢に合わせて、頬っぺたのシリコンを抜いた、エースの錠さんとは、全く人間の質の違う銀座ホステス上りの第三夫人様だいな。金持ち貴婦人は、マリー・アントワネットに対抗して、銭を浪費してくれなくちゃ、娑婆は潤わないからね。

 どうせ、目の飛び出る位の銭を注ぎ込んだ何年置きかの『肉体大改造』だ。全国の津津裏裏まで、見せびらかさなきゃ、元は取れんぞね、もし。

 シャラップ!! お喋りに為ると、お里が知れまするわな。沈黙は、最大の防御で有りまするぞね。

 この馬鹿女が、喋ると吐き気を催すから、俺ぁ、部屋に帰るぜや。94歳、皺に刻んで、弛ませた○○婆さんの方が、俺ぁ、よっぽど可愛いぜや。後は、布団の中に入って、ボチボチ見てなよ。イッヒッヒ!! じゃあ、又、明日な。」

「本当に、この子は誰に似たのかね。私も父さんも、そんなに口は悪くは無かったのにね。私の兄弟姉妹にも、こんな軽口を叩くのは、居なかったんだけどもね。本当に、笑わせてくれる息子だわ。」

「そうかい、世界七不思議で、若しかしたら、俺は婚外子かも知れんぜや。世の中、処女受胎の絶対神の存在も居為さるんだからな。
 鳥インフルエンザのウイルス並のオタマジャクシだって、地球の大気の中にぁ、浮遊してるんだぜ。
 哀しいかな、そのメカニズムに科学のメスが届いて居ないだけだわさ。以上、今日の講義は終わり。早くベットに潜り込めよ。」

 嗚呼、こんな戯けトークばかりして居ると、本当に私の知性は、痴性ばかりを進展させて、恥ずかしながらも、母が身罷った後は、きっと社会復帰は叶わないのであろう。

 何処かで自制細胞の復活を訓練して行かないと、大変な事態に遭遇して仕舞う事、必至である。

 雪雲、寒風ではあるが・・・ 冷気に当てて、眠れる自制細胞のリハビリ散歩をして来るしかあるまい。嗚呼、困った戯け男である事か・・・

心何処ーショート お浚いの奨め 
                お浚いの奨め(1/29/11)

「お早うザンス~。元気にしてたかや?」
「あいあい、如何にか生きてるわいね。なんか用意して置くかい?」
「梅干しと沢庵の通い箱持って行くから、頼むわいね。へへへ。」
「あいよ。了解。」

 Tの車が止まって、通い箱を受け取って車に乗り込む。

「おいおい、土曜日の中で、今日が一番寒いだろうが、寒くて、朝立ちもせんぞや。」
「相変わらず、精力が有って、羨ましいぜや。俺なんか、何年も縮こまり放しだぜや。」

 今日は、お天道様がお隠れに為って居るから、風景も寒々としている。暖かいコーヒースタバの二階席で、ジャンバーと毛糸の帽子を脱ぐ。本日は、若い娘達が英語の本を開いて、耳にイヤホン、手に携帯カチャカチャのお勉強ポーズである。
 
 我々の頃とは、勉強スタイルもすっかり様変わりして、全てがナガラ勉強スタイルである。私は勉強嫌いで通って居たから、勉強時間は集中力で、短時間集中で逃げて居たのである。こんなナガラ族をしていたら、さぞかし効率が悪かろうと思うばかりである。へへへ。

「この処、深夜授業を受けて居るんだがさ。ロシア民謡のYouTube見てたら、オスマントルコの民族衣装を着た軍楽隊とロシア軍楽隊の合同演奏があってさ。其処から、オスマン帝国に飛んで行ったら、面白い発見をしたんだわ。

 俺達は、『宗主国』なんて言葉で連想するのは、大英帝国の版図なんだけどさ。トルコも立派な宗主国なんだわさ。従属国だった国には、色んな国が有るんだけどさ、国旗の赤地に月と星の国旗を、モデルにした類似の国旗が、あるんだわ。トルコ系民族にとっては、栄光のオスマン帝国だったんだろうな。
 
 そんな事で、突厥なんてのは、トルコ人の中国表記だった筈だから、モンゴル高原の遊牧地帯は、モンゴル系、トルコ系民族が、混沌一体として東は満州、西はウクライナ辺りまで、遊牧の季節的大移動を繰り返していた分布範囲だった訳だわ。

 面白く為って、今度はモンゴル帝国に飛んだらさ、頁横の動画パッケージに、チンギス・カンの映画動画が一杯張り付けて有ってさね。

 昔、ドクトル・ジバゴで一躍国際スターに為ったオマー・シェリフ主演の『ジンギス・カン』なんてハリウッド映画が有ったんだけどさ。何しろ白人ヤンキーが描くジンギス・カン様だったから、俺達東洋人からすれば、異和感満載の大愚作の印象しか無かったんだけどさ。
 
 それが、東洋人による東洋人の演じるジンギス・カン物語だから、もうもう、圧巻と云うか圧倒されちゃってさね。騎馬戦の大スペクタルシーンが、兎に角、迫力満点にして、槍騎兵戦法に対して、薄い半月刀の二刀流戦法なんだよ。こう遣って、こうしてさね。滅多斬りだぜや。馬上の両逆手斬り殺法だわさ。
 
 座頭市の逆手斬りの二刀流以上の大迫力なんだよ。正直、勝新の出る幕なんかありゃせんぞや。帰ったら、モンゴル帝国で検索して見てくれや。一見の価値十分だぜや。」

「何時もながらに、お前さんは博識だね。そうかい、そう遣って、半月刀を逆手斬りを振るうのかね。そりぁ、大上段から振り下ろすよりも、『最速の斬り方』だわな。鋭利な剃刀の様な切れ味なんだろうな。
 う~ん、理に適った斬殺方だわな。ローマ人の流れを汲む力任せに、撲殺する剣の使い方とは、異質の物だろうな。」

「ナタ、マサカリの力任せの撲殺とは違って、技で斬る違いが、西洋と東洋の違いかも知れんしな。俺は初めて見たから、ビックリしちゃって、恐ろしく為っちゃったわね。
 
 そう云えば、昔、教師が元寇の蒙古兵の話をしてくれてさ。蒙古の連中は、幼少時から馬に乗って居るから、足が馬の腹を確り挟み付ける必要から、皆O脚に為っちゃって、馬に乗って居る時は、『人馬一体の鬼人の強さ』なんだけど、馬から降りると、O脚が災いして、地上戦だと、陸に上がった『屁の河童』だったなんて、見て来た様な臭い話を思い出しながら、戦闘シーンを見て居たんだけどさ。へへへ。」

「それで、モンゴル帝国の方は、如何だったや。お前の事だ、面白い収穫が有ったんだろう?」

「あいあい、有ったんね。一つは、俺達が云うチャイナドレスの発祥が、モンゴル服でさ。俺の好きなロシアの民族衣装にも、その影響を与えて居るんだってさ。
 日本では、神事として伝えられている弓・流鏑馬(やぶさめ)・相撲のルーツも、朝鮮半島→中国→モンゴルで、モンゴルがそのルーツなんだってさ。

 モンゴル高原は、年間降雨量が200~300mmで、それも夏に降るだけなんだってさ。それで7、8月の二カ月だけが、親戚・部族がモンゴル高原に集まるんだってさ。高原に、無尽蔵の草原が生まれて、自然の恵みに人々は挙って、お祭りを楽しむんだってさね。乗馬競争、弓技、相撲がメーンの競技なんだってさ。

 家族、親戚、部族が短い夏に挙って、再び核家族の草を求めての、長い草原放牧の生活でユーラシア大陸を東西に回遊して行くって事だわさ。国境の無い時代の悠久の拡がりが、ユーラシア大陸を結んで居たんだろうね。」

「やいやい、何時もながら、凄いもんだぜや。その旺盛な記憶力は、大したもんだぜ。頭の出来が違うわさ。」

「あいあい、頭の毛が無いから、風通しが好いだけだわね。障害物が無いから、熱し易く冷め易いってぇのが、玉に疵だけどな。俺ぁ、勉強は嫌いだから、記憶しちゃうんだわね。

 こう遣って、お前さんにくっちゃべれば、もう一度、脳味噌から引き出すから、復習のお時間と為らぁね。記憶の常道は、集中と吐き出しの反復練習。植え木の水遣り作業と同じだぜね。ギャハハ。
 浮いた時間は、ピンクの妄想時間に当てなきゃ~、生きてる価値も甲斐も無いぜや。」

「そりぁ、そうだ。真面目に活字を読んで居ただけじゃ、R流面白話は出来んからな。さてさて、今日は寒いから、車の中で、パッパを吸うじゃないの。」

 帰りの車の中で、

「沢庵漬けの糠を捨てずに、大根を買って来て、ぶち込んで居るんだぜ。
 まぁ、漬かりが浅いから、辛いんだけどさ。」
「ほう~、Tも立派な賄い夫遣って居るんだ。俺なんかも、奈良漬の粕を捨てるのが、勿体無いから、奈良漬を出して冷蔵庫保管して、其の粕の中に、沢庵をぶち込んで、使い回しをしてるんだわ。」

「それが、庶民の生活の知恵だしな。高級料亭の『吉兆』だと、大問題だけどな。アハハ。」
「ちょいと、待ってろや。通い箱に梅干しと沢庵を入れて来るからさ。」

「ほい、これはアルコールが回り過ぎた奈良漬に、沢庵の酒粕風味だわね。こっちから先に遣っておくれや。」
「やぁやぁ、何時もアリガトさんよ。梅干しに沢庵がありゃ、重宝、この上なしだぜね。お互い、年寄りが片付かないと、遠出は出来んからな。辛抱・辛抱~。」

「あいあい、そう云う事だ。俺達の専門科目は、お互い臍下三寸に有るんだから、朝立ち回復を疎かにしちゃ駄目だぜや。」
「そりぁ、大丈夫だ。いざと為れば『梅胡坐の薬効』さね。サンキュー、婆さん大事にしろよ。」
「了解、爺っさに宜しくな。バック好し。じゃあな。」

 へへへ、ヤクザもどきのロートルコンビのコーヒータイムも終了である。本日、殊更、寒きモノトーンである。忘れぬ内に、ブログ日誌を打っている間に、お天道様が顔を出したら、散歩をすれば好かろう。来週は、早や二月である。


心何処ーショート ラジオと映画の狭間の中で
             ラジオと映画の狭間の中で(1/28/11)
 寒いから、布団の中でマッサージ器を右の背中から腕、指先にビリビリ振動させてから、さあ、朝の始動開始とばかりに起き上がって、母の部屋を覗くと、ベットの中である。

 体調が悪い様である。食欲も無いとの事であるから、昼と一緒にしようかと声を掛けて、鳥の世話、掃除をした後は、温泉銭湯に行って来る事にする。

 ペットボトルをカゴに、自転車に乗ろうとすると、道路にジョービタキのバルディナさんが遣って来た。西向かいさんの埋け垣の中に虫でも見付けたのだろうか、盛んにそれを追っている様な行為をしている。
 急ぐ風呂行きでも無いから、私は自転車を止めて、模様眺めである。2mにも満たない至近距離での観察であるから、顔見知りと云うか、お互いの識別意識とは、面白い物である。

 温泉銭湯は、時間が時間であるから、私の貸し切り風呂である。こんな時間帯では、女風呂からの会話が、筒抜けに聞えて来る。きっと常連のお婆ちゃん同士なのであろう。ゆったり浸かって、ほかほかの内に帰って来る。母は未だベットの布団の中である。食欲が無いと云うから、私だけの食事である。

 具合が悪い時は、安静が一番である。サツマイモと茹で卵にして、皿に盛って食べたく為ったら、何時でも食べてくれと言って、昼散歩に出掛ける。

 山の端に、僅かばかりの白雲の迫り出しが、二、三あるだけで見事な快晴振りである。

          然しながら、寒い事、夥しい限りである。

 昨夜は、久し振りに渡瀬恒彦・吉永小百合主演の『皇帝のいない八月』をビデオテープで見た。映画好きの私の映画ビデオライブラリーの中でも、インパクトの強い好作品の一つである。
 1978年とあるから、33年前の作品である。映画観賞は、映画ストーリーに疑似体験するのと同時に、映画が映し出している映像・台詞を現在の時点で、時代を振り返りながら観て行くのも、一興の態度と云う物である。

 映画の中のモノクロ映像には、60年安保映像、70年の三島由紀夫割腹自決事件映像が何回か出て来て、自衛隊クーデターを指揮する主人公の内心の決意を語らしめている構成である。主人公の心情吐露の場面は、多分に三島由紀夫を語らしめて居る。それは、日本映画史に残る渡瀬恒彦の迫真の演技である。

 高倉健・吉永小百合主演の二・二六事件を映画化した『動乱』も、又然りの私の好きな映画の一本である。映画で、心情を語らせたら、日本映画は、出色の出来である。

 敗戦後66年目を数える平成23年の御代である。世界はグローバル金融市場と為り、金転がしの電波が金に群がり、『売った買った』に狂奔する金融資本主義の拝金偏西風が、地球を所狭しと瞬時に繋ぐネット網は、凄まじい欲望の連鎖である。
 地球の東西南北に吹きすさむばかりのマネーゲームが、至る処で、不夜城の形で撒き散らされている有様である。

 マネーゲームの中で、信条も仁義も心情も屁ったくれも無い『荒っぽさ』だけが目立つ。実業の企業活動も、最早、国籍を失くしたグローバル企業の世界分業化が進みに進んで、其処で働く人間も国も、部品としてのコストの一部として、いとも簡単に、国際競争力の下に、最適の立地条件を求めて、世界を摘まみ食いして歩くザマである。

 その実業とても、巨大な虚業のマネーゲームの下で、その果実を企業財務の中に取り込みつつ、苦戦を強いられ続けて居るのであるから、1929年の世界大恐慌も、リーマンショックの行き過ぎさえも、喉元過ぎれば、熱さを忘れるばかりである。
 投機で失ったマネーは、投機で取り返すのが、『経済の常道』とばかりにマタゾロ、資源買い、ランド買い、森林水資源買いのラベルの付け替えで、糊塗して居る有様である。

 確率計算の下で、不良債権の忍ばせが、バレて世界は未曽有の世界同時不況の七転八倒を経験しているにも拘らず、・・・

 その本質たるや、安い中国ウナギのかば焼きを、日本の倉庫でラベルを張り替えてしまえば、濡れ手に粟の暴利を手に出来る構造なのであるから、ラベル張り替えの毒まんじゅうの味を占めたら、止められぬのが人間の本性の一つなのであろう。

 何処かで、毒まんじゅうのツケ回しは止めにして、身の丈に合った足るを知る地道な生活の価値を、社会の規範とすべき時代を認め合う時期に、地球は来ているのでは無いだろうか。

 例え、時代遅れの映画であっても、心情濃い映画の世界に、涙と鎮魂の共感を送るのは、意味の無い事なのだろうか・・・ やれやれ、本日も、各党、表現方法の違うだけの政党代表質問を聞きながらのブログ打ちである。


心何処ーショート 言霊考
                   言霊考(1/27/11)
 リンゴとミカンの大判振る舞いなのではあるが・・・ メジロが遣って来ない。ラジオの国会中継を聞きながらの、野鳥待ちなのであるが、一向にパッとしない。

 昨日の小池さん、本日の中曽根さんと云い自民党の質問は、好かった。それに引き換え、菅無理さんの魅力の無さが浮き立ってしまう。民主党大臣席のニヤニヤ顔、ヒソヒソ話は、真に以って行儀の悪さを通り越して、指導者としての謙虚さに欠ける光景である。

 又、史上最年少とやらの官房長官さんは、答弁も無いにも拘らず、大量の書類を机の上に並べて、一心不乱のお勉強振りを続けておられる。この様は、何やら試験科目でない授業中に、試験科目の内職をしている受験生の様に好く似ている。

『目的の為に、手段は問わぬ。全ては、一転集中型の私目的合理主義』の様な、精神構造の持ち主さんなのであろう。得てして、この手の輩は、権力に弱く、自分に甘く、他人に厳しく臨む排他的傾向の強い<自己顕示欲の塊>の様なタイプに違いあるまい。顔付き・目付きにも、如何にも刺々しい物を剥き出しにしている面相である。

 この手の輩は、組織と椅子のユニホームで威張り散らすばかりで、弱き者を包み込む大らかさが、一切感じられないお人である。狭隘性向の典型である。ギャハハ!!

 丸投げ・冠(カンムリ)菅内閣の要の茶坊主官房長職なのであるから、きっとご主人様は、人使いが荒くて、時間が如何逆立ちしても、追い付かないのであろう。国会をセレモニーと嘯(うそぶ)く本音は兎も角として、国家的セレモニーを演じている役者達が、このザマでは民主党議員様達の一個人としての底の浅さが、ストレートに映し出されている始末である。

           国会中継の映写カメラマンとて、馬鹿ではない。

 国会中継カメラを鳥瞰したり、ズームアップしたりのテクニックで、それとなく一国民、一庶民としての切り口を忍ばせて、全国放送しているのである。NHKの独占的実況放送であるから、幾つかのカメラアングルを併映して捉えている映像の取捨選択は、国会映像プロデューサーのチョイスに在るのだが・・・

 嘗て古のお役人さん達にしても、最新鋭の漢字を国語使用する際に、和平を平和と順序を組み替えて、導入していたとの事である。
 つい最近の出来事の一つ、尖閣諸島沖での偽漁船の日本海上保安庁巡視船への体当たり攻撃は、手も足も出ない占領軍憲法下での自縄自縛の似非平和日和見主義日本へのイタブリ攻撃であった筈である。
 普通の日本人なら、sengoku38さんが、登場しても何ら国民感情に逆らわない行為・行動であろう。

 本来的様相としては、公、官を支える裾野に、この様な国民的義憤が存在しない公、官の存在ほど、異常・異様な物は無い筈なのである。全国のタイガーマスクの伊達直人さんの心情・真情の奥には、『憂国とか政治の不条理に対する、そんな心理』が働いているのであろう。

 高々、受験偏差値の高さだけで、心情の低さを蔑ろにして、ライバルへの足の引っ張り合いに『狂奔して手に入れた椅子』からの、不遜に近い高い所目線の心情劣等生共が、他人の書いた文章を棒読みするだけの答弁で、何をや、言わんかの共感・共鳴薄き国会答弁である。

 これは、感性・見識以前の感覚の無さでしかあるまい。感覚の鈍さ故から来る野党時代と首相時とのブーメラン口劇を受けているザマなのであるが、言葉の垂れ流しへの無感覚なるが故の結果でしかあるまい。

 嘗ては、社会規範としての『無言実行・垂範率先型』が、指導者の立ち振る舞いの一つであった。そして、言葉は言霊(ことだま)に通じると云う云われ方をして、男子が一度発した言葉には、責任を持たなければ為らない性質の物であるから、軽々しく言葉を発する事を戒めていた社会の風潮が厳として存在していたのである。

 霊魂の宿る言霊を言葉として発する指導者の脳髄から、言霊の重みを控除してしまったら、一体如何なる現象が蔓延するかは、民主党の鳩山・菅氏に代表される民主党議員の先生方の大臣席に座る動作を見ているだけでも伝わって来る処ではないだろうか。

 一時、『金属疲労』なる言葉が、流行した時代があった。言葉もまた、斟酌フィルター無き多弁を弄すれば、言霊疲労が祟って、『使い捨て』の忌まわしき詐欺紛いの言葉が、虚しく響き渡るだけの事である。
 気持ちも心も乏しい言葉の羅列、速射砲は、過去の言質を目晦ましする為に、回転率を挙げに挙げて、エンジンがブスブスと黒煙を上げている様相である。車のエンジンにだって、冷却装置のラジエターを搭載しているのである。

 目先逃れの糊塗・糊塗運転ばかりして居たんじゃ、コトコトスピードで、内憂外患の世知辛いグローバル経済・政治の波浪高き大海原では、漂流エンジン停止の事態と為ってしまいまするがな。顔だけ萎び上がっているだけじゃ、評価は生まれませんぞよ。

              給料に見合った仕事を為されませ。

 嗚呼、スカンポ脳を悩ませるのも、好い加減に晒し遣がれ。俺ぁ、馬鹿だから、柄にも無い言葉を思い出して、タンと疲れてしまいましたぞや。ニャローめ。

 さて、下衆の下らないブログ打ちは、この位に留めまして、散歩に出掛けて参りまする。


心何処ーショート ジャングルに目覚め、真冬日に震える。
         ジャングルに目覚め、真冬日に震える。(1/26/11)
 寒さの所為で、半纏を頭からすっぽり被って寝ていたのが、功を奏したのであろうか・・・

 南国ジャングルで、私はトロピカル・フルーツを丸でオラウータンの如き、スローモーの動きで、モグモグと口に運んでいる。余り見掛けた事も無いブドウ状の小粒な黒い実がずっしりと、縦簾の様に、ジャングルの大幹の垂れているのである。

 食べて見ると、ブルーベリーの様な、甘味と酢っぱさが、好い具合でマッチしている。大口を開けて、歯で扱き取って、舌と上顎でギュイと圧して、果汁をゴクリと喉に落し、皮も種も、一緒に吐き出す。
 完熟甘味が欲しければ、ちょいと手を伸ばして、青い葉の中に在る橙色に実った甘い果実を、捥ぎって果肉を吸えば、強い匂いの重い汁が、ゴクリと喉一杯に落ちて行くのである。

 ジャングルの中には、バナナの花だって、強烈なシンボリックな形でブル下がっている。

 鬱蒼と茂った光の薄いジャングルに、大型インコの甲高い鳴き声が響いている。声の主が姿を見せてくれたら、その種類から、此処が熱帯アジア、南米、オーストラリア、アフリカかの見当が着くのではあるが、声だけでは如何な鳥好きの私にも、判断が着かない処である。

 ジャングルに響く強烈音は、縄張り主張、威嚇音、異性を呼ぶ声に違いなかろう。

 ロートルと言えども、私だって現役のオスの端くれである。こんな場面には、半裸の女ターザンが出没しても、何ら可笑しくないのではないが・・・ 見回しても、それらしき影も、予兆も無い。如何なる現象なりや・・ 観察と分析が、私の趣味である。

 フェロモンは、匂い成分には違いなかろうから、フェロモンの空気中の漂う作用から考察すれば、これは、きっと空気との比重問題に違い無かろう。

 熱帯ジャングルでの含水率の高い空気は、高温多湿の所為で、比重が大なのであろう。比重を比べれば、フェロモンは軽いから、重い空気に依って、浮上出来ずに地表近くに閉じ込められて仕舞うのだろう。
 従って、私のワイルドでストロングなフェロモンは、本来の空中に発散されて拡散されて、遠くに運ぶ作用が、阻害されているのであろう。

 ウ~ム、これもまた、森羅万象の理の一つと云うべき結果であろう。山地水明の乾燥した信州の空気に育っているのであるからして、私の男フェロモンの飛散が、乏しいのであろう。全ての事柄、作用は、与件の条件下に於いて、因子の組み合わせは、件(くだん)の如しなのである。ショックに値せず・・・為るほど!!

 私は、そんな観察論理を楽しみながら、自らの検証を試みている。大きな声では云えないが、私は全く日本の女族には相手にされない悶々とした日々を送って、今日を迎えているのである。
 然しながら、『世の中は、バランスの採れた営み』を築いているのである。所謂、俗世の言葉で云う処の『棄てる神あれば、拾う神あり。』の有り難い実態が、横たわっているのである。

 空気比重と吾がフェロモン拡散の相関図を妄想すれば、確かに私のフェロモンの優位性は、高温多湿地帯よりも、中低温乾燥地帯の女性達にある事は、幾つかの証左によって検証される処である。それも金髪白人系統に分が良いのである。

 そんな考察の結論に達すれば、縮れっ毛の真っ黒な女ターザン様が、何処からとも無く、ア~、ホホ~、アホ・アホと雄叫びを挙げて、太い蔦を腰を巻き付けて、大股開きで背後から遣って来て、そのムチムチした長い脚力を武器に、アナコンダの巻き付けで薄暗いジャングルの中に、連れ去られたら、黒い肌に、白い歯、赤い分厚い舌で、ベロベロ舐め回されたとしたら・・・ 飽く迄も、小さき者への花鳥風月を愛でるのが、吾が性向である。

 恐怖で、勃起する物も忽ちにして萎えて、<この役立たず!!>と罵られ、挙句の果ては、喰われてしまうかも知れない。

 肌の色を以って下す人種差別は、甚だ宜しくは無い事ではあるが、差別と嗜好性の問題は、飽く迄も異次元の問題であるから、これは何ら人権問題に派生する事でもあるまい。

 願わくば、厄介な本音が露出しなくても好い様に、女ターザン様のご登場は、不要に願いたいだけの事である。野生バナナは、小振りのモンキーバナナではあるが、中々の野性味に富んだ味である。一口サイズのバナナの房を胡坐座の股に抱え込んで、食べて居ると、横から白い手である。

 アッジャ~、何時の間にか、横でトロピカル・フルーツを食べているのは、女房殿ではないか・・・ 


『何をまた、馬鹿な事を考えているの、あんたの頭の中なんか、全て、お見通しよ。本当に、幾つに為ったら、行儀が好く為る事やら・・・ アハハ。』とのシタリ顔である。

 はいはい、本日も、低温の朝でありまする。冷えの痺れのリハビリ中でありますれば、起きる前に、背中、腕、手首、指先に、ハンディ・マッサージ器で、振動治療をしてから起きまするわいね。

 鳥籠の水も、台所の茶碗も、凍っている。母の部屋を覗くと、ベットの布団の中に、白髪頭が潜っている。低温寒波で、ひたすら布団に『潜りヤマネ』の態である。

「今日は、冷えた。ゆっくり寝てろよ。支払いと、買い物をして来るから。飯は、その後だ。」

 お菓子と野鳥へのお裾分け安物リンゴを、買って来る事にしよう。薄い灰色の雪雲に、時折、射す薄日である。力の無い陽に、時折、白い物が過ぎって行く。

 本日のお菓子の仕入れは、思い切って、昔ながらの駄菓子にする。味噌パン、お焼き、揚げ塩ビスケットに豆餅とする。朝昼兼用の食事とするが、母はパジャマの上から、半纏を羽織っただけの元気の無さである。

 四畳半行きは、如何にも気分が乗らず、小部屋で灯油ストーブを焚いての、ラジオでの国会中継を聞きながらのブログ打ちである。

 小部屋は、ストーブを焚けば、忽ちにして暑く、消せば、床から這い上る冷気である。白き物チラ付く乾いた庭には、リンゴ、ミカンを啄ばみに来る野鳥も無く、風が揺れて居るだけである。

 東の山は灰色の中の稜線、小窓を開ければ、西のアルプスは灰色霞の中で、吹雪いて御座るのであろう。やれやれ、真冬日の沙汰である。国会中継をラジオで聞きながら、時間を過ごすしかあるまい。


心何処ーショート コタツ亀に、早や日は暮れるなり。 
           コタツ亀に、早や日は暮れる為り。(1/25/11)
    
     遺憾いかん・・・早や、5時である。何もせずに、日が暮れて終う。

 一日早い、ヤクルトママが、今日は下の娘を連れてのコールであった。母親と幼児は、出来るだけ一緒で無ければ為らないのである。幼児の手を引いたママさんは、矢張り好い物である。

 坊やだと思って声を掛けたら、『お譲ちゃん』に怒られて仕舞った。干し柿のオヤツと下手絵ファイルを見せると、如何やら、私の色使いが強烈過ぎて、みんな怖い絵に見えるらしくて、『嫌、嫌』の連発であった。

 へへへ、こんな幼女期から、私の戯け画に興味を持ってしまえば、先が思い遣られる将来であるから、これも、むべ為るかなの感想である。

 風呂を沸かして、母の入った後は、浴槽並びに浴室の掃除をするからと、食器洗いとか晩飯のオカズ作りをして居る内に、散歩時間を逸して仕舞った。コタツで再放送ドラマを見て居る内に、温いコタツの暖気に、何時しか瞼が重く為って終い、コタツ亀のウトウト寝をしてしまった。

 廊下に出して置いた小鳥達の大パニックに、目を開けると、窓の外には白と黒の斑猫が、戸越しに小鳥達を狙っている。物干し竿を見れば、洗濯機の私の洗い物が、掛って居る次第である。

       へへへ、これも天下太平の好い加減男の実態であろう。


 日が陰れば、山国信州の冬は、今日も低温注意報の発令との事である。いとも呆気なく終わる冬の陽に、嗚呼、願わくば、コタツ亀の転寝に、ロシア美形の夢見でもしたかった物である。


心何処ーショート やれやれ、悪態散歩なり。
               やれやれ、悪態散歩なり。(1/24/11)
 おやおや、今日は嫌に静かである。心配に為って、母の部屋を覗く。気配に、ベットの中で目を開けた老母である。生きて居為されば、文句は御座いませんわな。為らば、ゆっくり朝の賄い夫をすれば良いだけの事である。ブログさんの記事に、コメントを差し上げて、母の動きを待つ事にする。

 食欲も普段通りで、顔付も確りして居る。障子は寒いから、開けないでくれとの事である。余り日差しには恵まれないお天気さんである。煙草も一箱しか無いから、浅間温泉のコンビニまで歩いて行けば、遜色の無い散歩距離に為る。寒くて二の足を踏む時には、煙草買いは大きな動機付けと為る物である。

 乾いた河川敷を、胸の内での悪態時間として、手には双眼鏡を携えてのブラブラ歩きである。

 一月から始まった大河ドラマの内容が酷過ぎる。視聴率を取った『篤姫』と同じ女流脚本家の作に依る物であるそうな。篤姫同様に、癇・癪に障るおフザケが過ぎる大河時代劇ドラマである。
 これでは、時代劇の衣装を纏った現代風コスチューム劇でしか無い。小説・ドラマなのであるから、面白おかしく味付けするのは、作者の勝手には違いあるまいが、事、歴史上の人物・事件を借りて来て、思い勝手の現代風味付けで、自分の意見・想いを見せ付ける所業には、呆れて物も言えない。

 こんな処から、ご時世の形骸化が進捗して行くのだろう。正に、嘆かわしい物である。

 少なからずも、NHKは公共放送にして、その長年培って来た客感性への視聴者の信頼性には、公器としての責任があって然るべきであろう。此処まで、歴史上の通説を持っている事柄に関して、縦横無尽な現代感覚・感情を垂れ流す罪は、決して軽くは無かろう。 

 アニメ、ゲームの中での作者の主観的想い、想像の発露は、それがアニメである以上、見る側も、それなりの<眉唾物>で見て居るのであるから、作り事、絵空事と割り切って見ているから、罪が軽いのである。

 然しながら、現実の人間が演ずる架空の世界であっても、それが歴史上の人物・事件と為ると、問題は小さくは無かろう。

『篤姫』同様に『江』を演じる小娘タレントに、謂れ無き憎悪の感情まで持って仕舞うのであるから、この女流脚本家は、とんでもない女なのである。背後の女流脚本家の安易過ぎる社会迎合型の底の浅さが、臍曲がりの私には、何んとも憎悪の対象として映って仕舞う。

 普段私は、実に大雑把な男を自負しているのである。然しながら、相手が相手だと、細かい処に迄、目が行って仕舞うのである。

 恥ずかしながら、重箱の隅を穿って仕舞う下衆根性が、頭を擡げて終うのであるから、全く以って、嫌な性格なのである。

 小娘が叔父の信長に、手紙を出すシーンが、何箇所か出て来る。文字を書いて居るカメラアングルは、別人の書道に通じた人の実際の筆書きであるから、筆を持つ手の位置が高いのである。
 それが手紙を書いて居る最中に侍女の話し掛けによって、中断されて会話シーンと為ると、小娘の筆を持つ手の位置と、筆の持ち方が、現代風の鉛筆持ちの手に為って居るのであるから、笑止千万の出鱈目振りなのである。

 この位の、整合性をチェックする事も出来ない連中が、国民的大河ドラマを作って居るのであるから、何をや云わんかのお粗末振りである。
 そんな戯け連中の中で、時代劇スターの本流・千両役者の北大路欣氏の<心中たるや、如何ばかりの物か>と同情するしか無い処である。そんなコスチューム学芸会の制作・垂れ流しに、大金を垂れ流すNHKとは如何なる組織なのか?

      視聴者を馬鹿にするのも、好い加減に曝し遣がれってな物である。

 幾らスカンポ脳の男と云えども、鈴木保奈美さんだけを見詰ているほど、私は女好きでは無いのである。とうとう我慢出来ずに、スモーキング・タイムと称して、自室入りをした後に、9時からの『邪馬台国スペシャル』まで煙草をふかしていたのである。

 へへへ、邪馬台国関連については、根が好きな分野であるから、私にもそれ相応の溜め込み知識がある。ほうほう・・・と一時間のスペシャル物を見させて頂いた次第である。

 感想から言えば、『鉄器』の九州説と『桃の種』の奈良説と極論しても良いのかも知れないが、卑弥呼の使った『鬼道』が、中国の道教の前身の思想からの輸入らしく、卑弥呼の登場する弥生時代後期の100年間は、日照りと洪水に見舞われた飢饉の時代であったそうである。

 稲の豊穣を祈った銅鐸が、一切ご利益を失って終った『飢饉の時代』だったらしい。祭祀の象徴であった銅鐸は、豊穣を齎さないと云う事で、新たな鬼道の祭祀の下で悉く破壊され、替わって鬼道の象徴『桃の種』への移り替わりが有ったのではないかとの考古学者の説であった。

 ヒノキの年輪分析からすると、飢饉の時代は100年に及んでいるとの事であった。それを歴史に照合すると、中国では黄巾の乱が勃発して、後漢が衰退して、三国志の時代に移行して、魏志倭人伝に日本が登場するのである。

 嘗て、卑弥呼の邪馬台国論争の主軸は、魏志倭人伝の『路程考証』であった。陸行・水行・直列・並列、方向、誤記、など、色々、解釈の方向性が多岐に渡って、素人にはさっぱり分からなかった論争劇であった。
 然しながら、それはそれで面白い世界であった。今回は、路程考証は一切登場しなかった処ではあるが、そんな事を頭の片隅で反芻しながら、興味深く雑知識を得さして貰った次第である。

 何分限られた時間内に、収めなければ為らないTPOを、考えたスペシャル物である。作り手の強い志向が働いて、編集が為されて居るのが、作品の持つ影の素顔である。
 例え、娯楽物・世相スポット物と云えども、愉しむ側の引き出しには、雑多な物などを溜置いて居なければ、下衆の愉しみは、半減して仕舞う物なのである。

 象徴的にして、インパクトの強い『点』と『点』を提示されても、それらの点と点を結ぶ過程を省略されて仕舞っては、それこそ『鬼道』のマジックの取り込まれて仕舞うのが落ちである。

     疑って見る事も、立派な視聴者の観点と云う物であろう。ギャハハ~。

 散歩運動をこなして、町内に戻って来ると、Nちゃんのおしどり夫婦が、週に一度の仲好し散歩から上がって来た処である。

「仲が良くて、好いね。夫婦円満が何よりだわね。」
「あいあい、もう、二人切りだぜね。カカアにゴマ擦っとか無きぁ、倒れた時に、仇取られちゃうぜね。へへへ。」

 せっかく双眼鏡を持って来たのではあるが、何も見れず終いであった。偶然の出会いとは、中々にケチ臭い物の様である。さて、午後からは、国会中継でも聞いて、ロシア美形さん達へ、妄想のブラシアップでも致そうか・・・



心何処ーショート 煙草の白煙も、スローなり。
            タバコの白煙も、スローなり。(1/23/11)
 昨日は夕刻に成って、庭の南天の茂みにバルディナさんの姿見せであった。その前日、四畳半の雑木の枝に遣って来た折には、羽毛を膨らませた姿であったから、少なからず気を揉んでいた処であったのだが、先ずは一安心と云った気持ちであった。

 夜も10時近くに成って、長いマフラーを覆面状に巻いて寒気防止として、ショート散歩をして来た次第である。欠けた満月が夜空に浮かんで、東西の山並みには薄い墨絵の様な雲が、ひっそりと眠って居る感じであった。澄んだ夜空に星々が寒い光を放っていた。

  冬のミッドナイトウォーキングは、唯、静かに沈み込んで眠っているだけである。

 息で口の周りは暖かいものの、腹冷えがして、長歩きは芳しくない。ショート散歩と云えども、それなりの身体の活性化をもたらす物である。朝食のラインアップに、粕汁でも仕込んで置く事にしようか・・・ 朝は苦手ではあるが、夜は滅法強い口である。母の朝も遅い次第であるし、親子の関係であるから、台所仕事をした処で、母のお叱りも頂戴すまい。

 大根、ニンジン、ハクサイ、エノキ、アゲを刻んで、鯖の水煮缶を二缶ぶち込み、板粕を千切って入れ、味噌を適当に入れて行き、塩などで味の調整をして行く。何度か味見をした後に火を止める。後は朝に、落ち葉溜め脇の土の中から、ネギを引き抜いて来て、大切りにして、たっぷりと煮込めば完成である。

           明日は、手抜きの休養日・日曜である。

 明けて本日、母の動きである。今日も朝日の中の目覚めである。吾が居住区の空気の総入れ替えの始動開始である。物干し竿に洗濯物を移行させて、朝の光の中で、緑を膨張させる苔群の眺めである。
 
 さて、庭サンダルを引っ掛けて、ネギ抜きである。外は、引き続く今冬の寒波である。朝の内は、凍り付いた土としみ凍ったネギの硬さである。いやはや、遠く懐かしきもある信州の真冬は、この先、一ヶ月以上も続くのであろう。私の右肩から人差し指に連なる痺れの原因は、きっと冷えから来る痺れなのであろう。

          寒冷に痺れ覚える吾が身は、何時しか、
            ロートル里程に差し掛かるなり。

       痺れに萎える妄想抱きしめて、春待つ侘しき心に、
        南天の赤い実のみが、寒風に揺れるばかりなり。

    南天の茂みの中に、小さな動き一つ。目を凝らせばメジロ一羽。
       辺り観察して、枝のリンゴスライスに飛ぶなり。

   煙草の白き揺らぎに、空を見上げれば、薄青に掛かる薄い雲の覆い。
     翼広げてトンビが一羽、何思う。風に流されて行く様なり。

 休養日の昼下がり、百日紅の小枝を揺らす寒風の流れに、感じた物、見えた物を<詩もどき>にスケッチして見ました。ラジオからは、佐々木功が歌う、エルビス・プレスリーのスローバラードが流れて居りまする。熱いコーヒーと、タバコの白い煙のスローな揺らぎでありまする。


心何処ーショート 土曜トーク、ヒソヒソ話。
             土曜トーク、ヒソヒソ話。(1/22/11)
 さてさて、お天気も好いから、外で体操をしながらTの車を待つとしようか。庭の日陰には、薄っすらと雪の名残はあるものの、お天気が続いている。

 如何云う訳か、駐車場は満車状態である。奥へ進んで、漸く一台の空きスペースを見付けて、コーヒースタバへ。満車状態の駐車場に、果たして二階席は、座れるだろうかなどと思いながら、二階席に行くと、空き空きとしている。

 なにか、狐に鼻を摘まれたような感じと云うか、肩透かしを喰った気持ちである。

「いや~、昨日は、俺の悪い癖が出てしまって 、ついついコメントに書く必要の無い事まで遣らかしてしまった。ああ、情けない。隠して置きたい一面が出て終った。」
「ハハハ、そうかい、如何したね?」

「うん、ブログ記事に反応した訳じゃなくてさ。其処へのコメントの陳腐さが、如何にも表層的過ぎて、鼻持ちが為らなくてさ。ついつい、へそ曲がりの天邪鬼の本性が、メラメラ燃え盛っちゃったてさ。ああ、修行が足らんわね。
 
 世の中の皆さんは、当たり障りの無い最大公約数的な感想を打っているだけでさ。それが歴史上の人物だと、有名人であるから、後世の物書き・評論家なんかがさ、一丁前の客観感想なんて物で、崇め奉るんだよな。それがさ、大河ドラマとかで、歴史上の人物が現代感覚で脚色されて、伝説上の偉人・英傑に様変わりさ。評伝中とか、小説、ドラマの一切り口だけで、知った様な錯覚に気付かないんだよな。

 例えばさ、一面識も無いピカソ、岡本太郎なんかの芸術作品を、初端から見せ付けられたら、素人の俺達なんかが、天才だか異人・変人の作かなんて、皆目、見当が着かないだろう。それなりの美術解説者が解説してくれて、そうかいな~? って、『後理解』しているに過ぎないんだよな。

 詰まりはさ、世の中、大体の事は『アナウス効果』の賜り物だわね。聞きかじり知識を、然も自分の感想コメントの様にして、軽くお茶濁しをしている様が、時々、酷く癇に障る事があるんだわさ。ブログ本文は申し分のない内容で、大きく頷いて堪能しながら、読んで居るんだけどさ。

 個人が白紙の状態で、感想を述べた方が、面白い事が間々ある。それは主観の切り口の面白さ見たいな物でさ。主観の面白さが、多くの人達に共感を与えれば、其処に主観から客観へのグレードアップが、為されるんだけどさ。

 でもさ、客観的な物でもさ、其処に主観的な切り口を加味した共感見たいな物が無いと、そりぁ、一見、知識の広さ見たいに映るだけで、とどのつまりが、底の浅いブリッ子の付和雷同的な迎合主義でしかあるまいよ。イッヒッヒ!!

 養老孟司先生じゃないけどさ、『読まない力』を身に付けて、世の中の『嘘』を嗅覚で嗅ぎ付けて貰いたいもんさね。

 大学進学率が50%超と云うご時世だよ。俺達が大学生だった頃はさ、批判能力を持つ事が大卒者なんて事を言われていたんだけどさ。小中学校で、幾ら日教組主導の自虐史観の教育を施されようが、高校・大学・社会人へと進めば、高々義務教育時のメッキ教育なんて、ボロボロにハガレ落ちて、

『馬鹿教師が、何をほざいてい遣がる。馬鹿こいちゃ~、いけねぇよ。お前さん達、隔離された学校と云う閉鎖社会と娑婆との違いが、丸で分かっちゃ居らんわね。そんな事教えていると、世間様から笑い殺されまするがね。』ってなもんだろう。

 それがさ、学校でそう教えられて来たからと、鵜呑みマインドで一蹴されちまうんだぜ。そんな責任転嫁する前に、少しは自分の主体性を持って、物事を考えろちゃって言いたいのよ。広く浅く人様の違う意見に耳を傾けて、自問自答の整合性を考えりゃ、少しは見えて来る物だって、あらぁね。

 主体性、読まない力を自分で鍛えずして、なんの個性だ。おフザケもテイガェにしろってもんさね。

 無駄事こいてると、パンツ脱がして恥ずかしい所の臭い嗅いで、舐めちゃうぞって、脅して遣りたいわさ。ギャハハ~。」

「本当に、この馬鹿野郎が!! 感心して聞いていたら、『落ち』は、相変わらず其処に行っちまったかいな。天はお前に色んな物を与えちゃった様で、これじゃ、幾ら良い事言っても、講演は頼めないしな。

 Rの場合は、素面でも調子に乗って来ると、何をくっちゃべるか、油断も隙も無いから、マネージャの俺としたら、始末書と頭の下げ放しだわな。公聴券の割戻し続出で、真っ赤かで、誰も引受け手が居ないものなぁ~。困ったオッサンだぜや。」

「何だ、そりゃ、誉めているのか、貶しているのか、同じ穴のムジナが、そんな事言えたもんじぁあるめぃ。何しろ、飲みに行けば、このドスケベオヤジとビール瓶で、頭殴られてたのは、何処のどいつだべや~。」

「まぁまぁ、楽しいオイタも、明朗会計の内だわね。大枚叩いて、夜の蝶遊びだわね。むっつり助平を決め込んでいたんじゃ、元は取れんわね。屁へへ。」

 タバコを吸いに、外のベンチに。ホームセンターに色鉛筆を買いに行くと、店内の様子がおかしい。店終いとの事である。左様であるか・・・ それで納得の駐車場の満車なのである。

 高度成長期はスーパーに依って、最寄の個人商人は撃退され、大型店舗の規制緩和で、大型店の大攻勢を受けて、近隣商店が壊滅した。不況のデフレスパイラルとやらで、フランチャイズ、全国区展開の大型店は、全店舗中の第何位と売り上げ実績を管理されて、薄利多売の過当競争の下で、周辺消費者の母数に依って異なる業績にも拘わらず、順位を付けられてしまえば、採算性の下で閉店を余儀なくされる。

 成長率を失くした経済の効率性は、不便さを消費者に付回して来る。便利さが、不便さを生み出し、市場のパイの縮小に、経済的効率さは、『経済の無責任さ』を加速して行く街の姿である。『臨界村落』などと、用語・状況解説しているばかりでは、何も深刻さは改善されまい。

 経済活動の無責任さを放置していては、貧富の拡大・強者と弱者問題を解決する事などできる筈が無かろう。何かあれば、適当な外国事情のデーターを持ち出して、流行のキャッチコピーを垂れ流して時流を制する。条件下での結果数字でしか無い物を、条件の違いによる加重平均と云う加工・修正の行程を省いて、字面解釈だけで都合の悪い事は、頬被りを決め込んでしまう。

 或る制度が浸透して、その制度に内在する矛盾が露呈されて来るには、長い年月が掛かる。その総括もせずに、新しい物を物色するあまり、取り残された物には、不便さという『無責任の付け』が回って来るばかりである。

 一例を取れば、米余り、給食費の払い逃げ、義務教育家化した高校授業料の無料化、子供手当てと、細切れ処方箋の政策である。高校まで完全給食化して、米食の回数を増やせば、自ずと米の消費料は改善する。

 全国一律に、米食の曜日と回数を設定して、消費拡大に努めれば好かろう。只同然で使用用途に制限を加えられている放出備蓄米を、賞味期限の切れぬ段階で安く給食材料に回す事で、米の回転率を高めて行けば好いのである。回転率が短期で回って行けば、生産の拡大に繋がる。

 地産地消費・食育・食料自給率の向上・食糧安保と言うのなら、個別の子供手当てを廃止して、給食無料化にした方が好かろう。
 米食の日、オカラの日、小豆の日、納豆の日、魚の日、漬物の日、カレーの日・・・etc 土曜の課外授業の日として、収穫の日、菜っ葉洗いの日、大根洗いの日、漬け込みの日・・・etc

 給食センターで作られ、配送される昨今である。需要が纏まれば、設備の有効稼動で三交代でフル回転すれば、雇用の拡大・コストダウンにも供する事が出来る。

 若しかしたら、これも『読まない力』かも知れない。どうも私は育ちが悪いから、活字読みの秀才連中さんとは、反りが合わないのであろう。ギャハハ!!

 さてさて、振動運動をピストン運動に転化する文明の利器は、無い物か??? ヤクザもどきのホームセンター徘徊でもして、帰りまするかな。ロートル・スカンポ脳の日々は、あっという間の一週間の速さである。

 本日も、ダラダラの長駄文にお時間を取らせて、真に恐縮の極みでありまする。

 ニュース報道に依りますれば、インフルエンザ大流行の冬との事でありまする。少子化対策・生めよ励めよの国家施策の下、官能の汗を掻いた後は、確りパジャマを着て、お休み為されませ。

 嗚呼、ご助成願望・山々なれど、悪質極まる劣勢遺伝子とのお沙汰が、下って居りますれば、国家貢献の一助にも為り申さん。イッヒッヒ!!



心何処ーショート 反面教師の大猫なり。
                反面教師の大猫為り。(1/21/11)
 晩飯残りの具沢山、鱈の湯豆腐汁を澄まし汁にアレンジして、手抜きの朝飯とする。食卓が揃うまでの間、老母は納豆をスローな動きで掻き混ぜている。へへへ、丸で幼児の様な可愛さである。
 生卵も、辛子・生ネギも口にしない母は、納豆も半分食べるだけで、後の半分は私に回って来るのである。沢庵を切り、バラ鱈子を醤油と砂糖・唐辛子に漬け込んだタッパを出しての貧民粗食の朝食である。

 ドンブリの熱々、鱈汁を啜って、

「ああ、出汁が好く出ていて、美味しい。これじゃ、女は要らないね。」

「美味いだろ。自分で言うのもなんだけど、俺は多方面に才能が有るからね。ギャハハ。口煩いだけの馬鹿女連中には、用が無いけどさ。女の持ち物には、変え難いものがある。

 女体は、男にとっては弥勒菩薩さんだわね。本態は、女不要でも、折り合いを付けて行かなくちゃ為らんのが、男族と女族の営みってなもんだわさ。世の中、そう巧くは運ばんわね。
 まぁ、それでも、男に色気・スケベ心が無くなって来れば、愕然とするのが女族って事なんだろうね。自主独立には、家事万端をこなして、風任せの自由を獲得しなきぁ、女のケツに敷かれるだけだぜや。アホ臭い。

 人生は好くした物でさ、必要・十分条件って云うのはさ、歳を経るに変化ありだわね。それが理解出来るロートルに、為った来たって処だわね。世の中、それに気付かない馬鹿も居るって事だ。ギャハハ。」

 昨日は、久し振りに面白いドラマが二本続けて有ったから、確りテレビとお付き合いしてしまった。私の好きなドラマがあると、母は何かとドラマの進展とかドラマの見所の解説を聞いて来るのである。
 94にも為って、知的好奇心が旺盛な母と居れるのは、正にお天道様の贈り物なのであろう。刑事物→鑑識物→科捜研物→精神分析物の流れに就いて一講義をして、風呂入り前に散歩に出掛ける。

 県文会館、総合体育館の駐車場は、何か催し物がある様で、駐車場は満車状態である。その階段の上り下り運動をして、汗を掻いた後は、米屋さんに顔を出す。
 先日、お婆ちゃんに、餅を食べさせて遣ってくれと言われたのであるが、予定が有ったから後日と帰って来たのである。『気は、心』である。折角のお気遣いを無碍にしては、常識人として至らぬ処である。差し上げたり、頂いたりするのも、娑婆の潤滑油の一つである。

 餅を土産に帰って、風呂に入りながらの洗濯である。風呂を母に譲って、洗濯物を干していると、メジロ夫婦が楓の枝に遣って来た。首に鈴を付けたデップリと太った狸の様なトラ猫が、のそりのそりと庭に入って来た。何処の飼い猫かは知らぬが、よくも此処まで肥え太った物である。

 この馬鹿たれが、自分の姿を鏡に映して、恥を知れ、恥を!! 敏捷さを失ったら、野鳥にだって馬鹿にされるぞよ。トドのハーレムじゃあるまいし、三月の声も聞けば、猫族の盛り声の季節じゃい。メス猫にあぶれて、夜な夜な歯軋りめいた盛り声の『長泣き』なんかされた日にぁ~、俺が堪らんぞね。

 何事も、『過ぎたるは、及ばざる。』であろうよ。少しは、俺様を見習って、テクテク散歩でもしたが好かろう。退去せよ、吾が庭が穢れる!!

 バチンと大きく手を打って遣ったら、ジロリと生意気面を見せて、のそりのそりと腹を弛ませて、四畳半の方に歩いて行った。普通は、タッタッタと走って、ヒョイとブロック塀を乗り越えるのが、猫族と云う物であろう。

            アハハ、これほど、締まらない大猫も珍しい。

心何処ーショート 嗚呼、吾、極楽トンボなり。
            嗚呼、吾、極楽トンボなり。(1/20/11)
 変な夢を見て居た。仲間と釣りをして居るのであるが、場面が次々と変わるから、仕掛けと餌の選択が追い付かないのである。渓流釣りが、池釣りに為ったり、海釣りに為ったりで、その都度、私は仲間に取り残されて、竿を振り込む事も出来ないザマなのである。

 仲間はソコソコに釣り上げて、得意気に帰って行く。釣りに来て、ボウズに終わるほど惨めにして、悔しい物は無い。一人残って、山中湖で釣り糸を垂れて居るのであるが、夕刻に為っても、浮きはピクリとも動かない。日頃の行いとは裏腹の、神も仏も無い。

 切り上げて、桟橋状の通路を歩いて行く内に日も暮れて来て、湖畔の外灯の明かりの下では、何と、何と、防寒着に身を固めた若者達が、氷を大きく割ってワカサギ釣りに興じている。湖畔のホテルに投宿している学生達の一団なのであろう。

 何だい??? 今度は真冬のワカサギ釣りかいな。一体全体、如何為って居るんだ。ワカサギは回遊魚であるから、回遊に当たれば、入れ食い状態の馬鹿でも釣れる釣果である。ワカサギの天麩羅・唐揚げは好物であるから、お仲間に入れて欲しいのは山々為れど、そんな仕掛けも餌も持ち合わせては居ない。

 運に見放された男である。駄目な時は、何を遣っても駄目である。それに、明日は勤務である。帰るべし帰るべし、山中湖から上の道路に上がると、おいおい、そうじゃ有るまい。雪が降って来た。その内に、前も見えぬ程のザンザン降りに閉じ込められて、方向すら定かでは無く為って来てしまった。

 こりゃ、あきませんわね。下手に焦って動き回ったら、『八甲山・死の彷徨』と為って仕舞う。此処は、マタギの知恵に倣って、雪中に穴を掘って、持久戦で臨むしかあるまい・・・ 

 遠くで、物音が聞こえて来る。音がハッキリして来て、如何やら母が台所で、何かして居る様である。その内、食器を落した様な大きな音である。

「好いよ好いよ。俺が遣るから、何もしなくても好いよ。」

 目を開けた物の、視界は暗い儘である。へへへ、大寒の入りで、私は半纏を頭からすっぽり被って寝て居たらしい。半纏に朝の光を遮断されて、雪中のネグラで二度寝して仕舞ったらしい。テヘヘってな物である。

 台所に行くと、排水口が凍り付いて水が抜けずに、母がヨロヨロして湯を沸かして、注ぎ込んで居たらしい。好うござんすよ。後はバトンタッチである。残り飯をチャーハンにして、朝食である。

 朝食後、ひまじん兄貴のブログを読みに行くと、雪に嵌った車へのボランティア奮闘記の模様が書かれて居た。紳士で心温かい兄貴とそのお仲間達の話である。

 都会人の雪の怖さを知らない無謀振りは、困ったものではあるが、雪を経験して居る者からすれば、然もありなんの出来事である。私も何十年も雪の横滑りを体験して、立ち往生した経験が、三度程ある。助けた経験も助けられた経験もある。

 車は現代文明の利器には違いないが、一端立ち往生して仕舞うと、どうしようもない文明の弊害物である。人は経験した分だけ、賢く慎重に為る。経験して、覚える冬の運転と冬の備えである。

 こんな事を打っていると、クワッ、クワッと異常音である。窓辺を見ると、雑木の張り出した枝に、ジョービタキのバルディナさんが、薄い鶯色に白い斑点の翼を小刻みに震わせて、単発の声を上げて部屋の私を見て居るではないか・・・ジョービタキのヒタキの語源は、火打石を鳴らす音に似て居る処から来ているそうな。

 それにしても、生き物とは面白い物である。何処で如何見て居るのか、小部屋に居ると庭に出て来て、暫く顔見せをしてくれ、小部屋に居ないと、四畳半かと思い窓辺の雑木に止まる。戯け男が気付かないと、<来て遣ったよ。>と云わんばかりに、注意を喚起してくれるのである。

 これぞ、正しく『女の配慮』と云わずして、何と形容すべしや。スーパーに宅急便を出しに行けば、うら若き白人ニョショウの二人連れである。公開ストーカーであるから、彼女達の後に付いて、彼是と余分買いをしてしまった。ギャハハ!!

心何処ーショート おのれ、小癪なヒヨドリめ!!
            おのれ、小癪なヒヨドリよ。(1/19/11)
 布団の中で、腹這いになって背中にマッサージ器を乗せて、朝のビリビリである。さてさて、起きると致しまするかな。母の廊下のカーテンを開けて、部屋を覗くと、母はベットに腰掛けて、スローモーションの着替え中である。

  「ゆっくり遣っていてくれ、米を買って来てから、朝飯にするわいな。」

 毛糸の帽子を深く被って、自転車漕ぎである。川の落ち込みの飛沫が凍って、大きな氷塊を白く盛り上げている。西のアルプスが薄い青空に、白い屏風の様にそそり立って縦断している。信州の凛とした冬景色である。

 意外と散歩をする人達の姿が多い。おやおや、河川敷には、丸々と太ったブルドックを連れた婆さんである。ブルドックに負けぬ位の着膨れ状態である。まぁ、多分、老犬との散歩であるから、生産熱よりも消耗熱の方が多いのであろう。

 へへへ、婆さんプクプクのコートの下には、きっとカイロのダブル巻きでもしているのであろう。鼻水垂らして、風邪なんか引きませぬ様に~。

 幸い、米屋さんには来客中であったから、米だけ買って帰りのペダル漕ぎである。お天気さんは上々ではあるが、毛糸の網目からの寒気は流石に寒い。

 朝食後は、太陽恋しさで小部屋でモーニング・コーヒーである。鳥影に庭を見ると、バルディナさんの姿見せである。暫らく尾羽のタクトを振り振りして庭を徘徊していたのであるが、ハイエナ・ギャングのヒヨドリが、二羽縄張り争いをし始めた。

 楓の小枝に、メジロが二羽遣って来た。久し振りの顔見世であるから、部屋のリンゴとミカンを鉢を引っくり返して載せて遣る。

 ヒヨドリが空かさず舞い降りて、汚い声で再び空中戦を始めている。何しろ、性悪の権化の様な鳥である。真に以って、私の美形エコ贔屓の下心を、騒々しく粉砕する。作法も品も無い、強欲根性の持ち主である。

 小部屋にはラジオ、母の部屋からはテレビの音。廊下の陽だまりには、金華鳥達のキビキビした動きが映えている。ブログ日誌を打ち上げた後は、スーパーに買出しでも行って来るべしであろう。

 明日は、大寒との事である。そんなブルブル情報を得てしまえば、見た目、光溢れる庭の空気である。沢庵と味噌汁を啜っていてばかりでは、幾ら閉籠もりの156歳親子と云えども、栄養失調でテレビマスコミの格好の餌食と為ってしまうばかりである。奇特な全国のタイガーマスク様であっても、肉類・漁獲類の差し入れもしてはくれまい。

 スーパーでは、珍しいお人と出会わせた。お天気が好いから、散歩に出掛ける。歩いて居る内に、気分が高揚して来たから、正規ルートの道程をする事にする。久し振りの長丁場ではあるが、ここら辺りで距離を稼いで置か無ければ、体細胞が腑抜けに為って仕舞う。

 折り返し点のH橋に差し掛かると、老夫婦が散歩の開始である。山際の道は下り勾配である。略一時間の道程である。広い農道に差し掛かると、後ろから軽トラのホーンである。挨拶がてら、散歩とて道連れの方が楽しい。

 老夫婦は結婚50年との事である。ダンナの方は、腰が曲がり始めている。割腹の好い奥さんの方が、確りした歩きである。広々とした直進農道は、この近辺の人達には格好の散歩コースなのであろう。女四人の散歩お仲間さん達とも、彼是と話しながらの下り勾配である。下の橋で別れて、見通しの好く為った山肌を眺めながらのテクテク歩きをして、再び土手道を通り、河川敷に下りる。

 おやおや、下から歩いて来るのは、口では逆立ちしても、絶対に敵わない町内の幼馴染女では無いか・・・ つい先ほどまでは、婆桜の中で其れなりに堪能して来たのに、これは相手が悪過ぎる。素知らぬ振りをして、土手道に逃げようものなら、何を言われるか堪ったものでは無い。まぁ、向こうは、女二人であるから、一応ご挨拶をして行くのが、男の仁義と云う物である。

 小春日和の様な上天気であるから、立ち止まって漫才会話の始まりである。私は、別段彼女に弱みを握られている訳では無いのだが、母娘二代に亘る豪の女の舌禍には、タジタジの態である。連れのオバさんにゲラゲラ笑われて、ISOの小路デカ麻呂としては、口演料に飴玉の一つも貰いたい物であった。ギャハハ~。

 清々しい空気の中、二時間強に及んだ昼散歩に、ロートル・クマ男の体細胞は、充足感と満足感に溢れて居た。ロートル・クマ男も歩けば、人のぬくもりの温かさでもある。ウッシッシ!!

心何処・・・下衆の一矢
                  下衆の一矢

                 下衆の一矢


 偶には飲みに行こうかな・・・と思っては見た物の、余りの寒さで行く気にも為らず、小部屋でウイスキーの体たらくで有る。寝るには早いし、お絵描き遊びで、またまた訳の分からない悪戯画を描いて仕舞った。百鬼夜行なら、少しは譲れるのだが、『百鬼昼行』の世の中であるから、当世の娑婆は怖い限りである。

 日々、政治家のお偉い先生方には、罵詈雑言の当ブログでは有るが、それを絵にして描けば、その内実は大口叩きの政治屋諸侯の耳にも入らず、平成のドン・キホーテのザマである。平成の貧民ドン・キホーテであるから、事業仕訳とやらで、私には従者のサンチョ・パンサも痩せ馬のロシナンテも廃止されてしまった。税金のカタに身包み剥がれて、この様である。

 然りとて、平成のドン・キホーテたる者は、水車ならぬ大口妖怪目掛けて、一矢を射掛けなければ格好が付かないのである。ギャハハ!!

心何処ーショート 好きお日和なり。
                  好きお日和為り(1/18/11)
 今日は、洗濯日和である。風呂に入りながら、洗濯を回していると、何と水が退いて行かない。アジャジャ~、排水ホースがガジンガジンに凍り付いてる。いやはや、今年は丸で小中高時代の激寒期に、タイムスリップして仕舞った様である。

 零度に満たない真冬日が何日も続けば、氷の女王様の支配下・・・氷結の大侵攻のザマなのである。むべ為るかなの諦めである。

 斯く為る上は、スキンヘッドを剃り上げて、十分に温まってボチボチ遣るしかあるまい。
こんな時に重宝なのが、コンパクト電気ストーブなのである。蛇腹ホースの氷をポキンポキンと折って、熱風処理である。

        水は高きより低きに流れ、水滞る所から、凍るなり。

 へへへ、こんな自明の理は、小学生でも知っている自然摂理である。蛇腹ホースの水抜きには、洗濯機の下にブロックでも置いて嵩上げを遣るか、洗濯の終わった後に、蛇腹内の水を抜いて遣るのが、応急処置と云う物であろう。

 とほほ・・・まぁ、日本の義務教育のご利益に感謝すべきなのではあろうが、賄い夫3年目の冬は、とんでもない昔帰りの沙汰である。去年の夏は、熱暑のスキンヘッドの沸騰状態であったし、冬は冬とて凍結出動が2度目である。先の思い遣られる信州の冬である。

 文明の進んだ世であるから、異常気象に就いても、マスコミが懇切丁寧に、そのメカニズムを解説してくれるから良いものの・・・ これが、何世紀も前の時代であったのなら、宗教・霊媒者・シャーマンに縋るしか他あるまい。

 或る意味、科学の裏付けのないご宣託であるから、当たるも八卦、当たらぬも八卦であるから、神々に供える供物も、千差万別にして、良からぬ事を企む不心得者も後を絶たないであろうし、高い代償を支払って当たらなければ、寄って集って殴り殺されてしまう者も続出したのであろう。

 因果応報の掟は、昔の方がすっきりして居て、至極分かり易かったに違いあるまい。

 それに引き換え、現代と来たら・・・ この野郎~め、霞ヶ関埋蔵金は、土砂万(ドシャマン)と眠っているから、政治主導で行けば、明るい住み良い日本が待っている。普天間基地は、国外移転、最低県外移転の腹案ありの大見え。日本は、日本人だけのものでは無い。東シナ海・友愛の海構想が、尖閣問題を許して、国防装置を暴力装置と本音を吐露して、問責決議である。
 文字も律令国家制度も教えてくれた古代中国なんぞは、遠の昔に潰えて、1000年も1500年も前の過去の遺物でしかないのに、群雄割拠・異民族国家の興亡史である処の、支那大陸の国を中国と見做して、大陸占拠国を一応に中国様と尊称している『歴史赤点組』政党である。

 内閣改造後は、党内功績とやらで民主党代行の平然居座り。丸投げ菅無理内閣は、厚顔無恥にも政策通を自負する与謝野論客を一本釣りして、効を奏すれば、任命権者の効と為し、失敗すれば担当責任で、事を済ます。エエカッコシーだけの見え透いた『逃げ菅』の一手である。

 何処で如何間違えて終ったのか??? 世の中が進み過ぎて、人間の好い加減さが露呈し捲くっている。あまりの酷さに人々の直接的な糾弾行動に直決しない処に、諸般の原因があるのかも知れない。

 日本国民の物分かりの好過ぎるスマートさは、却って不逞の輩を増長させるだけなのである。早い処、四面楚歌の立ち往生で、解散総選挙に追い込まなければ、日本の将来は無いのである。

 美女の生き血を吸うドラキュラ伯爵だって、昼と夜の区別を確り守って、十字架・ニンニクに対しては、恐れ多くも近寄りはしなかったのである。

 現代の預言者・ドラキュラ達の質の悪さには、真に以って、開いた口が塞がらない。この世に正義がないのなら、せめてあの世の無限地獄には、二枚舌・三枚舌を以って、破廉恥三昧を仕出かした輩には、閻魔大王様に、キッチリとしたお仕置きを下して貰いたいものである。

   さてさて、好いお天道様の輝きであるから、散歩に行って参りまする。

心何処ーショート リハビリ散歩
                 リハビリ散歩(1/17/11)
 いやはや・・・ お寒い限りである。鳥籠の水もすっかり凍って、これでは小鳥達の大ブーイングも仕方無しである。水は出る物の、排水ホースが凍って居る始末である。洗面所が駄目である。お湯を入れて、コンパクト電気ストーブを点けて、漸くの開通である。

 昨日は、小雪舞う鉛色の空と風。寒くて堪らないし、興味薄の政治報道でもあろうし、日曜日でもあったから、殆ど一日を万年床に潜って、映画ビデオとマッサージの御厄介に為って居た次第なのである。

 そんな事で、予定には入れて置いたのではあるが、・・・ ついつい、まどろみと億劫さで、小豆を煮て汁粉を作る事を忘れて終ったのである。まぁ、そんな事もあって、鍋に浸して置いた小豆を煮る事にした。

 そんな次第で、朝からバタバタして仕舞い、小部屋のモーニング・コーヒーのタイミングを逃してしまった。無風の曇天に、薄日のご到来である。小雪舞う昼散歩よりも、お天道さんのご加護である。

 或る程度、体を動かしてしまうと、家の中の空気よりも外の空気の方が、美味いと云う物である。散歩に出掛けるべしであろう。

 アスファルト道は溶けて居るから、滑って転んで痛い思いをするのは御免である。依って、アスファルト道を街場に下る。川の淀みは、寒々と凍って居る。人が居ないと、肩をグルグル回したり、背伸びをしたり、開胸をしたりの体操散歩である。掛け替えの橋は、すっかり解体されて跡形も無く、綺麗さっぱりと片付いて居る。

 川の対岸に来ると、河川敷は溶けて居るから、河川敷歩きの体操歩行の方が、気分が楽である。家の近くまで来ると、何処で見て居たのか? ジョービタキのバルディナさんがパッと姿を現わして、尾羽のタクトを振ってくれる。

 河川敷には、カラス、ムクドリ達が、餌を漁って居る。ホオジロの小群れが、枯れ葦の中を、単発の声でサッサッと渡って行く。身体を大きく動かしながらの散歩であるから、身体の温まり方も早い。汗を掻かぬ程度に、体温調整をしながら、リハビリ散歩である。

 西のアルプスは、灰色霞みの吹雪の中である。盆地の南には、南アルプスの灰色の稜線が薄く聳えているだけである。灰色稜線をバックに、トンビが寒々と円を描いている。

 橋の下の川幅の広い所は、完全に終日の真冬日で一面が氷原の様である。ズーム・アップすれば、氷に飛び出した川石は、枯山水為らぬ氷山水の趣である。

          さてさて、この辺りで踵を返すとしようか・・・ 

 散歩が終盤に掛る頃、老人男性が脇道から出て来られた。へへへ、未だ身体が解れて来ていないのだろう。中々、強張った顔付である。見た処、機動性に優れた防寒着の上下である。

 爺っちゃま、そんな鬼瓦見たいな顔付で、散歩をして居ても始まりませんわね。美形にデレーと鼻の下を伸ばすのも、見慣れた小さき物への視線にも、柔らかき眼差しをお与え為さるのも、目と気分の保養にして、これぞ散歩の愉しみでありまするぞえ。

 目が遭ったからと言って、俺ぁ、『食人種』じぁありゃせんわね。カラスにだって馬鹿にされる人畜無害の小心者だわね。
 
 俺ぁ、人相風体は頗る悪いんで有りまするが、自然体で過ごせばバルディナさんだって、姿見せに参られるのでありまするぞえ。以心伝心で通う散歩空間も有るんでありまするぞえ。イッヒッヒッヒ!! 

心何処・・・マイギャラリー14
                  マイギャラリー14


   大中華思想圏_001何だ???赤星は知っている。喧騒世界_001
   キンキン、タマタマ、何の玉悪夢の主役_001湯上がりトークの図柿剥き
   少なく為った顔めんこいおチビちゃんとヒップとバスト_001静朝に向かって
   行き過ぎたツケの時代願い庭のオブジェ妄想タイム_002


 はい、毎度、変わり映えのしない戯け画廊・マイギャラリー14のお披露目です。絵の好きなお方は、カテゴリー内マイギャラリーをクリック為されると、戯け画廊の扉と為って居りまする。

 笑いの効用で、健康の一助とされたし。絵をクリック致しますれば、それなりに膨らみまする。お時間のあるお方は、想像力・妄想力の膨張をして行って下されば、宜しいかと存じ上げまする。ギャハハ~。













心何処ーショート コーヒースタバは、試験モード為り。
           コーヒースタバは、試験モード為り。(1/15/11)
 雪は降らないが、全体を覆う雪雲である。本日・土曜日であるから、水道の保温剤と電池を買って来るとしよう。一応、メモしてポケットに入れて置く。

 本日はセンター試験日であるから、コーヒースタバの二階席は、勉強をしている受験生?で、混んで居るではないか・・・ 昨日のニュースでは、寒波で雪の影響を受ける地域が続出との報であった。入試の受験生の横で、ヤクザもどきのロートルコンビが、声を潜めて、好からぬ話をして居るのであるから、世の中は多層構造なのである。

「如何だい、沢庵漬けは? 今年は、塩がきつかったろう?」
「やぁ、そんな事も無いぞ。貴重品だから、ちょっとづつ、食べさせて貰っているよ。糠もゴッソリ入れて貰ったから、必要な分だけ切って、後は其の儘、ぶち込んでいるのさ。」

 Tに煽てられ、三種類の大根に就いて、地産地消の事柄などの思い付き感想を話す。ついでであるから、今流行りのTTPに就いてのアメリカさんの好い加減さとグローバル企業の手前勝手な主張に、一咬みしてしまった。

 彼の国は、大国の凋落期に当たっているそうな。農産物しか輸出出来ないアメリカは、工業国の日本に対して、『疑似餌釣り』を仕掛けて来ている。大量の無関税農産物が、菅無理政権の『平成開国の日本』で上陸したら、日本の農業は壊滅状態との事で、マスコミの好材料と為っているとの事である。

 私は、疑似餌釣りのテンカラ釣りをするから、騙し釣りに関しては、食卓に上るヤマメ殿に、少なからぬ『後ろめたさ』を感じている次第である。

 海外のスーパーなどで買い物をして食して見れば、日本人の肥えた舌には、外国産食材は、下等品でしか無い。リンゴ、サクランボ、スイカ、野菜、肉、卵にしても、全くその通りである。人間は口が肥えて来ると、贅沢な物である。

 増してや、好奇心旺盛な人間は、食べ比べて見たい願望が強いのである。食べ比べたら、事は一目瞭然である。
酸っぱいグレープフルーツ、オレンジよりも、日本のミカンの方が、瑞々しくて美味い。大粒の毒々しいまでのアメリカン・チェリーよりも、赤い光沢のサクランボの方が、高級に見える。薄い黄身の外国卵より、橙色のプリプリした大玉の黄身の方が、卵らしい。カスカスした呆けリンゴよりも、確り蜜の回ったフジリンゴの方が、断然に美味い。渋みのある外国産ブドウよりも、日本のブドウの方が、雲泥に高級品なのである。

 嘗て、漁獲類の生肉を使った日本の刺身、寿司などは、遠く文明人に在らざる『野蛮の民』の食する物と、脚下されていたのである。それが、今や全世界で流行の日本食の象徴なのである。
 肉食肥満大国の白人達が、高脂肪・高コレステロールなどと、忌み嫌っていた牛肉の脂肪分は、日本の霜降り牛として高級食材の代名詞と為って、外国人観光客は日本のすき焼き、ステーキに舌ずつみを打っているそうな。

 コストパフォーマンスなどと、何かと横文字を使いたがる似非エコノミストばかりで、何でもかんでも、目先の流行に迎合して仕舞う人種が多いのが、日本人の気質の一つである。
 
 これだけ美味い物が、売れない訳が有るまい。若しかしたら、本当は輸出して採算が取れるかも知れない『日本の美食農産物』が、表面な価格比較でしかない『価格の競争力』の点でしか認識されずに、<思い込みを強いられた日本人の輸出自粛>で、アメリカ宣伝の下に従属を強いられているのが、事の真相かも知れない。

    これでは、全く、コストパフォーマンスが聞いて呆れる様である。

 日本は教育水準の高い国民とは云われているが、言葉・数字の『答え合わせ』をしない性質が有る様だ。今は、何でもかんでも、電卓のキーを叩けば、正確な答えを弾き出してくれる時代である。電卓の精度を高いから、電卓の叩き出した答えを疑う事は、忘れてしまっているのである。

    テストでは、試し算をして答えを確かめて居た時代が、真に懐かしい。

 何事も、一方的に弾き出されて来る物を盲信しない方が、好いと思うのであるが・・・ 何でもかんでも、鵜呑みでは、鵜匠の術中に嵌るだけであろう。如何で御座ろうか???

<好色ヤクザもどき>のオッサンコンビなのではあるが、コーヒーブレイクタイムでは、この様に、真面目な感想を交換する事も有るのである。但し、生まれが悪いから、真面目なトークが長続きしないだけの事である。へへへ。

「如何だ、指の痺れの方は? 右手を酷使して居るから、駄目なんだよ。夜のお努めは、左手で遣れや。その位の知恵を働かせても、好い歳だぜや。」
「快感のお時間は左手だと、放出調整の緩急が加減出来んのだわね。ギャハハ。まぁ、遣る事が無いから、ハンディ・マッサージ器の効用に苦心して居るんだけどさ。全く、駄目だわな。ビリビリの振動じぁ<行かん>わな。へっへっへ~だわさ。」

「そんな物ぁ、当たり前だろ。男の快感は、ピストン運動の所産だろうが。」
「そりぁそうだ~。振動運動を如何にピストン運動に転化させるかが、問題だわな。なんか、好い知恵は無いかい?」
「そりぁ、無理だ。俺達は文系だから、機械には疎いわね。右が駄目なら、左の発想しか湧かんぞや。ヒヒヒ。」

 Tは若い頃、オートバイ事故で寝た切り入院生活を経験して居るから、その後遺症で痺れ・疼きの中で、折り合いを付けて居る。私は、意外と健康で過ごして来たから、ロートルに為って、鞭打ちの後遺症が10年を経過して出て来ている。困った物である。

 胃無し男に為って、あれほど好きだった酒も飲めなくなったTの身体と比べたら、取るに足らない後遺症の痺れ症状に過ぎまい。両サイドに女子受験生であるから、得意話も儘為らぬから、車の中へ煙草を吸いに行く。

 父上は、入院後はすっかり気力が萎えて、老衰が進んで、親孝行倅のTは、大変らしい。現実の様を、面白可笑しく話してくれるのだが、こればかりは実体験が無いと、腹を抱えて笑ってエールを、送る事は出来ない処である。

 私の親友であるから、大した男なのは当然ではあるが、私はTの話の行間に、得る処大として居る次第である。Tが黙々とこなして居る親の介護である。友としてヘコたれたら、『男が廃る』と云う物である。


心何処ーショート 今年は、寒いでありまする。
             今年は、寒いでありまする。(1/14/11)
 へへへ、まな板の包丁が、ガチンガチンにこびり付いて居る。昨夜の予報だと、マイナス7℃強との事であったが、先日のマイナス10℃を超えて居るのであろう。この処の寒波ジャブが利いて居るのに間違い無かろう。

 これでは一番寒い風呂場の水道は、凍って居る筈である。何度かヤカンに湯を沸かして溶かすが、頑として水を出さない。斯く為る上は、洗濯機の蛇口から、ホースで水を張って風呂を焚くしかあるまい。追い焚きにセットして、私は温泉銭湯に行く。

 丁度昼時であるから、貸し切り風呂である。熱い湯に浸かって、凝りの部分を気長にマッサージして来る。女風呂からは、今朝の寒さが話題に為って居る。

 家庭風呂と違って、家に帰って来てもポカポカの汗が噴き出る。身体が温まって居る内に、台所仕事をするのが得策である。残り野菜の整理には、シチューとブリ大根が宜しかろう。不足分を買いに行って来る。

 自転車から降りてスーパーに入ろうとすると、前回、お目に掛った格好の好いご婦人が、丁度出て来る処であった。へへへ、これは、損をして仕舞った。

 台所仕事に専念して居ると、斜向かい吟さんである。これから、散歩に行くと言う。お付き合いをして差し上げたいのは、山々なれど・・・残念ながら、アッシャ、賄い仕事の最中である。

 ガスコンロに鍋を二つ掛けて、面倒な里芋の皮剥きである。里芋は好物ではあるが、皮剥きが大変である。然りとて、皮剥き里芋だと味が断然と違う様な気がして、どうせ時間は、漬け物にする位あるのだからと思って、不器用の皮剥きを励行して居る次第である。

 煮込み料理は、一度で仕上げたら美味くは無い。煮て冷まして煮て、味が染み込んだ具合が美味いのである。煮え立つ鍋を弱火にして、スプーンで掬って、味見である。まぁ、仕込みの段階であるから、これで好かろう。

 マメと云えば、マメかも知れぬが、私の場合は、重厚長大方式の大量ロットである。多機種少量生産の現代風では無い。作る時に作って置けば、それを温め直して、沢庵を切れば、それで十分な食卓と為るのである。

 冬の信州は、全てが天然の冷蔵庫なのであるから、作り置きが重宝なのである。台所仕事を終えて、部屋で一服して居ると、吟さんから白菜の差し入れである。

 綴りの続きを印刷して置いたから、お持ち頂いて、マッサージ器の方は、大分解れて来たから、私のマッサージ器が、背中に届く様に為ったから、お返しする。

 さてさて、廊下の金華鳥達をネグラの玄関の所定位置に戻して、本日のブログ打ちをした後は、マッサージのお時間と致しまするかな。きっと、指の痺れは、小まめに体操とマッサージを励行して、春に為らなければ治るまい。何しろ、冷蔵庫・冷凍庫の信州の冬様なのであるから・・・

 エロビデオでは、その威力を如何なく発揮するハンディ・マーサージ器なのではあるが、物は試しと股間バイブを試したものの・・・ 痺れるだけで官能の呻き声など一向に上がらぬ代物である。

 如何やら、男族と女族の性感帯は、異なる物の様である。世の中、百聞は一見に如かずの事柄が、殊の外、多い物の様である。快感呼ぶマッサージと、凝り目掛けてグリグリと、<おぅ~、痛てて、何のこれしき!!> と足掻くマッサージ器とは、雲泥の隔たりである。とほほ。


心何処ーショート 青空に、儚き煙草の煙。
               青空に、儚き煙草の煙(1/13/11)
 昨日は、年甲斐も無くハンディ・マッサージ器と体操をして、痛い痛い足掻きをして見た。意外と好い起床であったから、悪乗りついでに、河川敷に出て、これまた一頻り体操をする。

 頗(すこぶ)る好い調子なので、其の儘、ショート・ウォーキングをする。指の痺れは、其の儘残っては居るが、背中の凝りが改善して来ているのであろう。体細胞が、運動を欲して居る。
 まぁ、この歳の戯けクマ男である。格好を付ける気持ちは、遠に霧消して仕舞っている。先ずは、身体が肝心である。空手の真似をしたり、シャドー・ボクシングの真似、水泳の真似をしたりして、筋肉の解しに専任して来た次第である。

 帰って来ても、母は布団の中である。大根と揚げの味噌汁を作りながら、母の動きに合わせての朝の賄い夫である。食後、部屋に帰ろうとすると。
「薬は、三度三度、確り飲まなければいけない。」と、母親のアドバイスを頂戴して仕舞った。はいはい、チェック有難うゴザンスである。へへへ。

 さてさて、好いお天気さんであるから、歩いて個人スーパーにでも行って来るとしようか。台所の野菜類を使って、整理をして行かなければ為るまい。

 客も少なかったから、レジの先輩と世間話をして来る。同じ小・中学校の出であるから、話も気軽である。レジ打ちだけでは無く、主婦の観点から買い物のチェックをしてくれて、何が落ちて居るかとか、何なにが安いから、買って行けばとか、この料理には、こう遣れば好いよ。とかのアドバイスをしてくれるから、実に有難いのである。

 食の細い老母との食卓であるから、如何しても野菜類が萎びて来る。生姜・長芋をスライスして、酢漬けにしたり、サツマイモを蒸かしたりの台所仕事である。

 小鳥達は廊下の日差しの中で、元気溌剌の様では有るが、水槽住人達は低水温の中で、すっかり食欲も無い。金魚達は忘れた頃の完食にして、ヒメダカ達は丸で餌には見向きもしない有様である。両方共に日本種であるから、ヒーターも入れずに常温飼いをしている次第である。
 自然に任せて、一年を通じて部屋を同じくして居ると、普段気にも留めて居なかった事柄などが見えて来る。これらも、生物の営みと云う物である。

  半分、黄葉した様な葉、真っ赤な実に太陽が当たって、南天が微風に揺れている。

 おやおや、横文字コメントさんであるか・・・ なになに、全ての議題には、三通り意見(立場)が有る。あなたの意見、私の意見、正しい意見。流石に、横文字使いは、上手い事を言う物である。

 どうせなら、俺ぁ、馬鹿だから日本語でコメントして貰うと有難いんですがね。ギャハハ~。

 ラジオでは民主党内閣改造のニュースである。仙谷さんの替わりに、枝野さんでありまするか。何やら、菅無理さんは、官房長官さんには弁護士さんが、殊の外、お気に入りのご様子である。法律解釈のゴリ押しで日本丸に<特製羅針盤>を設定するのが、お好きな様である。

 そりぁ、弁護士さんは法律には詳しくて、屁理屈を押し通すテクニックには長けて居るのでありましょうが、テクニックに目が眩んで、常識・法哲学を喪失した政治家など国民世論から総スカンを喰らって仕舞うと云う『自明の理』が、ご理解出来て居ない様である。実にバランス感覚の無い市民活動家体質である。

 国民にばかり学習能力研鑽を強いて、政府を張るご本尊様達が、世間への学習能力を有しないと云うのは、一体、如何云った精神回路を持っている政党なのか??? 正に、驚愕に値する『特殊政党』としか言い様が無いのである。

 おやおや、今度は『平成の脱税王』で、国会糾弾で一歩も引かなかった与謝野馨先生が、『立て上がれ日本』を脱党して、然るべき大臣職を拝領して野党から与党入りとの報である。
 
           驚木、桃の木、山椒の実は、小粒でも腐る。

 え~と、え~と、世界のことわざ辞典は、何処へ仕舞い忘れた事やら。健忘症とスカンポ脳が、同居する吾が身には、節操回路がズタズタにされて仕舞うご時世である。


心何処ーショート 斜向かい吟様、復活。
              斜向かい吟様、復活。(1/12/11)
 モーニングコーヒーを飲んでいると、斜向かい吟さんである。これまた、お遥か振りのご登場である。話を聞くと、暮れからの体調不良が祟って、本調子に戻るまで大分時間が掛かり、漸く本日、散歩に漕ぎ付けたとの事である。

 正月明けに、文作を読みたいとのリクエストであったから、数日前に30数ページの文作を、奥さんに渡して来たのであるが・・・ 今回は、何時に無くハイペースの読み切りの段である。
 次の文は、まだまだ先の事と、のんびり構えていたのであるが、体調次第で人間の行動は、緩急を決めているのであろう。

 新年の門松飾り為らぬ『マツタケ飾り』の戯け画のオリジナル画を机上に飾って、町会新年会の各論・細論報告から、ご近所さんトークが始まった次第である。

「まぁ、此処にも出ている様に、こんな絵ファイルを股座に、ゴッソリおっ広げられたら、感想どころじゃなくて、一体何と言って好いやら、爺っさ連中は目ん玉を白黒させて、目が泳いじゃってたズラ。アハハ~。
 
 絵の説明を聞かされりゃ、恥も外聞も無く『真正直な絵』だわね。入れ歯すっ飛ばして、ギャハハって事ズラいよ。行かなんでも、爺っさ連中のすっ惚けた顔が、浮かんじゃったわね。新年、早々の開けてビックリのイソノコージ・デカマロの毒気に当たっちゃって、皆一気に若返ちゃったって事ズラよ。」

「あいあい、ブッチャケて言ゃぁ、そういう事だわね。お屠蘇が入って、余所行きの顔してても、芸が無ぇってもんだいね。人間、一皮剥きゃ、オギァと生まれて来た処は、皆、女族の祠(ほこら)様からだいね。手前の歳を考えりゃ、気取ったって、仕方ねぇせ。
 お役ご免のロートルに為れば、純粋無垢の赤子に還って、素直な好奇心で、ご本尊崇拝が一番だいね。ギャハハ!!
 
 どうせ気取るなら、菅直人の子供手当て失速中断バラマキよりも、タイガーマスクの伊達直人の方が、よっぽど粋だわね。音声字数じぁカンナオトもダテナオトも、同じ五文字なのに、一体如何云う違いなんだろうね。あい? テレビもラジオも、誰も解説しちゃ呉れねぇもの。」

「そうだだよ。マスコミの野郎共も、解説が出来なきゃ、其処ん所の本質的差異を菅直人さんに、突撃インタビューすりぁ好いんだけどさ。丸切り、度胸が無ぇんだから、話にぁ為らんぜよ。官邸ブラ下がりだから、検閲ゴーの自衛隊の敷地内じゃなかんべさ。

 あの頃はさぁ、<巨人の星>に<タイガーマスク>よ。漫画アニメだったけどさ、俺ぁ、テレビの前で、ポロポロ感動して泣いていたもんぜや。
 
 今度、選挙があったらタイガーのマスクを被って、襷にタイガーマスク、伊達直人って書いて、立候補してくれりゃさ。俺ぁ<いの一番>で投票しちゃうぜや。」

「そうだね。俺も嬉しく為っちゃってさね。日本人にぁ、まだまだ苦労人の人情が流れているんだ物・・・最初の伊達直人さんを名乗ったお人は、ネーミングのチョイスの頭の好さで、大したお人だわね。

 それに引き換え、国民の税金で好い子振る民主党の連中と来た日にぁ、『党内粛清劇』を馬鹿の一つ覚えで発進し続けて、政治と金の<使い古した御旗>をおっ立てて、口先だけでクリーンを吹聴したって、柳の下のドジョウだって、この寒波だわね。

 泥の中に潜って、春まで出て来ねぇのに、何をタークラ、ターを遣ってるだか。糞の役にも立たねぇコクゾウムシだんね。」

「穀潰しの放蕩倅なんてものは、昔は即親から勘当受けたのにさ、今の政治家の野郎共は、国民の脛齧りをのっ超して、国潰し遣ってるんだから、始末に終えんわさ。
 
 言いたくは無ぇが、お兄ちゃんの初夢の蛇とネズミ族の話を、トックリと読んで、傑作画から沸き立つ思いを真正面から読み解きぁ、一着150~160万の服着て、ガラス玉の目ん玉して、語尾の抜ける様な答弁なんか、恥ずかしくて出来ねぇんね。
 日本の政治も廃れた物よ。国会をバックに、ファッション・ショーなんて、とんでもねぇアマッコだぜや。

 150 万円をランドセルで割り算すりぁ、一体、何個買えると思ってるだいな。単純計算も出来ないで、何が事業仕分けだいな。そうズラい。俺だって、商業高校出てるだいな。算盤弾けって言われりゃ、玉くらい弾けるわいね。冗談も休み休み言い遣がれ!!

 一着の見栄と、ピカピカの一年生の人数を、比較して見遣がれってなもんだじ。あい!!

 タークラ、ターも程ほどにしねぇと、華奢な首根っこショッ捕まえて、四の五の言わせなんで、鳥のガラ見てぇな痩せぎすを裸にひん剥いてさね・・・あれだ、長芋ローション擦り込んで、『貧民裁判』に掛けちまうぞってなもんだわね。

 それこさぁ、悲鳴を拡声器に繋いで、全世界同時配信じゃわね。無駄言こいたって、俺ぁ、仕訳方知らねぇから、猪突猛進のケッケッケェのケツの穴ってなもんだぜや。」

「やいやい、Sちゃ、白服女にぁ、えらいご執心じゃんかい。俺なんて物じゃねぇわね。丸切りの変態爺っさって事だわね。」

「やぁやぁ、俺ぁ、あの手の女が大好きでさ。見てるだけで、涎が垂れちゃうんだわさ。あの生意気振った女を、とっ捕まえてさね、折檻してる図を想像するだけで、10も20も若返っちゃうだいな。ギャハハ~。
 家の土間にぁ、畑から掘り起こして来た長芋が、タンとあるから、毎晩、トロロに擦り落としたって、お釣りが来るわね。ひっひっひ~。」

「処で、折り入って頼みたい事が有るんだけどせ。斯く斯く云々で、ちょいとマッサージ遣って貰えると嬉しいんだけどせ。」

「お安い御用だ。何々、こう遣って肘で、ゴリゴリ揉み解すのかい? ちょいと乱暴じゃないかい? まぁ、本人が頼んで居るだ。しゃら構わねぇや。そりぁ、如何じゃい!!」
「おぅ、痛てぇ~。先生に依ると、我慢して解して貰うと、後が楽なんだってさね。我慢するぜ、白服女の折檻だと思って、存分に遣っておくれや。」

「まぁ、しょうがねぇや。こんなマグロ見たいなのを相手に、折檻したって若返らねぇが、これもタイガーマスクの人助けだわな。ほれほれ、如何じゃい、コリコリして痛てぇズラ。」

「あいあい、そうだんね。ロートル世代の日本男児は、連帯こそが価値観だぜね。まぁ、冷凍マグロの解体だと思って我慢とておくれや。おお、効くわ。痛てて。」

 部屋から出ると、玄関上がりの廊下に、ヤクルトが置いてある。アジャジャ~、本日水曜日であったか・・・新年初のセクハラトークを逃がしてしまった。嗚呼、残念為り~。

 風呂に入って、塗り薬を擦り込んでいると、マッサージ器を持って、斜向かい吟さんの再登場である。家にあるヤツは、背中の凝り部には使い勝手が悪い代物である。柱に括り付けて工夫しようかなと思っていたのである。

 人様の親切を無駄にしては、人間の質を問われてしまう。試して、上手く行けば、宮元武蔵の二刀流みたいな物である。とほほ。

心何処ーショート 嗚呼、歳は取りたくない物為り。
         嗚呼、歳は取りたくは無いもの為り。(1/11/11)
 右手人差し指の痺れが、進行して行くばかりである。右肩下の凝りが、増大して行く。こんな時の一人の寝床では、碌な事を考えないのが、人間の性である。変調を来たしてから二週間弱である。10年ほど前に、追突された鞭打ちの後遺症が出て来ているらしい。

 近くに整形外科が在るから、専門医の診立てを拝聴して来ねば、白人金髪美形さん達への妄想のお時間を奪い取られ兼ねないのである。

 素人が、あれやこれやで、結論の出ない問題に頭を悩ます事ほど、『愚の骨頂は無い』のである。総べからず、この世は、餅は餅屋に任せるのが、早道と云う物である。自転車で診察に行って来る事にした。やれやれ、何と寒いお外である事か。

 ドアを開けて、ビックリの様である。これぞ、正しく老齢化社会の縮図である。覇気の無い虚ろな目をした70~80代様のオンパレードである。
 私などはピンピンして居るから、肩身の狭いばかりである。それにしても、寒い。三連チャンの冷え込みは、寒いばかりの待合室である。

 この整形外科は、30数年振りのお邪魔である。診察室を覗いて見ると、先生もすっかりお年を召されて、ご老人達のお仲間である。へへへの浦島太郎の感がする。

 若い頃、ヘルニアを患って、大分通院した事が有る。ヘルニア治療は、安静と機械に依る伸ばし治療の日々であった。
 一度、会社の総務の人の口車に乗って、県内評判の整骨院の処へ行った事が有る。それは、隣市の山を越えた隣の町であった。整体師は、荒っぽい大男であった。当たるも八卦、当たらぬも八卦の呪い師じゃ有るまいし、田舎言葉で云う処の『揉み壊される』状態に陥た。
 我慢強い事には、定評の合った二十歳代の肉体強健の私ではあったが、余りの激痛に、脂汗の我慢など、数秒ですっ飛んだ。揉み壊される恐怖と拷問に、悲鳴を上げて、恥も外聞も無く土下座して、治療をギブアップした。それから、又、先生の処に御厄介に為ったのであるが・・・

 その当時、先生も若かった。体格は良いし、顔付も精悍でスポーツで鍛えた背筋はピンと伸びているし、悪い事に地元育ちのS大医学部出身の先生であった。

「バカモン!! 揉み屋にヘルニアが、直せる訳が無いじゃないか。揉み屋が直せるなら、俺達整形外科は要らんのじゃい。お前さんは、何を考えとるんじゃい。折角、効果が出始めて来たのに、揉み壊されて居るじゃないか。俺を信用しろ。もう、浮気なんかするなよ。俺が直して遣る。分かったか!!」

 いやはや、大変な先生ではあるが、番から男子高で育った私には、何か長兄・先輩にドヤシ上げられている様な感じがして、タダタダ、お説御尤も、理に適った一喝りで、私は一言も発する事が出来ずに、先生の軍門に下った次第なのであった。
 ついでに云えば、掛り付けの内科の先生も、S大医学部のご出身なのである。何しろ、70代の地元生まれの地元育ちのS大医学部出身者先生達は、至って口が悪くて、短腹性格のお人が多い様である。

 そんな嘗ての先生方が、歳を取って、衰えで短腹性向が『中和』されて来ると、漸く私の様な大戯けと歯車が噛み合って来るのであろう。兎に角、先生は、根は親切なのである。

 レントゲンを二枚撮って、別段異常は無いとの事である。手首に神経が集中している個所が有って、其処に異常が認められるとの事である。

 これには、思い当たる節が有る。中学・高校時代は、振り掛る火の粉は払わなければ、男の恥とばかりに・・・ 血気盛んにして、喧嘩早い私は、木の幹に座布団を括りつけて、空手の訓練をして居たのである。自慢では無いが、結構な腕力を誇っていた時代も有ったのである。余りにも、練習が行き過ぎて、手首の腱を痛めて仕舞った経緯が有ったのである。

 何事も鍛え上げなければ、物には為らぬし、無理の上に築き上げられた傷痕は、歳を経れば、古傷痛むロートル域と云う物である。困った若気の至りとしか、云い様もあるまい。

 各種の機械治療を受けて、2時間半も要して仕舞った。リハビリ係りさんに、幾分年増の綺麗さんが居たから、目の保養には為った物の・・・ マダマダ、爺・婆様の輪には加わりたくないと云った処が、私の偽わらざる気持ちであった。

 痺れで右を庇っている影響で、右肩下が凝りに凝って居るそうである。原因が分かったから、体操を十分にして左右の均衡を図って、古傷との長いお付き合いをして行くしか望めないのであろう。左様で有りまするか・・・テレビ体操の金子さんとご一緒する事にしよう。

   嗚呼、歳は取りたくは無い物である。トホホとしか言わざるを得まい。

 さてさて、昼と為って仕舞った。中途半端な日と為って仕舞ったから、懇意にして下さる方に、お約束の信州の季節の物でも宅急便に致そうか・・・ 帰りにスーパーに寄って、買い物と段ボール箱を見繕って帰ると致しまするかな。


心何処・・・妄想タイム
                   妄想タイム

                 妄想タイム_002


 本日は、松本には低温注意報が出されていました。今朝の最低気温はマイナス10℃強で有りまする。雲間の太陽で有りましたから、散歩には出た物の・・・身体が温まる前に腹冷えに為って終い、途中で散歩を切り上げて帰って来た次第で有りまする。半端な寒さじゃありません。

 仕方なく、浮いた時間を妄想タイムの戯け画を描いて、四畳半でヌクヌクして居た次第でありまする。
 
 余りの妄想のハシタナさに、顔を覗かせたブルーアイのご婦人の目元も、薄っすらとピンクのに染まって居りまする。いやはや、吾ながら赤面の胸中でありまする。まぁ、娑婆は晴れての成人の日でも有りますれば、余り目くじらを立てるのも、野暮という物で有りましょうぞ。イッヒッヒ~。

心何処ーショート 久々の保奈美さん。
                久々の保奈美さん(1/10/11)
 好い日差しである。本日は成人の日であるが、成人式は昨日行われた所が、多いとの事である。松本も昨日であった。着飾った新成人女性を乗せた車を、何台か見た処である。

 夜は、新大河が始まった。お目当ては、鈴木保奈美さん一点である。文句無しの好い女である。『東京ラブストーリー』は、私のビデオ・ライブラリーの一巻でもある。勿論、私は彼女に妄愛して居るから、ストーリーなど一切不要にして、タダタダ、彼女の顔を見ているだけで堪能して仕舞うのである。

 戯けた話ではあるが、ストーリーも演技も『屁ったくれも無い』のである。その存在の魅力こそが、全てなのである。これは、女優さんの一つの典型でもある。ウッシッシ!!

 彼女の裏には、私の初恋物語がある。彼女は私の初恋の女性に雰囲気が似ているのである。あの目、目付き、表情が、もうもう堪ら無くデレーとして来てしまうのである。あの目、目付き、表情で見詰られたら、火照らない男など、この世に一人も居ない筈であろう。

     私の好きなマリリン・モンローさんにしても、その一人である。
 気品・知性・強さ・ひた向きさを観たいのなら、グリア・ガースン、デボラ・カー、イングリット・バーグマン、ソフィア・ローレンを観て、堪能すれば良いだけの事である。

 モンローさんにしても、保奈美さんにしても、実生活では恋多き女優さんである。きっと、これは幾分焦点の合わない様な柔らかな目力にこそ、原因の大半があるのだろう。彼女達は、男の誤解を助長する目力を、幸か不幸か? 生れ付き持って居るのであろう。

 アメリカの研究によると、恋愛ホルモンの持続力は、精々が持って1年~1・5年との事であるそうな。従って、モンローさんがヒットさせた『七年目の浮気』なんて、過大表示なのかも知れない。其処へ行けば、日本のデュエット曲『三年目の浮気』の方が、恋愛ホルモン論の実態に近いのかも知れない。

 このお二人の人気女優さんが、世間の悪意から来る<恋多き浮気症性格>なんぞと判断されては、彼女達が可哀想過ぎるのである。これは、一も二も無く、彼女達の持つ些か焦点の定まらぬ『柔らか過ぎる目力』にこそ、その原因が在ると言って好かろう。へへへ。
 
 これは、昨日の私の日記の<オーラとバリア>にも通じる処なのであるが、彼女達に、焦点の確りした目力が在ったら、彼女達のオーラは、バリアと表裏一体の物と為って、近寄りがたいバリアを作って居たに違いあるまい。

 モンローさんの最高傑作『バスストップ』にしろ、保奈美さんの『東京ラブストーリー』にしろ、その中で彼女達が演じた物は、正に理屈無しの『女の優しさ』その物であったのだと思い込んでいる次第なのである。
 女の優しさは、その本質として、万人向けの<敷居の低さ>なのである。詰まりは、手の届きそうな対象と言っても過言では無いだろう。

 あんな美形さんに、あんな目付きで見詰られ、話し掛けられたとしたら、一瞬にして魂を抜かれメロメロに為らない男など、一人として居様筈が有るまい。
 詰まりは、眼の焦点が弱い半面、男の誤解を呼ぶ優しさなのである。男の誤解に火が付いてメロメロ、話して益々、天にも昇る心地好さに猪突猛進するのが、狩人男の血潮と云う物である。何しろ、狩りの本態は、獲物の最前線に立つ事である。

 そして、悪い事に、敷居の低過ぎる優しさ故と言い寄る男の多さと、哀しいかな恋愛ホルモンの短い持続力と為れば、恋多き美形と為らざるを得まいでは無いか・・・
 私の初恋ストーリーは、カテゴリー内の<短編・初恋は、ときめく胸の鼓動>に収められている処であるから、お時間のあるお人は、男純情記として自らの初恋時代と絡めてお笑い下され。

 日本の女優さんとしては目下、<檀れい>さんにぞっこん中なのである。彼女も、如何にも日本的な柔らかさ・優しさをたたえられて居られる美形さんである。

 然しながら、モンローさん、保奈美さんと比べると、彼女の目には焦点の合った目力が在るのである。この一点こそが、客観的意味での『女優さんらしい』処なのである。従って、そのバリアの萌芽の様な物が、私の様な大戯けに幾ばくかのバリアを持ってして、失礼な妄想の対象とするのを、諫めて下さっているのである。ギャハハ!!

 有名、無名を問わず、この世には数多の美形さんが居られる。美形さん達は、私として見たら、神が造り給いし存在である。そして、男達の待望の美の象徴にして、全男達の共有財産なのである。美形に、想像・妄想の活用法に何の咎めがあろうか・・・

    想像・妄想は、一に活用主体の工夫一つに関わって来るのである。
         花の命は短かれど、想像・妄想に限り無しである。

 韓流ドラマに嵌り込んで、好い歳をこいたジャニーズ・オバタリアンズの韓国詣でよりも、ジャパニーズ・ロートルの小部屋の妄想世界の方が、余程質が高いのである。
 やれやれ、久し振りの保奈美さん拝見で、本日も又、訳の分からない一文に為って仕舞った物である。頭を冷やしに、散歩に行って参りまする。


心何処ーショート オーラとバリア
                 オーラとバリア(1/9/11)
 本日は、寒い曇天の中に、時折に覗かせる薄日の日曜日である。いやはや、鼻水が垂れて終う窓打つ風の厭らしさである。光彩薄い眺めに、気持ちが萎えて終うから、朝食後は、母の部屋でコタツ亀をしながら、テレビばかりを見て終った。

 遺憾いかん・・・ こんな陳腐な番組羅列を見て居ても、脳軟化症進むスカンポ脳の防止剤には為らぬ。風呂を沸かして、洗濯でもするしかあるまい。

 何かと忙しい現役世代には、甚だ失礼に当たるのではあるが、何処の局も、大差無い民主党のゴタゴタ騒ぎの報道解説である。

 政党、政治家、経済、経営者が当てに為らないのであるならば、本質をグサリと抉って、マスコミ独自の提言を堂々と展開して、国民世論を斯くあるべき方向へ導くと云った言論人の気概を見せて貰いたい物である。
 
 選挙にさえ通れば、政治屋は、実にお気楽な商売であるから、真に以って横柄な物である。そんな政治屋共のやれ菅派だ、やれ小沢派だ、やれ野党は・・・等と、一番安上がりな金魚のフンの様に、政治家共の後に付いて、チョロチョロの総花的なカワラ版の配信では、マスコミ形無しの低空飛行では無いか。少しは視聴者の参考と為る重量級の報道番組を報道して貰いたい物である。

 先日の町内新年会回りに顔を見せた現役民主党議員先生の人品の軽さに、実の処、驚愕した次第なのである。先生は父親の後を継いだ二世議員さんである。父親の先生は、松本の通りを歩いていて二度ほど、すれ違った事が有る。威厳のある只者では無い雰囲気が、オーラとして有った。眼光の据わりと鋭さが、実にゾクゾクと来た物である。流石に政治家だと感嘆した次第であった。

 玄向寺の牡丹を観に行った時にすれ違った、その当時の社会党書記長の石橋先生の、小柄痩躯の精悍な眼光の鋭さからも、ゾクゾクするオーラを頂戴した体験が有る。

 オーラには、凡人が踏み込めないバリアが掛って居るのである。きっと、オーラとバリアは、表裏一体の物に違いあるまい。指導者と大衆の間には、凡人が仰ぎ見る畏怖の念を感じさせる何かを、必要とさせているのでは無いだろうか。

 私は若先生には投票した事は無いが、地元選出議員さんでもあるし、先代さんのオーラと比較する心底もあって、テレビの国会中継なんかで、その先生が出ると何度か見て居る。

 テレビでは、まぁまぁの映りであったから、場数を踏んで行けば、その内に貫録が備わって来るのだろうかなどと、ニヤニヤして見て居た次第なのである。然しながら、現実のご本尊さんに至近距離で接して見ると・・・何と云う実在感の小ささかと驚愕、落胆した次第である。

 そんな感想を思い出しながら、する事も無いから、テレビで政治屋さん達の映像を見て、その現実の存在感の『修正』を彼是妄想して居た次第である。
 若しかしたら、映像に映る著名人は、実際問題、どの位の実在感とその持つ雰囲気の中に『オーラ』を放っているのか? 

      ・・・ 意外と、これは面白い対象と為るのかも知れまい。

 単なるテレビ映りを気にしているだけの下駄履かせの様なテレビの過剰映しにしか過ぎないのかも知れない。若しかりに、そんなテレビの映し出しに、国民の目が曇ってしまうとしたら、事は由々しき大問題である。外交・経済・内政、兎に角、疲労と憔悴が進む平成の御代である。そんな帰来が無い事を、期待したい処である。

 斯様に下衆とは、如何にも下品な想像を働かして居る物なのである。イッヒッヒッヒ!!




心何処ーショート 新年土曜コーヒー・ブレイク
              新年土曜コーヒー・ブレイク(1/8/11)
 昨夜、布団の中でラジオを聞いて居ると、ニュースで菅さんのブログ記事が報じられていた。いやはや、内閣支持率が1%に為っても辞めないと言っていた首相だけの事は有る。総理とは同年配なのであるが、この人は、完全に常識の埒外にあるお人である。

 政治家を引退して、大衆受けする軽い回想録か何かで、敷居を低くした<添え物書き>で出す位は、我慢出来るものの・・・ 一国の総理ともあろう政治家がブログで、臆面も無く、<単なる心境>を暴露して居ると云うのであるから、何をや、言わんかである。

 ブログに出して良い事と、拙い事の区別さえも付かないのであるから、丸で常識の存在すら疑って仕舞う。非常識・常識未発達人間が、常識人に向かって、何を発信したいのだろうか・・・ 

 このテイタラクさでは、この人の言う事を信じられる訳が無い。加えて、この様な党代表を戴く民主党の党体質などと云うのは、『推して知るべし以前』のハチャメチャ振りを呈している証左は、テレビで放映されている。

 ゆとり教育、個性教育、自己主張教育の為せる業か、近年益々、『言葉のデコレーション』ばかりが蔓延して、余りにも個性が無く為って来ている。
 丁度今、NHKラジオでは、私の大嫌いな残間女史のお時間である。彼女の取り仕切る番組であるから、彼女のお目に適った男達がゲストとして、トークにトークを重ねて行く。

 番組が続いているのであるから、それなりの視聴率を上げ、NHKのお眼鏡に適っている番組なのであろう。

 然しながら、私の感性からしたら、これこそが言葉、トークのデコレーションの内容なのである。語り口は垢抜けして、的確な表現方法にして、テンポもキビキビしていて、項目だけは盛り沢山である。立派な口達者の感すらして来る。

 然しながら、これらは鉢植え植物、切り花を活けた花瓶を、ポンポン置いて、それらをとっ替えひっ替え持って来て、これは如何? これは如何? 好いでしょう、素敵でしょうの一過性トークでしか無いのである。

 大地に確り根を張って、大木・古木が四季折々の風情を見せる本物志向の無い所こそが、言葉、トークの一過性デコレーションの様なのである。取り外しの利く『手軽な重宝さ』にばかりに目が行き、本来の物・本物が持つ実在感の乏しさが、却って露見して来る様としか、私には思えない処なのである。

 これでは、ゆったりした言葉のテンポの中で醸し出される味も、語る人間の言葉から滲み出る言葉の味、語り口から匂う個性の深みすら伝わって来ない。精々伝わって来る物は、民放系の底の浅さでしか無い。私は、女史に関しては、癪に障る女位の感想しか持っていない処である。

  従って、女史が生意気面をして、何を喋ろうが、フンの一過性でしか無い。

 私が、何を言いたいかは、『らしく』を標榜して、人間は、其々の職業に『型』を持って、確りと大地に根を下ろし、張って貰いたいのである。型に嵌った中で、作り上げて来た普遍性を帯びた<様式の中>で、切磋琢磨して自分の個性で色付けをして行けば、聞く者、聴く者、見る者、観る者に、何かしらの『心に刻む物』を与えてくれるのであると思っているし、心に刻む何かを持った人間こそが、必要なのだと思う次第なのである。

 へへへ、菅さんも、残間女史も、朝からとんだ下衆貧民の口撃を受けて終い、大きなくしゃみをして居るかも知れぬ。

 さてさて、本日土曜日である。Tからの電話で、沢庵漬け、干し柿、下手絵ファイルを用意して、通りでラジオ体操をしてから、四畳半でTのお迎えを待つ。

           爪楊枝に差した沢庵二切れを出して、
「ほれ、今年の沢庵の差し入れだ。今年は、塩を効かせ過ぎた。まぁ、気は心だ。」
「おうおう、サンキュー。」

「昨日、物は試しで、通りの向こうのネパール・カレーを食べて来たんだわ。チキンカレーとナンを食べたんだけど、日本人向けで香辛料が調整して有って、行ける味だったぜや。 
 男三人で、女一人のチームでさ。インド人ぽい女の人が、中々の美形さんだったぜや。客慣れして居ないシラーとした処が好感を持てて、好かった。
 Tも、健康なら、定年後の今頃は、政府招待の柔道教師だったのにさ。両手に花で、そのお裾分けが、俺の処に回って来ていたのに、人生ってヤツは、意に為らないのが切ない処だぜや。」

「本当だいな~。胃無し男で、こんな体じゃ如何しようも無いしさ。お互い、爺、婆の介護生活じゃ、如何し様もなかんべや~。ハハハ。」

 昨朝は、-8・4℃、今朝は、それに輪を掛けた冷え込みではあったが、上天気の太陽の日差しで、コーヒースタバの二階席は、春麗の暖かさである。娑婆では、花の三連休との事である。二階席は、一席空けの適量入りである。何時もの席は、先客であるから、椅子席である。常連さんのS大先生の横に座らせて頂く事にする。

「先生、はい、これ食べて、俺の馬鹿絵でも見ておくれや。」
「おっ、干し柿ですな。」

 先生は、フランス文学の先生だと言う。へへへ、思い切り背伸びをさせて頂いて、フランス映画の『男と女Part1、2』『夜の騎士道』などを突破口に、雑談に加わって貰った次第である。
 流石にフランス文学の先生である。フランス文学の根底に流れている不倫の文化に就いて、ニヤニヤトークの始まりである。先生は、今年もまた、『研究の為』フランスへ国費で行ける由。真に以って、羨ましい限りである。

 ヤクザもどきの二人を横に、フランス不倫文学を語る先生は、中々のお人である。研究論文は、年二本との事である。生徒は、毎年3~4人の専攻にして、大学全体では15~16人で、専任教授は2人。少子化、予算切り詰めで、自由が利かなく為って来たとの事である。

「先生は、好い男だしフランス語ペラペラだから、フランス文学以上に、フランス庶民文化に殊の外、『造詣』が深いんでしょうね。へへへ。」

「まぁまぁ、それなりに楽しく『見分』を拡げてますがね。ハハハ。」
「そりぁ、そうだ。文学は、行間を解説しないと行けないんでしょうし、文字の行間を読む為には、フランス人の歴史観、人生観、感性を、実体験で『習得』する必要も有りますからね。従って、後発的感性では、先ず持って、実地訓練が物を言うんでしょうね。」

「またまた、何を誘導尋問して来るんですか。あなた、絵と同様に、中々の『危険人物』ですねぇ。講座もお安い受講料で、市民に公開していますから、お二人とも聴きに来ますか。大歓迎ですよ。」

「好いですねぇ。先生に質問しくまくちゃ居ますよ。そう為ると、早晩、<授業に為らないから、退学!!>って、言われちゃいますからね。純粋無垢な生徒さん達に失礼に当たるから、じっと我慢しますよ。何しろ、俺達は、ヤクザもどきですからね。へへへ。」

 これも、一歩踏み込めば、楽しいコーヒー・タイムの交流である。さてさて、お天気さんも好い事でもあるし、パッパタイムの後は、ホームセンターで買い物をして帰るべしである。

 前回、目に止めて置いた発砲スチロール製の小箱を探したが見当たらない。その代用のタッパを三つ買う。帰りにTに待っていて貰い、沢庵漬けを糠ごとタッパに入れてプレゼントする。まぁ、これなら多からず少なからずの丁度好い入りである。

 車を見送れば、河川敷には三九郎が姿を見せている。光に満ちたアルプスの雪の峰が、連なる信州の冬景色である。


心何処ーショート 小部屋サンルームの呟き
              小部屋サンルームの呟き(1/7/11)
 いやはや、寒かった。スキンヘッドが寒くて堪らなかったから、途中で半纏を頭からすっぽり被って寝ていた次第である。朝は、台所の流しが凍っていた。とうとう信州の冬の到来である。
 幸い、お天道さんの輝きであるから、居住区の空気の入れ替えで、窓を開けた後は、午前中のサンルーム小部屋で、モーニング・コーヒーである。掃除をした後は、玄関の小鳥達を、母の部屋の前の廊下に出して遣る。半分日陰になっている庭には、昨昨日降った雪が溶けずに残ったままである。

 昨日は、大事を取って痺れの原因を診察して貰う為に、掛かり付けの医者に行って、腱鞘炎の診断を貰い、一安心した次第である。医者に行く路地の日陰は、終日の氷状態であった。冬になると、お天道さんがあるかないかは、雲泥の差である。

 日差しさえあれば、暖房を要しない小部屋は実に重宝である。これほど省エネに貢献しているのであるから、政府のエコポイントは、私の様な貧民家庭にこそ、通年の月当てのエコ協力費を支払うべきであろう。
 就寝時の電気敷布の替りに、私は湯たんぽを愛用している。風呂だって、冬の間は、掛け流し温泉銭湯に通って、自宅風呂の回数を減らして居るのである。テレビを見ずに、専ら一人で居る時は、ラジオ派なのである。それに、三度の食卓に出る漬物だって、自家製漬物なのであるから、化石エネルギーなど使わないのである。

    如何考えても、政府の遣る施策は、ピントが外れている。ニャロメ~。

 小部屋でタバコを吹かしながら、庭を見ていると、スズメが遣って来たり、ヒヨドリが餌を突きに遣って来る。野鳥達も、其々に飛ぶ高さも、行動する高さも違う。梢・枝の高さ、茂みの中、地表と・・・サツキの植え込みの中に、鳥影が動いている。動きを追って行くと、漸く姿を現した。それは、地味な体色のノジコである。

 野鳥の彼等は、其々に食性が異なる。寒冬の中にあって、リンゴ、ミカンを啄ばむ者、地表の雑穀を拾う者、潅木の茂みの中で虫を探す者。彼等はギリギリの線で飢餓と寒さに抗して、長い冬を生きているのであろう。

 其処へ行くと、飼い鳥ファミリーは、幸せ満載の日々である。朝が白み始めれば、甘たるい鼻声を出して、藁巣から出てオス一羽に対してメス二羽単位の鳥籠である。布団の中で、それらの朝の声を聞いていると、それは紛れも無く『男女の睦み声』の様相である。

 暫らくして来ると、ウォーミングアップで、身体が解れて来るのだろうが・・・ 小煩くなって来るのである。<餌よこせ、水替えろ。日向ぼっこをさせろ。>と、オクターブとボリュームを増して、煩い限りを尽くすのである。

 私なんぞは、実に人間が出来ているから、上品にして物静かな物である。飼っている以上、面倒は見て遣らねば為るまいと達観視しているから、大人しい物である。

 太陽満ちる廊下に置いて遣れば、新鮮な水に替わる替わる水飛沫を飛ばして、水浴び、羽繕いをして、餌散らす。一休み後は、太陽を浴びて、ブンチャカ・ブンチャカ、ピィー・ピィーとばかりに、交尾タイムを繰り広げるのであるから、全く以って、『不埒千万』の連中なのである。

 この戯けめ!! 飼い主は、女日照りで、じっと我慢のオッサンなのである。お前さん達、少しは生物としての、『惻隠の情』と云う物が、働かないのか。衣食住足りて、お天道さまに、御照覧あれのハーレムの狂態を演じて、何とするかであろうが。

 馬鹿に付ける薬無し。アホらしいから、散歩に行って来るしかあるまい。小さな事では、怒らないのが、賄い夫道の鉄則である。フン、お前さん達、それじゃ、生まれ変わっても、人間様にぁ為れんぞや~。ギャハハ為り。

 晴れ渡った好いお天気さんである。川の淀みには薄らと、氷が張って居る。河川敷には、三九郎(どんど焼き)の心棒が出してあり、気の早い住人からは、正月の松飾りが置かれ始めてある。川原の水柳の枝を切って居る人の姿もある。小滝の飛沫は、氷のオブジェを作って居る。

 私の姿に驚いて、コガモの群れが一斉に飛び立つ。ひぃー、ふぅー、みー、・・・おやおや7羽で、1羽多いでは無いか。枯れ葦の陰から、又1団が飛び立つ。今度は6羽である。この群れは、何時もの群れである。その先に、又1団が居る。都合3群である。
 
 類は友を呼ぶのではあろうが、彼等はどの位の行動範囲を持っているのだろうか。安全地帯への情報交換は、大した物と見える。

 左様であるか、散歩が終わったら、私も松飾りを置きに行った後は、買い物に行って午後は、残りの日本酒を軽く飲んで流す事にしよう。物臭は、健康の秘訣である。



心何処ーショート 本年最初の一枚なり。
                  庭のオブジェ

                 庭のオブジェ


 この処、私のブログには、頻繁に独鈷のオブジェなる物が登場する。本当は、デジカメでパチリと写して、アップすれば良いだけの事では有るが、容量を縮小する事が出来ない。

 皆さんが鮮明画像をアップして居るのであるから、遣れば出来るのだろうが、それを遣って仕舞うと、私の下手絵の出番が無くなって終う。

 そんな言い訳を自分に課して、臆面も無く訳の分からない戯け画を描いている次第なのである。今年最初の絵が、この始末である。私の戯け画は、何時もの事ながら、見る人の『妄想の扉画』である。

 絵を見て、何を想像、妄想するかは、訪問者各位の自由にして勝手域である。そんな事は、私には一切責任の無い処である。自分で描いて見て、大いなる反省が有る。

 これは、吾ながら、これで目出度い絵であるから、新年の『明けまして、おめでとう御座います。本年も、宜しくお付き合いの程を!!』の新年を飾る一枚として見たかったのでは有るが・・・余りにも、遅きに失して仕舞った。真に以って、慙愧の念、絶えざる物を感じている次第でありまする。

                 ギャハハ~。

心何処ーショート 何方様も、お付き合い有難う御座いまする。
        どなた様も、お付き合い有難う御座いまする。(1/5/11)
 今朝も障子に、お天等さんの明るさである。有り難い事である。それにしても、好くお天気さんが続く物だ。四畳半で過ごすが、中々、母の動きは無い。腹が空いて来たから、朝の賄い夫をさせて頂くとしようか。

 ボチボチし始めて居ると、母の朝仕度である。へへへ、今日も動きは、悪くは無いらしい。煮物を温めて、器に盛って運んでいると、玄関のヤクルトママさんの声である。

「新年、明けまして、おめでとう御座います。ヤクルトの〇〇で~す。今年も、宜しくお願いしま~す。お元気でしたか~、・・・・・」

「はいはい、少々、お待ちを~。」

 いやはや、ヤクルトママさんらしく、新年ご挨拶の速射砲である。コタツの母と顔を見合わせて、ニヤリ笑いである。玄関に行くと、小学生の娘と手を繋いで、ニコニコしているママさんである。為るほど、為るほど・・・学校休みの娘を連れて、娘への実地社会勉強と云った処であろうか。正月の挨拶口上も、全部立て板に水の如く言って聞かせている『躾け学習』なのかな?

「偉いねぇ~。今日は、お母さんと社会勉強かい? じぁ~、これ味見してみるかい?」

 丁度、器に入れた大カブの酢漬けがあったから、差し出すと、ひと齧りして、ママさんの後ろに隠れてしまった。

「Rさん、これは美味しいけど、大人の味ですよ。」
「そうかね、しゃ~ねぇな。為らば、子供向けのオヤツとするか。」

 六畳の障子を開けると、

「ウワ~、待ってました~。おじちゃんは、干し柿作りの名人なんだよ。好かったね。」

「家族は何人だい? そうか、じゃ、これは、オマケだよ。此処で、食べて行けば好いよ。後は、家に帰って、皆で食べると好いよ。」

「あま~い。おいしい。ありがとうございます。これ、お父さんの大好物です。」
「そうか。お嬢ちゃんは、お母さん似かな、お父さん似かな? どっちだい?」
「わたし、お母さん似・・・」
「そうか、お母さんが、大好きか。」
「うん。」

 顔を見合わせ頷き合って、笑う母と娘である。私も子育て経験者であるから、母娘のこんなシーンは、好く見ていた物である。こんなシーンでは、男の出る幕は無いのである。

「へへへ、娘の前じゃ、オジサンの得意話も出来ないしな~。嗚呼、新年早々、惜しい事をしたもんだ。」
「Rさん、またまた、何考えてるんですか。アハハ。」

 遅い朝食を終え、母の部屋でゆっくりしていると、灰色雲の、風の強まって来たお天気具合である。

 さてさて、こんな冬日では散歩もしたくなくなって来る。温泉ミネラルウォーターも空に為って久しい。湯に浸かりに行って来るべし。ついでにタバコでも買って来るとしようか。用意をして、玄関の戸を開けると、四畳半前の雑木の小枝に、パッとバルディナさんが止まって、至近距離での尾羽タクト振りである。

 いやはや、すっかり鉛色の空に、風の冷たさである。こんな寒い向かい風に、上り勾配のペダルを漕げば、息切れのする冬風である。

 とは云え、寒い冬日には、熱い温泉銭湯が格別の空間である。温泉ミネラルウォーターをたんまりと積んで、ホカホカ帰宅である。後始末をしていると、玄関が開いて、倅の嫁さんが顔を出した。

 左様であるか。雑煮もこれで最後であるから、母譲りのR家自慢の雑煮を振舞うとしよう。雑煮の支度をしながら、煮物鍋に火を入れ、沢庵を切って懇親会である。本日は、嫁さんの実家からの白餅と豆餅の大量お土産である。老母は、六畳からコタツの広蓋を持って来て、倅夫婦と私達親子の3世代懇親会と相成った。

 嫁さんは妊娠中であるから、母と私の子育て思い出話で、一気に座は盛り上がってしまった。倅の話を聞いていると、実に面白い。倅・娘にとっては、私は相当に怖い親父であったらしい。

「家は、あれをしろ、こうしろ、あれは駄目なんて、細かい事は何も言わなかったけど、悪い事をした時は、男も女も無く、有無を言わせず、0.3秒の拳骨玉が飛んで来て、『何を遣っとるんじゃい。馬鹿モン!!』で、一件落着だったからね。
 
 迫力があり過ぎで、手も足も出なかったよ。普段は、下らない事には、何にも怒らなかったし、面白い話は聞かせてくれたし。親も仲が好くて、好くじゃれ合っていたしね。兎に角、親父は堂々としたスケベだったわ。他の家と比べると、自由放任でユニークだったよ。」

「そんなのは、当たり前だ。家族が見栄張って、如何するんだ。家でも背伸びしていたら、息切れがしちゃって、途中棄権だろうが。スケベには、スケベの人生が有るんじゃい。

 DNAの中に、好色因子が組み込まれているんだ。悲しい事に、人間は一代じゃ出来ねぇんだよ。隠しても、隠しても、顔を覗かせる人類何万年ものDNAの営みだわね。肩の力を抜いて、身の丈で生活して行くのがマラソン・ランナーの走法だぜな。

 チャイナの高々4000年5000年の歴史なんて、目じゃなかんべや。気取って、如何するんじゃい。
 気取って、ムッツリ助平、性犯罪起こして見たって仕方あるまいよ。人間、病気だと思えば、回りだって諦めて、早々、目くじらを立てる方が、大人気ないって事だわさ。

 何事も、裏表で成り立っているのが、この世だわね。『踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らなきゃ損・損』ってな物だろ。人間心理を達観した名台詞だよ。これが、分からん様な馬鹿と付き合ったって、何のご利益も無い。そんなのは無視した方が、時間の効率使用法ってなものだわさ。
 
 言って見りゃさ。俺なんか、上品婆さんの手で、育った片親の子だぜ。こんな、単純明快な真理を『習得』するのに、何十年掛かったと思うんだい。今から人生振り返りゃ、とんだ回り路をしたってものさね。アッハッハ。

 これが、挫折と紆余曲折の人生の後半で、やっとこさ到達したDNAの秘密だぁ。俺に言わせれば、お前達は、このDNAの秘密の開示によって、物心付く前からのワンツーマン方式の『英才教育』ってもんだぜや。

 そうだろ、そこんじょ、そこいらの公文教室、塾・予備校で、こんな高尚なアドバイスなんか、してくれねぇよ。俺の経験じゃ、大学だってこんなDNAの奥義を教えてくれたプロフェサー先生なんて、居なかったぜや。ギャハハ。」

「なぁ~、腹抱えて、笑っちゃうだろ。家のオヤジは、いざと為れば、直ぐこうだから。言う事が難し過ぎて、20年も30年も記憶してないと、ご利益が無いんだよ。
 好く、友達からはユニークなお父さんだねなんて、言われていたからね。アハハ。困ったもんだわ。」

「もうもう、お父さんは、ただただ凄くて、圧倒されちゃうだけです。例え話が、ユニークと云うか、ゴタと云うか・・・ もう、此処まで来たら、話芸の口ですから。モーツアルト、ベートーベンのクラシック聴かせて、胎教なんて物より、お父さんのゴタ節の方が、ご利益がありますからね。」

「そうそう、オヤジはケチ臭い性分だから、ケチって子供には出し惜しみをしたんだって、おカンと妹の話だ。胎教して隔世遺伝させなくちゃ、俺達はゲンコツ教育の元が取れねぇからな。ハッハハハ。」

「話芸の域まで達しちゃったかいな。そうなんだよな。ブログさんのコメントの中にぁ、『男芸者』の称号まで貰っちゃってるしさ。
 お役目だから、生まれて初めて、町会の新年会に行きゃ~、一次会がお開きになって、逃げようとしてたら、70代元鬼軍曹殿二人に、両腕抱えられて二階特設会場に強制連行されちゃって、磯『ISO』小路デカ麻呂談義の一席まで、遣らされちまったわいね。

 俺は稼ぎが無いから、オヒネリくれると思って、ある事無い事、熱弁を披露したんだけど、このスケベ野郎って、スキンヘッドを抱え込まれて、寄って集って、つるつるスキンヘッドをペチャペチャひっぱたかれた挙句の果てがさ。
 
 一席のお給金が、余った塩鰤を詰め込んだタッパだったぜや。トンでもねぇ新年会だったぜや。日本の世も廃れたもんだ。稀少価値の伝統芸・男芸者の報酬料も安くなったってもんだぜや。ギャハハ!!

 でもさぁ、この頃は、高齢化社会だって云うから、新年会で、爺さん達が、涙流して、こんなに笑ったのは久し振りだなんて、握手攻めにあっちゃっんだ。真面目に『磯小路デカ麻呂』の芸名で、施設慰問ボランティアをして見ようか何て、考える事もあるんだわさ。イッヒッヒ!!」

 親子の関係であるから、漬かり始めた沢庵漬けをごっそりと、進呈した次第である。

 へへへ、本日は、何を打とうか・・・などと、考えていたのではあるが、世の中のサイクルは、上手く回っている様である。親子三代に渡って、こんな戯け話に笑い声を交換し合える事は、本当に幸せというものである。これまた、有り難いDNAとお天道様のお導きという物であろう。

 以上、本日のロートル・クマ男の日記でありました。ご精読、有難う御座いました。



心何処ーショート 普段の始動なり
                普段の始動なり(1/4/11)
 斜向かいさんのベランダにも、洗濯物が大量に、日を浴びて静かに、風に揺れている。

 寒い日が有ったり暖かい日が有ったりで、今シーズンが緩いのか、キツイのか判断がし兼ねる。去年の薄塩沢庵は好く出来たが、長い信州の中では酸味が回って仕舞った。そんな事で、今回は塩を多投してしまった。

 お裾分けさん達への送り頃を確かめるべく、味の回り具合をチェックする為に、小出しの試食をしている処ではあるが、色の回りはシメシメではあるが、結構な塩味である。<酸味避けのお呪い>が、些か効いてしまった様である。いざと為れば、各位が塩抜きをして食べると云う『奥の手』も有るのである。冬の長丁場、先人達の知恵を食するのも、田舎の味と云うものかも知れぬ。

 まぁ、然しながら、子供の頃の沢庵漬けとは、こんな物だった。へへへ、負け惜しみである。

 好いお天気さんであるから、昼散歩に出掛ける事にする。途中、良い苔が有るから、家に引き返して、レジ袋を手に苔を取りながらの散歩である。

 正月も四日と為ると、普段が始動する様である。散歩者、河川敷で子供、孫と遊ぶ人々の姿が散見される。河川敷の滑り台、ブランコでは、幼児を遊ばせる若ママさん達の姿も見られる。

 冬枯れ葦の淀みには、この頃はすっかり顔馴染みと為ったコガモ6羽の群れが、堰堤の藻を小さな黒い嘴で、こそぎ取って居る姿が有る。葦原には、姿は見えないがホオジロ達の短い鳴き声が渡って行く。のんびりした河川敷の模様である。

 欲を掻いて、既にレジ袋はパンパンに張って、結構な重さに為って仕舞った。これでは、遠散歩は頂けない。踵を返すのが、ロートルの体の労りと云う物である。

 四畳半の前に、自生した南天の小株が顔を出して居るから、それをスコップで掘り起こして、独鈷の中にアクセントの追加をして見る。

 レジ袋を開けて、踏み台の石に腰を掛けて、取って来た苔の切り張りをして遊ぶ。それを終えて、ヤカンの水を四杯注いで、ロートル・クマ男は、ニンマリの一服を燻らせる。

 スッキリした水槽二つの住人達は、餌食いも悪く為って、水槽の底に固まって、深い呼吸の如き鰭の緩やかさである。動きの少ない住人達ではあるが、金魚達の赤とヒメダカ達の低空戦隊のコントラストが、好対象の目の保養である。

 流金の大小の落差は、凄い物である。小さな水槽であるから、水槽の大きさに応じた金魚の矮小種は有難い物である。安物金魚を知識も無く買って来て、ただ単に餌を与えているだけなのに、何事も買って何年か育てて見ないと、品種改良の実態は見えて来ない処である。好い拾い物をした。お見事!!

 おやおや、のんびりして居ると、窓の外の上空には、灰色雲が覆い被さって来ている。東の山際には純白の雲と青空が、駆逐されて行く有様である。へへへ、好いタイミングで昼散歩をして来たと云う物である。
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