旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 2010、大晦日為り。
              2010、大晦日なり。(12/31/10)
 賄い夫仕事を終えて、明日の町会新年会の為に、風呂でスキンヘッドをした後は、昼散歩に出掛けて来る。昨夜の散歩では、粉雪舞い散る寒さであったが、本日は、大晦日の無風快晴の穏やかさである。こんなお日和であっては、お役目解放を家の中で過ごしていては、無粋過ぎる。ジャンバー無しの昼散歩である。

 流石に、大晦日故に、散歩者の姿は殆ど無い。腰の曲がった婆さんと、ジョギングをする中年男性二人のみであった。

 河川敷の立て看板には、羽毛を膨らませた百舌が、逃げもせずに止まり、冬枯れの葦原にホウジロの小群れとスズメが数羽餌を漁る姿だけである。さほど寒くは無いから、ゆっくりした歩調で、薄い青空に浮かぶ白雲、アルプスの雪模様を見ながら、大晦日の人々の生活の佇まいなどを感じ取りながら、歩を進める。

 散歩から帰って来て、夜の年越し蕎麦の賄い夫までは時間があるし、大晦日でもある。昼酒を飲んで昼寝をした処で、何も罰など当たるまい。正月料理の予行演習であるから、それらを広げて日本酒を飲む事にする。老母と二人、年末年始の子供の頃の話など交わしながら、昼酒のチビリちびり飲みである。

 本日は、ブログの皆様から何時に無く、多くのコメントを頂戴して、コメント返しをしていたら、頭の中の言葉の分量が放出して仕舞った。本日ブログをサボタージュしようかなどと、ほろ酔い気分に陥っている次第である。

 とは言え、休まず続けて来たブログ日誌である。別段、深刻面をして、遣って居る訳でも無し、唯、中指に任せて置けば、本日の日記とは為る。こんな事をしている内に、蕎麦茹でのお時間と為るという物である。へへへ。
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心何処ーショート 賄い夫一席
                  賄い夫一席(12/30/10)
 へへへ、昨日に続き、今日も台所仕事に精を出してしまった。明日は、雑煮の汁を仕込んで、夜は蕎麦を茹でれば完了である。吾ながら、良く働いたものである。当分、喰い物には、不自由しない処である。

 扶養家族の時は、母が朝から湯気立つ台所仕事をしていたし、女房と居た時は、女房が甲斐甲斐しく、黙々と台所に立っていた物である。それが全部、私の処に回って来ただけで、母、女房の仕事に感謝する気持ちは、さして出て来ない処である。

 何故なら、台所仕事は、自分の知恵の出し処見たいな物である。鍋に火を掛けながら、まな板仕事も、全て同時進行の段取りの良否如何で、時間短縮も自分の匙加減の結果物なのである。或る意味では、こんな脳味噌の活性化が伴う楽しい一人作業は無い。
 
 男の手料理・家庭消費であるから、気取った料理レシピなど、一切不要の処にして、各種の調味料の加減も、へへへ、ウッシッシ、ヨシヨシってな物である。味付けは、舌のセンスィビリティで属人的才能、その物なのである。

 言っちゃ為らねぇ~男の本音を言葉に現わせば、口数だらけの小生意気女よりも、いざと為りゃ『男の底力』ってな物である。

 世の馬鹿男共は、女に対するゴマスリが過ぎるから、カンナ女如きに、飼い慣らされて仕舞うんじゃい。自分で自分の首を絞めて、戦わず前から、だらし無く白旗を上げて、女の軍門に下るなどと云う『無様さ』を見せて終うのである。自衛自尊は、自由の早道・維持策なのである。

 これを称して、愚の骨頂の極みでしかあるまい。こんな物ぁ、遣って見りゃ、男も女も、大差ない事である。料理の腕前さえ上げれば、女族の減らず口など一蹴出来ると云う物である。

 男が女の『無批判牙城』に踏み込んで、一発おヒネリを喰らわして遣れば、女がほざく口上など、タカが知れているのである。精々が、

<偉そうに、男だって女の股ぐらから生まれて来たのに、偉そうな口を叩くんじゃないわよ。ふん、何よ。女のオッパイ飲んで、ウンチ垂れていたのを、忘れて。笑わせるんじゃないわよ。アハハハ。>ってな奥の手しか無いのである。

   そんな女の悪態に怯んでしまっては、世の男が廃ると云う物である。

<この戯け!! 言うに事欠いて、女の本性を現わしたか。その偏狭為る思い違いを正して呉れるわ。
 好いか~、女の股ぐらに先鞭を付けるのが、男の如意棒だろうが。世界の下品民族の象徴国の諺にだって、『中国人は、最初に井戸を掘ってくれた人の事は、絶対に忘れない。』ってのがあるんじゃい。世界に誇る大和撫子が、<如意棒のご利益>に感謝する心を忘れて、何とする。
 股ぐらに、手を当てて、よ~く、新婚時代を振り返って見ろ。思い出して、考えて反省しろ。無駄事こいてると、始末書取るぞ。俺は、自慢じゃないが、採点は厳しいぞよ。>

<こんなに男が馬鹿だったって、結婚するまで知らなかったわよ。子供は二人で沢山。そんな煩くて、品の無い物なんか、もう、結構。ゲップしか出ないわよ。
 吾が家には、不要物だから、出してご覧。丁度包丁持っているから、チョン切って遣るわよ。料理には使えないから、ゴミ箱に入れて処分して上げるわ。ネズミにだって、見向きもされないわよ。アハハ。女を馬鹿にして、冗談じゃないわよ。馬鹿男!!>

 まぁ、亭主と女房の減らず口の叩き合いと云う物は、言葉に出して言うか、言わないかは、其々の家庭内の流儀に従っているにしか過ぎまい。

 私は、分を弁えた奥ゆかしい男にして、蚤の心臓の持ち主であるから、上記文字羅列が現実の物か、妄想の物かは、読む人の判断に任せるしか手立ては無いのである。

 賄い夫を終えて、四畳半で日課のブログ日記を打っていると、早や、夜の帳に囲まれて仕舞っている。ラジオでは、帰省ラッシュのピークを報じている。年末年始を故郷に帰って、交通事故・事故無くして、無事に新年のスタートを本拠地で切って欲しい物である。

 皆々様、お元気でお過ごし下され。本日も、詰まらぬブログにお越し下さって、感謝感謝でありまする。良い年末・年始をお過ごし下さい。


心何処ーショート へへへ、本年最後の絵。 
            へへへ、本年最後の絵(12/30/10)
 さてさて、2010年も、余す処、後二日を残すのみである。先日の絵が悪過ぎた。あんな絵を本年最後の絵としたら、大いに恥ずかしい処である。リベンジをするべしである。

 私生活的には、相も変わらぬマンネリ日々を重ね、有っても無くても良い長駄文の日記打ちを、今年も、打ち連ねて来たと云う物である。

 大根、ニンジンを刻んで、ナマスとし、レンコンを茹でてスライスして、酢漬け。里芋の皮を剥いての台所仕事をしながら、頭の中で、本年最後と為るだろう下手絵の構想をして居た次第である。

 日本の国柄、伝統、ご時世、自分の欲する日本の姿などを、如何にして一枚の絵にイメージとして配列するか・・・ こんなイメージのパズル遊びをして居るのも、中々に面白い頭の体操の一つなのである。
 イメージの中では、形は実写に近いスッキリした形なのであるが、いざ、落書き帳のA-4紙を切り取って、白紙のペーパーに向き合うと、マトモな線が描けない。

 元より、無い物強請りをするほど若くは無いから、遠に諦めて居る不器用さなのではあるが、意あって、力足らず。全く以って、手が悪過ぎる。へへへ。

 日本と云えば、富士山、日章旗、神社さん。菊のご紋に桜花、民主主義国家であるから、国会議事堂に国民家族である。然しながら、平和ボケ、核家族化の進展で、粘着力乏しい個人主義国家へと衰亡の一途を辿っているご時世でもある。

 国民主権とは、『耳にタコが出来る程の刷り込み』を受けているのではあるが・・・、無力感漂う政治の停滞・衰退期に眠っている吾が祖国・日本の体たらく振りである。
 平和ボケと云う個人主義の無関心鎖国風潮に、政権交代・普天間基地問題、尖閣諸島問題、北方四島問題、夫婦選択性別姓法案、外国人地方参政権法案、中国の土地買い漁り問題、1000万人移民政策、財政無きバラマキ政策・・・etcと、現民主党政権の危うさ、政権担当能力の脆弱振りを間の辺りに見せ付けられて仕舞うと、政治には疑問視が増大して来るばかりである。

 然りながら、権利主張ばかりしていては、喰い逃げの悪しき風潮を招くばかりである。日本国民の一人として、有権者の一人として、体たらく立法・行政の府としての国会議事堂を注視して、爺ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、母ちゃん、息子、娘に、真っ当な国民としての光を照らして遣らねば、この国は没して終う。

 確りした眼を見開いて、注視して行くのが、国民の務めと思った次第である。依って、目玉オヤジ為らぬサーチライト役として、オリジナルの目玉ビームを登場させた次第である。


                      願い

                  願い

心何処ーショート 一人、小部屋でアメリカン啜って。
           一人、小部屋でアメリカン啜って(12/29/10)
 薄らと雪の白さである。トッコのオブジェには毎朝、ヤカン三杯の水を注いであるのであるが、そんな人為的な物よりも、天からの貰い水の方が、効果覿面である。淡雪の陽に融ける天水を吸って、苔は薄い光の中で緑の潤いを静かに見せている。

 朝食後、日差しのある小部屋で、モーニングコーヒーに煙管煙草の短い煙を燻らせながら、庭を眺める。四畳半に鳥籠を移して、今度は水槽眺めである。小部屋と違って、日差しの薄い四畳半ではあるが、その分、ファンヒーターを焚いて居る。そんな事で、水浴びを終えた窓辺の金華鳥達は、動きと鳴き声が活発である。

 水泡泡立つ小水槽のヒメダカ飛行戦隊は、水槽中段に陣取って、尾ヒレをユルユル動かして空中待機の様である。脊椎が透けて見える薄いミカン色の体色に、腹部のプックリした膨らみは、空母から発進して魚雷を腹に抱えているトラ・トラ・トラのゼロ戦戦隊の趣さえ見せている。

 そんな雄雄しき連想を働かせなくとも、中段に隊列を組んで居る様は、姿・色の大人しさ故に、目立たない中にも、水草の薄い緑の添え物と良く調和して、それなりの上品さを見せてくれる。大きさと艶やかさを見せる金魚槽と比べると、それは庭の金魚槽に対して、盆栽・箱庭のメダカ槽と読み替える事も出来ようか・・・小さな水槽の中に、それらは拡がりを持った『一つの風情』さえも感じさせてくれる。

 ヒメダカは、本当に安価な目の保養集団である。彼等は、群れ戦隊を崩さない。そんな習性とグッピィとの混生飼育経験から推測すると、『日本のメダカ達』は、実際の処、神経質でストレスに弱い生き物に違いあるまい。

 グッピィと混生させると、何時の間にかヒメダカ、黒メダカ達は、絶滅して仕舞うのである。テレビ映像なんかで、外来動植物が、日本に上陸して終うと、生命力・繁殖力の強い外来種に、忽ちにして侵攻を許してしまうとの報告が多い処である。

 然も有りなむ・・・こんなチッポケな小部屋水槽からでも、テレビリポートの日本の生態破壊の侵攻を、間の辺りに感じさせて来る次第である。。

 外来種動植物の日本の生態系への悪影響には、熱心に報道するメディアなのであるが、外来種人間には、何故か報道の少ない日本メディアの特徴である。何もしなくても、蔓延る一方の外来種人なのに、帰化申請の基準の甘さ、外国人地方参政権、1000万労働力移民の目論み等、生物的、文化的矛盾の政策が目に付いてしまう。

 兎角、自然から遠のいて隔絶された施政のデスクからは、こんな当たり前の自然観察から生まれる『森羅万象の理』は、過去のタイムカプセルに封印されたカビの過去なのかも知れまい。

 然しながら、<実動しない知識ほど、実態に即さない物と云うのも、実証学の一大真理>である。

 森羅万象の理に耳を傾け、その調和の中の範囲内に留めて、使用するのが科・化学の真っ当な使用法では無いか。神も幽霊・お化けも、封印して終った科・化学・経済優先文明を築き上げて終った人類である。生きる娑婆で、例えこびり付いた垢でも、擦り落とし、不必要な社稷の装飾品を削ぎ落として、必要不可欠な物だけで、現実を生きる事の価値を見出して、単純明快為る光を翳してこそ、人類を束める現代の精神価値の王冠であろう。

 単純明快な光の源泉は、一重に大所高所から見る現象の取捨選択の選球眼であろう。選択基準が、多種多様の複合化を是としたら、光は焦点を失って、分散して輝きを失うのは、必定の結果であろう。その王冠を、施政者・指導者が被らずして、混沌・狂乱の人間界を束ねる事など、到底叶いはしまい。

 その癖、人は平気で『医食同源』『食育教育』を小賢しく口にして、その器たる森羅万象思想の『自然から学ぶ観察力』を日々遠からしめて居るのである。この思考回路が、田舎生まれの田舎育ち、田舎で一生を暮す私の様なボンクラ人間には、チンプンカンプンな現世人間模様としか形容出来ない処である。

 さてさて、お時間も宜しい様である。駄文日記はこれ位にして、ラジオを持って、正月料理の賄い夫仕事を開始致しまするかね。さぁさぁ、野菜はタンマリと買い込んで来たのである。


心何処ーショート 悪態収め???
               悪態収め???(12/28/10)
 昨夜は、面白いドラマがあったから、母には申し訳なかったが、11時半まで見てしまった。その続きが今日もあるという。
 本日火曜日は、プラスチック類の収集日である。早い時間なので、何時も通りの起き出しだと行ってしまうのである。元来の夜型人間であるから、布団中ではディズニーのDVD<スプラッシュ>を寝付け歌とした処である。何度観ても、心温まる金髪人魚と人間のラブコメディである。

 母は私との付き合いで、可哀想に朝は起きれまい。ゴミ出しさえ遣ってしまえば、朝の賄い夫は、適当起きで好いのである。ゴミ出しをして来て温い布団の中で、昨夜の続きをチャンプターリストから、チョイスして見終える。遅い朝食を終えて、テレビとお付き合いである。

 ワイドショーの一年の締め括りシーズンに、一人の男を巡る更年期女同士の鞘当であっては、男としては、興醒めのテレビである。さて、本日の始動開始である。

 正月を飾り、灯油タンクを車に積んで、ガソリンスタンドに行って来る。最低気温‐4℃の本日は、晴れのお天気さんで、昼間は昨日より4℃高い8℃との予報であった。風さえ無ければ、穏やかな冬の日なのであろうが、お天道様があるだけで、昨日とは違う気分である。散歩の替りに、根付きの太ネギを一束買って来て、土を被せて置けば好かろう。

 ラジオを聞いていれば、小沢氏の政倫審への党内抗争が、出席受諾の旨が『鳩山元総理』にあったとの報と、付随して小沢氏擁護派の男議員と、現政権スポークスマンとしての白服レンホー女史の鼻抜けコメントである。続いては、仙谷さんの『真の政治主導』として、元通りの官僚参加型の政治スタイル表明との事である。

 へへへ、好く言いますな~。市民擁護派辣腕弁護士さんは、何の事は無い。厚顔無恥の開き直りである。これでは、厚顔無恥の豪腕政治家小沢さんとは、反りが合わなくて当然のご性格同士である。氏が政治表舞台の<菅無理内閣の影の総理・実質の総理>と言われて、決して『豹変』したのでは無かろう。厚顔無恥の極めは、きっと、元もとの氏の本性なのであろう。

 これはガサネタ情報を其の儘、キャチフレーズにしたマスコミ界の『付け回し』でしかあるまい。これでは、当世風時代劇に登場する、お江戸は下町の瓦版以下の酷さでは無いのか。

 ニャロメ、純粋無垢な疑いを知らない俺様の人の良さに付け込んでの、言い手繰り野郎は、何処のどいつだ。反骨の正義漢・仙谷由人なんて、最大級のデマを飛ばした言論人は!! 
 幾らなんでも、それじゃ~、言った者勝ちの『無責任素人の人物見立て』じぁゴザンせんか。

 そんな糸電話如きの耳打ち話を、垂れ流し遣がって~。大手マスコミが、こんな程度じゃ、警察の裏取り無しのデッチ上げ捜査などと、バッシングバッシングで粋がっても居れまい。
 飽きもせずに、丸っ切りの出任せ文章を垂れ流している素人の俺と、全然変わらんでは無いか。お前さん達は、長年のプロ生活の故を以って、庶民が拝聴する評論家諸氏では無いのか??? 

             コリャ、面を貸せ、はっ倒して呉れるわ。

 安部元総理の提唱した『戦後体制からの脱却』が胃腸衰弱で頓挫して、何周遅れかの状況の下で勃発した多母神論文・文民統制テンワヤンワンヤ騒動、沖縄普天間基地移転で、ギクシャクした日米安保問題、中国の実態が日々顕著化して、北京五輪長野聖火リレー騒動、皇室一ヶ月ルール破りの民主党の掟破り、村山談話の上を行く自虐史観オンリーの仙谷脚本による日韓併合100年の菅談話。尖閣諸島海域での謎の中国船長一団の吾が国海上保安庁巡視艦への体当たり、ロシア大統領の北方四島への政治デモンストレーション、中国の声高なレアアース禁輸策・ノーベル平和賞ボイコット活動、北朝鮮・韓国の緊張関係・初めから機能しない六カ国協議の実態・・・etc

 敗戦後65年を行進する自虐史観オンパレードの証左は、NHKの『ジャパン・デビュー』の歴史偏向スペシャルである。勉強嫌いの遊び呆けの体たらく、そんな馬鹿俄鬼の私でさえ、

『NHKさん、そりぁなかんべや。ご無体、お遊びが過ぎまするぞぇ。一体全体、あんさん、受信料を日本国民から徴収して置いて、何処の国の公共放送さんだべや。日本国公共放送NHKの<立ち位置>を、公私混同して<経高心低>の刷り込み教育をする心算か。もう、受信料は払うに値せずでヤンスよ。』ってな物である。

 それに加えて、今年の好調大河ドラマは『龍馬伝』『坂の上の雲』なのであるから、巨大組織体の内部にある自己矛盾も大した物である。

 これだけ外交問題が激震しているのにも拘らず、投票率60数%の過半数の過半数の国会の政局・指導権争いの沙汰は、如何なる政治家達のレベルであろうか。
 小学生並の算数を試みれば、全体の高々15~20%程度なのであるからして、正にコップの中の嵐にしか過ぎまい。国民の代表たるを自負する国会議員先生とも思えぬ、国民意識・生活忘れの暴走・内ゲバ状態と談じるしかあるまい。
 暴走・内ゲバ集団の策士に、『暴力組織』と言われた日にぁ、自衛隊さんだって、雪中行軍で数珠繋ぎの車掘り出しなんか、遣っちゃ居れませんわね。雪中行軍の大演習は、仮想国ロシアに対抗すべき日本陸軍の死の彷徨で、高倉健さんが演じて見せた新田次郎さんの傑作小説だわね。

 小選挙区制・政党助成金制度で、日本の<政治の企業化>は、正に目を覆いたくなる惨状行進まっしぐらである。
 
 幾ら、今夏・熱暑の熱射病死が続出したとは云え、熱射病後遺症が、年の瀬に現れているばかりでは無かろう。少しは、シャキッとして、『蝸牛角上の争い』のおぞましさを、師走の寒風に当てて、国家、国民への指針を体現為されませ。

 何々、人気歌舞伎役者と暴走族の喧嘩示談が、年の瀬のニュース報道でありまするか。更年期女の男を巡る鞘当、人気歌舞伎役者の喧嘩、民主党指導権喧嘩、一過性現象の報道だけで、国家歴史観、国防の本丸に巣付う護国・国防のガンジガラメ占領下憲法の欺瞞性、本来占領下と云う限時法であるべき憲法を、経高心低を羅針盤としてしまった政治と国民。憲法に横たわる時代性の議論すらも、国を背負って立つ国会論戦が為されない『日本の怪奇現象』は、如何なる<国民精神の荒廃振り>と、言わなくて何とするかである。

 私は、何の取り得すら無い団塊世代のロートルの一人である。幾らスカンポ脳の日々進む健忘症を抱える病躯であっても、BGM替りのニュースが耳に達してくれば、62 年の来しき思い出に、幾ばくかの脳神経も刺激されて来ようと云う物である。

 私は箸にも棒にも引っ掛からない大戯けではあるが、幾らなんでも、当世、ご時世は酷過ぎりゃしませんかね。何故に、門外漢の私が、こんな一年を振り返って、長駄文を打たなければ為らないのか・・・ 先日、西田上野介を散々に、こき下ろした私が、彼にも増して、役処を違えて居るのである。

 アホ臭いから、灰色空に鞍替えしてしまった師走の風の中に、落ちの買出しにでも行って参りましょうかね。弱ったもんだいね。へへへ。


心何処ーショート 女は、それを我慢出来ない動物である。
           女は、それを欲する動物である。(12/27/10)
 あれあれ、米が無く為って来たか・・・正月早々に買いに行くのも面倒であるから、二回分を買って来るとしようか。朝飯前の一番で、米屋さん訪問である。
 いやはや、曇天強風の向かい風である。上り勾配にして、メタボの表面積の大きさである。自転車の進みの遅さに、寒風がデカイ鼻の穴を直撃する。おお、寒~い~。

 米屋のご主人は、仕事前の新聞読みであるから、思い切り掴まって仕舞い、私の半世紀を聞かれに聞かれて仕舞った。後添えの紹介をしてくれる訳でもないのに、平凡な人生であるし、今や、毛無し、金無し、女無し。止めの一発が、甲斐性無しの男である。早々は話す内容も無い男なのである。

  さてさて、帰って食後の一服を燻らせていると、ヤクルトママさんである。

 今年最後のコール日である。六畳の障子を開けると、ママさんは悪戯っ子の様な頬笑みである。

「うぁ~、今日もまた、美味しい干し柿のオヤツが頂けま~す。Rさんの干し柿の味は、最高の上品さですよ。市田柿なんか、目じゃないです。この一面の白い粉が、もうもう、何んとも言われませ~ん。」

「上手い事こきぁがって、この男たらし。ちょっと待ってろや。ブログ付き合いをして下さるお人に、沢庵漬け送って居るんだ。未だ、早いけど、味見して貰おうか。」

「任しといて下さい。生まれも育ちも信州松本の女ですから、お点はシビアですよ。」

 漬け物樽の上部から取り出して、5~6枚切って来て味見係りに御呈示する。

「どれどれ、あっ、美味しい。もっと無いですか。お茶が欲しいですね。Rさんは、才能ありますね。行ける行ける。何でも、こなしちゃうんですね。」

「馬鹿こいちゃいけんわね。カカアに逃げられたんだから、遣るしか仕様が無いだけだわね。実態と来たら、好い歳かっぱらって、お先真っ暗の介護人生だぜや。」

「何言ってるんですか、あんな綺麗な奥さんがいて、普通は奥さんに逃げられた男の人は、そんなに活き活き溌剌として無いですよ。何時見ても、艶々してるじゃないですか。話は上手だし、頭の回転は速いし、男前だもの。今だって、モテモテでしょう。」

「そんなに煽てて呉れたって、頭の毛は生えて来んぞね。伸びるのは、無精髭だけだんね。」

「またまた、謙遜しちゃって~。絶対に、浮名を馳せた顔ですよ。アハハ。」

「まぁな。現役の頃は、日本飛び越しちゃって、少なからず遊んで貰った事は有ったけどさ。今じゃ、何処へも逃げれねぇ落ち目の三度笠だわね。それでもさぁ、世の中の相性と云うのはさ、面白い物で・・・如何云う訳か、俺ぁ、ペチャパイさんと相性が合う見たいでさ。お恐れながら、奥方も正真正銘のペチャパイさんだわね。ダンナにお前のオッパイは、えぐれているって云われてるだろ。ギャハハ~。」

「アハハ、ピンポン、当たりで~す。」

「為るほど、それじゃ、ダンナには、牛じゃあるまいし、現代女のオッパイは、大きさより感度が一番って、減らず口叩いて居るんだろ。」

「キァ~、ピンポ~ンです。良く分かりますね~。」

「あいあい、俺だって妻帯者だったぜね。男の言う事も、女の言う事も、言う事は、太古の昔から、そんなに変わっちゃ居らんぜね。下ネタは、経験が物を言うだいね。イッヒッヒ~。」 

 ブログを見て居ると、正月の用意なんかの話題がある。テレビでも、おせち料理の作り方などが登場して居る。母に言わせると、明日からは品物が高く為るから、買い物をするのなら、今日の内とのアドバイスを貰う。
 そんな事を入れ知恵されると、吾が身は貧民賄い夫である。買い出しに行って来るしかあるまい。風呂が沸く頃ではあるが、母に譲って野菜類は個人スーパー、その他の物は、大手スーパーに行って来るしかあるまい。

 風呂のハイカラ御隠居さんの人生訓にも、「経済は工夫」の一家言があった。「知恵のある者は、知恵を出せ。知恵の無い者は、汗を出せ。両方無い者は、即刻、去れ。」なんて言われて、組織の扱きに遭って来た世代である。私の場合は、知恵が無いから、寒風・向かい風・上り勾配のペダル漕ぎで、汗を掻くしかあるまい。とほほなり。

 買い物、第一弾をして小休止の一服を吸っていると、正月の手作り飾り付けを持って、久々の斜向かい色白吟さんの登場である。印刷して置いた文作綴りをお渡し申し上げる。

 ササッと、風呂に浸かって、スキンヘッドを剃り上げて、クリームを柔肌に刷り込んで、健忘症帽子のメモをポケットに、毛糸の帽子を深々と被る。毛糸の手袋をして、大手スーパーにイザ、出陣である。

 スーパーで、メモ片手に店内徘徊である。おやおや、こりぁ又、好い女ではないか。

 歳付きは、私と同年配であろうか。身長は160数センチ、ボーイシュに襟足を刈り上げて、白いズボンに、黒い長コート・・・ 中々の美形さんである。う~ん、水の気が入って居るのかな? スタイルと云い、センスと云い、中々のハイレベルである。

             へへへ、目が遭って仕舞った。

 別に女房、娘の目がある訳ではない。タイプの女性の姿が有れば、見るだけ只、見ないと損損である。美形さんに目の保養をするのは、男のエチケットと云う物である。へへへ。

『女は、それを欲する動物である。』・・・さて、誰の言葉だったかな? ギャハハ!!

 レジ袋を二つ、ヒィ~コラ、ヒィ~コラ上り勾配を漕ぎ上げて、大通りを前に、車の途切れを待っていると、漕げ茶のコートを確り着込んだ、同班の色男先輩様のお姿である。通りを前に、両側から手の振り合いである。

「やあやあ、昨日の西田上野介のブログ読んだよ。相変わらず、キツイ事発信してるね。ハハハ、何時も、笑わせて貰ってるよ。」
「先輩、感謝であります。見たかいね?」

「俺は、見なかったけど、良く内容は、理解出来たから、吹き出しちゃってさ。役者さんにも、其々、役処、十八番(おはこ)ってのがあるからね。それにしても、寒いね。」

「あいあい、俺ぁ、蟻地獄の賄い夫にズッポリ嵌っちゃてるぜ。鼻水垂らして、お買い物せ。あれだんね。ロートルは、温い部屋にばかり胡坐を掻いてると、外気中りで、風邪から肺炎に進んじゃうぜね。適当に暖気と寒気当たりを交互に繰り返して、萎み行く耐性を鍛えなくちゃ、駄目だんね。」

「やぁ~、そうだだよな。散歩をサボっても、外気に身を晒さないと、億劫に為っちゃうからね。億劫さが癖に為っちゃうと、抵抗力が萎えちゃうからさ。でも、寒いわな。信州は好い所なんだけど、冬は、シャラ寒くて行けんわね。」

 やれやれ、曇天寒風の内に、早くも日は夜に向かって一直線である。遺憾いかん・・・本日、未だ一字も打って居なかったのである。


心何処ーショート 風強き師走空
                 風強き師走空(12/26/10)
 映画<最後の忠臣蔵>は、物理的要因で、見る事、能(あた)わずの段ではあったが、昨夜9時からのテレビ放映の忠臣蔵は、確り最後まで、老母と鑑賞させて頂いた処である。

 田村正和と北大路欣也のがっぷり四つのシーンは、嘗て、銀幕で見た片岡千恵蔵と市川歌右衛門の同様シーンを頭の一方に彷彿とさせながら、流石に生唾を飲む程の名場面であった。

 然しながら、吉良上野介役の西田敏行は、完全なるミスキャスティングであった。
それは、演技巧者の彼が悪い訳ではない。田村・北大路・岩下さんとの外見的格下と為らざるを得ない『見栄えの差』なのである。従って、これは取りも直さず、キャスティングを誤った監督責任である。

        母を前に、はしたない言葉を吐いて終った。

<戯け、ハイライトシーンで、吉良上野介に喜劇を演じさせて、如何するんじゃい。釣りバカ日誌のハマちゃんに、何を遣らせるんじゃい。お前さんは、美的感覚の無い監督さんだわね。
 忠臣蔵の一方の雄は、吉良上野介だろうが。月形龍之介、山形勲クラスで無くちゃ、釣り合いが取れんのじゃい。お前さん、忠臣蔵は、日本人の美意識の様式美って位置付けを、お忘れではないかぇ。
 元禄お江戸の歌舞伎がさ、現代歌舞伎じゃ、映画とテレビドラマだぜや。忠臣蔵を年の恒例行事と愉しみに待ち構えて居るのは、高齢者・ロートル世代でヤンスよ。当世の好い男に好い女を取り揃えて、日本の忠義の現代歌舞伎を見せずして、如何するんじゃい。

 日本人の精神的財産の『忠臣蔵』を褒ちゃ、行けませんわね。しっかり為されませや。ほれ、見て見ろや。大正女の婆さんだって、俺の突っ込みに、拍手してるぜや。ギャハハ。>

 彼には酷な物言いではあるが、役者は確り役処を『体現』して見せるのが、商売なのである。映画・ドラマの世界は、単に見せる事では無く、『魅せる事』に大きな意味がある。魅せる中の一つに、演技がある。悲しいかな・・・演技だけで、魅せるを体現する事が、庶民への『華の提供』なのでありまする。庶民派役者のそれが叶わない処が、大スターの大スターたる所以なのであろう。

 へへへ、只で忠臣蔵を見せて頂いているにしか過ぎない私の様な下衆如きが、こんな失礼な事を打っているのである。真に以って、これでは、役者さんも監督さんも、堪った物では無かろう。従って、決して本気で取り合って、怒っては為りませぬ。これも、下衆の表現の自由と云うものでありまする。

 こんな下衆感想を抱いて、温い湯たんぽの布団の中に潜り込んだのであるから、きっと罰が当たったのであろう。障子に目あり、壁に耳あり、想念の向こうに、見えぬ受信機ありであろうか・・・

 今シーズン一番の寒波に、ピシピシ、ガタガタとビンビン寒波が、ボロ家を荒らし捲くっている。こう為れば、厚手の毛布をスキンヘッドの防寒着として、布団の中で蹲り、ひたすら自家発電の体温の回りを待つしか無いザマなのである。

 明け方、湯たんぽに伸ばした左脛に、痙攣の兆しである。来た来た・・・痙攣である。下手に動いたら、忽ちにして大痙攣の捕虜と為ってしまう。

 恐る恐る・・・足の親指をグィッとひん曲げて、顰め面の我慢である。タイミングが悪過ぎる。吾が膀胱は、満水状態である。痙攣の痛みに、尿意が急かす。

 嗚呼、何たる事か・・・つくづくと運に見放された吾が身なり。痙攣を棄て、トイレに行くか、放尿の無様さを甘受して、痙攣を収めるべきか・・・

 ウゥ~、Tのオヤジ殿と違って、我が家には電気アンカなどと云う『文明の利器』は無いのである。激痛に尿意の波浪逆巻く未明の闇である。冗談抜きの、前門の虎、後門の狼に、抗して只一人、真冬の闇に、苦悶の脂汗をば、誰が知ろうぞ・・・うぅ~む。

   ええい、破れかぶれ殺法じゃい。女には絶対に出来ない『男技』じゃい。
 
 パンツの中に、手を突っ込んで、ムンズと放水筒を鷲掴みにして、苦痛の仁王立ちである。右手掴みの右足前進で、トイレの便器に大放水の安堵の溜息に、布団の上に倒れ込み、再び痙攣との格闘であった。

 何時の間にか、寝入って、母の物音である。本日・日曜日である。365日、毎日が賄い夫である。デカイ声じゃ言えないが、俺にだって自由に『サボタージュ』を決め込みたい日もあらぁね。もう一時間、寝かせて貰っても、よもや罰は当たるまい。・・・

     アジャジャ、、、、、小鳥達は、水替えろ、餌よこせの大合唱である。

 はいはい、分かりまして御座る。子分無しの仕事を片付けなければ、前には進まぬ日々である。馬鹿を承知の一仕事、遣れば解放される布団帰りである。ニャロメ!!

昼食も終えて、小部屋でストーブに当たりながらの庭眺めである。強風に翻弄される庭木に、ヒヨドリが柿の実を突きに遣って来る。南天の茂みの下にシジュウカラが、姿を見せて居る。斜の太陽を浴びて、廊下の鳥籠では、元気に動く小鳥達である。

 昨日は、死に絶えてしまったグッピイ槽に、ヒメダカ30匹を投入した。今年は、何故か『短命の槽』ではあるが、ヒメダカの飛行戦隊は、どの位、飛行戦隊の姿を留めてくれる物やら・・・無主の水槽では、寂し過ぎる冬の部屋である。


心何処ーショート ブルブル、ロートル土曜スタバ。
           ブルブル、ロートル土曜スタバ(12/25/10)
   
     西のアルプスのお山は、灰色のベールの中。吹雪いて御座る。
                  ルルルルルル。
「いや~、今日は寒いじゃないか。おいさん生きてたかや~。」
「おうおう、冗談抜きで、寒いぜや。鼻水垂らして居るぜや。あい、用意は出来てんるね。」

 いやはや、お寒い限りである。昨日は、炊飯器の炊飯と保温を押し間違えて、とんでもない粗相を仕出かしてしまった。

 余りの酷さに、夕食後、町内の学生相手の食堂に行って、ショウガ焼き定食を胃袋に収めて来たのだが、味が酷過ぎた。ラーメン屋でラーメンを食べて来た方が好かった。昔人間の男であるから、米飯が馴染むのである。

 長らく入り手の無かった旧コンビニ店には、インド・ネパールレストランが、オープンしていたのだが、彼等の香辛料は、如何にも鼻に付いてしまう。苦手の口なのでパスして来たのだが、とんだ誤算であった。吾が身は無資格者の賄い夫ではあるが、私の方が味付けは、数段上である。

 今朝も、『失敗は誰にでもある。勿体無い、食べる。』と言う老母に付き合って、其の飯で朝飯としたのであるが・・・
 母は、私のお師匠さんであるから、飯を粗末にしない様に、炊き直しを試みたのではあるが、それも大失敗で団子飯と為って仕舞ったのである。

 食べ物の美味い、不味いを口に出して食べないのは、男の風上にも置けない『無作法』と躾けられて来たのではあるが・・・余りの不味さに、私はオカズだけを食べて、止む無く、処分をした処であった。
 賄い夫三年にして、これで二度目の同失敗である。私は、結構、優等生タイプの処がある。同じ失敗を二度繰り返す事を、『恥』と躾けられ、自分なりに鍛えて来たのではあるが、完全なる自信喪失の惨めさである。

 Tの車に乗り込んで、
「大分、硬く為っているが、我慢して食べろや。沢庵漬け迄の繋ぎだわさ。」
「おうおう、こんなに一杯、こりゃ、有難いわな。サンキュー。」

 それにしても、寒くて敵わない。コーヒースタバに行く前に、体内湯たんぽの放出にトイレに直行である。私はミルク、シュガー、掻き混ぜスティックを持って、二階へ席取りである。本日、寒日の人の少なさなのであろうか。常連さんの顔も無い。

「おや、食欲が出て来たかい? ドーナツが食えるなら、海外旅行行って、遊んで来ようぜ。」
「馬鹿抜かせ。おいさん達は、若い娘っこが遊んでくれないから、おいさん同士で寂しくクリスマスするだいね。」

「何だい、ヌカ喜びさせ遣がって。でも、あれだな。こんなドーナツとコーヒー飲んでると、フィリピンで飛行機の故障で足止め喰ってた事を思い出しちゃうわね。日本人の炊き出しは、握り飯と相場は決まって居るんだけど、白人毛唐さん達は、ドーナツとコーヒーが定番なんだろうな。」

「そうだったなぁ~。煙草を吸いに入れば、足元見遣がって、皆、馬鹿高くてさ。日本に帰るんだから、大方のペソは、又ぐらに一直線で、使い果しちゃってるのにさ。足止め空港で、一番儲けて居るのが、ロビー内の軽レストランだもんなぁ~。
 ヨーロッパ大寒波のテレビニュースじぁ無いけど、着の身着のままで、三日間と為りゃ、誰だって、喰って掛りたくも為らぁな。」

「俺達は日本語しか、分からないから、喰って掛りたくても、手も足も出ないから、忍の一字だけだったけどもさ。言葉が白人同士伝わるから、バトルに為っちゃうわね。イヒヒ。」

「まぁ、早く言えば、そう云う事だわね。ああ云った事態は、疲れるだけで、一回経験するだけで沢山だぜな。へへへ。」

 こんな話をしながら、ドーナツをパク付いて居ると、Tは、腹が苦しいとの事である。

「何だ、もう、駄目かいな? 折角、遊びに行ってもサ、俺は腹上死で、お前さんは腹下死じゃ、同じ<死に恥>でも、上下の差は、日本男児として・・・あれだわな。
 男の哀れ、惻隠の情って訳にも行かんしな。困ったいなぁ~。ギャハハ~。」

「この野郎め、綺麗事言って、それじぁ丸切り、俺を馬鹿にしてるじゃねぇか~。何が、言うに事欠いて、<男の哀れ、惻隠の情>じゃい。笑わせるな、この馬鹿たれが。」

「あれ、そう云う物言いは、ねぇズラよ。俺は、親友の心情を一生懸命にサ、気遣って、無い頭の隅を捏ね繰り回してさね、上品な大和言葉と武士言葉を、抽出して来たんだぜや。イッヒッヒ。」

 こんな高校以来、一切進歩の無いダジャレコントを繰り広げていると、常連の中国女留学生と男が、我々の席の隣に座った。

「今日はさ。面白いブログさんが、如何云った風の吹きまわしか、俺ん処に迷い込んで来て呉れてさ。好い見付け物をしたぜや。
 一度、訪問したブログさんの処で、『朝鮮進駐軍』の記事が載って居てさね。全く知らなかった敗戦直後の事実を知ったんだけどさ。多分、その抜粋記事の元ネタ紹介が有ったんだわ。」

「ほぅ、そうか。前にブログにあって、説明してくれたヤツだな。」

「うん、そうだ。そんな事でさ、早速、俺のブログのリンクに貼って置いたんだ。一番下の所だから、帰ったら、開いて、その中にあるブルーの所をクリックすると、掲載ソースに行ける筈だよ。」

「そうか、Rの推薦だから、見てみるわ。」

「現役の頃は働き蜂で、こんな時間的余裕も無くて、新聞・テレビ情報で話を繋ぐ事しか出来なかったんだけどさ。こう遣って、時間には事欠かない日々の暮らしだ。可笑しな話だけど、俺が、ストレス解消、暇潰しで、ブログの末席を穢して居る毎日だ。

 これも、何かのご縁だわね。影響力なんかゼロの馬鹿オヤジブログだけどさ。自分で知った『目から鱗』の記事は、紹介して、見て読んだ人が、知識とか自分の見解の材料として貰いたいんだわ。言って見りゃ、これも、ロートルの社会還元のお節介責務かも知れんぜね。

 右も左も中道も、或る程度、自分の中に仕込んで置かないと、人間として、恥を掻いちゃうからな。伝達係りが終わればさ。見て読んだ人が、其々に選球・判断を下せば、好いだけの事だわさ。伝達係りも、世の中にぁ、必要な工数の一つだわね。」

「そりゃ、言えるわな。人間なんか、幾ら自分一人の力で足掻いて居ても、所詮は限界があるからな。インターネットの世界は、或る意味じゃ、縦横無尽の混沌の世界だ。
 昔から、<類は友を呼ぶ>で、ブログの世界でも、グルーピングが自然発生の形で出来上がってる。

 そうだからこそ、そこには目には見えないけど、何らしかの色付けが為されているから、<友達の友達は、吾が友>の図式が構成されて来る物だ。

 だからさ、俺なんかも、リンク、リンクを渡って、幾つかのブログに目を通して行くんだわ。そうすると、期待は保たれるって御利益があるんだ。今日は、寒いから、車の中で、パッパを吸うぜや。」

 煙草を吸った後は、健忘症進むスカンポ脳であるから、本日はメモ書きをポケットに入れて来た。二人連れ立ってホームセンターに入る。Tも、蛍光灯の品番メモを持って来たと言う。

 お互い、寄る歳並みのロートル・オヤジの様である。嗚呼、後、何年かすると『恍惚のブルース』も歌えずに、お互い、総入れ歯でフガフガ口を動かしながら、老境行脚をして行くしか無いのであろう。

 そんな日が遣って来ない内に、何とかTをその気にさせて、ロートル夜空に、ドカーンと南国の花火を打ち上げたい物である。イッヒッヒ!!


心何処ーショート 軍歌を聴き、歌うのも、好い物だ。
          軍歌を聴き、歌うのも、好い物だ。(12/24/10)
 如何したかな・・・母の朝の動きが聞こえて来ない。大分体調の好い日が続いていたから、体調不良の周期が回って来たのだろう。バタバタしても可哀相であるから、四畳半で、モーニングコーヒーを飲みながら、待つとしようか。

      窓辺に鳥影一つ。尾羽タクトのバルディナさんのご挨拶である。

 昨夜は<YouTube 海行かば>から迷い込んだ『歌い継がれる軍歌の心』と題した終戦記念日特集の5本を楽しんだ次第である。これは、<チャンネル桜>に登場するキャスター、ゲスト達によるカラオケ・オンパレードである。
 順不同でクリックした動画に、尊敬する西部邁先生が登場しているのであるから、へへへの鑑賞スタートである。先生の喉と唄の巧いのには、タダタダ、平伏すだけである。
 それと、もう一人小山和伸先生も登場するのであるから、ロートル・番から男としては、ついつい、悪乗りして歌の輪に飛び込み参加で、字幕に合わせてご一緒させて頂いた次第である。

 西部先生、小山先生は、何処と無く<白らばくれた男の味>を見せて居られる先生方である。真面目なのか不真面目なのか、ヌーボーとした処があって、面白い。

 此方の田舎言葉で云う処の『とぼくれた』男の味を、存分に漂わせているのである。この手の顔と雰囲気は、私の見立てによると、相当な女好きにして、助平な性向を持っているに違いあるまい。
 所謂、ガッタ坊主が勉強をして、ガッタ坊主が其の儘、大人に為って教壇に立っているかの様な・・・ 昔の男子高の『番から男』の顔と雰囲気が、プンプンと臭って来るタイプなのである。
『知性・教養・博学』と『ガッタ坊主』の共存性を、土の匂いを残した儘に、融合させた感じのする先生方である。そんな事も手伝って、私はお二方の話は、気分的にスンナリ信じてしまうのである。

  私としては、8/15軍歌特集への迷い込みは、実にタイミングが好かった。

<トラ、トラ、トラ><ミッドウェー><硫黄島の砂><地獄の戦場>の太平洋戦争映画を観た後の軍歌特集の動画であったから、色々と考えさせられる歌とトーク番組であった。素人の私が、保守の大先生方を差し置いて、おこがましい感想を打っても、仕方の無い処である。ピント外れで赤点を頂戴しても、この歳であるから、修正は一切叶わないのである。

 お時間が有れば、私同様に動画散策をして見るのも宜しかろう。女性お三方も登場されて居りまする。
 
 私の妄想感覚を一つ打てば、太平洋戦争の大激戦地・硫黄島の戦場は、巣穴を掘って蟹に徹した日本軍の玉砕戦法に、米軍は多大な犠牲を払って、島を奪取したとの事である。米軍がその後、泥沼のベトナム戦争によって、退却せざるを得なかったベトコン戦法も、『蟹戦法』と云えなくも無い。

 その辺りの米軍とベトコンの戦闘の様は、バート・ランカスター主演の『戦場』と云う映画もある。新しい処では、ロシアのアフガン撤退、アメリカのイラク撤退も、その実情は、<同根と見て差し支えない>と思われる。
 正規軍とゲリラ軍の戦闘の難しさは、古の軍記にも記されている処である。(日本でも木曽義仲・源義経・真田の戦法も、歴史によって知らされている処である。)
 一説によると、ベトコンにこの戦法を教えたのが、敗戦後日本に帰らずベトナムの独立戦争に加わった旧陸軍の軍隊さんだったとの一説もある処だ。軍事通の人から見ると、迫激戦に於ける戦闘行動様式は、非常に旧陸軍戦法様式に通じているとの事である。

 田母神さんでは無いが、大東亜共栄戦争で、進出・転戦した日本の軍隊さんは、アジア各地で白人至上主義の帝国植民地戦争に、敢然と挑んだアジアの有色人種・大日本帝国人の足跡を随所に刻み込んでいるとの事である。

           さてさて、母の部屋を覗いて来るとしようか。

「具合が悪いか? ゆっくりで好いぞ。」

 老母の動きに合わせて、朝の賄いに台所に立つ。風呂を沸かす間に、郵便局と母の薬を貰いに行って来る。へへへ、白い物が舞っているでは無いか。風呂と洗濯の後は、小部屋でマイ・タイムである。

 柿の実を刺した枝に、ヒヨドリが遣って来て、盛んに突いている。これこれ、そんなにガムシャラに食べたら、折角のメジロ寄せの意味が無く為ってしまうだろう。このハイエナ・ギャングめが!! 下がり居ろう~。

 再び、強い風が吹いて来て、暫く雪が舞った。サァーと、メジロが弾丸の様なスピードで二羽飛んで来た。

「婆さん、婆さん。ほら、メジロが、二羽来ているぞ。」

 庭のメジロは、暫く枝を渡って、忙しく突くと、枇杷の茂みの中へ飛び去って行った。こんな光景に遭遇すると、雪は彼等にとっては、大きな条件反射因子と為っているらしい。

 一昨年の積雪の時も、そうであった。何故か雪がちらついたり、降ったりすると、何処に居たのか、メジロが二羽フェンスの果物を、突きに来た物である。人間の感覚からすると、餌が固定して用意されている以上、悪天候時よりも、好天時の方が好かろうと思われるのだが・・・ 

 彼等にとっては、悪天候と飢餓の関係は、絶対行動の様にDNAに確りとインプットされているのであろう。

 悪天候と飢餓の関係が、『生物の絶対行動を促す』と云うのが、生物DNAの中に、確り繰り込まれていると見るならば、そんなキーワードで、歴史を反芻して見るのも、好奇心が沸くと云った物であろう。

 へへへ。書物の記述、有名人の言を鵜呑みにばかりしてしまうと、人間固有の妄想力に翳りが生じて、皆、個性の無いステレオ人間・着せ替えマネキン人形に為ってしまわれまするぞえ。お気を付け遊ばされませ。イッヒッヒ~。

心何処ーショート 十二月二十三日
                  十二月二十三日
 朝食後は、苔取りに行って来る。河川敷の石垣に自生する苔を毟っていると、乳母車を押した母親・お婆ちゃんの三代お散歩者に声を掛けられる。日差しの中の、こんな光景は、気持ちが和らぐものである。

 本日・天皇誕生日にして、大東亜戦争A級戦犯者の処刑日である。テレビでは、東北の太平洋岸は、大変な嵐に翻弄された由。ヨーロッパ・イギリスでは100年振りの大寒波で、ハブ空港化している有数の飛行場は、積雪の為、何処も何日も足止めを喰らっているとの事である。
 一度マニラ空港で、飛行機の故障とやらで、延々と足止めを喰らった事がある。身の置き所の無い空港ロビーでの足止めは、大変な事である。それが三日間との事であるから、テレビに映る金髪女性が空港関係者に、喰って掛って居る心境は、良く理解出来る処である。

 アイスランドの大噴火と云い、EU高速道大動脈は、各所で雪害事故の多発振りとの事である。人・物の物流停滞の影響は、甚大な物である。

 巨大なる便利さの裏には、これまた巨大な不便さも潜んでいる事の証左を、マザマザと見せ付けていると云った処である。
 
 効率の追求は、確率との擦り合わせでもある。世界を結ぶハブ空港化の点と点を結ぶ直行率計算は、可変的因子の逆襲を受けている。固定因子とタカを括っていた自然と云う可変因子は、今や加速度的に増す地球温暖化とやらで、地球の気圧運行にも重大な影響を与えている由。

 因子と因子が合致して、今や、地球の悠久の気流大横断は、夏冬に新たな変化球を覚えている。気象解析の奥には、天空からの逆襲が見え隠れしているのである。

 地球温暖化にストップを掛けるべく開催される国際会議も、二酸化炭素排出国の二大超大国の中・米の態度と後進国の反対にあって、総論賛成・各論反対の人間の欲望合戦の図で、地球丸は寒風に座礁していると云うのが、その実態の様である。中・米の直ぐ後には、インドが控えている。つくづくと人間の欲望と云う見苦しき業の深さと『認じる』しかあるまい。

 雲の多い日ではあるが、それなりのお天道様の輝きもある。廊下に鳥籠を置いて、小鳥達にも視界の広がりを見せて遣らなければ、可哀想である。

 タバコを吹かしながら、庭を見ていると、久し振りに、バルディナさんの尾羽のタクトである。彼女は、庭石などをチョン、チョンと渡りながら、翼の三角の白い斑点をフワッ、フワッと震わせながらの尾羽タクトを振っている。

 ゆっくりした庭徘徊である。トッコのオブジェの上に止まったり、庭石を伝わったり、廊下の縁の下を窺ったりの『長い姿見せ』である。時々、彼女の視線は、廊下の小鳥達にも注がれている。
 きっと、人間でも野鳥でも、一日の決まった行動がある筈であろう。私が知らないだけで、彼女には彼女の決まった一日の行動スケジュールがあるのであろう。意外と長い庭徘徊に、私は頬を緩めながらの観察をさせて頂いた次第である。

 羽毛が確り、身体にフィットして居る様からして、彼女は健康体であろう。日々、ラジオばかり聞いているので、鳥インフルエンザのニュースなどを聞けば、少なからず、気に為ると言うのが、人情である。

    はいはい、ジョービタキのバルディナさん、姿見せアリガトさんよ。

 昼は何時も軽めであるから、昨日、母にお褒めの言葉を頂戴した『冬至汁』で済ませれば好かろう。小豆、カボチャの汁物は、以外や以外で、腹が張る物なのである。

 それまでは、この小部屋でブログ打ちをして過ごせば良いのであるから、小鳥達を廊下上がりの靴脱ぎの、石の上に置いて遣る事にした。少々寒かろうが、家の中の空気より、外の空気の方が美味かろう。運が好ければ、シジュウカラ、メジロなどが遣って来るかも知れぬ。

 庭を眺めたり、PC画面に文字を連ねたりしている内に、白かった雲は、灰色雲の大進出で、薄い青空は、東の山の端に1/5程度の心もと無き移ろいである。

 さてさて、鳥籠を中に入れて、昼食の後は、軽めの散歩をして来た方が、宜しかろう。

 散歩前に、四畳半のPCを開くと、ひまじん兄貴さんの劇場映画のお薦めである。自転車で映画館に行ったのだが、寂れた映画館は、店終いの様相である。気抜けした上り勾配のペダル漕ぎは、兎角、息が切れる物である。


心何処ーショート 師走の速さに、タジタジ。
             師走の速さに、タジタジ。(12/22/10)
 昨夜は、長々と雨が降っていた。こんな時季の雨は、雪に変わってもおかしくは無い。朝起きると、薄らと雪化粧であった。それも、上天気の日差しであるから、昼までには一切融けて終うだろう。淡雪の儚さである。

 付けたり消したりしている小部屋の暖房で、クシャミと鼻水である。大事に至らぬ前に、朝食後は風薬を飲む。吾が身は、『病は、気から。』を逆さま解釈して、『薬の効果は、気から。』の暗示を励行して居る次第である。念じれば、少なからず御利益がある。
 
 昨日は散歩中に、倅の嫁さんが親からのお歳暮を届けて呉れたそうである。「お父さんは?」と家中を回って呉れたとの事である。万年床部屋には、就寝時の子守歌替わりに見る映画ビデオ、DVDが散らかって居る。<ミッドウェー>、<硫黄島の砂>などで、好色ロートルの寝間としては、些かの安堵であった次第である。

 四畳半、寝間には、素人のコレクションとしては、膨大なクラシック映画の量である。本棚と云えば、現役時代の堅苦しい法務・労務関係の本で、後の趣味本は、台所横の物置に、スチール製の本棚が二つ眠っているだけである。
 四畳半、小部屋にしても、部屋は散らかし放題ではあるが、顰蹙を買う物は貼って無いので、辛うじてセーフの段である。

 私は好色性動物であるから、時に大人の玩具サイトをニヤニヤしながら、インターネットする事もある。製品の歌い文句が、面白い。私は戯け人間であるから、直ぐ、それらのキャチ・コピーに悪乗りして、最高級品シリコンとか、人造皮膚なんかの文字に反応して、何を馬鹿な事を言ってんだとか、一体何十万もする米国製ベビードールの出来栄えに、生唾を飲む事さえもある。

 時には、スタバコーヒーの話のタネにもしている次第である。何しろブルーアイの金髪なのであるから、妄想自由満載の私にとっては『妄想の泉』見たいなものである。
 
 若い頃、『独身アパート・どくだみ荘』の漫画本に嵌って、新刊本が出ると待ってましたとばかりに買って来て、家族の前で腹を抱えて笑いこけて居た。倅は男の子であったから、半ば呆れ顔の笑い顔であったが、女房・小娘には蔑みの罵詈雑言とお仕置きのパンチ、キックを喰らっていた物である。

 それに対して、駄目オヤジの一家の家長としては、抜けシャーシャーと、倅に以下の教訓を垂れていた物である。

「おい、倅よ。女と云う浅はかな動物は、表面の上品、下品の絵でしか判断しないものだ。女達は幼女・乙女・女・カンナと見事な身体的放物線を描いてもさ、馬鹿の一つ覚えのブリッコの典型でさ。この変態ヨシオ君の中に流れている人間、男達の人生のペーソスと云う物を理解する包容力に欠けて居るんだ。」

『○さん、又、女を馬鹿にして、★は、そんな馬鹿な話聞いちゃ駄目よ。精神病院に収容させて遣るから、離婚届に判押させるよ。一緒の部屋に居たら、ウィルス感染しちゃうから、○さんは出て行きなさい。女の敵だわよ。糞オヤジ!!』

「煩い、道徳のお時間じゃい。お前は、幸い男だ。上辺のエログロ・ナンセンスの中にこそ、感じ、考えなければ為らない人生の喜悲劇を見無くちゃ一丁前の男には為れんのだぞ。」

『◆、部屋替わろう。あんな話を聞いちゃ駄目よ。頭がおかしく為って、下品に為っちゃうからね。◆は女の子だからね。憎ったらしいから、蹴っ飛ばしておいで。ついでに、頭もメンピンしておいで。』
『わぁ~ぃ、お父さん、お母さんに、怒られてる。お父さん、下品ですよ。お行儀良くしないと、◆が、お母さんの分まで、思い切りスリゲンコツするよ。アハハ~。』

「何をシャラ臭え。『厭らしい、頭狂ってる、馬鹿じゃないの、精神病院行っといでの罵詈雑言と、蹴られ、殴られても、笑い飛ばしてさ。敵は何万有りとても♪『どくだみ荘一直線』♪が、全方位アンテナの情報収集力ってぇ『大いなる精神の均衡訓練』ってぇのが、人間の高みだって事が、丸で理解出来ない。
 要は、包容力ゼロのはしたなき様なんじゃい。『清濁併せ飲んで、清い糞を垂れて見せる。』のが、男の幅と深さなんじゃい。それが、『男の味』を醸成して行くんじゃい。」

『ああ、始まった。私は、結婚相手を間違えた。泣きたいわよ。』
『お母さんには、私がいるから大丈夫だよ。お父さん、ストップだよ。』

「人の話の腰を折るな。お前達は、退場~。後は、男同士の時間じゃい。それが、漫画から観賞出来ないなんてザマは、全く、おお、痛ぇや。手加減も出来ねぇんだから、低能児の極みだぜや。馬鹿たれが。
 小難しい文字羅列の文学作品じゃ、絶対にお目に掛れない盛り沢山の世界が、漫画世界の真骨頂だわね。覚えて置きな。ギャハハ~。」

 こんな戯け男であるから、妄想を発展させて購入して見たい誘惑に駆られる事がある。 
 然しながら、還暦を過ぎれば、腹上死の魔手が伸びないとも限らない。中々起きて来ない賄い夫に痺れを切らして、ヨロヨロと老母が吾が寝間の襖を開けた途端、あられもない姿で金髪人造女にしがみ付いて、『倅が息絶えて居たの図』をば、目撃したら口から泡を吹いて、親子共々、あの世行きのザマである。

 訪れる人の少ない下衆貧民の生活である。身内なら兎も角、誰が第一発見者と為るかは、一切予断を許さぬ処である。『飛ぶ鳥、後を濁さず。』には遠く及ばず、『大戯け死んで、腐臭の醜態を晒す。』と有っては、ブルーアイ、100%人毛、手植え金髪ドールであっても、遠く手を伸ばす蛮勇は、『鬼門中の鬼門』なのである。

 そんな日にぁ、ご近所の鼻摘まみ者・テレビ・雑誌の格好の餌食と為って仕舞う。お彼岸には、欠かさずオヤジの墓参りをして居るのに、肝心要の墓入りもボイコットと為るのは、必定の沙汰である。現代経済用語としては、『費用対効果』の学習能力の無さと断じねば為らない。へへへ、以上の雑学考証を試みれば、『軽挙妄動の極み』とすべき処である。 

 女日照り、ISO規格の宝の持ち腐れ状態の遊休資産の活用法を入れ知恵されたとて、此処で、グッと堪えるのが、男の珍道と云う物であろう。

 気さくで開放的な嫁さんであるから、母とも話が弾んで、彼女の訪問は大歓迎である。

 こんな愚の骨頂振りを、本日のブログ日誌を打ち始めていると、ヤクルトママさんのコールである。おやおや本日水曜日であるか・・・

「はいはい、一寸、待ってておくれや。言葉が飛んでく前に、メモして置くぜね。御免なさいね。」
「はい、ごゆっくり~。待ってますよ。」

    やれやれ、何と師走の速き事か、・・・・ タジタジするのみである。

心何処ーショート 本日のニュース。
           鳥インフルエンザに、募金箱泥棒。(12/21/10) 
 薄曇り・無風の曇天日である。明日は冬至との事である。火曜日であるから母の入浴日である。風呂に入る前に、土弄りでもすると致そうか・・・朝食後は、バケツを持って苔取りに行って来る。作業は、トッコ周りを苔で埋めるお遊びである。他人様から見ると、何処から見ても、変なオヤジである。然しながら、個人のお遊びであるから、面白いのである。

 爪の間に入った土を風呂で落とし、スキンヘッドのカミソリ剃りである。風呂を母に譲って台所の洗い物をする。廊下に出て庭を見る老母が、トッコのオブジェを見て声を掛ける。

「何時の間にか、あんな好い物が・・・、何処から持って来たんだい?」
「あれは、何十年も前に、四畳半の前にあったヒマラヤスギの根っこだよ。車除けに角の置いておいたんだけど、ペットボトル・缶なんかのゴミを入れていく不心得者ばかりでさ。
 でも、物は発想の転換でさ。中の取れなかった抱きかかえ石も、腐りが進行してチョチョイがチョイで落ちるから、捨てて置くのは勿体無い。それで、此処へセットして見たって寸法さね。
 丁度、小部屋目線で、好い感じなんだよ。幾ら枯山水の趣向と言ってもさ、木の骸骨だけじゃ、色気が無いから苔をアレンジして、枯山水のおママゴトだわさ。なぁ、廃物利用だけど、センスが好いだろうよ。アハハ。」

「大きさと云い、形が好いね。運ぶのが、重かっただろう。転がして来たのかい?」
「へへへ、馬鹿こいちゃ、いけねぞや。転がして、形を損ねたら、アウトだぜ。こんな時の為の相撲取りの太鼓腹だぜや。腰をグィと下ろしての馬鹿力。腹と両腕の三点吊りよ。
 ああ、正直、重たかったぜや。生白い柔な男じゃ持って来れんわね。男の最終的武器は、誰が何と言おうが、力だぜな。自慢じゃないけど、婆さんの倅は、文武両道だいね。
 まぁ、ゆっくり、風呂入ってろや、俺は、個人スーパーに行ってカボチャと小豆を買って来て、婆さんが作ってくれた<冬至汁粉>に初挑戦を遣って見るわさ。」

「覚えていたかい、男の子なのに、好く遣るねぇ。吾が子ながら、感心する。大したものだ。私が死んでも、何にも心配要らないね。いざと為っても他人様に頼らないで、十分、一人で生きて行ける。安心して、死ねるよ。」

「幾ら何でも、そりぁ酷い言い草だ。俺ぁ、この儘、女日照りに内に、没するって事かいな? 少しは、可哀想だとは思えんのかい。
 へへへ、女房は恋しいけど、一人身の自由を習慣として、身に付けちゃうと、お互い、自由が一番だわな。
 何かをしないと、一日は退屈なんだよ。何でも、遣って見りゃ、人間って生き物は、工夫のお時間で、別に寂しいとも思わん物だわね。
 まぁ、ボチボチ、無理しないで、時間を一杯掛けて、風呂入んなよ。」

 可笑しなもので、母と倅の生活という物は、相手が母であり、女の一員でもあるから、偽女房の様な側面も多少なりともある。この歳に為ると、女は面倒である。
 T父子の関係は男同士であるから、電極の例えを持ち出せば、プラスとプラスの極同士では反発関係とも為るが、私の場合は、プラスとマイナス極の関係であるから、何も無い時は比較的にスムーズに事が運ぶのであろう。

(尤も、老母と云えども拗られると、兎角、女族という種族は、太古の時代から『拗ね族』の類であるからして、真に以って始末の悪い種族なのではある。従って、目に見えない領海線をキープして行くのが、『男族の良識』と云った処であろう。
 日米安保の関係では無いが、サシスセソの家事全般を女族に丸投げしてしまうと、いつ何時、寝首を欠かれるか、堪ったものでは無い。・・・心頭滅却の儀式何ぞしなくとも、最低限の戦力を保持していない国には、自主独立の自由も外交権も無いのである。努々、男族足る者、油断は禁物でありまするぞえ。イッヒッヒ~。)

 個人スーパーから、諸々の物を買って来て、いざと云う時の手抜き食卓用の作り置き調理をしていると、アジャジャ~、四時を回ってしまった。
 遺憾いかん、昼散歩の時を逸してしまった。ジャンバーを確り着込んで、手抜きの近場散歩で帳尻を合わせるしかあるまい。

 本日の台所作業は、蕪二束の塩漬け、ゴボウ、ニンジン、シラタキ、鶏肉を刻んで、キンピラゴボウ煮、ほうれん草の卵とじを目論んで茹で上げ、乾燥身欠きにしんの甘辛煮である。

 ラジオをポケットに、夜の帳の中をテクテク散歩である。何々、鳥インフルエンザの次は、口蹄疫の激震で沈む人々に、イルミネーションで労いプレゼントをして居られたお人の、募金箱が盗まれたとのニュースである。

 何を考えとるんじゃい。罰当たりが!! 何時から日本人は、そんなサモシイ人種に成り下がってしまったんじゃい。日本人として最低限の『遣って良い事と悪い事の区別』さえも、衰退してしまったのか。嘆かわしい限りの現代世相である。
 
 二、三発、スイカ頭に鉄拳をお見舞いして、首根っこをふん捕まえて、水前寺清子の『一本どっこ』の歌でも聞かせて、朝昼晩、暗唱させなくちゃ、治るまい。全く以って、太ぇ出来損ないが居た物である。


心何処ーショート 煙管の一服
                 煙管の一服(12/20/10)
 朝食後の一時を、廊下の金華鳥の動きを眺めていると、チィ、チィと小鳥の鳴き声である。コタツから身を乗り出して、庭に目を凝らすと見付けました、見付けました。

 鶯色の体色に、胸の薄っすらとしたミカン色、目の周りの白。細い黒の嘴。待望のメジロ殿である。百日紅の幹下に落ち葉を掃き溜めた上に、柿の実を置いてある。半分埋もれた赤い実を突きに来たのである。

 一昨年は、何度か積雪があったから、四畳半のフェンスの脇に枝を刺して、柿・ミカン・リンゴなどを刺して、メジロの訪れを観察していたのである。
 然しながら、去年は本の数回姿を見せてくれただけで、私としては寂しい思いをしていたのである。

 それが、本日、確りと姿を見せてくれたのであるから、嬉しく為ってしまった。私は、目の保養と為る物は、人間・動物・植物・風景を問わず、何でも好きなのである。
 四畳半の窓外には、柿の実を二個枝ごと括り付けているのであるが、ハイエナ・ヒヨドリも来ない処であったのである。(今年は、鳥の訪問無しか??)の危惧さえ持ち始めていたのである。

 メジロが飛び去った後、庭に下りて、メジロ達が安心して枝で突ける様に、百日紅の幹と幹の間に渡した柿の枝木に、刺して遣る事にしたのである。柿の実を手に取ると、突いた跡が付いている。
 為るほど、メジロは、人間が気付かないだけで、何度も柿を突きに来ていたのである。それ為らば、彼等は餌の在り処を知っているから、今度はじっくりと小部屋から、観察が出来ると云うものである。私としては、これで確実な冬の愉しみを手に入れた事と為る。

 希望が現実と為ると、私は態度が大きく為る性向である。・・・真面目に、女日照りの更新を続けているのであるから、この位の『お天道様のご褒美』があっても、強ち奇妙な事ではあるまい。・・・ こんなお天道様への不遜な感想を抱く男なのであるから、下衆男は、下衆根性からは一生解脱出来ないのである。困った性根である。

 庭に下りたツイデであるから、俄か作りのトッコのオブジェと苔の配置では有るが、薬缶の水で苔に水を漱ぐと致そうか。台所から薬缶を持って来て、庭草履を履く。

 薬缶の口から、水が注がれる。苔の緑が、見る見る内に蘇る。それに目を凝らせて見ていると、その様の意味する処は、『生命の生き死に』の広大な時間を短縮させて、死と復活の時空すらも、凝縮させて見せてくれる様で、正に神秘さの様な物まで感じさせてくれる。

 私は、文学・インテリジョンスには程遠い人間である。従って、流行りの文化人達の多用する、耳当たりの好い言葉の『自然に生かされている。』などと云った意識の気高さなどは、私には微塵も無い処である。
 それでも、私とて幾ばくかの<日本人としての感性>は、持ち合わせている。そんな次第で、その様には、神秘さの営みが凝縮して感じられる処なのである。

 これも、水の惑星といわれる地球の原始植物・苔が持つ『シンプル・イズ・ベスト』の単純にして、明快な死と復活の神秘さの凝縮図と云っても好かろう。

 私のこんなささやか為る愉しみも、激寒期の中で雪が積もれば、庭に食料を漁りに来るツグミ、アカハラの冬鳥達に依って、折角根付く様に詰めた苔を突かれ、引っくり返される。

<おのれ、無粋者ども、俺様の美的感性の作品を、何とする。行儀の悪い。それでは、悪態の様じゃ。馬鹿者!!>

 散らかす彼等と、拾い集めてセットする私のイタチごっこが、何度か繰り広げられるのではあるが・・・ それも、ロートルには、楽しからずやの遣り取りなのである。

     そんな信州の真冬が、直ぐ其処まで遣って来ているのである。


 

心何処ーショート 深夜のボヤキ。
                   ツケの時代

                 行き過ぎたツケの時代


 日本の現代は、行き過ぎた各種のツケを払わされている時代の様に思えて為らない。個人主義を追求した余りが、何でもかんでも横の関係にばかり気が向いて、国旗・国歌・歴史観・伝統・英霊、家族・地域・職場・日本人の絆と云った基本的な国民感覚さえ蔑(ないがし)ろに為って、個人の市民感覚が民主主義の成熟期の様な捉え方が、日本の社会に蔓延して仕舞った。
 
 私の日々のブログを読んで頂ければ、お分かりに為る様に、私は常々その風潮を苦々しく感じて来た次第である。国家観を脆弱にした国家の脆さは、市民運動家・市民権利擁護家の現総理・現官房長官の日本丸の舵取り振りを見れば、多くの国民が疑問と思う処であろう。

 ブログ過去記事でも打った事では有るが、横糸だけでは、布は織れ無いのである。縦糸を横糸に織り込まなければ、加工に堪える布は誕生しないのである。布を加工して、気候風土に合致した衣服を作って生活して来たのが、民族であり、民族を束ねて国家の意思を現わすのが、政治の基本である。

 嘗て、地方に君臨した王達の墳墓には、前方後円墳と云う建造物が有ったそうである。土止めに使われた夥しい程の埴輪が整序正しく並べてあったそうである。本日の散歩時の立札に、古墳群の記載が有った。
 そんな事が頭の片隅に有ったのであろうが、一枚絵を描いて見ようと思い立った次第で有る。縄文時代の素朴な土偶、古墳時代の埴輪などを連想させながら、形を縄文式土器、埴輪の素焼き風に描く事を思い立った。

 そんな処までは好かった物の・・・BGM代わりに流しているラジオニュースからは、残念ながら、碌でも無いニュースばかりが、耳に飛び込んで来る。そんなニュースに託(かこつ)けて、縄文式土器の形・色付けをして見れば、こんなデザインに為って仕舞った。

 少数の同好の仲間同士の付き合いに、傾重するかの様な横糸ばかりに意を腐心する。各段階毎の躾けが、衰退して仕舞い、国家観も歴史観・自国歴史観にも、無頓着と為って仕舞った若者が、続々と家庭・地域・学校から生産されて、見事に管理されて、企業の社畜化されて行く。
 
 何でもかんでも、過半数の多数を制し、己が地位を獲得すれば、勝手気儘の遣りたい放題を邁進する。安易に勝ち組・負け組などと人間を物扱いして、保身一直線の暴走振りである。
 
 国家の一大事よりも、政局優先。国家的関心よりも人気歌舞伎役者の事件ばかりを、殊更、報道して視聴率を上げようと躍起に為って居るテレビ界。異常事件が勃発すれば、殊更、社会原因をあーだ、こーだと吹聴して回る。全く、公器の筈の電波を、好奇の垂れ流しをしている様である。

 家庭教育と云う核芯の躾けも、学校での義務教育も、大学教育も、てんでバラバラの過保護の蔓延化である。社会人と為れば、テレビは芸NO人オンパレードの言いたい放題、皆で、手を叩いて笑い合うばかりの体たらく振りである。盛り場に行けば、性の氾濫である。何処とやらの大国の小国日本籠落策には、ハニートラップを仕掛けろと指令振りとの事で有る。

 こんな諸々の事が頭を駆け巡ってしまえば、こんな図柄に為るしかあるまい。

 こんなハチャメチャな現代風潮は、速い処、没にして人里離れた山の中へ古墳でも作って、埋葬した方が好い。変な物が、流れ出ない様に、こんな平成埴輪を大量に素焼きして、幾重にも土止めして遣るしかあるまい。

 皆様、確りせねば、緑濃き、水清き吾が祖国が、厚顔無恥の外国勢に蹂躙されてしまいまするぞ。市民思考から国民思考に、そろそろシフト替え致しましょうぞ。皇紀2670年と呼ばれる吾が祖国の平成の御代の顔が、こんな腑抜け顔為らば、真に以って、ご先祖様に申し開きが立ちませぬ。へへへ。 

 何処で如何間違ってしまったのか・・・これでは、深夜のロートルのボヤキ節では無いか。貴重なお時間をば、失礼致しました。平に、ご勘弁を。


心何処ーショート 一日は、呆気無く候。
            一日は、呆気無く候。(12/19/10)
 穏やかな日である。小部屋の窓からは、師走の小風がサツキの上を、微かに渡って行くのが見える。使い勝手の悪いノートパソコンに替えて、旧PCを四畳半から持って来てセットして見た。矢張り、ディスクトップの方が、私には使い易い。インターネットには繋がっていないから、何かを打つには、浮気心が生じないから良いのである。

 小部屋は、廊下とはL字の出っ張りであるから、廊下に置いた小鳥達の動きも見えるし、私の万年床寝室の前にセットしたトッコ(根っこのオブジェ)が、中々の存在感を見せているのである。

 庭隅に枇杷の木がある。その奥の2m強に伸びた南天の赤い実に、日の光が当たって、揺れている様が何とも言えない。日差しの中の落ち葉だらけの庭には、ツグミが一羽、チョンチョン歩きをしている。雌雄の区別は着かないが、ツグミも吾が家の庭を、冬の縄張りとしているのであろう。私と目が合っても、知らん顔の澄まし態度である。

 一軒置いた通りの名前を消したドラック店は、未だ入る店も無い。その上のコンビニも、同様である。花屋の入っていた店舗は、公文の教室に為っている位の物である。店が有った頃と比べると、サンダル履きの重宝さは無くなってしまった物の、無駄買いが少なく為った分、ロートル貧民にはプラス・マイナス、ゼロなのかも知れない。

 温泉ミネラルウォーターを沸かして、本日は小部屋でモーニングコーヒーである。別に拘っている訳ではないが、水道水と比べると、喉越しの円やかさが温泉水には確かにある。

 日中が進むに従って、風が強くなって軒下に吊るした洗濯物が、バタバタと翻っている。伸び放題となった百日紅の枝が、上空の風に翻弄されている。今度は、この木の枝も下ろさねば為るまい。物臭ロートルとしては、やれやれの溜息である。

 煙管タバコに火を次ぎ、廊下で日を浴びて、元気に跳び回る金華鳥達の動きを見ていると、冬の陽だまりの気持ち好さが伝わった来て、知らず知らずの内にも、観察者にも笑顔が浮かぶという物である。

 熱いブラックコーヒーに、自家製干し柿の甘味を口に、風強き外気を遮断して、ラジオを聞きながらの、本日日記の適当打ちである。

 さてさて、昼は手抜きの豆餅を焼いて、テレビを見ながら、老母のご機嫌伺いでも致そうか・・・アジャジャ、風に煽られて、洗濯物が舞ってしまった。

 朝飯の時に、沢庵漬けの味見の話を振ると、<お前は、知らなかったけど、セッカチなんだねぇ。>と笑われてしまった。この頃は、日曜日報道関連の一週間お浚いのテレビが、何とも面白さに欠けるから、時間を弄ばしてしまうのである。そんな事が手伝ってのセッカチ気性の暴露であった。
 吾ながら、とんでもない呟きを口に出して仕舞い、< ああ、そうだよ。俺ぁ、好奇心旺盛のセッカチ男だわさ。へへへ。>と応えるしか無かったのである。

 一時半からの<たかじんアワー>が面白ければ、お付き合いをして、それが終わってから散歩に出掛けるか、面白く無ければ、散歩で目の焦点を『近から遠』に修正して来るしかあるまい。

 下の『仮設橋の通行』が始まって、愈々、橋の建替え工事が始まるのだろう。足を伸ばして、その橋を渡って対岸歩きである。本日日曜日であるから、習慣としては端折り手抜き散歩で、十分の可なのである。河川敷をボチボチ歩いていると、土手道には着膨れをした老女二人組の散歩者である。
 私は、手抜きの川原観察のボチボチ歩きであるから、その距離はどんどん開いて行く。川面も風に煽られて、大きな逆行波である。水鳥も野鳥達の姿も無い。これなら、日蔭散歩よりも、日差しのある土手道の方が好い。

 河川敷から上がって、住宅地の道を行くと、100mほど先に姿が見える。老女様達の散歩距離は如何な物か・・・付いて行く事にする。

 いやはや、参りました。1時間コースの健脚振りであった。追跡散歩で私が得た物は、護国神社横の立て札に、古墳群跡とあり、横穴式石積み古墳とやらで、6~7世紀の物で、発掘調査が行われたそうであるが、目ぼしい物は無かったとの事である。
 県文会館の桜林には、好く見掛ける犬散歩の若い奥さん連中のサークルメンバー?と思しき5~6人の光景があった。その犬の中に、交尾を仕掛ける犬が居て、飼い主の奥さんに、犬がポカリと頭を叩かれているのが、面白かった位である。

 交尾を仕掛けて、頭をポカリと遣られるのは、犬も私も同様らしい。ニャハハ~。

 河川敷から上る時に、石垣の隙間に苔の緑に目が止まり、枯れオブジェに苔の緑を配して見ようと、些かの悪戯を試みた処である。こんな事柄を打っていると、師走の釣る瓶落としの呆気無い日中が終わってしまった。呆気無き一日が、好いのやら悪いのやら、私には一向分からない処である。


心何処ーショート 粗相と電気アンカ
            粗相と電気アンカ(12/18/10)
     
     Tにしては、遅いお時間である。電話を貰って、外で待つ事にする。

 何十年も野晒しに為って居るヒマラヤスギの根っこの部分が、好い形に為って居る。石を抱え込んだ根っこが、硬い部分を残して骸骨の様な枯れ風情を呈している。確りと抱え込んでいた石も、容易に外す事が出来る。柿の枝木で中の土などを掻き出して、小部屋の庭の適当な場所を選んで、風流を愉しむのも一興である。

 Tの車が止まって、いざ、コーヒースタバへ、Goである。途中、白人女性である。

「ニャローメ。真っ昼間から、日本人が白人さんとデートかよ。嗚呼、ウラジオストクへ飛んで行きたいなぁ~。ああ云うツーショットを見ると、全身がウズウズして来るぜや。涎が出るなぁ。」
「シャ~無いわな。お互い、親孝行の禁欲生活の修道院生活だぜな。ジェラシイ妄想して、パンツ汚すなや。ヒヒヒ。」

   風のある外は寒いが、コーヒースタバの二階席は、太陽熱で暖かい。

「やいやい、俺ぁ、昨日は調子に乗って、有る事無い事、出任せに打っちまったから、疲れちゃってさね。夜は早々に、万年床の中で、『トラ、トラ、トラ』の映画観賞してさ。真珠湾攻撃の日本海軍魂を見せて貰ったんだわさ。今日は、ミツドウェーを観るんだわね。」

「おうおう、好くもまぁ、あれだけの文章を、打った物だぜや。硬軟取り揃えて、あれだけの濃い内容を下書き無しで、更々と仕出かすんだから、お前さんは、完全に道を間違ったってもんだぜや。
 
 それにさ、ひまじんさんへのコメントが奮っているじゃ無いか、『ダッダッダが、よもやヨロヨロ』とは、ひまじんさんはどんな顔して、読むのか? 想像しただけで、煙草吹き出しちゃったよ。R、あのコメントの発想は、如何云った処から出るんだい。おぅ?」

「いや、俺は感じた物を、素直にコメントしただけだわね。ひまじんさんが、西郷さんの話から描いているんで、スンナリ時代劇の中で読み進んで居たんだわね。砂浜を格闘して走るシーンと云えば、巌流島の決闘しか思い浮かばんだろう。

 そう為りゃ、武蔵、小次郎ずら。多少のアレンジをして見りゃ、小次郎の長干し竿の先には、大ヒラメなんだからさ。

<おのれ、武蔵、待ち草臥れたわ。必殺剣・ツバメ返しの一撃の下、昇天させてくれる~。>ってなもので、怒気満載の迎え打ちのシーンずら。素直な連想だわね。

 でもさ、ひまじん兄貴殿は、俺達より上だわね。幾ら身が軽くたって、足の甲の打撲傷とスタミナ切れだわね。論理的に推察すりゃ、寄る歳波、脳裏の若かりし時のダッダッダは、虚しき過去物語って結論ずらい?

 現実の闘いは、気迫優先の実態はさ、ヨロヨロ走りとさせて頂くしかあるめいよ。イヒヒヒ。兄貴は、人間が出来て居なさるから、幾ら、信州に向かって、『無礼者、手打ちにしてくれるわ~。』なんて大音声を発しられても、俺達馬鹿には、一切届かんわね。ギャハハ!!」

「本当に、まぁ~ず、インテリ紳士のひまじさんも、性質の悪い田舎ロートルに、しょ捕まったって事だ。大クシャミの連発だわな。俺とRは長い腐れ縁で、この歳に為って今更、見限る訳にも行かんけど。

<ひまじんさん、コイツは馬鹿だけど、決して悪い男じゃないから、大目に見て遣って下さいよ。> R、ちゃんと俺のこの言葉を、忘れずに打って置けよ。通信教育の大先生に失礼に当たるぜや。この罰当たりが。Rのスカンポ脳の発想は、見上げた物だわさ。ひひひ。」

「はっ、畏まりました。命令に服しまするわね。処で、オヤジさんの調子は如何だい?」

「爺っさか。まぁ、毎日、えらい騒ぎさね。爺っさ、パジャマの前を濡らして、こんなにモッコリさせてさ、見るとコードが伸びて居るんだわさ。粗相を仕出かして、爺っさの野郎、悪いと思って電気アンカ抱えて、乾かして居たんだぜ。

 しょうがねぇからさ、倅の分際で失礼だったけどさ、キツイ言葉で、<粗相で、感電死なんてザマは、洒落にも為らんぜや。何を考えとるじゃい。>って、怒って遣ったんだけどさ。真面目に考えりゃ、大変だよ。アハハ。」

「そりぁ、そうだ。こんな事は、内輪の笑い話のネタには為るけど、その場の当事者にして見れば、お互いに切ない話だわな。う~ん、胸が詰まる好い話だね。へへへ。

 ラジオを聞いて居ると、女優・女流作家さんなんかが、偉そうに分かった風な体験談をしているけど、毎日、現実に立ち会っている身からしたら、可笑しな話が随所に出て来るからな。

 実際の経験は、現実のシーンだから、そのエピソードの中には、隠して置きたくてもさ。現実のシーンが脳味噌に刻まれて居ると、『生の言葉・感情』としてのシーン描写が、出て来る物だわさ。

 介護の実態は、決して綺麗事で語られる物じゃなかんべさ。粗相と電気アンカの組み合わせは、態の好い感想だと『喜悲劇』と言わざるを得ないけど、老齢のオヤジと孝行息子のお互いへの気遣いシーンで、胸の熱く為る名シーンだぜな。Tは、立派だよ。俺は、お前さんに助けられて居るわね。へへへ。」

 さてさて、パッパのお時間である。Tはオヤジさんの体力負担軽減と安全策に、回転装置を買って行くと言う。吾が身は、昼飯の替わり兼オヤツを見繕って買って行く。

 土曜昼は、私とTとのコーヒータイムを承知して居る老母は、体調が許すと、朝の洗い物を済まして呉れて居るのである。老母に出来る事は、見て見ぬ振りの感謝の気持ちである。


心何処・・・静朝に向かいて
                 静朝に向かいて
                 
                 静朝に向かって

 本日の一枚で有ります。本文に於きましては、すっかり素地の好色妄想が、氾濫して仕舞いました。些か、反省をば、致して居る次第で有りまする。最初の出だしは、悪くは無かったので有りまするが・・・駄文を重ねる内に、本性は隠せませぬ。全く以って、とほほに御座りまする。

『初め良ければ、全て好し』の諺は、真っ赤な嘘の様で有りまする。頭の邪心のお祓いとして、本日日記の挿絵として、お納め下さい。へへへ。


心何処ーショート 下衆妄想、尻滅裂の想像図。
            下衆妄想、尻滅裂の想像図(12/17/10)
 小部屋の西の小窓を開けると、常念岳を中央に、雪のアルプスの大パノラマである。ゴミ出しで、空を見上げれば、雲一つない無風、青空の拡がりである。このまま、家に入っては、お天道様の罰が当ろうと云う物である。

 人間と生まれたからには、感謝の気持ちを現わすのが、人の道である。河川敷に下りて、アルプスさんに一礼して、ラジオ体操第一を大きく遣って来た次第である。

 下降線一直線の菅さんは、太平洋戦争の日米激戦地・硫黄島に遺骨収集のパフォーマンスとの事である。去年の受賞者田母神さんの懸賞論文受賞者は、7・8年に及ぶ海外遺骨収集に携わっている女性の論文であると云う。嘗て、小沢・菅氏のコンビは、硫黄島に詣でて、霊場と化して居る地下要塞に、長靴を履いたまま合掌して、遺族の顰蹙を買ったとの事である。そして、今回は軍手での合掌ポーズのテレビ映像である。

 日の丸、君が代、靖国神社に敬意を表する事も出来ない学生活動家・市民運動上りの男が、俄かパフォーマンスをした処で何に為るかである。私は常々思う事であるが、日本人がごく普通にしている事が出来ないと云う事は、如何為る事なのか・・・ 日本人としての日常に流れている想い、所作・行為・行動などと云った諸々の物は、云わば日本人の血に流れるDNAの様な物であろう。遺伝子は何千年も長きに亘って、構築されて来た物であろう。 
 高々、一人の人間の或る時期の思想的刷り込みが、体内に流れるDNAとの軋轢乃至葛藤の短期間で、消滅して終う物なのだろうか・・・そんな素朴な疑問を持つのである。又、その反対の思考をすれば、精神風土の軋轢・葛藤を打破して、新しい精神の仕組みに基づいて、言論を発し、行動に高める為には、不断の意識・意志を必要とする筈であろう。

 私の様なスカンポ脳で、こんな雑駁な思索をして行けば、民主党のお歴々方の意志力は、日本的なるものへの『断固たる解体意志』の様な物を見て仕舞うのである。私的下衆貧民の感覚からすると、真に以って、彼等は『戦後民主主義の鬼っ子』の成れの果てと断じるより他が無いのである。残念ながら、そう断じないと、私の思考回路は、断線してしまうのである。

 手に余る難問である。何方かに教えを請いたい。従って、実に困った命題である。

 真心を欠如したテレビカメラ相手のパフォーマンスをして見た処で、視聴者に何が伝わるのか・・・ 真に以って、フザケタ精神の持ち主である。カメラを相手に勝負する役者・俳優の職業は、自分の五感・五体を通して、例え虚構の世界であっても『以心伝心』を<体演>しているのである。体演の中に、『以心伝心』の気脈と心が欠如して居たら、そんな物は、幼稚園児の演技以下であろう。見る者が見れば、北京オリンピック開会式の口パク少女の絵でしかあるまい。幾ら、中国大好き現政権下の二人三脚の図としても、下衆貧民の評価としては、如何足掻いても『菅無理内閣』の猿回しにしか映りませんわね。

 石鹸を塗りたくって、幾ら老眼鏡の曇りを拭き取ったとしても、真に以って、小賢しいにも程がある御仁である。国の象徴の天皇・日の丸・君が代・靖国神社に、不純なイデオロギーなどを介在させる必要など有ろう筈が無い。四の五のゴタ句を並べずに、素直な気持ちで受け入れれば好いまでの事である。

 そうすれば、ごく自然に国防意識・自国史観も生まれて、国益観も生まれて来る。何も偉そうに、丸暗記した憲法の一節を披歴しなくても、且つ、国家・国民の意識・在り方は、難解な横文字も思想も論理も必要とする物では無かろう。それらは極普通の感性の持ち主として、小学校唱歌・演歌を聴き、歌う事で、十分な筈である。

 鳩山前総理が議員を辞めると云えば、大人しく立候補をしなければ良いし、小沢さんが国会に対して、自らの潔白を正々堂々と明示すると云えば、それをすれば良いだけである。豊臣、徳川、大東亜戦争のマレーの虎の山下機関の埋蔵金の類にしても、『有れば、見付け物。』の類でしかあるまい。
 現代宝庫の<霞が関の埋蔵金>とて無ければ、潔く間違いを猛省して、『有るを限度』として、次の手を打つしかあるまい。

 探しても中々見つからない物、無い物に固執して、『取らぬ狸の皮算用』の愚挙・詐欺行為を<粉飾決済>するかの如き、子供手当のごり押しザマは、到底、大人のする事ではあるまい。一般的には、この類は、詐欺・扇動と云うのでは無いだろうか・・・

 そんな事ばかり見せ付けられていると、本当に民主党の連中は、黄金の国ジバングに、身一つで出稼ぎに遣って来た性悪ホステスねぇチャンどもに、肌合わせで懇ろに為ったのも束の間に、衣を脱いだ正体が、キンキン声で、たかられ、しゃぶられている情けないザマでしかあるまい。
 たかられ、しゃぶられて居るのも、一切気付かずに、『俺は、モテる。』などと高くも無い鼻の下をデレ~ンと伸ばしている連中と、其の根本の性根の上では、全く違わないのである。

 手前のポケットマネーの範囲内で遣って呉れれば、持てぬ男のジェラシィで、『悔しかったら、真似して見ろ!!』と言われてしまえば、俺ぁ、『はい、仰せの通り。大きなお世話でありました。』と、スゴスゴと尻尾を巻くしか無いのが、この世の娑婆の貧富・実力の差なのである。

       好色馬鹿の俺にだって、その位の諦観は持っているのである。

 然しながら、気に喰わないのが、彼等の財布の中身の『ばら撒き』が、国民の税金なのである。国家・国民の金を、政党・政治家のポケットマネー視されて、手前だけが目立ちたいだけの『借金の傘の下』で遣られちゃ堪らんのである。
 ちっちゃい声じゃ言いたかぁないが、俺ぁ、『核の傘の下』なんて言葉は、耳にタコが出来るほど聞いたが~、<借金の傘の下>なんて言葉は、聞いた事ぁ無ぇぞや。

 おいおい、手前ら、この落し前を、如何してくれるんだ。ヤクザの世界じゃ、指の一本や二本じゃ足りねぇぞ。大事な中足だって、鋏で切られるかも知れんぜや。
 それに、俺の若い頃にぁ、『日本愛国党・総裁・赤尾敏』なんて、怖い御隠居さんも居たんぜや。今じゃ、日本の世の中も、すっかり大人しく為って、手厳しいのは櫻井よしこ女史、稲田朋美女史くらいなもんだぜや。

 敗戦後、キンタマを毟り取られちまった我々男族に対して、強く為ったのが、女の鼻っ柱だぜや。昔は、馬鹿餓鬼はさ、賢母にモグサのお灸を据えられたのが、通り相場だったけどさ。今じゃ、時代は大きく様変わりだわね。
 モグサよりも、ローソクの方が、安価で大量に出回っているんじゃい。赤いローソク、黒い蝋燭を、か弱いニョショウの菊のご紋にぶち込んだなんて、『男の妄想図』もあったんだがさ・・・ 今時は、装飾系草食男と質実剛健型肉食系女の逆襲期だわね。

 兎角、女の男性化、男の女性化って噂だ。個室文化のエロDVD狂乱期のご時世だぜ。ペニスバンドの巨大な逸物の先に、コリア特産の赤唐辛子ローションなんかをコテコテに垂らされて、浅浅・深の突撃なんか受けたら、涎を垂らして喜ぶのは、ナカイ・エロシ先生しか居らんわさ。北朝鮮の工作員は、綺麗でも怖いんでありますぞえ。

 チマチマしたピント外れの言を多用して、小賢しい小パフォーマンスにばかりに明け暮れして居たら、それこさぁ、往復ピンタを喰らって、
<ダメ、駄目よ。お許しに為さって。ご無体が過ぎまするぞえ~、あれ~、誰か、誰かある~。警察に電話致しまするぞえ。>
 なんて、暇も無く、身包み剥がされて、巷溢れ返る猛女様達に、カラフル蝋燭を小汚ぇ排泄口にぶち込まれて、鞭打ちの刑に処せられちまうがね。俺ぁ、正直に告白するけどさ。例え夢の中でも、ロシア軍女隊長様に、夢ん中で殺されるほどの恐怖を味わったんじゃい。
 
 人間とはさぁ~、手前の痛いのは勘弁して貰いてぇのに、相手をいたぶるのは、昔から好物の趣向だって話だぜや。

 そんな物をビデオ・カメラに撮られて、余りの不甲斐無さの当てこすりに、『菅フル38』なんてハンドルネームで、インターネットに流出されちゃ~、こっ恥ずかしくて、死んでも死にきれんぞや。如何するだい? 多くは言わねぇぜせ、早く解散して、未来永劫政権取りなんて、料簡を起こさねぇ事だわね。

 何~、未だ手立ては残って居るだと~、往生際の悪い野郎だ。何なに、腹案があるだって、????

 最大の国家機密として、東京都の慎太郎知事に、児童ポルノ・漫画規制のご加護を嘆願したって、この期に及んで、何をこきぁがる。
 慎太郎さんは、端から民主党を毛嫌いしてるし、書籍界は『表現の自由』を盾に、騒いでるじゃい。あんな言い草ぁ、昔から儲ける為の言い訳だわさ。

 先先に、手を打って行くのが、政治家の務めって云うんだし、如何するんでヤンしょうかね。ギャハハ~。ウィキリークさんに御出馬を仰がなくたって、今の処、規制が無いから、素通りでインターネット炎上だわね。

 そんな日にぁ、頭の上がらねぇ中華人民共和国様なんて物じぁなかんべさ。日本にも居られねぇし、如何するだいね。ギャハハ。

 遺憾いかん・・・ついつい調子に乗って、呆け一席を遣らかしてしまった。さてさて、こう毎日、好い加減日記を打っていると、題名を付けるにも一苦労である。日々の題名だけの列挙だけでも、立派に頁数が稼げるのでは無いだろうか。吾ながら、戯けたオヤジである。へへへ。

心何処ーショート ヤッパ、日本人同士は、好いわね。
          日本人同士は、ヤッパ好いですわ。(12/16/10)
 いやはや、完全な冬の寒さである。ジャンバーを着て来るべきであった。風が強いから、体感温度は、室内で外を見て居た感覚とは、大いなる現実差が有った。帽子、セーターの網目から、冬が直撃する。途中で退き返したく為ったが、そこが体育会系の臍曲がりである。

         何のこれしき、向かい風に降参したら、男が廃る。

 何時もの散歩コースから外れて、畑地帯の細道をチョッキのポケットに手を入れて、セカセカと歩く。それから、集落の生活路を抜けて、水田地帯の広い農道を辿る。農家の人が軽トラから、枝落としの枝木を道路端に下ろして居る。乾燥させて田んぼで燃やすのであろう。コンニチワと挨拶を交わして、農道を西に折れて、集落の道を北に目指す。

 学童達の下校時間に遭遇して、上り勾配の静かな道を進む。旧宿場の端は、旧街道の分岐点と為って、二本の道に続く。日差しは有る物の、風が強過ぎる。上田に抜ける幹線道路は、吹き晒しで気分的に寒そうである。そんな気分で、集落に沿った道を進む事にする。

 黄色いランドセルカバーを付けた女の子が二人、学校で教えられて居るのであろう。こんな人相風体の悪い男に、コンニチワと大きな声で挨拶をしてくれる。<はい、コンニチワ。> あどけないニコニコとした人懐こい笑顔である。おやおや、一人は将来の美形さんに為るであろうメンコイ子である。大分、身体も熱く為って来たし、疲れて来た。幼女であっても、美形さんは美形さんである。お付き合いして歩くとしようか・・・

「ねぇ、オジサンどこから来たの?」
「○○さ。知ってるかな。S大病院の近くからだよ。」
「え~、あんな遠いところから~。○ちゃん聞いた~。すご~いじゃん。歩いて来たの。」
「S大病院は、お母さんとしんせきの人をお見舞いに、行った事があるよ。え~と、三回だよ。すごく遠いんだよ。車で行くんだよ。オジサン、あんな遠いところから、歩いてきたんだ。すごい、すごいよ。」
「そんなに褒められたんじゃ、恥ずかしいな。おじさんは、する事が無いから、歩いて遊んで居るんだよ。可哀想だろ。アハハ。」

 女の子は、小学一年生との事である。知恵が毎日付く様な成長期なのである。警戒心など持ち合わせない、好奇心の塊の様な時期なのであろう。次から次と、質問をして来て、お互いに顔を見合わせて、幼子二人は、競争をしているかの様な可愛さである。自分達の知って居る事、思った事を、全部言って見ないと気が済まない成長期なのである。ハハハ、吾が娘のそんな頃を思い出して、小さな女の子と楽しい下校のお付き合いをする。

「オジサン、ここも○さんのお家だよ。あそこの○さんの人の家だよ。分かった?」
「あ、そう。好く知ってるねぇ。」

「○ちゃん。バイバイ。また明日ね。」

「お譲ちゃんの家は、未だ先かい?」
「うん、家、農家だから、あの山のふもとだよ。」
「そうか~。未だ未だだな~。途中まで、一緒に行こうか~。オジサンも、一人で歩くより、楽しいからな。好いかな~。」
「うん、好いよ。一人だと遠いからね。オジサン、学校の校長先生見たいだね。」
「へへへ、そうかい。アリガトさんね。」

 井深城址の麓の神社さん下の集落なのであろう。へへへ、これは中々に歩きでがある距離だ。何時もなら、兄弟、友達と帰るそうな。お付き合いするのも、ロートルの務めであろう。勾配の有る道を進んでいると、上から軽トラが下りて来た。

「あっ、お母さんだ。」
「好かったなぁ~、じゃバイバイな~。」

 Uターンして来た軽トラが止まって。
「すいません、こんな遠い所まで、有難う御座います。」
「いえいえ、如何致しまして、一人で歩いて居るよりも、お譲ちゃん達と一緒に歩けて、楽しかったですよ。此方こそ、有難う御座いました。ハハハ。」

 とほほ、振り返れば、遠くに来たもんだ。さてさて、頑張って帰るとしようか。

 集落から幹線道路に向かって、進路変更である。1時間45分の正規コースの折り返し点H橋には、結構な道程である。まぁ、こんな時もあるわさ。運動溜めにして置くしかあるまい。細道細道を辿って、H橋の裏に出る。後は、見知ったUターン帰路であるから、疲労調整、所要時間も、体が知っている処である。
 
 山際の道を、野鳥の声に姿を追ったりして、下り勾配の流し歩きである。流石に疲れて居る。畑の細道に軽トラが止まって、農家の主がスコップで土を掘り起こしている。コンニチワと声を帰られて、小休止である。何の作業かと尋ねると、『自然薯掘り』との事である。

 長芋の自然種であるから、好奇心に駆られて見学をさせて貰う。農家さんは71歳との事である。若い頃、この辺りでヤマメ釣りに来ていると、<そんな活きの悪いミミズじゃ、釣られるヤマメが可哀そうだ。俺ん所の畑にオガクズの堆肥置き場があるから、何時でも、好きなだけ穿って行け。喉が乾いたら、キュウリでもトマトでも、喰ってけば好いぞ。>と言ってくれたお人である。

 中々の話上手のお人である。川に沿った田んぼ、畑を耕し、H橋の袂の大欅の旧家の主さんである。詰まりは、早落ち城址の見張り役・キツネ屋敷の末裔さんである。

 生まれは何と石家荘との事である。数年前、兄弟全員で、生まれ故郷を訪ねて来たとの事である。石家荘と云えば、北京・天津を抱える河北省の省都である。満蒙開拓の地とは違う。父上は、商売をしていたのであろうか?  大日本帝国の敗戦で退き上げて来たら、土地は農地解放で、大半が小作に回って仕舞ったとの事である。

 農家の跡取り息子で、農業高校に行かされ、阿保らしくて、柔道ばかりして遊んでいたと云うお人である。それでも、自転車で通学していたと云うのであるから、成程、並のお人では無いのである。

 自然薯は、ムカゴから育てているとの事。収穫までには、3~4年を要するとの事である。然しながら、川のアカシア林でミツバチの養蜂をしているから、近くの長芋畑の花粉が混ざって仕舞うとの事で、『芋が軽く為って仕舞う』との事である。こんな、生の第一次情報に接しられるのは、素人の私にとっては、最高の話のエキスなのである。

 稲穂色付く秋には、この下の水田地帯の稲倒れの奇妙さを、畔に居たダンナに質問すると、『俺ぁ今年は、天候不順で失敗こいた。欲掻いて肥料が強過ぎた。裏目に出ちまった。』と稲を取って、たっぷりと説明をしてくれる。

 真面目腐った阿保面をして、ジョギング、ウォーキングをしていたのでは、これらの事は知らず終いの自然と土、人間の織り成す世界の一断面図なのである。

 面白いロートル話についつい、ニヤニヤ、へへへの段であった。余り仕事の邪魔をしても、ご迷惑に当たるから、お礼を言って帰ろうとすると。

「ほれ、これ一本持って行けや。皮を剥いちゃ行けねぇよ。好く洗って、髭は、こう云う風に毟って、だし汁はあんまり入れちゃ駄目だよ。自然薯の風味が薄れる。三本に折って遣るから、ポケットに入れて行けや。アハハ。」

 結構なお土産まで頂戴して仕舞って、恐縮の極みである。さてさて、帰路の緒に付いたばかりである。頑張って帰るべしである。貴重なお天道様の輝きは、アルプスの頂きに拡がる灰色雲の中に没し様としている。山際の道をテクテク歩いて居ると、下から老夫婦がとぼとぼ散歩で近付いて来る。

「いや~、寒いじゃありませんか。鼻水が垂れるわね。」
「あいあい、ご苦労さんです。今日は、寒過ぎる。何処まで帰り為さるんね。」

 顔の見えぬ日本人などと、都会の生意気なテレビの『決まり文句』ではあるが、何をこきぁがる。他人に無関心な手前らが、ただ他人に、自分の面倒臭さに頬被りをしているだけじゃねぇのか。
 自然たっぷりの田舎暮らしをしてりゃ、老若男女を問わず、みんな心穏やかな日本人同士だぜや。無関心野郎共が、生意気な口を叩くんじゃねぇよ。無味乾燥の現代版バベルの塔の住人何ぞに、現代文明論なんか、言われたくは無いぞや。

 やや、こりぁ~、お天道様無しの向かい風だわね。寒くて行かんぞね。しゃー無い。スロー走りで、体温を稼ぐしかあるまい。オイッチ・ニー、オイッチ・ニー・・・ 羽毛膨らませて、寒雀の一団が、実を落した柿の枝で、メタボ・ロートルの足掻きを見降ろして居る。

 はいはい、お前さん達同様に、俺も寒いわね。信州の冬の季節が進むわね。嫌じぁ、ゴザンせんかね。行きは好いよい、帰りは遠い。鼻水啜って、コタツにずっぽり当たるぞや。




                  めんこいおチビちゃんと


心何処ーショート 早や、水曜日。
               早や、水曜日。(12/15/10)
 夜は温度が高かった様で、中々、寝付かれずに悶々としてしまった。そんな事で、未明近くで豪眠をしてしまった。そんな事で、朝の汗ばみの中で目覚めた次第である。夢の中に居たので、直ぐには現実に戻れず、身体が言う事を聞いてくれない始末である。

 夢の世界は、暖かい廊下に鳥籠を並べて世話をしている私であった。廊下の鳥籠には、シマリス・ファミリーも居た。水を取り換えたり、粒餌を吹いて補充したりしているのだが、青帽子インコの籠が見当たらない。野良猫上りの住み付き黒猫が、上げた尾を振り振りして、籠の小鳥達を監視する様に歩いている。

 お宝の青帽子インコは、如何したんだろうと思案する。大型インコであるから、本気で鳴き始めると、手に負えない南米ジャングルの雄叫びである。お仕置きの為に、隔離置きでもしたのだろうか? 台所横の薄暗い物置なのか?と思い、行って見るとすっかり痩せ細ったインコが、籠の戸を自分で開けて、虚ろな目で飢餓の状態である。

 アッジャ~、ついつい鼻の下を伸ばし遊び過ぎて、帰って来るのが遅過ぎた様である。固形餌を与えるよりも、流動食の様な物が有れば、それが好い。人間だって、行き倒れ者には重湯、お粥と相場は決まって居るのである。
 台所に行くと、スイカの切り滓が有ったから、インコを抱きかかえて、嘴に持って行って遣ると、乾いた黒い舌を出して啜り始める。何度も何度も、そうして遣って居ると、何時もの様に、どっしりとした体重が蘇って来て、羽毛の艶も蘇って来た。

 グッグと喉を鳴らして、『こんな物では、腹の足しには為らん。通常食の麻の実、ヒマワリの実をよこせ。』とばかりに、鳥籠の上部に移って、頭部の羽毛を逆立てて、頭を振り振りしている。やれやれ、気心通じる高価なインコである。死なせずに済んで、ホッとしていると。

 今度は、玄関の魚屋さんを営んでいた○のオジサンが、『店の水道工事をするんで、通行止めで不便を掛けます。』と、挨拶に見えられた。確か、オジサンは何十年も前に、亡く為った筈である。何か、計算の合わない世界である??? そもそも、シマリスと青帽子インコは、飼育が重ならなかった筈である・・・ 女房、子供が居ないのも、腑に落ちない・・・

 疑問の提示は、目覚めの重さなのである。フーム、うーんと唸りながら、夢から現実の世界へのアイドリング状態である。数分して、着替えて母の部屋に行くと、熱いお茶を入れてくれた。へへへ、面目次第も無い賄い夫である。

「悪い悪い。変な夢を見て居てさ。魚屋さんの○のオジサンが、夢の中に出て来てさ。何かね、俺にもあの世から、お招きが来ているんかいな。
 どうせなら、金髪シングルママさんが、楽しい夢に招いてくれりゃ好いのにさ。世の中、都合好くは運ばないもんだわさ。これから支度するから、我慢しておくれや。」

「ああ、好いよ。ゆっくり遣っておくれ。もう一杯飲むかい?」

 台所仕事を遣りながら、小鳥の世話、お座成り掃き掃除をする。沢庵漬けの方は、水が上って来ないから、塩水を沸かして追塩をしなければ為らない。

 遅い朝食後は、塩湯の冷めを待って、四畳半でPCを打ち始めていると、ヤクルトママさんの声である。左様であるか、今日は水曜日、ヤクルトママさんにして、『相棒』の放送日であったか。

「あいあい、ちょいと待っておくれやね。今、行くぜね。」
「Rさん、私の作った干し柿と食べ比べたら、全然味が違います。柔らかくて、もっちり甘くて、美味しかったです。」
「何だ、そりゃ。もっと呉れって事か?」
「ピンポン、当たりで~す。」
「しょうがねぇな。日頃のセクハラ協力費だから、美形ママさんのリクエストには、無碍には出来ねぇわな。ちょいと、待ってな。」

 六畳の障子を開けて、干し柿のプレゼントである。

「有難うございます。後で、車の中でオヤツにします。絵は出来てますか?」
「絵か、この頃、サボってて、描いてないぞ。前のを見て行けや。」

 四畳半から、初期の下手絵ファイルと文作ファイルを持って、玄関上がりの廊下に拡げる。

「俺としちゃ、絵より文章の方を読んで貰いたいんだけどさ。ほれ、こんなにあるぞ。」
「漢字ばっかりで、目がクラクラしちゃいます。パスパス。こっちの絵ファイルを見ます。」

「やっぱり、最初の頃の絵は、感じが違いますね。未だ慣れて居ないって、初な感じが伝わってきますね。」

「ああ、これはさ。最初の絵だけど、俺としちゃ、気に入ってるんだわね。その後の俺の絵を暗示してるわね。この手の指に込めたラインダンスの美足のリズムカルさと漫画チックな妖艶さが、コミカルな雰囲気を出して居るずら。
 これぞ、男の脳内解剖の図だわね。俺は、女のヒップとこの又ぐらの秘密ゾーンが、大の好物でさ。ギャハハ。」

「またまた、Rさん。目を輝かしちゃって、そんなエロい目で、私の処を見ても、水曜日は危険ゾーンのコール日ですから、何枚も履いてパーフェクト・ガードですよ。アハハ。」

「ケチ、見せたからって、別に減る物じゃあるまいし、本当に、女のケチ根性にぁ、付いて行けんわね。女のパンツなんか、初下ろしの時なんかは、芳しい香水の匂いがしてさ、丸で後光が差して、神々しい物だけどさ。回数を重ねりゃ、ヒップに手を掛けただけで、ツルリと下がっちゃう代物なんだけどさ。あんな物ぁ、隠すより使う物だわさ。

 そうかと言って、他人様のワイフ、ママさんに、手を出したら、獄門打ち首・晒し首で、躯は女鳥羽川のタヌキ、ハクビシン、カラスの餌にされちゃうしな。
 俺ぁ、ド助平でも、空っきし度胸が無いしさ。蛇の生殺しってヤツだわね。ギャハハ。

 今日は、青空だけど、風が強いから風邪引くなよ。はい、ご苦労さんでした。来週は、描いて置くぜね。へへへ。」

             さてさて、冷めた頃である。

「ほい、ヤクルトママさんに、おバァちゃんに、これ食べさせてなんて、お菓子買わされちゃったよ。アハハ。
 婆さん、確認するけど、塩水を補充して、その後の重しは、如何するんだい?」

「塩水が馴染んで、回って来たら水が上って来るから、又、重しをして置けば好いんだよ。」

「了解。夕方に重しをすりぁ好いって事だな。そうすりぁ、俺の仕事も完了だ。後は、じっくり果報は寝て待てだぜな。それをしたら、ブログ打ちして、昼散歩して来るわいな。廊下の鳥達でも眺めて、疲れたら、寝てな。」

   さてさて、区切りの好い所で、外の空気を吸いに行って来るべしである。


心何処ーショート これも、市井ロートル点描。
             これも、市井ロートル点描(12/14/10)
 さて、お天気さんも回復兆しであるから、温泉銭湯経由で米屋さんを回って来るとしようか。温泉ミネラルウォーターの詰め物ペットボトルを入れて、自転車漕ぎである。昨日は雪には至ら無かった物の、終日の雨で川の水は、笹濁りの程良い増水を見せている。雲間に薄い太陽の光である。

 銭湯の引き戸を開けると、ハイカラ御隠居さんが、風呂上がりの汗を拭いて居られる。
「やぁやぁ、お久し振り。少し、痩せましたかね。」
「至って、健康だよ。ちょいと、タイミングがずれたね。元気そうで、何より。お婆ちゃんは、元気にしてるかね。」
「あいあい、しぶとく生きてますわね。アハハ。」

「そうかね。そりぁ、目出度しだね。処で、こんな言葉を知ってるかい? 『一水、小食、大交』って云うんだけどね。」
「いや~、初耳だいね。レクチャしておくれや。」

「一水は、人間にとっては、水が一番必要で大切な物だから、朝な夕なに、水に感謝して飲みなさい。小食は、健康・長生きの秘訣。腹八分目に留めて、頭を働かせて<工夫の経済>に徹するべし。大交は、より多くの人・物に交わって、見分を大いに広げろって事なんだってさ。
 これは、出長の折りに、ブラジルの上司に教えて貰った事なんだけどね。60~70%が、水で構成されて居るのが人体。日本と違って、ブラジルは水事情が悪いから、良水の有難さに感謝の気持ちを持って、朝な夕なに水を飲む。

 感謝と水の恵みで精神と体を清めて、暴飲暴食を謹んで、人に役立つ経済活動を、内外に広める。大いに身体を動かして活動して、身分の隔て無く、驕る事無く、人と交流して、そのエキスを人の役に立つ経済活動に具体化して、人々に良水を提供する。

 そんな事を、若い頃、教えて貰った事が有る。何方の言葉か知らないが、含蓄のある言葉でしょう。ねぇ。あれから、仕事で何自由年も出長してたんだけど、ブラジルには、日本が失い掛けて居る日本人精神の原風景が生きて居てね。恥ずかしい想いを持ちながら、拝聴して居たもんですわ。アハハ。」

「いや~、ご講話、肝に銘じます。マンネリブログのネタ探しに、一人風呂に浸かりに来たんだけど、特大のご講話を聴いて、こりゃ~大儲けだわね。俺ぁ、馬鹿だから忘れない様に、風呂で垢擦りしながら、反復記憶しなくちゃ。
 参りましたな~、スカンポ脳に、入り切るかや。アリガトザンス。家に帰ったら、忘れない内に、ブログに留めて置くぜね。へへへ。」

 昼時を狙って来たから、貸し切り風呂である。垢を落した後は、念入りにスキンヘッド剃りである。家庭風呂では、味合えないゆったりとした気分である。男前に為ったメタボの身体を、タイル貼りの壁に与けて足を伸ばす。 湯船から掛け流しの湯を洗面器で掬って、身体に掛けて、噴き出る汗を流す。時折、天井からは、女日照りのスキンヘッドのお頭に、湯けむりの滴が落ちて来る。

 風呂から上がれば、身体の内部からポッポッと吹き零れる汗を退かせる為に、番台さんと、暫しの政治談議である。番台さんは、南方戦線に送られる船が魚雷で沈没して、命拾いをしたとの事である。ハイカラ御隠居さんは、シベリア抑留経験者である。

「全く、情けない日本に成り下がって仕舞った。戦争だって、勝つ時も負ける時もある。皇紀2700年の日本だわね。その歴史の中で、戦争を数えて見りゃ、凄い数だろうが。一度負けたぐらいで、日本人は、男のキンタマを何処へ忘れて来たんだ。
 武装解除のドサクサに乗じられて、北方四島は露スケに分捕られ、竹島は韓国、尖角は支那におちょくられて、<ナショナリズムの台頭は、宜しく無いだと~、馬鹿野郎が、何を遣ってるんじゃい。お国が、民族で成り立っている以上、民族意識・ナショナリズムが有るのは、当たり前の話じゃないか。平気で喧嘩売って来る奴は、日本の領土だ。大砲ブッ放して、撃沈するのは、当たり前の国防行為だろうが。政治家の野郎共は、何を戯けた事を抜かしているんじゃい。>

 誰だって、好き好んで戦争をする馬鹿は、居らんぜや。戦時中は、神戸に居たんだけど、そりゃ空襲で凄かったよ。線路は爆弾浴びて、飴の様にひん曲がっててさ。線路の脇には焼きただれた死人が、三段四段にも、積み上げられててさ。地獄の沙汰だったけど、それが戦争だわね。
 何も、沖縄、広島、長崎だけが、悲惨な地獄の沙汰じゃ無かったんだ。東京も、静岡、名古屋、大阪、神戸、工業地帯は、何処も無差別爆弾投下の阿鼻叫喚だったさ。戦場の最前線だって、それ以上だいね。8/15で敗戦で、一応のケリは着いてもさ、シベリア送りに為った人達は、酷寒の地で何年も強制労働じゃないか。

 だけどもさ。そんな事ぁ、ギャアギャア言ったって、始まらんだろ。歯食いしばって戦後日本を立て直すのが、日本人の務めだ。生きるのが、人間の日々の生活だわね。過去は水に流して、頑張るしか人間には手が無いんだわね。

 左翼だか平和愛好者だか知らねぇがさ。過去の悲惨さを小難しい言葉で包んで、やれ平和だ。やれ憲法9条だと、不抜けた事を言ってだ。評論家の誰かさんの言葉かは知らねぇが、『日本国が消滅して、平和憲法だけが残った』んじゃ。如何し様も無ぇずら。

 そんな物ぁ、おカルト宗教ってもんじゃないか。学校の時に習った漢詩にぁ、『国破れて山河有り』の春望がさ。腑抜け現代の日本に当て嵌めりぁ、<国破れて、支那・露スケあり>じぁ、戦争経験者とすりぁ、死んでも死に切れねぇよ。冗談じゃ無ぇや。ボーダレス、グローバル世界で、国家生き残り戦争が、おっ始まっているのに、政府自らが『自殺学』を推進させて、如何するんじゃい。
 
 無駄事、イチャモン付けられて、殴られたら、殴り返すのがキンタマを付けた男の礼儀ってもんずらい。何が話し合いの握手じゃい。コキントーの目を見れないから、馬鹿でも言える台詞を、棒読みしてさね。

 あんな者ぁ、日本の総理じゃ無いわね。『市民活動家上がり』なんて、軟な事をほざくのが好きなら、何も国会議員に為る必要なんか、更々無いわね。田舎で、<まぁまぁ、皆さん、まぁ~るく事を収めましょう。>で、町会長職をしてりゃ好いんだよ。
 仕分けなんて、オママゴトするんだったら、国民と市民の仕分け位出来なくちゃ、小学生以下だぜや。

 またまた、銭と暇は掛るけどさ、早い処、解散総選挙をしないとお国が潰れちゃうぜや。

『弾が飛んで来たら、如何するんだ。』の質問に、『弾が飛んで来ない様にするのが、外交だ。』なんて、とぼくれた事をほざいて居るのが、馬鹿政治家共だわね。
 弾が飛んで来たら、即、撃ち返すのが国防じゃろうが。現行法の不備で、それが出来なければ、さっさと改正すりゃ好いんだわね。

 国会は、学校じゃないんだから、国会の決めなければ為らない仕事がある以上、国会を開いて立法をすりゃ、良いんだ。簡単な事じゃないの。普段、二日位の在籍で、一か月分の給料が入って来るんだったら、月月火水木金金が有ったって、お天道様の罰は当たらんぜよ。
 普通の会社なら、重要会議が有れば、責任者を招集して、時間無制限の議論をして速やかに、会社としての結論を出すのが、当然の行動だわね。学校じゃ、残り勉強。会社じゃ、残業・休日出勤って云うのが『通り相場』だわね。

 何が、勤労感謝の休日だ。無責任極まりない!! あんな国家のコクゾウムシ連中には、一円たりとも税金を使わせたくは無いわね。

 不条理世界が、現実の世界だわね。べき論、理想論は、心の一方には必要だけど、現実と理想の兼ね合いを、忘れてしまったら、不幸・地獄の現実が待っているんだわね。国同士の政治を背負う指導者には、現実対処能力が試されるんだ。上辺の言葉だけを弄して、何とするかって、言いたいね。
 俺ぁ、真面目に働いて、親の面倒も見て来てさ、子供達も、それなりに教育して来たと自負してるんだけど、何処で、とんでもない祖国日本に為って仕舞ったんずらいな。情け無ぇったら、ありゃしねぇよ。」

 やや、行けねぇやね。番台さんのご隠居さんも、立て板に水の名調子である。これ以上、捲し立てられたら、スカンポ脳には空き室は無いのである。次なる訪問先は、米屋さんである。消化不良の知恵熱で呼吸困難に為らぬ内に、お暇乞いをすべしである。

 老人パワーを追い風に、自転車を漕いで、A橋を渡って米屋さん伺いである。へへへ、本日、作業満タンのご様子である。甘いコーヒーを頂戴して、頭がパニ喰らない内に、帰りのペダル漕ぎである。

 好色動物の私にとっては、女日照りは玉に疵ではあるが、ニョショウとは交わせないロートル談議の面白さである。こんな話しにあり付けるのも、ブログ打ちとしては、果報者である。皆様、有難う御座いますの段であった。ギャハハ~~~。

心何処ーショート 久々の下衆の悪態為り。
              久々の下衆の悪態為り。(12/13/10)
 朝の始動を開始して居ると、ポツリポツリと雨の兆しである。洗濯物を脱衣所の物干しに掛け直す。今朝は、忘年会の夢を見て居たから、大幅な寝坊の態である。

 昨夜と言っても日付は今日なのであるが、ロートルのアイドル・櫻井よしこ女史が、吾が『獅子身中の無視』田原総一郎氏の<朝まで生テレビ>への初出演とやらで、出ているYouTubeがあった。
 女日照り記録を、唯ひたすらに行進するロートル日々である。見え麗しき女史の匂いをば、嗅ごうと半分意識朦朧のお付き合いをしてしまったのである。その模様は、一本15分程度の細切れ映像の8/11までで、ギブアップして隣部屋の万年床に没した体たらく振りなのであったのだが・・・

 動画中、北方四島の歴史考察に就いて、高野氏と女史の考察の違いの遣り取りが有って、幕末の幕府方との交渉で、北方四島のプレゼントを申し出たと云うロシア艦隊の提督とのエピソード迄遡るのかな?と、女史の博学振りを期待したのであるが、それには振れずに、大東亜戦争の日本の武力放棄の8/15からのスタートからの言及であった。

 高野氏は旗振り世代の御仁であるから、彼等特有の左史観が身に沁み込んで居るのであろうから、兎も角、近現代史の自国史への認識の欠乏・酷さには、呆れ返るしか他ない。

 田原氏も、一端のジャーナリスト振りをパフォーマンスして居る心算ではあろうが、中身はとんでもない<跳ね返り分子>の域を脱して居ない輩の一人である。

 自分の主義に抵触する他者の言には、ただ敵対の罵詈雑言を持って、言を封殺するテクニックだけに長けている。そんな輩は、私の様な単細胞人間から見ると、『底の浅いチンピラ野郎』にしか過ぎない。
 あんな毒善的で声と態度だけがデカイだけの品の悪い下衆野郎なんかは、即、決闘を申し込んで、正に肉体勝負で、完膚なきまでに、半殺しの無様さを味合わせて遣らねば、性根は叩き直せない口先野郎でしかあるまい。その見苦しき様は、言語道断の輩である。

 平和だとか暴力反対を口で唱える事で、自分の発する言葉の下品さ、すり替え、強引な割り込み、誘導のテクニックの下品さ、人格の下品さ行進の様である。そして、何よりも許せないのは、そのハチャメチャな他者への言論封殺を棚に上げて、自分の言葉の暴力・態度の狂暴さに付いて、一顧だに、注意を向ける感覚すらない下郎にしか過ぎまい。

 尤も、田原氏のパフォーマー振りを矮小化した大下衆には、テリー・伊藤氏なんて、<馬鹿っ小僧>さんなんかも、テレビを毒して居るのではあるが。テレビと云う公器を矮小化・私物化しているテレビ狂騒曲の氾濫が、何とも遣り切れないご時世なのである。

 相手が相手なのであるから、そう為れば、少なからずテレビとお付き合いする下衆貧民の野次も、れっきとした下衆の権利である。考え方では、権利の行使は、行使の義務とも開き直れる。

 心ならずとも、人畜無害の蚤の心臓男とて、以下の下衆の遠吠えで、憂さを晴らすしかないのである。ロートルの時を手中にして、私にも漸く、生活の知恵が付いて来たと云う物である。有名人様達に対して、御免なさいね。イッヒッヒ!!

「おいおい、お前さん、自分の言ってる事を、少しは暗算して見ろゃ。そりぁ、論理矛盾じゃわね。少しは論理を組み立てて、反応して行けや。論理が破綻してるじゃないの。俺達文化系だって、微分・積分は赤点でも、中学までは算数は5を貰っていたんだろうが、暗算・試し算位は、算数の範疇だぜや。暗算、試し算は、気の利いた常識人の嗜みの一つでゴザンしょうよ。あい?

 俺ぁ、大学4年間は万年筆試験だったから、数学赤点組でもさ、追試験無しの白紙の答案用紙に向かう時にぁ、心頭滅却の真剣勝負。一応起承転結を考えて、ついでに雑ぱくな暗算で試し算してさや、出た処一発勝負で書き上げたぜや。ニャロメ~。偉そうな尊大態度作りぁがって、この自己顕示欲の塊野郎が、無駄事言ってると、張っ倒してくれっか~。

 お前さんジャーナリスト顔して、討論番組と銘打っているんだから、他者の言葉に対する許容力が貧困解釈じゃ、話にぁ為らんわね。そんなに、ギャンギャン口撃バトルを見せ場とするんだったら、『自己強調タイプの権化』金美麗の帰化人オバさんに青筋立てさせて、ギャンギャン遣りゃ好いんだわさ。田島女史だって、いらっしゃるわね。口撃バトル一座の役者達には、遜色はあるめぇや。

     それとも、何か~、手前が、こずんじゃうから、鬼門のパスかよ。

 阿保臭、ロートルアイドルの見え麗しき櫻井よしこ女史の初出演ではあるが、これでは、相手が悪過ぎる。俺ぁ、幾ら美形好きでも、これ以上、お付き合いして居たら、一日を寝不足で不意にして仕舞いまするわな。俺ぁ、本業は婆っさの専業賄い夫だぜね。寝なきぁ、身が待ちませんわね。ギャハハ~。

 ヤッパ、拝聴型の人畜無害タイプの俺にぁ、西部邁先生、日下公人先生のご講話の方が、耳にしっくり来ますわね。イッヒッヒ~。」

 さて、下衆のトンチンカン感想は、この位にして、朝食後は自室に戻る。雨は本降りの態である。本日は大人しく小部屋で過ごすしかあるまい。

 アリャリャ~、ファンヒーターが灯油切れである。灯油を入れて着火して、暖房の有効利用である。洗濯物のセーターを小部屋に持って来て、小鳥達も窓辺に置いて遣る。熱々のコーヒーを飲みながら、PCに長駄文を打っていると、雨に白い物が混じって来ている。

 いやはや、師走も中旬である。これは、ミゾレから雪に変わりそうな勢いである。参りました。




心何処ーショート 何事も、何かの足しには為る。
            何事も、何かの足しには為る。(12/12/10)
 小部屋にノートパソコンを置く。ラジオを付けて、灯油ストーブで暖をとる。環境が変わると気分まで変わって来る。昼寝をして、大分、シャキッとして来た。本を読むには、丁度好い空間である。尤も、長い時間読む訳では無いから、軽めの何処から読んでも良いショートタイプの本である。

 ラジオを聞きながら、大して振り返るまでも無い一日を、ただ小さな小部屋で深夜を過ごすのである。昨日は、倅夫婦が来て、その後、四畳半に居ると、久し振りに斜向かい吟さんが、通いの文作綴りを持って顔を出した。忙しい様で、短い時間で帰って行った。寝床では、1本西部劇を観た。

 今日は土曜日であるから、Tとコーヒータイムを過ごした後は、細長いシナシナの大根を一束買って来て、二日前に漬けたミヤシゲ大根の上に一段加えた。それは、9本あった。糠は使い切ってしまったから、硬大根のタルから不足の糠を掻き集めて、その上に乗せて、ぎりぎりセーフの段であった。塩と重石が効いてくれば、スッポリと糠の中に沈み込む大根達である。

        寒い、痛いと文句を言うべきでは無いぞよ、沢庵予備軍殿。

 次いで、残り湯の浴槽に洗濯石鹸を入れて、セーター、コート類を入れて、浸け洗いを目論んだ次第である。きっと今時の若い者には、そんな物は、纏めてクリーニングに出せば済む事。
 何と変な事を仕出かす<時代錯誤な親父>と、首を捻るのであろうが、・・・ 我々世代の貧乏学生を経験した連中には、こんな浸け洗いの経験は、誰にもあるのでは無いだろうか。

 送り出す母親達は、そんな息子達に生活の術を即席で教え込んで、駅に見送りに来てくれたものであった。

 私にも、経験がある。『女仕事』と、何もしなかった私は、包丁で皮剥きを特訓され、洗濯の仕方を教えられた物である。昔は洗濯と云えば、タライに洗濯板と固形石鹸が三点セットであっし、冬の洗濯後の塗り物と云えば、ご存知のメンソレータムとオロナイン軟膏が定番であった。そんな細々した物も、何度も点検して上京の支度をしてくれた母親であった。

 賄い夫生活を始めて、スローライフと云うか、徹底的な人力生活に突入しているから、何かあると、昭和30年40年代の生活様式を励行している処なのである。この頃では、そのスローライフが習慣付けられて、このペースで一日を送って行かないと、時間を弄ばしてしまうと云った処が、正直な心境なのである。

 何も精神が高尚だから、<人力簡素生活>をしている訳では、決して無いのである。強いて言えば、有り余る時間の中で、自分の中に在る『懐かしき刷り込み風景』を愉しんで居る処と言い換えても好いのかも知れない。

   真に以って、私は、へへへにして、時代錯誤のロートルなのである。

 本日のブログにも打った処ではあるが、人の一生は、放物線を描くのでは無く、円を描いて子供に還り、土と為って無に還る。人間の胎児の成長は、魚類→爬虫類→哺乳類の進化の過程を準(なぞら)えると云うのであるから、男の精子は、官能の性行為の波動砲発射から、膣の宇宙空間に侵攻・彷徨して、女の卵子と遭遇して、子宮に着床して細胞分裂を繰り返し、胎児期の変態期を通して、体外に誕生する運びと為る。
 
 こう考えると、最初の精子と云う単細胞生命体は、闇を彷徨する『宇宙ダスト』にして、受精後の新生命体は、何億年をも掛けて進化して来た地球生命体の宇宙母艦の中に眠る『カプセル群のスライドショー』にも、見えて来る。

 広大無辺の地球の片隅の、また片隅の中で、チッポチなチッポケな無から有が生じて、有の世界が、成長・成熟・衰退・死・無に帰して、正に円を描いて終結するのであろう。これも、深夜の小部屋の思索の一つである。

 一夜明けて窓を開ければ、お天道様の輝きである。昼を待って、覚悟の手洗いを敢行する。セーターもコートも、水を含んだ重さは結構な物である。物干し竿に拡げて、水の滴りを落してから、ハンガーに掛け直さなければ、形が崩れて仕舞う。
 これは時間の掛る代物ではあるが、毛糸を伝わって、下へ下へ滲んで行く毛糸一本一本の水路の滴りは、普段は見えぬ山から発する『地下水脈の様』を連想させて、合点の行く処でもある。

 昔は人里を離れて深山に分け入り、静寂の住処に座禅を組んで、『森羅万象の理』を体得したとの事である。

 然しながら、全てが万事、便利でコンパクトに内蔵された文明の利器に、日々埋没して生活する現代である。原因が在って、結果が在る。原因と結果の間に、それらを繋ぐ途方も無い時間と過程の有る事さえも、便利でコンパクトに集約された利器のお世話に為って居てばかりでは、益々見えて来ない物が、増大して行くばかりである。

 識者の言葉では、これらの様は、『短絡思考の弊害』と呼ぶべき事なのであろう。


心何処ーショート 土曜コーヒータイム、諏訪御柱考。
           土曜コーヒータイム、諏訪御柱考(12/11/10)
 こりぁ、又、寒いお天気さんである。朝食後は、母の部屋で尻を温いコタツに焙って、NHKの諏訪御柱のドキュメントを見ながら、下衆の感想を一頻り。これも、言葉の体操である。本日、土曜コーヒータイムであるから、寒い部屋には戻りたくない心境である。

 さてさて、電話であるから、部屋で装備を整えて、彼を待つとしよう。セーターにジャンバー、毛無しお頭には、薄手の毛糸の帽子である。ツルツル海坊主のお頭が、霜焼け・凍傷に掛ったら、一大事である。Tの車が現れて、コーヒーのお菓子に、干し柿をポケットに入れて、車に乗り込む。

「おぅ、そんなに重装備にして、おいちゃん、信州の冬は、これからだぜや。何だ、そりぁ?」
「家の婆っさがさ。Tさんにも写真を見て貰えって、御託(おことずけ)だわね。」
「そうか、婆さん、余程、孫の披露宴が楽しかったんだろうな。あははは。」

 コーヒースタバに着くと、小便が我慢出来ない。兎に角、人間も歳を取ると、そこら中が緩んで来て、尿意を催すと我慢のタイムリミットが、益々短く成って行く物である。小走りでトイレに向かう私を尻目に、Tはニヤニヤの態である。コーヒーを飲みながら・・・

「今朝は、爺っさがさ。<遣っちまった。>ってさ。ベットのマットまで、ビショビショだぜや。参っちゃったぜや。」

「そうかい。介護して居りゃ、遅かれ早かれ、その日は来るわな。文句言ったら、<お前は、子供の頃、何回寝小便を垂れて居たんだ~。>なんて、反撃喰らったら、俺達ぁ、何にも言えんしな。
 人の一生は、放物線と云うか、円を描いて土に還るんだから、いろはにほへとで、笑って諦めるしかなかんべさ。弱ったもんだいね。アハハ。」

「本当、本当。まぁ~るく、円を描いて土、詰まりは無に還るのが、人間の営みだもんなぁ~。シャーナイしゃー無いの『日本教』を唱えるしか無いもんな。ヒヒヒ。」

       結婚式・披露宴の写真なんかを置いて、暫し談笑する。

「今日は、諏訪の御柱のドキュメントを見て来たんだけどさ。 ああ云うのを見て居ると、結構、面白い『日本教』の存在なんかを妄想してさ。今日は、婆さんを相手に、一講座して来たわいね。(有難い事に、TもそのNHK放送を見て居たと言う。為らば、話が早い。)
 
 諏訪神社さんは、日本各地にあるだろ。お寺さんなら総本山なんだろうけど、神社さんは、何て云うか知らんけどさ。千年以上も御柱の神事を伝承して居るって話だわね。諏訪の平の一番好い場所は、諏訪湖に占拠されているだろ。天気予報見てりゃ、軽井沢は例外だから、除外するとしてさ、あそこは長野県で一番寒い所だわね。何しろ、寒天とワカサギ釣りが冬の風物だぜね。決して、耕作地に恵まれて、滋味豊かな土地柄じゃなかんべさ。
 
 其処で、千年も神事が伝承されて居るんだ。土地の絆、人の絆に、焦点を当てて考えなくちゃ、事は収まりが悪いだろうが・・・折角、好い番組を作って居るんだ。切り口をさっきの『日本教』に忍ばせて、『土地、人の絆を前提条件』としなくちゃ駄目ズラよ。そんな前提条件の下で、代を重ねて生き続けるのは、<三種の神器が衣食住>ってもんズラよ。

 リーダーが居てさ、爺・婆・倅・嫁・孫が、一家の構成員でさ、皆が、生まれて、育てて、成長して稼いで、家族を食べさせて行くって云う『有限の世界での循環の精神』が無くちゃ、『絆の世界・社会』は、回っちゃ行かんのだわ。
 そう云った物は、理屈じゃないんだよな。一々、教え込まなくても、物心付いた時からの刷り込みでさ。無意識の刷り込みが、体内の遺伝子と合体して、備わって来る物だと思うんだけどさ。

『考える』と『思う・感じる』とを比較すりゃ、自然と感じる・思うの『直感力』の方が、グレードが上だわさ。詰まりは、当たり前の社会常識が行き届いて居れば、<四の五の減らず口を叩くな。遣りゃ好いんだよ。>で、結着しちゃうんだから、按配が良いって物ずらい。馬鹿に説明するほど、苛々して疲れる事はねぇわさ。現民主党政権のガチャガチャ振りを見てりゃ、分かるずらいよ。全く、阿保臭い。

 封建時代には、藩と云う縛りが有ったから、まぁ好かったけどさ。御維新で、文明開化のご時世の幕開きだわさ。
 衣食住の形が、『職』に大きく傾いての衣食住の社会観に変節して行くんだけどさ。諏訪は、製糸産業の一大工業地帯と為ってさ、地元財閥で片倉なんて物が有った。それが、ナイロンなんて人造絹糸に駆逐されて行ってさね。
 でも、諏訪の御柱の神事は、どんな事が有っても、絶やす訳には行かない。地場産業に依って雇用を確保して、土地、人の絆を維持して行かなければ為らないと考えた先人達はさ、製糸産業で築いた資本力と技術力で精密機械工業に発展させ続けた。そんな観方をすりゃ、絆を原動力とした産業人・経営陣の志の真っ当さには、拍手を送るしかあるめいよ。

 それを知った被りの資料漁りの頭でっかち野郎共がさ、やれ、甲斐の武田信玄の騎馬軍団の機動性を最大限活用する為に、八ヶ岳方面には、『棒道』なんて直線的な軍用道路が構築されて居て、信玄の戦略家としての面目躍如なんて表現方法が一般的だけどさ。
 そんな物ぁ、八ヶ岳の奥から、七年に一度の御柱を曳いて来る為にゃ、一本道の『棒道』が最適の合理性だわさ。識者・小説家の野郎共は、歴史上の人物を皆、秀才・天才に祭り上げなきゃ、如何して気が済まないんだろうね。俺達、下衆野郎からすれば、難解過ぎる頭脳回路だぜや。

 甲斐の国にとっては、山深い信州の盆地だって、甲斐の穀倉地帯だったって話だ。今じゃ、甲府のブドウ、モモは、果樹としてはブランド力商品だけどさ。信玄さんの時代は、火山灰の貧地で肝心要の米作には、不向きだったんじゃないのかい。
『風林火山』なんて、実に格好の好い御旗だけどさ。アングルを変えて見りゃ、ありぁ、野党・盗賊の旗印って事にも為らぁな。

 ドキュメンタリーなんて云ったってさ。所詮は、作り手の起承転結の工作物でしかあるまいよ。起承転結の直効率でさ、編集工程があるんだろうが。放送意図の下、台本が有って、カメラマンが映像を撮り、原稿の書き手が居て、原稿を朗読するアナウンサーが、其々の分業をこなして行く。『切り口の個性』の無い、如何にも優等生的な作りは、俺達番から劣等生の感性には、如何にも臭過ぎるんだよな。

 そいら辺が、テレビのニュース報道を見て居ても、面白さに欠ける処なんだわ。ギャハハ!!」

「為るほど為るほど、今日も、好いレクチャだったぜや。婆さんも、こんな話の相手に為れるんだから、大したもんだわな。なんたって、只で授業聴けるんだから、モウロクなんか出来わな。耳が確りしてて、頭も確りしてるなんざぁ、孝行のし甲斐が有るってもんだ。」
「へへへ、あれさや、こんな訳の分からねぇ話に付き合ってるから、家へ帰りゃ、婆さん知恵熱が回ちゃって、コタツで丸まって寝てるわね。へへへ。」

「煙草吸って、何か買って行くかい?」
「おう、如何為るか、分からんけど、沢庵が漬かったら、引き受けてくれるかな。」
「あいあい、喜んで、頂戴するわね。期待してるぜな。」
「そうかいね。じゃ、足し塩が必要かも知れんから、塩と婆さんのオヤツでも買って行くわいね。」

 いやはや、寒風の外であるから、車の中の一服と相為った。さてさて、帰った後は、目を付けて居た乾燥大根が、未だ売れ残って居たら、それを足し漬けすべしである。


心何処ーショート またまた重ねてしまった下衆の浅はかさ。
         またまた、重ねて終った下衆の浅はかさ(12/10/10)
 ほうほう・・・フェンスには、1CM程の積雪である。屋根に朝日が当たって、淡雪の如き雨だれを落して居る。東のお山も雪化粧、西のアルプスさんは、確り雪纏いのお姿である。無風にして青空である。朝食後は、風呂に火を付けて、昼散歩に出掛けて来るべしである。

 河川敷の枯れ芝生の上を歩く。靴底から湿った感触が伝わって来る。空には低い所に、ほんわりとした薄い白い雲が浮かんでいる。雲を追って行くと、東のお山の頂から、雲が幾つか立ち昇って居る。それは、陽に溶かされて、蒸発した水分が、上昇気流に乗って凝結して雲を生産している様である。
 光の当たった薄化粧の雪山も、雲の影の暗い雪化粧の山々も、実に綺麗である。勿論、西に縦断する白銀のアルプスの険しい峰々は、壮大に青空にパノラマを描いている。

 山の雪の白さに、穏やかな日差しである。老夫婦の散歩者の姿が三組ほど、ゆっくりと歩いて居る。土色の枯れ葦原に、チィチィと鳥影が小さく渡る。それらは、ウグイスであり、ホオジロである。高架塔の電線には、鳩の一団が止まっている。川の淀みには、コガモの群れが、ひぃ、ふぅ、みぃ・・・8羽泳いでいる。その先には、純白のコサギが、水中を覗いて居る。

 玄関を明けると、倅が居るではないか。

「おっ、帰って来たか。親父が居ないから、電話しようとしたんだわ。今、写真を持って来て、婆ちゃんとお茶してるんだ。」
「そうか。帽子と手袋置いて行くわな。」

 京都に行って来たと言う倅夫婦は、お土産、結婚式の写真を拡げて、賑やかに遣って居た様である。早速、私もその輪の中に入って、結婚式談議で、ゲラゲラ話である。

「そうそう、この前さ。其処で○ちゃんに遭ってさ。子供の頃、そっくりじゃないかと立ち話をしたんだよ。斯く斯く云々さ。」
「本当、こっちに勤めて居るのか。そうか、○ちゃんも、子供持ちの父ちゃん遣ってるのか。そりぁ、好かった。元気で何よりだ。」

 楽しくて好い披露宴であったから、大量の写真に話が弾む。私は、余り記憶が無かったが、近くの同級生も、此処へは好く来ていたとの事である。

「そうそう、友達も、何十年か振りで、親父を見て怖いって言ってたんだ。話すと面白い人だと言うんだが、黙って居るとブルース・ウィルス見たいで怖い親父さんだってさ。
 親父の挨拶が、途中から合いの手が入って、怖い親父の顔が、吹き出しちゃって、ゲラゲラのオマケ付きスピーチに発展しちゃったから、えらく親父が目立ちゃってさ、大人気だったぜ。傑作な家族だってさ。アハハ。」

「ありぁ、俺が悪いんじゃない。俺は倅の一世一代の披露宴だから、粗相の無い様に余所行きの顔をして、老眼鏡掛けて朗読してたのに、<そうだ!! 流石に親父、好い事言う。全くだ!!>なんて、合いの手、拍手されちゃ、俺は、蚤の心臓だわさ。へへへ。

 おやおや、婆さん、この顔は、兄貴の○さんの顔じゃないか。この前は、弟の○の顔見てさ。兄貴そっくりだと、気を付けしちゃったけど、歳取ると、皆、似て来るもんだわな。遺伝子って奴は、面白いもんだわな。」

「お前も、頭は禿げて居るけど、立派な市川団十郎だよ。体格は好いし、穏やかだし、話も上手だし。何処へ出しても、恥ずかしく無いよ。ほほほ。」

「おい、○聞いたかや。この婆ぁめ、一言多いぜや。婆さん、お前さん達が来たから、上機嫌だぜ。」

 ふざけて、母の頭に拳骨を振り上げる真似をして遣ると、94の老母は、幼子染みた格好で、白髪頭を抱え込んで、舌を出して居る。これぞ、三代に続く戯け一家の態である。

「好いだ。好いだ。親父のこのスキンヘッドが、決まってるだ。俺も、見本が此処にあるから、イザと為ればスキンヘッドに出来るから、安心だ。」

「そりぁ、そうさ。世の中にぁ、禿げの似合うのと、似合わないのが、居るんだわ。毛の有る顔と、無い顔の二通りで勝負出来るなんざぁ、果報者だぜや。親に感謝しろよ。普通は、一通りだけで、息切れしてるんだからな。ギャハハ~。」

 いやはや、婆さんと倅のコンビは、面白い。本日のブログネタに頂戴すると言うと、親父の写真も投稿しろとの事である。

 まぁ、私もそんなに老い先が長い訳でも無い。人殺しもして居ない身であるから、柄の悪い顔を投稿した処で、人様に迷惑も掛けぬ。
 どうせ、広大無比のブログ樹海の片隅で、息を潜めているだけのロートルである。素顔を晒したとて、一過性の戯れである。

 男は、愛嬌と度胸である。ロートル・クマ男とは、コイツである。ギャハハ!!



            イッヒッヒ!!_001ギャハハ!!

心何処ーショート 小部屋点描。
 へへへ、疲れて仕舞いました。沢庵を漬け込み、庭を片付け、水槽の水を川から汲んで来ての補充である。昼まで掛って仕舞った。さてさて、2か月前後を経て、如何なる沢庵漬けと為るか? 全ては、幾ばくかの実証経験と結果論である。

        母曰く、『これで、明日から仕事が一つ減るね。』

 確かに、そうである。朝夕の拡げ・取り込みは、一日の日課で有り続けた。二つのたるに収まった沢庵は、台所横の物置の隅で、低温発酵の糠床で暫くの眠りに着くのである。

 本日は概ね曇りの、場所によっては、午後から雨または雪との事である。薄い薄い日差しで、窓辺の殺風景さは堪らないから、玄関の金華鳥を連れて来る。一息付いたら、買い出しに行って来るしかあるまい。
 北の空は、鉛色の雪雲である。風が、ピュウピュウ吹いている。元気の好いのは、窓辺の6羽の小鳥達だけである。ブンチャカ・ピーピーと水浴びをしたり、羽繕いをしたり、餌を啄んで居る。

 さて、早い処、賄い夫仕事の買い出しに行って、後は、掃除をした部屋で、適当な映画ビデオをチョイスして、昼寝でもした方が好かろう。嗚呼、寒い外は、嫌でアリンス。

                小部屋(12/9/10)
 この処、夜の一時は、小部屋で過ごす事にしている。向かう窓の外は、庭である。小部屋の暖房は、小さな御用済みとなった灯油ストーブである。床には長座布団と、キャンプに使うマットを敷き、小さなコーヒーテーブルを置いている。テーブルの丈は低いから、椅子は最低の高さにセットして使用している。それでも、相撲取りの腰には少々小さい処である。小部屋は、長らく物置として使われていたスペースであったから、其処に炬燵のヤグラがあった。廃物利用ではあるが、これが又、至極使い勝手が好いのである。

 とどのつまりが、テーブルの椅子代わりにも為るし、床に座れば、小さな座卓にも為る。昨夜は、こんな小部屋でラジオを聞きながら、下手絵を一枚描いた次第である。母の部屋は、廊下を隔てた向かいであるから、テレビの音が小さく聞こえて来る。

 母子家庭で育った私は、高校生に為ると、殆ど四畳半に居た。今も昔も、お互い距離間を保ったままの『母は母。私は私』の自由放任の生活であった。食事時、テレビは母の部屋で過ごし、和裁の仕立てをして生計を立てていた母の仕事部屋は、真中の六畳であった。
 男兄弟の中で育った男と云う物は、母親とは殆ど話さないものである。そんな母・倅の生活が、ロートル賄い夫と為っても続いているのである。私は、兄弟の中でも、一番気難しい性格との事である。

 今では、すっかりタガが外れてしまって、母の前でも、戯け振りを臆面も無く曝け出して、男芸者の日常を送っているのであるが・・・

 若い頃は、必要意外な事は一切話さなかったし、質問をして自分が得るべき応えの帰って来ない相手には、ノータッチの様であった。それに、好き嫌いの選択がハッキリしていたから、鋭い顔をしていた様である。私は、反省すべき過去の多かった男である。・・・とほほ。

 朝は起きると、寝室の八畳の障子を開け、四畳半、廊下の戸を開け、この小部屋の窓を開ける。大根干しが始まったから、廊下に取り込んだ大根を庭の干し台に広げ、朝の賄い夫をしながら、小鳥の世話をする。そんな事をしている間に、老母はベットから起き出して、ゆっくりゆっくりと着替えを始めるのである。

 朝食後は、興味のあるテレビが有れば、日本茶を母に入れて貰いながら、母の相手をする。冬ともなれば、炬燵は居心地が好いから、寒いと長居をしてしまう事がある。

 太陽があると、午前中は、小部屋の方が暖かいから、庭を見てタバコを蒸かしている。尤も、庭木を坊主刈りにしてしまったから、鳥の訪れが淋しい。柿の枝振りの適当な物を見繕って、百日紅の幹の間にセットして取りの止まり木とする。

 四畳半にしろ、小部屋にしろ、私は専らCMの無いNHKラジオを流している。買い物に行ったり、散歩をしたり、時に昼寝をしたりして、適当に一日を過ごしている。

 小部屋はトイレであったから、西側に明り取りの小窓が付いている。中学・高校の頃は、トイレの窓から見える雪のアルプス、月夜を見て、<おお、寒いブルブル>と、首を竦めていた物である。それが小部屋に改装されると、朝一番の空気の入れ替えで小窓を開けると、雪を被ったアルプスの稜線が見えるのであるから、何とも、気持ちが好いのである。

 夜はカーテンを閉めた二畳のスペースに、古びた灯油ストーブの上で、ヤカンが沸々と音を立てている。

体質的には血圧が低いタイプであるから、朝は苦手であるが、夜は滅法強い口である。流石に冬であるから、ミッドナイト散歩は出来ない処である。従って、散歩は、昼散歩に移行している。

 夜が遅いと何かと小腹が空くものである。台所から、一人用の土鍋を持って来て、それで袋のインスタント・ラーメンを煮て食べる。それが、鍋焼きうどん宜しく、熱の回りがコトコトと優しく円やかに回るのであるから、吾ながら、グット・アイディアなのである。
 そして、ストーブのある小部屋と云う物は、何かと使い勝手の好い物である。沸々わいた薬缶から、直接コーヒーに湯も注げるし、餅も焼ける。全て、手の届く範囲である。

 濃い目のアメリカンにして、干し柿の甘露を齧りながら、熱々のコーヒーを啜るのも好し。物臭者には、一人専用の小部屋は、持って来いの重宝さである。

 唯一の難点と言えば、タバコの煙の充満と云った処であろうか。落語の世界では、鰻屋の横で弁当を広げて、鰻の匂いだけでチャッカリおかず代を浮かせるなんて話もあるが、タバコの充満する煙で、タバコ代を浮かせる芸当は出来ない処である。ニャロメ~。

 餅と云えば、乙な食し方を紹介しよう。これは、親父が好んだ食べ方だと言う事である。たっぷりの大根卸しに納豆を入れて、刻み葱を薬味にして、焼餅を入れて食する遣り方である。知らない人は騙されたと思って、一度食して見るのも好かろう。気に入ったら、騙されついでに、大根卸し納豆に、生蕎麦で食しても好い。

 騙されて美味かったと思うお人は、拍手をクリックして頂ければ、貧民ロートルのレシピも、満更では無いと云う事である。これまた、へへへでありまする。


心何処ーショート へへへ、言葉の体操為り。
             へへへ、言葉の体操為り。(12/8/10)
 昨日は、薄らと雨に当たって仕舞った大根殿である。大体、干し加減も好く為った事でもあるし、庭に広げた後は、午後から愈々漬け込むとしようか・・・の段なのである。

 朝日が当たった物の、再びの曇天へ向かう雲行きである。東のお山の奥も、シュガーパウダーを塗した様に、薄らと雪の白粉さんである。とうとう、例年通りの冬の季節が来てしまった。寒いじゃ有りませんか、嫌じゃゴザンせんか。

 庭に埋けて貯蔵としているネギを数本抜いて来て、タラ汁を作る事にする。本日は、ガス屋さん、ヤクルトさんの日であるから、来てから個人スーパーに行って不足の物を買って来るべしである。

 四畳半でコーヒーを傍らに、煙管煙草をプカリ、プカリと燻らせながら、PC打ちをして居ると、ガス屋さんである。下手絵ファイルと干し柿を持って、玄関の上がり廊下に胡坐を掻く。

「はい、歳時記の味見をしておくれや。」
「やあやあ、今年も名物の干し柿を頂戴して、Rさん処の干し柿は、美味だぜね。この前は、バタバタしていて、絵を見れなんだぜね。じっくりと、見せて貰うんね。」
「あいあい、心行くまで見て、専門家の感想を聞かせておくれや。」

 口髭チャールズ・ブロンソンさんも、厚手のジャンバーの襟を立てて、すっかり冬の装備である。玄関上がりに腰掛けて、ファイルを捲って、此処からだと頷いて、下手絵鑑定の段である。

「好いですねぇ。このデフォルメされた顔の表情、構図、色使いが何時見ても、Rさんのタッチだねぇ。線が躊躇して居ない処が、絵に力と勢いを感じさせる。ピカソ並みの才能だよ。
 
 例えば、この見開きで例の北と南の砲撃合戦の図を、余計な物をそぎ落として、三様の顔として描いている。謂わば、風刺画から、デフォルメされて行く過程ってものが、この見開きの二枚の絵の行間も語られている。そんな計算を見開きの形にして、それを忍ばせてある処が、Rさんの頭の好い処ですわ。デフォルメに依るインパクトの強さを現わす術を知ってるんだから、並の人じゃ無いですわ。
 
 それに、この日の丸をバックの絵も好いですねぇ。好い顔をしている。Rさんは、好い男だから、如何して俳優に為らなかったんだいね。絶対に売れた筈だと思うんだけどね。

 それから、このヒップ&バストの柔らかみの有る線と色使いは、本当に緩やかで、ついつい、頬が緩んで来る。好いじゃないですか~。男の悪戯心、助平心を軽いタッチでスケッチして居る。こりぁ~、線好し、形好し、色好しで、心和む一枚だいね。

 好いじゃないですか。どの絵も、捉え方がシンプル・イズ・ベストで好感の持てる絵達ですわ。Rさんの中には、鋭さと柔らかさが同居しているんでしょうね。今日も、好い物を見せて貰った。Rさんは、実に羨ましい精神的生活を送って居ますよ。継続は、力為りですよ。ドンドン描いて下さいよ。楽しみだんね。」

「やいやい、見る目が正しいじゃんかい。実は、大学生の時、そんな話も有ったんだけどね。俺ぁ、物はデカいんだけど、心臓が蚤の心臓だもんでさ。そんな恥ずかしい事をする勇気が無かったんだわね。ギャハハ。
 役者・俳優・タレントだけが、ハンサム男じゃねぇからね。世の中にぁ、無名の色男が、五万と居ますがね。ギャハハ。
 今じゃ、女日照りが祟って、ISO規格も、完全に宝の持ち腐れで、フニャ珍街道まっしぐらだんね。もう一花咲かしたい助平心は有るんだけど、婆ぁの面倒見てると、ダメだわね。全く、惨めなもんさね。この頃じゃ、妄想力にも、陰りが出て来ちまったいね。へへへってもんせ。

 世の中、定年退職して、無趣味の時間を持て余して居るなんて話を聞くけど、人間、無趣味な人間なんか、誰一人も居ない筈なんだけどね。絵が上手い下手、文章が上手い下手なんかの言い訳なんか、本来、枝葉末節な言い訳にしか過ぎないと思っているんだわね。 

 何も、それで銭を稼ぐ訳でもないし、気楽に自分の好奇心にお付き合いすれば、好いだけの事だと思うんだけどね。臆面も無く自分自身を曝け出して、お迎えを待つのが、ロートルの正しい時間の過ごし方だと思っているんだわね。何しろ、銭の掛らない遊びだわね。ギャハハ。」

「いや~、味が有る。仰る通りですわ。」

 部屋に戻って暫くすると、今度は、ヤクルトママさんである。久し振りの御対面である。
 下絵と干し柿を持って、今日は逃がさねぇ、セクハラトークの段である。

「あいよ、先ずは、干し柿を食べて見ろや。」
「うわ~、柔らかで、甘くて美味しい。高級品で売っているのよりも、美味しいで~す。上手ですね。私も、干し柿作ったんですが、ヒモに結ぶのが上手く行かないんですよ。蝶結びだと落ちちゃうんですよ。緩いんですかね。」

「そりぁ、硬結びで遣るだわね。きつく結んで、落さないのが目的だわね。干し上がったら、鋏で切りゃ好いまでよ。夜だって、同じだよ。緩いと、ダンナがもっとアヌスを萎めて、締めろって言うだろ。」
「きぁ~、Rさん、端から、何て事、言うんですか~。顔から火が出ます~。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇわさ。俺だって、夫婦生活の立派な経験者だわね。布団の中の夫婦の遣り取りなんざぁ、お手手が後ろに回る盗聴器なんか仕込まなくても、筒抜けだわね。如何だい? このヒップ&バストの絵は、似ているヒップは、どれだい?」
「私のは、ペッタンコで貧弱だから、足が自慢で~す。あんまり、見ないで下さいよ。」

「薄尻は日本人の遺伝子だから、気にする事ぁ無いわね。それでも、裸にひん剥いて、バックにさせりゃ、ウナジから背中・ウエストのくびれ、ヒップと生白い女の好い線が、スモールランプの下に出るわね。
 そこまで演出が整えば、ペッタンコ尻は、テクニックでカバーしましょや。<指圧の心は、母心。萎める筋力は、妻心~。励む努力に、子供手当~。>って、民主党の高い辞書には出てるぜや。ギャハハ。」

「本当に、Rさんと話してると、洗脳されちゃいますから、長居は危険で~す。黙って穏やかな顔してる分には、好いムードなのに、口を開くと何時も下ネタ小父さんなんだから。ホントにモー。初な人妻には、太刀打ち出来ませんよぉ~。
 又、楽しい絵描いといて下さいよ。車の中で、口直しに、干し柿食べよぉっと。こんな上品な干し柿を作る人が、こんなに助平オジサンなんだから、世の中は、可笑しいですね~。アハハ。」

「へへへ、世の中は、小説より奇なりでヤンスよ。寒いから、風邪引くなよ。はい、アリガトさんよ。また、来週ね。」

 おやおや、知らない内に、お天道様のお出ましではないか。それなら、金華鳥さん達にも、お天道様のお裾分けをして遣りまするかな。さてさて、個人スーパーまで、自転車で一走りして参りましょうかね。



心何処ーショート 冬日にタジタジ
                 冬日にタジタジ(12/7/10)
 アッジャジャ~。今日は、冬の空模様ではないか。昨日までの上天気は、何処へ行った。・・・ ぶるぶる。おお寒い。
 郵便物を見て、嗚呼、面倒臭い。然りとて、行って来なければ為るまい。行って来れば、後が楽である。朝食後は、散歩代わりに歩いて行って来るとしよう。

 風呂上がりのスキンヘッドにクリームを擦り込んで、毛糸の帽子に、毛糸の手袋である。おお寒いじゃ有りませんか。正しく12月の寒風である。ブラブラ歩きなどして居たら、風邪を引いてしまう。せっせっと歩いて、体温を稼がねば為らない。時折、雪に成れないダストの様な物が、顔に当たる。

 県営球場横のテニスコートでは、ロートル、中年婦人達が、冬の出で立ちでテニスをしている。予約スポーツなのであろうから、お天気さんに文句も言えないのであろう。

 彼女達も、何十年か前は、高校のテニス部で日焼けしたピチピチした大腿部で、白いパンツをチラチラさせて、白球の追って居たのであろう。近付いて、彼女達の顔を見るまでも無かろう。これも、武士の情けと云う物である。目が穢れて仕舞っては、PCの愉しみが潰えてしまう。
 子育て終えてスポーツ健康・スポーツ美容で、汗を掻いた後は姦(かしま)しく、イタリアン・レストランなんかで、お喋りをして帰るが好かろう。頑張り為され。イッヒッヒ。

 用足しの帰りは、コンビニに寄って餡まんと肉まんを買って帰る。畑の脇に、柔らかなハコベが伸びている。本日は、生憎の天気で、廊下の日向ぼっこも叶わぬ金華鳥達である。まぁ、その穴埋めに、ハコベのお土産をプレゼントして遣るべしである。

 裏道を抜けて本通りに来ると、中国人の遣って居たラーメン屋は、長らく店を閉じて居たのだが、今度は韓国料理の食堂と為って居る。さてさて、商売の方は、如何為る事やら。

 町内には、ラーメン屋が二軒ある。町内の真ん中に有るラーメン屋は、中々にして繁盛している強敵である。隣班のラーメン屋は、ボチボチの入りである。前の中国人の店は、味は悪くは無かったが、働かないオーナーは、生意気な中国人であった。
 現役時代、好く通った中華料理店の美形奥さんの中国人一家との事ではあったが、気さくで親切だった奥さんとは、雲泥の差であった。兄嫁の店の繁盛振りには、遠く及ばない処であった。夜遅く行くと中国人の溜まり場と為って居て、日本人には足が向かない店であった。

 異国で商売するのであるから、彼等にとっては溜まり場が必要なのであろうが・・・其れが店の雰囲気と為って仕舞うと、店は下火と為る。韓国料理の店を横目で見て行くと、薄暗い店の奥に、何人か居る。きっと、韓国人達に違いあるまい。

 類は友を呼ぶで、チャイナタウン、コリアタウンは、人間感情として致し方の無い側面もあろうが、大都会では無いのであるから、町に融け込む雰囲気で小商いに徹した方が、息の長い商売が出来るのでは無いだろうか。まぁ、これは、大きなお世話にしか過ぎないのではあるが・・・

(日本人だって、古代の時代には、朝鮮半島に和人のテリトリーが在ったし、山田長政のシャムの日本人町、ルソン島にも、近代史では大連、上海、ウラジオストク、ナホトカ、ロス、サンパウロにも、同様の日本人町が在ったとの事である。)

 それにしても、雀の姿が滅っ切り少なく為った物である。こんな寒空の霜枯れた枝には、寒雀の羽毛を立てたウラビレ雀の姿が止まっているのが、昔は定番であったのだが。

 さてさて、こんな気の滅入るお天気さんは、観賞するに値せずである。餡まん、肉まんでお茶を飲んだ後は、万年床に潜り込んで、昨夜の続きのトリマーズ3を見ながら、怠惰の一日を過ごしましょうかね。貧民ロートルは、寒い日には、ひたすら省エネ冬眠生活に限るのである。とほほなり。


心何処ーショート お日和に、立ち話。
                お日和に、立ち話。(12/6/10)
 朝食後は、町医者→米屋さん→個人スーパー巡りをして来るとしようか。12月とは思えない、何処でも暖かくものんびりしたお天気さんである。

 自転車であるから、大回りをして行く。セーター姿故に、自転車のスピードは、些か涼しい。母の薬を貰って、今度はボッチラボッチラと米屋さんへ、米糠調達である。持参した5kg入れのビニール二袋に、糠を入れて甘いコーヒーを頂戴する。

 政談好きの米屋さんも、流石に民主党政権のテイタラクさに、話題にも上らず終いである。いやはや、これでは世も末である。

「大根は何本漬けるんだい? 二人だから50~60本かい?」
「確か、100本ちょいっとだったと思うんだけどね。年寄りには、季節の歳時記は見させて遣らなくちゃ、寂しいんじゃないの。
 沢庵漬けも今年で三年目だけど、これも親孝行の一環だわね。如何云う訳か、結構、上手く漬かるから、知り合い・友達にお裾分けしてるだいね。それに、貧民の暮らしだから、漬け物さえ有れば、白いマンマが食えるわいね。言って見りゃ、チマチマした蟻ンコ生活せ。」

「マメだね。梅干しに干し柿、沢庵漬けか。Rちゃんは付き合って見ると、本当に義理堅い好人物だねぇ~。大したもんだ。」
「へへへ。そうかも知れないね。婆さんの遺伝子なんだろうね。俺の高校時代からの親友も、義理堅い好い男でね。お前は物書きだから、この位の物を使えって万年筆をプレゼントしてくれたり、パイプ、煙管までプレゼントしてくれるんだわ。
 男の義理堅さは、女みたいに修飾語が無いから、粋で気持ちが好いからね。何事も、<気は心で、シンプル・イズ・ベスト>せ。イッヒッヒ。」
「羨ましいね。そんな関係は、そう滅多には居ないから、大事にしましょ。」
「あいあい、アリガトザンス。肝に銘じて居るぜね。安心しとくれや。ギャハハ。」

     糠袋を籠に二つ入れて零さぬ様に、個人スーパーに向かう。

「先輩、儲かるかい?」
「ダメだわね。全然、儲からないわね。でも、兄さんが、買い物に来てくれるぜ、頑張るだ。おや、糠貰って来たかね。大根は、間に有ったかい? 信州人は、漬け物が無くちゃね。でもね、みんな生活が変わって来ちゃったから、兄さん見たいに自分で漬ける人が少なく為っちゃってさね。
 皆、年寄り世帯で、寂しい家族構成に為っちゃってからに、私達の世代が、あの世に逝っちゃったら、どんな日本の社会に為るんだろうね。寂しいね。」

「先輩、流石に好い事言うじゃんかい。核家族の行き着いた結果が、子供手当だ。一見、子供はお国の宝なんて、ほざいたって、親の有難味から国家の有難味に移行させて、日教組教育で、個人個人の大合唱なんかさせられたら、『血の絆』なんか、すっ飛んじゃうわね。
 昔みたいに、爺・婆、父ちゃん・母ちゃん、息子に娘ってぇのが、真っ当な人間の暮らしなんだろうけどね。
 気付いたら、夫婦別姓、外国人地方参政権、日本は日本人だけの日本じゃ無いとか、国防自衛隊を暴力装置と来ちまうんだから、俺達の馴染んで来た日本は、綺麗さっぱりに解体されちゃうんだろうね。こんなのが、日本国なんて言われたって、ナンジャラホイ???の世界だわね。そんな物ぁ、望んじゃ居らんわね。情けないたら、ありぁせんわね。」

「あいあい、そう云う事だわね。何処で一体、狂っちゃったのかね。変な世の中に為っちゃった。頭の好い人達が、政治遣ってるのにね。困った物だ。ゆっくり買い物してき。」

 新鮮な小カブが有ったから、それと一緒にキュウリを、浅漬けとするべし。煮付け様の魚などを買って、家に向かってペダルを漕ぐ。それにしても、好いお天気さんである。家に居たのでは勿体無い。ササッと台所仕事を終了させて、散歩に行くべしである。

 台所仕事を片付けて外に出ると、西向かいのオバさんが、花期を終えた小菊などを鎌で刈っている。オバさんも老齢であるから、すっかりスローモーの動きである。
 私が家に入るまでは、母もオバさんも未亡人の一人暮らしであったから、母の少ない茶飲み友達だったのである。倅としては、感謝すべき隣人の一人なのである。

「精が出るね。腰が痛いずら。話し相手に為って遣るぜ、ボチボチ遣りましょ。」
「えぇえぇ、アリガトね。体は動かないけど、見苦しい事をして、世間様に恥は掻きたくないから、遣らなくちゃね。大根干しは、順調に行ってるね。何時漬けるだね。」

「そうだね。恥を失ったら、人間ガタガタと来ちゃうからね。大根の方は、二三日中に、遣ろうと思ってさ。材料は、用意したわね。
 さっき、個人スーパー行って来たら、漬け物用の乾燥大根が置いて有ってさね。それ見ると、半端じゃ無かったんね。ガゴール婆見たいに、猿の乾物見たいな皺皺でさ。テレビなんかで見る上州なんかの漬け方なんだろうね。
大根の品変われば、干し方も違うんだろうね。土地には気候・風土、土地柄に有った大根、漬け方が有るからね。継承するのが、伝統だぜね。あはは。」

「私も漬け物が好きで、ずーと漬けて来たんだけどね。もう、一人だし、もう体力が無いから、出来た物を買って来て食べるだけ。本当に、情けない物ね。歳は取りたくは無い。 
 歳取って、一人で暮らすのは、辛いよ。もう、何時でも死にたいんだけどね。でも、心臓が動いている以上、生活して行かないといけないしね。お婆ちゃんは、お元気かね。」

「アハハ、家の婆さんも、もう動けなく為ったら、惨めな毎日で、早くあの世に行きたいと、言ってるわね。
 だから、俺も同じ事言ってるんだんね。心臓が動いている内は、死ぬ訳にも行かないから、諦めて生きててくれや。人間、死ぬ時は、黙っててもお迎えが遣って来るんだぜや、此処まで来たら、オタオタしたって、しょうがないだろうって、言うより他ないからね。へへへ。」

 台所の火を切ったのだろうか??? 毎日、ふやけた生活を送って居るから、健忘症の症状を患っている吾が身である。確認の為に、家に入る。取り越し苦労であった。さて、散歩への仕切り直しである。

 外に出ると、おやおや??? スーツ姿で自転車に乗って居る男は、倅の幼馴染では無いか・・・ 彼も、私を振り返って居る。

「おやおや、ヤッパリそうか。今は何処に居るんだ。倅が結婚式の招待状で、連絡が付かないと寂しがって居たぜや。S大の職員遣ってるんだろ。確か、伊那だったんだろ。」
「そうでしたか。僕、今、転勤でこっちなんですよ。結婚式、何時でした。・・・そうでしたか。その時、丁度、辞令で、こっちに引っ越して居た頃ですよ。
 そうでしたか、そりゃ悪い事しちゃった。でも、お父さん、元気そうですね。皆さん、お変わり無いですか?」

 世の中とは、面白い物である。こんな所で、彼とは20何年振りかで、顔を合わすのであるから。さてさて、散歩に繰り出すと致しましょうか。チョッキを着て来たから、歩いて居る内に、背中はぽかぽか、カチカチの日本昔話のタヌキの暑さである。
 チョッキを脱いで、下り勾配の流し散歩では河川敷に下りて、川面を覗いてブラブラ歩きである。川の中もきっと春の暖かさなのであろう。アブラハヤの群れが、スイスイと泳いでいる。中に混じって、ヤマメ殿の姿も見える。

 長閑な好い散歩であった。母の部屋を通ると、コタツで母は、お地蔵さんで目を閉じて居る。小部屋で庭を眺めながら、煙管煙草で一服付ける。庭の奥の枇杷の木には、バルディナさんの尾羽根のタクトが見える。良いお日和である。上空には、ヘリコプターの爆音がしている。


心何処ーショート 日曜、早くも夜の帳来る為り。
           日曜、早くも夜の帳来る為り。(12/5/10)
 昨夜は時間がずれて仕舞い、夜の散歩と相為った。夜空の北半分には、見事な星々が輝いていた。南には街の明かりがあるから、晴れて居ても、然程の輝きは無い処である。夜であるから、スキンヘッドには厚手毛糸の帽子を耳まで下ろし、手にも毛糸の手袋で自家暖房宜しく、せっせと真面目歩きである。

 努力の甲斐が有って、帽子から耳を出し、手袋を外し、折り返し点の橋を渡って、下りの流し歩行と移行する段には、帽子まで脱いで夜空の星に、音痴唄など歌って帰って来た次第である。

 明けて本日・日曜日。大根を庭に広げて、小鳥達を母の部屋の前の廊下に出して遣る。小部屋の戸を開け放して、アルプスさんを小窓から眺める。本日も、穏やかな好いお日和である。
 朝食後は、見るテレビも無いから、日当たりの好い小部屋で、下手絵でも描いて、のんびりと過ごす。小部屋からは、廊下の日向に置いた小鳥達のはしゃぎ振りが好く見える。

 熱いコーヒーなどを飲みながら、意味不明の線を付け加えながら、さてさて、どんな悪戯発想が、芽生えて来るものやら・・・ 私の描く絵のモチーフなど、幾つも有る訳では無い。

 さてさて、この辺りにして、想像力の乏しい身は、色付けを施して、次なる妄想の糸口を掴むより他は無いのである。煙管煙草に火を次いで、数口ポカリぽかりと、煙を吸い込む。落書き帳に、色着いて来た肌色の膨らみに、ニヤニヤの線足しである。

  フムフム、こう来れば、男の発想としては、これしかあるまい。イッヒッヒ~。

 還暦過ぎの女房、子供達に見捨てられた戯け親父の悪戯描きとは、こんな物である。吾がUP絵を、<笑わば、笑え。>の開き直りこそが、身上のマイ・ギャラリーである。才能の無いロートル・クマ男が気取って見ても、一切洒落にも為るまい。

 さてさて、楽しき色塗りのお時間に進みましょうかね。その前に、小休止のコーヒーを飲む。老眼鏡を外して、庭の様子に目を遣りながらの一服タイムである。

 ギャハハ!! 本日の一枚は、題して『ヒップとバスト』じゃい。女たる者、ふくよかさに勝る女の柔和さ、愛おしさは無いのである。
 CM主導の下らんダイエットで、鳥ガラ女が、衣装の派手やかさで誤魔化したとて、そんな物は裸にひん剥いたら、貧弱チキンの正体である。それでは、女の皮下脂肪の厚みも柔らかさも無いのである。
 従って、それでは肉壷のジューシーな肉汁の滴りも無かんべさ。ジューシーさあったればこその、塩コショウのスパイシーさでありまするぞえ。ケンタッキー・フライドチキンに学びましょうぞ。へへへ。

 夕方、庭の大根を取り込む。アハハである。大根連中も、すっかりヘナヘナの態である。明日は米屋さんから、米糠をごっそり貰って来て、火曜日辺りには漬け込むと致しましょうかね。

  嗚呼、好天の冬日は、いとも呆気無く、お天道様を没し為さる物である。
                  

                  ヒップとバスト

                 ヒップとバスト_001

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