旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 過去文作より
 引き出しを整理して居たら、フロッピイが出て来た。5~6年前の物である。些か長文でありまする。お時間の有る御方は、堪え性をお試しあれ。但し、得には為りませぬ。イッヒッヒ!!

                 ボランティアに徹す

「心何処…徒然に」を全編持参したのは、暮れの初旬の事であった。それから、一ヵ月半余である。読後感想を聞きに、K氏の父上をお宅にお邪魔する。
 父上は脳溢血で倒れ、現在自宅療養中である。年齢は存じ上げないが、その末弟と私は同い年であると言う。65歳は、遠に過ぎている中々お洒落な御仁である。何度か、義理で、文化人の講演会でも、お会いして居る。知的好奇心旺盛にして、中々の読書趣味らしい。そして、明るい性格の健啖家である。

 仕事の関係で懇意にしている子息の会社の破産問題で、彼は、頭を抱え込んで居られる。

 或る時、父上から仕事中に切羽詰った声で、電話が掛かって来た。『義を見て助けざるは、勇無き者なり』の例えもある。仕事を終え、家族の待つお宅に専門書を抱えて、法律のあらましを説明に伺った経緯があった。
 法律用語とは厄介なもので、専門用語を硬い抽象語から、長屋の熊さん、八っつあん口調で下世話な実態語に焼き直して、説明しないと法の趣旨が行き届かない性質の物である。三時間強に及ぶボランティア素人コンサルタントを遣って仕舞った。

 如何云う訳か? 下世話なトークが、すっかり御家族に受けて仕舞い、それ以来、父上とは実に馬が合うのである。それで私は、失礼を省みず「おい、親父」と意識的に尊大な言葉遣いに徹しているのである。ギャハハ!!
 
 多分、私より一回り以上の年長者であろうが、彼は中々の紳士である。元気の無い御仁へのエールとして、私の意識的な尊大な物言いを軽く受け流して下さる。言って見れば、ご無礼を承知の、お江戸の町人長屋の熊さん、八っつあんの掛け合いトークである。ベランメー口調(氏は若かりし頃、東京で紳士服の店を出していた由である。)の饒舌振りを披露して下さる有り難い御仁である。父上も、数の少ない私のファンの一人との事である。へへへ。

 懸案の自己破産手続きの進展を伺った後、「勇気の交換会」に移った。本日の議題は、俳句、川柳、種田山頭火について、暫し互いの自論を展開する。親父殿は、山頭火が殊のほか好きであるらしい。
 何句か諳(そら)んじて、披露して下さった。私は心の表現よりも風景画が好みであるから、松尾芭蕉の俳句の方が好きである。続いて宗教観、教育観に話が転移しての談論風発振りに、コタツの食台は、コーヒーからお茶に替わる。

「今日は、続きを持って来たか。」と言うから、
「今日のは、一寸、理屈ぽいぞね。療養中の右脳では、消化不良に成るんね。」と脅して遣った。
「何を若造、お前さんの作文など、チョチョイのチョイよ。食って屁で飛ばして遣るわさ。」

          親爺殿は、喋りながら、黙読を始めるから、

「コレ、クソ親爺、俺の労作をトンでもねえ~『ながら読み』をするとは、作者を目の前に、失礼千万の態度じゃねぇかい? 頁を捲る手が不自由だから、俺が読んで聞かすから、黙って拝聴してな。全く、手の焼ける親爺だぜ。」

 私は、自作を読み聞かせる。親爺の野郎は、神妙な面持ちで黙想を始める。読み終えて、

「如何だ、親爺、参ったか! 素直に虚心に帰って、感想を述べて見ろ!! どんな名文・高尚内容も、受け手の技量次第で駄文の奈落に真っ逆さまってぇのが、この世の悲劇よ。感想や、如何に!!」と、少々凄んで遣ると、

                 親爺殿は、真顔で、

「朗読の方は、イマイチだが、言葉の種類、知識もそれなりに豊富。文章も良く書けていると思うが、内容がこれだと云う核心的部分の迫力に欠ける。色々御託を並べているが、とどのつまり、ヌシは何を言いたいのかが、心にグ~と食い込んで来る迫力感に乏しい。ワシは、そこん所が気に喰わねぇや。」
 
と、来たもんだ。山頭火と芭蕉の違い、宗教とご先祖様の違いである。

「おぅ、クソ親爺、手前の力量不足を棚に上げて、言ってくれるじぁねぇか。読み方が浅いわいな。
 俺は意識的に、生身のギスギスした物を削除して、水彩画・水墨画の様な透明感溢れる日常点描を目指しているんだ。つまりは、心の思うまま、心に留まるままを、平凡人の日常をその視線で、力まずに書く事に苦心してるんじぁい。

 人の世の実態なんて物は、無為無策のペンペン草日常だろうが・・・その偽らざる怠惰とマンネリに没する平凡人の日常の心象風景を、ベースにしている処が、俺の文作の味じゃねぇか。愚民日常のスケッチ帳に持って来て『俺が俺が』では、丸きりの自己顕示の連隊行進に成って、ゴテゴテした油絵に成るじゃ無いか。
 俺ぁ、白人毛唐の美形は好きだけど、心は日本人じゃい。ゴテゴテした油絵より水彩画・水墨画が好きなんじゃい。
 心のままに訪れる小さな物事の中に、日頃忙しさに感(かま)けて埋没しがちな物に対して、ふと足を止めて、水彩画風の点描を試みる。そこで自由なる精神が、何かに触発されて、心を過ぎる自分の様々な心象風景の断片達の記録が、俺の習作「心何処」のモチーフなんだぜや。

 視点は、飽く迄、一平凡人の感性・経験・知識の枠内の出来事を題材にしてるんだよ。その中で、読者が書き手の行き方、生き方、感じ方、考え方の片鱗を感じ取れば、それで可なり、なんだよ。 

 生き方が如何のこうの等と云うジャンルは、俺に言わせれば、小説ジャンルに任せて置けば良いんじゃないの? 
 一つのテーマを決めて、テーマを立体的に描こうとすれば、登場人物に其々の役柄を与えて、出来事・事件を通して、彼ら登場人物に役柄に応じた言動・行動を演じさせれば良いんだよ。つまりストーリー性を持った小説技法が、そのジャンルでは最善の手法だと思う次第よ。

 俺は、端から人為的過ぎる小賢しい物には、興味が無いんじゃい。そんな物を目指して書いている訳じぁ無い。勝手に自分の色を決めて、御託を並べ立てるなんざぁ、在るが侭を素直に感じる、味合うって云う『虚心坦懐さ』に欠けてるんじぁないの? 

 その癖、本ばかり読んでる格好付け馬鹿連中は、手前に感性・想像・妄想の総合創造力が無いから、有名人の活字の引用ばかりだわさ。人間なんてのはさ、太古の昔から大差は無いぜよ。書物に残っているからって言ってもさ、同じ様な事を書いたり、思ったりしていた人間なんぞ五万と居るわな。
 誰誰が、何時の時代の何とかの書物で、こう書いた、こう言ったなんて、生意気講釈を垂れるのなら、手前の言葉で、手前の考えを講釈すりぁ好いだけだわさ。引用馬鹿は、学者・評論家に任しときぁ好いんだよ。下衆の一般下々が、読書量と記憶力の明示をする為に、その博識振りを見せて箔を付ける学者・評論家の真似したって、似合う訳無いぜや。そんな物ぁ、俺に言わせりゃ、ギャハハ~だわさ。

 本当に、このクソ親爺、何が悲しいかは、手前(てめえ)が、手前の書いたものをデリカシィの無い輩に、解説しなくちゃなんねぇ程、情けねぇ事は無いぜよ。クソ野郎め。手品師が手品の種明しをした日にぁ、面白くも屁ったくれも無ぇ~わサ。
 嗚呼、情け無くて、俺のデリケートなプライドが、ズタズタに踏み躙られて、ナルシストの涙がチョチョ切れるぜ。嗚呼、来るんじぁ無かった。俺の仏心が、裏目に出たってのは、この事だ。今畜生め(コンチクショウ)。」

 と演技の悪態を付く私に、講釈親父は、口から涎を垂らさんばかりに、顔をクシャクシャにしてほくそえんで、コタツ板をポンと叩いて、抜け抜けとこいた物である。

「若造、<叱られて賢く、我慢して強く為る。>ものじゃい。わしぁ、戦中派の筋金入りだ。マダマダ戦後教育の軟弱者には、負けんぞい。おっつ、その顔は如何した?如何した? 

 ヒッヒィヒィ。如何じゃ如何じゃ、一気に捲くし立てて、お主、息切れを起こしたな。修行が足らん。脳味噌のスタミナ切れか。ざぁまぁ見やがれ!! そんだけ減らず口を叩けば、喉も乾くじゃろ。

 お茶か、コーヒーか? 武士の情けじゃ、一服着かせて遣るぜな。クックックッ。」

「口じぁ、適わねぇ。クソっ垂れ親爺が。俺様が、渾身の意を込めて綴る日常点描を、理解出来ない様な馬鹿親爺には、俺の習作は、『豚に小判』だ。回収して行くから、此処に出し遣がれ。」

 と、大見得を切って遣ると、親爺の野郎、不自由な右手を上段に構えて、抜かし遣がった。

「煩い、ワレ、意識的に、猫を『豚』に言い替えたな。油断も隙も有った物じゃねぇや。許せねぇ。日本の誇る『長幼の序、道徳教育』を受け損なったな。嗚呼、忌々しい日教組組め!! 国家・社会の根本は教育なのに、日教組の馬鹿教師達の為に、日本人の躾けが丸で為っちゃ居らん。 

 温故知新で、教育勅語、戦陣訓を徹底的に叩き込まないと、日本は自滅の道を辿るしか無い。学歴の前に、人の道を叩き込まないと、見苦しき世代交代の道を行進して、祖国日本は、国柄を失ってしまう。真に、由々しき精神の瓦解じゃい。 

 まぁ、来てくれたのだから、目を瞑って遣るから、今日の分も、置いて行け。駄作中の駄作、ワシには、目の毒・気の毒ではあるが、時間潰しには成る。アッハッハ~。」

 と、澄ました顔で、和菓子を勧めながら、口の笑いを手で隠している。

「おっお、ほざいたな。クソ親爺、そんだけ減らず口を叩けりぁ、大丈夫だ。当分、来ねぇぞ。」
「如何してだ。今日は、若造、けち臭い事を言うじぁないか? その駄作を置いてけ。ウゥ、ヒィッヒ。」
「嫌なこったぁ、」
「さてはさては、自分の作に余程、自信が無いと見た。ほれ、何かほざけ!! 脳味噌に、久し振りに血流が漲って、ワシァ、脳細胞がビンビン活性化して来たぞや~。まだまだ、若造には負けんぞ~。ヒヒヒ。さぁ、さぁ、何か言って見ろ。」

 と、親爺、はしたなくも涎(よだれ)を手で拭って、尚も続けようとする。

「駄目だ!!」

 と、親爺の口を遮って、

「コレサ、何処の世界に、自分より年下の無垢なる男が、コツコツ一生懸命に書いて、やくやく持参した習作を、此処が如何のこうのと罵詈雑言の連発。おまけに笑いを堪えて、涎を垂らす様な馬鹿親爺に、『これも、どうぞ。』なんてノタマウ奇特な人間なんざぁ、お釈迦様くれぇなもんだ。俺は修行が足らんから、解脱なんか出来ねぇよ。クソ親爺、手前の面よお~く鏡で見てみろ。

『若造、飛んで火に入る夏の虫』って顔して、包丁研いだ山姥見たいに、涎たらしているじぁねぇ~か。戦後生まれの俺だって、<君子危うきに近寄らず>の処世術くらい知ってるぜ。」

「煩せぇや、小童(こわっぱ)、それを言うなら、佐々木小次郎のツバメ返し、鴨(かも)が葱(ねぎ)しょってだ。グワッハハ、愚か者め、如何じぁ参ったか!! 
 ウーヒッヒ。吾輩は、ご幼少時には神童と呼ばれた程に、頭脳明晰であるからして、先程の下手な朗読でも、要点は頭に入っておるわい。

 じぁが、誤解・錯覚があっては、一個の人間として粗相の所作となり兼ねない。それでは、ワシの沽券に拘わる。親切心で読んで遣るのじぁ。<有り難い御仏の慈悲心>として、読んで遣るのじぁからして、置いて行け。

 ウッヒッヒ、久し振りに、タンマリと人を食ったわ。人肉は、秦の始皇帝の太古の昔から、『不老長寿の妙薬』じぁい。人の喰い方は、徐福から伝わって居るわな。ワシの錆付いた右脳、左脳が、宇宙戦艦ヤマトの波動砲のエネルギー充填率が、グングン上昇して、砲身が動き始めて来たぞや。ヒィ~ヒィ~、ヒッヒッヒ。」

「やいやい、徐福さんが出て来ちゃいましたか。親爺には、徐福譲りの人肉喰らって、至福の時だろうが、そうは問屋が卸さねぇやね。俺ぁ、大事な『現役如意棒』を、ジェラシィで喰い付かれねぇ内に、逃げるわね。」

「帰ちゃうのかい。いや~、本当に有難うですよ。楽しかったですよ。Rさん。また来て下さいよ。こんなに笑いこけたのは、倒れて以来、初めてですよ。約束ですよ。」


      日が暮れて 好々爺の見送り 受けて
               
                寒空に 帰社する吾は お人好しかな

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心何処ーショート 毎度の適当散歩
                毎度の適当散歩(11/29/10)
 風の有る曇天寒空ではあるが、散歩に出掛ける。西のアルプスのお山は、灰色ベールの中。吹雪いて御座る。自転車に乗る学生達は、冬スタイルである。耳が寒い限りである。
 うら若いお嬢さん方の下半身は、パンスト・スカートで、ペダル漕ぎである。俺ぁ、男に生れて好かったわな。嗚呼、寒い寒い。

 誰も居ないS大の球場の中に入って、一回りして見る。この辺りは、松本五十連隊の跡地とやらで、S大、S中学、M高、体育館、県文会館、護国神社と広々としている。そんな事で、ウォーキング、ジョギングをする人達の多い一帯である。

 本日は、真冬並みの寒さと灰色の空であるから、流石に、それらの人姿は見えない。私は一人が好いから、丁度好い。中学と高校の間の道を抜けて、神社さんに入る。

 短歌・俳句の入った掲示板を読みながら、日本語の響き、情感に頷きながら、端から端まで、国語のお勉強をさせて頂く。世の中、歌人、俳人の何と層の厚さだろうか。
 此処に書かれている短歌も俳句も、本職さんの名前が書かれて居れば、成程、流石と思うのだが、作者達は、皆、長野県人である。こう云った様を国柄・国民の民度の高さと云うのであろう。護国神社であるから、戊辰の役から大東亜戦争までの英霊さん達が祭られている神社さんである。歌の中には、ガダルカナル、テニアン島の文字も有った。

 ヤオヨロズの神々の神話と権威の象徴天皇のおわす日本の神道精神には、鬱蒼と生い茂る樹木の中の参道と鳥居が、実にピッタリと来る雰囲気である。数段の石段を上がって、狛犬が仕える大鳥居を潜り、本殿に向かう御影石の石畳を進んで手を合わせ、右手から小さな築山の裏手に回る。

 林の中の小道は、欅と楓の落ち葉の絨毯である。風が吹けば、乾いた木の葉が、ハラハラと舞う。遊びと云えば、チャンバラ世代であるから、こんな情景を見ると、猿飛佐助・霧隠才蔵などの忍者・忍法を連想して、落ち葉の中から、忍者の一団が襲い掛かって来る様な錯覚に囚われて仕舞うのである。

 周囲を見渡して、・・・ 人が居ないから、吾が身は枯れ木を手に取って、サァ~と枯れ木で空に弧を描いて、エイ、ヤッ!!下郎参ったか。眠狂四朗の円月殺法を試みて仕舞うのであるから、吾ながら、全く手に負えない大戯けである。イッヒッヒ~。

 葉を落した欅の梢には、エナガの一団が、小さな動きで枝々を鳴き渡って居る。シジュウカラも混じって居る。
幹に縦に止まっているシルエットも見えるから、コゲラかゴジュウカラだろうか? 逆光であるから、その体色が不明である。体形からすると、ゴジュウカラに分が有りそうな感じである。

 口をあんぐりと開けて、首が痛く成るほど、頭上の梢を見上げている散歩者などと、私を置いて他には居ないのであろう。

 築山は松林に為っているが、下は笹が密集していて、人は入れない。こんな環境なら、笹の中にキツネ、タヌキ、ハクビシン、アライグマなどが棲息して居ても、何ら不思議は無かろう。神社の裏手は、ぶどう畑と野菜畑に為って居る。その向こうは、住宅密集地である。

 先日来、吾が家の庭の未確認動物は見掛けないが、タヌキもキツネもムジナも、古来より人を化かすと伝承されて来た『高知能動物』なのである。昔話、民話の常連動物なのであるから、今も昔も、彼等はきっと、雀同様に、人家の近くで人間と昼と夜の棲み分けをして来た『種族』に違いあるまい。
 そして、そんな<日頃の至近距離でのお付き合い>が在ったればこその、『擬人化の妙』であった筈なのである。ギャハハ。

 再び、体育館・県文会館のイチョウ、桜の林の中を通って、河川敷の散歩コースを歩いて居ると、ポツリポツリと雨が落ちて来た次第である。空は明るいのであるから、大事には為るまい。オイッチ、ニー、オイッチ、ニー、真面目に歩くが、肝要である。へへへ。

心何処ーショート ちょいとウオッチング
          休日・日曜日、チョイとウォッチング。(11/28/10)
 昨夜は、凄い剣幕で風が唸りを上げて居た。眠りを玄関の小鳥の大パニックで起こされて仕舞った。如何しても寒く成ると、ネズミが零れた餌漁りに寄って来るのである。そんな時は、玄関に明かりを付けて、小鳥達のパニックを収めて遣るしか無いのである。

 落ち着いた後は、廊下に蛍光灯スタンドを下向きに置いて、薄明かりの中で、大人しく寝て貰うしか無いのである。眠りを中断されてしまうと、兎に角、風の吹き荒れる音が耳に付いて、どうしようも無かった夜であった。

         そんな事で、やれやれ・・・朝が来てしまった。

 目下の処、私の仕事は大根干しであるから、廊下に取り込んだ大根を、庭の台に拡げ無ければ為らないのである。雨・霜の心配が無ければ、其の儘にして手抜きをしたいのではあるが、タヌキにでも大根を齧られて仕舞っては、一大事なのである。
 これは、とんでもない動物を見て終ったのであるから、仕方の無い自衛策なのである。寝不足の身には、大変な面倒仕事である。ぼやいて見ても、子分無しの甲斐性の無さである。

          へへへ、今日は、寒いじゃゴザンせんか。

 どす黒い雲が、低く垂れ込めて居る。物干し竿に吊るされた干し柿は、薄らと白い粉が回って来て、もう少しで完了の運びである。

 本日は、北朝鮮・韓国の砲撃戦の後を受けて、韓米の合同演習との事である。風雲急を告げる黄海の大軍事演習が、抑止力の名の下に大デモンストレーションが敢行されるのである。

 領土、安全保障、国家観の領域には、真に以って脆弱、不見識な市民活動家総理、左翼弁護士長官である。昨日のニュースでは、前総理と現総理の話し合いの中で、支持率が1%に為っても、総理を続けるとの覚悟だと云う。
 つくづくと市民活動家・左翼活動活動家の感覚を疑って仕舞う処である。彼等の言葉の軽さと恥を意識しない思考回路には、呆れ果てて物も言えない。恥の何たるかを認識出来ずにして、何の施政者なのか。言い訳の上滑り多弁は、もう、もう、聞き飽きた。

 1%の支持に抗して、アナタ方民主党政権は、この日本国に何を刻みたいのか。ノイローゼ内閣に、一体、何が出来るのか。アナタ方は、野合の口先野党でしかあるまい。

『健康な肉体に、健康な精神が宿る。』これは、小中学生時代に、教師から良く頂戴した言葉である。単細胞な私なんぞは、真に受けて自分を鍛え上げた物である。

 NHKテレビの専門家討論を、寝不足であるからテレビに背を向けて、イヤホンで聞く。

 朝飯の後は、小部屋でラジオを聞きながら、庭のバードウォッチングをする。昨日は、ツグミが遣って来た。皮付きピーナツをポリポリ食べる。皮付きピーナツは、食べ始めたら、中々止まらない。ストーブに沸く湯で、極薄のインスタント・コーヒーを飲みながら、休日・日曜日の時間を遣り過ごす。

 おや、モズの登場である。冬に為ると、モズは四畳半の雑木に、時々姿を現わす。河川敷散歩の時には、好く見掛ける。

 今度は、百日紅の枝にキジバトが遣って来た。未だくすんだ羽色であるから、きっと楓の巣で孵った一番最後の若鳥に違いあるまい。昨夜の強風で、楓の葉は殆どが毟り取られて、裸同然の様である。
 従って、キジバトの巣は、丸見えである。それでも、その巣で産声を上げた鳩達にとっては、何かと恋しい郷愁の様な物を感じて居るのかも知れない。そんな感じがして来る様なキジバトの姿である。

 相変わらず、ヒヨドリは何度も庭に遣って来る。流石に、縄張りの巡回行動には、抜かりが無いのだろう。冬鳥の常連さん達は、ジョービタキ、ツグミ、シロハラと揃い、後はメジロが姿を現わせば、完全な長い信州の冬の幕開きと成ってしまう。

 風は収まった物の、薄墨を流した様な濃淡の雲が、低く垂れ込めて、身震いしてしまう気分である。

 本日、相撲は千秋楽、龍馬伝は最終回である。龍馬伝の幕末の時代摸様に感化されて、現世相の日本政治を見た時に、人は如何なる感想を持つのだろうか。単なるブームのタイムスリップだけで、日本の歴史が素通りされて終うのは、余りにも哀し過ぎる。

 何故なら、歴史は、現代との対話にこそ、知る意義が有る筈であろう。知れば、其処から見えて来る物が有る。見えて来る物に手を加えて、転ばぬ先の杖とする実行にこそ、歴史に学ぶ実利がある。

 遺憾いかん、調子付いて生意気な事を打って仕舞った。さて、釣瓶落としの5時である。大根の取り入れをして来ましょうかね。イッヒッヒ~。

心何処ーショート 面目次第も無い節煙策中
             面目次第も無い節煙策中(11/27/10)
 さてと、土曜日である。Tとのコーヒータイム前に、昨日の続きをすべしである。空の段ボール箱2個を車に入れて、個人スーパーに行く。

 丁度、硬大根を店頭に並べて居る最中である。柔らかい方のミヤシゲ大根を1箱と硬大根を2箱買う。本当は、日持ちのする硬大根を多く漬けたいのであるが、94歳の老母には歯が立たないのである。まぁ、私の漬ける沢庵漬けは、其れなりの評価を受けて居るのであるから、上手く漬かればお裾分けが出来るのである。これは、小さいながらも、私の社会貢献の一つである。イッヒッヒ~。
 
 そんな訳で、少し多めに買った次第である。庭に拡げて、さてさて、如何に干し台を足そうか・・・ 家をぐるりと一周して、暫しの思案である。干し台と庭石に脚立を差し渡して、落ちない様に家庭菜園の添え棒を渡して、干し台とする。

 へへへ、誰も褒めては呉れないが、ロートルとも為ると、知恵が付いて居る物なのである。100本強の大根を並べ終えて、段ボール箱を返しに行って、丁度好い時間である。

 Tの車に乗って、吊るし柿の今年の味見分を一つ渡す。
「おぅ~、甘露。美味い美味い。」
「如何じゃい、高級和菓子だろうが。そこん所そこいらの物とは、違うだろう。へへへ。」
「おう、期待してるぜな。大根の続きは、終わったかや。」
「あいあい、今し方、終わった処さね。だから、今日はこんな格好してるだいな。」
「いやいや、R君は、賄い夫の鏡だぜや~。大したもんだわさ。アハハ。」
 
 コーヒースタバに行くと、今時ファションに疎い私には、タイツなのか厚手のパンストなのかは、一向に判断が出来ない処ではあるが、・・・・ チョコンと腰に布巻きを施した格好にして、左足紫と右足グレーの力道山のプロレスタイツ・スタイルが、闊歩しているではないか。

 ニャロメ、今時の娘っこ、なんちゅ格好をして居るんじゃい。果たして、如何なるご面相かと、後ろ姿を凝視したのであるが、ブックコーナーに行ってしまった。

 ホットコーヒーを持って、階段を上る。アッジャ~、二階席は、今までで一番の混み様である。何時ものロートルコンビの指定席には、白人女性が座って居る。顔には、凄いスバカスではあるが、久し振りのうら若き白人女性である。こんなチャンスを逃して為るものかである。どっかりと隣席に座って、ニヤニヤの段である。

 彼女は、真面目に日本語のテキストで、お勉強である。真に彫りの深い顔付きであるから、何やら強烈なアングロサクソン民族を連想させる。ニヤニヤして観察して居ると、咬み付かれるか、鞭打ちを喰らって仕舞いかねない。おお、怖い。そんなバリアを感じて仕舞う次第である。
 彼女は、日本語テキストを二冊出して、真剣な面持ちである。耳にはイヤホンが入って居るから、ラジオの日本語講座の類なのであろう。その勉学態度は、見上げた物である。

 土曜日の常連客には、坊主頭の白人男性が、日本人から日本語のマンツーマン授業を受けて居る。本日は、中国女性のマンツーマン日本語授業コンビは、居ない。

 ロートルコンビの本日の議題は、北朝鮮の韓国砲撃、仙谷さんの悪辣さ、うろたえ菅さん、議員宿舎待機の岡崎国家公安委員長の扱き下ろし談議である。日本の政治家も酷い物ではあるが・・・交戦権を持っている韓国政府の北朝鮮への対応振りは、日頃の反日反応とは格段の違いである。北朝鮮と韓国は、交戦すれば韓国の方が一方的に失う物が大きいと見るのが、常識の線である。

 然しながら、見方は色々あろうが、有事に際しての『切れの悪さ』は、中国、北朝鮮、韓国と、反日の裏にある腰抜けザマの一端を覗かせているとの感想で、一致した処である。

 シビリアン・コントロールは、理性的で、如何にも耳当たりの好い言葉であるが、イザと為ったら遣り返すの肝っ玉の無いシビリアン・コントロールと云う物は、兎角、ゴタ句を並べての『宥和政策』に傾いて、相手の傍若無人の乱暴狼藉を許してしまう物である。 

 大体は、『宥和政策』為る物は、ズルズル引っ張られるだけの<歴史に汚点を残す>物が、歴史の通り相場らしい。

 言葉に依る『理性の通じない相手』には、相手が弱ければ、お仕置き。相手が同等ならば、相見える。相手が強力ならば、歯向かう。

 いずれにしても、緊張感の無い交渉事で、相手の真意・実力が分かる筈が無かろう。力を秘めた凄み、気迫にこそ、言葉の存在感と重みが発揮されるのである。

 本日は、上天気の暑さである。煙草タイムで、外で一服するも汗ばむ次第である。値上げ煙草の直撃砲を喰らって、話を聞いて見ると、何の事は無い。お互い、防空壕並みのケチケチ作戦で、煙草の本数を減らしているとの事である。
 パイプ煙草、煙管煙草、おまけに紙巻き煙草の分割で、煙管煙草をしているとの事である。勿論、煙草は、場所を固定して、持ち歩かない。煙草を取りに行く億劫さをも、節煙に向けて居るのである。

 何しろ、『大幅値上げ煙草に、おめおめと税金増加など絶対に許すものか!!』のレジスタントの励行を、硬く決意しているのである。糞ッ垂れと思う反面、・・・トホホなのである。

『中国様にはM、日本国民にはS』を振舞う民主党現内閣は、とんでもない連中である。
  

心何処ーショート 忍び寄る冬
                  忍び寄る冬(11/26/10)
 朝起きると、四畳半と二畳部屋の空気の入れ替えをする。二畳部屋で煙管煙草に火を付けて、庭を眺めて居るとシロハラである。ジョウビタキもシロハラも、冬の渡り鳥である。
 小さなジョウビタキは、四畳半の窓辺の枝にも姿を見せるが、ツグミ、シロハラは、専ら庭に遣って来る鳥である。面白い事に、ツグミもシロハラも、木に止まるのは苦手の様で、地上をチョコンチョコンと歩いて、餌を探し歩く習性の持ち主なのである。

 雪が降ると、彼等は、雪の無い木の下の腐葉土、軒下の土、苔を穿り返して、餌取りをして居るから、散らかし屋でもある。未だ、ツグミの姿は見掛けて居ないが、冬なのである。とほほ。
 
 さてと、好いお天気さんであるから、漬け物大根でも買って来るとしようか。途中で郵便局に寄って、個人スーパーに行くと、お目当ての大根様が無いではないか。ミヤシゲ大根が、100円→80円と安く成りつつあったので、車で買いに来たのに100円とある。硬大根も、売れ残りが有るだけである。 

 へへへ、ミヤシゲ大根を有るだけ買って、後日出直しとすべしである。根付きネギが安いから、一束買って庭に埋ける事にする。

 買って来た大根の尻尾を切って、庭の台に並べる。次いで、落ち葉の溜め場所の横をスコップで掘って、根付きネギを埋ける。昼は、カレーの整理で、スパゲティを茹でて、カレー・スパゲティとして、残り物の整理をする。

 本日、金曜日であるから、母に風呂を沸かすべしである。台所仕事をサッサと済ませて、私は、昨日サボって仕舞った昼散歩に出掛ける。

 お天道様の具合が好いから、河川敷をゆっくりブラブラ歩きをする。暖かい日差しに、散歩をしている人が多い。散歩日和と云った処であるか・・・
 
「おやおや、仲が好いね。何時も、一緒かい?」
「いいえ、一週間に一度、夫婦一緒で歩くんですよ。」
「そうか。仲が好いと云う事は、Nちゃんは、今だに助平なんだ。」
「Rちゃ、真面目な顔して、何をこいてるだい。もう、夫婦二人だけだぜ、仲好くするしか、しょうがねぇだわね。俺達の老後は、長いぜね。健康が一番だぜね。」

 同町内の一級下の夫婦である。Nちゃんはスポーツマンだったから、私と違って健康運動の為のウォーキングである。夫唱婦随のキビキビした歩幅で、先を行く。
 私の方は、ノンビリと距離稼ぎの目と気分の保養散歩である。本日は、勝手に未確認動物をタヌキと断定して、葦原、河川敷に、タヌキ棲息の痕跡を探して、歩いて居るのである。普段はこの辺りだと、河川敷は歩かずに、土手道をスイスイ歩いて居るのであるが、本日は、目的が有る。

 河川敷の中央には、大輪ツツジのこんもりした円形の植え込みが有る。こんな所を住処としたら、人間は気付かないだろう。石垣の堤防には、雨水溝が幾つも口を開いているから、それらも立派な住処と為る。ブランコ、鉄棒、滑り台、ベンチと云った幼児の遊具施設があるスペースがある。芝生のスペースは、平らにして結構な拡がりを持っている。

 何か、羽が散らばっている。この辺りの橋脚は、鳩の繁殖場と為って居るから、鳩が猫の餌食にでも為ったのだろうか? 散らばった羽を観察すると、餌食に遭ったのはアオサギである。今年の冬には、対岸の橋の下でアオサギの翼の片方を見た。
 そして、橋の下の雨水溝を多分、住処として居ると思しきハクビシンを目撃して居る。それは、夏の夜散歩の折りであった。二度、目撃して居るのであるから、ハクビシンは、川原と住宅街の結構なエリアを持って棲息して居るのであろう。

『百聞は、一見に如かず』であるから、こんな話を他人にした処で、<こんな住宅地に、そうじゃ~あるまい。>で、一笑に付されてしまうのが、人の常である。私も、吾が家の庭で野生動物を見て終ったのであるから、大根干しは、朝出して、夕方取り込む事をしなければ為るまい。
 
 黄葉・紅葉に彩られた野山も、木の葉の乾燥で、すっかり干からびた色合いである。生彩を欠いた野山に、冬が見えて来た物である。さてさて、踵を返して、風呂に入って、夜を待ちましょうかね。


心何処・・・赤星は知っている。
                 赤星は知っている。

                  赤星は知っている。


 ラジオの解説を聞いて居ると、北朝鮮は地下資源の宝庫との事で、中国はその地下資源の売買契約を締結しているとの事であります。為るほどと、大いに得心した次第であります。あの人一倍世知辛い中国が、<幾ら共産主義のイデオロギーだけで、北朝鮮を『宗主国援助』する訳は無い。>と思って居たんで有りまする。

     矢張り、赤星同士は、お互いを知っていたんでしょうね。

 第二次大戦戦勝国のくびき・平和憲法下の日本の最大の不幸は、<平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼>出来ない諸国家を、隣国に持つ事なのでありまする。日本国民は、平和憲法に装置された戦勝国の欺瞞性から、自らを解放して、ごく当たり前の『自国は、自国で守る』の真っ当さに戻りましょうよ。

 そんな気持ちから、久し振りに下手絵を一枚描いて見ました。へへへ。

心何処ーショート コタツで大鼾
                コタツで大鼾(11/25/10)
 時折の薄日差す曇天である。11月も来週は、早や12月である。おお寒いと首を窄(すぼ)めた処で、如何にも為らない。西のアルプスのお山の刻みには、確りと雪が入って居る。遠くの乗鞍さんは、全山真っ白なお姿である。

 弟の置いて行ったペンキも、溶剤が馴染んでペンキ塗りが出来そうである。朝食後は、天井の畳一枚ほどのベニヤに、白いペンキを塗る。引力に逆らって、刷毛で塗るのであるから、ポタポタと落ちて来る。アジャジャ~である。

 床に養生を施して、お遊び作業の続行である。教科書的には、下塗り、中塗り、仕上げ塗りと為るのだろうが、都合、三度塗りをした次第である。最初は覚束ない要領の悪さではあったが、中塗りの辺りからは、要領が分かって来る物である。三度目は、乙女盛りを過ぎたカンナの化粧の厚塗りである。下手なペンキ塗りも、塗り重ねれば粗も消える。

 へへへ、これぞ、『凝り』の仕上げ塗りの様である。刷毛を持つ手は言うに及ばず、服も顔も、ペンキの垂れを受けて、素人のニャロメ作業の段で有った。

 ペンキ塗れの手を洗い、上を脱いで洗濯機を回す。煙草を吹かしながら、庭に舞う紅葉、百日紅の落葉を見る。シジュウカラが一羽遣って来たが、すっかり丸坊主の庭木の様である。シジュウカラも、如何やら勝手が違い過ぎて、長居もせずにサッと飛んで行ってしまった。

 コーヒーを飲みながら、部屋でラジオを付けて居ると、国会中継である。下らないテレビを見て居るよりも、こっちの方が余程面白い。午後は参議院に回って、噛み付き吼え犬・スピッツの様な山本一太先生のギャンギャン声である。私の様な体育会系の男からすると、真に嫌な御仁ではあるが、<これぞスピッツの本領発揮、他の追随を許さぬ独壇場>である。

 へへへ、面白いから、母の部屋のテレビに野次馬をしに行く。コタツに横に為って居ると、尻が暖まって自然と瞼が重く成って来る。ウトウトして居る間に、気が付けば辺りは暗く成っている。

        何の事は無い・・・ コタツで大鼾の戯けザマである。

 遺憾いかん、洗濯途中であった。釣瓶落としの冬の一日は、実に呆気なく過ぎて終う物である。散歩をするのを忘れて終った。まぁ、今日は割愛である。昨日は、真面目に歩いて来たのであるから、良しとすべしであろう。


心何処ーショート おや、未確認動物?
              おや、未確認動物?(11/24/10)
 いやはや、凄い物を見て終った。昨夜22時を回ってから、部屋を変えて読書の時間とすべく二畳部屋に行ったのである。ストーブを付けて頁を捲っていると、僅かに光の滲む庭に、何かが動いている。猫かなと思って、その方に目を凝らす。

 猫にしたら、体高がイヤに高い。続いて、もう一匹である。今度は、大きい。体色は黄土色に近い灰褐色の体毛が、ヤケにふっくらして居るでは無いか・・・ 私の頭の引き出しの動物図鑑からすると、それは限り無くタヌキに近いシルエットなのである。

 この頃は、すっかり寒く成って夜散歩は、店終いしているのであるが、ハクビシン、アライグマの姿は、ハッキリと目撃して居るのである。タヌキが居ても、強(あなが)ち不思議では無い。何と云っても、住宅地の真ん中には小さいと云えども、葦の生い茂る川が横たわっているのである。夜行性の動物が身を隠す場所など、幾らでもある環境である。 

 さながら、川は動物達にとっては、山に繋がるグリーベルトである。その証拠に、川に沿って30~40分も上流に行けば、ニホンシカ、キツネ、イタチを目撃した事が有る。
 河川敷に下りれば、アオダイショウ、シマヘビ、ヤマカガシなどの蛇と出っ喰わすし、カワセミ、カワガラス、オオタカも見る機会が有る。それに、今年の異常気象で東山山系には、居ないと思っていたツキノワグマまで出没したのである。

 私の小さい頃と違って、子供達は川では遊ばないし、外に繋がれた番犬も姿を消して、皆、矮小化して犬族は座敷犬と為って、戸内の愛玩動物でしかない。そんな訳で、夜の侵入者に対して、吼える事など無く成って仕舞ったのである。 
 従って、夜の徘徊者としては、猫位な物である。ネズミも捕らない飼い猫と上記の野生哺乳類が、遭遇したとしても現代の猫などは、遠くで野生動物にスペースを譲るしか無いのだろう。そう為れば、夜行性野生動物の日常的徘徊行動は、人知れず、夜の闇の中で無音の様である。

 こんな身近な人間と野生の棲み分けが進行して居るなどと、誰が想像出来ようか・・・ 

 為るほど、これは、<東シナ海は、友愛の海、日本列島は、日本人だけのものでは無い。>の証左の一つなのであろう。私は都会人では無いから、別に怖いとも思わないし、不気味とも思わない。日頃は認識出来ては居ないだけの人間界と動物界との棲み分けの範囲が、ずーと拡がって来ているのであろう。
 人間界と動物界と云えども、境界線には『防人』が必要なのである。里山は人間界と動物界との緩衝地帯としての側面も有していた筈である。嘗ての犬族が、その任に当たっていたのであろうが、現代の犬族は、離し飼いも無く、且つ又、人間の勝手で矮小化ペット化されて、衣服を纏って座敷犬に改良されて居るのである。

 こんな遭遇からすると、人間も動物も、好く似た行動をする物である。詰まりは、陸続きの大陸国家の国境意識は、その国力如何に依って膨張・収縮を繰り返しているのである。人間の歴史を観察する態度に、大陸国家・半島国家・海洋国家の特徴を下敷きに置いて歴史を観察して行く事が、頭の整理上必要との事である。

 結果からすると、その動物の全容を見る事は出来なかったから、今日の処は、未確認動物である。へへへ、私は物好き男であるから、これまた、楽しみが一つ加わった様な物である。

 それにしても、とんでもないニュースが、飛び込んで来た物である。北朝鮮と韓国が、砲撃戦をしているとの事である。経済制裁で金・食料が無く為ったからと云って、軍事力で金品の強奪行動を仕掛ける国柄とは、如何なる教育に依る国民と国家指導者なのか??? こう云った輩にこそ、『暴力装置』の表現を使用すべきなのであろうが・・・、驚く事に、我が国の官房長官殿は、平和憲法下の自衛隊に『暴力装置』の言葉を使用して終ったのである。これは、選択を誤ってのでは無く、彼の核心的部分の一つなのであろう。

 太平洋戦争の引き金に為ったABCD(米・英・中・蘭)包囲陣に依る経済封鎖に依って、日本は生存の為に戦争に踏み切ったと云われて居るのであるから、北朝鮮が自らの軍事的脅迫行動を、『自衛・生存権の発露』と考えて居るのだろうが、自由な情報、自由な言論の無い世襲共産国家体制下では、彼等の自衛・生存権の主張行為には『説得力』が、余りにも無さ過ぎる。

 世には、『一事が万事』の例え話がある。中国、韓国、北朝鮮のあからさまな日本の近現代史攻撃を聞いて居ると、私の様な浅学非才の耳には、<一事が万事>の例えを引用して、『彼等の異常さへの蔑みの感情』しか湧いて来ないのである。近現史に於ける日本の国柄と国民は、世界に於いて、如何なる評価を受けて居たのだろうか。彼等中国・北朝鮮・韓国の様な罵詈雑言は、多分、頂戴して居なかった筈である。

 謹厳実直・礼儀正しく、自助・共助・公助の社会と武士道精神の有った日本社会と日本人には、少なくとも2000年に亘って積み重ねて来た日本文化が有った筈である。

 さて、お天道様も照って来た。文作のお時間は、この位にして、散歩がてらの買い物でもして来ましょうかね。


心何処ーショート ギャハハ、言わば言え。
             ギャハハ、言わば言え。(11/23/10)
 昼にTから、お誘いの電話である。本日は、どんより曇った寒空である。当たり前の事ではあるが、この時季、太陽の有無は格段の違いである。

「車を、そこに止めて、小部屋でも見ろや。」
「おうおう、こりゃ、好い隠居部屋じゃないか。此処で何をするや?」
「狭いから、女を引きずり込む訳には行かんわさ。何も置かずに、上品に読書部屋にするさね。座って居て、全てに手が届くから、省エネ部屋だわさ。」
「好いねぇ~。一人身の生活は。俺の所なんか、娘が帰って来ているから、煩い物だ。カカアに娘に、孫と来たら、ペチャクチャ、ペチャクチャと、もう、男はお手上げだよ。」
「<亭主、元気で留守が好い。>なんて言葉は、何も女の専売特許じゃないからな。男には、一人の時間が必要不可欠だわな。俺は、そんなに騒々しいと、頭が狂ちゃうぜや。マイペース型の男は、一人に限るぜや。ギャハハ。」

 コーヒースタバは、勉強をする女子学生達が壁際の席を占めている。従って、定位置に座れずに、窓辺の端の席に着く。

「Rじゃないけど、全く、日本の政府は、何を遣って居るのか。任期満了まで、選挙は無いだろうから、もう、如何するんだよ。このまま、あの体たらく集団と付き合って行かなくちゃ為らんと思うと、お先真っ暗だわな。如何にか・・・為らんのかや。」

「本当に、そうだな。野党の連中も、口先口撃合戦は止めて、街に出て<現憲法無効、新憲法制定、憲法改正でも良いから、早い処、敗戦後65年の戦勝国連合の軛(くびき)から脱却して、2000年の歴史の中で培って来た国柄と合致した憲法を持たなければ為らない。矛盾の根本の憲法に別れを告げる為に、決起せよ、日本国民!!>位の街頭演説・全国街頭遊説隊位な物を組織して、国民の意識改革に乗り出さないと、一部の左派だけで、日本国は、中国に呑み込まれちゃうわな。

 裏を返せば、政治が熱い時代を迎えるべき絶好の機会なのに、既得権益を手離したくない売国の米国ロビイスト、中国ロビイスト、・・・etcが、テーブルの下で綱を引き合っているザマなんだろうね。

<美味しい物は、少人数でこっそり頂きましょうや、ウヒィヒィヒ。仲間の合言葉は、『守秘義務』>ってえのが、通り相場だろうよ。

 おネェちゃん達に倣って、世界史のお浚いをして見るかいね。あい。ジンギスカンの作ったモンゴル帝国なんかに於いちゃ、<タタールの軛>なんて後遺症が、250年もロシアの発展を妨げたって話だし、モンゴルに敗戦した漢人・南人なんかは、『吾等支配者・モンゴル人に殴られても、殴り返す事、罷り為らぬ。』の元朝の法律(元典章)が在ったって話だぜ。
 敗戦国日本の軛が、GHQが一週間足らずで草案して、押し付けたマッカーサー憲法だぜや。俺に言わせりゃ、あんな物なんか『占領下の限時憲法』だぜや。冗談こいて貰っちゃ困りまするわね。日本への『軛憲法』が、何処で如何間違えたか・・・『平和憲法』だとよ。傀儡でも売国でも、『実質の軛憲法』でも平和憲法と読み替えをして、体制を握れば、『実益は利権として固定』されて行くからさ。

 追認だか、棚上げかは、知らんけどさ。敗戦のツケは、この辺りで、きっちり落し前を付けないと、取り返しの付か無い事に為るぜや。

 タタールの軛、元典章なんて知識は、中学の世界史の単語だぜや。野郎共も、中学・高校・大学出て居るんだろ。スカンポ脳・脳軟化症の俺にだって、この位の歴史の応用と占領軍憲法のカラクリは、見えるのにさ。

 本当に、センスの無い馬鹿が、教科書単語の○×学習だけで偏差値を稼いで、インテリ振ると、碌な事は無いって見本だわな。単なる効率的な一過性の記憶だから、シャーロック・ホームズが出来ないんだよ。ビクトリア朝のホームズ先生の道具は、パイプ煙草と、天眼鏡、新聞記事だけだぜ。其処から、推理と推理から来る待ち伏せをして、事件を解決して行くんでしょうが。何で、その位の推理と対策が、出来ないんだろうね。情けないご時世だわね。イッヒッヒ~。」

「やいやい、今日も、ご意見拝聴しちまったぜや。さて、パッパでも、吸いに行くか。」
「あいあい。」

 階段の踊り場で、好色ロートルコンビの足が止まる。白人女性が3人連れだって、通り
を歩いて行くのが見える。栗色のロングヘヤーである。本日、太陽無き寒々としたお天気さんである。着膨れした上体の下には、重量感溢れるヒップと大腿部が、プリプリ動いて行く。歳甲斐も無くヒップ観賞に、ニヤニヤしている大戯けコンビである。

 遺憾いかん、本日二階席は、勉強に勤しむ女子学生達であった。嗚呼、白人女性達が過ぎ去った時に、それに気付いた。いやはや、この好色ロートル・コンビには好物が目の前をチラチラすると、丸で自分達の姿が眼中に映らなく為って仕舞うタイプなのである。

 へへへ、本日の彼女達には、とんでもないヤクザもどきの顰蹙姿は、小娘達の蔑みの対象と為って居たのであろう。

<あんな馬鹿オヤジ達に為らない様に、今は、一生懸命に勉強しなくちゃ。あんな恥知らずな親の子供の顔を見て見たい物だわ。きっと、大馬鹿に決まっているわ。嗚呼、恥ずかしい。ウイルス感染しないかしら。ウガイと手洗いをしなくちゃ~。>

<私、今日の日記に書こうかしら。馬鹿ネタだけど、話のネタには成るわ。明日、皆で笑っちゃおうっと~、ああ云う、馬鹿爺っさが居るから、日本の国が腐って来たんだろうね。全く!!>

 小娘達が、果たしてこんな感想を持って居たか、如何かは、一向に知るべきも無い処である。言わば言え。小娘の蔑視が怖くて、趣味の愉しみを捨てられるか~。ギャハハ~。

心何処ーショート そぼ降る雨に、マイペース。
            そぼ降る雨に、マイペース。(11/22/10)
 明け方、雨が降った様である。昨夜は母に言われて、雨覆いのビニールを吊るし柿に施して置いたから、正解で有った。母はまだ寝ているが、朝飯前に米を買って来た方が好かろう。米屋さんで軽くコーヒーを飲んで、個人スーパー経由で帰って来る。帰りは案の定、ポツリポツリと雨が落ちて来た。

 へへへ、米屋さんも、民主党政権の余りもの<だらし無さ>に、怒り心頭を通り越して、匙を投げたとの事である。

 母はコタツでお地蔵さんをしている。そそくさと手抜きの朝食を済ませて、小スペースで読書の続きをする。雨は、結構な降りに成って居る。灯油ストーブにヤカンが乗って、湯気が立ち、ラジオが流れている。往生際の悪い民主党菅政権ではあるが、漸く法相の辞任が決まったとの報である。当たり前の常識行動に、一体何日掛って居るのか、偉そうに何をゴタ句を並べているのか、・・・実に、情けない連中である。

 庭が見えるから、四畳半とは景色の違った私だけの空間である。生憎のお天気さんであるから仕方が無いが、百日紅の辺りか、小部屋の前のサツキの植え込みに、餌台を設けて野鳥観察をしたい処である。作業続きの一週間で有ったから、こんなしんみりとした雨の佇まいは、好い物である。

 今年三回の子育てをした楓のキジバトの巣と廊下との距離は、精々が1メートル半でしかない。親鳥を入れて、2+(2×3)=8羽が、吾が家の庭を『実家』と刷り込んで居るのであろう。キジバトは、物静かで好感が持てる。私にはキジバトの個体は認識出来ないが、彼等・彼女等からすれば、この家の住人として、私を認識して居る筈である。別段、私の姿を見ても、物怖じしない態度で、庭・窓辺に遣って来ているのである。

     考えて見ると、人間と野生は、場を共有して居る感じである。

 庭木にはヒヨドリの巣は無かったから、ハイエナギャングの縄張り意識も、現在の世代が死んでしまうと、少しは大人しく成るのだろうか。正直な感想を言わせて貰うと、そう為る。

 さてさて、小鳥の世話をして部屋を移して、金華鳥さん達を窓辺に置いて遣ると致そうか。私は新小部屋が出来たからと云って、それにのめり込むほど、<薄情者では無い>のである。安心するが好い。イッヒッヒ。

 親鳥籠では、発情期なのであろう。一匹のオスを巡って、母と娘の猛烈な追い回しが展開されている。そんなメス二匹の喧騒を他所に、オスはブンチャカ、ピィーピィーとオスの絶対優位の誇示をしている。私の目からすると、余りにも芸が無い。メス二匹の間を取り持って、<平和共存の一夫複妻>を楽しめば好かろう物を・・・人間界の下世話な話の中には、『親子丼を喰らう』なんて大顰蹙語も存在するのである。

 私は、倫理学『優』の成績で有ったから、したくも出来ない選択肢ではあるが、お前さんは、イザと為れば<犬畜生の本能>に逃げ込めるのである。ギャハハ!!

 隣の籠は、オスは一応は、オスの囀りはマスターした物の、まだまだ発情期に達して居ない若鳥である。鳥籠の二匹のメス達も、親籠のオスの方ばかり見て、反応しているのである。

 如何やら、今日は一日シトシトと降る続くのだろう。金華鳥の動きを見ながら、日本、中国、米、露などの姿を重ね合わせ、時々、読書のお時間としている世界史の流れと重ね合わせて、ノンビリと妄想に遊ぶのも面白い物である。


心何処ーショート 本当に疲れましたわな。
             本当に疲れましたわな。(11/21/10)
 雲一つない上天気である。然しながら、体が動かない。布団の中で、寝返りを打ちながら、アイタタタ、痛い、バテバテと・・・ラジオを聞きながら時間を過ごすが、さてさて、起きて、朝の賄い夫をするしかあるまい。

 老母の顔を見ると、疲労困憊の浮腫(むくみ)顔である。朝食後は、一週間纏めの硬派的報道番組を期待していたのであるが、国政に向けての何たる軟弱ノーテンキ振りか。

 こんな低級低俗過ぎる番組に付き合っていては、スカンポ脳が脳軟化症を罹患して終う。相も変わらず、愛国・憂国感の乏しきマスコミ界と言わざるを得まい。日本の国柄を失って、訳の分からないマイナーな市民活動家、市民擁護派弁護士、タレントキャスター上がりの白服、仕切り屋弁護士・・・etc達が、どんなに息撒こうと、自国の2000年に亘る国家歴史観の上に立った近現史を認識して居ない連中の偏狭政治行動は、真に以って笑止千万のザマである。高々、65/2000で、政治家として、何を語ろうとしているのか。

 企業破産→更生手続きなどで、法的には管財人の立場で、指揮権を発揮するのは、弁護士さんの仕事ではあるが、私立法学部出身者の弁護士さんは、何の事は無い。小中学校では、算数・数学は5であっても、高校数学では、多かれ少なかれ数学は、赤点組でしか無いのである。
 極端な話、自分の理数科目に就いての余りの出来の悪さに、私学文化系に進むしか無かった連中である。恥ずかしながら、私もその一員である。国立系の5教科組と私学系の3教科組とは、総合判断面に置いて、力の差は歴然とした物が、横たわって居るのである。

 如何も、私学出の政治家・評論家は、そこいら辺の自覚の無い『背伸び傾向』が、強過ぎる。意地悪く言えば、『特化判断』と『総合判断』の違いが、分からない自惚れ屋の偏狭的自意識過剰のパフォーマーが、多過ぎる感じである。
 表現を変えれば、優れた者・物に、耳を傾ける、物を見る『素直さ・礼儀』に欠落している傾向がある。

 そうで無ければ、スーパーコンピューターに関して、『何故、一番じゃダメなんでしょうか、二番でも良いんじゃないですか。』などと、常識の有る人間なら、<質問の前に、自問自答して、結論を出すべき問題>を、小学生並みの質問をして、平然として居られるのが、そもそもの証拠である。

 従って、顔の作りは美形の一端には違いないが、脳味噌と感情細胞が短絡過ぎるから、表情・態度・立ち振舞いに、深みが生まれて来ない。一着150~60万の衣装を纏って、タレント時代のメーキャップに長けて居ても、その中身は、精々が高級ブティックのショーウィンドーを飾るマネキンでしか無いのである。彼女が、自分で認識する『自分以下の評価』しか、得られて居ないのを、自覚出来なければ、白服は、白服で終わるしかあるまい。

 掃き掃除をして、洗濯機を回す。男の頭髪からしたら、スポーツ刈りの様な庭木スタイルであるから、日差しが廊下一面に当たって居る。実に気持ちの好い空気である。
 パイプ煙草を吹かしながら、果糖の粉が噴き始めた吊るし柿を、軽く揉んで中身を均等化して行く。今週中には、沢庵漬けの大根を買って来て、庭の台に広げて大根干しに取り掛かるとしよう。一年の速さに、タダタダ、驚くばかりである。

 一週間の殆どを、玄関の定位置に置き放しにしていた。金華鳥の籠を、四畳半の窓辺に置いて遣る。外が見えるのは、金華鳥達にとっても、嬉しいに違い無い。水浴びをして、羽を乾かし、餌を啄み、ブンチャカ、ピィーピィーの騒々しさである。熱いコーヒーを飲みながら、一週間振りのマイペースの定位置空間である。

 枝落しの雑木に、鳥影である。雌ジョービタキのバルディナさんのお越しである。彼女も、根拠地を一週間奪われて、すっかり様子が変わって仕舞い、躊躇しているのでは無いだろうか。へへへの段である。

 昼を過ぎて、Tから電話である。本日、時間の都合が出来ないとの事である。ゆっくり、身体を労れとの事である。四畳半に二畳のマイスペースを、渡り歩く事が出来る。気分替えには持って来いである。

 昼寝の前に、本日分のブログを打って居ると、バルディナさんが、雑木の小枝に遣って来て、尾羽を振るわせて、部屋の私に御挨拶である。

 さてさて、本日日曜日。運動量には遜色は無い。正直、散歩する余力も無い処である。先ずは寝るが肝心。冷蔵庫には、明日の食材無しではあるが、一寝入りさせて頂くのが、先決である。へへへ。




心何処ーショート 吾、解放されり。 
                吾、解放されり。(11/20/10)
 仕事をして貰うのであるから、仕事場を綺麗に掃除機を掛けて、窓ガラスを磨いて置く。兄弟と云えども、<親しき仲にも礼儀あり>の気は心。これは、人間の当然のエチケットである。

 へへへ、Tの電話にも気が付かずに、仕事をして仕舞った。電話を掛けると、明日にしようとの事である。何を隠そう、私は、根が真面目なのである。本日の大仕事は、昨日に続いての、もう一本のイチイの木の頭止めである。
 厄介な大仕事を成功させてしまえば、人間とは可笑しなもので、昨日パスした木にも、再度の散髪の体が動く物なのである。庭木の散髪ですっかり空き空きして、好い日当たりである。母は廊下に椅子を出して、大人しく庭木の散髪状況を見ている。

「部屋で、テレビでも見て居れば好いんだよ。」
「皆が、働いて居るのに、私だけがテレビを見ている訳には行かない。何か、お手伝いをしたいけど、こんな身体じゃ何も出来ない。情けない年寄りだ。」

 へへへ、相変わらず、大したお人である。折角の気持ちのご助成であるから、好きにさせて置く。そんな訳で、昼も廊下で食事をして貰った次第である。

 小部屋はほぼ完成して、庭木も手の届く範囲は散髪が出来たから、スッキリこの上ない眺めである。これで、体休めが出来ると云う物である。皆が黙々と作業をして居るのに、私が何もせずに、高みの見物を決め込むのは、心苦しい処である。結果からすると、目一杯の四日間の作業で、腰は痛いし、筋肉はコリコリ・・・へとへとなのである。
 
 然りとて、何時かは、しなければ為らない仕事である。大型の脚立と造作に働く皆の姿に、触発・尻を叩かれてのお陰で、庭木の散髪が出来たのである。正直、弟には感謝しなければ為らない。
 私も弟も、中学時代は、学校を代表する陸上選手だった。それも、結構、有名選手だったのである。尤も、嘗てのスマートは何処へやらで、今は、二人とも立派な相撲取りの様な体付きである。

 然しながら、男兄弟だけで育ったスポーツ経験者は、スパルタ教育の扱きで鍛えられているから、仕事中は遊ばずに、目前の仕事を黙々とこなすタイプである。
『口を動かす前に、体を動かせ』の時代に、人格形成をさせられているから、仕事には、高みの見物が出来ない体細胞に出来ているのであろう。中と外で、仕事は別々ではあるが、共有する空間の中である。
 云わば協働空間であるから、仕事をしていても、或る意味、気持ちが好いのである。

 詰まりは、<何のこれしき、これ位で、男がヘタったら、男が廃る。>の闘争心があるからなのであろう。<野郎がスイスイ遣って居るのに、こっちが顎を出したら、笑われる。所詮仕事なんざぁ、引き算だ。遣りゃ、遣った分だけ、仕事量は減って行くのである。
 男たるもの、太古の昔には、マンモスと闘っていたのである。肉体労働が出来て、なんぼのものじゃい。
 今時の料簡違いの青白きヘンテリであっては、立つものも立たないのである。そんな者ぁ、男とは呼べない似非インテリにしか過ぎまい。最初から最後まで、人に頼らず遣り通す。これぞ、負けて、堪るかの意地の見せ処じゃい。男の美学は、自己完結型じゃい。>

            老母が、私に耳打ちをした。

「体付き、顔、態度も、AはBに、そっくりに為って来た。Bを見ている様だ。」

「そうだろ。俺も、野郎がさ、兄貴にそっくりだと思ってさ。兄弟って云うのは、歳を取って来ると、本当に好く似て来る物だぜや。仕事サボって居ると、二人並ばされて、コラッなんて、直ぐ目を三角にされて、好く殴られたものだわさ。怖かったからね。
 兄貴は死んだ筈なのに、ご舎弟様が、兄貴そっくりに為っちゃうと、男兄弟は序列が絶対価値だから、兄貴に拳骨喰らう見たいでさ。変な錯覚を覚えちゃうよ。アハハ。一服の時に、カマって遣るか。」

 夕方に為って、終了である。完成した小部屋に小テーブルを持って来て、座って見る。行儀の好い母は、この時、初めて小部屋に入って、好い部屋に為ったと何度も頷いて居る。

 さてさて、晩飯の用意をしなければ為らない。飯を食べると、流石に、流石に・・・

 明日は休みの気持ちがあるから、精神の支え棒が外れて、もう体がヘトヘトである。コタツから起き上がるにも、そこら中の筋肉が悲鳴を上げている。とてもじゃないが、風呂に入る気にも為らない。本日分の日記ブログを打つ為には、風呂に入って精神の仕切り直しをするしかあるまい。へへへ。


心何処ーショート 老母の子供孝行
               老母の子供孝行(11/19/10)
『今日は来ないのかな?』と思って、PCを開いていると、来ました、来ました。今日は、三人で来た。私は、如何やら、お役御免の雲行きである。折角の大型の脚立が有るのだから、庭木の枝払いに回る。家に有る安物脚立と違って、頑丈この上ない。これなら、メタボのロートル・クマ男が乗っても、安心である。木の散髪も、二年に一度だと手に負えない程の猛成長である。枝を纏めて、庭で焚火である。

 旧トイレの二畳スペースを、男女の仕切りを打ち抜いて、コンパクト部屋にするのである。時々、息抜きに見学に行く。普段は物音一つしない家が、大した活況を呈している。

 十時のお茶は、上天気であるから、落葉した柿の木の下でする。昼は、専業賄い夫であるから、エノキとアゲで味噌汁を出す。三時の休憩頃には、コンパクト部屋の大体が、出来て来て、壊した半分の天井を張れば、下地が完成するとの事である。

 私の方は、お隣さんに掛る枇杷の木とイチイの木の枝下ろしである。枇杷の木は、それほど大きくは無いから、大した作業では無いが、イチイの木は大きいから、大変なのである。
 三メートル当たりの所で、切るしか無いのである。その先が、二メートル前後あるから、小刻みに枝切りをして、大事に至らぬ様に処理しなければ為らない。片手で鋸を引くのであるから、肩・腕は痺れて来るし、目には鋸屑が入るしで、悪戦苦闘の根性仕事である。 

 然しながら、コンパクト部屋が完成すれば、庭が私の目の保養対象と為る。枝木が茫々であっては、私のセンスが疑われてしまう。加えて、朝に姿を見せたジョービタキのバルディナさんは、吾が家の庭をテリトリーの中心に置いて居るのである。

        何しろ、私は自然の風情を愉しむ男なのである。

 打ち合わせの有る弟は、現場を終えて加わった二人に、『天井まで張って行け』とのお達しである。来週の後半で無いと、続きが出来ないと言っていた弟であったが、都合を付けて『明日も来れる』と言って、帰って行った。

 後片付けの手伝いとか、見学で、本日は六時まで働いて終った。老母も、この処、気儘に休む事も出来ずに、何度か、杖を突いて廊下に姿を見せて、工事を見ている。倅の私達が作業をしている分には、疲れれば何時も通りに、コタツとかベットで寝て居る事も出来るのだが、本日は、他人様が最大で四人であるから、背筋をピンと張って、コタツに座って居るのである。

 へへへ、嘗ての『隙の無い奥様のスタイル』である。老母が偉いのか、昔人間なのかは知らぬが、・・・ 昔、馬鹿餓鬼の四男坊・五男坊は、そんな美人で威厳の有った母の顔と態度に、ニヤニヤして、

「ありゃ、大した女だわ。息子達は、頭が上がらんわな。ギャハハ。」
「そう言えば、日本にぁ無形文化財ってのは有ったが、人間国宝には届か無くても、『気迫文化財』ってぇのも、作るべきだわな。イッヒッヒ。」

 と、囁き合っていると、ご母堂様と目が合って仕舞った。

「はいはい、男は口を真一文字に結んで、テキパキ黙々と仕事をするのみ。94の婆さんに、俺達ぁ監督されちまってるぜや。」

 世の中には、子供の<親孝行>と云う言葉が有るが、それと同様に親の<子供孝行>と云う作用もある。『老母の矍鑠たる威厳』と云う物は、実にこそばゆくも有難い母の眼差しである。へへへ、好い親を持ったと云う物である。

 ロートル戯け倅は、ゆっくりと風呂に入りながら、こんな一日の反芻を頂戴した次第である。嗚呼、それにしても、疲れましたわな。庭木の枝下ろしは、半日分以上ある。とほほ為り。


心何処ーショート へへへ、まだまだ。
               へへへ、まだまだ。(11/18/10)
 アイタタタ。へへへ、体中が強張って御座る。嫌じぁ有りませんか。歳は取りたくは無い物である。もう少し、寝て居ようか・・・然りとて、子分無しの賄い夫である。店を拡げて終った物は、自分で片付けるしか、収まりは着かないのである。
 こんな事で、戦闘意欲を喪失してしまっては、番から男の名が廃ると云う物である。ロートル・クマ男は、日本男児で御座る。先ずは、イノシシ侍に徹する事が、肝要である。

        朝の賄い夫はそっちのけで、庭でゴミ炊きから始める。

 弟の会社に、軽トラを借りに行くと、残念ながら一台も無い。電話をしてダンプを借りる事にする。軽トラで往復するよりも、2tダンプで遣った方が、効率的である。ゴミはコンテナに捨ててくれて良いとの事であるから、丁度好い機会である。ヒィコラ、ヒィコラと、ゴミを積み込む。柿の枝切り分も、オーケーとの事であるから、それも積み込むと、好い按配で一台分である。

        昼飯時ではあるが、私は根がナマクラ者に出来て居る。

「昼を食べてから、気長に遣れ。」との老母のお誘いではあるが、そんな事をして仕舞うと、腰砕けで後の仕事が嫌に為って仕舞う。『帰って来てから飯を食って、風呂に入る。』と言って、ラジオを持ってダンプに乗る。

 国会中継を聞きながら、柿を頬張りながら、黄葉に彩られる山々の遠景を見ての運転である。裾の霞んだ大きな積乱雲が、低い高度で幾つも空に浮かんでいる。ダンプを運転しながら、軽トラが無くて『正解』と思った次第である。軽トラで遣って居たら、完全に日が暮れて終うだろう。物臭男の作業時間は、短いに越した事は無いのである。

 国会中継を聞いて居ると、現政権の民主党の実態は、全く酷い政党である。この政党の特徴は、中国・韓国に弱腰・謙(へりくだ)り、身内の不始末大臣には、寛大に庇(かば)い合う。にも拘らず、官僚苛めをして、遂には有ろう事か??? 自衛隊を『暴力装置・組織』と表現する始末である。
 仙谷さんは、打つ手打つ手が、世間と逆方向で、すっかり精神均衡を失って、メッキがボロボロに禿げて、地金が丸出しに為って仕舞った。自衛隊を暴力装置・組織と表現した政府高官は、人類史上初めての人では無いだろうか。戦前軍部の言論統制には、牙を剥く物の・・・ 自分達のしている不都合な事・異を唱える事などには、守秘義務を課して、言論統制をしているのである。

 きっと、この御仁は、その内に現代風にアレンジした人民服を着て、壇上にお立ちに為るしかあるまい。

 事業仕分けなどと云う体裁振った事をしていても、白服おネェちゃんのしている問答無用の、見下し態度は、正に『人民裁判の一幕劇』である。これでは、全くの『主義者の集い』でしかあるまい。これは、決してIQとか偏差値が高いなどと云う類では無い。民主党の議員達は、常識も良識も無い。彼等は、人間の品格に於いては、全くの赤点組の連中なのであろう。

 世には、『兎角、馬鹿は、自分が馬鹿な事を認識して居ないから、何を言っても無駄だ。これ程始末に負えない連中は無い。近寄ったら、損をするのは、自分だから、絶対に相手に為ってはいけない。』・・・こんな訓えが、私の小さい頃には有った記憶がある。へへへ。

 余りにもの出来の悪さに、驚く以前に、『民主党の人材の無さ』に、ただただ呆然とするしかあるまい。とんでもない無い輩が、跋扈して居る物である。選挙が有れば、二度と再び政権の座には付けない実行力の恐ろしく乏しい、『お騒ぎ鵜合集団』のザマである。恥の概念・認識の無い輩に、一体、『何の矜持』を期待出来るものか。こんな奴等に、金バッジを付けさせて居たら、日本は完全に破綻・消滅して終うだろう。

 広い川原の蛇行した砂場には、黒い川鵜の群れが羽を休めて居る。御存知の様に、鵜飼の鵜には使えない彼等は、川鵜なのである。鵜飼に使う鵜は、同じ黒い姿形ではあるが、海鵜なのである。鵜飼に使う鵜の捕縛は、海に向かう切り立った崖の祠の奥に何日も潜んで、若鵜を待つのだと云う。そして、若鵜は、数年の訓練を受けて、鵜匠に鮎の恵みを齎(もたら)せるのである。

 考えて見ると、生物界は真に以って、興味深い様相を呈している。姿形は鵜なのであるが、人に馴染まず集団で飛行戦体を作って、川の魚を根絶やしに喰い漁る川鵜ギャング。片や、鵜匠に鍛えられ、鵜匠に鮎の恵みを齎す海鵜である。

 私の様な下衆貧民の目からすると、橋の上での信号待ちをして居ると、何やら、日本の現政権の騒がしさは、二種類の鵜の区別から、変な方向性に妄想を運んでしまうのである。

 さてさて、ラジオに気を取られて、運転ミスで事故など起こしてしまっては、身も蓋も無い。安全第一で、作業をこなして行くのが肝要である。

 作業を終えて、車を乗り換えて、漸くの飯である。いやはや、本日も、好く働いたものである。吾ながら、好い根性をしていると云う物である。

 時計は、3時に差し掛かろうとしている。焚火の様子を見ると、片付け周辺には、竹箒が入って居る。へへへ、御歳94のお地蔵さん老母様ではあるが、涙が出るほどの日本人である。

「ご苦労さん、休みもしないで、好く遣ってくれた。風呂が沸いているから、先に風呂に入れ。」とのお達しではあるが、先ずは、飯である。大正女の母は、飯も喰わずに倅を待って居るのである。人は黙って、自分の出来る事をして、<協働>する処に、意味がある。

        車で遠乗りをしても、母は絶対に眠らない女である。
<倅が運転して居るのだから、乗せて貰っている自分が寝るのは、失礼に当たる。>

 嘗ての日本人の日常の暮らしには、こんな当たり前で、言葉に一々言い現わせなくても、信じるに足る<お互いの思い遣る人間の情>が、流れていたのである。気は心である。そして、心には、言葉は無くとも通じ合う情がある。これが、日本の伝統・常識である。

 さてと、明日も作業である。仕事の薄い弟が、普段の母を任せ切りの非礼に、私のコンパクト部屋を作ってくれるとの事である。仕事の合間を見ての作業であるから、完成は何時の事に為るか分からぬが、2畳の小部屋が完成すれば、庭が一望に出来る。言わば、庭でのバードウォッチが叶うのであるから、嬉しい事である。ウッシッシ~。


心何処ーショート 意外とすんなり行った大工仕事
           意外とすんなり行った大工仕事(11/17/10)
 やれやれ、屋根瓦の板が腐って居る。昨日、軽トラかダンプを貸してくれと弟に電話すると、丁度、仕事が無くて暇だとの事である。久し振りの朝起きで、会社に行く。邪魔をしない様に、朝礼、打ち合わせの時間を、車の中でラジオを聞きながら待つ。

 私は高所恐怖症であるから、下で瓦を受け取ったり、指示寸法に従って、電動丸鋸で材木を切って脚立の上り下りである。上天気であるから、野外工作の様なお時間である。

 我々の年代は可笑しなもので、必要に駆られると、日曜大工をする習性がある様だ。国際的には、ドイツ人の日曜大工は、本職の域に達しているそうである。技術に関しては、西のドイツ、東の日本と学校時分には、教師に言われていた物である。
 然しながら、安全・便利・簡単の現代では、ナイフで鉛筆も削れない学童が、主流とのご時世である。

 何だかんだと云っても、小さい頃に体で覚えた事は、役に立っていると云う事である。そして、体裁は別として大体の事は、人間には可能なのであろう。
 何しろ、太古の人類は、木同士の摩擦熱で、火を熾してしまうほどの芸達者であったのである。外で遊ばず、家で工作のお時間も儘為らず、ひたすら塾に通うと云う現代人が、ロートルの時期を迎えると、如何為って仕舞うのか???

 将来のロートル達が、細分化して分業化の社会の中で暮らすのは、真に可愛そうな気分に為って来る。
 
 考えて見れば昨日今日と、私は脚立に乗って鋸作業をしている。お向かいさんも、斜向かいさんも、実に豆な人であるから、電動丸鋸、電動ドリルなどを使って、日曜大工をしている。現役を終えた男達は、何かと『工夫的肉体労働』をしないと、身体の調子が狂ってしまう生き物らしい。

 昼飯は、母が味噌汁を作ってくれた。モツ煮・焼き魚・奈良漬・カブの朝鮮漬を出して遣ると、欲しいと言うのでお土産に持たせる。明日は、軽トラを借りて来て、ゴミを運ばなくては為らない。仕事の区切りで、遅い昼飯と為ったが、母も久し振りに弟と飯が食えて、嬉しそうであった。

 暗く成らない内に、主だった片付けをして、明日に備える。久し振りに、汗を掻いた。現在、煙草を吹かしながら、ブログ打ちをしているのだが、早くも、筋肉痛である。これは、明日の朝が大変の雲行きである。・・・俺ぁ、疲れましたわな。とほほなり。


心何処ーショート パイプ咥えて、昼散歩。
              パイプ咥えて、昼散歩。(11/16/10)
 上天気である。家でテレビと付き合っていると、またまた、主義者の仙谷さんに文句を言いたく為るから、パスして散歩に出掛ける事にする。

 一国の政府高官殿には、甚だ失礼な物言いではあるが、仙谷さんはスーツ姿よりも、『人民軍服』とか『人民服』の方が、一番好くお似合いに見えて来る。法治国家の法を、威け高かに振り翳して、何でもかんでも、法解釈で政治を主導して居るかに見えて、その実、『己が判断が、一番~。』の<主義者の無謬性の権化>の様な御方である。

 一見、法治の民主主義の様な言ではあるが、<己が解釈こそが、一番為り。>の言動振りは、正に『人治主義』のお国振り・中国共産党の様相である。←老眼鏡の曇りでしょうかね。イッヒッヒ!!

 法律にだって、通説・少数説・異説と、法解釈には色々あるのだろう。選挙の多数決で政権交代が行われたとは云え、革命で『日本の政体・体制』が、引っ繰り返った訳では無いのである。
 日本国の政府代表が、通説を引っ繰り返して、少数説・異説をぶち上げて、強引且つ厚顔無恥の『ごり押し見解』を、国家と国民に押し通そうとしているとしか映らないのである。
 黒を白と言い張る<ごり押し弁護士さん>としては、大変な才能の持ち主なのであろうが、その剣法・剣捌きは、酷過ぎませんかね。大上段に振り被ったと思ったら、ネチネチ・コネコネ、終いには、転び様の咬み付き剣法まで、ご披露なさる。正攻法の美学のビの字も無い剣法である。使い手が、好い男なら、未だ邪剣の眠り狂四郎かも知れぬが、如何見ても、『狂死郎』にしか見えませんわね。

 この御仁には、国家と国民のNOの声が、一切聞こえないし、見え無いらしい。冗談じゃない。狂死朗なんかに、吾が祖国・国民・吾が精神性を、殺されて堪るか~!!

 余りの自民党のだらしの無さに、選挙では世論の風に乗って、自民党批判票で政権に就くや、今度は世論そっちのけで、学生時代の『主義者の本性』を剥き出しにして、<個人の主義>を押し通そうとしている。
 嘗て、オウム真理教の<ああ云えば、上裕。>なんて揶揄された男が居た。今の仙谷さんは、ジョウユーなんて輩の数千倍も、性質が悪い御仁なのである。

 何でもかんでも、馬鹿の一つ覚えの様に法律論争で、事の本質をはぐらかしてしまうのであるから、その偏狭極まりない精神の<性質の悪さ>は、群を抜いた『とんでもない(異常な)オッサン』なのである。

 私も人の子であるから、テレビ、ラジオでニュースを見たり聞いたりすれば、無い頭でも、色々と考え仕舞うのである。そんな事で、精神の安定剤で、本日はプカリプカリと、パイプ煙草で散歩を続けて居るのである。

 私は、右翼でも左翼でも無い。遺伝上の好色性、妄想性を覗けば、極普通のロートルである。世間相場からすれば、一般人が、新聞・テレビ・ラジオで知る自国の出来事に就いて知れば、その次の欲求としては、他人と意見交換がしたい物なのである。違いまするかな???

 情報と自由な意見を交換出来る場があれば、より好ましいと思う筈であろう。そんな提供の場として、デモ集会での主催者・参加者の演説・意見を参考として、自由な選択意志で加わる事が出来れば、真に嬉しい事である。
 インターネットでは、日の丸を掲げた反中・反菅内閣の国民デモが、盛大に行われているとの事である。松本でもそんなデモ行進が有れば、是非とも参加して、参加者と色んな意見交換をして見たいのだが、残念ながらその機会が無い。

 国事に日夜参画して居るのが、政治家達である。国事への参画が、国会討論ばかりではあるまい。考えて見れば、彼等は演説に長けた連中である。こんな国難に直面している政治状況なのであるから、政治活動の一環として、選出された地元に於いて、正々堂々と、選良の名に恥じない国政報告会をして貰いたい物である。加えて政府批判、政権奪還を目指するのなら、批判・抗議デモの先頭に立つべきでは無いのだろうか。

 中央のテレビで顔映しをして、幕末・明治期の英雄・偉人伝を語って、一人悦に入るばかりが、『政治家の存在証明』では無かろう。増してや、選挙時のお付き合いだけが、政治家と選挙区民とのお付き合いでは無い筈である。選挙時では、『民意に身を委ねる』などと云う、実に立派な言葉を耳にするのであるが、民意に耳を傾け、時に民意に働き掛けるのも、政治家の本来の活動だと思うのであるが・・・如何だろうか。

 今、尖閣問題で問われて居るのは、経済・利権の話では無いのである。日本の国土に対する基本的意識・態度と云う『日本人の精神と行動』が、問われて居るのである。そして、その行き着く先には、日本憲法への国民的態度が横たわって居るのである。
 そして、憲法の先には、戦後日本人の自国への歴史観の見直しの課題が横たわって居るのである。強いて言えば、『日本人として、如何に日本人精神を取り戻すか。』の問題の本質の刃が、喉元に突き刺され様としているのである。

 斯様にして、敗戦65年の経済成長を達した成熟時代での『日本人の精神の在り様、国家の在り様、政治の在り様、政治家の在り様』が、総体として問われているのである。総体の一部事象として、田母神ショック・政権交代・普天間基地問題・中国漁船体当たり事件・工作特攻船解放事件・船長釈放事件・柳腰外交事象・YouTubeビデオ流出事件・sengoku38自首事件と、此処に映し出されて居る物は、『芯を喪失した祖国の迷走の図』である。

 俺ぁ、粗雑なスカポ脳しか持ち合わせては居ないが、下衆貧民の賄い夫だって、この位の考えは、出来るんじゃい。政治家が、政党と云う大企業のサラリーマン見たいな内部出世競争に明け暮れして居るだけでは、真に恥ずかしいだけの『口先口撃の徒』でしかあるまい。

 政治家・識者達が決起しなくて、何の指導者であるか!! 彼等の日頃の博識は、こんな時でも無ければ、何の役にも立つまいに。

 苛々は昂じる物の、川の流れは澄み、青空拡がる黄葉の輝きである。青い空を、自衛隊のジェット機が、白い飛行機雲を真っ直ぐ描いて行く。さてさて、散歩の帰りには、個人スーパーさんに立ち寄って、今年の大根状況を見て帰るとしようか。

 私は、貧しくとも、心には日本人の精神性に誇りを以って、目立たず静かに、日々を安穏と暮らして行きたい物である。へへへ。

 本日も、又、腹の足しにも為らないロートルの遠吠えに、長々とお付き合いをさせて仕舞って、申し訳ない限りでありまする。お許しあれ。お付き合い、有難う御座いました。

心何処ーショート 嗚呼、侘びしき落ち葉舞う曇天為り。
        嗚呼、侘びしき落ち葉舞う曇天なり。(11/15/10)

「おっ、雨さんは、降らなかったか。」
「うん、でも降りそうなお天気だからね。用意をして置くに、越した事は無いよ。」

 天気予報を頭に入れて置くのは、母の分担である。庭の干し台には、サツマイモと吊るし柿に出来なかった柿を、並べて居るのである。昨夜は降雨の予報であったから、母のお達しで夕方、取り込んで置いたのである。
 
 遅い朝食後は、ポツリポツリと落ちて来た雨に、廊下に母が出して置いてくれたビニールの覆いを、物干し竿の吊るし柿に施す。

 テレビを見ながら、ニヤニヤ、下衆のツッコミをして、老母のご機嫌伺いである。

「へへへ、戯けたご時世に為った物だわな。これが言論の自由開花のザマでヤンすか。笑わせちゃいけんわね。政治も、タイテノコラサ。ワイドショーも、タレントが司会してさね。ただ単に、薄平らなお座成り原稿を読んで、然も知った風な事をくっちゃべるだけ。味もそっけも無いわね。一丁前の生意気面をしていてもさ、あんな物ぁ、ショーウィンドーのマネキンにしか過ぎないわさ。あれでもさ、議員さんに立候補なんかした日にぁ、キャスター、司会者と経歴に書いて、偽インテリ振るんだから、手に負えんわね。

 中国の国境意識にしてもさ、キャスター面、コメンテーター面するなら、大陸国家と海洋国家の国境観について、コンパクトな蘊蓄くらい語って貰わないと、程度が低過ぎますわね。その位の知識と教養が、頭の引き出しに入って無くちゃ、言葉・感想に重みが出て来んわね。

 何なに、今度は、教育問題・家庭の躾け問題に原因があるだと~。何をマネキン野郎が、生意気に~、

 昔の躾け・教育は、単純明快で好かったわな。『恥を知れ!!』『言い訳をする前に、自分の胸に手を当てて、好く考えてご覧。馬鹿者。言い訳なんか、男の子のする物じゃ無い!!』『私は、そんな子に育てた覚えは無い。世間様、お天道様に、申し訳が立たない。こんな出来損無いの子供は、生きる資格が無い。死になさい。こんな子に育てた親の責任で、私も一緒に死んで遣るから。覚悟しなさい。』
 
『そんな子供に、喰わせる飯は無い、出て行け!!』くらいだったらさ。右から左の耳穴に抜かしゃ好いんだけどさ。包丁出されて、親子無理心中じゃ、改心するしか手があるめいよ。

 なぁ、婆さんや、覚えて居るずら。昔の親は、根性が据わって居て、イザと為ったら、台所から包丁を二本持って来て、まぁまぁ、筋が通っていたから、凄みがあってさね。餓鬼の雀の卵見たいなキンタマは、縮み上がっちゃったわね。

 大体が、<恥を知れっ>って、一発かまされると、水戸黄門様の葵の御紋の印籠だったぜや。ギャハハ~。」

 94歳のすっかり小さく為って、お地蔵さんをしている老母は、ニコニコとして戯け倅のトークを聞いて居る。兎角、口数ばかりが多過ぎる現代民主主義と云う世の中は、面倒臭い物なのであろう。物事の本質は、『恥を知れ!!』大和民族の精神土壌の崩壊から派生して居るのであろう。

 さてさて、台所仕事の水仕事ついでに、長靴を履いて、庭に出して置いた沢庵漬けの桶洗いと鳥籠の汚れた底板を念入りに束子洗いしましょうかね。

 いやはや、落ち葉だらけの庭に、寒い風が吹き捲っている。嗚呼、嫌じゃゴザンせんかね。ひゃ~、寒い。鼻水を啜って、母の部屋のコタツに潜り込む。金華鳥の野郎共は、綺麗な環境で、ボレー粉もたっぷり入れて貰い、四畳半小部屋の窓辺の一等席で、ブンチャカ、ブンチャカ、ピーピーの大合唱である。

 さてさて、木の葉舞い上がる薄暗きお外ではあるが、買い出しに行って来るしかあるまい。これで、雨など降られてしまえば、泣き事しか出ないのが、男賄い夫の常である。

 アジャジャ・・・丸で雪が降りそうな寒さと、重く垂れ込める灰色雪雲の様である。東のお山は、黄葉まっ盛りにして、西のお山のアルプスは、灰色雲の中である。これは、絶対に雪が降って居る事、間違い無しである。お山の熊さんは、冬眠に漕ぎ着けたのだろうか??
 自転車でスーパーに行くと、買い物をレジ袋に詰めているオバさんが、私の方をじっと見て居る。へへへ、そんな男前に見えまするかな。

 こう寒いと、モツでも炊いて見ようかなどと、思った次第である。食材を自転車籠に入れて、釣瓶落としの自転車漕ぎである。早や、11月半ばである。本日、坂本竜馬の誕生日にして命日との事である。高視聴率を維持して居る『龍馬伝』ではあるが、龍馬伝の歴史的エキスを、この世相は如何解釈して、自分達の心情・行動に活かすのだろうか。

 おお寒い。ひぃこら、ヒィコラペダルを漕いで、ロートル賄い夫は、恨めしき信州の冬景色に、鼻を啜る帰り道である。

心何処ーショート 日曜ニュース観賞
               日曜ニュース観賞(11/14/10)
 映像は、正直ですね。怖いですねぇ~。テレビでは、漸く漕ぎ着けたと『解説』されている日中首脳の22分間の映像である。双方に通訳が入るから、実質は10分程度のご対面でしかあるまい。吾が祖国・日本を代表する菅総理は、何故か粗相の無い様に、ペーパーを読んで居る映像である。

 ペーパー読みに関しては、私も大きな事は言えない。先日の倅の披露宴では、正々堂々と朗読した男であるからして。
 然しながら、私の場合は、小心者にして健忘症の斑症候群を患っている理由から、そうしたまでの事である。尚、短い文面を、皆さんの顔を確り観察しながら、ゆっくり大きな声で読み上げた後に、私のスピーチで締め括ったのである。

 相手の顔を見るのに気後れして、目を合わせる事の出来ない『度胸無しを糊塗する』為に、ペーパー読みに逃げた訳では無いのである。へへへ。

 市民活動家上がりの『目前事象迎合型性格』総理のダラし無さには、早々にコメンテーターの『集中口撃』が始まっては居るが・・・敵地に乗り込んで来た胡錦濤国家主席の方が、日中関係問題にノイローゼ状態の様な感じを受けた次第である。
 大中華思想の体現者である国家主席の立ち振舞いとしては、ああ云う風に振舞うしか手立てが無いのだろうが、主席の顔色・表情は、正に世界からの四面楚歌の状況を、好く現わして居る風である。

 主席がテレビに顔を見せる前までの『外交の先頭』は、ニューヨークでの華僑パーティーで、声高に大中華思想をぶち上げた温家宝首相の顔であった。
 それが、ベトナムでの日中首脳の廊下セット、李明博韓国大統領が左右の日中首脳の手を、無理矢理に繋がせようとした処、温首相の拒否する強張った子供染みた表情が、『大変心象的』だったシーンがあった。

 加えて、ノーベル平和賞の劉暁波氏への『ごり押し受賞妨害』などに依って、大中国は、世界から大顰蹙を買っているのである。日本のマスコミが、如何に<首座?中国偏向放送>をした処で、中国の経済力と軍事力を背景とした威気高かにして性急過ぎる傍若無人の覇権主義の悪行の数々が、今、世界から猛反発を受けているのである。

 そんな世界の空気は、取りも直さず、各国の首脳が一堂に会する国際会議の場では、ピリピリと四面楚歌の空気を作って居るのである。一時、KYとかの空気が読めないとのイニシャルが流行った事がある。これは、至極当然の圧力である。

   何故なら、人間は、五感を有する『敏感な生き物』であるからである。
増してや、国際会議の会場は、国内での上下の関係では無く、一国の独立自尊の気概を持つ国家の代表者達なのである。気概を持った国家の指導者達から発せられる眼光のビームに、空気が引き締まるのは、当然の雰囲気である。

 そして、それこそが、現場の空気の重みなのである。各国首脳は、この空気に自国の行く末、戦略を思い描くのであろうし、それが生身で感じる国際会議の有用性なのである。

 それが証拠の両中国首脳の顔色・表情に見て取れるのである。艶々して、自信に溢れて居た当時の顔・態度と比較して見れば、御両人の顔は、艶も張りも無いではないか。勿論、ペーパー読みの菅無理さんも同様の自信の無さが、如実に現れている。これは、両国首脳の『内憂外患の心の内』を、見事に反映して居ると見た方が当たっているのでは無いだろうか。

 その比較差を示しているのが、ロシア大統領のメドジェーエフ氏の表情・態度である。

 マスコミのニュース解説と、映像感想の違いと云う物は、斯様にして面白い好対象を以って、見る人の印象に影響を及ぼす物なのである。私は、活字が苦手な映像派なのである。そんなニュース観賞をさせて頂いた次第である。

 以上、アングルを変えた国際会議場からの、下衆貧民、ロートル・クマ男のピンポイント報告であります。スタジオに、マイクをお返しします。・・・イッヒッヒ~。

心何処ーショート 相も変わらぬ番から男子高OBコンビ
         相も変わらぬ番から男子高OBコンビ(11/13/10)
 庭に居ると、小鳥の集団が百日紅の梢に遣って来た。何の鳥かと目を凝らすと、エナガである。嬉しく成って、暫くその小群れを眺める。彼等の声と騒ぎを聞き付けて、ハイエナギャングのヒヨドリが、大きな声で縄張り威嚇をし始めた。ヒヨドリは、何度か庭を飛び回り、いとも簡単にエナガの群れを駆逐して終った。晩秋、朝の静寂の風情も有った物では無い。

  為るほど、生物界の縄張り意識と、その保持行動とはシビアな物である。

 昨日の訪問者さんのブログの中に、海保の活動ビデオの紹介が有った。その海保ビデオに依ると、悪質韓国漁船三隻に依る密漁船共を追跡する詳細が映されていた。

 ハリウッド映画などに登場するカーチェイスの様なシーンが続く。増してや、固定した道路上の捕り物劇では無い。正に荒海逆巻く日本海で繰り広げられるシップチェイス、その物である。
 
 その内の一隻が、横波をマトモに喰らって、横転転覆したのである。転覆漁船の乗組員は、仲間の漁船に即座に引き上げられる。物凄い剣幕の韓国漁船からは、投石、罵声、包丁までが、投げ付けられる様を映している。うねりにうねる荒海での緊張感が、手に取る様に伝わって来る。勇敢な海保保安官達が決死の乗船をして、彼等を密漁現行犯逮捕をして行く映像である。
 もう一つは、何年か前にテレビでも放映された北朝鮮工作船との銃撃戦・工作船自爆の模様を記録した映像である。最後の工作船からの打電が、<吾、任務遂行に依り、是より自爆せり。>との紹介まで付いて居たのである。

 これらの海保活動の公開・紹介ビデオと、今回最大の物議を沸騰させている中国漁船の体当たり秘密ビデオと比較して見ると、小学生と大学生との開きがある程度の物でしか無いのである。秘密にして、廃却処分にするほどの内容か。何を血迷っているのか!! 

 大人の人間の判断過程には、比較考慮が要素として機能して居る。比較考慮を欠けば、当然に精度の高い感想・判断など出来る筈が無かろう。『木を見て森を見ず、森を見て木を見ず』であっては、大学進学率50%を超える教育水準なんて、口が裂けても言えまい。その為の情報公開であろうが・・・

 事実の隠蔽・糊塗、枝葉末節に逃避行する現政権の民主党の態度は、驚愕に値する。

 無礼者めが~。下手な小細工は、国民を小馬鹿にした『小学生の学芸会』でしかあるまい。<馬鹿も休み休み言って、おくんなまし。>であろうが!!

 最大の貿易相手国とのイザコザに依って、経済的損失を失いたくないとする経済至上主義の無政府状態的経済活動のお先棒を担ぐ、現政権並びにそれを迎合する様な大手マスコミの体たらく振りは、正に一国の独立国としての態を為して居ない様(ザマ)である。

 何時から、日本は米・中の属国に成り下がってしまったのか。日本は、米国支店、中国支店で生きて居るのか。冗談も程々にし遣がれである。キンタマを喪失した言葉の口撃合戦をしていて、何とするか~。領海に防人する現場は、正に『命懸けの戦場状態』なのである。

 本当に、お前達は日本の政府、マスコミなのか!! 正に大和心は、怒り心頭に達する沸騰点域である。マスコミに戦前の軍部協力への反省を口に出して居る『自覚と意識』が有るのなら、過去公開の領海防人の海保活動映像と今回の中国漁船体当たり映像を『併映』して、国民の判断材料に期する事が、不偏不党のマスコミの存在意義では無いか!! 

 この位の真っ当さを持って居ない人間達が、政治・マスコミ界を牛耳っている事こそが、<亡国を扇動する最前線の姿>であろうが~。日本人としてのキンタマを持って居るのなら、シャキッとせんか!! 全く、開いた口の塞がらない亡国の徒である。

 ヤヤッ、興奮してこの文章を打って居ると、土曜コーヒータイムのTのお迎えの車が来てしまった。PCを閉じて、玄関に用意して置いた甘柿と梅干しを持って、車に乗る。

「ほい、お裾分けだいね。」
「おうおう、こりゃ又、デカイ柿じゃないか。美味そうだな。」
「今年は、なりが少ないから、その分、デカいんだわさ。朝取った奴だから、鮮度抜群だぜや。こっちの奴は、梅干しを又、干した奴だから、味が円やかに為って居る。へへへ。」
「どれどれ、本当だ。オイサンは、マメだね。大したもんだわさ。サンキュー。」

 本日、曇天・無風の様である。コーヒースタバの二階席は、女子学生達のお勉強ムードである。仕方あるまい。偶には、本来のインテリ・ロートルコンビで、時事トークのお時間とすべきである。

<これこれ、こうでさ。>とばかりに、打ち掛けのブログ内容をTに話しながら、初めてお目に掛った敗戦直後に出現活動していた『武装組織・朝鮮進駐軍』に就いて、話を進める。・・・(<お気に召すまま>さんのブログで知り得た記事である。)

 流石にTである。朝鮮総連への移行を直ぐ様、連想させて次から次へと、話題が進む。

<ヘリコプター空母ひゅうが>の映像を、昨夜観賞していたので、その話をしたりで、ロートルトークは、面白かった次第である。ロートル賄い夫生活のお陰で、インターネットのYouTubeを見る機会が多く為った物である。
 
 私は元より、右翼でも左翼でも無い『極一般的な団塊世代の男』である。そんなロートルが、思い付いた事、感じた事を、身の丈の文章にしてブログ日誌として投稿している。云わば、ブログ樹海の片隅で、息を潜めているにしか過ぎないロートルである。
 それでも、私の取るに足りないブログに、示唆を与えて下さるブログ訪問者さんの情報は、有難い物である。
一つの未知の記事に接して、頭の中の引き出しから、色んな記憶の欠片が湧き出る。それに相手の記憶の欠片も湧き出る。それらの同心円が静かな波紋と為って、時代を共有する友との語らいの話題に為るのである。ロートルには、こう云った話題と語らいの空間は、大事な事柄にして時間なのである。

 心友との語らいは、何にもまして替え難いマイルドな時間と空間なのである。

 煙草タイムの後は、逝かれてしまったハンディ掃除機を見に、ホームセンターに足を運ぶ。へへへ、中国製品ではあるが、貧民の財布では仕方が有るまい。それを買ってしまった。

「如何だい? 時間はあるんだから、そろそろ、一番安い海外旅行でもして見るかい?」
「そうだなぁ、お互いに、女に興味も無く為って来たから、そんなに金も掛らんだろうしな。でもなぁ、お前の場合は、化け物の範疇だからな。あい?」

「いやいや、俺なんぞは、典型的な日本人だから、相方に連動させて、石部健吉にも、色情魔にも調整出来るぜや。何しろ、俺の取り柄は、意志強固の馬鹿正直者だぜや。イッヒッヒ!!」
「ったく。俺と云う生き証人を前に、何を抜けシャーシャーと、ホザいてろ。Rの言葉なんか、信用度ゼロだぜや。お前だけ楽しんで、俺は、指舐めて読書かいな。」

「おうおう、何をこきぁがる。手前は、サッサと済ませて、俺の部屋をノックして。<R君、何してる? お取り込み中かね。折角、海外に来たんだ。タウン観光に行こうぜ~。イヒヒ~。>は、なかんべよ。俺なんざぁ、常識があるから、そんな邪魔はせんぞや。あい~。」
「アナタ、ビッグ、ストロング、ロングタイム。ワタシ、アソコ、イタイ、イタイヨ。ツカレルヨ。
ギャハハ~だぜ。俺が気を利かせて、タオル投げ込んで遣らなきゃ、訴えられて、刑務所行きだぜや。異国の刑務所暮らしじゃ、俺ぁ面倒見切れんぞや。世の中、限度って物が、あるズラよ。あい?」
「この馬鹿野郎が、それは、友に対するプライバシーの侵害だぜや。守秘義務を守れ~。プラカード作って、デモ行進するぞ。ニャロメ!!」
 
 歩きながらこんな話をしているのが、ヤクザ紛いのロートル・コンビなのであるから、手の施し様が無いのである。ギャハハ!!



心何処ーショート 恥知らずの黄砂
                 恥知らずの黄砂(11/12/10)
 へへへ、生温かいと思ったら、雨模様である。漬け物用の柿の皮も、乾燥が進んで完成間近である。折角の物を雨に当たらせたら、後が面倒である。取り込む事にする。大きなビニール袋に、保管する事にする。何しろ、百日紅の落ち葉が舞い散る干し台である。庭から縁側廊下に上がる大石の上に、どっかり腰を下ろす。やれやれ、黄色の落ち葉を取り除きながらのロートル仕事である。
 
 若い頃は、気短かで単純作業が、大嫌いな男であったのだが、子分無しのロートル賄い夫と為れば、誰も手伝っては呉れないのである。<嘆き、ボヤく前に、手を動かすべし。>の諦めの日々を送るしか手立ての無いのが、その実態なのである。本当に、こんなチマチマした仕事は、性に合わぬから大嫌なのである。
 
 強風と雨に急かされて、本日、朝一番の作業とは、様に為らない限りである。

 それでも、お天気が続いて、吾が家の柿簾も、半分以下に乾燥が進んでいる。先日、斜向かい吟さんが、熟し柿にしたいからと、柿を取りに来た折に、剥いた柿が10個程、並べてある。それと比べると、干し柿の何と云う『小ささ』か・・・ 収穫して、バケツに入れて何度も、廊下に明けて、老母と二人2日に亘って、ひたすらに剥き続けた作業の結果が、この小ささなのであるから、なんとも、拍子抜けして終う次第なのである。

 本日、時季外れの黄砂の襲来との事である。その発祥国は、法治国家の対極にあるヒステリー的人治国家としか、形容出来ない唯我独尊・毒膳・大中華思想の大国様である。海洋にスマートに弧を描く列島国の現在宰相には、何やら、特別なお国に映るらしい。全く、可笑しな現象である。
 列島国民には、経済・政治映像しか放送されないお国が、黄砂の製造元なのである。春の一時期に、1~2回黄砂が舞う昔であったのなら、黄砂の故郷などと、乙に澄して漢詩の一つなどが、口に出た物である。
 
  それが今や、黄砂の故郷が、黄砂の『製造元』に変わって終ったのである。

 鉱物資源が発見されれば、機械と人が集結してゴールドラッシュの如き喧騒が渦巻く。川が無ければ、地下水を汲み上げ地下水脈を枯渇させ、地表の水分を毟り取る。元々、降水量の少ない草原の放牧地帯で、自然のサイクルの中で生きて来た民族が、移動と転業を強いられる。内陸の先祖伝来の土地を遺棄して、流転の民は都市に流れ込む。

 古の詠み人の目には、国破れて山河ありとか、強者共が夢の跡で、夏草が生い茂る様なのであったのだろうが・・・現代では、荒らし尽くして、砂漠とあっては、真に悲惨な結末でしかあるまい。

 嘗ての竹のカーテンの国柄は、記者協定の下で、体制に都合の悪い国内情勢は一切知らされていない情報・実態秘匿国家と云う国柄なのである。近未来で『共産党独占国家』が崩壊した暁に、中国全土に自由の目線で、カメラが映し出す映像が世界に発信されたら、如何なる衝撃が世界を駆け巡るのだろうか等と、ついつい、下衆貧民ロートールの妄想は、膨らむばかりである。

 嘗ての共産党独善・独占国家の遺物の中には、権力奪取に明け暮れる『粛清の実態』が、暴かれていたのであるが・・・ 現代中国の粛清の規模の中には、民族・人民への大粛清と共に『自然に対する大粛清』も、如実に収められているに違いあるまい。

 日本人のアイデンティティーを破壊しくまったと云われる『東京裁判』では、戦勝国側からの敗戦国への罪として、国際法上、初めて『平和に対する罪』が登場したとの事である。新しい処では、イラク戦争のサダム・フセインに対して、同様の『平和に対する罪』で、死刑を執行した処である。何れも提唱国・裁判国は、米国である。

 面白い事に、現代では地球環境への意識の高まりが、全世界の潮流と為って居る。所謂エコの時代である。グリーン・イノベーションなどと、上手い事を提唱して、金と技術を日本に出させて、またぞろプライムローン同様の手口で、環境問題を債券化して、一儲けを企んでいる米国の魂胆であろう。製造する事を止めて終った大国等と云う物は、真に以って、性質が悪いのである。グローバル経済の仕掛けとして考案されたのが、グローバルスタンダードのISO規格ならば、米国などの第二次戦勝国クラブの常任理事国が、一致団結して、『自然・環境に対する罪』を作れば好いのである。

 そう為れば、<地球に対する罪>で、国連法廷で裁かれる時代が、到来するのかも知れない。また、こんな時代が到来しなければ、論理上、可笑しな事に為るのでは無いだろうか。遣るんだったら、その位の事をして、正々堂々とノーベル平和賞を手にすべきである。

 朝飯を食べて居る頃には、コンニャローである。太陽が出て、青空が広がって仕舞った。スキンヘッドを当たる為に、風呂でジョリジョリしながら、風呂場で音痴な唄も歌えないから、以上の戯け思考を試みた次第である。

 小部屋の定位置に座り、窓辺に鳥籠を置いてのパイプ煙草の燻りである。お天気は上天気ではあるが、時折の凄まじいばかりの強風である。ツルツル坊主のスキンヘッドが、ゾクゾクとする程の寒さである。へへへ、頭髪の防寒装置が欲しい物である。

    さてさて、寒く為らない内に、昼散歩でもして参りましょうかね。

心何処ーショート 嗚呼、センゴクサンヤ。
              嗚呼、センゴクサンヤ(11/11/10)
 バタバタして居る間に、一日が経って仕舞った。兎角、手順が狂うと、駄目である。これも、加齢による<状況適応力が鈍化>して来ている証左なのであろう。テレビを見て居ると、ついつい、テレビに突っ込みを入れて、半日を不意にして仕舞った次第である。

 老母を相手に、言いたい放題の下衆の勘繰り感想である。海保の教育資料ビデオの程度の物が、政権交代で非公開・緘口令・守秘義務が課せられたとしたら、通常の流れの中で組織が運営されている海保構成員からして見れば、正に晴天の霹靂でしかあるまい。
 部内では、通常に倣って見れた物が『事件後1カ月を経過』して、政府の方針として<非公開・緘口令・守秘義務>のキツイお達しが出たとしたら、・・・或る意味では流出騒ぎが有っても、それが直ぐ様、『重大犯罪騒ぎ』されてしまうのは、腑に落ちない。・・・・と云うのが、これまた人間感情であろう。

『今まで』、お咎めの無い行為が、『ある日』、突然にお咎め行為と為って終うとあっては、コンニャロ~と反発するのが、人間感情である。此処が、一番の問題点である。

『尖閣・真実の海』として、国家の外交方針の脆弱さを告発すべきか否か。国益とは何ぞか、国民の知る権利とは何ぞか。国防の第一線に立つ人間なら、真剣に考える。

 私なんぞの下衆の単細胞人間としては、その鬱憤晴らしにゲリラ行動に出て終うのが、流れの内である。お咎めの価値基準が、早々に替わって終うのは、<論外の沙汰>である。
 従って、法律には、行為時に存在しない法に依っては、何人も罰せられないと云う『刑罰(法律)不遡及の原則』の金字塔が、聳え立って居るのである。新法が施行される為には、立法後の十分な周知期間を置いて、新法が施行されるのである。

 守秘義務の秘密に関しては、2つ(一般人が知らない事柄。秘密として保護するべき事柄。)のフィルターが有ると云う。その辺りは、テレビで専門家の先生が解説されていたから、それを聞けば良いと思う。

 私が一番問題にしたいのは、『事件後1カ月』の政治の宙ぶらりんの中で、通例の行為が、『お咎め無し』から『お咎め』に大変化した事である。引用として、適当かどうかは判断出来ないが・・・嘗て、江川卓の『空白の1日』事件と云う物が有った。 
 
 空白期間を比べれば、1日に対して、1カ月である。流出事件の根底の一番の温床に、虫眼鏡老人の天眼鏡を当てれば、其処に見える物は、政治の宙ぶらりんに依る『空白の1カ月』の中で、変化した政治状況であろう。

 SENGOKU38と書かれて居るんだから、仙谷さんや、彼は、貴方の心の中の片隅に居た『義憤に包まれた良心』だったのかも知れませんぞ。敏腕弁護士さんの脳裏には、法律は弁証法の道具とお考えの様ではありますが、此処は、法律の原点に返って、SENGOKE38さんの弁護士を買って出ては、如何でしょうかね。中国にあれだけ心配りの出来る長官なのでありまするから、立て板に水の弁護が出来る物と確信致して居りまする。イッヒッヒ~。

 元より、私のブログ内容は、ピント外れの下衆の遠吠えなのである。真に受けて、鵜呑みにしたら、紳士淑女にあるまじき『思考的顰蹙』を買うのは、必定の事であまする。笑い飛ばして、一切、記憶に留めないのが肝要でありまする。

心何処ーショート 懐古話に、ついニヤニヤ。
            懐古話に、ついニヤニヤ。(11/10/10)
 ざわわ、ざわわ・・・は、砂糖キビ畑を唄う上条恒彦、森山良子の歌である。ザザザ、ザザザ・・・は、道に落ち葉が走る音である。光は薄けれど、山は黄葉・紅葉に彩りを鮮明にしている。然しながら、非常~に寒いのである。冬眠に向けてのツキノワグマが、里に下りて来て、生命をズドンと遣られている今秋なのである。

 冬眠の出来ぬ私は、寒風を向かい風として、米屋さんへのペダル漕ぎである。落葉進んで、家々の柿の実が見事な橙色を見せている。残念ながら、子育てを終えて老齢進む町内に在っては、柿実の収穫の有無が、其の家庭構成を窺い知るバロメーターとも為って居る。 
 嘗ての子沢山の時代。団塊世代の我々餓鬼共が、鼻水を垂らし頬っぺたを赤くして、町内を遊び場として居た時代には、手付かずの熟柿など、到底無かった光景である。

 青空に柿が実れば、脆い柿の木には、子供が率先してよじ登り、親孝行ついでに、木登りに興じていたのである。この頃のラジオでは、<果実の食べ頃を野鳥達が、教えてくれる>などと云う上品な大らかな時代風景なのではあるが・・・、私達が餓鬼の頃は、人間の子供達が、野鳥より先に、『味見』と『かっぱらい』をしていたのである。

 私の様な戯け人間の生物観察者からすれば、何の事は無い・・・人間の『餓鬼見回り団』が無く成って終ったから、その真空スポットに野鳥が進出して来たまでの事である。ギャハハ。

 米屋さんに着くと、今回も又、大変な精米量である。コーヒーを頂戴しながら、仕事の邪魔をしない程度でお暇をして来る。

 コメ余りの日本の食卓風景との事で、定期的にコメを買いに来てくれる消費者としては、私は賞状者との事である。コメ麹にする農家も結構いるとの事である。米の消費拡大に本腰を入れるなら、学校給食に大々的に採り入れれば好いと思うのだが、そうは為らない処が、この世の面白い様なのである。
 給食に米食を多用すれば、味噌汁・漬け物は付き物である。農業政策の一助とも為るし、新鮮野菜・新鮮果物は、地産地消にも直結する筈である。学校給食で米食をすれば、ブーメラン効果として、日本の食生活は米食量が増大する筈である。

 言葉滑りのついでに言わせて貰うと、民主党のパフォーマンス・ショーの事業仕分けの席に、各省の税金の無駄遣いに目を配る『会計検査院』と云う組織が存在するのであるから、同席させて無駄遣いへの事業仕分け人との挟撃作戦を採ったり、炙り出された無駄遣いに対する検査対象への徹底検査を、その場で約束させるとかの方法も活用出来る筈である。これに悪乗りすれば、地検席なんて物を設えたら、それこそ、へへへの段で有ろう。

 これとて、抑止力の応用例である。何も、世の中には、核の抑止力と抑止力の形容を制限する使用する謂われなど無い筈である。
 白服、三白眼、早口若手議員が、テレビの前でチャラチャラする個人パフォームより、余程『大人受け』するのでは無いだろうか? 

 人間と云う物は、銭が無い時は、知恵を働かせるのが、その『身上』では無いのか。何でもかんでも、識者による委員会を立ち上げて、そこからの諮問案提出を待つ姿勢ばかりでは、高い報酬を貰う『国民の選良』の意味が無いではないか。議員の立場に胡坐を掻いて、小難しい議論・専門領域は、さっさと丸投げして、議員面をしている。これでは、全く、気楽な職業であるとしか云えまい。

       さてさて、個人スーパーさんを、覗いて行くとしようか。

 店頭には、漬け物用の大根が、お目見えしている。大きなカブが売られているから、塩漬けにすべきである。白米のオマンマには、新鮮な浅漬けの塩気が、無くては為らない物である。冷蔵庫には、未だストックがあるから、野菜と卵・お菓子を買う。
 
 客が居ないから、レジで一級上の先輩と、昔話をする。内容は、餓鬼時分のポケットのオヤツ談議である。一つ、大いに納得した物が有った。山間地の友達のポケットには、干し栗・干し柿が入って居て、私は彼等から、それらを好く分けて貰っていたのである。決して、脅し取ったポケットの中身では無いのである。言って見れば、日頃の正義の味方・用人棒の働きに対する浄財の様な物である。

 私の記憶の中では、干し柿は、如何云う訳か? 真に小さかった記憶が、眠っていたのである。

「あ~、あれは、兄さん、干し柿じゃ無いわね。『欠き干し』と云って、面倒だから、渋柿の皮なんか剥かないで、渋柿を四つに切って、皮付きのまま、干しただけなんだよ。
 干し栗も、噛んだら歯が欠けるくらいに、コチンコチンに干からびて居たんだけど、それを口の中で転がして居ると、唾液が回って来てさね。その内、栗の匂いがして来て、栗の味が口にホンワカと拡がって来るんだよね。
そう言えば、家は百姓だったから、干しイモも作って居た。何か、懐かしいねぇ~。
 こんな話を、今の若い人に話したって、想像も出来ないだろうけどね。生活は不便で貧しかったけど、田舎丸出しで、楽しかった。」

「そうだったねぇ~。何しろ、餓鬼の遊び範囲が広かったからね。過疎も屁ったくれも無くて、自由に人間のマーキングを擦り付けて居たから、そう易々と野生が進出する事も出来なかっただろうしね。兎角、過疎化が進んじゃうと、動物だろうが、中国人・韓国人・ロシア人と、危険分子が割り込んで来る物だわね。困った物さね。ギャハハ~。」

 さてさて、帰りまするかな。本日水曜日、家を空けて来たから、玄関にはヤクルト代金とメモを置いて来た処である。

              ヤクルトさんへ。
               ご苦労様です。

 いつも、ありがとうございます。感謝しています。お体に気を付けて下さい。

 へへへ、女日照りの只一つのセクハラトークを、取り逃がしてしまった。嗚呼、残念為り。

 カブの浅漬けを完了させて、小部屋で一服して居ると、斜向かい吟さんのお越しである。
 いやはや、本日の議題は、カンニング談議と昔懐かしいストリッパー談議であった。内容は、後日報告として抱腹絶倒のゲラゲラ談議で、あな、恥ずかしの穴、欲しこの一大オンパレードであった。
 気が付けば、吾が街のストリッパー劇場『人生劇場』の灯が消えて、何十年に為るのだろうか・・・ 話の端々に薄暗き小便臭い被り付きに、ダンサーの香水、スポットライトに浮かぶ女体であった・・・嗚呼、あれも、昭和の懐かしさの象徴であった。

 今は何かと、昭和懐古の時代とも云う。昭和懐古には、真空管ラジオ、ハンドル絞りの洗濯機、オート三輪も好かろうが、ちょい見せの場末ストリップ小屋の再築も乙なものでは無いだろうか・・・ へへへで御座りまする。


心何処ーショート 妄想働かせて、
           妄想働かせて、作業観察なり。(11/9/10)
 おっ、斜向かい吟さんのベランダにも、洗濯物に混ざって、干し柿がお目見えである。風に落ち葉舞い、日差しに柿簾の橙が映える様は、矢張り晩秋の風情である。路地に咲く大輪の菊の鉢植えも悪くは無いが、木陰の光に、小さく映える小菊の輝きの味わいの方に、何故か惹かれて終う。窓辺の雑木の黄葉も風に煽られて、幅広の葉を落して大分透き透きとして来た物である。
 
  平日の昼下がり、風呂に入って、洗濯機を回しながらのラジオ聞きである。
 一生懸命に、質問をしている国会議員先生達には申し訳ないが、感動する個所も無い『お仕事振り』である。青空が広がって居た空も、何やら灰色漂う雲が、空を浸食し始めている。黄葉に彩られた山色も、何時の間にか、寒々として沈み行くばかりである。
 
 おやおや、斜向かいさんの二階のベランダがすーと開いて、エンジのセーター姿の色白吟さんの登場である。白い梱包ヒモを引き延ばして、物干し竿に結んで、皮の剥き終わった平田柿を、ロートル老眼特有の仕草、目を細めての、括り付け作業を始めている。

 へへへである。結構な数である。二階のベランダには、見事な柿簾が、誕生するのであろう。私も暇人であるから、煙管煙草をプカリ、プカリ吹かしにして、定位置の椅子から、チラリ、チラリと吟さんの作業を覗き見しているのである。

 先日、柿採り、皮剥き、吊るしの各作業をし終えたのであるから、その各作業は、十分に知って居る処である。へへへ、色白吟さんは、真面目顔である。日記ブログ打ちの私に覗き見されているのも知らず、作業をして居られる。

 ふ~ん、本日は、夫婦揃っての柿剥き作業をしていたのであろう。べた付く手を洗い、包丁を拭いて、嗚呼、腰が痛い痛いとか、嗚呼、足が痺れた等と、言いながらの単純作業をこなしていたのであろう。私の方は、何分、大正生まれ・真面目な老母の前での作業であった。フザケ、戯けの相手では無いから、ラジオを相手にするしか無かったのである。

 相手が女房殿であったのならば、それも若く新婚当時ならば、男と云う生き物は、兎角、単純作業に嫌気が差して、

<おい、遣らせろ。>
<ひぇ~、ダンナ様、未だ陽が、高こう御座います。ご無体は、お止め下さい。品好く、夜を待ちましょうぞ~、あれぇ~、あれぇ~。ご無体な~。>

<これ、奥。誰が見ている訳ではない。オボコ娘では、あるまいに。ほれほれ、昼は昼。夜は夜じゃて、これこれ、恥ずかしがるでない。これこれ、モジモジ逃げるでは無いわ。うひひ、愛い奴じゃて。>

 なんて、中抜きタイムもあったのだろうが、ロートル夫婦間で、例え、元気な亭主殿が盛んに仕掛けた処で、女房殿も刃物を持って居るのである。

<厭らしいビデオ何か見て居るから、アンタ、とうとう頭が狂ったんじゃないの。70越えて、何を想像してるの。厭らしい。そんな物は役にも立たないのに、ついでだから、切って遣るから、出してご覧よ。色情爺っさ。> 

<煩い。チョイと相想を掛けて遣れば、真に受け遣がって、目を三角に釣り上げて、カットだとよ。そんな事されりゃ、男として一巻のオダブツじゃねぇか。助平話も出来ねぇ様じゃ、幾ら、面にクリーム塗ったくったって、若返りゃしねぇよ。
 相手が変わりゃ、コイツだって、未だ立派な使い道が残ってるわな。カカアにチョン切られても、家畜にされたんじゃ、男の立つ瀬がねぇぞや。馬鹿たれが~、ギャハハ。>

<私は、もう晩ご飯の用意するんだから、ちゃんと、全部皮剥いて、吊るしとくんだよ。皮も、ちゃんと拡げて干しといてよ。本当に、男って動物は、救い様の無い馬鹿だわ。>

 まぁ、男の考える事、女の言う事などは、どの夫婦も大差は無いのである。男も女も、歳を取って来ると、こう云う馬鹿な事を言い合って、夫婦の会話の足しにするのも、生物の知恵なのである。
 勿論、私は覗きが趣味では無いから、斜向かい吟さんの夫婦劇を、検証する手立ては無いのである。

 へへ、私の性癖からすると、そんな妄想を働かせながら、マメな色白吟さんのベランダ作業を眺めていたのである。

 ヒヒヒ、皮を拡げて、干し柿作りは終了した様である。電信柱の裸電球の常夜灯も点いた。夜の帳が駆け足で、寒さを運んで来る。回りが暗く成れば、ラジオの国会中継だけが、ビンビン響き渡る小部屋四畳半である。


心何処…柿剥き
                    柿剥き

                 柿剥き


 先日の柿剥きの絵を描いて見ました。本日、国会中継。午前中の与党質問は面白くは有りませんでしたが、午後からの自民党質問は、重量感が有りましたね。最後の質問者は余りの品の無さで、ビックラこいてしましましたがね。小生は小心者ですので、下品先生とのお付き合いは性に合いません。

    尤も、私のキンタマ放談よりは、ず~とマシなんでしょうがね。

 紅葉・紅葉を見に、散歩にスタスタと逃げ出した次第であります。久し振りに温かい空気で、街路樹・並木の秋の色どりの中を、ゆっくりそぞろ歩きをして参りました。柿を吊るした家々も何軒かありました。女モミジさんとの遭遇を期待していたのではありますが、残念ながら、目の保養は、専ら山に現れた紅葉・黄葉、街の木々の彩でしたがね。へへへ。

心何処ーショート 当て外れの日曜報道
             当て外れの日曜報道テレビ(11/7/10)
 あれあれ、今日は馬鹿に母の動きが無い。食事の支度をしながら、母の部屋を覗く。ベットに、動かぬ小さな白髪頭である。

「如何した、具合悪いか?」声を掛けると、白髪頭が動いた。「大丈夫だよ、飯は未だだから、ゆっくり起きてくれれば好いよ。」

 ゆっくり時間を掛けて、台所の洗い物をしたり・・・掃除、鳥の世話をしたり・・・庭の柿の皮、キジバトの巣を観察したり・・・の時間調整である。そんな事をしながら、ビデオ流失事件のマスコミの扱い方を、朝食を取りながら母と一緒に、見て見たかったのである。
 意に反して、別放送で肩透かしをされてしまった。穿った下衆の勘繰りを働かせば、エーペック絡みの放送自粛なのだろうか。まぁ、菅無理内閣の国が国であるから、それも仕方あるまいか。

 まぁ、下衆の遠吠えとしては、二日に亘って罵詈雑言をUPして、憂さ晴らしをしたのであるから、そうはフラストレーションが、溜まっている訳では無いのである。

 廊下の日差しが好いから、鳥籠を部屋から持って来て、廊下で日光浴をさせて遣る。私は、廊下で昨夜の子守歌代わりの『邪馬台国』のカッパノベルの頁を何頁か捲る物の・・・ 日向ぼっこ読書と洒落込むには、寒過ぎた。

 どうせ、10頁も読み進まない内に、瞼が重く成って行くのである。炊事を与かる者が、風邪をひいてしまっては、一大事である。本を持って、万年床で好い加減読書を続行する。お恥ずかしい限りであるが、布団の中で、身体が温まって来ると、もう駄目である。本日、日曜日の安易迎合である。何時の間にか、熟睡の高鼾である。

 目覚めれば、吾が身は、子分無しの賄い夫であった。洗い物をして、米を研いで炊飯器にセットしなければ、晩飯には有り付けないのである。子分無しの甲斐性無しの境遇を、恨んでも仕方があるまい。仕事なんざぁ、遣れば遣った分だけ、片付くのである。台所に立って、お三度をする。

 さてさて、芸NO人達のマンネリ喰い物・クイズ・旅番組のテレビを、見ても仕方が無いのである。昼散歩に行く前に、日本茶でも入れて貰って、外の空気を吸いに行くべしである。それでも、念の為である。チャンネルを変えると、時間遅れの『たかじんアワー』ではないか。

 へへへ、日曜、昼テレビの楽しみである。冒頭は、見逃してしまったが、海保の流出ビデオ映像問題を遣って居る。こうで為くちゃ~、下衆貧民の楽しみが無いと云う物である。

 左翼鬼瓦女史頑張れ!! さぁ、三宅先生、日本の頑固親父の本領を発揮して下され!!

 やれやれ~。俺ぁ、高みの見物だわさ。中国擁護女史に台湾の日本帰化女史、ガンガン、ヒステリックに攻め為され。好いですねぇ~。上品も下品も、屁ったくれもゴザンせんやね。売り言葉に買い言葉、どんどんお遣り下され。
 所詮、目から鱗の『大発見』が、提示される訳でも無いのである。皆さん、其々の本領発揮に、テレビ聴衆は、左翼進歩派女史・保守系頑固親父・自意識過剰の自我強調派女史の論・意見・感情の口角泡を飛ばすお茶の間劇場に、途中から野次、合いの手、罵声に拍手を送れば好いだけの事である。

 西部邁ゼミナール、大前研一さんのトーク番組・解説番組とは違うのであるから、『行儀好く聴講生』なんぞで、拝聴する必要など無いのである。こう云った番組は、黙って見て居ては、番組の趣旨に反するのである。『笑点』のお時間同様に、<上手い>とか<この馬鹿タレが~>とか<キザな野郎だけど、流石だ>で、大いにリラックスして参加して行けば好いのである。

 そうすれば、例え、一人身の老人であっても、頭の体操・言葉の体操、野次馬根性の涵養に大いに寄与するのである。真面目に、背筋を伸ばしているだけでは、脳細胞の保守機能は衰えるばかりである。誰も、見ちゃ居ないんでありまするぞ。脳の活性化には、下衆の野次馬発散が、肝要なのである。

            イッヒッヒ~ってな物である。

 アジャジァ、日が陰って寒く成って終った物である。本日、日曜日の休息日である。無理して、散歩をこなす必要も無かろうて。

心何処ーショート 一週抜きのロートル・トーク
             一週抜きのロートル・トーク(11/6/10)
 さてさて、土曜日である。一週抜きのTとのコーヒータイムである。オスの性徴著しい倅鳥は、首の羽毛を抜かれて、苛めに遭って居る。朝食のご機嫌伺いを終えて、鳥籠の掃除をして、平等にオス1メス2の籠に分離する。久し振りに、四畳半窓辺に鳥籠を置いて遣る。

 庭に回って、柿の剥き皮の天日干しの掻き混ぜをした後は、楓の木の下から、キジバトの観察である。一羽の雛は、既に十分な成長振りで、巣の中に立って、私を平然と見下ろしている。口笛をピィピィ吹いて、ご挨拶をする。もう一羽の方は、まだまだ幼い形である。頭部には産毛が未だ取れずに、縮こまって、顔だけで私を窺がっている態度である。

  小部屋の定位置で煙草を吸っていると、通い綴りを持った斜向かい吟さんである。
 
 さてさて、次の印刷は、何処からかな・・・通い綴りの頁を捲って、結婚式前日からである。吟さん、孫達の預かりとの事である。週末の習慣とは云う物の、疲れるとの事である。祖父と孫の間で、早々話が合う訳では無い。ロートル男のお時間には、私の文作が無いと、マイペースが保たれないとの事である。
 
    へへへ、些か為りとて、私の文作も社会貢献をして居るのである。

 流出ビデオ映像の話をしていると、お誘いの電話である。本日も、好いお天気であるから、甘柿を幾つか持って、外で待つ事にする。Tは、車の中から私の部屋を覗いて居る。へへ、金華鳥のお出迎えはある物の、小部屋のオヤジが見えない・・・のである。

 手を振って、Tに合図する。
「ほい、甘柿だ。高級和菓子は、一か月後だ。」
「おぅ、好い色をしてるじゃないか。」早速、食べるTである。

「結婚式は、好かったらしいじゃないか。目出度し目出度しだわな。」
「うん、好い披露宴だったぜや。緊張感ゼロのお目出た宴会のムードでさ。今までの披露宴の中で、一番しっくりした披露宴だったわね。田舎の好さが、好く出て居たわな。」

 コーヒースタバの二階席に行くと、S大の先生が、太陽の眩しさに雑誌でカバーして居られる。窓際奥の席には、白人中年男性が専門雑誌の様な物を開いて、真面目顔で仕事をしている。二階は日差しを受けて暖かいが、服装はセーター姿の晩秋スタイルである。

「昨日は、朝のラジオのニュースで、YouTubeさね。なんで、あれくらいの物を、正々堂々と事件日にニュースとして流せないものかね。お偉い人の脳味噌の中は、一般人には思いも及ばない『ガチャガチャ知恵の輪』なんだろうね。へへへ、分からねぇから、思い切り下衆の遠吠えして遣ったわね。ギャハハ。」

「本当にな。あんなのは、ガンガン全世界に発信すりゃ好いんだよ。全世界の人に見せて、日本の立場を鮮明に訴え掛けりゃ好いんだよ。それこさぁ、何とか大臣の言う『一目瞭然の効果』ずらよ。<民主党政権は、何を考えてるんじゃい。>だよな。」

「二時間あるんだったらさ。画面下にもう二つ画面を嵌め込んでさ。左が日本側で右が中国側でさ。両方の言い分を入れてさね。ビデオ映像を見ながら、日中双方の公開討論会風に編集して、世界のメディアに流せば好いんだわさ。
 軍事力の行使が出来ない日本の戦術なら、世界の世論に訴え掛けるのが、日本外交の方途だろうが。その選択肢を『敢えて採らない』と云うのが、現政権の不気味さだわな。」

「そうだよな。今からでも遅く無いから、今までの日中の事件経過を時系列で、テープを編集して見せれば好いんだよ。そうすりぁ、NHKお得意の『ドキュメンタリー仕上げ』に為るしさ。編集者の事件へのスタンスが明確に為るわな。
 下手に作為的編集なんかしたら、事が近過去の記憶に新しい出来事だから、その編集如何で、益々、マスコミ、テレビ局の報道姿勢の正体が、炙り出されて来るしさ。馬鹿の一つ覚え見たいに、地方主権だとか国民主権を声高に吹聴して居る政治屋の実態ってのが、国民の前に明らかに為って来るだろうしな。問題は、野郎どもに、その覚悟があるか、如何かだわな。」

「そうだよ。正しく、政治家・報道・識者・評論家達の『踏み絵』だわさ。伴天連キリシタンの踏み絵と違って、命は取られないから、安心して踏み絵に参加すりゃいいんだよ。イッヒッヒ!!
 一発打ちのブログじぁ入って無いんだけどさ、読み直して、加筆して有る処が数か所あるんだけどさ。
 学生運動の資金提供減の一つに、ソ連が有ったと云うのは、その道の公知の事実だと云うし、その関係・系譜からすれば、嘗ての活動家達が現政権の主要部分を握って居るんだから、勝手な妄想すれば、今の主要な資金源・ルートに中共マネーが送り込まれて居ると見た方が、この一連の中国寄り外交は、辻褄が合うだろ。
 前に、ブログで面白可笑しく、美人秘書面した工作員の監視政治なんて『妄想小噺』を打ったんだけどさ。それが、絵空事では無く現実の実態かも知れんわね。ビクトリア朝のシャーロック・ホームズさんだって、そんな仮説を立てざるを得ないだろうよ。」

「そうだそうだ、Rのジャパン・デビューのNHK偏向史観への咬み付きに出て居たけどさ。俺達の年代なら、NHKがあんな物を流してもさ。馬鹿も休み休み言いなよ。公共放送が、左傾偏向仕立てして如何するんじゃい。馬鹿馬鹿しいで素通り出来るけどさ。
 あんな物を、鵜呑みしたら亡国の大行進だぜや。足元見られて、金髪美形オバさんのクリントンお局に、<安保で守って遣るから、思い遣り予算をはずむのよ。分かってるでしょうね。オホホ。>じゃ、駄目だわな。思い遣り予算を、其の儘、自衛隊を国軍に嵩上げして、増強して配置すれば、雇用の一助にも為るズラよ。
 この辺りで、真っ当に憲法改正してさ、スパイ防止法を作って、保守の道を取り戻さなくちゃ、手遅れに為るぜや。」

「この頃さ、歳を取った所為か、タイムトリップして、考える事が有るんだよな。この時代に、俺達団塊の世代が大学生だったら、国辱現政権粉砕・中国粉砕・憲法改正なんて、国会議事堂を取り囲んで、シュフレヒコールを叫んで、機動隊から放水浴びて居るのかな、とかさ。
 日本愛国党の赤尾敏さんが、街頭演説を繰り返して、えーと、えーと、<怒れる17歳>の大見出しで、ヤマグチ・オトヤ、シラトリ・???少年の『一人一殺』なんて、物騒な事件が頻発するんじゃないか・・・なんて、考える事が、有るんだけどな。」

「おぅおぅ、そうだったいなぁ~。あの当時は、日本にも多感な時代が有ったもんだいなぁ。平和で粗野で元気な時代と、平和ボケの無関心な時代か・・・ 明治維新から140年。一等国目指して、富国強兵・破竹の70数年。夢終えて、敗戦65年か。
 おいおい、75年と65年の数字を比較すると、これは、どえらい事っちゃ~、こりゃ、正しくターニングポイントに、日本は差し掛かっているんじゃないのか。此処で、目覚め為れれば、日本は完全に沈没するわな。日本は、東洋の昔話の国に転落だぜや。」

「本当だよな。こりぁ、大変だ。偶には、昼寝でもしようかなんて考えていたけど、昼寝抜きで、ヤクザもどきのロートルオヤジトークを、健忘症で失念しねぇ内に、打ち上げて置かなくちゃ無んねぇや。
 さてさて、パッパでも吸って、買い物して帰るかいね。へへへ。」

 一週置いた好色ロートルコンビは、こうして見ると、真面目な憂国男の側面も持ち合わせている様である。外見が如何であれ、女の軽口の様に、ヤクザもどき・好色ロートル・コンビと、蔑視しては為りませぬぞ。
                  イッヒッヒ~。 


心何処ーショート 如何するんじゃい!!
         下衆の野次馬砲・如何するんじゃい!!(11/5/10)
 
 へへへ、やっぱり、出ちゃいましたね。一体如何するんでしょうかね。仙谷さん。

 外国に対して、赤っ恥を晒し、国会で開き直り、今度は隠し通して、白らを切り通すしか無い『トラの子証拠ビデオ』が、国会開示の7分ビデオの7倍の、50分前後のYouTube開放である。

 こりぁ、大失態でありまするね。私なんか、気が弱いから、即発狂しちゃいますよ。

 待ってましたとばかりに、私は『国民の義務』と思って、濁った老眼鏡を洗って、とっくりと見せて頂きましたよ。各党内選りすぐりの国会議員先生達の非公開映像の7倍の、国民待望の『中国漁船の領海侵犯並びに当て逃げ映像』でありましたよ。

            これは、大変な騒ぎに為りますよ。

 下衆ロートルの1/7しか見て居ない金バッジ議員さん達の面子も丸潰れ。何しろ、面子への自惚れだけが、彼等・彼女等のパフォーマーとしてのショー舞台人間なのである。自分達の面子が潰されたと有っては、力みに力み捲って、二、三の大臣の首のすげ替えだけでは、収まらない筈である。

 現民主党の至宝・司令塔の官房長官を失っては、菅無理内閣など、到底持ち堪えまい。

 この事態は、酒を飲み過ぎて『オバ、オバババ・・・』の名台詞で、没した中川さんの比ではあるまい。私は親子二代に亘った骨太政治家のファンであったのであるが、どんな政治対処をして行くんでしょうかね。
 NHKスペシャルの『ジャパン・デビュー』なんて、中国にキンタマをにがまれた自虐史観の洗脳編集企画物は、国辱の極みではあるが、『龍馬伝』の方は、視聴率が好調の様である。斯く言う私も、毎週、老母と楽しみにして見て居る処である。

 今のグチャグチャ政権を見て居ると、この体たらくの民主党政権は、龍馬伝風に解釈すると、<大政奉還>をする事で、挙国一致内閣を造って進むしか、方途は無いのでは無いか? 中国に攻められ、ロシアに揺さぶられて、安保の見返りをタカられる。
 目前に迫った横浜会議で、コッキン刀、目途紅死餌夫の盗賊首領と握手出来ないとあっては、国辱と<盲信・狂信>の猛進をしている現政権である。

 冗談じゃねぇや。日本は、戦前一等国である。腐っても、鯛は鯛なのである。揉み手の握手何かで、下卑する事ぁ、無ぇんだよ。日本人のキンタマを、見せ付けて遣れば好いだけの事である。お前さん達、学生時代はヘルメットにタオルマスクで、鬼の機動隊を相手にと竹竿・鉄パイプ・投石の華々しい闘争を繰り返していたんだろうが。
 相手は、スーツにネクタイしてるんだぜや~。それに、此処は、ホームグランドの日本の横浜ザンしょ。未だ11月でヤンしょう。小便が、アーチで凍る酷寒シベリヤの異国の丘の重労働じゃ無いわね。今から、キンタマが縮み上がって、如何するんじゃい。

 幕末徳川将軍家が、自民党の姿と思っていたのだが、政権交代の明治維新新政府が、この幼稚さと体たらくさであったとは、誰が想像出来ただろうか・・・

 こんな政治・政局しか出来ない国会議員達には、解散総選挙による政権交代などは、国費の無駄使いにして、そんな時間の余裕があろう筈が無いのである。悠長に解散総選挙などして居たら、尖閣・竹島・北方四島・沖ノ鳥島に、第三波、四波の島荒らしに翻弄されるだけである。

 国防をないがしろにして来た寄り掛り・騙され平和教条主義、平和ボケの65年間の中で、国家精神を喪失した戦後日本人を象徴するかの様な日本の政治への、これは現実世界の強烈なジャブ攻撃である。
 間合いと牽制のジャブ攻撃で、間合いと心理を読まれて、何とする。腰の備え無くして、何の見極めか。相手に利き足を踏み込まれて、体重の乗ったフック、ストレート、アッパーカットが、急所に炸裂したら、何とするか。
 平和・不戦の題目を唱えながらのテンカウント・ノックアウトを聞いて、日本国は成仏するのか!! 馬鹿も休み休み言遣がれ。腑抜けキンタマで、子供手当で産めよ増やせよで、幾ら日本国民を増産しても、国威の衰えは挽回出来る訳が無いではないか。

 好い大人なんだから、少しは肝を据えて、真面目に考え、行動して、国民に範を垂れずして何の国会議員様じゃい。<毛無し・金無し・女無し、止めが、甲斐性無し>の下衆貧民ロートルの罵詈雑言を喰らって、『憤死』しないとは、政治家・指導者失格でありまするわな。

 現政権は、早急に船中八策を認めて、正に『大政奉還』を挙行して、挙国一致内閣を造り、目下の国難に向かうしかあるまい。奇兵隊内閣を気取って見せた民主党菅内閣では無いか。ピンチはチャンスなどと、兎角、ゴタ句を並べ立てるのに、長けた連中である。

 為らば、今こそが、ピンチをチャンスに替える絶好の機会ではないか。性根を据えて、事に当たれば、天岩戸にお隠れに為った天照大神様が、お出ましに為るでは無いか。天照大神様は、日本の守り神様で居らっしゃるのであろうが。

 国会議員・識者の皆さんが、そんなに維新物に造詣が深いのなら、現代の船中八策の引っ提げて『平成の大政奉還』を良識の場、討論の場の国会で、徹夜審議でも敢行されたら如何な物であろうか。横浜会議前の無難に乗り切るばかりのニュース・スルーであっては、如何し様も無かろう。

 何か、虚しいですね。戯けブログの下衆の遠吠えではありますが、ボヤキに賛同のお方は、拍手でもして頂けたら、少しは血圧が下がると思いまする。へへへでありまする。

心何処ーショート 秘密のロートル・クマ男の音痴唄
           秘密のロートル・クマ男の音痴唄(11/4/10)
 雲一つない日本晴れと、空の青さを愛て、一面の天空を見渡す。嗚呼、残念為り。アルプス常念岳の裾に、小さな小さな薄い白雲一つである。双眼鏡にデジカメ、水筒代わりのペットボトルを、持っての昼散歩である。アルプスには、薄らと雪の白さが乗っかって居る。東山景には未だ、萌える様な黄葉・紅葉の衣替えは無い物の、清々しいまでの澄み渡った空気の青である。

 歩道橋を渡る。橋を渡る学生達は、早やマフラーにジャンバー姿である。へへへ、信州松本の冬は、こんな物じゃゴザンせんよ。今から、冬支度をして何とするかである。今年の冬は、初体験の耳のシモヤケを、経験するが好かろう。ギャハハ~である。

 河川敷に植えられた小菊が、太陽に映えて黄色の膨張色を呈している。黄土色のタテハチョウが、光にヒラヒラ飛び、小さな灰色のシジミチョウが行き交う。サツキの植栽には、灰褐色のイトトンボが居るし、赤トンボも元気である。対岸を見れば、まだまだ、柿の実が生って居る。正規ルートの散歩運動を半分に切り上げて、柿の収穫をすると致そうか・・・

 体育館・県文会館周辺の並木が、好い色合いを呈している。桜、欅の紅葉とイチョウの黄葉のコントラストが、空の青の中に輝いている。体育館と会館のインターロッキングの広場に、石のモニュメントがニョッキリと建って居る。駐車場には、車が満杯状態で止まっているが、人が少ないのが、これまた、好いショットである。

               自然美に、人は無粋である。

 河川敷に下りて、短からず長からずの草道を、ゆっくりした歩調で歩く。こんな雰囲気に、唄を歌わないのでは、人間として無味の感性である。大分前に、せっせと暗記した唄が有るではないか。幸い散歩者の見えない。

 ボソボソ唄い始めた音痴唄ではあったが、何を隠そう、私は好い加減ロートルである。橋の下を唄いながら行くと、何と、エコーの反響である。私は、立ち止まって、『唐獅子牡丹』を正々堂々?と、ノーテンキ?で唄い出す始末なのである。

 相変わらずの女日照りの日々ではあるが、別に、欲求不満なのではない。それなりの声量で唄うと気持ちの好い物である。これぞ、発散の開放感とでも、云うのであろう。為るほど為るほど・・・カラオケに嵌る人間が、多い訳である。そんな男女の心理が、分かる様な気がした次第である。100%お世辞で言われるのであるが、声は悪くは無いから、練習すべしなのかも知れぬ。イッヒッヒ。

 止せば良いのに、唄い放しで、ハーフ散歩をして来てしまった。喉に調子が付いて来たのか、破廉恥漢の厚顔無恥の本性か・・・家の前の河川敷で、人の居ない事を幸いに、『星影のワルツ』まで、唄ってしまった。困ったロートル・オヤジでしか無い。ウッシッシ~。

 さてさて、脚立に乗って、高枝鋏を伸ばして、足掻いて見ましょうかね。バケツ2杯を採って、老母とロートル倅の三日目の皮剥きの段である。何しろ、好いお天気さんである。


心何処ーショート バルディナ様の到来 
             バルディナ様の到来(11/3/10)
 窓辺の葉陰に、尾羽が小刻みにタクトをしている。来ました。今年も北国の使者・雌ジョービタキのバルディナ2世さんのご挨拶である。

 はい、お疲れさん。待っていたでアリンスよ。でも、今年は大分、様子が違うでヤンしょ。間違い無く、此処が、貴女の冬の住まいでヤンスよ。自由にお使い下さい。

 朝飯を済ませて、昨日に引き続いて干し柿作りである。去年が当たり年であったから、今年は数が少ない。楓のキジバトの巣を見上げるが、今日も親バトの姿は見えない。何日か続いた寒い雨に、抱卵を断念して終ったのだろうか・・・ まぁ、そうであっても、仕方があるまい。時期が時期である。飼い鳥では無く、自然の中で生きる生活者なのである。
 本日、ヤケにシジュウカラが、姿を見せている。晩秋と云うよりも、初冬の空気を感じて居るのであろうか・・・
 
 ひたすらに、皮剥きである。昨日と違って日差しがあるから、廊下はサンルームで気持ちが好い。ラジオを掛け、コーヒーを飲みながらの作業である。楓の木にバサ付きである。

 覗きに行くと、巣に親が入り、二羽の雛が餌を強請っている。柊のギザギザの枝には、もう一羽の親鳩が止まっている。私とは1mも離れて居ない至近距離である。それでも、オスかメスかは判別出来ないが、親バトは、私を恐れる風も無い。感じる処では、餌遣りの順番を待っているらしい。三度目の抱卵・子育てなのであるから、お互いに見知った仲なのであろう。平然とした物である。
 
 キジバトには、私の人畜無害の本態が分かるのであろう。賢い生き物である。ギャハハ。

 ひたすら手を動かして皮を剥き、麻縄で括って物干し竿に吊るし、庭に出した台の上に、柿の皮を拡げる。ラジオから流れる歌を聞きながらの、老母とロートル倅の黙々手仕事である。

 ラジオの番組は変わって、世界ビジネス語・英語の話題である。21C世界経済は、グローバル経済に向けて、世界企業に脱皮する為に、社内公用語を英語にしたとの企業も登場するに至った。
 こんな番組は、正にNHK好みの学者・識者を交えての啓蒙番組なのである。番組で尤もらしく語られて居るのは、優等生馬鹿の陳腐で下らない<為にする為゛(だめ)トーク>でしかない。文法が、発音が如何のこうの、丸で旧態依然とした優等生馬鹿の言である。
 
 そんな物は、何らインテリ振る必要が有るものか。日常の在りの儘を考えて見れば、分かる事である。笑止千万の馬鹿番組である。これが、旗日・文化の日のNHK特別番組かいな???

 文化の日は、戦前は明治天皇の誕生日を祝う『明治節』である。日本・日本人の国柄・精神性が、退廃し切って居る昨今である。尖閣諸島・竹島・北方四島が、外国に侵犯されているのである。これで、言葉迄もが、自らの手で変な方向に迷走して仕舞っては、見苦しき様である。文化の日ならば、少しは日本文化を振り返る事で、日本文化とは何ぞやの啓蒙の日でもあっても好かろう物を。如何でしょうか。

 日本人にだって、上手い話はするが、文章が書けない人間も居るし、文章は上手いのに会話が下手な人間も居る。言葉の発音にしても、方言は上手いが、標準語の発音が苦手の人間も居る。RとLの発音が、如何のこうのを異常視する教師馬鹿の低能児も居る。
 言葉なんざぁ、第一義的に、お互いの意思伝達手段にしか過ぎまい。周囲を見渡せば、日本を話す白人も黒人も、中東、アジア人達も、溢れかえって居るのである。彼等の話す日本語には、彼等のお国訛りがある。
 にも拘らず、何で日本人だけが、正調イングリッシュをマスターしなければ為らないのか。馬鹿も、休み休み言っておくなまし。従順で、気真面目過ぎるから、付け込まれるんでありまするぞえ。

     この程度が、日本のヘンテリ様じぁ、どうしようもなかんべさ。

 彼等のアメ発音が、雨なのか飴を差すのかは、その状況に居れば、アメを聞く日本人は、即座に雨と飴を理解するのは当然の話であろうが。日本語の発音試験じゃ有るまいし、降り頻る雨に『傘』を差し出さずに、『飴』を差し出す馬鹿が居るのかと聞きたい物である。

 彼等外国人が、変な発音、変な文法日本語を喋ったとしても、意味さえ通じれば事は進むのである。良いですかな、日本語を一切喋れなかった極普通のロシア人・中国人・韓国人・フィリピン人などのおネェちゃん達が、ホステス稼業で日本語を覚えて、日本人と結婚をして仕舞うこの現実を、インテリさん達は、御存知無いんでしょうかね。
 お高く留まっているだけで、生活者としてのインテリジェンスの欠片も無い連中の話す、『余所行き話』に相槌を打って来る視聴者さん達も、<教育的迎合>が過ぎまするわな。馬鹿たれが、顔を洗って出直して来なってな物である。

 なになに、今度は『あなたの声を利かせて下さい。高齢者の絆は、今?』ですと・・・ へへへ、またまた、お得意の啓蒙のお時間ですかな。

 ふむふむ、成程、成程、縦社会の男族と横社会の女族の一人老後は、圧倒的に男族不利の様である。老後の社会は、横社会への開拓が鍵と為りそうでありまする。山本晋也監督は、矢張り市井のインテリジョンスを持ち合わせて居りまするなぁ。イッヒッヒ~。

 この位の語り口を持って居ないと、男族の老後はキツイでありまするぞ。御同輩~。へへへ。


心何処・・・宿題詩
         吾が街、私の街(詞/アガタ・リョウ)

      冬が来れば、白いアルプス。下ろせば、縮み上がる。
         朝な夕なに、茜色。凛と引き締まる。
           吾が街、吾が街。私の街よ。
      今朝もウォーキング、ジョニング。習慣守る朝の街。

         春来れば、萌えの山々。吹けば、春の息吹。
          朝な夕なに、春進む。のたりの春霞。
            吾が街、吾が街。私の街よ。
        花咲き小鳥は歌う。春色満開に 川のせせらぎ。

          夏来れば、青い山並み。湧き上がる 
         白い入道雲。蛍飛んで、花火、夜空に咲く。
            吾が街、吾が街。私の街よ。
        山は残雪に輝き、清流は 林間に飛沫の涼運ぶ。

         秋来れば、黄金の田。赤トンボつるみ飛ぶ。
           赤・黄色の紅葉、山と街を覆う。
            吾が街、吾が街。私の街よ。
        生まれ育ち、帰って来た。此処が、私が生きる街。

         春夏秋冬、一年が巡り、一年が始まる。
      人は、人だけでは 生きられぬ。人も自然も一体なのさ。
         此処で生まれ、育ち、自然と人に包まれて、
        今を素直に生きる。嗚呼、吾が街・我が歩み。

 結婚式で、義弟と約束した作詩をして見ました。ギターで作曲をすると言う彼は、音楽1の私からすると、天才と云うしか無い。私の音痴振りは、ピアノ伴奏で、更生の努力をしてくれた女房殿であったが、新婚の内に早々に匙を投げられて仕舞った。其れほどに、殊、音楽に関しては、鬼門中の鬼門なのである。従って、歌詞など、ついぞ妄想の範疇に無く・・・イメージとて、遠く及ばない処であった。
 然しながら、硬派の男意地である。約束を反故・忘却して終ったと為らば、男が廃ると云う物である。

 へへへ、義弟殿、スカンポロートルの努力を可と致し、曲のイメージを膨らませ為され。

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