旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処・・・トロイカの実顔
                 トロイカの実顔


                 トロイカの顔


 目立ちたがり屋・鳩山さんの提唱したトロイカ路線の踏襲は、不調に終わったと云う事ですね。

 灰色のバックが似合う小沢さん。二酸化炭素25%削減宣言・グリーンイノベーションをぶち上げた緑をバックにする同世代コンビの菅さん、鳩山さん。日本のエース、お三方で有りまする。
 
 日頃の妄想を、一切払拭して、民主党さんの実顔を一生懸命スケッチして見ました。完成したのは、好いんですが、<ちっとも美しくありません。>・・・如何しましょう。吾が画才の無さ、手先の不器用さは、日本国民として、お恥ずかしい限りで有りまする。
 
 不敬罪で、特高警察に逮捕→死刑に為って仕舞うんでしょうかね。

 あっそうだ、裁判員制度も有りますし、死刑反対の千葉法相がご健在でしたね。もし、大事に為ってしまったら、助命嘆願書に情けの署名をば、お願い申し上げまする。

        ユビキリゲンマン、嘘こいたら、ハリ千本飲~ます。

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心何処ーショート 俺、何が言いたいんだろう?
             俺、何が言いたいんだろう?(8/31/10)
 暑い暑い、汗のべた付きにガバッと起きる。この頃は、輪を掛けての夜更かしの日々を余儀なくされている。元々、低血圧の気味があるから、朝弱く、夜強いの体質であった。スポーツなんかでも、一汗掻いてからが、調子が付いて来る体質であった。兎に角、それ相応の暖気運転が必要なのである。これも、私の性格と同様に、厄介な体質である。

 尤も、それは男子として、恥ずかしき事であるから、なるべく人目に晒さない様にしているだけの事である。大体は、午前中は頭の巡りの悪い事は、自分でも痛感している処である。

 此方の言葉に依ると、『ノテ』と『タイテのコラサ』の複合状態なのであるから、始末が悪い事、夥(おびただ)しい限りである。そんな事で、民放放送のあの騒々しさが体調・体質に合わないから、殆どはラジオにしてもテレビにしても、昔からNHKさんの御厄介に為って居るのである。
 日頃、芸NO人として、目の敵にして居る不細工な顔・品作りの輩達も、私のこんな体質と性格からの烙印を押されているだけの事である。とは、表向きの事。
 心底、貴様ら、何を奇を衒(てら)って居るんじゃい。この馬鹿たれが、好い加減稼いだんだから、その銭持って大人しくして遣がれ、ピーチク、パーチク、ギャーギャー、下卑た合いの手爆笑のテンコ盛りのオンパレード・・・目障り千万じゃい。他人・世間に偉そうな悪態こくなら、早いとこ引退して、頭を冷やして、一視聴者の立場で世の中、見てから自伝でも書けや。

 時間が有るんだから、ゴーストライターとか、インタビュー語りで、他人様の手を煩わせるなよ。ってな物である。

 但し、この頃、馬鹿の一つ覚えの様に開かれたNHKを標榜しているらしき経営方針から、芸NOタレントが、良く顔を出して居るから、そんな輩の顔は見たくないから、私はスタコラ自室に戻って仕舞うだけの事である。

 芸能人と芸NO人の区別くらい、NHKさんしておくんなまし。お願ぇしますだ。

 NHK若手女子アナが、化粧と胸・足の露出度を跳ね上げた処で、視聴率が向上する訳でも無かろうし、そんな事で、視聴率が向上する様では、NHKらしさが衰退して終うだけの事である。そんな、視聴率など不必要であろう。

 NHKさんまで、金太郎飴に成り下がってしまったら、スキンヘッドの強面で、受信料の不払い行動に出て遣るわいな。ロートル・クマ男でも、ヤーさんの真似ぐらい出来まっせ。何しろ、こっちにはTから貰ったサングラスが有るっぺや。ギャハハ!!

 それと、もう一つ、国語審議会なんて所の『好い加減さ』に、この際、一噛みして置きましょうかね・・・漢字の読み方は、時代によって変遷するとのご見解である。

 十八番、重複は、我々団塊世代・受験世代だと、オハコ、チョウフクが正解で、ジュウハチバン、ジュウフクと読んだ時点で、偏差値を見破られてしまった物である。横文字のカタカナ文字が氾濫して、昔ながらの日本語の好さが駆逐されて行くご時世である。下世話風に云えば、日本語に世代読みが有ると云うのは、仕方の無い側面も有るかも知れない。

 然しながら、若い世代がそうだからと云って、ホイホイそれに迎合するだけでは、文化の質を守り、誤りを訂正をして行くと云う気概が無いではないか・・・世の中には、頑固親父のお目付けが無ければ、それは真っ当な社会とは云えない筈である。

 ラジオ電波・テレビ電波に依ると、鳩山さんなる御仁が、菅さん、小沢さんの間を取り持って、トロイカ体制で民主党をリードして行くとか・・・ホンマかいね。総理経験者が党内に残っている事の悪弊を云々言って、見事な『抱き付き心中』を花道演出して見せた当のご本人様である。違いましたかね。寄る歳並みで脳軟化症の自覚症状は無いものの・・・私も、病魔に侵されて居るんでしょうかね・・・

これも、当世政治家の国語読みの変遷で片付けられてしまう領域なんでしょうかね。

 ヨォ、国語審議会の頭でっかちの事無かれ主義の学者さん達よぉ。返答次第に依っちゃ、小便ぶっ掛けるぜや~。どいつもこいつも、キンタマを抜かれて、臍下三寸に重しが足りねぇから、言いたい放題、遣りたい放題の芸NO人寄せばっかり、遣ってるだけじゃねぇのかい。
 各界をリードする指導者が、節度・節操を失くしたら、この世は、鶴田浩二さんが歌う嘆き唄『傷だらけの人生』だけじゃゴザンせんかい? あい!!

 遺憾いかん・・・お見苦しき、下衆貧民の遠吠えに御座りまする。軽く読み流して下さいませ。さて、正常モードにシフト替え致しましょうかね。イッヒッヒ!!

 深夜の時間帯に為ると、懐メロをYouTubuで聴く事がある。私の場合、歌が好きと云う訳では無く、歌詞が好きなのである。歌詞の拡がりと云った世界が好きなのである。私の兄弟の中で、歌を口ずさんで居たのは、長兄と三兄である。三兄とは年が近かったし、口数の少ない男ではあったが、その分、心の中が分かった仲であった。二人は早逝してしまったから、兄弟としての話が出来ないのが、この歳に為ると、酷く勿体無いのである。

 懐メロを聴いて居ると、可笑しな事に気付く。夜霧のブルース、北帰行、さすらい、侍日本、錆びたジャックナイフ、戦友、唐獅子牡丹、網走番外地などと、三兄の持ち歌が、良く気分にフィットするのであるから、血は争えない物だと苦笑いをしている次第なのである。

 昨夜のミッドナイト散歩の折りには、夜霧のブルースと錆びたジャックナイフを歌いながら、歩いて来た。初めは、音痴この上ないから、人が来ると唄を止めて居たのであるが、途中からは、何故か気持ちが良く為って来て面倒であるから、其の儘、唄って歩いた。

 へへへ、音痴でも唄いたい時は、あるのである。文句を言う前に、自分が音痴で無い事を、幸せと思い遣がれってな物である。

 本日も松本地方は、35℃との事でありまする。はい、暑いでありまする。俺、結局、何が言いたかったんでしょうかね。これじゃ、女房子供から、蹴り出される訳でありまする。ケッケッケ!!


心何処・・・Macotan&Ryou 合作詩
            Macotan&Ryou 合作詩

             何処で咲こうが、花は花。
             何処に居ようが、私は私。
             何処であろうが、生きて行く。

                       by水元公園検定委員会Macotan

            ちょいと、そこの深刻顔したお兄さん。
           こっちに来て、アタシの目線で見てご覧よぉ~。

              何処で咲こうが、花は花よ。
      上から目線じゃ、こんな大洋も穏やかな海も見えっこないわよ。
            何処に居ようと、あなたは、あなたよ。

            ほら、見て御覧なさいよ。青空の奥行を。
           きっと、白雲があなたを案内してくれるわよ。
                さぁ、いらっしゃいな。

       海を渡って、緑の大地に踏み出せば、何かが見えて来るわよ。
          このアタシが見守って居て上げるわよ。オホホ。

                            詠み人/北国の金髪観音

                何処で咲こうが、花は花。
                何処に居ようが、私は私。
                何処であろうが、生きて行く。

 
 Macotanさん、ありがとさんね~。あなたの言葉に、私の妄想で汚れた魂が、一時であっても救われ申した。Macotan様のお写真は、カテゴリー内『水元公園検定委員会』より、お入り下さい。
 氏の凛とした芸術作品と軽妙洒脱為る小噺の数々が、あなたのブログ散策の楽しみに一つ加わる事で有りましょう。

追伸・・・申し遅れましたが、氏と私は、『金髪友の会』を結成致して居りまする。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 空にぁ、猛暑の象徴・大入道雲。
            空にゃ、猛暑の象徴・大入道雲(8/30/10)
 窓から覗く空には、巨大な入道雲である。温い風呂に浸かって、皮膚に纏わり付く不純物は除去したのであるが、噴き出る汗に、もう勘弁してくれとの哀願である。
 それでも、吹いて来る風は涼しい秋の芽生えである。昨夕は、たっぷりと散水して遣ったから、窓辺の緑にも、何かしらの瑞々しさも感じられる処である。久し振りに、パイプ煙草で、風の訪れに任せて居る次第である。

 金華鳥の子供は、待望のオスである。頬の金色模様は未だであるが、胸の黒い縞模様がはっきりして来た。子供の初々しさは、何でも可愛い物で有る。よしよし・・・

 本日は、訪問したブログさんの好い記事、面白い記事があって、コメント道草をして居る内に、自分のブログ記事の取っ掛かりを逸してしまった。こんな処も、一方通行で無いブログの面白さ、常連さん達との気分の交流と云った処であって、実に楽しい処である。

 それでもブログで仲良くさせて頂いている「水元公園」検定委員会のmacotan様のブログ記事に触発されて、<続詩>なんて清らかな気持ちで一片の詩もどきを投稿して居る間に、窓辺を通って行かれた金髪女性の顔を取り逃がしてしまった。

 あっ、チクショウ~、貴重なチャンスを取り逃がしてしまった、残念至極!!

 幾ら、私が白人金髪女性に並々ならぬ執念を燃やして居ると云っても、そう簡単にお見掛けする事は叶わないのである。加えて、僅かばかりの妄想力で、後ろ姿だけを以ってしては、妄想の窓は開きっこ無いのである。
 多少なりとも、妄想を触発させる美とかエロスの片鱗が無くては、凡人の妄想力など登場してくれっこ無いのである。登場し無い物に、妄想の園が、花開く筈が無いのである。遠ざかる金髪のみで、妄想が活性化する為らば、皆、女共は金髪・生足の大エキストラ集団に為るだけで、泣きを見るのは男共と云った図式に、成り下がって仕舞う。

 中国人に教わった『見るだけ只、見無きゃ損損』は、この世の真理為れど、金髪さんが悉(ことごと)く美人・美形さんである筈も無い。世の中、そんなに甘くは無いのである。彼女達の存在が、稀少の価値だからこそ、その御利益が光るのである。

 神・仏は信じて居ないが、お天道様は小さい時から、信じ切って居る。きっと、これは、有難いお天道様のお導きであろう。『見るのは只、その替わり、歯軋りするも自己責任』も、この世の娑婆の常識と云うものである。そう冷静に考えれば、私の『金髪信仰』に水を差す事を、有難い『お天道様のお力』で、未然に防止して下されたのだと・・・考えるしかあるまい。イッヒッヒ!! ←勿論、負け惜しみである。


心何処・・・これが男と云うものさ。
                 これが男と云うものさ

                 ああ、これが男と云うものさ。_001


            夜霧のブルース/唄 ディック・ミネ 
 
             ♪可愛いあの娘が 夜霧の中へ
              投げる涙の リラの花
              何も言わぬが 笑って見せる
              ああ、これが男と云うものさ♪

 これだけ、男前に描いて置けば、Tも文句はあるまい。毛の有るのがTで、毛の無いのが私である。土曜日・コーヒースタバの相棒である。前に出した下の彼への大エ~ル絵は、やっこさんのお叱りを頂戴して仕舞った。

 皆様のご心眼にて、上下の絵を見比べて、どちらが土曜日の相棒として、ブログ内容からして、実態に近いかコメントを頂けると心強う御座りまする。

 ★絵画技法と致しましては、心ならずとも主役に花を持たせるべく、若干の苦心を試みた経緯が御座りまする~。ギャハハ!! 

                  吾が友為り





心何処ーショート 久し振りの街場、夜散歩。
             久し振りの街場、夜散歩(8/29/10)
 差し当たって、する事も無いから、夜散歩に出掛ける事にする。私も現代に生きている端くれの一人であるから、社会見学方々、垢抜けした松本の中心部の街場まで足を伸ばす事にする。所要時間は2時間と云った処である。

 何かと、誘惑の多い街場の事であるから、煙草・財布の必要物は、部屋に置いてのブラリブラリの下り勾配道中である。

 お月さんも大分欠けて来て、夜空の明るさが、やや明るい物の・・・秋の虫達の声が、はっきり聞こえる。夜に為ると、矢張り風の中には、秋を感じさせる物が有り、見上げる空には、名前は知らないが、ひと際輝きを放っている星がある。
 女鳥羽川に生息するカルガモ、コサギ、アオサギ達も、お寝みのお時間である。外灯、月光に墨絵の様に浮かぶ川の中に、彼等のシルエットが見える。昼と夜に、街は顔を変える。

 おやおや、客をタクシーに見送るママさんは、<お前好みの店が有るぞ>と教えてくれた姉妹二人で、切り盛りする店のママさんではないか。もう一人のお方の方が、好みだったわいな。へへへ、猛暑疲れが、身体に出て居りまするぞ。頑張り為され。

 あれ、此処に在った老舗の中華料理店が無く為っている。更地では無いか・・・この店のラーメンの黄色いスープ、回りの赤いチャーシュウは、昔ながらの味を伝えて居たのに、客の入りも悪くは無かった筈なのに・・・
   そう云えば、跡取り息子の嫁さんは、フィリピーナさんであったわな。

 さてさて、この橋で折り返そう。助平心で財布無しで入っても、<久し振り>と飲ませては呉れるだろうが・・・行けば、今度は財布を持って飲みに行かねば為らなく為る。貧民にとっては、橋の向こうは、鬼門である。

 縄手通りに入って、トイレで顔を洗おう。時間が時間であるから、店が開いて居るのは、数件の赤ちょうちんだけである。小用を足して、顔を洗うと一段と夜風が気持ち好い。四柱神社の石鳥居の横では、ベンチに若い白人カップルが話をしている。如何やら、フランス語の様である。

 へへへ、日本の風情・雰囲気を楽しんで行かれよ。日本御訪問、有難うゴザンス。

 松本紹介では、この界隈は決まって雑誌に登場するロケーションである。熟年夫婦、熟年男の気取らない出で立ちの観光客が、何人かカメラを首に吊るして、カメラアングルを探して散策をしている。

 映画館の並んでいた通りを歩く。タクシーが止まって、中から熟年男が下りて来た。Tシャツに短パン・スニーカー、帽子は何と高級麦わら帽子に、首タオルである。顔には眼鏡を掛けて居る。おやおや、口には髭を蓄えて居る。好いですなぁ~。当然手には、デジカメを持って居られる。

 私は、こう云った御仁が目の保養に為るのである。御仁の感性や、如何に・・・ 

 へへへ、彼の後を付けて、暫く、気分の保養をさせて頂く。彼は、二三枚撮って、細い路地の薄いネオンの中に消えて行った。

 さてさてと、昔、夜の繁華街、今、場末の歓楽街を見物しながら、帰るべしである。角を曲がると、通りにはタクシーのタムロである。通りには、客取りの女達が要所要所に佇んでいる。彼女達は、中国人の呼び込みである。

「マッサージ、気持ちの好いマッサージして行かないですか。若い子、いっぱい居ますよ。一万五千円です。気持ち好いですよ。遊んで行って下さい。お願いします。」

 へへへ、遊んでいた頃を思い出す。一杯飲み屋、赤ちょうちんにしか、遊びの銭は回らない不景気なご時世なのである。不景気風の日本では、採算が取れないだろうよ。景気の好い本国で商売をした方が、好いのかも知れませんぞよ。お国は近々、日本を抜いて世界第二位の経済大国に為らんとする政治大国でしょうに。こんなに執拗に堂々と客引きするのは、お下劣でゴザンスよ。イッヒッヒッヒ!!

    酔いが無いから、彼女達の顔・年齢が確り見える夜の界隈である。

 さてさて、上り勾配の帰り道である。現金・煙草ゼロの吾が身は、岡の宮神社で喉を潤してから、真面目歩きにシフト替えである。夜の薄い光に、静かに浮かび上がる神社の境内も、日本人のロートルには中々の風情である。
 
 再び土手道に出て、川のせせらぎ、夜空の雲、月、星星を眺めながら、汗をタオルで拭い、路傍のコオロギの声を探して、夜風に秋の訪れを感じながらの、もう一踏ん張りの夜散歩であった。


心何処ーショート 土曜日、痙攣とコーヒータイム
            土曜日、痙攣とコーヒータイム(8/28/10)
 アッアッ、痛痛っ、来た~。ウゥッ・・・右脹脛に、痙攣である。何しろ、痙攣は痛い物である。中学以来の痙攣癖である。痙攣とは、長いお付き合いであるから、それなりの前触れ、覚悟と対処の仕方は知ってはいるももの・・・痛さを身に沁みて知っているから、右親指をひん曲げての顰め面・忍の一字である。

 痙攣が収まっても、変に動かすと再痙攣と為る。インタバルを十分取って、恐る恐るの態で立ち上がり、親指を畳にくの字に押し付けて、確認をして見る。

 中学時代は、陸上の扱き練習がきつ過ぎて、就寝時に突然の痙攣に見舞われて、布団の中で、悶絶を繰り返して居た物である。長じて一度、海で一人遠泳をしている最中、痙攣に襲われた事がある。少なからず、頭の片隅で、死を覚悟した。
 でも、そんな時に限って、こんな事位で、死んで堪るかの気持ちが沸々と湧いて来て、『挫けてギブアップしたら、それでお終い。運命とは根気勝負』と、長い長い騙し泳ぎの果てに、精根尽き果てた態で、やっと泳ぎ着くと云う体験が有る。

 そんな体験を一度でもすると、溺れ死ぬ心配の無い陸上での痙攣など、泣き事の数にも入らないのである。水中に在っては、人間はえら呼吸は出来ないのである。利かぬ足を其の儘に、両の腕で水を掻くしか無いのであった。あの時の、痛さ・心細さ・疲労困憊を思い出せば、こんな痙攣など、月とスッポン、天国と地獄である。

 流される潮の流れに、何処へ流れ泳ぐのが一番得策か? 体力は? 呼吸のリズムは? そんな計算と頑張れ、頑張れの呟きを繰り返して居た。足の具合に注意を凝らして、少し動かして見たりの騙し泳ぎ・・・海を見たら泣きたく為るから、目を瞑って20、30を数えて目を開ける。丸で亀の様な歩みではあったが、目測の間違っていない事に安堵して、再び目を瞑っての騙し泳ぎ・・・ 
 その内に、足が収まって、足が動く。足が弱々しいながらも水を捉えて、体に推進力が付いて行く。心の中の恐怖の暗い淵に引きずり込まれたら、心細さの恐怖に声を発して終うその覚束なさを、焦るな焦るな・・・俺は、筋肉隆々の胸毛もある男の中の男だ。こんな事位で没したら、男が廃る。焦ったら、足掻きが生まれる。足掻けば、リズムが崩れる。俺は、男じゃい。呼吸のリズムさえ取れて居れば、必ず帰れる。

 足が底に着いた時の生還言の喜びは、神仏も無い不信心さではあったが、そんな宗教的助力さえ感じて、思わず合掌したのであった。

            さて、本日土曜日のコーヒータイムである。
 お迎えの車に乗り込むと、Tがこれを掛けて見ろやと、サングラスをプレゼントしてくれた。そうかいな、早速サングラスをして見る。ハンドルを握るTもサングラスである。このコンビだと、すれ違う他人から見たら、絶対に堅気には見えない。

「こんなサングラスをすると、海外旅行がしたくなるぜや。未だ、駄目かいな。」
「未だだな。あなたは女日照りで、マラッカ海峡が、ウズウズしてるんだろ。Rは、下半身は別人格だからな。俺なんか、上品な日々だぜなぁ~。ひひひ。」

「ディック・ミネが、何をこいてるだい。ディック・ミネさんのディックは、ビック・マラッカ海峡の意味だってさね。」
「あれ、知らなかったのかい? ロシア人が、あなたの物は、どんなロシア人の持ち物より大きいって、絶賛されて居たってのは、有名な話だぜや。
 Rが俺の事をディック・ミネってブログに書いてあるのを、○っちゃが見付けて、そんなにデカイなら見せて見ろなんて言うから、デカイのはRだと訂正しといたんじゃい。何だ、知らんで俺に、ディック・ミネかよ。」

「あ~、そう。皆さん博識だね。やっぱ、俺はオクテだわさ。もう歳だから、これから勉強しても、追い付かんだろうしな。困ったいなぁ。おい、ロシア行こう。」
「何こいてるだ。ロシア行って、喜ぶのはRだけだろう。俺は正真正銘のJIS規格だぜや。それに、今じゃ、胃無しの瞬発力・持続力に大ハンディを抱えている身だぜや。普通に遣ってても、二連チャンもしたら腎虚で、再入院だぜや。そりゃなぁ、友達甲斐が無いってもんずらさ。へへへ。」

 アイスコーヒーを持って、スタバの二階席に行くと、小学生の娘二人が、母親の前で宿題中である。なかなか賢い母親である。

「俺さぁ、ブログ打ってて、変な想像・妄想に囚われて居るんだよ。」
「ほぅ、そうかいな。お聞きしますよ。どうぞどうぞ。へへへ。」

「うん、テレビなんかの政治寄せ見てると、小沢さんの秘書には美人中国人秘書だか、韓国美人秘書さんが居るとか居ないとか、民主党議員の溜まり場が、赤坂の高級韓国美人の店だとか、その美人ママさんとの間に隠し子が居るとか居ないとか・・・

 ちょいと昔には、橋本さんに中国美人の秘書が、如何のこうのと・・・取り沙汰されて居ただろう。何処ぞの中小企業の社長さんにも、中国人秘書が闊歩してたって話だしさ。 
 フランスじゃプロヒューモさんなんて大臣さんが、高級コールガールに垂らし込まれて、国家機密がソ連に筒抜けだったなんて、一大スキャンダルがあったんだしさ。
 市川雷蔵主演のヒット作『陸軍中野学校』が有った時の日本と違って、平和ボケの日本じゃ、スパイ天国だろ。田中派二代目親分の金丸さんの所には、刻印の無い北?の金の延べ棒が、ゴロゴロ出て来たってのも事実だろ。

 外国人子女にも、国外の子女にも、子供手当・子供手当の一辺倒。外国人地方参政権問題・選択制夫婦別姓制度・高校の授業料の無償化で、朝鮮学校へも出すと云う画策が進んでいると云うし、この期に及んでの小沢さんの立候補は、普通の常識じゃ、解せない行動だぜや。
 政治家の外国人秘書さんは、プロヒューモ事件なんかの国家機密漏えいなんて程度の物じゃないぜや。スポンサーから回されたお目付け役なんじゃないかと疑っているんだよ。

 傀儡政府なんて話は好く聞くけど、政府要人個人へのこんな働き掛けは、操り人形にされちまっているんじゃないかと妄想してるんだけどさ。
 今までと違った動き・行動を取ると云うのには、それなりの『抗し難い外的力』が働いていると云うのが、シャーロック・ホームズさんの基本的スタンスだろうが・・・ 闇の政治資金に手を染めて、闇のスポンサーが頃合いと見て取って、『本性の要求』を現し始めたって云うのが、この政治の懲りない執着振り、ドタバタ劇の裏にあるんじゃないだろうかね。

 巷で言われているバラ撒きの大衆迎合政治の側面だけじゃ、腑に落ちない処が有るんだわさ。

 外国人秘書の本当の姿は、スポンサーの代理人程の力を行使して居るんじゃないかって、疑いの目を持って居るんだわさ。圧力大使館専属の武官って処が、彼女達の本当の役割じゃないのかね。単なる美人美形好きの高級アクセサリーじぁあるまいに。

 今のジャーナリストに、田中金脈問題を炙り出した『立花隆』程の人間がいたら、疑問の核心に迫る事が出来るんだと思うんだがさ。
 一端の野心あるジャーナリストだったら、格好のスクープ水脈なんだろうと思ってるんだけど、何故か、皆さん元気が無いね。こんなスクープが発掘されたら、活字離れ、週刊誌離れなんて現象は、一気にすっ飛ぶと思うんだけどね。
 俺みたいな馬鹿でも、この程度の妄想出来るんだから、取材と文章に長けたジャーナリストが、匂いを嗅ぎ付けないと云うのは、異常な現象だと思っているんだけどね。

 国内での外国益をこれ程、形振り構わずに遣ろうとしている政党・政治家は、国防では無く『国亡画策分子』としか捉え様が無いじゃないか。スパイ防止法に対する反対意見も、政治家として、余りにも青過ぎる匂いがして、我慢が為らんのだわ。
 あんな論法は、学生時代、被れに被れていた学生活動家の域を超えて居ない感じがするんだけどね。俺は右も左も分からないノンポリの一般的常識人なんだと思っているんだけど、そうとしか、理解出来んのだわさ。」

「為るほど、無きにしも・・・の話だわな。俺も、その眼鏡で、ウォッチングして見るわさ。処で、最近見たムービービデオは、なんだったいな?」
「そんな物ぁ決まって居るわな。ショーン・コネリーさんの007シリーズだわさ。ギャハハ!! Tと居ると、こんな話を楽しく出来るから、有難いって物さや。さて、パッパでも吸いに行くかいね。」

 煙草を吸った後は、お隣のホームセンターに行く。梅干しのお裾分けの瓶を3個買い、ちびた色鉛筆の長サックを探し歩く。帰りはTに待って居て貰い、買って来た瓶に梅干しを詰めて、手渡す。それにしても、長く続く猛暑である。


心何処・・・党内合戦
                   党内合戦

                  党内合戦_001

 本日の一枚で有りまする。ひょんな切っ掛けで、私と老母の拙い世評ライブを投稿してしまいました。調子に乗って、これだけ打ち捲くって、挿絵無しでは、希少奇特な訪問者様に、失礼に当たると思いまして、老眼鏡を拭き拭きして、頑張りました。

 まぁ、これが私の精一杯の処で有りまする。挿絵共々、読んで見て、笑って帰られますと嬉しいで有りまする。

 本日も、長駄文とのお付き合い、御苦労さんにゴザンス。感謝感謝で有りまする。先ずは、お礼までに・・・




 

心何処ーショート 嗚呼、遣って仕舞うた。へへへ。
           嗚呼、遣って仕舞うた。へへへ。(8/27/10)
 さてと、型取りした詰め物を被せれば、晴れて虫歯治療も完結である。これで、今まで通りだと、10年程は歯医者さんとは縁切りであろう。何の取り柄も無いが、歯だけは全数自前の歯である。食べる事だけに汲々としている男であるから、蕩けるほどの柔らかさ、ジューシーさなんて代物には、一切目が向かない男である。確りした歯応え、臼歯の磨り潰しが無いと、堪能しない男である。まぁ、ネアンデルタール人、明石原人、縄文人の様な物である。

 それにしても、よもやの一郎さんの御出馬との事である。数日前に、軽沢の前総理主催のセミナーがテレビで報じられて居た時に、94歳の母に質問を受けた。

「如何為るって、一郎さんが出て来たら、日本は終わりだよ。幾らなんでも、断るのだろうよ。コケにされ続けた鳩山さんの唯一の功績が抱き付き心中だったんじゃないの。政界に、何時までも前総理が居たら、何かと後身の足を引っ張ると、引退表明もした御仁だから、普通の常識を持って居たら、そんな事には為りゃせんだろうよ。
 
 よしんば、ノコノコ祭り上げられて総理にでもなったら、アメ公の属国から、チャンコロの属国だぜや。天皇に対して、あんな発言をする輩は、共産主義者か出自に相当な欠陥が有るんだろうよ。
 普通の日本人なら、あんな発想は逆立ちしても出て来んわね。外国人地方参政権だとか選択性夫婦別姓とか、自虐的歴史観だけの陳謝外交なんて様は、丸で中国詣での朝貢外交の実態だわさ。 

 その昔、己の権勢だけを念頭にした足利幕府の勘合符貿易のザマじゃないの。あん時の一番の輸入品が中国じゃ使わなく為った宋銭の古銭だったって話だぜ。北京オリンピックの建設ラッシュ時にぁ、日本のスクラップ鋼材とかペットボトルが、ボンボン海を渡ってったって話だぜ。

 拝金主義国家・大中国の本態は、昔から広大な領土と大人口が資源だけの『場置商売』なんだぜや。言って見りゃ、場所と人民を提供しての大家の賃貸し・収益横取り商売だわさ。
 実力が無いから、見た目で上位に立とうとするんだわね。大それた舞台装置を作って、偉そうに尊大ぶって振舞う。六カ国協議の議長国、毒餃子問題、公害垂れ流し問題、経済力あってもブランド力無し、偽物大国・・・etc 一体何処が大人の大国なんじゃい。デカイ声、デカイ態度だけの口先大国がその実態ずらいよ。今も昔も、事大主義の国にしか過ぎないじゃないの。

 多民族国家だとか征服王朝の歴史だとか中華思想の国だとか、無駄事こいているだけだわね。中国の面積は、広い広いと云っても、地図を広げて見りゃ、緑の面積は、どの位あると思って居るだいな。日本人は変な錯覚で、砂漠と云えばアフリカ・中東を連想してしまうけど、中国だって人の住めない荒涼とした国土が、奥に控えて居るんだぜ。住める面積の人口密度は、半端な物じゃないんだわさ。

 夢とロマンのシルクロードだとよ。冗談も休み休み言いなよってなもんだわね。平地の緑の最短距離ルート・草原の道が、最大級の東西を結ぶ交易路だわね。あれだけ世知辛い中国人気質からして、何で自分の領土に出来なかっただろうね。ギャハハ!!
 但し、其処には強敵が跋扈して居たから、手中に収める事が出来なかった迄の事じゃないの。こんな事一つ取ったって、中国の張り子の虎の実態が見えて来るのに、下らん教育・教師の為に教科書知識だけの全くの暗愚教育だわね。情けないと言ったら、これ以上の歯ぎしりは無いぜよ。

 教科書・指導要領に書いてあるからと云って、疑問を持たない馬鹿教師に、教科書、教師が教えたと云って、何も疑問を感じない馬鹿生徒。義務教育9年に対して、高等教育7年。仮に大学卒業が22歳で80歳まで生きたとして、58年だぜや。
 こりぁ、おっかねぇ数字だぜ。例え純粋無垢の時代に、教科書・馬鹿教師の呪縛があったとしても、活字を十分こなし得る『答え合わせの期間』が、少なく見積もっても30~40年はあらぁな。
 少しは日本国民の一人として、足元を見つめ直す位の事ぁ出来るずらよ。大学進学率が50%超のご時世に、そんな事は、学校で教えられていませんじゃ、子作りは出来ても、子育ては出来んぞね。あい、婆さん。俺の言う事ぁ、間違っているかいね。ギャハハ!!

 アメ公の東洋の強敵・一等国・日本潰しで押し付けた日本国憲法を左翼連中が、平和に楯突く馬鹿が居ないから、欣喜の御旗の様に平和主義の唯一点で、金科玉条の如き奉っている。何をこきぁがる。理想通り生きて居るのが、人間じゃ有るまい。

 生意気なアメ公にしたって、日本の占領下実績を、手前だけの手柄と思って、自惚れちゃいるけどさ。その後のベトナム、アフガン、イラクの大失態を世界に晒して居るだけじゃないかい。或る意味、日本国民が優秀だったから、占領政策が功を奏しただけの事だわね。
 日本人は、昔から体制への恭順性を持ち合わせて居たから、アメ公には従順に見えただけさね。自惚れちゃ行けませんわね。日本人は、アメ公目線に謙(へりくだ)ちゃあかんぞね。
 戦争に負けて、一番大事なキンタマを毟り取られちゃってるのに、その現実が理解出来ずに、何が平和至上主義の連呼じゃい。去勢集団が、シュピレヒコールしたって、相手が本気で対応する訳が有るまいに。少しは現実を観て、頭を冷やせやってなものだわさ。

 古くは、源平合戦後の平家の落人部落、勝者の征夷大将軍の幕府体制、大政奉還なんてものの根底には、敗者の恭順思想があったんずらいよ。現代だって、企業に入りゃ従順が行き過ぎて、社畜状態と正規・非正規雇用の二元化だしさ。今流行りの龍馬伝にしたって、下士と上士の身分制度だわね。幕藩体制の領土替えの裏には、そんな事が一般的だったんだろうし、現代の企業合併にだって、そんな物ぁ如実に現れているんだわさ。

 少しは、言葉の解釈を幾つかの事例に当て嵌めて、自分で物を考えて見ろちゃってなもんだぜや。こんな簡単な時空超えウォッチング位出来ねぇ様じゃ、教育が泣くぜや。そんな馬鹿餓鬼に、授業料を只にしてまで教育する必要なんか有るのかいな。去勢教育に国民の税金使って、政治は何をしようとしているのかいね。俺みたいな、先天的音楽1の男に教育したって、教育費の元は取れんぞね。アッハハ。

 理想の実践が教育で賄える物なら、警察も・裁判所も刑務所も不要ださ。家の兄弟に伊達にポリ公が二人も居ねぇずらよ。日本国内でも、現実に手当てする組織と経費は必要なんだわさ。

 それを、宗教・政治・商習慣・生活信条の違う、お互い異国間の関係で、如何協調して行けるのか。協調と強調の違いを少しは、考えて見ろちゃ。
 この位の常識は、学生運動もしなかったノンポリ学生であっても、カラオケスナックで歌も歌えない体たらく男だってさぁ、見えて居る娑婆の実態だわね。

 地域を代表して、国政に打って出ている政治家さん達なんだから、そろそろ、学生時代に旗を振っていた青さから脱して、お気楽な野党時代の噛み付き犬は止めて、年齢相応の国民的常識を持ち為されや。身分制度の平安貴族様じゃあるめぃし、和歌を読んでりゃ飯が食えるって時代じゃねぇんだよ。世はコストパフォーマンスに事業仕分けの時代なんであるぞよ。ど素人が勝負服の白服来て、大臣に祭り上げられているほど、悠長な時代じゃあるめいよ。ギャハハ!!

 言いたかぁ無ぇが、高い国費の海外視察費を使って、日本に持って来るのは、横文字混じりの資料でしか無かったら、そりぁ、仕事をしている事には為りませんわね。

 アホンダラがぁ~。口蹄疫も処理出来なかったトンズラ野郎が、党の幹部だとよ。無駄事こいてると、終いにぁ笑い殺されるぜや。ケツの青い木偶の坊集団だから、人材のジの字もおっつかねぇとよ。情け無ぇったら、ありゃしねぇわね。幾ら人材不足でも、小沢さんを担ぎ出したら、そりゃ下品過ぎまするわね。国民目線から見たら、それで民主党の命運も尽きたと云うもんじゃわね。

 婆さん、笑っている場合じゃなかんべよ。俺ぁ、日本の悲劇を話してるんだぜや。講演依頼さえありゃ、一回何十万の凄いレクチャ~だぜや。こんな事をスラスラ言える素人は、そう、滅多やたらとは居ぇんだぜや。
 それを何だい、手を叩いて喜んでるだけじゃねぇか。まぁ、しゃないわな。産んで育ててくれた親だから、怒る訳にも行かんわな。へへへ。

 自分達が優れた人間だと自負するのなら、国状を観てその実態を視察した人間ならば、少しはその言葉に『実態語』としての表現が加わっても好い筈なのに、それが一向に伝わって来ないって現実は、おかしいぜや。

 一体全体、如何云う事なんだい? 奇妙じゃないかい。優秀な連中は、台本を離れて、好い事を言うもんだぜ。好いかい、実態語が無いと云う事は、実態が無いと云うのと同じ事だいね。イッヒッヒ!! あいつら、テレビの前じぁ青筋立てて居るけど、仕事を遣っている振りだけの、仕事の中身なんか理解出来ない無責任で、中身の薄いコクゾウムシだぜや。

 世が世だったら、信長の比叡山焼き討ちの皆殺し糞坊主・糞尼だぜや。困った末法の世だぜや。ホントに、糞垂れ野郎共だぜや~。真面目に考えたら、興奮して憤死の沙汰だぜ。

 自分が所属して引っ張って行かなければ為らない一国の政治家としての歴史観が、こうも陳謝陳謝の連続を更新している様は、歴史観も信条も無い輩の言動でしかあるまいよ。 
 俺は学生時代、活動家達の言動を身近で見て来たから、彼等には好い印象を持って居ないんだけどね。被(かぶ)れる連中は、如何も一方通行の連中が多かったからね。それに多弁な奴は、手前の多弁さに、現実の自分の行動が追い付いて行けないから、口先人間のタイプが多かったしね。へへへ。

 言わなくても好い事を、その場の雰囲気で軽口を叩いて、総理の椅子から転げ落ちた鳩さん。好い歳かっぱらって、イラカンじゃ、そんな物ぁ要らんかねぇで、要らんわね。ギャハハ!!

 やいやい、調子に乗り過ぎて、えれぇ事言っちまったぜや。俺ぁ、疲れたぜや。本日の講義、以上。知恵熱出ねぇ内に、休みましょや。俺ぁ、部屋に帰るわいね。


面白き世界・ブログ
                面白き世界・ブログ(8/26/10)
 ブログ散策をして居て楽しい事は、コメントの遣り取りを読む事である。素晴らしい内容の記事を見ると、この記事に対して、どんなコメントが来て、来るのだろうかとか、そして、どんなコメント返しをするのだろうか・・・etcと、ついつい、ウオッチング(覗き、読み逃げ)してしまうのである。

 ブログ者のコメント対応も、本人の内なのであろうし、自分の出した記事への思いも、本人の内には有るものである。吾が意を得たりとか、トホホとか、アッジャ~の送り手の顔を想像しながら、コメントの交換をしているブログ空間も、ブログ訪問の楽しみの一つなのである。

        好く言えば<学究肌> 
 在り態に申せば、ストーカー紛いの<下衆根性>でありまする。イッヒッヒ!!

 そんな感じで、注意深く読んで居るブログが幾つかある。ただ、詩のジャンルだとコメントをするのが、私には難し過ぎて苦手である。

 詩の世界は、殆どが心象の世界であろう。少ない文字空間の中で、如何に心に響く普遍性のある言葉を紡ぎ出して、字数を揃え、行を整え、一遍の詩篇として、恰(あたか)も書とか絵画の様に、全体の紙片に一つの形として写し出す。
 想いを思いに乗せて、想いをデザインする。その文字空間に、作り手は腐心するのだろうし、それが作者の得意と云うか、据わりの好い自己表現の手立てなのでありましょう。
 
 私も柄にも無く、詩モドキの物を作って、文字を配する事がある。下手絵と同様に、面白い時間の中に居るは、確かな事実である。
 文学青年の対極にある様なガッタな少年・青年期を送って来たから、所謂、文学の世界には、全く疎い男である。どちらかと云えば、必要に駆られての専門書の類の方が、私には性に合って居た。

 私の精々の読書本はと云えば、所謂、歴史本、歴史の裏側エピソード、旅行記、エッセイ、散文形態の本を読む事で、僅かばかりの知識を得たり、知識の肥しにして居た次第である。
 そんな男が、母の老衰に男賄い夫を一念発起して、現在の生活をしている。有り余る時間とストレス解消の為に、ブログ打ちを始めた次第である。

 注意深く読んで居るブログには、流石の物、素晴らしい物、凄い物、面白い物、為るほどの物、怖い物がある。日頃お世話に為って居るブログさん達を、リンクに追加して置きました。
 
 好いブログさん達でありますから、御存知の皆さんも多い事でしょうね。

心何処ーショート 為るほど、生物多様性。
              為るほど、生物多様性(8/25/10)
 やれやれ、この猛暑は、後二週間も続くとの事である。昨日は、松本も35℃を超えて終った。昨夕は、ゴロゴロと雷音はすれど、雨降らずであった。

 陽が落ちたら、散水して遣らねば為るまい。ミンミンゼミは、相変わらず暑く鳴いて居るのであるが、これ程、猛暑が続いて終うと、心配に為って来る。
 御存知の様に、蝉の一生は7~8年の地中生活の後の、地上生活7~8日との事である。仮に、夏のシーズンが例年の倍で有ったら、途中で地中から這い出して来る7~8回生の卒業生達が、尽きてしまうのは必定である。

 蝉声尽きた猛暑では、何か地球終焉の序章を観る見たいで、何んとも薄気味悪いではないか。困った気象変化の昨今である。

 金華鳥一家も、余りの暑さで抱卵にも堪え切らぬのであろうか、藁巣から出て居る事が多い。鳥籠の底の汚れを洗い落として、四畳半の窓辺に持って来よう。四畳半のパラソル雑木の枝葉にたっぷりと散水を施して、少しは涼の気分を味合わせて遣るべしである。

そんな事をして居ると、ヤクルトさんである。本日は管理職男性のお越しである。

「俺ん所は、ヤクルトと引き換えに、俺の下手絵を無理矢理観賞させられるんだじ。」
「はい、拝見します。上手いじゃないですか。ポップ系ですね。面白いですよ。」

 30代後半の細身さんである。大分、関心が有る様で、次から次と頁を捲っている。二、三、絵の説明をする。

「やっぱりねぇ~。そうですよね。何か描こうとしているから、絵の動機とか、その思いが、絵の一部、絵の感じを作り上げて居るんですものねぇ。
 自分の考え、思いを絵に出来ると云うのは、矢張り、才能ですよ。趣味と云うのは、人間にとって大事な事ですね。ポップ・アートとしても、十分面白いですよ。これで終わりですか?」

「やっ、未だごっそりとあるよ。嬉しいねぇ。見てくれるかいな。持って来るわいね。」
「お願いします。車、邪魔に為らない様に、停め直して来ます。」

 下手絵ファイルを四冊持って来て、玄関廊下に胡坐を掻く。人間同士は、こうで無ければ、面白くも何でも無い。言葉を交わして、会話に弾みが出て来なければ、修行が足らぬと云う物であろう。人間の面白さは、正に対人会話にこそ、面白きネタが眠っているのである。それを素通りしてしまう鈍感馬鹿が、世の中には多過ぎるのである。鈍感馬鹿が、この世を闊歩して居ては、芸NO人張りの馬鹿騒ぎだけに終わって仕舞う。それでは、余りに虚し過ぎる。

 折角のコーヒースタバでは、向かい合って座る男と男、女と女、男と女が、互いの目も見ずに、指先で携帯チャカチャカ。飲みに行けば、大衆酒場での酒勢を借りての変な盛り上がり振り。道歩けば、耳にイヤホン、手に携帯である。人が集まれば、当世の集団空騒ぎのザマでしかないのである。

 事件を嘆くよりも、これで変な事件が起こらない方が、不思議と云う物である。

「いや~、これだけ枚数があると、個展を開けますよ。勿体無いですよ。ファイルに仕舞って置くだけでは。」
「やいやい、流石に営業職。擽り方を知ってるね。へへへ。ただ業務のコール・セールスしてるだけじゃ、この猛暑。ウンザリするだけだからね。少しは息抜きをして行くのも、大事な事だからね。」
「有難う御座います。絵心が有りますね。どれも、楽しい絵で、色使いが好いですよ。どの位の時間で、描くんですか?」

「うん、俺は文章の方が、楽で速いんだわ。絵は下手だから、文章より時間が掛るんだよ。でも、内容の薄い文字ばかりの長い文章だけのブログ行進な物だから、毎日読みに来てくれる人達に、申し訳が立たない気分がしちゃうんだよ。
 そんな罪滅ぼしの気持ちで、ブログ日誌に差し絵みたいな感じで、何か浮かんだ時に、授業中の悪戯描きの気分で遣ってるんだけどね。へへへ。
 インターネット遣って居るんだったら、其処に絵も載ってるんだけどね。」

「残念ながら、私、遣って無いんですよ。」
「そうかね、だったら、一寸待ってましょ、何かあるかも知れぞね。」

 部屋から、ダブり印刷をして仕舞った2日分が、挿絵付きであったから、彼にプレゼントする。彼は、素早く目を通して行くから・・・

「やや、それは余分の奴だから、あなたにプレゼントするわね。休憩時間にでも、じっくり読んどくれや。」
「好いんですか。有難う御座います。」

「あいあい、打ってしまえば、後は机の上で眠って居ても仕方が無いもの。読んでくれる人が居れば、打ち手としては有難い事だわね。漫画雑誌読むのも、素人の愚だ愚だ日誌を読むのも、同じ時間の過ごし方の一つだぜね。イッヒッヒ!!」
「有難う御座います。確り読ませて頂きます。また、今度、お邪魔する時に、一杯、掻いて置いて下さいね。楽しかったですよ。有難う御座いました。お邪魔します。」
「はい、アリガトさんね。」

 閉じ籠りのアリ地獄、地蜘蛛の生活ではあるが、何だかんだと言っても、彼等が生き続けて居られる様に、地球環境を維持して行く為には、『生物の多様性』は真に以って、大事な生物環境なのである。ニャハハ。

        はい、ラジオ情報からの受け売りでありまする。

心何処・・・観察・洞察・分析
                  観察・洞察・分析

                  観察・洞察・分析_002

 たかたんさんのコメント中の洞察力・分析力の言葉に、その言葉の意味を一枚の絵に表すと如何為るのだろうかと?と、悪戯心が湧きまして、一枚、捻り絵を描いて見ました。

 きっと観察者などと云う連中は、裸眼で実物を見て後に、天眼鏡・望遠鏡の道具を用いて、拡大して見たり、観察者の気配を消して、遠目で観察したりしているんでしょうね。
 
 拡大・遠目の印象と実物裸眼の印象が、一体と為っている時に、人はこっくりと頷くんでしょうね。

 裸眼・拡大・望遠の観察と結果の分析の積み重ねが、対象を過去の分析類型の中から選んで、直感的な目安を選び出して、重要点を素早く再観察して、結論に持って行くのが洞察力の真骨頂かも知れませんね。

 そんな理屈付けからすると、絵としては、こんな形に為らざるを得ませんね。
      えへへ、相も変わらず、理屈ぽいですね。ギャハハ!!

心何処・・・訃報・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・
        訃報、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・(8/24/10)
 それにしても、とんでもない暑さである。昨夜のミッドナイト散歩は、明るい夜だった。涼しさを期待して居たのに、ちっとも涼しさが無い。昨日の日記には、夜の秋の気配を打って置いたのに、これでは嘘つき・モウロク親父に為って仕舞うではないか。
 何の取り柄も無い男であるから、私としては幼少の頃より、清く正しく、屁はこいても、嘘はこかないを、極力励行して来た積りである。

      こんなこっちゃ、面子に拘わる。困るのである。ニャロメ~。

 下に向かってコースを取る。岡の宮神社への橋を渡ると、すっかり水量の乏しく為った砂止め堰堤の上に、カルガモ一家が一団と為って、やすんで居る。

        ひい、ふー、みぃー、よー・・・、七羽の集団である。

 前回イラスト・『遅れないで~』の孵って間も無いヒヨコ達を連れて、忙し無く泳ぎ回っていた親子達のその後の姿である。その時、数えたのはヒヨコが六羽であったから、全羽がスクスク成長している計算に為る。

 子供達は、親よりも一回り強の小ささである。親は一羽だけである。外観、色だけでは、親の雌雄は識別出来ない。橋の外灯が夜を柔らかく照らして、周辺は結構な水のスペースのある環境である。こんな環境が、一匹の落後者も無く、こんなに成長で来た要因なのであろうし、親の警戒心が細部にまでも、行き渡っていた証拠であろう。嬉しく為って、暫く橋の上からカルガモ一家の様子を眺める。

 散歩が日課と為っているから、当然、その中には人間の姿も、私の風景の内である。然しながら、こんな風にして、眺めている人間の姿は、殆ど見掛けない。
 皆、黙々と歩き、走り、自転車を漕いでいる人間達ばかりである。みな、行儀が良い人達ばかりで、それが日本人気質なのであろう。ゆとり、個性的、健康で輝き続けて居たいを口に出す日本人は多いが、自分の足元を見れないのが、日本人の性癖なのだろうか。

 如何やら、ウォーキング、ジョニング、自転車乗りも、健康運動、交通手段の目的だけで、目・匂い・・・五感の散策、脳味噌の散策、道草の有用性には、思いが働かないのであろう。

 これが『街場の近視眼・単視眼生活』の最たる物であろう。折角、田舎に住んで居るのに、田舎生活の楽しみ方に気付いて居ない感じがして、お節介ではあるが、私としては勿体無くも滑稽にも見えて、寂しく為るのである。

 ここら辺が、飛び付き易く冷め易い、素人のサッカーと同じで、ボールが右へ飛べば全員が右、左に飛べば、一斉に左に走り出す国民性を作り上げて居るのであろう。流行、流れがマスコミで報じられると、乗り遅れるなとばかりに、右往左往して一気乗りして終う。 

 日本人は、集団力には長じて居るものの、プライベート、余暇の行動に至っても、金太郎飴の様な集団行動の仕来り、行儀の好さを発揮して終うのだろう。そんな連中から、ちょっと違うとか、変わっているとか・・・言われても、本心、私の方が何て応えて良いのやら、躊躇してしまうのである。

 旅行も散歩も、普段、行けない所、素通りしてしまう所を一人徘徊して歩くのが、リラックス出来て、見え無かった物が見えて来る。何も、話し相手が居なくても、自問自答の会話は出来るし、目の保養・脳味噌の刺激に為るのである。

 私は、幾度と無く外国旅行も一人で行った。人は、好く一人で怖くないのかと、驚く。でも美形さんに連絡を取って、遊びに行くと云えば、迎えに来てくれると云うのであるから、それで好いのだと思う。
 私としては、自分が馬鹿で、度胸も無いから、相手を信用するしか手立ては無いのである。お付き合いしてくれた美形さん達は、真面目で確りした好い人であったから、そのレールに乗ってしまえば、異国の人々の日常の姿が見られる。360度見渡す限り、異国人・異国の風景なのであるから、ジタバタしても始まらないのである。

 郷に入ったら、郷に従えの気分で行くしかないのである。そして、人間とは、多勢に無勢のどうしようもない所に置かれると、<如何にか為るさ。相手も、同じ人間>なんて暢気な気持ちが生まれて来る物なのである。これは不思議で、可笑しな気分なのである。
 好い意味の踏ん切りが出来るから、日常の下らない束縛から解放された様な気分がして、却って、素地の自分らしさが出て来て、異国・異国人の中に在っても、結構楽しめる物なのである。 

 但し、親交を深める為には、事前の観察と其れなりのお付き合いが必要と為るのは、当然の事である。類は友を呼ぶでは無いが、お互いに気分と居心地が良く無ければ、親交が保たれないのは、日本人であろうと外国人であろうと、相手が男であろうと女であろうと、差異は無かろう。これは、相性の問題とか、個性の合致・合体と云っても差し支えないのかも知れない。

 個性と個体差は違うのである。着る物・アクセサリー・化粧・言葉使いの外見で、幾ら個体差を強調・デフォルメして見た処で、個性の発揮には近付く筈も無かろう。

 こんな事を思い付くまま、PCに打っていると、Tから電話である。高校時代の友人の息子さんが、プールで亡くなったとの知らせである。猛暑の中の水難事故死の一つである。

 人の生死の分からなさに、愕然とするだけである。何年か前にはM氏の会社の仲間が、海水浴に家族で出掛けて、海に入って物の何分もしない内に、息子さんを水難事故で逝かせてしまった・・・との話もあった。命を持つものには、何時何時、死が訪れるものである。病気では無い不慮の死とは、真に惨い限りである。

      合掌、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・合掌。
 ○ちゃ、惨かろう、切なかろう、情けなかろう。この世は、無常為り。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
 
 不慮の死は、何時襲いかかって来る物か、凡人には、一切分からぬ処である。猛暑続きの今夏、不慮の事故死と云えども、注意を喚起する一呼吸が、不慮の事故を回避する事もありましょう。
 人間の意識は、緩急の四十万の中に在りでありまする。一呼吸の中の目配せ、気配せが、肝要でありまする。皆さま方に於かれましては、身内、周囲に事故怪我の無き様に、お願い致しまする。


心何処ーショート毎度の飛んで飛んで、支離滅裂日記なり。
        毎度の飛んで飛んで、支離滅裂日記なり。(8/23/10)
 また今日も、34℃近くまでに上がると云う。もうウンザリの態である。それでも、深夜に為ると、外は涼しい。河川敷へ下りる階段の所に座っていると、矢張り秋が忍び寄っている。
 川のせせらぎに混じって、虫達の声が好い感じで聞こえて、空には星が見える。勿論、秋の虫達の合唱には、程遠い細さと小ささである。来月には、河川敷の一斉草刈りがあるから、草丈が結構伸びている。河川敷のベンチで仰向けに為って、何時までも空を見て居たい気分なのではあるが、そんな事をしたら、虫の餌食に為って仕舞うから、未だ先の話である。

 涼んで来て、玄関の戸を開けると同時に、ムッとした空気である。寝床でテレビを見ると教育放送で『大逆事件』を遣って居た。受験勉強の残滓で、事件への興味が湧いて、珍しく部屋のテレビを見る。大正デモクラシーの時代のうねりの中で、物云える時代への萌芽期に差し掛かってのキリスト教・共産主義・個人の自由・無政府主義などの輸入思想が動き始めて居た時代背景と、それらを危険思想と見做す絶対権力者・政府の思惑に依って、ねつ造された事件である。

 お役御免の日々であるから、目下の処、私の百科辞典はインターネット検索である。検索すると、その関連の物が、目白押しに出て来る。それらの記事を読んで、テレビの内容をチェックして見ると云った事が、結構面白いのである。大学時代に、何かの教科書の記述の中に在った『一書悉く信ずるは、書無きが如し』が、目から鱗の感がして、以来それを戒めとしている処である。

 何事も、呑めり込んだり、盲信したり、聞く耳持たぬの態度は、傍目からは狭隘過ぎて見苦しき所作・行いである。こんな態度では、他人とは碌なキャッチボールも出来ない。そう為れば、好き嫌いの感情のみが、前面に出て来てしまうだけである。
 それでは後味の悪い印象しか残らないから、気分的には、そんな御仁はパスパスの態なのであるが、あからさまに、そんな事を顔・態度に出してしまったら、人付き合いの悪い変人・奇人のレッテルを貼られてしまう。

 他人と仲良く暮らす為には、浮世の義理で面白可笑しく話を誘導して行くのが、人生行路の生活の知恵なのであろう。漱石さんの仰る通り、『兎角人の世は、住み難い』の諦観であろう。

 今は実質、自由気儘な一人暮らしの様な物であるから、女房子供から、お説教を頂戴する事が無いだけの事である。然しながら、女房・娘には、私はストレートに言われて居た物だ。

『自分のレベルに合った人が、何人いると思っているの。そんな事ばかり言っていると、皆から相手にされずに、歳を取ったら一人暮らしの寂しい人生を送るんだわ。お馬鹿の老後は、きついわよ。ねぇ、○○○』
『そうだよ。お父さんは、反省しない人だから、一緒には暮らして遣らないからね。覚悟して置いてよね。ねぇ、お母さん。』

<猪口才な、何を抜かすか、女の減らず口が!!無礼者めが、返り打ちにしてくれるわ、ギャハハ!!>と笑い飛ばしてはいたが、その予言は、正しく的中して居る。
 然しながら、私は変人・奇人らしいから、一抹の寂しさを実感する事はある物の、一人で居る事の居心地好さの方が、優先して居る様である。
 
 一念発起、苦節賄い夫稼業も、女日照りも、ご近所付き合いも乗り越えて、窓辺の金華鳥ファミリー、水槽住人と、儚き白煙、揺るがぬ妄想を友に、冬の使者・雌ジョウビタキのバルディナさんとの再会、逢瀬を積めば、少なからずの以下為る開き直りも可能と為るのである。

 何をしゃら臭ぇ、男と女の平均寿命の違いは、何だか知って居るのか。亭主と女房の年齢差を考慮に入れれば、未亡人期間が女の方が長いから、その分、リラックスタイムを手中にして、女が男より長生きが出来るって寸法だろうが。
 それが証拠にテレビで、長寿者がマイクに向かって、異口同音に云う言葉が、ストレスを抱えない事と、好き嫌い無く食べる事が、上位秘訣なのである。

 女族よ、マイク言葉の行間を読まずして、人間の真理など見えよう筈も無かろうものよ。

 老後の男などと云う者は、衣食を女房に頼り切りに成り下がっているから、女房が先に逝ってしまうと、自活力が備わって居ない分だけ、萎れて老い先を短くしている事が大半なだけであろう。
 張り合い、愛の対象を失ったショックだけで、短命に為る訳ではあるまい。それは、女の強かな部分の合理的生物的原因を、エチケット上、曝け出して居ないだけの事である。

 女族よ、文句が有ったら、下衆目線で反論して来遣がれちゃ~。へへへ、ってなものである。

 生物は、衣食住が賄えれば、結構、生命維持装置が稼働する物なのであろう。所詮、生き物の生きるメカニズムは、自律神経で構成されとるんじゃい。生き物とは、その様な物にしか過ぎないのである。それが人間は、考える分業が進み過ぎて、ああだこうだと屁理屈を付けたがる『ブリッコ生き物』なのである。
 例え、それが屁理屈であっても、屁理屈の発信対象は、他者に向かって為される必要があるから、一般受けするキーワードを散りばめて『言い逃れ』をして居るにしか過ぎまい。その最たる物が、愛・心・信頼・平和・家族・絆・奉仕・永遠・協力・感謝なんて言葉が、キーワード上位語と為って来るのであろう。

 然しながら、如何に崇高な言葉であっても、それが守れていないのは、一目瞭然の世の中である。崇高な言葉が、理想の内はまだ良い。何故なら、理想に寄り付いて、理想を実現しようとする努力が未だあるのなら、社会は救われるのである。

 理想が現実の前に、余りにも求心力を失ってしまえば、理想は宇宙に浮かぶ無重力の空論に為ってしまう。そして、その時の反動は、殊の外に大きいのである。

 心と心、離れた点と点を結ぶ絆が、個人主義的問答無用の損得勘定、経済的判断の下、やれ、収益だ、企業益だ、党利党略だ、国益だので、各国入り乱れての資源・市場の争奪合戦を加速させているのであろうが、丸で盛り猫・盛り犬の狂気の沙汰であろうが・・・  

 ニャーゴ、ウゥ~オ、アゥ、アゥ~、アァ~ゴ、ギャ~ゴ。早朝・夕刻・夜陰に、そんな盛り声を聞かされた日にぁ、睡眠妨害で、廊下の戸を開けて、盛り猫、静かにせんかい!! 恥を知れ、恥を!! 全く以って、常識も、品格もあった物では無い。

 兎角、煩くも淫らな彼等の痴態であっても、それは飽く迄も短い盛り期の風物詩の一つで、繰り返されるまでの事である。片や、それが人種・国を異にした競争世界から来る弱肉強食の論理を振り回して居るのが、現代の進化した人間界なのである。

 科・化学の発展で、神・幽霊を葬り去って仕舞った人類は、ご法度ご法度の乱暴狼藉の果てに、掴んだのが『無縁社会』なのだと云う。とんだ科化学・技術・組織論の末路の実態である。心の時代をキャチフレーズにした一時もあった筈であるが、その呼び掛けに戻ろうとする暇も無く、人類は世界を巻き込んでの目先競争原理一辺倒の企業論理の前に、無縁社会の先兵に駆り出されている様を加速させて、国家資本主義の時代へと変貌を遂げつつあるとの事である。

 きっと、何時の時代にも当て嵌まる反省の弁は、あの時あの時点が、ターニングポイントであったとの思いであろう。戦後65年を経過して、風化の一途を辿る戦争体験の語り継ぎが必要と、敗戦の八月に為ると幾つもの企画物が、映画にテレビに上映・放映される。

 然しながら、想念は語り継がれる事は可能ではあるが、体験は哀しいかな一身専属の物なのである。怒り・非情・同情の涙を流す事は出来るが、体験したもので無いと、語る事の出来ない戦争体験なのである。
 映画・テレビにした処で、現代視点の映画・ドラマと、敗戦間も無い時に制作された映画とは、一体、どれほどの差があるのか、併せ見る観点の無い事は、実に寂しい気がする物である。現代の目から見るだけが、戦争を捉える見方では無い筈である。

 私のこのブログには、一つの思いがある。団塊世代に生まれ育った者が、折りに触れて見て居る日常の自然・人間模様は、私と云う団塊世代の色眼鏡に映る現代の様なのである。
何 度と無く言っている事で恐縮なのであるが、『人は時代の子にして、時代の感性を持ち続けている存在』なのである。

 社会・国と云う人の集合体は、時代の感性を持ち続けている世代の括りが内在している。
社会、国が世代の括りの連合体為らば、世代毎の価値観も当然に存在して居る。価値観同士の突き合わせ、調整は、矢張り人間同士の絆が一つの神経の様に張り巡らされて居ないと、上手く機能しない。

 電話に携帯、パソコンにインターネットと、兎に角、便利にスピーディにコンパクト化された好き時代に突入して居る。そして、インターネットのブログと云うジャンルが登場して、個人が自由な事を表現発信出来る時代を迎えているのである。
 ブログに投稿するも自由、他人のブログを読んで楽しむも自由である。見ず知らずのブログの書き手同士が、年齢・性別・環境の違う者同士が、訪れ合う事で何かを感じて、知り合う事は、少なからず意義のある事である。

 ブログ内容に、訪問者が自分の親父の内面を重ね合わせたり、女房・倅・娘の心の内を他のブログさんの記事に重ね合わせたりして、自分の参考とする事も可能でもある。共通するブログ内容に、世代間の其々の色合いを見付ける事も出来よう。ブログの世界は、或る一面では世相を映し、世代を映し、個人を映す。普通の一個人が発信する処に、面白さと見るべき平凡の姿が有るのだと思う次第である。

 物質的飽和点を迎えつつある日本は、個人の精神的充実の時代を迎えつつあるのは、確かな処である。学校で学んで、社会で体験して来た物を、時間が出来た老後のこの時期にこそ、日々の徒然に乗せて、打ち記して投稿すれば好いのだと思う。

 心に置いて居れば、知るのは自分一人である。投稿すれば、誰かの目に留まる。誰かの目に止まり、その誰かに、何かが伝われば、何かが生まれるかも知れないのである。

 無縁社会の幕開きと云う時代ではあるが、人は理想を空論にしないが為に、最低限の努力をしなければ為らないのだと思う。私が出来る事と云えば、暇に任せて、損にも得にも為らぬ支離滅裂の長駄文の日記を、打ち続ける事なのかも知れぬ。

 本日も、長駄文へのお付き合い・・・頭が下がりまする。感謝感謝の気持ちでありまする。目疲れには、しっかり目薬を点滴して、夜空を見上げましょうぞ。イッヒッヒ!!


心何処ーショート へへへ。
                へへへ。(8/22/10)
 昨日、倅に電話すると明日と言われて、土曜日と金曜日を錯覚して居た。本日は、前に言われて居た両家の食事会であった。へへへである。
 錯覚と云うのは、困った物で、本人としてはそうだと、思い込んでいるから、始末が悪いのである。兎に角、女房は確り者であったから、家の事は、全てお任せだった。何もかも、用意してくれたから、ウン、オッで事足りて居た。遺憾いかん・・・

 11時半に迎えに来てくれるとの事であったから、それに合わせての朝の賄い夫である。昨日は暑気払いで、肉を食べ過ぎて胃がもたれてか?喰い溜め効果?か、食欲が湧かない。母の食事だけを用意する。昨日は、朝飯を一緒に食べただけで、食事は一緒にして居ない。母はベットの上で、静かにしている。おまえは食べないのかと言われても、食欲が無いのだから、仕方が有るまい。風呂に入って、髭を剃る。

 電話が鳴って、女房からである。11時10分頃に着くとの事である。用意が整って、待っていると、今度は倅から電話である。松本駅周辺の渋滞で、うんともすんとも動かないとの事である。

 へへへ、昨日の私と同じらしい。電話を貰って、待つ方は気楽ではあるが、ハンドルを握る方は、堪ったものでは無いだろう。

 築百何十年かの蔵を改装して、懐石レストランにしたもので、此処で結婚式をするのだと言う。日本家屋は、居心地が良い。先方の家族は、5分程前の到着だと言う。当方は、私に女房・倅。娘は、勤務が忙しくて欠席。先方は、夫婦に本人と妹である。
 吾が家の家長は私らしいから、成人した子供達には、一切世話を焼かないのが、私流家族の在り方である。倅が色々と、結婚式の説明をしてくれ、娘さんが式で着る打ち掛け、着物を携帯写真の画像を見せて、説明してくれる。此処を選んだのは、娘さんがインターネットで見付けたのだと言う。

「親父、如何?」
「好い線行ってるじゃないか。こう云うセンスは、嬉しいね。お前も日本人だ。安心したよ。」

 懐石料理が運ばれて来て、先方の親父は、日本酒、私と倅は生ビール。女連は、ウーロン茶と紅茶である。こう云った懐石料理は、女族の喜ぶ処である。隣ですっかり痩せて終った女房を見ながら、何十年前かの自分達を振り返って見る。

 我々の結婚式も、全て自分達で遣った。私も女房も自主独立型のタイプであったから、自分達の事は、当然に自分達でこなして、皆さんを招待すると言うのが共通の認識であった。そんなタイプの男であるから、私なんかは、お気楽な物である。懐石料理に箸を伸ばし、ビールを飲みながら、倅の話してくれた先方家族の事などを、参考としながら、観察タイムをしているだけである。

 先方家族も、娘の事は良く知っている様で、それなりに交流はある様である。まぁ、硬く為らずに、自然体の雰囲気である。口を挟むほどの話題の発展振りも無いから、当たらず障らずの単発の言葉だけで、専ら話を聞く。
 
 客の入りの良い店である。松本の奥座敷・扉温泉の旅館が買い取って、この商売を始めたとの事である。
    へへへ、歳の頃40代の女将が中々のスタイル、美人さんである。

 2時間の会食が終わって、家に寄る。父と倅は、真ん中に灰皿を置いて、倅の話を聞く。女房は母に、会食の模様を伝えている。

 倅が面白い話を聞かせてくれた。アハハ、倅も、中々に骨ぽい。酒に任せての下らない話に、返り打ちを喰らわしたと言うのである。倅の説明をじっくり聞いて、エ~ルを送って遣る。

「アッハッハ!! 天晴れである。理屈が通って居るんだから、相手が誰であろうと、『無礼打ち』にするのは、日本男児の務めである。酒を飲んで下らん事を口走る奴は、大した事の無い証拠だ。言いたい事が有れば、素面で堂々と論を張れば好いんだ。相手を説得するに足る努力を放棄して、酒の勢いを借りて、感情語を発しても仕方が有るまい。人の生き様に歳の差なんか、有る訳が無いだろう。長幼の序は、日本人の美風の一つではあるが、それは相手次第の『条件付き』だからな。

 好いんだよ。時には爆発させても。お前達は、俺を見て、良く知って居る筈だからな。後で考えて、自分が悪いと分かれば、『アッシが悪うござんした』で、正座して謝れば好いんだよ。世の中、完全無欠なんて化け物は、一匹も居りゃせんのだよ。人間は歳を取っても未熟さからは、脱却出来んのだよ。未熟な人間の世が、娑婆の実態よ。
 未熟者が、如何するかは、爆発させて反省して、一歩一歩ケーススタディを積み重ねて、同様のケースには、『一寸待った~』の反省の加工を加えて行くと云う<アフター・ケアの術>を身に着けて行くしかあるめぃよ。

 冗談こく奴には、馬鹿野郎、冗談こくなと、自分の生き様の片鱗を見せ付けて遣るのは、当然の成り行きだわさ。吾が家の伝統は、『武闘派』だからな。男が怯んで如何する。自分の血が、相手の云う事は間違っていると、反応したら、大体、それは的を得て居る事が多いんだ。時には、抑制の縛りを解いて、血流に任せるのも、男の道だからな。

 でもまぁ、良く育っているらしい。安心したわ。カァチャンに感謝しろよ。へへへ、アンタは、立派だよ。倅も娘も、良く育って居るわね。イヒヒ。」

「実はさ、昨日、親父の処に来て、教えて貰おうとしたんだけどさ。まぁ、良かったわ。同じ答えで。俺も、時間が掛ったけど、好い線行ってるって事だからね。俺と親父は、仕草が良く似て居るんだってさ。胡坐の掻き方、煙草のちょいとした吸い方とか、笑い方だとかね。アハハ~。」

「この馬鹿野郎が、そんな物ぁ、枝葉末節の些事じゃねぇか。肝心要は、此処、キンタマじゃい。JISをのっ越して、ISOに雄飛して前人未到のロシア征服出来なきゃ、しょうがねぇだろうが。戯け。」

「出た出た~、おカン、未だ赤飯配る所あるから、帰ろう。」
「本当に、何時まで経っても、馬鹿に付ける薬が無いわね。」
「はいはい、御明察でヤンスよ。うん、アリガトさんよ。いかった、いかった。」

 それにしても、暑い日が続く物である。二日続きで、美味い物を食べて、ビールを飲んで居ると、貧民賄い夫生活は侘びしき思いに為るものである。遺憾いかん・・・


心何処ーショート 下衆盛りに、猛暑もタジタジ。
            下衆盛りに、猛暑もタジタジ。(8/21/10)
 先週出来なかった暑気払いをするから、12時半に会社にとのお招きである。Tにも連絡して、弟の会社に行く。風呂で、汗を流して自転車に乗ろうとしすると、前輪がペシャンコである。空気を入れて行けば、如何にか為るだろうと入れては見た物の、空気が凄い勢いで抜けて行く。これは、パンクでは無い。ムシがいかれて居るのだろう、外して見ると、その通りである。諦めて車で行く事にする。アジャジャ、これでは完全に遅刻である。

 駅前の交差点に来ると、案の定、渋滞である。交差点を大回りして、最後尾に着ける。私の後続車が、左折車線にハンドルを切り、途中で停車する。いやはや、とんだ割り込みを目論んでの割り込み運転である。中年女性が運転をしている。とんでもない女である。

 幾ら私が女日照りでも、こんな大それた割り込み運転は、許す訳には行かない。この止め方は、常習犯の手口である。『私の所では、絶対に割り込みはさせぬ。』車が動くまで、その非常識女を車から睨み付けた居ると、生意気にもふてぶてしくサングラスを掛け遣がった。何処まで、ねじ曲がった料簡の持ち主かである。

 車が動き始めて、私の後ろの分別を弁えた格好の男が、割り込みを許して遣って居る。こんな男が居るから、馬鹿女が自分勝手な割り込みを、平気でし掛けて来るのである。クラクションをガンガン鳴らされて、罵声を浴びないと、この手の下衆女は一生こんなとんでもない割り込みをして、平気の口なのである。

 とんでもない途中割り込みをする人間に限って、互譲の精神の欠片も無いのが通り相場である。炎天下の苛々する渋滞なのであるから、車間距離を縮めて、一台でも交差点を通過させて遣るのが、こんな時の互譲の精神と云う物である。
 案の定、手前の割り込みだけが成功すれば、後は、他車なんか、何のそので大きな車間距離を堂々と取って居る。車のナンバープレートを見ると、『練馬』とある。

 ブログなどを見て居ると、松本のドライバーは、兎に角、マナーの悪さでは折り紙付きとの事である。<何をこきぁがる都会野郎が、生意気な聞いた風な口を叩くな。アホンダラ!!>ってな物である。

 もう一信号待たねば、交差点を通過する事は出来ないだろう。助手席のシートで、携帯が鳴って居る。へへへ、お出でなすったかである。
「如何したい? 時間の正確な人が、何か有ったかいな?」
「おう、自転車が駄目で、車だわね。今、駅前で渋滞中さね。構わず、どんどん遣ってましょや。」

 弟の会社も、失われた10年とやらで、見る影も無く縮小を余儀なくされている。日除けのブルーシートが張られて、焼き肉大会の最中である。これで、椰子の木を数本配置して、白砂でも撒いてくれたら、旅行宴会の様である。
 Tの横の椅子に座る。焼き肉にビールが回れば、海外旅行の破天荒懇話会である。余りの盛り上がりに、皆、当時を振り返って、出るわ出るわの久し振りの懇親会である。

「そうそう、○さんは、如何なの。親父さんが亡く為って、独身だから、相変わらず燃え盛って居るのかいな。あい。」
「ありぁ、駄目だ。無尽仲間だから、失敗経験を踏まえて、アドバイスをして居るんだけど、聞く耳持たぬの態だわね。もう、匙を投げたわね。<勝手に騙されましょや>って事だわね。」

「そうそう、コンビの★に聞くと、今は中国女、フィリピーナに入れ上げてて、いざと為れば、家を売るまでの事だってさね。もう、退職金も、入れ込んじゃったんじゃないの。あそこまで行ったら、計画的自滅の道しか無いわな。」
「営業遣ってて、付けを会社に回せる生活をして来ると、定年退職すると、夜が待ち遠しいんだろうね。女房子供が居る生活じゃないからね。一種の中毒患者なんだろうね。○さん、★さんに、女遊びの手解きをしたのが、Tだってさ。」

「好い歳こいて、遊んだ事が無いと言われれば、それなりのノウハウは教えて遣るのは、当たり前の話さ。卒業したら、自分の才覚と懐具合を見て、遊ぶのが真っ当な筋道ずら。卒業しちまえば、俺の処には、月謝が入らないんだから、一切、火傷は手前持ちだわね。俺は、知らないよ。アハハ。」
「女にしたら、美味中の美味。美味いカモの匂いがプンプンして来るんだろうよ。俺達より一つ上だから、立派な年金生活者なのにさ。根底には、寂しさが渦巻いて居るんだろうね。金の匂いがする内は、夜の蛾も、ヤモリも擦り寄って来てくれるからな。何しろ、南洋のヤモリの吸盤は、強かだせや~、イッヒッヒ!!」

「本当かいな、遊び方を教えないで、遊ばれ方を教えたんじゃ無いだろうね。あい。Tさん。」
「人聞きの悪い事言っちゃ、駄目だぜや。遊び、遊ばれるのが、遊びの極意じゃねぇかい。プラス・マイナスとんとんってぇのが、一番だわね。算盤弾けなくても、電卓でその位の計算は出来るずらよ。へへへ。出来ねぇのは、自己責任だんね。」


「人間なんて奴は、殆どが習慣の動物だから、何処かで、歯を食いしばって習慣を断ち切れば、新しい習慣が生まれて来るんだけどな。
 何回も、苦い気分を味わっているのに、学習能力が乏しいと云うか、堪え性が無いと云うか・・・金がモテているだけで、自分がモテて居るんじゃ無い事に気付かないと云うか、気付きたく無いんだろうね。そんな見栄を張って居る内に、騙されるのが趣味に為って来ちゃったって事かいね?」

「Tさんも冷たいが、Rさんは、もっと冷てぇじゃん。えれぇ事を、さらりと言ってくれるじゃねぇかい。<入れ込み騙され趣味>なんて物があるだかいね。
 こりぁ、おったまげたわね。オラ達、貧乏人には、雲上人の感覚が分からねぇわね。イヒヒヒ。」
「あいあい、それが、有るだいね。世の中は、摩訶不思議の世界で、色んな趣味が有るって事だわ。怖いネェ~。年金生活者は、カカアのケツに敷かれて生きるのが、普通は長生きのコツなんだけどね。へへへ。」

「たださぁ、金持ちが金を使うのは、悪くは無いんだけど、ふんだくった女達が、闇ルート使って本国送金だから、内需も高まらないし、税収もデカク為らんのが、悔しい処さね。これこさぁ、騙される馬鹿男も国賊、騙し取る女も国賊だわね。本当に困った事じゃわね。」
「やいやい、男と女の個人的な問題が、高尚な経済問題にまで発展しちまったわいね。ギャハハ~。」

 まぁ、ロートルに為ると、こんな話が、大好物と為って来るのであるから、困った下衆根性のオンパレードなのである。騙す人間に、騙される人間。懲りずに騙す人間に、懲りずに騙される人間。そんな人間模様を他山の石として、ご本人様が居ない事を好い事に、笑い転げて、話のタネにして暑気払いの好い時間を過ごす。兎角、こんな酒会では立派な人格者への賛同であっては、話は盛り上がらないのである。

   世に下衆が絶えぬ限り、この世は時に楽しからずや・・・である。

 

心何処ーショート ♪おまえ、おまえ~♪
                ♪おまえ、おまえ~♪

                  ♪おまえ、おまえ~♪ 


 はい、本日ブログ記事の挿絵で有りまする。雰囲気が伝わりますれば、嬉しいでヤンスヨ。

 へへへ、アッシも、こう遣って、唄ってみたい物で有りまする。とほほ。

心何処ーショート ブログネタ
                  ブログネタ(8/20/10)
 シルバー歌声スナックに行こうと思ったら、雨が降って来た。そろそろ、水撒きでもと思っていたから、好いお湿りであろう。これだけ毎日暑いと、汗で皮膚がふやける。毛孔を開放して遣らないと、汗ベッとりの南洋の島に居るのと全く同じである。シャワーで皮膚を開放して、一息付いていると、雨は止んで居る。
 
 堪え性乏しき男であるから、一時、フラフラと行き過ぎて、これは癖に為って終い賄い夫生活に嫌気がさして終う。これは、由々しき事態と考えて、得意の痩せ我慢の素通りをして居た次第である。

 スナックのドアを開くと、前回、<つちのこ話>で、すっかり盛り上がって仕舞った70代夫婦だけであった。このシルバー夫婦は、大変に歌が上手い。夫婦とも、気さくなお人柄である。

 奥さんの運転する車で遣って来るのであろう。運転手役の奥さんは、カウンターでコーヒーを飲んで居る。亭主の方は、カウンター奥の階段部の屋根裏部屋の様な斜の部分に背もたれ椅子を出して貰い、リクライニングポーズで足を伸ばしている。その横には、小さな座卓を出して貰いテーブルとしている。アハハ、何んとも『天晴れの店・人の店』らしいアットホーム感である。

 次から次と、歌が繰り出されて行く。女房殿は、見た処、亭主殿より体が大きい感じである。癖の無い高音の好く通る声で、昔清純可憐な姫百合の塔の乙女だったのだろう・・・そんな想像を彷彿とさせる一途にして性格の真面目さを、其の儘、現わして居る様な歌い振りである。歌う姿勢が、如何にも行儀が良い。差し詰め、大和撫子のシルバーさんの姿である。

 一方、亭主殿は、目を閉じてカラオケのリズムに乗って、歌詞を台詞と捉えるかの様に、コブシを回して、朗々と語る様に唄う。歌詞の一節一節に、自分の歩んで来た事共を、重ね合わせて居るかの様に、要所要所に、侘び寂びを利かせる歌唱方法である。

 歌詞に込める感情が、その表情と仕草に現れて、これぞ、日本の唄・演歌。演歌の味は、歌い手の人生を語らせ、写す歌の鏡と云った感すらして来る。

 女房殿の歌う姿と亭主殿の唄う姿の好対象に、このシルバー夫婦の半世紀を超える男と女の番いの足跡すら、想像出来そうな感じすら生まれて来る。
 元気で茶目っ気旺盛な男に、ゆったりと構えて、亭主を掌に置いて見守って来た女房が、再び、夫婦二人だけの生活の中で、共通のカラオケを愉しみに遣って来る。拝見させて頂いているだけで、夫婦の屈託の無い同格の遣り取りが面白くも、気持ちが好い。

 閉じた目、表情が好い、差し伸べる手の動きが好い、高音部・低音部を、背を伸び上がらせたり、沈めたり、一拍置く声の溜めから、一気に伸びる皺枯れた声量が、表情・仕草と相まってグワァ~と伸びる。

 間奏時のリズムを取る小さな動き、唄い始める直前の舌舐めずりが、これまた、好いのである。

 日本国文部省から稀少の音楽1を拝領して、絶えず、そのトラウマが私の咽喉部を密閉し続けている。そんな諸々の事で、カラオケには疎い生活を送っている次第ではあるが、歌の内容は、苦労を共にして来た女房への感謝の気持ちを、『おまえ、おまえ』のフレーズに乗せて、苦楽を共に歩んで来た女房への男唄である。

 万感の思いを込めて、お前、お前を唄う亭主殿の閉じた瞼の裏には、知り合って60年にも及ぶと云う女房殿の、時折の顔・姿・言葉などが、拡がって居て、勿体無くて、きっと目が明けて居られないのであろう。

       イッヒッヒなりにして、惚気(のろけ)やがって、ニャロメ~。

 此処まで来ると、ご本尊の北島三郎さんとは違った、その人の人生を映し取った演歌の世界と云っても、決してオーバーな表現では無かろう。この域に達すれば、マイクを握って小さなステージで歌う唄い手にとっては、カラオケは単なる装置でしか無いのである。 
 そして、持ち歌が、どんな高名な歌手であっても、入り込めない唄い手の世界・独壇場の味の世界が生まれて居るのである。

 当世は、巷には若者達の日常日記の様なシングソングライターの、言葉世界には稚拙過ぎると感じさせられるワンパターンのメッセージソングが溢れている。時代遅れの刷り込みの激しいロートル世代の耳には、興味も心も動かされずに、何でこんな歌が、評価されて流行るのか・・・一向に解せない処なのであるが、分からない物は、分からないのである。

 職業的作詞家の歌詞には、言葉の普遍性がある。言葉から普遍性を失くしたら、それは個人の単なる呟きでしかあるまい。言葉・メロディに普遍性があるからこそ、其処には、口ずさみ、唄う多数者の心の中に、其々の思いが加わって、歌い唄う人達に感情移入を齎(もたら)せるのだと思う次第である。

 殺伐たる事件が日常の常態と化して居る閉塞の時代である。演歌は、日本の歌であり日本人の連綿として続く抒情の世界を示し続けている日本の精神文化の系譜の一つとも云える物であろう。そして、それは大衆の共感に依って存在して居るジャンルなのである。
 若者達が、演歌を歌わなくなった近未来を想像すると、背筋が凍る思いがして来るのは、果たして、私一人だけなのだろうか・・・

「何か、ブログネタに為る物は、有ったかね?」
「あいあい、ママさん、有ったわいね。こんな好い店にお邪魔して、何にもお土産持って帰らにぁ、勿体無いお化けに、大事な処、吸い取られちゃうわね。俺ぁ、未だ死にたくは無いわね。イッヒッヒ。」

「今日テレビ見た? 衆議院選の時は、民主党に期待して入れたんだけど、一体何をして居るだか、足の引っ張り合いだけの事じゃん。情けなくて、どうしようも無いね。馬鹿みたい。」

「学生時代は、若気の至りで、幾ら赤旗振ったって一向に構わないけど、そのまんま、自由業・政治家に移行しちゃった儘だから、社会・企業での躾けが為されて居ないから、甘ちゃんも好い処だわね。誰から給料貰ってるんだって、金バッジ付けた途端に、国民の生活なんか忘れて、政治オママゴトばっかりして、如何すりゃ好いんだろうね。
 ここまで、政治家が子供だったって、政権が交代し無きゃ、見え無かった日本の政治の実態だったって事よ。私は馬鹿な女だけどさ、腹立ってしょうがないんだよ。
 婆の私だって、日本国民の一人だから、自分の出来る事は、お国の為に協力はしたいんだよ。」

「教育が、ズタズタだって云うじゃないの。シッカリ、勉強させて、日本人として躾け直さなきゃ、日本の国は滅びちゃうよ。」
「本当に、そう思うわ。何か、好い知恵を出してよ。」

「そうかいね。じぁ、皆で小学一年生に編入させて貰って、学校行くかいね。馬鹿教師が、偏向教育してたら、パッと手を上げてさね。
<先生、嘘こくな。そうじゃあるめぃ。確り勉強してから、授業遣っておくれや>って、姿勢を正すってのは、如何だいね。
<テレビで、こんな番組見たけど、先生の意見は如何だいね? とっくり聞かせて説明しておくれや>って運動を全国展開すりゃ、世直し運動に為るかも知れねぇよ。高校生はきついけど、小学校なら如何にかこうにか、付いて行けるかも知れんわね。この歳に為りゃ、落第したって、屁の河童で、痛くも痒くも無いからね。ギャハハ!!」

「そりゃ、おもくれえや。(面白い)この先生が、現役先生に質問しっぱなしだと、如何為るんだろうね。体罰は、とっくのとん間に、ご法度だしさ。今時の教育は、個性を重んじて話し合うって云うのが、教育基本法の趣旨だって事だしさ。ドヒャヒャ。
 まごまごしてたら、この先生にコテンパチンに言い負かされて、赤っ恥こいて、泣いちまうんだろうな。只者じゃ無いとは、感じていたけど、発想がユニークだね。この救世シルバー運動は、奮っているわね。好いじゃんかい。
 一丁、遣って見るかいね。どうせ、暇こいてるのが関の山だぜね。『皆勤賞』なんて物は、今でもあるのかいね。ドヒャヒャ。」

「あいあい、俺達ロートルがクラスに満遍なく配されて居りゃ、苛めも未然に防げるし、数が多けりゃ、狡猾官僚の悪知恵で、特殊学級送りにも為らんしね。爺・婆と孫の混生教室なら、子供達の悩みも、歳の功で手慣れたもんだぜせ。
 授業料は只だって云うし、学校で給食食わせて呉れれば、手間が省けるし、ロートルだから、パンよりオマンマ、味噌汁、漬物需要が高まって、地産地消効果で、食糧自給率の向上に寄与するかも知んないよ。ギャハハ!! 
 老・壮・幼の混生空間は、ばびぶべぼ、はひふへほ、ぱぴぷぺぽの共生社会の21C型社会の構築だわね。ギャハハ!!」

「巧い事言うじゃん。立候補しましょや。野に置いと居ちゃ勿体無い。殿、ご決断を~。」

「何をこいてるだい、そんなこっ恥ずかしい事なんか出来る訳無ぇずらい。俺のキャチフレーズは、『毛無し・金無し・女無し、止めが甲斐性無しの、ヘレン・ケラーの三重苦を上回る四重苦』だんね。自殺行為を唆(そそのか)して、如何するだいね。あい?」

「カァちゃん、俺、数えて見たら、五重苦以上だよな~。やっ、六重苦はあるぞや。」
「ああ、そうかいね。五重苦なら、五重塔で据わりが好いから、国宝物だわね。イッヒッヒ。さてさて、殺されねぇ内に、俺ぁ、帰るわね。」

「そこの、本場薩摩揚げ、忘れないで持って帰ってよ。生物だから、早く食べちゃってね。またねぇ~ 待ってるよ。」
「はい、お土産、アリガトざんす。」

 ロートルには、シルバーの話が、居心地が好い物である。雲の筋に、星が瞬いている夜気である。


心何処ーショート 暑い日は、川遊び。
                暑い日は、川遊び(8/19/10)
 いやはや、日中の暑さは、堪える。嫌に為らない内に、医者(母の薬)→米屋→個人スーパーと回って来て、直ぐ様、裸に為って一服タイムである。時折訪れる微風には、やっと芯の中に涼しさの様な物が出て来て、ほっとして居る処である。

 終わらぬ夏は無いのであるからして、その内に秋風の涼しさが、四畳半の小部屋一杯に訪れ事であろう。

 煙草の補充に一箱、メンソール煙草を買って来た。一本付けて居ると、色白吟さんが、読み終えて、文作綴りを持って、顔を出された。草臥れた綴りのカバー紙が、夏風の表紙に変わって居る。へへへ、こんな処が、如何にも、Sちゃらしい。暫く、何時も通りの談笑タイムをする。

 金華鳥ファミリーは、オス1メス4のハーレムであるから、連結させた鳥籠の二つの藁巣には、早くも卵が産み付けられている。涼しい風が吹いて来るから、窓辺に鳥籠を持って来て遣りたいのではあるが、それも出来ない。
 心なしか、外のミンミンゼミの声も、窓辺のキリギリスの声にも、秋が感じられてしまうのは、早計の想いなのだろうか・・・

 昨日の午後の暑さには抗し切れずに、ロートルの身を一顧だにせずに、川遊びを演じて終った。重労働が祟って、昨夜は、早い就寝と為って仕舞った。

            へへへ、馬鹿なロートルである。

 最初は、魚取りの予定だったのであるが、川の余りの気持ち好さに途中からは、コンパクトな釣りスペース作りの『流れ造園』に精を出して、2時間程遊んでいたのである。兎に角、これが楽しいのである。
 何しろ、葦原茫々の小さな流れであるから、余り人目にも付かない。流れの具合から、三か所に石を積んで、釣りを想定してのお遊びなのである。底の大石をひっくり返して、堰を作ったり、堰の落とし込みの部分を深くしたり、流れに変化を持たせる為に、抱え上げられない大石を水中で転がして、魚の寄り場としたり・・・これは、結構な重労働なのであるが、彼是とデザインして行くのが、実に楽しいのであり、どっぷり水に浸かっての遊びなのであるから、気持ちが良いのである。

 振り返れば、私はこんな事ばかりして、自然と遊んで来たのである。水泳を覚えたのも、近所の餓鬼大将の統率の下、皆で川を堰き止めて川底の石を掘り起こして、川プールの深さを作ったりして、真っ黒に為って遊び呆けて居たものである。
 兎に角、子供の頭数だけは多かった団塊餓気の時代であった。そして、それは個人の時代では無く、集団の時代であったから、尚更・・・ 面白かったのである。

 浮き輪なんて洒落た物など無いし、水泳パンツなんてハイカラな物も無かった。浮き輪は、板きれが代用品で、水着?は15円か30円の黒い三角巾のモッコだった。その形状からすれば、今流行りの見せたい女達が着用するビキニのヒモパンツ見たいな代物である。

 それに、生意気な耳栓なんて文明の利器も無かったから、皆、『御呪い』の様に唾を耳に塗ったくって、ドボーンの好い加減泳ぎと云うか、川流れ遊びに興じて居たのである。お手製の箱メガネで川の中を覗き、割り箸に切れ目を入れて、裁縫用の針を二本ほど差し込んで、タコ糸でギリギリ巻きにしたヤスで、カジカ突きをして遊び、捕ったカジカは、川原のかまどで焼いて食べる。
 そんな時には、餓鬼大将を張る上級生は、家から網と皿と砂糖・醤油を持って来た。『これが、正しいカジカの食べ方』・・・なんて、何故か、大人びた講釈を垂れて、貫録を見せ付けて居た物である。餓気共を統率する餓鬼大将は、腕っ節も、面倒見の良さも兼ね備えて居ないと、務まらなかったのである。

 近年目覚ましい台頭振りを見せる事大主義一辺倒の大国様よりも、人望で餓気共をリードして行く、その当時の日本の餓鬼大将の方が、余程『人治主義』の何たるかを、実践して居たのである。

 餓気の時代を振り返って見ると、餓気の夏休みは、結構多忙であった。箱メガネの制作も、学校の夏休み研究には為らなかった物の・・・ミカン箱、リンゴ箱、建築中の現場から、木材を調達して来て、貴重な割れガラスを調達して、その当時、滅多やたらと無い『貴重品・ガラス切り』を家人の目を盗んで持ち出して来る友達に、列を作ってガラスを切って貰う。ガラスを張った箱メガネの浸水防止剤は、その当時は、ロウソク一辺倒であった。ロウソクに火を付けて、融けたロウソクを垂らして行くのである。

 ロウソクの持ち出しが、これまた、母親との駆け引き為らぬ『立派な盗み』なのである。現行犯を見付かれば、母親に口汚く罵られ、箒・ハタキで、追い回され、体罰と修身・道徳のお説教が始まる。

 現行犯で無ければ、『誰が持って行ったの、お前が遣らないと言ったら、幽霊が遣ったんだね。この家は、昼間から幽霊が出る幽霊屋敷なんだね!!ああ、気持ちが悪い。正直に言わないと、ご飯、食べさせないからね。強情な子だね。誰に似たんだろうね。本当に、腹が立つって、ありゃしないわね。未だ白状しないか!!』・・・然しながら、黙秘権を行使すれば、幽霊の所為に出来た時代である。

★しゃら構わねぇ、遣っちまえ。バレたら、気を付けの姿勢で、往復ビンタ三連発。バレ無きゃ、こっちの勝ちだ。 親は、怒るのが仕事。俺っちは、逃げるのが仕事。フン、母親が、怖くて、遊べるか!! 糞婆ぁが~。

 親は荒っぽく且つ強く、兎に角、子供には人格の乏しかった時代である。大人も子供も、その行動たるや、ワンパターンの時代であった。
 餓気の世界と云えども、自給自足の物資調達には、今と違って、金は掛らなかったものの・・・情報と調達範囲が、殊の外、広かったのである。

 川の石に座って流れを見て居ると、こんな餓気時分の事が、勝手に頭の中に拡がって来る。歳を取っても、こんな事をして居るのであるから、私は真に以って、未成長の男である。
 そう思うと同時に、元気な身体に有り余る人生の余暇に、人は如何して、童心に還って、こんな楽しい時間の流れを実行出来ないのか、習い性の行儀の好さ、大人の感覚・常識だけでは、残された時は退屈であろうに・・・一抹の寂しさを感じる次第である。

※当時は、停電・ヒューズが飛んで、暗がりが突然且つ頻繁に遣って来た時代である。ロウソクは、一家の日常的な光明の拠り所であったのである。現代の様にSM用品としてのぶっ太い赤蝋燭・黒蝋燭など無かった時代である。一家の健康を預かる主婦としては、暗闇の中での家人の怪我は、何とも避けなければ為らない。そんな事で、蝋燭の管理は、主婦の勤めだったのである。へへへ。



心何処ーショート 暑き日、思い付く儘に。
              暑き日、思い付く儘に。(8/18/10)
 お盆が過ぎても、猛暑続きで大都会を中心に、死人が出る始末である。ミッドナイト散歩の時が、一番マトモなのであるが、それも、半分も過ぎれば、全身汗まみれで、兎に角、腹立たしくも、執拗な暑さ続きの日々である。
 沿岸都市部から見ると、松本は山国高地の湿度の低い過ごし易さを、売りにして居るのであるが・・・ とんでもない時代に、差し掛かって来た物である。

  プリーズ・ヘルプ・ミーてなもんである。真に以って、遣り切れませんわね。

 子供の頃、高温多湿と来れば、連想するのが昼尚暗き熱帯ジャングルであった。ニシキヘビにアナコンダ、ジャングルを渡る天狗猿に吠え猿、コンゴウインコに各種大型インコ、淀んだ川で待ち構えるのは、人喰いワ二に獰猛ピラニア群団、漆黒の闇には、ジャガーの牙と巨大毒蜘蛛タランチュラなんてパターンが、通り相場であった。

人間の活躍なんて、精々が獣皮パンツのターザンのアアァ~の雄叫び位な物であった。 

 夏の暑さも、『暑さ寒さも、彼岸まで』の言葉通りであったし、海水浴の浜辺の熱い湿度の高さなんて物は、信州の山猿が、海水浴には付き物の、肌に粘り付く様な暑さで片付けられていた次第であった。

 夏に為ると、好く新聞には、インドで多数の日射病死者続出などの記事が出て、夏休み突入の終業日には、教師から通信簿を渡され、夏休みの過ごし方については、日射病予防の注意事項を聞かされた物である。

           振り返れば、半世紀も昔の事である。

 大陸に覆われた北半球は、地球温暖化生産基地であるらしく、とんでもない猛暑・酷暑続きにして、海洋が主体の南半球は、雪が降ると云う始末である。
 大陸産業・人口過剰な人工熱が、このまま推移して行けば、丸きりの風呂炊きの様な物である。熱源からせっせと送り出される熱量は、仕事・生活快適温度を求めて、寒いとうなり、暑いと又うなる。冬と夏の最盛期にはフル回転の様である。表層だけの中で、熱対流が加速されるだけで、風呂の中間・底部は水の儘と云う図式なのである。

           これは、とんでもない気違い沙汰である。

 有人飛行だとか生活実験の宇宙ステーション活動をのんきにしている場合では無い。地球の南北による貧富の差なんて、悠長な事は云って居られない『異常循環』が加速して居るのである。国連加盟国が一致団結して、軍事費を何年か何十年かを拠出し続けて、大気圏に、大気撹拌装置を何百・何千基と設置して、早急に地球と云う大きな浴槽を、撹拌しなければ人類文明などは、死滅の道へとまっしぐらと為って仕舞うのである。

 嘗て、新東宝映画には、宝田明主演の『地球防衛軍』なんて物語が有った筈である。

 おやおや、色白吟のゴミ出しである。昨夕、日除けの朝顔への水遣り時に、最新傑作の吟さんん主役の『しゃくれ芋』談議を挿絵付きでお届けして、<感想や如何に!!>を強く要請して置いたのである。素通りの読み逃げ何ぞは、不埒千万である。ギャハハ!!
 
 早速、窓から声を出して、手招きをする。雑木のパラソルの下、出窓を挟んで内と外の朝っぱらゴタ介ロートル・トークである。

「如何だい、ゲラゲラ馬鹿笑いして、おカアちゃんに頭、張っ飛ばされなんだかいね。久々の怪作・傑作だったずらい。書き手の熟読校正後の保存文章だから、ブログ投稿以上の出来だんね。
 しょまむに始まって、硬茹で卵に温泉卵、シャクレ芋。白服スキーに、マラッカ海峡。泣かせ、行かせのSちゃ、プリーズ、ダーリン、カモン・アヌスに、腎虚の過労死と来りぁ、ゴタ話の要諦は、品格じゃ無くて、シャクレ芋の品物の優劣が一番だぜね。『静読』なんか、出来る訳がなかんべさ。そうじゃ~無かったかい?
 土台、読み物には、読み物毎の違いが有って当然だわね。戯け話を、脳味噌で読む馬鹿が何処に居るだいね。そんな馬鹿は、顔洗って出直して来いってなもんで、俺達ロートル一座にぁ要らんわね。
 おカアちゃんに頭の二・三発張っ飛ばされたって、元は取れたんだから、文句はあるめいに。あい?
知らん振りこいて、素通りするとは、如何云う料簡だいね。俺ぁ、怒るんね。イッヒヒヒ。」

「良くもまぁ、あんだけの事を、抜けシャーシャーと一気打ち出来るもんだわね。調子に乗って、下手な事こきゃ、何を打たれるか、堪ったもんじゃないわね。
 ナポレオン、ヒットラーまで駆り出されて、過労死・滅亡にまで追い遣られちまうんだもの。個人の日記打ちだから、何を打っても個人の自由には、違いねぇが、相手が悪過ぎるってもんさね。
 今度は、味わって<精読>するお時間だわね。ケッケッケェ~のオケツのお時間だわね。ギャハハ。文句無しのケツ作だったんね。就寝時間の消灯だってぇのに、言葉が闇に炸裂しちゃって、笑いを押し殺すのに、四苦八苦だったいね。
 
 正式の感想は、後日、改めてって事にしといとくれや。股間カップかサポーター遣ってかねぇと、不意打ちを喰らちゃうぜなぁ~。これ以上、シャクレが進行したら、使い勝手が、悪く為っちまうがね。いやいや、お兄ちゃんは、要注意人物だいね。四畳半に鍵付けて、徘徊禁止にしとか無きゃ、悲劇・惨劇が起きちゃうぜよ。ギャハハ!!」

 こんな戯けコンビが暮らしている子育てを終えた町会である。朝食後のテレビを母の部屋で見て居ると、玄関にヤクルトママさんの声である。暑いから短パンに上半身裸の姿である。田舎の夏は、裸んぼ大将が、日常の実態なのである。人前での行儀、品をとやかく云う女房は居ないのである。昔から相撲取りには、裸が似合うのである。

「如何する、こんな格好だけど、何か着るかいね。」
「好いですよ。こんなに暑い夏なんですから。家のダンナさんも、そうですよ。男の人の特権ですからね。気にしなくても好いですよ。」
「そうかね、男女同権なんだから、女も遣れば好いのにね。女は、夏は可哀想だよね。」
「本当で~す。」

 ヤクルトママさんのお言葉に甘えて、部屋に行き財布と下手絵ファイルを持って来て、玄関上がりの廊下で胡坐を掻く。
 常々、思う事ではあるが、今時の女性達は、一年中ジーンズを着用して居る。むさ苦しくも暑苦しい限りである。スカートの方が余程涼しかろうとの男の感想を口に出して見ると、ママさんもスカート派との事である。

 私は男だけの五人兄弟で育っているから、夏は小学生の時から、何時も裸暮らしであった。女一人の母は、何時も我々男族を見て、裸に為れる男族を羨ましがっていた物である。 
 結婚して、家庭を持っても、私は家に居る時は、上半身裸で暮らして居たし、倅も、私を真似て、家に入ると同時に裸に為って居た。あばら骨の浮き立つ貧相な肉体は、様には為らないがメタボでも、相撲取りの体には、裸が一番似合うのである。それが証拠に、日本人は老若男女の区別無く、国技相撲が好きなのである。イッヒッヒ!!

 男に為りたかったと云う娘も、乳首に変化が出て来る前は、裸の仲間入りをして居た物である。
 
 そう云えば、先日、ブログで中国さんの面白トピックスを見た。毒入り粉ミルクの後は、女性ホルモン入りの粉ミルクが出回って、乳幼児に乳房の隆起現象続出との記事である。調査談に依ると、乳の出を乳牛から搾り取るのに苦心?して、餌に大量の女性ホルモンを投与し続けて居る内に、過剰女性ホルモンが、其の儘、牛乳の成分として放出されているのだと云う。相も変わらず、笑い話の様な大中国の破天荒な行状である。

 その実態は、出鱈目を通り越して、不気味一辺倒の拝金主義国・事大主義国の有様である。こんな薄気味悪い国に対して、何故に、日本の報道は中国を大国視扱いをして、中国詣での様な情報垂れ流しをして居るのか・・・理解に苦しむ。
 人口が日本の10倍も有れば、経済が日本の10倍に為った処で、何が不思議なのだろうか。如何のこうのと言っている日本人の方が、可笑しいのである。
 上辺の論を立てるだけの都合の好い数字だけをピックアップして、条件も環境も違う数字の成り立ちには、一切知らん振りをして、感覚・感情だけを煽っているだけの日々のニュースにしか聞こえて来ないのである。

 これこそが、日本の学力低下の最たる姿であろう。学童の学力低下の問題を憂う前に、手前達の付和雷同のテレビ毒素に、どっぷり浸かって居る日常を、少しは真面目に反省でもし遣がれってなものである。

 私のブログは、きっと顰蹙を買っているに違いあるまい。品物に『品格』を投与するのが、その国、その国民の文化と質なのである。食物・料理に例えれば、安全・安心にして美味。これが文化の品格と云うべき物であろう。そして、この三位一体に、値段と云う評価が付いて回るのであろう。

 宜しいかな、私の逸物がISO、斜向かい色白吟さんのシャクレ芋が、安全・安心・美味の不可分一体の物と為らない以上、個別の品物には、一切、品格の称号は与えられないのである。三つの不可分要素を欠いた品物は、どんなに白煙もうもう、シャカリキにピストン運動をさせても、鉄道マニアの品格を体現したSLの被写体には為れないのである。

 ロートルご近所コンビが、自作自演劇をして、どんなに悦に入って、下卑た高笑を上げた処で、精々が場末の隠れた、知る人ぞ知るのマイナーな一品料理の域、大衆の味でしか無いのである。

 へへへ、またまた、掴み処の無い支離滅裂の長駄文投稿と為って、仕舞いまして御座りまする。ご贔屓衆の毎度のお立ち寄り、真に有難うさんで御座りまする。零細劇団の斜向い色白吟さん、共々、感謝感謝の気持ちでありまする。


心何処ーショート 再び、猛暑の汗の中。
                再び、猛暑の汗の中(8/17/10)
 ふぅ~、暑い。盆明け初日の朝一番の歯医者さんである。やっと、最後の一本に漕ぎ着けたのである。週刊新潮の藤原正彦氏のエッセィが気に入っているから、その頁だけを読む事にして居る。老眼鏡をポケットに自転車に乗る。

 氏は作家新田次郎氏・藤原てい女史の二男であるとの事。小説は殆ど読まないのであるが、私の本棚にも新田次郎の本が何冊かある。彼の硬い隙の無い簡潔な文体と気象学者らしい気象学の切り口を加えた処が、感性と学問の一種の融合を示して居て、私の性に合って、何冊かを纏め読みした事がある。尤も読書に関しては、母上の本は、一度も読んだ事が無い体たらくである。

 本業は、数学者であるとの事。数学の本職を持って居様が居まいが、数学者とて仕事から離れれば、一般市民としての生活をしているだけのである。日常の色んな事に接して、色んな事を見たり感じたり、思ったり考えているだけの事である。何も、敷居を高くして拝読する必要も無かろう。

 どんな専門分野に身を置く御仁であっても、中身の確りした人の、そう云った折りに触れての、人間の随想の方が、私には小説よりも余程面白いのである。

 エッセイは、対論の様に目前に不純物・障害物も無く、また小説の様に、ごちゃごちゃした細工も殆ど無い。書き手の思考思索に、すっと入って行く事が出来るから、視点・論点がストレートに伝わって来る。私としては、数学的に、実に手間が省けると云う物なのである。

 小説と云う広大・複層する舞台装置は、私は脳味噌の造りが粗雑に出来て居るから、手際良く整理整頓が出来ないのである。従って、それらの物は、映画と云う亜小説の世界を観賞させて頂く事で、割愛と云うか逃避しているのである。

           へへへ、面目次第も無い横着者である。

 対談・対論と云う物は、相手との言葉・想念のキャッチボールであるから、相手次第では、リップサービス、変化球、場合に依っては、隠し玉まで登場し兼ねないから、これまた、修正と云う加工を施して、頭にインプットしなければ為らない事も多々出て来る。

   従って、怠惰な海に漂うだけの物臭男には、荷が重過ぎるのである。

 歯茎に二か所麻酔を打たれて、手の届き難い奥歯の研磨が始まる。何か、嫌に右手が震えている。麻酔でこんな症状を見せるのは初めてである。<こりぁ、困りましたわね。>小さな虫歯との事であったが、神経を刺激して、脂汗の態である。我慢我慢・・・ これが終われば、型取りをして、次回はそれを嵌め込んで、微調整の研磨をして歯医者さんから開放されるのである。

 帰って、朝飯後は、盆も終わった事であるから、私の部屋と母の部屋に、買って置いたダニアースレッドの毒ガス焚きである。母を廊下へ移動して貰い。さてさて、二部屋同時の痒み駆除の巻である。ボロ屋であるから、臭いが漏れて来る。

              さてさて、三時間の我慢である。

 色白吟さんの置いて行った文作綴りの続きを印刷して、下手絵の挿絵を挿入して通い帳のバインダーで挟む。過去文作を控えのファイルに綴じて、本棚の上に収納する。

 さてさて、昼飯の替わりに、お盆のお供え物を、消化しなければ為るまい。賄い夫をして見て、一番ウンザリする事が、食べ物の整理である。貰ったり、自分で買って来て、作って、捨てる訳には行かないから、その残り物の整理も全部自分の処に、回って来るのである。人数が居れば、強制割り当ての方法もあるが、相手は食の細い老女一人である。後片付けをしない者は、気楽な者である。女の様に怒りたくなるのも、当然の話である。

               嗚呼、阿保臭いの限りである。

 廊下に行くと、寝そべって居た母は、遣る事が無いから、風呂に浸かって居る。左様であるか、こう暑いと、何もする気が起こらない。近くの川で川遊びをした後は、ぬるま湯に浸かって、後は昼寝をすべしであろう。

 さて、本日の日記も、大分字数が増して来た。投稿して、お開きとしようと読み直すと、大事な事を忘れて居た。

 昨日の夜散歩は、下に向かっての散歩であった。川沿いにはS大生相手のアパート風マンションが、何棟も建っている。例によって、ミッドナイト散歩である。墨色の静かな界隈に、河川敷から、奇妙な動物が道路を横断して行く。多分茶系統の体色であろう。扁平に近い体高の低さに、身体程の長い尾を持っている。そいつは、横断時の左右の確認もせずに、ノコノコとアスファルト道を横断して行く。ナンジャラホイの好奇心が湧き上がる。小さなマンションとマンションの間には、建物を壊した更地がある。

 奴は何処だ? 得体の知れない哺乳類動物のシルエットを追って、目を走らせる。影が有る。金網のフェンスの上に、その動物が居る。アパートの窓からは、幾つかの明かりが漏れて居る。

 嗚呼、懐中電灯が欲しい処である。立ち止まって目を凝らして居ると、私の気配を感じて、そいつがフェンスの上を慣れた動きで、渡って行くのである。部屋の窓からは、ヒョイと手を伸ばせば、フェンスに届く距離である。

 動物の習性とは、毎日、一定の行動範囲の中を、一定の時間帯を以って行動するとの事である。そんな聞きかじりからしても、然もあろうと首肯出来る・・・そんな落ち着いたフェンス渡りである。長い尾の先端が細く尖って居る様な形が、残念ながら、私の脳味噌図鑑には無い動物なのである。きっと、外来種動物に違い無かろう。

 ペットが逃げ出してか、飼い主から遺棄されて、市街地を流れる葦の原に居を構えていると見るのが、正解なのではあろうが、部屋でガンガン音楽を流す学生が、ふと流した視線の先に、フェンスの上で、じっと部屋の中を見て居る動物の視線と勝ち合せに為った瞬間を想像すると、その第一声が、どんな声、悲鳴と為るのか・・・是非とも立ち合って見たい物だと想像した次第であった。

 『小さな川を挟んだ動物と人間の境界線、棲み分け。』と表現するのも、『街場の無関心の日常』と表現するのも、面白い。こんなシーンと遭遇出来るのが、人嫌いロートルの散歩の好さなのかも知れぬ。


心何処ーショート へへへ、ご利益かな?
             へへへ、ご利益かな?(8/16/10)
 朝風呂とスキンヘッドを終えて、洗濯機の脱水を回して居ると、斜向かい色白吟さんの登場である。午前中に、オヤジの墓参りに行く用意をして居たのであるが、まぁ、時間が延びるまでの事、大勢に影響あるまい。

「何時読んでも、どれを読んでも、流石に好い事が書いてあるね。感心しちゃうよ。これだけの事を発信して居るんだから、さぞかし、コメントが殺到して居るんずらいね~。如何だい、ちょこっと読ませておくれや。」

「読んで貰って、俺だって人間だから、多少は自慢したいんだけどせ、読者の皆さんは、俺のレベル以上のお人ばかりで、<下らん長駄文>の却下、コメントに値せずの素通りだわね。ギャハハ!!」

「そりぁ、失礼ってもんじゃ無いかね。面白話、助平話、戯け話の下には、ちゃんとしたお兄ちゃんの歩んで来た知識・教養・感性が、人生とか物事の見方・感じ方で、散りばめてあるのになぁ~。俺だったら、コンニャロ~メで、頭、くらし上げちゃうぜや。

 俺なんか、旅行記に始まって、全ての文作を読ませて貰って、映画も何巡も見せて貰っているから、R塾の塾生見たいな者だわね。但し、あっちの方の分厚い専門書は、お品書を見ただけで、委縮しちゃうから、近寄らねぇ事にしてただけだわさ。

 視点・観点の着眼点を、ざっくばらんなエピソードを交えて、展開してさね。大事な要点は、独立改行の分かり易さだわね。俺なんか、分からねえと、独立改行を遡って、読み直すと、それがちゃんと一つの塊として説明してくれているんだ物。

 これだけの至れり尽くせりのサービスなんか、生意気面して尊大振って居る学者・評論家にぁ、逆立ちしたって、真似出来ない離れ業ってなもんだぜや。
 上っ面読んでも笑いこける。起承転結の結論を読めば、大きく頷ける。同じ物を見ても、中身を持っている人間にぁ、こうも違って見えて居るんだなぁ~なんて、俺ぁ、恐れ入って、四畳半を覗いて行くだいね。

 きっと、現役時代は、その脳味噌の切れ味は、恐れられていたんだろうとは、馬鹿でも察しは付くけどねぇ。あい。」

「やいやい、朝から煽てられちゃって、スキンヘッドのシャレコーベが、喜んでカッカと熱を持っちゃったいね。今日も軽く30数度をのっ越しちゃう猛暑日だってよ。上気熱に気温が加わったら、スカンポ脳の羊水が、過膨張して水蒸気爆発しちまうわね。血液の巡りは、上下・左右・満遍なくが、コツだんね。あぃ?」

 近くに、色白吟さんの短パンに、変な膨らみが有ったから、スキンシップも、ご愛嬌の一つである。ヒョイと手を伸ばして、親指と人差し指・中指でショマム(摘まむ)と、意外や意外の・・・生身のデカさとコリコリ感であった。反射的に腰をくの字にした物の、ニタリ笑うその顔には、自信の余裕さえあった。

「駄目ズラ。この暑さで茹だっちゃって、ヘナ珍ずら。ギャハハ!!」

「やいやい、俺ぁ、おったまげた。コリコリして芯が確りしてるぜや。茹で卵で云えば、じっくり火の通った硬茹でだわね。お見逸れ致しやした~。正真正銘の現役マラじゃん。

 Sちゃ、体に似合わず甲種の大合格、海綿体に血液が漲りゃ、宇宙戦艦ヤマトの波動砲炸裂だんね。白服にスキー担いで、ロシア戦線間違い無しじゃんかい。

 やいやい、後期高齢者の逸物はだらしの無ぇ温泉卵だっておちょくって遣ったら、こんなに芯のあるコリコリとは知らなんだ。全く、化け物の類じゃん。オダブツしたら、S大に献体しなきゃ、罰が当たるぜや。」

「そうズラ、JIS規格だって、世界に誇るゼロ戦ファイターの優美な姿に、航続距離の長さと小回りの利くフットワークの好さだわね。俺だって、若い頃は、『泣かせのSちゃん』と肩で風を切って居たもんさね。ギャハハ!!」

「あいあい、確り手診させて貰ったぜ。一切異議は無いわね。唯ねぇ~、日本製戦闘機は、攻めるにぁ、優れて居るんだけど・・・あの露スケ大国は、引き込み戦法が得意の国だからね。スマート・高性能のJIS規格戦闘機じゃ、戦えねぇよ。

 目を瞑って、西洋の歴史を思い出して見ましょ。露スケの冬将軍の前に、ナポレオンもヒットラーも、最終的には、ロシア遠征が命取りに為っちまったからね。まあ、露スケは、引き込み戦法とドサクサ戦法が大得意だぜね。信用し過ぎて、作戦・ペース配分を間違えると、とんでもねぇ事態で墜落死しちまうんね。

 何しろ、染み一つ無い、雪の様な白い肌に金髪だぜせ。加えて、メラニン色素とアソコの締りの相関関係だもの。ズボズボ、ズブズブといとも容易く引きずり込まされて、エネルギーを浪費させられた挙句の果てが、アナザーホールの『カモン、アヌス。ダーリン』じゃ~、早晩、腎虚の過労死だわね。

 日本の労災判例にぁ、セックス過労死なんて範疇は、未だ無いんね。何しろ、その一線の違いが、JIS規格とISO規格の根源的違いさね。如何だい、瞼の裏の残像も、色褪せて来たずらよ。そろそろ、白人毛唐のアナザーホールでも、持って行くかいね? イッヒッヒ!!」

「いけねぇいけねぇ、滅相もねぇや。遣る事も無ぇ冬ならまだしも、この糞暑い体力消耗前線の日本兵士にぁ、そんな不浄のケツに回すほどの、海綿体ガソリンはねぇぞや。ガソリン一滴、血の一滴。ザーメンの放出、腎虚の元だわね。アッハッハ~。」

「アハハ、そりぁそうだ。ほれほれ、耳にイヤホン付けた儘、テレビのアナザーホール大雲星団に引きずり込まれて、ご昇天した図だわね。」

「やいやい、お兄ちゃんと居ると、如何して、こう為るの?!! 話の最初は、マトモな話だった筈だがな。途中で、夏垂れしたシャクレ芋を摘ままれてからが、瞑想落花生じゃねぇかい。 
 俺ぁ、笑い過ぎちゃって、玉タマ冷やす南京玉簾が、汗まみれで、ラジエターに為らんぞや。夏は、清潔を旨とし無きゃ、淫金タムシの銭型が浮上しちまうがな。」

「やいやい、俺ぁ、これで確り目が覚めたわいね。戯けロートルが真っ昼間から、ミンミンゼミ、キリギリスの声を聞いて、シャクレ芋がどうのこうのとほざいて居りゃ、アイツ等、根っからの大馬鹿、大戯けの白眼視だわね。 それこさぁ、俺ん処にコメントなんか出したら、同類項とブログ界じぁレッテル貼られちまうがね。
まぁ、匿名通報で禁断の頁にならねぇだけ、感謝しなきゃ為らんわね。アハハハ、駄目だ、俺ぁ、腹痛ぇやね。」

 遺憾いかん・・・ 墓参りで御座りまする。黒い墓石は、チンチンの暑さである。墓石を洗い清めて、庭から切り取って来たマンジュシャゲの藤色の花を活け、線香を手向ける。

 親父殿、暑いじゃゴザンせんか。通路の芝生に胡坐を掻き、滴り落ちる汗をタオルで拭きながら、墓石のオヤジと暫く馬鹿話をして来る。

 私も、漸く、倅・娘と馬鹿話が出来るまでに、子供達が社会にこなれて来た。子供を育て上げるとは、こう云った馬鹿話が、親子の間で何の屈託無く話す事が出来る段階を云うのかも知れない。私と父との別れは、小学生に入る前の歳であった。親と子の生死の別れは、運命としか云い様の無い処である。離れて、時を刻んで後の親子の対話とは、実に面白い物である。

 そんな本当の親子の楽しみが無かった親父と倅の私ではあるが、何時の頃からか、私は墓石の親父に向かって、馬鹿話をする術を覚えた。

 勿論、墓石の下に安置されている親父の霊魂・骨が、私に語り掛けて来るのでは無い。私の一部の中に親父が居て、私の中の一部に倅としての私が居て、私の中の一部が、親父と倅の会話を愉しんでいる図式なのである。そして、それは、倅と娘との関係を、親父と私の関係に投影している光景でもある。

 血と遺伝子を受け継いで、バトンタッチをしている光景であると同時に、血と遺伝子で繋がっている者同士の内為る三位一体とも形容すべき時空を超えた語らいにも似ているのである。・・・私には、そんな気がするのである。

 食の細い母に、帰りに握り寿司を買って帰る。へへへ、実は、昨日、母の一言がカツンと来て、短腹を起してしまったのである。『我慢しないで、怒ってくれて好いんだよ。』と言われて、母の切なさ、子に対する気持ちに、涙が溢れ。両手を付いて深々と感謝の頭を下げた処であった。これからが、介護の正念場と進んで行くのであろう。

 早速、昼の支度をすると、三人前の寿司は、目出度く平らげる事が出来た。
 こんな愚痴など、親父には一切報告して居ないのに、へへへ、親父殿のご利益かも知れぬ。


心何処…町会納涼スケッチ
                 町会納涼スケッチ

                 町会納涼会スケッチ


 へへへ、正直、これだけ描くと、疲れちゃいますね。不器用さを棚に上げて、描いている内に、ギブアップで有りまする。弘法筆を選ばず・・・とは、申しまするが、絵の下手な男は、描く対象を選ばないと、とんだ草臥れ損の結果で有りまする。

   はい、身の程知らずの一枚で有りまする。とほほで有りまする。

心何処ーショート 町会納涼広場スケッチ
              町会納涼広場スケッチ(8/15/10)
  さてさて、本番では焼きそば係りでありまするから、行って参りましょうかね。

 公民館の中では女性群が、玉ねぎ・キャベツを刻み、外では火力の大きい専用のガス台に大きな鉄板プレートが二基セットされて、消防団員と云う30代の<町内産>男性二人が、袋の焼きそばを解している。

 早速、そのお手伝いをする。若者には、若者が集まる。カラオケのセッティング係りを仰せつかっている細身の背の高い彼も加わって、麺解しをする。眼鏡を掛けた隣班の若いお父さんは、実に手為れた物である。腕を見込まれて、ここ数年、例年の定位置との事である。

 一段落したので、煙草を吸おうと広場を見ると、旧公民館の前の長椅子で、一人煙草を吸っている元役員さんの姿が見える。雰囲気のある立派な体格の高齢者さんである。横に座らせて貰う。結構なインテリさんであるから、話を振ると、落ち着いた口調で、ご感想がポンポン出て来る。忽ちにして、ロートル話がスムーズに走りだした。

 公民館前のルーフの前には、ブルーシートが敷かれ、長テーブルがセットされて、町民席が大きく設えてある。子供達も集まり出して、結構な賑わいが出て来た。

          さてさて、お手伝いに行きましょうかね。

 町内産は、○幼稚園、○小学校、○中学のパターンだから、それだけで、気持ちが解れて来る物なのである。先ず玉ねぎを全部焼いて大きな器に移し、キャベツ、モヤシ、肉と進み、それらを合わせて、再び焼いて、ビールの摘まみとして配り、最後に焼きそばを作って振舞うのだと云う。
 為るほど、工場で行われる部品毎に生産して、一気に組み立てて完成させると云うノックダウン方式の手法である。短時間大量需要に応える方式である。

 これも町会若衆消防団員のお努めの一つとかであると云う。大きな目で見ると、これも町会と云う器の中の、伝統の引き継ぎ風景なのであろう。為るほど、堂に入っている筈である。

 恒例の行事なので、一体、こんなに子供達が居たのだろうかと思うほど、町会には、子供・少年少女が居た物である。目出度し目出度しの感である。

 二級先輩の町会長さんも、実に穏やかでおっとりした人であるから、ビールを持って来て下さり、
「Rさん、若い者に任せて、俺達年寄りは、参加する事に意味があるだぜ、席でゆっくり飲み食いして行きましょ。」との仰せである。

 町会長さんの暖かいお言葉に甘えて、席の空きを探して、メタボ相撲取りの身体を潜り込ませる。民生委員の姐御も居らしゃる。

 この子達、私の息子と娘と紹介してくれたのが、マレーシヤ人ファミリーである。日本の大学二校に留学して、卒業後は会社を立ち上げ、日本の永住許可証を持って居るとの事である。云わば彼等の身元保証人に為って居るのが、民生委員のFさんなのだと言う。

 マレーシャは二度遊びに入って居るから、大体の感触が掴める。30%弱の中国系国民が、各方面に地位と勢力を置いて居るお国柄である。夫婦の顔付を見ると、明らかなる中国系の顔立ちである。出身はペナン島との事である。観光ツアーには、ペナン島での一泊があったから、話のタネに為った。

 夫婦はS大留学生であったから、町会に隣接する国際交流会館の寄宿者でもあったのである。私には、嘗て親交のあったネパールのシャカ族の好青年が居たから、これまた、それなりの感触が掴める。共通ネタがあったから、久し振りに中身の濃い遣り取りが出来た。

 彼も熱い人間らしく、日本外交の弱腰に歯ぎしりをしている一人なのだと言う。留学生仲間で、勉強せずに無礼なのが、中国人と韓国人なのだと言う。彼から見ると、日本人は、何故にこうも、弱腰・甘過ぎる外交なのだと言う。真に以って、日本人の一人として、耳の痛い指摘である。

 私も一時、ネパールの好青年に招かれて、彼の部屋で待ち受けるナイジェリア、タイ、マレーシヤ、シンガポールなどの彼の友達と、中々面白いインテリ日本人として、講師役を仰せつかって、青年の熱い討論なんかをして居た時がある。彼等からは、それなりの好評を博して、週一度のボランティア活動をして居た事もあるのである。イッヒッヒ!!

 時代の風潮だったのであろうが、我々団塊の世代は、意外と骨ぽい硬質の話を好む。それなりの大学に留学して来る若者であるから、頭脳の働きは、頗る明晰の様である。俄か覚えの日本語に苦労に苦労の日々を、努力で乗り越えて日本語の専門教科書を物にした頭脳の持ち主達である。私の下衆の様なスカンポ脳味噌が、逆立ちをして見ても、IQでは追い付かない処である。
 彼等が、後から覚えた学問と云う抽象・マクロの世界を、如何、具体・ミクロの世界に翻訳して、彼等の国に帰って貢献出来るかが、彼等に求められる真骨頂なのであろう。自分の優れた資質を自分一人の専属的所有権と盲信するのでは無く、お天道様からの授かりものとして、その成果を社会に如何還元させて行くかを考えなければ為らないのが、これまた才能を与えられし者の務めなのである。

 こんな単純な事が分からず、活字・思想・政治活動ばかりに、若い時から身を投じて居ると、何時の間にか、圧倒的大多数が実業の経済・生活の狭間で、当然身に着けて居なければ為らない常識の躾けもされずに、椅子に座ってしまえば唯我独尊の非常識さを推し進め様としてしまうのである。

 片や、理想ばかりを口にして、自らの舌禍で総理の椅子から転げ落ちる。片や、現実を吹聴するかの様に、言葉を選んだとしても、学生運動・市民活動・政治活動路線一本槍で来た総理には、政治の権謀術策は学習しても、社会実態の経験学習が皆無であろう。実社会での味成熟振りが暴露して、発した言が、言った端から軋んでブレて、ブレ振動が拡張して大津波に達して、大事なお膝元を、呆気無く浚われ兼ねない脆弱振りである。
 新総理のご祝儀が去れば、菅が、イラ菅、逃げカンに転化して、駄目カン、好いから加減の空カンにまで行ってしまいそうなお人もいらっしゃるのである。

       兎角、この世は、難し過ぎる。へへへ、お気張りやす。

 デジカメでパチリ、パチリと撮りながら、同班の優男インテリさんが、お孫さんを連れて居られる。有難い事に、御先輩も私のブログに目を通されて下さる御仁である。ご挨拶をして来る。御先輩は、ニコニコ顔でデジタル画像を送って見せて下さる。好いショットがマダマダ不足しているから、マダマダ撮って行くとの事である。

 辛うじて、支えて居た大気様も、力が尽きたのであろう。紅白のステージのカラオケ特設ステージで、気持ち好く自慢の喉をご披露しているのに、雨あられの大拍手が襲って来た。アジャジャ、最後のビンゴゲームを雨の中、慌ただしく進行させて、終宴の後片付けに掛れ~の巻に為って仕舞った。

      さてさて、お努めである。テキパキ撤収作業をすべしである。
 町内、ご参加の皆様、お疲れ様で御座いました。ご協力、有難う御座いましたの慌ただしい幕切れでありまする。然しながら、共同作業と云う物は、楽しい物である。


心何処ーショート 何かと忙しき土曜日
              何かと忙しき土曜日(8/14/10)
   アッ、車、駄目だ!! ハンドルも、ブレーキも出来ずに、ドシーン!! 
 とんでもない事を仕出かしてしまった。シートベルトを外して、車から出る。身体の異常は感じなかった。私は無傷の様である。

 目の前で、相手の車が横幅を半分に縮めて、ゆっくり倒れて行く。何処までも続くトウキビ畑の真っ直ぐの道である。北海道の夏のだだ広い農道か、外国の大農園地帯の一本道か、此処は何処だ??

 農道脇の刈られた雑草の傍に、ゴロリと50代の女性が、ゆっくり着地する様に、車から転げ落ちて来た。彼女には外傷が見えない。気絶して居ると云うより、すやすや眠って居る様な表情であった。口に手を遣って、息を確かめる。死んでは居ない様で、切迫下の中に、安心感が本の少し生まれるのを感じて居た。

 下手に動かさない方が、好いのだろう。何故か、そう思った。呼吸確保の為に頭を上にして、事故現場に目を走らせる。如何見ても、私のセンターラインオーバーが原因である。

  逃げ場の無い観念する気持ちに、血の気が引いて行くのを、私は感じている。

 携帯電話で救急車をプッシュしていると、対向車が一台止まった。連絡を終えて、現場を見渡して、私の中では、言い訳の材料を探しての責任軽減の辻褄合わせが始まって居た。ブレーキの暇も無かった、其の儘の、正面衝突事故であった。道路には、ブレーキの跡は無かった。

 熱い太陽であり、事故のショックはある物の、こんな事に頭が巡って居る自分が恥ずかしかった。

 シャツを脱ぎ、トウキビを折って、意識が戻らずスヤスヤと寝て居る女性の上半身に、日蔭を作って遣る。止まった対向車からは、誰も居りては来なかった。救急車は何時来るのか分からないトウキビ畑だけが続く夏の太陽であった。

 キリギリスが鳴いている。風音に混じって、雨音がしている。意識が覚めて来て、夢であった。車の運転には、気を付けろとの夢の啓示なのであろうか・・・運転時、気を付けるべしである。 

 本日、町会の盆踊り大会等のセッティングが早朝六時からある。遅れぬ様に目覚ましをセットしての就寝であった。時計は五時五分前を差しているが、変な夢の続きを見て終うのは願い下げである。起きて、集合時刻を待った方が好い。

 雨天時、中止で、その場合は、メインを公民館でのカラオケにするとの事で、盆踊りのセッティング作業は中止との事である。そう為れば、私は焼きそばの係りで夕方六時に行けば好いだけである。この程度の降りだと、セッティング作業は行われるのだろう。

 小一時間の時間を、熱いコーヒーを飲みながら、夢の話でも打ちながら待った方が、得策である。集合五分前に着く様に、家を出ると既に人の姿が見える。

 へへへ、子育てを終えた町会役員さん達は、何分、朝が得意らしい。ビデ足場が既に立てられている。町会は大所帯であるから、作業量以上の役員・係りの人員である。電球を嵌め込んで、提灯を吊るしたコードを公民館広場に架ける。紅白の垂れ幕を掛け、金魚掬いの場所をセッティングする。
 丁度一時間ほどのお役目で解散と為った。軽作業であるから、町会一斉草刈り作業と同様に、負担の少ない町会住民との顔合わせの意味合いが、大なのである。

 昔、元気な大人達も、皆、70代に差し掛かって、お盆で遊びに来る孫達へのサービス奉仕の一環で、納涼セッティングを愉しみにしているとの事である。毎年、セッティングをこなして居る万年役員さん達は、手際良く、勝手知ったる作業の進捗振りである。普段の町会会合と違って、女性の出席はたったの三人だけである。これも、夫婦の役割分担と云う物であろう。

 若い頃は、こう云った事が嫌いで、全部、女房に押し付けて居た。然しながら、今は、全てをしなければ為らない専業賄い夫であるから、真面目に義務を果たざるを得ないのである。イッヒッヒ!!

 然しながら、班長職としてどっぷりと浸かって仕舞うと、<ああだこうだと、逃げ口上をするのは、馬鹿げている議事進行の遅滞>である。私は遣らなければ為らない事は、ホイホイと軽く手を上げる事にして居るのである。

 そんな私の軽挙妄動を、『昔新婚さん』のお姐さんは、焼きそばを作れるのかなどと、色々心配して下さるのであるが、キャベツ・モヤシ・玉ねぎ・肉なんざを、鉄板の上で焼きそばにすりぁ好いまでの事である。火が通って居りぁ、文句はあるまいってな物である。時間がスタートして、時間が来ればフィニッシュするまでの事である。

 行事が無い限り、町民が顔を合わせる機会も無いのが、人の日常なのである。面白楽しくサンドイッチマンをすれば、事は足りるのである。

 その昔、日本の家族形態は、三世代同居が日常の姿であった。現役を終えた爺さん婆さんが、外で働く若い者に替わって、家事・孫の相手をして、家庭を回して居たのである。現役を卒業すると、これがロートルの務めと為るだけである。これも、立派な社会貢献の一つである。ギャハハ。

 専門語満載のマクロ経済なんて難しい事は、一切分からないが、<生み育て、働き、生きる事が、人間が暮らす>と云う事であろう。家族・社会・企業・国家は、其の為にこそ在って、然るべきであろう。

 地方都市の住宅街には、未だ辛うじて、町会と云う『器の中』に、老・壮・若・幼の同居が、存在して居る図なのである。この図式が崩壊してしまったら、日本の文化どころか、人間の精神までもが、崩壊して終うのである。個人主義の安易なバリアを掛ける前に、人としては、参加する事に意義があるの<軽腰>が、必要なのだと思う次第である。

 とは云う物の・・・例え、夢の中でも、センターラインオーバーの運転をして、事故を起こして、何処かに責任軽減の口実が無い物かと、頭を巡らせている私が、こんな感想を述べて居るのであるからして、私の性根などたかが知れているのである。

 笑止千万の口先人間の一人である。へへへ、お恥ずかしい限りでありまする。さてさて、少々、寝不足分を補填しましょうかね。

 小一時間のまどろみをして、朝の賄い夫は、女房差し入れで済ます。Tの電話にて、スタバで、コーヒータイムである。

「いや~、年表付きの龍馬伝の見方と、信長~家康間の年齢差8歳の違いから見る歴史の観方は、好かったぞ。お前の指摘で、思い込みの呪縛見たいな物が、ポロリと落ちたぜや。」

「そうだろ、俗に云う処の『目から鱗』って奴だろう。あの文作(8/13、梅酒片手に、好い加減の呟き)は、俺としたら、年に一度か二度のクリーン・ヒットの心算だったんだけど、意に反して不評だったわいね。正直、コンチクショーなんだけどさ。へへへ。」

「そりゃ、しゃー無いわな。書き手と読み手の、期待と反応の違いって事だわね。俺は大いに得心したから、話の例えに使わして貰うわね。イッヒッヒ!!」

 本日は、高校時代の変態男のI、K、Sの傑作異常者話で、何時に無く盛り上がって仕舞った。

 I、Kのコンビは、コンパでは、愛のラーゲ・48手の実演者であり、Sは照る日も降る日も竹のシャクレ柄のコウモリ傘を持って、混み合う通勤通学電車に乗り込みコウモリ傘の特大柄で、女体に対して、悪戯・狼藉行為を働いていた男である。三人とも、眼鏡の奥の細い目には、異常者の輝きを持っていた男達である。
然しながら、Iは国語に、Sは英語に、才能を持っていた男でもあった。こんな処が、人間の才能の発露として、面白い処でもある。

 Sに至っては、特殊な神経の持ち主で、通学時の女子高生を見付けると、教室の窓から歪な物を出してする放尿癖と、体育の授業時の体育館横で着替える折りには、通学路に為っている道に、女子高生を見付けると、下半身モロ出しの独演会を仕出かす癖の悪い男であった。

 一度、調子付いてそれを遣らかしたまでは好かった物の、相手が悪過ぎた。近所のおばさんだったから、そのおばさん・・・血相を変えて、校長室にねじ込んでしまったのである。昔の番から男子校の指導と云うのは、大体がワンパターン化していた。血の気の多い教師に、烈火の如く罵倒を浴びせられ、鉄拳制裁を受けて、一週間の謹慎。謹慎明けには、青々とした坊主頭で、周囲のからかいに遭うのが、通り相場と為って居た。

 振り返れば、今と違って色んな連中が同じ屋根の下に同居していた物だし、また、そう云った連中は、実に打たれ強かった。その手の連中は確かに豪の者で、彼等の謹慎中の行為の反省は、<心の反省>とは、大きく懸離れて居た様である。彼等も中学までは成績優秀の部類に属して居たのであるからして、行為への反省は、大にして『行為の工夫』に向けられていたとしか考え様が無かった次第なのである。

 Tと私の好色ロートルコンビとしては、学童・学生時代に、身近に特異なる連中を観察で来た事から来る特異なる性癖者への、深き理解度なのかも知れぬ。
 因みに、将来を危惧されたI、K、Sが、性犯罪で官憲の御厄介に為ったとの風評も聞かない処なのであるから、その後、彼らが目出度く世の常識を身に付けたのか、付けなかったのかは、一向に定かでは無い処である。

 さてさて、夜の部の焼きそば係りにさいして、少し、休んで置きましょうかね。何かと、忙しき土曜日である。


心何処ーショート 感謝感謝の盆の入り
                感謝感謝の盆の入り(8/13/10)
 昨日、電話を貰っていたから、午前中に用事を済ませて来るべしである。朝、電話が鳴って、出ると倅である。女房が一緒に昼を食べようと、五目御飯を作ったから、昼飯の用意をするなとの仰せである。了解、致しました。

 昨夜の文作を読み直して、校正している内に、思いの外、時間を喰ってしまった。母の朝飯だけ用意して、車に乗る。途中で、自転車にした方が好かったかなと、後悔する。

 そろそろ昼である。大慌てで玄関周りの真似事掃除をして、小鳥様の世話をして居ると、廊下から上がった倅の声がする。女房は、吾が町内の知り合いの所に寄って、線香を上げて来るとの事である。

 煙草を吸いながら、倅と馬鹿話をしていると、廊下から女房が入って来た。吾が家の玄関は、家族の間では、ず~と、廊下なのである。食事の用意を始める。台所で、女房にそっと耳打ちをする。

「この前さ、ストレスが溜まって、愚痴話を聞いて貰おうとしたんだけど、えらい又、痩せて、癌の末期患者見たいな顔見たら、俺が愚痴を零す訳には行かんよな。黙って、胸に呑み込むわな。あい。」
「そうよ。愚痴の無い者は、世の中、一人も居ないのよ。零しても無駄よ。アハハ。」

 と来たもんだ。へへへ、相変わらず、可愛げの無い女である。女房の五目飯、野菜天ぷらを頬張りながら、年に何回かの、一家団欒の気分を味わう。女房の手前、母も私への嫌味は、口に出来ないのだろう。女同士で、結構楽しく話を交わしている。

 この歳に成ると、人間は何処そこの誰誰さんは、如何して居るとかで、亡くなったとか、施設だとか、そんな話ばかりである。女房の両親は、好いサイクルでデイケアとか訪問介護を受けているとの事である。

「私も、この子にばかり世話を掛ける訳には行かないから、月に何度かは、ディサービスに行かなければと考えているんだけど、未だ、動ける内は、施設になんか行きたく無いんだよ。自由の利かない施設は、嫌だからね。負担を掛けて居るのは、好く分かるんだけど・・・」

「そうよ、お母さん。家が一番よ。デイサービスも施設も、人によりけりだもの。合う人も合わない人も居るから、仕方が無い事よ。
 ○さんは意志の強い人だから、如何にか為るものよ。息子に見て貰うのが一番よ。気にし無くて、老いは、順繰りなんだから。ねっ、甘えて居れば好いのよ。」

 婆さんも、女房も、調子の好い事を、抜かし遣がって。好い気なものである。

 まぁ、こんな処が、家族の好い処なのである。別居暮らしが、空気の様に、何んとも違和感無く流れて居て、お互い、普段は、無しの礫状態なのであるが、こうして顔を合わせれば、一緒に居た頃と全然違わない空気に包まれるのである。つくづくと、親子・夫婦と云う物は、不思議と云うよりも実に面白くもあり、有難い物である。

「ご主人さま、偶には、庭のお手入れもしなくちゃ行けませんよ。木の枝が、茫々じゃないの。確りしなくちゃ駄目よ。大きな家なんだから、アハハ。」
「何をこきぁがる。必要最小限の事は、しとるわな。この、野放しの自然タッチが、好いんじゃい。俺は、女みたいに化粧はせんのじゃい。馬鹿たれが。」

「あれあれ、失礼をば致しました。お母さん、見て。このむさ苦しい顔を。髭が伸びて、こんなに真っ白よ。」
「オカン、そりぁ、しょうが無いよ。オヤジも歳だからね。」
「おっ、そうだ。○子、俺のこの頭、悪くは無いだろう。へへへ。」
「一緒に居ないから、ノーコメントに、して置いて上げるわよ。アハハ。」

「見ての通りだ。お前も、可哀想だな。兎角、女は、口が悪いからな。じっと耐えて、閉じた瞼の裏に、俺の悲哀の表情を浮かべられる様に為ったら、お前も、一丁前の男だわさ。ギャハハ!!」

「そうだよ。人生は長いんだから、色んな事があるからね。お婆ちゃんは、結婚生活が短かったけど、お父さんもお母さんも、普段一緒に居ないけど、仲好く遣って来たから、現在が有るんだよ。見習う処は、一杯あるよ。」

「家は、ご主人さまがタヌキだから、好いのか、悪いのか、騙されているんだか、分からないけどね。ねぇ? オホホ。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇぞや。兄弟・友達・知り合いの家族見てたって、家ほど、女房と話をする<相思相愛の番い>は無いぜや。タヌキ親爺の采配が良いに決まってるわな。」

「まぁまぁ、そう云う事にして置くじゃん。俺も、タヌキ修行をしなくちゃね。婆っちゃん。これからが、大変だ。」

 これからオヤジの墓参りをして帰ると云う女房・倅に、手を振って、私の墓参りは、お盆最終日にせよとの女房のお達しである。はいはい、その様に致しまする。

 94歳の老母は、朝の目覚め顔とは別人の、血色の好い老人顔である。偶の家族の顔見せは、医者にも真似の出来ない『百薬の効果』なのである。正しく、人間は心の生き物なのである。

   女房・倅に、感謝感謝の盆の入りである。はい、アリガトさんね。


心何処ーショート 梅酒片手に、好い加減の呟き。
           梅酒片手に、好い加減の呟き(8/13/10

   やや、俺はビックリした。ヒョイと下を見ると、ムカデが居るではないか。
手元にカッターナイフがあるので、その中間辺りですっぱりカットして遣ると、凄い勢いで、正反対に走って行く。ムカデを漢字転換すると百足と為る。足がたくさん対に為っているから、むべ為るかなとも思ってしまうが、元気に走り回って居るのであるから、如何云う神経・体の作りに為って居るのか、驚愕の態である。

 ムカデ退治と云えば、その第一人者は、御存知、弓の名手・俵藤太さんを置いて、他にあるまい。確か、一の矢、二の矢は弾き返されて、最後の矢に、唾を塗ったくって、急所の目と目の間を射抜いて退治した??のだと記憶して居る。

 普通、武士の豪傑伝には、刀が登場して来て好かろうに、相手がデカ過ぎて、弓の飛び道具と為って仕舞ったのだろうか・・・等と、
 倅が小さい頃、流行りに流行った市原悦子・常田富士夫の名コンビで語られて居た『日本昔話』があった。私は、子供以上に『日本昔話』のファンであったから、子供に託けて、好く見て居た物である。

 今回、カッターナイフで、小ムカデをバッサリとその中間で両断して、見事退治して遣ったにも拘らず、切断された両方は、まるで別の生き物化の様に、凄い勢いで走り回ったのである。

 その昔、多くの家庭で鶏を飼い、卵を産まなくなった鶏は、家庭で御馳走として供されて居た。首を捻って殺すか、酷い話だと庭で、出刃庖丁で首を落とされた物である。首を落とされた鶏は、血を噴き出して脱兎の如く、一直線に走り、力尽きて絶命する。
 男子が、この位の物が見れないと度胸が無いと、大人からからかわれた時代であったから、私も何度かは見て居る。

 野蛮人と女房に蔑まれ続けた私は、ムカデの毒々しい尻尾の挟み部分を、これまた、切断して見たのであるが、尻尾の鋏は、ピクピクするのみで、切断された部分は、前進前進の逞しさであった。これ以上、切断したら、その分だけ、ムカデが増殖して行く様な薄気味悪さを覚えて、うかうか夜も眠れぬ時代に差し至っては堪らないから、そこで止めてしまったのである。

 切られても切られても、前進を止めないムカデの勇猛さ?に因んで、武田信玄の軍団には百足衆なんて物があったと云う。彼等は勇猛果敢な選ばれし猛者集団で、ムカデの旗差し物を使って居たと云う。※漫画本で仕入れた知識である。

 大ムカデを退治する俵藤太と、ムカデ衆を立てて『山津波』と恐れられた猛攻を掛ける甲州武田軍団のムカデに対する見方の違いが面白い処なのである。

 相手は、湖の龍をも凌ぐ大百足である。幾ら武勇に優れて、手にする名刀の切れ味が優れて居ても、挑むは豪傑俵藤太ただ一人である。切れば切る程に、別の生き物の様に突進して来るのがムカデの特徴である。 
 山までもグルリと回してしまう大ムカデには、一体、何千何万もの足が有っても、不思議は無いのである。

 名刀で当たるを幸いに、バサン、バサンと切り分けて居たら、忽ちにして大ムカデの餌食と為って仕舞うのは、必定である。分断せずに、弓矢で急所を射抜いて、絶命させるより方法が無いのである。分断したら、その時点で俵藤太の負けなのである。飽く迄も、一対一で勝負を掛けるしか無かったのである。

 一方、一国の存亡を賭けて軍団で戦う戦国の時代に在っては、切られても切られても(分断されても分断されても)、形振り構わず敵軍の真っ只中を貫き、崩す事が、戦勝の王道であった筈である。

 これは、昔の人の極一般的な自然観察から来たムカデの特徴観察でしか無かったのであろう。人々はムカデの特徴を普通に好く知って居たから、俵藤太にも甲州騎馬軍団の百足の旗差し物にも、等しく大いなる首肯の拍手を送って居たのであろう。

 因みに、私はムカデに対しては、外に在っては靴で踏み潰すか、部屋で見付ければ紙を丸めて叩き付けて、ライターの火で焼き殺すかであった。今回、偶々、タイミング良くウロチョロして、手元にカッターが有ったから、それでスッパリ中央切断して見ただけの事である。

 それが、死ぬと思ったら、物凄いスピードで突っ走るものであるから、恐れ慄いて、ムカデ退治で有名な俵藤太を思い出し、武田軍団のムカデ衆を思い出した迄のである。

 書物には、<伝説・古話・昔話・民話などには、その中に真実が込められている事があるから、一概に荒唐無稽な話と多寡を括っては為らない。>と云う民俗学者の言が、文中に散見される処である。こんな他愛も無い実験?に遭遇して見ると、為るほどと、一人合点をして終う物である。

 私は民放放送のCM、芸NO人の馬鹿騒ぎ・空騒ぎを好まないから、NHKのスペシャル番組を見る機会が多い。NHK番組を不偏不党の『公共放送』と一応見做して、とっくりと見て居るのであるが・・・作り手・流し手の歴史観・切り口の違いを見て、頷いたり、反論したり、呆れ返っている様な視聴態度なのである。

 歴史観・視点が違えば、感じ方が違って当然の話である。その典型は、大河ドラマである。原作に脚本が加わって、見せる事、迎合する事に、視聴率を重ね合わせて居るのが、その手法であるから、人物像は善人にも悪人にも、大物にも小物にも変わるのである。特に、人物像は、ちょん髷を結んでいるだけで、その考えは現代人の投影でしか無い事が多いのである。私の好きな<龍馬伝>にして見ても、登場人物の年齢差を見れば、一目瞭然である。

 吉田東洋1816~62  大久保利通1830~77 中岡慎太郎1838~67
 勝海舟 1823~99  桂小五郎 1833~77 高杉晋作 1839~67
 山内容堂1827~72  坂本龍馬 1835~67
 西郷隆盛1828~77  岩崎弥太郎1835~85
 武市半平太1829~65 後藤象二郎1835~97

 面白いでしょ。勝海舟から龍馬まで、丁度一回りの12歳しか違わないんですよ。容堂さんと海舟さんの実年齢と役者さん・役作りが、あそこまで行くと、演出の滑稽さしか見えて来ないでしょう。大河ドラマで、歴史をインプットしようとする無垢の人達には、酷過ぎますよね。

 前に紹介した信長から家康まで、8歳しか違わないんですよ。信長没後徳川幕府迄は、19年だけの経過にしか過ぎないのですよ。信長より3歳年下にして、家康より5歳年上の秀吉の天下は、16年間ですぞよ。小説・映画・ドラマの画像に目を惑わされて仕舞っては、愚の骨頂でありまするぞえ。

 然しながら、書き手・作り手・流し手のこんな目晦まし手法が分かって来ると、別な楽しみ方が出来ると云う物でありまする。国内的歴史に関しても、この有様である。台湾割譲・日韓併合・第二次大戦に纏わる亜ドキュメント構成などは、見方を変えれば歴史の改ざん・個人的自虐歴史観の放映にしか過ぎませんぞよ。お気を付け遊ばされませ。

   騙す阿呆に、騙され信じる阿呆、この世は、どうせ、そんな処。
        楽しみ笑うにぁ、知らなきゃ損損。

     知るにぁ便利な時代。インタタネット、インタタネット。
        躓きぁ、アイタタネット、アイタタネット。

     相も変わらず、戯けブログの一席でありまする。失礼致しました。


心何処ーショート 早朝ついでの一考察
               早朝ついでの一考察(8/12/10)
 台風の影響か、風が煩い。六時前であるが、木曜日は早朝の資源物出しである。面倒ではあるが、起きるとするか。

 ボ~とする身体を起す為に、特酸っぱい梅を口に放り込んで、カップに白湯を注ぎ、先ずは一服である。本日は、金属類と紙類であるから、往復するとしようか。

 溜まった殺虫剤の空き缶を玄関で、噴射部分のプラスチックを外して、缶に穴を開けてガス抜きをして行く。プシュ、プシューと結構な噴出音である。偶には、私の方から金華鳥一家を驚かして遣るのも、好い物である。ヒヒヒってなものである。

 金属類と紙類であるから、公民館には車で乗り付けて来る町民が多い。第三のビールが、低価格と猛暑続きで、売れに売れているとの事である。従って、見事な袋の山である。まぁ、私の缶出しにも大分入って居るから、そうなのであろう。
 新聞紙の山は、既に壁際を占拠して居る。さてさて、今度は、段ボールを縛って紙類を持って来るかいな。信州は昼頃に、一番の接近模様との事であったが、ポツリポツリと雨が落ちて来る。

  ゴミ出しを終えて、ラジオを付け、湯を沸かしてモーニングコーヒーである。

 何々、市の30代消防士が、ディスカウントショップで、ペン型カメラで女性のスカートの中を盗撮した咎(とが)で逮捕だと・・・ ペン型カメラとは、嵌りに嵌った?堕ちに堕ちた?マニアの常習犯なのであろう。この手の性犯罪は、全国一律の『常体』であるから、又か位の軽い聞き流しで終わって仕舞う。
 
 見付からなければ、彼等の病的趣味はスリルに満ちたウヒャウヒャのご満悦の様なのであろうが、捕まってしまったら、どうしようもない恥晒しと社会からの大バッシングにして、懲戒解雇への最短距離にして、脛に傷持つ日蔭者へまっしぐらである。

<女は、それを我慢出来ない>なんて、パートカラーの大蔵映画のタイトルが、あった様な感じもするが、『変態は、それを我慢出来ない』と云った処なのであろう。根っこに変態性が存在する以上、彼等は捕まっても、再び同様の事を繰り返すのだろう。
 妄想は個人の全くの自由ではあるが、妄想を見ず知らずの他人様に妄想実行して仕舞っては、官憲の御厄介に為るしかあるまい。

 こんな手相への精神クリニックは、一体どの様にして行われ、その更生率はどれほどの物か・・・下衆の雑学として、実に興味ある処である。

 私は、しばしば妄想力について、周囲からは変態・精神的異常を指摘されて居るので、他人様にお説教が出来る筋合いでは無いのは、重々承知をして居る処である。
 然しながら、端的に言わせて頂くと、妄想を空想・空理の遊びとする一線を画する事の出来ないのは、病気としか言い様が無い。
 妄想とそれを現実の趣味実現へと移行させる事でしか、満足する事が出来ないと云う精神神経回路は、きっと想像回路と実行回路が、先天的か、何かの拍子でくっ付いて終ったとしか、想像出来ない処である。

 見付からない事が、度胸と鈍感さを加えつつ、淫靡な凝り性・追求心が、過激さと映像の鮮明さを求めて、道具・機材をエスカレートさせて行くの図式なのであろう。想像するだけで、私的趣味を断層的に逸脱した『自己満足の特化現象』と云わざるを得まい。分野・領域・程度を一つ間違えると、犯罪に直結する『特化現象の怖さ』である。

 幾ら教育・更生刑が現代刑罰の趣旨と云えども、想像回路と実行回路の分離手術は、現代医学・医術を以ってしても、不可能な外科手術でもあるし、異常なる個人の満足感を更生させる精神療法は無かろう。

 近時、『性同一性障害者』は、医学的に解明されて、法律の認知も受けて居るのであるが、覗き・盗撮・痴漢行為等の性犯罪は、性障害者としての解明が、進んで居ないのだろうし、下手に病障害の扉を開けてしまったら、個人の責任能力に病気による責任阻害要因が加えられてしまっては、とんでもない『性行動の氾濫』を来してしまうだろう。

 従って、公序良俗の社会秩序を保たねば為らない人間の社会性を鑑れば、パンドラの箱の蓋は絶対に科学の力で、こじ開けては為らない分野なのであろう。

 さてさて、煙草が無く為って仕舞った。朝食の前に、煙草を買いに行って参りましょうかね。早起きは三文の徳とは云う物の・・・ラジオの地方ニュースに触発されて、芳しからざる下衆の一考察に及んでしまった物である。戯けに付ける薬無しのザマである。

 遺憾いかん、人生の第三コーナーを歩まんとしている吾が身である。本日の一考察を他山の石として、吾が妄想道を再吟味して、人畜無害の妄想を愉しむべきであろう。
                    イッヒッヒ!!



心何処ーショート ネットが、オカマショーに結んで・・・
          ネットが、オカマショーに結んで・・・(8/11/10)
 いやはや、インターネットは面白い。グッピィの動画を見て行くと、その中には、金魚も出て来る。各種の品評会が有るから、そこで一等賞を獲得するグッピィ、金魚達は、唖然とすると同時に、見方を変えると、改良・改良のとんでも無い人間のいじくり回しの沙汰である。

 グッピィの一等賞の様は、自慢の尾びれが、自分の体の何倍もの大扇子を広げた代物で、綺麗・艶やかな事、この上ないのだが・・・過ぎたるは及ばざるが如しで、大扇子が重過ぎて、可哀想に身体を水平に保てない有様である。
 その入れ物には、メスも一緒に入れてあったのだが、オスがメスの腹部目掛けて、精子を散布する際には、馬鹿でかい尾びれが邪魔をして、尾びれのスナップが利かないに違いあるまい。
そう為れば、精子の拡散・飛距離は競争力を失うから、オスメスの個別飼いにして種を保たねば為るまい。

       色男、力も金も無かしが・・・ってな、物でしょうかね?

 次いで、出目金種の一等賞金魚の姿が、これまた奮っていた。赤地に出目、鰭が黒であるから、丸でパンダの出で立ちなのである。造りも造ったり、脱帽以外に無い。
 然しながら、これまた、凄い改良が進み過ぎて、水中泳ぎが出来ずに、プカリ浮上泳ぎを、ギコチなくチョコチョコと繰り返すのみである。
 丸で、吾が水槽の肥満流金が、何か作用で腹にガスが充満して、その強烈な『浮力』に依って、普段の水中泳ぎに変調を来して、プカリプカリの溺れ泳ぎをしている様な物である。
  
        アンさん、それで長生き出来るのかいな???

 ペットとは、日本語で愛玩動物と訳すらしい。訳としては、悪くは無いが、この頃のペット動物界は、矮小化が進み過ぎて、野生味を削除されて、完全に玩具化が行き過ぎているのでは無いだろうか。流行が、需要を呼んで、供給側が次々と矮小化を進めて需要側に提供をして行く。
 流行り・商売とは、所詮、そんな物だと言ってしまえば、二の句が言えないのではあるが・・・流行りが定着してしまえば、それが当たり前のペットの姿として定着して仕舞う。

 昔人間・自然回帰型のロートル・クマ男としては、寂しき世の流行りである。

 為れば、人間界では如何だろうと・・・美人コンテストで検索をして見ると、何とした事か・・・ニューハーフコンテストの動画が出て来てしまった。
 場所は、タイのチェンマイである。ニューハーフは、タイとかフィリピンで人気を博しているなんて、話は良く耳にする処である。中国では、偽女ショーと云うらしいが、彼女達は女性に憧れて、女性の品を誇張して演じているから、ショーとしてのコミカルさが弾んで居て、大いに笑えるのである。

※一度、フィリピンのマクタン島のビーチで、手を繋いで尻をプリプリさせて、盛んに愛嬌を振り撒いて居たニューハーフの二人連れを愉しんだ事が有る。

 それらのショーをクリックして愉しんで居ると、<プルルンC>為る優れ物の宣伝動画が有った。

★軽~い、柔らか~い。バストに、ぴったりフィット。サイズアップ出来て、理想のバストシルエットが保てます。
★裏返して、先をバストトップに当て、優しく押さえ付けて、元へ戻します。ブラは1~2カップ、上の物を使用します。・・・・
★優しく吸引して、乳腺を刺激します。男女兼用、4620円。全国送料無料。
★胸の平らな人は、吸引力を強化したプルルン・モァがお薦め。
★プルルン、嬉し~い。

 物は、実に柔らかそうな、白いシリコン樹脂製品である。原理は、蛸の吸盤方式で、真空吸着の様である。<優しく吸引して、乳腺を刺激します。男女兼用。>と来たもんだ。

 些か妄想力への自惚れがあると云っても、『男女兼用の乳腺刺激効果』とは、何ぞや~??

 ※嗚呼、これぞフィリピンスタイル為り。(30話)の中に、浜辺のオカマショーと云う行があったので、転記しようと思ったが、長過ぎる。その一部をば・・・

          フィリピン、浜辺のオカマショー(一部抜粋)
 海から上がり、一服付けていると、ビキニ・スタイルを誇示した二人連れの長身の女が、防波堤の直線ステージを、ショー・モデルの如きシナを造って、腰振りウォークで闊歩して行く。

 彼女達の目的は、自分達の姿態を誇示したいのであるから、男たるものプリンプリンと誘う足の付け根部分を凝視させて頂くのは、彼女達への至極当然なるエチケット且つ返礼なのである。私は根が真面目の性質である。

 私の一点集中型のホット・ビームに、ヒップ・ホールがモゾモゾするのだろうか? 絶妙のタイミングで、彼女達に振り返られてしまったのであるから、さぁ、大変である。

 慌てて、視線をあらぬ方に移動させねば為らない羽目に為ってしまった。罰の悪い事と言ったら、この上ない。歩き去る彼女達のウォーク目指して、再びホット・ビームをヒップ・ホールに投射する。これまた、タイミング良く突然足を止め、白い歯をキラキラとほころばせて、此方を見るのである。いやはや、私のホット・ビームは、彼女達の管理下に置かれている様なものである。繕い様も無い気恥ずかしさである。

    <二度あることは、三度ある。然れども、三度目の正直の譬えもある。>
・・・私だって、精神的には年齢を弁(わきま)えた50半ばの男である。品格の前に抑えなければ為らない好奇心の社会的コントロールの使用法は、充分可能なのであるが・・・

 ショート・バカンスの開放感が、私をして品格と好奇心の狭間の中で、後者のウェートを拡大している様子なのである。確かに彼女達と視線が勝ち合った瞬間の気恥ずかしさには、品格こそ、大事の囁き声が聞こえるのであるが・・・異国での品格・好奇心の疼き・自制心の滑稽なる葛藤は、結論的に言えば、好奇心の誘惑に霧散霧消してしまうのが、『匹夫の自制心』と云うものであろう。・・・

 此処は素直に割り切って、平均的日本人の1人として、己が好奇心の誘導に身を任せて、暫し彼女達のショー・ウォークを鑑賞させて頂く事にしよう。そう決心して、再度、我がホット・ビームの照準を、所定の一点に注ぐのであった。・・・・

<待てよ、若しかしたら・・・アイツ等、オカマガールじぁないのか? いや、そうに決まっている!!>

 遠目のアイツ等の骨格は、如何見ても男の骨格である。そうだよ、あのショー・モデル然とした『見せびらかしフリフリ・ウォーク』は、如何見ても自然の動きでは無い。女とは異質な男が、デフォルメ(誇張)された女を考案・固定した人為的ウォークに違いない。
 一定のリズムに乗せて、デフォルメ・ウォークを見せびらかせて、何歩目かで立ち止まり、振り返る彼女達の表情は、白い歯を輝かせたスマイルの静止ポーズである。型に嵌った静止ポーズと云う事は、『職業的訓練の産物』であろう。

「さぁ、行くわよ、フリフリフリ、またフリフリフリ、助平男達の視線をグ~と引き付けといて、決めるわよ。後ろを振り返って、悩殺ポーズで、ニィ~と白い歯で決めるのよ。行くわよどうよ。私達の魅力に参った~!! アハハ~。男って馬鹿ねぇ~。」

 嗚呼・・チクショウ、一杯喰わされた!! 頭に乗って、南海のホワイト・ビーチで股間を膨らませなかったのが、シャーロック・ホームズ直伝の観察眼の為せる業である。

 とんでもねぇ~野郎共である。・・・然し、傑作な連中である。観察を続行すべきである。・・・
  
 生意気にブランド品のサングラスなんか掛けやがって、あの右側の奴のTバックの底部に弛み状の隙間がある。
購入を断念した\138,000のアビシニァン・キャトの股間には、黒々とした2個の睾丸がぶる下がっていた。

 テメェ~、股間の不要物を特大の肌色ガムテープで、後ろに貼り付けているんだろう。細工は流々と、ワンパターンのデフォルメ行進を繰り返し遣がって、ワレ油断しやぁがったな!! 

 どっこいお天道様の『天網恢々、疎にして洩らさず』の諺を、お主らは、知らぬな? 東洋思想が通じねば、ニュートンの万有引力の法則を思い出して見やがれ、当然無き物をガム・テープで、如何に隠蔽しようとも、その実在性を否定する事、能(あたわ)ずである。

 実存するものは、悉(ことごと)く、万有引力の及ぶ処となるのが、自然科学の摂理と言うものである。バカタレが!! 
 それが証拠に左の奴のTバックは、しっかりと股間に食い込んで居るでは無いか。

 オカマガール二人にして、この明らかなる股間の相違を、如何診立てるか?が、観察者の良し悪しを決する。・・・急いては、判断をしくじる。

         ・・・徐にタバコに火を付けて、燻らせる。・・・
 そうかそうか、あの2人の関係は、喰い込みガールの方が、リードしているから上であろう。すっぱりカットして男とおさらばした分、オカマガールとしての地位が、上なのであろう。あの野郎共、これ見よがしの腕組みクネクネ・ウォークに、振り返り静止スマイルの愛嬌を、飽きもせずに繰り返している。

 ありぁ~、一種の恍惚(エクスタシー)状態の表情である。加えて、あのベタベタした腕組には、『隠微な隠し事』の匂いが見え隠れする。

 さてさて、真面目な観察者としての我輩は、押さえるべき物証・心証を得て、彼等の関係を如何推測すべきか?・・・ 

①、股間の弛みオカマは、その稼業の年季が浅いから完全な女への転換には、未だ躊躇(ためら)いがある。
②、躊躇いの期間はクリアしたが、手術代を貯めている段階のオカマ・ガールである。
③、フィットと弛みは性的な関係にあるから、ベットで弛みの源泉部は、特大の肌色ガムテープを剥がして、男に戻る必要がある。従って、この状態がベスト・不動の組み合わせである。

 以上の3点を推測して、三肢択一方式で、判定を下さなければ為らない段階に来てしまった。

 判定の精度を上げるべくして、2人の表情を読むと、弛みキンタマ野郎には、大分『男の痕跡』が残っている。彼等に直接・間接を問わず不躾な聞き取り調査が出来ぬ以上、私の<無責任な空論の世界>に限って、判定を下さるを得まい。

 この様なデータ不足の現段階での判定の行方を、敢えて取るならば、③の結論にしか達し様が無さそうである。

<蛇足ながら、③に基づく隠微な関係に対する拡大連想は、読者各位の全く自由なる解釈である。読者の拡大連想の物語と私の観察眼の因果・相関関係は、全く別人格にして別次元のものであるから、くれぐれも妄想・妄信の混同・錯覚の無き様に・・・・>

 オカマ・ガール・ショウは、3本の防波堤を花道に見立てて、小さなホワイト・ビーチを結んで、繰り広げられている。それにしても、南洋のロケーションは、彼等2人のオカマウォーク・ショーを屈託の無い笑いの渦に包み込んで、トロピカル(南国・南洋)・ムードに同化させている。


             頭上の背後が、何やら騒々しい。
 ロイとタタイが走って来て、指差す所に、人だかりである。モデルのロケだと言う。胸が凄く大きい美人、ジャパニーズとの事である。『見ルダケ、タダ。見ナイト損!!』サイパンの中国人客引きに教えて貰った『楽世術語』である。


 はい、吾が旅行記・30話・26頁からの抜粋でありました。お恥ずかしい、先天的妄想男でありまする。
               イッヒッヒ!!


心何処ーショート 馬子にも老眼鏡
                 馬子にも老眼鏡

                 馬子にも、老眼鏡


 へへへ、何時も、長駄文にお付き合い下されて、恐縮で有りまする。

 何しろ、普段逃げ回って居る草取りを致しましたら、その後が、いけません。雨が降ったり止んだりで、流しの散歩も出来そうにありません。遣る事も無いので、暇潰しに、鏡を見て下手絵を一枚描いてしまいまして御座りまする。

 似て居ると云えば、似て居るのかも知れませんし、普段は、眼鏡をして居ませんから、こんなインテリ顔はして居りません。風体の悪い好色ギンギラギンの顔をして居りまする。

 事が露見致しますれば、日本広告機構から、きっと不当表示の差し止め命令が下る事は、必至でありましょう。トホホ。

 まぁ、当たらずとも遠からじで有りまするから、ロートル・クマ男の日頃の戯け文章の足しにでもして、楽しんで頂ければ本望で有りまする。ギャハハ!!
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