旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート へへへ、遺憾いかん・・・
            へへへ、遺憾いかん・・・(6/30/10)
 兄貴紹介の本を買いに行くと、生憎無かった。土曜日に入るとの事であった。折角であるから、中古DVDコーナーをつぶさに探して、500円・600円クラスの洋画を二本買って来る。

 さてさて、サッカー観戦が待ち構えている。最後まで見て、2004年ユニバーサル映画の<ヴァン・ヘルシング>を見る。時は19C、モンスター・ハンター・ヴァン・ヘルシングが、ドラキュラ伯爵を退治する物語との事である。
 ユニバーサル映画は、アラビアンナイトとかシンドバットの冒険とか、荒唐無稽な楽しい映画を世に送り出してくれる会社である。有名なハムラプトナもそうである。

 然しながら、サッカー観戦で疲れて終い、132分の映画は無理であった。モンスター映画が、途中から子守歌に聞こえて来る・・・断念して再挑戦の段であった。

 明けて、本日・水曜日である。朝食後のお茶を飲んで居ると、ヤクルトママさんである。

「サッカー観ましたぁ~、あんなに頑張ったのに、最後、残念でしたね。侍ブルー可愛そうでしたね。」
「はいはい、左様でゴザンしたね。強い者・運のある者が勝つのが、勝負の掟だからね。運が好過ぎるのは、好きじゃないから、実力の差に、勝負の神様が労いの勝利をパラちゃんに与えたんズラ。俺は、それで満足だわね。」

「Rさんは、醒めていますねぇ。」
「そうせ、だから、俺の言う美人さん・好い女は、自信を持って好いんだわさ。ヤクルトママさんは、好い女ですよ。イヒヒ。」
「ワァ、本当ですか~。嬉し~い。もっともっと、褒めて下さい。女は、褒められると、綺麗に為るんですよ。」

「へへへ、でもさぁ、服の上からじゃ、それしか言えんわね。オープン・ザ・ボデイして貰わなきゃ、各論・細部の検討は出来んズラよ。欲を掻き過ぎると、サッカーと同じで、勝てんわね。ギャハハ~。あいよ、今週分の絵だよ。」

今週分は、『世相を作る顔』『心頭滅却の図』『大相撲界の徳俵』の三枚である。
 
 ヤクルトママさんは、真面目な30代奥さんである。心頭滅却図に関心が集中して御座る。イッヒッヒ~。足を踏み外して、アリ地獄の虜と為るか? 地蜘蛛のマンホールの蓋に踏み込んで、タランチュラの餌食と為るか・・・ ロートル・エロオヤジは、ピンク茸のジョロの水をエロ河童のシャレコウベに頂戴して、シメシメの観賞タイムである。

 然しながら、疑問を持っての絵画鑑賞は、可哀想である。ヤクルトママさんは、お仕事中なのである。不効率な仕事は、お時間の浪費である。難儀をしているお人の役に立つのが、ロートルの生き甲斐と云う物である。僭越ながら、下手絵の絵解きを買って出る。

「熱い盛りの砂漠の花、サボテンの黄色が好いズラ。空はブルーに白い雲。地上は、盛夏の図だわね。夏砂漠・女日照り砂漠のエロ河童のシャレコーベに、河童の頭の皿の水に、お天道さんが、気は心の水掛けだ。
 だけど、手足を捥がれた賄い夫生活と来りぁ、じっと地中でお相手を待つだけのアリ地獄の<ウスラ馬鹿野郎>をするか、地蜘蛛タランチュラに為って、忍の一字で耐え凌ぐしかあるめいさ。」

「うんうん、分かる分かる。Rさんの自画像だね。よ~く、描けてるよ。それで・・・」

「そう~ずら。正面から、常識的に見りゃ、そう云う事ぁ。だけど、そう簡単には、幕を引けねぇのが、俺の馬鹿絵だわさ。この絵を横か逆さにすると、違う世界が出て来るんだわね。そうそう、180度よりも、90度回転が丁度好いわね。
 スキンヘッド男の目の前にあるのは、差し詰め、豊満なピップの上面図だわね。だけどもさ、上面の下には、立体図があるのが、実際の姿ずらい? 此処からが、妄想絵の世界さね。
 若しかしたら、このオッサンの目には、大地溝帯・ジャングル・白い艶やかな双丘へのスロープが映っているかも知れんぞや。真面目な坊主の顔して、このデカイ鼻で深呼吸して居るのかも知れんわな。『テンモーカイカイ、ソニシテモラサズ』のお沙汰が下って、馬鹿モン、頭を冷やせって、ジョロの散水を受けているのかも知れんぜや。ギャハハ~。」

「ああ、今日の結論も、ゲテモノの絵じゃないですか~。本当にヤクルト飲んでるんですか~。Rさん!!
ちゃんと飲んでると、もっともっと、上品な健康体になるんですよ。普通の人には、体内環境を整えて、『毒消し効果』も有るんですけどね。世の中、広いで~す。驚異の世界~です。洗脳されない内に、逃げま~す。透視しちゃ駄目ですよ。又、来週ね。夏バテしないで下さいね。バイバイね~。」

 アハハ、ヤクルトママさんは、商品の入ったショルダーケースで、尻をガードして、後ずさりをして帰って行かれた。やれやれ、アリ地獄のウスバカゲロウの幼虫も、地蜘蛛タランチュラも、ヤクルトママさんに逃げられてしまった様である。

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心何処ーショート やれやれ、蒸し暑さの行進。
           やれやれ、蒸し暑さの行進(6/29/10)
 今年は、未だ早いのだろうか、蛍の数が少ない。昨日の夜散歩の時に見た物は、四匹であった。月と雲の鬩(せめ)ぎ合いの様な夜空に、思い出がポッと浮かんだり、山の中の光に連想を働かせたりの、何時もながらのマイペースの歩きである。

 短パンのポケットには、財布を入れて来た。偶には、ちびた店でビールを飲んで帰ろうかの魂胆である。通りに進路を変えて、スナックに行くと明かりが消えている。それならば、焼き鳥屋の縄暖簾を潜ろうかと、その方角に向かうが、此処も明かりが消えている。

  ハハハ、婆さんママ達は、客薄で商売にも身が入らないのであろうか?

 後は、橋を渡って街場に下り、裏町辺りまで足を運ぶしかないのであるが、ちと遠い。何も酒も盛り場への人恋しさが働いた訳では無いのである。散歩途中のビール・ブレイクの気分が、働いただけの事である。
 籠り生活が日常化して仕舞うと、兎角、人との関わり合いが億劫と云うか、興味が無くなってしまうのである。酒の雰囲気も、ホステス達との有料のふざけ合いも、興味が無くなってしまい、面倒臭い、金を出してまで在り来たりの馬鹿話をして見ても、何か興味のある話題に到達出来る訳でもあるまいに、面白い話を振り撒いて遣って、尚も有料と来たら、・・・阿保らしいの気分が、先行して仕舞うのである。

 帰りが大義であるから、近くのモスバガーで、フライドポテトとチキンを二つ買う。風体の悪いスキンヘッドのオヤジの来店に、オバさん店員さんが、妙にニコニコ相想が好い。

 いやはや、私の風体の悪さが、堅気に見えず、粗相の無い様に明るく愛嬌を演技して下さるのであろう。へへへ、恐れ入ります。アッシは、人畜無害の大人しいロートルでヤンスよ。お気遣い無用でゴザンスよ。私は、苦笑いの段で出来上がるのを待っていた次第である。

 熱々のそれらを摘まみ食べながらの散歩。河川敷のベンチに腰を下ろしたりしての、<目の遠近焦点の調整お時間>をこなして来た次第である。

 すっかり腹が膨れて終い、マーロン・ブランド、ピーター・ジョーンズ、アンソニー・クイーンの<革命児サパタ>のDNDを観る。相変わらずの不快指数の高い蒸し暑さである。蚊取り線香を焚いて、窓開けの居住区である。途中から、何やら雨音がする。廊下を開けて、軒下の洗濯物を取り込む。

 寝苦しき夜も、朝日の暑さで目覚める。サンライズ・ご来光の小部屋は、夏に為ると兎に角、熱い小部屋と為ってしまう。湯を沸かしに台所に行くと、アジャジャ、米を洗い忘れてしまった。へへへ、斯く為る上は、素麺を茹でて食べるしかあるまい。さてさて、素麺もワンパターンだけでは、面白みもあるまい。悪戯遊びが吾が信条である。

 しゃらっ構わねぇや。冷やし中華風に、作って見ましょうかね。何事も『工夫の門に、ボケ遠ざかる』であろうが・・・調味料を好い加減調合して、中華風タレモドキを作り、スライスハムを刻み、残り物のエノキ茸を茹でて、味付け海苔・炒りゴマパラパラである。

「まぁ、風邪を引いた様な味だけど、我慢して食べてくれや。」
流石に美味くは無いが、然程不味くも無い。メリハリの無い麺と同じく、メリハリの無い薄味が、スルスルと喉を通過して、腹に収まる。

「文句なんか無いよ。息子が、色々工夫して食べさせてくれるんだから、不味い物なんか何一つ無いよ。あっさりしていて、美味しいじゃないか。」
「へへへ、左様であるか。云って見りぁ、俺達の時代、美味い不味いの物差しより、腹一杯の物差しの方がデカかった時代だったわな。貧乏男の賄いにぁ、嬉しい沙汰だわな。ギャハハ~。」

「そうだよ。テレビを見ていると、外食・外食で食べて、家じゃ、買って来たものをポンと並べるだけの食事じゃないかね。ただの空騒ぎで、中身の無い馬鹿な時代だよ。
 手を加えて、台所仕事をして三食を食べるのが、人間の真っ当な暮らしだよ。体が利かないから、何もして上げられないけど、台所の音を聞きながら、手を合わせているんだよ。こんな生活をさせて貰って、ただただ、感謝の毎日だよ。」
「そうかいな、文科省推薦並みの作文じゃないか。糠漬け乳酸菌酵素で脳味噌も、良く回っているもんだわさ。まぁ、ボケの傾向は無いから安心したわいな。親子の会話が出来るんだから、倅としては、有難いわね。へへへ。」

 おやまぁ、母は珍しく朝から饒舌である。次いで、団扇サボテンの花は如何だとか、夜散歩の蛍はとか、楓の木のキジバトの様子は如何かとの、質問である。へへへ、相変わらず頭の良い、記憶力に優れた女である。

 さてさて、冷蔵庫も空き空きして来た。買い置き煙草も無く為ってしまった。買い出しついでに、ホームセンターでも覗いて来るとしようか・・・太陽は、雲の中で居眠りらしいが、蒸し蒸しする暑さのお付き合いが、今日も又、始まっている。やれやれの段である。


心何処ーショート 『青春の窓』
                 『青春の窓』(6/28/10)
 蒸し暑い。ほっとするのは、カジカ蛙の声を聞いて、蛍の光を探しながらの夜散歩のお時間位な物である。温めの風呂に入って、洗濯物を干したり、真似事掃除をしているだけで、汗がジワーと出て来る始末である。温度・湿度の高さから云えば、信州も立派な南洋の熱帯多湿気候と云える。朝の太陽は梅雨雲に隠れて、時折の風が吹くのみである。これは、体温の籠る閉塞感である。不快指数の上がる日に為るのは、必致である。

 短パンに上半身裸の首掛けタオル・スタイルである。玄関の鳥達には、気は心であるから、打ち水をして遣る。一応の賄い夫務めを終えて、定位置でコーヒーを飲みながらの一服タイムである。こんな日は、ロートル貧民の身であるから、煙草を吹かしながら海外珍道中の過去のシジマに、ニヤニヤ、へへへ、アナ、恥ずかしの過去旅行に出発進行でも致しましょうかね。

 先ずは車で名古屋空港に行くと致しましょうか。一度、私の車で助手席にTを乗せて高速を走っていたのであるが、仲間のスッ飛ばし屋の車から遠に先を行かれてしまっても、好い加減マイペースの二人組である。馬鹿話に夢中に為っていて、コースを間違えて終い。慌てて、高速を降りての修正走行をしている最中に、一向に姿を現さない我々の処に携帯が鳴って、しこたま怒られてしまったものである。二人とも、へへへの段であった。

 ある時は、集中豪雨の水害でJRが途中不通の沙汰で、高速バスで新潟空港へ向かう事と相成った。途中、大渋滞に閉じ込められて、時計の進みと共に、ウラジオストクの美形シングルママさんの顔も萎み、最悪事態を想定して諦め掛けた事もあった。あの時の新潟駅のムッとする通りの熱波は堪えた物である。ありぁ、クラクラする熱波であった。

 一度、フィリピンの好い加減男に掴まって、散々碌でも無い観光スポットを連れ回され、危うく待ち合わせ場所のレストランに大幅の遅刻をさせられて、残り物で腹を満たした事もあった。

 アンダースタンドの意味の中には、お前さんの云わんとする処は、分かったが、此処はフィリピンである。ヒィリピンには、フィリピンのスタイルが有る。私はフィリピン人であるから、フィリピンスタイルで行くよ。アンダースタンドよ。心配要らない。私に任せなさい。←結果を見ると、こう云う意味だったのが、分かった次第である。国民が変われば、使用意味も違って来るのでありまする。調子一辺倒人間は、危険人物である。
 
 途中で、変だと思ったら、ストップ、チェンジが肝要でありまするぞ。『泳がせて使う』なんて日本の高等戦術は、大失敗の元でありまするぞえ。ニャハハ。

 タイでは、王宮前でアラブの絶世の美形が、連れの男に王宮をバックに写真を撮られ捲っていた。余りの美貌に、脳味噌が沸騰してしまった。たじろぐ仲間の真実の気持を伝えるべく・・・美男美女の二人に正面突破の作戦行動に出た。僅かばかりの英単語とゼスチャーを駆使して、哀願して拝み倒して、希望者とのツーショット記念撮影の交渉役も演じてしまった事が有る。旅の恥は、掻き捨てとは好く云った物である。

「私は日本人の○○です。決してクレージーでもデンジャラスな人間ではありません。人生、50有余年、色んな美人・美形を見て参りましたが、アナタ程の美しい女性には、お目に掛った事は御座いません。ハリウッドのマリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーンなんて、目じゃ有りません。
 
 先程から、私の仲間がアナタの美しさに、目が眩んで居りまする。女性の美は、アッラーの神からの賜り物・ビューティダイヤモンドにして、美を愛する全世界の男の共有物でありまする。日本人は、真にシャイな国民であります。私が仲間を代表して、アナタの優しい心に、お願いに参りました。美は、男の一生の不変なる憧れでありまする。旅の記念に、私のシャイなる仲間とのツーショット写真の栄誉を、プレゼントされたし。」

 此処まで捨て身の純な気持ちを表明されて、嫌な顔をして拒否する人間など、居る筈が有るまい。『馬鹿に付ける薬は無い』と云われてしまえば、それでお釈迦様ではあるが、鋏と馬鹿は使い様の例えもあるのである。そして、馬鹿だけが愉しむ事の出来る珍道中の拡がりもあるのである。ギャハハ!!

 ニヤニヤしながら、こんな事を打っていると、開けてある玄関に人の気配がして、斜向かい色白吟さんのお越しである。区切りの好い処でPCをOffにして、お相手申す。

「やいやい、この本(赤松啓介著、夜這いの民俗学・夜這いの性愛論)が、面白くてさね。(桐生操著、やんごとなき姫君たちの秘め事)(養老孟司、読まない力)も良くてさね。今回も、本を借りて行くわいね。」
「凄いじゃないかい。画然、向学心が、朝立ちの替わりに、いきり立って来たって事かいね。イヒヒ。」

「まぁまぁ、それはそれとして・・・日常の何でも無い日記を打っているんだけど、如何して、こんなに深い事に言及出来ているのか・・・正直言って、不思議に思って居ただいね。好く物を知っている癖に、白らばくれた振りして、色んな事が忍び込ませているんだなと感心していただいな。そこら辺の仕込みが、埃を被った珍本の中に、あったのかと感心したんだわさ。」

「へへへ、そうかいね。そう言われりゃ、そうだんね。勉強し無きゃ為らねぇ時は、俺だって勉強してたんね。小説の類はねぇが、法務・労務・経営・歴史本もあるんね。する気が有れば、講義するんね。イヒヒ。俺は、並の馬鹿じゃないからね。ギャハハ!!」

「滅相も無い。映画とブログ日誌だけでも、消化不良の日々だぜ。難しい話は、ご勘弁を~。ゴタ話に滲むエキスだけで、お釣りが来るぜ。この歳に為って、知恵熱で魘されちまえば、男の朝立ちに支障を来しちまうわね。」

「でも、Sちゃは本のチョイスが上手いもんだわ。他人の書いた本を参考に、その上に書き重ねる活字の世界なんかを、一々真に受けないで、自分の目で見て、感じて考える力を養えって云うのが、養老先生の『読まない力』の趣旨だし、遣った、遣らないで、人格が変わる訳無いだろう。そんな事ぁ、公然の秘め事の大らか性風俗だわなって、カンラ・カラカラと笑う夜這い風習の生き証人の裸足の民俗学者・赤松先生と日本民俗学の創始者・羽織袴の柳田邦夫先生の日本民俗学の違いを感じてさね。
 
 次いで、ヨーロッパのやんごとなき姫君たちの秘め事なんかを読んでしまえば、世の中、何時の時代にも建前と本音の使い分け世界が、人間の棲む娑婆の実相だわね。
 
 冗談こくな、綺麗な物は、誰が見ても綺麗。美味い物は、誰もが美味い。それが、官能の世界となりゃ、アナ、恥ずかしいばかりじゃ~、間口も奥行きも拡がらんわね。正直一直線の一体何処が悪いんじゃと、開き直れるか、如何かで脳裏の収納庫に溜まる量と質が決まらぁね。この歳に為って、お澄まし人生じぁ、面白くは無いわね。
 
 お互い、政治家に為る野心なんか無いし、倫理学の講師なんて役目は、逆立ちしても舞い込んじゃ来ないわね。野球賭博したくたって、貧民の財布じゃアホらしくて、暴力団だって相手にぁしてくれんぜや。これじゃ、見栄張りたくても、質草もねぇってなもんズラよ。侘びしき日々の送りだわね。イッヒッヒ!!」

「やや、出たな、出したな。ゴタッ小僧の本領が。そうで無くちゃ、四畳半小部屋の話題沸騰にぁ為らんぜや。
 誰がコレさ、遊びたい盛りの高校三年間を、木曽の山小屋くんだりまで遠征して、布団の上げ仕舞いして、風呂炊きを買って出るもんかい。聞き耳・覗き見の役得が無きゃ、誰が二つ返事行くもんかいね。いひひ。
 
 内実を黙って居りぁ、孝行息子の美談。口を滑らせて、くっちゃべりゃ、性に高熱期の高校生羨望のゴタッ小僧。現場をしょっ引かれりゃ、出歯亀逮捕で、退学処分の学籍抹消だわね。
 
 でけぇ声じゃ言えないが、こんな事ぁ、一生の然るべき時期に大体のガッタ坊主が通過する各駅停車の『青春の窓』ってなもんズラよ。頭デッカチのモヤシ野郎共の顰蹙顔なんてもんは、俺に言わせりゃ~、ケッケッケ~のケツの穴、放屁三連発の屁~ルってなもんさね。中身の無え薄平ら人間は、男女の区別無く、この小部屋にしょ引いて来て、モグサ押し当てて、『調教のお時間』遣っちまうぜよ。」

「やいやい、『青春の窓』だか、<障子に穴・襖の隙間>だか知らねぇが、巧い事言うもんだ。グタグタ云う奴は、伝統に倣ってのモグサのヤイトかいね。今日も、気合が入ってるじゃんかい。」
「小さい時は、モグサなんかは、各家庭で作ってたもんだよ。覚えて無いかい?」
「駄目せ、俺んとこは農家じゃないし、引っ越し組だからね。それよりも、如何だいね、隣のパソコン空いてるぜ、自伝を打って見ちゃ。俺の代筆なんて軟なもんじゃなかんべや。」

「書きたくても、俺には、文才が無いわね。来る日も来る日も、お兄ちゃんの文作を読んでりぁ、少しは、ご利益が回って来るわいな。イッヒッヒ!!」

 いやはや、本日も又、面白いブログネタを頂戴して仕舞った物である。・・・とほほ。

心何処・・・大相撲界の徳俵
                  大相撲界の徳俵

                  大相撲界の徳俵_001


 大相撲界は、揺れに揺れて居りますね。私は然程、相撲が好きと云う訳では有りません。相撲の好きな母とのお付き合いで、相撲を見て居る位なので、今回の騒動も、ああだこうだとの特別な見識も意見も無い処です。
 
 賭け事が好きで、足を踏み外してしまう人間は、何処の世界にも存在する物です。不謹慎な感想ですが、興味が無いと云うのは、そんな物です。業界の廓の中に居る者と外の者とは、言葉の解釈も、違って来る物なのでしょうね。

 土俵のトクダワラに就いても、浅学非才の私には『徳俵』『得俵』『特俵』と、どの文字を以って当てるのか、好く分からない処で有りまする。お恥ずかしい限りのスカンポ脳で御座りまする。

 ニュースを聞いて居ると、如何やら調査委員会の指し示した軍配は、国技の『徳俵』にして、相撲界の廓に住まう者には、特別な・大目に見て貰える『特俵』の感覚・慣習で在った様ですね。トクダワラにとんだ当て字をして、覚えてしまうと、人間と云うのは、大失態を仕出かしてしまうの実例なんでしょうね。雨降って地固まるを期待する処で有りまする。

 皆様に於かれましては、耳から覚える文字に、誤字を当てぬ様に、正しい漢字と意味を理解して、実践するが肝要でありまする。イッヒッヒ!!


心何処ーショート 早朝の生き物観察
               早朝の生き物観察(6/27/10)
 眠られず起きる事にする。未だ五時前である。湯を沸かして、レーズン、ピーナツを口に入れながら、極薄のアメリカンコーヒーである。薄い灰色の雲が、南から北に動いている。窓辺の机に座っているから、目の前には水槽が並んでいる。正面で金魚を見ていると、嫌に為るほどに、流金が育っている。飼っていて、デカク成り過ぎたといって文句を言うのは、お門違いではあるが・・・図体が不恰好そのものと為って来た。早晩、井伏鱒二の『山椒魚』になるしかあるまい。

 流金のそいつは、目の下から顎に掛けて、その部分だけが白いのである。それに金魚中、一番の大口なのである。大口のデカさと来たら、小さい流金の倍はあろうか。同じ年に同程度の大きさの物を買って来た結果が、この有様なのである。このデカイ口で、餌をカポン、カポンと日々呑み込んでいれば、他を圧してデカク成るのは、当たり前の事である。

 勿論、井伏鱒二の山椒魚は見た事は無いが、絶対に・・・ この流金の様な形と目付きをしているに違い有るまい。大体が、鱗の部分は然程の感じは無いものの、ぶよぶよとした頭部のふやけた様な感じが、将来の山椒魚を確実に連想させる処なのである。面食い傾向の強い私としては、将来の様を期待したくない姿形である。イッヒッヒ~。

 雑木の枝がバサリと鳴って、ヒヨドリである。食料の豊富な時季であるから、トンと姿を見せなくなった物の、きっと朝の縄張り巡回行動なのであろう。枝葉の陰から、中の私を覗き観察している様な生意気態度が、ありありと見て取れる。

 ハイエナギャングのヒヨドリの分際で、偉そうに~、笑止千万の態度である。ニャロメ!! この拳骨でも食らわして遣らっか、馬鹿者が。

 本日も又、梅雨の雨雲に蓋をされている薄暗き早朝である。寝不足のスカンポ脳には、見える物にしか意識が働かない処である。真に以って、鈍い血の巡りである。
 然しながら、実質一人身の気楽さである。何をしても、しなくても自由な日々である。物臭・マイペース型の私にとっては、悪くは無い早朝の真空ポケットの様な一時でもある。

 ポツリポツリと雨が落ちて来た。おやおや、話し声がして来たと思ったら、傘を差してのロートル女の散歩連である。きっと六十代の後半に属する二人であろう。大体一年を通して、朝の時間帯の二人散歩である。年に何度か、散歩中ですれ違うのであるが、ウォーキング&お喋りコンビのご立派連と呼んだ方が、的を得ているのかも知れない。
 
 隣槽には、稚魚が数を増やしている。そろそろメダカの稚魚が出現しても良いのであるが、これほど小さいと、メダカとグッピィの区別が付かない処である。孵化したての稚魚は、何日分かのエネルギー源に、腹部に卵黄の膨らみを持っていると云うのが、テレビ知識では有るが、そんな証しは小さ過ぎるし、芥子粒達は成魚の危険を察知して、ススィがスイスイの水草ジャングルの住人なのである。

 そんな物は、端から、速過ぎて確認出来ないのである。しっかりと大きくなって貰わなければ、メダカorグッピィの種の確認なんぞは、出来る訳が無かろうが・・・

 残っているメダカ達の殆どは、腹に卵を付けて大分前から泳ぎ回っているのであるから、当然メダカが孵化していても良い筈なのであるが、それが確認出来ないと云う事は、事に依るとオスメダカが居ないのかも知れない。水草に産み付けられた卵が一個残らず、成魚達に食べ尽くされてしまうと考えるのは、確率が薄かろう。

 考えついでであるから、もう少し、考えて見ようか・・・ メダカにオスが居なくても、若しかしたら、卵胎生種のグッピィのオスの精子が間違って、メダカの卵に入り込んで一代限りの交配種と為ってくれれば、面白い結果なのであるが、そうは為るまい。こんな結果があれば、そんな報告例がある筈だし、そんな雑知識に興味のある私としては、『有れば』・・・何かの折にそんな事をインプットしている事であろう。

 雨音が大きくなって来た。昨日の斜向かい吟さんの蜘蛛の観察ではないが、人間とは興味の有る事に関しては、普通にしていても目に入って来るし、耳にも入って来るし、そんな活字知識もすんなりと入って来るものなのである。
 関心事に対するアンテナの張り方、受信度という物には、丸で無意識の稼働率が働いていると云って過言では無いのである。

 こんな事は、私の最大の関心事・美人・美形への目敏さは、それこそ天賦の才と豪語しても良い個人技なのである。イッヒッヒ。

 こんな馬鹿げた事を打ちながら、母の起きるのを待っているのであるが、マダマダ、二時間はある。嗚呼、腹減ったな~、瞼が重くなって来たなぁ。早い処、賄い夫のお努めを果たして、寝不足の調整を図りたい物である。

 とほほ、奥ゆかしい性格の持ち主とは、何かと主体性に欠ける帰来がある。へへへ、困った性分である。


心何処ーショート 一週間振りのロートル・タイムなり
          一週間振りのロートル・タイムなり(6/26/10)
 下手絵の添え書きを打ち始めていると、斜向かい色白吟さんのお見えである。早速、絵を見て頂く事にする。吟さん、絵の中のタランチュラを見て、面白い話を始められた。

 自称・変な性分の吟さんは、高校時代は柔道に打ち込むのと並行して、生物クラブに籍を置いて、昆虫類の収集に精を出して居たとの事である。どうせなら、一風変わった物を観察対象にしようと、蜘蛛の観察・収集に遊んで居られたとの事である。

 吟さんの実家は、木曽御嶽山の麓で、季節に為ると山小屋旅館の様な物をして居られた由。吟さんも、お爺さんのお婆さんの手伝いで、夏休みは其処の手伝いをして過ごして居たとの事である。そんな中で出会ったのが、蜘蛛の種類とその生態の面白さであったと云う。凝り性の性格からして、観察結果を秋の高校文化祭で、ブースを作って発表・説明して、何やら有難い『賞』を頂いた経験が有るとの事である。

 恐れ入ると同時に、吟さんの日常を見させて頂いていると、『然もありなむ』の感想であった。

 すっかり遅くなってしまった朝飯を食い終わると、Tからの電話である。先週は、一回お休みであったロートル・コーヒースタバのブレイクタイムであった。前回、女性スタッフさんから、又、絵を見せて下さいとのリクエストを頂いたのであるから、忘れずに下手絵ファイルを持って行くべしである。

 小雨が降ったり止んだりの梅雨間のショボショボお天気さんである。窓外に、Tのお迎えの車が遣って来た。はいはい、只今、参りますですよ。

「おぅ、今日は、ちと肌寒いわな。無農薬・放ったらかしの自家製イチゴジャムだいな。甘さは、好みで砂糖調整してくれや。防腐剤ゼロだから、早めに食べましょや。」
「遣るね~。女日照りじゃなくて、『女要らず』のマメマメ生活遣ってるじゃないの。さっそく、昼のパン食に塗って食べるわいな。アリガトさんよ。」

 コーヒースタバで、ホット・コーヒーを注文する。<今日は、これ持って来たよ。><有難うございます。後で、見に行きますからね。> 二階席からは、大きな談笑の声が響いて来る。今日は何やら、何処ぞのミーティング会場に為っているのでああろうか・・・暫し、思案したが、下の席よりも、矢張り二階席が性に合う。出来たコーヒーを持って、階段を上がる。

 学生のグループが、談笑して居る。差し詰め、前期試験でも有ったのだろうか、それとも、試験後の夏休みの計画などで、盛り上がっているのだろうか。まぁ、我々も40数年前は、同様の学生であったのだろうから、眉を顰める必要も無かろう。ロートルは、ロートルのマイペースと云う物で行くべしである。

 親父さんは、体内造血機能が芳しく無いとの事で、輸血をしたとの事である。
「注射が痛てぇだだよ。」と、倅のTに愚痴と甘えを口に出しているとの事である。
「爺っさの野郎、何が、注射位で、子供じゃ有るまいに、甘えてさ。甘えたって、痛て物は、無く為りゃせんわな。だらしが無い。オス同士の親子の関係は、客観的で冷静だからな。そこが、倅と娘の違いだぜな。俺は、娘を作って置いて『得』ってもんだわな。イヒヒ。」

「そりぁ、右に同じだわな。俺ん処も、何ヶ月かに一度、町内の民生委員の女性が、婆さんの顔を見に来てくれるんだけど、男の俺には、ああ云うスキンシップと言葉は、婆さんには掛けれないからな。女は女同士のスキンシップ会話が有るんだろうから、邪魔立て無用で、俺は部屋に逃げちゃうしか無いからな。出来ない物は、無理してする必要も無いって物さね。」

「そうそう、ボクシングの『ヒット&アウェ』で行くしか、シャー無いし、それが関係長持ちのコツじゃないのか。」
「そりぁ、そうだ。流石に、巧い事を言うもんだ。俺より一日の長だわな。無駄事こく野郎共は、首に縄付けて連行して、強制賄い夫稼業をさせて見りぁ、直ぐ分かるってもんズラよ。イッヒッヒ!!」

 そんな話をしながら、コーヒーを飲みながらのロートル・ブレイクタイムを愉しんで居ると、黒服ユニホームの色白スマート奥さんスタッフさんの登場である。早速手招きして、下手絵ファイルの絵解き話である。

「これは、菅総理誕生にあやかっての苛々男のイラ菅さんをもじっての嵐寛の鞍馬天狗。これは、シャーマンの図だわね。ヤッパリ、視線の先は、月夜の下の『月夜茸』に釘付けだわね。イッヒッヒ!!」
「いえいえ、目立つと云うか、場所と色合いが・・・ おほほ、如何しましょうかね。」
「アハハ、そんな月夜茸なんか食べたら、コイツのは猛毒化け物キノコだから、即死しちゃうよ。そんな物見てたら、目が潰れちゃうぜ。次のページに、行きましょ。」

「ワッ、これは又、カラフルでトロピカルで楽しい絵ですね。」
「そうズラ、これのモデルは、コイツだわね。真面目な紳士面してるけど、トンデモナイ男だよ。但し、現在、渋々の胃無し男遣ってるから、往時の馬力が無いだけさね。
 長い腐れ縁だから、早く体力を回復させて、ハイビスカスの花芯の力強さに、俺の奴への友情のエールを込めて、ハーフサイズをプレゼントしただいね。それもさね、印刷コピーじゃ、色が薄いから、再度の色鉛筆の色重ね迄して、シャーマンと二枚プレゼントしたのに。
 そしたら、何と言ったと思う。『実物の俺の方が、よっぽど好い男だ。手前の顔の偽絵を描くよりも、俺の顔の実写を描け。』だと、文句をこき遣がるんだぜ。半分病人だから、シャー無いのにね。」

「いえいえ、好く描けてますわ。ハイビスカスの願いが、友情で、熱いじゃないですか。」
「マダ~ム。そりぁ、如何云う意味じゃい。取り様に依っちゃ、聞き捨て為らんぜよ~。ギャハハ!!」
「いえいえ、そんな畏れ多い事を、ストレートに好いお顔ですよ。」

「あいよ、遂に出ました。昨夜描いたホカホカの絵だわね。」
「おいおい、R、これは重症だぞ。欲求不満度120%じゃねぇかい? 悪い事は言わねぇ、俺、帰りに爺っさの病院に顔出して行くから、ついでに精神科・欲求不満科に付き添って遣るぜや。
 おネェさん、ほれ、見て見ろゃ。女日照りで、目が完全に据わちゃって居るじゃねぇかよ。隙が有ったら、即、飛び掛かろうとしているオッサンの妖気が出てる。こんなピンクのジョロ水でスキンヘッド冷やしたって、おっつかんわね。とぼくれた絵を描き上がって、ちょっと、R、抜いて来いや。大丈夫かいな? 俺は、心配に為って来たぞや。イヒヒ。」

「聞いてくれたかや、この馬鹿が。俺がエールを<贈った>のに、そのお返しが、病棟<送り>だとよ。友達は、最初に良く選んで付き合いましょや。腐れ縁に為ったら、後戻りは出来ませんわな。ギャハハ!!」
「えぇー、そうなんですか~。おほほ。これも、きっと奥の深い絵なんでしょう。好く似てますよ。お二人とも、男前ですよ。何時も楽しいお話で、本当に仲の好いお友達で、羨ましいですよ。ごゆっくりして行って下さいね。」
「はいはい、お付き合い、アリガトさんね。」
「悪いネェ~、根は真面目だから、心配しなくても好いだべや~。サンキューさんでした。」

 さてさて、煙草切れである。外の喫煙ベンチで煙草を吸い、小雨降る中に、ロートル・トークのお時間はお開きの段である。如何やら、本日は、お天道様の休息日に為りそうである。

心何処・・・心頭滅却の図
                  心頭滅却の図
 いやはや、何んとも形容し難い絵が、出来上がってしまったものである。遺憾いかん・・・自分ながらも、とうとう来るべきものが来てしまったのではないか!!と、観念するしか無い気分である。

 鉛筆で線を描き始めていた時の意図は、極々単純で、日常日記の昨日タイトル<セクハラ二連発>を、其の儘、活字から戯け絵に平行移動させるだけの魂胆だったのである。
 詰まりは、・・・地上は夏の花・団扇サボテンとエロ河童にお天道様のジョロの水、地下はアリ地獄と地蜘蛛のタランチュラ・・・と、唯、それだけの構図にしか過ぎない。

 それが色鉛筆で彩色して見れば、現れた絵の世界は、尋常為らざる奇っ怪な仏教画の世界ではないか。冷静に見遣れば、何やら東南アジアの曼荼羅絵の様な雰囲気さえして来る。UPするのを躊躇(ためら)わせる。こんな物を出してしまったら、壁に耳あり、障子に目あり・・・不遇にも、心理学・精神科の先生の目に止まったら、即、精神科病棟に収監・収容されるのではないか・・・との心配・危惧さえして来る始末である。

 然しながら、吾が身はロートル貧民である。折角の時間を、自らの常識で消滅させてしまっては、それこそ『勿体無いお化け』様に、生き肝まで喰われて終う。此処は一発、勇気を奮い立たせるしか術は無かろう。

 清水の舞台から飛び降りる覚悟で、エエイ、シャラ構わねえ~、男一匹、キンタマの大見栄じゃい。文句が有るなら、コメントで寄こし遣がれ!!ってな物である。オタオタして居たら、男が廃らぁな。はい、トホホの一枚でありまする。何卒、118番通報は、ご容赦下さりまする。へへへ。


                  心頭滅却の図
                 心頭滅却の図


心何処ーショート セクハラトーク二連発??
             セクハラトーク二連発??(6/25/10)
 さてさて、支払いを済ませて来るか。ついでに、話の種に下手絵ファイルを見せて来るとしよう。自転車に乗って町内の郵便局に行く。高校、学会の平和会館に隣接する一角にある。信号の先には、信金の支店がある。個人スーパー、和食レストラン、焼肉店、農協の店、花屋などがあるから、便利な場所と云える。

 社員三人の何処の町にもある小さな郵便局である。皆、中年の既婚者であるから、田舎のアットホームな雰囲気である。こんな立地状況であるから、大体は近辺の町会住民が利用客にしてお得意さんなのである。従って、気取る必要など殊更無いのである。払い込み用紙と代金を添えて、処理をして貰う傍ら、下手絵を開いてカウンター越しの屈託の無いお話である。

「Rさん、相変わらず、ピカソの様な絵ですね。」
「あいあい、ピカソさんは天才有名人だけど、俺の絵は、無名バカソの作だわね。今回は、どの絵が好いね。」
「私は、このユーモラスな踊りの絵が好いです。踊っているのは、Rさんですか? ちょっと、ここが問題で、ここには飾れないのが残念ですけどね。おほほ。」

「目が高いじゃん。これは、『古代シャーマニズムと現代』って題名だんね。時代・所変われば、風習も価値観も変わるって皮肉絵だわね。自然崇拝の神と人間の仲介者シャーマンが、洗い清めた全裸にボディペンティングを施して、下弦のお月さんに一心不乱に交信している姿を、其処の川の河川敷に散歩をしに来たオバさんが、月光に光る月夜茸をまともに見ちゃって、口から恍惚の泡を吹いちゃっているって図だわね。イッヒッヒ!!
 ほら、このオバさんの目線を結べば、『月夜茸』へ一直線ずらい。口から泡吹いてても、ベテランオバちゃんは、見る物は見ているって寸法だわね。へへへ、俺も、一応、考えて絵を描いてるだいね。だから、真面目一辺倒なんだわさ。」

「それで、女の人の口の泡色がカラフルなんですか~。芸が細かいですね。アハハ。
 またまた、楽しいお話を聞かせて頂いて、ありがとう御座います。大体、一つの絵はどれくらいの時間が掛かるんですか。」
「うん、仕上げるまでに、2時間位だね。授業中の悪戯絵みたいな物だから、遣ってると楽しくて、結構夢中に為るもんせ。世の中、俺みたいなチョッと可笑しな人間が居ないと、アンバランスに為るからね。イッヒッヒ!!」
「何を仰います。<脳ある鷹は、爪を隠す。>ですよ。」
「へへ、それを云うなら、<豚も煽てりぁ、木に登る。>でヤンスよ。はい、アリガトさんね。」

 母の部屋で、のんべんだらりとテレビを見ていると、先週、試供品を置いて行かれた明治乳業のママさんが見えられた。私は田舎暮らしのロートルであるから、洗ったビンだけを返すのは、真に申し訳の無い気持ちに為ってしまうのである。依って、手作りジャムをお返しに差し出す。

 彼女は小柄では有るが、中々の美人さんである。あれこれと話していると、睨んだ通りの気さくで頭の回転の好い女性である。何やら、妹さんが私の高校の後輩との事である。こんな事を知ってしまうと、もう、他人行儀の話は、アホの遣る事である。

「好い女だから、モテルでしょう。俺ぁ、襲い掛かりたいわね。アハハ。」
「元気じゃないですか~。アハハ。友達も、好く云うんですよ。お前は、黙っていると、本当に好い女なのに、酒を飲むと、好く喋って、呑んべぇで丸きり、色気が無くなちゃうからな~なんて、言われているんですよ。でも、私の素地ですから、仕方が無いんですよ。おほほ。」

「いやいや、分かる分かる。大体、〇校生なんてのは、黙って行儀好くしていると、優等生タイプだけど、一端、口を開けば馬鹿丸出し、スケベ丸出しの連中が、主流だからね。難しい話・真面目な話も、馬鹿話・スケベ話の両刀を使いこなせなくちゃ、栄えある○高の卒業証書は貰えませんわな。ねぇ、脂の乗った若奥さん。」
「私、子供二人居ますけど、奥さんじゃありませんよ。」

「そうかね。じゃあ、シングルママさんって事かね。家の婆さんも、未亡人で倅を5人育てたんだから、苦労はするけど、如何って事は無いさね。人生なんて、あっという間の新幹線だよ。頑張りましょ。
 そうですか、俺は美人好みだから、取って遣りたいんだけど、ヤクルトだけで残っちゃうからね。これ以上は、無理だわね。御免なさいね。配達に来るついでに、遊んで行きましょ。気兼ねは要らないよ。何時でも、歓迎だわさ。」
「ありがとうございます。面白いお話を色々聞かせて貰って、楽しかったですよ。じぁ、遠慮なく頂いて行きます。」

 日頃の真面目振りに、きっとお天道様が、女日照りのシャレコウベに、息継ぎの水を降り注いで下さっているのだろう。これは、『生かさず殺さず』の有り難いご配慮と云うより他、あるまい。ウッシッシ!!
 
 然しながら、考え様によっては、篭り賄い夫の吾が身は、蟻地獄の底で身を隠しているウスバカゲロウの妖怪幼虫か、はたまた、穴を掘って巣穴の頭上にはマンホールの蓋を被せて、上を通る昆虫に襲い掛かる地蜘蛛・タランチュラの様な生活に似て来てしまった物である。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかは、判断が難しい処である。

 さてさて、チョイとばかり、竿でも振って来ましょうかね。魚の喰らい付きいかんによっては、夕刻の釣りと行きましょうかね。

心何処ーショート 善き散歩なり
                善き散歩為り(6/24/10)
 17:30を回った処ではあるが、手持無沙汰であるから、首タオル・Tシャツ・半パン・水を入れたペットボトルを持って、散歩運動に出掛ける。昨日、夏至を通過した太陽は、暑い輝きである。然しながら、山の緑が実に清々しいばかりの輝きに満ちている。

 当然、日蔭を選んでの歩行である。日蔭が途切れると流石に熱い。それでも、スキンヘッドが、ツートンカラーに色分けされない様に、頭の甲羅干しを所々に入れて歩かねば為らない。後から来た美容運動ウォーキングの中年女性に、あっさり抜かれても、私の散歩運動は長丁場の外気吸いの様な物であるから、『お先にどうぞ』と云った物である。

 歩いている内に、白雲が夕日にピンクに染められて行く。一時間コースの★橋を通過すると、此処からは、長い上り勾配の一本道が20分強続く。この行程を凌ぐと、道は小集落の細い道を抜けて、正規コースの折り返し点H橋を渡っての山際コースと為るのである。橋の袂には、『早落ち城址』への北の入り口の通じる小さな祠の石鳥居がある。私は、此処から始まる山際の道歩きの景色と雰囲気が好きで、此処まで足を伸ばして来るのである。

 幹線道路から、小集落の細道に下りる。此処には、大きな屋敷に繋がる立派な菜園が有る。四季の花壇と野菜が、手入れの行き届いた形で目に見える。家庭で消費するには十分過ぎる量と種類が作られている処が好いのである。それが、何時見てもホッとするのである。此処には、何代も続く<家を守ると云う空気>が伝わって来るのである。

 H橋の上の堰堤下では、きっとこの近所の男性だろうが・・・タオル被りの普段着の釣りをしている姿が有る。リール釣りで、ヤマメ、イワナを釣っているのであろう。中間点であるから、ペットボトルのキャプを回して、口の渇きを潤す。橋を渡って、僅かばかりの坂を上れば、後は下り勾配の山際のコースが長く伸びる。

 少し進むと、犬の散歩の婦人と会う。黒い丸々とした小型犬である。愛嬌のあるワンちゃんである。
「こんにちは。あれ、それは珍しい。タヌキかいね。へへへ。」
「こんにちわ。アハハ、違いますよ。★と★の雑種ですよ。皆さん、何故か、注目してしまうんですよ。」

 薄いフワフワした体毛が、灰色ぽい薄い黒と黒毛の濃淡である。顔付とパンパンに丸味を帯びた体形が、何とも愛嬌がある。しゃがみ込んで手を差し伸べて、少々言葉を交わさせて頂いた次第である。
 
 少し歩くと、道に軽トラと黒の高級車セルシオが停めてある。傾斜地は、川に向かって広い畑である。ロートルの男女3人が、畑から作業を終えて上がって来た。差し詰め、老兄弟なのであろう。兄は都会で長年の勤めを終えて、田舎暮らしに戻って来たのであろう。

 老夫婦は、見事な野良着スタイルで、ピカピカのセルシオにドッコイショとばかりに乗り込んで一息である。

 灰色の夏の作業服の胸には、何やら会社名が入っている。差し詰め、名のある製造業のお偉いさんだったのであろう。隙の無い70代の紳士然としている。この年代のお偉いさんは、実直その物の偉風を持って居られる。物を大切にして、所属企業への愛着を持ち続けている処が、頭の下がる処なのである。嘗ての上司の顔顔が浮かんで来た次第である。

 迫り出した急斜面の雑木林の密集を、何か動く物は無いかと見上げながら、山の匂いを嗅ぎながらの流し歩調で行く。田んぼの広い農道と開通と為った山際の蛇行細道の分岐点に、追い越して行ったセルシオが止まった。

 私は、蛇行細道に進む積りである。セルシオは、私が通り過ぎるのを静かに待っている。ハハハ、流石に都会のお偉いさんだった事はある。私は、会釈して通る。車が大きいから、此処で切り返しを何度かして、Uターンして帰るのであろう。

 多くの人材を送り出した日本全国の田舎の姿が、此処にはある。自分を育んでくれた田舎に帰って、自然の中で余生を夫婦で送る。・・・そんな、日本人の世代の姿を見る事が出来て、私はほっとした気分で、ついニタリ顔であった。

                    故郷
 兎追いし かの山、小鮒釣りし かの川、夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。

如何にいます父母、つつがなしや友がき、雨に風につけても、思いいずる故郷。

  志を果たして、何時の日にか 帰らん、山は青き故郷。水は清き故郷。


    こんな、文部省唱歌すら浮かんで来た善き散歩でありました。

心何処ーショート ゲン直しのブレイク・タイム
            ゲン直しのブレイク・タイム(6/24/10)
 いやいや、久し振りの夢見であったのに、実に後味の悪い夢であった。私としては、親切にした心算が、相手が増長して来て、その行き過ぎをソフトに窘(たしな)めると『もう、近くに寄らないでよ!!』と凄い剣幕で遣られて終った。

 アハハ。その婆さんの顔が、テレビなんかで実在感を以って、意地悪姑を適役で演じられる大柄な女優さんの顔であったから、迫力・現実味満点なのであった。
                『困った物である。』
 幾ら私が、女日照りで悶々として居ようとも、久方振りの夢見に登場したのが、<選りにも選って~>、大奥の意地悪お局様、嫁苛めの権化の様な姑様では、寝起きが悪過ぎまするわな~。えらい糞婆ぁに、しょっ捕まってしまった物である。

 それにしても、ベテラン女優さんには申し訳ないが、何もアナタ様が夢の中で、主演を張る事も無かろうに。普段温厚で通るアカデミー演技賞並みの私にしても、憤弩の川を渡ってしまう寸前でしたわな。ラジオでは、マツダの元期間工が、車を凶器に使った無差別殺人事件が、報じられたばかりでありますぞえ。言って良い事と悪い事が、御座りまする。

 因みに、夢見の女優さんには、美貌・理性・気品の三拍子揃ったデボラ・カーにお会いしたくて、昨夜の眠りの伴奏曲と選んだのは、彼女の『キング・ソロモン』だったのに、何たる番狂わせの沙汰である事か・・・<近寄らないで>は、俺様の台詞じゃわい。ニャロメ!! 

 遺憾いかん。悪韻引きずる寝間の空気を、一掃するが先決である。四畳半→寝間→廊下を全開にして、悪気一掃からのスタートである。(ベテラン女優様、役柄とは云え、御免なさいね。)

 定位置に座り、煙草を吹かして居ると、メダカ&グッピィ槽に『ッー』と動く芥子粒一つではないか。目を凝らして緑の水草繁茂する水槽に、舐める様に視線を移動させて行くと、五匹の芥子粒達が生まれているではないか。成魚の口パクリの一瞬の消滅を掻い潜って、第三弾の成長を記す事が出来ようか・・・ 前途多難な生命の放出である。何もして遣れる事は無いが、ただ、ただ逃げるが、生命の証ぞ。頑張れちゃ~。

  さて、本日は、参院選告示・立候補者の受付日との事でありまする。

 政党・政治家への信用度・期待度が、益々以って低下する祖国日本の政治不感症が魔手を伸ばす昨今でありまする。結果は、如何なる事に相為ります事やら・・・

 さて、本日の一枚でありまする。ラジオを聞きながら、選挙民の顔・世相を構成する表情などを思い浮かべながら、適当な線で軽く描いて見ました。題して、『世相作る顔達』でありまする。
 
 別に他意は御座いません。はい、絵は、見る人の心のドアをノックする物でもありまする。皆様の中に、何が拡がるものでありましょうや。暫しの、ブレークタイムを・・・へへへ。


                   世相作る顔達
                  世相作る顔


心何処ーショート 他愛無き駄文にて候。
              他愛無き駄文にて候(6/23/10)
 雨は降らぬと安心して、洗濯物を取り込まずに居たら、凄い雨音がして来た。ふら付く足で洗濯物を取り込み、ヨタヨタと布団にバタンの意識の彼方へ。

 朝起きると、勢い好く降り続いている。昨日のTシャツ・短パンでは寒いから、長袖・ズボンで定位置である。ラジオでは、終日の雨と云う。昨日水替えをして置いて、好かったと云うものである。母は未だ起きて来ないから、降る雨を見ながら、熱いモーニングコーヒーを飲んでいる。こんな時季の雨を見ていると、旅先での雨を思い出す。

 スケジュールの決まった旅行では、雨の中の観光であったが、無尽仲間で行く旅行は、勝手知ったるサイパン、マクタン・セブ島であったから、自由行動・自由時間満載の旅行であった。こんな雨の日は、のんびりと云うかボケーとホテルで仲間とビールを飲みながら、ホテルで過ごすのも日頃の疲れが取れて、悪くは無かった物である。
 大分、破天荒な中年遊びをしていたから、途中から旅行代理店のカラクリが分かって、航空チケットだけを取って、現地の親しくなった連中からの情報で、日本人の常識・感覚から言うと三流・四流のホテルばかりを利用して、浮いた金で好からぬ遊びに回していたのである。

 ★これは、下衆貧民の知恵と云うものである。こうすると、如何に善良無知な日本人観光客は、業者にボッタくられていたかが、よく分かる物である。尤も、これは業者に云わせると、清潔・安心・安全の安心料と<体交わし技>なのであろうが・・・
 
 普段真面目人間が、脱線・羽目を外すから、世の中は面白いのである。如何云う訳か、そんな交渉役・手配役が私の処に回って来て、長らく固定してしまった物である。

 口の悪い仲間に言わせると、私の風体は国籍不明のヤクザ、マフィアに見えるとの事である。加えて、私は遊びと仕事を厳格に仕分けして、仲間の為には個人的なプライドも恥じもかなぐり捨ててしまうサービス精神を発揮してしまう性行なのである。その人の好さ・弱みに付け込まれて、日常生活では逆立ちしても経験出来ない珍経験を、幾つも体験させて頂いた物である。

 善きも悪きも知ったる仲である。腹さえ括れば、コミニュケーションの中に於ける言語なんて重大要素に、怯(ひる)むなんて繊細さなどは、不良中年貧民の好奇心と行動の前には、一切禁物なのである。
 内から後押しするのが、私の性根である。吾が性根は、スカンポ脳の四男坊の大戯けである。ゼスチャーといざと為れば、紙と鉛筆の絵コミニュケーションで、意思交換をしてしまう好い加減男なのである。アハハ、兎に角、遊び無尽に入ったメンバーが、悪過ぎた。

 江戸時代の解体新書の杉田玄白大先生が、ノーズ=鼻の意味に辿り着くまでの苦労談を、中学の国語本で読んだ記憶があるが、下種貧民の出た処勝負のパントマイム・コミニュケーション術を厚顔無恥で実践すれば、結構通じてしまうと云うか、通じたと錯覚してしまう物なのである。

  旅は道連れ、手振り身振りのスキンシップこそが、意思疎通の要である。
「白人嘘つき、インディアン嘘言わない。私、半分インディアンの日本のサムライ、私、信じてOK。私、あなた信じる。あなた、私信じる。正直な心、メードインヤーパンのシガレツト。煙の誓いで、握手・シェイクハンズ。セレモニー終われば、我々、グッドフレンド、グッドラヴァよ。私、〇〇〇欲しい、〇〇〇見たい、行きたい。あなたの協力ヘルプよ。プリーズ・ヘルプ・ミー。」

 てな手法で、開放的に振舞えば、人間なんて物は、意外や意外で通じるものなのである。こんな馬鹿みたいな話を、誰が信ずるかと紳士淑女の御抗議はあれども、私の反論としては以下の通りである。

「馬鹿こいちゃ~、行けませんわね。あなた方だって、自分の子供達が、ハイハイからヨチヨチ歩きの<ウー、ハー、アーの幼子>と向き合って、言葉を交わして意思の疎通を図った訳でもあるまいに・・・親が吾が子の感情・意思を分かろうとして付き合っていたから、吾が子が、自分自身が理解する事が出来たまでの事なのであろう。活字で覚えるだけが、勉強じゃあるまいし、観察して考えて知るのも、勉強だろうが。自前で勉強する術を放棄して、なんとするかであろう。

 其処に相互の間に相手を理解しようと云う共通の気持ちが通っていたから、感情・意思の疎通が成り立っていたのであろうが、馬鹿も休み休み言っておくなましってな物である。

 相互の間に、相手を理解しようとする共同の意識さえ働けば、其処には立派なコミュニケーションが成り立つのである。それが分からない様では、頭の作りが余りにも粗雑過ぎるのではないか。道具にばかり頼っていては、人間の味は出ませんわな。
 そんな物は、言葉の未発達な原始の住人にも劣る『恥曝しの生意気人間』だわさ。顔洗って、出直しなよってなもんだわね。ギャハハ!!」

 こんな得意の屁理屈を擁して、海外ハチャメチャ・ショートバカンスに現を抜かして来たものである。世の中という物は、兎角、馬鹿の方が気楽で、楽しく遊べる物なのであろう。具体的な事柄の多くは、忍び寄る脳軟化症の侵食により、忘却の宇宙を彷徨している昨今故に、失念している次第である。故を以って、サービス精神旺盛な吾が身ではありまするが、ご報告出来ないのが辛い処なのでありまする。

 へへへ、日頃の行いが好いのでありましょうか・・・ボロが出ない内に、雨が上がりました。これぞ、お天道様のお目溢しで御座りまする。はい、散歩運動に出掛けて参りましょうかね。以上、本日もロートルの他愛も無い長駄文へのお付き合い、お疲れ様で御座いました。感謝感謝でありまする。


心何処ーショート 夜風に、無味無臭の日は、ただ流れるなり。
      夜風に、無味無臭の日は、ただ流れるなり。(6/23/10)
 庭にハコベを取りに出ると、シュガープラムの枝にアメリカシロヒトリが集っている。脚立に乗って枝折りをする。下を見れば、イチゴが赤い。暑い日中、手間ではあるが、取るしかあるまい。家をグルリと回ると、団扇サボテンに黄色の花が三つ咲いている。混じり気の無い薄い上品な黄色である。こんな上品さに出会うと、戯けロートルのくすんだ心の不純さを見透かされた様で、自分が恥ずかしく為る物である。

          お主、そんなに、見るでは無いよ。へへへ。

 収穫した小イチゴを水洗いして、母の部屋でヘタ取りである。小鍋に入れて砂糖を加えて潰し火に掛ける。コトコト煮立てて、ジャム作りである。プリンの小容器に入れて、Tへのお裾分けとする心算である。台所仕事を終えて、シャワーを浴びて洗濯である。汗を洗い落として、着替えをした後は、夕刻散歩に備えて昼寝である。

 何やら、私は壇上でパネリストの一員として、スーツを着て、生意気な事を抜けシャーシャーとぶっている。議題は、『観る・感じる・思う・考える』について、偉そうにレクチャーをしているではないか・・・<とんでもない男である。おフザケで無いよ。>である。

 何か、声がする。<うう、誰だ~? 今度は、口笛がする。> 眠い目で、四畳半の開放した窓を見ると、斜向かいさんである。

「如何したい? 具合でも悪いのかい?」
「汗ダクの体をシャワーしたら、好い気持ちに為って、散歩待ちの昼寝をして居ただわね。」

    四畳半の定位置に座って、出窓を挟んでの本日のご挨拶である。

「丁度好いや。好い絵が描けたから、一寸見ておくれや。」

       本日の一枚を、絵好きの色白吟さんに渡す。

「ウ~ン。これは、好い。これは、お兄ちゃん、凄い絵だよ。訴える力に満ちている。
      ・・・       ・・・     ・・・   ・・・
 う~ん、俺は、この絵に『世相』を感じ取るね。この瓶の中身は、決して可愛いちっちゃなイチゴである訳無いぜや。政治家の野郎共が、野党から与党に席を変えただけで、中身は、与党も野党も、何にも変わちゃいねぇよ。名も無き国民がさ。『もう、手前ら、許せねぇ』って、堪忍袋の尾が切れて、ウジャウジャに為った鬱憤・怒りをビンの蓋を開けて、ぶっ掛け様としている図じゃんかよ。

『この~、フザケ遣がって』ってな物で、大魔神のお兄ちゃんが、歯を剥き出しにして、満身の力を込めて、そのご太っとい腕の手に、青筋おっ立てている迫力が出ているじゃねぇかい。お見事!! 好い絵だね~。 

 うんうん、この瓶の白い余白が、効いているねぇ~、余白の白が、反対に、全体の構図を引き締めている。一見、乱暴にも見える手法なのに、お兄ちゃん特有の直感と緻密な計算が入っている。やっぱ、並の観察力・洞察力・感性・脳味噌の切れじゃないわね。それを隠して、一見、『腕力一辺倒』で遣って見せている処が、お兄ちゃんの独特な世界だわな。

 如何だい、俺の絵を見て、お前さん達は如何見えるんだい・・・感じて、分からない様な馬鹿は相手にしないよって、本音が、この絵にはあるね。恐れ入谷の鬼子母神様だわね。

 こりぁ、並の人間にゃ、表現出来ねぇ怒りのメッセージじゃねぇかい。俺達、ボンクラとは、レベルもスケールも違うわね。いや、尊敬しちゃうと云うよりも、おっかねぇ物を秘めている先生だわね。お兄ちゃんの本性は、怖いわね。イッヒッヒ!!」

「へへへ、そうかいね。ごっつぉさんですいね。見方に依りゃぁ、『大東亜戦争・日米決戦の戦争前夜』ってな想像も運んで来るずらい。中々、好い線いってるずら。あい?」
「やいやい、こりぁ次回の文作印刷が楽しみだいな。好いもの見せて貰ったから、俺ぁ、世相を色々考えながら、散歩して来るわいな。いやはや、スキンヘッドのド迫力にぁ、ビックラこいたぜや。お兄ちゃんも、遅くならねぇ内に、散歩して来ましょや。あい。」

 さてさて、私も日課の散歩にお出掛けしましょうかね。本日は、街場に向かって下り勾配から遣って見ましょうかね。民宿のご主人が芝刈り機を押して、ふぅふうして行かれる。綺麗な芝生の涼み場所を提供されている。暮れなずむ山の端には、入道雲が拡がっている。明かりを灯した自転車が、上り勾配をエッチラ・ホッチラと漕ぎ上って来る。

 アスファルトの道に、落ちた桑ズミの染みが付いている。松本盆地には、光の等高線が灯り始めている。葦の穂が暮れなずむ風の色を見せて、戦いでいる。川の瀬音に、カジカ蛙の細い笛吹きの声がしている。

 街場の手前の橋を渡って、対岸の上り勾配の土手道をテクテク歩きである。河川敷の手入れされたサツキの植栽ベルトは、ピンクの花盛り。犬を連れたロートルさんが、河川敷をお散歩である。

 おやおや、自転車で下って来るのは、好物の白人女性さんではないか。粗相の無い様に道を譲る振りをして、目で確認して、鼻で深呼吸である。ニャハハ。

 本日を振り返れば、暑い日であった。動きついでの日中の川水運びは、キツイ労働であった。並々入った水槽の生命の補給水ではあるが、何日持つ事であろうか。やれやれの気分ではあるが、これも飼い主の務めである。楓のキジバトは知らなければ、何の気配も無い楓の枝葉の茂りである。そう云えば、ニワウメの実は、今年は殆ど生っては居なかった。

 ハハハ、つくづくと人間の目は、見ている様で見えて居ない節穴の目でしか無いのである。夜の帳と夜風に、一日を振り返りつつ歩くのも、一日の区切りである。今日も、大過無く、ロートル賄い夫の日を送れた。何は無くとも、負担の無い日が流れて行くのは、好い物である。



心何処ーショート ロートル、投げキッスに一人浮き浮き。
        ロートル、投げキッスに一人浮き浮き。(6/22/10)
 朝食タイムを終えて、自室で昨夜の極彩色のバカソ絵に、仕上げの色重ね作業を終えて、スキャナー→アップロード→ブログ投稿のお遊びをしていると、

「こんにちは~。ヤクルトで~す。何時も、お世話になっていま~す。」
「あいあい、ちょっと、待っていておくれ~。今、インターネットで投稿してるぜね。」
「好いですよ。ゆっくりやってて下さい。今日も、蒸し蒸しと暑いですね。元気でした?」
「アリガトさんね。女日照りにぁ、何の変化も無いけどね。元気だよ~。」

      廊下を挟んだ玄関と四畳半小部屋との遣り取りである。    

    イラスト画をUPして、下手絵ファイルと財布を持って、玄関に行く。

「あいよ。今週の絵だよ。」
「どれどれ、わぁ、イチゴちゃん、可愛いじゃないですか!! これは、如何云う絵ですか?」
「斯く斯くシカジカでさ。夜描いて、色塗りの仕上げをして、今、全世界に発信したんだいね。俺としては、冴え渡っちゃった怪作って物だわさ。ギャハハ!!」
「相変わらず、目の覚める様な色遣いですよ。好く、Rさんの顔に似てますよ。」
「ナヌ、じゃあ、俺は、好い男って事じゃん。嬉しいね~。」
「だから、何時も言ってるでしょ。Rさんは、ダンディで男前だって。モテナイ訳無いですよ。女日照りは、本当は、女嫌いなんでしょ。アハハ~。金髪外人のファンなんでしょ。」

「其処まで、煽てられちゃ~、しょうがねぇや。チョイと待ってろや。味見させるから。」
「家の母が、子供の頃、イチゴの手作りジャムを、作ってくれていたんですよ。私、舌が肥えてますよ~。お世辞は言わないですからね。」

 冷蔵庫から、ジャムとスプーン、そして、お裾分け用のちっちゃなプリンの容器を持って、<エッヘン> ヤクルトママさんの前で、胡坐を掻く。ジャム瓶を彼女に渡すが、力めども開かずの態である。

「Rさん、女の力じゃ駄目です~。」
「左様であるか。じゃあ、モデルと実物を好く見比べてくれよ。う~ん、猪口才な、ニャロメ。」
「さすが流石、やっぱり男の力ですよ。100%そっくりですよ。パチパチ、じゃあ、舐めて見ましょうかね。」

 ママさんは、可愛い仕草である。スプーンで掬って、ペロリと口に運んで、口の中で、舌を転がして居る。口中に、野苺然とした酸味とイチゴの香り、甘味を抑えたナチュラル・テイストが拡がっている様子である。

「Rさん、これですよ。これ、子供の頃の母の味ですよ。好いんですか、掬って詰めて行って。」
「好いさや~。何て云ったって、俺は、清水港の馬鹿の石松だわね。イッヒッヒ!! 如何だい、そのスプーンをペロペロ舐めて置いて行ってよ。それを、俺が、この場で犬みたいに、ベロベロ舐めるなんて図は、来週の妄想絵画に為るぜや~。」

「残念でした~。私の唾液と舌は、子供達とダンナだけのものですよ~。」
「相変わらず、女って生き物は、ケチなもんだね~。国際化・世界友愛の時代だよ。そんな保守的な物の考え方じゃ、これからの時代は、渡って行けないよ。イッヒッヒ。はい、アリガトさんね。来週まで、バイバイね。」

「貰い物して、手バイバイだけじゃ、エチケット違反だから、今日は特別に、投げキッス・バイバイして上げるからねぇ~。バイバイ、ご馳走様でした。」

 いやはや、ヤクルトママさんも、仕事慣れして下されたものである。やはり、美形さんは、冗談に付き合ってくれて、相想を振り撒いて下された方が、美形の魅力満載と言うべき物である。ロートルに置き合いして下さる日本ママさんも、素晴らしいの余韻の置き土産である。ガードの垣根を低くすれば、何かと気持ち・気分の通い合う訪問販売の良さであろう。

心何処ーう~ん、ニャロメ~。
                ウ~ン、ニャロメ~。

                 う~ん、ニャロメ~。


 はい、本日の一枚でありまする。昨日分投稿分にあります自家製小イチゴジャム瓶との格闘画でありまする。一切の絵解きを要さない・・・そのものズバリの怪作(快作)でありまする。如何様なりとも、想像を働かせて、思う存分、お笑い下され。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 動けば、汗ばむ曇天。
              動けば、汗ばむ曇天。(6/21/10)
 本日は、二本目の虫歯の詰め物セットの日である。9:30の予約ではあるが、この歯医者さんは評判が良いのだろう。何時も、待たされるのである。まぁ、私は其れを見込んで、老眼鏡を胸のポケットに入れて、某週刊誌の数学者のエッセイコラムを読むのを愉しみにしているのである。

 中に呼ばれて、診察台に乗る。隣では、幼女が泣き騒いでいる。母親・歯医者さん・その助手の三人が、大きな声で恐怖に泣き続ける女の子に、大きな声の幼児言葉で、ご機嫌を取り、あやし、勇気付けて歯の治療をしているのである。
 こんなシーンを横で見たり聞いていると、歯医者さんは大変な根気と優しさ、技術を要する職業と感心して仕舞う。心が穏やかで優しく、辛抱強い御仁で無いと、歯医者の開業医は務まらないのだと思った次第である。

 診察室の明るい出窓に置かれた絵・壁に掛けられた絵は、優しい中間色で描かれた抽象的なファンタジックな、ほんわりした中にも主張・メッセージが漂う。そんな、雰囲気の絵である。
 何処と無く、私の悪戯画のケバケバしい原色を、薄い中間色で表現した感じの絵である。きっと、歯医者さんの趣味が、そんな何枚かの絵をチョイスさせているのであろう。大きな声で、田舎言葉平気の態ではあるが、彼は内向性の観賞眼を持ったお人なのであろう。

 さてさて、シュー、ウィーン・ウィ~ンの冷や汗タイムが、私の処に回って来た。本日は、仮詰めを外して型取りをした詰め物を固着して、噛み合わせがフィットする様に研磨した後は、こびり付いたセメントを除去するのである。二本目の虫歯治療であるから、処理工程が、大体は頭にインプットされている。本日は、大した苦痛の負担も無かろう。今度は、嫌な麻酔を掛けての三本目の治療が始まるのである。 ・・・やれやれ。

 近くに大手スーパーが有るから、臼歯の違和感からの開放も叶った事でも有る。朝飯と昼食が一緒と為るのであるから、トンカツでも買って、カツ丼と行きましょうかね。そうそう、自家製無農薬・野趣満点の手作り苺ジャムを、味見する為に食パンも買って行くべしである。本日も、曇天の蒸し暑さである。

 手抜きの朝昼兼用の賄い夫であるから、ゆっくり時間を与えて貰う事にする。台所でお茶を飲みながら、カツ丼を作る。

 昨日は、途中で目が覚めてしまい、眠られず、ジョン・ウェイン、モーリン・オハラの西部劇<マクリントック>をまるまる一本観てしまった。従って、寝不足の感である。

 口の中は、歯がグルリと回っては居るが、口中にも左利き・右利きが有るのは、当然である。私の場合は右利きであるから、その右が2週間程使い辛かったのである。
 歯の異物感からも解放されて、カツ丼大盛りの食事をして仕舞ったから、もう、瞼が重く成って来てしまった。雨は降りそうも無いから、昨日の分も合わせて散歩するしかあるまい。先ずは、その前に、好物の昼寝をして置くべしであろう。へへへ。

 隣部屋から流れる坂本冬実の歌声を聴きながら、暫くまどろみの時間の中に居る。さてさて、眠れない布団の中は退屈である。台所の洗い物を片付けて、ジャムの味見でも致そうか・・・

 トーストにして、母にパンを渡して、ジャムの瓶の蓋を開けようとするが、ニャロメ!! ウンともスンとも、動かないでは無いか。う~ん、コノヤロウ・・・ こう為ると、男の沽券に拘わる一大事である。蓋を温めて・・・なんて、姑息な女の手段は、男の恥である。

  深呼吸一発、怒れるロートル・クマ男の実力を見よ!! ウゥーン~。
ピシ、小さな空気の入る音がする。しめた。如何じゃい。拒絶の蓋が動き・・・回る。

 昨日、ビンに入り切らなかったジャムを味見した母は、『こんな見事な苺ジャムは、お目に掛れないよ。素晴らしい色じゃないか。酸味が自然の苺で、買って来たジャムでは出ない自然の味だよ。吾が子ながら、上手な物だ。』とたっぷりと深紅のジャムを厚塗りでは無く、厚盛している。いやはや、食欲旺盛なる事は、宜しい事である。

 私は、トーストバターの後に、ジャムを一枚食べる。それにしても、物の見事な深紅一色の野趣豊かな手作りジャムの味であった。

 散歩に行く心算であったが、薄日が差して来た。これでは、到底散歩には行けぬ。日が没してからの夜散歩をするしかあるまい。風の呼吸に、束の間の涼しさを貰うしかない。

心何処ーショート 減らず口の男二態為り
             減らず口の男二態為り(6/20/10)
 斜向かい色白吟さんの通いの文作綴りの日付を確認して、印刷に掛る。こんなに私の文作を御熱心に読んで頂いているのであるから、真に以って嬉しい限りである。矢張り、挿絵が有ると無いとでは、大きな違いが有ると云う。

 とんでもない戯け画を、自称・変な性分の吟さんは、一人角度を変えて眺めながら、私の好い加減な絵描き意図をニヤニヤ、イヒヒと笑い、奥さんから、『お父さん、又、変な絵を見て声を出して笑っている。好い加減、ハシタナイ声で笑うのは、止めてよ。品が無いよ。』なんて、お小言を頂戴して居るそうである。

「何をコキャがる。女なんて代物は、お上品振った処で、男のオタマジャクシの何千万か何億分の一からスタートじゃねぇか、男だって十月十日、母ちゃんと臍の尾で結ばれて、宇宙遊泳してさね、入る時も出る時も、女の又ぐらから、誕生するだいな。
 馬鹿野郎、男女の仲が、そんなに上品である訳無いだろうが・・・ 俺ぁ、当に塔が立った70超えの<シャクレ蕗の塔>だぜや。両方合わせりぁ、130も半ばだぜや。
 カカトト振ったって、男と女の世界は、進んじゃ行かんわね。<生娘>じゃ有るめぇし、好い歳かっぱらって、『ネズミ大根の尻尾の腐った様な事』を抜かすなってなもんさね。そんな物ぁ、山芋のとろろ汁ローションで、ケッケッケェのケツの穴ってなもんさね。ギャハハ~。カカア、聞いて無ぇだろうな。体重じゃ負けるからね。イヒヒ。」

「やや、何だいね。その<ネズミ大根の尻尾>の何とやらってぇのは??? 
 俺ぁ、初めて聞く例えだんね。前回の『男の朝立ち・女の夕立・朝立ちもしねぇ腑抜け男にぁ、金貸すな。』は、ストンと腑に落ちたけど・・・赤小カブの二十日大根は、今朝、引っこ抜いて薄くスライスして、ツナと合わせてマヨネーズ和えして喰ったけどさぁ。
 ネズミ大根の何とやらは、レクチャーしてくれねぇと、分からねぇわいね。」

「そうかいね、知らずば、教えてしんぜよう、ウグイスの谷渡りってか。イヒヒ。」
「ナヌ、豊満ヒップを並べての交互の谷突きって、あの3Pの技かいね。」

「何こいてるだい、趣味の夜のお時間にぁ、マダマダ、間が有るわいね。一回しか、言わねぇぜ、確りスキンヘッドに仕込んで置きましょや。あぃ。」

 ネズミ大根と云うのは、短躯大根で、その尻尾が異様に長い形状から、ネズミの尻尾を連想させて、ネズミ大根と呼ばれている『辛味満点の大根』であるそうな。大根下ろしにして薬味として用いるのが、一番との事ではあるが、沢庵漬けにして用いると、辛味成分が糠床で当分に熟成されて、甘味円やかな沢庵漬けと為るそうである。
 然しながら、収穫期を間違えると<持ち味が萎えてしまう>との事である。ネズミ大根たる辛味を失っては、『辛っ切し』存在価値が無いのだと云う。何しろ、物が小さい、無用の尻尾ばかりが長い。

「そうずらい、そんなネズミ大根の腐った尻尾なんか、何の使い道が有るだいな。『笑い話も、テェーゲェーにしろい』って云い回しだいな。納得してくれたかいな。信州の言い回しは、俺に聞いておくれや。伊達に歳は喰っちゃ居ねぇよ。ギャハハ!!」

 本日の貸し出しは、バート・ランカスターの西部劇<プロフェショナル>である。何でもかんでもプロフェショナルと云う言葉が、日本語として日常語として多用されているが、その先鞭を付けたのが、この映画のタイトルなのである。
<K-20・怪人二十面相>は、前回貸し出した<三丁目の夕日>2作の山崎監督の奥方が、監督をしている作品であるから、似た者夫婦の映画技法の共通点を、ニヤニヤしながら観るのも、一興の楽しみと云う処であろう。

 夕飯前に、散歩運動に出掛けようとすると、雨が落ちて来た。諦めて、風呂を沸かして、スキンヘッド剃りをする。夕食後は、『龍馬伝』を観て、散歩に出掛けると、途中から雨が降って来た。夜であるから、邪魔な帽子など被っては来ていない。
 パシャパシャと、禿げ頭のスキンヘッドに、雨が振り掛る。有害物質の混入した雨である。潔くスキンヘッドにして、それが馴染み始めて来た処である。訳の分からない薬効で、毛生え作用を頂戴してしまったら、<元の黙阿弥>である。ヒーコラ、唯ひたすらに歩いて、最寄りの橋をやっとこさ渡って、家に辿り着いた次第である。


 ニャロメ、折角の男前が、ずぶ濡れでは無いか~。まぁ、若い頃は、水も滴る好い男と呼んでくれたニョショウも居ないでは無かったのであるから、これも、致し方の無い処である。ギャハハ。これで、風邪でも引いたら、本当に馬鹿に付ける薬無しの沙汰である。

              とほほ。明日は、歯医者為り。


心何処ーショート 日曜日の窓辺
                日曜日の窓辺(6/20/10)
 梅雨の中日は、蒸し暑い。風が止むとムゥーと来る。コーヒータイムが無くなってしまったから、未だ米はあるが、月曜日を先取りして、米屋さんに行って来るとしよう。

 外には、僅かばかりの青空がある。太陽が、その合間から顔を出すと、夏の太陽である。薄茶の増水が、音を立てて流れている。川原の葭原、水柳の木々を、風が大きく戦がせて吹き抜けて行く。葉裏の白さが、夏の色合いを見せている。<熱いじゃありませんか>の風情である。ボッチラ・ボッチラと汗を掻かぬ程度のペダル漕ぎで、体育館・県文会館の一角に来ると、駐車場が満杯状態である。昼時の女子高生達の華やぎを視界に置きながら、マイペースのペダル漕ぎである。

 砂糖入りのコーヒーを頂きながら、暫し男の雑談に花を咲かせて、個人スーパーに寄って帰って来る。母はベットの上で、身を横たえている。テレビを見る気力も無さそうである。軽い昼をして、さてさて、私もする事が無い。昼寝をする前に、金魚槽の汚れを落して遣るとしようか。

 夕刻から夜に掛けての散歩を終え、夕食後はサッカー、サッカーのテレビタイムであるから、自室に戻る。Tから電話が来て、親父さんの体調を聞いて、一安心である。お互い、日々、じっくりと老親と向き合っているから、淡々としたものである。その後は、映画ビデオを見て寝るが、暑苦しい夜であった。久し振りに、パンツ一枚で寝た。然しながら、歳は取りたくない物である。肩が冷えて、軽い疼きである。

 この頃の日課で、朝はイチゴ取りである。二番、三番手に成れば成るほどに、小さくなる野生種イチゴである。その癖、数だけは取れる厄介物であるが、私は貧民であるから、これらを疎かにしてしまえば、イチゴなど口に入らないのである。ニャロメ、買った方が、余程簡単で美味い季節の味なのであるのに・・・これも、親孝行の一環である。サクランボも、今日で終わりとする。

 食後は、水洗いした小イチゴのザルを持って来て、母とイチゴのヘタを毟る。これは、母との共同作業をするというのが、目的であり、私の母への労わりなのである。再びイチゴジャムの製作に取り組む。冷ました後は、瓶に入れて冷蔵庫収納である。手間は掛かるものの、時間潰しには面白いものである。

 野生の動物世界では、一日中、食料を捜し求めて徘徊するのが、『それが、生命の常』との事である。私もロートル賄い夫に為って、そんな自然界の一動物の仲間入りが、果たせた様な物である。人間如きが生意気な事を言ったら、お天道様の罰が下ると云うものである。

 漬物のキュウリ・大根を補充して、糠を掻き混ぜ、二十日大根を抜いて来れば、葉の部分を捨てる訳にも行かず、刻んで油揚げと炒めて、甘辛く味付けをして食卓のオカズとしている次第である。

 煮物を作れば、味を調え、染み込ませて、タッパに入れて冷蔵庫へ。作り置きの出来る物は、その様にしてその後の賄い夫仕事の手抜きをして、浮いた時間を妄想のお時間としている次第なのである。私の人類繁栄の一大要素には、『保存食の発見・工夫・発達』こそが存在しているとするのが、私の持論中の持論なのである。

 云う為れば、これぞ省資源・人畜無害の貧民生活と呼ぶべき日常なのである。・・・エヘへにして、とほほの段である。

 先ほどから、前の通りを何度も腰を屈めて、歩いて行かれるお婆さんが居る。可哀想に、徘徊癖があるのだろうか・・・ 見掛けないお顔である。

 訝(いぶか)しく思いながらも、ラジオをBGMに中指一本のブログ日記打ちをしていると、玄関で声がする。行って見ると、先ほどのお婆さんである。家を訪ねて来られたのである。お宅の名前を聞いて、町会の地図で調べる。
 蒸し暑いから、私の上半身は白い胸毛の裸である。言葉で説明するのも、効果薄の様子である。まぁ、好いかぁ~、夏日の日曜日なのであるから、顰蹙も買うまい。目標が分かり易い土手に出て、ご案内申し上げた次第である。

 さてさて、続きを打ち始めていると、手の軽く届く窓辺の鳥篭では、オスの騒々しい鳴き声である。アジァジァ~、慢性的な女日照りの続く『無限荒野に住まう飼い主』を尻目に、至近距離での<乗っかり交尾>をし始めているではないか!! 挙句の果てが、オスメス攣(つ)るんで、止まり木から落下とは、お前達~、そりぁ~、当て付けが過ぎまするぞえ。

<ニャロメ!! ホイッスル注意なんぞでは、手ぬるい。逮捕するぜや、馬鹿もんが。奥ゆかしくも慎み深い俺様の放屁でも、一発嗅がせて遣らっか~、お前達は、露出ショー一座か、馬鹿もんがぁ。>

 声を出さぬ水中同室人達は、本日の食事を食べ尽くして、口プカプカ、ヒレ揺ら揺らの余裕泳ぎである。第一子のグッピイ小魚は、順調に成長して、黄尾に黒の斑点を入れたメスの様である。二匹だけ残ったオスグッピィ達は、パンパンに張った黒斑点尾のメスを、執拗に追い掛け回している。さてさて、次なる誕生は、如何なる彩を纏ったグッピイが、お目見えする事やら・・・

      今日も曇天の蒸し暑き小部屋に、時折の風が吹き抜ける。

 おやおや、玄関に斜向かい色白吟さんの御登場である。飛んで火に入る梅雨の虫である。
 
 さてさて、どんなゴタ話が、四畳半小部屋に響き渡る事やら・・・イッヒッヒ!!

心何処・・・窓辺のお付き合い
                 窓辺のお付き合い

                  窓辺のお付き合い


 今日は、蒸し暑い日中でした。何もするに気に為らず、買い出し後は、部屋を開放して、窓辺の小鳥達を相手に、音楽を聴きながら、お絵描きタイムをして居りました。はい、例によって、本日の一枚で有りまする。
 
 日が沈んで、100分強の正規ルートの散歩をして参りました。夕焼け空に、麦秋の夕暮れと、結構好い空気を吸って参りました。家に着く頃は、細かな雨。何やら霧雨の様な冷っこさが、気持ち好かったものです。今、又、ザァーザァー降り始めて居ますがね。
 
 さて、Wカップの日本対オランダは、後半戦、如何なる事に相成りまする事やら。

心何処ーショート ただ時が、流れる小部屋。
             ただ時が、流れる小部屋(6/19/10)
 好く降った物である。朝の太陽に、川の増水量を見に行くが、葦原の中である。流石に、緑生い茂る季節である。十分な緑の保水機能と云う事なのであろう。何事も、調整機能は有難い物である。

 さてさて、朝の賄い夫前に、Tへのお裾分けに庭のサクランボを採って置くとしよう。こんもりとした楓の下から覗くと、昨日の終日の雨にもめげず、キジバトが息を潜めて抱卵中である。本能とは云え、大変ですなぁ~、御苦労様でゴザンス。
 脚立に乗って、サクランボを摘む。次いで、小イチゴ取りである。生意気な鳥籠住人達へは、庭からのお土産で、雨に潤ったハコベである。

 味は酸味一辺倒の野イチゴの様ではあるが、一応は新鮮な季節の味である。食後のデザートとしては、重宝この上ない。ヨーグルトと砂糖を入れて潰して食べると、これまた、ジャスト・マッチの味であった。

 朝食後の真似事掃除をしていると、電話である。親父さんは再び入院との事で、借りた物だけ返しに行くとの事である。Tは、律儀な男である。律儀な男であるから、きっと父親が、気掛かりなのであろう。

 間も無く車が止まり、Tである。大丈夫かと尋ねると、然程の事は無いから、一週間か二週間の入院との事で、シャーナイと言う。左様であるかと聞くしかない。サクランボと色付けした悪戯画をプレゼントして、車を見送った次第である。

 母の部屋に行くと、掃除機を出した儘、廊下の椅子で、肩で大きく息をしている。ありゃりゃ、早速バトンタッチして、母の部屋を掃除して部屋に戻る。
 
 暑かったり、寒かったりで、老齢の身には、何かと堪える今年の乱高下気候である。互いに、老齢の親を抱える賄い夫生活である。日々老いを重ねる老齢者を、静かに見守るしか手立ては無いのである。

 熱いインスタントコーヒーを飲みながら、既に薄灰色に覆われた空模様である。ムッとする蒸し暑さに、時折の風が、汗ばむ空気を撫でて吹き渡る。

 親籠のハコベは、食べずに巣材として藁巣の中に敷かれている。子籠では、薄茶の娘が残ったハコベを藁巣の上で、嘴であっちへ遣ったり、こっちに遣ったりしている。さてさて、メダカ&グッピィ槽に、新たな生命は誕生したのかな? 探して見ましょうかね・・・

心何処ーショート 冷やし中華考
                冷やし中華考(6/18/10)
 雨である。入梅したのであるから、文句も言えまい。風呂に入った後は、遣る事も無く、降る雨を見ながら、小生き物に囲まれて、ラジオを聞いているばかりである。

 明日は土曜日であるから、妄想モデルに使わせて貰った戯け画をハーフサイズに印刷して、タバコを吹かしながら薄い印刷に、色鉛筆で上塗りをして時間潰しをしている次第である。
 
 これで近くに100円ショップがあれば写真立てを買って来て、それに入れて友情の証?(この馬鹿野郎と、スキンヘッドに拳骨が炸裂?)にプレゼントして、明日のコーヒースタバでの話の種にする魂胆なのである。ハーフサイズの印刷であるから、A‐4サイズの半分に、『古代シャーマニズムと現代』の画も、同様とする。マダマダ、キリギリスの時季には間がある処である。キリギリスの飼育ケースの代わりに、親父さん共々、<Rは好い歳をかっぱらって、相変わらず、暇潰しに馬鹿な事を遣っている>と、笑ってくれれば好いのである。

 さて、昼の賄い夫でもしましょうかね。買って来た物は、腹に消費しなければ無駄になるばかりである。麺を茹でて、冷やし中華を消費しなければ為るまい。錦糸玉子は逆立ちしても出来ないから、玉ネギを薄くスライスして水に晒し、茹で上がった麺を、よく水洗いして、ハムを千切りにして完熟トマトをスライスして乗せ、付属のタレをぶっ掛ければ、ラーメン屋で食べる冷やし中華くらいには成るものである。自慢ではないが、今や、ロートル・クマ男も、立派な『専業賄い夫の腕前』なのである。

「おぅ、これは、ご馳走だね。」
「ああ、俺は料理にも才能があるから、美味いぞ。」

 母は、美味い美味いと完食である。私が作ったから、美味いのではない。生麺とその付属するタレが、美味いだけの事である。ただ、それだけの話である。誉めるのなら、製麺業者にである。

 世には、料理を女房に丸投げをして、「あんた、私が居なかったら、ご飯も食べれないのよ。感謝して、私の言う事を聞きなさい!!」なんて、古女房の脅迫被害にあっている定年後の同輩も居るとの事である。
 定年後のマダマダ溌剌元気の第二の人生のスタート時に、そんな古カンナ女房の口車に乗って、言われ無き過剰女房サービスに、神経を草臥れさせては・・・ 男たる者、断じて陥っては為らないのである。

 女族と異なって、男族の方が、何かと外の味を舌に蓄積しているのである。舌への蓄積は、言葉を変えれば、男族の『料理潜在能力』の高さを、意味する立派な財産なのである。

『女族に出来る事が、何で男族に出来ない事があろうか!! 男たる者、遣るときは遣るんじゃい。』の意気込みさえ発揮すれば、カンナ女房如きの<自称料理人の化けの皮>なんかを剥ぐ事なんかは、チョチヨイのチョイの実態なんでありまするぞえ。

 例え夫婦の仲であっても、根本は人間同士なのである。腕前・勢力が拮抗して来れば、お互いがお互いを認め合うと云う『イーブンの関係』に、進化発展するものでありましょうが・・・ 敗戦65年にも為るのに、態の好い日米安保で軍事力を持てなければ、アメ公頼みの『体たらく日本の姿』じゃござんせんか。
 
 既得権益を持った戦勝国のエゲツ無さは、歴史のページを捲れば、枚挙の暇も無い程の『人間の性』でしょうに・・・ 台所仕事は男の沽券に関わる由々しき事態なんて、現役時代の古い概念は捨てましょうぞ。こんな概念の存在背景は、単なる男女の外・内の仕事分け・分業が強いただけの事でありまする。

 亭主の定年に依って、外・内の拠って立つ役割分担の生活環境から、亭主・女房の立ち位置が同一になっただけの事である。家事の殺生与奪の権能を、女房だけに握られてしまっては、自殺行為の選択では無いか。
 
 その主体の時間が家庭となれば、亭主たる者、家庭に於ける女房のクビキから解放される最大の攻撃は、亭主の料理能力とその実践なのでありましょうや。此処で威力を発揮するのが、長年舌に蓄積して来た食への潜在能力の発揮なのでありまする。食材加工のお時間なんて代物は、ナイフで鉛筆が削れるのなら、後は回数による慣れの問題にしか過ぎませぬ。

「あんた、私が居なかったら、何も出来ないでしょ。ご飯の用意も出来ないでしょ。出来ないなら、私に感謝して、私の言う事を聞きなさい!!」

 働き蜂・社蓄・柵の生物と散々なるサラリーマン現役時代を、耐え忍んで漸く手中にした第二の人生のスタート時に、古カンナ女房の尤もらしい口先脅迫の餌食になってしまったら、それは、単なる対米従属の関係としか云い様がありせんではないか。

 生まれも育ちも異なる男女の結婚という形態もコジツケれば、こんな国同士のお付き合い・外交に共通する所がありまするぞ。外交とは、お互いニコヤカな笑顔で握手を交わしながらも、テーブルの下の足ではお互い国益を翳しての蹴飛ばし合いをしているのが、外交の本態とも云われて居りまする。イッヒッヒ~。

 以上、外に出られぬ鬱陶しさに、戯け文章を作って見ました。私は、こんな事を文字にしたとしても、決して女房族・女族に憎しみを抱いている訳では有りません。<腑抜け男よ、始動を開始せよ。>と檄を飛ばしているだけでありまする。
 天邪鬼視点から、斯様に『平等と自主の関係』を打って見ただけでありまする。何事に於いても、張り巡らされた『姦計の罠』に陥るのは、芸が無いと云う物でありまする。

      ギャハハ!! 本日も、ご訪問、有難うございまする。



心何処ーショート 蛍一匹見付けたり
               蛍1匹見付けたり(6/17/10)
 昨夜は寝る時に、金魚槽では例の白の入った流金がプッカリとデカイ腹をひっくり返っていた。<朝には、死んでいるだろう>と思っていたのであるが、朝見るとケロリとしている。まぁ、どうしようもない奇病ガス充満の沙汰であるから、私が気を揉んだ処で・・・死ぬ時は、死ぬのである。仕方あるまい。

 それにしても、暑い夏日である。暑い暑いと逃げていてばかりでは、物臭の性根から云って、怠惰生活に陥るばかりである。脚立に乗って、サクランボを採ることにする。どんな鳥(ヒヨドリ、キジバト?)か知らぬが、勿体無い食べ方をする大戯けである。人間にとっては、サクランボは高級品なのであるぞよ。食べるなら、最後まで食べるべしである。          
                  馬鹿たれが!!

 収穫物を廊下の母に渡して、今度は小粒イチゴを摘む。毎日、同じ趣向では芸が無いから、今日は悪戯に、イチゴジャムでも作ってみるとしようか・・・ 台所のボールの水に晒して置く。

 さて、動きついでであるから、草刈・草むしりでもすべぇかである。土に合うのだろうが、オダマキとムラサキツユクサの繁茂が、凄いばかりである。まぁ、お前さん達も十分花を咲かせたのであるから、成仏しておくれである。鎌で遠慮なく刈り取らせて貰う。

 それにしても、草の野郎は、次から次と現れては、抜けシャーシャーと伸びるものである。Tシャツは、汗でグッショリである。庭作業は痒くなるから、Tシャツ作業者としては、堪らんのである。嫌気が差して来たから、区切りのよい所で止めて、シャワーを浴びる。

 さてさて、今度は面倒臭い小粒イチゴのヘタを取って、自家製イチゴのジャムを作りましょうかね。ジャム作りの小鍋を火に掛けながら、軽めの昼にする。火を止めて、後は暫しの昼寝休憩をして、夕刻の散歩に備えるべしである。
 ラジオ便りによると、蛍は、蒸し暑いどんよりとした夜の8時前後に、活発に為るとの事である。松本では、まだまだ出ない時季ではあるが、今年の天候不順の煽りで、体内リズムの狂いが生じているかも知れぬ。今日は30℃の暑い日であるから、物は試しである。

 陽が没したから、首にタオルのTシャツスタイルで、ぶらぶら歩きを開始する。土手道を上流に向かって、1時間コースの橋を渡る。大分、夜の帳が下りて来た。小学校のグランドには照明が付いて、少年サッカーチームが練習をしている。娑婆はWカップの盛り上がりであるから、練習にも身が入ると云う物であろう。その先の市営球場では、煌々とナイター照明が点っている。

 葭原は未だ、闇には間がある。下り勾配の土手道であるから、自然と足が進む。

 我が町内の境のS橋まで来ると、橋の袂に高校生達が集まり始めている。暑い日は、夕涼みの時間が似合うものである。蛍は以外や以外で、我が家の近くに結構発生するものなのである。S大球場にも、照明が入っている。これでは、ちと無理かなと思いつつも、丹念に葭原の黒幕に目を向けて歩いていると、光っている。やっと一匹を見付けて、我が家であった。


心何処ーショート 団扇サボテン
                団扇サボテン(6/17/10)
 まぁまぁ、好く降ってくれたものである。漸く昼から上がって、昼のデザートに小粒酸味のきついイチゴを摘んだ後は、野鳥の食害に晒されているサクランボの初収穫をする。キジバトが抱卵する楓の横を、脚立を持って移動しなければ為らないから、<御免為さって、前を拝借。>の忍び歩きである。

 母は廊下の椅子で、小さく動かずに庭を見ている。母の部屋の前のサツキが、ピンクの花を一杯に咲かせている。花の終わった芍薬の後には、グングン伸びたユリが濃い緑を増している。角の軒下には、母の作った団扇サボテンの小さな花壇らしき物がある。全く手を掛けない団扇サボテンの群生には、薄緑色の新芽、花芽が、赤子の瑞々しげな柔らかさで、ニョキニョキと伸びて居る。その内に、黄色の花を幾つも咲かせて、暫しの一服タイムの目を楽しませてくれるのであろう。

 記憶は定かではないが、団扇サボテンの出自は、もう亡くなってしまったお隣のおばさんが草花が好きで、サボテンのブームがあって、お裾分けして貰った物であったと思う。然しながら、一向に花の咲かない痛い棘ばかりの醜男は、鉢植えから、庭に放擲の憂き目を囲っていたのである。

 この家は、石ころだらけの川原地であるから、殆どが石ころと砂で出来ている。何を植えるにしても、土が必要である。今でこそ、土らしきものがあるが、それらは篩に掛けられた砂とか川から運んだ砂土に、落ち葉が混ぜられて土ぽく為って来ただけの事である。篩に掛けられた庭の小石は、小さい頃は此処へ纏め置かれていたのである。
 母子家庭であるから、中学・高校生に為ると力仕事は、母のお小言を頂戴しながらも、男の仕事として、私にも回って来た。

 当然、労役を仰せつかった仕事嫌いな私としては、庭の草花なんかには興味が無かったから、嗚呼、腰が痛い、腕が張る。嗚呼、嫌じゃ嫌じゃの不貞腐れ労役なのである。何分、男の若い時分などと云うのは、単純仕事・根気仕事は、苦手中の苦手なのである。ギャハハ!!

                  俗に云う処の
『糞ババァめ、嫌な仕事を遣らせやがって、こんな物ぁ、シャラ構わ無ぇや、遣りゃ好いんだろ、遣りゃ~、ッタクッ、直ぐ、兄貴達と比較して、如何のこうのと、兄弟が5人も居りゃ、土弄りの好きな奴も、嫌いな奴も居らぁな。兄弟・子供だって、好き嫌いの趣味・性格は別物だろうが・・・ コンチクショーが、女は、嫌味タラタラだわさ。美人女は好きだけど、口の悪い生き物だ。俺あ、結婚なんか、真っ平、御免だ!! 俺は、自由に生きるわさ。』

 そんな私の八つ当たり労役の際には、役立たぬ無花の団扇サボテンは、お役御免の石と共に、この場所に無造作に打ち捨てられたのである。それが苦節何十年かは知らぬが、砂漠荒野にしぶとく、しがみ付いて生きる『サボテンの眠れるDNA』を、呼び起こしたのであろう。
 何しろ、日当たりには恵まれては居るものの、小石と僅かばかりの風に飛ばされて来た砂だけで成り立つ『礫砂漠の環境』なのである。<人生、スベカラズ、塞翁ガ馬>は、蓋(けだ)し、森羅万象の理の一部としか云い様も無い処である。

 庭石に腰掛けて、視線をズームインして行くと、其処には砂漠荒野に、一時咲く『空想の世界』が広がる。西部劇に登場する舞台は、メキシコの砂漠か、サボテンの花にミツバチ・アリが通えば、其処は、アフリカの砂漠の小さな生き物の世界にも成る。其処へ蛇の添え物は困るが、カナヘビかニホントカゲの青・チョコレート色の毒々しさが加われば、これぞ正しく、コナン・ドイルの『失われた世界』の扉とも為るではないか・・・へへへ、何は無くとも、『妄想力』である。

 風があるものの、太陽が出るとさすがに暑い。サボテンさんや、梅雨が明ければ、お前さん達の時季だわさ。好い花を一杯咲かして、婆さんを喜ばせて遣れちゃ~、頼むよ。あい。

 昼は然程、腹も空かないから、軽くパン食とする。私はトーストにバター、母は砂糖を入れて潰したイチゴをトーストに載せて食べている。
「庭のイチゴに、サクランボが食べられて、こんな幸せは無いよ。」との事である。

 庭の草取りでもしようかと思ったが、太陽が暑過ぎる。食後の昼寝をした後は、夕刻の散歩に出かけるとしようか。

 うつらうつらとしていると、民生委員のFさんである。母の顔を一寸見て行きたいからとの事である。貸し出し中の一文冊の返還と、これで冷ややっこにして、食べさせてよと、豆腐と豆乳プリンを頂いてしまった。(美味い豆腐が食べたくて、★★の豆腐屋まで買いに行って来たそうである。)Fさんと母の部屋に行く。姉さんは、親子共々、風邪を拗らせて、母上は10日の入院、自らは風邪引き後2週間を経て、全治と思い顔を見に来たのだとの事である。

 武骨男の私と違って、流石に母上を介護中のFさんは、手為れた女同士の口調・態度である。ベットで横に為ってテレビを見ていた母が、不自由な仕草で時間を掛けて起き上がろうとしている姿に、手を差し伸べようとして見守る。
 私は、こんな時は『無言の労り』で母のプライド・自主性を重んじて、知らん顔をして見て見ぬ振りをしているのであるが・・・ へへへ、こんな処にも、男と女の性差による対応の違いが、好く出ているものである。まぁ、女同士である。好きな様にすれば好かろう。這って母は、自分の定位置の座イスに背中を預ける。

「お婆ちゃん、私心配だったのよ。でもね、馴れ馴れしいけどRちゃんと呼ばせて貰ってるんだけど、借りて行った挿絵入りのブログ日誌を読んで、うんと安心したんだよ。子は親の事を思い、親は子の事を思って、お互いが気遣って生活して居る。好い雰囲気の空気が流れているんだもの。
 Rちゃんは親友Tさんと土曜日はコーヒースタバで談笑、斜向かい色白吟さんからは、実の弟の様に可愛がられている。アハハ、話の内容は助平満載だけどね。
 散歩をして、絵も描く。ご近所の人達とも、好い関係を結んで居て、私も、読んで居て弟見たいに親近感を持ってしまうもの。
 嗚呼、好かった。これだったら、安心だと心から感じているもの。本当に、好い関係だよ。お婆ちゃん、好かったね。」

「ええ、ええ。本当に好くして貰って。男の子なのに、こんな事までさせて、申し訳ないと手を合わせているんだよ。料理も上手だし、漬け物も欠かさずにしているし、話も上手。ソツの無い子だからね。
 これで、目さえしっかりして居れば、親として、読んで何か感想を言って遣りたいんだけど、もう、頭も痺れて読む事も出来なくてね。
 全部、この子に頼り切りの毎日で、情けなくてね。悪い悪いと思いながらも、体調を壊したら、この子に迷惑を掛ける。体調を守る事だけが、息子孝行と思って、御厄介に為っている毎日でね。本当に、手を合わせるしか出来ない。はい、有難いと思っていますよ。」

「好いだよ。好いだよ。お婆ちゃんは、息子孝行、Rちゃんは親孝行。こんな親子関係は、本当にご立派。私は民生委員遣って、何年も、色んな家庭を訪問して居るけど、理想的で感心して居るんだよ。お互いに、人間が出来ているから出来る事だよ。好い雰囲気があるもの。
 実の親子だもの。お婆ちゃん、うんと、Rちゃんに甘えれば好いんだよ。賢い人だから、ちゃんと息抜き・手加減を承知しているんだから、並の男じゃ無いから、大丈夫だよ。」
「可哀そうに、我慢させているんだと思うだよ。感謝感謝ですよ。」

「へへへ、此処に居ると、口の巧い女から、お世辞ばかり貰ちゃって、何か、又ぐらが痒く為っちゃたから、俺ぁ、部屋に帰るわね。適当に遣って行ってよ。姉さん、アリガトさんね。」

 お帰りに際しては、別の一冊をお持ち頂く。さて、暗く為らない内に、散歩に行くべしである。散歩中に、小~高同期のKと出会う。彼は座敷犬2匹を連れての毎日散歩との事である。

 おやおや、散歩から帰って来ると玄関上がりに、斜向かい吟さんの通い綴りが置いてある。続きの印刷は、夜遣って置けば好かろう。散歩での体温上昇を、窓を全開にしてのスモーキング・タイムをして居ると、汗を浮かべた吟さんの登場である。

 私は北への、吟さんは東への散歩をして来たとの事であった。本日は、浅間温泉の老舗旅館の蘊蓄を承る。表向きは、そうなのではあるが・・・何しろ、昔良き時代に遊び回っていた餓鬼ん子時代のエピソードが、随所に織り込まれて終うロートルオヤジ同士の話であるから、<イッヒッヒ、ケッケケ、ギャハハに、そうじゃ有るめぃ。>のカラー&ワイルドの呆け話に、直ぐ様、発展して仕舞う。遺憾いかん・・・ウッシッシ!!の連続である。

 然しながら、個人的なブログと云えども、ブログ内容には、自ずと最低限の自主規制の縛りと云う物もある。此処は断腸の思いを以って、お互いの品位を保つべしで、『一挙削除の内幕』なのである。

 私に取って、せめてもの『幸い事項』は、吟さんと私が机を並べる同級生で無かった事である。こんなフザケタ二人が、不幸にも机を並べる仲であったなら、当然、私達の定位置はバケツ持ちの廊下立ち、あるいは授業放棄の遁走を仕出かす学童生活に陥っていた事であろう。へへへ、そう為れば、その後のインテリ生活空間が生まれなかったかも知れぬ。ギャハハ!!にして、イッヒッヒ!!である。

 中学時代の友達に、ロバート・ボーンに似た学業振るわぬOと云うトンデモナイ男が居た。にも拘らず、如何云う訳か、馬が合い過ぎて、凸凹コンビと云うか・・・あの当時流行った『素浪人月影兵庫』の兵庫のダンナと半公こと焼津の半次の様な関係で、私はしばしばOのトバッチリを受けて、被害甚大の恥を掻かせられていた物である。

 振り返れば、何事にも、乱暴で大らかな時代であった。あの当時の馬鹿教師の決まり文句は、『連帯責任』の一語に尽きたし、『友は、選んで付き合え。』の好い加減指導であったから、私の様に出来の好い奥ゆかしい小心者の生徒は、個性の強弱の関係間に働く引力故に、私はOの引力に引っ張り込まれて終うのであった。度が過ぎると、私はルーム長でも有ったから、教育的指導で、<遣って好い事、悪い事、言って好い事と悪い事>のケジメを守る為に、私の鉄拳制裁が下るのであるが、奴は2、3日捻くれる物の・・・元の黙阿弥状態で、コンビ続行に為ってしまうのが落ちであった。

 こんな過去を思い出すと、個性の強弱間に働く引力の魔物には、くれぐれもお気を付け下され。
記憶を辿れば、物理の世界では、物質間に働く引力の関係は、その質量の大小に起因する大の小への引力と云う形で現れるとの事であったと思うのだが・・・

 斯様に考えれば、個性と云うヘンチクリンな引力の発生源は、破天荒な個性ほど、光り輝くのであるから、その点で引力は大と為らざるを得ないのである。皆様、今一度、周囲をとくと観察して、ヘンチクリンな引力に引き込まれて、その衛星の様に回らない様にお気を付け下されや~~、

「友は選んで付き合え」の裏には『自己責任』の毒牙と『連帯責任』の落とし穴が、待ち受けているのでありまするぞえ。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 入梅初日の雨に、想う事。
             入梅初日の雨に、想う事。(6/16/10)
 散歩に行こうとしたら、雨が落ちて来た。已む無しであるから、少し休憩を取るべしで寝ていると、西向かいのおばさんが庭から遣って来た様である。お互い未亡人の一人暮らしであったから、交流があったのである。話は、弾んでいる様である。その前の、四畳半の窓辺で弾みに弾んでしまった、吟さんとのご近所ロートル話同様らしい。晩飯は、カツ丼にしようと予定していたのであるが、混ぜご飯の差し入れである。

 火曜日・夜のテレビ・タイムは、歌謡ホールだけである。テレビでは昨夜のサッカーの再放送が始まったから、仕方があるまい。興味の無いテレビは、疲れるだけである。そんな事で、部屋に戻る事にした。

 窓・網戸を開けて、夜風と窓辺の雑木を打つ雨に、タバコを燻らせている。小部屋から滲む仄かな明かりに、額アジサイの薄緑の蕾が、雨を受けて小さな夜風に揺れている。花を閉じたムラサキツユクサが、薄い光の滲みの中に眠っている。雨音からすると、大分の降りには違いあるまいが、何故か、気持ちの落ち着く視界と音・涼しさである。遠くで、巡回中の消防車のカーン・カーンと云う鐘の音が聞こえている。

 卓上蛍光灯は、グッピィ槽を照らしている。光が底まで届く小さな水槽には、オス2匹とメス5匹のグッピイが泳ぎ回っている。オスは黄色とコバルトブルーの赤尾である。メスは赤尾2・青尾2・黄尾1である。5Pの購入であったから、死んでしまったのは、オスだけの3匹と云う結果である。
 現在、小さな尾ひれにポッと青点を持つ幼魚が2匹と針先の様な稚魚が2匹確認出来るから、グッピィ界は、+1と云う訳である。

 如何云う訳か、数を誇ったヒメダカは何時の間にか消滅して、クロメダカが10匹未満の先細り状況なのである。クロメダカの腹部には、卵があるものの・・・彼等の2世は一向に姿を見せない処である。何か原因?があるのだろうが、『適者適存の怖さ』を考えてしまうものである。

 島国・四季の国、日本には古来より、帰化植物・帰化動物・帰化人が有り、居るのは、周知の事実である。そして、現代は温暖化・国際化と交通手段の大躍進によって、日本の古来種は、凄まじい外来種の席捲に悲鳴を上げつつある。それは、海・湖沼河川・山・野に於いても、そして人間社会に在っても、例外では無い。日本各地に★★人街などが、存在しているとの事である。

 云うまでも無く、私は地方都市に住まう一介のロートル貧民である。世の中の複雑怪奇な経済・政治・外交も、芸術文学も、トンと分からぬ。私は、単に夢想・妄想を<寄す処(よすが)>として生きているに過ぎない下衆男である。
 然しながら、日々の散歩に見る自然の風景、同部屋の小さき世界に住まう小鳥、金魚、メダカ・グッピィ達を身近に観察する事で、些かの想像も妄想も手に入れる事が出来る。

 好きだった歴史関連の本を読めば、中国・朝鮮半島を経由して種々雑多な文物の伝播と朝鮮半島の動乱期に際しての6~7世紀の飛鳥時代に、大挙して難を逃れて来た半島人(百済・加羅)の渡来者(難民)は、半端な数では無かったとの研究もあるのである。何十年も前に読んだ本であるから、引用は出来ない処では有るが、その当時の近畿地方の人骨調査・研究によると、それまでの大和の人骨とは明らかなる差異(頭蓋骨・身長に関しては、細長い→丸、身長は5~6cmの低下)が生じているとの事であった。明らかに朝鮮半島系の人骨が多かったそうである。

 この証左は、嘗て都を戴いた日本の首都周辺地方が、渡来人に席捲されていた時代が在ったと云う事に、他無かろう。世が下って、歴史教科書的には渡来人・帰化人と彼等を呼ぶそうである。こんな僅かな記述でしか無いのである。歴史の埋もれた行間を読むには、人生の類体験を積むしか無いのであるが、観察力・想像力の乏しい教師のお座なり教育だけでは、生徒が可哀想なものである。

 この頃の、斜向かい吟さんの冗談では無いが、『口先だけで無駄事こいている野郎共は、此処の四畳半に連れて来て、性根を一から叩き込んでヤラっか。俺とお兄ちゃんで、鍛えて遣んなくちゃ、日本はご臨終しちゃうわな。何が草食系男だ。草食男がチャラチャラ装飾したって、朝立ちもしねぇ男なんかに、祖国日本の世直しが出来っかよ。腑抜け金玉野郎共が、何を扱きゃがる。馬鹿も休み休み言いなってなもんだわね。ギャハハ!!』←これも、一理あるかも知れぬ??

 この歴然たる人骨の証左が物語る事を、少しは考えて見る事が出来ないのだろうか・・・

 中学・高校時代にワカサギ釣りをしていた山上湖・池は、今や外来種のブラックバス、ブルーギルが、我が世の春を謳歌している。西洋タンポポ・西洋ミツバチ・カメ・ネズミ・アリ・クモ・カに至るまで、外来種の増殖は古来種を駆逐する勢いだと云う。
 口てい疫へのタイムリーな危機管理も出来ない知事・大臣などの政治家・施政者の同類達が、軽々と、来たるべき日本国内の労働者不足に一千万人移民政策・外国人への地方参政権問題を、ぶち上げている。

 偉そうな口を叩くな!!と、私は言いたいのである。再び繰り返す処ではあるが、島国の四季の国・日本は、古代の時代から風土・人種共に、殊の外、『外来種には弱い』のである。人工物の合理性・論理の強調社会よりも、自然の情に拠る協調社会にこそ、日本の独自性がある筈なのである。

 本より私は、歴史教師でも国粋主義者でも無い。ごく普通に勉強しなければ為らない時には、勉強をしたまでの人間であり、興味のある事は頭に留めていただけの極普通の人間である。従って、何処にでも居る極一般的なロートル男でしかない。
 テレビ画面から、文化人・政治家・コメンテーターとして、言を発信して居る人達は、余り日本国民の民度を過小評価して、安易な胡坐掻きはして貰いたくは無い物である。私は、脳味噌こそ粗雑には出来ている物の、腕力だけはハマコーさんなんて、小型では無いのである。

 遠くで鳴っていた消防車が、町内に入って来た。窓外のカーブをカーン、カーンと大きな警鐘を鳴らし、ヘッドライトに無数の雨のカーテンを照らして過ぎ去って行く。

 嗚呼、散歩の行けぬ欲求不満から、柄にも無い事を長々と打ってしまった物である。遺憾いかん・・・今夜は、何をチョイスして子守歌に致しましょうかね。困った物でありまする。へへへ。


心何処ーショート エロいオッサンの日常
               エロいオッサンの日常(6/15/10)
 嫌に煩い小鳥達である。目を開ければ、昨日と打って変っての、朝日の眩しさと充満する寝間の空気である。

 遺憾いかん、昨日は餌を食べ尽くさせようと、少な目にして置いたのである。これは、ラブコール為らぬ<腹減った~、給餌掛りのオッサン、早くしろ~。>の餌催促の6羽の大ブーイングである。

「はいはい、分かりまして御座りまする。暫しの御猶予を、生意気に煩い奴っちゃ~。」
餌遣りついでに、鳥籠も外で洗って遣る。お前達の糞は、菜っ葉の肥しである。今度は籠に、綺麗キレイのホースの水が入って、奴さん達は泡を喰って居遣がる。

  そうりゃ、如何じゃ~い。ザマァ見遣がれ、俺は人間様じゃい。アハハ。

 鳥籠の汚れを落として遣れば、俺様同様の男前じゃから、日差しを浴びさせて遣ろうと、鳥籠を窓辺に置く。水槽住人に、餌をパラパラ撒いて、庭に出る。
 生い茂る楓の下から、キジバトの巣に目を凝らすと、抱卵中の鳩の小さい頭部が見える。当然、私の気配の中で緊張して居る。長居は無用で、家に入る。
 それにしても、上手い所を見付けて、巣を掛ける物である。偶々、楓の枝葉の茂みから、ニューと姿を現わさない限り、一切見付からなかったものを・・・

 へへへ、キジバトさんよ。相手が悪かったのである。観察力・分析力抜群の男と高く評価されて居たのであるぞよ。ロートル・クマ男は、世が世なら、エゲレスのシャーロック・ホームレスか、ヤーパンのベビードール・佐吉を名乗って居たんじゃい。イッヒッヒ~。

 さてさて、昨日入れて来た温泉ミネラルウォーターを沸かして、砂糖無しのヒモ付き紅茶でも飲んで、モーニング・ティと行きましょうかね。

 グッピィのメス達は、今や、デカ腹のビッグ・ママの悠然泳ぎである。然しながら、時代を担うチビ軍団が創出されないのは、何とした事であろうか・・・ 産み落ちした稚魚をパクリ消滅させてしまっては、とんだ『自給自足・蛸の生態』の沙汰であろうが、お前達には、再生産思想と云うべき哲学が無いではないか。飼い主とは、全くの真逆のハシタナサと言うより他無しである。ニャロー、愚か者め等が・・・

 朝食後は、母との馬鹿話のネタに戯け画を見せて、イッヒッヒ、ギャハハの珍解説である。実は昨夜、ワールドカップの中継をラジオで聞きながら、昼に描いた『不信感』の色塗りをして居たのである。

「これはサ。ラジオの国会アジ演説中継を聞いていて、浮かんだ感想なんだわ。
 二大政党政治か何だか知らないが、政権席が野党から与党、与党から野党に座り替わっただけで、与・野党とも、<アンタらには、そんな事ぁ言われかぁ無ぇわな。>の無進歩国会劇だわね。作文書いて、読んで、野郎共売名職で高給盗りってな物だぜや。

 赤字大書きの『不信感』は、与党から転落した野党自民党の民主党口撃でさ。<青字の不信感>は、世論一般の政治家・政党・官僚組織への不信感を表現してさね。
 総べからず、人間と云う下衆生き物は、兎角、自分の姿・形は、自分では見る事の出来ないの図なんだわさ。まぁ、俺も、その一員だけどさ。へへへ、如何だい。解説を聞きゃ、為るほどとも思えるズラよ。」

 こんな解説をさせて頂いていると、玄関にヤクルト・ママさんのお声である。おやまぁ、一日早いでは無いか。明日は会議の日なのであろうか? 場所を玄関に移して、滑らかに為った口上で、暫しのセクハラ・トークである。

「うんうん、Rさんは、政治・時事問題を話して居る時は、凄く頭の良い人に見えるのに、このトロピカルなハイビスカスの絵を見ていると、何処にでもいる『エロいオッサン』にしか見えないですよ。
 隣の月夜のカエルさんとお魚さんのお話絵は、子供達にも見せて遣りたいのに、ピンクのハイビスカスの花に紛れさせて、又、変な物をピーンと伸ばして居るじゃないですか。油断も隙もあったもんじゃありませんよ。エロと芸術が同居してるじゃないですか~。」

「何、何処だい? 俺、老眼だから・・・何処何処・・・指して、ルック、アット、ヒィア!! 遣っておくれや。イッヒッヒ~。」
「ノット、アット・嫌ですよ。私、秘密を知った主婦でも、お淑やかな女ですよ。アハハ。」
「アッ痛~。★さんは、本質は隅に置けない『通の者・豪の者』ですなぁ~。はい、参りました。じゃ、又来週ね。アリガトさんね。」
「次の絵、楽しみにしてますからね~。サボっちゃ、駄目ですよ。バイバイ~。」

 へへへ、暫しのお付き合いご苦労様でした。昨日の曇天夕刻の散歩の折りには、久し振りに黒髪美人学生さんの顔を見た。金髪であろうが無かろうが、歳に関係なく、美人さん・美形さんを見る事は、目の保養と為り、暫しの余韻を引いてくれる物である。
 
 さてさて、薄曇りの空に為って終い、やれやれ・・・蒸し暑い午後と為りそうである。

 さて、本日の一枚でありまする。ラジオでは本日は、参議院の国会中継でありまする。

                 国会中継の図

                 国会中継


マイ・ギャラリー11
                 マイ・ギャラリー11

  イメージにスケッチ特大青大将殿夕暮れの雲雨のスケッチ
  塵魍魎の図光の向こうはい、並んで記念撮影お説教
  如何為る??_001今風バラエティ_002?? 不思議なる世界テンカラの図_001
  杉作、あれが、古代シャーにズムと現代イモリ君、入る_001夜の川・夏


 こんなアガタ絵画に興味のあるお人は、カテゴリー内マイ・ギャラリーをクリックして見て下さい。ヘンテコリンな絵画展に為って居りますので、どうぞ、笑い遊んで行かれたし。ウッシッシ!!












心何処ーショート 野生種イチゴ
               野生種イチゴ(6/14/10)
 夜の散歩に行こうとしたら、雨が降っている。ラジオでは入梅の報があった。例年からすると、10日前後の遅れだと云う。此処数日は、野苺風の小粒で酸っぱいイチゴを摘んで、デザートとしている処である。酸味が強いなんて形容では収まりの付かない酸味一辺倒の代物なのである。然しながら、その色彩の鮮やかさと云ったら、文句の付け様も無い。

 余りの酸っぱさに、『おお、酸っぱい、これでもイチゴかいな!!』と顔を顰めて食べる私に、母は『綺麗な色で、美味しいじゃないか』と、平気な顔で食べているのである。

 老母は、ロートル倅にその子供時代の面影を見て、若かった時代の自分を重ね合わせる。ロートル倅の私は、子供時代に躾けられた母のそんな言葉と態度の中に、ニヤリとして子供時代を反芻しながらも、歳はとっても親は親、子は子の動かし難い現実に、知たり顔をしているのである。

『食べ物を粗末にするのは、罰が当たる事だよ。多少の難点があっても、食べ物は自然からの頂き物、全て有り難く、美味しいと言って頂くのが、人の道だよ。男の子の癖に、下らない事を言うんじゃないよ。文句を言うのは、はしたない事だよ。男の子は、無駄口を叩く物じゃないよ。』

 これは、母から、よく頂戴した修身のお言葉であった。こんな事を、腹の中でニヤニヤしながら、倅が自分を見ているとは、へへへ、老母は気付くまい。ご尊顔をまともに見たら、それこそ<口の赤物>を吹き出してしまう。私は奥ゆかしい男であるから、少々の盗み見をしているだけに留めているのである。

 朝の遅い倅が目覚ましで起きて、町会の草刈から帰って来たと思う母は、台所の食器を洗って待っているのである。矍鑠として親子の中にも礼儀ありの律儀さを失わないで居る老母は、大した女であり、人間である。
 躾けは家庭、学校、企業などの組織体、社会の中で躾けられて行く。そして、それは、時代の中で作られている。云って見れば、人は、時代の中で躾けられているのである。大正五年生まれの母の姿を見ていると、つくづくとそんな事が、頭の中にテロップの様に流れて行く物である。

 今の時代は、果たして正常なのだろうか・・・などと、哀しく為る時が有る。

散歩のお時間が浮いてしまったから、目の前の水槽住人達と顔を付き合わせて、スモーキングタイムである。両水槽共に変化は無いものの、面白い事を発見した。それは、メダカとグッピイの違いの一つに、人間の目で云う処の白目の部分が、メダカに在っては薄い水色を呈しているのである。因みに、グッピィ、金魚は、金色である。

 アハハ、水槽の奥で金魚のボス、コメットが私を見て、大欠伸をしているではないか。はいはい、分かりました。夜更かしは睡眠不足の元である。了解、消灯時間と致しまする。

心何処ーショート 本日、本番為り。
               本日、本番為り(6/13/10)
 さて、友に贈る戯け画も、中々の味が出ている。これで一安心して、明日早朝の河川敷草刈りに向けて、布団の中に入る事が出来る。

 目覚ましの音に顔を顰めて、起きる。脳味噌ぼぁ~ん、足元ふらふらで、隣部屋の定位置の椅子に座って、先ずは意識寄せの煙草に火を付ける。ポットの生温い白湯を飲んで、歯磨き・洗顔をして時間の来るのを待つ。
 
 5時半を回ると、遠くで草刈り機のエンジン音がして来る。支度が出来たのであるから、家に居ても仕方が無いから仕事場に下りる。町会の役員さん達が、用意をされて居られる。

「お早う御座います。ご苦労様です。」
「あれ、Rさん、馬鹿に早いじゃないの。」
「いえいえ、先週は一番乗りだったけど、今日はお仲間がいて、嬉しいわや~です。」
「じぁ、此処の刈り草は、Rさんかいな。それにしても、好く雨降らなかったもんだわ。今日中に雨だってよ。アハハ。」
「それを言っちゃ~、お終いだわね。いひひ。」

 昔から、吾が家の所属する班の人達は、真面目なお人さん達ばかりであるから、軽く会釈をすると、黙々と作業を始められて行く。隣組の斜向かい吟さんは、一斉草刈りのコツを好くご存じであるから、河川敷の広い所は、その他諸々に任せて、自分はサツキの植栽ベルトの中の遣り難い所を、<中川昭一さんの顔>で黙々と鎌を動かして居るのである。私は、こんな処が大好きなお人である。『やんちゃ坊主の率先垂範型のS連隊長』の自然の陣取り・動きの様である。

 今度は、同じ班のインテリ優男さんの★のご主人である。私の文作をインターネットで読んで頂いている70代のお人である。

「近日中に、マイ・ギャラリー11を投稿するぜ、腹抱えて、笑っておくれや。」
「おっ、そうかいな。今日はさ、『心何処』のタイトルに込められたの思いを、ご本尊様に訊いて見ようと思ってさね。それなりの思い入れのある言葉なんずら。聞かせてくれや。」
「あいあい、話せば長いけど、ブッチャケて言えば、右が左、上から真っ逆さまで、人間の、詰まりは俺の何でも有りの心定まらずの『吾が心、何処や』ってもんさね。漢字と語呂の響きが、実に大和言葉風で気に入っている事もあるんだわね。
 そうそう、海外旅行記の何作目かに、チョイとした<心何処>の詩を挿入しただいね。コピーしてあるから、探して投稿するわいね。へへへ。」
「そうかい、期待してるよ。ひひひ。」

 文明の利器・化石燃料の草刈り機と、大所帯町会の人海戦術で、さしもの雑草茫々の草の海は、敢え無く五分刈りの緑坊主の沙汰である。隣班の民宿の大将が、商売道具の本格的芝刈り機を下から稼動させて来たから、駄目押しの景観である。

 白人観光客の多い民宿さんであるから、宿泊客の白人さん達は、民宿から河川敷に下りて散歩・ジョニングをしている姿を好く見掛ける。彼等は、何時も普段着である。
 私が彼等の立場に為れば、西に屏風として視界を南北に貫き、残雪を刻む中央アルプスの岳峰と住宅地を東西に分けて流れる何の変哲も無い小さな川の流れ、河川敷の緑とサツキの植栽ベルトの風情は、飾らぬ日本の一地方都市の日本人の暮らしが、見て取れるロケーションなのである。

 或る意味では、外国人が個人旅行で、日本人の生活・文化を空気で感じて行かれるのである。物見遊山で訪れるのでは無い彼等の日本への興味に、少ないながらも『ボランティアの一助』が出来るのであるから、好い印象をお土産にしたい物である。へへへ。

               心何処(こころいずこ)

        人の心は 光・風・浪に似て 一処に心留まらず
             吾が心 何処に 在りや

           心は 光・風・浪の奏でる処にして
         光の四十万・吹き抜ける風 寄せては返す浪なり

          心は 光・風・浪の織り為すシンフォニー 
             在るが儘に 成るが儘に
          人は 時に心を 刻み記し 流れ行くのみ

             人の心は何処 吾が心は 
       心は 吹き抜ける一遍の風に似て 明日は何処の風か?


 私のタイトル名『心何処』誕生の心境詩でありまする。有る事無い事の好い加減オンパレードに終始する吾が文作内容ではありまするが、時には、こんな心境詩が脳裏にテロップとして流れて行く事も有るのでありまするぞえ。
                  ウッシッシ!!


心何処・・・吾が友為り。
                   吾が友為り
                 吾が友為り

 
 さてさて、どんな絵にしようかとニヤニヤ妄想しながら、夜の散歩をこなして来た。煙草を燻らせ、落描き帳の一枚を切り取り、シャープペンシルを動かす。大体の構図は、散歩中にイメージして来たので、スイスイと事が運んだ。
 胃無し男の象皮膚の弛みをデフォルメする心算で有ったが、それをしてしまったら、私の人格が疑われて終う。私は小心者にして奥ゆかしい男である。比較対象として、ゴーギャン並の南洋の娘を添えるしかあるまい。イッヒッヒ!! 

 稚拙画の逃げに色塗りをしていると、中々好い線を現わし始めた。まぁ、これなら素人の和風ゴーギャンもどきに見え無くも無かろう。被写体のTの評価が、如何なる事に為るかは、断じて、私の知った事では無い。
 吾が辺境ブログを訪問して下さる稀少の読者様に、当ブログの主要人物のTへのイメージを伝えるのも、私の務めでもある。写真・写実的絵でも無いから、ヤツの肖像権の侵害なんて戯言は、当然の事ながら、却下の段である。ギャハハ!!

 友よ、アナタの未来は斯くの如き、ハイビスカスの花芯の如く南洋の光の四十万の海に有り・・・であるぞよ。大いなる胃の躍進を祈願すると共に、期待する処である。
              頑張れっちゃ~~~。


心何処ーショート 時には、ロートル真面目トーク。
           時には、ロートル真面目トーク(6/12/10)
 一気に暑く為った物である。堪らず、コーヒースタバの注文は、アイスコーヒーの段である。お互い、Tシャツと半袖シャツの夏スタイルである。胃無し男のTの二の腕は、見る影も無くダボダボの象の皮膚の弛みである。

「おいおい、その角度でフリーズしてや。」
「如何しただ? これでも大分、ブカブカ皮膚の中身も、回復して来たんだぞ。」
「あれさね、絵のイメージが湧いて来たんだわさ。サイパンかフィリピンのエロラルドグリーンの珊瑚の、海の四十万をバックに、椰子の葉影のラブタイムを描いたら、一興だと思ってさ。
 ほれ、マクタンの海をジェットスキーで並走して、アイランド・ホッピングしたじゃないか。海鮮料理にビールの酩酊・熱る倦怠感に海風訪れる椰子の葉影の・・・吾妻屋に肌を重ねる象の皮膚の弛み・・・若さと老いの倦怠ってイメージで行くかいね。ニャハハ。」

「おうおう、あの頃は、癌に侵されて居なかったから、元気溌剌で、顰蹙不良中年遣ってたからなぁ~。
 正常に事が運んで居たら、2年間の柔道指導者として、ネパールで夜は、おネェちゃんを相手に、寝技を磨いていたか、調理師学校で調理師の資格を取って、南洋の小島で、Rとノンビリと居酒屋風屋台のロートルオヤジをしていたのになぁ~、
 最後の最後で、胃無し男に為るとは、想像外の『大番狂わせ』だったぜな。人生は、分からん物だわな。肉を半分よこせ。」

「ほら、ボラカイのホテルの横に、白人客の多いマッサージの店が有ったろう。彼女達は、オッパイなんか平気だったから、順番で、その横のベットに行けると、『遣ったぁ、ニンマリ。』でさ、寄せる夜風に潮騒聴いて、もうもう、半眼開きの最高の目の保養とリラックスタイムだったからなぁ。」
「いや~、あのホテルは、好かったよな。モデル並みのハイソサエティのおネェちゃんが、一家で宿泊して居たしなぁ~、お前が見ているから、ツンツンして前を歩いているのに、その癖、衣装替えしてツンツンのモデル歩きをしてくれてさぁ。本当に、女とは可愛いもんだぜや。行きたいねぇ~。」

「そりぁ、そうさや。『旅は恥の掻き捨て』だわね。行儀好く、静かにエメラルドグリーンの海を眺めているだけじゃ、仕方有るまいに。男の目にはエメラルドの活用形のエロラルドも、男の嗜みの一つだわね。精神の見栄を張る前に、肉体のテントを張れって事だわね。

 いざと為りゃ、俺達は日本を代表するヘビー級俳優だって目晦ましをして遣りゃ、好いんだわさ。実態を知らなきゃ、信ずるしかあるめぃよ。
 あのオネエチャンだって、自分に絶対の自信が有るから、お披露目に来てくれるんだわね。見られて、鳥肌・虫唾が走れば、そんな事をしてくれるほど、女は軟じゃないわね。

 歳が近かったら、ユーアー、ビューティフル・ウーマン。ウッジュー、プリーズ、オープン、ユァピンク・フラワー、バイ・マイ・ゴールデン・キー。イエス、オア、ノー? ってなもんだわね。ギャハハ!!」

「お前の場合は、シラフで遣っちゃう処が、如何しようも無い国籍不明人だもんなぁ。これも、生まれ持っての特殊な才能なんだろうな。張り倒されも、官憲の御用にも為らんのだから、開いた口が塞がらんわな。あれか・・・ 倅も、その口かよ。」
「いや~、倅とは付き合いが無いから、そりゃ分からんわな。『それをしたから、しないからと云って、異常にのめり込まない限り、人間の本質は変わらんぜや。張り飛ばされるも、されぬも時の運。何事も、経験。』・・・とは、アドバイスしているけど、倅が、俺の血の継承に気付いているか、居ないかは、さっぱり不明だわね。アハハ。
 この集中と弛緩、真面目と遊び、抑制と開放、TPOの呼吸が分かれば、面白い人間には為れる、と思っているんだけどな。何しろ、血液濃度が1/2だからねぇ~。イヒヒ。」

「それが、難しい注文なんだよな。みんな、当たり障りの無い事に終始しているから、独創的・個性的な物が、殺がれて行っちゃって、人間の味さえも漂って来ない。だから、面白みの無い社会に為って居るんだろうけどな。
 昔、好く云われた言葉だけど、減点主義と加点主義の『尺度の違い』なんだろうな。この場合は、減点主義を優先させて、この場合は、加点主義を優先させるって、人間が考案した尺度なんて物は、全てにオールマイティな訳が有ろう筈も無いのに、『尺度の限定性・有限性』すらも理解出来ない連中が、世の中、多過ぎるんだよな。」

「ハイ、左様でゴザンスよ。その尺度って奴は、『馬鹿も鋏も、使い様』って素晴らしい経験則に根差した人事・考課の手法が有るにも拘らず、この奥義が理解出来ない『活字読み』ばかりが、ゴロゴロしているだけさね。
 尺度は使い様に依っては、導く指標・働く者への誘因に為るんだけどね。後知恵・先知恵の言葉に含まれている言葉の意味も、斟酌出来ない様では、『情の国日本』は、急速な<萎みの時代>に突入してしまうんだろうな。困ったもんさね。イッヒッヒ!!
 さてさて、その象の皮膚の弛みを、如何表現するかが、本日の楽しみだいな、イヒヒ。」

「あいあい、勝手に表現しておくれや。俺は、当分、まな板の鯉だわね。さて、パッパでも吸いに行くかいな。」

 それにしても、真夏並みの暑さである。ホームセンターで、釣り上げた錦鯉の餌と素麺を買って帰る。さて、明朝は、草刈りの本番である。


心何処ーショート 鳩に始まり、鯉に終わる。
            鳩に始まり、鯉に終わる。(6/12/10)
 さてと、休眠中のパソコンを立ち上げて見るか・・・ 何度も、逝かれてしまったディスクトップのパソコンである。新しいパソコンのセットに来てくれた人と、得意の馬鹿話をしている間に、彼が次のお客さんの所に行くまでには、まだまだ時間があるからといって、廃却品のパソコンを内部の記憶装置をゼロ払いしてくれて、これで再度読み込ませれば立派に使用出来ると、置いて行ってくれた物である。
 思い出して見ると、パソコンが逝かれてしまったのは、こんな時期である。折角、使える様にしてくれた愛着品であるから、使用しないと、彼にも、長い付き合いだったパソコンにも申し訳が無い。そんな事で、隣部屋からパソコンを持って来て、セットした後は、読み込みを完了させて、この文章を打っている次第なのである。

 セットすると水槽の前をドンと占拠してしまうから、水槽の大半が隠れてしまうし、ラジカセに近いから、雑音電波の発生源とも為ってしまう。ラジカセを出窓に移動して、聞いている処である。遺憾いかん、レイアウトを工夫して見るべしである。ラジカセの後に、ディスクトップ画面を置いて見ると、中々の収まり具合である。これなら、水槽二つもストレートに見る事が出来る。へへへ、これで決まりである。

 まるで、夏本番に突入したような暑さである。座り位置が変わって、色白吟さんの居室が見える。西日除けの朝顔のプランターにTシャツ姿で、ジョロで水遣りをして居られる。雑木の木陰越しに念力を送って覗き込んでいると、吟さんは『ケツの穴』に、何やらコソバユイ殺気を感じられた様である。手を休めて、キョロキョロと辺りを見回して御座る。へへへ、腰を屈めて、吾が部屋を窺い始めた。私を見付けて、愛想を崩して小部屋の窓に遣って来られる。

「好い具合に、この木のお陰で外からじゃ、この部屋は、全く見えないね。」
「そうズラい。それを想定して剪定してるだいね。俺ぁ、デカイばかりじゃなくて、小技も利かしてるぜね。」
「ISOとJISの統合なんてものを、遣らかしているんだから、隅に置けないねぇ。尊敬しちゃうぜや。チョッくら、頭触らせろや。へへへ。」
「どっちの頭だいね。シャレコウベかい、亀の方かい? イッヒッヒ!!
それにしても、暑いねぇ、サボってないで早い処、朝顔を伸ばさなきゃ、熱中症でお迎えが来ちまうがね。イッヒッヒ!!」
「そうだだよ。早起き午前中は農林省で扱かれて、休養の午後を西日で炙られて居ちゃ、脱水症状のスルメが出来上っちまうわね。
 たらふく水飲ませて、ジャックと豆の木で発破掛けて遣らなきゃ、手遅れになっちまうからね。昔から、『男の朝立ち、女の夕立、朝立ちしない腑抜け男には、信用ならねぇから、金貸すな』って、訓えもあるだいなぁ~、ギャハハ!!」
「ナヌ、プリーズ、ワンスモァ!!」

 いやはや、出し抜けに・・・巧い事を仰るものである。<朝立ち、夕立、金貸すな>とは、恥ずかしながら、生まれてこの方、初耳のご卓見である。う~ん、長芋・とろろ汁をローション代わりにすると豪語する斜向かい色白吟さんは、地産地消のJIS規格とは云え、タダイモでは無い。

「朝立ち&金貸すな」は、すんなり分かる処ではあるが、「女の夕立」とは、一体如何なる比喩なのか・・・浅学非才の私には、『潮吹き』くらいしか連想出来ない妄想力の貧困の沙汰である。 
 昔は、『馬の背を分ける』とも比喩された『通り雨』の凄まじさであるから、<気紛れ・移り気・ヒステリック>な女性の性を『女の夕立』に例えたと云うのが、大人の分別かも知れぬが、私としては是非とも、潮吹きに結び付けて考えたいものなのである。

女の夕立を、潮吹きとこじ付けるべき出典は、どこぞに無いものだろうか・・・

 そう云えば、南国土佐を歌ったヨサコイ節の中には、鯨を池で飼うと云う豪快な文句があった筈である。庭の池で飼われても、鯨は鯨である。海を住処とする哺乳類であるから、池に在っても、見事な潮吹きを見せていた筈である。
 この唄で、一躍大スターに為られたペギー・葉山さんは、立派なオナゴである。彼女は、進駐軍キャプ巡りで、洋楽からスタートしたバター臭さ歴然の姐ゴ然としている。私は、彼女のバタ臭い歌声と歌唱力に惹かれている。彼女は文句無しの歌謡界の御大なのであるから、例え私生活で潮を吹いても、貫禄十分で・・・・ う~ん、大姐御様も、JIS規格を軽くのっ越して、ISO規格のパイオニアなのかも知れまい・・・ ペギー葉山さん、御免なさいね。これで決まりである。ウッシッシ、勝手な邪推・妄想に勝る遊び無し・・・である。

 さて、夕食前の一振りでも・・・ 長靴を履いて、今日は下で遣って見よう。

 歩行専用橋には、下校の中学生達がお喋りをしながらの三々五々である。すっかり水量の少なくなった川の流れである。時間も少ない処であるから、テトラポットの溜まりで、テンカラ竿を振るっていると、紅白のコメット金魚か錦鯉の姿が見える。誰が放したものやら、増えたものやら。鯉もフナも、川で生きるものは、習性が皆同じ様になるらしく、毛ばりにも喰らい付いてくるものである。何度か釣ったり、あっさりプツンと着られた事もある。

 毛ばりが流れに巻き込まれて、水中に送り込まれている。竿先のテーパーラインと紅白の魚が、一直線上にある。

 ホンマかいなの気持ちで、竿を上げると、手応え十分である。紅白にグイグイと竿がしなって行く。テンカラ仕掛けであるから、道糸の強度は抜群ではあるが、その先の毛ばりまでのハリスは、心許ない限りである。水面に口を出させて、弱らせてから引き寄せるしかあるまい。紅白の魚体には似合わず、抵抗力の強い奴である。

    さぁさあ、こうなると、ロートル・クマ男も、しぶといのであるぞよ。

 小さな川での根競べは、私に分がある様だ。深みから引っ張り出されて、水面に口を引き出されて、徐々に浅い流れに引っ張り出されてしまった。へへへ、如何じゃい。参ったか~である。
 
 引き上げて毛ばりを外す時に、ハリスが結び目で切れた。中々の美形であるから、観賞用に連れ帰る事にした。バケツに入れて母に見せると、綺麗だから水槽で飼って見たらとの仰せではあるが、ちとデカ過ぎて、忽ちにして全員酸欠で窒息死が、関の山である。タライに入れて風呂場で飼えという始末であるから、一卵性親子の様なものである。バケツを二つ携えて、外に出ると斜向かい吟さんである。
 
 前に伺った処によると、庭には植栽の水遣り用に、雨水溜めの桶を設えてあって、孫と釣りに行って釣ってきた魚を入れて置くと、結構生きているなんて話を聞かせて貰っていた。そんな事で、『プレゼンス』すると申し出ると、『付いて来い』とばかりに、先頭に立って風呂の釜の隅に連れて行かれた。此処に、こんな『立派な生簀』があるじゃないかと指摘されて、風呂裏の柿ノ木の横で、漬物桶の水洗いをさせられてしまった。

「如何だい、勝手知ったる他人の家ってもんズラい。此処なら、日陰で据わりも好いし、桶の水を掬って、ミニ畑の水撒きにも丁度好いズラよ。ギャハハ!!」
「いや~、一石二鳥と言うか・・・ あれかいね。俺達は、前世じゃ兄弟だったのかいねぇ。俺ぁ、ビックラこいて、何にも言えないわね。」
「そんなものなぁ、ケッケッケってもんさね。俺ぁ、千里眼だよ。」

 いやはや、昨夜のハクビシン、今朝のキジバト、夕刻の紅白の錦鯉と云い、ロートル・クマ男の閉じ篭り日常も、まだまだ捨てた物では無い様子である。へへへ、少し、漫才でも致しましょうかね。

「Sちゃん、俺、まだ『朝立ち男』遣ってるぜ、女買いに行きたいから、金貸しておくれや。」
「白ばっくれて、そんな物ぁ駄目さや。 稼ぎの無い男が、商売女に貢いだって、元は取れんぜや。金貸しても、戻ちゃ来ない金の持ち出しは、商売家の家訓に背く事に為るわね。
 トンでもねぇ話だ。俺だって、古女房の『蜘蛛の巣祠』で我慢してるってぇのに。自分だけ抜け駆けしようなんて、その了見がなっちゃいねぇわね。スキンヘッドにして遣った時の得度式を忘れちゃ、お仕置き物ズラよ。あぃ、お兄ちゃん、ギャハハ!!」
「ケチ。ドバァ~と使わなきゃ、糖尿病は治らんぜや。イッヒッヒ!!」

 いやはや、斜向かい色白吟さんに掛かっては、年の功と口数の功である。胸を借りる積りが、軽くいなされ、敢え無く叩き込みの態である。

             『嗚呼、負けて覚える口相撲かな。』

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