旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 本日・世界禁煙デー
              本日、世界禁煙デー(5/31/10)
 ナニョ、コイテ。本日、世界禁煙デーとの事である。喫煙は、立派な病気との事である。私は、完全なるニコチン依存症者の一人である。世の中、人は一人では生きていけないと云われて居るのであるから、皆、誰かに、何かに、依存し合って生きているのである。何も目の敵にして、病人扱いをする必要もあるまいに・・・

 久し振りの青葉輝く朝の一時である。お向かいさんの鉢植えサツキに、朝の陽が満載である。ゴミ出しに来たご近所さん達が、足を止めて路上井戸端会議である。斜向かいさんの二階ベランダの下に、顔を覗かせた深紅のバラの花が、陽に映えて見事である。
 私は、歯を磨きながら、光を一杯に受けた水槽住人達に、パラパラと食事をさせている。米が無いから、朝はスパゲティを茹でて、米を研いだ後は、米の買い出しに行ってくれば好かろう。

 朝食後の母を相手の馬鹿話に、ついつい調子に乗って終った。遺憾いかん、昼前に米屋さんに行って来なければ、午後が窮屈に為ってしまう。

 貧乏人の<いざと為ったら、漬け物頼り>であるから、糠もタップリ貰って来るとしよう。お天気の割には、少々肌寒いが、河川敷の石垣の隙間から伸びたマーガレットの白い花が咲き乱れて、ちらほらとオオキンケイギクの黄花も咲き始めている。流れも透明度を戻して、好い眺めである。天気予報によると、午後からは雲が広がって雨の確率大との事である。ペダルを漕ぎながら、お天道様の輝きに広角度深呼吸をさせて頂く。

 へへへ・・・米屋のご主人は、鳩山総理の言動に、憤懣度全開の沙汰である。余りの感情露わの速射砲に、昼時を隠れ口実に、そそくさとコーヒーを飲み干して、逃げるが勝ちをして来た次第である。

 当分の間、吾が祖国日本では、こんなロートル政談が『湧き怒って』居るのであろう。総理の激職を、睡眠時間十分でこなしている『腹案総理』である事からして、怒り・失望の世論は、如何政治に影響を及ぼすかは、総理のみ知る処なのであろう。テレビの物云わぬ映像には、総理特別機のタラップをお手手繋いで仲好く並んで降りて来るカットを流して居るのであるから、これは、嫌味の<裸の王様>の捩りなのだろうか???

 ふと、『慇懃無礼』の四文字熟語のテロップが、頭を過った。小生、浅学非才の身であるから、帰ったら国語辞典を指に唾付けて捲って見ましょうかね。イッヒッヒ~。

 詰襟と首コルセットのモデル★ちゃから、電話を貰った。2ショト記念撮影のお礼に、彼女同伴で、遊びに来る予定が、お袋さんを病院に連れて行ったので、予定が狂って次回に順延との事である。外見は一見優等生、中身は徹頭徹尾の好色番から高生の為れの果てである。そのロートル・オヤジの携帯電話トークであるから、顰蹙も減ったくれも無い内容のオンパレードである。へへへ、現役続行中の毒気を一杯頂戴して、アッ痛~元気溌剌の捌け口の無さである。

 さて、本日の一枚でありまする。描いた本人も、妄想がたじろいでしまう<ケツ作>に為って終いまして御座りまする。題して『?? 不思議なる世界』としかネーミングの出来ない尻分裂(支離分裂)図でありまする。
 正直に告白する処でありますが、この絵を描いていた時は、些か煙草の吸い過ぎでありました。矢張り、喫煙は病人なのかも知れませぬ。正常人の紳士淑女の目には、理解不能の世界でしょうや。不幸にも、この絵が分かると云うお方が御座いますれば、相当為る病状の侵攻に晒されて居りまするぞよ~。ギャハハ!!


               ?? 不思議なる世界
                 ?? 不思議なる世界
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心何処ーショート 連立解消
                連立解消(5/30/10)
 本当に、ぱっとしないお天気が続く。三月なのか、四月なのか、五月なのか、目を瞑って居たら、さっぱり分からない季節である。こんなお天気が続いてしまったら、深緑・若葉が、早々と紅葉してしまうかも知れない。
 幾ら還暦を過ぎて、病気次第では何時でもお呼びが掛っても、四捨五入して死に関して文句も云えない歳であっても・・・ 冥土への土産話が、<南洋に雪が降る>ではなく、<新緑に紅葉が映える>などと報告しても、ご先祖様に仲間外れにされて終うのが、精々の落ちで有ろう。娑婆の世界でも女日照り、死後の霊界では仲間外れとあっては、存在の処し様が無いではないか・・・ 実に困った物である。
 
 今年のお天気さんを恨みたいのではあるが、既に恨み飽きてしまった。今や、呆れ返って、季節の神様を拝む気にも為れない昨今の陽気の様である。

 グッピィを入れて、ヒーターを入れたら、すっかりメダカの数が減ってしまった。若しかしたら、今年も小水槽の世界は、絶滅の憂き目に晒されて終うのだろうか・・・
 手の打ち様が無いから、見守るしか無い。水槽で元気の好いのは、水草と小さな豆タニシだけである。グッピィの成魚達が絶滅しない内に、次世代が生まれてくれる事を祈って、メス達の黒い腹部の膨らみを確認して居る。
 
 そんな中で、二匹の稚魚を見付けた。このまま育って貰い、メスの黒い膨らみから芥子粒程の子供達が産み落とされて行けば、一年振りのグッピィ小世界が展開して行くかも知れない。前回のグッピィ世界は、2年強のグッピィ王国を維持して居たのである。
 無責任な云い様ではあるが、生き物を飼うと言う事は、当たり外れが付き物である。一々、そんな事に想い沈んでも居られないから、私は負担の少ない小動物しか飼わない事にして居るのである。そんな事で、精々が金華鳥止まりとしている次第なのである。

 お隣の金魚槽では、コメットが、元気が好過ぎて一匹が跳ねて机の上で死に、大物流金が一匹死んだだけで、コメット四匹・流金五匹が泳いでいる。尤も、流金の中の腰に白の入った奴が、時々、餌を食べた後に潜れずにプカリプカリと水面を浮上しているのであるが、しぶとく生きている。それ以外は相も変わらずに、私を横目で見ながら、狭い水槽の中を、口をパクパクさせて、ユラリユラリと泳ぎ回っている。

 オス一羽にメス四羽の連結籠の中では、二つの藁巣の中に卵は、幾つも産み付けられては居るが、未だオスが未熟なのか?? 卵からは、未だに産声がして来ない。新参者のオスも、筋の好いメス二羽と一緒に為って抱卵して居る。今回が駄目でも、その内に有精卵から産声が聞こえて来るのは、回数の重ね結果と為ろう。

 肌寒い曇天の日曜日であるから、ゴロゴロしているばかりである。母の部屋でテレビを見ていると、民放テレビのコマーシャルの多さ・長さには全く以って、辟易とされて終う。私の部屋のテレビは、映画専用テレビと化して居るからCM不純物中断とは無縁である。

阿保らしいから、昼飯の後は万年床に潜り込んで、深度十分の昼寝をして仕舞った。
やれやれ、夜が長く為りそうな日曜日と為るに違い無い。嗚呼、出るは大欠伸だけ為り。

心何処ーショート へへへ・・・タイム
               へへへ・・・タイム(5/29/10)
 昨夜は寒くて、途中で、布団の下に長座布団を被せて寝た次第である。本日土曜日であるから、コーヒータイムである。私にも都合が有るから、これ以上賄い夫の時間を遅らせてしまうと、後がバタバタしてしまう。昨日仕込んで置いたカレーを、少々味を調えて火に掛けていると、モゾモゾと母はベットの上で着替えの最中である。

「寒かっただろう。寝れたかな?」
「寒いと、あちこちが痛くて、辛いよ。」
「俺も、寒くてさ。とんだ気候新時代に突入しちまったもんだぜや。急ぐ事ぁねぇよ。ゆっくり遣んなよ。」

 熱々のカレーが美味いのであるから、困った五月の別れ目である。食後のお茶を飲みながら、母の健康状態を顔の肌・目・話の反応度でチェックをしながら、朝のご機嫌伺いをしてから、自室に戻る。部屋の中よりも、太陽の有る外の方が暖かいから、外でTを待つ事にする。

「あいよ。気は心だ。車の中に置いとけば、家に着く頃には、冷凍解除に為ってるだろ。」
「おっ、サンキュー。何処で、釣ったよ。」
「直ぐ、其処だよ。今年は天候不順で、釣れんのさ。本当は、家族の分まで釣って遣りたいんだけど、バカハヤしか釣れんからな。お蛇様ばっかりだわね。とほほってな物だわな。」

 コーヒースタバの二階席に行くと、妙に空いている。娘一人客、若い白人男客の間の席に座る。下手絵ファイルを持って来たから、Tに渡して、絵を肴に何時ものロートル・トーンで屈託の無い話でコーヒー・タイムである。

 実は、朝に投稿して来ようとして居た絵が有る。『今風バラエティ』と題したヘンテコリンな絵が最後のページに入って居る。描いている内に、収拾の取れなくなってしまった馬鹿絵である。

「この杭ぞの紐渡しは、何か意味が有るのかい?」
「あいあい、そりぁ、リンボーダンスのバーの心算だわさ。踊るカメレオン男がさ。バーの向こうの小花微笑む緑の園へ行かんとして、吸盤付きの手を振って、背後の行き詰まり・息詰まり閉塞状況の中からの脱出を図って、精一杯のパフォーマンスをしているって図さね。」
「そうかね、俺は支持率のバーだと思ったんだがさ。バーの位置は、この半分位だろうが。」
「勘が好いねぇ~。ほら、<関係ねぇ、関係ねぇ一本槍>のW大卒のパンツ芸人が居るだろ。ちょいと彼の才能を拝借して、パンツを褌に替えて見たんだけどさ。」
「ほぅほぅ、それで?」
「褌踊りと来たら、腹絵踊りが通り相場だから、腹絵を入れてさね。ついでに両の太腿に眉と目を入れて、赤い褌をアッカンベェ~の赤い舌に転化させたんだわね。
 テレビ画面を席巻する政治寄せ、芸NO寄席のオンパレードで、外国人コメンテェターにケチョンケチョンにコケにされてる『今風薔薇痛い(バラェティ)』の実態を描いて見たんだわね。『腑抜け玉』の下で、ヒラヒラと舞う日章旗の軽さ・寂しさが分からんのか!!の一作だわね。」
「為るほどね・・・バカソ画伯の苦心秘話を聞いて見ると、何やらこのカメレオンの悲哀も伝わって来るわな~。お前、世が世だったら、不敬罪で斬首の刑だぜや。アハハ。
 テレビで見たんだが、野党党首の立場だったら、昨日の国民への訴えも其れなりの心情が伝わって来る物の・・・一途さ素直さだけの人の好さだけではな。
 一国の政治・外交を与る者の腹の据わりが伝わって来ないから、可哀そうだけど、一国の宰相としての器じゃ無いんだわさ。如何、落とし前を着ける気かね。」

 隣席の外人君は、小さなノートにシャープペンシルで、何かイラストを描いている。

「ヘィ、ユー、エキスキューズ・ミィ、ディス・イズ・マイ・イラストブック。プリーズ、ルック・アット・マイイラスト・バリエーション。」
「ナニ?」
「何だ、お兄ちゃん、日本語喋れるじゃないか。」
「勿論、日本語勉強しに日本に来たよ。」
「そりぁ、好かった。確り見て、感想聞かしてくれよ。」

 彼は、アメリカはオハイヨ州の出身で25歳だと言う。アメリカ人にしたら、小柄でスマートな若者である。私の第一印象としては、10代の高校生にしか見えなかったのである。1年間S大に留学して日本語をマスターしたとの事である。白人特有の好奇心旺盛な処が有るから、彼は達者な日本語で疑問を発したり、首を捻ったりして意思表示をして来る。

「これは、何?」
「これか、ペニスに、これは、プッシーだわさ。お前さんも、大好物だろうが。」
「アハハ、アナタは、面白い人だ。絵も、カラフルでファンタスティックよ。面白い。好く分かるよ。この、魚の絵は、何、意味してる?」

       アメリカ暮らし10年のTは、ニヤニヤして見ている。

「おう、これか。この小さいのは、メダカ・グッピィでさ、俺達品の好い日本人さ。このデカイ金魚は、中国とかアメリカだわね。グリーンの水草は、領海線の国境線だわさ。
 中国もアメリカも、イラクにチベット侵攻のエゴイストの乱暴者だから、ほら、こう遣って大口を開けて、パクリパクリって日本の権益を喰っちゃてるんだわさ。
 日本国民よ、騙されちゃ、駄目だぞってイラストだわね。ギャハハ!!」
「アハハ、アナタ、色々、知ってるね。インテリさんね。ナイスよ。ベリー・グッドよ。分かる分かるよ。とても、面白い。」
「そうかい、そりぁ、アリガトさんよ。俺は、金髪白人おネェちゃんが、大好きなんだよ。此処で、とっ捕まったのが、アンハッピーだわさ。日米友好の証に、紹介してくれよ。」
「ああ・・・ちょっと、待ってね。え~と、えー、そうそう、アナタ、『好き者』よ。」
「好き者と来たか、大したものだ。末は、アメリカの大学で、日本文学を教える心算かい?」

 これも、ジャパン・カントリーの民間親善交流の一環である。イッヒッヒ!!
 
 煙草を吸いに、外のベンチに行く。漸く、気温が上昇して来て、気持ちの好いスモーキングタイムである。如何云う訳か、本日は外れタイムであると言う。

「こりぁ、土曜日のこの時間帯は、ヤクザ見たいなオヤジコンビが、デカイ面して居るって事が分かって、敬遠タイムに為っているんじゃないか。楽しみが、一つ減っちゃったぜや。」
「馬鹿こいたもんだぜや、下手で不細工な俳優連中よりも、よっぽど俺達の方が好い男だぜや。本来なら、色紙持って、サインせがまれても可笑しかねぇぞや。カメラを退いても、近付いても、様に為るってもんだわね。ギャハハ。」

「へへへ、デカク出たな。まぁ、しゃーないわな。存在感が目立ち過ぎて、堅気の人は近寄れねぇからな。これで、頭に毛が残って居りぁ、少しは見て見たいと思うんだろうが、億面も無く、そのスキンヘッドで、ノシノシ歩かれた日にぁ、目線を外すしかあるめいよ。下手に粗相を仕出かして、Rにどやし上げられたら、夢にまで魘されちまうがな~。ギャハハ!!」

「馬鹿野郎が、何て事を云うんじゃい。それじゃ、俺は、丸きりの化け物扱いじゃないか。」
「だって、事実だから、シャー無いだろ。
 第一、此処は日本だもの。風情・心のムードを愛でる奥ゆかしきJIS規格のお国柄だぜな。それをのっ越したISO規格なんて物は、お呼びサイズじゃ無かろうが。そんな物ぁ、青大将も呑み込めない化け物サイズだろうが。<過ぎたるは及ばざるが如し、郷に行ったら郷に従う>のが、人間の正常域ってもんズラよ。文句を言うなんて事は、お門違いだろうが。あい?」

「クァ~、青大将以下と来たもんだぜや。嗚呼、日本の国際化・グローバル化は、まだまだ先の事か。困ったもんだわな。さてと、賄い夫に戻るかいね。」

   はい、お待たせ致しました。本日の一枚『今風バラエティ』でありまする。
                 
                  薔薇痛いの図
                 今風バラエティ_002

心何処ーショート やれやれ続き
     やれやれ、初夏を忘れた五月も幕引きの早さ為り。(5/28/10)
 大変ですねぇ~。何時の頃か、饒舌に為り過ぎた政治家の表現・発現の軽さである。自らのその付けが、回って来ての五月末のタイムリミット宣言である。

                  やれやれ・・・

 兎に角、自らの発言の整合性・重みに無頓着な総理を頂く民主党の政治実態は、正に『ナンジャラホイ劇場』と云わざるを得まい。こんな事が、罷り通ってしまえば、政治家とは<コロリ転げた屁の河童で、気楽な商売>なんて事に為ってしまい兼ねない。

                  ニャロメ!!

 一国の総理がこんなお騒せタレントの様な「お」言葉パフォーマンスで、お立ち台の上に立っていては、祖国日本は完全に沈没させられてしまう。これは、人災・政党災に、映ってしまうのは、私一人の歯ぎしりばかりでは無かろう。

     おのれ~、坊ちゃん宰相。女の頑固一点張りの小党党首め。

 自らの「芯無きパフォーマンス発言」が元の政治迷走の実態である事すらも反省出来ないと云うのは、矢張り、思考回路が特殊過ぎるのでは無いだろうか・・・ さっさと、参議院選挙が遣って来て、民主党の思惑が大きく外れて、自民・その亜流新党・民主・無所属議員達が、ガラガラポンの大掛かりな政党再編成をして、保守・革新の色合いを鮮明にして大同一致して政権運営をして行くしかあるまい。
 それも、早い処、政党編成をしなければ、日本にはゴタゴタを繰り返している時間は、もう無いのである。駄目政治家共を神輿に担ぎ上げて置けるほど、神輿の担ぎ手である企業・国民には、既に余力が無いのである。

『国民目線』が、聞いて呆れるわいな。政治家が、流行り言葉ばかり口にして、如何するんじゃい。政治は、感情だけじゃ許されないのは、口蹄疫の後手後手騒ぎに、如実に表れているんでありまするぞえ。大所高所に立てば、当初、蛮勇にも見える大ナタの対処が被害を最小限に食い止める善処だったと云うのは、何時の時代にも変わらぬ施政者の遣るべき事でしょうが・・・ 選挙を睨んでの<悪者嫌い>なのかは知らぬが、上に立つものが泥を被る気概を持てずして、何のリーダーか!! 言葉だけの知識用語の『危機管理論』を幾ら、講釈しても現実の危機管理の実践には為りませんわな。

        キンタマに力入れて、どげんか、しろっちゃ~。

 気晴らしに、長靴を履いて釣り散歩に行って来る。実は昨日、暇潰しに鎌を持って直ぐ近くの釣り場の葦を、歩き易く刈り取ったのである。二日続きの雨で増水した流れを前に、釣れなくて元々の釣りをしたのである。生憎、買って来たミミズは死んでしまって居たから、庭からドバミミズを摘まんで、流して見たのである。
 流石に、引きが悪くて、アブラハヤが三匹の後、ガツンと来た。棹がグングンしなって、ヤマメが上って来たのである。そんな事で、二匹目のドジョウを狙って、テンカラ棹を振るって見たのであるが、釣れる訳が無い。テンカラ釣りをするには、気温が低過ぎるのである。

           そんな事は、分かって居るのである。

 散歩も釣りも、外の空気に当たって、眺めを遠くに置いて、風のそよぎ、鳥達の姿・蝶などを見遣りながら、見える儘、浮かぶ儘に、気分の深呼吸をする処に、効用が有るのである。川原に自生する野薔薇の強い臭い、アカシアの花の匂い、ミツバチの蜜吸いの姿を見る事で、十分に気分の深呼吸と近視眼の予防に為るのである。葦を払った草叢に、どっかりと胡坐を掻いて、テンカラの竿を振って居ると、流れの中をツバメ達が低く飛び交い、セキレイ達が、小さな羽虫を捉えてスマートとは云えないホバーリングを見せてくれたり、流れに乗ってカルガモがスーと姿を現わしたりする。蛇さえ出て来なければ、こんな気分は、部屋では決して味合えない田舎ロートルの特権時間であろう。

 さて、釣れぬ時は、切り上げるのが得策である。何しろ、この辺りは、私しか釣りをしないのであるから、流れの中に住まうヤマメ達は、私の気分の中では手間も餌代も掛らぬ<生簀飼い>の様な物である。人間もコタツが必要な今年の寒さであるから、水中の魚達だって、縮こまって居るのは致し方無い処であろう。

      さてさて、賄い夫にシフト替えでも致しましょうかね。

心何処ーショート ロートル戯言一席
               ロートル戯言一席(5/27/10)
 この処、水曜日は、母と韓国ドラマを見ている。面白いには違いないが、ロートル日本人からすると、『違和感満載の面白さ??』と云うより他ないのである。兎に角、場所がポンポンと脈歴無くハンガリー→韓国→日本と一瞬にしてワープして仕舞うのであるから、ロートル頭脳としては、付いて行けない世界としか云い様の無いドラマなのである。大正生まれの母としては、尚更の事である。

「お前、こんな訳の分からない物が、面白いのかい? 死んだ筈じゃないのかい? 如何して生きているんだい? 今度は、舞台が日本かい? 如何して、そうなるの? 何が言いたいのかね?」

「いやいや、真面目に考えちゃ駄目だよ。これが、今風の韓国アクション+ラブのドラマ展開なんだろう。これは、きっと劇画の一コマ・一コマの実写ドラマなんだろうね。それで、劇画の一コマ・一コマの間にある時間的寸断が有るから、画像としてのアップ・アップの強調は優れているけど、物語全体としての説明不足が祟って、ストーリーの流れが生まれて来ない処から来る全体としてのギコチ無さが見ている意識としての残像として残ってしまうんだろうね。尤も、作り手の方からすれば、視聴率さえ好調なら、ストーリーの整合性なんか、眼中に無かろうさ。引き延ばして引き伸ばして、ウハウハだろうさ。 

 例えば、日本映画の多くが、今や劇画・アニメを原作として居るんだが、日本映画の手法が、原作のイメージは拝借するが、それは飽く迄も原作の風景であって、個々のストリーの味付けは、監督の味付け映画と為って居るから、原作の趣旨だけを拝借して、個々のエピソードに関しては、映画ストーリーとしての取捨選択・肉付け・誇調が働いて作品が出来ているんだよ。

 昔、日本映画でも大島渚監督が、白戸三平の劇画を其の儘、劇画のコマ送りで映画にして、斬新な映画映像作品にした事が有る。強烈な心象が残っているだけどね。劇画のゴルゴ13には、高倉健、千葉真一の二人で映画化した事もあるが、これはどちらも失敗作に終わって居るんだよね。一コマ一コマのアクションで構成される劇画の世界は、時間とか動作の分断と云うか、その独立性で成り立っている世界だと思うんだけどね。それに気付いて映像化したのが、大島渚さんだったのさ。
 一方、「三丁目の夕日」なんて作品は、原画の絵・ストーリーには、絵から来るノホホントした主人公達の漫画絵のノッペリさが特徴であるから、西岸良平の漫画世界には時代とストーリー性が確りと描かれている。そんな裏付けが有るから、その実写化が映画として、漫画以上の共感を呼んで大ヒットした所以だと思うよ。観る度に、涙が出て来るもの。

 日本じゃ原作の一コマ、一コマをそのままパクッてたら、映画・ドラマ監督として、恥ずかしくて世間を歩けんだろうが。馬鹿にされて、石投げられちゃうわね。アハハ。

 そんな処が原作を下敷きにした映画・ドラマと原画の一コマ一コマを役者に依って、忠実に実写して行く方法で仕立てる映画・ドラマの違いだろうね。
 その証拠に、役者の顔のアップ・アップで映像を繋げて行くから、映像バックの風景に味が薄いんだよ。例えば、バックが鮮明に登場するシーンは、きっと原画にもそれなりの風景コマが描かれて有るから、それを撮って居るだけの事じゃないのかね。風景コマが、ストーリーに影響を与えていると云う側面が、余りにも少な過ぎるのが、このドラマの特徴じゃないのかな。それは、何故かと云えば、監督さんにその意図が無いからだと、俺は思うよ。

 ストーリー展開の点については、付いて行けない一気飛びのワープ・ワープの連続なんだけど、アクション劇画の一コマ一コマの実写化と云う点では、遥かに日本人の常識を凌駕して居る。実に巧いと思うし、成功して居る。パクリの本質が、此処には現れているんだと、感心させられちゃうんだよ。パクリを物怖じしないで、此処まで徹底して居る韓国人気質には、厚顔無恥の国民性をマザマザと見せ付けられる思いがするから、外国人地方参政権の付与なんかをしたら、トンデモナイ事態に日本が晒されて終うわね。

 この手法の違いが分からない政治評論家達が、下らない感想をテレビで流しているけど、土台、あの連中には感性も観察力・比較思索能力なんか無いわな。特に結構好い女の韓国人大学准教授なんかの舌鋒と気の強さは、力めば力む程に、顰蹙を買う韓国人気質を好く現わしている居るじゃないか。

 所詮は、『協調』を美徳と考える日本文化と、『強調』する事で自己の地位を作り上げて保とうとする韓国文化の違いを、際立たせているじゃないか。

 俺なんかの下衆野郎に言わせりゃ、<何を偉そうにこきぁがる。この馬鹿女が!! どうせ、手前の講義は、日本下ろしの手前の自慢話だけで終わって居るんだろうが、<損な女史>を雇う大学も大学なら、日本にとっては国賊見たいな口煩いだけが取り柄女の講義を聞くなんて、学生も碌な選球眼を持っていないわね。尤も、反面教師って効果も有るかも知れないけどね。

 あんまり、他人の国に来て度が過ぎると、とっ捕まえて地下室へ連れ込んで、裸にひんむいて四つん這いにさせて、長芋ローション塗りたくって、赤と黒の特大ロウソクをぶち込んで、ライターで火を付けちゃうぜよ。猿ぐつわは言論の自由だから、遣らねぇが、思いっ切り喚かせて遣るわいな。ニャロメってなものだわね。ギャハハ!!

 だから、あの連中の事を余り有難く拝聴する事なんか、有りゃせんわね。思考・判断の前にも、感受性・感性の高さが必要なんだけど、天は二物を与えちゃ呉れないって事さね。

 映画・ドラマを観ると云う事は、或る意味じゃ比較文化観に注目して、国情の違いとかその国の人達の物の考え方を観察して、日本人との比較をしてニュースを主体的に見て行く態度を養う事だわさ。マスコミ有名人だけが、正しい観賞眼を持っているとは限らんからね。へへへ。

 韓流ブームか、何だか知らんがさ。キャァ、キャアの流行りに迎合して、韓国詣でで、舞い上がっているだけじゃ、日本人として、底が浅過ぎるぜや。味噌も醤油も、孔子、キリストさんまで、元は韓国だと抜けシャーシャーと『パクリ専科』をしているお国柄なんだから、歴史教科書問題・靖国問題・韓国併合問題・竹島・対馬問題に熱く為る国民性なんだよ。

 言いたかぁねぇが、高学歴社会の日本人なら、少しは、学歴に恥じない観賞眼を持って、外国の映画・ドラマを観て欲しい物だわね。劇画の一コマ・一コマの連写で繋げて行く作風は、これも彼等のお家芸のパクリ手法だと理解すれば、辻褄の合わないストーリー運びに、目くじらを立てる程の事も無いわさ。

 婆さんは、真面目過ぎるんだよ。美男美女のオンパレードだしさ、それに整形美人のお国柄だわね。美形さん達の目・口・鼻・歯をとっくり見てさ、おっ、ニャロメ、整形して居るなってニヤニヤして見て居れば好いんだわさ。お茶の間、テレビ劇場は、下衆庶民のお笑い・茶化し観賞で行くのが一番だいね。イッヒッヒ!!」

 はいはい、本日も下衆の大戯けが、有る事無い事、言いたい放題のPC打ちを仕出かしてしまいまして御座る。さて、本日の一枚で有りまする。感想は、見る方々の専有特許で御座いまする。戯けロートル寄席にお越し頂いて、有難うさんにゴザンス。イッヒッヒ!!

                 
                 さて、如何為る?

                 如何為る??_001

心何処ーショート まな板に乗ったロートル鯉
             まな板に乗ったロートル鯉(5/26/10)
 さてさて、水曜日であるか。歯医者であるから、ヤクルトママさんへのセクハラトークは出来ない・・・嗚呼、楽しみのタイムが台無しである。玄関にお代を置いて、自転車に乗る。歯医者の後は、ホームセンターでグッピィ槽のブクブクを買って来るついでに、スーパーに寄って不足食材なども買って来ると致しまするかな。

 歯医者に行くと、あれあれ、斜向かい色白吟さんが、いらっしゃる。聞くと9時の予約が野暮用で10時に来たとの事である。本日の私の方は、虫歯の大きな方の嵌め込み処置である。待合のテレビに、ロートル男は、小声耳打ちボリュームで、ついつい、ニヤニヤ感想の交換である。
 吟さんは、日常習慣の効用で、殆どの女性の衣服の下が、『透視』されてしまうとの事である。如何だと尋ねられるから、恥ずかしながら右に同じと答えて、苦笑の段である。気楽なロートル生活で、吟さん曰く、若い娘っ子を見ると、何やら目が一点に寄って行って、透視のご利益に、ついニタリとの事である。

 う~ん、歳の効であろう。巧くも正直なお言葉である。此処は、天下の公道・待合室であるから、これ以上の脱線は、ご法度の我慢である。余所行きの顔をして神妙にして居るのが、娑婆適合のエチケットである。週刊誌の数学博士のエッセイを拝読させて頂く為り。
へへへである。

 中に呼ばれて、吟さんの横の診察台である。仮詰めを取られて、さぁさぁ、始まるウィ~ン、ガリガリの緊張・委縮のお時間である。麻酔が無いから、沁みて痛い。

<あぁ~嫌だねぇ>の冷や汗で、口あんぐりの為すがままの、我慢のお時間である。

               はい、疲れまする。

 続いて、詰め物処置の終わった後は、歯にこびり付いたセメント落としとの事である。虫歯は奥の奥であるから、女性助手さんは真に以って、遣りにくいらしい。

「おおぅ~、」

「ごめんなさいね。決して、苛めているんじゃないですよ。」
「あははは。」 

 上手い事を仰るものである。ロートル吾が身は、笑うしか無い<まな板の鯉>状態である。治療虫歯は、後二本である。ホームセンター、スーパーで買い物を済ませて、上り勾配の道を、ペダル漕ぎである。

 飯を食べたかと云うと、未だとの事。買って来たサラダとコロッケで、ハムサンドでもしようかと云うと、今、飯を炊いているから1時頃炊き上がるとの事である。
 左様であるか・・・どっち付かずの手待ち時間であるから、水槽の水替えでもしようか。バケツを二つ持って、長靴を履く。バケツ一杯分の水替えをして、他は汲み置きの補給水とする。買って来た部品を交換して、ブクブク復調である。

 朝の内こそ、太陽一杯の暑さも何処へやら・・・ 雨こそ無い物の、寒いのであるから、困った物である。朝飯抜きの昼飯を食べた後は、食材整理の為に、里芋の皮剥きから始める田舎料理の仕込みを終えてからの、小部屋入りで好かろう。

 日課のPC打ちの後は、膝の古傷が疼くから、万年床に潜って、本の何ページかを捲って居れば、その内に目が潰れるだろう。一向に定まらぬお天気さんに、やれやれの段でしか無い。

心何処ーショート 晴れも、早や下り行くお天気かな。
         晴れも、早や下り行くお天気かな。(5/25/10)
 恥ずかしくも無く、降ってくれた物である。やっと青空である。ゴミ出しに行くと、斜向かい色白吟さんのお姿である。昨日は、蕗が安かったので二束を買って来て茹であがった蕗の皮剥きをしていると、二日続きの雨に痺れを切らして、吟さんが交換に入って来られた。お互い、雨にウンザリして居たから、すっかり話が弾んでしまった。印刷をし終えて、下手絵を肴に、★★に付ける薬無しの好色談議である。ゴメンナサイね。

 兎に角、個性派の吟さんの絵の寸評が面白い。貸し出す文作には、挿し絵を入れてあるから、吟さんは絵をグルリと回転させたり、手で部分・部分を隠したりして、舐め回す様にして想像・妄想の世界に遊んで居られる由である。恐れ入りまして御座りまする。

「好いかいお兄ちゃん、この絵はさ、此処をこう遣って、此処を手で押さえると覆面をした忍者だろ。そうなると差し詰め、この黒い処は背中に回した忍者刀に見えるだろ。
 そう考えればさ、この絵は、三つの顔を持つ忍術の絵って、寸法さね。訳の分からねぇ毛唐のピカソなんて代物じゃ無いわね。こりゃ、立派な日本伝統の戸隠忍法だわね。」

「やいやい、しょぱなから、ピカソ様をのっ越して『戸隠忍法』かいね。俺ぁ、ビックリこいて、舞い上がっちゃうぜや。
 じゃあ如何だい、最新作の<詰襟と首コルセットの2ショット画>は? 決まっているズラい。一枚の絵に現れた男の今昔物語・コンニャク物語が、哀愁のメロディを奏でているズラい。こんな絵をスイスイ描ける俺なんざぁ、天才の技だんね。イッヒッヒ!!」
「やいやい、こりぁ又、見栄張って、その物ズバリと来たもんだ。
 好くも恥ずかしくも無く、<ドドーン>とそそり立たせた物じゃねぇかい!! 目が潰れちゃうぜや。どれどれ、細部点検すっかねぇ~。おやまぁ、この襟章が小憎らしいじゃねぇかい。あい?」

「そうズラ、世の中、広くて狭いってぇのが、通り相場だいね。この絵を見てせ。<おっ、この馬鹿、★高のOBだったか~、道理で番から野郎だわさ。>なんて、ニンマリとか腹抱えて笑ってくれりぁ、それも、全国に散らばっているOB達への特大エールだわね。
 如何だいね。意外と、俺も小技が利いているズラい。」
「それも、ちゃんと印刷して挟んで置きましょや。夜中にゲラゲラ笑って、頭ひっぱたかれる前に、カカアに見せて遣るだわね。ギャハハ!!
 そうすりぁ、何度入れ歯すっ飛ばして、狂い笑いしたって、<トウチャン、遂に狂ったか>で118番通報されねぇからね。これぞ、男の高等戦術だいな。イヒヒ。」

「そりぁ、行けねぇんね。その物スバリだと、兎角、女って生き物は、ユーモアを解する<懐の深さ>って物に欠けているから、『一直線』に男を蔑みの目付きで見るもんだぜね。
 そんな日にぁ、井戸端会議で、寄って集ってさね。

♪チョイと奥さん。Rさん、この頃変よ~。奥さんに逃げられて、とうとう狂った見たいよ~。そうそう、お互い気を付けましょう。無視無視しましょ~ね♪ 
 
 なんて、勝手にシンガーソングライターされちまうがね。それじゃ、俺ぁ、完全に『変態馬鹿男のレッテル』貼られちまうよ。何て云ったって、俺ぁ好い男でモテルからねぇ~。
 そんな噂が回り回って、家の婆さんの耳に入ったら、馬鹿倅を一人残して、旅立つのが『不憫だ』なんて気を起されて、飯に猫いらずを混ぜられて、親子無理心中の御裁断が下ちゃうぜや。
それだけは、勘弁しておくれや。世界の巨匠ピカソ様をのっ越して、戸隠忍者なんて滅相もねぇや、俺ぁ、変態のヘンソじゃ困るけど、バカソで十分だぜせ。」

「何をオタオタしてるだいな、馬鹿こいちゃ行けねぇぞ。散々、日本人の持ち物をJIS規格だとコケにして、自分だけがISO規格だと自慢していた男が、ナニョこいてるだ。 
 俺ぁ、常々、そのマタグラの膨らみに、手を合わせて拝んでるだぜや。そのご利益を頂戴して、朝の6時に畑現場、午後は、文作読書。その後は、世界名作劇場、夜半は、アナザーホール・シアターの充実した習慣で、元気印モリモリの毎日だぜや。
 次なる目標がJIS規格を突き破って、栄光のISO規格昇進に向けて、長芋トロロ汁啜っているだぜや。
 それが、なんだだ。腹案が有る有ると、さんざ待たせて置いて、<はい、これです。>なんて、鳩ぽっぽじゃ、解散総選挙しか無ぇぞや。男に二言が無ぇのなら、自慢の一物をピョロンと出して見ろちゃ。場合によっちゃ、この場で、そのカッターナイフで、バッサリ引導渡して遣るぜや。如何するや、お兄ちゃん。」

「そりぁ、駄目せ。此処にぁ、バイアグラもコルセットも無ぇもの。俺の生活信条が、其の儘、ズバリの自然児だわね。
 ロシアウーマンを唸らせた御神体だわね。年がら年中、御神体を下々に見せて居りぁ、ご利益の有難味が霞んじゃうね。一端、御神体がお姿を見せたら、韓国の哨海艦の魚雷沈没なんて騒ぎじゃ無ぇわね。ギャハハ!! 
 御柱と祠は、太古の昔からセットだいね。俺ぁ、奥ゆかしいビューティホワイトの実物ピンクの祠で無きぁ、辞任しねぇよ。美形さん達のレベルは、この部屋の写真だわね。言いたかねぇが、俺ぁ、面食いだよ。イッヒッヒ~。
 ちゃんと事前に吟味して、連れて来ねぇと女日照りの血の海為らぬ<白濁の膿>を引っ掛けちまうんね。さぁ、如何するいね。」

「外は二日続きのシトシト・ピッチャンなのに、おっ、言ってくれるじゃねぇか。こっちだって、歳をのっ越して、若返り最中の元気溌剌だ。ババアの顔の皺取りの顔面パックにぁ、まだまだ御厄介には為らんぜや。
 四の五のと無駄事こいてると、未だ畑で収穫した長芋がタップリ残ってるから、長芋すりおろして、ケッケッケのケツの穴で相手して遣らぁな。長芋トロロ汁は滑りは好いが、後が痒いぜや~。イッヒッヒ。」

「ああ云えば、こう云うで、俺ぁ、恥ずかしいわね。口じゃ敵わねぇわ。俺の人格が、ボロボロと崩れ落ちる音が聞こえて来るわいね。あっ、そうだ。<続・三丁目の夕日>があるぜ、持って行きましょ。
 日本の下町ご近所関係の理想郷映画だいね。トロロ汁ローションなんて、飛んでもねぇ、発想は、風呂に入ってスッキリ、シャワーで流しましょや。」

 まぁ、こう遣って思い出し打ちをしているのだが、何と、お互い相手に不足無しのご近所好色ロートル・コンビである事か・・・ う~ん、お天道様のお引き合わせは、摩訶不思議な御業である事か。吾が老後の日々に感謝感謝である。

 さてと、本日は母の薬を貰いに行って、副町会長さんの所へ注文票を持って行って、明日は歯医者に行けば好い。水槽の水替えもしたい処ではあるが、二日続きの雨で濁り水。大気汚染の雨水であるから、水流が落ち着いて来ないと、『命の水』を司る水中の微生物群様の浄化作用も追い付くまい。

  又、お天気が崩れて雨との事、草むしりでもして置くとしようか。

 はい、本日のバカソ絵でありまする。絵の上下を間違えた訳ではありませぬ。私のイメージと致しましては、天上天下唯我独尊を自惚れて居た人間が、生命目線・自然目線で世界を見た瞬間の驚愕の図でありまする。この絵の発想は、昨日投稿分のお蝶様の実に耳の痛いお説教を、私なりに真摯に受け止めた結果から生まれた物に御座いまする。

 本日も、私目の下品にして長駄文の館にお越し下されて、感謝感謝でありまする。
                ウッシッシ!!

                  
                  お説教拝領の図

                  お説教

心何処ーショート やれやれ、お説の通りで御座りまする。
        やれやれ、お説の通りで御座りまする。(5/24/10)
 本当に憎たらしく為るほどに、降ってくれる物である。ゴミ出しをしに、外に出る。家の中よりも、温度が高いのであるから、まぁ、良しとすべきであろうか。オダマキもツツジも、アヤメもショウブも、花を持つものは哀れに首を項垂れている。
 花の無い茎物・葉物達は、雨に打たれても、水分をたっぷり呑み込んで、青々しているから大した物である。川の流れは土色の激流状態である。東の山には靄の濃淡が低く掛って居るから、雨も峠を越しているのだろう。

               そう願いたい物である。

 葦原のネズミ・蛇などは、降雨のどの辺りで、葦原から河川敷に退避して来るのだろうか?などと、真面目に考えてしまう。退避行動が遅れて、上流の蛇達が流されて来てしまっては、蛇の密度が一段と高まってしまうのである。こう為ったら、大変な事に為ってしまう。

 そうで無くとも今年は、私には蛇の当たり年なのである。マムシが流されて来て、居座られたら、チョイと其処で釣りなんて、気晴らしも出来ないではないか・・・

 普段は高みの下衆見物で、北の将軍様への罵詈雑言の悪態三昧を愉しんでいる処なのであるが、陸続きの中国・韓国の現体制崩壊による大難民流入だけは、如何でも喰い止めたいとする本音が、痛いほど分かる処である。

 食料も底を突いて来た事でも有るし、今日は買い出しに行って来なければ為るまい。雨に青味を増している二十日大根とて、未だ間引きの味噌汁の具にも為りはしない。買い出しに行こうと思っても、さして毎日代り映えの無い食生活を送っている身であるから、積極的にこれが食べたい、あれが食べたいの積極さが生まれて来ない次第なのである。

 然しながら、人間、オカズ無しの飯だけでは生きて行けないのである。然すれば、変わり映えしないスーパーの食材を買って来て、決まり切った物のローテーションでしか無いのである。

    こんな時の慰めに、私はこんな御指導を承って居るのである。

 お前達人間は、何を生意気な事を言っているんじゃい。俺達、蝶は皆、其々にエノキ・カラタチ・サンショウ・ニンジン・キャベツ・・・etcと、蝶の種類に応じて、一品菜食主義を厳格に守って、それも朝昼夜の時間帯を守っての棲み分けをしているんじゃい。

 お前達人間の様に、不夜城の手当たり次第の雑食飽食の悪魔連中とは、品格が違うんじゃい。たかが、偶々、人間に生まれて来ただけの事じゃないか。全く、偉そうに。
 俺達昆虫の仲間にぁ、稲の葉っぱだけ食べて一生を終えるのも居るんじゃい。稲の実だけ喰って居たら、栄養失調で死んじまうだと~、冗談こきやがれ。

 俺達蝶だって、芋虫から蛹を破って、蝶に為りゃ口が無くなって螺旋のストローに変わちゃうから、しょーがねぇさや。花の蜜を吸って生きてるだけだわさ。
 百獣の王者・ライオン様だって、喰い溜めの時に、ほんのちょっとだけキャベジン効果で草を食べてるだけだぜや。大概の生き物は、単品生活者なんじゃい。

 お前達は、野生仲間のチンパンジー、ゴリラの突然変異か何だか知らねぇが、口ばっかり達者で群れて生きる事しか知らねぇ生命界・自然界の鼻摘まみ者じゃねぇか。一歩外に出りゃ蛇如きで、好い歳かっぱらって、オタオタして居る人間の癖して、何を生意気な事をほざき遣がる。

 危険な猟もしなくても、穀類・野菜・果物・魚・肉・調味料を買って来て、チャカチャカと料理をすりぁ、満腹状態だろうが。それに加えて、自然界の鼻摘まみ者の癖して、長生きの算段ばかりしているだぜ。終いにぁ、如何血迷ったか知らねぇが、何時までも若く輝いて居たいだなんて、自然の摂理に楯突いて、厚塗り化粧ベタベタ塗りたくって、美食にエクササイズ、終いにぁ、脂肪吸引に、皺取り手術だとよ。おフザケにも、限度があらぁな。

 お前さんのボヤキなんざぁ、一体何処に、聞いて遣る殊勝な処が有るって云うんだい。冗談・世迷言もテイゲェにしなよ。お前さん馬鹿の端くれだから、反省も出来ねぇだろうが・・・ 鼻の穴、ピコピコさせたって、反論出来んだろうが。この鼻摘まみ者!!

 俺あ、そんな馬鹿の相手してるほど暇じゃねぇわな。あんまり煩いから、ちょこっと、雨を止めて遣るから、早い処、買い物に行って来なよ。

 嗚呼、馬鹿ほど手の焼ける物は無いネェ~。お前さん、俺達の仲間だったら、芋虫の段階で、雀が来て、パックンで一巻の終わりだよ。アハハ。

 さあさあ、重い腰上げて、自転車で行って来なよ。婆さんに美味い物でも、食べさせて遣んなよ。

 クァ~、俺が奥ゆかしい男だと、足元見遣がって、蝶如きにお説教貰ちゃったぜや。
 コンチクショー状態ではあるが、これは正論である。小生、大戯けではあるが、馬鹿では無い。正論の前には、素直為る行動が人間の道である。はいはい、買い出しは、賄い夫仕事の一環で御座りまする。

          嗚呼、しゃ~ない。行くべし、行くべし。


心何処ーショート 雨音を聞く小部屋為りや
             雨音を聞く小部屋為りや(5/23/10)
 本日は、終日の雨である。結果論ではあるが、久し振りの正規ルートの散歩運動をこなして来て、大手を振ってのサボリが出来ると云う物である。昨日は、5時を回っての長丁場散歩であった。水田地帯の一角では、何枚か田植えをしたばかりの感じの物が有り、今年の天候不順の様が好く分かる処であった。

 街場のネオンの等高線が重なり合う盆地の遠望を見る。夜の帳の忍び寄る野山の新緑の風情に、テクテク歩きをして居たい処なのであるが、注意目線が、如何しても道の隅々に行ってしまう。
 此処までは、蛇の姿に遭遇して居ないのであるが、根が小心者である。小心者であるから、三度目の正直と云った好転的な気持ちが持てずに、二度ある事は三度あると云った不運の選択肢の方を取って、ビクビクしているのである。広い一直線の農道を抜けて、山際の細道に差し掛かると、夜の帳に包まれている。近場の家庭菜園風の畑で、ロートル・オヤジが仕事を切り上げようとしている。この辺りは外灯が無いから、道路への視線は、遠近に抜かり無くセッセ歩きの態である。

 道に変な黒い物がある。ドバミミズにしては、大き過ぎる。車に潰された小蛇だろうか?
 こんな処が、馬鹿に付ける薬が無いと云うか、怖い物見たさの好奇心なのである。小枝を拾って、そのクネクネした物体を小枝の先で突いて遣ると、ススッと小さく動くではないか。

  しゃがみ込んで、目を凝らして見ると、小蛇は妙に赤い体色をしている。
これは、日本で一番美しいと評価されているジモグリの幼生である。私は、蛇を飼って見たいなどと云う趣味は無いが、本屋などでは動物図鑑などを立ち読みする事が有る。飽く迄も、本の中の鮮明写真であっても、私は頗る気が強いのである。そんな本の中では、蛇飼育者が結構いらしゃるらしい。そんな彼等の研究成果を、興味深く読んでしまうのである。
 
 その類の知識からすると、ジモグリ蛇は毒も無く、性格が大人しく、人にも慣れる蛇であるから、愛玩ペットとして飼っているマニアも結構居るとの事であった。

 私は外で遊んでばかり居たから、外で見掛ける鳥・魚・昆虫・蛙・蛇・動物に、自然の流れから興味を持っていた。スポーツは好きでは無かったが、得意だった。ただ、野球などと為ると、兎角、自分が自分がなどと、大して上手くも無いのに、失敗を仕出かした仲間の事を、ああだ、こうだと罵る馬鹿が多かった。仕切りたい、威張りたいなどと云った性格の善し悪しが露見してしまうから、私は、それを見るのが嫌いなのであった。

 あんまり、馬鹿が生意気な口を叩いていると、そんな馬鹿は、殴り倒して遣らないと分からないのである。私は、奥ゆかしい人間である。遣り過ごして置きたいのであるが、馬鹿は自分の馬鹿さ加減が分からず、黙って居ると、増長して仕舞うだけである。
 ボクシングにだって、タオルの静止が有るのである。正義の味方・弱者の味方が、本性を見せて遣るしか無いのである。私は、頭脳派では無く、肉体派である。それも格闘好きで得意ではあった。然しながら、チンピラでは無かったから、そんな事は本当はしたくないのであるが、仕方の無い事であった。

 そんな理由が大きく影響して、私は一人で居るのが性に合って居た。そう云った事情から、何も喋らない自然・動物を見ていたし、夢想・妄想をして居た方が、心穏やかに物事を考える事が出来たのである。現在も、本音としては、それが私の基本的態度である。

 余談が長く成ってしまったが、赤・朱の色合いを持ったジモグリ蛇の美しさは、子供心にも強烈な印象を刻んで居た物である。私は、蛇と云う不気味で怖い対象である筈なのに、ズーと見ていた物である。川原の石をはぐって遊んでいると、チョクチョク出喰わした物であるが、中学・高校に為ると殆ど見無くなってしまった貴重種なのである。それが去年、この70~80m下の処で、ジモグリの大人蛇を見て、何故か嬉しかったのである。

 それで、散歩から帰って、即インターネットでジモグリを検索して、蛇マニアの間では結構な値段で取引されている内実を知ったのである。

 私はしゃがみ込んで、20cmにも満たないであろうベビースネークに躊躇して居るのである。摘まんで、暫く飼って見ようか、育てて、白らばっくれてネット・オークションで小遣い銭でも稼いで見ようか・・・ 相手が、ベビーであるから、私の態度はデカイのである。吾ながら、好い気な物である。イッヒッヒ!!

 為るほど、陽が陰ると蛇はこう遣って、アスファルト道路に出て来て、蓄熱ホットプレートから熱を得ているのか・・・道理で、蛇の轢死体が道路に散見されるのか・・・
 人間にとっては、有難くも無い蛇の習性ではあるが、理に適った蛇知恵である。

 これは、如何やら蛇の当たり年の沙汰である。夜の散歩は、街場コースに趣旨替えをしなければ為らないし、正規コースの散歩をするには、小一時間を早めるしかあるまい。

 さてさて、お前さんは、今や貴重種のジモグリだ。車にノシイカにされぬ内に、どこぞの穴に潜り込んで寝る事だわな。ホレホレ、逃げれや。

 こんな昨日の散歩を振り返りながら・・・ 終日の雨寒の小部屋で、新規参入のグッピィ達の様子を見ながら、本日の日記打ちを進めている次第である。寒いも、暑いも、安定してくれれば文句は無いのだが、何事も不安定の沙汰は歓迎出来ない処である。



心何処ーショート 詰襟とコルセット
                  詰襟とコルセット                 

                  はい、並んで記念撮影


 昨日記事『一コルセット考』の挿絵で有りまする。Tの車中談に、年甲斐も無く舞い上がってしまいまして、夕刻の正規散歩運動の折に、考えに考えた構図で有りまする。私の下手絵の趣旨と致しましては、『詰襟とコルセツト、はい、並んで仲好く記念撮影!!』のイメージとして、誠心誠意描いて見た処で有りまする。
 
 但し、私と致しましては、世に云う処の特効薬為る物は、生憎、試した事が御座いません。従いまして、どの様な薬効が存在する物か?? 一向に存じ上げません。
 然しながら、10年ほど前に、若い娘にオカマを掘られまして、鞭打ち症の首コルセツトの御厄介に為った経験がありまする。その時の経験を思い起こして、コルセツト装着図を描いて見ました。コルセットを締め上げる紐に妄想色を加えまして、赤紐は精気漲る躍動の赤と致しまして、紫の紐は、締め具合に依っては、窒息の危険を入れて、壊疽への道と致しました。下衆の浅はかなる加工でありまする。お笑い下され。


 何はともあれ、人間とは哀しい生き物でありまして、何時かは到来する老いの陰で有りまする。若い若いと云って見ても、直ぐそこまで来ている別れの『天狗茸の余命』でありまする。加齢と共に、個人差が広がる時期で有りますれば、コルセット締め上げに依る壊疽への道は、如何な物でありましょうや。へへへ。
 
 初恋はプラトニックに始まり、老いらくの恋はプラトニックに終わる。・・・とでも、云いましょうか。
    
     はい、自戒の念を込めて、描いて見ました。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 一コルセット考
               一コルセット考(5/22/10)
 夜の散歩に行って来る。暑く成って来ると、昼間の散歩の何分の一かのエネルギーで済む。それに、私は夜型人間であるから、夜の方が何かと都合が着くのである。散歩の途中でコーヒースタバのある本屋で、DVDコーナーをとっくりと覗いて来る。中古DVDに<何か掘り出し物は無いか>との魂胆である。

 出入り自由の無料映画ライブラリーと云えども、洋画ばかりでは、色白吟さんも面白くは無かろうと、邦画をチョイスして来る。『続・三丁目の夕日』があったから、これなら肩の凝らない暖かムードが楽しめるから頃合いである。

 11時を回って居る時間であるが、昼同様の客の入りであるし、スタバにも若い娘達がコーヒーでトークをしている。私は自分の行儀の悪さを重々承知して居るから、外に出る時は、ゴミを捨てる事をしたくないから、煙草は持って来ないし、自動販売機飲料も利用しない事にして居る。

 喫煙場所の外ベンチには、スタバコーヒーの飲んだ容器・食べた包み紙が、だらし無く置かれた儘に為って居る。困りましたな・・・

 先日、その後のテレビではトンと出番の無い『上海万博』の様子は、一体如何であろうかと、インターネットで『上海万博の入場者数』で検索した処、案の定の結果が検索出来た。
 張り子の事大主義のお国柄を反映して、目標7000万人のハードルには早くも赤信号が点滅して、赤字出店は御免蒙りたいとか、パビリオン撤退を考えているお国もあるとの事である。頭を抱えてしまった中国様は、上海市民に万博入場券とバス券を無料配布して、入場者数の政治的配慮動員を掛けているそうなのであるが、入場者数には挽回の力は無く、入場者の捨てる飲食物の置き土産で、溜まる一方の『ゴミの山』との事である。
 
 いやはや、大国中国様の悪口を云えた義理じゃ御座いませんや。吾が祖国日本でも、公衆道徳も躾けられていない馬鹿達が大手を振って生意気面をしているのだろう。
 スタバの店員さん達も、これでは堪った物ではあるまい。『お客様は神様』と会社に躾けられては居ても、昨今の行儀の悪さに、きっと唇を噛んで居るに違いあるまい。日本は何時から、自分の不始末に、他人様の手を煩わせてしまうことへの無関心さが蔓延してしまったのだろうか。
 夜の帳が、下衆の好い加減さを助長するのだろうか、見られていない時にこそ、人間は常識の見栄を張るべきなのであるぞよ。すっかり店員さん達とは顔馴染みに為ってしまっているのである。これでは、他人事・我関せずの素通りする事も出来まい。

     <この大戯けの下衆野郎共が、コンニャローメ!!> 
 直情型人間であるから、頭に来て柄にも無く、ゴミ箱に移動させて遣った次第である。

 帰りの大通りの途中には、ファーストフードのチェーンレストラン・モスバーガーの店が有る。若者達で結構な客入りである。自分の学生時代を振り返って比較して見ると、今の若者事情は、グループの人数が多くて賑やかである。今風の付き合いは、我々ロートル世代と様変わりをして、深さの深化から浅さの拡散を求めているのであろう。

   明けて、本日。予報に反して、灰色曇天の蒸し暑さである。

 へへへ、洗濯をして仕舞ったから、着る物が無い。マレーシヤで買って来たグリーンの回教徒風のシャツを着て、Tの車に乗り込む。

「おいおい、そりぁ、坊さんよりも、ヤクザにしか見え無いぞ。おお、怖い。」
「馬鹿こいちゃ行けねぇぞや。この恰好で、ノシノシ夜のネオン街を歩きゃ、尻軽夜の蝶が、寄り付いて来たってもんだぜや。イッヒッヒ!!」

 コーヒースタバの二階席は、テストが近いのであろうか? 勉強をしている一人客だけである。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ・・・ ほうほう、矢張り一人で勉強して居る若者の顔は、男も女も引き締まって居て好い物である。

 本日は、愚痴話とインターネット、ブログで仕入れた時事問題・下世話トピックスで、先ずは口のウォーミング・アップからである。

「この前さ、如何な紳士の俺でもさ・・・頭に来ちゃってなぁ~、気分転換にTの処へ行って、愚痴のオンパレードでもして来ようかと思ったんだがさ。」
「来りゃ~好いじゃないか。何時でも聞いて遣るぜや。イッヒッヒ。」
「いやいや、それを遣ったんじゃ、男の見栄が廃るってもんだわね。身内の恥を晒したら、世間が狭く為っちゃうわね。ギャハハ!!」

「アハハ、親の態度の中には、<お前、子供の癖に、それが親に対する態度か>って物が有るし、倅の態度には、『この野郎、誰に飯喰わせて貰って居やがる。老いては、子供に従えだろうが』って、親子の逆転現象が有るからな。
お互いに目付き・態度で、腹の中は、見え見えだから、カツンとも来るし、まともに怒れない気持ちもあるしなぁ~、
 へへへ、Rが言わなくても、顔見りぁ、胸の中身が、透けて見えるわな。そんな物ぁ、毎日が、賄い夫が仕事だもの。笑い話にしか為らんぜよ。イヒヒ。
 想像しただけで、俺と爺っさのシーンが3D映像で、吹き出ちまうがなぁ~、あい、違うか? アナタも単純な男だね。」
「やいやい、笑わせてくれるじゃねぇか。其処まで、お見通しされて居りぁ、俺なんか、出る幕がねぇわさ。沈黙は、銀だわさ。ヤベェ、ヤベェ、薄皮一枚で思い止まって、大正解だったぜや。ギャハハ!! 」

 暫し、お互いのオフレコ親の扱き下ろしをして、日頃のガス抜きタイムである。

          外のベンチで、スモーキングタイムである。
「如何するや、ホームセンターに寄って行くか?」
「おぅ、頼むや。グッピィを買って行くよ。」
「そうか。決心が着いたか。」
「うん、メダカが順調だから、もう、大丈夫の筈だ。」

 グッピィ5Pと煙草のカートン買いをして帰る。以下は、二人の車中談である。
「そう云えばさ、★がお前達は、可哀そうに退役組だけど、俺なんざぁ、現役でバリバリとハイヌーン・フィバー、フィバー遣ってるって言うからさ。
 何をこいて、見栄張って、バイアグラの世話に為って居るんだろと言って遣ったら、<無くても、一発は出来るぞ>って格好付けてるんだぜ。」
「凄いじゃん。その内に、薬効に麻痺して来たら、如何するんだろうね。」
「そんな事ぁ、知らねぇよ。ざまぁ、見遣がれって、聞き取り調査に行って来るわな。」

「クックック、やっ、一発閃いたぜや。好い方法が有るぜや。
 ほら、鞭打ち症の首コルセットがあるだろう。アレを応用して、手作りのペニス・コルセット作って、プレゼントして遣れちゃ。お前達は、親友同士だろ。
 いや~、ヤッパ、俺は天才だぜや。ヨシ、一発、それを描いて見るわな。」
「おっ、学ランの詰襟が、萎びた亀頭のコルセットかいな。そりぁ、傑作だ!! エロ・オッサンは、発想がユニークだいな。
 こりぁ、行けるアイディアだぞ。イッヒッヒ~、野郎、怒るだろうなぁ~。完全に、絶交状態に突入だぜや~。ヤツの蹴りを交わすだけの体力を、回復させてからのプレゼントにするか。」

「そりぁ、そうかも知れんわな。コルセットの調整次第で、亀頭も充血モリモリ、締め過ぎたら、亀頭は窒息して<壊疽>しちまうからな。親友への大事なプレゼントだ。十分研究してからにしましょや。事の成否は、全て結果のみぞ知るだぜな。ギャハハ!!
 一端、壊疽しちまえば、バイアグラどころじぁあるめぇよ。壊疽が全身に回らねぇ内に、すっぱり切り落とさなくちゃ手遅れだぜ。<雨降って、地固まる>の転換活用でさ、『切って固まる夫婦の絆もある。』ってな物も、老後の人生には必要だわね。イッヒッヒ!!」

「為るほど、伊達に<男芸者>と見込まれてる訳じゃないな。こりぁ、座布団ものだぜや~、アハハ。」

★ちゃ、呆け話の肴にしちゃって、御免ね。これは、御貴殿のハイヌーン・フィバーへの男のジェラシーの減らず口でヤンスよ。へへへ。

心何処ーショート 本日、停電タイム有り。
           本日、停電タイム有り。(5/21/10)

「今日は、停電が有るよ。機械の方は、好いのかい?」
「うん、3:30~5:00だからな。サンキュー。」

 昨日・今日と、母は本日の停電の確認をしてくれるのである。いやはや、大した物である。私の無駄口ばかりが達者な馬鹿倅とは、如何やら、頭の出来が違うのだろう。こんな処が、男の記憶分野と女の記憶分野の違いなのであろう。

 私は物臭な男にして、スカンポ脳であるから、当然に脳の部屋数が少ないのである。こう云った物事は機械的にカレンダーに印を付けて、記憶に留めない事として居る。そうしないと部屋数が足りないのであるから、興味のある物事を記憶させて置く部屋・スペースが不足して仕舞うのである。これは一見合理的にも見える習慣に見えるが、このカラクリの裏には、れっきとした補完者の存在が無ければ、成り立たない構造なのである。

 詰まりは家庭に在っては、母・女房の存在であり、仕事に在っては、仲間・部下の存在があったればこそ、成り立つ相互の補完関係と云った物なのである。

 幸い、母も女房も確り者であるから、その手の事は、チャッカリ彼女達のお任せで過ごさせて貰って来たまでの事である。込み行った事・論理を整理整頓して記憶に留めて置かない事・確り対処しなければ為らない事は、それなりにスカンポ脳に収納して来た心算である。

 こんな処が、男女の性差による役割分担と考え来た次第である。身の周り・日常記憶能力は、女族の方が数段に優れている記憶装置を持っているのであろう。餅は餅屋に任せて、その余力を得手ている事に、エネルギーを割けば好い事なのである。合理的・効率的な二人三脚の役割分担で、浮いたお時間は、自分の好きな時間に充当すれば好いだけの事である。

 人間とは可笑しなもので、得手ている事・好きな事を仰せつかっても、遣らされていると云う嫌々感が無いから、フットワークも軽く、慣れている事であるから、エネルギー効率も頗る好いのであるから、然程の疲労感も残らないのである。
 それが、全くの不得手の事を仰せつかると、肝心な所への集中度が働かないから、私の高所作業と全く同じで、恐怖感の余り立ち往生の冷や汗・脂汗ばかりにエネルギーが消耗されてしまう。その結果たるや、何の事は無く、恐怖感85%仕事度15%などと云った絶望感しか生じないのであるし、後の筋肉疲労度などと云った日には、目も当てられない後遺症と為って居るのである。成果主義を標榜する現代に在っては、そんな無様な結果を褒めてくれる者など、一般的には誰も居ないのである。

 従って、行き着く先は、<命あってのモノダネ、怪我をしなくて済んだだけ、見っけ物・・・>と、自分で自分を慰めるしか無いのである。こんな物は、快感を一切伴わないのであるから、マスターベーション以下の泣き事でしか無いのである。

       これを称して、<究極の徒労>と云うのである。

「風呂が沸いたから入って、停電前に仕事をして置くが好いよ。」
「はいはい、何から何まで、アリガトさんよ。そうさせて貰うわいね。」

 本日は、予報通りウナギ登りの気温上昇中である。殆ど無風に近い。さてさて、区切りの好い処まで打って、禿げ頭をスキンヘッドして来ましょうかね。停電前には、如何にか帳尻が合いそうである。へへへ。

心何処ーショート 呆れた、蛇の当たり年??? 
            呆れた、蛇の当たり年???(5/20/10)
 蒸し蒸しと、暑い日である。昼散歩に行く。河川敷も緑一杯の雑草が伸びている。歩き難いから、内堤防のコンクリート縁の上を歩く。こんな蒸し蒸しする時は、蛇が出て来そうな予感がして来る。昨日は、風の強い雨が降ったり止んだりの一日であった。本日は太陽こそ無いが、変温動物の爬虫類・両生類には、熱を体内に呼び込むには丁度好い誘いの天気具合である。何処と無く、湿度温度とも高い熱帯シャングルのむさ苦しさが有る。
 そんな嫌な事を感じながら、本日の視線は、6割方が周辺の下に注いでいる始末である。

 今年は、蛇を見過ぎているのであるから、<二度ある事は、三度ある>の例えである。

 アッジャ~、居た居た!! 中くらいの青大将が、枯れ葦の堆積ベットで長々としている。触らぬ神に祟りなしで、その先を歩いていると、又、同程度の青大将である。これでは、予感的中の沙汰である。慌てて河川敷から上がって、アスファルトの土手道行進に切り替える。多分、蛇の総数には大して差は無いのだと思うが、蛇の当たり年と云う物が確かにある。
 吾が町内は、子育てを終えたロートル夫婦が暮らす町であり、小さいながらも、其々の家には庭が有る。庭いじりは、この時季、時間の大小はあろうが、ロートル連のコア・タイムと云っても好かろう。川原・河川敷に生息する蛇達にして見ても、彼等には彼等の行動範囲と云うか・・・テリトリーもあるに違い無かろう。

<キァ~、蛇!! オトウチャン!!>なんて、婆桜の悲鳴も、多々あるに違いあるまい。大騒ぎされてしまえば、老いたりと云えども女房の手前、亭主は無理してでも、男の見栄を張るしかあるまい。
 不幸にして、オスの晴れ舞台を婆桜同様に、入れ歯を吹き飛ばして、ガタガタ萎びた老躯を貧乏ゆすりなどしていたら、後が大変である。事あるごとに、変な処だけが記憶力抜群の女房口撃の餌食にされて終う。

 現役男の世界では、相手に弱みを握られるとか、キンタマを握られるとか表現されて、無様な弱みは、一応は惻隠の情とやらで公言の危機は回避され様が、何かと交渉のネタにされて終う。
 まぁ、男族の世界では、狡猾・老練・隠し玉と云った具合で、奥ゆかしい処も無いではないが・・・四六時中、番いを組んで居る亭主の立場として見れば、とっくのとん間に女房にキンタマを握られてしまって居るのである。萎びた袋に不如意棒の役立たずに加えて、蛇如きで入れ歯吹き飛ばして、フガフガの不甲斐無さを露呈して仕舞っては、一生婆桜女房の飼い殺しでしかあるまい。蛇に弱みを見せたら、蛇の背後に居る婆桜女房の術中に嵌ってしまいまする。何卒、気張り為されませ。

 私は戯けに近い妄想男であるから、ご町内の先輩御夫婦の観察印象から、勝手にモデル夫婦をチョイスして、彼是と憶測妄想をして見ると、イヒヒ、三組様程居られるではないか。ヨシヨシ、本日は、<この妄想漫談を組み立てながら、お散歩時間をこなすと致しましょうかね。>である。
 事、女の口数の多さには、普通の男は逆立ちをしても、敵いっこ無いのである。敗者に手を差し伸べる『勝者の惻隠の情』などと云った、<高等芸>は、どだい婆桜カンナ女房には通じないのである。亭主の弱身に付け込んで、完膚なきまでに罵倒して、積年の恨みを晴らした後に、それを踏み台にして堅固な婆桜王国を敷いている・・・ 

 そんな妄想漫談を勝手に想像させて頂きながらのスローテンポ歩きである。普通に歩くと、直ぐ様、汗が噴き出して来る湿度の高さである。

 一人歩きの気楽さに、ついつい、チョイスして仕舞ったロートル番い様に、私の勝手な台本を喋らせると、次から次と飛んでも無い夫婦の漫才言葉が浮かんで来る。終いには、腹が捩れて歩けない。しゃがみ込んで、馬鹿笑いの連発である。こんな様を他人様に目撃されたら、私は完全に『狂気の人間』と見られても、文句の付け様が無い。

 遺憾いかん・・・こんな事では、長年に亘って培って来た教養と品位が、音を立てて瓦解してしまう。深呼吸深呼吸、人様を笑ったら、何時か、その付けで吾が身が笑われて終うのである。為らぬ我慢、我慢するが肝要為り・・・なのである。

 さてと、祖国日本の行く末を憂いて、真面目に頭を整理して、考えて見ましょうかね。

 折り返し点を折り返して、首タオルで汗を拭いながら、次からは夕刻内至は夜の散歩に切り替えるべきと考える。

 町内に差し掛かって、再び河川敷に下りて、もう一息である。サツキの植栽ベルトに、ザザの物音である。何事かと立ち止まると、蛇が勢い好く出て来て、サササと身をくねらせて消えて行った。ありぁ、間違い無くシマヘビである。足元を見ると、今度は小蛇である。
 何と何と、本日、蛇4匹との遭遇である。偶々の偶然なのだろうか、それとも、今年は私にとっては、有難くも無い蛇の当たり年と為ってしまったのだろうか・・・ これは、堪らないから、河川敷からスタコラ退散の態であった。

 そう云えば、松本市には『蛇原』などと云う物騒な地名が有った筈である。其処は、奈良井川の西の田園の一角である。何かと蛇と水は、密接な関係が有るのであろう。
 地名に蛇原と付くのであるから、昔は蛇だらけの原っぱだったのであろうから、蛇をたかが4匹目撃したからと云って、ビビって居ては仕方が有るまいが。

 この界隈は、朝・昼・夕方と散歩をする婦人達も多い場所である。
キャー、ギャーなんて、悲鳴も少なからずあるに違いあるまい。それとも、映画のシーンの中には、蛇を巻き付けて踊るベリーダンスなどもあるからして、男族と違って、女族は蛇には然程、恐怖感を感じて居ないのかも知れない。

 意外や意外で、男の前でのキャー、ギャーの悲鳴は、鼻の下の長い男族を誑(たぶら)かす女族特有の化粧の一種かも知れぬ。

 私の雑学の中には、蛇は男のペニスの象徴との好い加減な知識もあった筈である。蛇女の話は多々聞いた事が有るが、蛇男の話は余り聞いた事が無いし、蛇と男と為れば、精々がインドのピィーヒャララの蛇使い位なものである。
 片や、クレオパトラ様の自殺方法が、毒蛇に豊満?な乳房を噛ませたとのエピソードもある。女が本当に蛇が嫌いなら、誰が好き好んで猛毒のコブラを持って来させて、それを手に取って自らの乳房に噛ませる程の『胆力』など有ろう筈が無いのである。それが意味する処は、きっと蛇が身近な存在or玩具として取り扱われて居たのでは無いだろうか・・・

 そう考えてしまうと、飽く迄、亀頭は男族からの例えで、女族から云わせると、蛇頭だったのだろうか・・・蛇頭はスネーク・ヘッドを意味して、蛇は頭さえ入れば、あの太くて長い胴体まで入れてしまう危険極まりない生物と見做され、隙を見せれば次から次と居座って来る某国密入国者の生態・そのヤクザ集団を表現する時にも、しばしば使われる言葉だそうである。
 男族が屹立を誇らしげに見せる亀頭も蛇頭も、女族からしたら、そんな物は女の甘言・マッサージからの<気の吹き込み>で、幾らでも自由自在に扱える女族主導の如意棒でしか無いのかも知れぬ。女族の思考方法からすると、亀も蛇も首根っこさえ、抑え込んでしまえば屁の河童と云う『肝の押さえ方』を熟知しているのかも知れないのである。

 世の御同輩諸侯、云われて見れば、少なからず思い当たる節は、お有りでしょうが・・・
             イッヒッヒ!!       

 蛇に睨まれた蛙なんて例えもあるし、それを応用すれば、女房に睨まれた亭主なんて、生活の実態が、古来より通じるのが男族の悲哀と云う物でありましょうが・・・

 男と女の蛇との相性を比べたら、圧倒的に女の方が、相性が好さそうなのである。果たして、真偽の程は如何なのであろうか??? それにしても、蛇は苦手でありまする。

 へへへ、イメージを頂いて、下衆の妄想を逞しゅさせて頂いた御夫婦のお宅でありまする。御主人、偶には<窮鼠、猫を噛む>でヤンスよ。両手に拳骨を握れば、立派な亀頭2個でゴザンスよ。負けて居てばかりでは、長い老後でありまする故に、楽しくも無いでありましょうや。

 さてさて、蛇落としに、シャワーでも浴びて昼寝でも致しましょうかね。



心何処ーショート 長駄文・二連チャン為り。
 本日は、生憎のお天気で、長駄文・二連チャンで有りまする。長いですから、覚悟してお進み下され。ギャハハ!!

              夜の小部屋の感想一つ(5/19/10)
 蛍光灯の光に、小さな羽虫がメダカ水槽の近くをフワフワ飛んでいる。それを水槽のメダカが見付けて、スーと突っ込んで来るではないか。これは、面白い。毛バリのテンカラ釣りのワンシーンを見ている様である。夜の小部屋は、水槽住人達との付き合いの長い空間である。

 でも、こんなシーンは初めてであった。この時季のメダカ水槽は、初めてである。例年だと、この水槽はグッピィの艶やか水槽だったのである。これは、メダカとグッピィの違いであろうか? はたまた、見過ごして来ただけの、単なる偶然の目撃なのだろうか? 

 見て居ない様で、メダカ達は絶えず自分の周辺を見ている事が分かった。こんな事を目撃すると、テンカラ釣りで思い当たる節が有る。水の中が見えない私からすると、未だこんな所には居ないだろうと・・・ 身構え前の適当投げの第一投目で、ヤマメが跳ねる時の方が、圧倒的に多いのである。私としては、不意を突かれての対応であるから、合わせが遅れてノーヒットに為る事が、その当然の成り行きである。
 第二投、第三投が、人間の迎え撃ちの態勢万全なのであるが、手法が相手には、喰えない毛バリと云う『騙し釣り』である。タネがばれてしまっては、そうそうは、ヤマメは喰らい付いては呉れないのである。とほほ。

 これは、餌に向かって一発喰いを狙うヤマメと、ジャンプを見て臨戦態勢を取る私の違いである。これは、大いに参考と為るシーンであった。第一投にこそ、全神経を込めて反射神経のバネを、溜めて置かねば為らないと云う訓えである。

 仕事をして居た時は、釣りを出来るのが休日だけであったから、それなりの意気込みの下、目覚ましをセットして早起きをして出掛けたし、若かった所為もあり、反射神経もそこそこに有った。
 そんな事で『坊主』などと云った不名誉な事は、余り無かったのであるが、この頃の私は、ヤマメに恥ばかり掻かされている『体たらくの行進』でしかない。介護の賄い夫生活であるから、家を何時間も空ける訳にも行かず、精々2~3時間が、その許容範囲である。そんな事も有って、不甲斐無い釣り散歩の御厄介に為っている次第なのである。

 とは云う物の、1時間45分の真面目な散歩で観察した川の状況が分かるから、決して効率の悪い釣りでは無いのである。川は上流から繋がり、水さえ枯れなければヤマメの生息域は、人間が考える以上に長いのが、その実態である。おまけに、葦が茫々と生える<町内範囲の灯台下暗し>の隠れ家の様な物なのである。大ヤマメは、ウジャウジャ群を為しているアブラハヤを生き餌として、悠々と小さな流れの中に隠れ住んで居るのであるから、私としては幸運な立地条件なのである。

 然しながら、余りにも<御近所釣り>なので、大変に肩身が狭い心境なのである。この辺りで、釣りをしているロートルは、私位な者である。これでは、『変人の物好き』扱いされて終うのも、当然の事であろうか?・・・
私の様な天の邪鬼性格からすると、皆、真面目腐った個性乏しき人間達にしか見えないのである。誰に迷惑を掛ける訳でも無し、川と釣りはセットの風景なのである。ニャロメ!!

 人間、常識の範囲内で真面目面をして、セッセと散歩ばかりしていても、仕方あるまい・・・お前さん達は、遊ぶべき時に遊ばなかったから、面白味の無い顔付・態度に為って居るんでしょうが・・・

<自由な時間を持って、それでは詰まらなくはゴザンせんか? 人生、硬軟・分別と童心を併せ持って、何ぼの物だぜや。>ってなものである。

 とは云う物の、人は得てして、童心帰りで面白き事・楽しき事が拡がるのを知ってはいる物の、兎角、大人の固定観念で膠着して仕舞っているのである。従って、ガードの固い世の常識の壁は、厚い物なのである。
 衣装・化粧・持ち物の個性化ばかりを主張しているだけでは、そんな物は、単なる付和雷同の流行りファションでしかあるまいに、高学歴社会などと口先ばかりの画一化と没個性の精神性である。そんな物は、笑止千万じゃい。ギャハハ!!

             以上、夜の小部屋の観察感想でありまする。


                ヘヘヘで御座る。(5/19/10)
 いやはや、凄い風の音で目覚める。洗濯物を取り込んで、時計を見ると朝の五時である。少なからず、夜の感想で<朝飯前に一振りしようか>などと考えていたのであるが、この強風では、無理である。仕方が無いから、途中でOFFにして終ったスチーブン・シーガルの<暴走特急>の続きをイヤホンで見る。

 そろそろ、動いても好かろう。湯を沸かして、同居小動物の世話をしながら、二十日大根の様子を見て来る。何やら、降りそうなお天気模様である。モーニングコーヒーを飲みながら、昨夜の一文の続きを打っていると、ヤクルト・ママさんのコールである。彼女は、私の好みの女性である。セクハラ・トークの肴は、吾が下手絵である。今週の絵は、『塵魍魎の三つ顔』と『目玉魚の光の向こうへ』である。

 ヤクルト・ママさんは、私に洗脳されて終ったのか? フランクの素地が、ちらほら見えて来たのか?
「尤もらしい絵の解説は、深い勉強のお時間として・・・どれどれ、Rさんのエロ・タッチを探して見ましょうね。今日の絵は、何処に紛れ込んでいるかなぁ~。
ウンウン、ここだぁ~。相変わらずの茶目っ気タップリのピカソ絵画ですね。」

「凄いじゃん。★さんは、立派な目利きですわね。大した物だぁ。」

「そんなに褒めないで下さいよ。Rさんに褒められたら、私もH女に為っちゃうじゃないですか。私は、真面目な子育て中の主婦ですよ。オリンピックに国会議員、子育てママさんなんて、欲張って三足もワラジ履こうなんて気持ちは、更々ないですからね。ホホホ。」

 為るほど、子育て真っ最中のママさんは、男以上に同性への評価は辛らつである。さてさて、来る参議員選は党勢挽回で担ぎ出した者、その神輿にすんなり乗った者、平気の平左で投票する者への、如何なる結果を見せるのだろうか? 有権者の半分は、女性票である。何時で輝き続けて居たい?の出馬行為が、同性に如何に映り、受け入れられるか? 
      これは、社会分析家為らずとも、観察に値する。

 母の体調は、頗る低調である。こんな時の男賄い夫は、ご機嫌伺いのしようも無い処である。雨が降らぬ内に、米を買いに行くと言って、スタコラ逃走を図る。

 それにしても、大変な向かい風である。川の淀みは、風に翻弄されて津波の様である。白いコサギも、風に飛ばされて無様な低空飛行の態である。私の方も、笑い事では無い。帽子を飛ばされぬ様に、片手で帽子押さえのコンニャローメ漕ぎである。
 若葉から新緑に覆われた林のゲート・ボール場は、草が刈られて草の収集にダンプが入って居る。刈り取られた草の匂いが、プーンと匂って来る。馴染みのある何処と無く、好い感じの匂いである。

「やいやい、Rちゃは、好い根性してるじゃん。向かい風を押して、ヘイコラ、自転車を漕ぎ上げて来たかいね。御苦労さんです。寄って行きましょ。」
「あいあい、炊くコメが無く成りゃ、日本人は死んじまうぜね。背に腹は、替えられないって事さね。」

 丁度区切りの好い昼近い時間帯であるから、タップリ砂糖のコーヒーを餌に、とっ捕まって、政治談議の御講義を拝聴してしまった。正午に為って、それを口実にお暇をする。

「Rさん、貰い物のフキだけど、持って行ってよ。」
「しょうがねぇな~、面倒だけど、気は心だ。貰って行くわいね。」
「あれ、何て事を言うんですか。学歴のある人が、そんな物の言い方は、駄目じゃん。」
「こりぁ、如何も失礼致しやした。姐ご様。元へ、結構な季節の物を頂戴致しまして、男賄い夫、老母の為に一肌脱がさせて頂きやす。親孝行が出来まする。謹んで頂戴致しまする。」
「そうそう、そうだよ。物は好い様だからね。私は、葉も捨てずに食べるんだよ。茹でて、水に晒して灰汁を抜いて、甘辛く炒めて食べると美味しいよ。茎の方は、身欠きニシンと煮て食べるんだよ。分かってるでしょうね。美味しく作って、お母さんに食べさせてね。」
「はい、有難うございます。一応、何でもこなす男賄い夫だぜ、遣る気さえ起こせば、そこん所そこいらのカンナ女よりも、腕は確かだんね。イヒヒ。」
「カンナだけ余分だわ。お母さんに宜しくね。」

 へへへ、こんな会話が出来るから、田舎暮らしは居心地が好いのである。

 完読、お疲れ様でした。疲労には、甘い物でも摂取為されませ。イッヒッヒ!!
             感謝感謝で有りまする。

心何処ーショート 守秘事項と期待値
               守秘事項と期待値(5/18/10)
 身体の火照りで、目が覚める。部屋の空気冷ましに窓を明けて、再び布団の中へ。ラジオを付けて、ニュースを聞きながら大欠伸である。流石に、戸を明けると涼しい風と共に、外の音が聞こえて来る。好い風が、吹き渡っている。

 実は昨日、ここら辺りで、今シーズン第一号のヤマメを釣らなければ、沽券に拘わる由々しき問題と考えて、相撲中継の終わった後、夕まず目の小一時間に、テンカラ棹を振るって来たのである。
 辛うじて、19cmのヤマメを釣り上げてホッとした処であった。意外や意外で、直近の何でもない流れの中に居たのである。釣り落とした物が2匹いたから、本来ならば早起きをして釣りに行く処なのであるが、ロートルに為ってしまうと・・・何故か? そんな気持ちが働いて来ないのである。
 とどの詰まりが、欲と云うか執着心が、真に以って乏しく成って来ているのである。居る場所・釣れる場所さえ把握して居れば、何時でもその気に為れば、如何にか為ると云った感じに浸かってしまうのだろう。これが、毎日が日曜日の好い加減さなのである。

 一度目覚めてしまえば、今日も夏日との事であるから、早々は口をあんぐり開けて、二度寝と云う訳にも行かぬ。庭に出て、密集して芽を出した二十日大根の植え替えでもして遣ろうかと始める。早い物は、双葉から三つ葉を覗かせている。そぅ~と掘り起こして、密集した幼芽を解して、棒で引いた溝の中へ間隔を考えて置いて行く。
 短腹・面倒臭がり屋の、物臭が、こんな事を自分からして居るのであるから、苦笑いでしか無い。自分の性格の再発見かも知れぬが、これは、ロートルに為った心身のテンポとメカニズムなのであろう。まぁ、これで私も人並のロートル境に差し至って居るのであろう。

 <とほほ>と云うべきか、<へへへ>と云うべきか・・・ その真偽の程は不明である。

 母の起きて来るには未だ間が有るから、目に着く草だけを引き抜いて、初夏の空気の中で時間潰しをする。雑草とは再生産の教科書の様な物である。ツンツン・グングン伸びた雑草を引っこ抜けば、知らぬ間に次の奴が顔を出して後を、チャッカリ襲名してしまうのである。
 こんな様は、私の様な仕事嫌いな物臭者の感想からすると・・・ 私なんぞは、態の良い『雑草様の執事』の様な介添え役である。邪魔な王者を引き抜かれて、伸び悩んで居た物に、王者の椅子が労せずして与えられるのである。これを称して、人間界では<漁夫の利>と云うのでは無いだろうか。全く、とんでもない奴らである。

          嗚呼、お手当無き賄い夫の辛さよ。
    人の善さに付け込まれ、汝は雑草の執事まで仰せつかる為り。

          嗚呼、勤労奉仕のお駄賃をと、探せば、
    庭の緑と水槽・鳥籠の住人達の目・耳・匂いの訪れ為りや。

          嗚呼、投げ出さず、喜怒哀楽の衰えに
    唯・・・日々平穏に、自己と向き合う吾が身、尊ぶべしや。

 やれやれ、ロートル・クマ男らしからぬフレーズが、頭を過(よぎ)ってしまった物である。

 草抜きを一回りして、四畳半の前庭の草抜きをしていると、蛇の幼生が一匹、日向ぼっこをしているでは無いか!! 相手は、幼生である。気分の余裕から、じっくりと観察させて頂く。

 薄い体色に、薄らと紋様が出ている。頭部の角ばった形からすると、多分青大将の子供なのであろう。ご近所さんでも、青大将目撃談は、話の中にチョクチョク出て来る処である。
 環境としては、川も近いし、何処のお宅にも庭が有る。ただ人間の目には見えないだけで、人間と野生の生活は、人知れずに重なり合って居るのであろう。
 そんな事を知ってしまうと、気持ちの好い物では無いが、これも仕方の無い実態と云う物である。

 テレビでは、都会から雀が急速に少なく成っているとの事でも有る。蛇の暮らす環境は、若しかしたら、正常なのかも知れぬ。小蛇は、ニョロ、ニョロとアジサイの根元に入って行った。そてそて、今度の目撃談は、何処のお宅で行われる事やら・・・ 

 これまた、ロートル・クマ男の守秘事項と云った処である。イッヒッヒ!!

 蛇は大の苦手であるが、小蛇誕生と為れば、去年大量に移住させたキリギリス・コロニーの帰趨が気に掛る。野生への生態環境の好さが、キリギリスの孵化にも功を奏してくれたら、私としては万々歳なのであるが、さてさて、夏には如何なる結果が、待って居る事だろうか・・・

 これまた、ロートル・クマ男の奥ゆかしい期待値でもある。ウッシッシ!!


心何処ーショート 不意の夏日に、パシャパシャ、クネクネ。
       不意の夏日に、バシャバシャ、クネクネ。(5/17/10)
 本日は、歯医者に行く日である。未だ時間が有るから、もう少し布団の中に居る事にしよう。9時に為ってからでも十分間に合う。朝の賄い夫は、帰って来てからすれば好かろう。鳥の世話と真似事掃除をして外に出ると、色白吟さんが脚立を立てて、チョッキン、チョッキン、松葉の散髪に余念が無い。

「ヤイヤイ、朝から精が出るねぇ。左様でござるか。居るんだったら、文作持って来るわいね。」

 歯医者に行って留守の間に来て、手ぶらじゃ恐縮なので、昨夜印刷して挿し絵を入れた文作綴りを、玄関の廊下に置いて来たのである。

「俺ぁ、これから歯医者だぜ。お約束の物を此処に置いて行くんね。」
「ありがとう、悪いね。この頃の本音は、それだからね。誰かに持って行かれたら困るから、其処のドア明けて、車の上に乗せといてよ。」
「あいよ。今日は暑く為るぜ、日射病で目が眩んで、落ちちゃいけねんね。ボチボチ遣っておくれやね。」
「そうだやな。落って痛い目に合うのは、自分だぜな。老後はマダマダ、始まったばかりだぜな。いひひ。」

 漸くの風薫る五月の風と光である。薄紫のライラックスの花の香りが鼻孔を擽り、大輪の薔薇の香りが、強く芳香を放つ。街路樹の柔らかな緑が、太陽に反射して心地良い風である。サンダル履きの頃合いの距離である。
 9:30の予約であるが、四台収容の駐車スペースは隙間なく満車である。車での来院者は、確り予約時間を守らないと、スーパーの駐車場に止めて、歩いて来なければ為るまい。歩いて来れる場所と云うのは、実に有難い物である。
待合室には、3人の先客が座っている。本日は、老眼鏡を持って来たから、週刊誌を読む心算で来た。何と云う週刊誌かは知らぬが、数学者のエッセイが毎号一ページで載って居るので、其処だけ読む心算で来たのである。

 本日から、虫歯の治療との事で、麻酔注射を二か所に打たれて終った。歯医者の麻酔と虫歯の研磨が好きと云う変態は、まず居ないであろう。然しながら、日々御厄介に為り消耗品の歯であるから、虫歯は早い内に治して置くに限る。仕方が無い時は、まな板の鯉に為るのが、当然の姿である。あれあれ、意外と時間が掛ってしまった物である。

 帰り道、好いお天気であるから、朝食の後は釣り散歩でもしようと思った。色白吟さんは薄着に為って、唯ひたすらの根気仕事・チョッキン・チョッキン・チョッキンナの作業続行中である。ヘヘヘ、汗の蒸発で、些か萎びて見えるのは、目の錯覚であろうか???

 遅い朝食後のテレビも大して見る物も無し、一応の母上へのご機嫌伺いトークも完了した事でもあるし、チョイと昼散歩代わりに棹を持って長靴散歩に出掛ける。
 強い日差しに、直ぐ様汗ばんで来る始末である。毛バリを振るうと、アブラハヤが掛って来た。産卵期を迎えて、不細工に腹部をプックリと膨らませている。こんな昼近い暑さの中では、本命のヤマメは期待出来ない。チョコチョコ歩いては、川に入りハヤを引っ掛けてはポイを繰り返しながら、初夏以上の河川敷散歩をして行く。
 
 おやおや、カワラヒワも纏った茶褐色の衣装が、初夏の暑さに遣り切れないのであろう。何度も何度も水浴びをして、止まる石はびしょ濡れである。ツバメ達も、矢張り黒の燕尾服が、相当暑いらしい。5~6羽集まって、水浴びをしているでは無いか。未だ柔らかな葦を踏み倒して進めば、ヤマメの好物の1~2cm程の羽虫が飛び出して来る。やっと、羽虫が活発に羽化し始めたのであろう。きっと、朝夕の時間帯には、水面に波紋が出始めているに違いあるまい。こんな時は、嫌われ物・蛇様の動きも活発に為る。四方八方に目を配って、進むが肝要である。

 とほほ、これでは立派な夏日である。もう、堪りませんがな。エネルギーの消耗が多過ぎる。草臥れぬ内に、前回整理したポイントで、ハヤでも引っ掛けて、昼散歩を切り上げるとしよう。

 好い流れである。棹振りの邪魔をした水柳の枝は折られているから、殆ど気にせず無造作に棹が振れる。黒い毛バリに、バカハヤがスイッと姿を現わして引っ掛かって来る。丁度水柳の枝葉が陽を遮ってくれる。釣れても釣れなくても好いアブラハヤとのお遊びタイムである。
 ポイ捨て御免の煙草を一本咥えて、火無し煙草をして川原の初夏の風情に任せていると、ふと見た足元に小指の太さほどの小蛇が、水の中に居るでは無いか。此方は長靴であるから、中間辺りを踏ん付けて遣ると、小さな口を一杯に開けて、大抗議をしている。

 アジャジャ、その頭の恰好、その文様は、マムシに好く似ている。怯んだ隙に、長靴の重しが抜けてしまったのだろう。小蛇は、悠々と流れに乗って、大きな斜線横断をして、葦の根元にスルスルと姿を消して行った。
 遺憾いかん、乱高下甚だしい今シーズンでも、陽気が戻れば其処は初夏の太陽である。鳥も人間も、水が恋しく為るのは『生の道理』である。生の道理なら、嫌われ蛇であっても、涼みを求めて、蛇がウロチョロしても文句は云えまい。大人マムシと遭遇しない内に、川から上がるのが、転ばぬ先の杖である。棹を畳んで帰り散歩である。途中で、河川敷のネンボロを引き抜いて、ワカメとネンボロの酢味噌和えに致そうぞ。

心何処ーショート やれやれ、草臥れの果ての一枚。
          やれやれ、草臥れの果ての一枚。(5/16/10)
 部屋で絵を始めていると、斜向かいさんの登場である。絵をしながらのお付きいと為る。今回分の文作を印刷に掛けねば為らないのであるが、目下の処、そんな余裕が無いのである。何しろ、絵を始めたまでは好かった物の、纏め様の無い危機に陥っているのである。

 幾ら出た処勝負の好い加減な男と云えども、少なからずの『絵の予定』はあるのである。然しながら、何も芯が無いのである。このままでは何も湧き上がらず、破り捨てなければ為らない段階に差し掛かっている。遺憾いかん・・・
 
 無意味・無味の行進に差し掛かっているのは、十分承知なのであるが・・・ 何とか形に仕上げるのが、私としては、<足掻きの面白さ>なのである。色塗りを施しながら、色から浮かび出して来る『何か』を探し出して、それをニンマリ引っ張り込んで、絵の中心として、それに絵の流れを加えて行くしかないのである。これは、<泳がせの遊び>と云って好い物である。好い歳をかっぱらって、こんな事に現を抜かしているのであるから、全く馬鹿な男である。

  私は天の邪鬼にして意地汚い男であるから、零点を取る事を良しとしない。
 負けず嫌い? 未練がましい? 工夫改良型? 貧乏人? 訳の分からい変人?・・・そんな事は、如何でも好い事なのである。何かをして、考えの遊びが生じれば好いのである。

 チョイスの終わった色白吟さんは、面白い話を彼是と聞かせてくれる。ヤマ気が旺盛だった吟さんは、若い頃サラリーマンを嫌って色々商売に手を出して居られた由。職業遍歴の中に、電話回線敷設の仕事をしていた時期が有ったとの事である。その電話回線をハワイまで海底ケーブルで敷設して行く仕事に、数年関わって居たとのお話であった。そんな事で、家を出て和歌山で仕事をしていたと言う。性に合って面白い仕事ではあったが、跡取り息子であったから、家に戻されて終ったとの事である。

 フムフム・・・作用で御座いましたか。道理で、斜向かいさんのお顔には、色白優男の吟さん顔と、厳つき硬派の保守政治家・中川床昭一さんの顔付の両方を併せ持つ所以なのであろう。
 私は、そんな吟さんの若かりし頃の面白いお話に耳を傾けながら、一向に姿を見せてくれないタイテノコラサの行方知らずの絵に、躊躇(ためら)い勝ちな薄い色鉛筆を走らせているのである。

 今の時代と違って、昭和の30~40年代の青少年達は、希望・夢に向かって、男番から街道をまっしぐらの活気と根性を持っていた時代である。兎に角、ゴタでヤンチャで喧嘩早い男達で巷は、溢れかえって居た。そんな時代を共有して居た日本の社会には、武勇伝が幾つも転がって居たのである。

 そんな面白いお話を承って、
「イヒヒ、ギャハハ、やいやい、そりぁ、遣り過ぎだわね、そう行ったかいね。」
「そりぁ、そうせ。俺は血の気が多いんだ。無駄事こいてりゃ、こっちは伊達に柔道部じゃねぇせ。オゥリャーって、投げ飛ばして、寝技で首根っこ締め上げて終うってな物だわね。寝技に持ち込んだら、柔道の方が空手より上だわね。イッヒッヒ!!
 お兄ちゃんだって、おっかねぇ顔して、其処にヒマラヤスギの木が有った頃にぁ、幹に座布団括りつけて、バシバシボクシングに空手、それに竹刀振るって、自転車チューブ縛って、柔道の練習してたじゃねぇかい。」
「やいやい、そんな事覚えていたかいね。へへへ、恥ずかしいわや~。早い処、忘れましょ。俺ぁ、今じゃ人畜無害のロートル・クマ男だんね。あい!!
 何しろ、<家を出たら七人の敵・振り掛る火の粉は、払わなきぁ為らん。>なんて時代だったぜね。品行方正な硬派の俺様に、イワシの腐った様な目付きで、眼を飛ばして来る腕力猛者が、ゴロゴロして居た物騒な時代だったぜね。内心、血沸き肉踊る時代せ。
 品行方正・硬派の俺が、そんな馬鹿小僧達にのされたんじゃ、この世は、真っ暗闇に為っちまうわね。一々、鶴田浩二・高倉健さんなんか呼んでたら、男が廃っちまうわね。正義が勝つ為には、不断の努力が必要だわね。ギャハハ!!」

 これからお孫さん達が来ると云う色白吟さんを、<文作の印刷は、今夜遣って置きます。>と玄関に見送って、区切りの悪足掻きを続行した次第である。

 毎度毎度のヘンテコリン下手絵の量産にしか過ぎない処ではあるが、如何にかこうにか、下手絵の誕生に漕ぎ着けまして御座りまする。何せ、資源の有効消費が叫ばれる御代でありますれば、折角、時間を投入して始めた下手絵であっても、何かしらのメリハリを付けて、下手絵ファイルに収納するのが、吾が勤めで御座りまする。

 はい、草臥れの果ての下手絵一枚でありまする。トホホの極みでありまする。



                   光の向こうへ
                  光の向こう


心何処ーショート 友情厚き男
                友情厚き男(5/15/10)
 いや~、後味の悪い夢を見てしまった物である。こんな時は、夢の分析から逃げる為に、パッと起きるのが肝心である。淀んだ空気を一掃するのが肝要である。青空が、一杯に拡がって居る。朝から、キジバトが電線に止まって、クゥー、クゥーと鳴いている。

 さてさて、もうそろそろ、お誘いの電話が鳴る頃であるから、朝食後のご機嫌伺いタイムを止めにして、小部屋に移動である。先週は支度が間に合わず、待たせてしまった。

 久し振りの気温の戻りであるから、外に出て草取りをしながら待つ事にする。正面に見えるアルプスの常念岳の残雪が、青い空と山容に見事なコントラストを刻んで居る。信州の若葉・青葉の季節は、これで無くてはシャキとしないのである。雑草の早い物は、穂を付けているのであるから、その強さには脱帽である。
 
 然しながら、子孫繁栄を願う雑草と私とでは、利害がかち合ってしまいまする。
<はいはい、御免為さって下さいよ。やや、こりぁ、また、アンさん、しぶとく根を張って居らっしゃる事、おのれ、如何だ、コンニャロウメ!!>

 さて、お迎えのお車の登場である。話の肴の下手絵ファイルを持って、コーヒースタバに直行である。コーヒーを注文して居ると、珍しく、Tがコーヒー濃度に注文を付けている。世代の違いなのだろうが、スタバコーヒーは、苦いのである。Tは、コーヒーの濃淡に注文を付けても好い事を、テレビで知ったそうである。二階席は、珍しくガラ空き状態であった。
 二階の掃除に来たママさん店員さんをとっ捉まえて、下手絵の感想と解説を一節させて頂く。ママさん店員さんも、心得た物である。お互い、下ネタ解説にフフフのシタリ笑いと云った処である。

 女日照りが続く私としては、<妄想老い易くして、一寸の好機逃すべからず>の意気込みなのであるが、Tは『またまた病気が始まった。馬鹿に付ける薬無し』のニタニタ諦め笑いで、ママさん店員の表情観察をしているのである。

「ちょっと、ガツンと言って遣りましょ。頭の毛を剃ったって、肝心な心臓の剛毛を剃らなきゃ、何にも為らないって言って遣れちゃ。こんなエロ爺っさは、客と思う事は無いよ。無駄事こいたら、その箒で頭を思い切りひっ叩いて遣りゃ~好いんだよ。」
「そんな事したら、申し訳ないですよ。怪我させちゃいますよ。」
「毛が無いんだもの、端から怪我なんかしないわね。体付きも獰猛に出来てるから、プロレスラーか相撲取りだと思って、遣りましょ。ちょっとや、そっとじゃ~、くたばらないわね。遠慮は要らないよ。」
「ああ、大丈夫だよ。俺ぁ、軟な女パンチにぁ、滅法打たれ強いから。へっぴり腰パンチなんか、スキンシップってな物だわね。カモン・マダ~ム。ギャハハ!!」

 Tの奴は、アガタ絵画の代表作とも為り兼ねない傑作品よりも、雨の滴にゴイサギ・花を散らしたメルヘン画を愛でてくれたのであるから、描き手の私としては、痛し痒しの処であった。

 暫し、真面目な世相談議をした後は、昨夜見たボストンの町案内番組の感想を話す。アメリカ独立の発祥地のボストンは、歴史の浅いアメリカに在っては、数少ない歴史を刻む町の風情が、観光客を引き寄せているとの事であった。

「建築当時の煉瓦造り街並も、然る事ながら、通りの街路樹・公園の雰囲気が何とも言えんのだよ。日本の都市の街路樹・公園は、管理の手が行き届いて、小奇麗に枝打ちがされて居るだろ。でもさ、小奇麗な管理に神経が行き過ぎて、公園の芝生の中に入るな、池で遊ぶな、木に登るな、てな可笑しな現象を生み出して居るだろ。女だって、化粧・余所行きの顔をして居たんじゃ、バリアが掛って味も素っ気もありぁせんぞや。世の中、それが分からん馬鹿野郎が、多過ぎる。素地の魅力が、無さ過ぎる。

 それがさ、ボストンの街には手付かずの自然の儘の、時をゆっくり刻んで来た<歴史のくすみ>見たいなものが有るんだよ。ビル・アンド・スクラップの張り子みたいな日本の都市の中での、そんな雰囲気は、精々、神社さんの鎮守の森くらいしか無いだろう。公園が近代化された空間の提供面をして見た処でもさ、時間・格好・行為・遊び・行動なんかに囚われないで、ゆったりした心の安らぎを感じられる居場所と云った空間が、無くなって来ているだろう。小奇麗な管理された造られた空間は、日本の場合、通り過ぎるだけの目で見る事が主体の空間に為っているんじゃないか? 本末転倒のヘンテコリンな都市空間だろうが。

 こんな事に気付いたのは、ウラジオストクのアパートの木々・公園の雰囲気だとか海のバンガロー周辺の森・林だったんだけどさ。日本人の自然観とヨーロッパ人の自然観の根本には、宗教の違いが有る見たいでさ。色々と脳内散歩をしてさ。俺個人的には、まぁまぁの結論に達しんだがさ。

 中東の緑薄い地域性から生まれた一神教排他主義の根っこを持っているキリスト教に、ヨーロッパの森林の民ケルトが、キリスト教に改宗して行く過程には、自分達のDNAに引き継がれている・・・自然とは、人間が勝手に手を付けてはいけないと云う『大地投身』の意味合いが、残されている感じを受けるんだよ。
 その原因は、神聖ローマ帝国時のギリシャ正教の末裔を任じるロシアに受け継がれているんじゃないかと思ってさ。

 片や、ヤオヨロズの神々の国の日本ではさ、ギリシャ神話の様な如何にも人間臭い神々・仙人が登場してるだろ。緑濃い東洋人の自然崇拝的な考え方から云って、絶対的な神の意識が無いから、自然との共存思想が有ってさ。自然との共存関係の思想が、自然への働き掛けになって、里山なんて自然と人間のサイクルの調整を図って、お互いが利用して生きて行く処で、<頂く・感謝する・お返しをすると云った循環の思想>をもたらしていると考えているんだけどさ。追々、暇にあかせて、脳内散策を続けて行こうと思ってるんだけどな。」

「Rは、いざと為るとインテリさんだね。白人は恥部を剃り上げて、日本人は其の儘のお手入れ無し。こりぁ、面白い逆転現象だわな。如何やら、日本の鎮守の森思想が、『祠(ほこら)』の性風景と為って居るんだな。あい!! この逆転現象を、如何、説明するんじゃい。」

「ニャロメ、お前さん、嫌な野郎だね。俺がアカデミックに、久し振りに好い気分で、此処まで持論を展開して来たのに、最後の最後で、バケツの水をぶっ掛け遣がって~、
そうだな。まあ、逆転現象だったら、途中でクロスさせりゃ好いのよ。そんな物ぁ、真面目に考える必要なんか無いさね。

 ちょっと、待ってろや、脳内ライブラリーから、屁理屈を引っ張り出すぜ。

 森の民が他民族に追われて、ヨーロッパの僻地に分散されてさ、気が付きぁ、森林切り倒して定着農耕民族の天下だわね。木が無くなりゃ、隠れてするまでも無かろうよ。白人毛唐は、森林失って開き直るしかあるめいズラ。
 そう為りゃ、恥も外聞もありゃしねぇわさ。敗戦国・被爆国の非核三原則もありゃしねさね。片手にワイングラスの、スリーホール解禁の<ヘイ、カモン・ベィビィ。トライ・オールホール!! カホン・ベィビィ、ハリー・アップ>てな物だろうがさ。

 何しろ、食い物が違うわね。肉食と草食じゃ、スタミナと馬力が月とスッポンだぜや。セックスはスポーツ、プレイへ進化したから、太陽サンサンの屋外オープンセットの中じゃ、余計な物は剃っちゃうだろうな。太陽の下じぁ、ちっぽけな茂みなんか、無い方が益しだわさ。
 一方、秘め事二人だけの秘密の園じぁ、口外禁止の秘め事は、『淫靡』が格好のお膳立てだわね。<穴、恥ずかし>てな物で、鎮守の森の鬱蒼たる祠が必要じゃないのかい。ギャハハ!! 開くエロスと隠すエロスは、所詮、ロケーションの相違だわさ。そうだろうが!! うん、これなら、苦しいけど、一応の論理の整合性が出来るから、『可』で及第点にしとけや。」

「ほ~う、そんな物かいな。カモン・ベィビー、ハリー・アップの積極さと、アナタ、あな、恥ずかしい、<嫌よ嫌も、好きの内>での祠事ってか~、
 伊達や酔狂に、気違い絵を正々堂々と描いて、セッセとアップしてる化け物脳味噌じゃ無かったか。恐れ入っちゃって、今夜あたり、『クロスの怪』で、知恵熱が出ちまうぜや。とんでもない男と腐れ縁を持っちゃったもんだわさ。ヤニの補給に行くべや。」
「あいあい、見捨てられたら一大事だぜ、仰せに従いまするわね。イッヒッヒ!!」

      ホームセンターで、賄い夫の必需品・調味料を買って帰る。
 さてさて、家に帰って昼飯は、ソバを茹でて食べさせた後は、約束のベットの組み立てをしなければ為るまい。お互い、しがない賄い夫稼業の日々である。言葉の行き違いで、瞬間湯沸かし器の感情が走る時もある。

 そんな時は、「怒っちゃいけねぇや、あいつも我慢のシャーナイ、しゃぁないのボヤキと我慢の顔をしているのである。長い腐れ縁、奴が居るから、俺もへこたれず日々が勤まる。友は、有難や、有難やの<心のツッカエ棒>なのである。男の友情に感謝するのみである。」

心何処ーショート ギャハハ怪人登場す。
             ギャハハ怪人登場す。(5/14/10)
 さてさて、頭の中のモヤモヤを文字表現するのは本当に癪に障るから、絵にして見ようかと思い立った物の・・・白紙の落書き帳に、線は一向に動かない。

 新党ラッシュの後は、元プロ野球選手、体操の金メダリスト、オリンピック・ママさん・参院選挙出馬の三足の草鞋を履こうとする国民・有権者蔑視の政治の塵魍魎の世界を、如何に表現するか・・・ 発意こそ、生意気なのであるが、絵の才能など皆無に等しいロートル下衆貧民である。

 浅学非才のスカンポ脳と不器用極まりの無い手先にして、これまた、悪態しか見せる事の出来ない吾が身である。広漠と拡がる無能荒野に、咥え煙草の煙ばかりが目に沁みる。

          嗚呼、タイテノコラサの体たらくである。

 己が能力を度外視した大それたテーマに、憮然たる白旗を上げるしかない深夜の寒き小部屋の逡巡である。

 そうだそうだ・・・<『壁』にぶつかったら、振り出しに戻れ。>と、刑事ドラマで主人公様が、言って居られた筈である。背伸びをするから塵魍魎の世界に引きずり込まれて終うのである。私の原点・実像に還れば、道は開けるのである。イッヒッヒ!!

  私の原点・実像は、<金無し・毛無し・女無し、止めが甲斐性無し>なのであった。

  吾が得意手は、唯一点。無手勝流・徒手空拳の出た処勝負の『大戯け怪人』であろうが!! 
 子細構わず、白紙に線を描けば、線の先に、何かが見えて来るまでの事である。結果は、後のお楽しみで御座ろうが。ヨッシャ、始めましょうかね。深夜の悪戯落書きタイムで御座りまする。

 遣れば出来る。背伸びは禁物である。まぁ、こんな程度が、吾が身の丈であろう。色鉛筆のケースを開いて、さてさて色を選んで、これからが下手絵制作の一番の<へへへ、ウッシッシ、ニャハハ、コンニャロめ、ギャハハの『ザマァ見遣がれ』のマイタイム>のお時間なのである。
 
     これを称して、下衆の大溜飲画と云うのである。イッヒッヒ!!

 劃して、出来上がったのが、本日の一枚のお披露目で御座りまする。絵のテーマは、三つの顔を持つ<手招きをする塵魍魎の世界>でありますれば、怪奇為る素顔に、黄金のフラシュを当てられて、浮かび上がった顔に、一体何を見出すかは、ひとえに訪問者皆様の観賞眼次第で御座りまする。

 古来より、『見るはタダ、笑うもタダ。想像・妄想に遊ぶは、ご自分の技量』と云われて居りまする。100%皆々様の技量と為れば、とやかく言うのは、無粋の極みで御座りまする。

 お時間の許す限り、遊んで行かれませ。ギャハハ!! にて、失礼をば、致しまする。


                   塵魍魎図

                 塵魍魎の図


心何処ーショート ああ、体は縮こまるばかりなり。
          ああ、体は縮こまるばかりなり。(5/13/10)
 寒い寒いと言って居ても仕方が無いから、再び股引にセーターの御厄介に為る。真似事掃除の後は、郵便局の払い込みのついでに、スーパーで買い物をして来る。シシャモの煮付け風佃煮を仕込みながらの、カレーうどんを作る。ブログ徘徊をしながら、コメントを打った後は、母の部屋でお茶を飲む。

 外は如何だと云うから、寒いもんだと答え、郵便局もスーパーも、年寄りばかりが目立つし、不景気の閉塞感で買い物をする人達の商品を籠に入れるスピードが、兎に角、遅くなっている。家計のボディブローが、底に入った儘の灰色ムードだと、感想を話した次第である。

財布の灰色ムードに寒空と来たら、元気が失せるのは、仕方の無い事である。

 何かと、ビックエベントがあると、その経済効果なる云われ方をする昨今である。天候との消費関連をウォチングして、天候不順による農作物の負の経済効果と天候不順が消費行動に与える負の経済効果と云った物を公表するのも、面白い消費動向因子と為るのでは無いだろうか? 
 天候が及ぼす農作物の生産と消費者の消費動向の相関関係が、解明されて来ると、天気予報の分野も速報型の気象分析から、気象発生のメカニズムに大きくシフトして、地球規模的な開発と云う名の各国家プロジェクトにも、上流・益国と下流・被害国の国益調整を討論する国連決議と云う足枷が付くのかも知れない。二酸化炭素に依る地球温暖化議論ばかりが、地球環境の保全策だけではあるまいに・・・
 
 こんな感想を母を相手に、話をして居ると、
 
 おやおや、再放送の『午後のワイド劇場』では、北大路欣也さんが出ているではないか。好きな役者さんであるから、部屋から毛布を持って来て、確りドラマ観賞と相成った。星由里子・宮園純子さんも出演されている。矢張り、役者さんが好いと、ドラマは引き締まる物である。こんな処が、映画で基礎を確り躾けられた役者さん達の存在感は、大した物である。

「如何だい? 好いドラマだっただろう?」
「うん、ドラマは、役者次第だね。堪能したわいね。」
「今度は、相撲を見て行くかい?」
「やあやあ、そんなにテレビを見て居たら、俺の時間が無くなっちゃうから、部屋に帰るわね。」

 私のブログサイクルからすると、そろそろ政治ネタを打つ頃なのであるが、如何もその気に為れないのである。頭にネタが無いのでは無いが、そんな物は打った処で、何に為ると云う感じで、政治ニュースを見ても聞いても、アホらしいの塞ぐ気分しか湧いて来ないのである。決められないモタモタ騒ぎ、タレント・スポーツ選手の出馬表明などを見ても、ウンザリするだけの閉塞感しか湧いて来ないのであるから、由々しき大問題ではあるが、如何しようも無い。はいはい、勝手にお遣り下さい。

 朝の内は、太陽が確り出て居たのであるが、部屋から見る空には、灰色のモヤ~とした雲が、薄い青空を八分通り埋め始めている。窓からは、生足・ショートスカートの女子高校生達の自転車が、通過して行く。可哀そうに、寒々とした生足達である。

 本当は、草も伸びて来たから、草むしりでもしようかと思って居たのであるが、こう寒いと身体が硬くなって終い、そんな気にも為らない。

 水槽の住人も、玄関の小鳥達も、静かな物である。母の部屋はコタツを取ってしまったから、母は電気毛布をコタツ替わりとして居るのである。余り文句を言わない母ではあるが、一向に安定しない五月の気候にオカンムリの様である。斯く言う私も、今日の散歩は行く気にも為らず、一日くらいサボっても大勢に影響もあるまいと、物臭体質に胡坐を掻いている次第である。


心何処ーショート SHトークのお付き合い、アリガトザンす。
      セクハラトークのお付き合い、アリガトザンす。(5/12/10)
 遅ればせながらの五月に為ったと油断して居たら、昨日は、何と寒い終日の雨であった事であろうか。冗談じゃない。堪らず、万年床で映画観賞である。取り出したるは、グレゴリー・ペツク、ジェニファー・ジョーンズ、ジョセフ・コットン主演の<白昼の決闘>である。この映画は、『慕情』・『終着駅』で知られるジェニファー・ジョーンズ主演の映画である。然し、慕情・終着駅で演じた彼女とは全く違った魔性の女を、別人の様に、確かな演技力で演じ切って居る映画である。

 然しながら、この映画には殆ど記憶が薄いのであった。映画を観ながら、何か<風と共に去りぬ>を連想させる様な大地と雲のシーンが、随所に出て来るのである。ドラマ、シーンのトーン、味付けも好く似ている・・・そんな感じに囚われながらの映画観である。
 映画の舞台を南部の大地から西部の大地に移しただけで、繰り広げられる男女三角関係の絡みは、気丈な女の側に立ったストーリー展開なのである。これは、きっと監督か製作者が同じに違いあるまい。

 私個人の興味の違いなのであろうが、こう云った冗長(一般的には、壮大なスケールと形容されるのではあるが・・・)な大作映画は、何故か製作者の鼻持ち為らない臭気が、プンプンして来るから、臍曲がりの私にとっては、嫌な映画でしか無い。

 もう、眠いから、明日に為ったら、この二作を調べて見ようと潰れかかった瞼を閉じて寝た次第である。

<風と共に去りぬ>と<白昼の決闘>のVDVパッケージを並べて見ると、矢張りの結果であった。其々に、1939年作品、1946年作品とある。私は48年生まれであるから、当然、この映画にお目に掛ったのは、何十年も後の話である。前者には、ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルの顔はセットで浮かび、後者には魔性の女の哀れさとしてのジェニファー・ジョーンズの異作映画としてのイメージしか湧いて来なかった次第である。

 
              風と共に去りぬ   白昼の決闘
              風と共に去りぬ真昼の決闘




 こんな事を打っていると、
「コンニチハ~、ヤクルトで~す。」
「はいはい、一寸、待っててね。文章閉じるから、暫しのお待ちを~。」
「好いですよ。ゆっくり遣って下さ~い。」

 先週は、釣りに行って居て不在だったのである。代金を受け取らずヤクルトを置いて行って下されたヤクルト・ママさんである。下手絵ファイルを持って、有難うゴザンしたの御挨拶に行く。彼女は腰を下ろして、ニコニコして下手絵を見ている。

「この絵、可愛いですよ。雨の滴の中に、お花を入れたんですね。この花、そこに咲いてるのでしょ。名前は何ですか?」
「オダマキなんだけど、俺ぁ、そのムッチリした太腿に、目の遣り所が無いわね。困りましたな。へへへ。目線を勿体無いけど、逸らしますわな。」
「色ぽいですか~、未だ女ですか~。好いですよ。」

「あぁ、好かった。ショートパンツでしたか。俺はさ、すっかりスカートだと思って、反射的にうろたえちゃったんだけど・・・ それだったら、安心して、太腿の観賞させて貰うわいね。
 アナタは、俺の下手絵。俺は、ムッチリ太腿の交換観賞と行きましょうかね。イッヒッヒ!!」
「相変わらず、Rさんは、口がお上手ですね。助平さも、仁徳の内ですからね。こんな物で宜しかったら、どうぞ~。
 この蛇ちゃんも、可愛い目をして居て、楽しいじゃないですか。あらあら、このお花の中の色んな顔は・・・何時見ても、楽しい絵の世界で~す。Rさんの絵は、好きですよ。」

「そうかいそうかい、俺の好みの○さんだから、う~~んと、鼻の下を伸ばして、絵のポイントを解説させて頂きましょうかね。ああ、コンチクショーだね。旦那が羨ましいわや~。
 この絵は、此処と此処に注目して、フフフ、オホホのエロチックさを想像させながら、全体のホンワカとした悪戯画に、ニヤニヤをさせてくれれば好いんだわ。」
「了解~。私、この雲さんの絵が好いです。とっても、柔らかくて、のったりしてて、温かくて・・・色合いと表情が。」

「そうずら、天候不順の4月を乗り越えて、漸く姿を現わした春のイメージを表現したんだわね。草木が春にぽっかり小さな花を咲かして、初めは、青虫肥ゆるのイメージをダブらせて、豊穣の春の実りに、お母さん雲さんが、栄養一杯のオッパイを上げて回る図だわさ。
 オッパイを描けば、バランス上、俺の大好物・女のヒップを描かなくちゃ、片手落ちだわね。ヒップは、父ちゃんの大好物、生身の父ちゃん母ちゃんの夜の間具合と来りゃ、男と女の喜怒哀楽も、その行為の中には詰まって居る物だいね。
 でもさ、家庭の大黒柱・お母ちゃんは、喜怒哀楽ぐっと胸に収めて、吾が子にスクスク育ての愛情込めて、オッパイ・ミルクを注いで回るお母さんの穏やかな顔を描いて見たんだわさ。好い顔してるでしょうに。ギャハハ!!」

「う~ん、Rさんの絵には、ストーリー、思いが一杯詰められているんですね。絵を見て楽しんで、説明聞いて、為るほどと感心する。絵の中にあるくすぐったいエロさと絵全体から来る子供ぽさが、何んともフフフ、ウフフ、オホホでコラボしているから、楽しい絵となって、見えて来るんですよ。
 助平なのか真面目なのか???の『?』が、Rさんの魅力ですからね~。アハハ。」

「イヒヒ。最大限の賛辞のお礼だ。今日は、未だ寒いから、万年床に引き込んで、全身・局部のマッサージで、お返しさせておくれや。ゴールド・フィンガーって域じゃ無いけど、そこそこの御利益はあらぁね。俺ぁ、正真正銘の女日照りだぜせ。Yes or No?」
「NO!!」

「OH、ニッポンジン・オクサン、ケチ!! ワタシ、身持ちの硬い美人奥さん、大好き。アナタは、立派な日本のお母さんです。寒いから、風邪引きなさんなよ。アリガトさんね。又、来週ね。」
「バイバイ、又、来週来ますね~。」

 これは、俗に云う処のセクハラトークなのであろうが、それを嫌な顔もせずにお付き合いして下さるのであるから、ヤクルト・ママさんは、真に以って、人間の出来が好い女性なのである。
 人間とは、距離感を保ち続ける術を習得すれば、女日照りの侘びしき荒野にも名も無き小さな花々が顔を覗かせて呉れると云う物である。水・太陽・四季に恵まれた日本に生を受けた幸運を感謝しなければ、お天道様の罰が当たると云う物である。感謝感謝の気持ちである。

心何処ーショート 雨のスケッチ
             雨のスケッチ(5/11/10)
               
                雨のスケッチ
    
 雨は降る降る、雨が降る。若葉纏った幹を濡らして、滴の川を伸ばす。
     やっと咲いた薄桃色のツツジの化粧も、雨の中。
  咲いた咲いたイチゴの白花。丈の短さに花集いて、雨に耐える。
開いた開いたオダマキの花。紫・ピンクの下向き花、雨避けて彼等、何話す。

雨は降る降る、雨が降る。緑の野辺に、白き煙幕張って、雨は降る降る、雨が降る。
     葦の幼緑、川面打って、波紋産ませ、川は流れる。
 飛ぶ飛ぶツバメは飛ぶ、雑草の地面すれすれに、雨厭わぬツバメが飛ぶ。
 ゴイサギ、コサギ、マガモ、カルガモ、斜の雨にただひっそり、何思う。

雨は降る降る、雨が降る。薄暗き小部屋の二つ並んだ水槽に、金魚・メダカは泳ぐ。
水草目覚めて、茂りの水槽に彼等の餌撒けば、大口開けて、緩やかにパク付くなり。
沈む顆粒の餌に、メダカは集団で喰らい付く。壁面タニシは、微動だにせず。
ラジオはニュース流して、曜日のスケジュールこなす為り。雨は降る降る、雨が降る。



                  雨のスケッチ

心何処ーショート 口は災いの元
                口は災いの元(5/10/10)
 雨の落ちて来そうなお天気である。若葉を纏った雑木に、風が戦いでいる。窓下のオダマキも、イチゴの白い花・ツツジのピンクの花に混じって、濃い紫の小さな花を咲かせている。庭に回れば、見事な山ツツジの朱の色とアヤメの白花の開花、未だ咲かぬシャクヤクのピンクの蕾の大きさである。マンジュシャゲは、夏の開花に向けて、球根に養分を送り込もうと、凄い勢いで緑の葉をぎっしりと茂らせている。お天気は下り坂に向かって、急ぎ足の様子である。

       現在、風呂に入って、洗濯をしている賄い夫である。

 昨夜は、訪問者さんのブログから飛んで、保守の政治家・言論人のYouTube講座の真面目一辺倒の聴講生を遣ってしまった次第である。
 私も、極々普通の日本人ロートルであるから、我が意を得たりとばかりに、深夜の大喝采を送ってしまった。そんな事で、夜型の人間は、起きるのがキツイ朝と為ってしまった。
 お天気さんが下り坂で、持っての幸いである。これでは、釣りに行こうなどの気は、更々起きない休養日である。

 講師の皆さんには、凄い人も居れば、大した事の無い面白い人もいらっしゃるものである。鳩山さん・小沢さんも、彼等に掛っては『格好の餌食』である。おお、怖い!!

 私は、週刊誌など殆ど手に取らない生活を送って居るし、週刊誌の引っ張るだけ引っ張って、結論は何の事は無い『様子見の結論』で終わる読み物には、体質的に関心が無い。 
 それに、サラリーマン稼業時のお師匠さんの言葉に、<お前、週刊誌なんか読み出したら、即破門だ。時々、試験をするからな。>などと、脅かされて居たので、未だに老いの一徹で週刊誌記事には、鼻も引っ掛けない天の邪鬼権を行使している次第である。

 講演屋のお歴方は、大衆受けする口上に長けている御仁が多いから、YouTubeの画面を見ているだけで、テレビ以上の面白さがある。当然、御登場の超有名人であっても、好きな御仁も、嫌いな御仁も居らしゃる。嫌いな御仁であっても、正論は正論であるから、拍手をするにやぶさかでは無い。へへへ。

<何を偉そうに、生意気こきぁがって、その位の事なんざぁ、素人の俺にだって、言えるわいな。自分が有頂天に為っているだけで、然程の脳味噌の切れ味を持ち合わせても居ないのに、そんなに背伸びしてふんぞり返って居たら、アナタは活字中毒のおチビさんなんだから、後ろにひっくり返って、御自慢のイカズチ頭を強打して、評論家生命を失くしちまうがね。
 あんまり偉そうな事言ってると、一般大衆に張っ倒されまするわな。サクラ拍手に、そんなに涎を垂らして居ちゃ、お里が知れまするがな。イッヒッヒ!! 
 日本のだらし無さに、そんなにオカンムリなら、台湾にでも韓国にでも中国にでも、お帰りに為ったら如何でヤンスかね。自己顕示欲ばかりが、旺盛過ぎるのも減点の対象でゴザンスよ。お気を付け遊されませ。>

<フムフム、左様で御座ったか~、ふ~む、疑問・違和感の根源を教えられた感じでありまする。政治家・マスコミ風聞語の宇宙人感想の揶揄の裏には、恩人奥方への略奪婚なんて事情が有ったのでありまするか・・・風聞語の裏を読むのは、難しい物である。
 太陽細君とばかり見て居りましたが、あの出しゃばり様とのお手手繋いでの裏には、裏を映す『夫婦の実像』が有ったのでありまするか・・・はい、得心致しましたぁ~。> 

 嘘つきお坊ちゃん宰相を持たされてしまった国民は、愈々、背骨無きお言葉だけの饒舌宰相の正体が暴露されて来て、その内、怒り心頭にエスカレートして仕舞うんでしょうね。
 こりぁ、本当に不味いでゴザンスよ。日本の首相は、日本人でも相当に難しい舵取りなのに、宇宙人様が腹案のウルトラC級の離れ業をしてくれるなどと、期待したのも束の間、現実の基地問題に引き戻される結果が見え見えでありまする。

『知らなかった。勉強不足でした。』では、済まされない政治家・総理の資質の問題である。

 そりぁ、そうである。宇宙人様が、自分の得意技を披露出来るのは、重力の無い宇宙空間であろう。何しろ、政治とは、相手のある地球上での重力下での舵取りである。重力下では、引力から自由に為れる訳が無かろう。
 今や、自ら公言したタイムリミット・安保条約・中国・北朝鮮の脅威と云った諸々の引力に、UFOはフラフラと不時着を余儀なくされようとしている無様である。政治の国内事情・国外事情の国際事情の真っただ中に在っては、賢母のお力添えを期待しても、それは次元が違いまするぞえ。

 既に、宇宙人が地球人、日本人に宗旨替えするには、訓練・鍛錬のお時間すら御座いますまい。進退は、自らのご決断でありまするぞえ。もう、一生分のお手手は繋がれましたでしょうに。特大子供手当の糾弾時に使用した『知りませんでした。』では、断じて、許されないのでありまするぞえ。加えて、勉強不足などの言い訳は、日本のトップとして、決して口にしては為らない言い訳でありまするぞえ。言い逃れ遊泳には、キンタマの重しは邪魔だったのかも知れませんが、トップに立ったら必要なのが、日本人としてのキンタマの重さなのでありまする。やんごとなきお坊ちゃまの言い訳にも、限度が有りまする。

 はい、返す返すも、一国の総理に対しまして、『大不敬の極まり』で御座りまする。兎角、口は災いの下でありまする。下衆貧民ロートルの戯言を封殺する為に、故事に因んで天照大神の岩屋に隠れる事に致しまする。何分、貧民中の貧民の暮らし故に、隣部屋の万年床をば、岩戸と致しまする。

 アジャマァ~、岩屋に隠れようとして居たら、斜向かい色白吟様のお越しである。さてさて、ロートル戯け文作綴りの続きは、何日からか・・・ はいはい、少々お待ちを・・・ 


心何処ーショート 長靴履いて、やれやれ朝作業。
           長靴履いて、やれやれ朝作業?(5/9/10)
 八時であるか、田んぼの水で濁らぬ内に、一振りして来ようか。長靴を履いて河川敷に下りる。先ずは、近間のポイントで棹を振るうが、水温が低いのあろう。何も寄って来ない。こりぁ~、此処で来なければ、先ずは駄目である。A橋の落ち込みを狙うが、水中にヤマメが魚影を見せるも、途中で直ぐ潜ってしまった。毛バリとは、大分距離が有った。

 釣りから散歩にウェート移しである。それでも、要所要所で棹振りをしながら歩く。次回の為に、棹振りに邪魔に為る葦などを折って、釣り環境を整えて行く事にする。

 未だ釣った事は無いが、先の堰堤の下には、好ポイントが有るが、水柳の枝が大きく邪魔をしている所が有る。その都度、毛バリを喪失してしまったら、大損である。棹を振りながら、邪魔な枝を折る。水気の多い水柳の枝は脆いから、ちょっとした力で、ポキンポキンと容易く折る事が出来る。荒瀬・早瀬・淀みの組み合わせが、30mほどの中にある。そんな中に三か所位のポイントが続くから、棹の届く範囲がカバー出来る様に、立ち位置を三か所にして、枯れ葦の出っ張りを折ったりして、環境整理作業である。

 例年だと、この時季は羽虫が飛び交って、水面近くの羽虫を捕獲するヤマメ・ハヤなどが、水面に波紋を幾つも作るのであるが、天候不順の煽りが、こんな形で現れているのである。餌釣りの仕掛けは持って来なかったから、釣りが期待出来ない時は、こんな事をして置くと、次が楽なのである。
 尤も、その前に釣り人が、これ幸いとばかりにチャッカリ釣ってしまうのかも知れないが、それとて仕方の無い処である。近間の釣り場で、ロートルが釣りを愉しむとは、こう云う事である。

 先日、逃げられてしまったポイントも、同様にする。さてさて、賄い夫に帰るとしようか。再び近場のポイントに戻って、棹を振ると水中に魚影が見えたが、空振りである。大体は、二度目の追いの時に勝負をするのが、テンカラ釣りの面白さなのであるが、魚影は出て来ない。

 M橋・S橋の下では、新学期恒例のS大生達のバーベキュー・コンパの支度が始まって居た。サツキの植栽の一角に、早咲きの赤ツツジが植っている。それが、丁度満開である。此処のツツジが咲いて、橋の下で学生達の恒例コンパの風景が、春の風物詩の一つでもある。今年の乱高下・天候不順の煽りを喰らって、コンパはあれよあれよの間に、連休明けの開催と為ってしまったのであろう。
 遺憾いかん・・・ 釣れない口実をこんな事にも求めて、自分の反射神経の衰えから目を背けようとして居るのであるから、つくづくと歳は取りたくない物である。トホホにして、遺憾いかんの連発である。

 さて、一番のポイントに下りて止めにしよう。こんな処が、半分、不貞腐れ釣り人の意地汚さである。既に期待などして居ないから、楽な階段下りで川に下りる。気温も大分上昇して来ていたから、何時も狙う瀬の部分の、浅瀬の辺りに棹を振るって見る。

 それが何と、一投目に、スーと来た。其処に数度棹を振るうが、全く姿を現さない。
 然し、姿を見た以上、ファイト満々である。その下に流すと、バシャと来て空かさず合わせたが、口を掠った感触だけである。二度来たのであるから、釣果ゼロであっては、プライドが許さない。

 さぁ、来い!! 如何した・・・ 居るのは、分かっている。さあ、来て見ろ・・・ お願い、空振りでも好いから、来てぇ~。頼む・・・

 粘って見てものの、結局ペケであった。加えて、『何たる無様の上塗りぞ!!』 本日は、不断、散々馬鹿にしているアブラハヤ一匹も釣れなかったのであるから、私は釣り下手なのであろう。ショックの大きさに、長靴の歩みは重かった。嗚呼、腹減ったなぁ・・・

 本日は、町会の日赤の集金をしなければ為らないから、朝飯抜きの昼食後は、昼寝をしてから、集金仕事である。

 時間を見計らって、集金に出掛けようとして居ると、私が部屋に居るのを見付けて、斜向かい吟さんが、遣って来られて窓を開ける。他愛の無いご近所話を交わして、さぁ、班のお宅を回らなければ為らない。
 今度は、私が斜向かいさんの部屋を開けて、お釣り用に千円札を両替して貰う。日曜日の夕飯前であるから、不在のお宅は少ない筈である。何度かトチリながら、集金を終えて集計を済ませて、副町会長さん宅に納金して職務完了である。まぁ、これも一日である。

心何処ーショート 処方箋無きロートル・コンビ
            処方箋無きロートル・コンビ(5/8/10)
 ガス屋さんの集金である。彼是と、下手絵ファイルを肴に、月に一度の男話である。閉じ籠り生活であるから、訪問してくれる人は大歓迎である。こんな機会が無いと、私は言葉を忘れてしまう。

「ちょっと、早いけど、好いかい?」
「はいはい、好うゴザンスよ。」

 遺憾いかん・・・飯の途中であった。こりぁ、ちと忙しいぞや~。婆さんのお相手は、後回し。鳥・金魚の世話、真似事掃除と・・・
 
 車中の人と為って、空振り釣りの話である。Tは、床屋に行って来て、夏向きのスッキリした頭に為って居る。へへへ、毛髪フサフサが羨ましいから、ゴマ塩頭を撫でさせて貰う。チクショーめ、好い感触である。

 矢張り、薄着の季節は気持ちが好い。コーヒースタバの二階席で、下手絵ファイルを見せて、青大将談議をして居ると、若い白人カップルが上って来た。肉付きの好い黒いタンクトップとショートスカートの出で立ちである。髪の毛は、黒味がかった栗色のストーレート・ヘヤーである。飾り気無しの健康女性である。

 好いですなぁ~。近くに寄って、白人毛唐様のフェロモン・シャワーに当たりたい物である。久し振りの好物・外人さんである。

 席を移動したいのは、山々であるが、それでは日本人の節操を疑われて終う。ロートル・女好きと云えども、ジャパニーズ・オッサンの品位は、守らねば為らない。

 女好き・不良ロートルコンビは、へへへの顔を見合わせて、お互い腹の中では、<この助平野郎が、少しは行儀好くしろや、好い歳かっぱらって、鼻の下を伸ばしやがって。この戯け野郎が~>ってな物である。

 お互い、真っ直ぐ前を見ている分には、インテリ顔をしているし、品の面でもそこそこの線を行って居る筈なのではあるが・・・ 兎に角、根が好き者同士の<長い腐れ縁>である。好感の持てる対象が視界に在ると、心の正直さが、目の動き・色にストレートに現れてしまう。これらの症状は、きっと医者に掛っても処方箋の書き様も無い病気なのであろう。
 同病相哀れむ・・・なんて、正当な諺では無く、『同病相活気付く』と云った方が、戯け症状の正直なる記載であろうか???

 達人Tの野郎は、胃弱を口実?にして、トイレに行って来るとの事である。目の保養チャンスなのであるが、途中からテーブルに加わって通訳?らしき日本人オバさんと若い男客が、視線をブロックしている始末である。ニャロウメ~!!

 それにしても、Tは中々戻って来ない。体調不良を、顔にも口にも出さない男であるから、これほど遅いと心配に為って来る。案じていると、漸く階下にTの姿が見えた。
 階段を上って来たTの目の配りが、大した物である。目だけで確りと白人観賞をしているでは無いか。

<全く、おいおい、それじぁ~、高校時代から変わりが無いじゃないのよ。>

 まぁ、お互い机を並べた馬鹿の女好き男なのであるから、人生曲線上に放物線を描く事無く、一定のレベル直線を維持し続ける様は、強い意志の下の努力と云うより、矢張り処方箋の無い『先天性疾患』と呼ぶより形容の仕様が有るまい。人間は、自分の姿が見えないから、他人には無責任なコメントが出来るのである。イッヒッヒ!!

「如何だ? 好い線行ってるだろ。」
「あいあい、奥ゆかしいアナタに変わって、代理観賞して来て遣ったわね。アハハ。」
「何をこいて、言うに事欠いて、<代理観賞>とは、物は言い様だな。俺ぁ、同席して居るのが、こっ恥ずかしいぜよ。」
「いえいえ、アナタの文章表現とお付き合いするにぁ、この位の法律用語を使わせて貰わなきゃ、罰が当たるってもんズラよ。ヒヒヒ。」
「為るほど、じぁ俺達は、女好きに関しては、『天才』って事だ。天才に、衰えの文字無しってヤツだな。なんか、<余の辞書に不可能の文字無し>のナポレオン皇帝陛下に為った気分だぜや。」
「あいあい、そう云う事ぁ、胸を張らなきゃ、世の中、楽しく為らんぜや。但し、持ち物の違いで、俺の方が上品にして奥ゆかしいって事だわね。品とデカ物、秤に掛けりゃ、品が重たいロートルの世界って、言葉知らんだろが。困ったオッサンだわさ。あい!!」

 さてさて、煙草のヤニ切れである。外の喫煙ベンチで煙草を吸った後は、今度、釣りに行こうとロートル賄い夫稼業にエールを送ってお開きとした処である。

 さぁ~てと、お次は米屋さんに行って米を買って、いざという時の漬け物頼りであるから、個人スーパーでキュウリ・ナス・ダイコン、その他を買って来なければ為らない。水槽の水替えもしなければ為るまい。やれやれ、閉じ籠り生活をして居ても、遣る事は其れなりに有る物である。

 夜に備えての昼寝は、その後である。自分で遣らねば、遣って呉れる者の無い日常である。仕事は、総べからず、遣った分だけ片付いて行く引き算の世界である。ベルト動かす歯車と為って、自転車のペダルを漕ぎましょうかね。
 

心何処ーショート お友達親子の反抗期?
             お友達親子の反抗期?(5/8/10)
 夕方に成って、雨が止んだ。陽は既に山陰に達していたが、外の空気が吸いたいので近間の散歩に出掛ける。東の山からは、灰色の鱗状の雲が斜線を描いて頭上に拡がっている。家に居ては、絶対に観られない自然の造形美である。そんな雲の拡がりのスケッチを描く事もあるだろうと、スケッチの構成を頭にインプットしながら橋を渡り、住宅街の土手沿いを歩く。一時の夕暮れ風景も呆気無く、暮れなずむ墨色の風景に変わって行く。

 さてさて、どの辺りまで行くとしようか・・・ 正規ルートの半分位にして置こう。コンビニ店を通過して、その上の橋で折り返そうと歩いていると、橋から自転車に乗ったママさんが、信号待ちをしている女子中学生の所に遣って来た。

「何時まで、遊んでいるの。今、学校から電話があって、迎えに来たのよ。もう、七時だよ。帰って来たら、電話して下さいって。電話しなさい。」
「煩いなぁ~、ヤダよぉ~。★ちゃんが、悩み事あるからって、それで、話していたんだよ。」
「★ちゃんじゃなくて、一緒に居るのは、○ちゃんでしょ。★ちゃんは、如何したのよ?」
「★ちゃんの悩み事は2つで、○ちゃんの悩み事は3つなんだよ。未だ、解決して無いだよ。もう、子供じゃないんだから、全く、煩いんなぁ~。心配無いから、帰り~。」

 幹線道路の信号であるから、待ち時間は長いのである。4人とも信号待ちをしているのであるから、至近距離での母子会話である。聞くなと云う方が無理である。制服・背恰好から云うと、中学生に為ったばかりの女子中学生であろう。盛んに口答えをしている女の子は、何処と無く娘に似ている。可愛い顔をして、シラ~と<煩いなぁ~>を口癖の様に連発している処も、娘と女房の遣り取りに似ていて、ついついニヤリであったから、彼女達に、お世辞を一つ掛けて遣る。

「お譲ちゃん、扶養者は、親の言う事を聞く物だよ。アハハ。」

 信号待ちをする変なロートルが、不意にそんな事を言うから、皆、笑って居る。渡る方向が、スクランブルであるから、中々、信号が青に為らない。これが友達母子の日常風景なのであろうが、一向に、埒の明かない母娘の会話である。まぁ、私は耳が大きいから、一句漏らさず聞こえて来る次第である。私は男だけ5人兄弟で育った団塊の世代であるから、男の反抗期の凄まじさを、身を持って体験して居る処である。兎角、男の反抗期は、直情的にして、単発の言葉と腕力の発露に終わってしまう。子育て期の父親としては、女の言葉反抗期の発想が無かった物であるから、気付かなかった処ではあるが、若しかしたら、これが女の子の反抗期なのかも知れぬ・・・ 
 振り返れば、こんなシーンも我が家にもあった。それにしても、まぁ、良く喋る好いコンビと云った処である。男には、所詮、女の世界は理解出来ない処が有る。

 為るほど、ゆとり教育・言葉民主主義と云う物は、兎角、時間ばかりを要して、お互い平行線を辿る様である。

 こんな風潮であるから、日本の政治も言葉オンパレードの基地問題迷走を辿って居るのかも知れない。両者の立場を尊重するのが、民主主義の根底などと変な気持ちを持っている言葉民主主義を実践している者達にとっては、異和感すら感じ無いトーク劇なのではあろうが・・・傍目から見ていると、とんだ反抗期の小娘相手に、躾け民主主義の出番は無いらしい。
 大の大人が、選挙用語の『お』の字ばかりを連発している様では、埒も明かない言葉民主主義の迷走劇に為らざるを得まい。指導者が、躾けを敬遠する様では、物事の筋目を通す事も出来まい。筋目の無い生き方・行き方に、尊敬など絶対に生まれ様が無いではないか。ギャハハ!! 実際、困った物である。 



                  夕暮れの雲


 お友達親子の反抗期と言葉民主主義の平行線・齟齬を、夕刻の風景画に込めて見ましたが、些かデフォルメが利き過ぎて、ヘンテコリンな絵と為ってしまいました。相も変わらずに、手元不器用なロートル・クマ男で有りまする。ギャハハ!!

心何処ーショート やれやれ、真夏日疲れ。
             やれやれ、真夏日疲れ(5/7/10)
 いやはや、昨夜は日中のカンカン照りから、強風、が鳴り立てる凄まじい夜であった。おまけに布団干しをして置いたから、布団に熱が籠ってポカポカの気持ちの悪さであった。暗い寝床に居ると、神経が兎角邪魔立てをして、益々以って眠りに移行出来ないのである。
 眠れぬをボヤくのも、体力の余力の内である。止む無しとするより他なしであろう。

 こんな時は、神経を他に逸らすに限る。昨夜に引き続き、軽めのテープを四畳半からチェイスして来て、眠気を誘うしかあるまい・・・フラフラと起き上がって小部屋から、『水の旅人』をビデオ・デッキに押し込んだ次第である。

 いやいや、これが藪蛇であった。脳シントーを起こした特大青大将のしっぺ返しであろうか?? 私の感性には一切馴染まない作品である。監督さんは、NHKお気に入りさんであるから、ラジオの深夜便では人気の語り部のお一人である。
 監督さんのファンが多いのであるから、まぁ、私の感性の方が少数派なのであろう。主演の山崎勉氏には、文句など更々ない処であるが、母親役の風吹ジュンさんの役処と受けを狙い過ぎた感じの作り物カラスの稚拙さ、バックの音楽が、耳に付き過ぎて、如何しても臍曲がりには、馴染めないファンタジー物語であった。

 嗚呼、これでは、一回見ただけで埃がこびりついて、ビデオ・デッキの門を潜らない訳である。

     フラフラと朝起きをして、朝の賄い夫をして、朝飯を食べる。
「昨日は、風が強烈だったね。布団を干した物だから、暑くて眠れんし、映画ビデオは、趣味に合わないし・・・とんだ夜だったわいね。」
「ハハハ。」
 母は、昨夜の私の姿が、手に取る様に伝わって居たのであろう。頷いて、ニコニコして居る。
「シャキとしないから、風呂へでも行って来ようと思うんだけど、雨は、振るかね?」
「ああ、大振りに為ると、天気予報だったよ。」
「そうかい。じゃ、家で入って、頭を剃るとしようか。」
「風呂に入って、昼寝をしたら好いよ。時間は、自由なんだから。」
 
 了解致しました。風呂場に行って、風呂沸かしの準備をして来る。風呂が沸くまで、母のお付き合いを致しますかね。

「婆さん、芽が出て来たよ。速いもんだね。ボタンも咲くね。」
「うん、昨日くらい好いお天気なら、咲いただろうにね。お前の部屋の前の山ツツジも、綺麗に咲いているじゃないか。」
「ああ、そうだな。あれだぞ、四畳半の下のピンクのツツジも、未だ咲いちゃ居ないが、もう直ぐだぜ。天候不順の連続だったけど、一気に五月に為ったって物だわな。」

 おやおや、愚図ついていたお天気さんは、本当に雨を降り出して来た。部屋から、下手絵ファイルを持って来て、母に見せる事にする。アジサイの葉も、雑木の葉も大きく為って、後暫くすれば、丁度好い具合に部屋の眼隠しに為る。
 四畳半の下では、すっかり野生化して仕舞ったイチゴの白い花が満開の状態である。こんな風に、季節が夏に向かうと、キリギリスの卵の行方が気に掛る。去年、あれだけ放したのであるから、キリギリスの孵化を期待したい物である。

「ほれ、如何だい? 一昨日の特大青大将の絵だわさ。」
「わっ!!」
 年寄りは、子供に還るとは云われている処ではあるが、下手絵ファイルの蛇絵にのけ反る歳老いた母は、僭越ながら倅としても、実に可愛い者である。イッヒッヒ!!

 覚束ない皺皺の手で、ゆっくりゆっくりとファイルを捲って、時間を掛けて大きく頷きながら、下手絵の説明を求める母である。

「あったこと、見たこと、思ったことを、こう遣って、絵にしてるんだね。これじぁ、一人で居ても、退屈しない訳だ。趣味が有るのは、羨ましいね。
 私は、只、働いて来ただけで何も趣味が無くて、外に出て、庭の手入れもしたいのに、もう何も出来ない。情けない。」
「へへへ、婆さん、そう言いなさんな。ボケて居ないだけ、お天道さんとオヤジに、感謝しなくちゃ~。世の中、上を見りぁ哀しく為る。下を見りゃ感謝の気持ちだわさ。有るを愉しむのが、頃合いって物ずらい。」

「お前は、好い事を言うね。」
「そりぁ、そうだわさ。俺ぁ、婆さんの倅だわね。そこん所其処らに居る馬鹿とは違って、並の男じゃ無いわね。ギャハハ。
 風呂が沸いたから、風呂に入って、洗濯した後は、ゴォーゴォー鼾掻いて、寝るわいね。」
「そうかい、ご苦労さん。ゆっくり入って温まって、昼寝するが好いよ。」
「はいはい、アリガトさんね。」

 さてさて、ラジオを持って、念入りにスキンヘッドのお手入れでもしましょうかね。団塊世代の男賄い夫の、雨の母倅のスケッチで有りまする。へへへ・・・


心何処 小心者と特大青大将殿
               小心者と特大青大将殿


                 特大青大将殿


 困りましたね。青大将の記事に、拍手が集中してしまいました。この頃、男芸者の過分なるご評価を頂いて居りますれば、蛇は、見るのも嫌だと逃げて居る訳にも参りませぬ。
 何分、浅学非才・手先不器用にして、還暦を超えてからの『男芸者修行』で御座りますれど、ダンナ衆・マダム衆のご愛顧に応えなければ、職業としての男芸者の仕事スケジュールは埋まりませぬ。

 従いまして、これを以って、本日の一枚と致しまする。描写が稚拙で有りまするから、これを見た処で心臓麻痺とは為りませんでしょうから、損害賠償などのヘンテコリンな苦情には、徹頭徹尾、『無視の態度』で臨みまするので、予めご了承下され・・・イッヒッヒ!!

心何処ーショート ニャロメ、空振り二連チャン。
           ニャロメ、空振り二連チャン(5/6/10)
        へへへ、こう云うのを、何と云うんでしょうかね???

 連休明けの本日は、親子揃っての歯医者日である。昨日の時点では老衰の暑さ負けで、入れ歯修理の微調整は、省略したいと云って居た母である。昨夜、一応の説得をして置いたのだが、体調が悪ければパスをさせて遣ろうと、ご機嫌伺いに行くと布団の中から、行くと言う。

 何年も前に作った入れ歯であるから、本人さんの口の構造にも老齢の変化が生じているのであるからして、行く時に確り調整して貰うのが、最善・長持ちの処置である。ガタ付いて来た入れ歯で、モソモソ食べて居るよりも、調整をした入れ歯でガタ付きゼロからスタートした方が、余程スッキリして良いに決まっているのである。
 そんな事は、少し合理的に考えれば、当然の対処方でしか無い。自分一人で何もかもしなければ為らないと為れば、考える必要も無い思考結果である。私は、親子兄弟と云えども、こんな分かり切った馬鹿な説得をするのは、子供の頃から大嫌いな事である。歳老いた母が億劫さに感けて、倅に甘えたい気持ちが根底にあるから、口に出して言って見るだけの事である。困った甘えん坊母上である。

 まぁまぁ、行かないよりも行く方が、絶対に好いのであるから、9:10に車椅子に母を乗せて歯医者である。母の後から診察台に乗ると、『おや、まぁ。』色々と先生に歯の不都合を説明している。
<へへへ、左様、左様なのである。婆さんや、歯医者に来て、口をあんぐり開けて、自覚症状をガタガタ・シカジカと説明をしないと、歯・入れ歯は直らないのである。ニャロメ。>

 私の方は、小さな虫歯が一本だけの診立てだったのであるが、新しく二本が加わって三本との事である。まぁ、歯も消耗品の内である。5~6年に一度は直して置いた方が、長持ちすると云う物である。車椅子を押して帰った後は、嫌に為らぬ内に町医者に母の薬を貰いに行って来る。

 アジャジャ~~、流石にGW明けの町医者である。何と、待合室にはご老人衆が、二の四の六、八の十と大入り繁盛の賑わいである。具合が悪いから来ているには違いないが、彼等・彼女等の中に据わっていると、全く吾がロートル・クマ男は、迫力・元気共に、健康その物に見えて来てしまう。
 町内の人達が主であるから、ああ、あのオバサンだ、あそこのオジサンだと、往時の頃の顔が、思い出されて来る処である。老いの速き事、走馬灯の如し・・・ 旦那さんに先立たれたのだろろう・・・ベルパーさんの付き添いで、町医者に遣って来る老女も居るのである。
 
     帰り道、ハコベを少し、飼い鳥のお土産に取って行く。

 軽い食事を終えて部屋に居ると、医者代の足しにしてくれとの小遣いを貰う。いやはや、一日のペースに乗れずに、日記打ちは夕方に回すしかあるまい。万年床を上げて寝具を外に干して、自転車で釣り具専門店に黒毛バリの纏め買いに行く事にする。
 
 自転車に乗っていると、川の向かいを歩いているのは、弟の様である。<お~い>と声を掛けると、気付いた。橋を渡って話すと、仕事先の社長が胃癌の手術で入院なので、お付き合いの病気見舞いに顔を出して来た帰りだとの事である。連れは、無尽の会のメンバーさんであるから、暫し、立ち話をして分かれる。
 
 毛バリ・諸々を買って、ヒーコラ、ヒーコラ、上り勾配。日蔭を選んでペダルを漕いで居ると、<お~い、お~い。>と、声を掛けられた。ナンジャラホイと振り返ると。

 アッジャ~ 、口の悪さと柄の悪さに掛けては、逆立ちしても、到底敵わない幼馴染の大カンナ女では無いか!! やれやれ、とんでもない女に見付かってしまった物である。相手は、広報活動には、ジャリン子時代から長じている。知らん顔して素通りしようものなら、根に持たれて、次に会った時の口攻撃が大変な事に為ってしまう。
 これも、男芸者の務めなのかも知れん。自転車を引きかえして、ご機嫌伺いのお世辞を一発噛まして来た次第である。ニャロメ。

 灰色毛バリを黒毛バリに付け変えて、昨日の汚名挽回にTシャツに長靴を履いたまでは快調なのであったが・・・兎に角、カンカン照りの真夏の様な日差しである。直ぐ様、黒長靴は太陽の直射を受けて、チンチンして来る。おまけに、風が強い。水は比較的澄んでいるから、悪食のアブラハヤばかりが、喰らい付いて来る。アブラハヤ外さねば、釣りが出来ぬ。<俺は、面食いなんじゃ~、馬鹿の大食いアブラハヤは、お呼びじゃないわね。> 風に煽られて、狭い流れに振り込めずに、ニャロメの葦への絡まりを繰り返す。

 毛バリ一個が200円である。貧民ロートルにして見たら、決して疎かには出来ない貴重品である。昨日今日と、日向の下に居るから、自慢の高い鼻が、ヒリヒリである。おまけに本日は、白のTシャツに首タオルの出で立ちであるから、柔肌は、忽ちにして日焼けでヒリヒリして来る。メタボ・ロートル・クマ男の葦原歩きは、汗のヨロヨロ歩きである。手のアブラハヤの臭いが、鼻を突く。やれやれ、春を跳び越して夏のサンシャインは、無ぇズラよ。

 物事にぁ、順序って物があらぁね。フ~ウ、暑い、馬鹿葦に、足が縺れちゃいまするがヨォ。アッシは、ほとほと疲れましたわな。昨夜は本木雅弘主演の『シコ踏んじゃった。』を、イヤホン・ビデオでゲラゲラ笑い見をして仕舞ったから、どうしようもない。

 止め止め、止め~た。物は、考え様である。<ヤマメを生簀飼い>して居ると思えば、何時かは釣れるのである。大きく太らせて、食せば好いのである。さぁ~てと、風通しの好い八畳間で、大の字に為って昼寝をするぞよ。


心何処ーショート 夏日に、青大将と出っ喰わす。
            夏日に、青大将と出っ喰わす。(5/5/10)
 ゴミ出しついでに川を見ると、未だ濁りは出て居ない。川は、田んぼに取水されて、田んぼの潜り水も合流して居るから、この時季は濁るのである。朝食後に、テンカラ釣り(毛バリ釣り)に出掛ける。出掛けると云っても、川は目の前にある。長靴を履いて河川敷から、葦の中を流れに進めば好いだけの事である。大それた行為でも何でも無い。

 50mも歩けば、最初のヤマメポイントが有る。この川では、黒系統の毛バリにヤマメがジャンプして来る。今年最初のテンカラ釣りである。この数日の気温の上昇ではあるが、さてさて、如何為る事やら・・・勿論、ズボンのポケットには、スーパーのレジ袋を押し込んで来ては居るのであるが。基本的には、様子見の釣り散歩なのである。

 流れに突き出た石に腰を下ろしてのラジオ聴きである。中々に、喰らい付いて来ない。此処は、アブラハヤが多く混じる時間潰しのポイントである。悪食・馬鹿ハヤも、喰らい付いて来ない処を見ると、未だ早いのかも知れぬ。早瀬から、淀みの際を狙って竿を振っていると、バシャリと来た。白い丸々としたヤマメである。大きさは25cm前後であろう。田んぼ水の黄土色が、人間には不利である。毛バリだと、追って来るのが2~3回である。駄目である。
 
 一度川から上がって、河川敷の散歩道を上に行き、再び、好ポイントと思われる流れを見付けて、川に下りて葦の枯れ草をそろりそろりと進む。天候不順から、一気の初夏の気温である。長々とした青大将の日光浴に出っ喰わすのが、こんなシーズンの幕開けなのである。度胸の無い男であるから、目配りだけは慎重なのである。

 居た~。これは、大物である。太い胴体である。1m半はある。太陽に、黄色味を帯びた青さが、ぞーとするほど照かっている。長靴の先で、細い尻尾を刺激するが、冬眠明けの時差ボケなのだろうか・・・動きが鈍い。
葦の枯れ茎で真ん中のふてぶてしい背中を突いて遣ると、向きを変えて、口を開けて飛び掛って来た。

<この野郎、蛇の分際で、俺様の行方を遮るとは、とんでもない了見違いじゃ。よ~し、葵の御紋を見せる前に、少々、懲らしめて遣るかいな。全く、嫌な物に遭遇して仕舞って物である。>

 近くの水柳の青枝をへし折って、その鼻先に出して遣ると、特大青大将はとぐろを巻いて、細い尻尾をパチパチと鳴らし始めている。テレビで見るガラガラ蛇の威嚇行動ではないか!!

  おお、怖い!! 私は空っきし、度胸の無い蛇恐怖症の男である。
           『オノレ、天誅の一撃!!』
 アッジャ~、恐怖心で手元が狂ってしまった。特大青大将の頭に、マトモにロートル・クマ男の面打ちが炸裂してしまった。

 アッジャ、葦原のネズミ退治の大明神様に、物の弾みとは云え、どえらい事をして仕舞った。棒で流れに流そうとすると、頭を浮かせて波間にプカプカしているだけで、一向に流れて行かない。
 どれどれ、如何なる仕組みか・・・水中を覗いて見ると、尻尾を底の鉄筋棒に巻き付けているらしい。為るほど、特大青大将は、マット上で、脳シントウのテンカウントを聞いているだけで、死んでは居ない様である。意識下の行為か、それとも、無意識での生存本能の業か、大した物である。

 これも、武士の情けの内であるから、意識が戻るまで見守る事にした。然程、時間を要するまでも無く、特大青大将殿は、頭を擡げて来た。余程痛かったのであろう。私の方を一切見ようともしない。太い胴体に棒を入れて流れに乗せて遣ると、特有の蛇泳ぎで流れて行き、葦の根を伝わって、青い草むらの中に消えて行った。

    さてさて、蛇との遭遇に、釣り気分の半分は萎えてしまった。

 斯く為る上は、安全パイの釣りポイントで、最後の望みを託してから帰るとしましょうかね。それにしても、暑いじゃありませんか。大物が居るM橋の下で、毛バリを付け変えて、テンカラ竿を振っていると、水中に魚影の白い反転である。空かさず、合わせる。

             ヨッシャ!! 掛った!!

 上がらず、落ち込みに泡の中に、棹がグイグイ軋む。落ち込みを、一気に上げるしか無い。オウリャ、ヤマメの魚体がきらりと光って、葦の縁にズバーンとバウンドした。そして、竿先が空に弾かれ反転した。ヤマメは何処じゃい!! 葦の草をバサバサ鳴らして、大ヤマメの魚影が川に走った。毛バリの結び目が、残っているだけであった。

 嗚呼、釣り落とした魚の大きな事は、落胆の大きさに正比例する物である。去年も、今日と全く同じ失敗をしている。一回り上の毛バリで釣り上げるしかあるまい。手持ちの毛バリでは、大物落としを年に何度か経験して居る処である。遺憾いかん・・・
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