旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート
                   町会総会


                 町内総会


 新班長としての務めで町会総会に出て参りました。鼻垂らし小僧だった団塊世代も還暦の爺っさ・婆っさでありまする。町内の小父さん・小母さん、兄さん・姉さん達も、立派なお年寄り行進を進めているのでありました。思わず、その加齢振りに、おやまぁ~の驚きと共に、吾身のロートル振りを振り返り見ますれば、トホホの月日の呆気無い程の速さに、ただただ驚嘆するばかりで有りまする。
 
 人間、老い易くして・・・ 新婚さん美形と騒がれたお姉さんも今や、私の横で嗚呼、腰が痛いと立膝を付いて笑って居られまする。子育てを終えた町会総会は、高齢社会を見事に写し出して、若輩ロートル組から見ますると、ついつい、ニヤニヤしてしまう光景でありました。不真面目為る私は、皆様の顔顔に、往時の若かりし頃の面影を重ね合わせて、総会議事も適当拍手の承認で有りました。イッヒッヒ!!

 ★私の下手絵に興味のあるお方は、カテゴリー内のマイギャラリーをクリックされると、吾が下手絵のオンパレードと相成りまするので、お楽しみ下され。日頃の長駄文の罪滅ぼしと為りましょうや。
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心何処ーショート 他人の空似
                他人の空似(3/30/10)
 風呂に入ったついでに、ツケの溜まった不足散歩の帳尻を着け様と繰り出す。久し振りの太陽の大判振る舞いである。そこそこに寒いのではあるが、2時間強の散歩に出掛けるのであるから、ジャンバーは置いて行く事にする。下の橋を渡って周回コースを歩いていると、お知り合いの顔である。彼もこの頃頻繁に顔を見掛けるから、御隠居さんの身分に為ったのだろう。通りを横切って静かに近付く。

「★★の弟さんですよね。」
「いや、★★は親戚の者だけど。」
 
 いやはや、面目次第も無いとは、正しく、この事であった。私は40年も50年も、その人を★★の弟と錯覚して居たのである。話を聞いて見ると、その人は私より一級上だったのである。★★は30代で逝ってしまったのであるが、知る人ぞ知る・・・高校同期の間では、その異人(異常性個性派)振りには定評のあった男である。多分、一歳違いの従兄同士なのであるから、馬鹿話を披露すると次から次へと、★★の取り持つ縁の話題沸騰であった。『虎死んで毛皮残す』同様に、<異人(変人)死んで逸話残す>の、健在振りであった。暖かい午後の日を浴びて、お役御免のロートル談議は、とうとう川を渡ってしまったのである。

 そんなロートルの呆け話をして居ると、河川敷に御老人のウォーカーである。おやおや、○○さんの様である。声を掛けぬは、長幼の序に反する。これまた、大失態である。他人の空似である。

 斯く斯く云云で、お詫びを申し上げると。お相手は、長々と自己紹介をご披露為される。地元小中学を卒業して、栄えあるトンボ高に進み、★★大を卒業してNHKに奉職して転勤族を繰り返した後、長男故に歳老いた両親の面倒を看る為に帰郷して、現在に至るも、早や吾が身も80の峠を越し、己が健康の為に、一時間半のウォーキングを日課として居るとの事である。
 いやはや、流石にNHK様である。淀み無く、滔々と語られる名調子に、若年ロートル組はタジタジの風体である。そりぁ、ダンナ様、会話はキャチ・ボールの呼吸でヤンスよ。幾ら名調子で実況放送されても、俺ら達にして見たら、取り付く島がゴザンせんわね。長幼の序は、日本の美風と云えども、こりぁ~、逃げる算段をした方が好からずよ・・・とほほ。
 これでは、子細構わず、ブログ辺境の地で、人様の迷惑を顧みず毎日毎日、長々と愚痴る吾が日誌記事と同じでは無いか・・・アナ、恥ずかし為り。

 やいやい、端から躓いてしまった物である。長丁場の散歩運動が控えて御座る。真面目モードに、転換すべし。

 野辺のタンポポは、執拗な寒波攻撃の煽りを喰らっての防御態勢か・・・地面にへばり付いた様に花茎無しの様で黄色の花を、其処彼処に咲かせている。薄紫のスミレも咲き始めている。ボチボチ歩いて、右は江戸街道、左は北国脇街道の道標まで上って来た。脇街道とは乙な命名である。勿論、お天道様が眩しいロートル・クマ男としては、脇街道の端っこを歩かせて頂くのが、丁度好いのである。

 気温は冬の低さではあるが、太陽あり、風無しの長時間散歩には、熱からず寒からずで、丁度好い寒さである。
 本日は正規コースを直進せずに、小道・脇道の大周りコースを取っているから、運動量としたら、十分にお釣りが来る処である。川原のアカシアの伐採も、大分上にまで上って来ている物である。土手のクネクネした未舗装道路を、テクテク歩く。ブラブラ・テクテク歩きと云えども、大分草臥れて来た。さてさて、アスファルトの正規コースに戻って、早い処、帰宅して一服吸いたい物である。

 もう少しで、町内に差し掛かろうとする辺りで、NHK様為らぬご本尊様との遭遇である。ハハハである。疲れたと云って、素知らぬ顔も出来まい。御歳80の先輩様は、糖尿病である。毎日の日課として、一万歩の歩きを励行されているのである。そして散歩の折り返し点は、私の下って来たばかりの橋である。大分お疲れの様子である。仕方あるまい、介添え役として散歩のお供兼話し相手役を買って出る。

 へへへ・・・である。本日は好く歩き、好く喋った物である。今夜は、町内隣組班長の引き継ぎ

心何処ーショート アッジャジャ~、おお寒い。
           アッジャジァ~、おお寒~い。(3/29/10)
      空気の入れ替えをして居ると、ゴミ出しの斜向かいさんである。

「やいやい、雪だぜや。こりぁ、季節が完全に狂ちまったぜや。」
「あいあい、今日も冬日だってせ。俺ぁ、散歩をサボって布団の中で、冬眠するしか無いわね。ゴアのヤンキー野郎め、何が地球温暖化じゃい!! 地球温暖化が聞いて、呆れるわね。ニャロメだわね。」
「20℃からマイナスの急降下と急上昇ずらい。三月に入ったら、丸でゼロ戦の空中戦見たぇな目まぐるしさじゃねぇか、イヒヒ。」
「そりゃそうだ。南洋ラバウル航空隊の飛行士さんが、伊達や酔狂に防寒服姿で、操縦棹を握ってる訳が無い物ね。地震・地震の煽りを喰らって、四季の四本御柱が、どっかで、ひっ傾いて崩れちゃったんかいね。」
「それだったら、今年は、諏訪の御柱祭。新品がおっ立つぜ、来年からは、大丈夫ズライ。」
「そうかいね。冬の足掻きのイタチの最後っ屁なら、我慢も出来るけど、性悪女の仕業と為りゃ~、純情な俺は、練炭で殺されるしか残されてねぇって事かいね。」
「駄目駄目!! お兄ちゃん、年金生活者が女狐・マンホールになんか、一切近付いちゃ駄目だんね。そう云う時は、俺達貧乏人は、こう遣ってラジオ体操するだいね。ギャハハ。」

 これだけ寒波の波状攻撃を受けると、春待つ気持ちが萎えてしまうものである。本当に鼻水タラタラ、ハックション、ハクッショウの遣り切れなさである。さてさて、小鳥様の世話・真似事掃除をして、湯を沸かしてモーニングコーヒーを飲むしかあるまい。

 ひまじん兄貴のブログを読むと、相当にオカンムリのご様子である。現代の日本社会から、『清濁併せ呑む』の日本的上司・指導者の人心束ね術が、悲鳴を挙げて断末魔の終焉を迎えている様が窺がわれるのである。
 我々世代の上司・指導者は、亀井大臣の様な器量の持ち主で無ければ為らなかったのである。厳つい顔で仕事に檄を飛ばされ、喝を入れられ、諭され、人情の機微を教えられ、人の情を見せて、★たるべき者の在るべき姿を説いてくれる。
 有言と実行、責任の取り方の均衡の中で、自ずとその人の人望の多寡は、定まって来るのである。そして、その観察の期間が長い分、人望は確信に変わって行ったのである。

 自民党と比べると、民主党は未だまだ歴史の浅い政党であるから、人望論よりも理論家・弁舌家に、評価が偏重し過ぎているのであろう。野党政争軍団の天下取りで、人間的な魅力からは程遠い知略家・ディベート家の要職者・登用が目立ち過ぎるのである。
 人望が備わる為には、個人の器量も然る事ながら、周囲の観察と云う時間の選球眼が、大きな要素なのである。人品の品定めの過程を潜って来ていない人望欠落因子を持った若侍が多いのは、政争軍団の天下取りの弊害として、否めない事実なのであろう。

 大きな池・生け簀で部下・後輩を自由に放し飼いにして、彼等の得手不得手を見抜いて、飴と鞭の調教を施して、部下・後輩の才能と使い方を進めて行く・・・そんな躾けと教育をした上での、組織・大物の人事採用・人心掌握術が急速に萎んで来ているのであろう。
 豊臣の時代から徳川の時代への移行は、実力者同士の秀吉と家康の時間を掛けた闘い、移行であったのだろうから、家康の周りには、其れなりの才能・才覚・人望の登竜門を潜って来た者達が脇を固めていたのであろう。

 今や、科学の時代であるから、限り無く個人的財産であった<一子相伝の秘伝書>は、マニュアル本に集約されて、管理項目・管理指数などは、思考・判断の計数化で広く一般に流布されている処である。
 言葉・文字を習得すれば、それは知らない物より、先を制する事が出来る。数字・計算を覚えれば、数学に秀でる事が出来る。数学に長じれば、数式を駆使して統計学上から導き出される分析に長じる事が出来る。
 言葉と数字を駆使して、論を論(あげつら)うディベートのテクニックを弄すれば、一角の論者に進む事が出来る。そんな論者の特徴の一つには、合理性と云う名の感情切り捨て論者が多数を占める傾向がある。

 そして、彼等は己の頭脳明晰振りを翳して、権力に近付き、その輪に入り、虎視耽々とライバルを追い詰め、権力の椅子に座る。そして、俺は天才・英傑・成功者だとニンマリして、内に外に、権力の指揮棒を顎で使う・・・部下・組織の成功は、己が成功。部下の失敗は、部下の一身専属の失敗。命令はコンマ3秒。実行は徹夜の突貫仕事。一将功為りて、万骨枯る。御無体と、直訴しても言い逃れ三昧、過労死の沙汰が下りるのは、何年も先の棘の道である。

 何か・・・おかしいですよね。何処か間違っていますよね。言葉も文字も、数字も数学も、理論もテクニックも、皆~な、何万何千年の人類史からの借り物ですよね。勉強・努力は、例え個人の物であっても、大元の仕込みは、全~部、人類遺産の筈ですよね。個人の立身出世の道具にして、その成功成果は全~部、個人資産・個人消費に使い捲って、ふんぞり返っている権力の椅子で良いんですかね。

 数学赤点組の私学文系出のアッシにぁ、逆立ちしても腹立たしいばかりの経済成果主義のご時世なんですわ。それでもね、私の学生の頃は、社会主義・共産主義のお伽話がマコトシヤカに吹聴されていて、都合が悪くなると青白き口達者なインテリさん達は、その教条に逃げ込んで居たんですよ。
 でもね、あれよあれよと云う間に、鉄のカーテンも竹のカーテンも取り除かれて、今や、お隣の経済大国にして、共産主義最後・最大国様は、国家資本主義に趣旨替えを為されて、貧富の差を広大な内陸部に封鎖して、飛ぶ鳥の勢いを謳歌しているのでありまするぞえ。

 そうそう、私の若い頃に口ずさんだ杜甫の漢詩に、<国破れて山河在り>がありましたね。ああ云った思いは、今は如何為っているんでしょうかね。『経済疲弊して志無し』が、現世の風景なんでしょうかね・・・

       ああ、弱ったいねぇ~。仕方が無いから、散歩に行きまする。

心何処ーショート これも、生活風景である。
            これも、生活風景である。(3/28/10)
 いやはや、面白かった。<K-20 怪人二十面相・伝>である。これを観れば、色白吟さんも、ニンマリ拍手喝采であろう。何年も邦画を観て居ない処であるが、日本映画の漫画世代も大した物である。パッケージを見ると、原作は講談社の漫画であるらしい。<三丁目の夕日>もそうであるが、漫画はコマ切れの映画でもある。それを映画と云う実写に焼き写せば、漫画とは違った物語の拡がりが、入手出来ると云う物である。
 世代が違うから、私としては明智小五郎と云えば、江戸川乱歩の原作にして怪人二十面相と戦う正義の味方なのである。それよりもテレビでは、ニヒルな天地茂が演じた明智小五郎のシリーズ物が、色濃く脳裏に映っている世代である。
 
 監督さんは、佐藤嗣麻子とある。映画全体の雰囲気が、山崎貴監督の<三丁目の夕日>に似ているのである。検索して見ると、お二人は夫婦との事であり、共に高校卒業後は阿佐ケ谷美術専門学校で学んでいる同年の生まれであると云う。為るほど為るほどの似た者夫婦の映画人なのであろう。映画を通しての世代間の時代の感性とも感じられるトーンに、ついついニヤニヤとさせられた次第である。

 こんな事を打ち始めていると、斜向かい色白吟さんの登場である。孫達が春休みで、元気溌剌のお爺ちゃんは、何かと忙しい毎日であるとの事である。然りとて、娘・孫とばかり付き合っていては、『男の元気印』が萎んでしまうらしく、出入り自由の四畳半の小部屋で怪気炎を挙げて行かねば、色白吟さんの若さも萎んでしまうとのお言葉である。

「テレビを見たかい? 名古屋市議の議会日当を単純計算の割り算をすりぁ、日当30万円だとよ。毒入り中国餃子の犯人が、今頃、お出ましだとよ。世の中、何処も彼処も狂いに狂って居やがるぜよ。全くフザケタ世の中に為っちまったいね。トサカに来るぜや~。
 孫と遊んでいる場合じゃ無ぇわな。世直し党を結成して、市会議員のふざけた連中76人を何列かに並ばせてさね。尾張名古屋の金の鯱鉾に大拡声器を乗っけて、一発檄を飛ばすしかあるめいや。大人しく改心して、市長の言い分を議会可決すりゃ好し。
 ギャ~ギャ~、ほざいて立て付く野郎共は、汚水を水ポンで組み上げて『黄金水』の放水して遣るべや。俺達の小便で振り撒いて遣りてぇのが、本音だけどさ、天守閣の上からじゃ、風に巻き上げられて、こっちがション便塗れに為っちまぅから、仕掛けを工夫して黄金水放出にするしか方法はねぇズラよ。イッヒッヒ。」

「Sちゃ、大賛成だけど、俺ぁ、高所恐怖症だわね。如何すりゃ好いだいね。」
「大丈夫せ。役割分担で行きぁ好からずよ。高い所は、俺が遣るぜ。お兄ちゃんは、テープの原稿書いて、レコーダーと水ポンのスイッチ押してくれりゃ良いせ。あい。その分、テレビ画面に映るのは俺だけだけど、そこは、我慢しましょや。ギャハハ!!」

「それで勘弁して貰えりゃ、好いどころじゃねぇわせ。遣るんね。放水前に、協力ついでにデケェ方も、シコタマ放出しとくぜ。イッヒッヒ!! 
 一号法案はそれで良しとして、二号法案の中国野郎には、如何遣るだいね。相手は、厚顔無恥・厚顔無比の化け物国家だいね。真理発信したくたって、天下のグーグル様が、中国撤退の現実だんね。
 下手に水ポンを現地調達したんじゃ、低品質で汚水が逆噴射しちまって、Sちゃは体重が軽いから、万里の長城の外まで、吹き飛ばされちまうんね。
 それに、おっかねぇ事に、汚水噴射させたって、汚水を『格安食用油』に精製しちまうってお国柄だって云うし、俺ぁ、本音から云えば、絶対にお近付きには為りたくわないわね。安心安全の食料確保で、国内で<農業義勇軍>に参加するわいね。」

「そうだだよな~。正常国家が異常・異質国家と話合ったって、埒が明かないのは・・・歴史の証明する事実だぜなぁ~。昨日はさ、岡山から娘家族が来たから、旅館で一泊して来たんだけどさ・・・ 湯に浸かって、作戦を巡らしたんだけど、良い案が浮かばねんだわさ。
 何て云ったってベラボーな数の13億ズラ、単純計算したって、好い奴も悪い奴も、日本の十倍の大人口だわね。その計算に、常識人の優良割合を入れたくたって、一党独裁の共産党国家と来りゃ、10倍の10倍は、100倍って事だわね。お先真っ暗な、おっかねぇ国家だわな~。手をこまねいて居りぁ、日本男児の名が廃るしなぁ~。」
「そう為るズラ。黄金水をパイプラインで結んだって、人口が中国の1/10じゃ、どっかで、パイプラインをロシアと連結させるしかあるめぃよ。そう為りゃ、シベリヤ経由で来るって事ズラい。でもさ、時期が悪いんね。長いシベリヤ経路と為りゃ、途中凍結で役に立たねぇズラ。フニャチンの途中凍結じゃ、狙いも定まらず、温い内部にぁ届かねぇよ。」

「う~ん、そうか・・・中国の野郎共は、何処まで悪知恵が働くんじゃい。中国食品の不買運動・農業義勇軍を組織して、食糧立国を目指すしか無いか・・・ 
 長い目で見りゃ、真綿で首を絞める兵糧攻めが、一番の効果って事かいな。弱ったもんだいな。処で、野菜は未だあるかい? 無かったら、持って来るぜよ。イッヒッヒ。」
「アリガトザンス。長芋もジャガイモもあるぜ、当分、餓死する事ぁ無いわね。」

 時事問題に関しては、以上の事柄を交換して、以下は例によって、内容割愛の段で有りまする。

「やっぱ、此処へ来て、ゴタ話に花を咲かせて帰らないと、俺は、元気印に為らんわね。ギャハハ!! 
 まぁ、何しろ、此処へ来ると若返っちゃうから、不思議の小部屋ってもんさね。お薦めの漫画チックな怪人二十面相・伝を早速見させて貰うんね。文作も一杯あるし、へへへ、人間、日々、お勉強であります。ささ、次回分をセッセと打っておくれやね。俺の若さの秘訣・お勉強の活字だぜね。へへへ、お邪魔致しました~。あとがとね。」

 おやおや、お外は、雨が落ちて来た。本日・日曜日である。散歩をするもしないも、気分任せで好かろう。戯けロートルの昼漫談で、笑痛の段である。これも、生活風景である。

心何処ーショート 春日の一日為り
                春日の一日為り(3/27/10)
 昨日は、-5℃に下がるとの予報であったから、久々に湯たんぽのお世話になった。そして今朝は、日本晴れの清々しさである。窓を全開して、おお寒いである。庭に下りて、ツグミ被害にあった苔を元の位置にリセットである。

 苔と云う植物は、ひっくり返されて根の部分が腹を見せると脆弱な植物の様である。造りが簡単過ぎるから、乾燥に弱いのである。移植したのは、庭に自生する緑の濃い密集型の短い苔では無い。土手の石垣の継ぎ目に密集する丈の長い黄緑色のフワフワした苔である。その柔らかさが、好いのである。
 私の趣味被害からすると、ツグミもアカハラも、とんだ悪さをする物である。ラグビーでは無いが、薬缶に水を入れて来て、苔のセットに蘇生水を掛ける。苔に水を降り注ぐと、あら不思議、魔法の様に、見る見る内に緑が復活するである。私は何処か神秘的にも思える、苔のこんな処に魅かれて好きなのである。

 小さき物の持つ神秘の佇まいと、生命力が想像を働かせるのである。苔の風情は、日本人の侘び寂びの情感を擽る存在とも云えそうである。

 好きな動物番組などを見ると、ツンドラのトナカイ達は、大地の苔を食料としているとの事である。冬鳥のツグミとて、生まれ故郷の地では、春夏のツンドラを覆う苔の緑の中に暮らして居るのだろう。彼等からしたら、苔の緑は等しく故郷の色にして食糧の一部に違いあるまい。

 従って、こんな事くらいで癇癪玉を炸裂させていては、肉食文化だけを世界のグローバル・スタンダードと勘違いして居るシー・シェパードの蛮行と同じに為ってしまう。四辺を海に囲まれた四季の国の『寛容の美徳』に弓弾く愚かさに陥ってしまう。斯様にして、ロートル・クマ男は、外観に似合わず、奥ゆかしき一面も有して居るのである。イッヒッヒ!!

 日当たりの好い場所は、寒さより日差しが暖かい。矢張り、春なのである。太陽の光だけが光源・熱源のお庭さんは、季節遅れの雪も冷え込みも<何のその!!>で、季節をしかとキャチして、冬に晒された土に緑を進攻させている。
 此処は、自然の辛抱強さに学んで、極貧の生活態度に、これ努めなければ為るまい。ラジオ体操の真似事でもして、お天道様の有難さに感謝すると致そうか・・・

      1、2、3、4、5、6、7、8。 2、2、3、4、5、6、7、8。

 朝食後のテレビを見る。母には野球が無理であるから、民放を見るが・・・何処も近寄りたくも無い芸NO人の迎合軽薄の騒がしさだけである。幾らスカンポ脳でも、『平らに、ご勘弁を~』の由々しきニツポンのテレビ文化である。

 Tの電話に、外で待つ事にする。降り注ぐお天道様の輝きに、庭の草毟りをする気分になった。雑草の成長は、凄い物である。成長力の速さに雑草の逞しさを見るか・・・ 

 雑草とて、生存競争は熾烈なのである。他に先掛けて逸早く芽を出し、茎葉を一気呵成に伸ばして、陣取りをした後は、後続を遮断して吾が世の繁栄を謳歌しなければ、雑草の栄華は図れないのである。
 然りとて、早過ぎるのも時の運にして、余りの成長の速さを人間に疎んじられれば、花も実の付けぬ内に人間に引き抜かれて、後続に首座の席を取られてしまうのである。これまた、ギャハハの感もしなくも無い処である。

 コーヒーを持って、二階席に行くと常連の同年配インテリさんのご尊顔が無い。
「あれかね、彼は転勤かね? それとも、何処ぞか、体調が優れないのかね?」
「いやいや、土曜日に来ると、風体の悪いオッサンに掴まって、強制的に絵とか文章を読まされるから、敬遠して曜日を変更したのかも知れんぞ。何しろ、RはISO規格のオッサンだぜな。アハハハ。」
「馬鹿な事を言うなよ。こんな魅力溢れるロートル・コンビは居ないわね。俺の胸毛が心臓に生えて居りぁ、カルチャーセンターで堂々の先生様だぜや。そう為りゃ、俺の仁徳に魅かれて、人種を越えた老若男女のファンの集いってもんだぜや。ギャハハ!!」

「おうおう、鏡が無けりゃ今日も、デカく出た物じゃないか。春の選抜高校野球のトッポイ監督じゃないが、勇み足って事に為るぜや。見たか?」
「おぅおう、<末代までの恥、切腹。>の美術の先生様かい。そんなに、目くじら立てて、引き摺り下ろす事も無かろうに。俺達の世代じゃ、如何って事も無い『番からの檄』だわね。21C枠の新参校に強豪校が、初戦敗退の悔しさが、つい口に出ただけじゃろうが。辞退するまでの事ぁあるめいよ。『丸坊主の短期謹慎』で好いじゃないのよ。」

「TPOを逸脱した発言と為ると、高校野球界の教育的指導は手厳しい限りだぜや。何か、地元じゃピカソの尊称まで頂く名物男らしぜ。」
「個性のあり過ぎる御仁は、何時の時代にも常識の枠を食み出しちゃうからな~。元祖ピカソ様だって、私生活じゃ兎角、破天荒でその性生活の実態は、若いピチピチした女性への強姦性戯だったらしいし、岡本太郎先生のテレビコマーシャルじぁ、<芸術は、爆発だぁ!!>のパフォーマンスじゃないかね。
 一芸秀でる異能・異才の迸りに、行儀好く事無かれ主義の『凡人の常識』を、おっ被せ様とするのが、土台無理な話だわね。その癖、庶民の悪い癖が、在り来たりの物じゃ堪能しないって云うから、真に性質が悪いわね。目立つ物・変わった物に、普段は拍手してるのにね。感動は、『動』の字が使われているからには、他と同じじゃ感が、さっぱり動かねえのにさ。イッヒッヒ!!」

「巧い事を言うじゃないか。そりぁ、そうだ。異常人は、異常人を見抜く筈だわさ。ヒッヒヒって処だわな。あなたの嗅覚には、脱帽して置くわ。」
「なんだよ。掻い摘んで結論すれば、俺ぁ、変態異常人の一人って事かいな? あい?」
「そんな事ぁ、端から決まっている事じゃねぇか。自分がまともだなんて、考え居る処が、病院行っても処方箋の無い哀しさだろうが・・・ 再認識させる程で無いわね。まぁ、事件を起こさずに今日まで来れたのは、きっと守護霊様に恵まれているんだろうよ。イッヒッヒ!!」

「そうかいな、Tがそう云うのなら、<当たらずとも遠からじ>って事で、手を打って置くしかあるめいよ。」
「そうそう、折角、スキンヘッドにしたんだから、その位の人生に対する諦観を身に付けて置かないと、外観表示に偽り有りで、手が後ろ手に回ちゃうからな。ギャハハ!!
 好い天気だから、外でゆっくりパッパ・タイムでもしよか。」
「あいよ。」

 実に好いお日和である。喫煙場所のベンチに腰を、ドッカと下ろしてロートル・トークをしていると・・・黒塗りのピカピカ磨き上げた車が、駐車スペースにバックで入って来た。ハンドルの切り方が遅く、再度の車庫入れである。
 おやおや、前後左右の確認無しの中年女性ドライバー様である。案の定、後続の車にクラクションを鳴らされて、カツンのお冠表情である。そして、黒塗り車は、プリプリと感情を持っているかの様な走りで、ホームセンターの方に走り去って行く。

 へへへである。こんな処を、ニヤニヤして見ているのが、下衆ロートルのコンビなのであるから、始末が悪い。セレブ奥様、車で外に出れば、天下の公道にして、ドライバーは等しく平等の運転マナーでゴザンスよ。

 さてさて、格安DVDの<K-20 怪人二十面相・伝>をゲットしたのであるから、本日土曜日のTブログでも早々に打ち上げて、後はのんびりと久し振りの邦画観賞と致そうぞ。

   ★きっちゃ、元気にしてるかい!! きっちゃの話、聞いたよぉ~。

心何処ーショート 束の間の太陽 
             束の間の太陽の輝き(3/26/10)
            
            嗚呼、夢のストーリーが掴めない。

 白い遠浅の浜辺に、樹木の無い肌色の低山が続き、その低山から小さな扇状地の様な緩やかなスロープが浜辺に押し出して居る。海の色は、所々に深浅のエメラルドグリーンの四十万を造り出している。きっと珊瑚の海に違いあるまい。そうすれば、白い浜辺は珊瑚の欠片で造られたホワイトビーチなのであろう。

 サイパンか、フィリピンのボラカイ、ボホールの浜辺の感じなのであるが、南洋セットの椰子の木が見えないのは何故だろうか・・・ 私は、ボートで来たのだろうか、辺りを見回すが、ボートも見当たらず、私は浅い暖かい海の中を歩いている。此処が環礁ならば、外海と環礁の境の、ネイビーブルーの白い波頭の鬩ぎ合いが取り巻いている筈なのに・・・それらも見えないのである。

      丸で見た事の無い景色である。此処は何処なのだろうか・・・
 
 それでも、不安な気持ちは無かった。何も無ければ、追々緑を植えて行けば好い。何処までも見える見通しの好さと温かさが、不安を生じさせなかった。不思議な感じの場所ではあるが、解放感に満ちている。
 ただ気掛かりな処が、山の白さであった。花崗岩と云うより石灰岩が勝っている様な感じが、果たして・・・植物に不向きな感じなのであった。

 夢の残滓を拾い集めようとするが、私の耳には朝を迎えた玄関の金華鳥達の鳴き声が、はっきり聞こえ始めていた。残滓が幾つか無ければ、幾ら温い布団の中の意識朦朧たるロケーションが有っても、妄想が拡がる筈も無いのである。

           脳裏に、厄介な論理が始まっていた。

            止む無し、起きるべしである。

 雨の上がった薄日に、雪が舞っている。天気雨為らぬ天気雪の光景である。本当に、今年は変わった気候様であらっしゃる。

 本日も冬日との事であるから、寒い寒い、空気の入れ替えタイムである。廊下から眺める庭の様子も、蕾を大きくさせたスイセン・マンジュシャゲの緑がスクスクと伸びて、雪柳の細い枝にも緑が、無数に小さな芽吹きを見せている。丸坊主にした楓の赤い枝にも、小さな芽が膨らんで居る。日替わりの一日の天気模様に、一嬉一憂を繰り返して居るばかりの人間の感想ではあるが、植物にとっては一年の四季の幕開きは、確実に訪れているのである。

    へへへである。愚痴を溢せるだけ、人間は幸せと云う物であろう。

 ツグミにひっくり返された苔の緑が、散乱して居る。やれやれの段ではあるが、見上げる空は、曇天の雪雲模様である。セットし直すには、無駄なお天気さんに為るのは必定の事である。

 本日金曜日、家庭風呂の日であるから、風呂に水を張りながら朝の賄い夫を始動させるとしよう。

 母の動きを待って、極薄モーニング・コーヒーを飲みながら、朝の一服を燻らせる。
 さてさて、風呂に入った後は洗濯をして・・・米屋さん経由で食料の調達をして来なければ為るまい。溜息を付いたり、愚痴を溢して見た処で、誰も替わってはくれない日々である。吾が身を振り返れば、馬鹿が取り柄だけの愚直な男である。煩わしさだけの愚痴の堂々巡りをして見ても、疲れるのは吾が身だけである。これを称して、『愚の骨頂・思考の鬼門』と云うのである。
 得意の作業人間にスイッチを入れて、一日を始めるしか仕方の無い処である。動けば動いた分だけ、仕事が減るのである。仕事は総べからず、引き算の割り切り方が肝要と云う物である。

          さぁ~て、一日を始動させるべや~。

 入浴・洗濯を終えて、買い出しに行って来る。米屋さんも暇らしく、のんびりと話し込んで、個人スーパーに向かう。お天気さんは、落ち着いた様である。買い物を冷蔵庫に入れて、嫌に為らぬ内に散歩に繰り出す。

 お山の上部は、線を引いた様に白い。下のコースを取って、其れなりの散歩距離にする。河川敷を歩いていると、セグロセキレイが嘴一杯に、綿毛の様な物を拾って歩いている。為るほど、巣作りの外部は完成して、中の保温用の綿毛を敷き詰めている段階らしい。河川敷は犬を連れた散歩者が多いから、人間には見えないだけで犬の綿毛はふんだんにあるのだろう。

 橋の架け替え工事の前哨戦が大分進んでいる。平らに均された川原では、クレーン車が出動して、高々とアームを伸ばしている。上下二本の仮橋の鉄骨の加工が進んでいる。長い工期であるから、受注した工事会社はホッとして居るのだろう。

 おやおや、ツバメではないか。折角、南洋の国から飛来1号なのであろうが、生憎の寒さである。凍え死ぬなよ。葦原に、野鳥を追っての散歩である。黒のタキシードを着たオスのジョービタキを眺め、モズを見る。ツグミ、ムクドリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、サギ、小サギ、カルガモは、見慣れた場所に居る。河川敷を主体に、テクテク散歩をして、Uターンである。町内に差し掛かると、再びジョウビタキのオスを見付ける。上下の縄張りの主にお目に掛ったのであるから、中間のメス・ジョービタキのバルディナさんに会わずば、寂しい物である。キョロキョロして居ると、彼女が居た。好かった好かったの段である。4:30にして、雲間から太陽さんのお出ましである。

 この頃は、カワセミの姿をトンと見ないのであるが、如何して居るものやら・・・


心何処ーショート 雨に脱線の一日為り。
              雨に脱線の一日為り(3/25/10)
 いやはや、飽きもせずに執拗に降る『嫌の一語に尽きる雨』である。ハイエナギャングのヒヨドリも、リンゴを啄んだ後は、脂分を塗れない頭部の濡れそぼった羽毛を鶏冠状に立てて、飛びもせずに餌入れの枝に止まってワナワナと震えている始末である。
 
 雑木の下では、落ち葉の地面を穿って餌の奪い合いをするツグミとアカハラの空中戦為らぬ地上戦の攻防であるが、何時も軍配が上がるのはツグミの方である。面白い事に雨とか雪が降ると、地上を跳び歩いて餌を漁る習癖のツグミ・アカハラは、雨雪の掛らぬ木の下・軒下で、苔をひっくり返して、その柔らかな部分を食べて飢えを凌いでいるらしいのである。

 そんな事で、私が折角移植した苔は、見るにも無残にひっくり返されて、散乱の憂き目を晒しているのである。天気が回復すると、それらを直して置くのだが、天気の好い時は荒らされず、悪天候に為ると又、荒らされてしまうのである。彼等の食性が果物ならば、喜んで餌入れに果物を補充して遣るのだが、彼等の食性の違いは私の手には及ばない課題である。

 手持無沙汰のこんな時は、窓辺に鳥籠を置いて小鳥達の動きなどを見て居るしかないのであるが、抱卵し始めた鳥籠を持って来る訳にも行かないのである。仕方が無いから、小魚・小エビ・裂きイカ等を入れた佃煮を仕込みながらの四畳半と台所の往復をしている次第である。

 机に座っていると、ヒヨドリが何度もリンゴを啄みに来る。背伸びをして、小部屋の中を眺めている仕草をするのである。これでは、丸で仕切りの無い飼い鳥の様な物である。 
 それとも、空中を自由に飛び回るヒヨドリにして見たら、私の方が小部屋の檻の中に居る手出しの出来ないロートル・クマにしか見えないのかも知れない。
表現を変えれば、私の方が100%見下されているのである。そう考えれば、ヒヨドリの瞳の色に得心する訳である。

 字引代わりの世界史・日本史の用語集を捲りながら、降り止まぬ外の水溜りに落ちる雨粒を見ている。雨に痺れを切らして、午後からはコタツ亀に徹して、相撲観戦である。

「どっちが勝つと思う?」
「ほらほら、大村昆さんに、神田川先生に、今日も着物のベッピンさんが、定位置に居るじゃないの。良い女だねぇ~。惚れぼれしちゃうよ。う~ん、ブチュ!!」
「お前は、好くそんな所まで、目が行くもんだね。開いた口が、塞がらないよ。」

 普段無口な母は、事が相撲と為ると仕切りの時間から、こんな質問ばかりである。気の早い婆さんである。私としては、仕切りの時間はマス席の有名人とか美形さん、常連さんの顔・態度を見て目の保養をする時間なのであるが、相撲好きの母は、勝負の行方だけが気になる様である。
 私に言わせれば、そんな物は、最後の仕切りの力士の目の動き・紅潮する気迫を観賞して、軍配が返ったら声援を送って遣れば良いのである。

「好し、組止めた。待て待て、焦るなよ。焦ったら、相手の思う壺だ。ヨシッ、行け行け!! 捩じり伏せろ。もう一丁行け~。」
<ヨッシャ~、遣った遣った!!>
     OR
<コノ~、バカタレガ~、詰めが甘い!格闘技・格闘技じぁい。男の真剣勝負、勝つか負けるかだ。仏心は勝負の後じゃい。躊躇して、如何するんじゃい。>

 普段はラジオだけで、余程の注目の一戦以外はテレビ観戦などしないのであるが、根が格闘技好きであるからテレビを見ていると、ついつい熱が入ってしまう単細胞観戦に為ってしまうのである。

「コンニャロー、俺が親方遣って見るか~、稽古の時にマワシの処に印を付けて、下手はこの位置、上手はこの位置。上体に墨で印を付けて、突っ張りは一二、一二と突っ張るんじゃい!! 足の運びは、この印じゃい。スピードと位置を間違えたら、バシッ棒で尻叩きじゃい。俺をサディストにするなよ。人間、マゾヒストに成ったら、終わりじゃい。腰の高さは、このテープの範囲内じゃい。いや~、俺も、弟子採って、遣って見たいもんだね。イッヒッヒ!!」

   嗚呼、雨に次ぐ雨日に、十両からの全取り組みを観てしまった。
   遺憾いかん・・・本日分の日記は、未だ手付かずである。

心何処ーショート 雨中散歩
                   雨中散歩


                 雨中散歩


 本当に、ウンザリ、苛々するお天気が続きますね。本日は、初めて合羽を着込んで散歩に行って来ました。思った以上には、不便・違和感を感じませんでした。長靴歩きですから、遠出には向きませんがショート散歩には、まぁまぁの感じです。散歩をしていると、水鳥は矢張り雨には強い様ですね。スズメは、雨が苦手の様ですね。殆ど見掛けませんでした。

 本日の一枚は、雨中散歩の図でありまする。足止めを喰らって、恨めしい緑がお目に止まったら、嬉しいのですが・・・

心何処ーショート 合羽を着て、変人散歩為り。
          合羽を着て、変人散歩為り。(3/24/10)
 起きた途端に、大クシャミの連発にして、鼻水タラタラ、目が痒い。とほほ、嫌な季節である。本日は、雨日である。小鳥の世話ついでに、空になったヒヨドリ様の餌入れに、リンゴを半分差し入れする。

 オス一羽にメス四羽の連結籠の二つの藁巣には、二個と五個の卵が産み付けられている。五羽の小鳥達は、適当に連結籠の中を渡っている。抱卵には、安静場所と親鳥の落ち着いた抱卵意志が、何よりなのであるが・・・ 環境を整える為に籠を遮断しようとすると、抱卵中のメスがさっと飛び出して来て、別籠に移動してしまうのである。
 はいはい、了解致しました。触らぬ籠に祟り無しである。ベテラン母さん鳥のお手並み拝見と行くしかあるまい。
 
 まぁ、此処は成り行き任せで放って置くより仕方あるまい。卵五個の入った藁巣は小籠で抱卵するのは、幸いに仲の好い並金華体色の母と娘のコンビである。成り行き観察をして、都合の好い解釈をするのが、私の好い加減趣味である。

 雨の降る庭を、母の後ろ姿が障子の戸に手を添えて見ている。優れぬ日々が続く三月ではあるが、冬を越した庭には緑の成長が見える。つつましい朝食を終えて、母とのお茶のお時間を過ごす。
 NHKお気に入りの中国料理研究家バン・ウェイさんが出ていたので、一緒に見る。お淑やかな彼女には、以前から好感を持っていたのである。中国訛りの日本語は、好くテレビに登場する中国人に共通した多弁な日本語の感じではあるが、彼女に最大の特徴はお淑やかさと謙った感もする慎ましさ・柔らかさである。

 身体が大柄の処が好い。気取らぬ化粧の無い処が好い。医食同源への拘り・家庭に伝わる庶民の伝統的生活態度への勿体ないの工夫が好い。笑顔が好い。何よりも、身の丈を知っている自然体の処が好い。夫婦は、日本の大学で知り合ったとの事である。日本人夫君は、果報者である。

 こんな処が、耳障り・自己主張型のアグネス・チャンとの違いなのである。慎ましさ柔らかさの中に有る自己主張ほど、好感の持てる物は無い。私は、こんな感じの中国人を何人か知っているので、彼女達のイメージをダブらせながら、何時もの通り、母を相手に独演会を演じて見た次第である。

  そんな母の感想の中に、
「歴史に事件を留めて置くのは良いけれど、何十年も何百年も前の事を今でも続いているかの様に、拘り続けて居たら何も始まらないのにね。人間なんか、夫婦・親子・兄弟姉妹・嫁姑・仕事・ご近所付き合いと、物の見方・感じ方・捉え方・考え方の違いを捉まえて、一々言い出せば、切りの無い事ばかりが、この世の中の本当の姿なのにね。何処かで線を引いて、嫌な事は、水に流すのが人間の知恵なのにね。」
「おやおや、物事の真理を突いているわね。大したものだわ。若造が太刀打ち出来ない程のおっかねぇ婆さんだから、そのお言葉を頂戴して、忘れねぇ内に日記に打たせて貰うわいね。俺ぁ、自分の部屋に戻るわね。」
「もう、行くのかい。今日みたいな日は、此処に居た方が暖かいのに。」
「へへへ、此処に居たんじゃ、気持ちが好くてコタツ亀している間に、ウトウト白河夜船しちゃうからさ。きつく成ったら、布団の中でテレビ見てた方が好いぞ。」

 部屋に戻ると、顔馴染みヒヨドリがリンゴを啄んでいる。目が確り合っても、何んとも無い感じでの食事タイムである。そんなヒヨドリの姿を、水槽の金魚達は、ガラス戸を通して、眺めているのであろう。雨の中にも、変わらぬ鳥の日常があるのであるから、私も合羽を着て、散歩でもして見ようか・・・ 雨日にそれを口実に、家でくすぶって居ても仕方の無い処であろう。

 毛糸の帽子に、合羽・長靴を履いて散歩に繰り出す。初めての経験ではあるが、悪くは無い。歩いている内に、白い物が混じって来た。予報では雪に成るとの予報であったから、早くもその兆候が出て来たのであろう。
 コサギ・カルガモ・マガモ・トモエガモが、水面から飛び立ち、キジバト・ツグミ・アカハラ・モズ・ムクドリ・セグロセキレイの姿が見られる。河川敷の枯れ芝生には、モグラの土盛りが黒々と雨に濡れている。

 勿論、こんな天気に合羽を着て散歩をしている者は、一人も居ないのであるが・・・何故か、落ち着いた気分に浸れるのであるから、他人様が見れば、私は変人の一人なのであろう。これまた、致し方の無い処である。

心何処ーショート 読めぬお天気さんに、気分はメランコリー。
         読めぬお天気さんに、気分はメランコリー。(3/23/10)
 春なのか冬なのか・・・全く訳の分からない季節の日捲りお天気である。激寒・熱帯夜・長雨で有ろうと、それが一括りの中に有れば耐える気分の中に過ごせるのであるが、『幼春』に際しての夏日と冬日の日替わりメニューを何度も出されてしまうと、気分もすっかり萎えてしまうものである。
 これも地球温暖化の為せる仕業と思う反面、大陸から来る黄砂に想いを馳せると、中国嫌いの私は、過度の不安を妄想させてしまうのである。
 
 ズーと前に、このブログでエジプトのアスワンハイダムの出現による、気象の変化に準えて、中国の三峡ダムの完成による気象変化に就いて、雑感を打った事がある。科学の時代であるから、物事には必然の因果関係が存在するのである。
 巨大越前クラゲも因果関係を明示すると、中国の垂れ流しによる汚染黄海の公害問題との事である。日本の北陸海岸を埋め尽くすゴミの山は、中国・韓国の海上放棄の結果とも云う。オホーツク海の冬の象徴・流氷の着岸の減少は、地球温暖化による北極海の解氷にその原因を辿る事が出来るとの事である。
 
 大黄砂現象は、遠く北海道にまで及んでいるとの事である。観測史上初めての椿事が相次ぐと云うのは、其れにはきっと途轍もなく大きな原因がある筈であろう。
 黄砂に黄海、黄巾の乱と兎角、中国様は黄色がお好きな様である。国旗の下地も赤色から黄色にレイアウトした方が、似合うのかも知れない・・・

 一説によると何千・何万という大小の人工衛星が、宇宙から地球を活写している時代との事であるから、気象の因果関係は、手に取る様に解析されている筈である。地上に新しく現れた変化に対して、観察者の興味が働かない筈が無いのである。人間の手作り品にしても、人の手が変われば風合いも品質も変わって来るのである。
 特に気象に関して云えば、気象衛星が送って来る雲の規模・流れから日本の気象をシュミレーションして、予報を下して居るのであるから、当然、知っているのである。

 時々、気象映像なんかでは、ヒマラヤ辺りから渦を巻いて流れる雲の映像が映る事がある。それが、中国上空と為ると、何故か??? 駒飛びしてしまうのである。
 大中国国家は、水平的には、自国の領土を大陸棚を基本とした膨大な領海権にまで声高に主張し、垂直的には宇宙にまで拡大主張する国家体制なのであるから、当然、その政治的圧力に掛って駒飛びせざるを得ないのである。
 そんな下衆の思索を回転させれば、流石に中国・ロシア・アメリカと公海にある北極海には政治力のシークレットが働かないから、北極の心臓部まで映像公開されて、気象の因果関係が素人の我々視聴者個人にも見る事が出来るのである。

 これって、政治体制・国民教育・個人の見解の違いだと、タカを括っていて好いんでしょうかね。頭の悪い下衆ロートルにはさっぱり分からない、グローバル、世界協調、友愛精神の発露・発現の諸事情なんでしょうかね??? 

         ホワイ? プリーズ・ティーチ・ミーの感想である。

 遺憾いかん・・・何処で中指が間違ってしまったのか? 朝っぱらから、こんな事を打ってしまった物である。

 灰色の冬雲が幾重にも重なる嫌な空気に、庭の梅の花も満開の薄ピンクの花を咲かせてはいるが、一向に身体内部から、春の始動が始まらないのである。
 昨夜は、迷シリーズの小林念持の『窓際太郎』さんを、母と一緒に野次を飛ばしながら楽しませて貰ったから、体力の無い母は何時もの如く、体力回復には昼まで掛るのであろう。10:30に成って、本日初めての薄日が覗く。昨日は散歩は、寒かった物である。本日は昼散歩として、ゴミ袋を買って来なければ為らないから、ホームセンターにまで足を伸ばせば散歩距離にはマァマァの運びと為るだろう。

 コンニャローメ!! 後一週間もすれば、暦は正真正銘の春四月なのである。分かちょるのか~、馬鹿モン!!

心何処ーショート そは、歳の功?口数の功?
            そは、歳の功?口数の功?(3/22/10)
 早朝に目が覚めて、ラジオを聞いた後、何時の間にかの二度寝の後、玄関の声で起こされる。四月からは順番の班長役が回って来るので、新旧による代表総会のお知らせであった。四捨五入をすれば-4℃との予報であったから、兎に角寒い。毎日の習慣で、空気の入れ替えであるから、窓・障子・廊下の戸を開けて外気に晒すのであるが、ブルブル震えているばかりの寒雀の心境である。

 斜向かいさんが見て欲しい物があるからと、来られた。流石に、色白吟さんも、本日は厚着の段である。後ろ手で、窓の戸を閉じられた。へいへい、有難うゴザンしたの気持ちである。

 西向かいの一人暮らしのオバサンから、ご主人が生前集めていた外国コインを貰って来て、それが何処の国の物か見てくれとの事である。老眼鏡に天眼鏡でコインの刻印文字を一生懸命発音して見るのであるが、発音の出来ないタイテノコラサの態である。
 チェコスロバキアとかカザフスタンの感じで、適当読みしか出来ない処であった。中には、ナメクジの這いずった様なアラブ文字さえあった。自信のあった物は、イギリス・オーストラリア、フィリピン・ドイツ・韓国位の物であった。お詫びの印に、ロシアの紙幣を一枚進呈する。
 
 西お向かいのおじさんも、コイン集めなどと云う面白い趣味をお持ちだった様である。おばさんの話だと、裸身雑誌にも嗜好が強く、秘匿収集を重ねられていたとの事である。 
 これも、男族には耳の痛い女族の口撃には違いないが、男族からしたら、女族から其れほどまでに人格を否定される程にして、目くじらを立てられて、問答無用の攻撃される程の事は無いと思うのであるが・・・兎角、男女の異族間の嗜好とは、そんな物なのであろう。イッヒッヒにして、ギャハハ!!と男族は、笑い飛ばすしか手立ては無いのである。
 広い世界では、家畜を喰らう国、魚介類を喰らう国の間でも、何かと物騒な厄介事が頻発するのであるから、所詮、男族と女族の間には、<男と女の間には、深くて暗い(遠い?)川がある。人の渡れぬ川為れど、今日も一人、船を漕ぐ・・・ローアンドロー>で行くしか無いのである。

 返却ページの日付を確認して、続きを印刷する。色白吟さんは、昨日が誕生日で目出度く70歳に突入との事である。

「やいやい、Sちゃ、この頃、うんと若返った感じだいね。記念に、ご真影をブログに発表するかいね。こんな優男、俺の下手絵じゃ訪問者の方々は、矮小想像しちゃってるわね。写真持って来ましょ。全世界に向けて、発信させちゃうぜ。イッヒッヒ。」
「いけね、いけねぇ。このご立派なスキンヘッドの大先生を前に置いて、俺なんざの小物が、畏れ多いお兄ちゃんのブログを穢しちゃ罰が当たるぜや。俺ぁ、この小部屋で屈託の無い言いたい放題を、イッヒッヒ、ギャハハ、のケッケッケ~のケツの穴って笑っているだけで、不老長寿の秘薬だわね。この小部屋には、宝物が溢れているんだわね。イッヒッヒ。
 何て云ったって、ISO規格の勃起勃起のご神体様の迫力にぁ、逆立ちしたって敵わねぇズラよ。テレビでチャラチャラしてるアホ顔とは、訳が違うわね。冗談抜きで、実顔を出して見ろちゃ。みんな、ビックラこいちゃうぜや。何時でも、写真くらい撮って遣るぜよ。ギャハハ!!」

「いけね、いけねぇ、そんな事したら、家門を穢したって、ご母堂様にカッターナイフ渡されて、<お前だけを一人では逝かせないから、見届けた後、私も一緒に父さんの所へ付いて行って、好く謝って遣る。生き恥だけは、晒さないでおくれ。私は、そんな育て方をした覚えは無いよ!!>・・・なんて、自決強要されちまうがね。親孝行の果てが、詰め腹切らされちゃ、人生±0処じゃねぇ、丸で真っ赤の真っ赤~の大赤字じゃ無ぇかい!!
 言いたく無ぇが、Sちゃ、俺ぁ未だ、赤玉ポートワイン前だんね。この世の見収めなら、幾ら不肖の規格外ジュニアでも、俺とは一心同体の分身だわね。最後の快感くらいは、全身が痙攣する位、味合わせて遣らなきぁ、引導も渡せないってもんズラいよ。憐憫の情を失くしたら、そりぁ~、人間って呼べないわね。あい?」

「何をこいてるだい、そんな未練たらたらの往生際の悪さは、パッと咲いて、パッと散る桜の国の日本男児の云う事かいな。今朝はヤケに冷え込んで丁度好いから、水道の水で、顔洗って来ましょや。
 そんな物は、精神をシャキとさせて、サラサラと辞世の句を認めりゃ済む事じゃないかね。伊達に、キンタマぶら下げている訳じゃ無いぇズラい!! 
 まぁ・・・カッターナイフじゃ、示しが着かねぇぜ、実家の本家から短刀位は持って来て遣るぜよ。俺は、性格がマメで手先が器用だし、刃物研ぐのも得ててるだわね。お兄ちゃんのこの頭をスキンヘッドに剃り上げて遣ったのも、俺だしさ。水臭い遠慮は、それっこさぁ~、不要だわね。ギャハハ!!」

「やいやい、俺の周りは、後期高齢者ばかりで四面楚歌も好い処じゃねぇかい。歳の功・口数の功で、俺ぁ、何にも言え無ぇわね。あいあい、出来たんね。一生懸命に読んでおくれや。あっ、そうだそうだ、代筆分のコメントがあるぜ、今開くぜ、読んで行きましょや。」
「おうおう、そうかい。」
 色白吟さんは、ポケットから老眼鏡を取り出して、席に付きフムフムと大きく頷きながら、読んで居なさる。

 寒いが、お天気は上々である。久し振りに温泉ミネラルウォーターを汲みに銭湯に行く事にする。流石に三連休である。人の居ない昼の時間を狙って来たから、大半が貸し切り風呂の好い気分である。200円では申し訳ない程のゆったりした源泉掛け流しの湯である。番台は、学校が休みの小学生と思しき女の子である。小さな番台のコタツで、学校の宿題をしている。



心何処ーショート 人騒がせ、肝潰しの春雷。
            人騒がせ、肝潰しの春雷(3/21/10)
 女房と電話で話して居た時は、好い気分であったのだが・・・いやはや、凄まじい夜であった。風に雨に雷が轟き、家が揺れる。雷と云えば、ピカッ、ゴロゴロ、ドシーンと云うのが、定番であった筈である。寝床から障子のガラス枠から、外が見える。
 闇が白らじむ。春雷などと云えば聞こえは好い物の、ピカッ、ゴロゴロなんて、生易しい雷では無い。小山程もあろうかと思われる複数轟音を、長く内部で掻き混合わせる様な不気味な大音響が続き、腹に響く太い衝撃音が炸裂するのである。正に、家が揺れるのである。それの波状攻撃なのであるから、堪った物では無い。

 勿論、私は戦後世代の団塊の人間で、自衛隊経験も無い男である。従って、大砲も爆撃も爆雷も実感した事など、只の一度も無い。この凄まじい状況は、映画の中の戦争シーンに匹敵する物である。

 長く続く、余りの凄まじさに眠っているなど、到底出来る代物では無い。原始人のネアンデルタール人が岩屋・洞窟で、膝小僧抱えてワナワナと耳を塞いで縮んだまま、震え上がって居るしかない<自然の脅威>を想像して見た物の・・・ 一向に、鎮まる気配などサラサラに無い処であった。天気予報では、大荒れの報であった。憎い限りではあるが、ドン・ピッシャリの予報に違わぬ的中率である。

 これでは『バルジ大作戦』のロバート・ショーが隊長車から★ファイア!!と、横一線に並んだナチス・ドイツのタイガータンクの一斉砲撃か、『眼下の敵』のローバート・ミッチャム艦長から★ファイア!!と対潜水艦の駆逐艦からドラム缶の様な爆雷が、バカスカと海に放摘されて、海中で炸裂する中を息を潜めて沈んでいるクルト・ユンゲルス艦長が指揮を執る潜水艦のイメージが実感出来る程の、執拗さと凄まじさである。

 これでは、全く眠れる訳が無い。DVDコーナーから、昨夜の<小鹿物語>の余韻を引っ張ってのロバート・ミッチャムの<赤い小馬>をピックアップして、耳にイヤホンのミッドナイト・シアターで、睡魔を待つしか無かったのである。この映画には、美人奥さんが登場するのであるから、丁度頃合いの肩の凝らない少年少女向け映画なのである。それでも収まらず、もう一本へ移行してしまった次第であった。

 遺憾いかん・・・時差睡眠の耳に、母の動きである。風は漸く収まり、雨も余り降らなかったらしい。朝の食事の話題は、勿論、特大雷の波状攻撃感想であった。余りの凄まじさに、母は南無阿弥陀仏の念仏を唱えていた由である。為るほど為るほど・・・その手もあったか。イッヒッヒ!!

 車でオヤジの墓参りに行って来る。松本の盆地は、灰色の雲に裾を隠され寒々と強風に煽られている。風に、雪が舞っている。外では線香に火も付けれないから、車の中で火を付けて行く。手に持った線香の束は、風に煽られて炎を挙げているアッチャチャの始末である。手桶に水を汲んで芝生の山の斜面の道を上る。上っている間に霊園放送で、強風に付き線香の手向けは、ご遠慮下さいとの事である。
 然れども・・・付けてしまった物は、仕方があるまい。踏みにじって、公園を汚す訳にも行くまい。手向け線香が燃え尽きるまで、墓で見守る事にした。暑さ寒さも彼岸までの云い伝えは、一体何処に行ってしまったのだろうか・・・ オヤジに文句を言った処で始まらぬお天気さんの攪乱振りである。ニャロメ!!である。

 車で来たのであるから、帰りに食材の仕入れをして帰る。さてさて、ブログ日記を打った後は、お天気さんが崩れない内に近間の散歩をこなして、寝不足を補うと致しまするか・・・ やれやれの段である。

心何処ーショート 楽しき日
                  楽しき日(3/20/10)
 昨夜はヒョンな事で、じっくりと『小鹿物語』を観た。私は面食い戯け男であるから、母親役の何時も口煩い目だけが大きく目立ってキツイ顔をした女優さんが嫌いで、名作と云われているこの映画は、好きではなかった。

 人として理解ある父と動物好きの一人息子・小鹿の関係は申し分のない物語の進みで、拍手と感涙なのであるが・・・兎に角、母親がキツイのである。亭主・息子・小鹿に、ヒステリー的に当たり散らす?ばかりなのである。
 人並みの亭主・父親経験があるから、こんな女房を娶ったら、短気で堪え性の無い私は、スタコラ胸を張って逃げ出すしかあるまい。観る度に、彼女には顰め面をしていたのである。原作はピューリッツア賞を受けたとの事であるから、拙い訳が無いのである。然しながら、面食い身勝手男の私からしたら、女房・母親の役柄が馴染めないのである。

 彼女には死産のトラウマが、重く圧し掛かっていて、殊更に亭主・一人息子に当たってしまうのである。その存在感たるや、或る意味では、打って付けの女優さんだったのであろう。兎に角、単純に観ると、家庭崩壊の元凶の様なねじ曲がった女にして、<少年少女向け名作>に疵を付ける悪女の役柄なのである。
 前何回かは、彼女のシーンに為ると私は目を反らしていて次のシーンを待っていた物である。

 フロリダ北部の森林地帯で暮らす開拓農家ペニー一家の自然の美しさと、その猛威、貧しさ、小鹿との別れを経験して成長して行く少年の姿を描いた名作の一つである。1947年の制作である。映画が有るべき姿を映し出して、社会を灯していた時代の作である。

 亭主・父親を演じるグレゴリー・ペックが、理想的な役柄を演じている。きっと、此処まで夫婦・親子を描き切っているのは、原作者の実体験に基ずく実話がベースに為っているのだろうし、それを描いた時期が、夫婦と云うものに対する確りした物の見方が、備わってからの作品と見える。
 今回の観賞は、その夫婦の機微に力点を置いて、トラウマから脱し切れない女房殿とそれを絶えず尻を叩かれている姿で、見守る亭主兼父親殿の家長としての大人のドラマとして観て見た処であった。

 感想としては、この映画には男と女の夫婦の関係と、父親としての息子に対する導き方を、上手く絡ませた子供と大人の双方が、心に留めるべき作品に仕上がっている。そう観るべき名作の一本なのである。


                小鹿物語


         こんな事を打ち始めていると、電話である。

 そろそろTお迎えの車が来る頃かなと思っていると、コンニチハの声がする。どうぞと声を掛けて玄関を開けるが、誰もいない。違うお宅への声かなと思い。母の部屋を覗くと倅が来ていた。お彼岸の五目御飯が仏壇の前に供えられている。ゆっくりして行けるかと聞くと、大丈夫との事であるから、Tとのコーヒー・タイムに行って来ると言って、部屋に戻る。

 風は強い物の、温かい過ぎるほどの気温である。下駄で車に乗り込む。珍しく、コーヒースタバの二階席は、男が二席だけで空き空きして居る。キリリとした美人店長が姿を見せたから、早速、手招きをして最新作の下半身裸のハイハイ歩きの絵を開いて、ウッシッシ解説をさせて頂く。
 女日照りの続く私としては、美人の前の人見知り・口籠りなんて小事は、大事の前に芥子粒程の小さき事柄でしかないのである。私の余りの饒舌振りに、Tは半ば呆れ顔である。 

 然し、こんな処で怯んで居ては、こんな美形さんとは言葉が交わせないのであるからして、一切、無視・無視の喰い下がりに徹するのが、私のこの歳に為って初めて体得した術の一つである。

 稀なる機会との遭遇には、とことん悪乗りするのが、これまた、持てない男の処世の術の一つであろうが・・・ウッシッシ!! 

 聞く処によると、彼女は近々、東京の代官山店にご栄転との事である。嗚呼、残念為り。お天道様も、酷な事をし為さるものである。

「倅が来ているのに、好いのか?」
「倅と婆さんは、赤ん坊の時から、好いコンビなんだよ。朝は、股関節が痛くて泣いていたんだが、倅が来て、帰れば別人見たいに元気に為っているわさ。婆さんと孫の水入らずのお時間で好いのさ。気にする事ぁ、無いわね。」
「おうおう、そうだよな。家も倅は爺っさと、娘は婆っさと好いコンビだったからな。不思議なもんだ。分かるわなぁ~。そりぁ、婆さんは恋人にでも会った様な気分で、生気が蘇って来てるんだろうよ。そりぁ、好かったな。アハハ。」

 二階席は、Tシャツでも居られるほどの太陽の恵みである。賄い夫同士のボヤキ漫才をこなして、ベンチの喫煙タイムへ移行する。ホームセンターで、Tは墓の除草剤を買い、私はトイレットペーパーを買って帰る。

 家に戻ると、女房は倅とオヤジの墓参りをした後、実家に行って親の世話をしているとの事である。義父は足腰がめっきり弱く為り、義母は認知症が見られるとの事で、娘の女房は好く面倒を見に行っているとの事である。何だかんだと云っても、『血は、水より濃し』で最終的には、馬の合った子供が、年老いた親の面倒を見るしか無いのである。

「そうか、大変だけど、子の務めだ。しょうが無いわな~。あいつは真面目過ぎて、鼻柱が強過ぎるから、愚痴も言わずに疲れているんだろう。俺も、弱音は吐けんわな。」
「うん、そう見たいだね。でも似た者夫婦で、好いんじゃないの。」
「さてさて、嬉しいね。こんなに一杯持って来てくれて、一日分の食料に有り付けたわな。久し振りに女房の味を堪能するわいな。さて、腹一杯、ご馳走に為るか。ちっと待ってろな、沢庵でも切って来るぜな。お返しに、沢庵一杯入れて置くぜな。」

 女房の差し入れを昼飯に、馬鹿オヤジと倅の馬鹿話に花が咲く。倅は、如何やら今年中に結婚をするとの事で、懸案事項に結論が出たら、お相手を連れて来るとの事である。
「付き合いは、何年だ。」
「2年だよ。」
「そうか、好い女か?」
「顔は、それ程じゃないけどさ、気持ちは、まぁまぁだね。」
「そうか、結婚する本人が、そう思って居れば、俺が結婚する訳じゃないから、それで好いだろう。父ちゃん母ちゃんを見て観察して居るんだから、それなりの選球眼は有るんだろうからな。」

「うんうん、★が好いと思えば、それで好いんだよ。その代わり、途中下車をしない様に、仲好く生活するのが一番だからね。人生には、振り返れば色々あるんだよ。」
「やいやい、婆さん、耳の痛い事を言うじゃないの。俺の場合は、途中下車の仲間かいね?」
「お前達夫婦は、途中下車じぁないだろ。こう遣って来てくれているんだもの。夫婦・親子の気持ちが通い合って居るんだから。文句を言ったら、★さんに申し訳が立たない、罰が当たるよ。
申し訳ないと思って居るんだよ。早く返して遣ろうと思って居るんだけど、中々、お呼びが掛らない。本当に、御免ね。」
「婆ちゃん、何言ってるのよ。オヤジに甘えて居れば好いんだよ。親子なんだもの、気にする事は無いよ。俺も★もオヤジとカアちゃんの子供だもの。オヤジは、出来が好いから大丈夫だよ。少々の事では、へこたれないよ。気にしない気にしない。ねぇ、オヤジ。」

「お前は、口が巧いね。そう遣って、女を垂らし込んだのか。口の巧いのはカカア譲りか。困ったもんだわさ。」

「見た瞬間は、オヤジも、えらい事をしたもんだとビックリしたけどさ。スキンヘッドにして若返ったじゃん。好く似合うわ。オヤジ。」
「へへ。そうずら、禿げ頭・スキンヘッドが似合うのは、そうザラには居なねぇんだよ。俺くらいのハンサムじゃなきぁ出来ねぇ相談だわさ。
俺とカカアの子だから、お前も結構持てるだろう。親に感謝しろよ。」
「ああ、そうだね。オヤジも婆ちゃんに感謝しなきゃね。」
「ああ、何時も婆さんの顔見て感謝してるわさ。何しろ、俺なんざぁ、そこん所そこいらの男とは、持て方が違うわさ。日本を軽く飛び越して、国際級だわさ。ざまぁ見遣がれってなもんだわさ。だけども、俺の真似をするにぁ、お勤めを果たしてからにし無きぁ、殺されるぜ。分かってるだろうな。ギャハハ!!」

「まぁね、このお父さんは、テレビで相撲を見ていても、マス席の綺麗な女の人を見付けては、指差して教えてくれるんだよ。★は、そんなハシタナイ事をしちゃ駄目だよ。」
「大丈夫、俺の血の半分は、硬いカアちゃんの血が流れているから、心得てるから。
そうだよ。オヤジは前からそうだよ。車運転して居ても、余所見をしてカアちゃんに禿げ頭叩かれていたからね。オヤジのスケベは、病気の一種だよ。俗に云う助平に付ける薬無しって事なんだろうね。婆ちゃん、男だから、しょうが無いせ。オヤジは口だけだから、右から左で聞き流しゃ好いんだよ。」

「この馬鹿たれが、お前も★も、血の半分には俺の血が流れているんだわさ。お前達も、俺の濃い目の血の存在に気付き始めて、ニヤニヤしてる年頃だろうが、馬鹿たれが!! 
 女好きと変態の区別が付きぁ、それで、良しとするわな。素直さの価値に気付くのに、俺の何倍の時間を要したんじゃい。お前達は、出来が悪過ぎるんだ。
 世の中の出来損ない人間達は、美的観賞力と自制心を兼ね備えて居ないから、性犯罪を犯してバラバラ死体・整形手術して逃げ回るんだよ。人を殺したら、自分も死刑位の潔さを失くしたら、そんな物は人間じゃねぇや、叩き殺して遣るしかあるめいよ。それだけ、分かってりゃ好いわさ。俺は、子育ては終わった隠居の身分だわさ。文句あるか!!」

 ウッシッシの段である。親が居ても居無くとも、子は育つものである。其々が、こんな親子三代の馬鹿話が出来る年齢に為ったのであるから、実に有難いものである。長生きをして見なければ、分からない祖母・父・倅の馬鹿話光景である。
 親子三代・夫婦・嫁姑の紆余曲折は、生身の人間には避けて通れない道すがらには違いなかろうが、・・・ 哀しいかな人間は、経験して人生を覚えて行くしかない近視眼的生活の動物なのであろう。

                女房殿、子供達、有難うさんよ。




心何処ーショート 本日、三拍子揃って、焚火の番。
          本日、三拍子揃って、焚火の番。(3/19/10)
 さてさて、風呂を母に譲った入った後は、散歩に繰り出す。気温好し、風好し、お天道様の輝き好しの三拍子が揃っている。河川敷の流れの近くを歩くと、川の匂いがプ~ンとして来る。流れも澄んで来て、流れの速き中にも、魚の影が行き来しているのが見える。

 のんびり散歩の心算で来たから、ポケットにはラジオが鳴っている。団塊世代としては、こんな時は、笹の葉~、サ~ラ・サラか、メダカの学校は~、川の~中・・・なんて口ずさみたく為るものである。軽装で来たものの、早くも背中がポッカポッカで、汗ばんで来る。教の散歩は、難敵に為ろうぞ・・・

 学校は春休みに突入で、小学生の兄弟らしき子供達が釣りをしている。一昨日の散歩の折には、ルアー釣りの30代の男が釣りをしていた。少々水量は多い物の、又、お天気は下り坂との事である。<ヤマメの野郎、一発勝負と行こうか・・・> 釣れなくて元々である。散歩だけが、吾がロートル日課でもあるまい。散歩運動のコースを途中で引き返し、庭の落ち葉を穿ってミミズが居たら、一振りしようと考えた。

 庭の一部に、ミミズ養殖を考えているのであるが、一向に育たないのである。穿って見た物の・・・ミミズは、未だ冬眠の最中なのであろう。止む無し・・・。

 仕方が無いから、気に為っていた枝木を燃やす事にする。庭の落ち葉は、秋に掻き集めて、家庭菜園場所に穴を掘って自然の腐葉土にしている。枝は昔の様に、おおぴらに庭で燃やす事が叶わないご時世である。
 まぁ、私は風体の悪いクマ男であるから、煙さえ立てなければ、文句も言われまい。然しながら、強面(こわもて)を持ってご近所に、顰蹙の誹りを受けるのは、私のプライドに拘わる由々しき問題である。
 そんな大所高所の考えから、私は枝木を20cm前後に切って二か所に溜めて焚火の煙を最小限に留めるべく乾燥させて、春の頃に小さな焚火をしているのである。花咲かせ爺さんのイメージとは程遠いので、鼻に骨を貫通させ、ヒョウタンか何かのペニスケースを付けたパプアニューギニアの原住民の焼畑農業に範を取って、その灰を土に撒いているのである。

 私の本音としたら、男たる者、強面の顔・相撲取りの様な体躯とインテリの先回りの防御知恵を身に着けなければ、この世の雑魚共の中で生きて行く事は出来ないのである。ギャハハ!!

 人間にとっては、焚火は原始からのお付き合いであるから、何か居心地の好い想いがして来るものである。散歩で汗を掻き、焚火の番でアッチッチの汗を掻き、ご近所さんからは、精が出るねと冷やかされて、一人ぼんやり外の空気に当たっているのも、これまた、乙な物である。イッヒッヒ!!

心何処ーショート 果報者
                  果報者(3/18/10)
 気温こそ、行きつ戻りつの弥生三月などと打てば、それなりの気分にもして来ようが・・・今シーズンは、返り打ちに次ぐ返り打ちが連続する三月の気候である。これは、地球温暖化の新しい気候の流れかも知れぬ。そう為れば、これは由々しき気候新時代の幕開きである。それとは裏腹に日の長さだけは、確実為る一日の長を刻んで進み行く。

 陽の明るさの中で暮らす玄関の籠の鳥は、今や私を起こす朝の目覚まし時計の様な存在である。小鳥達の習性の中には、早朝交尾が組み込まれている様子である。兎に角、チィーチク・パーチクと雀の学校では無いが、昼と違った甘ったらしい擦り寄り声を交わして居るのである。
 長く暗い夜の中で、藁巣にオスメスが身を寄せ合って寝て居れば、夜明けと共に藁巣から出て朝の食事を終えれば、静かな朝に発情の交換会が行われても、これまた、自然の成り行きである。

 何しろ、オス1に対してメス4の二つの籠を出入り出来る小ハレムなのである。私も動物のオスの端くれであるから、朝交尾の経験者でもあるからして、とやかく文句を言う積りなどサラサラに無い処である。従って、基本的には、<どうぞどうぞ、お励み下され。それが、オスメスの本分であろう。>の段である。傍観者の個人的態度としては、このままで日々を行進すれば、朝の苦手な私は、何処かで昼寝タイムを日常の中に取り入れるしかあるまい。

     さてさて、朝飯は残り物整理で、チャーハンでも作ろうか・・・
 母の目覚めには、未だ大分ある。本日は曇天の兆しである。昨日は、気温は上がらなかったが快晴日であった。昨日は色白吟さんから、宿題を頂戴したのであった。
 植物・花の好きな奥さんに尻を叩かれて、斜向かい色白吟さんは庭の手入れであった。部屋にいると庭仕事の一服に、吾が小部屋に来られた。私はニヤニヤしてお相手仕る。

「お兄ちゃん、頼み事が有るんだけど。」
「如何したいね?」
「今、パラリンピックを遣っているんだがせ、幾らなんでも、報道の扱いが冷た過ぎるじゃないかいね。俺ぁ、それが気に食わ無いんだよ。五体満足な運動エリートの祭典には、皆、挙っての大声援ずらい。
 片や、パラリンピックと来た日にぁ、お茶を濁す位の鼻糞報道じゃないかね。身体障害を克服して気力でスポーツの世界に飛び込んで精進するその姿に、俺は、もうもう・・・ 或る意味じぁ、これこそが人間の気力と精進の賜物だわね。報道の冷たさは、如何にか為らんものかね・・・
 特別記念物・朱鷺様も大事かも知れねぇが、俺の意見として、お兄ちゃんのブログに書き添えて欲しいんだよ。」
「了解。SちゃもTも、俺のブログの主要人物・レギュラー様だぜね。良いんね。確りとお説を承るんね。」
「そうかい、じゃ、巧い事纏めておくれや。」

            斯く斯く云云と、ご意見を拝聴する。

「人間は考える葦・・・なんて言葉が有ったわね。目的意識と気力・目的に向かう精進度は、心技体の内の心・気力の勝利とも言えるんね。スポーツの祭典・オリンピックは、参加する事に意義があるとクーベルタン男爵も申されて居たわね~。
 健常者と身障者の集うオリンピックを同時並行の形式で開催すれば、競技に参加する選手達も、それを臨場観戦する観客、テレビ観戦する一般観客にも、比較して人間の素晴らしさと云う姿に、多大な感動を呼ぶ起こす筈なんだけどね。

 人間は、相手を見て互いに影響し合って、大きく深く考える事で、理解も感謝も、そして感動を心に刻む事が出来るのにね。縦割り・区分けのショーアップの華やかさだけが、四年に一度のスポーツの祭典じゃないわね。
 生身の人間社会は、光と陰で織り為されている知らない事ばかりのモザイク模様だからね。ショーアップの煌びやかな世界だけを見せられて居たら、見る方の人間にだって、人間のコクも出汁も出ずに、人間・一個人としての味が出て来ない物ねぇ。効率が幅を利かすショーアップの世界は、現実への弊害って側面でしょうね。

 オリンピックの会期が例え1.5倍位延長されても、それは重複経費の削減にも為る筈だから、連結決算の総合的評価で好い事だと思うけどね。メダルの多寡・色にばかり目が眩んでのVIP待遇の高級ホテルに泊ってのサラブレット祭典じゃ、何処か行き過ぎだわね。

 国を代表する選手達が、オリンピックもパラリンピックも同じ選手村で、競技への緊張・結果への想いと解放感に酔いしれれば、好い人生経験に為る筈だんね。参加するとは、交流するって事ズラい。だってさ、花の生命は短くて、苦しき事のみぞ多かりき・・・なんて詩もあるんだから、『選手生活は短くて、その後の人生の長かりき』ってのも、現実娑婆の実態じゃんかい。交流で得た物は、その選手達に人生の糧も運ぶかも知れねぇんだんね。そう云えば、経済用語に埋没原価なんて概念があるんだがせ。オリンピック、パラリンピックの区分けも考えて見りゃ、機会損失の大デメリットだわね。

 同様の種目を午前の部はパラリンピック競技、午後の部はオリンピック競技と同時並行で進めて行くと面白いと思うんだけどね。知恵の出し合いの前に、エエカッコシーと独立採算の金銭勘定だけじゃ、チィ~とばかり哀し過ぎるわね。イッヒッヒ!!」

「適当に映画の方は、探してましょ。その間に、今回分を印刷に掛けるぜ。この前の宿題の朱鷺トキトキ、役人の心臓ドキドキの話も入ってるぜね。大いに笑っておくれや。それとも読んで、感想して行くかいね?」
「読みたぇのは山々だけど、人遣いの荒いカカアが小煩いから、小ズク仕事片付けてじっくり読書の時間とするわいね。ギャハハ!!」

 さて本日、チャーハン朝食と母倅の漫談を終えて定位置に座って、打ち始めていると吟さん登場である。昨日の井深城址の行に就いて、お言葉を頂戴する。再び、宿題を打ち始めていると、窓辺の餌入れに、リンゴスライスの差し入れに来て下さった。

 ガサリとガラス戸が鳴って、ヒヨドリの登場である。早速、吟さん差し入れのリンゴを啄み始めている。堂々と落ち着いた物である。不思議な物で、こう毎日、物の1mの至近距離で目をガッチリ合わせていると、ハイエナ・ギャングも可愛い目付きをして居る物だなどと、人間の方が洗脳されて来るのである。遺憾いかん・・・

心何処ーショート ハイエナ・ギャングに見染められた???
       ハイエナ・ギャングに見染められた???(3/17/10)
 昨日は川の増水で、枝分かれした水が近くに流れていた。少々濁りがあるが、水汲みには便利である。寒い日ではあるが、水槽の水替えと汚れ切った濾過装置を洗う事にした。枝分かれした小さな流れは、枯れ葦の間を縫ってゆっくりと流れているから、本流の濁りとは格段の違いなのである。
 バケツに二杯汲んで、一杯目は、水槽底部に沈殿した汚れを撹拌する為の捨て水として使う。本命の水に入れ替え、濾過装置を持って風呂場でじっくりと汚れ退治である。セットし直して見守るが、濁りの浄化進捗には時間が掛った。昨夜は寒かったから、就寝前の時間を万年床のページ捲りで過ごした。

 冬に逆戻りの今朝ではあるが、快晴の太陽である。水槽の水は濾過が進んで、金魚達が泳ぎ回る春の気配である。水草の先端の黄緑も、大きな蕾の様に膨らんで来ている。
 餌をパラパラと撒いて遣ると、一斉に浮き上がってバクバクと次から次と食べ尽くしてしまった。狭い水槽で有るから、メタボ体質は禁物である。それにしても、個体差が、これ程付く物とは驚きである。コメットも流金も、大と小とでは倍の違いが出てしまった。

  『驚き桃の木、山椒の木、山椒の実は小粒でも、キリリと辛い。』である。
 
 それらの体形を比較して見ると、はっきりとした違いが見て取れる。形の小さい方は、両種ともに尾びれが、驚くほどに長く大きいのである。ホームセンターのペット売り場で買った物であるから、同じ流金・コメットと云えども、仕入先が違うのであろう。
 仮に仕入先の問屋が同じであっても、その仕入れは流通の一部なのである。流通の枝葉を辿れば、きっと養殖池が違う筈であろうから、其処で飼われている金魚達にも、体形の分かれ・特徴があっても当然の話であろう。
 それとも偶然の出現率かも知れぬ。流金・コメットの其々一匹に、それが顕著な物が居るのである。大きな水槽で飼うのなら、大きな方が見栄えはするが、小さな水槽ではこれ位の金魚の形・体形は、真に手頃な金魚と云う物である。

 空家の小水槽では、豆タニシが冬眠から覚めて、姿を現し始めた。金魚槽の横のグッピィ槽が、四畳半の見た目に好い並びであった。数年続いた生命のバトンタッチの小世界で有ったのだが、去年は全滅に次ぐ全滅を更新してしまったのである。
 彼是と色々、足掻いては見たものの・・・素人の私には、判ろう筈も無く、未練の儘、断念したのであった。従って、春めいて来たからと云っても、まだまだ、その気が起こって来ない次第なのである。これも、歳の為せる処であろうか・・・

 おやおや、窓辺の雑木にヒヨドリが一羽止まって、PC打ちをしている私をズ~と見ている。逆光であるから、シルエットしか見えないが・・・ もう、何分もじっと部屋の中を見ている。一向に去る気配も無い。目の前の餌入れのリンゴを当然の娑婆代の様に食い散らかしていたハイエナ・ギャングである。
 車が通っても逃げずに、私を見ている。おうおう、今度は正面のお隣さんのブロック塀に止まって、飽きもせずに此方を見ている。

 クワ~、ニャロメ。仕方あるまい。全く以って、嫌な奴に見染められてしまった物である。世の持てぬ男とは、こう云う者なのであろう。本命には見向きもされずに、隙を見せれば、お呼びでは無い『遣り手女の術中』に落とし込まれる。まぁ、これも仕方有るまいか・・・ 

 相手は柄の悪いヒヨドリでも、人間の性悪女とは違うから、結婚を餌に貢がされ、用無しに為れば言葉巧みに呼び出されて、睡眠導入剤入り缶コーヒーを飲まされ、ご丁寧にもドアに目張りをされて練炭に火を付けられて、一酸化炭素中毒死の引導を渡されてしまう。
 生命が大事なら、女に持てる事など、大事の前の小事である。此処は一発、女に相手にされぬ事を慶賀とするべきであろうや。イッヒッヒ!!

 さてさて、こんな慰めの諦観思考を頂戴したのであるから、お返しにミカンでも置くとするか、ジャムも残ったままである事だし・・・フーッ、手の焼ける生き物じゃわい。

 下駄を引っ掛けて日差しの中で、お供え物をして定位置に座り直すと、何処で見て居たのか、早速の御登場である。嗚呼、言葉すら出ない堂々たるお食事光景である。つくづくと、<吾が身は、賄い夫に為りにけむ。>の面持ちで有る。

 コンチクショーめ、お天道さん、『捨てる神あれば、拾う神あり。』って云うお導きは、一体如何したんでありますか!! これじゃ、捨てる神ばかりで、拾って下さる神なんてご奇特なご婦人なんか、只の一人も居らんじゃゴザンせんか!! あい、お天道さんが、率先して嘘こいちゃ、この世は真っ暗闇じゃゴザンせんか~、

    アホ臭いから、日差したっぷりの散歩運動に行って参りまする。

心何処ーショート 夢よ、戻れ~。
                  夢よ、戻れ~。

                 夢よ、戻れ。


 本日、投稿分の<嗚呼、逃した為り、好夢>の挿絵でありまする。サバンナ草原の草食動物親子に見えますれば、私の腕前にも、幾分たりともの進化の跡があるのでありまするが・・・ ユメユメ、変な想像・妄想を働かせて貰っては、心外で有りまする。
 妄想の誘惑に弱い性向を自覚されて居られる方々は、夢の導入部をもう一度、読んで頂きまして、自然界への大らかな視線を持って、哺乳類霊長目ヒト科の一ショットに心和ませて頂きたいもので有りまする。間違っても、男女の尻の割れ目などへの卑猥なる想像は、ご法度に御座りまする。芸術鑑賞は『心眼』にて、全体としての<生物の大らかさ>を観賞するもので有りまする。イッヒッヒ!!

 邪為る想像は、吾が本文同様に、<儚き夢幻の春の夢に似て、消え去るのみ>の釣落とした大魚の沙汰でありまするぞえ。ギャハハにしてトホホ為りや。


 

心何処ーショート 嗚呼、逃がした為り、好夢
          嗚呼、逃がした為り、好夢。(3/16/10)
 好い夢の最中であった。ハイハイ歩きの幼児がオムツを落として、私の所に擦り寄って来た。私のズボンに、ちっちゃな紅葉の手を掛けて、何かアピールして居る。

 左様であるか、ズボンのオムツを外して一緒に遊ぼうとのお誘いに御座るか・・・
ズボンのベルトを外すと、私のズボンを掴んでズリ下ろして、キャッか キャッかしている幼児の可愛さである。

 はいはい・・・ それではご一緒に、フリチン・ブラブラさせて、ハイハイ歩きのお供をして進ぜよう。ゴリラの親子か、ライオンの親子か分からぬが、誰が見ている訳でも無しである。へへへ、これも行き掛りの奉仕活動の一つであろう。

 おやおや、私の前を金髪シングル・ママさんが、ハイハイ歩きで遣って来た。見ると、彼女も下半身はスッポンポンではないか・・・ 私は嬉しく為って、幼児を先頭に四角い部屋を一周して、白人美形さんの豊満為るヒップのシンガリ役を愉しむ。性根が戯け好色の男である。早くも幼児などそっちのけで、ウリウリの雄ゴリラの擦り寄りで、部屋をハイハイ歩きである。
 お互い、上半身は着ている姿である。私は彼女の横をぴったりマークして、部屋周回の円運動を徐々に大きくして行く。

 テレビの動物番組なんかで、動物の交尾シーンでは、ハーレムを作る動物のオス共は、ハーレム内のメス達の尻を追い掛け回して、目視と臭覚で、メスの発情度を点検して回るとの事である。そんな脳裏の錯綜に、私の視覚と嗅覚は、全開のフル回転である。

  ほぅ、ホォ~、ほおお・・嗚呼、才色兼備の好き眺めである。ウッシッシ~。

 ウリウリ擦り寄りハイハイは、術中に嵌って、壁で窮屈である。ヒップをウリウリくっ付け合いながら、上半身着ている物の上に有る顔を見合わせて、ウフフとばかりに腰をスリスリ、ウリウリの仕草・・・次なる手は、如何為るジャブに致そうぞ・・・ウッシッシ。

 正にその時である。遠くで、バサバサ、バシバシと異様な音が聞こえ始めた。とんでもない意識のノックである。如何やら、玄関の小鳥達がパニック状態らしい。夢を取るか現実を取るか・・・朦朧とした中の、切なくも歯ぎしりの脳内選択肢である。

 遺憾いかん・・・夢に朦朧としている場合では無かろう。先日のブログで、私は朱鷺センターの大失態を、ケチョン・ケチョンに罵(ののし)ったばかりでは無いか。幾ら姿の見えないブログの一過性言いたぐりの悪態三昧をして居ようとも、心底には団塊世代の心意地も有るし、何を隠そう、私は真面目人間なのである。

 天敵テンの出没は無かろうが、天敵ネズミの徘徊は当然の事である。フラフラと起き上がり、玄関の明かりを付けて、再び布団の中である。

 布団の中で、必死の哀願を試みるも、何と春の妖夢の儚さよ・・・であった。耳に達するは、窓打つ雨音のご愁傷様の嘲笑である。コンニャローメ!!

 母のトイレに目を覚ます。本日は飯を炊かずに、スパゲティを作るのであった。雨は、まだ降り続けている。止む無し、朝の賄い夫に始動開始とするか・・・
 
 小鳥の世話をする。小鳥達は何事も無かったかの様に、二つの籠をチャッチャカ・チャッチャカと渡り歩いている。飼育管理者が、出来た男であるから、籠の鳥達は好い気な物である。少しは感謝の気持ちが無ければ、種の絶滅であるぞよ。

 玉ねぎを刻んで挽肉と一緒に炒めて、市販のナポリタンソースとトマト・ケチャップでルーを作り、スパゲティを茹でて、メンチカツを載せて朝飯とする。スパゲティは、自分で遣って見ると至極簡単な物である。幸い、母も美味い美味いと言って、好く食べてくれるから、この頃では、食卓の常連と成っている次第である。

 母と食後の再放送ドラマを見ていると、玄関にヤクルトママさんである。一日早いお越しである。
「如何したい? さては、明日は不倫デートだろう?」
「違いま~す。明日は、研修会議ですよ~。そんな、上付いた生活してません。私は、硬い女ですよ~。安心して下さい。」
「へへへ、そうかいね。でも、スタイルも顔も好い奥さんだから、亭主・子供だけのケチな事をしていると、お天道様の罰が当たるよ。全身整形手術をした訳じぁ無いんだから、美形はお天道様のプレゼントだいね。それに、男の絶対の真理からすりぁ、美形は、世の男の共通財産だわね。イッヒッヒ!!」
「きぁ~、Rさん、好い事言うじゃん。もっともっと、褒めて下さ~い。嬉しいで~す。Rさんは、若い頃、プレイボーイしてたんでしょ。何人、泣かしたんですか~。」
「人聞きの悪い事を、こいちゃいけねぇわさ。話すも涙・聞くも涙の俺の人生は、無礼ボーイと罵られ、振られ放しの失恋地獄の棘の道だわね。はい、今週のお絵描きだわね。見て行きましょ。」
「上手、上手。何時見ても、温かい物が一杯溢れていますよ。また、来週来ますね。」
「あいよ。浮気して亭主・子供を悲しませるなよ。御苦労さんでした。」
「大丈夫、任しといて~。」

 さてさて、雨が上ったら、洗濯物を干し直して、昨日分の散歩方々、外の空気を吸いに行って来ましょうかね。


心何処ーショート 曇天強風日は、家で大人しく。
          曇天強風日は、家で大人しく。(3/15/10)
 一面に広がる青空に、東のお山も西のお山も、お天道様に穏やかに輝いている。野辺には、緑の芽が其処彼処に土を割って、穏やかな早春の色を添えている。粉を撒いた様にオオイヌノフグリの薄青、ハコベの白が群生して、梅の白花が風にそよいでいる。季節の巡りに、気分は上々である。

 さぁさぁ~、行って見るとしようか。家を出てから、既に小一時間である。気分次第で徘徊散歩をするのが、ロートルの特権であろう。これからは、散歩運動の新境地である。旅人に為った心算で、旧街道をテクテク歩くしか有るまい。

 本日は、至って気分が好いから、勝新の座頭一に為った気分で、焦らず急がずの映画冒頭のシーンに因んで、<春だね~、雀がチュンチュン鳴いている。好い匂いだねぇ~、これは梅の匂いだぁ~。寒いより、暖かいのが、一番だぁ。>の歩みである。

 私の遥か前方には、腰の曲がったお婆さんが歩いているのが見える。目指すは今朝方、斜向かい色白吟さんの持って来られた木曽義仲が重臣・岡田親義の山城、井深城祉である。

 安曇野を結ぶ城山トンネルへの幹線道路を地下道に潜って、北山麓の傾斜地をタブロイド版に有った写真の風景を思い起こしながらのメタボロートル歩きである。山際に、それらしき公園風の東屋が見える。それへの道を上っていると農家のおばちゃんが、畑仕事をしている。
 井深城祉を訪ねると、違って、下へ降りて今、山の中で煙の上がっている辺りが八幡神社だから、その脇の山道を頂上まで登った所が、そうだと云う。

 アッジャ~、目測を大きく逸らしてしまった物である。とは云え、私の形は・・・ 何しろ何処から見てもロートル・メタボの体重と歳である。100%聞いて『得』をしたと云う物である。
汗を拭き拭き、ペットボトルの水で喉を潤わしながら、言われた通りに歩いて行くと、道標があった。山麓の傾斜地に 真っ直ぐの一本道が伸びている、遠目にも、小さな鳥居が見える。

 トホホにして、いやはや・・・単純明快には違いないが、ヒーコラ、ヒーコラ息が切れるばかりの勾配である。眺望が開けて、松本平が一望出来るのは有難いが・・・直線距離の最短勾配は、重力を超越した神様・霊魂様には、単純明快の堂々たる参道ではあろうが・・・生身のメタボ男には、キツイ道程である。

<眺望を愛でる>の減らず口を隠れ蓑に、三度ほど立ち止まりヒーコラ、ヒーコラの喘ぎ登坂の後に、漸く石の鳥居を潜る。やけに低い鳥居である。
 鳥居を潜り、お神社さんを見上げれば、ホッ、ホッ、ホー・・・長く急な坂道に、石段が続いている。まぁまあ、待て待て・・・案内板をじっくり読んで、暫しの小休止とすべしである。

 石段を上り終えると、小さな社の奥で、年配者の皆さんが作業をしている。神主さんの姿も見える。如何やら、氏子さん達が手入れに来ているらしい。山の煙は、境内の枝打ちをした枝を燃やしている煙なのであった。
 その一人に井深城祉への道を聞くと、山の頂上が城址なのだと言う。大分歩かなければならないとの事である。素直に聞いて、早々に断念して神社を後にする。

 物臭・メタボ男にしては、良くぞ歩いたもの為りである。帰りの道の遠かった事は、言うまでも無い処であった。殆ど歩き通しで、二時間半の行程であった。

 明けて本日は、曇天強風の小煩き日である。昔から三月の天気に、晴れ日は三日も無しと云われている。本に、猫の目のお天気さんである。然りとて古の太古の昔より、海の神・大陸の神・列島の神・山の神の神々が、ご協議してお決めに為った自然の摂理なのであろうから、ちっぽけな人間の、その人間の1/60億の私如きものが、文句を言った処で始まらぬ。

 昨日の貯金があるから、散歩をするかしないかは、気分次第である。用事足しついでに、個人スーパーに足を伸ばす。

  先輩女店主さんに、井深城址の話をすると。
「兄さん、そんな軟な事を言ってて、如何するだい。山のテッペン行くと、崩れた石垣何かが有って、ちょっとしたもんだよ。あそこは、キノコが好く出る所でさ。ムラサキシメジが、一杯採れるんだよ。根性無いね。今度は、ちゃんと登って来ないと、男とは見做して遣んないよ。」
「先輩、そりぁ、酷だ。先輩は、地元じゃんかい。第一、歩く距離が違うわね。」
「何言ってるだい。中学の時は、稲倉(しなぐら)・一の瀬・三才山(みさやま)の人達は、みんな歩いて来たんだよ。兄さんは早起きもし無くて、何時間掛けて歩いても、遅刻は無いんだよ。そんなヘタれ口は、★中学の陸上部で鍛えられた男の言う事じゃないよ。アハハ。」
「やいやい、言われちまったいねぇ~。先輩の前じゃ、変な事言えねぇわね。しょうが無ぇから、もう一品、買い足して行くわいね。イッヒッヒ。」
「そうだよ。肉なんか食べなんで、土地のお百姓さん達が作った土地の物を、有難く料理して食べて、土地の豪傑の足跡を訪ねなきぁ、罰が当たるよ。如何だね? 巧い事言うズラ~、アハハ。」
「あいあい、恐れ入りました。やっぱ、俺ぁ、女にぁ敵わねぇわね。はい、有難うゴザンした。」

 スーパーの自動販売機の隙間に、ハコベの緑が密集して居る。一掴みして、金華鳥のお土産にしてレジ袋を二つブル下げて、生温い南風吹き荒れる道を、歩くなり。

心何処ーショート 窓辺のハイエナ・ギャング
              窓辺のハイエナ・ギャング

                 
                 窓辺のハイエナ・ギャング


 ラジオを聞きながら、本日投稿分の挿絵を描いて見る事にしました。常日頃、憎々しく思っているヒヨドリを如何描いて遣ろうかと、煙草のコーヒーのお世話に為りました。何分、下手の横好きの幼稚絵でありまする。ヒヨドリの姿かたちは如何であれ、本文中の真に以って、小憎たらしき傍若無人の振る舞いの一端を想像して頂ければ、吾が胸のモヤモヤも少しは収まろうと云う物で有りまする。

心何処ーショート とんでもない常連ギャング
            とんでもない常連ギャング(3/14/10)
 何日振りかの青空に、太陽の輝きである。定位置で煙草を吹かしながらラジオを聞いていると、空になった餌入れにヒヨドリが止まって、不服そうに私を確り見ている。ふてぶてしい限りである。

 斜向かいさんの二階ベランダの戸が開いて、観葉植物のお出ましである。やあやあのお互い手振りご挨拶を交わす。可笑しなもので、毎日が日曜日なのであるが、日曜日だと気分の在り方が、全く違って来るのである。

 海外面白動画を配信して居られる<The Door Into Summer>さんのブログ動画を見て、ゲラゲラ一人笑って居ると突然、窓が開いて色白吟さんが、タウン情報紙を差し入れして下さった。へへへ、とんだ姿を見られてしまったらしい。

 記事は昨日、話題になった井深山城址の主・岡田親義であった。『信州往来・もののふ列伝』とある。お殿様は、木曽義仲の重臣として武功を立てるも、倶利伽羅峠の最前線で勇猛の内に打ち死にしたとの事である。源平の倶利伽羅峠の合戦(富山・石川県境の峠、義仲軍5万・平氏軍10万、1183年5月)は、『火牛の計』で歴史上名高い合戦である。

 私の机の上には、リンゴが一つ乗っている。空になった餌入れの横に止まって、ヒヨドリのギャング野郎が、灰色頭部に目尻の茶褐色の大きな斑紋、胸・腹には汚らしい鹿の子紋様細の灰黒色の鎧を着ている。長い黒嘴を開き尖った黄色の舌を突き出して、ギェーだかキィヨォーだか判別出来ない程の悪声を挙げる。小さな瞳に陽が差して、茶褐色の瞳孔が、確り見える。その生意気なちっちゃな目付きが、私に何やらアピールをしているでは無いか!!

 なんちゅう~、厚かましさじゃい。見れば見る程に、憎々しい面構えである。俺は、美的センスが格上なんじゃい。この世の美形が、趣味なんじゃわい。アホンダラ、下がりおろう。<このアブドラー・ザ・ブッチャーの振り上げ拳骨が目に見えんか~。馬鹿モンめが。> これが、窓を全開しても、温かい陽気で有ったら、餌入れを室内に移動して、とっ捕まえて、どっちが強いか思い知らせて呉れるわ。
 一応、衆生の生命の憐みを理解して居る仏教徒であるからして、命だけは助けて遣るが、お前の頭部も、ライターでスキンヘッドにしちゃうぞよ。ライターは、山ほど有るんじゃい。
『ライターの火は、熱いぞ。生意気面しても、鳥には帽子は無いんだ。連れ合いに、逃げられるばかりじゃ無いぞよ。イッヒッヒ!! 如何すんだよ。夏は暑いし、信州は、名うての寒冷地ぞ。冬は寒いんだよ。寒さで痛いんだよ。この大戯けが!!』

 ハイエナ・ヒヨドリの奴は、何処までも生意気下衆野郎である。餌入れの止まり木から、黒フェンスに飛んで、私を見て居やがる。

 フン、これ見よがしに、お向かいさん差し入れのリンゴを、ガブリガブリと果汁を飛ばして、ミミチィばかりに芯の間際まで食べ尽くして遣った。ザマァ見遣がれ。甘ったれるのも、好い加減に晒し遣がれ。働かぬ者、食うべからずじゃい。馬鹿モン。

 リンゴの残りカスを仏教の慈悲の心で、餌入れに入れて遣る。一度、姿を晦ましたヒヨドリは、仲間を連れて雑木の枝に遣って来た。バサリと飛んで来て、嘴で残りカスのリンゴをフンとばかりに持ち上げると、ポイと下に落とし遣がった。それを二羽がパッと下りて啄んで居るのであろう。何処までも態度のデカイ連中である。嗚呼、アホ臭い。

 さてさて、朝の賄い夫をした後は、お天道様の大判振る舞いである。ゆっくり散歩運動に浸かるべしである。玄関の籠の口を開けての出入り自由のドッキング籠では、5羽の金華鳥達が新しい環境を学習して、自由自在に二つの籠を行ったり来たりしている。

             為るほど為るほどの眺めである。



心何処ーショート 頂きま~す。
         頂きま~す。兄貴&T&色白吟さんデー(3/13/10)
 今年度の米アカデミー賞は、二年続きのジャパニーズ・イヤーの様である。去年は褒め過ぎたと思ったのか如何かは知らぬが、それがイヤー(年)から、ジャパニーズ(嫌)に為ってしまったのだろう。返す返すも、ホエール(鯨)が吠える・吠えるのシー・シェパードの乱暴・狼藉振りである。

      俺ぁ、余りの語呂合わせの嵌りで、気分が悪く為ってしまう。

 ギャハハ・イッヒッヒ・トホホ、コンニャローメ!!と、果たして、どれを採用して好いものやら、困惑の態である。

 私の懇意にさせて頂いている<森に暮らすひまじん日記>の兄貴のブログに、名記事『ザ・コーヴ』が掲載されていた。日頃の申し分ない大人の切り口で、淡々と書かれてあった。その記事に痛く感心して、何時もながらの長文コメントを送らせて貰った次第である。
 こんな素晴らしい記事を読むと、訪問者のコメントをとくと見て見たいと思うのが、下衆の好奇心と云う物である。そして、その記事のトラックバックを見付けて、その中に入ると、賛否両論のご意見・コメントの花盛りであった。とくと、読み込んで本日土曜日のTとのロートル・トークの一級話題にする心算である。

 気温は高いものの・・・曇天の風強き日である。私もTも、兄貴の大ファンであるから、説明も要せずに、直ぐにイルカ、クジラ、マグロの話題に突入して、言いたい放題の怪気炎の発散オンパレードである。

「季節を移動するバッファロー狩をインディアン達は、弓矢で天からの恩恵と必要な数だけ頂いて、衣食住に利用させて貰った草原の民の自然文化があったのにさぁ~、
 白人毛唐の野郎共は、文明の利器・鉄砲でバカスカ・バカスカとスポーツ・ハンティングし捲ってさ、クジラも牛肉と比べりぁ不味いと云って、ロウソク・明かりの油だけ取って、放ったらかしのシャ知らん顔で、ガス灯が普及すりぁ何時の間にか、愛護思想だわさ。

 陸続きの大陸家畜文化には、家畜文化の生活の仕方があるのと同様に、海には海の漁獲文化の生活だってあるわさ。家畜の毛皮を衣服に応用するも好し、魚皮を衣服に応用するのも、生活の知恵・風習文化って物ズライ。所変われば、物変わるってぇのが、人間の意識の違いだろうが・・・馬鹿も休み休み言えってな物だわね。野郎共、大きなお世話ってもんだし、他国・他風習に自国の○×の択一文化観は、大人の遣る事じゃあるめいよ。」

「イッヒッヒ。カッカしなさんな。真に受けちゃ、肩に力が入って、スキンヘッドに、三日月傷だわさ。アハハ。
土台、野郎共のネーミングから、狂って遣がるわさ。シェパードは、ドイツが誇る軍用犬だぜや。シェパードが海に出没して、一体如何するんじゃい。狂犬病のワクチン接種をしてから、吠えりゃ好からずよ。ギャハハ!!」
「やいやい、巧い事言うじゃないの、大先生!! 勝負あった。サンキュー、使わせて貰うわね。イッヒッヒ!!」

 Tの奴は、バードウォッチャーにレパートリーを広げているらしい。携帯に、鳥の写真が収められている。野鳥図鑑もブックオフから買って来たそうであるし、庭に巣箱を取り付けるとの事である。硬くなったパン屑を巻いて遣ると、野鳥よりも先に野良猫が遣って来て、舌で舐め上げて行ってしまったとの事である。

「そうずら~、俺んとこは、ハイエナギャングのヒヨドリの食害だわさ。本当に、<生きる事は、食べる事>が自然界の鉄則だぜな。」
「そうなんだよ。ちゃ~と、何処からか見ているんだよ。あの執念は、見習らなくちゃ~なぁ~。この頃じぁ、爺っさも、コタツから野鳥観察遣ってるべや~。それを、俺は横から見てニヤニヤしてるんだけどな。」

 本日、やけに女性客が多い。声のボリュームを最小限に調整して、得意のエロチカ放談にシフト替えである。マイナー・ロートルは、自然と周囲に配慮して暗算でマイナーの顰蹙世界を愉しむのである。

 シー・シェパードさんよ、これを称して、この世の常識・エチケットと云うのである。

 週に一度のロートル対談をして来ると、玄関に紙袋である。さてさて再訪前に、斜向かい色白吟さんへの印刷を開始しなければ為らない。

「やぁ、帰って来たかいな。」
「あいあい、帰って来たんね。はい、今週分でやんすよ。」

 本日の放談は、井深城祉についてである。地方タブロイド版に、その行がほんの少し出ていたそうである。井深城祉は早落ち城址から、北へ30分程行った所の山城の一つである。散歩中兼ねてから、一度足を伸ばして見たかった想いがある。
 然しながら、往復で優に3時間強を要する。車で行けば、それまでの事ではあるが・・・それでは、感じられぬ古の想いである。妄想に遊ぶ私としては、歩いて行く事に絶対の価値があるのである。色白吟さんはロートル生活の大先輩にして、先祖には庄屋さんも居たとの事である。郷土に関しては、私の何倍もの知識と地の利を持って居られる。街道の古道の話を承って、今度、折りを見て遠足散歩に繰り出そうとの結論に達した次第である。

「お兄ちゃん、朱鷺騒動見たかいな。朱鷺様復活に、国費が幾ら投じられているか考えて見ましょ。監視カメラを絶対視し遣がって、役人共め、職務怠慢も甚だしい!! 普通、生き物飼って居りゃ、ゲージの回りを見て回るし、餌を遣るにしても、ゲージ内を歩いて、変な物が無いか、見て回るズラよ。
 その<いろは>を、何だだ。飼育係が、ビル管理人見たいに、モニター管理でお茶を濁して居て如何するんじゃい。気持ちが無いから、地ベタに落ちている動物の糞にも目が行かねぇんだよ。」

「拍手であります。施設建設費・維持管理費・餌代・人件費を足して、朱鷺数で割り算して見ろってもんせ。特別記念物のお墨書きを頂戴してる朱鷺様だんね。世が世なら、将軍様から拝領した物は畏れ多い事で、皿一枚だって生首が飛んだり、切腹のお詫びだんね。そんな貴重な朱鷺様を、朝ゲージを見たら、何羽も首喰いつかれて死んでました。申し訳ありませんじぁ~、済まされねぇわね。

  ある日、突然、テンが侵入して殺されましたじぁ、話には為らんわね。

 俺も、庭の鳥小屋で放し飼いしてた経験があるから、多少の事は経験してわね。ある日突然、降って湧いた大惨事って事は無いわね。ネズミも猫もテンだって、それなりの観察・下見をしてから、襲撃して来るんだわね。
 増してや、飼育管理をしているのは、専門家さん達だわね。職務怠慢の重過失が、その真相だと思うんね。この、大戯け、給料返せ!!ってなもんだわね。」

「そりゃ~、そうせ。朱鷺殺されて、命令ばかりの上役役人、『心臓トキトキ、ドキドキ』ってなもんズラ。
      何でもかんでも、言葉の通じねぇ獣の所為にしちゃ駄目!! 
 不可抗力見たいな顔してると、事業仕分けで、裁判所送りにして、裁判員裁判に掛けちゃうぜや。
無駄事こいてると、人間耕運機にして、俺の所の畑耕させて遣るぜよ。鍬で土を一つ一つ耕して見りゃ、モニター画面にぁ映らねぇウサギ・キツネ・猫・犬の糞も分かるズラよ。ギャハハ!!」

 本日、曇天・小雨の様相ではあるが・・・シー・シェパードと云い、心臓トキトキ・ドキドキと云い、大したブログネタを頂戴してしまったものである。恐るべしや、ロートル頭脳回線の冴えである。吾が辺境のブログのレギュラー様達の代筆掛りも、大変である。

        文句を言ったら、お天道様の罰が炸裂致しまする。
  へいへい、一生懸命に与えられし代筆をば、遣らさせて頂きまする。
               イッヒッヒ~。

心何処ーショート シセイ、天ニ通ジル? 通ジズ?
   シセイ(姿勢・市井・施政・至誠)、天に通じる? 通じず? (3/12/10)

 強い風である。電話が鳴って居る。話を聞くと、娑婆は景気が悪くて大変な様相である。傍観者の吾が身としては、相槌を打って、相手の愚痴を相手の気が安らむ迄、聞いて遣るしか方法が無い処である。

 一日中、ラジオとお付き合いをしているから、マクロの話は其れなりに耳学で仕込みを受けている次第である。アメリカ・イギリス・中国・日本と、財政は何処も逼迫して大変にして由々しき様相を呈しているとの事である。話を聞いているだけで、素人ながら、現実を直視するとお先真っ暗の暗夜行路の現実が仄見えて来る心境である。
 暗夜行路を進むには、政治が松明を灯して進むより方法が無いらしい。灯した明かりの先の道が間違ってしまえば、目も当てられない危機が現実と為るとの事である。

 怖い話だが、それが現実であろう。経済学は不可であったから、経済の話はチンプンカンプンではあるが、学者・アナリスト諸氏の話を聞いていて、目に浮かぶのは『十戒』での旧約聖書の出エジプトのモーセを演じたチャールス・ヘストン、『天地創造』のノアの箱舟でアブラハムを演じたジョージ・C・スコットの残像である。
 映画の中では、パッピーエンドに終わる長編の盛り上げエピソードで見ていたのであるが・・・ 今、正に頭の中に在る残像の数々は、灼熱の砂漠・荒野を彷徨い歩く苦難の道筋である。

 これだけ世界経済が繋がって、世界が分業化の歯車の上に組み込まれてしまっている21Cに在っては、世界同時不況などと云う形容では、形容し切れまい。経済氷河期に突入して居るのかも知れぬ。こんな時には、経済を予測出来る経営者・経済学者・政治家達は、一体どんな心境になるのだろうか・・・ そんな心境も含めて、テレビの参議院言委員会の中継を見ていた午前中である。

 ジタバタして気を揉んで居ても始まらないのが、この世の中・・・ 為る様にしか為らないのである。妄想癖のある吾が身は、氷河期に備えて、雪原にマンモスを追って石器で立ち向かうイメージトレーニングしか思い付かないのである。

 俺は禿げ頭だから、寒いだろうなぁ~、あの時代は、下着が無いから寒いだろうなぁ~、小便したら、其の儘、小便のブリッジが出来るって話だ。どうすりぁ、好いんだよぉ~。

 毛むくじゃらの巨大マンモス、怖いだろうなぁ~、あんなのにガン飛ばされたら、丸っきり意気地の無い俺なんか、金縛りにあって、腰が抜けて、鼻の一撃で肋骨を砕かれ、足で踏み躙られ、敢え無く即死。マンモス一頭仕留めるのに、犠牲者は何人出るのかなぁ~。運好く仕留めたら何日、食い繋ぐ事が出来るんだろうか?

 いやいや、危険と命を秤に掛けりぁ・・・セッセとネズミをとっ捕まえて喰った方が、長生きが出来る。それでもなぁ~、ネズミばかりだと、嫁のきても無かろうし・・・

 困ったいなぁ~、如何するべいやぁ~、そうだそうだ・・・月に一度や二度は、狐か狸を仕留める事も出来ようぞ。普段は、ネズミと植物の根っこで食い繋いで、捕れた時だけ獲物担いで、間男でもすべぇや。それしか、手は有るまい。

 真に、生命の源は、食べる事でありまする。細分化した分業の時代は、食べる事は働いて稼ぐ事でありまする。経済氷河期の始まったご時世でありまする。何とか、人間の英知を働かせて、氷河期を乗り越える松明を灯さねば為りませぬ。

 現在、窓辺のガラス越しに距離1mの目の前にヒヨドリが止まって、手製のリンゴジャムをセッセと啄んでいる始末でありまする。私としては、ジョービタキ・メジロのセーフティ・ネットを目論んだのでありまするが・・・リンゴの輪切りも、残らず遣られてしまい。<至誠天に通じず>の下心の不発の苦々しさでありまする。ニャロメ!!

 さてさて、日本語とは真に以って、意味深き言語でありまする。本日の日誌タイトルを打つ段階に為りまして・・・シセイとは、市井・姿勢・施政・施政と如何なる文字を以って、表記するか混濁して居りまする。スカンポ脳味噌を外の風に潜らせに行って参りまする。

 本日もまた、長駄文の館にお越し頂いて、恐縮の極みでありまする。有難う御座いまする。

マイ・ギャラリー9
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心何処ーショート 嗚呼、慣れない早起き。
             嗚呼、慣れない早起き(3/11/10)
 おっ、目が覚めた。本日、資源物の日である。起きるべし。朝飯の後は、何時でも寝直しが出来るのである。逃せば、一ヶ月後である。寝足りず、嫌々の体たらく脳味噌を何度も振って、大寒いの愚痴を呟いて着替えをする。全身に未だ血は回らずではあるが・・・袋を二つ持って、下を注意しながら歩く。

 滑って転んで、顔を顰めて泣いていても様には為らないのである。馬鹿は、馬鹿を自覚した分だけ、慎重さを身に付けるのである。<嗚呼、眠いじゃありませんか・・・>
 集積場所では係の人達が、火に当たっている。へへへ、ご苦労様にゴザンス。早起き老人クラブの様に、顔触れも、年々老いる一方である。

 今日も曇りが、全く勝っている空である。冷え込んでいるから、残っている道路の残り雪は、コチンコチンに成っている。帰り、家の近くまで来ると、窓辺に枝を工夫した刺しリンゴに、ヒヨドリが一羽食べている。玄関の屋根の下の枯れた苔は、雪の日に穿(ほじく)られて散らかり放題であった。行儀の悪い限りであったが、小鳥達からすれば死活問題である。これも、好し好しの段である。 

 昨日の散歩の折にも、木の下の土目には、ムクドリ・ツグミ・雀達が群がって居たし、庭でもツグミ、アカハラが場所を争って居た。体形・体格も好く似た者同士であるが、何故かツグミの方が、決まって強いのである。

 飢えを凌ぐとは、口に入る物は何でも腹に収めなければ為らない本能の様な物なのだろう。歳を取って来ると、私の様な者でも何かと仏の慈悲心が備わって来るらしい。籠の鳥の食べ残した餌を、雪の上に撒いて遣った次第である。

 モーニング・コーヒーを飲みながら、柄の悪いヒヨドリと向かい合っている。正面のフェンスに止まって、此方を見ている。ギャッ・ギャッとばかりに、嘴を大開けにして尖った舌を見せての威嚇の声か、俺様の食事の時間だから、お前は席を外せなどと生意気な事を考えているのかも知れない。

 この馬鹿ツラが!! ハイエナ下衆野郎が~、誰のお陰でリンゴが、食えると思って居るんだ。手を振り上げて遣ると、サッと飛んで行ってしまった。それにしても、お目当てのメジロは、如何したものか??? 一度、姿を現わしただけで、トンとお見限りの沙汰である。

 Tにしろ、色白吟さんにしろ、足繁くメジロの訪問を受けているそうなのである。如何やら、ジョービタキのバルディナさんからは、好い男に見えるらしいが、メジロには、取って食われる野獣男に見られているのであろう。メジロにしたら、メジロで彼等の感性もあるのであろう。嘆いて見ても、仕方あるまい。

 何て云ったって、頭部にカミソリ傷を持つ俺様は、JIS規格を超越してISO規格だわね。好い歳かっぱらった男が、メジロ如き小物に恋焦がれて居たら、正に『ロリコン趣味』である。フン、俺ぁ、そんな趣味は無ぇぜや!! 俺にぁ、バズーカー砲の速射撃ちが、堪能の口だわさ。イッヒッヒ~だわさ。

 僅かばかりの朝の輝きが差して来た。斜向かい吟さんが、二階ベランダに登場である。窓越しに手を振り合っての朝のご挨拶を交わす。今度は、ヒヨドリが二羽遣って来た。部屋の定位置にドッカと座ってPC打ちをしている私を見て、諦めて飛んで行ってしまった。

 嗚呼、温い部屋で私とて、頭がボワ~ンとして来て早く、温もりの残っている万年床で不足分の眠りに就きたいのは、山々の態なのである。然りとて、体力薄き母の動きは、まだまだ先の事なのである。何やら、腹も減って来たぜや~。・・・とほほなり。

心何処ーショート カミ雪
                  カミ雪(3/10/10)
 好く降った物である。この積雪の厚みは、子供の頃の積雪量と同じである。雪掻きをするしか有るまい。この時季の雪は、水分たっぷりのカミ雪と呼ばれている。春を告げる雪として、太陽に当てられてドンドン融けて行く雪なのである。
 午後にでも成れば、道路の雪は、シャーベット状に成って次から次へと車輪に潰されて、ビショビショの道と化すのである。云う為れば、放って置いても大勢に影響など無い様な雪質なのである。

 然りとて、雪掻きは、ご近所さんとのお付き合いの一つでもある。さてさて、此処は一発奮起して、朝飯前の雪掻き作業を遣って来るとしよう。風呂に火を付けて、ヒーコラ、ヒーコラ、ゼ~ゼーの汗びっしょりの長靴脱ぎであった。

 風呂でスキンヘッドをして居たら、手元が狂って頭の皮膚をグイとばかりに、削いでしまった。鏡に血の滴るスキンヘッドは、プロレスの金網デスマッチのレスラーの面では無いか・・・ニャロメ!!
 
 お昼に成ると、早くも道路は、剥き出しのアスファルト道に移行して居る。郵便物を出しに行くついでに、埃まみれの1円、5円、10円玉の両替をして来ようと思い立つ。3000円以上と為った。チャリ銭が千円札に変身すると、何か拾い物、宝籤に当たった様な得をした様な気分に為ってしまうから、人間とは可笑しな造りに為っている物である。

 長靴を履いて歩いて来たのであるが、こんな気分に為ると個人スーパーまで足を伸ばして、母の好物の豆餅でも買って帰ろうか。などと云う気分に為ってしまうのであるから、これまた、可笑しな物である。
 お目当ての豆餅は無かったが、手ぶらで帰るのも気が引けてしまう。個人スーパーは、ロートルの話の場でもある。お薦め品を吹聴されて、止せば良いのに、あれやこれやと買い求めて、降って湧いた両替金額に千円札が必要に為ってしまった。やれやれ・・・レジ袋を両手に、ブラブラ歩き帰りの様である。

 テレビ・ラジオでは、過疎化・採算割れの店舗閉店・郊外型大型店舗等に現れる様に、高齢化の進む地域では、<買い物難民>なる現象が、深刻な社会問題化しているそうである。
 私が経営学の講義を受けていた時代には、日曜品への『最寄り商品購買行動』、値の張る高級財への『買い回り商品購買行動』などの言葉に区分けされる様に、『最寄り・買い回り商圏』為る物の概念が根付いていた物である。
 詰まりは、地元商店街と都市部のスーパー・デパート等の大型店舗群の棲み分けが有ったのである。

 言葉を知らない学生の私が、一々、合理的・頷きの生活実態の風景が、今や経済効率化の下に影を潜めて行く町の有り様には、切ない物がある。私の生活する子育てを終えた町内でも、ご他聞に漏れず高齢化が進んでいる。老夫婦が車に乗って買い物に行く姿は、私の四畳半の窓からよく見られる日常の光景である。

 嗚呼、あのおじさん、おばさんも、あんなに歳を取ってしまったのか・・・息子、娘の★★ちゃんは、遠い所で生活して居るのかな? タイムリミットの足音がするぜよ。
 車の運転も、精々が70代までの事であろう。車を失えば老人には、歩くしか無いのが、その実態である。高齢化社会の行く末は、侘びしさが募るばかりである。私がレジ袋を両手にブル下げて、腕が痺れるなどと苦笑いして居るのは、まだまだ若いと云うべきであろう。母の姿を重ねて見ると、買い物に来る老人達の姿を見るのは、真に忍びない風景である。

 ラジオからは、国会中継が流れている。相も変わらず、堂々巡りの首相への母からの特大子供手当・脱税の追及・糾弾国会の様である。もうもう、ウンザリでありまする。日本人は、やいのヤイの大合唱が好き過ぎる。
 チャリティーと為れば、車椅子、車椅子のまま乗れるタクシーなどの<恒例車>が大々的に映像に登場する物である。同じ<高齢者>の為の寄付為らば、買い物難民策として『移動小売店車』の寄贈位な物を恒例車として欲しい物である。『三丁目の夕日』の原風景の中には、魚屋も八百屋も、昼の店商いは奥さんが、亭主はリヤカーを引いてご近所集落を行商商いをしていた物である。
 目を閉じれば、そんな昭和三十年代のオヤジ達の顔と真鍮製の草臥れた呼び鈴のチリーン、チリ~ンの懐かしい音も、耳の底から聞こえて来る。

 首相への平成の脱税王の贈り言葉を最後に、自民党森山議員の質問は終わった。続く議員からは、北教組の闇献金問題の追及である。
 下衆の感想ではあるが、質問する方も、答える方も、大した者同志である。彼等には、飽きると云う神経は無いのだろうか。正常神経は、党利党略の<為にする・しているだけに過ぎない>の組織神経の前に排除されているのではあろうが、国会議員先生達には、それを振り切る勇気が無いだけの烏合の衆なのであろうか。正に、信用出来ない面々である。

 国会で埒も無い堂々巡りの綱引きを遣っていても、単なる言葉の駆け引きで終始してしまうだけであろうが・・・ 公費の無駄遣いでありまするぞえ。もうもう、大先生方、素人にも云える感情糾弾をして居ても仕方があるまい。もう、好い加減に、本題に入り為されませ。志薄き者達がドンナ言葉を用い様が、人の心には響き様が無いのである。

   分かっておくれや~、感じておくれや~、 
             国民を代表すると豪語する先生様方よぉ~。

 あれほどに降り頻った20数センチのカミ雪とても、時季を心得た雪は、時季の空気を読んで、静かに融けて地中を潤して、春の植物に地中の養分を運ぶのでありまするぞえ。

 ロートル・スカンポ脳味噌しか持ち合わせぬ私めは、国会の議員先生並びに施政者様の毒気に、中(あ)てられまして過ぎて、頭があおら、あおらして御座りまする。

 さてさて、カミ雪の滴の音を聞きながら、外の空気を吸いに行って参りまする。

心何処ーショート 前日の補筆
★★前日の記事を読み返した処、文章の通り、説明不足により、意味を為していないので、一部の修正・補筆をしまして、以下の文章と差し替えたいと思います。ブログ公表している以上は、理解不能の徒労を訪問者様に抱かせるのは、心痛の至りでありまする。嗚呼、恥ずかしい!!

 これだけ雪が降り頻っていると、ハイエナギャングのヒヨドリも一切姿を見せません。何処か雪の掛らない枝の下で、羽毛を膨らませて空腹に耐えて居るんでしょうね。

 兎に角、生き物にとっては、季節の移り変わりは受忍出来るものの、猫の目の様な寒暖の激変には命懸けで、着いて行かなければ為らない厳しさがありますね。

 降り頻る三月の雪に呆れ果てて、隣部屋に移行して枕元の蛍光灯を付けて、万年床のページ捲りをして見ますが・・・

 小麦の農耕文明の成立地帯と形容される肥沃な三日月地帯、パレスチナ・シリア~メソポタミアの地は古代から、その肥沃さ故に争い・戦争の絶え間ない歴史の上に、幾多の王国・王朝の栄枯衰退を繰り返したとの事でありまする。同じ様な現象は、米の農耕文明地帯・中国の漢民族と征服王朝の栄枯衰退の歴史と同様ですね。
 定住型農耕民族と移動型放牧民族との間で繰り返される戦争は、国家同士を主役に置けば一大スペクタル戦争映画、村民と野党の闘いだと七人の侍・荒野の七人の映画に為りますからね。野党が騎馬で村民に襲って来る構図は、図らずも農耕民族と放牧民族との本質的違いを象徴して居て、実に面白い物ですね。
 
 現代は企業が、海洋の民・フェニキア人の様に地中海沿岸に、飛び地の都市国家を作った様に、産業・企業覇権を競っている乱闘の時代の様に見えてしまいますね。加えて帆船の動力は・・・一人歩きして居るマネーが、忙しげに風向きを東西南北に変えている時代かも知れませんよ。
 
 安定した風向きを失った企業大航海・植民地時代の御代は、進歩の頂点の時代に在って、短命に終わりそうですね。

 寒冷の地で、飢餓と凍死で命を果てるか、肥沃の地で権力者に徴用されて戦闘の中で果つるか・・・ 何処らも経験が無いから、温まって来た布団の中で、ただただ・・・瞼が重く為って行くまどろみの気持ちの好さでありまする。

心何処ーショート 雪は降る降る、雪は積るなり。
          雪は降る降る、雪は積もるなり。(3/9/10)
 嫌に為りますねぇ~。雪がドンドン積もって行きます。大雪に成るとの予報です。元気なのは、ラジオだけであります。

 原始の時代の人達は、如何していたんでしょうかね。洞窟に枯れ草を一杯貯め込んで、ヤマネの様に丸く為って其々の体温でじっとして居たんでしょうかね。寒いと言って、火を焚いてばかり居たら、焚き木の量だって半端じゃ無かったでしょうし、食糧の確保も大変ですよね。絶対に、死因のトップが餓死と凍死だったのでしょうね。自然界の種のバランスは、食物連鎖の掟が強く働くから、人間が繁殖年齢に達するまでの生存率は、現代からすれば、真に僅少の率だったのだろう。そうでなければ、何万年もの間、石器時代が続く訳が無いのである。

 想像画で見る様に、マンモスを狩る原始人の集団の様に、原始の人達は、あんなに野生的だったんでしょうかね。あれだけ活発に、野生と戦闘を挑むには、赤々と燃え盛る洞窟の炎が無ければ、生活は叶わなかったんでしょうね。運任せの現実を耐えに耐えて、春の息吹・芽生えに漕ぎ着けたと思ったら、冬への逆戻りと成ったら、目も当てられませんね。冬眠して冬を遣り過ごす生き物達だって、五月の陽気が、翌朝は雪と成ったら、一体如何するんでしょうかかね。元の穴に戻れぬ内に、敢え無く凍死なんて結末なんですかね。

 これだけ雪が降り頻っていると、ハイエナギャングのヒヨドリも一切姿を見せません。何処か雪の掛らない枝の下で、羽毛を膨らませて空腹に耐えて居るんでしょうね。

 兎に角、生き物にとっては、季節の移り変わりは受忍出来るものの、猫の目の様な寒暖の激変には命懸けで、着いて行けない厳しさがありますね。

 降り頻る三月の雪に呆れ果てて、隣部屋に移行して枕元の蛍光灯を付けて、万年床のページ捲りをして見ますが、小麦の農耕文明の成立地帯と形容される肥沃な三日月地帯、パレスチナ・シリア~メソポタミアの地は古代から、その肥沃さ故に争い・戦争の絶え間ない歴史の上に、幾多の王国・王朝の栄枯衰退を繰り返したとの事でありまする。寒冷の地で、飢餓と凍死で命を果てるか、肥沃の地で権力者に徴用されて戦闘の中で果つるか・・・ 何処らも経験が無いから、温まって来た布団の中で、ただただ・・・瞼が重く為って行くまどろみの気持ちの好さでありまする。

 悪天候を呪うよりも、生まれた時代・国の有難さに、感謝するべし・・・なのである。世は、何かに付けて省エネ・エコの風潮でありまする。何も役に立たぬロートルは、ヤマネの如く万年床で身を丸めて、暫しの昼寝をするしかあるまい。
           
           ・・・やれやれでありまする。


心何処ーショート 懐かしき雑草の歩み
                懐かしき雑草の歩み


                 雑草の歩み


 昨日の呆け談議・男の棲み分け談議の挿絵でありまする。50年も前の、嗚呼、懐かしき雑草の歩みの反芻でありまする。バケツを両手に廊下に立たされている斜向かい色白吟さんの、何と凛々しきお姿で有りましょうか・・・ それに引き換え、橋の下で登校拒否をする吾身は、恥ずかしき限りで有りまする。
                
        振り返り見ますれば、テヘヘの極みで御座りまする。

心何処ーショート これを称して、男の『棲み分け談議』と謂う。
         これを称して、男の『棲み分け談議』と謂う。(3/8/10)
 夜に成って漸く積もったのだろう、1cm強の積雪である。白い庭を見ただけで、ザワザワと背筋が縮こまってしまう。こんな時は、居住区の空気の総入れ替えは、真に辛いのである。四畳半の椅子にも座らずに、朝を開始する。

 湯を沸かしたり、真似事掃除に小動物の世話。魚を焼き、沢庵を切り、味噌汁とセッセと食事の世話をして、コタツ亀を決め込む。背を丸めて、寒い寒いを連発する私に、母が熱いお茶を注いでくれる。

 腹が膨れて体が温まれば、寒い寒いとばかりに縮こまって居てばかりでは、身が持たぬ。本日、月曜日。娑婆は一週間の始まりなのである。現役組を考えれば、此処は一発気合を入れに、散歩に出掛けるべきである。

 朝、玄関の鳥籠の口を開き合わせにして置いたのであるが、一向に興味を示さなかった小鳥達であった。靴を履く時に見ると、オスが元の籠に移動しているでは無いか。メス達に移動は無かった。へへへである。

 これが常態と為れば、オスの通い婚作戦成功では無いか。予断は慎むべきではあるが、藁巣は、メスにとってはオス以上の守るべき城なのかも知れぬ。
 
 完全装備の散歩でも、実に寒い。勿論、西のアルプスは、全て灰色の中である。

 然し、素晴らしい東山の山容・山嶺の続きである。積雪量が少ないから、粉砂糖を塗した様な風情の風景が眼前に迫っている。松と広葉樹の雪の被りが、シュークリームに塗された粉砂糖の様な濃淡のタッチで、描かれているのである。空は、冬空の灰色雲である。 
 濃淡で描かれた世界は、墨絵の中を見る感じで、侘び寂びの世界観である。縮こまってコタツ亀をしていては、絶対にお目に掛れない風情豊かな景色である。こんな景色は、心が静かに為るものである。

 本日は、意識的に田畑の脇道・畦道を選んで散歩する。気に入ったショットがあると、立ち止まって、景色に相槌を打ちながらのゆっくり散歩である。

 まあまぁの距離と汗を掻く。家の近くの苔を両手に乗せて、庭に回り庭石周りに苔を配置する。苔の移植は、その殆どが失敗に帰するが、私は苔の緑が好きなのである。短い期間であっても苔の緑は、それなりの目の保養と為る。

 玄関を開けると、廊下に斜向かいさんの来た証の紙袋が置いてある。返還の文作綴りの日付を見て、その続きを印刷して置く。3/1からである。18頁とイラスト4枚である。本日、冬日の寒さであるから、斜向かいさんの窓は閉じられた儘である。
 物事は、ついでである。朝、お向かいさんに貰ったリンゴをスライスして、窓辺の雑木の枝に刺し、窓の餌鉢に入れて置く。

PCを開いて、本日分の日記打ちに移行して居ると、斜向かいさんのお姿である。
          いやはや、忽ちにして、ロートル談議に花が咲く。

「お兄ちゃん、テレビ見たかい。宮内庁は、何を考えとるんじゃい。モンスター・ペアレントじゃあるめいし。軟な事言ってんじゃ無いってんだよ。餓鬼の時代は、そんな事ぁしょちゅうよ。純粋培養だけじゃ、お姫ぃ様しか出来んわね。
 戦争に負けて、平民の世の中で65年も経っちゃったんだわね。だから、貴族様だけが通うお学習院初等科じぁ無からずよ。国民の象徴教育には、ちょっとは雑草教育も必要だわね。手っ取り早い不敬罪が無いからと云って、一々、マスコミに公表する事ぁあるめいよ。国家公務員の宮内庁が記者会見して、流行りのモンスター・ペアレントして如何するんじゃい。あい? 
 これも、何かい? 国民の象徴だから、世相の象徴で、モンスター・ペアレントかいな? そんな常識の無い特権根性の役人にぁ、税金使わせたくは無ぇってものズラよ。そうじゃ無ぇかいな。四畳半の大先生!!
 俺に言わせりゃ、そんな物ぁ、ペアレントとは言わぇよ。モンスター・アホタントの間違いズラよ。何を公共の電波使って、大本営発表じゃい!! ふざけるのも、好い加減に晒せってな物だわね。」

「へへ、お外は冬日だけど、鼻息が荒いじゃ無いですか。Sちゃ、俺が散歩で留守してたぜ。あれズラ。話の予習して来たズラ。あい!!
 なんか、物騒で高級な言葉が、ポンポン飛び出して来るぜや。俺ぁ、うろたえちゃって、言葉が出て来ないわね。」
「おっ、読みが深ぇじゃん。寒いもんで、コタツに当たって、こんな厚い知恵蔵を唾付けて、捲って来ただいな。忘れねぇ内に吠えとかなきぁ、言って置きぁ、俺の勝ちだわね。イッヒッヒ!!」

「そうズラ~。お説、ご尤もでゴザンスよ。俺も引っ越して来て、地元平民のコワッパの苛めでエライ目に遭ったわね。自慢じゃ無いけど、橋の下に何日も通って居たんね。それが慣れてきた頃、とうとう親にバレちゃって、しこたまお説教喰らったわいね。
 昔の事だから、引籠り・自閉症なんて、医学用語は庶民の手の届かん真理で、一般庶民用語じゃ、男の癖に、意気地無し・弱虫・恥を知れってぇのが、家庭の訓え・真理だったぜね。イッヒッヒ!! 
 俺なんか、女にしても好いくらいのお坊ちゃん顔で、神経過敏にして感受性に優れた繊細派だったから、修業期間が、人の何倍も掛ってしまった赤点組だったわいね。
 とほほ、人知れず、何度泣いた事やら・・・ 」

「そんな事ぁ、学校生活じゃ日常茶飯事だわね。踏まれても踏まれても、伸びる雑草のしぶとさを自分で身に付けないと、誰も助けちゃくれまいに。この野郎、この野郎と逆らって、免疫力を作って行かなきゃ、払い込んだ年金も戻っちゃ来ぇよ。
 途中でポシャちゃ~、現役退役のこんな楽しい日常にぁ、お目に掛れんズラさ。俺なんざぁ、学校行きゃ、海軍上りの軍服先公様に竹棒鞭でひっぱ叩かれて、廊下で両手にバケツでさ。でもさ、慣れりゃ、そんな物ぁ、屁の河童のゴタッ小僧で、学校行くのが楽しかったもんだぜや。ギャハハ!!」

 こんな調子で色白吟さんは、どっかと胡坐を掻いて立て板に水の名調子である。斜向かいさんは、前田吟さんの上を行く色白優男なのであるが、話術と表情豊かにゼスチャーを多用するお人であるから、兎に角、話が弾んで、四畳半小部屋は、笑い転げるプライベート・ショーなのである。
 女性陣には悪いのであるが、放送禁止用語がポンポンと湧き上がる好き者男同志のクッタクの無い男談議は、女房殿を排除しなければ到底出来ない男の『棲み分け談議』なのである。イッヒッヒ!!
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