旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 夕刻のショート散歩
             夕刻のショート散歩(2/28/10)
 日曜日であるから、気分的には休日である。ラジオは、津波情報一辺倒である。外は、雨・みぞれ・雪・雨と落ち着かない天候である。こんな時は布団の中で、気楽な映画を見るのが一番である。ビデオテープからディズニー映画の『トム・ソーヤの大冒険』をチョイスして隣部屋に行く。有難い事に日本語吹き替え版であった。気が付いたらテープは巻き戻されていた。まあ、休日の戯けロートルなのであるから、これで十分なのである。

 さてさて、台所の食器洗いをして、米でも研ぐとしよう。ラジオからは、引き続き津波情報が流れている。外を見ると、雨は止んで居る。飯が炊けるまでは、何もする事が無いから、スキンヘッドに毛糸の帽子を深々と被ってショート散歩に出掛ける事にする。

 笹濁りを呈した川は、程良い増水で滔々と流れ下っている。普段、流れの無い所にも水掃き用の支流が生まれて、枯れ葦の中を流れている。茶褐色の濁流と違って、笹濁りの水流は、見方によっては春の風情でもある。

 すっかり面積を奪われてしまった葦の原に、ホウジロ・モズ・アオジなどが見られるし、枯れ芝生の河川敷には、例によってムクドリ・ツグミが好く見られる。ツグミに混じってアカハラを一羽見付けた。今シーズン初めての遭遇である。川原の水柳の木には、相変わらずのヒヨドリが柄の悪い声を上げている。

 増水で、流れの早く為った淀みには、カルガモも泳がずに葦のベットの上である。雨をしこたま吸った苔が、石垣で黄緑色で膨らんでいる。柔らかな好い色合いである。

 空には未だ飽き足らないかの様に、見るからに水分を含んだ薄墨色の雲が動いている。

 そんな黒雲・灰色雲の重ねの中にも、薄日の雲の切れ間が有る。早落ち城祉のある迫り出した低山に薄日が差して、その個所だけを浮き上がらせている。角度の所為か? はたまた、地形上の為せる気象上の特徴か?は定かではないが、早落ち城祉のある低山スポットは、四季を通じて其処だけが、浮かび上がる様な陽の当たり方をする場所である。

 残念ながら、私は昔話・民話に登場する巨人では無いから、その辺りの山々に線香を立てて煙の流れから気流の流れなどを目視して、彼是と観察統計をして科学的観察は適わない処である。

        然しながら、想像・妄想の類は、私の専門科目である。

 こんな小さな盆地ではあるが、人が住めば歴史が作られる。小さな盆地であると云えども、統治が生まれれば社会・政治情勢が変われば、鬩(せめ)ぎ合いが生じる。勢力同士の鬩ぎ合いが生じれば、こんな小さな盆地の中にも、地政学上の要衝の地が生まれて来る。甲斐の国の武田信玄にとっては、信濃の国は穀倉と映った由である。風林火山の旗印の下、侵略するも、防衛するも、命懸けの闘いである。
 要衝の地を手中に収めるか、否かで、戦と云う殺戮が生じる。悲惨な殺戮の場は、しばしば霊場として語られる。そして、其処には霊場を霊場足らしめんとする幾つかの自然の不思議さを見せたり、見せ付けたりするものである。

 そんな人々の心の中から、昔話・民話が生まれ、郷土史家達の凝る研究が、始まるのかも知れない。

 さてさて、本日は休息日である。ショート散歩も、この位で好かろう。踵を返すと致そうぞ。明日からは、弥生三月である。過ぎ去る月日の速さは、丸で笹濁りの流れの様にして、吾が身は、健忘症・脳軟化症の進むばかりの日々である。
                            ・・・遺憾いかん・・・
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心何処ーショート 朝のマイタイム
                朝のマイタイム(2/28/10)
 昨日は、少々早めに布団の中に入ってDVDを観ていたので、早めに目が覚めた。雨音が、しとしと聞こえている。玄関では、金華鳥達が食べ終えた餌の催促で、餌入れ容器をカタカタと鳴らしている。生意気と言うか可愛い物である。仕方無しで、起きるとしよう。

 モーニングコーヒー用の湯を沸かしながら、部屋のファンヒーターの灯油を入れる。金魚達も、泳ぎが大きく為って来た。一匹198円で買って来た金魚達も立派な体付きに為って来た。冬の低水温を越すと、春の水温の温みに触発されて、彼等は産卵するとの事であるが・・・ 彼等は、大人の段階に成長して居るのだろうか? 興味のある処である。

 昨日のコーヒータイムのTの話ではないが、街場のT家の庭にも野鳥達が遣って来て、雀達への米撒きから大いにグレードアップして、リンゴ・ミカンの串刺しに進んでメジロ達の訪問を受けているそうである。鳥の名前を教えろと言われて、教えたのがヒヨドリ・ムクドリ・シジュウカラ・メジロであった。

 お互い勤め人の頃は、職場と家を往復するだけの働き蜂の生活を強いられて来たのである。日長の一日を庭・周辺の空間を見ながら過ごすなどと云うマイペースの生活態度とは、無縁であった筈である。
 それが、身近の空気の中に身を置く生活を始めると、散歩者・野良猫ファミリー・雀・ヒヨドリ・メジロなどの行動が目に入り、そんな彼等の日々を観察出来るのである。仕事から解放されれば、人間は学生・学童・幼児の視点で、身の回りの事に興味を示して来る物なのであろう。
 お互いに、一人の空間が好きなマイペース型人間である。何しろ、キリギリス飼育に関しては、ギネスブック・レベルの腕前であるからして、面白い男である。剣伎・男女・情緒が織り為す時代小説が好きな男であるから、きっと真面目腐ったインテリ顔をしても、根は好き者の男である。きっと目はニヤニヤさせて、キリギリスの雄雌の性態を観察していたのであろう。実態は、推して知るべしの助平オヤジなのである。

 キリギリスと云えば、ソ連、中共張りの強制移住をさせた去年の実験が功を奏して、ご近所で二世が孵化して鳴き始めたら、私の試みは表彰物である。イッヒッヒ!!

 母の動きを待ちながら、コーヒーに煙草で、退屈極まりない徒然の文章を打っていると、時折、雨に白い物が混じる。

 ラジオからは、チリ沿岸の大地震に依る津波に関しての気象庁の会見が流れている。日本の太平洋沿岸では、1~3mの大津波警報と50cmの津波警報が出されたと云う事である。その時速は36kmとの事である。
 日本から見ると、全く地球の裏側の出来事である。情報が逸早く世界に発信され、情報が素早くシュミレーションされる現代であるから、惨事・危険の警戒・回避手段が可能と為るから好い物の、ついぞ一世代前までの時代に在っては、知らずば<突然の海の脅威>である。

 17年振りの大津波警報との事である。人間の心の退廃すら運ぶIT情報世界ではあるが、情報発信・情報収集・情報分析・解析のスピードと正確さには、舌を巻く世界である。

  さてさて、母上の動きである。朝の賄い夫にシフト替えを致しましょうかね。

心何処ーショート 選択肢の違い
               選択肢の違い(2/27/10)
 雨は止んだ物の、冬にシフトの日である。電話が掛って来て、いざロートル・コーヒータイムである。最近作の下手絵ファイルを持って、お迎えの車に乗る。

「おいおい、この頃は、絵が慣れて来て、まともな絵に為って来たじゃないか。」
「そうずら、下手だけど雰囲気だけは、伝えられているだろう。」

「コメントの遣り取りの中を覗くと、絵の説明があるから一応の納得が出来るしな。それにしても、今日の夢の話はなぁ~、下手に精神科医に診察して貰うと、精神を病んでいるなんて、即断・隔離されちゃうわな~。
 目を瞑って胸に手を当てて、好く考えて見ろっちゃ~、お前は黙っているが、とんでもない悪さを働いているんじゃないのかい? 
 俺をフロイト先生と思って包み隠さず、胸の中に在るドロドロした物を、ゲロしちまえよ。腐れ縁だから、一応の守秘義務は守って遣るぜ。イッヒッヒ!!」
「何をコキャがる。何にでも、深層心理の理屈付けをするフロイト先生の学問上の大功績には、敬意を払うけどさ。俺みたいな下衆男には、ケロイドは知ってるけど、フロイト先生なんかお呼びじゃねぇわさ。
 一応、俺だって法学部の出身だわね。犯罪心理学なんて講義も聴いていたから、それなりの刷り込みもあるし、映画じゃ、ヒツチコックのサスペンス・スリラーを観ているから、分からない訳じゃ無いけどさ。全て、深層心理の謎を表層的に解釈して如何するんじゃい。自慢じゃ無いが、俺ぁ文武両道の常識人・正常人だんね。」

「お見逸れ致しやした~。そりぁ、そうだ。俺にした処で、お前が鉄格子の隔離病棟じゃ、暇を弄んじゃうからな。
 そうそう、柔道部の★★が神主遣ってるから、お祓いして貰った方が好いわな。何だったら、連絡して置くかや~。ギャハハ!!」
「それには、及ばんわな。精神科医だったら、なだ・いなだ先生が居るわいな。俺は、一度ラジオで聞いたんだけどさ、先生の仰るには心理学の専門書を丸暗記するよりも、自分の内心との真摯な自問自答の方が、余程、自分の心理を解明する事が出来るとよ。俺は、それを聴いて、我が意を得たりと思ったもんだぜや。イッヒッヒ!!」

「ほう、そうかいな。じぁ、今日のテーマは、その~、夢に観る自己の心相に就いて、講義を受けて見るかいね~。あい!!」
「巧い事、題名を付けるじゃないか。そう迄言われちゃ、引っ込む訳にぁ、行かんべや。一寸、頭の中、整理するぜ。コーヒーでも、飲んでましょや。

 思うに、第一の引き金が、昨日の電柱の絵だと思うんだよ。・・・
 テレビ・映画なんかに登場するフロイト流深層心理を占う心象画ってのが、あるだろう。きっと、それだと思うんだわさ。漆黒の闇に浮き上がる光のスポット、光の中に現れた電柱の足掛かりのボルトとその影は、表と裏の二面性・分身を現わしていると考えられ無くは、無いだろう。ほら、絵の此処に焦点を当てれば、凝縮された呟きの様な物が聞こえて来るズラよ。イッヒッヒ!!」

「どれどれ、おうおう、聞こえて来そうな気配だわな。」
「そうズラ~。まぁ、それを一先ず、此処に置いていてせ。工事現場の高所恐怖症の夢の話があったろう。」
「おうおぅ、短足の足が伸びないで、脂汗びっしょりだったってヤツだな。」

「あいあい、流石、★★生だわな。良い記憶力してるじゃないの。あれはナチス・スパイのロナルド・サザーランドの『被せ』だったんだけどさ。

 サスペンス映画の名作『針の眼』を見て居ないと云うTの為に、私は身振り手振りを交えて、映画の粗筋を演じて見せた次第である。Tは私の大袈裟な台詞付きの映画再現を、おうおう、そうかそうか・・・などと合いの手を入れて、笑いながら聞き入っている。

「『針の眼』のラストの圧巻シーンは、ナチス・スパイを最後には追い詰めて追い詰めて、射殺するイギリス奥さんの悲しいハイライトだったんだよ。映画の締め括りとしては、亭主を殺されて、追い詰め、追い詰める女の執念だったんだわさ。
 映画観賞的に退いて見れば、戦争に翻弄された哀しい男女の物語を内包したサスペンス映画なんだけどさ。
 まぁまぁ~詰まりはさ、スカンポ脳味噌しか持ち合わせていない処の、感化癖のあるロートルの深層心理には、片方の主人公の『焼き直し』にしか過ぎない・・・云わば『片手落ちへの心理の負い目』が働いていたって寸法さね。イッヒッヒ!!」
「やいやい、Rの場合は、普段の詐欺師・漫才師面が本性を現わせば、ご立派なインテリさんだわね。相変わらずの深い自己分析。無駄事ほざきゃ、軽く逆ねじ喰らうぜよ。アナタは、怖いねえ~。イッヒッヒッヒ。
これじゃ、フロイト先生は要らないわね。ケロイドの傷の手当だけで十分だって訳だ。さぁて、煙草でも吸いに行くかいね。あい。」

「先生、ちょっと待ってましょ。白人さんが遣って来たんね。それも、二人だわさ。一寸、目の保養して行くじゃんかい。見るだけタダ、見ないと損するあるよ。あい?」
「アラ、ソォ~オ~。おお、まあまあの線、行ってるじゃないか。本当に、歳を取ると、厚かましく為っちゃうなぁ~、お互いに・・・」
「堅い事は言わない。自然体で成り行きに任せるのが、ロートルの娑婆遊泳術だわね。へへへ。」

 冬戻りの外のベンチで、煙草を吸う。Tはホームセンターで、イカれてしまったスイッチを探して行くと言う。親友・心友の付き合いは、友に従うのがエチケットである。
 家が街場に在る彼は、取り替えスイッチを手に取って、家に帰って取り外して、中の構造を見てから買うと言う。家の 立地条件の違いである。自転車を漕いで来なければ為らない私とは、購買の選択肢が異なるのである。序であるから、私は金魚の浮餌を買った次第である。

心何処ーショート そこで、目が覚めた。
           そこで、目が覚めた(2/27/10)
 
    こりゃ困った物である。私の妄想も悪い方向に進んだ物である。

 初恋の女性が、何時の間にか奇妙な女に為っている。私は追い捲られて必死の逃走を図っているのであるが、逃げきれないのである。

 臭い・足跡を消す為に、私は川を横切ったり、川の中を進んだりして、私の持てる知略を尽くしているのであるが・・・ 

 忍者張りに竹のシュノーケルで川の葦原の陰で、私を追う捜索隊の模様を息を潜めて窺がっている。捜索隊は、狂暴に吠え盛る猟犬を先頭に葦原の湿地帯を遠ざかって行く。見ると、何と彼女は、その中に入る。如何した事だろう??? 暫く様子を観察しよう。捜索隊を巻いたと安堵した私の眼に、彼女の変な行動が見える。

 彼女は、目を閉じて茹で卵を押し潰した様な平べったい石を耳に当てると、捜索隊から一人離れて此方に向かって来る。そして、解せない行動を彼女は取った。捜索隊を手招きして居るのである。
 
 私は、再び彼女の追跡を巻くべく姿を晦ますのであるが・・・要所要所で、それを遣られて、私は捜索隊に追われ放しなのである。

 幾ら逃げても、彼女に変な石を耳に当てられ目を瞑ったまま、此方に捜索隊を導いて来るのである。

 彼女が何故そんな事をするのか? 
 曲がった事の嫌いな品行方正の正義漢の私が、私より数段人品卑しい柄の悪い捜索隊に何故追い詰められているのか? 

 一向に解せないのであるが、異様な集団に追われれば、私の様な正常な人間は、理由は兎も角として、逃げるしか無いのである。不思議な事に、恐怖感も疲労感も全く湧いて来ない処が、私にとっては幸いな事であった。
 然しながら、こんな埒も無い<かくれんぼ、追いかけっこ>をして居ても、仕方の無い事である。理屈に合わぬ疲労感は、御免である。白黒を着けるべきである。私の疲労感は、寧ろその方向に向かっていた。

 とうとう、私は追い詰められてと云うよりも、彼女と対決する為に、山間の堰堤の上で彼女を待つ事にした。案の定、山の小道から、彼女は目を瞑ったまま、平べったい石を耳に当てながら、何かに憑依された様に近付いて来た。

 如何見ても、異常な顔である。然しながら、彼女は初恋の女性である。幅の狭い堰堤の下は、深い滝の落ち込みに為っている。

 私は、迷っている。
 異常を呈している彼女だけを突き落として逃げるべきか、捜索隊も彼女を失えば、私を見付ける事は出来ないのである・・・
 これも運命・・・手を繋いで二人で宙に舞うか・・・ 
 お互い、泳ぎは達者である。正気に還る確率に賭けて、私は彼女を抱えて大ジャンプをした。

            そこで、目が覚めた。



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心何処ーショート 小さな外灯
               小さな外灯(2/26/10)


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 春一番が吹き荒れて、オリンピックの見所も終わった。トム・ジョーンズのCDを聴きながら、狭き小部屋で金魚達を眺めている。散歩の時には、小雨だった雨は、春一番の通過で雨音を静かにさせている。

            何時もの静かな週末の夜である。

 部屋の窓からは、電柱に掛った外灯電球の橙色の鈍い光が見える。小さな光の佇まいである。目をじっと凝らせば、笠から滴り落ちる雨が見える。小さく、直線に区切った光の届きである。物音のしない夜の四十万に、ポツネンと灯る鈍い光は、寂しくもあり健気にも見える。

 まだまだ、就寝時間には間が有る。お絵描き帳から一枚取って、スケッチを始める。好天の余勢を駆って、今夜も暖房の要らない夜である。




心何処ーショート 黒雲走る、雨交じりの強風為り。
          黒雲走る、雨交じりの強風為り(2/26/10)
 あはは、カーリングもフィギァスケートも、終わちゃいましたねぇ~。応援して居ると、フリーな気持ちで愉しめませんね。ハラハラ・ドキドキは、楽しみに非ずでありまする。 

 私は、安藤美姫さんがデビューした頃からの注目対象でありまして、(彼女は、誰かさんに似ているんですよ。応援する動機は、人其々でありまする。) 祈る気持ちが邪魔をしまして、フィギァの美しさを愛でる余裕すらも無いのでありまする。
 日本選手は、国民性の為せる業か・・・総じて下馬評のインフレ・スパイラルで、悲壮感すら漂い硬過ぎる感じがして、伸びやかさに欠けていましたね。可哀そうな気持ちがしてしまいますね。米公聴会に出席したトヨタ社の豊田社長も、大変でしたしね。

 其処へ行くと、欧米の白人選手には、妄想・軽口を叩きながらのリラックスムードで、彼女達の全身を観賞出来ますから、気楽な物です。はい、じっくり堪能させて頂きました。

 今まではズームアップ、リプレイ映像、解説に、テレビ中継の方が、スポーツ観戦には持って来いの物とばかり思っていた。オリンピック中継映像を、これ程、長時間に亘って観た経験は、はっきり言って今までに無い処である。
 
 そんな中で、ふと、本日思ったのである。一回こっきりの観客席固定アングルで、全体のオリンピック演技を観て見たい。きっと其処で観れば、邪念が働き様も無い『氷上の流れる演舞』に映る筈である。<木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。>の格言もあり、全体と個のバランスを見る事の重要性には、一切異論の無い処である。
 
 然しながら、臨場感の中に在る人間の目は、流れる流麗さ、弾む躍動感、緩急が織り為す集中と弛緩の演舞の全体像に向かって注がれるのである。其処で繰り広げられる演舞は、顔も衣装も遠ざかった演舞者の肉体と技で構成される<氷上の大きな舞台の演舞の一部始終>なのである。
 そんな事を考えたりして居ると、矢張り、退いたアングルからの全体の流れから来るリズム・テンポ、流麗さ、華麗さ、躍動の一話完結型の演舞への感嘆・感動に勝る拍手は無かろうと思われた次第である。テレビの中継解説者の席が、一体どの辺りに位置して居るか?分からぬが、テレビカメラの映像と解説者の微妙なズレは、肉眼解説者と複数カメラ、ズームアップの違いを見せて、天の邪鬼観戦者からすると面白い発見でもある。

 こんな事を打つと、春一番の突風に吹かれて、信州の山猿ロートルめ、頭の打ち所が災いして、暫しの正気の沙汰・・・どうせ、長続きはしない<春の椿事>でしかあるまい。などとの皆様の嘲笑が、聞こえて来るのではあるが・・・

 そんな嘲笑が聞こえて来れば、私とて、自己弁護の権利もあろうと云うものである。

 億面も無く、日々の邪念・邪推ブログを行進(更新)している私の脳味噌の中身は、御贔屓の訪問者の紳士淑女の皆様には、隠しようも無い処ではあるが、私とて、紳士淑女方の耽美主義的部分も持ち合わせているのである。
 偶々、私の場合は、それが持続の長続きが出来ないまでの事なのである。私だって酸欠覚悟で遣れば、健康と引き換えに下衆の淵から片手位は伸ばして、木の根っこ位は掴めそうなのであるが、いかんせん・・・メタボ体躯が災いして、淵から脱する事が出来ないまでの事である。

 メダルが決まって、自転車でスーパーまで行く。ポツポツと雨が落ちて来た。先程、風呂で丹念に剃った頭は、流石にスースーとして寒い限りである。
 楽しみの終わったオリンピックに、ブログを打ちながらラジオの国会中継を聞く。後二日で二月ともお別れである。変わらぬ日々を映して、国会論議も相変わらずの国会パフォーマンスの舌戦である。

      窓から外を窺がえば、黒雲走る雨交じりの風の強さである。

心何処ーショート 春日の中の散歩風景
               春日の中の散歩風景
                
                春日の中の散歩


 現在は、春一番の様な風が吹き荒れていますが、この数日は好天に恵まれていましたね。明日は雨との事で有りまする。陽気に釣られて、散歩者の姿が多く見られた物です。平日の日中で有りますから、当然、退役組が殆どです。コンニチハなどと声を交わして其々の散歩をする。好い光景です。

 さて、本日の一枚で有りまする。擦れ違う中年男女の表情に、想像力をお楽しみ下さい。女と男の一瞬の習性を表現して見ました。イッヒッヒ!!

 さてさて、訪問者の方々には、如何なる想像が働きました事やら・・・ コメントなど頂けたら…ウッシッシで有りまする。

心何処ーショート 張る日は崩れて、風舞う為り。
            春日は崩れて、風舞う為り。(2/25/10)
 現役時代の大分、前の話である。職場に面白い男が居て、私の旅行記を読んで、Rさんは文章が好きそうだからと言って、亡父の手書き綴りを持って来てくれた事が有った。彼の父親は、小学校の教員で一生の趣味として中国史を紐解いていたそうである。その綴りは、中国史への想いと日常を綴った時折の日誌とにジャンル分けされていた。原稿用紙に万年筆で綴られた物を、黒と茶の厚紙表装紙で綴じられてあった。小学生の倅は、よく父親の手伝いをさせられていたとの由。学究肌の父親の遺伝子は、残念ながら彼には伝わらず、大量の手書き綴りだけが遺産として本棚に残ったと笑っていた。
 
 その中に、面白い記述が有った。食の嗜好から推測する徳川家康の出自に就いての一考察である。家康は粗食を旨として宿敵秀吉との天下争いをしたのは、歴史の名高い事実との事である。

 彼の父親は、山深い木曽で生まれ育ったと云う。山菜に、川魚・海の塩魚に干物・佃煮の飽き飽きする食卓であったとの記述から始まって、幾ら戦国時代と云えども領主・大名の子であるから、その食生活は、其れなりの美味い物・高級な物を食べていた筈である。云わば口の肥えた人間が、天下取りの野望を果たすべく長生きの食材を求めて、日々の食卓に並べたとしても、口の肥えた味覚に耐えられ様筈が無いとの見立てであった。何しろ大分、前の記憶であるから、作者の表現は到底思い出せない処である。
 
       その大意を私流の表現をするしか無いので・・・許されよ。
 馬鹿こいちゃいけんわさ。ナスの漬け物にナスの煮付け、煮干しなんぞに美味い美味いなどと、天下人が箸を付けれる訳が無い。自分の経験からして、絶対にそうである。マグロの刺身と煮干しを並べられて、マグロに箸を付けない人間など居る訳が無い。そんな物に箸を付け、大好物なんて云う男は、余程、貧しい食生活を送って来た男に違いあるまい。貧しい時代の習慣が有るから、煮干しが美味いと郷愁するのである。
 一説によると、家康の出自はセッタ若しくは乞食集団のボスの子との流布がある処からして、正史に現れている家康の出自に関しては、私見として並々ならぬ疑問を記して置く。

 こんな事を打ち始めていると、彼の父上のその他の文章に現れて来る個性的とも思える???の個所を思い出して、下衆男の私は、煙草を吸いながら、ついついニヤニヤが大笑いの態に進んでしまうのである。

       まぁ、打ち出しは此の位にして、本日の本題に入りまする。
 私も専業賄い夫生活も3年である。人間の食生活の嗜好も当然にある処である。母を残して、自分だけが外食で好きな物を食べる訳にも行かないから、食事は、母と一緒である。

 還暦を越した閉じ籠り生活であるから、さして腹も空かない日々を送っている次第であるから、肉などは然程欲しいとは思わない。元来が魚派であるから、週に一度位の肉への欲求で済んでいる。足して154歳の二人切りの食卓であるから、あっさり粗食の方が、胃にもたれない食生活なのである。
 そして時間が有るから、自分で作って食べる事が殆どである。母の食は私からすると、当然に細い。作れば残ってしまうのは、これまた当然の流れと為る。そんな事で、作り置きの利く物に、料理の方向は流れて行ってしまうのである。加えて、そうして置けば、食事の世話をする私の手も省けると云う物である。
 
 三木のりへいさんの『何は無くとも、江戸むらさき』では無いが、保存の利く作り置きオカズは、重宝この上ない<食生活の知恵>なのである。

 特に冬場の台所仕事は嫌であるから、尚の事である。今は、佃煮に凝り始めている。或る時、スーパーの魚売り場で魚を物色して居ると、小魚の干物に目が行った。小魚・小エビ・刻みイカを手に取って、甘辛く佃煮風味の一品でも作って見るかと思い立った次第である。

 手料理と云うのも、遣り始めると中々に面白いものである。目には食材・舌には味が残っているから、食べた経験が有れば、何処となくイメージが湧いて来るのである。人間を60年以上も続けて居れば、種類も其れなりに蓄積されている物であるし、土台、調理法などと生意気面をして見た処で、焼く・煮る・茹でる・炒める・揚げるが精々にして、後はその複合でしかあるまい。一々、気に病んだり料理本と睨めっこするほどの事でもあるまい。
 紳士貴婦人をもてなす料理でもあるまいし、私の様な下衆貧民男には、そんな知り合いは皆無なのである。下衆男の真骨頂は、ブログ文章・下手絵・手料理も、全て出た処勝負の自然体が、その持ち味なのである。一々、気にする事ぁ無いのである。ウッシッシ!!

 香ばしさを付ける為に、油で炒った後に醤油・砂糖・調味料・七味唐辛子を加えて煮込み、水分が無く為った処で、炒りゴマを振り掛けて食卓に出すと、母からお褒めの言葉を頂戴してしまった。ついで、或る時、豆腐等のコーナーで真空パック詰めされたオカラを見付けて、牛豚の挽き肉・揚げ・チクワ・玉ねぎ・ニンジンを加えて、オカラ作りに初挑戦すると、これまた、お褒めのお言葉を頂戴してレパートリーの中に加わった次第である。
 挽肉もしくは鰹節をベースにショウガを下ろして、砂糖・味噌で炒める・・・炒め味噌も時々作る作り置きオカズの一種である。小アジを空揚げして、玉ねぎ・ニンジンを刻んで酢漬けにする事もある。視覚と味覚さえ有れば、後は小ズクを掛ければ、胃に収まるのである。

 物臭家事音痴の私とて、数年を掛ければ女要らずの生活が出来るのである。妻に先立たれ、熟年離婚に泣き面を掻いているだけが、男やもめの老後では御座らん。
 河童は頭のお皿の水が干上がってしまえば、死を待つばかり。人間は、頭のてっぺんの毛髪が不毛のスポットに成り下がろうが、立派に生きて行けるのでありまする。市販即席食品にばかり頼って居られたら、大事な脳細胞迄もが錆付いてしまいまするぞぇ。世の中、生きる為の大抵の事は、遣れば出来るのでありまする。自慢じゃないが、女日照りが続こうが、アッシだって、ピンピン生きているのでありまするぞぇ。★★ちゃん、頑張れちゃ!!

 天下人・家康様の老後の食事内容からの出自への考察の真偽の程は、私には雲を掴む様なご意見ではあるが、飽食・バブルの時代を体験したロートル世代は、食卓の郷愁に色を添えるも好し、日本の伝統的食卓を再現するも好し、食べ歩いた現役への郷愁に腕を奮うも好し、飽くなき好奇心に釣られて包丁を奮うも好しである。

 さてさて、★★ちゃんへのエ~ルも忍ばせて置く事も出来た事でもあるし・・・斜向かいさんが何時来ても好い様に、最近作の印刷でもして置きましょうかね。イッヒッヒ!!

 印刷を掛けて挿絵を挟んで居ると、玄関が開いた。好いタイミングである。どうぞと声を掛けるが、返事が無い。如何したんだろうと、部屋のドアを開けて玄関に行くと、手押し車の母が玄関で大きな息をしている。買い物に行って来たと云う。昨日に続いて、母は外に出ている。この処の陽気に体調の良さが加わって、気力の後押しをしてくれているのであろう。大した母上である。

心何処ーショート へへへ、汗に始まり、汗に終わる春日かな。
        へへへ、汗に始まり、汗に終わる春日かな。(2/24/10)
 おやおや、縁側に母の靴が置いてある。部屋でPCを打っていると、トコトコと手押し車を押している母の頭が見える。

「如何した? 大丈夫かい? 用事だったら、俺が行くぞ。」
「うん、大丈夫。」
「左様であるか、じぁ安全第一で、ゆっくり行って来ましょ。」

 為らば、母が帰って来てから散歩運動に行って来るべしである。何時帰って来たか知らぬが、母の部屋に行くと洗濯機の音がする。脱衣所を見ると、杖を突いた小さな母の姿が有る。
「おっ、俺は、これから散歩に行って来るよ。」
「はい。」

 セーター無しのコール天のシャツにチョッキの軽装である。昨日の不足の分を加える事にして、何時もの橋を素通りして下に向かう。多分、2時間前後の長丁場と為りそうである。アスファルト道から、土の河川敷に下りてテクテク歩きである。この数日のポカポカ陽気で、冬眠中の蝶達が枯れ葉の日差しの中をヒラヒラ舞っている。アジャジャ・・・水柳殿が、薄らと緑の芽吹きを見せている。ちと早いでは無いのかい? 寒波の返り打ちに遭いまするぞえ。まだまだ、様子見が肝要で御座りまするぞえ。

 本日は、やけに散歩者の姿が多い。それも、男が多い。時間のある男としては、こんな陽気に為れば、大人しく家にも居られないのであろう。これも、男の特性の一つかも知れぬ。野鳥達も、活発に飛び回っている。日差しに、チョッキを着た背中がポカポカして、汗ばんで来る。距離からしたら、未だ本の序の口である。先が思い遣られる気温の高さである。毛糸の帽子を被って来なくて、正解である。

 途中で時計を見て、大きな溜息が出て来る。フーフーと泣き事の呟きを連発しながら、折り返し点の上り勾配を通過する。一時間の所要時間である。
 川の水も勢いと水量を元に戻している。寒さから解放されて、水の通りが好いのであろう。畑には、人影が動いている。気持ちの好い春の陽気に釣られて、眺めは自由自在に巡る。山も空も田畑も、其々に柔らかな春の佇まいに溢れている。

 おやおや、一向に気付かなかったが、川原のアカシアの林の木に、こんな大きなスズメバチの巣が掛っている。遺憾いかん・・・寒いと眺めも委縮して、前ばかりを見て歩いていたのだろう。とんだ近視眼散歩の様である。山際の大きなカーブを越えて、松本平の眺望が開ける。平らな農道を迂回して、川沿いの野辺の風景の中に身を浸す。

 川原に、若い釣り人がルアーを流している。中学生か?高校生か? 暫く彼の釣りを見る。川の流れを見ながら、野辺の風景を楽しんで歩く。おやおや、これは彼の乗って来た自転車であるか・・・ 釣れれば良し、釣れずば、道遠い帰りである。イッヒッヒ!!

 田んぼのあぜ道を通って、再びアスファルト道の通常コースを行く。この辺りまで来ると、暑くて堪らないから、チョッキを脱ぎ、帽子も脱ぎ、シャツは腕まくりのテクテク歩きである。町内に入り、再び河川敷歩行である。私の影に驚いて、アブラハヤの群れが右往左往して泳ぎ回る。身体冷ましのリラックス歩行ではあるが、川面の反射光線に、これ程の熱があるとは・・・これまた、恐れ入谷の鬼子母神の感想であった。

 部屋の窓を開けて、フーフーして居ると、これまた散歩帰りの色白吟さんである。
「いや~、キツイ。2時間丁度の散歩だったいね。これ以上暑く為ると、散歩時間を調整しないとね。」
「ああ、熱いわね。俺は、今日は下の方をグルリと回って来たけど、息が切れちゃったよ。お兄ちゃんの方は、正規コースの上回りかい?」
「あい、昨日の不足分を加えたから、参っちゃったわいね。」

 へへへ・・・である。本日は、汗に始まって汗に終わるの一日だった様である。

心何処ーショート 夢に脂汗びっしょりの目覚めかな
           夢に脂汗びっしょりの目覚めかな(2/24/10)
 ふかふかの布団と温かい気温で、とんでもない汗びっしょりの夢を見てしまった。夢の舞台は、大きな工事現場である。途轍もないコンクリート壁にパイプ梯子が掛っている。歳の割には、筋力はある物の・・・私は、正真正銘の高所・閉所恐怖症の臆病者である。

 下を見たら、一巻の終わりである。壁面のパイプ梯子だけを見て、半泣きの登りである。登った所は、蹲る事も出来ない狭さにして、今度は飛び石の様な出っ張りを伝って行かなければ為らない。自慢じゃないが、団塊世代の日本人は、短足がスタンダードなのである。

 跳ばない限り、足が届かない。目を瞑って跳躍する度胸なんか、私には絶体無い。一体、如何すりゃ好いんじゃい。絶対絶命である。悲鳴も身動きも出来ない。全身がガクガクと震えて、発狂したい心境である。吾に還って、びしょ濡れ下着を取り替えた次第である。

 温度と夢には、相関関係が有る。とんだ布団干しに為ってしまった様である。夢の導入には、確信たる導入があった。夕刻の散歩から帰って、夕食をした後は見るテレビも無かったので、映画DVDを二本見てしまったのである。
 
 一本は、気の強い美人女優のスーザン・ヘイワードさんが見たく為って、<タルサ>を見て、余勢を駆ってドナルド・サザーランドの<針の眼>の豪華二本立てを確り観賞してしまったのが、怖い夢の序章であったのである。タルサは、原油採掘で沸くオクラホマ・タルサの爆発燃え盛る油井のスペクタル映画。一方の針の眼は、サザーランド氏が演じる冷酷なドイツスパイと、訳ありの辺境に隠れ住むイギリス夫婦との国を背負らされた哀しいサスペンスドラマである。

 どちらにしても、表面的なスペクタル、サスペンスだけでは観賞に値しない深い重い物を秘めた、私の好きなタイプの映画である。そして、ラジオニュースで聞いた長野県の工事現場での大型クレーンの転倒に依る死傷事故である。夢の舞台は、その事故ニュースのインプットとタルサの油井・針の眼のアンテナに登るサザーランド氏の姿のインプットであろう。

 或る意味では、感化され易い夢中毒の様なスカンポ脳味噌の持ち主であるから、心臓発作で睡眠中に死んでしまう事態に為らないだけで、助かっている次第なのである。
 
 夢出現の因果関係と云うか、相関関係をこんな風に解釈して見ると、人間の精神などと云う物は、如何に好い加減な造りに為っているかと云う事に気付かされる。精神とて、立派に環境因子と云う物の中にある物だ・・・との嘲笑なのである。
 世の中には、声高に人間の精神性の高尚さ・価値を吹聴する知識者・学者・教育者・活動家・宗教家の諸侯が多いのであるが、果たして人間の精神性為る物は、自然・事象からの絶対的な優位性を保たれているのか・・・甚だ疑問に感じる次第なのである。

 本日は、女子カーリングでじっくり楽しませて頂いた。日本チームが勝とうが負けようが、・・・殆ど関係の無いテレビの愉しみ方をしているのが、私流なのである。競技に真剣な彼女達の目付き・表情・動作に感嘆させて貰っているのである。
 凡その物事に関しては、其処に展開される真剣な表情にこそ、美は宿り、動くのである。こんな様をじっくり丹念に追ってくれるテレビ中継などは、滅多に無かろう。此処には、一個の凝縮された人間ドキュメントがある。・・・と云っても好かろう。人種を問わず、綺麗な者・一途な者・動作・叫び・願い・呟きの仕草・行為・行動は、彼女達の魅力に導いてくれる。

      人間とは、素晴らしい生き物だと感嘆させてくれるのである。

 好い物を見せて頂いたお礼に、私も日頃、目・気分の和みを頂戴している金魚達に、新鮮な川の水をプレゼントする事にする。長靴を履いて、大きなバケツを二つ持って、葦原を分け入る。足元不如意ではあるが、此処は夢の世界と違って平地である。バケツに並々と汲んだ水の重さは、春の陽気の中で殊の外、重いのである。腕・肩口までもが重さに痺れて、ヒィヒィーと途中で小休止の様ではあるが、夢の脂汗では無いから気が楽な物である。

 さあさあ、小鳥達おどき遊ばせませ。御用済みの水槽の水を掬って、窓から庭木に手荒くプレゼントして、バケツの川水をドバーとばかりに、水槽に注ぎ込む。

 如何じゃい、春の息吹に満ちた川水の味は、美味かろう。お前達、恩義に応えて、確り長生きをして、金魚の舞いを励行すべしじゃわい。ギャハハ!!

心何処ーショート 嗚呼、掃除は厄介な物である。
           嗚呼、掃除は厄介な物である。(2/23/10)
 
             いや~、完全なる春日である。
『ヨッシャ~、布団を干して、豚部屋を掃除するべや~』と、始めた迄は良かった物の・・・途中で、後悔の嫌々仕事にシフトである。温かいから、窓も戸も開放したままであるが、空気の気持ち好さだけは格別である。
 ラジオの便りでは、ウグイスの初鳴きの報がチラホラとしてある。<然も有りなむ>のお天気である。煙草を吸ったり、コーヒーをすすったり、嫌気心に騙し騙しの戦法も、功を奏し無い。もう、すっかり戦闘意欲が終えて、幕引きにする。

 後は布団などの寝具を取り入れて、途中ギブアップをするしか有るまい。その前に、部屋が小奇麗に為れば、対比上、水槽の汚れが目に付いてしまう。つくづくと、人間の目とは厄介な物である。ブラシで水槽の内側の汚れを落として、濾過用のスポンジを水洗いして、フィルターを新しい物に替える。全く、慣れない事をすると、散歩以上の息切れがしてしまう。

             アッシャ、参りましたわな~。
 
 もう、本日の散歩運動は、気分次第の結果とすべきである。現在100%のウンザリ気分に取り付かれてしまっている。・・・とほほ為り。さてさて、寝具を取り込んで区切りを付けるしか有るまい。

 大幅に遅れてしまった昼食後は、<綺麗にしたら、気持ちが好いだろう。>などと、喜んで好いのか?、窘められているのか? 分からぬお言葉を頂戴してすごすごと、私の開け放した部屋で、フカフカの布団の中で、タップリの昼寝を満喫した処である。

            嗚呼、天国天国の気持ち好さであった。

 小鳥達も、余程気分が春めいて来たのであろう、チャッチヤカ・チャッチャカ小煩いばかりである。朝の餌遣りの時は、零してばかりいるから、躾けの親心で何時もの半分程にして置いた。餌が無くなると、彼女達は、嘴で餌入れを突いて催促するのである。
 まぁ、生意気と云えば生意気、サインと云えば真に分かり易いサインで、有難い物と考えるべきであろう。久し振りに、水も綺麗に使い果たしている。何はともあれ、姦(かしま)しいメス所帯なのである。

          はいはい、これまた、失礼をば致しました。

 煙草を燻らせながら、生意気連中を眺めていると、散歩帰りの斜向かいさんが、窓から御挨拶である。
「今日は、もう散歩には行って来たかい?」
「それがせ。掃除始めたら、疲れちまって、グゥグゥこいて、大昼寝してたんだいね。へへへ。」
「そうずらい、今日は、ズーと窓が開いてて、布団が干してあったぜね。まぁ、明日も好い天気だって云うから、明日に付けときましょ。好い天気だったから、えらい大周りして来ちゃったから、汗ポタポタだわね。アハハハ。」
「へへへ、じぁ俺も、気は心だぜ。後で真似事散歩でもして来るわいね。」

    さてさて、コーヒーを飲んで、真似事散歩でもして来ましょうかね。

心何処ーショート 女の凝縮絵巻・カーリング
             女の凝縮絵巻・カーリング


                女の凝縮・カーリング


 瞬きもせずに、見入って居るオリンピック競技である。此処には、飾らない女の魅力がプンプンしている。選手達の声が聞こえ、咆哮がコダマしている。真剣そのものの緊迫した空気が、流れている。色んな女の表情・仕草が溢れている。
 唯見ているだけでは、心苦しい限りである。碌な絵も描けない吾身ながら、これほどの題材は滅多にお目に掛れるものでは無い。日本チームが盛り上がっている時に描かずして、何時描けるの段である。描かねば、罰が当たると云うものである。

      紳士諸侯・・・イッヒッヒにして、ウッシッシでありまする。

心何処ーショート 人生、是感謝感謝!!
             人生、是感謝感謝!!(2/22/10)
 今日は、好い天気に成るとの事であった。好い目覚めであった。さてさて、午前中に郵便局、母の薬を貰いに行って来て、好いお天気さんの中をのんびり徘徊散歩でもしようと考えていたのであるが・・・朝食後のテレビでは、日本対ロシアのカーリング放送である。

 何しろ10人の女性達のご尊顔が、声と共に生映しなのである。それも、担当は天下のNHK様であるから、CMなんてチャチな物が一切入らないのであるから、言う事無しである。確りコタツ亀をして、お昼の声を聞いてしまった。遺憾いかん・・・

 予定は、飽く迄、予定にしか過ぎない。郵便局経由で、温泉銭湯に行く。温泉ミネラルウォーターの汲み置き容器を自転車籠に入れて、ボッチラ・ボッチラとペダルを漕いでいると、下駄にセーター、手には風呂道具の風呂敷を下げて、ハイカラ御隠居さんが下りて来た。

「あれあれ、タイミングがズレちゃったわね。」
「やぁ、久し振り。今は、二人入ってるよ。お婆ぁちゃんは元気? 」
「あいあい、元気でコタツの住人してるわね。ダンナも祝90歳のNHKのど自慢があるぜ、ピンピンしてなきぁね。頑張りましょ。」
「その前に、後2年で米寿だから、其れを無事通過しないとね。それには毎日、感謝感謝の日々を送らないとね。人生、是感謝の気持ちで送らないと罰が当たるからね。アッハハ。」
「へへへ、そうですわ。<この悪戯坊主!! 煩い、糞婆あ!!>の時期を経て、独立・子育て終了・現役終了で、やっとこさ・・・感謝感謝の気持ちに目覚めるのが、凡人の一生だぜね。人生は如何やら、マラソン見たいな長丁場だから、完走して見ないとその時々の心境には至らないからね。俺ぁ出来が悪いから、時間が掛りますわね。」
「そうそう、人生、山あり谷ありでも、途中で死んでしまったら、人生、是感謝の気持ちが、口から出ないからね。現役時代を走り切らないと、何事も駄目だからね。役目から引退して、健康で歳を取って行けば、空念仏の様に感謝感謝の言葉が、自然と出て来るからね。人生って、そう云う物見たいだね。この歳に成ると、そう思えて来ちゃうから、不思議なものですわ。アッハハ。ゆっくり湯に浸かって帰ると好いよ。」
「はい、アリガトザンス。」
 
      ハイカラ御隠居さんは、何時見ても元気溌剌のお人である。

 銭湯に入ると、一時、5人に成ってしまったが、再び2人と成った。頭頂が河童のお皿状で、その周辺の髪は白髪の長髪にして、前歯は何本か欠けている。痩躯の体付きは、丸で仙人の様な風情である。男は、中学の同級生の少々変わった性格の兄上である。

「先輩、好いじゃん。好い味出してるよ。俳優に為りましょ。こんな仙人様見たいなキャラクターは、そこん所そこいらの俳優にぁ、逆立ちしたって無理だんね。」
「エレ~事言ってくれるじゃねぇかい? そうかいね、俺でも、銭に為るかいな。銭に為りゃ、恥も屁ったくれも無ぇさ。
でもさぁ~幾らなんでも、俺一人じゃ心もと無ぇから、一緒に遣って見るかいな。どうせ、お払い箱で暇こいてるズラ~。冥土の土産だ。二人で遣ってみっか!! 台詞無しでも、パチンコ代位ぇにゃ為るズラよ。ギャハハ!!」
「へへへ、そりぁいけねぇせ。俺なんかが、一緒に居たら、先輩の大事なキャラクターに影を入れちまうんね。そう為りゃ、新人賞をフイにしちまうんね。それだけは勘弁しておくれや。イッヒッヒ。」

 顔見知りとは、気楽なものである。先輩も湯浸かりのタイプらしい。ふ~、う~などと、気楽な溜息を湯船に伸ばしながら、暫し話を弾ませてしまった。

 家に帰り、3時を待って、町医者経由の散歩に繰り出す。コースを東に取って、テニス場・野球場を周回して、山道に踏み込む。見上げる空の高みに、トンビが二羽上昇気流に乗っている。(流されている?) 左の山から鳥影が右の小山に飛ぶ。飛翔のシルエットは、ハヤブサか、チョウゲンボーである、数日前の散歩の折にも見えたシルエットであった。ヤマガラの姿を見に来たのであるが、本日は不発に終わってしまった。雄のジョービタキ一羽ではあったが、大きさから言ってチョーゲンボーに間違いあるまい。
 
 さてさて、帰るとしよう。野球場を通って帰ると、座敷犬を散歩させている女性の姿が有る。おうおう・・・日本女子カーリングチームの目黒さん張りの女性では無いか・・・
おうおう、彼女は美形の自信素振りである。有難や有難や・・・歩調を落とし、見返り美形の品作りまでサービスされる。

 これぞ、ロートル下衆の無情の喜びでありまする。美形のご厚情に感謝感謝、へへへでありまする。

 本日は、中々の目の保養をさせて頂いて、ハイカラ御隠居さんでは無いが、人生、是感謝感謝の呟きである。気分が好かったから、コンビニに寄って、肉まんとフライドポテトを買って、母とオヤツをした次第である。ウッシッシ!!

心何処ーショート 日差しの中のロートルカップル
            日差しの中のロートルカップル


                日差しの中のローカップル


 昼散歩の折に、時々見掛ける夫婦ウォーキング者である。亭主殿は、嘗て大病に罹ったのであろうか、些か足の運びにぎこちない処が見受けられる。女房殿が付き添う様な感じで、ウォーキング日課に連れ出している・・・そんな感じを受ける。

    そんなカップルの歴史を表現したく為って、一枚絵を描いて見た。
 ベンチ横の老木に、夫婦の年輪をダブらせ、ベンチ下の落ち葉の色合いに、夫婦の思い出の数々を散らせて見た。冬のベンチに座り、熱い飲み物を注いで、黙って乾杯の交わすロートルカップルに、冬の日差しが優しく微笑んでいる。
        そんなイメージで描いて見た次第でありまする。

 何となく、そんな気分を感じて頂けたら、私の下手絵の腕も上がって来たと云う物で有りまする。毎度の事ながら、不器用な描き手の下手絵で、へへへでありまする。

心何処ーショート 60代男のトーク
                60代男のトーク(2/21/10)
 昨夜のラジオ深夜便の橋幸夫さんへの明石さんのインタビューと云うよりも、対談が好かった。きっと、お二人の人柄が好くマッチして人生の味わい深い軌跡が感じられた。顔の見えないラジオトーク番組は、内容が好いと映像の無い分、『声と間による構成作品』の様な感じを覚える物である。ゆったりとした等身大のスターさんの姿が伝わって来た。

 対話・対談と云う物は言葉・心のキャチボールである事を、まざまざと映し出してしまう物だ・・・と感心した次第である。其処に見える光景は、ボールと云う一つの媒介物を持つスポーツの野球・サッカー・バスケットなどにしても、投げる(キック・スロー)、受ける、投げ返すの基本要素から成り立つ対人の関係であった。
 受け取ったボールを、相手の態勢が整うまでの『間』を見て、ドリブルして待つのもボールを投げる者の気持ちの一つである。何時までも、自分がボールを放さなければボールの軌道は中断してしまう。対話・対話には、全体の流れとしてのリズム感が踊って居なければ、視聴者は退屈でしか無い。ボールは相手と自分の間を交互に渡って、弛緩の変化・変化球の球筋を付けて面白さ・味を付けて来るのである。

 お二方ともに、60代の男である。彼等の質問・受け答え・使用する明瞭簡潔な言葉・言葉を交換する間・・・などが、実にスムーズな運びで、久し振りに大人の時間帯の様な物に、静かな拍手を送った次第であった。番組の合間に橋さんの二曲が入った。一曲目は、吉永小百合とのデュエット曲<いつでも夢を>である。橋さんの甘い美声は、ワルツの様に軽やか伸びやかに流れる雰囲気を持っているのが特徴である。
 結論ありきの物云いで、些か気色悪いのであるが・・・こう云った感性の持ち主であったから、その後の橋さんの大スターでありながら、自然体の現在のトークが出来ているんだろう・・・などと思ってしまう次第であった。声だけのラジオ番組と云う物は、映像が無い分、語り手・喋り手の素地が聞こえてしまうから、怖いメディア媒体である。

 本日、日曜日である。毎日ラジオとお付き合いをしているロートル日々であるから、大体のニュースは、時間ごとに耳に入って来る。ニュースは繰り返し報道が多いから、知らず知らずの内に、スカンポ脳味噌の中にも何割かの歩留まりを残して行く。従って、目の疲れるテレビで一週間の講義を拝聴するまでの事は無かろう。
 散歩運動も、基本的には休息日で好いのであるから、してもしなくても好い日なのである。昨日ほどの陽気に恵まれれば、河川敷のベンチでボケーと日光浴でもして居れば良いのである。

          昨日の賄い夫倅同志の憎まれ口交換では無いが・・・
「徹底したお地蔵さん日々なんだけどさ。婆さんの奴、俺の日課散歩の報告を聞いて、私も歩く練習でもしようか・・・なんて抜かしやがるんだぜ。」
「そうそう、爺っさの奴も退院後は、黙って居りぁ昼の1時2時まで寝ているお地蔵さんの癖して、<春に為ったら、又、散歩するだい。>なんてほざいてるんだ。この糞爺っさ、甘え甘えし腐って、動く元気が有ったら、少しは何か手伝いでもし遣がれで、白髪頭の一つもひっ張っ叩いて遣らかってって物だわさ。本当に、とぼくれてるって物さ。」
「イッヒッヒ、ニャロメ!!って奴さ。お互い教養と人格に恵まれた倅を持って万々歳って物ズライな。何だかんだと云っても、男は女と違って奥ゆかしいから、言って善い事と悪い事の『建前・意志の世界の住人』だからな。餓鬼の頃は、散々女のヒステリーの餌食に為っていたのに、立場が逆転しても親にぁ仕返しはシネェからな。立派な生物って物よ。」
「本当さ。男の世界じゃ、親孝行も修行の一つだもんなぁ~。シャ~ナイのお努めだいな。」

 明石アナウンサーと橋幸夫さんの深夜トークの感化を受けて、昨日の私とTの憎まれ口交換をニヤニヤ思い出してしまった次第である。
 窓辺の小鳥達は、チィ、クッ、チイ、クゥクゥなどと、活発に動き回っているが、気温は大して上昇して来ない。窓外の南天の枝葉は、太陽光線を浴びては居る物の、風に靡いている。

 トイレに椅子を立てば、書架にロシアン美形様達が、にこやかな笑顔を振りまいて御座る。この頃は、ジョービタキのバルディナさんのお姿とは、すっかりご無沙汰の感である。家から30mも上に行けば、雄のジョービタキの姿を何度か目撃して居る。雄雌別々の縄張りを持って、越冬するジョウビタキの習性である。雄ジョウビタキの姿が部屋から目撃されぬ以上、バルディナさんの縄張りは確保されているのであろう。

  さてさて、日曜日の昼寝前に、外の空気を吸って来るとしようか・・・である。

心何処ーショート 不良ロートルのコーヒータイム
             不良ロートルのコーヒータイム(2/20/10)
 ラジオをかけた儘、寝てしまった。夜中に、枕元のラジオが聞こえていた。興味のある内容らしいから、少し聞く事にする。好い話に確り聞いていると、第二エピソードの処でウンザリしてしまった。ラジオを消して、寝返りを打つ。素晴らしい内容ではあったが、彼女は事細かく饒舌過ぎる。これでもか、これでもかの速射砲は、些か下品で御座りまする。私の長駄文の域でゴザンスよ。

 これでは、聞き手のアナウンサーが可哀そう過ぎる。得てして、世の中には頭に浮かんだ事を、其の儘、全部喋って仕舞わないと気の済まない人が多く居る物である。話・お喋りの焦点をどのクラスに置くかで、視聴者の満足度は変わってしまう。本日のベテラン保母さんの話と前回見た定時高校の女性英語教師とを、比較せざるを得なかった。

 昨日は冷蔵庫の品薄を恥じて、夜の10時に大手スーパーに買い出しに行く始末であった。夜、悪戯仕事で料理を一品仕込んで置いたから、母が起きてから朝飯をよそおえば好いだけである。

 窓を開け放して、居住区空気の総入れ替えである。晴れ渡った空に、太陽の日差しが気持ち好い。食後のテレビで、耐久力・気力勝負の女子アルペン、スピードに躍動する男子滑走を見る。いやはや、スキ―を履いたアマゾネス戦士達は、力の躍動感と体力・気力に満ち満ちている。
 遠目では、一切男女の差など確認され様も無い。アップ画面に、男女の上下の特徴を確認して、舌を巻くしかない次第である。彼女達には、選ばれし男だけが、結婚を許され、維持可能なのである。幾ら、私が白人女性信望者と云えども、彼女達の鋼の筋肉と持続力には、対抗すべき余地は無い。

     ・・・恐るべし、北欧アマゾネス戦士達の金・銀・銅であった。
      内面に狂暴さを秘めた私には、血の疼くテレビ観戦である。

 さてさて、本日、土曜のコーヒータイムである。真似事掃除をした後は、Tからのお誘いテレホンを待つのみである。

 二階席は日差しの中で、春の温かさである。日帰り温泉のおネェちゃんのエピソードで、すっかり盛り上がってしまった。

「アッハハ。Rは風体が悪いから、話の向きじゃ回りのウバ桜連合が、変な事に為らない様に、携帯電話に110番をインプットして、聞き耳を立てていたんじゃ無いかぁ~。財布に金が無くて好かったって物だわさ。へへへ。」
「アジャジャ、それって、<壁に耳あり、障子に目あり。>って事かいな。110番通報されて、塀の中で幾ら泣いたって、アンソニー・クイン見たいに評価はされねぇ物なぁ~。イッヒッヒ!!」
「そうだぞ。お前の文章読んでてさ、昔、家のご近所さんに、そんな家族が居て親が亡くなった後、兄貴が一人で、面倒を見ていたんだが・・・ その人が、首を吊っちゃった事件が有った事を思い出したよ。その後、施設に入ったらしいけど、現実は悲惨だよな。刑務所の再犯者の話と云い、如何し様も無い事が現実の姿だわな。」
「そうだよな。俺達は何にも出来ないから、普通に話しの相手に為る事しか出来んわな。」

「それにしても、Rは博学だね。本も読まないのに・・・如何遣って、仕入れているんだ。」
「如何したい? 陽気の所為か? 煽ててくれるじゃないか。興味のある事は、頭に残るってだけだろう。皆、そうじゃないのかい。
 俺には女に興味が薄いから、女の貯金が貯まらんわね。Tの女語録からしたら、1/10以下だわね。本当に、お寂しい限りだわね。韓国・フィリピンコールの大先生とは、棲む次元と実績が、月とスッポンだいね。イッヒッヒ!!」
「抜けシャーシャーと、この馬鹿野郎が、無駄事こいて、何が、<指圧の心は下心>じゃい。俺の専売特許を公表しやがって、俺は、マダマダ体力・精力回復には、時間が掛るんだぞ。競争相手が増えたら、俺の秘術が通じなく為るじゃねぇか。ギャハハ!! 
 Rの場合は、知らねえ人が聞いても、誰も信じちゃ呉れねぇわさ。俺だって、携帯に110番待機させて、善意の監視人だわさ。
 人間にぁ、年相応の精力の減退って物が備わらなくちゃ、人間としては失格って物ズラよ。あい!!」
「ほざいた物じゃねぇか。太宰治の人間失格かいな。俺の場合は、見栄張った処で、精々、チン格の堕落って物ズラい。人間失格の沙汰が下ったら桜上水で迄、遠征出来ないから、女鳥羽川で単独自殺じゃねぇか。そりぁ、何でも、友達甲斐が無ぇってもんズラ~。反省して、撤回しろや。へへへ。」

「巧い事言いやがって、お前は、漫談師か詐欺師を遣らしたら、きっと成功したんだろうな。口じゃ敵わねぇよ。可哀そうに、<覆水盆に返らず>って処だいなぁ~。イッヒッヒ!!」
「そうかい、そうかい。Tは、何だかんだといって、とどのつまりは、俺を見世物か刑務所送りにしてぇえんだろ。」
「そりぁ、そうだわね。塀の中にも、漫談師の需要はあるぞぜ。笑わせやがって、腹痛ぇわな。でも、好い天気だな。外のベンチでタバコでも吸いながら、話を続け様じゃないの。」
「あいあい、そうするべや。」

 日差しを真正面から受けて、喫煙場所のベンチは、実に気持ちが好い。昨日の水道管凍結と、たった24時間の差とは信じられない日の強さである。不良ロートル二人組は、周囲に気を配ってのボリューム調整を添えて、ブログ割愛のスケベ談議に暫し弾んで来た次第である。

 さてさて、本日分を投稿した後は、春の日に誘われて散歩徘徊のお時間と致しましょうぞ。

心何処ーショート パイプ煙草に乗せて
              パイプ煙草に乗せて(2/19/10)
 本日金曜日、さてさて、習慣は守るべきである。風呂を沸かして洗濯日である。普段使わない洗濯機の不凍栓を開けるが、水が出て来ない。
 アジャジャ・・・伊達の低温注意報では無かった様である。水道管の中の水が、払い切れていなかったのだろう。水道管が破裂さえしなければ、大勢に影響は無い。日当たりが有るから、その内に出るだろう。

 ドタバタして居ても、母は布団の中である。台所仕事をしながら、質素な朝食の支度である。こんな時には、黄色の沢庵漬けは、真に好い仕事をしてくれる物である。納豆に沢庵漬けと夜の残り物を出せば、一食が足りてしまうのである。
 
 食べ頃となった薄黄色の沢庵漬けは、冬の保存食と云うよりも、食の進む立派なオカズと為るのであるから、先人の食への工夫とは凄いものである。買って来た大根を程良く干し上げるには、小ズク(まめさ)を要する物の・・・米糠・柿の皮・唐辛子・塩を加えて、市販の漬け物用糠(米糠・乾燥ナス葉の粉末・着色のジョウゲン・塩)を掻き混ぜて、大根を並べ、その上から混合糠で埋めて行き、重石を乗せる。後は大根から染み出した水分と糠が、寒い物置きの片隅で自然の乳酸菌の作用で、じわじわゆっくりと漬け物に仕上がって行くのである。食べ頃に為るまでには、1~2か月を要するだけである。先人達の知恵は、微生物の力を借りた低温発酵食品である。
 冬の長い信州の食卓の友は、漬かりの早い白菜→野沢菜→ミヤシゲ大根→硬大根と食べ進めて行くのである。
 
 考えて見ると、土地と云う自然環境の中で、工夫されて来た大した生活の知恵である。
 ラジオのニュースなどでは、『日本の伝統的食文化』なる言葉の下に、捕鯨にノーを叩き付けるシー・シェパードなんて云う白人達の妨害運動が物議を醸している。
 
 日本の伝統的食文化の保護・継承などと書くと、如何にも見栄えのする据わりの好い表現である。冷蔵庫・冷凍庫、物流の目覚ましい発展・発達に伴って、新鮮な自然の幸が食卓を飾るご時世である。その昔、<タイムリーな簡便さ>の御利益には程遠かった時代には、想像も出来なかった食卓のバラエティと豊富さである。この様は、『食卓新時代』を謳歌して居る日本人の食文化と言わざるを得まい。

 こんな事を打ち始めていると、日本の伝統的食文化が有るのなら、日本の新食文化と云う物も、確り根を張っているのであろう。これも、時間潰しのロートル・スカンポ頭にとっては、体操の一つである。

 さてさて、パイプ煙草に火を付けて、プカリ・プカリ吹かして考える。先ず、頭に浮かんだ物は、揚げ物・刺身・レトルト食品・市販食品・外食などの簡便供給食文化が、その主たる構成であろうか・・・ パイプの煙の中に、共稼ぎ・核家族・少子化の都市化の食生活が、浮かび上がって来る次第である。こんなキーワードを念頭に、日本の伝統的食文化の拠って立っていた環境・状況に<郷愁の想い>を馳せると、中々にして面白い対比が出来ると云う物である。

 三世代が一般的であった大家族・農業・林業・水産業が主体だった村社会・時期の実りを保存せざるを得なかった保存食生活・物流の閉鎖性などが相まって、エンゲル係数の高かった時代に其の土地・土地で継承されて来たのが、日本の伝統的食文化の実態なのであろう。
 保存食と云えば、腐敗を回避する為に、水分を除去する干物・雑菌を塩で殺す塩漬け・有用菌を活かす漬け物が、その主たる保存方法であったのである。その基本手法に味が加味されて、各種の調味料の投入が家庭・家庭で<家庭の味>として伝承されて来たのであろう。

 こんな風に雑駁な考察をして見ると、伝統的な食文化とは、保存食への工夫と保存食を使った料理法にこそ、意味が有る様に見えて来る。別な言い方をすれば、その骨子は<手間と工夫にある>のである。

 本日のロートルクマ男の論証としては、へへへの段である。手間と工夫を置き忘れてしまっては、『日本の伝統的食文化』も、屁ったくれも無いと云うのが、吾がパイプ煙草の結論でありまする。これまた、現代日本人には耳の痛い年寄りの冷や水と為り申した。イッヒッヒ!!

 さてさて、久し振りのお天道様の輝きである。昨日は、確り2時間の散歩運動をしてしまったから、本日は、コースを変えて徘徊散歩でも致しましょうかね。長駄文にお付き合い頂いて、有難う御座いまする。感謝感謝で有りまする。

心何処ーショート 青空に跳んで飛んで、オリンピック
           青空に跳んで飛んで、オリンピック。


                 青空に、跳んで飛んで、オリンピック。


 四人で競うスノーボード競技は、面白くて迫力満点ですね。何か、マダカスカル島の横跳びで地上を飛び跳ねるジャンピング・モンキーを連想させてしまいますね。しかも、懐かしい西部劇に登場するインディアンが、騎兵隊を山岳地帯に誘って、頭上からワンサカと襲い掛かるシーンをも想像させます。ハイスピードとハイジャンプの妙技なんですが、私は彼等・彼女等の真剣な競技に、ジャンピング・モンキーとジェロニモ率いるアパッチの雄姿を見てしまうんです。
         
         はい、真に不謹慎な下衆男で有りまする。
 
 さて、行儀の好い視聴者の紳士淑女様達は、どんな事を連想させてテレビオリンピックを観戦されている事で有りましょうや。

心何処ーショート へへへ、昨日の後編でありまする。
         へへへ、昨日の続編でありまする。(2/18/10)
 昨日の続きである。日記文章を思い付くまま、浮ぶままを書いて、悪戯描き帳に薄く線取りして居ると、傍らの襖がスッと開く。ビックリして目を上げると、太った女が立っている。感じが一寸違う。

「おお、ビックリした。如何した?」
「おじさん、何してるだ?」
「俺かいな? これから下手な絵でも描こうと思ってさ。」
「何? 色鉛筆で描くだぁ?」

<アジャジャ・・・ こりぁ、参りましたわなぁ~、彼女も息抜きに来ているのであるから、ツンケンしたら気分を害してしまうだろう。そう為れば、面白くは無かろう。俺も息抜きに来たのであるから、袖擦りあうも他生の縁である。お付き合いをするしかあるまい。へへへでありまする。>

「おじさん、何で来た。バス、車で来たぁ?」
「今日は寒かったから、車で来たぞ。」
「私は、バスで来た。家はどこ、松本? おばさんは、まだ風呂?」
「そうだよ。おばさんは居ないよ。一人で来たよ。おじさんは、一人が好きなんだよ。」
「そうか、一人は淋しくないかい? おじさんは、好い男じゃん。どうして、おばさん居ないの?」
「へへへ、一人が淋しい人も、淋しく無い人も居るんだよ。おネェちゃん、歳は幾つだ?」
「30だよ。」
「そうかい、淋しいかい?」
「うん、家に居ても、掃除して洗濯して、ご飯作ってるだけだから、楽しく無いよ。だから、ここに来てゆっくりして行くんだ。」
「そうか。」
「おじさん、絵を描いてて、また見に来るから。じぁね。」

 彼女は、幼児の様な笑顔で襖を閉めて行った。30と云えば、親御さんは私と同年配であろう。吾が子が、どんな風に生まれて来るかは、『神のみぞ知るの世界』である。親が元気な内は、何かと世話を焼いてくれるが、親が年老いて行くと残された子供は、何かと大変である。 
 子供も、容貌が若い頃は円らな瞳・純な童心も愛嬌の内であろうが、何時か、歳の進みが、外観と中身のアンバランスを際立たせてしまう。一年一年、そのアンバランスは加速されて行く。これが哀しき現実である・・・
 
 語尾が、如何しても途中で、流れてしまう彼女の喋りである。英語と違って、日本語は意思・要点の○×が、最後に来る作りに為っているから、他人との意思の疎通もスンナリとは運び難い喋りである。福祉行政であっても、線引きに依って社会と家庭・施設の垣根が存在して居るのが、社会の実態なのである。社会で稼いで自立の儘為らぬ域に、彼女は居るのであろう。・・・そんな事を考えながら、目前のウバ桜連合会の雰囲気を薄くスケッチして、私も童心に帰って、色鉛筆の蓋を開けて色塗り工程に進んでいると・・・襖が開いて、

「おじさん、上手じゃん。」と上から声を掛けて来る。耳と口を彼女に貸して、私は色を線になぞって足して行く。馬が合うのだろうか? 痛し痒しの感でもあるが、これもロートル気まま男の社会参加の一つである。彼女は、次から次と話し掛けて来る。勿論、語尾不明にしての尻切れトンボであるから、私の方は失礼の無い様に、頭の中は知恵の輪状態なのである。・・・とほほ。

「ねぇ、おじさん。どこかで泊って行こうか? 家に帰っても、一人じぁ淋しいずら、私も一人だから。」
「おいおい、おネェちゃん、大胆な事を言うな。第一、金は持っているのか?」
「うん、財布に、4000円入ってる。」
「そうかいな。おじさんは2000円しか持って無いぞ。合わせて、6000円じゃ、暖かい布団の中で、アヘアへは出来んぞ。有り金全部使ちゃったら、ラーメンも帰りのバス代も無くなっちゃうぞ。腹減って、この寒空、トボトボと歩いて帰ったら、途中で凍え死んじゃうぞ。★★じぁ、一生懸命歩いたって、2時間半は掛るぞ。如何するだいな。へへへ。」
「そうか、お金が無いか・・・泊るだけでも、一万は、するもんねぇ。」
「あいあい、そうだんね。」

 可愛いものである。こんな話をしているから、ウバ桜連合会のおばちゃんにゲラゲラ笑われてしまった。遺憾いかん・・・

「おじさん。また、見に来るね。」
「あいあい、そうしておくれ。おじさん、頑張って絵を描くぜな。」

 暫くして、襖が開いて、
「おじさん、腹減らない? ミカン食べる?」
彼女は、剥いたミカンを見せて笑っている。
「おぅ、優しいね。そこから、放れや。」
「おじさん、ちゃんと取れるぅ?」
「任しとけ、巧いもんだぞ。ほれ、放れや。」

 彼女は、丸で幼児の様に、何度も何度も、放る仕草をして狙いを定めている。

「おじさん、行くよ。ちゃんと取ってよ。そ~れ。」
襖線をミカンが緩い放物線を描いて、入って来た。
「おじさん、巧いじゃん。チョコレートも、食べるかい?」
「おじさんは、甘いのは苦手だよ。ミカンで十分だよ。アリガトさんなぁ~。」
「おじさん、今何時?」
「★時だよ。」
「そうか、まだ、バスの時間には、40分もあるしなぁ~。」

 私は、妄想癖のある不良ロートルである。下手絵の色塗りをしながら、フェリーニ監督のイタリア映画の名作『道』を思い出していた。ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインのモノクロ映画である。
 人相・女癖の悪い野獣的大道芸人のクインと、頭が弱く天使の様に純粋な女ジュリエッタが描く辛く重い内容の映画である。決して、名作の感動と手放しで感涙の拍手を送れる程の薄い映画では無い。

 失礼ながら、彼女がジュリエッタ張りの容姿を持って居たら、私の様な下衆男は慌てて、家に取って返し、財布に補充して車で何処かに時化込んでしまうのが落ちである。一度の逢瀬に男女の絡みの糸が引き・・・赤裸々な男と女の愛憎劇が、のた打ち回る。失って初めて気付く自分の居場所。荒涼と波打ち寄せる浜辺で、頭を掻き毟って死んでしまったジェルソミーナに泣き焦がれ潰れるクインの心の高みなどには、私には到底到達出来まい。

 内面の呟きは、耳に痛いほど自分には好く聞こえるものである。何しろ、私は、妄想症状に取り付かれる、好色ロートルでしかあるまい。困ったオッサンである事か・・・

「おじさん、バスの時間だから、行くね。」
「おう、そうか。世の中には、好い人も悪い人も居るから、あんまり知らないおじさんには、話し掛け無い方が良いぞ。じぁ、元気でな。」
「うん、私は馬鹿だけど、好い人か悪い人かは、直ぐ分かるよ。」
「そうかい、アリガトさんよ。」

 さてさて、私も下手絵が体裁を付けて来た。帰って、夕方の賄い夫をするべしである。偶には、娑婆の空気を吸いに来るのも悪くは無いものである。

心何処ーショート 恐れ入谷の鬼子母神
              恐れ入谷の鬼子母神(2/17/10)
 マンネリ生活の息抜きに、日帰り温泉のホツトプラザに行って来る事にする。冷え込みの続く本日低温注意報でもある事だし、車も偶には乗らないとバッテリーが上がってしまう。持ち物は、ラジオに色鉛筆・落書き帳にシャープペンシル、レポート用紙である。

  入浴前に筆記用具などの小物を、二階の大広間に置きに行くと・・・

 おやまぁ、模様替えがしてある。私は、ゆったりした何も無い大広間の雰囲気が気に入っていたのであるが、何と三部屋に仕切ってある。休憩室が二つ、マッサージ室が一つの構成であった。
 人の少ない方の部屋に置いて風呂に行くと、今度は打たせ湯、ジェット風呂、沈み湯などの小風呂が取り払われて、大きな湯がL字型に面積を広げ、内にあった飲料用の湯口と一休みのベンチが無く為っている。その部分は、洗い場に模様替えであるから、何か見渡しが狭く為って、閉塞感すら覚えてしまう。
 洗い場をプライベート空間と考える設計者の意図が透けて見えて来る。客寄せ観光ホテルじゃ有るまいし、都会ぶった嫌な臭いがプンプンとしてしまう。温泉に来て、視界を狭くしてコンパクト・プライベート空間の創造も有るまい。無駄空間の中から生まれる『ゆとりの空間』と云う人間の精神に及ぼす働き方・仕組みが、丸で分かっていない。

 田舎の空間に、都会の合理性・コンパクト化を持ち込んでも仕方あるまいに。どうせ、こんな気取った事をする奴は、見るからに刺々しくも生意気の高座布団に胡坐を描いている馬鹿面に違いあるまい。精々、そんな輩の口車は、<若者にも支持されるハイセンスな日帰り温泉>などと銘打っているのであろう。笑止千万である。

  露天風呂に行くと、隣の水風呂が無く為っている。まぁ、それも好かろう。

 改修がされて、料金は前より安く為っている。料金が安くなったのは有難いが、昔から利用して居る者にとっては、馴染んだ雰囲気が無く為るのは、淋しい物である。10年以上も前から、スーパー銭湯ブーム。その前は健康ランドブームなどがあった。土地代のバカ高い都会地では、施設は上に伸びるしか無いのである。それは、都会の宿命である。
 
 然しながら、人間の視界と云う物は、上では無く横に拡がる物なのである。伸びる視界は商売の敵であるから、視界を遮蔽するしか無いのである。それがコンパクトの所以であろうが・・・どんなにスマートさでコンパクトをカムフラージュしたとて、視界の狭さは生物にとって閉塞感を与えるのである。費用対効果の効率主義が、合理性の掛け声と共に、洗脳厳しきこの世ではあるが、管理効率一辺倒だけでは、この世の閉塞感は募るばかりにして、精神の閉塞感は現代社会の深層病理として顕在化の一途を辿っているではないか・・・

 こんな簡単な論理は、私の様な妄想ロートルのスカンポ脳味噌でも分かるベクトルであるぞな。少しは、まともな正道を歩き為され。田舎が表層的に都会の真似をした処で、拠って立つ条件が異なるのである。筒の内部が違って入れは、押し出されて来るトコロ天の形状は変わって来るのである。こんな小手先の事ばかりを、ふんぞり返って進めていると、祖国日本は伝説の国に為ってしまいまするぞえ。

 こじんまり、小綺麗にで、日帰り温泉の入浴料金は、600円程の価格で競争を強いられているのではあろうが、市施設の改修時期に際して、利用客の客層データーなどを参考に取れば、何かと他の施設との比較をして、流行にあやかろうとするのが、サラリーマン稼業の小手先の人情と云う物であろう。馴染みの利用客としては、湯と建物さえ機能していれば、それで十分なのである。使用出来る物を、流行などと云う海の物・山の物とも分からない一過性の尺度で回して行く・・・ それが、ご時世だから???

 施設には建物と利用する者達が造り出す雰囲気が有る。雰囲気に時が加わり、味が出て来る。その味を受け継いで雰囲気・味が時の刻みの中で、風格を持って来る。そんな長い利用の関係に、人は風格を味わいに遣って来る物なのである。

 風呂に浸かり、サウナで汗を噴き零しながら、そんな事を考えていた次第である。さてさて、休憩室に戻って、熱いお茶を飲んで、水分補給をして寛ぐと致そうか・・・
 給湯室に行くと、給湯室が消えていた。その場所には、ドデンと自動販売機様が鎮座して居られる。

      嗚呼、現代社会・・・恐れ入谷の鬼子母神様である。

    コンニャローメ!! 数少ない、私の居場所の一つを失ってしまった。


                 好き光景


心何処ーショート 本日の挿絵 低温注意報
                   本日の挿絵

                   低温注意報

                  低温注意報


 とんだ寒波の寄り戻しでありまする。松本地方は、低温注意報が出て居りまする。本日、最高気温2℃。明日は、1℃との事で有りまする。お天道様がお隠れだと、当然の如く、外は雪の天然冷蔵庫でありまする。三寒四温を信じて、耐えるのがロートル貧民の春待つ生活で有りまする。・・・とほほ、何が暖冬であるもんかい!! 俺ぁ、寒いのは大の苦手だわね。嗚呼、今夜は<ほっ被り>して寝るかいねぇ~。嫌じゃ嫌じゃ~。

心何処ーショート 寒空に、気分の保養なり。
             寒空に、気分の保養なり(2/16/10)
 本日の予想最高気温は、2℃との事である。灰色曇天の冬空であるが、米が無ければ最低貧民生活も出来ぬ。ヨッコラショツと、メタボ身体を自転車に乗せて、寒風の中をペダル漕ぎである。昨日は、終日の悪天候で有ったから、ウォーキングを日課として居る人達は、身体がウズウズしていたのであろう。そんな感じの姿が、見て取れる。

 そんな常連さん達の姿を見せ付けられては、物臭を決め込む訳にも行かぬ。買って来た米袋を下ろし、その足で私も散歩に向かう。自転車を漕いで来たから、其れなりの寒気慣れと身体の発熱量が蓄積されている物の、流石にうらびれ寒々とした冬一色の風景である。

 当然、お天道様の無い灰色・濃淡だけのお天気模様である。西のアルプスのお山は、裾野も灰色ベールの中である。間近の東のお山は、昼の濃淡の中に沈んでいる。濃い黒雲の下には、雪の被ったお山が松の緑をくすませて、一幅の水墨画の様な佇まいを呈している。
 北の空は薄い灰色の下に在るから、山を覆う松の森には、雪がパウダー・シュガーの様に塗されて、東の暗い水墨画タッチと洋画タッチの北山とは、程良いコントラストを見せている。『寒い、寒い』と家に閉じ籠ってばかりいては、見えぬ景色である。

 結構な寒さであるから、本日は近場の散歩とする。河川敷の枯れ芝生には、ムクドリの群れに交じってツグミが一羽歩いている。この辺りのヒヨドリは、留鳥の縄張り持ちであるから、何かと余所者が現れると面白く無いのだろう。
 彼等は執拗に、嫌み一辺倒の灰色ハイエナの如く、突っ込むのである。体形では見劣りしないツグミではあるが、ツグミは冬の渡り鳥である。些か肩身が狭いのだろう。追い立てられて、仕方無く川原の雑木の枝に止まるのであるが、可哀そうに止まる姿は、真に不格好である。ツグミは、地上をチョコン・チョコンと走り飛びして回るのが、様に為っている。そんな鳥である。
 面白いと云えば、面白い河川敷の追い掛けごっこである。モズが、尾羽根をチョン・チョンと振って、我関せずの模様見である。葦の陰には、蓑傘忍者の様なコサギが水中の獲物を狙って、タイミングを測っている。何時もの流れの淀みには、カルガモがクィクィと連れ泳いでいる。

 本日、鳥影が多いから、河川敷から上がって体育館・会館周辺の林で、バードウォッチと洒落込む。銀杏の大木の林に来ると、チィーチィーの鳴き声に、ヤマガラの姿を見付ける。二羽いる。そして、5~6羽のシジュウカラ達である。暫く口をあんぐり開けて、頭上の小鳥達の姿を追い求める。密生して天に伸びる梢に、ふっくらした大振りの鳥影を発見して、静かに近付くが、種類を確定する前に逃げられてしまった。コンニャローメ!!

 さてさて、身体も冷えて来た。トイレで放出すると、体内湯たんぽの熱源が奪われた様に、背筋がブルブルである。遺憾いかん・・・風邪を引かぬ様に、真面目にウォーキングして帰るべしである。見上げる灰色空は、おお寒いの鼻水の寒さである。

  オイッチニー、オイッチニーの完全防備の冬散歩にシフト替えの段である。


 追伸、何方か存じませんが、時々過去記事への拍手が御座いまする。何か、褒められた感じが致しまして、本当に嬉しい限りでありまする。マンネリ長駄文の行進を飽きずにしているだけの吾がブログ・・・大きなエールと感謝致して居りまする。感謝感謝でありまする。

心何処ーショート 氷上のビーナス
                 氷上のビーナス

                 氷上のビーナス


 戯けロートルの願望とすれば、こんな氷上のビーナスが絶対なので有りまするが、想いの儘に為らぬのが世の中と云う物で有りまする。現実が叶わぬのが、スポーツの祭典為らば、戯け男の夜は妄想の祭典をプロデュースするしか有りませぬ。
 
 吾が妄想祭典にご賛同の御仁は、何卒密やかなる拍手など頂戴出来ますれば、嬉しゅう御座りまする。
 決して卑猥友の会の会員を募ろうとの邪まな魂胆は御座いません故、ご安心下され。イッヒッヒ!!

心何処ーショート とほほ、雪の一日と為るか・・・
            とほほ、雪の一日と為るか・・・(2/15/10)
 遺憾いかん、外を開ければ灰色の雪化粧に、雪が降り続いている。まぁ、仕方が有るまい。バンクーバーでは、オリンピックが始まっているのである。

    朝食後のコタツ亀では、フィギァ・スケートの男女ペアの演技に、

<開け~、ゴマ~ッ。カメラ、アップ!! おネェちゃん、素っ裸で遣れぇ~、滑るビーナス・一糸纏わぬ芸術の神髄を見せろ~。女の神髄は、美とエロスの混在一態じゃい!>

とテレビに大声援を贈っていると、小さなお地蔵様・母上に窘められてしまった。

「幾ら、母子の関係でも、私は、女だよ。ハシタナイ事は、言う物じゃないよ。外人さんは、顔もスタイルも、綺麗だよ。ほら、お前の好きな顔だろ。静かに、行儀好く、見させて頂く物だよ。一生懸命に、打ち込んで来た晴れの舞台・オリンピックだよ。オタンコナス。」

・・・ニャロメ!! 此処で、スゴスゴ反省してしまったら、単なるエロ公の『反省猿』でしかない。ノーテンキの口応えも、母の脳活性サービス・親孝行の内である。

「馬鹿こいちゃいけねぇや。見てみろゃ。男は実際の処、人間が出来ているから、これ見よがしに、大股なんか開らかねぇよ。見せたいから、億面も無く開くのが、女の本能だわね。<世の馬鹿男共、女の笑顔と又ぐらに、財産毟り取れるなよぉ~。イッヒッヒ!!> 
 女が開けば、拍手喝采。男が開らいたら、馬鹿変態でジュース缶をくら付けられる。力み過ぎたら、勢い余ってズボン・タイツの縫い目がパンクして、原点10の即刻の失格退場だわさ。正に、この世の不条理ってもんだわさ。不条理を正すのも、戦後教育を受けた番からヘンテリの務めだわさ。ギャハハ!!」
「ああ、また始まったよ。この子には、・・・困ったものだ。・・・南無阿弥陀仏・ナムアミダブツ。」
「はいはい、馬鹿息子は、消えるわいな。外は雪だから、風呂でも沸かすかね。入れるだろ? 俺の言う事が、満更でも無い事を風呂に入って、萎びた非公開老体で、反省して見ろちゃ~、イヒヒ。」
「見て行かないのかい? はい、御苦労様でした。馬鹿言って貰って、ありがとね。」
 
 さてさて、母上のご機嫌伺いも完了したから、マイルームでモーニングコーヒーでも飲むとすべしである。雪は、ストックも虚しく、濡れたアスファルトに変わって行く。小振りの小さな雪が、始末の悪い風景を作っている。
 風呂に入った後は、買い出しに行くか行かずかは、様子見をした後で好かろう。

 風呂で髭を剃って、坊主頭から頭部・顔一帯の露出部に、化粧水を擦り込んで咥え煙草で、PCに本日分の日誌を打っていると、色白吟さんの訪問である。

 暫し、上村愛子さんと国母、朝青龍比較のロートル・トークが、活発と為ってしまった。吟さんとは9つ違うから、いざと為ったら、背筋の伸ばし方が、我々団塊世代とは、違うのである。『長幼の序』に満ちたS連隊長のご講話は、我々の世代にとっては、真に耳に馴染んだ共感の拍手なのである。筋が通っているから、聞いていて小気味が良いのである。

 口数ばかりが、やたらと多い多元価値論からするトークであっては、聞いている方も話している方も、気分の安定感が少なく揺らいでしまうから、疲れてしまうのでは無いだろうか・・・そんな感想が浮かんで来て、成程と云う光景が浮かんで来た。
 週一度の、コーヒースタバの若者今昔模様である。携帯チャカチャカの若者喫茶風景の根底には、きっと聞き流すの他距離間の一過性とも疑いたくも為ってしまう・・・多元的自由価値が影響しているのであろう。そんな思い当たりからすると、<さもありなむ>などと、口元に苦笑が一つ出てしまう。

 続いては、私の文作の中に有った二世俳優のマイケル・ダグラス、キーファー・サザーランドに話が及んで、盛り上がる。今週分の文作は、7頁途中の半端分量で有ったから、過去文作の100ページ綴りを持って行って貰う事にする。
「好いだよ。何度読み返しても、日記エッセイだから、小説見たいに順序は不要なんだよ。何々、ああ、柿取りのシーズンの事だいな。これを読んでさ。おお、そう言えば、そうだった。ああ、その頃は・・・俺は、そう云えば、あんな事していたなぁ~ってな物で、ニヤニヤ思い出す事も出来るって寸法さね。それも、楽しみの一つだわね。有難く借りて行くわいね。」

 アジャジャ、お外は、大きな牡丹雪の様である。今日の散歩運動は、割愛の巻である。

心何処ーショート 刻苦、国苦、コクボ。
                刻苦・国苦・コクボ


 寒冷夜は、早々に床入り。時差を以って、5時前に起きてしまいました。その後、眠れずに仕方無しのブログ打ちをしてしまいました。朝食後、眠くなるのを待って、またまた、アホな絵を描いてしまいました。
 さてさて、眠気が回って参りました。オリンピック中継を睡眠導入剤と致しまして、久し振りに昼寝と致しまする。

心何処ーショート へへへ、イッヒッヒ、ギャハハ!!
          へへへ、イッヒッヒ、ギャハハ!!(2/14/10)
 へへへ・・・である。テレビで報道された冬季オリンピック選手の一人の服装について、斜向かいさんが血相を変えて捲し立てて居られた。日の丸を代表する一人の選手のだらしの無い服の着方と態度に、怒り心頭の速射砲であった。
 
 私は、未だその時点でテレビを見ていなかったから、昨今流行っている男女の服装・態度の乱れを頭に描いて、大頷きの拝聴を承っていたのである。毎度の事であるが、メディアは日本人の性格習慣の様に『オリンピック・オリンピック!!』と囃し立てて居れば、それなりの話題と視聴率が取れるから、<おはようございます、こんにちは、こんばんは>の如く国民の朝昼夕の挨拶代わりに流している。少々、煩そうゴザンスよ。

 私は、チンピラ・ズベ公・目立ちたがり屋・トッぽい野郎・生意気野郎・カッコ付け屋・拗ねっこ野郎・出しゃばり野郎・仕切り野郎・頭でっかち野郎・・・etcの類は、苦手にして、嫌悪の対象としてしまっているから、度し難い包容力の乏しい男である。
 普段、自分の事を<最低の下衆野郎>と自覚して居るから、自己防衛上、自分以下の下衆野郎には近付かない事にしているのである。そんな習性があって、斜向かいさん情報もすっかり頭の中から消滅していたのである。これまた、健忘症の最たるものである。

 それが、夜の民放テレビで大々的に報道されていた。為るほど、色白吟さんが、目を三角にして口角泡を飛ばして、糾弾した訳である。こんな時の報道姿勢としては、テレビ報道マニュアルとして、街中の庶民の感想を流してキャスターのコメントを添えていた。
 
 尤も、私の興味を引いたのは、選手団団長の橋本聖子氏が、問題選手を伴って記者会見した模様であった。氏は夏・冬オリンピック選手の経験を持つ参議院議員の先生にして、女性初の選手団団長である。問題選手と氏の間には、スケボー如きでは、超え様も無い貫録と実力の差があった。
 加えて先頃、引退に追い込まれた銭箱横綱の朝青竜・高砂親方の会見とは、雲泥の差であった。『ザマァ、ミヤガレ。これぞ、キャリアの差である』と拍手を送った次第である。

 そして、お天道様は粋な事をしなさると、つい下衆の苦笑いをしてしまった。
 選手の名前が、『名は、体を表す。』の落ちのおまけ付きである。

                そりゃ、そうである。

 国母さん、母国の声援を背にバンクーバーの空に、日の丸の弧を描くのが、貴方の仕事なのである。弧は円に近く、円は縁に近いのである。母国がアベコベの国母に為ってしまっては、ボタンの掛け違いの沙汰では収まらないのでありまするぞえ。報道を見ながら、『天網恢恢、疎にして漏らさず』・・・へへへ、お天道様、遣ったね!! イッヒッヒ!!

はい、私は斯様にして、救い様の無い貧民下衆男でありまする。ギャハハ!!

心何処ーショート 粋な奴
                  粋な奴(2/13/10)
 寒いものである。窓を開けて男部屋空気の総入れ替えをしていると、斜向かいさんが文作を持って此方に来る。玄関が開いて、部屋に入って来られた。

「居住区の朝の深呼吸だぜ、暫く我慢しておくれや。如何だったいね。少しは、○の部分があったかいね。」
「ああ、好かったわいね。詩も打つだいなぁ~。恐れいりました。挿絵が入っているから、詩の世界がグィと響いて来たわいね。
 え~と、此処だわね。此処せ。巧い文句がすらすら踊っちゃって、痺れちゃったわ。
        
        ★★★ ★★★ ・・・・★★・・・★★★
 
 伊達に電気ウナギの化け物じゃ無かったわいね。イッヒッヒ!! 今度の電気ウナギ様は、ケツの穴からじゃ無くて、目から入って、胸の此処で痺れさせてくれたいね。ヒヒヒ。」
「そうかいね。そりぁ、アリガトザンした。次の奴は、此処に用意して置いたぜ、持って行きましょ。」

  朝食後は部屋に戻って、PCと御対面して居ると携帯が鳴っている。

「お早うザンシタ。これから向かうぜ。」
「あいよ。沢庵は要るかな?」 
「そりぁ、有難い。是非頼むわいね~。」
「あいよ、じぁ、用意して置くぜ。」

 お天気が悪いと、矢張り客の入りが悪い様である。コーヒースタバの二階席は、テーブルに教科書を広げてのお勉強学生達である。おやおや、如何云う訳か? 横文字のお勉強タイムの様である。

「この頃は絵が満載で、絵描きさんじぁないか。絵に、絵の講釈とすっかり先生に為っちゃったじゃないか。へへへ。」
「そりぁ、しょうが無いわな。根が単純馬鹿だから、煽てに豚が木に上ってる図だわね。」
「お前さんは、教師の素質があるんじゃないか?」
「ピンポン、当たりだわね。小学校~大学~社会人に為っても、出来の悪い問題児が、俺の周りには、ゴロゴロいてさ。結構真面目にボランティア遣ってたわな。何しろ、バランス良く1~5までの網羅通信簿で、おまけに登校拒否児の端くれだわさ。脛に傷持つ1の辛さ・苦しみは、他人事じゃなかんべさ。狂師先生の出来が悪いから、教育係が俺の処に回って来ただけだわね。イッヒッヒ!!
 まぁ、そんな事ぁ如何でも好いけどさ。昨日、ここら辺歩いていたら、火事でさ。何十年か振りに、野次馬遣っちゃったよ。火事のプロとは云え、大した腕前だったよ。」

「おうおう、テレビで遣ってたぞ。そうだろうな、火災保険の今のご時世だ。消防士の中にも、ボヤ・半焼・全焼の見定めってぇ物も、プロの仕事の内なんだろうな。」
「為るほど、読みが深いもんだ。当然、諸般の事情が許される範囲内で、その位の暗算が出来なきゃプロとは言えわな。」

 本日のロートル・トークは、ラジオ深夜便の女優岡田茉莉子と久し振りに見た<プロフェショナル>に登場した夜間高校の女英語教師の、私の感想談である。

 それを頷き聞きながら、Tが巧い感想を言ってくれた。それは、『漢字』と『感じ』の違いなのだと言う。知識は本と云う漢字を読む事で習得されるが、知識・事象を如何に感じて、漢字知識で如何対処して行くかも感受性・感性と云う体験語の中に変身させないと、人には通じないのだと言う事らしい。Tとは、こんな達観をポツリと口にする粋な男である。
 お互い司会の脳科学者とアシスタントの軽い感じのタレント?おネェちゃんには、関心が無いから、殆どその番組は見て居ないのである。

 プロジェクトXは、好番組であった。組織・人事管理上の示唆に富んだ高質の拝聴番組でもあった。現役時代は生きたケーススタディ番組として、見れる時は確り見ていた番組の一つであったのだが・・・
 そんな話を向けると、Tも同様との事である。二人、顔を見合わせてニヤニヤの段である。如何やら<番から体質>の我々には、実体験の薄い脳知能派とは反りが合わぬ苦手意識が、蔓延している様である。

 賄い夫生活のボヤキを、ゲラゲラ笑い合いながら、ついでに女族の悪口放題をして、煙草タイムをしに行く。ありゃりゃ、小雪がチラついている。寒いから、車内喫煙である。

 さてさて、本日分を打ちながら、お天気模様を眺めながら・・・散歩運動のタイミングを計ると致しましょうかね。 

心何処ーショート 遺憾いかんの散歩為り 
             遺憾いかんの散歩為り(2/12/10)
 さて、風呂に入って体温も鎮静化して来たから、散歩に繰り出す。どんよりした曇り空では有るが、雨の心配は無さそうである。本日は街に向かって下り勾配からである。そろそろ、橋を渡って対岸を進もうとしていると、消防車がサイレンを鳴らして下の橋を渡っている。東を見ると、黒煙が濛々と出ている。歩道専用の小橋にロートルオバちゃんが二人、煙の所在を指差して話をしている。朝ウォーキングをしている二人連れである。今朝は雪の為に、こんな時間帯に為ったのだろう。

「あれ、火事でしょうかね?」
「そうでしょう。さっき消防車が橋を渡って行きましたよ。そうだ、散歩のついでだ。コースに決まりが有る訳じゃないから、見に行って来ますわ。」

 橋を途中で引き返して、煙に向かって進路を取る。私も立派な野次馬の一人であるが、野次馬ドライバーが狭い道路を煙目指しているではないか。住宅地の中の火事である。黒煙が更に勢いを増している。消防車が次々に現場に駆け付けている。通りには、周辺住民の普段着が増えて来た。現場は近いらしい。通りで、携帯のカメラを向けてパシャリバシャリと、火事の模様を撮っているオバちゃん達が居る。遣り過ぎでヤンスよ。

 小型の消防車が5~6台止まって、消火準備をしている。消火作業は未だの様である。アパート火災である。昇降口が煙突状態で、屋上の天井が焼け落ちて、赤い炎が勢いを増し始めている。チョボン・チョボンとしたホースから、水が勢い好く噴き出して、何本ものホースが、黒煙噴き出す昇降口に向かって放水されて行く。流石にプロ集団である。屋上の赤い炎が沈下して、黒煙が意気消沈して行く。

 さてさて、他人の不幸に、野次馬の長居は禁物である。回りの声には、アパートは空き家状態との事である。不審火か? 住人の暖房器具の過熱か?

 住宅地の路地・路地を通って、農業用水路に沿って帰路に着く。雨と雪で、水量が蘇っている。悪餓鬼の習い性で水路に魚は居ないものかと、水路を覗き込んで歩くが、魚の姿は一匹もお目に掛れずであった。底も護岸も全てコンクリート造りの用水路は、スマートであるが・・・昔を懐かしむロートルとしては、寂しい限りの呆気無さである。昔は、其処に水が流れて居れば、魚達が泳いでいた物である。

 嗚呼、振り返れば、遠くに来てしまった物である。とぼとぼと雪残る帰路を踏み締めるロートル野次馬かな・・・ 困った時間潰し散歩に為ってしまった物である。遺憾いかん。

心何処ーショート 嗚呼、嫌に為っちゃいますねぇ~。
          嗚呼、嫌に為っちゃいますねぇ~(2/12/10)
   昨夜のNHK特番の<ランドラッシュ>は、中々の『報告番組』であった。

 2年前の穀物急騰に依って穀物メジャーの信頼・供給システムが崩れ、食糧依存国が食料は国家・国民の『緊急の安全保障』と捉えて、世界の穀倉農業地を買い漁っている現状を映し出していた。
 西部劇でお馴染みのゴールドラッシュに因んだランドラッシュの命名であろう。世界地図は、ランドラッシュの手の入った赤の<蚕食>と云うよりも、物の見事なる『浸食の地図』の侵攻であった。

 こう云った世界地図は歴史で見る処の世界帝国ローマ、アレキサンダー帝国、イスラム帝国、モンゴル帝国。ひいては、大航海時代に依って海洋の彼方で繰り広げられた大植民地時代、産業革命によって産声を聞いた産業資本と国家主義が結び付いた帝国主義化の侵略戦争時代を想起させるものであった。
 遠い時代ではその様な感想であるが、近い感想ではオイルマネーに端を発する『マネー転がし』を本態とするマネー資本主義の変装・偽装の実態の様に思えて為らないのである。綺麗事で言ってしまえば、性懲りも無い『欲望の歴史・連鎖』と云った処であろうか・・・

 世界の穀倉地帯と呼ばれるウクライナの農民は、農地の売り手市場とあって教会の牧師さんまでもが商売の先頭に立ち、群がる中国・インド・韓国の土地バイヤー達との商談を精力的にこなし、ロシアの沿海州地域では韓国・日本・中国が凌ぎを削り、国家の大々的な国家戦略として、韓国企業が勝利を収めた映像を映し出していた。
 日本の外務省と農林省から為る国家食糧安全保障チームが、7人の侍風に立ちあがった物の・・・政治・商社・国民意識に未だ政官民の合意形成が為らず、纏まった一つの動きが取れない『もどかしさ』を報告していた。

 布団の中で、そんな特番の反芻をしていると・・・ 中々眠れなく為ってしまうのが、下衆ロートルの辛い処なのである。脳の詰まりが粗雑に出来ているから、結論が出ないのである。情けない限りである。

 実利・営利でウジ虫の様に蠢くのが、或る意味『人間達の性』である。旧約聖書に依れば、それはソドムとゴモラのエピソードである。幾ら高尚なる宗教の世界であっても、その時代が農業から商業に軸足を移す時の流れの中では、現世の実利・営利が市民権を得て、カルビン、ルターなどに依って、宗教革命が為される。日本の武士の精神性にだって、一人の精神性の高みには、禅宗が時代に即する事もあれば、太平の世のお江戸の時代には、儒教が時代の要請に応えているのである。

 国力は経済によって担保され、歴史は幾つかの要素によって或る種の必然の様相を示す。それらの様相を記録綴った物が、歴史と為る。ゴーイングコンサーンなどと云う概念が有るが、生き続ける存在として生活・企業・国家を考えれば、その時々の要素・状況に即して、存在は変貌して行く必要が迫られるのは、不可避の手段であろう。
 然しながら、『急がば回れ』大金言が存在する様に、『物事の芯』を喪失してしまったら有るべき理念・理想も壊滅してしまうのも、現実の悲劇である。

 怒涛の様に、ボーダレスの形振り構わずの短期決戦に小勝利の機会を求めて、戦国の世を生き抜くか・・・ 急がば回れに腰を落ち着かせて、食糧の自給率の再構築を目指して国家財源を配分するか・・・
 世の中は、『為る様にしか為らない』のが鉄則である。

 然しながら、人間の知恵・遣る気と云う物は、背に腹は替えられぬ、尻に火が付く、追い込まれなければ、知恵・火事場の馬鹿力が、発揮出来ないと云う現実が、横たわっているのも現実の事実なのである。

 私は、ノーテンキな部分も併せ持つ大戯けであるから、人間の動物的な危険回避能力・火事場の馬鹿力・自然治癒力・いざと為ったら一致団結の自衛本能を、信仰しているのである。リーマンショックに懲りずに、形を変えたマネー転がしの渦が、ランドラッシュに流れを変えて、青い地球を荒らし回っている様に見えて仕方が無いのである。

 一夜明ければ、日本は国会中継の様である。おまけに、雪が舞っているでは無いか。

<やれ、脱税犯罪だ。やれ、議員辞職だ。やれ、公費無駄遣いの専用飛行機使用だ。>
やいのやいのと、小煩い小姑の様、大衆受けを狙った街頭アジ演説を繰り返して御座る。

            下衆の感想を言わせて頂ければ、

 手前ら、何を偉そうに、公費・国民の税金で只飯・大名行脚し腐って、国会の無駄使いじゃ無えのかい。国会議員様たぁ、ご気楽な身分職業じぁゴザンせんか。アホ臭、俺ぁ、風呂に入ってチンカスでも、綺麗キレイするわいね。コップの水でも飲んで、精々、ほざいていましょ。
 身綺麗にした後は、散歩運動に出向いてスカンポ脳味噌に、アルプスの空気で寒天でも仕込んで来るわいね。寒天って奴はなぁ~、必要に応じて水に戻しゃ重宝な海藻エキスじゃわな。コンニャローメ、オヤジ殿は、立派な硬骨漢の大物政治家だつたのによぉ~、倅は女優さんを娶ったまでは好かったのに、自民党若手の論客だなどと枕詞は付いている物の、街頭演説じゃ仕方が無かんべよ。俺達団塊の世代の方が、アジ演説にぁ迫力があっぞな・・・ 

 嗚呼、つくづくと女は、男を観る目が無かんべさ。男の価値は、頭髪の多少・髭の多少だけじゃ、寂しいじゃゴザンせんか!!・・・トホホなり。

心何処ーショート お絵描きグッズ
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 寒いじゃ有りませんか・・・雨が途中から、雪に変わってしまいました。散歩にも行けず、またまた、訳の分からない絵を描いてしまいました。暇な時間は、お絵描きをしていると、下らない事を考えずに済みます。私の絵の道具は、12色+3色の色鉛筆が主体です。
 ラジオ・CDなどを聞きながら、自分だけのお遊びタイムは雑念も起こらず、結構な集中タイムと為る物ですよ。未だ、お遣りに為って居ない方は、童心に帰った心算でお始めに為ったら如何でしょうか? 

 人間と絵との関係は、有史以前の昔からと云いまする。自然な気分で鉛筆を手に取れば、薄い線が何かを浮かび上がらせ、何かを語り始めますよ。何と云っても、付き合いの深いのが自分自身でありまする。上手いも下手も、自分で有りまする。気にする事ぁ、ありませんやね。

         イッヒッヒ!!にして、ウッシッシ!!でござんすよ。
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