旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 家宝奪還の巻
             武勇伝・家宝奪還の巻(12/31/09)

「おのれ!! あの野郎、ラーメンに下剤を入れ遣がったな・・・クゥ、腹が射し込む。トイレじゃトイレだ。ウゥッ。謀られたか・・・糞たれ野郎共が」

     ブビ、グリグリ、ドドッ、グリグリ・・・クワ~、腹痛い、穴が痛い~。
              大事の前に、何たる失態ぞ・・・
 
 世界第二のGNPに踊り出す大中国経済の浮かれ曹子が、昨今大挙して、日本に買い物ツアーに繰り出して来る。大中華4000年の歴史を豪語する骨董詐欺商法は、景気の好かった頃のお人好し日本観光客をカモにしていた。中国は、人の見定めをして値段を決める『人観プライス』が商売の鉄則の一つでもある。日本の『適正プライス』とは、雲泥の差のある商習慣の一つである。工業製品のブランド商品漁りに混じって、4000年の歴史を持つ国民には、当然少なからぬ骨董嗜好があっても不思議な事では無い。そんな気質の中から、日本の民俗骨董に関しても静かなブームが始まっている様である。

 我が家には、分厚い使い込んだ欅の一枚板のコタツ台がある。それが、私が家を明けた本の少しの間に、煙の様に姿を消してしまったのである。老母曰く、唯一の家宝との事である。出来の悪い倅の私にとっては、そんな畏れ多い家宝には思えない一枚の古びたコタツ板にしか過ぎないのであるが・・・盗られたままで、あの世に旅立っては、亭主のオヤジに申し訳が立たない。万難を排して、取り返せとの下知を頂戴してしまったのである。

     老い先の短い母の言葉は、聞いて遣るのが倅の務めである。

 こんなストーリーは、三船敏郎主演の異色西部劇『レッドサン』の世界を、地で行く様な物である。日頃、崇拝する三船敏郎の世界的代表作の一つである。ブツブツ言った処で、埒も明かない状況であったから、私は中国人窃盗団を追って、車を新潟空港に走らせ空路・大連に向かったのである。大連には仕事で三度来ていたから、多少の土地勘と知り合いがいた。大連の旧市街の一角に、大連市民の台所と云われる市場が有る。埃ぽく暗く・・・雑然とした市場の片隅に、骨董店が店を出して居た。

 為るほど為るほど、こんなタダ同然のガラクタ物を、無精髭を生やした30代後半の下卑た男が、ずるい眼付きで私の全身の為りを舐めまわして、

「社長さん、日本から来たか。此処に在る骨董は、旧日本人街からの掘り出し物よ。買うなら、色々見せるよ。古いは、好い物よ。骨董分かる人は、豊かな人あるよ。イッヒッヒ。」
「日本の古民家で普通に使われていた、がっしりした感じのコタツ板に興味が有るんだけどね。何処へ行ったら探せるかね?」
「おぅ、社長さん、私の仲間の店に最近日本から入った掘り出し物あるよ。電話して見るよ。好いタイミングあるよ。これも、中日親善のご縁あるよ。イッヒッヒ。」

 何時も思う事ではあるが、心にも無い事を恥ずかしくも無く、平然と喋れる物である。彼等にとっては、所詮日本語は感情の働かない外国語でしか無い。
 我々が、白人美形を見て、オオビューティフル、アイラブユー、アイウッイシュ、フーリンユァラブ、カモンベイビー。メイクラブ・・・etc なんて軽い気持ちで好い加減に口にするのと大差は無かろうから、オウムのモノマネと思っていた方が、間違いは無いのである。

 その後、如何云った経過かは、バカ夢の中の出来事なので一切の脈歴不明の処であるが・・・

 私は、高級骨董店のオーナーと云う男と仲介役の市場の骨董店の男と中華飯店に居た。中国人は、身為りで羽振り・社会的地位を評する帰来があるから、その40代前半の小太りの男は如何にも馬子が高級品を身に付けている感じで、私の感性を逆撫でして居た。見た瞬間、あの日家宝が消えた時に、有料廃品回収で2tトラックで流して居た運転手の顔であった。奴の顔をつぶさに観察をしていると、彼も何かを思い出した様な素振りをした。

「如何ですか、日本人はこんな時、最後にラーメンを食べる習癖が有りますね。此処のラーメンは、日本には無い好い味のラーメンですよ。是非、食べて見て下さい。私の奢りですよ。」

 男は感付いたらしく、手にした携帯電話を横柄な仕草で何処かへ連絡して、大きな仕事が入ったから中座しますと去って行った。
 掴み掛かって問い詰めるには、未だ物的証拠が無いのであるから、大人しくしているより手立ては無かろう。
熱い物は、熱い内に食するのが礼儀である。こってりしたスープを飲み干して、煙草に火を付けて・・・誘導尋問の筋を考えて居ると、突然に、腹が射し込んで来た。

 トイレに駆け込んで間一髪の下痢速射砲に額の脂汗を吹いていると、手荒くトイレを開けられてしまった。『な、何をするか!!』の一喝も虚しく、私は人相の悪い男達に胸倉を掴まれ、トイレから引きずられて路地裏に引き出されてしまった。

 そして、問答無用の殴る蹴るの狼藉振りを一身に受けてしまった。当然に腕時計も財布も盗られてしまった。私は安物時計しかして行かないし、財布の中身もその時に使う金銭しか入れて置かないから、大した経済的損失では無かった。

 お天道様に誓って言うが、私は軟な男では決して無い。事、有事に際しては、理性より獣性の雄叫びが炸裂する剛の男である。
 然し、無様醜態を晒されても、一切、腹に力が入らない危機的状況に、私は堪えるしか無かったのである。無抵抗の者に此処までの暴力を振るうとは、男の風上にも置けないチンピラ風情の憎き面々を脳裏にしっかと焼き付けて、憤弩と糞に塗れた屈辱の時間であった。

 次なる場面は窃盗団を追い詰めて、家宝のコタツ板を振り翳しての私の獣性の炸裂場面であった。

「社長さん。それ危ない。それ、私が大連の骨董市場で探して来た物。日本の物じゃ無いです。あなたの誤解です。暴力は駄目です!!」
「馬鹿野郎が、此処を見ろ。俺が小学生の時に、彫刻刀でRと印した物だ。見付かって、お袋に物差しで、こっぴどくお仕置きを喰らったんじゃい。好く見て見ろ!!」
「社長さん、私の眼には、何も見えないあるよ。これ、あなたの物と違う。昔から大連に在った物。私、絶対に毛沢東に誓って、嘘言わないあるよ。」

 体調が完全に回復した剛の私の戦闘能力の高さに、子分のゴロツキ共は一発必殺の喉元正拳突き・ミゾオチ突き・睾丸蹴りの閃光に、悉く白眼を剥いて倒れているのである。現在の私には、敗者復活どころか、全身これ凶器の怒気が、メラメラと漲って居るのである。

 独りが多数を倒すには、禁じ手も糞も一切無いのである。ラーメンに下剤を入れられ、私の味わった憤弩・汚濁・屈辱に比べれば、一撃によるマグロ状態など軽い物である。

 ざまぁ、見やがれ!! 相手が悪過ぎたのである。怒らせたら、常道を踏み外す男なのである。
 正座して、ワナワナと両手を合わせて哀願する窃盗団の首領に、理性の手心など、不要の不要なのである。

「社長さんのRの字、無い。見えないから、これ別物有るよ~。暴力反対あるよ。」
「為らば、見えない物の威力を、痛みで実感し遣がれ!!」
ガツン!!
「オゥ、マイ、ガッド・・・・」

    何をコキャがる。共産国中国に神様は不在だろうが。この戯け野郎が。

 

               おのれ!! その一おのれ!! その二


 
 さてさて、『今年も最後の日と為りにけり』で有りまする。今年最後の日に因んで、この様な呆け話で幕を閉じれた事を、真に嬉しく存じる処で有りまする。締め括りと云えば締め括り、繋がる時間の帯と云えば、単なる通過点に過ぎませぬ。余程の事が無い限り、ロートル・クマ男の日常を綴って参りますれば、来年もまた、今年と変わらぬお付き合いの程をお願い申し上げまする。皆さま、好いお年をお迎え下さい。
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心何処ーショート 09年、三十日の灰色空 
             09年、三十日の灰色空(12/30/09) 
 さてさて、三十日に成ってしまった。西友ストアは24時間営業であるから、朝の内に買い出しに行く。買い物が多いから、メモして行く。車は天然フリーザーの中で凍って、真白である。暖気運転をする。店に行くと、同じ様な考えの人達が多いらしい。昼間よりも、駐車スペースは満車状態である。店内は従業員総出で、ディスプレーの真っ盛りである。レジには、万札がごっそり溜まるのであろう。掻き入れ時でありまする。頑張り為され。

      
 年配者は夫婦連れ、主婦は子供の手を引いて、カートを押して歩いている。

 へへへ、である。皆、片手にはメモ書きを持っている。二人切りの細々とした家庭であるから、出来合いの物を買って済ませた方が合理的なのであるが、食材を選んで作って見ないと気が済まないのが、田舎暮らしの生活と云う物である。会計を二度に分けて、車に往復した処である。我が家の雑煮の汁は、カツオの大和煮で採った醤油ベースである。
 カツオのたたきが、通年幅を利かすご時世であるから、カツオの缶詰は、もう何十年も前から缶詰めコーナーから駆逐されてしまっている。ベースを決める逸品である。マメに探したが、入手出来ずであった。去年は、個人スーパーに在ったから、それに望みを託すしか有るまい。家に帰り、食材を確かめれば、落ちが幾つか出て来るのが私の常である。仏壇に花を活け、神棚の煤を落として、鏡餅を供える。

 嫌に為らぬ内に、再び個人スーパーに向かうが、お目当ての缶詰は無かった。仕方が無いから、まぐろのフレークでスープの味の再現に近付くしか有るまい。個人スーパーは、昔からのお得意さんを客対象として居るから、店の前には段ボールの箱に入った年末年始の食材が、名前と共に値段が入って、幾つも置かれている。

 老夫婦二人、足の覚束ない独り暮らしの老人でも、子供の頃からの仕来たりの『日本の正月』を迎えたいのが、その気持ちであろう。

 小さな松飾りに、鏡餅・年越し蕎麦・長年続けて来た正月料理・大根ニンジンを刻んでのナマス・レンコンの酢漬け・栗に皮付きピーナツ、リンゴにミカン、干し柿、鮭の切り身に、ブリの切り身、数の子、タチクリに黒豆・・・etc

 外国資本の傘下に入って、24時間営業、安売り量販の先頭に立つ事で生き残り戦略を展開する大手スーパーと、仕入価格では太刀打ち出来ない昔ながらの個人スーパーは、高齢化する顧客に、手間の商いをする。大きな違いである。

 嘗て、日本には『総中流意識』と云う世界に類を見ない中産階級の時代が有った。どんな職業に就こうとも、コツコツ地道に額に汗して働けば、三種の神器もマイホームの夢も叶えられた何十年かの栄華の時代が有った。民主主義の核は、中産階級の台頭と云われ、その階層の民衆が、支配層に独占されていた知識の仲間入りをして、自由と云う名の競争の中で地位と経済力を高めて行った。そして、知的レベルと経済レベルのなかで、政治に参加して行ったと云う。


 戦後日本のある時期、日本は一丸と為って居た。それが例え、行政主導の護送船団方式、年功序列の終身雇用、横並びの春闘路線と呼ばれ、台頭著しかった日本艦隊は何時しか、前方にはっきりアメリカ艦隊の姿を目視する距離に迄近付いてしまった。そして、ソ連の息切れと共に、ヤンキー達の<同盟国日本>への出る釘叩きが、始まった。

 巨大にして画一的生産量を持った経済行動は、消費の創造と鎖国の撤廃たる自由化・ボーダレスの時代突入して、製造資本主義から、金融資本主義に大きく舵を採ってしまった。 

 マネーがマネーを産む仕組みを、コンピーター数学が瞬時に弾き出し、マネーゲームが時代の寵児に成った。実体経済とマヤカシの過ぎた信用経済の、実態の無い狂想曲が、リーマンブラザーの破綻でその出鱈目振りを見せて、世界の経済は奈落の底に落ち込んだ。
 然しながら、グローバル企業へのシフトを終えて居た日本では、遠の昔に国民総中流意識は破壊され尽くされ、勝ち組・負け組などと自己責任を連想させる様なペテンによって、何階層ものワーキングプア層と失業者層を其の儘として居るのである。
 同一労働同一賃金と云う、掛け替えのない人間の常識に、帰属する会社・雇用形態の特殊化・細分化を細工してノウノウとしている異常さに、気付いているにも拘らず難しい★抽象語をほざいているだけの社会が、真っ当な訳が無かろう。

 9憶円の子供手当に火の粉が付けば、6憶円金銭を即、国庫に納めてしまう施政者の実態とは、何を意味するのだろうか・・・

★抽象語・・・(言うに事欠いて、富の偏在・配分の偏在・形態の固定化だとさ。この馬鹿タレが、具体的に言って見な。一般国民に張っ倒されるのが怖いから、抽象語に逃げているだけだろうが、頭でっかちの根性無し、冷血漢がお前ぇさん達の本性だろうが。)

 冨者と貧者は、何時の時代にも存在する。一代で巨万の富を築いた者、何代にも亘って、冨者の地位にある者。当然、其処には成功を掴み、維持して来た努力は凄まじくも素晴らしい物が有る筈である。私は彼等の努力と成功に、文句を言っている訳ではない。裸の王様に成ってしまった人間の性に、切なさを感じているだけなのである。

 子孫に美田を残さず。金は天下の回り物。故郷に錦を飾る。故郷に還元する。社会に還元する。子供は社会の宝。埋もれた才能を引き出す育英資金。困った時の炊き出し・災害義捐金・・・etcの行為の根底には、勝ち組・負け組の固定観念は無いのではないだろうか。三十日の買い出しにふと浮かんだ、ロートル・クマ男の<総中流意識>への想いである。

 それにしても、寒い風邪がビュービュー吹き荒れ、思わず肩を竦めて鼻水を啜った三十日の寒さでありました。皆様方に於かれましては、年越し・新年に向けて、彼是と動かれて居られる処で有りましょう。風邪を引いたら、損で有りまするぞえ。

心何処ーショート 寝疲れの一文
             寝疲れの一文(12/29/09)
 昨夜も大事を取って、夕食後は早々に布団の中に入って、久し振りのテレビを見て居た。興味を引く物も、面白い物も無いテレビではあったが、これも安静の内である。
 体調が戻りつつあるのだろうか、それとも寝過ぎなのであろうか、夢ばかりを見て居た。こんな時に限って、怪しげな妄想夢は出現しない物らしい。トイレついでに時計を見ると、未だ5時前であったが起きる事にする。正直言って、寝疲れの段である。二人切りの年末年始ではあるが、年越し蕎麦・雑煮・煮物などの食材を買って来て、それなりの賄いをしなければ親孝行には為らないのである。

 従って、それなりの賄いの段取りと云う物が有るから、それに合わせるべくして体調に戻して行かねば為らない。頼る者が居ないのであるから当然の事でもあるし、高齢の母に風邪を移してしまったのでは、私が大変である。従って、食事の必要最小時間位で、私は早々に自分の居住エリアに戻ってしまうのである。
 母は、何時も通りにコタツでお地蔵さんをしながら、私の顔色・動きを見て心配顔をしているのである。何時もの様な戯け倅の毒舌漫談が聞けない寂しい色が、ありありと見えるのではあるが、これも詮無き事である。

 一番症状がきつかった時には、杖をついてヨロヨロと私の部屋に握り飯の差し入れをしてくれた。こんな時の倅の心情としては、自然と熱い涙が流れると云う物なのである。お返しに、母譲りの美味い雑煮・煮物を一杯作って食べさせて遣りたいと思うのが、子供心であり、気遣ってくれる者への感謝の証なのだと・・・ロートル武骨者は思うのである。

 昨夜の警察関係の特集番組を見て居ると、教師志望の家庭教師をしている若者が、小遣い稼ぎにインターネット上で、少女達の裸映像を売って居たとの事である。

 逮捕されての尋問に応えて居る言葉には、善と悪の区別のない薄平らな言葉と起伏の無い感情の心の様な物しか伝わって来なかった。自分以外の者には、関心を持たないと云う嘆かわしいと云うよりも、空恐ろしい心の荒廃・破壊の時代が進捗して居るのであろう。

 世界の圧倒的途上国の中で、豊かな先進国の時代に在って、知識だけが、感情の先に在る普遍的な人間の心に無関心なままに、インプットされて行く。これでは、スーパーコンピューターの時代ではなく、出来損ないのロボットの時代としか言い様も無い腹立たしさを感じてしまう。
<ジキルとハイド氏>にして見ても、其処には心の葛藤と云う前提があったし、<人造人間・フランケンシュタイン>にも、哀しい物を内包していた物である。葛藤・内包するものが存在するからこそ、猟奇小説・映画であっても、人間の心を引き付けるのである。共通項の無い物に、他者が心動かされる訳が有るまい。猟奇だけの世界では、嘔吐の連続でしか有るまい。

 一緒に放映して居た川崎の<堀之内一帯>も、何度か経験した事が有る。売春は、法律ではご法度の行為であるが、『売春は世界最古の商売』と云われる世界である。売春で稼ぐ者、売春で一過性の性の快楽を金銭で求める者との法律外の合意でしかあるまい。
<蛇の道は、蛇の世界で処理する>の後腐れの無い合意の世界なのであるから、殊更、求道者の様に顔を顰めて、一方的に攻撃する世界でも無かろう。商売と摘発行為は、売春がご法度である限り何千年にも亘って、イタチと狸の追い掛けごっこを繰り返して来たに過ぎない人類の知恵・生活の攻防でしか有るまい。

 好色男の本音から言わせて貰えば、ご法度の社会に入る以上、建前上、顰め面を演技して居るにしか過ぎまい。痴漢・強姦・覗きなどと云う性に纏わる人間の原初的欲望は、無いに越した事は無かろうが、皆其々に持っている物である。そんな欲望の捌け口は、プロの世界に足を踏み入れて、対価を支払って処置すれば済む事である。

 土台、私の様な下衆男のルールから言わせて貰えば、ご法度行為を只で遣ろうなんて、<虫が好過ぎる馬鹿モン行為!!>の沙汰である。こんな時には、下衆の方がズーと潔いのである。<遣りたければ、プロを相手に金銭を払って乗っかれば事は、済むのである。終われば、虚しさが残るのも仕方のない事である。虚しさを含めて、好奇心と快楽を満たすだけで好かろう。> 運悪く、官憲に踏み込まれれば、不名誉な御裁き・お説教が待っている。ご法度行為である以上、大人しく反省するしか有るまい。それが、下衆の道である。

 その区別が出来ずに、他人事の様に応える方が、余程見苦しいのでは無いのだろうか。

<この馬鹿タレが、何を考え居るんじゃ、キンタマ付けてんだろうが!! 言い訳無用じゃい!! シャキッとせいや。脳味噌の中には、知識とは別の規範が入っとらんのか。そんな物ぁ、教師志望以前の素質の問題じゃわな。口で教える程の難しい事では無いから、張っ倒して遣るしかあるまい!!>
ッてな物である。怖くも、空いた口が塞がらない昨今のご時世である。

 嘘をつかない正直さ、言い訳をしない潔さ、恥を知っている後ろめたさ、目上の者を立てる、親孝行をする、安易に他人の情けに縋らない、受けた恩義を忘れずに、人の情けに感謝する・・・etcの躾けを受けて来なかった集団達の行儀・行上の悪さは、如何な物なのか。流行りのシンガーソングライターの歌う歌詞もメロディも、これでもかこれでもかとばかりに、己が心情を羅列するだけの一人の世界である。大らかさ、広さの中に在る普遍的な心の投影みたいな物が、気薄過ぎるメッセージソングでしかない。これほどの心情を歌う曲に、支持が集まっているにも拘らず、殺伐として進むこの世の心の廃れは、何と考えたら好いのだろうか・・・ これもまた、空ろ為る心の時代の二極分化の為せる処であろうか・・・携帯メールが、日常の対人ツールと為っているご時世である。

 善悪の単純明快さが無く為ってしまったご時世と云う物は、兎角、住みずらい世の中である。遺憾いかん、またまた、ロートルのボヤキ行進をしてしまいました・・・で御座る。困ったロートル・クマ男のブログである。

心何処ーショート 腹痛一景
                 腹痛一景(12/28/09)
 私の胃腸の中は、とんと分からぬ世界であるが・・・ きっと、こんな感じで、ウィルス連合が、勝手勝手の悪さのし放題をしているのだろう。とんでもない疫病神の巣窟と為ってしまった物である。

 三十代頃からだろうか、風邪ウィルスが胃腸に飛び込んで、ウッウッ、ウ~のダンスを繰り広げているらしいのである。初体験の時は、呻き声の腹痛とお茶を飲んだだけで<下痢の速射砲>に見舞われて、恥ずかしながら点滴の御厄介の為り、会社を一週間も休んでしまった痛い経験が有る。そんな事で、ウィルスの進行経路が、ワンパターン化して仕舞っているのだろう。幸い幾度かの体験で、私の中にも遅まきながらの抗体で出来て、2~3日の脱出期で済んでいる風なのである。

 まだまだ、スッキリした物臭ロートル・クマ男の復活には為らないが、<まあまあ>の感じである。私は、健康を害されると、他人様を逆恨みする傾向が人一倍強いのである。

 然しながら、内省性に富んだ男でもある。身の置き所の無さと鈍い腹痛の波状攻撃に、顔を顰めながら・・・自分の普段の言動を、彼是と反省して見るのであるが、思い当たる節が無いから困りものなのである。
 思い当たる節と云えば、精々綺麗な女性に対するセクハラ・トーク位しか思い浮かばない処である。何と言っても、現在引籠り生活の日常であるから、被害者と云えば、極々の少人数でしか有るまい。彼女達の態度を振り返って、それが彼女達の仕返しとは、到底考えられないから、私としては対処の仕方が定まらないのである。

 色々な整合性を考えて見ると、煌びやかなお寺さんを引きずり下ろして、参門の金剛像二体様に、下衆の対抗心を露わにして、自画像もどきの御神体を発表してしまった事しか、思い付かない処である。

 何しろ、金剛様は鎌倉時代からの実力者であらっしゃりまする。国家仏教徒・支配者仏教と、民俗信仰とでは端から勝負に成るまい。きっと身の程知らずの断が下って、天罰が下ったとしか結び付け様も無い処であろう。

        つくづくと、愚者は己が身の丈を知らずの想いである。

 反省頻りの想いを込めて、一枚描き上げました。お許しあれ。あな、怖し でありまする。


                 腹痛一景


心何処ーショート 本日も、大人しく安静を保つべし。
           本日も、大人しく安静を保つべし。(12/28/09)
 さてさて、熱で汗も掻いた事であるから、本日は布団から抜け出て、机養生でもするしかあるまい。朝の支度に取り掛かるが、何しろ食欲が湧いて来ない。私の茶碗には母の半分程の分量しか無い。生卵をぶっ掛けて無理やり腹に落とし込む。汗を掻いたものを洗濯して干す。

 昨夜の<坂の上の雲>の香川照之演ずる正岡子規の精神力の凄まじさは、大したものである。布団の中で、俳句を作る鬼気迫る執着は、矢張り健康人の演技であるから光るのであろう。

 私も、布団の中で一日半を過ごしたのであるが、兎に角、精神力が回転せずに寝返りと、腹痛に顔を顰めるばかりで、<タイテのコラサ>状態であった。痛み・体力・気力と云う兼ね合いは、ドラマ・小説・映画の世界の様には、どっこい巧く行く訳も無い事である。 
 病魔を抗して、気迫・気力を前面に出す事は、体力が要る事である。精神力などと云う物は、大にして体力よりも小さな物である。
 従って、健康な人間がメーキャプ・表情・語調で表現する演技の世界とは、恐らく大きな隔たりが有るのだろう。現実の子規の世界には、病魔の切なさが重苦しく圧し掛かっていたに相違あるまい。彼が残した俳句の数々に、光景を浮かべるのは、矢張り健常者の投影でしか有るまい。
 
 然しながら、現実の子規の生き様は、小説・ドラマ・映画の中に伝説として描かれるのであるから、子規にして見ても異存など有るまい。何しろ、計算し尽くされた香川照之の演技が、冴えに冴えている。
 彼の感性と頭脳明晰な演技は、群を抜いている。彼は役者に成るべくして生まれて来た男なのであろう。彼との比較に於いては。西田敏行は、私と同い年であろうが、彼には病気が有る様に見えるのである。彼は、体躯を以って演技出来ない健康上の有限性を持っている様に見える。
 従って、その有限性なるが故に、表情のアップで演技をこなして行かなければならない負い目がある。彼は、惜しいかな身体に切れが無いのである。きっと、彼もそれを自覚して、臭い演技に走っているかの様に見受けられる処である。見て居て、可哀そうな気にすら為って来る。

 役者さんと云う職業は、役を体現するのが根本であるから、健康が第一なのである。役を演じ切ると云うのは、体躯・動き・表情・眼伎・台詞の間と語調とで、役柄を体現して見せると云う事と同義なのであろう。

「こんにちは~、ヤクルトで~す。」
「はいはい、ちょっと、待って居ておくれや。」
「は~い。」
 
    恐る恐る、『御神体様、怒る!!』のイラストをお見せすると、
「ヤダ~、これ、Rさんの顔そっくりじゃん!! よくもまぁ、大胆に、そのものズバリじゃないですか~。ウァ~オとしか、言えませんよ。」
「流石に、脂の乗り切った子持ち奥さんだわ。見慣れた御神体で、動じないから大したもんだわさ。比較したら、ご亭主殿に悪いから、駄目だよ。イッヒッヒ。」
「Rさんは、本当にエロいんだから。」

 カクカクシカジカと、イラスト画誕生の経緯を、ご説明させて頂くと、フムフムと素直に耳を傾けて下さった。

 さてさて、中断していたPCを再会して居ると、今度は斜向かいさんが、窓を開ける。
「お兄ちゃん、又、南天の実切らせてよ。」
「あいあい、適当に切って行きましょ。俺は、風邪引きで安静にしてるわね。そうだ、如何だいね。この絵は?」
「ややっ、その顔は、そっくりじゃんかい!! こんな物を、真昼間から見せ付けられちまぇば、俺ぁ、男だって、恥ずかしくて赤面しちゃうぜよ。
 寄りにも依って、恥ずかしくも無く、手前ぇの顔を写したもんじゃねぇかい。ヤッパリ、お兄ちゃんは、只者じゃねぇわさ。ギャハハのハだわね。オッたまげたぜよ。
 そんなので、一発かまされたら、相手は子宮ごと、宇宙空間に飛ばされちゃうわね。隣近所にぁ、おっかねえ人が住んでるもんじゃねぇかい。
 この辺り一帯に、女人禁制の貼り紙しとかなきゃ、物騒で近寄れねぇずらよ。後で、ゆっくり拝ませに来させて貰うわね。いゃ~、参った参った。俺ぁ、年の瀬にビックラコイタぜよ。岡本太郎・ピカソなんぞが騒いだって、そんな物ぁ、粗チンの遠吠えだぜや。」
「やいやい、褒めて貰っても、今日の俺ぁ、からっきしエネルギーが海綿体に充満しねぇわね。本当は、お返しに、ご本尊を開示するのが筋だけど、黒筋一本も浮き上がって来ないテイタラクのタイテノコラサっもんせ。」

  やれやれ、温かいエ~ルを頂戴して、今日一日、静かにして居れば体調は、戻るだろう。 

心何処ーショート 動けば、痛し下衆の腹。
              動けば、痛し下衆の腹。(12/27/09)
 丸一日近く布団の中にいると、身の置き所が無く、もう駄目である。風邪を引いて体力が無いから、テレビを見る気にも為らない。今日に成って、ラジオを小さく付けて居る。

 熱も咳も然程も無く、腹部が痛く力が出ないのである。困った物である。寝て居ると、母がお茶セットとリンゴを剥いて、枕元に置いてくれた。リンゴ・干し柿・ピーナツとレーズンを食べて、一日三度の薬飲みである。普段薬とは、ご縁が無いから原始的構造の内臓は、不味いとばかりに拒否反応を示している様である。口中は乾いて、薬の匂いが嫌な位に鼻を突く。節々の鈍痛と腹痛、虚脱感に、情け無しの一言である。
 
 斜向かいさんが、玄関と神棚にと、手作りの正月飾りを持って来て下された。
「お兄ちゃん、南天の実は、其処の物を勝手に取らせて貰ったぜね。風邪なんか引いたら駄目だよ。風邪なんか、こう遣って<押し出す>だんね。ニャハハ。」
 ホウホウ、何時もながら、斜向かいさんは凝った事を言いなさる。座布団!!の迎合笑いを一発かましたい処であるが、本日、腹に力の入らぬ腑抜け男である。

  さてさて、回覧板も回って来ている事でもあるし、少し起きる事に致そうぞ。

 部屋から見上げる師走の空は、薄い薄い帯状の白雲が、空一杯のキャンパスに描かれている。無風の日差しに、フェンスの南天が静かに、小さな揺れを見せている。昼散歩には、絶好のお日和である。遠出は無理であろうが、外に出て、風邪の野郎を押し出して見るとしようか・・・ 

   風邪の馬鹿野郎も、何も俺様にくっ付かなくても好かろうものを・・・

 河川敷のベンチで、煙草を吸っていると、民生委員のFさんが、<後でお婆ちゃんの顔を見に行くからね。>と言われる。師走最後の日曜日である。無風のお日様溢れる穏やかな午後である。散歩をする者、ジョギングをする者と、何時もと変わらぬ河川敷からの眺めである。ベンチに腰掛けて、煙草を吸うロートルだけが、動くと腹に響く鈍痛とのお付き合いなのである。コンニャローメ・・・とほほ為りや。

 さてさて、長居は無用。一つ、本日の宿題を済ませて、後はF姉貴と母との話し声を聞きながら、再びの飽き飽きとした寝床に、安静の身を伸ばすのみ・・・である。

心何処ーショート ロートルの御神体談議
              ロートルの御神体談議(12/26/09)
 本日は散歩を割愛して、マメに働いた。風呂を沸かして、母の出て来るのを待って、大掃除の真似事である。風呂の湯で窓拭き・雑巾掛け・トイレ掃除・風呂掃除とヒーコラ、ヒーコラ息切れ作業をこなした次第である。漸く終えて、晩飯の支度に取り掛かる。

    飯の時に、母から『御苦労さま』と深々と労いの御言葉を頂戴した。
「ああ、男の場合は仕事と割り切れば、遣るしか無いんだわさ。それに、一人は気楽なもんだ。気にする事は無いぜ。
世話を焼かれる事も、世話を焼く必要も無い。唯ひたすら、黙って仕事を片付けるだけだわさ。文句なんかで無いからな。作業なんて物は、引き算だから、遣った分だけ作業量が小さく為って行くってなもんだわさ。」

 本当に、男とは、そんな物である。私は腰の重い物臭男には違いないが、馬力と諦めの好さだけは有るのである。尤も、これには伏線が有った。本日分の日記は、あらかた昨日の夜に出来ていた。そんな事で時間が有るから天気次第で、風呂の残り湯で大掃除の真似事をして置こうと考えて居たのである。

 明けて本日、町医者から帰って来ると、Tからの着信が何本かあった。遺憾いかん、早速、電話をする。
「やあやぁ、悪い。婆さん昇天したと思ったズラ。」
「おぅ、天ぷら揚げてると思ったぜや。今、向かってるぜ、もう直ぐ、着くわな。」

          干し柿と熟し柿を持って、車に乗る。
「おぅ、これ、二つしか無いけど、最後の熟し柿だ。」
「おぅ、そうか。アリガトさんよ。其処へお供えして置いてくれや。Rのブログに出て居たが、<美味い物は、少人数を進歩させて俺一人で隠れて、こっそりたべるんだわさ。>へへへ。」
「プチュ、チュチュチュと吸えば、甘露の滴だろうが。俺は、遣った事は無いけどさ、年寄りは、干し柿を焼酎で戻して食べるんだとさ。遣って見れちゃ。」
「了解。処でさ、高校同期の★が、村長選で当選したってよ。」
「ほぅ、そうかい。そりゃ好かった。」

 年の瀬の土曜日とあって、コーヒースタバは、何時に無く混んで居る。二階席の壁際の席は、二人掛けの丸テーブルは一つ置きで埋まっている。私にも、自分の居場所と云う習慣が有る。メタボ・ロートルクマ男で、空間を塞ぐのは申し訳ないが、・・・思い切って女性客の隣に、どっかりと腰を落とす。これなら、チラチラと話の合間の目の保養為らぬ<目の移動>が楽しめると言う物である。

 早速、コーヒーを飲みながらのロートル談議に移る。これから先の話は、何時もながらの諸般の事情を鑑みての割愛・不記載の事も多いのである。

「おいおい、お前のブログにあったけど、<御神体様、怒る!!>のイラストは、お前そっくりの自画像じゃないか。面白いもんだなって、つくづく感心しちゃったぜよ。鏡見たり、写真見て描いてる訳じゃないと思うんだけどさ。
俺なんか読んでて、どうせ又、とんでもない絵を描いて、野郎は笑い転げて居るんだろうよ。どれ、クリックして拡大して遣らっかとポチッと遣ったらさ。
 目の前にRの野郎がドバ~ンと出て来て、<ウギァ~>で、コーヒーは零すし、反射神経で思わず机から引き下がっちゃったぜや。赤ん坊・年寄りが見たら、引き攣っちゃってぶっ倒れるぜや。」

「おいおい、そりぁ~、なかんべさ。参門の金剛像とは、古さと二次元と三次元の違いは有らぁな。でもなぁ、インパクトにぁ大差は無ぇぞや。皆、有名人の駄作までもを有難や有難やって、盲信してるくせに、無名人の芸術性には、からきっしの仕打ちだわね。有名人だって、最初は皆無名人だぜや。如何だ、文句あるまいよ。世間の目は、曇り切ってる。ケッケッケ~のケツの穴って事さね。困った選球眼よ。
 大体、金剛像の野郎は、怒りと云う野獣性が前面に出てるわな。其処へ行きゃ、俺の御神体様にぁ、インテリジェンス・ナイーブさ・センシビリティーさ・スマートさ・ハンサムさ・・・それに、気高さの片鱗も滲んでるって寸法さね。心穏やかに、ご神体様に対して見ろや、根底には、何かが脈打ってるだろうが。
 大体なぁ、ご神体の真のお姿ってものは、昔から、そう云う物なんだわさ。亀頭の権化なんて、こいたら天罰が下って、即座に邪なる目を潰しちゃうぜ。手探りで極楽浄土まで昇れるのは、夜の密室・秘密の男女の布団の中ってのが、通例だんね。あぃ?」

「ほぅ~、そうかいそうかい。そう来たかい。でもなぁ、あの顎のシャクレ顎は、何だや。カーク・ダグラスの二重顎って訳でも無いぇし、それに、おでこと頬っぺたのマークだか、字は一体何を意味して居るだ。正直に、ゲロして見ろよ。」
「何ょ~、それを上品な俺に言わせたいのか!! 白らばくれ遣がって、巨大砲身が有ったって、砲弾の玉無しじゃ糞の役にも立たねぇズラよ。御神体は、太古の昔より象徴物ずらい。そう考えれば、簡単明瞭・・・玉二つがセットずらよ。
『六』だか『大』だかは、見る者、崇める者の心に見える、霊験あらたかなる漢字一文字ズラよ。御神体を拝して、亀頭に祈祷する善男男女の其々の想いを、聞いて遣るのが、ご神体信仰ってものずらい。
 何事も、信じて努力すれば、叶う努力も有らぁな。ギャハハ!!」
「おうおう、今日も、ああ云えば、こう云う。こう云えば、ああ云うで。利口に為るのか、お前に引きずられて変態修行なのか・・・オイランには、トンと分かりゃせぬわいなぁ~。
大体、参拝の最後の言葉は、言うに事欠いて、<穴、欲しこ>と来たもんだ。お前の頭の構造は、如何為っとるんじゃい。この馬鹿モンが。」
「あれ、T様よ。ナニョこいてるだ。<あな、かしこ、あな、かしこ>と続きぁ、同音異義語の活用乗りって物ずらよ。
 俺ぁ、昨今流行りの草食系じぁ無ぇわさ。御神体が動く時は、ゴロリとひっ倒して、乗っかって動くのが、日本古来の作法ずらい、あぃ?」
「やいやい、Rの野郎、周りに聞こえちゃうズラよ。こんな変態と話して居ても、常識の物差しが通じねぇわいな。あなたは、長生きするべや~。」

 本日、春日の様に暖かい日である。女組に草食系男女組に、ロートル男二人組は取り囲まれて、居たたまれない気分で外のベンチに煙草を吸いに行く。右も左も、前方のテーブルにも、若者は雌雄の別なく携帯をチャカチャカメール発信して、携帯メールを見せ合いっこしている。明らかに、携帯は薄さを繋ぐ会話のタネになって居るのである。

 さてさて、煙草を吸った後は帰るべし帰るべし・・・。以上、年の瀬、コーヒースタバからの昨今風景レポートでありました。


心何処ーショート ヘンテリおっさんの徘徊散歩
              ヘンテリおっさんの徘徊散歩
 さてさて、本日は違うコースを、のんびり辿ろうとするか・・・ 家から街に向かって700~800mほど下ると、川の西側には、神社さんとお寺さんが有る。お寺さんは近年建て直しをして、塔の様な造りである。緑の屋根に金色の飾りが、屋根高く載っている。それが大人しい住宅街の中で、燦然と目立ちに目立つのである。近付けば尚更の事、柱は朱に塗られて、新築の輝きを放っている。
 
 極楽浄土の来世を煌びやかに具現して、権力と信仰を集めたであろう仏教文化伝来も、きっと、こんな風だったのかと思わせる雰囲気がある。このお寺には、友人の父上の葬式で参列した事が有る。その時は新築前であったから、こじんまりとした古い建物と回りの御墓とのマッチングが、とても好い感じのお寺さんであった。
 新築叶った本堂には、古い由緒ある大門を入って行くのであるが、其処には鎌倉時代の作と云う左右対の阿吽の仁王像が、大きく睨みを利かせ、その後ろには同じく鎌倉時代作の馬上観音、僧の座像が三体居らっしゃるのである。一応、言われ書きを読んで来たのであるが、とんと記憶されて居ないのである。

  あっじゃ~、やっぱりロートル・クマ男は、脳軟化症にして不信心者である。

 そのお寺さんから、20mほどの所に神社さんが有る。これも、立派なお神社さんである。本殿は木造建築の歴史を感じさせるが、社殿の方はコンクリート造りではあるが、銅葺き屋根にも緑青が回って来て調和が始まっている。境内には大きな欅の古木が8~9本あって、春・秋のお祭りには境内に幾つも屋台が出て、結構な賑わいを見せるお神社さんである。
 
 可笑しなもので、神社仏閣と云うと、如何しても古色蒼然として居た方が、気持ちが鎮まり滞在時間も長く為るものである。そんな雰囲気の中に居ると、何かご利益がある見たいに感じてしまうのであるから、受け継がれた日本人の血とは面白いものである。

 そんな事でゆっくり時間を掛けて、境内の雰囲気に身を置いて来る。勿論、私はインテリでも哲学者でも無いから、歴史を考えたり他国のそれらと比較して、人間とか時代とか国民性とかに、思索を巡らせている訳ではない。
 どんなに背伸びをした処で、私は精々がヘンテコリンなオッサンでしかない。幸いな事に、好奇心と好色根性から顰蹙旅を大分重ねて居た。それらの旅中の観光コースでの諸々の歴史建造物などを思い浮かべて、彼是と比較しながら、誰も居ない冬の境内を歩いているのである。

 然ながらに、冬空にニョッキリと燦然と輝く塔のお寺さんは、タイ・マレーシアの眩さを信仰の対象として信者に対する仏教寺院で、感じた不思議(日本人の違和感)さを思い出してくれた。
 そして、ウラジオストクの中間色を主体とする煉瓦建造物が、目抜き通りを造るヨーロッパの雰囲気に満ちた建物群は、塗りの化粧を定期的に繰り返して現在に至っているのである。

 熱帯・温帯・寒帯と降り注ぐ太陽光線の強弱によって、その中で暮らす人間達には、居心地の好い色彩を取り入れて、その光の中で育んで来た民族の色彩感覚・選択が有るのだろう。
 自然の中で色が失われて行く、その様に古色蒼然の厳(おごや)かなる想いに浸る日本人の感性には、矢張り侘び寂びの中に連綿と続く自然崇拝・ヤオヨロズの神々なのであろうか・・・
 古くは神仏混淆、新しきはハロウィン、サンクスギビングディ、クリスマス・イブ、クリスマス、・・・etcと此処に垣間見られる光景は、面白くも、納得させられる世の移り変わりであろうか。
 歴史の破片を拾いだせば、幕末期に於いては、熱狂的な『え~じゃないか』騒ぎが、日本中を練り歩いたそうである。

 それに似た現象がつい先頃、日本にもあった。政権交代の船出が始まって、100日との事である。外交・内政、公私を問わず問題山積の荒海に、右往左往する<幹部連合態勢>の操船状況である。
 通りを一本隔てただけのこの一角には、ニョッキリと燦然と輝く塔のお寺さんと四季に溶け込み始めている神社さんが併存おわして居られる。

 そして、日本人のロートル・クマ男が、お寺さんと神社さんを静かに一人で眺めている。写真家が居たら、どんなアングルで切り取るのだろうか・・・想像するだけで、一興物である。

 さてさて、体も冷えて来た事でもあるし、長い上り勾配ボッチラ・ボッチラと帰ると致しましょうぞ。

            裏道、裏道を、のんびり巡って歩く。

 何々、鳩山総理の祖父の母上が、生まれた家とある。政権交代での若い総理も、先の見えない不景気の真っ只中、連日の物議を醸し出している新日本丸の船長様である。こんな所に、ひょっこり顔を出した松本市との関わり合いに、日本はつくづくと狭い物だと感心した次第である。

          小学校の通りを東に折れて、河川敷に下りる。

 家の近くまで来ると、上から、ちょくちょく顔を合わせる夫婦散歩者と会う。亭主殿は、病を患った身なのであろう。些か覚束ない足の運びである。
 女房殿が伴走する様に、亭主殿の脇に励ますかの様な足取りで並んで歩いている。それは、日課の夫婦ウォーキングである。そんな老夫婦の姿を見ると、男と女の老番いは、味のある眺めである。

 私は、家の対岸を歩いている。対岸には、お役御免と為った先輩が、マレットゴルフのスティックを持って歩いている。寒く為ってのコタツ亀では、無気力惚けへの一直線に嵌り込んだら、長い老後が覚束ないと反省し、運動不足解消の為に、極力一人でマレットゴルフをして来るのだと言う。

 私も先輩に倣うべしである。少々、距離が足りないから、上の橋を渡って家に帰る事にしよう。帰ったら、金魚の水を半分替える事にして、装置の汚れでも落とすとしよう。



 ★さてさて、すっかり年の瀬も押し迫った今日この頃である。参門二体の仁王様には、遠く足元にも及ばない悪戯絵ではあるが、お披露目申す。題して、『御神体様、怒る!!』の一枚に御座りまする。
 
 善良なる紳士淑女様に於かれましては、努々(ゆめゆめ)畏まい拝んでは為りませぬ!! 拝まれましては、あらぬ新興宗教の教祖様に担がれ申しますれば、・・・寄る歳波の故に、有難き御神体の御開帳を所望され申しても、往時の威光並びに威力も、昔日の<夏草や 兵どもが 夢の跡>為らぬ・・・ 『神体や 白髪混じる 歳になる』で、御開示出来申さん。幾ら手を合わせて拝んでも、ご利益には到達出来申さぬ。許されよ・・・とほほの極みにて、御座候。

 毎度の馬鹿馬鹿しい長駄文にお付き合い下されて、感謝感謝の合掌で御座りまする。このご神体、好く好く拝見すれば、正しく吾が自画像でありまする。またまた、不細工な物を晒してしまい申した。真に、お天道様は、<天網恢恢、疎にして漏らさず>の御裁きでありまする。

           あな、かしこ。穴、畏こ。あな、欲しこ


                 御神体怒る!!



心何処ーショート 吾、天の邪鬼なり。
              吾、天の邪鬼なり。(12/24/09)
 曇天ではあるが、久し振りに暖かい朝である。金魚達の緩やかな泳ぎの中にも、そんな動きが感じられる。窓を開けて、鳥籠を置いて遣る。そして、<メジロ殿来たれ!!>であるから、悪戯に空いた餌入れにリンゴのスライスとツマミのピーナツ・レーズンを入れて、網戸の桟に掛けて見る。
  
 煙草を吹かしていると、雑木の枝にヒヨドリが二羽遣って来て、彼等はデカイ態度で、鳥籠の小鳥達を見て居る。
<こりぁ、俺はジョービタキのバルディナさんが、所望なんじゃい。ハイエナ見回り役は、速やかに退去すべし。> 
 その次に遣って来たのが、雀二羽である。ありふれた風景の中の様な鳥達であるから、彼等には悪いが、興味無く遣り過ごす。

 男に二言無しである。さてさて、近作分の文作・下手絵を印刷するとしようか。

    ウイーン、シャカシャカ・・・カシャカシャ、ウィーン、シャカシャカ・・・

 A-4サイズに、下手絵二枚印刷を切り分け、文作の間に挿入して、通い綴りに加える。二十数頁あるから、昨日空振りに終わった斜向かいさんの好い読書タイムに為るだろう。
 
 モーニング・コーヒーを飲んで居ると、ガラガラと車庫のシャッターが開き始める。気は心であるから、早速、斜向かいさんに手渡して来る。ヨッシャ、任務完了である。

 ラジオビタミンを聞いていると、本日のゲストの歌声とトークである。私は、この手の歌の詩とかメロディは、何んとも苦手なのである。幾ら草食系流行りの中性モドキの時代と云えども、何も男が有りの儘の想いをゴテゴテと発信する事も無かろうと思うのであるが・・・ 私の煙草の嗜好と同じく、これが好きだと云うファンに文句を垂れても、当然にして<詮無き事>なのである。

 今朝の母の動きは、鈍い。然しながら、こんなムズ痒い歌詞の羅列とメロディ、トークは、聞く気には為れないから、私は部外者である。因って、朝の賄い夫に就く事にする。

 我々団塊の世代には、抑えの利いた<吾亦紅>辺りが、頃合いの男の心象風景の拡がりと云うべきであろうか・・・私の様な武骨者には、昨今の政治家も評論家、作家、社会活動家達にしても、余りに饒舌家過ぎると思う。一生懸命な彼等には、相済まぬ処ではあるが・・・ 武骨者の聞く側の立場からすると、これでもかこれでもかと駄目押しを強いられている感じさえ覚えて来てしまうのである。そう為ると、一番大事な筈の彼等から受ける余韻と云う物すら奪われてしまう気がしてしまう。詰まりは、彼等の自招行為に依る興醒めの感想しか残らないのである。

     皆さま・・・臍曲がり、出来が悪くて、御免なさいね。

 余りにも、ストレートにして饒舌に傾くと、自己満足の自己陶酔に陥り、聞く側の感性の足を引っ張り、鈍感なる画一性を助長してしまうのが落ちであろう。個人の感性に迄、画一性と云うマニュアルが浸透して仕舞っては、事は一大事なのである。そんな物は、新興宗教で、信者を前に御遣り下さい・・・なんて、罵詈雑言を吐きたく為ってしまう。

 遺憾いかん・・・ こんな事を思い付く儘、浮ぶ儘、打つ儘に任せて居ると、私は、如何にも天の邪鬼な恥ずかしい気持ちになって来る。実に困った性分である。
 従って、私はシンガーソングライター一辺倒のメッセージソングの類には、嗜好が合わないのである。

 さてさて、曇り空も何時の間にか、青空の模様替えである。偏狭な天の邪鬼でばかりでは、閉じ籠りロートル・賄い夫生活・・・これでは、愈々以って世間様を狭くしてしまうと言う物である。反省の意思を見せる為にも、寒風に吹かれて散歩に出掛けて参りまする。
 

心何処ーショート 娘さん、アリガトさんね。
             娘さん、アリガトさんね(12/23/09)
 斜向かいさんと、仕切り直しのロートル座談をし合って、飛んでも鉢巻きの爆笑交換をしてしまった。アジャジャ、お天気さんは下り坂である。昨日は散歩量が少なかったから、本日も手抜きをしてしまったら、鈍ら癖が付いてしまう。のんびりと、煙草など吸っている場合では無かろう。気合を入れて、外に出る。正規ルート1時間45分に戻らなければ為らない。

             それにしても、しゃら寒い!!
 途中で引き返したい気持ちに鞭を打って、唯ひたすら歩くのみである。長い上り勾配に来て、漸くの熱源ヒート入りである。毛糸の帽子・防寒手袋・ジャンパーを脱いで、息切れ行進である。幹線道路から民家の路地を下り、橋を渡れば、下り勾配の一本道の流し散歩モードに入る事が出来る。山際の道を行くと、山止のコンクリート壁の割れ目を測って、携帯でその模様を撮っている若い女性の姿が有った。

 おやおや、市役所の職員だろうか?? 市役所の職員なら、若いのに見上げた女性職員である。然しながら、そんな市役所の職員は居まい。本日は旗日の休日である。
 為らば、S大の地質学部の娘さんだろう。カーブを曲がって、開けた水田地帯を見ると、車も自転車も見当たらない。通って来た道にも、そんな彼女の足と為る物は見当たらなかった。如何云う事だろうか???

 住宅の続く辺りまで来ると、後ろから足音が近付いて来た。さっと、追い抜かれた。

 やや、先ほどのおネェさんでは無いか。あれまぁ、スタコラ・スイスイと距離が開くばかりである。おのれ、娘っこに置いてきぼりと有っては、ロートル・クマ男の名が廃る。

 年甲斐も無く、私もセッセ歩きをするが、何しろ、速いのである。途中、工事中の個所が有る。私は直進、彼女は迂回である。土手道行進なら、差を挽回するには格好の場所である。それ、急げである。運好く、彼女も土手道直進コースで有った。彼女は左側行進、私は右側行進である。其の儘のコース取りで、声を掛ける。

「速い速い、速過ぎる。やっと追い付いた。おネェさん、S大の地質学部の学生さんかい?」
「はい、そうです。」
「そうかい、何処まで帰るんだい。」
「★スーパーの近くが、アパートです。」
「そうかい、じゃ、方角は一緒だ。オジサンは怪しい者だけど、テクテク歩きは、一人じゃ寂しい時も有る。話しながら帰ろうか。」
「はい、好いですよ。」

 2mほどの道路幅を挟んでの、左と右の言葉のキャチボールである。福島県出身の彼女は、色白の小顔にして、鼻筋の通った切れ長の一重瞼で、中々に整った顔立ちと学生さんらしいハキハキシした受け答えである。

「温泉銭湯には、行くのかい?」
「アパートに付いていますから、行った事無いです。」
「そうかい。そりぁ、勿体ないよ。200円、250円で本場の掛け流し温泉銭湯に入れるんだから、折角、松本に居るんだから、利用すると好いよ。」
「そうですか、今度、行って見ます。」

「だけど、この頃のS大生も個室育ちで、公衆エチケットが無いから、困った時代だわさ。世に迎合して、バカ学生の真似だけは、しないでくれよ。
 バスタオルを巻いて風呂に入らず、シャワーで帰って行くアホに、シャワーを出し放しで、シャワーで暖をとるバカタレ、洗面器を使い放しで帰るタワケが居るからね。銭湯の近辺の学生達は、アパートに風呂が無い代わりに、風呂代込みの家賃だから、自分の感覚を其の儘に持ち込んで来るんだよ。
 おネェさんは、好い顔して気持ちも穏やかだから、自分で自分を汚すなよ。常識の無い事をしたら、親の顔に泥を塗る羽目に為っちゃうぜ。
 地質学部なら、大学院に行くか、高校の地学の教員に為るんだろうが、学校出ただけの馬鹿ネェちゃんには為るなよ。そんな事したら、お天道様から授かった好い女が、台無しに為るぜよ。
 折角、親元を離れて、羽を伸ばして居るんだ。自然の好さを満喫して行きなよ。」

「はい、分かりました。エチケット学んで帰ります。」
「そうかい、アリガトさんよ。変なオジサンに付き合わせてしまって、悪かったな。ヤッパリ、道連れが居ると知らない内に、帰って来れる物だな。じゃ、頑張って、定点観測して、博士に為ってくれよ。バイバイ。」

 散歩をしていると、こんな有難い事にも遭遇出来るのである。こんな見も知らずの遭遇が有ると、日本もまだまだ捨てた物じゃないと安心出来る。西に傾いて、灰色雲の中のお天道様ではあるが、日本のお天道様は、確りとご健在なのである。娘さん、アリガトさんね。

心何処ーショート グット・タイミング
               グット・タイミング(12/23/09)
 晩飯を食い過ぎて、不覚にも長々とコタツ亀をしてしまった。やや、だらしの無い限りである。『いけね、いけねぇ。』とばかりに起き上がると、黙って私を見て居る顔は、紛れも無く老いたりと云えども、隙を見せない母の顔である。

 何んとも、合わせる顔が無いと云う物である。歳を取っても母は母であり、行儀の悪い馬鹿息子は、馬鹿息子なのである。涎を垂らして居なかった分、幸いであった。

 昼間には、ロートル寄り合い所の世話人の御老人に、『頭の好い男が、苦労を知って完成された立派な顔』などと、最大級のゴマスリ賛辞を頂いた母譲りの顔が、この体たらくでは、さぞかし母も不甲斐無いの心境・・・に違いあるまい。

 私は爆睡すると、時として<有らぬ際どい寝言をハッキリ口にする>との指摘を頂戴する男である。証拠の録音を突き付けられた訳ではないから、誇り高い私としては、その内容の真偽のほどを確かめようも無い処である。女房子供・友人知人の前では、赤面の態で笑い飛ばしか、開き直りで済ませる事も出来るのであるが・・・
 相手が悪過ぎる。神聖な祠を潜って、この世に生を受けて、一生懸命に育て上げてくれた母に対して、『言語明瞭にして、意味明らかなる寝言』と為ると、真に不謹慎にして母の慈愛に対する冒瀆の極みと言わざるを得まい。
 従って、正体が無く為ってしまう程の爆睡様は、ご法度なのである。そんな思いも有って、私は母の前では殆ど寝ない事にしているのである。

 何しろ女日照り行進中にして、アングロサクソンの強靭為る下半身を脳裏に焼き付けて来たばかりである。吾が性向を思えば、好色・馬鹿に付ける薬無しの妄想男なのである。記憶力の好い母に時効に為った時点で、ひょっこり言われるのが、哀しいかな・・・統計上の結果なのである。
 そんな不意打ちを食らってしまっては、私は事実を一蹴するほどの開き直りが出来ない『か細い性格』であるから、照れ隠しのギャハハ笑いで対抗するより、手立ては無いのである。

 然しながらにして、ジャスト・モーメント、BUT・・・butなのである。今や、私にも保護者・介護者としての立場と見栄もあるのであるからして、此処は、<冨嶽三十六景・吾逃げるに如かず>の自室退散に越した事は無かろう。

 或る時、弁当の蓋を開けたら白米に紅ショウガ鮮やかに、<バカ!!>為る女房の大叱責を頂戴した戯け男である。家に帰って聞けば、何の時の何の瞬間に、異名を口走ったと言う??? ホンマかいな!! 漫画の世界じゃ有るまいし・・・ 世の中、空耳は五万と存在するのである。妄想は、自分で自分の首を絞めるが如き<ハシタナイの沙汰>なのである。

 古き思いを反省して、奥ゆかしい私としては・・・例え、事があろうが無かろうが、『防御』が肝要なのである。

 さてさて、たらふく食べて爆睡仕切った吾が身にとっては、余りに長い冬の夜である。夜を友として、何時に無く馬鹿馬鹿しい懺悔の言の葉を、縷々並べ打ちしてしまったものである。下らぬ呆け話を打ち連ねてしまえば、根が不用心な戯け男である。
 齢61年も重ねて来れば、<恥ずかしき事のみぞ、多かりき>吾が珍生である。戯けついでに、ツイツイ手元が緩んでしまったとあらば、漸くにして掴んだ貴重なる訪問者様達に見放されてしまう。此処は、心を鬼にして、<沈黙は金>に模様替えが必要なのである。

 斯様な反省から、お絵描き帳から一枚切り取って、見えぬ現代の風潮を絵にして見た次第である。

 日が改まって、現在この頁を打っていると、斜向かいさんが窓を開けられて、銀杏の差し入れである。昨日の絵と斜向かいさんの絵をファイルに並べて見ると、

「やいやい、こりぁ、並びが好いじゃんかい。」
「好いずらい。お互い下手絵は、見る者の<想像力の扉>だいね。これも、今日のお天道様のお導きだんね。実は、今、俺は馬鹿話を大体打ち終えた処せ。
この一文には、持って来いの挿絵だいね。それと、綺麗なハイソサエティの女性ブロガーさんに、才色兼備の<時間旅行~ako‘s diary~>様が居なさるんだわね。 
 目の保養と脳の保養に為るんね。そんな所に居なんで、上がって来ましょ。さっと開いて、ご対面して行きましょ。カアちゃんの顔ばかり見てると、地球の狭い片隅で小さく洗脳されちゃうね。美人は、男全員の共有財産だんね。お代は、只だよ。」
「好いね、好いね。そうかい。でも、お兄ちゃん、それを言うなら、<美男美女は、同性の敵、異性の憧れ・お宝>って言うんだじ。如何だい、今日は冴えてるずら。俺だって、決める時は決めるだんね。ギャハハ!!
 でも、後で来るわい。今、財務大臣の雑務を仰せつかっているぜ、後でじっくりご対面に来るぜ。待ってましょ。ニャハハ。」
「あいあい、世間を知る事は、狭い呪縛からの解放だんね。男には客観的な観賞眼が、若さを保つ一番の薬。女族は、誰も聞いてねぇずらいね。聞かれたら、石投げられるぜね。」
「やいやい、もっと話していたのに、ヤヤッ、カカアが呼んでやがる。クソったれが!!」

 へへへ、斜向かいさんもお向かいさんも、夫婦仲の好いお人達である。兎角、この世は男と女の世界である。頑張り為され、頑張り為され。

 さぁ~て、ラストスパートで、打ち上げるとしようか。今日も、好いお天気さんである。


              男と女(斜向かいSちゃ作)顔の見えぬ時代_002





心何処ーショート バイタリティの源は→
      バイタリティの源は→頑強な下半身にありや?(12/22/09)
 
 ヤクルトママさんの元気な声である。先週は留守をしていたので、残念であった。飛んで火に入る★★である。ニヤニヤして、今週の絵を見て頂く・・・

「これは何ですか??? まぁ、細かい事は、好いかっ。色使いが大人しくて、小さなお花と太陽さんが、可愛くて好いですよ~」
「そうかいそうかい、そりゃ、アリガトさんね。この絵の題名は、ヒップ・バック・アートって言うんだよ。ヒップを真後ろから覗いて見たら、穴の並びが、俺にはこう見えたんだよ。」
「エ~ッ、チョット・チョット。それって、立派なセクハラですよぉ~。本当に、デンジャラスなオジサンだぁ。」

 彼女は大袈裟に腰を低くして、ヒップを両手でカバーする品を作り、私との間に結界を張る仕草をして笑っている。

「じゃあ、110番して、警察を呼ぼうか?」
「駄目ですよ。売上と楽しみが、無くなっちゃうじゃないですか~。」
 
           彼女は、ファイルの頁を捲って、
「まぁ、蟹さんの絵に免じて許して遣っかあ~。」
「そんな白々しい<結界>を張らなくても、とっ捕まえて刺身にして喰いやしねぇわさ。安心しな。」
「如何だかぁ~、人は見掛けによらないって、『女の護身術』があるんじゃないですか。」
「上手い!! 俺は、そんな切り返しにぁ弱いんだわね。おネェさん、頭好いね。寒いから、風邪引くなよ。」
「は~い。Rさんも、風邪引かないで下さいよ。又、来週来ま~す。」

 さてさて、お天気が好いから、風呂を沸かして洗濯をした後は、買い出しに行って来る事にしよう。

 郵便局に行くと、風呂で会うハイカラ御隠居さんに会い、米屋さんに行くと、常連さんの短歌会の世話人さんが入って来られた。米屋のお兄さんは、奥さんを送って行く用事が出来たから、<その間、留守番をせよ。>とのお達しである。二人とも、コーヒーを飲んでしまった恩義がある。<ははー、粗相の無い様に留守番役、お受け致しまする。>と、引き受けるしかあるまい。
 世話人さんは、79歳の明るい茶化しとダジャレの名手であるから、小一時間の留守居役は、あっと言う間に過ぎ去ってしまった。帰って来ると、今度は旅館へ配達との事で、居留が決まってしまった。

「あいあい、ワシァ、穀潰しの役立たず隠居で御座んス。出来る範囲で遣るわいね。今日は、人質の先生が決まっているぜ、談論風発だわさ。ゆっくり遣って来ましょや。心配は要らねぇよ。」

 おうおう、今度は、くだけた感じの婦人の登場である。世話人さんとは、顔馴染みとの事である。行司役の世話人さんのトークが頗る快調であるから、兎に角、面白い。またまた、はしたない話で三人大いに盛り上がってしまった。

 遺憾いかん・・・ロートル・クマ男は、女日照りが続いているので、去り難しの下衆根性が見え見えなのである。然しながら、未だ買い物が残っているのである。駄々をこねる吾が好色根性に引導を渡して、ロートル寄り合い所を後にする。

  中継地点の我が家に米を置いて、買い物袋を持って大手スパーに自転車を漕ぐ。

 帰り道の民宿旅館まで来ると、私より10位若い夫婦に、高校生位の兄妹の白人家族4人が、地図を手にした父親を先頭に、自転車に乗ろうとしている。私の好物は、白人さんであるから、当然に目の行き着く先には女体がある。

 いやはや、奥さんの立派なヒップに軟なチャリンコのサドルは、持ち堪えられるのだろうか??? 娘さんの下半身も、親に似て立派な肉付である。こんな時間からの家族サイクリングなのであるから、きっと宿に到着して間もないに違いなかろう。

 私の後ろから、イングリッシュが近付いて来る。厚手のセーターに、毛糸の帽子、下半身の頑強振り・・・アングロ・サクソン人種は、大したバイタリティーである。

寒さ和らぎ、昼散歩。
              寒さ和らぎ、昼散歩(12/21/09)
 昨日ほど寒くは無い。青空にくっきりと、白雲が浮かんでいる。朝の母倅のトークをした後は、モーニングコーヒーを飲みながらパイプ煙草で一服する。昨日は、散歩に出掛けなかったから、尻に根が生えぬ内に散歩に出掛ける。
 好い日差しに、寒さの和らぎである。本日は散歩コースを替えて、護国神社の林に野鳥散策をしに行く。青空の下、内鳥居から本殿への花崗岩の石畳が、好い眺めである。広い神社の敷地には、誰も居ない。この真空地帯の様な神社の佇まいが、子供の頃から、私は大好きなのである。

 この林の中での過ごし方は、静かに二・三歩歩いて、小さな物音・動きを見付けて立ち止まり、小鳥達を見付ける。車止の一角には、硝子戸の長い掲示板が立っている。その中には、墨書きされた結構な分量の俳句・川柳などが掲示されている。それらを後ろ手で組んで読むのであるが・・・ フムフム・・・世の中、巧い事を詠む人無名人が数多くいらしゃるのだと頷いている次第なのである。
 
 私は、一人の空間が好きだから、一向に退屈はしないのである。本殿への石段を上って、石畳を進むと、整理された芝生の中に桜・松の木が、ゆったりと植えられている。木製の古びた立て札の上に、モズが止まって、尾を振りながら此方を見て居る。冬枯れの茶の芝生には、ハクセキレイが怖がる様子も無く、日差しの中で遊んでいる。横の林の木々には、ヒヨドリ・キジバト達が、たむろをしている。

 本殿の裏は、松林の小山に成っている。小山の地表には手付かずのクマザサが、びっしりと生い茂っている。子供の頃は、中に入ってチャンバラごっこ・小鳥を探してのパチンコ落とし・鳥の巣探しに明け暮れしていたのであるが、今は『この奥、立ち入り禁止』の柵囲いがしてある。

 この両翼は、昔から弓道場に為っている。西側には、立派な弓道場が建っているが、東側は露天の練習場と為っている。

 其処への小道が、風情満載なのである。林の中の木漏れ日・クマザサ生い茂る小道が、落ち葉の中に伸びている。チィチィと小さな小鳥達の声に耳を傾け、クマザサの揺れを見付けるのである。

 立ち止まって静かにしていると、ササの茂みから小鳥が姿を現わして、小道で餌探しをし始めるのである。多分、姿形から見てノジコに違いあるまい。地味な色合いの小さな小鳥である。本の数メートルの隔たりなのであるが、この数メートルの距離が、野生の安全距離と小鳥には認識されているのであろう。

 此方が不用意に距離を縮めない限り、ノジコは私の存在など眼中に無い感じで、自分の行動を見せてくれるのである。暫く観察させて貰い、次に移る。

 チィー・チィーと、余り高く無い高さで鳥影が、何羽か動いている。目を凝らしていると、逆光から日差しの中に姿を現した。メジロ三羽の動きであった。他に、シジュウカラも、チィー・ジュクジュク・チィー・チィーと、鳴き交わして枝を渡っている。

         シジュウカラの声を聞いて、神社さんを後にする。

 通常コースの川に出て、河川敷に降りる。何時に無く、川の澄み具合が好い。日蔭の石には、氷が張り付いている。橋の日蔭には、雪が取り残されている。砂防の落とし込みには、幾つか氷の塊がプカプカしている。
 川の澄み具合は、左様であったか・・・川の上流では、氷が張り詰めて流れを小さくしていたのであろう。それで、水の動きが澄み具合を促進して居たのであろう。朝の時点では、もっともっと澄んで居たのであろう。
 12月半ばの、この寒波は想像する以上に厳しかったのである。これからは流れがスムーズに為って、僅かばかりの濁りが伝わって来る時間帯なのであろう。アジャジャ、今シーズンは、寒冬に成るやも知れぬ。やれやれの段である。

 水が冷たく為って来ると、魚達も仲間が恋しく為るのだろうか、群れて泳ぐその様は、人間の習性と似ている。考えて見れば、生命の進化を辿れば、行き着く先は、人間の胎児の進展に凝縮されているのだと云う。魚の形の時期をも有するのが、胎児の様である。むべ為るかなのアブラハヤ達の群れ泳ぎの様である。

 昼のこの時間帯に散歩をしていると、一人のお爺さんの姿を見掛ける。その老人は、決まった場所で、河川敷の中堰堤に腰を下ろして、淀みの中を見ながら煙草を吸っているのである。どの辺りからの散歩開始かは存じ上げないが、その場所は、老人の散歩コースの折り返し点にして、一服の煙草に訪れる儘・・日々の思索・瞑想・回顧の一時なのであろうか。

 散歩から帰って、本日の日記を打っていると、斜向かいさんが通りから手を振って居られる。話を伺うと、92歳に為られる奥さんの母親が、呼吸困難で救急車の御厄介に為ったとの事である。持ち直して、日々病室へ御見舞との事である。
 こんな話を交わせる人間が近くに居ると、人は何かと心が健康に維持出来ると云う物である。こんな処が、田舎の近所付き合いの住環境の好さと云う物であろうか・・・

 ブログ日記を打ち上げて、インスタント・コーヒーに一服を付ければ、傾いた陽に早足の冬の夕暮れが進行して行くばかりである。


                 幸せのビーム


心何処ーショート ヒツプ・バック・アート
               ヒップ・バック・アート(12/20/09)
 昨日の<絵描き・ジミー・大西>は、素晴らしかった。はみ出す絵を求めて、ポップ・アートの巨匠を求めてアフリカへ行ったジミー・大西。それは、太陽照り付ける原色の世界<ポップ・アート>の現場で絵を一枚描いて来ると云ったドキュメンタリー仕立ての好番組であった。彼が選んだアフリカポップアートの巨匠の最後の弟子と云う師匠が、素晴らしい御方であった。あの落ち着きと、静かな眼差しは、芸術家のインテリジェンスをたたえて、惹き込まれてしまった。

  <好きな物を、好きな風に思い切って描く事が、好い事である。>
                          との事である。

 本日、日曜日である。賄い夫は、手抜きをして良い日である。昨夜のジミー・大西と師匠の顔を思い浮かべて、<好きな物を、好きな様に思い切って描く>を複唱させて頂いた次第である。

 私が好きな物と、正直に思えば・・・アレしかあるまい。完成絵が顰蹙絵と為るか、ポップ・アートに為るかは、お天道様のみぞ知るの結果だろう。布団の中で、画家ジミー・大西先生に倣って、シャレコウベをカリカリと掻いて見る。下衆男の私の脳味噌には、緻密さなど微塵も無いのであるからして、下絵も屁ったくれも有る筈が無い。
 尤も、下絵を描いた処で、それを再び描き写す芸当など、私には土台無理な注文である。個室の秘密絵なのであるから、ケセラセラの軽い気分で好いのである。

          日曜日は休息日、愉しめば良いのである。

 朝の賄い夫後は、自室で悪戯絵の開始である。世間知らずの私は生まれて初めて知った事であるが、『水彩色鉛筆』為る物があったのである。100円ショップで見付けた12色物である。色鉛筆として使い、絵筆に水を付けてなぞると色が滲んで、水彩画と為る代物なのである。人間とは奇妙な物で知らなかった物を知ると、兎角、何かと悪戯がして見たく為る生き物なのである。

 偉そうな事を言ってはいるが、とどのつまりが、私は只の馬鹿なのである。

 私の尊敬する兄貴さんは、難しい高尚な事でも、中学生にも理解出来る様な平易で無駄の無い文章を打たれている。私は無理やり、弟分にさせて頂いたのであるが、愚弟の私の文章と云えば、当たり前の中学生でも思い考える内容を、無理して大人の文章に糊塗しているだけのお粗末さと体たらく振りなのである。反省はしているものの、努力で埋まる差では無いのである。
 従って、徒労は無駄骨であるから、現実を素直に受け入れて居るのである。

 さてさて、敷居の高いプロの芸域のポップ・アートには異次元にして程遠いヒップ・バック・アートを開始致しまする。

★オッオッ、何ヵ月振りでありましょうか!! お人形さんの様な白人女性が、自転車で通り抜けて行きましたぞ。イヤ~、ヤッパ、ビューティフルでゴザンスよ。こりゃ、幸先が好うゴザンスよ。さぁ、お絵描き開始である!!

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 はい、本日の一枚でありまする。地球環境・地球温暖化阻止への国連加盟国が、挙ってコペンハーゲンに参集して喧々諤々の協議を重ねた一週間と申しまする。

 結果は・・・議定書に非ず、合意書に非ず、留意書との事でありまする。古より、豊穣の象徴として崇められて来た民俗御神体が各国・各地にありまする。豊穣信仰も、間違った場所にお供え・栄養素を注入しても、実は結びませぬ。
地球の未来は、例え路傍に小さく咲く名も知らぬ草花であっても、お山の向こうから、お天道様がお姿をお見せ頂ければ、光の四十万に潤いが生まれると云う物でありまする。

 デフレスパイラルに沈み込む我が祖国日本でありまするが、戦勝祈願のマニュアルに拘泥して居てばかりでは、国民の意識の活性化には程遠い穴違いの妄想と為りかねませぬ。お天道様信仰の神に縋って、『あな、畏こ、穴、かしこ』の夜這い事だけでは、前に進みませぬ。給料・ボーナス・待遇が保障されている国会議員・官僚様達よ。少しは、収入と支出の狭間・地獄にのた打ち回る民原の事をお考え下され。税金の注入口を間違えて、如何するんじゃい!!

 何卒、英明な読者の紳士淑女各位に於かれましては、一部顰蹙を妄想させる御神体が、穢れ無き眼を刺そうとも、地球環境・国家財政を守らねば為らない責務が御座いますれば、大事の前の小事でありまする。吾がヒップ・バック・アートが訴える本旨をば、ご理解頂きたいのでありまする。本旨を間違わぬ限り、想像・妄想は、等しく内心の自由でありまする。



                ピップ・バック・アート

心何処ーショート ただ、ダラダラと申し訳ござらん。
           ただ、ダラダラと申し訳ござらん。(12/19/09)
 薄らと雪化粧した窓からの眺めである。輪立ちで融けたアスファルトの氷をガリガリ鳴らして、自転車が通り過ぎる。日差しが伸びて来る、ピンと冷気が漂うが、部屋の窓を開け放す。お向かいさんの盆栽の緑・南天の赤い実・それらに載る雪の白さのコントラストが、実に見事である。アルプスのお山を見に外に出るが、灰色のベールにお休みの景色である。お~、寒い。

 さてさて、小鳥の世話をして、一日を始めるとしようか。朝食を終えて、鳥籠を窓辺に置いて遣る。この処、ジョービタキのバルディナさんの姿が見えない。気掛かりにして、寂しい。

 2009年も余す処、僅かと為っている。毎日、刺激の無いマンネリ生活の中に居るから、特別の感懐など浮かび様も無い。日が昇り、日が沈む。そして、一週間が過ぎ、一か月が過ぎ、四季の季節が始まり、一つの季節が終わり、一年が過ぎる。
 物臭男にとっては、理想的な進歩も退歩も無い無色の日々であろうか・・・ そんな日々の中で、出喰わした物・見た物・見えた物、感じた物・感じさせられた物、考えた物、考えさせられた物・・・etcを吾が心や何処やの<心何処>の日記ブログとして、日々打ち連ねて来た。意味が有ると云えば、意味が有るのだろうし、意味が無いと云えば、意味の無い事であろう。

 然しながら、人間の一生などと云う物は、大して意味のある事では無かろう。習慣・惰性の内に、日々を重ねて齢を重ねるにしか過ぎまい。振り返ると、血の気の多い少年期・青年期を送って来たものである。そして、自問自答の場面の多かった修行期の長かった戯け者であった。そして、その時期時期に在って、精一杯遣って来た体育会系の単細胞でもあった。

    煙草を吹かしながら、仕様も無い事を浮かべて居ると電話である。

「おいおい、重装備じゃないか。」
「おぅ、何て言ったって、この寒さだ。有るだけ着込んで、首にマフラー巻いて来たぜや。」
「本当さ。とうとう年内に、真冬が来ちまったからな。これ、婆さんに差し入れだ。」
     アルミホィールに包んだ熱々の焼きイモとイチゴの差し入れである。

          スタバの女店長殿は、本日眼鏡である。
「おや、如何したの?」
「コンタクトが痛くて、今日は眼鏡なんですよ。」
「眼鏡も似合ってるよ。好い女は、何付けても変わらないよ。」Tが声を掛ける。
「そうですか。ありがとうございます。」

 ホットコーヒーを持って、二階に上がる。常連さんの同年配男の横の席に座る。彼は、インテリさんなのであろう。何時も、一人でケーキを置いて、本を読んで居る。

「時間がもう少しあったら、昨日描いた絵も印刷したかったんだけど、これ、オヤジさんへのプレゼントだよ。」『父上退院』のA-4、4頁の文作を渡す。
「有る事無い事、色々と脚本を施してある日記文作だけど、新聞を読むオヤジさんだから、俺の戯け文作を読んで、ワシ、そんな事言ったかなぁ・・・と笑い飛ばすのも好いずらよ。」
「おう、そうか。爺っさ、喜んで涎垂らすぞ。どんな顔するか、じっくり観察して遣るさ。ハハハ。」

 さてさて、本日のロートル・コーヒータイムの議題は、<ゆとり世代の就職戦線><COP15>の感想会話である。
 
 子供は言うまでも無く、何時の時代に在っても、<家庭の子・学校の子・社会の子>である。あーだこーだと言って見ても、仕方が有るまい。学校に居れば、同世代のぬるま湯に浸かって、彼等の文化を持っている事が出来たまでの事である。
 卒業すれば、会社の一構成員としての生活が始まる。20~60歳が働く社会の常識の中で、自前の生活をして行くしか有るまい。携帯メール、チャカチャカの学生気質・習慣が其の儘、受け入れられる筈も無かろう。現実の中に入って、軌道修正を図りつつ社会を構成して行くしか方途はあるまい。
 外圧に対面するのは、当たり前の事である。怒られるも、匙を投げられるも、その一過程でしかあるまい。至れり尽くせり、無関心では、企業・社会の一員とは為れないのである。自助努力で自分の道を歩んで行くしかないのが、時代・社会の決め事なのである。

 私達の前のテーブルには、女子学生と思しき二人である。彼女達は二人とも、言葉を交わしながら、手には携帯を開いてチャカチャカとキーを打っている。ロートル・オヤジの私達の眼には、嘆かわしい限りであるが、彼女達にして見たら、当たり前のコーヒータイムにしかあるまい。今更、目くじらを立てる程の事も有るまい。何しろ大学進学率50%を、超えるご時世なのである。

 さて、地球温暖化阻止のCOP15には、世界100カ国以上が、先進国と途上国の色分けで、喧々諤々の攻防を展開しているとの事である。世界の二酸化炭素の40%を排出している米国と中国のお国振りが、凄まじい限りである。

「俺はさぁ、時々、暇潰しで世界史の教師用の分厚い本を、世界史の辞典代わりに見て居るんだけどさ。こんな米中のあからさまな国家主張を見て居ると、変な考えが起きて来るんだよ。」

 アメリカは、メイフラワー号に乗った清教徒が作った新天地である。イギリスのアイルランド出身者が多いし、白人は、イギリス・フランス・ドイツ人が圧倒的に多い。謂わばアメリカの出自は、ヨーロッパの列強国にして、先住民インディアン達を駆逐して国家形成を果たして来た若い国である。軍事大国・経済大国・政治大国・経済システム輸出大国である。

 アメリカの過去を振り返れば、草創期のアメリカは、映画ではジョン・ウェインの会心作<アラモ>を見ても分かる通りに闘った相手は、メキシコの正規軍である。その当時のメキシコは、新大陸一の強大国であった。メキシコは、ご存じの通りスペインが作った国である。 

 現在メキシコはラテンの国と云われ、インディオとの混血の国である。スペイン、ポルトガルは、地中海の西の果ての国である。地中海を世界の海と見做したギリシャ・ローマ・エジプト・カルタゴ・ペルシャの攻防の世界でもあり、キリスト教とイスラム教との鬩ぎ合いを繰り広げた地域でもあった。
 有名なベリーダンスが、インド、中東、エジプト、スペインのフラメンコと融合して、ジプシーダンスに伝えられている文化の通り道でもある。文化・人種の融合・混淆・混血を取り込んで来た譜系がある。

 白人世界と云っても、ヨーロッパと地中海に面する人種・国とは、排他性と云う意味に於いて、明らかな違いが有る様に見られるのである。

 一方の中華思想の中国は、四大文明発祥の地を誇示して、征服王朝の歴史絵巻は別個として、漢民族の国家政策を力によって推し進めて居るお国振りである。その手荒い国家手法は、非漢民族の支配時代の版図も物ともせずに、歴史に残る最大の版図を以ってして中国の固有の領土として、その領土獲得を解放と称して、異民族・独立民族を駆逐したり混血化で国家の強大化を推し進めて居るとしか見えない。

 奇しくも、その二大大国が、二酸化炭素の40%を排出しているのだとの事である。そして、米国は先進国のリーダーを自負しながらも、自国の産業を優先させている。中国は近々の世界第二位の経済大国に躍進するにも拘わらず、途上国の立場を声高に主張して居るのである。

「如何だい? ど素人の俺の個人的感想だけど、そう考えれば、米中の排他的・唯我独尊的なスタンスには、共通点が見えて来ないかい? 歴史の中に現れる大国の興亡史の一カットに、自分が立ち会える。・・・そんな興味が湧いて来て、俺は好い時代に生を受けたとお天道様に感謝してるんだ。ニャハハ。」

「為るほど為るほど、ベリーダンスをなぞって、大国の興亡史、根源思想の講義は、面白かったぞ。其処の携帯カチャカチャ遣ってるおネェちゃんにも、講義をして遣れちゃ。」
「そいつぁ、いけねぇよ。こんな話したら、『そんな事、教科書に書いて無い。そんな事、教わって無いわよ。オジサンは、大学の先生ですか。』<俺ぁ、しがないロートル賄い夫だんね。>『ああ、そう。単なるオジサンの素人の想像ですね。馬鹿ばかしい。私達の会話に勝手に割り込んで来ないで下さい。』なんて、軽く一蹴されちまうがな。ギャハハ!!」

「そりぁ、そうだ。さてさて、煙草吸って帰るか。今日は、高校の柔道部の飲み会があるんだよ。」
「豪勢じゃないか、泊まりで飲み明かすのかい?」
「胃無し男の悲哀さ。猪口で二杯か三杯飲めば、口から溢れちまうがな。困った体に為ったってもんせ。イヒヒ。」

 アジャジャ、何時の間にか・・・とんだ長文に成ってしまいました。遺憾いかん。
 参考に為る物が少しでもあったら好いのですが、申し訳ありません。
 
       罪滅ぼしに、寒風の散歩にて懺悔致して参りまする。


                 机の上_001

心何処ーショート やれやれ、路上漫談
             やれやれ、路上漫談(12/18/09)
 灰色の風に、雪が散らついている。通りを隔てたお向かいさんの窓隠しの南天が、くすんだ赤い実を風に翻弄されている。ガラス窓を風が手荒く叩いて、フェンスの南天の小木を震わせている。通りを行く人は、確り防寒の暗く硬い歩速である。
 小部屋は暖房で温かいが、何んとも視界が寒々とした風と雪の散ら付きである。ラジオを付けて居ないから、音の無い小部屋である。枝打ちをした窓辺の雑木に、雀が一羽止まった。風に羽毛が捲れ上がって、寒雀の風情である。私と目が合って、サァッと飛んで行ってしまった。

        済まんなぁ、薄いガラスを隔てて、寒と暖の仕切りである。

 母の動きは無いが、動き始めるとしようか・・・ 動かねば、一日が始まらぬ。ちょいっと、お騒がせ致しまするぞえ。

 朝食が遅いから、私の賄いは、朝が主食の様なものである。何十年も、朝飯を食べない生活を送って来たから、時間時間の三食摂取だと胃が凭れて仕舞うのである。朝が遅いから朝と夕食位が、働かない体には頃合いなのであるが、食習慣の違う薬飲みの母には、三食が必要なのである。
 
              部屋を覗いて、
「起きれるか?  今日も寒いから、飯を食べて薬を飲んだら、又、寝ればいいさ。」
「だらしが無くて情けない。悪いね。」
「ちょっと、バタバタするけど、全部揃った処で、起きれば好いぞ。寝てな。気にする事ぁ無ぇよ。」

 洗い物を片付けて、豆腐とエノキの味噌汁を作り、塩を振って置いたサンマを焼く。湯を沸かして、母と私のポットに注ぎ、味見の小振り大根を糠から出して見る。メインの漬け物は白菜漬けである。納豆も出すが、母は食欲が無いらしい。未だ塩漬け沢庵の様な物ではあるが、早速、母の箸が伸びて、
「うん、これなら美味く漬かりそうだね。干しが回っているから、ほんのりと大根の甘みがある。手間のお陰だよ。」
 左様であるか、冷たい糠の中で自然の乳酸発酵が、ジワリジワリと回って行けば、去年並みの及第点も取れるかも知れぬ。順調に行けば有難い。

「如何だ? 風呂に入れるなら、風呂を沸かすが、駄目なら、散歩がてらに風呂に行って来るけど。」
「うん、足がふら付くから自信が無いよ。風呂でゆっくり浸かっておいでよ。」
「おっ、分かった。」

 母の赤い買い物袋に着替えを押し込んで、河川敷を歩いて風呂に向かう。在宅介護の講習会では、惚けの三段階だか五段階目安かは、頭に残っていないが・・・その中に、身形への無関心が入っていた。毛糸の帽子に防寒手袋、着膨れロートル・クマ男が赤い買い物袋を提げて、テクテク歩いているのである。

 やれやれ、参りましたわな。如何やら、私も立派な惚けの参道を歩き始めている様である。寒風・雪のチラつきに鼻水啜って、トホホの寒空である。

 番台では、お婆ちゃんが、ラジオを横に、小さなコタツで転寝をしている。小さな声で、<お代は、此処に置きますよ。>と声を掛けると、やおら起き上がって、
「はいはい、有難う御座います。や~だ。何時の間にか、眠ちゃったわね。アハハ。」
「好いだんね。寝てましょ。」

 私は、貸し切り風呂を狙っての昼風呂である。並々と溢れ出る湯船に、アッチッチと浸かって、汗をたっぷりと出して来る。寒い日は、一人でゆっくり風呂タイムが、極楽浄土の様である。

 帰り道、二級上の先輩とバツタリである。
「先輩、ネクタイ・スーツに、そのヨレヨレの毛糸の帽子は、無からずよ。インテリ・サラリーンが泣くぜや。さては、惚けたずら。イッヒッヒ。」
「おや、そう来たかいな。Rさ。冗談こくなや。お互い、シャレコウベは、荒神山に非ず、落ち目の三本杉じゃ、冬と勝負したって、端から勝ち目が有らっか。信州の冬には、この恰好しか無ぇわね。ギャハハ。」
「先輩、禿げ山の三本杉と来たかいね。いや~、本当だいね。純粋無垢の御ボコ娘の柔肌には、夏のカンカン照り、冬の寒風は、天敵だいね。」
「そりゃ、そうだわね。『天敵』に遣られて、ピィ~ポ・ピィ~ポ病院に担ぎ込まれて、<点滴>じゃ洒落にも為らんぜよ。男も還暦過ぎりゃ、色気よりも寒気だわさ。質実剛健、冬の友は、昔から毛糸の帽子ずらよ。お互い、そうずら~、ギャハハ。」

 へへへ、流石に先輩様でいらしゃる。天敵に点滴の返歌である。60代前半、如何やら、惚けの迷走からは、まだまだセーフの様子である。遺憾いかん、体内の湯たんぽ効果に、黄色信号である。荒神山の三本杉の身は、湯冷めは墓穴の元である。歩くべし歩くべし。

心何処ーショート マイギャラリー室長より 
             マイギャラリー室長より(12/17/09)
 アジャジャ、FC2さん、そりぁ、無かんべさ。マイギャラリー6のアップをして居たら、途中で機能に不都合が出来ましたから、これで停止しますと来たもんだ。

       やいやい、俺ぁ、未だ中途なんだわ・・・ニャロメ!!
      仕切り直しは、素人には手が焼ける作業なんで御座りまする。

 気分直しに下駄を引っ掛けて外に出ると、ウギァ~、寒い!! 母の薬・買い出しもして来たから、もう、外に出るのはクワバラくわばらである。本日の松本の最高気温は、2~3℃との事であるから、郊外のこの辺りは0~1℃辺りだろう。風があるから、体感温度は、マイナス感覚である。
 日差しに輝く南天の実の赤さと、吹き抜ける南天の戦ぎが・・・何とも早や、冬の御威光である。嫌じゃありませんか・・・ 北の空からは、黒い雪雲がドンドン侵攻して参ります。そう云えば、予報ではこれから三日間は、雪だるまのマークでありました。

 寒い日には、コタツ亀が頃合いでありまする。毎度毎度の下手絵・タワケ絵でありまするが、どうぞ、笑い飛ばして気分を解して頂ければ、公開した甲斐も有ろうと云う物でありまする。新型インフルエンザから通常インフルエンザの襲来との事であります。

 窓辺の飼鳥金華鳥母娘達は、元気に水浴びを致して居りまするが、各々方、仕事・習慣にも己が体力を考えて、無理は禁物で御座りまする。風邪などお引き遊ばされぬ様に。


心何処ーショート マイギャラリー6
雨上がる、その時スワ!! アッジャ~愛しのバルディナ様コタツ亀

冬の空
タワケ犬2万ヒット御礼水槽の仲間_001

オノレ~!!_001物申す!!散歩の折り返し点_003御神体

各種会議ドドーン!!シングルママ_001冬の醸成

散歩風景網タイツ_001
















心何処ーショート 父上退院
                  父上退院(12/16/09)
 本日、一つ用事がある。9時を回って、自転車に乗る。行きは下り勾配であるから、ペダルを漕がない足先が冷たい。こんな時は、目指し帽か、マスクが欲しく為る物である。自転車乗りは、皆んな背中が洗濯板の様に硬い。寒波に煽られて、冬将軍の露払いが遣って来てしまった。雲の中のお天道様が、恨めしい限りである。
 車を考えたのであるが、散歩に慣れっこに為っているから、この頃では車が面倒なのである。車と自転車は、然程時間は変わらないし、道路の混み具合を考えれば、自転車の方が大概早いのである。
 
  寒くても外気の中、自転車速度で街中を通って行くのも、気晴らしに為る。

        用事を済ませて、Tに電話して寄り道をして行く。
「おっ、おいさん、自転車で来たかい。根性あるねぇ。」
「そりぁ、100分近い散歩してるんだもの。この位、チョチョイのチョイだわさ。車に乗ったら、癖が付いちゃうよ。普段は、無免許だと言い聞かせてるんだわい。如何だい、親父さんは?」
「昨日、退院でさ。未だ寝てるずら。コーヒー入れて遣るから、その団子でも食べていろや。」
「あいよ。」

        甘いコーヒーを入れて貰い、コタツで煙草談議である。
「まぁ、爺っさも、白ばくれたもんでさ。身体が丈夫だから、今まで入院なんて経験は無かったんだよ。お袋が入院していた時は、弱いから医者の厄介に為るんだなんて、冷たい事言っていたんだがさ。入院して、若い看護婦のネーチャンに愛想掛けられると、デレーとしてさ。まぁ、聞いてくれや。笑っちゃうぜや。

<俺は、年の割には若いんだ。ほ~れ、足も手も、こんだけ動くが、中足だけが言う事を聞かん。入院中に此処も治してくれ。>だとよ。

『Tさんハンサムだから、若い頃はモテタでしょう。』なんて煽てられたら、爺っさの野郎。

<ああ、若い頃は、モテモテだった。軍隊に居た時は、飛行機乗りだったから、東南アジア方面じゃコッチの機関銃もぶっ放して、若いネェーちゃん達に取り囲まれて居った。ああ、あの時代は好かった。>ってな事、ほざいて居るんだぜ。

 こっちゃ、新聞読む振りして、爺っさの顔をまともに見ちゃったよ。男ってのは、歳食って丸きりの爺っさに萎んでも、オスの本性だけは顕在ってヤツだぜ。」

 どっかり座った白髪交じり短髪のTがニヤニヤして、目玉を白黒させておどけて見せる。
「そうかい、そりゃ豪勢なもんだ。男の煎じ薬は、下ネタ話が持って来いだわさ。」

  Tが煙草を継ぎ足しプーと一息吐き出して、お茶をゴクリと飲んで続ける。
「そうそう、同じ部屋に、70のオッサンが居てさ。暇だから、好き者同士でY談遣ってるんだとさ。面白いから、からかって遣ったんだわさ。オッサン、連れ合い無くして倅家族と同居してるんだとさ。遣る事が無いからPC弄って居るだと。

<オヤジ、PCで遊ぶのは好いけど、エロサイトは厳禁だ。下手遣って、ベラボーな請求付き付けられたって、協力は一切しないから自己責任だぞ。>
「そうかね、じぁ、俺が一切金の掛らない無料RedTubuを書いて遣るぜ。これだったら、肩身の狭い思いをする事が無いから、確り自分の時間を充実させましょ。」

<え~、こんなに有れば、退屈しないわね。退院したら、イの一番で開いて見るわいね。こりぁ、有難い。早く治して、退院に漕ぎ着けなくちゃ。希望の灯が見えて来た~。>
「そうかい、オッサン、それを言うなら、希望のピンクの祠って云うだいね。」

<兄さん、どどめピンクじゃねぇずらいねぇ~、幾ら只だって、この歳になって、70年間連れ添った目を潰したくは無いんね。あい?>
「馬鹿こいちゃいけねぇわさ。金髪・ホワイトのピンクの祠だいね。見たい、拝みたいの一途な気持ちが、早く治る原動力だんね。あい、頑張りましょ。」

<やいやい、Tさんは、好い倅さんを持って幸せ者じゃねぇかい。家の馬鹿倅に、爪の垢を煎じて飲ませたぇわいな。> 

 とまぁ、とぼくれたって物さ。目が届かねぇ事に、爺っさの自由が舞い上がっちゃったって事だわさ。話し相手と、かまうネェちゃんが出来て、愉しんでやがるんだぜ。・・・ おお、今何か、呻き声がしなかったか?」

「おう、親父さんが、起きたんじゃないか。」
「起きたら、飯食わせて薬飲ませなきゃ為らん。それも、俺の仕事だからな。」

 冬の厚手ウールのパジャマに、長い腰まですっぽりと収まるチョッキを着て、父上の登場である。私は立ち上がって、敬礼をする。
「連隊長殿、無事の御生還。何よりでありました。」
「やぁやぁ、あの世に行き損そ為っちまったわね。まぁ、ワシも初めて病院って処に入っちゃったけど、結構楽しかったよ。俺は、ああ云う処の病人からすると、若いわ。看護婦のおネェちゃんも、Tさんは若い若いって言って来るから、若くても、中足だけは力が入らんって謙遜して来たわいね。イッヒッヒ。Rさんは、未だ若いから元気でしょうに、羨ましいなぁ。」
「この馬鹿爺っさ、何をこいてるだ。病院癖が着いちまってるぜよ。困った物だ。あんまり煩いと、又、入院させるぞ。ギャハハ。」

 親父さんは、母より一つ下の92歳である。人間の通常の歩行は、左右の二足歩行であるから、中足は退化しても日常行動には一切支障は無いのである。コタツに当りながら、正面のオヤジさんの顔・仕草を見て居ると、面白い。人間も歳を取ると男女の境が無く為って来る様である。顔付・表情・仕草が、私の母に好く似て居て、笑ってしまうばかりである。全く以って、他人とは思えない気分である。
 
    然しながら、父倅の関係と母倅の関係には、自ずと違いがある。

「これ、オヤジ。薬を飲まなきぁいけねぇんだから、食べなきぁ駄目だ。これとこれを食べるだ。薬はこれだ。」
「何! こんなに薬飲むだか。飲んだって、効くとは限らんずらよ。」
「煩い、ゴタゴタ言うな。俺が、決めた訳じゃねぇよ。これ! 食べてから飲むんだよ。分からねぇオヤジだな。俺の言う事を聞け!」
「Rさん、干し柿、美味かったよ。あんな美味いのを食べた事無いよ。有難う。」
「へへへ、へっへっへへ。そりぁ、・・・好かった。また、倅に持たせますわ。イッヒッヒヒ・・・駄目だ、俺ぁ、腹痛ぇや。」
「Rの野郎、笑ってやがる。この馬鹿たれが・・・」

 父上は軍隊で飛行機乗りであったから、耳が大分遠いのである。言葉のキャチボールがスムーズに行かないとの事である。父と倅は、それを承知で大きな声で、時としてチグハグな親子漫才を演じて居るのである。すっトボケた表情にムカッとしたオス同士の父と倅の表情と声に現れるリアクションは、傍観者には落語と漫才の競演にも見えてしまう時があるのである。
 遺憾いかん・・・此処は、笑うべきでは無く、お互いの心境をば斟酌して、苦笑の段階で留めて置くべき処なのであるが、たった一人の観客が根っからの下衆男と来ている。仕方あるまい、下衆の拍手笑いをせざるを得まい。付き合いの長きに免じて、ご両人ご容赦あれ!!

        さてさて、長居をしてしまった。帰るべし帰るべし。
 
 見送ってくれたTが、キリギリスの飼い方を伝授してくれた。オス・メスは、別居がコツとの事である。ケースを横に置いて、お互いの性を認識させつつも、週一回の同室にするのが、最善策なのだと言う。
 オスは、メス恋しさに夜も昼も焦がれの歌を奏で、週一度の逢瀬と合体に生きる喜びを感じるのだとの見立てである。如何やら生態分析をすると、妄想消費エネルギーと合体消費エネルギーを比較すると、後者の方が多大なエネルギー消費量と為るらしい。
 為るほど為るほど、男族はそのエネルギー消費のカラクリに漸く気付いて、自己防衛の為に<草食系>の忍法を身に着けつつあるのだろう。

草食系と、世の女族も多寡を括っていると、とんでもない火傷を浴びまするぞよ。
             お気を付け遊ばされませ。

心何処ーショート 酸欠脳味噌に、寒風押して。 
            酸欠脳味噌に、寒風押して(12/15/09)
 コタツ部屋を辞して部屋に戻ると、気付かなかったが、斜向かいさんが見えた様である。玄関に、DVDの紙袋が置いてあった。さてさて、本日は、一発打たねば為らない。時事問題に関する下衆の雑感である。
 子細構わず、一気に打ち上げて投稿する。自分の手元の文章をチェックしていると、斜向かいさんの登場である。タイミングが、好過ぎた。ロートル男二人は、早速のホカホカの湯気の立った居るテレビ感想を、得意の罵詈雑言で盛り上がってしまった。

「Sちゃ、悪い。今週分は、もう一度目を通してから印刷するぜ、待っておくれや。」
「好いさや。この中の<珍問珍答>好かったぜや。お兄ちゃんは、大先生じゃねぇかい。難しい字をすっ飛ばしても、<命短し、書けよ。オールドボーイ> はいはい、全く仰せの通りで御座いました。読ませて頂いている俺ぁ、一切異存は有りやせん。イッヒッヒ。」

 さてさて、背伸び一気打ちをしてしまったら、疲れてしまった。お天道様は輝いて居られる。毛糸の帽子をスッポリ被って、昼散歩に行く。
 いやはや、寒い!! 発熱量を考慮してセーターにチョッキ姿であるから、セーターの編目から寒風が身体を縛る。堪らず、オイッチ・ニー、オイッチ・ニーの行軍散歩である。途中撤退の泣き言を言ったら、お天道様のお叱りを頂戴してしまう。45分歩いて、漸くの自家発電熱である。毛糸の帽子を脱ぎ、防寒手袋を脱ぐ。

 距離に怯んだら、男が廃る。ヨッシャ、遣ったるでぇ。1時間45分の正規コース。

 折り返し点を過ぎて、田んぼの農道一本道を歩いていると、下からご婦人のウォーキング姿である。これでは勝ち合ってしまう。進路を反対に採る。距離が近付いて来ると、完全防寒スタイルのご婦人が、道の端から中央に寄せて来る。左様であるか・・・寒風に木の葉、コロコロ、カサカサでは、人寂しき限りであるか・・・然もありなむ。

「コンニチハ。寒いね。鼻水は出ないかい?」
「ホントに、今日は寒いね。さっきから鼻水出てるわよ。」
「そうかい、風邪引いちゃいけねぇよ。」
「はい、ご苦労さんね。」
 
 遮るもの無しの向かい風である。遺憾いかん、オバチャンの心配どころじゃないわさ。鼻水啜って、毛糸の帽子に防寒手袋嵌めて、オイッチ・ニー、オイッチ・ニー、熱源に再度の血液循環させて、家路急ぐべしである。

 おお、寒い。こんな時は、立派な高い鼻は、寒い物である。ニャハハ!!

心何処ーショート 俺ぁにゃ、難しい事は分かんねぇや。
          俺ぁにゃ、難し事は分かんねぇや。(12/15/09)
 いやはや、小沢一郎さんも遣ってくれるものである。天皇陛下の国事行為の中の、国賓との謁見に関する一か月前までの申し込みと云う宮内庁慣例破りと噛み付きである。憲法を盾に取れば、蓋し理論上の正論には違い無かろう。
 総勢631人を引き連れての中国皇帝たる国家主席との大謁見・民主党議員団の握手記念撮影を終えたばかりの記者会見騒動である。フラッシュを浴びての握手は、彼等にとっては快感の極みなのであろうが、古いタイプの私からすると国辱行為の不快感にしか見えないのである。畏れ多い事ではあるが、目線の違いなのであろうか・・・

 中国側の破格の待遇に、日本側の破格の待遇で応えるのが、ギブ&テイクの<世の常識>なのであろう。小沢一郎氏・民主党政権に在っては、法治国家に於ける日中の最重要互恵的戦略的関係の構築の一環としては、当然の国事行為と云う図式なのであろう。

 然しながら、相手は傍若無人の振る舞いとも取れる、(毒入り餃子・偽ブランド・コピー大国・人権意識皆無・資源盗掘・資源買占め・環境汚染・国家資本主義国・覇権主義の)無謬・大中華思想一辺倒の中国なのである。

 此処には、成文法と不文法の根本的な精神と社会秩序の捉え方の違いがある。嘗て、不文法のお国と言われた英国には、紳士協定為るジェントルマン・シップがあった。そして、吾が日本には、伝統・条理と云った法律の介入を阻止する社会の伝統と云う物が有った。その社会には、不文法たる武士道・お天道様の目が有った。そんな中で、日本人・日本の社会は、話し合い・根回しで、事情を情の要素を斟酌して、法に訴えるのは、一番最後の手段として<まあまあ>の落とし処を見極めて、諍い・乱を最小限に止めて来たのだと、私は思う次第である。古い人間からすると、法に訴える手段は、自助能力・自己の処置能力の無さを露呈する『恥の精神』が、根底にあったと思われるのである。

『書かれて居ない事でも守る。書かれて居ない事でも、約束・口に出した事は守る。』

<書かれて居ない事は、自由に行動して好い。文句を言いたいのなら、守る事・してはいけない事を明記すれば好かろう。法律の不備を持って、人間の行動を規制するのは法治主義に照らして、人間の自由を束縛する物だ。民主主義とは、そう云うものである。>

 勿論、私は古いタイプの日本人であるから、右翼・左翼の思想などの線引きも出来ないし、そんな物はクソ喰らえの思想無頼派であるから、不文法の上記『』書きに身を置く者である。

 私の大好きな俳優さんに、英国のショーン・コネリー氏と日本の三船敏郎氏が居る。全世界を席巻した大ヒット作007シリーズの第5作<007は二度死ぬ>には、実にヘンテコリンな現代日本が舞台の一作があった。
 日本が舞台と為るのであるから、当然、タイガー・田中を演じるのは、日本を代表する映画スターにして、国際大スターの三船敏郎氏を置いて居ないのである。当然の事として、丁重なるオファが、大スターの三船敏郎氏の処に届いた。氏は台本を一瞥して、『国辱映画である。無礼者!!』と腰の大刀を引き抜いて一刀両断にしてしまったのである。

        何とも、スカッとする古いエピソードでは無いか。

 もう一つ、小沢一郎氏が感銘を受けた映画の一本に、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督、バート・ランカスター氏主演の『山猫』があるそうである。これは、大変に有名な映画である。19C半ば、分裂したイタリアの統一を図る革命軍がシチリア島に上陸した時、伝統を誇る山猫の紋章の名門貴族は、時代の流れを察知しながら超然と貴族の誇りを生きる。謂わば、イタリア貴族の出であるビスコンティ監督の耽美主義・滅びの美学を謳った重厚なる名作品映画である。

 若き小沢一郎氏は、この映画に感銘を受けたと言う。<時代を見て、変わらなければ為らない時に、国家・国民の為に勇気を持って変わらなければ為らないのが、政治家の使命である。>との気持ちを心に銘記したとの事であった。

 国の舵取りをする政権に物申し、選挙で奪取して政権を担う。その発言権の裏には実力を具備しなければ為らない。一角の政治家に為るためには、子分と数が必要である。子分と数を得て、養うには、大義名分と金が必要である。実力誇示には、デモンストレーションが必要である。
 親分子分の杯には、表と裏の言わずもがなのギブ&テイクの呼吸が、介在して居るのかも知れない。西松建設問題・特 大子供手当・外国人参政権問題・東アジア友愛共同体構想・日米関係・日中関係・・・etc、裏を取り仕切るのが、軍資金のギブ&テイクにして、これが恒常化すると癒着の構造を構築してしまうと云うのが、太古の昔より続く水面下に蔓延る巨大モザイク模様なのであろう。

 凡そ、人間の行動には、ある意図から生じるアドバルーン、揺さぶりが状況と云うタイミングで現れる物がある。普天間基地問題が象徴する日米問題加熱のこの時期の大議員団の訪中歓待模様と中国副主席への破格の返礼と政治主導の法治論と官僚への人事権の恐喝。このタイミングの裏には、一体何が隠されているのか・・・

 私の様な日々の賄い夫生活に、どっぷり浸かっているロートル・クマ男には、その社会・実態の深層・真相など、一切窺がえ知れない『遠き坂の上の雲』なのである。

 然しながら、今流行の<歴女>達の歴史の中には、仏教を巡っての聖徳太子一族の攻防・大化の改新・平清盛の源平合戦・戦国時代の信長・秀吉・家康などの群像が浮かび、其々に、この平成の政権交代を如何なる色合いで、準(なぞら)えて居るのであろうか・・・
 真剣に彼女達の得た歴史観と云う物を、聞いて見たい処である。

 さてさて、吾が身は浅学非才の身為れば、難しい理屈の世界には入りたくは無い。不文律の世界とお天道様の有難さに身を置く日本人の一人として、残された個人の世を全うしたいだけである。
いざと為れば、成文法だけを振り回して、剛腕を繰り出す魔界に迷走するのは、真っ平御免の沙汰である。

 本日も好天為れば、昨日の夜の散歩を反省して、昼の散歩に出掛けて参りまする。


心何処ーショート アホ臭、アンポンタン。
              アホ臭、アンポンタン(12/14/09)
 晴れ渡って、清々しい光の色である。西のアルプスには、薄ら雪が塗(まぶ)されている。薄いブルーの峰色に白い雪がパァと振り撒かれて、空の未だ青味を増して居ない大キャンパスに空・アルプスの屏風・粉雪の塗しが、朝の薄さの中に光を優しく静かに反射させている。

 好い眺めなのであるが、生身の人間には、寒いのである。朝散歩をしている年配女性のウォーキング組は、白い息を吐いて腕の振りが足の運びと大きなアンバランスを取っている。分厚い毛糸の帽子は、ファションに非ずして防寒の様である。

 へへ、一生懸命歩き為され。オイッチニー、オイッチニー。頼りは、自己発電だけでありまするぞ。

 白菜の漬け物をごっそり出して、朝のおかずとする。いやはや、美味い。稼ぎと仕事の無い私には、十分過ぎるおかずと為る。焼き海苔と焼き魚で、飯を二杯も食べてしまった。
 午後から下り坂のお天気であると云う。冷蔵庫のタンパク質が、空である。風呂に行って、買い物に行けば好かろう。そして、貴重なるお天道様であるから、洗濯で好かろう。

 昼風呂の引き戸を開けると、白木の下駄。ハイカラ御隠居さんである。本日、先客が四人である。浴室をリハビリ施設と勘違いしている戯け男・御隠居さん・カナダと日本のハーフお兄さん・そして顔は合わせるが話した事の無い60代の男である。

「やぁやぁ、久し振りだね。毎日書いてるかね?」
「あいあい、遣る事が無いから、遣ってるんね。」
「毎日書いてると、ボケないから健康だよ。漬け物は漬けたかい?」
「あい、貧乏人の生命線だいね。真面目に干して、昨日漬け込んだわね。」
「そりぁ、好い。歳取ると、油濃い物、精の付く物よりも、精進料理の様な物が、口に合うからね。お婆ちゃんは、元気かね。」
「アリガトザンス。元気でコタツでお地蔵さんしてるんね。」

 季節も12月とも為れば、熱い温泉銭湯が気分・身体の揺り籠と為る。熱い湯船に、じっくり浸かって、異口同音に出る声は、あ~、に ふ~、ばかりである。女風呂の模様は、一切お目に掛った事は無いが、女族はどんな湯浸かりの感嘆音を出して居るのだろうか?? この時期からは、外の寒さを知っているから、ロートル男達の風呂の滞在時間は長く為る物である。

 来る時は、分厚い毛糸の帽子を被り防寒用の手袋を嵌めて、オイッチニー、オイッチニーと漕ぎ上げて来たのであるが、帰りは無帽に素手で、家に着くまで汗が引かない始末であった。

 洗い物をぶち込んで洗濯機を回して、今度は大手スーパーに買い出しである。お茶当番の母にお茶を買って来る様にと言付かった。
 
 アジャジャ、家の前まで来て肝心のお茶を買い忘れてしまった。ロートルに為ると、身も心も弛み切って、忘れ物ばかりである。別に惚けが遠巻きしているのでは無いのだろうが、緊張感が足りないからポカの連続と云う結果を晒すのであろう。

 困った物であると同時に、別に如何と云う事でも無いのである。遺憾いかんの反省に、買い物袋を玄関に置いたまま、今度は近くの地元スーパーに向かう。

 お天気と体温がある内は、これも運動の内なのである。これだけペダルを漕げば、本日の運動散歩の代わりと為る。物は考え様である。帰った後は、何日か前のブログさんの写真にモツの煮込みが掲載してあった。

 白モツごっそり、千切りコンニャクをぶち込んで味噌味、グツグツじっくり煮込むなり。専業賄い夫であるから、火を入れたり冷ましたり、モツ煮は、サラリーマン赤ちょうちんの味である。子細構わず、味が浸み込んだトロトロが肝要である。2日後の箸入れをすべしであろう。

 刻みネギに唐辛子バンバン振り掛けて、アッチャチャ、フゥーフゥー、想像しただけで堪えられんですなぁ~。

 猫も杓子も、ソバ打ち男なんて、口の悪い同年配の女史先生も居られるが、慣れればロートル賄い夫の貧乏料理も、これまた面白くも美味い物なのである。こんな面白いおママゴトは、愉しい幼児期の世界とも為るのである。何しろ、素人男の料理為る物は、レシピなど一切不要の世界。
 安物落書き帳に、鉛筆チョコチョコ、何が形を現わすか・・・素人男の世界は、お絵描きも料理も、二度と同じ物が出来ない『一期一会の世界』である。一期一会に、真摯な態度で臨むも、その過程の顛末を下衆の感覚で楽しむも、個人の気持ち次第でありましょうや。
 世は、男女同権の時代と云いまする。女族の本丸に切り込んで、得手に楔を打ち込むのも、男族の戦略の一つでありまするぞ。片付け・食器洗いだけでは、何時まで経っても補助工の発言権無しの姿でありまする。核を持った者同士の『核の抑止力』の応用編を、是非とも実践為されませ。

 本日もラジオからは、草食系男性などと、女族の猛攻が続いて居りまする。女二人に男一人の女コラムニストの解析トークが炸裂して居りまする。何を猪口才な、こら、男女アナウンサーよ、特に男よ。一々御尤もと謙(へりくだ)るだけが、アナウンサーの職務では無かろうが・・・ああ、胸糞悪い!! 

 嗚呼、左様でござるか、草食系男性でゴザンスか。俺ぁ、そんな物にぁ興味が無いから、言いたいだけほざいていましょ。何をこきぁがる、アンポンタン。

     さてさて、気分直しに、寒期の散歩にでも繰り出しましょうかね。


心何処ーショート 作業終われば、空は冬の色。
            作業終われば、空は冬の色(12/13/09)
        
            やれやれ、沢庵の漬け込み完了である。
 
 廊下から、大根を台所に運ぶ。風呂場で漬け物容器の埃を洗い、水気を取る。洗面所の大タライに調味料入りの入り糠を一袋入れて、米屋さんから貰って来た米糠を入れる。色付けの別袋のジョウゲンを振り撒いて、斑無く掻き混ぜる。次なるは、乾燥赤唐辛子を適当に引き千切って、再び掻き混ぜる。そして、塩を投入して万遍無く掻き混ぜる。そんな事を台所に座布団を敷いて遣っていると、母がヨロヨロと廊下から柿の葉を持って来てくれた。
「おぅ、アリガトさんよ。」
 
 母は立った儘、暫くニコニコして、頷きながら私の作業を見て居る。お下知の無い処を見ると、去年の沢庵漬けに敬意を表してくれたのであろう。

<ざまあ、見やがれの段である。誰も、私の実力を知らないから無理も無い事と思う。然しながら、大きな声では言えないが・・・私は、文武両道にして、物は国際級。兎に角、出来が好いのである。ニャハハ!!>

 漬け物容器の底に、糠をタッパで掬って敷き、漬かりの遅い硬大根を一列並べる。その上に再び糠を大根が埋まるまでに敷き、今度は柿の葉を分厚く敷き詰める。糠をパラパラ撒いて、大根を並べる。その繰り返しである。早漬かりのミヤシゲ大根の上の段は、容器から顔を出している。これで重石が掛れば、ドン・ピッタンコの作品と為ろう。
 それでも一本入り切らずである。その一本は半分に切り、斜向かいさん差し入れの小振り大根を漬けた容器に入れる事にした。台所続きの物置きスペースに、引きずって重石を乗せる。物置きスペースの作業動線を考慮に入れて、小振り大根の漬け物容器を乗せて場所の確保をして置く。私はそんな作業をしているのだが、母も六畳の干し柿の整理をしているのである。これは、物臭倅へのせめてもの母の情けであろう。有難やの段である。

 さてさて、メイン作業終了である。台所を箒掛けをした後は、廊下の掃き掃除は母に任せて、庭の干し台を所定の場所に立て掛けて、お役御免である。

 廊下の干し柿を一つ持って、部屋でモーニングコーヒー為らぬ午後のコーヒーである。私の飲むコーヒーは、ごく薄いアメリカンコーヒーであるから、白い粉を噴いた自家製干し柿の柔らかな甘みは、実に好い取り合わせに為るのである。
 信州の山猿為らぬロートル・クマ男の冬の生命線・・・野沢菜漬け・白菜漬け・朝鮮漬けもどき・沢庵漬けの漬け込みが完了して、やれやれ、これで一段落の冬の備えである。

 本日の一枚は、仲好く天日干しを重ねた大根君達が、寒い物置きスペースの片隅・糠床で、頬被りをして自然醸成を待つ情景を、メルヘンチックに描いた物である。去年並みの出来を祈願しての一枚の絵馬なのであるが、さてさて、結果は如何なる味に仕上がるかは、お天道様のお決めに為る事である。

        パン・パン・パン!!あなかしこ、あなかしこ・・・


                 冬の醸成


心何処ーショート とんだ温もり
                とんだ温もり(12/12/09)
 昨日から、PCの一機能が停止している。訪問者さんの履歴が、停止したままなのである。朝パジャマ姿で居ると玄関が開いて、斜向かいさんのジャガイモの差し入れである。朝は飯を炊かずに雑煮を作る積りであったから、庭の家庭菜園に保存の為に活けた長ネギを取りに外に出ると、この冬一番の濃霧である。大体、濃霧の朝は晴れる事が多い。廊下に取り込んだ漬け物用大根を庭に並べる。目には見えない冬の水分の蒸発ではあるが、廊下の置いておくと、廊下の板が水分を吸って濡れて居るのである。

 母の作ってくれた雑煮の美味さがあるから、時々、飯が半端な時は雑煮を作るのである。母は餅が好きであるから、喜んで食べてくれる。作り手としては、喜んで食べてくれるのが、何よりのお礼なのである。土曜日の午前中のNHKアーカイブには、時々、拾い物がある。本日は、画家平山郁夫先生の映像であった。

 何時も思う事ではあるが、画家・彫刻家・彫像家の言葉・文章は、彼等の知性・教養・感性を伝えて、作家以上の思索の深さ・言葉の輝きを見せてくれるものである。深さも輝きも、全て彼等の芸術家としての感性から、滲み、発揮される物なのである。
 堪能させて頂いた。こんな素晴らしい番組には、在り態の感じ方しか出来ない凡人の感想などは、却って御本尊様の御威光に、水を掛ける様な物である。
             
                 ニャロメ!!

 幾つかの言葉・映像を脳裏に刻み込んで、部屋で反芻しながら一服のお時間とする。

 下手絵収納のファイルが頁切れである。Tとのコーヒータイムの後に、忘れず買って来るべしである。この頃の健忘症を恥じてメモ書きをしようとして居ると、電話である。

 今度は、母の部屋で電話が鳴っている。ほいほい、只今・・・ 今度は、玄関に高級無添加味噌の御用聞きである。一年分の寝かせ味噌であるから、万円とする代物であるから欲しくても、貧乏人には手が届かないのである。

       ハハハ、そうこうしている内に、お迎えのお車である。

 二階席は、太陽で好い気持ちである。男主婦は太陽に、こりぁ洗濯をしなきゃ為らんの苦笑いである。親父さんは近々退院で、週二回の通院と為るそうである。お互いのブログ談議・時事問題・先ほど見た平山先生の話などをして、男タイムをして来る。本屋の安売りカートには、掘り出し物無しであった。外のベンチで、煙草を吸う。

 自転車のカップル高校生が、私のすぐ横に自転車を止めて鍵を掛けている。兎に角、今時の女子高生のスカートは、驚くほどに短いのである。ヒョイと手を伸ばせば、温いパンティに手が掛ると云う近距離なのである。私は行儀の悪いロートルクマ男であるから、見える物には、意識的な抑制はしないのである。

「おいおい、おネェちゃん、そんな恰好で寒く無いのかい・・・アンヨが可哀そうだな。」
「これ、学校の規則でもズボン履けないんです。」

 アッチャ!! 小さな呟き感想の心算が、彼女に聞こえてしまったらしい。振り返った女子高生は、初な乙女の様に頬を赤らめて、私を振り返ったのである。

「左様であるか。校則か。今度、先生に会ったら、言って置くと好いよ。発育盛りの薄着は、母体の生育上マイナスだってさ。少子高齢化を口にして、日本の人口減を国難と言って、子供手当を支給する国が、<何を遣っているんですか、矛盾しているじゃないですか>と文句を言って遣れちゃ。」
「おうおう、そうだぞ。ウォームビズなんて流行りの時代なのに、『大事な国民揺り籠を野晒しにするとは、何事か。』国家の教育戦線の先頭に立つ公務員が、そんなこっちゃ駄目だと、お説教を喰らわして遣れよ。」
「オジサン達、凄いこと言いますね。感動しました!!」
「アリガトさんよ。感動する前に、毛糸のパンツ買って行けよ。じぁな、風邪引くなよ。」

 二人、目を見合わせて、笑い噴き出し&苦笑いの段である。彼女が純粋なのか? ロートル・コンビが破廉恥漢の好い加減男なのか? 難しい謎解きである。

 ホームセンターで、ジョービタキのバルディナさんへの感謝を表する為に、生き餌のミルウォーム、A-4紙、調味料などを買って帰るが、肝心のファイルを買い忘れてしまった。まぁ、待て待てである。小部屋を探せば、買い置きのファイルがあるかも知れぬ。何しろ、私の干支は、貯め込む習性のあるネズミなのである。

「おい、干し柿はあるか?」
「後、一個だけある。」
「ちょっと、待ってろちゃ。」

「まぁ、食っておくれや。」
「おう、悪いな。」

         ロートル男、愉しきは、友との語らいである。

心何処ーショート 師走の終日雨
                師走の終日雨(12/11/09)
 雨が、しとしと降っている。おや、母の動きである。台所で音がしている。昨日は殆ど布団の中に居たから、体調が戻ったのであろう。好い事であるから、暫く寝た振りをしている。さてさて、物臭倅の始動開始と致そうか・・・

          朝の賄いを開始する。私は物臭男である。
 然しながら、手待ち時間をのんびり過ごす事は、短腹者であるから出来ないのである。遣る時は、同時進行の時間短縮を図るタイプである。浴槽に水を張りながら、台所で火を掛け湯を沸かし、魚を焼き、漬け物を出し、真似事の箒掛け、鳥の世話をする。
 そして、此処が肝要な処なのであるが、メタボ体内の脂肪消費の為に、無駄足をしてドシンドシンと単品行動で動き回るのである。こうでもしないと、根が物臭であるから、自室の小部屋に戻れば、尻に根が生えて運動量が稼げないのである。

 母は私の物音を聞きながら頃合いを見て、私の湯呑にお茶を注ぎ背筋を伸ばして、コタツで私を迎えるのである。私は、その茶を持って台所で賄い夫をしながら飲み、お代りをして貰って来るのである。
 出来上がった物、出す物はその都度、コタツの食卓に並べる。小さくなってしまった母は、おかずのラップを外したり、納豆を掻き混ぜながらして、倅が飯を注いでくれるのを何も言わずに待っているのである。
 驚くほどに、寡黙で行儀の好い女(ひと)である。自分の性向が顔を覗かせる始める中学・高校生時代には、こんな背筋を伸ばした母の存在は、倅にとっては些か煙たかったのであるが・・・これも、母のアイデンティティの発露の一つなのであろう。行儀の悪い不肖の倅には違い無かろうが、私の家での行儀の悪さも私のアイデンテテー(愛出ん痛てて)の一つなのであるから、致し方あるまい。ウッシッシである。或る意味、男の行儀の悪さは、家族への甘えなのである。

 おやおや、体調が戻ると、昨日の話し掛けるのも憚れる程の、白髪掻き乱して出刃包丁を砥ぐ山姥とは、打って変っての上品美形の顔立ちではないか・・・そこん所其処らの婆あ女優とは、威厳が違う。こりぁ、長生きする口だわさ。ニャハハの段である。倅ながらも、客観視出来る大した大正女である。

 テレビに触発されて、生まれ育った北海道の懐かしい自分の子供・娘時代の話をボソリボソリと話してくれる。

 風呂屋時代には、釣りの好きな長兄がシーズンに為ると鮭を取って来て、風呂場には5~6匹の鮭が寝ていたそうである。川に上って来た鮭であるから、腹を押すとバラ筋子でプリプリしたイクラが弾け飛んだそうである。それを熱々のご飯に掛けて醤油を掛けて食べたり、バラ筋子を醤油と砂糖で漬け込んで、タップリ飯の上に掛けて食べる。兎に角、美味かったそうである。
 川の清水には、ニホンザリガニが一杯居て、ストーブの上で真っ赤に焼き上げて、ふうふう、バリバリ食べて、貧しいながらも楽しい時代であったと云う。

 ニコニコと自分に頷きながら話す93の母の脳裏には、きっと懐かしいオルゴールの音と共に、ゆっくりと生まれ故郷の四季が走馬灯の様に回っているのであろう。手を伸ばして、母の油気の無い白髪の小さな頭を、優しく撫でてりたい。そんな熱い気持ちが、一気に込み上げて来る。

<一世紀に近い年月、婆さん、頑張ったなぁ、立派だよ。俺なんか、足元にも及ばない人生だよ。泣きたくなるから、御免するよ。>

 さてさて、風呂も沸いた頃である。俺の後は、ゆっくり入って体を温めてくれよ。

 雨音を聞きながら、熱めの風呂に入って戯けロートルの私は、美形様達の姿態妄想のお時間である。雨の外を見ながら、窓辺の女所帯の小鳥達であるが、抜け落ちた羽・羽毛を咥えて、チャッチャカ・チャッチャカと退屈では無さそうである。如何やら、散歩運動にも行けず退屈しているのは、私の様である。

       さてさて、こんな時は、お絵描きタイムと致しましょうかね。


         各種会議シングルママ_001ドドーン!!




心何処ーショート 進歩為りや…退歩為りや??
            進歩為りや・・・退歩為りや?? (12/10/09)
          
            ヤヤッ、ヤバイ!! それ、起きろ。

 未だ時間があると、ウトウトしてしまった。本日・資源ごみの出し日である。大慌てで、自転車に乗せて公民館へ。通りにパジャマ姿の★さんのお婆ちゃんが、新聞紙の束を出して立っている。自分の分を出して、今度はお婆ちゃんのお手伝いである。私の母より一・二歳上の独り暮らしである。時々、私の一級上の娘さんが様子を見に来る程度である。

「悪いね、悪いね、オジサン。未だ大きいのが、有るんだけど。持って行ってくれるかい。」
「ああ、好いんね。持って来ましょ。出して置きましょ。往復するから。」

 私としては、お婆ちゃんと云うよりも、見知った★のオバサンなのであるが、お婆ちゃんには、私が認識出来ないらしい。母と違って、足腰が達者であるから独り暮らしをしているのだろうし、昔から要領の好いハキハキしたカカア天下のオバサンであったから、立ちん棒の声掛けの魂胆なのであろうが・・・ ご近所の皆さんも、すっかり高齢化が進んで自分の世話だけで手一杯なのであろう。

          自転車で往復していると、我が班の○さんが、
「Rさん、俺も手伝うよ。」
「何を言ってるだい先輩。俺の方が三つも下だんね。人助け・人助けせ。」
「へへ、あの婆さんも、要領が好過ぎるからね。近いんだから、手を貸してくれと此処まで言いに来れば、俺達は係だから幾らでも、やって遣るのにね。」
「へへへ、先輩、それを言っちゃお終いだんね。人間90過ぎりゃ、皆、神様だんね。」
「Rさ、巧い事言うじゃんかい。年寄りを仏様にしない処が、頭の好い処だわ。アッハハ。」

 『友愛精神』の発露で、布団に直ぐ潜り込む予定が狂ってしまった。朝起き冷気に、身体が馴染んでしまった。お天道様の光に、朝の作業を始めるしかあるまい。

 庭に大根を並べ、小鳥の世話をする。白菜を茹でながら湯を沸かし、モーニングコーヒーを飲みながら洗濯機を回す。滑り込みセーフの早起きは、辛うじて<早起きは三文の徳>を積んでしまった様である。おやおや、朝っぱらから、上空にはヘリコプターの爆音が轟いている。こんな事くらいで、空を見上げて居ては、日夜騒音に悩まされている人達には、申し訳の無い限りである。

 普天間基地移転問題・二酸化炭素削減会議での大中国代表の八方噛み付き発言等々、ラジオ・テレビからは、騒音が流れている。硬い話は、私には荷が勝ち過ぎる。ラジオ・ビタミンの馴染んだお二人のトークに、ロートルは乗せられるべしである。洗濯物を干し終わっても、母の動きは無い。起きて来るのを待ちながら、パソコンに趣味の駄文打ちをしていると、斜向かいさんの姿である。

「汚い部屋だけど、適当に持って行きましょ。これから、今週分を印刷するぜ。」
「悪いじゃん。でもさ、カカアの婆さに野沢菜洗って漬けてくれって電話が来ちゃったから、午後にでもゆっくり来るぜ。そん時借りて行くわ。」
「へへへ、そうかいね。Sちゃもモテモテだね。」
「洗って漬けて遣っても、年寄り所帯だから、ごっそり余らせちゃうんだけどね。必要なだけ漬ければ好いのにさ。コンニャローメだいな。」
「そりぁ、しょうがねぇせ。何十年も続けて来た生活習慣だもの。相身互いで、姑孝行と思って、馬鹿に徹するしか無ぇせ。男は辛いよって、来たもんだずら。イッヒッヒ。」

 斜向かい色白前田吟さんの顰め面が、最高であった。朝の先輩○さんも、Tにした処で、実親と暮らす跡取り息子である。血の繋がった親子の倅がして見せる、こんな時の顰め面には、何処と無く悪戯っ子の様な茶目っ気のある瞳の色がある。親は90代、倅は60代なのであるから、その中には、親孝行と面倒臭さの入り混ざった親子の情愛と云うべき物が、表情の大半に滲み出て居るのである。

 さてさて、私一人の部屋空間は申し分無い処ではあるが、同じ屋根の下で暮らす親子である。声を掛けて、一緒に食事をして、テレビに題材を取って、ご機嫌伺いをして遣らねば、とかく年寄りは体調に負けてしまうのである。

 こんな日常の様は、昨夜のクローズアップ現代で遣っていた『共存型介護福祉』で大学教授様が、あーだこーだと解説して見せる程の次元の物では無いのである。親子が普通に日々を暮らして居れば、当然なる庶民の観察・実証結論にしか過ぎない程度の物である。
 
 ブロークン&ビルドなんて洒落た横文字を使いたがる風潮ではあるが、多世代家族の家庭を破壊して、核家族化・個室化を蔓延させる事によって、社会のタガをぶち壊してしまった現代・・・行き場を失ってしまった老人孤立所帯が行政と云う施設に雪崩れ込もうとしている。障害を持った者同士が垣根の無い施設の中で、役割を認識して動く事で機能回復が顕著なのだとの事である。家庭での営々と築かれて来た人間の原初的・伝統的家庭内の役割分担が、現代では科学・医療・行政の専門分野と為りつつある。

 古い物をぶっ壊して、作り直す。壮大なエネルギーの活力を表現しているのかも知れぬが、実は当たり前の事をぶち壊して、その失敗の刃を突き付けられて再び作り直すと云う作業は、果たして進歩・反省の行為と云う事で片付けてしまわれる事なのか・・・

        私にとっては、甚だ以って、理解に苦しむ処である。


心何処ーショート ご神体見に、遠足散歩なり
             ご神体見に、遠足散歩なり(12/9/09)
 ヤクルトママさんの「おはようござま~す。」の声も聞いた事でもあるし、本日分も、投稿終了である。薄曇り橙色の太陽ではあるが、前々から足を伸ばして見ようと思っていた場所がある。時間も早い事でもあるし、出掛ける事にした。

 現在は美ヶ原温泉、その前は山辺温泉とかおぼけ温泉と呼ばれていた。耳学では、天武天皇の頃には行宮の計画も有ったと云う、束間の湯(つかまのゆ)と呼ばれていた温泉場である。規模は小さく温い湯ではあるが、浅間温泉よりも遥かに古い温泉である。

 勤めて居た頃は、旅行無尽のハチャメカ忘年会で毎年利用していた旅館がある。その旅館の駐車場の脇に、信濃九番札所の薬師堂がある。石段をヨッコラショと上って行くのである。湯の由来は、信濃国司が眼病に罹り、此処の湯で目を洗い、湯に何日か浸かった処、綺麗さっぱり回癒したとの事で、霊験顕らたかな湯として名が売れたとの事である。

 細道・裏道を辿るのが、私の散歩徘徊方である。その方面へは、大通りしか知らないから、何度か行き止まりに遭遇して、苦笑いの引き返しをしつつ、失われたエネルギーを田んぼの畦道を直進して帳尻を合わせる。

         例の旅館の駐車場に来て、さあ、山の石段に向かう。
 参道入り口には、源泉の石碑と未だ古くは無い湯かけ地蔵が、源泉のチョロチョロ湯の脇に立っている。湯を掛けて、お地蔵さんの頭を撫でると、願いが叶うとの『謂われ書き』である。折角であるから、湯を掛けてお地蔵さんの頭を数回撫でた後に、ペットの水を捨てて、湯を汲んだ次第である。

 さてさて、低過ぎる手摺の付いた石段をボッチラ・ボッチラ登るとしよう。途中に山門がある。この中には、男根の御神体が左にニューとばかりに二本鎮座して、右にはトッコ(自然木の根っこ)の女陰が二体。其々には、〆縄が張られている。そして、面白い事にもう一体ずつ小さいが、木彫りの男根には石の自然形の白御影石の女陰がセットされて居り、中央には男女が手を取り合った道祖神が、添えられているのである。

         当然、誰も居ないから、じっくり鑑賞させて頂く。
 自然木の女陰に、杉丸太の焼きの入った男根加工では、如何にもシンボリック過ぎて、妄想が働かない代物なのである。女陰が何とも写実的であるから、対の男根とても写実的な化け物亀頭を深山から見付け出し、善人男女の写実的夜の励みとして御神体にすべきなのでは無いだろうか・・・大きなお節介にして、下衆の好奇心である。
 民間民俗学の大家・赤松啓介先生が仰るには、亀頭の雁首(かりくび)こそが、男女の色道のカギとの卓見であった。こんな、ずんべら棒では、複雑怪奇な四十八手の秘伎が尽くせなかろうに・・・

 実に情け無しや、これでは、吾等が男根のシンボリックさは、単なるお座成り仕事でしか有るまいに、嗚呼、残念至極為り・・・ 何時の頃から伝わる御神体かは存じ上げないが、古の時代には写実の風潮が乏しかったのだろうか・・・それにしても、受入方の女陰の方は自然物とは云え、余りにも写実的過ぎる。

 神秘と妖気がプンプンと臭うばかりである。恐れ入谷の鬼子母神・・・厳かに、パン・パン・パンと柏手を打った次第である。

 さぁ、道半ばである。お堂まで、ヒィコラ・ヒィコラ、石段を登るとしようぞ。

 古式に富んだ小さいながらも、立派なお堂である。お堂の回廊に腰を下ろして、山斜面の林中を観察する。小さなヒガラの小群れが、チィ・チィ・チィーと鳴き交わして、梢を渡って行く。クマザサの茂みには、ウグイスの姿が見られた。

 霊験顕らたかなる湯を一口飲んで、帰るとしよう。ブラブラ歩きをしながら、時計を見る。十分過ぎる散歩運動である。雲の中の橙色の太陽も、大分西に傾いて来た。アルプスのお山も、早く帰れと促して御座る。

 漫ろ歩きに別れを告げて、オイッチニー、オイッチニーの強歩モードに移行である。アジャジャ、既に二時間を経過しているではないか・・・家に着けば、二時間半の遠足ではないか。頑張らなくちゃ~ 、

       ちと、男根感傷が過ぎた様である。遺憾いかん!!

                御神体

心何処ーショート 珍問珍答
                  珍問珍答(12/9/09)
 或る人から、真面目な質問を受けてしまった。文章の書き方を教えろと来てしまった物だ。遺憾いかん・・・そんな事を強要されたって、ど素人にして適当書きしか出来ない私を脅して、如何するんじゃい??? そりぁ、お門違いと云う物である。

 そんな物は、お高く止まって、書こうとするから出て来ないまでの事である。思い浮かんだ儘をどんどん書いて行けば、デッサンは溜まるのである。先ずは肩の力を抜いて、等身大の自分の姿の、思い浮かんだ儘を書き写せば良いのである。

  素人には、起承転結も屁ったくれも無しの開き直りが、肝要なのである。
 順不同のデッサン書きを読み直して見れば、普通は自分でも此処が変だとか、此処は論理の飛躍だから、説明を施さないと第三者には通じないだろうなどの反省が生まれる。文章が長過ぎて、何処が主語・目的語・形容句か、訳が分からない・・・自分でも頭が混乱してしまう・・・何て思う個所が有ったら、思い切って文章を分断して、接続詞で区切りを付けて次に続けたら好かろう。
 
 文章を書くと云う行為は、多少なりとも他人様に読んで貰うと云う目的がある。それには、読む人の負担軽減も考えて置かねば為るまい。何しろ、読む義務の無い第三者の事を考えれば、当然の事でもあろう。
 読む行為のメカニズムには、最初に文字群全体が目に飛び込んで来る。文字群の先制攻撃を受けてしまったら、頭の半分は逃げの態勢と為る。
 斯様にして、第一印象負担に為るのが、活字分量の多寡である。人間の感覚と云う物は、目が一瞬にして全体を見て、脳の感覚に伝えるものなのである。余暇の時間を膨大な活字樹海を見て、怯まぬ人間などこの世に居ようか。

 一般論文・学術論文ならいざ知らず、素人が日々綴る散文にあっては、論考のボリューム・括りの範囲を段落で付けて行くと云う国語授業的作法だけが、正しくも妥当とは言えないのである。読む立場から息抜きの為に思い切って、一行空けの改行などを多用して、一定量の文塊にしてしまった方が、功を奏する物である。人間は勤勉・高尚さだけでは、生きて行けぬ動物である。きっと、私もあなたも『楽』が好いに決まっているのである。

 開き直って、出た処任せ・出た処勝負のデッサン書きを行進していれば、その内に、自分の等身大の文体が生まれて来ると云う物である。努力と思えば努力、下手の横好きと思えば、お遊びの時間とも為る。我々の様に、社会の檻から解放されて、時間が出来たから一念発起で驀進して見ようか・・・何て考える事自体が、無謀と云う物である。そんな邪な料簡では、過労死が関の山である。業務から外れての過労死では、労災認定が下りないのである。

 完璧さを標榜して、凝るのは個人の自由であるが・・・必ず物にしようと、山中鹿之助の様に、『臥薪嘗胆』では人生面白くは無いであろう。そんな物は、才能に恵まれプロを目指す有為の人に、任せて置けば好いのである。

 ど素人の下手の横好きに欠かせないのは、或る程度の自分の思いを他人様に伝える何がしかの習熟度と工夫があれば、きっとお天道様は、誰の頭上にも輝くと云うべきであろう。
 何しろ、日本には四季の山河・海が広がり、漢字・平仮名・カタカナ・アルファベットの文字と、文語体・口語体の文章もあり、浪花節・落語に講談もある。標準語に関西弁・方言がある。花鳥風月を愛で、侘び寂びに想いする日本の文化が根付いているのである。デッサン・写生・抽象画・・・etc その気に為れば、書く対象は五万と転がっているのである。

 世の中、学者・文士・インテリ・紳士淑女だけでは、息が詰まると云う物。然りとて、RedTubuのアナザーホールのオンパレードばかりだと、目が潰れ、白人美形もアマゾネス軍団にしか見えませぬ。穴んなに責められたら、世界の男族(肉食・草食を問わず)は、全員『腎虚』の地獄に引きづり込まれてしまいまする。聞く処に依れば、あの世は肉体疲労の無い無限地獄とのこと故、死んでも魂は解放されませぬ・・・<君子危うきに近寄らず>でありまする。

 然しながらに然りとて、斯様にしてに次第にして、さてさて、アッジャ~にアジャジャ、遺憾いかんに、アッハハにギャハハ、ニャハハにウッシッシ、トホホにコンニャローメ。何をコキャがるに、そうじゃあるめぃ。いざと為れば、ケッケッケのケツの穴で繋げれば、戯けロートル・クマ男の心何処の日々の徒然日誌と為るのである。一々、力む事じゃゴザンせんよ。

 此処は、姿形の一切見えぬ奥深きブログ樹海でありまする。姿形の見える現実の旅でも、旅の恥の掻き捨てなどと云う立派な先人の供養塔が、屹然(きつぜん)と建っているじゃゴザンセンか。先人の有難いお達しは、其の儘、使わせて頂きましょうや。

         命短し、書けよ オールドボーイ。でゴザンスよ。

 以上、小生恥をかなぐり捨てて、無謀にもお応え申した。ニャローメ、俺ぁ、スカポの脳味噌が酸欠じゃわいな。へへへ、少しは参考に為ったかいね? 脳足りんをからかっちゃイケンずらヨ。俺ぁの自慢出来るのは、秘密の珍宝だけだんね。ウッシッシ。

心何処ーショート 久々のロートル寄り合い所
             久々のロートル寄り合い所(12/8/09)
 いや~、アオリイカの刺身は、鮨屋の刺身以上である。肌理の細かさ・噛み応え・噛み応えの後から来る甘みの拡がりが何とも言えない・・・イカの王様に君臨する実力が、十分伝わって来る。入れ歯の母も、久し振りに美味しいイカの刺身を食べさせて頂いたと大喜びであった。こんな高級品を食べ過ぎたら罰が当たると、小分けの食卓とするのが、肝要との事である。スカーフ共々、有難う御座いました。

 母の部屋でゆっくりしていると、ガス屋さんの集金である。彼は、口髭を蓄えた美大出である。そして、私の下手絵の理解者でもある。最近作を持って来て、暫し弾む会話である。八畳の戸が開いていて、部屋に掛けてあるフィリピンは、ボラカイで買い求めて来たイラスト掛け軸に興味を持って、見たいとの事である。
 三幅の掛け軸を持って来て、玄関で展示会をする。流石に美大出身者である。お互い、感想の連発に大いに盛り上がってしまった。私は、こんな会話は大歓迎なのである。部屋を開けたついであるから、お付き合いのお礼に、干し柿を3個お菓子代わりに進呈する。

 人間、煽てられると気分は上昇するものである。本日の散歩運動は、上の温泉銭湯まで行く事にする。大周りをして行けば、距離的には然程のマイナスとは為らない。日中に成って、好いお天気と気温に為った。上の銭湯は、何時も行く銭湯と比べると然程熱くは無いから、其の儘、湯船に浸かれる。じっくり入って、汗ポタポタの帰り道であった。

 ブラブラ帰っていると、喫茶店に入ろうとする婦人が、私を真正面からじっと見て居る。左様であるか、髭を念入りに剃り上げて、禿げ隠しの帽子を被っているから、何処ぞの俳優さんにでも見えたのであろう。

 ざぁ見やがれ、俺だって磨いて、出る処に出りゃ、国際級の色男だわさ。ギャハハ!!

 家に帰って、好物の白菜漬けをもっと漬けて置こうと、車で個人スーパーに行く。車で来たから、沢庵漬けの糠・塩・鷹の爪などを買うが、沢庵漬けの漬け込みが始まったのであろう、糠が一袋しか無かったので、米は未だあったが、米屋さんへ糠を貰いに回る。

 お茶うけに、漬け物を出してくれた。粕漬け沢庵の浅漬け・野沢菜である。乗せ上手のご主人に話を振られるまま、男の政治談議に移行していると、この町会の短歌会の重鎮が顔を出された。久し振りのご対面である。

 漬け物にお茶が入ると、早くも『ロートル戯けの会』に趣旨替えに為ってしまった。

 ギャハハにイヒヒ、そうじぁあるめいに、馬鹿こいたものだよ、笑わせちゃいけねぇわさ。加えて、ダジャレオンパレードの三馬鹿トリオのロートル寄り合い所と為ってしまった。社会の柵の檻から解放されると、ロートル男などと云う者は、碌な事を喋らないものである。与党から野党に転げ落ちた自民党さん、公明党さんは、袋叩きも好い処である。

 ★の馬鹿小僧が、何をこきぁがる。座る席が違っただけで、あんだけギャギャとほざいて居やがる。戦争に負けりゃ、不平等条約結ばされて60年も70年も、占領されちゃうんだよ。選挙だって、戦争だわね。100年に一度の疲弊経済だわさ。

 大翼賛会を組織して、国難に一致団結して立ち向かうのが筋じゃねぇか。文句だけこいてて、給料・ボーナス満額なんて、ふざけるにも程があらぁな。国会・テレビで、ギャギャ言ってんじゃねぇや。見苦しいったら、ありゃしねぇよ。キンタマぶる下げて居るんかよ。無けりゃ、漬物石を配達して遣るぜよ。

 身内回りのパフォーマンスなんかしてねぇで、俺んとこへ、自転車乗って来いってんだ。中学出てから、ズーと米担いでる訳じゃねぇわ。聞き分けのねぇ馬鹿小僧には、体罰しかあるめいに、一発で張っ倒してくれるわ。

 俺ぁ、戦争を知らねぇ戦後世代だけど、腕力じゃあんな野郎共の3人や5人、軽くノシちゃうぜ。ギャハハ!!

              ヒャ~ 、怖い!!

      本日12/8は、ニイタカヤマ、ノボレの太平洋戦争開戦日である。
   進軍ラッパ高らか為るご主人、電話で配達業務が入って、漸くのお開きと為った。

 さてさて、家に直行して干し上がった小振り大根を、別容器に漬け込まねば為らぬ。笑い過ぎて、顔の造作が変わってしまった。思い起こせば、ガス屋さんは、私の顔を芸術家の顔と褒めてくれたのであった。朱に交われば、赤く為るの大キンゴンもあったのである。

心何処ーショート 妄想散歩 
                  妄想散歩(12/8/09)
 快晴為れど、ビャー、寒い。完全に冬である。耳の穴まで痛い限りである。日が陰ったら、早々に大根様を取り入れるが肝要である。

 信濃二十八番所の小さなお神社さんの石階段を上って行くと、完全装備のご老人が斜面の手入れをして居られる。70代であろうか。散歩をしていると、こんな風景に出合う。河川敷の植え込みを一人で黙々と手入れをして居られるご老人も居る。

 ボチボチと帰りの下り勾配を歩いていると、昨日の中年男が冬の装備で、紙袋を下げて橋を渡って来た。昨日も、私の前を歩いて行く。途中立ち止まって、景色を眺めたり、山に視線を向けたりの格好である。私の散歩時間は、実に好い加減であるから、昼散歩の折にひょんな所で、彼を時々見かけるのであるから、その散歩範囲は結構な物なのであろう。

 多分、彼も時間に縛られない生活をしているのだろうが・・・年格好から云えば、現役の勤め人なんだろうが・・・   不景気な時代であるから、他人事で大きなお世話の気持ちが働いてしまう。

 昼の散歩とは面白いもので、私の様なロートルオヤジが歩いていると、年配の一人歩きの女性から、コンニチハなどと声を掛けられる。きっと何処から見ても、人畜無害の時間潰しロートルのウォーキングに見えて、声を掛けて下さるのであろう。他人様でも声を頂くと、有難くも嬉しいものである。
 私も、もっともっと気軽に声を掛けたい気持ち大なのであるが、滅多やたらに男の方から声を掛けると、有らぬ緊張をご婦人方に与えてしまう様で、私は自制しているのである。男にとって、何かと敷居の高い物がご婦人方と云う処であろうか。本態は女好きな癖に、からっきし度胸の無い妄想ロートルなのである。困ったものである。

 再び、体が冷えて来た。さてさて、メタボ身体の熱源をOffからOnに入れ替えるべし。

 地球温暖化と云うのは、砂漠気候の様に為るのかも知れぬ。熱し易く冷め易い。TV知識によると、砂漠は昼の熱砂と夜の寒砂との事で、日格差は40℃を軽く越す事も当たり前と云う。高々15~16℃差で、うろたえて居ては怪しくも艶めかしいアラビアンナイトの世界を妄想する資格無しと、アラブの半月刀で去勢の儀式を遣らさせてしまうのが落ちである。

 玉無しに落ちぶれたら、中国の宦官の様なハーレムの目付役は無いのだろうか。

 YouTubeのベリーダンスなどを見て居れば、中東アラブの美女達は、まるっきしの白人美形達で、いやが上にも夢想・妄想の胸の高まりと同時に股間膨らむ想いなのである。日本の大奥は男子禁制。中国は去勢男の宦官。さてさて、魔法のアラジン・ランプのハーレムは、如何なる制度に為っているのか・・・ 内心の自由を友に、タワケ男の散歩運動は、無くては為らない日々の日課である。

 開けて、本日。予報では松本市で-3℃、松本空港で-6℃との予想であった。為らば、この辺りではきっと-4~5℃には為っている模様であろう。何しろ、寒い。

 目が覚めた物の、動きたくない。布団に潜り込んで冬眠したい気分である。何が地球温暖化じゃい!!これじゃ、返り打ち地球温度砂漠化現象ではないか~、ニャロメ。昼の温暖化に、夜の寒冷化では、昼の成長に夜の霜では、植物は育たぬではないか・・・ 

 こんな気候変化が恒常化してしまえば、植物は厚い外套を纏って、ヒマラヤ、アンデスの奇跡の植物に為ってしまう。年輪なんて物では無く、日輪の沙汰である。野菜サラダなんて代物は、全て工場生産と為ってしまう。魚だって、今の形では収まらないだろう。深海と海面を縦に回遊するしかあるまい。何とかクジラの脂肪による圧力調整機能を駆使しなければ生きられない。淡水魚は、水深の深い池・ダムでしか生きられまい。そして、これも工場生産であろう。さてさて、人間様は如何為るのだろう・・・夏と冬が一日の中に存在してしまうのであるから、皆、リュックサックを背負っての出勤風景に様変わりである。適者生存・適者繁栄を勝ち取るまでに、大半のものは、死滅してしまいまするぞえ。くわばらくわばら・・・

 遺憾いかん・・・ 脳足りんが、こんな事を想像し始めたら、脳味噌が空中フリーズしてしまう。単細胞愚直男は、一、二の三で起きて、冷気を呼び込んで対決すべしである。草履を引っ掛けて、庭に出る。ザクッザクッとした長霜柱の足応えに、廊下を開けて当るお天道様の下に、取り込んだ大根の移動である。おお、冷てぇ・・・

 昼夜の寒暖の差、皆々様には、くれぐれも風邪など引き込むこと勿れの段でありまする。本日も、駄文長文のお付き合い、真に有難うございました。嗚呼、寒い!! コンニャローメでありまする。
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