旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心何処ーショート 吾、今夜は知恵熱に為るや???
         吾、今夜は知恵熱に為るや???(10/31/09)
 変な時間に起きてしまい、二度寝をしてしまったら、久し振りに好い気持ちの夢を見てしまった。遺憾いかん、お天道様が射し込んで御座る。ガバッと起きて、居住区の空気の入れ替えをする。本日も、好い天気に成りそうである。

 庭に出て、吊るし柿を眺める。百日紅の黄葉が、ハラハラと落ちて、秋深しの風情である。昨夜の夜散歩では、足元に消え入る様な錆びた虫の声がしていた。明日からは霜月・11月である。虫達も夜が越せるかどうかで、寿命が決まってしまうのであろう。大きな日較差の温度差を凌ぐのは、大変なのか?虫の仮死術の体内仕組みで然程の事でも無いのか? 常温動物の私には体験出来ない世界である。澄んだ空気の中の、小鳥の鳴き声にその主を探すが、逆光で分からず終いであった。

「甘柿は未だ生っているかい?」
「おっ、無くなったか。じぁ、取って用意をして置くよ。」

 脚立に乗って甘柿を捥ぎ取り、吾が部屋の物干し竿から、吊るし柿を一綴り別袋に入れる。先週、私の文作を読みたいと云う学生アルバイトのおねえさんに、プレゼントする物と下手絵ファイルを用意してTを待つ。

       黒い軽が止まり、助手席にはバナナの房が乗っている。
「ほい、こっちの方は、帰って吊るしとけや。こっちは、生食用の甘柿だわさ。」
「おっ、そうかい。じぁ、バナナと物々交換だいな。」
「あいよ。」

 コーヒースタバの二階席に上る。間もなくオバチャン連4人様がドヤドヤと登場である。ほうほう、漏れ伝わる毒気に当てられてロートル男二人組は、行儀好くニヤニヤとコーヒータイムである。
「如何だい、幾らなんでもキリギリス様達は、ご昇天遊ばしただろう。」
「いや~、陽が当たって来ると、煩いくらいに鳴いてるぜ。」
「そうじゃあるまい? そりぁ、ギネスブックもんだぜ。飼育の才能が有るんじゃないのかい。」
「Rに言われた通り、キュウリ、ニンジンに二日に一度の煮干しに、日に二回の霧吹きだけだぜや。まぁ、一匹は傾いて鳴いているから、近々お呼びが掛るんだろうけどな。」
「そうそう、オスキリギリスの悲しい定めって奴でさ、死ぬまで鳴き続けた居るんだよな。でも、大した物だよ。性・定めって奴は。死ぬまで、オスはオスのお務めの中で死んで行くんだもんな。其処へ行くと、人間のオスはダラシが無いわな。女に興味が薄らいで、枯れるだとか、役立たずのコンニチワオジサンじゃ情けないわなぁ~。」
「人間は、長生きし過ぎちゃってるだわな。キリギリスからすると、往生際が悪いとプラスチィックケースから、爺と俺の姿を軽蔑の眼で見てるかも知れぞな。へへへ。」
「おうおう、そう言えばさ。今日は二度寝しちゃたんだけどさ。久々にSEXシーンの登場だったわね。イッヒッヒ。」
「そうか~、行き着く処まで行けたかや。如何だった。見栄張るなよ。」
「如何も、俺は気が小さいんだな。モタモタしてる間に、正気の世界に戻ちゃったよ。」
「馬鹿こけ。それを言うなら、現実の世界だろうが。ギャハハ。」
「コンニャロー、胸にズキンと来る事を、平気で言うじゃないか。『現実の世界』なんて、物言いは黄昏じゃねぇか。夢も品も無ぇ表現だぜや。やっぱ<正気の世界>の方が、意識と無意識の狭間の理性の葛藤って物があるだろうが・・・それの方が夢らしくて好いわさ。現実じぁ、寂し過ぎるわな。イッヒッヒ。」
「馬鹿こいちゃ、いけねぇぞや。土台、化け物に正気なんて世界が、何処にあるんじゃい。まぁ、好いわさ。この前みたいに、俺が夢のアバンチュールの邪魔をしたなんて、クレームが掛って来なかっただけでも、気が楽だわな。ギャハハ。アンタも、進歩の無い好き者だって事だわな。困ったもんだ。」

 黒の上下を着たおネェさんが、見回りに来た。飛んで火に入るなんとやら・・・である。

「おお、一寸一寸、おネェさん。この絵を見てくれよ。この動物、何に見える?」
「猫ですか?」
「まぁまぁ、好いわね。鑑賞者の自由は、尊重しなくちゃいけないからね。この猫の視線の先は、何処に向いていると思う。エヘヘ。」
「キノコでしょう。」
「何、これが、キノコ??? 或る人は、<着飾ったロシア美人>、また或る人は、<誘う充血赤アワビ>って感想だったよ。」
「え~、そうやって見るんですか~。ヤダ~。アハハハ、如何しましょう!! 意味が深いんですねぇ。」
「好いの好いの。コイツは、変態だから真に受けちゃ駄目だよ。このイタチの目の先は、自分自身に向いているんだよ。手っ取り早く言えば、自分自身の姿を鏡で見ているって絵だわね。変態だから、自分の姿が見えないんだよ。ニャハハ!!」
「やいやい、今日は冴えて居るじゃないか。フロイトさんで、深層心理の解析だぜや。何時の間にか精神分析の学位号を取って居たんかい。恐るべし。
ズバリ喝破されちゃって、俺ぁ何にも言えねぇ。参った。そうだ、こっちの文作は今日休みのおねえさんへプレゼント。」
「ああ、あの子ですね。今日は大学のサークルの会合で休みですから、明日渡しときますね。ごゆっくり、どうぞ。」
「はい、アリガトさんね。」

  外のベンチで煙草を吸う。秋の日差しがカッと照り付けて、暑いほどである。
「どうだ、メダカも大分死んだと言うから、メダカを買って帰るかい?」
「おぅ、好いねぇ。じぁ、ついでに煙草も買って行くよ。」

 アハハ、家に帰ると、喫煙ベンチに下手絵ファイルを忘れて来たらしい。第三者に渡ったら、交番で精神鑑定をさせられ兼ねない。未だ、生き恥は晒したくない。私は老母を抱える賄い夫である。慌てて、車で取りに行って来る。ベンチにポツネンと残って居た下手絵ファイルを見付けて、胸を撫で下ろした処である。

        本日の日記を打っていると、斜向かいさんの登場である。
 本日の議題は、『自給自足』についてのトーク番組を見ての斜向かいさんのご感想を元に、ロートル談議を交わす。分業・細分化の社会に於ける<自給自足の象徴性>について、ロートル世代と若者世代の意識の乖離を格調高く?ギャハハ、イッヒッヒ、コンニャローメ・・・etcの相槌を打ち合いながらのロートルタイムであった。
 本日、斜向かいさんは熱弁を奮われ、色白前田吟さんから先頃亡く為られた中川昭一さんの強面の側面を見せて居られた。ビデオ・DVD・文作の交換をされて、本日の文作は旅行記の綴りを持って行かれた。

「Sちゃ、物語の相手方は、彼女だから、想像力の足しに写真持って行くかいね。ニャハハ。」
「どれどれ、ヨッシャ!! 確り頭に入れたから大丈夫だよ。霞んで来たら、部屋を覗いて復習して行くぜ、お兄ちゃん大丈夫って事せ。イヒヒ。すっかり邪魔しちゃったけど、頑張って打ちましょ。」
「あいあい、又、何時でも来ておくれや。」

 ふ~、干し柿作りで、些かペースが狂ってしまったのであろうか・・・ へへへ、ご両人に遣られ申した。今夜は、知恵熱で夢の続きは、堅い物に為りそうである。
スポンサーサイト

心何処ーショート はぁ、やれやれ。
                はぁ~、やれやれ(10/30/09)
 はぁ~、やれやれである。今年の吊るし柿作業も終了である。これで、通常の物臭ペースに戻れる。この時期、夜の散歩は鼻水が出るのであるから、昼散歩に限る。

 軒下の柿簾を見て、母はご満悦の様子である。天気予報を頭に入れて、この分だと乾きが速いとか、雨が降ったらこのビニールを掛けて、裾を洗濯ハサミで閉じろとか、剥いた皮は乾燥させて、沢庵漬けの際に入れろとか・・・etc、

「はいはい、分かりやした。」

 何をこきゃがる。そんな事は、去年経験済みだわな。俺ぁ、そこん所其処らの薄らトンカチじゃないんだ。兎角、女と云う生物は、思った事を口に出して言わないと、堪能しないものらしい。困った生き物である。まぁ、私は育ちも出来も良い男であるから、忍法・空蝉の術で、三下対処をして遣っているのであるが・・・ 沈黙は、金とか銀とか、燻銀の男の魅力と云う物が、まるで異性物には通じないと来ている。古よりの困った<性差>と云う物である。

 然しながら、これも、生活の知恵と云う物である。老いたりと云えども、母としては長年守り通して来た干し柿作りを終えて、安堵と自信の充足を感じる時間なのであろう。

 とほほ、コンニャローメの気持ちも無いではないが、これも倅の務め・親孝行の重要技能の一つなのである。少しは、有難く思わないと、罰が当たるぜ。イッヒッヒ。

 日毎進む冬の足音に、コタツの中から、軒下に吊るされた柿簾の熟成の進捗を眺めたり、手揉みの工程を入れて、白い粉の噴くのを待つ。そんな一つ一つの光景・動作に、自らが幾つもの越して来た日々・時代を反芻するのも好かろう。

  そんな母へのエールとして、一枚下手絵を描いて見た次第でありまする。


                   柿簾のある庭_001

心何処ーショート 嗚呼、作業2日目
                嗚呼、作業2日目(10/29/09)
「お早うございま~す。ヤクルトで~す。何時も、お世話に為ってま~す。」
「はいはい、一寸待っておくれや~。」

 毎週515円のお付き合いである。絶対の自信作・<森の中>を提示すると、森の動物をイタチと一発で見てくれた。次いで、イタチの視線の先の物体に質問を向けると、

「毒キノコのテング茸でしょう。ピンポン、当りでしょう~。」
「二人の子持ち、脂の乗り切った<現役奥さん>が、そんな事じゃ日本の社会は、少子化からは立ち直れんわな。或る人の眼力に掛ると、<誘う充血赤アワビ!!>だってさ。」
「ヤダ~。未だ朝だよ。朝っぱらから、そんなエロい事で、洗脳されたら仕事に為りませんよ。危ないオジサンだから、逃げま~す。エロモードに入れるのには、12時間も早いですよ~。私は、仕事モードですよ~。Rさんも、仕事して下さい。」

 アハハ、さてさて、今週の楽しみも終わった事でもあるし、昨日に引き続き柿取り・皮剥き・吊るし作業を開始するとしようか。昨日は、お向かいのおばさんにセッセと皮剥きをして貰ったから好いものの・・・今日は、一人三役をこなさねば為らない。長靴・軍手に脚立に高枝挟み、剪定鋏にバケツを用意して、作業開始である。

 土手に回って、高い処の柿を採っていると
「大きな柿の木ですね。この柿は甘柿ですか、渋柿ですか?」
「渋柿ですよ。熟し柿にするか、皮を剥いて干し柿にすると、市販の物じぁ味わえない甘みが有りますよ。欲しかったら、持って行って下さいよ。気にしなくて好いですよ。」
「家にも大きな柿の木が有ったんですが、お爺ちゃんが、孫が木に登って怪我をすると危険だからと言って、木を切ってしまったんですよ。柿の木のある家で育ったものですから、何かひどく懐かしい気持ちに為ってしまい、つい声を掛けてしまいました。」
「ハハハ、そうですか。ちょっと待って下さい。あの木は甘柿ですから。」

 甘柿と渋柿を幾つか採って、ご婦人に進呈する。多分、同年配の女性であろう。眼鏡を掛けた品のある女性であった。当初、余りニコニコされているから、誰なんだろうと考えていたのであるが、多分、中学・高校と一級下の○ちゃんの妹さんだったのだろうか・・・
 柿の小枝に吊るしたお誘いの貼り紙には、高校生の反応は一切無かったので淋しい思いがしていたのであるが、こんな会話を交わす事が出来て、ロートルオヤジは、嬉しい気分に為るのである。

 落とした柿は、剪定鋏でヘタの部分をヒモで括れる様に、1cm前後の長さで切り分けて、バケツに入れて廊下に運ぶのである。昨日に懲りて、一日の分量を決めて作業する事に決める。玄関の鳥籠を廊下の日向に回す。ラジオの国会中継は願い下げであるから、ディーン・マーチン、ナッキング・コール、ドリス・デイのテープを掛けての93と61の皮剥きである。

 皮剥き作業に専念していると、庭木にジョウビタキのバルディナさんのお目見得である。

「ほら、婆さん、俺の恋人だ。結婚詐欺で、催眠導入剤と練炭で、何人もあの世送りをしてる氷女とは、訳が違うぜよ。寒いロシアの国から、毎年、来てくれるロシアの観音様だぜ。女の優しさ・一途さは、ああでなくちゃ行けねぇわさ。
 男を垂らし込んで、貢がせて取る物さえ取りゃ、後は面倒とばかりに練炭殺人を次から次へと来た日にぁ、男は浮かばれんわな。女の親切心の裏を読むリトマス試験紙は売ってないものかね。あれじゃ、幾ら鼻の下を伸ばした男の報いと云っても、勘定が合わん。」
「本当だね。如何して、そんな惨い事をするのか。お金・贅沢よりも、遣っては行けない事があるのにね。世の中、すっかり変わちゃたんだね。お前はインターネット遣ってても、大丈夫なのかい?」
「俺は、大丈夫だよ。女の持ち物は大好きだけど、女の物の考え方は、昔から嫌いだからね。それにさ、俺は貧乏神に取り付かれているから、その手の女は近寄っちゃ来ないわね。ああ云う女達は、金の匂いを探る嗅覚が人一倍発達しているんだから、無駄な誘惑はしないんだわさ。まぁ、娑婆には、相手にされない幸福・安全って云う物もあるんだわね。イッヒッヒ。」
「そんな物かね。」
「あいあい、世の中って奴は、そんな風に棲み分けが、されているんだわさ。それにしても、ウンザリするほど、あるねぇ。嗚呼、嫌だ嫌だ。」

    テープを渡哲也に替えて、一服タイムの煙草を部屋に吸いに行く。
 単調な作業に、腰は痛く成るし、手は柿の汁でベタベタ・・・溜まればヒモに結んで、軒下に吊るすのであるが、嫌だ嫌だのボヤキしか出ないのである。歳を重ねても、根気の無い男である。然しながら、店を広げてしまったのであるから、我慢我慢の作業続行である。

 母は血圧が上がった様な顔で、黙々と手を動かしているのであるが、私の半分くらいのスピードである。可哀そうに、老衰のスピードは想像する以上の速さの様である。去年は、私の倍のスピードであった。

 何事も半分を越せば、引き算の原理で我慢も出来ると云う物である。吊るし終えて、柿簾の量が大きく為ると気分が好く為って、後二日は頑張ろうなどと云う気持ちに為って来るものである。これを称して、下衆の充足感と云うのであるそうな・・・ウッシッシ。

 一日の作業を終えて、本日分の日記を打ち始めていると、斜向かいさんが正面の窓から顔を出された。
「へへへ、遣ってるねぇ~。干し柿作りは、終わったかい?」
「こんなご太い手で、包丁剥き剥きだもの・・・まだ、道半ばせ。嫌だけど、ボッチラボッチラ、後二日位掛けて遣るだわね。何しろ一人三役だぜ、疲れない程度にお努めを果たすだいね。へへへ。」
庭に回って、暫し干し柿の講義を受ける。マメな斜向かいさんに対して、ズボラ腰の重い私である。共通点は、好きものコンビである。何時の間にか、ニャハハ談議に話題が逸れてしまった。早や、夕刻の陰りは駆け足で遣って来る季節と成ってしまったものである。

心何処ーショート 休むが肝心
                休むが肝心(10/28/09)
イヤハヤ、向かいのおばさんの大奮闘で、干し柿作り初日は終わった。俺ぁ、疲れた~。面白い馬鹿話満載の皮剥き談議であったが、打ち手の若造の私が、疲れに疲れてしまった。
婆2・爺1の呆け話は、機会を見て投稿するとして、下手絵・本日の一枚にて、お役御免とさせて頂きとう御座りまする。嗚呼、歳は取りたくない物でありまする。・・・とほほ為り。


                   柿取り_001

心何処ーショート 徘徊散歩に、話の花が咲く。
            徘徊散歩に、話の花が咲く。(10/27/09)
 スポーツ橋を右折して市営球場・テニス場を回って、直近の山を登る。乗用車一台が通る道幅の旧工事用道路である。上にある貯水池まで直進している筈である。坂道に為ると、途端にメタボの体重に息が切れる。途中には、廃棄されたホテルの駐車場跡地が有る。その立ち入り禁止に張られた鎖に、オスのジョービタキが二羽飛んで来て、その特徴である尾をタクトの様に振り振りしている。シジュウカラ、ヤマガラなどの姿を期待して登って行くと、行き止まりの道にライトバンが止まっている。車のナンバーは、長野ナンバーである。

 これから山に入るのか、山から帰って来たのか・・・年配男女四人が道に座って食事をしている。何処から見てもキノコ採りの一行である。コンニチハの挨拶を交わし、話をして見る。
「キノコは採れた?」
「キノコ採りじゃないんだよ。マツタケ泥棒をとっ捕まえて遣ろうと、見張っているんだ。泥棒が多くて、警察に言ったら、写真を撮ってくれたら逮捕出来るって言うから、ホラ、カメラ自参で見張ってるんだよ。今日も一人、男の姿を写真に撮ったよ。」

     60前後、ゴマ塩頭のがっちりした男が、色々と話をしてくれた。
 シーズンに成ると、マツタケ泥棒とのイタチごっこが始まるのだと言う。不在地主と近間のマツタケ泥棒とあっては、泥棒の方が一枚も二枚も上手との事である。立ち入り禁止の止め山のテープも、泥棒に切られてしまい。そんな<止め山の印なんか、何処にある>と反論され、<コラァ~>と声を張り上げた処で、塀の無い山続きの逃げ場満載である。上と下では追い付かないのが、実情との事である。カメラだけが武器との事である。

 餓鬼の時分には、山には止め山の表示など一切無かった。この辺りの山は、近所・近隣の集落から、山菜採り・焚き付け用の松葉集め・クリ拾い・雑キノコ採りと誰でもが自由に、山に出入りが出来たものである。里山に代表される自然と人間の営みの関係からは、『総有』と云う所有権の権利もあるが、今や、個別の所有権が絶対的に幅を利かせるご時世である。

 所有権は、非所有者が文句を言っても、完全に跳ね返されてしまう物権の中の最高峰である。所有権の帰属が明確に為れば、当然、不法侵入・窃盗罪が派生して来るのは、当然の法理である。不法侵入・窃盗罪を帳消しにする既得権は、世知辛いご時世の中では存在しづらいのである。
 マツタケは、人工栽培が出来ない処に、希少・貴重の絶対的価値が有る。有名なマツタケ山に為ると、『入札』で山の使用権=山菜の採取権を買うのである。私は既得権の時代で過ごした<郷愁の身>であるから、マツタケ泥棒にもつい微笑んでしまう。
 そう云えば、エジプト・中国にも王墓・墳墓の盗掘を、生業にして生きて来た集落もあったとの事である。『お宝』を巡って、イタチごっこは、簡単には終わらないのであろう。

  話をしながら、バックで道を下る車の後ろに付いて、山を下った次第である。

 次いで、下の溜池を覗きに行く。実は午前中のテレビで、東京の多摩川河口でのテナガエビ釣りを見て、池には未だスジエビが居るのかな?と、これまた郷愁を擽られたのである。目視では、とんと分からず終いであった。

 午前中の曇り空は払われて、青い空には筋雲が高く流れている。田園風景の中の立て札などに足を止め、フムフムと短文の文章を読みながらのボッチラ・ボッチラ流・散歩徘徊である。

 一周して、交通量の多い通りで横断の機会を覗っていると、隣組同斑のご主人が、相想を崩して手を振って居られる。9月の町会一斉河川敷草刈りの折に、私のブログを無理強いした<被害者>ご主人である。

「やぁやぁ、あれから毎日楽しく読んでるよ。いや~、御見逸れじぁないけど、凄い文人さんだよ。流れるような文章にテンポの好さ。もう、嬉しくてね。お彼岸のお婆ちゃんを囲んでの、家族の話には、じ~んと来て涙が出たもの。好い家族なんだねぇ。
 飾らない本物を持つ人の魅力が、満載だもの。人間、少しばかり学が有ると、スーツにネクタイを締めて、素っ気なく振る舞っちゃうのが、常なのに・・・Rさんは、パンツまで脱いで堂々として居るんだから・・・それが、嬉しくてね。色んな要素が入っているから、面白い。本当に、両刀使いなんて物じゃ無い。前から横から後ろからに付け足して、上から下からの360度走行だもの。恐れ入谷の鬼子母神さんだもの。カミさんの手前があるから、真面目な顔して見ているんだけど、どうしようも無い時が有ってねぇ~。

 ピンピン・グングンなんて、下ネタの面白さは、触りの本の数行で、あれは、刺身のツマ見たいなもので、丁度座りが好いんだよ。その後には、確りと本題の奥の深いインテリジョンスが、流れる様なテンポでスラスラ続いているんだから、好い読み物だと、もう大ファンの一人に成ってるんだよ。毎日連載って処が、実に有難い読み物だよ。」

「何を仰います。先輩インテリさんから、そんなお褒めのお言葉を頂いちゃ、俺は嬉しいやら、恥ずかしいやらで、アリガトざんす~。
 だけど、本当なんですよね。何倍・何十倍の試験地獄の難関を経て、我々世代は社会に出ているのに、自分を殺して組織への忠誠で遮二無二会社勤めをして企業戦士でズタズタ・・・家庭を持って、子供達を一人前にして、勤続何十年の柵社会からやっと卒業。
 卒業した途端、倣い性の無趣味を嘆いてテレビとの、平々凡々の日々に枯れて行ってしまったら、そりぁお天道様の罰が下るってもんですよ。英語だって、仏頂面して辞書さえあれば理解出来るのに、増してや、読解力・文章力も鍛えられて、自分の中に備わっている筈なのに、皆、スーツにネクタイばかりしているから、頸動脈を締め付けられて、脳味噌に酸素が回って行かないんですよ。首締めすぎて、脳死状態から退役しても壊疽状態じぁ、何の人生かって物でしょうに・・・
 俺見たいに、パンツまで脱げとは言いませんが、偶にはズボンを脱いで見ると、視点が変わって、人間って生き物は、大きく深呼吸がしたく成る物じゃないですか。ニャハハ。」

「流石に文人さんだ。巧い事を言うじゃないの。そうそう、その呼吸が好いんだよ。おおらかさ、優しさ、ゴタ作の味が、本当に好い気分・風を送ってくれるブログなんだよね。私も、何か書きたいんだけど、・・・う~ん。」

「またまた、ご謙遜を~、斜向かいのSちゃと同い年でしょ。俺達団塊の世代の大先輩じゃないですか。死んだ兄貴の年代ですわね。古き好き時代の日本の原風景が、横溢していた時代でしょ。高校・大学・社会人として、皆共通する同じ屋根の下・釜の飯を食うって云う精神的な同心円みたいな物が、ちゃんと生きて受け継がれていた時代でしたよ。

 歴史に正史と稗史(はいし)有りって云うでしょう。プロの作家だけに文作の楽しみを独占させちゃ、大和民族の民俗史が昭和の御代で息絶えちゃいますよ。
 パンツ脱ぎはガッタ坊主の後輩が一手に引き受けますから、先輩はズボンを脱いで、出た処勝負をして下さいよ。白らばくれて一歩踏み出せば、如何って事も無いんですよ。
インターネットのブログ世界は、顔の見えない者同士の文通みたいなものですから、何事も続ければ、習慣。習慣の中に、類は友を呼ぶの例え通りで、楽しみがヒョコリ顔を出す物ですよ。はい、エールに応えるべくR三等兵頑張ります。へっへへ。」

 同斑のご主人は、今年70歳の長身ハンサムマンである。温厚なインテリ顔も、こんな立ち話を交換されている時の表情は、正に孫に接する時の好々爺を想像させるものがある。私は古き良き時代の先輩の温かさの様なものを頂いた様な感じがして、楽しい気分で一杯であった。

 テレビの加齢を敵とばかりに吹聴するかの様な、化粧品・健康食品のオンパレードではあるが・・・ 馬鹿野郎、人間の魅力って奴は、顔剃り・表皮剥がしじぁ、決して滲んじゃ来ない<個の人間味の表情の豊かさ>なんじゃい。加齢・枯れは、悪・敵なんかい? 冗談もこいちゃ、行けねえや!! 手前ぇの魅力は、顔洗っても失せない表情の開墾でした方が、余程エコに貢献出来よう物だぜや。

 俺なんざぁ、パンツを脱いだって、今日は褒められ放しだわさ。米屋さんに行きぁ、ゴルバチョフさんに、ディスカールジィスカンさん、ドリーファンクJRに似てるなんて煽てられ、山道を行けば、あわやマツタケ泥棒一歩手前である。

 遺憾いかん・・・調子に乗って、○性を傷付けてしまったら、儲かるのは化粧品屋と健康食品屋だけである。

 こんな事を打っていると、眼前の黒フェンスに、今度はオスのジョービタキのお出ましである。きっと、群れを作ってシベリアから飛来した冬の渡り鳥達は、半年余りを過ごす飛来地に懸命の縄張りマーキングをして歩くのに、躍起と成っているのであろう。

心何処ーショート 雨の一日が明けて、
               雨の一日が明けて、(10/27/09)
 丸一日降った雨が止んで、時々薄日が差している。どの位、川の増水が有るかと、川を見に行く。驚いた事に、然程の増水も無く綺麗な水が、勢い良く流れ下っている。雨上がりの濡れた道路・庭に落ち葉が広がっている。天気が回復したら、庭の柿取りをしなければ為らない処であるが、お天気の回復はまだ先との事である。

 PCに向かっていると、窓辺の雑木の小枝が揺れて、ジョービタキのメスが遣って来た。一代目か二代目かは存じ上げないが、北国の使者・北国の観音様バルディナさんである。

 今季初顔見せである。手を止めて、雑木の葉影に小鳥を追う。彼女は、まだまだ黄葉仕掛かった葉の密集した中で、羽ばたきをしてクワッ、クワッと小さく鳴いて、私の注意を引き付ける様な仕草を何度か繰り返し、私と顔を合わせたのを確かめる様にして、飛んで行ってしまった。面白い行動であった。初めて、ジョウビタキのメスの声を聞いたのである。若しかしたら、これは飛来最初のお仕事、『縄張り宣言行動』だったのかも知れない。

 冬の渡り鳥ジョウビタキは、越冬地で単独の縄張りを持って、春を待つ小鳥との事である。つまりは縄張りを持って暮らす小鳥であるから、彼女の縄張り内を、せつせと巡回しているから、頻繁に姿を見せてくれるのである。私は、黒・白・海老茶のキリリとした中にも粋な色彩を持つオスよりも、くすんで柔らかな大人しい色合い鶯色のメスに、しっとりとした和み色を感じている。
 オスとメスを比べると、目付き・所作が緩やかでおっとりとしたメスの動き・表情が好きなのである。地味さとおっとりさが、引っこみ思案の私の心情にマッチして、実に好ましい存在なのである。

 それは、些か付き合いのあったモスクワ出身の肉付の好かった福与か美形さんのバルディナさんを何処となく彷彿とさせるのである。小鳥と彼女の共通点に、私は鼻の下を伸ばしている次第なのである。美形にも、色んなタイプがある。躍動的な美形、弾ける様な初々しさの美形、落ち着いて口元に漂う頬笑みの美形・・・etc。人は皆、其々の美形の醸し出す雰囲気の恩恵に浴しているのである。

 私は去年の経験を反省して、今季は彼女に気を使って遣ろうと考えている事がある。それは、昼間は鳥籠を雑木側の窓辺に出しているのであるが、彼女は変な勘違いをして、それを見てからは、余り姿を見せなくなってしまったのである。

 捉えられて籠に閉じ込められると感じたのか、はたまた、私の関心が自分に向いていないと拗ねてしまったのかは、対話・体話を交わす事が出来ない人間と小鳥の異世界の事であるから、擬人化を駆使して妄想の世界に入る事しか、想像は出来ない処なのであるが・・・
 いずれにしても、訪れる人の少ない引籠りロートル賄い夫の侘びしき窓辺に、姿を見せてくれる生き物達は、私にとっては大事なお客さんなのである。出来るだけの事はしてお迎えしたいのである。

 さてさて、本日は米の補充に行って来なければ為るまい。自転車を漕いでいると、流石に寒い。おやおや、朝よりも川の流れは濁りを呈して増水している。保水力を保った山野は、薄い灰色の中にある。体育館・県文会館周りの銀杏・欅並木には、色を増した黄葉と紅葉のシルエットが咲いている。一条の薄日が早落ち城祉の入り口の小さな山塊の凹みに差して、萌え立つ様な黄葉の輝きを見せている。思わずスケッチしたい感じに囚われる。

      そして、先日のTの言葉を思い出して、苦笑い一つである。
 T曰く、あそこには、何かがある。それを感じる者には、霊が寄って来る。お前も、余り好意的に為ると、霊達が自分のシンパが出来たと涎を垂らして乗っかって来るぞ。金縛り程度で済むのなら、大目に見ても好いけど。のめり込んだら、引っ張り込まれてしまうぞ。好奇心も、程々の距離感を保っていた方が、身の為だぜ。ギャハハ。

 為るほど、左様であるか・・・Tも人聞きの悪い入れ知恵をしてくれたものである。有難いアドバイスを頂戴してしまうと、何やら、早落ち城祉の山容は、事に付けて注意を引いて、<手招きをしている>と捉える事も出来る。本日の昼の散歩は、別コースを辿る事にしよう。勿論、縁起を担いで、柿取りはパスしよう。

 おやおや、部屋で熱いコーヒーを啜っていると、日差しを浴びた黒いフェンスに、シジュウカラの登場である。野鳥の声・姿を求めて、本日は東の方向目指してボッチラ・ボッチラ徘徊散歩に、スタート開始である。


雨にゴタオヤジ、話弾むなり。
             雨にゴタオヤジ、話弾むなり。(10/26/09)
 ゲイリー・クーパーのハイヌーンを、久々に見て寝る。好い映画は、矢張り好い。深夜からの雨であったが、雨の朝が暖かいと感じられて来てしまったのであるから、淋しい事ではある。静かな雨音であるが、これは長降りの調子である。寝床から出た最初の行動は、居住区の窓を開けて、空気の入れ替えである。カーテンを開け、暗い部屋に明かりを灯す。通学の自転車も、傘を片手に黙々とカーヴをして行き去る。通りでは、ゴミ出しの斜向かいさんが、お向かいさんと朝の立ち話をされている。

 暗い玄関では可哀そうであるから、世話の後は窓辺に鳥籠を置いて遣る。窓辺の雑木の葉の茂りも、黄葉で大分隙々して来た。雑木の葉が落ち尽す頃に為ると、北国の使者・ジョウビタキが姿を見せに遣って来るのだろう。
 去年は余り姿を見せなかったメジロではあったが、彼等の為の眼隠しとして、フェンス際に2本植え替えをした南天の1本も、辛うじて生きている模様である。彼からすれば、雨の恵みは、雨様さまのご利益であろう。
 黄葉のポトポト滴を落とす外の雨に、小鳥達も動きの少ないチュッチュッ鳴きである。常温水槽の金魚達も光の少なさに、片隅に寄り集まってヒラヒラしているだけである。一方、ヒーターの水陽炎のメダカ達は、光の薄さも何のそので、薄黄色の大人しい色合いで小石と水草の緑の間に、ボリューム感の泳ぎを見せてくれる。ラジオでは、この雨は今日一杯降り続くと云う。

 さてさて、本日、動きの遅い母上ではあるが、朝の賄い夫を片付けてから、自分の時間の振り方でも考えるとしようか・・・ 先ずは、動かねば1日は進んでは行かないのである。

 こんな日は何も考えずに、湯に浸かりに行った方が益しである。車でしか行けないから、帰りはホームセンターに寄って、嵩張るものを買い貯めして置こうなどと考えながら支度をしていると・・・ニコニコ顔の斜向かいさんの登場である。

              早速のロートル漫才の開演である。

「新しい絵は、出来たかい?」
「あいあい、傑作中の傑作だいね。見ておくれや。」

「ややっ、こいつは好い。この猫のポーズが決まってる。何処から見ても、<ややっ人間は、一体何を仕出かしているだや、>・・・そんな猫の声が聞こえて来るわね。イッヒッヒ。嗅いで見りぁ、SEXの匂いが一面に臭っているじゃねぇかい。この木だか崖だか分からねぇ物の白抜きは、女の体ずらい・・・ 
 フ~ム、猫の視線の先が、何とも・・・俗に云う充血した<赤アワビ>って事かいね。ギャハハ。お見事!! 幻想と動物の世界に、日常のビックラコイタの空白の一瞬が切り取られているって寸法ずらい。
 俺ぁ、開いた口が、塞がらねぇわね。こんなご近所に岡本太郎画伯が鎮座おわしたかと思うと、随喜の涙が出ちまうわね。イッヒッヒ。」

「やいやい、そりぁ、あんまりだんね。俺ぁ、キノコシーズンだから、毒キノコには暮々も注意しましょうって事で、描き始めた絵だんね。邪な心を捨てて、素直に見てみましょ。森のイタチだって猛毒キノコの前じゃ立ち竦んでアッジャのポーズを取っているって構図だんね。
<皆さん、兎角、綺麗なケバケバしい物には、棘・毒が満載!! 気を付けましょう>の共宣ポスターの心算が、白抜きの胸腺とは言って呉れるじゃないの~。同じキョウセンでも、漢字が違うの!!
 まぁまぁ、好いわい。絵も描き手から離れりゃ、『一個の独立体』だわね。見る者の想像力を刺激して、どう掻き立て様が、俺がとやかく言う筋のもんじゃねぇせ。前から横から、つくづくと観賞しておくれや。俺ぁ、文句は言わねぇさね。
      はい、これは、今週分のコピーだんね。最初の話は、Sちゃが主役だいね。」

「おっ、そうかい!! こりゃ有難い。どれどれ・・・」
「それより、此処の戯れ歌の話をパパッと読んで見てよ。俺としたら、好い出来だと思ったんだけど、皆さんからの反応が無くて、ブログ止めようと思い悩んでるんだけどね。」

「おぅ、そうかい? ややっ、端からピンピン・グングンと来る処が、並みの文章書きじゃないんだよね。フムフム・・・、好いじゃないの。このゴタな切り口の中にある、お兄ちゃんのインテリジェンスは、並みの男じぁ書けんわね。オサネに野クソにソーセージと来て、再びオサネさんかい。なんて云ったって、この並びが好いよ。或る種の成長を象徴的に表現してるだな。大人→幼児→少年→大人、中を取り持つ地の文章の格調の高さとのアンバランスのバランスが、お兄ちゃんの文章の特徴・味だからね。イッヒッヒだわね。
 そうだ、お兄ちゃん、三九郎の歌知ってるかい?」

「三九郎・三九郎、爺さん、婆さん来ておくれ。餅持って焼きに来ておくれってヤツかいね?」
「いや、その前に、面白いのが付いているんだよ。<三九郎、四九郎、五九郎。御苦労さまでも来ておくれ。カカサのベッチョー、なんちゅうだ~。周りマンジュウに毛が生えて、真中チョッと、チョボンだ。父ちゃん、カアちゃん後にして、三九郎、四九郎、五九郎、ご苦労様でも来ておくれ。> 俺の小学生の時分には、こんな振れ周り歌が有ったんだよ。聞いた事無いかい?」
「いや~、初耳だわ。ヤッパリ9歳違うと、太政官令で、伝統のわらべ歌が禁止されちゃったんだわね。日本の民俗学に素養の無い馬鹿共が目くじら立てて、根絶しちゃったんでしょうね。人間の生きる娑婆なんてものは、糞・味噌混在の混沌一体な処に、奥ゆかしくも味わいがある物を・・・ 世の中、無粋なヒステリー・インテリが幅を利かして居るんでしょうね。いや~、子供達も、親のしている事を、ちゃんと覗いていたって事だわね。あって然るべき男女のマグワイってもんだったんでしょうね。
 へへへ、世界に物作りの腕を、見込まれているだけの事はある。物作りは観察からって、言うものね。この親にして、この子ありで、おおらかで好いわね。」

「早く言っちまえば、そう云う事だいね。ほらほら、この河川敷のスケッチ画とか、この無数に発射された鱗雲の絵なんかにしても、その下の写実チィックなスケッチ位は、誰でもが描ける。
 でもさ、この鱗雲の発射なんて云う発想は、出て来ん物だよ。このオリジナリティが、猫に乗り移って、描いてある世界は自然界に題材を取った想像界なのに、酷く人間チックな想像を持って来るもの。
 見りぁ、見るほど、このキャット様は、ビックラこいてるポーズと表情だぜや。ポーズが、なんて言っても、好いよ。ひっかしがってるのがさ・・・見ちゃ行けねぇ秘め事に出っくわして、目を瞑らなきぁなんねぇのにさ。見たくてしょうがねぇのさ。此処には、一瞬の動きがあるんだよ。動き=躊躇だわね。奥が深いんだよ。
 これは、決して、猫やイタチじゃないわね。人間の姿そのものじゃねぇかい。ギャハハ。そこんじょそこいらの石部堅吉にぁ、絶対に描けないお兄ちゃんの世界だわね。イッヒッヒ。」

「やいやい、連隊長のSちゃから最大級の評価を頂いちゃ、弱気には為れんわね。打って、描いてるご本尊様にぁ、正体がばれる心配は無いってもんだわさ。当たって素通りの沙汰だわね。子細構わず、ぶっ広げるのが手っ取り早いって事でゴザンスね。」
「お兄ちゃん、当棒よ。頭でっかちのゴタ度ゼロの石部堅吉なんぞは、クソ喰らえってもんさね。へへへ、さぁ、今日は雨降りの読書日和だ。俺が主役の小話、とくと拝読して丸暗記するだいね。ギャハハ。アリガトさんね。」

 さてさて、風呂に行くべしである。老人の湯に行くと、『本日休館日』とある。浅間に引き返すのも面倒であるから、最寄りの「白糸の湯」に行く。この湯は、公共温泉浴場である。市の体育施設の温泉プールに隣接している。大駐車場があるから、街場の利用客の多い銭湯である。
 新しい建物であるから、二面の大きな内湯と露天風呂が付いて、300円の料金である。山辺の湯は、温い湯である。熱い浅間の湯が馴染んでいる私には、如何しても足の遠く為る湯である。長湯の好きな女性達には、何かと人気のある湯でもあり、駐車場角のラーメンとセットに為った小さなソバ屋のソバは、<知る人ぞ知る>の行列の出来る店である。

 降り続く雨に、買い出しをして帰る。温泉でポカポカしている内に、料理の仕込みをして置く。仕込みの後は、夕食までの間に、本日分の日記打ちをして過ごす。


心何処ーショート これを以って、本日の日記とす。
            これを以って、本日の日記とす。(10/25/09)
 天気予報だと雨との事であったが、雨こそ降らぬ物の・・・イヤハヤ、寒く成ってしまった物である。昨日の夕方の散歩は、軍手をしての散歩で終わらせてしまった。モヤの掛った夕刻の雰囲気は、今にも雪が落ちて来そうな・・・そんな嫌な色をしていた。そんな事で散歩は遠出をせずに、体育館・県文会館の周辺を三周して、階段の上り下りをしての一時間で切り上げてしまったのである。
 
 然しながら本日は、それに輪を掛けた様な曇天無風の冬の様な日である。足元に、電気敷きマットをしている次第である。夜に為ったら、半纏を着るしかあるまい。嫌な季節の到来と成ってしまったものである。
 外に出る勇気も無いので、安息の日曜日に託けて、ラジオを聞きながらのお絵描きタイムで、コタツor布団に潜り込む事に痩せ我慢の抵抗しているだけである。お絵描きが済んだら、適当な洋画をチョイスして布団の中観賞をする積りである。

 さてさて、何を描こうか・・・パイプ煙草をプカリ、プカリ遣って居ても、描きたいものが、パイプの煙と共に姿を現わしてくれる訳でもない。弱った物である。

 柿ピーナツ、ポリポリ・・・インスタント・コーヒーを飲みながら、出来上がった一枚である。相も変わらず、訳の分からない下手絵であるが、<想像力は見る者の内部にこそ宿る魔法の力>である。描かれた動物の何たるかを推量するのも、擬人化するのも、これ一重にも、観賞眼の優劣に尽きまする。

     痩せ我慢して風邪を引いても、誰も褒めては呉れないのである。
              ヘッ屁っヘと来たもんだ~。


                    森の中

心何処ーショート 極楽とんぼ
                  極楽とんぼ(10/24/09)
 支払いついでに図鑑を買って、部屋のアクセントに鉢植え小花でも買って来ようと、家を素通りして自転車を漕ぐ。日本or信州の動物図鑑の様な物を探して、店内をつぶさに探して見るが、無いのである。これほどの書籍の数なのに、私の探し物は全くの不人気なのであろう。探し主の私も、自分の不人気を反省しなければ為らない処である。・・・遺憾いかん。活字離れとは云うものの、本を見に来る人は結構居るものである。普段は本とは程遠い間柄であるから、店内の人達が皆インテリ顔に見えて、私は恥ずかしいばかりである。

 折角の本屋であるから、ペットバード・金魚・グッピィ・メダカの本などを、ポケットの老眼鏡を取り出して、確り立ち読みをしてしまった。

 今や、私もコーヒースタバの常連客らしく、スタバのオネエちゃん、おばちゃん達が、声を掛けてくれる。探し物が無いと、如何してもDVDの安売りカートを見てしまう。パッケージに写る女優さんの顔でチョイスして、パッケージを読む。一本を買って、お隣のホームセンター入口の園芸コーナーを見て歩くが、『帯に短し、たすきに長し』で二の足を踏んでしまった。

 家に居る時間が長く成ると、私も人の子である。お菓子などを摘まみたくなって来るものである。駄菓子類を買って帰る。

 熱い茶に甘いお菓子などを摘まんで、コタツに当たったいると、直ぐ様コタツに潜り込んで寝てしまうのが落ちである。部屋に帰って、斜向かいさん貸し出し用の最近作の印刷をする。活字ばかりの字面では、色気も無くも有りはしない。所々に下手絵のハーフサイズも印刷して綴りとして見る。斜向かいさんは、お向かいの一人暮らしのおばさんを誘っての一泊旅行に行っている由である。

 ハムナプトラのプレンダン・フレイザーと好みのジャクリーン・ビセットに似たエリザベス・ハーレーの色香に釣られて購入した2007年作の<悪いことしましョ!>を見たのであるが、彼女は些か痩せぎす過ぎた。悪魔は繁忙らしく太る暇が無かったらしい。ストーリーに見る物が無ければ、美形、ボン・ボンで魅了させてほしいのに、美形に肉感の要素を削いでしまっては・・・ 嗚呼、勿体ない。

 本日、こんな事を打っていると、早やコーヒータイムのお時間と為ってしまった。曇天の寒さである。Tの車に乗ると、みすぼらしい着た切り雀の私にジャンパーの差し入れである。私は、Tにお守をして貰っている様なものである。有難や、有難や!!

 流石に寒い日であるから、本日はホットコーヒー二つである。私は高校時代から、Tと一緒に居る時が一番リラックスしていると思われる。お互い、退職して学生時代に戻った様な感じで、思い付いた事を次々と話し、周囲に保養の目を巡らせているのである。ロートルオヤジコンビは、半世紀を過ぎても、変わらぬ女好き生物なのである。

「一度聞いて見ようと思っていたんだけどさ、Rとアガタ・リョウの関係は、一体どう為っているんだ?」
「難しい事を言っちゃ行けねぇよ。どっちも、俺に決まってるじゃないか。人間の中には、カリカリする自分と、頭の上の辺りで、腕組みして冷やかな目で自分を見下ろしている奴が居るだろうが・・・そいつらを別個に取り出して、誇張すりぁ別人だけど。そんな物は、誰でもが飼っている自分の分身ずらい? 深く考えたり、悩んじゃ行けねぇわさ。
 ジキルとハイドじぁ犯罪だけど、俺とアガタ・リョウの関係なんか、正常人の日常の姿だわね。俺は嘘の言えない正直の単細胞人間だから、思った事・感じた事を、そのまま曝け出しちゃってるだけだわさ。親友だからと考えて、精神病院に電話なんかするなよ。あい!!」
「武士の情って事もあるから、そん時は俺が引導を渡して遣るさ。あぃ!!」

 私はTの前では、素直に為れる。談論風発の風情は、知り合った頃から変わらぬ二人のスタンスである。

 本日は、ブログだけでは私の文作の風合いが伝わらないから、斜向かいさん用に下手絵を挿入した文作を持って来たのである。彼がインターネットをしていなかった時期には、定期的に文作・旅行記をコピーしてプレゼントしていたのである。二階には、時々スタバの店員さん達が片付けに見える。顔馴染みさんであるから、手招きをしてペラペラとお見せする。彼女達には、我々ロートルオヤジ組は、好カップルに見えるとの事である。

 尤も、二人の会話をスピーカーで放送などされてしまえば、即刻、入店拒否のお沙汰が出てしまうのだろうが、其処はお互い歳の効であるから、周囲との距離の遠近を測ってボリューム調整をしているのである。傍目からは、人畜無害の小市民のコーヒータイムといった映りであろうか・・・ さてさて、楽しいコーヒータイムも、ニコチン切れのお時間である。

 帰って、初めての試みで、スパゲッティを作って見る。テレビ映像を思い浮かべて、塩を摘まんでパラパラ、麺を茹でながら、玉ねぎ・挽肉を炒めてケチャップをブチュー、市販のミートソースを開けてサッと煮立てて、茹で上がった麺をフライパンで絡めて出来上がり。皿に盛って箸で老母子が、熱々スパゲティを啜れば、イタリア風焼きそばである。

「お味は、如何だい?」
「うん、美味しいよ。」
「そうかい、年寄りの口にも合うかい。初めての挑戦だったけど、これからレパートリーの中に入れよう。尻込みするより、試して見る方が楽だった。
 イタリアの食卓に乗る主食だもの。高級イタリアレストランを連想して、プロの領域なんて考え居た俺が馬鹿だった。気取る事ぁ無ぇ、イタリア式焼きそばだと考えて、箸で食べりぁ好いんだわさ。アハハ。」

 斯様に貧民下衆男に掛っては、何事もステータスの座から引きずり降ろされてしまい兼ねない。育ちの悪さは、一向に改まりそうも無い。つくづくと困った物である。生憎のお天気さんであるから、昨夜描いた下手絵で明日のお天気さんに、期待を掛けまする。


                   或る秋景_001

心何処ーショート 一散策考
                 一散策考(10/23/09)
 空を見上げると東から西へ、素晴らしい鱗雲が青いキャンパスに拡がっている。この秋一番の壮大な鱗雲の流れである。空に眺めを置きながら、田園地帯に進路を取る。ぶどう畑の収穫も殆ど終わっている。売り物に為らない小さな房が、黄葉の陰に散見されるだけである。リンゴが、赤い輝きをたわわに見せている。農機小屋の隅に植わったザクロの木には、鳥に突かれて変形したザクロの実が見える。

 稲刈り・農作業を終えた田が、ただ殺風景に広く続いている。高架線にトンビが止まっている。口笛を鳴らして、下からトンビを見上げる。トンビは、私を見下ろしている。足元を見ると野生動物の死骸が有った。何だろうと足でひっ繰り返して顔を見ると、額から鼻づらに掛けて白い線が入っている。ハクビシンの死骸であった。死後何日か経っているのだろう、艶の無い躯である。<為るほど、トンビ殿、左様であったか!!>
 街場で一匹、田園で一匹。これは、きっとハクビシンが、勢力分布を広げているのであろう。ハクビシンは、嫌われ物である。鹿・狸・狐・イタチ・アナグマ・ハクビシン・・・散歩をしていると、野生動物の生活圏が見えて来る。その裏で、農家の人達の頭を抱える姿が見えて来る。
 
 正規ルート1時間45分の散歩コースであるが、太陽の下、此処まで来ると流石に、汗ばんで来る。ベストを脱ぎ、ペットボトルの水を一口飲む。秋野菜の大根・白菜が順調な生育を見せている。上田に抜ける三才山(みさやま)への幹線道路と分かれて、集落への下り道を行く。 

 折り返し地点の民家の脇に、立て札が有る。「狐屋敷跡」とある。その昔、狐とは、見張りを意味したとの事であり、『早落ち城』の見張り役が住んで居た屋敷跡との事。立て札を読んで居ると、犬を連れたご婦人が<こんにちは>と声を掛けて行かれた。
 おやまぁ、綺麗なご婦人である。屋敷の周りは、竹藪に囲まれていたそうな・・・家の裏側の石垣を積んだ高みには、細い竹が密集した竹藪が見える。為るほど、あれが古から伝わる竹藪の子孫達なのだろう。竹藪屋敷に、<こんにちは>のにこやかなる女性(にょしょう)・・・陽は高いが、狐に化かされて鼻の下を長くして居ては、物笑いの種である。コースに戻るべし。

 橋を渡って祠の石階段を上って見ると、『早落ち城』の来歴が書いてあった。戦国時代は、武田信玄の頃の山城であったそうである。奪ったり、奪い取ったりの歴史の中で、城は80数年が使われ廃城と為った由。奪われた城主が、武田側について、難なく<早や落し>で、城を奪還した事から付いた『早落ち城』の由来との事らしい。記述が簡単過ぎて、想像力で補てんしなければ、頭の悪い私には具体的イメージが湧いて来ない処である。

 里山は広葉樹と松の混成林であるから、黄葉が進んで来た。下の橋の東の山懐には老人ホームが有る。行った事は無いが、こんな時でなければ行く事もあるまいと思い、行って見る。登りの一本道である。山際まで後発の住宅が続いている。

 おやおや、こんな所にも立て札が有る。信濃八十八か所札所の○○番所とある。物はついでであるから、石段を上ってお参り兼休憩をして来る。少し上れば、グーンと眺望は開けて来る。眺望が開けると、人間は何かと足跡を示したくなる物の様である。人里に近い山際の道を辿れば、こう云う小さな神社・祠は幾つも見当たるのであろう。眺望は、人に自分の小ささを感じさせる。拡がる自然界に、日常では感じられない恵み・感謝の念を運んで来るものなのかも知れない。

 四方を高い山並みに囲まれて、深く沈む松本平の地である。安曇平と松本平の境には、城山の丘陵地帯が盆地全体の平らを東西に分けて伸びている。戦国時代の山城の位置関係を、其々の山の迫り出しに当て嵌めて見る。タイムスリップして、ギスギスした戦乱の時代・戦国時代の土豪達の弱肉強食・下克上の心理と時代の爪痕を、先日登った小さな砦城内部の余りの小ささと不便さの実感に重ね合わせる。それらを繋ぎ合せて、その当時の生活・思いと戦術を想像しながら、ボッチラ、ボッチラと歩く。

 空の鱗雲は、一つ一つの魚鱗が霞んで大きく成って、空の大半を埋め尽くして行く勢いである。雲の上の傾いた太陽が、何故か悲しく感じられる。

 信濃の国は、山に災いされて砦城の延長ばかりで、歴史上の大物が育たなかった国である。盆地の平らの要所要所に競り出した山の迫り出しは、平らを適当に小分けする様に位置している。そんな小さな山城・砦城は、集落同士の小競り合い・地域の抵抗の拠点には為ろうが、天下に押し出す要(かなめ)とは為り様も無い。

 今しがた通り越して来た『早落ち城』を攻略せよと下地されれば、私なんぞは、<降伏しなければ、即山に火を掛けて、全て焼き尽くすぞ。降伏か抗戦を即答せよ!!>なんて、物騒な戦法一本遣りで行ってしまうのだろうなと考えてしまう。そして、一方、山の砦城を任せられても、取り囲まれて下から一斉に火を掛けるぞなどと脅されたら、切腹の咎が下らない内に先頭に立って平伏してしまう事であろう。

 如何考えても、立地が悪過ぎる。この地で一大勢力を作り上げるには、平らの中心に築城して、平らの物流線の整備と出城を配する一大都市造りをするしかあるまい。それが出来なければ、臨機応変に謀略・籠絡で生死を賭けるしか有るまいに・・・

心何処ーショート 秋風に鱗雲走るなり。
              秋風に、鱗雲走るなり。(10/23/09)
      
      ♪オサネピンピンマラグングンマエカラヨコカラウシロカラ~♪
              一体、何の夢を見たのやら?

 軽歌謡のシャシャンがシャンのテンポに目の覚めた朝である。障子に朝日が差している。じゅげむじゅげむのぽんぽこりんのぽんぽこりん・・・・じゃあるまいし、はたまた、『ベンケイがな、ぎなた』を元へ、弁慶が薙刀をでは無いが、朝からお恥ずかしい限りである。

 これは何十年も前に、北陸の温泉郷に仲間達と繰り出し、宴会の席上で大年増芸者衆から教えて貰った楽しい替え唄・ご当地★★★音頭の一節である。盛り上がって酔酊の頂点に達していたので、肝心要の奥深き音頭の歌詞は忘却の淵の奥底に没してしまっている。

 今風のご時世ではダジャレ・親父ギャグなどの類は、若者文化からは、愚の骨頂と蔑まれるばかりの肩身の狭さであるらしい。時代時代を反映して、興味好奇心・面白味などと云った物は変化して来るものであるから、仕方の無い処である。
 振り返って見ると、宴会世代の酒飲みと云うのは、座興の一翼を担がなければ為らなかったから、替え唄を披露するのも<酒のお付き合い>の大事な嗜みの一つだったのである。私の若い頃は、カラオケなんてスマートな物は無かった。従って、宴もたけなわとも為ると地位のある人達が、湧き起こる手拍子の中で朗々と『替え唄』を歌っていたものである。

 それは、<同じ屋根の下、同じ釜の飯を食う。>の帰属意識の醸成に大いに役立っていた先輩後輩の馬鹿騒ぎの象徴の様な物であった。替え唄の冴えで、上から能力を見出されたり、同期から一目を置かれるなんて事も有った時代である。
 決して顰蹙などは買わなかった<男番から>の時代であった。座興の席では、日本版ベリーダンスの裸踊り・臍踊り・腰振り踊り・振り珍踊りも付き物であったし、軽くその輪の中に入り切れない者は、男の風上にも置けない『仲間外れの虚弱者』などと断じられていた風潮が有った。
 私は音痴で、見本のある歌が歌えなかったから、専ら有名歌謡曲の替え唄を考えて、音痴を糊塗していた物である。声だけは通る好い声だとお世辞を頂戴して、悪乗りをしていた物である。替え唄と云う遊びは、何処の国にもどの時代にもあった、言葉遊びの風習の一つであろう。

♪ぶんぶんぶん、お花のまわりに、ハチがとぶ。ぶんぶんぶん。ブンブンブン、オクソのまわりに、ハエがとぶ。ブンブンブン。田舎の香水、ハエがとぶ。ブンブンブン。♪
 
 これは、私の娘が幼稚園に通っていた時に、女房に隠れて得意に為って歌ってくれた童謡であった。

♪痛いよ痛い。放せよ放せ。せっかく挟んだソーセージ。放すもんか、ソーセージ。チンチン、ザリガニに挟まれた。血が出て赤チン付けた。赤チン付けても治らない。黒チン付けたら、毛が生えた。両手で隠したら大きくなった。隠れて擦ったら、白いミルクが出た。エカッタ、エガッタ。♪
 
 これは、長兄の長男坊主が、夏休みに遊びに来た時に、ニヤニヤして私に歌ってくれた都会は東京の餓鬼歌である。その弟は、<お兄ちゃん、僕にも教えてよ。お父さん・お母さんには、絶対に内緒にしているから、お願い!!>と、目をランランと輝かせていたものである。あれから、何十年・・・兄は銀行員、弟は中学の教員である。

       ♪オサネピンピンマラグングンマエカラヨコカラウシロカラ~♪

 個室にゲーム。耳にイヤホン、手に携帯カタカタ・・・。歌えば、一億総カラオケ歌手・・・
子供世界の男組・女組、少年組に若衆組を活写した赤松啓介先生の『夜這いの民族学・性愛論』も、遠く博物館入りにして、替え唄音頭の伝承文化も平成の御代の終わりには、博物館入りするのであろうか・・・大衆下衆文化の居心地の好さが、何故か恋しく思われる昨今の一過性文化の風潮である。

 申し訳御座いませぬ。中足為らぬ中指の奴が、有らぬベクトルをば指し示し、とんだ読み物に発展してしまいまして御座る。紳士淑女の気高きお心に依って、本文の趣旨だけを格調高き抽象語にて、頭の片隅にお留め置かれまする様に・・・
 努々(ゆめゆめ)カタカナ文字を漢字と句読点で、解読為されますな・・・解明・解読されては、私の立場と云う物が、解明・解読の一瞬に崩壊して仕舞いまする。武士の情けの温情を・・・何卒、頂きとう御座ります。

 さてさて、曇った吾が脳味噌に、外の新鮮な空気を送り込む為に、散歩に出掛けて参りまする。

心何処ーショート 本日の一枚
                 本日の一枚(10/21/09)
   エヘヘ・・・ 余りのお天気の好さに、柄にもない事をしてしまいました。

 ホームセンターに行って来た帰り、気持ちが乗って来たのを好い事に、煙草・ラジオ・シャープペンシル・落書き帳を持って、河川敷のベンチで目に写る近望をスケッチして見ました。★失礼しました。私はスケッチをする程の器用さは、持ち合わせては居りませんでした。でも時として、私も人間の端くれでありますから、外に出て絵を描いて見たいと云う気分に、かられる事もあるんですよ。

 何本引いても、後で消せる線・形です。適当適当・・・リラックス気分が何よりの絵心と云う物・・・などと、ラジオを聞きながら、煙草を吸いつつの適当描きをしては見た物の・・・全く、思う線は、描く事も出来ない不器用さでありまする。
 何事も、諦めが肝心でありまする。覚束なく交差する線も、部屋に帰って消しゴムで消し、色鉛筆で色付けをすれば、絵もどきの下手絵が完成するのでありまする。

 私は反省機能がきっと乏しいのでありましょうが・・・一人の生活空間の日々を送って居りますので、益々反省機能が薄弱と為って来ている昨今でありまする。

 私の周りでは、絵を描いて見たいのだが、その勇気が無いと云うお人が、真に多いのであります。絵は人間が描く物でありまするから、正確・綺麗に描く必要は余り無いのではないか・・・と、考えて居ります。何でも、描いて見れば好いのだと思います。描けば、他人には決して真似の出来ない絵が出現すると云うものです。描いた物から、何かしらの雰囲気・思いの様な物が出て居たら、それで十分なのでは無いでしょうか。

 何しろ、素人の悪戯心からの派生物なのでありまするから、点数も値段も付く筈も有りませぬ。然しながら、思うにインターネットで繋がるハンドメィキングの世界が、ブログの世界でありまする。時間を掛けて書いたもの、描いたものは、『かき人知らず』で投稿してしまえば、♪ウッシッシ~♪なのでありまする。いざと為ったら、これも人間の自然為る精神活動の一つと誤魔化してしまえば、如何って事も無いのでありまする~。

 若し、ご自分の内なる絵心に躊躇為されているお方が有りましたら、一切構った事は有りません。是非是非、描いてお出しする事をお勧めする次第でありまする。
 
 前置きは、この位に致しまして、本日の一枚でありまする。お笑い下さい。


                   近望



心何処ーショート 静かな日差しに、賄い夫。
               静かな日差しに、賄い夫(10/21/09)
 風も無く、太陽が眩しい朝である。射し込んだ太陽の陽に金魚達が、彼等の色彩を膨張させて群れ泳いでいる。実に煌びやかな朝の眺めである。子メダカ達の体形も大分大きく成って来た。大きい物は、オスグッピィより一回りほど小さいまでに成っている。
 
 自転車通学の高校生達も、光の中をスイスイ通り抜け、通勤の車の音も無く成った。一時の動きを見せて、外は仕事前の静寂が、顔を覗かせている。玄関からは、明るさを喜んでいるかの様に、金華鳥の囀りがピーンと聞こえている。

 母の洗面の音を聞きながら、母の体調の好し悪しを窺がう。台所で湯を沸かす音が聞こえ、仏壇に燈明が上がり、チィーンの音がしている。

 さてさて、朝の賄い夫に稼働開始をしようとして居ると、
「おはようございま~す。ヤクルトで~す。」と、元気な声が飛んで来た。
「今日は、ヤクルト商品の宣伝をしますね。ラーメンを一杯持って来ました。10食単位ですよ。焼きそば・しょうゆ・みそ・しおで~す。お安いですよ。一杯買って下さ~い。」
「何は無くとも、桃屋の江戸むらさきに<ヤクルトの即席ラーメン買い>かい?」
「ピンポン~、当りで~す。何にしますか~。みんな、美味しいお買い得商品で~す。」

 ヤクルトママさんも、すっかり落ち着いて来た物である。焼きそばとしょうゆラーメンを20食買ってしまった。最新作の下手絵を見て貰う。

「ヤッパリ、Rさんはボィッボィッの白人女性が、好きなんですねぇ~。」
「なんだよ、その勃起ボッキってのは?」
「ヤダ~、何言ってるんですか、未だ朝ですよ。犯されない内に、次へ回りま~す。一杯買って貰って、ありがとうございま~す。」
「アハハ、逃げられちゃったか。ケチ!!」

 遺憾いかん、朝飯の用意をしなければ為らないのである。朝食の後は、ひまじんさんの兄貴に対抗して、市販のエノキとブナシメジを3袋使って、キノコの佃煮風を作り置きして置く。これは簡単に出来て失敗の無い作り置きなのである。カブの酢漬けも味が回って来て、重宝している。私の隠し味は、『昆布茶』である。台所の片づけをしていると、プラスチック用ゴミの袋が無く成ってしまっている。インスタントコーヒーも底切れである。

 やれやれ、補充に行って来なければ為るまい。通りの向こうの店は、二店とも店じまいである。遠くに為って、不便な事である。健忘症に汚染されぬ間に、昼頃に、買いに行くべしである。そうだ、そうであった。洗濯の粉石鹸も、ついでに買って来るとしよう。 

心何処ーショート 仕切り直しのDVD 
              仕切り直しのDVD(10/20/09)
 生温かい南風が吹き荒れていた昨夜であったが、イヤハヤ、この時期、黄砂が舞ったとの事である。最後まで残ったメスキリギリスであったが、昨日死んでいた。
 本日は、肌寒い曇天の中で、北風が音を立てて吹いている。大風の音を聞きながら、買って来たジャック・レモンの1972年作<お熱い夜をあなたに>を見ている間に、我慢出来ずに寝てしまった。根気が薄く成ってしまった物である。

 私のお仲間の世話をして、昨日分の校正をしたりブログ散策をしていると、母の動きが始まった。朝の賄い夫をする前に、薬を貰いに行って来る。二日も続けての健忘症では、倅の沽券に拘わる。

 新型インフルエンザの報が日常化している昨今である。町医者の待合室では、みんなマスクの着用をしている。年寄りの皆さんの顔付を見て、日本人は聞き分けが良くて真面目なんだなぁと感じずには居られなかった。混んでいる待合室、サザエさんの単行本を捲りながら順番を待つ。

 朝食後のテレビを見ていると、農家の真綿作りを放送していた。その昔、養蚕は農家の貴重な現金収入源であったそうである。レポーターの吉本多香美さんは、好みのタレントさんであるから、『こりぁ、好い。』とばかりに、母の部屋でお付き合いをする。

 小学生の低学年の時、蚕の事を<呼び捨て>にして、同級生にシコタマお説教を頂戴した事を思い出した。農家にとっては、蚕はカイコでは無く、おカイコ様なのであった。彼女は最初、母・祖母から<カイコさん>と教えられていたとの事であった。私は、それを聞いて、『お蚕様だよ。そんな呼び方をしたら、Nちゃにシコタマお説教を貰っちゃうよ。』なんて、ニヤニヤして見ていたのである。
然しながら、流石に彼女は、ウルトラマンの娘さんである。番組の最後には『お蚕様』と呼んでいた。

 因みにお蚕様を教えてくれた彼は、農家の長男坊であった。彼とは幼稚園から大学まで一緒だった。先日、散歩の途中でバツタリ顔を合わせて、84歳の母親とブドウ畑の仕事をして来ての帰りだったのであるが、転勤の多かった会社を定年退職して、農家仕事に精を出している様と親孝行の様を見せてくれた男である。

 スースーと私の禿げ頭を寒く撫で回している風ではあるが、曇天の暗い日には玄関の薄暗さでは、小鳥達も面白くは無いであろう。玄関から鳥籠を昼の定位置に置いて遣る。

 さてさて、隣部屋からDVDを持って来て、PC画面で昨夜の続き見である。全編145分の内、テレビ版日本語吹き替え部分が75分と書かれてある。今回のジャック・レモン氏は、大衆受けする軽いパントマイム的な笑いを取らずに、実に渋い。
 何処までも紳士の慇懃さを崩さないホテル支配人役のクライブ・レビル氏との絡みが何とも、面白可笑しいのである。

 盛んに上から目線で、がなるレモン氏と職務に忠実なレイブ氏は、男社会の分別・立場を弁えた中年男同志の態度・表情が、命令口調と逆らわず応対して行くのである。芸達者な役者二人は、笑うに笑えずの何ともフザケタ味を、渋みの中に漂わせて長丁場のドラマは進行して行く・・・周囲の登場人物達は主役二人への笑えなかった分を、これ見よがしに補って、<これでかこれでもか>と目白押しの、白ばくれて、とぼくれて、下心見え見えのとんでもない輩のオンパレードなのである。・・・ 幾ら我慢強くも、上品で奥ゆかしい私であっても、早々は真面目にストーリー観賞など出来よう筈も無いのである。

 これは、白らばくれた大人の男同志のコメディなのである。真面目に演じれば演じるほどに、その中から漂う男の酸いも辛いも知った男のペーソス見たいなものが見えて来てしまうのである。兎に角、二人とも大した役者さんなのである。

 それにしても、145分物を75分物にしてしまったとは、恐れ入谷の鬼子母神と云うものである。それでは、単なる中年男女のラブコメディの烙印しか押されまい。この映画の実質的主役は、主役を食ってしまったホテル支配人のクライブ・レビル氏の存在感なのである。折角の玄人受けのする映画の出来にも拘わらず、<国変われば、趣旨変わる>では、文化大国・日本を目指す道程は、遠過ぎると云うものであろう。とんでもない編集を駆使した物である。コンニャローメ!!

 勿論、この2時間半にも迫ろうとする映画の表の顔は、ラブ・コメディなのであるが・・・

<イタリア式人生の楽しみ方とは? ワイルダーとレモンの名コンビが捧げる洒落た恋の物語! 酒と女と音楽、青い海と古風なホテル・・・イタリア式人生の楽しみ方に感化されて行く『効率第一主義』のアメリカ人が繰り広げるオシャレなラブ・コメディ。映画界最高のユーモリスト、ビリー・ワイルダー監督と『アパートの鍵貸します』『お熱いのがお好き』のジャック・レモンが捧げるすてきな恋の物語!> ・・・パッケージ抜粋。

 ホンマかいな? 好くも白々しくも大衆受けを狙ったお座成りの映画紹介である事か!!
 
 太目、金髪の中年ヒロインを演じるジュリエット・ミルズが、実に好感が持てる。全裸の水泳シーン・全裸の豊満な胸とデン部をチラチラ見せる白人の日常性を見せるシーンが、好いのである。中年女の赤味と云うか・・・くすみを帯びた尻の割れ目なんぞは、正に女優さんのそれでは無く、一個の女性の立派過ぎる程の尻の割れ目の色なのである。
 私見ではあるが、本来は自然な形でしかない裸身を、殊更、セックスの対象・売りの対象にしてしまう処が、そもそも異常なのである。有り触れた日常間の中のセックスを連想させるのに、格好の象徴であろう。白人女性は、人前でも立派な放屁もされる文化の担い手なのであるからして、眉を顰める必要など更々ないのである。

 張りも遠に失って形崩れして、肉のボリューム感の正体を晒した彼女とレモンの全裸シーンが何箇所か出て来るのであるが、下手に隠すと宜しく無いのであるが、おおぴらにするとそれは、単なる男と女の体形の違いにしか映らないものである。飾り物の衣服で強調される物よりも、隠しようの無い物の中に、却って気持ち・心が見えて来る。そんな物であって良いのである。人間、若いだけが取り柄では無いのである。くすみも十分な味の一つと言うべき物であろう。こんな細部を観賞するのも、映画鑑賞の奥深い視点であろうが・・・こんな時は、決して誰かさんの十八番『ケッケッケのケツの穴』なんて野次は飛ばしては為らない代物なのでありまする。イッヒッヒ。

 私も一生の内で数少ない、そんな女性達の普段着の裸身を見させて頂いた有難い経験がある。映画の中で、そんな日常の有り触れた男女の裸身を見ると、脳裏の引き出しが音も無く再映されて、私は何故か苦笑いとも付かないニヤリ笑いをしてしまうのである。人間男女のプライベートな日常には、そんな事はチョクチョク姿を現す自然体の一部なのであろう。

 まだまだ日本映画には、こんなシーンは出て来ないのであるが、男と女の実態とは、こんな所に潜んでいるのだと思っている次第なのである。中年女の型崩れした裸身の乳・デン部は、それなりに重ねて来た年齢の厚みと内面を現わして、男の目には結構乙な物に映るのである。

 型崩れした豊満なる白人金髪女性の堂々たる裸身に、壁のシングルママさんの写真を見遣ったら、
<フン、男も女も脱げば、ただの裸でしょう。あなた、馬鹿ですねぇ、たかが女の体を見た位で、ニヤニヤしている様では、女を知る事は出来ないですよ。>
 などと軽く一蹴されてしまった。会話と体話を同一視する傾向のある白人社会は、大した物であり、島国根性の日本人は見習う必要がある。
 イヤハヤ、垂れ尻を晒したレモン氏も、豊満肉のボリュームには、意外と手こずっていたのかも知れん。ニャハハなり。

 此処で一つ下衆の感想。彼女が全裸で海を泳いで行くシーンがある。何やら白いピップであったから、パンツ着用なのだろうと直視していたのである。それが、海面に出た岩に上がった彼女の裸身を見ると、白いパンツでは無く日焼けしたパンツの跡であった。

 この18日に満61歳を迎えたロートル男ではあるが、彼女に『天晴れさ』に拍手を送った次第である。やはり女の体には脂肪の膨らみがあった方が、福与(ふくよ)かで安心する物である。・・・何しろ、白ばっくれた味の濃い映画でありました。エカッタ、好かった。


                   お熱い夜をあなたに



心何処ーショート 此処にも、一組の幼馴染あり。
          此処にも、一組の幼馴染あり。(10/19/09)
 私の文作は、下書き無しの思う侭の中指打ちである。投稿する段では、誤字脱字ばかりだと恥ずかしいから、一、二度か読んで修正をして済ませている。然しながら、根気と几帳面さが乏しい限りであるから、文面には毎度の事ながら、説明不足・誤字脱字の類が散見される。まぁ、顔が見えない事を言い訳に、知らん振りの半兵衛を決め込んでいるのである。

 投稿した翌日に自分の文章を読み直して、原本の方に修正をして保存している。何でもそうであると思うが、一日くらい寝かして置いた方が、記事(生地)が発酵・馴染んで来て変な個所に気が付くと云う物なのであろう。そして、自分の保存版の方は何日分かを、印刷紙面に空きが出来ない様に続けて行き、頁の切れの好い処で一つの括りとしているのである。
 従って、そんな纏めをしている時に不具合を再発見して、誤字脱字・削除・加筆の仕上げをしているのである。こんな事なら最初からその修正過程を算定に入れて、恥ずかしくない物を投稿すれば好いのであるが、それが出来ない性質、待つ事が出来ないそそっかしい性格なのである・・・遺憾いかん。

<後の後悔、先に立たず>の苦い経験を散々舐めて来たにも拘らず、私はロートルに為っても、『イヤハヤ、あな、恥ずかし』の毎日を送っている次第である。尤も、何日か経って何回か自分の拙い文章を読み進めていると、其処には何かしらの作文書きの訓練に役だっているのである。まぁ、これも勉強をしないで遊び回って来た男の遅ればせながらの『勉強』なのである。

 冷蔵庫の食料も底を突いて来た。風呂に入った後は、買い出しに行く。雲一つない青空が広がっている。風の強さに、蝶が舞い、頭上のトンビが風に流されている様が見える。木の戦ぎに、みかん色の柿の実が太陽に明るく映えている。民宿旅館の玄関では、若い白人男性が、ポーズを決めて奥さんから写真を取って貰っている。ニコニコした青年は、一体どんな日本感想を仕込んで、周りの友人知己に日本の印象を語るのだろうか・・・川の清楚な流れには、カルガモ達が、身を浮かせている。

                 アジャジャ!!

 今しがた車で頭を轢き潰された感じのヤマカガシが、アスファルトの道に生々しく死んでいる。大きい。1mはある。太った胴体の黒・黄・赤の嫌な縞模様である。轢死の憂き目にあった蛇からかれば、太陽の熱を全身に循環させようと、黒いアスファルトの上で日向ぼっこでもしていたのであろう。こんな物を見てしまうと、折角の遠望を愛でる気分がすっ飛んで、自転車のタイヤの先にばかり目が行ってしまう物である。川は野生にとっては葦に覆われて、人間が入り込んで来ない安全なグリーベルトの様なものである。ネズミ・カエルを捕食して、蛇も大きく育つ安住の地なのであろうが、地球温暖化で十月の下旬に差し掛かろうとしているのに、日中のお天道様のお誘いに乗っかって、アスファルトの地熱効率に目が眩んで、ノタノタと人間界に姿を伸ばして居たのが運の尽きだったらしい。この辺りも、私の散歩コースであるから、生きた蛇に出っくわさないで有難いと云う物である。

 部屋に居ると、斜向かいさんが手を振って居られる。先先日、見終わった映画テープ・DVD・文作コピーを玄関の廊下に置いて行かれたのである。

「どうぞ、適当に探してましょ。最新作を12頁位、印刷して置くぜ。」

 蛇の話から始まって、早落ち城祉の話に進んで、キノコ採りに纏わる子供時代の話に花が咲いてしまった。我々の世代は、遊ぶ事しか娯楽の無かった時代である。歳は9歳も違うのであるが、遊びの内容は、振り返れば大差の無いガッタ坊主のそれである。

 斜向かいさんも此処へ来る前は、一週間に二度は図書館に通っていたと云うお人であるから、次々と雑学を取り入れて面白い話を聞かせてくれる。久し振りに、下ネタ無しの郷土史話を聞かせて貰った次第である。

「さぁさぁ、最新作12頁だ。早速、読ませて貰うだ。兄ちゃんの文章は、字引を引く楽しみがあるぜな。暗く為らない内に、読むだいな。よぉーく読んでさ、頭ん中へ、叩き込んで、ふんぞくり・生意気野郎をカマって遣るだいな。

 70超えても、俺の現役ピンピンを見せびらかして遣るのさ。<オメ様、隠居面するのは早いずらい。隠居面と惚け面とは、次元が違うんだ。おめぇのは、惚け面って言うんだ。口モグモグ、目ぇ白黒させて如何するんじゃい。反論のゴタ句は、何処に忘れて来たんじゃい。俺はおめぇの論調を読むより、おめぇの心裏を読むのに長けてるんだ。何か、言って見ろ。>って、カマって遣るんだ。へへへ。

 まぁ、面白いんだよ。野郎は生意気に市会の議長経験者ずらぁ、そんな事ぁ、幼馴染・高校の同級生の俺にぁ通じないわね。口尖がらせて、過去の栄光にしがみ付いたって、お互いお役御免のロートル行進だわね。そんな物ぁ、屁の河童さね。まぁ、何しろ、野郎は鬼瓦見てぇな顔して気分を害しているんだわさ。西瓜頭が、茹でダコ見てぇに、赤く為って、如何するんじゃいってなもんさね。偉そうなご託をほざいて居ても、悲しいかなお頭の中身は同程度だもの。見栄張ったって、通じねぇさね。ギャハハ。

 面白れぇたら、有りぁしねぇせ。俺の持ってるカンニングペーパーの方が、そこんじょそこいらのゴタ話じぁ、おっつかねぇ代物だわさ。<どうだ、此処に出てくる斜向かい色白前田吟さんたぁ、何を隠そう~、俺様のこったぁ~、ざまぁ見やがれ。>って、大見えを切って遣るんだわさ。イッヒッヒ。

 今日明日辺りにぁ、淋しく為って、野郎から電話が掛って来るずらい。お互い、カマってカマられて、廊下で水の入ったバケツ持たされて、立たされていた仲だもの。それが、何時の間にか60何年も経っちまったいね。これまた、顔を合わせれば、ケッケッケのケツの穴ってもんだわね。ギャハハ。」

 イヤハヤ、色白前田吟さんの名調子である。斜向かいさんは、強烈な事を仰るが、優しい目は、何時も柔らかに笑って居られる。元議長さんは好く存じ挙げている隣町会の住人様である。農家の長男坊であるから立派な体格で男前ではあるが、厳つい面相の御仁である。若い頃は、エースで四番で鳴らした野球気違いのお人である。
 剛と柔の幼馴染コンビの遣り取りは、差し詰め落語長屋の八ッあん、クマさんの掛け合い見たいなものであろう。相性が合い過ぎるからお互いに、<コンニャローめ!!>の仲が半世紀以上も続いているのであろう。これも、家を離れる事の出来なかった長男同士の田舎暮らしの交友録の一つであろう。私は、小・中学校の偉大なる先輩方に、イッヒッヒのエールを贈らせて頂いた次第である。

        さてさて、私は、散歩に行って参りまする。

心何処ーショート 私人日記の重宝性
               私人日記の重宝性(10/18/09)
 ほんの少しの間、雲が夕焼けに染まっただけで、雲は灰色を濃くして行く。一日は呆気無く幕を閉じて行く。日曜日は、昔からの習慣で政治番組を見て居たのであるが、この頃は一向に興味が湧いて来ないので困っている。これも、老化現象の一つなのだろうか???

 昨日は、子守歌代わりにラジオの深夜便を枕元で付けていた。頭の大半が停止しかかっている時に、ラジオドラマが始まった。女と男の手紙を基調に置いたドラマであった。綺麗な文体で綴られた女の手紙が読み進められて行く・・・・ 聞いていて、これは女の書いている文章では無いなと直感して、作家は誰だろうと興味を引かれてボリュームを大きくした。

 小部屋から煙草を持って来て、火を付ける。ドラマは、手紙の内容を肉付けする様に、手紙と手紙の間に、手紙で語られる事件を再現して行く形で進んで行く。女の手紙の朗読が秀逸であったから、この女の手紙と返信の形での男の手紙の朗読だけで構成された方が、透明感のある仕上がりに為って、私には心地良かったのであるが・・・ 

 現実は、ラジオドラマであったから、7~8人の登場人物と効果音で構成されていた。主人公の女の落ち着いた声質と朗読の間の取り方、トーンが他の声と比べて抜きん出て秀逸な為に、他の要素が足を引っ張っていると云う感じで聞えて来てしまうのであった。

 同じ作家の手による女と男の手紙交換が主軸の作品なのであろうし、そのドラマの構成の斬新さが、眠りに落ちようとして居た私の感覚を、呼び起こして作家の文章に聞き耳を立たせ、内要を語る文章の文体・調子に感心しながら聴き入っていたのである。
 然し、その他諸々、多分小説の<地の部分>をドラマ仕立てにして、リスナーサービスにしているのであろうが・・・効果音を挿入し人の声を動かせ過ぎた為に、却って手紙朗読部分への不協和音として耳障りな雑音として私の耳に達し、神経に癪を齎せていたのである。番組ディレクターの老婆心は、多くのリスナーサービスとして、きっと多数派なのであろう。

 この様に優れた文面は、手紙の交換だけで手紙を書いた者の心を、コンパクトに強く、聴く者に彼等の心の臨場感・想像力に深く浸透するのに・・・手紙とは、本来、出した者と受け取った者との間に成立する一人称の二人だけの世界なのである。
 二人だけの世界であるからこそ、言の葉から相手の息遣いさえもが立ち上り、その内容が持つ情念の力が、人の心を打つ物なのでは無いだろうか・・・手紙とは、それで充分の存在意義を持つものであろう。

 臍曲がり少数派の私の感想を言えば、不要な説明の雑音が酷く違和感に感じられて、作者の文学的香りに冷水を掛けている様な物であった。きっと、作者は苦虫を噛み潰した様な顔で、満足していなかった様に思えて為らなかった。変に事件の臨場感を作り上げようとしたラジオドラマの作り手の『感性の無さ』に幻滅した次第である。原作者は、可哀そうに宮本輝氏であった。

 落差の有り過ぎた深夜のラジオドラマに、繊細さには程遠いと思われる作り手の<お節介振り>が何とも腹立たしく感じられて、枕元の煙草をプカリ・プカリ吸ってしまい、すっかり寝そびれてしまった次第である。

 まぁ、こんな個人的な小さな不満も、ロートル日記として打つ事も出来るのであるから、マイナーな私人日記とは重宝な物である。


                   夜の隣机




心何処ーショート 女二態
                 女二態(10/17/09)
 夕方の散歩をしていると、ペット犬を遊ばせている例の<とんでもない女>に見付かってしまった。『然も胡散臭そう』に私を見る大袈裟なポーズが、彼女のお決まりのご挨拶なのである。年子の弟は、昔は私に好く懐いて、気持ちの優しい男だったのだが、悪い処は全て姉が一身で引き受けされているのだろう。そう思えば、気を悪くする必要も無い。

 私は県文会館上の土手道を進行中であり、彼女は下の会館の業者専用搬入口の有る脇の駐車スペースである。兎に角、口の悪さと口数の多さには、七生転生しても敵いっこない『カンナの権化様』である。<やぁ、元気かい?>だけで素通りしたら、後ろから石を投げ付けられるのは、必定である。幼馴染の同い年ではあるが、此処は三下に為り切ってお局様のご機嫌伺いに降りるのが、奥ゆかしい男の所作であろう。

 短足メタボの体で、ガードレールを跨いで、滑る草の斜面を下りてヨツトラセと進み出ると、
「Rちゃ、それ以上近付くと、この子が引き付けを起こしちゃうから、駄目だよ。好いの好いの、人相は悪いクマだけど、喰われないから心配ないよ。」
 と、来たもんだ。

「馬鹿野郎、こんな好い男と親しく話が出来るんだ。感謝すると云う気が、少しは起きんのかい? 自慢じゃ無いけど、出る所に出れば、ファンがキァーキァーだぜや。何しろ、俺は国際派だぜや。」
「何言ってるだ。同窓会にも顔出さないで。みんな、Rちゃは元気?なんて、話題にして遣ってるのに。本人が来なくて如何するだよ。この罰当りが。」
「へへ、俺は、そんな晴れがましい席は、苦手なんだわさ。夜風に一人吹かれて、満月の月の下に佇む月見草が、俺の風情ってもんさね。
 みんな、元気だったか・・・ほう、90人も集まったか・・・ そりぁ、豪勢で結構だ。そうかそうか、先生達も元気だったか・・・ うんうん・・・みんな、終盤に向けて、人生色々、喜怒哀楽の顔合わせだったって事か・・・ 好かったじゃないか。」

 何しろ、鬼瓦の様な御面相のお局様である。ズケズケ、言いたい放題の同窓会報告であった。

「Rちゃ、もう6時に為るずら。こんな男と無駄事言ってる場合じゃないわ。仕事があるから、さぁさぁ、散歩に行き!! キョロキョロするんじゃないよ。真っ直ぐ前見て、真面目に歩かなきぁ、そのデカイ腹は凹まないよ。じゃあ、又ね。」
「この馬鹿野郎が、自分の言いたい事だけ言って、用事が済めばお払い箱かぁ~。」
「何か言った? 悪口言ったずら!! 聞こえたよ。未だ、耳は若いんだからね。」
「滅相も御座いません。良いご高話でゴザンしたよぉ~。」

 ありぁ、長生きをする口だわさ。さてさて、散歩の距離を縮めようか・・・ 歩き始めると、体内の習慣因子が、未だ運動不足と一定量の散歩を要求している。

明けて本日・土曜日である。我が友・Tとのコーヒータイムが待ち構えている。
「どうだい、朝の仕事は終わったかい?」
「あいあい、じぁ、庭の柿の実を捥ぎって用意して置くよ。」

 今日は、午後から雨らしい。曇天の寒い風が吹いている。庭隅の小菊にも、黄・白・橙の花がポッポッと開き始めている。庭の柿の葉も大分落ち葉を進めて、色付いた実に枝が垂れている。土手に掛る渋柿の小枝に吊るした貼り紙の効果は、未だに無い処である。

 変わらぬホットコーヒーとアイスコーヒーの二階談笑である。二階席には、ハイカラなハンチング帽を被った30代の女二人、コミック本を捲る若い男、文庫本を捲る同年配の男、窓辺の若いカップルが居る。奥に近い壁側のテーブルに、どっかり座って男タイムである。

「ブログに馴染んで来ると、Rの言う通りに本文とコメントの遣り取りを見ないと面白くないな。」
「そうだろう、本文は、それなりに余所行きの顔をしているからな。コメントに現れるブログさんの文章は、より本人さんの<地に近い素顔>が、ひょっこり顔を覗かせているからな・・・活字と云う『面』の本文に素顔が加わって、意外と『立体的』な本人像が想像出来るだろう。立体的に為ると、人間って奴は、見ず知らずの人でも<近親感>を覚えるものだからな。まぁ、それが人間の特技ってもんだわさ。特技を使わない人も居るけどね。

 凄いね、筋が好いね。もう、Tは、ゆとりのブログ探訪者じゃないの。知らず知らずのゆとりが生まれて来ると、ロートルは退屈はしないだろ。インターネットは、面白いロートルの玩具だろ。・・・・ おいおい、好い女の子が入って来たぞ。見ろや。」
「どれどれ、おぅ、好い感じの出来の好いお嬢さんタイプじぁないか。今日は、チラチラと観賞タイムをしようか。アハハ。」

 ハハハ、お互いロートルに為っても、目の付け処、視線の飛ばし方は、高校時代から全く変わっていないバカ男二人組である。整った目鼻立ちの女性は、自分の存在価値を十分に心得ていらっしゃるものである。
 下衆ロートル男二人の視線を、十分意識されて居られるのである。姿勢の好い隙を感じさせないお嬢さんではあるが、娘さんの態度雰囲気に比べると、頁を捲るスピードが頗る『静止』しているのである。如何やら、お嬢様の読む書物は、ゆっくりと雰囲気を楽しむ<上品本>の様である。

 これは一週間に一度、コーヒースタバにお邪魔をしないと、遭遇出来ない外の空気のご利益の一つであろう。『遭遇』のお天道様の賜の物を感謝して、素直に鑑賞させて頂くのが男の道である。ウッシッシ!! 好感の持てるブログさんをTに推奨したり、お得意さんブログの記事の感想などを交換しながら、ロートルのコーヒータイムは、静かに進む。

 帰って来ると、雨が降って来た。小振りの雨を見て、補給水用の水汲みをして来る。さてさて、寒い日であるから、浮いたお時間を昼寝と致そうか・・・

心何処ーショート パイプ咥えて
                 パイプ咥えて(10/16/09)
 陽気が好いと水槽の蒸発量が大きい。こんな時の為に雨が降ると、バケツを外に出して置く。昨朝、雨水を補充水に三杯入れて遣った。その日の夜に、例の流金が水面に浮いているではないか!! 例の如く、小網で掬ってメダカ槽に隔離して遣る。元気に成った流金を金魚槽に戻して、朝の生き物の世話をしていると、斜向かいさんが窓辺に来られた。

「お兄ちゃん、新作は描いたかい?」
「あいあい、昨日描いたのがあるよ。見ておくれや。」

 最近作のベリーダンサー2枚と昨日描いた女鳥羽川での白人男の座禅を描いた<瞑想>
を、お披露目する。話のついでであるから、地球環境の目に見えない変調進展を雨水の変化を通して、朝のミーティングに発展させた次第である。

 人間の目には、天からの貰い水に変化を見る事は出来ないのであるが、大気の諸々の物資を溶し込んで地上に落ちる雨の含有物は、きっと大変な兆候を示しているのである。極端な言い方をすると、『天恵水』が今や<天災水>の変わり様なのである。或る耳情報によると、中国・インドネシア辺りから、気流に乗って大変な有害物質が、日本の上空には飛来しているとの事である。

 何も無い小部屋の目の保養として、水槽生き物を飼う事に為って、色んな事を教えて貰ったものである。当初は水道水と濾過器一辺倒の水槽で、水質の変化で<全滅の憂き目>を何度も経験し、辿り着いたのが<命の水>女鳥羽川の水であった。そして、同じ水でも、区切られた二つの水槽内部では、異なった小世界が形成されている事に気付かされた次第である。
 ミクロの微生物群の共生関係と云う生物連鎖の摩訶不思議さには、ただただ感嘆するばかりである。天恵水が天災水へと変化する中にあって、大地・草木が雨を受け止め、生物・物質が、有害物質を濾過・浄化して行く大きな仕組みが働いているのであろう。勿論、それらの仕組み・働きは、人間の目には一切見えない壮大且つ不休の営みなのである。人間が出来る事と云えば、高々小手先の対処療法を試みる事でしか無い。隣り合わせの小さな水槽世界の内部を、電子顕微鏡の力を借りて、つぶさに観察して行けば、毒素を排出するバクテリアとその毒素を餌とするバクテリアの関係が見付かるのだろうが・・・所詮、素人には異次元の世界の出来事である。

 斯様にして、生物界の摩訶不思議さには、専門家からの提言が欠かせないのであろうし、マスコミから流れて来る地味な提言・勧告には、真面目に聞かねばならない要素が多々ある筈なのであるが、人間と云う生き物は学校を卒業してしまうと、何かと自己中心的な無関心と云う傍観者の衣を纏ってしまう帰来がある。実に、困った成長?衰退?の風潮である。

 二人とも、結構真面目なロートルであるから、朝っぱらから、論が本台に入ってしまった。遺憾いかん・・・朝の賄い夫に進路変更をしなければ為らないのであった。

 朝のロートル・ミーティングで、私の悪い癖にグリスが回ってしまった様である。
食後は、<ろっぽんぎ ものがたり>の物語を題材に、物語の粗筋・要点・作者の優れた視点を、母を相手に饒舌を奮っていると、廊下にお向かいさんのおばさんの登場である。

「お兄ちゃんは男だから、カボチャの煮付けは作ってくれないだろから、おばさんに持って来て遣ったよ。食べてよ。」
「ピンポン、大当たりだよ、おばさん。サツマイモ、カボチャの類は、男には手が伸びない野菜だからね。コタツに当たって、ゆっくりして行きましょ。俺は部屋に帰るから。」

 さてさて、すっかり母の部屋で長居をしてしまったものである。ついでであるから、米屋さんへ米を買いに行くべし・・・である。

 帰って来ると、
「○○さんは、給食を作っていたから、上手な物だ。美味しいから、お前も食べてごらん。」

 はいはい、左様でゴザンスか・・・でも、俺は、朝立ちピンピンの現役男だぜ。そんじゃ、気持ちだけのつまみ食いでお付き合いするか・・・

 カボチャを摘まんで口をモグモグさせながら、私は、下漬けの出来た蕪を酢漬けに仕込むママゴトを始める。白菜・ナスの漬かりを見て、ショウガをみじん切りにして昆布茶をパラパラ振って、タッパに付け込んで冷蔵庫に収納。朝の食器を洗い、賄い夫完了である。

 私は縁起を担ぐ性質であるから、打ちたくは無いのであるが・・・ 今回のメダカは歩留まりが良い。早い処、メダカの産卵を観察したいから、金魚達には申し訳ないが、餌の回数を多くしているのである。ヒーター水温と餌のお陰で、子メダカ達の成長は著しい限りである。

 ブログを見ていると、メダカの世界も奥が深くて、色んなメダカの新種が生み出されているとの事である。一匹だけ残った薄い黄橙色のオスグッピィとて、オスの端くれである。日本のヒメダカと南洋色付きメダカで、片や卵生、片や胎生の違いはあろうが、元を正せば、お互いメダカ同志である。飼い主が、未だに朝立ちピンピンの元気の好さである。メスのフェロモンに釣られて、卵に精子を水中散布しさえすれば、新種の誕生と云うことも有るやに知れず・・・である。

 メダカ、早く大きく為れ。オスグッピィ、死ぬなよ。・・・さてさて、結果は如何成る事やら。これは研究者は、既に知っている生殖の掟である。ケツケッケの水中散布を見るべし。


                    瞑想

心何処ーショート サイクリング散策
               サイクリング散策(10/15/09)
 母の介護で借りている車椅子の利用更新の為に、事務所のある南松本まで行く用事が出来た。長丁場であるから、風呂に入って小奇麗にして自転車を漕ぐ。自転車での目の保養を兼ねてのサイクリング散策である。世の中は、男と女で出来上がっているのであるからして、見るも見られるもお互い様である。無精髭ロートル・クマ男より、ツヤツヤクマ男の方が、顰蹙を買わずに済む。

 松本の中心地縄手通りの女鳥羽(めとば)川の河原には、若い白人男性が一人下りて、座禅を組んでいる姿があった。日本に興味があっての一人旅なのだろうか・・・こんな処が白人の面白いさなのである。自然体の個性と云うか・・・個の確立の様な物を感じてしまうのである。

 風も無く、快晴の青空である。Tシャツの上に、薄手の白いジャンパーの出で立ちで来たのだが、丁度好い。福祉センターの5Fで手続きを終えて、Tに電話をする。

 玄関のドアを開けて、コンニチハと声を掛けると、二階から息子さんが顔を出して、オヤジは外に居るとの事である。裏に回ると、脚立を壁に掛けてご主人は、窓のコーキングの最中である。

「おいおい、すっかり痩せちゃったから、後ろ姿だけを見れば、立派な御隠居さんじゃないか。確り働けや。俺は、此処で見学しているよ。」
「これも、家に居るロートルの仕事だぜな。金を掛けずに、ズクを出せってもんだ。遣り始めると、面白いもんだ。」
「まぁ、そう云う処だわな。伊達に義務教育で図画工作・技術の授業は受けてないからな。」
「如何だったや? ハヤの空揚げの味は。」
「おう、美味かったぞ。飲み屋の一品料理にも為るわな。」

 おっとりした性格のTは、根気が好い。マイペースの日曜大工の風情である。私は縁石に腰を下ろし、秋の日差しを浴びて煙草を吸いながら、後ろ向きのTとお喋りである。

「さてさて、コーヒーでも飲んで一服とするか。缶コーヒーを買って来るから、表の方で日向ぼっこでも居ていろや。」

 駐車スペースと成っている砂利を敷き詰めたスペースは、野良猫達に広場として使われている。敷地の境の蓋の被った涸れ水路が、今年生まれた野良猫・その母親・兄弟達の住居なのだと言う。棲み分けをしている野良猫一家からすると、彼等にも開拓棲み付きの居住権が、厳として存在している様である。地面に近い視界を持っている彼等からすると、共同トイレは、Tの庭の端のきちんと定位置にあるのである。
 観察していると野良猫達には、如何やら共同自治の精神が行き渡っているらしく、未だあどけなさの残る顔で、チョコンと座って用を足して居るのである。それを見付けると、Tが走って行って、砂利の小石を子猫に投げ付けるのであるが、子猫達は、一向に動じる風も無く、跳ねた小石にじゃれ合いを演じるだけなのである。

 まぁ、私は部外者であるから、そんな野良猫達とTの遣り取りをニヤニヤしながら見物させて貰っているのである。

「あの『早落ち城祉』と『金縛り』の関係だけどさ。あの辺りは、霊場じゃないのか。俺がバイク乗りまわして居た頃に、偶々アソコに行った事がある。あの辺りで、バイクがプスンと止まちゃってさ。幾ら遣っても、エンジンが掛らなくてさ。バイク押して、ヒイヒイ歩いて、大分離れてから、バイクは普通に戻ってさ。
 如何云う謂われの有る所か知らんが、あそこには何か有るって感じで読んで居たんだ。そしたら、『金縛り』が出て来たからさ。きっと、あそこに登ったから、夢を見たんだぜ。俺なんか、大人に為ったら、金縛りの夢なんか見ないもの。Rは、若いんだよ。」
「何だ、そりゃ、俺は、未だ成長し切れていないって事か。困った事だわな。」

 Tの霊場感想を受けて、こんな事を思い出した。小・中学校の同級生の女子に、R子が居た。中学の途中から、町場の中学に転校した。色の白い美人であった。背の並びも成績も同程度であったから、机も良く並んだし、委員が一緒の時が多かった。小中学生の、殆ど女子と話をしなかった私であるが、彼女とは普通に話が出来た。傍目からは、好いコンビに映ったかも知れない。
 中学で一緒の組に成った者達からは、色が抜ける様に白く美人、出来も良かったので、ガッタ坊主にはバリアが高く見えたのであろうが、非常に有難く無いあだ名を頂戴してしまったのである。事もあろうに、それは、<雪女・幽霊>であった。私は、小学校の時から一緒だったから、名付け男には、女を見る目が無いと思っていた次第である。
 
 6年生の晩秋の或る時、校舎の二階からコの字型の校舎の角で、桜の乾いた枯葉を風がカサカサと、小さなつむじ風を作って、舞わせていた。暗い午後であった。二階からはトイレの棟が見えた。昔は、同棟のトイレであった。真中に通路があって、片方が男子の素通しの小便用、片方が仕切られた女子・大便用の並びであった。
 小さなつむじ風に舞った木の葉を目で追って行くと、女子用のトイレの戸がスーと開いて、しゃがんだ女子の白い尻が現れた。そして、手が伸びて戸がスーと閉められた。白い尻の持ち主は、彼女であった。私には、性的な物では無く、何故か神秘的な光景の一瞬であった。
 彼女の母親も、抜ける様な白さの美人であった。そして、自殺をしてしまったと云う。そんな事で、彼女は途中で転校してしまったのである。その後、彼女は当然の事ではあるが、進学校の女子校に進んだ。中学・高校と何度か顔を合わせたが、隙の無い美人へと成長して行った。
 彼女の家は、その集落に有った。Tの話に触発されて、彼女の事を思い出した。彼女の夢も何度か見ている。そして、未だに、彼女の面影を何処かに持っている女性に、何故か魅かれているのである。

 私は、好い歳をこいて未だに『金縛り』の夢を見るほどに、脳味噌が空っぽの男である。Tの大人の感想を聞くと、直ぐに感化されてしまう。郷土史で『早落ち城』を調べて見たらの有難い助言ではあるが、忘れる事にしよう。実は、調べて見ようと思っていたのではあるが・・・勇み足をせずに良かったと云う物であろう。

 久し振りに、<きっちゃ>の話題が上った。二本線の誼で、彼は私の拙い文作を目薬を差しながら、短期間で読破してくれた気の好い男なのである。時々、コメントを頂戴していたのであるが、この頃、とんとコメントが無い。彼は、もてる現役の彼女持ちであるし、自分のブログを立ち上げて、ルンルン気分の更新を重ねているとの事であったから、仕方が無いと思っていたのである。
 それが、私の所に、二度コメントを送っているのだが、返事が来ない。Rの奴は冷たい奴だと言われてしまった。とんでもない話である。ブログ樹海の辺境地が、私のブログである。希少・奇特な読者様を、何で疎かに扱えるものかである。スワッ、一大事である。

           泡を食って、きっちゃに電話をする。

 斯く斯くしかじかで、知らなかった。如何云う具合で、メール、コメントが届かないのか、機械に疎いロートル世代は、こうなると完全にお手上げ状態なのである。

 私も何回かあるが、気に入ったブログ記事にコメントを入れて送信するのであるが、何度遣っても、相手方に到達しない事がある。矢張り、そうなると内心は穏やかならざる気分に為ってしまう。

 私は武骨者一辺倒の男ではあるが、心だけは<走れメロス>並みの赤い血が通っていると自負している人間である。若し、きっちゃ同様の気分を害したお方がいらっしゃったら、御勘弁して下さい。意思の不通は、絶対に作為的な物ではありません。不可抗力の為せる処であります。

心何処ーショート 自前の納得・ガッテン。
               自前の納得・ガッテン。(10/14/09)
 河川敷のベンチの上で、胡坐を掻いて深呼吸である。陽炎がユラユラ立って、蝶々がヒラヒラ飛んでは休み、休んでは小さく飛んでいる。ラジオ体操の真似事をして見るが、これでは些か勿体ない。

 ハヤ釣りでもして見ようかと思い、釣竿を取る。餌の練り餌は、金魚の浮餌を水でふやかし、繋ぎに小麦粉を落とす。今日は、ハヤに敬意を払って、真面目に釣って空揚げで食して見ようとの魂胆である。長靴を履いて、ドンブラのコンクリートに胡坐を掻いての釣りである。釣っている内に、欲が出て来た。多分、練り餌では釣れないだろうが、葦原の中に進んでヤマメの掛るか試して見ようと考えた。

 伸び放題の葦の中では、のんびりと胡坐釣りも出来ない。水量も丁度好いし、好く澄んでいるから、スケベ心が湧いて来る。餌を流れに投じると、魚影が動く。好い引きで、手応えも好い。大きなハヤが次々に釣れる。アブラハヤも大きく為るものである。15~6cmはある。この位、大きいと遂、面白く為って来る。小さなバケツは、ハヤだらけに為って来た。煙草も吸いたい事であるし、止める事にする。

 みんな生きている。バタバタ跳ねまわるハヤを捉まえて、まな板で腹を割くが芳しく無い。斯く為る上は、左手に軍手をはめて、口から腹にハサミをぶち込んで切る事にした。この方法だと、実に簡単である。浮き袋などの臓物を抜き取って、水洗いをして塩を塗して、ハヤ特有の滑りを取ろうとしたが、これは芳しく無かった。
 水気を取り、鍋に油を熱して、子細構わず鍋に入れる。しぶとい奴は、未だ生きているから、断末魔の騒ぎである。塚原朴伝宜しく、空かさず鍋に蓋をして、油の飛沫を遮断する。二度揚げして、皿に盛る。揚げ過ぎの態であるが、全部パリパリと食える。遅い昼であるが、成程、行ける。

 アツアツのハヤの姿揚げである。醤油タラタラ、漬物と大盛りのハヤで、一食分のオカズを稼いでしまった。母にも、好評であった。斜向かいのSちゃんも推奨していただけの事はある。<馬鹿ハヤ>と卑下されるアブラハヤではあるが、これは、決して捨てた物ではない。

 朝起き・4000円も出費して、馬鹿高価なワカサギに舌づつみを打つ事もあるまい。何しろ、歩いて3分も掛らない天然の『生け簀』を置いている様なものである。こんな事も、賄い夫のテリトリーかも知れぬ。これぞ、<自前の試して、納得。試して、合点。>ものであった。

       ★お時間のあるお方は、是非、お試しあれ。


心何処ーショート <金縛り>考、一つ。
              <金縛り>考、一つ。(10/14/09)
 落ちようとしているが、微かに意識に満たない感覚が動いている。寝相に合わせて、上の昔風のソバガラ枕が下のクッションタイプの枕に、沈んで形を作ろうとしているのが分かる。私は、大抵1時前後の就寝時間である。寝付きの悪い達である。布団の中に自分の体温が伝播して行くのを、じっと待つのが寒く成って来た寝方である。布団の中に、体温が回って来ると、寝返り調整も出来るのであるが、それには未だ時間が掛る。

 布団の中に温度が回って来た。寝返りを打とうとするが、体が動かない。如何した事か・・・何だ、コリァ・・・強烈な圧力が上から圧し掛かっている。そんな五体の感覚が、ジワジワと恐怖感に変わって行く。

 これらの感覚は、何度か経験している<金縛り>の状態=夢の中なのである。その重圧を跳ね除ける様に、手足に満身の力を込めるのであるが、五体はピクリとも動かない。声を、悲鳴を挙げるしかないのであるが。喉元・声帯すらも押さえ付けられている。踠き、重圧に抗し様としている意識が、恐怖に変わっている。

 間違い無く、これは金縛りの夢の中の出来事なのだと・・・私は確信して、抵抗しているのである。動きか声を発して、恐怖から脱出するしか無い。

 クソォ~、オノレェ~、負けて堪るか・・・ウッウッウ~ゥ・・・跳ね除けろ、捕まるな・・・魔界を破れぇ~・・・クソオ~・・・

 圧力の恐怖を満身の力で跳ね除ける抗戦の叫びの『ウォーツ!!』とも、如何しても跳ね除けられない恐怖心の叫びの『ウァ~ッ』とも、区別の付かない声と共に、布団を蹴し上げて<金縛り>状態から脱出した。

 ホッとしたと同時に、部屋を一つ置いた母を起こしてしまったとの体裁の悪さであった。

 まぁ、やっと五体が解放されたのであるから、人の事などスモールな事でしかない。いやはや、とんでもないものに捕まって、危うく化け物に殺される<入口>であった。

 バカヤロウ!! 俺ぁ、至って気が小さい臆病者なんだわさ。これほど、ベリーダンスの映像を見て就寝に着いているのに、とんだ<死っぺ返し>であろうが・・・連綿と続くベリーダンスの歴史の中には、怨念の果てに非業の死を遂げざるを得なかったダンサーも、数多く居たには違いなかろうが、何も選り好んで俺に憑依する事もあるまいに!! 

 俺ぁ、正真正銘の日本の片隅で、息を潜めているだけの人畜無害のロートル・クマ男にしか過ぎんのである。ベリーダンスもどきは、一度だけ『リトルワールド』の祭事で見ただけである。お門違いも、タイガイにしろよ。お前さんの怨念も、場合に因っちゃ<逆恨み>の結果かも知れんぞや・・・ 

 殊、女にだって、俺は振られ放しの惨めな人生を送って来たんだわさ。それでも、俺なんざぁ、自分の非力さを悔いて、呪詛も死んでから後も、憑依しようなんて魂胆は、これっぽっちも無いんだわさ。

 お前さんの宗教が何だったか知らんが、ヒンズー、アッラー、キリストに頼んで、好い加減に成仏しなきゃ、死後の世界でも安息の生活は送れんわさ。
 
 まぁ、<蓼喰う虫も好き好き>って言い伝えもあるらしいから、場合にぁ、『牡丹灯籠』に因んで、夜伽の相手位して遣っても、構やしねぇがさ。俺ぁ、未だアンタにぁ悪さは仕出かせちゃ居ねぇ筈だよ。
 夜伽の快感も呉れねぇで、行き成り<金縛り>の奥の手を遣うなんざぁ、許せねぇ。仮に血筋を俯瞰出来る超能力を以って、憑依するなら『因果応報の理』くらいエチケットってもんズラよ。この不心得者めが、出直して来上がれ。馬鹿たれが!!

へへ、この位のお説教を喰らわして遣らないと、女は頭に乗る生き物である。
       嗚呼、怖かった。恐怖・疲労困憊。もう、懲り懲り・・・である。

心何処ーショート 60年、歳を経て母と倅の一描写
           60年、歳を経て母と倅の一描写(10/13/09)
 今日も穏やかな日である。朝食のお時間を終えて、部屋に戻ろうとすると、これから釣りがあるとの事である。

 北海道のイワナ・オショロコマを美大出身のタレント女性が、ルアーフィッシングで初挑戦である。母の感想が好かった。<釣った魚をどうして、逃がしてしまうのか、川で焚火をして食べないのか。>・・・ハハ、流石に、我が母上である。
 渓流の宝石か如何かは知らぬが、釣り上げた魚を、川に転がっている枯れ木を集めて、燻ぶる煙に咽び、火勢の熱さに顔を顰めながら、ジュウジュウと脂が噴き出るのを待って、その場で齧り付いて食べる。野趣の中に身を置き、毛ばりの先に野生に対峙して、合わせの一瞬に賭ける。釣りの終わりに、野趣を食する。・・・これぞ、一話完結の世界だと思うが、旅と釣り・仕掛け作りと釣り・釣りとファッション・釣りとエッセイ・・・etc 多様な楽しみ方に身を置く時代である。ヤマメ・イワナを釣って食べるチャンスしか思い付かない時代とは、時代が違うのだろう。

 昨日の<柿の貼り紙>の話をすると、母は大きな声で笑っている。貼り紙を見て、筋の好い娘が廊下に顔を出したら、渋柿を取らせて柿の皮剥き・ヒモの付け方を教えて遣れば良いのである。労働の対価に柿を持ち帰って、家で吊るすも好し。我が家で干し柿の完成を待って、摘まみながら下校するも好し。
 柿の実を失敬する事を、咎めているのでは無い。貼り紙のユーモアに一歩踏み込んで来さえすれば、面白き想い出にも繋がると云う物であろう。想い出・ドラマを作ろうと思えば、題材は日常の思いの丈で待っているのである。心薄い時代を嘆くより、お誘いに素直に顔を出せば、ドラマは始まるのである。

 さて、天気も好い事であるから、気分も上々である。地物の規格外野菜を一杯買って来て、漬物の下拵えをしようか・・・長居をし過ぎて、気分が中途半端に成ってしまった。買い物袋を二つ持って行くべし・・・そうだ、レジの先輩に絵を見たいと言われていたのである。

「兄さんは、好いねぇ。料理も、下手な女よりも、マメだもの。難しい文章も書くし、楽しい絵も一杯描いて見せてくれる。感心しちゃうわ。私はバカだし、学も無い。趣味も無いし、羨ましい限りだもの。」
「違うせ。俺ぁ貧乏人だから、生活の工夫をしているだけだいね。料理も文章も下手絵も、みんな根っこは、同じだんね。美味いものを腹一杯食べようとしたら、色々工夫をすれば好いだけだよ。好奇心があれば、遣ってる事が楽しいもの。みんな慣れれば、面倒の苦役は、顔を隠すもんだわさ。俺の趣味なんて、悪戯に毛が生えた見たいなものさね。
 この位の事をしてないと、一日が終わって行かないだけ。もう歳だから、テレビを見るのは疲れる。昼寝ばかりしていると、夜が寝れないしね。
 人間、背伸びをして生きて居たら、シンドイもんだわね。のほほんと自分の馬鹿に馴染むのが、気楽だよ。偉そうな顔してても、人間一皮剥けば、子供の頃の馬鹿心が生きているんだじ~。
 思い出して見ましょ、みんな失敗して、怒られて大人に成って来たんだわね。お役御免に為ったら、自分の時間だよ。好きな事、向いている事で、童心に還るのがロートルの日々って事だいね。何にも無い無いと言っても、みんな幾つかは好きな物・好きな事を持っているんだわさ。それを遣り始めると、如何にかこうにか、形が出来て来るってもんずらい。姐っこ、自分の隠れた才能を卑下・過小評価しちゃ行けねぇわさ。イヒヒ。」

 早速、台所でゴソゴソしていると、母がニコニコして見物である。男の仕事であるから、指南役をしてくれる。
「体が言う事を利いてくれたら、男のお前に、こんな事をさせないのにね。情けない。
う~ん、それはね。もう少し、厚く切った方が好い。
ほら、この位で。こう云う風に並べて、塩はこの位で・・・」

 ロートル母子である。仕事の感じは無いから、のんびりしたものである。シャキッとしていた母ではあったが、今では腰も背中も曲がって、覚束ないスローモーな動きである。

「これこれ、俺のお遊びの時間を取るで無い。好し、大体の事は、分かった。交代交代。」
「全部やってしまうのかい?」
「そりゃ、そうさ。俺は男だよ。一度に遣ってしまった方が、楽が出来るだろう。いざと為ったら、米・味噌・漬物さえあれば、婆ぁと爺は死にはせんだろうが。こんな物は、適当で好いんだよ。任しときな。後は、成り行き任せだよ。」

   斯様にして、人間の好奇心・興味は、幾つに為っても健在なのである。

 部屋の定位置で、PCに文字を打ち込んでいると、風呂が沸いたと呼びに来る。脳味噌の歯車が回り始めたから、先に入ってくれと言うと、『そんな事を言わずに、入ってくれ。』と子供の様な顔をしている。
 打ち始めているのであるが、母としたら台所仕事をしてくれた倅への感謝の気持ちからなのである。筋を通す大正女であるから、私が入らないと先が進まないのである。苦笑いをしつつも、昔から変わらない母のそんな処が、私は好きなのである。

心何処ーショート 体育の日、メタボ遠足
               体育の日、メタボ遠足(10/12/09)
 さてさて、折角の体育の日である。家に居るのが勿体無いお天気である。体育館・県文会館の駐車場は、車でひしめき合っている。満車で止めるスペースも無いのに、車が駐車場で渋滞している始末である。体育館でスポーツの観戦を考えていたのであるが、其の儘パスして、何時もの散歩コースに進路を取る。
 暑からず寒からず、散歩運動をするには丁度好い。田園地帯に差し掛かると、ハゼ掛け・天日干しの稲こきをしている。松本は台風の影響も少なく、好い具合に乾燥が進んだのだろう。快晴のお天気の下、長閑な風景である。

 折り返し点のH橋の所では、小学生の男の子を連れた父親が、至れり尽くせりの釣りをしている。橋の上から、休憩方々、見物させて貰う。小麦粉を練った餌の浮き釣りである。ハヤ釣りに来ているのだろう。父親も息子も、一向に釣れない。合わせのタイミングが掴めていない様であるから、見学は失礼にあたる。

 本日、体育の日であるから、山門(やまかど)の小さな四つ角を、山の方に上る事にした。暫く山の登り坂を歩いて行くと、道標がある。小中学生の頃、この先のK池に釣りに行ったものである。K池は、現在はゴルフ場の敷地の中にある。
 記憶は定かではないが、その頃、山の中に小さな集落があった。まるで絵に描いた様な<隠し里>の趣があって、夢想癖のある私は、大いに想像力を逞しくしたものであった。そんな大昔の風景が見たくなって、山に続く車道をゆっくりメタボ歩きをして行く。

 最初のコースには、その面影が無かった。再び、道標の所に戻って南に進む。多分、この集落がそうなのであろうが、『脳裏にある隠し里』とは程遠い。余りに小さい感じがして、苦笑いをしてしまった。子供と大人の目線の違いとは、こんな物なのかも知れない。集落の出口(入口)に小さな溜池があった。この位置には、朧気な記憶があった。余りにも小さかったが、間違い無かろう。この集落が、私の脳裏の里なのである。

     平地からは、全く見えない山の裏のぽつんとした小さな集落。

 歩いて行くと、『早落ち城・郭址入口』なる表示がある。300mとあるから、本日・体育の日である。登って見る事にする。西の斜面には、羊が放牧してある。顔の黒い肉を取る為の羊である。郭址と云っても、城壁の様に切り立った尾根のてっぺんを少々削って、平地にした様な造りである。煉瓦で作れば『万里の長城』である。

 早落ち城の謂われは書いて無かったから、分からないが・・・実に眺めの好い場所である。郭址に立って、考える。

 こんな狭い処で、命がけの戦でもあるまい。精々、この立地と規模なら、見張り砦・狼煙処くらいが好い処であろう。山を取り囲まれて、兵糧攻めをされたら中の者は、手の施しようが無い。兵糧攻めをするなら、山一帯に猛犬を放して兵士の代わりに見張りをさせれば良い・・・肉弾戦を回避するのが、最有効戦術であろう。

「お前達は、完全に取り囲まれている。観念して降伏せよ!!」
と助け船を出してくれなければ、山城の者は、早々に飢え死にしてしまうだろう。
名前が、『早落とし』ではなく『早落ち』なのであるから、普通に考えて、武勇のイメージではない。
 
        砦勤務の雑兵が、私とTのコンビなら・・・

「おい、T、敵の兵隊がワンサカ見えるわな。如何するや?」
「狼煙だけ上げて、ズラかるぞ。急げや!!」
「食い止めなくて、好いのかい?」
「馬鹿野郎、食糧も水も無ぇじゃねぇか。有るのは、杉の葉っぱと火打石じゃねぇか。体力のある内、腹の減らねぇ内に、逃げるのが一番だぜや。此処に居たら、絶対助からねぇし、武功も取れやしねぇわさ。死ぬのは、真っ平御免だわさ。ギャハハ。」
「そりゃ、そうだ。文句があるんだったら、手前ぇが遣って見りぁ好いんだ。どっちに逃げるや。」
「こう云う時は、隠れて『高みの見物』って、もんずらよ。食料の調達もあるから、余り遠逃げする訳にも行かねぇずらよ。火は付いたか、さあさあ、仲良く逃げるぞや。へへへ。」

 まぁ、私とTの雑兵コンビの絶対的選択肢は、こうに違いあるまい。何しろ、名前が『早落ち城』なのであるから、落とした方とて大層な<手柄>には為らなかったのかも知れない。とは云え、3時間の遠足をして帰って来た次第である。


                   ベリーダンス_001


心何処ーショート 体育の日の貼り紙、ヒラヒラと
             体育の日の貼り紙、ヒラヒラと(10/12/09)
 ドドーンと、朝から景気好く花火は挙がった物の・・・後が続かない。景気の悪さは、景気付けの花火をも直撃しているらしい。昨日、餌散らかしの多い鳥にお仕置きの意味で、最低量の餌入れだけにして置いたのである。案の定、空に成った餌入れをガタガタ鳴らして、餌の催促をしている。見事に食べ尽くして居るものである。

 感心している場合では無い。早速、朝の世話をして遣ると、物凄いセッツキ振りである。些か罰が悪かったから、ハコベなどを差し入れして遣ろうと庭を探すが、ハコベの幼葉しか見当たらない。台風ご利益の水分補給は、ハコベにとっては未だ発芽の段階の様である。グリム童話の魔法使いの婆さんに倣って、<収穫は、大きくして取れ。>であるから、河川敷に降りて探すが・・・見当たらない。

 手の容易に届く家の渋柿を齧って、渋柿に気付いて投げ捨ててある。きっと経験の足りない一年生の仕業であろう。渋柿に懲りて、柿の形状で渋柿・甘柿の区別が出来なければ、一丁前の田舎育ちには為れないのである。渋柿の平田柿は渋抜きを施して店頭に並んでいるから、市販の柿ばかりを食べている子供達には、同種類の柿である。捥ぎ取って食べられると直感されてしまうのであろう。盗み取りをする割には、まるで『用心』が足りない。柿には渋柿と甘柿の別がある事を知らないらしく、子細構わずガブリと来ている。

             世も廃れたものである。戯け者!!

『土手に被さる柿の実は渋柿・庭にある柿は甘柿』と立て札を立てて遣ろうか・・・などと思うが、立て札に素直に従って、通学途中の自転車を止めて、庭に下りて来て<頂きま~す。>と、声を掛けて行ける中学生・高校生が居たら、楽しいかろう。どんな反応があるか・・・試して見る事にする。

 部屋に戻って、お絵描きをする。書いたおフザケを柿の小枝に、ガムテープで止めて、ヒラヒラの貼り紙とした。ニャハハ!!おおらかさに、おおらかに応えてくれると、日本の地方都市は、まだまだユーモアが通じると云うものであろう。

 さてさて、如何なる展開と為るか・・・ 戯けロートルの呆け釣りに、若サギは喰らい付くだろうか、ギャハハなり。


                    貼り紙_001



心何処ーショート 速きもの、汝の名は?
               速きもの、汝の名は? (10/11/09)
 知らず知らずの内に、メダカの数が減って行く。勿論、死んでいるのである。こうなると、正直悩んでしまう。水の悪さで一気に死んでしまえば諦めも着くが、ポツンポツンの死に方では、原因が水なのか?メダカのか弱さなのか?・・・スッキリしないのである。或る程度の数のボリュームが無いと、メダカ水槽の世界は見栄えが保てないのである。相手が一匹18円の小メダカなので、安易に補充を考えてしまうのである。

 その一方、数を補充して、歩留まりと云う自然淘汰に任せてしまうのでは、余りにも安易過ぎると云う気持ちが働いてしまうのである。メダカ槽には、一匹だけ残ったグッピィのオスが元気で居る。
 水と子メダカとの関係を考えると、メダカの方に分が悪い。自然淘汰と云っても、全てが養殖メダカである。飼育水槽への適応淘汰と云った方が、妥当な処であろう。大型熱帯魚の生き餌として、扱われてもいる養殖ヒメダカ・小金と呼ばれる和金の稚魚達である。生き餌として一瞬のパクリ消滅よりも、環境に適応してくれれば、ヒーター付き環境の中で成長して命を繋ぐ事も十分可能なのであるから、此処は機械的に考えて、補充をするしかあるまい・・・

 今日も、好い天気である。最後の煙草であるから、温泉銭湯に足を伸ばす事にする。湯船に落ちる湯を、手で掬って飲む。溢れ出る湯船から掬って、覚悟の湯被りを二杯して、ジワジワと湯に身体を沈めて行く。湯に手足を伸ばして、一息付く。
 紅葉始まる季節に成ったのであるから、大分入り易く成った物である。未だ、湯で時間潰しをして行く程の季節には遠いので、風呂から出で煙草と昼食のパンを買って帰る。此処のパン屋の餡パンは、甘さが緩やかであるから、餡パンの好きな母と付き合って、私もごく普通に食べる事が出来る。加えて、コロッケもあっさりして美味い。ご主人も奥さんも、大人しい人であるから、そんな作り手の人柄が作るものに現れているのだろう。

 風呂上りでパン食の昼を済ませて、母の部屋のコタツに入っていると、目がトロンとして来た。座布団を枕に、<たかじんのそこまで言って委員会>をBGM代わりに昼寝をしてしまった。

 遺憾いかん、メダカを買いに行って来るべしである。自転車で下り勾配を走ると、流石に風が冷たい。梅雨前の叩き付けるスコールの様な日々、梅雨が明けたのか如何かもハッキリせず、日照不足が取り沙汰された夏。夏が終われば、今度は雨不足。二年振りの台風襲来で、台風を見ている内に、今度は一気に寒さ増す朝夕・・・ 何か、メリハリの薄い季節の巡りに、暦は1年の75%を割り込んでしまった。
 帰りの上り勾配は、早や息の切れる寒さに成ってしまった。つつが無く、変わり映えのしない日々を送るロートルには、この月日の呆気無さは、何としょう・・・???

心何処ーショート うららかに、暫し男談議
              うららかに、暫し男談議(10/10/09)
          
             DVD交換に、斜向かいさん登場である。

「やぁやぁ、此処に座りましょ。本場のベリーダンスを、観賞しておくれや。」
斜向かい色白前田吟さんをPC画面の前に座らせて、私は<お気に入り>にマウスをカチッと鳴らす。
「おお、綺麗な金髪ネェーちゃんじゃん。やいやい、コリァたまげた。」
「それが、終わったら黒髪・紫ブラジャーに連チャンだから、じっくり鑑賞しましょや。」
「好いね、好いね。艶めかしいのこのポッチャリした腹の膨らみ、ヒップ・・・ このクリクリ・・・ 柔らかいこの動き・・・大した物だ。お兄ちゃん、選球眼が好いよぉ~。それ、もう一丁、大胆に、強くフリフリして、好いねぇ、アナザーホールなんて、お呼びじゃないよ。女は、こうで無くちゃ行けねぇ。その流し眼・・・美人だねぇ~。」
 
 まめなSちゃん、PC画面に指を差して、御執心の段である。9分と7分の小さな画像のベリーダンスショーを見終わって、斜向かいさんはすっかり柔和な顔付に為ってしまった。ロートル男二人は、美形の映像にコロリの雑談に移行する。<ゴキブリ・コロリ>なんて殺虫剤もあるらしいが、男の眼には、これまた<美形映像コロリ>も効果覿面なのである。

 続いて、Tからのコーヒータイムのお誘い電話である。お天気は上々、10/10は体育の日である。黒い軽乗用車が止まって、

「ほい、これ差し入れ。」
「やいやい、でかいパイナップルにメロンじゃないか。悪いから、お代を払うよ。」
「ナニョ、コイテルダ。Rのブログ購読料だ。婆さんに食わせて遣ってくれや。」
「巧い事言うじゃないか。じぁ、有難く頂戴して置くよ。アリガトさん。」

 三連休の初日、天気に恵まれて、駐車場は一杯である。アイスコーヒーとホットコーヒーを持って、二階席に上がる。おやまぁ、未だ誰もいない。

「ひまじんさんの今日のブログ読んだか?」
「ああ、読んだ。先を越されちゃったよ。やっぱり、テレビのニュースで見てさ、婆さん相手に、冗談こくなぁ~ってな物で、漫才遣ってたんだよ。」
「ひまじんさんは、相変わらず好い事を、すんなり上品に書いてるよ。未だ実績も無いオバマさんを、選ぶんだから堪らんわな。気持ちを代弁して貰って、気分が清々してるんだ。」
「そうそう、<風呂屋のオッサン>とは、流石に関西文化は手厳しい。風呂屋のオッサンの喩えは、これから多用させて貰うってもんさね。<ろっぽんぎ ものがたり>さんは、読んだかい?」
「いや、この頃、読んでないんだよ。」
「そうかい、小物語が、三回一話で載っている。好い味出してるよ。それから<TheDoor Into Summer>さんの事故オンパレードは見たかい?」
「おぅおぅ、プールに車が沈んでる奴か。ありぁ、傑作だ。ベリーダンスも、早速、見たよ。完全にR好みの美形だな。」
「そうかそうか、好かったズラ。昨日、<太田総理>の馬鹿番組で、八ッ場ダムの遣り取り見ててさ。あいつ等、本当に見る目が無いね。工事が始まって57年だろ。
 って事はだ。用地買収で60年も前に、土地収用は出来ているんだぜ。60年も前に、それなりの補償を受けているって事だ。現金手に入れたのは、爺ちゃん・父ちゃんの代だわさ。その恩恵を自分の目で見ていないから、忘れちゃっているんだわさ。
 余り、被害者面して、ああだこうだとイチャモンを付けるなら、補償台帳を公表すりぁ好いんだよ。もし、俺があの場に出席して居て、手を挙げてそんな事を言ったら、如何為るのかね?」
「そりぁ、困るだろう。爺ちゃん・父ちゃん、その金なんに使った? <実はコレに使って、騙されたぁ~、銭は使い切った。>なんて事は、恥ずかしくて言えんだろう。お前が本人だったら、『金髪詣で』だろうが。
 態度はデカイし、ガタイもデカイし、いざと為ったら、正論を吐く、軟で無駄事こいていると、Rって奴は、口より先に手が出る男だから、始末が悪いわな・・・お前がコメンテーター遣ったら、何言われるか堪った物じゃないから、番組を崩壊させる危険人物扱いだよ。怒った顔なんかテレビに映したら、『ヤクザ』を公共の電波に乗せるなって、苦情がギャンギャン来るわな。バラエティ番組もショーだから、視聴率に傷が付くわな・・・
 まぁ、<300m以内に近付くな>って締め出し食うのが、関の山だぞ。鋭過ぎても、世の中渡っちゃ行けねえってもんずらよ。アッハハ。
 俺達ロートルは、コーヒータイムの種に、藪にらみ放談が好いんだよ。」
「そう来たか、門外不出の秘事・隠し事ってことで、お手を拝借って事だな。ギャハハ。」
「まぁ、そう云う事だ。さて、煙草を吸って帰るとしようか。お互い、爺・婆を持つ身だ。」
「あいあい、楽しい時間を過ごせたよ。」

 Tの精密検査の結果は異常無しで、次の検査は6ヶ月後との事であった。先ずは一安心である。まともに日が差す喫煙場所のベンチは、暑い程であった。柄の悪いロートル二人組は、一週間分の語らいをして、心の張りを維持しているのである。持つべきものは、想い出を共有する友である。

心何処ーショート ご近所さんの有難味
               ご近所さんの有難味(10/10/09)
 一時間強の散歩から帰って来ると、散歩に出掛ける前に顔を出したお向かいのおばさんが、日差し一杯の廊下に腰を掛けて母と談笑している。一人暮らしであった母と旦那さんを亡くして、一人暮らしのお向かいさんは、好く母の話し相手をしてくれていたものである。おばさんも、寄る歳波で足がすっかり悪く成って、歩く時は杖の御厄介に為っている。廊下の縁側に顔を出すと、老女二人が楽しそうに話を交わしている。

「おばさん、ありがとね。家の婆さんも喜んでいるよ。」
「えらい話込んじゃって、私は、もう帰るわね。」
「まぁまぁ、久し振りに来てくれたんだもの、ゆっくりして行きましょ。話のタネに俺の絵でも見ておくれや。」
 
 そう言って、部屋から下手絵のファイルを三冊持って来て、廊下に胡坐を描いて広げる。

「兄さんは好いねぇ。趣味があって。私なんかは、無趣味だから足が痛い、膝が痛いと擦っているいるだけだもの。おや、まぁ、これは裸婦じゃないの。」
「そうだんね。俺は、女の考え方は嫌いだけど、女の裸と持ち物は大好きなんだわ。」
「まぁ、母親の前で、ちょいと凄い事言うじゃん。」
「何時もの事、この息子は、女好きで口が悪いんだから。笑って居れば、好いんだよ。」
「そうなんだよね。家の人も、女の裸写真の本が好きで、私の目を盗んじゃ見てたんだよ。私は、それが嫌で文句を言っていたんだけど、死ぬまで治らなかった。私が来ると、お尻の下にサッと隠して、しらばくれているんだよ。私が居ないとキョロキョロ見回して、又、見てるんだよ。本当に、男と云う動物は、嫌らしい生き物でね。」
「へへへ、おばさん、男はそう云う生き物なんだから、しょうが無いせ。一々目くじらを立てて居たら、気が休まらないよ。女の井戸端会議・化粧位に見ていないと、同族として旦那が可哀そうってもんだじ。俺なんか、高校時分から正々堂々と婆さんの前で見て居たもの。興奮して見るのは、バッチリ自分の部屋だったけどね。イッヒッヒ。
 見たからと云って、痴漢・強姦を働く訳じゃないから、如何って事も無いのに、女は過敏に反応し過ぎる生き物なんだよ。そんな事に一々過敏に為ると、性格異常者の被害妄想狂に為って、冤罪騒ぎを作ちゃうわね。昔は、夜這いのおおらかな性風土が日本に有ったって話だよ。エロ本如きで熱く為っちゃ行けねえわさ。ギャハハ。」
「おばさん、兄さんは何時もこんな話をするの? 顔付・態度からは、こんな事言う人には見えないのにね。これじゃ、おばさんは退屈しないよね。」
「そう、会話は多いから楽しいし、文句も言わないで色々遣ってくれる。昔は、血の気の多過ぎて気が短くて、よく喧嘩をして帰って来て、将来どうなるかとハラハラしていた息子なんだけど・・・好く我慢して世話をしてくれているから、手を合わせて感謝感謝の毎日だよ。我が子ながら、感心しているんだよ。」
「まぁまぁ、話半分に聞いて置きましょ。家は、部屋が離れているし、母親と倅だからベッタリの関係じゃないから、持っているんだろうね。俺には、物言わぬ動物達も部屋に居るし、PC叩いて、絵を描いて、散歩して三度の仕事の炊事をして、その時に婆さんと話をして居れば、日が暮れるもの。
考えても詮無き事は、考えない様にするのが、人生・生活の知恵ってもんだよ。はい、俺は部屋に帰るから、ゆっくりして行きましょ。」

 ご近所付き合いを知らなかった男には、賄い夫2年を過ぎて、ご近所さん達の有難味が快く感じられた次第である。人は一人では、生きられぬ。有難い事である。
 
 清々しい快晴の朝である。こんな昨日の事を打っていると、シャッターがガラガラ鳴って、斜向かいさんが畑仕事に向かわれる。声を掛けて、多分昨日来るであろう事を予想して、ベリーダンス関連の文作を印刷して置いた綴りに、Sちゃんのお絵描き封筒を添えてお渡しする。四畳半窓越しの朝のロートル挨拶を、ベリーダンサーの下手絵にギャハハとイヒヒで交わし、朝の賄い夫に立つ。

心何処ーショート 日差しに、はしゃぐ小鳥達
              日差しに、はしゃぐ小鳥達(10/9/09)
   
    へへ、性懲りも無く、ベリーダンスの下手絵を描いてしまいました。

 青空は出ているものの、実に寒い風が吹いています。メダカ槽のヒーターから水陽炎がむらむらと立ち昇っています。解放した窓に部屋の空気は、十分寒過ぎるほどに外気温と一致して居ります。窓を閉めて太陽の日差しのご利益に与かるしかありません。それにしても、一気に寒くなってしまったものです。金魚槽に太陽の光が入って、水槽内部は赤・白・朱の鱗の反射と水草の緑・エアーの水泡柱が活き活きと輝いています。
 いやいや、愛でる視覚と体感とは、隔絶が有り過ぎます。私は堪らずコール天のシャツに、チョッキを着るしかありません。
 
 さてさて、母も起きた様です。朝の賄い夫とご機嫌伺いに、動きましょうかね。

 まぁ、その前に、一服の煙草に火を付けましょうかね。朝と寒さには、滅法弱い物臭者には、辛い季節と成りました。ボヤキの煙は、嫌に白く見えまする。困った物でありまする。

「やいやい参ったねぇ、すっかり寒く成ったもんだ。」
「コタツを出すかい? 靴下を履いたら、違うよ。」
「今から、甘えて居たら、寒い信州、冬が越せないよ。痩せ我慢をして、身体を慣らして行くのが昔風・俺流儀だわさ。」
「台風で家を失ったり、住めなくなった人達は、お気の毒。この位の寒さに、根を上げて居たら、罰が当たるものね。頑張りなさい。」
「まぁ、そう云う事だ。俺の部屋は、陽が当たれば温かいからね。この部屋は廊下に出れば、日向ぼっこで好い気持ちに為れるわさ。さてさて、小鳥達にも、日光浴をさせて遣るか。あいつ等は、至れり尽くせりで甘やかされているからな。
 嗚呼、もてない男は辛いもんだわさ。風邪引くなよ。寒かったら、布団の中でテレビ見てろよ。俺は、自分の部屋に帰るよ。」
「面倒がらずに、靴下を履けば好いものを・・・暖かくして、遣れば好いよ。」

 鳥籠の汚れを洗ったついでに、川の様子を見に行く。昨日の濁りの川は、呆気無い程に土色の濁りは無く成って、勢い好く流れている。青空に薄い雲が浮かんで、風が冷たい。

 三日振りの日差しを浴びて、小鳥達は狭い籠の中で煩く飛び回っている。斜向かいさんのベランダには、洗濯物が陽を浴びて眩しく翻っている。我が家の物干し竿にも、洗濯物が掛っている。庭の柿の実を取って、キリギリスの餌とする。鳴かないメスキリギリスであるが、夏を楽しませて貰った生き物の命を疎かにする訳には行かぬ。然しながら、盛夏のキリギリスが、柿を食べて命を長らえているのであるから、可笑しなものである。

 台風報道で、耳をそば立てていたのであるが、気が付けば早や金曜日である。先日、個人スーパーで小栗を見付け、郷愁を擽られて干し栗を思い立ったのである。廊下の笊に広げた栗の実を数粒持って来て、食して見る。乾燥前であるから、舌には郷愁は乗って来なかった。

 ロートル生活は、習慣を励行するのが、肝要である。さてさて、外の空気を吸いに、散歩に出掛けるとしよう・・・


                   ベリーダンス


心何処ーショート 台風のお陰です。
                 台風のお陰です。(10/8/09)
 如何やら、台風は行ってしまったらしい。台風被害に遭われた人には真に申し訳ないが、幸い大きな影響も無く過ぎ去ってくれて好かったと云うものである。窓を開けて、昼の定位置に鳥籠を移す。

 台風の影響で昨日今日とする事も無いから、ベリーダンスの動画を見ている。時間が有ると、次から次とベリーダンスに執心してしまう。私は、美形の微笑と女体に美を感じてしまう性質なので、仕方の無い事である。密室での鑑賞であるから、顰蹙を買う心配も無いから、気分だけは王侯貴族の様なものである。

 ベリーダンスは、インド・トルコ・エジプトを代表するダンスであろう。文明的にはエジプト・インドの方が古いから、暑い国の薄物腹出しルックの注目点が臍に行って、王侯貴族の鼻の下を伸ばさせ、玉の輿を射止める為に、美形ダンサー達は、一心不乱に肌に磨きを掛け、胸・腰の隠し物を装飾品で飾り、臍踊りに磨きを掛けて来たに違い無かろう。

 余談ではあるが、日本の男が宴会の時にする臍踊り・腹踊りとは、目的と披露頻度が全く違うのである。彼女達の目的は、艶めかしさを演出する饗宴のスターの座を掴み取る事にあるのだから、訓練と根性が全く異質の物なのである。従って、男の私が涎を垂らして、食い入る鑑賞法は正しいのである。

 四季の国・夏の短い日本では、女性の肌出しは気候的に発想が行かなかったのだろう。私としては、実に悔しい日本の気候要因である。歴史の古さにベリーダンス発祥の地を探ろうと、エジプト、インドのベリーダンスを見ると、両国ともに、裸足の踊りであった。一方、繁栄を極めたオスマントルコの末裔トルコのベリーダンスは、ハイヒールを履いているから、東西交易の要衝イスタンブールのベリーダンスは、東西のベリーダンスをスマートさを加味・アレンジして、繁栄の時代に洗練されていったのであろう。

 ダンスと云えば、闘牛士の国のスペインは、フラメンコダンスである。気候的には、グッと温暖に成るのであるから、暖房の行き届かなかった十字軍の時代では、臍出しでは風邪を引いてしまったのだろう。フラメンコダンスは、カスタネット、掛け声とスカートの翻しとタップの響きで、情熱を踊る闘牛士の国のダンスなのであろう。
 
 スペインからヨーロッパを移動して暮らすのは、御存じジプシーである。ジプシーダンスは、ベリーダンスにフラメンコダンスを融合させた様な踊りである。

 頭の中の世界史の文明発祥の地である処のナイル河のエジプト文明、チグリスユーフラテス河のメソポタミヤ文明、インダス河のインダス文明、そして、古代の大洋地中海を持った古代人達の陸と海を使った文化文物の交流史を軸とした大国の興亡を、思い描きながら、頭に発想が浮かぶ度に、文字を打って検索をしながら、其々のダンスに感心して、こんな事を考えている始末である。これが、ロートルの愉しみの一つなのである。

 水の惑星と呼ばれる地球である。陸地の世界地図は見慣れたものではあるが、世界を繋ぐ海洋には、海流を記した海流図と云う物が有る。それに依ると、海は海流で地球を巡っている様が、一見出来る。

 ジプシーの名前の由来は、エジプトから来た人達と云う意味の事を、高校の世界史で聞いた記憶がある。世界史の教師は中々面白い人で、教科書に書かれていない歴史余話の話が得意であった。ジプシーの故郷はインドである事も、その教師の入れ知恵の一つである。 人間の記憶とは、こんな事が色濃くインプットされているのであるから、不思議な物である。
 想像力を働かせば、ジプシーの民は、インド・中東・地中海沿岸を渡って、スペインに辿り着き、その何千年の内にベリーダンスとフラメンコを融合させて、ヨーロッパを季節に応じて、巡っていたのだろう。

 そう考えると、これは正しく文化の伝播にして、その様は、正しく地球の海流図に等しい人間の営みに見えて来る。40数年も前に、小耳に挟んだ歴史余話の断片が、思いがけも無く、ひょこんと顔を覗かせて、ヒントに姿を変えてくれるのであるから、有りがたい事である。

 尤も、私の脳裏の中での印象的なジプシーダンスは、ショーン・コネリー主演の大ヒット作シリーズの『007危機一髪・ロシアより愛をこめて』である。ショーン・コネリー、ダニエラ・ビアンキ、ロバート・ショー・・・三人とも好かったですなぁ~。それに、ジプシーダンスの後の、女同士の取っ組み合いの喧嘩シーン。へっへっへ!!


心何処ーショート 午後の日記
                     試し散歩
 先日の『公園騒音問題』に関心が有ったから、散歩コースを学園コースで回る事にした。大学球場・中学・高校が隣接する界隈を進み、少年刑務所の受刑者達の作った製品販売所で、商品を見る。全国各地の刑務所作成の物が売られている。此処の刑務所の靴・家具は、知る人ぞ知るの『良品揃い』との事である。

 続いて、高い塀に囲まれた刑務所を一周する。内部では体育が行われている様で、一、二、三、四の掛け声が反響していた。私の小・中学生の頃は、年に何回かは、脱走騒ぎが有って警察・消防団で結成された『山狩り』何て物騒な事もあった。此処は、田んぼ・畑・溜池などが続くうらびれた一帯であったが、今や住宅が刑務所を取り囲んでいる有様である。まぁ、相手が相手であるから、号令・掛け声が煩いと苦情など来ないであろうが・・・ 周辺環境の過密化などと云う大義名分が立って、何時かは周辺の丘陵地帯に移転と云う事態に為るのかも知れない。最初の既得権が、後進の住環境と云う既得権に押し出されてしまう??

 高い堅固な塀を一周して、今度は小学校と中学校の隣接する界隈を一周する。この中学校は、私の通った所である。麦畑・桑畑・ブドウ畑・リンゴ畑の中に、ぽつんとあった学校である。此処も、住宅に取り囲まれてしまっている。小学校では音楽の授業中であり、中学校の体育館では、ドシンドシン、バタバタと体育授業の走り回る音が反響している。

 橋を渡って、今度の遠征地は、幼稚園と小学校が隣接する界隈である。この辺りは、昔とさほど変わらない一帯である。家々が新しい装いに為っただけである。小学校の校庭にはナイター設備が有り、体育館では昔からママさんバレーが盛んな地域である。多くの住民は、此処で生まれ育ち所帯を持っている。耳に馴染んだ子供達の歓声・騒々しさは、日常の生活音でしかあるまい。此処には、新旧の既得権のクレームは発生しようも無かろう。

 大分降って来た散歩ではあるが、こんな時もあっても好かろう。通常コースの河川敷に向かう。ゴイサギ・カワセミの姿を見付ける。橋の下を通る時、鳥が飛んで来た。見ると鷹の若鳥である。本日、最大の遭遇である。少々、背中に雨の濡れが回って来た。昨日の魚達は居るだろうかと、雨の波紋広がる川面を見遣ると、鈍い色で昨日の三匹が確認出来た。彼等も、私の家での定位置・四畳半と同様に、定位置の様な場所を静かに泳いでいる様子である。

 さてさて、台風の影響なのだろうか・・・ 悪天の散歩で風邪を引いてしまっては、落ちにも為らぬ。真面目に、急ぐべしである。
Copyright © 心何処(こころいずこ). all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。