旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 雨日に腰の鈍痛為り。 
                雨日に、腰の鈍痛為り。(9/30/09)
 雨音を変えて、好く降っている。まあ、次から次とオムニバス夢を見てしまったものである。10月に行われる中学の同窓会に因んだものであった。欠席を通知してあるのだが、意識の中に、それがあるのだろう。何やら、同窓会を先取りして楽しい夢であった。場面場面をスライドショーにした様なショートショットのオムニバス夢であったから、如何せん・・・夢の歩留まりが、頗る悪い。

        まぁ、どの顔も元気であったから、喜ばしい事である。

 私の場合、夢の出現率には、或る一定の温度が必要らしい。少々、汗ばむ程度の布団の温もりが、必要の様である。少なからず、それは、夢と云う『知恵熱』らしき内部熱の発生が、体温を高温域に高らしめているのだろうが、それを引き起こすのは、外気温の高さか?寝相の好さから来る布団内気温に依る物なのか?は、物臭者には判定出来ない処である。この因果関係が究明出来れば、確率の好い人工夢が叶えられるかも知れない。

           雨で薄暗い朝であるが、起きるとしようか。

 ヒメダカの薄黄色の体色に、尾鰭に朱色の縁どりを持つオスグッピィが、一匹だけ残る小水槽に、ヒメダカと黒メダカが群れている。全く地味な世界に成ってしまったが、これも仕方が有るまい。メダカ軍団のボリューム感を愉しむべきであろう。これから侘びしき秋が進み、長い冬の目の保養としては、空き水槽では淋し過ぎる。駄目な物に固執するよりは、次善を楽しむのがロートルの知恵であろう。

 環境に順応して、如何なる定着振りを示すか・・・ 観察は出来るが、対処方としては精々水槽を洗い、川の水を補給する事しか出来ない『手立て無しの男』が管理人なのであるから、予想は付かない処でしかない。早くも1匹が底に沈んでいる。豆タニシの蛋白源と為っている・・・やれやれの段である。

 食後の時間を母とお茶を飲んで居ると、「おはようございま~す。ヤクルトで~す。」
彼女に、今週分の3枚の絵を見せると、3枚ともグ~のお言葉であった。ゴタンヌ映画祭向けのメガホンオヤジは、正に私そっくりとの褒め言葉を頂戴してしまった・・・とほほ。

 振り止まぬ雨の様子見に、母の薬を貰いに行って来る。家の中に居るよりも、外に出ると意外に明るい。傘を差しているのであるが、山に掛った靄が僅かばかりであるが、薄れて来ている。町医者からの帰り、おやおや、ヤクルトママさんである。車のバックドアを開けて、仕事中である。声を掛けると、
「あれ~、Rさんじゃないですか~、如何したんですか~。」
「ああ、婆ぁの薬を貰いに行って来たんだよ。」
「婆あじゃないでしょう、『お母さん』でしょ。ホントに口が悪いんだから。」
「こう遣って見ると、中々、好い女じゃないか。」
「もっともっと、大きな声で言って下さいよ。嬉しく為っちゃいますから~。」
「あれだね、ちょっと澄ましていた位が、好い女に見えるよ。」
「それが、駄目なんだよね~。Rさんの顔見ると、何かリラックスして、和んじゃうから。」

 新米ヤクルトママさんは、留守宅が無いとスムーズに運んで1時頃には、訪問販売が終了するのであるが、留守宅が有ると午後回らなければ為らないと言う。高過ぎたオクターブも、殆ど地声に近付いている様子である。慣れれば、同じ仕事でも余裕で時間短縮が叶うものである。世の中、<慣れれば、余裕も生まれる>と云う決まりなのである。

「雨の日は、出掛けるのが億劫に為るから、サッサと仕事を片付けて、子供サービスに時間を割きなよ。浮気をしちゃ駄目だよ。」
「心配無用で~す。旦那さん・子供達を愛してま~す。」
「そりゃ~、結構。じゃ、来週ね。風邪引くなよ。」
「ありがとうございま~す。」

 さてさて、午後には止みそうな気配である。天気が悪いと、ロートル・クマ男の腰に鈍痛が現れる。お湿り十分の沙汰である。明日は10/1である。カラッとした秋晴れが、欲しいものである。
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心何処ーショート 早や、暮れる曇天。
                早や、暮れる曇天(9/29/09)
 さて、雨も降らぬ様であるから、気晴らしに風呂へでも行く事にしよう。こんな日は、じっくりと風呂に浸かっていた方が好い。自転車で山辺の湯に行く。湯の入り口の坂は、直進が出来ぬ勾配である。ジグザクで自転車を漕ぐのであるが、或る意味では体力と根性のバロメーターでもある。ロートル温泉保養施設であるから、料金は無料である。早速、男湯に行くと、8人も入っていて洗い場も無い始末である。然しながら、此処の湯は温い湯であるから、空くのを待てば良いのである。何時も行く浅間の熱い湯よりも、温度的には此処の温い湯が好きなのであるが、此処の『我が物顔の常連客』とは波長が合わないから、年に何度かしか来ない湯である。

 帰りに、赤飯饅頭と湯の花饅頭(おから饅頭)を買って、母とお茶を一緒に飲もうと思って、温泉通りに寄って行くと、アジャ、パーで店は休みであった。ゆっくり湯に浸かって、男前を上げたのであるから、ほかほかの気分に乗じて、三段ギアのチャリンコ・サイクリングと洒落込む事にする。

 平日・火曜日の雨こそ上がった物の、どんよりした曇り空である。稲穂垂れる田やコンバインの入った田を見ながら、秋の田園風景を見ながらペダルを漕ぐ。こんな時は、大通りを行くのは無粋である。裏通り・路地を進んで、人の暮らしの息吹を感じるのが丁度好い。饅頭の替わりを何か買って行こうか・・・

 大手スーパーとホームセンターに寄って、食材とお焼き・待望のメダカ30匹を買って帰る。水槽を変えたら、メダカ達は死ななく成ったと言う。人間の裸眼では直視不可能な水質変化をもたらす微生物の世界とは、人間の日常観察では、生死の確認しか出来ないのであるから、手遅れの実に恐ろしい世界でもある。グッピィ飼育を断念して、メダカ槽とした小世界は、黒メダカ10匹・ヒメダカ20匹を得て、如何なる世界が形成されるのだろうか?

 スーパーから土手道に移行すると、川の流れが途切れている。200m前後はあるだろうか、恵みの雨は、間に合わなかったのである。こんな様を見ないと、川の流れの川底への吸い込まれ量の多さには、気付かされないものである。川の流れは、潜ったり湧き出たりして、自然の浄化作用を繰り返しているのだろう。

 間食を殆どしない私ではあるが、一日中家に居ると、偶には三時のオヤツなどもしたいと思うのであるから不思議な物である。若しかしたら、男性ホルモンの老化現象で、私の中にも目に見えない『中性化』の由々しき事態が、侵攻しているのかも知れない。流れに身を任せるか、朝青竜に倣って、流れを断ち切るか・・・ 真面目に、一考する価値が有りそうである。

 母の常備薬の一つにメンソレータムがある。店仕舞いするのなら、有ったら買って来て欲しいとの事である。お安いご用である。店内は、殆ど売れ切れに進んで、陳列棚は空の有様を呈している。幸運にも最後の中容器物があった。

 一日は、呆気無い程に過ぎ行く・・・さて、散歩にでも出掛けるとしよう。

心何処ーショート 為るほど、『男尊』であったか。
             為るほど、『男尊』であったか。(9/29/09)
 静かな雨音に、目が覚める。廊下の戸を開けて、庭を見る。好いお湿り具合である。暗い玄関で、小鳥達は静かにしている。ゴミ出しをして、台所で湯を沸かしながら、食器を洗う。静かな雨音を聞きながら、薄いアメリカンのモーニングコーヒーを啜る。

 母の動き始める気配は無い。鳥籠を外に出して、底板の水洗いをしてから、昼の定位置に置いて遣る。本日の天気予報によると、雨は降ったり止んだりの一日との事である。窓辺の枝葉の密集した雑木の幹に、雨の滴りが幾筋か流れている。

 余り朝が遅くなっては、三度の薬の間隔が拙かろう。母のポットの湯を沸かし、ポットに入れて遣る。ヨロヨロと起きる気配がして、トイレ、洗面をしている。食事の用意をして部屋に入ると、体調の悪そうな母が、小さなお地蔵さんの様にチョコンと座っている。体調の好し悪しのバロメーターの一つに、自分で仏壇への世話が出来るか如何かがある。   
            
             今日は、何も出来ない様である。

 こんな時は、時間を長くしてテレビに付き合って、母と言葉を交わして、好い気分に誘導して遣らねばならない。

               時々、兄弟達に苛立つ事がある。
 然りとて、神経の無い者を相手にして見ても、詮無きエネルギーの浪費だけである。

 ニュースを見て、シイラ釣りを見て、世界遺産の旅を見て・・・
止んだ雨に、コウロギ・アマガエルの声を聞いて、母と倅が色付いた庭の柿の実と一部黄色と成った柿の葉を見ながら、灰色の空、お茶を飲んでいる。

 母の顔付も普通に為って来た。さてさて、片づけて米でも砥いで置くとしようか。

 小部屋の定位置に座り、パイプに火を付ける。刻み煙草の辛い煙に、苦笑い一つである。

 先日のジャック・レモンついでに、1989年作の<Dad晩秋>を、昨夜は観たのである。テッド・ダンソンありがとさんよ。若しかしたら、ダンソンは『男尊』の当て字なんだろうか・・・そう云えば、彼の作品の中には<スリーメン&ベビー>なんて、心温まるコメディーがあった。真解釈は、予期せぬ時に姿を現してくれる物の様である。苦笑い転じて、ニャハハの得心笑いの段であった。

                Dad晩秋Dad晩秋_001


心何処ーショート 順応性生物
                  順応性生物(9/28/09)
 風の強い曇天である。ラジオでは、雨のニュースがちらほら聞こえて来る。長靴に軍手を嵌めて、庭の草むしりをして来た。乾いてパサパサした土に、小さな雑草の緑が、しがみ付いている。そんな感じの捻くれた小草を、小まめに引き抜くしかない。涼しいお天気は有難いが・・・
  如何せん・・・相撲取りの太鼓腹は、こんな作業には向かないのである。

 おまけに、地面に近い高度が災いしているのだろう、顔の周りを、小さな蚊がウロチョロしている。脳味噌の部屋が幾つもある男では無いから、作業と防備の同時進行が難しい・・・根気が無くなって、ギブアップである。まぁ、<遣らないより遣った方が、益し>の状態には為ったのである。自分を慰めるしかあるまい。

 案の定、幾つも蚊に吸われてしまった。形は小さいが、痒みは一丁前であるから、真に始末が悪い。

 四畳半のフェンス前に二本植え替えをした南天の一本が、すっかり紅葉している。力任せにひっこ抜いた<駄目もと南天>であるから、肝心な根が殆ど無いのである。それでも、梅雨前の集中豪雨の様な雨を浴びで、如何にか持ち堪えて来たのであるが・・・ 此処で支えて遣らないと、息絶えてしまう。
 川と隣り合わせの石ころだらけの庭である。バケツ一杯の水を入れて、根元をグリグリさせて泥状の土を浸透させて遣る。バケツ二杯の水は、愚図愚図しながら呑み込まれてしまった。近日中には、天から貰い水もあろう、後は自助努力の生命力しかあるまい。

 前線の活動で、パッとしないお天気である。気圧に敏感な水槽住人達は、水槽の底で臥せをする様な形で、動きも少なく、互いに身を寄せ合っている様が目に付く。キリギリスは、本日音無しであるから、とうとう死んでしまったかと思い、ケースを出して見ると生きている。小鳥達にしても、何時もとは違って大人しい動きである。

 この様に、自然界に身を置く生き物は、気圧の変化を嗅ぎ付ける体感精度が優れているのであろう。環境が主体と、己が主体とするかの、順応性の差は大きなものである。

 遣る事も無いから、ピーナツ&レーズンを小鉢に出して、催眠効果に日本酒をチョコンと注ぎ、内容の硬い分厚い本を開く。隣の机の椅子を出し、足を乗せて、盃にチョコンと又注ぐ。ロートル・クマ男と云えども、偶には読書タイムが必要なのである。

 矢張り、私も生物の一員であるらしい。同室人達と同様に、『低気圧』を感知しているらしく、頁の進み具合が鈍化して来ている。

       う~ん・・・ 本と煙草を持って、隣へ移動すべきである。

心何処ーショート コミニュケーション
                 コミニュケーション(9/27/09)
 散歩に出たら、雨が降って来た。日頃、雨が欲しいと言っているのであるから、散歩を止める訳にも行かず・・・ 我慢出来る所までの散歩コースとする。結構な降りに成って来て、踵を返し気弱に歩いていると、小振りに成ってしまった。そして、家に着く頃に成ると、雨は止んでしまった。これで終わりだと、大地は乾いたままである。非常に宜しく無い事である。

 四畳半同室生き物の絵を暇に任せて描いているのであるが、ブログには金魚の絵は未公開である。手元にある絵は容量オーバーであるから、一枚描いて見ようと思い立った。

 本日は、水槽の半分以上の水替えをして貰っているのであるから、金魚達は真面目にモデルを努めるべしである。金魚槽を描く以上、主役は水飛ばしコメットが適任であろう。形は小さい物とは倍以上の開きが出て来たのであるから、性別はきっとメスに違い無かろう。10匹の金魚の中で水飛ばしをする奴は、その1匹だけである。水飛ばしも、考え様によっては<美形女の誇示行動>と思えなくは、無い処であろうか・・・ 兎角、女と云う生き物は、太古の昔より身勝手行動が多い生物なのである。

 さてさて、大人しくして居ろよ。俺は不器用だから、性根が悪いと、其の儘に絵に現れてしまうのである。絵の出来・不出来の結果責任は、モデル次第である。
                俺様とは、全く無関係である。

       出来上がった絵の題名は、<コミニュケーション>とした。

     さて、如何なる点数を頂けるかは、神のみぞ知る・・・の結果である。

                    コミニケーション_001


心何処ーショート ロートル、朝のボケ~タイムを過ごす為り。
         ロートル、朝のボケ~タイムを過ごす為り。(9/27/09)
 夢を見るのも忘れて、好く眠れた。未だ6時前であったが、スイッと起きる事にした。湯を沸かして、外に出る。日曜日の早朝であるから、町は未だ眠っている。雨に見放された乏しい流れであるが、川の音が聞こえる。

 河川敷のベンチで、朝の一服に火を付ける。一面の曇天ではあるが、すっかり冷え込んで来たものである。流石に寒いのだろう、コウロギの声もチロチロと消え入るような小さな声であるし、アキアカネも死んだ様に五月の葉の上に乗っかっている。

 ウォーキングスタイルのロートル男性が一人、歩いて来た。ぐるりと見渡すが、未だ散歩の時間には早いのであろう。彼一人である。橋を渡る車が一台、遠くに見える。土手のケヤキの枝の中で、キジバトがボーボーと低く鳴いて、朝のお目覚めである。

 庭に回って、甘柿を二つ捥ぎ取って、歯を当ててみる。未だ早くて硬い実であるが、渋くは無かった。食べる事が出来る。薄い橙色を呈した柿の実はたわわに付いているが、今年は小さい形である。
 黄色と黒の横縞模様を持つ女郎蜘蛛が、巣を張って居る。この女郎蜘蛛の腹部が大きく丸々として来ると、晩秋の季節を感じるものである。そんな蜘蛛の大きさにも、呆気無く遭遇されてしまうのであろう。昨日の散歩では、刈り取られた稲田周辺の草むらには、小指の半分すらも無い真新しい白い玉が、幾つも目に付いた。中にびっしり詰まった、蜘蛛の産卵玉である。

 モーニングコーヒーを飲んで、朝を迎えた小鳥達の籠を昼の定位置に置いて遣る。餌を貰って盛んに啄むと、今度は並々と入った水入れに、体を入れてバシャバシャと水浴びをし始めた。餌の入ったコーヒーの器を持つと、<早くしろ>と金魚達が催促して集まって来る。ゲンキンな連中である。水が汚れて来たから、太陽が上ったら水を汲んで来て、入れ替えをして遣ろう。
 バックの中のヒーター入りケースからは、キリギリスが掠れ声で鳴いている。山ブドウ・柿の実と同居するキリギリスなど聞いた事が無い。季語を命とする俳句協会に、こんな事が知れたら、お前達も私も、何を言われるか堪った物ではないぞよ。

季節の移ろいは、流れる水の如く静かに早い物である。今週は、10月である。アハハ。

 薄日の差して来た屋根に、カラスが一羽歩いている。おやおや、カーディガンを着た女子高生が、自転車を並べて通り過ぎて行く。朝から部活であるか・・・ ラジオでは、運動会に纏わるリスナーの便りを紹介していた。そんな便りに釣られて、暫し自分の運動会の思い出が浮かんで来た次第である。

 動き始めるには、早過ぎる。季節の移ろいを描写する感性も能力も無いが・・・偶には、朝のボケ~タイムも好かろう。

心何処ーショート ロートル小蚊談議
                ロートル小蚊談議(9/26/09)
 下手絵の色付けを終了しても、未だ眠れない。為らばPCを開いて、下手絵描きの動機を打ち始める。1/3の程打った処で、根気切れのお誘いである。いざいざ、寝るべし、寝るべし。二時半に布団から出て、現在時四時半に差し掛かろうとしている。寝酒ならぬ寝入りの一本を吸うおうと、煙草に火を付ける。

 母の物音に、重い意識が揺さぶられている。顰め顔で、座卓の置時計を見遣る。九時である。さてさて、本日・土曜日である。Tとのコーヒータイムが控えている。

 サンマを焼きながら、同室生き物の世話をして、昨日仕込んで置いた漬物を出す。歳を取ると、食卓の漬物は無くては為らない一品である。然りとて、毎日の補充は面倒な時がある。従って、昨日は新しい食材の補充に伴って、使い残しの野菜を加えて、キュウリを12本と大根1本で、市販のQちゃんを転用して、キュウリ・ダイコン・ショウガを刻んで塩揉みをした後に、トウガラシ・庭の紫蘇の実を振りまいて漬物用味噌を溶し込んで置いたのである。これなら、即効性があるというものである。塩が馴染んで居ない処ではあるが、不味くは無い。好かろう。

     風呂に浸かって、歯を磨いていると、お誘いの電話である。

「おぅ、これMさんからの貰い物だけど、フィリピン・バカンスのお裾分け、これは温泉ミネラルウォーターだ。おっお、これは、刻み煙草の葉っぱだな。はい、サンキュウ、はい、お代。」
「口に合う葉っぱは、決まったか?」
「いや、何でも好いんだよ。下手に葉っぱ中毒に為ったら、肺がタール漬けに為っちゃうからな。」

  昨日・今日と夏並みの暑さである。スタバの二階でアイスコーヒーを飲む。

 暑さが戻ると、厄介な黒い小蚊に腹が立ち、悩まされてしまう。何時とは無しに、小憎たらしい黒蚊に話が続いてしまった。
「そうなんだよ、サッと来て、チョコンと刺して、サッと飛んで行ってしまうんだよ。後が痒くて堪らんのさ。雲隠れ位だったら許せるが、空気隠れと来ちゃ、ギブ・アップよ。」
「昔の蚊みたいに、ブ~ンと飛んで来て、モゾモゾと刺す場所を探してさ・・・腹が膨れたら、ヨタヨタと飛んで居てくれたら、このヤローめで、パチンと両手を鳴らしぁ、掌に赤い血が広がるってもんだったけどさ。小さ過ぎて、バチッって腹癒せ混じりで遣ると、風圧でダッチロールして、逃げちゃうんだよ。」
「頭に来るんだよなぁ。もうロートルで、目が薄いから行方を追えんのだよ。Tと同じで、奴ら胃袋をカットしてるんだよ。それで、身軽に為ってるもんだから、本当に小分け吸血蚊の態で、始末に負えんわさ。ギャハハ。」
「アハハ。笑わせてくれるじゃないか!! 胃無しと来たか。俺は、その実践中だからなぁ~。胃が無きゃ、回数でこなすしか無いな。俺なんかは、庭いじりの時は、携帯用の蚊取り線香を腰に括って、アースジェットでプシューしてから遣ってんだよ。そんな物、外に出れば5~6匹直ぐ群がって来るぜ。厄介な奴が、蔓延っちゃったって物だいな。」
「俺は、大体が机に向かっているだろ、足の裏の角質層まで刺して来るだぜ。去年から、部屋の手の届く所に、ムヒを置いてあるんだぜ。俺が四畳半と八畳、ばあさんが一本で、計三本だぜや。アースジェットにばかり頼っていると、缶空の山だぜよ。」

「話は変わるけど、この頃、絵が多いじゃないか? 如何したや。」
「描き始めると、あれも癖に為るんだろうな。この侘びしい頭から始まった<ゴタンヌ祭の呆け話>に拍手が多いんで、実は今日も一枚描いて来たんだよ。」
「おうおぅ、ゴタンヌ祭か、でも好いねぇ、そう遣って、夢を見れるなんて、幸せ者じゃないか。おいおい、溜まって来て、欲求不満じゃないのか? イヒヒ。」
「やあやぁ、俺も遅らばせながら、中折れ落ち目の三度笠・赤玉ポートワインの霞仙人だわさ。生身の女は要らん。面倒臭いのは、御免の口だわね。妄想夢だけで、不自由は感じ無いわさ。それにRedTubeが復活して、斜向かいのSちゃじぁ無いけど、タジタジ、あんなのをマトモに喰らったら、それこそ、目が潰れちまうわな。スローライフにぁ、向かんぜよ。イヒヒ。」
「そうだ、ありゃ女恐怖症に為る。土台奴等とは、食い物が違うから、太刀打ち出来やしねぇよ。俺は、1日30分に縮小したぜや。ギャハハ。」

「へへへ、病後のリハビリには、逆効果かいな!! 処で、精密検査は終わったのかい?」
「それは、来週だよ。」
「そうか、無事のお墨付きが無いと、心穏やかには為れんわな。無事な内に、二人で海外旅行でもして、試し打ちをして<確認>したいもんなぁ~ ウッシッシ。」
「まぁ、早く言えば、そう云う事だわな。さてと、煙草を吸って、ペット売り場でメダカでも見て帰るか、携帯用蚊取り線香も探して見るか。」
「そうだな。」

 ペット売り場を覗くと、店員さん二人でセッセと水槽の大掃除をしている。新入荷のメダカ・金魚・グッピィ槽には、『調整中』の貼り紙がしてあった。中々にして、水槽の中を占拠するバクテリアは、新型インフルエンザ同様に、手強い相手の様である。如何やら、今年のグッピィ槽小世界は、叶わぬ雲行きである。亜熱帯日本の足音が忍び寄って居るのかも知れない。・・・困ったご時世である。

心何処ーショート 秋の夜長、明り灯る隣の窓は、何する人ぞ?
       秋の夜長、明かり灯る隣の窓は、何する人ぞ? (9/26/09)
 
 遺憾いかん、眠れぬ夜も、来るものである。闇の中で、寝返りを打っていても眠れる訳も無し・・・ 悶々として居たら、人間などと云う物は碌な事を考えない。考えても、詮無き事は、遮断が肝要である。

 こんな時は起きて、形の見える物を相手にした方が、手っとり早い。睡眠不足必定なのであるから、その内に体の方が持ち堪えられずに、眠りを急かしてくれるのである。

 起きて、四畳半に座る。ぼやけた頭では、打つ対象も思い浮かばない。然らば、授業中の悪戯絵に準(なぞら)えて、下手絵の一枚も描くしかあるまい。

           さて、何を描いて見ようか・・・

 バターピーナツとレーズンを小鉢に出して、ポットの白湯をコップに注ぐ。ピーナツとレーズンのコンビは、私の口に合う。ピーナツの乾いたポリポリ感と潰れたレーズンの穏やかな酸味が、口に丁度好いのである。煙草を吹かしながら、ゴタンヌ映画祭の<夢の顛末>を表現する事に落ち着いた。

  夢の要素はロケ現場とバタフライサングラスにアッジャー!!の三点である。
夢の内容を論理的に誇張すれば、メガホンである。そして、『渦巻』が夢の深層心理の基調と落ちである。大体の構想が纏まった。

   半分に切った画用紙の残り紙に、鉛筆でメガホンの線を引いて見る。

 Bのシャープペンシルの薄い線画であるから、何本引いた処で余分な線は消せば良いだけのである。おっぉ、乗って来たぞ。昔、散々取った杵柄である。こんな悪戯絵は、勢いが肝心の口である。下絵が姿を現して、今度は色鉛筆のケースを机の上に出して、秋の夜長のお絵描きタイムである。画竜点睛は後回しにして、絵全体の色バランスと強調の配分を吟味すべし・・・である。

 成功すれば、ゴタンヌ祭出品作、<ノーテンのクマ>の列記とした手作りポスターと為るやも知れない。何しろ、御老人曰く、『経済は工夫。』ゴタ咲く監督曰く、『出た処、勝負。』なのである。ギャハハ!!

                    ノーテンのクマ・ポスター


心何処ーショート 臭い運ぶ田園風景
                臭い運ぶ田園風景(9/25/09)
 昼寝をしていると、玄関が開いて、民生員のFさんの大きな元気な声である。
「おばあちゃん、元気? 起きている? 話して好いかな?」
「ちょっと、待ってましょ。見て来るから。」

「大丈夫、さぁ、どうぞ。」
「ありがとね。Rちゃんは、自分の仕事してれば好いからね。私はおばあちゃんと適当に話をして行くからね。」
「はい、お願いします。ごゆっくり。」
 
 Fさんは、私より一歳年上の町内の民生員さんである。娘さんは、私の娘と幼稚園から中学まで一緒のクラスだったと云う、女房とはママフレンドだったと云う女性である。彼女も、高齢の実母を自宅介護している。
 町内の民生員として、子育ての終わった町内の高齢者のお宅を回って、勇気付けてくれる。大柄な、如何にも面倒見の好い気さくなお人柄である。団塊世代の人柄・成績共に好い、典型的なクラスの副ルーム長の様な人である。
 私は彼女に敬意を表して、姉貴と呼んでいる処である。母とは気が合う様なので、姉貴が来ると私は任せ切りで母の部屋には、顔を出さない事にしている。女は女同士で、何かと話が弾む物なのである。武骨な男は、邪魔をしない方が好いのである。

            一時間ほど話して、帰るとの事である。

 帰りに、お声が掛った。
「Rちゃん、男の子なのに、文句も言わずに毎日、好く遣ってくれているって、おばあちゃん、感謝しているってよ。好かったね、真心は通じているよ。でも、頑張り過ぎたら駄目だよ。介護する人が倒れたら、共倒れだよ。それだけは、絶対にしちゃいけないよ。
 それに新型インフルエンザは怖いから、風邪を貰って来たら駄目だよ。分かっているね。人混みの中は、マスクをしなくちゃ駄目だよ。又、来るからね。
 まあまあ、おばあちゃん、見送りは好いんだよ。足が悪いんだから。」
「ハハ、姉貴、好いんだよ。お袋は嬉しかったから、気持ちがそうさせるんだよ。気は心だ。貰って置きましょ。ありがとね。」

 部屋から立てずに這いずって来た母が、玄関で昔堅気の丁寧なお見送りの挨拶をしている。生真面目な大正女の姿である。

 区切りの好い処で、夕方の散歩に出掛ける。明るいから、フルコースの田園ルートである。稲穂の実りが、シルバーウイークの好い期間に当たったのであろう。3/4程が終了している。畑も、秋野菜が大分大きくなっている。田んぼにはハゼ掛けの稲が、里山をバックに懐かしい秋の風情を見せている。粉砕された稲藁を燃やす煙が低く立ち込め、それが雲に昇華する様に夕刻の空に薄い色を付けている。郷愁にタイムバックするかの様な馴染んだ稲藁の煙の臭いである。柿の実も葉の中に、小さな色付きを見せている。

 ぶどう畑の袋の膨らみに、手を伸ばして見たい気持ちも起こるが、そう云う訳にも行かないロートル年齢である。コウロギの声を聞きながら、折り返しのH橋からすっかり水量を減らした川の流れを見る。山際木々のアーチを過ぎれば、盆地にはネオンの四十万が灯り始める。温泉ミネラルウォーターで口を潤し、夜の賄い夫に戻るべしである。

 山が迫り出す小道は既に暗く、急斜面の木立の闇の中から、落ち葉を踏む音が聞こえる。きっと、鹿に違いあるまい。立ち止まって、山の闇と根競べをするが、音の主は息を潜めている。音の辺りに目を凝らすが、全ては墨絵の中である。

 さてさて、後30~40分を歩かねば為らない。私には、交代要員が居ないのである。

心何処ーショート ゴタンヌ映画祭・出品作予告編
              ゴタンヌ祭出品作予告編(9/24/09)
 私の頭は空っぽに出来上がっているから、刺激を受けると反応されて仕舞うらしい。自分の意思と云う高級な物が備わっていないから、反応と云う能動態では無く『されて仕舞う』と云う受動態なのであろう。出来の悪い体たらくの様ではあるが、裏を返せば、それだけ素直な気持ちが持続されていると考えられなくも無い。

 由緒正しいカンヌ映画祭・山田洋二監督を捩って、『ノーテンのクマ(虎→クマ)』などと打ってしまったら、罰が当たったのか『痛くも不甲斐ない夢』を見てしまった。

 舞台設定は、自ずと知れた『あなただけ今晩は』のパリの下町の裏通り、年代の入った連れ込みホテル『カサノバ・ホテル』界隈である。シャリー・マクレーン演じる売れっ子娼婦とジャック・レモン演じるドジで首に為った元駄目警官のヒモ男のコピーである。

 場面は、ゴタンヌ映画祭出品作のロケ現場である。何しろ、低予算のボランティア出演者・機材の構成である。伊達吹かしのパイプを噛んで、私は脚本・監督・役者の右往左往の光景である。最初のヒモ男が仕返しを思い付いて、金歯の歯を見せて、ニンマリと笑うシーンの撮影である。

「これこれ、金歯じゃパクリに為らんだろう。ピンクにしなきゃ。狙っているのは、ゴタンヌ祭出品作だよ。ゴタに徹しなきゃ駄目よ。格好付けて如何するんだよ。何、ピンクの被せ歯は無い? 其処の100円ショップでペンキ買って来て、塗っとけよ。」
「監督、中国製のペンキですがな。ボランティア出演の挙句、毒が回って口から泡を吹いて、死んじゃいますよ。幾ら付き合いの長い腐れ縁でも、怖くて、塗れんわね。」
「しょうがないなぁ、助演賞が転がり入って来るかも知れんし・・・ 一理あるわな。じぁな、ピンクのガムテープでも貼って置けちゃ。さぁ、次のシーン撮るんね。」

 ボランティア、手弁当の友情出演、友情共同労働であるから、監督などと言っても、権威も命令権も無い『仲間の輪』である。出番を待つと云うか、冷やかしの態度のオリジナル映画では、ハート形のサングラスをしたオチョッカイ役のベテラン娼婦が、ガムをクチャクチャ噛みながら、私の方を見て中指でカモンカモンのサインを送っている。
 勿論、トレードマークのハート形サングラスは、私の発案でバタフライ形の渦巻仕様にしてある。顔は分からぬが、皆少なからず知り合いなのであるから、無碍にしたら友情・交友関係に支障を来して仕舞う。演技指導をする振りをして、彼女に近付く。私は全く以って、周りに気を遣う小者である。

「ねぇ、ちょいと監督さんあの素人は、アンタのワイフでしょう。知ってる? この頃、前のヒモとお忍びなのよ。もっと、聞きたい? 主役を私と交代したら、もっともっとサービスするわよ。ウッフン~。
 映画の世界配給を考えるなら、主役はやっぱりホワイトよ。少しは映画で稼がせて貰って、折角のロシアから駆け付けたんだもの。好い機会だから、ロングタイムでニッポン観光して行きたいもの。アナタ、分かるでしょう。」
「何々、そりぁ、一大事だ。映画は共同作業だ。対話が必要だ。じっくり聞こうじゃないの。」

<ョ~シ、このシーン続行してくれ、監督は、○さんに頼んだよ。俺はちょっと、次のシーン考えて来るわ。>と、メガホンで大声でアリバイ工作をする私であった。

「これで、OK。さあさぁ、情報収集と演技指導じゃい。マダム、ホワイト様、いざ、カササギ・シコシコ・ホテルへエスコート致しまする。」

「おや、R、監督業は如何したや? 」
「台本のチェンジが必要だわさ。次のシーンは、Tの出番だぜ。台詞忘れても、演技忘れるなよ。意味ありげな上目遣いの角度は70°だぜ。ああ、忙しい忙しい。」
「オゥ、Tさん、コーヒー貰って行くわねぇ~。明日から私が、主役主役よ。♪ランラン・ラン♪ 階段で振り振り、モンローウォークをサービスするわよ。こっちに、出てらっしゃい。お代は只ヨォ~。見て見てぇ~。」
「バカヤロ、俺は、RedTubeは、一日一時間と決め取るんじゃい。俺達は、中折れ落ち目の三度笠、赤玉ポートワインへ移行中だよ。白人女の体力にぁ、三人がかりでもこなせないのに、あいつと来たら、病み上がりリハビリ中の俺様を、見張り役にしやがって・・・ 太ぇ野郎だ。吠え面掻いて、呼び鈴押したって、助太刀はしねぇぞ。イッヒッヒ。」

「さぁ~て、アナタは、何からして欲しいですか? 話は、<してて>も出来ます。二時間有ります。十分、楽しみましょう。」

    オッ、後ろ手でカーテンを引いて居るではないか。左様でござるか。
 流石に合理主義のお国振りである。オリジナル作品では、昼の休憩時間・仕事帰りに、カサノバ・ホテルは大繁盛していたのである。パリ裏町の市場界隈は、ヘイ、カモンのシコシコお付き合いが日常風景であった。
 所詮、この世は男と女の会話と体話の織り為す庶民の『デカメロン』『金瓶梅』の世界である。この期に及んで、<倫理学>を持ち出すのは、無粋の世界である。

 顔の半分を覆うバタフライ・渦巻サングラスのボンボン・ボンと大理石の彫像が、ベットにカモンカモンの中指を立ててござる。

 据え膳食わぬは、男の恥!! 此処が、オリジナル映画の主役ジャック・レモンと違う処である。生身現世の猪突猛進のD51のピストンは、黒煙噴き上げ一番槍、二番槍を深々浅・浅浅深の小節に区切っての波状攻撃は、絶好調である。共にゴールを切ろうと、渦巻バタフライサングラスを取ると、何と何と、

「アッジャ~。女房だぁ~!!」
「フン、参ったか、このドスケベ男!! 途中で<主役を交代>したのよ。鼻の下、長くして猫なで声ばっかり。笑わせちゃいけないわよ。さぁ、お仕置きタイムの開始だわよ!!」

 夢から冷めれば、朝の訪れである。嗚呼、これも、由緒正しきオリジナル作品・カンヌ映画祭・巨匠山田洋二監督をコケにした天罰なのだろう。ウ~ム、ゴタンヌ映画祭出品作としたら、上出来の落ちである。渦巻バタフライ形サングラスは、人間の妄想と倫理観を象徴している。どちらも、人間社会には無くては為らない深~い深~い必須条件である。嗚呼、俺ぁ、完全に道を誤ってしまったものである。・・・トホホなりや。

 さてと、賄い夫の始動を開始するとしようか・・・ 温泉ミネラルウォーターが無いから、温泉銭湯経由で米屋と買い出しをして来れば好かろう。

心何処ーショート ゴタンヌ映画祭に向けて
              ゴタンヌ映画祭に向けて(9/23/09)
 ペットコーナーに行くと、メダカは未だに『調整中』の貼り紙である。質問すると、バタバタ死んでしまうので、売る事が出来ないとの事である。原因が分からないので、水槽を洗ってのゼロからの遣り直しを、してからの発注をするとの事である。管理されて綺麗に見えるペットコーナーの水槽ではあるが、人間の目には見えないミクロの世界では異常が発生しているらしい。

 仕方が無いから、文房具コーナーで色鉛筆を何本か補充する事にした。そろそろ床屋にも行かなければ為らないのであるが、何しろ禿げ頭である。然も、髪の本数による割引が無い業界である。此処はホームセンターである事からして、ヘヤーカッターでも買って、出費を節約しようと思い立った。ロートル・籠り生活であるから、色気など遠の昔に消滅してしまっている。

 ほうほう、色々有るものである。この期に及んで色気は、<御法度>である。高級品を買った処で、バリエーションを駆使出来る髪の本数が<絶望無>なのであるからして、実用一辺倒の物で十分過ぎるのである。・・・悲しい現実であるが、そう、自分に引導を渡した次第である。

 引導を渡した後は、慰めに本屋に回って、DVDを物色する。ジャック・レモン、シャリー・マックレーンの『あなただけ今晩は』があったから、その一本を買った。パリの裏町、売春婦達とヒモ男達の繰り為す洒落た映画と言って好かろう。ヒモ男と売れっ子売春婦に扮するレモンとマックレーンの有名なラブ・コメディである。

 昨日の夜の散歩の終盤には雨が降って来た。濡れを残す肌寒い朝の佇まいである。空気の入れ替えに窓を開けていると、通りに斜向かいさんが、プランター植物の手入れをしている姿がある。これ幸いと、声を掛ける。

「Sちゃん、頼みがある。これで頭丸坊主にしておくれや。」
「どれどれ、好いよ。娘の子供の頭も、前は遣ってた事がある。任せときましょ。」

 我々世代は、バリカン丸坊主の時代である。その時代、何処の家庭にでもバリカンは有った。学校に行けば、多かれ少なかれ青々とした『トラ刈り』坊主頭が並んでいたものである。手動のどっしりしたバリカンであったから、刈る方の上手い下手は、其の儘、頭に記されてしまうのであり、バリカンの放し具合で、未だ刈り取られていない頭髪がバリカンに挟まったままバリカンを動かすから、毛根ごと引き抜かれて仕舞う。野蛮な時代であったから、『痛い』などと言えば、すかさず『男の癖に、我慢しろ』と頭を叩かれるのが落ちであった。

「さぁ、何処で遣るいね。」
色白前田吟は、まるで長領お兄ちゃんの様な顔付で、目を細めてニコニコとして居られる。
「悪いね。頼むんね。」

 玄関から上がったSちゃんは、新品カッターを手にニカランニカランと目を輝かせて、遣る気満々である。場所を四畳半から移す。万年床の八畳から、廊下の戸を開け放して、私はサンダルを引っ掛けて、庭に降りる。庭と廊下の高低差が、頃合いと為った。

「本当に好いだかい?」
「ああ、好いんね。丸坊主にでもしておくれや。構やしねぇよ。」
「まあまあ、そう云う訳にも行かねぇから、前の方は上品の残して置いて・・・ こう云うイメージだな・・・好し好し、その線で行こう。伸びりゃ、如何って事無いからな。さぁ、遣るじ。」
「あいあい、好きな様に遣っとくれや。いざと為りゃ、スキンヘッドで、ユル・ブリンナーに為るせ。カカアは逃げても、新しいのが寄って来るズラ。へへへ。」

 ウィーン、ウイーンと、ヘヤーカッターが作動して行く。さてさて、如何為る事やら・・・

「お兄ちゃん、クシは無いかね?」
「ちょっと、待ってましょ。探して見るわいね。俺ぁ、クシを通す髪が無いから、ブラシしか無いんだわね。」

「無きゃ、家から持って来るぞ。」

「あったあった。あいよ。」
「そうそう、これが有りゃ、遣り易い。」

                 ウイーン、ウィーン。

「カミソリは、あるかい?」
「ちょっと、待ってとくれ、持って来るぜ。」

               ジョリ、ジョリ、スイスイ。

「好し、これで好からずよ。鏡見て来ましょや。」
襟足周りの産毛を剃って貰い、禿げ頭散髪は、呆気無いほどの速さで完了してしまった。

洗面所の鏡に、新規お目見えの吾が顔が映っている。
「あいあい、やあやあ、綺麗さっぱりで、可愛く為っちまったいね。アリガトざんす。」
「お安い御用だ。俺ぁ、こう云う事は大好きだから、何時でも声掛けておくれや。毛が伸びりゃ、如何って事も無く為るわさ。ギャハハ。成功成功。」
 
 気さくで親切、マメな斜向かいの連隊長Sちゃんは、ご丁寧にもカッターを箱に収納して、ニコニコして居られる。ロートル賄い夫に徹すると、色気もスケベ心も綺麗さっぱりに忘れてしまう物なのであろう。61&70歳のロートル・コンビは、真に以って白らばくれた者同士、漫画か落語の世界の住人の様である。

 これなら、Tがメガホン採っても、T改め山田与太作監督の『ノーテンの虎』シリーズ位は出来上がる事であろう。何しろ、主役コンビが、そこん所そこいらに居るドジョウ達とは訳が違うのである。演技指導もヘッタクレも不要にして、台本を書く面倒も無い。主役コンビに見えぬ縄を付けて遊ばせて置けば、何かを仕出かすのである。それで好いのである。カンヌ映画祭出品は、羞恥心から到底及ばぬ処ではあるが、ドサ周りの<ゴタンヌ映画祭>には、十分出品資格はあるだろう。オッホン!!

 やれやれ、低温曇天に襟周りが、馬鹿にスースーする。元気なのは、温室ケースのギース・チョン様だけの様である。

         以上、朝飯前のご近所散髪の顛末でありました。


心何処ーショート する事も無く、ただただマンネリ行進中。
          する事も無く、ただただマンネリを行進中(9/22/09)
 10匹の金魚の中に、生意気な奴が1匹いる。一番大きなコメットである。浮餌の粒餌をパラパラと撒いて遣ると、スーと浮かび上がって来て、長い尾でピシャと私に水を飛ばす与太ッ小僧なのである。

 曇天、肌寒い日である。朝から、シジュウカラが大きな声で鳴いている。賄い夫前に、短い散歩をして来る。日差しの無い部屋であるから、キリギリスのケースには、ヒーターが入り放しである。土産物のチョコレートのバックに入れたままであるから、彼等は薄暗い中に居るのだろうが、彼等は盛夏の昆虫である。明るさよりも、温かさを得て我慢をすれば良いのである。コウロギの声に負けずに鳴いている。

 隣のグッピィ槽の世界は、見るも無残に薄い色のグッピィのオスが一匹と為って、ヒメダカが半分の歩留まりで5匹を数えるだけに為ってしまった。此処まで、期待を裏切られてしまうと、往生際の悪い私とて、諦めるしか無いのである。そんな事で、空き家状態の補充にメダカを買いに行ったのであるが、『調整中』と云う貼り紙に、空振りに終わってしまった。3度目の正直に賭けて、午後に為ったら、息抜きに買いに行って来ようと思う。

 テレビでは諏訪湖のワカサギ釣りを紹介していたが、結構釣れている。観光客が多いらしい。高速道路は、延々と続く30km、40kmの大渋滞の映像を映し出している。秋の日を浴びて、のんびり釣りをするには平日が好かろう。

 この処、「~スコットランド、小さな庭の仲間たち~」さんのブログを楽しんでいる。彼女のカテゴリーの全部を拝見させて頂いて、好い雰囲気を頂戴させて頂いている次第である。小鳥・水辺海辺の鳥達が主体のブログさんであるが、河口近くの堤防の無い川に遊ぶ鳥達、風景、人の姿、石造りの小さな村、朽ち果てる石の城、車窓のスコットランドの田園風景に、煙草の煙を燻らせている次第である。

 ヨーロッパでは、古い物に価値があると聞いた事がある。私は映画が好きなので、ヨーロッパの映画の匂いに魅かれているのであるが、成程と思わせるショットが盛り沢山の挿入写真である。堤防の無い川、日本の鳥達と違って、地味な色合いの小鳥達。川を生活の場にする白鳥達の姿を見ながら、頭の片隅にある雑学の数々を思い起こしながら、拝見させて貰っているのであるが・・・

 田園風景・太陽の色・市民の姿・堤防の有無の背後にある諸条件・人々の自然に対する考え方・接し方・楽しみ方・・・etcを、イギリスの俳優さん達の事などを思い起こしながら・・・ 頭の片隅で世界史の断片をダブらせながら・・・ 曇り空の外に吸われて行く紫煙の行方を、眺めているのであるが・・・

 これもまた、ロートルのブログの楽しみ方の一つであろう。好いブログさんですよ。

 さてと、三度目の正直と為るか、二度ある事は三度あるの結果と相成るか・・・行って見なければ、何も分からない。DVDに掘り出し物があるやも知れぬ。

 バシャリと、与太者が水を打っている。早く行って来いとの<尻叩きの心算>だろうか。金魚はフナの改良種の筈のくせに、『何が早く行って鯉だ。』馬鹿モン、食事抜きにするぞよ。私の様に奥ゆかしい性格・生活態度は、兎角、下賎の物には理解出来ない様である。実に困った四畳半同居人である。・・・この戯け!!

心何処ーショート 敬老の日
                   敬老の日(9/21/09)
 日曜の草刈りに倣って、部屋の掃除をしようと思った。朝から始める。当然、朝の賄い前に終わる訳は無いのである。朝食後だと、性根が鈍らに出来ているので掃除には至らないのである。遣り始めれば、座る場所が無くなってしまう小部屋であるから、嫌でもせざるを得ないのである。鈍ら処方箋とは、そんなものである。朝食を食べ終わって、お茶を飲んでいると電話である。

 倅の電話だと、娘が帰って来たから墓参りをした後に、皆で行くから昼飯は用意しなくても好いとの事である。左様であるか、久し振りの全員の顔合わせに為るらしい。

 さてさて、馬鹿にされる前に、地震災害の状態の部屋を片付けるとするか・・・ 足の踏み場もない惨状は、完全に作業意欲ゼロである。兎角、世の男達とはそんなものである。 
 女房と居た時は、「家に居たら、片付く物も片付かないから、何時まで帰って来るな」と外に放逐されていたから、至極安泰であったのである。遣る気が無いから、工夫する能力は開花せずに終わってしまったのである。

 それにしても、誰の居住区かは知らぬが、まるで狸の棲み穴の様な状態である。居住人の顔を、とくと拝見して見たいものである。出るは、溜息。然りとて、手を動かさねば、片付かない。嫌じゃ~ありませんか!!

 糞味噌ごっちゃ混ぜの中で、やっと胡坐スペースを得て、選別手仕事をしていると、大テーブルを出して部屋に運んでくれとのお達しである。本日、敬老の日である。テーブルを部屋に運んで遣り、拭こうと思ったが『出迎えたい』のであろう。知らぬ顔をして作業に戻る。ああ、何時に為ったら・・・終わるか知れたものでは無い。

「来たよ~。」女房の声である。母の部屋に行くと、「そんな汚いズボンで来ないでよ。履き替えておいで。」と来たもんだ。如何やら本日は、墓参り・敬老の日の様でテキパキと女房は段取りを付けている。亭主のモテナシは、有難くも『不要』の様である。ウッシッシ。

 母直伝のいなりずしに、赤飯。サツマイモ・インゲン・ナス・ピーマン・カボチャの天ぷらに、ナスの煮物、ブドウとモロコシの自参である。

 取り留めの無い子供時代の話を、三代が漫才風に交換し合って頷き、手を打って笑い合う。娘は、生意気に庭に出てウンウンと頷いてる。その横顔を見て、
「おいおい、その顔、俺の若い頃、そっくりじゃないか。間違い無く俺の娘だわ。」
「この前、皆で○さんの処でご飯食べたんだよ。そしたら、そっくりだって言われちゃったよ。何年も言われなくて、お母さんに似てるって言われていたのにね。又、嫌いな父ちゃんそっくりだって言われ始めちゃってさ。私ぁ、悲しいよ。」
「おぅ、そう云えば、オヤジの若い頃、そう云う顔してたぞ。思い出した。○、そっくりだわ。まぁ、親子だから、歳取ると似て来るんだよ。しょうがないさ。」
「お兄ちゃん、大丈夫。この頃は、私も人間が出来て来たから、気にしてないから大丈夫だから。」

 如何云う訳か知らぬが、兄と妹は相性が好いと言うのか、仲が好いのである。二人の遣り取りを見ていると、子供の頃から余り変わらない関係なのである。私は男兄弟五人の四番目であったから、兄弟間でも相性の良し悪しは、避けられない物と考えて来た処である。二人だけの兄妹の無理の無い相性の良さは、幸運の口であろう。

「おう、そうか。○も少しは大人に為ったか。会話術も身に付いて来たじゃないか。上・中・下と最低3パターン位の話法を身に付けなくちゃ、人間片輪ってもんだぞ。相手を見て、二言・三言でパターンを選択しないと、話は弾まないぞ。
 病院の看護士だって、表面は接客業みたいなもんだ。会話は接着剤・潤滑剤だわな。潤滑油が回ってくれば、観察も深くなる。深く為りゃ好い処方も出来るってもんズラよ。」
「そうそう、そう云う事。オヤジはケチだから、私への遺伝子を出し惜しみするから、時間がかかちゃったけどさ。
 でも、その腹出過ぎだよ。何もしてないでしょ。お婆ちゃん、うんと扱き使えば好いんだよ。お母さん、お父さんから、血を半分貰ったら? 足して二で割ったら、丁度だよ。」
「結構結構、もう沢山。そんな事する位なら、死んだ方が益しよ。」
「ハハ、憎まれっ子、世に憚るで死にぁせんよ。おぅ、そうだ、絵を見せて遣ろう。」

「オヤジは、好いね。絵も描けるしさ。こっちの方も、ケチしちゃってるしね。この顔と、ほら、見てみぃ~、甲高・幅広のゴリラの足だよ。」
「馬鹿こいちゃいけねぇや、女を虜にするセックスアピールじゃないか。」
「何言ってるだ~。とんでもないオヤジだね。私ぁ、女だわね。」

 墓参りの前に寄ったから、墓参りに行くと言う。母に世話を焼かれて、二台でお伴をする事に為った。助手席には、倅が座った。男の馬鹿話をしまくりで、霊園に付いた。

 倅も娘も、驚くほど素地のままと云うか、自然体と云うか、ゆったりとした雰囲気が出て来たものである。それなりの経験と葛藤を経て、一皮も二皮も剥けて来たのであろう。好い方向性である。漸く私の求めていた味が、備わりつつある二人である。
 女房の好く言う言葉では無いが、二人とも感じが私に似て来たとの事ではあったが、私の目からも、好く似て来たものである。つくづくと血は争えない物だと、こそばゆい感じが頻りであった。

 女房殿は、立派な舵取りを果たしている。生意気さと鼻柱の強さには、・・・であるが、下手な事を言えば、罰が当たると言うものである。感謝感謝。

「今日は、本当に好いだった。掃除は明日にしたら、何も、一日でしなくても好いだろう。」
「甘えちゃ行けねぇわさ。二食分を持って来てくれたんだ。カカアに甘えて、サボってしまったら、男が廃るわな。」

 漸く、二部屋が片付いて風呂に浸かるが、アジャジャ、掻き混ぜたら、こりぁ、冷泉である。水泳か川に落ちたと思うしかあるまい。風呂に為るまで、大分時間が掛った。

心何処ーショート 感傷詩
                    感傷詩

       秋始まりて、夜長に忍び寄りて、虫達は鳴きぬ。
 されど、我が胸に去来する物も無く、深々と更ける夜気に、何思うべきや。

          その昔、人は・・・ 月にウサギを見たり。
 太陽を崇め、月光に何を見たり。満天の星雲輝きて、ひそけき星ぼしの囁き。
   赤星、黄星、青星など見付け、託す胸の思いは、現在 何処ぞ・・・

  何万、何千の時代・世紀は移り変わりて、地球覆うは、何の兆し為るや。
        国ぐに 挙(こぞ)りて、CO2削減に向かうと言う。

  人眠りたる水の惑星の 母為る命の眼差しは、宇宙見詰めて、何思うや・・・

                    下手絵&詩byアガタ・リョウ 2009/9/21 


                   母なる眼差し_002


心何処ーショート これが、本当のタイテのコラサ。
             これが、本当のタイテのコラサ。(9/20/09)
 明日は6時から、河川敷の一斉草刈りである。自由気ままな日々、目覚ましのお世話に為らなければ、自信が無い。目覚ましを探すが見当たらない。骨董市にあっても可笑しく無い『ぜんまい式の目覚まし時計』があった筈である。
 埃を被った目覚ましの取っ手を巻くと、硬い渋い音を立ててゼンマイが巻かれて行く。目覚ましの針を6時に持って来ると、けたたましい音がする。時刻を15分早めて合わせる。枕元に置くと、コチコチと大きな機械音がする。

 音が耳に付いて、眠れそうにない。仕方が無い・・・ DVDを見ながら眠りに落ちるしかあるまい。映画の物語に嵌ってしまったら、寝不足もいい処と為ってしまう。見ても見なくても好い物は無いだろうかと、夜更けにゴソゴソをする。子供向けアニメ作品の『ガリバー旅行記』があった。イヤホンを耳に、何時しか瞼が重くなった。

                  ジリリーン

 何事が起きたかと、飛び起きた。『SEIKOSHA製手巻き目覚まし時計』の威力たるや、覿面の効果である。熟睡を断ち切られて、目覚ましを直ぐ止めて寝直したい処であるが、苦役は負担しなければ為らない義務である。歯を磨いていると、玄関が開いて斜向かいさんが、親切に声を掛けて行かれた。未だ時間が早いのであるが、外からは役員さんの動かす草刈り機のエンジン音が聞こえ始めた。

               さぁ、一発やっかぁ。

 長靴を履いて、鎌を手に河川敷に降りる。夏の雨不足で枯れて居るクローバーの草叢は、鎌の効果薄である。手仕事が一向に進まず、難儀をする。発動機の草刈り機も、丈の長い枯れ草の絡みに、威力は半減との事である。『弱音は男の恥』と唱えているロートル・クマ男ではあるが、いかんせん・・・肩・腕・手頸が草臥れて来る。進捗具合は、通常の1/3~1/4程度であるから、お手上げ状態である。こんな時こそ、参加する事に意義があるとするご婦人方・御老人衆の分まで働かなくては為らないのである・・・遣るしかあるまい。

     滑る手鎌の収穫量に、ロートル・クマ男の心中はボヤキ放しである。

 どだい、獲物の選択が間違っている。枯れ木に鎌を振るうのは、愚の骨頂である。昔から、枯れ木を切るのは、鋸の仕事と決まっているのである。それか、火を付けて燃やすのが順当な選択である。やれやれ、ボヤいていても仕事は進まない。ひたすら、愚の骨頂に汗を掻くしかあるまい。

「いや~、歯が立ちませんねぇ。」
「本当、もう、『鎌』じゃなくて、『嫌』に為りましたよ。立枯れで、寝ているんだから、手に負えませんね。」
「ウワァ、参った。○さん。凄いインテリですね。これが本当のタイテのコラサってもんでしょうね。へへ。」
 
  さて、刈り取った草を袋詰めにして、土手に運ぶとしようか・・・作業も終盤である。
次々と、ビニール袋に草が詰められ、土手に置かれて行く。彼方此方で、男達の煙草姿が見られる。お互い梃子摺った町内一斉作業も終わりに近づいた模様である。御苦労さまである。

 湯を沸かし、モーニング・コーヒーを飲んで、朝日の差し込みを待つ。日差しの中で、四畳半同居人達の動きは、赤・白・橙の魚鱗を反射させて賑やかな舞を見せ、小鳥達は囀りを奏で、キリギリスは単発のギースを鳴く。外は、再び何事も無かった様に、静かな日曜日の朝の佇まいを見せている。

心何処ーショート 思わぬ野球観戦
                  思わぬ野球観戦(9/19/09)
 絵を描きたくなって、朝からお絵描きの時間としていると、いやに早い電話である。
松商と第一との秋の新人戦があるから、一緒に観に行こうとの事である。9:40に迎えに行くとのお誘いである。長袖シャツを着て、Tが来るまで一応の区切りまで色鉛筆で色付けを続行する。家に車を置き、球場まで秋の日差しを浴びて、お散歩時間である。

 試合は始まったばかりであった。さてさて、三年生が抜けてどんな試合展開に為るだろうか・・・ 第一高校の夏の出来過ぎ快進撃は、勿論予想出来ない処である。両校の選手層の厚みには、格段の相違がある。

「どうする? 一塁側か三塁側か・・・」
「二匹目のドジョウは居ないだろうから、三塁側ってもんずらよ。」

 選手達は、春の選抜が掛っているから真剣なのであろうが、ロートル二人からすれば、お喋り観戦である。柔らかな日差しも照り付けられれば、熱いものである。試合は、開始早々に松商の2点先取である。傍観者観戦からすれば、順当な展開振りである。

「おいおい、太陽が照れば、熱いわな。日蔭に移動するべや。」

 スタンドを日蔭に向かって上って行くと、『高野連』のネームを胸にブル下げたお方が居る。名前を見ると、MR.Nと印刷されている。

「あれまぁ、何処かで見たと思ったら、Nさんじゃありませんか。」
「おぅおう、体育のNさんじゃん。先生、元気だったかい?」
「誰だろ、お宅達は何回卒業生だい?」
「19回せ。」

 高校OBにして、体育教師並びに野球部の監督であったN先生である。先輩は今年70歳との事である。母校は、自由な校風でOBが多く教師を勤めていたから、先生とは呼ばずに『さん』付けで通すのが、番カラ男子校の習わしであった。先輩後輩と云う兄弟チィックな雰囲気があったから、学校には『通い合う気心』の様な物があった。

       そんな訳で、無礼講の様な昔話に話が弾んでしまった。
「如何して、母校は何時も何時も、弱いんだいね。」
「やぁ、今年はなぁ、投手が好かったから、好い処まで行くと期待してたんだ。相手が悪かった。それでも、9回まで勝っていたんだぞ。今年は、久々に期待してたんだけど、大逆転食らちゃったんだ。」
「そうじゃ無ぇずらい、負け惜しみずらい。伝統的に監督が悪いって話だんね。」
「そりぁ、言えてる。俺の監督時代が長過ぎたからな。まぁ、何しろお前さん達の頃は、松商がドデ~ンと聳え立っていたからな。弱くても、目立たなかった好い時代だったさ。ワツハハ。」
「Nさんは、監督じゃ目が出無かったけど、県高野連じゃボスじゃん。テレビで何度も見てるよ。最後に笑うのは、お頭の違いって事かいね。あい?」
「これこれ、先輩をからかっちゃ行けねえぞや。でかい声じゃ言えねぇが、人徳・人望の差って事にしとけや。へへへ。」

 こう為ると、番カラで鳴らしたケンリョーセイは、口が悪いから野球観戦など何処吹く風で、高校時代のゴタ話にタイムスリップしてしまった。名物OB教師の話に花を咲かせて、御他界為さった諸先輩先生様のおわす冥土への合掌の段であった。
 高野連ドンであったN先輩は、途中で何やら打ち合わせがあるからと中座して行かれた。野球を通しての後輩指導に、人生の楽しみを感じて居られる模様である。お世辞抜きで、人徳・人望溢れるご先輩さんであった。思わぬ出会いに、暫し楽しみを頂いた処である。

 野球の方は、第一が早々に同点に追い付き、さっさと逆転の番狂わせである。夏の大会にも陣取っていた松商野球部OBからは、憤懣やるかたの無い、大声の檄が飛んでいたのだが・・・試合は9:4 の大差で第一高校が勝ってしまった。
 政治の世界も開票すれば、自民党の大凋落であった。自民党再生に向かっての政治劇が始まっているのであるからして、伝統強豪校復活に向けての大激論が必要なのかも知れぬ。

 我が母校の様に、自主性に任せる放任野球では、勝利の女神も微笑まないのであろう。尤も、カリカリ、ギャーギャーでは、母校の校風が廃れると云うものである。何しろ、地面を射ても、顔色一つ、咳払い一つも起こらない奥ゆかしき校風が取り柄なのである。・・・  
エッヘン!!

    野球観戦の後は、コーヒースタバでのロートル・タイムである。

 Tは、本日6時起床との事である。時間に縛られぬ日常であるから、睡眠時間の長短は、何時でも調整が利くのである。『気にしない、気にしない』の生活態度が、還暦男の日々であろう。
 アイスコーヒーを飲んで、下ネタを取り交ぜて、相も変わらずのイヒヒ、ゲラゲラ、為るほどのコーヒータイムである。

 キリギリスも半分が生きているとの事である。Tは、優しい男であるから、メスキリギリスを順繰りに、オスのケースに入れて遣っているとの事である。相手変われば、何とやらで、オスは活気付き、メスはせっせっと卵を産んでいるとの事である。流石に、私のお師匠様だとの事はある。男と女の心理・行動を見抜いて御座る。

 実は昨夜、キリギリスの寿命を知ろうと検索してみたのである。それに依ると、江戸時代には江戸の文化として、竹ヒゴの虫籠が考案されて、夏に為ると金魚売り同様のキリギリス売りが路地を回っていたとの事であった。ニシキリギリスとヒガシキリギリスの違いもあるとの事。江戸文化の名残として、戦後も川原で小遣い稼ぎのキリギリス取りの風景があったそうである。為るほど為るほど、私の夏のキリギリス飼いは、少年時代の淡い郷愁と云うよりも、奥が深かったのである。如何やら、江戸文化の継承であったのである。

 Tは昨日病後の経過を見る為に、胃カメラで自分の胃の中を見せて貰ったとの事である。順調に回復しているらしく、今月末に、本格的なスキャナーをして癌細胞の転移の有無を検査すると言う。無ければ、気持ちが晴れるから旅行でもしようかとの事である。

 そうかそうか・・・左様であるか。それでは、暇潰しに諏訪湖にドライブがてら、ワカサギでも釣りに行こうか誘った次第である。

 帰って来てPCを打っていると、何時の間にかお天気さんは下り坂・・・ 灰色の空に、風が小枝を揺らしている。一日は、呆気ない程に過ぎ去って行くものである。


                  コスモス


心何処ーショート 道草散歩
                   道草散歩(9/18/09)
 PCに向かっていると、斜向かいさんが、帽子をきちんと被っての散歩のスタイルで、手を振って行かれる。とても70歳には見えないお洒落にしてシャキとした出で立ち振りである。成るほど為るほど、色白前田吟さんには、色気は健在の様である。

 曇り空は昼の散歩には、好都合な天気である。私も明るい内に、散歩運動をこなして来ようと考えた。民宿旅館のS大に向かう橋を渡って何時ものコースを取らずに、西に向かう事にする。胸ポケットに入れて来たラジオを聞きながら、学校界隈に進路を取る。

 高校裏の小さな第二グランドでは、女子のソフトボール部が練習をしている。興味があったので、暫く歩道の金網越しに見物する。オリンピックで見る者を唸らせただけの事はあるスポーツである。女子が色気を捨てて、その身体能力を全開すれば、軟な男以上の運動能力を発揮する。腰が入っているし、バッティングも守備もキビキビして大したものである。バッティング練習を見て居ると、年甲斐も無く自分の運動能力を試したくなって、打たせてくれと頼みたくなって来る。見物人は私一人であるから、長居をしては、『変なオッサン』に見られてしまう。大学球場の所には、交通違反の切符を切っていたポリスマンが居たから、こっちの方にパトロールして来たら、職務質問されて仕舞うかも知れない。・・・遺憾いかん。

 そのまま進んで、護国神社の境内に入る。何か珍しい小鳥でも探そうかと、林の中で耳を澄ますが、シジュウカラの声しか聞こえない。
 境内には屋根付きと野外の弓道場がある。車止めの広場には、自転車が一杯止めてある。自転車の鑑札を見ると、母校の高校生達である。可笑しな物で、母校と云うだけで近親感が湧いて来る。本殿の鳥居を入った右手に社務殿があり、その裏側に社風の弓道場がある。弓道着を着た男子女子部員が、威儀を正して弓を引き絞って矢を射て居る。暫く見物させて貰う。中々に、的に当たる者は少ない。上手い下手の差は、歴然としている。中には、地面を射てしまう者もいた。威儀・神聖さに満ちた弓の道であるから、何も雑音は入らぬが、後で仲間内で大笑いの大失敗に違い無かろう。真面目な優等生の顔付をしていると云っても、私の後輩達である。中身は同程度にしか過ぎないのである。・・・ニャハハ。

 社殿裏のこんもりした小山の脇を通って、道草ついでの散歩コースを神社巡りとして、岡田神社まで行こうと考えた。これも明るい時間帯での余裕と云うものであろう。距離的には、通常コースと遜色は無い筈である。

 納骨堂を経由して小学校・中学校を経て、脇道を辿る。小学校の下校時間と勝ち合って、彼等の道草下校の光景に嘗ての自分を写して、ニヤニヤしながら歩を進める。田んぼには、稲刈りが始まっている。自分の家での家庭消費に回すのであろう・・・刈り取った稲を、パイプの組み立てに干している同年輩の夫婦とその息子であろう。長い参道は上り勾配である。この神社さんは、ひょこんと盛り上がった小山全体が、神社の境内と為っている。境内の大木は、杉では無く自然の赤松の林なのである。

 汗を掻いた身体に、木立の中に吹く風が、実に気持ち好い。この位の気温と太陽無しなら、散歩コースを変えて神社巡回をして見るのも、一興かも知れぬ。明るい内の道草散歩は、きっと面白いに違いない。西に大きく膨らんでしまったコースを東に一直線に向かう。

 ぶらぶら歩いていると、犬の散歩をしている同年輩の婦人が、ニコニコして嬉しそうにこっちに向かって来る。何やら、誰かさんと人違いをしているのであろう。近くまで来て、人違いと分かって、照れ隠しの『コンニチワ』の挨拶を頂戴してしまった。苦笑いをしながら、こちらも『はい、コンニチワ』と返すしかあるまい。・・・はいはい、誰にも錯覚は御座いますよ。

 昨今は、部屋飼い犬のご時世であるから、色んな種類の犬を見掛けるのであるが、犬の種類が分からず、困ってしまう。

 草臥れるほど歩いて、やっと何時ものコースに合流した。後は、下り勾配の流し散歩である。道路脇の草叢のぼうぼうたる蔓植物に目を止めると、葉の形からすると何やらブドウの葉に似ている。それにしても小さな葉である。何だろうかと立ち止まって、蔓の絡む中を見ると、小さなブドウの房が、黒く色付いているではないか・・・ 

 おやおや、これは若しかしたら、山ブドウではないか。小さな実の房を一つ取って、口に含むと、あれ懐かしい。口が曲がるほどの酢っぽい、酸っぱい野趣の酸味が口一杯に広がった。こんな所に、山ブドウが生える訳は無かろうが、人間に打ち捨てられて、悪戦苦闘の末に先祖返りをしたブドウなのであろう。甘いブドウにばかり慣らされてしまった舌には、カンフル剤と為る。河川敷に降りて、小さなブドウの粒を摘まみながら、人間の育ちと云う物は、一向に改まらないものだと感心してしまった。味覚で食する事が出来るか如何かを、判断しようとして行動に移ってしまうのであるから、私の様な男は、実に生物と云うか動物的に出来上がっているのであろう。
 ヨシ、明日は何房か取って来て、母に食べさせて、酸っぱさに顰める顔を観察して、感想を聞いて見る事にしよう。・・・ウッシッシ。

 何かと、昼散歩には、道草散歩の趣がある。時間に縛られないロートルの散歩とは、色んな発見がある物である。これも楽しみの一つであろう。

心何処ーショート とある電話より
                 とある電話より(9/17/09)
 
           これは、先日のとある電話の抜粋である。
「金曜日から、ボホールに行くんだけど。何か欲しい物はあるかい?」
「いや、別に無いよ。不景気だけど、円が高くなっているから、遊びでがあるだろ。渡りに船で、<パパ、いまファミリーとても苦しい、マネー下さい。下さい。オネガイします。>で、海千山千のフィリピーナ達は、手薬煉して待ち構えているぞ。餞別の言葉としては、『臍下三寸伸ばしても、鼻の下伸ばすなよ。』ってな訳だ。まぁ、財布は自分持ちだから、精々ボランティア活動だと思って、楽しんで来ましょ。土産は要らんよ。」

 隣の机に座り変えたら、途端に蚊に食いつかれた。小鳥達が手の届く場所であるから、庭に出てハコベを探して入れてやる。ラジオも水槽にも手が届く。洗濯を済ませていたから、気持ち序で水槽のアオコをブラシで落としてやる。鳥篭の横に座っているから、網戸も開放である。キリギリスは、廊下の日向に置いている。温度が上がれば、鳴き始める。
 
 何時もは、私とはそれなりの距離を置いている小鳥達であるから、勝手が些か違うのだろう。得意のまどろみが出来ない様子である。風も無く、光も柔らかく感じられ穏やかな日である。

 こんな日は、のんびりと歌謡曲を聴きながら小鳥達と付き合うのが、気持ち的にフィットすると云うものである。軽く物憂い感じのちあき・なおみさんから始めましょうか・・・切子グラスに日本酒を注いで、チビリチビリのノンビリ・モードに移行中である。7曲が終る頃に成ると、すっかりノホホン・モードに為ってしまった。

     遺憾いかん、お茶と食材を買いに行かねば為らなかったのである。
何々、「♪四つのお願い聞いて、聞いてくれたら、♪あなたに私は 夢中 恋をしちゃうわ。」
だと、鼻声で悩殺して、男を誑かそう何て、太ぇ料簡だ。歌の文句にぁ騙されちゃ、行けねぇヨ。御一行様。ウッシッシ。

 嗚呼、オイラには、騙されたくても、そんな相手など居りませぬ。頭の芯はボワ~ンとして来て、「恋をしちゃうわ」処じゃゴザン線よ。このまま、ス~とお昼寝モードに落ちたいものですわ。


             打ち出のフィリピーナバッグ南の島の

 
 この連休にフィリピーナの四つのお願いだか、オネダリだかは知らぬが、鼻の下と股間を膨らませてウキウキ、デレーとしている不良中年様ご一行とは、オイラは棲む世界が違うのである。聞きたくは無いが、遅かれ早かれ、騙され三度笠、オノロケ三度笠、火傷三度笠の報告談が舞い込むのであろう。フィリピィ~ナに絞り取られても、懲りない面々様ご一行である。・・・同情など一切不要の困った不良中年グループである。
 可哀そうに、アンチフィリピーナはM氏一人である。まぁ、それも仕方なし、浮世の義理とも、そろそろ卒業年齢が近付いているのであるから、此処は、お努めが肝要としか言い様が無かろう。

 さてさて、重い腰を上げて、買出しに行くしか有るまい。甘えたくとも、甘える相手の無いシガナイ賄い夫稼業である。先ずは、動くが肝要・・・やれやれの段である。

 自転車に乗って、林檎園の横を通る。早いものである。リンゴが赤く色付き始めている。輪郭をぼやけさせた入道雲が、山上に浮いている。丈の伸び切ったコスモスは、大分草臥れて来ている様に見える。日が蔭れば、涼しさを通り越して秋の夜長の心侘しさである。おでんでも仕込んで、夕食に備えるとしようか。いざと為れば、賄いの手抜きが出来る。

                  ほんのり

心何処ーショート 夢の残滓に誘われて、
               夢の残滓に誘われて、(9/17/09)
 遺憾いかん。新政権絡みの報道を見て居たら、散歩の時間が夜になってしまった。だみ声人騒がせな新潟の先生が、入閣していないだけでも、マトモナ内閣だと思う。マドンナとマトモナとでは、大きな開きがあろう。昨日は久し振りにカワセミの姿を見て、昼間の散歩が好いなどと感心していたのであるが・・・

 街場方向の散歩をしていたのであるが、街場に掛った所でコースを東に大きく変える。別段目的が有ってした事では無い。街場を離れて、通学区境に在った小・中学校の頃に遊んだ農村地帯に足を向ける。とは言っても、今では住宅が密集して田んぼ・畑は、ポツンポツンと残っているばかりである。これも、ロートル心の現れの一つなのであろう。

           歩いている内に、夢の欠片が脳裏をかすった。

 昭和30年代半ば当時は、ずーと田んぼ・畑が続いていた一帯であるから、溜池が五つあった。今では、上の方に一つが残っているだけである。役割を終えて消えた、その一つに通称『包丁池』と云う小さな池が、有った事を思い出したのである。『菜切り包丁』の様な形をした池であった。その辺りには仲の良い友達が居なかったし、場所が通学区の境であったから縄張りが違っていたのである。そんな訳で、余り行った事は無かった。二、三度誘われて、釣りに行った記憶しか無かった場所である。

 それが如何云う風の吹きまわしか、夢に度々出て来るのである。池の形を見て、『ああ、包丁池だ。』と一発で分かった懐かしい風景であった。それが、どの辺りだったのか?と、ふと頭に浮かんだのである。

 日本の農業と云うか産業構造の大変革は、私の小学校の5~6年の頃に訪れていた。田んぼと桑畑で覆われていた田園風景に、一大異変が起こったのである。そこいら中の桑畑には、サンスケ?と云う三又の道具が立たって、桑の切り株を扱き上げて居た。農業から工場への転換が始まった時代である。そんな中で、多分、『包丁池』は、私の高校時代には姿を消して居た様に思う。

 多分、この辺りがそうなのだろうと考えたが、そんな確証に成る物など有る筈も無かった。池釣りの夢には、もう一つ腑に落ちない幻の池が有る。

 不思議な事に、その山の中にある池は、実際には無い池なのである。私の家からすると、東の小山を少し車で上った場所にある。それは、のんびりした小さな池である。
 昔の子供達の遊びと言えば、野山、川、田んぼ・畑を駆けずり回る位しか無かった時代である。釣りのシーズンになると、私は釣りばかりをしていた単細胞である。池などは、想像するまでも無く現実に、ありふれた存在なのであった。

 何々の池と言えば、ああ、あそこの池で、ポイントは何処で、餌は何が好いとか、歩いて何時間で、途中の水飲み場は何処そこで、近道はああ行って、あそこを曲がって・・・etc といとも簡単に頭に浮かぶのであるからして、中村晃子の大ヒット曲<幻の湖>じゃあるまいに・・・ 何も夢に『幻の池』が登場する余地が無いのであるが、如何云う訳か? たびたび登場する山の池なのである。

 夜の一人散歩であるから、夜目が利かない分、脳内散歩の趣が有る。変な切っ掛けが付いた所為で、取り留めの無い『夢の反芻歩き』をしている次第である。大分、足取りが重くなって来た。
 夢の延長ならば、こんな時は、屋根に登ってスイッと軽く瓦をキックすれば、体は軽々と空中をスイスイと、クロールで進むし、疲れなど一向に感じ無い処であるが、現実はそうは為らないのである。

     のんびり歩いていてばかりでは、家への道のりは遠い。

 さて、ペットボトルの水で口をそそいで、頑張るしかあるまい。家に帰って、煙草も吸いたい。オイッチニー、オイッチニー、自足自行は、有酸素運動が肝要である。


                   夜散歩

心何処ーショート 或る点描・行き交う人スポットの片隅で
                   コーヒータイム
             

          或る点描・行き交う人スポットの片隅で(9/16/09)
 日本の何処にでもある少し郊外のスーパー、ホームセンター大型店が、何軒か隣接する集客エリアがある。その中に本・CD・DVDを扱うチェーン店がある。ゆったりした駐車場があるから、人が好く集まる一帯である。

 明るい店舗の本屋の入り口左手には、コーヒースタバがある。一階と二階が喫茶スペースに当てられている。学生・若者・親子連れ・中年女性・ロートル夫婦・中高年者の時間潰し・・・etc

 町の喫茶店が寂れてしまった昨今、姿を変えた喫茶スポットとして定着している。

 此処へ、土曜日の昼頃になると、還暦男二人組がコーヒータイムに遣って来るのである。二人の男は、共に部屋から出て来た様なくだけた格好である。下駄とサンダル履き、短パンにTシャツ、首にはタオルを垂らしている始末である。日焼けしたロートル男達は入口のガラスドアを押すと、迷わずスタバに歩いて来る。下でコーヒーを注文して代金を払うのは、交代でしている。一人が注文して居る時には、もう一人がシロップ・ミルク・スプーンを用意して、出来るのを待っているのである。

 二人は週に一度・同時間帯の律義さを守っているから、馴染みの顔に為った様で、女性店員達とは冗談がかった言葉を、笑顔で交わしている。

「何時も息が合って、とても仲が良さそうですね。羨ましい感じですよ。アイスコーヒーの『中』ですね。」
「ああ、分かるかい。うん、高校からのベスト・フレンドさ。如何だい、どっちの男が好みのタイプだい。」
「お二人とも、雰囲気が有って、貫録の男前ですよ。目立ってますよ。」
「おいおい、ディスカウトのサービスは無いけど、お世辞を二人分貰ちゃったぜ。」

 ゴマ塩に成りかかった短い髪の男が、禿げ頭のメタボ腹の男にニヤニヤして声を掛けると、その男はツヤツヤした顔をニヤニヤさせて、すかさず答える。

「おう、そうかい。アリガトさんよ。毛のある無しで、決めちゃ駄目だよ。大事なのは、此処だよ。ちゃんと説明しとけや。」
「馬鹿野郎、何処、叩いてとるんじゃい。困った奴だ。あれで、芯は真面目な男だから、心配無いからね。」
「何時も、あーなんですか?」
「いや、あいつは面食いなんだよ。だから、アイソーを振り舞いているんだよ。」
「お世辞ですか? 凄いお世辞ですね。ありがとうございます。ごゆっくり、どうぞ。」
 
 30代~50代の主婦店員達は、口に手を当てて、お互いを見合ってクスクスしている。ロートル男達はコーヒーを受け取ると、そんな彼女達に後ろ手を振って、肩を並べて階段をノッシ、ノッシと上がって行く。憎めないフザケタ、カラッとしたオッサン連中である。

 二階には席が二列配してある。右手の席は解放されたガラス張りで、ソファが二席とカウンター席と為っている。外は近景に人の動きを見せて、遠景には拡がる街のビル街・拡がる盆地の山並みの稜線を映し出している。壁を背にした列には、軽めの丸テーブルと二脚の木製椅子のセットが五つ並んでいる。壁には印刷物の抽象画・静物画のイラスト画が、額に収まって三点掛けられている。明るい感じの軽い空間である。ご時世に倣って、禁煙の間である。

 大体は、その並びの真ん中辺りに、二人は陣取る。ロートル二人は、周りには殆ど聞こえない程の声で、ゆったりしたトーンで笑みを浮かべ、饒舌に話を交わしている。

 二階席には、一人客が多い。学生風の若者達が一人一人、テーブルの上に教科書の様な物を広げて、思い思いの時と空間に身を置いている雰囲気である。彼等の耳には、決まってイヤホンが入って居り、テーブルにはケーキorクッキー、携帯電話が当然の様に置かれている。

 語らいの無い空間に、ロートル二人は会話の時折に、自分達の子供以下の年頃のそんな男・女の様子に目を走らせながら、お互い目の色で
『時代も我々の学生時代とは違って、様替わりした物だ。我関せずの個室文化の蔓延の沙汰か・・・勉強の振りをして、携帯を叩いている。豊かな時代に集中力は、必要無いのマイペースなのだろう・・・困ったご時世だ。』
などと思っている感じである。周囲へのそんな冷やかな一瞥を交わすが、彼等は楽しい会話を交換し合っている感じである。

 時折、店員さんが上って来て、席を直したり、汚れの確認に来る。そして、顔馴染みと為ったロートル二人組に、「ごゆっくり、どうぞ。」と声を掛けて行くのである。

 ある時間を語らいに過ごして、男二人組は外のベンチの喫煙場所で、煙草を一、二本吸って、車で帰って行くのである。

心何処ーショート 過ぎ行く季節を眺めて
               過ぎ行く季節を眺めて(9/15/09)
 夜の散歩では長袖の季節と成ってしまったが、体が温まって来ると流石に邪魔物である。久し振りに、街へ向かっての下り散歩をしていると、菊花の栽培畑がある。この前、来た時は収穫が終わって丸坊主であったのだが、歩道専用橋の淡い光が及んで、色とりどりの菊の花を沈ませている。専業家の為せる技とは云え、成長の速さには驚かされるばかりである。
 コウロギを主体とした虫達の声が、盛んに聞こえる。九月も半ばである。この処の朝夕の寒さに気を向けると、虫々の声も心なしか・・・鳴き急いでいる様にも聞こえて来る。十月の声を聞けば、季節は秋真っただ中、園芸好きな家庭には、大輪のご自慢の菊が路地を飾り、柿が色付き、銀杏並木には銀杏の黄色の鈴生りの実を見せる。ハラハラと落葉が舞い落ち・・・黄葉は、山から里に下りて、アルプスには雪の白さが吸える。冬は目前と成る。

 遺憾いかん。セッカチな想像は、無粋である。季節の今あるを楽しむのが、粋と云うものである。柄にもなく、過ぎ去る季節の速さに、ふと感傷的に為ってしまった。

 朝食後、薬を飲まない母を見て、終わった薬を貰いに行って来る。通りの向かいにはサンロードの店舗がある。道路では、マンホールが開けられ下水道の保守工事がされている。町医者の帰りに見ると、店仕舞いセール中の貼り紙がしてある。
 アリャリャ、大変な事である。便利であった町内のコンビニ店、薬雑貨の店が消えて行くのである。昨々年には花店が消え、ラーメン店が一軒消えてしまったのである。子育てを終えた町には、ロートルだけが残る。淋しい限りである。

 母の常備薬・太田胃散、風邪薬、台所用品、砂糖の纏め買いに行って来る。不景気続きの低迷した世の中、採算性の鈍い店は店終いの憂き目を見てしまう。何年も、その近隣便利さの恩恵に浴して来た町内の年寄り達には、切ない思いがして来ても当然であろう。決して客の少なかった店では無かったのであるが・・・・

 本日は、曇天にして肌寒さを覚える。羽毛を纏った小鳥達は、窓辺の定位置で水浴びを繰り返し、餌を啄み、囀りを繰り返している。太陽の無い虫ケースでは、ヒーターの周りで動きもすっかり鈍くなってしまったキリギリスが、弱々しいギース・チョン・ギースの掠れ音を出している。熱いコーヒーも直ぐ様に冷えて、ほろ苦い粘膜が口中に残る有様である。

 ラジオに耳を傾け、燻ゆる煙草の細い紫煙の先には、お隣さんの生垣・庭木の松の緑が佇んでいるばかりである。窓際の通りを若い白人男が通って行く。昨夜の民宿旅館には五組の外国人客のウエルカム表示があった。ありふれた日本の家並みが面白いらしく、彼等は二度目の登場である。


                   淋しき思い

心何処ーショート 温泉割ウイスキー
                 温泉割ウイスキー(9/14/09)
 実に爽やかなお天気である。米を買いに行かねば、おマンマが食えないのであるから、先日、頓挫してしまった温泉銭湯への再開と行こうか・・・パン食で朝を済ませて、客の少ない昼頃の時間帯に行く事にする。

 帰りに、温泉ミネラルウォーターを忘れては為らない。ペットボトルを二本入れて自転車に乗る。引き戸を開けると、客は一人である。さてさて、何方であるかな・・・ アジァジァ、浴室・浴内体操の大戯け男である。聞き分けの無い面構えであるから、気分を害しても仕方が無いから、無視してササと入って出るとしよう。

 湯船に、手を入れると熱い熱い。然りとて、湯浸かりの再開である。此処は一発気合を入れて、入いるしかあるまい。湯船から立て続けに湯を掬って、頭から被る。そして、ヨッコラセ、アッチャチャ、アッチャチャ・・・ウ~、堪ラン・・・の痩せ我慢をする。

 皮膚に熱さが馴染めば、源泉掛け流しの温泉は、家庭風呂では味合えぬ心地好さである。これで、大戯けが居なければ最高の気分であるが、文句を言っても詮無き事である。その内に出て行くだろう。垢スリでゴシゴシ洗うと、出るわ出るわの垢の山である。これほどの<目に見える垢落とし>だと、気分効果は覿面である。
 毛穴・汗腺が一斉に孔開いた様な錯覚に陥って、男前が数枚上がった様が気分に為ってしまう。湯船にどっぷり浸かって、ガバッとばかりに出て、鏡に向かって髭を当たれば、これまたスイスイの気持ちの好さである。誰も褒めてくれないから、仕方が無いが『まだまだ、現役の男前である。』籠り生活者にして置くのは、勿体ない話である。ギャハハ!!

 目障り男が上って、浴内は私一人である。マイペースの湯浴みのお時間である。そうしていると男が一人入って来た。
「コンニチハ。」「こんにちは。」60代のスラリとした男である。話を交わしていると、彼は65歳に為った今年で仕事を辞めて、車で温泉巡りをしている京都の人間だとの事である。今回の行程は、一週間を掛けて京都→北陸→信州を回って帰るとの事である。
 明日は、美ヶ原に登るとの事である。こんな、穴場の温泉銭湯を探すとは?? 尋ねると、20年程前に、松本に転勤していた事があって、この何にも無い小さな温泉銭湯が気に入って、入りに来ていたとの事であった。

 為るほど、人間の行動の中には、振り返り・自分探しの部分がある。そして、自分探しには過去を辿って見ると云う行動が、付き物なのであろう。

「好い旅、好い思いを持ち帰って下さい。」と手を振って、分かれる。

 さてさて、米屋さんに行くべしである。甘いコーヒーを入れて貰いながら、取り留めも無いロートル話を交わして来る。ご主人に言わせると、私より5歳も年長なのであるが、私と話していると、心が和むのだと言って中々に帰してくれないのである。

               ホンマカイナ・・・である。

 爽やかな青空に、入道雲と鱗雲が同居している。雨で持ち堪えた流れに、まだ色付かないアキアカネ達の翅が光る。草刈りの終わった河川敷には、子連れの母子の戯れが見える。来週日曜日は、我が町会の今年二度目の一斉草刈りが待っている。

 米を研いだ後、定位置で煙草を燻らせる。意外とウイスキーの温泉割は、行けるのである。次に、パイプ煙草を吹かしながら、ボケーとしていると、斜向かいさんがDVDの入った紙袋を携えて、雑木の枝下でニコニコ手を振って居られる。

「読んだよ読んだよ。好い味出してるよ。乗ってる頃の文作だね。今と違ったタイプの内容だね。前、読ませて貰った旅行記とも違った味がするしね。」

「昔は旅行記しか書か無かったしね。それも、長い休みの時だけだったから。それが、付き合いで遊び過ぎちゃったから、旅行記だけで40話位に為っちゃってね。何時の間にか、門前の小僧、習わぬ経を読むで、ワープロ打つのが習慣見たいに為っちゃたんだわ 。勤めていたから、月に何篇かしか打つ余裕も無かったから、対象も打ちたい物だけ。それで文章にも、緊張感があったんずらいね。
 それが、母親介護の賄い夫生活に為ってしまったから、何とかコア・タイムを持とうとして、インターネットでブログを開始しちゃたんだわね。時間が出来たから、さぁ打て打てと云っても、俺の脳味噌じゃ追い付かんわね。背伸びをしても、疲れるだけだしね。のんべんだらりの日常スケッチしか手が届かないもの。まぁ、それが俺の持ち味と思っておくれや。へへへ。」

「やいやい、謙遜しちゃ駄目だわねぇ。この何でもない日々に訪れるお兄ちゃんの脳内散歩に、お兄ちゃんの味があって好いんだわい。お世辞じゃないよ。散歩コースも共通してるし、住んでる所も、10mも違わない。それが人間は十人十色で、頭の中身も感じ方も、考え方も行動も変わって来るんだし・・・ 当たり前の事なんだが、それがしっくり味わえるんだよ。

 それがさ、本なんかで読めば、お偉い先生方が書いているから、畏れ多くて、ただ一方的に読まされているって感じずらい。生身の人間が、杓子定規な事をゴタゴタ難しい言葉で書いたって、<偉そうに、ふんぞり返って、何を扱きゃがる。>ってな物ズライ。そんな物ぁ、面白くも何とも無いわね。世の中、優等生ばっかりじぁ無ぇんだ。行儀ばかりを気にして居りぁ、屁も扱けねぇずらい。俺ぁ、庶民の一員だぜさ。イッヒッヒ。

 俺は、小さい時からお兄ちゃん・お兄ちゃん兄弟を知っているんだもの、お互い大人に為っちゃって、仕事に感けて何十年も通り来たりの挨拶だけを交わす関係だったのが、こう遣って話を交わして、おまけにご本人様の文章も読める。分からねぇ字がありゃ、辞書引けば勉強に為る。難しい言葉が出てくりぁ、<現代用語の基礎知識>を捲りゃ、これまた勉強に為るって寸法さね。

 人間、現役から引退したら、知的好奇心を旺盛にしとかなきゃ、面白くは無ぇずらい。この部屋に来れば、洋画の名作がワンサカと控えている。別部屋の奥の院には、目の潰れる裏ビデオも何本かある。映画の感想・娑婆の政治話・不良時代のゴタ話も、イヒヒ・ギャハハのハ。話の終いには、アナザーホールのケッケッケのケツの穴で、一件落着だわね。

 本当に、俺ぁ果報者だわね。朝の畑仕事、昼の読書、夜の名画鑑賞。洋画の名作を観るにぁ、字幕スーパが絶対要件さね。チンタラ読んでりゃ、映画に置いて行かれちまう。脳味噌反応には、これ以上の訓練法は無いわね。

 疲れりゃ、目の保養だわね。充実・バランスの採れた活き活き毎日ってな具合さね。また、一冊借りて行くよ。」

「あいあい、どれでも持って行きましょ。ペーパーにも空気が通って、有難いってもんせ。」

 女気ゼロの日々を行進している吾が賄い夫生活ではあるが、淋しがる日々でも無い。捨てる神あれば、拾う神あり。パンパンとお天道様に、感謝するのみである。

心何処ーショート ロートル映画劇場
                 ロートル映画劇場(9/13/09)
 5本のDVDを見終えて、映画好きの私にとっては、好い時代に時間を持てたと云うものである。分からない事があれば、インターネットで項目を検索すれば即座に応えてくれるのであるから。
 1954年制作の<裸足の伯爵夫人>は、ハンフリー・ボガード、エヴァ・ガードナー主演の名作の一本に数えられる映画だと云う。何度か耳にした題名であるが、54年では、私は未だ6歳にしか過ぎない。見る機会などあろう筈が無い。

 ガードナーを映画館で見て、印象に残っていると言えば、バート・ランカスター絡みの<カサンドラ・クロス>位なものである。調べて見ると、出演当時の彼女は54歳であったから、その容貌は大分衰えを見せて居た。主演のソフィア・ローレンが脂の乗り切って居た頃であるから、人気実力ともに誇った大女優の今昔対比と云う観点からは、記憶に残っている。
 ガードナーは、この時32歳である。一方の主役ボガードは、映画史に金字塔を立てたカサブランカ主演時は43歳であり、この時は55歳である。55年前の55歳と、現代の55歳とは隔世の開きがあって、つくづくと時代の進歩と云う魔物を感じた次第である。 
 
 それにしても、ガードナーの艶やかさには恐れ入ってしまう。エキゾチックな顔立ちに、ボン、ボンと来ている。ウエストの括れ振りは、正に『妄想の蜜の鉢』に匹敵するだろう。これでは、その当時の世界の男達を虜にしても当然の話であろう。流石にハリウッドの大女優様である。

 伝説の男優・女優さん達が、クラシックムービーのパッケージの中で、其々が輝いていた時代の雄姿・美形を見せてくれるのであるから、実に有難いと感謝すべき時代なのである。伝説と云う訳の分からない存在よりも、<百聞は一見に如かず>の方が、好いに決まっているのである。古の時代にあっては、美は彫刻、絵画で時空を超えて、保存されて来た。現代にあっては、映像に依って保存される。詰まりは、何時の時代にあっても、人間の願いは『美よ、永遠なれ』・・・なのであろう。

 <手錠のままの脱獄>は、我々団塊の世代では、映画・テレビで何度かお目に掛っている名作映画の一本である。何十年かを経て観て居ると、幾つかのシーンに大きく頷くのではあるが、結末のラストシーンが記憶に一切無かった。斯様なる人の記憶の好い加減さに、ガックリと首を垂れる始末であった。
 ストーリー中の亭主に逃げられた農家の女に記憶が繋がったのであるが、映画最大のテーマのラストシーンが、完全に忘却の淵に沈み込んでいたのである。

 正しい映画観賞者の立場からすると、私の様な下衆男は、完全なる落第生でしかない。遺憾いかん・・・全く、男にとって女と云う存在は、心眼を曇らせる生き物なのであろう。

 マーロン・ブランドと云う役者は、真に稀有な大役者さんである。内にある異常を体現しているとしか褒めようの無い役者さんである。どす黒い社会派テーマを主役として、<表現>出来る役者は居るにしても、感性的・知的・暴力的にシリアスに『体現』出来る役者は、おそらく彼を置いては居まい。魅かれる役者の一人である。
 そして、それとは好対象としての、彼のコメディタッチの<伯爵夫人>は、実に面白い。
 ※67制作チャップリン監督、主演マーロン・ブラド、ソフィア・ローレン。

 昨日は寒い夜であったから、悪戯にキリギリスのケースに水槽用のヒーターを入れて遣ったのである。暖房が入って、キリギリス達は一晩中ギース・チョン・ギースと鳴いていた。私だけが現代の文明の利器の恩恵を浴しているのは、些か飼育管理者として気が退けたのである。効率の問題としてケースを一つにしたから、オス一匹が入ってオス2匹とメス1匹の所帯に為った。従って、時々オス同士は喧嘩をしている。暖房に依って、命を長らえるか、死闘の果てに命を落とすか、・・・裸足の伯爵夫人の墓誌のケ・セラセラの結末に為るのだろう。

心何処ーショート 秋雨の一日
                   秋雨の一日(9/12/09)
 昨日分の記事を貼り付けて、投稿の段階でインターネットが不通に為ってしまった。何回、試みても接続が出来ず終いであった。諦めて、早い散歩に出掛けた次第である。

 久し振りの正規の田園地帯への散歩運動コースである。空一杯に描かれる雲も、圏層雲の鱗雲の続きである。黄色に項垂れる稲田の所々に、稲が倒された個所が散見される。野生動物の悪戯であろうか?  現代は、犬がすっかりペット化されて、中型・大型犬も少なくなり、皆、繋ぎ飼いされている。そんな事も大きく作用して、人界と野生界の境界線が、里山から人界の窓際まで下りて来ているらしい。

 無理も無い事である。自分の子供時代を振り返って見ると、日常風景として、飼い犬・野犬、野良猫が野山を徘徊していたものである。生憎、猫の生態には関心が無いから、一向に分からぬが、少なくとも犬に関しては、犬族は後ろ脚を上げて、処構わず自分の小便で縄張りのマーキングをして回る。従って、繋ぎ飼いの少なかった時代は、彼等の行動範囲は、広範囲に及んでいた筈である。子供達の数も多かったし、遊びの範囲も野山を駆けずり回っていた時代である。そんな時には、犬も私達の先導役で野山を自由溌剌と嗅ぎ回り・駆けずり回っていたのである。当然、後ろ足を上げて、せっせと小便を撒き散らしていたのであろう。

 詰まりは、里山・野原には、野生界にとっては危険極まりの無い臭いのマーキングが、人界と野生界の緩衝地帯として存在していたのであろう。野生界に迄、人界が浸食しているとばかりは言えないのであろう。

 すっかり秋の気配に、散歩の時間も日中にした方が良いのかも知れないと思いつつ、半袖のシャツを脱いで、Tシャツの歩行である。

 明けて本日、雨音の目覚めである。昨夜はブログ徘徊が出来なかったから、DVDを二本見た。裸足の伯爵夫人とサヨナラである。どちらも二時間を超す大作であった。涼しい時は、布団の中が居心地が好い。土曜日であるから、Tとのコーヒータイムがある。ボチボチ起きて、庭を見る。流石に雨は天からの恵みものである。水撒きの比では無い。庭の木々は瑞々しい色で、静かに雨を受けて居る。

 インターネットは不通であるから、月曜日に連絡をして見る事にして、何か纏まった物でも打てば良かろう。それとも、本でも読もうか・・・コアタイムの無い日もあっても好かろう。
 それでも、相手は機械である。人知の及ばぬ処もあろう。一応電源コードを入れて、母の部屋でテレビを見て過ごす。さてさて、部屋の定位置に座るとしよう。ルーターを見ると、PPPが付いている。インターネットが復活しているでは無いか・・・ 確認をして、PCに文作を打ち始めていると、お誘いの電話である。
 
「セブ(フィリピンのセブ島)の夜遊び情報を見て居たら、ハナバレイが出て来てさ。思わず笑っちゃってさぁ、色々細かく情報が盛られて居てさ。珍道中の想い出が、直ぐ様、花開いちゃってイヒヒってもんだわさ。旅行無尽の連中は、行くんだろうな。」
「うん、M氏の話によると、ボラガイに行くらしいよ。」
「ボラガイは俺、行った事は無いぞ。」

「行ってるよ。ほら、澄ました態度の綺麗な娘さんが、俺達のホテルの上の階にファミリーで来て居ただろう。半月形のホワイトビーチが広がっていて、ヨーロッパのリゾート地見たいに、カラフルなヨットが、映画で見る地中海の海みたいに浮かんでたろうに・・。」
「あっそうか、ボホールじゃなくて、あそこがボラガイだったか。マニラから飛行機で行ったんだっけな。そうそう、生意気顔した綺麗な娘だったな。俺達が、じっと見て居るから、ツンツンした顔で素通りして行く癖に、着替えちゃモデルさん見たいに、お披露しに来てたもんなぁ。俺達がホテルに居るとタイミング良くなぁ、ありぁ、面白かった。」

「そうなんだよ。俺も奇妙だと思っていたんだがさ。憧れの目でうっとりと眺めて居るのにさ、娘さんは俺達を下衆野郎と侮蔑の態度でスイスイと鼻も引っ掛けない態度の癖に、タイミングが好過ぎる。嫌なら、チョロチョロする必要も無いと思っていたんだけど・・・それが、いやに出て来るんだよなぁ~。
 
 それがさ、海パンをテラスに干して居る時に、洗濯物が落ちていたんだよ。それで、ヒョイと上の階を見上げると、思わずガッテンさね。俺達の陣取っていた場所からは、ヤシの葉っぱで見えなかったんだけど、あのファミリーの部屋は、丁度真上で、全部下の様子が見えて居たんだよ。それに気付いて、へへへってなもんさね。それで、見るだけならタダ、見なきゃ損損のルンルン気分さね。」
「おうおぅ、Rの旅行記にそんな事が出てたわな。思い出した思い出した。美人のサービス精神って物だったもんな。白人の多い所だったな。店も洗練されていて、ロブスターが美味かった。あそこは、フィリピンでも、一押しのリゾート地だもんな。」

「好い所だけど、あそこはホテル代が高いからな。マクタンから、ボラガイもボホールも飛行機が有った筈だぜ。」
「ボホールは、どんな感じだい。」
「あっそうか、ボホールは泊まった事が無かったか。観光は、チョコレート・ヒルズと川クルージングだよ。クルージングは、一緒に行っている筈だぜ。オッちゃんが、ギター弾いて、歌を聴かせてくれた船上レストランさ。」
「おうおう、周囲が熱帯ジャングル見たいな感じで、ゆっくり川を上って・・・あれも、別天地見たいで、好かったもんな。ホテルは、如何なんだい。」

「駄々広いホテルの敷地でさ。ホテルの周囲には、何にも無いのさ。俺は、ああ云う雰囲気は大好きなんだけど。二階建の建物が二棟と平屋のコテージ風の造りが、二棟向かい合っていてさ。広い敷地にレストランが二つ。目の前には、静かな海しか無いぜ。沖合に、クジラ・ウォッチングとかイルカ・ウォッチングなんてのがあるけど、朝の5時集合で、バンカーボートで行くんだけどさ。クジラは空振りだったけど、イルカの群れに遭遇して、結構興奮したもんだ。
 
 好い雰囲気だよ。やっぱり白人客が結構多かったけど、韓国人ツアーが多かった。新婚さんの団体ツアーが多かった。あの連中は、本当に何様と思っているのか知らんが、生意気で、態度が横柄で煩い。ああ云った手相が居ると、日本人は、立派な黄色い白人種だぜ。民度が違い過ぎる。公衆の中でのエチケット観の有無は、その国の民度に直結してるんだと思われてしまう。やっこさん達の自意識からしたら、アジアの先進国の一つなんだろうけど、ああは為りたくないもんだわね。俺ぁ、貧乏人で好かったって気持ちに為るからね。」

「好いなぁ~。遊ぶには安くて好い所だが、Rはフィリピン嫌いだしな。折角、時間が自由に為って、安い時期を選べるのに、俺がこんな体に為っちゃって、世の中、上手く事が運ばんな。」
「顔色は好いんだけど、体重が戻らんもんな。俺は、Tとなら何時でも同伴するぜ。実際、具合は如何なんだ。」
「毎月、検査があるしさ。癌の発症率からすると、5年が一つの目安だろ。まぁ、今の処は、大事を取るよりシャーナイわな。どうせ遊びに行くなら、美味い物が食えて、酒が飲めないと面白くは無いからな。」
「そりぁ、そうだな。コストパフォーマンスとか言うんだろ、流行りの言葉では。」

「そう云う事だ。あっ、そうだ。カチューシャの金髪の歌っているおネェちゃん、似てるんだろ。どうせ、Rの事だ、ニヤニヤして思い出しているんだろうが。」
「あら、凄いじゃないの。お宅、読みが深いねぇ。」
「ナニョ、コイテルだ。お前が、単細胞ってだけの話だわさ。アハハ。」
「やいやい、こかれちまった。煙草を吸って帰るかいね。」
「あいあい。」

 雨は、未だ降り続いている。車に乗る前に、先日凝りた道具無しを反省して、工具を買って帰る。

心何処ーショート ちょこっと夜の徘徊
                ちょこっと夜の徘徊(9/11/09)
 手持無沙汰であったから、自転車に乗って24時間営業の大手スーパーに食糧調達方々、煙草を買いに行く事にする。夜風が寒いのであるから、恐れ入ってしまった。スーパーの一帯には、コーヒースタバのある大手の本屋がある。驚いた事に、昼間以上の客の出入りがある。静かな夜の中で、この一帯だけがポッカリ浮かび上がっている感じなのである。動物行動としては、光に集まるのは、人も昆虫も大差が無いのだろう。人の動きに従って、本かDVDでも覗いて行こうか・・・ どうせ、遣る事は無いのである。

 書籍コーナー、DVDコーナー、コーヒースタバと、人は其々のスタイルで時間を過ごしている。別に観察する必要も無いありふれた光景である。DVDコーナーに進むと、安売りのカートが目を引いた。オール980円との事である。さてさて、掘り出し物は有るのかな・・・

 おやおや、スタジオ20thFOXクラシックの高級品が有るではないか・・・どれどれ、ほぅ、マーロン・ブランド物があるじゃないか・・・
『蛇皮の服を着た男』『サヨナラ』『若き獅子たち』をチョイスする。トニー・カーティス、シドニー・ポワチエの『手錠のままの脱獄』ハンフリー・ボガード、エヴァ・ガードナーの『裸足の伯爵夫人』も有るではないか。正規の値段で買ったら、3~4倍はする代物である。これも、何かのお導きであろう。こんな名作物が、駄作と同じカートに並べられていては、不本意に違いなかろう。大変な出費に為ってしまうが、これは映画好きには見捨てて置ける物では無い。思い切って、5本の纏め買いをする。

 とばっちりが、煙草と食材に来てしまった。さてさて、上り勾配。ヒーコラ、ヒーコラとペダルを漕ぎ上げて、深夜の名作劇場とすべしである。

 映画全盛期の注目スターのブランドなのであるが、私のコレクションの中では、少数派の位置である。然しながら、彼の存在は、映画史の中で確固たる位置を確保している。地獄の黙示録、ゴッドファーザーなどの彼の晩年作では、マーロン・ブランドの魅力は、やはり語れない処がある。この位のラインナップを用意して置かないと、クラシックムービーのファンとしては、沽券に拘わると云うものである。

 初日としては、<若き獅子たち>を観賞する。共演は、モンゴメリー・クリフト、ディーン・マーチンである。矢張り、格違いのブランドの実在感である。スキー場の冒頭部分では、折角の男女の絡みシーンなのであるが、台詞のカンニング目線に苦笑しつつも、さてさて、如何なる進行に為るものやらと気を揉んでいたのであるが、難なく通過してしまった。意外と、この女優さんとはウマが合い過ぎたか、苦手だったのか、面白いシーンであった。ゴシップ欄に依ると、彼は有色人種の女性が好みだったと云う。

心何処ーショート 飛んだ怪我の功名
              飛んだ怪我の功名(9/10/09)
この記事の題名は、難無く一発で浮かんだ。題名から始まった打ち出しである。こんな事は、滅多に無い事である。

 めっきり秋らしく成って来たから、そろそろ温泉銭湯への復活でもしようかと考えて居たのであるが、その前に浴槽磨きが残っていた事を思い出した。昨日は、庭の水遣りに感けての健忘症であった。浴槽はステンレスであるから、洗剤で洗えばチョチョイのチョイであった。
 
 大体、人間と云う物は、余裕があると大失敗を犯す物の様である。水の出が悪いと言われていたので、悪戯を試みる。器具の造りを見て、その調整は『此処しかあるまい』とドライバーで回す事にする。締め付けが頑丈であるから、握りの小さなチャチなドライバーでは歯が立たない。適当な物は無いかとスチール製の灰皿の縁を当てて、『コンニャローメ』と力むと微かに回り始めた。水を出しながら、今度はドライバーで回し始める。気の所為か? 幾分勢いが増した感じである。嬉しく成って、左右のネジをドンドン緩めて行くと、益々勢いが増して来る。

<遣ったね !!>であった。好かろうと締めて行くと、水漏れがする。アリャリャ・・・
これでもか、これでもかと遣っている内に、凄い勢いで水が噴き出して来た。<ドヒャー、やばいやばい。順序が、逆さまである。> 水を止めてから、仕切り直しである。

 早くも、全身びしょ濡れである。外へ出て不凍栓を探すと、つっかえ棒がしてある。為らば、水道メーターの止水栓を止めれば好かろう。アジャ・・・コックレバーがピクリとも動かない。強引はご法度である。油差しを持ってグリグリ足掻くが、軟なレバーは折れてしまいそうである。
『参りました・・・』 斯く為る上は、ジャッキで支えを外して風呂場の不凍栓を閉めねば為るまい。こりゃ大事である。その前に、もう一度足掻いて見るか・・・ 母が何事が起った遣らと、杖を突いて見学である。

「多分、パッキングを駄目にしてしまったんだろう。遣るだけ遣って見るさ。」
 おうおう、凄い剣幕である。冬で無くて好かったと云うものである。浴槽には、入れるほど水が溜まって来た。時間は有効に使うのが肝要である。おいそれとは、復旧しないだろう。ボイラーのリモコンを追い焚にする。

 さぁ~てと、不凍栓を退治するか。ジャッキを持って外へ出るが、待てよ・・・である。もしかしたら、この下には不凍栓は無いかも知れない。水道の立ち管からすると、場所が離れて居過ぎる。支えの頑丈な鉄蓋は、支えの土台の可能性がある。
 60年の来し方を振り返れば、自分の悪い癖は猪突猛進型である。此処は、先日の先輩に因んで、先ずは観察が第一である。此処まで大事に為ってしまったのであるから、慌てても仕方が無い。このビニール・凹みは、ナンジャラホイ??? 少し掘ると、不凍栓のボックスらしきものが、埋まっているでは無いか。地面の一部でしか無い所から、不凍栓が姿を現した。何事も、慎重が肝心である。埋蔵文化財の扱いで、埋まった土を、バールで柔らかくして、完全な手掘り作業である。藪蚊に食われて、あっちこっち痒い痒い。

 杖を突いた母の見学である。「押せば、止まるだろ。」私としては、<当たり前の事を、言うな。>である。物が古いから大事を取って、金属疲労の老体に不要な負荷を掛けない様に、埋蔵文化財の扱いをしているのである。
        <気は心とも云う。好し好し、これで好かろう。>
 ハンドルを押すと、音が止まった。喜び勇んで、風呂場に掛け付けると水は止まっていた。こうなれば、こっちの物である。びしょ濡れの衣服を脱いで、パンツ一枚の仕切り直しである。

「治るのかい?」<煩い。そんな物は、遣って見なければ分かんだろう。理屈が通っているんだから、治るだろうが・・・つべこべ言うな。> 左右のネジをスッポリ外して、男の沽券を賭けて長方形の嵌合部を合わせる。『ラッキー、嵌った。』 舌舐めずりをして、そろりそろりとドライバーを回す。確り捻じ込んで、不凍栓を開く。成功である。

 成功すると、途端に私は我田引水の下衆男である。得意顔をして、タオルで器具を拭いて、水漏れ確認をして見せる余裕の『嫌味倅』である。

<ザマァ、見やがれ。男は、黙々と仕事をしてこそ、男なのである。結果良ければ、全て好しは、世の習いである。失礼な事を言うな。>

 水の大放出に、絡んでいたであろうゴミなんかは、何処かに吹き飛ばされてしまったのであろう。水の出が回復しているでは無いか・・・ これを称して飛んだ怪我の功名と云うのである。

 藪蚊にボコボコ膨らんだ個所に、ムヒを擦り込んで、母の用意してくれた昼抜きのお茶タイムをしてしまった次第である。さてさて、片づけをした後は、どっぷり風呂に浸かるべや。俺ぁ、赤恥を掻かずに済んだが、正直疲れてしまった。・・・安堵にしてトホホなり。

 何はともあれ、ロートル男の日常には、こんな事は付き物なのでありまする。重い腰を上げて、有事の際は頑張るしか他無いのでありまする。先輩のお言葉に従って、先ずは観察からが、仕事なのでありまする。水仕事は、先ずは止水が先決問題でありまする。くれぐれも見切り発車は、放水の的でゴザンスヨ。ケッケッケの水の穴でヤンス。ご注意をば・・・

 追伸・・・文中の<>は、年老いた母に対する『私の内なる呟き』でありまする。私も、還暦街道・・・大人に為ったものである。以上、大失敗の記でありまする。

心何処ーショート 吾が四畳半住人点描
               吾が四畳半住人点描(9/10/09)
 気にすると、気に為って来るのが人の常である。一向にグッピィの稚魚が出現してくれないのである。別段飼い方に変った処は無い筈なのであるが、命が生まれる前に、死んでしまうのであるから、数が滅法少なく成って行ってしまう。それなりに注意を払っている積りなのであるが、これは由々しき問題発生なのだろうか? 処方箋が見付からぬ・・・

 先日は金魚の餌遣りの時に、つい手元が狂って、ドバッとばかりに餌が入ってしまった。アジァジァと思いながら、その内に食べるだろうとタカを括っていたのであるが、水質汚染の帰来があるから、ふやけた餌を網で掬い取った。それが夜に為ると、金魚達がプカプカ遣り始めた。参った。明日にしてくれと言いたいのが、正直な処であるが、原因を作ってしまったのは私である。嫌々ながらも自己責任のバケツを持って夜の川であった。夜は目が見えないから、安全パイを取って夜目の利く安全地帯までの遠征であった。バケツ一杯の水の重さに、何度途中休憩したものやら・・・ 斯様にして、命の水とは実に重いのである。

 どんな生き物にも環境適応力は、あって然るべきである。異変と環境適応力は別個のものである。私とて、杓子定規な飼い主魔王では無い。臨床医の様な常識も持ち合わせて居るのである。
 詰まりは命の短いグッピィに関しては、世代が交代して小世界が安定してくれないと、飼い主として水質環境が安定していると確認・安心出来ないのである。何しろ、水槽世界は人間の目からは、決して見る事の出来ない複雑な微生物群が織りなす生物混棲の小宇宙なのであるから・・・ 決して、不遜な男では無いから、小魚達よ、安心するが好い。
 
 生物を飼うと云う事は、日常の在り来たりの動きを一つの基準として、そこに現れる小さな変化に違和感を感じる目を持つ事なのであろう。違和感を異常の前兆として見出し、早く日常に戻す手立てを講じるものなのであろう。過敏に為り過ぎての過干渉・過保護は、飼い主が疲れてしまうだけである。偉そうな事を言っているのであるが、その根拠を例示せよなんて言われたら、私としては、即白旗降伏をするしかない。生物の適応力・順応力頼みの自由放任主義、物臭飼育術と云った方が的を得て居る。

 所詮、生存とは弱肉強食の輪廻である。環境に適応・順応して生きて行くしかあるまい。最低限のセーフティ・ネットは飼い主の義務ではあるが、過干渉・過保護は、生物が本来持っている生命力を弱めてしまう帰来もあろう。

 何も、水槽住人達の悪口を打っている訳ではない。私は飼い主として、小さなグッピィ槽に、命の循環が根付く事を待ち侘びているだけである。お前達、何も深刻がる事は無いわな。安心せい。

 隣水槽では、金魚達が私を見て、大きな欠伸をしている。窓辺の金華鳥達は、日の陰った秋風に我関せずの羽繕いをしている。その上のプラスチックケースでは、すっかり土色に為ってしまったキリギリスが、ミニトマトの輪切りから、果汁を吸っている。

       ありゃりゃ、日が陰って、音無しの構えである。
はいはい、気が付きませんで失礼をば、致しました。場所を替えて、窓をお締め致しまする。

 朝の内は、太陽がサンサンと差して、元気の好いギース・チョン・ギースを奏でてくれていたのであるが、これも四季の移ろいである。我慢せいや。おや、ギースの一声。顔に似合わず、出来が好いのであろうか・・・ お主、俺ぁ、気に入ったぜや。

心何処ーショート 唯、思い浮かぶままに。
                唯、思い浮かぶままに(9/9/09)
 何枚、絵を描いただろうか・・・ 珍しく、気に入った絵が出来た。絵を描いて見るのが、今では半ばスーと出来る様に為った。これは多分、インターネットで毎日写真ブログを見て居るからなのであろう。見る・読むの自然な行為から、感じ・思い・考える。そんな一連の行為から、それらの効果が知らず知らずの内に、画用紙に色鉛筆を取らせているのだろう。
 とは云っても自分の思いを、そのまま形にして描けるほどの絵心・画才が備わっている訳では無い。毎日続いているこの駄文綴りとて、文才が備わっている訳も無い。

 文章も書きたい何かがあって、それに突き動かされて構成・起承転結を考えて、テーマを的確に記すなどと云う魂胆も働かず、技量無しの日課の様なものである。詰まりは、成り行き任せの長文駄文打ちを重ねて居るにしか過ぎない。
 絵も文章も、ボチボチ始めて、此処が物足りないとか、これでは飛び過ぎて、説明が十分では無いとか、線・色・文字の通りが悪過ぎるかな・・・などと、私としてはママゴト遊びをしている時間・空間が楽しいのである。

                 秋
 


 斜向かいのご主人の自己評では無いが、私も少々世間様からズレている人間なのである。ブレては居ないと思うのであるが、最初からズレているのであるから、世間様から見たら変わった人間に見えてしまうのであろう。嘆いて見ても、致し方の無い性である。まぁ、これも習慣の一部と為ってしまった惰性なのであろう。そうかと云って、この歳では直し様も無い重度の生活習慣病の一つであろうから、困ったものである。


 自分を振り返って見ると、私の根本は物臭にして一人を好む性格であるから、自分の中に訪れる時々の事象に関して、勝手に浮かぶはぐれ雲の如き徒然に、自己問答をして遊んでいると云った感じなのである。私の場合、一過性の他人との煩わしさは、疲れる体質なのである。その因果関係をクドクド打ち連ねてしまったら、本性を晒して仕舞うのが落ちである。従って此処は物臭であるから、自分から疲れる煩わしさに近付く必要は無かろうと引導を渡すのが得策にして、正直な処なのである。
 その位なら、気の置けない友・知り合いと時間を十分に掛けて、呆け話の交換をしていた方が余程気が楽なのである。

         朝寝をしていたら、
「お~ い、何時まで寝て居るんだ。これをぼくちゃん達(キリギリス)に遣ってくれよ。此処に置いて行くよ。」
「へへへ、アリガトざんす。」
 几帳面早起き斜向かいさんと、グウタラ夜更かし男との違いである。四畳半を間に置いた寝床挨拶である。涼しくなると、朝寝が特に気持ちが好いのである。

 のそのそと起き上がり、一日を始める。昨日はガス屋さんの集金、今日はヤクルトママさんのコール日である。スローモーな前段を終えて、順序が逆に為ってしまった小鳥達の世話をしていると、車が止まってヤクルトママさんの姿が見える。
 本日も曇天。長ズボンに長袖シャツの少々肌寒い日である。昨日の夜の散歩は、半分を過ぎた頃に、長袖シャツを脱ぐに至る気温であった。相変わらず雨に見放された大地である。川の水量もめっきり減少して、お天気さえ好ければ、得意のにがみ取りをして見たい処であるが、そんな事をしたら、風邪を引いてしまう。発熱・新型インフルエンザにでも為ったら、格好が悪過ぎる。餌の殻を吹き、底敷きの汚れを洗い、お天気の模様見である。

「おはようございま~す。ヤクルトで~す。」
「おいおい、帽子被って無いと、好い女じゃないか。身長は幾つあるの?」
「163で~す。」
「俺、大きい女が好きなんだよ。これで、キュロット・スカートでなかったら、色気倍増で、ファン会に入会するんだけどなぁ~。そりぁ、行かん。無粋・宝の持ち腐れだわな。」
「ありがとうございま~す。オジサン見たいなセクハラ防止で~す。これは、会社の規則で~す。浮気は駄目ですよ。残念でした。」
「アッチャ~、下心、見え見えだったか。遺憾いかん。」

 ヤクルトママさんは、すっかり仕事に馴れて来た様である。高過ぎたオクターブが、大分下がって来ている。これで、三十路女の落ち着きが出て来て、外観と声のミスマッチが改善されて、彼女の本来持っている雰囲気が出て来ている。善き事である。彼女は真面目な人らしく、必ず会社のチラシに基づいて商品の宣伝をして帰る。家庭では、きっと好い奥さんと母親をしているのだろう。本日、セールスの後で講習会があるそうで、超特急で帰らなければならないとの事である。左様でござるか、頑張って時間短縮を為さりませ。

 スースーする風が吹き込む定位置ではあるが、早い処、雨が降ってくれないと川が干上がってしまう。不景気流行りの娑婆は、デフレの連鎖に立ち至ろうとしているとの事である。安売り定着に拍車が掛っている市場経済。食卓を飾る秋野菜が水不足で、高根の花と為っては、生産者・消費者ともに共倒れ、経済の困窮事態である。
曇天灰色雲ではあるが、雨を降らす雲としたら、色が未だ薄過ぎる・・・
 
   川の生き物には救いの雨、農作物には恵みの雨を願うばかりである。

心何処ーショート 小部屋、夏の終わりの蜃気楼。
             小部屋、夏の終わりの蜃気楼(9/8/09)
 明日は、亡兄の命日である。これで、花とお供え物を買って来てくれと母から、買い物を頼まれる。それではと、重い腰が石に為らぬ間に、買い物に行って来る事にする。

「こんなに一杯買って来て、全然、お金が足りなかっただろう。」
「おぅ、こんな時でも無いと、婆さんと二人、高い物が食べれないから、俺が食い意地の欲をかいただけだわ。へへへ。」
「そうかい、皆、喜ぶよ。悪いけど、仏壇に飾って遣っておくれ。」

 好い役を母に譲って遣った心算であるが、如何やら、本日は体調が悪いのだろう。切り花の高さ色合いを考えアレンジして、仏壇に供える。位仏壇に赤・白・黄色・紫の花々が咲いた。ヨッシャ、ニンマリである。供え物を配置して、一応のチーンをして置く。

<これ、取らぬ狸の皮算用させて、太ぇ二人組だ。出来過ぎた弟に感謝しろよ。>

「ああ、お前はセンスがあるね、私より上手だよ。綺麗・賑やかに為ったね。★さんも★も★も、皆、喜んでいるよ。有難い有難い。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・」

 私は女では無いから、こそばゆいお褒めの言葉は、狙い下げである。お努めを終えると吾が小部屋に移動して、一服タイムである。

 昨日は、久し振りにカチューシャの動画が見たくなって、画面を開くと、コサック・スタイルの大男の動画がずらりと並んでいる。再生すると、恐れ入谷の鬼子母神状態であった。こんな本格的な歌唱を聴いてしまうと、日本の歌手など一息でツンドラの氷土に吹き飛ばされてしまう。流石に大国ロシアの大地は、大物を育む土壌らしい。

 その後が、拾い物のオンパレードであった。私は、根が好色下衆男に出来上がっている男である。動画の中に有ったロシア女の画像を、目敏く見付けて再生onである。<美形は何処や!!>で、ハイエナの如き執拗さで、動画を辿って行くと・・・

               有るじゃ、有りませんか!!

 それも、ベリーダンスと来たもんだ。チヤラ・チャラ、フリフリ、グリグリと、出て来るわ出て来るわ・・・ オイラは完全に、古のアラブの王侯貴族の心境である。続いては、ジプシー・ダンスと来たもんだ。終いにぁ錦蛇との共演ダンスで、アジャジャの段であった。
 便利簡単・一瞬で世界と繋がるインターネット世界である。こんなベリーダンス、ジプシーダンスを見て居ると、先日の<ボイスの品格>さんのブログ記事と相まって、想い出のシーンに捕まってしまった。以下は、私の異国見聞録の一部である。
 
 異国の地で、予約貸し切りのバーチャ(ロシア式蒸し風呂)に案内して貰った事がある。街の中にある小高い丘の上にあるビリヤード・クラブの奥が水風呂・シャワー付きのバーチャであった。2時間を予約して置いたと言う。掛りの者がカギを開け、鍵を閉めて帰るのであるから、二人切りの密室状態に為るのである。真中には、小さなサロン風の小部屋がある。若いシングルママさんは、後で分かった事であるが、顔利きの娘さんだったのである。

 彼女のバックには分厚い本と飲み物・美容道具一式が入っていた。私は小心者ではあるが、『郷に入ったら郷に従え』『出た処で流離う』事しか出来ない小者である。彼女の言われるままに裸に為り、彼女の広げてくれたバスタオルに座って、蒸し風呂に収監されてしまった。ロシア人達は、この熱さの中で本を読むのであるから、日本人が付き合える訳が無い。熱くなると、水風呂に突き落とされて、

 おお、冷たい、NONOを連発して逃げの一手を打つと、
 オウ、あなたは弱虫!! これが、ロシアンスタイル、気持ち好いでしょう。キァ~オ。

 などと、訳の分からぬ奇声を発して、水風呂で体操紛いのノリノリ気勢を挙げて居るのである。ギリシャ彫刻・ヨーロッパ中世の裸婦画に出て来る様なご立派な乳白色の肌に、ハリウッド女優顔負けの美形には違いないが、気の弱い日本人から見たら、正真正銘の女戦士アマゾネス様である。

 サウナから上がると、今度は美女様の美容・お肌のお手入れが始まる。顔に何やら、赤いクリームを塗りたくって、おどけて見せる。手を胸の所で軽く合掌のポーズをとって、小さなお人形さんの様な顔を左右に動かせたり、ベリー・ダンスを披露したりのサービス精神を発揮してくれたのである。私は、折角の彼女のご厚情と痛く感心して拍手を送らせて貰った。シラーとした美形の外観とは打って変って、茶目っ気タップリのリトルショーであった。小部屋の中央には小さなベットが置いてあった。彼女のサービスのお返しに、オイルを塗っての全身マッサージ役が回って来た。流石に、男女平等のお国柄であって、リクエストが煩いのであった。

 はいはい、女王様、畏まりました。此処ですか、これは何ですか? 強さと速さは、これで好うござんすか。左様でござんすか。蕩ける感じでやんしょう。思い出しました。日本には、れっきとした湯屋の熟練工としての三助なる伝統の職業が御座いました。そうそう、指圧の心は親心なんて、名台詞も御座いました。あなた、それじぁリラックスし過ぎじぁありませんか。白い肌の奥に、赤い扉がピクピクしているじぁゴザンせんか。女子には、些かの慎みが肝要かと存じまする。困った女王様である。

 可笑しなもので、こうも開け広げでお互いの全裸を晒していると、妄想妄動は、意識に上って来ない物の様である。写実に富んだギリシャ彫刻を観賞しても、妄想が働かないのと同様な意識なのである。

 意外や意外で、私は自分の中に眠る品行方正の素地を見る思いがしたのである。

 人間とは、隠せば見たくなる。大広っらに見せられてしまえば、見る楽しみが激減してしまう物なのであろう。要所を隠して、隠し物に細工をしてチヤラチャラ、フリフリ、グリグリと目晦ましをされてしまうと、動物と云う物はルアー釣りのスプーン目掛けて猪突猛進を敢行して、一巻の終わりの墓穴を掘ってしまうのであろう。

 こんな風に考えると、男族に比べて、女族の誑(たぶら)かしの技法は、古の時代からの有形文化財・文化遺産として、益々の流行(隆興)を極めて居るのであろう。従って、男族たるもの、その真贋を見極めるには、己が心眼を鍛えて臨むしか方途はあり得ないのでありまする。男子たる者、日々の鍛錬を怠れば、忽ちにして女腹に没してしまうのは、必定でありまする。お気を付けあそばされ。

         電話が鳴って、時間終了のお知らせである。

 私はお洒落をしたくても、頭髪が無いのであるからして、衣服を着て一足先に出ると、ビリヤード・クラブは、中国人団体旅行客で、煙モンモン、大声ギャンギャンの異次元空間であった。奥のドアから、胡散臭い東洋人のメタボオッサンが一人出て来たのであるから、ジロジロ不躾な目で見られてしまった。待ち人が居るから、200%の違和感空間ではあるが、部屋の隅で大人しく、煙草を吸っていると、再び奥のドアがスーと開いて、シングルママさんが、気分上々の上気した顔で出て来たのも束の間、氷の能面に打って変った。それにしても、中国人民の不躾な視線は、異常な雰囲気すら感じさせる物であった。
 ダークブルーの瞳をカッと見開いて、一点を見据えて、硬い表情を一切崩さずツカツカと大股で歩き進む。

<フン、何よ、お前達、中国人なんて、お呼びじゃないわよ。変な真似したら、承知しないわよ。蹴っ飛ばすわよ。私の美貌は、お前達に見せる物じゃないわよ。どきなさい!!>

  おお怖い。美形の怒った顔は、一部の隙も無い鬼の様に美しいものである。

「不愉快ね。あなた、帰りましょう。私、中国人、大嫌い。」

・・・そりぁ、そうだ。日本人を甘く見ちゃ行けません。皆さん、格が、まだまだ違いまする。禿げ頭・メタボ・ロートル男の実力や、見よやである。ザマァ見やがれ。

 またまた、馬鹿な話を投稿してしまいました。本日、何回試みても、ベリーダンス、ジプシーダンスに辿り着けません。飛んで飛んで、イスタンブールじゃありませんが、あれは、夏の終わりの蜃気楼であったのでありましょうか・・・


   本日も、支離滅裂・長駄文の日記にお越し頂いて、感謝致しまする。

心何処ーショート 戻り夏に、汗ばむなり。 
               戻り夏に、汗ばむなり。(9/7/09)
 夏の太陽に、秋の涼風である。ゴミ出しに外に出ると、頭髪の無い私の頭がい骨は、忽ちにして熱い直撃を受ける。今日も暑い日中に成りそうである。朝の真似事掃除をしていると、お向かいさんから野菜の差し入れを頂く。一向に、雨が降らない。夏野菜も、そろそろトオが立って、残務整理の時期なのであろう。冗談抜きで、雨乞いの儀式を行う必要がある。

 パイプ煙草を吹かしていると、DVDを持って、畑仕事を終えられた斜向かいさんの登場である。本日、モロコシを頂戴する。

「今日は、一つ大きな質問が有るんだけど・・・」

 色白前田吟さんのSちゃんは、DVD・ビデオテープの入った紙袋から、チャールトン・ヘストン、ベティ・ハットン、ジェームス・スチュアート主演の<地上最大のショウ>を取り出して、話を続ける。
※1952年作品・・・アカデミー作品賞に輝くスペクタル・エンターティメント。「十戒」の巨匠セシル・B・デミル監督が、サーカスを舞台にスリルと華麗なショウをおりなしたオールスターキャストの傑作・・・パッケージ抜粋

「俺は、こう云う映画が大好きでさ。二度目の借りなんだけどさ。ほら、道化師役のジェームス・スチュアートが、素顔無しでずーと共演しているだろ。道化師のメーキングの主の素顔は、劇中一度だけ見せられる。それも、刑事が見せたお尋ね者の写真だけだったでしょうが・・・  字幕を読んで見てるだけだから、一回目は、そこまで頭が回らなくてさ・・・ヒロインの空中ブランコ乗りのおネェさんが、<アニーよ銃を取れ>のおネェさんだったって事にも、やっとこさ気付くんだから、俺の頭は脳味噌疲労が大分進んでいるんだけどね。イッヒッヒ。とくと説明・解説しておくれや。納得出来ねぇと気分の居心地が悪いからね。納得させてくれねぇと、俺ぁ帰らねぇぞ。ギャハハ。」

    アリャリャ、色白前田吟さん、どっかりと胡坐を掻いてしまわれた。

「やいやい、凄い意気込みと難題を持って来たもんじゃねぇかい。モロコシを受け取った以上、逃げたら男が廃る。ちょっと、待ってましょ。頭を整理して、一発かまして遣るぜ。へへへ。」

 こんな時に、重宝なのがインターネットの検索機能である。早速、チャールトン・ヘストンを入力して見る。あったあった。本作52年、十戒は56年、ベン・ハーは59年であった。

「戦後スターのスカウト手腕で鳴らした或る人(ハル・B・ウォリス)が居てね。凄腕の彼は、ランカスター、カーク・ダグラス、ヘストン、シャリー・マクレーンを大スターに仕上げた人らしいよ。
ヘストン、好い男だったでしょう。将来性がビンビン、オーラを巻き上げて居たと思うんだよね。この大作には、ウォリスとデミルが、興行成績とヘストンの売り出しに、知恵を絞ったんでしょうね。その大物同士の知恵の絞り合いが、凄いんですよ。
 ブランコ乗りのベティ・ハットンは華を売る女優さんだから、剛腕硬骨漢を演じるヘストンとはバッティングはしないでしょう。相互が引き立て合う相乗効果の構図でしょうが。

 一方、大スターのスチュアートのあの顔と演技力を添えてしまったら、映画の芯が虻蜂取らずの相殺効果に成り下がってしまう。従って、スチュアートの素顔を消し去る事で、表面上のスペクタル・エンターティメントを成功させているんでしょうね。

 それでも、道化師は物語の重要人物の役を着々とこなして見せている。共演者の名前には確り、大スターのスチュアートの名前が出て居る。身なり・顔は道化師であっても、ファンは、その声で直ぐにスチュアートである事が分かるって寸法でしょうね。
 ファンは、道化師の演技の中にスチュアートを感じて居るんだと思うんだけどね。派手なサーカスの世界と共に、道化師の心の優しさに一方の拍手を送っていると云う・・・実に得難い演出が敷かれていると感心してしまう。最後まで、素顔を見せない処が、この映画の凄い処だと思うんだけどね。アメリカのスチュアート・ファンは、涎を垂らしているんでしょうね。確固たる大スター実にの座を獲得しているスチュアートからしたら、顔を隠しての共演は、正に演技力を問われる役柄。大スターのプライドを擽って、遣る気満々だったんでしょうね。その証拠に最後のストーリーには、スチュアートの味と匂いが、プンプンと立ち込めている。文句無しのストーリー展開だと思うんね。上手い演出です。

 ある意味では、華やかな世界と日常の情の世界と云う二つのストーリーが、同時進行していると云った処でしょうね。恐るべし、アメ公。遣られた、一本取られたってもんせ。

 手錠を掛けられた道化師を見送る最後のシーンが好いですね。こんな処の違いが、大岡越前の裁きとアメリカの法に対する国民性の違いでしょうかね。この時期、日本では『相棒』の杉下右京警部は登場していませんからね。イッヒッヒ。

 以上、ど素人の思い付くままの映画解説であります。参考に為りましたら、拍手下され、ニャハハ。」

「パチパチ、こんな拍手で好いだかい。やいやい、もう、すっかり堪能しちゃったわいね。流石に、観方が違う。俺ぁ、またまた、尊敬しちゃうよ。」
「あいあい、それで十分だいね。お代にトウモロコシを頂いちゃ、手抜きも出来ねぇずらい。あい?」

 この後は、相も変わらずのロートル・エロ話に花を咲かせてしまいました。バイタリティを復活させたキリギリス達は、動き回りギース・チョン・ギースと鳴き交わし、小部屋には暑い午後が流れて行きまする。
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