旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 雨季の夏休み
                雨季の夏休み(7/31/09)
 眩しさ暑さで、意識がノックされている。昨夜は、途中で蚊に刺されて薬を擦り込み、蚊取り線香を付けて寝たのである。本の続きを読んでいたので、夜更かしの態であった。玄関の戸が開いたが、起きる体が無いのである。知らぬ振りをして、寝返りを打ちウトウトする。

 起きて四畳半を見ると、カンカン照りの太陽である。<嗚呼、座るに値せず>で、窓を開けてカーテンを引く。洗面所・廊下の戸を開ける。玄関には、DVDの紙袋が置いてある。燃えるゴミを出して、台所で湯を沸かす。母の部屋の戸は閉められている。朝飯は、起きて来てからで好かろう。部屋で煙草を吸っていると、斜向かいさん登場である。

「どうぞ、ビデオでもDVDでも、探してましょ。その間に、印刷するで。」
「あいよ。」
<悪しき芽は、摘み取るに限る。>のページとSちゃ直筆の絵を、開いて印刷する。
 さてさてと、その間にRED-TUBUをば開いて、文作の<検証>をご用意しなければ為らない。気は焦れども、アジァジァ、一向に現れない問題の『短編』である。

「Sちゃん、ダメだ。毛唐に嫌われちゃったわさ。出て来ないから、次回のお楽しみで文章だけで想像してましょ。アハハ。」
「やぁ、お兄ちゃん、気にしなくても好いさね。そんな物ばかり見て居ると、目が腐っちゃうわね。あんな物ぁ、お遊び。偶にチョコンと見りぁ済む事だわね。今日は、好い物見付けたいな。<戦争の嵐> ロバート・ミッチャムじゃん。これを三本借りて行く。」
「ああ、それはお薦めビデオだんね。全部で五巻だよ。全部持って行きましょ。結構、勉強に成る内容だよ。国益・外交駆け引き・男の友情・ユダヤ人問題・夫婦の亀裂を通して、人間ドラマ・戦争が描かれているよ。重厚なアメリカのテレビシリーズだんね。」
「何時も感心するけど、好い物選んでるねぇ~。ここの映画コレクションは、レベルが高いもの。俺みたいな学の無い男は、三回見なきゃ、お兄ちゃんの頭には付いて行けないもの。日々、感動・勉強だわね。隣の部屋からDVDも入れて来たし、後の続きは次回とするんね。あんまり大量に持って行くと、お兄ちゃんと話をする回数が減っちゃうもの。それじぁ、折角掴んだ楽しみが、無くなっちゃうってもんさね。ニャハハ!」
「朝っぱらから、煽ててくれるじゃん。もう、エロのは底切れだよ。<アナザー掘~る>持って行くかいね~。ギァハハ。」
「結構でゴザンス。野菜の漬物とおマンマの草食爺ッさが、マムシドリンク飲んだ処で、肉食ホワイトにぁ、逆立ちしたって太刀打ち出来んわね。目に見える勝敗。無駄事は綺麗さっぱり整理して、映画は、やっぱり美男美女の名作映画に限るわね。しおらしいジョーン・フォンティン様を見たら、俺ぁ教会で懺悔しに行かなきゃ。女は、お淑やかが一番。お品好く行きましょう。21Cは、始まったばかりだんね。イッヒッヒ。」

 斜向かいさん本日は岡山から、娘さんが子供達を連れて長逗留に来るそうである。賑やかに為るそうである。短い談笑の後、ニコニコして手を振って帰られた。

 さて、賄い夫に移行である。台所仕事をしていると、母が起きて来た。食後の母子タイムをしていると、何時の間にか太陽は隠れて、曇天の蒸し暑さである。
 
 私は母の部屋では煙草を吸わないから、お茶をゆっくりお代わりしながら、テレビをBGM替わりに、ゆっくりした口調で言葉を交わす。一日三度の母子タイムである。

 昨日、散歩の折に見た黒猫の話をすると、母は目を細めて自分で頷きながら、可愛い合っていたクロちゃんの話を盛んにし始めた。一人暮らしの時に、長い廊下の縁の下で生まれた全身黒尽くめの猫を、牛乳を遣って育てた話である。その当時土日は、倅を連れて私は母の処に泊まりに来ていたのである。廊下の椅子で、黒猫とブツブツ話し合っている母の姿を、私はニヤニヤして眺めていたものである。
 一人暮らしの母の相手に成ってくれる黒猫に、天からの授かりものとして、近親感を覚えて居たものである。倅と枕を並べて、早く寝る母の部屋から、黒猫は夜の家を回る。明かりの灯る四畳半に黒猫は、尻尾をピンと立てて、ゴロゴロと腹を鳴らしたり、ニャ~ゴなどと猫なで声を発したり、座っている足の脛に胴体を擦り付けて、好く遊びに来ていたものである。
 猫に関心の無い私ではあったが、可愛いものは可愛いのであった。寝て居ると、私の布団の中にも好く入って来て、足を舐めて居たものである。
 
 母の黒猫に纏わるエピソードを聞いていると、成る程と思われる筋がある。黒猫にとっては、普段は自由気ままに暮らせる母と猫の館の感覚だったのだろう。黒猫は、意外と恩義を感じてか、或いは自分の館と考えて、定期的に家の隅々までを、時間を決めて巡回していたのであろう。云うならば、共同生活だったのであろう・・・ 私と倅の土日は、黒猫にとっては、お客さんだったのかも知れない。猫の目からは、母・倅・孫の関係を何処まで知っていたかは、一向に分からない処であるが・・・ 決して赤の他人とは映らなかったのであろう。

 人間・動物にしても、自分の行いに関しては、其々の、其々別の思い入れがあって、当然の事であろう。同じ事をしても、見る者・感じる者・考える者の違いによっては、説明の付かない齟齬を生じさせてしまうものである。人間中心・自己中心の偏った見方は、禁物であろう。個体差はあっても、方向性と穏やかさだけは、見失いたくは無いものである。
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心何処ーショート 半日の夏日
                半日の夏日(7/30/09)
 何日振りかの太陽である。折角であるから、湿気った布団を干す。万年床の無くなった涼しい8畳間であるから、本棚から本を取り出して、上半身裸で長々と伸ばして読書をする。本日は、私の部屋も母の部屋の物干し竿にも、寝具が掛っている。

 庭には、大振りの白ユリ・カサブランカと赤橙色・小振りのオニユリと、終わりを迎えたニッコウキスゲが咲いている。百日紅の下の地面からは、マンジュシャゲの花茎が、顔を現し始めている。庭に放したキリギリスは、現在三か所に分かれている。遠征組は敷地を半分ほど回って、枇杷の木の紫蘇の葉群辺りに達して、ニッコウキスゲの草むらで鳴いているらしい。ブロック塀を乗り越えて、ご近所さんの庭庭を回るか、塀沿いに回って、玄関のアジサイの茂みで合流するか、気の向いたまま夏の声を楽しませてくれたら、それで好かろう。

 四畳半のキリギリスを入れて、四か所からの声を聞きながらの読書などと打つと、誠に風流の極みであろう。パイプを咥えて、読んでいる本は渡部昇一氏の<日本史快読>である。此処までは、至って様に為るのであるが、怠惰なロートル・クマ男にまどろみの誘惑は、すぐさま忍び寄るのである・・・困ったものである。

 遅い昼は面倒なので、スーパーに行って総菜コーナーから、適当にピックアップして来る。雲隠れてしまった夏の太陽であるから、雨の振らぬ内に干しものを部屋に取り込む。この按配だと、遅かれ早かれ雨が降るのだろう。雨の振らぬ内に、日課の散歩運動をした後は、大人しく本の続きでも読もうと思う。

 さて、6時である。1時間45分の散歩運動にスタートである。日照不足の煽りであろうか、畑のトウモロコシは生育が悪いらしく、皮を剥かれて食するに値せずとばかりに、畑の隅に打ち捨てられている。ぶどう棚には袋がブル下がっているが、間引きされた緑の小さな房が沢山落されている。大きな屋敷に隣接する家庭菜園のトマトが、大きく色付いている。沢の合流する折り返し点の橋から、川を眺めると大分澄んで来ている。
 さてさて、歩き速度のスロージョギング開始である。速度はそれほど変わらぬが、腕の振りが大きくなる分、運動量が益す。直ぐ上半身から汗が噴き出すが、これが運動である。

       オイチ・ニー、オイッチ・ニー、フゥフゥ、スースー・・・

 スポーツ橋まで下がって来ると、橋の下に10人程の人影がある。夏の夜のバーベキュー・コンパが始まるのであろう。風に乗って、コンロの熱と炭の匂い、肉の焼ける匂いがして来る。雨が降らぬ方が好かろうが、橋の下のコンパである。明日の勤めのある学生達でも無かろう、降ったら降ったで、これまた、野外コンパの楽しさである。

心何処ーショート 悪しき芽は、摘み取るに限る。
              悪しき芽は、摘み取るに限る(7/30/09)
 降ったら降ったで、仕方あるまい。散歩運動に出掛ける。本日の出で立ちは、長ズボンである。折り返し点を過ぎて農道の一本道を歩いていると、丁度半分の月が雲間を照らしている。ヒグラシは鳴いているものの、夏の陽気とは程遠い。ズーと下りて来ると、結構雲間が大きく為って来た。雲間を眺めている内に、ついつい思い出し笑いをゲラゲラ遣ってしまった。
 ひょんな事から、ロシア民謡の動画に聞き惚れて居ると、女二人のTATUが出て来た。彼女達の雰囲気に当てられて、連想・妄想検索をして行って辿り着いたページが、とんでもない動画オンパレードページなのであった。内容は憚れるから紹介は出来ないのだが・・・
   
ラインアップ中に、度肝を抜かれた抱腹絶笑止まる処を知らずの一本があった。

<ホンマかいな??? そ~うじゃあるまい、何か仕掛けがあるんじゃないか???> 
の傑作ゲテモノ動画なのである。地球に生息する人類の数は60数億人との事で、その半分が男である。30億分の1で、突然変異か、放射能の悪影響化か、ドラックの副作用か、はたまた土壌汚染の産物か??? 複雑怪奇、何でも有りの情報化の現世、あんな化け物が一人や二人居ても、何ら不思議では無いのだろうが・・・それにしても酷過ぎる。下品過ぎる。正に21Cの地球は汚染され続けるのであろう。由々しき時代への突入である。まるでゾウの鼻、コモド・ドラゴンの様な持ち物なのである。そして、その噴出物たるやシチュー鍋をぶちまけた様な粘着性に富んだ凄さで、二人の女の顔・頭はシチューでズッポリの態である。<ナンチュウ事を仕出かすのだ、この戯け男!!> あんな騒ぎなら、演技指導もへったくれも無く、心底から『ウギァ~』と叫ぶしかあるまい。
 私としては、黒人男が付け根部分を手で覆い放しである処に注目して、きっと細工が施してあると、端から懐疑的なのである。

 兎に角、<尋常では無い、異常である>を突き抜けて居るのである。あんな物が生身の人間の一部であったのなら、日常生活に支障を来す。ズボンだって特注品仕立てであろうし、排尿時には、便器を舐めてしまう。それより前に、一体何処から出すのかが問題視されてくるのである。工夫と習慣で、その所作を日常の物とした処で、トイレ隣の放尿男は、変な動作をする男だと興味を刺激されて、<横眼づかい>を走らせた途端に、便器一杯のニシキヘビか、アナコンダを発見して、口から泡を噴き出して卒倒、夜は悪夢に苛まれてしまうだろう。紛れも無く凶器であるから、届出て隔離するしかあるまい。民法の<良序規定>に反する代物である。           

          <如何するんじゃい??? 化け物人間。>
 今やハリウッドのSF映画では作り物の恐竜が、本物そっくりの動きをするメカニックな世界なのである。サービス精神旺盛なアメ公の流すYOUTUBUであるから、そんな細工はオチャノコサイサイと云った処であろう。大体、お相手の二人の女が、ニコニコして扱いていたのが、眉唾の臭いプンプンなのである。

 あれが生身の実物であったら、即ドタキャンで脱兎の如く一目散に逃げるのが生物の本能。官能の本能は二の次とするのが、順当な処である。彼女等とて、<唯一の資本が肉体>の肉体労働者である。資本・稼ぎの器具がズタズタに成ってしまったら、廃業の憂き目を見るのである。
 決して、彼女達の逃避行動は、非難されるべきものでは無かろう。それは、自己防衛本能に基づく行為・決断である。期待可能性の無い者、緊急避難行為に関しても、如何なる者も、責任は問えないとするのが現代法の法理である。
<にも拘らず>である。ニコニコ顔の興味津津の女達には、恐怖の顔色は一切感じられなかった処が、そもそも怪しいのである。決して、真に受けては為らない世界であろう。           

 以上が、我が師と仰ぐビクトリア朝に活躍されたシャーロック・ホームズ氏の論証法なのである。
※格調高く言葉を選び過ぎましたので、打ち手の思いが、どの程度にお伝えする事が出来ましたやら、甚だ心もとない処でありまする。

 昼間文作をしていると、机の前の窓から顔を出して斜向かいが、実にコミカル・エロチック漫画絵を三枚持って来られた。その折に、手招きをして
「Sちゃ、好い物を見付けたんだわ。玄関回ってきましょ。巨大アナザーホールに匹敵するグレートノーズを見付けたいね。本物か作り物か、とっくりと<検証>しておくれや。」
「それが、ダメだいな。今、お客さんが来ているから、明日、寄らして貰う。カアちゃんが、こっちを睨んでる。煩い煩い、御免、明日ゆっくり見せて貰うんね。イッヒヒ。」 

 実は、こんな遣り取りがあったのである。動画と漫画絵、Sちゃのイッヒッヒの顔と私の机で、PC画面を瞬きもせずに凝視するであろう、色白前田吟さん顔が交錯して、その有様が、突如夜空に広がってしまったのである。出現してしまったものは、仕方があるまい。夜の一人歩きを幸いにケタケタ笑いが、つい出てしまっただけである。それも、二連発であった。

 遺憾いかん・・・人家の明かりが近付いて来た。オイチ・ニー、オイチ・ニー、よそ行き真面目歩行をしなければ、<変なオジサン>扱いをされてしまう。正常心で歩いていると、河川敷で花火が打ち上げられている。町内の子供達が親同伴での花火大会をしている様子である。S大球場では、ナイターの照明がドーンと点いている。家に着くと、サクランボの木の辺りから、キリギリスの声が二つ聞こえて居る。大きな飼育ケースと思えば、嬉しく為るものである。やれやれ、サボり癖の悪しき芽は、摘み取った。

 以下は、斜向かいさんのご持参の漫画三枚である。観賞は人其々でありまする。


                   夏だ夏だ、夏だわい。

心何処ーショート もう、雨は要りませぬ。
                 もう、雨は要りませぬ(7/29/09)
 昨夜の老人ホームの水害直撃事故に学ぶ切り口の番組を見て居た時に、母の発した言葉に本音を見た。

「世の中、何処で狂ってしまったのか? 子供が老後の親の面倒を国に任せる。淋しい時代に成ってしまったものだ。施設の自由の無い時間に縛られる集団生活に、心の安らぎがある訳がない。私は、何にも要らないよ。此処で、静かに死なせてくれれば、それで結構だよ。お前には、苦労をかけるけど、頼んだよ。」
「ああ、分かってるよ。すーと行ける様に、親父・兄貴達に拝んで置くよ。ねぇ、皆さん。」
仏壇の上に掛る遺影の面々に、軽く合唱のポーズであった。

 それにしても、熱帯アジアの雨季の様な毎日である。とんでもない新気候の幕開けなのだろうか・・・ ダメもとで移植したフェンス前の南天の一本が、息を吹き返している。赤付いた葉は、内側から緑を供給し始めているのである。雨は止んでは居るものの、灰色一色の空を、黒々とした灰色雲が何ノットの速さか知らぬが、南から北へ流れている。

 煙草を吸おうとライターに手を伸ばすと、キリギリスが一匹机の上に居るではないか。何日か前に、Tの飼育ケースに三匹入れた筈の逃亡一匹に違いなかろう。実は、先先日、八畳からキリギリスの声と思しき声に気付いて、注意を払っていたのであるが、分からず終いだったのである。やはり、空耳では無かった。その逃亡キリギリスに違い無かろう。逃亡して見たものの・・・緑無き不毛の男部屋、飲まず食わずの隠れ忍法も遂にフラフラと、白旗投降の段に差し至ったに違い無かろう。
 私とて、人非人では無い、小野田少尉殿に敬意を払って、やんわりと捕獲してケースの中に入れて遣った次第である。腹一杯に食べて養生すれば、後日再びのご赦免が無いとも限らぬ・・・我慢せいや。

 玄関横のアジサイの大株にケースのメス一匹を加えて、オスメス二匹づつを放して遣ったのであるが、彼等も鳴き始めている。この場所は、少々の植木と地面を覆うスズラン、イチゴの緑が密生している。日当たりも好い。人間の私には、キリギリスが居座るには適地に見えるスポットである。

 昨日は散歩運動が出来ず終いであったから、散歩をしたいのであるがこの雲行きでは、その勇気が出ない処である。まぁ、仕方が無いから、庭の草むしり方々、昨日のキリギリスの行方を捜すしかあるまい。外は台風の余韻の様な風が吹き捲っている。

 おや、今度は、薄日が差して来た。まぁ、好かろう。何事も、思った時にしなければ、腰の重いロートル・クマ男の作業である。遣るべし、遣るべし・・・
 サクランボの木の下のキリギリス達は、這い上がって土手の草むらに移動している。車に轢かれずに二メートルは移動すれば、河川敷である。土手の草むらを頼りに移動するも好し。

 庭の彼方此方で、ミンミンゼミが逃げ回る。庭には木が、そこそこ大きくなっているので、季節に成ると木の周りには、セミの這い出した孔が一杯開く様に為る。七年を土中で暮らして、外界に出た途端に雨では、七年の苦労が実らぬでは無いか。外界は、命を繋ぐ交尾の七日間である。このままでは、七年後の蝉の数が、激減してしまいまする。お天道様、何分のご配慮の程を・・・

 庭の草むしりのついでに、処理に困った芽吹きのジャガイモを埋めた所を掘ると、何と何とジャガイモの小芋が出て来た。軍手の手で土を掻き混ぜると、出て来るわ出て来るわ。貧弱芋・・・塩茹でにして食する事にする。お味の方は???

 昼は、小芋とスイカで済ます。お世辞にも美味いと云える代物ではなかったが、紛れも無くジャガイモの味であった。残りの芋は、甘辛く煮付けて食べよとのお達しである。

    アレレ、外は木々の枝葉を鳴らして強い雨である。俺ぁ、もう雨は要りませぬ。

心何処ーショート 小さなボランティア
                小さなボランティア(7/28/09)
 涼しいから、久し振りに温泉銭湯に行く。水道の蛇口にホースを繋いで、温度を冷ましてどっぷりと湯に浸かって来る。矢張り、温泉の湯は気持ちが好い。毛穴の開き方が、違うのであろう。米屋さんから個人スーパーに回って昼の賄いをすれば、丁度好い時間配分である。

 米屋さんではご主人と、高校野球の話で大いに盛り上がってお暇をして来る。相変わらず締りの無いお天気さんは、パラパラと雨を落として来たが、大した事は無い。個人スーパーでは、満載の地物野菜を買い込んで、鉄火味噌と野菜の煮付けをして食べる事にする。
 
 食後は、テレビを見ながら母と時間を過ごして、部屋に入る。温泉ミネラルウォーターで喉を潤していると、お向かいさんのキリギリスの声が聞こえて来た。

 風呂に出掛ける時に、お向かいさんのご夫婦と、その隣の一人暮らしのおばさんが話込んでいたので、約束のキリギリスを二匹プレゼントしたのである。静かな住宅街であるから、ご近所さんもキリギリスの鳴き声を聞くのも、夏の風情の一つであろう。
 今年は、キリギリスを大量捕獲して、河川敷に移住させようと考えているのである。河川敷のある、折角のロケーションであるから、カジカガエル、ホタル、キリギリスが根付いてくれたら、河川敷を散歩する人達の心も、少なからず和む事であろう。・・・ロートル・クマ男は、そんな魂胆を持っているのである。

 さて、もう雨の心配は無かろうから、偶の車のエンジン掛けの為にも、ボランティアに行って来よう。ビニール袋をポケットに押し込んで、エンジン・スタートである。

 温度が低いのだろう・・・キリギリスの声が聞こえて来ない。然しながら、居る所は知っているから、長靴に履き替えて子細構わず草むら荒らしを敢行する。突然の天変地異、飛び出し、バサリバサリと追われて、草むらの住人達が、ピョンピョンと葉を揺らして逃げ惑う。
 私は、経験を積んだ冷徹なロートル男である。慌てず上から目線で、葉の動きの大小・動き方で、目星を付ける。キリギリスの体重とジャンプ力で、草・葉の動きに違いが出て来るのである。動きの先に目を凝らせば、キリギスが見付かる。
 ニャハハ・・・後は、落ち着いてソロリソロリと拝み取りにするか、素早くバサリと草ごと御用にするかである。眼さえ放さなければ、人間は賢いのである。意外と簡単に採れるものである。汗だくの遊びであるが、短時間でオスメス、同数の10匹を採取する。ビニール袋のキリギリスの数に、ニンマリの段である。移民政策も、中国の様なエゲツ無さを敢行しては、キリギリス資源の枯渇を呼んでしまう。飽くまで、間引き程度が肝要なのである。
 
 当初は、初めから河川敷に放す心算であったが、家に帰って来ると<性格の意地汚さ>が災いして、庭のサクランボの木の下の茂みに放す。去年もそうであったが、キリギリス達の行動範囲は意外と広いのである。河川敷が好みなら、河川敷にも容易に下れる。ご近所さんの庭が好ければ、ご近所さんをゆっくりと回り鳴けば好いのである。キリギリス達の生命力は、実に旺盛なのである。

 願うらくは、格好の産卵場所を見付けて、来年孵化してくれれば万々歳なのであるが・・・ そう、上手く事は運ばないのが、世の常であろう。然しながら、自然の夏の声は、ご近所さんも楽しむべしである。

心何処ーショート 嗚呼、何と困ったお天気である事か(改)
          嗚呼、何と困ったお天気である事か(7/27/09)
 見るテレビも無いから、夜の散歩に出掛ける。下に向かってであるから、帰りにモスバーガーに寄って、フライドチキンを買って帰えろうと財布を持って行く。歩いている内に、フライドチキンを持っての長い散歩は、得策でないと考えた。橋を渡ってS大病院の所を西に折れる。時々、カップラーメンが無性に食べたく為る。コンビニに入るが、カップを見ると味が喉元につかえて、買う気に為らない。コミック本の棚を見るが、これまたウンザリである。これも歳を取った所為であろう。無理して買う必要もあるまい。店を出て、散歩運動に戻る。違ったコースの夜のそぞろ歩きも、捨てたものでは無い。

 おや、まぁ・・・こんな所に<テンホー・ラーメン>があったのか。知らなかった。
それでは、久し振りに入って見るか。ラーメン、餃子、肉揚げを注文する。再び散歩運動である。七月の最終週と云うのに、まるで秋風吹く感じの夜である。歩いている内に、胃が重く為って来た。遺憾いかん・・・年甲斐も無く、食べ過ぎた。

 見上げる夜空の南半分は、雲が風に流れて空が顔を覗かせている。朧な星の数は、5~6個の淋しさである。護国神社の前を通り抜け、何時ものコースの川沿いの道に出る。カジカガエルの声はするものの、蛍の光が一つも見えない。然もありなむ。風邪を引いてしまったら、交尾にも差し支えるだろう。ひっそり葉裏の様子見が肝心よ。
 部屋の飼育ケースのキリギリス達は、形だけは盛夏の大きさに成ったものの、夜の鳴きは静かなものである。
 真に以って、目下の処、変調の夏である。例年なら、夏休みに入った学童・学生達が夜遅くまで、花火遊びをしているのであるが、そんな気にも為らず、涼しい夜に大人しくしているのであろう。

 雨音に目を覚ます。久し振りに持病の腰に、鈍痛を覚える。困ったものである。

 これでは、一雨ごとに忍び寄る秋の気配の様なものである。夏の熱闘甲子園は、未だ開催されてはいないのである。水不足には為らないであろうが、これでは日照不足の煽りで稲作は、不作の年に成ってしまい兼ねない。不況経済下に不作農作物の物価高と為ってしまったら、夏の選挙は、益々自民党に面当てが向いてしまう事だろう。然しながら、目の肥えて来た国民からすると、国会議員の先生方も、テレビなんかでふてぶてしい面構えとは裏腹に、底の浅い党利党略合戦ばかりをしていると、国民から完全にソッポを向かれてしまう。

 お気を付け為されませ。確りと国民目線で国の舵取りを示して行かないと、益々、政治が宙に浮いてしまいまするぞえ。

 先頃までは日本の報道では、福祉先進国のスウェーデンを一つの理想国の様に紹介していたのに、東欧諸国の経済失速がEU内の新たなバブル崩壊に繋がって、第二波の経済危機に直面しているそうな・・・スウェーデンでは、公務員給与の40%カットが実施され、<政府を潰せ!!>のデモが頻発しているとの報であった。肉食・共稼ぎ白人女性達の生活パワーは、流石である。

 正規雇用者と非正規雇用者の身分・所得格差の是正命題に対して、資本主義と社会主義などと云う低次元の括りで与党と野党が、生活臭の無い言葉の攻防をしている場合じぁなかんべさ。日本の製造業従事者数は、一定水準を保っているそうである。為らば、産業の空洞化・1000万人移民化政策なんて物の欺瞞性・好い加減さが、見えて来てしまうと云うものであろう。
 他人と云う圧倒的数を踏み台にして、自分だけヌクヌク儲けて、<儲けたのは自分の能力と努力の賜物である。能力の無い鈍ら連中の付けまで、なんで成功者の俺様の収入から高い税金を払わねば為らないのだ。馬鹿も休み休み言え!! これが、自由資本主義の当然の帰結だ!! 冗談じゃない。>・・・そんな上から目線ばかりが、癪に障るテレビ討論である。

 下衆貧民の胸の内として、為らば言わせて貰おう。<そっちこそ、冗談こくな、雇われ人の弱みに付け込んで、遣りたい放題の労働観・労働慣行のぶち壊し屋に過ぎないじゃないか。国際競争力の馬鹿の一つ覚えで、労働賃金を搾取し巻くって、内部留保を貯め込んで、その功績を少人数で山分けしているだけでは無いか。張っ倒して遣らっか、冷血強欲馬鹿野郎共め!!>である。

 製造業従事者が、一定水準を維持している以上、給与所得が二極分化しているのは、配分方法に問題があるに決まっている。お手盛り原資を、非正規雇用者から搾取している構図でしかあるまい。それは、所詮、同じパイの内であろう。労働配分の独り占め、お手盛りをしているのだから、税金も代表して高額納税をするのが、理の当然であろう。税金の代表納入が、嫌なら所得の応分額として、所得者が其々応分の納入をすれば好いだけの事である。分母が大きく為れば、一人一人の負担は小さくなるし、分母が小さく為れば、一人一人の負担は大きく為るのは、当然の数式である。優遇税制までも手中に収めるとは、言語道断の沙汰である。好い処取り一辺倒では、余に節操の無い踏ん反り振りで御座ろうが。下品過ぎまするぞな。
 極端な話が、労働付加値総体を正規・不正規を足して二で割る方法で好かろう。生活給と云う平等部分と能力格差と云う公平部分の按配を図って、遣る気への誘因部分のバランスを取れば好かろう。三つの要素の配分を上手く構築して組織を運用して行くのが、お前さん達の最大の使命だろうが。
変な突出、極端な不均衡は、命取りに決まっているではないか。自由主義であろうが、共産主義であろうが、人間の住む社会に大差などあろう筈が無い。イデオロギーが、シャシャリ出るまでも無かろう。節度ある配分方法こそ、人心掌握術であろうが・・・こんな構図は、神代の昔からの処方箋であろうが。

 何が、金が金を産む虚業ばかりに偏重を来して全ての尺度を<儲けた、スッた>などと、マネー狂想曲にタクトを振っている強欲連中の片棒を担ぐ事は、更々ないのである。皆が、そこそこの生活が出来て穏やかなご近所付き合いが叶えられれば、<社会主義>の何処が悪いのか・・・ 偉そうに、ほざくのも好い加減にしやがれ!!ってものである。ニャハハ。

 幕藩体制瓦解の幕末真っただ中に、日本の政治はあるんでヤンすよ。国の政治経済は、表裏一体のもの。家庭の生活も、気持ちと家計は表裏一体のもの。個人の存在とて、精神と経済は連動しているのでヤンすよ。島国、国民総中流意識で、中庸の精神が保たれていた国の施策・統治が、敗戦・その後の経済復興期を経て、経済アニマルから経済先進国の仲間入り・・・ それが何時しかアメ公の言い成り追従で、短期のマネーマネー転がしに浮かれ狂って、足元を見たら、日本人の中流意識は、物の見事に貧富の差で二極化してしまったのである。

 長らく続いて来た中流意識の国の心棒が、消滅してしまったのである。意識と実態の乖離を素通りして来たのは、ただ単に意識と現実と云うタイムラグの慣性が働いていたに過ぎない。摩擦力ゼロの宇宙空間、管理・統治者の脳裏の空間を走るには、何時までも続く都合の好かった初期スピードではあろうが、現実の世界には摩擦の障害があるのは、当たり前の現実である。
 100年に1度の世界大不況と云うのなら、失速・墜落の民原に共通の意識が無かったとしたら、共通認識・共通の苦労と云った前提を必要とする求心力が、出来ないのは当たり前の事であろう。現実の大波・小波、暴風雨、地震水害干ばつを掻い潜る為に、管理者・統治者が、血の小便を出して難局に立ち向かうのは、当然の指導者の道であろう。現実の問題解決に、綺麗でスマートな手法などあろう筈は無かろう。偉大なる機会主義者の腕の見せ所でしかあるまい。

 親分も子分が居なきゃ、親分面は出来まい。子分も立派な親分が居なきゃ、生意気もこけないのである。親分と子分の関係は、とどのつまりが相身互いの二人三脚でしょうに。
こんな事ぁ、難しい教科書には書いてないかも知れないが、馬鹿な俺にはそうとしか、理解が出来ませんがな。何方か、お教え下され。

               日本国民法第一条
①私権は、その内容及び行使の面で、公共の利益と一致すべきものである。
②権利を行使し、義務を履行するに当たっては、信義に従い、誠実を旨としなければならない。
③権利を乱用してはならない。
一条の二
 この法律は、個人の尊厳と男女の平等を旨として解釈しなければならない。

 ある識者・経済評論家・ジャーナリスト・政治家に依ると、公共の利益は、ややもすると共産主義・社会主義と同意義語と解釈されるらしい。パイプのキツイ煙を燻らせながら、目を瞑ると日本の民法は、フランス民法を手本にし、会社法はアメリカ会社法を手本としていると習った筈である。
 現代に於いても、EU世界ではフランスは、ドイツと並んでヨーロッパの盟主である。言うまでも無く、私法に於いて民法は基本法であり、商法・会社法は特別法の位置付けである。個別法・特別法が、基本を忘れて特化して行ったのが、アメリカの金融資本主義であろう。マネー転がしが、経済のダイナミズムを産むなどと抜かしている連中からしたら、民法の第一条は、立派な社会主義の条文だと云う事に成る。基本法を実態経済の規模と捉えて、特化法を投機金融経済規模と捉えて考えれば、今回のバブル経済の虚像がはっきり見えて来る。

 基本とは、<遣って好い事と悪い事の区別・過ぎたるは及ばざるが如しの振り子の戻りの原則>なのでは無いだろうか・・・ 然しながら、マスコミに登場される著名人は、否と申される。
 如何やら、私の脳味噌は、脳軟化症に侵されているらしい。もう一度、母校の聴講生として行かねば為らないのだろうか・・・私は勉強嫌いな怠け者であるから、勉強はしたくは無い。すべきだろうか・・・ 
 然しながら、そんな余裕は皆無に等しい。小雨降る秋気にキリギリスの鳴くを聴いて、見果てぬ妄想に時間を潰していた方が、私個人としては居心地が好いのである。

 これまた、とんだ方向音痴で取り留めも無い、毛無し・金無し・女無し、おまけに甲斐性無しのボヤキ日記と為ってしまいました。遺憾いかん・・・背伸びをし過ぎまして御座る。涼しき雨の日は、布団の中が安息の場でありまする。暫しの休憩をば致しまする。トホホなり。

 以上、ブログ樹海に人知れず、頭過る言の葉を打ってしまった次第でありまする。

心何処ーショート 歓声の夏
                 歓声の夏(7/26/09)
 ハハハ、ご近所高校さんは、シード校長野日大に11:1の大差で負けてしまった。
 素材と訓練、修羅場の経験差と云う障壁を突き崩すには、気力と勢いに勝る加勢はあるまい。気力と勢いは、早々には続かないのである。残念と云うより、これが甲子園を目指して、日々練習を怠らずしても到達出来ない優勝への過酷な道程なのであろう。スタンドを埋める観衆も大盛況であった。地元住民としては、贔屓応援の気持ちを貰い大いに楽しめた何日かであった。
 
 松本第一高校側スタンドでの観戦である。思い掛けない弱小チームの母校の大躍進に、同校の卒業生達が降って湧いた様に、日曜日の球場に駆け付けたのであろう。スタンド席は両翼とも8割以上の観客で埋まっている。好い光景である。

 母校の大イベントであるから、卒業生は、何年もご無沙汰にしている同級生・同窓生の顔を見付けて、スタンドでは懐かしい顔と顔に笑顔と話が弾んでいると云った感じが、彼方此方で散見された。一、二回の大量失点で、緊張の糸と勝利の女神が微笑まなかった一方的展開となってしまった。

 私は諦めの良い性格であるから、向かい席の長野日大の大応援団の小気味好い応援テクニックと大声援に、球場観戦の醍醐味を味わっていた次第である。

       若い娘達も携帯片手に、私の席の真後ろでは。
「そうそう、一塁スタンド側の階段登って来て、それでね・・・通路を右にそのまま歩いて来てよ。・・・ あぁ、見えた見えた、★★ちゃん。上見て、分かった? ここに居るよ。」
 まぁ、これも仕方の無い展開ではあるが、母校の大きな贈り物として、楽しむが好かろう。熱くなっては、品に欠けると云うものである。

 9回裏、スタンド末席から、「甲子園の夢を捨てるな~」我々世代と思しき大きな声が突如響いたが、ロートルさんも声が枯れて、後が続かない・・・ そんな末席ロートル声援に、スタンドから長い拍手が湧き上がった。

     表彰式を見て帰る。帰りに成ると、ポツリポツリと雨が落ちて来た。

「T、ちょっと待ってろや。婆さんが、Tさんに庭のユリの花を上げてくれと言っていたから。」

 母の部屋の前の庭には、カサブランカと云う大輪の白いユリの花が、二輪咲いて蕾が三つ付いている。匂いの強い、見栄えのするユリである。バサリと長めに切って渡す。一つの楽しみが終わって、又、日常の日々が始まる。締り無く覚束ない七月の末ではあるが、夏が終われば秋が顔を覗かせる。

             夏の命短し、恋せよ球児。
         
        熱き思い冷めぬ間に、白球追う日々も短し。
          
         熱きあの日を心に、棲まんやその人生。

心何処ーショート 頑張れ、ご近所高校!!
              頑張れ、ご近所高校!!(7/25/09)
 準決勝第一試合を見に行く。Tの持って来たケースに、三匹を入れた筈が二匹しか居ない。ケースの蓋が閉まらず、オタオタしている間に、一匹逃げられてしまった様である。まぁ、前回の一匹が入っているから、こんな処で定員ギリギリだろう。これで、Tの家にもキリギリスの声が、夏の間、盛んに聞こえるだろう。

 実質上の決勝戦を勝ち取った第一高校は、8:1で手堅く勝利を収めた。流石に観客数が多い。第二試合は、長野勢と佐久勢の試合である。贔屓の仕様が無いから、余所見観戦の態である。一服タイム・売店でパンとスナック菓子を買って、大入りのスタンドを探すが、Tと逸れてしまった。
 まぁ、仕方があるまい。カンカン照りのスタンド席は敵わないから、屋根下の通路でパンを齧りながら観戦をする。

 長野日大の応援団とブラスバンドが、素晴らしい。統制の執れた一糸乱れぬ応援団の動きは、見ていて気持ちが好い物である。そんな応援風景に、郷愁を駆られるロートル・クマ男である。

「如何だい? オイさん、好いのが居たかいね。」
「おっ、好く分かったじゃないの。」
「オイさんは、目立つもの。一発で分かるわね。」
「おお、さっき三人組のおネェちゃん達が通って行ってさ、最後のフワフワスカートのおネェちゃんが好かったぞ。腰の締りが好かった。思わず、鼻で深呼吸したけど、向こうへ行ちまったぞね。ハハハ。」

 バックネット裏の上段席に、空きシートを見付け、日蔭観戦を続ける。佐久勢の応援席が閑散としている。これでは、選手達が可哀そうな気がして来る。上田経由で三才山(みさやま)トンネルを抜けて来るのだろうが・・・交通の便が、悪いのだろうか? それとも地域性が作用しているのだろうか? テレビ観戦の方が、手っとり早く気楽ではあろうが、形は大きいが身体の線に細さが残っているし、増してや、あどけない表情の高校球児には、地元の熱く優しい声援は、大きな励みに為るには違いなかろう。
 
      カッキン、ボテボテの内野ゴロ。カッキーン、フラフラ外野フライ。

 贔屓の無い試合の無得点行進は、矢張り退屈である。試合の勝者が明日の対戦相手なのであるが、気分が乗って来ない。野球には、殆ど関心の無い私には、集中心・好奇心・探究心と云う物が、まるで無い好い加減観戦者である。
  ロートルの体力では、そろそろお昼寝タイムが欲しくなる頃である。帰る事にする。

         おや、まぁ、さっきのおネェちゃんである。
 
「T、如何だ、あのおネェちゃん?」
「おや、まぁ、Rにしたら、レベルが低めじゃないの。カンカン照りに、脳味噌が緩んじゃたか。あの程度じぁ、幾ら低めの好きな審判だって、ボールのコールだぜや。ダメダメ。」
「駄目か、外れか。困ったいなぁ~、さてさて、帰ってオネンネでもするべや。野球観戦は、結構疲れるもんなぁ~。」
「ホント、ほんと。南洋じゃ、昼間歩いてるのは、観光客位なものだっちゃ~。ヤシの歩影で、ビールが似合いよ。無駄なエネルギー消費は、馬鹿の骨頂だよ。お互い、ジジ、ババを抱える身だ。こんな処が、時間の限度だっちゃ。明日の為に、エネルギーの補填さね。」

 ダーク・ホークの伸び伸び野球・松本第一高校の快進撃は、意外や意外甲子園でも発揮されてしまうのかも知れない。明日の試合に勝ったと為れば、即臨時の職員会議を球場で開いて、チャガール団を結成して猛練習を敢行しなければ甲子園に間に合わない。

    S橋の下で、抱き合って、授業をサボっている場合では無いぞよ。

 創部何10年かは知らんが、悲願の甲子園の夢虚しく、我が母校の校歌を聴く事の無かった幾万の卒業生からしたら、絶好の好機である。弱小チームが、夢と思い出を必死に作っていてくれているのである。

        同じ校章を懐いて、同じ校門を潜る仲間であろうが・・・
 散歩の折に、そんな制服高校生の姿を目撃したら、オジさんは有無を言わせずに、石をくら付けるぞよ。
 我関せずのイチャツキは、当分お預けである。校史を飾るこんな事は、滅多に訪れてはくれないのである。シャキッとしようじゃないの!! 河川敷であるから、石なんぞは幾らでも転がっている。野球のストライクゾーンとは違って、的はでかい。おまけに、フォア・ボールもありゃしない。当たりぁ好いのである。

         当たりゃ、恥ずかしいし、痛いのである。ギャハハ。

 はいはい、アリガトさんね。高校生諸君、久し振りに贔屓応援の出来るスタンド観戦を楽しませて貰っているよ。明日も、柄は悪いけど、ロートルオジさん二人組は、応援に来るわいね。頑張れちゃ。

心何処ーショート 老いて、尚、生き様見せる母なり。
           老いて、尚、生き様見せる母なり。(7/24/09)
 本当に梅雨が明けたのか?? 地球温暖化などと云う言葉を知らないと、何年かで巡って来る天候不順で片づけてしまうのであるが、原因が無方図な人間の二酸化炭素放出の付けだと聞かされると・・・ こんな気候変調が年々促進されて行くのだと思うと、ついつい例年と違う些細な事まで気に為って来るものである。
 日々、日常の風景に身を晒しているロートル・クマ男としては、何でもかんでも反省を強いられてしまう。きっと自分の考えを持たない付和雷同・気の弱い日和見主義からなのであろうが、実に困ったものである。

 高校野球は中一日の休みであるから、ラジオの子供科学相談室を聞き流している。本日は、植物と動物が主である。ロートルに為ると、子供達の声が実に初々しく聞こえて、ついニヤリのリラックスタイムである。

 為るほど為るほど、子供・卵を産めぬ動物界のオス共は、選択権を握っているメス共の関心を引こうと<大変なのだ>との事である。思い当たる節の何と多き事か・・・オスの端くれとして耳の痛い処である。まぁ、動物界の多くは、盛りの短期間での種付け乃至は子育て期間を経過してしまえば、オスの単独行動に戻るのであるから、自由人と云った処であろう。それに、いざと為れば、穴倉の中での離れ業・冬眠の秘伎も持ち合わせているのである。
 人間と動物・・・どちらが幸福か?は、難しい処であろう。物言わぬ動・植物の生態を人間の目・考えを基に、人間が納得出来る論旨で眺める事しか出来ないのであるから、見る視点を変えれば猫型動物のピューマ、トラにバシャとばかりに臭い小便放水を浴びせられないとも限らない。
 何しろ、同族の人間にした処で、男族と女族とでは思考・行動ともに、大きな差異があるのである。性別の違いであるのに、そこへ言葉などと云う不純物が加わってしまうから、共通語を使用して分かり合おうなんて、料簡を持つから益々始末に負えなくなってしまうのである。目くじら立てて、お互い吠え盛った処で、徒労に終わるのが関の山・・・押さば引け、引かば押せの一定距離の均衡が必要なのであるが、其処に到達出来るのは、中々に難しい悟りなのかも知れない。

 煙草を吹かしていると、Tから電話である。昨日は、娘さんから子守仕事を仰せつかって、野球はテレビ観戦であったとの事である。数日前にインターネットが繋がって、私の文作をニヤニヤしながら読んでいるとの事である。コーヒーを飲みに行く事に為った。

「明日は第一試合だから、10時からだ。迎えに行くわ。インターネットは、初めての経験だから、悪戦苦闘だ。」
「誰でも、避けて通れない段階だわさ。仕方ないね。仕組みが分からないから、腫れものを触る様なペッピリ腰で、覚えるより慣れろさ。
 俺だって、中指一本の魔術で、20頁30頁の旅行記が一瞬の内にパァさね。年末年始の休みを返上して、何度打ち直しの泣きを見た事か・・・ 」
「俺は、未だメールも覚束ない段階でさ。でも、大人の好い玩具だわなぁ、きっちゃは、花のブログを始めて、コメントの遣り取りで結構充実してるらしいぜ。
 この前、専門家を連れて、来てくれたんだけど、素人の俺の目からは、まるで手品師見たいで付いて行けんもの。
 目下の処は、無料のエロサイトを見て、メールの遣り方を覚えて、日本語の韓国語訳のソフトでメールの遣り取りをしてさ・・・徐々にレパートリーを増やして行こうと思ってるんだ。」
「そうかいそうかい、焦りたくても、俺達ロートルの脳味噌じゃ、手も足も伸びないダルマさんだもんな。焦っちゃ行けねぇや。
 そうだ、インターネットの上の方の段に、検索の枠があるから其処へ、検索事項つまりは、カチューシャとか軍歌、ちあきなおみ・・・何て自分の知りたい事を打ち込むと、小さな動画で歌手の歌が見れるぜ。検索の枠は、お宝の山だぜ。」
「そうかそうか、字引代わりに使えば好いんだな。よしよし、遣って見るわ。」
「目の保養も、エロサイトだけじゃ飽きるだろうから、<ロシア女性>で検索すれば、綺麗どころ満載だよ。まぁ、インターネットに慣れて来れば、人間って奴は、自分の手作りの物をしたくなるもんだわさ。
 デジカメポケットに、写真撮って思った事・感じた事を、マイペースでブログ発表すれば、一日の時間配分には丁度好いぜ。それで、ウオーミングアップをしてさね、アメリカ放浪記・韓国女誑し込み記を執筆するだいね。
 そんな物ぁ、姿形の見えねぇブログ樹海だわね。ギァハハで笑い飛ばせば、好いんだわさ。イッヒッヒ。」

 Tのキリギリスは、鳴いていないとの事である。それでは、キリギリスの価値が無い。私の部屋のキリギリスは全部鳴き始めているから、持って行くかと言うと、明日来る時に虫ケースを持って来るとの事である。
 朝、虫ケースの掃除をしていると、お向かいさんが遣って来て、覗き込んで居られた。今年もプレゼンスすると約束したので、備えあれば、クマ男に二言無しである。自転車に乗ってキリギリスを取りに行って来る。

 オスだけを5匹取って来た。帰りにパンを買って来たから、一緒に食べようと部屋を覗くと母の姿が無い。風呂・トイレ・庭に出て見るが居ない。手押し車が無い。買い物に出たらしい。通りに出て見るが、姿が無い。スーパーに行った様である。自転車でスーパーに向かうと、母の姿が見えた。母をガードする様に自転車を押す。顔色と表情を見ると、大分血圧が上がっている様でのぼせ顔であるが、歩き通そうとする意志が現れている。息が上がるのだろう、途中で何度か立ち止まり休む様な形で、周囲を見ている。

「ハハ、普段歩かないから、疲れるだろう。ゆっくりで好いよ。付き合うよ。」
「はぁ、はぁ、好かった、未だ歩ける。自信がついた。先に帰って好いよ。大丈夫だよ。」
「へへへ、気にするなよ。ほら、あれは、プラムだね。色が付いて来た。家のは、皆落ちちゃったけどさ。」
「どれどれ、ああ、本当だ。いっぱい生っているね。」

 手押し車を仕舞い、買い物を冷蔵庫に入れる。母は身を横たえて、大きな息を肩でしている。

「ああ、息が切れる。でも、行って好かった。未だ、歩ける。自信がついたよ。」
「そうかい、そりぁ好かった。気分の好い時は、少し歩くと好いさ。恰好なんか気にする事は無いさ。天下御免の93だもの。何時でも付き合うよ。」

 それにしても、外で見る母の姿は、本当に小さくなったものである。倅としては、見るに忍びない母の老衰振りである。目頭潤む、胸に込み上げて来る肉親の情であるが、親子と云えども武士の情け・無言の労りである。
 母は、私の居ない事を幸いに、自分の体力と意志を確かめる為に、自分と闘っていたのである。自分の親ではあるが、大した女である。こんな母親の背中を見て育つ事の出来た倅は、果報者である。
親子と云えども、其々の独立した人格が備わって居れば、或る一線は侵しては為らないバリアと云うものが、厳として存在するのである。 

「天ぷらうどんが食べたいだろう思ったから、買って来たよ。」
「そうかい、有難うよ。じぁ早速、作るか。ちょっと、休憩していろや。」


心何処ーショート 激戦、お疲れ様でしたる
                   お疲れ様(7/23/09)
 今日は、朝から暑い。昨日と今日が入れ替わっていたら、好い皆既日食が見えたのにと、残念がる人達が多いだろう。昨日の散歩運動は、折り返し点を過ぎて東岸の水田の中の広い一本道を歩いていると、今まで飛んでいたツバメからコウモリに変わっていた。まるで何処かで号令が、掛っているかの様な見事な変わり様であった。自然の棲み分けとは、見事なものだと感心する。道を下って暫く民家が続く。其処を通り抜けると、山際の道に掛る。鬱蒼とした山の木立が控えている。

 子供の頃は、小学校に近い里山であったから、好く遊んだ場所である。急斜面の山の迫り出しは、荒っぽい餓鬼遊びには格好の場所であった。蔦を使ってターザンにも為ったし、忍者の手裏剣も、チャンバラの転げ斬りを編み出した場所でもある。
 それが、燃料は化石燃料、肥料は化学肥料に取って代わった里山は、見捨てられ生い茂るに任せ切りの原生林状態である。大蛇・獣の棲む雰囲気が、黒味を帯びてじっとしているのである。
 ヒグラシの声を聞きながら、暮れなずむ空間にコウモリの飛び交うのを見て、佐々木小次郎はツバメ返しであったが、妖剣コウモリ返しの剣法を編み出した者は居なかったのだろうか? 西洋では吸血鬼ドラキュラとコウモリは、好対の関係である。秘剣ツバメ返しと妖剣コウモリ返しの対決を、巌流島の決闘の前に設定したら、面白い展開に為るやも知れぬ。

 一度小学生の頃、教室に迷い込んだ一匹のコウモリを見付けて、私達は総出でコウモリを叩き落とした事がある。見るからに忌み嫌われる面相であった。今から考えると、コウモリと云えども、閉じられた教室を上に下に男子生徒に箒・棒切れでビュンビュン攻撃されてしまえば、堪ったものではない。得意の超音波とて、疲労困憊の結果であろうし、多勢に無勢の恐怖感にパニクツて、息も絶え絶えに御用と為ってしまっのであろう。何だかんだと云っても、人間ほど恐ろしい物は無かろう。

 あのコウモリの面相を凌駕する妖剣の使い手と為ると、宮本武蔵も大変である。武蔵・小次郎を演じる役者は多かろうが、妖剣コウモリ返しを体現出来る役者は、誰にしょうか・・・ 異常・異容・異才を放つ役者が出現すれば、ハリウッド映画なんて、目では無かろう。酒に溺れる<平手みき>何てものではない、美女の生き血を啜るダーク・ヒーローの出現と為るのである。美女が垂らし込まれるのであるから、醜男であっては為らないのである。男の妖艶さを持ち合わせていなければ為らないのである。狂気であっては為らない。飽くまで美的為るものを内包した異常・異容・異才の官能の刺激臭が無ければ為らないだろう。正常と異常が交錯する超音波を掻い潜る必殺剣で無ければ為らない。妖剣コウモリ返しのハードルは、高いのである。その使い手で無ければ為らない。
 そして、ハリウッド映画には無い情念・怨念の世界を、日本映画の得意とする幽霊映画の要素をふんだんに駆使すれば、世界的な大ヒツト間違い無し、ヒットシリーズとしての金字塔も夢では無かろう。成功すれば、アカデミー賞総舐めも夢では無かろう。眠り狂四朗の市川雷蔵に匹敵する役者で無ければ、務まるまい・・・

 全世界に寝小便多発!! 布団乾燥機も暴売れ!! 猟奇事件多発!! PTAの上映禁止運動多発!! 上映続行に映画界・家電業界は、言論人総動員!! 海賊DVD暴売れ!! 大人の玩具の生き血グッズ馬鹿売れ!! ラブホテル満室記録大更新中!! 世界大不況下、経済波及効果に政府足踏み状態続く!! ・・・etc

          ウ~ム、これぞ、世紀末映画の大旋風・・・

 一時間40~50分掛る散歩運動は、私の息抜きの自由な時間である。運動量に身体が慣れぬ内は、余裕が無かったから運動疲労に占拠されて、頭が疎かに為っていた。この頃漸く、そんな余裕が出て来た。

 就寝時に、<今朝の秋>を何年か振りに見る。やはり、好ドラマは、色褪せないものである。

 さて、本日は、松本勢の準決勝進出を賭けての好試合がある。朝の賄いを終えて、Tからの電話を待つ事にしよう。今日は日焼けの上焼きで、大変な事に為りそうであるから、長袖・長ズボンが好かろう。

 Tからのお誘いを待つ間の内職仕事の心算で、打ち進めている本日分日記であるが、第二試合が始まってしまった。如何やら、Tに用事が出来たのであろう。此処までとして、テレビ観戦の為に、母の部屋へ行く事にする。
 
 夏の甲子園三連覇を狙う県下随一の強豪校・松商学園に対して、松本第一高校は、延長14回16:14で、松本第一高校が制した。13時からテレビの前に座り、17:06に終わった。双方に満塁ホームランが飛び出した。いやはや、恐れ入りまして御座る。前回のスタンド観戦で、第一高校の伸び伸び野球に、舌を巻いていたのである。高校以来のアンチ松商であったから、当然の第一高校への応援だった。松本市球場までは、歩いて5分の第一高校では、創部以来のベスト8入り。職員会議で急遽全員応援で、午後の授業を休校としたと云う。高校球児の勝ちたい、負けられないの意地と気迫に一喜一憂した延長戦の攻防であった。

 球場で野次・チャガール付き観戦するも好し、テレビでじっくり選手のズームアップ・解説付きで観戦するも好し。試合は、攻防の中、8点差をひっくり返して延長戦に進んで、最後は不調の両エースが忍んで忍んでの打線の凌ぎ合いは、気迫と意地の棘の攻防戦であった。正に1勝の苦しみと喜びの5時間強の激戦であった。昨日の白鵬・琴光喜戦と云い、最後まで諦めない執念のぶつかり合いは、見る者を堪能させる。勝負の中に、或る確率で現れるそんな場面に遭遇出来るのは、これまた、幸運の賜物である。激戦、お疲れ様でした。 

心何処ーショート 皆既日食の思い出 
                   雨
                   昨日の時間潰し絵


                皆既日食の思い出(7/22/09)
 部屋に居ると、斜向かいさんが、皆既日食だと声を掛けて下さった。空一面の薄い灰色雲の中に、三日月の太陽が鈍く浮かんでいた。46年降りとの事であるが、小学生の時?学校で皆既日食を見た事がある。配られた小さなガラス片にロウソクの煤を付けて、見たものである。昔のガラスは粗雑品であったから、炎の加減でガラスを割ってしまう者も何人か居たものである。裸眼で眩しく見える太陽が、想像したよりもズーと小さかったと云う印象の方が、記憶に残っている。映像では太陽が大写しであるから、見ている分には、それなりのナレーションに誘導されて興味が湧くのであるが、如何しても一過性のもので終わってしまう。

 皆既日食を撮りに、遠出・旅行に繰り出した人達も、きっと多かろう。カメラを太陽に向ける地球人に対して、自然現象は如何姿を変えるのか? 自然が、主役の自然現象である。幸運の女神のご意思には、文句も言えまい。

 皆既日食への興味は、シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルの空想冒険小説<ソロモンの秘宝>に登場する件の方が、記憶に残っている。年齢不詳の猿の様に干からびたガゴール婆ぁが登場するシーンである。パイプ煙草を吸う白人・片目眼鏡をする白人・雷を起こす杖を持った白人達を、閲兵式の貴賓席に招き、兵の中から異端分子の匂いを嗅ぎ回り、其処で処刑をする。余りの非人道的な有様に、文明人白人の嫌悪感が頂点に達する。そんな殺戮場面を中止させる為に、皆既日食と云う太陽消しで乗り切ろうとする探検隊。光り輝く太陽の陰り、消滅に大パニックの最中・・・
 ガゴール婆ぁが「同じ事が何十年か前にもあった。うろたえるでない。白人は神でも、神の使いでも無い。太陽は姿を現す。イッヒッヒ・・・騙されんぞ。」と白人の魔法のインチキさを王に耳打ちをする件である。
 兎に角、100歳だか200歳だか分からない化け物婆ぁの存在感は、名探偵シャーロック・ホームズを遥かに凌いで、少年の私の想像力を嫌が上にも掻き立てたものである。まぁ、しぶとくも悪知恵の働く冷血・無情な化け物であったから、私は大嫌いな或る女に、ガゴール婆ぁの尊称を贈り、『結界』を張っていたものである。私の中では斯様にして、皆既日食とガゴール婆ぁは、常に一対のものとして記憶に蘇るのである。

   こんな事を打っていると、曇天に風が雑木の葉群を強く騒がせている。

 本日好天にして、最高気温32℃との予報であった筈である。現代のガゴール婆ぁが私の悪口に気付いて、仕返しの悪さをし始めているのかも知れぬ。ウッシッシ。
 まぁ、この位の悪さならガゴール婆ァの魔力も衰えたのであろうから、良しとすべきであろう。ラジオでは、高校野球ベスト8勢の第二試合を実況放送中である。両校とも長野市からの遠征である。風吹き抜ける曇天、選手も応援・観客も気持ち良く居られる事であろう。 

心何処ーショート 昨日の炎天下、日を捲れば終日の雨
          昨日の炎天下、日を捲れば終日の雨(7/22/09)
 雨上がりの朝であるから、涼しい風が吹いている。昨日の日焼けがヒリヒリする。ラジオからは、<夏休み子供科学相談室>が始まった。これも、息の長い番組である。26年も続いているそうである。
 ニュースでは、衆議院解散の閣議決定が無事?に運んだと云う。解散解散の長いシュピレヒコールも、漸く終止符を打つのである。ボールは、国民に投げられたのであるから、投票日を待つだけである。

 昨夜は、NHKの松平さんの名調子<マネー資本主義>も終わってしまった。前半を見逃して、勿体ない事をしてしまったものである。
 パイプに刻み煙草を詰めて、キツイ煙草の煙を吸う。日曜日の<たかじんアワー>の番組と比較しながら、民報と公共放送の比較をして見る。コメンテーター諸氏の目立って、自己顕示を誇示してなんぼの質の違いにウンザリの想いがするが、これが著名人の個人の実相・世の中の実相なのであろう。藪にらみの下衆貧民の雑然とした感想ではあるが、人間社会から、欲と云うバブルの根が萎む事は無かろう。やれやれの心境である。
 
 こんな憂鬱な心境に捕まりながらパイプを燻らせていると、ラジオの先生と子供達の遣り取りにホッとする次第である。涼しい日であるが、キリギリス達は、漸くオス全部が鳴き始めた。母の動きは、鈍い。理由はあるが、愚痴を吐き出したとて仕方のないメランコリーであるから、遣り過ごすしかないのである。隣部屋に移動してテレビを聞きながら、背を向けて暫しウトウトする。

 一向に気分の乗らない日である。一日湯に浸かりに行こうと思うが、本日火曜日で定休日である。何時もの温泉銭湯は、日焼けのこの肌では入れそうも無い。これまた、見送りである。為らば、家で憂鬱を託つよりも外の空気を吸いに散歩と考え、歩き出したのも束の間、大粒の雨である。これでは、大人しく四畳半で過ごすより他なしである。鳥かごを掃除して、出窓に置く。小鳥にキリギリス、金魚にグッピィを相手に、BGMは、細く流れるラジオである。お仲間は、彼らのみであるから、お付き合いの程、宜しくの小部屋と為りそうである。

 さてさて、気分の乗らない雨の日は、怠惰に徹して瞼が重く為れば、隣部屋に移行すれば好かろう。窓打つ雨音に、下手絵を描いて時間潰しをするしかあるまい。

 適当な幼稚絵を描いていると、DVDの交換に、斜向かいさんが見えられた。部屋に入るなり、
「いや~、好かった。好い物を見せて貰った。<今朝の秋> こんな深みのあるドラマは、滅多に見れるものじゃない。じっくりと静かに堪能させて貰ったわいね。笠智衆と杉浦直樹の醸し出す男親子の雰囲気に、魅了された・・・」
「好かったずらい。<うん、あ~、そうか・・・>で通じ合える親子の情愛は、台詞なんかじぁ無いんだよね。役者の人間の味、その物なんだよね。笠智衆さんの<うん、ありゃ、男の価値が分かっとらん。> 杉浦直樹さんの<お父さん、あれ、覚えてる?><ああ、覚えとる。>単発の小さな台詞を、見る者の心に焼き付ける役者の台詞の間の取り方・表情。眼伎では無い<瞳の演技>は、並みの役者では絶対に表現出来ない<静の演技>なんだよね。
 父親を演じる役者の年齢、倅を演じる役者の年齢を踏まえて、原作を描いた山田太一、演出者の力量・・・どれを欠いても成立しない秀作だもの。これが日本の庶民文化の質の高さってもんだじ。これが、分からん様じゃ、日本人失格の沙汰だんね。Sちゃんが、じっくり味わってくれて、そんなに喜んでくれると、貸し出した俺も嬉しくて、鼻が高いってもんせ。好かった好かった。やっぱり、俺達は、日本人の古種だねぇ。」

 斜向かいさんは、余程気に入ってくれた様である。ダビングテープにドラマの出演者の名前を手書きで貼ってくれている。
 
 笠智衆・杉浦直樹・杉村春子・倍賞美津子・樹木希林・名古屋章・五大路子

 雨打つ庭をバックに、暫し映画談議が続く。朴訥(ぼくとつ)…飾り気が無く無口な事。朴訥の中身を理解するのが、人間の心なのだと、私は思う。

 自分の考え・想いを相手に言わなければ、相手に通じないとするのは、今風のご時世である。

 一方、相手の言わない心の内を、如何理解するかと云う事に、努力して来たのが古風な時代の精神・心の修行だった様に思う次第である。朴訥の言葉と言葉の空間を埋める為に、人は耳をそば立てて、その人の精神・心の中身に近付こうと、言葉と表情、目と普段の行いに注目して、その空間・隙間を埋めて理解しようとする。時には、言葉の裏を読み、言葉と行いについて、その一致と不一致を探し出して、その人を評価しようとする。
 この場合の対処法は、自分に眼力を備える方法である。所謂、自己研鑽型の対処法である。時間を重ねて素質を磨く事で叶えられる自己完結・自己責任型とも云うべきものであろうか・・・

 それに比べると、前者の考え方は、非常に効率が良く、相手の有責性を問えるから、自己研鑽型から比較すると、自分に都合の良い対処法と云えるかも知れない。他者と自己との間に、一見スマートな個人主義的合理的な線引きを施しているかに見える思考法である。線引きをする事で、人は無関心で居られると云う免罪符を持つ事が可能と為って来る。表現の自由が確保されているのであるから、それを生かすも殺すも自己責任の範疇に入って来る。とどの詰まりが<言葉表現の説得力の優劣に関わって来る自己責任>と、開き直られてしまったら、浅学非才の低能児の如き私には、ぐぅ~の音も出ない処である。
 従って、頭脳では太刀打ち出来ないから、嗅覚を働かせて彼らの周辺を必死で嗅ぎ回るしか方法が無い。嗅ぎ回れば、其処には表現力に富んだ強者の論理の匂いがする次第である。・・・困った下衆男の嗅覚である。

 然りとて、不器用この上もないロートル・クマ男である故に、趣旨替えも儘為らぬ時代の習い性である。遺憾いかん・・・これでは支離滅裂のロートル日記では無いか。

 斜向かいさんも、とんでもない難しい問題提起を置いて行かれたものである。さてさて、背伸びは、禁物である。明日はモロコシの差し入れがあるそうであるから、大いに期待して、先ずは描きかけの幼稚絵を完成させるべしである。遣るべし、遣るべし。

心何処ーショート 何事も、続けるが日課
               何事も、続けるが日課(7/20/09)
 Tに野球観戦を誘われて見に行く。2試合を見て、帰って来たのは三時を回ってからである。本日、<海の日>とやらである。見事に晴れ渡り、熱いのなんのって・・・あったものでは無かった。熱さにジッと耐えての観戦であるが、消費エネルギーは大変なものである。

 第一試合のM商の試合は、格違いでM商のコールド勝ちであった。下の通路を見覚えのある中年男が歩いている。

<おやまぁ、M氏の病室に遊びに来ていたフィリピーナ狂いのパチスロ男殿では無いか・・・目出度く退院したのであろう。フムフム・・・病院では、ヨタヨタ糖尿病患者の風情であったが、何と又、決まった垢抜けスタイルでは無いか・・・黙って歩いている姿は、中々の曲者・遊び人の風情である。結婚式を挙げたフィリピン女房を胸に抱いて、ピチピチのチアガール観賞に出向いて来たと云う処であろうか。動機の不純さが、匂って来る様である。
 フムフム・・・歩く速度・目の配りが、誠に下卑て御座る。矢張り、好き者・異な者の雰囲気が、満載である。遺憾いかん・・・「他人の振り見て、我が身正せ。」の有難い格言があった筈である。くわばらくわばら。>

  試合が終わって、応援団、チャガールの一団が、ゾロゾロと退場の運びである。

「さぁさぁ、お披露目行進だいな。いかしたおネェちゃんは、居るかな?」
「どれどれ、Rの好みは、ああ、居た居た。あそこに並んでいる3人の2番目が、好みだろ。瓜実顔の小顔で鼻筋が通っていて、すらりと背が高くてさ。一見ツンとした美人顔を見付けりぁ、正解さ。お前の好みの女は、俺には一発で分かるからな。単純なもんだよ。へへへ。」
「ナニョォこいて、初志貫徹のぶれない選球眼って云って貰いたいもんだわさ。どれどれ、Tのはアレだな。小柄でぽっちゃりの丸顔・プックリオッパイ・タイプだわさ。」
「はいはい、ご明察。好みがバッテングしないから、お互いに安心ってもんだわいな。へへへ。これで、好みが一緒だったら、血の雨が降っちまうわな。取られた女の恨みは、一生ものって云うからなぁ~。」

 第二試合のご近所の某私立校の四番打者は、試合開始早々に、カキィーンとばかりにレストスタンドにホームランであった。その後、2:2の一進一退の試合運びであったが、6、7回と某私立校が得点を重ね8:3の大差でベスト8入りを果たした。途中から、余の熱さで正面スタンドの屋根の下観戦と相成った。
 第一試合のM商野球部は、歴史のある県下の強豪校である。最後部席に陣取る隠居OB・ロートルOB達の野次り、檄・叱咤は、半端なものでは無い。野球で鍛えた喉は、野太く通る大声である。ロートルOB連中は、その風体からして同世代の野球部OB達であろう。野球が三度の飯より好きの口であろう。スタンドでビール観戦した後は、母校の薄川の河川敷で、祝勝会をした後は、夜の西堀へ繰り出すと気炎を挙げている。ロートル第二の人生は、周囲の観客の苦笑を余所に、正に意気軒高である。

「<イラッシャイマセ~。パパ~、野球勝ったかぁ~? 個室お祝いは、ショートでする~、それとも、オールナイトでするぅ~。> どうせ、あいつ等、そんなもんだぞ。困ったオッサン連中だいな。俺は落ち目の三度笠、胃無しのリハビリロートルだもんな。あいつ等、完全に現役悪代官ってもんずらいよ。あのでかい図体で、乗られてバコンパコンされたら、軟なネエチャンなんか、夏パテの前に、完全にノックダウンしちゃうぜ。でも、男としちゃ、あのバリバリのエゲツ無さは、見習わなきゃいけねぇや。」

         ニヤニヤして、Tも、ボソリボソリと口の悪い事である。

 お土産に、番いのキリギリスをTに、進呈する。玄関の上りには、キュウリが置いてあった。斜向かいさんの差し入れである。遅い昼飯をして、洗濯をした後は昼寝である。うとうとしていると、再び斜向かいさんの登場で、今度はジャガイモの差し入れであった。

 仕方があるまい・・・本日の日記打ちをこなして、暫しの休憩睡眠とした後は、番飯後の体力は、夜の散歩のお時間に当てるべしであろう。何事も、続けるが日課である。

心何処ーショート 或る男の風景
                 或る男の風景(7/20/09)
 白い軽のポンコツ・ワンボックスカーは、ちょっとしたキャンピングカーの体裁をしていた。と云っても、特別な装置が作られている訳では無い。テント、炊事道具、食器、食糧、飲料水のタンク、寝袋、それに僅かばかりの衣類の入った箱が置いてある。変わった処と云えば、オスの雑種の中型犬とオスのダルマインコの同乗者位なものである。車を運転するのは、60代の体格の良い男である。

 雑種犬の風体は、シェパードに似ている。犬の名前は、シェパと云う。命名の謂われは、至って簡単である。シェパードに似ているから、シェパなのである。ダルマインコの呼び名は、当然にダルマである。インコは飼い慣らされているから、籠などは与えられていない。犬もインコも、自分達が男に飼われているとか、別種であるとか云った考えは、余り自覚していない様に見受けられる。まぁ、好く云えば、節度ある自由気ままの同居者と云った感じだろうか・・・そんな表情・仕草が感じ取られる次第であった。

 車が走行中は、シェパは助手席に行儀好く前足を揃えて、男がする様に前方を見据えていたり、車窓を過ぎる風景を眺めたり、飽きれば蹲って、まどろんで居たりもする。勿論、ダルマの方も、助手席の背凭れに止まったり、シェパの頭に止まったり、シェパのピンと立った耳をカリカリしたりもする。当然、男の肩に止まったり、首を伸ばして男の厚い耳たぶを、カリカリと同類のメスにする様な仕草で、親愛の情を繰り返したりもするのである。
 シェパも男も、ちっぽけなダルマが煩いと思えば、前足、手で当たらぬ範囲内で追い払う。追い払われたダルマも、場合によっては黙っていない。胸・背中・頭部の羽毛を逆立てて、黒い瞳の中の黄色の動向を渦巻の様にグルグルさせて、ギャギャと単発の声を発して威嚇のポーズを取るのである。それに機嫌が悪いと、緑の翼を広げて滑走する様な仕草で、赤い嘴で襲って来る始末である。きっとインコと云えども、人間・犬と云う圧倒的な存在感の違いは、知っているらしく、相手の手加減を当て込んでの悪態型自己主張をして見せるだけなのである。

 動物には、其々の意思も感情もあるのであるからと、男・シェパ、ダルマは、其々に達観視している様に見える。こんな処が、軽のキャンピングカーもどきの同乗者の顔触れである。

 梅雨の明けた大気には、蒸し暑い熱気がムンムンしている。男は好い加減な男であるから、車のクーラーなどは殆ど回さない走行である。それでも、全開にした窓からは、風が入って来る。30cm程に生育した青田が続く田園風景の中を、ルーフにプラスチィックの収納ケースを積んだ白い軽が、ポコポコとのんびり走っている。男は咥え煙草で片手を、下げたドアのフレームに肘を乗せ、左手で運転をしている。すっかり白く成った無精髭をポリポリと掻き、煙草を大きく吸い込んで、高い大きな鼻から、二条の煙を噴き出している。

 農業用水の草むらからは、キリギリスの声が、夏の草いきれの匂いを伴って窓から入って来る。近くの山の続きからは、熱い蝉しぐれが少々せっかちで単調な多重奏を奏でている。山の頭上には、モコモコした真っ白な入道雲が、幾つも青空に雄大な形を浮き上がらせている。赤松・広葉樹の混成林の山腹には、上昇気流の山風が、戦ぎ渡っているのが見える。勿論、戦ぎの音などは耳に聞こえないのであるが、風の渡りにマッチした風の音が、本当に涼しく見えるのであった。

 前方には、山が迫って来ている。清流に沿って山村の集落が、何軒か固まり、畑が続き、また何軒かの家が現れたり遠ざかったりしている。こんもりと傾斜した山間の畑では、夏野菜のトマト・キュウリ・ナス・インゲン・トウモロコシなどを採っている集落のおばぁちゃんの姿がある。男は、車を止める。

「コンニチハ、おばあちゃん。精が出るね。その新鮮な野菜少し分けてくれないかね?」
「ああ、好いよ。どの位欲しいんだい?」
「うん、気分任せの一人旅だから、適当で好いんだよ。」
「うん、分かった。じゃ、これ全部上げるよ。」
「悪いよ。全部で幾ら?」
「要らないよ。生る時は、一斉に実を付けるんだよ。幾つも食べ切れないほど、生るんだもの。家は、爺さんとの二人暮らしだから、又、取れば好いんだからさ。お代は要らないよ。全部、持ってお行きよ。」
「おばぁちゃん、有難う。じぁ、遠慮なく貰って行くよ。恩に着るよ。」

 男は、取り立ての大きなトマトをズボンでサッサと扱くと、ガブリと歯を立てた。熟した生温かい果汁がプシューと勢い好く、フロントガラスに飛んだ。捥いだ緑のヘタからは、強いトマトの匂いが、ツンと鼻孔いっぱいに広がった。食べ終えたヘタの部分を、さっそくダルマが、足で掴んで黒い舌で器用に食べ始めている。集落の鎮守の森を眺めながら、車はポコポコと上り坂を走る。日本の夏の眩しさ一杯の、時間が止まった様な、長閑な過疎の集落である。
 山越えの峠道に差し掛かると、川に降りる細い道があった。男は車を細道に進める。沢と同じ高さに下ると、小さな平らな場所があった。車を止めて辺りを眺めて、男はエンジンを切った。

「さぁ、下りろ。今日は、此処でテントを張ろう。」

 ドアを開けると、シェパが勢い好く飛び出して来る。山の匂いが、彼の体内を刺激したのだろう。尾を盛んに振って、シェパは細い道を猛然と走って行く。ダルマは、バサバサと男の肩に止まった。

 其処は沢が合流する三角地で、数本のアカマツが枝を張って、沢から吹く涼風に恵まれていた。簡単なテントを張り終えると、男はおすそ分けをして貰った野菜を、石で囲った沢水に入れた。熱い太陽が、中天を過ぎた頃である。

 松と松の間に、ビニールのロープを張って、男は適当な深さを見付けると水に浸かり、洗濯を始めた。パンツ一枚姿で洗い終えると、ロープに洗濯物を干して、冷たい沢水にどっぷりと浸かった。冷たさと、川の匂いがして、実にシャキッとした気分に包まれる。
 掌で水を掬って、口に含み口内の粘々をブクブクと落として、水を吐き、再度掬って飲み干す。喉越しの柔らかさが冷たさと共に、胃に落ちて行く。
 幸いすべすべした花崗岩の大岩があったから、男は水から上がると。足を伸ばして背中を大岩に預ける。熱い岩と冷たい沢水の浸りを、数回繰り返した後、男は流れの岩に腰掛けて、タオルに石鹸を付けて、川風呂を楽しんだ。
 そんな事をしていると、シェパが飛び込んで来た。シェパもダルマも、男はシャンプーで洗って遣る。彼らは、こんな事には慣れっこであるから、男の好きな様にさせている。次に男は、手鏡を持って来て、髭を剃った。冷水での髭剃りであるから、ジャリジャリと、顔を顰めるほどの痛さである。ゴマ塩の無精髭を剃り終えると、男は穏やかな整った顔立ちであった。

     食事は、飯合で飯を炊き、野菜たっぷりのカレーを作った。
 勿論、生の肉は持ち合わせていないから、サバの水煮でタンパク質を補う。カレーは、シェパの好物でもあったから、彼はルーを綺麗に舐め切って尾を振っている。ダルマの食事は、ヒマワリの種と麻の実の混ざったバード・フーズである。組み立てテーブルの上のCDラジカセからは、トム・ジョーンズのグリーングラス・オブ・ホームが流れている。
 
 山に抱かれた夏草生い茂る小さなスポットである。夕刻が間もなく夜を連れて来る。キンチョーの蚊取り線香を二つ炊きながら、男は首にブルーのタオルを掛けて、沢水の水割りウイスキーを傾けている。そして、ランタンに火を灯す。

 男がこんな生活を始めて、彼是、2か月が経とうとしている。退職して、母を看取った後は、自分一人の時間が欲しかったのである。男は思春期の頃より、これと云って積極的な生きる目的・価値と云う物から、距離を置いた思考の持ち主であった。

 生きているから、生きて居るに過ぎない・・・生きて居る以上は、生活・常識の柵で生きて行くしかないのであるから、その大河の流れに乗って生きて来たまでの事である。従って、学校に通えば学業が付いて回る。人並みに勉強しなければ為らない時は、その流れに身を置けば良い。人並みの努力をすれば、学業は付いて来たから、大学へも通った。会社には居れば入ったで、出世競争も避けて通れない会社人生でもあった。好きな女が出来れば、デートをして見たくなる。気が合えば、交際は深くなる。結婚すれば、家庭と子供が生まれる。家庭・子供が出来れば、其処には当然に責任が生まれる。誰でもが、経験する凡庸な人生であると云って好い事である。年老いた親の面倒を見るのも、これまた何の変哲もない大河の流れでしかない。
 考えれば、限が無い。日常の不平不満の付いて回る生活は、男にとっては、ある意味では演技の習慣でしかなかった様なものである。そんな冷めた諦観とも云うべき人の人生に、積極的な目的・価値を見出そうとする考えは、男にとっては何か宗教観・哲学の様な遠い存在にして、自分の中で眠り続ける心象風景とは、如何してもしっくり来ない物であった。

 役目と云う柵から解放された時には、男は物思う少年・思春期に還って、自分一人の空間に還りたかったのである。心臓が動いているから、生きているのである。煩わしさから解放されて、自分の五感が赴くままと付き合って見たかったのである。理由は、それだけであった。そして、理由は、それで充分であった。

 黒々とした墨絵の世界に、星が瞬き始めて居た。沢音が夜の四十万に音を大きくしている。闇の中で、沢音に虫達の声が徐々に大きく頻りと為って来る。青白い蛍の光が、其処彼処に舞い始めた。水割りウイスキーを喉に落としながら、男は煙草を燻らせる。

 盆地と盆地を繋ぐ幹線道路を車のヘッドライトの放列が、光と音を出して繋がり走る。ランタンの鈍い光に、虫が集まり、ランタンの炎に、虫の焦げる匂いがする。ランタンの明かりに集まる羽虫を、ダルマは面白がって頑丈な嘴で啄んでいる。男は煙草を燻らせながら、時折、煙草の煙をダルマに吹き掛けて、ニヤニヤしている。テーブルの下では、シェパが蹲った格好で、脛を舐めて居る。ウイスキーのグラスを傾けながら、男はシェパの頭を撫でて居る。言葉を要しない気持の交流の中で、夜の深い帳の内に、沢風は静かに吹いている。

      CDからは、男の好きな<ディライラ>の歌が流れている。


心何処ーショート 思わぬ出会い
                  思わぬ出会い(7/18/09)
 本日の第一試合は、地元強豪校のM高であると言う。観戦者が多かろうから、私の所に車を置いて徒歩で球場に行く手筈に為っていた。迎えに来たTと並んで、傘を手にロートル親父は、球場に歩く。本日はバックネット裏の観戦である。私は前席にM高OBの檄を見て、三塁側応援席のチヤガール団を観賞しながらの、静かな観戦である。

 その第一試合は、7回コールドゲームであった。第二試合の練習を見て、これは、行けるの感想で、引き続き第二試合を観戦する事と成った。実力は互角のキビキビシタ試合運びで、1:1のまま、8回裏に2点が入った。9回表無得点で試合は終わった。後ろの席には、母校の応援の為に、仲良し女子高生が長野から来ているらしい。その一人は、結構野球を見慣れているらしく、彼女達の会話が面白かった。今風女子高生の言葉使い・アクセント・イントネーションは、テレビの中の会話と同様の色である。

 私もTも、至って静かなものである。お互い、無口のマイペース観戦なのである。云うならば、授業中は私語をしないの態度である。精々、<ヨッシァ><アッチァ><イケイケ>位なものである。グランド整備の折には観客席を見回してみるが、知り合いの顔は無い。母校は延長戦の末、敢え無く初戦敗退との事であったと云う。矢張り、高校野球には興味薄の伝統は続いているのだろう。団塊世代が家庭に戻って、暇を弄んでいるのであるから、知った顔に出っ食わす確率が高いと踏んでいたのであるが・・・

 球場をゾロゾロ退場して、外に出ると野球帽を被った相撲取りの様な巨漢が、親しげに近づいて来る。知らない顔である。誰かと間違えているのだろう。多分、Tの仕事絡みの知り合いなのだろうと思っていると、<RとTじゃないか>と言われる。よくよく見ると、何と何と、Nであった。

「やぁ、お前達が二人通路を歩いているのを見てさ、RとTじゃないかと思っていたんだ。やっぱり、そうだったか。何十年振りだよ。」
 
 Nが帽子を取って顔を見せてくれると、頭はすっかり五月雨状態に為って、顔の面積は倍にも為っているが、目の辺りは紛れも無く同期の桜Nであった。彼も、この6月で目出度く退職したとの事である。お互いの浦島太郎状態に、腹を抱えて爆笑の段であった。

 歩きながら、Tと話す。
「Nもびっくりしただけろうなぁ~、俺とお前が、高校時代の仲を今にまで続けているんだから、完全に浦島太郎にタイムスリップしてたんじゃないのか? どの席で見てたか知らんけど、<あの二人、知ってるぞ??? 誰だったかなぁ・・・そうだそうだ、あいつらだ。関係が続いていたんだなぁ、ご立派。> そんな事で俺達を見てると、正しくそうだ何て、ニヤニヤしてたんだろうな。いや~、世の中は面白い。」

心何処ーショート 久し振りの気分に浸るなり
              久し振りの気分に浸るなり(7/17/09)
 通常モードに戻った夜、散歩に出掛けようとしていると、何やら雨音である。そうこうしている内に、叩き付ける雨と成った。思わず、<助かった!!>の気分である。一時間も早く出掛けていたら、和田アキ子の<土砂降りの雨の中>何てものでは無かろう。折り返し点を過ぎて、下り勾配の一本道の40分以上の土砂降り敗残兵の行軍に為っていた事だろう。運が良かったと云う物である。
 
 或る時、セブ島からボホール島へバンカーボートで渡り、其処で数日を遊んで帰る途中、ボートのライトが消えてしまい、夜の海をノロノロ帰島する羽目に成ってしまった。然も、それに追い打ちを駈けるように、土砂降りスコールに見舞われて、濡れ鼠の何時間かを経験した事がある。
 南洋のフィリピンと云えども、バケツをひっくり返した様な天然シャワーと、波頭突き進む返り波は、冷たく痛い物であった。浅い海の、この界隈の海域は、朝は穏やかなのであるが、夕方からは潮の流れが激しくなる。おまけに漆黒の闇の三重奏であるから、堪ったものでは無かった。

 一度、M氏とアイランド・ホツピングで使うジョットスキーを往復自走して行った事があり、その帰り、海が大荒れ・スコールに捕まってしまった事がある。大波に恐れを為して、信号待ちをする様に、周囲の波を観察して大波を横切ったり、波に乗って進んだりのジグザグ格闘であった。
 波とジェットスキーの格闘衝撃に、大事なキンタマは、打たれてジャイアント・馬場並みの痛さと、肛門様も衝撃に痺れ切ってしまう。快感に踊るアナザーホールなんて、余裕など皆無のバトルであった。
 緊張の余り、腕は痺れ上り、踏ん張る両足はガクガク、全身濡れ鼠、体温消耗、竦(すく)む度胸・・・心の中では心細さと怖さの緊張感で、大人泣きをしていた物である。それと比べたら、この状況の方が数段マシである。

 完全に得難い体験であったから、難破船から命からがら救命ボートに脱出して、嵐の波間に漂う映画のシーンを思い浮かべながら、

<糞たれ!! こんな事で、ヘタって堪るか・・・ 弓でも鉄砲でも、掛かって来やがれ!! そう簡単にぁ、命の玉を引き抜かしゃしねぇぞ。さあさぁ、来いや、昔ぁ、これでも番カラ男で鳴らした男だ。ドスコイ、ドスコイ!!まだまだ、>・・・

 いざと為ると、何時死んでも、死ぬ時とは所詮、そんなものとタカを括っている物臭男ではあるが、こんな事態に為ると、体育会系の血が騒ぐ。口ほどでも無い、単なる往生際の悪さであった。

 日課が頓挫してしまったから、浮いたお時間を下手絵描きをして、就寝時間を待つ事にする。さて、何を描くべきか? である。

 そう云えば、集金に来る美大出身者さんが、人物画に面白い味が出ているから、そっちの方を描いた方が好いとのアドバイスであった。人物画と云えばロシア美形しかあるまい。
然しながら、既に手持ちのモデル様は使い切ってしまった。

 そうである。ユーチューブのミリタリー・ルックでカチューシャを歌う美形さんが居た。彼女をモデルとして鉛筆を取る。下絵を描いた後は、色鉛筆で仕上げて、<熱唱>のタイトルを付けて、PCに収納する。またまた、容量オーバーである。為らば、此処で自画自賛。美形とは程遠い下手絵であるが、<熱唱>の感じは伝わらなくは無い。悪くは無い・・・

 気分が乗った処で、DVD鑑賞に隣部屋に移行である。雨脚に強弱を付けて、好く降る雨である。恐れ入りまして御座る。ジョーン・フォンティン、ジョセフ・コツトンの<旅愁>1950年作である。主演二人のしっとりとした大人の男女の恋物語が、しんみりと伝わって来る白黒105分の映画である。激しい、目立つばかりが、二枚目・美形の持ち分でもあるまい。男と女の雰囲気を、じっくり見せてくれた似合いのカップルと云えように・・・ 両俳優ともに、私の好きな俳優さんである。男女とは、斯くありたいものである。堪能させて頂いた次第である。

  庭木・窓を打つ風雨であるが、久し振りに好い気分で眠りに移行出来た。

 明けて本日、明日は、Tとの高校野球の観戦がある。二日続けて散歩をサボってしまったら、大事である。習慣付けるには、多大な頑張りを要するが、怠惰の海に没するには、何の努力も要しない処である。習慣の付いた行為・行動などは、ちょいと一歩外に出れば繋がる習慣行動なのである。
曇天の重い雲であるが、散歩に出掛ける。狭まる山に向かっての散歩運動である。折り返し地点の登り道を、オイッチ・ニー、オイッチ・ニーと汗を掻いているとポツリポツリと降って来た。橋を渡っての山際道では、本降りの有様である。これでは、昨日のシュミレーション其の儘と云うものである。とほほ為るも、致し方無し。

 こんな時は、誰憚る事があろうか・・・勇気付けに、音痴歌を歌って、雨に向かうなり。

心何処ーショート 悪態一つ
                    悪態一つ
 月に何度かは、眠れぬ夜もある。諦めて明かりを付けて、DVDコーナーを漁る。どうせ途中で眠くなるのだろうから、1950年作・スペンサー・トレーシー、エリザベス・テーラーの<花嫁の父>を見る事にする。日本では有名な作品として挙げられている映画である。500円DVDとして、一年以上も前に買って来た物であるが・・・ 内容の余りの陳腐さに虫唾が走り、其の儘、コーナーで埃を被っている代物である。

 私は、この手の映画は大の苦手であるし、俗世間が得てして好意的取扱いをするのも、好く承知をしている次第である。弁護士の父親を演じる演技派俳優のトレーシーも、下らない事で大騒ぎする絶世の美女のテーラーも、何らの魅力も感じられず、愚作中の愚作の展開であったが、最後まで見ないで判断を下すべきでは無いと、腹を括った次第である。こんな安易な俗物迎合点を目論んだ映画など見るのは、時間の無駄と云うべきものであった。
 
    馬鹿親父に馬鹿カカア、それに輪を懸けた馬鹿娘の戯け映画であった。
何々・・<嫁ぎ行く娘への父の想い。婿への複雑な心境。結婚式当日は、もう目も回る忙しさ。そのくせ誰も父の存在など気にしない。そんな父親の哀観を見事に描いた傑作。>

     何ぉ~抜かし遣がる。好くも白々しい御用評論である事か!!

何々・・<人生最大のイベントを控えて、主役としては気持ちはナーバスになる。結婚と結婚式をめぐる一家の上を下へのてんやわんやぶりは、楽しいうえに共感ももてる。ヒロインのティラーの輝くばかりに美しい花嫁姿がすこぶる印象的である。>

 ああ、そうですかい。お宅も持ち上げるのが仕事だ。きっと、腹の中じゃ因果な商売と苦虫を潰して御座ろうよ。きっと、お前さん達好い加減評論のお陰で、安易な馬鹿花嫁の馬鹿父親像が大量生産されたんでヤンショウよ。とんでもないアメリカ文化の洪水だわさ。俺の一夜の睡眠を台無しにシヤガッテ!! 
 5:40 屋根の間から、黄色い太陽が上り始めた。コンニャローめ。嗚呼、目がチカチカする。鳥が鳴き始めた。布団に撤退すべし!!

心何処ーショート ロートル劇場
                   ロートル寄り合い所

                    ロートル劇場

<婆さん、米買って来て遣るわ。> 米買い口実に、爺様・・・新聞・テレビの読みかじり・聞きかじりお土産に、ウキウキいざ出陣~。

  寄り合い所は、先客、都議選結果を肴に、ロートル談議の真っ最中・・・
さあさあ、<御大登場>と煽てられ、どっかり座るは、風通し申し分無き首座の席。
日頃仕込んだ博識をば、舌なめずりしてカマスなり。勝手知ったる口達者ロートル倶楽部。
        ある事無い事、見て来た様に立て板に水の如し・・・

  <あいあい、そうそう。好くぞ言ってくれたいね、流石だいね。全く、全く。>
     お囃子宜しく、ボルテージ上がるロートル座談会、止まるを知らず。

 中国・北朝鮮・ロシアに韓国、小泉・竹中、安倍・福田に麻生、散々に扱き下ろして、返す刀で小沢に鳩山ブラザーズ、ついでに東国原知事を火祭りに、オバマ・創価学会・公明党・東条英機に西郷隆盛、果てはイエス・キリスト、ブッタにアッラーの神までも登場。
  出るは出るは、目白押し、談論風発。何でも御座れの芸達者達。恐るべし!! 

 インスタント・コーヒーで喉潤し、さぁさぁ、天下御免の素人蘊蓄合戦。新参者・若輩者の口挟む隙も無し。形振り構わずの蘊蓄合戦、ギャハハにイッヒッヒ、ついでに馬鹿抜かせと来たもんだ。修行の足りぬオイラには、遠巻き観賞しか手立て無し。70代が主役にして、還暦如きは、完全に蚊帳の外・・・これも長幼の序なり。

      鳴り始めた携帯着信メロディは、蘇州夜曲である。<ハロー、>
        父っつぁん、ハローじゃあるまぇ、<ウエィ>で御座ろうが。

<やいやい、行けねぇや。ババア痺れ切らせて、オカンムリだいな。やっぱ、俺が居ないとババア淋しいんだ。俺ぁ、帰るぞい。やあやあ、今日の座談会、好かったんね。又、来らぁ。バイバイ。>

 ロートル劇場は、怪気炎。言ったが勝ち、言わなきゃ損損。行け行けドンドン、ピ~ヒャララである。人見知り奥ゆかしきが取り柄の身為れど、長い老後、『口芸』も覚えるべき演習科目であろうか・・・


心何処ーショート カンカン照り、リップサービスDAY
             カンカン照り、リップサービスDAY(7/15/09)
 いやはや、朝から暑い。これで風が無かったら、萎くれ男である。シャキッとする為に、シャワーを浴びる。午前中の四畳半は、パスである。洗濯機を回しながら、母の部屋でテレビを相手に罵詈雑言・オチャラケモードで視聴者参加である。母からの質問にニヤニヤ応えながら、

「おっ、ちょっと待ってろ、そこのネエチャン好い顔してるね。おい、カメラさん、ズーム、ズーム。
これこれ、お前さんは、十分顔を売って来たんだから、少しは歳を考えろ。歳を取れば、皮膚が弛むのは当たり前じゃないか。絵具塗って、顔に陰影付けたって仕様が無いだろ。何が、髪が細くなって、ボリューム感が無くなって来ただと? 
バカヤロウ、毛の無い俺は、如何するんだよ? 贅沢・生意気こいて、無い物強請りしやがって、自分だけ綺麗で目立っていたいなんて、太ぇババアだ。そのサモシイ料簡が、気に食わねぇゃ。其処に直れ、遣りたかねえが、手籠にしてくれるわ。突き破られて、口から泡吹いて卒倒するなよ。戯け!!
うちの婆さんは、もうじき93だけど、体調が悪きぁ、山姥の態で、倅の俺だってスタコラ逃げの算段だけどなぁ、体調さえ好けりゃ美人・美形だぞや。」

「本当に、お前は女には目が無いんだから、そう云えば、この頃は遊びに行ってる風が無いね。欲求不満じゃ無いのかい? 具合でも悪いのかい?」
「悪くは無いさや~。至って健康。お釣りピュッピュッ、朝立ちピンピンの血流優等生だわね。何しろ、二時間弱の運動が効いちゃって、ふらふらネオンの街場に出向く時間が、捻出出来ないだけだわさ。俺は口で言うほど、女好きじゃないわさ。女は煩くて敵わん。俺様の好物は、その持ち物だけだわね。ワッハッハ。」
「うんうん、分かっているよ。お前は、真面目な子だからね。もう少し、この頭のガンガンするのが無かったら、話の相手にも為って上げられるのにね。情けないの気持ちだよ。」
「へへへ、おいおい、シジュウカラの巣立ちじゃないか・・・ ちょっと待ってましょ。」

 庭木の茂みに、シジュウカラの巣立ち子が、大きな声を発っして行き交っている。今年、三度目の巣立ち風景である。下心満載で、廊下の戸を全部開放して来る。飛び込んで来たら、万々歳である。番茶のお代りをして、母子漫才をしていると玄関に斜向かいさんの声である。

「やいやい、一気に夏本番に突入だいね。さぁ、どうぞ。」

 太鼓腹上半身裸に短パン姿の私同様に、斜向かいさんも下着の半そでシャツに短パン姿である。隣室でドツカリ胡坐を掻いて、色エロ、ロートル談議である。ご近所男の付き合いは、これで無くちゃ面白みに欠けると云うものである。本日の貸し出しは、デボラ・カーの映画である。彼女の蘊蓄をご披露しながら煙草を吸う。ご主人、ダビングコーナーから、何本かを取り出して、

「俺は、新発見をしてさ。此処には、お宝が眠っているだいね。映画を選ぶ人が好いから、外れが無いもの。」

 三船敏郎・笠智衆・高倉健と日本映画の話題が続き、斜向かいさんの<七人の侍>の話の中に、云々の件があった。
「ああ、その俳優さんは、宮口精二さんだわね。覚えてるんね。そのシーン。こうこう、こうずらい?」
「さすがに、大先生。好く覚えているもんだ。そうだだよ、ヒョロとした冴えない武士でだけどさね、刀をこう構えてさ、足の配りはこうでさ・・・ はっきり、印象に残っているシーンさね。

 あれが役者ってもんずらい。それを今時の映画・ドラマは、女好きのする優男ばかりが、軟な現代セリフをクツチャベッテルだけで時代背景も、重みもありゃしない。NHKの大河時代劇がだよ・・・小手先で衣装だけをタイムスリップさせて、ミーちゃん、ハーちゃん遣ってるだけじゃないかね。何が時代考証だだいね。ブンブク茶釜で、屁も扱きたかぁ無いわね。俺の知りたいのは、思想・思考・行動の時代考証だわね。歳取ったって、俺ぁ勉強してぇわね。当代一流の脚本家かなんか知らねぇ~がせ、あんな物ぁアホらしくて、見れんわね。
 
幾ら視聴率の為とは言え、あそこまで、時代時代の英傑を落としめちゃ、日本の歴史に唾吐く事だわね。男と女が、愛だの何とかなんてザマは、密室の布団の中でシコシコ遣ってりゃ好いのよ。ひとかどの男ってぇのは、公私混同を避けてジッと歯を食いしばって、大義に散るのが男の美学じゃないかね・・・ 
 
 隠す本音に、観客がその本心を推理・想像して、貰い泣きするのが、絵に為るんじゃないの。全部全部、心の内をセリフ・表情に現わして、如何するんじゃい。馬鹿も休み休み言えって、もんだわね。
5・7・5の俳句の世界の余韻、侘び寂びの茶道の精神は、教養・知性・感性を持って味わうのにさ、道具陳列シーンだけの視覚世界じぁ、どうしようも無ぇずらい。だから、この世の中、頭に浮かんだ事をこれでもか、これでもかでクッチャベッテいるだけの底の薄さが、蔓延しちまっているんだよ。出来の悪いボンクラ連中に、サービスし過ぎるんだわさ。
 
 大体、鍛錬の行き届いていない人間に、幾ら説明をしたって、元が薄い幽霊見たいなのに言ったって、土台無理だわね。足と体重の無い幽霊なんて、風次第で<ヒュ~ドロドロ、恨めしや>なんてほざいたって、何の効果があるだい? 銭型マムシの方が、よっぽど怖いわね。だから、俺は、テレビは見ないの。お兄ちゃんのこの部屋の映画が、俺の心の故郷ってもんだわね。ギャハハ。さてさて、今日の打ち物は、何だいね。」

 ウ~ム、卓見に次ぐ卓見である。お説、御尤も、一切反論の余地も御座いません。

「ああ、これ前に打った物だけど<風のよもやま話>って、短編ゴタ話せ。一応、小説の体裁になっているから、偶には毛色が違って好いずらい? それと、焼き直しでアナザー・ホール持って行くかいね?」
「大丈夫、未だ鮮明画像で頭に入ってるぜ。白人肉食獣の女にぁ、草食粗食の俺には、荷が重過ぎるいね。目を閉じりぁ、ここら辺をグルグル回ってるいんね。結構、結構。イッヒッヒ。」

 斜向かいさん、本日も意気揚々と引き上げて行かれる。さぁさぁ、健忘症の男である。ご高説、霧消霧散しない内に、聞き語りを打ち進めるが肝要である。PCを開いて、打ち始めていると、就学前の娘を連れたヤクルト・ママさんの週一コールである。キリギリスの虫容器を持って、暫しのお話タイムと為ってしまった。嗚呼、今日も得意の昼寝タイムは、省略の雲行きである。さぁ、仕切り直しのブログ日記である。

心何処ーショート 夜の散歩
                  夜の散歩(7/14/09)
 月の無いお空は、暗い。サボりたいが、お散歩を命じるもう一人の自分が居る。二時間弱の散歩運動は、今や身体に刻まれた習慣で・・・大きなウェートを持っている。一日の中に占める二時間の余波で昼寝の後退、増してやフラフラ、スナックへ行く時間など完全の消滅してしまったこの頃である。
 元々、出不精の口であるから、夜のネオンから遠ざかったと云っても苦には為らない。この位の時間を、眺めを遠くにして歩く事は、心身にとって解放のお時間となる。

 月の無いお空は、暗い。同等の運動量を稼ぐには、暗い闇の続く山際道は、避けて通るのが常識と云うものであろう。先ずは、同等距離を考えてネオン輝く町場へ周回コースを下方移動である。何時もの橋を素通りして、下を目指す。
 パトカー、チカチカ・・・無灯火自転車の女子高生4人組が御用の段である。時間が時間であるから、確りポリスマンからお説教を頂戴するが好かろう。治安の良い地方都市は、小型パトカーの巡回がマメさが下支えしているのである。親のお小言は、聞く耳持たぬ年頃であろうが、治安の良さはお巡りさんの縁の下のお力添えも効果の内であろう。努々、ポリスマンを国家権力の犬などと、悪態を付くべからずである。

  <何だ何だ、その膨れ面は、鏡を見て反省するべし・・・アッハハ。>

 腕時計・万歩計など持たぬ散歩運動である。頼りは、感覚の<体内測定器>である。発汗量・身体筋肉の強張り・解れ・心臓の心拍数・・・センサーは、諸々の感覚具合である。手に持ったペットボトルの水を口に含んで渇きを癒し、下方修正したコースを正常コースと重ね合わせながら、

<この位の身体負荷なら、もう一つ上の橋を、折り返し点とすれば良かろう。進むべし進むべし>

 橋の中央に立って、小休止である。青田に蛍の飛び交うを見て、橋灯の明かり差す川面に魚影を追う。

 橋を渡り大きくカーブして山際道、セミ鳴くを聞いて、関東甲信・梅雨明け宣言に頷くなり。暗がり、黙々ランニングするする人あり。長い下り勾配、一本道である。下に見えた街のネオンも、何時しかネオンが競り上がって来る。町中住宅街、河川敷に花火の音聞こえて、自転車を河川敷に下ろした青春の語らいの影も見える。
 
 我が町内に入って、パーマ屋の時計を見る。家を出て1時間35分である。今日も続けた散歩運動、体内測定器は意外と正確であった。Tシャツを脱いで汗を拭い、着替えて定位置である。蛍光灯の光浴びて、机上の住人達が魚身をくねらせる。白いレースのカーテン孕んで、部屋を満たすは、涼やかなる夜風の静けさ。ラジオの深夜便聞いて、煙草の紫煙燻らせて、我は何を思うべしや・・・


心何処ーショート 梅雨明け?
                 梅雨明け?(7/14/09)
 余りの汚れに、水槽の丸洗いから始まった朝である。水質は悪くはない、大事な安定した微生物水であるから、バケツに半分ほど保管して、しつこくこびり付いた緑のフイルムを、ゴシゴシ擦り落とす。水温を得て珪藻類の繁殖は、凄まじい限りである。今度は、底に入れた砂・小石を子細構わず、力任せの人力ミキサーである。バッチィ限りの汚濁水である。朝からお天道様の輝きであるから、水弄りは結構なお遊びである。エア、濾過器を大雑把洗い(一生懸命遣ったのであるが、結果の見栄えが、そう映るだけ。)で終了させる。
 
 さてさて、これからが本番なのである。夏草・葦生い茂る河原に赴いて、水汲み往復を敢行しなければ為らないのである。煙草を一本吸い終えて、長靴を履く。バケツに水を汲んで、蔓に足を取られてズッこけながら、ロートル・クマ男は汗を拭いながらの水運びである。

      運ぶ身にも、待つ身にも、重い命の水である。
   ヨイショ、よいしょのヨッコラセ。少しは、恩義を感じろよな・・・金魚達!!

 嗚呼、疲れた。何しろ、俺様は、還暦爺なのである。温泉ミネラルウォーターをカブ飲みして、器具をリセットする。遣り終えてしまえば、<汚いより、綺麗が益し>の我が小さな達成感である。水仕事ついであるから、籠洗いをして、窓辺にセットである。

 さてさて、母上がお待ちである。朝の支度に取り掛かる。その間に、ウィルスバスターを稼働させて置く。食後のテレビは、<函館、いかの刺身の朝ごはん>であったから、

「うんうん、取り立てのいかの刺身は美味しんだよ。いかソーメンは、あの位どっさり作らないと、いかソーメンには為らないんだよ。ああ、北海道の話し方だね。うんうん・・・」

 と、大きく頷いて、テレビを見ている母である。

 さてさて、母の部屋をお暇して四畳半・定位置で、アメリカンコーヒーである。其々、オス二匹の虫籠である。一つの籠のオスだけが鳴いているのであるが、その籠のもう一匹が、羽の摩擦音を一つ、二つしている。もう一つの籠は、未だ少年過ぎるのだろう。音無しの構えである。水浴びを終えた大所帯籠の若鳥の白メスが、聞き慣れないキリギリスの声に、前方の虫籠をジッと見ている。

 おやおや!! 先ほどまで泡を出していたエア装置が、泡無しである。カヴァを開けて、色々試して見るが、息を吹き返さない。これで二度目であるから、寿命であろう。昨日行かず終いであったから、買い物ついでに買って来る事にする。観賞魚コーナーで、ふと思った。グッピィの補充に、ペアを買うだけが脳では無い。種付けをするのはオスであるが、稚魚を産むのはメスである。オスとメスを比べれば、メスの値段はオスの約半分である。オスが生まれると、水槽世界の見栄えは良くなる。メスの数が多ければそれだけ、色どり豊かにして血が薄まると云うものである。遅いか早いかの問題であろう。この頃は、顔を合わせないハイカラ御隠居さんでは無いが、為るほど<経済は、工夫>である。

 帰って来てからは、上半身裸で通す。ショーウインドー並みの金魚槽である。流金の中に、抜きん出た成長株が一匹いる。同じ環境なのであるが、個体差は大きなものである。
 解散・総選挙の日程が決まったらしく、共産党の街宣カーが通り過ぎて行く。愈々、暑い夏が始まる様である。

 さてさて、布団を取り込んで、久しぶりに昼寝でもしようか・・・ さて、その前に、昨日、米屋さんロートル寄り合い所から帰って来ると、机の上に一枚の絵と走り書きが置いてあった。頼られてしまえば、男たる者、期待に応えて邁進するのみ・・・絵に即して、アレンジした一文を斜向かいさんに届ける。

 斜向かいさんはニコニコして、新聞を持ち出して創作意欲満々でいらっしゃる。アジヤジャなり。賄い夫に運動、自己ブログに知恵の輪・アレンジ代筆・・・ウ~ム、正に物臭タイムの浸食である。然りとて、意欲満々の遣る気に水を差すのは、酷である。
 斜向かいさんは、この処、ブログ投稿出来兼ねるSちゃシリーズを貯め始めて居られる。一方、ボロボロになった小学生時代の卒業文集の『復刻版』をコツコツ重ねて居られる由である。斜向かいさんは、そんな善人・好人物の一人である。

 長い老後の人生、<ご近所の男付き合いは宝なり。> 此処は弱音を吐かず、独り身のボランティア精神を奮い立たせるしかあるまい。武骨・不器用な男に、仕事が一つ増えた様である・・・とほほ。

心何処ーショート 午後の一服
                午後の一服(7/13/09)
 買出しに行く。政治に対する鬱憤が、都議会選に現れて、米屋さんのロートル寄り合い所は盛況である。ご立派、ご立派の言いたい放題の活況を呈している。私は一番の若輩者であるから、末席を穢してひたすら、ご意見・感想を拝聴の段である。最後に登場された70代のお人は、周りから先生と評される郷土史に造詣の深いお方であった。若い頃は、市会議員にも乗り気であったそうで、政治的関心も健在の御方である。インスタントコーヒーと裂きイカを摘まみながら、松本平の歴史を伺って来た次第である。暑い日差しの中を、ペダルを漕いで来た甲斐があった。

 大幅に時間延長のロートル寄り合い所を後にして、個人スーパーで買い物をして帰る。買い物袋を二つ持参したのであるが、一つの袋に穴が開いている。<穴が開いているから、これを使い。>と、先輩レジさんが、買い物袋を一つサービスしてくれた。
 昼は買って来たお菓子で、お茶食をして済ます。帰って来た時は、もう一度、大型店に行く心算であったが、カンカン照りに敢え無くエスケープである。旨そうな生サバが有ったから、二パックを味噌漬とする。キュウリ、ナスを漬け物の補充として、キュウリをキリギリスの食料にする。

 本日は、朝から首タオルの夏姿で過ごしているが、涼しい風が止むとムッとする夏の暑さである。散歩は、ミッドナイトのセカセカ歩きにせざるを得まい。夕方に成ったら、買い物に行く事にして、ロートル寄り合い所での知恵熱を冷まさなければ、頭髪の無い脳味噌は、熱中症の段階である。些か後期高齢者軍の毒気に当てられて、酸欠状態である。<日々、是、学習>との事であるが、白人美形フェロモンの崇拝者の脳軟化症の私には、敷居の高過ぎる領分である。

 雑木の葉影が伸びる窓辺に二つ鳥籠を並べ、その上にプラスチィック製の虫飼い容器を並べ、机上の水槽を眺めている。白いレースのカーテンの戦ぎに、涼風訪れる散らかし放題の我が小部屋である。

 煙草を燻らせて居ると、今朝の夢が浮かんで来た。夫婦で、子供達に水遊びをさせている場面であった。娘も倅も、親に身守られてあどけない円らな瞳で遊んでいた。女房の余りの若さに、私自身ビックリして目が覚めてしまった次第であった。
 月日の流れと共に、すっかり忘却の淵に沈んでしまった光景には違いなかろうが、時として、そんな鮮明画像が夢に再現されるのであるから、夢とは生身の人間にとって有難いものである。

 パイプに変えた煙は、強い紫煙と共に舌先を刺激している。窓外には、下校の高校生達の声が煩い。餌を啄ばむ小鳥に、止まり木で囀る小鳥、私を見ている小鳥・・・フラフラ、ユラユラ身をくねらせる金魚達・・・週明け初日の青空・太陽ギラギラの午後五時である。呆気無く、日は行き過ぎる。

心何処ーショート 都筑の風さんへ。
                  都築の風さんへ。
 有難う御座います。同類項の心情に、感激と感謝、安堵であります。小生、外見に似合わず、繊細な処が有りまして、散歩&スロージョギングの折りに、偶然目に付いたこの光景に託して、日頃のご時世・風潮に対する逆説的鬱屈を描いて見ようかと発案した次第です。

 鬱積した想いを屡屡打ってしまえば、またまたキンタマ・エッセイに為ってしまい羞恥のオンパレードであります。
 
 自然の風情・臭い・営みに身を置かない者の映像視覚・映像想像、労働現場を体験した事の無い人間の汗を理解出来ない連中が、活字・情報から都合好くピックアップした来た概念知識だけを、或る時は偉そうに抽象論で恰好付けをして、或る時は耳当たりの好い庶民語をクッチャべって、社会事象・出来事を、一過性に渋滞の交通整理をする様に、次から次へと流して行く。そんなバラエティ感覚で、政治家までもが、安易・ホイホイとマスコミのベルトコンベアに便乗している様です。もう、テレビはウンザリで、自分の部屋では殆ど見ていません。
 
 学生・若者・好い歳をした大人さえも、耳にイヤホン、手に携帯です。これも、丸で自分だけの個室を、街にテイクアウトしている情けない世相にしか映りません。他者との会話・人間関係を持ちたいのに、その切っ掛けの第一歩も、自分から踏み出せないで居る世の風潮。そのくせ、マイクを向けられれば、一丁前に政治感想を口に出し、エコなどと白々しい事を、流行語のファション・アクセサリーの如く関心度を示して見せる。私に言わせれば、どんな事でも、一歩踏み出せば、世界はそれなりに気の通じ合える場が、広がるのです。億劫さを振り切って、間抜け面で馬鹿を演じれば、気持の言葉は広がるのであります。冷たい・無関心な世相などと云った処で、内実は、自らが招いている事が多いのだと思います。

 幾ら、ロートル・クマ男のノーテンキでも、ウンザリのご時世・風潮であります。
 
 そんな折に自然の端っこで、お天道様がお示し下さった物言わぬ狩人バチの生きる・命を繋ぐ当たり前の本能行動でした。こんな稀有な遭遇は、私の脳裏に一人留め置く事は、折角の思召しに反する事です。一枚の下手絵と一編の目撃詩は、斯様に恥じらいも無く、作って見たものです。お笑い下さい。

 昨日、キリギリスを捕って来ました。まだ形が小さくて青い奴ですが、今朝、鳴きました。ギース、チョン、ギースには遠く、ギースの単発にして、長い音無しの構えであります。然し、盛夏は、直ぐ其処まで来ていますね。コメント、身に沁みて有難く頂戴致しました。

心何処ーショート 狩人バチ
                    狩人バチ

                   狩人バチ(7/12/09)

               よいしょ、ヨイショ、日が暮れる。
             可愛い我が子の為に、狩ったオニグモ。
       大き過ぎたか・・・よいしょ、ヨイショ、急がねば、日が暮れる。

                    穴倉貯蔵庫に、
                 運んで、確り塞がなくては、
                   今夜も、雨が降る。

             よいしょ、ヨイショ。轢死の関門は、通り抜けた。
                   後は、草むら貯蔵庫へ。
                 我が子、スクスク育つを、夢見て・・・

                よいしょ、ヨイショ、嗚呼、日が暮れる。


心何処ーショート ご利益?
                 ご利益?(7/12/09)
 昨夜の事である。部屋の明かりを消してVDVを鑑賞していると、何やらスーと仄かな小さな光が過る??? 虫の羽色が、テレビの光を反射したのだろうか? 枕元には、蚊取り線香を点している。おや、又である。ホタルが一匹、部屋に迷い込んでいるのであった。嬉しく成って、画面を消してホタルの光を追った次第である。

 野球観戦の後、それを本日分の日記として発信した。17時である。太陽があるものの、時間が中途半端であるから、先に散歩を済ませて来る事にする。会館・体育館辺りに来ると、早くも汗がTシャツに滲んで来る始末である。歩道の桜並木の日蔭を歩いていると、胡散臭いオバさんが私を見ている。例の、口では太刀打ち出来ない幼馴染である。

「ねぇ、ちょっと、よくも私の事を、Iちゃんに<あんな口の悪い女は、心も真っ黒けだから、付き合っちゃ駄目だ。品が悪く成るだけだ。>なんて、言ってくれたじゃん。私、ウント、気にしてるんだよ。本当は、気が小さいんだよ。」
「おやまぁ、そうかいな。あん時は、I子に二回も顔合わせちゃってさ。ついつい、中学の同級生の誼で、真実を語ちったのさ。」
「ほんとに、Rちゃは馬鹿だから、そう云う時は、あいつは口は悪いが、腹の中は綺麗な女だって言うのが、常識ってものずらい。そう云うのを、馬鹿に付ける薬が無いって言うんだよ。頭は好いくせして、常識って物が、全然分かっちゃ居ないんだから!!」
「そうか、一つ利口に為ったわ。今日は、遠目の逆光と黒の上下だから、結構好い女に化けるじゃねぇか。化粧の乗りも大したもんだ。どうせ、女二人して、俺の悪口扱いて、下品に笑いこけていたんだろう。目に浮かぶわな。その歳に成ったんだから、歳相応の品も持ち合わせなきゃ、物好きな男でも近寄っちゃくれねぇぞ。反省しろ!!」
「何を軟な事言ってるの。これで好いだわね。軟な男は、好かんわね。女は、この歳になると、男を食って血行良くしてるんだわ。何処まで行って来るの? そのでかい太鼓腹は、ちょっとやそっとじゃ、凹まないよ。体重減らさないと、いざと云う時には、担いでくれる人が居ないと、大変だよ。ほれほれ、ファイトファイト、油売ってないで、ひたすら前向いて歩くんだよ。キョロキョロするんじゃないよ。」
「コンニャローめ。憎まれっ子、世に憚るってもんだわさ。アバヨ。」
 
 まぁ、口数じゃ逆立ちしても敵わない<豪の女>である。自分が言うだけ喋ると、後は用無し扱いである。嗚呼、女房が恋しい処である。遺憾いかん・・・お気遣い、有難うさんにゴザンスである。楽しいエ~ルを散々に頂戴して、日課こなしの再スタートである。折り返し点を越して、キリギリスの声を探してスロージョギングをしていると、ギース・・・の声が聞こえた。

 スロージョギングを中断して、引き返す。まだまだ、数は少なく小さな声であるが、2~3か所から聞こえて来る。生憎、フェンスの掛った山の斜面からである。まぁ、慌てる必要もあるまい。近日中に、虫籠を持って取りに来れば好かろう。

 歩きに替えて、山際の道を歩いていると、面白い物を見付けた。茶色のオニ蜘蛛をジガバチが、引き摺っている。自分の体の倍以上もある蜘蛛である。こんな光景を観察出来るのは、一生の内でも本の5~6回である。
 ジガバチは、蜘蛛に麻酔を施し、体内に産卵する。卵から孵化した蜘蛛の幼虫は、仮死状態の蜘蛛の肉体を食べながら成長してサナギに成り、羽化するのである。こんなジガバチの生態を初めて見たのは、小学生の時に、廊下で寝そべっていた時である。面白い光景であったから、その一部始終を観察して図書館で、その生態を知ったのである。ファーブル昆虫記だったと思う。記憶とは、真に都合好く脳裏に収納されているらしく、ファーブルの観察の情景が、幾つか頭に広がって来る。

 考え様では、これも彼女の御利益とこじ付けられなくは無い。男を男とも思わない物言いなのであるが、気持は何時も温かいと自慢しているのであるから、意外や意外で、心底には温かい女の血が流れているのかも知れない。この位のゴマスリをして置けば、次なるご利益に有り付けるかも知れない。老後の人付き合いは大切・・・が肝要である。

心何処ーショート 早や、高校野球のシーズン
            早や、高校野球のシーズン(7/11/09)

「おい、高校野球でも、見に行こうや。」
「おぅ、好いよ。」

 斜向かいさんからの難解この上ない文章と睨めっこ、ヤツトコサ組み立て直し、隙間を埋めて、文章を構築した次第であった。三度目の校正が終わって、イラストのキャスナーをしている時のTからの電話であった。夏の県大会開会式に続く第一試合の観戦である。

 東海大付属高校と北部高校の試合である。東付高のスタンド席で、Tは野球観戦、私は不真面目一辺倒の球場観戦である。目下にチヤガール18人を伴なった野球部員に依る大応援団である。色気とは凡そかけ離れた中学少女の様なチヤガールの動きとは、全く異なって蛮声とゴタ踊りを、其々の個性で演じている一団の姿は、大いに目を楽しませてくれる。野球部員は、存分に楽しんでいる雰囲気である。リズムに乗ったコミカル・アクションが、実に面白い。私としたら、試合以上の視線占拠率である。

 試合校は、私立強豪校と、耳新しい校名であるから、多分・・・県立高校の統廃合で新設なった高校であろう。素質・身体・鍛え方も格段相違の試合である。バカスカ集中打を浴びてポロポロエラーの大量5失点である。早くも、エゲツ無いオヤジが、<五回、コールドで行け!!>と声援を送っている。耳の痛い内容である。

 我が母校も、長い歴史を持つ高校ではあるが、甲子園出場はゼロ回のタイテのコラサ野球部なのである。決して運動音痴高では無いのである。因みに柔道・バスケット・サッカー・陸上では、インターハイでも三位の栄冠に輝いては居るものも・・・ 事、野球に関しては<悲願、天に通ぜず>の不名誉行進を続けているのである。地元では鼻柱を誇っても、それを言われると即チンナリの頭掻き高校なのである。

 それにしても、野球観戦に来る男達は、体育会系の中高年者の風体で、まるきり知性の知の字も感じられない連中ばかりである。

「おい、T、こいつら丸でインテリジェンスの欠片も、見えないじゃ無いか?」
「馬鹿言うな、お前が、そこを歩いて行って見ろ、何処から見ても、人の目にはヤクザにしか見えんぞな。あそこに居るのは、学校関係者だぞ。ガラの悪い中年二人組が、ニヤニヤしてチャガールを見ているって、警戒してるんだぜ。Rは、女先生にマークされてるんだぞ。お前と居ると、俺まで同類扱いされちまう。」
「馬鹿こいたもんだよ。俺は、行儀の好い人畜無害のロートル観戦だぜや。」

 ありゃりゃ、可哀想に、一方的試合運びは、七回コールドゲームの感じで進行して行く。

「こりぁ~、手前ら、見逃して如何する!! バット振らなきぁ、ボールにぁ当たらんぞ。ヘルメット被ってるだろ、いざと成ったら頭突きカマセや。一点位取れっちゃ。」

 風が止むと、低温サウナの感じである。茶目っ気のあるTは、100円ショップで<必勝>と赤字で書かれた扇子を開いて、タンクトップに短パンのニヤニヤ観戦である。

「おいおい、T、あのお母ちゃん、本日一番の好い女じゃないか。」
「どれどれ、おぅおぅ、目が高いねぇ~。ありゃ、上者だ。お目かしして、倅の応援に来たか。母親だねぇ~。」

 試合は選手・応援団共に、歴然たる差で、7回10:0のコールドゲームで試合終了となった。低温サウナ観戦は、結構な体力消耗である。Tは帰って、お昼寝タイムをするとの事である。彼の言葉に依ると、母校のピッチャーは結構好い線を行っているらしい。
ホンマかいな??? ベスト8・ベスト4位まで勝ち進まないと、(伝統的に云って、中身は、冷たい連中なのである。)腰の重いOBは、野球場には駆け付け無いのであろう。

 母校の初戦は、諏訪球場との事である。お互い、賄い夫ロートルの日々であるから、お呼びが掛ればTの野球観戦にお伴をして、球場観戦をする心算である。早い処、勝ち上がって来い。松本球場に駒を進めてくれれば、球場同窓会が叶うわいな。俺達の時は、授業サボって応援に行って、ベスト8まで行ったぞよ。

 待って、初戦敗退の応援の機会を失うか・・・無様な初戦敗退の臨場者となるか・・・ まぁ、その選択権は、Tに一任の段である。弱い母校を持つOBの心境とは、所詮、そんなものである。へへへのへである。

心何処ーショート ウゥ~ッ、ワンワン!!
              ウゥ~ッ、ワンワン!!(7/11/09)
 昨日は、雨の為に運動をサボってしまった。本日は午後から、雲の合間に小さな青空と白い雲が覗いている。昨日のサボリを今日に続けてしまっては、サボリ癖が付いてしまう。太陽の熱さは敵わないから、夕刻を待つ。行き先の山合いには、黒い雨雲が被さっている。昨日の反省を込めて、歩くべし歩くべしである。やはり、眺めを遠くに置いて、歩くと気持ちが好い物である。

 この処、太陽と温度には恵まれないものの、雨の恵みに夏野菜の生育は好い様である。まだ明るいから、子供を連れた母親が、車で畑にキュウリ・ナス・ピーマンなどを取りに来ている。日照不足の所為だろうが、トマトは青い実を大きくしているだけである。長い上り勾配の一本道も、この頃では馴れた通過点の一つである。上り切って幹線道路から、民家の続く細い道を下って、折り返し点のH橋に向かう。棚のブドウも、小さな実を付けている。この辺りは山を間近に、川の端に続く農家の人たちの家庭消費に回す野菜畑が続く一帯である。腰の曲がったお婆ちゃん二人が、背負い子を背負って、話しながら細道を上がって来る。きっと家族の食事には、新鮮な夏野菜の浅漬けが、食卓にてんこ盛で並ぶのだろう。

 小さな橋を渡ると、山を背負った山の匂いがする脇道である。山の続きのなだらかな畑には、農家の人達が家庭消費する野菜が、色々な種類を以って植え付けられている。山肌を埋め尽くす雑木の山影を見ながら、行く手には松本平が一望して沈み込んでいる。雲に蓋をされた夕刻の盆地に、都市のイルミネーションが灯り始める。灰色雲の薄い箇所に、幾筋かのスゥ~と仄かな茜色が差している。シェパードの少年犬を連れた男が、下から歩いて来る。
 シェパード犬は、いち早く私を不審者と断定したのであろう。唸り声を発して身構えている。見るからに怖いもの知らずの餓鬼犬の風情である。此処は、左右にホバ整理の整った水田が続く、広い直進農道である。飼い主の男が、シェパード犬の眼を手で遮っている。

<コンニャロー。> お犬様にとっては、私は不審者には違いなかろう。白人美形と見れば一、二にも無く、シェパード犬同様に涎タラタラの美形フェロモンを嗅ぎ付ける私の性向を考えれば、文句も言えまい。何しろ、お犬様の嗅覚は、人間の数十倍の鋭さと云うのであるから。馬鹿犬は、無視無視。

 暗く成って帰って来ると、玄関の上がりに貸し出していた下絵ファイル・文作ファイルとお礼の菓子パンの入った袋が置いてあった。早速、お礼に向かうとご主人が通りに居られた。奥さんと女房は親しかったが、ご夫婦とは会釈の挨拶だけであったから、言葉を交わすのは初めてのケースであった。ご主人と云っても私より7つ8つも年長者である。ご主人曰く、常々、私は普通の人とは違った雰囲気を持った男に見えていたらしく、今回の文作読みで、成程と得心された由である。まぁ、これも仕方無しであろう。何しろ、同類と思っていたシェパード犬からも、仲間入りを拒否されてしまったのである。困ったものである。
  
         食欲の無い母には、打って付の差し入れである。

心何処ーショート 漸くの薄日に、青と白のコントラスト
          漸くの薄日に、青と白のコントラスト(7/10/09)
 この時間だとM氏は、自宅に帰ってシベリアンハスキーの愛犬を連れて、松本飛行場周辺を散策しているのだろうか・・・一ヶ月振りのご主人様のお帰りであるから、きっと気違いの様に武者ぶり付いて、<外に連れ出せ>と強請って狂っていたに違いなかろう。感情を理解し合い、意思表現の出来る犬と人間の関係とは、そう云った物である。彼も週末を愛犬相手に、入院生活の垢を落とすが好かろう。

 日課のブログ散策で、お目に掛る<都築の風>さんの愛犬つくねの写真を拝見する度に、私は不思議な親しみを感じている。そのワンちゃんは、まるで人間の化身の様な瞳の表情を持っているのである。こんな表情豊かな動物の目を見た事が無い。これは何を隠そう・・・カメラを向ける者とカメラに収まる者との間に、紛れも無く共通の感情が通っている証拠である。
 男の場合は照れ臭いから、感情豊かな表情写真は中々カメラに収まらないのであるが、男が女の写真を撮る時には、意外に表情豊かな写真が撮れる物である。気に入った男のカメラに収まる女の表情は、しばしばプロのカメラマン以上に、女の表情を撮り映すものである。或る意味に於いて、写真とは被写体との<距離を写し取っている>のである。私の独断的偏見眼で男達の彼女と称する<自慢写真>を見れば、男と女の熱・温度差が見えて来るのである。相手への感情とは、その様な性格を有している・・・と感じているのであるが、奥ゆかしくも教養豊かな紳士淑女のご感想や、如何に・・・の段である。

 都築の風さんの<街道シリーズ>を拝見して、私は涙が出るほど嬉しかったのである。彼は察する処、私より1~2歳年長なのであろう。いずれにしても、団塊世代の男である。何故嬉しかったか? ・・・であるが、

 私のブログを読んで頂ければ、お分かりの様に、私は白人美形と為れば、一、二も無くホイホイの尾を振るシェパード犬の様な下衆男である。それは思春期の頃、洋画の虜に成って白人文明の合理的にして個の確立した生活スタイルに憧れを持って、それに近付きたいと云う気持ちからであった。然しながら、日本人としての金玉武士道を臍下三寸に、確り押さえての事であるが。 

 そんな中で、組織の中での合理的精神と個の強さ・尊重と云った物が、私の人生の一つの指針であった。物事に対する<是々非々>に対する読解力と判断力を培う為の知識習得と花鳥風月に心を養う情感性が、人間力を鍛えて行く方途と考えていた次第である。
 言うまでも無く、人間の生活と云う物は、組織人と一個人の生活人の側面を併せ持つのが、通常の姿であろう。そして、その時々の自分の立場によって、立場が前面に出て柵の中で、組織人or生活人の姿が主従を転じて行くまでの事であろう。

 団体・集団と個の姿が、如実に表れるのが旅先、殊に海外旅行での風景である。若者・日本の識者達の顰蹙を買った象徴・農協団体ツアーの様は、日本人に依って必要以上のバッシングを受けたのであるが、そんなものは中国人・韓国人・ロシア人・英国人の団体バス旅行だって<この目>で何度も見ているのあるのであるから、何も日本人に限った海外旅行風景では無かろう。

 白人旅行者の凄い処は、女一人でも、観光地の場末の屋台・食堂・土産屋・果物屋台にも入り込んで買い物をしたり、食事をしている姿なのである。私も少々変わった性向の持ち主であるから、折角の貴重な体験とばかりに、海外での路地裏散策は毎度の事なのである。可笑しな物言いであるが、360°水平線ばかりの大海に小船を進めると、人間とは不思議な物で怖さよりも開放感に浸れる物である。
 詰まりは、それは、無意識の開き直りと云った開放感でもある。大海原を飛翔する海鳥の目には、地球はきっと個体の陸地と液体の陸地たる海から構成される<総体>として捉えられているのでは無いだろうか・・・従って、彼等は疲れれば海に着水して、疲れを癒すのだろう。そう考えた方が、しっくり来る思考方法なのである。
 そんな風に考えて行けば、外国人が異国の中で、人類、肌の色・顔形・話す言語も違っても、皆兄弟姉妹である。旅人は風の如くで、路地裏に吹く風も、風に変わり無しであろう。人は自分の気の向くまま、感じるままに、風の目線で路地を巡れば、これも楽しの異国体験なのである。その目線が文化として、己が所属する国にあるかどうかが、私の興味を惹く処なのである。そして、それこそが<文化の恩恵に浴した個の姿>だと、私は偏見の目を向けている次第なのである。

 嘗て、東大からサラリーマンに成ったものの、演技の道に興味を持って俳優と成った渡辺文雄さんが居た。若い頃は、松竹映画で二枚目俳優をこなしていたが、映画斜陽で東映の任侠映画では、迫力満点の悪役をこなしていた俳優さんである。氏の<遠くに行きたい>のシリーズを見ていて、芸は身を助くとは云うものの<学は身を助く>の素養・知識・人格の高さに、拍手を送っていた物である。実に魅力たっぷりの教養人であった。

 都築の風さんの文章が、好い味を出して居られる。彼は、企業戦士の鎧兜を脱ぎ去って、<毎日サンデー>のロートル・日々街道を描写されているご仁である。戦後民主主義教育の第一期生として、教師の口車に乗せられて<元気溌剌、明るい未来のアメリカンスタイル>に誘導されて来た世代である。民主主義への明るい懺悔の下、権利と義務の関係に立って、個の確立・主張を道標として来た世代である。荒れ狂う学生運動を、青春の折り返し点として、企業に入った後は企業戦士の鎧兜で行進し続けた世代でもある。
 それが、企業戦士の衣装から解放されて、家庭・地域にシフトした日々を送り始めたのである。遠い昔に学んだ知識、積み重ねて来た素養・人格が、長い人生の時の醸成の中で、それらが自分の視点、文字と為って、今、自分の手に依って日々ブログで紡ぎ出されているのである。

<街道を行く>の司馬遼太郎氏は著述業を生業とするの著名作家であるが、市井の無名人が等身大の姿で、其々のブログで、自分を表現する能力と場を有し始めているのである。
 言うまでも無く、情報・知識は万人の物である。情報・知識が、個々人一人一人の臓器を潜って、其々のページを彩る。これを称して、個の時代と言わずして何としょうかである。
 若き日々の想いが、長い期間の柵の地下水脈を潜って、湧水として湧き出て来始めたのである。此処にロートルと現代文明の利器・インターネットとのドッキングが、叶おうとしているのである。好き時代の時の利である。
 普段着の旅人が、一人旅に出掛ける。知らない土地を静かに、自分との向き合い、他人との出会いの中で、小風が人知れず、路地裏を通り抜ける様に吹く。待ちに待った人々の息遣いが、インターネットの樹海の中に、聞こえて来る。

             真に、嬉しい限りである。

心何処ーショート あ痛~、食するに値せず。
              あ痛~、食するに値せず。(7/9/09)
 雨が降ったり止んだりの、風の涼しさばかりが、訪れる四畳半・定位置である。お茶代わりの極薄アメリカンコーヒーを何杯飲んでしまった事か・・・困ったものである。グッピィ槽には、オス一匹とメス一匹の成魚のみと為ってしまった。半人前のグッピィの二匹に、本当に久し振りの青尾が居る。成魚を買って来て入れたいのであるが、タイミングが悪過ぎる。短気は損の元である。今入れたら、大半の稚魚・針先連中が、口パクリ攻撃で呆気無く消滅してしまうのである。

 パイプタバコをしたら、初めての最後までの喫煙が出来たものの、舌並びに口中がヒリヒリ、頭クラクラの体たらくに陥ってしまった。適当な時間を見計らって、斜向かいさんへ宿題を返納するとして、こんな憂鬱日には、庭の草むしりでもするしかあるまい。

 藪蚊・虫に刺されたら、後が痒くて堪らないから、長袖・長ズボンに、軍手・長靴で臨む。汗びっしょりの健闘振りをしていると、草をむしれば、新たな粗が目に付いて来る。刈り込み鋏・鎌を手に、<ああ、嫌だ嫌だ>を連発していると、今度は雨である。汗でフーフー、濡れ濡れの皮膚である。

<俺ぁ、玉持ち人間だ。雨なんぞに、負けて堪るか!!>である。・・・これだから、単細胞人間は、お笑いなのである。これで暫くの間は、物臭を決め込む事が出来る。面倒臭いから、そうめんを茹でて、昼食とする。然し、手抜きの総菜が、余りの不出来であった。幾ら男賄いの貧乏所帯であっても、<食するに値せず>である。こんな物を、母に食べさせたら、私の味覚を軽蔑されてしまう。箸を置いて、さっさと片付けて、作り直しである。

      佃煮風にアレンジすれば、誤魔化す事が出来よう・・・
 汗落としのシャワーは後回しにして、PCを開いて本日の日記を打ちながらの<定位置と台所往復の捲土重来>である。こんな時は、独り暮らしで好かったと云うものである。口さがない女族が居たものなら、ナイーブな男の胸にはズキン・グサリの罵詈雑言が浴びせられるのは、必定の事であろう。

 味見をすれば、『フン、戯けめ、こりゃ美味い。』甘辛さの中に唐辛子の立派な自己主張である。遣る気を起こせば、私には調理の才能が眠っているのである。さてさて、昼のビールが回っているのに、今、気が付いた。為るほど、これを称して<一点集中型>と言うのである。

       夢夢、不器用、脳タリンと陰口を叩く事無き様に・・・
 さぁ~てと、シャワーを浴びて、好い男に変身致しまする。まだまだ、オイラにゃ♂フェロモンは、健在なのでありまする。ウッシッシ。

心何処ーショート 斜向かいさん、Sちゃのページ
               斜向かいさん、Sちゃのページ

              戯れ絵・資料戯れ絵



                朝、朝ドン今日ハ何ダイ!! 
           ソレガセ 北モ暑クテセ 仲間ト海水浴ダンネ

           ヤ~参ッタナ・・・オラァ『金鎚』ダッタダ!! 

        7/6 信濃毎日新聞 北朝鮮<ミサイル性能向上か>
               米韓分析5発前後 同地点着弾

 
  その日、斜向かいさんが、上記二枚の生乾きの戯れ絵を持って見えた。
<これを、何とかアレンジして見てよ。>との事であった。彼は、このブログの登場人物。今や、揺るぎないキャラクターを誇る御一方である。<はい、畏まりまして御座います。>の段であった。

 本日からは、些か時間に余裕が出来る。加えて、資源物出しの早起きであった。約束を違えては、男が廃ると言うものであろう。さてさて、預かり物を如何料理致そうか・・・である。先ずは、風刺戯れ絵をスキャナーに掛ける。何と何と、容量内に収まっているでは無いか?? 

   さぁさぁ、資料は整っている。一発、レイアウトをして見ようぞ・・・である。
 
 結果は、如何なる事に成るか??? 如何なる訪問者の感想&色白・前田吟さんに為る事やら・・・ へへへ、イザと成ったら、顔の見えぬブログ樹海の辺境の地にして、著作権と資料提出者の自己責任である。小生如き小者は編集者に非ず、単なる事伝え人である。

   ロートル珍道中、気楽に無責任に、楽しむが肝要なり。イッヒヒである。

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