旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 6/30、早や折り返し点
              6/30、早や折り返し点(6/30/09)
 昨日の午後から雨続きである。遣る事が無いから、お絵描きタイムとする。団扇サボテンの黄色い花を描く。絵具を止めて色鉛筆とクレヨンを使う。人間は何かをしていると、余計な事に頭が回らないから、下手絵であっても時間潰しには為る。トゲトゲを加えると、何処と無くサボテンに見える。そんな事をしていると、雨が止んだ。
 目がショボショボしているので、これ幸いと近間の散歩をして、昼にする。本日、病院に行くと言って置いたから、M氏の顔を見に行く。昨日分の呆け話とサボテンの絵を見せると、空かさず正答をしてくれた。マンガ本と発泡酒のお土産を貰って、自転車を漕いでいると車から声を掛けられた。振り返ると、車を運転しているのは、中学時代の同級生のI子である。

「凄いな、良く分かったじゃないか。」
「何処かの爺っさが、自転車漕いでると思って見たら、Rさんだもの。声を掛けない訳には行かないじゃん。ハハハ。」
「そうかいな。そりぁ、悪うゴザンした。今、友達をS大病院に見舞って来た帰りだ。」
「あ~、そうなの。同級会の連絡来たでしょ。出る?」
「出ないよ。」
「出れば好いのに、皆会いたがっているよ。Rさんが居ないと、芯が無いのよ。そう、今何しているの?」 
「斯く斯く云々で、まぁまぁのんびり遣ってるよ。暇潰しにブログを遣っているから、インターネットしてるんだったら見てくれよ。」
「ゴメン、時代に疎いから、遣って無いの。」
「そうかそうか。これがそうだけど。遣ってるのが居たら、覗かせて貰えよ。書くもの貸して見な。これで、俺のページ読めるから、同級会の肴にでもしなよ。俺のしがない日常報告書だ。」
「ゆっくり、読みたいから、それ貸してよ。」
「借りたら、返さなくちゃ為らんぞ。面倒臭いぞ。T子がインターネット遣ってるらしいから、仲が好いんだろ。遊びに行った時に、見てみろ。」
「うん、有難う。一寸、これ高級品だけど、お裾分けして上げるわ。その代り、三つだけだよ。味わって食べるんだよ。」
「やいやい、I子はセレブだね。セレブついでに、女紹介しろよ。」
「馬鹿言ってんじゃないの!! 女なんか止めとき。面倒なだけだよ。ああ、待ち合わせの時間オーバーしちゃたから、行くね。頑張って親孝行するんだよ。分かったね。皆には、Rさんは、元気にしてるって言っといて上げるからね。」
「おう、サンキュー。良いぞ、車を出せよ。見てて遣るから、じぁな。」

 今日は、可笑しな日である。散歩の折りに、例の口の悪い幼馴染女に出っ食わして、丁々発止前に、軽く一蹴されてしまった。その彼女とI子は、仲が好いのである。二人とも、私が大人しい性格だと知っているから、思った事をポンポンと口にする女達である。類は友を呼ぶのであろう。そう云えば、二人とも化粧の乗りが好かった。知らない人間が見たら、性格の真っ直ぐな年相応の女に見えそうであった。
 然しながら、あんな連中と誼を交わしたら、それこそ引っ張り回されて、漫才が炸裂してしまう。そんな事態に為れば、私は意志薄弱の男でしか無い。ロートル賄い夫などアホらしく為って、外の世界に一気に吸引されてしまう。

  遺憾いかん、堪え性の無い男は、世間を狭めて生活する姿勢が肝要なのである。
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心何処ーショート ロートルも外に出れば、何かに出っ喰わす。 
         ロートルも外に出れば、何かに出っ喰わす。(6/29/09)
「如何だい? 元気にしてるかや。今日の分は、打ったかい? コーヒーでも飲むかいね。」
「あいあい、終わったよ。何時でも好いよ。来ておくれ。」

 玄関の草取りをしながらTを待つが、中々来ない。用事でも出来たのであろう。夢にヒントを得て、短編を打とうとパソコンに向かう事にする。何行かを進めていると、Tの車が止まり、ニヤニヤしながら此方を見ている。
 
 例のスタバでアイスコーヒーを注文していると、下駄履きに薄紺の作務衣を着た白髪頭の草臥れた表情の男に、TがY、Y君と親愛の情を込めて呼んでいる。何、Yだと。おやまぁ、確かに高校同期のYである。早速、二階でロートル話である。彼は、この近く居るそうである。定年退職後は、遣る事が無いから庭いじり・畑仕事をしているとの事である。
 本日は、適当な苗・種を物色に来たと云い、このスタバには、週二回ほど利用するとの事である。

 気の短い、喧嘩早い性格が災いして、高校を中退してしまった男である。番から男子高であったから、学年には何人かの、そんな人間達が居た時代である。そして、そんな事は如何って事も無かった時代であった。私は真面目な硬派であったから、彼の存在は知っていたが、付き合いは無かった。
 然し、同じ〇〇生であるから、横道に逸れ様が、進学しようが頭の中身に大差がある訳では無い。話を聞いていると、大した経験の持ち主である。
 
  彼は30代の初めに、北朝鮮で道路工事の指揮をしていたとの事である。
 「現場関係者は、俺一人でさ。中卒の俺が『先生・先生』と呼ばれちゃって、VIP待遇だよ。通訳が付いて、リムジンでホテルと現場に送迎されて、『お付きの喜び組』が、ロシア人のピチピチした美人まで付いちゃって・・・何しろ、凄かった。幅100mの大道路を4km造る大工事で、4か月飛ばされていたんだ。
 今だって国交の無い国、拉致の国だろ。中国経由で北朝鮮に入ったんだけど、空港じゃ日本人何て言ったら、ライフル胸に突き付けられて、許可が下りるまでは、大変な緊張感よ。

 現場じぁ、小便だって立ち小便が出来ない。我慢しろで車に乗せられて、ライフル銃付きだよ。至る所、眼隠しがあってさ。周りを外国人に見せないんだよ。好い金になるからと、手を挙げたんだけど、誰も、手を上げない訳さね。
 怖くて不気味な国だよ。早く言えば監禁生活見たいな物さね。そんな暮らしが4か月だったけど、ホテルに帰ってくれば、VIP待遇で、女も只。勿論、飲み食いも只。酒は世界一流の銘柄だぜ。
 至れり尽くせりだよ。庭の池の鯉を見て、あれが食べたいと言えば、そのまま、料理されてテーブルに上る世界だよ。松茸だって、こんなのがバンバン出て来るしさ。」

「じぁ、ゴタ助のお前の事だ。バカスカ、子供も作って来たんじぁ無いか?」
「やぁ、そりぁ無いわ。高校二年の時、喧嘩して中退しちゃったろう。親から勘当喰らって、家から叩き出されて<茨の道>さ。
 喰うのでやっとでさ。それでも、何をすれば子供が出来る。立て続けに、子供が三人出来ちゃってさ。これ以上は養えないと覚悟して、輸精官を縛る処置をしたんだよ。だから、遣り放題。態の好い監禁生活だし、何しろ、若かったからなぁ~。」
「そうかい。じぁ、北の大地に黒煙濛々の、ピストン機関車の暴走じぁないか。」

「馬鹿抜かせ、金が無くて駅前の潜りの処置を頼んだのが不味くてさ、金玉がガンガンに、こんなに腫れ上がちゃってさ。自転車にも乗れねぇし、歩くのだってこんなソフトボールが、二つ股間を占領してるんだ。ガニ股で歩いたって、勝ち合って痛ぇなんものじゃ無かったぞ。」
「そりぁ、しょうがないわなぁ、ネギのサックじぁ、敏感肌被れちゃうだろうしな。おいおいYは、パソコン出来るんだろ? インターネットしてるんだろ?」

「ああ、遣ってるけど、見てるのは、恥ずかしながらエロサイトだけだよ。」
「おい、Y、そりぁ勿体無い話だ。そんな貴重な体験談を墓場に持って行くなんて、罰が当たるぜ。実体験なんてものは、何年経ったって、おいそれと消えるもんじぁないぜ。書けよ。」

「そうだよ。研究者・学者・マスコミ・ジャナリストが生意気こいて、偉そうな事を抜かしているが、そんなスケールのものじゃあるまい。表と裏の実態の格差なんてものは、軟で生白い優等生には、経験出来ない代物だぜ。時間は一杯あるんだ。遣って見ろよ。」
「そんな事言ったって、俺ぁ、お前達大卒と違って、二階級下の中卒だぜ。大体、字を知らねぇわ。如何するだい? 冗談こくなよ。」
「馬鹿こくなよ。中学までは、俺達は優等生だろうが。脳みその造りは、まともなんだ。ボチボチ書き始めれば、結果は自ずと付いて来るわな。」

「そうかぁ~、写真とか記念品・土産物も調べりゃ、出て来るんだがさ。面白い話は、この頭の中に、腐るほどあるんだけどさ。へへへ。あっちの方は、中々忘れんものだしな。ギャハハ。」
「上等じぁないか。ガリ勉した奴等よりも、ゴタ助の文章の方が、味が出るってものだわさ。出汁だって鰹節よりも、イワシ・サバの削り節の方が、旨い出汁が取れるじゃないか。毎晩、お毛け、開脚のページが満載のブログ界の愛好者なんだろう? 文字表現なんて、高尚なもんずらい? 今度は、日本人から『先生、先生』ってファンレターが来るぞぇ。」

「オメタ、えらい煽てるじぁないか? 」
「そうじぁないさ。学校出て30年40年、働き続けて来た男達が、目出度く退職を迎えているんだ。写真だけのファイルが、自分の足跡・軌跡じぁあるまい。
 文字で自分の軌跡を反芻する事は、楽しい張合いにも為るぜ。姿形の見えないブログ世界だもの。白らばくれて公開すりゃ好いんだよ。Yの鼻柱だったら、構やしねぇぞ。
 人間って奴は、未知の物に好奇心を抱くものさね。それが回り回って、政治・経済・国体の違いを読み解く一助にも為るわさ。公開された活字の中から、何かを見付けて、それを資料の一つとして考える事も、読者の技量次第だよ。人生、遊び心を失ったら、面白くも何とも無かろうが。」
「中々のインテリじぁないか。俺も、真面目していたら、お前達と同等だったんだろうなぁ~、若気の挫折は、命取りだったか・・・失敗こいたな。何か、励まされちゃった気分だよ。物は言い様だなぁ、それで、女口説いてるのか? 困った連中だいな。」

「馬鹿こいちゃ行けねぇや。これからが、ロートルまっ盛りだぜ。無駄事こいたら、張っ倒せ。今、老いたら、先は長過ぎるぞ。そうだろう?『先生』様。」

 ノーテンキ・オヤジ三人は、ニコチン切れで、タバコを吸いにスタバを後にする。灰皿付きのベンチで三者三様のタバコに火を付ける。月曜日の昼過ぎであるが、客の出入りは多い。私とて男の端くれであるから、当然、目の保養である。若い男女が車から降りて来た。中々、好い線を行っている。
<見るは只、見なけりゃ損>が、私のモットーである。ズーと見ていると、彼女も此方を見ている。可哀想に、足元不注意であった。縁石の角に蹴躓いて、大コケを演じてしまった彼女である。

 ハッハッハ・・・ついつい笑ってしまうと、彼女も笑って舌をペロリと出す始末である。

 為るほど、我々世代の単身男達の仏頂面が、多く歩いているものである。これからは、益々増加傾向を辿る街中の様子なのであろう。こんな中に在って、Tと私はノーテンキ・ニヤニヤロートルの<ダメおやじ風情>なのであろう。
 勿論、私は自分では自分の姿・顔を見る事は出来ない。きっちゃが度々云う様に、私とTの話し方は、声が違うだけで雰囲気がそっくりとの事であるから、女好きの好色度もきっと好い勝負なのであろう。

 のほほんとして、好人物に映るTは、若い女を鑑賞していても嫌味が一切無く、穏やかな視線の男である。背丈も顔付も好い男であるから、様に成って目立つ存在である。

 私は、これで良いのだと思う。人間の表情と云う物は、奢らず高ぶらずに自然体の穏やかな表情で居れば、自ずとその場の雰囲気に和やかな空気を発散する効果があるのだと思う。願わくば、退職した団塊世代のヤング・ロートルが、夏の熱い地面に打ち水を施す様に、街に穏やかな雰囲気を醸し出す。そんな存在として生活をして行って欲しいものである。

心何処ーショート のほほんの一日を過ごすなり
             のほほんの一日を過ごすなり(6/29/09)
 四畳半下の極小苺が、健気にも赤い実を付けている。面倒であるが、最後の摘み取りをする。黄色のサボテンの花も、咲いているのは極僅かである。これも、ご苦労様でしたで、干乾びた物、萎んだものを落として遣る。種から自生した枇杷の実が、小粒の熟しを見せている。これも、お天道様からの拝領物である。口に入れると、仄かな香りと甘みである。初物と最後の苺であるから、親父の仏壇に供えて残りは母に差し出す。

 曇天の過ごし易いお天気である。今日明日は、見舞客・検査があるから、ゆっくり話も出来ないと言うから、病院への顔出しはパスである。私ものんびり怠惰の内に昼寝をしたり、CDを聞いたりして過ごそうと思っている。唯、無粋なのはヘリコプターの爆音である。

 ビワを食べていると、小鳥達が私を見ている。生意気な奴等である。ハコベを乗せて遣ったでは無いか。仕方が無いから、庭に草履を回して取って来て、皮を剥いて一つづつ籠の中に入れて遣るが、一向に食べようとしない。棲む世界が違うのであるから、文句を言っても仕方があるまい。
 世代交代の早いグッピィには、如何しても確率的に奇形が生まれるものである。これからビックママになって、子供を放出しなければ為らないメスの尾びれが、発達しない儘なのである。見ていると、このタイプの奇形が何匹かは発生してしまう。近親交配の影響か、餌の関係かは定かではないが、別段生命・繁殖には影響が無いから、その儘の放置をしているのである。

 午後からは、たかじんコーナーを見ながら、悪口・悪態の迎合お時間である。母子合算153歳のおちゃらけ、冷やかしのお時間であるから、一切退屈しない一時間半である。この頃では母も、私の毒舌・悪態に、すっかり馴れっこに為ってしまって、大分面白い突っ込みをする様に成ったものである。出演者も司会者も適当なのであるから、テレビを見ている者も、言いたい放題で楽しめば良いのである。朝の時間は食欲も無く、布団の上でくの字に成っていた母であるが、元気が回復して来た様である。

 老後の母にして見れば、私の様な馬鹿倅を一人生んで置いて好かったと云うものであろう。母の姿を見ながら、自分の老後を考えて見ると、私の子は、少な過ぎたのかも知れない。二人と五人とは、確率論から言って淋しい限りである。老後の私を前に倅・娘が、果たして私ほどに砕けてくれるだろうかと心配している次第である。話の振り方さえ習得してくれれば、語り手の私としては、話の泉・玉手箱状態で、ある事無い事、省略、おとぼけ・尾ひれ・背びれボウボウの親子漫才で、時を過ごせると思うのであるが・・・
 兄弟一の短腹・気難しい屋の私が、角を失って家事をこなす大人しいロートル・クマ男に漕ぎ着ける事が出来たのであるから、待てば海路の日和が来るのかも知れぬ。

   如何なる老後が、私に展開されるかは、神のみぞ知る処であろう。

 絵を一枚描いた後は、昨日の周回コースを最短距離で、真面目に所要時間を計って来る。一時間半強であった。これなら、夕食時間との兼ね合いが出来そうである。本日、日曜日あるから、親子が河川敷に出てホタルを見付けて、驚きと喜びの声を上げている姿が散見された。


心何処ーショート スロージョギング感想
              スロージョギング感想(6/28/09)
 さて、スロージョギングから三週間目である。一週間ごとに、橋を二つづつ増やしているのであるが、今度の橋が散歩時間からすると最後の橋と為ろうか。川の上流に向かっての橋伸ばしであるから、橋と橋の間隔は、街場の間隔の何倍もの距離を伸ばして行くのである。その上の橋と為ると、遠足に成ってしまう。

          多分一時間半~二時間程の時間を要しようか・・・
 ロートルの知恵であるから、途中から田んぼ・畑の農道をコースに取ったりのマイペースの歩速である。昨日までの折り返しの橋を過ぎて、次のH橋に向かう。長い上り勾配が直進している。上田市に向かう幹線道路であるから、車がハイスピードで交差している。立派な歩道が付いているが、ロートル散歩には無粋の幹線道路である。

 再び、田んぼの細い農道に下りて隧道を潜り、川の土手道に歩く。この辺りは、東の山がグッと迫って来ている。車で釣りに来たり、キリギリスを捕りに来る界隈である。この頃は介護の身であるから、すっかり近場での釣りしかしないから、川の流れの様子が大分変っている。見るからに渓流釣りの風情が漂う、好い変化である。
 水柳・鬼グルミ。アカシアの生い茂る河原の平らな一角には、草刈りが為されている。見るからにキャンプが、似合いそうな場所である。イワナ・ヤマメ・アブラハヤの混生する隠れた釣り場ではあるが、農業用水に取水される川であるから、飲料水は持参しなければ為らないが、近場の穴場と言って好かろう。

 六時になって家を出て来たのであるが、大分暗く成って来た。川面にヤマメの波紋を追いながら、土手の細道を進む。小さな水田と自家用の野菜畑が続く一帯である。

 漸くH橋に到着する。山際の小さな橋である。橋を渡って東に直進すれば、山の集落に通じ、ゴルフ場、美鈴湖にも繋がる。橋の袂の迫り出した小山には、戦国時代の砦跡が小さな神社となっている。
 
 煙草を一本吸って、スロージョギングの開始である。誰も居ない暮れなずむ山際を這う様に下る農道である。スロージョギングのツボは、有酸素運動の時間を長くする事で、末端の毛細血管の血の巡りを促進させる事にあるらしい。私の相撲取りの様な太鼓腹は、一向に改善の兆しすら見えない。散歩の距離は、今日の距離を割り算すれば、通常の三倍ほどに為ろうから、効果は大変な物なのであろう。下り勾配のスロージョギングであるから、疲れる感覚も然程無く、好い汗の運動である。脳ある豚は臍を隠すとか云うらしいが、私としてもジョギング程度の走りは出来るのであるが、とぼとぼスロージョギングが肝要との事でもあるし、この歳に為ると息切れ運動は、まっぴら御免の沙汰である。

 それでも、少しばかりペースを上げてジョギングをしていると、眠っている身体細胞が蘇って来る。学校の陸上競技代表選手をしていた頃の、風を切る身体能力は遠の昔に消え失せてしまったが・・・扱きに扱き抜かれて、ある程度のスタミナが切れて来た時に感じる、何故かハイな気分が身体に回って来る感じなのである。
 そんな気分が、40数年前の選手時代の記憶を運んで来るのであるから、人間の脳裏の蓄積物とは、時空を遠く離れて全く妙な物である。一昨日は夜を隠れ蓑に、年甲斐も無くシャドー・ボクシングの真似事をしてしまったので、変な筋肉痛に為ってしまった。
 如何いう訳か、本日は身体が頗るハイテンションなのである。血の気の多かった二十歳前の時代は、喧嘩で鍛えた拳と敏捷性を備えていた。あの当時出来た瓦割、飛び蹴りは出来る様に為るのだろうか・・・水泳も3km、4kmと泳げるのだろうか、相撲も柔道もして見たい・・・などと、年甲斐も無く、馬鹿な事を考えている始末である。

 さてさて、あの橋までスローをして、パーマ屋の時計を見てから、均しのウォーキングに移行しよう。こんな事に快感を覚えてしまったら、体育会系に逆戻りである。ロートル・クマ男には、物臭生活こそが肝要なのである。汗、びっしょりである。7:45である。ほぼ二時間の運動量であろう。これ以上は、すべきでは無かろう。河原にホタルの光が、飛び始めている。

心何処ーショート 真面目に政治余話
              真面目に政治余話(6/27/09)
 ハヤ釣りに行って来る。毛バリに大ヤマメがジャンプするが、釣れず終いである。食事の支度の為に、帰る。大幅に遅れてしまった昼食事をしていると、斜向かいさんの登場である。今月も後僅かとなり、政治家の悪口三昧である。

 麻生総理も、解散選挙の近い事を明言されるに至った。解散総選挙が、話題に上って9カ月にも成るだろうか? 自民党総裁選は、去年の9月に現在入院中のM氏と二人で行ったサイパンのホテルで、見ていた物である。早期解散の顔として選ばれた麻生総裁・総理であったと記憶している。
 然りとて解散したら、絶対に手に入らない衆院2/3の絶対多数議員数である。折角、掴んだ最高位であるから、後生大事に座り続けるのも、人間の性である。引っ張って引っ張っての任期間際の格好付けではあるが、漸くと言う感じがする。ともあれ、選挙民が一番政治に近付ける好機には違いない。

 後は、政治家・マスコミがグウの音も出ない程の高投票率で、願わくば政権交代が為される事である。高投票率で自民党が第一党と為っても、それも致し方が無い事であるが、相変わらずの低投票率で終わってしまっては、不甲斐無さへの私の個人的な矛先が、日本国民の質に向けられてしまう。

 そんな日本人・日本社会の体たらく振りは、正に見たくも無い心・意思の荒廃と云うべき物である。政治への関心と叱咤激励は、投票行動で示すしかあるまい。その結果が、自民党が勝とうが、民主党が勝とうが、民意の表れなのであるから、仕方があるまい。
 然しながら、少なくとも、相手を批判するには、身辺を綺麗にして相手の付け入る隙を与えない事が大事である。これ以上、政治家・批評家・タレントコメンテーター・芸NOコメンテーター達をのさばらせない為にも、高投票率を実現する事で<完膚無きまでの民意の高さと関心>を示さなければ為らない。

 その絶好の機会と証を、政治不信・無関心の個人的体たらくで汚して貰いたくは無いのである。高投票率を何としてでも、国民有権者として示して欲しいと切望している次第なのである。

 テレビを見ていると、自民党の中川秀直先生が、麻生総理・総裁の下では選挙に勝てないから、辞任をして頂いて新しい総裁の下で選挙を提言しているとの事である。

  <好いですねぇ~、大賛成!! 是非ともお遣り下さい。下衆野郎様。>

 そして、政治家の考える思惑と有権者の感じ考える思惑の違いを、存分思い知るが好かろう。自民党の足を引っ張って、結果次第では仲間を募って新党結成で、キャスティングボートを握ろうの『下心見え見えのアドバルーン上げ』である。

<高等戦術じゃないですか、流石に自民党要職を歴任された愛人スキャンダル・上げ潮・移民化政策の大物議員先生である。大いに自分の政治センス・大物ぶりに『己惚れ踊り』をすれば、好いじゃないですか。そう云えば、幕末期には、『ええじゃないか踊り』が流行ったそうである。>

 俺ぁ、貧民・下衆野郎かも知れんが、顔・柄に似合わない<猫なで声野郎>になんか、一票を投じる程、お人好しじぁ無いわさ。己惚れ満載の猫なで声ほど、聞き苦しい様はゴザンセンよ。日本人は、いざと為ったら賢いのでありまするぞえ。甘く見くびって居られると、自分の裸の王様振りを衆目に晒す羽目に、陥るのでありまするぞえ。短足・太鼓腹のフリチン姿は、愛人と過ごすベットの中では、貫録十分の猫撫で声では有りましょうが、先頃、深夜の公園で<裸で居て、何が悪い!!>の同情は頂けませんぞよ。
 さてさて、政治家先生達の正念場でゴザンスよ。何を訴えて、議席を維持するか。世襲議員先生達も正念場、小泉チルドレン様達も正念場。誰が落ちても、不思議なしの『出来過ぎ郵政解散』の付けが回って来たのでありまする。

 薄いメッキは、兎角、剥がれ易い。為らば厚いメッキで覆い尽くせば、何かと維持費が掛る。見果てぬホワイトの願望は、注射漬けで齢50で命尽きる。所詮、無理の糊塗は、タカが知れている。

 遺憾いかん、柄にもない事を打ってしまった物である。御許しあれ。普段の物臭モードに帰るべし。ミッドナイトの散歩に出掛けまする。

心何処ーショート ホタルの夜
                  ホタルの夜(6/26/09)
   食堂兼談話室の大型液晶画面に、NHKの午後の体操が映し出された。
「おっ、体操のおネェちゃんか。俺は奥の右側のおネェちゃんに、目が無いんだよ。」
「どれどれ、あれ~、洋々に似ているじゃないの。分かる分かる。Rちゃの好みの感じだねぇ~。奥さんも、こんな感じだし。Rちゃは、背が高くて、きりっとして大人しい感じの美人が好きだからね。」

「そりぁ、人間には好みのタイプがあるから、大体雰囲気は似ているのが当然だよ。シングル・ママだって、感じが共通しているもの。」

「ハハ、誰かさんは、面食いだからねぇ~。彼女、何しているかねぇ。あの頃が、懐かしいね。」

「そうだね、羽目を外したお陰で、思い出だけは満載収納出来たから、退屈はしないわさ。」

「何しろ、口説き文句が、真面目なスケベで通しちゃうんだから、笑っちゃうしか無いもんね。スケベNo,1で、徹底的に触っちゃう処が、憎めないキャラクターだもんね。」

「そりぁ、誤解だよ。一切下心の無いお触りを真面目に遣っているから、嫌みが無いんだわね。俺だってバカじゃないから、無暗矢鱈と触らせて貰ってる訳じゃないよ。反応を確かめて、失礼の無い様に細心の注意を払って、使い分けしてるんだよ。変態と明朗快活なスケベとは、月とすっぽんの大差だんね。
 眠れる才能に気付いて、開花させるには、それなりの年月が掛ってるんね。イッヒッヒ。
 スケベと禿頭は一対の関係だからね。俺に言わせると、皆さん大人し過ぎるんだわさ。我が手には女の柔肌感触、我が頭にはお仕置きのペチャと来れば、プラス・マイナス、ゼロの均衡じゃないの。同じ男なら、触らにゃ、損損の大パレードで行かなくちゃ駄目せ。」

「RちゃとTさんには、誰も追い付かないわ。コンパニオンのおネェちゃんも、Tさんが来ると言ったら、ドタキャンで逃げちゃったからね。それをTさんに言ったら、流石に目を白黒させて、<ケツレイ>って言って、屁をこいてるんだもの。並の人間じぁ無いわ。」

「ああ、ありぁ、Tが100%悪い。素人に向かって、柔道技で自由を奪うなんて事は、とんでも無い野郎だぜ。反撃の隙を与えとか無きぁ、スケベ凶器だわね。」

「そりぁ、ちょっと酷いなあ。親友でしょうが。何か、目撃者の俺としたら、それに乗じてTさんの上を行く人が居たけどなぁ~。」

「ああ、あれは悪く言えば、中国の古典で云う処の<漁夫の利>って奴だわね。そりゃ、しょうがないわね。あいつとは、コンビが長過ぎるもの。
 良く言えば俺は、野郎が気の小さい俺の為に、<こう遣るんだ!!>と見本を見せてくれたと錯覚しちゃったんだろうね。それでお師匠様の好意を無駄にしちゃ罰が当たると思い込んじゃったんだわさ。ギャハハ。」

「好く言うよ。片腹痛いわ。でも早い処、俺もTさんも健康に為って、<三人の会>を立ち上げないと、しょぼくれ爺っさに成り下がっちゃうものね。頑張らなくちゃ。」
「あいあい、そう云う事だいね。還暦を超えちゃ現役の月日は、限られて来ているんね。<赤玉ポートワイン>は、目と鼻の先だんね。ガンバラにぁ~。役立たずの老後の愉しみは、反芻の愉しみしか無いわね。それも、反芻の在庫如何で、愉しみは決まちゃうもの。キリギリスは駄目だよ。せっせと貯め込む蟻ゴに徹し無きぁ。」

 不良中年男と云う者は根が根であるから、ちょっとやそっとの経時効果では鳴りを潜め無いのである。三つ子の魂、百までの喩通りであるらしい。外でタバコを一本吸ってからが、お開きとなる入院見舞である。明日は、眼科で見て貰うと言うから、顔出しはパスである。本日、直射日光の中であるから、一段上がった駐車場の生垣の日蔭で一服タイムである。

「ほらほら、Mさん、綺麗なおネェさんが自転車で来るよ。」
「どれどれ、」
                ・・・・・・・・・
     ・・・・・・・・・

「ねぇ~。女なんてものは、自分に自信があると男に注目して貰いたいんだよ。注目されるのが当然と思っているんだわさ。美人は、お天道様からの授かり物だよ。正々堂々と男は、目の保養をさせて頂くのが美人への礼儀だんね。澄ました顔付きで通り過ぎるんだけど、本心は嬉しいんだぜ。
 ほら、擦れ違いざま、ちらりとコッチを見るあの仕草が、俺には堪らない<美人の習性・特技>でござんすよ。へっへへ。可愛いものさね。
 美人は、目の保養。見なきゃ損損。瞬き無しの直立不動の最敬礼ってなものさね。正直に勝る観賞無しって、古の詩人が言ってたずらい?」
「出ました出ました。今日も出ました、R節。ああ、明日は、聞けないから淋しいね。」

 
 話変わって、日課の夜の散歩・スロージョギングをこなす。夜の河原に、今年一番のホタルの光である。   スー、スー、フワフワ、フワ~、フワ~、スー、スーと、  小さな光が数を求めて、静かにゆっくりと流れて行く。
 川の瀬音に、カジカガエルの音色が、  フィーフィフィフィ、フィー、フィフィフィと  口笛を転がす様な小さなメロディを奏でる。
 西に傾く細い三日月の暗さに葦の原が、街灯の明かりに濃淡の滲みを見せて黒々と続いている。穂を付けた葦原にホタルが、スー、スーと青い糸を引き、フワフワ、フワ~と揺れる。

           川に、静かな夜が沈んで行く。

 橋の下の河川敷のベンチでは、橋灯の淡い光の中で女子学生達が、何かを語らっている。芝生の刈られた河川敷には、二台の自転車が止めてある。青春の語らいなのであろうか。夜に融け合った静かな光景である。

心何処ーショート のんびり、眺めを巡らせる為り
            のんびり、眺めを巡らせるなり(6/25/09)
 夜の散歩は、ポケットに財布を入れて街に下ったのであるが、店に入る気にも為れず、フライドチキンを買って来てしまった。如何やら、一定の運動量をこなさないと体細胞が不満なのであろう。進歩なのか退歩なのかは、判断の着かない処である。
 ホタルの光は見えなかったものの、カジカガエルの声が結構聞かれたのは、拾いものであった。11時前後の夜散歩であるが、若い娘の一人自転車姿が多い物である。

 そんな光景は毎日見掛けるのであるが、テレビの三面報道を思い浮かべて、邪なる想像を試しては見る物の・・・  そんな気も起こらない。彼等を異常者と看做してしまえば、それまでの事であるが、彼等とて犯罪を起こすまでは普通の人間である。
<魔が差したのだろうか? それとも千載一遇のチャンスを虎視眈々と窺いながら、夜を徘徊していたのだろうか?> 
 私は、肝心要の時に限って、空っきし度胸の無い小心者である。すごすごと真面目人間の行動を励行するしか無い私には、分からない彼等の心理である。

 散歩をする者、ジョギングをする者、連れ立ってそれらをする者も結構多い。太陽の無い夜の散歩は、体力の消耗が少ないから丁度良い。一日の40~50分ほどの時間を、視線を遠くに置いて遣る事は、目が命の愉しみから云って必要な事である。

 明けて、暑からずの晴れ日である。百日紅の高い梢に、シジュウカラが鳴いている。家中の窓を開放しているから、好い風が入って来る。
 
 大所帯の鳥籠では、抱卵に集中出来ない様子であるから、玄関の鳥籠を窓辺に置いて遣る。彼等とて、玄関の空間よりも窓辺に差し掛かる雑木の葉の茂りを見て、風の通う空間の方が余程気持が好いのであろう。単発の声と動きが、活発である。
 小鳥達も面白いもので、玄関に置かれ放しにされて居ると、閉じ困られている閉塞感のストレス故に、外界への興味が増すのであろう。実は、昨日一羽が、鳥籠から出てしまったのである。
 出たまでは好かったが、勝手が違いモタモタしている間に、難無く私に御用となってしまったのである。こんな時は、何度かある。飼い主が、タイテのコラサ小心者であるから、仕方なしの感である。何時も通りに窓辺に置いて遣る日常にして遣ると、彼等は意外と鳥籠の中で満足している様子なのである。理由は想像出来るが、無意識の行為・行動と云う物は、面白い物である。

 先日、鑑賞魚コーナーで見た、2480円の流金は見事であった。去年198円で買って来た流金・コメット達は、400~500円程には為っただろうか・・・ 水槽内の一番の成長株は、水草だけであるから厄介な物である。金魚の餌をセーブして、金魚の自然食とするしかあるまい。グッピィ槽の水草の大半を、金魚槽に移す。
 すっきりした水槽に、稚魚達が結構な数で泳ぎ回っている。早く大きく成って、彩りを満開にさせよと云った処である。

 電線では、セキレイがヒリヒリと鳴き、熱い瓦屋根の下からは、何度目かの繁殖で、雀達の餌を強請るヒナの声が聞こえる。熱し易く冷め易い瓦の間隙の雀の巣である。考えて見ると、よくぞフライド・チキンに成らないものである。蜂の巣では、働き蜂が羽根扇風機を回して、温度調整をするとの事である。雀の繁殖も時季を間違えると、大変な事態に遭遇するのだと同情してしまう。

 さてさて、退屈を弄んでいるM氏の顔を見に行くと致しまするかな。これも、ロートルのボランティア活動の一環である。

心何処ーショート 水中昆虫の採取風景
               水中昆虫の採取風景(6/24/09)
 温泉ミネラルウォーターを飲み付けると、無く成ると淋しいものである。食事療法中のM氏の飲料は、ミネラルウォーターであるから、彼の為にも一本汲んで来る事にする。
 アッチャチャの湯船であるから、最初から水道水で冷ましてから入る。適温に成った湯船に、どっぷりと浸かる。

 ザァーとばかりに、満タンの湯船から透明の湯が、洗面器を浮かせて勢い良く排湯口に流れる。貸切状態の湯である。体の隅々まで洗い終えて、タイル壁に背を預けて足を伸ばしての湯浸かりタイムである。昼時を選んで来たから、女湯は誰も居ないらしい。高い窓から入る風が、火照った身体に実に気持ちの好い当たりである。
<ためしてガッテン>のスロージョギングを、二週間ほどしているのであるが、一向に改善の見られない太鼓腹である。まぁ、散歩距離が大分伸びたから、その内に効果が出るのであろう。眠れる皮下脂肪の壁は、殊の外厚いのだろう。

 赤松啓介著・夜這い学と温泉ミネラルウォーターを持って、M氏の所に行く。

 教育入院との事であるから、色々データーの読み方・自己注射の打ち方・自己管理の仕方などをして過ごす退屈な入院との事である。急激な体重の落ち込みは、体内の肉・脂肪・骨からの栄養素の吸収で賄っているとの事である。体は軽く成ったものの、体力の衰えが激しくて、身体に力・活力が回らないとしょげている。つい先頃まで、私と同様の太鼓腹に太い腕を持っていた彼は、私のメタボ体形が羨ましいとの事である。外でタバコを吸って、別れる。

 縁石に腰掛けてタバコを吸っていると、肛門が熱く成って来る始末である。性感帯か何かは、分からぬが、正直敏感な箇所には違いない。夏の強い日差しに、川の中でS大男子学生達が水中昆虫の採取をしている。ズボンを捲った生白い脛と不安定さが見て取れる彼等の動きとは、裏腹に彼等の表情には喜々とした表情が見える。
 同学部の女子学生達は、寄って集って河川敷から盛んにエールを送っている。
        おやまぁ、娘っこ達は、騒々しい限りである。

 こんな暑い日には、自分達も一緒に成って川に入れば気持ちが好かろうが、その気配は、全く無い。男女同権・平等の世の中である。何処の都会育ちかは知らぬが、縁あっての自然満載の学生生活である。手足を水に晒して、川の水の清々しさと川の匂いを嗅いで見るのも、学生時代の思い出の一つとして、脳裏の感触に刻まれるのであろうが・・・ 

 何処に座っても構わない服装の女子学生の姿である。スニーカーごと、ジーンズごと川に浸かれば水洗濯が適うし、目に映る水中の群れるアブラハヤを素手で掴む事も出来る。水辺の草の匂いも、嗅ぐ事が出来る。たかが濡れたって、河川敷でお喋りをしていれば乾くし、自転車を漕いでいれば、風通しの好い自然乾燥となる。
 親元を離れての折角の学生生活である。小言・文句を言う親は、此処には居ないのである。夜のコンパ、昼の河川敷でのバーベキュー・ビール、ホイホイの野外コンパだけが、学生生活の特権でもあるまいに・・・ 遊び方を知らない困った連中である。

 嗚呼、勿体無しや。ロートル・クマ男は、川でピチピチ弾ける女子学生の溌剌さを、見てみたいものである。小粒なエールでは、面白みが無いのである。

心何処ーショート 通り抜ける風の涼しさよ
              通り抜ける風の涼しさよ(6/23/09)
 庭の団扇サボテンの黄色い花が、見事に咲いている。掛け布団のシーツと部屋のタバコヤニの染み付いたカーテンを、洗濯機の中にぶち込んでお洗濯である。自然の恵みを疎かにしては、罰が当たる。
 洗濯ついでに雨と太陽で、瑞々しく熟れた極小苺を採取する。昨日、昨夜の嵐の様な雨に恐れをなして、布団を物干し竿に干す。予想最高気温は、32度との事である。カーテンを取っ払った四畳半は、風が舞う程の開放感である。昼の食欲が無いから、ソーメンを茹でて腹に流し込むのが好かろう。

 そんな事を考えていると、母が部屋に来て、<サボテンの花が20も咲いていて綺麗だから写真に撮ったら>とのお誘いである。午後のM氏への顔出しの折りに、それを見せるのも好い事である。何枚か撮り終えて、廊下の椅子に座る母に見せると、<NHKの撮るしん>に投稿したらと言う。サボテンの花の写真には、未だお目に掛った事が無いから、皆さんに見て貰ったら如何だろうか?との発案であった。デジカメの中に収録されている庭の草花の写真を見せると、<花には、興味が無いと思っていたのに、ちゃんとその時々の写真を採っている。驚いた。>との事である。

 アッジャ~、褒められたのか、貶されたのか、私としては、私に対する些か甘い観察である。人間とは、多面性を有してこその一人前である。多面性への観察・理解が乏しければ、それは単に意外性だけで思考停止を来してしまうだけである。人間は得手・不得手の完成度の違いはあっても、好奇・美しいものへの憧れ・善悪の垣根・問題意識の持続・・・etcは、持ち続けていたい物である。

 さてさて、M氏へのエール・コメントを関連ページに括って、印刷に掛ける。日向道に出ると、真夏日のカンカン照りである。上体の直射熱よりも、道路から湧き立つ輻射熱の方が暑い。Tシャツ・短パン・サンダル姿の下り勾配の自転車は、気持が好い。 

 ツバメが流れに沿って飛翔を繰返し、灰白色のゴイサギが砂防堤の水泡弾ける踊り場にスックと立ち、獲物を待ち構えている。薄い白雲の筋を引いた青空の山際には、入道雲が湧き上がっている。昨夜の大雨に、葦が薙ぎ倒されている。河原に何本も枝をこんもりと張る水柳、その・・・風に翻弄される葉群れは、白い葉裏を見せてうねる。昨夜の大雨警報の付いた雨量は、早くも流れ下って、水の濁りも褪せて来ている。夏一色の風情である。

 プレゼントの文作コメントを読んで、M氏は大層頷いている。エール・コメント、アリガトーさんねぇ~。
             
            本日、通り抜ける風の涼しさよ・・・である。

心何処ーショート 雨さんの締まりの無さ
              雨さんの締まりの無さ(6/22/09)
 締まりの無い梅雨のお天気である。車で出掛けようとすると雨が止み、雨の合間の急ぎ自転車で行くも、話にとっ捕まって、帰りは本降りの中である。今度は車の御厄介に為って、用事を一つこなして、一息付けていると雨が止んだ。M氏の話し相手に行くには、歩くよりも、自転車の方がずーと楽である。車で行けば、面倒な駐車を気にして、長居が出来ぬ。灰色の空が抜けて、青空が顔を覗かせ始めた。
 
       これ幸いと、S大病院のM氏の顔を見に行く。
 病棟入り口脇に自転車を止めて、病室を覗くとM氏は、ベットに胡坐を掻いてコミック単行本を読んでいる。病院内はエコ作用なのであろうか、少々ムッとする暑さである。スタコラサと食堂兼談話室に入る。病室の仕切りカーテンが無いから、広々した展望の中では、涼しさを感じてしまう。視覚から入るクールビズとは、大した物である。
 
 本日・月曜日であるから、テーブルは空き空きしている。我が身に備わった視線徘徊を開始すると、小柄な母と娘が、真正面のテーブルに居る。色白、小柄な20代前半の学生と言っても、頷いてしまう娘さんが、白いノートパソコンを開いている。母親に好く似た面立ちである。隣のテーブルには、大柄で肉感的な30代後半の女性が座っている。向かいの中年男は、その亭主殿であろう。大きな臀部を覆う薄手の黒いパンツには、皺一つ無い。幾ら好みにして妄想運ぶ肉感的なヒップの持ち主であっても、亭主殿の手前、鑑賞させて頂く訳には参らないのである。

 パソコン画面から目を上げる娘さんとは、真正面の好位置であったから、パソコン、目上げのインターバルが、合致してしまう。好い感じの娘さんである。丁度、親子関係の様な歳の開きであるから、彼女の方も拒絶反応が無い様な感じである。私もM氏もスローテンポのボソボソ口調であるから、内容の際どさは、一切漏れ伝わらない処である。

「おネェさん、それインターネット出来るの?」
「いいえ、ここでは出来ません。ワープロだけです。」
「ああ、そう。インターネット遣ってるの?」
「いいえ、家でも遣って無いんですよ。お父さんは、してるんですか?」
「うん、閑を弄んでいるから、覚えたよ。」

 感じの好い娘さんである。そして、別段険しい顔付をする風も無い母親である。

      再び、ロートル男の会話に戻って、
「為るほどね。病院じぁインターネットは、ご法度ですか。」
「そりゃ、そうだよ。Rちゃ、そんなのが自由に接続出来たら、皆遣る事が無いから、エロサイトに釘付けに為っちゃうもの。そうなったら、入院効果が無くなっちゃうよ。医学部の教授先生達が、端から頭抱え込んじゃうよ。大事な客を取られちゃう。」
「ハハハ、昼寝して、連夜の夜更かしと為ったら、病院食だけじゃ消費プロテインを賄えんわね。大盛り飯に、魚・肉満載の別メニューが必要と為っるて事か。イッヒッヒ。安静が第一だよ。Mさん。妄想もセーブしとかなきぁ。困ったいねぇ。夜は長~い。」

「大丈夫、もう、萎え萎えの糖尿病だもの。品行方正の意志よりも、糖尿病の縄目が確り喰い込んで、海綿体には一滴も循環しないわね。」
「そうじぁ、あるめぇ。だが・・そう~か・・・宇宙戦艦ヤマトの波動砲もエネルギー充填までは、時間が掛るもんね。納得、想像してガッテン。
 人助けの御旗を担いで遣りたいのは、山々だけど、幾ら俺が好き者だって、TとMさん二人分の替わりは、出来んずらよ。
 そうだいなぁ~・・・<幾ら二人が目利きと言っても、俺も歳だわね。お持ち帰りの出来ない異国の空よ。>ってなもんでガンスか。まぁ、楽しい三人旅行は、当分お預けって処だね。病人相手に、文句も言えないしね。へへへ。」

「嘘だぁ~、ロシアじゃ、一人だけモテモテで、3P、4P遣って、<寝かしてくれ、死んじゃう。>ってフラフラの朝帰りしてたのは、何処の誰だったっけ? 
 元KGB少佐のガイドが、Rちゃが日本のインテリ・ヤクザだと言って、えらい気に入っちゃってさ、<Rさんは、何処に行った? 部屋に居ない。何処行った?>って大騒ぎだったんだから。皆、口裏合わせで大変だったんだよ。それが毎晩だもの。あの時の貸しは、デカイよ。
 今度の無尽旅行は、ボホール(フィリピン)で決まりらしいよ。一緒に行かない?」

「勘弁しとくれや。俺は如何しても、フィリピンが好きに為れないからね。仕事の付き合いだから、多数決には従っていたけど、フリーの身に為っては、お付き合い出来ないもの。嫌な事ったぁ。それにしても、フィリピン愛好者が多いね。」
「去年見たいに、会費の積立金でRちゃんと二人で、何処かに行きたいんだけどね。」
「そう言えば、去年のサイパン白人ネェちゃん二人組は、綺麗だったねぇ~。遺憾いかん、そんな事考えると、今の慎ましい生活に叛旗が翻えちゃうよ。我慢すれば忘却の縁に、辿り着けるわね。俺は、過去を捨てた立派な男だわね。へへへ、何事も、石の上に三年だわさ。寝た子を起こしちゃ行けねぇせ。」

 運動不足と言うM氏は、病院出口まで付き合ってくれた。雨が降ったり、止んだりの忙しいお天気である。本日の夜の散歩は、相為る事か??? こんな日記を打ち上げて、本日の題名を打っていると、土砂降りの雨と為ってしまった。題名が、気に食わなかったらしい。・・・とほほ。

心何処ーショート 久し振りのM氏
                 久し振りのM氏(6/21/09)
 風呂に入った後は、M氏の見舞いに行く。傘を差しては見た物の、止みそうな気配である。退屈な入院生活であろうから、文作綴りを持って行く。最上階で降りると、正午近くである。早起き・早朝活動であったから、時間の目測を間違えてしまったのだろう。アジャジャ、食事時間帯に来てしまった。
 病室を探して歩いていると、M氏のパジャマ姿を発見する。大分スマートに為って、メタボ脱却の姿である。声を掛けて、そのまま休憩コーナーに行く。

「凄いじゃないの。入院効果?」
「違うよ。急激に痩せたんで、検査したら糖尿病が分かったって事。二ヶ月で16kg減だもの。吃驚しちゃってさ。肝臓に癌を飼っている身だから、怖く為っちゃってさ。」
「そりゃそうだ。起爆剤を抱えている身だから、遂に何て、考えるのが自然だわね。」
「本当、本当。好い方には、人間は、絶対に考えないからね。糖尿で好かったもの。」

 最上階からの松本市の展望は、都会の展望である。丁度昼時の日曜日であるから、入院家族が昼食を持参して、見舞いに来ている風景である。父を、母を、祖父を祖母を囲んでの昼食タイムである。これが、何処にでもある入院者と家族の風景なのであろう。

 M氏の目のチカチカは、解消したらしい。最悪時は、運転が出来なかったと言う。ストレスと云う厄介者は、ストレス因子が小さく為ると急速に萎んでしまう性質なのであろうが、姿が見えない分、本人は疑心暗鬼・取り越し苦労に陥る。経験者からすると、とんでもない悪さをするものである。
 すっきりした体に、些か生白い顔付きのM氏は、病人には見えない穏やかな顔付である。彼も、この一年内外で晴れてフリーの顔付に成るのであろうが、自分がフリーに為って初めて、<現役男の顔は、ストレスに占拠され放しの顔なのだ>と云う事を、思い知らされる次第である。仕事を持っている以上、柵から来るストレスは、老若男女を問わず持たされるものである。
 現代人は、ストレスに負けず、押し潰されずに、現役時代を卒業するしか無いのである。意志を強くした分、人間の顔は強さに引っ張られて、まろ味を失くしてしまう。まろ味の緩衝材を失くしてしまったら、個と我の強さと強さが衝突するばかりである。衝突すれば、角のキツイ微粒子のストレスが、我が身に蓄積されて行く・・・

 Tさんは如何している?と聞かれるから、斯く斯く云々で高校生のスマートさに、ニヤニヤおっとりのロートルオヤジ面をしているとTの近況を報告する。そんな話をすると、彼も一日も早く辞めて仲間入りがしたいと言う。波長の合う三人であるから、現役時代は皆無理をし過ぎていたり、しているのである。
 煙草を喫おうと外に出る。雨の上がった外は、太陽のカンカン照りである。病院敷地内は一切禁煙との事で、出入り口を出た脇の歩道縁石に腰掛けてのタバコである。隣の縁石では、工事の連中が車座に成って、昼のタバコ休憩をしている。喫い終えた彼等が、自分達の缶の灰皿を出して、タバコの吸い殻を持って行ってくれた。物はついでの喩では無いが、有難い事である。

 暑い日中の徒歩見舞いはきついから、自転車か、天気と時間を見計らって、M氏の話し相手になる心算である。帰って来ると、玄関にボール紙で作ったケース付きの鎌が置いてあった。これまた、斜向かいさんのお仕事であった。

心何処ーショート 雨間の勤労奉仕
                雨間の勤労奉仕(6/21/09)
 昨夜は散歩に出た処、雨が降って来て引き返した。本日、6時からの町内の河川敷草刈りである。5時半に目覚ましをセットして置く。当然、時間前に目が覚める。薄暗い外を見ると、雨が止んでいる。天気が良いと、6時前から人の気配がするのであるが、今回は殊の外動きが聞こえて来ない。皆、どっちつかずの外の天気具合を、眺めているのだろう。

 物臭男がシャキッとする為に、顔を洗って起きたのであるから、動くのが肝要である。鎌を持って河川敷に下りて、一人始めていると役員の人達が三々五々姿を見せる。雨に濡れた雑草は、気分が乗らない作業である。我が班は、真面目な家庭が多い。草刈り機のエンジン音に急かされる様に、土手に人々が現れる。

 町会は、大所帯である。そして年寄り所帯が多いから、身なりが雨天用の年配者が目に付く。帽子に軍手・首タオル・長靴姿の身なり無頓着のロートル・クマ男は、へへへ、ニヤニヤである。
 堤防の階段を下りて、ブロック毎に人海戦術が開始される。年寄り連中が多い一斉作業である。黙々と手鎌を動かす人、立ちん棒をする人、お喋りをする人、無意味に歩き回る人、人其々の作業実態である。斜向かいさんと並んで、セツセと鎌を動かす。
 
 川に沿った住宅街である。河川敷の草刈りは、町会の事情によって異なる。町内で全世帯参加の草刈り作業をするのは、この町会位なものである。町会費から費用を回して、草刈りを任しているのが他町会である。
 斜向かいさんは、そう云った方法に賛成の立場であるが、私はこの方法に賛成の立場である。

 面倒臭い事には違いないが、一年に二度の町会顔見せの好い機会だと思っている。それに、河川敷散歩コースの利用者としては、自分の手に依って、散歩コースの景観を確かめたいの気持ちが、働いているからである。
<日頃お世話に成っている河川敷への感謝などと云う高尚な意図は毛頭無い>が、同じ散歩をするなら気分が好い方が得である。花を終えたオオキンケイギクで覆われた石垣の堤防が、刈られてすっきりした姿に還る。刈り取られた河川敷に、サツキの植栽ベルトがピンクの続きを蘇らせて行く。これは、中国人民共和国並みの人海戦術効果の好い汗の勤労奉仕と云った処である。

 概ね一時間程の作業である。止んでいた雨が降って来る。左様であるか・・・ 何やら、出来過ぎた<天の配慮>である。斜向かいさんは、私の鎌を手に取って、研いで来てくれるとの事である。

 早起きは、三文の得と云うから、この儘布団の中に移行してしまっては、芸の無い事である。為らば、生き物の世話をした後は、カレーを作る事にする。カレーを作り終えて、母の起きる時間までをコーヒーを飲みながら、梅雨の日曜の朝を眺めている。

心何処ーショート 恨めしの夏火
                恨めしやの夏火(6/20/09)
 一年で一番日照時間の長い六月である。お天道様が空にいらしゃると、兎に角暑い。暑いと、風通しの涼しい八畳で<大の字>である。散歩兼スロージョギングも、お天道様の居ない時である。昼寝と夜寝を加算しての通算睡眠時間である。
 昨日の午後は、うつらうつらとしていると、斜向かいさんのご主人の声で起こされた。貸し出しDVDは、西部劇コーナーの半分まで来ている。本日は、用事があるとの事で短時間の滞在であった。

 別れ際、色白優男の前田吟さんは、ニコニコ悪戯ぽく、目尻一杯に深い皺を寄せて、巨大アナザーホールのおフザケ台詞を残された。音声の一切出ない不良品ビデオテープであったが、脳裏に焼き付いている作品であった。ギャハハにして怪奇の性堂、獲り込まれたら、浮上出来ない不浄官能の世界であろう。

 ご主人の置いて行かれた新聞記事の<創作の扉>のマーカーペン個所には、次の件があった。

『芸術には2種類がある。観賞者に一発で衝撃を与えるものと、発酵させてから味の出るものです。現代は前者が多いが、良く発酵した芸術の味も忘れるべきでない。』
『1発で衝撃を与える作品も、無論、興味深いが、すぐに忘れ去られるのでは悲しい。芸術家の人生も同じだ。』

 斜向かいご主人の・・・ 何時もながらの鋭いご指摘である。一発の衝撃にして、何時までも脳裏に浮かぶ巨大アナザーホールの存在は、衝撃と持続性を兼ね備えている。この性道も、芸の道には違いなかろうとタカを括っていたが、美大の教授先生ご指摘の通り、これは芸術の亜種なのであろう。エロか芸術かで、論争を呼んだ領域は、兎角、素人が理解出来ない迷宮の扉なのである。近寄らぬのが、肝心肝要の処世術である。

 朝食後のテレビに付き合っていると、電話である。M氏からである。話す処によると、糖尿病で1か月のS大入院との事である。今日は結婚式出席で居ないとの事であるから、明日見舞いに行く事にする。T、M氏と続いての入院である。私の短期入院を数えると、これで生まれの順で一巡した訳である。第二の人生のスタートに当たって、現役時代の毒素・毒物は一掃してしまった方が、何かと心を穏やかなスタート台に立てると云うもの。・・・そう考えれば、気も楽であろう。
 忙しさ・マンネリ日常に動かされて来た日々を振り返れば、還暦60年の足取りは重く長くては・・・当然の話である。身心の隅々にまで、細胞疲労が蓄積されていても、決して文句も言えまい。

 今度は、Tからの電話である。本日は土曜日であるから、コーヒータイムである。魚の干物が届いたから、お前魚好きだから、持て行って遣るとの事である。支度に取り掛かっていると、早くもTの登場である。これから、孫の子守を仰せ付かったからとニコニコしている。Tシャツと短パン姿である。還暦は、端境期でもある。

 私もTに倣って、Tシャツと短パンで過ごすとしよう。明日は雨が降らなければ、早朝6時からの町内一斉河川敷の草刈りである。洗濯機を回して、買い物に行くべしであるが、外に出たくは無い<夏火>の直射日光である。嗚呼、嫌だ嫌だ。然りとて、小鳥の餌が底を付いている。行くべし行くべし・・・

心何処ーショート 映画雑感
                   映画雑感(6/19/09)
 昨夜はパソコンが不調で、苛々が高じてしまったから、買って来たDVD三本立てと相成った。<ワイルド・ワイルド・ウエスト><ディープ・ブルー>と<U-571>である。ワイルドの方は、西部劇の中に荒唐無稽度120%、アニメの様な世界を作ったコミカルもので、ディープの方は、現代版にスケールアップした人喰い鮫<ジョーズ>である。

 ロートルには、度し難いコミカル性とド派手な恐怖サスペンス性で、嫌気が差してしまう映画である。これらも、ハリウッド映画の一つの特徴的な興行収益を上げる為の映画作りの手法である。どちらもヒットした映画には違いなかろう。ディープの方は、パッケージの女優の顔に釣られて買ったものであるが、見事に外れてしまった。物語の主人公としては、少々異常な内面性を持つ配役として成功しているのであるが・・・
 
 どちらも99年制作の映画である。アメリカに全世界の金が集まる仕組みが整って、金融資本主義・グローバル経済化景気で、アメ公がウハウハしている様が彷彿とされる映画の様な感じがイッパイする処である。私にとっては、意味無くド派手に、血が流れ、炎が巻き上がる騒々しいばかりで嫌な映画であるが、これも時代を映す資料でもある。

 U-571は、見応えのある戦争潜水艦アクション物である。男だけの密室戦争映画と為ると、緊迫して役者達の演技が光る。2000年公開で大ヒットした作品との事である。見終えた感じは、ショーン・コネリーの<レツドオクトバーを追え>よりも秀逸であり、ロバート・ミツチャムの<眼下の敵>程の固唾を呑んで見入る出来栄えであった。
 
 やはり、映画・ドラマはアクションも然ることながら、人間の心理をシリアスに描かないと迫力に欠けるものである。娯楽映画だと、如何しても絵空事の距離感を持って、即物的に眺めてしまうと云う帰来があるから、<一過性の映画見>で終わってしまうのである。従って、私の映画の好み・嗜好傾向からは、対心・体感性に於いてジャンル外の映画は、大いに劣って見えてしまうのであろう。遺憾いかん・・・私は、選り好みが強過ぎる性向である。

 100年に一度の世界同時不況に埋没して、日本のバブル崩壊期から長引く庶民の出口の感じられない<鈍為る閉塞状況感の中>で、バブルと云う一種の泡沫感は、『ワイルド・・・』並びに『ディープ・・・』の映画の底流に流れている金融資本主義による泡沫感が、共通している様な感じがしてしまうのである。バーチャルの札束物量は遠く、人心が近く見えてしまう。とどの詰まりが、実と虚の違いなのであろうか・・・虚の対極にあるものが、U-571の追い詰められた人間の心理・行動なのであろう。同年期に作られ共にヒットしたと云うSFXアドベンチャー映画のワイルド・ワイルド・ウェストとバトル・アクシヨンのU-571の映画傾向の比較は、実に意味深である。
 
 一本残ったDVDは、<ハムナプトラ2>2001年制作である。NHKの日曜日21時からは、名調子松平定知さんの<マネー資本主義>が放映されている。金融経済と実態経済の狭間で、嘗ての大掛かりな仕手戦に踊った胡散臭い株屋が、金融経済のエリート牽引車に祭り上げられ、強欲の車輪が、欲が欲を撒き散らして暴走する。そんな一部マネーギャンブラー達の大海原の海面下では、狭い息苦しき潜水艦内で男達が、国家の使命と個人の生存を賭けて、脂汗を滾らせて死闘を繰り返している様である。。
 
 映画の興行成績は、国民の投票行動結果にも相当するものである。荒唐無稽な物とシリアスな物への間で、大きくうねり続けるのが人間の心理・行動には違いなかろうが、現世の二律背反の写し絵の様を読み取って、指導者・施政者は、民原を格差の少ない公平・真っ当な社会に、導いて行って欲しいものである。
 
 時代の変遷の中で、虚業界は金融界、乗っ取り屋は企業統合・分割のプランナー、相場師はヘッジファンド、株の仕手戦はインサイダー取引・・・etc 外面はカタカナ文字の言い回しで、如何にもスマートに変わってしまった物の・・・その実態は、企業格付け会社・ご都合・御用学者・金権体質政体・詐欺紛いの無責任・金の亡者集団の蠢く酒池肉林・阿鼻叫喚渦巻く世界なのであろう。

 思い起こして見るが好い。土地を転がし、会社を転がし、金を転がして、派遣と云う名の労働者を転がした揚句、弾け飛んだのはバブルである。規制と云う学習効果の上着を着て化粧を施したバブルの連鎖は、益々巨大化して、次なる餌食は、国転がしの様相を呈するだろう。

 ワイルド・ワイルド・ウェスタン、ハムナプトラのSFXアドベンチャー映画、超ド派手のジョーズの亜種ディープ・ブルーの映画とU-571のバトル・アクション映画を見比べると、人工物バブルに浮かれる特権階級とも云える富裕層・勝ち組と海中で七転八倒、悪戦苦闘している潜水艦乗組員の姿は、何かに似てい過ぎはしないだろうか。

 現世をデフォルメして表現するのも、小説・映画・漫画の領域でもあろう。多くの場合、現実は想像・妄想の後から出現する物である。

   漫画世界を読み解くに当たって、漢字の読み違いなど些細な事である。
 浅学非才のロートル・クマ男には、付いて行けないご時世である・・・残念至極!!

心何処ーショート これも、ロートル・クマ男の流しスタイル
         これも、ロートル・クマ男の流しスタイル(6/18/09)
 頼まれ仕事方々、街に自転車を乗り出す。帰りにTの所に顔を出す旨、電話をして置いた。昨日のラジオ深夜便では、女優の浜三枝さんの松本レポートがあった。他所目から見るほど、自慢出来る程の事も無かろう。本日のメインは、先輩の管理する駐車場の料金を、一年以上滞納しているお宅の確認に来たのである。

 途中、通り道のライオン堂でDVDを覗いて行く。中古コーナーがあったから、じっくり時間を掛けて、物色して来る。DVD4本とCD1本を買って、目的地にペダルを漕ぐ。

 表札と番地の表示が無いから、近辺を聞いて回るが、近所付き合いが無いらしく、埒が明かない。同じ個人住宅街なのであるが、私の住む一帯とは大分雰囲気が違う。昨今、街場の雰囲気は、都会も地方も無い素っ気なさである。

 畳屋さんの辺りを三回目の周回をしていると、上から声が掛った。
「家探しですか?」
「はい、この辺りに★★さんのお宅があると思うんですが、分かりません。」

 作業場に成っている土間に入ると、ローラーカナリヤが一羽ずつ入った竹籠を6~7×2段で置かれているラックが置いてあり、好い声で鳴き合っている。障子を付けた繁殖籠が、4つ吊り下げられている。
 目的のお宅は、町会未加入との事である。伺った後は、小鳥好きの私の興味が、ローラーカナリヤに向いてしまう。ローラーカナリヤに関しては、有名なお人との事である。日本・世界のローラーカナリヤの蘊蓄を聞かせて貰う。
 ご主人は、渓流釣りのイワナ釣りでもインストラクターを務める程の釣り理論と腕の持ち主であるらしい。長々と実に興味深い知識を承る。何やら、同好の人間と云う者は、何処と無く通じ合える雰囲気・波長を滲み出させているのだろう。初対面でも、次から次と口が滑らかに回って、裕に一時間半を和気あいあいの内に、過ごさせて貰った。
 楽しくも、理に適った微に入り細に入りの実践釣り学を披露されて、低身低頭・最敬礼の段であった。
・・・ 遺憾いかん、Tが待っている筈である。区切りの好い処で、お暇して来る。
 用意して来た手紙を置いて、Tの家を目指す。
 
 Tは、本当に心優しい男である。昼の用意をして待っていてくれたのである。高校の時以来の変わらぬ、ゆったりした語りの時間が流れる。

「Rは、これ着れるかな? 買って来たものの、痩せちゃってブカブカさ。」
「そりぁ、そうだろ。お前さんは、中学生・高校生のスマートさだからな。同じサイズ買ったら、そう為るわな。スマートさに頭が付いて行かないのさ。胃が無いのは、大変な事だわさ。病み上がりの宿命だ。可哀想なもんだ。」
「そうそう、如何しても、過去を選択しちゃうんだよなぁ。そうかと言って、食わなくちゃ体は戻らないし・・・食えるまでには、まだまだ相当時間が掛るちゃ。しゃーない。しゃーないの毎日さ。困ったもんだわさ。」

 母への串団子のお土産まで貰ってしまった。そろそろ、帰ろうかとしていると、孫を連れた娘さんの登場である。途端に相層を崩すジジの顔付で、孫を抱くTである。帰りの道すがら、先輩の所に寄って、報告をして帰るべしである。

 松本城お濠近くのお宅に依って行く。おやおや、縫い包みの様な縮れっ毛・茶色のワンちゃんが、玄関前で遊んでいる。奥さんを数年前に亡くされて、広い新築の家で一人暮らす66歳の先輩である。心の整理が出来て落ち着いた日々の中で、ワンちゃんを飼う心境になったのであろう。私としても、好かったの心境である。三時半から書道教室に行くとの事で有り、<期待するのは、難しい>の報告をして、タバコを吸って帰る。

 薄曇りの上り勾配にペダルを漕ぐ。私にとっては、兄貴の様な感情通う先輩である。奥さんの親の長い介護・葬式を終えて、先月から飼い始めたのだと言う。先輩は、東京生まれの東京育ちであるが、会社を離れてからも何かと、声を掛けて下さる。先輩後輩の関係が色濃く残っている時代に生を受けて、有難い事だと感謝している次第である。

 雨で潤った水量に、カルガモ親子が、スイスイと足を掻いている。ひぃ・ふぅ・みぃ・・・おやおや、子ガモが7羽も居るでは無いか。

 ロートル・クマ男の自転車漕ぎであるが、街を流せば知り合いの顔顔にも出会えるものである。すぐさま名前の出て来ない健忘症ではあるが、手を上げ、暫しの言葉を交わして来る。時の流れに身を置いて、風景・過去に散策をするのも、ロートル・クマ男の流しスタイルである。

心何処ーショート ロートル講座
                ロートル講座(6/17/09)
 ハイカラご隠居さんに渡すコピーも、そろそろ置きに行かねば為るまい。風呂の時間を見計らって、町医院経由で銭湯に行く。銭湯の引き戸を開けると、例の下駄が揃えてあった。入れないほどの熱さであったから、早速水で薄める。ゆっくり歓談して帰って来る。

 今朝は早い目覚めで、眠れずに<007ロシアより愛をこめて>を、確り鑑賞してしまった。私の中ではシリーズ一の傑作と思っている。007のショーン・コネリーが粋で精悍で好い、冷酷無比の殺し屋ロバート・ショウが好い。マット・モンローの主題歌が好い。そして、美形ソ連情報員ダニエラ・ビアンキが恋する女の柔らかさを見せて、格別に素晴らしいのである。<カァ~、何時見ても好い女である。> 正に、見惚れるに値する美形である。

 この映画を見たのは、高校の一年の時だと思う。『よし、俺は白人金髪美形と結婚するぞ』等と、私は若い目をギラギラ夢想していたものである。
 田舎の高校生が、年に何回か目にする白人中年女性のヒップと肌の粗さに、ダニエラ・ビアンキの容姿容貌は、驚異の高嶺の華であった。『探すなら、お江戸に行くしか無い。』そんな思いで東京の大学に進学した次第である。
 若い外人を鑑賞するなら、プールであった。好く代々木のプールには、通ったものである。然しながら、白人女のクロールの馬力を間近で見ると、そのダイナミックさ・スタミナに付いて行く自信が、一気に萎えてしまった。

 大学二年の時は、荒れ狂う学園闘争の中で、敢え無くロックアウトで大学は休校状態。遂、出来心で3週間ほど、京都で一端の学生運動家に成っていた友と、片道切符の京都見学に行ってしまった。金が無くなるとアルバイトをして、日銭を稼ぎその金で京都見物であった。白人中年女性観光客の後を付いて石の階段を上りながら、その巨大なヒップに圧倒されて、長い人生、こんな巨漢女に毎晩責められたら、死んでしまう。人生、命あってのモノダネ・・・ 私の中でダニエラ・ビアンキの金髪白人美形のイメージは、愈々遠ざかるばかりであったのを覚えている。

 そんな私にチャンスが巡って来たのは、中年に成ってからであった。世界には、こんな美形を産出する国があったとは・・・ 驚愕すると同時に、我が身の醜さを恥じた物である。最初に顔を合わせたのが、サイパンのビーチであった。デカイ声では言えないが、強姦魔の衝動が好く理解出来た。
 その夜、フラフラと<ロシアン・ルーレット>の階段を上って行ったのは、言うまでも無い。好みの美形を指名して、彼女の日本語に色気と優しい雰囲気にメロメロと為ってしまったのが、私の妄想の始まりであった。

 何しろ、黒髪ダニエラ・ビアンキ様の復活、生けるギリシャ彫刻の出現なのであるから。

 ボーダレスにして海外旅行が日常化して、日常の風景の中に外国人が氾濫するご時世である。<青年よ、大志を抱け。>の異国間交友版があっても好い筈である。
 私の直感で言えば、<青年よ、臆する事無かれ。人類はDNAで結ばれている>のである。何のキツイの緩いの等と、御託を並べているよりも、カチューシャの世界に入ってから判断すれば好かろう。心身は不可分一体のものであるから、心を愛でて造りに目を瞑ると云うのも、男の道であろう。

 今や、しがない閉じ籠りロートル賄い夫ではあるが、人間の未来など柵の中で如何転ぶか・・・千里眼の備わっていない有限の人生である。出来る時に、羽目を外して置かないと、退屈な日々と為って終い兼ねない。
 そう為ると弄ぶ余暇を、妄想タイムに遊ぶ事も叶わないのである。妄想と云う高等テクニックは、塀の中でも可能には違いなかろうが、塀の外の方が、ず~と範囲が広がり楽しくもあろうし、第一、気が楽であろう。悶々と暗い個室で一点集中型の妄想は、危険過ぎる。一点集中型の妄想思考は、累犯(再犯)の温床である。

<過ぎたるは、及ばざるが如し・・・> 許容範囲内の男のお遊戯は、利用法を間違わなければ人生の宝とも為る。宝の利用法は、人其々にして色々である事は、間違い無い処であろう。

 さてさて、本日もここら辺で、打ち止めと致しまする。ご精読に感謝致しまする。

心何処ーショート ほっと安堵
                 ほっと安堵(6/17/09)
 朝、ブログを打っていると、ついつい朝の支度が遅く為ってしまった。打ち終えて、慌てて部屋を開けると、母の姿が無い。廊下の椅子にも姿が無い。下駄を突っ掛けて、庭に回ると杖をついた母が、自生した長芋の蔓をプラムの木に這わせている。
 
 そんな事で、朝食後は土手に回って家周りの雑草を刈り取る。小苺を採っていると、スーパーに連れて行ってくれとの事である。車椅子にしようかと言うと、車にしてくれとの事である。母にとっては偶の息抜きと為るのであるから、倅の私としては嬉しい事である。
 如何したと聞くと、<一生懸命してくれているから、昼は寿司を買ってお返しがしたい。>のだと言う。倅としては、こそばゆい母の心である。

 先週、ご近所の女房と仲の好かった奥さんに、下手絵ファイルとブログ日記綴りを貸し出した折りの話であるが・・・
「お母さんは、お元気ですか? 背の高い、綺麗で上品なお母さんで、和裁をしていたから、お母さんの所へ、私、和裁を習いに行っていたんですよ。親切なお母さんで、丁寧に教えてくれたんですよ。今でも、楽しい思い出ですよ。」
 
 そんな話を思い出しながら、付かず離れずのお供をして、店内を巡った次第であるが、母は小さくなって見る影も無い老衰振りである。然し、そんな母の姿が、涙が出る程に可愛いく見える。久し振りに、体調が好いのであろう。店内をカートを押しながら、ゆっくり、ゆっくりと品物を見ながら巡っている。買い置きの出来る食材を買った後は、隣のスーパーで買い物を済ます。老衰進む母は閉じ籠り生活が、2年近くになる。帰って来ると、大きく息を弾ませている始末である。
 然しながら、大正女の芯の強さには、拍手である。

 帰って来ると、雨は本格的に降って来た。昼食後は、お互いに疲れてしまったから、部屋を離れての昼寝であった。夜に成って雨が上がった。こうなれば、スロージョギングをサボる訳にも行かず、夜の散歩に出掛ける。

 民宿旅館手前の橋を行くと、カジカガエルの声が聞こえて来た。橋を渡って、上り勾配の土手道をとS大・体育館・県民会館へと上り、浅間橋・水汲橋に進んで橋を渡り、折り返す。スロージョギングの開始である。町内の半分ほどに来ると、呼吸を整える為に、再びウォーキングに戻る。川の音を聴きながら、ホタルの光を探して歩く。<居ました、居ました。> 今年、初物のホタルである。
 ラジオでは、川のカワニナの生息に一大異変が生じて、カワニナを食べて成長していたホタルの幼虫が、外来種のカワニナの稚貝によく似た貝の為に、成長し切れずに全国でホタルの数を激減させているとの事であった。そんなラジオ情報に、内心気を揉んでいたのである。
 
 何はともあれ、カジカガエルの声とホタルを、耳と目で確かめたのであるから、安堵した処である。

心何処ーショート カチューシャの唄
               
               カチューシャ
    
    リンゴとナシが花咲いていた。霧が川面を漂い出した。 
    カチューシャは岸へ出かけていた。高くけわしい岸へ。

    歌いながら出かけていた。ステップの青灰色の鷲の歌を。
   愛していた人の歌を。手紙を大切にしまっておいていた人の歌を。

         ああ、歌よ、娘の歌よ。輝く太陽の後を飛べ。
   そして遠い国境地帯の兵士に、カチューシャからよろしく伝えよ。

   純朴な娘を思い出させよ。彼女が歌っているように聞こえさせよ。
     故郷の大地を守らせよ。カチューシャは愛を守るだろう。

     リンゴとナシが花咲いていた。霧が川面を漂いだした。
    カチューシャは岸へと出かけていた。高くけわしい岸へと。
                  
                    以上、ヤフー、カチューシャからの検索より*

            

            訳詞/関 鑑子 丘 灯至夫
 
 りんごの花ほころび 川面にかすみたち 君なき里にも 春はしのびよりぬ
 
 岸辺に立ちてうたう カチューシャの歌 春風やさしく吹き 夢が湧くみ空よ
 
カチューシャの歌声 はるかに丘を越え 今なお君をたずねて やさしその歌声
  
 りんごの花ほころび 川面にかすみたち 君なき里にも 春はしのびよりぬ

     ※ロシアオリジナルカチューシャの色々、結構楽しめますよ。

心何処ーショート ロートル・クマ男の憂鬱
             ロートル・クマ男の憂鬱(6/16/09)
 梅雨入り制限はあったものの・・・今年は、空梅雨になるのだろうか? 夏の水不足が危ぶまれる処である。日本のエコ数値発表では世界の不評を買っているとの報である。政府としては頭の痛い事であるのは、真実なのであろうが・・・100年の1度の世界不況との事で、世界経済は大失速を来している。
 それも早や8ヶ月にも成るのであるから、この間の二酸化炭素の減少値が明らかにされないのは、如何な物なのかと大いなる疑問が出て来る。削減値と経済の関係を知る上で、こんな明らかな数値が比較出来るのは、滅多にない事である。そして、現実の数値を実感出来る事は、人間にとってより現実的な経済・生活指標となるのでは無いだろうか・・・ 
 例えば、何処何処の火山が爆発して、火山灰による影響は〇〇と成るなどと云う試算は、結構速く発表されている感じがする。大気中の二酸化炭素量は、排出ガスのサンプル観測を定点採取で日々測定していると思われるのであるが、それが公表されていない現象は、素人目にも<不思議な現象>だと思う人は、多いと思う。

 先日金曜日のNHK<特報・首都圏>では、厚生年金の問題を取り上げていた。その中で、抜け落ちていた空白期間についての復活による平均月額報酬の繰り込みに対する再裁定の計算に就いては、非常に高度な専門知識を要するとの事で、当初その専門官は38人であったから、その数を500人規模として再裁定の実を確保する計画を立てた。その人員採用も実地しているが、その研修中に、難しくて次々と辞めて行ってしまうのが実情との事であった。遅々として進まない現状について、その被害者の惨状が幾つか映し出されていた。
 厚生省では、非常に高度な専門知識を要する分野なので、仕方のない部分があると応対であった。NHKの担当者も、その点については、厚生省の回答をそのまま、問題点として報告していただけである。

 然し、それで済まされる問題なのだろうか??? 凡そ制度があって、その計算方法には一定の方程式が無ければ、制度自体が稼働しないのは当たり前の話であろう。一定の方程式があるからこそ、計算が可能なのであろう。これは真理である。この真理があるからこそ、専門官が居たのである。方程式がある以上、答えは門戸が解放されているのである。

 為らば、専門官を如何短期間で育成稼働させるかが、その方途である。社会保険の専門家としては<社会保険労務士>と云う国家資格の制度があるではないか。そして、その資格試験を管掌する官庁は厚生省の筈である。社会保険に興味を持ち、その資格を取得して独立開業・企業の中で専門知識を持って実務に当たろうと考えている人達が、勉強して受験している筈である。国は彼等受験生の個人情報を持っているのである。資格試験を実施しているのであるから、受験者の実力を把握している立場にあるのである。彼等の履歴も当然願書から把握出来る。
 専門的知識の最前線にいる彼等をピックアップして、採用・教育を実地した方が、余程の<即効性の効果を生む>筈である。そう云った意見具申も出来ないマスコミ報道陣は、如何なものかな?との大いなる歯ぎしりを覚えた次第であった。

 確りしろよ。幾ら知識があっても、知識と知識を組み合わせて、応用する力が無ければ、生意気な口をきくな!! 対案・アイディアを持たない者が取材しても、現状・本音に肉薄する事など出来様も無いでは無いか!! 在り来たりの番組構成で口を濁してしまったのなら、何の為のマスコミ組織・専門官なのかである。
 困った人・必死で助けを求めている人達が、テレビを食い入る様に見ているのである。マスコミ組織は、職業的には巨大なシンクタンクの筈であろう。<彼等の口癖の一つに、マスコミは公器との名言があるではないか!!>
 それも、マスコミは横断的シンクタンクである。組織内で問題点を話し合って、番組に切れ味を作って欲しいものである。言論界が、皆サラリーマン的であっては為らないのである。無頼者の心熱い心情を失くしたら、国民は悲惨である。

 今や、日本は高学歴の社会である。自分達だけが知識と問題意識を持ち合わせていると考え己惚れていると、一般庶民との意識の乖離が益々開いて来てしまいまするぞ。庶民との意識の乖離が大きく為ってしまえば、マスメディアの使命感が益々鈍化してしまう。そう為れば、国民意識の真っ当な醸成は適わない。共通・共有の求心力を失った集団・組織・国家は、遣り切れない切なさが漂う物である。

 そんなメランコリー気分で、この処二日、ロシア民謡<カチューシャ>の動画の数々を見ているのであるが、カチューシャの唄で、祖国への気持ちが共有出来る国民の情緒的雰囲気は、羨ましい気にも為って来る。つくづくと求心力を失いつつある祖国日本の姿に、切ない気分に為って来てしまうロートル・クマ男の憂鬱である。

 遺憾いかん・・・得意の妄想を駆使して、別天地に遊ぶしか手立てはないのだろうか。

心何処ーショート 時に、体力測定
                 時に、体力測定(6/15/09)
 はぁ~、疲れましたわ。長靴を履いて、釣り散歩に行って来た。昼飯も食べずに、良く歩いた物である。とぼとぼ歩いている時は、腹減ったなぁ~と思ったものの、家に着けば食欲も無い。偶には、この位の運動量が必要なのである。漸く花芽を膨らませて来た玄関横のガクアジサイを見ながら、終了のタバコに火を付ける。

 途中でぽつりぽつりと雨は降って来たものの、まぁまぁの運動量をこなしたと云うものであろう。陽気が好いのか、掛るわ掛るわのアブラハヤのオンパレードで、私としては釣果ゼロである。

 釣り散歩の収穫と云えば、確か子供の頃ジモグリと呼んでいた薄赤系統の小蛇と、釣りの中に葦原からガサゴソと姿を現したイタチだけである。バッタを捕まえて、毛バリに付けた遣ったものの、グイの引きは一回だけで、頭を残して食べられてしまった。
 蝶も多く見れたし、草むらの虫達も、大きくなっている。カッコウが鳴き、オオヨシキリが、甲高い声で鳴いていた。春の雑草は穂一杯に実を結んでいるし、山際の小道では、小鳥達が好い音色で鳴き交わしていた。長靴の重さ・カッタルささえ無ければ、様に為るハイキングの風情なのであるが、釣れても釣れなくても、釣りは釣りで仕方があるまい。

 薄曇りの風の通る過ごし易い外で、運動散歩に余念が無いロートル夫婦が居た。亭主殿がウォーキングをして、その速度に合わせて女房殿がスロージョギングで並走している。きっと、<ためしてガツテン>の実践なのであろう。この世代からの夫婦は、仲の好い夫婦が目立つ。恋愛結婚が多くなって来ていた所為かも知れぬ。太らない体質の人達は、好いものである。

 私なんぞは、痩せる事とは無縁の様である。然りとて、美鈴湖までのハイキングは、一回で懲りたから長靴ウォーキングの方が、ず~と益しである。山を眺めて見ると、良くぞ歩いた物であるの感想である。それにしても、遠くに来てしまった。歩かねば、距離は一向に縮まらないこの切なさ。
 
 こんな時は、気持にユトリが無いから得意の妄想も思い浮かばない・・・
           嗚呼、吾、修行が足りぬ。

心何処ーショート これって、ロシア民謡の繋がり?
            これって、ロシア民謡の繋がり?(6/14/09)
 夜中、小鳥がバタバタして、何度か起こされてしまった。日曜日でもあるし、全くの物臭モードで寝不足を補う。した事と云えば、散歩&スロージョギングと<たかじんのいって委員会><天地人><マネー資本主義>のテレビ見である。

 遣る事が無いから、インターネットで『ロシア女性』を検索して、結婚希望の彼女達の写真をニヤニヤしてクリックした位である。そんな事をしていると、動画のコーナーもあって、モスクワで人気の讃岐うどんがあったり、ロシア民謡の「100万本のバラの花」「カチューシャ」の歌があったし、日本ネタのバラエティーショーがあったりで、結構楽しめた。

 <100万本のバラの花>は、ウクライナのライオン娘が好きで、良く口ずさんでいた歌である。動画での訳詞は映画監督の松山善三に依るものであった。日本ではストーリー性に富んだ加藤登紀子の歌が有名であるから、松山監督の飾り気の無い素朴な訳詞は、新鮮且つロシア人の心に近いものの感じを受けた。ロシア語で歌ってくれたライオン娘の心境の中には、きっと望郷の部分もあったのだろう・・・と、今頃に成って知った次第である。そう云えば、彼女は「これ、ロシアの歌」と言っていたのを思い出した。

 続いて、カチューシャの唄は、二本とも軍服姿で軽快に歌われていた。一本は、軍服姿の男二人のアコーディオン演奏に乗って、金髪女性のボーカリストと黒髪の女性がバックで踊り、他の一本は小学生の女の子が二人、これ又軍服で溌剌と振りを付けて歌い捲ると云った物である。女性の軍服は、ロシアウーマンがワンピース風で、女の子の方はキュロットスカート。この歌は、大衆を前に歌う『愛国の国民歌』の様である。長い歌で最後まで、歌っているのが印象的だった。

 動画の見出しに乗って、次々とロシア民謡を聴いて行くと、どれも聞いた事のある歌である。<ともしび・カチューシャ・百万本のバラの花・一週間・山のロザリヤ・トロイカ・ステンカラージン>と、どれも耳に馴染んだ懐かしいメロディである。

 こうして聴いていると、私のロシアウーマン好きは、決して目先の美形にフラフラでは無かったのであろう。ロシアなるメロディが、きっと感性の奥深い所で或るイメージを醸成させていたのであろう。それが偶々サイパンの<ロシアンルーレット>の黒髪美形・金髪美形への好印象に繋がり、ウクライナのライオン娘で渡りが付き、北国の観音様バルディナ、ウラジオストクのシングルママさんで、花開いたのであろう。為るべくして、為ったのだろう。

 ニヤニヤしながら、彼女達の写真にエールを送ると、皆さん、富みに柔らかな笑みをお返し下さっている。

心何処ーショート 当世、流行りの脳科学
               当世、流行りの脳科学(6/13/09)
 週に一度のTとのコーヒータイムである。今日も暑い日である。すっかりスマートに為ったTは、黄色のTシャツスタイルである。コーヒースタバでも、ロートル二人組は顔を覚えられてしまって、応対の女性達もすっかり相層が好く為ったものである。
 コーヒーの不味さも覚えたから、本日は違ったメニューにする。舌を噛む様な横文字表記は差し置いて、コーヒーゼリーの上に生クリームの乗っかった物を頼む。~ノと語尾にノが付くのであるから、本家はイタリアなのであろう。

   <アッシは、イタリア~ノの女フェロモンが、嗅ギタ~ノでゴザンスヨ。>

 二階に行く。Tに<友にエロ~ル>の一文を、プレゼントした後は、近作の読書時間である。雨が無ければ夏の陽気である。女性の胸の膨らみが、柔らかく感じられるTシャツのシーズン到来である。これも、週一度の社会見学と云うものである。

 エロビデオ・DVDに揺れる乳形を、脳裏から引き出して、彼是と彼女達の胸に当て嵌めて見る。フィットする物があると、目を閉じて乳輪・乳頭、ウェスト、デルタ地帯、大腿部と追って行き、お次は一廻りして、目を見開いてのヒップ観賞である。

 当世、流行りの脳科学である。ラジオ・テレビでは、脳の活性化の各論への例示・詳細が、意識的に割愛されている事が殆どである。偉そうに脳の活性化の対象を、高尚的に恋心・恋愛・好奇心と表現するだけの事である。恋心・恋愛・好奇心への具体的接近と為れば、関心が二次性徴に向かうのは、当然の成り行きであろう。良からぬ邪なる目の保養と<蔑視する勿れ>である。

 斯様にして、ロートルクマ男の視線と思考回路は、<ただただ・・・正直者一直線>でしか無いのである。

「それにしても、毎日、これだけの文章を打てるのだから、大した物だ。きっちゃと話したんだけど、<野郎と俺達は、本当に同じ高校を出ているのかいな??? とてもじゃないけど近付けんわな。>って処だもんな。高校以来の付き合いで、別に苦労して打っている訳じゃないのを知っているから、ボンクラからすると、話の他だわね。」
「これも、お天道様の贈り物だべさ。俺なんか、別の見方をすりぁ、自動速記見たいなものだぜ。お天道様のお導きで勝手に出て来るんだから、有難いって寸法さ。根が馬鹿だから独り占めしないで、世の中に恥を忍んで公開してるんだから、これも天下の回り物さね。周りが楽しんでくれれば、本望さ。」
「この頃は、エッチ物は打たないのかい?」
「本当は打ちたいんだけど、その勇気が無いんだよ。根が妄想を得意とする性向だから、打ち始めたらのめり込んじゃうよ。素顔を暴かれて、石でもくら付けられた日にぁ、それこそ、散歩も行けなく為っちまうわさ。ガス抜きは、こじんまりと遣っているから、これで良いんさね。折角付いてくれたブログ読者を、穢しちゃいけんわさ。へへ、我慢も誠意の内だわね。」
「そりぁ、そうだな。エロの世界なんて云ったって、所詮は、舐め・吸い付き・弄りとピストン運動。想像する方も打つ方も、飽きるわな。それに纏わるエピソードを工夫したって、読者は肉欲行為の描写にギンギラギンだけだしな。如何足掻ったって48手って処でその内、うんざり<もう結構、スケベ野郎・変態>って事になるわな。アッハハ。」
「そうだろうな。口じゃハンカくさいエロ話をしているけど、人間そればかりじぁ無いからな。<心にぁ、硬派の血が通う>のが、俺達団塊の世代だ。ポコチン・ポコチンと日常の中に、滲ませている方が長続きするんだと思うよ。その内、Tの内緒話を俺風にアレンジして、<ネタ元T>と題して、Tシリーズでも打つだべや。イッヒッヒ。」
「いけねいけね。変態男の手に掛っちゃ、ジェントルマンの俺のイメージが、再起不能に為っちまう。どうせ、Rの事だ。打つ対象が自分以外の者だったら、何処まで脱線するか分かりぁ知れねぇわさ。」

<Tも、読みの深い事を言う。私は単純な直球しか投げれないから、仕方があるまい。>

「あれかね・・・ 再起不能と勃起不能とは、何処が如何違うんだろうね・・・」
「この馬鹿野郎が!! 漢字も読み方も違うだろうか。何をオッサンは言わせてぇの? はいはい、同じ意味だんね。男が勃起しなきゃ、再起不能ずらい。あい?」
「あら、まぁ~、拡大解釈ってのは、奥の深い理って事かいね。ああ~、そう~。了解。勉強に成った。へへへ。」
「とぼくれ遣がって、タバコ喫いたいだろ。そろそろ行くか?」
「あいよ。」

 外のベンチでタバコを吸う。Tは電話回線を使用するADNでインターネットをすると云う事であったので、不要と為った接続機器のモデム?とやらをプレゼントする。当面の魂胆は、日本語を韓国語に転換して、昵懇の韓国女性との遣り取りに使うとの事である。

 成る程Tらしい、夢広がるインターネットの広がりである。胃の機能回復までには、まだまだ時間の掛りそうな友の身体である。流行りの脳科学の分野では、再起のアイドリングには、脳の活性化が必要と云う。脳の活性化には、男の場合は女力が必要欠くべからざる要素らしい。友として機能回復を祈るなら、文句も言えぬ処である。
 然しながら、くれぐれも病み上がりのスタミナ・ナッシング、ロートルの身であるからして、余暇を徹してエロサイトには、現を抜かさぬが肝心と助言をして置いた。

心何処ーショート 懐かしき野次講座
                懐かしき野次講座(6/12/09)
 太陽が朝からあると、清々しい気分である。布団を干して、掃除である。サクランボの色付き、ニワウメの赤い熟し・・・新鮮な漬物が、美味い季節が始まった。地産地消の野菜は不揃い・見てくれは悪いが、大量に買える。時間だけはタップリ、ゆとりのあるロートル生活・・・安物に手を加えれば、美味い漬物が食えるのである。1000円でキュウリ4袋、白菜2個、インゲン3袋が買えるのであるから、有難い事である。
 
 早速、台所でガサゴソと仕事を始める。母が覗きに来て<好く遣るものだ。>と感心している。貧民ロートルとしては、経費削減の付けは己が労働で購うしか手立てが無いまでの事である。お次は、野生種苺の収穫である。

 私の形は恐らく現代人はであろうが、その内実はタバコを吸う縄文人の様な暮らし振りである。ハイカラご隠居さんでは無いが、正に<経済は、工夫>の実践である。

 昼食前に布団を取り込む。今朝、部屋にいると斜向かいさんに声を掛けられて、朝のミーティングをしてしまった。午後、VDVの交換に来るそうであるから、それまでに遣り掛け仕事は片付けて置く必要がある。釣りをしたい処であるが、風が強過ぎる。
 煙草を吹かしながら、温泉ミネラルウォーターを飲む。喉越しの好い無味無臭の柔らかな飲料であるから、飲み付けると水道水は、遠のいてしまう。グッピィ槽には、豆タニシが増殖しているし、命を終えつつあるメスグッピィ一匹が、底に沈んでいる。稚魚は大分泳ぎ回っているが、成魚は大分数が少なく為っている。グッピィの小世界では、早い世代交代が繰り返されている。棲む世界の違いである。

 昼下り畳んだ布団を枕に、うつらうつらしていると斜向かいさん登場である。

 今日のニュースは鳩山大臣辞任騒動であるから、早速の政治談議が始まった。斜向かいさんは運転免許を取得した若い頃、選挙カー運転手のアルバイトをしたとの事である。運転免許証も車も希少価値の時代である。拡声器を縛り付けたトラックが、その当時の立派な選挙カーであった時代である。立ち会い演説会なる会場の体育館・公民館が大盛況を博していた時代である。
 その全盛期は、私の記憶の中では小学生の時代であったから、昭和の30年代に入った頃である。その当時の決起集会と為れば、おらが代表先生を担ぎ出して、集落と集落がガップリ四つに組んでのお祭り騒ぎ・鉢巻姿一本槍であった。農業人口の多かった時代であるから、地縁・血縁の色合いの濃い集落の立候補者の立会演説会に、欠席と為れば完全に<村八分>物であった筈であるから、大層な賑わいであった。その当時、大人数を収容出来る施設と為れば、小学校の講堂兼体育館位なものであったから、好く利用されていた。
 敗戦後10数年の物質的には貧しかったが、時代には上昇志向の活気があった。会場には、凄まじい大人の熱気と云う物が、渦巻いていた。
 何しろ昔の大人には、迫力があった。社畜化されていなかった地産地消型の社会構造である。対立候補の陣営の野次と来たら、一触即発の罵り合いと云った感があった。

 娯楽の少ない時代であったから、<火事と喧嘩は、何とやら>であった。私達ガキ共も、講堂から聞こえて来る怒号と拍手の音に、興味津々で覗き見をして帰ったものである。血の気の多過ぎる性質であった私は、学年が上に成ると<嗚呼、俺も早く大人に為って、見に聞きに行きたいものだ。>と思っていたものである。
 そんな政治の活性期に高校を卒業した斜向かいさんは、その最前線にいたのであるから羨ましい限りである。

「馬鹿野郎、嘘こくな!! 手前の言ってる事は、昨日言った事と違っているじぁねぇか。如何云う事だ!! 説明しろ!! 」
「巧ぇ事言ったって、信用出来ネェ。今日と昨日比べりゃ、言ってる事が、ひっくり返ってるじゃねぇか!! 如何いう事だ。」

「それが理由か、手前、コンニャクの裏表見てえな事こいてんじぁネェか!! どっちが表だ、ハッキリさせろ。」
「そうだそうだ、コンニャクの使い道は、体の砂取じぁ、訳の分からネェ御託こくより、その黒い腹ん中、コンニャク通して、綺麗にして来てから、演台に立ちやがれ!! 時間の無駄だ。おめ様(お前様)退場!!」

「煩い。人の話を静かに聞けんような下衆野郎は、ひっ込んでろ!! おめぇ、何処の若衆だ。逃げるなよ。終わったら、落とし前付けて遣っからな。」

 な~んちゃってさ。まぁ、面白いのなんのって、そりぁお兄ちゃん、あの雰囲気・熱気は、経験した者にしか分からないものさね。ゴタな時代さね。俺は二十歳前後で、M高の柔道部と来てるずらい、百姓の馬鹿力にぁ負けねぇ柔道技が見に付いてるもの。武勇伝ってなものさね。ギァハハ。

 ※我が町内は、住宅地でサラリーマン・自営者の寄り合いであったから、団結力が希薄で、町内立候補者は落選に次ぐ落選の憂き目を見ていた。従って、近隣町内からの票の草刈り場の状態であった。従って、斜向かいさんは、隣町内の立候補者からアルバイトの要請が掛ったのである。

 野次り、野次り倒して、用心棒も、日当の中に入っていたとの事であるから、率の好いアルバイトだったのであろう。物騒な時代だったのである。ついでに言えば、<裸足の民俗学>で集落の若衆達は、地縁・血縁も然りながら、官能でも強く団結していたのであろう。

 流石に、近所のガキ雑兵を束ねていたS連隊長殿である。昔取った杵柄は、瞬時に蘇るらしい。斜向かいさんの話を聞いていると、昭和30年代がパッと広がった。いざと為ったら、腕力勝負の荒っぽい大人の世界であった。斜向かいさんは、親戚筋にも議員さん・市長さんが居られた由で、いきおい政治的関心が強かったとの事である。

 そんな昔話を交差させていると、つくづくと現代はスマートに飼い慣らされていまった社会である。野蛮・粗暴・単細胞と捉えられるかも知れないが、有る面からしたら、場所柄・雰囲気・相手を見てから、罵詈雑言を浴びせ掛けないと、とんだ痛い目に遭う時代でもあった。
 親方・社長・先生・議員様が、ふんぞり返って度を越した一人言いたい放題、したい放題を遣らかしたら、寄って集って袋叩きにされてしまい兼ねない任侠の心情が、社会の底流にあった様にも思える。世の中、確かに曲がった事・不正にお灸を据える無冠のご仁、お兄さんが、黙々と日々を送っていたのである。
 
 そんな日常の生活の中で人は、痛みを通じて<言って好い事と悪い事。遣って好い事と悪い事を守って来た。>のかも知れない。暴力も腕力も、一緒くたんに攻撃の的になるご時世である。何でも、批判・攻撃・裁判の対象と為り、其処で繰り広げられるのは、口劇場のあり様である。ある意味では、野次の封殺された劇は、薄ぺらなセレモニーなのかも知れない。セレモニー劇場と有っては、観衆からは絶対に<お捻り>は、頂けないのである。
 野次の辛辣さに、うろたえる政治家を見てみたい気持ちにも為って来るロートル寄せである。世の中、皆キンタロー飴で行儀が良くなって、大人しく飼い慣らされてしまったものである・・・・ 遺憾いかん!! 折角、縄文人の生活回帰が進んでいるのであるから、反省を込めて吠える訓練をし始めるべしである。

 さぁさぁ、柵から解放されたロートルクマ男も、来るべき国政選挙までに、野次の練習でもしますかいね。スロージョギングの折りに、呟き練習と行きますかいね。

<お主、中々やるな。俺も、嘗てはゴリさんと呼ばれた男だ。ウホウホウホウホ!!>


心何処ーショート 試して見るか
                 試して見るか(6/11/09)
 自転車で行こうとすると雨が降り、車で行こうとすると雨が止む。兎に角、止んだので自転車を選択する。雨の止んだ陽気は、湿気でムッとする。

 風呂を見ると、ハイカラご隠居さんが一人上がろうと、身体を拭いている。合図をして、そそくさと衣服を脱いで入る。風呂にも入らず、其の儘、タイルに胡坐を掻いて暫し歓談する。汗ばむが、適温の浴室内である。
「公民館報、読んでくれた?」
「はい、即座に読みましたよ。」
 如何だった?と訊かれるから、斯く斯く云々と手短に話して、感想文を打ってあるから、次に来る時にプレゼントしましょうと応える。<風呂で会えなかったら、番台さんに預けて置いて。それは楽しみだ。>と、ご隠居さんは、相層を大々的に崩して出で行かれた。

 次に登場したのは、長身痩躯の熱がり屋老人さんである。苦虫を潰した顔で、湯船に手を入れて、
「おっ、今日は熱くない。入れる。ワシは、熱いのが苦手なんだ。これなら、我慢出来る。」と、喜んでいる。
「熱く為らない内に、浸かりましょ。」※~ましょ=~して下さい(松本の方言)
「そうしますわ。」
 今日は熱くないと言っても、普通の風呂と比べたら熱いに決まっているのである。先輩ロートル殿は、若者に遜色のない大きな身体を、縮こませてソロリソロリと身を沈めて行く。それも何故か、私の顔を見ながらであるから、始末が悪い。多分、その潜在意識の中には、<お主、巧い事を言って、ワシに火傷をさせる心算じゃないだろうな…騙したら承知せんぞ・・・>の魂胆すら窺えるから、厄介である。
 知性は感じられるものの・・・ 素顔が顰め面であるから、熱さを我慢している表情が、演技派俳優の上を行く。そんな顔付をされてしまっては、私は立派な<誘導者>に為ってしまう。行き掛り上、見届けるしかあるまい・・・
 皮膚表面のピリピリ熱さを我慢して全身に回してから、屈めていた手足を徐々に伸ばして行く。ピリピリ熱さが、皮下脂肪にジワリジワリと回って行くと、止めていた息が、フ~と大きく吐き出されるのである。
 そして、二息ほどすると、<ああ~、好い湯だ。>と小さく呟き、視線が穏やかに成るのである。一度浸かってしまえば、後の浸かりに際しては、神妙な顔付は必要が無くなるのである。<家でも介護、外ではボランティア・・・モテる男は、辛いものである。>

 こんな処が、鄙びた小さな、何も無いこの風呂の特徴なのであり、この無愛想に近い風呂が気に入って、街場から入りに来る常連がいる所以なのであろう。小さい時から利用している客は、湯口に近い場所にどっかり胡坐で陣取り、湯船から直接湯を汲み上げて使う。小さい頃から入り慣れた者は、座り椅子もシャワーも使用しない人が多いから、地元かそうでないかは、凡その見当が付く。

 源泉温泉をボトル二本に汲んで、米屋さん経由で帰る。風呂上りの昼であるから、缶ビールを飲んで、ほんわか昼寝に移行する。

 昼寝後は、石垣に自生した南天を穿り出して、前回横に植えた。根っ子を途中で切ったから、根付くかどうかは、自信が無い。梅雨入りの雨様のご利益に、期待するしかあるまい。
 昨夜雨で試して見る事の出来なかったNHK<ためしてガッテン>推奨のスロージョギングを試して見ようと、散歩に出掛ける。

 ホントかいな・・・ 無負担と云うが、そうでも無い。待て待て、気には為らない毎日のコースであるが、此処は上り勾配である。何しろ173cm・88kgのクマ男の自重は高負荷である。折り返し地点から遣って、比較すれば好かろう。

 要領は歩く速度で、お喋りをしても負担に成らない速度との事であった。帰りは下り勾配であるから、彼是と速度を変えて遣って見ると、確かに目から鱗である。

 とは云うもののロートル・メタボクマ男のヨタヨタ・ジョギングの様である。きっと見た目は悪かろうが、・・・ <タワケ、見栄を張ってなんとするか!!>である。
 どうせ日々の散歩コースである。毛無し・金無し・女無し、おまけに甲斐性無しのロートル・クマ男である。一々、傍目を気にしていては、何事も始まらないのである。
Tに倣っての高校・大学時代のスリムさなどは論外であるが、相撲取りの太鼓腹からの脱却は、見果てぬ夢である。

 受信料を真面目に払っているのである。試して合点効果は、如何に?であろう。


心何処ーショート ニヤニヤなり
               ニヤニヤなり(6/11/09)
 入梅宣言はあったものの・・・空を覆う雨雲からは、ポツリとも落ちて来ない。雨を呼びそうな風は時折、激しく木々を揺らせるのであるが・・・ 乾いた土は、雨を待っている。

 目に映らない様(さま)であるが、水槽の水の蒸発量は、結構大きい。雨の降らぬ内に、補充水を川から汲んで来る。河川敷のオオキンケイギクも、黄色一杯に咲き誇る花々の中に、萎みの花を見せている。水の1/3程を入れ替える。水の汚れを嫌って金魚の餌をセーブした処、水草の葉が食べられてしまった。金魚の食性か?空腹の為せる処か? 分からぬが、水草繁茂の抑制効果には為るだろう。私としては、金魚達は利口であるから、動物性食料と植物性食料のバランスを採っていると考えた方が、飼育管理者としては屁理屈が通る。へへへであろう。

 金魚にもオスとメスの性体差があるのだろうか? 買って来た時は同じ様な大きさであったものが、飼い始めてほぼ一年に成る金魚達の大きさに、明らかな個体差が出て来た。グッピイを見ると、オスとメスを比べると、メスの方が大きい。金華鳥も、やはりメスの方が幾分大きくて、ふっくらしている感じである。丸みと云った感じは、共に似ている。人間だって、女の方が、体形が丸みを持っている。そう考えると、丸みの有無がオス・メスの目安の様である。

 そんな先入観から、金魚達をつぶさに観察する。流金・コメットの大小二匹を比較して、その二匹の腹の膨らみを比較する。腹の膨れ具合は同じ様であるから、体調・食欲の面からは互角であろう。成長の個体差よりも、四分六分で、性体差に分がありそうである。正確さを期する為に捕まえて、肛門の形状特徴を虫眼鏡で確かめたいのであるが・・・虫眼鏡で神妙な面持ちで、覗き込む我が身を想像すると、何やら<危険域>に踏み込んでしまいそうである。因って保身上、探究心を打ち捨てて、<思考停止>とする。
 観察研究と変態観察の区別が付かない様なテイタラクでは、研究者としては、完全に落第の資質としか云い様が無い。紫煙の先に、何やらとんでもないものが、クローズアップされて来る。

遺憾いかん・・・洋物ビデオの鮮明画像から、脱し切れていないのであろう。
         然りとて、焼却処分するには、未練が疼く。困ったものである。

 とうとうと云うか、やっとと云うか。夜に成って雨が降って来た。10時から、久し振りにテレビを見る。信長親子と高橋真梨子の番組を見る。高橋真梨子は歌・表情・雰囲気とも好きであるから、彼女のカーネギーホールでのDVDを鑑賞する事が度々ある。歳は然程変わらない筈である。歳相応の容姿容貌に成って、画面の彼女は益々好い雰囲気を醸し出していた。ジーンズ姿の体型と下腹部の膨らみが、何となく彼女の同世代への親しみを増していた。実に女らしい雰囲気に満ちた女性の一人である。

 明けて本日は、早朝資源物出しの日である。服を着ていると、斜向かいさんが資源物を自転車に積んでいる。幸い雨は上がっている。資源物を携えて収集場所の公民館に行くと、ロートル男達が三々五々遣って来る。どの顔も昔遊んだ連中の顔々である。自分が<一切見えない>私は、ニヤニヤと挨拶を交わす。相手も、ニヤニヤしている。お互い同様な感想なのであろう。
 皆、退職・第一線から退くと、驚くほどに柔和にして穏やかな顔付になるものだ。脳裏の子供・少年時代の姿と現実のロートル姿に、脳裏の面影がダブってしまうのであるから、お互いニヤニヤしてしまう他無いのである。<ニャハハ!!>が、正直な感想である。

 夜の雨で、川の音が聞こえている。これで、川の流れも一安心した処であろう。
ニワウメが、赤い実を一杯に付けている。ボロボロと手で扱いて口に入れる。ほんのりとした甘味がある。サクランボが幾つか赤くなっている。朝食時に、初物を母に摘まんで遣ろう。

 湯を沸かして、モーニング・コーヒーをしながら、同居人の小動物に餌を遣る。朝のラジオの中に、本日ジョン・ウェインの命日の件があった。これまた奇遇である。昨日、彼とキャサリン・ヘップバーン共演の西部劇<オレゴン魂>を観て、笑っていたのである。彼68歳・彼女66歳の時の作品である。映画中、ウェインの大きな腹へのキャサリンの台詞があった。駅馬車の颯爽たるウェインの何十年か後の容始容貌への労いの言葉とも取れる。その台詞に、クマ男も我が太鼓腹を叩いて、ニヤニヤの段であった。

 さてさて、母上の始動開始音である。雲の割れ目から、太陽が顔を出した。サクランボを摘まんで来るとしようか。

心何処ーショート 梅雨入りの報
                  梅雨入りの報(6/10/09)
 昨日は早く寝てしまったので、その分早く眼が覚めてしまった。布団の中にいると、良からぬ妄想をしてしまうから、起きる事にした。ラジオを掛けるが、パッとしせず切る。魚達も静止状態であるから、玄関から鳥籠を一つ持って来る。
 大家族の鳥籠では、親番いが卵を生んでいるから、連れて来る事が出来ないのである。連れて来た籠のメスは、一週間ほど前に純白のメスが逃げてしまい、大家族から並金華の羽色の後妻を入れているのである。

 持って来ると、早速オスが囀り始めて、交尾を始めている。新参者のメスを虐める様に追い掛け回していたオスが、メスに二度も乗っかったのである。見ると、メスの方もオスを迎い入れる態勢で、身を低くして尾羽を左右に小刻み振っているのである。
 何と何と・・・交尾を終えた二匹は、寄り添って互いの嘴でスキンシップをしている。暫くすると、オスは巣の中を出たり入ったりを繰り返している。巣に入れて貰えなかったメスも、巣の中に入る事を許されている。これは明らかなる番いの誕生風景である。

     この様を如何感じるか?は、人それぞれの感想であろう。

 即物的な見方をしてしまう私は、それを交尾のご利益と大きく頷いてしまう。人間で云えば、肌合わせの効果としか言い様が無い。体を許すとは、こう云う事を差すのである。
一つの交尾から、オスとメスの初々しい共同行為が始まる。

 遺憾いかん・・・何やら、こそばゆい新婚時代を思い出してしまう新番いの風景である。

 小鳥も人間も、底に横たわる物は共通している。精神偏重・肉体官能偏重ばかりでは、オスメスの関係は宜しく無いのであります。理想としては、精神の和合からと云うべきかも知れぬが、生物の現実は<肉体からの和合>に軍配を挙げるべきだろう。

   さてさて、タバコが切れてしまったから、タバコを買いに行くべしである。

 梅雨入り間近と云う空は、濃い灰色で肌寒い。朝の運動とばかりに上り勾配を、ペダル漕ぎである。6時前の閑散とした道路を、頭のてっぺんから爪先まで装備したサイクリング中年男が、サァ~と追い越して行く。日々鍛練の風情である。

 私ぁ、ロートルクマ男、ヒィコラ、ヒィコラ・・・ニコチン切れ・息切れの早朝漕ぎである。心根は雲泥の差である。
<ニャローめ、車で来ようかの悪魔の囁きを封印して、遠くのコンビニを敢えて選択したのである。下衆貧民の根性を見せてくれるわ~。クソったれ、自転車の造りが、違い過ぎる~。>
 
 タバコを買って、動き始めた早朝の風景を眺めながらの、下り勾配である。灰色の空に、家々の佇まいが静かである。雀が、チュンチュン、道路で餌を啄んでいる。蝶ちょ、蜂が目覚めの動きを見せている。

 モーニングコーヒーの湯を沸かす。すっかり明るくなった部屋に、魚達の動きであるが、暗い灰色の空には、太陽は顔を見せようとしない。ロートル女性のグループウォーキングの御一行様が、通って行く。昨日の川の様子は、流れが細くなっていた。川の生物達には雨の洗礼が欲しい処であろう。
 
母の動き始めるまでには、大分ある。それまで、暫しの床入りをしようか・・・些か肌寒い。

 小一時間の休憩の後、朝の賄い夫をした後部屋のパソコンを開くと、過去記事に拍手である。丁度一年前の記事である。旧パソコンがとうとう寿命で、二度目の入院をしていた時の、ノートパソコンで打っていた記事の大量放出記事であった。こんな切っ掛けが無ければ、去年の事など思い出す事も無い時の流れの速さである。

 今年は梅の実が殆どない。代わりに小苺の赤い実が目立つ。本日、三回目の収穫である。ラジオからは梅雨入りの報である。雨の降らない内に、買出しに行って来よう。本日は、地物産の安いものを多く買って、漬物・手抜きの総菜の作り置きをするべしである。

心何処ーショート 時に、楽しみの連鎖。
              時に、楽しみの連鎖(6/9/09)
 伸び放題の庭木の刈り込みを始めたら、次々と気に食わない処が出て来て、作業時間がすっかり伸びてしまった。私ぁ、とことん疲れてしまいましたわな。

 鋸と刈り取り鋏を持ってガサガサしているクマ男を見学に、杖を突いて母が見に来た。グミ・プラム・楓・花カイドウ・ツゲ・イチイと脚立を移動して、ゴシゴシ、チョッキンチョッキンのクマ男振りに汗を流す。昼の時間はとうに過ぎているが、仕切り直しでは後が続かない。遣らねば為らない時は、本気を出すべきである。

 廊下の母には、腹が減ったらパンでも食べていてくれと言って、庭から再び玄関に回る。最後の仕事、南天の植え替えをする。南天が、彼方此方に増えている。種まき犯人は、ハイエナ鳥のヒヨドリに決まっている。玄関のツゲの中に伸びた150cm程の南天を、四畳半定位置のフェンスの所に植え替えに移る。

 流石にロートルクマ男もヘタッて、道のアスファルトにべったりメタボの胡坐を掻いて、バールで根に沿っての掘り起こし作業である。やおら石を剥がされ、ガリガリ、バールで掘られたら、地中のアリゴ帝国にとっては<青天の霹靂・帝国壊滅の危機>である。出て来るわ出て来るわ。Tシャツ姿のクマ腕に這い上がって、噛み付き攻撃である。

『コンニャロー、俺様は大魔神じぁ、如何じゃ如何じゃ。そんな攻撃が通じると思うか!! アチャチャ!! 本気を出す馬鹿が、何処にいる。このタワケが。』

 嫌々遣っていると、お向かいさんご夫婦が、休み休み遣るのがコツ。お茶を上げるから、ゆっくり遣れとの事である。短距離・跳躍細胞の我が身は、ウサギとカメに準(なぞら)えれば、死ぬまでウサギなのであろう。遺憾いかん・・・ 無理は禁物のロートルであろうが。

 ソウリャ 南天を強引に抜き取り、後はパッパと原状回復をして、ハイ、サヨナラである。

 定位置真正面を目で追って、植え替えの小穴を掘る。コンニチワの項垂れ南天を、フェンスに軽く止めて、たっぷりの水を掛ける。此処は、意外と野鳥の通り道の様な処がある。 
 季節に応じて、ジョウビタキ・メジロ・鶯・シジュウカラの小鳥達が、顔を見せに遣って来る。通年ヒヨドリの意地悪ばかりに、晒される彼等である。こんな事でヒヨドリの恩恵に浴するのも、当然の権利である。
 彼等とて、身を隠す緑があれば、顔見せの頻度も多く為ろう。そうなれば、私にとっても、気の和む観察も出来る。この関係は、<楽しみの連鎖>と呼ぶべき交互関係かも知れぬ。

    軽い昼を取って、シャワーを浴びる。後は、流しタイムとする。

心何処ーショート 友へのエロ~ル
                友へのエロ~ル(6/8/09)
 時々、古い記事に対する拍手があると、何か評価を頂いた様な感じがして、本当に嬉しく為ってしまうものである。ついつい、嬉しくて自分でも、その記事・短編を読んでしまう。
            何方か存じませんが、アリガトさんね~。

 この二日間、Tの携帯にブログ記事を送信しているのだが、それでは割高の費用が発生して悪いから、パソコンを買って覚えるとの連絡である。前から、退職したら暇潰しに何かをしなければ為るまいと言っていた。得意の柔道も、胃無しの身体では当分出来そうもない、と観念してのパソコン入門らしい。体力回復までの期間の有効活用なのであろう。

 早速、きっちゃに中古パソコンの口利きを頼んだとの事である。Tとて大学教育まで受けた人間である。業務文章で打ち止めとあっては、宝の持ち腐れと云うものである。柵から解放されて、日々、自分と正直に付き合う時間が多く成って来るのである。門外漢と言う勿れである。文・筆と云う潜在能力が眠っているだけであるから、打ち始めれば追々散文文章は、続いて行くものである。何しろ絵は、文字の無いクロマニヨン人の洞窟絵の時代から、綿々と受け継がれているのである。
 振り返れば、最初の関門は、誰にでもある。それなりの長い文章を書こうとすれば、堂々巡りの400字・800字・1500字の階段を一段ずつこなして行くしか、方途は無いのである。此処は、<覚えろよりも慣れろ>の、習慣付けに頼るしかあるまい。人間の最大の強みは、適応性にある。

 所詮、文章などと云った処で、自分の普段の口語体を本の少し、書き言葉に調合すれば良いのである。基本が話し言葉である以上、字を知っていれば誰にも書ける芸当なのである。従って、多少の訓練期間を潜り抜ければ、現実の体験が脳裏に収納されているのが人間であるから、出の通じ口さえ開けば、後は<イチジク・カンチョウ結果の様な内容物の迸り>の沙汰であろう。
 デカイ声では決して言えないが、Tの内容物と来たら、<驚き・桃の木・山椒の実>状態の目白押しである。到底、私の様な小物が物陰で、お茶を濁している様なチャチな物では無いのである。感じる対象も、感じる本人も違うのである。
 違うから、当然に感じ方も考え方も異なる。従って、違いがあれば、表現方法も変わって来る。共通語で書かれた文章と云えども、表現方法は個人の色合いである。色合いの違いがあれば、味わいも違って来る。だから、友・知り合いの文章は面白いのである。

 ある程度の長い文章には、起承転結と云う脚色・編集は付き物である。その中には、当然の事ながら、強調部分もあろうし抑制部分、割愛の残滓もサービス部分もある。息継ぎ部分だって必要と為って来るのである。
人が文章を書くと云う行為は、多かれ少なかれ自分を曝け出す事に通じてしまう。どんなに気取って糊塗しようとしても、滲み出る雰囲気の中の行間を読まれてしまったら、書き手は、読者に裸身を晒すしか無い・・・のである。
 どうせ裸身を晒すなら、ストリッパーに為った気分で、被り付きの観客を焦らせたり、ドン・ガバチョと開脚して目晦ましをして遣るのも一興には違いなかろう。舞台の演じ手が、ひらひらシルクの衣の裾を翻して、香水と薄物の陰りで誘う艶ぽさも好し、大胆不敵に、ヒラヒラを投げ捨てアマゾネス戦士となって、攻めに攻めるも好し。はたまた、驚愕のブラック・ホール世界に、善人を落と締める(貶める)のも座興かも知れぬ。

※責め・攻めは、同音異義語ではあろうが、官能の世界では、S&Mの一蓮托生の関係なのかも知れない。

 ブログデビューをしてしまえば、後は<野と為れ、山と為れ>の行け行けドンドンで好かろう。数を打って行けば、自ずと自分の道が出来る筈であろう。何も学術論文・作家デビューする訳でも無いのであるから、得意の<あら、そぉ~お。>の煙幕を張れば好いのである。
 60の手習い・趣味の一環で、<これ又、結構、猫灰だらけ。おまけにオケツの周りも灰だらけ。笑って笑って、世の中、丸く収めましょう>でチャンチャンのチャンである。

 ついでに言及すれば、人間の脳裏の世界には、特異・得意分野としての想像・妄想の世界が拡がっているのである。現実と想像・妄想の関係を紐解けば、後者は、前者の派生物であろう。想像・妄想を特異稀な能力と考えずに、経験との確率出現と考えれば、その世界の広大無比な<茫洋とした拡がり>は、体験の<明確な広がり>に比例し、頻度をもたらす・・・ 論考を進めれば、導き出される『Tの期待値』は、以下の一文であろう。

      To dearT from Ryou with エロ~ル

     恐るべし、Tの埋蔵量にして潜在能力の高さよ。
        汝こそが、鬼に金棒の持ち主なり。

   Tよ、Tよ。早く芽を出せ。芽が出たら、早く伸びろよ、伸びろ。
         伸びずば、このハサミでちょん切るぞ。
   
   ぼっき・ボッキ・勃起の三段跳び、さあさあ、でっか~く為~れ。
      真面目に捩じり鉢巻き。練習をば、せねば・・・
  還暦ロートル 残り時間は、瀬川の速さと呆気無さ・・・で御座るぞよ。

 本日、朝きっちゃより電話あり。性能の好い中古パソコンが、明日Tに届くとの事である。何かと面倒を見ろとの事。さてさて、Tの悪戦苦闘の一里塚は、如何なる事か…イッヒッヒ。

心何処ーショート また一枚、下手絵を増すなり。
             また一枚、下手絵を増すなり。(6/8/09)
 太陽が出れば、夏の日差しである。昨日の続きに汗を掻く。小粒の苺を摘んで、母に食べさせ様と持って行くと、座卓の上に苺があった。

           <左様であったか、思いは同じであったか・・・> 
 併せて洗い砂糖を盛って、昼のデザートにする。明るい紅色の潰し汁であるが、顔を顰める程の酸味一杯が、我が家の小粒野苺なのである。市販の大粒甘いイチゴも、申し分の無い処なのであるが、然し、これが『ほったらかし度100%庭の苺の味』なのである。 
 この明るい紅色と酸味は、きっと野性種そのものなのであろう。先祖返りも、此処まで行けば文句も付け様が無いのである。40年も50年もの間、自力で根を張って来た兵である。彼等を大したものであると、愛でるしかあるまい。

 Tシャツで一日を過ごす。窓の外には、眩しい直射日光と雑木の緑を揺らす風の通り抜けだけがある。流れるラジオの歌謡曲の数々に、時を流す。した事と云えば、水槽のフィルタースポンジを揉み洗いし、庭からハコベを取って来て小鳥に与えた位のものである。日曜日であるから、夜まで見るテレビも無い。

 何もする事も無いから、下手の横好きで絵でも描こうか・・・である。何を描こうかと思案する。そうそう、本日の出来事は、酸味一辺倒・小粒の苺であった。苺の下手絵なら、窓辺の鳥籠を片付けて机を移動すれば、窓から四畳半下の苺を見る事が出来る。本当はスケッチと言いたいのであるが、ご存じの様にスケッチなど出来様も無い不器用さである。 
 不器用な人間が、たどたどしい手の運びで形をなぞった処で、自分らしさが出来る筈も無い。描きたい様に描くのが、自分流である。個性が出るとしたら、その一点にしかあるまい。画用紙を半分に切り、適当描きを始める。

 然し、今回は下心が十分にある。本日のロートル日記は、如何見ても字数が足りないのである。本当は、DNA誤鑑定に対するサンデープロジェクトの<ジャンケン・ポンの後出し声高糾弾の様>に、一吠えして遣ろうか等と考えていたのだが、それを打ち始めると、長くなるし、虫唾の走る田原総一郎の面が、眼前を過るのでウンザリしていたのである。

 短文に添えて下手絵を一枚加えれば、分量的に据わりが好く為ると考えたのである。容量がオーバーしない様に描いた心算であったが、動機が不純過ぎたのであろう。<庭の苺>は、あっさり812KBであった。

 下心叶わずで残念ではあったが、絵を描くと云う遊び兼作業は、中々に愉しい時間である。時間ばかりが、リッチである還暦クマ男であるが、自分に合った物に気付くと、独り身は面白くも楽しいものである。
 ショーン・コネリーの嘗ての某ハムメーカーのCM文句では無いが<テヅク~リ>とは、結構楽しめるものである。皆さんも、手作りをお遣りに為ったら、面白いものですよ。

 インターネットのブログなどと云う文明の利器は、ロートルクマ男にとっては、恰好の玩具の様な道具と云って好かろう。活字離れなど云う誤解は、とんでも無い眉唾ものである。人間には、表現願望・表現の自由があり、知りたい好奇心と選択・嗜好の自由も旺盛なのである。
 然しながら、小心者の私は、汚ないものを見るのは嫌いな性質である。自分が喋っている時と他人が喋っている時の顔付・表情に、歴然とした差がある様な人種の心底など、薄ぺら汚ない下衆人種であろう。何故、それほどの差があるのか・・・考えて見るが好かろう。簡潔に言ってしまえば、<自分が目立つ事は快感、他人が目立つ事は不快。> 
 そんな輩が、大手を振って電波を席巻しているのである。自己顕示が強過ぎる顔付は、私に言わせれば信用性に欠ける。

 北の将軍様のお国では、自由世界から顰蹙を買っている主体思想が蔓延しているそうな。主体思想も自分思想も、その根底にあるエゲツ無さの点では、大差が無かろう。単なる目立ちたがり屋が、何がパフォーマンスであるか??? 日本語にある物を使用せずに、横文字を多用して、何が<内需拡大>か。おフザケじぁゴザンセンわな。
 お前さん達、自分達がヘンテリと己惚れるのなら、山本常長の『葉隠れ』を読んで、<間抜け面の化粧>でも為されませ。オールマイティーな頭脳・人間など、この世に存在する筈も無かろう。

       喚き為され、喚き為され。俺ぁ浅学非才の部外者よ。
      ほざけ、ほざけ、ほざきやがれ。俺ぁ、馬耳東風だいね。

 遺憾いかん。他人様を誹謗中傷すると、地獄の閻魔様に舌を抜かれてしまいまする。反省!!

 明けて、温泉ミネラルウォーターも無くなったから、風呂に行く。何やらスキンヘッドに刺青さんが入浴中である。浴室に入ると、背中の入れ墨と見えた物は、豪毛であった。白人外人さんが一人で、こんな小さな温泉銭湯に入りに来るとは、見上げた文化人である。帰りに製造販売のパン屋で昼食のパンを買って行く。
 町内に入って、通りの反対側を見ると、何処かで見たおばぁちゃんが、手押し車を押している姿が見える。自転車を止めて見ると、母上である。先日、足腰を動かす為に、少し外に出て見ようと、言っていた事を思い出した。知らぬ半兵衛を決め込むのも、親孝行の一つである。先に帰る事にした。

心何処ーショート
                夕暮れの親子釣り(6/7/09)
 家周りの伸び切った雑草と花期を終えた草花を鎌で、刈り取る。四畳半の前のムラサキツユクサを刈り取ると、野苺化した小さな実が顔を見せる。結構な作業量で、汗ダクダクである。全部を、一日で遣る必要も無い。大雑把に仕上げて、シャツを脱いで汗を退かせていると、Tから電話である。渡りに船で、裸に為って水タオルで汗を拭って、着替えである。

 例によって、スタバでコーヒータイムである。ドーナツとホットコーヒーにするが、相層の好い店員さんとは違って、コーヒーは美味くない。インスタントコーヒーの方が、口に馴染む。欲張りは禁物で、二人とも小サイズを頼む。

 それにしても、Tはスマートに為ったものである。体重63kg、ウエスト82cmとの事である。体重63kgと云えば私の中学時代の体重であり、ウェスト82cmと云えば大学時代のものである。
 最近の文作の読書タイムを終えて、T曰く。文作に挿しこまれた私の下手絵は、背後の壁絵と好い勝負との事である。成程、壁の抽象画は、不特定多数の目を考慮に入れて、柔らかいタッチで無難に描かれている。きっと描き手が上品な御方なのであろう。私の方は、描き手が下品に出来上がっているから、あらぬ連想への扉絵でしかない。
 
 Tも高齢の父上と顔付合わせる日々である。外の空気を吸引しないと、気分が鬱屈するとの事であるから、同境遇のお互いを慮ってのニヤニヤ笑い並びに単発のボヤキ交換と為る。もう少し、話をしていたかった処であるが、ドーナツが胃にもたれてしまったとの事で、お開きとなってしまった。何しろ、胃無し男の病み上がりである。あるべき物が無いと云うのは、大変な事に決まっているのである。

「体が軽くなった分、動き易いだろう?」と言うと、「体力が無いから、散歩も儘為らぬ」との事である。Tの体調が回復するまでは、マダマダ時間が掛る様である。見た目は若返ったスマートなTであるが、シャツを捲って腹部を見せてくれたTの体は、中学生・高校生の青さに見えてしまう。

「それでもさ、痩せた分、こんなニイチャンのジーンズも履けるんだぜ。」Tのジーンズには、若者風の飾りが付いている凝った物である。バックの赤が利いている。
「これを履いていると、カカアが、<いい歳をして、何を考えているだか? 頭は大丈夫、医者に行ったら?>だとさ。大きなお世話だよ。イヒヒ。」
「やあやあ、似合ってるぞ。スマートな体にぴったりだぞ。還暦と云ったって、この位の物を身に付ける<男の茶目っ気>は、必要だわさ。日本人は、真面目過ぎるんだよ。俺が履いたらチンドン屋だけど、アメリカ暮らし10数年だけの事はある。様に為るんだったら、どんどん遣れば好いんだよ。カァちゃんは、若さに差を付けられて焼きもち焼いてるだわさ。へへへ。構う事は無いさ。お洒落したくても、似合う奴と似合わない奴の差は、歴然だよ。チョッと、そこのネェちゃんを引っ掛けて見ろよ。<花の命は、短くて>ってのは、何も女にだけ当て嵌まる真理じゃ無いだろう。遣って見ろ、Tちゃん!!」
「あら、そぉ~。あなたも、好きねぇ~。Rも、ロシア行きたくて、ウズウズしてるんだろう。分かる分かる。」
「おっ、その気に為ったか、行くか!!」
「何をおっしゃいます。私は未だ、体力不足よ。あんなドーナツを食べてだけで、グロッキーじぁ、とてもとても・・・精力に回る体力無しだわね。困ったものだいね。」

 動きついでであるから、着替えて長靴を履いて、暫しの釣りタイムである。前回のヤマメに気を好くして、本日は河虫で晩の<母子お頭付き>を目論んだのであるが、次々と針に掛るのはアブラハヤばかりである。手がヌルヌル臭くて堪らない。
 水の少なくなった淀みには、大ヤマメの泳いでいる姿が見えるのだが、一向に掛らない。業を煮やして、場所替えである。釣り糸を垂れていると、見物男が離れて見ている。其処に立たれてしまったら、魚が逃げる。文句を言おうと顔を見ると、相手が悪い。人の意を解する様な顔付では一切無い。文句を言った処で、ヤマメが釣れる訳でも無いから、竿を畳んで移動する。無駄な事は、癇癪の種である。

 300mほど上に移動して、ヤマメを釣った好ポイントであったが、此処もハヤばかりである。次のポイントを見ると、年配者二人が釣りを始めた。その上のポイントで、河虫のあるだけ釣りをする。やはりハヤばかりが、次々と掛る。流れを見ていると、親指程の沢ガニが見える。川の隅の浅い所である。手の平大の扁平な石の下が、彼の棲家らしい。出て来てその石の上に暫く居ると、石の下に戻って行く。その繰り返しである。ハヤ釣りは飽きてしまったから、餌を沢ガニのハサミに近付けようと悪戯を試すが、無駄であった。

 さてさて、夕食の賄い夫タイムである。年配者の釣りを見て帰る事にする。70前後の父親と40代と思しき倅殿である。二人とも温厚な顔付である。浮き釣りをする父親のハリに中年倅が、餌を捏ねて付けて遣っているのである。何やら、実に微笑ましい男親子の釣り姿である。私は、腰が痛くなってしまったから、コンクリート堤防の縁に寝そべっての釣り見である。親子はニコニコと、交代で釣りをしている。取り交わす口調も、穏やかそのものである。子供の時から、仲の好い親子関係が継続されているのだろう。味のある親子の風景である。好いものを見させて貰い、何か得をした様な気分に為った次第である。

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