旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心何処ーショート 人間には、見えぬ違い。
              人間には、見えぬ違い(5/31/09)
 昨日の夕方の事である。流金の一匹が腹を上にプッカリと浮いている。未だ辛うじて生きているが、息も絶え絶えの末期症状である。大慌てで、川に水を汲みに行く。水槽の大半を替える。バケツの川の水に、流金を入れて暫く様子を見るが、芳しくない。斯く為る上は、前回同様にグッピィ槽に入れて見る事にする。暫くすると、浮き上がっていた体が沈んで行く。前回と同様の経緯を辿るものと見受けられた。二つ並んだ人間の眼からは、一切窺い知れない二槽の原生類・水中微生物相の違いである。グッピィ槽に金魚槽の水を入れると、浄化して澄んだ水に転換するのであるが、その逆は効果が無いのである。

 初めは、二槽の環境差異は水温の高低での微生物の活性化の違いだろうとタカを括っていたのであるが、二度まで奇跡の様な効果覿面を目の当たりにしてしまうと、正に<蘇生水>と思わざるを得ない。きっと食物連鎖の仕組みの違いが、歴然としている<水の中身>なのであろう。電子顕微鏡で、その中身を探訪すれば<驚異の世界>が生々しく確認出来るのであろうが・・・・手も足も出ない、<尽きぬ好奇心の扉>である。
 一度、電子顕微鏡をパソコンに繋いで、その世界を見せて貰った事がある。原生類・微生物の種類の多さ、その形状の不気味さ、胞子の様な酵素を噴出させる様、発生と消滅の瞬時の入れ替わりの様などは、想像を絶する世界だった。そこには、流行りのSF映画など足元にも及ばない世界が繰り広げられていた。それは、感嘆と感動すら覚えた世界である。

 その世界を見ていて感じた事は、SF映画の鬼才とか何とか絶賛を浴びている連中は、<絶対に、やつ等は、この世界を見ている。単に、この世界の一部をパクッているにしか過ぎない>と云う感想であった。
 或る時、本屋で原生類・微生物のミクロ世界の写真が、満載されている専門書を立ち読みした事があった。原生類・微生物の世界とSF世界の登場動物の類似性に大きく頷いた経験がある。それは、アメリカ人学者の監修した高価な本であった。本を抱えてレジに行こうとしたが、泣く泣く諦めた。
何故ならば、私は想像・妄想に長けた性向を持つ身である。こんな物を、書架に置いたら、ミイラ取りがミイラに為ってしまうのは、火を見るより明らかである。

 一時、ユカタン半島を中心に開花した古代文化のオルメカ文明・ティオティワカン・マヤ文明に凝って、何冊も読破した。想像・連想・妄想に取り付かれて、就寝時間の短縮を余儀なくされた毎日であった。そんな時期に、真夜中、滔々と寝言で覚え立ての知識の断片を述べていたらしい。私は、女房に変人扱いされた<痛い失敗談>の持ち主である。
 隣部屋で寝ていた女房は、吃驚したそうである。まさか、それが寝言だとは分からず、意識して説明していると錯覚したらしい。聞き耳を立てていると、途中で言葉が途切れる。そして、大分間を置いて、声がハッキリ聞こえて来る。寝言だと気付いて、<触らぬ変人に祟りなし>で声を掛けなかったとの事である。それを聞かされて、私は『亭主の威厳』で笑い飛ばすしか無かったのであるが、内心、冷や汗ものであった。

 夢の中に現れて頂くのは、美形達・女房殿で沢山である。魑魅魍魎、奇々怪々の化け物世界に、一人投げ込まれてしまったら、精神の軟な私如き弱者は発狂の目覚めで、即精神病院送りと成るのが落ちである。
 人間の眠りとは、柵からの解放と休息にこそ、意義がある。美形への憧れを誘う夢なら門戸を開けての大歓迎であるが、高い銭を叩いまで墓穴を掘るのは誤選択の極みである。毛無し・女無し・金無し、おまけに甲斐性無しの我が身に、唯一残された夢の楽しみが、化け物の阿鼻叫喚に取って代わられたら、・・・ それこそ、生ける屍を晒すばかりである。

 思わぬ瀕死の湯治流金に、グッピィ達は水槽上部に集まって、戦々恐々の距離感を保った儘である。いつ何時、テポドンが発射されるか気を揉んでいては、平和な小世界の住民グッピィ様に、申し訳が立たぬ処である。

         何事も、然るべき棲み分けが、肝要の世界であろう。

 蘇生の叶った流金を小網で掬い上げて、金魚槽に戻す。雨の止んだ眺めは、窓に掛るほどに伸びた雑木の枝を揺らせて、ムラサキツユクサの小さな紫花を、浮き立たせている。そして、再び細かな雨が降り始めている。
スポンサーサイト

心何処ーショート 一人モード
               一人モード(5/30/09)
 
 ああ、良く寝たものである。

 何日振りかで温泉銭湯に行って、飲料のお湯をペットに入れて来る。五月も末に為ると、余りの熱さで私の湯浸かりは、一端休止と為って家でのシャワーが殆どに為る。それでも、この頃は温泉ミネラルウォーターに慣らされてしまい、何日か飲まないと、淋しく為ってしまう。そんな事で、通っている次第である。
 
 一緒に脱衣場で脱いでいた、長身痩躯の苦虫を噛み潰した様な老人は、さすがに湯に入れず水道水で湯を冷まそうと言われる。私の方も願ったり叶ったりの、大賛成である。客は、私を含めて三人である。適温に為って、熱く為らない内にどっぷりと浸かる。

 汗を退かせて、帰りは個人スーパーで買い物を済ませて行けば、昼には頃合いの時間である。外に出ると、向かいのバスストップでお婆ちゃんが、今何時と声を掛ける。

 此方側のバスの時間表を見ると後5分であるから、折り返してのバスであろう。10分以上は待たねば為らない勘定になる。腰の曲がったお婆ちゃんは、淋しいのだろう。通りの向こうから盛んに声を掛けて来られる。

「男湯は、混んで居たでしょう。」
「いえ、私を入れて、三人でしたよ。」
「女風呂は、私一人で熱くて入れなかったから、早く出て来ちゃった。」
「そうですね。好い風呂ですけど、此処の風呂は、熱いのが玉に瑕。ホースを繋いで、埋めれば良かったのに、」
「もう、年寄りなもんで、体が面倒な事だと尻込みしちゃうんですよ。」
「そう云う時は、番台さんに頼めば好いんですよ。日蔭で、腰掛けて待ってた方が、好いですよ。じゃあね。」

 個人スーパーの先輩と、ダジャレを交換して、残り飯とパンで昼食を済ませて、部屋でチーズをツマミに、缶ビールをあおると、間もなく好い気持に為って来た。温泉の保温効果だろうか、これは、心行くまで気持の好い昼寝が出来る。部屋を移して、布団の上で大の字に為る。安全牌を採って毛布を腹がけに、昼寝への誘いに身を任せる。

 雨音に、目が覚める。

心何処ーショート 我が小さな社会貢献
                 我が小さな社会貢献(5/30/09)
 早朝、下手絵の修正と<朝の一席>を打っていると、斜向かいさんが此方を見て、ニコニコと声を掛けられる。

「今朝は、いやに早いじゃ無いの。」
「頭の中身が飛んで行かない内に、遣ってるだいね。面白い絵が出来たんね。」
「どれどれ、見せて見ましょ。こりぁ、又変わった絵だね。お兄ちゃんの絵は、まともに見てるだけじゃ、勿体無いんだよ。こう遣って、横にしたり、逆さにしたりすると、面白い物が見えたり、連想が働くんだわ。この絵のテーマは何だね。」

        斜向かいさんが回り込んで、窓越し正面の遣り取りである。

「今日は、交換日ずら。その時に絵も合わせて、絵の謂われも印刷しとくぜ。待ってましょ。それに、処分に困ったテープを置いて行ったお人が居るぜ、乞うご期待物もあるんね。」
「そりぁ、嬉しいわや。<万障繰り上げて>寄らして貰うぜ。」
「やいやい、学校の連絡みたいな高等語を頂いちゃって、物が物だけに、顔が赤く為っちゃうんね。」

 さぁさぁ、発破掛けて打たねば為らなくなった。<出て来い出て来い、話の泉。 ロートルクマ男に、二言無し。>である。二枚を打ち上げて、朝の賄い夫に変身である。昼前の訪問と思いきや、午後一であった。その間に、12時の昼時に散歩を終えて、ソーメンを茹でて皿に盛り付けていると、斜向かいさん登場である。

「ツルツルと啜っちゃうぜ、今週分用意しといたぜ、読んでましょ。」
「ああ、気にしないで、ゆっくりお婆ちゃんと食事して来ましょ。」

 部屋に行くと、Sちゃはどっかり胡坐を掻いて、持参の老眼鏡でページを捲って居られる。開け放した廊下からは、庭の緑が輝いている。四畳半から庭に抜ける風が、ひんやりとしている。

「お兄ちゃんの文章は、面白いんだよ。いいかい、この件は真面目に先生みたいな文学表現で来てさ、フムフムと頷いて読んで行くと、ペロリと一気に変わちゃって、何処にでもいるオッサンが登場して来て、ある事無い事の触りをサラリと流しちゃって、またまた正調文学が登場してだよ。
こっちが描写の内容を思い浮かべていると、ペロンどころじゃないわね。ベロリと皮が剥けちまって、亀頭がグイと顔見せちまうって寸法さね。まあ、モロ身の亀頭が顔見せたって言っても、別に悪さをする訳じゃないから、安心していられるけどさ。へへへ。

 コロッ、コロッ、ペロリ、ペロン、バリバリ、ドスン、コロッで落ちが付く。どぎつさが無いから、読み易い。変化・変身があるから、頭の柔軟体操が出来る。お兄ちゃんの絵も、只、一方方向で眺めていたって、楽しさが倍増しないわね。同じ人間が文章と絵を描いているんだもの。

<やいやい、行けねぇゃ。観察者の俺のノウハウが、技術移転されちまってる。落差の笑い・愉しみを堪能されているらしい。言われちゃってる・・・へへへ。>

 この菖蒲の絵だって、そこに咲いてるヤツずらい。ああ、あそこの菖蒲のスケッチかなんて、素通りしたら、一巻の終わりさね。

 ペロリ・ペロンのドサンが、絶対に有る筈だと俺は睨んだって訳よ。そんな事を考えながら、俺って人間は、何時も言う様に、根が変な人間なんだわ。よくよく見ると可笑しな絵せ。一体、何ずらい? なんて気持ちが湧いて来たら、途中じゃ収まらない。
 二つの石に菖蒲が二群、チョチョイのチョイって感じに描いてあって、真ん中の長い茎の先に青い花が開いてる。言うならば、絵の中心だわね。その先には五色の虹みたいな直線の空色の太い光の中に、真紅のチョウが全開して浮いていると云うか止まって居る。

<真紅のシジミチョウは、勘ぐり過ぎ。間延びした空間にワンポイント・アクセントだいね。こりぁ、変な雲行きに為っちまったいなぁ・・・>

 こりぁ、何か奇妙な暗示だわね。何の意味ずらいなと考えて、ソロリソロリと絵を舐める様に追って行けば、二つ組み合わさった灰色と黄土色の石は、よくよく眺めていりゃ、風呂で座って体を洗っている『色違いの女の股ぐら』に見えて来る。

 石と石の凹んだ・・・詰まりは、股ぐらなんだけどさ・・・其処へ持って来て、菖蒲が股ぐらを隠す眼隠しの様に、スイスイのスイってな具合に生えてる。その先には真紅のバタフライと来りゃ、何かの象徴だわね。そうなりゃ、中学生の絵が変身して、限りなく艶ぽい絵に見えて来ちまう。
<昭和20年様の呼び水>で、調子が出て来て、今度は、石の一つ一つに目を凝らして行けば、灰色の石のプックリした曲線は、何か女の尻に見えちまってさ・・・そうなりゃ、好奇心の探求ってものさね。一々点検して行けば、石の隅には濃淡で幽かに見える割れ目まで連想されちゃうもの。

<えらい事言ってくれるじゃん。そりぁ、下書きの鉛筆の線を消し忘れただけだいね。言うに事欠いて、女の尻の割れ目と見られたら、俺の品位が廃れる。どれどれ、風呂場の女の股ぐらと来たもんだ。ほぅ、見えなくも無いわな。何~、『昭和20年様の呼び水』とは、ビックラ、コイタ。そう云えば、場末スナックには大分、ご無沙汰してるわいな・・・>

 それにだよ、この角度で黄土色の石の立ち具合を見れば、何やらのっぺりとした、この丸みは、男のシンボルに見えなくもないわね。バタフライと来りゃ、対のシンボルが、何処かに有る筈だ。それが常識・バランスってもんさね。何しろ、俺は、毎日絵を見て、一体、何を考えてお兄ちゃんは、この絵を描いていたずら・・・なんて、思案のし放しさね。

<アジァ~、Sちゃんは、俺以上の町の虫眼鏡シャーロック・ホームズじゃないの。こりぁ、ウカウカしていると、お株を取られちまう。弱ったいなぁ・・・>

 人間て云うのは可笑しな動物で、捻くり回して一点に集中して見てると、周辺が連想に次ぐ連想を回転させちゃってさ。もう、こりぁ妄想のお遊びの時間に為っちまうんだわね。お兄ちゃんの絵が、厭らしいって言ってる訳じゃないよ。その反対だからね。絵が明るくて、おおらかだから、汚ない想像が働かない処が、実に楽しんだわね。明るくて楽しい絵だから、何かホンワリとした想像・連想が広がるんだわ。これが、脳味噌のリフレッシュせ。楽しんだよ。ウキウキして、若返っちゃうもの。

<やれやれ、薄皮一枚で俺らの品位が、保たれたわいな。こりぁ、察するに、ロートル歴の差だわな。人間は利害関係を脱して、穏やかな日常を保てば、真贋の目利きに昇華出来るんだろうなぁ・・・ 流石に、ロートル歴の差が為せる心眼じゃわなぁ。大したお方である。S連隊長殿。>

 今日のこの絵だって、それなりの説明が文章の中に有るけど、そのまんま、受け取る訳には行かねえずら、俺ぁ、描いてるご本尊様を知ってるんだもの。こうずらい、先ずは正常の位置で見りゃ、文章通りずらいが・・・チョコと90度ひっ倒しゃ、スタートが69(シックス・ナイン)からじゃん。白ばくれてるってか、サラリと忍ばせている処が、並の<痴性>じゃないよ。こう云う処が、俺は、大好きさね。
 螺旋の内部で男の赤帯と女のオレンジ帯が、絡み合って気持の好い事遣ってるじゃねぇかい。それにだよ、炎の先の指見ぇな物は、皆どれもこれも4本しか描いて無いじゃないの。5本無くちゃ為らない物が、1本欠けているって事はさね。化け物を表しているんだと思うだわさ。

<為るほど、所変われば品変わる。見る者違えば絵変わるって事ですかいね。いやはや、人間の感性・感受性の多様性は、止まる処無しか・・・フ~ム、人間と云う存在は、奥が深い。>

 これが、理性じゃ抑えられない情念の炎で、指が1本欠けているから、好き合った男と女が添い遂げる事が出来ない原因であって、それがあるから狂おしく絡み合って燃え上がる性愛の世界っ処じゃないかって、考えちゃうもの。文学的に云えば、『エロスの世界』の一断面だわさ。キャキャキャッ。
 見てるだけで、堪能しちゃうもの。見る者次第で、コロッ、コロッのペロン、ペロペロのベロ~ンってなものよ。難しい抽象的な文章読む事だけが、勉強じゃないわね。楽しいカラフルな絵を見て、ああじゃ、こうじゃと無い頭を捻くり回して、絵に描かれた世界を好奇心で探究する事の方が、よっぽど<真っ当な勉強>だと、俺は思ってるんね。

  <はいはい、推理、ご明察でござんす!! 俺ぁ、嬉しいわや~。>

 今日の絵は奥が深い。先ず、文章から読むだいね。裏ビデオなんかは、何時見ても構いやしねぇもの。さてさて、正調名画は、派手に西部劇コーナーを借りて行くかいね。」

 色白、優男の前田吟さんは、ニコニコした目を、悪戯っ子の様にパチパチ瞬いて、DVDコーナーの上段の西部劇コーナーから、アラン・ラッドとジョン・ウェイン物をチョイスしている。私は、その後ろ姿に、

「やいやい、こりぁ描き手の上を越されて、俺ぁ、Sちゃに洗脳されちゃって、み~んなセクシー画に見えて来ちまったいね。やっぱ、女日照りが続いてるから、色鉛筆持つと、潜在意識が一気に花開いちゃうんだろうかね。高校の同期生に神主さんが居るから、お祓い受けた方が好いかいね。」
「何をこいてるだい。そっちのお祓いは、こっちのテープにお払いして貰いましょ。ギャハハハ。ジョン・フォンテーンは、好かったよ。<レベッカ>が一番好かった。」

「そうだね。この1本で、彼女の地位と役柄が決まったって感じだったずらい。俺は、<二重結婚者><旅愁>が好きだけどね。線の細さが、何とも言えない上品な美形さんだと思うんね。でも、世の中は広いから、無名の美形さんが五万と世界にはいらしゃるんだから、そんな美形さんとお近付きに為れる男は、果報者だわね。
 今のドンパチ、ギャンギャンのド派手の映画は、疲れるだけで見る気には為れないから、詰まらない限りですわ。何事も、想像力を掻きたてさせてくれる内が、華ですわ。
 言って見りゃ、最初の時の女性の下着は、後光が差して不可侵の厳かさがあるのに、馴れて来ると指を引っ掛けるだけでペロンと茂みが出現してしまうから、困ったもんせ。へへへ。
 あっそうだ。この洋物テープは、<どんぶらこ>に続くアヌス編だいね。多分中国人のダビングで、音が出ないんだけど、動物的執拗さが、物凄く笑っちゃうんね。見る方からすると半製品の欠陥商品だけど、内容の強烈さを無音がどぎつさを打ち消してくれていて、それが逆に、<これこれ、お前さん達、人間は盛りの付いた獣じゃないんだから、ほどほどにして置きましょ、そんな物をドアップで延々と見せ付けられたんじゃ、目が腐っちまう。転げ回ってギャンギャン騒ぐだけが、性道では無かろうにってな、<品位の復活>を促す効果もあるんね。ジョン・ウェインの相手役の赤毛の美女・モーリン・オハラを投影して、重ね見しちゃ行けねぇんね。そんな事をしたら、名匠ジョン・フォードにハッ倒されるんね。」
「お兄ちゃん、大丈夫だよ。ジョン・フォンテーンもエリザベス・テーラー、デボラ・カーも女には違いないもの。王侯貴族・将軍・お公家様も、み~んな一皮剥きぁ、お兄ちゃんの文章と同じで、コロッのペロンのペロペロのべローンだわね。この歳に為りゃ、刺激でリフレシュだわね。自慢じゃ無いけど、朝は畑仕事、昼は読書と映画鑑賞、夜はテープ観賞で、規則正しい生活送って、若返えちゃったもの。これも、ひとえにお兄ちゃんのお陰ってもんさね。ギャハハ。」

 確かに、その通りである。斜向かいのご主人は、この頃では歳の離れた奥さんよりも、溌剌として生き生きと為されている。体内での男性ホルモンが活性化されていると推察出来る次第である。我が日記文学・世界名作映画・エロビデオの三位一体のサイクルが、漢方薬的に、回春作用を発揮されているご様子である。これも地域の小さな社会貢献の一つかも知れん。これまた、私の小さな喜びの一つである。ウッシッシなり。

心何処ーショート 雨上がりの一席
                 雨上がりの一席(5/29/09)
 遺憾いかん。風邪を引きそうであるから、半纏を引っ張り出して羽織る。暑かったり寒かったりで、中々、上手く運ばないのは、真に以って宜しくない事である。母は、布団の中でテレビを見ている。寒い時は、布団の中が丁度良い。<寒いから、靴下を履け>とのお達しである。する事もないから布団の中で、イングリット・バーグマンのジャンヌ・ダルクのDVDを見る。バーグマンの美しさに見とれている内に、寝てしまった。ロートルクマ男の<美形の夢を>の下心は、宗教が違うから採用には為らなかった様である。

 夕飯時には、ストーブが付いていた。夜は、前日の<昭和枯れすすき>の夢絵を描く事にする。色鉛筆の赤と橙で、男と女の絡み付く螺旋の炎と別々の炎を描いて見た。絵の3/4を占める螺旋の炎の周囲は、絵の具で濃淡を付けて黒く色付けする心算である。色鉛筆の色に被さらない様に、老眼鏡の目を擦りながら慎重そのものの作業である。根の要る作業であるが、真剣味が加わるから・・・その緊張感が楽しいのである。
 まぁまぁの結果で、大いに気を好くして、今度は、小さな男火と女火の周辺を紫の絵具で、色付けをして行く。私の絵は、出た処勝負のいい加減さを売り物としている下手絵である。黒彩色の途中で出来た濃淡による炎のイメージを、紫の中に多用する。その間、絵の具の乾きを待って、進行する下手絵を置いて、残った四隅の空白を、如何に攻めるか等とタバコを燻らせたり、目の萎みにコーヒーブレイクを取ったりするのである。

 息抜きに、壁にピン止めしたシングルママの三様の表情を眺めながら、<如何じぁいな?>などと感想を聞いて見るのである。

<そうねぇ、まぁまぁじゃないの>と言わんばかりの顔を上向き加減に、顎に手を遣って見ているし、<絵なんか描いて居ないで、私の相手をしてよ。>などと、胸を突き出して豊満なヒップのウエストに手を遣って、女優の様なポーズで生意気顔をしたり、<そんな訳の分からない精神異常者の絵を描くよりも、普段の私のしっとりとした表情を描いた方が、好いわよ。ほら、モデルに為ってあげるわよ。ゆっくり描くと好いわよ。>などと瞳を絡めて来る。

 さてさて、鼻の下を長くして美形さんとお話をしていても、下手絵は完成しないのである。下の余白に恐る恐る色鉛筆の緑を入れて見る。黒と緑との対比も、悪くは無さそうである。色を進める。上の余白には、青を入れる。一応の完成である。後は明日、再度見て色の濃さを調整すれば好かろう。スキャナーをしてPCに収納する。
 これも幸運にして、容量オーバーの未公開作であるから、我田引水・手前味噌である。ニャハハハと来たもんだ。下手絵ファイルの何処に入れるか、タバコを燻らせる。
 
 春の陽気に目覚めたテントウ虫が、幼葉の上で交尾角80°で、不格好この上もない交尾に懸命の汗を掻いている絵とセットにして見る。交尾を司る物は、生物の本能かオスメスの情念か・・・ いずれにしても、燃え盛る何かの衝動の存在が、有るには違いなかろう。下手絵のこじ付けも此処まで来たら、どうしようもない脳軟化症状である。壁のクールビューティの感のするママさんを見遣ると、女房並みのきついお小言を頂戴してしまった。

<アナタは、朝から何をしてるんですか!! 顔を洗って来なさい。目を離すと何をしているか、分かったものじゃ無い。離婚届持って来るから、ハンコ押しなさい。>

 何と何と、途中からママさんに、女房が乗り移ってしまったから大変である。

<煩い、お前の様に硬い品行方正人間ばかりだと、世の中、面白みが無いんだ。お前は真面目方向に、偏りが大き過ぎる。上下・左右・前後の360度にバランスが取れていないと、許容度が採れんじゃないか。許容度が薄いと攻撃的に為るもんだ。許容度は、受容の精神を高める所作に通じるんじゃ、好い歳かっぱらって、少しは仏教の慈悲のおおらかな心を、持たなければボーダレスの21C暮らせんぞ。少しは反省して丸く為れ。青味は若い時には好い配色には為るが、加齢期には中間色の柔らかみが無くちゃ、女のまろみは、授からんのだよ。処女見たいな事を言うな。困った奴だ。>

<よくも言ったわね。何時も何時も、反省のハの字も無い人ね。離婚して他人に為るだけじゃ許せないわよ。魔女だと丁度好いんだけど、この際、魔男でもしょうがないわよ。縛って木に括り付けて、女房の私が引導を渡して上げるわよ。火を付けて上げるわよ。改心するなら、今の内よ。>

<煩い、話に為らん。俺ぁ、死にたくは無い。逃げるわな。>

 兎角、女と云う生き物は、言って好い事と悪い事の見境が苦手の様である。飛んだとばちり、火の粉である。逃げなければバーグマン同様の火炙りの刑に処せられてしまう処である。斯く為る上は、慈悲心に富んだ北国の使者・バルディナ様を振り返るしかあるまい。

<見て見ろや、雪の様な肌に金髪・グリーンアイの瞳は、絶えず柔らかな微笑みを湛えていらしゃるでは無いか。>

  人間、取り分け女性と云う存在は、こうあらねば後光は差しませんぞえ。
                  ウッシッシ。
   
  さてさて、お時間も宜しい様である。朝の賄い夫にシフト替えでありまする。

心何処ーショート 嗚呼、露寒の様子なり。
                嗚呼、露寒の様子なり(5/28/09)
 朝風呂に入って、<定額給付金>を貰いに行く。ポツリ・ポツリと雨が落ちて来る。交付会場に着くと、閑散としている。窓口は二つである。封筒に入った金額を確認して、領収書に判を押すだけである。松本市で用意した金額を聞くと、35億円との事である。
<凄いじゃん、段ボール一個分くすねようや。協力して。>と頼んだが、あっさり断られてしまった。今日の昼は、美味い物を食べようと、家を出て来た次第である。

 先ずは、老舗の洋果子屋でケーキとあんみつを買い、川魚店でウナギのかば焼きを買って帰る心算であったが、シャターが下りていた。仕方が無いから、スーパーで刺身にかば焼き、その他を買って帰る。帰りは、低く垂れ込めた黒雲の中で、ゴロゴロと雷音が轟始めた。町内に辿り着くと、民宿旅館の別棟の二階のベランダで、白人中年女性が洗濯物を干している。民宿の玄関には、四割程の横文字が絶えずある。インターネットで民宿を発信しているとの事である。目論見成功と云った処であろう。何か、地元が評価されている様な感じがして、嬉しい気持に為ってしまう。

 早速食卓に並べて、私は飯の代わりに缶ビールを呑んで、雨の音を聞きながら、酔っ払い寝をした次第である。

 明けて、本日は梅雨寒の様な陽気である。朝、カツコウの声を聞く。ラジオからは国会中継である。民放に回すが、如何云う訳か民放とは、波長が合わない。煙草を吸っていると、庭から好い声が聞こえて来る。廊下で、その声を探したが見当たらない。細い糸の様な雨が、降って来た。庭のビワが、緑の小さな実を付けている。草陰に消え入るような丈で、サツキのピンクの蕾がポッと顔を覗かせている。ヒリヒリと聞こえるのは、セキレイの声だけである。

 ラジオでは、電話人生相談である。色恋沙汰では無いから、こんな物は興味薄である。

 水槽の濾過材の汚れを洗う。ずぼらを決め込むと、兎に角、凄い汚れ状態である。グッピィの赤尾が一匹、水草の陰から小さな黒い目で、此方を見ている。

<ああ、お前達は好い気なものである。何やかやと世話をしてくれる者が居る。俺なんぞは、不遇の身を囲って、専ら奉仕の日々である。ああ、情け無しや>・・・である。
 
 おやおや、ノーテンキ戯け鳥が、ブンチャカ・ブンチャカと盛りのディスプレイを奏で始めている。おおっ、オスがメスに飛び乗った。
<クァ~、当て付けがましい連中である。衣食足りて、ご主人様に、当て付けるとは何事であるか!> 
 南米インディオの昔の風習では、♀ヤクをフン捕まえて後ろから、発射していたとの民俗伝承もある事である。とぼくれた金魚・グッピィ達のまん丸の目玉ではあるが、『生意気だ、コンニャロー』と、ひつ倒して強姦する訳にも行かぬ。物理学は、てんでの<タイテのコラサの赤点>であったが、入るか入らないかの物理的不能位は、暗算出来る。恩知らずの戯け共が・・・

 こんな時は、妄想連れての散歩が頃合いなのであるが、生憎の雨と来ている。困ったお天気様である。おやおや、ヤクルト・ママさんである。丁度良い、此処で会ったが百年目である。

 色々、真面目なお話を30分もさせて頂いた次第である。真面目な顔をしている分には、『学者さん』に見えるらしいから、それに迎合すれば良いのである。私は根が真面目であるから、先ほどまでのコンニャローとひっ倒して乗っかる事も、♀ヤクを手籠めにする妄想など内心に止めて、一切見せないのであるから、<立派な常識人>でもある。

 雨の中、ハコベを掴んで来て、鳥籠の上に乗せて遣る。ノーテンキ鳥達は、早速寄って集っての争奪合戦をし始める。

 本日は、本降りとは為らない雲行きである。雨の隙を狙って、散歩に出掛けるとしよう。河川敷に降り立つと、早速<ベベッチョ、カイカイ。>と来たもんだ。人間の耳には『べべっちょ、掻い掻い。』などと、聞こえてしまうオオヨシキリの卑猥極まる鳴き声である。今年も葦原に夏鳥の到来である。
 灰白色のゴイサギが、流れに沿って低い飛翔で飛んで行く。雲の様子を眺めて、雨が降って来たら、即Uターンの散歩である。少々肌寒いから、急ぎ足のコース周回である。黄色の花菖蒲が、葦原に幾つかの群生を見せている。坊主頭の河川敷には、乾草の淡い匂いが風に舞っている。巣立ちで、親に追われた若雀の集団が、飛んだり跳ねたりしている。

 こんなお天気の下で、散歩をしているのは、私一人だけである。案の定、雨が降って来た。こう為ると馬鹿な性分の私は、あくせくと短足の脚をピッチ走法に替えて、折り返し点を目指して、一気に回れ右をしてオイチニ―、オイチニ―の逃げの一手である。シャツは、内外の含水率を高めるばかりである。

          やれやれ、とんだロートルの冷や水である。


心何処ー早朝の記録
                 早朝の記録(5/27/09)
 ラジオを細く掛けたまま、寝てしまった様である。<昭和枯れすすき>が耳に届いていた。重い頭の中で、男と女の赤い情念の様な炎が、纏わり付いて螺旋の炎に為ったり、離れて男と女の別々の炎が、高く低く燃え盛ったりしている。この歌は好きな歌の一つであったから、気分に応じて口ずさむ事もあった。

 然し、こんな風に男女の情念の炎が、生き物の様に動く様は初めての経験である。凄い歌だとは思っていたが、これほどの強い歌だとは認識して居なかった。きっと与件としては、闇と夢うつつと五感の重い停滞があって、定まらぬ其々の要素のウエートの多寡が微妙に作用して、歌の調べの強弱を映して、聴覚と視覚が抜きん出て、重い脳裏に一つのイメージを浮き立たせ、それに動きを与えていたのであろう。きっと、それは、意識と反意識の渾然一体の中で訪れる副産物・混合物と云って好いものだろう。
 私は、何故か小さい頃から・・・こんな訳の分からない意識の狭間の様な物が、大好きなのである。

 推理の師匠シャーロック・ホームズ氏に倣って、意識の狭間の正体とその作用を天眼鏡で覗けば、切なく、強く、哀しい唄の歌詞と調べが、炎に姿を借りて脳裏に語り掛けていたのであろう。言うまでもなく、叙情は日本人の心に宿る特徴の一つである。喜怒哀楽の中でも、取り分け<哀>の部分に知性と情の丈を以って、五七五の短文の中に日本人としての<以心伝心>の手法を昇華させて来たのが、日本人の叙情の発現であった筈であろう。こんな断面的なテロップが、頭の中で流れ始めていた。こんな奇遇は、滅多に訪れない天の思召しに違いなかろう。頭を整理して、収納して置けとのお達しであろう。

 5時前であったが、このまま布団の中にいたら、眠りの中で、そんな記憶の欠片さえも亡くしてしまう。寝不足に為るのは、目に見えて居る事ではあったが、寝る事などは何時でも出来る。
<記録に勝る記憶など、この世には存在しまい。> そう思い立って起きる事にした。

 白む影絵の様な中で、玄関の小鳥達が動き始めていた。四畳半の水槽の中では、金魚達が眠りから覚めて、動いている。台所で湯を沸かす為に火を付け、餌の殻吹きをして補充、水替えをして、鳥籠を四畳半窓辺に置く。曇りガラスの様な頭に、先ずはタバコの一服である。

 パソコンをonにして、記憶を打ち込む。これで健忘症物臭男の仕事は、完了である。

 山端を染め上げた太陽が、四畳半に差し込み始める。蓋を取った水槽からは、エア装置のエアから弾ける飛沫が、陽に当たってポンポン立ち上っている。ラジオからは、ラジオ体操が始まっている。卓上スタンドの光は、早や役目を終えてしまった。

 土手道に車の音が過ぎて行く。電線にセキレイが鳴いている。差し来る光の中で、小鳥達が水浴びを始め、窓外のムラサキツユクサ、大輪のツツジの花に、クマンバチが早くも蜜を吸いに来ている。そう言えば、昨日は河川敷のサツキにも、ちらほらピンクの蕾が現れ始めていた。太陽に活動を開始する外界と眠気を催すクマ男とは、逆転する世界である。

        さてさて、暫しの眠りを取るべしである。

心何処ーショート 左様で・・・
                 左様で・・・(5/26/09)
 予定していた事が、書類に目を通すと明日であった。まぁ、大勢に影響は無いから、如何って事は無いのであるが、気落ちしてしまった。左様であるか、明日であったか・・・
 朝食後、母の部屋でお茶を飲みながらテレビを見ているが、何とも・・・面白くない。

「馬鹿野郎、無駄事こくな。そんな中途半端な格好でクタクタ言うな。これ見よがしに、はしたない。そんなに、肌・スタイルを誇示したいなら、オール・ヌードで遣って見ろ。そんな度胸も無いだろう。」
「お前は、本当に、女の裸が好きなんだから、風呂へ行ったら。」
「風呂へ行ったって、男の裸じぁしようがないだろ。」
「女風呂へ行って、<あっ、間違えました>って言って、見て来たら好いだろう。」
「そうじゃ、あるまい。俺には、そんな度胸は無いわさ。」

 いやはや、こんな事を、92歳の母上に言われてしまったら、還暦クマ男は、冷えたお茶をゴクリと飲み干して、部屋に退散するしかあるまい。薄曇りの火曜日である。散歩ついでの釣りに行く事にする。こんな時間であるから、アブラハヤしか釣れまいが、散歩の代わりである。
 産卵期のハヤは、プックリと腹が膨らんでいる。テンカラの黒い毛バリに引っ掛けられるハヤは、見るからに下衆の顔付である。これでは、喜びもあったものでは無い。黒い長靴は、太陽に炙られて、すぐさま熱く成ってしまう。川に下りたり上がったり、歩いたりの釣り散歩である。
 川の中を歩きながら、何時もの散歩コースを行く。初めの内は、靴に水が入らぬ様に気を付けながら進むのであるが、一端水が入ってしまえば後は<海と為れ山と為れ>のいい加減行進である。蒸し暑い陽気であるから、膝まで浸かっても大して気にも為らない。ポケットには、ラジオを入れて来たからラジオを聞きながら、クマ男のマイペースであるが、長靴に入った水は、プカラン、プカランと草臥れるお荷物である。
 
 さてさて、散歩コースの折り返し点である。ハヤだけでは、話に為らん。川から伸びに伸びた柔らかな葦原を足でなぎ倒して、川から上がって、長靴を脱いで一服タイムである。コンクリートの縁に濡れたズボンで胡坐を掻いて、煙草を吹かす。ふやけた足とズボンを見ながら、これで女房殿が居たら、お決まりのお小言頂戴の段である。男と女とでは、遊びの仕方が違うのである。私としては、趣味と運動、ついでに長靴の洗濯まで出来たのであるから、これを称して<一石三丁>と云うのである。

 河川敷には草刈り機が下りていて、結構な範囲で草が刈り取られていた。綺麗にバリカンの入った原にムクドリ達が、餌を啄んでいる。巣立ちの雀達も、チュンチュン家族で群れている。会館一帯の川向うの欅の大木は、緑のアーチで道路に覆い被さっている。
 さて、帰るとしよう。帰りは二か所で下衆をからかって行けば、丁度良かろう。水没した長靴と云う物は、窮屈にして歩けば、ブガブガと小煩い物である。

 蒸し暑い日中である。ブガ、ブガの重い二拍子に乗って、トカラン・トカラン行進をしていると、<左様であったか、母は銭湯の娘であった。>

 昔、銭湯の番台手伝いが、裏若い娘には、苦痛だったなどと云う話を聞かされた事もあった。フザケタ男の遺伝子も、脈々と枝葉を伸ばして承継されている事は、容易に首肯される。<あっ、間違えました。>は、大らかな時代の女湯を覗く木戸銭の様な処が、実態だったのかも知れん。・・・
 そんな事を考え合わせると、ニコニコしながらとんでもない事を言ってくれた『ふと浮かんだであろう、母の思い出』に、笑いが込み上げて来た。むべなるかなである。早々、空想・妄想の観念に、人間の表情が生きいきと加味される事は少なかろう。
 人間の表情には、多かれ少なかれ実体験の有無が作用している。実体験の表情に現れる差異を読み解く職業として、人間社会には、立派な『刑事の職業』すらあるのである。結論に達して、母の顔がアップされて、馬鹿笑いが河川敷に飛び出てしまった。

 加齢がある年齢で、親と子の逆転現象をもたらすのであるから、私のお守をしなければ為らないかも知れない、子供達の将来を想像すると、可哀想な気持ちに為って来てしまう。因みに<江戸の敵は、長崎で>などの名文句もある。『このエロオヤジ、好い歳かっぱらって、何が白人女であるか、恥を知れ、シャキッとせんかい。タワケ!!』と倅・娘に、私の口癖を只で使われて、挙句の果ては、萎びた禿頭を<めん、ピン>されてしまうのであろか・・・恥ずかしい、近未来が待ち受けている。真に慙愧が先行してしまう。

 尤も、フィリピーナの甘言に騙されて、南洋の島で身包み剥がされて、老後の人生に落涙するよりは、<めん、ピン>の方が、ず~とマシなのである。手相の違うフィリピン通氏達も、お二方は定年であるが、如何なる色事を展開しているのか? これまた、人生、色々。好みエロエロである。<100% 俺には関わりの無い他人事である。退職金、取られるなよぉ~> ギャハハ。

 

心何処ーショート 真面目にスケッチ
                 真面目にスケッチ(5/25/09)
 昨日の土砂降りの雨は一掃されて、青葉のそよぎに揺れる太陽の光が、何とも爽快である。風呂に入りながら、洗濯機を回す。後は風呂を母に譲って、洗濯物を干した後は、買い物にでも行こうと考えている。この頃は、すっかり健忘症に飼い慣らされているから、買わなければ為らない物を、メモして行く心算である。

 メモ書きをポケットに店内を回ると、育ちの悪さが頭を擡げて来る。<呆けるには、まだ早い。意地でもカンニングペーパーの世話には為らんぞ。>ってな物である。
 安物のトイレのロータンクのフロート部品があったので、買う事にした。この位の値段なら、失敗しても深刻がる事も無かろう・・・である。帰りは、向かい風の上り勾配である。夏場の様な青いアルプスは、残雪を僅かに残すのみである。川面に遊ぶマガモ・カルガモをのんびり見る余裕も無く、息切れの中、太腿がガタガタしてしまった。本日の散歩は、省略するが好かろう。一日分の散歩運動量には、お釣りの来るクマ男の足掻きであった。
 
 不器用な男であるが、自分が買って来たものには興味が湧く。昼飯は後回しにして、早速、工作のお時間である。そんな事を始めていると、電話である。

 きっちゃからであった。高校時代の友達の墓参りで近くまで来ているから、家を教えろとの事である。<友情に厚い男である。> 好うござんすよ。土手に出ていると、黒塗りの高級車の登場である。同伴者が居るとの事であったから、目の保養をさせて頂く。

      河川敷の木のベンチに座って、40数年振りのご対面である。
「おぅ、きっちゃ、変わらんぞ。相変わらずトッポイ顔してるじぁないの。一発で記憶が蘇ったよ。」
きっちゃは、私の顔が霞みの彼方に、すっ飛んでいる様である。然しながら、今や、私の駄文日記を読破したきっちゃであるから、日記の舞台を満足そうに眺めて、
「羨ましい限りの環境だ。好い所じゃかいか。エロ高生の睦み合う橋は、何処だい。」
「ああ、あの橋の下だわね。ちょっと、待ってましょ。モデルさん達の写真を持って来るぜ。」
 部屋から、ロシア・中国美形の写真を持って来て、彼是と説明をする。
「これが、ウクライナのライオン娘、これが、北国の使者・観音様にして、ジョウビタキのバルディナさん、これがウラジオストクのシングルママさん。これが、長山洋子張りのチャイニーズさんだわ。」
 
 きっちゃの見立てによると、バルディナさんがハリウッドスター以上の、燦然と輝く第一位との事であった。男の関係なんて物は、40数年のブランクなどと云っても、物の15分も話をしていれば、ブランクの経時変化などは、スグサマすっ飛んでしまうものである。こんな処が、番カラ男子高の特徴なのだろう。

 何しろ校是が、<弱音を吐くな。大道を闊歩せよ。質実剛健であれ。>と来ている。根が女好きガッタ坊主の集合・集積高校であったから、同伴者が居様が居まいが、大道為らぬ性道が、闊歩してしまうのである。為るほど、きっちゃも筋宜しく、好感の持てる同伴者である。
ガッタ坊主が、口に衣着せぬ一本調子で体験談を披露してしまうのであるから、幾ばくかの母校愛を共有する者としては、今回は母校の品位を庇護する為に、具体語の肉声は<断腸の思い>で割愛する事にした。

 きっちゃ曰く、Tと私の話し方は、良く似ていて、声が違うだけとの事であった。如何やら、目出度く還暦・三馬鹿トリオ結成の段らしい。

 実に楽しいひと時を過ごさせて頂いて、母校に感謝する次第であった。余勢を借りて、トイレ・ロータンクの心臓部の交換も難なく完了した。そんな事をしていると、次兄様のお越しである。お相手仕った後で、部屋でパンを頬張る。

 Tに電話で、きっちゃ報告をすると、再び漫才行進を繰り広げてしまった。Tの細君曰く、父ちゃん・Rさん・きっちゃの三人が、サングラスを掛けて歩いていたら、本物のヤーサンも、恐れを感じて近寄らないとの事。えらい賛辞を頂戴してしまったものである。其々が、ベンチで一人本などを開いて居れば、他人様にはインテリジェンスが、そこはかとなく漂うのであるが・・・ 世の女性達は、軟弱優男を視線の友とし易いのであろう。困ったご時世である。韓流にワクワクする様では、日本の団塊世代は、大挙して外国移住してしまいますぞえ。

   男も女も、上辺に惑わされずに、心眼を磨いて真贋を見極めましょうぞ。

心何処ーショート 曇天に、風冷たき日曜日。 
               曇天に、風冷たき日曜日(5/24/09)
 百日紅の風に揺れる梢に、メジロが数羽、チィーチィーと鳴いている。何時からでも、雨が降り出しそうなお天気である。机脇の本の上を見ると、黒い財布が乗っていない。ズボンのポケットから出していない様である。後で探せば好かろう。
 先ずは、夢記事を過去の文作から引っ張り出して、本日の投稿分としようと思っている。この文作には、線画が添えられていた。本日は、打たなくても良いから、別の絵を描いて時間を潰そうと描き始めた。多分、容量オーバーと為るであろうから、描きたい様に描けば好いのである。
 
        そんな事をしていると、Tから電話である。
「おい、財布が車の中に落ちていたぞ。持って行って遣るわ。」
「悪いなぁ、サンキュー。」
出来上がった下手絵を見せると、
「何、これが俺か。えらい派手なトッぽいオッサンじゃないか。」
「や~、これで好いだよ。文作のイメージ通りで、コミカルで好いんさ。」
    本屋に併設のコーヒー・スタバでコーヒーを奢らせて貰った次第である。

                  夢小劇場
             <これ、T、何をする!! >
 浜辺の松林に囲まれた日本家屋の宿である。潮騒が遊び疲れた身体に、遠く近く聞こえている。2階の海に面した大部屋は、開放された展望から、時折、気だるい海風が、吹くだけである。蒲団に大の字に成って、暫しのまどろみタイムをしていると、誰やら私の蒲団に入って来る。全てが、もや~としているまどろみの夢うつつは、私にとっては、掛替えの無い貴重なるタイムである。依って、邪魔立てする意識の誘惑には、一切乗らぬのが、我がタイムの最善の利用法である。
 
 どの位、寝たのか知らぬが、意識のノックに手を動かせば、傍らにN子が居るではないか。柔らかな身体である。何年振りであろうか? 鈍い頭の中で、彼女の顔を眺めていると、彼女も目を開けた。一つ蒲団の中の、見交す目と目である。身体を動かせば、互いに触れ合う男と女の体温と感触であり、昼下りの潮騒だけがする取り残された大部屋である。少々ムッとはする気だるさの中の・・・・ 時の概念の浮かばない空間である。それでも、体裁が悪いから、蒲団を頭から被って、ヒソヒソと「好いじぁ無いか」「駄目よ、皆が帰って来るわよ。」などと、お決まりの言葉を応酬させながら、お互いの身体を、蒲団の中で弄りあっている。その内、蜜は熟して、全裸で合体の重ねの段に突入した時である。

          キァ~!! 薄い掛け蒲団が、宙に浮いた。  
 何事かと、目を配れば、無地の白いTシャツに薄いベージュの半パンを履いて、今、日焼けしたばかりと言いた気な顔で、リール棹を立てたTが、廊下でニヤニヤしているでは無いか。

「お二人さん、昼間から何してるの~。蒲団は、暑いだろ。」
「これ、T、何をする。釣は、海で遣れ!!」
「ほぅ、そうかいな、邪魔したな。お二人さん、ごゆっくり。」
        
    アレ~!! アッジャ~!! 薄布団が、畳に動いているではないか。
オイオイ、Tソリァ、無いだろう。リール棹を担いで、退散するTを追って薄布団が、水平移動して行くではないか。

「T、好い加減にしろ。蒲団の針を外してけ。とぼくれやがって、」
「おぅおう、そうだったいな~、悪い悪い。針を外さなきゃ、蒲団は、付いて来るわなぁ、」
 
 どっかりと胡坐を掻いて、蒲団の裾を引っ張り上げて、厳つい手で釣り針を動かしている。
「このバカヤロウ、ふざけやがって、早く外せ!!」
「R、そんなに急かすな、老眼鏡掛けるから、ウワッハッハ。アナタモ、好キネ~。」

 掛け布団の下で、身を硬くして、全裸でしがみ付くN子を庇(かば)って、とんでもないヤツを友人として持った我が身を、悔やみながら、

「T、未だか、外れなかったら、棹置いてけ。俺の棹持ってけよ。」
「何をおしゃる。あなたの棹は、現在使用中でしょうに、ウォッホホ。」
     <クワァ~、1本取られた。ヤロウは、楽しんでやがる。>

「おい、取れたよ。外で、番をしてやるから、じっくり仕切り直せや。じぁな。」
「おお、そうか、サンキュウ。」
 
 薄蒲団の隙から覗けば、肩に担いだリール棹をこれ見よがしに、揺さ振って退場するTである。
<Tに礼を言う筋合いは、無かろうに・・不意打ちを喰らって、ツクヅクと俺は、馬鹿也。>

 仕切り直して、佳境に入っていると、戸外に人のざわめきである。ああ、返す返すも残念!!

          翌日、斯くの如しと電話をすると、T曰く、
 「アンタも、若いネェ。パンツは、汚さなかったか?」とのお気遣いであったから、
 「蛇の生殺し」と応えると、笑われてしまった。


                   布団釣り・線画

               <N子様について>
 時折、登場するN子の夢のメカニズムは、???である。彼女は、小学校の同級生である。彼女に特別な感情を持った覚えは、無かった。彼女とは背の並びが同様であったから、席が隣り合わせだった事が多かった。成績も良かった美形の口の1人だった。
 普段は目立つ事も無かったのだが、授業参観の日、彼女の母親が教室に姿を現すと、私は決まって彼女から、机の下の足で蹴られたり、手を抓られたりの意地悪攻撃に晒された。普段、私が彼女を苛めていれば、その仕返しと取れば、道理は簡単なのであるが、私にはそんな覚えは全く無かった。女を殴って見ても始まらぬから、私の一方的我慢の結果に終わっていた。

 私は喧嘩早く、腕力には定評があったから、上級生も避けて通る雰囲気があった。普通に考えれば、彼女の行為は実に損であると思われるのだが、・・・ 私には、腑に落ちない行動の持ち主であった。記憶は定かでは無いが、意地悪を働いている彼女の顔は、何か幼い悪戯子が楽しそうな仕草で、私にチョッカイをしている雰囲気があった。それが何故か憎まれず、私に<仕返しの感情>を、起こさせなかった。・・・・
 
 中学に成ると、クラスは別に成った。ベビー・ブームで進学熱が、高まっていた時代であったから、英語の授業は3年生に成ると、成績順でクラス横断の授業編成が組まれた。彼女とは、それで一緒に成った。出来の良い女特有の取っ付き難い冷たさはあったが、すんなりと良い女に成長していた。彼女は女子進学校に、私は男子進学校に其々進んだ。お互い、自転車通学であったから、道で擦違う事があった。高校生に成ると、男子生徒の話題は、<初恋談義>に発展する事が、しばしばあった。話を聞くと、彼女のファンも結構居たものである。その後、其々大学に進んだ。
 
 サラリーマン1年目の夏に、私は、国家資格の受験の為に松本駅に居た。新宿行きのホームで、ばったりと彼女と顔を合わせた。そのまま、同座席で新宿迄、お互い話をし通しで着いてしまった。彼女は、横浜で婦人消防士として、勤務しているとの事であった。私の印象は、<ほう、N子も良い女に為ったものだ。これならファンが居ても、可笑しくは無い筈>であった。

 中年に成って、初めてN子の夢を見た。如何云う脈歴で、彼女が夢の中に出て来たのか一向に解せぬが、・・・夢の中で、私とN子は東京の下町で、同棲生活を送っているのである。それも、不倫の関係にあるらしかった。気分的に穏やかな関係で、是非その続きを見たい心境であった事を、覚えている。
 その後、彼女の夢は見なかったのであるが、60に手の届く歳に為って、再びの夢であったのだが、Tに途中で邪魔をされたのである。中途で終わってしまった夢であるが、印象に残る好い夢であった。私は夢の中で、Tには一向に立腹の感情は起きなかったし、N子の方も嫌がる風でも無く、男女の自然な成り行きの様なものであった。 

    私の夢に対する自論に則って推考すると、以下の事と為らざるを得まい。
 彼女の夢の出現は、電車でのN子への未練と小学時代の彼女の奇妙な意地悪行為が、遅まきながらも、女の行為として認識・理解出来る様に為って来た私の潜在意識の中で、記憶の断片として留め置かれた同士が、夢と云う無意識の中で奇妙な確率で、現実の過去に<加工の手>が加わってしてしまった結果なのであろう。

    夢とは、奇妙な脳の作用であり、実に面白いもの・有り難いものである。




心何処ーショート マイナーチェンジ
                マイナーチェンジ(5/23/09)
 土曜日の午後は、ラジオのボヤキ川柳が面白い。好きな番組である。こう云った健全な笑いこそ、面白い。川柳の大西泰世女史の笑い声が、実に耳に心地好いのである。関西の番組であるから、関西弁の言い回し、抑揚、テンポと含み笑い、コロコロと喉・口中で転がす様な笑いが、女史の人生観・歳の年輪に乗せて、柔らかく軽やかでもあり、少々色ぽくもあり、品もありなのである。<どんなお人かな?>と検索して見る。為るほど、左様であるか・・・ 男性アナウンサーと千堂あきほさん、お三方の関西弁コーラスが、真に耳に楽しいのである。
 
 きっと、年齢構成も好くマッチしているのであろう。午前中の残間里江子女史の番組は、語りの雰囲気が耳障りなので聞かない事にしている。大西、残間女史共に団塊世代の女性である。男を立てる語り口の大西さんに対して、男を男とも思わない同権思想の残間さんの語り口は、好対照である。私の様な団塊世代の男の嗜好からすると、文句無しに大西さんに、ニンマリ拍手を送ってしまう。

 関西芸能といえば、落語と吉本興業のお笑いタレントであるが、吉本系は騒々しいばかりの中身の無い詰まらなさで、獅子身中の虫で虫唾が走るばかりであるから、若い頃からきっぱりと除外の態である。
 この様に受け止める方の嗜好で、目立つ事で嫌われ、目立たない事で好感を持たれるのであるから、人の嗜好とは奇妙なものである。人の嗜好と逃げた積りでも元を辿れば、其処には確たる価値観の相違・比重の置き方の違いが拡がっているのは、間違いない処である。そんな事を一々論(あげつら)っていては、学問の世界じゃ在るまいし、それこそ喧嘩の種に為ってしまうだけの事である。<蓼食う虫も好き好き>で、棲み分けをするか、馬耳東風を決め込むのが、人生の嗜みと云うものであろう。

 薄く透ける白筋の雲空に、風が止まない日である。定位置をずらせて、隣机のノートパソコンを開いて見る。窓辺の金華鳥達とは、30cmの近さである。金魚達とも、そんな近さである。こんな近距離に為ると、目が合う度に、お互い動物同士であるから、何かをして遣りたく為ってしまうから、不思議な物である。

 本日分の投稿は済ましてあるから、字面の進みは実に好い加減速度である。温泉ミネラルウォーターを飲んだり、車のエンジンを掛けたりである。タバコをふかしながら、薄茶の巣立ち鳥の円らな小さな黒目と目が合うと、庭下駄を引っ掛けて、ハコベの柔らかいところを千切って来て、二つの籠の境に置いて遣り、小鳥達のハコベの綱引きを眺めている次第である。   

    赤い小さな嘴々で啄ばまれて、ハコベの青臭さがプ~ンと匂う。
 ラジオからは、大相撲の中継が流れている。1日1度の餌しか貰えない金魚達は、水草の緑の葉を毟り食べている。言うなれば、これも自然に近い飼育と云う物である。金魚達の腹部を見れば、彼等は福々しい腹を見せているのであるから、異存などあるまい。

 通りから、寒からず、暑からずの風が、終日吹き抜ける四畳半である。半年程の命の循環を繰り返すグッピイの小世界では、メス腹がプックリ黒ずんで、針先ほどの稚魚を何匹か産み落としている。水槽底部の小石の原を丹念に追って行くと、スイ、スイと稚魚が動いている。<確り忍法を身に付けて、パクリ喰いから逃げるんだぞ。良いな。>

 お向かいさんが、通りに広げた鉢植え植物に、夕方の水遣りをされている。日頃不義理のノートパソコン殿へのご機嫌伺いも適った事でもあるし、・・・

 さてさて、私も散歩運動に出掛けるとしよう。空には秋の様な鱗雲が高い所に掛っている。

 河川敷に下りて、何時ものコースを進む。川の水は、取られたり戻ったりして、田んぼを潜って流れているのである。その関係で、水量は少ない。然し、濁りが薄く為っているのであるから、田んぼの水も落ち着いて澄んで来ているのだろう。
 川面の魚達の羽虫の捕食で起こる波紋を、探しながら歩くのである。大物の居そうな辺りは、足を止めて川面を眺めて、ついニンマリを浮かべている次第である。夕まず目とは、良く言ったものである。羽根虫が川面をユラユラ、ヒラヒラと活動し始めると、あっちでもこっちでもかわ面に波紋が立つ。

 散歩の後は、土曜時代劇の7:30に合わせて夕食とし、9:00からは、『遥かなる絆』の最終回である。眠られぬ夜に閉口した本日ではあるが、時差ボケのした様な灰色の脳味噌でも、文作の枚数だけは重ねてしまった様である。一日を振り返れば、悪くは無さそうな一日と言って好かろう。これも、独り身で居られる気楽さであろう。

心何処ーショート 橙色の太陽
                橙色の太陽(5/23/09)
 時々眠れない時が巡って来る。そんな時は、不眠症とは考えずに、体力があるから眠れないのだ。気力・意識などと云うものは、体力の前には無力に等しいと考える様にしている。体力が消耗してくれば、体が眠りを欲してどんなに頑張ろうとも、意識が無く為ってしまう物なのだ。

<寝ようとして眠れない時は、思い切って起きてしまうのが好い。>と考えられる様に為って、大分気が楽に為った。つまりは、為る様にしか為らないのである。若い頃は、誰でも経験が浅いから、必要以上に考え過ぎて、自分で自分の首を絞めてしまう事が多々ある。肉体と精神のバランスなどと云った事を、余り几帳面に考え過ぎると<不眠症>などと云う厄介な妄想症を背負い込んでしまうのが落ちである。

 人間、遣らなければ為らない時は、否応なく遣らなければ為らないのであるから、一々、深刻ぶる必要などないのである。遣る前から、期待される人間像の様に、計画を彼是綿密に立てた処で、出来る訳があるまい。そんな事は、自分を振り返れば当たり前の事である。

 一々、あーじゃ、こーじゃと云う輩は、学校の先生とか指導者・管理者の類のものである。そんな事は、彼等が下の他者に対して言わなければ為らない<仕事・業務の一環>だから、言えるのであって、言わなければ為らない立場から発せられるいい加減さが大半なのである。人間なんてものは、実にいい加減な生き物である。秩序と云う柵から解放して遣れば、何時の時代でも人類共通で、大体言う事は決まっているのである。

「偉そうに、じぁ手前が遣って証明して見ろ。手前が出来もしない事を、他人に遣らせられるのは、決め事の権限と独占的に行使出来る強制力が付いて居るだけじぁ無いか。その前提が、消し飛んだら唯の人じゃないか。唯の人だったら、立場は平等だ。自分の言の正当性を実行して証明して見せろ。」てな事に為ってしまうのが、自然の成り行きと言って好い。
 それを、建前の虚構を盾に実力の無い役者が、力み返って演技を続行すれば、「この馬鹿野郎、人情味の欠片も持ち合わせちゃいねぇ人非人野郎!! 手前、何様だと勘違いしてやがる。構わねぇ、焼き入れて遣らぁ。それ、皆で遣っちまえ。」てな事に為ってしまうのが、人間集団の落ちである。

 従って、虚構の建前にして、建前が前提の権限の行使は、人情味の匙加減が大きな要素と為って来る。暗黒世界では、軍事力・警察力が幅を利かす羽目に為るし、普通の世界では、教育と云う刷り込みが必要と為って来る。建て前と本音が、大きく乖離してしまうと、如何なるのか?? 圧倒的多数にはガス抜きを、建前親派には体制の分け前をであり、これが、<トドの詰まり>が人事権即経営権と言われる側面であり真実なのであろう。体制の下支えを担う圧倒的多数と体制親派とが、経済的パイの配分を、異常なまでに偏重してしまうと体制は揺らぐしかあるまい。トドの詰まりであるから、トドは巨大な雄トドが、多数のメスのハーレムを営むのであるから、畜生道なのである。トドのハーレムは、繁殖期に一時的に営まれるのであるから、まだマシであるが、人間の体制ハーレムは体制が機能する間、続行されるのであるから始末が悪いのである。これは、不幸な仕組みなのかも知れない。

 さてさて、夜も明けてしまった。尻切れトンボの文章であるが、ご勘弁を・・・

 種を明かせば、眠れず悶々としている時に、母がトイレに来たのである。長い時間、コソリともしない。<何度かトイレから引き摺って来た事がある。>
 二度声を掛けると、中から返事があった。様子を窺いながら、行動を見届ける必要から四畳半に場所を移したのである。そんな経緯で打ち始めたのが、偽らざる処である。事無きを得たのは幸いであるが、今度は私の方が、眠気を通過してしまったのである。
 そんな中で、字数が伸びてしまった文章である。訳の分からない内容であるから、こんなものは、読むに値しないのである。

 『没』の極みであるが、私のブログは、日誌なのである。人間の精神の鬱折・紆余曲折を記すのも、日誌の使命の一つである。字面は私の分身でもある。苦しい自己弁護である。とほほなり。現在時5:40 山の端に橙色の太陽が昇って来た。朦朧とした眠気が、身体に回ろうとしている。これで、暫しの眠りの国へ落ちる事が出来そうである。

心何処ーショート 噂のきっちゃ登場
                噂のきっちゃ登場(5/23/09)
 本日の文作に取り掛かる前に、昨日分の見直しをしていると、Tから電話である。電話に依ると、<きっちゃ>は、私の読み難い薄い活字のブログ日誌を、目薬を打ちながら過去に遡って、一カ月で完読してくれたそうである。A-4にして1000頁を超すであろうか・・・流石に県陵生である。天晴れと云うか当然と云うか・・・嬉しい限りである。
             『きっちゃ、友情に感謝致します。』
 コーヒータイムをしようと云う事に為り、最近作を印刷に掛ける。Tは相変わらず小食生活を強いられている。前回同様、本屋の二階で小さなサンドイッチとコーヒーで、友と語らう。何時もの通り、文作のお時間をTの邪魔に為らぬ様に、一人コーヒーを口に、目の散策をしている次第である。

      Sちゃんの『トイレ推理』に、Tが、笑いを噴き出している。
 夢小劇場の件に為ると、<お前の文章は、何処までが現実で、何処からが夢か、分からない処が面白い。>と寸評をくれるから、所謂国語で言う処の『連体止め』って奴だよ。読みに来てくれる御方は、それぞれ経験豊かなお歴々であるから、導入部だけを示せば好いだろう。人其々が、自分の経験を振り返って、あんな事、こんな事を反芻して、ニヤニヤ、アリャリャと頭を掻いたり、ウヒャウヒャされれば、打ち手としては本望だ。<読み手の想像権を侵害する事は、無粋な事だわさ。>と、打ち手の趣旨を伝える。

 それにしても、コーヒースタバと云うのだろうが、二階には女一人客が多い。本を読んだり、書き物をしたり、中年女性のヒソヒソ話などで、我々還暦オヤジの二人連れなどは、異次元の檻の中の様な物である。
「おいT、後ろ見てみろや、まぁまぁの感じじぁないか?」
「どれどれ、横顔しか見えんけど、横顔はいけてるわな。」

 今度は、女性中年群四人が階段を上って来た。隣の席に着くから、鑑賞させて頂く。次に二人上がって来た。同一グループである。くっ付く訳には行かないから、席を一つずらせる。ハイカラな靴とジーンズであったから、足先から視線を上に移行させるが近距離過ぎて、鑑賞対象には為らない。
「さて、外で煙草でも吸おうか。」
観賞位置に座るTが言うのであるから、そう云う事なのだろう。スタバを後にする。

 下のスタバには、我々より年配の男達がコーヒーを飲んでいた。どうせコーヒーを飲むのなら、些かの眺望と周りの女観察の出来る二階の方が、旨かろうと思うのだが・・・ 彼等は、外観とは違って、きっと奥ゆかしいのであろう。

 Tに<きっちゃ>の携帯番号を教えて貰い、電話するが仕事中らしい。伝言を残して置く。Tと別れて、さて本日の文作に取り掛からねば為らない。本日は、斜向かいさんがDVDの交換に来る頃合いである。ポットの白湯を飲んで、パソコンをONにすると、電話が鳴った。待望のきっちゃからである。

 長い長い話を交換する。彼は、夢小劇場を実話と捉え、実体験を披露してくれる。
「俺ぁ、何年前かなぁ~、えらい目に遭っちゃってさ。カミサンの逆鱗に触れて、触らぬ神に祟りなしで、家面では<はい、はい。>の一点張りで押し通しているんだわ。」
 
 流石にTの友人である。Tは私の師匠である。差し詰め、きっちゃは、Tも舌を巻く程の<その道の通>だとの事であるから、遥か彼方の師匠筋に当たる。高校時代の部活が、あの当時のテニス部である。高校は、全校で30人前後の女子が居ただけの番カラ男子高である。そもそも、そんな校風の中で、敢えてテニス部を選んだと為ると、100%の不純為る下心でしかあるまい。晩生・小心・照れ性の私なんかが、逆立ちしても<きっちゃ>に敵わないのは、当たり前の話である。
 何しろ、年季が違うのである。それが証拠に、入学時8番の成績が、見る見る内に下降線を辿ったと云うのであるから、推して知るべしである。

「そりぁ、きっちゃ、性豪の道を目指したんだもの。Tに聞けば、若い時から、何時も進行形だってじぁないの。俺ぁ、羨望の拍手じゃないの。」
「バカこいたもんだぜ。性豪の道に、迷い込んで苦労の連続・茨の道だぜや。」

「やぁやぁ、そりぁ仕様が無いぜ。性道は未だオリンピック競技には認定されていないもの。オリンピックなら、晴れてオリーブの冠に金メダルって手もあるが・・・ 社会倫理に背く四十八手競技じぁ、茨の冠しか贈呈されんわね。精々、近代5種・10種競技の枠内でと止めて置かなくちゃ。自業自得の茨道だんね。ギャハハ。
 イエスさんだって、先見性があり過ぎたから、ゴルタゴの坂まで十字架背押されて、ローマの下衆兵士に鞭打たれたんだもの。先見性があり過ぎると、茨の冠載せられて、鞭打ちされるのは、歴史が証明してるもの。カァちゃんの鞭打ちだけじゃ、命は取られねぇよ。快感中の幸いってもんだぜや。」

「じぁ、何かよ。俺は天才って事だな。あいー。天才の道は、鞭と茨の道ってかよ。」
「当た棒よ。天才は、下々の原罪を背負って、獄門磔が日本の真っ当なご法度だんね。きっちゃの裁判に為ったら、俺が裁判員の籤引き当てて、苦しまねぇ様に死刑の評決に一票だわね。イヒヒ。
でも、安心しろっちゃ。後顧の憂いは、俺とTで<夜這い>仕掛けるぜ。住所・氏名・電話番号書いときましょ。後の事は、な~んも、心配無いよ。」

「このバカヤロめ、そんな事に為ったら、死んでも死に切れんわな。如何するんだよ。」
「困ったいなぁ~、それじゃ憑依霊に為りましょ。三人で酒盛り出来るじゃん。ツマミは、Tときっちゃが胃無しだから、女の話で如何だや。」
「2:1の評決じゃ仕方が無いわ。その話に乗って遣るわ。おめえー達には、敵わねえや。」
「流石に、きっちゃは、紳士のスポーツ遣ってただけの事はある。心が広い。俺ぁ、電話話しだけでも、涙が出るほど<感動>したっぺや。」
「ナニョ、コクダ。俺が戸主なら、二人とも<勘当>じゃい。やいやい、明日の記事が楽しみだや~。」
「徹夜してでも、打ち上げるぜ、待ってましょ。」

 兎角、ニッポンの還暦オヤジは破廉恥にして、未だ若い。口達者なエール交換は、久々に楽しかった。
             <きっちゃ、アリガトさんね~。>

心何処ーショート 珍風続きに、吾ニンマリ。
              珍風続きに、吾ニンマリ。(5/22/09)
 釣りじいさんの総裁様では無いが、<交流の嵐>が吹き捲って、歯車がとんだ勢いで回転し始めている。物臭・ロートル籠りクマ男に異変が起きているのかも知れぬ・・・危機管理意識を以って、早い処、軌道修正をしなければ、由々しき問題と為りそうである。
窓を開放して朝の夢を<脚色>して打ち始めていると、強風が吹いて、卓上スタンドが倒れてしまった。私にとっては、スタンドは無くては為らない四畳半・目の友である。

 大手スーパーへ蛍光灯を買いに行く。食料をついでに買い求めてスーパーを出ようとすると、大きな声で<Rちゃん>と呼び止められる。その方を見ると、スーパーの一角のコーナーで、オバちゃん二人がコーヒーを飲んでいる。あれあれ、一人は中学の同級生の〇ちゃである。

「Rちゃん、久し振りじゃん。嬉しいわ。Rちゃんと会えて、此処へ座ってよ。何飲む?」
もう一人の女の人は、スーパーの総菜部で働いている友達との事である。丁度休憩時間で<久し振り>と、女の会話を楽しんでいたとの事である。多分、私より年長らしい。

「何飲むの? 好い男だから、私が奢って上げるわよ。」
気さくなオバちゃん振りである。白い前掛け白い長靴でスクッと立ち上がって、目の前のカップ飲料の自動販売機にコインを入れて、笑って催促されている。
「そうかい、じゃあ、その近い処で、イチゴ・オーレで良いわな。」
「え~、冗談ずら~。男の飲む物じぁないでしょ。貫録に似合わず、最初から笑わせてくれるじゃん。ホントに好いだぁ? 押しちゃうよ。」
「ああ、押しとくれ。武士に二言は無いよ。」

 ロートルクマ男が、初対面の女性に、こんなに親切にして貰った事など一度も無い。すっかり舞い上がってしまった。然し失敗した、ロートル親父の口にする飲料では無かった。
 <何じゃ、この腑抜けた飲料は、氷が浮いて居れば、好いってものじぁあるまいに。>

「〇〇ちゃん、紹介するね。Rちゃんは出来が良くて、人情に厚い人だよ。とっても優しい好い人で、私なんか、中学の時から、Rちゃんの大ファンやってるんだよ。頭が好いのに、私達おバカをバカにしないで、分からない所があると、上手に勉強教えてくれたんだよ。頭が好いから、教え方が先生より上手だったから、みんな分からないと、教えて貰ったんだよ。本当だよ。陸上の選手でさ、男らしい凛々しい顔で、そりぁ格好良かったもの。皆、憧れていたんだよ。」
「駄目だよ、そんなにからかっちゃ、知らない人は、顔と気持ちが引き攣っちゃうよ。大したことないよ。ほら、帽子を取れば、単なるツルッ禿げだよ。」

 帽子をパッと取って、オバちゃんに、禿頭で頭突きの格好をすると、オバちゃんは、一瞬身を退いて、丸でハトが豆鉄砲を食らった眼をパチパチしていやがる。ザマァ、見やがれで、大いに受けて拍手まで頂戴してしまった。

「ううん、好い男だよ。恰好好いよ。まだまだ、モテル男だよ。これ、居るずら。」
「やいやい、えらい積極的じゃないの。俺と付き合うとISO規格だから、病院送りだぜ。快感願望と引き換えに死んじゃ、世の中詰まらないだろう。せっかく手にした年金だわね。大人しく、父ちゃん一本で行きましょ。日本人は、日本人同士JISの長いお付き合いにして置きましょ。」
「何だい? その何とかと何とかってのは、学が無いからピンと来ないわよ。」
「そうかい、砕いて云えば、小刀の鞘には、大刀は収まらねぇずらって事せ。」
「そんな事かい。昔から、大は小を兼ねるって云うずら、さては、Rちゃはテクニックが無いずらい。押し込むだけが、夜の芸じゃないわね。毎朝、ウォーキングで太ももを鍛えているから、一つ教えてやるかぁ~。ウンウン。」

 と来たもんだ。私も破廉恥漢を自任しているが、流石におばちゃんは、私より遥かに還暦の齢を重ねられているとお見受けした。還暦を過ぎたら、人間は自分流で行った方が、一段と味が濃く為ると云うものである。<お主、豪の者・ツワモノ>の類であろう。いらっしゃい。お相手仕る。

「参った、一本取られた。おい、〇ちゃ、友達は選んで付き合った方が好いぞ。還暦過ぎて、底なし沼に嵌まったら、生きて生還出来んぞ。これからは、何時お呼びが掛っても文句の言えない年の流れだ。心静かに清く正しく生活をして、静かに息を引き取って、三途の河の面接官には、背筋を真っ直ぐ伸ばして云々斯く斯くと、素直に天国のお札を待つのが、全うな人間の道だぜ。今からでも、遅くない。<即、絶交しろ> こんなのと付き合うより、俺と付き合った方が無難だぞ。へへへ。」
「ちょっと、初対面なのに、聞き捨て出来ない事を、ズケズケ言うじゃないの~。」

 女の好くするスキンシップで、私の身体を叩こうとして、出した手を引っ込めるから、
「遠慮は要らないよ。俺は、女日照りが続いているから、嬉しい女手だよ。遣りましょ。」
「ちょっと、相当な人ね。こっちが、ビビちゃうわね。何言っても、<糠床に釘>見たいな人だわ。でも、気は心だから、チョッとポンしちゃおうと。面白い人だわ。」

「そうだだよ。でも大丈夫、Rちゃは、★ちゃと同じで、口が悪いだけだから、心配要らないわよ。Rちゃんの中身は、口とは全然違うもの。話を合わせてくれているんだもの。
真面目な人だから。奥さんも確りした綺麗な人だし、お母さんは、美人で品が良くて、確りしていて、Rちゃんのお母さんは、授業参観でも、とても人気があったんだよ。
Rちゃんの好い所は、全然威張らない処でさ。ルーム長してても、話をちゃんと聞いてくれて、先生と衝突しても、正しい事は、ちゃんと遣ってくれたんだよ。馬鹿達の話を聞いてくれて、足りない処をちゃんと補ってくれる。普通の人には出来ない強さと優しさを持っているから、凄い人で尊敬してたんだよ。」

「そりぁ、褒め殺しってもんだぞ。信用しちゃいけねぇよ。信用したら、俺の捕り子に為っちまうんね。何しろ、<毛無し・金無し・女無し、おまけに甲斐性無し>って来りぁ、最悪だぜ。ヘレン・ケラーの三重苦なんてものじゃ無い、立派な四重苦だわさ。苦しみが一つ多過ぎて、ノーベル賞の選考にも引っ掛らなかった。悲劇のヒーローだよ。ギャハハ。参ったか!! 座布団、三枚持って来いよ。」
「ううん、私だってバカじゃ無いもの。話す顔見てりゃ、分かるよ。全然、飾らないもの。大した男だわ。此処まで小気味好いと丸で『話芸』だわ。好いなぁ、男と女が、こんな話が、ポンポンと出来るんだから、〇ちゃんは、幸せだね。羨ましいよ。」
「そうだよ、若しかしたら、10年振りかも知れないけど、こんなに言いたい事をポンポン言えて、本当に楽しくさせてくれるんだもの。こんな人、滅多に居ないよ。」

 やいやい、昼日中、スーパーの休憩コーナーで、人目憚らず、とんだ盛り上がりに為ってしまった。お世辞はこそばゆいが、ロートル男女の屈託の無さも、捨てがたい趣である。喫煙を口実に、場を外に移行すべきである。外の椅子でタバコを吸いながら、

「おう、そうだ。昨日、Yが来てさ。すっかり、<婆っさ介護>で盛り上がっちゃってさ。あいつも頑張ってるわさ。立派なもんだ。」
「そうそう、同窓会の葉書が来てさ。付き合いの続いている同級生達とRちゃんの話してたんだよ。そしたら、そこで小さな同級会に為っちゃってさ。みんな、勉強教わった思い出話に為っちゃったんだから、Rちゃはヒーローなんだよ。私が一番のファンなんだけどね。唯ね、本当は、中身は難しい事を考えるから、敷居が高いだよ。」
「分かる分かる。この顔で口を真一文字に結んでいたら、入り込む隙が無いもの。気易く、声掛けたら<無礼打ち>されちゃいそうだもの。アハハハ。」

  ロートル女二人は、私の顔を肴にニヤニヤしているから、始末に悪い。

「馬鹿こいちゃいけねぇよ。俺ぁ、バランスが取れていただけだよ。1~5まで通信簿には載っていたから、馬鹿丸出しだわね。だから、遠慮はいらねぇって処が、本音さね。勉強が出来る出来ないは、二の次だわさ。人間に敷居は無用だよ。一皮剥きぁ、皆、其々の喜怒哀楽の赤い血が流れてるわさ。無理して恰好付けるから、肌に合わない化粧かぶれを起こすんだわさ。俺みたいに、馬鹿は馬鹿に徹した方が、世界は広がるってもんさや。」
「巧い事言うじゃん。気に入った。私の友達がスナック遣ってんだわ。安いから、今度三人で行こうよ。友達の友達は、友達だよ。電話教えましょ。」
「巧い事こいて、俺を食べようとしているな。しょうがねぇや、〇ちゃの友達だから、食われて遣らっか。さて、帰るぞよ。また、どっかで顔見たら、声掛けとくれ。楽しかったよ。じあね。アリガトさんね。」

 為るほど、友達の友達は、友達の輪にも為る。無用の柵から抜け出せば、茫洋と広がる大海の様な、ノタリノタリとひねもす(終日)気の安らぎである。同級生とは、得難い心の故郷の様なものである。ロートル田舎暮らし、有難や、有難やの段であった。


 追伸、昨夜、打ち上げたこの一編を校正していると、窓外にYが姿を見せる。如何した?と聞くと、昨日、〇ちゃから電話があって、言伝を貰ったからとの事である。
おっとりお人好しの私の性格を心配して、アドバイスをしてくれたのだと云う。Y、〇ちゃにしろ、心の根の優しい連中である。
 朝の空気の美味さ同様に、気心の暖かさに、ただただ穏やかに感謝するのみである。世知辛い人間界をマスコミから吹聴されるご時世ではあるが、アルプスに残雪の輝き・風薫る田舎生活に訪れる同級生の気心に、タバコが美味いばかりである。アリガトね~。

心何処ーショート 夢小劇場
                 夢小劇場(5/21/0)
  ずぼらの態で、留守番をしていると別部屋で携帯電話が鳴っている。
             <はいはい、只今、参ります。>

「もしもし、私。分かるでしょう。ムシャクシャするから、車飛ばして来ちゃった。今、高速下りた所。後20分ほどで着くわよ。用意しといて。気晴らしに行きましょ。じぁね。」
                    プツン!!
 
 何じゃい、相も変わらずの<お天子(てんこ)>振りである。悪い女では無いが、遣る事が一々人騒がせな美形さんである。アジャー、高速下りたのなら、10分も掛らない内に着いてしまうぞ。鬼の居ぬ間に人生相談と行くか。ズボン・ジャケット・シャツを出して、超特急のお目かしである。え~と、靴下、靴下は何処だ・・・ アリャリャ、擦り切れているでは無いか、他に無いか無いか・・・時間が無い・・・急げや、急げである。

                   プップップ~

 早い早い、早過ぎるぞ。風呂場の洗面所から土手を覗くと、黒塗りの車が止まっている。黒いサングラスに高い鼻、白い肌、赤い薄い唇にタバコを咥えて、開けた窓から、生意気に手を小さく振って居やがる。

 <はいはい、少々お待ちを。> 玄関から出るのは、さすがに人目が憚れる。私は常識人である。下駄箱から茶の靴を持って、鍵を閉めて庭から静かに脱出である。縁側に腰掛けて、
<ヨッコラせ、あれだけ好い女のくせに、セッカチな女である。はいはい、お待たせ、お待たせ。>

     人目の薄い、土手に通じる勝手階段に足を掛けると、上から一声。

「おや、お出掛けかい?」
 見上げると、外出していた母の声である。
「何処へ行く?」
兄二人が、笑っている。

          <アジャー。何てこったぁ~。>

 反射的に、うろたえた視線が、車に向かう。黒塗りの車が、素知らぬ顔でスーと走り出して行く。ハーッ、危機一髪のタイミングであった。流石に機敏である。好し好し。

  冷汗が退いて行くのを感じながら、適当なパントマイムで逃げの一手である。

「おや~、友達が迎えに来ると言っていたのに、未だ来ていないなぁ~。」
「お茶菓子を買って来たから、皆でお茶でも飲もうかね。」
「あ~、好いね。ご馳走に為るか。」
 みんなに続いて、廊下から部屋に入る。熱い緑茶と柏餅を食べながら、顔色を窺う。シメシメ・・・皆には、気付かれていないと見た。

<カァ~、車に乗る前で、ビック・ラッキーだ。怒ってるだろうな。いや、そんな余裕は無いだろう。向こうも慌ててるだろうなぁ~、予防線は、張って置いた。さぁさぁ、仕切り直しである。>

                  プップップ~
 
           <来た来た!! それっ急げ。>
 
「おぅ、来たかも知れん。俺、一寸出掛けて来るよ。」
「おぅ、ゆっくりして来いや。」
「あいよぉ~。」

 ヤヤッ、俺を拾う前に車が走り出した。通りには、ギョギョのギョッ!! 女房殿がレジ袋を携えて、手を振って居やがる。一難去って、又一難。こんな事で、へこたれては男の沽券に係わる。回れ回れ、我が脳細胞!! 機智を働かせて、危地を脱するのが、男の実力である。

「おう、お袋達は先に帰ってるぞ。俺、これから出掛けて来るわ。酒飲むから、バスで行くわ。」
「何処で飲み会するの? 車で送って行こうか。」
「大丈夫だよ。大した距離じゃないから、兄貴達に付き合って遣ってよ。サンキュー。」
短い言葉を交わして、後ろ手を振って私は、道を下って行く。川の向こう側には、黒塗りの車が此方を窺っている。車が静かに発進する。

 歩きながら後ろを振り返ると、上に向かった車が橋を渡って、同じ道に達した。下の橋まで歩いて、左に曲がれば<死角>に達する。角を回って、煙草に火を付ける。ふと足元を見ると、靴下がチグハグである。

                黒塗りの車がサーと止まった。

「おいおい、これじゃ、つむじ風だわな。ほら、見てみい、靴下がツートン・カラーに為っちゃったじゃないか。」
「これも、恋のアバンチュールよ。紙一重の成功よ。咄嗟の機転が、全てを制するのよ。」
「生意気じゃ無いか、サングラスで目を隠しているから、サイボーグ見たいに、カッコ付けてるだけだろう。ほれ、素顔を見て遣るわ。」
「ホホホ、バレタか。ご明察!! 冷汗ビッショリよ。スリル満点。ほっとしたら、お腹空いちゃった。スッ飛ばして来たから、朝から、食べてないのよ。ほら、前に行ったお蕎麦屋さんへ行きましょう。先ずは、腹ごしらえをして、ゆっくりしましょうよ。」
「そうだな、果報は、助手席で待つべしって処か・・・」

 私は助手席で、左右のツートンカラーの靴下の脚を組んで、運転席の柔らかな腹部に手を伸ばしている。サングラスの赤い唇が綻んで、白い歯並びの好い口が笑っていた。山麓の青葉のアーチが、目に眩しかった。困った男と女が、5月半ばの初夏のドライブに弾む。

心何処ーショート 飛んでも鉢巻トーク
                とんでも鉢巻トーク(5/20/09)
 今日も、快晴の夏日である。居住区の窓を開け放って、空気の滞留を一掃させる。定位置でのモーニング・コーヒーを飲んでいると、斜向かいのご主人が二階のベランダ出て来て、馴れた手付きで朝の洗濯干しである。小道を挟んだ二階と一階である。
お互い目が合って、挨拶代わりの手を振る。Sちゃんはニコニコと、親指と人差し指で丸を作って、アニメDVDの感想の合格点を知らせてくれている。
「アリガトざんす。面白かったかい?」
「好かったよ。<期待速度>気に入ったよぉ~。」

 退職ロートル夫婦のルールは、交代制洗濯の様子である。せっせと夫婦二人三脚の日常が、普段の姿に行き着くまでに、Sちゃんは何年を要したのだろうか・・・エへへとばかりに、下衆の思考を試みた処である。私は女房と一緒なら、罵詈雑言を頂戴しても馬耳東風で、到底一本立ちなど叶わなかったに違いない。

 朝の世話を終えた鳥籠では、食べ終えた金華鳥達が、順番で水浴びをしている。巣立ち子達も、何時の間にか水浴びを覚え始めた様である。

 朝の賄い夫を終えて、動きたくは無いが、米が底を付いている。米が枯渇しては、賄い夫失格である。ペットボトルを籠に、温泉銭湯経由で自転車に乗る。アッチャチャの風呂で垢を落として、温泉ミネラルウォーターとタバコのカートンを載せて、米屋のお兄さんの所へ。

 本日、米が売れずに暇を弄んでいるとの事である。ついつい、しょ捕まって長居をさせられてしまう。遺憾いかん、大分口の運動をしてしまったものである。暑い昼下がりで、ペダルを漕いでいると、喋り過ぎたのだろう・・・ 頭がモア~ンとして来た。食欲が湧いて来ないから、安物メロンで手抜き・いい加減で昼の替わりとする。

 三時の再放送ドラマもパッとしない。庭のイチイの木にヒヨドリが飛んで来た。眺めていると、枝に小さな動きがある。廊下に引っ繰り返って、小鳥観察である。逆光で、小鳥の色合いが覚束無い。姿形から云えば、鶯・センダイムシクイの類らしい。見ていると、何羽か集まっている。親と巣立ちヒナと考えた方が、しっくり行く。為らば、メジロだろうか?と思い、識別の<目白>を探そうと、体を移動させるが失敗に終わった。

  さてさて、仕方が無いから昼寝をしようと部屋で寝ていると、来客である。

 後一歩の処で、意識が無く為る寸前だったのに、<コンニャローめ!!>の段である。不機嫌度100%で玄関に行くと、中学の同級生Yである。中学同期の同総会の為に、回っているとの事である。
彼も目出度く退職して、実母の介護をしているとの事である。私より、大分草臥れた肌であるが、話始めていると何十年ものブランクなど霧消霧散のタイム・スリップである。小中学校の9年間を共にした同級生である。
  加えて同様の境遇であるから、愚痴も不満も面白可笑しく転化してしまい、

『分かる分かる、冗談じゃねぇや、勝手にしろ、糞婆ぁって、言いたくも為らぁな。頭の一つも小突きたく為る事も、人間だからあらぁね。だけど、それを遣っちゃお終いよ。お手手が後ろに回る。
男は紳士だから、じっと我慢よ。小さい頃は、言う事聞かないと、お袋にヒステリー起こされて、箒で追い回されて、引っ叩かれたのに仕返しも出来ねぇさ。日々成長と日々老衰の差は、でけえのなんのって、こればっかりは、経験した者しか分からんぞなもしって事だぜゃ。ギァハハ。』

 こんな話をニヤニヤ実感を込みて、おっ始めてしまったから、収集が着かなくなってしまった。同情するやらされるやら、かと云って、お互い介護実践中の身であるから、男の嗜みとしては、お涙頂戴と云う訳には行かないのである。汚れ飛ばしのエアブローでは無いが、ヒィヒィ、ギャハハとばかりに、笑い飛ばすしか処置のしようが無いのである。そんな訳で、思い出話しはそっちのけで介護談義に花が咲いてしまった。男の実体験進行中の話は、本音がポンポン行き交うから、如何してもお笑いトークに為ってしまう。
 お互い、実の親子であるから、儒教的親子の関係を逸脱した、<とんでも鉢巻>のトークである。これでは、ボケもツッコミもあったものでは無い、ただただ<相の手漫才>にしか為らないから、どうしようもない面白さが、波状的に充満してしまう。

 それを部屋に上がるのも面倒とばかりに、玄関の廊下でどっかりと胡坐を掻き合って、頭の禿げたクマ男と頭頂が透けて見える白髪のロートル男二人が、ニヤニヤ・ゲラゲラ笑い合って、ゴツイ手を叩いているのであるから、真に始末に負えないのである。
 話の内容を、母に聞かれ様ものなら、たちどころにバケツの水を頭から、浴びせられるのは必至の沙汰である。<同病相哀れむ>の諺は、良く耳にする処であるが・・・『同遇、相笑い合う』なんて諺は、ついぞ耳にした事は無い。

 こんな処から察すると、我々二人は、出来そこないの典型なのであろう。日本の戦後教育の恥晒しと云うべきであろう。

 野郎は帰り際に<どうせ、Rも暇だろうから、夜は妹に介護任せられるから、焼酎持って、遊びに来て遣る。>と来たもんだ。奴も退職してからは、チャリンコ・ライダーに変身しているとの事である。
 ツマミに何か持って来るかと言うから、足で稼いだ情報を基に、独身女同級生が居るだろうから、連れて来い。<俺様が、ISO規格で料理して遣るから>と伝えるべしと、野郎を見送った次第である。

 どうも、『どんぶらこDVD』以来、一段と私の倫理のタガは、大きく民俗にシフトしている様である。何しろ、赤松啓介様の名著が、記憶に熱く厚く刻み込まれてしまっているらしい。何処かで、軌道修正をする必要があるのだが、その切っ掛けを見付けられず・・・私は、白足袋と裸足の境を『逡巡』するのみである。真に困った感化癖である。


心何処ーショート ロートル座談会
               ロートル男女座談会(5/20/09)
 トイレで力んでいる、母の動き始めた音が聞こえて来る。アジャジャ、早い処、フンギリをして遣らないと、たどたどしい足取りの母に申し訳が立たない。『出るなら早く出ろ、出ずば、早く引っ込め・・・』であるが、本日の腸内蠕動運動は、芳しく無い処である。<入ってるよ>と声を出すが、戸を開けられてしまった。<あっ、ごめん。>と来たもんだ。
       斯様にして、母子の縁は、歳老いても臭い仲であるらしい。

 朝の食事の親子会話の後は、見るテレビも無いから部屋でパソコンを打とうとしていると、斜向かいの奥さんと杖をついた西向かいのおばさんが、窓辺の小鳥達を見守りながら話をされている。未だ何を打つか決めていない内であるから、タバコを咥えながら彼女達に加わる事にする。

「小さくて、可愛い文鳥だね。」
「いやいや、金華鳥って云うんだいね。皆、同じ親から孵った子供達だんね。金華鳥には、灰色の並・薄色の古代・純白の白の三種類があるんだけど、並金華鳥を買って来たんだけど、きっと三種類の血が混じっていたんだろうね。一番いで三種類の子供達が誕生するから、とんだ儲けものだわね。」

 暫く、そんな話を交わしていると、女性陣は四畳半下のツツジの差し芽がしたいとの事である。どうぞ、どうぞ、適当に切って行きましょ。そして、昨日のジャリン子の話に移って、これ又、一笑である。がさつ男陣と違って、女性陣は躾・行儀の多寡に敏感なのである。サクランボ・ドロボーの傍若無人の様は、痛く記憶されている由であった。斜向かい奥さんは、私の趣味の事は亭主のSちゃんから十分に聞き及んでいる処であるから、趣味の話に移行した。

「ちょっと、待ってましょ。絵を持って来るぜ。」
絵ファイルを抱えて、女性陣にお披露目する。眩しい太陽は、私のシャレコウベに直撃を喰らわせる。
「此処は、暑いから、家の玄関で見せて貰いましょう。姉さんも来(き)い。」
バラの咲き乱れる斜向かいさんの玄関で、座談会である。女性陣は、その性質上植物・花に興味が強いらしい。玄関には、色んな植物の鉢植えが置いてある。黄色・赤のバラの香りに包まれて、話を交わす。人は時間が出来ると昔に帰って、絵を描いたり本を読んだり、植物に時間を掛けるものである。お二人とも、絵を描くそうである。奥さんは、同好の趣味らしく、私の下手絵の中にあるサインペンの感じを見て取って、
「サインペンは、使わない方が好いよ。如何しても線が硬くなってしまうから。私は、人物画が描けなくて、生物画だけだけど、人物は如何やって描くの?」
「写真をモデルに描いているんだいね。物はついでだわね。秘蔵のモデルを持って来るわね。ちょっと待ってましょ。」
 
 本棚のコーナーから、ロシアン美形、中国美形のスナップ写真を持参して、サッサッと
玄関に並べる。美形達のオンパレードである。
「如何だい、みんな女優さん顔負けのベッピンさん達ずらい。ベッピンさんは天からの授かり物、男共有の宝物ずらい。秘蔵ばかりしてちゃ、黴が吹いちゃう。そんな事したら、お天道様の罰が当たっちゃうずらい。見るは、只だよ。さぁ、見ましょ。」
「ああ、この絵は、この写真ね。あ~、こっちは、この人だ。為るほどね~。」
「そうだだいね。人物画も写真に撮れば、これまた、<静物画>だんね。へへへ。」
「如何やって、写真を撮ったの?」
「そりぁ、授業料払って、友達に為らないと、心を開いた好い写真は撮れないせ。昔から云うじゃん。マニー トゥ マニーよりハート トゥ ハート。人類、皆、兄弟って処せ。」
「兄さん、巧い事言うじゃん。やっぱり、世代が違う。若い人は、好いね~。」

      井戸端話を交わしていると、Sちゃんが農作業からご帰還である。
「おうおぅ、絵を見せて貰ってたか。Rちゃんの絵は、好いだろう。一寸待ってましょ。見せたいものがあるから。」
「お父さん、ついでに履き替えて来てよ。ズボン汚れているからね。」
そう言って、奥から新聞の連載小説の切り抜きを持って来られた。それには、水彩画の挿絵が載っている。それに、市民タブロイド版の趣味のページに投稿された素人絵である。
「こんな絵よりお兄ちゃんの絵の方が、俺はよっぽど好きだわね。それに、この位の小説よりも、日記文章の方がよっぽど面白い。」
「そうだだよ、この人は、一人で読んでゲラゲラ、ニヤニヤ笑ってるんだもの。何回も読み直して、又、ニヤニヤ笑っているんだから、もう、締まりが無く為って来ちゃって・・・」
「あ~、そうそう、宿題印刷しといたぜ、持って来るわいね。」

 子育てを終えたご近所のロートル寄り合いは、お互い歳をとったものの・・・ 童心に帰った様な、取り留めの無い雑談の交換に、時は楽しく、瞬く間に流れて行く。
 全ては、無心に遊び、悪さを重ねて学校を卒業して、社会に出で一生懸命働いて、忙しく子育てをし終えて、負けずに生きて来て、漸く掴んだ老後のマイペースの日々に、顔を覗かせ始めた<縛られない自分の時間>の為せる処である。
 振り返れば、何と言っても、日々の速さである。愉しみの行動も、狭められて行くのは、抗えない必然には違いなかろうが・・・ スローライフに、時計を合わせる気分も、楽しみの一つかも知れぬ。物臭クマ男には、丁度頃合いの日常である。
 
 さてさて、気分の解れに、バケツ一杯の水槽補充水を汲みに行くべしであろう。

心何処ーショート 母との会話
                   母との会話
 体調が好いと、廊下に椅子を出して、庭を眺めている母である。母の部屋の前には、赤紫の牡丹が咲いている。その横には、鉄砲ユリ・鬼ユリがすくすくと伸びているし、夏の花・マンジュシャゲの群生が、百日紅の下で、夏の開花の為に球根に養分を溜め込もうと、凄い丈で分厚い葉を密生させている。静かな眺めである。

「今年は、小鳥がさっぱり来ないね。さっき、トンボが一匹飛んで来ただけだよ。」
「そうかい、俺の方は、カラスアゲハ、モンシロチョウが飛んで来たぞ。四十雀の巣立ちは、今年は無しの様だね。気晴らしに、ちょっと釣りをしてくるわ。好いかな?」
「はい。ゆっくりしておいで。」

   釣りから帰って、台所で手を洗い。母の部屋でお茶を入れて貰う。
「30cmの大ヤマメだよ。腹なんか丸丸と太って、鱒みたいだったよ。」
「釣ったのかい。」
「釣れたなら、即、自慢して見せるよ。ブツンでバレちゃったよ。粘ったけどハヤしか釣れないし、暑いから草臥れた。」
「川の水は、多いのかい? 何処まで行ったのだい。」
「ああ、水は少ない。スポーツ橋の下の、野鯉の二匹いる所さ。去年は水が涸れ無かったから、デカイのが居るんだよ。伊達に散歩で川を見ていないわさ。草臥れたから、昼寝してるから。」
「網を持って行って、掬って来たら、如何だい。」
「一人じぁ無理だよ。網を構える者と、追い込む者が居なくちゃ。婆さんじゃ、糞の役にも立たんぞな。」
「Sちゃんと仲が好いんだから、組んで遣って見たら、どうだい? いっぱい取れるよ。」
「そうだな、金が無く為ったら、自給自足だ。遣るしか無いわな。」

    火曜日は、8:00から、歌謡ホールを見るのが決まりである。
「岩崎宏美・・・誰かに似ているんだよな。さっきから思い出そうとしているんだけど、いまいち、しっくり来ないんだよ。ああ、分かった分かった。二級下の旅館の娘だ。そうだそうだ、似てるわな。
この男を食った様な生意気顔が、今まで災いしてたんだ。旅館の娘は、純情だったからなぁ・・・そうかそうか・・・ 生意気さを取ったら、好く似ているいるわな。好い女だモンな。」
「他に女の人が居るけど、どの人が好いのかい?」
「そりぁ、岩崎宏美たわね。生意気顔しているけど、この生意気さが堪らんと云う男どもが、多いと思うよ。整った顔してるし、あの確りした腰付きが、男心を刺激して何とも言われんだろうが・・・脱がしたら、肉付きの好い脂身が美味いんじゃないの。」
「お前は、父さんそっくりだねぇ~。困った男だ。藤あや子は、如何だい? 綺麗だろ。」
「綺麗だけど、トゲのある顔だから好かない。キツイ目付きを見りゃ、性格も輪を掛けてきつそうだわなぁ。だって歌・振り付けほどには、女の情感が伝わって来ないもの。自己中心型の女じゃないの。俺の勘は、結構当たるんだわさ。二人比べりゃ、生意気顔の岩崎宏美の方が、嵌まればコロリの口だわさ。女の可愛さ、脆さ、柔らかさが仄見えるって処だわさ。比較すりぁ、俺の好みだわさ。」

「お前、大きく出たね。」
「そりぁ、そうだわね。皆さん、何方もセレブの面々様ですわな。月と蚊ほどに、住む世界が違うって事。地球がひっくり返ったって、お近付きに為れないんだから、何言ったって、相手にはして貰えんぞな、もし。って事だわね。絶対に、ご本尊様にバレル訳が無いわな。言わなきゃ、損損だわね。ハハハ。
 NHKの受信料払ってるんだもの。この位の減らず口を叩いたって、聞こえやしねぇわな。相手は、一般大衆に夢と嫉妬を提供する芸能人様だよ。当然、嫉妬の中には悪態も含まれているんだわね。行儀好くテレビを、ただ見ていちゃ詰まらんだろうさ。人間、発散するのも、貧富のバランスの内だよ。」
「本当に、お前と来たら、ポンポンと口が悪い。外で、他人様に言うんじゃないよ。」

「婆さん、婆さん、ほら、此処見て見ろ。左耳に補聴器見たいな物が入って、細いコードが垂れている。野郎ども、とうとう尻尾とっ捕まえたぞ。五木ひろしと前川清の耳に、同じ物があったぞ。あれは、絶対に歌詞のアンチョコだぞ。耳を通して、歌詞が送られて来るって仕掛けだぜ。」
「本当かい? どれどれ、ああ、耳に何か入っているのが見える。」
「そうだろ、杉下右京さんに、電話で確かめて見ろちゃっ!!」
「ハハハ、本当に、お前は、良く見ているねぇ~。我が子ながら、あきれて物が言えないわね。」
「そりぁ、トンビが鷹を生んだんだ。ボケるのが嫌だったら、俺の爪の垢でも煎じて遣ろうか。そうすりゃ、100まで、倅と漫才が出来るぜ。遠慮は要らんぜ。お〇〇ちゃん。キャハハ。」
「バカモン、親をバカにするな。」
「さてさて、見るものは無いから、部屋に帰るぞ。疲れない内に、布団の中に入りなよ。」
「部屋に行くか。はい、ご苦労さん。有難う。」
「あいよ。」

 今日も、大過無く一日が過ぎ去ろうとしている。部屋でコーヒーを飲みながら、ラジオに耳を傾けようぞ・・・

心何処ーショート 何やら河原塾
             何やら河原塾(5/19/09)
 買出しの個人スーパーに行くと、地物のヤマブキ、アスパラガスが、どっさりと並べられている。ヤマブキの佃煮風煮付けは、私の好物である。一束100円の安さであるから、ヤマブキ5束、アスパラガス2束を籠に入れる。買い物を済ませて、早速、サバの味噌煮を炊きながら、ヤマブキを洗い始める。水洗いした細いヤマブキは、適当な長さに切り、先ずは油で炒める。安さに釣られて買い過ぎて、鍋一杯の分量と成ってしまった。如何やら火が回って、後は調味料・砂糖・トウガラシ・醤油を加えて、炊き上げるのみである。次いでアスパラガスを茹でる。
 
    仕込みを終えて、昼食後は不足の寝不足を補った次第である。

 本日は暑い日である。開け放った四畳半でパソコンに向かっていると、窓辺に置いた鳥籠を覗いている人影がある。その方を見ると、昨年のサクランボ・ドロボー姉妹である。
                網戸を開けて、
「ほら、近くで見な。可愛いだろう。」
「小さな文鳥ですね。」と、言って近付いて来る。
「金華鳥って云うんだよ。サクランボ・ドロボーさん。」
「あれ~、覚えていたんですか?」

 ジャリン子姉妹の妹の方は、白ばくれて驚きの表情を浮かべている。好いタマである。

「当たり前だろ、お前達より俺の方が、出来が好いんだ。バカヤロ。今年も、結構生るぞ。赤く為ったら、盗みに来い。待ってるぞ。」
「今度は、盗みに来ません。貰いに来ます。」
「そうか、少しは利口に為ったか。好いものを見せて遣るから、少し勉強しろ。俺は、これが片付いたら、遊んで遣るから、其処で待って居ろ。」
「はい、分かりました。」
 
 本棚の上に乗っている下絵ファイルを三冊、窓から小学生姉妹に手渡す。こまっしゃくれジャリン子達は、素直である。並んで、ページを捲ってバカの一つ覚えの様に、<凄い凄い>を連発している。上の娘は。オッパイの膨らみを示しているのであるが、あどけないものである。コメントを一つ打っていると、白い車が止まる。町内の同窓生の女である。私の気に入っているクマ男の命名者である。車の目線と椅子に座る私の目線は、丁度良い高さである。

「Rちゃの描いた絵かい。外見とは違って、上手いじゃん。この子達は私の孫みたいな子供達だから、遊んで遣ってよ。」と、女ギャングの様な顔付で笑いつつ、手を振っている。
「なぁ、お前達、このオジサンは、顔と体付きは、おっかないけど好い人だから、勉強教えもらい、本当は凄い人なんだよ。困った事があったら、相談して助けてもらい。好いね。Rちゃ、お世辞で褒めて置いたぜ、少し遊んで遣ってよ。任せたよ。じゃぁねぇ~。」
と言うと、呆気なく車をすーと発進して行く。相変わらず調子の好い女であるが、憎めない姐御肌である。コメントを一つ打ち終えて、窓を閉め下駄を履いて、外に出る。

「ドロボー姉妹、河原のベンチで感想を聞こうじゃないか。」
「は~い。」

 孫の様なコマシャクレを連れて、河川敷のベンチに座り、煙草に火を付ける。
「凄く上手です。凄いです。楽しい絵です。」
「バカタレ、そんな感想じゃ、テレビの芸NOタレントの口調と同じじゃないか。頭出せ。<ポン、ポン> なぁ~、お前達、スイカ頭だから、脳味噌の代わりに水が詰まっているだけの音しかしないだろ。暇だから、俺様が、少し鍛えて遣るわな。此処へ座れ。」

 私は、斜向かいのSちゃんの貰ったパイプの太い処で、頭の出来の好し悪しを確かめてニヤニヤしてから、ファイルの絵を一枚一枚開かせながら、絵の説明をして行く。

「女の人の絵がいっぱいありますね。」
「あ~、そうだよ。オジちゃんは、綺麗な女の人が大好きなんだよ。悪いか?」
「悪く無いです。女の人のヌードの絵もあります。」
「綺麗だろ。この膨らみと、赤い乳首が、絵のポイントだ。ほら、手で押さえたら、絵にアクセントが無く為るだろ。此処が、写真と絵の違いだよ。分かるかい?」
「あ~、本当だ。」
「そっちのおネェちゃんも、膨らんで来ただろ、こう云う立派なオッパイに為る様に、頑張れちゃ。オッパイが膨らんだだけで、お頭が空っぽだと男には、もてないぞ。」
「オジサンは、白人の女の人が好きなんですか?」
「ああ、そうだよ。ほら、この絵のポイントは、金髪じゃ無いだろ、青い目と赤い小さな唇だ。さっきの様に手で遣って見な。」

 コマシャクレの妹の方が、思った事をストレートに聞いて来る。おネェちゃんの方は、恥ずかしさ、警戒心が幾らか備わって来ている様である。

「若しかしたら、オジサンはHな人ですか?」
「そうだよ。Hな事は大好きだけど、変態じゃ無いから、安心しな。次は、小鳥の絵が続くぞ。」
「この小鳥さんの絵は、優しくて温かいですね。私、こう云う絵が大好きです。柔らかいタッチは、色鉛筆ですね。」

「そうだよ。色鉛筆・クレヨン・絵具とそれぞれに、出来上がった感じが違って来るだろ。それが面白い処だよ。色々と試して見ると、其々の味が見えて来る物さや。」

「この絵は、ちょっと毒々しくて、強烈な絵ですね。」
「おお、さすがはおネェちゃんだな。少しは何かを感じ取ったかいな・・・この絵は、中国の毒入り餃子の問題が発生した時に、描いた絵だよ。鬼の角の様な物は、黄色の餃子だよ。黄色は信号機の注意シグナルだ。鬼の縮れた髪の毛は、お釈迦さんの様な日本人の大人しい国民性を表しているんだ。そんな紳士の日本人だって、毒入り餃子を食べたら、パニくって左右の眼はシッチャカメッチャカに血走って、終いには死んで骸骨に為ってしまうだろ。だから頭の黄色い角の間には、毒に汚染されたシャレコウベが乗っかっているんだよ。そして、パニ食った顔を回りには、暗い闇で覆われている。この闇は、無責任・金儲けだけに狂う人間の心の闇を現したんだよ。」
「そんな深い意味があったんですね。オジサンは、凄い人じゃん。学校の先生だって、こんな事を教えてくれないよ。オジサンは、面白い人ですね。」
「バカタレ、俺を学校の先生と比較するバカがいるか。お頭の出来が違うんだ。よし、大体の事は分かった。おネェちゃんの方は、大人しい顔をしているが、ハッキリした色彩の強い絵が好きだし、妹の方が、ホンワリした柔らかい感じの絵が好きの様だ。じぁ、おネェちゃんは、この詩を読んで見ろ。」

「はい、読みます。」
「どんどん、読んで行け。分からない字は、教えて遣るから・・・うんうん・・・よし、読んだな、成績は、まあまぁの口だな。それで、感想は如何だ。」
「詩の内容と絵が一体となって、好く分かりました。どうやって詩と絵を描くんですか?」
「それは、いい加減だよ。適当だよ。最初に絵を描いて、それに見合った詩を書いたり、詩を書いた後に絵を描いたりしてるんだけど。まぁ、料理と同じで作りながら、色々と調味料を加えて行くだろ。塩が足りないと思えば、塩を字に加えたり、絵に加えたりするだろ。それは、美味い物を作ろうとする努力の表れだろ。
 これは、詩と絵で心の中の物を描いていると云う事だろ。一つの心を描いているから、字の詩と絵が、一体となって足りない処を、両方で支え合って作っているんだ。
歌だって、そうだろ。詩があって、メロディがあって、歌手がその両方を、歌って表現しているんだ。それを、お前達が、凄い凄いの連発だけじゃ、誰の歌か話を聞いている人間は、分からないだろう。」

「オジサン、学校の先生より<凄~い。>」
「何が凄いだ。このスイカ頭、頭出せ。」

 コマシャクレ、ジャリン子とは云っても、根は素直なものである。スイと三つ編みの頭を差し出すのである。

「オジサン、今度修学旅行で、国会議事堂の見学があるんですけど、国会何て、必要無いと思います。」
「何を抜かす、タワケ。頭出せ。スイカ頭め。此処に三人居る。皆、それぞれ意見が違うぞ。皆、てんでバラバラの事をしていたら、如何なる。皆が全部同じ事をしていても、詰まらない。好い事と悪いの決め事をして、後は皆が自由にした方が好いだろ。世の中、〇と×だけで成り立っている訳じゃないんだ。△・?の方が、圧倒的に多いんだぞ。その圧倒的多数の△・?も、○か×かを決めなくちゃいけない事が、出て来るだろ。国会が無かったら、誰が決めるんだ。サクランボを堂々と盗むジャリン子が、国会何て必要無いとは言えないぞ。ハハハ。
 要るか要らないかは、もっと勉強してから言った方が、 箔が付くぞ。おう、暗くなって来た。さぁ、帰るぞ。」
「オジサン、又遊びに来ますね。」
「そうか、今度は授業料にお菓子持って来いよ。お菓子代は、サクランボと酸っぱいイチゴで物々交換だぞ。バイバイ。」

 遺憾いかん、余りの出来の悪さに、他人の子のスイカ頭に、パイプゲンコツをお見舞いしてしまった。テレビ局から取材に来るかも知れぬ。ギャハハ。私も、典型的なバカロートルである。何か、のほほんと気持が高揚しているのであった。

心何処ーショート 夢のお告げ
                夢のお告げ(5/18/09)
 雨で家にばかり居たので、エネルギー消費が上手く運ばなかったのだろうか、四時前に目が覚めてしまった。布団の中で寝返りを打っていても、埒が明かない。思い切って、四畳半に座る。ラジオ深夜便を付けると、江利チエミの<新妻に捧げる歌>が流れ始める。 
 この歌は私の結婚式の時に、友達が朗々と歌ってくれた歌である。歌を聞いていると、結婚式の女房の顔が生き生きと動いて来た。人間の脳裏の襞に刻まれた、あの日あの時の鮮明画像の収納庫と云う<物の凄さ>には、全く驚かされる。普段は眠っている記憶が、ある切っ掛けで瞬間復活するのであるから、脳細胞の造りとは、大した物である。

 正直に告白すると、先ほどはシングルママの夢を見ていた。夢は不思議な生き物である。

★散歩をしていると、ある女性が着物・モンペ姿を現代風にアレンジしたスタイルで、自転車に乗って近付いて来る。初めは、その衣装が奮っていたから、中々のセンスの持ち主だなぁと見たのである。近付いて来た顔を見ると、何とシングルママさんだったのである。<おやまぁ、如何したんだい>と聞くと、<遊びに来た>と言うのである。彼女は自転車から降りて、私の腕を取って目前の我が家に連れて行くのである。家に入ると若い母が居て、玄関正面の6畳の座卓の上に、お茶の用意がしてあった。私としては、こそばゆい気持で一杯なのである。暫し、言葉がスムーズに出て来ない。
 それは、プッツリと便り・連絡も取らずに、母との同居を決心して外界とは極力関係を遮断している生活を送っているからである。何故なら、私は堪え性の無いオス・ムンムンの人間であるから、美形を見ると矢も盾も出来ずに、費用を工面して飛行機に乗ってしまう性分なのである。母の面倒を見ると誓った以上、美形とはきっぱり縁を切らないと、賄い夫は出来ないのである。そんな悶々たる日々を、写真の美形達への反芻・妄想で解放しているにしか過ぎない。然るべき連絡を取れば、それで事は足りるのであるが・・・  
 それが堪え性の無い男には、女域への後戻りと成ってしまう。因って、此処は我慢処なのである。そんな不都合を抱えているから、夢であっても心境穏やかでは無いのである。
そんな私の心の葛藤とは裏腹に、母が客人をもてなす時にする<遠路疲れたでしょう、風呂が沸いたから、ゆっくり入りなさい。>などと声を掛けに来るのである。???

 これは完全に、母公認の女性への待遇である。こんな待遇を受けていたのは、女房一人である。<何、俺の目の前の美形は、誰ぞ?>と、よくよく顔を見れば何時しか、結婚前の女房が初な娘の顔で、私にお茶を注いでいるのである。
 アジャジャ・・・脈歴の無さに、私は心の中で<こちら立てれば、あちら立たず。あちら立てれば、こちらが立たず。>の奇妙な感覚に囚われているのである。『如何為ってしまっているんだろう』と、夢の続きに結論を任せようと寝返りを打っていたのだが、一度戻ってしまった意識に、夢が抗(あらが)う事など出来る筈も無い。考えが甘過ぎる。それが、意識の現実と云うものである。
    
      <無駄な抵抗に引導を渡して起きた>のが、心底である。

 それが、ラジオを付ければ<新妻に捧げる歌>と為れば、恐るべし女房の威力としか、『落ち』の持って行き様が無いのである。

 車を運転している時にも、私は助手席の女房から、『何処見てるの!! 女房を横に置いといて、ハシタナイ。』とゲンコツを頂戴したものである。私としては、女性観賞は私の最大の趣味であり、比較鑑賞の結果が女房に軍配が挙げれば、それは賛辞以外の何物でも無いと反論するのであるが・・・ 子供達が同乗している時にも、ゲンコツが空かさず飛んで来るから、後部座席の幼い兄妹はクスクスと父親の私を笑っていた物である。

     そんな時の<四男坊亭主>の私の決まり文句は、
『好いもの、綺麗なもの、優れたものを、素直に愛でる気持ちは、大事にしなくちゃ駄目だ。観賞眼を磨くのが、心を豊かにする。お前達は馬鹿だから、天才の俺の気持ちに到達するまでには、時間が掛るんだ。それを時間の浪費と云うんだ。利口に為ったら、分かる。』

     そんな自説を展開する私に対して、<長女女房>の台詞は、
『こんな男の言う事を、真に受けるんじゃないわよ。何処までが本当か、分かりゃしないんだから。余所見をしてると、それこそ一家心中よ。事故調査で、原因が、亭主の他の女に見惚れていたなんて事に為ったら、恥ずかしくてもう一度、<一家心中>しなくちゃ為らないわよ。こんな馬鹿なRさんを見習っちゃいけないわよ。女には興味が無い様な顔して、騙されちゃったわよ。アハハ。お前達、男も女も、行儀の悪い真似をしちゃ駄目よ。人間は、奥ゆかしくて上品が第一、お婆ちゃんを見習わなくちゃ駄目よ。黙っていると好い男なのに、嗚呼、損しちゃった。ほらほら、余所見しないの。』

  バカな子供達は、倅は顔を真っ赤にして笑いを堪え、こましゃくれた小娘は、
『わ~い、お父さんはお母さんに、おこられている。<Rさん、ダメでしょ。はんせいしなさい。> はんせいしないと、★★は、お母さんのみかただから、ベシ棒でメンピンするよ。おぎょうぎ好くしなさい。お父さん!!』

 別居・賄い夫のロートルクマ男の還暦脳裏に、記憶はエキスだけを蘇らせるものの様である。これまた、有難いシングルママの夢の副産物である。有難や有難やの極みであろうか? とほほと嘆くべきか、精神生活を全うせよとの家族の啓示か、難しい両立である。
 さてさて、現在時5:35.前方の屋根に日が昇ろうとしている。散歩でもして、不足の二度寝でもしようか・・・ それとも、朝飯まで我慢して寝るとしようか・・・ 散歩をした向きで、考えるとしよう。

心何処ーショート 風雨を眺めて、宿題をこなすなり
         風雨を眺めながら、宿題をこなすなり。(5/17/09)
<おーい、餌が無いぞ!! お腹が減ったよぉ!! >とばかりに、ピーピー、ジャージャーと鳴き立て、ガチャンガチャンと餌入れを鳴らしている。その騒々しさと云ったら、腹立たしいまでの執拗さである。目覚ましには打って付であろうが、朝寝が得意の私には堪らない毎朝なのである。
 
<小原庄助>さんと<泣く子と地頭>の我慢比べは、決まって私の負けである。起き上がりモタ~とした体で、鳥籠を玄関外に置き、汚れた底板の水洗い・餌吹き・水容れ器を洗い、餌を補充する。本日は終日の雨模様との事である。濡れた道には、ポツリポツリの雨が残っている。「おはようございます。」斜向かいさんの奥さんと挨拶を交わす。
 
 そうそう、Sちゃんと約束したアニメDVDの感想を打たねば為らない。結構風は強いが、昨日よりは温度が高い。モーニングコーヒー用の湯を沸かしながら、鳥籠を昼の定位置に置き、水槽住人への餌撒きをする。煙草を吸いながら四畳半住人の観察をしていると、窓下で猫の声がする。去年、網戸に飛び付かれて、鳥籠を引っ繰り返され網戸を破られた経緯がある。慌てて窓の下を覗くと、白と黒のツートン猫が三匹、ランランと光る目で鳥籠を見上げているでは無いか。

 油断も隙もあった物では無い。白黒の猫は、この町内の半分を縄張りとしている野良猫なのである。そして彼等は、寝不足を強いる<春の盛り猫>でもある。私は小動物飼育が趣味であるから、猫とは敵対関係にある。昔からそうである。<この野郎め>と拳を振り上げると、車の下に入り未だ目で小鳥達の動きを追っている。お前達は、お呼びで無い。ガラス戸を閉める。

 湯が湧いて、モーニング・コーヒー・タイムである。煙草を燻らせながら、昨夜のアニメを反芻する。一本のアニメは言われた通り、静止画像に声が交る字幕版であった。アニメは一動作に、何枚も手書きの絵を重ねる手間の掛る工程の集積物である。従って静止画像なら、製作費を大幅に抑える事が出来る。

 アニメ画像であるから、映画の静止画像と違ってマンガをテレビで読むと云った感じである。嘗て大島渚監督が大スクリーンで、白戸三平?の忍者武芸帳で試みた手法であるが、パッとしない感じであった。

 多分それは、セクシーアニメと云う事で、見る側に、官能的シーン・展開への脳の期待速度と静止時間との計算が、保たれていない処から派生する詰まらなさなのであろう。期待速度が、如何しても空回りして面白さが一向に伝わって来ない結果を生んでいるとしか言い様が無かった。官能シーンには、声とともに動きが、不可欠な刺激物に決まっているのである。動かぬ性的裸体は、セピア色のエロ写真の方が、ぴったり嵌まる。色彩豊かなアニメ画像は、薄ぺらな分だけ想像・妄想作用に欠けるのである。こんな処が、正直な感想であった。
 
 セクシーアニメを見ながら、<忍者武芸帳>との比較が、脳裏に広がってしまった次第である。マンガを読むのと映画・アニメを見るのとでは、人為的スピードが物語の成否を決める一番の要素なのであろう。大島監督は、静止画像の<忍者武芸帳>に、動きを付与する為に、カット送りの速度設定にストップウォッチを手に、きっと癇癪の激しい顔で、大声でスタッフに檄・罵倒を発していたのであろう。制作現場は、容易に想像出来る。
 作り手が、観衆に向かって自分の作品に対する想いを込めて、タクトを振らなければ作り手の意図・意思の表現が伝わって来ないのは、当然の事である。見る側にタクトを振られては、失敗作以外の何物でも無かろう。
 
 見る側にとっても、支払った代金が落胆に変わり、<これじゃ過大広告・時間と金返せ!!>の怒りの結末でしかあるまい。
とんでもない低予算の結果なのである。これでは、つまらぬとレジ袋に入れての<結び捨て>と為るのも、致し方の無い沙汰であろう。
 
 参考までに、二本のアニメDVDの価格比較をして見る。動画編2900円に対して、静止画像編2200円であった。時間比較が出来ないので、アニメ手間が作品に占める制作費用の比較までは出来ない処であるが・・・ テレビ情報などでは、実際のアニメ産業の裏側では、絵を描く若者達の手間代は恐ろしく安いチープレイバー振りとの事である。単純比較で2200÷2900=76%である。静止画像と動画画像に使用されたアニメ画の枚数比較を想定すれば、到底枚数比=100:76には見えて来ない。其処に見えて来る物は・・・ 私には試みの失敗以上に、アニメ産業に於ける無名の若きアニメ描きの悲哀が、大きく伝わって来てしまう感想であった。
 
 勿論、芸術と職人の価値観が根底にあるだろうが、これと良く似た形態には、江戸時代の浮世絵産業がある。絵元・絵師・版画職人・刷り職人の身入り比較をして見る事で、時代の職業観と云った物が、比較考証出来ると思うのだが・・・ 現代の経済評論家諸侯には、そんな奇特なご仁は居られるのだろうか?? 何方か、そんな方面に造詣の深い御方があったら、教えて欲しいものである。

 さてさて、雨も本降りと成って来た。風呂を沸かして、クマ男も男前に成らねば為るまい。鳥籠を見ると、巣立ち鳥二匹は、藁巣の中の方がしっくり行くのだろう・・・ 温い巣の中で昼寝でもしているのかも知れぬ。窓辺のすっかり厚く大きく成った葉群の雨の滴が、風に飛んで行く。風呂に入った後は、気楽に時間を流そうと考える。

心何処ーショート どんぶこ、脱線に次ぐ脱線。
               どんぶらこ、脱線に次ぐ脱線(5/16/09)
 遅い昼の支度に掛っていると、斜向かいさんの登場である。
「ちょっと、待っとくれや。」
「どれどれ、お手前拝見。」
暫く私のまな板仕事を、ニヤニヤして見て居られる。区切りの好い処で、DVDコーナーにお通しする。
 
 どっかりと胡坐を掻いて、本日は、映画感想よりも読書感想から花開いてしまった。何しろ5/8分の<或る雨の日のロートル談義>には、文作の現物資料としての<大量浣腸アヌス奴隷>の鮮明DND付きである。端からニヤケ顔の言葉の滑りである。

「どんぶらこ、どんぶらことDVDが流れて来ちゃ、見ない訳には行かないもの。どえらい世界を鑑賞させて貰った翌日の、大先生の作品だもの。正座して熟読しなきぁ罰が当たるわいね。俺も、そんな事言ったか、言わないか分りゃしないけど・・・ゲラゲラ笑ちゃってさ。えらくカカアに頭ひっ叩かれちゃって、三枚の力作を暗記する程、読み返しちゃったわね。アンタは馬鹿か!!って、目ん玉ひんむかされて、お仕置きよ。そんな事言われたって、俺には文才は無いけど、<読才>は人一倍あらぁね。字面の奥に、<どんぶらこ、桃の割れ目に大浣腸。嫌よ、それだけは止めて~>が、三人も続くんだもの。これは、見た者にしか分からねえ世界だじ。キャハハ。

 お兄ちゃんは、<大量浣腸の内容>をサラリと流しちゃうんだから、大したものだわね。伊達に大学は出てねぇや。もし、俺が書いたら、しつっこい性質だから、微に入り細に亘って書いちまう。そんな事したら、<好い歳かっぱらって、この変態爺っさ!! 一緒には生活できない。家が汚れる、出て行け~。>って、カカア・娘連合軍に、追い出されちゃうもの。ギャハハ。
 そんな危ない世界を、抑えを利かして、想像を刺激するなんざぁ、凄い技だんね。正直、尊敬しちゃうもの。処で、一つお願いがあるんだけど・・・」
「如何したいね。言って見ましょ。」

 斜向かいの色白・前田吟さんこと、Sちゃんが紙袋から取り出した物は、エロアニメのDVD二本である。この近辺は、某私立高校への通学路と為っている。チョクチョクとんでもない性具が、子育てを終えた静かな住宅街に<これ見よがし>に、捨てられている事がある。総じて、彼等は、性質が好いとは言えない某高校生達である。
 時々、余りのイチャ付き振りに、後ろから<石でもくら付けて遣らっかな>どと思う事もある。自転車を乗りながら、缶飲料をポイポイ我が敷地に放り投げて行く事も、しばしばである。
散歩などをしていると、授業をサボって、スポーツ橋の下で昼日中、無心に抱き合う猛者まで出没する始末である。何しろ、立ち止まって見ていても、平気の平左でチュッチュッを当て付けがましく見せている変態・露出狂予備軍と云って好い程である。

 斜向かいさんの前の露地は、大通りに繋がる細道である。玄関前は、丹精込めた塀無しの前庭と為っている。その植栽に、レジ袋が結んで捨ててあったとの事である。<あのバカ高生、又、悪さをしやがったな。> Sちゃんは、マメな綺麗好きのお人である。きっと、目を三角に釣り上げたのは、間違い無い処である。
 然しながら、一方で働く好奇心が人間行動と云うものである。今度は、何のお土産かと中を覗いた処、入っていたのは『姉★孕みっくす』『チアガール集団レイプ』のエロアニメDVDとの事。これも日頃のポイ捨ての罪滅ぼしの一環なのだろうと、『素早く解釈』して早速の上映を試みたとの事である。流石に、勿体無い、捨てるのは何時でも捨てられる。物は大事にしよう世代の習い性であったのだろう。・・・ウッシッシである。

 見終わって、<これをお兄ちゃんの処に回して、どんな日記として帰って来るか??>と心が躍っているとの仰せである。為るほど、私は、この手のアニメは見た事が無いが、世界に誇る日本のアニメ産業である。心して鑑賞させて頂いて、日記に挿入しなければ為るまい。勿論、二も無く<快諾>の段である。

 どんぶらこDVDから始まって、<夜這いの民俗学・夜這いの性愛論>に至る読書感想文が、今回の打ち物である。その間には、名画のひまわり・ウクライナのライオン娘までも入っているのであるからして、『軌道』を走るロートル二人乗りトロッコは、否応無しにスケベ各駅停車の進行を進めてしまったのは、致し方の無い『運行』・・・としか言い様が無かった。

「Rちゃん、知ってる? 市会議員遣ってる議長まで務めた★★は、中学・高校が一緒でさ。夏に為ると、あのバカじっと呼びに来てさ、二人でつるんで県営の競技場にアベックの素行調査さね。野郎め、忍者に徹する必要があるとか抜かしやがって黒尽くめで、こ~うやってさね、歩ふく前進して、目標物に達したら2B爆弾投てきだわね。
アイツは野球部で、俺は柔道部だったから、軟なアベックの片割れが無駄事コキャ、<見られて文句こくなら、家で遣れ。恥を知れ!! このドスケベ野郎が!!>ってなもんで、反対にノシちゃったわね。昔は野蛮だったからね~、エへへ。
それとか、2B爆弾の代わりに、サーチライト作戦ってのもあったなぁ~。アベックの野郎、本番中に、いきなり懐中電灯で照らされりゃ、キァ~で一巻の終わりだわね。そりぁ、面白いのなんのって、イッヒッヒ。

 それに俺は、小さい頃から、変な事に凝る変な性格で、竿の先に釘で引っ掛けを作って、パンツ・靴を飛んで無い所へ移動させちゃうんだいね。昔は遣る事が無いから、夏休みに為ると、そんな事だっかり遣ってたもんだ。」
 
「アイアイ、その伝統は、確りと受け継いでいたんね。俺より一級上の〇〇ちゃんが、それが好きで、家が直ぐ近所だったんで、呼びに来られて困ったもんせ。俺は、硬派の優等生だもんだから、後輩は作らなかった。その〇〇ちゃんに実地指導したのが、俺の三番目の兄貴で、その後の職業が警視庁の優秀な刑事とくりぁ、一家の恥ってもんせ。あの時代は、如何し様も無い時代だった。」

「電車乗りゃ、娘っこが痴漢に遭うなんて事は、当たり前の時代だったもの。お兄ちゃんの文章で、これも<夜這いの民俗学>だったと知れば、思い当たる節だらけだもの。性に纏わる行為・行動は、ある面仕方が無いって処さね。今だったら、幾ら刑務所が有っても、足りないよ。」
「そんな話を聞くとSちゃん、9歳の歳の開きは、羨ましい限りですわね。土着の性愛が、まだまだ野に山に満ち溢れているもの。敗戦後だから、警察力も緩んでいる時期だしね。俺の頃は、いけねぇせ。戦後復興が軌道に乗って来て、世情もすっかり安定して来たからね。
そう云えば、同じ班の下の〇〇のお婆ちゃんの処の一級下の色の白い小柄な娘が、高校が近いからと云って居たっけ。可愛い顔していたから興味があってさぁ、小さい頃は、俺の事が好きだと云って、じっと遊びに来ていたんだけど、嫁と舅の仲が悪くて、街の家に引っ越しちゃった。彼女は街場の洋服屋の娘で、通っていたのが男女共学高だから、オマセだったんだわ。
 俺も、遣る時は遣る受験生だったから、勉強して夜の10時~11時の間は、鈍る心身を土手で運動していたんだわ。そうすると、そんな時間を見計らって、その可愛い子ちゃんが、河原のアカシアの陰で、ボーイフレンドとイチャイチャするんだよ。ありゃ知ってて当て付けているんだもの。何度、受験生止めようとしたか分かりゃしないよぉ~。受験勉強よりも、チュッチュ、モミモミの方が、そりぁ~、よっぽど気持好いもの。本当に、コンチクショーだった。えらい事、思い出しちゃった。ウッシッシ。」

「俺は根が好きなものだから、如何してもそんなシーンに出食わしちゃうもの。バカ高の生徒が、橋の下で抱き合っているから、立ち止まってよくよく観察してりゃ、本番遣らかしている。市営球場界隈も散歩コースだから、向こうもチョクチョク行くだいね。もう歳で、トイレが近いから、なるべくトイレのあるコースを選んでいるんだけど、トイレ入ったら、後ろの大の方で、ゴソゴソ音がしてるんだわ。まっ昼間だよ。小便しながら何を遣ってるだいな、具合でも悪いだかや・・・変な奴が居たもんだわな・・・ 手を洗ってると中から、男と女が出て来るじゃん。それも、40代の男と女さね。ギョギョのギョだいね。向こうの男も、目が合うと、うろたえて居やがる。さっさと二人逃げて行ちまった。

 よくよく考えて見りゃ、何をし終わってパンツを履いていたって事しか考え様が無い。もう10分も、早くトイレに入っていたら、面白い展開に為って居たかも知れなかったって事さね。勤め人で、仕事に没頭していると、こんな事には出っ食わさないのに、つくづくと世の中は、気付かないだけで<複雑怪奇>に出来ているんだわね。恐れ入っちまったいね。俺には、逆立ちしたって、そんな勇気は無いもの。」
 
 私もSちゃんに劣らず、下ネタ話は大好物の類なのであるが、哀しいかな、そんな目撃シーンは、唯の一度も無い。類似の話は、方々から幾つも聞かされているのであるが、シーンを求めて街を徘徊していては、忽ちにして不審者として職務尋問の対象と為る。尋問回数が多く為れば、必然的に『不審者のブラックリスト』に名を連ねてしまう事だろう。 
 幾ら第二の人生スタートと云えども、インターネット検索で、そんな『幸運を呼び込むセミナー』を見付け出して、通う訳にも行かぬ。
 沈思黙考した処で、見付け出す結論は、<如何足掻いても、運に見放されたクマ男には、叶わぬ強運の沙汰>であろう。運の無さを嘆くより、伝聞話を基に、得意の妄想で穴を埋めるのも、<有るを以って、足るを知る>の生活態度であろう。無いもの強請りの強欲は、犯罪の温床でもある。

 話は、尚も続く。こう為れば、昼の一食など<おろ抜いても、人間、死にはしないのである。たがの外れたロートル談義は、カラー・ワイド版にスケールアップして、留まる処を知らずに発展してしまった。女が居たのでは、絶対話せない実態民俗学検証のエピソードであった。笑い過ぎて、腹が痛く為ってしまった。年甲斐もなく、好奇心は永遠の様である。
<どんぶらこ、どんぶらこ>の先鞭を着けてしまったのは、斯く云う私である。毎回恒例の政治・時事問題に、話の向きが行かず終いだったのは、初めてのケースである。さしもの<民俗学検証>も種切れに為って、漸く往年の大女優グレタ・ガルボ様の登場であった。本日の貸し出し分は、私がぞっこんのグリア・ガースン物である。私としては、昔良き時代の美女の情感に、今週は心行くまで浸って欲しいものである。
 嘗ての連隊長Sちゃんが、ページを捲って、5/9の<ウズウズ散歩>の一文を褒めて下さったのであるから、好しとすべきであろう。

 ロートルバカ男どもの下卑た笑いを聞かれてしまって、遅い昼を運ぶクマ男は、些か母の前に在っては、照れ臭かった。これも近所付き合い・男付き合いの立派な実相である。内心、トホホなるものの・・・就寝時には、とくと現代アニメを鑑賞して、文作に転用しなければ為らない。その前に、本日分を打ち上げねば為らぬ。ウッシッシ。

心何処ーショート ふと浮かんだ詩一つ
                 ふと浮かんだ詩一つ(5/15/09)
 戸を開けて置くと、些か寒い。お天道様に騙し討ちに為った様で、好い気分では無い。
 税金を払いに行った後は、家の周りの草取りをする。土手に続く坂道の端には、生い茂る雑草と同居して、アヤメ、紫つゆ草、オダマキなどの青・紫の花々が咲いている。玄関横の四畳半窓辺の下には、辛うじて残っている薄ムラサキの大輪ツツジが七分咲きで、その横には薄紅色のツツジが花の盛りを終えようとしている。
 昔、小耳に挟んだ事のある話によると、花の色と土壌の酸性・アルカリ性とは大いなる相関関係があるとの事。この家の主の私とて、偏り人間の一人である。青系の色は好きであるから、自然任せが一番である。次いで、庭の草取り、あっと云う間に伸びてしまった楓・グミの木の枝をほんの少し剪定して遣る。サクランボの木には、今年も結構青い実が付いている。

             <さくらんぼ>
           
           早く、大きく為れ、赤く為れ。
   赤く色付いたなら、こまっしゃくれジャリン子が、木に登る。
コレッと脅かして遣れば、今年は何と返事する。返事の如何で、成長が分かる。
      柱に付けた切り傷だけが、成長の証でもあるまいに。
口の減らないコマッシャクレ達、早う来んかい。酸っぱいイチゴも、白い実を付けた。

 クマ男が庭でウロウロしているので、母が廊下から顔を出している。こんな日は、部屋にいるよりも、外の方が暖かい。新鮮なハコベは既に無く、硬く萎えたハコベばかりである。これも、気は心である。ハコベを摘まんで、二つ並べた鳥籠の境に乗せて遣る。両方の鳥籠の中で、小鳥達がハコベの綱引きをし始めた。飽きれば、跳ね回り、六羽が並んで、背を丸めて小休止、窓外の外界を眺めて何を思っているのかは、一切与り知らぬ処である。巣立ち若鳥も、小生意気且つたどたどしさの残る嘴を使っての身繕いをしている。

 親、姉達を真似して、片足でシャカシャカと翼の根元掻きをしたのは、好いものの・・・
力の入れ具合が分からず、フラフラ。挙句の果ては、止まり木から墜落の沙汰である。何何、今度は、止まり木を掴んだままの羽ばたき運動に挑戦である。脚力と飛力の均衡が分からぬから、真似をした自分がパニ食っている有様である。それそれ、これ又、落下の憂き目を見てしまった。
 
 只見の観察者が笑ったら、失礼に当たる。冷やかし・嘲笑は、遣る気に水を差す禁じ手。失敗は、生物が等しく通る成功への道である。笑ったら申し訳が立たぬ。人間語では、微笑ましい光景と賛美すべきである。
 あれあれ、臆病・大器晩成型?の薄茶は、疲れ果ててしまったのか?? 首を翼の間に丸め込んで、背中で大きく息をしている。しょげるな、薄茶。二日もすれば、一丁前に為るわな。

心何処ーショート 其々の日々、頑張れちゃ。
            それぞれの日々、頑張れちゃ(5/14/09)
 部屋の掃除・洗濯・トイレの不具合を直していると、早や一日の大半が、流れ去ってしまった。メタボクマ男が、のそのそ歩いているだけで、時間は無常である。おやおや、電話である。M氏からである。

「ちょっと、聞きたい事があるんだけど。」
「好いんね。どうぞ。」

 M氏は、チカチカ網膜に光が走るとの事である。丁度、二年ほど前に、私の同様の経験談を思い出して、電話をして来たのである。私は小心者であるから、気に為って仕方が無かったから、眼科医に見て貰った。一応の検査をして貰い、ストレスから来る症状との事で、一安心した次第であった。その後も続いて、その症状から解放されたのは、会社を辞めてからであった。そんな経緯を思い出しながら話していると、M氏は空かさず会社は辞めたいとボヤイている。
 一足先に辞めて、ロートルクマ男を遣り始めた私の顔付を羨ましがっていたTも、すっかり柔和な顔付に為って、実質の退社生活を送っている。先日のTの話の中にも出て来た事であるが、真面目人間の会社勤めは、内心ストレスの囚われ人の様な生活である。世話を焼かず、焼かれずのマイ・ライフほど快適な物は無い。三人組の中で、一歳年下のM氏だけが、サラリーマンの孤塁を強いられているのである。

「Mさん、素人が取り越し苦労をするのは、愚の骨頂だよ。医者に行って診て貰って、原因が分かった方が、ずーと気が楽に為るよ。変な所に、大事な頭を使っちゃ駄目よ。」
「了解。今度、時間を見付けて鳥籠を持って行くから、Rちゃんの処で、慣らし飼いしてくれない?」
「あ~、好いんね。何時でも、持って来ましょ。Mさんは、俺の処に来ないと、ストレスが溜まる体質なんだわ。俺は女には縁が無いけど、男の心の癒しには為るんね。下らない下衆野郎・意地汚い馬鹿連中とばかり居ると、真面目、仕事の出来る人間は、ノイローゼに為っちまうんね。友人を癒す位の社会貢献は出来るから、何時でも来ましょ。待ってるんね。メンタル・カウンセリングして遣るぜ、健康保険証持って来ましょ。ギャハハ。」
「Rちゃん、保険証の代わりに現物持って行きま~す。近い内に、顔出します。有難う。」

 M氏とは、10年以上のお付き合いである。人の好さ・責任感の強さ・優秀さに付け込まれて、小汚ない連中に胡坐を掻かれてしまうのが、浮世・娑婆の嫌な側面である。得難い好人物は、M氏にしろ、Tにしろ、生活が成り立つのなら早い処、柵(しがらみ)社会から足を洗った方が、よっぽどリラックスした人間らしい日々が送れると云うものである。好人・善人は、柵の無い生活の中で、其々の持ち味を滲ませてくれる方が、余程様に為ると云うものであろう。
< Mさん、もう少しだ。目を瞑れば、日々は刻々と流れて行く。頑張れちゃ・・・>

 バタバタしている間に、散歩の時間が夕方に為ってしまった。外に出ると、恐ろしく寒い。これでは必死に歩かなければ、風邪を引いてしまう。少しばかり歩いた処、気が萎えてしまった。仕方が無いから、短距離を走って誤魔化す事にする。よたよた走っていると、先日会った<とうちゃん>が、土手の上を歩いて来る。「お~い、父ちゃん。」と、声を掛けて河川敷から上がる。
 歯医者に寄ったから、本日分の万歩散歩が後回しに為ったとの事である。何処まで行くのかと聞くと、〇〇橋までとの事である。それでは、一人では淋しかろうとお伴をする事にした。昔話・近況を交換していると、難無く折り返し点に着いてしまった。町会副会長に詩吟の会の副会長、俳句短歌の会の世話役、盆栽までこなす毎日であると言う。

 為るほど、役目と趣味を継続させる人は、まだまだ張りがある。容貌は大分衰えたが、充実した75歳の父ちゃん振りである。帰り道であるから、現在の私の趣味・日課の文作・下手絵を見て貰う事にする。流石に俳句短歌の世話人さんである。字面を追って行く目の速さは、大した物である。絵も面白い味があるから、埋もれさせて置くのは勿体無いとの仰せである。如何だと言われるから、現在のブログ投稿で、自分の実力は十分自覚しているから御心配には及ばずとお答えする。何かの折に、仲間の親睦会でRさも、元気で遣っていると話題を提供して下さるだけで、結構ですよとお礼を言う。玄関の金華鳥にも興味を持たれた様子であるから、奥さんの許可を条件に、里子に出す事にする。

 旧知の人と、思わぬ所で顔を合わせ、昔話の彼是を交わせると云うのも、楽しい物である。皆、其々のマイペースの生活を送られている由・・・好い事である。

心何処ーショート 遺憾にして、いざ行かん。
              遺憾にして、いざ行かん。(5/14/09)
 遺憾いかん、新鮮な空気の中での金魚・グッピィの彩りに満ちた舞いを見ていても、何やら、<夜這いの夏祭り>に見えて来る。さしずめ、紅白の尾ひれの長い流線型のコメット達は、男の若衆組で、四つ尾をヒラヒラ・フリフリさせて擦り付き泳ぎをする流金達は、娘・後家・カカア衆と云った風情である。狭い水槽には、鎮守の森為らぬ憩いの水草の緑も御座るから、真に始末が悪い。紫煙の燻りに、山間の小村為らぬ小世界の住人達の一つ一つの顔を、じっと覗き込んで居ると、何やら、人間語が聞こえて来る。

<ちょいと、其処の若衆さん、外は暑かったでしょう。井戸の冷たい水で、渇いた喉を潤して、木陰のこの部屋で涼んで行ったら、如何かしら・・・  私は見ての通りの田舎の在所暮らし・・・ 偶には、町の艶ぽい男女の噺でも聞かせておくれでないかぇ。さぁ、遠慮はいらないよ。亭主は、里に行商に行っているんだもの・・・ねぇ、ちょいと、其処のお兄さんたら・・・女のアタシに、恥を掻かせる程、初じゃ無いでしょうに、・・・ おほほ。>

 朝っぱらから、金魚を相手に、こんな戯言が浮かんで来る様では、私の脳細胞も一巻の終わりである。『全く、とぼくれた金魚ども』である。

 苦いコーヒーをトクトクと入れて、心頭滅却をする必要がある。私には、免疫力と云う物が皆無なのであろうか・・・ 物臭バカが為れぬ読書をすると、すっかり薄い脳味噌が占拠されてしまったのであろう。こんな事では四六時中、妄想のお時間にとっ捕まえられていては、衰え萎える男性ホルモンが、一気に枯渇してしまう。

 ぼ~としていると、開け放った窓から、爆撃機の様な不気味な羽根音で、オオスズメバチが部屋を旋回して行く。大昔には、運動神経が機敏であったから、これ幸いとばかりに、手元の紙を丸めて叩き落とす事など、いとも簡単に出来た。
 それが今では、<たいてのこらさ>のロートルクマ男の様である。叩き落とす事に失敗したら、それこそ、オオスズメバチにとっては、<猪口才なロートル人間、返り刺しにしてくれるわ。>である。同居人は、動けぬ老母一人である。

 とどのつまりは、呆気なく逆襲されて、あのご太い毒々しい黄色と黒のツートンカラーの腹を曲げられ、ブスリと針を刺され、力む太っ腹をモゴモゴされて・・・猛毒を血液に送り込まれて、敢え無くあの世行きである。
 想像から、導き出される唯一の方法は、専守防衛に徹して、<くわばらくわばら>と、頭上の短躯グラマン様を、遣り過ごすばかりである。為るほど、憲法9条は由々しき一カ条である。

 こんな雑多な盲想に取り付かれていては、飛んだ災難に出喰わすか? 分かった物では無い。精々この辺で、きっぱりと感化されてしまった妄想とは決別しなければ為らない。1200円で、二日楽しめたのであるから、何の不足があろう。君子危うきに近寄らずが、長生きのコツ・ロートル賄い夫の務めと云うものである。

 さて、朝の始動開始と致しまする。

 体調の戻った母は、品良い美形振りである。台所で用意する私の動作を勘定に入れて、私の湯呑にお茶を入れる音がしている。鯵の干物を焼きながら、小鳥達の朝のお食事のお世話である。食後のテレビを見ながら、言葉を繋いで母上のご機嫌伺いをした後に、万年床を上げて布団の日光浴である。さてさて、部屋の掃除に取り掛かろうとして居ると、ヤクルトママさんの来訪である。
 座布団と巣立ちヒナの籠・下絵ファイルを持って、暫しの歓談である。肉付きの好い太腿に、目の遣り場を逸らせて、本日は平均的日本人と平均的中国人との比較論行を話のタネにした次第である。

 やれやれ、物臭ロートルは、意識・意欲を中断されてしまうと、仕切り直しに時間が掛ってしまう。母と比べると、雲泥のピチピチ度である。嗚呼、きっちゃの心境が、手に取る様に分かる。これまた、遺憾いかんの不始末である。全てを払拭して、部屋掃除の鬼と為らねば、仕事は貫徹しないのである。いざ、出陣!!である。

心何処ーショート 久し振りの語らい
               久し振りの語らい(5/12/09)
 風呂から帰って、久し振りにTに電話をする。すると、
「11時頃、電話したんだけど、如何したや?」
「おっ、そうか、悪い悪い。風呂に行ってたんだよ。」
「朝から、温泉浸かりか、お公家さんみたいな優雅な生活じゃないか? 好いねぇ、近くに温泉のある環境は・・・」
「そんな事言ったって、歩いて1分のイトーヨーカドーてな訳には行かんわな。一長一短さね。」
「連休も終わって静かに為ったから、穂高神社の御船祭を、雨が降らない内に、見に行こうと電話したんだよ。」
「そうか、じぁ、俺が行くわ。」
「雨が降りそうだぞ、車で来るか?」
「いやいや、車乗ると癖に為る。合羽があるから、自転車で行くわな。」
「お互い歳だぜ、ボッチラボッチラ来ましょ。じぁ、待ってるわ。」

 最近作と下手絵ファイルをザックに入れて、自転車に乗る。曇天の空の西には、薄い空が顔を覗かせている。途中、ライオン堂でDVDを覗いて行くが、好い物が無い。ムシムシする気温である。街中には、大輪の赤・ピンク・白・紫と云ったツツジが咲き乱れている。紫のライラックスも、香りを運んでいる。本日の街中のおネェーちゃん達は、肉付きの好いジーンズのヒップが、プリプリして歩いている。カレー専門店の横を通り抜けると、カレーの匂いでムッとした。遺憾いかん・・・新緑・花の色々と香りとは、ミスマッチの臭いである。
 駅前からは、裏道・横道を進む。コンピューター学校の辺りに来ると、その学生達の一団とすれ違う。眼鏡の学生が結構いる。彼等の瞳の力無さに、唖然としてしまった。

 ナンジャラホイ・・・若者らしい目の輝きが、丸で無いではないか??? これでは、将来が危ぶまれる。金玉付けてるんだろうが、シャキッとせいや!! 中性化して行く日本の若者の性根を叩き直すには、<日本の伝統、夜這い>を復活するしか手立ては無いのでは無かろうか・・・ IT社会とは、困った精神の侵食文明である。

 Tの家に着くと、父上が炬燵に当たって居られる。直ぐ分った様子で、手招きをして居られる。Tは、二階の自室に居るのだろう。勝手知ったるTの家である。ずかずか上がって、ザックからファイルを取り出して、目の前にポンと置く。
「まぁ、見ましょ。」
「どれどれ。」
 父上は、傍らの小物入れの袋から老眼鏡を取り出して、掛けると真面目一辺倒の顔を為されて、ホゥホゥと頷きながらファイルを捲って行かれる。

「Rさんは、学校出てるわね。じゃなきゃ、こんなに確りした絵は描けんぞよ。」
「何を言ってるだい、倅と同じ高校ですわね。」
二階から下りて来たTは、「コーヒーで良いかな。」と紙コップ付きのインスタント・コーヒーを二つ置いて座った。まだまだ、細い体付きである。

 熱心に見入る父上は、我々の眼からは90を超えたご老人である。ご老人も90を超えると、実に他愛もなく可愛く映る物である。例によって、父上の手提げ袋には、思い付いた短歌のメモと絵がマジックで書かれている。それを引っ張り出して、私にニコニコした顔で、メモ紙を手渡される。私に渡すと、小学生の低年児が<先生の評価や如何に!!>と云う様な照れと喜々たる表情を浮かべて居られるのである。老人は、子供に還るの雰囲気満載なのである。

「Rさん、如何だいな? ウヒヒ、ちょっと読んどくれや。」
父上は、飛行機乗りだったから、少し耳が遠い。大きな声で読み上げて、
「親父さん、此処の行は、此処へ持って来ると、短歌にアクセントが出るんね。」
父上の涎を垂らさんばかりの喜び顔を、一人息子のTは、コーヒーを啜りながら方無しの緩み放しの親父の態度をニヤニヤと観察しながら、悪態を言うのである。
「R、無駄事、無駄事、自分の言いたい事だけ喋ってるんだから、会話は成立しないんだよ。放っとけ。真に受けちゃいけねぇ。」
「ワシも、絵を描いて見たい気は、一杯あるんだけど、ちぃ~とも、手が言う事を聞かんで困っとるだいね。Rさんは、才能だね。ワシも練習すれば、近づけるかなぁ~。」
「そりゃ、大丈夫だんね。俺でさえ、絵が描けるんだもの。でも、親父さん、広告の裏じぁ駄目せ。100円ショップで、画用紙と色鉛筆・絵具を買って来なきぁ、ダメだんね。幾ら悪戯絵・下手絵でも、真剣味が無きぁ女は口説けねぇずらい。あぃ?」
「ワシは口説くのは巧かったずらが、手先が不器用だった。」
「そうじぁねぇずらい。親父さんの時分にぁ、子供組・若衆組があったずらい。何しろ、<夜這い文化>が残っていたずらい。」
「ワシは、軍国少年で、飛行兵に為りたくて、幼年学校入って、朝から晩まで往復ピンタで扱かれていたから、筆おろしも遅かった。やぁ、クーニャンは、綺麗だった。」
父上は老眼鏡を外して、瞳の先に思い出を訪ねて居られる様な表情である。それを、Tは飽きれ顔の冷たい目付きで、ひと言言うのである。
「これ、爺っさ、今日の散歩行って来ましょ。」
「おっ、そんな時間かよ。」
       父上は、スイッと立ち上がって部屋を後にされた。

「まぁ、とぼくれた爺っさでさ、見てて見ろ。お洒落してイトーミーカドー行って、2時間は帰って来ないから。お袋の見舞いは、腰が痛いとか足がふら付くとかオンジョ抜かして、行かなかったくせして、・・・おっ、出て来た。ほれほれ、なぁ~、面白いだろ。」
 
 為るほど、父上はご立派である。下り目のピシッと決まったズボンに、白髪を油で撫で付けた格好で、矍鑠とした歩調で歩いて行かれる。私のクマ男振りとは、雲泥の違いがある。

「なぁ~、遣り切れねぇぞ。自分勝手な爺っさで、あれで色気だけは一丁前なんだもの。<腹減った。今日は何を食わせてくれるだや? 風呂入る。寝る。>と、来やがる。完全に、お殿様だぜや。コン畜生、糞爺っさもんだぜさ。耳が遠いから、会話が成立しないから厄介だ。頭に来る時は、完全に無視して遣るんだ。ざまぁ見やがれってものさ。アハハ。」

 父上の目の散策ご出立で、二人だけに為ったリビングでは、早速、仕入れたばかりの<夜這い>の受け売り講義が始まった。

 一応の講義を終えた後は、お互いの<おおぅ、そう云えば、こんな話も聞いた事があった。そうかそうか・・・為るほど、『夜這い学』を当て嵌めれば、ドン・ピッシャリだわな。>・・・そんな話を交わしていると、Tの奴は、並々と梅酒を注いでくれたものである。梅酒は口当たりが良くて、その癖、強いアルコール分と云う概念に乏しい飲物である。知らぬ内に、口が滑らかに為ってしまった。遺憾いかん・・・私は酔いが回ると、拡大解釈を得意とする『妄想推理が趣味』と為ってしまう帰来がある。
 
「10年、15年早く生まれていれば、違った人生を歩めたかも知れん。歴史に、正史と稗史(はいし)有りって事だから、当然に民俗学にも白足袋と裸足の民族学があって、当然だわな。スケベ話・呆け話に徹すれば抱腹絶笑なんだけど、これを戦国時代の出兵構造に応用すると、成程と思われて来てさ。主だった武士の中核は、その土地の郷士だわな。郷士の束ねる頭数の総数が兵力だわね。人数的に云えば、その大半は領地の農民兵だわな。集落の若衆組が、その主たる構成員だ。若衆組の面々は、子供組からのトコロテン組織だ。子供組・若衆組は、平時の遊び仲間・夜這い仲間だと云う事だろうが。
 考えて見りぁ、その核心たるや、神妙な神事・筆おろしに始まるマラ兄弟の仲って事だ。スマートに云えば、古代都市国家のスパルタみたいなものだわさ。義兄弟とマラ兄弟と為っちゃ、共有意思が働くってものだ。一致団結の絆も太くならぁな。」

「R、好いねぇ~。これからは、教養のお時間だ。もっと遣れや。どうせ、自転車だろ。今日の授業料は、梅酒で良いずら。どんどん遣れっちゃ。」

 心許した友の煽てあおり行為にトコトン弱いのが、牽かれ者の哀しさである。

「<菊と刀>の恥の文化は、意外とそのルーツを「子供組・若衆組の夜這い共同体」にまで、遡る必要があるかも知れんぞ。人間なんて代物は、主義主張だけの大義名分に、命は賭けんだろうが・・・人心の求心力なんて綺麗な戯言よりも、快楽に根ざした秘密の共有の方が、功を奏するじぁないだろうか。何しろ珍と万は、相性が好過ぎる。人間如きの考えで、到底太刀打ち出来るものじぁ無かんべさ。」
「そりぁ、そうだ。一度、味をしめたら、病み付きに為る。立たなくなったって、イトーヨーカドー回りで、霞為らぬフェロモン嗅ぎは、立派な回春作用だもん。しゃーない。」
「高校での通学区のコンパが、田んぼの中にポツンと一軒だけ立つ田舎の公民館で行われた訳じぁあるまい。高校生が、タバコを吸い、酒を回し飲みして、春歌を大声で歌い、女の話で夜を徹してギンギン、おまけに射精大会なんてゴタ騒ぎをしていたんだわさ。」

「村に青年団・消防団あり。海外旅行に、団体買春行動あり・・・etc この行動心理の裏にあるものは、結局は<日本の伝統的夜這いの譜系>だわね。昔の公民館は、お寺に神社だった訳だし、神社のご神体が男女の性器だったって事なんか、幾らだって残ってる事だし、伊達に神社には『鎮守の森』がある訳でもあるまい。
<神聖と隠匿>は紙一重にして、表裏一体の側面もあるわさ。存在意義とは、大々にして利用価値と同義と云う事もある。利用価値の無い物が、廃れて消滅するのは、当然の帰結だわね。ヒンズーから生まれた仏教も、気が付けば本家本元でも、ヒンズーの大海に呑み込まれてしまったと云うインドの例も、有らぁね。
 人間の理性と感情・快感を秤に掛けりゃ、快感・日常に偏重・埋没するのが世の常。利・理の勘定・イデオロギーなんてものは、所詮、可変的要素でしかあるまい。不変なるものの一つには、肉体の快感があるのは、紛れもない事実だぜ。世の中、白足袋と裸足を比べりゃ、裸足の方が圧倒的多数だわさ。女の足指だって、立派な性感帯だわね。足袋を履いて居たんじぁ、快感に痺れる事ぁ出来んわさ。」

「そりぁ、そうだいなぁ~。お説ご尤も。こんな事は、R大先生の講義でしか聞けねえもの。お前は、道・職業を誤った。大学の時、俺が詐欺師・女の紐に為れと勧めたのに・・・素直に俺の言う事を聞かないから、えらい道草を食ったもんずらよ。馬鹿に付ける薬無しとは、Rの事だいな。反省しろ。もう、手遅れじゃい。
 俺も、何かライフ・ワークを探さなくちゃなぁ。時間は、腐るほど有る。本位は読めるが、お前みたいに文章は書けないし、そうかと言って、絵も描けん。自分に合った得意な物を見付けなきゃ為らん。困ったぃなぁ。」
「馬鹿こけ、Tには、スケコマシの大才能があるじゃないか。強欲な事を言うな。」
「いえいえ、アナタ様には敵いませんよ。それに、未だ虚弱体質から脱却出来んわね。飲みに行きたいって言う気持ちが起こらんもの。えらいこっちゃ。」

 Tは、ディック・ミネの様な貫禄のある顔で、言葉とは裏腹な目を白黒させて、おどけた表情を作って見せている。困ったドスケベ人間である。

「おうおう、そう云えば<きっちゃ>は、如何なんだい? えらくTの事を、進歩の無いスケベオヤジだと評価していたぞ。」
「進歩が無いと云うのは、永遠の青春って事だべか? 座布団三枚かい? イッヒッヒ。きっちゃかい、ヤツは俺の上行ってるよ。彼女が居て、ルンルン気分だぜや。ヤツと話してると、女の話ばっかだぜ。ありゃ、根っからの好き者だわな。」
「外人さんかい? フィリピン女の口車に乗ったら、不幸が目前だじ。」
「ああ、ヤツは日本人専門だから、心配ない。それに、飛行機を信用していないから、国内遊び専門。」

 如何やら、類は類を呼んで、友をチョイスするものらしい。何が名門校である事か、単なる色事に迷えるバンカラ高の顰蹙口の様である。
 さてさて、帰りは上り勾配である。ほろ酔い走行では、息が切れる。主業務の賄い夫のお時間である。帰るべし、帰るべしである。嗚呼、ストレスも解消、持つは心友である。有難や有難や。

心何処ーショート ロートル読書感想文
              ロートル読書感想文(5/12/09)
 遺憾いかん・・・ 台所仕事をしていると、無性に、八当たり・大声を発したくなる衝動に捉まってしまう。介護のストレスが、頂点に達している。爆発させてしまったら、一巻の終わりである。こんな時は、逃げるが勝ちである。
 食料の調達を口実に、自転車に乗る。先ずは本屋に入り、時間を掛けてDVDコーナーで物食するが、買う物は無かった。次いで、書籍エリアに時間を潰す。養老孟司先生の<読まない力>と赤松啓介氏の<夜這いの民族学・夜這いの性愛論>の二冊を買った次第である。何しろ、赤松氏のタイトルが決まっている。この位の本を読まないと、インテリの名が廃ると云う物である。

 遅い昼を買って来たもので済ませ、早々に自室に入り読書に当てる。養老先生の本は、読み易い200頁弱であるから難無く読み切り、次は、本命の赤松氏の本である。
 
 いやはや、面白い。氏は戦前・戦中は、共産党員で、収監された幹部の易い自白・仲間売りに嫌気がさして、戦後はあっさりと足を洗い、柳田國男の<白足袋の民族学>とは、対極の自転車行商の傍ら、『見た、遣った、聞いた。』から構成される<夜這いから見る民族学>に一生を捧げた市井の民間学者の一人であるそうな。文庫本300頁強の分量で1200円の力作?・珍作?・実践作である。随所に会話体の夜這い体験記・見聞録が、全編に亘って散りばめられているから、恐れ入谷の鬼子母神である。1909年生まれの2000年没の御方である。

 社会学者・フェミニストでお馴染みの上野千鶴子氏の解説は、これ又、一読の価値がある。<赤松さんの本の中で、私がやられている部分がある。「形式論理的にパーツと二つに分け無ければ気がすまんような学者である。」・・・80代でお会いした赤松さんは、肌のきれいな小柄なおじいちゃんで、若い頃はもてただろうな、と思わせる男性だったが、かれに、女の方から男を評定する基準について聞いて見た時には辟易した。「なんというても、もちもんですわな。」それから彼は、かりの張り方や大きさ、硬さについて、とくとくと語り始めたのだ。赤松さんもペニス神話の持ち主なのか・・・おっさんやなあ、というのが、その時の私の感想であった>・・・解説一部抜粋。

 本を読んで居ると、色んな事が見えて来る物である。渡辺京二氏の<逝きし世の面影>の隙間を<夜這いの民族学・夜這いの性愛論>が、パズル絵画の様にピタリと嵌め合わせてくれるのであるから有難い。
 男女の性愛などと云う物は、建前の世界からは中々に見えて来ないものである。特に宗教・倫理・法律の下では、どうしようもなく隠されてしまう側面である。本音と建前の齟齬は、古今東西を問わず地下水の様に、滔々と流れているのである。イタリア・ルネッサンスのデカメロン、十字軍の貞操帯、イスラム世界の千夜一夜物語、中国の金瓶梅・・・etc こんな事は、養老先生の<読まない力>に感化されるまでも無く、砂漠・アスファルト砂漠・ビルジャングルの下にも、滔々と流れている人間共通の地下水脈の様な物である。

 私の小世界を例にとっても、山辺の湯に浸かれば、和製ニカウさんが近付いて来て、小学生時分からの土蔵話にも為り、場末のスナックでは、昭和20生まれ様が、コンニャローの呼び水・誘い水・本気水談を開示為される。考えて見ると、開国・文明開化に明治政府が躍起と為って、『西洋人の目には、奇異に映った性風俗の開放風俗・風習は、近代化の障害』と考え、<夏の女性の行水・混浴>を禁止した訳である。
 何しろ昭和の30年代にあっても、場所によっては依然と伝統文化の夜這いの風習が残っていたとの事である。赤松氏は、その実践者の一人であった筈である。私のDNAの中に、その伝統文化の残滓が点っていたとしても、何の不思議があろうか・・・と云う物である。戦後教育世代の私などは、若い頃スエーデンのフリーセックスに、大いに憧れを持っていた物である。
 然しながら、現在、目を通している白足袋の民族学ならぬ<裸足の民俗学>に依ると、我が祖国こそ『村社会の会員制フリーセックスの先進国』であったのである。其処で幅を利かせる物が、ペニス神話とも為れば、不肖吾輩の独壇場であったかも知れぬ・・・ウ~ム、残念なり!! 如何やら、私は生まれて来る時代を間違えてしまった様である。

 返す返すも、・・・ とほほの極みには違い無かろうが、何時まで続くブログかは知らぬが、内なる夜這いのDNAの咆哮に呼応して、<人間性復活>の文作を更新して行こうと考えた次第である。いざと為れば、妄想文学のジャンルもあろう・・・

心何処ーショート 下手絵に向かって、漫才。
           下手絵に向かって、漫才(5/11/09)
 下手絵ファイルも、結構、描き足されている。ページを捲っていると、女絵に、ウクライナのライオン娘が無い。これは、拙い事である。日本での白人美形との疑似恋愛の先鞭を付けてくれた女性である。何しろ<ウクライナ・トライアングル>と云う一編を打たせてくれた美形さんである。恩義を蔑にすると云う事であっては、礼儀の国に住まうロートルとしては、甚だ宜しくない。夜の部、心機一転させて、お絵描きタイムとする。

 二度目の出稼ぎの時に写真を送れと書いたら、早速送ってくれた写真を基に、絵を描き始めた次第である。写真は、彼女が千葉で働いていた当時の物である。綺麗ではあるが、疲れ切った表情の写真である。写真とは、撮り手次第で表情が変わって来る。私が撮った写真は、露出の失敗で好い表情であったのだが、まっ黒けで写真とは為らなかった経緯がある。多分、そんな経緯で<最大の恩人>に対して、不覚の不義理をしていたのである。

 国ではモデルをしていたと云う彼女は、溌剌としてキュートな弾むような美人であった。然し、生意気この上ない物言いが、様に為っていた。来日当時は20の生意気盛りで、ポンポン覚え立ての日本語を喋るので、私は年甲斐も無く舞い上がってしまった物である。頭の回転が素晴らしかったから、漫才コンビを結成した様な物である。身長は160cmで、未だスマートな身体をしていた。好き嫌いをはっきりさせて、ポンポン口に出す性格は、実に傑作なエピソードを幾つも残したくれた。

 触り魔の性癖をマッサージで誤魔化したら、<オウ、キモチイイデス。モット、オネガイシマス。>の有難いお言葉で揉みに揉んで、何時の間にか、それが奉仕の課業と為ってしまった物である。彼女にゾッコンと為った客からの携帯電話の提供を好い事に、毎日此方に電話をして来て、当初の目論見が外れて男は、スッカンカンの態で携帯を取り上げられてしまった彼女は赤い舌を出して、その責任は<アナタニ、アル>と言って、携帯を買わされてしまった。

 鉛筆の下絵が出来て、色付けをして行く。唇の赤は、如何にか失敗は免れた。後は『画竜点睛』の仕上げである。失敗したら、元も子もない・・・怖いので、眉毛・目を残して、暫し小休止である。安全牌を取って、色鉛筆で仕上げる。遣った!! 『成功』である。

 ホステス恒例の<サヨナラパーティ>は、照れ屋の私には出来なかったから、事情を話して前に顔出をして置いた。その日は、執拗に何度も電話が鳴ったが行かなかった。それを、ライオン娘は根に持っているとの事で、一緒に温泉プラザに連れて行ったホステス仲間が、店に二度目の出稼ぎに来た時に<N、今、日本にいる。サヨナラパーティの事、今でも怒っている。Nの電話番号教えてあげる。店は、二時に終わる。アナタは、直ぐ帰って寝る。目ざまし掛けて、二時に電話する。OK?>と店を早々に、追い返されてしまった。二時に電話をすると、

「如何して、アナタは、サヨナラパーティに来なかった。私、今でも凄く怒っている。」
「風邪でも引いたか? 魔法使い見たいな声してるじゃないか。」
「お店で、お酒いっぱい飲んだ。これ、私の仕事。元気ですか、ウフフ。」

「相変わらず、好い女遣ってるか。日本の男を騙すんじゃないぞ。ハハハ。」
「私、今、凄いブス。アナタの悪く言った大きい鼻の手術した。手術失敗した。だから、鼻無い。穴だけ開いてる。アナタ、私見ても、分からない。私、可哀想ですね。口も失敗した。デカ~イ。それに、太くなった。誰も私を見てくれない。アハハハ。今、私、凄くブス。皆から、凄いブス、生意気と嫌われてる。」
「ほぅ、そうか~、可哀想だな。俺の知っている好い女は、消滅しちゃったか・・・」

「アナタ、何言いますか。私、千葉でもNo1ですよ。覚えていますか? アナタは、私に言いました。<好い女、顔きれい。頭好い。心正直。これ、好い女の三拍子。> 
 Rさん、大丈夫ですよ。私、好い女変わっていないです。これで又、毎日電話出来ますね。私、生意気・煩い女です。これは、全然、変わって無いです。
 でも、しょうがないですね。アナタ、ロシアの女好きになった。これ、ロシアン・スタイル。アナタ、可哀想ですね。
 私、未だ、本気で怒っています。アナタ、その罪滅ぼしで私に、毎日電話する・・・好いですね。アナタも相変わらず、カッコ好いですか? アゼルバイジャンさん。もっともっと、話して下さい。お願いします。Sから電話貰いました。ず~と、二時待ってました。私、優しいでしょ。アナタは、好い人です。アナタ見たいな人居ないですよ。でも、今度会ったら、きっとパンチしてキックします。ロシアの女は、怖いですよ。」

「Nは、好い女だけど、本当に煩い女よ。ホステスは客商売だから、少しはセーブしろよ。いっぱい稼いで、早い処、足を洗って国で幸せに暮らせよ。如何だ、相手が居ないなら、俺がウクライナでハズバンドするかい?」

「アナタ、私のパパの歳でしょ。アナタ、ポリスに逮捕されるでしょ。相変わらず、おバカちゃんですねぇ~。」

「外では、日本のパパさん。ベットでは、ハズバンド。オールナイト、ヘイバーへイバーって、手もあるだろう。黙ってれば分かりゃしないよ。」
「オゥ、アナタは相変わらずのNo1スケベちゃん。私、ベットの声、凄く大きい。アナタ、如何します。それに、私は、ベット大好きです。」
「日本の建材は遮音構造で、声は外部に漏れない。大丈夫、任せなさい。」
「私、若い。エネルギッシュ。私、肉モリモリ、アナタ、フィッシュでしょ。私を満足させられないでしょ。ウフフ。<エ~、ちょっと待って下さい。思い出しました。> アナタ、白旗上げて、降参して下さい。私、頭好いでしょ。アナタの教えてくれた言葉、いっぱい、いっぱい覚えています。アッハッハ。」

「馬鹿こいちゃいけねぇズラ。日本は、ウタマロ、四十八手のお国だぜ。加えて、俺の持ち物は、国際規格のISOの認可証付きだぜ。ウクライナの嘴の黄色いライオン小娘なんぞは、軽く下から突き刺して、喉からスキンヘッドだぜ。串刺しで、軽く退治してやらぁな。綺麗に磨いて、待っていやがれ。」

「オゥ、イヤラシイ~。アナタ、やっぱりクレージー。今度、会ったら、勝負しましょう。私、頭好い。忘れない。OKね。アハハ。」
「何を小癪なライオン娘。あそこに手を当てて、<痛い痛い>と泣いて謝ったって、許さねぇぞ。そう云う時の俺は、鬼に変身するんだわさ。」
「何よ、途中でフィニュシュしたら、お尻ピンピンして、噛み付きま~す。覚悟して下さい。私は、アナタの事、ぜ~んぶ、知ってる。アッハハ。日本にいる間に、松本に行きます。待っていて下さい。電話、有りがう御座います。元気な声で、変わっていなくて、ありがとう。嬉しかったよ。漫才出来て、楽しかったよ。お店に行かないで下さい。お願いします。明日も電話下さい。四時過ぎが好いです。早く寝て下さい。<じぁな。>」
 
 遺憾いかん、仕上がったライオン娘の絵を見ていたら、とんでも無い妄想が、噴出してしまった物である。世の中には、本当に碌でも無い事を妄想して、鼻の下を伸ばして現を抜かしているロートル男もいる様である。
 世は100年に一度の大不況。こんなノーテンキなロートルを大量に抱え込んでは、国威・国力発揚の大悲願など、到底期待出来様も無かろう。
 せめてもの救いは、この会心作も容量オーバーで未投稿の沙汰が下りたと云う事であろう。これも、有難いお天道様の思召す処であろう。目出度し目出度しである。

心何処ーショート オイラも日曜日
                オイラも日曜日(5/10/09)
 布団に入っても眠られず、世界史の続きのページを大分捲ってしまった。消灯したものの、眠られず、ビデオ、DVDコーナーに向かって、暫し腕組である。結局、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレンの<ひまわり>を観る事にした。

 この映画の名作振りは、言うまでも無い処である。何度も見ているので、映画全体から来る感動と云った物も勿論であるが、親しんでいる映画と云う物は、ストーリー展開・クライマックスに誘う途中途中の胸を擽り・熱くする幾つかのシーンを観るのも好いものである。然しながら、流して見れば良い<従の流れの中>に、寛いだ視線を送るのも一興である。

 二人のデート・結婚・遣り疲れ・兵役逃れの猿芝居・あっさりバレてのロシア戦線送りの前ストーリーが、実に面白かった。これは、多分に私が歳を取って、自分の過去にダブらせて若い頃を振りかえっている事に、経験者としての<面白さ>があると言って好かろう。
 
 兎に角、スケベの国・イタリアの男女の仲である。ご立派な胸・大腿部を惜しげも無く開放して、所構わずチュッチュッの盛り模様である。浜辺のボートの陰、林の茂みの陰、ベットでのチュッチュッ振りは、飼い鳥金華鳥顔負けのオスとメスのチュッチュッの盛り交換と全く同じである。

<この野郎、頭を冷やせ。バケツで頭から水をお見舞いしてやらっか!!>てな物である。

 こう云ったシーンでの名優・マストロヤンニの手付きが最高なのである。彼の口と右手は、一直線に連動している様で、右手はローレンの豊胸に吸い付き、弄るのであるから、真に<性質が悪い>の一語に尽きるのだが、それを跳ね除けたり、許したりする炎の女・ローレンの女の仕草満点の<応演>が、実に様に為っているのである。恋人同士の、この憎めないシーンの重ねは、正にスケベ天国・イタリアならではのものであろう。西洋と東洋の違いをまざまざと見せ付ける、羨ましい限りの成熟男女のアッケンカラリとした交歓シーンである。
 
 この手法への開眼・応用が出来るまでには、私は一体何十年を費やしたのか・・・ 実に慙愧の絶えない処であった。これを称して、憎めないドスケベと云うべきものであろう。隙あらば、ローレンの胸を弄るマストロヤンニに拍手喝采をしてしまった次第である。
 
 まあ、そのハチャメチャ・スケベ振りが、映画の後半の男女のシリアスな悲劇を見事なまでに、好対照に浮き立たせるデシーカ監督の伏線であり、実年齢に近い役柄を、イタリアを代表する名優コンビが抑えた演技に、万感の思いを込めて応えているのである。これぞ名画と言わず、何と形容すべきか?である。・・・感涙して見終えたのは、夜の白み掛けて来た頃である。余韻よりも、墜落睡眠の就寝であった。 

 私は生温い倦怠感の中で、初恋のK子とイチャ付いているのである。私の右手は、何度も彼女の胸に伸び、弄ったり、抓られたり、叩かれたりしているのであるが、反省の一顧だにせず、私の手は柔らかな胸に伸びているのである。その内、相手の顔は若い頃の女房、シングルママ、中国美形、韓国美形、ロシアンウーマンとコロコロ変わり、ごちゃ混ぜに為って、胸の柔らかさだけが、手の平の感触と為って伝わっている・・・そんな弛緩し切った感じに生温く包まれている・・・そんな感じがドキドキする訳でも無く、極当たり前の様に、ゆったりと続いているであった。両手に花の快感オンパレードであるが・・・ 
      <そうじぁ、あるめい。これじぁ、俺は果報者過ぎる。>

 時間が時間であったから、本番に移って夢速射運動に及んで、有らぬ寝言連発をしようものなら、朝の賄い夫としては母の前で赤恥を晒すと云うものであった。夢の中でも、この様に、芯は確りしている処が、私の特技にして<奥深い>処なのであろう。結論としては、無事・無傷の、夢からの生還であった。

  う~ん、名作とは、正に現実と夢を運ぶ生き物・・・天晴れの段である。

 朝から暑い日である。籠った寝気を一掃する為に、窓・戸を開け放す。四畳半のカーテンを開けると、燦々と降り注ぐ太陽光線に、水槽の水草からは、幾筋もの気泡が立ち昇っている。目で見る植物の活発なる光合成の様である。水槽に満ちる生き物達の光の乱舞に、始動前の一服を付ける。水槽を飾る二代目の金魚達は、同じ大きさであった筈なのに、何時しか、すっかり個体差が顕著に為ってしまったものである。

 朝の鳥籠住人達の世話をする。昨日、藁巣から出た第一号は、懲りて巣の中である。この一週間ほどで、二羽のヒナは巣で過ごす時間よりも、外で過ごす時間の方が多く為る事であろう。お祝に庭に回って、ハコベの差し入れをして遣る。
 
 本日、日曜日、夜までは見るテレビも無い。退屈に為れば河原に下りて、暇潰しのハヤ釣りでもすれば好かろう。本日分の日記を打って居ると、おやおや、先ほど巣に出て、漸く巣に戻ったヒナが、巣の中はむさ苦しいのであろう・・・ 巣から、あどけない顔を出している。釣られてもう一羽の黒い嘴も覗いている。

 共に四畳半で、其々の日常をこなす同居人である。其々がマイペースで、時を常重ねるが好かろう。本日、日曜日、喧噪の人間社会を結ぶ無粋なラジオは、付けずに置こう。熱い空気に、幽かな風が花の香りを運んで来る。此処には、静かな風の流れがあるのみである。本日、オイラも日曜日に身を浸すなり。


心何処ーショート ウズウズ散歩
                 ウズウズ散歩(5/9/09)
 さてと、雨は止んでいるから散歩に出掛けるとしよう。雨で家に閉じ込められていると、体がウズウズして来る。最低二日分は歩く必要がある。二キロ程先の田んぼの畦には、群青の菖蒲が植えてある。先ず其処で、菖蒲を見てから浅間温泉のコンビニでタバコを買ってくれば、丁度好い運動量に為る。

 菖蒲は未だ咲かずに、殆ど紫に近い蕾をすっと伸ばしている。私は何故か、こんな時季の菖蒲が好きである。水田には、水が張られている。時たま、頬に雨が当たる曇天の空である。色彩を押さえた絵画を見る様な風情の、背後を住宅で囲われた何枚かの小さな田んぼの畦に、筆ですいすいと軽いタッチで緑の茎葉を引いて、その先にぽっ、ぽっと紫の色を置いて行く・・・そんな日本画の世界が、ひっそりとしてポツネンとある。
 近くには、歯医者、レストランがある。小学校の西に位置するこの辺りは、小学生の頃は一面の田んぼであった。

 体も解れて来たし、川沿いに足を伸ばそうと次の橋に差し掛かると、ぽつりぽつりと雨が落ちて来た。水の張られた田んぼからは、カエルの声が盛んであった。見上げる空模様に変化は無かったが、進めば山が迫って来る。昔流に云えば、アマガエルの声は、雨を呼ぶ兆候である。昨日と同様に本格的に降り出されてしまっては、体解しも無に帰してしまう。雨は、もう、うんざりである。

 引き返して浅間の温泉街に回る。閑散とした通りを歩いて、次は市営球場に足を向ける。球場からは歓声が聞こえ、テニス場では試合が行われていた。背後の山は、柔らかな混生林の緑に包まれている。この一帯の街路樹は、欅である。欅の新緑の色合いが、曇天の薄い光の中で実に淡い緑を呈して目に優しいのである。
 足元の歩道には、蟻達がセカセカ動き回っている。歩道の植栽には、早くも茶色の毛虫がモコモコと動いている。雀がチュンチュン鳴き、ツバメが低い飛翔で飛び去って行く。高校の運動着を着た丸坊主頭の男子生徒が、自転車を漕ぎながら大きな声で話を交わしながら、野球場に向かっている。軽食喫茶では、サラリーマン達が食事をしている。風呂に行く老人が腰を屈めた姿で、ゆっくりとした足取りで歩いて行く。連休明けの週末、静かな町の佇まいである。

 コンビニでタバコを買い、帰路を急ぐ。私の暮らす町内の庭には、家庭菜園のキュウリ、ナス、トマトの苗が、ちらほら植えられている。おやおや、あれは、ジャガイモの葉っぱでは無いか・・・ 花に家庭菜園と★★さんのお宅は、まめなご夫婦である。老後の楽しみに、精を出して居られるのだろう。大分、顔を見てはいないのだが、70代に為られたのであろう。記憶の引き出しは開ければ直ぐ蘇るが、月日の流れとは速い物である。

 明けて太陽の戻った本日、日本列島暑い一日と為りそうである。寝床で聞いていたラジオでは、新型インフルエンザのニュース。水際作戦の成果と言うが、如何なる事で推移して行くかである。餌・水の取り換えの時に巣の中を覗くと、一羽がクタ~として動かない。死んでいる。昨日動きの悪かった一羽であろうか。成長の早かったヒナで、近日中にも巣から顔をチョコンと覗かせる第一号と思っていたのであるが・・・ 分からないものである。
 完全に駄目だと思って居た金魚は、命を取り留め、元気にすくすくと成長すると思って居たヒナが、早死にしてしまった。生き物を飼っている以上、死は避けられない事である。       
          南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。 

    気を取り直して、バケツを持って川の水を汲んで水槽に補充する。

 田んぼの菖蒲のイメージで、蛙、金魚を適当描きして見たのだが、これ又、容量オーバーである。従って、私の秘蔵ファイルに収まるより他なし・・・ まぁ、何時の日か、圧縮の技法を覚えた暁には、一挙大放出のマイギャラリーの運びと為ろう。奥ゆかしさは、恥を未然に防ぐ最良の方途でもある。未発表のお蔵入りであるから、<我田引水の評・・・下手ではあるが、悪くは無い。ウッシッシ。>

 さてさて、家で風呂にも入った事でもあるし、母の入浴中に、買出しにでも行くべしである。

心何処ーショート 或る雨の日のロートル談義
            或る雨の日のロートル談義(5/8/09)
 母の部屋で午後の再放送ドラマを見ていると、玄関で声がしている。斜向かいさんのDVD交換である。<どうぞどうぞ、上がりましょ。>である。

「Sちゃん、好い物を拾って来たんよ。昔と違って、どんぶらこどんぶらこと桃は流れて来ないらしいけど、釣りをして川を渡っていたら、こんなDVDが水の中に、沈んで居てさ。何と何と題名を見たら、<大浣腸女奴隷>と来たもんだ。嬉しくて、魚の代わりにゲットして来ちゃった。川の匂いがプンプン浸み込んじゃっているけど、バッチリ再生出来るよ。」
「ほ~う、昔人間の俺にはピンと来ないけど、このDVDの構造は、凄いんだね。人間の技術の進歩・変化ってものには、付いて行けんわね。濡れても平気、フィルムが無くても写るカメラと来たものだ。浣腸なんてものは、俺の時代から<イチジク浣腸>ってものがあったからね~、へへへ。」
「そうだだいね。夜、早速見たら、これ又、凄い世界が展開していて、加害者の仲間入りしたく為っちゃたんね。被害者に為るのは、<真っぴら御免>だけど、男の欲望は、留まる処を知らずってもんだわね。世の女性には申訳が無いけど、傑作の部類で、涎が出ちゃったわね。
俺がバブルの大富豪だったら、南洋の無人島買い切って、高いギャラを釣り餌に、全世界でオーデション開いて、人種毎の美形をピックアップして、正々堂々と真昼間から、ギャーギャーこいて実演して見たいもんせ。一見に値するショーだんね。へへへ。
 でも頭に血が上って、奥さんに応用したら、<即離婚>だよ。隠れて、イヤホンで見ましょ。男の嗜みは、妄想の段階までにしときましょ。俺ぁ、奥さんに怒鳴り込まれても、責任は一切持て無ぇずらよ。用意周到の算段で見ておくれや。『鶴の機織り』じゃ無ぇが、覗き見されりゃ、コレマタ、変態扱いで家庭での肩身が、狭くなっちまうんね。ギャハハ。」

「へへへ、こりぁ、楽しみだ。Rちゃんの有難い推薦だ。今夜のメーンエベントにするわいな。SM物って事ずらい。どれどれ、ネェちゃん達、綺麗な顔してるじゃん。ギャハハ。」

「釣りって云えば、昨日美鈴湖にヘラブナ釣りに孫連れて行って来たんだけど、全然釣れないんだよ。釣り券が1000円だから、合羽着て<しつこく粘った>んだけど、うんともすんとも無くてさ。粘った挙句が、外来魚のブルーギル一匹さね。孫三人連れて行って、4000円の外来魚のお持ち帰りだわね。面白くないから捕虜にして、雨水溜めている桶に入れてあるけどね。本当に、<たいてのこらさ>って奴で、釣れない時の釣りほど面白く無いものは無いね。100%今畜生だね、川でエロDVDが釣れるなら、そっちの方がよっぽど益しってものだわね。へへへ。」

 この時期、雨降りの池釣りは結構釣果が上がるものなのである。雨に打たれる新緑の雰囲気が好きで、若い頃は女房に変人扱いされながらも、握り飯を持って、美鈴湖のヘラブナ釣りに出掛けていたものである。雨天の釣りは、人が少ないから自然に溶け込んだ気分で、浮きの動きに集中出来る事と、魚の方も用心の度合いが少なく為る様で、結果として釣果が上がると云う寸法なのだと考えていた。
 きっと初夏の様な好天から一転しての相対的現象で、水温が低過ぎたのだろう。釣りと言う物は、兎角、勇んで行くと肩透かしを食らってしまう。遊びの達人であった筈の<爺様Sちゃん>も、退くに退けなかった孫サービスデイに為ってしまったのであろう。男の沽券とは、厄介にして『撤退の決断』を渋らせるものであろう。いやはや、光景を思い浮かべると、同情の笑いの止まらないお話であった。

 先週の貸し出しは、エリザベス・テーラー物であった。Sちゃん曰く、女優さんはこうでなくちゃ、公衆の面前に身を晒しては為らぬとのお言葉である。

「大体、家のカカアとか、ご近所の可愛い子ちゃんの面相位で、何が歌手・タレント・女優だい。笑わせちゃいけねぇゃ。容姿容貌と演技で銭を稼ぐのが商売じゃないの。主演を張る女優さんは、絶世の美女でなくちゃ、シーザー、アントニウスを垂らし込むなんて芸当は出来んずらい。キャッキャッ騒ぐだけの女じゃ、映画・ドラマ見て、見とれるってご利益もありゃしねぇもの。
 そこ行くと昔の白黒映画は、ストーリーの描き方も確りしていて、心に残るものが多い。そこへ持って来て、美男美女の共演と来る。<ああ、映画を見たな>と云う実感が湧いて来るもの。俺もあんな恋愛をしたい、あんな男の生き方をしたい、なんて殊勝な気分になるもの。それに、耳で聞く台詞と違って、字幕の読む台詞って物は、文学的表現が有って、唸っちゃう事があるもの。何てったって、質が高い。
 それを何だだい。キスして、抱き合って、モコモコしてりぁ男と女って事でもあるめいに、流行のタレントか何か知らねぇが、そんな物、端から見る気もに為れんわさ。モコモコなんてシーンは、モロ出しエロの分野でアヘアへしてくれてりぁ好いっちゅうの。そうずらい? 
 世の中、選択の自由、分化・特化のご時世だよ。大衆は、それほどバカじゃないちゅうの。イヒヒって事さね。一般大衆を、見損なっちゃ大火傷を被るってもんさね。

 大衆を愚弄すると、政治家のお偉い先生方だって、これ見たいに、ご太い浣腸しちまうぞって言いたいわね。

 昨日のNHKテレビ見たずらい。35歳に為っても、結婚出来ない男がウヨウヨって事は、男と女の数に、そんなに開きがある訳じゃないから、女も結婚出来ないのが、ウジャウジャいるって事だよ。派遣派遣って、鬼の首を取った様に、企業覇権主義を振りかざした結果が、<一将功為って万骨枯る>の気違い沙汰じゃ無えかい。
 土地転がしで、散々阿漕な真似して、日本をバブル漬けにして置いて、傷も癒えない内に、今度はアメ公の銭転がしして置いて、バブルが弾けりぁ全世界連帯責任かい? 完全に、強欲が天下を握るデタラメコーナーじゃ無いの。おフザケじゃ済まされないぜよ。手前ら、何様だと思って居やがるってもんだぜ。
 日本の時には、土地の立ち退きに暴力団が、お先棒担いで、アメ公の時は、ウオール街・兜町の証券マンと学者大臣がお先棒担いでやがる。粗暴犯と知能犯の違いだけで、立派な犯罪者じぁねぇかい。こりぁ、全世界の一般大衆に対する<万死に値する大犯罪>だんね。それを野郎ども、口先三寸で言い逃ればかりしてやがる。世が世だったら、問答無用の二・二六事件だぜ。
『国破れて山河あり』の心境にも達していない似非政治家・似非官僚・似非経営者なんて輩は、A級戦犯で、絞首刑か秦の始皇帝さんに倣って、<焚書坑儒>にでもしてぇわね。幾らなんでも、そんな物騒な事は出来ネェから、精々一網打尽で、片っ端からふん縛って、公開の大浣腸するしか無えずらい。全部カメラ回して、永久保存版で選挙の度に、大公開するしかアンメイさね。あい? それこさ、ケッケッケのケツの穴ってもんずらい。本当に野郎ども、国民を舐め切って居やがる。困ったもんだじ。」

 本日の貸し出しは、デボラ・カーのコーナーである。何枚か下手絵が加わったから、ファイルを持って来る。ニコニコして、ページを捲って行く。

「好いねぇ、味があるよ。Rちゃんの描く絵は、どれもこれも明るさに満ちている。気持が伝わって来る。見て居て、こっちが楽しくなるもの。見て何かが伝わって来ると云うのは、凄い事だと何時も感心しているんだ。俺も、墨絵を描いてるけど、描こうとして出来あがる訳じゃないもの。こりゃ、才能だわね。」
「偉い褒めてくれるじゃん。煽てられりゃ、俺ぁ木に登る豚だいね。どうだいね。公民館で共同個展でも開いちゃうかいね。」
「しらばくれて、何処かのコンクールに出して見ないかい? 罷り間違えば、先生様に為っちまうかも知れんずらよ。そうなると、敷居が高く為っちゃうけどね。へへへ。」
「やいやい、そんなに乗せちゃダメせ。何てったって、俺ぁ、奥ゆかしい処だけが、取り柄だいね。そんなこっぱ恥ずかしい事は出来ネェわね。俺ぁ、純粋無垢のオボコ娘の心だわね。イヒヒ。
如何したいね? 今日は、えらい少ないじゃん。好い気分にさせて貰ったお礼だいね。ボンボン持って行きましょ。」
「これで、好いだ。少なく持って行けば、その分、此処で一杯お兄ちゃんと話が出来るもの。俺は、それが楽しいだいね。」
「有難う御座います。」

 NHK様も、久々の問題提起をして下さった様である。マスコミの一端を見せてくれた様子である。真っ当な精神の揺り戻しが、早く訪れて欲しい祖国の現状である。
Copyright © 心何処(こころいずこ). all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。