旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート のったり、のほほんと
               のったり、のほほんと(4/30/09)
 いやはや、好いお天気である。午前中のNHKの教養番組が素晴らしかったので、母と付き合う。写真家・画家・彫刻家には、素晴らしい感性と教養の持ち主が居られる。うんうんと頷きながら、私も飛び入り参加の気持ちで、会話をさせて頂いた次第である。
 流石に、本物の眼力を持たされた者達の言葉・文章・写真は一流品であり、それらを語る写真家も感性に基づく深い内省性・思考力も幅広く深く魅力的なものを秘めて居る。彼等は生前、好く語りライバルであった由。真に羨ましい限りの理解度と語り口であった。

 写真家・冒険家・読書家・文筆家のバランスが好く取れて居る感じの故人となってしまった写真家の人物伝である。彼の人物伝を聞きながら、ケビン・コスナーの<ダンス・ウイズ・ウルブス>の映画を思い出していた。スターに為ってからの彼は、ビッグスターとしての商業性が濃く為り始めて余り好きでは無いが、狼と踊る男、フィールド・オブ・ドリームスの二本は、ケビン・コスナーの素地が遺憾なく発揮されていて、私の立派な収蔵品に為っている。古今、洋の東西を問わず、人間の何パーセントかが、共通して持っている感性の一ジャンルを持っている人間達である。

 お天気が好いから、車椅子散歩を誘ったが、頭がボーと逆上せて居る感じだと言う。仕方があるまい。日課の金華鳥ファミリーの観察をする。子供達は、二羽ともメスであろう。妹に当たる方は、母と云うか姉と云うか・・・彼女は、子育てに興味が強い様である。本日は、親を倣って三匹の赤子達を上手に、腹の下に抱えて座っている。そして、驚いた事に彼女は、嘴で巣の中の糞を片付けたりしているのである。餌をせがまれれば、未だ赤く為らない嘴で、赤子にたどたどしくも餌を与えているのである。
 小鳥の生涯の短さ故なのであろうが、小鳥達の成長・学習のスピードには、驚嘆するしか無い。人間から見ると、マッハのスピードである。小鳥にも人間同様の個体差があるのは当然なのであろうが、教育=刷り込みの体験威力と云う物は、物凄いものである。お手本を急速に失いつつある現代社会に在っては、反省・頭の痛い現実である。

 透明水槽の世界は、金魚達の赤・朱・白の魚鱗が冴える小劇場の様な物である。12匹の金魚劇場と端境期のグッピィ小屋では、比較の対象外である。飼い主は性懲りも無い白人美形を見れば、鼻深呼吸のフェロモン吸引者で、その症状は歳と反比例している大戯けである。金魚の輝きに触発されて銭湯へ行った後は、食料買い出しついでにグッピィの補充を考えた次第である。煙草・画用紙・絵具・筆も買うべし。部屋に居ても、寒からず、暑からず、音の無い静かな時間は、私にはちょうどお似合いの空間である。
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心何処ーショート とほほ作業
                とほほ作業(4/29/09)
  先ずは金魚槽からである。小さなバケツに、金魚と水草を掬って入れる。
それにしても、生きると云う事は、排泄行為そのものであるらしい。玄関横の外水道で、スチール束子で、水槽壁面にこびり付いた藻類を擦り落として、敷き砂利を掻き交ぜて掃除である。何度も洗い流して、漸くの洗浄が終わった。今度は、器具の清掃である。

  <ああ、バッチイ、汚い。臭い。ああ、腰が痛い。ああ、嫌だ嫌だ・・・>

 店を広げていると、斜向かいさんがDVDの交換に見えられた。丁度良い、逃避の一服タイムとすべしである。

 さぁさぁ、相手にとって不足の無いロートル男談義のお時間である。先日は、芸能人のフリチンが議題であったが、本日は、豚インフルエンザに見るメキシコ国民の民度についてである。

「マスクの正しい着用って物が、全然行き届いていない。鼻に当てて居る者、口に当てて居る者、喉に当てて居る者までいやがる。湿布薬じぁあるめいに、幾ら喉が痛いって症状でも、マスクは湿布薬、御呪(おまじな)い道具じゃないの。笑っちゃうほど、可愛いもんだわね。

 インフルエンザだから、流行には違いないけど、感染予防とファションの区別は付けて貰わないといけんわね。無料の支給品かも知れねぇが、着用の意味・説明の無さと聞く耳を持たないいい加減さが、咄嗟の場合には蔓延しちゃうんだろうね。説明と理解する態度・躾が、教育の原点と云う事が丸で分かっちゃいねぇもの。こりぁ、笑い事では済まされない民度の問題を突き付けて居るってもんだよ。今時の日本じゃデケエ口叩けねぇが・・・

 バカスカ、バカスカとテレビ・携帯・車が売れ捲ったって、それらを使う人間の質で、とんだ恥知らずな風景が、出来ちゃうか?ってもんだわね。道具は銭を出せば誰にも買えるけど、節度ある使用法が出来る人間を育てるには、別の物差しが必要だわね。所構わず、耳にイヤホン・携帯、家を出ても、自分個室に閉じ籠っているだけじゃねぇか。自分の個室でイヤホン当てて立って、世間は広がらねぇずらよ。
 おニイちゃんのインテリ文学的表現を真似りゃ、・・・由々しき物質文明の精神文明への逆襲の時代に入っちゃってるんだに・・・俺、おニイちゃんの文章読んでて、何時か言って見たかった台詞だいね。ギァハハ。

 何が、移民化政策・外人参政権だいね。自民党も民主党も、寝ぼけた事こいてるんじゃ無いのってもんだよ。フリチン男で、ギャアギャア騒ぐだけ騒いで、芸能人がカワイソー、カワイソーの大合唱で一件落着。フリチン大トラの騒ぎが尋常で無かったから、官憲は、薬物中毒の線も疑念されたから、ガサ入れしたんでしょうに。その結果が、何も出て来なかったから、一件落着しただけでしょうに・・・ただそれだけだよ。<過ぎたるは及ばざるが如し>ってもんで、フリチン事件の真相は、単なる泥酔状態の域を遥かに越えて居たと云うのが、実態だったてだけさね。少しは、ポリ公の肩を持って遣れってもんだじ。どっちもどっちの痛み分けって気持ちが、薄れちまった世の中は、息苦しいもんさね。

 あんな者は、世の中には五万といるわね。あいらの酒の飲み方は、意識と朦朧の境を彷徨うのが、酒の飲み方と感じて居る連中だから、飲んだら途中でセーブ出来ないんだよ。禁酒させるしか方法は無いんだよ。素面の時は、誰だって仕出かした行為に恥入って、始末書だってスラスラ書くもんだわね。処が娑婆は、どっこいのスットコドッコイだわね。一筋縄じぁ、解決出来ない。<分かっちゃ居るけど、止められねぇ。> それが気違い水の所以だわね。こんな事ぁ、太古の昔からの繰り返し事だよ。イヒヒ。

 飲んでる内は、人間、同じことを繰り返すんだよ。<酒を飲んでも、飲まれるな。>なんて言うけど、奴さん達からしたら、意識朦朧の境地に行く為の手段が飲酒の動機だもの・・・他人が言う程に、問題は簡単じゃないわね。有名税は、政治家・芸能人には、殊の外重いっていうのが、下衆社会の決まりだもの。ケッケッケのケツの穴ってもんずらい。あい?」

「ちょっと待っとくれや。金魚に補給水入れて来るぜ。」
「やいやい、そりぁいけねぇ、大事な金魚ちゃんを殺したんじゃ悪いわね。続けましょ。」

 さてさて、仕切り直しで先ずは、金魚槽への川からの水汲みである。重い重い・・・
次なるは、グッピィ槽である。それにしても底に溜まった活性汚泥の量は、凄まじい物である。とは言うものの、水質浄化の主役なのであるから、文句は言えない処でもある。草臥れ果ててしまっては、後が嫌に為るばかりである。目を瞑って、川の水汲みである。水槽に器具をセットして水槽温度の上昇を待って、元へ戻して遣る。見るからに、二槽とも新規開店の趣である。三時に近い昼の用意をする。俺ぁ、疲れたわいね・・・である。

 プカプカ、ヨタヨタ、ヨロヨロ泳ぎの流金殿は、鮮度抜群の新水の中で完全蘇生の泳ぎを見せて居る。やれやれ、最低限の飼育管理者の務めを果たして、夕食賄い夫までの時間を、充電の布団潜りとすべしである。

心何処ーショート アハハ、遂に目撃せり
                   クマの妄想

                 アハハ、遂に目撃(4/29/09)
 体調不良の流金は、ダメ元で夜寝る時にグッピィ槽に入れて置いた。如何にか死なずに生きている。こうまで原因を突き付けられては、黙殺する訳には行かぬ。金魚槽の水質が大分、悪くなって来ているのだろう。小手先対応では、済まされない段階に来ているのである。午後は本格的に水槽を洗って、新規に川の水で満たさねば為るまい。これは、大仕事である。水温が高く成って来ると、バクテリアの活動が盛んに為るから、善きに付け悪きに付け、厄介な事になる。
 水槽世界とは、早々、善玉ばかりが都合好く、バクテリア浄化王国を築き・維持したくれるものでは無い。物臭管理人と云えども、四畳半・机上の住人達の殺生与奪の権能は、私に委ねられているのである。怠惰の内に、彼等を昇天させてしまっては、面目次第も無い処なのである。

 朝から餌をせがむ声が、大きく聞こえている。玄関の小鳥の世話をした後、鳥籠を部屋に持って来る。

 アハハハ、とうとう、巣立ちヒナが、藁巣のヒナ達に餌を口移しに遣っている場面を観察した。集団の社会生活で暮らす蟻・蜂と同様に、巣立ち・テリトリーと云った<生のバランス>を遺伝子の中に組み込まれた金華鳥であっても、<小空間の中での生活>には、日に日に『環境適応の歯車』が回り始めるのであろう。環境が、生物に柵と社会性の原因を与え、生きる営みの中で方法を開拓して行くのである。
 単純明快と云うか、人間知識のいい加減さが、いとも簡単に葬られる。<柵・社会性とは、真似る好奇心からスタートする>の思い新たの現実である。

   金華鳥達、天晴れ天晴れ!! クマ男も、好い勉強が出来ましたわいな。
   アリガトさんね。

 タヌキの振りをして、チラチラと観察をしていると、親番いは嘴の黄色い子供達に、赤子を任せて、巣の外で寛いでいる風を見せている。寛ぎの時間が終わると、親鳥が巣の中に入って、羽毛の下に赤子を抱えて座っている。まま事遊びの延長の様な気持で遣って来る子供達は、そう為ると邪魔者扱いをされて、親の嘴攻撃に遭って、敢え無く撃退されてしまう。こんな処は、人間の子育て風景を彷彿させるシーンである。思わず、苦笑い、ニヤニヤの場面である。

 この様に、生き物を真近に置いて、一緒に暮らしていると、色んな事が見えて来るものである。教科書・耳学と云った物の大半は、結構いい加減な伝聞刷り込みが実態なのかも知れぬ。勿論、体験だけで知識を得る事は適わない<知らねば為らない知識の膨大量>の実態は、体験代理・知識の継承である処の言語・活字で習得して行かなければ為らないのが、現代人の社会性と云ったものである。これは、致し方の無い現実である。
 然しながら、言語・活字に依る知識とは、敷かれたレールを伸ばしている作業にも似ている。操車場の切り替えポイントを間違えると、レール上を走る列車の大量移送は、とんでもない方向を示して、暴走して仕舞い兼ねない。これは、小さな有限の世界で生きる人間達の体験量と知識習得量の質的限界であるかも知れない。これも、哀しき知識の行進の一端である。

 正に<百聞は一見に如かず、現場百回、現場第一主義、現実は小説より奇なり・・・etc>の譬え通りである。

 へそ曲がり鈍らの私個人としては、言論・理論だけを鵜呑みにするだけのトコロテン人間には、為りたくないものである。『そうじぁ~、あるめぇ~い。』と下衆の感覚・臭覚を働かせて、体験に基づく<個人の見解・見識>も頭の片隅には、留めて置きたいものである。

 さてさて、何事も、動かなければ始まらない<生き物管理者の仕事>である。ロートルクマ男としては、命令する相手も無い日常である。不平不満を溢した処で、ピンチヒッターの現れる訳も無し。・・・とほほなり。


心何処ーショート タバコを咥え、若葉の散策
              タバコを咥え、若葉の散策(4/28/09)
 物臭管理人は気が向くと、実にいい加減・気紛れな感想ばかりを呟くものである。グッピイ槽のみすぼらしさを嘆いて、グッピィの補充を考える。小魚の中に、オスの特徴を見付け目を凝らして、まぁまぁ焦りは禁物。栄枯衰退を繰り返すのも、小世界の営みである。暫し待てと考え直したりする。
 次いで横の水槽を見遣れば、金魚槽の流金の一匹が数日前から、おかしいのである。水草の上で腹を浮かせていたので、<遺憾いかん、集団最初の死であっては、演技が悪い。>と思い、一日グッピィ槽に入れて見た。その間に、雨水を半分ほど入れて水替えをした後、元の水槽に戻して遣った。朝水槽を眺めると、浮いている。死んでしまったかと思い、掬って捨てようとすると、どっこいまだ生きている。腸内にガスが充満しているのだろうか?・・・そいつは、じっとして居ると、スーと浮上してしまうのである。従って、必死に不細工な短躯の体を震わせて、潜ろうとするのであるが・・・功を奏しない無駄な抵抗に見えてしまうのである。

 或る時、式根島で素潜りをした事がある。水泳は達者な口であったから、潜ると岩礁の切れ目にウニが一杯着いている。若い連中は、スイスイ潜ってウニを取って来るのであるが、もう50~60cmで手が届かいのである。メタボ体質に為っている為に、浮力が利き過ぎているのである。
 然しながら、自分の姿は自分では、一切見えないのであるから始末が悪い。海中の私は必死で手を伸ばすのであるが、軍手の先がウニの棘先を掠るだけの瞬く間の酸欠状態で、再度の仕切り直しを繰り返すばかりなのである。それを仲間達は、指を差し、手を叩いて、笑い転げているのである。
「バカヤロウ、河童と尊称を欲しい侭にした俺様である。下郎ども、目に物を見せたくれるわ。冗談じゃない、俺様は、お笑い芸人とは違うわな!! 見てやがれ、オッサン・スピリットをば。」・・・嗚呼、重しの金玉比重が軽く為っている。今畜生メ・・・
 終いには、<歳と体形を考えろ>と冷たく引導を渡されてしまったのである。朱のスカートの縁に白を付けた流金の潜行の足掻きは、まるでその時の惨めな私の動きそのものであろう。必死さはある側面では、滑稽さを演じる物なのである。流金の一匹に突如襲った浮力の魔力の原因は、素人の私には皆目見当の付かない処である。然しながら、心配以上の同情心が湧くのは、如何したものであろうか・・・

 こんな私も、若かった頃は勇ましかったのである。夏休みに帰省すると、水中メガネにヤスを持って川の上流に行き、深みの大イワナを根気と体力で仕留める事に快感を覚えていたのである。抉れた奥に魚影を見付け、イワナ・ヤマメと目を合わせた時の感想は、神秘の感覚なのである。<居たな! 逃がしゃしねぇぞ。此処で遭ったが、100年目だ。覚悟しろ。> 水中動物と陸上動物との狩りの実感に、真剣勝負の緊張感が全身に漲って来るのである。私の性格は、一匹オオカミの様なものであるから、血が騒ぐのである。主戦場は水中であるから、そう簡単には仕留める事が叶わないのである。
 
 然しながら、陸上動物・霊長類の頂点に立つ私である。高い授業料を払っている大学生でもある。逃げられない様に、川の上下に結界線宜しく石を積んで、大イワナの退路を断つ作業をするのである。それも、内囲い・外囲いの用意周到振りなのである。云うならば、氷河期のマンモス狩り、マタギの血流と云った処である。こんな楽しい面白い遊びは無いのであるが、傍目から見れば異常者にしか見られない。
 私は小心者の常識人であるから、秘めたる趣味は隠さねば為らない処である。従って、こんな時の私の行動は、何時も単独行動なのである。大体は、塩をポケットに入れて来ているから、獲物は即胃袋に収まる寸法である。河原で火を起こして、塩を塗したジュウジュウ焼ける魚の熱々の美味さと云ったら、これぞ正しく先祖返り・原始の楽しみと云ったものである。

 今から考えると、母に握り飯を作って貰い携行すれば、最高のお膳立てなのであるが、狩りには当たり外れがある。シャイな私には、出た処勝負の方が、頃合いなのである。借り運動の後は濡れた衣服を枝に掛け、真夏の太陽で乾かす。その間は、木陰に仰向けに身を伸ばし一陣の涼風に身を預けて、入道雲の白雲の力こぶを眺め、背後の野鳥の囀りを耳に、暫し美形の面影を追って青年の哲学の時間とするのが、私の性癖の一つであった。

 子育て中に、中学生~高校生に為った倅が、夏休みに同様な事を遣っていたらしい。勤めから帰って来ると、台所の洗面器に30cmを超す大物が、入っていた事が何度かあった。倅は、自転車で上流に行って、泳いで来るのが息抜きの様で、その時に遭遇した大イワナを仕留める為に、何日か水中メガネとヤスで狩りに出掛けていたらしい。女房・娘に得意がって話をしている倅を見て、血は争えないと苦笑いをしていたものである。

 流金金魚のチンケな泳ぎが、眠っていた記憶を蘇らせたものである。さてさて、折角、若き頃の思い出に遭遇したのであるから、クマ男も、若葉の中を散歩して来るべしである。

心何処ーショート 世の中、捨てたものじゃない。 
                    街中の外人

            世の中、捨てたものじゃない。(4/27/09)
 アリャリャ、ラジオでは<北海道30cmの積雪>と報じられている。この頃、<風のよもやま話>を打ち止めしているので、<風>連中は、将軍様に倣って、<北の錯乱>を演じているのだろうか・・・ 人騒がせな困った連中である。
 月曜日であるから、母の薬を貰いに行きがてら、風呂・米買いに足を伸ばそうと考える。銭湯に行くのであるから、桐下駄のハイカラ御隠居さんと約束した下絵ファイルと、文作の破片と云う事で、手元の何ページかを持って行く事にする。

 ご隠居さんに会えるか如何かは、結果論であるが、約束を忘れる事は私の流儀にはそぐわない。無駄骨も、私の見栄の範囲である。コースとしては、町医者からである。同年輩のナース様達が三人居られる。この時間帯は空いているから、度胸の無い私は、愛嬌の一本槍である。母の老人健康保険者証に添えて、ファイルを二冊提示する。

「ささっと目を通して、感想を言って見ましょ。あい!!」
「えっ、何これ、自分で描いたの?」
「あいあい、そうだんね。遣る事が無いから、子供に還ってお絵描き遣ってるだいね。」
「ちょっと、好いじゃん。やるじゃないの・・・ ピカソの雰囲気ね。才能あるわよ。」

 皆さん、回し見しながら、驚きの目パッチリをしている。最後の方には、挿絵を伴なった自作詩のページが何ページか入っている。女衆は、世の中の摩訶不思議さにニコニコしている。へへへ、灯台下暗しのクマ男の<大マジック>じゃろうて・・・ケッケッケ。

 然もあろう。事務的応対だけでは、人間の中味を垣間見る事も叶わないのである。月に二回の定期顔出しである。顔馴染みで運営されている町医者は、こんな近隣のお付き合いで医療の現場を支えるのが町の風景でもあろう。クマ男とて、生活の場を町内に移しているのであるから、趣味の領域を広げるべしなのである。テヘヘヘ・・・

 温泉銭湯の引き戸を開けると、桐の下駄が揃えてある。持って来て、正解の口である。
風呂に浸かっていると、次から次と入って来る。これも、陽気と不景気の為せる処であろうか? この湯は、小さな銭湯である。長居をしていては、後から入って来た皆さんに、申し訳が立たぬ。何時もの半分以下の時間で、後を譲る。
 脱衣場の丸椅子に座って、御隠居さんと下手絵ファイルを肴に歓談する。ご隠居さんは、アクリル絵を描くとの事である。大学生のお孫さんは、漫画が得意で応募して五万円の賞金に与った由。

「好いですねぇ、上手い下手は、絵には余り関係ですよ。お宅の絵には、温かい心が感じられる。詩も好いねぇ。僕は、こう云う雰囲気の絵は描けないもの。何処と無く分かるねぇ~。あなたそのものが、す~と出ている感じの絵と詩ですなぁ。気負いの無い処が、並みのご仁じゃないですなぁ~。好いものを見せて貰いました。それで、こっちの方は、読んだら返せば良いんですか。ゆっくり読ませて貰いますよ。」

 雑談に移って御隠居さんは、取って置きの話を聞かせて下さった。ロシア兵に連行されて北朝鮮から、部隊はウラジオストクでの強制労働。若き日の御隠居さん・経理屋の日本兵は、その才をロシア軍に重用されて、経理の職務で腕前を多いに発揮したと言う。
 二年の抑留生活・・・ロシア将校にすっかり気に入られて、故郷のウクライナで娘と結婚して永住しないかと執拗に懇願されたと言う。娘も、ウクライナから駆け付けて、すっかりのぼせ上がったらしい。
若き日本兵は、好い思いをしていたのだが、将校曰く、その為には<スターリン万歳>で赤化しなければ為らないと言われてしまったそうである。ご隠居さんは、同じ万歳でも、『天皇陛下』と『スターリン』とでは住む世界が違い過ぎると、キッパリ断ったとの事。別れの日、将校殿は<俺は、お前が気に入って居る、大好きなんだ。日本に帰したくない。国を捨ててくれ。>と、男泣きしたそうである。

 桐下駄の当年85歳のハイカラ御隠居さんは、下手絵ファイルのロシア美形に、自分の青春俘虜記を思い出されたのであろう。人に歴史あり。人には歩んで来た分だけ、自分だけの歴史が息づいている。口を開いて、胸の内を開示すれば、無味乾燥な歴史記述の行間に、人の想いが動き始める。
頭部の髪の毛は、遠の昔に失われても、嘗ての色男の色香は、脇の白髪のブラシで撫で付けた長髪・老眼鏡の奥に光る眼の強弱・穏やかな眼色に現れている。

 人間には、言葉・声・観察・感情と云う共通語がある。人間の持つ共通語は、相対してこそ発揮される。初めは他人であっても、一歩踏み込んで声を交わせば広がり、人の想いが見えて来る。此処は、信ずる事から始まる日本人の社会である。居心地の好さに、生まれて来た国・時代・社会の有難さに、感謝するばかりである。



心何処ーショート 強風・寒空の日曜日
              強風・寒空の日曜日(4/26/09)
 窓を開けると、寒い風が入って来る。玄関のピンクの花カイドウ、白いドウダンも盛りを終えて、春の速さを風に吹かせている。サクランボ、シュガープラムの白花の盛りかすも、風に煽られている。庭に回れば、山つづじが咲こうとしている。マンジュシャゲは、夏の開花に向けて、球根にエネルギーを溜め込もうとして、緑の葉群を伸ばし放題にしてる。
 母の部屋の前の芍薬は、若葉の先に蕾を大きくさせて、その先端に赤を覗かせている。その下に鉄砲ユリが伸びて来ている。南天の茂みには、小さくなってしまった山吹が、黄色の五弁の花を咲かせている。時期の狂ってしまったピンク、白の交じったボケの花が、柿の木の下に有る。スモモの下のシバザクラは、すっかり色褪せてしまっている。
 
 寝室としている私の部屋の前には、何十年も前に釣りの折りに、抜いて来た芍薬が、うらなりの様な赤味の強い植生を覗かせている。絶え入りそうな矮小な野生種は、終の棲家としては大いなる異存があろうが、しぶとく砂地の庭に生き続けている。百日紅の老木の下には、実を着けないアケビの幼葉が顔を出している。青空に浮かぶ白雲の軍団は、早い動きで南から北に流れて、風が唸りを上げている。

 不況下の大型連休の幕開けではあるが・・・やれやれ、庭に居ても寒いばかりである。昨日の雨に叩かれて、伸び切ったハコベを引きちぎって、小鳥達に青物の供給である。

 巣立ち子達は、嘴に黒が本の少し残るだけで、黄橙色に転化している。体付きは、親鳥を一回り小さくした程度にまで成長している。水浴び、身繕いも一丁前の習得度である。こう為ると、親子に依る給餌行動が見られるか否かに、私の関心は移っている。玄関の廊下を歩く度に目を遣ると、夜だけ藁巣への同寝が許されていた子供達は、本日は明るく為っても、巣の出入りを許されているらしい。藁巣の中のグロテスク生物も大分大きく為って、お互いの体温で保温が確保出来ている様子である。  短時間なら部屋に持って来て少々観察をさせて貰っても、親鳥の育児放棄の結果は生じまい。

 持ち込んだ鳥籠二つ・・・ パソコンを打ちながら、コーヒー、タバコ、煮リンゴを口にしながら、チラッ、チラッと様子窺いの観察である。子供達が、少しでも藁巣に入ろうとするなら、巣の中の親鳥がすぐさま甲高い威嚇の声で飛び出して来たのであるが、玄関の定位置と違って明るい四畳半の窓辺の位置にあって、親鳥は巣から出て羽根伸しの余裕を見せている。その中を、好奇心の強い子供達が、交互に藁巣への出入りを繰り返している。ヒナ達の餌をせがむ声も、未だ聞けない段階であるから、観察はこの位にして玄関の定位置に戻す。
 
 頭部と背部にポヤポヤした産毛を持つだけの、河童の様なグロテスクなヒナ達の目が開いて、餌のせがみ行動が見られる様に為ったら、親鳥の育児放棄は難しい条件反射行動に移行する。今度は、過去二回と違って一匹多い三匹への育児である。合理的に考えれば、其処には加勢の要素が加わる。同寝の習慣の中で暮らしている親子鳥四匹である。狭い藁巣の中で日々大きく為っている兄弟姉妹の存在は、巣立ち子達も肌身で感じている処なのである。スパルタ教育為らぬ刷り込み教育が、知らず知らずの内に展開されて行くのは、想像に難くない処であろう。

 強風・寒空の日曜日、昼寝のお供の短時間読書の後は、小一時間の昼寝タイムをするとしよう。

心何処ーショート 原因に於いて、自由なる行為
            原因に於いて、自由なる行為(4/25/09)
 遺憾いかん、本日は、朝から気が滅入っている。おまけに雨が降っている。短時間の読書の後、深夜に映画ビデオを一本観る。時々、観る秀作映画のビデオ・テープである。
<非情の町・1961年制作・カーク・ダグラス、クリスチーネ・カウフマン、監督ゴッドフリード・ラインハルト> ★レイプという衝撃のテーマを真正面から取り上げ、センセーショナルを巻き起こした問題作。ハリウッドの個性派スタートして揺るぎない人気を誇ったカーク・ダグラスが、複雑な心理を熱演している。・・・パッケージより抜粋。
 
 考えさせられる内容の濃さは、人間の考えるべき現実・観点・視点を刺激して、普段怠惰に流されるクマ男の精神に、坐禅を組んだ背中にピシッと落とされる〇〇の様な有難い趣さえ運んでくれるものである。
 
 余勢を借りてテレビに映ると、<朝まで生テレビ>を遣っている。司会者は虫唾の走る男であるが、田母神氏の顔があるので聴く事にする。イヤホンを耳に、テレビ画面には背を向けてのお付き合いである。画面は、興味があると見る位で、寝る事が優先する。

 兎に角、浅学非才の身には、ピィーピィー、ギャーギャー煩い連中である。民主主義のルールとしては、最大公約数で民意・世論を拠り所とする政治・議論体制を採用する以上、民主主義とは所詮モザイク模様に為るしか無いつづら織りに為るしかあるまい。それを理論・理想の正論を振りかざして、相手を黙らせようと仕掛ける見苦しいまでのジャブ・ジャブの執拗さ。持久戦じゃあるまいし、手先のジャブだけで相手がマットに沈む訳が無かろう。踏み込んで腰から繰り出すストレート、フック、アッパーカットじゃ無ければ、テンカウントは無理でゴザンスヨ。これでは、洋画のローマ史劇に登場する衆愚政治の象徴・元老院のテレビ版ではないか。イッヒッヒ。

 相手から反撃を受けると現実論を持ち出して、利き手を右に左に持ち替えて、クリンチに持ち込んでしまう。是々非々に合理的に対処すべき価値観が、不変性・普遍性を持ち出したり、情勢情勢でコロコロ変わらせられる国益のご都合主義。これじぁ、ダブルスタンダードどころでは無く、猫の目バトルを騒ぎ立てるばかりなのである。幾ら脳味噌の造りが粗雑なクマ男であっても、一座の安拵えの有り様は、透けて見えますがな。
 近未来も見通せない人間達にとって、唯一、正々堂々と言える事は、過去の事例だけである。その位の事は、活字を読める俺にだって言えるわね。この賞味期限切れ野郎が!! 百家争鳴が言論の自由には違いなかろうが、ああ言えば、こう言うばかりの言い手繰りばかりの喧騒であっては、大山鳴動鼠一匹の醜態を晒しているばかりである。横文字で云う処のディベート競技、日本語で云えば百代言の言いたい放題と云った処である。嫌なご時世である。必殺仕置き人の東山紀之の方が、余程胸がすっきりして堪能できる。

 是々非々のモザイク模様を構築して、浅学非才の一般大衆に国家観・国家像・政策の方向を示すのが、学者・識者・政治家・ジャーナリストの務めであろうが・・・  ただただ、目立ちたがり屋の下衆野郎の魂胆と議論誘導のテクニックばかりが、空転するトーク・ショーの様しか伝わって来ない。
<手前ら、一体、何様だと思っていやがる。>・・・何て、現代を代表される面々様に、失礼な啖呵すら口に出てしまう。全く以って、文武両道を忘れ果ててしまった口撃バトルは、見苦しい限りである。  馬鹿の一つ覚えの様に、いきり立って感情表現ばかりしていては、相手が大学教授様であろうと、野次馬歓楽しか出来ませんぞえ。何が大学教授だ、専門用語を多用しようが、英語が堪能だろうが、単なるディベーターじぁないか。

 慎みがあれば、光るいぶし銀の趣も出て来るものでヤンしょうよ。それそれ、見本と為るお方が何人かは、その席に居ましょうが・・・ 不作為の光について、お感じ為されよ。テレビの電波の先には、選球眼を持った観客が五万といらしゃるので御座んすよ。

 韓国ジャーナリストか何かは知らぬが、日本の現状がそんなに陳腐・低劣にしか見えぬのなら、活動の本拠地を母国韓国に移せば好かろう。所詮、お宅も陳腐低劣なるトークショーの役柄を確保して演ずる一団員にしか過ぎませんわな。居心地と実入りが好いから、活動の場をニッポンに置いているだけの似非ジャーナリストじゃろうが。
<私、才媛の誉れ高かった切れ者ジャーナリストで御座います>見たいな面して、出しゃばるんじゃないの。高々アンタのデビュー姿が、協調国民の国民性から、強調国民のカルチャーショックに惑わされて、傍若無人な物言いに、注視の眼が向いただけの事である。・・・ おフザケ・ピント外れが、過ぎまするわな。笑止千万為り。化粧落として、冷水で顔を洗って参りませ。

 止め止め、これでは折角の秀作映画に、泥を浴びせる結果と為ってしまう。主演のカーク・ダグラス氏、妖精の様な円らな瞳の美形クリスチーネ・カウフマン嬢に申し訳が立たぬ。寝そびれてしまった未明ではあるが、クリスチーネ嬢の瞳に宿る清純さをロシアン・ウーマンの美形の瞳に重ね合わせて、夢枕への再訪を妄想しつつ寝るべし、寝るべしである。

 クワァ~、睡眠時間を下衆野郎どもに、略奪されてしまったものである。これじぁ、まるで四人組米兵にレイプされた映画の主人公見たいなものである。軍歴剥奪・20年の禁固刑に処するぞえ。畜生、俺の睡眠時間を返せ!!

※酔っ払いフリチン男、酔っ払いレイプ4米兵、勝手に深夜番組を、自らの自由意思で選んで行動した者には、<原因に於いて、自由なる行為>として、行為責任の軽減は一切無いとして、法益の保護は与えられないと云う刑法法理。

 さてさて、ロートル日記も打ち終えた事でもあるし、滅入る気分の日には、下手絵でも描いて、気を紛らせる事にしようか・・・

心何処ーショート ギャハハ寄席
                ギャハハ寄席(4 25 09)
 親番いの藁巣には、ちっちゃな三匹のグロテスクな生き物が、蠢いている。初夏のお天道様から一転、またまた寒い日である。散歩を済ませて来たから、後は定位置と布団の往復だけである。今週は何やかやと野暮用が重なったから、早や金曜日である。面白いテレビでもあればお付き合いするが、お笑い芸NO人・タレントのおフザケテレビは、見る気もしない。朝、餌を遣った金魚達は私が近付くと、また餌が貰えると思ってか・・・ とぼけたまん丸の目で寄って来る。

<バカモン、そんなに食べたら、俺見たいにメタボに為るわな。辛抱が肝心よ。お前達は、嫁取り・婿取り前であろうが、戯け。>

 お隣のグッピィ槽は新旧の端境期で、成魚が5匹だけに為ってしまい、お淋しい限りである。淋しいの衝動に駆られて、買い足しに行ってしまうと、足を伸ばしたついでにとばかりに、無駄買いをしてしまう。実際問題、二人きりの食卓であるから、後が困るのである。食料は有るから、大人しくしているのが肝要である。此処は、進み具合の滞っている硬い本と、お付き合いするしか無さそうである。布団の中なら、何時でも昼寝にシフトしても好かろう。浮いた時間の使用法は、100%の我が自由行動である。

 温泉ミネラルウァーターは喉越しも好いし、御菓子代わりの煮リンゴが成功の味なのである。実は、砂糖だけでは余りに芸が無さ過ぎると思い、トクトクとばかりに自家製の梅酒を入れて煮込んだのである。
 一度、若い頃、女房がリンゴを煮て出してくれたのであるが、口に合わなかった。それ以来、<リンゴとは生食に限る>と、思い続けて来たのである。従って、呆けリンゴの大量持ち込みに、内心は困ったものだと思っていたのである。子供の頃、西洋の冒険小説中にあった海賊の飲み物・リンゴ酒には大いなる興味はあったものの、パスパスの態であった。因みにアップルパイも、女族の巷間好評とは裏腹に<大した代物では無い>と見下して食しているのが実態である。
 
 それが味見をして見ると、我田引水・自画自賛の結果だったのである。何を隠そう・・・小出しで半分の仕込みであったが、今朝、残りのリンゴを全部ぶち込んで、味の決め手・梅酒様を惜しげも無く、トクトクと入れ込んでグツグツ煮込んだのである。完成品を冷蔵庫で冷やして食すると、今度は梅酒が利いている。これなら一石二鳥の味わいである。西洋海賊の飲み物・リンゴ酒の味も連想の付く処である。これは、『美味いものは隠して食え』の字引きを引くまでも無く、早い者勝ちである。クマ男と云えども、干支はネズミである。盗み食いの習性は、DNAに立派に内包されている。

 料理とは味覚と視覚、雰囲気から構成される物と定義付けられたら、即座に信州のクマ男はグーの音も出ない赤恥物であるが、男の手料理として見たら、堂々の<自画自賛>物である。ザマぁ見やがれの気分と云った処である。

 意を強くして、団塊世代の退職組同輩諸氏に進言致す。女房族の罵詈雑言に臆する事無かれ!! 家庭に、真田幸村の出丸を築かれよ。打って出るが、肝要なり。見事、橋頭保を築けば、互恵互譲の居心地が確保出来ると云うものであろう。後は、狸親父に徹すべしである。 

 まな板に包丁があれば、事が運ぶ。台所仕事と思うから、亭主のプライドが禍するのである。そんな物は、自分の図画工作室だと思えば良いのである。包丁なんぞは、運動神経の一部と思えば宜しい。幸い、舌は外食・宴会で鍛えられている。見栄えなんぞは、商売人にノシ付けて放棄すれば好かろう。材料費云々は、合理性ありとして、素直に拝聴して、工夫を施せば好かろう。考える分野は、男の習い性の一環である。
 それでも、夫の非凡なる才にイチャモンを付けに来る『白髪染めカンナ』如きは、昭和20年氏に倣って、<コンニャロー!!>とばかりに、ひっ倒して乗っかれば、枯渇の帰来はあるものの・・・呼び水・誘い水・本気水の和合・握手のデザートに為るかも知れぬ。

 鞘の無いフリチン騒ぎは、速報としてテレビのテロップに流れる醜態であるが、眼下に置いた<鞘の存在>は、単なる家庭内の秘め事でしかあるまい。臆するに値しない些事である。家庭に法律入るべからず・・・健康増進の為に、節度を以って遣られよ。

 長いロートル人生、女房カンナの庇護の下、何も出来ぬ陸に上がった<屁の河童>では、益々、頭の上がらない虜囚の辱めであろう。家庭内での失地回復の最効力は、相手の得意な牙城への進軍ラッパであろう。
 台所は、図画工作室。包丁扱いは、運動神経。工夫は、コストパフォーマンス。奥の手は、コンニャローのひっ倒し男剣(男権)。以上、復唱為されませ。
  
   とどのつまりが、簡単な職場延長にしか過ぎませんわな。ギャハハハ。
 
 物は試しに、NHK土曜楽市のラジオを聞いてみなされ。団塊世代女の男を屁とも思わぬ口振りの豪の者が、女の本性で御座るよ。<おのれ、猪口才な返り討ちにしてくれるわ!!>の気概が無ければ、男が立ち(勃起)申さぬ。大阪城の『淀の御方』の様に、気位ばかりでは、外堀・内堀を埋め立てられて、城を枕に討ち死にでござんすよ。指揮したのは、我らが男の代表格・葵の御紋の『狸オヤジ』じぁござんせんか。江戸300年の礎石は、自らが調合して挽く良薬は口に苦しの励行で御座んす。漢字の読み書き・漢字検定に熱中するより、日本史に学ぼうじぁござんせんか。霞が関の埋蔵金も、一挙に放出のご時世でありまする。

<カンナを籠絡する金子が無い場合は、家庭内に作業場の出丸を確保する事が第一。ウッシッシ。>

 以上、本日のギャハハ寄席、お粗末でありました。お後が宜しい様でゴザンス。

心何処ーショート 豚も煽てりぁ、木に上る。
               豚も煽てりゃ、木に登る(4/24/09) 
 風呂に行くと、ハイカラ御隠居さんが浴室から出て来た処で、中には例の背中流しのご老人が、手を振って居られる。裸の御隠居さんと暫く話を交わす。健康4大秘訣を教えられるが、歩留まりはゼロに近い。うろ覚えで自己流に表現しては、御隠居さんに申し訳が立たぬ。今度、顔を合わせた時に私の文作をプレゼントする約束をしたから、その折りに、正確に書き留めて発表する心算である。

 背中流しのご老人は、お仲間に誘われて老人優待券で、四賀地区の松茸山荘の湯に行っているそうである。100円との事である。車で20分強の距離にある山間の泊まりの出来る食堂付きの湯である。秋に為ると、松茸料理が呼び物の湯となる。ご老人は、やはりこの熱い無色透明の湯が性に合っているので、誘われない時は此処へ来ないと堪能しないとの事である。

「オヤジ、巧い事抜かして、女が出来たな~。とんでもねぇ、エロ爺っさだわ。」
「そんな事ねぇずらよ。へへへ。」
「ツルツルに剃っていた頭に、一杯、毛が生えてるじゃねぇか? おかしいじゃねぇか・・・他人様の老いらくの恋を、とやかく言う訳じゃねぇが、スキンヘッドと角刈りとは、女の印象度が違うわね。正直に、デカイ声で白状しましょ。結婚詐欺に遭って、身包み剥がされてポイじゃ、余りにも不憫だいね。」
「やいやい、行けねぇや。まあまあ、背中流すわいな。本当は、オラ、ダンナの顔を見ねぇと、淋しいだだよ。仲間が車で連れって行ってくれるんだけど、風呂入って、ささっと洗って出て来るなんて風呂は、面白くも何ともねぇもの。風呂はさぁ、ダンナ見てえな好い男が居て、面白い話が出来て、ゆっくり浸かるのが風呂ってもんずらい。今の若い者は、ただ黙って入ってるだけせ。これじぁ、人情なんか生まれっこねぇせ。この小僧っ子、手前達日本人か・・・なんて事考えちゃうもの、さっきも、あの隠居とダンナの話してただいね。」
「やいやい、煽てられたって、俺ぁ、勃起はしねぇよ。あいあい、アリガトさんね。今度は、俺が洗うわいね。」
「全部、終わっただ。オラ、話がしたかったから、待ってだ。ダンナのその太い腕で、擦られちゃ、お肌が赤むくれちまういね。貯金して置くぜ、好いんね。」

 帰りに個人スーパーでコゴミを薦められて、昼に早速食す。本・灰皿を持って、河川敷のベンチで読書の時間と洒落込んだが、風が少々肌寒い。廊下の日当たりで読み始めたが、瞼が重くなって来た。風邪を引いたら物笑いの種であるから、布団の中に移る。玄関が開いて、斜向かいさんである。ご主人、本日何やらお持ちの様である。黒い大きなファイルには、水墨画が描かれている。女族に席巻された家族内では、凝り性を嘲笑されていると笑うご主人の水墨画は、むらの無い小まめさに満ちている。人間とは、性格を隠せない生き物である。人の手に為る仕事・絵・文章と云った物は、その人の性格を現わしているものである。怖くもあり、面白くもある。成程なるほど・・・である。

 これ又、筆絵を広げてロートル品評のニヤニヤ、へへへ、ギャハハの連発であった。大体、洋画の好きな人には、感受性とか好奇心の強い人が多い感じである。字幕スーパーと映像の両方を見なければ、映画を観賞する事が出来ないから、映画の見直しと、想像力を字幕の行間に働かせる必要があるのだろう。
 理解する為には、好奇心の小まめさを要するのである。他人が感じるそれらの煩わしさは、好奇心と小まめさを内包している性格によって、他人の目には映るその努力?は・・・本人にとっては、努力している感覚は、一切浮かんで来ないのである。他人の想像と現実の相違とは、兎角、そう云ったものである。
      俗に云う<好きこそ、物の上手なり>、その物なのである。

 ご主人に言わせると、<俺って人間は、そう云う人間なんだから、しようが無いだろ。つべこべ言うな!!>の一言で、一件落着なのだそうである。似た者同士であるから、私も拍手をするだけである。

「時々、朝早くからパソコン遣ってる姿が、ベランダから見えるんだわ。それ見て、お兄ちゃん、難しい顔して何を打ってるんずらって、色々・・・、へへへ、こっちは、こっちで、勝手に想像してるんだ。書いた人間の顔を知ってると、楽しみも倍増するんだじ。フフフ。」

「見た目には、勉強してる様にしか見えないんだけど、此処んとこ、全部読ませて貰っているから、真面目な顔して、こんな白らばくれた事、打ってたのか・・・なんて思い出しながら、彼是、勝手に想像を働かせて読んでると、想像と現実の落差に、二倍も笑っちゃうし、結構難しい言葉が出て来るから、辞書ひいて、へぇ~大したもんだって感心すると同時に、利口にさせて貰ってるんだよ。」

「小説見たいにベタベタした訳の分かんない記述が無いから、これが又、好いだいね。サー、サーと深追いせずに、流して行く文章の進みが、読み物として心地が好いんだ。それに、下ネタ話は随所に落ちがあって、完全に落語の世界だもの。カアチャンに頭張っ付けられながら、<ヨッ、名調子>って声出しちゃってるもの。所詮、女には理解出来ない男のゴタ話だもの。ケッケッケってもんさね。」

「お兄ちゃんは、真面目で隙の無い・・・頭のいい顔してるが、何でもござれで面白いもの。知らない人が読んだら、書いた人がお兄ちゃんだなんて、絶対に想像も付かないよ。ギャハハ。硬軟の落差が、魅力だよ。時々、難しくて付いて行けない時があるけど、文句無しに面白いもの。」

「ついでに言えば、芸能人の生白いオニイチャンが、深夜の公園でフリチン男したって、別に大騒ぎする事も無いのにね。警官に悪態こかなきゃ、留置場で一晩泊って、酔いが覚めてションボリで好いじゃねえか。よっぽど、生意気こいて、手が付けられなかったんだろうね。警官もむきに為る事も無いのに、あんな者ぁ、ヘナチンを摘まんで、往復ピンタ喰らわして無罪放免で良いのだよ。ニイチャンも警官も、大人気無いって、もんずらいよ。キャハハハ、芸能人は、稼ぐ銭もデカイが、落とし前もデカイって事ずらいね。イッヒッヒ。」

 アジャジャ、ご主人、<お婆ちゃんに煮て食べさせてよ>と言って、リンゴをごっそり置いて行かれた。心遣いを無にしては、お天道様の罰が当たる。初挑戦である。料理の才は、母譲りである。惰性の余命である。才能の出し惜しみは、罪である。リンゴの袋を持って、台所仕事をするべしである。
<遺憾いかん。豚も煽てりゃ、木に登る>の喩を素地で実践する様な一日に為ってしまった。恐るべし、年長者の煽て戦術である。

 コラッ、親父、四男坊に女房押し付けて、バツが悪いから周りに催眠術を掛け捲っているんだろうが、とんでもねぇすり抜け戦術だわさ。姿形が見えねぇ事を、ちゃつかり応用してやがる。俺ぁ、生憎、霊視が利くんだ。コレ、逃げるな!! 禿頭を出せ。ゲンコツ入れて遣るっちゃ。・・・親父、心遣いありがとさんね。

心何処ーショート 頭ヒリヒリ、街中サイクリング
              頭ヒリヒリ、街中サイクリング(4/23/09)
 昼寝でもしようとしていたら、電話である。煙草を買いに行かねば為らない事でもあるし、街に自転車散策に行く事にする。お天気は好い物の結構な向かい風である。気を付けていたが帽子を飛ばされて、風に吹かれてあれよあれよの間に、用水路にポチャンである。深い用水路から川の合流点の落ち込みである。やれやれ・・・拾って無帽行進である。ワシァ、繊細なお頭が暑いでやんすよ。

 顔出しすると、高校時代の馬鹿が一人いる。近況を聞かれて話すと、根掘り葉掘り聞いて来る。<大きなお世話である。無礼者、其処に直れ、手打ちにしてくれるわ!!>・・・こんな輩は、世間には五万と居る下衆根性の持ち主である。対等話をしていたら、短腹武闘派の拳が炸裂してしまう。逃げるが勝ちである。 

 菜の花、ピンク・白に咲き乱れるシバザクラ、大輪のスミレ、川の流れに葦の芽吹き、光を浴びて泳ぐカルガモ・マガモを愉しみながら、帰りは縄手通りを回って、うどん屋で天玉うどんを食す。昔ながらのうどん専門店で、汁は薄味で野菜天ぷらの香りがして、落とし卵は、目玉焼き風に火が通っている。歳を取ると、こう云った物が丁度良く為って来る物である。
 此処と同様なうどん食堂が、旧市街の南の外れにある。小さな店でお婆ちゃんと娘で切り盛りしている。熱々のうどんを啜りながら、あの母娘は元気で遣っているだろうか・・・ コースを変えて、顔を出して来るべきだったなどと思い出してしまった。あの店を思い出させてくれたのが、野菜天ぷらの仄かな野菜の香りだった。
 そんな事を思い出していると、細身・長身・細面の中華飯店のチャイニーズ・ビューティさん処へも、顔出しに行きたくなってしまう。勤めを終えてしまうと、テキメンに行動範囲が狭くなってしまう。時間があるから、偶には顔を出して元気な処を見せて上げたいのであるが、三食賄い夫の現状では、それも出来ない。
 チョロチョロと外の空気ばかりに当たっていては、私とて人の子であるから、不平不満・欲求不満が顔を覗かせてしまう。<我慢して強く為るんだよ>では無いが、漸く習慣付けた賄い夫・籠りの生活態度である。今を満足と考えなければ、感情・心の平穏さは叶わない現実であろう。あっさり味のうどんが美味いのである。

 店を出て橋を渡って、再び縄手通りを行く。外人初老夫婦が、四柱神社の鳥居をバックに、仲良く写真に収まっている。カメラを向けているのは、奥さんの姉妹なのであろう。感じから言ってイタリア人かも知れぬ。外人さん達にとっては、お寺・神社・お城の木造建築は、我々が西洋建築を見るのと同様、異国文化そのものなのであろう。お濠のソメイヨシノは散ってしまったが、八重桜・ハナカイドウ・シバザクラなどが咲き誇っている。山岳観光都市を謳っている松本市であるから、時間を掛けて歩き回ると、好い思い出写真が撮れる事だろう。

 白人さん達は、個人旅行が主体の様であるから、好く中高年夫婦の観光歩きを見掛ける。ちょくちょく目にする彼等の観光歩きは、私のフィーリングに合って、個人の趣が感じられる処である。安いホテルに泊まり、ガイド無しでマップを手に、ザックを背負い、サングラス・Tシャツ・短パン・スニーカーの出で立ちで、気の向くまま歩き、気に入ったスポットで、交互に写真を撮ったり、休んだりする。
 異国の空気の中に身を置いて、雰囲気を脳裏に焼き付けて帰る・・・そんな白人達の考えが伝わって来る様で、それが私には、彼等の個の強さの様な物を連想させるのである。ツアーを組んで、忙しく移動するばかりが、観光旅行では無い。彼等の姿を見ていると、自分流が気負いも無く体現されていて、様に為っているのである。私は、そんな文化への憧れがある。その体現者が金髪美形と為ると、効果テキメンと為って、フェロモン吸引者の態と為ってしまうだけにしか過ぎないのである。

※好色に駆られる結果の白人美形のフェロモンにだけ、振り回されているクマ男では有りませぬぞ。お天道様に誓って、私は真っ当な傍観者・観察者なのでアリンスよ。

 来る時は、町内の民宿風旅館から、自転車に乗った若いカップルが出て来た。この時期、信州は一年で最も良い時期である。日本の味・風景を存分に楽しんで行かれるが好い。アルプスも美ヶ原の山景も一見の価値があると云うものである。

 風の強さで、思わぬ運動量を伴なったクマ男サイクリングであった。家に帰って、シャツを脱いでTシャツ一枚で、フーフーと息を継ぐ。親番いの籠は、四羽が出ている。孵らぬ卵を抱卵していても、可哀想である。これ幸いと、巣の中を覗くと何やら動いている。よくよく見ると、二匹が孵化している。

 左様であるか・・・親に放棄されずに、何日か餌を貰えれば育つ。一週間もすれば、親鳥がヒナに奉仕せざるを得ない段階に為る。そうなれば、親と同居の子供達も、見よう見真似の育児参加と為るかも知れぬ。これまた、クマ男の観察データーに面白い記録が生まれるかも知れぬ。気は心であるからして、庭からハコベを摘まんで来て、籠に入れて遣った次第である。

心何処ーショート 昭和20年様
                  昭和20年様(4/22/09)
 火曜の夜は、NHKの歌謡ホールを観るのが決まりである。洗い物をして米を研ぐ。雨も漸く上がった。さてさて、気晴らしに禿げの店のスナックのママさんの顔を、見に行くべしである。ドアを開けると、顔が見えない?? ママさんは客が居ないから、カウンターの後ろの座席でタバコを吸っていた。ビールを注文して、馬鹿話をして笑わせていると、客が二人入って来た。一人は60代の遊びに長けた感じの男であり、一人はネクタイをきちんと結んだ30代の男である。店の常連客であるらしい。60代男は、相当な御洒落で遊び人の匂いがプンプンしている。兎に角、好く喋る男である。これは、面白い。

 釣りの話から入って、下ネタ口演に突入である。彼等は親子との事である。倅殿は、手八丁口八丁の親父殿の独演に表情も変えずに、マイペースで焼酎の梅割りを口にしている。

 ママさんとは、若い頃からの付き合いだったらしく、呼び捨て三昧での口演である。

「こんなものなぁ、若い時は、若い男を何人も連れて、こー遣って、肩で風切って歩いてたんだ。俺ぁ、それに惚れちゃって遣らせろ遣らせろって、ケツを追い回したんだが、何しろ、こっちは、若いいから銭が続かねぇや。女なんてものは、ひっ倒してこのヤローって乗っかれば、嫌よ嫌よ何て言ったって、呼び水が出てるって事に気付かなかったんだ。気付くのが、遅過ぎた。日本は農耕民族だから、黙ってこそこその秘め事だったて事よ。俺は、そのコツって言うか、その奥儀を知ってからは、コンニャローの一点張りよ。呼び水が、一気に本気水の潮吹きだわな。ざまあ見やがれってもんだよ。ギャハハハ。」

 彼はバイプレーヤーで、ずんぐりむっくりの体型と崩れた顔貌で独特の存在感を示す小倉★★によく似た感じの男である。何しろ、早口で、ある事無い事を速射砲の様に捲し立てる。
 然しながら、嫌みの無い喋り口は、抱腹絶笑の話芸の域である。絶えず、笑っている彼の眼は、幼き頃のわんぱく坊主の喜々たる光を宿しているのであるから、罪を問えないのである。何かあれば、ゴツイ拳骨を作って逸物を表現して、変な動きを見せてギャハハ笑いを炸裂させているのである。全く以って、嫌みの無い大将としか表現の出来ないオッサンなのである。昭和の20年生まれの食料難を掻い潜って来た豪の者である。早速、弟子入りを申し出て、JIS規格とIOS規格の品評談を展開する。

「馬鹿こいちゃいけねぇゃ、巾着・ミミズ千本・数の子天井なんて、ほざいて100両、千両、万両積んだ処で、相手は突進型の一つ目小僧の一本槍だわね。ついでに、呼び水、本気汁の泉の持ち主だいな。千両・万両積んで、その構造物を手で遊ぶのは、とどのつまりが、へなへな一つ目小僧が持ち主の役立たず大名・大店の御隠居さんの手臭見物ってもんずらい。冗談じゃねぇや、ISO規格は、青年や、荒野を目指せのインターナショナルが主戦場だわな。男は、腰の運動量。突いて突きまくって、一つ目小僧で立派にゴールのテープを切るのが、三つ星・五つ星の狩人ってもんずらい。あい? 先生、JISからISOの世界に、今一度のご雄飛をば。」
「3つ違いの23年さん、哀しいかな生まれ育った3年の開きが、もろに出ちまってる。JISはISOにぁ為れネェ。JISの小技・技術を駆使して、呼び水回して、如何だ、コンニャローで行くわいな。デカイ声じゃ言えねぇが、この頃は、バリ島が外遊先よぉ、ギャハハハ。」
「あそこは、高温多湿の島でござんすね。バクテリアの繁茂地でやんしょうから、呼び水・噴水頂いた後は、そのまま、極楽浄土の墜落睡眠は、淫金タムシに感染しない様に、薬用石鹸で使用箇所を洗浄しときましょ。イッヒツヒ。処で先生は、若しかしたら、九州男児?」
「ピンポン、当たり!!」
「そうずら~、知りあいそっくりの喋り方なんで、そうだろうと思っていたんだわ。あれずら、口ほどに功を奏さない粗珍ずら。一緒に風呂入ると、恥ずかしい、見ないでと皮被ってるって奴じゃないの、ギャハハ。」
「やいやい、バレタか・・・ 農耕民族のコソコソ秘め事のセックス文化も、廃れたもんだわ。兎角、潜りの異邦人ばっかりで、聞き耳、覗き見する戯けが蔓延しとる…困った国際化じゃわ。ギャハハ。しょうがねぇや、一見の飛び入りデシだが、免許皆伝にして遣るよ。世の中、俺に輪を掛けた物騒なオッサンが居たもんよ。コンニャローなんて、ゲンコツ振り上げたら、こつちが、軽くのされちまうから、客人扱いするよりしょうがねぇや。」

 類は友を呼ぶで、すっかり盛り上がってしまった。勘定を払って、退散しようとすると、腕を掴まれて、倅殿を弾き飛ばして、横に引きづり込まれてしまった。アジアジァ、ビールを追加して、日本列島南北、膝を突き合わせて、四辺を海に取り囲まれた日本の臍の下・・・焼酎とビールの臍下に鎮座おわす一つ目小僧と呼び水アワビを肴に、戯け男の昭和花火が、ドドーンとばかりに炸裂した夜であった。

 遺憾いかん、これで、当分、希少の読者様に相層を尽かされてしまい申した。毒気満々の昭和20年様の手を振り解いて、籠りの賄い夫モードに修正致しまする。

心何処ーショート 雨に燻ぶる白煙
              雨に燻ぶる白煙(4/21/09)
 用事のある日に限って、雨が降って来る。お濠の桜も大分葉桜に成っている。その横の松本神社の大欅も、幼葉を枝一杯に広げている。フロントガラスには、大粒の雨が叩き付けている。人と会うと疲れるが、頭の回転はマダマダ健在の様である。錆付いて、回らないと危惧していたのであるが、大丈夫の様である。お洒落をして来たから、顔もシャキとしている。寄り道でもして目の保養とお喋りをして行こうと考えるが、この雨では気が弾まない。中途半端な時間でもあるし、籠りの館に帰還する事にする。

 雨が降ると、さすがに寒い。母は布団の中でテレビを見ている。お付き合いで起き様とするから、俺もする事が無いから部屋で寝ると言って置く。
 抱卵から解放された若番いの籠を部屋に持って来て、私のお付き合いとさせる。オスもメスも巣から出て来て、普段通りの動きを見せている。オスは背伸びをする格好で、囀りを繰り返している。メスの方は、オスより発情の気配が未だの様で、

<アンタ、好く囀るわね。私、疲れているのよ。暫くは、静かに行儀好く出来ないものなの。オスなんて、碌な生き物じぁないんだから。私はお相手なんかしないわよ。>

 の風で、自分の身繕いの方に関心があるらしい。オスも囀りに疲れると、メスの横に擦り寄って小休止をしている。そんな姿を見ると、飼育管理者としては、青物のハコベでも差し入れしたくなる。傘を差して、ハコベを一掴みして来て二つの籠に分けて遣る。

 雨の日には、ラジオが好く耳に届く。昆虫の話である。昨夜見たDVD<隊長ブーリバ>のクリスチーヌ・カウフマンが綺麗だったから、彼女のビデオ・テープ<非情の町>を見ながら、知恵熱を冷ます事にしよう。

え~と、あれは、カーク・ダグラスのコーナーである。探していると、電話が鳴り始めた。

「はいはい、おう如何したや。」話を聞くと、Tが、高校同期のきっちゃんの店で、ブログを開けて見た処、私のセピア色の頃が載っていて、それを見て、誰も知らないと思って、野郎も白らば呉れて居やがる。とんでもねぇオッサンだと、話が盛り上がったとの事である。

「そりぁ、そうずら。頭がすっぽり禿げたからと云って、この野郎なんて石くら付けられる訳じゃないし、還暦祝いの座興よ。若いネェちゃん、金持ちの有閑マダムを垂らし込んで、結婚詐欺を働く訳でも無し。30年前、40年前の写真を掲載したって、お手手は後ろには回らんだろう。無害無罪放免って奴だいね。ギャハハ。
 今度は、ディック・ミネのTの顔をデカデカ掲載して、スケコマシ・Tで、ハチャメチャ行状記でもシリーズ化するか? 何たって、俺にはネタ・時間と中指一本のマジックがあるぞ。まごまごして当たりゃ、シリーズ第2弾の実施取材海外旅行って道も開けて来るぞ。長い付き合いだわさ。
 セッティングも、いざと為った時の影武者為らぬ禿げ武者だって引き受けるぞ。口説きのテクニックは太刀打ちできないが、ムクムク・モリモリ、ガンガン運動は、俺の得意分野だいな。お互い歳だから、分業路線・ワーク・シェアリング路線で行くのが得策だぞ。」

「そうだいな。発射出来る内が、男の花だいな~。白らばくれて遣ってみっか。ロケ地は何処にするよ。ロシアは広大な大地だから、外せよ。韓国から始めるか、韓国にはお前は淡白だから、俺の被害も最小限に止める事が出来る。如何するや。」

「あいあい、俺ぁゴーストライターに徹するから、お零れだけ頂きぁ文句は無いよ。お互い、好みが違うから、安全牌だわね。それには、リハビリしとくこったぁ、頑張れちゃ。」

 遺憾いかん、刺激のツボが、ウズウズして来ましたわな。生憎、お外は雨で御座る。
  雨よ雨よ、心あらば、止むべし。滲む赤提灯見せるべし。

心何処ーショート 時に感傷的
                 時に感傷的(4/20/09)
 残念ながら、若番いの繁殖は失敗に終わった。四卵の内、孵化した赤子が餌入れの中に捨てられてあった。残念な結果であるが、これは繁殖への避けて通れない道である。
 
 米も無く成った事でもあるし、風呂で源泉ミネラルウォーターを汲んで行くとする。風呂から上がって、噴き出る汗を退かせていると、ハイカラ御隠居さんが遣って来られた。私のペットボトルを見て、効用は如何かと尋ねて来た。
 水道水と違って、カルキ、塩素無し。天然ミネラルも、温度で豊富に溶け込んで居る事でもあるし、常温放置で2日程度で飲み終えしまうが、沈殿物も無い無色無臭で喉越しが好いと答えると、御隠居さんも、明日から始めるとの事であった。ご隠居さんの両脹脛には、結構大きな瘡蓋がある。お灸痕で、お灸が健康の秘訣と笑って居られる。お互い口には出さないが、其々の観察の目を向け合っているのが人間の様である。
 
 私の前に出て行った例のリハビリ男は、番台のおばちゃんと長々と話し込んで居た。その話し声が、ビンビン聞こえて居た。槍玉に挙がっていたのは、派遣切りでも職業の選り好みをしている事に対する感情的罵詈雑言非難であった。その強烈さに、私の方がオタオタしてしまった。怖い男である。
 アジャジャ、男は睨んだ通りの自己中心の思考・神経の持ち主らしい。男の後の板の間には、如何やら川から其の儘、上がった『河童』が一匹いたらしい。

 こんなシーンを見ると、世の女族は、しみじみと男を見る目が無いと思われて来る。嗚呼、情け無しや・・・である。比較すれば、クマ男の私の方が、雲泥の差を以って行儀が好いのであるが、評価は全く別の様らしく一向にお声が掛らないのである。・・・この世は、摩訶不思議な娑婆模様なのであろう。

 大欅は、薄っすらと黄緑に色付き始めている。米屋さんに着くと、ご主人は午後から、月二度の句・歌会があると言う。宿題の短歌二首を差し出して、意見を示せとの事である。首と末の句を入れ替えた方が、インパクトがあると感想を述べた次第である。ご主人に言わせると、私は何時も明るい顔をしていて、周りがパッと明るい空気に為るとの事である。

 そうじゃ、あるまい・・・本日、何を隠そう疲れて、米屋さんのロートル寄り合い処から、元気印を頂戴に上がったのであるが、それも儘為らぬ結果と為ってしまった様である。砂糖のごっそり入ったコーヒーを頂いて自転車を跨ぐ。

 花曇り、今年の春は、花芽が一気一斉に開いている。色鮮やかな花々に、オイラは何を歌うべしや・・・である。滝廉太郎の花の続きは、健さん網走番外地でも、唸って帰ろうか・・・

   春は 春に追われし 花も咲く。酒(きす)ひけ酒ひけ、酒ぐれて、
        どうせ おいらの行く先は、その名も網走番外地。

                 <クマ男の男唄>

       男たる者、人前に仏頂面を晒すは、芸無きものなり。

              凡そ、苦無き人の無きなり。

           背中で泣いてる、吠えてる唐獅子牡丹。

         幼馴染のお天道様にぁ、おいらの心はお見通し。

       嘆いて何とする。この世は、所詮、為る様にしか為らぬ。

               逃げて見ても、始まらぬ。

     見ざる聞かざる気付かず、知らぬが花・知らぬが仏の念仏踊り。

           鈍感に徹して、日々全うするが肝要。

       小賢しく敏・利・感の道に踏み込めば、堂々巡りの茨道。

          鈍の修行に、活路見出すが 感情の平静なり。

              感情鎮まれば、鈍に開く笑顔もあり。

 さしもの鈍感クマ男でも、時には感傷句が、次々と付いて出る物である。偶には、敏の整理もして置くものである。言葉に吐き出してしまったら、気が軽くなった。仏頂面は禁物である。

          さてさて、母御に何か美味いものでも作って進ぜよう。

心何処ーショート 衰えの霧消霧散
               衰えの霧散霧消(4/19/09)
 さっきまで居た夢が、水槽住人達を眺めている内に、何時の間にか霧散霧消してしまった。思い出そうとするが、朝の光の中で活発な魚鱗の輝きに、その手掛かりも浮かんで来ない。遺憾いかん・・・緊張感の欠けたロートル生活に没していると、脳味噌が軟化しているのだろう。困った物である。
昨日は、高校同期のきっちゃんからコメントが入っていた。彼のコントの中の同期生のブログの紹介があったので、早速、覗いて見た。大量退職時代の団塊還暦男達が、企業から一斉に家庭・地域に大移動しているのである。180°の大転換に、軌道修正の舵を切り損なって、すっかり鮮度を落としている同胞同輩も、数居るに違いなかろう。

 人には其々、柵と生き方がある。ブログの彼も、生き生きと遣っている様である。
   <★★も。頑張れっちゃ~> 先ずは一安心、エールを贈ったべや。

 日頃、兄貴と勝手に呼ばせて頂いている<森で暮らすひまじん>ご夫婦の日々は、素晴らしいと同時に凄いと感嘆するばかりである。インテリ夫婦が、釣りに樵、有機農作業に草木染めの晴耕雨読、山を下れば正調ゴルファにして・・・etc、正に八面六臂の充実振りなのである。
 その最新の記事では、ベーコン作りまで遣って退ける達人ご夫婦なのである。何事も用意周到の上での、自分流自然派の権化の様な御方なのである。時折、登場為される山のお仲間の一人、ドイツ人P氏が、これまた素晴らしい山の共演者である。その男やもめで暮らす巨漢男が、出色の味なのである。

 ひまじん兄貴が、冬の寒さに耐えかねて、凍死は真っ平御免とばかりに、滋賀の本宅に帰ろうとすると、<裏切り者!!>と追い掛けて来る。根性の無さを猛省して、昨年は山の別荘床下に、<そっちとは、どっちよ!!>との夫婦漫才を繰り広げられての日曜大工で断熱材をはめ込んで、通年居住を貫徹された。
 冬眠して春を待つ事の出来ない生身の人間の悲しさ・・・通年居住の絶対要件・薪富豪を目指して、P氏・元ロケット設計氏との伐採共同作業、チェーンソーの青い煙をブンブン吐いて、仲間に負けじと日々薪作りと敢行・斜面移送用設備・作業場の屋根架けに共に無償の汗を掻く。

 山の幸、海の幸、里の幸を持ち込んでの山仲間との車座の歓談。森の民ゲルマン・山里の縄文の民のDNAが、混交調和している様な空間・雰囲気が伝わって来る。
 
 文明の利器があると云っても、それは生活必需道具である。サービス業不在の別天地であるからして、工夫と共同で成り立つ身体と精神の稼働現場にして、何かと不便な山暮らしであろう。
 分業社会に長らく身を置いて来た現代人にとっては、自然が取り仕切る山の生活である。一人何役もこなさなければ、日々が貫徹しないのである。一人何役の生活は、自ずと人間個人の生き方に、トータル人間を求め訓練して行く筈である。隠しようも無い人間のトータルさの出来・不出来に、人が集まり、人が去る。表には余り表れない覚悟と真剣勝負の山の暮らしとしか、表現出来まい。

 それを高質な短文と写真で、さらりと流してしまうご仁夫婦のブログである。ブログの雰囲気の中に、人間にとっての協調性の親和剤を随所に滲ませて居られるお二方である。馬鹿の一つ覚えの様に、見苦しい自分流の強調構文ばかりが闊歩するご時世に、<ほ、ほー>と、兄貴殿の息遣いは、実に心地よい響きなのである。

 昼食後、母に車椅子搭乗は? と聞くと、外気の中の買い物で、体内リズムが狂ってしまい、朝から頭がボーとしている由・・・
 それでは、昨日出来なかった釣りをする事にする。お目当ての<ガツン>が一向に来ない。鍋には天ぷらを揚げた油が残っている。釣りじいさんのコメントにも、アブラハヤの食し方があったこと故、ハヤ釣りに移行する。然しながら、口に合わなかったら、余分な殺生である。適当な処で切り上げて、クマ歩きをしていると町内のジャリン子が二人、ちゃちな掬い網を持って、川に入り掛けている。
「おじさん。お魚さんは、どこら辺にいます~。」と、こましゃくれた声を掛けて来る。
「今日は、水が多いから、その網じゃ無理だ。転ばない内に、止めとけ~。」

<やや、あのジャリン子は、見覚えのある顔である。> 昨年、我が家のサクランボとイチゴを、無断で摘みに来ていた小娘3~4人組である。私が採る為に、立ち掛けて置いた脚立から、身の軽い事を好い事に、白昼堂々と木に登ってムシャムシャ頬張っていた片割れである。

「こらっ」と言ったら、「誰か住んでるんですか? とても美味しそうなサクランボが一杯生っていたもんですから、勝手に頂いてます。」なんて、澄ました顔で言っていたバカタレ小学生達である。今年も、サクランボの木は、白い花を満開に咲かせている。何処のお宅の子娘か知らぬが、今年も<おてんば山猿>を演じようと相層を振り撒いて居やがる。
 とんでも無い子娘策士である。料簡が不純であるから、今度は手薬煉ひいて、襟首しょ捕まえて、教育的指導でもして遣るか・・・善悪の理を、口先だけのブリッコ言葉で、逃げようとする糊塗女が、大人になって化粧を始めたら、大和の国の伝統文化が、霧散霧消してしまう。
 
 ジャリン子策士とロートルクマ男の化かし合いは、これ又、ギャハハの一興かも知れん。脳の流動化が進んでいるから、確り頭にインプットして置こう。・・・ウッシッシ

心何処ーショート murui、アガタ・リョウ 共同詩・その2
         murui、アガタ・リョウ 共同詩・その2

        水面6(4/17 murui‘s 心象風景写真)
        
       それが癖になってしまったんだろうね。
        多分もう少し近くにいればそれは

            いや、思い上がりか
                                   ・・・by murui

         光2(4/16 murui‘s 心象風景写真) 
             
              1年の重さを考えるのなら
       1月の重さについて考えたみても 良かったのだろう
             それなら1週間の、1日の、

               でも、その時間は
            何が決めているものだろう
                                  ・・・by murui

いーや、ほら、光2の・・・この階段に一つ一つ印された光が、俺達の定めさ。
光の整序さを、君達人間が1年を365・1/4日と月・週・日で割り算しているだけさ。
整序の連鎖を単位の重さで捉えて見ても、仕方あるまいよ、人間さん達。
だって、水面6を見るが良いさ。一瞬のシャッターで浮かび上がる街の光の四十万すら、
同じ街の水面に浮かばせる顔は、別人だもの。重さとは、そんなものさ。
重さはシャッターの一瞬にも、1日、1週間、1年の中にも、等しく宿るものさ。

  でもさぁ、重さはキミの心に宿り、記憶されるしかない・・・儚くも淡いものさ。
         俺達光は、何時もキミの中に居るんだぜ。
    
         murui気付いてくれて、俺達は嬉しいよ。

                                 ・・・by アガタ・リヨウ

心何処ーショート さぁ、乗られよ。
               さぁ、乗られよ。(4/18/09)
 雨は止んだものの、曇天にして寒い日である。太陽を待っていては、散歩時間を取り逃がし兼ねない。チョツキの上に薄手のジャンパーを着込む。川の石垣の間には、春の第一陣を担った、小さな黄花を咲かせた雑草達も、早や種を飛ばせる綿毛を付け始めている。華やかに春を演出した桜達も、アルプスを消された灰色の中で、名残の花びらを侘しく見せているだけである。

 道路の欅の大木の枝々には、薄っすらと小さな芽吹きの色が見えている。河川敷のサツキとツツジの植栽のベルトには、ツツジの赤い蕾が所々綻び始めている。雨で増水した流れの葦原の淀みには、野鯉の尾ひれが二つ並んで見える。雨上がりの重い曇天では、散歩の人影は無い。蝶も飛ばない河川敷には、ムクドリ・ツグミ・ヒヨドリ・キジバトが散見されるだけである。運動量を確保して、帰りのブラブラ歩きである。帰って、物はついで。長靴に履き替えて、水槽の補充水を汲んで来る。

 この処の好天振りに、カヤの外に置かれていた水槽住人達に目を向けると、あれよあれよの間に、水草が生い茂った物である。金魚槽は透明度を復活させて、金魚達は水草の底の小さな空間を泳いでいる。これでは、狭い水槽が益々狭く為る。2槽の水草の大半を除去する。次いでグッピィ槽の壁面の藻着きを歯ブラシで落とし、普段入れていない濾過器を稼働させる。グッピィ世界では新旧の交代で、成魚の数が少なく稚魚達ばかりで、すっかり寂しくなってしまった物である。稚魚の彼等が、一体どんな色合いに成長するか・・・楽しみである。彼等は新規に入れたグールプと、代を重ねて来たグループとの混血種である。

 金華鳥の若番いの方は、未だに卵のままである。4卵の内、1卵は巣から落ちていた。干からびた卵黄があった。無精卵である。抱卵中の3卵の結果は、如何なるのか? 後1週間程度、見守るより仕方が無い。

夕方、斜向かいさんがDVDの交換に来られた。暫し、ロートル談義で漫才を交わす。

 明けて眩しい太陽の光である。清々しい空気の下に、鳥籠を並べて遣りたいのであるが、人気の無い玄関の安置場所から移動する訳にも行かない。ごっそりと水草を抜いた水槽はスッキリして、朝日を透明な水に一杯入れて、四畳半の住人達は、気持が好さそうである。

 電話をして一件用足しに行って戻る。朝方、庭に居た母を何とか煽てて、車椅子初搭乗に漕ぎ付けたい処である。車で出掛ける前に、乗って見るかと声を掛けて来たのであるが、如何なる事やら、成功率は覚束無い・・・
 こんな時は、クマ男の我が身を振り返らず、鼻垂れ小僧に気分帰りをして、両手を合わせて拝み倒すのが得策である。親子の関係は、人間の最も主要な刷り込み遺産である。私の夏用の白い帽子を被せ、サンダルを履かせて、無事ご搭乗願った次第であるが、私の目指す方向とは逆方向の大手スーパーに、連れて行けとのお達しである。
 何事も急いては事を仕損じるの喩である。土手に車椅子を止めて、買い物袋を台所から持って来る。初夏の様な太陽に、小さくなった母を乗せて無骨クマ男が、車椅子をコトコト押して行くのであるから、写真物である。

 家の中よりも、外の方が好いに決まっている。彼是と、母は言葉を投げ掛けて来る。スーパーでは、ゆっくりゆっくりの全フロア巡回である。如何やら買い物が恋しかった風である。忽ちにして、籠は満杯、ズッシリと重くなってしまった。籠を片手に、ハンドルを片手で押しているのであるが、手が痛いのである。
 さてさて、これを如何いう風にして持ち帰るか・・・である。帰りは上り勾配である。左右のハンドルに一袋づつ引っ掛けて、軽い袋は母の膝に置くしかあるまい。

    行きはヨイヨイ、帰りは重い。汗掻き掻き、帰りゃんせ。
     通りゃんせ通りゃんせ。此処は 何処の細道じゃ、
  楽覚えて、甘え為され甘え為され。これは、散歩の一亜種じゃ。
 
 母としては、汗ばむ太陽の下、車椅子の目線は低かろうが、続く春の眺めに気も心も、広がる和みの外気であったろう。額に汗するクマ男も、好い運動が出来たと云うものである。さぁさぁ、温泉ミネラルウォーターを、がぶ飲みするぞよ。

心何処ーショート 密やか為る想い・感想
             密やか為る想い・感想(4/17/09)
 私のブログは、ブッツケ本番・出た処更新の日々である。従って、時として自分らしくも無く<こりぁ、好い物が出来た。>なんて事に遭遇する事もある。世の女房族の悪口を打ったら、翌日、女房が笑顔で遣って来た。女房と母の会話を見ながら、同席と為った結婚前の介護調査員さんとの比較が浮かんだ。人はつくづくと、『時の子・時の存在』なんだなぁと云う感想を持った次第である。
勿論、そんな事を普段考えている訳では無い。一日のコアタイムとして、文作を維持しているから、ラジオを聞きながら文章を打っている間に、文章の流れから偶々、結びの言葉としてヒョッコリ顔を覗かせた<密やか為る想い・感想>である。

 女房と母の会話の中にあった言葉の中に、三兄の<5人の兄弟なんて言っても、一人一人を取って見たら、みんな半人前、5人でやっと一人前だよ。>と言う件があった。

 口下手・ズケズケ言う三兄としては、諸般の状況から気落ちしていた母に贈った言葉であろうが・・・実に巧い事を言った物である。親として、子供達を平等に、そして悪く言いたくない立場からすると、実に使い勝手の好い引例である。一方、兄弟間からすると平等と云う観点は覚束なく、大いに競争・比較の対象と為るのが兄弟の関係でもある。

 私は狭見な物の見方しか出来ないクマ男であるから、<何を、調子の好い事を言って遣がる。口先人間と俺とを平等に扱うとは、何事か!!>なんて、ニヤニヤ合槌を打ちながらも、ちゃっかりと腹の中で舌を出している四男坊なのである。これまた、テヘヘと云った処である。
 仲の好かった二つ違いの三級上の三兄ではあるが、情に脆い男であった。彼特有の情にほだされて発した、やっこさんらしい・ぶっ切ら棒の物言いの一つであろう。
 彼は分からない事があると、好く質問をして来たものである。そして、その後の照れ隠しは決まって、<Rは、学者見たいな事を言うね。誰に飯を食わせて貰っているのかな?大学行けてるのは・・・誰のお蔭か、分かっているだろうなぁ?>と生意気な軽口を叩いて、兄の特権を行使して、ちゃっかり無断使用をしていたものである。
 学生の私としたら、炊事・洗濯・布団の上げ敷き・目ざまし役、加えて教育係まで押し付けられての『立派な労力出捐・共同生活』だったのある。言葉を換えれば、お三度役に徹して、デートの時間まで調整せざるを得なかった<飼い殺し状態>であった。

 言うに事欠いて、白らばくれ遣がって、私の知らない処で、実に巧い事を、抜けシャーシャーと言って居たものである。
 ゴンちゃは、流石に俺のじゃれ合いお兄ちゃんだわな、天晴れ!!・・・である。

 脱線はこれ位にして、話を戻すと、頭に浮かんだ<時の子・時の存在>のフレーズを独立させて、詩を作って文章の結びとした次第である。文作を読み返している内に、何か『時の子・時の存在』を象徴する様な絵でも描いたら様に為ると思ったのであるが、イメージが形に為らなかった。何か題材のヒントに為らないかと思い古びたアルバム帳を開くと、セピア色の写真があった。

    頃合いの物であるが・・・その物ズバリの写真は、拙い・・・

 私とて、羞恥心は存分にある。自分の昔の写真を掲載するのは、個人的には大変な決心を要する物である。然しながら、他人様の眼は、本人が気にする程の注視の気持ちは無いのである。一過性の太平洋の中の芥子粒の様な物である。おまけに投稿先は、姿形の分からない同士のブログ散策である。
 幸い、容姿容貌は別人の様であるから、自意識など、枝葉末節の杞憂でしかあるまい。賞金首の掛ったお尋ね者の面通しをした処で、一体何%の正解率しかあるまい。恥も屁ったくれも無かろう。幸い肖像権は100%私にあるのである。これも、還暦クマ男の座興の一つだわな。・・・である。ギァハハ!!

 羞恥心を解放させて、<時の子・時の存在>と<セピア色の頃>の二編の詩もどきを繋ぐイメージとしたら、打って付の挿絵である。一過性の挿絵に肉薄しては為りませぬ・・・

      時をテーマとした私の詩情・制作意図が半減致しまする。

心何処ーショート 時の子・時の存在/セピア色の頃 
              <時の子・時の存在>(4/15/09)

              母の視線の先には、倅と嫁が居る。
             女房の視線の先には、母と亭主が居る。
             吾視線の先には、母と嫁・女房が居る。

        交わす言葉の続きに、浮かび、広がる あの時、この時、

      人は、時の子・時の存在。時の研磨に、何時しか 角が取れる。
             時の馴染みに、クマ男、心和むひと時。

        嗚呼、有難や 時の神は、ゆっくり 拘りの罪を 流し去る。

                    セピア色の頃

               <セピア色の頃>(4/16/09)

              写真は セピア色から カラーに
          鋼の武闘派は 今や頭髪を失ったメタボ・クマ男
                  吾は時の子 時の存在 

                  容姿・容貌は変われども
        吾は時の子 時の存在 還暦越えて 時は 吾に何運ぶ
            セピア カラーに色変えても 吾骨格変わらず 

            何時かは 親族・知己に 無垢の白き骨格晒す
              霊魂あるならば 吾は時の子・時の存在
         白き骨格に セピア カラーの衣着せ 眺めるも一興なり


心何処ーショート お人柄に感謝
                お人柄に感謝(4/16/09)
 久し振りに早起きをして、資源物を公民館まで出しに行く。本日、薄曇りであるが、気温は上昇するのだろう。朝のラジオを聞きながら、チーズを口にコーヒーを飲む。金魚槽の濾過器を洗って二日目である。汚れていた水も大分濾過されて来て、透明度がぐ~と増して来た。煙草を吹かしながら、支所に行く用事があるから、銭湯・支所・買出しを午前中に済ませて、午後は昼寝とするか、釣りをするか等と考えるが、先日の雨で餌の調達は無理かも知れぬ。庭のミミズも、きっと期待薄だろうし・・・

 おおように構えている内に、三時に介護の事で再訪問との事である。予定が入ってしまえば、片付けなければ為らない午前中の外出である。10時頃の銭湯は、老人風呂である。もうピリピリして熱い湯温に、顔を顰めて身を沈めて行くばかりである。

 最初に支所で用事を済ませて来たから、私には余裕がある。洗い終えた後のタイル壁に背中を預けての湯掛けタイムは、見る物も無いからご老人衆の観察である。

 皆さんは、風呂に入るのがウエートの大きな日課であるから、思い思いの風呂道具の入った洗面器を持って来ている。垢擦りも背中専用物・普通の物・束子・ヘチマ・軽石・歯磨き・剃刀・ブラシと色々取り揃えて居られる。
 面白い処では、足の指の間を歯ブラシで擦る方法には、感心してしまった。銭湯に通い始めると、常連客は其々時間帯に合わせた銭湯談義を交わしに来ている様子である。人間には、其々相性で繋がる人の輪があるのだろう。見ていると、ご老人衆は、実に小まめ念入りな洗い方をされている。
 如何やら、これは運動を兼ねた風呂浸かりらしい。適当な距離ならば歩いて銭湯に来て、念入りに身体を擦り・洗い、顔馴染みと言葉を交わす。為るほど、せっせと<不自然な手の振り方>で、運動ウォーキングを日課でこなすのも、此処に来るご老人衆とて、同じく運動日課をこなしている。・・・と見えなくも無い。これも、立派な自分流である。

 個人スーパーでは、スーパーで茹でたタケノコを買わされてしまったから、身欠きニシン・タケノコ・チクワ・アゲ・コンニャクの煮物を仕込む事にする。昼食後は、廊下に枕を出して一時間の日光浴昼寝を取る。

 さてさて、三時を前に手付かずの、本日分の日記を打ち始める。

 担当の地区ケア・マネージャーさんが、交代すると言う事で新マネージャーさんと一緒に来られた。母は昨日の見栄を張った応対で、余程疲れてしまったのであろう。布団に伏せっている。マネージャーさんとは面識があるから、寝ている母の部屋に案内する。幸い、お二方ともベテランさんで人情味のあるご婦人達であるから、ズケズケ物言いが出来る。日々、老衰に向かう母の介護度が一等級下がるの判定が、到底承服出来ないので縦板に水の言を弄した次第である。

 ある年齢・人生経験を積まないと言葉とは、広がり・厚み・感情を伝え、共有出来ない側面がある。有難い事に、私のR節に理解を示して下さったお二方であった。話の合間に、先任マネージャーさんが、私のブログを毎日読んでいてくれていた由・・・現在は、夫が転勤地に持って行ってしまったので、四月からは見ていないとの事である。パソコンの不都合で更新されなかった時期は、心配をして下されていた様である。有難い事である。

 山国信州のひっそりと暮らす無骨なクマ男ではあるが、お褒めのお言葉をご婦人から不意に頂戴すると、破顔一笑、血液の送りがホンワカと全身を巡るものである。車椅子を帰りに届けてくれるそうである。

 本日のしが無いロートル日記にも、心にほんのりと花が咲いた様である。ご婦人お二方には、好く喋るロートルではあったろうが、クマ男にとっては楽しい語らいの一時間であった。感謝感謝のお人柄であった。

心何処ーショート 馴染んだ時に、心和む一時
            馴染んだ時に、心和むひと時。(4/15/09)
 本日は、母の介護認定更新に係わる聴き取り調査の日である。若い女性調査員の質問に、プライドを傷付けられた母の投げ遣りの態度が大きくなって行く。間に立って、ジェネレーション・ギャプとマニュアル職務質問の狭間を通訳する。通訳兼行司役のクマ男節を披露して、業務打ち上げ後の呆け話に移行していると、何と女房殿が庭の縁側から入って来た。桜餅を仏壇に供えて、燈明を上げチーンと、線香を上げている。昨夜、電話で頼んで置いた書類を、早速持って来てくれたのである。有難や恋女房である。
 
 まぁ、これは表向きの感想である。流石に、<山の神のインスピレーション>、昨日の女房族扱き下ろし、男談義の祟りなのである。へへへ。

 玄関に若い調査員さんをお見送りすると、
「綺麗な、女優さんの様な方ですね。驚きました。」
「馬鹿こいちゃ行けねぇ。俺だって俳優見たいなものだ。参ったか。」
「モテルでしょう。私、近々結婚するんですよ。好い雰囲気ですね。お二人とも、それにお婆ちゃんも。」
と、お世辞を言ってくれる。時間を掛けての、お互いの意見交換が出来た様子であった。

 別居中の女房様は、ロートル母子家庭にあっては、大事なお客様である。
「せっかく買って来たんだから、硬く為らない内に食べようよ。」

     はいはい、畏まりまして御座んす。お茶を入れると、

「Rさん、お茶が出ていないわよ。」
「金欠病で、最低生活してるんだ。文句を言うな。」
女房の顔を見て、話をしている内に、母の顔が生き生きとして来る。
「お母さん、元気な顔してるよ。元気じゃないの。」
「元気じぁないさ。一週間の内、1~2日は、布団に伏せっているよ。久し振りにお前さんが来たから、上気してんだよ。俺も何か、発情して来るわな。」
「また、馬鹿な事を言って。Rさんは、進歩が無い人だから嫌に為っちゃうわ。」

 母と女房は似た者同士の側面がある故に、若い頃は嫁と姑の確執があった二人であった。二人とも悪い女では無く、世間さまから見ると、優れた女の部類に属するのであるが、几帳面・頑固・気位の高さが衝突すると、歯車が組み合わなくなってしまう厄介な性格なのである。二人には、空蝉為らぬ馬鹿蝉の術を伝授しようとしたのであるが、教官の私の非力で失敗してしまっただけである。

「私、お母さんから雑煮・五目ご飯を受け継いだけど、夏のナス・揚げ・コンニャクの煮付けだけは、お母さんの味迄、到達して無いのよ。それが、今は悔いがあるの。本当に、お母さんからは、色んな事を学んだもの。感謝してるよ。」
「昔は、お互い若かったから、しようが無かっただけだよ。な~にも、思っていないよ。私は〇子さんから買って貰った物を、今でもツギを当てて大事に身に付けているよ。これも、そうだし、これもスカートを直して前掛けにしているんだよ。」

 おやおや、嫁と姑は穏やかな会話を、次々と展開している。好い流れである。こりぁ、まるで小津安二郎の<東京物語>に登場する東山千栄子と原節子の姑と嫁のシーンを彷彿とさせる。
 
 つくづくと、人間と云う物は<時の子・時の存在>なのだと云う実感が込み上げて来る。四男坊、齢60歳と6か月、女房・59歳と6か月、母・92歳と7か月・・・

 若くして他界した長兄・三兄は、57と48であった。こんな情景・心境を、彼等とて心の片隅に思い描いていた事であろう。人間の一生は、時を経て感じる事しか出来ない<情の風景>と云う物もあるのだろう。若い頃の原動力<俺が、俺が><私が、私が>の鍔迫り合いだけでは、心豊かには為れない。そして、若い頃の原動力の鍔迫り合いを経由して、『時の醸成』を潜らなければ、素地に滲み出る人間の味は、出ない処であろう。


            母の視線の先には、倅と嫁が居る。
           女房の視線の先には、母と亭主が居る。
           吾視線の先には、母と嫁・女房が居る。

       交わす言葉の続きに、浮かび、広がる あの時、この時、

      人は、時の子・時の存在。時の研磨に、何時しか 角が取れ
            時の馴染みに、クマ男、心和むひと時。

      嗚呼、有難や。 時の神は、ゆっくり 拘りの罪を 流し去る。

心何処ーショート 雨の午後
                  雨の午後(4/14/09)
 午後から、雨が振り出した。寒さ感じるフリータイム、家に居るだけでは瞼が重くなるだけである。偶には、車に乗るべしである。散歩の代わりに、2件の用足しの後に、Tの所に顔を出してくれば、丁度時間が埋まる。動く事が、時間の有効活用である。

 篠付く暗い雨に、松本城のお濠端の桜も盛りを過ぎて、花弁の白いシーツを歩道に、車道に、打ち濡らしている。太陽の無い情景は、まるで桜花の咲き行く短さに、冷たい雨が追い打ちを掛けている様に見える。雨に煙る盆地の其処彼処に、桜の色が見え隠れしている。市役所で書類封筒を間違えてしまい、敢え無く後戻りの体たらく振りを晒してしまった。

<やれやれ、遺憾いかん・・・雨天、車で来て幸運>と云う物である。用事を済ませて、Tの所に寄る。寒いから、寝ていたと言う。

 お天気模様の所為か、普段とは違い、話が在らぬ方向に逸れてしまい、ボヤキ川柳為らぬ女房扱き下ろし談義に為ってしまった。

「おうおう、そうそう、お前の処もそうかいな。何たって、生意気だだよ。自分だけ悲劇のヒロイン見たいな事を抜かして、ちょっと男の本音を言おうものなら、眉毛釣り上げて、三泊眼・目でっかホウジロ見たいな顔して、ギャンギャンだよ。男が黙っていたって、ノーテンキじゃないんだよ。神経の数に、男女の差は無いと思うんだけど、何しろ相手が悪い。男の俺達は、地球が太陽の周りを回っている事を真理だと思う<地動説者>だけど、相手は自分が中心の天動説を信望している<中世のマリア様>だと思ってるから、性質が悪い。<紳士の沈黙>は、満足・容認と勘違いしているんだから、手の打ち様が無い。あいあい、アッシが悪御座んしたって、かわすしかあるまい。女の口数と執念深さに於いちゃ、男は逆立ちしたって敵わないぜ。無駄な事にエネルギーを割くのは、愚の骨頂。即、平和の黄旗を掲げるのが得策だわね。ケケケだわな。」

「   」の台詞は、Tか私の感想かは、一向に分からぬ処であるが、鬼・山の神の不在を以ってして、<同類憐みの症状>を噛みしめて、大いに笑い転げた次第である。世の中、欠席裁判にこと寄せてマイノリティの遠吠えも、時には楽しい笑劇場と為る物である。
 尤も、ご本尊様を目の前に胸の内を曝け出さない処が、<男の奥深さ>と云うものであろう。雨振り、平日の午後のひと時を腹蔵無き馬鹿笑いをしている内に、夕飯の賄い夫の着手時刻に為ってしまった。

 さてさて、「今日の晩飯は、何にするべや・・・」のエールの交換をして別れた次第である。

心何処ーショート ちょっと真面目に
              ちょっと真面目に(4/14/09)
 初夏の気温から一転、曇天・平年並みの気温と云う。鶯殿は山に帰られた様で、この数日パタリと声を聞かない。昨夜は昼寝の時間が無かったから、その分、早く寝てしまった。早く寝れば、その分早く眼が覚める。現役時代、殆ど欠かさずに聞いていた<ビジネス展望>を定位置で聞いた次第である。本日、私の好きな内橋克人氏のお話であった。

 バタバタするのも不味いから、湯を沸かしてインスタント味噌汁を飲む。コーヒーでも実質は変わらないのであるが、腹が減っているのである。味噌汁にすると、何か気分的に腹の足しにある・・・そんな気分に為るから不思議にしていい加減極まりない物である。序でに自家製の梅干しを口に入れて、白湯を飲む。朝のラジオは、抑えが利いていて気分にマッチする物である。

 部屋を出る度に、鳥籠で卵を温める、若番いと目を合わせる。本日14日である。場合によっては、近日中に孵化の運びと為るかもしれない。この頃では、確りとオス・メスが交替して、抱卵している。そんな番いを見ていると、三度目の正直であって欲しいと思う。  
 親番いの方は、何とまぁ、5つも産んでいる。出産コントロールが作用しない世界の住人である。人間の文句を言って見ても始まらないから、仕方の無い事である。

 黒い嘴の根元が退色して来て、チラホラ赤の兆しが見える子供達は、朝に成ると早々に寝所の藁巣から追い出される。可哀想に前二回の子育てよりも、大分早い放逐である。今回は、鳥籠も無いし産卵が早かったので、そのままの成り行き任せにしている。私は、ずぼらな男であるから、自分に都合の好い口実を見付けて、それを観察対象としてしまうらしい。
 つまりは、概ね『三度目の正直の繁殖成功の因果関係を、どう考えるべきか?』を観察対象としているのである。幾ら繁殖に不向きと烙印された飼い鳥であっても、早々は<三度目の正直>が、続く訳が無いのである。三度目の正直には、<確たる必然性>が潜んでいると考えた方が、実態に近いのかも知れない・・・と云う事である。
 別な言い方をすると、野生の世界では初産が一般的なのだろうか?・・・と云う大疑問である。野生のドキュメンタリー番組を思い返せば、大型猛きん類のイヌワシ・オオタカなどの繁殖記録の中には、しばしば不成功の映像があった筈である。繁殖不成功の原因は、若鳥の未熟(無精卵・中止卵・育雛放棄・・・etc)、番いのロートル化などであった。

 若鳥の未熟さに焦点を当てれば、その中で技術的要素を考えれば、経験的要素がどの位のウェートを占めるか?を考えると、面白い観察対象と為るのである。ヒナ達が巣立ってすぐさま籠を分けられてしまうと、OJTの実地教育が皆無と為る。凡そ、知ると云う過程は、<真似る・マネブ・学ぶ・知る>のベクトルなのである。そんな過程を、労務管理用語ではon the job training と小生意気に横文字で解明しているにしか過ぎない。これまた刷り込みの世界から発生する『門前の小僧、習わぬ経を読む。』の類である。知る事=成功の大前提が、刷り込みならば、親鳥の下での子供達が抱卵・育雛を同居して刷り込まれれば、きっとその効用・効果は、三度目の正直を短縮出来る結果に結び付くと考えるのが、人間の観察であろう。面白い観察結果と為るかも知れぬ・・・

 人間とは、元来横着に出来ているものである。先人達の書物にある記載・記述・論考、著名人の記載・言葉を研究・学習と云う聞こえの好い自己満足感で、鵜呑み、刷り込まれてしまう事が殆どである。インテリと云われる人間達に特有な高慢・不遜さに根づく異臭は、へそ曲がり穿った眼からは、面倒臭がり屋の間引き学習・研究の沙汰かも知れぬ。活字印刷されていると、その印象だけで客観的研究・事実として信じ込んでしまう帰来がある。
 然しながら、一代の多寡が知れた有限の時間しか持たされていない人間の弱みである。その出典を遡れば、意外や意外、実は本の数行にも満たない伝聞記述でしかなかった・・・何て事は、世の中、五万とあるのである。

 有名と云えども、最初は皆無名なのである。絶世の美女などと形容されても、世の中、無名の美女の数の方が圧倒的に多いのである。付和雷同的な刷り込み知識ばかりの中で、流されているばかりでは無く・・・文明・利器・有名に惑わされずに、下衆の勘繰りを実践して見た方が、余程面白くもあり想像がパァ~と広がる筈である。市井の美形・美女であっても、お近付きに為れば大小も放屁も為され、ずっこけも為される。長所も短所も、混在一体の存在なのである。遠巻きで鑑賞させて頂くよりも、等身大の肉声・体臭の届く範囲に居る方が、余程面白かろう。糊塗されたカリスマを一方的に崇め奉っていては、単なる偶像崇拝の悪しき風潮を蔓延させるばかりである。<バカこいちゃ行けねぇや、笑わせるな。>の下衆目線が、庶民の楽しみである。大いに遣り為されである。

 文明の利器に踊らされて、信州のロートルクマ男の手に為る賄い夫日記とて、自筆の判読不明の癖字を更新したとしたら、それこそ、書いた本人すら、ナンジャラホイの逃避行が関の山である。文明の利器とお天道様の思召しで、辛うじて『終いの趣味』を授かったまでの事である。これまた、<信州のクマ男、習わぬパソコンを叩く。>の口である。真面目に読んでは、お天道様に破門を言い渡されますぞえ。

 さてさて、母上の動きでありまする。ロートル賄い夫モードに、修正致しまする。

心何処ーショート 平穏に、時は流れるなり
            平穏に、時は流れるなり(4/13/09)
 お天気は今日まで続くと云う。温泉ミネラルウォーターも煙草も切れた事でもあるし、銭湯経由の買い出しに出掛ける事にする。斜向かいさんの姿がある。ここ最近の私の文作も、<斜向かいさん・Sちゃんシリーズ>と為りそうな雲行きであるからして、引き返して印刷をしてプレゼントする。

 午前中の入浴だと、学生と思しき若者が多い。彼等は地元の人間では無かろう。不干渉・個室文化の中で育って来た連中なのであろう。個性を主張する割には、躾・公衆道徳・エチケットの観点からの、自分と他者との比較から覚える<恥>の概念・感覚を持っていないのだろう・・・ 従って、自分達の使った風呂桶・腰掛けを所定の位置に戻す事の出来ない世代である。
 本来ならば、注意をすべき処なのであろうが・・・私は、そんな事を言う積もりは無い。躾・自分の行いを他世代と比較して、身に付けると云う神経の無い連中とは、目も合わせたくない性向である。当たり前の事を他人から指摘される事ほど、恥ずかしい事は無いのであるが、それが自覚出来ないとあっては、無視が頃合いである。神経の無い者に、エチケットを正す気は、遠うに失せてしまっただけである。従って、そんな連中とは言葉も交わさないのが常である。

 風体の悪い下卑たクマ男は、スイスイ洗って、浸かって、スタコラ退散の態である。個人スーパーで買い物を済ませて、帰って来ると、母は風呂に入って洗濯機を回している。今日も好い天気である。バケツに水を汲み草履をつっかけてズボンを捲りTシャツ姿で、鳥籠の底板を外して、玄関の前で念入りに洗っていると、先日の相層の好い若い駐在さんが、ご近所を回っている。

「疲れたずら、油売って来ましょ。」
「好いんですか、お邪魔じぁないですか?」
「好いさやー。信ずる事から始まる大和の国だよ。大丈夫せ。身内にはポリ公が二人いたから、ポリスマンには、至って親近感を覚える性質だわね。玄関でちょっと涼んで行きましょ。これも、駐在さんの立派な仕事だよ。話のタネに落書き帳と作文でも見てきましょ。外は、ちょつと熱過ぎる。ハハハ。」
 
 歳は31歳、出身地福岡市と云う若い巡査部長は、振り込め詐欺の対抗手段として、管轄の家庭巡回を駐在勤務の仕事と考えと行動し始めたとの事である。優男のスマートな風貌であるが、中々、初対面ではコミュニケーションが、スムーズに運ばないと頭を掻いている。彼の様な優しく気さくな性格は、駐在さんの仕事には向いている。彼も、駐在仕事が性に合っているとの事である。落語風に表現すると<若大将>と云った感じである。長野県人と違って、九州福岡の明るい大らかさが窺える。私は、こんな人物が大好きである。

          お向かいのおばさんが、
「はい、お茶の差し入れだよ。お婆ちゃん元気?」と豆乳コーヒーを差し入れて下さった。

 日本人同士である。笑顔で一つ声を掛ければ、言葉が続き会話が弾む。嫌なご時世、物騒なご時世であっても、不安・不平・不満を顔に出し口を閉じてしまえば、空転するばかりの日常である。おっちょこちょい、戯けのクマ男ではあるが、素地を曝け出して自然体を貫けば、大目に見て下さる人の心の贈り物である。ロートル人生、日々愉しむものである。


心何処ーショート へへへ、四男坊の甘え
             へへへ、四男坊の甘え(4/12/09)
 日曜のマンネリテレビも、腹が立つばかりである。腹が膨れて昼寝の気分であるが、昼寝ばかりでは芸が無さ過ぎる。洗濯機を回しながら、長い竿を見付け出して本日は、川の中を漁って、川虫でさえ釣りをして見よう。釣りも昼寝も、同じ時間内である。

 川の中の石をはぐると小砂利で作った蓑虫の様な巣に、グロテスクな黒虫が入っている。大きいものだと、3cm位の物さえいる。薄ら馬鹿ならぬウスバカゲロウの仲間・ヘビトンボの幼虫である。見た目は悪いが、きっと乙な味がするのだろう。良く釣れる生き餌に為る。唯、何でもござれの馬鹿ハヤも、直ぐに食い散らかすので困るのである。20匹程を取って、昨日のポイントに向かう。

 川に降りようとすると、120~30cmもある青大将が、長々と日光浴をしている。あれあれ、とんでも無い物を見てしまった物である。昨日の一匹に気を好くして、腰を落ち着けて釣ろうと思っていたから、飲料水を持参したのである。太い胴の先の細い首・頭・目を辿って行くと、鋭さに欠けた間抜け面の眼である。如何やら、見た処、冬眠明けの時差ボケの眼である。
 迫力に欠けたナマクラ蛇ではあるが、好く此処まで大きく成った物である。余程、葦だらけの河原は、彼等にとって食料豊富で居心地が好いのだろう。触らぬ神に祟り無しであるから、遠回りをして目を四方八方に配って降りる。

 石の上に胡坐を掻いて、何回か流れに乗せて、ポイントを狙っていると、ガツンと来た。
<ヨッシャ!!>  手応え有り。 <掛った!!> 竿が弧を描く、張った糸が葦の下にグイグイ引き込まれて行く。
<クソッ潜られた、上がって来ない、デカイな、駄目か・・・ 駄目だな・・・> 
プツン、竿の反動に、落胆が宙に舞う。葦の根元に入られて、切られてしまった。

 仕掛けを出して老眼の目を萎めて結ぶ。今度は、当たりの小さいハヤの引きが続いて、針に掛るのはハヤばかりである。

 嗚呼、バレた獲物は、デカかった・・・ やいやい、水の中では、ヤマメに避難警報が鳴ってるんじゃないの・・・ バラしたオイラが、お人好しかいな・・・ これも、ハヤだ。お前達の口には、餌がデカイの、ガツガツするんじゃないの。あれ一発で終わりかい・・・そうじゃあるまい。・・・ 嗚呼、今日も暑いじゃないの、長靴が炙られてアッチッチだいな・・・ 蛇は、いないだろうな・・・ 

 流れの速い所を狙う事にする。ハヤ集団はお呼びでは無いから、流す範囲は短い。いきなり、ガツンと来た。ヨッシャ!! 竿先の糸が緊張して引き込まれている。獲物は、葦の陰にグイグイ逃げている。

<今度は逃がさねぇぞ、好い喰らい込みだ。ヨッシャヨッシャ、さぁ、どうじゃい。>
 
 昨日に続いて、20cmを超すヤマメである。プリプリの魚体である。針を奥まで飲み込んで、外せない。針すを切り、仕掛けを作り直す。足元の水際を掘って、ヤマメを入れる。エラから、赤い血を噴き出している。

 それから後は、次から次とハヤばかりが、くっ付いて来る。餌も無く成った事でもあるし、これも後日の楽しみ確保と云う物かも知れん。散歩代わりの釣りである。玄関を開けると、DVDの袋が置いてある。斜向かいさんが、来て行ったのであろう。手を洗ってから、斜向かいさんの処にお迎えに行く。

「御免なさい、釣りに行ってたもんだから。」
「そうずら、窓が開いていたから覗いたら、そのまま、一部屋向こうの庭まで見通せたんだけど、車も自転車もあるから、これだと思った。釣れたかい?」
「見る?」
 台所のヤマメをまな板に乗せて、物差しを当てて見ると、22.5cmであった。

 去年は水涸れしなかったから、この程度のヤマメに育っているのだろう。一昨年の夏は水涸れをしてしまったから、去年のこの辺りは、ハヤばかりであった。水で川さえ繋がっていれば、この一帯はヤマメが大きく育つ環境にして、イッチョーマエの釣り愛好者には、『灯台下暗しの安全地帯』なのである。ヤマメが居座って2年目の今年は、短時間の釣りでも、何度かは尾頭付きの淡水魚が食卓に乗る事だろう。
 昨日と今日を足せば、一人一匹の立派な尾頭付きなのであるから、<母に文句は言わせない事にしよう>である。

 開け放しの八畳に胡坐を掻いて、早速、斜向かいさんとロートル談義である。青大将の話をすると、
「ショ捕まえて、食わないと駄目だよ。放し飼いにしとくと、車に轢かれて干物が出来るだけだよ。100年に一度の、世界大不況だよ。エコ、勿体無い、食料安保の時代だよ。イッヒヒ。

 テレビ見た? エコカー、エコ家電ばっかりに目を向けて、何が15兆円だい??? 庶民のエコ活動は、勿体無いから始まるんだよ。勿体無いは、不必要な物は買わないの真っ当な暮らし振りを云うモンだよ。それを何だい・・・一国の総理ともあろう者が、浮かれちまって、埋蔵金だか、国債発行だか知らねぇが、丸で税金を手前のポケット・マネー見たいな感覚でポンポン言い遣がって・・・ よくよく考えりゃ、儲けるのは、自動車・家電メーカー、金持ちばっかじゃねぇか。冗談こいちゃ、行けねえわね。そうずらい?

 車・家電の買い替えも出来無い年金生活者、1000円ドライブしたくたって、ET装置買えねぇ下々は、一体如何すんだよ、フキノトウ、ネンボロ(ノビルの球根)、青大将のかば焼きしか食えない俺達は、如何すんだよ。フキにウド、クリ・アケビにキノコ・・・人間、山菜ばかり食ってたって、力が出ねぇずらよ。イノシシ獲るにぁ、免許と鉄砲・弾・猟犬が必要だわね。マタギじぁあるめいし、そんな銭が庶民にある訳が無ぇ、オリンピックのクレー射撃とは、住む世界が違うわね。な~んちゃって、へへへ。

 アクの強い山菜ってものは、偶に頂くから乙な味がするんだわ。そんな物、毎日食わされてたら、全身にアクが回って、悪行非道の極悪人に為っちまうってもんだよ。猿・クマ・イノシシだって、山菜に飽き足らず、里に下りて来て悪さするじゃねぇかい。えぇ~。覚醒剤・大麻なんてもんは、まだチョロイってもんずら。人間、切羽詰まると何仕出かすか、分かったもんじゃねえよ。困ったもんだわね。」

「そりぁ、そ~だ。巧い事言うもんだ。へへへ、俺ぁ何も言えねぇや。」
「そりぁ、そ~せ。こっちだって、伊達にお兄ちゃんの中身の濃い読み物を舐める様に、繰り返して味わっている訳じゃねぇもの。ギャハハ。先生が良いんだじ。」

 斜向かいさんも、まめな御方である。置き場所の無くなったビデオ・テープの乱雑さを見兼ねて、段ボール箱を利用したテープ棚を作って来てくれたのである。段ボール棚の表には、花柄模様の表装紙が小ざっぱりと貼ってある。
 9歳年上のご主人は、何やら兄弟思いの長領兄貴が弟にして遣る様に、重ね置きされたテープの山の埃を拭きながら、ニコニコした笑顔で、自分の工作して来た段ボール棚に揃えて入れて下さるのである。

 恐縮の沙汰であるが、出来の悪い四男坊の私は、斜向かいのお兄さんの親切さに手を合わせて、久し振りの甘えっ子弟の気分を頂戴した次第である。

心何処ーショート ギャハハ為り
               ギャハハ為り(4/11/09)
 先日温泉銭湯から汲んで来た2.7Lの源泉ミネラルウォーターは、成るほどの喉越しが好い。好きな人が、この焼酎ボトルで、5本も6本も汲んで行く筈である。四方を山で囲まれた盆地であるから、松本市でも名の通った昔ながらの湧水井戸が彼方此方に有り、車でこまめに汲みに来る人が多い。又、源池・井出川などの様に湧水に因んだ地名もあり、井水ポンプを併用する家庭も多い。
 彼等から言わせると、湧水で入れるお茶・コーヒーの味、生水の味を覚えると、水道水に戻る事が出来ないと言う。習慣、拘りを持ってしまえば、水道水のカルキ・塩素臭は、とかく気に為ってしまう物であろう。一時、名水百選などと盛んにテレビに登場して、ブームに為った時期もあった。
 味覚・喉越しの感覚の好さに気を向けると、私もこまめにボトルを持って、何とか習慣化しなければ為らないのだろう。これから、熱くてどっぷり浸かるには閉口してしまう湯であるが、2.7Lで200円の正真正銘のミネラルウォーターなのであるから、頑張って習慣化しようと考えている次第である。

 本日は如何した事か・・・ 鶯殿の鳴き声が伝わって来ない。朝食時、今日は釣りに行かないのか?と聞かれる。母は如何やら、朝から私が釣りに出掛けると思っていたらしい。私の釣りは何時でも出来るから、真にいい加減の行動にも満たない行為でしかない。陽気が好いから、気が向けば毛バリのテンカラ釣りでもしようと思っている処である。大体、勇んで行くと碌な結果と為らないのは、私の経験的統計学の示す処である。

 小鳥達の世話の折りに、巣から出た若番いの卵を見ると、何やら有精卵の証だろうか・・・卵の感じが光沢を失って黒ずんで見える。若番いも三度目の正直を迎えて、この頃では巣の中でメスに代わってオスが、チョコンと覚束無い恰好で抱卵している姿が見られる。同じ屋根の下で暮らす人間親子、小鳥の親子・番い、金魚・グッピィの世界・・・それらは、同じ屋根の下で併存する別々の営み世界である。干渉されるまでも無く、其々の日常が彼等のペースで時を刻んでいるのである。鶯殿にも、彼の一存がある。彼の美声ホー、ホケキョとて、人間に聞かす為の行為・行動ではあるまい。

 本日、見上げる空は無風の青空である。散歩がてらに、テンカラ竿でも振るう事にしよう。釣れるも好し、釣れぬも春の散策の内である。

 長靴を履いただけで、鬱陶しく為るほどの良天である。満開桜が見えても、見えなくとも、人間には花見なのである。解放的な河川敷には、川のこっちにもあっちにも、バーベキューの人の集まりである。何か一人で釣りをする私は、変人・奇人の様な心境すら起きて来る。家から100mも無い場所に、目を付けていたポイントがある。枯れ葦の茂みを、ヨタヨタと分け入って、早速、テンカラを振るう。流れの巻き込みには、ヤマメの波紋・ジャンプが見える。陽気に動きが活発化されて来たのであろう。粘ったが、一匹を釣り落としたまでの事であった。
 流れに降りたり、上がったりの連続に、汗だくである。歩いていると、いも虫が蟻ゴに取り囲まれてモゾモゾ動いている。早速、横取りして毛バリの先に引っかけて、流れに入れると馬鹿ハヤが引っ掛かって来た。貴重な餌であるから、使い回しを好くして、後二匹と遊んだ。

 流れのポイント、ポイントを見付けてテンカラの鞭を入れて見るが、追って来ない。いま一つ、瀬には出て来ていない様である。テンカラ釣りは未だ早いのである。足元の覚束無い川歩きは、息が切れる。
 陽気が好くなって来たから、お前も冬眠から覚めろと、ロシア製ゼンマイ時計を、パシパシ手の平で叱り付けて来たのであるが、何と動いている。花粉症の鼻水タラタラは、ドンドン重くなるばかりである。河川敷の花見バーベキューと同様に、私の釣りも、釣れても釣れなくとも、竿を出せば釣りなのである。

 行楽日和に長靴で、トカラン、トカランと歩いていると、私の歩く前方に若い女性が一人で、河川敷の中堤のコンクリートの縁に、裸足に為って本を読んでいる。服装からすると、先ほど、川の反対側を歩いていたS大生かと思う。親元を離れての開放感に浸かって気晴らし・・・丁度、この陽気の様な心の扉の開放感なのであろう。自分の大学生時代が、彷彿とされて来る光景である。好い心掛けである。
 素通りして横目で見ると、<こりぁ驚いた。> 私の大好物・白人女性である。自然と足にブレーキが掛って、回れ右である。<見るだけ、話すだけタダ。>の言葉を実践するまでの事である。

『人間、何事も素直な心が大事である。人間みな兄弟姉妹、好奇心押さえて、何とするである。一過性の他人では好奇心は、妄想に発展し兼ねない。一歩踏み込む勇気こそ、人類平和の心得である。おお、好いじゃん。知性と可愛さが同居して御座る。当たって砕けろが、会話の始まりである。これぞ、千載一遇のチャンスと云う物。<花より団子、団子より白人女性>・・・ウッシッシ。』

 真っ赤なマニキュアが、白い素足に好くマッチしている。薄茶の髪に、薄紅色のメガネのフレームが、顔に好く似合っている。何処から来たかと身振り手振りで訊くと、アメリカはユタ州、ソルトレイクの出身で、二年間の契約で中学で英語を教えているとの事である。現在、来日一年半。大好きな日本に来れて、この松本の自然の美しさを楽しんでいるとの事である。しっかりファイトで、大きいのを釣って下さいと、エールを貰ってしまった。

 最後の足掻きである。最初のポイントで竿を振っていると、世の中、物好き人間が居られる様で、対岸のオッサンが長靴を履いて来て、望遠レンズを構えて、私を被写体にしているでは無いか・・・ カメラアングルを考えて、川の中で身を屈めていやがる。野郎、望遠レンズで俺様の顔を間近に見て、余りの尊顔振りに気を良くして、撮りまくっていやがる。写真展にでも出す気かよ。何て云ったって、俺ぁ、顔も持ち物、雰囲気も国際基準のISO規格だぜ。モデル料払いやがれ。

「おぅ、来た。遣ったぜ。」
テンカラ釣りの醍醐味は、一気のごぼう抜きである。宙に踊る魚体、飛び跳ねるヤマメの冷たい魚体をムンズと掴み、針を外す。堪えられない快感。満足感。遣った遣った!!

 如何だい、釣ったその瞬間をシャッター押せたかい。俺の釣りは、見世物じゃないぜ。今の瞬間を逃がしたら、入賞は出来ないぜ。何しろ、俺にはさっきのアメリカネェーちゃんのエールが入ってらぁな。ギァハハハ!! ざまぁ見やがれ。参ったか。

心何処ーショート 小展望台・春霞の眺望
             小展望台、春霞みの眺望(4/10/09)
 昨夜は暖かい夜であったから、気持が変わらない内に前回初訪問した<禿の店>に行って来た。木曜の夜であるから、閑古鳥が鳴いていては、シャイな私は臆してしまう。ママさんとの話のツマミに、下手絵ファイルと軽めの文作を持って行く事にした。
 ドアを開けると、50代のスーツを着た細みのサラリーマン男性が飲んでいる。感じの好い人だから、 二冊のファイルを見て貰う。興味のある視線であったから、ホッとする。ファイルに挟んである6Pの呆け話もスイスイとこなす。好い線を言っている。初対面であるが、話の歯車が噛み合って、55歳と60歳の男の会話は、スムーズであった。話を続けていると、中年40代の男女一組が入って来た。店の常連夫婦だと言う。細面に色白、切れ長の瞳の感じが、好感をもたらす。ショートカット・眼鏡の奥さんは、中々整った面立ちである。何処かで飲んで来た、ほろ酔い気分の夫婦客である。

「歌、歌って好いですか、煩いですけど、すいません。先に断って置きます。」と、チョコンと頭を下げて来る。「どうぞ、どうぞ。」「はい、歌いま~す。」奥さん、カラオケが好きで好きで堪らないと云った感じで、次々と披露される。おまけに、歌の合間には、Vサインを可愛く作って、「イエェーイ、煩くて、御免なさい。」と言って、頭をチョコンと下げるのである。夫婦ともにクダケタ服装であるから、きっとご近所さんなのであろう。私の隣のサラリーマン氏とも、常連の間柄なのであろう。

「ダンナさん、奥さん貸して下さい。デュエットします。」
「はいはい、どうぞ、遣っちゃって下さい。」
大した物である。これが俗に云う処のお友達夫婦の一コマなのであろう。余りのスムーズさに、並んで歌う二人に拍手喝采である。
「イエェ~イ。アリガトウゴザイマ~ス。悪乗りしちゃいます。御免なさいね。」
奥さんの陽気さは、ほろ酔い加減の物なのか、素地の持つ大らかさなのか、足して二で割ったお湯割り焼酎なのだろうか、ただ広がるのは、屈託の無い場末の小スナックの夜であった。

 本日も引き続き好天気である。長閑な陽気の中で、斜向かいさんの車庫のシャッターが、ガラガラと鳴って、ご主人の姿が見える。外に出て声を掛ける。
「やぁやぁ、好いプレゼント貰って、早速読ませて貰ったよ。嬉しいねぇ~。帰って来たら、女房が先に読んでいて、面白くて大笑いしちゃったって・・・ 四枚もスラスラ作っちゃうなんて、驚いてたよ。これで、フフフ、俺も鼻が高い。仲間に、しらばくれて読ませて遣ってさ・・・ <此処に描いてあるのは、何を隠そう俺様だ!!>って、胸張って遣るんだわ。それを、想像したらゲラゲラ笑いが、止まらなく為っちゃってさ、へへへ。
 これから、畑仕事しに行くんだけど、昼の休憩に読ませてやらっかと計画してるだいね。無学の野郎ども、腰抜かすってもんだじ、ギャハハ。苦虫潰した様な顔してりゃ、カラスだって寄り付かないに。高齢化社会、野にも山にも畑にも、笑いが必要だいな。ちょつくら、汗掻いて来るわ。」

 ご主人、悪戯っ子、世に憚るを地で行く様な茶目っ気振りである。さてさて、朝の賄い夫を終えて、これから浮世の自転車徘徊でもしようと考えていると、電話である。花見をしようとのTのお誘いである。好い処じゃない、グッドタイミングである。何処が好いと聞かれるから、芥子坊主の展望台に行く事にした。

 市の北に位置する丘陵地帯・城山の奥である。岡田地区から広い道路が出来て2年ほど経つ。途中、三つの溜池がある。山の溜池には、ブラックバスを釣る人達が、結構見受けられた。展望台の駐車場に車を止めて、散歩コースの上にある展望台のらせん階段を上る。双眼鏡とデジカメを持って来たが、花霞の遠景はいま一つクッキリとしない。
 然し、北アルプスの連山の続き、沈み込む塩尻・松本・安曇野の雄大な広がりは、正しく展望台に依る眺望の冴えである。

 体力不足のTを下のベンチで、私の文作の朗読時間に当てて、私はなだらかなスロープの山の散策小道を回って来る。薄紫の満開花を乗せたツツジが、快晴の日差しを浴びている。山桜の開花は、未だ一週間ほど先の事ではあろうが、松・広葉樹の混生林には、野鳥が飛び回っている。少し、歩いただけで汗ばむ陽気である。山の匂い、土の匂い、湿った落ち葉の匂いが、軽く鼻孔を擽る。平日の昼近くの時間であるが、バイクツーリスト、犬を連れた若者の姿も見える。

 帰りに喫茶店に寄る事にして、展望台を後にする。最寄りの喫茶店を通過してしまい、街場に近い本屋のスタンドコーヒーに入る。一階で飲もうとしていると、階段から女性が下りて来た。ジャスト・モーメントである。私が、下見と偵察をして来る。

「若いネェーちゃんがいる。どうせコーヒータイムするなら、二階の方が気が利いている。さあ、行くべや。」私は、注文品を乗せたトレイを持って、階段を上る。
狭苦しい一階よりも、三倍以上のスペースがある。コーヒーの大とドーナツで、ロートル男のコーヒー・タイムを取る。何は無くとも、時間に束縛されない時間の過ごし方は、実に好い物である。お互い姿形は変わった物の、雰囲気の根っこは、相も変わらずゆったり、好色好奇心のオッサン二人組である。交わす会話の内容は、倫理審査会からは落第点が付けられ様が、内容が聞こえない他人の眼からは、温厚ロートル男の会話を楽しむ姿にしか見えまい。これ又、ウッシッシの段である。

 さてさて、気持の好い、面白いシーンばかりに身を置いていては、ロートル賄い夫の閉じ籠り生活に不平不満の気持が、ムラムラ、モコモコ、頭を擡げて来てしまう。この辺りで、修道僧モードにシフトして遣らねば、駄々を捏ねる性分である。頭・感情のON、OFFのスイッチを、こまめに入れ替えて物臭モードに帰るべしである。

 ああ、嬉しや・・・本日も、清々しく穏やかな、満ち足りた一日と為りそうである。

心何処ーショート お天道様は
          お天等様は、遍く広く平等なり(4/9/09)
 斜向かいさんの事を打った文作を読み直して、校正していると、庭からホ~、ホケキョの嬉しい声が聞こえて来た。止まって、何回も鳴いている。鶯は庭を中心に、南のご近所さんをゆっくり巡っている。段々と近付いて来た鳴きの間合いを考えると、私から2mも無いニワウメ、南天の灌木に居るのだろう。

   <春に鶯>の目出度い訪問者である。暫し、ホー、ホケキョを愉しむ。

 定位置の目の先には、二階のベランダで斜向かいさんの奥さんが、日課の布団干しをしている。校正し終わった文作を印刷に掛けて、モデル料代わりにプレゼントして来る。生憎、ご主人は医者に出掛けて留守であった。

 さてさて、次なる行動は、温泉銭湯経由の買い出しである。今日こそは、焼酎の空きボトルに源泉を汲んで来るべしである。モスグリーンのハットに、同色のコール天シャツ、ベージュのベスト、茶のコール天のズボン。自転車のタイヤに空気を入れて、春にペダルを漕ぐ。

 銭湯の引き戸を開けて脱衣所から浴室を覗くと、<おや、お珍しい>背中を流しっこした御隠居さんが、素早く私を見付けて大きく手を振っている。三か月前後振りであろうか。お互いの挨拶は、<おはるか(遥か)じゃねぇかい、ダンナ、生きてたかい。俺ぁ、死んじまったかと心配してたぞい。>である。陽気が好くなると、途端に熱さを増す源泉である。顔を顰めて、そろりそろりと入る湯である。湯口を避けて、首まで浸かり、手足を伸ばしてフーッと息を吐く。
 湯の熱さに、今年は何月まで通えるかな等と、上の湯船に水道のある銭湯、温めの山辺の湯、家庭風呂のシャワーなどに頭を巡らせる。上がって、定位置の湯口の脇で体を洗っていると、頭髪をツルツルに剃り終えた御隠居さんが、背中を洗わせろとドングリ眼で迫って来た。

 お互い、立派なクマ男の体躯である。垢擦りに石鹸をたっぷり付けて、少々手荒く力任せに洗った処で、肌が真っ赤に為る位なものである。男の背中は、男にたっぷりと流して貰った方が、血行が良く為ると云うものである。今度は、洗い場を変えて、私が対岸に渡る。胸板の分厚い御隠居さんの背中も、見上げた物である。
 
          ニヤニヤと悪戯心が湧いて来る。
「おっ、痛ぇ。効く~。」御隠居さんの白い肌は、見る見るうちに、桜色に染まって行く。
「何が痛ぇだ。ホレホレ、涙流して土下座して見ろ。」
「冗談こくな、若い頃は、相撲取りに為ろうとした位だい。そんな女擦り、屁の河童だい。」
「何ぉ~、爺の減らず口かぁ~。ホレホレ、如何じゃい。お遥か振りの三か月分じゃい。」
「なんの、これしき。畜生、先に遣って貰うんだった。失敗こいた。」
爺様、前歯の掛けた口を首相の口を斜めに歪めた儘、ドングリ眼を白黒させている。

 陽気が好くなると、浅間の湯は熱さが一段と増す。ご隠居さんは、この熱い湯に一時間を過ごして帰って行くと言う。そうすると、夜5回のトイレが3回で済むと言う。私はクマ茹でに為らない内に、お暇をする。

 次は米屋さんである。自転車カゴに入れた源泉は冷えると、どんなミネラルウォーターの味に為るのか、楽しみである。
 体育館・会館北の老桜の林は、3分咲きと云った処であろうか。道路に面した木・枝の方が、アスファルトの反射熱を取り入れて、咲きが早い様である。常念岳を中心に据えたアルプスの白雪・峰々が、春に穏やかな趣で続いている。好い季節の到来である。

 米屋さんには、ちょうど正午の顔出しである。久し振りに空いているから、ゆっくりして行けとの事である。途中で一緒に飯を食って行けと言われても、私には個人スーパーでの買い物、母との食事が待ち構えている。その旨、断ると。じゃ、俺も飯よりも会話の方を取ると言われてしまった。

「大したものだ。何時も感心しているが、ロートル賄い夫にして置くのは、勿体無い。何処から見ても、味の濃いある好い男だし、俺の眼からは俳優が似合うんだけどなぁ~。人間の出来た上品な大学教授か芸術家にしか見えないよ。普通じゃ、俺みたいな無知無学の男なんか、鼻も引っかけてくれねぇのに、受け答えも親切丁寧だしさ。俺ぁ、Rちゃと話をするのが、本当に好きなんだよ。・・・」
「えらい剣幕で煽ててくれるじゃん。それって、竹下さんの<高等戦術・褒め殺し>ってやつずらい。勘違いしちゃいけねンネ。俺の得意手は、<嵌め殺し>だんね。褒めの口説きは、相手が違うんね。裏町のおネェちゃんに、して来ましょ。へへへ。」
「嵌め殺しかい? おっかねぇ事、平気で言うじゃんかい、一回見比べて見るかいね。俺ぁ、爺っさだぜ、もう若いネェちゃんは要らねぇ。デカイ声じゃ言えねえが、懲りた。

 あんな金目当ての中国・韓国・フィリピンネェちゃんには、品の欠片もありゃしねぇよ。
私ハ、アンタノ顔ヨリモ、アンタノ金ガ好キ。ツイデニ、モット生命保険ガ好キ。
 好き好き・アイラブユ~の褒め言葉に踊らされて、ケツの毛まで抜かれてポイされて、終いに女房からもポイじゃ、人間幾ら『南無阿弥陀仏』唱えたって、成仏出来ないよ。

 陽気が好くなったからって、夜フラフラ出掛けちゃイケネンネ。話を聞いてると、R茶の場合、臍下三寸に魔物が鎮座してる見たいだよ。性悪女の手練手管に嵌まって、ウラビレ落ちぶれ人生送ったら、目も当てられねぇよ。そんな奴は、日本に掃いて捨てるほど居るんだ。そっちに転向したら、いくらRちゃでも、そんなアホ、線香あげて遣らねぇんね。恨んじゃいけねぇよ。あい?。」

「あいあい、毛無し、金無し、女無し、おまけに甲斐性無し。あいあい、鏡見なくても、十分自覚してるぜ、Mちゃ、ご心配無用でこざんすよ。はいはい、有難う御座いました。」
「やっとこさ、陽気が好くなったから、一杯食べて、早く買いに来ましょ。待ってるんね。」
 
 買い物を終えて、好い気分で帰って来ると、炬燵の定位置に母の姿が無い。廊下から庭を覗くと、庭の飛び石周りの雑草をコツン、コツンと取っている。何日か続いている春爛漫の空気に、母も足を引きづっての外の空気なのであろう。お天道様のお招きは、遍(あまね)く広く、平等のお力添えなのである。ご利益に、感謝感謝。


心何処ーショート 片隅に咲く現代ロートル落語
           片隅に咲く現代ロートル落語(4/8/09)
 退役して時間が出来ると、男と云う動物は、漫才師に為れるものらしい。ガス屋さんは、美大卒の変わり物である。白髪の混ざった口髭が好く似合っている。私の下手絵の人物絵は、私の特徴であるとの事である。彼の口車<継続こそ力なり>のお伊達文句を真に受けて、ウッシッシとギァハハ笑いの交換をしている次第である。
 自分が保管していても、読者が増加する訳でも無いから、私の文作をプレゼントと言えば、聞こえが好いのであるが・・・ 無理矢理持たせる・・・私は押し売り人間なのである。彼は、私と同様に体格も好いし、眼光が据わっているから、人相は硬い部類に入るが、善人そのものである。月に一度の顔合わせであるが、言葉を交わすのが楽しみなのである。

 昼過ぎに、斜向かいさんがDVDの交換に遣って来た。DVDコーナーの8畳間は、珍しく布団が上げてあるから、スペースは十分である。胡坐をどっかり掻いて、テポドン談義に成ってしまった。ご主人は仕入れ溜め込んだネタを、前田吟さんの柔和な顔を皺くちゃにさせて、一気に畳み掛けて来られる。
※斜向かいさんは、吟さんを細くした感じの色白の優男である。

「ねぇ、馬鹿こいちゃいけねぇやい。人工衛星は真っ直ぐ上に飛ばすもんだわいね。それをこれさ、横に飛ばしゃ、そんな物、100%ミサイルじゃねぇかい。そんな事ぁ、キャチボール遣った事のある者は、教わらなくたって、知ってるわね。誰がこれさ、人工衛星を横に飛ばす馬鹿がいるだいな。てっぺんが、○だろうがと△だろうが、そんなもの関係ねぇずらい。素人の俺にだって分かるマヤカシじゃねぇかい。あい?

 本当に、これさ、世界相手に抜けしゃーしゃーと、無駄事こいたってもんずらよ。あい? おまけに燃料尽きて、太平洋にドボンずらい、よいよいの北の将軍様が、幾ら力んだって、そう簡単にぁ、カルフォニァまでノンストップって訳にぁ行かぁねぇずら。おネェちゃんイカセル程、科学・化学の道は浅かないって言うの。よしんばカルフォニァまで届いたら、アーミネィターのシュガちゃんが黙っちゃいねぇずら。ギャハハ、シュガちゃんは、超人だよ。丸きり、馬鹿小僧に付ける薬が無ぇとはこの事だよ。気違いに刃物、秋葉原の無差別殺人より性質の悪い異常者ってもんだわね。異常者ついでに、中国、ロシアに向けて発射しろってんだ。ギャハハハ。

 何が偉そうに、北朝鮮の国営放送のオバサンは、踏ん反り返って<ホンニャ、ホニァホニァ、ホンニャ、ホニャラホニャラ>だとさ。日本がそんなに憎かったら、日本語で喋りやがれ。へへへ。歳の所為で一段と厚化粧がきつくて、この頃は地割れしてるじゃねぇか。何処の国にも、定年制は必要だわね。そろそろ<喜び組>の若いネェちゃんと交代した方が、視聴率上がるよ。伊達に、偉そうに世界発信してる訳じゃないのにね。ケケケ。

 何が~、人工衛星成功で、軌道を順調に周回してるだい。国家挙げて、マンセイマンセイってかい?? 冗談こくなってもんだじい。手前らのお頭の中のゼンマイが油切れで、慢性的お手上げ状態じゃないかね。折角の漢字を捨てて、音記号のハングルばっかり使うから、同音異義語って概念が、死に絶えちまった。そうずらい? 慢性と万歳の区別が付かなきぁ如何し様もなかんべや。何か、好い手立ては無いかね。

 ありゃ・・・ 生まれる時代と生まれる国を選べないのは、可哀想だけど、あの国の国民さんにぁ本当に悪いと思うけど・・・丸いお飾りに爆弾積んで、真上に発射して将軍様の饅頭だと拝んで、ご昇天するしかないんずらい。日本人だって、大本営発表で散々痛い目に遭って、靖国神社に送られちゃったんだから・・・家の親戚のお兄ちゃん達も、何人も祀られてるもの。人間って奴は、情報操作されて太鼓ドンドコ、ドンドコ叩かれたら、天皇陛下、万歳しちゃうもの。北朝鮮の人は、馬鹿だとは思わないけど、可哀想なもんだ。よく暗殺されないものだわね。何か不思議な気もするけどね。」

 斜向かいさんは、普段は奥さんと二人暮らし、子供達は皆娘さんである。男の政談漫才と為ると、舌舐めずりをして縦板に水の如き速射砲がパンパンと発射されて来る。兎に角、拝聴しているだけで、お説ご尤ものハイテンポ・抱腹高座である。何か、ご主人足を運ばれるに従って、血行も好くなって若返った様である。何やら、相の手との呼吸もピッタシカンカンの盛況振りの態である。

 折角、並行して我が駄文も読んで頂いているのであるから、今回は詩篇をお持ち頂く事にする。

「俺はねぇ、お兄ちゃんの文章が好きで、一回読んだだけじぁ堪能しないんだわ。この前借りて行ったのは、二回目読んでるんだよ。もう少し、貸していてよ。面白い言葉・描写を見付けると、ついつい楽しく為っちゃってさ。この発想・言葉は、何処から来てるのか・・・印を付けといて、読み直すのが好きなんだわ。
 そうすると、家の女どもは、お父さん、お爺ちゃん、しつっこい、物忘れが多くなってノロマになったねって、ほざくんだよ。家の女どもと来たら、味わって読むって楽しみが、全然分かっちゃいねぇんだよ。

 どれどれ、今日の分は、絵付きだね。一寸、読ませてよ。好いじゃん良いじゃん。『ベンチの麗人』『蜃気楼の村』・・・題名が決まってる。お兄ちゃんの文章は、ほんわかとした起承転結が仕組まれていて、これだと云う言葉がポン、ポンと配置されてるから、分かり易くて、すーと誘導されちゃうんだよ。ホントだよ。

 ほらほら、ここ、此処。<春の昼下がり ベンチに 女が一人>余韻があるもの。<穏やかな春の色に 包まれた小さな小さな村だったよ。> う~ん、小さな小さなの繰り返しが、利いてるねぇ。・・・とさ。・・・とさ。と来て・・・だよ。・・・だよ。の結びが、凄いつぅの。憎いねぇ~。
<・・・とさ。>の中に、それなりの時間と云う歴史を塗り込めて、<・・・だよ。>の中には、現在とか、お兄ちゃんの暖かい眼差しを塗り込めている。こんな事を、ささと書いちゃうんだから、並の素養・感性じゃないよ。

 俺なんかは、この詩を元に、小さい孫には昔話をして遣るよ。国・戦争・男と女の悲話・時の流れ・心の返って行く場所。幾らだって、ストーリーが広がるもの。それを、<それはこうだ。あれは、ああだ。>なんて、生意気こかれたら、『煩い、一々指図は受けねぇや、勝手に手前だけで、ほざいててろ。』って具合に為っちまうもの。押し付けが無いもの。だから、すーと入って来るんだと思うよ。俺には。面白いもの。身近にこんな好い物があるだもの。その証拠に、図書館から本なんか借りて来なく為っちゃたんだから。」
「やいやい、あっさりこっちの正体を見抜かれちゃって、Sチャンも只者じゃないわね。こんなに褒められても、差し出す体は無いし・・・今度、コンニャクでも買って来て、温めときましょうかね。」
「Rチャン、大丈夫。家のカァちゃん未だ現役だから、コンニャクは、胃・腸のゴミ取りをするから、そっちに使いましょ。ガハハハ。」

 ご主人、昨年何十年か振りに小学校の同窓会に出席為されたそうな。其処で、ボロボロに成ったわらばん紙に、ガリ版印刷された卒業文集を見せて貰ったそうである。帰って来て文集を探し出し、ぼちぼち復刻の最中との事。暖かくなると、奥さんの実家の畑作業をこなし、テレビは面白くないからニュース9だけを見て、娑婆の出来事を仕入れるだけ。テレビの稼働率は、専ら借りて行くテープ・DVDに当てられているとの事である。映画も堪能する為に本数を制限して、活字は私の文作で間に合わせているとの事である。
 
 毎日の散歩運動に、休日は孫とのお付き合い。元気溌剌、好奇心旺盛、趣味実践の頗る健康生活振りの様である。そして、サービス精神旺盛であるから、独り暮らしの北のお向かいさんのおばさんとも、気軽に話を交わし笑いを取って居られる。人間一歩外に踏み込んで、笑顔で言葉を交わせば、時間が広がるご近所さんの会話である。忙しさに振り回されて挨拶だけでは一向に分からなかったお人柄と云うものである。これも、ロートル賄い夫生活で、漸く身に付いて来たスロー・ライフの愉しみ方の一つであろうか。気持を伝え合う為には、時間と会話と接着剤が必要なのである。人間、まだまだ捨てたものじゃない。

 斜向かいさんと、漫才放談を交わしていると、好い気分に為って来る。これが、市井の人の温もりにして、お江戸の時代から続く落語に語り継がれて来た、長屋の御隠居さんの語り口なのであろう。現役引退の長屋為らぬ子育てを終えた町の落語の世界には、働き盛りの八っつあん、熊さんの登場は無いものの・・・情報達者・口達者の現代落語の世界に有り付けるとは、若い頃は夢にも思わなかった情景である。

心何処ーショート 朝の他愛もない会話
             朝の他愛もない会話(4/8/09)
 飼い主の気持ちとは裏腹に、二つの籠の巣には、それぞれ四つの卵が入っている。親番いの方は、朝に成ると子供達は早々に巣から追い出されている。可哀想な物である。若番いの方は、巣に入らない時もある。今後、如何云った結果に為るのか? 困った雲行きである。
 
 朝日の中、そんな気分に為っている時に、他界した三兄の顔が浮かんで来た。ある時期、三兄が憮然とした表情で、<子供なんてものは、親の思った通りには成長しない>と言っていた事を思い出した。荒ぽい事をずけずけ言う口数の多い兄だったが、愚痴など溢さ事の無い男だったので、奥ゆかしい弟の私としては、同調・同情・慰めの言葉も一切出さず、煙草の煙で顔を隠していたシーンがあった。

 そんな事を、思い浮かべていると、壁のシングルママが微笑み掛けて来た。

 或る時、金髪美形のシングルママとその幼女のお供で、ホテルの下の遊園地に行った。イルカのショーを見たり、電動自動車・機関車に乗ったり、猿回しのショーを見たりして半日を過ごした。海に面した遊園地であったから、年端の行かない幼子が海に入り、盛んに小石を投げて遊んでいた。母親に似て、海が大のお気に入りなのである。アパートからは、歩いても直ぐ海に下れるから、連行されて泳がされた経験が何度もある。彼女は、キビキビしたスポーツ・ウーマンであったから、子守りを分担して水泳を私と交互にするのであった。日本と違って、水温が違い過ぎるので内心、私は閉口物であったのだが。

 帰ると言っても一切聞き分けの無い金髪・ブルーアイのお坊ちゃん刈りの出べそっ子である。私の子育ては、鉄拳子育てであったから、そんな駄々っ子振りは、意に染まない。勿論、幼子とは他人であっても、私は、聞き訳が無いとメン・ピンをする性質である。

 比較の客観的思考の育っていない幼児は、勝手気儘な生き物である。そして中々にずるい傾向の持ち主でもある。生意気に泣く事で<自己主張・誤魔化そうとする。>強か者でもある。こんな時は、痛角を刺激する『刷り込み』が功を奏するものである。<まだ泣くか、煩い>と言って、スイカ頭に拳骨を見舞うのが通例であった。

 私の娘の小さい頃は、私のワンパターン振りを逆手に取られて、腰に偉そうに手を置いた小娘に、<R、ききわけがないと、メン・ピンしゅるよ。いたいよ。ゴメンナサイしなさい。>何て、真似をされていたものである。

 シングルママさんも、中々面白い女性で、私のメン・ピンに対しても、知らん顔をして自分の幼女に接しているのである。私の眼からすると、感情的な性格と云うより冷静な許容度を持っているタイプであった。

           彼女は、私のお仕置きに付いては、
「日本人は、そうやって子供を教育しますか? ロシアは、口で言い聞かせます。」
と言って来るから、私は以下の通り笑って答えたまでであった。
「今の日本の親は、自分の子に対してもメン、ピンのお仕置き躾のスタイルを取る親は、めっきり少なく為ってしまった。俺は、男兄弟の中で育ったから、我儘を言うと即頭に拳骨を貰い、泣くともっと大きな拳骨を貰った。好い悪いの区別と我慢出来ない段階の子供を一人前に扱うのは、反対だよ。日本の言葉に<叱られて、賢く為るんだよ。我慢して、強く為るんだよ。>何て、好い言葉がある。俺は単純馬鹿だから、子供達をそんな風に、小学校までは正々堂々と仕込んだよ。中学生からは、面倒臭いから放任してたけどね。ハハハ。」
「オオ、サムライの国。アナタはサムライの子ですか?」
「オオ、イエス。俺は、伝統的日本の男、ハンサム・マン、OK?」
「ワカリマ~ス。アナタ、非常に恰好好いです。」

 ロシア幼女は、そんな私の前でお仕置きの後は、復讐行為の小さな手の抓りとか醜悪この上ないアッカンベェーを仕掛けて来る。然しながら、そんな些細な報復行為などは、自分の世界の気持の辻褄合わせをする位で、私とは敵対する訳でも無く、気が済めば忘れた様に纏わり付いて来るのである。そんな私と自分の娘の関係を見て、彼女は眼を丸くして、

「オウ、私は信じられない。アナタの子供でも無いのに、私の娘は、きっとアナタの事が好きだと思います。」と、感心していたのであるが、
「ノーノー、子供の頭の中は、水が入っているだけのスイカ頭、ニワトリと同じ。3歩も歩けば、みんな忘れる。問題無い、痛くないメン・ピンだよ。」
「オホホ、そ~ですか。今度は、私のロシアンスタイルです。見ていて下さい。」と言う。

 お仕置きの心配の無い幼女の主張は、凄い物である。母親の名前を呼び捨てに、小さな手足を、じだんださせて癇癪玉を炸裂させている。それを腕組みして、表情も殆ど変えずに、言葉だけで対処する母は、山の様に微動だにしないのである。ロシア女、大したものである。私は長い持久戦を、何本かのタバコを吸いながら観察させて頂いたものである。

 日本の言葉には、『母の愛は、海より深し。』何てものがあるが、『ロシアの母は、強し。その強き事、山の如く動かず。』の立派な態度であった。泣いても、哀願しても、抗する術を捥がれた幼女は、疲れ果てて、惨めな白旗を上げて、すごすご素直に為るしか方法が無いのである。こんな時の私は他人の子であるから、<知らぬ顔を半ベぇ>を決め込む男である。尤も、幼児もそんな大人の対処の仕方も心得ているらしく、ママと私の手を両手で繋ぎ、二人の手を腕輪代わりにして、宙返りをしてウキウキしているのである。
 帰りの車の中では、運転している母親に相手にして貰えず、照れ隠しの私への擦り寄りを何度か繰り返している内に、私の膝の上でスヤスヤ寝息を立ててしまった。他愛も無い幼女の寝顔に、日本の男は、苦笑いを以って眺めるしか無かったのである。

 ハンドルを握るヤングママさんは、澄ました顔で、私を見て尋ねて来た。
「どうでしたか、ロシアンスタイル?」
「お見事。両方、効果があるって処だね。此処は、極東ウラジオストクだから、西洋と東洋の両方を使うと、効果抜群と云うのが結論だよ。」
「オゥ、アナタは、頭が良いですね。分かりました。私も時々、メン・ピンしましょう。」

 男女同権・平等、金髪美形。人格的に独立したヤング・シングルママさんの態度は、実にサバサバしていてスマートである。私は、こんな会話が成立する白人美形が、大好きなのである。

心何処ーショート 春にどっぷり
                春にどっぷり(4/7/09)
 さてさて、釣りでもするか・・・庭の落ち葉を穿るが、2~3匹しか見当たらない。増やして、餌とした方が得策である。切り枝も乾燥している。そろそろ、家庭菜園の時期でもあるし、落ち葉の重し役も解除である。上の切り枝を燃やして、落ち葉の上に土を被せる事にする。火を焚いていると、ホ~ホケキョの声である。ミミズの収穫が無いから、金魚の餌に湯を入れてふやかし、小麦粉を入れて団子にする。相手は、何にでも喰らい付くアブラハヤであるから、気にする事は無い。それにしても、餌の材料が悪過ぎる。酷い悪臭がする。

 長靴を履いて河川敷に降りる。散歩の折りに目を付けていたハヤ・ウグイ・ニジマス・ヤマメの混生域のS大の付近である。流れの縁に胡坐を掻いて、ロートル・釣りタイムの開始である。

 10~15cmほどのアブラハヤが、釣れるわ釣れるわの口である。子供の頃は、夢中に為って、馬鹿の一つ覚えで釣っていたものである。然し、何時の頃か、大の大人が・・・何て事に為ってしまった。

 川の対岸には、小さな民宿風旅館がある。向かって右側の歓迎板は、外国人様のものである。本日も四組の泊り客がある。若い学生風の白人男性が二人、上の方から歩いて来た。彼等からすると、ジャパニーズ・カントリーの異国情緒なのであろう。旅館の前、アルプスの山並みにデジカメを合わせて、盛んにシャッターを押している。部屋に入るのかなと思いきや、旅館の自転車を借りて松本の街へ向かって下りて行く。今度は、金髪長髪・サングラスの若者が出て来て、河川敷のウォーキングを始めた。そんな彼等の行動を見ていると、彼等個人の質の様な物が、何処と無く感じられて来る次第である。

 とうとう飽きて来て、下のテトラポット辺りを狙おうと、移動する。『オゥ!!』テトラポットの隙に、イワナらしき魚体を見る。そのご太い胴回りに、生唾が出てしまった。ダメ元の団子餌を落とすが、一切反応無しである。今度は、えぐられた流れに沿って流すが、当たりも無い。

 気持の好い河原であるから、ハヤ御殿に戻って遊ぶ。S大付属病院の入院患者の散歩者が話し掛けて来る。釣りをしながら、ロートル話をする。ロートルさんは、長野市在住65歳、肺がん患者で、入院一か月を越したと言う。退屈な入院生活なのであろうから、時間の許す限りお相手をする。
 設備完備の病院で景色を眺めていては、気分の解放は図れぬ。外へ出て好い空気を吸って、話し相手に恵まれれば、病人の心にも春の開放感が広がると云うものであろう。

        <好うござんすよ。お付き合い致しましょうぞ。>
 
 本日分を遅ればせながら打ち始めていると、斜向かいさんが窓を叩く。外に出ると、私が釣り糸を垂れている姿を、車で見掛けたのだと言う。斜向かいさんから、アブラハヤの調理方の講義を受ける。アブラハヤ、ニラッパヤとバカにしては、いけないらしい。

 腹を裂いて、苦味・臭みの元、浮き袋・内臓を取って、から揚げげにするとワカサギ以上の味だと言う。から揚げを南蛮漬けにすると一段と美味にして、酒の肴としては一級品との事である。従って、ハヤ釣りに精を出す釣り人も居るとの事である。因みに斜向かいさんは、孫を連れてハヤ釣りに行く事が多いらしい。河川敷を散歩コースとしているから、川のポイントも、良くご存じであった。蛇を何とも思わないと言うから、マムシは焼酎漬けの妙薬と為ってしまうとの事である。
 
 私は、蛇と出食わすと、チョッとした物音にも過敏症に為って、釣りどころでは無くなってしまう。マムシの生息地・捕まえ方・焼酎漬け・マムシ酒の効能まで、微に入り細に入り、身振り手振り宜しく、満面の笑みを浮かべて、懇切丁寧に説かれる。

<今度一緒に、小遣い稼ぎにマムシを取りに行こう>などと、かまわれてしまった。
        
       『ご主人、何を仰る。平にご勘弁の程を!!』である。

 気持好くロシアお姐さんのウェーブのかかった金髪を撫でている内に、金髪ウェーブが、マムシの巣窟と為ったら、メドーサの比では無かろう。美形の思い出が、化け物の悪夢。くわばら、くわばら・・・ 講義の全てをゼロ払いしないと、気の小さなクマ男は、マムシ穴に嵌まって、悲鳴も挙げられず、夢の中で発狂死してしまいそうである。

<夢で逢いましょう>の特技を封じられてしまっては、夜は単なる『漆黒の闇』と帰して終い兼ねない。
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