旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート タバコのけむり
                タバコのけむり(3/31/09)
 『釣りの旅』と云う番組を母と見る。城ケ島を望む岩壁で、釣り竿を伸ばす風景を見ながら、<森で暮らすひまじん><釣りじいさんのボヤキ>さんブログの両氏・奥さんの姿を重ね合わせながら、画面の浮きの動向を見守る。『来た、合わせろ!ヨッシャ!』と、掛け声を出して、画面海中の魚影に身を乗り出している始末である。

<川釣りと海釣りと、どちらが好きかい?>と言うから、広がり・スケールの面で、海釣りに越した事は無いが、何しろ信州の山猿には、海は遠過ぎるのである。鯵・鯖の入れ食い釣りを経験しているから、ひまじんさん、釣りじいさんの釣り記事を見ると、

<嗚呼、イカかぁ、大島の魚港に泳いでいた、あの姿は実に神秘的な姿だったなぁ、三宅島の漁船の下のカンパチの魚影・・・大海原の黒潮の流れは、海洋の大河の趣、波間に浮揚する海鳥達の目には、地球は個体の陸と液体の海からなる一体の感じなんだろうなぁ、嗚呼、思い出しちゃったよ。あの開放感、潮の匂い・・・ それに引き替え、おいらは、手足を捥がれた引き籠りロートル賄い夫生活・・・ 今畜生。美味いだろうな>
 と、竿に伝わるあの引き込まれる魚勢の重量感・躍動感と新鮮な海の幸に、ゴクリ、涎が垂れる事、頻りなのである。
 
 とは言う物の当たり外れの多いのが、釣りの道である。不発に終わった帰りの惨めさ、あの疲労と言ったら・・・ ハンドルを握る瞼の鉛の重さである。兎角、釣りには<運が付き物> 地元の絶対的有利の結果である。そんな事で、物臭男は、下駄履き前庭釣りをするだけの体たらくをするだけである。

 番組を見終えて、部屋に入っていると、ヤクルトママさんの訪問である。彼女は、余程小鳥が好きな様子である。未だ外界に頼り無げに、二羽並ぶ灰色の巣立ちヒナの動きに、目が釘付けの態である。昨日は留守中に、学校が春休みの子供を連れて、暫く小鳥の様子を見て帰ったらしい。部屋から座布団と下手絵ファイルを持って来て、話をする。

 ダンナさんも、無類の動物好きとの事・・・ 小さなお譲ちゃん達は、私のタカとコジュケイの下手絵が印象深かった様で、ママさんとクレヨンで夢中のお絵描きタイムをしているとの事である。家庭での小動物を観察するのは、幼児の情操教育上、非常に為に為ると言うから、少々、異なった切り口を提供する事にした。

「人間のしたり顔の安易なメルヘンチィックな擬人化は、動物にとっては迷惑な話だよ。孵化・成長・交尾・産卵・抱卵・育雛・巣立ち・追い掛け回し・テリトリー確保の一連のサイクルを観察して行けば、それらの一連の行為・行動には、<情>と言う擬人化は、単なる人間のご都合主義の産物だと云う事に気付く筈だよ。刷り込みのメカニズムも、決して長い効果・影響力を伴わない事も観察できるし、行為・行動の引き金は、多くの場合、条件反射に依って導き出されている事も観察出来る筈だよ。観察の上に立った記憶・知識を元に、後年、色々学んだ事と比較して、自分自身の思考態度を作って行った方が、面白い子、面白い人間が育つと思うんだけど・・・ 何事も教科書ライズ、マニュアルライズされた優等生の思考方は、口ばかり達者な画一的人間を増殖させるばかりだと、オッサンは思うよ。やれ、個性の育成、確立なんて言ってるけど、それって、可笑しいよね。へへへ、ちょっと、話が硬過ぎたかな?」

 世の中、色んな意見、へそ曲がりが居ても好いのである。さてさて、本日も他人様とお話が出来た。クマ男のトークも、マダマダ錆付いてはいない様である。アリガトざんしたぁ。
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心何処ーショート 春日の加勢
                春日の加勢(3/31/09)
 米も冷蔵庫の中も、空っぽである。二人だけの食事だと、何だかやと残り物の整理が付かなくなってしまう。漸く理想的な運びである。温泉銭湯・米屋・個人スパーの順序で回ろうと考える。途中から、浴内リハビリ体操男が入って来たから、場所を空けて遣ろうと風呂から上がると、顔馴染みの元経理屋の御隠居さんが入って来た。
 本日、順路が詰まっているので、私が何時もより30分程早かったのである。「今年の春は、バックギァの春だね。」と言うと、御隠居さんは車を運転した事が無いと言われる。「お抱え運転手付きの公用車? 豪勢ですな。」と尋ねると、ワシは電動式自転車だと笑っている。ご隠居さんは、温厚にしてお洒落な紳士で、桐の下駄を履いている処が様に為って居られる。お互い、話し足りないのであるが、仕方が無い。

 米屋さんに行くと、先客が一人いる。米屋の主人の俳句・短歌仲間だと云う元教員の70歳の先生との事。三人の中で、私が最年少の60歳である。ご主人が先生を持ち上げ過ぎるので、先生は得意がって政治時評を展開為される。私達の年代は、長幼の序を重んじる世代である。相手は、己惚れの強い先生様である。考えながら、言葉を選んで口にされる様に、若輩者は、畏まって聞かざるを得ない処である。

<はいはい、背景のご紹介ですな。うんうん、それで、うんうん、二論を対極比較して、そして、おもむろに自論の展開に入る訳ですな・・・>

 私は元来堪え性の無い男であるから、その内、苛々が高じて来てしまった。何の事は無い。中身は、大戯けの先生らしい。新聞・テレビの受け売りにしか過ぎない。如何やら、このご仁は石を投げれば、ある確率で大当たりする町の似非知識人の一人らしい。言葉の選択に見える慎重さは、記憶からの呼び出しに時間が掛っているだけなのであろう。

 自論、独論の味付けの無い者の話は、時間の浪費である。あれあれ、今度は罪と罰の量刑に入り、判例まで持ち出して居られる。中々の博学にして、努力家なのであろうか???

<ありゃりゃ、根拠を押さえず、省略して、一気に結論でござんすか。何とまぁ手荒い先生様である。>法律を学んでセミプロの自負を、内包している身からは、聞くに堪えない独善論に進んでいる。

 気の弱い私としては、そろそろ退散の潮目である。法律の系統(憲法・刑法・刑事訴訟法・・・etc)だった相互の基礎知識も無いのに、平気で法律を日常会話の題材として、<ああだ。こうだ>と蔑まされるのは、苦労して覚えた出来の悪い学生経験者としては、大いに気分を害する処である。一億二千万日本国民が、挙って総評論家に為ってしまったら、逆にお国崩壊の憂き目を見てしまう。条文ツマミ食い、法律条文に入れては為らない感情の雄叫びを鼓舞して、マスコミさん、ワイドショーの司会者は何とする??? どの専門分野にも、専門用語は付き物で御座んす。教師・教育論の中にも、米屋さんの中にも、専門用語は付き物でゴザンスよ。確りし為されませの感である。

<踊る〇〇に、見る〇〇。同じ〇〇なら、言わなきゃ損損でしょうかね。馬鹿なおいらにぁ、分かりゃせず。見て、踊らされて、踊り疲れて、振り返りゃ、みんなみんな、同じ穴のムジナだったわさ。>・・・これじぁ、みんな白昼堂々の同士討ちですわな。さあさあ、頭が混線しない内に帰ろ。

   次は、個人スーパーで買い出しである。レジの先輩おカミさん。
「おっ、如何した? 珍しく顔に、花が無いよ。男前が台無しだよ。ニイサン、さては疲れたね。そうずら。」
「へへへ、ご明察!! 先輩だから言うけどさ。昨日のラジオでさ、93の親父を61の倅が撲殺。何か、身に詰まされて、ラジオ聴きながら、涙が出て来ちゃってさ。俺は母親介護一年半の新参者だけど、倅殿は20年以上の父子の生活でしょ。その長く辛い日々の積み重ねに…並の男には逆立ちしても出来ない事だよ。<老いは、父子にとって茨の道>だったんだろうね。
 思う様に為らない父子の日々の生活だよ。諍い・口論・手を上げる事なんか、あって当たり前の生活実態だった筈だよ。日々の生活に、理想などある訳が無いでしょうが・・・、弾みも殺意の衝動もあっても、当たり前だと思うね。弾み、当たり所が悪かったと言っても、それが死に至らしめた直接原因としたら、罪は罪の現実が待ち構えている。遣り切れなくてさ・・・。」
「家も、跡取り娘だから、仕方が無いけど、これだけは経験した事の無い人間には、分からないと思うよ。ニイサン、無理しちゃ駄目だよ。人間なんて、魔がさしたら、本当に弱いもんだからね。オレなんか頭も馬鹿、学も無いけど、何時でも愚痴を聞いてあげるよ。強過ぎると、ポキッと折れちゃうからね。」
「あいあい、アリガトさんね。きつく為ったら、目薬持って、泣きに来るから心配しなくても好いよ。元気を貰ったよ、先輩。アリガトさんね。」

 買い物を冷蔵庫に入れて、久し振りの春日に、早速散歩をしたくなった。散歩の後の昼にする旨を断って、外に出る。

 春日に向かって、足の運びが実に活発である。コースを逆回りにする。下に向かって歩いていると、自転車で漕ぎ上がって来る女性が見える。ジャンパーに毛糸の帽子の身形お構い無しの漕ぎっ振りが、近付いて来る。大した物である。好感を覚えて良く見ると、<おぉ、金髪・青い目では無いか!!> お互いのフェロモンが合致した様で、目と眼がピッタリ照準を合わせてしまった格好であった。これまた、ウッシッシの気分であった。

 これも、春日のお天道様の粋なお計らいと云った処であろうか・・・ 気分の高揚に、橋を一つ余分の延長散歩ノルマを果たした次第である。

心何処ーショート とほほ節
                とほほ節(3/30/09)
 セレブとのお付き合いとか、男の副業とかのコメントが、記事を投稿すると機械的に送り付けられて来る。真面目に考えると実に腹の立つ事であるが、この頃はテレビのCMを見る感覚に為って来た。<おぅおぅ、今日は二つか三つか>の段である。

 このブログを読んでいる方は良くご存じの通り、私は、ごく普通程度に女性に対する関心度を示すロートル男である。私の場合は、その関心度をストレートに言葉・文字に現わしているだけである。多情多感の時代に、番から男子高での『良体験』によって、有言、無言の表面的差異によって、自分の本質に違いは無い事に気付いた次第である。
 これは、本当に<目から鱗>の絶対体験であった。為らば、興味のある事は正々堂々と楽しめば、気楽にして妄想は溜まらず、想像の段階でスッキリとなる。真に、精神衛生上の潤滑剤、その物であった。
 何事も、好きこそ物の上手なりで、下ネタ話・ワイ談の回数を其れなりに伸ばして行くと、レパートリーが蓄積されて行くまでの事である。

 振り返ると、高校入学が、私の大転機であった。硬物が弛まない努力の過程で、世間様からスケベ、ドスケベの愛称を拝領するに至ったのである。硬軟の両刀使いは、武士が大小の刀を差すのと同じ様な物である。異性間の下ネタ話・ワイ談交換に於ける受容度の男女差などと云うものは、きっと女性は懐刀を持つだけで、普段は長刀(なぎなた)を携行出来ないまでの事であろうか・・・ それらの話の出典と為る行為に関しては、男女の営み行為・行動を要するのであり、両性ともに官能の提供者にして享受者なのである。唯、発言者としては、大小の二本差し男性と、懐刀だけの女性との違いなのである。

 さて話を戻すと、インターネット界の無差別の機械的ご案内・・・エロサイトのCM攻勢振りは興味の無い者からしたら、憎悪の対象ですらあろう。

 インターネットをしている以上、他ブログを見て行くのも楽しみの一つである。本文を読み、どんな意見・感想が寄せられて、送り手と受け手の間にどんなコメントの遣り取りが交わされているかを読む事で、本文では中々垣間見れない書き手の人間性・人間味を知る事も出来るのである。そんな中で、私のページに入っていたエロサイトのコメントがあると、苦笑いをしたり、うんざりしたり、いい加減にしろ!!などと思う。特にそれが女性のブログだと、私も男の端くれであるから、恥ずかしい気持に成るのである。ついでに云えば、一見、紛らわしいコメントで自サイトに誘う物もあるから、呆れ返るばかりである。

 不快感には、男も女も無いと思う。商売でサイトを運営しているのだろうが、無差別、下手な鉄砲も数撃てば当たるを、感情の無い機械でばらまいているのだろう。感情度外視・感情負担を負わない安易意図・感情が、人間の心を空洞化させて、無関心世界を増殖させて行くのは、忍びない人間社会と云えよう。人間同士の癒しを小さくしたり、諦めて、ひたすら動植物に、癒しを求め過ぎるのも芳しくはあるまい。感情・態度で通じ合える人間と動物の関係・癒しも必須のものであるが、お互い共通言語を持つ者同士、他人との言葉の交流が円滑に行くのに越した事は無かろう。

 先日投稿の<個別ボランティア寄席>などと云う呆け話など、取るに足りぬ下ネタ・ワイ談にしか過ぎませぬ。一切、社会に毒を拡散する程の影響力などありませぬ。

 顰蹙を買わぬ程度の下ネタ話・ワイ談の類は、酒と同様に時として、<百薬の長>たらんかも知れませぬ。紳士淑女諸侯よ、余り目くじらを立てては為りませぬ。武士は、昔から二本差し、奥方は懐刀、時として長刀で御座る。余り、亭主の馬鹿さ加減に角を出して、箒・竹箒で追い掛け回しては為りませぬ。大刀・珍刀を巷で振り回されたら、怪我の下でありまする。本日、とんだ中指の間違いで、言の葉があらぬ方向に、逸れ申した。

心何処ーショート 四畳半・定位置の近望
            四畳半・定位置の近望(3/29/09)
 本日も快晴なれど、冬の風である。学校が休みの斜向かいさんの所は、娘さん達が子供を連れて、合宿所の様な賑わいである。定宿の二階には、娘さん一家の洗濯物がごっそりと陽に揺れている。子供達は兄弟・従姉弟の仲で、ボール、バトミントン、サッカーボールを持って、河川敷、通りで遊んでいる。

 水槽の上に並べた鳥籠では、巣立ちヒナが並んで餌の啄みの練習をしている。たどたどしくも、可愛い仕草である。親の真似をして、水入れに止まって水浴びを試みるが、へっぴり腰で思うに為らない様で、水溜りに嵌った幼子の慌て振りで、ブルブルをしている。

 親鳥は、空に為った藁巣に出入りを繰り返している。2~3日したら、巣の中の残骸を綺麗にして遣らねば為るまい。産卵・抱卵期には、待ちのもどかしさ、心配があるが、孵化して一週間も経つと、ヒナ達の成長の速さには、人間の常識が付いて行けない処である。本日は、上の止まり木に親番いが止まり、下の止まり木には、巣立ちヒナが並んで止まり羽繕いをしているのである。本の二日前までは、ダイビング飛びと駆け上がり飛びで、藁巣・底・止まり木を騒々しく羽ばたいていた二羽であったのだが・・・ 早くも、親子の距離が、開いて行く段階に達しつつある。正に、驚異的成長力と距離と云うより他無い。

 下の短命世界のグッピィ槽では、この処、新旧の交代が著しい限りである。大量出産役であったビック・ママが次々と寿命を迎えてしまった。次代を託された三匹のメス達は、成熟度が今一歩であり、それを取り巻く三匹のオスも頼りなく、一匹のオスのヒレには、老境の衰えさえも目立って来ている。春の日差しが当たるグッピィ世界であるが、暫くは停滞の時が続く様相である。

 金魚槽は、水温の温もりを目前に控えて、体の成長が早まる。今でさえ、欲張り過ぎて金魚を投入してしまったのであるから、その過密振りが一段と促進されるのだろう。<お前は、観賞には不向きだから、ご昇天しろ>とは、口が裂けても言えないし、餌をセーブして飢餓状態を作り出す訳にも行かず、工夫の算段が必要である。

 こんな事を感じたり、思ったりしていると、黒いフェンスの上に、鳥影が動く。カーテンの隙から覗くと、珍しやジョービタキのオスである。このシーズンは、ジョービタキもメジロも殆ど姿を見せなかった。季節は、春である。昨日今日と、野生の彩りを一段と濃くし始めているシジュウカラのオスが、朝の窓辺に接近している。昨年、庭の柿の木に巣を掛けていたヒヨドリは、営巣のテリトリーを庭に絞っている様子で、一年中無粋な甲高い声で鳴き、時々、見回りに顔を出している始末であるし、キジバトもチョクチョク来ては、此方を見ている。人と鳥との距離は、意外と近いものの様である。

心何処ーショート 個別ボランティア寄席
             個別ボランティア寄席(3/28/09)
 朝方は、雪が降っていた。とんでもないお天気さんである。春の雪であるから、淡雪である。その後の陽射しも束の間、鉛色の空に覆われる。この頃の寒暖落差の日々に、物臭男の気分は、一向に乗って来ない。
 
 こんな日は、温泉に浸かるべしである。<どうせ・・・>であるから、本日は山辺の湯に行く事にする。田んぼの広がる山際の広いアップダウンの道路を、漕いだりブレーキを掛けながら最後は、例の山に向かう狭い坂をジグザク走法で、ひたすらペダルを漕ぎ進む。何事も運動・運動である。

 何と何と、珍しく駐車場は、空っぽである。車で来るべきであったか・・・さては休館日か??? 本日、金曜日である。誰も見ていない体力勝負・根性勝負と為ると、ついついむきになってしまう・・・全く要領の悪い、日蔭育ちの性格である。フゥーフゥー息切れ脚ガクガク、意地の脚力で上り終える。

 取り越し苦労で、自転車が2台止めてあった。ドアを開けると、年配の大工さんが玄関のフローリングを直している。事務室から、中年細身の女性職員が出て来て、「今日はお客さんが少ないから、ごゆっくりどうぞ。」と声を掛けてくれる。記帳して其の儘、畳敷きの休憩室を素通りして男湯に向かうと、廊下でも中年の相層の好い男がフロアの修繕をしている。女湯の暖簾から、火照った頬の高年女性が、<こんにちは>と挨拶をして行く。古い作りの湯治場の様な雰囲気である。<こんにちは>を返して、男湯の暖簾を潜って脱衣室を開けると、上がって着替えをしている老人が一人。浴場のドアを開けて中に入ると、誰もいない。

 洗い場を6つ備えた浴槽は、赤味ががった花崗岩の板で出来ている。茶色の温泉管からは、バルブで絞った循環式の湯が出ている。
 <遣ったね、儲けた。貸切風呂だ。この風呂では、初めての御利益である。>

 気を好くして、ゆっくり手足を伸ばして浸かっていると、威勢の好い声で70代と思しき少々腰の曲がった老人が入って来た。その年配にしたら、中肉中背・優しい顔付が、昔流行った映画の愉快なピグミーのニカウさんに似た老人であった。市の老人施設と為っているから65歳以上の松本市民は無料と為っている。人恋しさに、この風呂に入りに来たり、風呂談義を日課とする老人衆が多いのである。此処は、時間にゆとりのある老人の溜まり場である。

 人懐こい笑顔で話し掛けられると、クマ男と云えども、ご先輩にゴマをスルしかあるまい。一言二言言葉を交わして、髭を剃っていると、隣に座られてしまった。野球が大好きだと言うから、少々、茶化しの悪態をこいて見る。

「父っつあん、WBCじぁ、打てないイチローを散々罵倒して、最後はさすが、天才・神様・イチロー大明神ってホザイテいた口だろが。野次馬、コロコロ変心は、日本人の恥だよ。反省しな。」
「やぁ、ダンナ、全くその通り。好いだ、好いだいね。それが、楽しみでテレビ見てるだもの。相撲は、見るかいね。」
「相撲かい・・ 今はモンゴル相撲だから、余り興味が無いね。朝青竜の強いのは、認めるが、あいつの面を見ると、虫唾が走る。ハッ倒してぇが、相手が悪過ぎる。こっちが殺されちゃうから、拗ねてテレビは見ぇんだ。」
「そう~だだよ。ワシも毎日、負けろ、負けやがれと拝んでるんだけど、あの野郎、中々負けやしネェ。ホントに憎ったらしいったら、ありぁしねぇ。貴乃花・千代の富士が恋しいよ。相撲取らせたら、どっちが強ぇずらいね~。」

 何か言えば、体を洗うタオルの手を止めて、間髪を入れずに喰らい付いて来る。少々奥目の茶目っ気たっぷりの眼が、憎めない爺さんである。
<こりゃ、遣る事のない湯浸かり呆け談義のお相手には、恰好の獲物である。>

 年寄り無碍にするまい、近未来の我が身である。先輩様に敬意を表して、呆け話の玉手箱の蓋をソロリソロリと開けて見る事にする。

「父っつぁん、女優さんじゃ誰が好きだい?」
「そりぁ、やっぱ山本富士子さんが、一番のベッピンサンずら~。 オラ、もう好きで好きで、若い頃は、欠かさず映画に見に行ったもんだ。」
「ほぅ、お目が高いもんだ。じぁ、原節子に若い頃の岩下志摩って処だね。」
「そう、岩下志摩は、安曇野の親善大使やってんだよ。知ってるかい?」

<アリャリャ、ニカウさん、手を休めた処じぁない、座り椅子をこっちに向けて、可愛いヒヒ顔で向かって来た。ダラケタお飾りの肉棒は、半ば白毛の中である。嗚呼、明日は我が身か・・・である。>

「あの金粉そばで顰蹙を買った大女優だね。あずみの市も、金を掛けて性能の好い下水処理設備を持たなくちゃ、諏訪見たいに金のインゴットを拾えないよ。」
「そうよ、金箔ってもんは、食って出すもんじゃねぇ、貼って拝むもんずらい。尻の穴から、ブビ、ボトンじゃ、罰が当たるってもんだ。」
「そりゃそうだいな。じぁ、父っつぁん、綺麗だけど口のでかいソフィア・ローレンは、・・・、まぁ、その貧様な白髪短小竿じぁ無理ずら。」

 意識的に、股間をマジマジと見詰めて、お飾り物のふやけた一物を、指で弾いて遣ると、父っつぁん、半分飛び上り遣がった。<ザマァ、ミヤガレ。>である。

 
「イテテ、急に何て事するだい。」
「医者の問診・機能問診って奴だわね。そんな腑抜け取って食いやしねぇよ。」
「馬鹿こいて、普段は猫かぶって大人しくしてるが、イザと為りゃポパイの力瘤だじ。」
「見栄張って、生意気じゃねぇか。父っつぁんのは、逆立ちしたって日本規格のJISじぁねぇか、現代は、国際規格のISOで無くちゃ、駄目だわね。見て見ろ、これがロシアを相手に、切れ味抜群のISO対応サイズだぜ。差し詰め、精々マリリン・モンローって処かな?」
「モンローかい、ありぁ好い女だ。ナイスバデーで、こう、ボンボンだいね。武者ぶり付いて・・」
「武者ぶり付いて、未完の土手溢しで、挙句の果てが、胸の谷間で窒息死してぇか・・・好きだね。父っつぁん。」

 相手は、アフリカ・サバンナの狩猟民族ミグミー族の血をひくニカウさんである。獲物の動静を探る様な真剣な眼差しで、JIS規格とISO規格の違いを見比べている。
 
「そんな物は、こけら脅しだ。ワシなんか、筆下ろしは小学校3年の時に、同級生を土蔵に引きずり込んで、覚えたキャリアってものがあるわね。硬さ・持続力・キャリアが揃っての三拍子ずら。好い~好い~と泣いてたもんだぜ。」
「何!! はっきり言えば、変態小僧じゃないの。好いと痛いの区別も付かんのは、先天性強姦魔じゃないか。他愛の無い<お医者様ゴッコ>とは、次元が違うぜよ。今からでも遅くはねぇよ。即銃殺刑を申し出なくちゃ駄目だよ。まるきり、大久保清の世界じゃないの。長生きして、家名の傷を末代まで残すんじゃねぇわい。早いとこ、死にましょ。」
「見直したかい。凄いずらい。ワシぁ中学の時にぁ、妾が三人もいたわ。してしてって、追い掛けられたもんだいな。参ったか。ギャハハ。」

<前歯を欠いたニカウ野郎は、何と胸を張って自己主張為らぬ粗品誇示をしている。>

 幾らフンドシが正装のサバンナから、一歩前進の日本の大衆浴場でのスッポンポン・真っ向勝負と云えども、俺は、ゴリラのシルバー・バックじぁ無いわさ。父っつぁん、俺を同類と見て居やがる。無礼者めが、手打ちにしてくれるわ。

「父っあん、好いわ、好いわ。そんな盛り犬見てぇなのが、横にいたら菌が移っちまうよ。」
「ダンナ、つれなくすんな。お近付きの証に、背中洗って遣るずらよ。」
「とんでも無い。俺は独身だ。そんなバイ菌が皮膚感染したら、処置に困るわな。」
「俺なんか、未だカカアと遣ってるぜよ。宝の持ち腐れは、体に悪いって昔から言うずらよ。イヒヒッ。ダンナ、どこ行くだ。逃げるかぁ~。話は終わってねぇぞ。」
「逃げやしねぇよ。風呂に入るだけだ。糞ジジイ。」
「じぁ、ワシも付き合う。」

<あれあれ、ミイラ取りがミイラに格下げだわな。如何やら、トークを間違えてしまった様である。考えて見れば、風呂トークは、年寄り衆の十八番中の十八番なのである。年季と抑えのタガが、まるで違う。戦術失敗の責任は、自己責任である。仲良くお付き合いを続けるしかあるまい。>

 差し向かいで、足を伸ばして首まで浸かり、腕に湯を掛け擦る。柔らかな滑々した湯の感触である。浅間の湯と違って、此処の湯は加熱循環型の温泉であるから、湯口の湯を手で掬って飲むには、抵抗がある。然し、ゆったりと入れる湯温である。ニヤニヤしながら、漫才の続きをサービスする。

「分かる分かる、<ババ、好いだろ?><ジジ、この前、相手してやったのに、何言ってるだ。新婚じゃあるまいに、度が過ぎるよ。腹上死にでも為ったら、ご近所の物笑いの種だわね。エロ爺>って、毎晩、太腿捻られてるんじゃないの。」
「あれ、良く知ってるじゃん。畜生、覗かれたか?? そうだだよ。でけぇ声じぁ言えねぇが、ここん処、ご無沙汰で欲求不満せ。ダンナ、読みが深いね。」
「馬鹿こけ、その位の事ぁ、算盤使わなくたって、暗算で想像出来るわいな。アホタレ。」

 ニカウさんは、快調そのものである。客が少ないから、湯奉行不在で熱いらしい。短く刈り込んだ白髪頭にタオルをのっけて、赤い顔をしている。私は浅間の熱い湯に、通い慣れている。一方、温めの山辺の湯が習慣のニカウさんは、チョコンと借りて来た猫為らぬ地獄谷の温泉に、浸かる野猿の神妙顔に匹敵する表情である。如何やら、熱いのが苦手らしい。小回りは得意だが、重厚長大は苦手の節である。
<釜茹では、心臓に悪い>と抜かして、『お先に』と言って、上がって行く。残ったご老人は、余りにもの仏頂面である。国民的映画であったフーテンの寅さんが、同浴していたら、こんな事を言うかも知れない。

<何だい何だい、湿気た面して、それじゃ、棺桶のお出迎えを待っているだけじぁねぇか、『男は辛いよ、年寄りは軽いよ』に成り下がっちゃうよ。萎んだウズラの卵じぁ金玉にぁ為らない。重しの金玉抜けたら、男は、河原の枯れすすき。高齢社会の枯れすすきじぁ、おれっちの祖国ニッポンに吹き荒むは、諸行無常の風。猫灰だらけ、坊主丸儲け。
 そいつは、真っぴら御免の風。寄ってらしゃい、見てらっしゃい。亀頭さすって、祈祷すれば、あら不思議、海綿体隆々蘇る生気・精気に性器だよ。回春の敵・角質を垢擦りでゴシゴシじぁ、赤玉出る前に、血が噴き出るぜ。物事には、全て順序が大事。手加減・順序守って、これ又世紀の清喜。セイキ、セイキ、結構毛だらけ、猫灰だらけ。説明聞くはタダ、擦るは自分。きっとぅ、祈祷の陰に亀頭喜ぶ。・・・・嗚呼、駄目だ。目が死んでる。ウズラの卵が歪んでる。処置なしだ。>

くわばらくわばら・・・もの言えば、唇寒しに為らぬ内に、私もニカウさんを追い掛けた。

 脱衣所の長椅子でニカウさん、ご丁寧にも、フリチンで待ち構え御座る。
「ダンナ、さっきのJISとISOの違いを、教えとくれや。ついでに、じっくり比べて見っか。見た処、雁首はでかくて立派だわ。その点は、素直に認めて遣らぁ~な。」
「おっ、只で観やがったな、銭払え。JISとISOの違いは、ゼロ戦とグラマンの違いだわさ。父っつあんの持ち物は、見た目のスマートさで攻撃型の剣スコだな。地面に突き刺すにぁ、スンナリの得物だけど、俺様のは、中身をゴッソリかっ浚う<ジョレン・マラ>って得物だわさ。そこんじょそこいらに、生えてる雑キノコとは、出来ず違うんだ。」
「ジヨ、ジョレン・マラ~、偉ぇ、おっかねぇ事言う人だな。ジョレンねぇ、その雁首で、洗い浚い引っ張り出すんかい? 成~程。ヒヒヒ、物は言い様だいなぁ。」

 ニカウさん、子供の様な喜び様で、見比べて感心している風である。

「父っつぁん、見比べていたって、音は聞こえちゃ来ないぜ。JISのゼロ戦の剣スコじぁ、精々ブスブス、ズコズコが関の山ずら、ISOのグラマンのジョレン・マラに掛りゃ、バキューム殺法で、<アレ~、子宮ごと掻き出される、死ぬ~、死ぬ~>の黄色い旗あげて、腰砕けの降参じゃい。参ったか。21世紀の世の中は、信州の山猿の考えが及ばぇ程、でっけぇんだよ。」
「やいやい、しなびた山里の風呂で、エレェ珍宝の御開帳に出食わしちまったよ。オラ、湯冷めしねぇ内に、帰ってババさの祠(ほこら)突いて、じっくり考えて見るや~。ダンナ、今度は何時来るや。俺ぁ、久し振りに、ズッコケて楽しかったいな。」
「俺は浅間が本拠地だから、山辺は精々、月に一度か二度しか来ないよ。見栄張って、腹上死、腹下死しちゃいけねぇよ。跡取りに、恥かかすなよ。準備体操をチャンとしましょ。」
「あいあい、愛撫・前技ってヤツだな。大丈夫、土蔵以来の、俺の得意技せ。」

 さてさて、個別ボランティア口座も、目出度く終演である。後は、誰もいない休憩部屋に入って、昼寝をしてから帰るべしである。茶飲み台の長テーブルが、6脚並べてある和室は、程好い室温である。  山の迫った後背地には、梅が咲き、山竹の茂みの脇に、山に続く小道が伸びている。施設の給湯室から入れて来た茶を飲む。煙草は禁煙の沙汰である。

 座布団を枕に、目を閉じる。高齢構成員、恐るべしであった。ニカウさんは、きっと本日仕込んだJIS、ISO規格に付いて、ゼロ戦、グラマン機、剣スコ、鋤簾マラを引き合いに、そのオリジナル性を滔々と捲し立てるのであろう。市井の下ネタ話に、著作権を争う訳にも行かず・・・出るは、ニカウさんの得意顔、思い出し笑いの余韻だけである。つくづくと、我が身の修行の足りなさを、沈思黙考すべしである。

心何処ーショート 道を変えた散歩
               道を変えた散歩(3/28/09)
 さてさてと・・・昨日の下ネタ話にも、大体の区切りが付いた。何と三枚である。時期早尚であるから、後はボチボチ肉付けをして行けば好かろう。目を転じれば、外は眩しい光に、斜向かいさんの洗濯物が、風に揺れている。折角のお天道様のお招きである。快便の後であるから、煙草の買い置きの為に、温泉街のコンビニまで歩いて行こう。

 偶には、よそ行きの靴も履いて遣るべしである。靴は、単なる下駄箱の番兵では無いのである。勇んで茶の革靴を履いたのは好いが、外のバケツの水には、氷が張っている。シャキッとしない忌々しくも意地悪な天候である。

 草木の緑も顔を覗かせているし、ツバメの第一陣も空を舞っている。これで気温さえ高ければ、春ルンルンの風情であるが・・・外気は、冬の冷たさである。テクテク歩きながらも、半分、自転車で来なかった事の後悔が、頭を擡げて来る。

 土手道から、温泉街の表道に方向を変える。煙草のカートンと吸う為の一箱を買って、寂れてしまって久しい本通りを歩く。通りの中間辺りに、歳の離れた大人と歩く同年配の男を見付ける。

<生意気に、野郎、垂らし込んだな。向学の為にご尊顔を見させて頂くとしようか、此処まで足を伸ばしたお駄賃である。>

 下衆の好奇心で、歩速を早める。相手の女をよくよく見れば、中高年に差し掛かった夫婦者である。
<アジァ、奥さん、紛らわしい恰好は、ご法度でアリンスよ。外見と中身がアンバランス、不当表示は、誤解の元でゴザンスよ。まぁ、夫婦仲の好さに免じて、今回は、目を瞑りましょうか、ごゆっくり気休め旅行をば・・・ありがとさんね。>

 今度は、球場への道を歩く。幼児と手を繋いで、若い母親が、歌を歌って聞かせている。・・・男親には、出せない母子の雰囲気である。
 
 漸く体が温まって来てのブラブラ徘徊モードに為って行く。昼は面倒臭いから、帰りすがら、あの角のコンビニで中華まんと揚げ物でも買って帰ろう。貰い物のリンゴも片付けねば為るまい。本日の散歩は、妄想の参考物には有り付けなさそうである。土産に、柔らかく瑞々しいハコベを一握り千切って帰る。

 止まり木を覚えたヒナが、巣の外に出ている。鳥籠を母の横に置いて、ロートル倅は、リンゴの皮むきである。母は中華まんの皮を鳥籠に入れて、小鳥達を見ている。今度はリンゴの欠片を入れて、しげしげと見詰めている。テレビドラマを横になって見ていると、太陽に当てて遣れとのお達しである。廊下の日当たりに、籠を二つ並べて遣る。二つの籠の鳥は、太陽に呼応してブンチャカ・ピィーピィーと喜んで御座る。元気の無かった白いメスも、すっかり体調が戻って、羽が身体にピッタリとフィットしている。先ずは、大丈夫の動きである。陽射しのある内は、部屋の炬燵よりも廊下の椅子の方が、気持が好かろう。足元の小鳥達の動きが、母には丁度お似合いである。
 
 興味の湧かないドラマは、退屈なだけである。高校野球中継をBGMに、ロートル・クマ男は、定位置に座るべしである。

心何処ーショート モード修正
              モード修正(3/27/09)
 本日、息抜きに山辺の湯に浸かりに行って来た。下ネタ満載の一時を過ごして来たのであるが、二日連続で男の品格(しなかく)話を投稿してしまったら、数少ない読者諸侯から、我が品格(ひんかく)の無さに見切りを付けられて、開店閉業の憂き目を晒すのは、必定である。折角、手中に収めたロートル賄い夫のコアタイムであるからして、おいそれと自滅・自消する訳には行かないのである。追々、硬軟のサイクルを考慮して、投稿する心算である。

 以下は、心象風景写真を掲載する<murui‘s>さんのブログでの、『店11』と『店9』の中にあった<興味のない振りが できなかった。>のワンフレーズに触発されて、打って見た詩と写真の盗転載が出来ぬ処から、詩を見ながら妄想一念で、下手絵を描いて見た物である。尚、私の絵では、彼の心象風景写真を穢すものであるから、是非ともオリジナルを見て頂き、muruiさんに拍手を送って頂きたい処である。

               灯



            <忘れたい街角>(3/25/09)

             夕暮れ迫る石壁のブティック
             此処は 忘れたい街の一角

           灯り始めたライトが 記憶を 蘇らせる

          <興味の無い振りが・・・できなかった>

             立ち止まり そっと 中を覗くと
          小さな丸窓に 女の香りが 滲んで見える

             興味の無い振りが 逃げて行く


心何処ーショート 問われる品格
              問われる品格(3/26/09)

「もしもし、元気かい? 何遣ってるや。」
「今日の作文打ってる処だいね。」
「そうか、コーヒーでも飲みに行くべや。」
「おう、サンキュー。」
「じぁ、迎えに行くわ。」

 Tからお誘いの電話である。さあさあ、仕上げて印刷して読ませるべしである。物臭男の尻に火が付いた。ノンビリ煙草を燻らせている訳には行かぬ・・・ 如何にか体裁を整えて、ズボンを穿き替える。そうこうしている間に、外ではホーンが鳴った。印刷ページを手に車に乗り込む。ロートル・クマ男が攣るんで、カタクラモールでブラブラ目の保養である。

 T曰く、する事が無いから時代物小説を読んでいるとの事。何やら時代小説に感化されて、時代小説作家の作法で、オボコ、三十路女の肢体に、妄想為らぬ想像の観賞眼で見てしまうとの事である。奴の鑑賞対象は、成熟途中の10代の小娘だと言う。それを時代小説に倣って、その行く末を彼是と想像しながら、或る時は女郎・飯炊き女・大店の妾・鉄火場の女などに、二重写しにして楽しんでいるとの事。お前は如何だと聞かれるから、俺はしっとり脂の乗った年増女の崩れ掛けた<腰の線>に、色気を感じると答える。

「このドスケベ。まぁ、お互い趣味趣向は違っても、女好きは共通項だいな。それじぁ、それぞれ、好みの鑑賞物を求めて散策するか、これも、立派な散歩の内だ。」

 好い歳かっぱらって、何がオボコ娘じゃい。ティーン・エィジャーでもあるまいに・・・おまけにドスケベと来たもんだ。真面目な顔して、文庫本を読んでる様は、インテリ紳士面しているが、俺以上のスケベ感染症だわな。困ったオッサンである・・・ 一階から三階までを二往復していると、
「あいてて、運動不足と体力不足で、足が攣って来た。コーヒーでも飲むずら。」
 と、早くも戦線離脱を告げるTである。ザマ見やがれ、<健全な肉体に健全な精神宿る>のしっぺ返しを受けているでは無いか。武士の情けである。三階のコーヒーショップに座る。本日分の文作を渡すと、早速、煙草に火を付けて読み始める。

「お前さん、2~3歳若返った感じだな。」
「そうずら、胃が無いから、一日5回の小分け食事と体力不足で外にも出ないから、痩せて色が白く為っちゃったから、そう見えるずら。あれだけ歩いただけで、足が攣るんだから、世話ないわな。私ぁ、情け無いの一語に尽きるよ。」
「如何だ、少しは参考に為る所が、あったかいな?」
「みんな、関心のある事だから、反応があるだろう。処で、お前に前々から<小沢一郎>の事をどう思うか、聞いて見たかったんだが・・・」

 Tの野郎は、煙草に火を付けながら、えらく真面目な顔付で私の長い分析と政治論を拝聴する態度を取っている。アジャジァ、奴もゆったりした時間の中で、新聞テレビとのお付き合いで、沈思黙考の生活が大きくなって来ているのであろう。世話の焼ける男である。こう為ると、私は中々にして饒舌に変身する。煙草とコーヒーを飲みながら続ける。

「斯く斯く云々で、俺は、こう思う。結論としては、男の生き様・品格の問題だろうね。」
「成程な。流石だな。」
「何をこいて、俺とお前は、同じ高校出てるんだから、大差がある訳無いじゃないか。こんな処が、常識じゃないの。処でさ、お前の体力が回復したら、Mさんと三人で片道25時間の船の旅で、小笠原諸島に行って見んか。太陽浴びて、ビール飲んでスケベ話をしようじゃないか。」
「好いねぇ~、馬鹿ロートル三人、同じ穴のムジナだ、話には事欠かんからなぁ。俺は大学時代、船で沖縄に行った事がある。確か二泊三日だったと思うが・・・ ネェちゃん達が一杯居てさ、そりぁ楽しかったぞ。行くんだったら、閑を弄ぶ夏休みが狙い所だぞ。こりゃ、好い。リハビリに目標が出来たぞい。好いね、好いね。」
「そうだぞ。お前だけ若返って、ネェちゃん垂らし込んで、ピストン運動中に、腹減った、タンマ・・・飯食う。じぁ、海に蹴り落とされるぜ。今時のネェちゃん達は、俺達短足族と違って、スラリと足が長いぞ。一発蹴りで、海へドブンだぜ。どちらかと云えば、金槌の傾向があるお前だ。俺は、ジェラシーに燃え狂って、見て見ぬ振り決め込むぞ。ギャハハ。」 
「何だ、人の弱みに付け込んで、いざその段に為ると、ベットの下から、そのゴッツイ手が出て来て、無理やりバトンタッチか。そりゃ無ぇだろう。卑怯者!!」
「馬鹿こけ、北京オリンピックで堂々の銅メダルは、華麗なるバトンタッチの技じぁ無いか。云うならば、スマートな日本人のお家芸って物ださ。」
「やいやい、笑わせてくれるぜ。切腹傷の外身は繋がったが、中身は未だ癒えてねぇのに、笑わせやがって、この馬鹿野郎が!! 疲れた、家帰って、少し寝るわな。」

 相も変わらぬ等身大のロートル・コンビの会話である。嗚呼、品格が問われる。

心何処ーショート WBC雑感・改
              WBC雑感<改>(3/26/09)
 <イチローと何故、真っ向勝負をしたのか!!>日本人と韓国人の、根源的違い・立場を社会的人種的側面から解析乃至はコメントする人間が居るか否か・・・興味津々であったが、如何やら不発に終わってしまった。

 まぁ何れ、あれだけの名勝負・名場面であったから、NHKのドキュメンタリー番組で放送される事もあるだろう。投手・捕手、監督、打者の心理に肉薄して、彼等の心理を、国民性・相互の相手国に対する日本観・韓国観を踏まえて解析するのは、一編の推理サスペンス並みの重厚さと為るのでは無いだろうか。

 歴史教科書問題、竹島・対馬の領土問題、儒教からの束縛による中・韓・日への精神的序列意識、発展への過剰意識が、スポーツを通したナショナリズムを鼓舞して、平和呆けした日本人には、エゲツ無い程のライバル意識~自信過剰の空回りに見えてしまう国民性・・・etcを算定基準として、イチローとの真っ向勝負に挑んだ名勝負・名場面を振り返るのも一興の筈である。あの場面で、韓国陣が日本を正しく体現する象徴イチローを真っ向勝負で打ち取る事が、即ち中国を宗主国として形成される儒教と云う精神的土壌の中で、兄国である韓国が弟国日本の高慢・傲慢を叩き潰し、彼等の憤懣遣る方の無い近・現代史への屈辱を、拭う恰好の見せ場であった筈なのであろう。

 彼等からして見れば、<嘗て祖国を蹂躙した高慢・傲慢国に鉄槌を下す>天が与えてくれた絶好の見せ場である。勝敗を冷静に考えての敬遠シフトなど、彼等のプライドと自信の前に、何の意味があろうか・・・である。真っ向勝負でイチローを仕留めてこその、オリンピックに続いて韓国のアイデンティティーを高らかに世界に発信する必要があったのである。結果として、<勝負は、時の運>でもある。彼等のナショナリズム・国民感情・アイディティティーが、野球の世界王座戦での勝負としての墓穴を掘って、<アイタタタ>に為ったまでの事である。

 私のテレビ観戦の少なからぬ視線の先には、日本席、韓国席に混じる白人観戦客の多寡・彼等の表情の観察があった。それは少なくとも、世界の中のアメリカの中なのかも知れぬが、世界の中の日本、韓国の位置付け、受け入れら方の一つの参考となるだろう。
 
 宗教・哲学・法律・経済と云った諸々の物が、時代のうねりの中で伝えられるのは、必然の結果である。然しながら、これ等後続の物は長い土着の物と混合して、土着の色合いに染められて行く事で、一国の色合いを持って定着して行くのが自然の形であろうと、私は考えている次第である。純血性・正統性を旗頭に挙げられてしまうと、兎角、後続国は何かと文句も言いたくなるものなのである・・・
 横に拡散する文明文化の時代に在って、花開くものは、亜種・亜流の歩み・行進と云った方が、現実に即している風に思えるのだが・・・
 
 私は日本人の加工思想とその技術力が大好きなのである。日本人には、有難い事にお天道様と、礼に始まって礼に終わると云う<道>の思想・思考方向性がある事に、誇りと安堵感を抱くものかも知れぬ。


心何処ーショート あの世の序列を考える
               あの世の序列を考える(3/25/09)
 昨日と打って変わって、曇天の寒空である。昨夜の勝敗を知った後のWBCダイジェスト版を私に付き合わされて観戦してしまった母は、さすがに起きて来ない。感動物の秀作ドラマ以上の観戦に、母も食い入るように画面を見詰め、<如何なる如何なる>の質問を発して、拍手を送っていたのであるから、大満足であったろう。

 私は、殆ど野球は見ない。野球が嫌いな訳では、決して無い。若い頃は良くやったし、勤めていた会社でも、体が鈍って来ると、野球部の連中に交じって好く打たせて貰ってもいた。唯、団体競技と言う物は、ああだ、こうだの話が活発に為って、煩く為るのが苦手なのである。
 つまりは人の噂だとか、悪口に繋がりかねない批判の類が、耳障りにして癪に障るのである。その位なら、個人競技の方がずーとマシなので、私は陸上競技をしていたし、どす黒い凶暴性を内包していたから格闘技(喧嘩)が得意であった。中学時代は、身体能力があった様で学校選抜でも賞状を何枚か頂戴していた。試合の行われる陸上競技場が近かった所為もあって、母は気難しい私に気兼ねをしながらも、競技場の銀杏の陰で応援してくれていたものである。

 私は風呂が好きだから、良く行く。時間に縛られないロートルの生活を送っているから、風呂では私同様の人達と好く一緒に為る。そうなると、WBCの話題が凄いのである。活躍した選手、活躍出来なかった選手に対しての<言いたい放題>の褒め言葉・罵詈雑言は、留まる処を知らずの盛況振りを呈してしまう。

 私は、多感な時代に、大きな大会で大失態を仕出かしてしまった経験がある。高跳びと400mリレーの選手であった。その日、朝から始まった高跳び競技が、中々決着が付かず、予想に反して長丁場に為ってしまった。大会の花のリレーに向けて、体力回復が欲しいのであったが・・・ 太陽の直射に、黒い肌には塩が、ねっとりと噴き出していた。
 バックストレートには、母校の大応援団が詰めている。何時もなら、そのゴールデン席の回廊を大声援と大歓声を浴びて、私が他校の選手を抜いて行くのであるが・・・ バトンを受け取って、何時もなら加速度を増して行く五体は、いま一つ、スピードに乗れないもどかしさに捉まっていた。
 私の耳には、背後から迫り来る足音・息遣いがひたひたと、そしてハッキリ聞こえ始めていた。必死に大腿部を上げ前傾姿勢を取る。腕の振りにも気を配るが・・・体が反応しないのである。スピードが加速しないのである。<足掻きが虚しい。>と思った瞬間・・・抜かれた。萎える先に、相手の躍動感が走る・・・ゴールが、揺れて遠かった。歓声が潮が退くように落胆に変わる中を、走らなければ為らない屈辱は、経験者しか分からない処である。

 そんな時、敗者の耳は、特に敏感である。<観戦は易く、戦うは辛い>をまざまざと思い知らされた出来事であった。勝負の冷淡さは当然の事であるが、<勝負は、時の運>云う武士の情けが、傷ついた競技者には欲しいのである。

 それが、皆無に近い巷間のファン解説・批評であるから、腹が立つのである。偽らざる競技者の心境からすれば、<バカ野郎、じぁ手前ぇ等、遣って見ろ!! 冗談じぁねぇ。好・不調は、勝負にぁ付き物だわさ。勝負は時の運!>ってな物である。

 部外者は気楽な物である。勝って勝者を誉めちぎり、負けて糞味噌・猫灰だらけの一喜一憂一過性の興奮に酔いしれれば、満足なのである。別段、殊更悪く言う積もりは、更々ない庶民大衆の感情移入・娯楽観戦である。唯、私が言いたいのは、熱し易く冷めやすいの<勝てば官軍、負ければ賊軍>のスポーツ観戦に、一喜一憂以上の『呑めり込み』を得意とする国民性を、政治・歴史問題に関して、余り反省もせずに時の流れの中で、目立つ者・声の大きい者・権力の大きい者にいとも簡単に迎合して、表層ばかりを踊り泳いでしまう付和雷同的<お人好し>振りが、大いに鼻に付いてしまうだけなのである。

 天賦の才を与えられ、それを実行する知力・気力・担力の精神力と肉体力で日々努力をする不世出の<侍>に対しての罵詈雑言と賞賛の二律背反の熱狂振りに、私は苦い思いをするだけである。勝てば官軍は、通常良い意味では使用されない常套句である。皮肉交じりにダメ押しをすると、小泉・竹中コンビが、マダマダテレビに話題を提供して、あろう事か・・・名宰相の如き扱いを受けている始末なのである。何をや言わんやである。
 劇場型のコロシアム・闘剣士ショーを繰り広げてばかりいては、ローマ世界大帝国の暴君ネロと共に、祖国の屋台骨まで危うくしてしまいますぞえ。せっかく戦後の民主主義・経済成功・高学歴社会を造った祖国が、下衆な野次馬国家と為ってしまったら、八次喜多道中で、散々、庶民の笑いを取って下された八次さん、喜多さんに申し訳が立たぬのである。タンポポ・野菊は、路傍に在ってこその風情であろうが・・・幾ら好い所取りのブレンド味が、一般向きであっても、TPOのチョイスを間違えれば、下衆の味にも為り兼ねませぬ。野次過多道中を邁進しては、ご先祖様に申し開きが立ち申さん。何しろ、人生黄昏につま先を乗っけているのである。あの世では、古風厳格なご先祖様達が、待ち構えているのである。昭和期の新参者には、発言権も無い序列世界なのである。

        以上、本日のロートルのボヤキであります。

心何処ーショート 子育てを終えた街
              子育てを終えた町(3/24/09)
 アジァジア、未だ5時である。寝返りを打っているだけで眠れぬから、思い切って起きる事にする。白み始める朝に、鼻ばかりをかんでいる。電信柱の街灯電球の橙色が、重い感じで点っている。煙草を吹かしながら、寝不足の頭でラジオを聞く。6時になって、淋しいから鳥籠を持って来る。外では、セキレイが鳴き始めている。ヒナ達は一度藁巣から出て来たが、巣の中の方が暖かいのだろう、すぐさま巣の中に戻ってしまった。

 白いメスも体調が戻りつつある様で、少し安心する。子育て中のオスには、囀りが復活している。こんな観察をしていると、動物の行動の仕組みは、好く出来ていると感心してしまう。さてさて、眠くなって来た。布団の中に潜り込もう。

 郵便局の支局に散歩がてら歩いて行く。春遅い信州は、今が梅の満開時である。梅漬けをする習慣があるから、大抵の庭には梅の木がある。白い花、薄紅色の花群が、静かに風と太陽に映えている。光線の具合で、アルプスの地肌の群青の青と白雪のコントラストが、絵に為っている。歩いていると、安眠妨害の張本人であった白と黒の模様の野良猫が、ノソノソ歩いている。実にフテブテしい態度である。野良猫の奴は、町内をテリトリーとして、ひなが町内全域を我がもの顔で、徘徊しているのだろう。石でも掴んで、当たらぬ様に脅かして遣りたいのであるが、現代社会は全て舗装の町である。人間が、野生の武器を持たなくなってから久しい。見るからに、人を人とも思わない不逞の生物である。白黒の外観は薄汚れているが、その大柄な体躯は、食料には事欠かない様子である。

 子育てを遠の昔に終えた町には、人影は無く、郵便配達の赤いバイクが走る。時間が止まった様な・・・中高年者が思い思いの日常ペースで、暮らす静かな佇まいである。

 帰って来ると、母が台所で洗い物をしている。無骨男は見て見ぬ振りをして、部屋に戻る。今度は、洗面台を洗っている。あれあれ、今度は玄関の廊下を拭き始める。遺憾いかん、あまり動かれたら、寝込まれてしまう。バトンタッチをする。動いたついでに、鳥籠を真面目に掃除をして遣る。外に無造作に置かれて、二羽のヒナが驚いて、止まり木に止まっている。丁度好いから、炬燵の母に見せる。目を細めて、身を乗り出すと。

「ああ、大きくなったね。可愛いね。今度の子は、親と同じ色かい?」
「三度目にして、親色だけど、ほら、筋を引いた様に、翼の縁が白い。頭にもポツンと白がある。」
「どれどれ、本当だ。オスかい、メスかい?」
「まだ分からんけど、親のオスの尾羽の先には、白い部分があるから、多分白縁の方は、その内オスの特徴の金色の頬色が出て来る筈だよ。」
「そうかい、楽しみだね。僕ちゃん達、いっぱいお食べ。」

 母も私の親であるから、動物好きな性格である。杖を突きながらのトイレの往復時に、それと無く見ているのである。時々、卵を産んだか? 今度は幾つか? ヒナは孵ったか? 何匹か? などと、興味を口に出している。

 日差しに恵まれて、気温は12~13℃に上昇するそうである。母は廊下の椅子に座って、薄い青空・庭の芽吹き・緑の発育を眺めて、時間を過ごすのだろう。

心何処ーショート 内緒の話 その1
             内緒の話その1(3/24/09)
 マンネリ日常の綴りがテーマのブログであるが、日々駄文の長文だけでは、送り手としては、心苦しい気もして来る。旅行記の顛末は、マダマダ未公開として、偶には<潤いの女神様>を登場させても好かろう。以下は3年ほど前の内緒話の一編である。お時間のあるお方は、どうぞお読み下され。

           <ジョーン・フォンティンに首ったけ>
 残り仕事が、半日チョイで片付いた。息抜きが必要である。帰り道の方角に、Tの会社がある。三時の休憩をTと共にしようと電話を掛ける。その途中で、立ち寄ったDVD売り場のクラシック・ムービーコーナーで、『レベッカ』をピックアップする。
 
 監督アルフレッド・ヒッチコック、主演ローレンス・オリビエ、ジョーン・フォンティン、1940年、アカデミー作品賞・撮影賞とある。面食い監督ヒッチコックが、如何にも<お気に入り>に成りそうな、知的・上品にして綺麗な女優さんである。(彼の作品中、複数作に登場する女優は、ジョーン・フォンティン、イングリッド・バーグマン、テッピィ・ヘドレン位であるから、大した女優さんなのである。)大いに堪能して、その後41年製作・彼女のアカデミー賞主演女優賞作『断崖』、44年製作・『ジェーン・エア』、48年製作・『忘れじの面影』を購入した。

 一夜一本のペースで、モノクロの彼女を見詰める。映画通を自負する小生が、見落としていた女優さんである。48年と云えば、私の生まれた年であるから、この歳に成っての注目女優と成っても、致し方の無い側面もあろうと言う処である。俳優の役柄がヒット作に縛られるのは、仕方の無い事であるが、役柄・役処を確実に掴んだ俳優しか、映画史に残れないのも事実である。映画史に残った映画は、時代を超えて共感を呼び、版を重ねつつ、スターの尾を引き続ける・・・

 落語の世界では、<美人の顔も、三日も見れば飽きる>等と、実に勿体無い戯言(たわごと)があるらしいが、私に限って云えば、美人は何度見ても美しいのである。私などは根が単純であるから、自分の年齢など一顧だにせず、マリリン・モンロー、イングリッド・バーグマン、グリア・ガーソン、デボラ・カー、ソフィア・ローレン、若い頃のエリザベス・ティラーの立派なコレクターなのである。
 
 彼女達は銀幕に<役柄>を得て、文句無しで美しい。美貌への羨望の余り、口さがない者達からは、<実像と虚像>の落差が、彼是と論(あげつら)われるのであるが、<外面と内面>の落差は、人間であるから、等しく持っているものである。そんな事を言い始めたら、切が無い。切の無いものには、近付かず、ストーリーに没頭するのが、映画鑑賞の要諦である。(容姿・雰囲気に合った役柄を演じ切るのが、役者・俳優の職業的力量なのである。)美人女優が、相手役・脚本・監督の最適合を得て、光り輝く一時間半前後の凝縮の物語を披露してくれているのである。観客は、其処に繰り広げられている<一流の極致>を、素直に受容すれば良いのである。気に入ったものを、無心に見入れば、観る度に、映画は幾つかの示唆を与えてくれる物である。観客はその示唆から学んで、映画のシーンを自分の人生の一コマに、拝借応用させて貰えば、これまた己が人生の幅が、広がると云うものである。

 映画と落語の世界は、別次元の物である。映画は<絵空事>を、映像美で訴え、語るものである。一方、落語は<奇麗事>を、長屋の熊さん、八つぁんの<茶化し>の次元で遊ぶものである。付け加えれば、浪花節は<庶民の情>を訴え、講談は<偉人伝>を格調高く語るものである。

 こんな風に捉えると、嘗ての日本庶民文化は、バランスの取れたジャンル別の構成が、しっかり保れていたのかも知れない。活字・耳からの文化には、目から一気に入る直接導入然とした映像の文化とは異なった間接導入特有の<反芻の訓練>が介在していたのであろう。意外と<反芻の訓練の介在>が、人に『間』『感想』『鑑賞』『同化』・・・etc と云う思考・行動の奥行きを、創り出して来たのかも知れない。

<鑑賞を必要としない映像>は、罷(まか)り間違えば、同時共有と云う短絡的錯覚を巻き散らかす危うさを持っている。(特に現代流行のワイワイガヤガヤ、ウッソー、ホント~で構成されているバラエティー番組から、発射される芸NO(芸能)電波を想定されたし・・・)テレビで放映された商売繁盛の整形クリニックを営む母の娘の女子大生が、29歳の中国人・49歳の日本人・53歳の韓国人の三人組の犯した営利誘拐事件が先頃あった。犯行は、日本歴の浅い29歳中国人の教唆らしいと云うからして、日本人としてお恥ずかしい限りであるが、裏を返せば、実に世相を反映させる事件の一つには違いない・・・何とも・・・情け無い世相の実体である。

 6月最終日である。2006年も折り返しと云う訳である。喜んで良いのか? 憂うべきなのか? は、一向に解らぬ処である。1年の折り返しを過ぎて、日は冬至に向って、日に日に短くなって行くのであるが、1年のサイクルを希望の春から数える春夏秋冬を、洗脳されている身からすると、夏を過ぎないと月日の無常観が頭に上って来ないのが、実感である。

 早く帰ろうとしていた矢先、話し掛けられてモタモタしている内に8時をすっかり回り、私1人に成ってしまった。フィリピン・エアーから失敬して来たプラスティック製コヒーカップで、冷めたコーヒーを前に、煙草を吹かす。念願のウラジオストーク行迄は、1ヶ月半と成った。金髪・ブルーアイのシングル・ママさんに電話を掛けねば、と思いつつもご無沙汰の状況である。机から電話番号を取り出して、番号を押す。

          ルルルル・・・ルルルル・・・ルルルル
「ハロー、」
「もしもし、」
「ア~、アナタハ元気デスカ? モウ直グデスネ。8月13日。」
「うん、ホテルは、エクアトール。分かる? 知ってる?」
「エクアトール、分カル。知ッテマス。大丈夫デス。私、空港ニ車デ、迎エニ行キマス。新潟デスネ。ア~、飛行機ハ、1時間半デスカ? ココハ、今10時デス。日本ハ、何時デスカ?」
「9時だから、プラス1時間だね。多分、4時か5時だろうね。やっと、会えますね~。」
「トテモ、嬉シイデス。毎日、ホテルデ、一緒、OKデスカ? 私、アナタノ ガイドシマス。何処ヘ行キタイデスカ?」

 低音ハスキー・ボイスの多いロシアンウーマンとは異なって、彼女の声は、幾分鼻に掛かった細い声である。受話器から伝わる彼女の弾んだ声に、年甲斐も無く私の声調も上滑りの感である。少々気恥ずかしいが、快い羞恥の血が、身体を巡っている。
<ウォホホ、我が人生も捨てたものじぁ無い。>

 太陽の恋しい不凍港ウラジオストークでは、海水温16℃で海に入ると言う。この数日の気温は22~26℃、8月は生憎台風のシーズンとの事である。街は極東随一の都市であるから、周辺には、これと云った観光スポットは無いとの事である。私は、所謂『観光地詣で』の体質では無い。その国、その街を目立たぬ形で、其処に暮らす人達の目線で通り過ぎるのが、性に合っているタイプである。街の中心部を絵葉書の儘に活躍しているトロリーバスを使って、シングル・ママ母娘と時間を掛けて、市内観光に充てるのも一興であろう。滞在中は、ホテルでじっくり話をしようとの彼女の申し出に、大いに結構。東洋の男子にとって、異国の白人美形との語らいに勝る愉しみは、無いと応える。然も日常会話に支障を感じさせない程の日本語の上達振りには、舌を巻くばかりである。私に不服などあろう筈が無い。

 帰宅のハンドルを握りながら、最初に貰った彼女の手紙の一節が、頭に浮かぶ。

・・・あなたはオトコマエで、とってもやさしく、おもしろかったです。私は、あなたがもっと英語を話せるように期待します。なぜなら前回、私たちのコミュニケーションは、少しの英語とジェスチャーで十分ではなかったからです。・・・

・・・私はロシア語であなたに、手紙を書くことができません。あなたは、ロシア語がわかりません。・・・

 人間、話す言葉・肌の色・年齢・性別は違っても、通じ合えるものがあれば、<再会>が叶うものらしい。目先の利害、マンネリの日常の些事に埋没して、疎遠が高じて『忘却の駅』と化してしまう<人と人の出会いと関係>・・・ 面倒に手を染める事を避けて、刹那的な利害・表層的喧騒の巷(ちまた)に、ひたすら流されるに任せる浮世の中に在って、ふと足を止めて、路傍の名も知らぬ一輪の芳しき花を、見入る心境である。机に彼女の写真を置き、チャイニーズ・ビューティのママさんの所から買って来たジャスミン・ティーを、日本製瀬戸物のティーポットで点てる。鼻孔を香り茶の匂いが、擽(くすぐ)る。カチッと鳴った橙色の炎に、煙草の火を点ける。

 男が一生の内に、何人の美形とお近付きに成れるのであろうか? ストーカー行為は、立派な犯罪を構成する由、お近付きが叶った美形は、大事にしなければ為らない。

 本日は2006年折り返しの日である。ジョーン・フォンティンに倣って、知的且つ上品に、若いシングル・ママのブルーアイの瞳に想像を拡げ、余韻を以って熟睡すべしである。

※如何でした? 吾輩は外観のクマ男と違って、内実は、品行方正なロマンチストなのであります。

心何処ーショート 日ざしに戯けモード 
             日差しに戯けモード(3/23/09)
 それにしても、飽きずによく降った雨である。昨日は尻ごみヒナが、何度も巣から出ていた。あどけない、おどおどした態度は、誠に可愛いものである。本日は、さしもの雨溜まりも底を打ったのだろう。春の日差しに溢れている。
 
 本日は、早々に鳥籠を水槽の上に置いて遣る。光に誘われて、白縁のヒナが顔を覗かせると、ソーレとばかりにダイビングして来た。ダイビング着地をすると、餌を食べている親の下で、チィチィと口を大きく開けて催促し始める。それを聞き付けて、晩生(おくて)ヒナが巣から顔出すや、懸命の形振り構わずのダイビング一発で、餌強請りに割って入る。

 ロートル男から見ると、いやはや、凄まじい限りの本能・成長・競争の様である。私は育ちが悪いから、彼等のそんな様子を見て、親子の愛情関係などと云う優しい観察は出来ない。反射行動、一連の条件反射の連動が、交尾・産卵・抱卵・育雛・巣立ち・追い散らし・独立の生存競争を繰り広げているとしか思えない処である。
 人間の下手な擬人化は、ある意味では人間の独り善がりな過干渉・愛情至上主義の錯覚・誤解を助長しているのでは無いかと『妄想』してしまう次第である。

 数日前から、ヨタヨタしていたグッピィの二匹は、寿命を終えて、色褪せた骸(むくろ)には、タニシが吸い付いている。その周りでは、稚魚の群れが動く点と為って、普段の動きを見せている。バクテリアの相生関係が芳しくない金魚槽は、光の関係で水色に変化を呈して、ある時間帯は透明度を保ち、ある時間帯には赤茶けた色相を呈する。
 グッピィ槽は、一定の透明度を保っている。時々、槽の水を交互に注し入れて遣るのだが、グッピィ槽の水質の浄化作用は、頗る旺盛である。その内実たるや・・・ 興味津々の電子顕微鏡の世界を覗きこんで見たいのは山々であるが、そんな事に引きずり込まれてしまったら、大変な事に為ってしまう。此処は、物臭ロートルの達観視で、相手は見えぬバクテリアの相互補完関係の為せる技・・・と看做すのが頃合いなのである。人間如きが割り込んで、彼是算段・命令しても如何にも為らぬ<摩訶不思議なバクテリアの相互補完の連鎖システム>なのである。

 さてさて、本日何を打とうか等と、煙草を燻らせていると斜向かいさんが、リンゴを携えて遣って来た。ご主人、DVD再生機を購入されたと言う。為らば、仕方があるまい。万年床の第二DVDコーナーに案内する処と相成った。
 ご主人曰く、ベット・タウンとの事である。四畳半とは違って床の間付きの八畳間である。どっかりと胡坐を掻いて、ロートル談義に花を咲かせる。廊下からは、春の長閑な日差しが風に揺れている。最後に友人が、無修整・鮮度抜群の西洋物両面DVDをプレゼントしてくれた逸品を手渡す。

「壁に耳あり、障子に目あり。くれぐれも、スケベ父ちゃんと背後からの一撃に、ご注意をば。」と常識人の言葉を添えると、
「何こいてるだい。家は夫婦仲が至って好い。一緒に鑑賞して、和魂洋才さね。ギャハハ。」
と来たもんだ。嵌り漫才に、二人揃って笑いが止まらない。ご主人、70に手の届く<前田吟>さんであるが、笑う瞳の中には、棒切れを振り回して遊び呆けていた頃の、ご近所のお兄ちゃんの瞳の輝きが、生き生きとしてあった。ほんに、馬鹿餓鬼・遊び呆けていた精神は、経時変化もなんのその・・・健在そのものである。

「白・黒・赤・黄色こいたって、古今東西、健康な男と女の楽園は、官能の世界ずらよ。毛唐がラーゲなら、ニッポンにぁ四十八手絵巻がある。毛唐の鶏が、クック・クードルと鳴きぁ、こっちは、コケコッコだわね。おどけるにぁ値せず。何事も、研究・勉強だいね。」
「そりぁ、そうだ。恥ずかしい、はしたないじぁ、奥義は、遥か彼方の極楽浄土。性道、虎穴に入らずんば、虎児を得ず。アクロバットの後遺症・ぎっくり腰を恐れていたんでは、突きが中途半端と来る。生兵法、怪我の元。鍛えよ、人類。快感の園てなものですかね。」
「ドンピッシャリ。そうだよ。柔道着を確り押さえて、体毎揺さぶって、相手の体を崩してから、一気に腰をいれて、投げを打たなきゃ一本は取れない。夜の寝技だって、奥義は一緒だよ。ニャハハ。性道とは、うまい表現だぁ、夫婦和合の道が、精神論に傾き過ぎている。お澄まし顔で、ツンツンしてるから、人間に味が出て来んのじゃい。ギァハハ。」

 こんな風景を、硬過ぎる我が女房殿が目撃すれば、バケツで冷水を浴びせ掛けられるの図である。ご主人も、言わずと知れた<悪戯小僧軍団>の長を為されていたご仁である。『言いたい放題・ロートル寄せ』の顰蹙演舞場の設定場所は、自宅を離れて、キチンと自覚実行されている処が心憎い。
    これを称して、<三つ子の魂、100まで>と、云うのであろうか。

   お互い、好きの道は一度噛み合うと、脱線加速度を増してしまう物である。
   アッハハ、ウッシッシ、ギァハハに弾むチンチン電車の如きものである。
遺憾いかん、足して130歳チンチン電車下駄履きの青春記は、未だ走るの巻きであった。

 さてさて、性根を入れて、日記の続きにシフトせねば為らぬ。苦めのコーヒーを入れて、打ち始めているとM氏から電話である。お世辞でも、私の顔を見ないと恋しく為って来るなどと言われると、その途端に頬の筋肉がだらけてしまう。
 毛無し、金無し、品無し、技量無しの人畜無害ロートルであるが、捨てる神あれば拾う神ありで、如何やら私にも社会貢献の場も残されているらしい。これまた、人の人情の有難さである。お天道様に、感謝感謝の気分である。

心何処ーショート 紫煙の先
                紫煙の先(3/22/09)
 ラジオからは、小説の朗読が延々と続いている。何がこの小説の優れた処か、私には分からない。女流作家の作品なのであろう。状況が饒舌でしかも平均的な作家風な描写で、朗読が進んでいる。へそ曲がりの私には、全く作家さんの個性・感性と云った物が伝わって来ない。まるで作家ブリッコの様な作品に聞こえる。饒舌・丁寧な状況描写を、女性アナウンサーが朗読速度と、声色を使い分けて肉付けしている様なものである。若い男女の会話場面と為ると、地の文章とは全く異なった表層的で陳腐なママゴト会話に為ってしまう。何が言いたいのか、ロートル・ボンクラには分からない。

 これが、現代風と云う物なのだろうか。知識・感性の回っていないお互いの独りよがりの紋切型会話と、単発紋切言葉の心境と状況を補てんする地の描写のずれに、現代の表層的人間関係の病巣が横たわっていると<文学評価>するしか手立てが無い。お互いの紋切口調が気に為るのなら、相手への配慮を言葉の中に配合して、会話を成立させれば好かろうものを・・・お互い、王様・女王様でもあるまいし、相手に対して攻撃・無視するのは好きであるが、攻撃・無視されるのは<まっぴら御免>を平然と遣って退けていたのでは、頂く物を賞味してしまえば、興味が薄れて行くのは当然の話である。

 特段に切り口・語り口に、鋭さ・独自性がある訳でも無さそうである。チグハグさが、神経に触るだけである。やっと苛々・退屈な作品が終わり、11時のニュースである。

 夜のテレビでは、テレビのあり方について、視聴者参加の討論会があった。顔が一人一人違う以上、どんな意見にも賛否両論がある。『力んでしまえば、とてもじぁ無いが時間が足りない、もっと言わせろ。答えていないじゃないかと、熱くなってしまうのが、人間である。』多数が正しい訳でも、正論が多数を占める訳でも無い。いろんな意見を拝聴して、その中の自分自身の一番据わりの好い傍証を幾つか拾い上げて、自分なりの妥当の結論で採点を下して行くしか無いのが、この手の番組の結論である。

 スポンサーと制作局の絶対値=視聴率に視聴質を加えるのが、この種の論争の合致点なのであるが、率と質を一気に叶える方策は、今の処では開発されていない。質を問うには、質問を要する。質問をするには、別仕立ての細工と労力の<大面倒が必要>である。
 別仕立てが無い以上は、現行視聴率に解釈を注入するしか有るまい。見たく無い=視聴率の低下と捉えて、視聴率に視聴質も内包されていると主張する事も出来る。
        <こう云った処が、人間の厭らしさである。> 

 NHKに民報局が勢揃いの『局対視聴者の討論会』とは、よくよくテレビ衰退の風潮を垣間見せているのである。企業体としては、絶対に視聴率の回復・復活が喉から手が出るほど欲しいのである。紋切・金タロー飴・芸NOタレントの馬鹿騒ぎ番組に辟易として、テレビ離れが定着してしまった視聴者側からは、質への要望が出されるのは当たり前の構造なのである。そして、送り手と受け手の合致点を真剣に探り、構築して行かなければ、マスコミの頂点を極めていたテレビ業界が、経済危機の中で沈没の憂き目を晒しかねない処まで来ているのであろう。背に腹を替えられない危機感が頭を擡げる中での、テレビ制作側と視聴者を直桔させる<新しい視聴尺度>が、求められているのが現実の姿なのである。然しながら、新尺度への端緒も覚束無いのが現状なのであろう。

 旧尺度しか存在しない現状では、局と制作側を取り持つ広告代理店は、一面に偏重する視聴率であっても、それに固執するしか無いのであろう。

<何やら、憲法9条解釈の悪しき言い逃れにも見えるのだが・・・> メディア提供側が、力を抜いてしまったら、送り側に都合の好いデーター庫である処の現視聴率万能主義の単純・責任回避型のシステム自体が崩れ去ってしまう。
 一方視聴者側からすれば、その一点集中型の討論にこそ、視聴者参加型の討論番組の存在意義が成立し、その内容の充実度合いが民主的討論の場に為るのであるが、討論進行掛りを演じている癖の無い大衆受けする人気アナウンサーとても、制作側の最前線に身を置くサラリーマンなのである。しかも控えて御座るのは、NHKの副会長様である。
 議事進行役の最大の任務は、最初から明白な流れを誘導する事にあるのである。総花的で十分なのである。放送の在り方に一家言を持つ者は、三者討論の場の雰囲気を五感を張り巡らせて、己が第六感で反芻すれば好いのであるし、それしか方法は無かろう。民主主義・民度の高さとは、自論を持つと言う事でもあろう。

 制作側の目に止まった現代小説でも、その良さがボンクラのロートルには理解が出来ないのであるから、これは個人的な少数嗜好の領域でしかあるまい。従って、嗜好分野・領域について、公言して見ても始まらぬ。きっぱり個人の段階で御断りすれば好い事である。

 面白くないから、チャンネルを変えると<世界不思議発見>では、小笠原諸島を遣っていた。<おお、やっと半分まで来たか、さてさて、ワインを頼んで、もう一眠り。>サイパンへの飛行航路のほぼ半分の距離に、お目見えする島々である。東京から海路25時間の船旅だと言う。気の置けないロートル男三人で往復50時間を掛けて、大海原を不思議発見でインプットした雑学を反芻しながら、甲板の燦々と降り注ぐ太陽の下、潮風に身を置いて、T、M氏と共に破天荒旅行の行状談に花を咲かせ、ビールのまどろみに酔うのも一興である。娑婆の煩わしさには、どう逆立ちをして見ても、付いては行けぬロートル頭脳である。往復50時間の船旅に思いを膨らませて、クイズそっちのけで、確り頭にインプットした次第である。

心何処ーショート 厄介な時季到来
              厄介な時季到来(3/21/09)
 藁巣のヒナもチョコチョコ顔を出している事でもあるし、川で釣り糸を垂れようと思い、ミミズ探しに庭の落ち葉の下をガサゴソして見るが、居そうも無い。雨水を溜めたバケツには、薄っすらと氷が張っている。<時期早尚であるか> その気に為れば、何時でも釣りは出来る。ヤマメの居る場所も頭に入っている事でもあるし、庭のミミズが這い上がって来るのを待っても、遅くはあるまい。如何しても釣りがしたければ、小麦粉を少々練って、アブラハヤを相手にすれば好かろう。庭のハコベを取って、鳥籠に入れて遣る。本日は幸い、花粉症の程度が小さい。

 ラジオの高校野球をBGMに、外のセキレイ、シジュウカラの声を聞いている。

 籠の鳥はハコベを啄んで、嘴の周りを緑にしている。水浴びをして羽をブルブル震わせて、水気を私に飛ばしている。巣から顔を覗かせるのは、活発早生の一羽だけである。如何やら、もう一羽は私に似て、引っ込み思案の性質らしい。若番いの白いメスは、水浴びもせずに羽毛を膨らませて、元気が無い。卵詰まりなのだろうか・・・ この頃、この番いは仲が悪く、きつい声で追掛けっこをしている。彼等の安静場所の玄関に若番いの籠を移す。
 
 若い頃は、せっかちな性格であったから、何かと思案して色々手を施していたのであるが、この頃は腰がすっかり重くなってしまい、彼等の自然治癒能力に任せ切りの放任主義に為ってしまった。世話を焼く者が身近に居ないと、私の様な物臭者は、自由気儘なマイペースを行進してしまうのである。それに加えて、雑音よりも一人で黙々と・・・を好む性向であるから、人恋しさが気薄である。従って、淋しさと云う実感が湧いて来ない。人様から見たら、侘しさが透けて見えるのであろうが、当の本人からすれば、こんな居心地の好い世界は無いのである。

  さて、花粉症の症状の軽い内に、一回り散歩運動でもして来るべしである。
 
 カメラと双眼鏡を持って、外に出掛ける。黄土色のタテハチョウが、何匹も飛び回っている。春霞みに、カメラは不発に終わりそうである。コサギ、カルガモが居る。雨による増水も、すっかり澄んで来ている。橋の先には釣り人の姿が見える。ジャンパーを着て来なかったから、寒さ防止に、早歩きで体温を稼ぐ。
 
 おやおや、釣り人は50歳代の女性である。声を掛けると嫌な顔もしないので、暫く言葉を交える。彼女は、ルアー釣りをしている。釣れてはいなかったが、大分釣りが好きな様である。前は、上流で遣っていたのであるが、人の多さに嫌気が差し、ふと<燈台下暗し>を思い立って、今回の『探り釣り』と為ったとの事である。着眼点が好いから、この周辺のポイントを教える。何時ですかと聞かれるから、12時半頃だと答えると、午前中だけの言い置きで来てしまったから、さぁ大変と仕掛けを終い始めた。家には、年寄りが居るとの事である。今度は助言に従って、餌釣りで試すとの事。

 散歩コースの折り返し点まで行くと、体も解れて来た。人の居ないのを幸いに、体操の真似事をしている内に、腕が鳴って来た。腰を割って、オイッチ・ニー、オイッチ・ニーと、空手の真似事をしていると、何やら<もっともっと>と、内なる体細胞からの要望である。仕方が無いから、今度はシャドー・ボクシングをして見る。そして、最後は柔道技に、体が動き始めた。
 
 息切れは激しいものの、俺ぁマダマダ最低限の攻撃・防御力は、健在の様である。
        
       ハッハッ、ハクション、ハクション、ハクション・・・・

 遺憾いかん、ロートルの冷や水を、お天道様が中天から窘めて居られる。嗚呼、来た来た。目が痒い、鼻孔がムズムズ・・・ハハッハックション、ハクション、おまけに、もぅ一丁、ハックション。嗚呼、堪らん。花粉野郎メ~

 アジャジャ、鼻水タラーリが始まった。帰るべし、帰るべし、この時期、オイラは、蛇に睨まれたドンビキ蛙。自然のお力には、抗すべきも無し。真に、厄介な時季の到来である。

心何処ーショート 深夜の感懐
             深夜の感懐(3/21/09)
 自分のブログを見ると、良くも打ったりである。多分その主たる原因は、物書きの創作では無いから、生きている以上は、日常がある。その日常に沿って、見た物・思った物を、等身大の言の葉で綴って行けば良いと考えているから、続いているのだろう。どんな演技をしようとも、打たれて積み重なった物には、自分の姿が曝け出されているものである。
 
 これは、仕方の無い結果である。勿論、打ち手は自分自身なのであるから、行間に漂う自分の臭いを嗅ぎ分けてしまうのは避けられないし、それが又、自分自身面白い?と言うか興味の湧く?処なのかも知れない。
 丁度、10年前の気持ちを綴った文章がある。写真・思い出話だけが、旅の記憶では無い。写真プラス無尽旅行仲間への思い出と為るべく旅行記として見た。以下は仲間内に配布した序文である。

               心何処・・・目次
    心何処ー1 ワタシ カエル
    心何処ー2 インユウヲ モッテ コトヲナス
    心何処―3 テンモウカイカイ ソニシテ モラサズ  
    心何処―4 シェリー ノ オンナ
    心何処―5 とほほの国 タイランド  
    心何処―6 ロシアンルーレット   
    心何処―7 クロネコ       
    心何処―8 オアシス                    
    心何処―9 ウクライナ トライアングル         
    心何処―10 フクスイ ボンニ カエル          
    心何処―11 ハクション 青島ノ巻
    心何処―12 52にして骨折の痛みを知る
    心何処-13 スネーク ヘッド
    心何処―14 デンワモ タノシカラズヤ 
    心何処―15 ケセラセラ 成るようにしか 為らず    
    心何処―16 宵待ち草のヤルセナサ
    心何処―17 洋々の街 大連を見る 
    心何処―18 ワタシ コマッタコトガ アリマス 
    心何処―19 ワタシハ ネムイ 
    心何処―20 オクガタノ セリフ
  
 齢51にして、日常生活に些かストレスが、充満してきた。その捌け口の手立てを考えて観た。小生,酒・博打には興味はなく、オンナに溺れてみたい『願望』大なれど、相手の『選ぶ権利』に阻まれて儘ならない。さりとて、オンナに持てるほど容姿に自信無く、金にもトンとご縁の無い暮らしを今日迄続けて来た。人間、50を超えたからと云って、さぁ、変身などと変われる訳には行かない。

 此処は一つ、冷静に考えて自己分析をして診た。地味で金の掛からぬ、自分に合ったストレス解消法を考案・実行する必要があると考えた次第である。其処で、就寝前の2時間前後の「時」を何者にも邪魔をされずに独り、没頭出来る日課は無いものかと考えたのである。そして、20数年ぶりに万年筆をワープロに変えて観る事にしたのである。仕事から引退して時間の余裕が出来れば、30年前に書いた物などを整理方々もう一度まとめ直して見るのも、一興と考えている。
 その過程で己の精神の軌跡をその時の自分の視線から、眺めてみたいと考えているのである。人間と云うものが年を重ねると云う事は、進歩なのか退歩なのか? 中々興味深い処で有る様に思えるのである。寛いだ姿で30年前の自分と対峙するのは、「自問自答型」の小生にとって多分様になるであろう。

 そんな思いも手伝って思い切って、ワープロを購入したのであるが、何しろ我が主力は右の人差し指一本の入力である。入れた筈の「労作」がフロッピーに入っておらず、物の見事に人差し指一本の魔法で消えてしまった「泣き話」もあった。其処で短腹を起こせば、今迄の「投入時間」が全くの『徒労』に帰してしまうのである。考え直して年末年始の休みを返上して、人差し指を稼動させた『とほほの国 タイランド』もあった。
   名付けて『エロチィック・エッセイ 心何処』の誕生、続編執筆中である。
続編が何話迄続くことやら、皆目検討が着かない儘であるが、乞うご期待と云った処か?
2002年9月 54歳を目前にして作業場・四畳半にて、県 稜 AGATA  RYO

★ふ~ん、本質的には、何も変わらない硬派の文体である。旅行記の内容が顰蹙を買う行状のオンパレードであるから、青い書生体質に歳の巧を塗しているのである。ロートル賄い夫生活で、破天荒部分に引導を渡している生活をしている手前、旅行記と日常記の打ち分けが出来ない為に、内なる破天荒部分が噴出孔を求めて、顔を随所に出しているのである。こんな形で、バランスを取っている、取られていると云った処が正解なのであろう。
 
 日々を生きるのが人間であるから、知らず知らずの内に人間は工夫をして、バランスを取っている様である。為る様にしか為らない日々、これ又、自分自身の等身大の日々である。正体のばれぬブログ世界、天賦の妄想技を駆使して、有る事無い事、打ち捲りまっせ。

心何処ーショート この世に、戯けの尽きるは無し。
          この世に、戯けの尽きるは無し(3/20/09)
 朝トイレに行くと、ヒナの一羽が巣から出て餌入れの横に蹲っている。並金華鳥の灰色羽色に、一列白い縁取りがある。昨日、巣からチョコンと顔を出していたヒナである。朝の世話の時には、巣の中に収まっていた。初回のダイビングで、再び自力で巣に戻るとは、運動神経が好いのか、根性が旺盛なのであろう。

 本日、一面の曇天にして、クシャミ、鼻水タラタラ、目が痒くて堪らない。私には、困った季節の到来である。鼻を遮断されると、脳細胞への空気の回りが欠落して来る。口呼吸をしていると、滅法口中が乾く。何かラジオは無いかとONにするが、芳しくない。
 仕方が無いから、第一放送から第二放送へスイッチである。万葉集の講義を聞いた後は、小説の朗読である。卑猥な内容を漢文調に表した処が、何とも早や、フザケタ味を出している。確かに、物は言い様である。それをアナウンサーが、役者顔色無しの声色に変化を付けて朗読してくれてくれるのである。

 物語は、明治期の日本人ハワイ移民に纏わる話である。日本人移民反対の米国議員の論調が、実に面白かった。ニヤニヤして聞いていると、呆気なく終わってしまった。お後は、中国語講座である。遺憾いかん・・・慌てて民報にスイッチする。

     何々、テレホン人生相談とな・・・偶には、聞いて見るか。
60代同士、再婚同士の新婚さんの奥方からの相談である。事の発端は、<新婚妻>の留守中に女を家に引き込んでの浮気の物証を見てから、気持の整理が付かず、離婚をすべきかで悶もんと夜も眠れずの日々・・・の相談である。
     アジャジャ、この手の口は、荷が重過ぎる。慌ててoffとする。

 昨日の私とTとの馬鹿話では無いが、世の中には、とんだ戯け男が居る物である。その男も、きっと私同様のバズーカー砲の持ち主なのかも知れんが・・・ 珍砲は日頃の手入れが大事と云えども、何も、留守中に家庭内でブツ放す事はあるまいに・・・ 
 これでは、完全に重火砲の射程範囲を考慮していない自爆テロ見たいなものである。この戯け男、何をか言わんやである。

★お前さんも平均的な日本の仏教徒であろうが、アッラーの神を<猛進>するイスラム教徒の真似をして、如何するんじゃい。意馬心猿のパズーカー砲の試し打ちは、遮断装置完備のラブ・ホテルで遣るべしであろうが、戯けにも程がある。馬鹿者!! 死んだ気に為って、改心せよ!! これがハムラビ法典の御代なら、有無を言わせず<切断>の生き地獄じゃわ。

 精力絶倫のバズーカー砲も、お相手が無ければ、単なる宝の持ち腐れと短絡的に発射したのであろうが、小さな快楽が大きな不幸を呼び込んでしまう典型である。電話相談では無く、宅急便にて亭主を我が下に送るべしである。

※亀頭・玉袋の三点に、てんこ盛りのモグサを瞬間接着剤で固着して、確りとお灸を施し、我が家系に一子相伝で伝わる『妄想の術』を伝授致しましょうぞ。

★嗚呼、嘆かわしや、心頭滅却せずとも、気配り配慮・防御を忘れた愚行は、物笑いの種でありまするぞえ。臍下三寸に宿る人格、ことごとく希少為るが故の人間煩悩の可笑しくも切なくもある現世。

 企業戦士歴40年前後のいばら道、漸く束縛から解放されて、自分に戻る第二の人生・・・ 下らぬケアミスで、カンセイ(完成・感性・慣性・閑静・)人生を棒に振って、何とするやでありまする。時して、<歓声>の誘惑は、罷り間違えると<陥穽>の待ち受ける処と為りましょうぞ。ご同輩諸兄に在らせましては、くれぐれも粗相の無い様に、第二の人生を健やかに行進為されませ。晩節を自らの性癖で穢すは、物の哀れにも通じない所業で有りまする。武具の手入れも重要為らば、実行計画も肝を外しては為りませぬ。

 遺憾いかん、私もとんと進歩の無い還暦男である。好きな道に案内されて、呆け文章を続けていたら、正午で御座りまする。昼の賄い夫の後は、坐禅でも組んで見まする。朝からとんだ秋分の日と為り申した・・・

心何処ーショート いと憎しは、花粉軍団。
             いと憎しは、花粉軍団(3/19/09)
 明日からは、天気が崩れるそうである。風は強いが、生温い気温である。セーターを脱ぎ、コール天のシャツで十分である。ひょいと鳥籠の藁巣に目を遣ると、顔が一つチョコンと出ている。見直すと、何とヒナの顔である。余りの暖かさに、ついつい冒険心が出てしまったのだろうか・・・ 可愛い物である。

 昼過ぎから墓参りをした後は、Tの所に寄って帰ってくれば頃合いの時間と為るだろう。スーパーで花を買って行く。市の東南の丘陵の一帯を当てた墓地公園では、火災注意のアナウンスが繰り返されている。平日の墓地には、私と同年輩の夫婦者が墓参りに来ている。

 墓石を洗い清めて、花を手向ける。線香は風に煽られて、忽ちの赤い炎を上げている。親父と倅では、映画・テレビの様に語りの言葉が、自然と浮かんで来る物では無い。浮かばない物は、仕方の無い事である。墓前にしゃがんで手を合わせて、息の続く限りのナムアミダブツ・ナムアミダブツを念ずる他無いのである。

<さてさて、親父殿、俺は帰るぞよ。風に花粉がきつ過ぎる。目も鼻の穴も、モゾモゾ痒過ぎる。折角、素手で洗い清めた墓石に、大クシャミ三連発とあっては、倅として相済まぬ。粗相の無い内に、帰るわな。寂しく為ったら、夢訪問でもしてくれや。へへへ。>

 Tの所に寄る前に、折角出て来たのであるから、<駅そば>でも食べて行こう。こう云った類の物は、手頃・美味い不味いの物差しでは測れない衝動習慣の味なのである。天ぷらソバに、ネギと赤い唐辛子をぶち込んで、舌先が焼け付く程のソバを、フーフー息を掛けながら、ズルズルと啜り、濃い目のソバ汁をふやけた天ぷらと共に、サッサと胃に落とす。安コップの水をトクトクと喉に落として、爪楊枝を咥えてテーブルを雑巾で一拭きして、<頂きました。>と言って、暖簾を出る。これが、駅そばの一連の流れである。

 車を駐車場に入れて、最新作のファイルを手に、歩道を歩く。電話では午前中は、会社に行くと言っていた。ドアを開けて<コンニチハ>と声を掛けると、二階から顔を出した。

 91歳の父上が、皿そば(市販のかた焼きそば)を孫に作っていると言う。父上自慢の一品らしい。胃を摘出してしまったTは、すっかり手料理への関心が萎えてしまった風である。祖父と孫が立つキッチンを尻目に、一人っ子のTは、耳の遠い父君に向かって

「そんな物は、美味いに決まってるずら、具の材料をポンポン買って来て、使うのは本の少し。本当に後先を考えずに、ありぁ中国の皇帝料理だよ。あれで不味かったら、老人ホーム送りだぞ。まぁ、本当に、とぼくれた爺さんだぜや。お袋の墓参りに連れて行くと言えば、さっきまでピンピンしていたのに、<俺、足が痛ぇって、>と、ほざくんだから。見え見えの臭い演技をして、後は聞こえない振りだよ。手前の親父だけど、ありぁ、冷てぇ男だぞ。」
「まぁまぁ、仕方があるまいよ。頼みの綱の倅が、優等生だもの。今まで、隠れるのは大樹の陰で安閑として居られたのに、倅は赤紙で病院送り、帰って来たと思ったら胃無しの傷痍軍人じぁ、爺サマ最後のご奉公って寸法だわな。説明書に書いてありぁ、真面目に実行するしかあるまいよ。倅、嫁、共に堪えるべしたわな。へへへ。」

 コーヒーを飲みながら、饅頭を摘まんでいると、父上が定位置に座られた。お絵描きファイルを目の前に置くと、老眼鏡を掛けて絵を覗いていたと思ったら、何やら持ち出してファスナーを開けて、紙切れを取り出した。

「Rさん、俺も小さい頃から、悪戯書きが大好きでな・・・どうかね。」
「あれあれ、一杯、小さく描いてますなぁ~、もつと大きく描いて、色付けたら様に為って来ますよ。お絵描きタイムは嵌まれば、こんなに面白いお遊びは無いですよ。遣るべし遣るべしですよ。」

 父上、すっかり相層を崩して、白紙のメモ帳を持って来て、更々と俳句的な短歌を書き始める。出来あがると、すぐさま私に手渡し、次を書き始める。
「大した物です。如何です。倅にパソコン買わせて、ブログ俳壇にデビューしたら、当たって印税が行って来たら、東南アジア股にかけて、赤玉散弾銃ぶっ放しましょうよ。私、喜んで太鼓持ち遣りますから。才能は、天からの授かりもの、出し惜しみは、ご法度ですよ。色付きの絵に俳句と来たら、鬼に金棒でしょうに。」
「Rさん、俺はペン持ってりぁ、スイスイ勝手に手が動くんだ。ほらほら、ドンドン出て来ちゃう。止まる処を知らんって事だいね。アッハハ。」
「R、おだてちゃ行けねえ、みんな、新聞からの盗作だよ。印税どころか、手が後ろに回っちゃうぜ。損害賠償で、家屋敷競売に掛っちゃうぜよ。」

  日本帝国陸軍飛行兵は、老いて益々、意気軒高の様である。

「Rは、俺と違って健常者なんだから、夢サービスばかりしてないで、実弾パズーカー砲をぶっ放して来いよ。重火砲って奴は、使って無いと射程距離を誤るって云う話だぞ。」
「射程距離の目測を誤ると、忽ち御用で牢獄送りって事か・・・」
「あいあい、早く言えば、そう云う事だ。」
「いや、それは大丈夫だ。俺のは、プラトニック・ラブの上を行くプラトニック・ラーゲって奴で、頭の体操・記憶力の呼び起こしってなものだわさ。面倒な女付き合いは、俺には性が合わん。通い・落としのTに、一発正拳突きのRだぜ。得意技の変更は、この歳に為っちゃ至難の業だわね。当分、妄想技に精魂傾けるわさ。盲想訓練は、銭も暇も掛らんからなぁ~。何しろ、相手構わずの俺の独壇場だぜ。如何だ、俺に弟子入りするか?」
「妄想技か・・・ 駄目だなぁ~、俺には、想像力が欠けている。想像力は無限の力って訳か。困ったぃなぁ。土台、端から無い物は、鍛え様が無い。俺は、歯がい絞めで行くわ。」
「ああ、そうだな。天は二物を与えんって処らしい。さてさて、丁度頃合いのお時間ですわ。賄い夫のお呼びだわな。俺は、帰るわいな。」

 窓を開ければ目が痒い、クシャミが連発する。然りとて、閉めれば暑い。本に憎いは、目に見えぬ花粉軍団よ・・・

心何処ーショート ベンチの麗人(自作詩)
                   麗人

                    ベンチの麗人

                  吾 春を 散策するなり
           
          春の昼下がり 公園のベンチに 女一人 動かず
          その落ち着いた眼差しは 可憐花の先に 何を見る

                黒服の下 隠された女の肢体は 
             その緑のクロスの胸に 何を甦らせて居るや

                彼女の来しき青春の淡き想いを
                 可憐花に例えている居るのか

             人は皆 其々のドラマを 胸に秘めている
               春の昼下がり ベンチに 女が一人

                            2009/3/19  アガタ・リョウ


心何処ーショート 午後からのゼンマイ捲き
             午後からのゼンマイ捲き(3/18/09)
 今日も良天である。藁巣の中では、ヒナが立ち上がって、背伸びをする様な格好で、翼を伸ばす練習をしている。つい先日の煩い程の餌強請りの声も、小さくなっている。体の成長と共に、外敵に覚られないと云う警戒心の成長も著しい限りである。
 感動も変化も無いロートル生活をしていると、彼等の超スピードの成長振りが、朝日と同様に眩しく思われてしまう。

 彼等の成長に感化されて水槽を見ると、グッピィ達の成長は頗る遅い。稚魚の数は多いのであるが、雌雄の区別の付く少年少女は、未だ現れずと云った処である。水槽の底では、役目を終えつつあるビッグ・ママの一匹が身を横たえている。数日前に身罷ったオスの体は骨を残すだけで、物の見事にタニシ達の体内に吸収されてしまっている。

 変わり映えのしない金魚達も、差し込む光の中で春の泳ぎを始めている。藁巣から解放された親鳥は、窓辺の光に反応してヒナに呼ばれない限りは、オスもメスも思い思いの動きで止まり木・餌入れを伝って忙しく動き回っている。後数日もすれば、ヒナ達もたどたどしい姿で、藁巣から外の世界を覗きに来るのであろう。寒暖の差は、激しい春先の季節ではあるが、日一日と進む太陽の成長に、小鳥達は四畳半で過ごす時間が長くなる。生物にとって、お天道様の恵みは心に体に、活性化を齎す。気温さえ安定してくれば、<はるはあけぼの、ようようしろく・・・>で、身も心も浮き立つ季節の到来なのである。

 通りに、斜向かいさんの姿が見える。玄関が開く。「どうぞ。」週に一度のビデオ交換である。椅子を勧めるが、ご主人は胡坐派である。高校時代は、柔道をしていたご主人は、とにかく面白い。お互い質実剛健が幅を利かせていた時代に育っているから、華美軟弱・自己主張の風潮には、嫌悪感を持っている。私は9歳も年下であるから、長幼の序に従って、専ら頭の<式次第>を捲って、先輩の舵取り役を任じているのである。

      以下は、先輩ロートル様の口述筆記の抜粋である。

「どうも、俺の時代は野球もイマイチなんだよ。韓国が勝とうが、日本が勝とうが、強い方が勝つだけだよ。それが、勝負の世界。でも、それがサッカーと為ると、完全にチンプンカン。テレビ見てても、ゴールの遥か上空のホームラン蹴っといて、頭抱え込んでオオ、マイゴツトじゃあるまいに。スポーツ選手は、肉体勝負だよ。長髪なんか邪魔物だわね。丸坊主・角刈りの清潔感がなくちゃ、少々時代が狂ったって、スポーツは技を見せる物なのに、まるで今時のスポーツ選手と来たら、芸能人と勘違いしてるんじゃないの。
 野球選手が、茶髪にパーマ掛けて、ここへ穴開けてピアス付けてさ、坊主でも無いのに、首から武蔵坊弁慶見てぇにこんなデッケェ数珠被って、三振こいてりぁ、世話ないっちゅうの。大体、見せて遣ってるって己惚れが、強過ぎるんだよ。日頃鍛えた技を見て頂くのが、スポーツ選手の心意気ってもんでしょうに。
 青春時代に打ち込んだ柔道と来たら、如何なっちゃたの!! 腰を引いて、手でこうじゃんかい。猿か、チンパンジーのこけら脅しだよ。情けないったら、ありゃしねぇ。日本は、オリンピック柔道から足を洗って、講道館柔道を遣れば良いんだよ。」

 ご主人、快調そのものである。お外を照らす陽光は、お向かいさんの盆栽棚を、万遍無く、柔らかく照らしている。

「何がソマリア自衛官派遣反対だよ。相手が外国の海賊なら、日本の軍隊が出て行くのは当たり前じぁないか。何が憲法9条違反じぁい、現実の緊急事態に対処出来ない様な憲法・法律だったら、意味が無いじゃないの。国際協調・人類愛・隣人愛・平和至上主義なんて、お題目唱えていりぁ、物事全て丸く収まるのかい。収まりぁ、軍隊・警察・裁判所・行政のお役所も、国会議員も不要だわね。
 人間は何時の時代だって、性質が悪いから、規制してしょっ引かなけりぁ秩序が維持出来んのでしょうが・・・ 本当に、まどろこしいたら、ありぁしねえよ。へへへ、
 偶に、お兄ちゃんの処で、日頃仕入れた物を、出して行かないと頭が重くなっちゃうからね。ああ、今日も、洗いざらい悪態こいて、気が清々した。
 さてと、今日は、どこら辺を借りて行きぁいいずら。」

 斜向かいのご主人は、前田吟さんに好く似て居られる。過激な事を言うのであるが、顔と眼はニコニコ笑って、所々で悪戯っ子の様に、舌を出すのである。憎めないお人柄である。奥さんとの暮らしで、娘・孫の訪問を受けるだけでは、男のよもやま話に花が咲かないのだと言う。私も、同類項であるから、話に潤滑油が廻ってしまうのである。

窓外には、中々帰って来ない亭主殿を探しに、奥方の姿がうろついて御座る。

「やいやい、いけねぇ。また来るわ。長い事、お邪魔しました。」

 ご主人を玄関に送って、<やいやい、いけねえや。俺も、本日分の端緒を打つべしである。> 仕切り直しのパソコンに向かっていると、今度はヤクルト・ママさんが、学校休みのお譲ちゃんを連れて、金華鳥を見に遣って来た。巣の中のヒナを見せて遣ると、欲しくて堪らない様子である。藁巣の中には、8個の卵があるそうな。彼是、解説・相談に乗っていると、昼近くに為ってしまった。
 
 遺憾いかん、とんだサボタージュをしてしまったものである。気分を引き締める為に、風呂に行って、買い物を済まし、午後から精神のゼンマイを巻かねば為るまい。

心何処ーショート クマ男出没
                クマ男出没(3/17/09)
 濡れた道路も、乾いて行く。窓辺の雑木の枝にも、雀が遣って来た。セキレイの声に、散歩に行く事にする。河川敷に降りると、川の中の水柳に芽吹き前の幽かな緑が窺がえる。目の前を、足を閉じたコサギが、低い飛翔で飛んで行く。陽射し一杯の河川敷の枯れ芝生には、ムクドリ、ツグミが歩いている。川の中の数本の水柳には、ヒヨドリが何羽も止まり、モズも飛んで来た。その小幹をツツッと鳥影が走る。
 キツツキである。頭が鮮やかな赤色を呈している。アオゲラカ?? 距離が遠過ぎる。引き返して、双眼鏡を持って来よう。 ・・・ダメ元である。 
 
 河川敷の階段を降りようとしていると、町内のうるさ型が歩いて来る。此処で逃げたら、男が廃る。降りて数歩進み出て立ち止まり、上半身を突き出し、筋肉マンのポーズを取る。何と、相手も立ち止まり、描いた睫毛を逆立てて睨み目を、投げて来るでは無いか。<猪口才な、四股でも踏んで遣るか。> 相手は、豪の者・同い年カンナの口横綱である。

「偉い女と会っちゃったよ。折角の珍鳥が逃げちゃったよ。バカヤロウ。」
「何言ってるだ、見てみぃ。人相の悪いクマ見たいのが、ドサドサと降りて来たから、大事なワンちゃんが、固まって引き攣って、唸ってるよ。<大丈夫だよ、食われないから、おいで。人相は悪いけど、根はインテリだよ。>」
・・・色男の俺様よりも、小耳に赤いリボンを結んだお犬様が大事らしい、何ちゅう女であるか・・・
「カァ~ 、今日は化粧の乗りが好いって、お世辞の一つでも扱いて遣ろうと思ったが、止めた。相手が悪過ぎる。」
「ハハハァ、私は、学は無いけど、Rチャンには、口数じぁ二枚も三枚も上だよ。掛っといで、遊んで遣るよ。う~ん、何か、言って見ろ。・・・ 処で、小母さん元気?」
「うん、永遠に戻らぬ若さで、老衰更新中だわな。へへへ。」

 顔も口も態度も悪いが、悪気の無い面白い女である。暫く言いたい放題の<オトコとカンナ>の漫才口上を交換して、河川敷の上・下に分かれる。

 それにしても、陽気に釣られて鳥の数と種類が、殊の外多い。橋を渡って、護国神社の境内で、バードウォチングをする事にする。桜が咲けば、宴会場に早変わりする会館周辺の林では、ゲートボールのお年寄り達が一杯居る。2・4・6・8・10・・・16人も居られる。大した盛況ぶりである。人相の悪い熊と言われてしまったのであるから、視力の薄い老人衆に<不測の恐怖心>を与えては拙かろう。若輩者は、いそいそと退場するしかあるまい。

 この日差しの強さは、四月・五月のものである。神社の石段にどっかり腰を下ろして、体温調整である。乳母車を押して、ヤングママさんが、幼児を連れて石畳の上で、のんびりと時間を過ごしている。
 さてさて、双眼鏡で境内の森に入って、小鳥の声を頼りに散策と洒落込むと致そう。

 帰れば、金華鳥のヒナ声のお出迎えである。鳥籠を持って部屋に行く。日に翳して中を覗くと、二羽のヒナ達は円らな目をパッチリ開けて、身を固くしている。アジャジャ、お前達にも、オイラはクマと映るか・・・遺憾いかん。あのバカ女、とんでも無い命名をしてくれた物だわさ。焼いて食おうなんて料簡は無いから、安心しな。・・・とほほ。 

心何処ーショート 支離滅裂日記・夢の背景?
            支離滅裂日記・夢の背景?(3/16/09)
 私の場合、如何やら暖かいと、夢を見る確率が高いらしい。勿論、耳学によると夢の記憶が認識されていると表現する方が、正しいとの事であるが。それも実感する処であるが、何でもかんでも科学万能と云うのでは、色気の無い話である。不思議な思いが付いて回っていた方が、人間の想像力を刺激する物である。漠然としていた方が、艶ぽい。

<これは、こう。あれは、こう。>などと、高等数学をスイスイ解いて行く秀才よりも、如何してそうなるの?? と言う鈍才の方が、何かと面白いのでは無いだろうか。
 
 私は、典型的な馬鹿ロートルである。公理・公式・方程式を駆使して、スイスイ解析して行く秀才連中は、苦手にして敷居が高過ぎるのである。理路整然とした頭脳回路よりも、グジャグジャの感情雑多の脳味噌の方が、私には居心地が好いのである。能力が無いから、物臭を決め込むしか方途が無い、と言った方が現実に即している。

 前置きは、この位にして夢の話に戻ろう。夢には、特定の常連さんが居るのである。普段、そんな常連さんの事を考えたり、思ったりしている訳では決して無いのである。夢の中で、ヒョッコリ顔を出してくれた人の事を、不思議に思ったり、懐かしく思って、起きた後に彼是と考えて、相手の事、自分の事を合わせ考えたりして、楽しんでいるのである。

 今朝は、何年か振りに★子さんのお出ましであった。彼女のお出ましは久し振りであったが、その夢の中では腑に落ちない事ばかりが続いているのである。お互い、顔を見れば気軽に声を掛けて、何の気兼ね無く話を交える。積極的な性格の彼女に在っては、私は初恋の相手にして、初めて男を意識した小・中の同級生であると云う。馬鹿話の序に、そんな話を交わしても、如何と言う事も無くなった年齢に到達して、何十年かが立つのである。

 夢の中では、何故か・・・彼女は結婚前なのである。彼女は目立つ女であったから、ファンが一杯居たし、結婚も普通だった。それが現実とは異なって、夢の設定では婚期を逃して、何故か独身で居るのである。私の方は、結婚しているのである。こんな処が、摩訶不思議な夢の世界なのである。彼女の親も、公認の仲であったから、親は、久し振りに来たのだから泊って行けと言うのである。彼女も、ごく普通の態度で、布団を並べて敷いてくれるのである。中年期に入った男女が、枕を並べて布団の中に入れば、する事に大差が無いのが世の習いである。

 夢の中では、私の倫理観などと云う物は、余り意識に上って来ないのであるから、何時もの普通の肌合わせをしてしまうのである。どちらかと云うと、女房と普通にしている感じなのである。然し、一夫一妻の意識が存在しているから、この関係は宜しくないと頭の半分では縛られているのである。激しいセックスがされている訳でも無く、淡々と日常の男と女の営みの様な行為である。何故か、ゆったりとした気持の好さが残っている夢なのである。勿論、彼女とは、そんな行為の交換は一度も経験した覚えは無い。

 未だ中年の頃は、こんな夢に、俺は欲求不満なのか??? などと、痛く反省していたのであるが、この歳に為ると、すっかり倫理観のタガが外れてしまって、<どうぞどうぞ、いらっしゃい。ごゆるりと、お相手仕る。>の感想である。

<やあやあ、好い雰囲気で、気持が好かった。★子さんや、飽きずに偶には、又来てよ。体は、まだまだ柔らかくて肉感的だったよ。俺の方も現役だから、何時でも、お相手するよ。元気で暮らせよ。はいはい、アリガトさん。>
などと、頭を掻いている次第なのである。

 枕元のタバコに手を伸ばして、煙草を燻らせる。如何やら、この有難い夢には、伏線がある様であった。

 習慣と為っている、とあるブログには、膨大な量の書き込みコメントの応酬が、延々と続いている。
私には緻密さと云う物は皆無である。ボンクラ男には、然程重要とは思われないお互いへの考察の数々が、行方が洋として分からず繰り広げられているかの様に見える。私の様な弁論を滔々と捲し立てる事の出来ない輩からは、<煩い、見解の相違。御断り!!>で、お互い無言の距離感を持てば良いのである。お互い、虫の好かないの共通感情を持っているのに・・・ きっと、自由闊達な討論こそが、民主主義の金科玉条のインテリ・ルールだと思っているのだろう。
 議論に疎い私としては、腹に一物の者同士が、感情を文字に糊塗して、綺麗事でああじゃ、こうじゃと言い合っている様に思えるのである。そんな食い下がりは、ブログでは無く国会で、お遣り下されの感じでなのである。

 こう云う場合、利害関係の無い傍目からは、お互いが感情的に、虫が好かんと思っているのであるから始末が悪い。本心を明かして、罵詈雑言を先に口走ってしまったら、ルール上、負けと為るのであろうが・・・ 私の様な単細胞・武闘派の輩には、泥沼の応酬としか映らない。とどのつまりは、埒が明かないのである。平行線を辿る言の葉の応酬は、第三者から見ると不毛の沙汰なのである。

 それに加えて、昨日は自国の総理との対談で愕然としてしまったのである。何を勘違いしているか?? 自分のトレードマークの帽子に拘って、帽子を被ったまま対談に臨む<帽(某)・伊藤>なんて、大戯けがのさばる時代なのである。一々、如何して、あなたは有帽、無帽に拘泥するのか??? 帽子があろうが無かろうが、あなたの本質には何ら変わらんだろうが・・・ 帽子を取るのが常識・礼儀なのであるから、取れば好いのである。尚も拘り続けるのであれば、総理も、<あなたが、優れた見識を持っていると看做されているかも知れんが、人前で帽子を取れぬ程のご仁とは、話はしたくない。>と、帽子に飽くまで拘って、突っ張れば好いのである。自分の拘りを押し通したいのなら、場合によっては、相手からも拘りを頂戴するのが、拘りのルールと云う物であろう。下らない張ったり、自尊心ほど、宙に浮く三文絵画でしかあるまい。

 一応の常識を受け入れるか、従うかは、お互い十分な理由があるのであるから、正々堂々袂を分かつのが、好いのである。水と油を幾ら高速回転機で掻き混ぜても、回転が制止すれば水と油は、分離するのが自然の摂理と云う物である。無理な装置は、説得力に欠ける物である。

 嫌な物は見なければ、それが一番好いのであるが、私は育ちが悪過ぎるのである。ついつい、どちらが正論? どちらがより自分に近いか? などと、自分の読解力の反省せずに読み込んでしまうのである。何時もながらの悪しき性癖である。

 そして、案の定、浅学非才の我が身は、論点が整理されずに消化不良に取り付かれてしまうのである。かくして後味の悪さに捕まってしまい、気まぐれに描いた物が、男と女の顔なのである。メモ帳の真ん中の顔だけでは、何とも納まりが悪い。
 従って、上部には山並を下部には、建物を挿入して見た。仕上がりの余りのアンバランスに、余白を埋める詩でも添えて、尤もらしい体裁にして見ただけである。

 これが、イラストとセットの<蜃気楼の村>の一編の経緯である。自己解説としては、<だとさ>の軽い語尾に表現して、そこにある物だけを見る形にして、思いも感情もスッパリ切り落として見た。戦場で死んだ恋人を極力考えずに別の男との結婚に幸せを見付け、妻・母の務めを果たして、女は一人に戻る。女の過去の想いが萌え立つ男と女の顔だけの蜃気楼が、淡く浮き立つ静かな心をイメージして見たのである。それを詩の中段の<女は、結婚して幸せだったとさ>と、最後の一節<悲しい、哀しいなんて、そんな事を感じさせない穏やかな春の色に、包まれた小さな小さな村だったよ。>に込めて、自然も人も、流れ流される存在と見立てた次第である。

『蜃気楼の村』が、少なからず私の作為に、首肯された為らば、有難い処でありまする。

 人間、一々拘り始めたら、息苦しいばかりの修験者の道に迷い込んでしまう。想いも妄想も、常道を逸しない限りは、酒・タバコ・遊びと同様に、百薬の長の効能を運ぶものである。目くじらを立てる前に、敢えて踏み込まぬと云う自己抑制の距離感を、相互に持ち合うのが、言葉・文字だけでは表現・理解出来ない人間の社会生活なのであろうと考えるのは、私だけなのだろうか・・・ 流れ流されるのが、人の世。清流・早瀬・激流・淀み・海へと、流れ流される日々の移ろいであるが、長い流浪の中で、人の精神は、時に戦い、破れ傷つき、休み流されて行く術を掴んで行くのでは無いだろうか・・・ その中で、人は、其々の生きる信条と行動体系を重ねて行くのだろう。

 私は逆立ちしても、高邁な信条・規律ある規範の中では、生きられぬ物臭男である。素直に、我が胸の内を覗けば、支離滅裂・独りよがりの妄想が、渦巻き沸々と湧き上がっているにしか過ぎない。そんな遣り切れぬ娑婆の空気に在っても、ごく自然の形で体を開いて和合出来る夢の女性(ニョショウ)の訪問は、かけがえの無い<胡蝶夢>である。

心何処ーショート 蜃気楼の村(詩)
                 蜃気楼

                蜃気楼の村

       昔々、アルプスの麓の村に、男と女が居たとさ。
         若い二人は、似合いの二人だったとさ。

     男は、お国の為に、あの山を越えて戦場に向かったとさ。
         そして、そのまま、男は帰らなかったとさ。

           女は、結婚して幸せだったとさ。
  子供達を育て終えた女は、山の麓に小さな小さな家を建てたとさ。
         そこで、女は山を見て、生涯を閉じたとさ。

    春に為ると、芽吹く山肌に、時々、薄い蜃気楼が上がるとさ。
        もう、その男女が誰の顔か、村人は知らんとさ。

     蜃気楼が立つと、村人達は農作業に勤しむって事だよ。

    古い小さな長閑なアルプスの、空気の美味い温かい村だよ。

    悲しい・哀しいなんて、そんな事を感じさせない
            穏やかな春の色に、包まれた小さな小さな村だったよ。


心何処ーショート 日向の日曜日
               日向の日曜日(3/15/09)
 気温が戻って、三月らしい好天である。朝から玄関のヒナの声が活発である。日曜日の報道特集番組を見なくなって久しい。変わり映えしない経済劇・政治劇に辟易としてしまっていると云うのが、本音である。ニュース・出来事は、普段ラジオのBGMから入手出来ている。従って、お浚いの様な日曜のテレビは、二番煎じの雑音・怒りに、頭が疲れるだけである。折角の日曜日は、そんな物に付き合いたくは無いと云うのが、率直な気分なのである。現役世代の人達には、申し訳ない処である。

 母の動きが無い以上、日曜日の起床は、私の気分次第としている。私は快眠状態であったから、日曜日に託けて、居心地の良い布団の中で、寝体操為らぬ身体の解しをしている次第である。
 玄関からは、餌の消費量が頗る大きくなって来た様で、盛んに餌入れの底を突く音が伝わって来る。政治・経済は底の中であるが、空腹の果ては餓死の沙汰である。さてさて、起きるとするかである。

 四畳半の窓・洗面所・寝室・廊下の戸を開放して、空気の入れ替えである。青空広がる電線の上では、繁殖のリズムが目覚め始めているのであろうか・・・・キセキレイのはっきりした囀りがしている。繋がった外気も、久し振りに清々しい春の空気に満ちている。

 風呂のある洗面所に行って洗濯機を回して、小鳥殿達の召使をする。藁巣の中では、目の開いたヒナ達が緊張した雰囲気で蹲っている。天気好し、温度好しであるから、金魚・グッピィの餌遣り後に、日当たりの好い水槽の上に籠を並べて遣る。序(ついで)に庭のハコベを摘まんで、中に入れて遣る。光の中で水浴びをして、広がる外の風景に、ピィピィとはしゃぎ回っている。私は、熱々のココア・コーヒーを啜りながら、彼等とお付き合いである。

<バカモン、全く恩義を知らない連中である。人間様だったら、洋の東西を問わず、美形達は、俺様の太く逞しい首に腕を回して、キスの嵐を返してくれたものを。そんな有難いトラディショナル・ジャパニーズ・ハンサムマンの施しを受けているのに、ふんぞり返って当然の態度にして、我関せずのブンチャカ・ピィピィで交尾ばかりを返して、何とする。そんな事であるから、お前達には飼い主の奥ゆかしくも知性豊かなムードのムの字も見る事が出来んのじぁ、・・・嗚呼、嘆かわしや。まぁまぁ、それも知能の差じゃ、如何だ、美味いだろ。ハコベの蕾は。ほらほら、ヒナが餌をせがんでいる。一杯食べさせて遣れ。>

 洗濯物を軒下の竿に吊るして、オイラはカセットテープの唄をBGMに、河川敷のベンチで日光浴と洒落込むとしようか・・・ 家で時間を過ごすのは、無粋と云うものである。

心何処ーショート 曇天の中の総括管理者
              曇天の中の総括管理者(3/14/09)
 雨は止んだが、終日どんより暗い日と成りそうである。昨夜は昼寝が祟って、中々眠れなかったのでマタマタ下手絵を更新させてしまった。風と雨で妄想力が働かず、身近な金魚様の写生と言いたいのだが、何しろ切ないほどの不器用さである。

 途中から被写体そっちのけの小学生並みの形と為ってしまった。絵具で適当に遣っていると、好い味が出て来た。こう為ると、適当一辺倒の色塗りタイムである。
 流金は、深夜の中で、何時しか鯛となり、コメットは、錦鯉の体型と為っているでは無いか・・・ これを称して<メデタイ>と形容するのであろう。世間の狭いロートルであるから、絵の具の渇きを待ってスキャナーした処、容量オーバーである。

 嗚呼、口惜しや・・・ブログ投稿出来ぬ。快作であったものを!! まぁ、皆さんには芸術のお裾分けが適わなかったのであるが、快作は手元に置いて、価値の解かる者だけが鑑賞すれば好かろう・・・ 目出度し、メデタシ。ウッシッシの極みである。

 母は昨日の医者で疲れたのだろう。床に付いている。朝食兼昼食で好かろうと声を掛けて来た。すっかり声の大きくなって来た金華鳥の二羽のヒナも、不格好ではあるが、親鳥の2/3ほどの大きさに成長している。子育て放棄をした直後の再卵であったから、無精卵が、五つも出来てしまった。色の出て来たヒナ達の体色は、六羽目にして親の体色である並金華鳥のくすんだ灰色を見せ始めている。
 
 此処までヒナが成長して来ると、親鳥は餌を強請るヒナ達の要請に対して、自分の都合だけでナーバスに徹する事は出来まい。大口を開けられ、餌を強請る大合唱に抗する術が無く為って来るのである。親鳥としては、哀しい生物の条件反射なのである。幸いヒナは二羽であるから、藁巣の中では互いの発散体温で、温め合う事も十分可能である。
 四畳半同居人達の総括管理者としては、こんな手持無沙汰の時の中に在っては、日頃の下働きの御ん顧に応えて貰わねば困るのである。薄暗い安静の玄関から、鳥籠を部屋に持って来る。

    ドタバタするんじゃないの!! 戯け。ほら、明るいだろ。

 成鳥四羽は明るさの中で、はしゃいでいる。藁巣のヒナ達が餌を強請れば、オス・メスが交互に巣の中に入って給餌をする。呼ばれなければ、親鳥は止まり木をトントン渡って、単発の声を上げている。子供番いの方は、メスがオスをきつい声で追い掛け回している。私から見れば姉弟の喧嘩であるが、彼等からすればれっきとした夫婦喧嘩である。何時もなら、ブンチャカ・ピーピー、ブンチャカ・ピィピィとばかりに尾を小刻みに震わせて、当て付けがましくも小煩いのであるが、本日は、メスのヒステリーにオスは、近寄れずに逃げ回るだけである。

★まぁ、偶には好かろう。カカア天下が固定しない程度に、メスを立てて遣るのも、オスの務めである。メスも余りヒステリックに傾くと、三行半を付き付けられるぞよ。程々が肝要だわな。

 さてさて、一応の観察も適った事でもあるし、定位置に移して、吾輩は昼の賄い夫をするべしである。

 昼を食べ終えてテレビを見ていると、空が明るくなった。冬戻りの気圧配置と云うが、散歩がてらに歩いて、銭湯に行く事にする。先客二人を送り出して、何時ものペースで湯浴びをしていると二人入って来た。こんにちはと声を掛けると、若い男の方がコンニチハと返して来た。若い男が放屁を二つするから、ニヤニヤして屁も流してくれと言うと、その親父の男がニヤリと頭を下げた。
彼は50代の成人した倅に何かと世話をする馬鹿オヤジなのであろう。親父殿も、私に倣って壁に背を預けて、湯浴みの風情である。倅殿は親父に付いて、狭い場所でマグロ寝をしようとしている。

<お兄さん、人の居ない時は貸切風呂だよ。真ん中に来て、桶を枕に大の字に為った方が気持ちが好いよ。遠慮は要らんよ。>

 それでも、倅は親父の横が好いと見える。放屁二連発までは、見所のある若者に見えたのであるが、大らかさの三連発とは行かなかった様である。豪の者と見えたのであるが、如何やら弱の者・親離れ子離れ未発の親子らしい。
 
 おやおや、今度は孫を連れたロートルさんである。小学4~5年生の小太りの坊やは、風呂が熱くて入れない様子である。
<ここの湯は、熱いのが取り柄だ。坊や、伊達に縮んだ小棒と雀の卵が付いている訳じゃない。男は、我慢我慢の見せ所だぞ。肩まで、浸かってみな。>
       
     あれあれ、小太り坊やは、あっさり男を放棄してしまった。
 女風呂からは、連れの姉妹の声だろうか、盛んに熱い熱いの我慢の声が聞こえて来る。熱い源泉を其の儘、掛け流しとしている味も素っ気も無い温泉銭湯のファンに為るには、それなりの通いの回数が必要なのである。慣れてしまえば、顔を顰めてソロリそろりと身を沈めて入り、後は、ゆっくり身を沈めて<ふぅ、熱い、好い湯だ。>の気分を味わう事が出来るのである。好い湯は、初心者には無愛想なのである。・・・ウッシッシ。

心何処ーショート 窓打つ風に、雨交る。
              窓打つ風に、雨交る(3/13/09)
 本日は、母を医者に連れて行く日である。昔人間であるから、何時もより早く起きて、身支度をしている様子である。時間と為って、母の部屋に行くと身支度を終えて、炬燵に座っている。

 老いたりと云えども、大正女の気骨である。私の老後も斯くありたいと思う。足が覚束無いから、車の乗り降りが大変である。何時ぐらついても援護出来る様に、手で支える。昨夜来から、大風が吹き荒れている。その内に、雨か雪に為るお天気模様である。久し振りの診断に、先生も『仕方が無い』のお言葉である。
 
 私は先生・看護婦さん達から、「お婆ちゃんは、確りしているし、息子さんも確り親孝行をしている。お婆ちゃんは、子供の育て方に成功したんだよ。100歳以上の人が2万人も居るんだから、息子さんに一杯甘えたら好いよ。」などと励ましとお褒めの言葉を頂戴してしまった。

    文章だけを読めば、如何やら私は温厚で立派な人格者の様である。

 然し、車の乗り降りに時間が掛る母を見ていると、倅としては何故か胸が締め付けられて、涙が込み上げて来る。老衰進む母の胸の内は、如何ばかりであろうか・・・

「我慢出来るなら、スーパーに寄りたいのだけど。好いかな。」
「うん、好いよ。我慢できるよ。」

 スーパーに寄ると言うのは、勿論口実である。歩けない母に、外の風景を見せて遣りたいのが、本音である。無骨男が食料調達にスーパーへ寄りたいと言えば、頭の良い母は、そう答えるだけである。突風の中に、春遅い信州にも梅の花が咲き始めている。春の息吹きを、短い車窓からの眺めでしか無いが、母の心に春が点れば、それで好いのである。

 何事も、気は心である。鮨を買って少々豪華な昼食をしようと思った次第である。お互いに気遣う様は、母と子にして、老妻を気遣う老夫の様な気持も交差する物である。母の賄い夫生活を始めて、ほぼ一年半である。血の繋がり・加齢とは、実に面白い物である。

 さてさて、感傷はこの位にして、手抜きの糧・料理の作り置きをした後は、鮨をつまんで、寝不足の昼寝をしようぞ・・・である。

心何処ーショート 深夜のボヤキ節
               深夜のボヤキ節(3/13/09)
 時々、無性に熱々のフライドチキンが、食べたくなる。それも、夜中に限ってである。年寄りとの食事であるから、油濃い物は、極力食べない事にしている。子供の成長盛りの頃は、女房子供を煽てて、フライドチキンを買いに行かせ、得意の別腹でペロリと食べ、骨もバリバリ食べていたものである。

 それが寄る歳波の所為で、手が伸びなくなってしまった。近くのコンビニが営業していた頃は、夜中の衝動食いでチョコチョコ出ていたのであるが、店終いをしてから彼此一年が過ぎる。上と下にはコンビニがあるが、それが億劫なのである。自転車が嫌なら、車で行けば良いのであるが、苦労して習慣付けた徒歩と自転車の生活である。便利に頼ってしまうと、あっさり悪癖に逆戻りであるし、一人で食べるのも何やらツマミ食いの様で、品格を穢すと云う物である。
 尤も、買い込んで来たとて、忽ちその油濃さに食傷気味に為ってしまうのである。別に我慢をしている訳では無いが、これが加齢と云う物であろう。記憶の習慣と現在の習慣の間には、斯様に時間差・混同があると云う事なのであろう。

 こんな事を打ちながら、結局口にした物は、梅干しにした梅の焼酎漬けである。口に放り込んで、その酸っぱさに顔を顰める。口直しにココアをたっぷり入れて、熱々のココアを啜っているのであるから、全く以って幼稚この上ない。

 昼の電話では無いが、胃を亡くしたTの新習慣との闘い振りを想像したら、『この馬鹿野郎、贅沢者!!』とばかりに、奴の<得意技・羽交い絞め>を頂戴してグイとばかりに、落ちされてしまうのが落ちである。

 ラジオは、相も変わらずに<政治献金報道>である。この頃では、加齢同様に、すっかり脳味噌も鈍感に為ってしまったから、この種の報道は聞き飽きてしまった。丁度、手の届く範囲にカセット・テープの入ったテープ・レコーダーがあったから、スイッチを押す。耳に馴染んだ長山洋子・石原詢子ご両人の演歌である。

  世の中、演歌の様な風情が漂っていれば、少しは住み良い社会で行ける物を・・・

 ああだこうだと、息巻くだけで一向に埒が明かない。男は、女体が欲しいと言い、女は、男は顔じゃない金だと言う。その癖、力の源泉政治献金については、その透明性・清潔性に青筋を立てるばかりである。
 子分を養うには、金が掛る。子分を多く持たなければ、力を蓄える事が出来ない。金は浄財等と嘯くが、紐付きの無い金は現世利益の世知辛い現代に在って、希少の類である。豊臣の軍資金・徳川の埋蔵金・吉田学校以来綿々と続いた保守本流と嘯いた金丸さんの刻印無しの金の延べ棒の存在には、何処ぞで手に入れた金が溶かし込まれているのだろうか・・・そう云えば、戦中の貴金属徴収・戦中の戦利品・マレーの虎山下閣下のM資金なんて話もあった。その行方は、歴史の風化の中で如何しているのだろうか・・・

<富士の高嶺に降る雪も、京都ぽんこ町に降る雪も、融けて流れりゃみな同じ・・・>何て、実に色っぽい歌も流行った時代もあったわな。何時の世にも、変わらぬ歴史絵巻の様かも知れないが、歳を重ねて政治劇を見る態度も、憤り・呆れ返り・傍観視・軽蔑と枯れて来たものである。小・青・壮・老とは、良く云った物である。

 若い頃は、大乗仏教を小乗仏教の上に置いたものだが、何時しか桶の水を貯めるには、一枚一枚の樽木の長き寸法に勝るもの無しで、小乗仏教に軍配を上げる風に為った。若い頃は、織田信長の手法に拍手を送っていたものであるが、刑法・労働法・労使関係論・経営学を学ぶと、信長・秀吉を持ち上げる風潮に、すっかり嫌気が差してしまった。タヌキおやじの家康が、総合点第一位の人物像と為ってしまった。

 もっともっと、大荒れ、茶番劇を続けなければ青年・壮年の国政に打って出る機運が、高まらないのかも知れない。若い頃、キャシアス・クレイの<怒りこそ、最大のエネルギー>の言葉が好きだった頃の自分が、懐かしくも思われるのである。

  さてさて、就寝時間に近づいて参りました。皆様、お休みなさいませ。

心何処ーショート 野鯉コンビに一安心
           久し振り、野鯉コンビに一安心(3/12/09)
 本日も、体調が好いらしい。すっかり小さくなってしまった母であるが、上品な細面・鼻筋高く通った顔に、薄い水色のポロシャツが好く映えている。こう云う時の母の顔は、今に美形の面影漂わせて・・・倅としても、見ていて楽しい物である。

 母はテレビを相手の時を送っている毎日であるから、それでは面白くは無かろう。四男坊は、取って置きの画面対話の実地指導をしているのであるが・・・ 母は、ニコニコしたり大きく頷いたり、顔を背けたりの、受け手一方の対し方で終始しているのである。まぁ、生まれ育った時代・環境の為せる習慣なのであるから仕方あるまい。

「おっ、出た。こいつが犯人だ。見て見ろ、とんでねぇ悪い面してるだろ。こんな面してると、サスペンスにぁ為らんぞ。一丁前の悪は、俺様位の品と恰幅・男前で無くちゃ務まらんぜ。底が深ければ深いほど、ドラマに迫力と現実味が出て来るのに、バカタレが、予算をケチって遣がる。
面白く無いから、俺は部屋に帰るぜ。糞味噌に扱き下ろしたって、外には聞こえやしねぇんだ。<恥ずかしい、はしたない。何て気は禁物だよ。自分が愉しむのが、肝要だよ。>
声楽家のアイウエオと同じだよ。発声練習・頭の体操だよ。俺なんぞは、台本見なくたって、大して違わないセリフ喋ってるだろ。頭の出来が違うんだ。作ってる方だって、お気軽に作ってるんだ。誰も見ちゃいねんだ。お気軽にお相手していなきぁ、肩が凝るだけだよ。俺は、見る物は見たから、失礼するよ。又、後で。」
「はい、ご苦労さん。ありがとう。」

 我が子ながら、下品に育ってしまった馬鹿倅の口数の多さに、母は物も言えないのであろう。仏壇を見て爺さん・婆さん・親父・長兄・三兄の遺影を見上げて御座る。まぁ、これも巣立ち息子の何十年後の紛れも無い本性なのであるから、文句も言えまい。にぁははは。命を吹き込んで、巣立てたのは、紛れも無く母親である。<へへへ>である。

  さてさて、リップサービスはこの位にして、少々寒いが散歩に出掛けようか。

 河川敷に降りると、大きな白サギが二羽飛び立った。一羽は川端の屋根に止まった。何時も目にする小サギとは、丸で大きさが違う。大サギ・中サギのどちらかであろうが、多分大きさから言って、大サギに間違いあるまい。
 珍しいものを見たのであるから、ご無沙汰し放題の野鯉のコンビも、本日は会えるかも知れない。野鯉の居る葦の茂みを丹念に覗いていると、居ました居ました。一匹の尾ひれが静かに揺れている。相棒は何処ぞ・・・ 暫く覗き込んで居ると、茂みの奥に、尾ひれの片りんが幽かに揺れている。これで、一安心である。
 
 橋を渡って会館の横切り、護国神社の境内を散策する。一際高い赤松の大木の枝に、大きな巣が掛っている。巣の高さから云って、鳶の巣に間違いは無かろう。何か鳥の気配は無いかと、口をあんぐりと開けて観察するが気配は無い。些か首が痛くなってしまった。チィー・チィーと横の松の枝の茂みに、シジュウカラが松の実を忙しげに啄んで居る。

 歩いて身体も暖まっている。陽射し溢れる芝生の上に胡坐を掻いて、Tに電話をする。
「おぅ、生きてるか? 痛い痛いは、飛んで行ったか?」
「あいあい、でも体力が無くなっちゃって、困っちゃたよ。」
「そりぁ、病み上がりの胃袋無しだから、仕方がねぇだろう。」
「そーだいな。人間食えないと、惨めなもんだ。力が出んものなぁ。アンタが羨ましいよ。」

 Tは真面目に鍛えた男であるから、きっと歯を食いしばってリハビリに、精を出しているに決まっているのである。エネルギーの製造元の胃袋が、ご本尊を離れてご昇天遊ばしたのであるから、腹に溜め込んだ脂肪の貯蔵蔵だって、早々長続きはしまい。にやけた受け答えをしているが、内心、仏頂面をしているに相違ない。然しながら、泣き事を溢さない分、大した物である。

 さてさて、家に帰るとしよう。桜並木の桜も、大分赤味を差して来たものである。家の近くには、彼岸桜があった。観察して行こう。陽光に誘われて、小さな虫柱が立っている。彼岸桜の小さな小さなピンクの花が、幾つか綻んでいた。玄関を開けると、金華鳥のヒナ達の餌をせがむ大きな声がしていた。

心何処ーショート 如何した春
                 如何した_002

                如何した春

       春便り届いては、立ち消える今年の三月。

    庭隅に、春呼ぶ福寿草は 咲けども 後続かぬ草花。

  川面は笹濁りに、竿伸べる老人あれども、彼は胡坐を掻くのみ。

      田んぼの畦に、フキノトウ探せど、姿を見せず。

     深夜の静寂、冷たき空気は、足もとから這い上る。

      足止め喰らう弥生三月。明日は、春か・・・冬か。

          桜の開花発表は、四月中旬なり。

          今夜も、湯たんぽに、足重ねるなり

                            2009/3/12 アガタ・リョウ


心何処ーショート 新参者
                新参者(3/11/09)
 今日は午後から、地区の介護者交流会がある。温泉銭湯に入った後に、其の儘、会場に行けば良い。皆さんには日頃、何かと気遣って貰っているのであるから、気は心の参加である。幼稚園に隣接する福祉広場との事であった。

 風呂から上がって、コンビニでシャープペンシルを買って会場に行く。勿論、お年寄りばかりである。それでも、草臥れた男連が10人ほどいる。総勢では40人位だろうか。見回した処では、私が一番若くてピチピチしている感じである。後ろの席でこそこそしている訳にも行かず、一番前の空き席に着く。講師は地区担当の統括責任者の確りした顔付の40代のO女史である。久し振りにお会いすると、彼女は好い肉付きに為って居られる。面識の無い人では無いから、全体像を拝見しながら、拝聴すれば好かろう。二時間半の講義である。

 彼女は、祖々父母・祖父母の居る長男坊の処に嫁いだ老人介護の現役さんである。土地の言葉とそのリズムで、話を進めてくれるので、ついニヤニヤしながら退屈無しである。彼女の実体験を生の言葉で拝聴していると、同じ様な体験談に笑いこけてしまう個所が何箇所かある。後部席に陣取った男連中の<とぼくれた質問>にも、難無く交わして好調の運びであった。
 私は女性に関しては、頭と眼の保養を同時進行させる二天一流の使い手である。天からの授かり物は、偶にはフル回転をしなければ、認知症の予防には程遠いのである。O女史の大腿部・パンティラインも、立派な質量感があって、実に逞しい。男連中も、私の様に最前列で受講すれば脳の活性化に一役買う物を・・・ 勿体無い機会喪失の段である。

 途中、体ほぐしの軽体操があり、菓子パン・ミカン・漬物とお茶が出された。
年寄りに為って認知症が出始めると、人間の原初的と云うか性格・好奇心の核の様な物が、無防備に発現されて行くそうである。自分を例にとっても、大きく頷ける点である。
 
 因みに彼女は、若い男の身体へのスキンシップが好きなので、自分の老後を考えると些か気が重いとの事である。そんな告白をされると、最前列の私などは、全くの自信喪失の態である。脳味噌への風通しを好くする為に、禿頭を剃り上げた処で、如何にも為らない私の内なる好奇心は、枯れ様があるまい。脳細胞の容量が衰退してくれば、人間などと云う生き物は、未知への食わず嫌いに拍車が掛って、安易惰性の好き者余生を送らざるを得まい。

「何か質問がありますか?」と私に振られても、最前列の風呂に入って来たばかりのピカピカ頭のメタボ最年少男が、「実は、斯く斯く云々で妄想、留まるを知らずの生活・・・如何したら好からず???」と、素直に告白する訳にも行かぬのである。

 額に手を翳して、下を向いて切なる質問事項を噛み殺すしかあるまい。振り返れば、お婆ちゃん達は、素直に大きく頷きながら、メモを取って居られる。何時の時代にも、女性群は生真面目???の受講態度である。日本のおバァちゃん達は、にこやかにして、まだまだ心も健康のご様子である。
 統計学的には、男の介護は、女性とは異なって真面目に遣り過ぎてしまう傾向があるそうで、如何に手抜きをするかの術を、身に付けて欲しいとの事であった。思い当たる節が、多々ある。 

★とぼくれた・・・答えを知っているのであるが、質問する事で相手がどんな反応を示すかが、目的の質問相手に対する好奇心が見え見えの様を言う方言の一つ。嫌味があると、とぼくれたユーモアの感じが出ない。憎めない意識的にピントを外した味が、一座の笑いを買うのである。ユーモアを介さない当事者間で使用されると、しばしば顰蹙を買う事に直決してしまう。・・・以上、アガタ・リョウ的解説。
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