旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 夢に惑わされる
                夢に惑わされる(2/28/09)
 トイレ、台所に行く時には、玄関の鳥籠の様子を窺うのであるが、孵化は未だの様である。一番の関心時は、朝の目覚めの時である。小鳥達は明るくなると巣から出て、鳴き声を交わす。静かな朝であるから、鳥語は一切分からないのであるが、何やら小声で鳥言語で、何かを話している様な鳴きを呈しているのである。私は過去の諸々の観察事例を引っ張り出して、想像力を一杯に広げて、孵化の有無を探っているのである。その癖、朝の世話の時などは鳥を驚かせない様に、表面では素っ気無く水・餌替えをしているのである。
 
    これを称して、<見れぬもどかしさ・小さな願掛け>と云うのである。

 部屋でパソコンを打っていると、ドアにノックである。「風呂が沸いたから入れ」とのお達しである。私が入らないと、入らない母の習い性なのである。我が家は小さい時から、絵に描いた様な<男優先家庭>である。突然言われても、私にも都合と云う物だってある。思い浮かんだ儘を、其の儘に打っているのが、私の文作である。かと云って腰を折られると、後が続かない体たらくであるが、相手は、92歳の母である。感情語を飲み込んで、鈍感馬鹿を演じられる歳に成った。

 寒い雨が降っている。最初熱いと思う風呂も、入っていると中々出れない。浴槽をかき混ぜながら追い炊きである。冬の家庭風呂とは、そんなものである。私の入った後は、母がゆっくり入る。そして、心臓の納まりが付くまでは、食事も出来ない。時間があるから野菜整理の為に、シチューでも作ろうと考える。鶏肉とタバコを買いに行こうと考える。野菜を煮た後に、小振りの雨の中に自転車を漕ぎ出す。

 金華鳥のヒナは孵ったかと聞かれるから、未だだと答える。知らん顔をしているが、玄関の小鳥達も、家族の扱いを受けているのであろう。母は、動物好きなのである。遅い昼食後は、炬燵に当たりながら、うつらうつらのテレビお付き合いとなってしまった。
 遺憾いかん・・・ 我が定位置に戻るべきである。こんな事では、怠惰の性根が癖に為ってしまう。夜は<必殺仕置き人>があるとのお招きである。

       夜は<必殺仕置き人>に合わせて、夕食の支度をする。

 孵化を心待ちしている気持が作用して、久し振りに夢を見た。朝の玄関を見ると、鳥籠が下にある。『惨事か!!』 何やら鳥達が、巣から出ている。鳥の数を確認すると多い。立ちっ子の様なヒナが下で、身を固くしている。見るとキツネが居る。いやに小さく汚れて貧相なキツネである。蹴っ飛ばして遣ると、当たり所が悪く敢え無く伸びてしまった。さて如何したものかと、ヒョイと摘み上げると、だらりとした足から血が出ている。横から娘が手を差し伸べている。小さな手の平に薬が乗っていた。眺めていると、小娘は塗り薬を、たどたどしく塗っている。怒る訳にも行かず、私は黙って見下ろしている。小さな痩せ衰えたキツネは、玄関の靴入れの中で娘の看護を受けている様子である。夜になると出て来て、鳥籠の番をする様に、二つの鳥籠の前で身を丸くして寝ているのである。父親の私は、苦笑いをして、<キツネの恩返しか??>などと、呟いているのである。

           これまた、私の奇妙な夢想癖であった。

 いい加減男の支離滅裂な夢見である。打ち留めて置かねば、粗雑な脳細胞であるからして、夢幻の内に霧消してしまう。母の動きが始まらぬ内に、打ち始めた本日分である。久し振りの朝日が、窓辺に射して来た。水槽にもゆっくりと、日の光が伸びている。本日土曜日、<真田幸村>のコアタイムは無いから、朝食後は散歩の足を少し伸ばして見ようかである。

            さてさて、賄い夫の始動開始である。

 朝食後のテレビお付き合いをしていると、玄関に人声である。斜向かいさんのビデオ交換である。やっと使い切ったジャガイモの差し入れ付きである。前回分は、戦争映画特集であったから、その感想を部屋でじっくりと承る。<パリは燃えているか>が、至極お気に入りだったと言う。白黒映画とカラー映画談義に花を咲かせる。色の有無は、集中と分散、神経疲労の軽と重の違いが出て来るものである。映画を題材に、過去と現代の違いに広がり、何時しか現代世相と政治論議に話は行き付いてしまう。

       これも、ロートルの日常を見聞する反芻会話なのであろう。

 さて、身支度を整えて昼の散歩である。雪・雨の影響で川の水は、勢いを甦らして笹濁りの流れを呈している。小振りのハヤの群れが、私の姿に逃げの算段をしている。行きも帰りも、野鯉の二匹には遭遇しない。会い始めると毎日見るのであるが、見えないとそれが、習慣と成ってしまう。
 眺めを転じれば、諏訪・伊那を隔てる山容は、薄い稜線を浮かせただけで、その頭上の薄い雲・空に吸い込まれている。流れの小さなせせらぎの中には、クレソンの小さな緑が揺れている。
 河川敷の鉄棒・滑り台の遊び場では、休日の父親が子供を遊ばせている。ベンチで携帯に夢中の父親に向かって、幼児は滑り台の上で、父親の関心を誘うとして、小さな足で滑り台を叩いている。昔、本・雑誌が、現在は猫も杓子も、万能機・携帯電話である。

 新聞・本・雑誌と活字離れがマスコミを賑わす昨今であるが、道行けば携帯片手のメール姿が、殆どである。ましてや、何が火付け役となったかは知らぬが、漢字テスト流行りの昨今・・・ 現象を見る限り、活字離れは、業界のボヤキにしか過ぎないのであろう。

 活字対象を、携帯・パソコンに広げれば、業界識者・コメンテーターの論拠は、一瞬にして壊滅してしまうのでは無いだろうか。
 斯く云う私如きは、新聞取らず、本買わず・読まず、テレビはドラマのツマミ食いで見ずの<三ず主義者の生活>である。現行抽出法の下では、全くの活字離れの帝王である。彼等から観ると、由々しき文化破壊者で、庇護の対象とは為らない駄目ロートルの烙印を、ポンと付かれてしまうのは、必至の雲行きであろう。実に困った判定者構造である。

         とかく・・・物は見方・拾い出し次第である。

 さてさて、有酸素散歩で灰色の脳細胞も、少しは活性化が出来た事であろう。煙草を吸いに、Uターンすべしである。明日からは、弥生三月である。
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心何処ーショート 懐かしのビデオ観賞
            懐かしのビデオ観賞(2/27/09)
 ひょんな事から、<80日間世界一周>の映画にコールマン髭の語源に成ったロナルド・コールマンが出演していたと云うのである。彼は、三船敏郎張りの苦み走った好男子で、トーキー映画初期の大スターの一人である。その代表作は、グリア・ガーソンとの共演作<心の旅路>である。
 ★我がブログのカテゴリー内、映画・ドラマ考の『あぁ! 美女中の美女、良き時代は遠く為りにけり』を参照されたし。

 この粋でお洒落で、可笑しなファンタジー巨編は、ロートル世代にとっては、脳裏に刻まれている洋画の一本と云っても良かろう。大物俳優コールマン氏の出演であるから、記憶に有って良いのであるが・・・全く、記憶に無いのである。

 映画は、英国紳士を演じさせたら出色の伊達男デビット・ニーブンが颯爽と、俄か執事のカンティンフラスが可笑しく演じる超大作で、3時間弱の長丁場なのである。気合いを入れて、眼を見開いて、コールマン氏を<自称・映画通の意地>に賭けて、探し出さねば為らないのである。

 ビデオコーナーから早速取り出して、いざスタートである。有名なテーマソングに引き込まれ、コールマン氏発見は二の次、何しろ、面白いに尽きる。女好きの俄か執事が、機転とバタ臭い体技を存分に見せてくれるのである。物語は大言壮語を二万五千ポンドに賭けて、ドーバー海峡を気球で超え、スペインでは、フラメンコ、闘牛士をコミカルに演じて、スエズ運河から紅海を経て、インドの鉄道に乗る。

 早や、前半を通過してしまった。尋ね人未だ現れずである。代名詞となった一代の好男子・口髭コールマン氏は、何処や・・・である。

 まぁ、それも好かろう。現在は、世紀のファンタジー巨編に、嵌まるが肝要である。何と何と、鉄道は40kmの未通区間あり。文句を言う主人公に、貫録十分な鉄道員が、堂々と地図を取り出しての素気無い説明。

    おう、その人こそが、待ち侘びたコールマン氏その人であった。

 ハリウッド映画さすが為り、豪華為り。エキストラ数6万8千8百94人。幻の様に現れ消え行くスター達は、バスター・キートン、シャルル・ボワイエ、ロナルド・コールマン、マレーネ・デイトリッヒ、フランク・シナトラ、マイケル・アンダーソン・・・etc と名前の知れたスターの数は50人を超すとの解説である。

 香港から日本に上陸して、太平洋を渡ってアメリカ。アメリカを横断して、大西洋を渡って、大言壮語の夢潰えて破産の落胆。東進の旅が幸いして、実質81日間が日付変更の80日間の現実を掴むと云ったお話である。勿論、掛け金の二万五千ポンドとシャーリー・マクレーンのアウーダ姫との愛をも掴むと云うパッピー・エンドで、目出度くストーリーを閉じるのである。

 原作は、仏ジュール・ベルヌが1872年に発表した同名の小説。映画は、ハリウッド全盛期の1956年制作。アカデミー賞作品・脚色・音楽・編集・カラー撮影賞受賞作品であるそうな。

心何処ーショート 春望
春待つ

                     春望

  ロートル賄い夫の日々 ただ流れ行く 如月も早や 残すは二日のみ
      寒気のぶり返しに 日は長く成れども 春は足踏み

    日の長き成り行くに 寒気は吹けど 春は其処まで来にけり

     されど 季節に逆行する娑婆の経済・庶民の暮らし向き
     国内政治は 長き攻防に踊るは 言の葉の齟齬合戦 

           梅は咲いたか 桜は未だかいなぁ
        梅は咲けど 春見えぬ人間界は 何としょう・・・

                            2009/2/26 アガタ・リョウ


心何処ーショート 気配薄き点描
                 気配薄き点描(2/26/09)
 朝のペットの世話で、気に為る点が二点ある。一つは金華鳥の親番いの方から、まだ孵化が見られない事である。そろそろの筈であるが、前回親が育雛を放棄してしまった経緯がある。知らぬ顔の半衛を決め込んで居た方が好いのであるが、ウズウズ知りたいのが人情である。然し、人間と金華鳥とは別世界。我慢・我慢の飼育管理者の心得でもある。

 もう一点は、金魚槽の水質が不満なのである。水に濁りを呈している。先日水を替え、フィルターを替えたのであるが、芳しくない。水草・タニシ・金魚の様子には異変は無い。養殖池では、緑の薄濁り状態がバクテリア活性で頃合いなのであると云う。相手は、目視では覗けないバクテリア相の違いなので、仕方の無い処である。

 グッピィ槽の水質は、濾過器も入れていないのに、エアー送りだけでズーと澄んだままを維持している。時々、水を交互に入れて遣るのであるが、グッピィ槽のバクテリア相の方が、水質浄化作用に優れているらしい。水温の違い過ぎる二槽であるから、それが主たる原因なのであろう。バクテリアの活性化には、温度が大きく作用する・・・春を待つしかあるまい。

 金魚のコメットの中に、赤の模様が昔懐かしい西部劇に登場する、インディアンの乗る馬を彷彿とさせるものがいる。所謂、不格好で大きな斑模様を呈しているのである。金魚にして見れば、模様を好んで求めて生まれて来た訳では無い。飼う方からして見ても、容姿端麗に越した事は無いが、不格好な物には雄々しき生命力が備わっている様である。
 とにかく素早いと云うか図々しいと云うか・・・今や、他に伍して太っ腹の悠然泳ぎを見せているのである。春・夏・秋を経れば、養殖ハマチの体躯に為るのは、想像に難くないのである。食用魚とは目的の違う、魚体の目方では測れない観賞魚、それもスマートさで差別化された種が、コメットの筈である。それが<曙・小錦>であっては、興醒めの態である。朝青竜の不遜・憎々しさが無いから、良しとすべきであろうか・・・

 私の内なるボヤキを知らず、インディアン・バックのコメットは、水槽の角に身を置いて、私を横目で観察しているのであるから、始末に置けないノーテンキ様である。

 お昼近くに成って、漸くの薄日が差して来た。お向かいさんの老犬も嬉しいのだろう、何時に無く嬉しそうな声でないている。さてさて、洗濯機でも回すとしようかである。

 廊下に行くと、庭石にジョウビタキのバルディナが、大人しく止まっている。久し振りであるから、私も部屋の敷居に座って、彼女を眺める。メスはオスと比べると、くすんだ大人しい色合いと、優しい目付きをしている。野生の穏やかさ・優しさすら伝わって来る。そんなムードが、私には北国の使者・観音様<バルディナ>と親しみを感じさせる所以である。
 暫く眺めていると、低い飛翔を見せて、お隣に飛んで行ってしまった。日蔭の福寿草が、小さな黄の蕾を膨らませている。庭のハコベが、小さな緑で地を這っている。ボケの蕾は、花を開けずに停滞してる。我が家の庭には、春の息吹は未だ先の様である。

 さてさて、眺めていただけでは、何も始まらない人間の生活である。洗濯開始である。

心何処ーショート 悪乗り、夜の部
               悪乗り、夜の部(2/25/09)
 風呂に行くと、大戯けの顔が居る。私は、相当な強面なのであろう。私の顔を見ると、場所を譲ってくれた。有難く何時もの場所にどっかり座って、マイペースの湯浸かりである。やはり四時過ぎの湯浸かりは、客が多い。ご老人衆が、彼是、家庭話をして居られる。娘が何処何処を出て、何処何処に嫁に行っている。倅は何処何処を出て、何処何処で何の地位に付いている・・・etc  
 私には、全く興味の無い自慢話の類である。如何やら、時間帯を間違えてしまったらしい。係り合いになるのは、真っ平ら御免であるから、お先に御免である。私が出ると、大戯けは、浴場リハビリ体操を始めている。私は、時々紳士淑女から顰蹙を買う男であるが、公私のケジメだけは守って来た積りである。『番から気風』は好む処であるが、鈍感男とは別世界に住む男である。

 家に帰ってラジオを聞いていると、マタマタ、<煙草について、貴方はどう思いますか>の続編である。煙草吸って好いでしょうかと問われて、面と向かって駄目だとも言えない。気を利かせろタイプの意見が多かった。これでは、煙草吸いには腹が立つもの言いであろう。あるったけ目立つ格好で、短いスカートを履いて、ガニ股で自転車を漕ぐ様な物である。私だって一歩外に出れば、常識人である。目の遣り場に困って、前方を見据えるだけである。見える物は仕方が無い、それを好奇の目で見様ものなら、罵詈雑言の類を浴びせられてしまうのだろう。

 嫌なら嫌と言うより仕方あるまい。見られるのが嫌なら、防備をするかor自転車を止めれば好かろう。続きは、大隈重信の商標登録問題である。法律を盾に取られてしまえば、杓子定規の法益が付与されてしまう。法律の実効は、常識・社会規範・条理に依って守られるべき筈のものである。社会・常識・躾のタガが外れてしまうと、何でもあり、早い者勝ちの世界に、一直線である。一丁前の成人が、法律を盾に取るとは、とんでも鉢巻物だべさ。
          ★シベリヤ送り重労働3年、執行猶予無しじゃ。

 何々、重婚男が、後婚の結婚式が挙げられずに、その腹いせに放火だと、おいおい、40面下げて、何をしているんじゃい。現住住居に対する放火は、大罪でありまするぞ。こんな笑い話にも劣る事を仕出かしていては、政治家の醜態を笑ってはいられまい。
         馬鹿者!!★サハラ砂漠、水1リットルで徒歩ラリーじゃ。

 日本人、確りせいや!! 野良猫のセレナーデに寝不足を怒り、本日、暗いニュースばかりが蔓延する世の中に、恥を忍んでロートル・個室劇場でご機嫌伺いをしたのであるが・・・俺ぁ、恥を搔かされたわ。

          不逞の輩には、これを送るしかあるまい。
            
            「真田は、日の下一の兵ぞ!!」
        <おのれ、幸村。出あえ、出あえ、者ども!!>
     「六文銭が、悪人どもを、三途の河を渡してくれるわ!!」


         スイマセン、悪乗り、梅酒で呂律が回りませぬ。

心何処ーショート ロートル個室劇場 
                ロートル個室劇場(2/25/09)
 何日か前から、コトコト小豆を炊いている。小豆が、こんなに膨張する物とは知らなかった。何事も経験で知る賄い夫レパートリーの加算である。灯油ストーブの熱利用の一環である。母も半ば飽きれ顔の下で、中身は期待の心底である。昨日、おやつ代わりに出すと、<餅があるから、汁粉にしよう>等と言い始めた。芋・豆類は、女族の好物らしい。
 
 本日の朝食は餅を焼いて、小豆を掬って小豆汁の雑煮を食する。自家製であるから、甘味もあっさり系である。添え物は、キンピラ・ゴボウと沢庵漬け、自家製梅干しを梅酒に戻した物である。動物性蛋白質ゼロの食卓である。精進料理、ベジタリアンの質素・簡略の域である。まぁ、こう云った精進食卓で、ショージンして行けば、私も何時かは、全うな人間の高みに近づけるかも知れぬ。人間、精進が肝要である。

 食後の母子テレビ談話室では、毎日楽しみとしている<風雲!! 真田幸村>を楽しんで居る。私の演じるレパートリーは広く、好色・手ごめシーンに為ると、悪役俳優さんの台詞を情感豊かに復唱するのである。
 好色・手ごめシーンの多い役者は、きっと仕事が楽しくて仕方があるまい。得意の妄想を広げれば、その役が私の所に回って来ようものなら、善意に満ちたNGを連発して、女優さんの上に圧し掛かった儘、<監督さん、間違えました。もう一度お願いします。>何て事を、真面目な顔をして演技している事であろう。
 気の強い、相性の悪い女優さんとの絡みだったら、股間にひざ蹴りを喰らって、悶絶シーンに為るやも知れぬ。そうなれば笑い事では済まされない大失態であろう。そんな事で、再起不能と為れば、一門の恥である。コソコソ怯んでは、男一門の栄華を関わる。
 こんな時は、悪意の股間プロテクターを装備して、役に執着すれば好かろう。やわ肌のひざ蹴りが、金属プロテクターにガツンと炸裂して泣きを見るのは、女族である。法理としては、自招行為で法律の枠外、百歩譲った処で、過剰防衛・・・。一応大学を出ているから、学習能力は鍛えられているのである。能ある豚は、臍を隠すのである。ニャハハ。

<何、初めてと申すか・・・うんうん、うい奴じゃて、手荒にはせぬ、近う寄れ。これ、逃げるでは無い。ワシが、女子の極楽浄土を、じっくり仕込んで遣るほどに・・・フッフッ>
<お代官様、ご無体は、お止め下され。私には言い交わした幼馴染が・・・ あれ~、アレッ>

             カット、カット。『アレッ』は何だよ。

「ちょっと、Rさん、何よ。さっきから、その手は。厭らしい、ダメでしょ!! 監督さん、注意して下さい!!大先輩だから我慢してましたけど、もう、限界です。私、帰ります。」
「こりぁ、R。ダメじゃんか。ジャンルが違うんだ。このシーンは、顔技だけで良いんだ。手技・腰技は、要らないんだよ。全く!! 話に為らん。低予算、低予算だよ!!こっちだって、この不景気、生活が掛ってるんだよ。」
「 そうよ、放映する時間帯が違うんです。健全な視聴率稼がないと、続かないんですよ。リーマン・ショックからの不景気で、スポンサーが大撤退してるんですよ。社会常識が、全く無いんだから、勉強して下さい。R先輩。」
「おお、怖い。分かりました~。顔技ですね。結構ですよ。さぁ、厭らしく、卑猥に行きますかね。<何、初めてと申すか・・・>からでしたね。へへへ。」

★ 監督、俺とは長い付き合いじゃないの、俺もロートル役者で一時ほどの出番が、回って来んのじゃ、ギャラも安くなってしまって、この頃じゃ趣味・ボランティアの出演じゃい。出演料の安さは、現物支給じゃわさ。是、即ち役得為りじゃて、若い連中には出来ない好色代官役、ウッシッシ。お前さんだって、若くて大根さんだから、オボコ娘役が務まるんじゃろうが、経験・修行が足らんぞなもし、人間の多面性・多様性を演じ分けるのが、役者の道じゃわ。眼技に顔技と声技、それを支えるのが体技に手技、役者の道は、奥が深いのじゃ。イッヒヒッヒ。

          <真田は、日の下一の兵ぞ。>

       <六文銭が、三途の河を渡してくれるわ!!>

 
 ※決して、精神に異常を来したのでは有りません。119番通報は、ご遠慮下さい。ずーと雨が降っておりまする。人間、お外に出られずブルーであっては、芳しい精神活動とは云えませぬ。得意の妄想を糧に、言の葉遊びをして見ました。119番通報は、何卒お控え下さい。私には、親孝行半ばの愛母が控えて居られます故に・・・

心何処ーショート 散歩即興詩
                 散歩即興詩

  吹くは南風。追い風、向かい風受けて、雲間に束の間のお天等さん。
        風に交じる雨は、やはり春雨の匂い漂う。

  休憩に県民会館・体育館に歩けば、桜の林に背を丸めてゲートボール。
     石畳・階段降りれば、会館から吐き出される人群れは、
        〈日本列島・演歌の旅〉御一行様である。
    強い南風、バスガイド挙げる車旗に、年配団体客続々と、

          散歩ロートルの我が身は、圧倒され・・・
              迂回の石畳 急ぎ足。

     歌手・演歌に酔い痴れた団体さん、向かうは浅間温泉。
      働き終え、バス連ねて、湯浸かり・料理に舌鼓・・・
       話題弾んで、目・耳で見たイメージ其の儘に、
     旅館・ホテルのカラオケ会場を、賑わすが好かろう程に。

    身体達者な内に、愉しみ・喜び 発散するは 浮世の花なり。  

                               2009/02/24 アガタ・リョウ

心何処ーショート 寝不足の朝なり
              寝不足の朝なり(2/24/09)
 行こう行こうと思っていた弟子の所に行く。電話ではお互い、物足りないのである。真冬の寒さであるから、車のご厄介に為る。9時と言って置いたので、水戸の御隠居さんとのお付き合いは、8時半迄である。湯たんぽに湯を入れて布団に突っ込み、食器を洗い米を研ぐ。思い付いて、沢庵漬けを二本取り出して手土産とする。次いで最近作を印刷し、下絵ファイルを二冊持ち、ポケットには老眼鏡を忍ばせて、いざスタートである。

 車に乗ると彼の家は、こんなにも近かったのかと吃驚の段であるが、便利さに感けていては、男が廃る。今日は<特別>と、自分に言い聞かせる。
 
 今は、受注仕事残があるから言い様な物で、それを食い潰してしまったら、後は未定との事である。一気に冷え込んだ娑婆模様。久し振りに顔を合わせたが、50数歳になって、一段と貫禄と落ち着きが増して来た。味が漂う男の顔に、私はニンマリの段である。
 男のよもやま話を彼是して来たが、若かりし頃、彼に洗脳してしまった<○と×と血の論理>の論文編を所望との事である。論文仕立てにするには、きつい作業が待ち構えている。言うは、コンマ3秒、読むは何時間。行うは、ねじり鉢巻きの没頭を要する代物である。

 バカタレが、確り頭にインプットされているのであるから、無い物強請りをするで無いわ・・・ 歳の巧、ボケの兆候を現わして

      そんな青春時代もあったなぁと、しらばくれる事にした。

 出て来る時は、どんより星の光も滲んで見えたのだが、見上げる深夜の空は、雪か雨を溜め込んでいる模様である。さてさて、温い湯たんぽの上に足を添えて、眠るべしである。
 
 布団の中で、羊の数を数えていると、庭で春を唸る猫のセレナーデである。人間世界では、恋人の窓辺で甘く切なく自分の思いを詩とメロディーに込めて伝えるのが、俗に言う処のセレナーデであろうが、ネコ族と来た日には直接的過ぎる大長歌である。すぐさま羊の影は消え失せ、馬鹿者と蔑んで寝返りを繰り返した後、とうとう我慢出来ずに戸を開けて

              こら、煩い。盛り猫!!

 抗議の人間の声も闇に虚しく消え、人間の気配探って、小出しの唸り声。嗚呼、ハシタナシや、恥ずかしくも無く、声色変えて、傍若無人の盛り歌・・・我が身は、寝返りを打って差し伸べる手の先には、勿論、相手は有らず。獣のセレナーデに、我が身は悶々・苛々の大悶歌の寝返りを打つ為り。
 然りとて、盛り猫に飲ませる妙薬無し。冬の床、我が悶歌に応える美形の面影も訪れず・・・ 春を愛でるには、早過ぎる盛り猫の到来であった。

心何処ーショート ニヤリ、紫煙の行方は?
             ニヤリ、紫煙の行方は?(2/23/09)
 やれやれ、日格差が20℃を越しているでは無いか・・・これでは、冬砂漠の様な温度の幅である。雪に為れなかった雨が降っている。買い出しと薬を取りに行かねば為らない。恨めしい雨である。<止むまで待とう、コタツ当たり>である。町医者には、3時過ぎに行く事にして、郵便局と買い出しに行く。

 外気に冷やされれば、戦闘意欲に火が点る。余勢を駆って、台所に立つ。92に60を足して2で割れば、立派な後期高齢者の食卓である。男賄いは、手抜きの作り置きを良しとする次第である。キンピラゴボウに、イカ2杯を塩辛、ボイルドホタテを煮占めて、松前漬けを仕込む。これだけ仕込んで置けば、後は適当に使い回して行けば、命にトボリは来さないだろう。

 散歩がてらの母の薬を取りに行く。寒い日であるが、老人夫婦が散歩をしている。お二人からすれば、私はまだまだ若い。見栄の遠廻りをして帰って来る。三寒四温の暦であるが、今年は様子が違い過ぎる。年老いた身には、堪える季節の変わり目であろう。

 頬張っているのは、特産の信州リンゴであるが、ボケが廻って来たリンゴである。棒に突き刺して、フェンスに置いて遣る。寒々とした曇天の通りには、人影も無く通りを歩くのは、野良猫一匹である。
如何やら、別天地は水温一定のグッピィ槽だけの様子・・・ 薄黄の体色に、朱の大団扇の尾びれを持った新参のメスは、巨大化して押すも押されぬビッグ・ママの貫禄である。巨体に任せて、その黒く膨らんだ腹部からは、次々と芥子粒を撒き散らしているのだろう。芥子粒達の体色には、黄色の物が大分増えて来た。

 冴えないお天気模様に、ラジオを聞いている。お題目は、煙草叩きである。目の敵のタバコ談義である。別に肩身が狭く為る訳では無いが、吸わない人から見ると、一切理解できない人間の悪癖の一つなのであろう。煙草に関する温度差に、ニヤニヤしながら、拝聴している次第である。健康被害と<直球>を放り込まれると、逃げ場を失ってしまうのであるが、女性群に眉毛抜き・化粧・香水を放棄しろと云うと、どんな事態が起こるか??? 見物だろうなぁ、遣りなされ、遣り為され。・・・などと、独りほくそ笑んでいる次第である。

 息抜きに、<ここのは>さんのブログを読んでいて、ついニヤリであった。コメントを差し上げようとして、コメント欄を読んで居る内に、全てをコメントされていて、ロートルの出る幕など無かった。
男と女の織りなすこの世、亭主殿も女房殿も、口に出さねば、我慢出来ず。口に出せば、「フン、何よ」と「言い過ぎたの反省」。反省を嗅ぎ取って、後はチクリチクリの専売特許。『疲れ目に祟り目。男は頭出して、尻隠す』の誰しもが経験している生活共同体の亭主殿と女房殿の営みである。怒り心頭のお二人も、傍目からすると、ついニヤリの<あるある家庭生活・亭主と女房のワン・シーン>である。

 人間とは、感情の動物でもあります。とかく、人の世は、疲れ目に祟り目であります。夢夢、論理の飛躍で喫煙と化粧・お洒落を、同類視為されますな。チクリチクリの針仕事は、女性の伝統的得意技で有りまする。男の針使いと違って、女性の針目は、目が細かいのが特徴でありまする。のほほんと女房殿の掌に転がされて居られる殿方には、チクリチクリが昂じると、<針の筵>と云う殺伐とした荒野が広がりまするぞ。

 のほほん男が、炊事洗濯の家事をマスターするには、艱難辛苦の数年の修行を要する物でありますぞえ。ギャハハ。円満のコツはアラフォーに非ず、マッチ・ポンプの高等隠し芸でありまする。トホホの演技よりも、ギァハハの男芸で乗り越えましょうぞ。

   世の中、すべからず中庸・足して二で割る諦観が、肝要でありまする。
                                      ウッシッシ。

心何処ーショート 可笑しな段階
                可笑しな段階(2/22/09)
 母も可哀想に、この頃では、すっかり私の夜型のペースに合わされてしまった様子である。本日はゴタゴタしてしまったから、日記のお時間がずれ込んでしまった。

 今現在、土曜時代劇の女剣士・左近様の妖艶さにゾッコンなのである。何しろ、あの得体の知れない目付きにゾクゾク中なのである。好みの顔とは、何処かで好きに為ったとか、付き合いのあった女性達の面影を何処となく秘めているものである。従って、何故か女優さん達への内面・内実を勝手に、過去の出来事に投影してしまうのである。こう云った処が、妄想の膨らむニヤニヤ・タイムの発揮と為るのである。面影・シーン次第では、女体の臭いまで鼻孔に蘇る事もある・・・これは、果たして特技なのか?妄想なのか?・・・小生稀代の小心者故に、精神科の門を潜る勇気が無いから、<得意>稀なる特技として置きたいと考える処である。

 7:30ドラマが始まったのに顔を出さない60歳の倅を、92歳の母が、杖を突いてヨロヨロとお招きに来るのである。倅としては、恐縮の至りである。

       「ちょっと、待っとおくれ。直ぐ行くから、アリガトさん。」

 夕飯を食べながら、その後の<探訪ロマン・世界遺産>を見る。舞台はアルメニアであった。旧約聖書のノアの方舟で有名なアラキト山の、富士山を思わせる様な容姿端麗振りには、驚くと同時に為るほど聖地アラキト山が登場する訳では無いと思った次第であった。9時からの土曜ドラマが始まると、私は重い腰を上げる。

「如何した? 見ないのかい。」
「ああ、好みの女じゃないからね。」
「お前は、若い時から、好き嫌いが激しいね。優しい感じの綺麗な人じゃないか。」
「そりぁ、テレビを見るのは、或る意味じゃ密室だよ。俺が幾ら好き好きと飛び付いた処で、相手は、鼻も引っかけちゃくれめぇよ。だったら、お世辞する必要も無いだろ。どうせ、相手して貰えんから、こっちも正直言ったって、罰は当たらんわさ。」
「言って好い事と悪い事があるよ。人気があるから、ドラマの主役をするんだよ。」
「興味の無いおネェさんは、パスパス。俺は口で言う程、女好きじゃないから、安心しな。肉の薄い、ハトが豆鉄砲喰らった見たいに、可愛く目をまん丸にしか出来ない大根役者、男だか女だか区別の付かないおニィちゃんのでかい声ばかり張り上げる様な学芸会ドラマは、性に合わんわさ。俺は、年相応の肉の付いた女が、好きなんだよ。鳥のガラじぁあるめぇし、女から福与かさを取ったら、ギスギスのスープしか残らんぜ。部屋の美形さん達を相手に、四畳半のスモーキング・タイムの方が、ズーと好いわさ。可愛い顔、澄ました顔してても、碌な女は居ないぜ。付き合って、肌合わせをしなきゃ、本当の処は分かんないぜ。ニャハハ。」
「お前、この頃、一段と口が悪くなって来たね。欲求不満かい? ここにも、女が居るよ。女を馬鹿にするでないよ。」
「へへへ、参った。婆さん、好い球投げるねぇ。女もカンナを卒業すれば、帳消しだわさ。可愛いものだわね。疲れたら、早く寝なよ。明日も寒いぞ。」

 俺ぁ、ビックラコイタ。笑いが込み上げて来る。馬鹿笑いをしたら、勘当ものである。部屋でコーヒーを飲みながら、煙草を燻らせる。<この子にして、この親あり、この親にして、この子あり。>とは、好く云ったものである。母も方無し、倅も方無しである。

 遺憾いかん・・・人生もお互い油気が失せて来ると、可笑しな関係・段階に足を踏み込みつつある様である。

心何処ーショート 久々のノート・パソコン
              久々のノート・パソコン(2/21/09)
 偶には、ノート・パソコンを使って遣らねば、申し訳が無いと云うものである。定位置を移動するに当たって、机の上を片付ける筈が、部屋の掃除と為ってしまった。かと云って掃除の前後に、別段の変化も無いのが辛い処である。机が変わると、目の前には水槽がある。水草ジャングルの内部は、結構な空間バランスが取られている。芥子粒、稚魚、成魚が、其々の専用水域を確保して、泳ぎ戯れている。・・・そんな水槽世界である。繁茂の茎葉に広がる水面の間隙は、芥子粒達の格好の水域である。見れば見る程に、目に付く芥子粒達の動きである。何やら、一気に数を増やした感じを受ける。

 パソコンに向かっていると、散歩仕度の斜向かいさんの姿が、窓越しに見える。母の部屋に居て、テレビを見ていて気付かなかったのであるが、玄関には見終えたビデオ・テープが置いてあった。定着した日課の楽しみを中断しては、相済まぬ。窓を開けて、ご主人を呼び止める。

 本日の貸し出しは、戦争アクションのコーナーからである。ジェン・ウェイン、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、スティーブ・マックウィーンに、ジョージ・C・スコット物である。

 ほくほく顔の斜向かいに、最近描いた下手絵を所望されて、ついつい悪乗りしてしまう篭りロートルである。昨夜は浮いた時間を、鷹とコジュケイの絵を写真図鑑から拝借して、アレンジして見た。結構な雰囲気が出ていて、ウッシッシの出来栄えであった。秘匿画集の中で、鳥シリーズとして一括りが出来そうな感じである。
 
 記憶には一切無い処であるが、私は、中学の美術の時間に画用紙を黒一色に塗って、『闇夜のカラス』と題して提出したと云う不名誉な逸話があるらしい。従って、第三者の評価を頂ける代物で無い事だけは、確かなのである。
 然しながら中学の同級生から、真面目な顔で、そんなマユツバ話を聞かされると、<そうじゃあるまい、ホンマカイナ??> と思うのである。若し、それが真実であったら、美術教師に殴られもせず謹慎・放校もせずに、穏便に事を処置した大人の判断たるや、優れていたものである。そんな雲を掴む様な<温情世界>を是とするならば、現代の社会は息が詰まる世界である。

 昨日Tを見舞うと、点滴装置から解放されたTが、廊下の端に椅子を出して東の風景を静かに眺めている後ろ姿に出くわした。相部屋の住人達とは、気が合わないのであろう。勿論、そんな事を顔に出す男では無いのであるが、Tの内部の知性と教養のチョイスに合わないのであろう。後ろに立って、暫くTを観察して遣った次第である。

 Tは、<酒は飲むもの、おネェちゃんは、触るもの>と確信する男であるから、酒が入るとトンでも無い事をする男である。柔道技の羽交い絞めを都合良く改良しての強奪キスなんて物は、ニヤニヤして平気の平左であるから、ビール瓶で頭をボカッって云う目を何度も掻い潜って来ている。お説教を食らわしても、一切憶えていないと云う『白を切る男』でもある。

 まぁ、どちらかが泥酔なら、どちらかが素面モードを維持している仲だから、顰蹙は買うが、警察のご厄介に為らずに来たのである。二人並んで歩けば、映画・ドラマ顔負けの極道コンビなどと、陰口を吐かれる様であるが、義理人情を弁えた一級品の番から男なのである。
 それが証拠に、アッソーさんと北海の熊Jrの<影武者国会答弁>に立てば、ガッツの義理人情・浪花節コントを演じてしまうのは必至である。開演近くに為った時点で、ジャンケン・ポンで、アッソーさんとJrの役所を、決めれば良いのである。

 こんな内容の雑談をしていて、学生時代を思い出した。有名な選挙行動の分析に、米大統領のトルーマン氏のエピソードがあった筈である。不人気で再任絶対無理の世論調査に、父親トルーマン氏は、マスコミがこっぴどく扱き下ろす三流ピアニストの娘を、臆面も無く『最高・最高』と応援し続けたそうである。余りの父親の娘への<溺愛振り>が、国民の心を打ち始めてしまい、とうとうトルーマン氏は、再選を果してしまった。政治学的には、米大統領の『国民の父権代理』の投票行動との話である。

   義理と人情、秤に掛けりぁ、義理が重たい男の世界・・・
   義理人情と椅子、秤に掛けりゃ、椅子が大事の政治の世界・・・

    そう云えば、<侍日本>なんて、味のある唄が流行った時代もあった。

心何処ーショート 素直にドライブ
                 素直にドライブ(2/20/09)
 雪のち雨の、すっぽり冬のお天気である。玄関の定位置では、期待薄の抱卵が続いている。今度は、親番いの方は五つ、子番い巣箱には、三つ入っている。如何なる事やら・・・ 成る様にしか成らない飼い鳥の営みである。飼い主は、覚め切った冷たい男であるから、何事も模様眺めの注意だけである。

 真似ごとの朝の掃除では、雪、雨に打たれた玄関前の苔の緑が、何とも云えない風流の色合いを醸し出していた。枯らさぬ様に、せっせとバケツの水を掛けている移植苔群である。こんな無粋なお天気の下でも、梅雨の紫陽花にも似て、緑の一服を提供してくれる優れ物である。

 水草生い茂るグッピィ槽では、<居るわ居るわ>の芥子粒飛行戦隊の様である。すっきり水草の間引きが必要であるが、この際、血の薄まった新生児の数を稼ごうと思う。冬の季節にシコタマ数を押さえて置けば、春の陽光に輝く少年魚の彩りに、有り付けると云うものである。二槽とも水補給が必要であるが、生憎の雨である。バケツを外に置いて、手抜きの放置である。

 <はるは、ようよう・・・> 何て有名な一節がある。場合によっては、我が籠りの四畳半にも、<春は、洋々の命の弾み。弾み行く水・籠の中の賑わいに、季節は野に山に命を 躍動せり。> 何て事にも為り兼ねないでは無いか・・・ 好き事は、物臭・怠惰の内に、待つのが肝要である。こんな事を彼是巡らしていると、水槽の紅白の流金殿が、此方を見ながら、おちょぼ口を大きく開けて、欠伸をして御座る。これでは、どちらが観察されているのか・・・ <衣食住足りて、不遜に傾く>でしかあるまい。真に恩知らずの異邦人の様である。金魚の生産の大半は、郡山で正真正銘の伝統の国産品である筈??

 昼下がりのラジオからは、いしだあゆみの名曲<あなたなら、どうする>が、軽いタッチで流れている。好かたい、好かたい。

 何々、午後からは国会中継だとな。無粋なる雑音は、本日の波長にはそぐわない。ラジオをパスして、歌CDを聴くか・・・それとも、今週分のTの顔見にでも行って来ようか・・・である。天候不順に付き、偶にはハンドルを握って遣れば、ポンコツ車のカンフル剤とも為ろう。

 おやおや、雪が降ればメジロさんが、姿を見せる。重い腰を上げねば、怠惰に埋もれるだけの時間である。行くべし行くべしであろう。あれあれ、私を急かせる様に、お天等様がお出ましである。はいはい、分かりまして御座います。

心何処ーショート 緊急報告
                   緊急報告
 お早う御座います。ドタバタ政治劇で、今、国民の多くが怒り、呆れ返っていると思います。理性・知性に富んだブログさんが、普段の理性をかなぐり捨てて、現在已むに已まれず政治コントを発表されています。最高のスマートさで、ドタバタ政治劇を解説並びに政治の在り方を説いて居られます。一読の価値があります。ブルー、メランコリー、憂鬱、食傷気味の日本の多くの方々の心に、一服の即効気分を味合わせてくれる筈です。

 ブログ内リンクの『気になるモノ、コト。備忘録』さんをクリックして下さい。これぞ、知性の輝きで有ります。第一部『今、政治が(変な意味で)面白い。』第二部『コント内閣思わぬ効用(大逆説)』の順番を守ってお読みに為るのが、効果テキメンであります。

心何処ーショート ロートル、政治寄せの一席
            ロートル、政治寄せの一席(2/19/09)
 薄っすらと雪である。水分の少ないダストの様な白い物が、日の光の中で透けて見える。大気の騙し討ちも、シッチャカ・メッチャカの様相を呈している。そう云えば、北国ロシアのモスクワとユーノサハリンクスでは、日本の元総理と現役総理が、政局に油を注ぐ様な鍔迫り合いを為されているらしい。
 
 私はロシア美形のファンではあるが、政治的にエゲツの無いロシアの国情には懐疑的である。ロートルに為って来て、一日中マスコミの電波をBGM替わりに耳にしていると、彼等マスコミ達のツマミ食いの様な報道の在り方には、如何しても、その一部だけの強調振りに、ウンザリもしている。ご都合主義とも受け取れる、森を見て木を見ず、木を見て森を見ずで、全体と個とのバランスが、皆目見当が付かず、複眼思考が出来ないのである。
 
 俗に自虐的史観と云う表現で、日本の現代史が語られる処であるが、これは何やら、現代国民の気質なのかも知れぬと考えてしまう昨今である。開国間も無い明治初・中期に在っては、西洋被れの鹿鳴館時代と揶揄された国策もあった様だし、和魂洋才・富国強兵策に依る官営工場の民間払い下げに依る施策も次々と打ち出され、その中で政商・財閥が暗躍・拡大して行ったらしい。

 まぁ、この辺りまでは世界史の流れで、致し方の無い感想であるが、己惚れの果てに敗戦・崩壊した『戦後史の魂入れ』が、実に拙いの一語に尽きる。戦後史の魂入れは、取りも直さず、私の現実史でもある。耳目・生活を重ねて見聞する社会事象・現象を体験・経験して来ると、正史為らぬ己が稗史(はいし)を重ねる昨今である。つまりは、政府見解と個人見解の違い・乖離と云った感想である。月並みな表現を採るなら、<そうじゃ、あるめぇ史>と、云った処である。
 世の中には、多種多様雑多な見解・雑解が、同時に存在するのである。従って、意見の相違があって、当然の世界である。組織・主義者の枠着せ・お仕着せ・柵が無ければ、人間の感想・行動は、千差万別の様相を示すのが当然の事である。一つ一つのモザイク模様を虫眼鏡で覗き込めば、そこに現れている個人の選択肢も、これまた綴れ織りの如き産物であろう。気の向くまま、利害の及ぶまま、是々非々の選択のまま・・・etc である。

 然し、これだけは指摘をして置きたい。スポーツの国際試合が中継される。ボクシング・サッカー・野球・柔道・・・etc <皆さん、良く見るが好い。> 実況アナウンサー、解説者・ゲストの自国応援振りを、それも明かなるエコ贔屓中継を・・・ 彼等の偏重リップサービスは、若い頃スポーツ選手をしていた身には、聞くに堪えない戯け報道である。そこまで弱い自国勢の肩を持つ必要があるのだろうか?なのである。彼等にして見たら、応援をしなければ、国民のお叱りを受けると<言い訳>をするのであろうが、偏重応援を一方的に、流し続けていると、一つの風潮乃至は文化までも作り上げてしまう結果となるのである。正に悪しき偏重実況報道である。

 国内政治を殊更悪く吹聴する一方、外国の政治・政治家の大物振りを殊更明るく大きく吹聴する。主義・利害の無いスポーツに関しては、明らかな実力の違いがあるにも関わらず、平気の平左で贔屓に贔屓を重ねた偏重実況放送を、垂れ流し続けるのである。
           <これって、可笑しくは有りませんか?> 
 識者先生達は、教育問題について真面目腐った顔付とお言葉で、何やら仰っているご様子であるが、下衆貧民にして浅学非才の我が身には、とんと通じないお説の数々である。

 バカタレ、教育とは正常な批評精神を涵養する事じゃろうて。正常なる批評精神は、読解力と周辺知識に社会常識・感性にこそ、宿る是々非々の判断力なんでしょうに・・・ 俺ぁ、籠りのロートル賄い夫だが、その位の眼力は持っている積もりだわさ。いい加減に、悪しき現代の風潮から脱して、独り歩きをして見ては、如何であろうか、この頭デッカチ野郎どもが・・・
 日本人は、結構優れた国民でありますぞ。中国古典・西洋物から出典して、自己を謙遜振って学者・識者見解を発表するばかりで無く、日本人特有にして特技である匙加減の調合の冴えで、自国語を持って語ろうで御座らぬか。中国にしろ、西洋、米にしろ、我田引水・自画自賛は隠れた真実であろう程に・・・

 国益と云う名の利害得喪に揺れ衝突するのが、何時の時代にも変わらぬ国家勢力の姿である。ハーグに国際裁判所があるそうであるが、国際法は加盟諸国の国際法を遵守するとの強い決意に基づく法の実効性に担保を置いたものであろうが・・・ 或る意味では、『理想宣言法規』の様な物である。つまりは、我が国憲法の9条の様な物である。世界は、百何十か国から為る独立国家の国益渦巻く現実世界なのである。理想と現実の嵐・突風・風に際して、購う手立てを用意して置くのが、政治の方途である。
 現実の人間関係の醜さを嘆き憎んでいる個人の心の筈であるが、何故か主義に洗脳されて、お人好しを演じてしまう日本人である。それに付け込まれて、居直られ資金・『軍資金』までも誑(たぶら)かされてしまう国益の脆弱さである。

 国際<協調>の筈が、相手国に<強調>されて、気が付けば、それが国家の<凶兆>の始まりだったと云うのでは、政治家・官僚の皆様は<国賊>の誹りを末代まで頂戴してしまいまする。お気を付け遊ばれ。
 高等教育の蔓延した平和国家の下では、<天上天下唯我独尊>と云うご利益は、遠い過去のお話ですぞ。一億三千万・国民挙(こぞ)っての評論家・野次馬で御座りまする。作戦には、慎重の上にも慎重に為されませ。数に退潮迫る昨今、己惚れ作戦は、手痛い失策と為りましょうぞ。

 昨今のこんな現象は、私の様なへそ曲がり人間には、酷くチンケな国民性の助長にしか見えないのである。遺憾いかん・・・本日、何処で如何間違えたか、これ又、頭蓋骨の緩みでありまする。ボロが露見せぬ内に、お後の準備が宜しい様で御座ります。

心何処 小さき湯
春うらら

                    小さき湯
        
         春うららの昼下がり 番台のおじいちゃんも居眠り

             湯気の滴 ポチン ポチンと落ちて
              洗い桶 枕に 一人極楽の境地

             湯気静かに立てて 流るる掛け湯
      溢るる湯は タイルに伸びて 君が脳裏に運ぶは 何の夢幻か

            此処は信濃なる その名も古き浅間の湯なり

                               2009/02/19 アガタ・リョウ

心何処ーショート 遣りなされ、遣り為され。
               遣りなされ、遣り為され。(2/18/09)
 さてさて、冷蔵庫も空である。銭湯経由の買い出しをしなければ為るまい。好い天気であるが、陽気の騙し討ちに合って、大分寒い。寒い時は、湯に浸かるのが一番である。熱いには違いないが、顔を顰める程では無い。昨日-7℃、本日-4℃の最低気温である。
 
 ゆっくり入ろうと昼時を狙って来たのであるが、ドンドン入って来て、私を入れて7人と為ってしまった。ロートル3に対して学生4である。こんな大所帯は、初めてである。マイペースの時間を過ごして出様とすると、ロートル組の片方が、片方に声を掛けている。

「〇さん、折角の温泉だよ。ゆっくりして行きましょうよ。腹が減ったら、何か出前でも頼みましょうや。ゆっくり浸かるのが、温泉のご利益でしょうに。」
「それもそうだ。慌てて、家に帰ってバアさんの顔見てても、仕方が無い。好いですよ。ゆっくりしましょうか。」

 湯ぶねを挟んで、お二人は私の何時ものポーズで、背中を壁に預けての格好で話の続きを交わしている。賛成・賛成である。
 
 俗世の垢を流して、ゆっくり、ぽたぽた汗を落とす時間を持つのが、ロートルのスローライフと云うものである。学生達も上がった事でもあるし、洗面器を枕に、ゴロリと白毛交じりのフリチン姿で暫しの高鼾を掻くのも、最高の気分で有りますぞぇ。此処は田舎でありまする。G7の様な醜態暴露なんて気遣いは、一切ご無用でアリンスよ。遣りなされ、遣りなされ。

 橋から淀みを見下ろすと、氷が見える。米屋に向かって、引き返してスーパーに寄って帰る。アルプスのお山が、陽に輝いている。ポカポカ気分で台所に立ち、カレーを作る。口直しには、あっさりと切干大根に、アゲとチクワを加えて炊くとするか。

 昨夜はCDを流しながら、金華鳥の色鉛筆画を描いて見た。中々にしてスマートにナイーブに仕上がった。投稿するには、容量が大き過ぎた。我田引水は、未公開に付き、一人雄弁を語れるものである。我が下手絵も、内なる努力のお陰を以って、時間短縮と形が備わって来たものじゃて・・・等と、梅酒で溜飲を下げている処である。

 退職を目前に控えている団塊世代諸侯殿、何かのコア・タイム、趣味を見付けなければ、仕事人間の習性は、スロー・ライフにシフト致しませんぞ。
 何だかんだと云っても、歳を加えるに、緩み始める脳細胞でありまする。頭骸骨にカラカラ音がする前に、自分に合った何かを見付けるが肝要でありまする。
 おネェちゃんの甘い伴唱を求めて、夜な夜なネオン煌めく歓楽街を徘徊して居りますると、陰口が罵詈雑言に転嫁して、敢え無く辞任の憂き目を見まするぞ。
 何しろ、世界経済は未曾有の不況の幕開け。緊縮財政が最優先でありまする。物心両面が叶わぬ現実は、工夫の心の灯点し、それを大きく育てるしか有りませぬ。

心何処ーショート 困ったものじゃて
              困ったものじゃて、(2/17/09)
 アイヤー、寒いじぁありませんか。何日か振りに、湯たんぽ様の御厄介に為った。寒さが一定していれば、何の事も無い冬の気温なのであるが、大気の騙し討ちを浴びると、背筋ゾクゾクの愚痴が、つい口に出てしまう。

 本日のモーニングは、触手の伸びたココアである。自分でココアを買って来て飲むなんて事は、何十年か振りである。コーヒーと違った香り・口当たりに一頷きをするが、口に残る甘味は、やはり好む処では無い。

    テレビ・ラジオでは、先々夜から中川大臣の話で持ちっきりである。
 風邪薬を服用し朦朧として、ビルからの転落死も何例か招いている、とのニュースもあったのである。体調が悪く、安静を促す効能が入っているのが、薬の効能でもあろう。一過性の珍事で済ませば好かろうものを、眠り薬入りの病人に対して、ヤレ全世界に醜態を発信したとか、大上段に大刀を振り翳して、大臣の資質に欠けるなどと得意勝って、寄って集ってワイワイ、ギャーギャー、ピーピーと騒ぐで無いわ。見苦しい限りである。

 私の記憶には、天皇陛下晩餐会で、フォード米大統領閣下が、体調不良で嘔吐された事もあるのである。同じ人間の体調不良による単なる珍シーンについて、これほどのダブル・スタンダードを取るとは、何事ぞである。こう云う様をサモシイと形容するのでは、無いだろうか・・・笑止千万、虫唾が走るの感頻りである。

 それこそ、先ほど見て来た再放送時代劇・北小路欣也主演の<風雲・真田幸村?>の決め言葉『真田は、日の本一の兵(つわもの)ぞ!!』を贈呈して遣りたいものである。

 あれあれ、これを打っている間に、中川大臣の辞任意向が、ご本人の口から表明されてしまった。残念である。民意に身を晒すと云うのが、政治家の世界であるはあるが、何とも哀れな身の引き様である。せめてもの餞(はなむけ)の労りが、奥さんが夫に掛けた「お父さん日本一、頑張ったね。大丈夫、大丈夫」の言葉であった。

 迷走続ける日本の政局は前も取り上げたが、何やら衰退の潮に達した徳川幕府末期の症状にダブってしまう。迷走も何時までも、天が許す訳でもあるまい。天の思召しは、一つの方向性を示すものであろう。中川大臣は、親父さんの代から注目して来た政治家の一人である。個人的には、政治家の中で一目も二目も置いている注目株なのであるが、潮流を提示する天の思召しとは、一軍の将をお選びにするのは、致し方の無い処なのであろう。政治家中川として、この試練が政治家としての器・襞の深さに、好影響を与えられん事をお祈り致しまする。・・・餞に、小生、本日ラジオを切りまする。

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短編ターニャ・ストーリーの挿絵から
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妄想ロシア
青い目
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その他
私、怒ってます
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小さな絵
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心何処ーショート 春陽浴びて、還るは童心。
              春陽浴びて、還るは童心(2/16/09)
 朝の賄い夫を終えて、頭の血の巡りも芳しくないから、画用紙を半分に切って、悪戯絵のお時間をしようと考える。<何か出て来い、出て来い。早く出て来い。>とタバコを咥えていると、斜向かいさんである。

「どうぞ。」と言うと、「りんご持って来たから、お婆ちゃんに食べて貰ってよ。」と、スタスタ台所に置いて来て下さった。『黒馬物語』は、お孫さん達と一緒に観て、素晴らしかったと言う。質の良い映画ばかりで、何時も感心しているとの謝辞を頂く。本日の貸し出し分を、チョイスした後は、狭い四畳半で胡坐を掻いて、ロートル談義である。
 
 下手絵のファイルを二冊渡すと、ご主人大きく頷きながら、目を丸くして居られる。ご主人は、ロートル生活の先輩であるから、水彩画・水墨画もすると言われる。奥さんも、水彩画を描くとの事である。色使いが、大変に個性的との評である。
 大変に個性的と云うのは、罷り間違えば隔離収容である。まぁ、私は凡夫であるから、シャープさに欠けるから、奇人変人扱いはされまい。私の稚絵は、何処らかと云えば、大いなる遅行性・退行性を形にしているに過ぎない。従って、善良なる社会へは悪影響を及ぼさないのである。精々500kbの範囲内に留まれば、時折、影響力の圧倒的に少ない、我が稚拙ブログに登場する位の程度である。多少の顰蹙は買うかもしれないが、今まで、何とか娑婆暮らしが適ったのであるから、大丈夫だろう。

 四畳半と隣の八畳を繋ぐドアには、日本の誇る岡本太郎画伯が顔負けしてしまう程の、色彩鮮やかなペイント掛け軸が、ドア一杯に掛かっている。フィリピンのボラカイの店で、思わず唸って買って来た三点の内の目玉作品である。本当は、玄関の壁にドドーンと飾って置きたいのであるが、母の存命中は、大人しく私の居住区に鎮座おわしている傑作なのである。

 ご主人は、かねがね、この絵に興味があったそうである。私も大バカの口であるから、後の二点をお見せした処、目をまん丸にして食い入る様に見て居られる。私としては、粘りに粘って、その作家の作品群から、財布の中身と相談しながら三点を選んで来た物である。

     以下の文章は、その時の顛末を旅行記から転載したものである。

                    交渉ならず
 アイランド・ホッピングに向う。シュノーケル・スポットは、セブ島より深場であった。海中の群れ泳ぐ魚体の彩の神秘に浸って、一時、少年の様に波間に漂う。島に上陸して昼食を取る。帰りにジェット・スキーをレンタルして遊ぶが・・・少々草臥れた。缶ビールを手に真っ赤に日焼けたTは、胡坐を掻いた儘、眠りの境地を彷徨っている。酒好きと座り寝を特技とするTは、この姿が一番リラックスしているのであろう。此処は、太陽が燦々と降るエメラルドグリーンのしじまに、ぽつんと浮いたデッキの上である。

 我が社の若大将コンビのH、Kの2人は、快走に次ぐ快走の演舞を、ぎらつく海原に白いシュプールを描いている。
 
 今回初乗りのI君は、すっかり慣れて、若かりし時の暴走族の血潮が蘇ったのか?? 若い者を相手に、『勝負!!』と息巻いて飛ばしに飛ばしている。

      私は残った時間を前に、暫しの墜落睡眠である。・・・・

 ホテルに帰ってシャワーを浴びがてら、洗濯をして暫しの熟睡タイムである。快眠に目を覚まし、通りをぶらつく。マニラからローカル線で空路一時間強、ヨーロッパ白人達の手に依って開発作られたと云う、半月状に長く続く白亜のビーチとホテル群とヤシの林と青い海、海に浮かぶ南国カラーのヨットの帆色のロケーションは、正に白人ビキニの闊歩が似合う風景である。帰ったらロシアン・ウーマンの〇〇にボラカイの絵葉書を認めて、旅に誘おうかなどと楽しい想像をしながら歩く。
 此処は現地フィリピーノの居住地とは、はっきり区分けされた別天地・南国リゾート地である。多くは、太陽を好む西洋人達である。はち切れんばかりのビキニ姿が、銀ブラをしているのである。南国のぎらつく太陽に炙られて、胸の隆起に汗をたたえて、裸足歩きをして下さるのであるから、サングラスなど無粋の境地である。折角の開放感を愉しむのが、男の作法であろう。

『退屈する』等と言ったら、罰の当たる別天地と云う物である。何か月分もの目の保養を、仕入れて漫ろ歩きと洒落込もうではないか・・・ これぞ、独り歩きの特権である。

 まだ通った事の無い横道が、目に入った。絵の具で書かれた掛け軸タイプの絵が、目に止まった。歩いていると、通り・店で、手描きペイントの絵画・Tシャツを、制作している姿が結構目に付く。消えるタトゥーのペインティング同様に、ペイント画は、ボラガイの特徴なのだろう。

 それらは、半抽象的なイラスト・タッチの手書きのペイント画が、大半である。常夏の太陽をふんだんに溶かし込んだ様な強い原色の色彩が、何とも言われぬ雰囲気を、発散させている。すっかり、その色彩の自己主張に魅せられて、片言の英単語を並べ立てて、ディスカウント交渉に入る。30前後の愛嬌の好いフィリピーナ店員との遣り取りの骨子は、次の通りである。

「おネェさん、素晴らしい絵だね。これは幾らするの。」
「これは、一枚一枚手で書いていますので、〇〇〇〇ペソです。これは大きい絵ですから倍です。」

★おや、まぁ・・絵画の良し悪しでは無く、サイズに比例して値段が設定されているらしい。

「デイスカウトすると幾ら?」彼女は、カシオの電卓で値段を打って提示する。

★狭い店内であるが、カラフルに満ちた掛け軸の数々である。私の感性にぴったりの構図と配色の絵があった。<惜しいかな!!> キャンパスの布地に織り斑がある。日本で言う処の傷物である。これを梃子に大幅のディスカウントを手に入れよう。

「あ~、そう。貸して見な、分子/分母×100=10%じゃないか。それにコレ傷物だから、20%ダウンしてよ。」
「ノウ、だめです。生地の傷は、元からあったものですから、絵の優劣に関係ありません。20%もディスカウントしたら、ボスに叱られます。首にされます。私、家族います。ノーです。」

★こりぁ駄目だ。トータル性の価値が、解ってないか・・・ 仕方が無いか、日本じぁお目に掛かれないタイプの物だし・・・値段的には、申し分の無い金額だ。

「そうか、じぁこれ買うよ。これも好いなぁ、買うよ。」
「ありがとうございます。」
「良し、決めた。あの大きいやつも、一緒に買おう。カシオ出して、これ幾ら、それは?」
「これとそれと前のがこれで、合計これです。」
「違うさぁ、これに×90%だから、〇〇〇〇ペソだろう。それに3点お買い上げだから、10%引きすると〇〇〇〇ペソだろう。」
「ノウノウ、違います。ボスいません。私、勝手にディスカウント出来ません。これです。」
「貴方、馬鹿ね。私買わない。そうすれば、今日も売れない。明日も売れない。1週間売れないかも知れない。これで、私と握手すれば、3点売り上げで、ボスからボーナス貰えるよ。」
「だめです。ボスけちです。私、あなたに絵をディスカウントして首になるより、売らずにサラリー貰った方が、得です。」

★アジャジャ、サラリーマンの鉄則・休まず、働かず、逆らわずの3ズ主義は、世界の常識の様である。主義者の頑迷なる主張を後退させる程の英単語を、私は悲しいかな持ち合わせてはいないのである。郷に入ったら、郷に従うしかあるまい。

「貴方、商売上手だね。頭イイよ。俺も絵が気に入ったから、5%で手を打つよ。オマケにその絵葉書も付けてよ。」
「ハイハイ、有難う御座います。絵葉書は気に入った物を3枚どうぞ。」

 こんな遣り取りを、言葉1/3、ゼスチャー2/3で演じるのであるから、私は汗だくである。彼女に水を所望して、掛け軸の包装をタバコを燻らせながら待つ。少々高い買い物に付いたが、物は考え様一つである。ボランティア・セックスに廻す金子が、芸術に化けただけの事である。私は意気揚々として、ホテルに帰った。
           ・・・・・以上。心何処・・・32・嗚呼、羞恥の極み より抜粋。

 こんな楽しい経緯のあったペイント掛け軸である。本日分を読み直していると、窓辺の雑木に、メジロである。今シーズン初のお目見えである。 
 さてさて、本日は授業中の悪戯学童の気分に浸って、煙草・ウィスキーを友にして、楽しいお絵描きの時間と致しまする。

       マタマタの長駄文へのお越しに、心から感謝申し上げます。

心何処ーショート お礼の一言
                お礼の一言(2/15/09)
 昨日のNHKドラマ<お買いもの>は、何かホッとするドラマであった。久米明・渡辺美佐子演じる老夫婦の姿が、何とも形容し難い・・・奇を衒(てら)う事無く、等身大の日常感を写し取った様な現実感に溢れていた。孫を演じる市川実日子のシラーとした感じが、ドラマに現代の味付けをしていた。映画・ドラマは、時代を写し取る鏡でもある。
 
 久米さん・御歳83、渡辺さん・75。演じる俳優さんの実年齢がその儘、ドキュメンタリーちっくな物語りを淡々と見せてくれるのである。お二人の会話の間と云い、表情と云い、動作の弛緩さと云い・・・何とも言い様の無い雰囲気を見せてくれるのである。
 原作・脚本が素晴らしいのは、言うまでも無いが、演じるお二人のお人柄が、其の儘に伝わって来るのほほんとした夫・妻に交差する日常と人間の味なのである。

 これは、凄い事なのである。役者さんの呼吸を捉えた演技以前の、人と人、夫と妻の味が、其の儘に引き出されているのである。
 こんな不思議な味のあるドラマは、初めてお目に掛る。ついつい惹き付けられて、にやにや、くすり、ぎぁははと、老夫婦の生活を見守る倅の様な雰囲気で見ていた。これは、映画の傑作では無く、テレビドラマの名作と呼ぶに相応しい一遍であろう。

 渡辺さんは、若い頃は少々癖のある女優さんであった。日活映画に良く出て居られた。私の中の記憶では、石原裕次郎の<ラバウル航空隊?>での二谷英明との絡みで、強く印象に残っている女優さんである。彼女は、気の強い役柄にはピッタリの女優さんで、スーザン・ヘイワードを彷彿とさせる女優さんであった。

 土曜のテレビは、栗山千明の女剣士<浪速の花>の後は、歴史ロマンを見て、部屋に戻るのが通常である。それが、母の「これから、お爺ちゃん・お婆ちゃんのドラマがあるよ。」のお誘いで、お付き合いしたNHKドラマであった。
部屋を後にする時の母の言葉が、「夫婦って云うのは、歳を取ってからのものだよ。」であった。倅としては、母の有難いお言葉として、しかと納得して御座いますと胸の内で、応えるより他の無い処であった。

 日本には、銀幕黄金期で鍛えられた老俳優・老女優さんが、沢山健在なのである。皆さんの演技力の宝の山を、身捨てる勿体無さは、目を覆う物がある。ストーリーが地味であればある程、年輪を重ねた俳優さん達の人間の味が、匂い立ち、醸し出す映像世界である。地味な風景に映し出される物に、何かを感じ考える事が出来るのが、質の高さだと思うのであるが・・・ 世の中は、腰の軽い多動症の飛び付き風潮が、騒ぐばかりである。

        さてさて、好天に恵まれた日曜日である。
 ロートル・賄い夫のボヤキはこの位にして、春の空気を吸いに歩いて参ります。

心何処ーショート 季節外れの幼気
                季節外れの幼気(2/14/09)
 春の暖かさに、夢を見ていた様な感じである。夢幻の中で、子猫の声を聞いた覚えが、残っている。空気の入れ替えに廊下の戸をあけると、庭の枇杷の花に、何やら虫が飛んでいる。きっと、日本ミツバチが、冬眠から起こされてしまったのであろう。可哀想に・・・
 
 朝食後のお茶話に、
「Tさん、待っているだろうから、お天気も好いし、行って来たら?」
「うん、こう暖かいと、家に居るのが勿体無い。その心算だけどさ。」

 陽気に釣られて、温泉銭湯に行く。丁度昼前の好い時間帯である。本日は、貸切風呂とは行かなかった。他の温泉銭湯もあるのだが、意外とこの風呂は人気がある。精々15平米の浴室に、3平米の小判型の掛け流し浴槽、シャワーと水道の蛇口の付いた洗い場は3つ、鏡は別に2枚。当然、シャワーも鏡も壁を背にしている。洗いの腰掛けは三つ、洗面器は五つである。
 簡単に云えば浴室の中に、こじんまりとした浴槽が沈んでいるだけなのである。味も素っ気も無い、そのものずばりの温泉銭湯なのである。邪魔な鏡・蛇口を備えた洗い場が、目に付かないから、小さいながらも何故か、貸切気分に浸れる処が、ファンの多い原因なのであろう。
 私には、小さい時からの馴染みの風呂であるから、シャワー、蛇口のある洗い場を利用する事は無い。湯口の脇に胡坐を掻いて、ビニール・パイプから流れ込む熱い湯を汲んで、髭を当たる位で、後の湯は浴槽から直接汲んで使うのである。腰掛けなども使った事も無い。洗い終われば、背中を壁のタイルに預けて、足を前方に投げ出して、湯船から湯を掬い体に掛け湯をして、風呂タイムを過ごしているのである。勿論、喉が乾けば湯口に手を伸ばして、温泉を飲み干す。

 貸切状態に為れば、湯船の周りのタイル床に、大人が二人ゴロリとマグロ寝出来る程のスペースがある。この無駄な造りが、この風呂に親しみを運んで来るのだろう。風呂での話を聞いていると、温泉の多い土地柄ではあるが、このちっぽけな飾り気の無い風呂が好きで、足を運んでいるロートル、爺さん達が多い様である。入浴料200円の低料金だけで、遠い所から足を運んで居る訳では無いらしい。そんな話を耳にすると、地元の人間として、嬉しいのである。

 ジャンバー、チョッキを着ずに、セーター姿で、Tの所に顔を出しに行く。霞の掛った大気の状態がイマイチであるが、素晴らしいアルプスのパノラマである。道行く人達の服装も、着だるまから、何枚か脱いで居る。道端の雑草にも、緑が顔を覗かせている。

 さぁ、病院までは、もう一息である。最後の大橋の信号機で待っていると、向こうから白人中年婦人が自転車で遣って来る。お互いに自転車である。ご婦人は細い金髪に、グリーンの目である。ジロリと眼を覗かれて、私の方が縮み上がってしまった。化粧気の無い皺顔は、私より貫禄が上である。悪さをしようものなら、男など小さく縮まって居なければ、如何しようもない貫禄である。

 いや~、白人ハズバンドは、ワイフを怒らせたら、絶対に怖いだろうな・・・ 俺は、日本人の女房で好かった。顔は悪くは無いのであったが・・・クワバラ・クワバラであった。

 病室に向かおうとすると、談話室にTが居る。孫を連れた娘さんと奥さんの母親と息子さんである。アジャジャ、私の出る幕は、無さそうである。品行方正の行儀の良さで、見守る事にした。

 見舞客が帰った後で、病室に戻る。看護師さんの世話で、患部のバンソコーの取り換えがあると云うので、確り患部を観察させて貰う。胸から臍下まで、綺麗にメスが入っていた。傷口から見ると、メスの切れ味は凄いものである。不思議と痛々しさの感じられない綺麗であっさりした傷痕であった。Tには誠に不謹慎な感想であるが、現代医学のスマートさに、ただただ感心させられた。全ての処方箋は、点滴を通して患者の全身に回っているのである。

 さてさて、普段ではお目に掛れない切腹痕を、見せて貰った事でもあるし、気温が下がらない内に帰るべしである。

「そうそう、この前、言うの忘れちゃったけど、お前の自画像ぽい絵は、ブログに出したら駄目だぞ。折角の訪問者が、クモの巣散らして、逃げちゃうから、自重しろ。」
「アハハハ、家のバアさんは、そのものズバリで好く描けているから、出せって言ってたぞ。」
「出したのか?」
「安心しろ、容量オーバーで入らんかったよ。俺としちゃ、ファン層の拡大に失敗したよ。」
「そうか、そりぁ良かった。モンタージュ絵が出回ったら、悪さ出来ねぇだろ。この前、★★さが来てさ、性教育とか抜かして83歳の爺っ様が、軽トラの荷台に乗っかって、下半身モロ出しにして、下校途中の中学生男子に向かって、淫行実演して御用に為ったってさ。それ聞いて、俺は、Rの20何年か後を確信しちゃったよ。身元がばれる様な事は、絶対に止めとけよ。お前を引き取りに行く俺の立場も、考えとけよ。いいな。」
「おぅ、言うに事欠いて、とうとう、俺は、狂い咲きのモロ出し爺っさに転落かい?」
「そうそう、天は二物を与えずって言うずら、退役組の世界は、これからが花色だぜ。相棒のRに足引っ張られたら、二人で輪っぱ組だぞ。罪が罪だから、こっ恥ずかしくて、表、歩けねぇぞ。そんな事に為ったら、ポリ公に禿頭と白髪頭を、交互に引っ叩かれて、罵詈雑言の嵐だぜ。泣くに泣けねぇ惨状だいな。ケケケ。」
「クゥ~、言ってくれるじぁねぇか。T、でもなぁ好い手がある。大丈夫だよ。いざと為りゃ、二人でボケ老人演じるさ。どうせ、遣る事無いだろ。志村けんのテレビでも見て、セリフと演技を覚えとけよ。」
「あいあい、じゃ、爺さん、達者で暮らせ。俺も、頑張るっちね・・・ 車に気を付けるだじ。又、来いやな。爺は、待ってるだじ。」
「あいよ。痛みが薄らいだって、ネェちゃまの尻、弄るなよ。ボケは未だ通じんぞなモシ。」

 へへへ、とんだ友情の助言を頂戴してしまった物である。Tの野郎は、自分で振って来た漫才に釣られて、腹を押えてヒイヒイ痛てぇなんて、ほざいていやがる。

     ああ、俺達は、高一の時から、進歩のしの字も無い。

心何処ーショート 春一番
                 春一番(2/13/09)
 曇天に春一番と云う風が、煩いほどである。アレレ、気に入らないねぇ~ 冬の遠ざかりに、水中のバクテリアが冬眠から覚めたのであろうが、金魚槽の水色が芳しくない。昨日は、日頃の感謝の気持ちで、バケツ二杯の川の水をプレゼントして、濾過器も掃除をしたのに・・・ 
 斯く為る上は、隠し玉の『フィルター交換』しかあるまい。グッピィ槽の水を少々汲み与えて、バクテリアの相互交換をする。再び水槽を占拠し始めた水草の茂みには、生まれて間もないグッピィの稚魚が5~6匹、水面近くを泳いでいる。水草の茂みは、彼等にとっては避難・成長水域である。パラパラ餌を巻いて、<増えろよ、増えろ。早く、大きく為れ>で、そのままにして置く事にする。
 
 春一番の外に、本日は、部屋で大人しくして居ようと考える。花粉空気に、のこのこ大クシャミ散歩でもあるまい。短時間で運動量を稼ぐには、適当な時間を見て、近くで体操でもすれば好かろう。
 春一番が公認されて、よもや冬に逆戻りはしないと思われるが、アッソウ総理とコニクタラシイ元総理の言いたい放題・大振れ合戦である。暦では、まだまだ二月如月の半ばである。気象庁にした見た処で、突風に煽られて、公認にブレが生じてしまいましたなんて事にも為り兼ねない。彼等にした処で、公務員様であらっしゃりまする。

 それにしても、自民党は、往生際が悪過ぎる。現役総理・元総理にした処で、余程政権下野するのが、怖いらしい。舵取りの失敗で日本の経済は、『失われた10年』と形容され、国民の大半は、その辛酸を嫌と云う程に舐めさせられているのに、彼等政治家・官僚達は、自民党の一度の下野で、<もう、絶対に嫌です!!>と戦々恐々と尻込みを繰り広げるのみで、『国民不在の無様な政治空白』を演じているに過ぎない。如何やら、その本態には国民の目からは、完全に密閉されている政権与党の甘い蜜畑が咲き誇っている・・・などの妄想が働いてしまうばかりである。貴様ら、キンタマぶる下げているんか、恥を知れ恥を と云い様が無いでは有りませぬか。

『俺も男の端くれじゃい。玉でも竿でも、立派に勝負を付けて遣ろうじぁんいかい!!』
下衆貧民・ロートル賄い夫にして、花粉症の嗅覚は、全くのお門違いなのであろうか?

 正常人の感覚から行動すれば、自分の法案が通らなかったからと云って、抜けシャーシャーと解散総選挙に打って出て、未曾有の大勝利を収めた元総理である。私の気弱な性格からすれば、元総理あなた様のお遣りに為った手法は、憲政の王道に弓引く<掟破り>の異人変人の手法でありますぞ。何とかチュルドレンとか云う集団は、一過性の鬼っ子集団の様なものでありまする。時の風潮が生み出した鬼っ子なら、これまた、時の風潮に没するのは、自然の摂理じぁゴザンセンカ。

 アッシャ、日蔭道を歩いて来た男でありまする。然しながら、時に、背中で泣いてる吠えてる『唐獅子牡丹』が愛おしい・・・そんな日本人の一人でゴザンス。

 政治とは感情の舞台とも、聞き及んで居りますが、言葉の美学を追求するならば、<名を惜しむかな男故に>でありまする。美学には、潔さが必要不可欠の要素・理でありまする。夢夢、勝てば官軍、一将功為りて、万骨枯れる・・・であったなら、貧民・下衆の身であっても、あなた様のご人格に疑義を、唱えるものでありますぞえ。

                 窓打つ春一番に
                  憂いは募る
           生まれ育ちし日の下の国・日本の行く末

心何処ーショート 私、怒ってます。
                    私、怒ってます。

私、怒ってます
 
 本当に、コン畜生めである。コメントを打って、いざ発信とクリックすると、禁止ワードが含まれているとの事である。???? 頭を振り振りして、マジマジと自分の文章を何度も精読・熟読して見るが・・・皆目、見当が付かない。然も、常識モードに転換しているのに・・・である。

 禁止ワードを機械が感知・検知したのなら、その用語を指摘してくれさえすれば、手っとり早いものを、全く融通の利かない非情センサーとしか言い様が無い。これで、二度目である。諦めるより外なしである。

 俗に、釣り逃がした魚は大魚とは云うが、没に為ったコメントも、珠玉の玉である。

心何処ーショート 暫し、妄想哲学
            暫し、妄想哲学のお時間(2/12/09)
 寒いと思ったら、庭には薄ら白い物が残っている。日が差せば、たちどころに消え入る淡雪である。部屋に入り、日の訪れを待つ。水槽にはまだ日は差し込まないが、ビックママに成った二匹が、橙色の尾を震わせている。加入組のオスも大きく成ったものである。小世界で代を重ねたオス達とは、二回りほど大柄である。そんな比較に気付くと、血のバランスの重要さに頷くと、同時にホッとする処である。雌雄の区別が付く少年少女の姿、口パクリの危険期にある稚魚達の姿も、水草の間を縫っている。

 週に何度かは、動きの遅い母である。湯を沸かし、モーニング・コーヒーを入れる。日の入った水槽の上の特等席に、子番いの籠を持って来る。親番いの方は、仕方の無い事であるが、中年期の兆しが濃厚と成って来ている。育雛を放棄してしまった番であるが、懲りずに産卵中である。干渉は、無粋である。
 陽射しを浴びて、囀りと活発な動きを繰り返す番いの姿は、立派な成鳥であるが、悲しいかな未完鳥である。番いには、マイホームと認知された餌ばちの巣内の背後には、見事なまでの糞で固めた様な土塀が施してある。その線から考えると、如何した事か、巣材を巣には一切運ばないので、底部からの冷え込みを気遣って、保温シートを貼って置いたのである。この番いは、大分変り者らしく、嘴でコツコツと突き、長い時間を掛けて、そのベットを巣から放り出してしまったのである。管理者の私としては、そんな以心伝心の通じない非常識な輩とは付き合いたくないから、好き勝手にさせている処である。

 一卵を産んだ番いは、次卵を産む事も抱卵する事も無く、何時しか卵をこれまた巣から放り出してしまったのである。私は、観察と知性に富んだ管理人であるから、『未熟者』の断を下して、気長に彼等の学習能力と生長を期待するしか無いのである。
 然しながら、彼等の交尾振りは、私の若い頃に匹敵する行いなのであるが、その責任感たるや雲泥の開きが、・・・・ある様なのである。<他人の振り見て、我が身を正せ>などと云う言い回しもある。然し、先達も、弘法も筆の誤りであろうか? これなどは、全くの反面提示である。こんな未熟者を見ていると、私などは立派に表彰者である。バカモン!!

 言葉の通じない間柄である。私の嘆きも、どこ吹く風の狼藉振りで、番いは、ピーチクパーチクと交尾のオンパレードである。

 先日、テレビで乗鞍岳のイワヒバリの生態を鑑賞した。高山を繁殖場とした彼等は、多夫多妻のコロニーを形成するとの事である。何しろ、メスのオスに対する交尾誘発行為が、執拗にして凄まじい限りなのである。尻部の羽毛を逆立てて、充血した生殖部を露わに強調して、オスの執拗に追うのである。邪魔する他のメスとは、空中戦を敢行する程の魔界の沙汰である。メスの術中に嵌ったオス達は、交尾の回数に応じて、メス達の子供達にセッセと餌を運ぶ恩返しをするのである。オスもメスもヒナ達も、高山コロニーのファミリーとして、交尾・育雛を共有する社会形態が、維持されているとの事であった。繁殖期の餌は、何と上昇気流で運ばれる昆虫との事である。

 人間社会では古から、持てる者の桃源郷としてのハーレム・大奥・一夫多妻の慣わしがあるらしいが、自然界の伝習の中には人間の域を、遥かに凌駕した社会形態も存在するのである。

 浮気・不倫・レイプ・・etc、如きで霊長類を極めたなどと、人間様もウカウカ出来ない処であろうか・・・ 

 南洋の無人島に、世界の美形達を拉致して来て、全裸の放し(離し)飼いをして、ロバの背に揺られて、美形巡りなどと云う私の妄想など、余りにも小さ過ぎる。然しながら、日常の妄想は、少なからず常識から生まれる逃避の術である。

 世は100年に一度の経済危機にして、未曾有の危機である。日常から脱却した妄想術を身に付けなければ、飼い鳥にも後れを取ってしまう。多情多恨の悪しき人間の思考回路をば、断ち切らねば、清楚なる高山の命の営みは、叶わぬ夢の夢である。残された命、真の妄想術の構想確立に向けて、瞑想すべきである。

 おう、母上の動きである。さてさて、賄い夫の課業にシフト致しまする。私も腹が空いて来た。

★難題の進捗状況に就きましては、当分のお時間を頂戴したく存じまする。小生、変なおじさんではありますが、長年に亘って常識の錆が、全身にこびり付いて居ります故に・・・

心何処ーショート 建国記念日
                建国記念日(2/11/09)
 昨日遣りそびれていた洗濯物を、軒下に吊るしていると、ミネゾ(イチイ)の木の中に、ツグミが居る。一向に逃げる気配も見せない。何処を見ているのかと思い、その方向を見る。何も変化の無い冬の庭である。庭に回ると、ボケの蕾が大分膨らんで来て、数日の間に白い花がお目見えするのだろう。

 日に日に青味を増す空の色に誘われて、カメラ好きの人達の心は、花・野鳥・風景に活発に成って行くのだろう。写真を主体とするブログさん達の提供して下さる目の覚める様な花々の色・空の色に、春の息吹きを確りと知る気分である。

 建国記念日の無風にして、青空に白雲であるが、私は昨日の徘徊サイクリングで、少々脚が笑っている始末である。おまけに、朝食後からトクトクと切子グラスに、ウィスキーを注いでしまったのである。何やら、先ほどから、腹の辺りからポッポとして来たと思ったら、目元まで火照って来た。
 困ったロートルである。煙草の買い置きも、最後の一箱である。飲酒歩行は、罪には為らぬ由・・・ 物臭モードに陥らぬ内に、口の友・タバコを買いに行くべしであろう。

 遺憾いかん、吾は点滴のモルヒネ為らぬ酩酊の妄想が、頭を擡げつつある。こんな時は、定位置は居心地が好過ぎる。財布をポケットに、重い腰を上げるしかあるまい。友有れば、後は成り行き任せの物臭モード全開で好かろう。

これこれ、物臭太郎、動き為され。
面倒臭い、俺ぁ禁煙でも、ええわ。
これこれ、それでは、兄貴達を裏切る軽挙妄動である。
待て待て、行くは良いが、その前に苦いコーヒーを飲ませろよ。
安芸・紀州のお殿様に、手痛いお叱りを頂戴して、破門されてしまう。
立つべし、立つべし。

 定位置からの空は、全面青空であったが、外は雲が多い。西のお山は、如何やら吹雪いている模様である。何の事は無い。冬の風である。とぼとぼ歩きをしていると、途中で座りたく為って来る。店に入れば、何かと目移りがしてしまう。肉じゃがにキンピラゴボウ、ホーレン草のお浸しで、菜食主義でもして見ようか等と彼是、買ってしまった。煙草のみの筈が、帰りは重いレジ袋に為ってしまった。

やいやい、こりぁ失敗であった。自転車で来るべきであった。
一休みしたいわな。
変なおじさんが、へたり込んだら物笑いの種である。
家名を穢したと、母上様に門前払いをされてしまったら、事は一大事。
千里の道も、一歩からであった。レジ袋持ち替え、ポッポ鳴る息切れ動悸の帰り道。
遺憾いかん・・・ 昼酒は、廻りが早う御座る。
否、否、本日は皇紀★千★百の大和の国の建国記念日である。国民の一人として、祝い酒に何の咎目があろうぞ・・・ 
嗚呼、吾、間違えたり!! 飲んだのは、お神酒違いのウイスキーで有り申した。
つくづくと、馬鹿は浅間の湯に浸かっても治らない、やっぱ、死ななきゃ治らない。

 さてさて、料理の下拵えをした後は、向かい酒をして、万年床で猛省すべしである。

心何処ーショート 本日、早や三時半
                本日、早や三時半(2/10/09)
 風呂を沸かしながら、午前中のテレビお付き合いをしていると、四畳半の携帯が鳴っている。出ると、Tである。鼻のチューブが、取れたからとの事。それは慶賀であるから、これから顔を出すと言って、電話を切る。斜向かいさんの姿が窓越しに見える。ビデオ・テープを交換して、いざ自転車の人と為る。

 原始的生活にドップリ浸かった生活をしているから、現代医療の館は、とにかくドンヨリ温く、暑いのである。オイと声を掛けると、髭を剃ったディック・ミネが目を開けた。

「何だ、ピンピンしてるじゃないか? この前は、死んでたのに、生き返ったか。」
「馬鹿野郎、あの時は、腹切ったばかりだ。死んでるのは、当たり前じゃねぇか。昔の武士の切腹じゃ無いが、腹切ったら、苦しいわな。バッサリ介錯して遣んなきゃ、可哀想ってもんだ。介錯は、武士の情けの作法だいな。」
「そうだよな、作法に拍手だな。その点滴の袋の中には、ご禁制のモルヒネが、タップリ配合されてるんだろ。この前来た時にぁ、Tは阿片屈を彷徨っていたんだろうが。」
「パパ、パパ~、阿片の蝶々さんが、イッパイ飛んでる~ってか、馬鹿野郎め、俺は傷痍軍人だぞ。腹切った軍人さんを笑わせて、如何するんじゃい。」

 Tも馬鹿野郎である。ベットから身を起して、点滴人間のくせに、身を乗り出して来る。人恋しい病人に、ホイホイ話を繋げて、Tのご機嫌を取る。何を飲むかと聞いて、買いに行くと言う。俺が行くと言うと、ニヤニヤして<散歩散歩>と、おどけて見せる。昼は食事が無いから、閑に任せてウツラウツラの退屈タイム。気が付けば、目覚めた自分が居るとの事である。夜はその分、眠れず・・・ 悶々と六人部屋の気配が、気に為るばかりであると言う。トホホの極みであるが、此処は仕方の無い病人共同生活である。

「如何だ。韓国・フィリピンと国際ボランティアに貢献したんだから、元を取り返せよ。女ども、無駄事こいたら、<俺ぁ、言いたかねぇが、随分と面倒見たぜ。>の伝家の宝刀を抜いて見ろや。」
「おお、そう言えば、韓国のネェちゃんから電話があってさ。何を言うと思えば、<あなた定年ね。会社辞める。お金無いな。ダメな~>と、来たもんだ。フィリピンの方は、<オオ、パパ~可哀想ねぇ~、私ヘルパー、サービスするから、お金送れ>だってさ。こっちゃ、笑いたくたって、切腹して笑えもしねぇや。あいつら、お気楽トンボが・・・」
「そんな事言われたって、韓国・フィリピンと来た日にゃ、俺の圏外だよ。コメントとしちゃ、<自業自得・予想内・折込済み>ってしか言えんだろうが。へへへ。」
「冷たい男だな。病人の無垢な心を、この辺りでグサリと突き刺す言葉だぜ。」
「そうか、そりぁ困ったいな。じぁ、<ざまぁ見遣がれ>って、エールでも送って置くか。」
「しゃー無い、しゃー無い。これも、お遊びの必要経費ってものさ。」

 真面目な世間話に移って、色々話を交わしていると、Tの顔が一気に綻んでいる。病室備え付けの洗面所の鏡に向かって、盛んに手を振っている。勿論、私からは角度の関係で、一切不明の遣り取りである。

「好いだ、好いだ。入って来い。」
私は、Tに向かって小指を立てて、『これか!!』と軽口を叩く。どんな女性に、ご対面か? これも、病床見舞いの役得である。嗚呼、髭剃ってくれば良かったか・・・

「あら、Rさん、お見舞いすいません。」
孫を抱いた奥さんと娘さんの登場である。何も食べれないTの病床見舞いに、悪戯絵のファイルを二冊持って来ていたので、<飛んで火に入るTファミリー>である。強引にファイルを捲らせる。

「Rのおじさんは、凄い。芸術家ね。」
「馬鹿、こんなRの真似したら、変態菌がT家に蔓延しちゃうぞ。こいつと付き合うには、俺くらい年季が要るんだ。免疫の無い可愛い孫を、近付けるんじゃ無い。バァ、ジジだよ~ よく来たねぇ~ ジジだよ~」
「アジャまぁ、俺ぁ気が小さいから、何も言えんわ。T、バトンタッチで帰るわ。」
「おう、アリガトな。」

 さて、帰りは上り勾配である。ジャンパーを着ずに、自家発電で行くべしである。
成るほど、作戦的中である。冬に禁物の発汗作用は、マダマダである。ギヤを落として、ロースピードで漕ぐが肝要である。おお、此処まで来たか。後は胸突き八丁のS大勾配を残すのみである。徒歩橋に差し掛かると、下校の女子中学生の一団が前を行く。

      立ち止まった制服にリュック鞄の女子中学生、一列に並んで
<セーノ、寒い日は、一列縦隊。並んで並んで、腕差し伸べて、踊ろう、楽しいジェンカ。トントン。>
幅の狭い徒歩橋である。仲良し中学生に、ロートル・オヤジもニンマリである。先頭の女子中学生と眼が合ってしまったから、
<皆で踊ろう、楽しいジェンカ。トントン・・・バカヤロ。>

 即興で、返して遣った処が、未熟アマゾネスは、キァ~キァ~と笑い転げて御座る。
 
 如何やら、娘御らには、『変なおじさん現る』の珍現象であったらしい。笑い堪えて、私ぁ最後のペダルを漕ぐ。汗がクワァとばかりに湧いて来る。斯く為る上は、帰って着替え序に、風呂に入るべしである。仕事を持たぬロートル・賄い夫ではあるが、用事をこなせば、早や三時半。本日も大方の日中が、終わろうとしている。これ、目出度しと云うべきか。

こころ何処ーショート 小さな絵
小さな絵

              小さな絵

    日は伸びても 山国の野は 冬枯れの顔達
      花便り 目にして 一枚絵を描く
  白いメモ用紙 山・空を描けども 緑・花は無きなり
    山火事の傷痕は 10年超せども埋まらず

      ブログ便りに 余白埋めて見る
   手元狂った枯れ木に 赤・黄・橙・ピンク塗って見た
        まだまだ足りぬ ・・・ 春の色
        為らば 添えて見ましょう 春の花々

          咲いた咲いた 春の花達
     ご時世 娑婆は ミゾーユのフキョー 職切りの嵐
         沈み滅する生身の その心

          でもでも 明けぬ夜は無し
      せめて 心のメモ用紙には 春を描いて見ようよ
     小さなペラペラ用紙にも 春は創造出来るもの

     春見れば 心にポッと 何かが点る 小さな春風舞う 

                            2009/2/10 アガタ・リョウ

心何処ーショート テープが、誘う和みのひと時
             テープが、誘う和みのひと時(2/9/09)
 ラジオは、国会中継である。これでは、耳の友には為らないので、何処となく洋々に似ている長山洋子のテープを聴いて、暫し思い出に浸る事にする。或る時、声帯の権威が声紋なる事を披露されていた。顔付きの似た人は、声も似ているとの事であった。鼻・口・喉で声は決定付けられるそうである。生産管理に身を置いていた時期があったから、物事を要素分析する習性があったから、然もありなむの思いで、すんなり腑に落ちた次第である。

 彼女は、商売が上手く進んで、ある時期サイパンでカラオケとマッサージ店の共同経営者にまで行った事がある。仕事の忙しい彼女は店を空けられず、私はホテルと彼女の店で一日の大半を過ごしていた事がある。カラオケルームで、二人きりで彼女の歌う歌を聞いていた事がある。鈴を転がす様な軽やかな声で、音感に優れた彼女の歌は、プロ顔負けの上手さであった。勿論、中国語である。イエライシャン、イエライシャンの声が、今でも耳に残っている。

 歌の上手かった女性には、ウクライナのライオン・生意気娘も群を抜いていた。彼女は日本語が上手であったし、日本の歌が好きだと言う程であったから、<百万本のバラの花>は、良く聞かされていたものである。歌の好きな人は、実に好い表情で歌うものである。聞いている方からすれば、彼女達の達者な歌と美形の表情を鑑賞出来るのであるから、両手に花の想いである。聞くなら車の中である。
 
 或る時、高島令子似の韓国嬢が、私の音痴を特訓して遣ると、カラオケに連行されて特訓を受けた事があった。彼女に言わせると、歌は練習あるのみとの事であった。韓国人の性格の一つに、ざっくばらんの干渉癖・お節介の特性がある。そう意気込んだ彼女も、女房同様に匙を投げるまでには、そう時間は掛らなかったのであるが・・・ 私に言わせれば、ざまぁ見やがれ、俺は『伊達や酔狂』で有難い音楽1を拝領している訳じゃ無いのである。これには、思い出して見たくない、悔し涙の過去があるのである。

 私の頃合いの相手と云えば、モスクワのバルディナさんとウラジオストクのシングル・ママさんの鼻歌が好かった。彼女達は歌を得意としないから、その時の気分次第で口ずさむハミング的鼻歌である。情景の中に、鼻歌が顔を覗かせて、雰囲気を助長させてくれるのである。

 シングル・ママさんは、人使いが荒かったから、私は彼女の娘を肩車させられ、近くの公園なんかに連れて行かれたものである。一家のお供で海水浴に連れて行かれると、体育会系の彼女と私は交互に、海に入ってそれぞれ泳いで来る。幼児にせがまれれば、私は娘を背中にカメ泳ぎまで仰せ付かるのである。一服を吸えば、彼女は同じ煙草を吸って、女優さんの様な顔で鼻歌を口ずさんでいる。

 私は根っからの馬鹿であるから、美形のお誘いがあるとノコノコ一人で飛行機に乗って、異国の土を踏んでしまうのである。他人は、よくそんな言葉の通じない国に一人で行けるなと、不思議な顔をするのであるが・・・ 私は、そんな心配事よりも、目先の異国美形に心酔して、夢遊病者の様に行動してしまうだけである。何しろ、頭の構造が粗雑に出来ているのであるから、相手を信用するしか手立ては無いのである。

 ゲーリー・クーパー、ボブ・ホープが活躍した古の西部劇に登場するインディアンの酋長の様に、片手を挙げて、<インディアン、嘘言わない。お前も嘘言わないなら、信ずるなら、友達に為る>・・・それしか、私は自己表現出来ないのであるから、第一級の馬鹿なのである。第一級の馬鹿だから、お人好しが私を見兼ねて遊んでくれるのであろう。化粧の無い、普段着の美形達は、何時もの事ながら、和やかさで包んでくれるものである。

 現在、女気ゼロの籠り・耐乏生活の日々であるが、彼女達の写真と目を合わせれば、その柔らかな瞳に、あの日、あの時の表情・会話が浮かび上がる。何を好んで、男と女の醜い遭遇を求めて、寒空を徘徊する必要があろうかである。金融立国なんて言葉も、蠢いているらしいが、ロートルの強みには、思い出立国のワンダー王国もあるのである。

 現役諸君、仕事の合間にせっせと和みの種蒔きをして歩くのも、老後の礎石でありますぞよ。真面目に馬鹿を実践為されませ。馬鹿に微笑むビーナスも、希少な数でいらっしゃるのである。

 さてさて、日課の散歩がてらに、米の買い出しに行って参りまする。

心何処ーショート 元凶は、元から断つべし
             元凶は、元から断つべし(2/8/09)
 目覚めると、布団の中から常緑樹・柊のギザギザの葉っぱに、日が眩しい。本日も春日の一日が始まっている。この時季の習慣で、クシャミを数回連発して、枕もとのティッシュで鼻をかみ、目を擦る。玄関からは、子育て放棄の反省?ショック?も忘れたのか、オス達の囀りと、オスメスの普段通りの動きが聞こえている。

 本日、日曜日であるから、気持は休日モードである。布団の中で、母の動きを待つ気分である。枕元に手を伸ばして煙草をまさぐり、黒ずんだ天井板に白煙を吹かす。
 
 考えて見れば、好天続きの雪の無い今シーズンである。これでは山の貯水量が、危ぶまれる冬の風景である。毎日の散歩時での見慣れた川面は、冬の小さな流れであるが・・・ これが夏季であったなら、とっくに水枯れの無様な姿態を晒しているのだろう。
冬であるから、水分の蒸発量が抑えられて、川が流れている。・・・・だけである。

 成る程、地球温暖化・2025年の水の枯渇・飢饉のテロップが浮かんで来てしまう。

 地球温暖化は、冬に備蓄しなければ為らない筈の雪・氷の形での水の貯水量に、一大変事をもたらしている。温暖化は、水の蒸発に拍車を駆け、気温の上昇は、大気中の水分飽和量を拡大する。増大した水蒸気量は、気温が下がるかor飽和点で、雨に為る。増大した天の貯蔵量が、一気に降り注げば、集中豪雨の形で海・陸地を見舞う・・・・。

 寝床で、想像・連想を働かせて見る。干ばつと局地的集中豪雨の様は、大袈裟な映像投射をすれば、旧約聖書のノアの方舟の沙汰である。煙草を次いで、脳裏の連想を辿れば、映画では、『天地創造』などと云う大スペクタル映画があった。

 無神論者の私には、厳格なジョージ・C・スコット、妖艶なエバ・ガードナーの印象などが残っているだけの酷く退屈な映画であった。天地創造は、ご存知の旧約聖書の映画化である。ある時期ハリウッドが好んで描いた宗教ベースの大規模映画である。旧約聖書の宗教的要素には、避けて通れない人間の欲望と規範(神との契約)の対照構図がある。強欲な人間の営みの象徴としての<ソドムとゴモラ>のエピソードも挿入されていた。
 汚れて際限無く増殖する人間の欲望は、天変地異の火山噴火・大地震・大津波・大洪水に依って、壊滅の事態を経験しなければ『天地の創造』は、叶わないものらしい。生命にとっては、とんだ消滅の大惨事ではあるが、無い頭で常識的に考えれば、効率の良い解決策・特効薬かも知れぬ。例え話、想像で考えると旧約聖書の世界は、良く出来た常識的物語である。

 タバコの立ち上る儚き白煙に、内省の気分で日常に目を向ければ、現実問題として100年に一度の経済危機のキャチ・フレーズが、マスコミの今次の不況の枕詞に定着している。日本の政治を司る国会機能は、衆・参の捩じれ国会で進展無しの惨状を曝け出し、膠着が無為変遷で、議員先生達の言葉回りだけで・・・空転している。
 ロートルの下衆の高み席から観覧させて頂いていると、今や政治の現場には、高齢者・派遣切り・零細の企業倒産・・・etc  寒々とした出口の見えない冬の季節なのに、ペンペン草が生い茂るばかりの様相と映ってしまうものである。

 本籍・ヤオヨロズの神国・大和にして、現住所・浄土真宗にして、無神論者を実行する我が身である。こんな如何しようもない、邪なる妄想念仏を唱えながら、毎夜入床する下衆男と云えども、我が祖国・・・ペンペン草生い茂る政界荒野は、見るに忍びない。

   一刻も早い解散総選挙の天地創造が、必要と考えてしまうのである。

救いは、昨夜に続く『警官の血』を見る事である。これまた、困った事である。

心何処ーショート ちゃりんこサイクリング
         のたりノタリのちゃりんこサイクリング(2/7/09)
 はぁ~、我ながら、よくぞ漕いだりオンボロ3段ギアちゃりんこである。お城近くにあった病院は、国道沿いに新装移転である。

 受付で、Tの病室を聞いてエレベーターに乗る。点滴中のTは、ベットの中で動かない。椅子に座って、彼を眺めて居るしか無い。昨日の手術であるから、Tは、痛み止め・鎮静剤の中に居るのであろう。時折腕、体を動かすだけである。一度、人の気配を察したらしく、薄眼を開けて私を確認して、頷きの唸りを小さく呟いただけである。

 短く刈り込んだ頭髪には、白髪の斑点が、又大きく為っている。我々の年代は、髭の半分に白い物が交る。従って、毎日髭を当たるか、髭を伸ばすかである。無精髭のゴマ塩は、つくづくと自分達の老いを実感させられてしまう<願い下げの鏡>である。
 普段は、お互い『だらしが無い、髭を剃れ』で、片づいてしまう男の仲であるが、返事の返って来ないTを見ていると、途端にシンミリしてしまうものである。気付かれずに、抜き足差し足で病室を後にした次第である。

 土曜日、バブルの塔崩壊なのであろうが、街は拍子抜けする程、静かである。DVDを覗いて行くが、大した物には巡り合えなかった。此処まで来た序に、床屋に寄って行く。

 穏やかに晴れ渡った盆地は、清々しいばかりの広がりを見せている。会社まで足を伸ばすと、逃げて行方不明と為っていた番犬タローが居る。タローの奴は、私が会社を辞めてしまってからは、すっかり捨てられたと思い込んで、しょ気ている。そして、私の視線を逸らせて無視をする事で、拗ねている。可哀想だとは思うが、住む世界が違う以上、仕方があるまい。私は情が濃過ぎる性質であるから、距離を保ち続ける事しか出来ないのである。それにしても、タローは高齢である。張りの無く為ったタローの体重の感じられない体、力無い目の色に、私は頭をボリボリ掻くだけである。

 捨てた訳じゃないぞ。元気を出せよ。デカイ声じゃ言えないが、俺も頑張っているんだぜ。拗ねたら、俺達ジジイは、様には為らんぞ。又、来るからな。

 さてさて、思えば遠くに来たもんだ。ボチボチ帰りの上り勾配に、ペダルを漕ぎ始めるとしようぞ。息次がてらに店を覗き、東、西のお山を眺めつつ、裏道、脇道に自転車を走らせる。
 
 偶には、たこ焼きでも食おうかと寄り道をして、ベンチに腰掛けて、アッチャチャ、舌で転がして、ホニャホニャ、アッチッチ、ゴクリ。ベロが火傷するが、熱々は美味い物である。そう言えば、ウィスキーを買って帰ろう。頃合いの時間である。
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