旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 閉じる2008年
                 閉じる2008年(12/31)
 静かな夜である。簡単な正月料理の下拵えをして、部屋でスモーキング・タイムである。パソコンを新台に替えて、三日目である。寒天の霹靂であろうか・・・ アクセス数が100の大台に乗ろうとしている。ブログを始めて、一年数か月。殆ど毎日更新だけが取り柄の、写真も絵も無い、タダタダ長いばかりの字面オンリーのロートル・賄い夫日記である。華やかなブログ世界の中で、時代遅れの駄文綴りの日々マンネリの日記である。
 
 平凡日常を如何に言の葉で糊塗するか・・・ブログ開始当初は、結構なアクセス数を夢想していたのであるが、何の事は無い。見向きもされず開店閉業の有り様を<行進>していた。有り余る時間は、偏重の温床でもある。人間、コアタイムを持つべしと考えた。その原動力には、圧倒的少数の善意の訪問者の方々の時々下さるコメントに励まされて、更新を続ける事が出来た。

                  感謝以外の言葉も無い。

 時は2008/12/30。100の大台突破・2009正月を祝って、長文A-4・25ページに亘る我が初恋物語を、恥を忍んで一挙掲載する事に致します。お時間に融通の利く方々は、昭和30~40年代にタイム・スリップされるも好かろう。尚且つ・・・の方々は、ブログ・カテゴリー内の短編物にもお目をお通し下されば、硬軟混在の中に爆笑・冷笑・蔑笑・納得・共感・尊敬? のアガタ・リョウ・ワールドが広がるかも知れません。

但し、期待は落胆の始まり・・・ 選択は、総べからず自己責任でありまする。

 新年は、大変な年に為りそうです。開き直りの笑いの中に、過ごす不況下で有りまする。不況下に在っては、歳の巧より亀の甲でありましょう。生活を見直して、折角のエコ・ライフに貢献しましょうよ。アースへの労りが、罪深き人間の明日に微笑むかも知れません。

 ロートル・新米賄い夫が、一日の張りを失わず、且つ自閉症にも陥る事無く2008年を無事送る事が出来たのは、皆様のお陰で有ります。有難う御座いました。2009年も身の丈で、日々更新して行きますので、ご訪問下さい。皆様、良いお年を。
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心何処ーショート 私案・ムジナ会
                 私案・ムジナ会(12/30)
 旧パソコンのメモリーから、未コピーの文作のコピーが成功したと言う。サービスのJちゃんが夜、再訪してくれた。昨昨夜は、本体をばらして、その場で色々試してくれたのであるが、作動せず持ち帰って別の機械で再チャレンジ。内実を聞けば、ギブアップはJちゃんのプロのプライドに賭けて、絶対に出来ない処であったらしい。感謝の段である。

 Whywhywhyの末に、やっと開いたとの事である。早速、新台に繋いでキーボードをパチパチ作動させて、マイ・ドキュメントに入れてくれた。

 門外漢の私には、彼の手は正しく<神の手>であった。プロが足掻きに足掻いたコンピューターの領域は、素人が入り込める代物ではない。旧パソコンの引き取りは100円なのであるが、次の仕事は11時からとの事で、時間があるから復旧しましょうと言ってくれる。

 飾らず気さくな彼のサービスに、私はコーヒーを入れ、クッキーを提供する。気持の潤滑材は、好き者同士のニョショウ思い出講座である。

 彼は、私のブログを読んでゲラゲラと大笑いをしている。彼の座る壁には、美形のシングル・ママさんが、バストとヒップを突き出して、モデル張りのポーズで彼を見ている。後ろの書架を振り返れば、ロシア美形・中国美形が微笑んでいらっしゃる。硬い書物に目を瞑れば、ついニヤニヤ、馬鹿オヤジのコンパクト空間との事である。
 
 彼も私も乗せ上手の口であるから、普段静かな四畳半は、プロレスラーの様な『番から男』二人に占拠されて、時ならぬ談論風発状態である。読書スピードも、申し分の無い男にして、反応も速い。身長180cm・体重90kg、落ち着いた感じの口調にして、女心をそそるタイプの顔付きである。海外アバンチュールに適した男である。合格点である。

 ワープロで打った旅行記の控えがあった事を思い出し、隣部屋から持って来て、彼にプレゼントした。

 彼のアドバイスだと、隣の机の水槽を部屋から移して、そこへ旧パソコンをセッティングするのが、ベターだと言う。OKなら、直ぐセッティングをするとの事であった。然しながら、独り空間を好む私であっても、水槽住人達との語らいが、途絶してしまっては、心寂しき限りである。
 
 私の親しき友人M氏は、彼の高校の先輩に当たる。私とTは、高校の同窓である。普通高と工業高の違いは有っても、みな同程度のおつむの造りである。私と気が合うのであるから、二人とも十分ウマが合う筈である。

<合言葉は、黙っていればインテリ、一皮剥けば単なる好き者。>『ムジナ会』でも旗揚げしようかと言うと、大賛成との事である。

心何処ーショート 本物の芸人
                 本物の芸人(12/27)
 寒い、パソコンは壊れてしまった事であるし、起きたからと言って、別段、動き回る必要も無かろう。六月の修理の際に、今度故障したら、寿命と言われていた。休みに成ったらM氏が、ウィルスが入ったら、全部消去して、初めから立ち上げる方法を実地指導してくれると言う。インターネットが出来ない内に、整理をしようと思い、コピーを試みるが、作動しない。マイドキュメントには、A-4にして、150ページ前後の未コピー文作が入っている。それが、とうとうコピー機能までいかれてしまった。

 頭の痛い大ピンチであるが、今や、ロートル賄い夫の1日の主要な割合を、占めているパソコン様である。
 
 布団から、頭だけを出している蓑虫(みのむし)状態であるが、パソコンが無ければ、こんな寒い日は、完全に蓑虫ロートルに成り下がってしまうのは、必定である。人間、生きている以上は、何かをしていなければ、日常をこなす事は不可能なのである。蓑虫状態を続けていれば、妄想に走るのが関の山である。そんな妄想を四六時中、考え、加工しようものなら、早晩、お上のお縄を頂戴してしまうのも、致し方無い処である。

『家名を汚す行いは、私が死んでからにしてくれ』と、日頃言われている身としては、下衆の貧民にしても、此処は万難を排して、新品購入を敢行すべしである。

 朝食後、開店時間を見て行動を起こす。普段は自転車で行動しているから、偶の車は不便に感じてしまう。年の瀬の土曜日、市内は至って車が多い。途中で、面倒とばかりに、帰りたく為ってしまう。
 
 広い店内を別封筒の予算額と比較しながら、回っていると、マークされてしまった。当方希望用途は、これこれ。予算額は此処までと伝えると、幾つか見繕って呉れた。話が具体的に為って来ると、手間の蓄積である処の未コピー分が、如何しても未練である。質問すると、故障パソコンから、メモリーを上手く取り出す事が出来れば、未コピー分が復活するらしい。
為らば良しと、手続きと支払いを済ます。

 嗚呼、呆気無く大枚が、空を飛んで行く。これで、当分お遊びに回る金子は、無くなってしまった。蓑虫妄想への拒絶・母の意向を叶えるのも、大変である。トホホの心境では有るが、明日の夜から、新品が稼動する運びである。

 する事が無いから、母の部屋で黒カリントウを頬張りながら、テレビを見ていると、斜向かいさんの訪問で、我が書斎ビデオコーナーへのご来場である。四畳半にお通しし、気に入った物をお貸しする。ロマン・ポルノ系は無いかとのご要望であるが、生憎、マイ・コレクションには無い分野である。話を交わしていると、ご主人も今時のテレビ番組には興味薄との事である。私の洋画コレクションは、若い頃観て気に入った映画をビデオ、DVDで買い集めたものであるから、分類としては、クラシック・ムービーの範疇である。ロートル世代の映画鑑賞といえば、三本立てが、通常であった。ご主人は、私より9歳年上であるから、我々団塊の世代以上に、<娯楽の王様は映画>の世代である。従って、一回分として、三本・四本を書架から選んでお持ちに為るのである。

 先日、洋画嫌いの母と竜巻の映画を見た。私の洋画好きは好く知っているのだが、『面白いか?』と、お聞きに為る。『昔の洋画は面白かったが、今のハリウッド映画は、観たいとは思わない。』
と答える。

 何故なら、今時のハリウッド映画は、アクション・アクション、バンバン、ボカーン、ボカーンの連続にして慌ただしいだけで、心に残るものが無い。
「日本人は、叙情の国民だから、浪花節・人情が入っていないと満足出来ないんだよ。バカスカバカスカ、ど派手に火を噴いて、車が宙を舞って転げ回って、荒い単発の台詞をがなり合うだけ。視覚・聴覚に訴えるだけの<派手派手・ゴテゴテ映画>の何が面白いんだい? 馬鹿コイチャ、イケネェーヤ。日本人は、それほど単純馬鹿じゃないわさ。
 
 俺は、女流作家の女ドラマは好かないけど、下手な主演女優だったけど、近年に無く<篤姫>が、伊達に高視聴率を取った訳じゃない。日本人の情感を刺激したから、拍手と同感・共感の涙で受け入れられたんですわな。
 92歳と60歳の母子が、何度気持ちの好い涙を溢したと思うや、年端の行かぬ娘っ子の大根演技に、捻くれ者のロートルが何で涙を零すんじゃい。涙の数は、目を瞑っても余りある、登場人物・役者の其々の、その場の心情を慮って、流した<日本人の涙の共有>だった筈だよ。それが、高視聴率を挙げた最大の要因だよ。あどけない可愛いだけじゃ、涙の共感は得られないと思うよ。あどけなさが、日本人の潜在的に共有する叙情に作用したんだわさ。
 
 これは、昔のハリウッド映画にもあった映画の大事な要素だよ。当時のハリウッド映画には、叙情と叙事が、上手く配置されていた。邦画は予算の関係で、大掛かりな叙事を描く事が出来なかったから、叙情に偏重し過ぎていたんだわさ。そんな事で、俺は洋画ばかり観ていたんだけどね。
 
 その叙事と叙情のバランスが、何処で如何間違えたか、派手派手アクションのガラクタ映画に成り下がって、行き着いた先が、金儲け主義のパフォーマンスだよ。映画だって、世に連れ、世を連れの相関関係だから、<映画は、唄同様に世を映す鏡>だわさ。手鏡のセオリー通りに、アメ公は終いには、でっち上げのイラク戦争の大花火打ち上げて、アフガン・イラクの泥沼でしょうに、度を越したマネーゲームは、とうとう騙しのテクニックの果てに、バブル崩壊と来たもんだ。アホらしくて、付き合っちゃいられねぇよ。俺は、出自の正しい日本人だわさ。」

夕食後も遣る事が無いから、母の引き止め工作に嵌まってしまった。チャンネルの向こうには、
『ジュリー祭り』が放映されていた。人間味溢れるステージに、還暦・沢田研二の人間像を観た。
          「アリガトウ。有難う御座います。ありがとね。」
メタボ男がステージを走る、変わらぬ声で歌う、噴き出す汗に潤む眼。人間・沢田研二の凄さに、感激の目頭の熱くなる思いが、込み上げて来る。スターとファンが一体と為って進むステージであった。

 良き器には、良き年輪が刻まれる典型であった。人間の顔・風格は、斯く在りたいと思った次第である。歌謡界のスーパースターの一人には違いないが、これこそが芸人の本態と思われた。私も観客の一員になった積りで、大きく手を叩いて、拍手を送らせて貰った次第である。
       『アリガトウ。有難う御座います。ありがとね。沢田研二殿。』

心何処ーショート 円高・ウォン安
                円高・ウォン安(12/29)
 穏やか過ぎる日である。地球温暖化は、私の年輪中/60の割合なので、年の瀬の風景としては、如何しても、しっくり来ない処である。寒がりにして、耐寒性に劣っている身には、暖冬は実に有難いのであるが、培われた我が季節細胞の感覚からすると肩透かしを食らっている様なものである。室温より外気温の方が、心地良いのであるから、好天続きの後の寒波報復は、特に身に凍みる辛さなのである。つい先日は、川の水が凍っていたのである。
 
 スーパーの店内は、年末年始商品が、ずらりと勢揃いしている。買出しの帰りは、はぁはぁ息切れ状態のペダル漕ぎである。買い物を冷蔵庫に入れていると、買い忘れ物が幾つかある。所詮、男の買い物である。〈明日があるさ 〉である。

    斜向かいさんの洗濯物が、太陽に長閑に反射している次第である。

 台所仕事をする気にも為らないから、明日から始める事にする。物臭者には、好天過ぎて、全然気が急かないのである。苦しい言い訳をすれば、恒例行動を促す体内センサーが、バイメタルの原理に似て、作動しないのであろう。部屋に入る気にも為れず、洗濯機を回し、体の向くままバケツを携えて、川の水を汲みに行く。
     
 部屋でラジオを聞きながら、梅酒の心地好い気分で水槽を眺めていると、常温水槽の金魚達は、底で静かにしている。水中のバクテリア達も冬眠状態なのであろう。澄んだ透明度を維持している。グッピイ達は、役目を終えて一匹が沈み、パクリ消滅期を脱した小魚が、成魚に交じって泳いでいる。

 テレビでは対ウォン40%高で、ちょっとした韓国ツアーが、人気との事である。韓国ファンにとっては、応えられない朗報であろう。ブログでは反日感情の強い国民性との事であるが、ギャフン真っ逆さまの不景気風の中、観光相手の商売人には財布も潤う事であろう。日本人観光客も、余り羽目を外してしまうと、反日・嫌日感情に拍車を駆けてしまうしまうやも知れぬ。
 
 私には、これと同様の恩恵に浴した経験がある。アジア通貨危機の折りに、タイ・マレーシアの旅行に行った事がある。意識して行った訳では無い。タイミングが丁度合って、円高の御利益に与った。
ホテルは、かの有名なツイン・ビル近くの最高級ホテルで、宿泊中にファション・ショーが開催されていたから、市内観光のバスには乗らずに、階上から食い入る様にモデルさんを鑑賞させて頂いたものである。私の様な貧民が、そんな高貴・華やかな場面に遭遇するのは、一生に一度位なものである。それが只なのであるから、千載一遇の機会である。冷静な選択肢としては、体調不良も方便。ホテル居残り行動の方が、GOO~であろう。黒かろうが白かろうが、美形の区別は無いのである。
 
 それに、未だ続きがあった。王宮見学の時には、王様の新賀の儀式があったし、王宮前では、アラブの王侯貴族令嬢or令夫人or女優・モデルを、彷彿とさせる気品溢れる、絶世の美形がおわした。皆、そのバリア掛った美しさに、目は点にして口ポカンの態であった。下種の隠し撮りをする行儀の悪さは、大和魂を穢す振る舞いである。アラブのビーナスも、同伴の男も、気付いて居られる。お天道様の教えに背く故を以って、此処は一身を投げ打って、日本人の名誉の復旧が、私の現務であろう。

 私は眉間に皺を寄せて、、忘却の彼方に没した英語を組み立てて、
「あなたの美しさは、世界で五指に相当します。私達は、日本の田舎者です。ご無礼の段は、お許しを・・・ 然しながら、仲間の思いを伝えますと、女性の美貌は、全世界の男どもの憬れ、美貌はアラーの神が与えし神秘。神秘の美貌は、全男達の共有の財産にして、男どもは、美の僕であります。私の仲間が、タイの思い出に、是非ともあなたと一緒の写真を撮りたいと申して居ります。如何で有りましょうか? ご返答や、如何に?」

 この申し出をゼスチャー優先のブロークン英語で、懇願するとアラーの神は、日本の仏教徒に微笑んだのであった。私は外国美形には、羞恥心を払拭出来る性質であるらしい。自分の中に眠っていた隠れたる才能に気付くのが、遅過ぎたのである。今と為っては逆立ちしても、引き返す事の出来ない『我が硬派一辺倒の青春時代』であった。つくづくと才能に暗愚な者は、あたら青春の輝きを浪費してしまったものである。後の後悔、先に立たずの反省の日々である。

 前途ある少年・青年・壮年諸侯各位に於かれましては、
                             一度の人生でありまする。

 自分の隠れたる才能を発掘するのも、この世に目出度く生を受けた人間の努めでありまする。『気品と節度を持ったアタック』は、例え異教徒の民原と云えども、誠意は通じる物でありまする。日本人同士なら、到底口には出せぬ母国語に内在する羞恥・破廉恥の言の葉の放出であっても、外国語使用の折には、不思議と羞恥・破廉恥の常識、良心の呵責とは、縁遠いのでありまする。旅の恥は掻き捨て。一期一会の冒険も、成功すれば、晴れて老後の愉しみの一つに為るものでありまする。真に受けるも、受けぬも相手次第。
 如かれども、〈身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ〉で、敢えて一歩踏み出さねば、『思い出の小道』は出来ませぬ。

 円高・ウォン安が、何処で如何間違ってしまったか・・・
 相も変わらず、支離滅裂のロートル賄い夫日記に、終わりまして御座る。

心何処ーショート 新台稼働
                     新台稼働(12/28)
 愛着パソコンではあったが、今度おかしくなったら、アウトの宣告を受けていた。とうとう老体パソコンの寿命が尽きた様で、本日から新台にバトンタッチである。その間、ノートパソコンで打ったのであるが、新型種には、フロッピィディスクの読み取り機能が退化している。因って旧パソコンからコピーが取れた暁には、後日、寄稿の運びと為りまする。
 パソコン不調で、ポッカリ空いてしまったコア・タイム。する事も無かったので、終日、母の部屋でテレビばかり見ていた。部屋に帰ると言うと、何だかんだとロートル倅を引き留めるのである。過ごせば、日々老衰の進む母は、可愛い存在である。考えて見れば、乳飲み子、ヨチヨチ歩きの私を、着き切りで保育してくれたのである。嫌な顔をしたら、罰が当たると云うものである。

 本日は新台のセッティングに店の人が16時に来る手筈であった。昨日は文作を終えて、必須の番号一式を入れた書類を必死で探したが見付からず、本日は朝から年末掃除を兼ねて、大掃除に徹していた次第である。結果としては、記憶半分にして灯台下暗しの態であった。遣り掛けた風呂敷を畳むのも、容易な事では無い。冬の大汗掻きに一風呂浴びて、如何やらギリギリセーフの段であった。

 セッティングに来てくれた彼氏が、頗る好人物であった。彼も男子校出身者との事であった。黙って居るとインテリ風であるが、誘導尋問を試みると、食い付きが良い。硬軟のバランスの行き届いた男である。当年39歳との事である。体格良し、風貌良しの口なのであるが、お互い男子校出身者には、男臭さがプンプン匂ってしまうらしい。受け手の回転が頗る滑らかなので、〈一見インテリ、中身はドスケベ〉の相槌に、久し振りに男漫才を繰り広げてしまった。
 私の訳の分らない絵を見て、感心している。如何やら、私達は同じ穴のムジナらしい。本日の仕事は、私の所が最後との事であるので、私にとっては、〈飛んで火に入る夏の虫〉である。些か中性化してしまった昨今ではあるが、カラーにしてワイド、ワイルドの男性ホルモン快活・・・本当に良い頭の体操が出来た。礼儀正しい親切な好漢であった。

    〈意馬心猿〉の尊称を添えて、『何時でも門戸開放』を告げて別れる。

 仕事中、斜向かいさんが、我がビデオコーナーにご来店である。ご主人は、正月のお手製飾りを下さる。パソコン開通に続いて、我がロートル亭も暫し賑わいを見せた一日であった。

心何処ーショート とある釣り風景
                とある釣り風景(12/24)
★本日は用事があるから、多分パソコンに向かうのは、無理であろう。この時季の私の通例だと、何回か諏訪湖に繰り出している処であるが、それも儘為らぬ。依って、過去の文作であるが、ワカサギ釣りの記事と致しまする。

 先週の日曜日、気合を入れて諏訪湖のワカサギ釣りを、予定していたのであるが、疲労が祟ってパスをしてしまった。渡し場着は、7:20である。前回より2時間も早い。料金を払っていると、若い男女のグループ客が、ドヤドヤと入って来た。船長は、実に、にこやかである。
 大入り繁盛の口である。定員12名の渡し舟は、凪の湖面を滑る様に進む。雲一つ無い快晴の如月の第一日曜日である。日陰の岸辺には、氷上で穴釣りをしているエリアが幾つかあった。同乗のグループは、見るからに重装備の出で立ちである。中には、毛布に包まっての男女もいる。薄氷の張った湖面を進む漁師舟は、結構大きな砕氷音を響かせている。ドームに入って、びっくりした。ドームは、二棟とも満席状態である。空き席に着くより、仕方が無い。新調の釣具に、仕掛けを結ぶ。釣り客は、家族連れが多い。20年前の自分の姿が、思い浮かぶ。仕掛けを下ろす。
     
       早や、細く小さな穂先に、ピクピクと、魚信が現れる。
               まぁまぁの釣れ具合である。

 本日は、同僚のMさんから1月に貰った、晩酌肴のキープの約束が有る。心して釣果を挙げずば、為るまい。一歳年長のMさんは、マンネリ気味の私には良いカンフル剤の作用を齎している。彼の日頃の恩顧に応えねば、人非人の謗りは免れまい・・・

 釣果よりも観光が、優先する湖上ドーム船である。年配者の家族連れは、酒気を帯びて賑やかである。会話から察すると、諏訪湖でのワカサギ釣りは、彼等にとっては、家族同士の冬恒例レジァーの一つであるらしい。60人程度の収容量を持ったドームには、座布団、毛布、手料理を持ち込んでの交遊会が、幾つかある。客の釣具は、市販の物・工夫を凝らした手作りの物・釣り舟貸し出しの物、中々のバラエティに富んだ持ち物である。『釣りは、釣れる者の周辺に寄る』のが、セオリーである。私の斜め後ろのご老人が、大釣りの恩恵に浴しているらしい。単独行のご老人は釣れる度に、大きな独り言を発しなさるから、周囲の視線が集まる。友人家族で大挙繰り出したグループの若い娘さんが、ご老人の隣の席に陣取って、ハイペースで釣果を稼ぎ始めている。

 私はと言えば、安物のリールの具合が悪く、ペースに乗れずに舌打ちの最中である。私の隣に居た同グループの若者も、妹の手招きで場所を替えて、順調なペースを掴んでいる。私の釣具は、巻き上げた時の導糸の緩みが、リールの芯に絡み付いてしまう。大きなロスタイムである。たかがワカサギ釣りのリールと、安物を買った付けが、こんな処に出様とは年甲斐も無く、歯軋(はぎし)りする。然し、後の祭りである。こんな時は、気を鎮めて酒をチビリチビリ煽りながら、気長に縺(もつ)れを解くしか無いのである。地団太踏んだ処で、誰も助けてはくれぬ・・・ 解かない事には、釣りは始まらないのである。

 2~3匹掛かりなのが、気に食わないが・・・ このペースで行けば、朝の2時間の貯金があるから、前回の倍は行くであろう。焦りは禁物である。それにしても、目の保養と成る美形がいる。細面の彫りの深い顔立ちである。早朝釣りであるから、化粧の時間が取れなかったのであろう。彼女は、冬の重装備に身を包み込んで、長い黒髪を無造作に束ねている。斜向かいの位置であるから、視線が如何しても合い勝ちに成る(?)。美形の特性の一つに、彼女達は男の視線に快感を覚える習性がある様である。男にしても、自分の視線を、寛容に受け入れてくれる美形は、実に有難い存在であるから、失礼に当らぬ範囲で、男の目の保養をさせて頂く。これも、愉しみの一つであろう。リール巻きを諦めて、手繰り揚げにしてからは、ロスタイムが無くなった。

 私の前の席に、同じ船で来た男女が座った。東京からのグループの一員であると云う。皆ワカサギ釣りは、初体験であると言う。私達の後列西の一角に陣取った5~6人は、確実に釣果を挙げている。袖擦り合わせるも、他生の縁と云われるものであるから、観光県長野で生活している以上、多少のアドバイスをせずば為るまい。

「錘は錨と考えて、先ず底に着地させる。糸が張っている状態は着地前だから、その侭下ろして行く。糸が弛んだら着地、底に着いたから、少し上げる。そうそう、今度は竿先を固定して、膝の上で良いよ。そうしたら、今度は竿先の糸の動きを見守る。ほらほら、糸が下に動いているだろ。それがワカサギの魚信(あたり)って奴さ。糸がグッと下に動いた時が、合わせのタイミング。さぁ、用意して、まだまだ・・・、よし、上げろ!!」
「あっ、分かる。下で動いている動いてる。わぁ~、3匹も付いてる。有難う御座います。」

 これが、グループ最初のゲットであるらしい。隣の彼氏は、彼女のワカサギ外し役に回って、暫し彼女にゲットが続いた。大釣れの続いたご老人は、満足し切って退散し、家族のマスコット然とした毛糸の耳当て帽子を被った彼女は、釣果の挙がらぬ両親に場所を交替して、後列中央に場所替えである。彼女の釣具は、ラジコンカーのモーターを、利用した電動装置が施してある。仕掛けの上げ下げスピードは、ダントツに速い。彼女の兄の手に依る作であると言う。『好きこそ、物の上手なれ』である。大いに感心させられた。彼等は、最終の3時を待たずに意気揚々と引き上げて行った。残り物には、福有りである。早速美形のカップルが、移動して来た。

          彼女曰く、まぐれ釣れでは、不満足・・・、

 私の隣である。同グループの一員に手解きして、『黙殺』では『目の保養』のお返しが出来ていない。私としては、礼儀知らずの『忘八者』の誹(そし)りは、避けるべきである。

「おネェさん、引いてるよ。上げろ。」
「やった!! これよ、これ。」
彼女の彼氏が、外し役に回る。レディファーストの現代カップルの風景である。

 我呟くなり、・・・
 昔の俺の方が、数段、男前だったなぁ~、女の方が、何かと気を遣ってくれたものである。女は大和撫子(やまとなでしこ)の風情の方が、傍目からもゾクゾクとする程の色気、艶ぽっさがあるものを・・・酒を口に運びながら、ほろ酔い加減の胸に去来するは、学生時代のK子、恋人時代の女房殿の面影達である。嗚呼、昭和は遠く成りにけり・・・俺は、男の時代に青春を過ごさせてもらって、果報者の口である。安物買いの不完全燃焼は、近い日に晴らすば、気が済まない。今日は飲むべし・・・


                   捲土重来(けんどじゅうらい)

 人間、不完全燃焼では、気の収まり具合が宜しくない。諏訪湖のワカサギ釣りの釣果である。三度目の正直を願って、仕事の合間を縫って「釣具の上州屋」で、釣具を物色する。三連休の1日を会社にサービスして、土曜日6時前に目覚ましをセットする。
 目覚めて、即活動開始である。途中、24時間営業のスーパーに寄り、握り飯と日本酒のカップを買う。連休中日、ドーム内は、本日も満員御礼の口であろう。前回と同じ場所に陣取る。常連のご老人が同じ場所で、釣りをしている。今回は必勝を期し、リール竿を諦めて、コンパクト竿に仕掛けを通す。老眼鏡を取り出して、小さな7本の針に紅サシを刺す。もどかしさの中で、周囲は、竿の上げ下げが活発である。・・・船長の話に依ると、昨日は釣れに釣れたらしい。・・・  仕掛けを降ろすと、直ぐの魚信である。幸先の好い兆候である。早速、釣り上げて釣具を入れて来たブルーのプラスチィック・バケツの蓋を、取り敢えず籠とする。小振りなワカサギ達である。一竿2~3匹掛りの釣れが続く。
ルルルルル、ルルルルル、

 胸のポケットの電話が鳴っている。フィリピンに向うTが、丁度諏訪湖を見下ろす高速を走行中との事である。青銅製の極薄の竿先は、ピクピク撓(しな)って朝の入れ食い状態である。
「ダメダメ、話は後!! 俺は取り込み中だ。」と早々に電話を切る。

 私の向かいには、60代の孫を連れた夫婦、80代のご老人グループの連れが、糸を垂れている。30cm程の釣り穴を置いた距離での、胡坐掻の釣り姿である。近い分、自然と会話が生まれる。日が昇って来ると、ドームはグングンと気温が上昇する。ジャンバーを脱ぎ、セーターを脱ぐ始末である。お互い順調な釣果に、会話が弾む。親子2代の釣り馬鹿を自認する彼は、孫を愛子(あやし)ながら、好いペースで釣果を挙げて行く。諏訪湖のワカサギ釣りの模様をテレビで見て、親子三代7人で温泉に浸かりがてらの衝動的遠出だと言う。東京は、町田からだと言う。ご老人衆は、群馬前橋からの遠征チームとの事である。釣れない、合わせ方が分からないと、ぼやく子供連れの30代後半のご婦人は、静岡からだと言うし、すっかり酒の廻った50代のグループは、丸子町からだと言う。冬の風物詩『ワカサギ釣り』も、各地でブラックバスの食害に祟られて、嘗ての冬の風物詩は過去の語り草との事である。我々世代にとっては、ワカサギ釣りは、『郷愁に浸る』事と同義である。郷愁を刺激したテレビの集客力は、さすが絶大なる物だと感心させられる。

 高い経費を掛けて、子供サービスに徹するママさんを冷遇したのでは、テレビの視聴率に悪影響を及ぼし兼ねない。私は、決して『日本広告機構』のボランティア職員では無いが、「眼鏡越しの母親の訴え」を無視したのでは、コスモポリタンを自負する前に、私の日本人としての人格を疑われてしまう。暫し、ご指導申し上げる。本日は、魚影が濃い様である。ご婦人の竿にもゲットが続く。
 
 私も真向かいの彼も、釣りに馴染んだ者二人であろう。互いに温厚な語り口で、カップ酒を運びタバコを吸っての釣りである。お手並み拝見の時は過ぎ、互いの釣果を目に、竿先に集中させる視線は真剣である。

「おう、2人とも巧いねぇ。名人かい?」
「名人じぁないよ。俺は、土素人だよ。仕掛けが良いんだよ。」
「そうかい、この竿、俺が作ったんだ。遣る事が無ぇ~からさ、・・・俺はさぁ、もう年寄りだから、寒いと指が動かねぇ、それで、コタツでサシ付けて来るんだ。そうすると、コタツの上で、サシのヤローが温かくてゴニョゴニョ動き回るんだよ。それ見て、ババァの奴、汚ねぇ~って、ほざきぁがる。・・・その癖、誘っても、万子やらせもしねぇのによぉ、・・・・俺ぁ~よぉ、昨日なんざ、嬉しくてさぁ、興奮して寝れねんさ。もう歳で、目が弱いから、こんな太い糸付けてんだぁ、・・・・でもワカサギは馬鹿だから、分かりぁ知ねぇんだ。太い糸にすりぁ、絡まねぇって、寸法さ。大体、絡んだ日にぁ、目が弱ぇ~から、お手上げだぁ。すっかり、堪え性も無くなっちまった。若けぇ時は、こんなんじぁ無かったんだけど、・・・針に掛かりゃ、こっちのもんだ。引っ掛かったワカサギが馬鹿なんだから、容赦はしねぇ。・・・・夜中の三時に、出て来たんだ。針外すのは、面倒だから、皆、こうやって毟(むし)ったゃうんだ。嫁に出す訳じぁねぇから、口ごと毟り取っちゃうんだ。天ぷらにして喰っちまうんだから、関係ねぇんだ。此処のは、小振りで味が好い。・・・ババァ、協力もしねぇ~のによぉ、美味ぇ、美味ぇ~って、食うんだぜ。その癖、」
「分かった分かった、その後の台詞は、省略、上州名物、カカァ天下と空っ風なんだから、しょうがないよ。」
「そうだよ、爺さん総理大臣福田、中曽根と続いたんだから、品良く行きましょうよ。」
「オオクボ、キヨシも居らぁな。」
「ヘヘヘ、それを云うなら、国定の忠治親分がいらしゃるよ。おっ、引いてる、引いてる。」
「お前ぇさん、巧ぇ~事言うじぁねぇか。おっかねぇ顔してるけど、インテリだなぁ~。名前は、何て言うんだい。」
「俺の名前かい? 俺ぁ、コクボ、潔って者だよ。」
「なんじぁ、そりぁ~?」
「信州と上州比べりぁ、ジョウシュウは上だし、読みが一字多い。だから爺さんに敬意を払って、小久保にした。だけど、俺には度胸が無いから、婦女暴行・殺人は出来ないから、名前で潔白を証明するのさ。」
「オヤブン、大したもんだ。馬鹿じゃ付いて行けネェヤ。面白れぇ、ビンボーで寿司は無ぇが・・・ババアが作った握り飯はあらぁな。食ってくんねぇ。おい、ヨっちゃん、このオヤブンにカップラーメンも、やってくんねぇ~。俺ぁ、このダンナ気に入ったぜヤ。」
 
 年の割には長身の・・・若い頃は、中々のハンサムボーイであった筈のご老人である。
 明石家さんまのバラエティ番組の中に、『ご長寿、早押しクイズ』と云う爆笑タイムがある。ご老人は、加齢特有の集中力のブラックホールが存在する様で、突然会話が途切れたり、突然の会話乱入があったりする。然しながら、我々三人の会話劇が面白い様で、観客席のドームに笑いが、沸き起こるのである。然程広くは無いドームに、『一期一会の笑い』は、釣り人気分の楽しみでもある。

 好天の太陽は昼を指し、とうとう靴下を脱ぎ、Tシャツ姿での釣り姿と成った。幸運な事に、魚信はコンスタントに伝わっている。私の釣果は、ずっしりと重くなっている。ご老人グループのリーダーは、1000匹の大記録目指して、自己記録を更新中である。彼の楽しみは、帰って5匹ずつ爪楊枝に刺して、パン粉を塗(まぶ)して知り合い、近所に釣果を誇るのが楽しみであると言う。

     晩のおかずにワカサギを鷲掴みに二つ、唐揚げにして、食する。
 
         熱々に 醤油ぶっかけ 香ばしさ立つ
       進む銀シャリ ワカサギの味 愛でる夕餉なり
               男独り 冷酒美味し


心何処ーショート 嗚呼、愛しのNHK
               嗚呼、愛しのNHK(12/23)
 祝日で特別番組である。お気に入りの<知るを楽しむ>は休みで、中国美術の彼是をクイズ方式で見る番組である。毛沢東に贈呈された<幻の食器>を興味深く見た。凄いと云ってしまえば、底の浅い迎合聴衆の一人に成り下がってしまう。レポーター役は、天下の目利き中島誠之助先生である。番組の構成上、止むを得ない『幻の逸品との出会いリポート』の運びである。NHKの高付加構成の編集術に付き合う。幻の逸品を求めて、当代一流の目利きが、景徳鎮の薀蓄を講義下さる。番組は、天下のNHKである。興味深々で中国探訪のお伴をする。ご対面為るか!! 

 空振り空振りの末に、遂に、ご対面の運びである。現代景徳鎮が、『革命の化け物』に贈呈した逸品の数々は、何と驚く無かれ・・・個人の陶器博物館の2Fのショーケースに鎮座しておわしたのである。これを称して、下衆の感想をば、のたまれば、<正しく、これぞ中国の一端である。>

 情報検索はインターネットの時代にして、大中国は、インターネット大国では無かったのだろうか???
 陶器博物館のメーン陳列に辿り着くまでの、この仰々しさは、一体何だったのか????
 私の時代遅れ、単細胞者には、如何しても解せない<奇奇怪怪の中国文明>である。

 人間の作る『高付加価値の演出』とは、意外とこんな<カラクリ>にあるのだと云うお手本であろうか・・・ 中国の過剰なる尊大振りに付き合わされる小国日本人は、呆れ返るより他は無い。大中国の外国取材への規制・関門の大きさ・塀の高さに、NHK贔屓の私は、同情するしかあるまい。世界同時不況のモンスター・ハリケーンの様が、連日連夜電波を占拠している昨今、漸く忘れ掛けた<私の嫌中象徴>の北京オリンピックの開会式・閉会式を見せ付けられてしまった感が、否めなかった処である。後味、悪しの態である。
 名品・逸品の要素分析をすれば、最高の粘土を使い、デザインを決め、絵師が腕を奮い、最高・最良温度で焼き出した現代の景徳鎮が、粗悪品である筈が無かろう。先生ご指摘・絶賛の<器の出来>たるや、素人の眼にも、その無地の白さには感無量の溜息しか出ない出来栄えであった。

 然しながら、『芸術とは何ぞや?』の疑問が頭を擡げてしまった。日本の浮世絵は、版画である。版画は、寸分違わぬ彫り職人の技量・技術から始まって、色の調合・刷り職人の技量・技術に依って、絵師の原画が再現されるのである。されど、浮世絵の作者として彫られる名前は、絵師の名前一つである。鑑賞者は、絵師に拍手を贈るのみである。職人さんが、苦労話を延々と喋って何とするや??であった。沈黙は、燻し銀の重みでありまする。
 最高の器に絵を認めるのは、芸術家の感性と技量である。果たして、毛沢東の文化大革命によって、紅衛兵の嵐に没した芸術家達に最高の器に、芸術の華を描く事が出来たのだろうか・・・

 本より、私には名品・逸品を理解する力も無いのである。有るのは、下衆の藪睨みしか持ち合わせていないのが、至極残念な非才無能なのである。

心何処ーショート ロートル、男のお時間
               ロートル、男のお時間(12/22)
 朝の掃除をしていると、M氏から電話である。久し振りの代休が取れたから、此方に向かっているとの事である。昨日からの雨が漸く止もうとしている。見えぬ西のお山は、きっと雪化粧している事だろうが、おお、寒い寒いの外である。

 彼が一日フリー為らば、こんな日は浅間ホットプラザでノンビリ温泉に浸かり、酒でも飲んでほろ酔い気分のよもやま話に花を咲かせ、酩酊の昼寝でもして来れば、一日の帳尻が合おうと云うものである。
 然しながら、妻帯者・孫持ちの彼には、午後から女房殿に仰せつかった用事が、控えているとの事である。為らば、午前中をフル活動して、顔を出してくれたのである。実に有りがたい友人である。コーヒー受けに、自信作・干し柿を出すと、お褒めの言葉を貰った。ロートルは、自作品を喜んで食べてくれると、気分が高揚して来るものである。お土産に、銀杏と干し柿を贈呈した次第である。

 何処の家庭も、男の耳には女房殿の物言いは、小煩く、棘に満ちたマンネリ雑音に聞こえるらしい。男も女も、歳に関係無く相手のいない『欠席弾劾』の類は、気分の好いものである。

「そうそう、生意気なんだよね。あの不貞腐れた態度と色気の無いズケズケ口に出す物言いは、一々真に受けていたら、こっちの真ともな精神状態が、撹乱されちゃうよ。チョッと怒れば、拗ねて、ツンツンのサボタージュを決め込む。娘が来れば、女同士サッサと連帯して、男の言葉尻を捉えて、ギャースカ、ギャースカほざく。所詮、口数と女の鈍感さに置いちゃ、男は勝負に為らない。ムカッのムカ付きを抑えるのが、関の山。付き合い切れないよ、全く。」
「へへへ、全く。俺なんかは、気が短いから、抑えが利かない。<単身・出向賄い夫>だから、波風が立たないだけだもの。淋しい時も有るけど、まぁ、この歳だから、女のご利益ホールも欲しく無いし、家事も慣れて来ると、如何って事も無くなって来るからね。」
「Rちゃは、俺から見ると、羨ましい限りの生活だもの。何時見ても、溌剌として見えるよ。」

「う~ん、俺は物臭だから、<静かなる事、林の如し>の生活の方が、性に合っているんだと思ってる。<ああじゃ、こうじゃ>の遣り取りは、結構疲れるからね。相棒は、己自身と諦観すれば、<ああだ、こうだ>の無味乾燥なイザコザとは、すっぱり縁が切れるってものだわさ。」
「ほら、10年位前、ドラマじゃ盛んに熟年離婚の侘しさを流していたけど、実際、経験して見ると、『ドラマは矢張りドラマ』の域を、脱していないって感じだね。流行ドラマには、誇張は付き物、極論で核心を提起する手法は、実体験者からすると、机上の論理だからね。」
「『案ずるよりも、産むが易し』とは、つくづく言い当てているって事だよ。人間の体は、何億年も掛けた進化の蓄積で、精巧に出来ているから、家事仕事も会社仕事も、根本に置いちゃ大差は無いって感じ。工夫を加えれば、何事もそれなりの面白さが加わる物だしさ。ほらほら、<職業に貴賎の区別無し>って言うでしょうに。」

「またまた、得意のR節に、油が乗って来たじゃないの。続けてよ。聞くよ。」

「アリガトザンス。コーヒーは、適当に入れて飲んでよ。家事仕事・会社仕事を勝手に、女仕事・男仕事と必要以上に区別していただけだと思うね。遣れば、どちらも仕事には変わりは無いもの。唯、口数・身勝手の強調に長けた女共が、家事・家庭を独占していたから、情報・口調が偏っていたんじゃ無いか? って感じがする。」
「口さがない女共の中には、亭主を粗大ゴミ扱いしている不心得者がいるらしいけど、ロートル男が家事・家庭にシフトして行くんだよ。それが、この何年かの社会の流れだと思うけど、熟年離婚で清々するのは、何も女の特権とは云えなくなる。」
「どうも、女共には自分達の力を買い被っている節がある。伊達に、料理学校に通うロートル男が増えている現象は、女の論理だけでは解けない連立方程式だと、俺は冷ややかな目で見てるけどね。亭主族が家事のスキルを身に付けたら、困る事態に差し掛かっちゃうかも知れんねぇ~。実際、蓋を開ければ、そのギャプの大きさに、オバタリアン族は、<こんな筈じゃ無かった>とばかりに、大貧血を来たしちゃうじゃないだろか? 俺は捻くれているから、そんな実感を強くしているよ。」

「男も女も、<過ぎたるは、及ばざる如し、逃がした魚は、大魚だった。>なんて、<後の後悔、先に立たず。>なんて事が、この世の常でしょうに。『へへへ』か『トホホ』に終わるかは、お天道様のみぞ知るだわさ。」
「Mさん、自分の独立性を確保したければ、女房族依存の割合を削減・低減して行かなければ、『男の独立王国』は、築けないでしょう。古代ローマの兵隊さん・万葉人・鎌倉時代の沿岸警備隊も然りだわさ。独立王国の防人は、自分自身の不平不満の<口封じ>かも知れません。俺なんか、日本国を見習って、海に浮かぶ島国王国だもの。現役人は、国境を接する大陸社会だもの、最後のラストスパートで、柵(しがらみ)のゴールを走り抜けましょ。宝くじが当たれば、南洋の無人島買い占めて、酒池肉林のパラダイスって手もあらぁな。果報は止ぼる前まで、待とうよ。へへへ。」
「此処まで来たら、惰性の慣性が身に付いているから、もう暫くでしょうに、Mさんは、カメラ・読書の趣味があるし、後は、現実の相棒さんとの距離の均衡だけでしょう。頑張りましょ。」

「アイアイ、サー。来年も、一緒に二人旅でもしようよ。Tさんも連れて。」
「そうね、女抜きの品行方正海外旅行のノーハウも、覚えた事だしね。」
「そうよ。俺達はアメーバー見たいな生き物だから、器次第の豹変動物だもんね。」
「そうですか、三度の飯を二度にして、爪に灯りを点すかいね。トホホでやんすヨ。」

心何処ーショート ご近所付き合い
                 ご近所付き合い(12/21)
 寒くは無い夜だが、年の瀬である。ラジオ小説のアンコール作を聞きながら、カラーペンで悪戯書きをしている。こんな夜も、偶には好い物である。明日の最低温度は、0℃と云うから湯たんぽは不要である。卓上スタンドの光に、グッピィ達が水面に集まって浮き泳ぎをしている。現在時23時、風は何時止んだか知らぬが、静かな夜である。

 本日は、昨夜の絵を90度・180度、回転させたりして、お遊びの色付けをしている。訳の分からない抽象画の真似事であるから、目の錯覚次第では下絵に、想像・妄想が入り乱れる。想像・妄想が固定した所で、それらを強調する配色を選択して仕上げて行くのが、お絵描きタイムの楽しい処なのである。私は好意的に観ると、結構個性的と云うか独自性に富んでいるらしい。 
 然しながら、常人の感覚からすると、気違いタッチなのだと言われる。判断・評価の分かれる芸術の世界とは、そう云う物であろう。知らぬが花、井の中の蛙、大バンザイの態である。

 私の単純助平の性格を知っている者は、
「又、性懲りも無く連想画を描いている。この絵は、逆さまにすれば、色違いのヒップだろうが、俺様には目晦ましは、通用せんぞ。進歩皆無の、この度助平野郎。」
と、ニヤニヤするばかりであるが、
「だから、お前は駄目なんだよ。お前の想像・妄想のレベルで、俺様の脳の中を覗くなんざぁ、100年早いぜ。観る者の、その時々の心象を映し出すのが、本当の絵画芸術だろうが、俺の絵は、時代を超えた人間の心象に語り掛ける微風って位置付けだわさ。それが分からんようじゃ、遅かれ早かれ、絶交の道を辿るだけだわさ。俺が居なくなったら淋しいだろ。俺ぁ、サラリーマン辞めたんだ。小者を相手にする気は無いぜ。ザマァ、見ろ。物は言い様だわさ。文句あるめい。ギャハハハ。」
と、煙に巻くのを常としているのである。

 風呂・洗濯・洗い物を片付けて、本日分の日記を打ち始めていると、斜向かいのご主人が、窓辺に遣って来た。

「今日は、冬至だから、これ食べましょ。」
と小振りのカボチャの差し入れである。
「アリガト・ザンス。」
と、開けた窓からの受け渡しである。

 開けた窓から物珍しそうに、我が小部屋を見回して、背後のビデオ書架の多さに目を丸くすると同時に、ロシア美形達の写真に目が点に為って居られる。見られてしまった以上、隠すのも大人気無い。 美形は、全男の共有財産にして、鑑賞対象なのである。男の美形への憧れは、永遠なのである。    即、愛想を崩してしまうのが、男の反射神経なのである。 ・・・ウッシッシ。

「ちょっとした物ずらい。ハリウッド女優なんて、目じゃないよ。綺麗なネェーちゃん達ずらい。」
「本当だ。お兄ちゃん、そこの写真見せてよ。」
「はいはい、ドーゾ。お薦めのスナップ写真は、これとこれ。」
「スタイルは好いし、肌が綺麗だね。モデルか女優じゃないの。如何云う関係だいね。」
「そりぁ、気持ち好い関係せ。モデルも女優も、為る前は、皆、素人さんでしょうに。」
「そりぁ、そうだ。有名の前は、みんな無名だもんな。さすが、お兄ちゃん、言う事が違うわ。」

                  以下、抹消。

 ご主人、洋画が大好きとの事。西部劇・コメディ・アクション、ラブロマンス物を4本お貸しする。『連荘で全部見る』と、意気揚々とお帰りになった。これで、当分ご主人のテレビは、ビデオ映像に占拠されてしまうのであろう。名画は、これまた万人の共有物にして鑑賞物である。

心何処ーショート 知恵熱
                  知恵熱(12/20)
 天気は好いが、風が騒々しい。夢の中で、新遺跡を発見してしまった。雑多なイメージが年の功で、整理もされずに収納し切れず、パンクして来ている様子である。いかん遺憾・・・
 頭が狂わぬ予防に、ガス抜きが必要と見える。頭を振って新鮮な空気が欲しい処であるが、何しろ高地の盆地である。布団から外れた室温は、放射冷却の沙汰である。君子冷気に逆らうのブルブルの寒さなのである。

 玄関の小姑達は、朝の催促であるが、本日・土曜日、娑婆は休みである。布団から抜け出るのも面倒とばかりに、夢のモザイクを張り合わせて、暫し空想の世界に現を抜かしている始末である。脳内反芻は自給自足と云えども、現代人の想像力には、収支の経済思考に基かなければ、夢も膨らまぬ物である。盆暗・物臭男には、現代思考とは厄介な物である。夢に手を加えれば加える程に、試し算の整合性を考えなければ為らない。アホ臭いの脳内ウォーミング・アップである。

 どうせ見るならば、何の加工も必要としない<官能夢>の方が、有り難いのであるが・・・ 儘為らぬのが、これまた人の世である。

 朝食後は、この時間まで、NHKアーカイブツの広島カープ、大野・津田両投手の野球人生を、母と鑑賞させて頂いてしまった。好番組であったから、世襲落語家と女性アナウンサーのインタビューだけでは、広島・両氏の背景が過小紹介されてしまう。それでは、番組の奥深さが伝わらないと思われた。
 その後は母を聴講生に、江夏・江川・金田・稲尾を登場させての比較論証を試み、次いで長島・王・野村・落合を巻き込んでの野球道へのアプローチ・技能・技術への研鑽振りに発展すると同時に、マツダの企業理念を育んだ広島の県民性に、ひいては、大風呂敷を広げて日本論にまで論考を広げてしまった。生みの母・育ての母を相手の調子に乗ったら、何が飛び出すか皆目不明の<R節の吹聴お時間>と為ってしまった。いかん遺憾・・・

 少々、錆付いてしまった専門用語を多用してしまったらしい。下衆のロートルが、慣れぬ事を仕出かしてしまった。反省すべき事である。部屋の定位置に座って、インスタント・コーヒーで、知恵熱を冷ましている始末である。
 母上様も、馬鹿倅の毒気に当たって、脳に集中した血液に耐え切れずに、暫しの安静を強いられて御座ろう。然しながら、これも産んで育てた者の責任の一端であろう。頭の確りしている間は、時には<脳への血液の循環>も必要なのである。

 そう考えれば、これも逆説的親孝行の一端である。すべからく、この世は、物は考え様で御座る。ヌヒャヒャにして、ウッシッシで御座ろう。

心何処ーショート エンセイ・ロートル?
                エンセイ・ロートル?(12/19)
 今日は暖かい日に成るらしいが、どんよりした灰色の雲が朝日を感じて、鈍い茜色に染まっている。部屋でコーヒーを飲みながら、水槽住人達を眺めている。朝のゴミ出しにご近所さんが動き、通学の自転車が通って行く。本日も活動し始めた様である。12月も中旬が、終わろうとしている。先々日は、女房と倅、今朝は娘の夢を見たが、大過無い様である。ラジオはラジオビタミンに替わっている。母の動きを待って、もう暫く煙草と付き合うとしよう。

 朝食は、昨日仕込んで置いた貝ひも、里芋・油揚げ・薩摩揚げ・蒟蒻の煮付け、生姜漬け、焼き海苔である。好物の貝ひもの煮付けは、女房譲りの味付けである。母親の目からも、<好く遣る物だ。一人でも充分遣って行ける。大したものだ。>と、お褒めの言葉?を頂いてしまった。沢庵漬けの方は、水が上がって来ない。男の手には負えないから、見て貰い、仰せに従って、塩水を煮立てて入れる事にする。母の煽てに乗って、テレビのお付き合いをしていると、早や昼である。
 こんな事をしていると、私のペースが狂ってしまう。母の部屋に居る時は、煙草を吸わない事にしているから、私としては、煙草のヤニ切れである。部屋をお暇して自室に復帰する。長居をし過ぎて、すっかり日差しの去ってしまった部屋である。鳥篭を水槽の上から、出窓の定位置に置く。来週は、ヤクルトの婦人が、里親を申し出てくれたから、親と同居の若鳥の二羽とはお別れである。日差しの中で、小鳥達も気持ちが好かったのであろう・・・何時に無く活発に囀り、飛び跳ねている。窓から空を見上げれば、朝の覆われていた雲は、移動性高気圧に駆逐された様に、静かな青空を広げている。

 さて、我もライト・ブルーの冬空に誘われて、清楚なる空気を吸うべしである。本日は、如何なる空気が広がるものか・・・ 煙草をポケットに、いざ、ブラブラ散歩に出向くとしようか。

 河川敷に降りると、ベンチにロートル夫婦が、昼を食べている。<今日は>と言葉を交わす。雲一つ無い小春日和である。防寒着にすっぽり包まった、夫婦の雰囲気が好かった。
 諏訪・木曾を仕切る南の山容は、霞に輪郭を朧気にしている。散歩する頬は寒いが、太陽満載の空気は、実に清々しく且つ眩しい。ポケットには、双眼鏡を忍ばせて来た。橋を渡っての周回散歩をパスして、直進コースを辿る。橋を三つ過ぎると、山際の道に成る。本日は、百舌の姿ばかりが目に付く。手袋を外し、ファスナーを下ろして、体温の発散に努める。崩れた山肌に、樹木の根が、大蛇の様にくねり絡まっている様が続く。役目を終えた灌漑用水が、清らかな流れを滔々と見せている。小さな段差には、せせらぎの音さえ忍ばせている。これ以上歩くと、汗が全身に回ってしまう。石に腰掛けて、アルプスの白い輝きに焦点を合わせる。

 振り返れば、大分、歩いて来てしまったものである。我が身は、気の向くまま、出た処任せのロートルである。世には徘徊老人と云う呼称もあるが、私の場合は、遠征(厭世)老人の類であろうか・・・

 本日の悪戯学習は、先日作った柿ジャムの乾燥具合を確かめて、次なるステップである。容器に入れた柿ジャムは、上部の表面が乾いて来た。容器を引っ繰り返して、葉書二枚分程の大きさに切り分けて、竹笊の上に載せて居ると、母が廊下を覗いて、紐を持って来た。成るほど、紐を通して軒下に吊るせとのアイディア提供らしい。好奇心旺盛な似た者同士である。完成すれば、白く粉を吹いた天然甘味・『羊羹風干しジャム』がお目見えする筈である。

 これまた、ロートルのウッシッシの完成であろう。世が世なら、将軍様献上品の逸品に相違無かろう。さすれば<葵の御紋>を拝領するかも知れんぞなモシ。正に、ヌハハハである。 

心何処ーショート 巷の嘆き節
                  巷の嘆き節(12/18)
 銭湯に行くと、高齢の老人が入って来た。何をするにも、ドッコラショ、ヨットコセッの掛け声である。熱い湯船に浸かって、目を合わせると、
<いや~、お恥ずかしい。笑われてしまいますね。>と来られるから、
<如何致しまして、歳を取れば皆同じですよ。ドッコラショは、安全確認の指差呼称で、好いんじゃないですか。私も遣ってますよ。気分は若いと思っていても、身体が老巧化してます。反射神経が衰えて来てますから、一々、脳から末端神経に号令と伝達時間と体勢の準備をしてますよ。この歳で、振り向き様のギックリ腰に為っては、無芸と云うものですよ。>と、応える。

 ご老人、当歳89との事である。7人兄弟にして、父親が7歳の時に他界して、小学校を卒業して働きに働いたとの事である。苦労続きの母親は、47歳で他界との事である。父母の分まで生きようと、ご老人は目標を100歳と定めているとの事である。温泉銭湯を日課としているとの事である。

 熱々の湯であるから、汗を退かせるのに脱衣場で椅子に腰掛けて、世間話である。番台の旦那も高齢者である。男の世間話と云うものは、如何してもご時世話に為ってしまう。意見を求められたから、若輩者は素直に意見を披露しなければ為らない。

<何て言ったって、科学・化学・錬金術学ばかりが、突出しちゃって、神様を殺しちゃったご時世。古い人間には、お天道様と幽霊様が健在なら、神様は要らないんだけどね。セレブだか成金だか訳の分かんない嫌味・キンキラ下衆野郎達が、勝ち組・自己責任と抜かして、庶民の生き血を、こんなデッケエ吸引装置で吸い尽くして、馬鹿・貧民の事故責任と下を蔑んで、ヌクヌクと偉ぶってるんだよ。本来なら、血も涙も無い輩には、怨念絡みの幽霊・お化け様に、取憑いて貰うか、祟って貰わなきゃ、辻褄が合わないのに、ノータリン連中が寄って集って、神殺しの序に、幽霊・お化け様まで、御用済みでゴミ箱にポイ捨てだもの。まともな人間にぁ、打つ手は無いでしょうに。片や、一度人を殺して見たかったって、変な個人的趣味で無感情に人殺しをする。片や、いい歳かっぱらって、若いネェちゃん・ロリコンで、シコシコ・バッコン・バッコンで、御用に為るのが嫌だと殺して埋めちゃう。完全にタガが外れて、埋めるのは面倒・疲れるとばかりに、路傍にポイ捨てのご時世だよ。おまけに捕まって裁判遣らせりゃ、殺意は無かっただの、心神耗弱だのと大騒ぎをして、死刑は重過ぎるとギァギァ騒ぎ立てる。冗談ほざくなって、物だわさ。こんな時に限って、自己責任の大合唱は、雲隠れ。俺ぁ、馬鹿だからマスコミの先生方には、ついて行けねぇや。この歳じゃ、大学入試受けても、採ってくれる大学なんぞ、ありゃしねぇや。如何するんだい!! こんな狂った世の中に居たら、こっちまで気違いに為ってしまいますわな。俺ぁ、こんなご時世と付き合うのは、真っ平御免蒙りたいって処だじ。さあさあ、湯冷めしない内に、一緒に帰るんね。ヨッコラセッと>

 帰宅経路は、如何にすべきかである。米屋に寄って、引き返してパン屋、個人スーパーを回ろう。距離は少々遠回りになるが、この方が平行移動であるから、勾配によるエネルギー消費は、少ない筈であろう。米屋さんに寄ると、地方紙のお悔やみ欄に私と同名者の記事があったらしく、名前の字が違っていたので、大安心をしていたとの事である。久し振りに、米屋さん夫婦にとっ捉って、歓談して来る。世直しの序曲は、解散・選挙・政権交代しか無いとの事である。旦那に、熱弁を奮われてしまった。個人スーパーの先輩女将さんにも、世の中、狂っているとのご高説を承って来る。好物の皮付き里芋を推奨されて、二袋買ってしまった。
 さてさて、家に帰って、里芋の皮剥きをしながら、頂戴したご時世の反芻をすると致しまするか。

 体調優れず、床に伏せった儘の母は、起き上がっただろうか・・・ 母の様子を見て、朝飯兼昼飯をパンとするか飯とするか? 見定める必要がある。

心何処ーショート 時に本性露出
                時に本性露出(12/16)
 やっとマトモナ<因果言及>が出て来た。ニュース・解説では100年に一度の世界経済危機と、連日連夜の深刻振りである。嘗て、マトモナ労働組合が、経営陣に向かって三役折衝・団交していた当然の企業内善後策が、今や一国の担当大臣がマイクの前で話しているのである。私は若い頃、労働組合の先頭に居た身にして、労務管理に職を置いていた一人である。オイルショック・円高危機・大リストラ時代を当事者として経験している世代でもある。
 ロートル賄い夫の身とて、政治・経済・労務管理の変遷といえども、血も涙も感じられない御身大切・ご都合主義に成り下がった、日本の労使慣行の衰退振りには到底、心穏やかでは居られないのである。一方、これが世のうねりの習いでもあろうが、一言、罵詈雑言を発したく為った次第である・・・・

 働く者の企業での地位身分保険であった処のクローズ・ショップの日本的企業内労働組合は、何時の頃からか、社会の豊かさと安定の中で、縛り付けからの自由を求める個々人の思考選択から、瓦解して行った。冷戦構造の崩壊から、ボーダレスの国境を越えた世界分業システムが、加速・繁栄した。繁栄の陰は、日本産業の空洞化を招き、行き場を失った日本の労働者は、国際競争力の輸出産業を旗頭とする企業の二重・三重構造を真似て、労働形態・労働コストの多様化・多層化と云う『躍らせ文句』の元に、パートから派遣・請負労働にシフトしてしまった。
 つまりはボーダレス企業と云う時代の流れの中で、労働側は、安易な自由・豊かさの中で、同一労働同一賃金・同じ釜の飯を食う・同じ屋根の下と云う連帯・同心円の絆を分断・細分化を進め、連帯を放棄してしまった。保険の存在意義は、有事の際の保障である。企業での地位・身分保険を手放してしまった労働者個人の付け・末路は、真に悲惨極まりない現状である。

 私の中にあっては、小泉・竹中のコンビは<獅子身中の虫>にして虫唾の走る輩である。労働派遣法の適用範囲を工場労働者にまで、拡散した御用学者・官僚、法律成立に起立した議員共の見識の無さには、歯軋りと<マスゴミ型小泉劇場>に面白がって、投票した国民に苛立ちを禁じえない処なのである。これも、個人主義に偏重し過ぎた日本型民主主義、戦後民主主義の選挙、自業自得の結果である。甘受するしか手立ての無い結果である。

 人間の歩みには、想定外事項が付き纏うのは、必定の結果である。想定外の事態に陥った時に、役立つ物は、経験と理念に基いた思い切った舵の切り替えである。思い切った舵の切り替えは、ショックと云う周囲の周知の世論が必要である。<過ぎたるは、及ばざるが如し。>は、何時の世でも、『振り返り』の名言・真理でもある。せめてもの不幸中の幸いは、世界同時の経済危機と云う抜け駆けの許されない<新モデル>の構築しかないのである。平均値の最大幸福を理念とするのが、現代民主主義の形なのではないだろうか。

 以下は、色々と打ち連ねてしまうと、罵詈雑言のオンパレードとも為り兼ねない。私は、ロートル賄い夫生活に満足している昨今である。些か古い日記であるが、纏まった分量がある。下衆の雑感として、お読み下されば幸甚に存じます。

                   字面の果てに
  無尽仲間のノーテンキ・フィリピーノに依るタカリの惨状に業を煮やして、<転ばぬ先のフィリピーの初級講座>なる文章を打ち終えて処、その顛末を好く描いているコミックを、M氏から贈呈された。『弁護士の九頭(くず)』?と云うコミック本であった。私の格調高い?文章だけでは、その内容が好く伝わらないと考えて、参考資料として、仲間内で回し読みさせようと考えた次第である。
漫画を探しに本屋に行くが、如何しても好きなDVDコーナーに、足が向いてしまう。目ぼしい物が無く、探し物の漫画コーナーに行く。圧倒される量である。漫画本の出版社を知らないから、雲を摑む様な頼り無さである。最後の最後で漸く見付けた。個人的に好きで見付けに来た訳で無いから、お目当てのストーリーが、単行本5冊の中の、どの巻に収録されているのか? 皆目見当が、付かない。漫画本は立ち読み防止の為に、勿論、ラップが施されている。表紙・裏表紙を隈なく眺め尽くすのであるが、手掛かりは無かった。私の小編紹介の為に買わなければ為らないストーリーは、<CASE33>のみである。絵のタッチが好きなら、面倒とばかりに全冊買っても良い処であるが、生憎、好みの絵では無い。結局、買わず終いであった。
 
 私の格好はと云えば、現場に頼まれた小さな片付け仕事であったから、自由な手待ち時間を本探しに当ているので、些か土の付いた作業着姿である。俗に云う読書人とはかけ離れた雰囲気を、発散させているのだろう。私を一瞥する周りの人間の顔が、実に面白い。私は、評論家の内橋克人氏のファンである。氏の新刊本を手に取って、パラパラ斜め読みをする。氏の本の横に<総下流時代>と題した藤井厳喜氏の本があった。見比べて、読みでのありそうな藤井氏の本を買う。320Pの再生紙・横書きの本である。たまには本格的な書物を読まなければ、脳みそが腐ってしまう。本日は無尽の日であるから、役得・早めの切り上げである。会社でシャワーを浴びて着替えをした後、少々時間があるから、事務所で早速読み始める。

 火曜日は、珍しく6時前の帰社である。幸い私が、一番帰りの様である。早い帰りの時は、さっさと帰るに限る。顔を合わせれば、何かとお付き合いをしなければ為らない。私は仕事の話しとか、世間話の類は、若い頃から苦手である。<仕事の話は、仕事中にすれば良いのである。好きでもない仕事に縛られ、仕事後も仕事の話では、人間として、芸が無さ過ぎる。真っ平御免である。> ああだ、こうだと続ければ、人の口は中々塞がらない物である。栄養に為らぬ物は、避けて通るのが、私のMy timeの捻出法である。

 水槽の水を2/3程取り替えて、内面に付着した汚れを落してやる。白い体に丹頂の紅色の頭部は、鮮やかである。赤出目金の出目は、良く見ればグロテスクであるが、遠めにはユーモラスでもある。黒出目金は、物の見事に全身真っ黒であるから、物の言い様が無い。和金と並ぶ図体の大きさであるから、そのフラフラ泳ぎは、確りと独自性を放っている。イモリの奴は、空気吸いに浮上して来ない処を見ると、先輩達に見習って水槽から脱走した模様である。脱走には成功しても、下界は新天地と成るかは、極めて望み薄の世界であろう。                        
        
         さてさて落ち着いた処で、読書の続きを始めるとするか。  

 昼休みも惜しんで、字面を追う。320Pを、3日で終了させる。半分程進んだ処で、首を傾げる。もうそろそろ、対処方を暗示する物が、顔を覗かせても良い頃なのであるが・・・ 一向に、顔を覗かせてくれないのである。少々苛立って来た。目次に帰って小題に目星を付けて、飛ばし読みをしようかとの、思いが起きて来る。
 然しそれでは、著作者に失礼に当る。読むのは簡単であるが、書く方は大変な労苦である。政治学者が、一般下々の為に噛み砕いて、己が知識を啓蒙為されているのである。浅学非才の肉体労働者の私が、一丁前の口を利いたのでは<権威が廃れる>云うものである。努力を傾注して最後まで真摯な教えを乞う姿勢を貫かねば、罰が当たると云うものである。昨夜12時半を以って、320Pを精読させて頂いた。

 読後感は、<ふざけるな、馬鹿野郎。金返せ!! インテリ面して、この程度の事しか書けないとは、情けない。>である。

 総下流時代・なぜワーキングプアが、増えるのか? グローバル階級社会の成立。表紙に踊るキャッチ・フレーズは、正に時流に即した分析・解説書なのであったが・・・完全に期待外れであった。ワーキングプアは、時代のカタカナ文字である。少々、真面目に報道に耳目を貸していれば、★市場原理・★価格先導性(国際競争力)・★自由貿易・チープレイバー・多国籍企業・世界分業化・産業の空洞化・旧共産圏の崩壊・ボーダレス のキーワードを繋げて行けば、当然の帰結の方向性である。(★印は、私の思考上の上位キーワードである。)こんな事に320Pを割いて迄、自説を繰り広げる必要があるかとの疑問である。先進国は、少子高齢化が一段と進み、国家財政の収支バランスは、大きくマイナスに転じ破綻の危機を迎える。<財政破綻自治体の夕張市は、最盛期12万の人口が、1万に転落した過疎化の象徴である。>
 市場原理とは、国際競争力などとスマートな言葉を使用しているものの、平たく言えば<弱肉強食>のサバイバル競争である。<21C新自由主義>と偉ぶった処で、何の事は無い。行き過ぎた自由に規制を掛けて、バランスを取って来た経済体制に、障害物を蹴散らすして、強者万能の大鉈を振りかざして、弱者の上に王国を築こうとしているだけの話である。圧倒的多数の現場人数に対して、責任者・経営者・トップは圧倒的少数である。今に始まった事では無かろう。<美味しい物は、独り占め・少人数で、腹一杯。>は、太古の昔からの慣わしである。20%の者が70~75%の富を手中に収め、贅沢三昧を送る格差固定社会のレールが、完全に敷かれているとの事である。

 天下の学者先生が、歴史の参考文献並びに、この10数年の国際・国内の経済政治動向を、ウォッチングして出した結論が、<さぁ、能力の無い皆さん、覚悟して下さい。中間層の無い暗黒の中世時代への突入です。>では、如何し様も無いでは無いか!!

 市場原理は、需要と供給のバランスから成り立つものであり、競争は、供給側の寡占を目指す順位争いから生ずる政治的経済運動であろう。20C後半からの自由主義経済の大発展は、需要と供給の創造・拡大にこそ、その成果があったのであろう。売上=単価×数量であり、競争力=売上×利益であり、スケール・メリット=シェア・拡大利益への布石・寡占利益なのである。欧米日の経済先進国は、国民所得の嵩上げをして購買力を高めて来た。購買力の向上は需要を拡大し、供給は拡大需要市場に自国・自社の製品を価格先導性の市場メカニズムに即して、機能・品質・アフターケア・コストに於いて、市場シェアを向上・維持させる為に、血道を上げると云う競争に走るのである。<大量生産と大量消費と云う一対の関係>が、市場のパイを拡大増殖させて来た結果が、購買能力を拡大した中産階級と云う大衆が、巨大マーケットを築いて来たのであろう。
 200万、300万円する車が、国民の10%、20%の所得層にしか購入出来ないとなれば、車産業がこれ程までに発展しただろうか? 作る努力・売る努力・買う努力・買わせる努力が、総合システムとして構築され機能することに依って車産業を20C、21Cの花形産業為らしめたのである。大衆側の要因としては、大衆の購買力の拡大と支払い形態の発展であろう。需要と供給は、大量消費・薄利多売の両者の拡大バランスの上に機能している<総合経済メカニズム>であろう。人間の暮らす衣食住のどんな分野に於いても、大量生産と大量消費の総合メカニズムとしては、同様の要因が働いている事であろう。便利さを追求して、目まぐるしい新商品が、次から次へと生まれ市場を席巻して行く電化製品一つ取っても、市場に認知された需要は、瞬く間に価格先導性のサバイバル競争に移行してしまう。大衆需要は、薄利多売のメカニズム・システムが支配する領域なのである。巨大産業も巨大マネーも、とどのつまりは大量生産と大量消費の市場メカニズムから生まれた物である。
 
 幾ら20%の富裕層が80%の所得を握ろうとも、個数においては、80%を握る事は、叶わない事である。アンバランス過ぎる富の消費は、実際問題不都合不便なものでは無いだろうか? 
 為らば富裕層は、200万を1000万として、それでも足りなければ、専用ジェット機・専用宇宙船でも購入せざるを得まい。20Cのインフラ高速道を走る車は、商業車と一億円を超える超高級車、空港には何十億もする専用ジョット機の姿が、週に何度か離着陸するだけ・・・ 贅を極めたとしても数が掃けない以上、彼等が巨大企業の支配者として、手中に収め得る筈の企業としての利益は、上がっては来ない結果と為ってしまう。これではワーキングプアなどと下を蔑(さげす)み、勝ち組などと胡座など掛けはしまい。売れぬ商品は、作り手が幾ら低賃金労働者で構成されるラインであっても、製品としてラインに乗せる事は適わない経済原理なのである。
 階層なる物は、所詮エジプトのピラミッドなのである。頂点に位置する一個の三角錐は、途方も無い方形の秩序だった石組みに依って、支えられているのである。下の石積みが瓦解すれば、取りも直さずドミノ倒しの連鎖が始まって、無味乾燥な砂塵の中に没してしまうだけである。何しろ富裕層20%を支えるのは、喰うにやっとの結婚も出来ない能無しの80%のワーキングプア層である。栄養失調の身には、富裕層の肥満し切った体重は、短時間しか支え切れないのである。面従腹背・運命を甘受するなどと云った<美徳>が、そうそう長続きする訳も無い。<怒りこそ、エネルギーなり>は、人間の真理の一面でもあり、<必要は、発明の母>にして<行動は、現状打破への道>でもある。
 
 そう云えば、ハリウッド全盛時代に、カーク・ダグラス、ジーン・シモンズ、トニー・カーチス競演で、ローマ時代に起こった奴隷達の大反乱事件を映画化した<スパルタカスの反乱>なる映画があった。人間の行動は、施政者・経営者・学者・評論家達が、思っているほど柔なものでは無い。我慢と期待のバランスが切れた時の凄まじいエネルギーの爆発は、論理・理性の埒外の沙汰である。
 嘗て学歴=評価と云う時代があった。組織の幹部比率3%=大卒%であったから、彼等は組織から辞めさえしなければ、組織ピラミッドの上層に安住出来たのである。定員に対して応募者が殺到すれば、選別と云う新たな尺度で対応するしかあるまい。嘗て偉人達は、不可避の社会現象について、<見えざる手・計画経済・需要の創造・・・etc>などの手を講じて来た。混沌の果てに、漸く辿り着く<最大公約数的需要と供給のバランス>である。
 
 自らを20%の範疇に留まれると自負するインテリ・学者・理性の人間が、膨大な資料をダイジェストして時代の行く末を解説してくれるのは、実に有り難い事ではある。然し自分をインテリと位置付けるならば、資料を基に、有るべき姿を提唱すべきである。観察予想だけでは、才のある者としては、志半ばであろう。後知恵に秀でた学才だけの現状解説であっては、学問が廃ると云うものである。自分達が知恵有りの上流階層に位置すると思うなら、人間達の足跡・過去の愚を振り返って、参考とした資料を加工して修正提案をして欲しいものである。

    これは、決して世に出ない私の日誌であるから、思った侭を書こう。
この本には、<需要と供給>の観点が、見事に欠落しているのである。一方法治国家の記述には<罪刑法定主義>が盛られている処から察すると、著者は、自説<世界フラット化・総ワーキングプア化が進み、暗黒の中世化が世界を覆い尽くす。>を誇張せんが為に、恣意的(意識的)に経済の基本原理<需要と供給>の文句を割愛している様に、私には思えるのである。底辺の肉体労働者である私にだって、その位の知識は持っているのである。自説に都合の悪い論を割愛しての、姑息な論考手法に腹が立った迄のである。
 
 蛇足ではあるが、底辺肉体労働の合い間に320Pに及ぶ読書に、精を出している最中、あろう事か!! 先進国日本においては、5000万件に及ぶ厚生年金の保険料納付記録が、不明との事である。決して厚生労働省の大失態などと、軽く形容して済まされる代物では無い。

 銀行に老後の生活の足しにと、毎月滞り無く定期貯金をしに行っていた処、蓋を開けたら銀行に入金は有りましたが、このお金は、誰のものか分かりません。預けた人が不明なので、不明人の預金は5年の時効なので、所有権は此方に有ります。依って此方で処分・運用してしまいました。「しょうがないでしょう。放置(法治)国家なんですから。」の態度である。銀行が、もしそんな事を仕出かしたら、即刻営業免許取消で万事休すである。
 尤も銀行と云う民間同士の金銭の遣り取りであるから、その都度、入金・支払いの手続きが為される。従って、こんな自体は起こらない。
 片方は、相手が日本国の徴税課としての社会保険庁である。<徴収は厳格に、管理は全然していませんでした。プールした巨大資金は、当時受給者の比率が少なかったから、資金の収支は潤沢な資金運用の対象と成って、大判振る舞いをさせて頂きました。手元には無いのでありますから、仕方がありません。勘弁して下さい。>と涼しい顔をしているとしか見えない。騒ぎが大きくなる前は、法律を隠れ蓑にして、5年の消滅時効の援用を計っていたらしい。如何にも責任回避を裏技とする役人・役所の厚顔無恥振りである。一般庶民では、これを称して<厚顔無恥>とは言わずに、<詐取・窃盗・公金横領・特別背任・組織犯罪・国家犯罪>と言うのである。
 こんな役所・役人・政治家達を、一般民衆(21Cでは、ワーキングプアと呼ぶそうである。)が、背負う必要が何処にあるのだろうか!! 白土三平のカムイ伝に現れる過酷な年貢の徴収に抗して、百姓を捨てた遺棄農民の群れが、40年振りに脳裏を掠めた次第である。(劇画カムイ伝は、学生運動に騒然とした時代を駆けた、我々団塊世代の心情的バイブル書の一つであった。)

 さてさて、自分達は20%の範疇に入ると自惚れている支配層の諸侯達よ。如何する? 地球は、重力の支配する有限の星である。80%の方形の石積みの一角が崩れると、20%の冠頂部とて、空中に留まる事は叶わない重力支配なのである。現状認識を幾ら精査に挙証して見た処で、軌道を修正しない事には、未来は語れないのである。そして未来を語るには、軌道修正の行動が必要なのである。それが、エリート達の天賦の課命である。
<知恵あるものは、知恵を出せ。知恵の無いものは、汗を掛け。1人は万人の為に、万人は1人の為に。>
 現代では一向に省みられない言葉であるが、哲学・道徳・倫理・道義を置き去りにしてしまった人間の言葉には、人の心を打つ響きは無いのである。インテリさん、確りせいよ。

 土曜日であるから、仕事が終了した時点で帰宅する。ハンドルが日射熱で、熱くて握れない。早く帰って、ビールをグゥッと飲み干したい気分である。我が居住区の窓を全開にして、コップに氷を無造作に入れウィスキーをトクトクと注ぐ。杖を突いた老母が、握り飯の差し入れをしてくれる。冷凍食品の餃子を焼いて、ウィスキーを飲む。時間にゆとりのあるウィスキーの味は、実に旨い物である。ピッチの速さに忽ちにして、酔いが全身に回る。<西部開拓史>のDVDをセットしたまでは良かったのであるが、その儘の転寝状態と成ってしまった。一緒に夕食を食べようと、起こされた始末である。給仕役は、私である。食後、世界遺産古代エジプトナイル紀行後編を、母子で見る。齢90の我が母堂の知的好奇心は、マダマダ健在の様子である。「お前は、ミイラを見た事があるか?」のご質問である。老母は、北海道で娘時代に、数10体のミイラを見たとの事である。始めて聞いた話である。「俺は気が小さいから、そんな物を見たら、夢で魘(うな)されるだけだから、見たくないよ。」と応える。老母は、笑って頷いている。母親の特徴の一つであろうか、彼女として見れば、<私は生み育ての親だから、子供達の性格は全てお見通しだよ。お前が、そうである訳が無い。お前が、そう言うのなら、そう云う事にして置こう。>とでも言いた気な、長い頷き笑いである。「へへへ。」と四番目の息子は、薄笑いを浮かべるより他は無いと云う処である。明日は、カレーを作るとの事である。「じぁ、この顆粒ルーを使ってよ。旨かったら、変えようと思ってるんだ。」老眼鏡を掛けて、とくと眺める老母であった。

                             2007/6/2

 以上、取り止めの無い、長蛇の駄文を一挙公開してしまいました。貴重なお時間の浪費は、平にご容赦下さりませ。

心何処ーショート 俺の男性ホルモンは、何処や
            俺の男性ホルモンは、何処や?(12/16)
 今朝の冷え込みは、思いの外きつかった様である。洗濯機の水が出ない。寒い所であるから、こう成らないと冬の実感が、湧かないから困ったものである。湯たんぽのご利益の目覚めであるから、生類哀れみの気分が薄かった。反省して、四畳半特等席・水槽の上に、鳥篭を並べて遣る。

 本日の悪戯は、熟柿のジャムに挑戦である。どんな結末に成るかは一向に定かではないが、干し柿が原型を止めたジャムと考えれば、遣って出来ない事もあるまい。食べ切れないと、ただ捨ててしまうばかりでは、能が無いと云った処であろう。
 斯く云う<勿体無い>の発案者は、母上殿である。これも、好奇心旺盛にして、工夫を楽しみとして、黙々と仕事をして来た母の生き方である。92歳の母親を相手に、<煩い!!>と即応をするのも、大人気の無い行いである。還暦を迎えて、すっかり丸く為ってしまった馬鹿倅である。母の遺伝子を色濃く受け継いだ倅としては、仰せに<おっ、グッドアイディア、分かった。遣って見るわ。>とばかりに、ニヤニヤ迎合するしかあるまい。母に残された余命は、限られている。それを考えれば、私には<何しろ>、時間だけは充分にある篭り生活なのである。

 四畳半→台所→母の部屋→洗面所・洗濯機→四畳半を小まめに回っての、その合間のパソコン打ちである。知らぬ者が見れば、噴き出し兼ねない男賄い夫の姿である。柿ジャムは、大分煮詰まって来て、干し柿色を呈し始めて来た。大鍋の周囲に煮詰まった物を、包丁で殺いで味見をすると、甘露・甘露の得心である。如何にか為りそうであるが、相手が大物過ぎる。チョッとやソッとでは、退治出来ぬ相手である。まだまだ、道半ばである。

           <コンチクショーメ>・・・・・である。

 本日、昨日に続き、絵に描いた様な散歩日和である。散歩時間を何処で捻出しようか・・・買い物にも行かねば為らないのである。それに、打ち始めてしまった本日分である。途中遺棄では、男の沽券に係わると云う物、14時からは、お気に入りの<相棒>の再放送が御座る。これは、私のコア・タイムである。
 斯く為る上は、親を使うべしである。柿鍋を見て貰い、散歩に出向いた後は、パン食で手抜きをすべしである。買い物は有る物で済まし、明日にパスである。

 こんな事ばかりしていては、折角、親父から引き継いだ男性ホルモンの錆付き・退化現象を引き起こしてしまう。我が親友Tの言を借りれば、涸れた男性ホルモン世界は、男の生ける屍との事である。そう云えば、この頃、トンと艶かしき女性の色香も皆無の日々である。こんな生活を固定してしまったら、あの世で、ご先祖様に申し開きが立つ筈も無かろう。

 何は兎も角として、男子たる者、有事に備えてイメージ・トレーニングを欠かしては為らないのである。有事とは、凡人にとって、何時訪れるか分からぬ<魔物>である。・・・ウッシッシ。

心何処ーショート 有酸素歩き 
                有酸素歩き(12/15)
 朝食後、母が薬を飲まない。薬が切れたのだろう。本日15日である。下の温泉銭湯は定休日である。食料の買出しは、未だ必要が無いから、歩いて上の銭湯まで行く事にする。歩いて、30~40分は掛かるだろう。太陽に恵まれた外であるから、散歩運動の代りになる。路地の日陰の水溜りには、氷が張っている。東のなだらかな山並中腹以上には、薄らと雪の等高線が描かれている。街医者経由のテクテク散歩である。

 途中、ジャンバーを脱ぐ。野球場からは、陽気に誘われて真っ直ぐの道を辿る。結構な遠回り、おまけに坂道である。昔は、この奥には、こじんまりとした洋館風のホテルがあった。小さい頃は、プロレスの力道山の定宿であった所である。今は取り壊されて、背後の山の一部と化している。昔のホテルのあった下辺りに、クレーンが建っている。何やら大型工事が始まっている。

 嘗てのホテルへ通じる山道を歩く。松林の山の所々には、山崩れ防止の石垣が要所々に積まれている。石の一つ一つの重さと急勾配、石垣の距離を見ただけで、往時の苦労と労働のきつさに、現代人は忽ちにギブアップの態である。大雨に見舞われたら、下の家屋・水田は、土石流に一溜りも無かった筈である。<為さねば為らぬ、何事も>の往時の住人達の意気込みが、伝わって来る山止め跡である。餓鬼の頃は馬鹿の一つ覚えで、棒切れを手に、唐草模様の大風呂敷をマントに仕立てて、石垣の上から飛び降りて、怪人20面相ごっこをしたものである。歳を取ると、体が言う事を利かなく為るものである。その分、先人の労苦に目が向かうものらしい。

 乗用車が一台通れる道幅の未舗装道路が、浅間温泉の本通に通じている。片方は山肌、他方は竹林が競り上がる。タイム・スリップをした様な一帯である。

 ホテルの駐車場跡からは、北アルプスの雪を頂く、山岳屏風が連なる松本平が一望出来る。此処は、日常生活からは忘れ去られてしまった、人影の無い落ち葉の敷き詰められた道である。四十雀の小群れに混ざって、ヤマガラが小枝を渡り、ホウジロ達が短く鳴き交わして、竹林の藪に姿を見せる。駐車場跡からは、なだらかな下り坂が続く。結構な有酸素運動であるが、此処で煙草を吸っては、元も子も無くしてしまう。山の匂いを嗅いで、空気を愉しむべしである。12月半ばであるが、山の斜面を照らす太陽光線は、秋の光に近い清々しさに溢れている。

 合流地点からの裏道は、用水路が山際に沿って流れている日陰の道である。ジョウビタキのオスが居る。黒い実を付けた茂みに、鳥影が小さく動く。動きを追って、茂みに目を凝らすと、如何やらアオジの様である。さてさて、温泉本通りに合流である。

 湯花温泉をコップで飲んで、ゆっくり垢流しをして来る。帰りは、すっかり薄着のテクテク歩きに為ってしまった。途中、自販機のジュースで咽喉の渇きを潤そうと思ったが、思い止まる。途中、煙草の買い置きをして来る。帰宅して、水道水を飲む。冷水の旨さに、<嗚呼、これなり>とニンマリの段であった。

閑人のお節介
               閑人のお節介(12/14)
 一度、餌を取替え中の時に、取り出し口が半開きに成っていて、鳥が外に出てしまった事がある。家の中であったから、少々追いかけっこをして、鳥篭に収まった。日曜日、政治座談会も今やマンネリの権化である。国民のお付き合いとは思うが、些か食傷気味である。ヤル気が起こらないから、部屋の鳥篭の戸を開けて置く。

          さて、鳥篭から出て、どんな動きをするか? 

 面白そうである。人も動物も、日常の慣れの中で、習慣・惰性生活しているものである。不自由無くまあまあの生活をしていると、開いている戸は、締まっていると見えてしまうのが、無意識の性なのである。実は、何度と無く同様な失敗を繰り返してはいるものの、大事に至っていない結果なのである。鳥篭の二羽は、何度と無く餌を啄ばみに来ているのであるが、一向に目の前が開いている事に気付いていない。相も変わらずの日常動作で、囀り、止まり木とゲージをチョンチョンと飛び交っている。
 
 前回の遁走は、朝の餌の補充時に起きた出来事である。餌入れの中の粒餌は、殆どが食べ尽くされ、未だかとばかりに、餌に執着が募っていたのであろう。そんなタイミングの中で、起こった戸の解放であったのであろう。条件が異なれば、行動以前の無意識に有意識が働く。霊長類の頂点に立つ人間とて、好くある経験である。普段と違う意識の中に、小鳥の眼に<戸の解放の現実>が見えたと判断するのが、妥当と云うものであろう。

 昨夜のオスグッピィは、重そうに鈍い泳ぎをしている。食欲も無いらしく、腹部がゲッソリしている。願わくば、短気の体調不良に依る<気だるさ泳ぎ>であって欲しい物である。

 人間とは馬鹿なものであるから、籠の鳥が自由の戸が開いているのに、気付かないと痺れを切らして来るものである。<何とか気付かせ様と>餌の容器を、鳥篭から出して机の上に置いて見る悪戯を試みる次第なのである。これを称して、閑人のお節介と云うものである。

 一向にその気を見せない鳥篭の背後の雑木に、バルディナ登場である。バルディナ様は、別称・北国の観音様であるからして、小枝に特徴の尾羽タクトを振り振りされると、途端に<遺憾いかん。羞恥の行為なり。> 何やら、心を見透かされた様である。籠の小鳥を相手の年甲斐も無い悪戯心の行いが、気恥ずかしいばかりであった。

 粗相をして、笑われぬ内に隣室に移動して、お気に入りのDVDを見ながら、日曜の午後を過ごすべしである。夜は、三本テレビのお付き合いが控えて御座る。

心何処ーショート 眠りのエピローグ
                眠りのエピローグ(12/14)
 明日は、再び冬に戻るとの事である。暫く休んでいた湯たんぽに、熱湯を満たす。部屋に戻って、夜を過ごしていると、卓上スタンドの光の中で、赤尾のオスが喘いでいる。彼は、長らく小世界の首座を守って来たグッピィである。夕方までは、変な泳ぎを見せなかったのであるが、命に『とぼり』が迫って来たのであろう。何ヶ月かに一度、現れては消えて行く命の終焉である。

 当初は、如何しても短命に終わっていたから、グッピィを季節魚と位置付けて時季限定の鑑賞で終わっていた。でも気分は勝手な物で、季節が巡って来ると、金魚だけだと矢張り淋しい。それが命を全う出来ずに、水質が原因で全滅の憂き目に遭ってしまうと、何故だ?何故だ?の疑問と意地が高じて来る。つまりは、往生際が悪いのである。

 試行錯誤の過程で、水質が安定して来て、グッピィの誕生が続いた。そう為ると、愛着が湧いて、ヒーターを入れて通年飼育と相成っただけである。ヒーターと云っても、半年は使用しない。自然任せのホッタラカシである。ヒーターを入れて、二回目の冬である。管理の行き届いた、ペットコーナーの煌びやかなグッピィ達とは異なって、我が机上の小世界は、地味な世界である。水草・タニシの同居する世界は、其々に世代を繋いでいる。水槽住人は、普段は手の掛からない優等生であるが、水質・餌次第では、呆気無いほどの全滅の憂き目に遭ってしまう。
 水槽水質の救世主は、天然ミネラル・バクテリア含有の『川の水』であった。地場産業・地産地消のご利益は、人間が管理出来ない電子顕微鏡のバクテリア世界では、正に適者適存・繁栄のバックボーンであろう。

 ラジオは、何時の間にか深夜便の穏やかな口調に替わっている。コーヒーの替わりに梅酒を注ぐ。深々と冷える室温に、部屋を見渡せば時が止まった様な空間に、気心を通じ合った美形達が微笑んでいる。物言わぬ部屋の住人達は、<有り難き哉>の深夜の静寂である。
 さて、私の体内時計も就寝の針を指し始めている様である。隣室の湯たんぽの熱も、足元に充分伝播している事であろう。

  グッピィ君、翌朝の挨拶は交わせるだろうか・・・

心何処ーショート 懐かしの校歌 
                 懐かしの校歌(12/13)
 民放バラエティー・テレビでは飽きもせず、漢字の正しい読み方の流行である。釣られて、難しい漢字にお付き合いをしていると、とんだボロを露見してしまう。私も総理に倣って、反省頻りの態である。人間とは、自分で正しく言った積りが、とんでもない事を言ってしまっている事が、結構あるものである。本日は、週末であるから、そんな可笑しな経験を紹介しようと思う。

   あれは、四十数年前・・・
 月に一度か、週に一度かは、遠に忘れてしまったが、中学の体育館に全校生徒が整列して、校長先生の有り難い御高話を拝聴する朝のお時間があった。その日は、白髪丸坊主の校長が出張で、体格良しのゲジゲジ眉毛の教頭が、代行して演台に立った。教頭は教師が休むと、自習の時間と成り、机に座る取っ付き難く・些か怖い男であった。
 モゴモゴ入れ歯の校長の説話は、聞き取り難かったが、口癖が、・・・・<元へ>・・だけが妙に耳に残り、教頭は、話の冒頭に<エヘン>を多用する御二方であった。従って、校長の綽名(あだな)は、『元へ』であり、教頭は『エヘン虫』であった。教頭の彼は、三船敏郎氏よりは数段格下の風貌であったが、威丈夫の形であった。
 その日も、教師達の黙礼を堂々と受けて、意気揚々とステージに立った教頭は、落ち着いて体育館の生徒を見回して、『エヘン』から、始めたのである。エヘン虫は言語明瞭にして、厳格・尊大にして話が長いのである。私は、休めの体位で、列の後方からお得意の体育館雰囲気のウォッチャーをしている。

「エヘン、本校も、ベビーブームの中、全校サブロク(3×6=16)、16学級と開校以来の生徒数を・・・・」
<何? 3・6=16??? 3・6=18の間違いだよな、俺の空耳だろうか?>
間違いではなかった。笑って、ざわ付いたら、教室に帰って来てから、教師にはっ倒される。武士の情け・気付かざる、言わざるであったが、体育館には、その空気が走っていた。
何時しか、教頭の綽名に『サブちゃ』が加わっていた。何故か知らぬが、私には、その後の教頭は、腰が低く為った感じで、何処と無く面白い大人に見え始めた。

  その後、私は番カラ男子進学高に入った。
 高校のOBが、教師の半数以上を占めていた。教師は、生徒からは先生と呼ばれずに〇〇さんと呼ばれ、生徒は〇〇君を付けられずに、苗字・名前で呼び捨ての校風であった。OBの校長は、硬派の貫禄充分の男だった。
 然し教頭が拙かった。<男子、弱音を吐くな、大道を闊歩せよ。>の校風から遠い貧弱男であった。然しながら、弁が立った。然も温情味希薄の嫌われ者であった。謹慎・停学・退学を声高に叫ぶ戯け者であった。
 時代は、社会党委員長の浅沼稲次郎氏が、山口オトヤ少年の兇刃に倒れると云う事件があり、新聞では、『怒れる17歳』の大文字が踊っていた時代であった。戦後民主主義教育の第一期生が、反抗期の主張をし始めた時代背景があったのである。

  その教頭が、全校生徒を集めて、風紀粛清の演壇に立った事が有った。
「・・・・・、その様な振る舞いは、伝統ある我が高の伝統を辱め、延いては・・・その行為、言語道断にして、<とんでも鉢巻の話>である。依って、・・・・」

<何!! あの馬鹿、「とんでも無い話」を、口が滑って『ハチマキ』と来たぜ。大した盛り上がりだわさ。おっ、気付いたか、如何する素直に、訂正するか? 沽券に係わるか、どっちを取る!! ・・・駄目だ。小物過ぎる。ホレホレ、ギャギャ、そんなにほざくと、天誅が下るぞ。『丸坊主、一週間の謹慎、アッシが、悪うゴザンした。反省しました。』で許して遣れば好かろうに、丸坊主が元へ伸びるまでは、全校生徒への引き回しじゃないか。退学をちらつかせて、教育者面するなよ。皆、この高校が好きなんだよ。心の底で、この番カラを誇りにしてるんだぜ。小男が、余りギャギャ威張り過ぎると、見たくも無い醜い絵だわな。あんた、そんなに威きり立って居たんじゃ、底が浅過ぎる。早晩、校風に合わないから、放校されちゃうよ。>

 あれから、40有余年。煙草の儚き紫煙に、小・中・高・大の校歌を口ずさんで見る。年甲斐も無く、偶には母校校歌も好い物である。目の前の電線工事も終わった様である。快晴に、昼食後は、のんびりと外に繰り出そう。
 

心何処ーショート ノルマ一つ達成
                 ノルマ一つ達成(12/12)
 好天にして無風。朝食後は、さぁ、沢庵漬けである。テレビを見た後は、廊下から台所への大根運びである。この日の為の自然調味料は、ナスの乾燥葉・渋柿の乾燥させた皮・赤唐辛子である。それら脇役と塩・米糠を手の届く範囲に揃えて、メタボ男が、ドッカリと胡坐を掻く。
 去年は、お師匠さんの口述・実施指導に従って、漬けたのである。今年は、一本立ちである。母は襖を開けて、炬燵からニコニコ此方を眺めている。漸く風邪から解放されたものの、体が動かないのだろう。几帳面な矍鑠とした女であるから、一緒に作業をしている気を送ってくれているのである。小生、今や賄い夫一年の立派なキャリアである。独断且つ自信で、<中央突破>あるのみである。男は、いざと為れば戦場の勇士なのである。女に頼っていては、日頃の妄想に疵が付くと云うものである。

    携帯ラジオを持ち出して、タバコに灰皿を置く。
                    準備万端・後顧に憂い無しである。

 糠を敷いて、粗塩パラパラ、大根ギッシリ並べて、柿皮敷いて、ナス葉・赤唐辛子、揉んで揉んでパーラパラ。お次は、大根ギッシリ並べて、糠敷いて、粗塩パーラパラ。

    以下同文の繰り返し作業である。
            途中で糠が無くなったから、買出し方々車に乗る。

 再び、仕切り直しの<男やもめパーラパラ音頭>である。上の二段には、早く漬かるミヤシゲ大根が、見事に収まった。大根を買って来た時は、欲を掻いて<買い過ぎた>と反省していたのであるが、お天道様のご利益で見事しなしな大根の完成である。桶に入り切らないと危惧した大根は、私の気迫に畏れ慄いて、しおらしく萎縮の態である。桶を引き摺って、台所横の物置スペースに無事監禁である。大根は、大和撫子の別称大根足に通じるからして、逃げられぬ様に、漬物石三個のお仕置きを施す。完成させて<見たか、物臭男の此処一発の威力を!!>の自己満足である。

 余力を駆って、母の部屋を丸く掃き、隣部屋・廊下まで掃き掃除をしてしまった。余力、未だ枯渇せずであるから、次いで浴槽を洗い清め、風呂を焚く。その間、再び厨房に入り、母好物の松前漬けの封を切って、水に潤かし、自前の出汁を作る。具には小粒のホタテをドサと入れて煮立てる。
 さてさて、次なるは、再放送『相棒』の時間帯に合わせて、昼飯である。相棒を見終わって、風呂に浸かり、母に譲れば、早や16時である。定位置に据わり、四畳半の住人達の様子を観察しながら、本日初めてのコーヒーを飲む。後一時間もすれば、釣瓶落としの夜の帳が来てしまう。

 遺憾いかん、本日パソコン0文字であった。思案に及ばず。マンネリ日常の出任せブログであるからして、電源をONで、ワード画面を開けばタバコの紫煙の先に、有っても無くても好い字面が生まれよう。
 安易・差別の典型のタバコ税値上げは、政治家も思い止まったとの事である。実の処、手薬煉引いて、その暁には当ブログに政治家感覚について、下衆の全身全霊を賭しての『罵詈雑言の限り』を繰り広げようとしていたのである。如何やら彼等にも、常識・平衡感覚の羞恥心が残っていた様である。先ずは、惰性の恋人のタバコは、我が元に居てくれとの事であるから、好とすべきであろう。

心何処ーショート 旨き空気
                  旨き空気(12/11)
 大根干しも、本日が最終日であろう。明日は、愈々樽漬けにしよう。水槽の上に置いた鳥篭に差していた太陽も、雲に覆われてしまった。風が強くなって来た。斜向かいさんのベランダの洗濯物が、風に翻弄されている。冬空のお出ましである。親鳥の鳥篭では、すっかり大人に為った子供が、親と互角のせめぎ合いを見せている。理想を言えば、独立させて遣るのが、順当の処であろうが、これ以上繁殖されては問題である。何事にも定員と云うものがある。人間の都合ではあるが、この冬は我慢して貰うしかあるまい。文句があれば、<自分達で工夫せよ>である。

 新参集団のグッピィは、小世界に混ざり合って、程好い感じで彩りの太い尾鰭を震わせている。金魚達は朝の餌を平らげて、底を泳いだり、浮上して水面の気泡を啄ばんだり、緩やかな遊泳を繰り返している。

 することも無いから、川の水を汲んで来て、天然ミネラル・バクテリア含有水を満たして遣ろうか・・・
飼い主は、水道水の家庭風呂よりも温泉銭湯を好む男である。循環式ろ過装置の水槽水だけでは、感性が鈍ると云うものであろう。もう1本吸ったら、重い腰を上げるから、暫し待て。

 バケツを二つ持って、長靴を履く。二度目の汲み取りに向かう時に、バルディナ発見である。バケツ四杯の一挙水替えである。水と云うよりも、彼等にとっては、空気の総入れ替えの様な物であろう。我が定位置四畳半の、朝の空気の入れ替えの様なものである。新鮮・美味らしく、魚達の泳ぎの態度が、まるで違って見えてしまう。『好し好し』の段である。誰も言葉では褒めてくれないものの、<自労自賛>の感想を、クッキーとコーヒーで潤していると、窓辺の雑木にバルディナ登場である。
 顔を向けると、程なく飛び去ってしまったが、渡り鳥の小鳥と云えども、彼女は大した心根の持ち主である。下手な小賢しい口数人間よりも、性質が高質である。

 風強き曇天の外であるが、昼の賄い夫の時間には未だ間がある。タバコにくすんだ肺に、旨き空気を取り入れに、暫くの散歩運動に向かうべしである。歩き、眺めれば、何かが心に去来して、何かが語り掛けてくれるものである。

心何処ーショート 嬉しい訪問者 
                  嬉しい訪問者(12/10)
 どんよりと曇った今朝は、春の気だるささえ運ぶ。最近の寒暖の大きさに小首を傾げるのであるが、暖かいに越した事は無い。ありがたい朝である。窓辺に出した鳥篭では、食事後の小鳥達が水浴びを始めている。思えば、玄関の下駄箱の上で朝を迎える小鳥の声に、変わった声があった。餌と水の取替え時に藁巣の中を覗くと、案の定、卵が入っていた。

 高校生の頃、物置小屋の横に鳥小屋を作って、十姉妹・金華鳥・鶉(うずら)を飼っていた事がある。時間があると、ただ、鳥達の動きを見ているのが好きだった。鶉は、川砂を敷いた床の掃除係兼地上鳥の配置である。避難所に設けた、板切れを立て掛けた隅に皿穴を掘って、夕方に成ると、メスは目を白黒させて卵を産んでいた物である。卵を産み終えると、決まって独特の声を挙げていた。その時にだけ発する鳴き声の解釈について、推理を働かした物である。踏ん張り、力んだ末の安堵の声か? はたまた、卵を産み終えて、誇らしげにオスを呼ぶ声か? 

 鶉は地味で安い鳥であったから、面白味が薄い。メス数羽にオス一羽を飼っていた。人工孵化の鶉であったが、私には少なからず、広い所で飼えば抱卵するのではないか?の期待もあった。然し、その期待は外れて、溜まる鶉の襷には短過ぎる『小卵』の数は、お手上げの態であった。オスは、当然ハーレムの主である。キョッキョッ、キョーと、甲高い大きな声を張り上げて、メスを追い掛け回しては、メスの首根っこの羽毛を嘴で掴むや、ヒョイと飛び乗って交尾を、次から次に、繰り返していたものである。まるで手当たり次第の乱暴狼藉の様である。

 その頃の私は、自他共に認める硬派の品行方正の男であった。タッタッターと砂を蹴って、メス達を追い回しては、瞳孔をグルグルさせて、手当たり次第メスを掴まえては、有無を言わせずにグロテスクに飛び乗る様は、山賊・変態男の無様さであり、強引にして猪突猛進の動作は、破廉恥漢の典型にして、言語道断の畜生道であった。
 観客人は私一人であったが、余りのはしたなさに、オス鶉をとっ掴まえて、
<この野郎、お前の頭の中には、虐めと種付けしか無いのか!! 俺の目の前で、抜けシャーシャーと、少しは恥を知れ。馬鹿もの!!>と、脳味噌の少ない頭をペンペンして遣った物である。
そして、オスを迎え入れるメス達の当然の振る舞いも、又、何処と無く面白かったのである。

 後年、サイパン島からプロペラ小型ローカル機で、ロタ島に行った事がある。眼下には無人島が幾つか見えた。夢運ぶ南洋の小島である。その孤島に私の妄想を働かせて、ニヤニヤしていた事を思い出した。
 
 私は、正真正銘・妄想タイプの男である。絶海の孤島に手を加えて、世界各地から椋奪して来た全裸美形達を住まわせて、ちゃちな古代ローマ風のコロシアムを作って、パンパカパーンのラッパを吹き鳴らして、全裸美形を降り注ぐ太陽の下、追い回してギョッギョッギョォ~とばかりに、勝鬨を挙げ捲くる。これぞ、健康的な男女にしか出来ないスポーツの祭典であろう。想像しただけで、パラシュート降下したく為るほどの無人島の勇姿であった。
『だが待てよ』である。鶉のハーレムを実践したいのは、山々であったが、文明生活に毒され小振りな常識洗脳が行き届いてしまった時代である。男尊女卑為らぬ女尊男卑の蔓延する時代にあっては、女同士連帯されてしまっては、多勢に無勢の結果を引き起こして、肉体労働&性奴扱いされてしまっては、元も子も無い処である。
 
 人間の性は、怠惰と官能に走るものである。自給自足の肉体労働の対価が、女族の官能の餌食に為っては、早晩、腎虚の結末である。此処は、一つ温故知新の冷静さが必要であろう。<君子危きに近寄らず>に照らし合わせれば、我が個人的妄想欲望を叶える為には、条件の工夫をしなければ為らぬ処である。妄想欲望は際限無く膨張するするのであるが、体力・精力は下降線を辿るだけである。現実を冷静視しなければ、現実の妄想とて先が進まぬ難題である。

『ウ~ン、この手で行こう。』それは情報を私が独占して、一対一の方が、何かと都合が利くと云う<小者の論理>からである。彼女達には一人一人、別々の自給自足の出来るエリアを与えてるに止めて、エリア間の連絡は不能の間隔にする。私は体力の温存を図って馬に乗り、彼女達のエリアを巡って、食料の貢物とお情けを振舞って、悠悠本能と理性で暮らすのである。女族相互の連絡を絶てば、錯覚に基づくハーレムの頂点に君臨出来るのである。

『遣ったぜベィビィ、ウッシッシッ。グット・アイデア』である。或る時は、白い肌、褐色の肌、黄色の肌、黒い肌・・・と快楽に弾む妄想に、眼下の無人島は、邪なる夢を叶えてくれる好条件に満ちていた。トロピカル・フルーツに、海岸での釣り、鶏を飼えば、如何にか成りそうな自然の恵みである。妄想とは、こんな風に利用すべきものであろう。

 こんな事をニタニタと打っていると、傍らの携帯が鳴り始めた。Tからである。昼飯でも食いに行こうとのお誘いである。喜び勇んで同行する。スパゲティとコーヒーで、不良男二人は、近況歓談である。帰りに、お手製干し柿と熟柿を進呈する。「おっ、美味いじゃないか。手塩に掛けた逸品だな。サンキュー」の段である。遠目には、貫禄・風格十分の二人であるが、交換する内容は、歳を取らない番カラ男のゴタ話である。つくづくと、進歩の無い男二人である。
 
 昼の賄いをして、部屋で続きを打とうしていると、正面のフェンスには、ジョービタキのバルディナさんが、此方を見て黒い尾羽を振って来る。恋焦がれて、待てば一向に姿をお見せに為らなかった彼女は、フェンスから窓辺の雑木の枝、玄関のツゲの木を行き来して、愛想を振り撒いている。

 嗚呼、お前さんが人間の女なら、寒闇を引き払って、俺と冬の褥を共有しようじゃないか。
     これこれ、逃げるで無い。お前さん、素直・地の儘で、良かろう。
 無理矢理とっ掴まえて、キョッキョッ、キョーは、遣らんぞなモシ。俺には、妄想を実行に移す趣味と度胸は、無いから安心しな。そうか、行ってしまうか。また、明日も来いよ。

心何処ーショート ぽっかり、半日秋日和
               ぽっかり、半日秋日和(12/9)
 温かく好い天気であるが、午後からは崩れて、雨との事である。昨日から、母は風を引いている。朝食をパスしようと思ったが、薬を飲んでいるから、賄い夫をする。米が、そろそろである。風呂経由で米屋・薬屋に回る事にしよう。
 それにしても、痒い。如何やら銀杏の果肉に、かぶれた様である。目の周りと、大事な箇所が痒い。敏感箇所であるから、熱めの湯に浸かって、石鹸洗浄の後は、薬屋に寄って、軟膏を擦り込むとしよう。迂闊であった。私は、子供の頃より、かぶれには敏感であった。

 温泉銭湯は、内から温まって、中々に汗が引かない。風呂から上がって、セーター姿で、バス停の灰皿を拝借して、長い一服を吸う。見上げる空は、この時季にしては珍しく、竹箒で掃いた様な、薄い白雲が高い所に続いている。多分、秋にお目見えする巻積雲なのだろう。道理で、温かい筈である。
帰って来ると、正午を回っているだけである。布団に伏せった儘の母は、食欲が無い様子である。早速、自室に戻って、『痒い痒いの飛んで行け!!』と念じて、患部に目一杯擦り込んだ。朝食が遅かった分、私の腹も未だこなれていない。未だ、天気も好い。温かい秋日和であるから、賄い夫をするには、勿体無いお天気である。

 おう、好し好し・・・<オイラックス・デキサS軟膏>は、霊験顕らたかの感じである。

 グッピィを買いに行く。すっかり近親婚の進んでしまった小世界に、新しい血を補充する必要を感じていたのである。ペットコーナーで、順番を待っていると、腰の曲がった老夫婦が遣って来て、猫のゲージについて、大声でああだ、こうだの家庭劇を始めてしまった。短腹、亭主風旺盛な粗暴言語の老夫に、一歩も退けを取らない老妻の返しである。『おお、怖い、凄い!!』

 先日、クローズアップ現代の番組で、<切れる老人>の放送が有った。傍聴観察ではあるが・・・マダマダ、俺は若い。俺の視野は、未だ高角度を維持している。ほっと、胸を撫で下ろした次第である。黄色と青味の強いものを選んで、4P・8匹を投入する。これで、小世界にも、彩のアクセントが復活するだろう。

 昼食後は洗濯をして、雨が落ちぬ間に、大根の収納をする。もう、2~3日で天日干しも完成の感じである。暗くなった空から、しとしと雨が降って来た。川からの水汲みを予定していたが、次回とする。急ぐ事など、一切無い日常である。怠惰の中に、しなければ為らない事は、ばらして平均化すれば好い。スローライフの中に、今日も釣瓶落としの夕刻である。

心何処ーショート 西のお山は、吹雪いて御座る。
             西のお山は、吹雪いて御座る。(12/8)
 アリャリャ、打っている間に、全部消えてしまった。トホホにして、コンチクショーである。一気にヤル気が失せてしまった。年に何度か出没する<物の怪?>である。適当打ちであるから、こうなると始末に終えない物臭男である。対象は、再現作業には、凡そ似つかない好い加減ロートルの文章である。先端技術の恩恵・しっぺ返しも、マウスのカチッ一つの御技の結果である。

   仕方が無いから、気分治しに寒風舞う散歩に出掛けるしかあるまい。
 おお、寒い。木の葉カラカラ吹き付ける向かい風である。西のお山は、霞む稜線にして、川の水面は、波に大きく揺られている。防御は、ジャンバーのファスナーを一杯に引き上げ、襟を立てての自己発電機である。

 大寒・小寒(おおさむ・こさむ)のオイッチ・ニー、オイッチ・ニー、の自助努力である。
 この時間帯なら、ウオーキングの姿が二・三見えるのであるが、誰とも会わない。然もありなむの寒さと風景である。我が身は生一本・真面目だけが、取り得のロートル男である。
<負けちゃ為らねぇ、何のこれしき、冬は始まったばかり>である。オイッチ・ニー、オイッチ・ニー、の不貞腐れ運動である。やっと、発熱量が回転し始めた様である。手袋を脱いで、ファスナーを半分程下げる。

 午前中は、お天道様の光に満ちていたのである。日差しの恵みを小鳥達にもと思い、部屋一番の日差しの中に、鳥篭を二つ並べた私は、コーヒーと自家製の干し柿を口に、彼是と駄文打ちをしていたのである。ノルマ日記の分量を八割かた打ち進めて、飲み頃と為った自家製梅酒を切子グラスにトクトクと満たし、ベビーチーズを摘んでいたのである。余裕シャクシャクのマウスの右手が、何やら動いてしまったらしく、カチッと乾いた音が鳴った途端、略1ページの分量が、綺麗さっぱり消去されてしまったのである。中身などは、再現作業に供するまでも無い内容である。足掻きは、徒労の果ての、気分の萎縮だけが残るのである。

     何しろ、耳と頬っぺが、冷たい。チャプイ、チャプイである。
 結果に身を晒せば、昼寝時間を潰され、寒風内散歩と云う『外れ籤』を引かされた様な物である。プラスに考えれば、寒風の外を眺めて、本日の散歩をパスしようと目論んでいたのが、お天道様の<天網恢恢、疎して漏らさず>の網に引っ掛かってしまったのであろう。何と云っても、お天道様の前では、文句を言った処で、一切通じない人力である。

            オイッチ・ニー、オイッチ・ニー、
 斯く為る上は、駄文ノルマ終えて、布団の中で、濃い昼寝睡眠を取るべしである。嗚呼、御山は、吹雪いて御座る。帰るべし、帰るべしである。

心何処ーショート 道産子
                   道産子(12/7)
 青空に、くっきりと雪の等高線を描いて、北アルプスの連峰が屏風の様に凛として続く。急な勾配を自転車に乗ったメタボ男が、道路幅を一杯に使って、ジグザグに漕ぎ進んで来る。此処は、小さな昔ながらの温泉旅館が立ち並ぶ坂道である。山際の畑からの帰りであろうか、自転車を引いて中年女性が、籠に長ネギをどっさり入れて下りて来る。
 
 坂の中間には、市営の温泉保養施設がある。メタボ男が、顔を顰め息を弾ませ、自転車から降りる。大きな深呼吸をしている。男の息遣いの中には、満足感が混じっている。

「凄いよ、おじさん。自転車でノンストップで、上って来るなんて。始めて見たわよ。」
「フゥ~、苦しい、死んじゃうよ。意地で上り切ったよ。マダマダ、根性だけはある見たいだ。」
「やっぱり、その体格じゃ無いと、その馬力は出ないわね。大した物だわ。拍手して上げるね。」
「へへ、ゴッツォサン。でも姐さん、還暦男を褒めたって、嫁には出来んぞ。」
「あらあら、おじさん、凝った事言うじゃん。好い汗掻いたから、ゆっくりして行き。」
「あいよ、昼寝して帰るよ。ありがとう。」

 男は幾分苦笑に近い笑いで、おばさんに手を振った儘、ドァを開いた。下駄箱に靴を入れて、ロビー正面の利用者名簿に名前を書くと、廊下を歩いて奥の男湯のくすんだ暖簾を潜る。脱衣所には、湯上りの汗を冷ます様に、白髪頭の老人が二人、世間話をして居る。シャワーに鏡の付いた洗い席が、左右3つづつ付いたこじんまりとした湯には、5~6人の先客が入っている。

 市営の温泉保養施設であるから、老・中年組、夫婦達が時間を掛けて、食料持参で利用しに来る。畳敷きの休憩室が3、囲碁・将棋室、図書室、週2回の健康相談室もある。施設は古いが、その分、気取らない常連利用者が多い。

 湯口の脇には、湯奉行然とした男が陣取って、水道の蛇口を捻ったり、閉じたりして、湯加減を調整している。常連連中であるから、顔を見ての湯加減をしているらしい。
「おっ、丁度好い。〇さ、巧いじゃん。」
「そうずら、入って来るの見えたから、チョッと熱めにしといた。」
「おう、〇さ、洗ったら、こんだぁ俺入るからな。」
「分かってる分かってる、父っあん、今度は温めにすっからよ。」
「凄いね、〇さ。コンペ~タ~内臓じゃねぇか。」
「爺っさ、慣れねぇ言葉使うな。そりぁ、コンピューターって言うだわさ。」
「何ぉこいてるだ。チョックラ入れ歯が、ずれただけだい。オラ、未だ、金平糖とコンピューターの区別くらい付くぞや。オチョクられちまったいなぁ。」
「やいやい、薮蛇だ。★さ、父っつあんの背中、洗って遣りましょ。」
6人の入浴者は、何れも顔見知りらしい。一人の言葉に、他の者が軽い調子で、言葉を繋いで来る。湯気の立ち上る浴場に、笑いが響く。彼らの裸の付き合いには、年季が入っている。
 
 風呂から出て、休憩室で一休みである。先客の老夫婦が、薄手の毛布に包まって、寝ている。廊下の向かい部屋では、何やら展示物があるらしい。物珍しさが手伝って覗きに行くと、松本手毬同好会の展示室と成って居る。同様の男二人が、展示付き添いの二人の婦人と、お喋りを交わしている。20人程の大小様々な出品作であった。その数、ざっと50~60点程である。
 湯上りのメタボ男は、堂々とした体付きと態度で、展示手毬とそれに添えられた名前を覗き込んで、一つ一つを眺めて室内を一周してから、口を開いた。
「ほぅ、作者の名前に<子>の付いていないのは、3人だけじゃないの。」
「おじさん、何言いたいだ? 歳と年代が分かるずらい。お互い、歳数から言ったら、好い勝負ずら。皆、おばあちゃん会さ。湯冷めしない程度に、ゆっくり見て来ましょ。」
「ねぇ、おじさん、顔も頭も、私の旦那とそっくり。見て、吃驚しちゃう。」
「え~、そうかいな。じゃあ、好い男だろ。禿げる前は、旦那、俳優に成りたいって言ってただろ。」
「言ってた、言ってた。薄くなり始めたら、青くなって、カツラ買うかなとか、毛生え薬買って、来いとか、好く言ってたものよ。お宅は、如何なの?」
「俺なんか、自殺未遂10回だよ。10回目に三途の川を渡り切って、関所迄行ったんだけど、そん時は、生憎長蛇の列でさ。閻魔大王の三下野郎に、禿くらいで大王様のお手間は、取らせられ無いって、あのご太い棍棒でフル・スイングで、娑婆戻りって寸法さ。禿じゃあの世の扉は、開けちゃくんねんだとさ。」
「それで、おじさん、如何したのよ?」
「会社を有給で休んで、徹夜で三日考えて、すっぱり諦めた。閻魔様の選考基準が、有りの儘で一生懸命生きろと来りゃ、文句も言えねぇずらよ。あの世に行く為には、禿で一生暮らすより仕方あるめいょ。素直に生き無くちゃ駄目なら、紛い物のカツラを被る訳にも行かねぇやさ。オヤジ、呼んで来い。貴重な体験話して、俺がお説教して遣る。」
「何てお説教するのよ?」
「カカア貰って、子供仕上げて、第二の人生、女遊びの下心、見え見えじゃねぇか。」
「会った事も無いのに、如何して分かるの。口上手ね。おじさん、詐欺師じゃないの?」
「だって、顔形が、瓜二つなんだろ。顔と心は、繋がっているんだわさ。俺なんか、一生独身童貞の裏道人生だぜ。俺と比べりゃ、月とスッポンの豪華人生じゃないか。亭主の料簡違いを、嫉妬の一発を食らわして遣らぁな。」
「おじさん、駄目駄目。私の旦那、体格・迫力で負けちゃう。私、旦那居ないと、困るもの。」
「そりぁ、可笑しいぞ。俺と旦那は、そっくりなんだろ。裏道街道一直進の可愛そうな俺に、同情心は、ゼロか? 冷たい女だなぁ~ 松本手毬の起源は、貧乏武士のお内儀さんの内職手仕事だよ。亭主の危機には、立派に姥桜のこの身を提供してまでもの、一途さが篭って無いじゃないの。心の篭らない手毬は、趣味で終わるよ。にゃは! 如何じゃ、如何じゃ。参ったか!!」
「フン、だって、私、信州人じゃないわよ。道産子よ。」
「何~、俺も道産子だわさ。」 

心何処ーショート 市井・片隅の親子漫才 
              市井・片隅の親子漫才(12/6)
 いやはや、寒風吹く冬晴れのブルブルである。廊下の大根を庭に干し台に並べながら、ついつい啜るは、鼻水である。一本の半分ほどがシナシナに成って来た。後で、見本大根を持って、母上様に干し具合のお伺いを立てずば為るまい。鼻水を啜って、面倒であるから、納豆・煮魚・昨昨日、仕込んで置いたイカの塩辛で朝食を済ます。シナシナが、全体に回るべしとのお達しである。<ははぁ~、畏まりまして御座りまする。>の段である。此処まで来れば、後は惰性である。 

 朝食後のテレビで旅グルメを見ていると、<忘年会は遣らないのか?>と母に言われる。悪くは無い話であるが、億劫生活が身に付くと、外に出掛けるのが大儀となるものである。冬は、特にそうである。携帯を見ると、スナックからのお誘いメールが入っている。とんと足を向けないスナックさんであるが、未だ世間とは辛うじて繋がっているらしい。
 娑婆を抜けると、付き合いの気兼ねが無くなってしまうから、気に染まぬ者からは、益々遠ざかるばかりである。T・M氏が現役を引退すれば、遅かれ早かれ団塊世代の男3人気分任せの旅が、何度かされる筈である。
 好母は閉じ篭り気味の息子に気兼ねをして、そんな言葉を掛けてくれるのであろう。ネオン、人が恋しくなれば、堪え性の無い男であるから、行きたい時は、黙っていても、体は動く物なのである。それが、男の生理と云うものである。
 
 老母子生活を、別に淋しい、退屈とは思わないが、外部との話が少なくなった分、テレビに映る女性を相手に、母の前で

 フィギャ・スケートで白人女性を見れば、
「おお、いい腰付きだ。女の体は、それで無くちゃ意味が無い。」とか、
「カメラさん、もっと寄って、アップアップ。踊り手さん、そのヒラヒラは入らないよ。さぁ、今度は、そこで思い切り開脚して、嗚呼パンツが邪魔だよ。シンプル・イズ・ベスト。無垢の芸術が一番、ミロのビーナスは全裸だよ。男の芸術点が倍増するよ。ああ~、表情好いね、好いね。」
「裸同然じゃないか。」
と続き、母は同性の強みで、けんもほろろ、無味乾燥コメント一言である。

 サスペンス・ドラマを見れば、
「好いね、好いね。女優さん、そのヒップライン。もっと、くだけた姿勢で、庶民感覚出そうよ。恥ずかしくない!!もっと踏ん張って、ハイ、腰のラインを強調して、女優さんは顔技だけじゃないよ。体技も演技の内だよ。こいつは、駄目だ。中途半端だ。大した女優には為れんぞ。」
などと、平気の平左である。母は、馬鹿息子の言いたい放題を、顔を顰めるものの、ニコニコ顔の呆れ笑いをしている始末である。まぁ、これとて見も知らぬのご婦人を、欲情一辺倒、体力任せに襲い掛かるよりは、数段益しである。女房・子供の前では、到底出来ない<私の無垢心>の一端である。市井・片隅の手放し、ウッシッシと云う処であろう。

「この~、生意気こいて、言うに事欠いて、そりぁ開き直りかぁ。許せ無ぇ、押し倒して有無を言わせず、手篭めにして遣るか。教育的指導しちゃうぞ。好色変態悪代官様とは違うぞ。誤解は訴訟の元だぞ。国家財政逼迫の折だ。誤解・錯覚訴訟は、国家破綻の道だぞ。コメンテーターなら、その位の高所大所の見識は、御座ろうよ。魚心在れば、水心在りじゃわ。愛いヤツじゃ。」
などとテレビ・コメンターに身を乗り出して、口を滑らせ様ものなら、すっかり小さくなってしまった体を、座椅子に預けたままの母は、空かさず
「元気な内は、馬鹿息子の仕出かした罪は、親が立派に成敗してから私も死ぬ覚悟だけど、もう、体が言う事を利かない。そんな不始末は、私が死んでからにしてくれ。この歳に為って、生き恥は、晒したくは無い。心安らかに、成仏させてくれ。頼んだよ。良いね。」
と対面で仰せになるのである。私は、噴出してしまうより他は無い。これが、92歳と60歳の親子の会話であるからして、何をや言わんかのテレビ鑑賞である。内容の濃いドラマを見れば、お互い目をうるうるさせて、お互い<好いドラマだった>と、相槌を打ち合う始末なのである。

 国会中継と為れば、
「野党共、手緩い。食い逃げ野郎のエエカッコシイの小泉・竹中を即刻、証人喚問しろ!!あの二人組は、とんでも無ぇ下衆野郎共だぜ。世が世だったら、俺が、破れ傘・呑舟に成り代わって、<手前ら人間じゃ無ぇ許せ無ぇや、叩っ斬ってくれわ!!>だぜ。野党先生様、確りしなさんせ。お前ら、本当はアホか!! 的を外すな、馬鹿たれ。」
と、国会議員先生に下衆感覚丸出しで噛み付けば、手を打って、『即座の賛同拍手』を示してくれる大正女である。92歳の大正女様の眼には、チャラチャラしたお二方は、目に余る虫唾の走るパフォーマンスらしい。敗軍の将は、静かに閉門蟄居の恭順の生活態度こそが、必要とのお達しである。

 以上、市井・片隅の親子漫才の一席に御座りまする。お後が控えて居りまする。又のお越しを、お待ち申し上げて御座りまする。これから、温泉銭湯に浸かりに参りまする。

心何処ーショート 初冬の撹乱
               初冬の撹乱(12/5)
 これで雨でもあったら、冬の嵐である。凄まじい風が吹き捲っている。幸い10℃を越す温度であるから、布団の中に居るのが鬱陶しい。続いて好天は雨に成るとの事である。風の音は煩いが、水槽の金魚にとっては水温が高いのだろう。動きが好い。母の動きを待って、ラジオを聞きながら、朝の通勤・通学の姿を眺めている。起きた時は青空が見えたが、現在は灰色の雲が覆っている。上空の雲は勢いを増して、黒い雲に色を変えている。午後から雨、所によっては雪の予報である。

 ラジオ主体の日々を送っているから、社会情報はその殆どがラジオ情報である。自動車・家電メーカーの季節・派遣労働者の解雇嵐が吹き荒れている。人間の生活の糧である処の労働を、部品調達の如くに安易低廉に調達する受け皿として、消耗品として使い捨てにしてしまう昨今の規制緩和の頭でっかち社会が、音を立てて崩壊しようとしている。直撃を受けて、生活危機を迎えてしまったワーキング・プア層の生活の苦しみ・痛みが、経営者・行政・政治に届くまでには、時間を要する。経済成長・収益の弾き出してくれた前線労働力は、不況の途端真っ先に、御身大切の元、首を切られて行く。何事にも感謝の気持ちが大切とか、人間は自然の中に生かされているなどの<謙虚さ>に、日頃頷いている日本人であるが、何故かいざと為ると連帯感の乏しい社会である。

 同じ屋根の下、同じ釜の飯を食うの連帯性の中には、身分・地位の差別は少なかった。嘗ては、そんな中での働く者の砦としての労働組合があった。労働組合の存在意義が薄れてしまった現在、声無き声を、束ねて経営者・社会にアピールする手段を捨ててしまった労働者の群れは、真に悲惨である。同じ仕事をしながら、賃金に2倍3倍の格差があり、雇用の保証も無いパート・派遣労働者の上に立って、我が世を謳って来た付けと矛盾が、あっと云う間に曝け出されてしまった。正規社員と云う身分に安泰して、身分差別による甘みに安住する中で、働く者の大きな連帯を捨ててしまった労働組合と集団の規制を嫌う個人の付けが、経営・政治・行政に利用され尽くされた国家・企業・社会システムの矛盾が、一挙に露呈してしまった。

 遺憾いかん、柄にも無い事を打っていると、猪口才なとばかりに、お天道様から雷のお見舞いである。本日は、此処で打ち止めと致しまする。

 ★ひまじんさんへ。コメント有難う御座いました。煽てに乗っかって、手を加えました。以下は、加筆部分でありますが、コメントお礼とさせて頂きます。

 常識・心・良心・道徳・躾・善悪・罪と罰・反省・感謝と労わり・責任への潔さと云った心の有り様教育を疎かにして、事なかれ主義・小手先の教育・責任転嫁型の個人社会の中では、科学の前に神・幽霊の存在を殺すだけでは飽きたらず、『無形の心の有り様』と云う人間の財産まで殺そうとしているのである。あるべき姿を支えるべき筈にして、物質世界には譲っては為らないの『常識・心の有り様』さえもである。正常な社会通念(社会常識・心の有り様)と法律が、連動してこその社会秩序の営みである。増してや、刑法が想定する犯罪は、自然犯である。殺す・傷付ける・火を付ける・盗む・騙す等に代表される如く、自然犯は、法文を読むまでも無く、太古の昔より行為自体が、反社会的行為なのである。つまりは、常識内のご法度行為なのであり、法定犯・行政犯とは一線を画す常識を逸脱した犯罪行為なのである。
 然しながら、何故、これ程まで刑事事件が多発するのだろうか・・・心・常識を失いつつある世界・社会に、理想とする社会システムが実効性ある有効の実を結べる筈が無かろう。理想が教育・啓蒙によって、手の届きそうに見えた時が、あったかも知れなかった時代・・・ 人は、理想に従順だったのかも知れない。然し、未知の希望は、現実の世界の前に、理想を手放してしまった。常識・心の衰退・荒廃の前に、理想主義の重みは、益々軽んじられるばかりである。

 理想と現実は、絶えず均衡支点を変えて行かねば、均衡の取れない有限・可変の調整支点である。無形と有形のヤジロベーは、哀しいかな明らかに、有形の重圧に蹂躙されている。着手に当たって、現状認識は、現象事実であり絶対前提である。現実に於いて、必要は発明・改善の母である。事此処に至っては、軌道修正の必要がある。・・・私は、正直、そう思わざるを得ないのである。

心何処ーショート 朝日の訪れの中で 
                朝日の訪れの中で(12/4)
 遺憾いかん。資源物出しであった。飛び起きて、自転車を扱いだが終わっていた。早起きを忘れてしまったのは、子守唄代わりのラジオ深夜便を聞いて、考え込んでしまったのが原因である。『人権インタビュー?』なるコーナーである。裁判員制度に伴う企画の一つであろうが、冷水を浴びせられた内容であった。

 大学生の娘を殺され、その二次被害で妻の自殺をも蒙った家族・夫の事件を振り返る経緯と心境であった。娘の帰宅時間の遅さに、家族が心配する中、警察から電話。長い一方通行の身元確認手続き。漸くの慰安室での対面。手掛かりの無さに難航する捜査。迷宮入りの危惧。犯人の出頭。自供を裏返しての黙秘に次ぐ黙秘の裁判過程。慰安室で娘の首に付けられたナイフの疵に、行動・精神の異常に苛まれて行く妻の姿。家庭崩壊の過程。妻の自殺。三審制を敢行する加害者・弁護士。不条理・理不尽の憤り・苦闘に戦おうとする残された夫と妹の生活日々。判決。心晴れぬ日々。

 淡々と理路整然に時系列を語るその一語一語は、小説の朗読を聞く程の冷静さと奥の深さである。夫の<30年の結婚生活の24年は幸福だったが、事件後の6年は苦痛だった。>の言葉に、万感の想いが伝わる。感情波を堪えての、敢えてする『紋切り質問』に、事件後12年を振り返る夫の淡々としたトーンの中には、絶望・苦悩・怒りの激情の狭間に揺れ動いた理性と意志の強さが、横溢されていた。その聞き手と話し手の努力に、私は、ただただ聞き入るばかりであった。

 こんな不条理・理不尽・苦闘を味わっている人に対して、感情を押し殺してインタビューをしなければ為らないインタビューアーの職務意識とインタビューを受ける父・夫の態度に、二人の目的を一つにしている『凄まじい意気込み』を感じて、底冷えの闇の中、聞入るばかりであった。

 或る日突然に襲った不条理に、理不尽の激情と苦悶の過程で、娘と妻を失った父・夫が、感情を抑制して、このトーンで話し通せるものでは無い。聞き取り・録音・編集の現場は、遣り直し、遣り直しの時を経過して、放送されたものだろう。彼が語った<日本は、犯罪者天国だ。>の言葉に、胸が締め付けられた。無期懲役の確定した犯人の捨て台詞は、<お前が迎えに来なかったから、娘は死んだんだ。>これが、出頭して犯行を自供した犯人が、裁判の果てに得た『感情結論』なのか。

 現刑法が護ろうとしている<犯罪者の人権とは、一体何なんだろうか。法治国家で堅持されている法体系の成れの果てが、こんな薄ぺらな身勝手さか・・・人間の良心・改心・再チャンスの理想にばかり現を抜かしている付けが、回って来ている。現実離れした別世界は、狂っている。国費と人間の頭脳を酷使して掴んだ法曹界の様(ざま)は、何たる異常回転に陥っているのか!!>である。

 それに対して、如何に軽んじられて冷遇され続ける『被害者の人権』であることか。裁判所での傍聴は、仕事は休んでの交通費自前である。居た溜まれぬ感情に、大きな『独り言』を法廷で呟けば、即座に退廷を言い渡される。
 刑罰権を国家に委ね切った近代刑法は、目には目を,歯には歯の応報刑から、教育刑・更正刑への理想を掲げて、犯罪者の人権擁護に舵を切った儘、訴訟技術・弁護技術に偏重してしまったご時世である。刑事と民事併用の法体系であるが、人間の理性は、それほど素直では無い。自分に置き換えたら、自明の理である。
 私の専攻は法学部であったが、直情型人間である。こんなに冷静に、事件の顛末を感情を抑えて、振り返る事は到底出来まい。

 インタビュー最後の二人(インタビューをした者、された者)が、沈黙の嗚咽の中に、全てが凝縮されて居た様に感じた。世の不条理と理不尽の憤り・苦悶の日々・・・ 消そうとしても、絶対に消えぬ進行形を見る思いである。
 真実を冷厳に伝えようとして、誓い合い支え合ったであろう男の心情に打たれて、<お二方とも、良くぞ、こんな難題を最後まで遣り通した。ご苦労様でした。頭が下がります。>とばかりに、私も嗚咽の段であった。

 瞑想すれば、理想・有るべき姿の心象風景が、遠い古の過去と記憶されつつある消耗社会である。来5月から裁判員制度が、日常の中に始まる。面倒と傍観視の及び腰を反省して、お呼びが掛かった為らば、制度の趣旨を真摯に受け止めて、現実の<罪と罰の世界>を実感しようと考えた次第である。
          
        この思い、誰かの心に届きます様に・・・・

心何処ーショート 我が身は、和み咲き?
             我が身は、和み咲き?(12/3)
 おやおや、狂い咲きだろうか? 幹の具合から見ると桜の様である。小さな小さな薄ピンクの花が、所々に開いている。待てよ、これが冬桜なのかも知れない。外に居るご老人に尋ねると、その通りだと言われる。春にも咲くから、年に二度の開花との事である。

 歩いていて、気持ちが好いから家を素通りして、下に向かう。歩道橋を渡って、河川敷に降りる。前から目を付けていた川の緩やかな流れの前に立つ。最初に目の付いたのが、20cm程の山女が三匹、サァッと動いた。隠れる場所は、上流の早瀬の中だけである。下に下った魚達が、集団で戻って来る。場所が好いから、魚の動きは、丸見えである。山女に虹鱒、多くはウグイ達である。ウグイの上限は、この辺りで終わる。我が家とは、300m未満であるが、ウグイの姿は殆ど無い。虹鱒は、奈良井川から上って来たのか、或いは魚釣り大会での零れ魚なのかも知れない。子供達が小学生の頃、各町内の子供行事で虹鱒の川釣り大会が、流行した時期があった。山女を釣りに行って、次から次と虹鱒が、面白い様に掛かって、ウッシッシ。休みの度に、秘密の場所に通った事があった。下の橋を渡って、対岸の淀みを見る。淀みの深さと光線の具合で、水中観察は駄目であった。

 河川敷をその儘、歩いて民宿の宿泊板を見ると、横文字が書いてある。外人客の足も定着している感じである。<来たれ!白人美形様ご一行>のウッシッシ・エールを送った次第である。

 家の前に来ると、冬枯れした葭原に小鳥の気配である。ガサガサ、ジャー・ジャーと、音と鳴き声がしている。入り組んだ葦の中に見付けたのは、案の定、ウグイスである。お山の藪を生息地にするウグイスにとっては、葭原の茂みは、熊笹の茂みと同様な越冬地に映るのだろう。赤トンボ・糸トンボも蝶々も健在である。散歩観察の日々に発見する物は、意外と多い物である。

 ポカポカする陽気である。<森に暮らすひまじん>さんブログには、有機農法を目指してのススキ、落ち葉の堆肥作りが掲載されていた事を思い出して、家庭菜園のスペースを掘り起こして、落ち葉のカタメ置きを思い立つ。長靴に履き替えて、剣スコで土を上げて行く。去年の落ち葉は分解して、黒々とした土に変わっている。熊手に竹箒・・・遣り掛けると、何かと気に為る処が出て来るものである。今度は剪定鋏を持ち出して、脚立に乗って四畳半横の雑木と、大株に為った紫陽花の刈り込みをする。チョッキ、セーターを脱ぎ、腕まくりの作業で汗を掻いたまでは、好かったものの、部屋でコーヒーと干し柿で一息入れていると、早や4時である。今度は暗く為らぬ内に、大根様の収納のお時間である。

 相も変わらずのロートル・物臭モードの日々であるが、冬の日は、呆気無く幕を閉じて行く物である。定年を待たずに他界してしまった二人の兄には申し訳無いが、定年後のスロー・ライフの居心地の好さは、これまた貴重な和みの日々でもある。ただただ、お天道様に感謝するのみである。

心何処ーショート 何の気兼ねがあろうか
                何の気兼ねがあろう(12/2)
 今朝の庭には、目白が二羽来ていた。母の部屋からは庭が見通せるから、日当りの好い廊下に椅子を出して、独り、庭に来る昆虫・小鳥達を眺めて暮らしていてのだろう。幸い、環境に恵まれているから、淋しいと思わなければ、淡々と日々を送れたのであろう。私も母の遺伝子を色濃く頂いているから、然程の人恋しさに掴る事が無い。この一帯は、静と動が好くマッチしている住環境であろう。
 私の定位置からは庭は見えないが、通りと空が見える。水槽と鳥篭の小動物に目を遣りながら、白湯代わりの極薄いコーヒーを飲みながら、ラジオの流れに耳を傾けていれば、無味無臭の、それなりの日々が、過ぎて行くのである。ロートル物臭住人にとっては、実に有り難い環境である。

 昨夜は面白い発見をした。玄関と台所は、引き戸で繋がっている。夜の台所仕事をしていると、台所の明かりが、玄関に朝夕の鈍い明かりと為って鳥篭に届く。そうなると、小鳥達が勘違いをして、朝の行動を開始してしまうのである。仕事が終われば、人間様は、当然消灯の段である。
 それに引き換え、6羽の金華鳥からすれば、突然の消灯は漆黒の闇である。バサバサ・バタバタとパニック状態と為るのは、必然の有様なのである。寒い季節である。藁巣の共同寝所に帰れぬ身は不便にして、『助けてくれ!!』その物である。
 云う為らば、私の軽挙妄動は、『人間の冷酷な横暴』の冴えたるものであろう。遺憾いかん。私は、自省心の強い内向性の強い男である。そして、夜型人間の津々と底冷えする四畳半の住人である。大いなる反省の下、この頃は、明かりを遮断すべく、戸を閉めて夜の台所仕様の段である。台所仕事を片付けて、戸を開けて部屋に戻る折に、鳥篭を見遣ると、止まり木睡眠の二羽の姿が見えないではないか・・・ 鳥籠を覗くと、代用巣箱に、二羽が仲良く収まっているではないか。思わずニンマリであった。

<様~見やがれ、やっと分かったか、馬鹿タレが。背に腹は、替えられんか。ヨシヨシ。>
 言葉の通じぬ相手の子守は、中々にして時間の掛かる物である。これは、金大中氏の太陽政策為らぬ北風政策の賜物である。北の将軍様は、濡れ手に粟の太陽政策の頓挫に、駄々っ子報復を開始した由。聞き分けの無い同一民族様である。何方か、我が稚拙ブログをハングル文字に翻訳して、届けて欲しいものであるが、本態では私の知った事では無い。母のトイレ動線であるからして、歩行の儘為らぬ母の為に、戸は常時解放して置かねば為らないのである。

 こんな事を洗濯機を回しながら打っていると、斜向かいのご主人が回って来て、正面の窓を叩く。タバコを差し出して、ニコニコと、
「道に、これが落ちていた。何本か入っているから、吸ってよ。」
「はいはい、これは、どうも。吸いますよ。有難う。」
 
 ご主人は、現役引退を機に、タバコを嗜まない。お互いに、此処で育った者同士である。何の気兼ねがあろうかである。本日も、申し分の無いお天気である。タバコの紫煙の先に、メジロ登場である。やれやれ、とうとう始まってしまった冬の勢揃いである。陽だまりに、我が家の縁の下を住処とする野良猫殿が、ヒックリ返っての大欠伸の日光浴である。


心何処ーショート 好天に、一日は瞬く間に 
              好天に、一日は瞬く間に(12/1)
 -4℃、ハイハイ、師走初日、寒い寒い。本日月曜日、ゴミを出す。車は綺麗にフリーザー状態である。おうおう、地面には霜柱、西の御山は、白く輝いている。<お早うござんす。>ハイハイ、お次は部屋の窓を開け放って、空気の入れ替えに、廊下に回って、大根並べである。丸坊主になった百日紅の梢に、チィーチィーと四十雀が二羽動き回っている。今度は湯を沸かしながら、籠鳥の世話。湯たんぽを取り出して、トクトク開けて洗顔。そして、真似事掃除。
 ラジオを付けて、定位置でモーニングコーヒーである。12/1にして、月曜日は、週初めである。物臭男は、セカセカ動いてカラ元気、メリハリの気分転換をするべしなのである。世話を焼いてくれるものが居ない独り身は、自分で自分の世話を焼くより仕方が無いのである。

 朝食後の教養時間をこなして、いざ温泉銭湯経由の買出しに出立である。本日1日であるから、行き付けの銭湯は定休日である。50円アップの250円の銭湯である。距離は倍ほどにして、きつい上り坂が控えている。ヒーコラ・ヒーコラ、胸突き八丁を扱ぎ挙げると、弟の会社の車がある。覗いて行くと、弟が居る。兄弟の誼であるから、暫く手伝って行く。

 咽喉が渇いたから、掛け流しの温泉を、備え付けのコップで飲んで、どっぷり湯船に浸かる。ご老人二人の出た後は、若いのが二人入って来た。一人は、背広にネクタイである。時間の都合を銭湯で過ごすとは、大したものである。現役時代、私も何度と無く遣っていた事である。若い頃のサラリーマンの時間調整には、喫茶店が良く利用されていたのであるが、冬の温泉銭湯とは安い一石二鳥である。言うなれば、これこそ、<土地の利>である。少々風邪気味であるが、湯の花ごと飲んだから、天然マグマ様のご利益もあるかも知れぬ。物は序、もう一杯、ゴクゴク飲み干す。

 夜のカレーを仕込みながらの昼賄いをした後は、テレビ付き合いをカットする。散歩日和の好天を家で過ごすのは、愚の骨頂である。本日は、コースを別に取って体育館方向にする。老人がレジ袋にごっそり銀杏の実を拾っている。為るほど、足元の落ち葉の中には、難儀な果肉から出た銀杏の実が、一杯散らかっている。
 私も右に倣えである。軍手の片方を脱いで、その中に拾い入れる。母と二人の分には、頃合の分量である。続く桜の林の小道にも、掃き集められた果肉付き銀杏の山である。拾えば保存食にして珍味。見捨てれば異臭を放つゴミの山である。臭いとカブレに挑戦して、バケツ持参で来る価値もありそうである。
 陽気に誘われて、桜の林ではカキーンとばかりに、ゲートボールのロートル一団が、汗を掻いている。それにしても、雲一つ無い冬晴れである。さぞかし、明日の放射冷却は<デカイ>ぞである。さて、運動量も確保した事でもあるし、帰って、一服した後は、大根の取り込みをして、本日の日記打ちでも致そうか・・・である。
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