旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 時の鋤(すき)
                  時の鋤(11/30)
 風邪を引いたのか、腰が痛い。太陽も翳って来て、見上げるは、再び初冬の鉛色の空である。朝の廊下から庭への、大根の移動時に感じた大根の冷たさが、蘇って来た。午前中の政治番組を振り返りながら、どうしようもない閉塞感に囚われている。
 そう云えば本日の大河ドラマは、江戸城開城である。閉塞・混沌の中から、胎動・始動する歴史の転換期を観察しようと思っているのであるが、現実の歩みは、遅々として進まないと云うのが、転換期と云う時代の時を共有する庶民の感想であろうか・・・ 民主主義の時代、迅速にして無血開城の如く選挙による民意の淘汰を期待しているのであるが、この儘、全世界同時景気混乱を口実に、ズルズルと任期満了を迎えての選挙と成るのであろうか?? こんな様を何度と繰り返して、延命の足掻きの果てに、一つの体制が崩壊して行くのが、歴史絵巻のオーソドックスな過程なのであろうか・・・ 時代が人材を発掘すると云う言葉が有るらしいが、その場に居る人間の眼からは、『時の鋤』の動きは、中々にして遅く、慎重の様である。

 時の鋤によって、掘り起こされて行く土中からは、時代に対応出来なくなって腐り繋がった大芋・中芋・小芋が、ゴロゴロ出て来て、これも駄目、あれも駄目の大きな溜息の撥ね出し作業、本に根気仕事なのであろう。その中から、これはと思って使って見ても、食用には向かぬ<出来ぞこない>の数々なのであろう。きっと、こんな日常の時系列の上に立って、事は進んで行くのであろう。時を振り返れば、そこに見えるものは、手詰まり状態の中で、見苦しき足掻きを続ければ続けるほどに、悪戯に時を浪費して、或る日、巨木が音を立てて倒れるの構図なのであろう。

 素人目には、機は熟していると見える昨今の状況なのであるが、老獪な<時の鋤>から見ると、巨木倒木後の対抗木乃至は幼木の兆しが、見えぬのかも知れない。厚生省元次官暗殺事件を、狂人の沙汰と簡単に片付けてしまうのは簡単ではあるが、政治家を狙わず官僚に向けられた刃に、政治の無毛原野の広がりが、一般庶民の心に認識されているのである。国の統治リーダー・集団であるべき、選良を以って任ずるべき政治家集団の、この体たらく振りは、どうしようもない処までに達している観がある。
 衰退期に向かう古代世界帝国ローマの衆愚制を念頭に置いているのだろうが、<劇場型パフォーマンス>に依って、政党支持率・視聴率に走る政治とマスコミの虚像である。目先のパフォーマンスに踊るだけでは、暴言・失言・誤読役者は、マスコミの返す刀で掬われて、志・胆力・実力の欠乏を曝け出されてしまうだけである。過度・軽薄なパフォーマンスは、映画・ドラマ・漫画の世界でお遣りに為れば好かろうに・・・ 地味・堅実な言動にも、多くの拍手が送られるものだと考えるのは、ただ時代遅れの郷愁だろうか???
 ある意味では、ロートルと為って、来しき自分の少年期・青年期・壮年期・老境期、其々の軌跡を時代に重ね合わせながら、現時世を観察出来る心境は、実に有り難い気持ちに誘ってくれる物である。

 部屋に母のノックである。たかじんアワーに待望の<私人・田母神氏>が登場との事である。

 空・海・陸の元制服自衛官のトップが、登場しての『本音放談』であった。そうだ、そうだ。の私の拍手・相槌に、大正女の母までも、大きく頷き放しの態である。番組の取り上げ方一つで、政治異端論は庶民常識・正論扱いされるのである。難解で厄介な憲法9条問題のタブー視は、この辺りが限界の様だと思われるのであるが、正直な庶民感覚の国会討論が出ない様では、『時の鋤』はマダマダ先の事なのだろうか・・・
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心何処ーショート 偶の自転車流し
                偶の自転車流し(11/29)
 好いお天気である。顔を洗う前に、廊下の大根を庭の干し台に並べる。板の間の廊下は、大根の水分を吸って、湿気の跡を付けている。気付かぬは人間のみ、胸を撫で下ろす苦笑いである。水分の蒸発量は並べ終えると、大振りのミヤシゲ大根3本分に相当する様子である。真似事の掃除に、鳥の世話をしながらの朝食の用意である。

 本日は、松本市美術館で西郷弧月展を観てから、蕎麦を食べて、映画を観て来ようと考えていたから、10時に自転車に乗る。北アルプスも、大分冬景色に成って来たものである。穏やかな日和の中、自転車目線の気分は、大変に気持ちが好いのである。昨昨日の雨に、川の水も息を吹き返して、流れにカルガモを乗せている。下り勾配であるから、5分もしない内に、美術館である。
 
 二階の展示場には、鑑賞客が結構入っている。やはり年配客が多い。為るほどと思わせる絵画が、数点目を惹いた。この画伯は、余白の白を表現するよりも、色彩の白に特徴がある様だ。野辺の白花に遊ぶ白馬の大作が、メーンなのであろう。中国の人物達を柔らかに描いた絵に、明治初期の日本画の雰囲気が色濃く出ている。赤い衣を着た達磨の絵には、他の絵には見られない強い眼力の描写に、目が留まった。
 高尚な趣味人には、講釈たれが多いらしい。引率して鑑賞に来た一団の男が、彼是と解説をしておられる。私は浅学非才であるから、この手の集団は大の苦手である。結構な展示点数であるが、気に入った作品は、3点であった。
 若い頃は、〇〇の四天王の一人と目され、横山大観らと共に将来を嘱望された一人らしい。芸術家の道は、真に険しいのであろう。知識も鑑賞眼も備わっていない不逞の輩の眼には、才人と言えども、傑作を残すのは稀少の数に見える。
 4回程、回って、やはり3作に絞られた。絵の雰囲気だけを頂いて、隣接の市民クラフト展を覗く。雰囲気のある作品が3点あった。有名・無名を問わず、良い物は好いのである。彼等・彼女達の美的センス・創造の才に、感心するばかりであった。

 さて、次なる目的地に、外に出ると、市民タイムスの記者と云う若い女性から、感想を聞かれてしまった。普段しない事をすると、予期せぬお土産まで付くらしい。感じの好い女性であったから、ついつい口数が増えてしまった。

 仲町通り・縄手通りを自転車で軽く流しながら、束の間の目の散策を続ける。街と山岳のコントラスが、青空と白雲の下に、清々しい気分を運んでくれる。演技座を覗くと、お目当ての映画は終わっていた。次の映画館を覗くと、つい先日の閉館の張り紙である。張り紙の挨拶を読むと、90年の歴史に幕を閉じたとある。長い映画衰退期が続いているのである。<映画を愛すれど、商売は慈善事業では無い>哀しさであろう。張り紙に、目礼をして帰って来る。

心何処ーショート 葱載せて、ペダルを扱ぐなり
            葱(ねぎ)乗せて、ペダルを扱ぐなり(11/28)
 お天道様とまぁまあの空模様である。廊下に取り込んだ大根を外に広げようとすると、<予報によると不安定らしい。廊下は日当たりが好いから、廊下に並べて置けば>とのアドバイスである。渡りに船であるから、早速、仰せに従って中に入る。
 朝食後は風呂を沸かして、洗濯と掃除をする。玄関前の苔は、雨水を腹一杯に吸って、瑞々しい緑を放っている。何しろ自然調達の、バケツ5杯分の苔の配置であるから、自画自賛の眺めである。折角の片付けであるから、定位置の移動で、久し振りにノート・パソコンを開ける。前方に水槽、左傍らには、金華鳥・CDラジカセと、全て手の届く範囲である。

 赤白模様の流金に、口の上部に紅を差した感じのものが一匹いる。真正面から見ると、背中から流れる赤の線が、正面の口の上部で終っているその顔は、おちょぼ口のアンバランスな口紅剥げを連想させて、何やら惚けた<バッテン・長崎>を髣髴とさせる大年増女の感じなのである。種類は、ずんぐりむっくりの流金であるから、和服に日本髪のでっぷり短躯の遣り手芸者の趣ですらある。たらふく餌を食べて、おまけに長い糞を靡かせてのフラフラ泳ぎを繰り返している。目が合ったら、『ちょっと、そこのアンタ!!』などと、強引に腕を掴れて引っ張り込まれ様ものなら、『それこそ』何を言われるか分かりゃしない。相手は、下唇の紅を何処で押し付けた儘、忘れて来ても、平然としている太っちょ大年増芸者であるからして、私の様な世間知らずの柔な男は、簡単に手玉に取られて、彼女の怪気炎の餌食にされてしまうのが、相場であろう。バッテン芸者の尻圧は、大変な物である。還暦60年の人間観察である。近付かないのが、安定精神のコツと云う物である。

 金魚達の体形を眺めていると、私の律儀さがマイナスに働いている様子である。どいつもこいつも、メタボ症候群の頼り気の無い動きである。依って、本日からは1日1食の調教とする。

 部屋から去ってしまった陽射しを外に見遣りながら、昼の賄い夫に腰を上げる。昼飯後、瞼が重く成ってウトウトしてしまい、いかんいかんの態で、慌てて台所に立つ。体は重いが、明日は予定があるから、米を買いに行く事にする。
 こんな時の心境としては、つい愚痴を溢してしまいたい処であるが、愚痴を溢して見た処で、帰って来る所は、自分自身の所である。<アホらしい>の一言である。食べたいものが有ったから、帰りにスーパーに寄る。ついでに買って来た根付きの『松本1本葱』の大束を、家に入る前に外のストック場所に、スコップを深々と差し込んで活ける。

 誰の俳句か忘れたが、葱を買って冬の夕暮れを帰る風景・心境を詠んだ単純明快な俳句が、確かあった筈である。松尾芭蕉の弟子の一人の作だと思うが、少なくともお江戸の昔から、葱は庶民の冬の食卓に載って、長屋の熊さん、八っつぁん達の舌に甘味を提供していたのである。云うならば、日本庶民の伝統の味なのである。好まれた物ほど、郷土、地域には、俺らが葱とばかりに、其々の<銘柄>が土地に根を張っているのであろう。
 地産地消のご時世であるからして、新参ロートル賄い夫は纏め買いをして、せっせと敷地に穴を掘るべしなのである。太々として甘味を増した葱は、薬味にして好し、ざっくり切って冬の煮物に好しの庶民の必需品である。鳥篭を玄関に戻して、漸くの昼寝タイムである。

心何処ーショート アリャリャ中指のヤツ、とんだ方向に
           アリャリャ、中指のヤツ、とんだ方向に(11/27)
 本日は、夕方から雨との予報である。今にも、雪でも降って来そうな灰色の空である。NHK番組を見ながら、国籍法への反対意見を母を相手に、披露する。世界遺産のコーナーでは、イギリスに遺るローマ帝国版万里の長城を見る。北方謙三の水滸伝の梁山泊、世界遺産、ブログの<天下の小論>では、ローマ帝国の寛容とキリスト教の不寛容が述べられていた。北方氏の水滸伝は読んでいないが、水滸伝は小説、マンガ本で読んでいたし、塩野七生女史の痛快!ローマ学も読んだ事があった。昨夜は、赤スペさんの痛快なる国籍法への辛らつな正論が、ブログに炸裂していた。加えて、<冬灯の徒然日記~夢の綴り字白書~>さんのブログには、『血合わせ』などと云うグサリと来る凄い詩が、載っていた。
 
 世の中は、実に広い。マスメディア顔負けの多士多彩な方々が、五万といらしゃるのであるから、新聞・雑誌・テレビの発売部数・視聴率が減少するのも、当たり前の状況なのであろう。高学歴・高知識社会の出現なのである。多士済々の切り口から発せられる感想・思考・思索の群れに、短絡的なマスコミ界が、支持減少をインターネット、ブログの低次元への移行と青筋を立てて見た処で、如何しようも無かろう。門戸は、開かれてしまったのである。言論の自由は選択の自由と云うよりも、<選球眼の涵養>に向けて収斂されて行けば、成熟社会に向かうのかも知れない。
 
 サイパン旅行記に記述して置いた中国人の事大思想の象徴である処の、世界四大発明の件を思い出して、ニヤニヤするばかりであった。
      ★ブログ・カテゴリー・旅行記の中の、<現実のサイパン、第2日目>参照の事。
 
 気乗りしない空模様に、タバコの紫煙の儚さをぼんやり見遣って、暫し、空想に遊ぶと致しまする。寒いからコーヒーを飲む。飲めば、トイレが近くなる。元気なのは、グッピイと窓辺の金華鳥の囀りだけである。中止卵が予想される卵を、マタマタ産んでいる。衣食住足りて、交尾の囀りに明け暮れるとは、実に困った連中である。彼等の行いを他山の石として見るならば、天下泰平時に、物事の本筋を考えねば為らないのが、人間の理性・価値なのであろうが。残念ながら、天から見放された我が脳味噌である。

             ラジオからは、ニュースが流れている。
 何々、私と同い年の60男が逮捕、深夜一人歩きの15・6歳の女子高生を強姦死させるとは、
<アンタ、俺と同い年じゃないか。好い歳かっぱらって、何をしちょるんだい。そんなに身勝手に襲い掛かって、何とする。俺なんか、夏の間は、深夜の一人散歩だよ。その気に為れば、そんな遭遇もチョコチョコあらぁな。つい、ムラムラで凶行に走ったなんて言い草は、通らんぞ。体格はガッチリして、170~80cmだと~ 俺と好い勝負じぁないか。何々、手前ぇ、デカイ図体して、下着泥棒まで働いていたのか。豚でも無ぇ野郎だ。なぁアンタ、世の中、乱れ呆け乱れちゃって、何でも有りのご時世だよ。
 
 少しは、玉袋のラジエター効かせて、亀頭を冷静に冷やして、天辺の頭を使い為され。伊達に皺皺をセットして、表面積を確保している造りじぁあるまいに。アンタ、立派な体格に精力絶倫なんだろう。だったら肉体労働で稼ぐか金を払って、欲望を処理すれば好かろう物を。ケチが高じて、行きずり強姦殺人の沙汰は、言語道断のご法度だぜ。方法が無ければ、少年期に還って自家発電って『手』もあらぁな。人間娑婆で生きている以上、遣って良い事と悪い事の線引きは必要だぜ。
 
 これじぁ、全くの『自殺行為』じゃないか。性欲は、抗し難い立派な本能だと抜かすか、このバカタレが!! 俺なんか、歩く性器・危険人物・壊し屋って云われたものだわさ。名刀は、鞘に収まってこその名刀だろうが、 
 
 俺が無作為選考・指名で裁判委員に選ばれたら、アンタを即死刑にしちゃうよ。魔が差した。猛省してるなんて、塩らしく泣き震えたって、俺ら、物分りの好い善人じゃないよ。俺の物差しで決めちゃうぜ。何ってたって、俺は世の中で、最低の人間だと思っているんだぜ。俺に出来る事が、如何してお前さんに出来ないんだって、『衝動・感情』一本で開き直っちゃうよ。許さないよ。
 
 それに俺ぁ、立派な健忘症だよ。近代刑法の根本は、教育刑・更正刑なんて言葉は、遠の昔に忘れて来ちゃったよ。異常感情対異常行為責任で、裁判官・裁判委員殿相手に、異常に振舞って徹底的にゴネちゃうよ。俺ぁ、助平で馬鹿だから、一時(いっとき)の予断印象と犯人の態度・顔で判断しちゃうよ。如何するんじゃい、馬鹿タレが。タガの外れた世の中と、舐めたらあきまへん!! 
 
 無作為指名だよ。俺見たいな確信的異常者が現れたら、如何するんじゃい。アンタ見たいな了見違いの自殺行為者には、助けるどころか、俺ぁ『自己責任』の感情で、アンタの<諸悪の根源玉>を鷲摑みにして、90kg弱の全体重で思い切り、掛けてぶら下がっちゃうぜ。そうなったら、失神と共に、昇天しちまうぞえ。メン玉、飛び出るぜ。想像しただけで、俺みたいな小心者は、失禁しちゃうぜよ。 
 
 寛容と不寛容の積み重ね=判例で守られて来た量刑の世界に、素人の意見が挿入されるって事もあらぁな。世の中、平常心の装いをした怖い人が、五万・十万と居りますぞえ。クワバラ、クワバラ。老若男女の善人様達へ、ご注意為されませ。>

 何処で如何間違ってしまったか、アリャリャ、とんだ方向に、中足為らぬ中指が動いてしまったものである。中足と中指の使い方を一つ間違えば、顰蹙を買うのが世の常である。冷静に考えれば、我が身は母を抱える賄い夫、安らかに看取るまでは、正常人として、娑婆生活を維持しなければ、倅として相済まぬ処である。

  さぁさぁ、キチガイ扱いされぬ内に、本日の日記を終了と致しまする。

心何処ーショート 一挙両得
                 一挙両得(11/26)
 天気予報では明日(=本日)の最低気温は、-4℃との事である。<然もありなむ>の冷え込み振りである。股引を履いたし、斯く為る上は、今シーズン初の湯たんぽのお力に縋るしかあるまい。<嫌じぁ、嫌じぁ>の冬到来である。湯たんぽを使い始めて、4シーズン目である。或る時、郷愁に駆られて衝動買いをした代物である。使い始めたら、至極使い勝手が好い。電気敷き毛布は体温が高い為か、如何しても体に馴染まなかった。朝の洗顔時に湯たんぽの湯を使うのであるが、それが丁度好い温度なのである。母は大分前から、電気敷き毛布を使用している。「もう、そろそろ湯たんぽ」をなどと言ってくれるのであるが、私はマダマダ新陳代謝が維持されているから、男の痩せ我慢の態を続けていたのである。
 
 エコを先取りして湯たんぽの効用を、説いて回っているのであるが、Tには1本取られた感じであった。彼に、その旨を話した処、彼は湯たんぽを買う前にペットボトルにお湯を入れて試した処、大いに、その効用に目覚めて以来、ペットボトルを愛用しているとの事であった。それを聞いて、
「お前さん、凄いねぇ。専門用語で言えば『要素分析』の実践じぁないか。」
「何だ、その要素分析ってぇのは?」
「湯たんぽの仕組みを理解して、形に囚われずに廃物利用のペットだよ。湯たんぽの要素は、高温液体と容器、保温形態の三要素だろうが、それを暗算してペットボトルの廃物利用の実践だもの。ワシァ、ビックらこいたって褒め言葉さ。」
「お前も馬鹿だね。湯たんぽ代を酒代に回せば、寒い夜は、内からも外からも、ポカポカするじゃないか。当たり前じゃないの。偶には俺も、好い事言うだろ。アハハハ。俺には、本質を見抜く力があるだろ。なぁ、一石二鳥だろ。」
「いや、それを言うなら、得したのはTだから、一挙両得の方が言い得てるぜ。エヘヘ。」
 何年か前の、Tとの遣り取りである。

 朝食後、
「おっ、如何した? 薬、終わったか。」
「いいよ。毎日、飲まなくても。」
太陽が顔を出している間に、薬を貰いに行って来る。帰りに、ドラッグストアでお菓子を買う。開放して置いた窓・戸は、迫り出して来た灰色の雲に、再び忍び寄る寒さと成ってしまった。来週は、師走である。お天道様に文句を言った処で、如何にも為らない季節である。

 さてさて、中途半端な時間である。午前中を捨てて、車で漬物用の大根でも買いに行くかである。男賄いとしては、面倒臭い時は、漬物に頼るのが得策である。大根干しも何日か続く生活のリズムの一つと為る。これも、母への歳時記の贈り物である。何かを始めれば、何かが出来ると云うものである。動くべし、動くべしである。

 大根はご時世であるから、綺麗に洗って売られている。この時期は、漬物支度の時季であるから、車での買い付け客が、個人スーパーに訪れる。昔は町内でも休日には、通りに漬物桶を幾つも引っ張り出して、家族総出で野沢菜洗い・大根洗いが、手を赤くして鼻水を啜りながら行われていたものである。あの頃を思い出すと、簡単・便利な時代と為ったものである。買って来て、
早速、庭に干し台を置いて並べる。大根の尻尾切りには、母上のお出ましである。
 
 再びお天道様のお出ましであるから、昼の支度をずらせて散歩に出掛ける。風が無いから、黒のジャンバーの背中は、ポカポカ気分である。帰りの道すがら、前方にはリュック姿の男2女1の白人が、テクテクと歩いている。立派過ぎる程の臀部に惹かれて歩速を早めるが、日本人ロートルの短足ではピッチ歩行を試みるが、一向に距離が縮まらない。早々にスローダウンの<嗚呼、我が身は、体たらく>であった。民家の屋根に乗った太陽熱利用の温水器が、物珍しい様で、暫く立ち止まって彼是と指を指して、話をしている様子である。こんな処が、白人達の面白い好奇心なのである。彼等は、如何やら町内の民宿旅館の観光客らしい。若い3人組である。低予算で、日本の地方都市・地方の自然・日本人の暮らしを覗いて帰って欲しいものである。

心何処ーショート 眠れぬ儘に
                 眠れぬ儘に(11/25)
 目を覚ました私を見て、母が笑っている。タハハハ、早や夕暮れである。水槽の水替えとミニ掃除機の分解掃除をした後で、本を枕にコタツで転寝をしてしまったら、こんな様である。困った物である。テレビの内容は、殆ど覚えていない。午後から雨の予報通りの雨音を聞いていたのであるが、久々の昼寝快眠であった。
 
 部屋に戻って、放ったらかしの鳥篭の移動である。タバコに火を付けて、インスタント・コーヒーを飲む。温かった午前中の空気も、大分冷え込んで来た。水替えの時に、水草を2/3程取り除いて遣ったから、二槽共にすっきりした。グッピィの稚魚が、空き空きした上層をチョコ、チョコと動き回っている。現役サラリーマン達の三連休も終わろうとしている。休みを待つ楽しみも、休みが始まってしまえば、束の間の呆気無さに終わってしまう。それにしても、5時の釣瓶落としは、寒く早過ぎる感がする。昼行性の人間と云えども、冬眠してしまいたい気持ちすら起きて来る。

 長野では、年寄り婦人が野生の猿に後ろから抱き付かれたり、足を齧られたりのニュースである。猿・猪・鹿などの野生動物が、人里・町に出没するシーンは、テレビで度々報道されるから、大分新鮮味は薄れてきた物の、後ろから飛び付かれたり抱き付かれたりしたら、恐怖そのものであろう。地球温暖化の煽りを喰らって、熊の冬眠にも異変が起こっているとの事である。

 食料・燃料・材料の高騰振りと温暖化阻止に向けてのエコ気炎が、沸いて来た処へ遂に破裂してしまった世界バブル恐慌の兆しである。燃料費・屑鉄価格が一気に下がり、金融不安で一気に経済活動が、失速してしまった。M氏の会社を辞めて、屑鉄回収稼業に転じた中国残留孤児2世の★チャンは、如何しているのだろうか? 元手は取れたのだろうか・・・
そこへ、厚生省事務方元トップへの殺傷事件。その動機・背景・背後関係や、如何に!!と、日本国民の耳目を総立ちさせるも、犯人自らの警視庁への個人出頭である。調査が進み、それが報道されて来ると、事件の計画性と動機の余りのギャプに、??? 全く、付いて行けない世界である。
その自供の一部報道を聞けば、<何で、そうなるの???>の堂々巡りである。とどのつまり、秋葉原・引き摺り殺人と同じ系譜なのか・・・である。個人の事情だけで、通り魔の様に無関係な人を平然と殺傷する。逃げたいだけの一心で、人を引き摺った儘、車で逃走して殺人を犯す。・・・これでは、無法・不条理・無節操・自己抑制・克己心の欠片も無い手前身勝手の<鬱屈爆発の狂人個人劇場>の沙汰である。社会全体が、重篤状況に差し掛かっているのだろうか?? 個人と社会の関係を締め切ってしまった無機質社会の不気味さに、背筋がゾォ~と凍る思いである。

 如何考えるべきかである。勝者と敗者が居るのは、如何しようもない生物の現実である。何も人間界に特有な事では無い。思い通りに為らない自分の人生と社会の係わり合いを、儚み恨んで社会との扉を頑なに閉ざす。こんな事は多かれ少なかれ、人生の通り道であろう。儚み恨んで、憎悪の果てに、誰でも好い殺人を犯す脳・感情細胞が、如何考えても分からない。人間は、生い立ち・環境・社会から、影響を受けない訳には行かない。然し、然し、成長すれば成長に従って、過去の因子は、それなりに全体の中で、薄まって来るものである。過去の因子に拘泥し過ぎていては、現在・未来の幅を狭める結果と為る。普通は歳を得るに従って、自分の過去との折り合いを付けて行くのだろう。

        正常と異常の垣根は、越えられぬものなのだろうか・・・

 これも、鬱屈状態が長く続いた過程の中で、負の興奮状態の自暴自棄の果ての<自己威示行動>なのだろうか。集団・社会生活をして生きている以上、ルールの抑制が思考・行動に作用しているのだろうが、何処で如何、その縛りが無くなってしまうのだろうか・・・ 原因を他者・社会にすり替えて、不満・鬱屈を増長させて憎悪を深めて行く精神性は、分かりたくも無い狂人の思考回路である。然し、これが現実でもある。
 人工物に取り囲まれて閉塞感の中で、自分の中の不平不満にのみ関心を寄せる生活に、何の進展・和みがあろう。環境と精神の閉塞状況にあっては、鬱屈は深厚(進行)するばかりである。自然の物に触れ、自然の息吹を体感して、心の閉鎖感を緩和させて、人間社会・物質社会と折り合いを付けて生きるしか、現代人の精神の均衡は保てないのであると、私は思っている。
 伊達や酔狂に、退職ロートルが農業に憧れを抱き、実践する筈も無かろう。これらの行動・選択の裏にあるものは、決して彼等の心の郷愁が、全てでは無かろう。それは、きっと嘗て自然と共に生活を送っていた人間のDNAからの呼び声である筈だ。鮭・鱒・鰻が、生まれ故郷に産卵に戻って一生を閉じるのと同様の遺伝子が、組み込まれているだろう。人も自然の子なのである。自然と隔離されてしまえば、細胞が感じる閉塞感の檻の中である。
 然し、考えて欲しい。人間社会は、出入りの自由の利く檻社会である。その気に為れば、自然は拒む事無く、迎えてくれるのである。精神の調整作用を与えてくれるのが、物言わぬ自然の広さであろうが、何故人は自ら盲目の道を選ぶのか?自らの精神の処方箋を持たずして、安定・調整が叶う訳があるまいに・・・ 現社会を一つの風景がと見るならば、そこに見えるものは、自らを檻の中に閉じ込めてしまった、怖くも脆い人間の精神の寒々とした拡がりだけである。

 でも頭の半分には、事件への疑いが渦巻いている。この事件が、単独犯である筈が無い。これ程、念密に計画している犯人の動機が、<生類哀れみ>の殺人動機となるのか? ふてぶてしいまでの面構えと悪びれしない態度。出頭が、何故この時期なのであるか? 犯行と供述のチグハグさに納得が行かない思いである。凶暴・執拗さが、トラブル続きの男の周辺から、報道されているのであるが、釈然としない犯人像である。大学中退と云うのであるから、理解能力も備えていた犯人である。正常人の中の異常部分・異常人が、ある切っ掛けで、異常へのまっしぐらと考えるばかりでは、事は終わらないのである。個人的異常面だけで、これ程までの凶行に及ぶ事が出来るのだろうか・・・ 取調べが進むに連れて、情報が逐次報道されるのであろうが、頭に入れて置かねば為らない重大事件である。

 派遣労働・ワーキング・プア、政治の不安定化、官僚・官僚政治への不信感、外交問題、個人経済の低迷化、個人と社会の希薄化、心の空虚感、殺傷事件の日常化・・・etc、と出口・捌け口の見えない閉塞感が、社会の色として下りている。何処からか分からぬが、<劇場型>などと形容される目立つ事が、最優先される世の風潮であるが、赤の他人の命を巻き添えにしてまで、自分の存在を誇示しなければ為らないのか? その頭脳回路について行けない。自己存在の誇示に、それ程の価値があるのだろうか? 

 人間として生まれた以上、心臓が鼓動している間は、生きるだけである。生きる自信が無くなったと考える為らば、人知れず黙って死ねば好いのである。生きている以上、へこたれたら悪魔が囁くだけである。如何して、目立つ事ばかりに気が向くのだろうか。圧倒的な大多数は、目立たずに、一生を終えるのである。それで充分だろうが、人は自分が考える程には、他人に注目されてはいないのである。
 決して私が還暦に為ったから言う訳ではないが、無い物強請りをして、背伸びをすれば、追々蹴躓きが待っているだけである。自分と向き合って、等身大の自分と折り合いを付けるのが、先決問題である筈である。これは、成人して親元を離れて一本立ちすれば、それなりに人生の実験を重ねてくれば、各自に導き出される実験結果であろう。自己、社会に対する其々の過小評価・過大評価の狭間で、布団を頭から被って泣いている方が、余程人間的で価値のある葛藤だと思うのであるが、今のご時世は、こんな自己葛藤劇は時代遅れの様である。

 然しながら、<自己葛藤劇>で鍛錬されていない者には、諦観・潔さの美学は、生まれ様が無かろう。憎悪も妄想も想像も、個人の自由である。但し、思い止まるのが人間である。思い止まった跡(後)に、その人の足跡が続くのである。思い止まった数だけ、人は融通が利き、打たれ強く為れるのだと思う。

      人の歩む道 行きつ戻りつの思案道 
    激情も思い止まれば 振り返る苦笑の時期(とき)

     誇示するばかりが 歩む道でもあるまい 

        生きるは 別名 生き恥を晒す道 
 振り返り 思案の数 止まった数を数えて ほっとするのが凡の道

 深夜の雪が、道を白く染めて行く・・・ 取り止めの無い駄文にお付き合いをさせて、恐縮の極みでありまする。平にご容赦の程を、

心何処ーショート 嗚呼、本日・勤労感謝の日
               嗚呼、本日・勤労感謝の日(11/23)
 寒くなると、つい母の部屋に長居をしてしまう。そう為ると習慣で、テレビを見てしまうのであるが、宣伝の無いNHKが主体となる。白神山地のマタギの『隠し岩魚』の件が面白かった。きっと人間とは、古来より同様な事をして来たのであろう。夜は、7:30から始まる土曜時代劇、次いで世界遺産の旅を見る事にしている。時代劇・自然物の好きな母である。昨夜(金曜)は、<三丁目の夕日>を見た。穏やかに尻上がりに佳境に導く映画は、流れのリズムを宣伝に切られ、映画館で見たほどの感動が、湧いて来なかった。劇場映画と宣伝タイムを計算に入れた起承転結を利かした作りのテレビドラマとの違いを、まざまざと思い知らされた感じで、映画とテレビを比較すると、監督・俳優陣には、申し訳の無い感じが残った次第である。

    こんな事を打っていると、厚生省テロ犯が、出頭して来たとの報である。 
 ラジオ報道を聞きながら、長山洋子のCDを聴く。明日の報道番組は、大忙しの態であろう。どんな構成・切り口で、マスコミは報じるのだろうか。マスコミの程度が、試される。
 
 一夜明けて、例の報道番組を見る。戦前の世界恐慌から始まる軍部台頭・言論抑圧・挙国一致への過程をフリップにして、背景の共通性を危惧する一般的感想で終わっている。彼等は日頃、戦前・戦中の挙国一致報道を反省して、言論の自由・報道の自由への道に携わっているのだと豪語している連中である。
 為らば、言論・報道の自由は、取りも直さず有るべき姿・方向への問題提起・啓蒙・誘導の任を果すべきである筈なのに、何時しか真理・志・思い・方向も、善悪・哲学的・人生的価値観も稀薄に成り下がって、経済・利益の方にばかり偏重してしまった。是々非々こそが、彼等の主戦場であるにも拘らず、マスコミ王国の実態を見れば、○×の分かり安さばかりを強調するだけの、内容軽薄にして、その場限りの瓦版騒ぎの狂想曲の作り手に、成り下がっているのである。 
 増してや、彼等は、芸能バラエティ番組とは一線を画して、報道特番的番組を送り出しているのである。彼等が現代のインテリ面をしたいのならば、じっくりと<時代・社会の警鐘>としてのあるべきと考える<志の観点>から、腰を据えて物事の是々非々を論じて欲しい物である。それが、『社会的公器』としての彼等の護るべき態度の筈であろう。

 斯様にして、意気込み満々で番組に対したのであるが、余りにも反省の乏しい傍観者的・総花的の鈍感極まりない形での短時間であった。彼等の反骨精神・青雲の志は、何処で放物線を描いてしまったのだろうか? 第三の権力・マッチ&ポンプで、商業的営業で巨大化して、マスコミ貴族然として軽佻浮薄のマスコミ社会を実現してしまった観は、如何見ても否めない事実であろう。テレビに登場するお馴染みのジャーナリスト達の言葉の端々に、困った事態でマスコミもターゲットの一つに挙げられているのであろう事を自覚しているらしく、歯切れの悪さと短絡的感情での個人的・犯人異常論が、表面を飾っていた。<偉そうに、何を遣っとるんじゃい。>・・・そんな感じであった。

 本日、勤労感謝の日である。経済を支えるのは、黙々と最前線で働く全国・全産業の勤労者・自営業者達である。マスコミ諸氏らは、大多数のブルーワーカーの労働をした事の無い連中である。労働を各種の統計指数的にマクロで捉えるだけで、労働を語り、経済・政治を分析する振りをして、政府・行政・政治家に国民目線を突き付けて、とんちんかんな事を専門用語で論断しているのである。各種の経済統計指数は、結果である。経験・類体験の無い者達に、結果が示す行間を読み解く能力が、備わっているとは思えない、私の<寒さ>なのである。
 統計指数・係数には、公式の色合いが強い。公式の指数判断には、これまた、一般論的判断公式が控えているのであり、公式の示す数値の先には、其々の現象の括り、対処方が矢印として書かれているのである。数学と同じで、その公理・公式を使えば、それなりの答えが導き出されると云う仕組みに為っているのである。掛け算を知らなければ、足し算を、割り算を知らなければ、引き算をするしかあるまいが、知らない人間からは、瞬時で答えを出す人間は、見た目天才・大秀才に見えてしまうだけである。ビジョンの無い人間の算数講義に、人が拍手を贈る筈が無かろう。ふりぞり返って、自尊心ばかりが面立っては、一幅の絵にも為りませんぞえ。

 大多数の勤労国民の『下から目線』で見れば、笑止千万の様である。本当に、彼等は胸を張れるほどの個人的優秀さを、持ち合わせているのだろうか? こんな風に、ロートル賄い夫の私に、下衆・貧民の雑感を抱かせてしまう彼等の正体は、一体何なんだろうか? 『寒々とする時代』とは、番組を見た私の言う台詞である。<馬鹿タレ共が!!>である。これは、視聴者を馬鹿にし腐った情報事務屋の本質暴露と云った処であろう。お付き合いウォッチングは済んだから、部屋に戻る。
以上、本日の下衆の罵詈雑言でありました。

 お天道様のご機嫌も好いから、玄関の不足の苔を取って来て、未完の作業を完成させた後は、風呂を沸かして、洗濯のお時間と致しまする。

心何処ーショート 晴天に、日は傾くなり
               晴天に、日は傾くなり(11/22)
 如何やら、寒さが和らいだ。折角の太陽であるから、目一杯の日光浴をさせて遣ろうと、鳥篭を水槽の上に置く。日差しを浴びて、嬉しいそうである。グッピィの稚魚も、パクリ消滅の段階を越して、水草の茂みの中で小さな泳ぎを見せている。1、2、3、4・・ きっと、他に何匹かは、居るのだろう。この世界では、先ずは順調な歩留まりなのであろう。次世代のオスを探して、目を凝らしていると、久し振りに現れた斑模様のオスが居た。遺伝子攪拌の小世界は、強弱の違いはあろうが、共通遺伝子で、色合い・模様が現れたり消えたりしているのであろう。
 一方の金魚槽は、大分数を欲張り過ぎた様で、個体の成長と共に混雑の様相を呈して来た。

 並金華鳥の羽色を持った両親から生まれた子供達は、純白のメスと古代金華鳥のオスの組み合わせである。子供達のオス・メスの羽色が、良くも揃った物である。卵を蹴り出してしまった番鳥は、諦めたのか、親子で追い回す行動も無くなり、夜は大人しく4羽で藁巣に収まっている。独立組の籠は、代用の餌入れに出入りはするものの、巣との認識は出来ていない様子である。深々と冷える冬の夜であるから、止まり木では無く、中で眠れば好かろうと考えるのであるが、人間の考える様には事は、運ばないのである。まぁ、お節介は兎も角として、こうして元気良く、毎日を過ごしているのであるから、彼等の思う儘にして置いた方が、好かろう。

 昨日は寒くて、外に出ず終いであった。お天道様のお招きである。2日分の運動量を確保する為に、ブラブラ歩きに出掛けるとしよう。

 大鯉の二匹・山女の姿を確認して橋を渡ると、久し振りの満車状態である。柔道着を着た一団が走っている。その儘、体育館に入ると、『醍醐杯・全国少年柔道大会』と書かれている。二階の観客席から小一時間を眺める。男女の小学生・中学生の盛んな試合が、行われている。綺麗な一本勝ちに目を凝らすが、その瞬間に出会わず終いで、会場を出る。通りを渡って、護国神社の境内に野鳥を探すが、甲高いヒヨドリの声ばかりである。中学・高校・大学の隣接する一帯を、路地路地のブラブラ歩きをして、再び河川敷を歩く。つるみトンボが、川面に産卵飛行をしている。西の中央アルプスは、乗鞍、常念のお山も、真っ白に雪帽子である。<トンボさん、精を出すのは好いけれど、大丈夫かいな?>である。これも、恋は盲目の内の世迷事の一つか?

 遅い昼飯を食べて、午後の再放送サスペンスを見れば、何やら動くのも大儀である。昼寝をしたい処であるが、冬の夕暮れは駆け足。続くは、釣瓶落としの夜の帳である。飯は、研いで炊かねば口に入らぬ。夜の帳の炊事よりも、日中の炊事の方が、諦めも付く。トホホである。

          倦怠感 愚痴を零したら、癖に為る。
        馬鹿に徹するのが肝要、と言い聞かせつつ
       我は 咥えタバコの 皮を剥くなり。広吹き大根 

心何処ーショート 嗚呼、金の星
                 嗚呼、金の星(11/21)
 <バレーボーイズ>は、実に面白く、底に流れている男の純情悲哀が、何とも理解出来る。男の良書の一冊である。この書物には、<独身アパート・どくだみ荘>に共通する物がある。昔、どくだみ荘の単行本を出る度に買って、腹が捩れるほどに、ゲラゲラ笑って読んでいると、女房・娘から軽蔑のゲンコツを頂戴した物である。筋の好い息子からは、ニヤニヤされたものである。

 この手の漫画への女族の反応は、『嫌らしい、汚い、変態漫画』のけんもほろろの一刀両断振りである。これらの漫画の表層にしか、目の行かぬ女族と異なって、底に流れる男純情の『思い止まり』の本旨が理解出来ないのである。実に嘆かわしい取り扱い振りである。

 或る時、社員旅行で北海道に行った。脱衣所で私の逸物を横目で見る不心得者が居たから、生まれ故郷であるからして、故郷に錦を飾る気持ちも手伝って、逸物を誇示して
ショー ミィ。ディスイズ、ビックマラー、メイド イン北海道。アイム、ア、チャンピョン!!
と、分厚い胸板に胸毛・上腕に力瘤を作って言って遣ると、男はスタコラ、逃げて行ってしまった。<ザマァ、見やがれ>と思ったのも束の間、隣の若い社員が、<Rさん、立場を考えて下さい。会社の品位を穢します。>と、顰蹙とお小言を頂戴してしまった。次いで宴会の席上、この一件を暴露されて、大いに男を上げる羽目に為ってしまった。

 また或る時、会社の番犬が私の顔を見て、散歩に連れて行けと吼え盛る。馬鹿犬であるが、常日頃、私に一目を置いている態度が殊勝であるから、付き合って遣る事にした。散歩から帰って来ると、アルバイト・ホステスをしている顔見知りが、車で遣って来た。自分の犬の散歩に、日頃、冷遇されている番犬タローも一緒に連れて行こうと思って、寄ったとの事である。彼女は、昼はデザイナーの仕事をこなし、夜は同級生がママをする店で、週二回ほどホステスを務める女性で、ファンが多いのである。
「ねぇ、何か面白い話、無い?」
と、聞かれるから、春の陽だまりの中で、
「この前さ、店に行ったら、ママが、この頃恋人とセックスしても、濡れて来ない。太り過ぎて、ホルモンのバランスが狂って来たのかなぁ、ダイエットしなきゃと真顔で言って居たんだよ。そんな事考えていたら、ママの夢見てさ。お相手したんだよ。脱がしたら、それ程までじゃなくて、肉は厚いものの、締まっていてさ。スムーズに潤滑だったんだよ。それで、取り越し苦労は、精神に悪いから、その日に電話して遣ったんだよ。」
「えっ、マジ? 普通、そんな事しないよ。皆、言ってたけど、芯は真面目だって。でも、これじぁ、真っ赤な嘘だね。はっきり言って、頭、オカシイんじゃん。それで、アイツ何て言ってタン?」
「アハハハ、アリガトウ。私、綺麗だった? 一杯出た? 気持ち好かった?って言ってたぜ。嬉しいじゃないか。お役に立てて、それで、ああ、気持ち好かったよ。目覚ましが鳴らなかったら、バック攻めに移行したのに、残念!!って、俺も正直な感想を伝えたよ。」
「ヤダ~。それって、二人とも変態じゃん。ああ、気持ち悪い~。」
「寝言言うな、並みの男じゃ、こんな正直な事、言える訳が無いだろう。女が自信を回復して、官能にのた打ち回れるなんて、恋人同士の特権じゃないか。俺の個人的品性を犠牲にしてまで、若い男女の性愛にエールを贈れるなんざ、並みの修行じゃ無いぜ。この馬鹿たれが。」
「キァ、可笑しい。ヨ~シ、皆に電話掛けまくちゃおう。世の中、ホントの馬鹿がいるんだ。ああ、楽しい。私の夢は、絶対に見ないでよ~。壊されちゃうもの。」
 
 後日、彼女達の口の悪い女共が、4人遊びに遣って来た。変態ヒヒオヤジの顔を、じっくりと見に来たのだと言う。錯覚・誤解の類は、綺麗さっぱり払拭させて遣るのも、日本の年長者の努めである。教養・品位を交えて、<どくだみ荘>並びに<バレーボーイズ>の正統なる読書構えを講義した処であるが、如何ともし難く、生徒が悪過ぎた。涙を零して笑い転げ、講師の私に対する罵詈雑言の限りを尽くして、意気揚々の帰還であった。

 真意の伝わらぬ輩は、私の最も不得意とする難題である。男心の純情は~ 燃えて身を焼く~ 金の星~ 流す涙を 誰が知ろうの心境にして、厄介な心の宇宙でもある。

心何処ーショート 拡がる初冬のパノラマ
              拡がる初冬のパノラマ(11/20)
 朝日が眩しい。こんな寒さになると、<冬晴れ>なんて言葉が、つい出てしまう。いかんいかん、年内にこんな言葉を使ってしまっては、寒い信州、冬が越せなくなってしまう。空気の入れ替えに窓を開けて、『うおぅ、寒い』である。朝のラジオからは、日本列島、初雪の報告が目白押しである。薄い空の色に、屋根が反射している。風の無い好天が始まっている。細い光の中を、通学の自転車が、長いマフラーを巻いて次々とカーブして行く。
 早々の出窓置きに、小鳥達も気分が好いらしい。水の冷たさに、金魚達は固まって省エネの動きである。水槽に太陽の光が届くには、まだまだ時間が掛かろう。浮き餌を撒いて遣るが、知らん顔である。お隣の一定温水槽のグッピィ達は、スッと集まって、パクパクである。

 本日の最高気温は、昨日より1℃高い6℃との事である。無風の快晴であるから、体感温度並びに心感温度は、外へのお誘い温度と為るのだろう。

 朝食後、予定していたテレビ番組が無い。母の部屋に居ると、腰が重くなってしまう。こう冷え込みが続くと、車に乗ってバッテリーに力を貯めて置く必要がある。ドライブ距離からすると、松本市と安曇市の境にある<湯多里・山の神>に、浸かりに行くのが得策と考える。400円でゆっくり休憩も出来る安曇野市営の温泉施設である。温めの湯にして、露天風呂の雰囲気が好い所である。山間の道をドライブするから、山の紅葉も目の保養となる。車から、足を洗った生活を続けているから、大分、ご無沙汰している湯である。平日であるから、こじんまりとした休憩室は、さほど利用客は居ない筈である。ラジオ・テープ・カメラ・ウィスキーに、筆記用具をザックに入れて、『ゆっくりして来る』と言い残して、エンジンを掛ける。

 途中、コンビニでツマミとマンガ本を買う。買ったのは、『工業&好色哀歌バレーボーイズ』である。この漫画に描かれる女達の顔の雰囲気が、付き合いのあった韓国オネェさんに似ている。そんな単純な選択肢で、何冊か持っている次第である。買って、車に乗る時に、はたと気付いたのが、老眼鏡の忘れ物である。アハハハである。

 太陽が照ってはいるものの、流石に寒い。内湯と外湯を往復しながら、じっくり温泉気分である。この湯の泡の吐出量は絞ってあるから、浮力と水流で体は浮かずに済む。入浴客が少ないから、馬鹿な探究心が浮ぶものである。肺活量の多寡による浮力への影響を試して見る事を思い付く。浮き上がる体と沈む体の調整を、呼吸量で試してアルキメデスの心境に、ニンマリの段である。我ながら、長生きをするタイプなのであろう。

 湯から出て、久し振りに湯上りの牛乳を飲む。牛乳がこんなに美味いと感じられるのであるから、このベストマッチを考案した人は、立派なものである。タクシイ・ユニホームの男が、湯上りの弁当を食べている。市のマイクロバスでの老人サービスなのである。役得などと失礼な事を言っては、申し訳が無い。これは、立派な業務の一環である。フランク・永井を聴き終って、日野美歌を聴いていると、携帯電話である。老眼鏡を忘れた我が身は、用事に回る事にする。松本の南北をドライブする。車窓の初冬の黄葉に彩られた美ヶ原を頂く東の山容は、角度を変える程に拡がる季節のパノラマであった。

心何処ーショート ありゃりゃ、雪である。
              ありゃりゃ、雪である。(11/19)
 <悪事に手を染めて、改心して悪事から足を洗う。>悪事に染まった手なら、手を洗えば済むのに、何で足を洗う。と問われて、我が身は、「う~ん」と唸ったまま、応えられない体たらくである。
 そんな私が、日本国の宰相の漢字の誤読を、とやかく攻撃は出来ないのであるが、考えさせられる事が多々ある。長らく日本の指導者は、教養・見識の高さを体現する職業だった気がするのである。彼等の口にする難解な熟語・漢文調の格言・諺などについては、我が身の浅学非才を恥じて、広辞苑を引かされたものである。そんな中で言葉の意味を知らされて、それらを平然と使用する彼等に尊敬の念を抱いていた物である。私は戦後教育の教え子であるから、漢文・古典には戦前教育を受けたインテリ層とは、格段の見劣りがある世代でもある。加えて、不勉強の物臭男である。大学に入れば専攻した法律文章は、戦後世代からすれば、正に古色蒼然とした字面でびっしりであった。高校時代の当用漢字で読み進める訳にも行かず、大袈裟に言えば、カルチャー・ショックで、完全なる自信喪失現象に陥った物である。

 一般的に教養として、認知を受ける最初の関門は、紛れも無く国語力である。国語力は、読む力の漢字知識と読解力、表現力(話す力の話力・文章を書く力の文章力)で、出来・不出来を吟味されたものである。社会に出れば、会議・提出レポートで、それらを先輩達に彼是と添削されたものである。説明・説得力の付与に、社会・経済・政治、歴史・地理、科学・芸術・音楽・数学・文学・趣味・・・etcの説得挿入が必要なのである。これらが、教養の裾野なのであろうが、裾野の頂点に立つ頂は、国語力にあると思われる。そして、国語の基本は、ひたすら覚える処から始まる退屈面倒な漢字の読み書きであると思われる。

勿論、漢字の誤読が、取りも直さず行政能力と結び付く訳では、決して無い。

 金持ちの家・名家に生まれ様が、漫画を愛読しょうが、気さくであろうが、毎晩一流ホテルのバーで飲もうが、洗練されたスーツ姿で、得意の英語を発音豊かに答弁に挿入しようが、何ら文句を言われる筋合いは無い。ご当人様は、経済大国・日本の宰相殿である。貧民・下衆の私ですら、そんな個人的な事で、下衆のヤッカミをする気など毛頭湧いて来ない処である。その位の世の常識は、持ち合わせていると自惚れている次第である。

一国の宰相に登りつめるには、その世界で秀でた能力が備わっていた事には違いないのである。

 然しながら、暗雲立ち込める政治・政局の不安定さの中にあって、あるレベルでは絶対に間違えない誤読を呈してしまった痛手は、大きかろうと同情すると同時に、こんな処にお坊ちゃまの素顔が覗いてしまっていると苦笑いをしてしまうのである。不勉強・天真爛漫お坊ちゃまの『付け』が、とんだ処で露呈してしまったとしか言い様が無い。
 人間と云う物は、自分と等身の相手の弱点を、愛嬌と見るか、足の引っ張りの手掛かりとして寄って集っての引き落とし集団と化すかである。KYだかYKKだか知らぬが、声高な一人の声が、空気を作りそれが伝染して流行感覚を作り、流れに迎合・便乗して、上も下も一過性の日本的大流として流れ去ってしまう。これも心底には、皆と同じ事をしていれば、好からずの日本人的安心感の故なのだろうか・・・  

 昨今の日本政治のもたつき振りは、何やら、NHK大河ドラマのある幕藩体制末期の様相を呈している様な、中心力・求心力の衰退の様と重複して、見えて来てしまうのである。明治以来の官僚体制打倒の欣喜の御旗は、整ったのだろうか。大河ドラマで云えば、平成20年は、どの辺りに差し掛かっているのだろうか・・・ ドラマを振り返って見る。・・・

 紫煙の先に、おやおや、ジョービタキさんである。小さな侘しき窓辺の世界であるが、姿見せに訪れる野性に、気分は和むものである。ありゃりゃ、白き物が舞って来た。こりゃ、駄目だ。昼食後は、銭湯に浸かるべしである。

心何処ーショート ヒュルルン、風が鳴く
               ヒュルルン、風が鳴く(11/18)
 予報通り冷え込んだ朝となった。部屋の空気の入れ替えに、暫くガタガタ震える。窓辺の雑木は、葉を捥ぎ取られて無様に震えている。小菊に揺れる風、柿簾のブランコは、見たくも無い初冬色である。手に掬った洗顔の水の冷たさに、気合の決心である。そそくさと小動物達の世話をして、台所の洗いもの兼湯を沸かす。薬缶の湯をポットに移し替えて、湯気をフーフーしながら、舌の焼け付く様なコーヒーを口にする。
 
 窓外の風模様に、ふと、<風が吹けば、桶屋が儲かる。>のフレーズが、浮んだ。
 現代版のバブル・ハリケーンは、世界同時ハリケーン、竜巻で、名だたる世界企業が、空中に巻き上がり、身売りにゴォーゴォー飛び交っているらしい。丸い地球は羽目を外した付けの強震に、悠長な喩え話では、済まされない事態に発展しているらしい。身に覚えの無い信用価値の一気の崩壊・信用不安に依って、経済活動の大動脈・血液をストップさせられて、優良企業が、資金繰りで煮え湯を飲まされ、断末魔の悲鳴を上げているのである。市場に任せるか、国策で救助するか、人間の軍隊為らぬ札束の軍隊出動で、先進国・中進国・後進国を問わず、G8、G20で、何兆・何10兆円・何100兆円とテンヤワンヤの世界経済の様相らしい。現役時代に日本版バブルを肌身で体験しているから、政策の決まった後に続く長いトンネルの様が思い出される。我が身は、電子顕微鏡にも映らぬ貧民・下衆の身、如何足掻いて見た処で、流されるしか身の置き所の無いロートルである。幸い二度目にして、退役組であるから、二番煎じの傍観が先に立っているだけの模様見の心境である。
『風が吹けば、桶屋が儲かる。』・・・これを表した先人は、同様な状況を体験して、その体験から、どの程度の時間を要して、この言葉を発したのか・・・ 実に興味の湧く名言誕生の経緯である。

 急激な冷え込みに、体が付いて行かないのであろう。母の動きが遅い。部屋を覗くと床に伏せっている。朝飯をパスして、昼と一緒にする。風が強いから、鳥達は、玄関で過ごして貰う事にする。ラジオ・ビタミンからは、夫婦の話題が流れている。男と女、夫婦、親、そして再び男と女の日々の便りを耳に、ニヤニヤ、ゲラゲラしながら、女房の結婚前の顔・女房のその時々の顔、言葉などを思い出しながら、男と女の一対の不思議な関係を脳裏に追う。
 
 玄関では、催促する様に鳥篭をガタガタ嘴で鳴らしている。日常の習慣が、小鳥達の小さな脳味噌にも、確りインプットされているのであろう。別に可愛いとは思わないが、私を執事扱いする連中である。

<煩い、分かった分かった。>の要請実行の段である。寒いのは堪らないから、出窓に工夫をして、スペースを空けて鳥篭をセットして遣る。真面目に考えれば、糞タレ共である。礼も言わずに、当然の様子で思い思いの囀り・餌の啄ばみを繰り返しているばかりである・・・好い気な物である。
<馬鹿野郎共、我輩ほど物事、清濁併せ呑んで、清い糞をたれる好漢は、そこんじょそこらには、居らんぞ。お前達が美形女であったら、懲らしめ、教育的指導で、有無を言わせずに、悪代官に変身して、手篭めにしてくれるわ。『お代官様、それは、ご無体な!お止め為されませ。ご堪忍を。』などと、オボコ面をしたって、許さねぇぞ。戯け者め。>
 
 それにしても、現金な連中の我関せずの四畳半・同居人達である。私のボヤキも天に通じで、薄日が差して来た。お天道様の思し召しに従えば、私の考えは、『お門違い』の様である。風の唸りに、落ち葉がすっとんで飛んで行く。嗚呼、コンチクショーである。脇の壁を見遣れば、シングル・ママさんが、ツンと澄ました顔で、これまた生意気顔で、此方を眺めて居られる。ラジオからは、口数では太刀打ち出来ない神崎さんの耳に慣れ親しんだお声である。この世にあっては、自信に富んだ女性には、男は如何足掻いても、掌に転がされる男と女の二人三脚なのかも知れぬ。
 如何やら、四畳半に居てばかりでは、多勢に無勢である。さてさて、昼にして、日課の散歩をこなすしかあるまいか・・・ 何々、明日から冬型の気圧配置が一段と強まって・・・ 参りましたなぁ~ 

 おや、まぁ。雌ジョービタキのお出ましである。正面のフェンスに止まって、此方を見ている。前回のメスとは違って、くすんだ体色である。動きも穏やかである。若しかしたら、若しかである。如何なる事に為るか、暫く模様見の日々が続きそうである。
 散歩がてらに、バケツを提げて土手の苔を取って来て、玄関の鉄平石の周りに配置する。バケツ2杯分の苔を石と石との間に入れて、水を掛けると見る見る内に蘇る苔の緑である。少なくとも、もう一杯の苔が必要であるが、後日に取って置く事にする。我ながら、侘び寂びの箱庭感覚に仕上がった。物は序であるから、水槽のろ過装置を洗ってリセットの段である。

 さてさて、作業終了の後の寒い日は、小さな満足を枕に、昼寝でもして時を過ごすしか無さそうである。

心何処ーショート マイ・スロー・ライフ
               マイ・スロー・ライフ(11/17)
 昨日は、夜M氏から久し振りに電話があった。人手不足で、ずーと休みが無かったとの事である。死んだ様に、夜まで眠っていたとの事である。月末に為ったら、顔を出してくれるそうである。米屋のご主人も、この頃、作業に付ききりである。不景気で、夫婦で細々と遣って行くとの事。大変なパンドラの箱が、開いてしまったのだろう。作業の邪魔は拙いから、用事を済ませて自転車に乗る。

 個人スーパーには、地産地消の野菜類が豊富に出ている。家を出る時に、お隣さんから、大根を2本頂いてしまった。今年の農作物は、至って豊作なのであろう。地産地消の野菜類は、不揃い・不恰好の安さと量である。中国野菜への不信感・団塊世代の大量退職・エコ絡みの地産地消への広がりに、手作り志向が進展しているのだろう。然しながら、食材に手間隙掛けねば、地産地消の恩恵に浴する事は叶わぬのである。

<兄さん、今年は大根の当たり年だよ。漬物樽の用意をして、車で買いに来ましょ。これから、ドンドン出て来るからね。漬けなきゃ損だよ。待ってるからね。>
<アイアイ、その内に、車で乗り付けるよ、待ってましょ。>

 痛し痒しのスローライフである。里芋・牛蒡・長芋・ネギ・赤蕪・米と重量オーバーの自転車を、慎重に進めながら、ロートル賄い夫はトホホの苦笑いである。

玄関に買い物袋をヨッコラショと置いていると、トイレに来た母が、それらを見て笑っている。

 安い食材に命を付与するのが、賄い夫の仕事である。嫌に為らぬ前に、台所仕事に精を出す。野菜を煮物に仕込んで、赤カブを酢漬け・塩漬けにして、松前漬けを仕込む。如何やら、遣り終えて、散歩に出る。昨日の雨に、アルプスの連山には白い物が被さっている。おやおや、白鷺が抜き足差し足の、小魚狙いをしている。

 見慣れた風景の中に、呆気無いほどの日が暮れ、呆気無いほどの季節が巡り、呆気無いほどの一年が過ぎ去って行く。誰が付けたかは知らぬが、スロー・ライフとは良く付けたものである。
煩わしさに別れを告げれば、気分は、気持ちの持ち様一つである。スロー・ライフとは、何と居心地の好い物だろうか

心何処ーショート 休日賄い夫のボヤキ
                休日賄い夫のボヤキ(11/16)
 生温い空気に、雨が落ちて来た。これで、大地も一息付けるだろう。水槽の補充水用に、バケツを外に出して置く。風呂を沸かして、洗濯をする。

 興味のあった田母神氏関連の番組が有ると思い、大嫌いな老害が仕切る某番組を見る。元自衛官幹部二人を前に、似非ジャーナリストは、腹の据わりの弱さを暴露してしまった。当然、ニュース・トピックのツマミ食いの番組構成である。期待した方が、浅はかであった。次いで高福祉・高負担の平等社会のフィンランドとデンマークのレポートを見る。
 私は、この番組レギュラーの経済アナリスト氏は、好きなのであるが、彼の今回の切り口には、少々腹が立って来た。バックの歴史的建物と同居する街の風情・街行く人々の表情・両国民の服装・化粧に注目して、幸福・平等とは何ぞやの視点から、その手段として作用している国家観・経済観・職業観・教育観・人生観を経済アナリストの眼で、解説して欲しかったのである。彼の感性の中には、そう云った歴史的・文学的感性も教養として、備わっていると思っていたからである。それが伝わって来なかった事に対する個人的な不満が、残ったのである。
 凡そ、都市・街に漂う表情、人の服装・表情・目・語る口調の中に、人の価値観が漂うのである。人の価値観が、人を作り、建物・物を作り、社会の仕組みを作り出している筈である。

 或る年代層のジャーナリスト達には、文学部出身者が多いらしい。彼等は少なくとも、私より文学・歴史・芸術に関心と造詣が深かろうと思われるのであるが、彼らの中には、何故か感性の面で小首を傾げたくなる連中が居るのである。感性の嗅覚で、物事の本態に迫って、職業知識で核心を炙りだして、問題提起をして対処策を提示する。その一連の行動の中に、目を覚まさせられる事柄を拝聴したいと思うのが、専門家への一般人の期待と人情である。
 感性の嗅覚の乏しい連中の解説・判断には、武闘派を以って任じる下衆の私とて、<馬鹿モン、手前らの眼は、節穴か>なんて、罵詈雑言を投げ付けたくもなる事が有る。五感を置き忘れて、活字知識ばかりを吹聴しても、説得力に欠けると云うものである。などと、世間の狭い下衆は、文句を言いたくなるものなのである。

 遺憾いかん。休日賄い夫のボヤキであります。他意は御座いません。失礼致しました。

心何処ーショート 人間、移り行くシフト
                人間、移り行くシフト(11/15)
 好い番組があったから、母を相手に2時間も喋ってしまった。早や、正午である。体調が好いらしく、シャキとした顔で、目を細めて相槌を打っている。92歳と60歳、母倅の土曜日の一時である。居心地の好い母の部屋に居たら、還暦の我が身は、どっぷりとコタツに転寝の為ってしまう。注いでくれる緑茶を飲み過ぎて、弛みモード全開である。タバコを吸いに自室にお暇をする。

 本日、曇天の空模様であるが、数日続いた高気圧の余熱で、寒くは無い。曇天に金魚達の彩りは鈍いものの、ノンビリした動きを見せている。コーヒーの分量を間違えて、苦いコーヒーである。朝の餌を一粒残らず腹に収めた彼等のプックリ膨れた腹部は、薄日に魚鱗が時々鈍く光る。 
この頃は、成長の種類差、個体差が目立って来た。短躯デカ腹の流金と流線型のコメットの体長差は、歴然として来た。5匹のコメットの中に、気に入った体形・色具合の1匹が居る。嬉しい事に、そいつが一番の成長スピードなのである。先の楽しみな金魚である。
 親子同居の金華鳥は、纏わり付く子供に抱卵を邪魔されて、親鳥は抱卵を諦めて、卵を全部巣から放り出してしまった。私としては、卵は物体として認識されているから、余り痛ましい感情に囚われずに、廃棄出来る。これ幸いと、便乗させて貰う。

 パソコンに向かっていると、民生委員のFさんが、母の顔を見に来てくれた。母の部屋から、お湯を沸かせとのお達しである。序に、渋抜きの柿をお裾分けとの事である。下手絵のフィルを持って、暫し、お相手仕る。女同士だと、母の口も滑らかに為る様である。普段は聞き役専門の母も、Fさん手作りの亀の紐細工に、すっかり好々婆の愛想を崩している。倅としては、母の頭の回転に、<マダマダ心配に及ばず>の安堵感である。実に有り難い訪問者である。

 二人の弾む会話を残して部屋に戻ると、奥のお婆さんが、奥に通じる私道の草取りをされている。腰掛持参で、ゆっくりゆっくりと、草掻きをカチカチ鳴らして居られる。
 夏もお婆さんの草掻きの音がしていたものである。四軒目に位置するお婆さんの家である。其々の家が、50cmを提供して通じる通路である。腰の曲がったお婆さんは、何日かを掛けて、少しづつ時間を掛けて進んでくるのである。お婆さんの中には、きっと何十年も続けて来た大正女の<自分の仕事>の位置付けで、何とも思わない<自分の当然の作業>なのであろう。

 ゆっくりした時の流れの中に、三代の交代の歩みが、日常の風景の中に溶け合って流れて行く・・・ 便利にスマートに自立、快活に自己主張・輝くだけが、人間の歩みだけでもあるまい。目立たず黙々と、自分の出来る事を、自分の体力の中でこなして行く。それで好いのだと、思う。

 現役の気忙しさから引退して、つくづくと、こんな日常に目が向く様に為って来たものである。我ながら、面白い気分のシフトである。

アハハにして、ウッシシ。
               アハハハにして、ウッシシ(11/14)
 アハハハ、慣れぬ事を打ってしまうと、好い出来事を忘れてしまう。昨日の帰りに、何かあった時に燃料不足で苛立つのは、愚の骨頂と思いスタンドで給油した。車から降りて中で、タバコを吸おうとすると、赤いポリタンクを提げて茶のセーターとグレーのスカートを履いた白人女性が、サンダル履きで歩いて来た。通りから、栗色の髪に整った顔・大きなクリクリした目で、にこやかな微笑を盛んに送っている。

 何なのだろう? 如何やら私を見ている感じであるが、私には思い当たる節が無い。きっと、知り合いの誰かと錯覚をしているのだろう。好みの白人女性が、勝手に錯覚をされているのであるから、此方には非は無い。確り鑑賞させて頂いた。

 あれっきり、我が窓辺にはジョービタキのバルディナさんは、姿をお見せに為らない。バルディナさんのモデルのロシア・ワーマンは、モスクワ出身の金髪・グリーンの瞳の肉感的な穏やかな雰囲気の女性であった。私には、彼女の性格・雰囲気全体が、西洋の観音様のたおやかさに感じられていた物である。そんな雰囲気の類似性から、彼女の名前を其の儘、拝借して冬の使者ジョービタキのメス鳥に、名付けたのである。私の、別鳥への落胆に、お天道様の特別のお計らいで、この白人女性をお遣わしに為られたのであろう。大勢に影響を及ぼさない事柄については、自分に都合好く、<内心の自由>を最大限享受させて貰うのが、庶民生活のコツの一つである。

 彼女も人違いの錯覚が、少々罰が悪かったのであろうか? 近くでポリタンクを手に提げた儘、後姿で給油の番を待ち続けている。早とちりに、彼女はどんな面持ちか? 男の悪戯心に、顔をとっくり覗き込んで見たい気持ちが起こるものの、それは余りにも、下衆の勘繰りと云うものである。土俵際の勇み足は、負けの取り組みである。道でいつ何時、彼女と鉢合わせと云う事も無きにしも非ずの確率であろう。飾らず、自然体の白人女性の柔らかな後姿の体の線を、鑑賞させて頂きながら、連想ゲームの様に、幾許かのイメージの組み合わせに、ノーテンキ・ロートル男は、邪なる脳裏散策をして見る。

 歳の頃は、30チョイ過ぎだろうか・・・皮下脂肪の乗りが、何とも言われぬ柔らかさを醸し出している。彼女は、西洋白人特有?の身なりを余り気にしないスッピン美形の口である。ウエストの括れの衰え、脹脛の膨らみに、落ち着いた奥さんの雰囲気が漂って来る後ろ姿である。知らぬを幸いに、背後から鼻で大きく、深呼吸をさせて頂いた次第である。これも黙っていれば、自由な行為である。ヘヘヘ、ウッシシの段である。

 何事も、付和雷同・流行を闊歩する帰来のある日本人気質である。痩身ダイエット・お着飾りファション・化粧ファションが、幅を利かせる街の風景とも形容出来る。
 然しながら、私としては女体から皮下脂肪の柔らかさを削ぎ落としてしまったら、女性特有の円やかさ・穏やかさを失う結果となるのに・・・ と思うのであるが、私の様な時代遅れの男の目は、マイノリティの典型なのであろう。

 普段着の女性美は、自然体のスッピンさの中に漂う奥深さの方が、本来、好ましいと感じられるのであるが、それでは消費文化の採算が合わないのであろう。内面の美と外観の美の両方を手にしたいと思うのは、如何考えても欲張りの様である。どちらかを主張するには、片方が主で片方が従と為らなければ、主が発揮されないのである。相乗効果で、両方が活きるなどと、プロの甘言に乗せられて、その結果は、人工物のオンパレードに走ってしまうのが、付和雷同の切なさである。

 カメラの絞りだって、きっと、そうであろう。ピント数を欲張り過ぎては、映像に主役を取り込む事も叶わぬ。何気ない遠景の総体を写す一枚の写真から、自分の好みの物を見付けて、その遠景の一部を自分の目でズーム・アップして愉しむ・・・ これは、私流儀の愉しみ方の一つである。或る確率から優れた物を授かった美女・美形達は、等身大の魅力で微笑んで貰いたいものである。人には、錯覚は付き物にして、錯覚大いに結構である。束の間の愉しみ、有難うゴザンシタ。

 伊達に、ミロのビーナスのふくよかなる裸身が、永遠の命を象徴する芸術彫刻では無いでしょうに。日本人女性も、白人女性に負けずに皮下脂肪の円やかさを蓄えて欲しいものである。
                ~ウッシシ~

心何処ーショート 好天続き
                好天続き(11/13)
 久し振りの早起きである。早朝の資源物を公民館に持って行き、部屋でモーニングコーヒーを飲む。朝のニュースをラジオで聞きながら、未だ起きない頭で、昨日を振り返っている。<その時、歴史は動いた>を、久し振りに見た。前は好きな番組であったから、欠かさず見ていたものである。ブログを始めてからは、テレビを見るのは、母の部屋だけに為ってしまった。従って、10時以降のテレビは、母の生活リズムを損ない兼ねないから、テレビとは疎遠に為ってしまった。番組担当の松平さんのファンなのであるが、彼の声・雰囲気は、ラジオの時代劇朗読で済ませている次第である。
 
 昨夜のそれは、キング牧師の黒人公民権運動であった。キング牧師には、鮮烈な記憶がある。若かりし頃、新聞・テレビ・ニュース映画でお馴染みの映像の数々が、映し出されていた。略半世紀を経て、それらの事々が鮮やかに脳裏に蘇って来た。この歳に為って、牧師の39歳での暗殺死に、居た堪れない感情を覚える。差別・支配の体制が強固だった時代、被差別・被支配の壁を突き破る方法は、インドのガンジーの実践した非暴力・非服従の大衆団結行動が、最善の武器であった。それを継承したのが、牧師の公民権運動であった。

 知らず知らずに歳を重ねて、過去を振り返る時、其処には自分自身の『歴史との同時代』を感じて来るものである。そこには、ある種の<自分の歴史感>と云う物が持てて来る。云うならば、自前の歴史感であろうか・・・教科書に載る歴史とは違って、<一庶民が感じ・判断する歴史感>と云うべきものであろうか。
 歴史には公史・正史とは別に、歴史に直接携わった人間達が、記す回顧録などと云う歴史各論もある。現代の歴史への態度は、報道的に客観的歴史的事実の記載が、現代史の主流なのであろうが、想い・意思と意志が、強く働いて現れるのが、人の行動であり集団・組織の行動なのである。其処には、はっきり<背景>が付いて回る。背景は、個人にとっては動機と考えても好い。
経験を持たない人間に、歴史事象の行間を読み解く技量が無ければ、それはご都合主義の歴史観として、しばしば自説の説得小道具に為ってしまう。時代・背景・感情と云った影響因子を割愛して、事実と云う現象にだけ、頭が囚われてしまうと、背景・動機が置き去りにされてしまい勝ちに為ってしまう。歴史を振り返って、現代的解釈と評価を下すだけが、歴史解釈では無かろうし、歴史の価値ではあるまい。
 一方、背景・動機にばかり偏重してしまうと、如何してもイデオロギーが頭を擡げてしまう。イデオロギー程、人間にとって厄介な物は無い。庶民の日々の生活の中では、イデオロギーが、それ程の重要性を持たないのは、庶民の本音であろう。そう為れば、<歴史観>には庶民感覚が無ければ為らない。意思を持つ雑多な人間達で構成されるのが、世の中である。強制・支配に現を抜かして胡坐を掻いていても、イエスマン・ゴマ擦りの塀の外では、面従腹背の日々の世界を持つ人垣が存在するだけである。人の世が、施政者の思い描く一元支配の体制である筈が無かろう。人の世は、多重多様多元の社会であると云った方が、実態に即している。歴史に下衆の雑感を働かせて、楽しむのも一興であろう。

 牧師の公民権運動からほぼ半世紀、精神の奴隷制から開放されて、イデオロギーの薄まったアメリカ社会で、初の黒人大統領が誕生した。

 公民権運動が吹き荒れ、州兵出動の流血騒ぎ・暗殺。そして人々の自覚意識から無意識の生活態度に到達した時に、実現する物もある。新種の種子が一気に成長するには、無理が必要である。『体制の勝敗』は、それを天下分け目の決戦・クーデター・革命・維新と呼ぶ。新種の種子が、大衆と云う名の『土壌』に発芽して、<適所繁栄>を迎えるには、適応能力が必要となる。適応能力と呼ばれる要素を遺伝子に残す為には、それなりの紆余曲折の時間スパンが、如何しても必要と為る。紆余曲折の必要時間・必要経費について、気の短い者は、その過程を種子の消滅・冬眠と考えるかも知れないが、人間の刷り込みは一代では、そう簡単に新種に移行は出来ないのである。人間の一世代30年と云われる。私としては、漠然と歴史のタイムスパンとしては、50年・60年が目安と考えている次第である。
 一説に依ると、震源地アメリカのマネー・バブルの崩壊が、オバマ氏の地滑り的勝利に導いたとも云われている。マネーバブルの崩壊が、大地の土壌に眠っていた種子に、<発芽の呼び水>と為って、『一斉発芽の時期』を迎えたと云った方が、好いのかも知れない。好景気に沸いたオイルマネーの激流に、投資華を誇示していた砂漠のオイル・タワーの象徴ドバイの建設ラッシュに、頓挫が続出しているとの事である。狂乱のオイル値高騰は、嘗ての価格の半値にまで下落したとの事である。オイル・マネーを握った大国ロシアも、暴落に悲鳴を上げているそうである。先行き如何なるかは知らぬが、バベルの塔もバブルの塔も、栄枯盛衰の儚き仇花に終わってしまうのだろう。

   ルル・ルルル・ルルルル。 電話である。用事が出来てしまった。
 背伸び文章は、支離滅裂の徒労感しか残らない物である。訳の分からない文章打ちに、区切りを付ける口実が出来た。やれやれ、これでもう一人の自分から解放される。目出度しの段である。

 目途が付いて、車で出て来たから、脚を伸ばしてTの所に顔を出す事にする。可笑しな格好で歩いて来るから、如何したと聞くと、持病の腰痛で昨日まで臥せっていたとの事である。丁度、昼休みである。久々のエロ講師登場との事であるから、会社の人達とエロ談義に花を咲かせる。Tは2時から歯医者の予定との事、時計を見て話をしていると、今度はH氏の登場である。2・3年振りであろうか、助平3馬鹿・定年目前の還暦組である。H氏は立派な現役フィリピン通氏の一人である。来月も、マニラ遠征が控えているとの事である。アイドリング充分で、滑らかになったボキァブラリー全開である。羽目を外して、楽しんでいた旅行・共有エピソードに、マタマタ、花を咲かせてしまった。

 遺憾いかん、団塊世代の大量退社に依って、日本の会社にも品位が復活する日も、遠くは無いだろう。エロ講師のレッテル一辺倒では、渡る世間、肩身が狭い物である。

心何処ーショート お天道様は、万物を照らす
             お天道様は、万物を照らす(11/12)
 朝の空気入れ替え時のお天道様は、頼もしかったのであるが、空には大分雲が広がって来た。本日の神は、西郷隆盛さんであった。西郷南洲伝は、若い頃、読んだ事が有る。番組を解説する小松先生は、何処と無く知り合いの雰囲気に似ている。そんな事で、此方が勝手にその知り合いに重ね合わせて、先生の解説に<★★ちゃ、そりぁ、如何かな?>とか、<さすが、★★ちゃ、好い所、突いてる。続けて続けて、NHK目じゃないよ、独自観を展開しろよ。>などと、生徒に有るまじき態度での聴講である。日課の聴講を終えて、部屋に戻る。

 窓辺の雑木は下が、大分すっきりして来た。或る時、地上2m~3m前後の高さが、温度が高いと云う事を知っているから、鳥は2m前後の樹上で眠るのだと聞かされた事があった。窓辺の雑木は、部屋の一部の様な物である。葉の有様を見て、そんな事が頭に浮んで来た。
為るほど、窓辺の雑木は、下から黄葉して、落葉している。太陽が隠れたり、現れたりの日差しであるが、外が見える窓辺で、目にする光の濃淡が嬉しいのだろう。鳥達は、鬱陶しさの晴れ間に、体が活発に動くらしい。

  彼等の動きに触発されて、腰の重い私も、外の空気を吸いに行こうと思う。
 
 カメラと双眼鏡をポケットに、河川敷を歩く。雲が払われて、空色の空気に、山の紅葉が精一杯の輝きを見せている。黄葉に向かって、大きく深呼吸をして、開放感の中を歩く。

 双眼鏡のピントを合わせて、橙を広げる柿の大木を覗いたり、山の紅葉の深い刻みに感心したりの散歩運動である。近頃、雨とは縁遠いばかりである。川の水は静かな川面を、太陽に反射させている。清楚の中に静止した様な水中に、久しく姿を見せていなかった山女達が、幾匹も見える。マダマダ釣るには、物足りない大きさである。川の水がとぼらない内に、雨の恵みが欲しい物である。

 タテハチョウの中に、クジャクチョウを見た。赤トンボもモンシロチョウ、イトトンボも居る。草叢からは、姿の見えない虫の小声が伝わって来る。背中に太陽の懐炉を背負(しょ)っての立ち止まり、立ち止まりのそぞろ歩きを続ける。蝶が居れば、蝶に蜜を提供する花が咲いている。トンボが居れば、トンボに食われる虫が居るのである。

 河川敷の芝生のブランコには、幼子を遊ばせる母親が居る。太陽の恵みは、お天道様の思し召しであろう。太陽は眩しいから、お天道様に手を合わせる。

 帰りの川の中に、赤いものを見付ける。きっと、大きさからすると、橋の下の温泉街から流れ込む、小さな落ち込みに居た金魚だろう。小金魚の冒険なのか、知らず知らずに流され、辿り着いた浅い淀みなのかは、分からないが・・・ 結構な距離の隔たりである。

小鳥の声に、焦点を合わせれば、輝く空気を通して、小枝に堂々と止まるホウジロ一羽である。

心何処ーショート 社会貢献
                 社会貢献(11/11)
 テレビ講義を受けて、部屋で机に向かっていると、雑木を掠めて野鳥が消えていった。くすんだオリーブの翼に、白い斑紋であった。木に止まろうとして、人の往来を感じて素通りした雌ジョービタキに、間違いは無かろう。ご近所さんの立ち話が始まった。頓挫してしまったジョウビタキとの再会であるが、人間と野生の垣根の存在は、致し方の無い処である。
 
 差し込もうとした太陽も、灰色の雲に覆い隠されてしまった。夜中にバタつかれて、眠りを中断されるのも嫌であるから、昨夜は鳥篭を四畳半に置いた。餌入れを覗くと、完食に成っている。余程空腹だったらしく、小さな容器に三羽が押し合いへし合い、力づくで餌を啄ばんでいる。
  オス親は、一羽じっと我慢の態を続けている。大したオスである。
 藁巣を入れると、点検はオスの仕事とばかりに、真っ先に巣の中に入り、安全をアピールする為に中で夜を過ごし、尻込みするメスを追い立てて、巣の中に入れた。巣材を入れて遣ると、枯れ草を嘴に咥えて、セッセッと巣作りをする。産んだ卵を抱かないメスの代わりに、黙々と抱き続け立派に孵化に漕ぎ着けたのは、彼であった。最初の口移しの餌遣りは、メスに頼ったものの、努力をして、それをマスターしてしまったオスである。二羽の子供達、メスが食べ終わるのを、止まり木の上で、羽毛を膨らませて待ち続けるオスの姿には、唯脱帽するだけである。彼の姿は、俗語<親の鏡>を離れて、鳥にして置くのが失礼に当たる程の人格者である。此処まで来ると、絶対に絶やしては為らない人間以上の『人格者の血筋』である。

 タバコを燻らせながら、金華鳥六羽の仕草・行動を観察していると、雑木に小鳥が遣って来た。ジョービタキの動きとは違う。何とウグイスである。動きを追って観察し続けるが、紛れも無く、ウグイスである。
   <ウ~ン、> 出るは、大きな溜息である。
 山の小鳥達が、里に下って来たのであるから、これで完全に冬の到来である。
 冬であるから、寒くて当たり前と観念するしかあるまい。

 冬を観念した途端、風呂に行く事にした。長居の出来る山辺の温泉に行く事にして、帰りに買い物を済ませて来ようと思い立った。温めの湯であるから、ゆっくり浸かる事が出来る。老人は無料の湯であるから、兎に角、老人だらけの温泉施設である。私などは、若者の部類に相当する。

 三下奴であるから、『今日は』と、ご老人衆に挨拶をしてから、湯船に浸かるのである。
「凄い身体してるね。」
「いえいえ、身体だけが取り得の男だんね。」
「そうじゃあるめい。身体も立派、顔も男前で、一物も立派だ。大した物だよ。あんた、並の男じゃないよ。」
「何を仰います。宝の持ち腐れだんね。お宅こそ、女泣かせているんじゃないの? 俺の見る処、相当遊んでるね。小さい声じゃ言えないが、女好きずら。誰も聞いちゃいねぇ、白状しな。」
「分かるかい、類は類を呼ぶって処だな、ワッハハハ。処で、あんた、此処の人じゃないだろ。」
「うん、生まれは違うけど。」
「あんた、信州人には見えないよ。垢抜けしてるもの。気持ちがデカイもの。」
「とんでもない、俺は、小心者だよ。デカイのは、此処だけだよ。ほら、見てみな。ロシアサイズだぜ。ざまぁ、見やがれ。参ったか。」
「参った。そんな物、俺の前で、見せびらかすなよ。こっちが、必要以上に、萎えちまうぜ。初対面で、こんな人は珍しい。ワッハハハ。俺は、ビックらこいた。」

 風呂から出て、喫煙所で一服付けていると、私と一緒に入って来た水商売風の40代の女が、男の連れらしい。テレビのあるロビーの談話室で、ロートル談義をしていた男達が、その男と女の一部始終に目を見張っている。その男は女の運転する真っ赤な外車に乗って、坂を下って行った。通りは私の背後であるから、見たくても見えない。その男の居なくなった談話室では、俄然、話題沸騰である。私は、その手の話題には余り興味が無いから、休憩室に移る。

 人の世は、人に話題を提供するのも、<社会貢献>の一つである。男と女、くっ付くのも離れるのも、外野がとやかく口を挟む事でも無かろう。
  とは云うものの、男は幾つに為っても、女が好きなのである。あの男、フィリピン女を相手にせず、日本女である処が<真とも>である。ああ云うはっきりした男は、モテて好いのである。

   話の種に、確り女の顔を見て置くべきであった。嗚呼、残念なり。

心何処ーショート 凡に明け、凡に暮れる
               凡に明け、凡に暮れる(11/10)
 本日は、とうとう秀吉さんが、神様になってしまった。そして、明日は、家康さんが神に為ると云うお話である。お二方は、神を宣言して、光秀さんに<誅殺?>されてしまった信長さんのお弟子さん達である。<鳴かずば殺してしまえ、鳴かずば鳴かせてみましょう、鳴かずば鳴くまで待とう。><餅を撞いた信長・それを捏ねた秀吉・それを食らった家康。>と後世の人は、巧い事を云うものである。現世・絶対の天下人の権力・御威光も、時を経てば『歴史の述懐』に姿を替える物であるらしい。

 昨日に引き続いて、寒い曇天・風日である。掃除をして、鳥篭の水洗いを外でしていると、お向かいの老夫婦が遣って来て、金華鳥を興味深く覗いて、立ち話を交わす。さっぱりした鳥篭を窓辺に並べる。窓を開放しているから、下半身はシュラフに入れている。廊下から干し柿を失敬して、序に脱衣所から渋抜きを施した柿を一つ持って来て、コーヒーを飲む。渋抜き柿には、僅かばかり渋みが残っているが、甘味に蕩ける果肉である。窓辺の黄葉が、ヒラヒラと落ちる。寒いが、我慢出来る寒さである。空気の旨さと小鳥達の満足そうな動きに、戸は閉めずに置こうと考える。

 水草の茎から伸びた根が、何本も底に達してしまった。水温の低下に、水草の自衛本能が働いているのだろうか・・・ 日本の観賞魚・金魚達は、水温の低下も、何処吹く風の感じで、何時も通りのユルユルとした泳ぎを見せている。1匹198円で買って来た金魚達は、餌食いの好さでプックリと腹を膨らませている。彼等は、森クンに依る攻撃の傷跡もすっかり癒えて、1匹の脱落者も無く、300円程度には成長したのだろうか? 一定温のグッピィ槽では、3cmにまで大きくなったタニシが、吸盤で壁面にジッと吸い付いている。はち切れんばかりの腹部から、放出された稚魚達の姿は見掛けられないが、何処ぞかに隠れているのであろう。

 ラジオからは、ボヘミアンの葛木ユキ? の登場である。慌てて、録音テープ探しをする。
 彼女のボヘミアンが好きで、時々、探すのであるが、何時も不首尾の結果に終わっている。録音して、再生して見ると、<アリァリァ、マァ。> 彼女の歌に反応した金華鳥の一大合唱である。

 寸評すれば、飼い主の心知らずの<戯け鳥の歓声>である。聞き分けの無いペット鳥に、品格を求めた私が、浅はかであった。

    寒空の 木枯らしの小風に 戯け鳥 水浴びの 羽繕うなり
     
     コンチクショーめ、吾 負け惜しみの 一句を 作るなり

心何処ーショート 失礼の段
                  失礼の段(11/9)
 ジーン・ピータースと云う女優さんが居る。1950年前後に活躍された女優さんである。私が彼女に注目したのは、バート・ランカスターの1954年製作の<アパッチ>の共演である。野性的で意志の強いの目の輝きを持った女優さんである。何故、彼女に強い印象を持ったかと言えば、やはりランカスター絡みである。
 私の中で、バート・ランカスター氏は、特別な意味を持つ。氏は俳優を超えて、人生を教えてくれた存在である。彼の映画・役柄は、善悪・活劇・社会・シリアス物と広範に及んで、演じ分けるそれぞれの人物に、強い実在感を、今でも私に印象付けている。唯一つ、美人・美形女優との共演が意外と少ない点に、私の不満が燻る程度である。
 かと言って、オードリー・ヘップバーン、デボラ・カー、リタ・ヘイワース、クラウデイ・カルデイナーレ、ジャンヌ・モロー、ジーナ・ロロブリジーダ、ジーン、シモンズ、キャサリン・ヘップバーン、・・・etcと云った大物スターと共演しているのであるから、彼は、文句の付けれない程の大物俳優振りを発揮しているのであるが・・・
 
 然しながら私の中でのベストマッチと言えば、デボラ・カーとの<地上より永遠に>とジーン・ピータースとの<アパッチ>位である。ジーン・ピータースは、意外と出演作が少ない。マーロン・ブランドとの<革命児サパタ>に彼女を見る位であった。彼女に魅せられた一人として、ずーと淋しい限りであった。彼女の魅力に対して、映画界の冷遇振りが腑に落ちなかったのである。冷遇が目立つ女優さんの一人に、スザンヌ・プレッシェトが居る。彼女の有名な出演作と云えば、<遠い喇叭><鳥><ネバダ・スミス>であろうか。私流解釈からすると、二人とも世界のスターに為り損なった美人女優さん達の一人である。

 先程、母の動きを待つ間に、ジーン・ピータースを検索していると、彼女の出演作の中に、マリリン・モンローの<ナイアガラ>を見付けたのである。モンローの隣のバンガローに宿泊する夫婦が登場する。映画の本来的な主演女優なのであるが、<ナイヤガラ>は、モンロー・フィーバーに完全に食われてしまった映画である。私には、モンローの亭主役のジョセフ・コットンよりも、妻役の女優さんの印象が強く残っていたのである。
<ナイヤガラ>をイメージすると、艶かしいモンローとの対象比較として、確りした妻役のその女優さんの存在が強く蘇って来るのであった。正に、その役を演じていたのが、ジーン・ピータースだったのである。恥ずかしながら、今日の今日まで知らなかった事実であった。

       私は紛れも無く、モンロー信望者の一人を自負している。
 アパッチ、革命児サパタでのインディアン、メキシコ人とは、違って現代アメリカ人夫婦の役で<主役競演>していたのに、モンローの艶かしさに目を取られて、確りインプットしていなかったのである。世のモンロー映画の烙印に洗脳されて、長らく私の眼が、真っ赤な唇とモンロー・ウォークに、点で盲目に為っていたのである。

 遺憾いかん、脳裏の強印象に脱帽して、早速、コーナーラックからDVDをピック・アップしてパソコンで映す。アパッチでのインディアン衣装と濃いドーランを拭い去った、モンローとは好対照を為す現代サスペンスの主演女優の確りしたクールな美人人妻役を演じているのは、正しくジーン・ピータースその人であった。道理で、彼女の印象が強かった筈である。
 つくづくと、人間はある程度長生きをしないと、先入観からは開放されない生き物の様である。そして、先入観の個室のドアへのノックは、ひょんな事から訪れる物なのである。

 魅せられしジーン・ピタース様、長らくの封印、真に失礼でありました。
 失礼の段、平にご容赦下されたく・・・

心何処ーショート 清めの湯浸かり
                清めの湯浸かり(11/8)
 もがいて、もがいて、悲鳴を上げるものの、一切声の出ない恐怖に、もがいてもがいた末に、やっとこさ、現世に戻った。強烈にして凄まじい悪夢であった。トイレに入ったものの、余りの汚さに用足し前の顰め面の片付け行為が終わって、トイレの水を流した途端に、汚水の逆噴射に見舞われ、ドアに吹き飛ばされるや、あれよあれよと云う間に、形容し難い汚水の激流の流されて行くのである。<ウギャ~、助けてくれ!!>の声も出来ずに、激流に次ぐ激流の襲来である。完全なパニック状態に、陥ってしまったのである。
 元より小生、人畜無害にして、時々エロい妄想を働かせるだけで、普段の生活は、至って品行方正の日常である。それが何とした事であるか・・・ 如何なる脳細胞の悪戯か、とんでもない夢を、延々と見せ付けられてしまったものである。目覚めて、金縛りに遭っていた呻き声と呼吸の錯乱が、一気に押し寄せて来て、枕を抱えて起きるに起き上がれない有様である。
 
 漸く鎮まって、枕元のタバコに手を伸ばして、一服付ける。今週の教養番組<神になった日本人・怨霊>が、夢の伏線にあるのかも知れない。時代・程度の差こそあれ、太陽と月の明かりを頼りとする昔の人が、権力争いの結果に得た現在の地位・権力に、葬った・追い遣った敗者の怨恨に夢・天変地異を直結させて、怨霊を祀る神社仏閣を造ろうとする気持ちが、好く分かると云うものである。怨念に操られるのが夢と、信じてしまうと、私の様な精神虚弱児の身に置き換えると・・・  連日連夜、こんな途轍もない汚水洪水・激流に見舞われてしまったら、ダイレクトに意気消沈・不眠症・拒食症の次は、ノイローゼ、発狂死に一直進の沙汰であろう。
 考えて見ると、とんでもない教養番組の刷り込み効果である。昔は、厠の落とし穴は、魔界との結界と信じられて来たとも云う。夢の縁起の悪さに思わず、腕を鼻に付けて、クンクン臭いを嗅いで見る。トホホ、科学万能と西洋人振った処で、心身共に流れるのは、紛れも無く、日本人の感覚である。目覚めて夢の因果関係に得心すれば、正常人は糞洪水如きで、意気消沈する訳にも行かぬ。朝の賄い夫の後は、身を清めに温泉銭湯に浸かりに行く事にする。

 コタツから出ようとすると、何々、<世界金融危機・今後の日本の針路>についてのNHK・二時間特番が始まった。NHK料金を払っている以上、見逃しては元が取れない。じっくり腰を落ち着けて、お付き合いをする。

 さてさて、冬を思わせるお天気であるが、風呂・タバコ屋・米屋経由の自転車を扱ぐ。

 清めの熱湯に浸かって、念入りに垢落しである。同年輩の男と、浅間温泉今昔話を交わしながら、取り付こうとしている悪霊を、発汗作用で追い出すべく長湯をする。彼は、ペットボトルの大量持込である。湯口からボトルに取って、温泉で飯を炊き、温泉を飲料水としているとの事である。これを始めてから、頗る健康に成ったとの事である。中信平らは、四方を山に囲まれた盆地である。流れ込む沢・川、その伏流水による湧き水が、随所にある。オラの取って置きの水に拘って、健康のご利益を授かるのも、又、楽しからずやの生活態度の一つなのであろう。

 さてさて、清めの湯浸かりも頃合である。私も、銭湯から出る事に致しまする。

心何処ーショート バルデイナ、お目見え!!
             バルディナ、お目見え!!(11/7)
 天気の悪さが伝染して、ヤル気が起こらない。ポリポリ・カリカリのいか天を摘みながら、梅酒を口にしている。風が強いから、窓は締め切っている。玄関の小鳥が移動を急かすが、面倒であるから、知らぬ顔を決め込む。

 カリカリ・ポリポリ、口当たりが好いから、ついつい手が伸びてしまう。窓辺の雑木も、黄葉を半分ほど落としただろうか・・・風に揺れ続ける南天の実は、大分赤くなって来た。雑木の葉が、もっともっと落ちなければ、ジョウビタキは来ないのだろうか・・・ 

 本日分の投稿は、過去記事で<逃稿>する事にして、CDから適当な文章を探し出す。『一子相伝』を見付けて、投稿作業をしていると、眼前のフェンスにジョウビタキのメス一羽が止まって、尾を振っている。

 オオゥ、バルディナ!! 年甲斐も無く、意中の女性に再会した程の、胸の高まりを得る。彼女は、待ちに待ったバルディナであろうか? 凝視する。体色が鮮やかに見えた。若く見えた。もっと、見て確かめたかったのであるが、彼女は釣れなくスッと飛んで行ってしまった。

 ジョウビタキのメスに注目して、三シーズン目である。冬鳥ジョウビタキは、海を越えて飛来する渡り鳥である。危険が一杯の野生の世界である。小鳥の寿命は、平和ボケした人間が考える以上に、ずぅっと短命であろう。体色・身のこなしのキビキビした処からも、別鳥なのであろうが、それでも胸が暫し高鳴った。
 そして、ホッとした気分である。昨シーズンの観察からすると、渡りを終えた冬鳥の行動範囲は、さほど広くは無い。彼女がバルディナ本人であれば、二シーズン同様の付かず離れずの<姿見せ>が叶うのであろうし、別鳥であったとしても、追々、お互いの存在を観察し合う仲と為るのであろう。これまた、季節の愉しみが、持続出来ると云うものである。
    
      先ずは、渡りの無事を祝して、梅酒で乾杯の段であった。

心何処ーショート 一子相伝
                    11/7
 マンネリ日常を綴るのも、困ったものである。本日は、気分が乗らないから、放置しようと思う。こんな時は、所蔵文章からピックアップする。日付が書いてないから、作成不詳である。

                    一子相伝
 会社の近くに、国道に面した大きな駐車場がある。駐車場を囲んで、日用雑貨・回転寿司・ステーキレストラン・ラーメン店が並んでいる。その一角の外れに、喫茶店が建っている。山小屋風の建物である。店内には、年代物の大きな水槽が三個置いてある。大振りなエンゼルフィシュが、静止した様に水草の緑をバックに棲息している。くすんだ焦げ茶色の木造作りの店内に、ランプを模した赤い明かりが数個吊るしてある。音楽はクラシック・ミュージックが、ボリュームを小さくして流れている。とうに65は越えた夫婦が、飾らぬ態度で商いをしている。
 
         ゆで卵50えん と書いてある。
                コーヒーのブランド名が、この店のメニューである。

 会社では雑事に追われて、纏め物・書き物の宿題に集中出来ない。近くの図書館に来たのであるが、生憎休館日であった。そこで、思い出して立ち寄ったのが、この喫茶店である。私の高校・大学時代の青春時代は、喫茶店の全盛期であった。何かにつけて、喫茶店は重宝、且つ身近な存在であった。喫茶店は、街に『場』を提供してくれていたのである。我々の大学時代と云えば、場の提供は、雀荘と喫茶店であった。雀荘の喧騒と友人同士の賭け事から来る意地汚さは、私の忌み嫌う処であったから、私は茶店(喫茶店を略して、サテンと呼んでいた。)派であった。友人・彼女との語らいも、然(さ)る事ながら、タバコを燻らせながら一人、聞くとは無しに聞えて来る周囲の話し声に断片的に反応したり、暫し瞑想をしたりして、気兼ね無く時間を過ごす・・・そんな事が、私は好きだった。

 ロシア製スポイト式万年筆は、掠(かす)れ勝ちではあるが、レポート用紙に緑の文字を快調に綴っている。私は2杯目のコーヒーを啜(すす)り、ゆで卵の皮を剥いて頬張り、ペンを走らせる。

 ふと外を見ると、Tの父上が座敷犬コロの散歩をしておられる。コロは白と黒のぶち模様をしたミニ犬である。私が彼の家に行くと、決まって玄関の小さな犬小屋で、けたたましく吼えるのである。そのくせ、私の後を付いて、体を摺り寄せて来る交尾行為を仕出かすオス犬なのである。彼は一・二キログラムかの体を一切顧みず、T家の番犬を自負している様子である。

        ミニ犬の容姿・容貌・性格は以下の通りである。
 ①、体の割には頭部が小さい。
 ②、目は黒目勝ちにして、眼球が飛び出ている出目金状を呈している。
 ③、体毛は密度の高い短毛にして、短い尖った尾を有している。
 ④、性格は独善的にして、剥き出しの不遜さを持っている。
 ⑤、容姿・容貌を一切省みず、主人の命令・叱咤にも平気で反抗する。
                 従って、100%の駄犬・悪犬・馬鹿犬の類である。

 私は、彼の顔と態度を見ていると、井伏鱒二の『山椒魚』に出て来る『井の中の蛙』を連想してしまうのである。彼は老犬である。丸々と太った短躯のチョコチョコした足を盛んに動かし、先頭を行くのである。それを枯れた感じのする父上が、飄々と細い紐を手に着いて行くのである。私はニヤニヤし乍ら、戦時中は輸送機の飛行機乗りをしていたと云う父上と、その子息であるT父子の、時折垣間見せる男の会話を思い出し、ぺンを休めて再びニヤリとするのである。
 80を越えた父上は、白髪の矍鑠(かくしゃく)とした痩身の好男子の部類に属する。私とTとは、高校時代から交互に泊まりあった仲であった。母上の顔は良く存じ上げていたが、父上の顔は恐縮ながら、私の記憶の中では朧気(おぼろげ)であった。 こうがん(紅顔・厚顔・睾丸)の好男子同士が、30年を経て交流を維持している。父上の前では、お互い女の話はオープンである。テレビ鑑賞に余念が無いと思しき父上が、時として我々の会話に参加したりするのである。会話に珍入して来るタイミングが、実に何とも・・・・・・・、良いのである。そして、何処と無く微笑ましい限りなのである。

・・・・・そうか、Rさんもクーニァンが好きか、う~ん、クーニァンは、実に綺麗だった。・・・・…
などと、何度も目をそぼめて、遠い記憶を辿る仕草をするのである。
その父上を50半ばの子息Tが、目を細めて、
「全く、親父の奴、又、昔を思い出している。ありぁ、何人もクーニァンを泣かしている顔だぜ。」 
と私に耳打ちをする。
「しょうがなぇーだろう。血は争えねぇーだろう。困ったもんだよ。倅は、アメリカにコリア・ロシア、最近はルーマニアと来りぁ~、T家はヒコーキ乗りじぁ無くて、オーマン・ライダーってもんだろう。倅はダイジョウブか?」
「何だ?そのオーマン・ライダーってヤツは?」
高校時代から、おどけた時は、鳩が豆鉄砲を喰らった様に、目玉をクルクルさせて見せる男である。
「ウーマンでもいいしさ。分からん時は、語尾にコを付けるといいらいしぞ。」
「バッカヤロウ!! やっぱり。真面目に考えて、損したぜ。Rだって、女が居なかった例がねぇ~じぁないか。男ってモンは、遊ぶもんよ。女が居なくなりぁ、植物人間だぜ。嫌な事ったぁ。」
★些か耳の遠く為られた父上を前に、趣味の話を堂々と交わしている、自省の欠片すら無い50半ば男二人である。

 観察者の私の目からすると、T父子の対伴侶の接し方には共通点がある。決して怒らず、慰撫路線に徹している様子が窺えるのである。事に依ると、その対処方は、T家に代々伝わる『一子相伝の秘術』なのかも知れない。私は堪え性の無い無骨者であるから、喧嘩別れに終わるケースが多い。不思議とTの女話には、喧嘩別れの話は出て来ないのである。

 父上が信号を左に曲がり、午後の散歩を終えて帰宅するのを見届ける。Tの老後も、ああなのであろうか?意外と<様>に成ると連想し乍ら、ページを捲り、次の纏めに移る。万年筆は時代を遡った様に、等身大の些か古風・硬い文章を澱み無く書き連ねて行く。

                   本日は快調である。

 <創作ノート>
 エロティック・エッセイ「心何処」も、圧倒的少数の読者の消極的協力に依って、気が付けば大層なページ数を更新している。当初は、旅行が有った時だけの個人的エピソードを、年に何度か書いていた。キーボードを叩く内に、叩くのが生活の一部を占める様に成ってしまったものである。
 
 書く対象の『旅行』『好い女』との出会いが、日常生活にゴロゴロしている訳では、決して無い。キーボード叩きを自分の余暇潰しと位置付けて、努力した迄は良かったのである。然し、これが習慣・日課と成ってしまった以上は、何かを打たなければ家での収まりが、悪くなってしまったのである。下書きなしのキーボード叩きである。流れ流されて、無感動の日々を重ねるのが、関の山である。積極的対象が出て来ないのであるから、日課を守る為には、日常の身の回りの出来事をスケッチ風に記すより方法が無い。
 『一子相伝』は、久し振りに喫茶店に行ったので叩き始めたものである。喫茶店の雰囲気を描写する為に、『一角の外れ』『山小屋風』『年代物』『静止した様に』『棲息』『くすんだ』『商い』の文字を配した。商いの文字を捻出するには、些か時間を要した。・・・・ゆで卵~以下の一文を独立行として時代の変化・オーナー夫婦の拘(こだわ)り・頑固さを、街に『場』を提供と云う行に結び付けて、老夫婦への私のエールとした。
 親友Tと父上の関係を、父上の飄々たる印象に乗せて、現代の80代と50代の父子関係を軽いタッチで、読者にそのムードを伝えようと試みた。思案の末、・・・対伴侶~共通点~慰撫路線・・・の行を捻り出した。趣味とは云え、モデル氏に承諾を取っていないので、肖像権・人格権の無断使用の咎(とが)で苦情を申し立てられると、小心者の小生は困惑する。芸術作品と開き直る程の、感性・文才・破廉恥さも、悲しいかな持ち合わせていない。そこで、自己防衛の為、その根拠となる行(くだり)については、具体的・散文的表現を避ける事にした。失礼になり兼ねない具体的対象への記述は、『老犬コロ』にその代役をしてもらう事にした。
 尚、文章量の用紙上の収まり具合を考えて、7行分の余白を如何工夫するか?がポイントであった。文章の間延びを回避する為に、無表情(これが必要条件)に簡単明瞭さで難関を突破すべく、敢えて業務文章的に箇条書きの手法を採った。文体の違和感が、却って面白いアクセントを生んでいると自画自賛している次第である。
 題名『一子相伝』は、適当な題名が浮かばず、文章完成後何日か無題の儘でいた。
私と息子との関係、男と女の感性の違いを皮肉った『雨』との兼ね合い・流れを示唆すべく、且つ私とTとのタイプの違いへと、読者の潜在意識を連動させる『狙い』を込めて、難産の末、閃いた題名である。

心何処ーショート 霜月の黄昏
                霜月の黄昏
 
  風が吹く、木の葉が舞う。落ち葉が走る。寒さが、身を包む。
 
  向かい風 襟を立て、歩速を速める。寒い空、灰色の曇天に

         神経だけ残す木々が軋む。

  嗚呼、午前中のあの空、光の輝きは、何処に吹き飛ばされた。

     日捲りの霜月 黄昏近付く風景に、歩く人は 何思う。

心何処ーショート 禁じられた遊び
                 禁じられた遊び(11/6)
 透き通る光である。その中を通学自転車の一行が、勢い好くカーブを切って行く。部屋への光は屋根に遮られて、未だ陽射しを提供してくれないのであるが、道路の半分を照らし出した光に、お向かいさんの小菊の赤・黄色・白の花々が、静かに輝いている。斜向かいさんの2階のベランダには、柿簾が陽射しを一杯に浴びている。部屋の空気を入れ替えて、小動物の世話をする。藁巣の中には、白い小さな卵が三つに成っている。環境が悪過ぎる。中止卵と成って貰うしかあるまい。人間の都合からすると、痛し痒しと云った処である。

 朝食後、母の買い物を頼まれる。町医者経由で量販店を回る。光が輝く好天であるが、風が強い。風に木の葉が降る。忍者の<木の葉隠れの術>も、満更、嘘でもない勢いである。量販店には、ロートルの姿が目立つ。
 東山に深く刻み込まれた黄葉が、実に目に眩しい。色彩爛漫の風情に溢れている。西のアルプスの山肌も、空気が澄んで来た分、間近に見える。北の大町方面に続く山々には、白い冬の兆しが見えている。
 嵩張る買い物に、ハンドルに吊るした箱が、ペダル扱ぎには邪魔、この上ない。然しながら、車ではのんびりした自然の季節の移り変わりは、鑑賞出来ない物である。拝観料と思って、扱ぐしかあるまい。タバコを吸っては、無粋である。

 好い運動に成った。コーヒーの替わりに、梅酒をトクトクと注いで、お冷で一服である。部屋の留守番役を眺めていると、グッピィ槽の底に、ビック・ママの命のとぼりが、見える。オスより二周りほど大きく成るメスには、出産が重労働なのであろう。オスと比べると、成長も早いが、大分短命の様である。人間社会と違って、オスメスの区別の無い単独自立生活である。
 20~30cm横では、一番若いオス金華鳥が、小生意気に私と目を合わせて、小さな声で<ぐぜり>を繰り返している。嘴からは、すっかり黒が失せている。今でも藁巣の中で過ごす事の多いオスメスの若鳥は、面白い事にお互いの羽根繕いをし合う仲である。3カップルの中で、こんな行為を交換するのは、彼等だけである。幼い故か?過ごした刷り込みの故か?フランス映画の<禁じられた遊び>を、彷彿とさせる関係である。人も小動物も、幼児期の絆の様な物を確りと刻んで、成長して行く様である。

★<禁じられた遊び> ルネ・クレマン監督 フランス映画の最高傑作! 1952年度アカデミー特別賞、ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞。モノクロ87分。
 第二次大戦下の南フランス。パリから疎開中だった5歳のポーレツトは、機銃掃射で両親と愛犬を失う。農夫ドレの家に引き取られ末っ子のミッシェルと仲良くなるが、愛犬の埋葬をきっかけに、二人は小動物の墓地作りに興じるようになった。
 あるとき、墓に飾る十字架を盗んでしまったことから、周囲の大人をも巻き込んだ騒動へと発展してしまう・・・・。ナルシソ・イエペスの哀愁を帯びたギター主題曲「禁じられた遊び」は有名。COSMIC PICTURES43 \500 以上パッケージより抜粋。

心何処ーショート 尽きぬ柿
                 尽きぬ柿(11/5)
 銭湯経由の買出しである。銭湯では、前回のリハビリ運動者が入っていた。余りの傍若無人の浴室体操であるから、<勘違いも甚だしい。遠慮の気持ちが無いのか!!>と、注意しようとしたが、顔を見て<効果の無い事>を悟って、止めた。目を合わせたら、血が騒ぐ。従って、背を向けて黙々と洗い、男の出て行くのを待った。一人の風呂になって、ゆっくり時間を潰してから、風呂を出る。風呂の出入り口には、バス停がある。バス停には、吸殻入れの缶が置いてある。腰掛けて、タバコを1本吸った後、自転車に乗る。

 個人スーパーには、特大の大根が積まれている。ブリの粗焚きを思い付く。温泉銭湯で、開いた毛穴の開放感が、何とも云えぬ気持ち好さである。客も少なく、先輩おばちゃんと駄洒落を喋くり回って帰る。ホカホカ気分で昼の用意をしようと部屋を覗くと、母が廊下で椅子に座って、甘柿の皮を剥いている。好天に誘われて、コタツにばかり当たっても居れないのだろう。
 何かをする事は、好い事である。倅としては、お付き合いをして遣るべきであろう。買い物を冷蔵庫に入れて、渋柿取りに庭に出る。50個程を紐が掛かる様に、剪定鋏で切り揃える。笊で運ぶと、板の間の廊下には新聞紙が敷かれ、私用の果物ナイフが用意されている。困った物である。さてさて、お指図に従って、従順の意を示すが肝要である。

 穏やかな好天であるから、廊下を開け放した儘、母と黙々と皮剥きである。前に吊るした柿は、好く乾燥が進んで、半分ほどの大きさに萎んでいる。小さくなった分、補充が欲しくなるのも人情である。『もう無いのか?』と問われるが、後は手の届かない高みである。『柿位で、痛い脚立落下はしたくない。』と、キッパリ拒否した。
 
 簡単な昼を用意して、洗濯兼ブリ大根の仕込みに掛かる。テレビに付き合った後、昼寝をする。昼寝の後は、昨夜始めた絵の続きをしながら、夜の賄い夫の時間を待つ。弟子の処に顔を出したいと思ったが、本日水曜日、<相棒>のお時間である。

     あれあれ、本日も、ただただ、流れて行くなり。

心何処ーショート バルディナは、何処か?
               バルディナは、何処か?(11/4)
 昼前から、天候が回復した。散歩に出掛ける。日差しの割には、寒い。河川敷に降りると、コバルト・ブルーが、川面を低く飛んで行く。カワセミである。目には好いが寒いから、体温を高める為に早歩きである。

 野鯉のポイントで流れを覗き込みながら、数歩行くと、黒々とした鯉のお出ましである。寒くなって脂が乗って来たのか、見事な胴回りである。実に美味そうで、食いでのある奴である。姿を追って見て行くと、もう一匹居る。増水前には、橋の上の淀みに居た2匹の中の一匹と思っていたので、頭にはもう一匹との仲が疎遠に為ってしまったのだろうかと、気にしていたのであった。兎に角、合流出来た様で、何よりであった。先日の山女を探すが、姿を眩ましている。

 橋を二つ潜り、小山女が泳ぐ落ち込みを、暫く覗いてから上に歩を進める。背丈の先に、花を残して揺れるコスモスの並びが、季節の終わりを告げている佇まいである。東山の松林に混じる広葉樹の黄葉が、目に沁みる鮮やかさで、山々に色付けを濃くしている。県民会館周りのケヤキの黄葉は、半分ほどの葉を浚われて、みすぼらしさを呈し始めて来ている。この時季、何処を歩いても、落ち葉、落ち葉の風情である。
 
 本日の収穫は、カワセミと野鯉の合流だけの様である。四つ目の橋の先でUターンをする。家の前の堤防階段を上るのが、何だか勿体無い気がして、河川敷のベンチで体温を下げる。その間に、Tに電話をして、近況の交換をする。

 その儘、庭に回り脚立に上がって、ジャンバーの両ポケットに柿を取る。塾柿にしようかと柿の硬さを確かめる。生垣に四十雀が動いている。窓辺に姿を見せぬジョウビタキのメスである。もう、そろそろ姿見せがあっても好い頃であるが、未だ来ない。何か、あったのだろうか・・・

心何処ーショート 駄作公開(後悔)に当たって
             駄作公開(後悔)に当たって、(11/3)
 眠っていた小編を、色々手直している間に、大層疲れてしまった。少なからずご縁の出来た訪問者の方々に、目を通して頂いた方が、駄作と云えども嬉しかろうと投稿するに至ったのである。何かの折に、インプットして置いた言葉の中に、<しないで後悔するよりも、した後の後悔の方が、気が済む。> 確か、そんな様な内容だった。成るほど、そんなものである。
いずれにしても、私の手から離れてしまった駄作である。後は、野と為れ山と為れである。夜の帳に包まれて、漸く<賄い夫日記モード>に為った。
 
 考えて見ると、手の掛かった代物である。ストレス解消の為の文作が、何時の間にか日常の習慣と為ってしまった。とは言っても、おいそれとサラリーマンが、書く対象に有り付ける物ではない。就寝前の何時間かを一人に為りたくて、パソコンの前に座るのであるが、儘為らぬのが生活の常である。為らば、創作をと始めたものの、我が来し方は、直情武闘派であった。
 最初は8頁で頓挫してしまった。長い休みが訪れると、思い出して、再び何頁かが付け加えられる。その内、仕事に感けて殆ど頭から抜けてしまった。パソコンを整理している時に、題名を見付けて苦笑いの段を繰り返して、又、何頁かが付け加えられて行く。そんな繰り返しで、20頁程の印刷された物が、机の中から出て来たのである。この位の分量に為ると、<中途遺棄>では済まされなくなる。頓挫であっては、如何にも勿体無い話である。そして、無い筈の意地が、働く物である。
 ある年一念発起して、寒いばかりの年末年始の休みを、思い切って投入し、完了に漕ぎ着けた代物である。3~4年前の事である。ブログを始めて、彼是1年が経過する。頃合を見て、放出しようと考えていたのであるが、恥ずかしさが手伝って、眠り続けていた。そんな折、パソコンの乱調に見舞われて、ノート・パソコンで何か短編を打ち始めようとして、『感染社会』を漠然と打ち始めていたのである。何しろ、根が鈍らに出来上がっているから、一気打ちのエネルギーが萎えてしまうと、後が続かない性分である。

 その一方、鈍ら者には、姑息な悪知恵が働くものの様である。単純・メルヘンチックな展開に、少々ヘンテコリンな味付けを施したら、面白かろうと<伝説>の冒頭部分に、『感染社会』を無理矢理くっ付けて、訳の分からない<心何処ワールド>を文作した次第である。

 幸い正体不明のロートルであるから、<精神に異常を来たした>と通報もされぬ筈である。

心何処ー短編 ギュンとクンの伝説
                    感染社会
 此処は、地方都市の便利な郊外の閑静な住宅街である。半世紀以上前に造成された市営住宅街を核に広がった町会である。市営住宅は何十年も前に払い下げられて、40坪前後の個人住宅が建ち並んでいる。左右2軒ずつ建つ家並みの中央に3mに満たない道が1本伸びている。従って町の歴史も半世紀以上であろう。同じ町内の幹線道路の東には、アパートが目立つ。町の前からの住人は、世帯主が二代目に代わっている。2代目と云っても、大半は退職をしたロートル世代が主である。
 
 休日・学校の休みに成ると、近くに嫁いだ娘家族が、実家に遊びに来る。子供達は爺ちゃんの家の前の道路で、キッチボール、ボール蹴り、バトミントンなどをして、仲良く遊ぶのが通例である。子供達は幼児から遊びに来ているから、近所の人達とは好く溶け合っている存在なのである。20mも行かぬ所には、格好の河川敷があるが、高校生・中学生に成った子供達は、幼児期から馴染んだ通りでの遊び場所から、卒業出来ない様子である。ボール、羽根が近所の敷地内に入っても、スイスイと入り込んで探し、再び遊びに興じているのである。姿・格好が変わったと云っても、そこに繰り広げられるのは、半世紀前と変わらぬ子供達の遊ぶ姿である。

 私が、ふと疑問に感じた一寸した事から、疑問が増殖して行った。斯く云う私も、働き尽くめのサラリーマン年季が明けて、日々にゆったり、のったりの生活が、身に付いて来た処なのである。数年前、連れ合いを癌で無くして、一人暮らしを小動物を傍らに、目立たずに日々を送っている次第である。世の情報は、専ら流れるラジオから耳に止める程度である。現役時代は、少々頭を使い過ぎた帰来があった。きっと背伸びをしていた付けが回って来たのであろうが、煩わしい事、考える事が、一挙に億劫に為ってしまったのだと自己診断している。

 日本の高度成長期の後期にあっては、『汚染』と云う言葉が至る所、踊っていた物である。産業公害が齎す汚染の概念は、時代を象徴する言葉として、日本人の意識に深く植え付けられたものである。巨大な工業装置が垂れ流した環境汚染は、目に見える第三者被害を齎せ社会問題として提示された。環境汚染の回避・防止は、装置の改善に現れたが、汚染源は形を変えただけで、それらを造り、稼動させる効率最優先の経済思想と為って、組織の管理思想を確立させると同時に、人間の思想をも汚染し始めていた様に思える。
 武士の体制から官の体制を歩んで、列強帝国主義時代の体制下、日本は世界の列強入りの悲願を果たしたのも束の間、手痛い敗戦の辛酸を舐めるに至った。都会では大正デモクラシーを見せたものの、軍国主義一辺倒の大波に浚われて頓挫してしまった。その大衆化の名残は、敗戦から一気に勢力を伸ばした戦後民主主義運動に結びついたのかも知れない。敗戦・米国お仕着せの民主化運動ばかりの外的ショックだけが、要素の全てでは無かろう。
 米ソ対決・冷戦の局面で未成熟・中途半端の侭、国家のと云う精神性を荒廃させたまま、目前の経済復興・豊かさへの憧れが、経済優先・万能・至上の主義へ突き進んでしまった感がある。
 ソ連の崩壊、中国の開放化経済で、世界は、物言わぬ日本を隷従させた米国の一極集中化が一気に進んだ。
 米国は国の物作りを捨て、金融超大国を目指して利権の拡大、資本の回転による利ざや稼ぎのシステム作りに暴走した。

 映画の世界は、しばしば世の実相を映している物である。1990年に大ヒットしたハリウッド映画に、『プリティ・ウーマン』がある。シンデリア物語、マイ・フェア・レデイと類型を同じくするラブ・ロマンスである。玉の輿を差し出すのは、それぞれ、王子、大学教授・<企業買収家>である。新富豪の登場が、時代を映す鏡の様で私には、印象深く残っている映画時代史の証左でもあった。

 世界経済は、商品の国際競争力の<欣喜の御旗>の下、企業買収・統合・工場移転・賃金の抑制・・・etcのコスト削減を求めて、奔走の結果、世界に移動型分業装置を張り巡らせてしまったのである。ボーダレス世界に、為替、玉石混合の信用証券化を粗製濫造して、先物取引のマネーゲームを取り込んで、<経済のグローバル化、グローバル経済>等と煽りに煽って、意思・手続き・決済をコンピューターで、瞬時に結んでしまった。実体経済から離れて、切った張ったの信用札が、肩を威からせて傍若無人の一人歩きをし始めた信用バブルは、一度蹴躓いたが命取り。繋がるネット社会は、電子の速さで世界を繋いでしまった。

 株券・証券を持たない者が、高見の火事騒ぎを見物すれば、呆気無い程の好い加減経済の付けを、各国の財政出動で糊塗しようとしている。儲けに踊って、虚業の実態が白日の下に暴かれると、掌を返して加害者が被害者面で大騒ぎをしている。

 現代人は、共通なソフトに依って作動する文明の利器を手に、何時、何処でも世界と交信出来る。操作さえ憶えれば、そのコンパクトな利器は願いを叶えてくれる。願ったり適ったりのコンパクト利器である。文明の利器に対して、精神の汚染などと言う積りは、殊更無い。
 殊更無いと思うのであるが、果たして、それで必要充分なのか? コンピューター用語に、ウィルス感染と云う言葉がある。大事なパソコンに悪意を持った人間から発信されるウィルスに依って、コンピューターが冒され正常作動が損なわれる危険性に晒されているのである。目に見えぬ悪意を、ウィルスに例えて<感染>と表するのは、事象を言い表して妙である。

<世界信用破壊>などと、加害者・加担者が、『態の好い抽象語を駆使』しているが、コンピューター・ウィルスだけが、信用破壊の感染源でもあるまい。ある意味では、IT世界はソフトに、悉く感染されているのではないだろうか? 
 嘗て、諍い・争いに明け暮れた人間社会は、個人から組織に統合・統括されて、汚染を捲き散らかした。そして組織の社会性の論理から、企業の汚染責任が糾弾されて環境汚染が規制対象と為った。今、環境汚染は、世界的議題としてエコへの取り組みが始まっている。
 然しながら、汚染より深刻な人間精神経路への感染の問題には、目が向いていない。面倒な事・時間の掛かる事は、機械ソフトが瞬時に代行して、答えを液晶画面に提示してくれる世の中である。写真・絵画・イラスト・音楽・計算・動画・文章・辞書・翻訳・・・etc 読解力と操作に長けていれば、代行効果としてのそれなりの果実を安易に、手に入れてしまえるのである。

    機械ソフトの最大の不備は、感情と苦悶・苦闘の欠如であろうか。
 機械ソフトに、それらがあるとすれば、アクセス不能・誤作動・作動停止と云った類だろう。何分、技術の進んだ性能が、売り物の世界である。それらの原因の多くは、悪意に満ちた者から送り付けられる、無味無臭不可視のウィルスの感染結果であるらしい。インターネットの拡がりは、今や水道・ガス・電気・道路と云ったライフ・ラインに肩を並べているのである。汚染の進化種が感染と云っても、可笑しくない状況が、個人生活の中に組み込まれている社会なのである。

『人間の判断・決定要素が、機械ソフトの手法に感染している。』と言ったら、私はキチガイ扱いされてしまうのだろうか???

 通り魔、無差別殺人、殺人体験願望、振込み詐欺、ウィルス送付趣味などは、感情欠如犯の仕業としか思えて為らない。これらの犯罪の深層には、少なからず感情回路の切断乃至は欠如が感じられて仕方が無い処である。理と感情で揺れ動くべく内蔵された人間精神の構造が、『営利活動に不必要』とばかりに、理を利に置き換え、感情を勘定に置き換えた<利と勘定の営利ソフト>が先鋭化しているのである。機械ソフト感染の一つの証左と、こじつけられなくも無い。

 木枯らしの様な風が吹いている。落ち葉飛ばされる曇天に、米を買いに行く用事があるから、銭湯経由で行こうと考える。11時であるが、人間考える事には大差が無さそうである。何時に無くロートルで賑わう温泉銭湯である。顔見知りのご老人の背中があったので、お返しの背中洗いを買って出る。

             ギュンとクンの伝説
                          
     この物語は、人間の力が自然界で少しも目立たぬ時代の事であり、
       人間よりも強い動物が、幾らでも居た時代の物語である
 
 <山を下る>
 ギュンの眼下には、広葉樹の海が雄大な拡がりを見せて、静かに横たわっていた。西の青い山脈は、彼の立っている東のこんもりとした山並みの三倍もあろうかと思われる高さで、頂に一様に真っ白な雪を戴いて、広大な盆地を南北に縦断して聳え立っていた。緑の樹海を、太陽を反射させた銀色の太い帯が、南から北へと大きな蛇行を横たえている。雲間から差す太い斜光が、盆地に下っていた。斜光の先には、銀色の蛇行に囲まれた緑の中州があった。

圧倒される感動が、未だ少年の面影を残すギュンを、暫くその場に立ち付かせた儘にしていた。

 ギュンの連れは、若い灰色狼の雌・クンである。ギュンとクンは同等の関係である。人間の知恵と野生の嗅覚と敏捷さが、互いを補完し合っている関係である。
 ギュンが独り歩き始めて、三年が経とうとしている。山伝いに歩いて、下を眺めては、山を下る。何度も山を下り、山を行く。それは、手付かずの大地を探しての道行きであった。何故と人に問われても,巧く説明は出来ないであろう。巧く説明するためには、言葉を飾り、相手の疑問を解消させるために、長々と言葉を繋げ、補足しなければ為らない。それが彼にとっては、厄介な手続きに思えるのであった。いっそ伝わり難いものならば、伝わりの成果をあれこれと詮索するよりも、詮索が意識に上らない方が、気が楽である。ギュンが親と離れたクンを拾ったのは、ニ年前の事である。空腹も満腹も、暑さ寒さも互いに分かち合って来た連れである。そして、苦楽を共にする協働の狩人でもあった。人間と狼であるから、当然に、友達の関係ではない。主従の薄い「連れ」なのである。人間と狼と云う厳然たる距離を置いた連れなのである。

 『クン、俺は此処が気に入った。此処に住もうと思う。いいだろう? あの河のあの辺りが、良さそうだ。山を下ろう。旅は終わりにしよう。』 
 ギュンの指差す中州の方向に、クンも同意するかの様に一声吼えた。ギュンとクンは、山の斜面を一気に駆け下った。河は大きく蛇行して、緑に覆われた恰好の中州を作っていた。柳の大木が数本立っている。深々とした水辺の砂地は、太陽に熱せられて正体も無く居眠りをしても、安心出来るほどの空間を持っていた。反対側の下流の浅瀬は、河が運んで来た豊かな土の色をしていた。中州は彼らが暮らすには、十二分過ぎる程の広さを持っていた。ギュンは数本ある柳の大木の中から、登るのに都合良く中州を見晴らすのに一番良い木を選んで、家を作ることに決めた。家作りは明日からすれば良い。ギュンは、柳の根元の夏草をなぎ倒し、引き抜き、平らに整地をした。夕方、クンがカモを咥えて帰って来た。ギュンは、河で河鱒を十匹程取って来た。火を熾して、カワマスを串刺しにして遠火で焼き、カモは内臓をクンが食べ、肉は、ギュンが丸焼きにして分けた。

満天の星空が、ギュンの希望・夢の構想を大きく明るいものに広げて、彼は中々寝付けなかった。

                  <小屋を作る>
 翌朝、夜の残して置いた食料で腹ごしらえをすると、彼らは浅瀬を渡って、対岸を覆っている竹林に向かった。ギュンの山刀が威力を奮った。青々した竹がギュンの太い腕の一撃で次々と斬り倒されて行く。斬り倒した竹で筏を作り、そのまま流れに乗って中州の砂辺に乗り上げる。そして、筏の蔦を外して、肩に担いで柳の下に運ぶのである。一日掛けてギュンは、竹材を柳の根元に集めた。翌日、寝るだけの小さな竹小屋の骨組みが、仕上がった。ギュンは、床下を思いっ切り高くする事にした。夏は風通しの好い二階部分で、冬は半地下式の一階部分で、冷気を遮断しなければならない。二階の床は、念入りに竹を縦横に二重張りにした。四方の壁は、手の平の長さの空間を開けて、二重にした。屋根は傾斜を片側だけ取る形にした。次の日は葦を刈った後、床下を腰の高さに合わせて掘った。河が運んだ細かな砂の堆積土は、掘るのには余り時間を要しなかった。崩れ防止に竹と石を組み合わせて、補強を入れる事にした。これでギュンが立っても、頭をぶつけずに済む高さに成った。周りは葦を粘土混ぜて土壁にする予定である。次の日は、小屋作りを休むことにした。

 中州は豊かであった。クンは必ず鴨を咥えて帰って来たし、ギュンも河に入れば、カワマスが容易に取れた。ギュンは余った竹で生簀(いけす)を作ることにした。中州には、キジも住着いていたし、シカも浅瀬を渡って草を食べに来ていた。中州下流の土地は良く肥えていて、瓜の種類が何種類か地面一杯に這えていたし、実の成る木も大きく枝を広げていた。鳥達の囀りも盛んであった。ギュンはクンの案内で、中州を時間を掛けて調べて回った。自給自足の生活をするのには、十分な恵みが期待出来そうである。
 広葉樹の林は、中州をこんもりと覆って、外部からは内部を見え難くしていた。
 『クン、ここは俺とお前が住むには、申し分の無い場所だ。これからは、無駄な殺生をしないで、必要な分だけの狩をしよう。俺は、そう決めた。』

 次の日、小屋の屋根作りをした。竹を床同様に隙間無く並べ、その上に葦を敷き詰め、更に竹を並べ粘土を捏ねて上を覆い被せた。丸一日の仕事であった。夕日が西の山脈に赤々と没して行く。体中泥だらけに成った体を、河に漬けながらギュンは大きな満足感に浸っていた。
 『クン、もうこれで、大雨の時でも大丈夫さ。震えずに済む。明日は、いよいよ壁作りだ。壁が済んだら、河を渡って少し辺りを探索して、狩場を見付けよう。』

 急ごしらえではあったが、小さな竹の半二階建ての小屋が、完成した。下の部屋の中央に、雨の日の為のかまどを作った。 明り取りと通気の為に、葦を間に入れた壁に、窓を入れた。窓の開閉は上下の開閉にして、開閉度に応じて、竹の支え棒の長さで調整する事にした。屋根、床の張り出しを大きく取ったから、其処でも暑い日差しを避けて、ギュンとクンが戯れる事が出来た。豊富な竹が工夫次第では、色々な狩・生活道具に成った。ギュンは河が大好きであったから、暑い日中は河の瀬に出掛けている。彼は、瀬に石を積んで小さな定置網の様な仕掛けを作ろうとしていた。仕掛けの最後に竹の檻を置いた。大漁の時は、内臓を取って、日干しにしたり、焼いた後、日干しにしたりした。人間と狼、二個の共同生活である。意思表示する言語は違うにしろ、お互いの意思は通じるものである。
ある時、クンがカルガモを生きた儘、咥えて帰って来た。それを下の小屋に置いてクンは、大人びた顔付きでギュンに頭を数度、得意気に振ると、再び狩に出掛け同じ事をした。
 『はは、クン分かったよ。生きた保存食の心算だな。』
ギュンは、カルガモが飛べぬ様に、風切り羽根を数本切って放した。
 『クン、これでもう、飛ぶことは出来ないから大丈夫だ。』
 ギュンに褒められたクンは、もう要らないと頭を叩かれても、懲りずもしないで、得意気に毎日カルガモを咥えて来る。
『明日は、お前のカルガモ達の囲いを作ろう。』
ギュンは仕方無く、柳の木の下を丸く、竹と蔦で囲った。クンは自分の生け捕りにして来た動物達を、1匹ずつ咥えて囲いの中に入れて、満足そうであった。クンは、昼間は小屋のベランダで伏せて、ギュンの仕事振りを眺めて、時間を過ごしている。夕方には囲いのカモたちを、下の部屋に追い立てて、ベランダで見張りをしながら寝るのである。

    <中州の生活>
・・・・・張り合いのある生活は、瞬く内に日を重ねて行く・・・・・
 空の巨大であった入道雲が、大分小さくなって来た。朝夕の涼しさが、夏の終わりを告げている。ギュンとクンの中州は実りの秋を、期待させるように果実の小さな膨らみは、青い塊を大きくさせていた。実際、河は実に多くの物を運び与え、且つ多くのものを教えてくれていた。中州の下流に位置する肥沃の土は、収穫の地であり、青々と茂った草を食べに来る鹿・猪などの狩の場でもあった。平らな草地の幾つかの場所に、ギュンが隠れる程の穴を掘り、弓矢を構える。そこにクンが獲物を追い立てて、狩をするのである。狩をしない時は、穴を塞いで上に草を被せて置けば、罠の用も足した。ギュンとクンがこの中州に腰を落ち着かせて、3月が経とうとしていた。彼らの行動範囲は、中州を中心に大分拡がりを見せていた。住処と食料が確保されている、という安心感が、彼らにゆとりと云う落ち着きと開放感を与えていた。

 台風がやって来た。叩き付ける様な大粒の雨が降っていた。中州は増水に一気に孤立して行く。竹の筏は重くて、引き上げることは出来なかった。ギュンとクンは、小屋の二階で筏が流されて行くのを唯眺めているより他は無かった。土の匂いをプンプンさせた黄土色の河が、轟々と牙を剥き出して中州を削って行く。稲妻が鼠色の空に、青白いの閃光を走らせて、凄まじい音響を立てて暴れ狂っている。雨脚は愈々強まって柳の大木の葉を叩きのめして、中州の半分は黄土色に占領されてしまった。風は木立ちと雨を白い生き物の様に、バシバシと音を立てて吹き荒れている。クンは野生の本能の血が騒ぐのか、前足をしっかと踏み出して、魔物に挑むかの様に、野太い咆哮を、閃光走る鼠色の空間に発し続けている。
 『クン心配は要らんよ。小屋を建てる時に、幹を見て回った。冠水した跡は無かったから、此処までは増水しないだろう。元の水位になるには、5、6日は掛かるだろう。今度は工夫して、軽い船を作ろう。』
 ギュンは灰色の太いクンの首を、宥(なだ)める様にポンポンと叩き、下の部屋に移った。
獣脂を利用した灯火(ともしび)の中で、クンの背を枕に、怯えるカルガモ達と一緒に寝る。

 台風一過の青空が、高く純白の雲を輝かせていた。柳の大木によじ登って、中州を見渡すと中州の半分は、冠水している。生簀を設けた瀬は、黄土色の波を満開にさせて、ゴォゴォと音を立てて流れ下っている。黄土色の激流の底で岩が、ゴロゴロと転がり、岩と岩のぶつかる鈍い音が聞こえている。濁流の中で、中州は座礁した船の様な眺めであった。流木、草、葦の枯れ草などが次々と流されて行く。迫力のある河の眺めに、ギュンは釘付けになっていた。木に登れないクンが、下で業を煮やして盛んに降りろと吼えている。小屋の下からカモ達を囲いに追い立てて、濡れた小屋を乾かすために火を炊く事にした。完全に孤立してしまった中州である。暫くは食べるだけで、じっとしているより他は無さそうである。冠水した中州の狩場を見に行く。親と逸れたカルガモ、イノシシ、鹿のこども達が怯えていた。その子供たちを連れて小屋に戻った。カルガモの世話は、カモ達に任せておけば良かったが、イノシシと鹿は動物であるから、ギュンが親代わりをするしか無かった。飼うとなれば、小屋を中心に生活する躾をする必要がある。小屋の下で、寝起きを共にする生活が始まったのである。

 冠水した中州だけの退屈な一週間が、漸く過ぎた。渡れる様になった川を見て、対岸の竹を取りに行く。ギュンには、構想があつた。増水時に引き上げられる様なカヌー状の小船を、作ろうと考えたのである。船腹を覆う獣皮は、半分以上も足りなかったから、クンと狩に精を出さねばならないだろう。然し、何時かはそれも、きっと貯まる筈である。取り敢えずは、日常の対岸に渡る竹筏を、作らねば成らなかった。定住生活とは、維持に労力を尽くさねば為らないものである。

 川を大分下った所に、小さな集落がある。物々交換の時代であるから、幾ら自給自足の人間と狼の共同生活と云っても、最低限の外部との接触は、避けて通れない処であった。ギュンは欲しい物がある時は、クンと組んでイノシシ、シカ狩を請け負って仕留めて、集落に引き渡す事にしている。この方法ですれば、実入りは少なくなったが、獲物を運ぶ手間が省けたし、集落の者達と親しく成れた。狩は何日かを要するから、その間、彼等は集落に滞在する。外部との接触は、知識欲旺盛なギュンには、好い刺激と成って生活の幅と工夫を拡げていった。集落と中州は遠かったから、ギュンは、しっかり観察する事を最優先としていた。季節の変わり目に集落を訪れ、作物の種子を持ち帰り中州に植えた。

   <ヤンの出現>
 実りの秋を迎えて、冬への備えを考えなければならない。冬の寒さと空腹は、命の縮む心細さである。幸い中州の実りは、工夫次第では充分に、冬の季節を乗り越えられる量である。果実の様な生物の保存は、手間の掛かる仕事である。塩は貴重品、砂糖などは無かった時代である。保存食の常套手段と云えば、専ら乾燥させる事でしか無かった。ギュンは慣れない手付きで、果実の皮むきに精を出す日々である。そんなある日、1人の少女が、ふらりと中州に現われた。彼女の名前は、ヤンと言った。集落の娘である。余り話をした事は無かったが、ギュンが集落に行くと決まってギュンの近くで、何かと世話を焼いてくれる三つ年下の娘であった。ギュンと一緒に暮らすと言って、集落を出て来たと言う。彼女は、身寄りの無い生い立ちであるから、何も心配ない。と言う。

「ギュン、今日から一緒だよ。一人じぁ淋しいだろ。二人だったら、淋しくないだろ。私のこと嫌いじゃないだろ?」 
ヤンは、丸顔の少し吊り上った切れ長の目を、伏せた儘、表情を変えずに言った。
「うん、分かった。」 
ギュンにしても彼女に対しては、好意を寄せていたから、異存は無かったのであるが、ある日突然のヤンの押し掛けには、如何対処して良いものか・・・・心の準備が出来ず、二の句が出なかったのである。ギュンの応諾に、ヤンの顔が一気に華やいで、しっかりと見開いた両のキラキラ光る黒い瞳で、ギュンの瞳を絡み取る様に注いで、
「ギュン、それだけか! 私は美人だし、働き者だよ。もっと優しい言葉が、言えないのか? ウウン」
「うん、分かってる。」 
ギュンの胸の鼓動は高鳴っていたが、一対一に成った時の『女の強さ』には、男には、到底太刀打ち出来ない凄さを感じていた。

 秋の中州にヤンを迎えて、生活はぐーと充実して来た。細々した身の回りの事は、彼女が黙々とこなしてくれたから、ギュンはカヌー作りに専念する事が出来た。砂に形を描き、腕組みをして頭を捻り、ポンと手を打つ。そんな繰り返しであった。彼の構想は、次の通りであった。船首と船尾を同形として、1m程度の太竹の中央を欠いて火で炙り流線形を作る。それを其々船首・船尾に三層に置き、中央に支えを置いて、船首・船尾の竹筒に直線の竹を繋げる。出来上がったカヌーの骨組みに獣皮を、貼り合せると云うものである。これだと持ち運びは、ずーと自由に成る筈である。失敗を何日も繰り返しながら、全長2.5m、幅0.8m程のカヌーの骨組みが、完成した。ヤンがニコニコして、骨組みに獣皮を当てて、獣骨で作った針で、一針一針、継ぎ足して行く。ギュンはクンを連れて、松脂の収集に出掛け、煮立てて、その脂液を縫い目に注いだ。仕上げにヤンが、竹で底敷きを編み、その上に厚い獣皮を置いた。櫂を削り進水の運びと成ったのは、すっかり秋に成ったある日である。
 
 早速、流れの緩やかな蛇行での進水式である。カヌーはギュンとヤンが担いで、驚く程の軽さであった。後ろのヤンが、ギュンの足を軽く蹴って、満足気にウフフと笑っている。クンは、飛び跳ねる仕種を繰り返しながら、先導役をしている。カヌーを浮かべ、浸水の有無を確かめる。如何やら成功の様子である。2人思わず手を叩きあって、抱き合った。ヤンを乗せ、後ろにはギュンが乗った。クンは、ギュンの指図が無い限り、先導役を果たしていたから、船首に身構える。自慢気に櫂を取るギュン。

 櫂の先で水底を押すと、カヌーは、すーと水を切った。深みに出て、櫂を右に左に漕ぐと、カヌーは船首をグイ、グイと左右に振って進む。パチパチと手を叩くヤン、船首で遠吼えをするクン・・・もう1本の櫂を渡して、
「ヤン、一、二で交互に漕ごう。俺が一で、ヤンが二だ。それ、一、ニ、それ、一、ニ」
「曲がるよ曲がるよ!!ギュン」
「力が違うんだ。これで如何だ。」 力を調整するギュン。
 力の配分のコツを覚えて来ると、カヌーの動きは、実に正直に応える。数日間、時間があるとカヌー漕ぎの練習の連続であった。カヌーを使わない時は、撥水性を保つ為、中州に引き上げて船体を覆う獣皮の隅々まで、獣脂を塗り込んだ。

    <発見>
 実りの秋は、実に忙しい。過ぎ行く実りに安堵していては、冬の飢餓を迎えるばかりである。保存・貯蔵に精を出さねば、折角の中州の豊かさも無に帰してしまう。狩などと云った物は、所詮は博打の様な物である。粘土を捏ね土器を焼き、乾燥させて貯蔵させねば為らない。ギュンとヤンも忙しかったが、見張りのクンも実に忙しかった。実りを掠め取ろうとするものは、地上ばかりで無く、空中からも機を伺っていたのであるから。クンは昼夜を問わず、持ち場を離れなかった。
 山の栗は冬の食料として、欠かせない物である。乾燥させて粉に挽いて、水を加えて練り、焼けば香ばしい栗のパンが出来た。カヌーに乗って川を渡る。拾い集めた栗をカヌーに溜め、再び集める。そして栗の小木を見付けると、引き抜いて中州に移植する。実りの豊かさが、彼等に行動範囲を拡げさせて行く。沢伝いに進んでいた時の事であった。水に立ち上る湯気を発見した。温泉である。
ギュンとヤンは温度を確かめて、ニッコリと頷くと裸に為って、力を合わせて底の石をどけ、身を沈める程の深さまで掘って、周りを石で囲った。即席の沢の湯である。
「クン、気持ちがいいぞ!! 尻込みしないで、こっちに来いよ。」
すっかり座り込んでしまったクンの前足を取って、ギュンが強引に入れると、彼は情けない顔でイヤイヤを繰り返している。駄々っ子をあやす程、ギュンは大人では無い。クンの前足をヤンに渡して、ギュンが後ろに回ってクンの胴体を抱かかえて、ドブンと浸かる。
「クン、大丈夫。恐がらないで。ほらほら、静かにして。」
ヤンは膨らみ始めた乳房の割れ目に、クンの鼻面を持って来て、彼女の頭を優しく撫でている。ギュンは、クンの胴体に、爪を立ててゴシゴシと洗ってやる。不安そうなクンの表情も、薄らいで彼女の呼吸も静かに為って行く。
「ヤン、此処にも小屋を作ったら、良いだろうな。冬に成って火を炊いて、寒い寒いなんて言っているよりも、ずーと良いよ。」
「ウンウン、温泉に入ると、女は綺麗になるよ。ここに、家があったら、毎日入れる。嬉しいよ。小さくて良いよ。眠れて食べ物を置いておける広さで、充分よ。」

 ヤンを迎えて収穫と蓄えの作業は、忙しかったが、充実感もあったし、何よりも楽しかった。干せる物は、全て干物にして蓄えた。魚、肉、果実、木の実、野菜、茸、春を待つには、充分な量であった。

   <セカンドハウス作り>
 今日は、温泉小屋作りへ出発の日である。三日の予定である。カヌーに三日分の出来上がったばかりの保存食を乗せて、二時間ほど川を下る。大きく蛇行した浅瀬から、カヌーを砂場に引き上げ、岸の木に繋ぐ。食料を背負い、沢伝いに一時間ほど歩く。湯煙の立つ所の近くに、大岩が合わさった場所があった。
「ヤン、ほら、あの大岩の上に屋根を架けて、下を掘ったら上手く行くかも知れない。」
「そうね。草を厚く敷いて、隙間を土に草を入れて、厚く塗り込めば、風雨にも大丈夫ね。」
「そうだ。土壁の補強に、竹を組もう。」
大岩の下をギュンが掘り出すと、クンは<任せろ>とばかりに、四本の足を使ってグングン掘り始めた。30~40cmも掘り進むと、灰色の粘土層が現われた。粘りの強い良質の粘土である。
「お~い、ヤン来て見ろよ。凄いのが出て来たぞ。」
昼の支度に取り掛かっていたヤンが、沢から走って来た。
「どうしたの!!」
粘土の欠片を水で濡らして、手で捏ねて見せるギュンである。
「面倒な草なんか、入れる必要なんか無いよ。厚く塗って、火を焚けば、それで十分だよ。ひび割れしない土器だって作れるぞ。」
「良かったね、ギュン、大発見ね。ヤンは、美味しいお昼を作るわ。」 

 一日をかけて、ギュンとクンは、深さ2m、縦2m、横3m程の部屋の原型を作り上げた。
次の日、ギュンとヤンは、斜に切った竹を、大きな竹べらに見立てて、四方の壁に物置の棚を、刳り抜く作業に取り掛かった。四方の壁は、二方に食料棚・貯水・カマド・食器棚に、一方には、ギュンの道具棚。残りの一方には、クンのベットにする事にした。意味の分かったクンは、深々とした横穴を掘り始めた。
 三日目、カマドの上部に煙突を刳り貫き、粘土層の無い部分は粘土で固めた。留守が心配であったから、一期工事を終えて帰る事にした。
 再び三日分の食料を携えて、二期工事に向った。ギュンには計画があった。粒子の細かい、粘り気の強い土は、焼けば赤い粘土よりも、きっと硬くひび割れしないレンガが、出来る筈である。手に付いた粘土は乾くと、白い色になった。白い壁に焼き上がる事だろう。そうなれば、硬い石の壁は、滲み出る水を止め、湿気も遮断してくれる筈である。白一面の、のっぺりした壁だけでは、如何にも殺風景にして冷たい空間である。幸い粘土は細工が用意である。工夫次第では、面白い造形を施す事が出来る。1年を通じて、楽しめる部屋を作ろうと考えたのである。棚用にえぐった所に、棚板を嵌め込める様に両側に、深く溝を切る事にした。こうすれば、溝に竹棒を入れて行けば、それが棚板と成ってその上に、色々の物が置ける。場合に依っては、竹棒から下に吊るす事も出来る。
 ギュンは狩りの道具の収納場所と決めた壁面に、自分とクンが連携して狩りをする場面を、浮き彫りで印す事を考えていた。家事を賄うヤンには、壁面を二面与えて、彼女の好きな様に任せた。
 ヤンは、暫くギュンの作業を眺めていたが、その内に広葉樹の落ち葉を持って来て、あれこれと試して見た後、ギュンの腰から、山刀を借りると葉の付いた枝を切って来て、表面の化粧用に塗った壁の柔らかな面に、それを押し当てて、自分で納得の手を打って、得意気にギュンに言った。
「好いでしょう。ヤンは、頭が良い。」
ヤンは次から次へと、木の実を持って来て粘土の壁に押して、無我夢中の様子であるし、ギュンは眉間に皺を寄せて、壁画の大作に挑んでいる。手の無いクンは、吼えながら部屋をグルグル回るだけで、一向に相手をしてくれないギュンに、業を煮やすかの様に、後ろから高いジャンプで体当たりを食らわせ始めた。よろけて、壁に衝突させられたギュンの顔面は、ベッタリと粘土だらけである。折角の創作中の壁を台無しにされて、
「こら、クン、大人しくしてろ!!」
2度3度、頭をガツンガツンとゲンコツを見舞われた。ギュンに強く叱られて、クンは後足で立ち上がると、腹癒せとばかりに、壁面に前足でガリガリと深い傷を刻んで、凄みのある唸り声を挙げる。
「静かにしろ、クン、」
尚もガリガリと始めるクンに、ギュンは、クンを後ろから抱かかえて、とうとう外に放り出してしまった。一声激しく吼えると、クンは、後ろも振り向かず、沢に走り出してしまった。

 クンが帰って来たのは、夕暮れだった。口の周りに血糊を付けたクンは、何時にも増して野性の目をしていた。夜、ギュンは、クンの身体を枕にヤンとは、離れて眠った。ギュンの深い眠りに、クンは静かな呼吸で、ギュンの頬を舐め上げていた。ヤンはギュンを待ったが、ギュンは朝まで起きなかった。

 翌日は忙しかった。焚き木を拾い集めて、部屋に運び、手始めの火を焚いた。煙突からは、白い煙がモウモウと立ち昇った。壁からは、湯気が立ち上って表面が、じわじわと白く乾いて行くのが、はっきり分かった。その日は、火の番をしながら、運び出した粘土の山から、良い部分を取り出して、土器作りに精を出した。肌理の細かい粘土で、手足はヌルヌルに為った。・・・ヤンは、先ほどから奇妙な事を繰り返している。ヌルヌルの粘土を手足に付けて、手足を擦ったり、洗って見比べたりしている。・・・・出来上がった粘土の土器を、ギュンは、火から遠い所に並べて様子を見ている。作業を終えて、湯に浸かりに行く。その時、ヤンは粘土を持って来て、
「ほら、こうでしょ。これを塗って擦ると、こうでしょ。比べて、すべすべ、きれいになる。気持ちいいよ。」
為るほど、粘土で身体を擦ると、身体の脂と汚れが取れて、滑々した肌に為った。臭いを嗅ぐと、粘土の臭いは、匂わなかった。ギュンとヤンは、お互いの身体を灰色の粘土で磨き上げた。
「さぁ、クン、お前も洗って遣る。お前も美人に成るぞ。」
クンの灰色の体毛は、汚れを落として、高貴な野生の輝きすら感じるしっとりとした毛並みに変わった。

 大発見であった。ヤンは粘土を持ち帰ると言った。明日は愈々、部屋の本焼きである。

 部屋にうず高く積み上げられた焚き木に、火を掛ける。燻る火に、煙突から白煙が、仄かに立ち昇る。パチパチと弾ける音の中から、赤い炎が巻き上がるや、火勢は一気に拡がった。朦々たる煙突の白煙は、今や、火炎の柱を立てて、パチパチと物凄い勢いで天に揺らぎ始めていた。バシッパシッと鋭い音が、部屋の内部から響いている。粘土層の水分が、外部の火勢とせめぎ合いをし始めて、壁の表面に皹(ひび)の亀裂を刻んでいるのだろう。小屋の入り口からは、燃焼で大量に消費される空気が、風となって部屋に吸い込まれて、煙突の火柱が轟々と鳴っていた。余りの凄まじさに、中の様子を覗き見る事は、叶わなかった。欲張り過ぎた結果だろうか・・・2時間ほど業火に見舞われた部屋の内部は、火勢がすっかりとぼった後も、不気味な程に赤かった。日が大きく西に傾いても、部屋の余熱はギュン達を拒んでいた。
 4日目の帰り時刻ギリギリ迄、ギュンとヤンは壁面の亀裂の入った箇所の粘土修正に、汗を流した。部屋に余熱が残っている間に、どうしても片付けて置かねば為らない仕上げの作業であった。補修に詰めた灰色の粘土は、沢を下る頃に成ると、乾いて白い筋と成っていた。細部を除けば、粒子の細かい灰色の粘土は、予想外の白いレンガの壁面の空間を作り出していた。沢の湯で身体の汚れを流して、クンを先頭に沢を下る。次回の作業が楽しみであった。

 3度目の沢行きである。クンを乗せて、ギュンとヤンは4日分の食料をカヌーに積み込んで、流れに漕ぎ出した。部屋は、水の滲み出しも、湿気も見事に遮断して完成していた。共同作業完成の感動が走って、ギュンとヤンは、抱き合い、クンは部屋の中を嬉々として、尾を振りながら動き回り、自分の横穴を出たり入ったりの行動を繰り返していた。今回の沢行きは、完成祝いの様なものである。作業量は掃除に、床に敷き詰める落ち葉枯れ草の運び込み、入り口の戸の工夫に棚の完成くらいのものである。浮いた時間は、のんびりと過ごせば好いし、小屋の周囲の探索に時間を割くのが目的であった。
 床の灰を取り除いて、一部を部屋のカマドの下灰にした。ヤンはクンを用心棒に、床の敷き草の担当、ギュンは、沢から竹材の運び込みである。何れも大声を発すれば届く範囲である。人間の作業は、大体が共同作業である。ヤンは乾燥した落ち葉、刈り取った丈の長い枯れ草を何箇所かに纏めて、次に移る。ギュンは、竹を切って枝を払い長さを整えて纏める。竹の運搬は、2人が担いで行うし、敷き草の運搬は、2本の竹棒を担架に見立てて、その上にうず高く積み重ねて運ぶ。勿論、その先導役はクンが買って出る寸法である。夕方には、床には敷き草が敷かれ、棚には竹の棚板が嵌め込まれ、入り口には竹格子の戸が付けられた。
 カマドには、火が熾っていた。新品の白い肌の艶やかな土鍋には、栗が煮えていた。沢で取って来た岩魚が、竹の櫛を通して火の周りに、数匹炙られている。沢蟹も数匹ごと、串刺しにされて赤くなった甲羅から、汁を噴出していた。棚の上には、山葡萄の房が乗っている。クンが山鳥を咥えて、戻って来た。早速、外で羽を毟り、内臓を取り出してクンに与える。焼いて滴り落ちる脂は、貴重な夜の明かりの脂に利用出来るから、煮るか、深皿の上で焼く工夫を、ヤンは実行していた。晩秋の夜は、既に肌寒い。カマドにチロチロと燃える火は、丁度暖炉の様で、小さな部屋を温めている。クンの為に作った横穴の上のベットは、クンが寝そべるには格好の位置と高さであったから、部屋でのクンの定位置に成った。部屋の壁の角には、明かり用の灯明を灯す為に、油入れの窪みを作って置いたから、そこに獣脂の塊を置いて、芯に火を灯すと、仄かな明かりが取れた。磨き上げた野生のクンは、夜に成ると部屋を抜けて、闇に消えて行った。ギュンとヤンの褥が始まる。白い滑らかな壁に灯る仄かな明かりの中で、ギュンとヤンの若い肉体が交差し合う。
 翌日は、小屋から沢の湯への石段作りを開始した。小屋から湯までは、20m程の距離である。勾配の急な箇所に数箇所の石段を付けて、歩き易くした。ヤンは、草の汁・山葡萄の皮を絞ったりして、自分の作った壁面の押し絵に彩色を施して、悦に入っている。クンは、高みに寝そべって、まどろみを繰り返している。雪と氷に大地が覆われてしまうと、中州の生活は、何かと不自由に成ってしまう事であろう。沢行きの度に、冬の食料を運んで、準備をしなければ成らないだろう。カヌーで1度に運べる量は、たかが知れている。本格的な準備は、まだまだ先の事である。<明日は、クンに案内役をさせて、周辺の地理を調べる事にしよう>と、ギュンの厚い胸に顔を埋めて、静かに寝息を立てるヤンの背中を摩りながら、思い巡らせているギュンであった。

 未明、クンが帰って来た。ベットに飛び乗って、身を埋めたクンであったが、狼の遠吠えを聞くと、スゥと物音も立てずに、部屋を出て行った。時々、クンの鳴き声と、他の狼の鳴き声が交差していた。

   <クンの伴侶>
 季節の足取りは、早い。朝霧と共に西の山脈には、東の山並より一足先に黄葉の彩が、山を埋めて行く。曇天の日中には、雪虫の虫柱が柳の低い枝に舞う様に成った。晴れると、秋の陽射しは清々しいものであるが、雨の日は寒いものである。2日続きの雨である。時折雫を落とす小屋の中で、ギュンとヤンは囲炉裏の火で暖を取る。土間に敷いた葦の上に重ねた枯れ草、落ち葉の層に、身体を寄せ合った儘、埋め、何時の間にか、眠ってしまう。そんな夕暮れ時の事であった。
一頭の雄狼が、クンの後から緊張感に毛を逆立て、低い唸り声を発しながら小屋に入って来た。クンは、雄狼を宥めるかの様に、寄り添って彼の首の辺りを舐めている。身を硬くしてギュンにしがみ付くヤンの腕を払って、
「恐がるな、落ち着いて、クンが恋人を見せに来たんだ。普通にして、クンに任せるんだ。大丈夫だ。」
ギュンは、その狼を何度か見ていた。最初は、遠く影が走る様に、この1ヵ月程は、はっきり姿を現す様に成り、夜はクンと戯れている気配であった。多分、クンとの出会いは、沢行きでの事であったのだろう。
 クンは、ギュンとヤンの正面に前足を揃えて座った。そして雄狼にも、自分に倣えとばかりに、彼の太い黒味勝った首を前歯で噛んで、座らせようとしている。ギュンは、自分に敵意の無い事を彼に示す様に、瞬きもせずに柔和な目で、彼の目を静かに見詰めている。野性の世界では、先に動いた方が、負けである。ピンと張り詰めた人間と狼の気力の我慢比べである。雄狼のクンを窺った目には、ギュンと同様に優しかった。それを見て、得心した様な表情を一つ浮かべると、自分に頷く様に雄狼も正面を見て、前足を揃えて座った。ギュンは、彼を利口な肝の据わった狼だと思った。安心し嬉しそうに、クンは雄狼の顔を何度も舐め上げていた。ヤンの緊張も解けて、小屋の中は歓迎の空気が生まれた。
 クンが立ち上がって、鴨肉の燻製を咥えてギュンの前に置いた。ギュンは、先ず自分とヤンの分を小刀で切り取り、残りをクンに廻した。それをクンは、2頭で食べた。次に咥えてきた物は、カワマスの干物であった。ギュンとヤンは、それを火で炙って齧り、クンと雄狼はバリバリと食べる。
「ヤン、お祝いだ。早いが葡萄酒を味見しよう。」
素焼きの甕から赤い葡萄酒を掬って来たヤンが、器二つに分けた。まだ酸味の強い、若い赤い液体は、それでもアルコールに変わりつつあった。一つの器をギュンとヤンが廻し、もう一つの器をクンと雄狼が舌を共にする。
「ギュン、この狼にも名前が必要ね。ケンは、どう?」
「うん、」
「そうでしょう。ギュン、ヤン、クン、ケンと皆、『ン』が付く仲間よ。」
ヤンは得意気に笑って、器に葡萄酒を注ぎ足した。酔いが回れば、ヤンは村で育った娘である。手拍子を取って、細い透き通った声で歌い始めた。クンは同性のヤンに歓迎されて、余程嬉しかったのだろう・・・・ 納屋から、食べ物を咥えて来ては、ケンと一緒に満足そうに食べている。外は雨脚の強い降りであったが、小屋の中は、何時までも盛んであった。

 クンはケンと結ばれて、野生と人間生活を行き来していた。何時の間にか、広葉樹は木枯らしに吹かれて丸裸に成っていた。中州を取り巻いて流れる河は、すっかり水量を減じて川底の小石までも、はっきりと見せる程に透明感をたたえて流れていた。西の山脈には、雪の等高線が現われていた。麓に雪が舞い積もるのも間近い。河には、鮭が黒い帯と成って、上流を目指して遡上して来た。雪が降り積もる前に、出来るだけ多くの物を沢の小屋に運び込んで置く必要があった。この数回、カヌーはクンの座る場所にも食料を積んで川を下っていた。クンとケンは、川岸を走って同行し、背中に食料を結わえて、沢を上って協力していた。レンガの地下式住居は、狭かったが冬の住居としては、申し分の無い備えであった。

   <狩り場>
 雪が盆地を覆い尽くした。積雪は、野生動物に不利に働く事が多い。雪に印された彼等の足跡は、その足形・歩幅・足跡の深さから、何が何頭・何匹で、何時何処から何処に向ったのか? の動物達の行動軌跡を、教えてくれている様なものである。経験を積めば、観察から予測が付き、待ち構える事が出来る。冬場の狩りは、ある意味では成功の確率の高さに繋がる。沢の小屋から東に2時間も登ると、二段構えに山を重ねた山裏に隠れた様な起伏の少ない平坦な場所があった。木々の少ない視界の利く地形で、北の東西の幅は結構あったが、南側は先細りの急な山の斜面に接していた。雪原に印された動物達の足跡は、種類・数とも豊富であった。
 クンとケンが北から、東西に逃がさずに南に、獲物を追い立てる事が出来たら、先細りの地点でギュンが弓を構えて待ち受ければ、狩りの成果は大いに上がる事であろう。一の矢が失敗に終わったとしても、Uターンする獲物に二の矢を射掛ける事も出来るし、Uターンした獲物の前には、クンとケンが牙を剥いて待ち構えているのである。追うものには有利にして、追われるものには不利な地形である。工夫次第では、絶好の狩場と成る。

 ヤンとケンを得て、人間と狼の中州と沢を行き来する自給自足の月日は、
確かな拡充を持って、静かに流れた。

   <中州の噂(うわさ)>
 2人の男が、カヌーで川を下って来た。彼等の行く手に、緑生い茂る中州があった。日は大分西に傾いていたから、男達は中州に上がって野営をする事にした。下って来た流れは、本流であったから、削り取られた剥き出しの岸は、高く流れも急であった。そこで、そのまま下って、川下から回る事にした。支流側の川下は、本流に比べ、淀みがあったから2人で櫂を盛んに扱ぐと、如何にかカヌーを岸に着ける事が出来た。流れに迫出した木の枝にカヌーを結び付けて、中州に入った。葦を掻き分けて進むと、森の木立が続いていた。少し進むと、突然一頭の灰色狼が現われて、牙を剥いて迫って来た。度肝を抜かれて、腰の山刀を抜いて身構えた2人であったが、狼は攻撃を仕掛ける風も無く、幾度か遠吠えをするだけの威嚇の体勢を、維持していた。その内に狼が1頭、また1頭と現われた。そうこうしている内に、狼達の数は、5頭に成ってしまった。男達と半月の形に対峙した狼達は、低い唸り声を発しながら、ジリジリと男達との距離を詰め始めた。狼達に囲まれたら、一巻の終わりである。恐怖の余り、後ろを見ずに一目散に駆け出したい衝動に駆られたが、そんな事をしようものなら、一瞬の自殺行為である。気絶しそうな意識に鞭打って、用心深く後退するしか他に手立ては無かった。5頭の狼達は、今にも男達の咽喉元を噛み破るかの様に、ギラギラ燃える目で牙を剥き立て、半月の陣立てで、一歩一歩間合いを詰めて来る。両手で握り締めた山刀には、べっとりと冷や汗が滲み出て、既に男達には、それを振り回す程の腕力も握力も尽き果て様としていた。やっと葦の地点まで後退する事が出来た。後数歩後退して、横飛びで川に飛び込めば、逃げれるかも知れない。恐怖に血走った瞳孔で川との距離を、横目で窺う。その時であった。中心の狼が一声発するや、狼達が一斉にジャンプした。
         ウギァ!!
 
 弾かれた様に、男達は、山刀をほうり捨て、流れにすっ飛んだ。男達は、両の腕を風車の如く必死に動かして、川の流れに乗って瞬く間に流れ去って行った。狼達は奇妙な事に、5頭が寄り添って、前足を揃えて座り、男達が流されて行くのを平然と見ているだけであった。男達の姿が流れに没すると、男達の放り出した山刀を咥えると、静かに森の奥に消えて行ったのである。狼の集団に川に落とされた男2人は、1人が岩に頭を砕かれて溺死した。

 以上の出来事は、傷だらけで、命からがら岸に這い上がった男の話である。

 ある渇水期の時、魚を取りに集落の男達が、川を上って来た。中州の下の方は、水苔が強い太陽光線で炙られて、干乾びた川石を累々と続けていた。川の流れは、あちこちに川底の大岩を露出させ、深みと深みを繋げて、心もとない流れである。浅い溜りには、取り残された魚達が、黒くうようよと群れ泳いでいたから、面白い様に魚が取れた。忽ちにして、持って来た魚篭は一杯に成った。そのままでは折角の獲物が腐ってしまうから、適当な場所に陣取り、腹を割いて内臓を取って石の上に広げて、干物を作る。渇水期の川の漁は、集落の者には、天の恵みでもあった。数日を掛けての川の漁は、生活には欠かせない糧の確保でもあり、仲間達との数日間の気晴らしでもあった。即席の干物を作るには、申し分の無い暑さであったが、作業をするには、クラクラするほどの暑さであった。中州の端の森の木陰で腹割きをした後に、焼けた砂場に魚を並べた方が合理的である。砂場の見張り役も、交代で行えば個人の負担は軽くなる。皆、頷いて重い魚篭を背負って、森に入ろうとしたが、砂場から余り離れてしまったのでは、いざと云う時に不都合であるから、砂場に一番近い木陰に向った。森からぽつんと立つ、頃合の木があった。木の周りは砂礫で太陽の反射熱が暑かったが、男達は<狼の棲む中州>の噂を耳にしていたから、冒険をして見ようとは思わなかった。車座に成って作業を始めたが、話題は如何しても中州の狼に向いてしまう。噂の真偽には、好奇心が沸いた。森の突端に1頭の狼が現われた。そして音も無く2頭現われた。男達は、噂話の内容が直ぐ目前にまで迫って来る現実に、生唾を飲んだ。
 狼達は、吼えも動きもしなかった。堂々と全身を見せる事で、男達に<此処から先は、自分達の縄張りである。>と無言の警告を示すかの様に、どの狼も凛として立っていた。狼達は、中州の境界線を教えるかの様に、間を広く取って、最初の狼の左右に悠然と展開する。・・・・ そして、3頭が境界線の持ち場で、男達を監視しているかの様に、前足を揃えて座っていたのである。統制の取れた狼達の行動に、男達は背筋に氷を突きつけられた様な恐怖感を持つと同時に、狼達に一種の畏怖の感情が湧いて来た。

<この中州には、侵しては為らない人間と野生のルールが存在する。境界を越えない限り、狼達は決して人間を襲っては来ない。>・・・・ そんな確信を、男達は胸に刻み込まれたのであった。

 高原で或る者は、狼の集団と人間が、連携して猪を狩る一部始終を目撃したとの事であった。
その男は、山鳥を獲りに犬を連れて山に入った。調子が良かったので、新しい猟場を探そうと、山の稜線伝いに歩き回った。山並は幾重にも重なって、広大な広がりを見せていた。男の居住する集落からは、これ以上の距離は、叶わない遠さであった。引き返すより他無かった。どうせ引き返すなら、帰りの途は山並の中間の稜線を通って帰れば、新しい猟場の発見に繋がるかも知れぬと思った。男は中間に目星を付けて、高みの稜線を下った。中間の稜線に立った男の目に、南前方に開けた草原が見えた。二山先であったが、惹き付けられる眺めである。空には、大鷹が翼を広げて、円を描いて悠然と滑翔していた。<期待出来る。> 男は大きく頷いて、草原に向った。
 草原は折れた感じで、北から南に、二段の緩やかに傾斜を持った平坦な地形に成っていた。所々に背の低い茂みが、点在するだけで見通しの利く草原であった。窪地に小さな池があった。池の端に1本の木が立って、高い所に横枝が伸びている。草原は、完全に山肌で<仕切られている>のである。 眺めると、益々奇妙な感じを覚える場所であった。自然の地形に、誰かが確りした目的を持って<仕掛け>を施している臭いがした。男が、池の水を手で掬って飲んで一休みしていると、犬が何かを感じて、緊張の低い唸り声を発した。犬は、草原の北に身構えて、様子がおかしい。男の目には、何も映らなかったが、何かが始まる胸騒ぎがあった。男の犬は、戦闘能力に秀でた自慢の犬であった。然し、犬の様子は、普段の戦闘に向う緊張感とは、まるで違っていた。明らかに<怯え>に対する緊張に近かった。男の耳にも、遠くで狼達の吼え声が沸いて来た。狼は集団であろう。近付く吼え盛る狼達の声が、木霊(こだま)が木霊を呼んで、男は背筋が凍った。既に萎縮する犬を抱かかえて、男は山の斜面を駆け上った。兎も角、身を隠すのが先決問題であった。身近の潅木の茂みに、男は犬を抱かかえて身を伏せた。
            
         何が始まるのか!! 
 
 男は身を潜めて、固唾を飲んで草原の北を凝視した。頭上には大鷹が、小さな円を低く描いて舞っていた。凛と張り詰めた緊張感が、山間の原を覆っていた。北の端に、山の主の様な巨大な猪が、1頭姿を現した。続いて吼え盛る狼の一団が、その猪を半月状の陣形を取って、猪と駆け引きをしている状況であった。狼の集団は、若い6頭であった。狼達は、仕掛ける訳では無く、猪を草原の南の方向に追い立てている様子であった。猪は煩い狼達の行動にも、未だ余裕を感じさせた。時折、狼の一団に突っかかる行動を取るのだが、狼達は距離を保つだけで半月状の陣容は一切崩そうとしなかった。空中の大鷹は、時折、猪の頭上を掠める様に急降下している。男は、1年の半分を猟に費やす。幾多の野生同士の狩りの様子を目撃しているのであるが、全く未知の展開に、目は釘付けと成っていた。猪は狼の群れと大鷹に依って、草原の南に誘導されている風であった。狼達は、男には気付いていない様子だったので、少し気が落ち着いて来た。その儘、下の草原の動きを目で追って行くと、男の目に奇妙な物が映った。地形の狭まった中央に竹で作られた高さ2m程の櫓が立っていた。櫓には若い男が、腰には山刀、弓と槍を手にしていた。そして、櫓の両脇には、一際大きな体格の狼が控えていた。

 櫓と猪の距離は、100mを切った。草原の幅はぐーと狭まって、数10mである。櫓の男の手が、空を指すや、空中の大鷹が、急降下して猪の頭に一撃を食らわした。鮮血が、ぱっと噴き上がった。それが合図だった。6頭の狼集団が、猛然と猪目掛けて、突進した。猪は弾かれた様に南に突進した。突進する巨大な猪を猛追する狼の集団が、殺気を引いて凄まじい勢いの尾を引いて櫓に突進して行く。
           その距離20m

 櫓の脇に対峙した狼が、巨大猪に向って、猛然とダッシュする。
              距離10m
 引き絞った満月の弓から、矢が放たれた。

 首を射抜かれた猪は、その儘疾走して背後の竹襖(ふすま)に血飛沫を噴き上げて、息絶えた。
8頭の狼の集団は前足を揃えて、大鷹は、櫓の手摺に止まって、男を迎えた。
 狼の集団で一際大きな見事な灰色の毛並みを持った狼を伴って、櫓の男が、茂みで息を潜める男の前に立った。他の狼達は、男から数m距離を置いて戦闘に掻いた汗を、鋭い牙を見せて発散させながら、下から男とその犬を見上げていた。大鷹は、頭上の枝で身を屈める様にして、翼を半ば広げて男と犬を見下ろしていた。
 櫓の若い男は、低い声で、ガタガタ震える男に言った。
「見ての通り、此処は俺達の狩場だ。近付かない事だ。秘密にして置いた方が、お互いの為だ。」
その男は、別段凄味を利かす物言いをする訳でも無く、極普通の声の調子で言った。
「・・・・・・・・・」
         男は何も喋れなかった。
 若い男は、据わった目をしていた。精悍な黒い瞳であった。首ほどに伸びた黒い髪を、革紐で後ろに束ねた細面の顔は、整った目鼻立ちをしていた。太い首から続く上半身は、厚い胸板・太い腕・引き締まった胴に繋がって、すらりと伸びた下肢と合体していた。言葉は短かったが、見下ろされた男には、瞬きも呼吸すらも凍った程の長い時間に思われた。狼達と横並びで去って行く後姿を、ボンヤリ瞳孔に映した儘、男は暫くの間動けなかった。漸く腰抜けの状態から脱して、立ち上がる事が出来たが、男は、放心した様な虚脱感に捉われて、草原を振り返らずに、北へ帰って行った。
<凄い事を、平然と遣って退けた狼と大鷹、そして人間・・・ あいつ等は、きっと何かの化身に決まっている。俺は、偉い物を見てしまった・・・・>

   <中州の変化>
 月日は、青空に全山を紅葉させ、鈍色の空に墨絵の山々のシルエットを引いて、雪を積もらせた。春が広葉樹の山を、芽吹きの萌え木色に染め、太陽は新緑の輝きで全山を染め上げて行く。梅雨が去れば、太陽が一気に夏を演出した。青空は、東西の山塊の頂に、群立つ純白の積乱雲を勇壮に浮かべた。 ・・・・ 月日は、中州に四季を数度繰り返して、流れた。

 中州の内部も、すっかり様変わりしていた。中州の上流から下流へと、細い水路が作られていた。水路の上下の口は、潅木の茂みで隠されていた。水路を辿って行くと、底から白砂を巻き上げている湧水の池があり、深さ1m程の湧水池の水底には、水草が優しく戦いでいた。池の端には、大小2艘のカヌーが繋いであった。池からは東と西に細い用水路が、2本延びて其々何本かに枝分かれして、中州の下流に伸びていた。中州の造りは、四辺には、樹木がこんもりと枝葉を広げていたが、森の内部には、花盛りの果樹の林が続き、花の香りが風に乗って若葉の緑の中州に満ちていた。果樹の林は、種類に依って通りを変えて植えられ、通りの間は広く開けられ、穀類・野菜などが植えられ、渾然一体の風景として拡がっていた。細い水路は、末広がりに広がった中州の北半分の土地に水を供給する為に作られた用水網に繋がり、用水の所々には、水の取り入れ口の仕切りが作られていた。ギュンが初めて建てた柳の大木の小屋から数十メートル離れた所に、土壁と萱葺きの屋根を持った家と土壁の納屋が、建てられている。家は、手を着けていない中州の森の外れに位置していた。家の周りには、焚き木が積み上げられて、一段下がった家の南側の竹の杭で囲われた中には、鶏・カルガモ・鶉(うずら)の幼鳥達が、ふかふかした腐葉土の中で小さな嘴で、盛んに餌を啄ばんでいる。別の囲いの中では、ヨチヨチ歩きの始まった男の子と女の子の双子が、丸々と太った狼の兄弟達とキャッキャと遊び戯れている。それを乳房の張ったメス狼が、大きな欠伸をしながら見守っていた。見通しの利く、さほど遠くない一角では、クンとケンに牽かせた土鋤の柄を握ったギュンが、日焼けした上半身に汗を滴らせて土を起こしていた。土鋤と落ち葉堆肥から作った腐葉土撒きを終えた土に、3歳位の双子の男の子を連れたヤンが、肩から掛けた竹篭からマメの種まきをしている。  

 中州の上空には、大鷹が翼を広げて、悠然と滑翔している。3頭の狼達は、親のクン、ケンと交代で土鋤をする一方で、林の所々に位置して、芽を出した穀物、野菜が、他の動物に食べられない様に番をしている。蜜蜂達は、盛んに羽音を鳴らして春の蜜を吸いに飛び交い、小鳥達の囀りの森にも、巣作りを始めた小鳥達は、嘴に枯れ草、鳥の羽毛を咥えて、森の梢を掠めて飛んでいる。淀みを作る川面には、羽化する水中昆虫・陸上昆虫を捕食しようとして、カワマスの驚く程のジャンプが、其処彼処(そこかしこ)で繰り広げられている。柔らかな新緑の風を伴って春の陽光は、中州を中天から差している。

「ギュン、切りの好いところで、お昼にしよう。先に帰って、支度をするよ。」
幼児の手を引いて、ヤンが声を掛ける。
「分かった。帰る時に、生簀からカワマスを掬って行くよ。さぁ、もう直ぐ昼だ。もう一分張りだ、クン、ケン」
    額の汗を手で拭って、ギュンは、土鋤の柄を握り替える。

 ヤンは灰を掻き回して種火を集めて、その上に焚き木を乗せ、火を起こす。大きな土鍋に水を注ぎ、ジャガイモ、栗の実、干した茸、干し魚を入れて煮立てる。芋が煮えた頃、とろみ付けにトウモロコシの粗挽きを一掴み入れた。ギュンが生簀から大きなカワマスを、数匹柳の枝に鰓刺(えらざ)しにして、帰った来た。大きな竹串で串刺しにすると、火の回りに立て、どっかと胡坐を掻いて座った。カワマスが火に炙られて、ジュウジュウと脂を滴らせて、皮が焼けて来ると、昼の臭いが中州に立ち上る。臭いが合図かの様に、狼達が思い思いの獲物を口に咥えて、集まって来た。大鷹も鳩を足を銜えて、柳の太い横枝に止まった。

   <ケンの大手柄>
 数日振りに、ケンが帰って来た。対岸で頻りに吼えるばかりで、川を渡る素振りを見せない。ケンの遠吠えに、中州の狼達が集まって来た。クンとケンは、一頻り相呼応するかの様に遠吠えを交し合っていた。その後で、クンはギュンを急き立てる様に、カヌーを出せと促した。
<怪我か病気にでも、成ったのだろうか?>
ギュンは、カヌーのとも綱を素早く解くと、カヌーを出した。水路を抜けると、ギュンは力一杯に櫂を、右に左に振るって、淀みを一気に漕ぎ抜いて対岸にカヌーを着けた。ケンは、カヌーが接岸すると、ヒョイと身軽に飛び移って来た。
<お帰り、ケン。>
 ケンは、ギュンの差し伸べられた掌の挨拶を、何時もの様に低くした頭で受けて、ギュンの掌を舐め返している。カヌーのクンとケンの夫婦は、2頭だけで居る時には、雌のクンが雄のケンに幾分甘えるかの様な仕種で、寄り添ってケンの顔を静かに優しく舐め挙げている。普段と全く違わない素振りのクンとケンであった。中州の水路にカヌーを入れると、2頭ともスイとばかりに中州に下りて、ゆっくりした走りで駆けて行ってしまった。
<???>
       狼の発情期は、真冬の筈である。
<俺とヤンの仲の好い処ばかり見せ付けられているから、クンもケンも、狼のクセにすっかり人間の夫婦見たいに為ってしまったのかぁ?>
ギュンは小首を傾げて、ニヤニヤと呟きながら、櫂を漕いで湧水池にカヌーを着けた。

 家の前の広場では、父親を迎えて狼達が、盛んにケンとじぁれ合っていた。ギュンは、切り株の上に腰を下ろして、ヤンの差し出してくれた好物の山葡萄の葡萄酒を口に含みながら、何時もとは様子の異なった狼達のじぁれ合いを眺めていた。見る処、狼達は、盛んに父親のケンの毛を、舐めているのであった。
<如何したんだろう?>
訝(いぶか)しげに、ギュンがその輪に入ると、番になって最初に生まれた、群れ№3に位置する雄狼のジンが、ギュンの顔をベロベロと舐め上げて来た。
<オッ、ショッパイ!!>
驚いて、ケンの身体を触って、手を舐め、続いてケンの毛に、直接舌を這わせたギュンの言葉は、「塩だ!!」であった。続いてギュンの取った行動は、ケンの身体に両の手の指で、ゴシゴシと毛を掻き立てて、地面に落ちた黄土色勝った小さな粒を、日に翳して、小躍りして叫んだ。
「あった。あった。塩の粒だ。岩塩だ。ヤン来て見ろ、ケンが宝物を持って帰ったぞぉ。」

 ケンは賢い狼であった。彼は岩塩を見付け、体毛に付けて、知らせに帰って来たのであった。何時もなら、対岸から淀みを泳ぎ切って中州に戻るケンが、水に塩が流されるのを避けて、対岸からクンを呼んで、カヌーで中州に戻って来たのであった。塩は生きて行く上で、貴重な必需品である。ギュンは、海から伝わる塩を求めて、年に何度かは、川を下って集落に行かねば為らなかった。塩をふんだんに使うことが出来れば、食料の保存方法は、ずーと拡がる。干物だけに頼っていた保存方法は、<塩漬け>と云う形で、水分を失わず<保存と味覚の幅>が拡がるのである。海辺の集落には、塩漬けの習慣があった。旅で初めて味わった、あの味が手に入る・・・・ ギュンが小躍りして、叫んだ心境が解ろうと云うものである。

 ギュンは早速、計画を立てた。ヤンは、子育てで手が一杯であるから、同行は無理であった。岩塩の場所は、ケンが頼りであるからケンに一働きして貰うより他無い。狼と人間とでは、活動するスピードが違うから、岩塩の場所に直行するとしても、最低4日は必要となろう。4日間の留守を任せるには、クンを残すより方法は無いだろう。何時も行動を共にして来たクンは、大人しく留守番役をするだろうか? どうせ行くのなら、持てるだけの岩塩を持って帰りたい。狼達の背を借りて、運ぶ事にしよう。ケンをリーダーに、6頭で行こう。留守番役には、最初の年に生まれた6頭を残して、中州を守らせよう。いや、5頭にして、7頭で守らせよう。・・・・・

 2日後の早朝、身支度を整えて、ギュンはケンを乗せて、カヌーの櫂を取った。4頭の狼達は、カヌーを追って淀みを泳ぎ切り、対岸に上った。ギュンとケンは、流れを1時間ほど下って、対岸にカヌーを結んだ。群れの先頭に、クンが走っていた。仕方の無い事であった。ギュンとクンは、最初からの連れ合いなのであった。ギュンに同類のヤンと云う連れ合いが出来たとしても、狼のクンの認識する中州の序列では、人間のヤンは、飽く迄も自分以下の序列なのであった。苦楽を共にして来た連れ合いが、遠出をするのであるから、行動を共にするのは、当然にクンの<血に従う行動>であると共に、それがクンの<プライドの証>でもあった。そして、深い潜在的意識には、人間と狼を超えた動物としての<雄雌の感情>としての不思議な関係が有るのかも知れなかった。ギュンは、ヤンが来た当初に感じていたクンのヤンを見る目に、<嫉妬>に近い色を何度か見ていた。クンがケンと一緒に成ってからは、そんな目の色は大分薄らいでは来たが、皆無では無かった。
「やっぱり、来たか。」
 これが、ギュンのクンに対する偽らざる感情であった。ギュンがクンの頭を撫で、抱きかかえて頬擦りをする。クンは嬉しそうに、ジャンプしてギュンの肩口に何度も、体当たりを喰らわした。ギュンは、カヌーからヤンが小分けして袋に詰めた食料を、狼達の背中に結び、
「さぁ、行こう。」と号令を掛けた。

 初日の夜は、山の木の根の穴に、狼達に刳(く)る舞われて寝た。2日目の午後、岩塩の断層に辿り着いた。剥き出しに成った岩塩の断層は、風雨に曝されて風化礫が零れ落ちた様に、目指す岩塩は、周囲の山土に黄土色に染まって堆積していた。ギュンは、ケンを抱きしめ頬摺(ほほず)りをして、カルガモの脂身を口に噛んで、口移しに差し出した。そして、早速、岩塩の粒を手で掬って、袋に詰め狼達の背に担がした。上空には、大鷹のビンが、翼を広げて輪を描いていた。ビンは、中州の上空を監視すると共に、その飛行距離の長さに於いて、ギュンに方向を教えていたのである。予想以上の大収穫に気を良くして、帰りの途中で狩りをして帰った。山鳥の半数は山で食べ、残りは、カヌーに積んで帰った。

   <魚醤(ぎょしょう)を作る>
 五月も半ばを過ぎると、決まって真夏の様な日が、何日か続く。川の縁を輝く程の黄色で飾った山吹の花も、盛りを越して濃い緑の藪と化した。木々は一層緑の葉を茂らせ、草は幼緑から深みを広げ、丈を伸ばして、中州を埋めて行く。川ではウグイが産卵期を迎えていた。オス達は青黒い背色に、婚姻色の朱色の側線を、口から尾へ一直線に太々と描いて、川底の産卵場所と成る細かな砂礫の堆積した場所に、オスメス達が犇(ひし)めき合って、川に幾つもの黒々とした群れを作っていた。
 ウグイの群れの一部は、中州の湧水池から流れるカヌーの細い水路にも及んでいた。池の近くの水路では、全裸になったギュンとヤンが、ウグイ取りに夢中に成っていた。下で網を構えるギュンに対して、ヤンが上から細い水路を腰まで浸かって手に持った棒切れで、盛んに水面を打ちながら網に追い込んでいる。行き場の無い細い水路一杯に口を広げた網には、ウグイの群れは、面白い様に掬えた。掬った網の中のウグイは、その儘の勢いで草の地面に放られる。ピチピチ跳ね回る大振りのウグイ達は、待ち構える狼の牙の一撃で頭部を砕かれ静かになる。絶命したウグイを咥えて、狼達は次々と、水路の脇に積み上げて行く。2時間程の遊び染みた漁で、ウグイの山は堆(うずたか)く、積み上げられてしまった。

「ヤン、魚が集まったら、後2回、頼むよ。クン達の取り分にするから。」
「うん、その間、子供達の様子を見て来る。」
水から上がって、ギュンとクンは、一頻り大いに乱暴にじゃれ合っていると、ヤンが戻って来た。
「じぁ、始めるか。クン皆を集めろ。」
 クンが、狼の遠吠えを3度中州に放つと、狼達が走って来た。再び細い水路には、ウグイの黒い塊が動いていた。ギュンとヤンが上下に分かれて、水路に入って漁が再会された。ドーンと云う手答えで網を上げると、ずっしりと重い捕獲であった。反対の草むらにウグイを上げると、狼達はぱっと群がり思い思いの行動で、獲物にがぶり付いた。
「そうら、もう一丁!!」

 草むらに跳ね逃げるウグイを、牙と手足で捕まえる混戦模様を後目(しりめ)に、ギュンとヤンは、ウグイの山を湧水の流れで洗い、魚篭に入れる。数個の魚篭は、大小のウグイで一杯に成った。魚篭で水気を切ったウグイを、半地下室にした貯蔵庫の大甕(かめ)に一段づつ並べ、岩塩を塗(まぶ)して重ね、最上部には木の枝を敷いて、上に湧水池の縁に繁茂いているセリを積んで来て、その上に重石を置いた。大甕3個の塩漬けは、完了した。魚の生臭さと滑(ぬめ)りが、体中を覆っていた。ヤンが、例の灰色粘土を一塊持って来て、ウフフと指差して、水路にギュンを誘った。
 大甕3個を満たした<川の春の恵み>の贈り物は、2日目には塩に依って、魚の水分が滲み出て、甕の重石も沈んだ。貴重な塩の溶解液である。おいそれと捨てる訳には行かない。指の先に汁を付けて、舐めて見ると、こくのある塩辛さであったが、鼻を突く生臭さが後味を悪くしていた。10日程、その儘の状態で寝かせた後、上澄みを瓢箪(ひょうたん)を利用して作ったシャモジで掬い上げ、土鍋で煮沸し生臭さを消す為に、竹炭を入れて壷に貯蔵した。副産物のセリの塩漬けは、大分塩辛かったが、2人にとっては、全く新しい味覚であった。岩塩の粗い粒は、使い勝手が悪かったから、ヤンは石で潰して粉にした。

 ギュンの性格は、凝り性であった。中州の農作業も大方片付いて、ギュンの関心は、専ら魚醤の利用法に向っていた。湧水池の生簀から川鱒を数匹掬って来て、腹を割いて開きにしてから、それを魚しょうの汁に一晩浸け、天日干しにして見た。塩加減は申し分無かったが、日持ちさせるには、塩漬けの方が実用的であった。長期の保存には、魚体から腐敗の素と成る水分を、完全に抜くより方法は無さそうであった。彼は川鱒を腹を割かずに、丸ごと魚しょうの汁に色が変わるまで漬け込んで、鰓(えら)に蔓を通して、魚体がカチンカチンに成るまで、柳の横枝に吊るして見た。10日程放置して、噛り付くと、丸で歯が立たない程の硬さに仕上がった。臭いを嗅ぐと、魚の腐った様な凄い臭いであったから、煮立てて戻す訳にも行かぬ・・・ 捨てるのも気が退ける・・・ 単体で焼けば、この異臭は他には移らないだろう・・・ <物は、試しである。> 火に炙ると、硬かった身は、歯が立つ程の柔軟さが生まれた。折ると、鼈甲色(べっこういろ)の川鱒の身は、奥歯で噛み締めていると、癖はあるものの奥深い大人の味が口中を満たした。臭いはきついものの、1度口にしたら癖になる味であった。ヤンを呼んで味見をさせると、彼女は最初は鼻を摘んで齧っていたが、その内に満更でも無さそうな顔付きで、全部を食べてしまった。臭いを嗅ぎ付けて、クンが遣って来た。クンは<ギュンの食べる物は、自分も当然に食べる権利がある>と思い込んでいる何時もの態度で、ギュンの横に座ると、差し出された一本を牙でバリバリと音を立てて、噛み始めた。その内、口から長い涎をダラダラ垂らして、満足の様子であった。ギュンは、頷きながら、水を飲み干した。

 翌日、ギュンとヤンは川に入って大量のウグイを取った。同じ工程でウグイを蔓に通して、天日干しにした。乾いてもウグイの朱色の側線は、見事に残っていた。干し終えるとギュンはカヌーに乗せて、集落に持って行った。ギュンは、広場で火を起こすと、早速ウグイの干物を炙り始めた。異臭が煙に乗って、鼻を摘んだ集落の人達が集まって来た。
「ギュン、この臭いは、何事か!! 腐ってるだろう。」
「何よ、この変な臭い、鼻が曲がるよ。」
集落のブーイングを涼しい顔で聞き流すギュンは、焼け焦げたウグイの皮を、手でひょいと落として、ポキリと二つ折りすると、満足そうに口をもぐもぐさせている。
「まあまあ、騙されたと思って、食べて見ろよ。味の無い焼き魚、燻製よりずーとマシな味だよ。味と比べれば、この位の臭いなんか、屁でも無いよ。この位の炙り具合が、美味い。」
持って来たウグイの干物は、全て交換された。干物の半分と作り方と交換にギュンは、碾(ひ)き臼を持ち帰った。

   <雨乞い>
 その年は、空梅雨に終わった。ぎらつく太陽は、日に日に川の水を干上がらせて行った。自然界を形造る空・山・川・森全てに神が宿り、自然現象の全ては、神々の御業と信じられていた時代である。人間の最大の師匠は、自然界の森羅万象の理(ことわり)であると同時に、集落を形成すると言って見た処で、その時代の人間達は、所詮自然の与えてくれる限られた恵みの中でしか生きられない、自然と共に暮らすだけのちっぽけな存在でしか無かった。そんな、人間の営みであった。従って、自然界がリズムを崩せば、人々は忽ちにして餓えに苦しむ。そんな時、人間は神の力に恐れ戦き、自分達の持つ最も大切なものを神に差し出し、只管(ひたすら)、自然界の神々に祈るばかりであった。自然界のもたらす脅威は、その時代の人間には、その儘、神々の怒りの徴(しるし)であった。
雲一つ無い満月の夜であった。中州に向って松明(たいまつ)の行列が、干乾びて川底の石を累々と続ける乾いた川を下って来た。一向は、金髪の白い肌の全裸の少女を、中州の上流の柳の大木に括り付けると、中州の下で汲んで来た小川の水を辺り一面の地面に振り撒き、残りの水で自分達も全裸に成って、身を清めた。それから、無言で自分達を取り囲む狼達に向って、地面に額を3度当てがった後、雨乞いの儀式を厳かに挙行して、再び干乾びた川を、無言で上って行った。中州の噂は、人伝えに噂を呼んで、神の使いの狼達が暮らす<神聖な中州>と噂されていたのである。その証拠に、中州は、どんな日照りに晒されても、内部は決して緑を絶やした事は無く、中州から流れる水は、枯れた事が無い。そして、神の使いである中州の狼達の群れは、一際は見事な灰色の毛並みを風に翻して走る雌狼の下で、統率の取れた行動で、人間が中州に侵入する事を拒んでいる。然し、狼達は、人間が中州に足を踏み入れない限り、襲っては来ない。詰まりは、彼等は神の使いなのであった。

 松明の明かりが見えなくなった頃、ギュンは、緊張で震える少女の縄を解いて遣った。ギュンは、少女を家に連れて帰った。信仰・仕来りが集落の生活を律する社会である。雨乞いの神への生贄として、木に括られた少女の身に及ぶ危害を考えると、少女を集落に帰す事は出来なかった。何故なら、少女を帰せば、生贄を介して、彼等の神への願いが、届か無かった事を意味する。生贄失格の咎(とが)は、彼女が負わなければ為らないし、集落の者は、新たに生贄適格者を選んで、再び『雨乞い』の神頼みをしなければ為らない筈である。かと言って、中州の内実を明かす訳にも行かなかった。中州が神聖な域として、その不可侵性が保たれるならば、子供、狼の群れ数の多くなった中州の共同生活には、人手が欲しい事情があった。少女が中州の新しい存在と成って、10日が経った午後、項垂れた山際を不気味な程に覆った積乱雲が、あれよあれよと言う間に、巨大化するや、積乱雲の下から稲妻が、何本もの青白い閃光を走らせた。盆地の頭上に、閃光が乱れ走り、雷の轟音が遠く近く、響き渡った。既に盆地の天は、黒い雨雲で蓋をされ、黒雲の勢いは、今や息苦しい程の低さに迄達していた。少女は天を仰ぎ、ギュンに跪(ひざまつ)き手を合わせ、何度も何度も<神よ神よ>と、叫んだ。巨大な稲妻の閃光が走って、盆地に落雷の大音響が轟いた。大粒の雷雨が、音を立てて地面を叩き付けた。地面は叩き付ける雨粒を吸って、無数の泡を作り上げると、幾筋もの流れとなって地面を覆い尽くして行く。じっと腕組みをして、中州を叩き付ける豪雨の様を見ているギュンに、少女は放心した顔付きで、跪き、頭の上で手を合わせ、うわ言の様に、「神よ、神よ、ありがとうございます。」と何度も、その行為を繰り返している。

「雨は嬉しいが、困った事に成ったものだ。お前のご利益って事か・・・大袈裟な事に成らなければ、有り難いが、成る様にしか成らんだろう。」 

 ギュンは、困った顔付きで、金髪の少女の頭を撫でて、呟いた。

 丸一日降り続いた雨に、川は再び流れを取り戻した。数日経って、雨乞いの一行が中州に遣って来て、少女を括り付けた柳の大木に、ロバとヤギの番を繋いで帰って行った。
 
 少女の名前は、ナンと言った。ナンは、口数の少ない働き者であった。身寄りの無いヤンは、ナンを妹が出来た様に温かく迎えた。好奇心の強い子供達は、彼女に良く懐いた。幼児に手を取られがちなヤンの分を、ナンが良くカバーしてくれた。碾き臼は、大変に重宝な働きをした。精々石で砕くしか出来なかったモロコシ、大豆、栗の実は、実に肌理の細かい粉に変わった。石で潰したウグイの干物も、碾き臼に掛けると粉に成った。主食の粉に、魚しょうに漬けて干したウグイの魚粉を混ぜて練り、それをカマドの側面にペタリと貼り付けて焼けば、香ばしい素焼きのパンが出来上がったし、粉を水で薄く伸ばして煮立てれば、トロミノ付いたスープにも成った。粉を捏ねて団子を作り、焼いても煮ても旨かった。碾き臼と岩塩、魚しょう、ウグイの魚粉は、中州の食料保存の幅と量を格段の物とした。そして、味覚、食感の幅を別次元の物とした。ヤギの乳は、その利用法をナンが教えてくれた。塩の活用は、食草の漬物にまで及んだ。岩塩は、貴重品から中州の必需品と成っていた。

   <ナンの驚き>
 ギュンは、幼児を抱えるヤンの守りに、ケンの一隊を割いて、2頭のロバを荷役に岩塩の採取に向かう事にした。狼は、クンを頭にジン・他2頭。助手にナンを加えた。ギュンは、日頃の彼女の働き振りを、労(ねぎら)いたかったから、帰りに<沢の湯>の小屋を回って来よう、と考えていた。カヌーに食料・道具を積んで、ヤンとナンが対岸にカヌーを漕ぎ付け、ヤンがカヌーを漕いで中州に帰る事にした。ギュン達は、淀みを泳いで渡った。荷物をロバの背に括ると、クンを先頭に川岸を半日歩いて、支流から山に分け入った。岩塩の谷の方角は、頭上を舞う大鷹が指し示してくれていた。道程を知った者には、不安は無かった。歩行の所々で、一向は小さな狩りをしたり、開けた場所では、火を起こしてゆっくり食事をしたりした。ロバの扱いは、手馴れたナンが担当した。ギュンは、彼女の扱いを頷きながら観察していた。人間と動物と云う言葉の通じない間柄であっても、動物同士と云う感情・相性の様なものが、厳と存在しているものである。役目・仕事と云う共同・連携行動から離れれば、人も動物も休み、リラックスして感情の趣く儘、じゃれ合えば良いのであった。ギュンは、そう考えていた。夜は火を焚いて、その周りで狼もロバも人も、区別無く寄り添って寝た。
 雛から育てられた大鷹ビンのギュンへの甘え振りは、面白かった。地面に下りると、逞しい二本の足で、ノシノシと歩いて来るのであるが、その不安定さに前のめりに為る体重移動を、翼と頭でバランスを取るのであるから、大空での雄姿とは全く違って、つい頬の筋肉が緩んでしまう。ビンは、胡坐を掻いたギュンの腿の間にどっかと身体を沈め、黒い頑丈な嘴をカチカチと鳴らして、ギュンの口移しで魚の干物をせがむのである。そして気が向くとビンは、定位置の中州の松の横木で眠らずに、人間の様に彼に寄り添って寝てしまう事があった。クンにしてもビンにしても、幼時に刷り込まれたギュンの体温の温もりは、彼等の体内の奥で、心地良い<何か>を、確り築いているのであろう。ヤンの居ない野宿では、決まってクンとビンの取る甘えであった。

<満天の星空の山中で、人間の男を挟んで、雌狼と雄鷹が添い寝をする>不思議な光景である。

 岩塩の谷で、持って来た獣皮の袋に詰めて、ロバの背に括り、小さな袋は、狼の背に括った。残りはギュンとナンが背負って、谷を下った。最後の山越えの尾根を南に進んで、別の支流に沿って山を下った。半日下ると、沢の温泉に着いた。ギュンは、皆を荷役から解放させた。ロバを繋いで、沢の家にナンを案内すると、白い壁の部屋を見た途端、少女はギュンとクンに跪(ひざまず)き、手を合わせて「神様神様」と数度唱えた。

「ナン、違うよ。俺は、お前と同じ人間だよ。クンは灰色狼、ビンは大鷹の一羽だ。気の合うもの同士が、天の授けてくれた中州で、知恵を出し合って一緒に暮らす仲間だよ。お前も中州の仲間の1人だよ。その内、俺達の生活が、何でも無い事を知るよ。」 

 狼達も、鷹も、当然の様に湯気の立つ川に浸かっている。ギュンは、灰色の粘土の小さな塊を手に、それで体中を擦り付けては、ゴシゴシと掌で体中を扱いては、湯気の立つ水で流している。そして、彼は狼達・ビンの身体にも同様の事を始めていた。狼達は、粘土の白い色に塗られた互いの身体を、前足の爪でガリガリと掻き合っては、湯に浸かって暑くなると外に出て、全身をブルブルと震わせて粘土の汚れをおとしていた。ビンも濡れた羽毛を逆立てては、ブルブルと翼を広げて、水を払っているのであった。尻込みするナンの手を取って、湯に浸からせ、白い肌がピンクに上気するのを見計らって、ギュンは粘土でナンの身体を洗ってやった。ピンクの肌は、皮脂の汚れが取れて、さらさらに成った。今度は、金色の髪に粘土をたっぷり擦り込ませて、髪・顔を洗ってやった。湯を掛けて、粘土を綺麗に洗い流してやると、少女は目を丸くして、「やっぱり、神様だ。」と納得した様に呟いた。
粘土で汚れを落とすと、ギュンは、上り湯の一段上がった湯船にナンを入れた。先に上がった狼達は、湯の周りに敷き詰められた平たい石と小砂利に寝そべって、盛んに赤い舌を出して、満足そうにギュンとナンの湯に浸かっている姿を見ていた。湯で火照った体を、ひんやりした石に伸ばして、空を見上げる。実にほっとする充足感である。うつ伏せに成ったギュンの身体を、ナンが肩から首、腰から大腿部へとヤンがする様に、揉み解して行く。クンはギュンの傍らに在って、ギュンの裸体を、労(いた)わる様に、ペロペロと静かに舐め上げている。谷の沢は、静かなせせらぎの音を乗せて、時折、木々の梢を風が吹き渡るだけである。小鳥達のさえずりが、遠く近く、耳を潤す。

 石段を上った沢の家は、もう一部屋作られていた。生活用品も、中州の家同様に、増えていた。明くる朝、岩塩の袋を一つ棚に置いて、一向は、沢を下った。ナンは、沢の湯煙に振り返り、振り返り、何度も手を合わせて頭を垂れた。

 対岸を進んで、中州に近付いた頃、口笛で滑翔するビンを呼び、小袋を渡した。程無く小さなカヌーを曳いて、ヤンが中州から迎えに来た。岩塩の袋と粘土の袋を積んで一行は、中州に帰った。

   <干しジャム>
 中州のアカシアの木の洞には、蜜蜂達がブンブンと騒々しいまでに飛び交っていた。余り表情に出さないギュンが、珍しく木の洞を筋の様に出入りする蜜蜂を見上げて、苦々しげに石を拾って投げ付けていた。「クン、お前に木登りが出来たら、あの甘い蜂蜜が、ごっそり手に入るんだが・・・・」
蜂蜜が大の好物である熊が、重い体で木に抱き付いた格好で、木の洞に前足を突っ込んで蜜を漁っている姿を、ギュンは幾度と無く目撃していた。無造作に手を突っ込んでは、盛んに蜜を舐めている熊の周りを、塊となって襲い掛かる蜜蜂達にも、熊は平気の平左で木から下り様としない。そんな熊に倣って、ギュンも木に上った事がある。口に咥えた棒先を洞に差し込む前に、蜜蜂の攻撃に曝されて呆気無く木から転げ落ちてしまった苦い経験が、彼にはあった。木から転げ落ちた痛さより、体中を刺されて頭を掻き毟った恐怖の方が、彼には強烈であった。硬い密集した毛皮を持つ熊と、素肌の人間の違いは、圧倒的であった。それ以来、蜂は苦手の相手と成ってしまった。
 然し動物は、塩辛い味よりも、甘味に軍配を挙げるのが、より自然である。蜂蜜の甘味は、いかなギュンにして見ても、高嶺の花ならぬ高値の甘味であった。蜂蜜の甘味を断念した彼は、専ら甘い果実を潰して、甘味を煮締める形のジャム作りに精を出す事にしている。ジャムは、新鮮な内は酸味の利いた甘味を提供してくれたが、日を置くと如何しても発酵が進んでしまうと云う欠点があった。そこでギュンは、中州のアカシアの蜜蜂に触発されて、干し果実に倣って<干しジャム>を作ってみようと考えたのである。干しジャムならば、干し果実の数倍の甘味が得られるであろうし、腐ったり発酵はしない筈である。幸い甕の中には、野苺・木苺・小桃のジャムがあった。竹を節の所で輪切りにして、それを二つに縦に割って、中にジャムを満たした。ドロリとしたジャムは、夏の炎天下で3日もすると、水分を悉く蒸発させて、硬いくすんだ固形物に変わった。干乾びたジャムは、半割りの竹を叩くと、内部の竹の薄皮が竹への密着を防止して、簡単に乾燥ジャムだけが外れた。手で折って口に含むと、酸味の利いた甘味が口中に広がった。野苺・木苺・小桃の風味は、その儘、舌に残った。試みは大成功に終わった。ギュンは小躍りして、甕の全部をヤン・ナンに手伝わせて、干しジャムにした。

   <コミニュケーション>
 自給自足の中州での毎日は、穏やかにして楽しかった。半野生の生活を守る狼達の日常は、2群に分かれていた。中州でギュン達と行動を共にする1群と、河を渡って周囲の森・林・山で野生の暮らしをする1群であった。2つの群は、交替で中州と野生の生活を維持していた。大鷹のビンは、ねぐらを家の前の広場の柳の横枝と決めているだけで、明るくなれば羽ばたいて、大空を滑翔して獲物を得ていた。周囲の広葉樹・常緑樹と針葉樹の混生する林・森の大地は、動物に恵まれていた。ギュンとクンの訓練に依って、彼等が覚えた狩りの方法だったのであろうが、共に子の時から中州で育てられたビンと狼達の狩りの連携は、素晴らしかった。空から獲物を見付けたビンは、それを上空から狼達に、羽ばたく事で教えた。地上の群れは、獲物の方向を知って、狩りの体勢を維持しながら距離を縮めて行く。狩りの距離を得ると、狼達は、猛然と獲物に襲い掛かり、短時間の内に仕留めた。実に、効率の良い狩りの仕方であった。中州の中心はギュンであったから、彼は月に何度かは、狼達にせがまれて、狩りに同行する。弓・槍・刀の武器を持つギュンの参加と成ると、決まって大物獲りが仕掛けられた。猪・鹿の群れを追って、群れと群れとの知恵が、その狩りの場で展開されるのであった。狩りの場面では、ギュンもクンも、ケン・ジン、ビンも、野生の緊張・興奮・敏捷さで、林・森・草原に待ち伏せ・走った。そこには、中州の静の暮らしとは一変した、動の興奮の一瞬一瞬が繰り広げられた。森の中で、獲物の皮を剥ぎ、協働の成果を思い思いの仕種で、口にする。獲物を追って、又は首尾良く獲物を仕留めて、大地に火を囲んで、充足の夜を過ごす。夜の眠りは、皆、ギュンを挟み込む様に重なって寝た。彼等にとって、ギュンは、別格の存在であった。ギュンにしても、ヤンを得て、子供を儲けても、彼等とだけ過ごす行動を止めようとはしなかった。
 中州でのロバ、ヤギ、鶏それに碾き臼、塩、火に掛けても割れない土器の器は、実りの保存・調理の幅を広げてくれた。その恩恵で彼等のする狩りは、全てが食糧確保の目的でされる訳ではなかった。一つには、野生を維持する行動であり、一つには、ギュンを仲間として、自分達とは異質な人間から引き離して、独占する一時でもあった。それは、一種の『絆』の証でもあった。大きな獲物に有り付けない事も、シバシバあったが、そんな時は、狼達にしろビンにしろ、小さな獲物であるウサギ、鴨、雉、鳩を彼等は、ギュンに運んで来た。蛇なども良く持って来た獲物の一つであった。ギュンは狩りには、必ず携行食糧を用意していたから、彼等の提供してくれた獲物は、火で焼いて塩を塗して、皆で味わった。人間と暮らす彼等にとっては、それは、獲物を分かち合う仲間の確認行為であると同時に、習慣化された好物の味の一つなのであった。

   <生活の広がり>
 大所帯と成った中州では、本格的な開墾が始まった。土鋤をロバに替えて、土は深くなった。畑作りは、鋤き返された砂混じりの土から、石を拾い出す作業から始まった。砂を土に変えるには、腐葉土が大量に必要であった。ギュンは、養分を大量に含んだ腐葉土を作る為に、新たに堆肥を作る事にした。家の前に浅い穴を掘り、周りを石で囲って、森から運んだ落ち葉を溜めた。次に上部に竹を渡して、用便をすると共に、生ごみを捨てる事にした。中州は、川原の砂礫で出来上がっていたから、落ち葉を塗らした余分な水分は、穴に貯まらず、砂礫に浸透した。踏み板代わりの竹は、幾日かごとに位置を変えて、排泄物が落ち葉の全体に落ちる様にした。ロバ、ヤギ、鶏の糞、生ごみも、当然上から落とされた。発酵が進んで湯気が立ち上ると、ギュンは切り返しを繰り返した。切り替えしを3回ほど繰り返すと、落ち葉と排泄物は、自然の力ですっかり分解されて、臭いの無いほくほくした黒い土に変わった。それを土に鋤き込んで、季節の種を蒔いて、水路の口を開いて土を潤した。
 限られた土地を有効に利用する為には、土を肥やし季節の食草を栽培して、畑の利用回数を増やさなければ為らない。土を活かし続ける為には、堆肥は欠かせない土の栄養分と成る。新鮮な実りは、飽く迄、一時的な大量をもたらす<一過性の実り>でしか無い。収穫物に手を加えて保存しなければ、実りは干乾び、腐り、土に戻ってしまうばかりである。豊かさは、実る豊かさと同時に、蓄えの豊かさでも無ければ為らない。一過性の実りを持続させるのが、ギュンの知恵の出し処であった。ヤンもナンも初めて経験する事で、2人はギュンの頭の中が想像出来なかったが、その結果については、何時も驚きの連続であった。

 ギュンは、全てに於いて観察する事が好きであった。そして何かを思い付くと、それを実行して腕組みを繰り返す男であった。食糧の蓄えは実際の効果として、ギュンに時間的余裕をもたらして、中州の生活に様々な工夫を形にしていた。湧水の池からは、竹の節を刳り貫いた水道に依って、甕の水は絶えず満たされていたし、中州で飼われている家畜、家禽の飲み水の甕にも新鮮な水が提供されていた。鶏の竹囲いの下の土には、堆肥と落ち葉、砂を厚く敷いた。小さな虫達が、落ち葉を食べ、堆肥に群がるミミズ達が、良質な土に変えてくれる働きをする一方で、鶏達は、土を掻き混ぜ虫、ミミズを掘り出して、それを餌とした。頃合を見計らって、囲いの土の一部を畑に入れ、その分の落ち葉と砂を補充すれば、再び良質な土が得られた。河の乾燥した流木は、ロバに牽かせて焚き木とした。中州には、何本かの道が作られた。現在のギュンの関心事は、灰色の粘土に石の粉を混ぜて、鋭く硬い矢じりを焼く事であった。獣骨の矢じりは、手間が掛かり過ぎた。粘土で矢じりを作る事が出来たら、細工は容易であったし、何よりも数が大量に作る事が出来るのであった。

「ナン、この透き通った石だ。水晶の入った石を集めるんだ。」
川原をギュンとナンが、石を拾ってロバの背の籠に入れている。
「良いだろう。この水晶を砕いて、粉にして粘土に混ぜて、型に入れて大きい炎で焼けば、きっと出来る筈だ。」
 中州で砕いて、苦労して水晶の粉を作った。ギュンは、手持ちの矢じりの中から、一番気に入った矢じりを選んで、粘土版に押し当てて、20個程の型板を作った。それから、乾燥した粘土を砕いて、碾き臼に掛けて挽いた。次に粘土粉に水晶粉を底の浅い甕で混ぜ合わせて言った。
「ナン、水を入れて、良し。もう少し・・・本の少し・・・」
慎重に硬さを確かめながら、粘土を捏ねるギュンであった。
「この位の硬さで、ナン、後は任せる。」
ナンは、神妙な表情で、灰色の粘土を腕が痛くなるまで、捏ね続けた。
「好いだろう。」
 粘土を上下の型に入れて挟み込むと、全く同じ形の矢じりが、20個出来た。矢じりの先を尖らせて、日陰干しにした粘土の矢じりを、数日前に作って置いた小さなカマドに並べ、火を付けた。火力を大きくする為に、交替で獣皮の団扇で風を送った。小さなカマドの中の粘土の矢じりは、金属の様に真っ赤に燃えていた。火を落として、冷めるのを待って取り出すと、白い滑らかな、硬く鋭い陶器の矢じりが完成していた。割れた物を除いて、100個程の矢じりを手に、ギュンは満足そうに何度も何度も、掌に転がして頷いている。矢じりには工夫が凝らされていて、矢の先を矢じりに嵌め込む様に、筒状の嵌合部を作って置いたのである。早速、嵌合部に細竹の矢を填め込んで、試し矢を放って見ると、藁の的に深々と刺さった。身体の大きなナンは、活動的で知的好奇心が旺盛であったから、何事に付け、進んでギュンの助手をソツ無く務めた。彼女も自分の弓を持って来て、弓を射た。彼女の腕前は、既にヤンを上回っていた。

 ギュンは、そんなナンの性格を気に入っていたから、自分の考えている事、している事について、説明をする事にしていた。ギュンの訓えは、全ての物事には原因がある。興味を持って自然を観察して行けば、自然は必ず教えてくれるものだと云うものであった。普段から観察をしていれば、自分が何かをしようと考えている時に、ヒント、閃き、方法を教えてくれるものである。生活する上で、大体のものは、草木・林・森・山・川・虫・魚・鳥・動物達と云った自然が、黙って遣っている事で、人間が気付かないだけの事であると言うのであった。従って、人間にとって大事な事は、何故?と云う疑問と、答えを探そうとする気持ちと自然の営みを観察する目なのだ。と言う事であった。そして、ちっぽけな人間に出来る一番大きな力は、見て考えて工夫する力なのだと説明を括って、『俺は、神なんかじゃない。生身の人間だよ。』と、白い歯を見せて、ナンの頭を撫でるのであった。

 灰色の大気に丸い太陽が、光を失って浮いている。ささら雪が、斜の角度を変えながら、灰色の大気を寒々と奏でていた。明け切らぬ空に、時を忘れたかの様に、森の大梟が、逆立てた羽毛に積もる雪を、ブルブルと払い落とすだけで中州の森は、シーンと眠った儘である。寒さは人間に限らず、動物全てが、苦手の様である。屋根囲いを作った鶏の囲いには、堆肥の発する発酵熱を求めて、カルガモ、ヤギ、ロバまでもが、集まって寝そべっている始末であるし、狼の一団は、厠の床に長々と欠伸をする始末である。女達は、尻を舐められたと黄色い悲鳴を挙げて、用便に竹の鞭を持参しての用足しであるが、彼女達が出て行けば、狼達はゾロゾロと元の場所に陣取って、元の木阿弥を決め込んでいる。ギュンに告げ口をしても、涼しい顔で「寒いのは動物だって、同じだよ。尻を舐められる内が、花じゃないか。」と一向に取り合わない。女達は子供をあやして、日が暮れるのであるが、男のギュンには、退屈この上無い時間である。葡萄酒を煽って、囲炉裏火に背中が温まれば、ゴロリと横に成って、ついウトウトの繰り返しである。天気の悪い小屋の中では、クンもビンも、ギュンに横に倣えの有様であるから、全くの権威喪失の図である。

 午後に成って、太陽が色を回復した。ささら雪は風に飛ばされて、日陰にうっすらと白い雪の斑を残すばかりで、粗方は太陽に溶かされて行く。子供達が待ち兼ねた様に、外に飛び出して行く。狼達も一緒になって、手荒くじゃれ合いを展開し始める。ビンは羽ばたいて、青空に舞い上がってしまった。赤い顔をしたギュンばかりが、鈍い動きである。クンに後ろから追い立てられる様にして、外に誘われる始末である。女達は、散らかった雑居部屋の掃除に着手の段である。こんな時は、ギュンも子供達も、女にとっては無用の長物であるらしい。湧水池に行く。湧き出る水の温度は、川の水の温度よりも大分高かったから、川の魚達も冬に成ると水路を通って、池に黒く群がって来る様になった。
「ヨォーシ、今日は、魚突きをしよう。」
ギュンは子供達を連れて、手頃な青竹を切って、先端を鋭く尖らせて手渡すと、カヌーに子供達を乗せて櫂を漕いだ。狙いを定めて、息を止め一気に突く。返しの無い促成の竹槍であるから、魚体を串刺しにする程に勢い良く刺し貫く力が必要だったし、魚がバレない様に、すかさず立てなければ落ちてしまう。タイミングが難しい。子供には向かない狩りであるが、子供達には無我夢中の遊びタイムである。

   <交流の中州>
 月日は流れて、ナンにも2人の子供が出来ていた。中州は、すっかり様変わりをしていた。中州の生活は、今ではすっかりオープンに成っていた。嘗てナンが『雨乞い』の生贄として、木に括られた場所にナンの部族が寄進した社は、改造が加えられ大きく成っていた。社の広場には、定期的な市が立つ様に成っていた。中州の市は、河の上流と下流の部族の交流の場として機能し始めていた。上流の白い肌の部族のナンと下流の幾分黄み勝った肌の部族のヤンが、仲良く市を取り仕切る事で、部族間の不要な警戒心が取り除かれるのに、大いに役立つた事は言うまでも無い。
 中州の特産品は、岩塩と魚醤、それに火に掛けても割れない土鍋であった。ギュンは、技法・技術を独り占めするタイプの男では無かったから、岩塩の場所以外は、その作り方を、積極的に市で教えた。市場の広場には、土器を高温で焼く為の窯が、人々の協力で造られ、ギュンの指導の下、人々は思い思いの土器を焼く事が出来た。
 そして、産卵期のウグイが河を黒く群がる時期に成ると、ギュンが揚げる中州の狼煙を見て、部族の者は、交換物資と食料を担いで、山を越え河を下り、上って、泊り込みで、魚醤を作りに市に集まって来た。木々の鬱蒼と建ち並ぶ森は、潅木の茂みが取り除かれて、簡単な野宿が営まれる様に、石で積まれたカマド、風雨が凌げる程度のテントが建ち並んで、社の一角は、1年で一番、市が賑わう時であった。    

 人々は、ギュンがこの日の為に積み重ねた岩塩と、交換する物資を市に並べ、土を捏ねて魚醤を採る為の素焼きの大甕を焼いたり、社に保管して置いた大甕を洗ったり大忙しの時である。準備が整うと、河で身を清めて、白い陶器に収められた山葡萄酒と魚醤を社に奉納してから籤引きで、ギュンに依って定められた数箇所のウグイの付き場を引き、2日間のウグイ獲りに奔走するのであった。ギュン・ヤン・ナンは、各グループを回って、指導役をこなす。魚醤の仕込が一段落すると、人々はギュンへの感謝から、中州の農園に繰り出した。用水路のゴミを取り除き、設けられた止め石を外して水を流したり、堆肥を撒いた後、ロバを使っての土鋤に汗を流し、種を蒔く。彼等は、一連の農園作業を手伝う事に依って、ギュンの農法を授かるのであった。塩の浸透圧に依ってウグイのエキスが、吸い出されて甕に上澄みとして満ちる、数日間を利用して保存食の作り方・食べ方が、ヤンとナンを介して、市で教えられる。部族の長は、この時の市には、選りすぐった若者達だけを向わせた。彼等は、部族の為に、より多くの岩塩と魚醤、生活の知識を持ち帰らなければ成らなかったから、旺盛に動いた。大甕からウグイが取り出されて、若い魚醤は、別の甕に移される。社の風通しの良い保管場所で熟成された後、煮沸された魚醤は、其々の部族の者達が、厳かな陣容で取りに来る形であった。
 彼等にとって、狼とギュンの暮らす中州は、飽く迄も神聖な場所であった。魚醤は、中州で造られる格別な味覚にして、神聖な下し物であった。勝手に個人が立ち入る事が、憚れる場所なのであった。従って、市の開催は、ギュンの揚げる狼煙に依って決まるのであり、市は部族間の市の形式をとっていたから、物資を交換する者は、部族の代理行為であったのである。部族の代理を担う者だけが、河を渡って上流・下流部族・中州との交易を果たす事が出来た。その外の者達は、中州の対岸に陣取って、入手物資、不足物資の調達・運搬役に任じていたのである。
 相変わらず、そこには灰色の毛並みを持つ狼の群れが、中州と河を隔て、空には大鷹の滑翔があった。ギュンは時折部族を訪ねて、指導・相談に乗った。白い部族を訪問する時は、ナンとその子供達を連れて、黄色の部族には、ヤンとその子供達を連れて行った。共に数日間の滞在であったが、ロバに乗って、狼達の一団・大鷹を伴ったギュンの一行が来ると、どの部族も歓待してくれた。ギュンは、集落の彼方此方を見て回り、中州農法が功を奏している様子に目を細めていた。

   <中州の新しい役割>
 機は熟しつつあった。次の年の春、ギュンは白い部族から15歳の少女を10人、黄色い部族から18歳の少年を10人それぞれの部族の長から選んで貰った。20人の少年少女を前に、ギュンが話した。
「今日から、皆はこの中州で共同して勉強する。肌の色は多少違っても、同じ人間だ。私には黄色の肌のヤンとの間に4人の子供、白い肌のナンとの間に2人の子供がいる。皆、私の家族である。中州の狼達はクンの家族であり、クンと私は旅を共にして来た連れである。大鷹のビンは大空にあって、空から見た物を教えてくれる。ロバは重い荷物を運び、土を一緒になって鋤いてくれる。太陽は、大地に力と熱を注ぎ、雲は雨を大地に注ぐ。河は魚を与え、水は土を潤してくれる。土は草木を生えさせ、食料を与えてくれる。枯葉・倒木は、小さな虫達を育て、何時しか大地の土に還るし、火の元にも成る。全ては、生死を繰り返して時を流れて行く。この世に、永遠などと云う命などは、無い。永遠なるものがあるとしたら、それは、連続と云う大地・空・河・草木・森・林・動物・人間と云った総体としての塊の連続性であろう。私は、全てが仲間・平等だと思う。雨・雪・風・花・実り・収穫どれを取っても、1度に手に出来ないほど遣って来る。もし、それが蓄える事が出来たなら、満腹の後の空腹・飢餓は避けられるだろう。人間には、ビンの様に空を飛ぶ力も、クンの様に遠くを見る目も、臭いを嗅ぎ分ける鼻も、鋭い牙・敏捷な走りも無い。ロバの様な力も無い。そして、ヤギの様に毎日乳を出す力も無い。然し、人間には、手と言葉、考える力がある。言葉と考える力を出せば、蓄える事が出来る。力を独り占めして悪用しない限り、諍い・争いは生まれないだろう。この世に目に見える物、感じる物、全てが、仲間であり平等である。その気持ちを、私はお前達に教え伝えたい。」
彼等の利発な両の瞳は、輝いていた。
<少年少女達には、難しいギュンの訓話であったが、その消化不良さが、反ってギュンを神聖化すると共に、彼等の選ばれた自分達と云う自尊心を擽(くすぐ)っていた。>

 ギュンは、その日から先頭に立った。中州の下に、彼等の小屋を立てた。彼等は、朝日の出と共にギュンの暮らす家の前に集合して、ヤンとナンの後にゾロゾロ付いて、中州の日常を観察した。困ったのはトイレであった。大地の収穫に対するお返しは、ギュンの理論で言えば、堆肥である。ギュンは頭を掻きながら、早速全員を招集して堆肥講座を開講して、小屋の横にトイレを作る作業に取り掛かったのであった。2ヶ月が過ぎて、皆が中州の日常を覚えた頃、

「皆、ご苦労様。さすがに部族から選抜されたお前達だ。物覚えが速い。10日後からは、中州を出て対岸にお前達の村を作ろう。失敗を恐れる事は無い。お手本は、中州にある。先ずは、そっくり真似る事から始めれば良い。お前達は20人だ。話し合えば、きつくは無いだろう。土鋤のロバを貸せよう。警護は狼の一団が遣ってくれるだろう。カルガモも、鶏も分けよう。蒔く種も分けよう。湧水の泉は無いが、河に流れ込む小川がある。」

 彼等が対岸に移ると、ヤンとナンは子供を連れて、代わる代わるして、カヌーで河を渡って来て、何かと世話を焼いて帰っていた。ギュンは彼等を預かってからは、月に2度狼煙を上げた。彼等の親達は、交易の人数に加えて貰って、彼等に会いに来た。実りの収穫の頃、族長がギュンの処に遣って来た。
「ギュン、これはお願いだけど、これを来年も、その次の年も続けさせて貰えないだろうか?」
「俺は、最初から、その心算だよ。市と同じ様に、違う者同士が、物を交換出来る事は、すばらしい事だし、それだけ物が増える事じぁないか。豊かになる事だ。違う者同士が、知恵を出せば、目が広くなる。20人の男女が新しい村で汗を流して、共同で一つの事を学んで其々の部族に帰って、知った事を皆に教える。山には山の、森には森の、草原には草原の、土地に合った暮らし方がある。お互いが、対等に学んで、利用し合えば良い。此処で好きに成った者が居れば、新しい村を作って、子供を育てれば、もっと好い事じゃないか。」
「うん、ワシも、そう思う。獲り過ぎたら、それで終わりだ。獲ったら、その分増やす事を考えなければ・・・ 木も動物・魚・土も、皆そうだ。」

 年々、中州の対岸の森には、集落が広がった。河にはカヌーが繋がれ、中州を目指して森の中には、幾筋かの道が伸びていた。沢の湯には、河から1本の道が伸びて、小屋が立った。寛ぎの家族の声が、沢に木霊していた。森に覆われた中州では、相変わらず、狼の一群が灰色の見事な毛並みを見せて居たし、上空には数羽の大鷹の滑翔が見られた。

 後世の考古学は、考察している。嘗て、この盆地に縄文時代と命名された森の文化が、一万年と云う長い歴史スパンを以って、営々と悠久の時を刻んで流れていた事を・・・
 21C水の惑星・地球は、増え過ぎた人類に依って、深刻な悲鳴を挙げ始めている。進歩と云う呪文に人々は、全神経と努力を傾注して人工物で地球を埋め尽くそうと、血道を挙げている。満足と云う個人の希望は、組織に依って目的を持たされ、競争の下に組織は整備され巨大化して欲望に取って代わる。巨大化した欲望の核は、時合わせの日付変更線を指1本の操作で、情報を瞬時に地球全体に配給するに至ってしまった。地球は漆黒の宇宙闇に浮かぶ奇跡の惑星であるが、不夜城と化してしまった。豊かにして便利な<日常に流されるだけの現代人>の五感には、個人の問題として、地球の深刻な悲鳴の声は、届いてはいまい。                  
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