旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 鈍らの味
鈍らの味(10/31)
 如何云う風の吹き回しか、ロシア製手巻き腕時計が動いている。ロシアのホテルで、手巻き腕時計を見付けて、手巻きの温もりに惹かれて買ったものである。然し、とんでもない粗悪品であった。季節によっては、1日5~10分も進む代物である。此処まで、精度が悪いと怒る気もしなくなる物である。リューズを捲く感触が懐かしいのである。決して骨董品の類では無い。新品を、それなりの金額で買ったのである。
 
先ず、腕輪が切れてしまった。その内、水が入ったらしく動かなくなってしまった。放って置いたら、水分が蒸発したらしく、動く様になった。そして、その内、動かなくなってしまった。全くの粗雑品には違いなかろうが、現役の手巻き腕時計と考えれば、中々手に入らない骨董品である。それも動く骨董品と考えると、納得が行く次第である。
 
粗雑品の強みは、手荒な取り扱いに耐性がある点らしい。リューズを捲いて、時計を合わせた後は、時計を掌にガツンガツンと打って、ショックを与えて遣ると、カチカチと歯車が、動き始めると云う代物なのである。
 
家に居る時は、部屋に時計があるし、携帯電話にも時計機能が付いている。パソコンにも時計表示がある。時が大事な時は、別の腕時計をして行くから、ロシア時計の働きの無さに怒る気は、毛頭無い処である。従って、ロシア時計は、忘れられている事が通常なのである。昨昨日、本の下から顔を覗かせた時計を、掌にカツンカツンと叩くと、動き始めた。動き始めれば、朝リューズを捲いて、机の上に置いて見るのが人情である。
 
斯様にして、ロシア製スポイト式万年筆と同様、手巻き腕時計は、<懐かしさを繋ぐ道具>の一つとして、好位置をキープしている。レトロ感覚満載の復刻版では無い、根っからの<鈍ら道具>の一つなのである。無用の長物の蔑称とは、異次元の好キープ振りなのである。
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心何処ーショート 10/31の日記
10/31の日記
 本日は米を買いに行く・・・ 寒いから、温泉銭湯経由で行く事にする。何か短編を打とうとノートパソコンで打ち始めたが、芳しくない。2頁ほど打ったから、後はボチボチ進めれば良い。気の向かない時は、打つ必要も無かろう。用意をして、自転車に乗る。
 
寒い日のロートルの考える事には、大差が無いらしい。銭湯の引き戸を開けると、結構な入りである。脱ぎながら浴室を覗くと、例のご老人の背中が見える。毎回、ご老人に背中を流して貰っては、<人道に背く行い>である。熱い湯を被り、垢すりにタップリ石鹸を認めて、やおら背中に押し付ける。迫力と凄みを残しているご老人、吃驚して仰け反ると、
「やや、親分じゃねぇか。何時、入って来たい?」
「俺ぁ、湯煙アラジン様だい。湯煙がありぁ、神出鬼没だい。オヤジ、教養が足りねぇぞ。」
ご老人は、軽石・束子を風呂道具に入れているから、広い背中をゴシゴシ手荒に洗って遣る。若い頃は、相撲が得意で鳴らしたと云う老人の体格は、立派である。爺さんの顔を覗くと、虎が気持ち良さそうに、猫の様に目を細めている。
「オヤジ、こっち向け。前も洗って遣るか。」
虎爺さん、半分その気に為って此方を振り向いたが、私の股間に目を遣って、自分の一物を隠して、ニヤニヤして一言。
「洗って貰いてぇのは山々だけど、物が違い過ぎる。親分に、お見せ出来るほどの形じゃネェや。」
「なぁに、宝の持ち腐れってヤツだよ。遠慮は要らねぇよ。」
「まぁまぁ、湯に入りましょ。お返ししなきぁ。その分厚い胸板と太い腕で、殴られちゃうよ。」
 
何しろ熱い湯である。<アッチャチャ、おぅ~ 熱い>が、自然と口に出る。
 湯から出ると、手薬煉引いて待っていた垢すりが、私の背中に動く。ざらついた垢すりで万遍無く背中を洗って貰えるのは、兎に角、気持ちの好い物である。虎爺さんは、体に似合わずマメな人である。
「やあやあ、結構でゴザンス。」
「やぁ、もっと洗わせてくれや、洗いでのある背中だ。女にぁ出来ねぇ力の入り方ずら。」
「そんなに、ゴマ擦られても、何にも出ねぇよ。」
「親分、遠慮は要らねぇよ。俺ぁ小遣いが欲しいだけだよ。」
「そりぁいけねぇ。俺ぁ、ゲンコツしか無ぇよ。如何するい? ゲンコツは、頭しか無ぇよ。」
「いけねぇ、いけねぇ、俺ぁ、さっき頭剃ったばかりだい。ガハハハ。」
 
 昼飯前の時間帯。二人が入って、丁度頃合の小判型の湯船に、髭剃りの鏡が三枚、シャワーが三本あるだけのこじんまりとした、天井の高い温泉銭湯である。五人も入れば、バランスの好い造りである。リハビリに使うロートルが、熱い湯船に浸かって、手足のもがき運動をしている。この界隈は、風呂無しアパートが多々ある。やはり寒い日は、風呂代込みのS大生が風呂に入りに来る。
 熱い湯、温い湯、大きい湯、小さい湯、休憩施設のある湯、通えば自分に合った湯に行き着く物らしい。虎爺さんは、この熱い湯がお気に入りとの事である。自分に合った湯に、自分に合った時間帯。そして、自分に合った常連客。通えば少なからず、自分の居場所を得る事が出来ると云うものである。気忙しく欲張りを起こしたら、折角のロートル田舎暮らしが、不意に為ってしまう。

心何処ーショート 自転車と共に
自転車と共に(10/30)
 散歩の代わりに自転車で流す。手の冷たいのに驚いた。自転車で街を流していると、意外と自転車に乗る年配者の多い事に気付く。斯く云うも、その一人であるが。裏通り、裏通りを見付けて、適当な自転車流しである。仲町・縄手通りの界隈は、観光客の姿が多い。見慣れた風景であるから、折角の自転車流しであるから、裏通り、細道に曲がって運動量の確保をして行く。
 
細道の門で軽自動車が、大通りに出ようとしている。ハンドルを握る50前後の奥さんが、声を掛けて来る。
「邪魔ですね。下がりますから。」
「どうぞ、お構い無く。」
「急ぐでしょ?」
「急ぐ用事も無いから、大丈夫だよ。」
「スイマセン、有難うで~す。」
 見知らぬ同士、こんな遣り取りが交わされると、気持ちの好い物である。
 
 松本は川の多い街であるから、大小の橋が架かっている。自転車を止めて、川面を眺めて魚の動きを追ったりの一服をしたり、落ち葉重なる神社の境内に乗り入れたりの時間潰しをしながら、寒い秋を流す。さてさて、帰る頃合である。上り勾配であるから、女鳥羽(めとば)川の土手道を、ヒーコラ・ヒーコラ我慢のペダル扱ぎである。一息入れたら、又一息が欲しくなってしまう。ジャージを脱ぎ、シャツの袖口のボタンを外して、オイッチ、ニー、オイッチ、ニーの鞭入れである。
 
自動車から、スッパリ足を洗おうと、自転車に乗り換えた当初は、脚がガタガタ笑ってしまったのであるが、慣れとは重宝な物で、現在では車よりしっくり来るのが、自転車である。何かと小回りの利くバイクを買おうかと迷ったが、買わないで正解であった。引退して一年、腕時計も外してしまった我が身は、丁度体内時計のリズムで、時が流れて行く。
 
ノンストップ帰路をこなして、部屋の小鳥達を眺めながらのホット・コーヒーを飲む。適量の運動量に依る発熱体温と疲れが、程好い気分を伝えている。これは、引退して見ないと、体験出来ない体内リズムの時の流れである。こんな賄い夫生活を送る為には、自分の内向性の性格が、幸いしているのであろう。
昨日、立ち話を交わした町内の民生委員の奥さんが、色々気遣ってくれて、<きっと、好い事が待っているから、親孝行をして遣って。>と言って下さるのだが、私としては、何も気負って母の世話をしている気は無い。当然の親子関係と認識しているから、余り気にも為らない。
 
若い頃は繊細に多情多感の侠気、壮年期は己を信じて、突っ走る。真面目に逃げずに問題に立ち向かえば、大馬鹿で無い限り、成功・失敗の狭間に、見えて来る物がある。積み重ねて、振り返れば、対処の道筋が朧気ながらも見えて来る。容姿・才は、天からの預かり物、社会に還元して、天に返す物ならば、気取らず、奢らず、昂ぶらず、凡夫に身を置いて参加するのが、相手次第で調整弁が働く方途、人間関係の処世術である。
如何にも為らない事は、考えない方が<理に適った処し方>である。思考停止の技を習得すると、人間と云う生き物は、煩悩・煩わしさから、『解放はされないが』バリアを張る事が可能の様である。鬼門に立ち入らないのも、人間の生きる術の一つなのであろう。

心何処ーショート 鼻水の出そうな寒さ
鼻水の出そうな寒さ(10/29)
 柿を取っていて気付いた事であるが、ガサツな鳥の巣があった。葉に覆われていた時には一切気付かなかったが、ハイエナ鳥・ヒヨドリの巣である事は、間違いない。道理で、騒々しく鳴き騒いでいた筈である。庭で巣立ったヒヨドリであるから、寒さに連れて、今シーズンも傍若無人の餌の横取りを繰り返すのであろう。柄の悪い連中であるが、彼等にして見れば、立派な巣立ちし我が故郷である。縄張りを主張するのも、当然の権利なのであろう。
 
 散歩がてらに梅酒・作成した吊るし柿・甘柿を自転車に乗せて、弟の現場に顔を出す。帰りに個人スーパーに寄って帰る。野球場の欅の紅葉は見事であったが、アスファルトに鳴る落葉のカサカサと舞うシーンは、太陽が無い分、初冬の風情である。雲行きは益々悪くなり、風に落ち葉が飛ぶ。
 
寒いから、本日、鳥篭の窓辺移動は無しにしている。
 詰まらないラジオであるから切替えると、入っていたCDが、新沼謙二である。何やら風が、ビュービュー鳴り始めてしまった。高校の下校時間の様である。道は土手に合流するから、勾配がある。それで、窓辺のカーブを勢い好く曲がって行く。自転車通学の女性徒達は、短いスカートに生足である。それが目に入る私の方が、思わず背筋がゾクゾクして来る始末である。
謙二の野郎、寒い唄ばかり歌いやがって、とんでも無い野郎だ。廊下から、干し栗を持って来る。完全に干からびた栗は、渋皮と実の間に隙が生まれている。口に入れれば、硬い硬い古人の保存食である。奥歯で噛んでいると、懐かしい味がして来る。江崎グリコでは無いが、干し栗一粒?mのエネルギーに為るのやら・・・
 
 お次は、フランク・シナトラに移行する。パクパク口を動かす金魚達は、2回目の食事を腹に収めて、余裕の泳ぎである。Tから電話である。「柿は何時食えるか」の問い合わせである。私のブログを読んでいるから、単調なロートル生活は、手に取る様に分かっているのであろう。
朝飯を少々食い過ぎて、私だけ昼飯抜きである。干し栗は腹の足しには為らぬから、早めに晩飯の仕度をする事にする。こんな寒い日は、布団の中に潜り込んでラブ・ストーリを見ていた方が、得策である。モリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、デボラ・カー、イングリット・バーグマン、グリア・ガースン、グレタ・ガルボ、モーリン・オハラ、ソフィア・ローレン、・・・美女、美形には事欠かないCDの世界である。
 
さて、賄い夫、台所に立つべしである。イキの好いイカは刺身にして、イカのワタは塩を効かせて、数日冷蔵庫で寝かせれば珍味の逸品と為る。熱々の飯には、もってこいの大人の味である。スーパーの先輩に依ると、ヤマゴボウはさつま揚げと煮付けろとの事であったが、豚肉・竹輪・大振りのナメコ・コンニャクを加えて、油で充分炒めた後に、唐辛子を振り注いでキンピラ風に仕上げて見ようか・・・ ホウレンソウを茹でて、残りのシューマイも片付けると致しまするか。

心何処ーショート ラジオに釣られて
ラジオに釣られて(10/29)
 午前中に、焼酎をヘタに垂らして、漬物容器に収納する。渋抜き処理完了である。今年は、日本全国柿の当たり年との事である。手の届かない高みには、鈴生りの柿が実っている。後は気が向いたら、取って熟柿にすれば良い。これで、普段の物臭モードに戻れる。<やれやれ>である。
 
 昨日に続いて、快晴のお天気である。水温一定のグッピィ槽の水草からは、水素の小さな気泡が昇り立っている。水槽が一番映える時間帯は、脚立の上で柿捥ぎで、見逃してしまった。朝の挨拶代わりの餌入れは、一粒残らず消えている。朝食を食べた彼等の腹部がプックリ膨らんでいる。水槽に僅かばかりに残った斜光に、魚鱗が時々反射する。
昨日、家の近くでジョウビタキのオスを見掛けた。窓辺の雑木は黄葉が僅かで、大半が緑で確りしている段階である。その内に、冬鳥の使者が落葉の小枝に、姿を見せてくれるのであろう。晩秋に成ると、風に蜘蛛の糸が光る。何時の間にか、窓外の南天の白い花が、薄紅色の実を風に揺らしているのである。寒さと共に、侘しさの訪れる季節の始まりである。
 
 ラジオからは、初恋に纏わる便りの紹介である。初恋とは、胸の底にあり続ける懐かしい思いである。6~7年前であろうか? パソコンを購入して、何か纏まった文章を打とうと考えて、打ち始めた初恋編がある。A-4版で35頁程度の分量となった。小学生~高校の初恋の彼女に纏わる思い出・エピソードを、その当時の自分を振り返りつつ文作の延長で打った小編である。
結構な分量に仕上がったので、表紙絵を添えて小編体裁で宛名を書かずに、彼女に郵送した次第である。悪戯心が働いて、同封の別箋で、登場人物のイニシャルを実名に変えて報告せよと書き送ったのである。
読み終えた頃を見計らって、電話をすると、<誰が書いたか直ぐ分かったよ。イニシャルも全部分かったよぉ~。浮気者!!>との事である。馬鹿野郎、俺の労作を只で読んだんだから、読書感想文くらい書けと言って遣ると、<アッカンベェ~、意地でも絶対に書いて遣らないからねぇ~>とルンルン気分が伝わって来る。どうだ、雛形があるんだから、今度はそっちの視点から、初恋返歌をよこして見ろと言うと、<それが出来る程のオツムがあったら、トックに一緒に為ってるわよ。バカモ~ン>と来たモンだ。彼是、20年振りの電話であったが、実に心弾む会話が出来た。その後は、お互い音信不通であるが、共通のエピソードを作った者には、時の壁は無い物らしい。彼女の存在は、私の中では名作<バスストップ>の中のマリリン・モンローのイメージである。
 
初恋の淡い秘めたる想いも好かろうが、ツンと澄まし顔の下には、血の通った気持ちが仕舞ってあるのである。ズッコケて大人の無味乾燥な常識・仕来りを一歩踏み出せば、二人切りの、お互いの面白い過去が、顔を覗かせる物である。男と女、日々に追われて暮らして居ても、何処かに取って置きたい過去の玉手箱。仕舞い込んでいてばかりでは、カビが生えるか、干乾びて仕舞いまする。時には、陽だまりの太陽に当てるのが、玉手箱所有者の管理技法の一つでありまする。
Kちゃん、孫を抱いて息災か? 大過無く過ごして居るか? 気が向いたら、夢の中に遊びに来るべしであるぞよ。
 
ありりゃや、寒いと思ったら、何時の間にか、曇天寒空である。
 

心何処ーショート 親子のバイオリズム
親子のバイオリズム(10/27)
  嫌じゃありませんか・・・本日も引き続き、廊下で柿の皮剥きである。剥かなければ、終らない。<継続は諦め>とばかり、昨夜もテレビを見ながら、2時間程続けた。性格が丸くなったとは云え、そもそもが<根が足りない>から、母の言葉に、ついカツン・クワァ~である。気晴らしに、うんざりする柿を車に乗せて、兄・弟の会社に配りに行く。
 考えて居る事を、ああだ、こうだと指図をされると、男は、<煩い、バカじゃないんだから、その位の事は、段取りをしている。男は、泳がせて置けば、それで好いのである。>と、頭に来る物なのである。年寄り相手に、怒れば余波は其の侭、自分に跳ね返って来るのであるが、倅と云えども、偶には『自己主張』をしないと気が済まないのである。愚痴を溢そうと、会社で弟を待とうと思ったが電話をすると、<家に帰った方が、現場に近い>との事である。
 
 ノートパソコンのマウスが、いかれてしまったから量販店に回ったが、改装中で閉店である。会社近くの量販店をパスして、カードのある量販店に遠回りしたのが、拙かった様である。次は<何たる事か・・・> 帰り道は、工事中で渋滞の有様である。ツイテいない時とは、得てしてこんな物である。渋滞序に、近くの店で買って帰る。
 
帰ると、案の定、ご母堂様は、布団に臥せっている。『へへへ』である。子守りも大変であるが、親守りも困ったものである。感情は当事者間では顕著であるが、兎角、傍観者には<笑い話>にしか為らない事が多い。こんな時、男は黙って、外で仕切り直しをして帰るのが、平和共存の方途である。
 
弟が来る前に、マウスを繋いで打っていると、まだまだ十分に使える中古パソコンである。夜の帳に、どっぷりと漬かってしまった夕刻であるが、朝の四畳半は素晴らしかったのである。久し振りの太陽を呼び込んで、金魚達の戯れは、透明感と輝きに満ちていたのである。道半ばである。バカに為り切って、半日皮剥きに精を出したのであるが、上述の如く予想外の癇癪玉が、弾けてしまったのである。
 
あっという間に、一日が暮れてしまった。闇の帳に囲まれて、肌寒い小空間は、パッとしないものであるが、本日分は未だ手付かずである。安易に逃げたら、日課が埋まらないのである。
 
気分治しに机を移動して、何ヶ月もご無沙汰していたノート・パソコンにご対面である。
 
パソコンに向かって、会社の事務員さんの話を思い出して、私も苦笑いの段である。ダンナの姑さんと暮らす事務員さん曰く<都合が悪くなると、忘れた振りをして惚けるでしょう。それでもの時は、体調が悪いと直ぐ寝ちゃうでしょう。本当に、小憎らしいったら、ありゃしない。>そう言われてしまえば、ゲラゲラ笑って、大きく頷くしか無いのである。
何しろ効為らず、歳の甲羅には適わないのである。どうせ、不貞腐れて昼飯も食べていないのだろうと、枕元に置いた菓子パンは、夕飯まで待つとの事。私の顔を見ずに、背を向けたまま不機嫌そうに一言であるが、腹の中では<還暦を過ぎたのに、直らぬ短腹者め。自分が言い過ぎたと反省して、照れ隠しの菓子パンのサービスかい?未熟者め、イッヒヒ。>と、ほくそ笑みをしているか否かは、不明である。
夕飯を食べて、『歌謡ホール』を割愛して部屋に戻る私を、抜けシャーシャーと引き止める<役者さん>である。歳の食った親子の関係は、若輩者が譲るのが安全牌なのであろう。
 
コンニャロウメ!! 根に持っちゃ行けませぬ。
 

心何処ーショート 嗚呼、我が家の歳時記スタート
嗚呼、我が家の歳時記のスタート(10/27)
 昨日から、散々な目に遭っている。乱調パソコンに辟易としている。機械音痴のロートルには、『迷子の遣る瀬無さ』にどっぷり浸かっている次第である。使いこなせない多機能は、怪我の元でしかない。小機能単純機種で好いのである。
 
 多機能最先端を共有する世界経済は、円高・株安で<疑心暗鬼の売り買い>が殺到しているらしい。貧民・物臭・能無しロートルには、知りたくも無い世界である。
単純明快な時代劇に登場する『賭場の顛末』だけで充分である。イカサマ博打の賭場に出入りしている内に、すっかり身に染込んだ悪所通い。すった元手を取り返さないかと、三下ヤクザに耳打ちされて、ヤクザの胴元に駒を回して貰い、切った張ったのドキドキ、ワクワク、一進一退の泡賭場・・・ 気が付けば、<信用札の付け>は、立派な借用書に様変わりである。身包み剥がされ賭場から蹴り出されて、借用書に脅される。頬傷者に殴られ蹴られて、匕首ちらつかされて凄まれ、胸倉掴れて駄目押しの往復ビンタ。泣く泣く、なけなしの銭で富くじを買って、神頼みに縋(すが)るか、娘を売るか、押し込み強盗を働くか、大川に身を投げるか・・・ 嗚呼、誰も助けちゃくれねぇ。俺らの人生、お先真っ暗だ。
 
テレビ観劇していても、当たり前じゃないか。甘い話の裏には、大蛇がとぐろを巻いて舌をペロペロして、待ち構えているのが<相場>である。悪所通いの当然の付けである。自業自得の世知辛い世の中が、この世の倣いであろう。
悪所通いも行けぬ貧民の眼からすれば、『何を血迷って』居やがる。悪所通いの付けを、貧民からの血税で購(あがな)えとの<全世界に蠢くトップ紳士の開き直り>である。これまた、規制緩和・金持ち優遇の付けか? 何処まで性根の腐った破廉恥漢である事か。
俺らは、脳味噌の構造が粗雑に出来ているから、ああじゃ・・・こうじゃの流動マネーの仕組みの解析云々には、興味は無い。ゲームに踊った付けは、『きっちり』被れば良かろうよ。どんなに紳士振って、経済抽象語を駆使したとしても行き着く先は、簀巻きにされて大川に浮くか、水清ければ魚棲まずの田沼意次さんに倣って、失脚すれば良かろうよ。
 
往生際の悪さは、遠い古えの時代では、下衆の専売特許の筈では無かったかな? 
平蔵は、やっぱり長谷川平蔵で無くちゃ、ご法度のお仕置きは出来ませぬ。
 
廊下に出ると、おや? 柿が剥いてある。部屋を覗くと、もぬけの殻である。洗面所の窓から覗くと、土手に張り出した柿の実を取る母の姿である。遅れを取っては、一大事である。パソコンをオフにして駆けつける。干し柿に吊るす為に、引っ掛かりを残して一つ一つ選定鋏で切り取って、笊に貯めて廊下に運ぶ。柿の大木は、鈴生りの色付きである。土手に張り出した分を漸く取り終えて、庭から脚立を移動して、黙々と単純作業である。
集荷場並に廊下に乗った柿柿である。収穫量は、まだ全体の四分の一にも達していない。嗚呼、腰が痛い。もう、置き場が無い。斯く為る上は、次なる工程に移行するしかあるまいか・・・
廊下にラジオを持って来て、新聞紙を広げて座布団にドッコイショと胡坐を掻いて、皮剥き作業である。ご母堂様、丁度頃合の成熟度であります。裸に成った柿肌の糖分に、果物ナイフの切れが鈍る。
剥けど剥けど、一向に減らぬ柿の山である。3時まで遣って、
<母上様、もうもう、嫌で御座りまする。> 
昼飯にするべしである。母は、止せば好いのに、女・母親の見栄を張って、椅子に座って頑張り過ぎである。遣り始めたら、根を詰める大正女である。
 
<明日明日!!> の行事役を務めるしか無い倅である。
嗚呼、気の重い我が家の歳時記のスタートである。 

寒空に閉じ篭り(10/26)

 太陽の無い空に、寒い風が吹いている。コールテンのシャツに、薄手のジャージを着て、素足にスリッパを履いている。寒い日曜日、家庭でコタツに入って、テレビで過ごしているのが、一般的であろう。パソコンに向かって、日記打ちであるが、目が淋しいから若鳥の籠を、締め切った窓辺に置く。それだけでは面白味が無いから、外から枯れ草を取って来て籠の中に入れて見る。若鳥達にとっては、初めての巣作りである。枯れ草を嘴で咥えて、落としたり咥えたりのたどたどしさである。何度か運んで止めてしまった。その内、要領を覚えてマイホームが出来て、中で寒さを凌ぐ事を覚えるだろう。お膳立てはして遣ったのであるから、後は好きにすれば良かろう。

 

 寒くなると、水中の微生物群の活動が鈍くなるから、金魚槽は透明感に満ちている。間引きした水草も生長を停止している様で、花崗岩の砂礫の白と水草の緑、12匹の金魚の白・赤・朱・橙の色合いが映える。プックリ大腹・流金のヨチヨチ、フラフラ泳ぎと、流線型・長尾のコメットの推進力に富んだ泳ぎの対比が、水槽世界に緩急を付けて面白い眺めである。25℃の一定水槽の水質は、ぼやけた透明さである。現在オスの頂点に立つのは、同色の背色はコバルトブルー、腹部は黒に近い紫・鰭は暗紅色である。彼等の鰭も大分草臥れが、見え始めている。その次のオス2匹、黄に薄い朱は彩りに欠ける。その中間に、成長著しい全色配備の1匹が泳ぎ回っている。次世代を生むメス達は6匹。何れも薄黄に、僅かばかりの朱が混じる尾鰭である。その次のメスは、薄青の尾鰭を見せている。小魚にオスを見出そうとするが、未だ絞込めない大きさである。

 

 再び枯れ草を咥えて、ガサゴソし始めた若鳥を尻目に、布団に潜り込んで一休みとする。

 

 やはり本日は寒い。こんな寝相の好い昼寝は、冬の様である。嗚呼、庭に百日紅の黄葉、柿の黄葉が、数を増やしている。母の部屋のコタツで茶を飲むが、寒空に揺れる庭木の落葉は、背筋をゾクゾクさせる風情である。寒い日曜日、コタツでゆっくりして行けのお達しであるが、芸能人主導のテレビは、見ていても詰まらないだけ、時間の無駄使いである。物言わぬ四畳半の住人を眺めていた方が、疲れない。

廊下の干し栗を、2・3個持っての部屋帰りである。ラジオからは、落語が始まった。一人芝居の話芸の方が、確り笑える。クリの皮を剥いで、干乾びた渋皮を取るが、何しろしつこく食い込んでいる代物である。全体の四分の一も剥がれれば、成功の内である。乾いたエグサが唾液を吸って、口の中でモゾモゾする。乾燥した栗の実は、紛れも無く炭水化物の味で、硬い水分の無くなった干し芋の味である。渋皮のエグサが、数量制限の役目を引き受けてくれるから、丁度好い。 

栗といえば、縄文人の集落では、栗が栽培されていたと云う。栗クッキーの炭化物も発掘されたと云う話である。古代人も、巧い事を考案したものである。乾燥栗を粉に挽いて捏ねて、胡桃などの木の実・砕いた干し魚を乗せて素焼きにすれば、現代にも通じる高級手作りクッキーに為る。縄文人であろうと、現代人であろうと、食物を味わうのは、臼歯の噛み潰しと舌の味覚である。栄養万点・とろける柔らかさ、ジューシーさ、見栄えだけが、味覚の上座ではあるまいに。

心何処ーショート 忍び寄る気配
                忍び寄る気配(10/25)
 大分早く、目が覚めてしまった。朝のラジオからは、ニュースが目白押しで流れて来る。無謀・暴走バブルが弾け飛んで、世界経済が右往左往。足元では、振り込め詐欺にキャッシュ・カード詐欺、宝くじ二億円が当たったら殺されて、その金は同棲経験のある男に取られて、挙句の果ては外国籍女に貢いで・・・ 今度は、カップラーメンに防虫剤混入、焼き鳥のタレに毒入り注意と来た物だ。鈍感男には、毎日ウンザリの報道ラッシュである。

 面倒なテレビと付き合わなくとも、ラジオだけで、ワシァすっかり『耳年寄り』の態である。感想など、<何をか言わんや>に成ってしまう。然りとて篭りの四畳半と云えども、娑婆の様相と遮断してしまえば、これまた淋しい世界である。仕方が無いから、パソコンでCDを聞きながら、取り止めの無い文字を打つしかあるまい。雨後の曇天空は寒いから、半纏を羽織る。

 水を吸ってふやけた餌は、食べ頃となったのであろう、一粒残らず金魚達の腹に納まった様である。玄関からは、<早く移せ>と催促の声であるが、本日寒いのである。お前達を部屋の住人にする為には、窓を開けねば為らない。<今暫く待つべし>である。俺だって、まだ起きて来ない母を気遣って、音を立てない様にしているのである。従って、モーニング・コーヒーは、お預けの儘なのである。
トイレに来た動きに、さぁ朝の開始である。湯を沸かして、鳥篭を移動させる。おや、茶色雛の脇腹に鹿の子模様が生まれている。咽喉・頬をまじまじ見ると、オスの印が薄ら出ているでは無いか。未だ<立ちっ子>とばかり思い込んでいたのに、俺ぁビックラこいた。

 母上は体調優れず、床の中である。残り飯をオジヤにして、空っぽの冷蔵庫の買出しに出る。ヒジキが食べたくなって、乾物コーナーを物色していると、前回買いそびれた松前漬けのセットが、あるでは無いか。二袋入れて、具に数の子・ホタテのボイルを入れて見る事にした。さてさて、どんな按配に仕上がるか? 楽しみである。
 揚げ・人参・竹輪・鶏肉を刻んで、ヒジキを焚く。タッパを取り出して、説明書に倣って松前漬けに移行する。洗濯機を脱水にして洗面所と台所の往復である。一年も賄い夫をしていると、まるで主婦の様な動きに為ってしまう。
 嘗ては、男の中の男と云われた男が、今や嫁要らずの・・・トホホ、痛し痒しの心境である。洗濯物を干して、部屋の定位置に戻り、タバコを吹かしていると、フェンスに雄四十雀が遣って来た。生意気な面構えで、此方を正面から見ている。引っ叩いて羽を毟っても、串焼きにしたとて、腹の足しには為らぬヤツである。拳骨を構えて遣ると、逃げて行った。汚れた籠の底を洗って遣るか。ボケーとしていては、辛気臭くなるばかりの空模様である。こんな時は、動くに限る。

 遅い昼を軽く済ませて、眠くなる我が身であるが、夜の散歩は寒く成りそうである。面倒であるから、散歩に出掛ける。S大球場の横を歩いていると、トランペットの練習である。中学・高校を過ぎて、体育館の公孫樹並木の黄葉を歩く。続きの林の中のベンチで、一服付ける。ラジオでは銀杏拾いの便りが幾つかあった。私の足元は、きれいな物である。一粒たりとも無い。そう云えば、何十年も前の地方ニュース版で、早朝の銀杏拾いを見た事がある。成る程、ご近所さんにとっては、秋の風物詩として受け継がれているのだろうし、この界隈は、格好のジョギング、ウォーキングコースなのである。朝起きは『三文の得』場所であろう。
 橋を渡り、河川敷を歩く。カルガモが二羽泳いでいる。久し振りの光景である。冬の散歩時には、何時も見掛ける極ありふれた風景なのであるが、今気付けば、夏には見ていないカルガモの姿であった。小白鳥飛来の便りも耳にしていたのであるから、冬間近の季節なのである。見ている様で、記憶に留まらないそぞろ歩きである。

 さてさて、行く秋ぞ、動かぬ曇天に、昼寝のお時間と致しまする。

心何処ーぶっ掛け屋・その4
              ぶっ掛け屋・その4
 盛りの秋は東の連山を染め抜いて、果樹の畑にも寄せていた。西の高い峰々は青みを濃くして、裾を霞に隠していた。朝露を乗せた秋茄子は、最後の収穫と成りそうである。野沢菜の幼葉もスクスク伸びて来て居る。店で使う玉葱・長ネギ・大根・人参を取り終えて、車のポットで緑茶を飲むガンさんとスウェータの夫婦である。畑の隅に色付いた柿はまだ硬いが、タバコを燻らせて眺める盆地の俯瞰は、朝の太陽に清々しい気分を運んでいた。

 二人並んで、柿を食べながら、ガンさんが背後の山を振り返って、
「キノコでも取りに行こうか。」
「キノコ? 好いですね。私は、日本では始めてです。どんなキノコありますか?」

 ぶっ掛け屋夫婦は、軽自動車で近くの山へ向かった。盆地の街を本の少し南北に仕切る低い山々が北に伸びている。山塊の中間に、松の小山を従えた山中池がある。灌漑池であるが、今はその役目よりも釣り客・散策のスポットに成っている。山頂には、桜の名所と成りつつある展望台がある。一車線の対面通行の道ではあるが、広いドライブ道が開通した一帯である。ガンさんは、大きくカーブした道脇に、車を止めた。カラマツの紅葉が、黄色から黄土色に変わりつつある。

 ガンさんの目当ては、量が期待出来るイグチ類のカラマツ林に生えるハナイグチ、松林に生えるヌメリイグチである。この辺りは、松林と植林のカラマツ林・雑木林が、小さな規模で混生する一帯である。土地の者は、滑りの強いヌメリイグチをジコボーとかリコボーと呼んでいる。土地の人は、野趣豊かな匂いとコクを好んで、雑キノコの代表格として味噌汁・大根おろし和え・キノコ鍋としている。味噌とも醤油とも相性の好いキノコである。
 松林のイグチには、アミタケと云われる薄い黄土色にして、笠裏の管孔が網目状のキノコもある。アミタケには滑りは少なく、匂いもリコボーとは違って薄いものの、乾燥させればその匂いは凝縮されて、野趣の味と匂いを保存させる逸品でもある。近年、キノコ栽培の発展で、多種類の栽培キノコがコーナーを持つに至ったが、人工栽培物と自然物との比較は、全く別次元の物である。

 やはりキノコと云う山の恵みは、山の精気を吸って醸し出される野趣豊かな風味・コク・アクの強さにこそ、宿るものであろう。地元で高校まで過ごしたガンさんは、頑なに、そう思っている。

「スウェータは、日本のキノコとは馴染みが薄いだろうから、俺と一緒だ。」
「オゥ、分かりました。」
彼女は自然体の積極派であるから、ヤル気満々の姿勢である。

 山を分断した道路には、細い山道が覗いている。如何云う具合か判らぬが、アミタケ・リコボーの類の雑キノコは、山道の縁に顔を出す事が多い。キノコ類はシロを形成するから、1本を見付けるとその周辺で、何本も収穫にあり付けるものである。
 山に踏み込むと、山の匂いに包み込まれる。そして、何故か緊張の解ける身の軽さが、感じられる物である。それは、太陽の差し込まない湿り気が、長年風雨に晒され積み重ねた腐葉土の匂いを発散させるのと、きっと山中の酸素濃度の高さが醸しだす静寂の匂いなのかも知れない。
 姿の無い小鳥の鳴き声、囀りが、ツイーン、ツィーン、ジュジュと渡って行く。そんな声を耳に、ガンさんは注意深く視線を流して行く。スウェータも、大きなヒップをプリプリさせながら、ガンさんの真似をして青い目を動かしている。

           「あった。これこれ。これが、リコボーだ。」
 ガンさんが、掌の半分ほどのリコボーを見付け、スウェータを手招きする。暗い焦げ茶の笠の表面が、ヌルリと濡れて、松葉が乗っかっている。笠裏は目の細かいスポンジ状の厚みを呈している。匂いは、湿った山の強い匂いを発散させている。
 日本のキノコを手に取って、物珍しそうに、彼女は白い細い指で、茎を摘んで高い鼻に近付けて、クンクンと何度も匂いを嗅いでいる。白人には、所謂<お澄まし屋さん>は少ないから、青い目をクリクリさせて、納得するまで嗅ぎ回る仕草は、男性的と云うよりは、好奇心旺盛な幼児に見える。金髪の長い髪をポニーテールにした彼女は、キャップを被っている。整った小顔に、すっきりした頬、口紅を差さない薄い上唇とぽってりした下唇は、光の無い林の中で、白く神秘的にさえ見える。それが、ガンさん同様の黒い草臥れた長靴を、履いているのである。
 ガンさんの目は、そんな若い白人妻の仕草が、好きで堪らないと云う感じである。然しながら、ご亭主殿は、素直さを表現し切れない団塊世代の男である。綻ぶ表情を隠して、タバコに火を就ける男である。
 一方、茶目っ気のある若妻は、ガンさんの股間を眺めながら、笠の開いていない焦げ茶の雁先を撫でて、ピンクの舌先をチロチロさせたり、雁先の匂いを嗅ぎ回る仕草を、見せ付けている。これは夫婦にとっては、別に嫌らしくも無い一種のオドケポーズの一つなのである。

「あなた、これ、如何やってクッキングしますか? <ヌルヌル>、美味しいですか?」
「ヌルヌルは、女の好物だろう。美味いから、取りに来たんだよ。<マツタケ>は、止め山に為っているから、お預けだ。特徴を覚えたら、ドンドン、取ってくれよ。ほら、これは、お前の袋だ。」
「ハァーイ。私は、頭、賢い。任せなさい。それ、サンプルに、私が貰います。さぁ、遣りましょ。」

「あった。ダーリン。ここにも、あそこにも!!」「確り探せよ。」「オーケィ。ダーリンも、頑張って下さい。」

 そんな遣り取りが、山の林に交差する。一時間半ほどのキノコ狩りで、レジ袋にドッシリと収穫があった。彼女には、外観とは違った野生の嗅覚が、備わっている様子である。

 帰ると早速、塩水に浸してゴミを除いて、笊に上げて水気を取る。ガンさんはテーブルで、<季節の味、限定キノコ蕎麦>と大書きしている。スウェータが、ガンさんの頬を軽く撫で上げ、彼の背中に、胸を押し付けて覗き込む。通常価格よりも、100円アップの600円と書き入れたガンさんである。それをウンウンと頷く彼女である。

「あなた、私ロシア人です。レディ・ファーストです。お客さんの一番は、私です。好いですね。」
「ハイハイ、奥様。あんたにぁ、採取者として一番の権利がある。良いだろう。」
と、ガンさんはニヤニヤしながら、立派な彼女のヒップの割れ目を撫で上げて、ガスに火を付ける。昆布と鯖節で出汁を作り始める。酒・みりんを加え、味見を繰り返して火を止める。沸いた鍋に、蕎麦を茹でながら、試食分の汁を容器に移し替えて、ザックリ切ったキノコを加えて煮立てる。その間、彼女は辛味の利いた大根を大量におろしす。

 出来上がったのは、熱々のキノコそばと冷やし蕎麦に、たっぷりの大根おろし和えのキノコを掛けた試食分である。早速、箸を付けてズル、ズルズルと咽喉に流し込む彼女の左手は、親指を盛んに立てている。
「オゥ、ダーリン。美味しい。私、お代わりします。」
「おいおい、そんなに食うなよ。俺の分が無くなるだろう。」
「オゥ、ノー。美味しい物は、誰でも好きです。もっと作りましょ。お客さんには、勿体無いです。ダーリンと私が苦労しました。一杯100円以上の苦労しました。だから優先です。」
「100円以上の苦労は好いけど、おいおい、そりぁ無かんべよ。ああ、全部食っちまったよ。」
「何、言いますか。ダーリン、ケチです。少ないです。アイラブユーでしょ。奥さん美味しいと言ってます。これ、旦那さん、ハッピィでしょ。文句無いでしょ。」

 ガンさんは急かされて、追加蕎麦を茹でさせられる羽目に為ってしまった。根本に於いて、店の商いは、二の次の二人である。蕎麦は買ってくれば、帳尻が合うが、目玉のキノコが目減りしてしまった。仕方が無いから、熱々蕎麦の具に、鶏肉のぶつ切りを入れて、逃げる事にした。

 昼時、あっさりと<季節の味・限定キノコ蕎麦>は、完売してしまった。横目で食いそびれた常連客達には、垂涎の様であった。明日のオーダーを強要されて、人の好いガンさんは反省を込めて、朝6時の起床をセットした。床入り開始の濃厚キスは、お互い野趣豊かなリコボーの匂いがした。

   戦い済んでガンさん、<スウェータのヤツ、リコボーの食い過ぎだ。>
「ダーリン、何か言いましたか? 明日は早いです。早く寝ましょ。」
「お前も行くのか?」
「当たり前でしょ。私達、夫婦でしょ。」

 此処は、朝夕の冷え込みが目立つ山国の夫婦の褥である。発熱量の多い北国女の肌の温もりを、抱き寄せるロートル・ガンさんであった。庭木の小枝が、サラサラと鳴っている。

                        <男と女の風景> 2008/10/23

心何処ーショート 仏心とお天道様 
                仏心とお天道様(10/24)
 昨夜、打った<ぶっ掛け屋その4>の字数を稼ごう思っていたのだが、雨である。肌寒さと暗さに、玄関から移動させて窓辺の小鳥達も、羽毛を膨らませて静かにしている。水槽の住人達が、元気な動きを透明な水の中で見せているが、陸上生物には彼らの力が伝達されて来ない。コーヒーを注ぎ足し、タバコを吸っている間に、タバコが切れてしまった。困った時の停滞である。
 
 こんな時は温泉に浸かって、元気を貰うしかない。詰まりは、仕切り直しが必要なのである。結構な降りであるから、車で郵便局経由で山辺の湯に浸かりに行く事にする。高齢者無料の温泉施設である。仕事を持たない者の考える事は、大方共通している物である。駐車場の心配を胸に、山の斜面の第二駐車場に行くと、案の定スペースが無い。路地の駐車場であるから、スペース割りが施されている訳ではない。少し詰めてくれたら、あと3台は駐車出来る物を・・・ 銭湯では無いから、入ったり出たり、寝たり、将棋を打ったりの老人の憩い場である。半日は動かないと見るべきである。浅間に引き返そうと思うが、こんな日は温めの湯が欲しいものである。もう一足掻きをして見る。通行の妨げに為らぬスペースを見付け、雑草の中に駐車する。
 
 本格的な降りである。水溜りを避けて、ホイホイ、走る。温めの湯であるから、浴槽一杯に手足を伸ばして、温泉モードに入る。お隣の老人は、蛇口から湯が出ないと首を捻って居られる。手を伸ばしてツマミを回すと、湯は出る。老人の体力の衰えは、母と接しているから、察しは付くが自分の現在の体力からは、想像も出来ないほどの衰弱振りなのである。人間である以上、何時かは訪れる老境の一つである。

 変な仏心が付いて、帰りに温泉饅頭・卯の花饅頭・赤飯饅頭を買う。蕎麦屋の隣で、手作りの商いをする小さな和菓子屋である。蕎麦屋の暖簾を潜りたかったが、私だけ好物を啜る訳にも行かぬ。母も無類の蕎麦好きであった。何やら、苦笑いが込み上げて来た。
 或る時、評価をして下さった親会社から赴任された常務がいた。その人が、沁み沁み語ってくれた一節が、思い出された。終戦後の結婚で、大砲・軍艦を造っていた会社が、鍋・鎌を作らされていた。<丁度、子供が居て、残業をすると握り飯が一つ出た。R、俺はなぁ、女房子供に、握り飯一つを食わせたくて、残業をしたものだ。この位の麦飯の握り飯だった。>その人は、東大工学部出の経営者であった。

 出来の悪い我が身であるが、私にも年の功で僅かばかりの仏心が、芽生えて来た様である。本日、雨を降らさせているお天道様であるが、お天道様も、出来の悪い地上の身を見捨てられずに、長い目で見守り、導かれて居られるのであろう。お天道様も、ご苦労が絶えないのであるから、雨を降らせて、暫しの休憩をされねば、身が持たないのであろう。人間如きが、文句を言ったら、罰が当たると云うものである。

心何処ーショート それぞれの動き
               それぞれの動き(10/23)
 如何云う訳か知らぬが、母の体調は好いらしい。この数日、庭に出ているらしい。顔付きもシャキとして倅ながらも、気品のある美形である。体調を壊して、一日中床に伏せり、最低限の食事に起こす時などは、髪の乱れに浮腫んだ顔付きなどで不機嫌そうに振舞われてしまうと、それこそ倅と云えども、怪談話に出て来る<山姥>を連想してしまい、早々に我が部屋にお暇乞いを申し立てしたく為る次第である。
 昨夜は、<相棒>のシリーズ初回のスペシャルがあるとのお達しを何回か口に出して、ストーリー展開の質問もポンポン出る始末であった。今週の<知るを楽しむ>の永井荷風編も、今日で終わりである。母を相手に、解説・感想を披露する。親子と云えども、山姥よりも美形婆の方が、絶対に好いのである。知り得た雑学を、育ててくれた親に披露するのも、子の務めである。

 渋皮の頑迷さに、あっさりギブアップしてしまった栗は、茹でて笊の上で干し栗に移行している。その廊下の干し栗をポケットに、部屋に帰ってモーニングコーヒーである。硬い渋皮付きの栗を、モグモグ臼歯で潰し食いするのは、私の様な熊男には頃合なのである。噛み砕きモグモグ行為は、脳細胞の活性化を促すそうである。ロートルに為ると、渋皮のエグさも、乙な味の一つに感じられる物である。食感は、郷愁を誘う物でもある。

 透明感に揺らぐ水槽に、赤・白・橙の色が舞う。色彩が危ぶまれていた全色配置のオスも、すっかり大きくなって、オス誇示のアタックをメスに仕掛けている。背中のコバルトブルーと尾鰭の朱とブルーが、黒の縁取りの中に、個性をアピールしている。悪くは無い配色である。これまた、<残せよ遺伝子>の振り撒き行為である。

 弱い雨が止み、曇天の明るさであるが、お向かいさんは、早速の鉢植え植物のお手入れである。少々涼しい秋風であるが、窓辺の若鳥のオスの体色が、大分濃く為って来た。オスは、はっきりしていた方が、様に為る。屋根掛けをして遣った餌入れの巣は、使い勝手が悪いらしく、嘴でガサゴト突付いている。親夫婦と違って子の代では、お姉さんの方が働き者である。手を加えていると云う事は、少なからず興味と諦めの気持ちがあるのだろう。
<若造、様見やがれ!!>である。諦めの中に工夫の知恵が、宿るのである。増してや、宿・産座の欲しくなる季節なのである。諦めず、励むが好かろう。

 さてさて、玄関周りの最低限の掃き掃除の後は、太陽に見捨てられた一日に成りそうである。色彩薄れる日々、仕方が無いから、庭から小菊を切り取って、むさ苦しい男部屋に市井の一輪の演出を致しましょうや。おやおや、母上様は食器洗いを為されて居られる。

心何処ーショート やれやれ、小さな満足・大きな訓え
          やれやれ、小さな満足・大きな訓え(10/22)
 遣る事も無いから、<ハヤ釣りで暇潰し>と考える。庭を穿るがミミズの姿が見当たらない。仕方が無いから、小麦粉で団子作りである。何処にも群れるアブラハヤは、釣ったら放して遣るしか無い雑魚中の雑魚である。何にでも喰らい付く馬鹿魚ではあるが、釣り上げられるショックは大きかろう。ただ釣られるばかりでは、些か可愛そうである。子供時代を思い出して、カレー粉を加えて遣る。自然界には無いグルメの味であるから、魚内の話の種にも為るだろう。

 家で聞くも外で聞くも、ラジオには変わりは無いのである。『ラジオビタミン』をポケットに、入れる。小さなバケツを持って、自宅近くでハヤと遊んでいると、やけに騒々しい。振り返ると、幼稚園児の遠足?である。おチビちゃんたちが、めいめい、大きな声を張り上げて、<釣れる?><バケツから、魚が跳ねてる。><好いな好いな。><ボクもしたい。><アタシもしたい。>の大合唱である。ロートルが暇に任せての胡坐掻きで、ハヤを釣っているのである。穴があったら、入りたい心境である。付き添い先生に会釈だけして、釣りのポーズである。
 
 百舌の声を聞いたり、つるみトンボ、蝶々の行方を追ったりの遊び釣りである。重りを大きくして、底を狙うと結構な引きがある。形はデカイが、全てアブラハヤである。さてさて、遊ばせて貰ったハヤ達が、バケツの中でプカプカして来た。弱らぬ内に、お開きと致しますか。

 帰って、水槽を綺麗にして遣ると致しまする。運動量としては、川の水汲みが大変であるが、これも魚達の日頃のご愛顧に対するロートルの努めでありましょうや。さてと、気合を入れて遣りましょう。

 <思うは簡単、為すは難儀>である。金魚槽・ろ過器を洗い終えて、バケツ二つで水汲みに汗を掻く。肥満体であるから、足元の確り見える場所を探す。階段までは、それにしても、ちと距離がある。然りとて、駆け上る若さも足の長さも無い。5~6回は、往復しなければ為るまい。短足のハンディは、石を積み重ねる方法があった。適当な石を剥がしていると、サワガニが横走りする。<然様であるか・・サワガニも冬篭りの準備であるか?> 

 腹は減ったが、次なるはグッピィ槽である。根が物臭である。自分で自分に、世話を焼くしか無い。嫌に為らぬ前に、手を掛けた方が好い。腰をコンコン叩きながら、底砂を洗い、壁面を束子で水洗いである。器具を歯ブラシで擦り落とし、ジャージャー水洗い。バッチィものである。

 さてさて、水槽は一回り小さい。峠を越したのであると、自分に言い聞かせつつの水汲みである。嗚呼、重い重い、ヨッコラ・ショである。水槽に水を満たし、ヒーターで水温を上昇させてからであるから、その間に遅い昼飯の用意をする。結構な労働であるから、息が上がってしまった。簡単な昼食を済ませて、魚達を其々の水槽に放す。

 文句の言い様も無い住環境が、整ったのであるから、『お礼の一つ』も言って欲しいものである。これで当分、好かろう。タバコを燻らせながら、すっきりした水槽を眺める。

<思うは簡単、為すは難儀、終えれば満足。> 自明の理であるが、納得するしかあるまい。

心何処ーショート 菊の香りに、秋一席 
              菊の香りに、秋の一席(10/21)
 腰が重くならぬ内に、薬を貰いに行く。時間帯が少々拙かった。席を詰めてくれた30代の奥さんの顔を見て、苦笑いが込み上げて来た。サラリーマン時代の『とある女性』を想い出した。

 その当時、私は独身で、品質管理課に席を置いていた。製品検査で、何時間か現場を回ったり、検査のチェックをして回る。彼女は資材課であった。所属の検査課には傑作なお人が居られた。自称、若い頃は、高校の簿記教師その後は、有名な田★角★の秘書をしていたと言う御仁が居た。兎に角、話題豊富なふざけた人物であった。品管の黄色い帽子に、眼鏡の奥の眼がギョロリと光り、都合が悪くなると大笑いの貫禄で、煙に巻く人であった。その人も、女性鑑賞が趣味の人であった。私より一回り以上年長者なのであるが、至って検査精度に難のあるお人である。課内の要注意人物であったから、上司にチェックをきつく申し渡されていたのであるが、社会学の分野に於いては、一目も二目も置いていた。何故か相性の頗る好い関係であった。私が贈呈したあだ名は、<法螺吹き★チャン>である。検査を手伝いながら、破天荒なその半生は、何処までが現実で何処から先が、想像・聞きかじりの世界か・・・兎に角、謎の多い傑物であった。

 彼女は、まだ新婚の部類であった。彼女が通り掛ると、法螺吹き先生の手が止まるのである。困ったものである。わざと先生の視線と合わせて、一巡して彼の眼を、マジマジと覗くと<好い女だ。後ろから行って、押し倒したく為る。ああ、新婚生活・夫婦生活を想像すると、催してしまう。女房には、お父さん、回数が過ぎるって言われる毎日だ。ウワッハハ。>と、実に正々堂々として正直な先生である。
 或る時、泣き付かれて出荷検査の手伝いを一週間ほどさせられた。年の功と横着、人の利用法に長けたお人である。先生の誘導尋問に乗せられて、想像・妄想談義に加担していると、私の<工場に一服の花を>と唆した蝶ネクタイをピンと伸ばして、先生は彼女の所に近付くと、何やら耳打ちをした。その途端、何時も声を掛けてくれる同い年の彼女は、真っ赤になって下を向いて、走って行ってしまった。先生は、品管に来る前は、資材課に席を置いていた人であるから、話には事欠かない同僚社員である。

 余りの豹変振りに、先生の弛んだ頬っぺたを、ギュゥと捻り上げて白状させると、
<★子さん、Rのヤツがあなたの事を、好いちょります。★★★★したいと言っております。盛りが付いて煩いから、一発遣らせて上げて下さい。内緒にして置きます。>と、白状した。
『ナンチュウ事をしでかす男であろうか!! 彼女でなくとも走り出すわ。』 トンでもない自由人である。世が世なら、セクハラのとばっちりで、害は私にも及んでしまう。平身低頭で、私は彼女に謝りに行った物である。それをニヤニヤしているのであるから、若者は何時の時代でも、好い加減年長者の餌食の種にされるものであるらしい。
 そんな彼女が、或る時、<Rさん、付き合っている人が居なかったら、私の友達紹介したいんだけど。>と、真顔で言われて<実は、居る。どうも、有難う。><やっぱり、居ない方が、可笑しいものね。>

 時は巡って、女房の隣で寝覚めて苦笑いの夢が一つあった。サドルの二つ付いた自転車に、私と彼女が乗っている。私の前に、彼女のピップがプリプリと動いている。何やら、こそばゆい心の内である。自転車がバウンドして、ぐらりとそのヒップが、私の股間にスッポリ納まってしまった。長閑な田園風景のサイクリングである。彼女のウスストに回した左手が、手持ち無沙汰であった。恐る恐るパンツの中に手を潜り込ませ、サドルの振動に合わせて下へ下へ・・???
尚も下へ下へ・・・??? あるべき物が無いではないか ??? このノッペリ感は、何ぞや!!

 前夜見た映画は、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスの<明日に向かって撃て!>である。何の事は無い。映画のワンシーンの応用でしか無かったのである。脚本・監督・主演を果たしたのであるが、三位一体の私の人間の質が、下賎の儘であっただけである。
 女房・息子・娘の寝顔に、亭主兼父親の私は、反省のタバコの儚き紫煙の先に、苦笑い一つを浮かべていた記憶に浸ったのでありました。夢の中にも、『良心の欠片宿る』の夢行一つでありました。

 そんな脳散歩で順番を待っていた次第である。呼ばれたのは、車椅子の老妻を連れて来た老亭主殿である。朝夕の冷え込みに、すっかり厚着をされた老夫婦の姿に、嘗ての法螺吹き先生の面影を重ね合わせて、先生夫婦の暮らしを暫し連想した次第である。

 青みを増した快晴のお天道様に、秋の花・菊の香りが風に乗って、鼻腔を擽る路地の鉢植えでありました。

心何処ーショート 夜更けのCD 
                 夜更けのCD(10/21)
 夜が、すっかり寒くなった成った物である。締め切った四畳半の仲間は、隣の机の水槽住人達である。この処、グッピィが死んで行く。命が生まれれば、命が無くなって行く。仕方の無い事である。青尾のビッグ・ママの命も、とぼろうとしている。成長し切れなかった若魚の抜け殻が、タニシ達に捕まっている。夜に成ると、形を潜めていた稚魚達が、姿を見せて泳ぎ始める。

      こんな夜には、鶴田浩二の歌声が聞きたく為る物である。

   名もない男のブルース(作詞:宮川哲夫/作曲・編曲:吉田正)

     何も知らずに 咲いてた頃が 俺にゃいちばん 花だった
     夢を見乍ら  飲む酒ならば なんでにがかろ 今のように
               想い出してる カウンター

 お隣の水槽は、大きさの揃った12匹の金魚達である。光の薄い水中を、フワリ・フワリと見え隠れする泳ぎを繰り返すだけである。7曲の入ったCDは、二順目である。外は、カーテン越しの外灯の橙色が、滲む黒の世界である。林与一顔をした二歳違いの亡三兄が、好きで口ずさんでいた鶴田浩二の歌が続く。

     東京詩集(作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田正/編曲:寺岡真三)

     「十月四日 霧 夜の酒場で」
     霧 霧 霧
     いうにいえない淋しさに もらす吐息か 窓の霧
      逢えばつらさも忘れるものを グラス冷たい
         グラス冷たい ああ カウンター

       馬鹿野郎、48で死に遣がって、俺は、寝るぞ。
              何、もう少し聞かせろか・・・ 分かった、付き合うよ。

いざと為れば、肉体作業
             いざと為れば肉体作業(10/20)
 夜中、玄関の金華鳥が落ち着かない。眠りを中断されて、寝起きが頗る悪い。朝食後も、身体がシャキとしない有様である。こんな時は、肉体労働をして血の巡りを、強制循環させるに限る。伸びた庭木の剪定作業を開始する。長い脚立を移動させながら、汗だくである。散らかった枝木を運び、如何にか体裁を付ける。布団を干し、物は序であるから、鳥篭の掃除の後は、水槽の掃除を大々的に遣ろうとしていた処に、ご老体のご出馬である。風呂を沸かしたから、入れとの催促である。親切を無にする訳にも行かぬから、断念する。米を買いにも行かねば為らないし、日記打ちもしなければ為らない。困った事である。

 風呂から上がると、アレアレ、それ見た事か・・・物臭男の錯乱に、日が一気に翳ってしまった。転ばぬ先の杖である。布団を取り込んで、ロートル寄り合い所に自転車を扱ぐ。ご近所の社長さんが、農作業の休憩に顔を出す。コーヒーを飲みながら、ロートル男三人の座談会である。本日の議題は、世界金融危機・食料問題・昨今の犯罪傾向である。真っ当人間から見ると、今も昔も善人と悪人の織り成す人の世との事である。温厚ロートルの座談会は、テレビと違って、話し手と聞き手のゆったりした交互交歓である。行く秋に、男の世間話も、尽きない物である。お天気も危なくなって来た事でもあるし、お開きとする。

 紅葉は駆け足である。色付いた枝々からは、木の葉が風に舞う。サラサラとアスファルトを鳴らす落ち葉に、ロマンチックな気分は湧かず、<嗚呼、嫌な寒風のシーズンの足音>である。

 部屋に入ると、ラジオからは同級会の話題である。流れる歌は、舟木一夫の<高校三年生>である。男性二人、女性一人の中年男女の話も尽きない様である。
 
 ラジオの会話に乗せて、幼稚園・小学校・中学・高校・大学時代の面々を、思い出しながらタバコを燻らせる。<繋がるラジオ>とは、好いネーミングである。好いヤツ・悪いヤツ・碌でも無いヤツ・傑作なヤツ・可愛そうなヤツ・一目置くヤツ・・・・etc、同級生全部を覚えている訳ではない。好くても悪くても、印象に残っているのは、好い事である。付き合いがそれなりにあったヤツは、エピソードが蘇る。顔を合わせば、それなりの話が弾むのであろうが、合わせずとも、過去に遊ぶ事は出来る。
 一芸?に秀でた者よりも、馬鹿と利口・理と情が同居して、硬軟バランスの取れたヤツの方が、面白い物である。それと、如何云う訳か知らぬが、好いヤツほど早死にするとの事でもある。確かに、そう云った思いもある。私は、碌でもないヤツの口に入るから、マダマダお呼びが掛からないのであろう。

 さてさて、お向かいさんから頂いた、大カブは如何にして食卓に出すかである。物臭賄い夫の一日も、仕事量としては、結構あるものである。急がず慌てずが、長生きのコツかも知れない。
 

心何処ーショート 赤玉(コウギョク)
                赤玉(コウギョク)10/19
 松前漬けが好きな母に、賄い夫としては、自分で作って遣ろうと思い立ち、スーパーで探したが見付からない。買出しをしている途中で、豚肉のブロックを見付け2パックを入れる。一度作って出した処、美味そうに食べる母の顔を思い出したのである。近くには、立派なデイ・サービスの施設がドンと建っているのであるが、母には廊下の日差しの中で、椅子に体を伸ばして微睡むのが、好い様である。チャーシューを仕込む事にする。私は、チャーシューをコトコト仕込みながら、ラジオの<のど自慢>をBGMに、コーヒーを口に運びつつ、ブログ散策である。
 
 写真・イラストブログには、溜息の出る写真・イラストが満載である。自分の気に入った一枚に、そっと自分の思いを載せたり、綴るそれらのブログは、雑誌のグラビアを見ている様で、大した物だと感心するばかりである。垢抜けしてスマートな時代である。

 スーパーに行く途中に、切り売りして大分小さく成ってしまったリンゴ園がある。秋の日差しに、赤いリンゴが輝いていた。タイム・スリップして見ると、小さい頃は、秋のおやつはリンゴであった。好く纏め買いに行かされた物である。何十年も入った事の無い農園であるが、昔通りに近所の人は買いに行っているのだろうか・・・ 田んぼも畑も、住宅・アパートで埋め尽くされて行く界隈である。そんな事を思い出すと、口の奥に<インドリンゴ・青リンゴ・国光・赤玉・オウリン>などの歯触り・酸味・甘味・渋味などが蘇って来る。
 そう云えば、秋の味覚では無く、食欲の秋にはサツマイモを好く食べさせれた物である。女とサツマイモの相性は好かろうが、男にとっては胸焼けのガス放出源であった。学校から帰って何か無いかと強請ると、大鍋にごっそり、サツマイモのお出迎えであった。今と違って、あの当時の冷めた蒸かし芋は、実にベタ~としていて不味かったものである。母親には申し訳なかったが、芋漬けされる少年の眼からは、女と言う生き物が化け物に思えた程である。
 然しながら、山栗は、美味かった。市販されている栗からすると、恥ずかしい位の小粒であったが、この季節、近くの山に登って一日栗を拾った思い出がある。茹でて木綿糸で連ねて、軒下に干して置くと、硬い乾燥栗が出来上がる。チョッとやソッとでは、歯の立たない干し栗であったが、ズボンのポケットに忍ばせて、学校の行き帰りに奥歯で噛み潰して、唾液で転がしていると、仄かな栗の味が口中に広がったものである。
 彼是思い出せば、昔の餓鬼共は、まるで齧歯目リス科の習性があった様である。カボチャ・ヒマワリの種を割って食べ、硬い鬼ぐるみの殻を石で割って、小さな実をポリポリと漁り、銀杏の実を焼いてフーフーと冷まして、緑の実を<乙な味>として口にしていたのである。

 先日の見逃してしまった<世界食糧難時代>であるが、どうせ来る難行であったら、『赤玉』の出たかも知れない老精である。私の歯が自前の内に到来して欲しい物である。噛み付き魔ブラッシー氏には及ばないが、私の臼歯はマダマダ堅調の態である。 

 自分のブログに戻れば、過去記事の拍手に連れられて、自分の過去記事を再読する日が続いている。する事が無いから、仕方の無い事であるが、我ながら、<よくも打ったり>の呆れ顔である。その中に、丁度1年前の記事があった。そこには、違う風景があった。毎日が進歩の<シの字>も無く、マンネリの権化の様な日々であるが、二度と同じ日は無いのである。

 当たり前といえば、極々、当たり前の事である。出来の悪い男の生活の日々であるから、感懐の中に、哲学も宗教観も生まれて来る筈も無い。然りとて、心臓が停止しない限り、生きているのであるし、生きている以上、何かをしている。何かをしていれば、何かを感じたり、考える物である。人間と言う物は、放って置いても、何かを見付け、何かをし続ける生き物なのであろう。出来の悪い人生と儚んで見た処で、へそ曲がりにして、自分に甘い男である。余程の事が無ければ、深刻がる事も無いし、最低限の行儀を維持して置けば、お天道様のお目溢しにもあやかれるのである。流れ・流されても、日々は暦を捲るものである。

 さてさて、昼の内に散歩と思い母に声を掛けると、お前の好きな<たかじん>が、始まるとのお声である。言われて見れば、本日・日曜日であった。小生、三宅先生の大ファンである。先生のご尊顔を拝し奉らねば、明日の日本男児のコウギョク(GoldenBall)の涵養には為りませぬ。散歩如き枝葉末節事は、何時にても出来まする。

      追伸。赤玉とかけて、何と解く。その心や・・・ お楽しみ下さい。

心何処ーショート 10/18の日記
                  10/18の日記
 さてさて、日が翳らぬ内に、散歩のお時間にする。河川敷に降りて、川を眺めながら散歩コースを辿る。水量の少なくなった水面に波が動いている。この前、見掛けた野鯉が動いたのであろう。黒い姿が見える。夏の頃には、橋の上の淀みに2匹いた内の一匹である。ハヤ釣りの仕掛けで、鯉の鼻面に餌を落として遣ると、喰らい付き、あっさりと糸を切って行ったヤツである。生活費が無くなったら、仕掛けを換えて真面目に釣り上げるしかあるまい。鯉の成長は早いから、水が涸れさえしなければ、淀みに鯉の姿を観る事が度々ある。淀みと流れを行き来する野鯉の姿は、結構迫力のある眺めである。一度、釣り上げて、鯉の旨煮にして食べた事がある。養殖鯉と違って、身に締りがあるから中々の物であったが、捌く自信が無いし、面倒である。食の細い母とでは量的に、厄介な代物である。普段は、引っ掛かるなよと念を押して釣る、遊び釣りである。
 
 河川敷を上がって、橋を渡る。土手の欅の大木が、暗紅の紅葉に包まれ始めている。深まる秋に紅葉の期間は短い。紅葉の水分が薄れ、乾いた木の葉がカサカサ風に舞うのは、近かろう。薄黄に色付いた公孫樹の森には、銀杏の独特の臭気が風に揺れている。銀杏拾いの名所でもあるから、地面には潰した黄色の果肉が、散らばっている。家々には柿が実り、小菊の花がお目見えしている。

 そぞろ歩きの散歩を終えて、部屋に帰る。あれあれ、行儀の悪い若鳥である。巣の代わりに掛けた餌入れの底に敷いて遣った保温シートを、咥え出している。これから、寒い夜の到来である。お前達は、親心の通じない戯け者である。遣る事も無いから餌入れを取り出して、食品トレイの廃物利用で、屋根掛けの工作の時間である。ユラユラ群れ泳ぐ金魚達に見守られて、CDを聞きながら、鋏とテープで、ニヤニヤお時間も面白い。朝の餌は完食である。お付き合いであるから、一つまみ入れて遣る。

 何もしなくても、時は流れて行く物である。早や、釣瓶落としの夜の帳に包まれている。

心何処ーショート 名酒・広田泉
                 名酒・広田泉(10/18)
 夕食後のNHKドキュメンタリー<世界食糧危機>を、母の部屋で見ていると、四畳半でケイタイが鳴っている様子である。電話に出ると、サラリーマン時代の先輩Nさんからである。自転車でこちらに向かうとの事である。先輩の家からは、上り勾配である。6歳年長の先輩である。私も自転車で下る。途中、電話をするともう直ぐS大と言う。私はS大前の橋に到達している。闇の中に、自転車が近付いて来る。

「やあやあ、上りはきついねぇ。息が切れる。」相変わらず、飄々としたN先輩である。

 先輩は東京の出身であるが、北大出身の蛮カラをお持ちである。気配りの行き届いた紳士なのであるが、飾りっ気無しのマイ・ペース型のお人である。見ると、素足に下駄である。思わず、ニヤリであった。髪も髭も混じりけ無しの白である。何処と無く、他界した長兄の趣のある先輩である。
 3程前に奥さんを亡くされ、子息殿は勤務医である。女房に落ち込み振りを事を聞かされて、訪ねた事があった。痛ましい限りの憔悴振りで、胸が痛んだ物である。
 今は大きな家で一人暮らしである。軽乗用車・バイク・自転車とNさんらしい使い分けを励行されている。街に出た折は、居られれば気軽にお邪魔させて頂いている。昔の男らしい優等生のタイプであるから、私の師のA氏の共通する趣を持った人である。ゆったりする空間の広がるお人である。大きな水槽には、捕まえて来た淡水魚が群れ泳いでいる。淡色系統・水墨画の似合う雰囲気の先輩である。

「俺より、ご老体だから、Nさんの家に近い処が好いでしょう。はしご横丁にしますか?」
「Rちゃん、あそこは高いよ。それに、評判は好くないよ、近場に何処かあるだろう。」
「じぁ、そこの婆さんの遣ってる焼き鳥にしますか? ほら、あそこ。」
「おうおう、昔、あなたが、連れて来てくれた処だ。<広田泉>を飲んだ店だよ。やぁ、懐かしいね。」

 星空に、自転車を扱ぐロートル二人である。大通りの門に建つ、ポツンと明かりの点る赤提灯で、昔美人の60代後半の女将さんが一人でする町の飲み屋である。

 暖簾を潜ると、
「おやまあ、久し振り、兄さん、生きていたかぁ~。」のご挨拶である。
商売気の無い婆さんである。客と女将が同じ目線で喋るのであるから、住宅兼店の町角の赤提灯としては、実に気さくな店である。何年もご無沙汰しているのに、婆さんは、好く覚えていらしゃる。

 先輩はマメな人であるから、悠々自適の生活である。英語の翻訳仕事と行政書士の仕事を、ボチボチこなし、余暇は釣りに出掛け、奥さんの親の世話を為されている。暫し、女将を交えて老人介護のズッコケ談義に花を咲かせる。相撲の八百長談義に移り、大麻の件に入る。先輩は、数年、アメリカで現地工場の責任者をしていたから、その当時の裏話が出て来た。

「誰とは言わんけどさ、出張で留守にすると、ヤツの部屋に行くと、一生懸命煙を追い出しているんだよ。悪い癖を覚えて、買いに言ってる始末さ。それに、★★さんは、女専門でさ。まぁ、しょうがないけどさ、色々苦労させられたよ。好奇心が旺盛なのが、人間だからねぇ。」
「大麻・覚せい剤の類は、外国人と日本人では、感覚が違い過ぎるから、犯罪認識も雲泥の差があるものね。俺だって、海外旅行すれば、話の種・檻の外だから、吸った事もあるよ。興味が無いから、一過性で済んじゃうだけでね。」
「私ぁ、そんな物、口にした事無いよ。」
「そりぁ、女将さん、此処は日本だものの。そんな事したら、お手手が後ろに回っちゃうよ。その内、タバコが禁止にでも為ったら、タバコ密売・喫煙で、これまたお手手が後ろだよ。」
「そうそう、何十年かして、<俺が餓鬼の頃は、男も女も、タバコをスパスパ吸っていた時代があらぁ。タバコごときで、犯罪者呼ばわりの時代とは、何事か!!>なんて、ドラマが作られるよ。アンタッチャブル、アル・カポネの時代の再来だよ。」
「二人とも、ウチのお客さんとは違うわ。上手い事言うじゃん。年を取ると、味が出て来るねぇ。」

 此処で、先輩、面白い話を聞かせてくれた。蛮カラ寮生の頃を振り返って、正調・実験用アルコールの飲酒方を披露された。酒が無くなると、化学実験室の鍵を預かる寮生が、鍵を開けてアルコールを持って来る。ストーブを囲む寮生の目の前で、薬缶に開け、適量を水を入れてお燗を付けるのであるが、取り出したるは魔法の酢酸の錠剤。これで、魔法の即席飲料アルコールと為るとの事であった。40数年前を彷徨うNさんの手付きと語りが、面白い。
 但し、一般酒類との違いは、腹から回る酔いとは違って、額の上で回るアルコールとの事であった。週二回、斜向かいの書道塾に通うNさんであるが、一皮晒せば、蛮カラ漂うお人である。スキーを遣れば、雪煙巻上げの停止など、何処吹く風で、<尻餅停止が、北大スキー>と豪語するお人である。
 
 最後はご推奨の地酒・明科の名酒<広田泉>のご相伴に与る。為るほど、癖の無い酒である。私はアルコール音痴であるから、先輩と女将の酒談義を、大人しく拝聴するのみである。老人介護の先輩でもあるNさんは、無骨男の私を気遣って、赤提灯に引っ張り出して下さったのである。
示して下さる漢(おとこ)心の有り難さに、お休みなさいの声を掛け合って、上と下を目指して漕ぎ出す自転車であった。


心何処ーショート のほほんに優る物無し
                のほほんに優る物無し(10/17)
 あーっ、お前達、行儀が悪い。餌入れからパラパラ零して、催促も無いだろう。親達を見ろよ。片や四匹所帯、片や二匹所帯。二匹の方が、空に為るとは<けしからん>。毎日、ラジオを聞かせて居るではないか? 『世界は食糧難であるぞ、バカ垂れ!!』 今日は、餌入れは撤去だ。散らかした粒餌で賄う事。俺様は、柄は悪いが行儀・常識は、充分躾けられているんじゃい。反省しろ。

 窓辺の金華鳥を眺めていると、雑木に小鳥の動きである。老眼鏡をずらして葉の茂みに、目を凝らす。<見付けた、見付けた。もう少し、見せろ。オヤ、珍しい。鶯???>である。間違い無い。今年の春は、覚束ないホ~ホケキョの唯<一声>を発しただけで、お山に帰ってしまった鶯である。2度の四十雀の繁殖に、アブラゼミの疎らさ、小蚊の発生に痒い痒いの夏であった。
 身近で、狐・狸・イタチの轢死体に遭遇する事もあるし、河川敷を歩けば自宅近くでキジ・カワセミにもお目に掛かるのであるから、のほほんと気付かないのは、人間様だけなのであろう。

 こんな事を考えていると、夢の破片が幾つか浮んで来た。夢の内容は、川で釣り糸を垂れていると、次々と鯵・鯖が釣れて来るのである。初めの内は、川魚に混じる海魚に、<おぅ、遠路遥々、ご苦労>などと、悦に入っていたのであるが、<ちっと待てよ>である。下った川の臭いを記憶して戻る鮭・鱒ならいざ知らず、海生まれの海育ちの鯵・鯖が、汽水魚じゃ有るまいし、<バカ抜かせ>の気持ちに、夢から覚めて苦笑いの段頻りであった。
 この頃は肥満体で、さすがにご無沙汰であるが、若い頃は、屋根から空に向かって、ヒョイッとキックして、クロール・平泳ぎでスイスイ空中を泳いでいた物である。如何云う訳か、夢の中では運動量に依る息切れ・疲労感など皆無に等しいのである。時々、下に目が眩んで、ドシンとばかりに墜落する。地面にボールの様にバウンドして止まらない恐怖たるや、声に為らぬ悲鳴の連続である。そんな金縛りの夢から脱した覚えもある。
 何とかの仙人じゃあるまいし、目の保養に、いかん遺憾の気分よりも、墜落したバウンドの腹筋が酷く痛かった思い出がある。
 先日は、久し振りに怖い夢を見てしまった。人込みの中、異様な音がする。何やら、私の横で見知らぬ男が、大きなナイフで人を刺したと思ったら、そのナイフで、ガバガバと解体を始めるではないか、男の顔を見ると平然と作業をしている表情である。周りを見る。平然とした人込みである。<此処は一体何処だ!!地獄か!!> これまた、ウギャで一気に目が覚めてしまった。

 掴み処の無い夢の世界であるが、どうせ記憶に残る夢ならば、のほほんとした女性(にょしょう)の夢の方が、有り難いものである。

心何処ーショート アッ痛たた、1本。
                 アッ痛いたた、一本(10/17)
 実は今、あるツッコミを頂いて、http://psychology.jugem.cc/?eid=29を検索したのである。
 
 皆さん、中高年の犯罪は今の若者よりも実に多いですよ。統計上の資料を見せ付けられると、ご時世の嘆かわしさを儚んでばかりでは、居られません。育ちも成長も老いも、芳しく有りません。『弱ったいなぁ~、エヘへ』の段でありました。罪を憎んで、世代を憎まずの逃げ口上で、頭隠して、尻隠さずの心境であります。そこへ持って来て、宮崎県は、中山先生の突然の<心変わり>出馬意思であります。
 正に、日本国嘆かわしいの一語に尽きようとしています。これは、世代の構成員としての反省です。小生、得意の健忘症で、昔を綺麗さっぱりと忘れた振りをするのは、嘘を付く事と同義であります。『嘘は泥棒の始まり』と訓えられた世代であります。泥棒は、立派な犯罪であります。これまた、中高年の犯罪件数を押し上げる結果となりまする。
 反省と開き直りで、<人の世に、悪人の蔓延らぬ世は、無かりけり>で、是々非々で行くしかありませんね。老いも若きも、確りしなくちゃいけません!! 真っ当な生き方を致しましょう。

 ラジオを聞いていると、懐かしい南沙織の<色付く街角>が流れて来た。張りのある通る歌声に、小麦色の肌・黒い人目・白い歯、健康的な彼女が弾けています。紛れも無く団塊世代の青春時代のヒット曲であります。
 いやいや、面映ゆい限りでありまする。・・・いかんいかん、文章に為りませぬ。仕切り直しで望みまする。若者に完全に1本取られまして御座る。

心何処ーショート 気分塞ぐ夜長は
                気分塞ぐ夜長は(10/16)
 ラジオを聞いていると、現職警察官が一人でパトカーを使用して、ケイタイサイトで知り合った女性に、H行為に及んだと云う。全く信じられない脳意識である。拳銃自殺と云い、このご時世、ロートル世代とは、異次元の世界が共存している。想像・空想・妄想と実行との間には、一切壁が無いのだろうか。浮び、思ったら、其の儘、一直線なのだろうか・・・ 踏み止まる事が、彼らの頭脳回路には、組み込まれていないのであろうか・・・ 如何すれば、そんな回路が仕込まれるのだろうか。
 
 私には、永遠の謎としか思えない。教育・躾・常識・善悪の区別・自覚の有無・・・etc、云々なんて私の想像が、入り込める頭脳回路では無いだろう。人間の感情・頭脳に、何か途轍もない大異変が、起きているとしか考え様が無い。ロートル世代にとっては、毎日、異常な事件が繰り返されている。いや、繰り返されているのでは無く、進行しているといった方が、的を得ている。

   怖い?不気味?嫌悪? ??? 正直な感想は、<お手上げ>である。

 考えても答えが、出る訳でもない。こんな時は、人恋しくなる物である。我が特効薬・女房殿に電話をする。
「もしもし、如何した?」
「栗買って来たんだけど、栗ご飯は、如何遣って作るんだよ。渋皮の剥き方が、分からん。」
「如何やったかなぁ・・・子供達が小さい頃、一度しただけだよ。インター・ネットで調べたら?」
「インター・ネット? 面倒だな。」
「ちょっと待ってよ。調べてやるから。」
「あいよ。」

             ルルルルルルルルル

「あいよぉ~、」
うん、うん、もう一回、良し書いた。それで・・・ うんうん、・・・
おお、イメージ湧いて来たわ。別仕様で下拵え、合体だな。分かった。
「分かった? しっかり親孝行するんだよ。ホホホ。」
「へいへい、有難う。じぁな。」

 為るほど、然様であったか。明日のカレーは仕込んであるから、何事も経験。ボチボチと遣って見ると致しますか。走りのミカンの薄皮を剥きながら、秋の夜長を妄想タイムと戯れるなり。

心何処ーショート つい、うっかり
                つい、うっかり(10/16)
 昨夜の満月は見事であった。煌煌たる満月は好かったが、放射冷却で何時に無く寒い散歩であった。本日も、好い日差しである。日差しに照らされる金魚の膨張色が、何とも清々しい限りである。特にコメットの赤と白のコントラストが映える。第一陣の流金は、朱色に近い。第二陣の流金は、色が濃くスカートの丈も長い。如何やら、色・体形の違いは、仕入先の違いであろう。私の好みからすると、色の濃さとスカートの白と朱の、第二陣の方がしっくり来る。
 仕入先が違う事から考えると、購入のコツは纏め買いよりも、好く見て気に入った物だけを小数、小まめに買い増して行った方が良さそうである。大雑把は、悔いが残る。何事も、経験して見ないと思い付かないものである。
 そんな買い方をすれば、色・体形の違った物を楽しむ事が出来ると云う物である。観賞魚コーナーの上の段には、自慢の金魚達が堂々と泳いで居る。多分、4~5年物だろうが、見惚れてしまう程の鮮やかな、色・体形・大きさなのである。値段も何千円のランクである。
 何事も無ければ、金魚は結構な長寿であるから、追々、何年かすれば小金魚も追い着く。買い物の折に『目標金魚』を眺めながら、おう、俺の金魚も<幾ら位に為った>か等と、ニンマリするのも飼育者としての喜びの一つである。全滅の憂き目にさえ為らなければ、四畳半机上の金魚群も、二千円台を軽くクリアしていたのであるが・・・ 金魚とて先の事が分からないから、高値が付くのであろう。3年4年と一緒に居ると、金魚達の黒い目が、何処と無く、私を観察している様な感じまでして来て、面白い。狭い動きの少ない四畳半であるから、お互いが観察され合う仲に為るのである。

 グッピィ槽の方は、現在ヒメダカの様な薄黄が主体であるから、折角の日差しであるが、彩りに欠ける。注目の一匹は背びれをおっ立てて、メスにアタック中である。赤・青・黄・黒と全ての色を配した混合色である。残念ながら、際立ちのアクセントとアピール度には、見放されたオスである。決して、落胆している訳ではない。早々、座して芸術作品が誕生する程、遺伝子の現れ方は単純では無いだけである。大任を終えたメスが沈んでいる。さてさて、次なる世代は、如何なる色合いを呈するのであろうか。

 音無しの日差しの中を、黄蝶が飛んで行く。布団を干した序に、庭の柿を捥ぎ取る。色も大きさも確りして来た。ズボンで拭いてガブリと喰らい付く。未だ硬い果肉に柔らかい甘味が、口一杯に広がる。見上げる枝々の緑に橙の実が鈴生りである。去年裏年であった渋柿も、青空に鈴生りの勢いである。貧乏所帯に、お天道様のお恵みに感謝して、来月に入ったら皮むきをするとしよう。

 ラジオビタミンの時間に、時が流れて行く。タバコを吹かしていると、朝の夢を思い出した。感謝して、シングル・ママの写真を眺める。細い顎を手先に乗せて、ツンと澄ましたポーズの生意気顔で、<今頃、思い出したの? 遅いわよ。>と言わんばかりの目付きである。
『いえいえ、とんでも有りません。むさ苦しい我が寝所へのご機嫌伺いの段、身に余る光栄でありますよ。それが証拠に、金華鳥も、歓喜の囀りを送って居りますでしょうに、』

 夢とは面白い物である。食後の母子の時間でテレビを見ていたら、ピアニストのお出ましである。肉付きの好い色白のしっとりした感じの女性である。おやおや、北よりの使者・バルディナさんを彷彿とさせる。一方通行のテレビ視聴者であるから、彼女の瞳をグリーンに置き換えて、彼是と思い出を手繰り寄せている間に、夢の欠片を思い出した次第である。兎角、世の美形達は、お仕置きが好きな様である。記憶の中のワン・ショット、ワン・ショットが思い出されて、ロートル男は、ついニンマリの段である。

さてさて、お日柄も宜しい様で、カレーでも作りましょうか。買出しに行きまする。

心何処ーショート 吼えの練習なり
                吼えの練習なり(10/15)
 今朝の母子のお題は、中国産冷凍インゲンであった。此処、これに至っては、中国全土汚染塗れの実相である。自分の部屋でテレビは、殆ど見ない生活である。部屋のテレビが映し出す映像は、専らDVDの古色蒼然とした洋画名作の類ばかりである。中国の汚染漬け・奇形映像は、インターネットで見させて頂いている次第である。その内容を、茶の間のテレビで放映されたら、見るに耐え難いとの苦情通報で、電話回線がパンクするのは必至であろう。
ああだ、こうだ。貿易が、食料自給率が、中国国民も被害者・・・などの御託は、一切聞き入れる訳には行かぬ無節操大国である。全く以って、<冗談扱くな!!>の断定である。幸い中の幸い、地産地消の地方都市で好かったと言わざるを得ない。個人生活は、せっせと、手作りを励行するしかあるまい。

 世の中、何処で如何タガが外れてしまったのか・・・ 付き合い兼ねる世界の出現である。プライム・ローンの焦げ付きから、世界金融不安・危機、世界大恐慌の前触れか? マネーゲームを煽りに煽った末に、バブル崩壊。バブル崩壊の世界経済の危機を脅し文句に、国庫負担を脅し取る。これでは、世界の問題児・北の将軍様の恐喝・タカリ手法では無いか!! 先物取引の姑息な手段で、大儲けをしたペテン師野郎の年収が、300~400億円らしい。全く以って、努力しなくては為らない分野・領域と、努力しては為らない分野・領域の区別が無くなってしまった感がある。
<拝金全能主義が、21Cの宗教かい!飽和状態に為ったら、手持ちのバブルを、はしかして、新たなバブルを作り上げる。煽りに煽った挙句、バチンと弾けさせて、またまた、拝金亡者達の出直しゲームかい?> オフザケでないよ。

   のほほんとロートル日記ばかりを、打っている訳には行かなくなってしまった。

以下は、罵詈雑言が飛び交いまする。紳士淑女に置かれましては、ご容赦下さい。

 バカ野郎、アメ公議会の公聴会は、何で質問しないんだよ。<あなたの巨額な報酬金額は、現金・現物で所有しているのか? それとも、自分の開発した証券で保有しているのか? 返答や如何に!!> 『何!! 現金・現物の貴金属とな。』<もう一度、確かめる。現金か、証券か>『現金だと、アンタ、それじゃ、全くの詐欺師じあないか!!』「然にあらず、発明者・販売者は、販売商品の利点と欠点を承知していなければ、一流の経営者には為れませんでしょう。グローバル経済とは、斯様にして攻めと守りの落とし所を、常に冷静沈着に計算して行動する物です。集団購買者は、常に踊らされるものです。物事には、全て勝ち負けは付き物です。実態経済と信用経済の許容範囲の見極めが、最終の事を制するのであります。証券を現金化するタイミングこそが、マネーゲームの鉄則であります。そして、もう一つ、赤信号・皆で渡れば怖くないのであります。タイミングを逃した亡者どもには、圧力掛けと云う金持ち優遇が、国庫投入の救援策であります。これも、社会・経済のセーフティ・ネットを提供する政府・国の重要課題であります。」

 バカ野郎、マスコミ。入手テープを如何して放映しないんだよ。手前ら、巨大グローバル組織ペテン師とは、一蓮托生のグルにして、グループかいな? 
 民放若造連中、ロートル層を舐めるなよぉ~、芸NO人構成のバカ番組の垂れ流しに現を抜かして、お前達が<社畜>上、NHKへの扱き下ろしと敵愾心を演じている内に、視聴率で上を越されて、こんどは追っ付け刃で、ロートル大人の為のドキュメンタリー番組の目白押しだとさ。企業戦士のスーツを脱いだロートル層の<首肯>を取れると、低脳ガキ連がバカの自惚れで、計算しているんだ。これは、笑止千万の思い上がりでしか無いわ。返り討ちにしてくれるわ。
スタジオ・レイアウトの芸NO人の<迎合拍手>とは、訳が違うんだ。『首肯は、精神動作。迎合拍手は、調教動作』じゃないか。   
                さぁ、餓鬼共、如何する? 
 お前達の<最大の能力査定手段>視聴率の総体に、一大変化が到来しているんだぜ。社会に揉まれて、選球眼を持った連中が、手薬煉引いて、スタジオの向こうには待ち構えているぞ。毎日が日曜日だぜ。
 視聴者群は、全学連・浅間山荘事件・べ平連・企業内民主化を標榜した労働組合・・etcの経験者が、何百万人と茶の間のテレビに対するんじゃ。腹に収めた一家言を持つ連中が、ゴマンと控えているんじゃ。罷り間違えば、視聴者の眼からは、お前達は、画面に踊る下卑た猿真似集団だぜ。賞味期間の過ぎた老害人を駆逐すら出来ない社畜どもが!!

                  お手並み拝見と行きましょうや。

心何処ーショート 雨の田舎暮らし
                 雨の田舎暮らし(10/14)
 昨日のお天気は、一体何処へ?の雲行きである。雨の降らぬ内に、温泉銭湯に行った帰りに、買出しをと思っていたのだが・・・気の早い・・・本格的に降って来た。風呂を沸かすかと聞くと、首を振る。体調を崩されて寝込まれると、私が困る。車で行って来いと言われるが、自転車生活が馴染んで来た身には、駐車場探しの車は面倒である。少々濡れても、運動である。暫く雨の様子を見ながら、時間を潰す。

 さて、小振りに成って来た。膳は急げである。銭湯は、学生が一人である。溢れ出る掛け流しの湯に、アッチャチャ、顔を顰めて熱い湯に浸かる。熱いから、身を竦めて熱さに皮膚を慣らす。湯船に両足を伸ばして、肩口まで沈める。天井の繋がった女湯からは、婆さん達の声が響いて来る。色黒男であるから、温泉に浸した垢をゴシゴシ垢すりで、擦り洗いである。垢が出た分、色白に成った気分である。途中からは、貸しきり風呂であるから、壁に背中を預けて、適当に湯船から汲んで湯浴びのお時間である。

 一番空いた時間を見計らっての、私のノンビリ・タイムである。お隣の婆さん達は、バスで来ているらしい。番台の時計を見ながらの、風呂談義の様子である。ビニールパイプで繋がった湯口であるから、お隣を覗く事は可能である。餓鬼の頃は、面白がって身を屈めて覗き、大人にガツンと拳骨を喰らった物である。殆ど変わらぬ銭湯の造りである。そんな事を思い出しながら、湯口の湯を手で掬って飲むが、序(ついで)に覗いたら、私の眼が潰れてしまう。

 番台の同年輩のおばさんは、うつらうつらの舟を扱いでいる。眠気覚ましに、<出歯亀>を演じて遣ったら、『チョット、オジサン、嫌らしい、何遣ってんのよ!! 警察に突き出すわよ。』なんて血相変えて、箒を手にお出ましに為るだろうか等と、ついニヤリである。これも、立派な番台業務の一環である。
 おばさんは、私が一人で湯に居ると、掃除の時間と抜けシャーシャーの顔をして、足を巻くって風呂掃除に来る女傑である。女の目からは、男の裸身はゴミ扱いである。片や、姥桜であっても女の裸身は、<不可侵の位置付け>なのである。片手落ち慣習から脱却しないと、日本の明日は無かろう。安心しな、俺らにぁ、美的センスがあらぁな。イッヒヒッヒ。

           汗を拭き取って、浴室から出ると
「そうだだよ。嫁のヤツ、<オバァちゃん、食べるんだったら、タッパに日付書いといてよ。何時の物か、分からないでしょ。>と、こうだよ。歳を取ればね、一度には食べられないから、何回かに分けて食べるのに、<勿体無いのと食中毒とどっちが、先よっ>て言うんだよ。憎ったらしいって、ありゃしない。爺ちゃんの居ない、この頃は、若い時の敵を取られてる気がするもの。私の時代の嫁と姑の関係を比べたら、『お姫様』だよ。倅が、嫁を甘やかし過ぎたんだよ。私ぁ、失敗したぁ~。モウロク扱いされちゃ、年寄りは、立つ瀬が無いよ。憎ったらしい嫁だよ。バカ息子。」
「家も、そうだよ。当てにしちゃいけない。それで、別棟だけど。でもねぇ~、父ちゃんと、あれは何処にある? 無い、無いの連続。ほんとに、自分ながら情け無くなっちゃう。<ラップに書け>は、行き過ぎだよ。誰が産んで育てて遣ったんだって、『言って遣れば』。食べれるか、食べれないかは、見りゃ分かるのにね。でもね、人間歳には勝てないよ。おばあちゃん、面と向かって言っちゃ駄目だよ、ポックリ死ねれば、知った事ないけどさぁ、世の中、甘くないからね。嫁の悪口は、私が全部聞いて上げるからね。バンバン、言いなさいよ。胸に収めて居ちゃ駄目よ。」
「姐さん、俺の話も聞いてくれや。実はさぁ」
「何言ってるの、未だ若いのに」
「仲間外れか? 冷たいじゃないかい?」
「嫁と姑の話は、男が入っちゃ駄目!! アッハハハ。」

 ハハハ、私は、お呼びでは無いとの事である。病院談義よりも、風呂上り談義の方が健康的である。おばちゃん、お婆さんは、長い付き合いなのであろう。バスの時間までの時間を、話して帰れば好かろう。戸を開けると、雨脚が強くなっている。車のクラクションに、顔を向けると個人スパーの先輩が、「帰り、寄るずら~、待ってるよ。」と手を振って行く。「あいよ~。」さてさて、先輩の所で買出しをして帰ると致しまする。こんな日は、田舎暮らしの利点を、使用しない手は、無いのである。
            現役諸君、努力の先には、開く扉も御座りまする。

心何処ーショート 体育の日、午後の日記なり
              体育の日、午後の日記なり(10/13)
 素晴らしいお天気である。タバコの買い置きが無くなったから、長靴を車に載せて、キノコ取り兼秋のドライブと洒落て見る。何と、何と・・ 目指す行方は、工事中である。仕方が無いから、適当な山道にハンドルを切る。おやまぁ、美鈴湖に出てしまった。行楽客・釣り人が、澄んだ山の空気に、のんびり構えている。
 流石に道路・公共工事の日本国である。奥まった地域からの直近ルートを、この歳に成って乗るとは、驚きである。途中、大型バイクの一行が、ブォ~ンとばかりに追い越して行った。そのナンバープレートは『大宮』であった。彼等は、美鈴湖で一服した後は、美ヶ原に上って行った。美ヶ原からはビーナス・ラインを走破して、蓼科・諏訪にでも下りるのだろうか? 私でさえ知らなかった裏道最短道路を、何処で如何見つけて来るのか? <好きこそ調べ上手>の口なのであろう。

 美鈴湖は、ヘラブナ釣りの近隣のメッカである。すり鉢状の人造湖の岸辺には、ヘラブナ・鯉達が、群れ、悠然と泳いでいる。私の目下で竿を振るう同年配者の竿には、投げ込むと直ぐ様、グゥ~と浮きが沈み込む。釣れぬ釣りよりも、釣れた方が断然楽しいに決まっている。然しながら、釣れ過ぎるのも、些かご利益が薄く為ると云うものである。これが、鯵・鯖であったら、全く違う動きをする釣り人の動作である。ぽっかり空いた山上湖の佇まいは、実に清々しいばかりである。
 長靴に履き替えて、山の散歩道に入る。キノコの種類に疎いから、アミタケ・リコボウが、私のターゲットである。光の差し込まない林の中に分け入るが、物言わぬ雑キノコ達である。熊の様に徘徊して、漸くのご対面である。数量には大いなる不満が残るが、母と二人の分には充分な収穫である。『欲気は損気の始まり』諦めが、肝心である。のんびり秋の清々しさを胸に一杯吸い込んで、タバコ屋でワンカートン買って帰る。

 食事はパンを口にしただけと言うから、早速、キノコそばの仕込みに入る。キノコ満載の熱々そばに、揚げとネギを大きく切って、七味唐辛子を振り込んで、母子共にフゥー、フゥー、ズルズルである。如何やら、私には板前の才能もありそうである。満腹のデザートは、庭から毟り取って来た甘柿である。満ち足りれば、人間、後はゴロリと昼寝の段である。

        これまた、お天道様に感謝する満足の心持であろうか。 

心何処ーショート 燻る紫煙の先に、感謝一つ
              燻る紫煙の先に、感謝一つ(10/13)
 ブログを始めてから、一年が経つ。賄い夫の日記であるから、殆ど毎日の更新である。旅行記を打ち始めて、彼是10年が経過する。無性に文章が書きたく為る性分であったから、字数を稼ぐ方法も、それなりに覚えていた。サラリーマン時代は、それなりの業務上で仕事として書いていたから、文章に対するストレスは、趣味として書きたいという気持ちには進まなかった。それでも、年に数度は思う事を書き記していたものである。
 それが賄い夫を決心して、殆どが自由の時間を得た。物臭・煩わしさの付き纏う仕事上の人間関係には、然程の価値を置いていない生き方が幸いして居るらしく、賄い夫の気儘さで日々を送って行けるのであろう。

 適当な自然環境と住環境、そして身近の小動物の動きさえあれば、人間は、そこそこに日々を送れるものである。友人関係は、吟味して付き合うと云うよりも、好き嫌いが激しいから、私の場合は二人か三人居れば、丁度好い。その範囲が、煩わしくは無い。・・・と云った処が、正直な感想である。内心は実に偏狭な男であるが、社会的人間を演技するのも、これまた人の務めである。生きている以上、何やかやと引っ張り出される。浮世の義理であるから、考えさせられる事も、感じさせられる事も多々有る。これまた、影響を貰い、影響を与えるのも、自然の営みの一つであろう。
 斯く云った処で、自分の殻に閉じ篭れる程の感性・知識・強靭なる精神力も持ち合わせていない物臭男であるから、加齢期の門を潜って、ご時世に流れ流され、時々、足掻きとストレスの発散を、言の葉に託して見る。

 振り返って見ると、感情・直感・理性・知識・感性・諦観と云った心の趣は、肉体・経験・精神の篩(ふるい)に掛けられて、歳と共に一つの方向性を、目指している物の様である。どの時代の物が、ベストと云う尺度で測り切れる物では無かろう。その状況・その場・その時の選択肢の中で、自分が努力して得られた満足を採点基準として、自己満足をしたか否かでしかあるまい。自己満足を絶対基準として、踏ん反り返るよりも、振り返って<IF>の反芻さえ持ち続ければ、人間精神は正常なのだと思っている次第である。

 マタマタ、悪い性向が露見してしまった様である。打ち出す切っ掛けを、間違ってしまった様である。出任せ放題の文字群である。読み飛ばして下され。参考とするべき箇所は、御座いません。字数稼ぎの段でありまする。

 この頃、私は、嬉しい足跡を見ている。我が拙い文作も一年の蓄積がある。その分量たるや、A-4版にして、500~600頁のボリュームであろうか? 見向きもされぬ過去記事に、拍手の足跡を残して下るお方が、いらっしゃるのである。打ち手としては、こんな有り難い事は無い。本日の拍手分に、私の自信作があった。投稿した時に殆ど素通りされてしまい、ショックを受けていたものである。つい嬉しくなって、そのお方に倣って再読した次第である。

 何方か存じませんが、評価をして頂いた様で、気分が高揚して居ります。有難う御座います、感謝して居ります。励みに為りまする。

心何処ーショート もう一息、残念なり
                 もう一息、残念なり(10/12)
 いやはや、寒いじぁア~リマセンカ。昨日は、散歩の耳・頬が寒かった。余りの寒さに、寝返りばかりを打ってしまった。加藤登紀子の<独りで寝る時にゃよ~>のフレーズが、ツイ口から出てしまった。嫌ですねぇ、全く。

 秋分を経過して、何時の間にか小鳥達に起こされる朝である。食欲旺盛な駄々っ子二匹は、ピイピィー、チィーチィー、早朝から小煩い限りである。ワシァ、寒いのは苦手である。ああ、古傷が疼く季節の到来に成るのであろうか・・・ さてさて、女房の居ない身は、ブツブツ起きるしか無いのである。

 見上げる空は、これまた希望の無い灰色の空である。<新鮮な空気を吸っただろう。さぁさぁ、寒いから戸を閉めるぞよ。> 元気の良い連中である。水浴びをして羽毛を膨らませている癖に、羽繕いをしている。未だ水浴びを覚えない二匹は、確り藁巣の中に収まっている。
 ガステーブルが不調であるから、火が使えない。コップの水では、格好が付かない。漸くの太陽である。途端に、活発になる小鳥達に、咥えタバコについニヤリである。朱の嘴を反射させて、ブンチャカ節を二羽で囀り始めている。

 開店時間を待って、ガステーブルを買いに行く。アリャリャ、金子が足りない。家に取って返して、財布に補充である。丈夫で長持ちのガステーブルであるから、昔の予想とは大違いであった。火が使えなければ、何も出来ない。来た序であるから、<寒部屋に彩を>と流金とコメットを買って帰る。三連休の所為か、金魚・熱帯魚を買って行く客が多い。秋色は、何処と無く人寂しさを運んで来るのであろう。

 湯を沸かして、熱いコーヒーにホッとする。さてさて、昼飯兼昼食の用意をして、お笑い参加の<たかじんのそこまで言って委員会>で、時間を流す。横着な雛達は、藁巣の中で身を寄せ合っている。小さな鳥篭には、藁巣スペースが無い。梱包シートを切って、巣の代用としている餌鉢の底に敷いて遣る。寒さが増せば、背に腹は替えられぬ。巣鉢に入って身を寄せ合えば、寒い冬も凌げるだろう。

 窓外に、雄の四十雀が遣って来た。窓を開けて、『物は試し』である。四十雀は、雑木の枝に止まって、こっちを覗いている。好い線である。待てば、きっと来る筈である。こんな時に限って、車が通る。逃げた四十雀が、何度か至近距離に遣って来る。ああ、今度は、人が来てしまった。まぁ、仕方の無い事である。その内、警戒心を解いて、普通に遊びに来る事であろう。・・・待てば、海路の日和あり。

 寒いのは堪らないから、窓を閉める。夕食の賄い夫までには、昼寝が出来る。その前に、増えた金魚達の様子を眺めて、彼等の特徴を頭に入れて置くか。ラジオでは、落語が始まっている。

心何処ーショート ただ進む秋
                  ただ進む秋(10/11)
 昨日は、使い回しの粕に味噌と砂糖を加えて練り込み、陰干ししたナスを甕に漬け込んだ。労働をしない母子の食卓には、欠かせない自家製漬物である。夜の10時からは、緒形拳さんの<帽子・・・>をじっくり鑑賞させて頂いた。映画の<復讐するは我にあり>との対比とで、私の脳裏に深く刻み込まれる作品に為る事であろう。好い雰囲気が出ていたから、母の部屋に入ってチャンネルを替えて遣った次第である。

 見せる・感じさせる・考えさせる・鑑賞させると云った要素を持つ映画・ドラマには、力がある。力の要素には、絞込みの意図と意思がある。ストーリーを構成するエピソード・登場人物・台詞・幕・演技力・演技力で創り出す間などが、混沌一体となってドラマに、或る雰囲気が醸しだされて来るものの様である。脇を固める者は、主役を引き立たせ、主役が脇を引き立たせる。岸辺一徳・若者・田中裕子の配置が、実に好い。<一級の役者には、一級品の仲間が集う>のである。映画・ドラマは、集団成果である。混沌一体の妙に、下手な解説は無粋であろう。観客は、じっくり、とっくりと鑑賞させて頂けば好いだけである。

 明けて土曜日、午後から仕込んだ切干大根の煮物に、数度の火を入れて味を染込ませた煮物をタップリよそって、奈良漬・焼き海苔・昨日のすき焼きの残り物で、朝飯を食べる。お遍路さんのドキュメンタリーを見て、大きく頷いて部屋に戻る。松本城では全国そば祭りが、開催されているとの事である。

 大分、遅くなってしまった四畳半の生き物レイアウトを終える。成長の一日の進歩には、驚かされる。白と灰の二匹は、下段から上段の止まり行為を、すっかりマスターしている。近々、親雄の追い掛け攻撃行動が、始まるのであろう。何か考えねば為るまい。
 金魚達の餌の食べ方は、半日を掛けてのゆっくり行動である。森クンに喰いちぎられたスカートに、優雅さが復活するのは、マダマダ先の事であろう。グッピィのアルビノ系の薄い黄の体色は、殆どがメスである。プックリと膨らんだ腹は、黒ずんでいる。近々、出産ラッシュが始まるのであろう。そろそろ、原色に近い色合いが欲しいものである。

 何かの変化に目を留めないと、ロートル・篭りの月日の移ろいは、音も匂いも無く、ただ流れ去って行くばかりである。廊下の椅子には、庭を眺める母の姿がある。雲間の秋の日差しは、入ったり出たりの音の無い世界である。渡るは、秋風の涼しさである。居住区を隔てて、定位置に座る部屋には、小鳥達と魚達。窓から流れる風に、壁に吊るしたカレンダーが揺れている。考えるも、考えずも自由。ラジオは何も運ばない、午後の静けさである。

心何処ーショート 詩一つ
             

              秋高く 風渡る
     
      アキアカネ、翼輝かせ 右に左 上に下も
          
          見上げる土手に 柿 色付く
       
       我一人 ロートル寄り合い所 訪ぬれば
          
          長袖アンダーシャツに 大忙し
             
            里は 新米の季節なり
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