旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 賄い夫、偶の繁忙
                 賄い夫、偶の繁忙(9/30)
 いかんいかん、無理の徒労は、堪える。一晩寝かした<虫眼鏡老人・その6>の訂正・補筆をする。10時からは、悪役プロレスラー伝のお時間である。好い番組であるが、明日の大木金太郎を以って、最終回である。残念、もっと付き合いたい男である。グレート・東郷、噛付き魔・ブラッシー、人間山脈・アンドレ・ザ・ジャイアンツの面々であった。解説者が、好い感性と分析力を持った作家である。作家たる者、この位の感性と分析力と比較力を持っていなければ、人様の前に顔を晒す価値が無い。
 
 実は、小生、些かオカンムリなのである。事の発端は、一目も三目も置いている御仁のブログがある。そのブログは、大人の男の詩を掲載しているページである。私の出た処、好い加減駄文と違って、言葉を選んで推敲を重ねて紡ぎ出した御仁の詩篇には、グレードの高さがある。

 そのブログが、この二ヶ月ほど更新が無かったのである。親しい関係にあるブログコメントの遣り取りから推察して、重度の体調不良と心配をしていた処であった。その御仁が何ヶ月振りかで、足跡を残して下さった。新しい詩の後に、その御仁の更新出来なかった心情が綴られていた。 
 私も外観からは見せない、相当なナイーブな心底を隠しているに過ぎないから、その心情が手に取る様に伝わって来た。御仁同様な経験を、私も幾つか積み重ねている。

 感受性と云う物は、両刃の刃である。感受性を感性に替えて、詩の言の葉を紡ぎ出すには、事象に対する繊細な感受性が必要である。個人的繊細なる感受性は、言の葉の表現として、感性の篩(ふるい)に掛けられて研ぎ出されている。創作物と云う物は、感受性と感性に依って、引き出され、選び抜かれた言の葉は、第三者への伝達として説明と想いを込めて、一つの形態を為して発現されているのだと、私は考えている。(思っている)
 然しながら、創作物が、一端、他人の眼に晒されれば、其処にあるものは、手にした者の十人十色の感想である。世の中にある感想・評価は、<○×△>と<無関心>である。作り手としては、ある意図・思い・想いを塗り込めて、作出すのものであるから、作品への想いが強いのは、当然の帰結である。目視出来ない不特定多数ブログ界に投稿すれば、善意の手作り作品が、十人十色の眼に晒されるのである。送り出して、反応を頂戴する受け手としては、極端な態度しては開き直って、聞き流すしかないのである。そうは開き直っても、誤解される事は、人間にとっては、辛い精神状態に置かれるものである。誤解を最小限に留める事にも配慮して紡ぎ出した言の葉が、<けんもほろろ>に否定される。増してや、それが誤解・錯覚に依る誹謗中傷の類を、見ず知らずの者から、浴びせ掛けられたら、精神が病むのは、正常人の感受性の様である。罷り間違えば、人間嫌いに、一気に突入してしまう危険を孕んでいる。感受性は、鋭いほど、壊れ易い側面を併せ持っているのである。

 一介の賄い夫が勢いに任せて、こんな事を、打っても始まらない。本日の本題に入りまする。

 失言・暴言の言葉が、多発されるニュース報道である。失言と暴言は、明らかに使用法が異なると思うのだが、一体如何為っているのだろうか。失言とは、言うべきでない事を<うっかり>言ってしまう事を指し、暴言とは、<あえて>言う事である『筈』である。
 私の頭の中で言うならば、うっかりは、<過失言語>であり、暴言は<故意言語>である。故意言語であるから、確信犯としての自覚が、言語使用者に認識されているのである。ただ、それだけで使用者の信条と大臣の資質・見識が、見て取れるのである。
 ★言論・見識のプロと目される政治家の仕出かす「失言」は、彼等がプロである以上、<プロとして、当然に認識されている内容>と看做されるのであるから、過失として同情・保護される過失度は、一般人とは大きな開きがある。彼等の<うっかり>に基づく軽過失は、その身分故に、重過失と看做され、重過失の責任は、殆ど故意と同義なのである。

  <確信犯は徹底擁護か、罷免か、二つに一つでありましょうや!!>

 こんな単純な政治現象を、四の五の言わずに、言葉で表現するプロとして、マスコミ・テレビコメンテーターの方々は、<一刀両断>に解説したら如何なものだろうか。その方が、余程議事進行が、捗りますですよ。浮いた時間は、核心を突く討論・他議題に回せば好かろう物に! 
        <マスコミ界の皆様、オフザケが、過ぎまする。>
 世の中、何時の辺りから、好い加減な言葉用法に為ってしまったのか! 口先ばかりの正しい日本語表現が、頻繁に飛び交うだけで、その実態は流行語・感情語の流行です。その使用法は、言葉を、無吟味且つ歪曲使用しているだけではないか! それとも、私の頭が脳軟化症??

 さてさて、仏頂面は怪我の元でありまする。本日は、賄い夫仕事がつかえて居ります。温泉銭湯の季節に入りました。風呂の後は、偶にはパン屋に寄りまして、奈良漬の無く成るのは、時間の問題。酒粕の二次利用として、茄子の粕漬けを仕込む積もりでありますから、茄子と塩を帰りに買いまして、塩漬けをした後は、そうそう、米も買いに行かねば為りませぬ。夜の時間は、アニメ映画・ガリバー旅行記の500円DVDを見なければ為りませぬ。
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心何処 虫眼鏡老人 その6
                   虫眼鏡老人 その6
 虫眼鏡老人とダケンの暮らす家の柿の実も、黄橙の色を見せ始めた。庭の中央に位置する白い大きな百日紅の木は、本の少し名残花を見せているだけである。小さな西の菜園では、小振りな秋茄子が顔を覗かせている。その脇には、花を終えた紫蘇の実が、小さく膨らみ始めている。<天高く、馬肥ゆる>の天空高く続く鱗雲は、天候に恵まれないだけで、未だ空に現れて来ないが、清々しい秋の気配は、其処彼処に出番を待っている。スコールはあるものの、台風の来ない田園風景は、殆どが稲刈りを終えている。

 世界の穀倉国では干ばつ騒ぎで、小麦・トウモロコシの価格急騰で食料・肥料を直撃し、そこへオイル価格の高騰状況である。大地と燃料の予想外の展開で、物価高が高止まりの日々である。そして此処に<盛って>来て、借金大国・米発の世界金融危機の報である。年金暮らしで細く長くを、生活モットーとしている虫眼鏡老人のボヤキが、日に日に高く為っている人間と犬の共同生活である。
質実剛健・節約を旨として育った虫眼鏡老人は、生活防衛の為に財布には、その日の買い物支出の金額しか入れて来なくなったのである。欲しくとも、財布に金子が無ければ、手の打ち様が無くなるのであるし、ヘンテリを自認する老人には、変な見栄を張る癖がある。変な見栄の為に電卓も叩けず、眉間に皺を寄せながらのブツブツ暗算を駆使するしかない。その姿は、しばしば滑稽にも映る。

 ★虫眼鏡老人の一身上のプライド擁護としては、大きな声では解説出来ない処であるが、工夫が、庶民生活の最小防衛とばかりに、これも知恵を絞った結果である。
 が、然しである。自分の姿が見えぬのが、人間社会である。ボケ防止の訓練にもなると、老人は自分の工夫にニンマリしている次第なのである。買い物にも、お伴を強要される名犬・ダケンである。老人の買い物中は、彼は大人しく最短のリード紐で、適当な場所に繋がれているのが、常である。ダケンは名犬であるから、そんな時は周囲に配慮して、決まって人畜無害のポーズとして、長々と寝そべって<駄犬の狸寝入り>の態で、老人を待つのである。自転車籠に載ったエコ袋の中身は、彼の嗅覚で簡単に嗅ぎ当てられるし、その量の増減では、手の掛かるものか否かの推量も容易に付いた。

 然しながら、エコ袋を下げて出て来る老人に対しては、嬉しそうに涎を垂らして、尾を振る知恵も見せるのである。
「オヤジのヤツ、今日も、物価高騰分を、手間で帳尻合わせの魂胆だな。善き事、精を出すべし。」
「おいおい、これしか買えんかったわい。春までは物を基準にして、買い物が出来たのに、今じゃ、落ち目の三度笠じゃわい。こうなったら、勝つまで、欲しがりません。省資源国民・一億二千万、総火の玉じゃわい。財布の、軍資金の範囲内の持久戦じゃわい。冬に備えて、燃料費の備えとはな・・・ 先が思い遣られるわいなぁ~」
 自転車の前輪横に、体を寄せて早足の歩調を合わせるダケンは、老人の先導役である。

 食料品を冷蔵庫に納めて来た老人は、縁側に腰掛けて、短いタバコのエコーに火を付ける。ズボンの後ろポケットの財布を取り出して、フ~ンと大きな溜息を付いている。その横で、ダケンは老人を慰める様な舌使いで、素足の老人の足を労わる仕草で舐めている。

「分かる分かる。そうなんだよな。ラジオ情報に勇んで、食糧確保に諏訪湖まで脚を伸ばしたまでは、好かったのに・・結果は、防波堤で、俺の背中を枕に不貞寝の一日。止せば好いのに、数日経ってスーパーで秋田産の小振りワカサギのパックを二つ買い込んで、得意の腕を奮って佃煮を作ったのにさぁ、これが意に反して、諏訪湖産とは雲泥の味と来たもんだ。食い意地1本の舌の肥えた主であるから、箸を付けただけで、<こりぁ、不味い。ワシの口には合わん!!>と、言ったきり、ゴッソリと残してしまった。それを<材料費と手間が掛かっている。勿体無いから、お前食え。>と、全部俺様に押し付けたんじゃ無いの。俺とアンタは、長い付き合いだぜ。下衆の人間舌に合わない物を、『公方犬の舌』に合う訳が無いだろう。好い迷惑だったぜ。俺様は、400年前まで遡れる程、出自が正しいから、文句も言わずに食った振りをしてさ。庭の隅に、穴掘ってゲェーだったんだぜ。」
 縁側に控える雑種にして大型犬は、これまた、名犬にして駄犬である。同情・愚痴・皮肉と腹の中は、思い付いたまま、浮んだままの主人に対しての蔑み感想の羅列である。尤も、彼は計算高い名犬であるから、同情した振りの慰めの舌使いだけは、堂に入った演技力なのである。

 一方、人と犬の関係で絶対の優位を過信する老人は、これまた、拾い主・飼い主の貫禄を、強調して、大分辛い味のショート・シガーの赤橙のエコーを、スパー、スパーと吸いながら、
「ああ、諏訪湖が不味かったなぁ、大分早過ぎた。あれが、ケチの付き始めじゃたわい。あの秋田産のワカサギ見たら、諏訪湖のワカサギを連想して、何時も通りに遣った筈なのに・・・結果論からすると、半日掛けて、ダケンのオカズを作ちまったよ。偽情報のとんだトバッチリだよ。斯く為る上は、NHKの糞たれ野郎、今月分の受信料は、絶対に払わ無ぇぞ。ワシの上等な口が、麻生太郎見てぇに、ひん曲がっちまったぜ。全く許せねえ<ガサネタ>じぁないか。集金のトッツァン捉まえて、部屋に呼び込んで、手製の梅酒は勿体無いから、砂糖抜きの安物コーヒー入れて、たんまり可愛がってくれるわ。イッヒヒヒ・・・ あっ、ワシとした事が、証拠物件に、冷凍保存して置くべきだった・・・ 迂闊だったわ!! それを、ダケンのヤツ、特上珍味だとばかりに、それをガツガツ食べるから、下賎の胃袋がびっくりして、庭にガサツな穴を掘りやがって、クワン、食わん、クワンだと。ワシが知らんと思ってるのか、この罰当たり犬が。」

「ああ、なんちゅう主だ。冗談じゃないぜ、全く。あんな物を体内で消化したら、俺の優良体内消化細菌が、全員消滅しちまうぜ。責任転嫁も大概にしろよ。<反省が、人間を磨く>なんて事を、人間様が日頃近付かないから、腹いせに、俺を練習代に言ってるくせして。この<すり替え老人!!> 世迷言も大概にしろよな。しっかり反省しなさんせ。先が思い遣られるぜ・・・呆ける前に、きっと脳軟化症で、クシャミと一緒に変色した脳味噌が、飛び散るぜ。ああ、想像しただけで、バッチイわさ。若しかしたら、安い中国産ばかりに手を出していたから、毒が回って来たんじゃないか? 急にパスしても、毒素は、体内蓄積するんだぜ。イッヒッヒ。俺なんざ味覚が肥えてるから、ヤバイと思えば、サッサと庭の片隅に穴掘って、ゲェーさ。人間ってヤツは、往生際が悪いから、症状を薬で誤魔化してしまう。悪い習慣だよ。云うに事欠いて、文明・文化の進歩だった言う始末だよ。お前さん達だけが、暮らす地球じゃないのにさ。過ぎたるは、及ばざるが如しが、丸で分かっちゃいねぇよ。<シンプル・イズ・ベスト>で、体内に優良細菌のセンサーを飼育しとけば、自動センサーが、俺様見たいに作動するんだよな。人間世界は、公方犬から見たら、ミイラがミイラの図式だよ。分からんのかね、学習効果の薄い種族ばかりが、蔓延っちゃってさ・・・・ 待て待て、親父に早死にされたら、こっちも困る事態発生じゃないか、いかんいかん、お互い、お互いが頼りじゃないか。此処は、一途に共存共栄が肝心。」

 ダケンは尾を振って、縁側の廊下の端に手を掛けて、愛嬌のワンワンを繰り返す。老人は、飲み頃となった梅酒を切子グラスに、トクトクと注いで空を見上げる。イチイの赤い小さな実が成っている。昆虫を探して、四十雀が庭木を渡っている。秋の小菊が、背丈を延ばし始めている。草臥れの目立つ蝶々が、風に吹かれて、庭を横切る。

「さてさて、天気は悪いが、散歩に行こうか。」
「あいよ。」

 リード紐を首輪に付けずに、手に持った老人と、先払い役をするダケンが、河川敷に降りるコンクリートの階段を静かに下りて行く。草刈の済んだ河川敷に、虫達の声は、静かに地を這って聞こえている。赤味を増して来た蜻蛉が飛び交い、川面を鬼ヤンマが、速いスピードで下って行く。雨の定期訪問を受ける今年の流れは、秋の澄みを湛え始めているし、目一杯に背丈を伸ばしたコスモスが、思い思いの顔と色で風に揺れている。人気の無い平日午後の風景である。

 夕刻から降り始めた雨は、終日の雨に成りそうである。ご近所では、改築が進んだのであろう。建築足場を解体するカンカン、コンコン、トントン、グゥインと金属音が、朝から聞こえている。車庫のシャッターが上げられ、エンジンが掛けられる。娑婆は朝に向かってスタートである。

「さてさて、起きるか、クァ~、朝であるか、ああ、寒くなったものである。年寄りにはキツクなり始める。冬の思いからすれば、上等上等、アアーと来たもんだ。」
と、老人は、足で上布団を蹴ると、何時もの通り寝た儘、伸ばした脚を上下させたり、体を左右に捻ったりの朝のウォーミングアップをするのである。
「おお、主殿のお目覚めであるか、今日は、雨だから、俺様の食事時間は、遅れそうだな。おぅ、ゴソゴソして、着替えをして、布団を上げたか・・・ オッ、来るな。朝のご挨拶に尾を振るか。」

 ダケンは廊下の下で、寝そべった儘、立った耳をピクリピクリと音・気配の方向に向けるだけで、上の老人の行動を追っている。
部屋の障子戸が開けられ、廊下の戸が開けられる。外にはダケンが雨に当たって、前足を揃えて座り、キリッとした耳立てのポーズで、主殿を待っている。
「お早う。雨じぁのう。濡れるから、縁の下に入って居ろ。飯は、暫し待て。」

 餃子騒動があったからは、老人はペット・フードをぴたりと止めてしまった。老人とダケンは、同じ物を食べる様になった。老人の食卓には、必ず魚が付いた。

 雨は、相変わらずシトシトと降り続けている。老人は、書斎で虫眼鏡を磨いている。窓辺に並んだ水槽には、昨日慌てて買って来た小さな流金がユルユルと泳いでいる。諏訪湖から持ち帰ったスズキ目ハゼ科のウキゴリは、デカイ態度とふてぶてしい面構えまでは許せるが、その悪食でグッピィ達を捕食していたらしい。数の目減りに、老人は水槽を分けたのである。グッピィ達を一匹づつ掬って移し替え、ヒーターを投入したのである。然りとて、移し替えた水槽にウキゴリ一匹だけでは、格好が付かない。食害に合わぬ金魚の投入と為った次第である。

 ユラユラ泳ぐ流金の柔らかな尾びれに向かって、水草の茂みからウキゴリが、ツゥーとばかりに攻撃を仕掛けている。空かさず、老人は虫眼鏡を取って、水槽の中を覗く。

「コリャ、乱暴狼藉、いい加減にしろい。その馬鹿デカイ口で、可愛いグッピィを何匹喰らった。ウウン、猪口才なぁ~ 今度は、底に沈んで音無し擬態の様か。お前さん、口を閉じて、石に為った積もりか? ぶ格好なデカイ面に、チョコンと小粒の眼を飛び出させて、知らん振りか・・・ 気付くのが遅かったら、危うく<玉砕の水槽>に変わる処じゃたわ。海のお前達の仲間は、何と呼ばれているか知ってるか? 何にでも喰らい付くダボハゼの『侮称』で呼ばれとんじゃ。お前達は、不味くて食用に供しないから、ダボハゼと罵られて居るのだぞ。同じ仲間のヨシノボリは、天ぷら、佃煮になるから、未だ好としてじゃ、お前のダボは、丸きりの<拿捕>じゃないか。良いか、姿形はカジカにも似るが、カジカはカサゴ目カジカ科にして、美味・高級魚の口じゃわ。醜女(しこめ)・醜男(ぶおとこ)が、金髪・赤毛の美女を襲って、如何する気じゃい。焼もち・チョッカイ・手篭めの気持ちも分からぬ訳ではないが、白昼・夜陰に乗じて問答無用のパクリは無ぇだろう。人間社会じゃ、<連続猟奇殺人鬼>って言うんだぞ、バカ野郎。逆恨みするんだったら、相手が違うだろ。う~ん、何々、体調10cmだと、え~と、今は精々、5cmだから倍のデカサに為る訳か、まぁ、流金と同程度だから、金魚が食われる心配は、無かろう。連れ帰ってしまった責任も否定出来ないから、暫く様子を見るとするか・・・」

 虫眼鏡老人は、卓上スタンドの明かりを近付けて、水草の中段に寝そべる青みを帯びた茶褐色の体色に、青みの斑点模様を浮かべるウキゴリを、黒い大きな天眼鏡で繁々と見詰めて、顔を顰めている。天眼鏡に映し出されるウキゴリは、ドッチ・ボールの玉を押し潰した様な偏円の下に、デカイ口を真一文字に閉じて、申し訳程度の小さな突起の、左右が大きく開いた眼で、老人の眼を確り見据えている。天眼鏡の老人の拡大された眼が、尚もウキゴリに近付いて行く。

「無礼者めが、益々以って、許し難き無反省の態である。この際、きつく申し渡して置くぞ。」

  一つ、獰猛なる食生活を改めて、金魚餌に馴染む事。
  一つ、身の丈を確り弁えて、流金達への卑猥なるスカート捲りは、厳禁の事。
  但し、水草の陰・水底に於いて、優美なるスカートを静かに愛でるは、この限りに非ず。
  一つ、改心の態度著しく認められる時は、褒美として生餌のサシを与える物とする。
  一つ、三条を破りし時は、即刻、ダケンの餌に供されるべし。
                                    奉行虫野眼鏡守。

「まぁ、顔付きを見ても、全く知能の感じられるぬ面構えじゃから、これ以上のご法度細目は、消化不良の段にて、申し渡すに能(あた)わず。ダボハゼこと、ウキゴリに堅く申し渡す。之を以って、本日雨天のお白洲、打ち切りと致す。ギァハハハ。ご先祖様、之で宜しかろうが。」

 縁の下のダケン用毛布を下に、惰眠を貪っている耳に、何やら、老人の書斎から、狂人の高笑いが聞こえて来る。ガバッと身を起こしたものの、外は侘しさ運ぶ、降り止まぬ雨である。少し、聞き耳を立てて見たが、続く気配の無い書斎方向であった。再び、ゴロリと身を横たえたダケン様の動きであった。
「如何した主殿、昼飯には早かろう。俺らは、未だ夢うつつの世界を、うろつきまする。」

          秋雨に沈む盆地は、秋の気配に満ちて来た。
外に出られぬ人も犬も、濡れた蜘蛛の巣が、重く見えるばかりに、時間を弄ぶばかりである。

                        <人と犬の点描> 2008/9/29

心何処ーショート 曇天の寒さ 
                 曇天の寒さ(9/28)
 急に寒く成ってしまった。寒く成ると、途端に寝相が好くなって、朝が億劫に成るものである。耳に、玄関の金華鳥の動きと囀り・鳴き声が聞こえて来る。夏の間は、光の薄い玄関は、一番朝の遅い場所なのである。白んだ部屋の中で、彼等の動きを待っていたのは、つい先だっての事であった。それが、逆転し始めているのである。<光陰矢のごとし>とは、良く言い当てた物である。

 昨日から、目の開いた二羽の雛達は、朝から力強くなった声で、餌を催促している。若鳥達は、変な癖を覚えて、ボレー粉を入れた小鉢を橙の小さな嘴で、ガタゴトと咥え遊びをしている。
 本日、日曜日である。私にだって、サボりたい日はあるのである。サボタージュを決め込んでいると、母の動きである。仕方があるまい。寝床で、不満の大欠伸と咳払いを連発して、床から抜け出す。面倒であるから、本日の朝食は、徹底的に菜食主義である。聞こえは好いが、焼き海苔と昨夜の残りの鉄火味噌と瓜の奈良漬のてんこ盛り、そして私だけ生卵である。さっさと食べ終わり、小鳥の水を取替え、四畳半の窓辺に並べ、グッピィの餌をパラパラである。

 如何した? お得意の水浴びは、羽毛を持ったお前さん達も、<ちと寒い>であるか。
 
 ラジオを付け定位置に座り、インスタント・コーヒーの湯気を啜り、タバコに火を付ける。目の前には、昨日と同様、曇天の灰色の空である。太陽の無い寒さは頂けないが、水槽の水草を半分ほど取り除かねば為るまい。こんな背景では、ダボハゼ森クンの占住区に様変わりしてしまう。ボケーとしていても、体は動くのを嫌々するばかりである。<ああ、女房が恋しい。> いかんいかん、甘え・責任転嫁は、カカア天下の元である。外気に当たるべし、重い腰を上げるしか有るまい。

 面倒であるから、ゴッソリと取り除いて、補給用の水を、川から汲んで来る。森クンはグロテスクな全身を晒されて、罰が悪そうで新しい居場所を探す様に、上下泳ぎを繰り返している。ついでに藁巣の中をじっくり覗いて遣ると、確り開いた両の眼で私を見ると、先を争って<目が潰れる>と言わんばかりに、押し合いへし合い、奥へ身をちぢ込ませるでは無いか! 『失礼千万』の態である。然しながら、こんな事で、日〇組の教育の所為と戯言を口に出してしまえば、辞任の口である。まぁ、最初の親からの刷り込みがあったにせよ、成長過程で、軌道修正も叶うのが生き物の世界である。これからは、否応無く私のお膝元で、修正過程を進級するのであるから、ヒヒヒ、である。
 おやおや、若鳥姉弟は朝を終えて、ピッタリ寄り添って頭を後ろに、羽毛を膨らませてお昼寝のお時間である。森の野郎は、とぼくれた物である。水草の中段に乗っかって、此方を見てデカイ口で欠伸を見せているではないか・・・ 如何やら、諏訪のダボハゼの目からすると、私も四畳半の飼われの身に映るらしい。何やら、とんでもない同居人を、引き込んでしまった様である。

 さてさて、文作、お時間共に宜しい様である。昼飯と共に、たかじんアワーで、悪態参加と致しましょうか。

心何処ーショート 曇天に、憂鬱なり
                 曇天に、憂鬱なり(9/27)
 すっかり寒く成ってしまった物である。長袖が無いと風邪を引いてしまう。散歩も、明るい内にしたりで、ばらつき始めてしまった。東向きの窓から、四畳半に日差しがあると、ホッとする始末である。

 赤スペさんに頂戴した元総理<森クン>は、浮き袋を持たない体質の、三頭身のデカイ顔でノッソリ、チョコチョコ、ノッタリと浮上したり沈んだり、繁茂する水草の<ムラ>から、お出ましになったり、お隠れになったりしている。政治・社会・時事問題を扱う若き管理人さんは、ネーミングの才が御有りである。森クンは、実に嵌っている。彼若しくは彼女の透視反応は、群を抜いている感じである。

 朝の日差しの中で、ラジオがニュースを伝えている。それにしても、異常を通り越して幼児殺人が引き続く。同一犯なら、猟奇犯として特殊囲いが可能であるが、犯人が別なのである。日本全国多発事件と云う処が、如何しようも無い。荒涼とした掴み処の無い精神の披廃の風景は・・・人間精神の病巣は、重症状を加速させているのだろうか・・・

 幼児殺人が衝撃的突発事件なら、<何て事をしやがる、抵抗力の無いいたいけない幼子の命を殺めて、貴様ぁ、それでも血の通った人間か!! 手前ぇ、人間じゃ無ぇ。許せ無ぇ、叩き斬ってくれるわ。>と、即座に反応出来る。そして、そんな感情の衝動が収まって、この人非人野郎め、どんな動機で、どんな状況で、どんな精神の過程を経て、人非人形成が為されて来たのか・・・・ そんな推理の反芻が熱く去来した物である。
 然しながら、こんな風に異常殺人が頻繁化されてしまうと、一つの日常社会現象の情報と為って流れて行ってしまう。実に暗い現代社会の人間界の闇部分である。犯罪に対する怒気が窄んでしまっては、由々しき人間感情である。頻繁さが恒常化して、何時しか無関心化が蔓延して行くこの悪循環・・・ テレビ情報と云う情報の共有化は、事件を慣れと云う繰り返しの内に、事件を矮小化して井戸端会議の感想意見に、明け暮れしてしまう。
 アンドロイドと人間とは、全く異質の物である。然しながら、ガラス目とマニュアル・モンキリ言語・耳にイヤホン、手にケイタイ。街行くスタイル・服装は、似非個性の付和雷同の闊歩である。
 
 これが成熟時代、ゆとりある個性伸ばしの教育・躾だったのだろうか・・・ なるほど、言語表現・服装表現・アクセサリー表現は、番カラ団塊世代と比べたら、隔世の口ポカンのご時世である。然しながら、アンドロイドと人間とは、異質である。最大の違いは情操の有無である。人間社会を構成する情操である以上、ある方向・範囲に留められて然るべき情操であろう。決して、傍観視は出来ない私は、団塊世代である。親世代の日本を引き継いで、次世代に引継ぎを失敗してしまった世代なのであろうから・・・ 私は、無信心者であるが、この欝たる気分は、キリスト教の原罪意識にも通じる物なのだろうか・・・

 帰りの飛行機の中で、再会した<インディ・ジョーンズ>シリーズは、アクションに次ぐアクションシーンの中で、スケール・アップしていた。インディ・ジョーンズ氏を演じるハリソン・フォードさんは、お年を召した表情の弛みに、息苦しい感じが見え見えであった。多分、スーパー・スターのフォード氏と私は、さして歳の違いは無かろう。アンドロイドを演じさせられるフォード氏の姿は、イヤホンの無い私には、奇異に感じられた。音の無い映像世界では、私には、荒唐無稽の商業世界で大スターの彼の大いなる息切れしか、伝わって来なかったのである。やはり、人間はアンドロイドを演じるべきでは無いのである。

 人は世に連れ、世は人に連れでは無いが、歌も映画・ドラマも、人・世の連れ物である。如何やら、人情への回帰の兆しも見えなくも無い昨今である。これ以上の戯れ事ページを進めても、疲れるだけである。新沼謙治の雰囲気に浸る事に致しまする。

<森のひまじんさん>の9/25の『金粉の蕎麦に物申す』の記事では無いが、鈍感・猿真似社会に、真っ向苦言を呈して、常識のヤジロベーを正常値に戻さねば為らない。
是非、お読み下さい。氏の小気味好い文章に、温厚紳士の怒りが炸裂している、一級品のコラムです。

心何処ーショート 語らいに時は流れる 
                語らいに時は流れる(9/26)
 昨夜、食後のテレビを見ていると、明日は雨のマークが付き放しである。若い時から私の弟子を、自認してくれる好漢である。月末のご機嫌伺いに行くべしである。校正・追補の叶った<懐かしのサイパン>とブログ日記の原文ファイルを携えて、自転車を扱ぎ出す。生温かい結構な向かい風に、帰りの道が危ぶまれる。

「サイパン、行って来たの。」
「ああ、行って来たよ。詳細は、読んで如くだよ。」
「あれ、旅行編は、40話に達しているんだね。」
「そうらしい、塵も積もれば40話に為ってしまった訳だ。今回編は23頁だから、読書時間は40~50分位だろう。その間、俺は、ブログ日記を読んでるよ。まぁ、読みましょ。」
「あいよ。」

  兄弟の様な付き合いだから、老眼鏡を掛けると、彼は長々と寝そべって読み始める。
 彼としたら、珍しくNHKラジオを流している。ラジオからは、浪曲が流れる。勝手知ったる彼の部屋といっても、お互い図体のでかい男二人が、寝そべるほどのスペースには、ちと狭い。私は壁に背を預けて、太い足を投げ出してのスタイルである。ファイルに綴じられた自分の文作を9月分から読み始める。今は便利な時代であるから、A-4版に印刷された機械文字は、読書をする段に為ると、視覚的にも有り難いものである。最近、富に増す健忘症と羞恥感の衰えが相俟って、傍観者の一読者の感覚で自作を読む事が出来る。師匠無しの文学に毒されていない分、一般人の書き物としては、まぁまぁの面白さである。彼の進捗具合を見遣りながら、9月分を読み終えて次に進む。真面目な男であるから、不謹慎記述にも目を留めずに、一定スペードで読み進めて行く。ありゃりゃ、不謹慎箇所に馬鹿笑いをしている書き手が、何だか気恥ずかしい気持ちに為って来てしまう。

「Rさん、飲むんだったら、焼酎しか無いけど、適当に遣ってよ。」
「おぅ、分かった。」

 彼の飲み方は、焼酎のアイス・コーヒー割である。ツマミの類は、テーブルに転がっている中から、適当な物を勝手に口に入れれば足りる。
 
 読み終えた彼が、タバコに火を付けて言葉を頭の中で捜し、組み立てる様な表情で考えている。

「旅行に行ったからと云って、スタンスは全然ぶれていないね。居る所、目にする物が、日本の日常とは違うだけで、見て・感じて・考えているのは、やっぱりRさん、その物だものだもんね。本人様はズボラナ人だから、神経質・真面目に見て考えてる訳じゃないのに、脳裏の引き出しから諸々の物が、勝手に浮んでは消えして、其々のシーンに感想を述べているって感じだね。勿論、底にはRさん特有の硬い正確な予備知識があるんだけど、それを雑草の様に手荒く表現したりして、余所行きの知識? 感想を下衆目線に引き直して、刷り込みと現実のギャプを埋めたり、余所行きの刷り込みの好い加減さを批判している独特のタッチだね。知と痴の落差が、表裏一体としてアガタ・リョウの世界を創っている。その世界は、知識を真面目に吸収して、自分自身の組み立てをして、自分自身の言葉・行動で、想像と現実の差をプラン・ドゥ・チャック・プラン・ドゥ・チェックの回転運動で働かせると、世の中、もっともっと面白い世界が、広がりますよって云うメッセージだろうし、意外と結果として、用意周到に組み立てられたサイパン・レポートの意味合いも濃厚なんだろうね。若い頃は、助手を務めていたから、始めたら一気呵成に一発勝負の馬力だからね。俺なんか、逆立ちしても出来ない芸当だったもんね。誤字脱字、説明不足のチェック係りだったもの。」

「おいおい、凄いじゃないの。おい、その線で、コメント書いてくれよ。俺のブログなんか、ゴミの扱いしかされていないんだよ。訪問者は、極限られた人達だけで、コメントを下さる人達は、極稀少の方々だけだよ。そのコメント是非、欲しいよ。お願い、書いて頂戴よ。」
「何をこいてるだい。俺は、10代からの一番弟子だよ。30年以上も弟子遣ってんだよ。皆、お師匠様から感化された物の捉え方の延長線上のコメントでしょうが。でも、俺もTさんも、Rさんの実物を知って、付き合いが長いから空気で分かっているんだけど、ブログ始めてから、ほぼ一年ずらい? 実物・現物の迫力・貫禄・凄みを知らない人は、一体どんな想像・イメージを働かせているのか、俺は、そっちの方が興味あるよ。写真も絵も出さないの?」

「本当は遣りたいんだけど、出来ないんだよ。そこが文科系の辛い処だよ。出来ないから、面倒に為る。面倒は嫌いでさ。それでズボラに徹しちゃうんだよ。物臭だから、面倒を好い事に幼稚なタイトル絵に、不釣合いの硬い長文だけが取り得のブログに、開き直って胡坐を掻く積もりだよ。ある意味じぁ、トコトン活字長文で、自己主張しようと思ってるんだ。写真・絵を入れたら、若しかしたらアクセス数は伸びるかも知れないが、それでは写真・絵に引っ張られてしまうだろ。そしたら、不純物が混入してしまうだろ。自分が何をしたいかって云えば、やっぱり純粋に俺の打った物を活字だけで、読んで欲しいって願望の方が強いもの。それの方が、自己満足の尺度になるだろ。ほら、カラーと白黒映画は、白黒の方が集中力が伴うし、テレビとラジオは、ラジオの方が、動きがない分、疲れないだろう。半分は正解で、半分は俺の逃げ口上だよ。」
「なるほど、Rさんらしいわ。俺も歳を取って、この頃、思うんだけど誕生日って、自分の誕生を祝う事じゃないんだって、分かって来てさ。俺の場合、両親とも他界しちゃったから、両親への哀悼の意味も手伝って、誕生日って、産んでくれた<両親に感謝する日>じゃないかって思う様に為っちゃってさ。両親の存在があって、初めて自分の存在があるんだからね。」

「お前さん、上手い事言うね。良い分析してるよ。50数年掛けて、自分で導き出した実感が篭っているね。活字好きの表面的な輩は、綺麗な表現として、そんな人生的文学表現を口に出すけど、経験して知ると云う実感の伴わない言葉は、心理的重きに置いちゃ、脆弱過ぎるよな。俺に言わせたら、そんなものは、糞喰らえだよ。お前さんも、味が濃く為って来たね。存在の切っ掛けを作ってくれたのは、確かに両親だけど、人生のキャンパスに、自分の色合いを時間を掛けて付けて行くのが、真っ当な人間のする一生だからね。生きる事は、ある面、生き恥を晒す事にも通じるし、挫折の襞に、味が煮詰まるのだろうが、生憎、俺には堪え性が足らん。<上辺に惑わされずに、本質を見抜け>は、俺の中学時の青二才教師が、俺の卒業文集に添えてくれた『文学的書き写し』だと直感して、反発はしたが、俺の心の中の座右の銘だったもんさ。言の葉に、命を注ぎ込むのは、誰でもない。自分自身だからなぁ。真面目過ぎても、不真面目過ぎても、この世の人間としては、<片輪者>だわさ。強弱を付けて、此処一番のメリハリを付けて、硬軟の真面目と不真面目の許容範囲に、踊るのが人間なんだろうね。如何でも良い事は、流れ流されて、その間にエキスを蓄えて置けば、それで好いんじゃないの。自制のブレーキが、すっ飛びやぁ、重力の作用しない<漆黒の宇宙空間>だよ。人間そんな所に放逐されちまやぁ、自殺するか、孤独で狂い死にするのが、関の山だ。人間娑婆世界は、大事にしなくちゃ行けネェものさ。つまりは意に染まぬ輩と仲良くするには、多少の生き恥は、避けちゃ通れねえって寸法だわさ。生きてる限り、絶対の必要経費ってものさ。分かっちゃ居るけど・・・困ったものさ。処で、中国ネェちゃんと上手く言ってるかい? 転ばぬ先の杖だ。サイパン・チャイニーズ・ウォッチングの参考にする処があったら、少しはリトマス試験紙の用も果たすだろうよ。」

「あいあい、<転ばぬ先のフィリピン講座初級講座>共々、参考資料とさせて貰いますわな。話しは変わるけど、★★のヤツ、とうとう倒産しちゃって、雲隠れだよ。あの分厚い旅行記貸せろと持って行ったきりだよ。傑作のロシア編二部作の入ってるシングル・ママの写真コピー付きのヤツだよ。事情は分かるが、とんでもないヤツだよ。」
「そうだな、俺の7月分のファイルも、ママさんから返して貰わなきぁ、貸した物を飲み代付けて、返して貰うなんざぁ、矛盾の権化だよな。これも、娑婆付き合いだ。近々、はしご横丁に顔出しするか。」
「そうだね。そん時は、声掛けてよ。」
「あいよ。」

 外に出ると、ポツリポツリと雨が落ちて来た。ギアをミドルに合わせて、ペダルを扱ぐ。来週には、10月がお目見えする。月日の流れは、有り難くもあり、寂しきもありである。

心何処ーショート 運ぶもの
                 運ぶもの(9/25)
 今朝は朝一番から、土手の大木に為ってしまったケヤキの剪定が、大々的に行われている。クレーン車にチェーン・ソーのご出動である。朝を破って、ウカウカ寝ていられない程の轟音である。
小鳥の世話をして、水槽を覗き込む。昨日、諏訪湖から連れ帰ったダボハゼの様な不恰好なヤツは、一気に水槽の頂点に立っている。見るからに、ふてぶてしい態度で、水草の上に乗っかったり、浮き沈みの水槽探索を繰り返している。底でじっとしていれば好いものを、態度がデカイから目立ってしまう。<馬鹿者め、> 私の部屋では、一番の不細工な存在である。
大きくなったグッピィの一匹に、三色を持った物が漸く現れた。黄・青・赤のバランスが、如何成長するか? 面白いものである。
 日に日に大きくなる金華鳥の雛は、未だ目が開いていないが、羽色が見えて来た。一匹には白、他方は茶である。諏訪湖で居眠りをしていると、M氏から電話が掛かって来た。昨夜・つまりは昨昨夜であるが、電話に出なかった私に、『一大事か』と気に為ったとの事である。今度は、鳥篭持参で里子を引き受けてくれるとの事である。

 先日、一足先にフィリピン・バカンスに行って来た弟は、散々な目に合ったと言う。ニヤニヤして、大愚痴を零して行った。幹事兼会計の御仁が、フィリピ-ナに振り回されて、全ての面倒見役が、会長役の弟の処に回って来てしまったとの事である。
 旅行無尽の会は、我々兄弟に全てを<おんぶに抱っこ>のノーテンキ振りであったから、無理も無かろうが・・・ 引退・賄い夫に徹すると云う私を労って、懐かしのサイパン行で内定していた無尽旅行が、フィリピン組の造反?で頓挫してしまった経緯がある。温厚なM氏であっても、とうとう愛想を付かして別行動を申し出て、私との単独サイパン行をしてしまったのである。仲間外れの弟は、立場上、悔しがるばかりであった。
 無礼講の無尽旅行と言えども、根底には団体行動が厳としてある。親しき仲にも、礼儀あり、団体での公私のけじめを守るのが、<人間の質>の問題である。思えば、愚直一本槍の私には、意に染まぬ付き合い・仕事絡みの無尽会の10年であった。自由行動が取りたければ、勝手知ったる女の居るフィリピンである。現地での行動は、女に任せれば好かろう。それが、毎度の<お手当て>と云うものである。
 個人旅行のお手本は、何度と無く開示していたのに、威張らず・バカに徹してお人好しを実践すれば、現地での輪が広がるのであるが、格好付けばかりが先行する連中である。個人で行けば、誰憚る事も無く自由気儘に振舞う事が出来るのに、それが出来ずに手配・行き帰りの団体行動にだけ、<便乗>する輩が多いのが、この世の実態である。そんな輩達と縁が切れて、私は清々している処である。
 
 未だ現役で小企業を切り盛りしなければ為らない弟は、正統派の無くなった会のメンバーには解散も考える物の、出来の悪いメンバーと愚痴を零しながらも、会長としての職責をして行かなければ為らない立場にある。私から見ると、面倒見が良すぎるから下らない輩に付け込まれるのである。まぁ、それも彼の親分肌・魅力の一つなのであるから、致し方あるまい。

 人間と云うものは、愚痴を<明るく>スパスパと吐ける知己を、身近に持てるか否かで、気分が全く違って来る物である。これも相性の問題、一生の内でそんな御仁と巡り合い、関係を維持して行ける友は、少ないものである。久し振りに浮んだ男歌である。

        友を選ばは 書を読みて 六分の侠気・四分の熱 
          友の情けを訪ぬれば 義ある処 火をも踏む
          妻を娶らば 才長けて 見目麗しく 情けあり 
          恋の情けを訪ぬれば 名を惜しむかな男故    若山牧水

  ★私の注目するブログ人(ひと)に、<和歌山牧粋(酔)>とお呼びしたい御仁夫婦が居られる。
 
 いかんいかん、柄にも無い素地を出してしまった。世界の問題児は、オリンピック報道が終息した途端、真に物騒な内実を公開して下さる。困った相手の国情に、儲け一辺倒の勝者・相も変わらずの他人事・ニッポン官僚体質である。新総理の『国益』の内容に期待して見たい心意気であるが・・・
さてさて、本日分の文作も出来上がりました。浮いたお時間は、肌寒の風に吹かれて、散歩に出掛けまする。

    さすれば、風が何かを教えて下さりましょう。

心何処ーショート 初秋の山麓ドライブ
                初秋の山麓ドライブ(9/24)
 勇んで車に乗る。東の山麓線に乗って出勤前の時間を、諏訪湖に目指す。途中、車道に動物の轢死体を見る。猫とは違うから、好く見る。何と丸々とした立派な狸であった。狸汁・狸毛の歯ブラシ位しか連想が続かない。若い頃、会社に猟友会に入っている人が居て、その人から貴重なる狸肉の大和煮のご相伴に与った事を思い出した。臭みのある肉は、2~3日土に埋めて臭みを抜くのだと聞かされた。脂身の多い大和煮は、柔らかく旨かった覚えがある。朝一番で、市役所に連絡が行き、係りの部員が処理に当たるのだろうが、新鮮で丸々とした狸殿は、如何なる道を辿る事やら。そんな事を考えながら、曇天に開いた明るい空の方向が、諏訪である。

 鎌水門の近くの岸で釣る事にする。トイレに行くと、老人が竿二本で、鯉・鮒釣りをされている。天気は快晴の空に成りつつある。湖上には、手漕ぎボートが三艘浮んでいる。釣り人は5人である。駐車場には、群馬県ナンバーの車が止まっていた。
 こんな早い時期のワカサギ釣りは、初めての経験である。岸からの湖面は、水草ばかりが目立つ。普段と違う様相に、戦意が一気に殺がれてしまった。それでも、魚が居る以上は釣れるのだろうと、高を括って始めたのであるが・・・ 待てど暮らせど、ピクリともお誘いが無い。

   飽きの諏訪湖 のたりくたりと 日差し浴びて ひねもす我が身かな
 
 これでは、湖畔堤防に昼寝に来たような物である。湖上のボート組には、僅かばかりの釣果が見えるが、ボートで繰り出す価値の無い事は、一目瞭然の様子である。こんな時は、雑魚の小鮒がちょっかいを出す物である。彼等は、お呼びでないから、手長えび、水槽で飼える物が、引っ掛かってくれれば有りがたいのであるが、音沙汰なしである。

 周囲の山容を眺め、東の八ヶ岳の広がりに見守られて、程好い秋の日差しの中で、岸壁を枕の居眠りに精を出してしまった。さてさて、地元の強みである。湖上の<群馬勢>を残して、釣れぬ時は、帰るべしである。

 山麓線・塩尻峠の往復ドライブも、偶には好いものである。途中立ち寄ったラーメンの味の悪さに、口直しに無難な店で、また一杯ラーメンを啜ってしまった。付いていない時とは、こんな物である。外道の一匹を水槽に入れて遣る。

心何処ーショート 秋の墓参り
                 秋の墓参り(9/23)
 一切電話の掛かって来ないTの魂胆は、分かり過ぎるほど分かる。午後辺り、<旅行記を読ませろ>の電話が、掛かって来そうな気配である。特急、打っただけの文章では、沽券に拘る。午前中を掛けて、懐かしのサイパン記の校正に取り掛かる。焦りながらも、何とか漕ぎ着ける。想像のサイパンを組み込んで、23頁の旅行記を脱稿した。気に食わない箇所の補正、追補分は、3頁弱の分量と為った。

 本日は秋分の日、方角が同じであるから、オヤジの墓参りの後、ヤツの所に、顔を出せば効率が良い。電話を掛けると、開口一番が、案の定、『出来たか。』であった。
 
 一時間弱の分量であるから、T宅経由で墓参りに行く。墓前には女房・倅が、手向けた花と線香があった。親父は、幸せ者である。母の話に依ると、親父も持てた男らしい。この歳になると、倅は親父に対して、ぞんざいな口を利いてしまう。

<親父、凄いじゃないの、念力で俺の女房を引き寄せちまうなんざぁ、大した物だよ。元気だねぇ、肉体を失って、身が軽いかよ。中年過ぎてから、俺、ドンドン親父に似て来たようだぜ。ケチケチしないで、女を垂らし込む技を教えろよ。普通はなぁ、出来の良い親父って者は、一子相伝ってヤツで、子供に秘伝の技を伝える物だぜ。俺だけ、頭の毛を毟り取って、親父の仲間入りさせといて、秘伝を独り占めとは、往生際が見っとも無いって物だわさ。少しは、心で反省して見ろや。鏡見たって、死んだ者は見えねぇだろうが。何々、婆さんが冥土に来たら、教えるだと。俺に似ずに、往生際の悪い父親だわな。尤もらしい嘘付いても、俺もそれなりの歳だ。嘘が見えちゃうぞえ。そうか、そうか、やっと分かったよ。親父も、異国の女性(にょしょう)に憧れを持っていたって訳だ。可愛そうに、夢が果たせずに、冥土に行ってしまったから、不完全燃焼ってヤツだ。良い歳かっぱらって、焼もち焼いてるんだろ。あなたは父親殿でしょうに、孝行倅に焼もち焼いて、如何するんだよ。それで、ウロチョロ念力三昧かい? こんな親父を持たされちゃ、DNAの濃い俺の冥界も、生臭くて先が楽しみだよ。親父、また、来らぁ。元気にしてろよ。帰るからな。じぁな。追って来るなよ。>

 バカンス行前に聞いたラジオでは、諏訪湖のワカサギ釣りが<快調>との事であった。明日は平日であるから、のんびりと一人、諏訪湖で釣りをして見ようと思った。Tの帰りに、上州屋に寄る事にした。

 Tの所で、2時間程を過す。彼は、気の利く優しい男である。私の為に、オハギ・ドーナツを買って来てくれ、漬物すらも切ってくれる。彼は、既に旅行記を読み終えているから、報告が早い。お茶を入れてくれながら、
「お前は、得なヤツだな。余程、印象の強い男なんだろうな。」
「そりぁ、仕方が無いだろう。世の中、俺ほど禿頭の似合う男は、居ないって事だろう。裏を返せば、恥ずかしくて、外を歩けないって事だよ。」
「いやいや、長い付き合いだ。毛の有った時も、無くなってからも、一発で印象付けるんだから、大したもんだぞ。種付け・生んでくれた父ちゃん・母ちゃんに、感謝しなきぁ罰が当たるってもんだ。如何だ、俺の髪の毛を遣るから、交換するか? 俺は、その顔で充分だぞ。遣りたい放題遣って、恨まれないなんて、何の御利益だい。中国人を論破して、石くら付けられないし、ロシア行きぁ写真の美形が、お迎えだろ。」
「当たり前じゃないか、俺は、お前さんと違って、女運を溜め込んで一気に放出してるんだもの。若い時は、女房一筋の<一穴主義>で真面目を努力して来たんだぜ。俺の余生を計算すりぁ、酸いも辛いも、知ってるお天道様だって、お目溢し位の人情は通じるって物だわさ。言う為れば、無欲のお目溢しってヤツだよ。人間、下心が前面に出ると、碌な事は無かんべさ。」
「そうか、やっぱりお前は、道を踏み間違えたわな。若い時に、俺の助言を聞き入れてりぁ、イッチョ前のスケコマシと詐欺師で、良い人生送れたのになぁ、下らん正義感・プライドと頭の出来が、災いの元だったわな。これを、腹水本に帰らずって言うんだぜ。イッヒヒヒ。」
「お前も、もう直ぐリタイヤだろ。第三の人生如何する。この歳じゃ精々、婆コマシだぞ。コマシたくても、日毎進む健忘症じゃ、まともな詐欺師には為れんぞ。詐欺師と来りぁ、緻密な整合性と抜群の記憶力が必要だぜ。鼻から目に抜ける何て形容詞は、とっくのとんまに、記憶の彼方だぜ。人間、往生際だけは、分かってるだろうな、男の見栄だぜ。」
「そこだよ、そこが切ない処なんだよな。人間老いても、色気は失いたくは無い物さ。下手に物欲しそうな顔してりぁ、外国おネェちゃんにケツの毛まで抜かれて、ボロボロで病院死か、独居老人、人知れず死後4週間を経過して発見なんて、事にも為り兼ねんものなぁ・・・ お互い、困ったいなぁ。如何するやい。」
「やいやい、行けねえ。お先、真っ暗じぁ無いか。賄い夫の時間だ。俺、帰るわ。近々、諏訪湖へ行って、連れ具合を見て来るから、その内、行こうや。」
「あいよ。」

心何処ーショート 普段日記に、先ずは小手調べ
              普段日記に、先ずは小手調べ(9/22)
 昨日は雨のお陰で、早朝6時からの川の草刈が延期されて、ラッキーであった。雑駁な旅行記も、如何にか打ち上げて、宿題を遣り遂げた学生坊主の安堵感である。留守中、諦めていた金華鳥の3卵からは、2匹が孵化していた。残りの1卵は、色から見て無精卵だったのだろう。キリギリス達は、天命を全うしていた。長い間、夏を弾いてくれて感謝の段である。グッピィ達も、小魚達は成長して、中には久し振りに青尾が見える。先ずは、一安心の気分である。

 現在は、耳に馴染んだラジオ・ビタミンのゆったりした語りの時間に、身を置いている処である。帰りの飛行機の中で、最近の映画映像を見た。尤も、それは単に、前々席の画面を目だけで見ていたのであるが・・・ インディ・ジョーンズの最新作である。驚く事無かれ、全編アクションに次ぐアクションの連続である。ロートルには付いて行けぬ<目まぐるしさ>に、ほとほと疲れてしまった。これだけ、<さぁ見ろ、見ろ見ろ!!>と怒号・鞭打ちを発せられては、荒唐無稽を遥かに超越して、<こら、ハリウッド野郎、オフザケで無いよ。>と、そっぽを向いてしまいたい内容である。正に商業化、『バーチャル・ゲームの映画化』としか言い様が無い。野球世代とサッカー世代の違い以上のスピードで、世は流れている様相である。
 こんなスピードで、走らされては・・我々ロートル世代は、姥捨て山どころでは無く、『ロートル隠居王国』を確り築いて、外界とは<鎖国政策>を敢行しなければ、天寿を全う出来なくなってしまう。これは、笑い事では済まされない近未来かも知れない。

 帰って見ると、私の住む長野県長野市の和菓子屋さんの中国産餡子から、マタゾロ出ました有害物質の報道である。中国製餃子・北京オリンピックの長野聖火リレー騒動については、サイパンで四日間に亘る<日中の口先バトル>を交換して来たのであるが・・・ またまた、そのシーンを思い出してしまった処である。指圧店・レストラン経営者の33歳・美形ママさんは、今年中国にお里帰りしたそうである。幼児を抱えるママさんは、<有害物質メラニン入り中国製粉ミルク>の実態に、口角泡を吹いての怒り心頭振りであった。
 然しながら、毒入り中国餃子問題については、中国政府報道一辺倒の繰り返しであった。彼女はサイパン暦17年のグリーン・カードの受給者にして、日本のテレビを見て、日本人をお得意さんとして持つ店の第一線で、目配りをする日本通の若手経営者である。当然、活字情報は、母国語・中国紙である。<日本贔屓?>の彼女はNHKテレビで、この情報を知る事であろうし、関連記事を中国紙で探す事であろう。加えてママさんとして、管理下の40人に及ぶ短期就労ビザの若い娘達との間で、どんな日中の解説をするのだろうか??? 
<私、中国人として、本当に恥ずかしいよ。>の言葉を信用したいのは山々であるが、徹底洗脳教育国家体制の下、彼女達のあどけない笑顔の下の頑なさが、氷解するには、共産主義国家の存在は、最大の阻害・障壁であろう。彼女が熱く語った15年で、『中国は政府の指導の下』で、アメリカ・日本同様の民主国家に成長するの言葉に、私は、何を見出すべきか・・・ <無理>としか答えようが無かった処である。
 
 もう一つ、旅行記本編で書き落としてしまった事がある。木曜フェスティバルの屋台の最後尾に、フリー・チベットの小さな横断幕をバックに<大法輪功>の老若男女の一団が、座禅と合掌のポーズで静止していた。大法輪功については、少々の聞きかじりがあったので、<足長おじさん>の気持ちが動いたチャイニーズ・オネェーチャンに聞いた見た処、次ぎの様な答えが帰って来た。
「お父さん、あの人達、悪い人達ですよ。宗教拝めば、病気治る。体の悪い所も治る言います。食べなくても、大丈夫・死なない言います。病気は、お医者さんが病院で治します。日本でも、そうでしょ。あの人達、皆、嘘吐きです。だから、中国では誰も近付きません。私もあの人達、嫌いです。危ない、悪い人達です。分かりましたか。<お父さん、間違っています。> 同情しては、駄目です。お父さん、頭良いでしょ。騙されるは、バカです。」

 現代日本に住まう日本人として、生まれた国・生まれた時代・受けた教育・受け継いだ遺伝子の偶然の厚遇に、私はホッと安堵するのみである。雨の止んだ曇天に吹く風は、秋色の風である。

心何処ーショート 現実のサイパン 4日目
                    <4日目>
 サイパンに来て、最高のお天気である。本日は、ある小さなビーチを探す心算である。三回目のサイパン行の折に、空港前の火炎樹並木の素晴らしさに魅せられて、4人でバイクを連ねて写真を撮りに来た事があった。先頭を全く好い加減な私が、走っていた。人工物の少ない風景が好きな私は、滑走路に沿ってバイクを走らせていた。すると、100%島の原風景の様な中に、脇道が1本下っていた。下り道=海であるから、何かしらの海の写真が撮れると思い、そのままガタガタ道を下って行くと、旧日本軍の小さな陣地跡があった。中年男達は元を正せば、棒切れを振り回して、野山を駆け回った連中である。何が飛び出すか分からない南洋の脇道行は、嫌が上にも少年時代の冒険心を、呼び起こしていた。
 尚も道を下ると一気に視界が開けた。4人とも、童心に返って、目を輝かせて頷き握手を交わしてしまった。プライベート・ビーチの形容がぴったりする小さな人影の無い絶景が、広がっていたのである。眼前左には、海に侵食されたドーム状のホールが大きな口を広げ、中央には取り残された様な大岩が、無造作にゴロンと海に転がり、右には荒々しい岸壁が紺碧の海にそそり立っていた。ビーチには大きな落差があったから、バイクを降りて下に下らねば為らなかった。

      絶海の自然の造形美は、実にダイナミックであった。
        M氏の写真帳の中でも、出色の写真である。

 一度一人出来たサイパンで、洋々を後ろに乗せて、ビーチを探しに来たのであるが・・・見付ける事が出来なかった。M氏・S氏も、試みた事があったらしいが、不首尾に終わったと言う。本日の主目的は、記憶のビーチ探しであった。滑走路周辺の道々を何度も辿って見たが、失敗に終わってしまった。とうとう諦めて、ガラパンの反対側の幹線道路を戻る。途中、ラウラウ・ビーチの標識に従って、長い脇道を進む。漸くビーチに出た場所は、無尽旅行最盛期であった頃、バイク十数台を連ねて、島一周をしていた時に立ち寄ったビーチであった。千畳敷の様な平坦な岩床の一部に、四角くプールの様に抉られた深みを持つビーチであった。潮の干満の所為で平坦な岩床は、海に覆われていた。好い写真が撮れない様子であるが、兎に角、熱い日差しに剥き出しの皮膚が焦げる感じである。密林の中のガタガタ道は、結構勾配がある。鬱蒼とした密林は、光と影のしじまの中にある。

      ♪真っ赤な太陽、燃えている。果てない南の大空に、
          轟き渡る雄叫びは、ハリマオ、ハリマオ。
                  僕らのハリマオ♪
 
 昨年のウラジオストク・ウスキー島の軍事防衛道路の人為的悪路と比べると、数十倍も整った道路であるが、何処からでもハリマオのゲリラ隊が出て来ても、可笑しくは無い雰囲気である。こんな場所を、昨日・今日、日本から遣って来たロートル男二人が、バイクで走っているのであるから、治安と云うよりもチャモロの人達が純朴なのであろう。再び幹線道路に出て、植物園を通過する。アップ・ダウンの続く島の幹線道路の一つである。適当な辺りで、横断道路にカーブを切る。島の中央辺りの横断道路を渡り切ったと思ったのだが、見事に目測を誤って、ガラパンをバンザイ・クリーフよりに大きくオーバー・ランしてしまった。
 この頃に成ると、剥き出しの肌は、日焼けで真っ赤に為っている。島の3/4は、優に走ってしまった。執拗に幻のビーチを探し続けた分を、直線に引き伸ばせば、ほぼ島内一周を走っている事であろう。ロートル+メタボ走行であったから、もう、バイクは嫌の気分であった。明日分の食料を調達して、ガソリンスタンドで満タンにして、バイクを返却する事にした。

 道脇の水路を覗くと、グッピィの3倍ほどの小魚達が泳いでいる。大通りを横断してその水路は、街の隅を海に流れている。嘗ては、空き地に成っている側は、雑草が伸び放題でゴミが散乱して、昼間でも大きなネズミが、ノソノソと徘徊していたものである。それが、水路の周辺は雑草が刈られて、すっきりしている。雨季?の水量の所為か、濁りの水にも魚達の種類と泳ぎが、はっきり見る事が出来る。マナーの向上なのか、管理の向上なのかは、定かではないが、こんな所にも島の客層と客を待ち構える住人達の変化が見て取れた。
 それにしても、白人観光客の姿が多くなった物である。有色人種の心底には、少なからず白人願望・コンプレックスが付いて回る。公衆道徳については、有色人種よりも、白人種の方が上である。行儀の良い日本人であっても、有色人種には日本人の行儀の良さを見落しがちである。然し、白人種の行儀の良さは、異人種であるが故に目立ち、素直に感化され易いものである。サイパンの所有者チャモロ人は、観光の為に島を観光客に提供しているのである。提供物をきれいに使用して貰うに、超した事は無かろう。施政権がアメリカに移れば、遅かれ早かれ島の中国人の数は絞られる筈である。サイパンは、品好く南洋のリゾート島の地位を、築いて行くのだろう。私としては、そんな島の未来を『可』としたい。

 本日木曜日は、チャモロ人達が主役の、ガラパンのフェスティバルである。踊りがあり、屋台が並ぶ。週に一度の彼等が、踊り、稼ぐ夜なのである。これが<行政の知恵>なのであろうが、チャイニーズには、その妥協が分からないらしい。前は、目抜き通りで開催されていた通りは、木が植わり歩行者天国の街造りに成っている。ホテル前横断道路に、テントが張られている。すっきりした設営振りは、やはりアメリカナイズされている。ツーリング疲れを、2時間ほどの睡眠で回復すべきである。幸い通りを見下ろす6階が、我々の部屋である。

「さて、最後の夜ですな。綺麗な白人オネェさんでも、見物に行きますか。」
「居るかなぁ、」
「大丈夫、あなた、信じなさいよ。信じる門に、美人来るアルヨ。」

 ホテルを出た所が、フェスィバル会場である。現在チャモロ女性の民族踊りの真っ最中である。ドンドコ・ドンドコのリズムに乗って、腰振りダンスの汗が光る。ショーステージは、黒集りの人垣にして、道路幅の半分を使ったテントの中は、アクセサリー・土産物・果物・野菜、そして2/3以上が、6品5ドルの屋台フード店で占められている。三ホテルが立ち並ぶ通りは、ホテルの宿泊客が大挙して見物に繰り出しているのであるから、相当な人の量である。

「Mさん、居た居た。ウォ~ 綺麗!! ビューティフル・ガール!!」
「さすがに、目が速いじゃないの、何処何処、やぁ、綺麗だね。」
「さぁさぁ、Mさん、近付いて、口を閉じて、鼻で深呼吸アルヨ。ハリウッドの女優なんか、目じゃないよ。金髪・ボンボン、ボア~ン。二人とも、甲乙付けがたいよ。カァ~ 何か、ファッションショーから、切り取った感じの二人だね。完全に他を圧倒してバリアが掛かってるよ。浮き立った異次元空間だよ。こりぁ、何だね。何て、表現しますか・・・<歩く美のバリア>って物だよ。チクショウメ、振るい付きたく為るもんね。ストーカーしますか?」
「Rちゃ、無理無理、脚の長さが、こんなに違うよ。追い付かないよ。」
「クァ~ シングル・ママ思い出しちゃったよ。Mさん、ロシアに行こうよ。会いたく為っちゃったよ。ありぁ、芸術品だよ。」

 人込みは疲れるから、指圧マッサージ店の外ベンチを借りて、ウォッチング開始である。
「お兄さん、夜食べた?」
「今日は、屋台で買って食べるよ。」
「それ駄目ですよ。チャモロの料理不味いですよ。汚いですよ。食べると、皆、お腹、痛いですよ。ホントですよ。私、何人も見てますよ。」
「可愛い顔して、中国人、駄目なぁ、週に一回だぞ。中国レストラン最低5ドル、チャモロは6品5ドルだよ。儲け少ないよ。此処は、チャモロの島だぞ。中国人だけ稼いだら、チャモロの人達可愛そう、きっと面白く無いだろ。仲良くする為には、バランスを考えろ。<私だけの幸せ>を考えるから、チャイニーズ、世界から嫌われる。分かるか? 分からないか、中国人、バカね。」
「マッサージは、するでしょ。」
「ああ、約束だから、今日は二人でするよ。おいおい、あそこで、店の娘、バーベキュウ食べてる。ありぁ、如何云う事だ。」
「ああ、彼女、食べるの大好き。しょうがないヨ。」
「何じゃ、そりぁ。中国人は、困ったもんだよ。」

「Rちゃ、さっきの金髪オネェちゃん、何処行ったんだろうね。もう、見れないかね。」
「ノウノウ、アナタ、ソレ違う。二人とも、自分達が格好良い美人組だって事、充分認識してるアルヨ。彼女達は、絶対の自信持ってるから、見せびらかしに来るよ。
美人は、男達共有の宝物アルヨ。美人の拝観料は、口ポカンで、一心に見惚れて遣る事アルヨ。そうすれば、美人は喜ぶアルヨ。これ、男と女のルールです。<古今東西の暗黙のルール>。私、一杯一杯、観察・研究したあるよ。あなた、私、ニッポンジン。ニッポンジン、信用して損ないよ。私、口上手の中国人と違うよ。<真面目なスケベ>よ。ホラホラ、来た来た。
今度は、こっち側、無視のポーズで歩くあるよ。口閉じて、鼻の穴、おっぴろげて、深呼吸して味合うアルヨ。これ、ビンボー人が、ウナギ屋の前で、握り飯食う<江戸の知恵>アルヨ。ウッシッシ。
美人は、何処の国の女も、皆同じ。これ、美人のサービスの一環アルヨ。美しいは、お天道様からの授かり物。美人、お天道様に感謝の代わりに、世の中の男達の為に、ビーナスの美を無料でサービスする約束したアルヨ。」

 人込みの少なくなった処で、バイキング屋台で、晩飯をチョイスする。6品+ドリンク一杯=5ドルは、食べ切れない程のボリュームであった。外人客の投宿の多いハリアット・ホテル入り口に白人男性が、パックを開けて食べている。会釈をすると、スペースを空けて、手招きしてくれた。彼は食べ終わると、バーイと言って手を振って、屋台に消えて行った。


                    <帰国日>
 例によって、部屋で朝食を済ませる。残った食料・ウイスキー・ツマミ類は、漫才に付き合ってくれた中国娘に食べて貰う事にした。帰り支度をして、シャワーを浴びる。チェック・アウトは12時からである。部屋で時間を待っていても、仕方の無い事であるから、ロビーでコーヒータイムを長く取る事にして、レストランに渡しに行く。

 ロビーでコーヒーを飲んでいると、壁に面白い物を見付けた。大分前に読んだ本の中で、ポリネシアの人達は、航海術に優れていたそうである。彼等が古代から伝わる羅針盤兼航海図は、竹で編まれた折り畳み式の道具であったらしい。北極星・南十字星を網目の定位置に入れると、方向と距離、島々なども印されていたそうである。この記述を読んだ時、必要は発明・加工の母にして、必要に向かう考察・考案は、何処の国・どの時代にあっても、必然の流れと痛く感心したものである。羅針盤ばかりが、唯一絶対の発見ではない。そんな感慨を強く持った事を思い出した。それを図形化したものが、目の前の壁に掛かっていたのである。
 
 ショート・バカンスの終わりに当たって、今回の旅を振り返ると、世界四大発明の羅針盤を男女の羅針盤として、性愛に置き換えて悪ふざけをした後に、マーシャル諸島のホテルで南洋航海の民達が、使った羅針盤の実際にお目に掛かったのである。

 大急ぎで打ち進めた今旅行記であるが、如何やら格好の落ちに辿り着いた様である。
明日から、退屈な賄い夫日記が、再開されます。長文のお付き合い、真に有難う御座いました。

心何処ーショート 現実のサイパン 3日目
                   3日目
 朝から雨である。如何やら、この時季は雨季に当たるのだろう。部屋で朝飯を食べながら、NHKのテレビと付き合う。サブプライム・ローン問題の破綻で、米大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻したニュースで大揺れの模様である。自民党総裁選は、5候補揃っての<政治巡業>が映し出されている。視覚に訴える事を最優先させる巡業場所は、<政治倦怠層>には触手を、益々遠のかせる結果に為るかも知れぬ。或る女性候補を見ていると、作り手・テレビの分業化に依るキャスター職の実像と虚像のギャップの差を、まざまざと見せ付けられている様である。
 雲の上のマスコミ業界の実体は、以外や以外で、想像以上の底の浅さを露呈してしまった様子である。
 
 以下は、彼女には大変申し訳の無い『下衆の勘繰り』でしか無い。一笑に付されませ。
<注目議員先生。お宅は、作られた客寄せパンダさんですぞよ。その実力の無さは、厚化粧で糊塗しようとも、頭の中までは化粧が浸透する訳が無かろうと拝察致しまする。・・・ 口を開けば、ほらほら、虚像の化粧が剥げ落ちまする。台本を読むのと台本を書くのは、明らかに質の異なる脳の作用で御座いまするぞ。元大臣閣下、失礼ながら、才能の使用方法の違いが、ご理解為されていない様でありまする。見た処、腰がお悪い様子と気遣われまする。椎間板ヘルニアを病む様な、腰に力の入らぬ格好に見えまする。此処は、腰痛安静に徹し為されませ。出来レース自民党総裁選と云えども、強行軍でありまする。お年の割りに歩行仕草が、脆弱に映りまする。安静・ご自愛が相応しいかと拝察致しまする。自民党総裁選は、『三福角大中』と活字の躍った時代では、政治格闘技の殺気を孕んでいたものでありまする。格闘技である以上、ボクシング同様にセコンド側から、タオルを投げ込まれる事も御座いましょう。成熟した政治家たらんとする者に、『ぶりっ子』が推されている構図は、行けません。日本国民の民度を軽視されている様で、実に腹立たしい限りでありまする。
 乗せる★★に、浮き浮き乗かる★★。兎角、この世は、化粧・糊塗の目立って何ぼの末法現世。嗚呼、還りたや、己の度量を知って、足るを知る時代に・・・>

 雨の小降りを見て、バイクで近くの免税店に付き合う事にする。免税店の裏の一角に、定宿としていた三流ホテルがある。帰りに顔を見せに行く。長期宿泊客を相手にする二階建てのこじんまりとしたホテルである。コの字型の造りには、植栽が何種類か植わっていた。雨を受ける木々は、すっかり大きくなっていた。小さな受付を覗くと、台湾人のオウナーが、座っている。ガラス戸をトントンとノックすると、顔を上げて懐かしそうに出て来て、握手をしてくれた。
 同年代に属する中肉中背の男性である。彼は、英語に混じる片言の和単語である。私は、日本語に混じる英単語の遣り取りである。お互い表情を見て取って、表情と知っている単語を精一杯拡大解釈して、感情交換する間柄である。お互い日本色の強い東洋人であるから、<以心伝心>のコミニュケーション術なのである。
 此処でも、来年からの施政権アメリカへの心配と、客層の変化に頭を抱え込んでいる様子であった。現在は、下の階が長期滞在客で埋まっているとの事であった。格安チケットが航空料金だけの分離建て為らば、日本人は本当に安い予算額で、海外旅行が可能なのであるが、タイアップしているホテル料金込みのツアー募集をしている関係上、日本人は真に不利な海外旅行を強いられているのが、現状である。ホテル料込みの航空チケットの方が、航空チケットのみの料金よりも安いのである。頭の構造が粗雑に出来上がっている私には、理解の出来ない<業界の狡猾算術>なのである。コネの無い一般個人の力では、如何しようも無い<業界圧力・横暴の沙汰>である。
 
 堂々と罷り通る業界の横暴の壁が、取り除かれれば、日本人の団体行動癖は緩和され、もっともっと大らかにして、自由の利く海外旅行が体験出来る筈である。日本人に欠ける物の一つに、『個人で考える力』が、乏しいと云う。穿った物の見方をすれば、こんな処にも、そんな原因があるのかも知れない。人間、バカに徹すれば開ける<人間の輪>も、出来ようものなのである。

 これで、一通り思い出巡りは完了である。明日は、懸案のビーチに辿り着けるか?である。
バイクをレストランに乗り付けて、昼飯を食べる。後は、夜を待って指圧とママさんとの日中交換会をこなせば終わりである。それまでの時間は、ホテルのロビーで読書の時間を取れば、善かろう。

心何処ーショート 現実のサイパン 2日目
                   2日目
 ホテルの部屋で、パンとハム・即席麺と味噌汁で朝食を済ませ、バイクに乗る。バンザイ・クリーフに進路を取る。途中、ラ・フェスタに立ち寄るが、クローズされていた。南洋の島に、忍び寄る植物の勢いは、速い。人影を失った往時の建物は、うら寂しく風雨に晒されて、コンクリートの壁には黒いカビが生えている。ガラス戸の割られた室内は、誰が捨てたか分からないゴミが目立つ。ガラパンの免税店に対抗して立てられた人工物は、人を失って朽ち果てるのを待つしか無いのだろうか・・・ この建物の中にあった、イタリア・レストランのイカ墨スパゲティの味が、思い出された。通りの反対のゴーカート場も、南国の太陽の下で熱く眠っていた。
 尚も進むと、巨大岩の聳え立つ砲台跡がある。岩肌に幾つも砲弾の炸裂した跡を刻む絶壁は、島の顔でもある。車の行き交いは、既に無く・・・私達は、絶好の背景の中を、バイクを走らせる。バンザイ・クリーフは、慰霊塔・慰霊碑が海に対して、並んでいる。その真新しさ故に、何かぎこちない佇まいを見せている。

 M氏は、望遠レンズをセットして、写真を撮っている。私は数箇所をデジカメに納めた儘、慰霊碑の文字を読んで回る。外人観光客のマイクロバスが止まった。顔付き・雰囲気が、ロシア人の一行の様である。彼等の言葉に聞き耳を立てて、確認をする。彼等のバンザイ・クリーフに対する想いは、変わらない様である。意外と長い彼等の見学時間に、一行の心も感じるものがあったのであろう。これも、自由を手にしつつある、原油高好景気に沸くロシアの一端であろう。
白御影の石灯籠の被り物が、二基とも割られていた。慰霊碑に手向けられた線香は、中国製の黄色の線香である。線香に混じって、線香花火の様な物が焚かれ、打ち上げ花火が発射されている。芝生には、火を付けたであろう紙の燃え滓が、黒々と散らかっている。ブロンズの観音像の片腕は、無残にも捥がれていた。そして、観音像の礎石に付いていたであろう金属のプレートは、そっくり剥ぎ取られていた。絶海の孤島に死を強いられた御霊に、線香を手向ける気持ちを佳として、行儀の悪さに目を瞑るか・・・日本人の判断としては、微妙な処がある。下衆の予断は、先送りする事にした。

 常夏の緑の生垣の中で、鈴虫に似た虫の声が、小さくリーン・リーンと響いている。<東風吹かば、思い起こせよ・・・>の菅原道真の歌が浮んだ。遠い故郷日本を想い、火炎樹は<南洋桜>とも呼ばれていたそうである。合掌するしかない激戦絶望の痕跡である。

 タバコを吸いながら、ペットボトルの水を飲んでいると、チラホラと観光客が車で遣って来た。若い日本人男女の笑い声とスナップ写真の風景には、団塊の世代は、如何しても馴染めない処である。再び、熱いシートに跨って、エンジンを掛ける。

 歳を取ると、流石にバイクは疲れる。途中、海岸に降りる。地元の人しか来ない隠れスポットである。遠く、珊瑚焦に砕け散る外洋の白波が、時を止めて、心地よい限りである。遠くまで続く浅瀬には、魚を取っている人の頭が二つ見える。持って来た双眼鏡のピントを合わせる。近場には、高校生と思しき少年達が、4人遊んでいる。白い半月状のビーチには、中年の男が投げ網を肩に、ゆっくりした足取りで、海を眺めながら歩いている。
 半月の白いビーチの終わりには、小さな植物の生えた小島が浮んでいる。眼前の珊瑚礁と外洋の大波の鬩ぎ合いは、左手から右手へと一定間隔で、白い波頭を太陽にザザーと反射させている。浜には、バーベキューをする為の屋根付き・素通しの建物が、二つ並んでいる。勿論、観光スポットではないから、自生の椰子の木が取り囲んでいる。此処は、自生の緑が覆うビーチである。スズメの半分程の黒い体色に、背中に深紅の色を配した小鳥が、椰子の木々を渡っている。剥き出しの車の轍が残る小道の脇には、火炎樹が静かに、花を咲かせている。サイパン島は、至る処に小道の奥にビーチを、見付ける事が出来る。小道の先には、何百年も変わらぬエメラルド・グリーンの珊瑚の海と白いビーチと椰子の緑に、潮騒が流れる時が止まっているのである。

 M氏はカメラを構えて、シャッターを切っている模様である。波の一瞬を捉えるのが、儘為らないと苦笑いをしている。写真は、一瞬に賭ける感性である。私は、嘗てこのビーチで遊んだ彼の人との思い出のショットを幾つか脳裏から取り出して、椰子の木陰に海洋の光のしじまに、暫し鼻下長の夢想タイムである。

 遅い昼飯を、中華レストランで取る。二階の指圧サロンには、出入り口が二箇所ある。その一つが、このレストランの入り口にある。木製のベンチがあって、道行く観光客に彼女達は、必ず一人一人に、呼び込みを掛けるのが仕事である。ママさんの知り合いのお触れを頂いて、私達コンビは、勝手し放題の無礼講の扱いである。
「お兄さん、今日は何処行った? あなた、凄いよ。ママさん、言っていたよ。全部、負けたよ。ママさん、凄いよ。頭、好いの人。そのママさん、全部負けた。あなた、凄い人よ。そして、一番のスケベな日本人、言っていたよ。」
「そうか、お前さん、口上手なぁ~ 歳は幾つだ。如何だ。俺の娘に為るか?」
「好いよ。お父さん。ママ言ってたよ。スケベは、口だけ。本当は、凄く好いの人。信用出来る人。私、バカだから、嘘言わないよ。」
 彼女は、体格の確りした娘である。鼻の高く・大きい処が、磨けば上玉の口である。素直で、好奇心が旺盛で、私のスケベ口撃にも悪びれずに、明るくグイグイ切り替えして来る。嫌味の無い笑顔と機転の速さは、私の脳軟化症とは雲泥の切れ味を持っている。私に財力と品の好ささえあれば、<足長おじさん>を買って出たい処なのである。こんな子は、日本で生まれ育っていたら、きっと気さくで確りした考えを持って、好い女・女房・母親に為る事だろう。

 ほろ酔い気分で部屋に戻り、缶ビールを飲んだ後は、ベットで何時の間にか寝入る。

 起きると、私は約束であるから、一時間の指圧マッサージに行く。M氏はその間、部屋で読書に費やして、頃合を見計らって下の中華レストランで私と落ち合って、晩飯を食べる。M氏はその間、部屋で読書に費やす。そんな寸法である。
 私が二階に上がって行けば、人懐こい小娘達の笑顔と好奇の眼が待っている。本日分の指圧嬢は、小柄なガッシリした体格である。壷を押す彼女の指の具合が、きっと壷に鋭角に入るのだろう。かなりの痛さである。硬そうな感じのおネェさんであるから、スケベ・トークが意に染まぬ事態に発展したら、<痛の壷>を大盛りで喰らってしまう懸念が先行する。何と云っても、バスタオルの下は、無防備なトランク一枚の姿である。大中国3000年・4000年の歴史には、小日本の歴史は、如何にも小さ過ぎる。世の中、TPOに重きを置いて、時として、<静かなる事、林の如し>で臨む必要もあるのである。分厚い皮下脂肪に食い込む小指に、その威力の源泉に、只管、顔を顰め歯を食い縛るのみであった。

こんな私でも、歓迎してくれる店は、何とか繁盛して欲しいと望むのは、これまた、お人好し日本人の平均的気持ちの動きである。数人の日本人客の到来に、一安心である。「私が行くまで、待っていて下さい。」のママさんの送り出しに、店を出る。

 M氏は晩飯後は、読み掛けの本を読むという。レストランの中国服を着たおネェさんと、得意のトークとゼスチャーでふざけていると、ママさんが遣って来た。お連れは、昨日指圧をしてくれた茶髪の鰓の張ったおネェちゃんである。彼女は私に対しては、悪い印象を持っている様子である。ママさんに言われて、私はノート持参である。彼女は年恰好から云うと、反日教育の真っ只中での洗脳教育を、骨の髄まで教育されている臭いが、プンプンするタイプであった。ママさんが連れて来た真意を測り兼ねて、先ずは質問を受ける。彼女が言うには、相当高度な教育を受けているとの事であった。

 彼女の質問の始めは、世界四大発明を書けとの仰せである。『へへへ。』日本男児として売られた喧嘩は、買わなければ為らないのである。大学受験は、幸い世界史であったから、紙・火薬・羅針盤・活版印刷と漢字で書く。彼女達には、多少の評価があった様子である。中国人達は、オリンピック・セレモニーでの事大主義演出で、きっと歴史を誇る世界の大国として、<有頂天>に為っているのであろう。生意気な小娘の、自信に満ち溢れた態度である。『困ったおネェちゃんである。』
 私は、その横に=を付けて、<事大主義>と書いて遣った。二人に、空かさず目を三角にされてしまった。必要=発明の母、必要=需要、需要=改善・改良、必需品=世界共有財産と書いた。そして、中国=紙=木材=木簡・竹簡。バビロニア=粘土版、エジプト=パピルス、西洋=獣皮と書いた。目的・手段・最寄の材料と続け、時計→スイス→ニッポン→中国と書いた。発明=自然現象の観察=同時期・多数類似発見・・・と書いて遣った。駄目押しに、世界四大発明の所有権の吹聴=現代工業製品・商品の商標所有権の保護(知的所有権の保護)と記した。私は、分からず屋の若い中国女生徒を相手に、お仕置き付きの4時間に及ぶ講義をさせられてしまった。

 こんな事は、分からず屋相手に、日本でもチョクチョク経験する事である。理解する、説得するとは、大概に於いて労を尽くさねば為らない必要過程でしかない事である。ママさんの柔らかさに救われて、如何にか若いおネェさんに、一党独裁体制下での狭隘・偏向教育に対する疑問の楔を打ち込む切っ掛けと為れば、これも好い刺激になる筈であろう。でなければ、彼女にとっても、折角、外国の異文化に接触した経験が、生きないと云う物である。

 私の専門分野は、スケベ話とその誇張ゼスチャーなのであるが、時には祖国日本を発言・主張する場合も出て来るものである。こんな中で、つくづくと感じさせられる事であるが、教育と云う物は、二つの大きな側面から成り立っているor目的としていると云う点である。一つは知識の習得であり、一つは躾なのである。知識習得については、説明を要するまでも無いから、パスする事にして、躾面について考えさせられる事が多い。躾とは、作法・マナーを習得する事なのであろう。作法の内容については、他人・相手・組織・社会・国家・外国に対する物の考え方、反応(行為・言動)の仕方なのだと感じている次第である。それは、当然に相手に対する態度に表れて来る。相手への意思交換の手段・形態は、当然に会話である。そして、会話は、話す事と聞く事で成立する言の葉のキャチ・ボールなのである。強調民族と協調民族との作法の差は、感情の衝突に発展する事が、日常茶飯事の風景でもある。

「こら、バカ垂れが、お前さん、パンは、どうやって作るか知ってるか。小麦粉を捏ねて、イースト菌を混ぜて、パン生地を寝かせるんだぞ。パン生地にイースト菌が程好く回って、初めてふっくらとしたパンが焼き上がるんだぞ。それを、お前さんは何だ。ああ云えば、違うと顔引きつらせて、聞く耳を持たないじゃないか。そんな人間は、拙くて食えないぞ。人間も同じだぞ。俺から見たら、お前さんは、嘴の黄色い<跳ね返りヒヨコ>じゃないか。自分の中に、色んな側面を持った自分の分身を育てて、自問自答のイースト菌を取り入れて、熟成させなくちゃお客の他人様には、提供出来んだろうが。残念だったな、お前さんの一種類しか生息しない頭脳菌には、<スケベ=変態=低脳児=最低男>の選別しか出来なかった訳だ。図星だろう。アッハハハ。
参ったか。降参だったら、謝礼にオッパイ触らせて見ろ。」
「あなた、やっぱりドスケベよ。でも、あなた、頭凄く良い。ママ、全部負けたの分かるヨ。」
「だから、お前はバカなんだよ。俺が利口なんじゃ無いよ。ニッポンの教育が立派なんだよ。教育は、客観的でなくちゃ進歩が無いんだよ。一方的に為ったら、片手落ちの喧嘩議論になるじゃ無いか。教条主義から、脱する良い機会だよ。知れば、人間の表情は、豊かに柔らかく、深みを増すものだよ。そうすれば、化粧無しで、スッポンポンの体でも、充分良い女に為る筈だよ。」
「Rさん、今日の話、好かったよ。勉強に為ったよ。明日は、何喋るよ。」

 明らかに、私は草臥れモードに為っていた。ベットに身を潜らせるが、M氏の大鼾に眠りが遠のくばかりであった。弱り目に祟り目の寝返りの連続であった。つくづくと、分不相応は、身に堪える物である。トホホなり・・・

心何処ーショート 現実のサイパン 初日
                現実のサイパン(9/20)
 <初日>
 意に反して、ノース・アメリカン機は満員である。嘗ての不良中年達を大量に運んだサイパン便は、若い男女・若年家族・若い女性達で占められている。それに、熟年夫婦も結構居る。そんな中にあって、往時の不良中年組の残滓の様な私とM氏の姿は、肩身が狭いのであるが、二人とも体格だけは好い。従って、肩身を狭くするのは、エコノミークラスのシート上だけである。5ドルの有料酒類を飲んで、3時間半の窮屈座席に耐える。数回の微睡の内に、サイパン国際空港に着く。インターネット情報に依ると、停電事態は峠を越して、ドイツから購入した13基の発電機が稼動しているとの事であった。先ずは、幸先の好い歓迎振りなのであろう。
 バスに乗り込んで、ホテルに向かう。花期を終えた火炎樹は30~40cmの藤の様な緑の種房を実らせている。そして申し訳程度の赤い花を所々に載せているだけである。考えて見ると、6月の旅行が多かったから、その頃が深紅の火炎樹の見所であったのだろう。現在は、申し訳程度の赤い花を所々、アーチ型の緑の樹勢に載せているだけである。考えて見ると、6月の旅行が多かったから、その頃が深紅の火炎樹の見所であったのだろう。

 イメージの中のサイパンは、常夏の緑の中で静かである。刈り込んだ道路脇には、選挙のポスターが並び立つ。

 来年からサイパンは、言うならば、アメリカに吸収合併の形を取るそうである。表向きはテロ対策らしいが、本態は対中国への軍事的備えであろう。サイパンの中国勢力の蚕食攻勢へのチャモロ人達の焦りの気持とアメリカの対中国政策が、タイミング好く合致したのであろう。1902年の日韓整合のテロップを頭の中に流しながら、ポスターの候補者達の顔付きを眺めて行く。嘗てインディアンと呼ばれたアメリカ先住民への生活保護政策?は、彼等の精神的荒廃を招いているとの内実が、チラホラ散見される処であるが・・・ サイパンの人達にとっての選択は、韓国的に為るのか? 台湾的に為るのか? 世界史に興味のあった私としては、この辺りも、想像しながらインプットしようと思う。

 ホテルは、6Fのガラパンの街に窓を開ける部屋であった。鞄を置いて、ズボンを短パンに履き替えて、バイクを借りに行く。バイクの数が3倍程に膨れ上がっている。隣にあった日本人の経営していたレンタル・バイク店は姿を消していた。事務所はこじんまりと新しくなっていた。韓国オヤジは、競争に勝利を収めた模様である。駐車場には、従業員のチャモロ人の若い男が立っていた。ドアを開けると、血色の良くなって丸みの出て来たオヤジが、愛想一杯の笑顔で迎えてくれた。

「おぅ、何年振りか? あ~、4年、5年か。元気ね。安心したよ。何時来た? 」
「今、着いた。オヤジ、儲かってるなぁ。悪い事してるんじゃないか? 」
「あなた、何言うか、真面目の商売で、ここまで来たよ。どう、凄いだろ。店、新しくして、オーディオ入れたよ。全部で200万掛かったよ。来年から、サイパン、アメリカになる。私、心配よ。ガラパン、変わったよ。見たか。チャイニーズ少なくなって、品が好くなったよ。」
「そうだね、目抜き通り、すっきりしたね。好い感じだよ。歩行者天国だね。米・日・韓は、同盟国だけど、過去を気にし過ぎて、日本人騙して、ボルと追い出されるぞ。」
「あなた、何言うか、私、真面目。グリーン・カードあるよ。大丈夫。商売出来るよ。おう、そうそう、綺麗になったよ。木曜は、前より賑やかに為ったよ。居るだろ?」
「金曜日に帰るから大丈夫だよ。如何した? オヤジ、オカマにでも為ったか、何だ、その手は?」
「お前、何時も口悪いな。今、歯無いよ。明日、私の歯来るよ。歯無いから、調子悪い。恥ずかしい。」
「生意気言うから、チャモロに殴られて、歯がすっとんだか? チャモロの島で、稼がせて貰ってる気持ちを無くしたら、歯は生えて来ないぞ。分かってるか?」

 そんな話をしていると、奥さんが入って来た。想像していたよりも、奥さんは変わっていなかった。生活が安定して、二人とも落ち着きと丸みが出て来た。幸せそうで、苦労の甲斐が有った様子が見て取れる。今日と返還日の分はサービスしてくれ、しかも5ドルの割引までしてくれた。値引きさせる気持は毛頭無いが、値引きを口実にオヤジをからかって遣ろうと思っていたのに、当てが外れて拍子抜けしてしまった。

 バイクに乗って、スーパーでビール・ウイスキー、食料品などを調達して部屋に戻る。夜には間があるから、部屋で缶ビールを開けてほろ酔い気分で、ベットで墜落睡眠の大鼾の内に、真夜中3時活動の睡眠不足を補う。

 爆睡後は、身体がシャキとするものである。慣れ親しんだ界隈を探索しに行く。目抜き通りを曲がれば、「社長さん・社長さん、女要らないか。歌のカラオケ、女30人居るよ。安いよ。好い女一杯居るよ。」と、早速のお声が掛かる街角である。飛行機の客層を見れば、往時の主流商売は、完全にマイナー商売に転落してしまっている。これも時の流れの内である。今回のメイン会場の<ロシアン・ルーレット>を確認して、小さな一角をぶらつく。白人観光客が多くなった物である。

 マイナーだった★★指圧が、目抜き通りに大きく店を広げていた。若いママさんは顔見知りであったから、時間潰しに、客呼びのオネェちゃんに聞いて見ると、二階に居るとの事であった。

「おぅ、久し振り、覚えているよ。あなた、4年・5年振りね。来てくれたは、嬉しいよ。」
「ママさんも、すっかり好い女に為ったじゃないの。凄いね。商売繁盛で、大きく為ったね。」
スラリとした彼女は、山口智子の顔に中山麻理?のきつさを忍ばせた雰囲気を持った30前半の美形・中国女性である。彼女は洋々の友達であったから、彼女の経営するラーメン屋で話をしていた知り合いの1人であった。滞在中の食事は、彼女の店ですれば<安上がり>だと売り込みをされる。中華レストランは、ホテルの真ん前でもあるし、彼女の人柄は信用出来るから、彼女の助言に従う事にする。義理を果たすのも、お人好し日本人のリラックス・ムードの一つである。ロシアン・ルーレットは、ニッポン・不良中年グループの撤退によって、4年前に店を畳んでしまったとの事である。M氏との共通の楽しみスポットが、サイパンの夜から消滅してしまったのである。

<アリヤリャ、これでは、飛行機の中と同様に、我ら二人は、浦島太郎の悲哀である。> 

 立ち直れない程のショックを訴えると、ママさん曰く、昼はバイクで島内ツーリングをして、昼飯・晩飯はレストランで食事をして、夜はマッサージ。11時からは、レストランで私とミーティングでホテルに帰ってグッスリ眠る。そんなスケージュールを立てられてしまった。まぁ、若いピチピチした中国マッサージ娘達の間に入って、日本と中国の歳の離れた漫才ごっこを、只で繰り広げられるのであるから、これも愉しみの一つである。

 さてさて、得意のスケベ・トークとゼスチャーをフル回転させて、サービスに、これ努めまする。
相手は、箸が転ろげでも笑いこける『お年頃』である。しかも、彼女達は、ママさんのスカウトに合格した一定レベル以上の粒揃い達である。文句を言ったら、お天道様の罰が下ると言う物である。

「おい、其処の娘、恥ずかしくない。ちょっと来い。日本人を教えてやる。カモンカモン。」
「おぅ、あなた、一番のスケベ。厭らしい。私、分かりません。」
「お兄さん、その手は、ダメですよ。その手、危ない。悪い手。私達、皆、真面目です。日本語、勉強しています。日本語、教えて下さい。スケベェ~な日本語は、必要ないです。」
「分かった。俺達は、お兄さん違うよ。日本語じゃ、おじさん、お爺ちゃんって言うんだぞ。中国人、口ばかり上手な。嘘吐きは、ドロボーの始まりだぞ。日本じゃ、刑務所に入れられて、ベロ切られちゃうぞ。そうなったら、好きの人に、<ウォ、アイ、ニィ。好き好き、オール・ナイト、SEX、ヘイバー、ヘイバー。咥えて、アイーゴ、アイーゴ。アイ・ラブ・ユー。言えないぞ。オッパイ、此処、寂しいな~。如何するよ? 必要だから、膨らんでる。これ、神様が決めた事よ。私の言葉、神様の言葉よ。私、気持ち好く無いよ。男と女寂しいよ。これ、不幸よ。」
「ブーブー、あなた、それ、スケベな話でしょ。私、耳無いよ。恥ずかしいの話は、ダメですよ。」
「ノウノウ、それ、あなた間違ってるよ。あなた達中国人、皆、間違ってるよ。私、正直だけよ。紙と書く物。ルック・アット・ディスペーパーあるよ。<結婚=性愛=歓喜=幸福> 孔子・孟子・毛沢東・江青みんな、言ったよ。中国四大発明知ってるか、紙・火薬・羅針盤・性愛あるよ。性愛は、中国一万年の歴史あるよ。知らないは、バカよ。もう一度、義務教育して来るあるよ。」
「ああ、あなた頭好いよ。でも、口上手・嘘上手。あなたの気持ち、大スケベよ。恥ずかしいよ。でも好いよ。面白いよ。明るいスケベな。心優しいの人よ。分かるよ。私、バカじゃないよ。」
「ほぅ、中国人、頭悪いな。頭好いは、スケベな。私、女の体マッサージの先生な。お金要らないよ。只で気持ち好いマッサージするよ。日本人、優しい。只で女気持ち好くするよ。あなた、するか?」
「何言う。ニッポンジン、世界で一番のスケベ。あなた、ニッポンジンの中で、一番のスケベ。」
「そうか、有難う。私、嬉しいよ。スケベは、<平和の家>あるよ。あなた、バカね。性愛は、スッポンポンでSexするよ。人間は、裸で戦争出来ないよ。これ、平和でしょう。気持ち好いは、喧嘩しないでしょう。だから、スケベは大事よ。大事な事否定するは、あなた、駄目でしょう? ニッポンの学校、世界人類みな兄弟。仲良く平和する事、大事。教えるよ。
ドウ、ユー、アンダスタンド、ミィ? OK?」
「私、バカだから、日本語、分からない。中国は兄弟、Sexしないよ。」
「分からないは、考えるの好くない。目を閉じて、私のマッサージ受けるの宜しいあるよ。アッハハハ。」

 サテサテ、指圧マッサージのお時間である。この店の指圧は、大分痛い。タイ式マッサージの流れを汲むのであろう。ママさんの選んでくれた指圧嬢は、私の背骨と肋骨の継ぎ目を、力任せに圧して来る。私の性向には、マゾ気質は皆無である。声を上げたい程の痛みの中には、お仕置きの意味合いも込められているのだろうか、壷を攻めに攻められて、<弱音を吐くな>の男子高校の『校是』を唱えるばかりの一時間の苦行であった。これも、スケベ漫才の対価なのであろう。

 マッサージ嫌いのM氏は、人懐こい中国娘にせがまれて、彼女達の日本語の教科書に則って、日本語の先生役をこなしている。<気持ちが好いのか、開放されてホッとする?>私に、小娘達が取り巻いて、お茶を入れてくれる。
 帰ろうとする我々に、ママさんが後30分で、片付くから下のレストランで待っていてと言う。積もる話に花を咲かせてしまい、2時半までじっくり話し込んでしまった。日本人と中国人の話は、漢字さえ知っていれば、話が膨らむものである。日本のスナックでこんな意気投合の話をして時間を潰せば、財布の中身が目減りするのは、必然の事態なのであるが、一銭も掛からない美形対談は、願ったり叶ったりの雰囲気であった。私は頭髪が無い分、<坊主丸儲け>の外国人トークのお時間であった。滞在中、このパターンで行く事を約束して、深夜のホテルに帰った次第である。これも、洋々の取り持ってくれた人と人のご縁の一つである。


心何処ーショート 想像のサイパン・他
                 お知らせ(9/14)
 さて、想い出探しのサイパン行は、目前である。9/15~19のショート・バカンスであります。留守中のブログの空白は、以下の駄文にて、失礼させて頂きまする。想像力の乏しき身でありますから、多分こんな展開に為ると諦めて居りまする。それでは暫くの間、ご機嫌宜しく。

                   想像のサイパン
 機内食後の赤ワインの微睡から覚めると、眼下に硫黄島があった。肥満体の臀部は、エコノミー・シートに痺れを来たして、睡眠を微睡(まどろみ)に保っている。後半分の我慢である。再び目を瞑り、微睡の世界を行ったり来たりしている。

 大きくカーブを切った機体は、高度を下げて行く。エンジンを切った状態の推進力は、何時もと同様に気持の好い物ではない。翼の下に、絵葉書の様なエメラルドグリーンとネイビーブルー、白いビーチのサイパン島が、形を大きくして来る。車輪を出す金属音に、滑走路に接輪する衝撃を堪え様と、体が自然と緊張する。ゴォー、ガッガッと軋んだ機体が、滑走路にブレーキを掛ける。滑走路に下りた機体が、カーブしてゆっくりと進む。
 見慣れた椰子葉屋根を模した、ローカル色の空港ターミナルが見える。タラップからは、滑走路の水溜りが見える。スコールの去った南洋の島・サイパン空港は、湿度の高いムッとする暑さの中にあった。南洋気候にして、懐かしさに反応する脳裏に、過去のシーンが回って来る。

 空港ターミナル前の広々とした火焔樹の並木は、何時も通りに開放感と濃い緑に深紅の花を、熱い青空に照らしている。緑・深紅・青・そしてシュークリーム状に、累々と並ぶ雲の群れ。
「何時見ても、見事な風景だね。フィリピンより、よっぽど好いね。」
「そうだね。でも、Rチャは、ウラジオストクが好かったんじゃないの。付きあわせちゃったもんね。恋路を邪魔したかな。」
「別に、そんな事も無いよ。サイパンはお別れに、何時かは来たと思うよ。一緒に、足を運んだ所だもの。先ずは、タバコで一服付けますか。」

 ホテル差し向けのワゴン車に乗って、ガラパンに向かう。サイパンは、4~5年振りである。空港前の通りを過ぎて左に回ると、下り坂である。道路の左右の風景を、M氏と頷きながら見て行く。今回は、迎え人の無いサイパンである。云うならば、想い出を懐かしむサイパン島である。
 
 この10年程は、相部屋のカラクリ(1部屋・1泊がプライスなのであるから、1人1部屋の方が自由が利いて、好いに決まっている。)が分かって、旅行会社には世話に為らずに、航空券だけで男のバカンスに繰り出していた。お互い、夜の自由を放棄してしまったから、相部屋は懐かしくもある。
「如何する? バイク借りに行って、そこら辺、確かめに行きますか?」
「そうだね。バイク屋の韓国親父も、孫が出来てるかも知れんね。からかいに行きますか。」

 短パンにTシャツ、サングラス。首にはタオル、夏の帽子を被って、ビーチサンダルをペタペタ鳴らしてのニッポンジン・メタボ歩きの二人である。バブル華やかなりし頃、Tが<世界でも、これほど節操の無い街角は珍しい>と、呆れ返っていたホテル前のメイン通りは、静かに為ったものである。オサマ・ビンラビインのアルカイダ騒ぎから、客層が一気に変わってしまったサイパン島である。金に対する嗅覚の鋭い如何わしいチャイニーズの去った街角は、熱い空気の中に揺らいで見えた。中国マッサージの店の前を通り掛ると、見覚えのある大柄中年のチャイニーズ・ママさんに、グィと腕を掴れた。

「おぅ、私、あなた知ってます。久し振りな~。」
「人違いだよ。」
「私、バカじゃないよ。帽子、サングラス、取りなさいよ。」
「こうか。」
「ほら、頭、毛無いでしょ。私達、友達でしょう。嘘つきは、駄目です。」
「しょうがねぇな、Mさん、煩いから、中でお茶でも飲んで行きましょうか。」
 
  こんな遣り取りが普通であるから、M氏は、例の如くニヤニヤして眺めている。
 ソファに我々二人は、大きな態度で座り、ママさんからジャスミン茶を入れて貰う。店にしたら、一切、金に為らない観光客なのであるが、こんな処が、中国人の人懐こさの現れである。

「親しいみたいだね、如何云う関係?」
「ママさんは変人だから、俺みたいなのが、好みなんだってさ。」
「そうです。私、この顔大好きです。これ、男の顔、男前でしょ。ナイス・フェイスです。」
「遣ったの?」
「私は、その気だけど、この男、女が居たからね。」
「ハハハ、それ洋々だ。」
「そうそう、二人、有名だったからね。コレすると、直ぐ分かるからね。女の世界は怖いよ。」
「ママさん、しなくて良かったよ。この人とすると、ガニマタに為っちゃうから、嘘付いても、直ぐバレちゃうよ。」
「何言ってる、あなた。中国大きいよ。ニッポン、小さいよ。私、中国人よ。スモール・カントリー、ニッポン大丈夫よ。北京オリンピック、中国勝ったでしょう。ニッポン、小さい、弱いよ。ジュードー、女。中国に負けたよ。」
「上手い事言うじゃないの。世界には個別・例外って事も、ワンサカあるよ。この人、ロシアサイズだよ。日本語で、宝の持ち腐れって言うんだぜ。ママさん、旦那にばれちゃうよ。」
「旦那死んだ。大丈夫よ。男は、味で決めるから、日本人は、大味好きじゃないから、チャイニーズ・テイストが勝つわよ。あなた、心配要らない。任せなさいよ。私のマッサージ、テクニシャンよ。どう、マッサージして行くか? 友達プライスで好いよ。」
「やいやい、口じゃ適わないわ。このまま居たんじゃ、化け物扱いだわ。恥ずかしいから、穴があったら、隠れたいよ。」
「穴は、ここにあるでしょ。アッハハ。」
「アリガトさんよ。又、お茶飲みに寄るよ。お互い、元気で好かったよ。」

 マッサージ店の2階には、ロシアン・ルーレットの店が、健在であった。通りを渡ると、貸しバイク屋がある。相変わらず商売の事務所は小さい。島の貸しバイク屋の走りであった。客の少さをぼやくオヤジに、ディスカウントを強引に決めて、島にいる間バイクを借り切って、不良中年グループが10数台、韓国製50ccバイクを島中乗り回して、行く度に宣伝塔をして遣ったのである。店は、二人乗りバイクを揃え、終いにはフオルクス・ワーゲンまで揃えて、娘さんはハワイの大学にまで行ったのである。親父は胃弱であるから、太れないのである。

 ドアを開けると、小柄で痩せこけた韓国人の親父が、テレビを見ている。サングラスの他人顔で親父の前に立つと、オヤジの奴は、ギョロリと三下ヤクザの面相で、顔を上げると、
「おぅ、生きていたか、ニッポンのヤクザ。」
「この馬鹿野郎。相変わらず、日本語、下手だね。ヤクザと紳士は違うぜ。奥さん元気か、如何した?ミス・マッチの美人を嫁さんにするから、遠に逃げられたんだろ。正直に言って見ろ。」
「失礼な事言うな!! おぅ、マイ・ワイフ、元気よ。愛し合ってるよ。久し振り、久し振りで、電話するよ。直ぐ来るよ。冷たい水あるよ。」

 程なくして、奥さんが遣って来た。無尽メンバーの中に、奥さんのファンが1人居て、奥さんが気さくで美人だった事から、おふざけのからかいが始まったから、旦那はそれを真に受けて、険しい顔付きで口から唾を飛ばしていたものである。そんな奥さんも、大分お年を召された。

            私のご夫人に対する挨拶は、
「お久し振り、相変わらず美人ですなぁ~ 奥様お手を拝借。」と、
ご夫人の手を取って、束子の様な顎下の髭ブラシで扱くのが、私の女性に対するご挨拶なのである。ご夫婦共に、私の変な癖を知っているので、にこやかに痛がる奥さんと、
「このバカヤロ、スケベ・オヤジ!! 私のワイフに何するか。ニッポンジン、お前、駄目だ。」と、コメカミに青筋立てる親父の表情が、好対照なのである。何しろ、韓国男の口数は、多く且つ激しいのであるが、こんな事で動じてしまったら、友情にひびを入れる軽挙なのである。

 私とオヤジのバカ漫才を、M氏は奥さんの横で、声を挙げて笑い飛ばしている。然し、その手は、これ見よがしに変な動きを強調しているのである。
「あなた、何してる。私をバカにしてるな。」
「デートの打ち合わせだよ。」
と、M氏も剛の者、好きの者、隅に置けぬ者である。
「何言うか、ニッポンジンの中年男、不良、スケベ。マイ・ワイフ、ハート・ピュア。お前達、デンジャラス。セパレート、もっと離れる。OK。それで、何時まで居る?」

 談笑の内に、バイクを借りてスーパーに乗り付ける。今までは、台湾人がオーナーの三流ホテルを定宿にしていたから、キッチン・食器を借りてセルフ・サービスの感じで、日本から持ち寄った食材で、男料理をしていたものである。普段家事をしない男達であっても、共同で飯を作って食べるのは、一寸した合宿感覚で楽しいものである。ビール、ツマミ、果物を買い込んで行く。

 ホテルの部屋に戻って、シャワーを浴びてビールを飲む。一寝入りすれば、丁度夜の時間帯である。ピーナツと裂きイカをツマミに、缶ビールを開けている内にドッと疲れが出て来て、瞼が急速に重くなって来た。ロートル・オヤジ二人は、其々のベットに長々と身を乗せると、間もなく大鼾を、あんぐりと明けた口で合唱している。テラスには、サンセットの赤い太陽が、椰子の葉陰に身を沈めようとしている。

「Mさん、何処で飯食おうか? 日本食、韓国、それとも、ぶらぶらしている内に適当で、食いますか。」
「出た処の衝動で、好いでしょう。夜の予定は、ロシアン・ルーレットで、ロシアのネェちゃん見るだけだからね。」

 連休バカンス客を送り出したガラパンは、ロートル夫婦客の姿が多い。湿気の暑さが、南洋の夜である。加えて目的の無い冷やかし歩きであるから、ぶらぶら歩きの速度は、ビーチ・サンダルをだらしなく引き摺るばかりである。

「チャイニーズが少ないと、何か拍子抜けしちゃうね。」
「全盛期の頃は、酷かったものね。何処歩いても、チャイニーズ男が近付いて来て、『社長さん、社長さん、女要らないか。』これ一辺倒だったからね。テレビなんかじぁ、買春する日本人オッサンが、日本人の面汚しなんて散々叩かれていたけど、経験者からすると、チャイニーズの方が、商売熱心だったもんね。日本のマスコミは、真実を伝えてなかった物ね。異国エロスの手招きの前に、女房・恋人の非同伴の男は、オッサンもお兄チャンも、大差は無いからね。」
「どんな奇麗事を並べても、売春と泥棒は、世界最古の商売だって話だよ。」
「そりぁ、そうよ。<シンプル イズ ベスト>は、古今東西の摂理だもの。」
「お遊びでシンプル・イズ・ベストをしようがしまいが、人間の中身が変わる訳無いのにね。エロ本的プレーヤー崇拝は、芳しくは無いけど、悪戯に目くじら立てて、倫理だけで軽蔑する程の事でも無いのにね。所詮、不毛地帯に、愛だの恋だのリップサービスとゼスチャーを商売で演出するから、薄平らな騙しの蟻地獄に引き摺られちゃうんだよ。フィリピン組、鼻声でネェちゃん達に集(たか)られてるんだろうね。可愛そうに。」
「そりぁ、そうだ。鬼平半科帖なんかじゃ、<悪所通い>なんて台詞が、チョコチョコ出て来るし、お江戸の草双紙なんかの研究に依ると、恋愛・性愛の手解きは、廓で時間を掛けて学んでいたらしいよ。それも、恋文・付文の参考例から始まって、服装・口説き文句・殺し文句まであって、大ベストセラーだったらしいよ。それに、お江戸の時代には、女もオープンで積極的だったから、女の方からの逆軟派も一般的で、お盛んだった様だよ。猫も杓子もエコ時代で、お江戸の資源循環社会を賞賛し切っているけど、その循環社会を構成していたのは、何の事は無い。飲む・打つ・買うの町人文化でしょうが。矛盾こそが、庶民のエネルギーだと思うよ。」
「嘘だぁ~、ホンマかいな。」
「俺が知ってる訳、無いじゃないの。俺の仕込み元は、お江戸風俗史を研究為されている法政大学の教授女史のテレビ講座だから、間違いないでしょう。何しろ、動かない証拠資料が揃っているもの。学問の前に、浅学非才の俺達は、平伏するより他ないじゃないの。浮世絵で芸術の域まで達した木版版画の極彩色の春画入りの指南書だよ。大量印刷可能な供給と需給の世界だよ。感化されないバカは居ないじゃないの。」
「ちょっと、待ってよ。その先生、着物着て日曜日の〇〇のコメンテーターで出てるでしょ。」
「そうだよ。」
「道理で、あの女教授さん、中々の目付きしてるもの。あれかね、Rちゃ、あの雰囲気は、先天的と後天的と、どっちだと思う。」
「そりぁ、Mさん、あの目付きだよ。先天性に学問で磨きを掛けたんでしょうでしょうに。俗に云う処の彼女の天職でしょ。でなきぁ、あの妖艶さは、滲んで来ないでしょうに。」
「きっと、好みの口ズラ。イッヒッヒ。」
「やあやあ、あの歳で衰えぬ<あの妖艶さ>だよ。取り付かれたら根こそぎ吸い取られて、俺ぁ、『腎虚』の果てに殺されちゃうよ。俺だって、攻めの運動量と受身の運動量を、足し算引き算して見りぁ、腹八分目が、命の元くらい知ってる積りだよ。根っ子は、俺インテリだよ。」
「へぇ、こんな処にも、腹八分目の言葉を使うとは、知らなんだ。物書きと一緒に居ると、勉強に成るね。好し、覚えた。今夜のロシアン・ルーレットで、とくと観察させも貰うわ。へへへ。こりぁ、注目点が出来て、興味津々だわ。アルコール控えなくちゃ。イッヒヒ。焼肉にしましょうよ。近い事だし。」
「やいやい、Mさんの誘導尋問に掛かっちゃ、俺の知性は、痴性一辺倒に為っちまうぜ。イカンイカン、口は災いの元だね。自重しますか。へへへ。」
「巧い事こいちゃって、焼肉食べるんだったら、此処の二階美味かったでしょ。上がりますか。」

 韓国人の経営する焼き肉屋である。店の女主は、貫禄のある偉ら振った態度で、目を光らせて居る。従業員を見下した様な雰囲気には、些か虫唾が走るが、呉女史に依ると、それが労使の韓国スタイルとの事であるから、日本人貧民層からは、文化の違いと無視するしかあるまい。然しながら、味は日本人好みである。相変わらず、若い従業員達には、睨みが行き届いている感じであるが、彼女の態度には高圧感がある。思い出の重なる店であるが、その相手が不在であるから腹が膨れれば、出るのが先決である。

           さて、今夜のメーン・エベント場に直行である。
 南洋の夜風に、白いビルのベランダにロシア・ホステス嬢達が、通りの観光客に白人美形の微笑みで手を振っている。通りの向かいには、小柄なフィリピーナ・ホステス達が、黄色い声を張り上げて、客を手招きしている。不良中年、男の鼻の下が、ズズィーと伸びる。これまた、正常な反応の一つである。
「いいねいいね。ズッコケの本領発揮と行きますか。演技が出来なきゃ、日本男児じぁ無かんべさ。人生、苦あって楽ありですよ。」
「エンジン、快調。ロシア通、頼みますよ。」
「いらっしゃいませ~。」
と、ベランダの美形団が、ドアを開けてくれる。薄暗いカウンターには、痩躯長身の金髪ママさんが、青い瞳を大きくさせて、
「おう、アナタはスケベちゃん。久し振り、元気だった? 何時来た?」
と、破顔一笑、細い指で私の頬を撫で上げてくれる。

 この店は、ママさんの出身地カラフトは、州都ユーノサハリンスク出身の女性達で占められている。彼女の妹達が、代わる代わる遣って来る。妹の中でも、ロシア人として中肉中背の金髪・ブルー・アイの頬の涼やかな美形イリーナとは、波長が好く合ったものである。個人的好みは別として、以外や以外で、ロシアの人達は飾らないから、飛び込んでしまえば、アット・ホームな感じを知る事も出来るのである。この店の最初のお相手〇〇さんが、引っ込み思案の私に、ロシア女性の好印象の先鞭を付けてくれたのである。云う為らば、憧れのドアを明けてくれた店である。
店には、必ず死角の位置がある。羽目を外す為には、其処に陣取る事が先決である。ブランクはあるものの、チョクチョク顔を出した店である。M氏と座って、懐かしさにニヤニヤしながらタバコを吸おうとすると、ライターが点り、やおら禿頭をペチャと叩かれた。

「オゥ、アナターハ、イリーナさん。ビュ~ティフル・ガール。アイ・ラブ・ユー。チュチュッ。」
「ハ~イ、Rさん。私を覚えていましたね。嬉しいです。チュチュッ。」

 これは、50の手習いで覚えたロシア人との民間親善のマナーである。稀少の機会である。美形の白人女性を相手に、腰を退いていては、善隣親善は叶わないのである。彼女達は、クレージーが好みなのである。中学英語では、クレージーとは気違いを指すのであるが、彼女達のクレージーは、変わり者のニュアンスでしか無いのである。手を握る、柔らかい微妙な所を、軽くライト感覚でタッチする事くらいは、厭らしささえ出さなければ、立派なスキン・シップと看做してくれる大らかさを持っているのである。彼女達の眼差し・仕草には、日本では博物館入りしてしまった<男は度胸、女は愛嬌>に通じるソフト感が、息づいているのである。
 その証拠に、彼女達の耳元で、下ネタ言葉を囁けば、色白の彼女達は、途端に顔を朱に染めるのである。つまりは裃(かもしも)を脱いで、頭を些かクレージー・モードに切り替えて、一歩踏み込めば、日本人は異次元の男女感を味わえるのである。これは、大人しく行儀良く座すれば、縮まらぬ異人種の垣根である。
 チュチュッほどのキスなどは、日本流に解釈しては誤解の元である。幼児性を全開にして破廉恥に振舞って、会話の途中・途中の句読点で好いのである。
 参考まで例を取れば、紳士淑女と云えども、この夏は、散々に北京オリンピック中継を見た筈であろう。陸上競技・競泳競技の選手紹介で、テレビカメラにアップされた女性達は、投げキスで、我々視聴者に愛嬌を振り撒いていてくれたであろうに。国際化の時代である。好奇心を形と行為に現さずして、何のショート・バカンス・ナイトであろうか。

「さあさあ、レッツ、ダンス!!」
「OK、ダンスしましょう。」
「オゥ、アナタの手、ダメでしょう。オホホ、アナタ、クレージー。」
「ノウノウ、アナタも、大胆、スケベよ。」
「ノウ、これ、ロシアン・スタイルです。オホホホ。」

一線を忘れずに、羽目を外せば異次元の南国の夜は、楽しく進むのである。イッヒヒ。



★ 追伸、コメントを差し上げようと打ち始めていたら、悪い癖が出てしまいました。
コメント欄から、大きく食み出してしまいました。以下の駄文は、一般論のエールとしてお目をお通し下さい。

 とんでも有りません。買い被りですよ。私の文章など、無骨者のど素人、其の儘ですよ。人間の能力などに、然程の差なんか有りませんよ。あるとしたら、感性の違いでしょう。
然し、人間の慣れには、幾らかの違いが出て来ます。毛虫・青虫が、緑葉を一生懸命に食べて、脱皮を繰り返して蛹に為って、殻を食い破って蝶として、自由に飛び立つ。又、宇宙飛行士が訓練を受けて、重力の壁を打ち破って、初めて宇宙に浮ぶ神秘の星・地球の厳かさを実感出来ると言います。習慣・慣れを持つには、幾つかの段階の壁があるのも、仕方の無い処でしょう。それらは、全て結果を握る為の対価でしょう。
 継続している間に、それがエネルギーを自覚しない習慣になって来る筈ですよ。そうして居る間に慣れが身に付いて、知らず知らずの内に、自分の肩から力が抜けている事に気が付きます。
そう為ったら、しめたものです。赤飯を炊いて下さいね。後は、気の向くまま、感じるまま、浮ぶままを、自分の言葉に乗せて文字を連ねれば、文章は続いて来ますよ。
 自分の言葉・構文で、自分の感受性・感性・想い・考えを、文字表現すれば、其処に存在するのは、紛れも無い自分自身なのでは無いでしょうか・・・ 

♪故に人間には、感性の数ほどの小説が誕生する所以だと考えている次第であります。

 好きこそ、物の上手なれで、充分では無いでしょうか。多かれ少なかれ、ブログを運営している方々は、写真・絵・音楽・文字の表現方法・手段に違いはあっても、自分を手作りの味で表現する事に、興味を持っている方々なのですから、手作り=自分の味が、そこに込められていたら、それで佳とすべきでしょう。
 考え方・感性・感受性・嗜好の違いで、其々のコメントの色合いが、違って来るだけの事でしょう。私は、完成させるより慣れる、習慣付けるのが、最短距離と思っているど素人です。・・・・・ 長々とお邪魔致しました。


心何処ーショート 混血色
                混血色(9/13)
 生き物と一緒に居ると、色々な物が見えて来る。世代交代が早いグッピィは、そんな内で、面白い様変わりの実際を見せてくれる。似ていると云えば、小学校教材<教室飼育>の様なものある。我が四畳半の一年半を経過するグッピィ水槽は、第一陣が『群れ泳ぐ彩り』を考慮しての赤・青・黄の混成飼育から始まった。多少の数量的増減はあるものの、一定数が二つの水槽の中で、世代を繋げて現在に至っている。当初は物珍しさも手伝って、好く眺めて居たものであるが、安定飼育が続くと、然程の注意・関心が向かなくなってしまう。飼育管理者が私であるから、仕方の無い事である。

 現在、泳ぎ回るグッピイ達は最初の入植者から数えて、何世代目に当たるか?は定かでは無いが、赤・青・黄の系統色は、<代の基調色>として現れたり、消えたりしているのである。これは、素人の目にも、興味深い現象である。最初の頃は親の3色の別が、はっきり子供達に現れていたのである。それが代を重ねるに従って、薄まってしまった。その内に薄い体色の中に、私の好奇心も知らず知らずの内に、薄れて行ってしまった。秋の風景は、飽きに通じる様である。
 
 隔絶された小さな世界の中で、赤・青・黄の遺伝子が、繁殖と云うカテゴリーの中で、攪拌に次ぐ攪拌行為が繰り広げられて行くのである。乱暴な想像を働かせば、パレットに赤・青・黄の絵の具を絞って、その3色を『水』と共に筆で混ぜ合わせれば、出来上がる色は紫~緑の範囲であろうか・・・何れにしろ、代を重ねれば重ねるほど、色合いは<朧色>に通じるのである。それでも、赤・黄の色の出具合は、暗紅色と呆けた朱色が多い。
 現在、頂点に居るオスは暗紅色、メスは黄色地に黒い斑点と縁取りにして、次に控えるのは、薄黄色の体色に朱の鰭を持つ連中、その次に成長して来たのは、黒い体色に黄色が見える。その次は、針先と芥子粒の動きが見えるだけである。
 入植者から数えて、一年半。一世代を2ヶ月と数えれば、7代に亘って色遺伝子が攪拌され続けて、赤・青・黄を基調とした朧色のグッピィ世界が、繋がっているのである。それも攪拌の固定色を持たずに・・・ 水槽に現れる基調色を持ったグッピィ達は、世代毎に別基調色を持って群れている処が、実に面白く、不思議なのである。素人連想では、混血遺伝子の混色基調があっても可笑しくは無かろうし、時には先祖帰りの原色がポツンと現れても、可笑しくは無い筈であるが・・・事は、そう簡単には運ばないらしい。現在は、そんな遭遇を待っている次第である。

 人間の世代スパンは、30年であるそうな。地球温暖化・人口爆発・資源食料・水飢饉・・・etc、人・物の短時間・大量移動が、簡単な時代である。これから先、国境を越えた経済拠点の流動化に、世界的な過疎と集中が短スパンで、繰り返されて行くのであろう。
 欲望を体現した経済活動が蠢く集中の中で、繁栄の世界都市で恋と愛・乱脈の果てに、人間の混血化は、一気に進むのであろう。アフリカの大地溝帯で生まれた黒い肌は、何万年・何千年を掛けて、環境・大地に同化しながら徒歩で、丸木舟で五大陸・島々に根を下ろしながら、肌の色を黒・褐・赤・黄・白に分化して行ったのである。

 人類と自然の物々交換の営みは、今や、搾取一辺倒の巨大経済と云われる営みに変わってしまった。丸い地球は、幾つかの世界都市を繋いで、巨大経済のパイプラインが、金・情報・人・物を大量に循環させる装置に変わってしまうのだろうか? 世界拠点都市の名を持つ高層ビル群の狭間に、人類は固定させた分化色を、新たな混血色に様変わりさせて行くのだろうか? その先には、ボーダレス・グローバル化が作り出した混血種が登場するのだろうか?・・・ 見てみたくもあり、見たくも無く・・・であろうか。

 さてさて、実質明日に迫ったサイパン行である。気丈な大正女の母は、見栄の動きを発揮して居られる。台所に立ち、廊下を拭き、風呂まで沸かしてくれている。無理をするなと言っても、聞き入れない気丈の性格であり、心置き無く遊んで来いとの『親心』なのであろう。倅としては、ぶっきら棒を装って、母の気持ちに甘えて、入浴後は、旅の支度を済ませて置くべきであろう。

心何処ーショート 苦笑の雲隠れ
                苦笑の雲隠れ(9/12)
 灰皿を引っ繰り返して、ちりとりを取りに行くと、あると思っていた所に、無いのである。いかんいかんと思い、心当たりを探すが見当たらない。私の健忘症は、重症程度に進んでいるらしい。つい2・3日前机の上に置いておいた呉善花女史の本が、雲隠れしてしまった。立て続けに健忘症が続いてしまっては、由々しき事態である。部屋には少しは金目の物が、無造作に置いてある。殆ど、部屋に居るのである。人為的な第三者の仕業に違いなかろう。物が物であるから、顔見知りにしてチョイと拝借の口なのであろうが、困ったものである。出掛ける時は、戸締りに気を付けるしかあるまい。

 <雲隠れの怪>を思い出すと、幾つかのエピソードがある。子供の頃、燃料は薪と炭であった。物置小屋があったが、縁の下も物置スペースになっていた。或る時、その縁の下の買い溜めした炭俵達が跡形も無く紛失して、母が途方に暮れていたのを思い出す。漬物シーズンに成ると、軒下の沢庵漬け用に干していた大根が、ゴッそり姿を消した事もあった。
 私の代に成ると、オイル・ショックの煽りを受けて、ガソリンが急騰した。手を拱いて下衆の愚痴ばかり繰り返していても、詮無き事であったから、通勤防衛を思い立った。その当時高見山のCMでヤマハ・タウニーの50ccバイクの発売があった。釣りに行くには、格好の移動手段であった。丈夫で長持ちのダサいカブから抜き出て、格好が好かったから、欲しかった物である。女房を口説いて、ガソリン代の差額で買うと『高言』して手に入れた。マイカー通勤からバイクに替えると、<渋滞もなんのその>の快適通勤であった。玄関でヘルメットを被り、戸を開けるとあるべき所に、バイクの姿が無かった。???? 一瞬、目を疑った。家族総出で探し捲くった。未だ新車のバイクであった。『チクショー、遣られた!!』 
 サラリーマンである。遅刻を恐れて、車に出勤した。ご近所でもバイクの窃盗が、何台かあったそうである。帰宅して女房に聞いた話である。そして、我が家には確りしたお気に入りの自転車があった。この自転車は、三回窃盗被害にあって、警察から放置自転車の受け取りを通知された。バイクも、疵だらけ・パンク状態で、これまた引き取り通知が来たものである。

 世の中、泥棒が居る以上、気を付けていても、間隙を襲われて、ある確率で盗難被害に合ってしまう物である。汚れたから、会社の風呂に入って、帰りに欲しいものがあったから、店に直行して目当ての商品をレジに出して、財布を開くと、何と、朝入れて来た筈の万円札が一枚も無い。すごすごと商品を返す羽目に陥ってしまった。
 海外旅行で、仲間の1人が帰りの飛行機の中で、枕探し被害に合ったとの事である。証拠が無い以上、泣き寝入りの段である。愚痴の多い次兄は、街場のマンション住まいである。ご丁寧に、空き巣に、窓ガラスを割られて、二度入られたそうである。建設業を営む弟は、事もあろうに新品のバックホーを盗まれたと言う。世の中、笑うに笑えぬ被害が絶えない。ご近所のお兄チャンは、ハイカラな新車に、個性的なホイール・タイヤ。キーを回してアクセルを踏んでも、車は唸るだけで、ピクリともしない。???? 車を降りて、ボンネットを開ける。??? パニ来る目が見たものは、タイヤの無い車体が、ブロックの上に乗っかっていたとの事であった。そう云えば、車からのガソリン抜き事件も、過去にはあったものである。
 
 収穫直前の農作物・発送前の農作物・倉庫のパイプ・銅線などが、ゴッソリ盗まれる事件が、TVで報道される前の出来事である。窃盗も太古の昔から、途切れる事も無く連綿と続く人間の行為・職業である。防備するに超した事は無かろうが、姿形の見えない出来心・常習癖・職業人・窃盗団に掛かっては、完全防備出来ないのが、一般人の日々の日常である。苦笑いの雲隠れに、ロートルのゼンマイを巻いて、注意の喚起しかあるまい。

 午前中の習作にこんな事を打っていると、留守中、母の面倒を見てくれると云う次兄が、顔見せと引継ぎに遣って来た。面倒を見てくれるのであるから、意に染まぬ彼の愚痴話・自慢話のお相手をするしかあるまい。<少言実行>を励行してくれれば、少しは<男の株>が上がると云うものであるが、それとは程遠い性格である。泊り込みで来てくれるのであるから、母も変わった話し相手に為って、頃合であろう。丁度好いから、留守中に無くなる薬を貰いに席を外す。 

心何処ーショート 私、日本人大好きヨ
               ワタシ日本人、大好キヨ(9/11)
 金華鳥のオスの嘴は、何時の間にか濃くなって、その色からも雌雄の区別が付く様になった。もう此処まで来ると、これで固定の体色なのであろう。見た目の並金華鳥の親から生まれたのが、白金華鳥と古代金華鳥の子供達である。親鳥の遺伝子構造は、紛れも無く<混血>の冴えたる物であったのである。グローバル化・ボーダレス化の時代を迎える21Cの日本社会も、こんな珍風景が随所に見られるのであろう。子供の籠は小サイズであるから、藁巣を入れてやる程のスペースが無い。従って、2羽がすっぽり入れる程の、黄色のプラスチック餌入れを掛けているのである。親鳥も最初は、そうして遣っていた。それでも番鳥は、入れて遣った枯草の巣材をセッセと運んで居たのであるが、若番は、私の入れた枯草を全部嘴で放り出してしまった。マイホームの使い勝手は、使用者の専権決定事項である。人間如き私が、とやかく言って見ても、詮無き事である。人間には、それなりの<知恵>が授けられているから、様子を見て不都合があれば、その段階で手を出せば良かろう。

 報道では、北の将軍様の健康状態が取り沙汰されている。六カ国協議は、中・北・韓の人治的・儒教的括りで理解する方が、何処と無く頷ける面がある。米・日には、分裂国家の韓を陣営に取り込もうと躍起である。米中が、『3:2or2:3』に為るかの綱引きに、露は力関係の固定化は、自分の存在意義の『退色』となるから、<議論は踊る、されど結論は進まず>を目論んで、寝技に徹しているのであろう。日本に儒教的・歴史的プライドと遺恨を持ち続ける韓は、同朋北への複雑な想いとキャスティング・ボートの地位を最大限に発揮し様と考えて居る。御人好し生真面目な日本人が、<苛々し放し>の状況が長く続いているのである。

 この間の事情は、言うならば下衆の勘繰りの出る幕では無い。五万と居られる専門家・識者・コメンテーターの紳士淑女に、任せて置けば好い事柄である。昨日のTとの雑談に登場したフィリピーナに関連して、下衆の勘繰りを展開した方が、一般大衆には面白いのである。
ブログ訪問者各位に置かれましては、<或るテレビCM>の小生とシェイドさんのコメントと昨日分の記事<腐れ縁>を併せて、本記事の参考とされたし。
 
 大衆・庶民が大挙繰り出す海外割安観光地をすぞろ歩きして、聞き耳を立てると、韓国・中国人観光客のマナーの悪さと、彼等のけち臭さが、浮かび上がって来るのである。或る統計では、日本人のパスポート所持率は、大きくアメリカを抜いているとの事である。海外旅行が日常化している現代日本人であるが、金落し・金払いの好い日本人の現地の風評に、日本人の一人として単純に喜んでしまっては、下衆のウォッチャーとしては、失格なのである。
<類は、友を呼ぶ>と昔からの言い伝えが、厳としてある。その通りである。私はへそ曲がりであるから、その言葉の続き文句として<同類は、同類の裏を見抜く>なんて事を吹聴している輩である。巧言令色・口八丁手八丁・口先八丁・他人の褌で相撲を取る・人間観プライス(人の顔を見て、値段を決める)・・・etcで、詐欺師・詐欺紛い・一過性出鱈目コーナーのオンパレードなのである。この類の人間達は、素晴らしい人生観を持っていると言って過言ではあるまい。人を煙に巻いて、騙して、トンズラを決め込む。自分の稼ぎに執着すると同時に、人を騙すのは平気であるが、自分が他人に騙されるのは、死んでも嫌と考え行動する連中である。従って、彼等には同類を嗅ぎ分ける嗅覚が、人一倍発達しているのである。そんな同じ穴の貉(ムジナ)達が、顔を付き合わせたら、如何なる雲行きに発展するかは、想像するに難くは無かろう。<騙そう。VS その手は、桑名の焼き蛤。>の引き分けと為れば、後は自明の理である処の、お互いを殊更、中傷誹謗し合う構造となるのである。『一書、悉く信ずるは、書無きが如し』では、あるまいか・・・ 同類諸侯、思い当たる節は、御座らぬか?胸に手を遣って、過去を反芻して見なされ。思い当たる節があったら、対象物に観察行動を起こすべしでありまする。

「ああ、<中国人>、最低、皆ケチ。ケチの癖して、リクエスト一杯一杯なぁ~。煩い煩い。それでも、ラストは、買わないヨ。本当に人間ワルイ。ワタシ、嫌いヨ。そこ行くと、ニッポンジン、紳士。ジェントルマンヨ。文句、言わない。<ヤサシイ>。ワタシ、大好きヨ。オホホホ。」

<中国人>の代わりに、韓国人・アメリカ人・ホワイトと組替えても、意味の通じる定型文だと思われる。そして、最終句<ヤサシイ>に、『優しい』を使用するのは、日本人だけでは無いだろうか。一般他国人は、この場合『易しい』を使用するのである。
 騙すのが易しいと、見透かされてしまう日本人の性格は、外国人には安易に見せては為らない『日本人同士の内輪の美徳』なのである。同音異義語の伝わらない国民に対しては、観察と注意を怠っては為りませぬ。自信の無い方は、その鼻下長体質を理解して100歩譲っても、『予算内の行動』に徹しましょう。兎角、女性陣からは、<男はバカな生き物>と位置付けられて居りまする。

 いかんいかん、ヨモヤこんな記事に発展するとは、思わなかった。これは、取りも直さず身から出た錆からであろう。私の身の回りには、鼻下長のフィリピーナ愛好者が、多過ぎるのであろう。知人の失敗談は、予備軍の予防薬として役立てるべきである。くれぐれも、<ご油断召されるな>でありまする。同胞の泣きを見る姿は、見るに忍びない処にして、我が使命?かも知れぬ。

心何処ーショート 腐れ縁
                  腐れ縁(9/10)
 車の有効活用であるから、買い物・用足しついでに、Tの会社迄足を伸ばす事にする。昼飯は抜きである。三食の食事は、私には胃の負担となっている。時々こんな日があると、丁度好いのである。二階に行くと、Tの姿が見えない。勝手知ったる他人の会社である。社員食堂でタバコを買い、インスタント・コーヒーを分自動販売機で二人分買って机に腰掛けて、電話をするともう少しで、手が空くという。缶コーヒーを飲まない私に、日本茶のボトルを持って、Tが姿を現した。

「もう直ぐだな。名古屋か成田か?」
「成田だ。」
「サイパンも変わっただろうな。」
「ああ、そんな話だぞ。」
「まぁ、あそこは、何も無くても好い所だからな。骨休みして来いよ。介護は疲れるからな。この前さ、面白い話が、飛び込んで来てさ。」

 T曰く、フィリピンでは、大きな稼ぎが出来ないから、偽装結婚で日本に来て、荒稼ぎをして帰りたいとの事である。そんな話の経緯で、話を聞いていると、何か知っているフイリピーナの様である。探りを入れると、三年ほど前にフィリピン・ホステスと浮名を流した御仁が居る。その付き合いのあった彼女と云う事が判明したとの事で、Tは紹介をキッパリ断ったとの事である。彼女には、仕送りをしている日本人男が、現在でも二人居るとの事である。伝(つて)を頼って日本に来て、複数のスポンサーを見付けて、仕送りをさせるのが、彼女達ジャパ行きさんのビジネス・錬金術なのである。彼女達にとっては、スポンサーを1人でも多く持つのが、家族の繁栄の糧なのであるから、裏は凄まじい世界なのである。我々日本人からすると、懲りない連中と一笑に付されるのであるが、彼女並びに、その家族にとっては、自国産業を持たない国にとっては、真っ当なビジネスなのである。手練手管をノウハウとして持った彼女達にとって、頭痛の種がパスポート・ビザなのである。何しろ、ニッポンは異国なのである。
 そんな話が、Tの処に打診されたのであるから、遅かれ早かれ、彼女は偽装結婚のパスポートで、再び日本での稼ぎを復活するのであろう。
 何しろ、彼女達のビジネス戦士振りは、お人好し日本人の常識を物とも思わない拝金志向と強かさ振りなのである。偽装結婚に加え、認知子には人道的配慮からの先頃、日本国籍が与えられる昨今である。罪の無い日本で暮らす無国籍子女達に与えられる人道配慮<資格>をも、悪用するノーハウが、口コミで伝えられている日比のジャパ行きネット・ワークの模様らしい。フイリピーナ・ホスピタリティなどと、耳当たりの好さと一見あどけなく見える振る舞いに、鼻の下ばかりを長くしていると、とんだ事態に陥ってしまうのである。アンチ・フィリピーナの私としては、我が同胞に、脱法行為のお先棒を担がない様な『猜疑心』を、持って貰いたいのである。

「処で、<韓国本>は如何だった。」
「ああ、あれか。ありぁ、何十年も前に流行った<ユダヤ人と日本人>のイザヤ・ベンダサンと同様本だと思うよ。ほら、作者が山本七平さんじゃないかなんて、週刊誌を賑わしていた奴だよ。彼女のデビュー作・<スカートの風>には、日本語のたどたどしさが感じられたけど、最新作は文章が巧過ぎるんだよ。幾らIQ抜群の大学教授で、帰化して日本国籍を取ったからと言って、韓国人が日本人には為れんだろう。電話でも話したけど、イザヤ・ベンダサンの臭いが、プンプン臭んだよ。それで、女史には失礼だったけど、2/3は斜め読みしちゃったって訳さ。処で、韓国ネェーちゃん、来るんだろ。そんな事で祖国の売国奴女史に、斜め読みの非礼を謝って置いてくれよ。」
「駄目だな、ネェーちゃん、日本語は喋るけど、日本の本は読めんぞ。言うだけは、言っとくよ。10月に成ったら来たいけど、飛行機代出してくれって電話があったぞ。」
「まぁ、フィリピンと違って、飛行機代安いし、長い腐れ縁だろうから、出すんだろ。」
「そうそう、1人くらい、周りにおネェーちゃんが居ないと、男って奴は、寂しいからね。お前も知ってるだろ。韓国料理屋で一回飲んだだろ。男を何十年も遣ってれば、これも付き合いの内だよ。へへへ。」
「Tの場合は、好いんじゃないの。カァちゃんの前でも、正々堂々の電話タイムだし、公金横領で遊んでる訳でもないしさ。それに、お前さんの前世は、韓国人だって話だしな。アハハハ。」
「おぅ、そうそう。やっぱり、Rは、俺のベスト・フレンドだよ、来たら、お前の所行って、徹夜で愚痴聞いて遣ったって事に、しとくよ。何しろ、お前の名前出すと、カァちゃん信用しちゃうからな。イッヒヒッヒ。」
「バカ野郎、俺の信用の世話に為ってるのに、俺に女が回って来ないのは、如何云う事だ。」
「そりぁ、仕方が無いだろ。ロシア人、居ねぇのは、俺の責任じゃないだろ。月曜には、ロシアン・ルーレットで羽目外しじゃないか。俺の待ち人は、10月に入ってからだぜ。未だ、確定前だぜ。如何してくれるんだ。おぉ。」

 出て来たついでに、食品スーパーに寄って買出しをして帰る。Tは平気で男を売る奴であるから、男と女の両方に面識のある私であったから、偽装結婚の斡旋を断ったのであろうが、赤の他人であったら、私は、奴の口車に乗っけられて、無理矢理離婚させられて、脱法行為のお先棒を担がされてしまう処であろう。

   男同士の仲にも、腐れ縁は付き物の様である。困ったものである。

心何処ーショート 或るテレビCM
               或るテレビCM(9/9)
 いかんいかん、野暮用と掃除をしていたら、19時ではないか。困りました。何も打ち込んでいない。もう少ししたら、夜の賄い夫をして、歌謡コンサートのお付き合いをしなければ為らない。その間に、上手い事何か頭に浮んでくれれば有り難いのだが、いざと為ったら未公開文作で逃げるしかあるまい。
 
 大相撲の大麻事件、三笠フーズの工業米の悪転用問題、どちらも、有るまじき大問題である。嘘を付くなと言われても、本当の事を喋らないのが、その場の<人間の心理>であろう。証拠の無い時は、ハッタリが利くが、バレルと後が怖い。誰もが知っている<自明の理>であるが、潔く認める事が出来ないのが、人間の『裏本性』なのであろう。家庭内の大勢に影響の無い嘘ならば、目を瞑ることも出来るが、犯罪行為は、官憲が動けば嘘を付き通すのは至難の業である。嘘に嘘を重ねると、後の辻褄が合わなくなって来る。何しろ、頭の整理、後始末が大変である。素人の嘘は、名探偵為らずとも見抜かれてしまう。最初の嘘がばれたら、土下座して平謝りの方が後々、気が楽に為ると云うものである。

 最近始まった或るテレビCMに、私は拍手喝采と苦笑いを、呈しているものがある。
 乗用車に、夫婦が乗っている。亭主役は、大和田伸也さんである。奥方は、こぎれいな感じの人である。
普段の顔で、CDを掛けようとしている亭主殿の横で、美人系の奥方の整った顔が、何故かシラーとして、<硬い>のである。休日、偶の夫婦二人きりのドライブに、亭主殿は普段の失地回復を目論んで、サービス亭主の<軽い乗り>を演じようとしているのだが、奥方の『フン顔』が続いているのである。

<おやおや、奥さんは、如何したんだろう。>・・・そんな幕開きである。
こんな奥方の顔は、妻帯者は幾度と無く経験している<気分のズレ>ショットの一つである。台詞が無いから、CMの受け手としては、自前で脚本を書くより仕方が無かろう。

亭主の心の内・・・カミさん、何処か調子が悪いのかな。まぁまあ、触らぬ神に、祟りなしだ。此処の処、出張に残業で忙しかったから、きっと、欲求不満なんだろうな。ハイハイ、反省して、今日一日、誠心誠意サービスさせて頂きますですヨ。奥様。明るく行きましょう、明るく。

奥方の心の内・・・フン、何よ。あなたの遣っている事なんか、お見通しよ。私が、知らないとでも思っているの。ああ、白々しくも、良く平気で、ご機嫌取りしてるんだから、まるで子供のご機嫌取りじゃないの。バカにしないでよ。ああ、そのノーテンキな態度、ドンドン、頭に来たわよ。何よ、調子に乗っちゃって、どのタイミングで、この証拠写真を眼前に突き付けてやろうかしら、どんな顔するか、見物だわ・・・

「あなた、何よコレ!! こんな若い女と、何してんのよ。」
「アジャ~、何だ、ソレ。」
「ソレは無いでしょ。正直に言いなさいよ!! 正直に!!」
「痛い、痛い、乱暴は止せ。話せば分かる。誤解だよ、誤解!!」
「往生際が悪いわね。何時まで、好い男振ってるのよ。今度は、許さないわよ。」
「止めろ、止めろ、お前とした事が、大人気も無い。コレコレ、止めろよ。止めて、お願い。」

 残念ながら、私は異性にご縁が無いから、類似体験は無い処であるが、何とも微笑ましいライト感覚のCMであろうか。きっと、普段は仲の好い夫婦なのであろう。一過性の痴話げんかの後は、懐かしの名曲に乗って、恋人時代の事などを語り合いながらのドライブが進むのであろう。

心何処ーショート 秋風に身を置く
               秋風に身を置く(9/8)
 夜、雨が止んだから散歩に出る。橋の下では、ランプの明かりの下でバーベキューをしているらしい。昼もコウロギの声が、し始めた昨日今日である。雲の合間の夜空には、小さいが星が光っている。窓辺のキリギリスの声までは行かないが、其処彼処でコウロギの声が、強まっている。

 秋の夜風に、橙のランプの光を囲んでの学生達の人影が、秋を一段と強く感じさせて来る。黒々と沈んだ川原は、葭原に鈍く川面を見せて、流れの音を低く流している。時折、車のヘッドライトが照らし出す川原は、夜に眠っている。草履歩きの自分の足音だけが、ヒタヒタと鳴っている夜の散歩である。運動の発熱は汗には成らず、頃合の外気である。

 サイトウ記念フェステバルの開催されている県民会館の周辺が、淡くライトアップされている。駐車場には車が多い。階段運動は止めて、土手道を下がる。

 歩きながら、ふと思った。この頃、魅力のある顔にお目に掛かれ無いのは、何故なのだろうか・・・ 日本人の体格もスタイルも、鼻筋もすっきりして、豊満な胸部・臀部を除けば、欧米人並みに近付いて来たし、服装・化粧は世界でも垢抜けして来ている。日本社会は、学歴も高いと云う。それなのに可笑しな現象であるが、何故かガラスの眼の様な目が、目立つのである。勿体無いの思いである。

 ご近所に民宿の宿がある。客層は、合宿学生、S大付属病院に入院する付き添い家族が好く利用する、こじんまりとした旅館である。跡取りの一人娘さんがロンドンに、留学経験を為された経験があるそうである。その関係で、インターネットで旅館の案内を出しているとの事である。
 そんな経緯からか、玄関の宿泊客の名札には、外国人客の名前が良く書かれている。好ましい名札の書き込みである。彼等白人客の出で立ちが、実に普段着で有り難いのである。季節は、未だ夏の名残であるから、半ズボンにTシャツ、帽子にリュックサック姿で、首からデジカメを吊るしているのであるから、何の事は無い。私とは、西洋人と東洋人の違いだけなのである。
 若い外国人も居れば、年恰好の同じ夫婦も居る。彼等は、殆ど化粧をしていないから、全くの自然体なのである。道で会うと、直ぐ近くに彼等の表情があるから、日本的な会釈をすると、一拍置いて、彼等もギコチナイ会釈を返してくれるのである。そんな彼等の人懐こい目の輝きが、実に微笑ましく、好感が湧くのである。

 旅先で1人ぶら付く東洋人の私に向けられる、白人の好奇心を含んだ目に、遭遇する時がある。私は外観に似合わず、茶目っ気が旺盛であるから、サービス精神を発揮して、英単語を並べる事がある。語学力は、限り無く0に近いから、私の英語理解は、<錯覚理解>でしか無い。それでも、???と???の合間を、『我田引水』で埋めると、彼等の日本・日本人への近親感の底には、不思議の国ニッポン・<黄色い白人仲間>の様な感覚が見える。
 例えとしては些か不都合ではあるが、ペットの犬・猫とも、飼い主・動物好きは、感情を交換出来るとも言われている。一歩踏み出せば、共通な感情・感覚を持つ人間族である。ガラスの眼鏡を外して、素顔の表情を見せ合えば、言語の違いは<二の次>の意思伝達道具であろう。
 つまり、私は踏み出す事を億劫に感じるガラスの目が、『勿体無い』と考えてしまうのである。
 
 明けて机に向かえば、曇天・秋風に、ミンミンゼミの声が、侘しく聞こえる。救急車のピーコ、ピーコでは、尚更である。心なしか、窓辺のキリギリスの鳴き声も、擦り合せの羽も草臥れて来た様で、音の切れが鈍って来たものである。
 『然もありなむ』である。この二ヶ月以上も、昼夜を分かたず羽と羽を擦り続ければ、幾ら細胞の再生産と云えども、磨耗も激しかろう。
 途中で窄んでしまったお天道様に見放されて、水槽の水草は酸素の気泡に浮力が働かずに、無数の小粒を緑葉に付けた儘である。はち切れんばかりに膨らんだ腹部の隅が、黒々している雌からは、近々稚魚が放出されるのだろう。昼間は、物陰に形を潜めている稚魚・幼魚の生存率は、<パクリ・消滅>の中で極々小さいものである。
 秋色濃くなって、元気を取り戻したのは、羽毛を纏った金華鳥のオス二羽である。すっかり囀りをマスターした若オスは、自分のメロディを完成させ様と、日長、前進でタクトを採るが如くの身の入れ様である。

  暑かったり、寒かったりで、天候の落ち着かない昨今であるが、
 昼のラジオからは、栗の実の便りが届く。実りの秋、味覚の秋が、ラジオでは始まっている模様である。

心何処ーショート 繰り返す雨に、下衆の雑感
              繰り返す雨に、下衆の雑感(9/7)
 朝食後、洗い物を済ませて、生まれて初めての奈良漬と対する。母の用意してくれたタッパ二つに漬けるのであるが、収まるか否かは、微妙な気配である。廊下に胡坐を掻いて、遣り始めた倅に、<男にこんな事をさせて、申し訳ない>と、頭を下げながらも、主婦を伝授する母である。

     酒粕の袋を切ると、酒粕の芳香がプ~ンと香り立つ。
      「やあやあ、こりぁ、凄いね。飯が喰いたくなるね。」
      「う~ん、上手く漬かると、おかずが要らないね。」

 現役を退いた母子の食卓は、精進料理の様なあっさり系が、丁度具合が良いのである。栄養価が高過ぎると、胃に凭れてしまう。生卵の食べれない母には、漬物は欠かせない食事である。還暦前の手習いで、去年の干し柿の皮剥きから始まって、白菜・野沢菜・たくあん漬け、梅漬け・梅干、キュウリ・ナスの糠漬けと、とんでもない処に弟子入りしてしまったものである。私も男性ホルモンに、陰りが見えて来たのであろう。とんと、家事仕事に手が伸びなかったのであるが、すっかり習慣付けられてしまったものである。男の染色体は、女の染色体から進歩したものだと云うから、元々、人間には、男女共の共通項があるのだろう。好きではないが、続ければ諦めの中にも面白さは、生まれて来るものである。加齢を重ねて、一日を向き合えば、言葉の多少に拘らず、流れる母子のDNAの強さを感じてしまう。

 驚いた事に、ドンピッシャリの納まり具合である。酒粕も全て使い切った。手に付いた酒粕は、<勿体無いから、舐めろ>とのお達しであるが、そこまでの主婦修行には至っていないから、糠床に両手を入れて、活性麹菌を糠に放して遣った次第である。

 一日のサイクルの中で、交尾行動を繰り返す若鳥に、来週に迫った旅行が気掛かりである。留守中は、鳥を女房が持ち帰って、世話をしてくれる手筈なのであるが、成鳥に為って交尾を繰り返せば、産卵するのは自然の成り行きである。若輩者の交尾行動と、侮るなかれであろうが、藁巣を入れていない鳥篭である。空餌を息で吹き飛ばしていると、何と心配していた事態である。卵を突付いて、半欠片の卵があった。困った事であるが、致し方の無い事でもある。親鳥の方の現在進行中の抱卵・孵化も、中止卵の憂き目に会う事であろう。ミーティングも、避妊も出来兼ねる人間と飼い鳥の<世界の違い>である。小鳥達からすれば、飼い主の失策かも知れぬ。
然しながら、自由を得たキリギリス達は、数日前から声の便りが途絶えてしまっている。彼等は、遠距離を目指したのか? 息絶えたのか? 不明であるが、若し絶命したならば、不自由なケースの中の方が、命長らえている結果なのである。現に窓辺のオスメスは、日々日常を繰り返している。

 日曜日、司会の男は虫唾の走る輩であるが、自民党総裁選の政界・テレビ界の共同茶番組のお時間である。へそ曲がり・下衆ウォッチャーとしては、見なければ為らない課業の一つである。久し振りの虫唾男の番組を傍聴する。石原議員様は、親父殿の『お惚け・眼晦まし』コメント言語である処の<選挙区が違うから、二世議員とは違う>のオウム返しである。
 学生の頃、政治学原論を講義していた藤原(口達)先生には、地盤・看板・鞄が、選挙の三種の神器と刷り込まれたものである。親父殿が、地盤を選挙区と読み替えて、実績と貫禄で報道に対して、釘を刺したまでの事である。飽くまでこの釘刺し効果は、親父殿が使用して初めて、効を奏する<憮然・ノーコメントのパフォーマンス>にしか過ぎないし、使用本人もその心算であろう。
テレビ時代の東京選出議員には、看板効果の方が地盤を軽々と覆ってしまうのは、現実の結果である。親父殿の長男である以上、七光りによる知名度とバック力は、強力な武器である。釘を刺すには、硬い対象が必要であるのは、経験則である。
 幾ら何でも、水・糠床に強力な釘を打った処で、釘の効果の無い事は、バカでも知っている現実である。目晦まし言語は、使用する人間によって、意味する処が違うのであるから、小物が大物を装って使用しても、埒が明かない。それに対して、食い下がらない言論人?の魂胆は??である。
 
 それが証拠に、自民党国会議員が何人居られるかは、存じ上げないが、テレビで排出(輩出?)された議員タレント達の党内での実力の無さは、目を覆うばかりである。推薦議員20名の推薦が、思う様に運ばない現実に、如実に現れているでは無いか・・・ マスコミは、情報収集産業である筈であろう。庶民からすれば、『目立て・目利きを売り』にしなければ<信を失う>産業の筈である。カメラ映りを気にして、顔にドーランを塗るのが、テレビ業界の慣行らしい。アップを多用するテレビカメラに映る顔と手の色の違いを、視聴者はじっくり目に焼き付けて置いて欲しいものである。何事も、その本質為るものは、難しい専門知識からしか、見る事が出来ない程の事は無かろうと思われる。

 素人の目に、おかしい、違和感が感じられるものには、本態に胡散臭いものが、少なからず隠されているのであろう。そうでなければ、一国の総理たる者が『国民目線・・・』なる言葉を軽々には使用しない筈である。『あなたとは、違います。』と開き直った処で、使用者に元々国民目線が欠如していては、公用語としての日本語の立つ瀬が無いのである。これは取りも直さず、単なる使用法を間違えただけの事であろう。よもや、母国語の語学力の欠如では無いだろう。

  おやおや、下衆の憂さをPCで晴らしていると、お天道様のお出ましである。

心何処ーショート さて、本日分のお時間である
             さて、本日分のお時間である(9/6)
 本日分も投稿したのであるから、後は自由時間である。夕食後のテレビのお付き合いをしようとするが、物の見事に波長に合わない。ぼやいていると、母がニコニコして、見るものは無いのかと笑っている。こんな時は、飲みに行けば好いのであるが、日中外の空気に触れたから、その気も起こらない。散歩に行くには、少々時間が早い。仕方が無いから食器を洗い、明日の米を研ぐ。さてさて、遣る事が無い。お菓子を出して、一緒にお茶を飲むが、これまた、間が持てない。昨夜、電話で女房と話してしまったから、これまたパスの選択である。こんな時の一人身は、時間を持て余してしまうものである。何か打つには、丁度好い時間帯なのであるが、物事、早々都合の好く運ばないのが、相場である。
   ・・・・千里の道も一歩から、とも言う。始めて見ますか・・・

                   想像のサイパン
 機内食後の赤ワインの微睡から覚めると、眼下に硫黄島があった。肥満体の臀部は、エコノミー・シートに痺れを来たして、睡眠を微睡に保っている。後半分の我慢である。再び目を瞑り、微睡の世界を行ったり来たりしている。

 大きくカーブを切った機体は、高度を下げて行く。エンジンを切った状態の推進力は、何時もと同様に気持の好い物ではない。翼の下に、絵葉書の様なエメラルドグリーンとネイビーブルー、白いビーチのサイパン島が、形を大きくして来る。車輪を出す金属音に、滑走路に接輪する衝撃を堪え様と、体が自然と緊張する。ゴォー、ガッガッと軋んだ機体が、滑走路にブレーキを掛ける。滑走路に下りた機体が、カーブしてゆっくりと進む。
 
 見慣れた椰子葉屋根を模した、ローカル色の空港ターミナルが見える。タラップからは、滑走路の水溜りが見える。スコールの去った南洋の島・サイパン空港は、湿度の高いムッとする暑さの中にあった。

 空港ターミナル前の広々とした火焔樹の並木は、何時も通りに開放感と濃い緑に深紅の花を、熱い青空に照らしている。

「何時見ても、見事な風景だね。フィリピンより、よっぽど好いずら。」
「そうだね。でも、Rチャは、ウラジオストクが好かったんじゃないの。付きあわせちゃったもんね。」
「そんな事も無いよ。先ずは、タバコで一服付けますか。」

 ホテル差し向けのワゴン車に乗って、ガラパンに向かう。サイパンは、4~5年振りである。空港前の通りを過ぎて左に回ると、下り坂である。道路の左右の風景を、M氏と頷きながら見て行く。今回は、迎え人の無いサイパンである。云うならば、想い出を懐かしむサイパン島である。

 この10年程は、相部屋のカラクリ(1部屋・1泊がプライスなのであるから、1人1部屋の方が自由が利いて、好いに決まっている。)が分かって、旅行会社には世話にならずに、航空券だけで男のバカンスに繰り出していた。お互い、夜の自由を放棄してしまったから、相部屋は懐かしくもある。

「如何する? バイク借りに行って、そこら辺、確かめに行きますか?」
「そうだね。バイク屋の韓国親父も、孫が出来てるかも知れんね。からかいに行きますか。」

 短パンにTシャツ、首にはタオル、夏の帽子を被って、ビーチサンダルをペタペタ鳴らしてのメタボ歩きの二人である。バブル華やかなりし頃、Tが<世界でも、これほど節操の無い街角は珍しい>と、呆れ返っていたホテル前のメイン通りは、静かに為ったものである。オサマ・ダビンのアルカイダ騒ぎから、客層が一気に変わってしまったサイパン島である。金に対する嗅覚の鋭いチャイニーズの去った街角は、熱い空気の中に揺らいで見えた。中国マッサージの店の前を通り掛ると、見覚えのある大柄中年のチャイニーズ・ママさんに、グィと腕を掴れた。

心何処ーショート 中身の違い
                 中身の違い(9/5)
 先日ロートル寄り合い所で、お茶請けに摘んだ瓜の奈良漬の味が忘れられず、昨日買って置いた粕漬け用の瓜の塩漬けの塩抜きをした後に、笊に広げて天日干しにする。外はカンカン照りであるから、寝具も併せて干す。動き始めると、部屋に居るのが嫌に為ってしまう。先日ブログを見ていると、呉善花女史の『韓流幻想』なる新刊本の文字があった。女史の本は二冊読んだ。韓国人の眼から見た日本感(観)は、日本人から見ると、韓国人の感じ方・考え方の違いがあって、<面白くは無いのであるが> 双方の誤解・錯覚共々、頭の片隅にインプットして置いて、損には為らない。買いに行く事に決める。途中、ブックオフに寄って、BGMのレパートリーに一つに、新沼謙治のCDを加え様と探して行く。真夏の太陽に、駐車中のハンドルは、握れぬ程に熱々である。次は本屋に立ち寄り、目的の文庫本を探して貰う。車で出て来たのであるから、ついでにTの会社まで足を伸ばそうと考えたが、昼の賄い夫に帰る事にした。

 時計は一時を大きく回っていたが、案の定、昼は食べていないと言う。昼を食べて、干し物を引っ繰り返して、CDを掛けて早速読書を始める。普段、読書は好まないから、読む時は真面目な生徒として、活字に向かうのが私の流儀である。
嘗て腐れ縁の続いていた韓国人美形ホステスの本名が、ソンファと言って女史と同名であった。女史のミリオンセラー『スカートの風』を韓国通のTが、ニヤニヤして読後感と交換で、私の為に買って、プレゼントしてくれたのであった。差し出された著者の『同名』に親近感を覚えて、頁を捲ったまでの本である。 
 収録内容の韓国ホステスの聞き書きを読んで、思わず声を挙げて噴出してしまった。韓国人ホステスと多少の付き合いのある観察眼を持った男なら、誰でもが彼女達から嗅ぎ取っている異口同音のホステス口上のクサイ<自己売り込臭>が、随所にストレートに綴られていた。日本人なら、<言わずもがな>の内容が、上手い文章表現で的確・スマートに書かれていたのだが、彼女には省略・抽象語に依って、行間を見ませる手法が無い様であった。<所変われば、品変わる>は、日本の常識の一つである。『顕示』と『控え目』の対峙が、横たわっている文化の違いである。

 後日、Tから読書感を聞かれて、其の侭を話すと、<そうずら、騙されて泣きを見ている低脳・中年好色男が、日本人だと錯覚している処が、そもそも韓国ネェーちゃんの凄い処だろ。日本人を書いている心算が、反対に日本人は、書いている韓国ネェーちゃんを読んでいるだけど、自分はインテリ女史だと錯覚しているから、分からないんだろうね。>との相槌であった。

 日本に住み、日本・日本人を観察して、日韓の違いを研究・検証する新進気鋭の韓国人学者との事である。私にとっては、売れっ子著者の三冊目の本である。250頁弱の文庫本であったが、途中、斜め読みに変わってしまった。読み終えて、解説文を読む。後書き・解説の類には、評価の核心とその理由が、収められている。本文以上の収穫が、眠っている事が多いのである。読後感の修正と為る事もある。そんな時、電話が鳴って、Tからである。

<何している?>と聞かれたから、呆け防止に韓国女史のご本を、読み終えた処だと答える。Tの言う処では、早い処、サイパンに行って、ご無沙汰している<旅行記>を打って持って来いとの要請である。彼に言わせると、私の真骨頂は、エロチィック・エッセイの旅行記にあるとの仰せである。白書・統計・関連文献から、思考・思索を試みた活字は、客観性には富むが、個性と云った人間の面白味に欠ける処がある。一方、生の体験談の中に頭学・耳学・感情・感性を盛り込んだ主観の方が、読む方は数段に興味が湧いて、面白いものである。旅行前に、顔を出す事にする。
 
 Tの旅行記の読み方は、先ず私の口から体験談を聞いて、徐(おもむろ)に旅行記を読むのだそうである。大体の事は記されているのであるから、活字だけで充分ではないかと言うと、活字と生の声は別物で、両方があって活字の世界は広がるのだと言う。
 為るほど、物は言い様である。Tの野郎は、ロシア美形・ファンの俺の前で、女も料理も韓国が、ピッタリ嵌るのは、<前世が韓国人>だと抜けシャーシャーと言う奴である。従って、酒が入って回る口数・はぐらかし術たるや、堂に入ったものである。付き合いの長い私の目からは、韓国好きは、先天的である筈が無いのである。正しくは、後発洗脳の産物であろう。中身はきっと、韓国ホステス達からの薫陶の賜物であろう。


心何処ーショート 結論や如何に
                 結論や如何に(9/4)
 この頃、政治が茶番劇に陥ってしまった。政党とマスコミが結託して、視聴率と人気取りのブロマイドの売れ行きばかりを、気にする党運営に狂騒している感じがして為らない。好い例が、テレビ各局で視聴率を目当てのテレビ政治寄席がメーンを飾っている。

 計画・実行には、それなりの時間を要するが、個人の発案は、その場で提示される。詰まりは計画の前に、発案が存在するのであるから、評論家・学者・知識人の私案・私見は、テレビの電波に乗っかって、瞬時に視聴者つまりは有権者の元に届けられてしまうのである。発案と計画・実行の間には、大きなタイム・ラグが発生するのは、必然のプロセスである。聴き手・投票者にとって、マスコミ・政治家の手の内に大きな情報落差がある場合は、計画者の方に優位に事は運ぶ傾向があるものの、聴き手がそんな前例・過程を経験して、結果をある程度読める段階にまで、世論が学習効果を高めてしまうと、それは大いなる茶番劇として見えてしまうのである。

 良くも悪くも、高学歴の成熟期の中にある日本国である。職業が異なっても、政治・経済・法律・経営の単位を取得したものが、大衆として世の中の常識を形成しているのである。マスコミ・政治手法を知って、行動の結果が予想出来るまでに為った<学習能力の高い大衆>を相手に、門外不出の伝統手法と情報を専門的に握っていた中枢部は、手の内を晒してしまったが為に、却って世論の声に、等身大の身を晒す結果に為ってしまうのである。知識・情報が、同程度ならば、違いの出て来るのは、手法の選択であろう。手の内を明かしてしまった、明かされてしまった<お偉いさん>程、惨めな存在は無かろう。表情・実績・経験・貫禄と云う腹芸の衣服の本質を脱がされてしまっては、今までの<言わずもがなの忍法為らぬ>仁法が、通じなくなってしまうのである。手品のネタがばれてしまった手品師の評判を、想定されたし・・・・
 公の場では、上位者の公演に下位者は黙って拝聴をするのが、日本的慣行なのである。そんな儀式の場で、聴衆に意義ありと挙手されて、持論を展開されてしまったら、会場は怒号一色に晒される事、必定であろう。それが、一対一の怖さである。テレビの政治寄席は、それを明るみに出してしまったのである。

 今の政治・政界の詰まらなさは、役者と操り手が、きれいに分離してしまった事であろう。嘗ての派閥政治には、首相の座を争う派閥親分の気迫が、炸裂していたものである。何事にも一長一短の表と裏の功罪を併せ持つのが、形・仕来りである。金の配分で政治が汚れると、糾弾された派閥解消の流れであったが、強力なボスを失って仲良しクラブに成り下がってしまった。その中で、政治家の覇気が失せたのも事実である。様変わりした派閥の中にあって、一番の悪行はテレビ映り・大衆受けするキャラクターのブロマイド政治家の輩出であろう。人気と実力は、太古の昔より、別個の物である。操り手が、大物政治家などとマスコミの口先に踊らされて、実力者の格好付けをしているのが、昨今の哀しい現状である。

 自分が実力者と自負して自惚れる為らば、彼等が正々堂々の政治家としての覇を競えば好かろう。操り手と踏ん反り返って、手元のブロマイド・キャラクターを次々と繰り出して、自分の実力者振りを演じている性根が、醜悪その物なのである。口先だけの<国民目線が>は、聞いていて呆れるばかりである。俗世間では、それを称して<下衆目線>の侮称と呼ぶのである。派閥の武将を気取っても、侮称にしか見えないのである。大いに<自嘲>為されませ。

            これは、私の責任ある結論である。
<捕らぬ狸の皮算用>を、確り味合わせて遣らなければ、反省すら出来ない輩である。マスコミ・政党のチンドコ行進に乗った振りをして、選挙で大鉄槌を下して遣らなければ懲りない連中なのである。御託は聞き飽きた。テレビ政治寄席は、見飽きまして御座ります。先生諸侯、早く総裁選(戦?)をして、内閣発足・総選挙をして、国政を民意に問い為されませ。小生、下衆の願いで手薬煉(てぐすね)して、お待ち申し上げて御座りますですよ。大いにお遣り下さりませ、踊らされる客寄せパンダの泡沫候補者様、推薦人20名の貸し出しは、派閥親分の了解済みでありまする。レールは敷かれて居りまする。勿体振るのも、スケジュールの内でありまする。下衆と云えども、貴殿達の政治行動は織り込み済みでありまする。全ては、選挙後の勢力分布図で決まるのでありますから、早い所、片付けましょうや。判断するのは、民意でありまする。

 こんな事、ブログにUPしたら、ロシア・中国・北朝鮮では探し出されて、たちどころに暗殺・拷問・銃殺に処されてしまう。祖国日本は、有りがたきかな。小生、日本の民意の底力を期待する処であります。

心何処ーショート ノーテンキに夜は白むなり
            ノーテンキに、夜は白むなり(9/4)
 月に一・二度眠れぬ夜がある。勤めていた頃は、眠れなくとも体を横たえる事で、体力消費を最小限にしていたものである。現在は時間に縛られないから、<そんな夜もあるさ>と起きてしまう事が多々ある。昔は、こんな時は名画DVDを見ていたものであるが、今は疲れないラジオの深夜便の世話に成っている。ラジオを付けると、三橋美智也の歌を遣っていた。彼の歌では、『石狩川エレジー』には、特別な想いがある。この歌の歌詞が好きで、中学時代下校時に歌の上手い同級生に歌って貰い、覚えたものである。同級生に好きな女の子が居て、胸の鼓動を高めていた時期であった。今と違って男女の仲は口にも出来ずに、ひたすら切なく遠かった時代である。石狩川エレジーは、そんな思春期にあって、私の切ない初恋の心と重なり合う歌であった。

       君と歩いた 石狩の 流れも岸も 幾曲がり 
                    思い出だけが 通り過ぎて行く  
                              嗚呼 初恋の遠い日を

 45年も前の歌である。音痴な男の思い出し歌詞であるから、正確に口ずさむ事は叶わぬが、歌詞の記憶は、及第点の範囲だと思われる。兎角、初恋は結ばれぬ淡い想い出と云われるが、彼女とは今でも、夢の中で繋がっている。幾つかのエピソードをちりばめた心・気持の通じ合う出来事があった。彼女に言わせると、迎えに行くのが遅かったとの事であった。お互い結婚した後の何年振りか再会同級会の帰りの夜道で、ズケズケとお互いの気持を告白しながら、帰って来たものである。男と女が惹かれあって好きになる事は、極自然の事である。お互い、好みの顔と好みの性格だったのであるから、ズケズケ話は実に楽しかった。お互い意識し始めたのが、小学生の三年生の時だった。勿論、クラスは違ったのであるが、それが中学で同級生に為ったのである。

 彼女は女房を見て、<あんな女の何処が好いの>と言い、女房は<人の亭主を懐かしそうに、何度も振り返って、一体、如何云う女よ。>と男には絶対口に出来ないお言葉を、平気で仰る始末である。二人を知る私は、どちらも女優並・誇れるほどの好い女なのである。結婚したい女は、世の中に何人も居るのであるが、結婚出来る相手は、離婚をしない限り1人しか居ないのである。これは、男も女も同じ事である。

 この頃は、とんと美形の夢の中でのご対面が無いのであるが、眠れぬ夜にラジオを付ければ、懐かしの名曲に乗って、顔を見せてくれた初恋の面影である。これまた、浅からぬご縁の内であろうか。ニッポンのカンレキ男の脳細胞たるや、鼻下長の妄想盛んの態である。困ったノーテンキ振りである。アリャリャ、時計は5時を指している。小腹が空いたから、インスタント・ラーメンでも作って寝るべしである。

心何処ーショート 愚図るお天気
                愚図るお天気(9/3)
 吹く風は、秋風の趣があるものの、動かない空気はムッとする蒸暑さである。キリギリスの行動範囲は、虫篭と違って中々に広いものである。昨夜は窓辺のキリギリスの鳴き声に、窓下の紫陽花・苺他の茂みで鳴いていたのであるが、本日は西のトマト・ナスの辺りに居るらしい。オス2匹にメス1匹を離したのであるが、鳴き声を聞くだけであるから、何匹が元気かは分からない。

 毎年、放して遣るのであるが、命の繋げないキリギリスである。野生の儘でも、毎年彼等が鳴いている場所は、同じ所である。人間には分からない処であるが、色んな条件が必要なのであろう。自然界は、人間が考える以上に、生き物にとっては、適所の限定生存なのであろう。強制連行されて、放逐されたからと云って、その離(放)された場所は、彼等にとっては、絶望の孤島なのである。一代を生きる事は出来様とも、新天地に根を張って命を繋げる自然とは、限られた世界なのであろう。知恵と道具、共同作業の出来ない彼等にとって、例え数m・数10mの距離であっても、それは不毛の地にしか過ぎないのであろう。
 自然界の動物と人間を比較すれば、敏感な自然界動物と鈍感な人間動物の図式である。水槽・鳥篭で生まれ育ち命を繋ぐペット達を見ていると、地球の全大陸に蔓延っている人類の様は、<地球上の最大のペット飼育動物・人間>などと云う見方も出来ても仕方の無い感想である。

 静かな玄関の下駄箱の上で、手出し無用の抱卵の始まった親番。姉弟の番と為ってしまった白と薄茶の金華鳥は、相変わらず私の四畳半のお伴を仰せつかっている。囀りを物にしたオスとメスは、仲が睦まじい。オスの誘いに、メスは身を屈めて尾羽を左右に細かく震わせて、オスを迎え入れている。背中に圧し掛かったオス諸共、止まり木から落下する二羽であるが、これも営みの一つである。
一方、離れ離れのキリギリスのオス・メスは、相も変わらず別世界のバリア関係に見えるが、鳴くオスに、長い産卵管で砂の表面のゴミを除けて、産卵管を砂に差して、大きな腹部を力んで卵を砂の中に送り込んでいる。
 睦まじい金華鳥に、見る限り他人関係のキリギリス・・・ これまた、其々の種の営みである。水槽の世界とはと見れば、曇天の空に光合成の出来ぬ水草は、酸素の気泡も無く、水槽に拡がっている。小タニシ達は、滑る様に縦、横の直線移動を見せるばかりである。水面に餌を撒けば、プカプカ群がるグッピィ達であるが、腹が膨れれば、其々の泳ぎを繰り返すのみであるが、太陽の無い中では、地味な泳ぎを繰り返すばかりである。

 2週間を割り込んだサイパン行であるが、別段、心ウキウキの気持も湧いて来ない。事に当たって覚めた感覚は、今に始まった事ではない。その時に為って見なければ、動き始めない低血圧性の性である。行けば行ったで、反応したくなくても反応してしまう性質であるから、我ながら重宝な気質である。賄い夫の日常であるから、<想像のサイパン>と題して、一編を打って見るのも一興と考えていたのであるが、触手が湧いて来ない現状である。物臭男の文作は、気紛れである。未だ時間があるから、打つ気が頭を擡げて来るかも知れぬ。

 午後の再放送ドラマを母の部屋で見ていると、部屋で携帯電話が長く鳴っている。サイパン行の相棒のM氏からである。仕事の帰りに、顔を出してくれるとの事である。ハッキリしない空模様は、雨が落ちて来た。先日、進呈した<梅干もどき>は、口に合うとの事である。私の下手絵も、奥さんが褒めてくれたそうである。今度は、柿が実ったら、せっせと皮むきをして吊るし柿を作らねば為るまい。何かと気遣ってくれる人達は、得がたい人達である。

 さてさて、本日の文作も体裁を為した様である。遅く成らぬ内に、秋の夜風を友に、散歩運動に出掛けまする。


心何処ーショート 雨の合間にペダルを漕ぐ
              雨の合間にペダルを漕ぐ(9/2)
 弟子の処に、行こう行こうと思っている間に、九月に入ってしまった。行く心算で居ると、土砂降りの雨・・・何て事を繰り返している。夕食が終わって、<あん・どーなつ>を見ていると、マタマタ雨である。仕方が無いから、車で行こうと考えていると、雨が止んだ様である。更新中のファイルを持って、自転車に乗る。雨雲の薄れに、星が滲んで見える。

 持参のファイルを渡すと、早速読み始める。コピーが行っていなかったから、70ページ程のファイルは、未だ読んでいない分の様らしい。彼の見ていたテレビは、そっくり私に受け継がれて、進んで行く。ビート・たけしのTVタックルの途中で、画面が切り替わった。
「何か、あるのかい?」
「福田さん、辞めるんじゃないの。」
「そうじゃあるまい、こんな時期に?」
「辞めなきぁ、官邸中継なんかしないだろ。この何日か、顔付きが、おかしかったもの。」
「ありりゃ、本当だわ。如何するだい!!」
「嫌だ、遣っちゃ居られない。俺は辞めた。って云うものは、しょうがないじゃないの。安倍さんの時は、<何て野郎だ。立場と責任は、如何するんだ。>と頭に来たけど、こう、連荘だと、政治家も地に落ちたものよ。勝手に遣りましょ。ワシァ、知らんの口だね。」
「ああ、そう。」
彼は再び、頁を読み進めている。彼の読書の邪魔はしたくないから、私は例によって、タバコを吹かしたりして読み終えるのを、テレビを見ながらじっと待っている。

 親の七光り、二代目のお坊ちゃん気質の調整型リーダーとは、こんなものであろうと思われる。調整型リーダーが、格好付けだけで御輿に担がれて、様に映る為には、その組織の磐石さが必要である。宝くじで大当たりした様な衆議院の2/3UPの議員数に乗って、座り続ける首相の座である。宝くじを引き当てた本人は、椅子から降りたにも拘らず、遺贈だけを譲り受けて、参院逆転の意に為らぬ国会運営を、捩れ国会として与野党共に、『国政責任』と『民意』とヤジの応酬合戦である。
 私は生憎、日本史には疎いが、連想を働かせると、14Cの鎌倉時代の末期から室町時代の初期に掛けて併存した<南北朝>時代の様な「小手先の政争」に明け暮れしている<一方の雄>にしかなかろう。どちらが南朝で北朝かは知らぬが、お膝元の公明党に揺さぶりを掛けられたら、御輿担ぎが右往左往してしまえば、御輿がひっくり返るか、御輿から降りるかしか無かろう。国民目線で云々と言うだけのシラーとした、吾関せずのプライド意識だけが、プンプン臭うお方であった。こんなタイプのリーダーは、旧態依然とした組織には、五万といらしゃるのである。こんなお人に限って、乗っかっている組織がグラグラと揺さぶられたら、堂々の逃げ口上を述べ給わって格好を付けた儘、真っ先に逃げ出してしまうのが落ちである。

 宝くじの恩恵ばかりにしがみ付いていては、碌な事が無かろう。一つの時代のうねりには、理性だけでは基礎は固まらぬ。混沌の時間スパンを要するものであろう。しがみ付くよりも、踏み出すしか無いのである。踏み出せば、その分だけ必要なプロセスが回り始める。混沌の中にあっても、人は落ち着くべき処に落ち着くものである。早々の解散・総選挙しかあるまい。
 
 如何転んでも、日々の暮らしに汲々とする庶民に手を差し伸べる政治・行政とは程遠いのが、世の実体であろう。為らば、選挙に一票を投じる行動を待って、庶民は日々のペースを維持するのみである。<一寸の虫にも、五分の魂>である。虫・ムシ・無視するしかあるまい。

 私としては二時間強を掛けて、真面目に読み終えてくれたお弟子さんの気持に、感謝するのみである。彼に言わせると、私の文作は、表面的には日記の体裁を為しているが、これは全て繋がっている読み物との感想である。

 私の考え・意図も、同様である。感じる・考える・行動する主体が、自分の中にある以上、人間の思考思索・行為行動とは、自分が対する事象によって、触発されて影響を受けるものである。雑多な事象と関わり合うのが生きる事ならば、その動きを五感を持った人間の思考思索の有りの儘を、素描風に文字に移し替えるのも楽しみの一つである。時に時事問題・社会問題・政治問題・経済問題・・・etcの中に自己を語ったり、風景・時の移ろいの中に訪れる木々の緑、川の流れ、小動物の動きに乗せて、私自身を語っているのに過ぎないのである。文字を連ねる事の意味は、人其々によって違って来る。当然の事である。
 小説・詩歌・評論・随筆・日記と形・分野の違いはあったとしても、文字を連ねる芯は、己自身を表現する事に他ならない。己自身とは、感情・感性・理性・人生観に基づいた自己を語る事であり、文字空間を作り上げる事によって、他人に切っ掛けを働き掛け、作る事かも知れぬ。

 いかんいかん、何やら魔界に迷い込みそうな気配に為って来てしまった。時間に縛られないロートルと仕事を持つ現役の彼である。頭の整理されていない、胡散臭い世迷言を吹聴してしまっては、彼の睡眠時間を奪ってしまい兼ねない。雨の止んだ気配を察して、腰を上げた次第である。

心何処ーショート 長月初日
                 長月初日(9/1)
 久し振りに、散歩に出掛ける。雲間に、小さな青空が覗いている。今日から九月であるが、昼の散歩は暫く歩くと、汗が湧いて出て来る。葦原には穂が出ているし、土手の斜面を埋める韮は白い花を満開にしている。その中を、シジミチョウ・セリチョウ・マダラヒカゲなどの蝶が、蜜を吸っている。ポケットにデジカメがあるが、構えると直ぐ逃げてしまう。写真は、ブログで拝見するのが無難である。イチョウ並木の雌木には、黄緑色の銀杏の実が鈴生りである。一房の数を数えると、8~10粒を付けている。大した豊作振りである。通りを渡って護国神社の境内に向かう。
 街路樹のプラタナスの葉は、アメリカシロヒトリの食害にあって、無様な姿を晒している。ポプラの小葉の周囲には、枯れが見える。アスファルトの照り返し熱に、遣られてしまったのだろう。これも、孟夏の後遺症の一つである。家々の花々も盛りを終えて、草臥れている。その一方、柿の実は、分厚い緑の葉陰に確りした青い実を付けている。知らず知らずの内に、季節が捲られて行っている。久し振りの昼の散歩には、秋の気配が見える。真面目に歩いていると、大量の汗を掻くばかりである。境内で水を飲み、暫く森の風に当たる。

 一息付けて、境内の散策から通りを渡る。中学校のプールから女の子達の歓声が、通りに響いている。そちらに進路を取るのが人情と云うものである。プールには、きれいにグリーンの塀が取り巻いている。こうまでシャットアウトされてしまうと、遣り過ぎの感もして来るものである。プールの前を素通りして、視界に入る物は、仕方の無い事ではないか・・・ 元気溌剌の水着姿に触発されて、愚行・凶行に及ぶ者が出た暁には、彼等に確りと自己責任を負って貰えば好かろう。少なくとも授業には、教師の眼が光っているのである。フェンスにしがみ付いて、あからさまな授業参観をする輩は、何時の世でも稀有な存在である。
 プールで泳ぐ思春期の小娘達の身体を、常識目線の横目で見ながら歩く自由位あっても好いと思われるのだが、如何なものだろうか。PTAの各位様。
 幾ら好色の私とて、公道に於いてニタニタ、涎タラタラの醜態を演じ切る勇気は無いのである。然しながら世の倣いが、男は変態のお墨付き・お触れが出回っているのであろうから、文句を言った処で始まらないのである。鉄壁の予防の前に、些か憮然たる思いが生じてしまった次第である。

 帰宅して、土の柔らかい内に、庭の草むしりを始める。世の中、必要なものは当てには為らぬが・・・ 不必要なもの程、成長が著しい限りである。子分の居ない身は、相手が居ないのであるから、黙ってコツコツ遣るしか他は無い。女房と居た時は、良く怒られながら手伝わされたものである。兎角、口出しをしたがるのが、女族の特性である。ずぼら男に、世話焼き女の番は、平和のシンボルでもある。疲れたが、これで暫く雑草も、静かにしてくれる筈である。遣り残した箇所は、次の機会である。働き過ぎては、愚痴を聞いてくれる相手も無しである。

 夏を奏でてくれたキリギリスの一ケースを放して遣る。有終の時間は、自由に過せば好かろう。

心何処ーショート すず虫とキリギリス
               すず虫とキリギリス(8/31)
 日曜日、高橋秀樹・松坂慶子の居なくなった大河ドラマへの関心は、急速に萎えてしまった。我が居住区に戻って、コーヒーを飲みながら漫画本のページを捲る。
 
 先日のテレビで、すず虫宅急便の事を遣っていた。中信地域では、すず虫を飼う人が、結構多い。私の小さい時から、親がカメで丹精込めて飼い、産卵させて冬を越させ、羽化させて秋の声を楽しみ、次のシーズンに繋げる。近親交配を避ける為に、野生のすず虫を川原に捕りに行く。そんな習いが、安曇平には受け継がれている。

 生憎、私の居る辺りには、野生のすず虫は棲息していなかったから、これは耳学である。高校の時、穂高の連中から野生のすず虫捕りの誘いを受けたが、付き合いの好い私としても、とうとう行かず終いであった。その理由は、只単に、私の目には太陽を嫌うすず虫は、その澄んだ鳴き声とは裏腹に、何処か末成りの様な不細工な虫にしか見えなかった事による。こんな処にも、私の面喰い性根が息づいているから、困った物である。
 それでも数年前に一度、スーパーでリーン・リーンと鳴いている澄んだ声に、釣られて飼った事がある。昆虫飼育は、キリギリス以外には無かったから、如何しても基準をキリギリスに置いてしまう。飼って見た感想は、キリギリスと比べて短命であったと云う事であった。

 好みと洒落た処で、その実態は、幼少期の刷り込み次第であろう・・・夏休み暑いばかりで遣る事の無い私達子供は、上級生に教えられた通りに、川原・畑でギース・チョン、ギースと盛んに鳴き交わす叢(くさむら)に、抜き足差し足で近付き、キリギリスとの根競べで、キリギリスの姿をクラクラする炎天下で探したものである。見付けたら、息を殺して近付く。40~50cmを隔てて、昆虫と人間の子供が、一瞬の間合いで対峙するのである。<どうする、もう一歩近付くか、待つか、飛び込むか、> 
 成功と失敗は、紙一重であった。タイミングを見計らって一気に両手で掴みに行く。根競べとダイビング掴みに、小さな胸が高まったスリル溢れる遊びであったのである。

 キリギリスは、実に昆虫らしく、見ても好し、鳴き声を聞いて好し、寿命の長さも好しであったから、私とキリギリスの関係は、長く続いている。尤も、飼育の楽しみの中には、繁殖飼育と云う側面も大きいのであるから、私のキリギリス飼育は、半人前なのである。窓辺の闇をバックのキリギリス達の姿を見ていると、大の大人が数人で、夜の川原に小さな黒いすず虫の声を頼りに見つけ出し、牛乳ビンを向けてフッと息を吹き掛けて、牛乳ビンの中に捕らえる様は、想像するだに何か微笑ましい感じがしてくるものである。小さい頃よりの夏の風物詩と云うものは、そんな風に歳を経ても、自分の中に根を張っている行動なのであろう。

 ラジオでは、諏訪湖のワカサギの投げ網漁が報じられていた。この数年、産卵に遡上するワカサギの卵が少ない事から、規制・禁漁の沙汰が続いていた諏訪湖のワカサギであった。今年は、解放されるかも知れぬ。諏訪湖のワカサギ釣も、私の中では、一年のサイクルの中に繰り込まれている。サイクルに繰り込まれている物が侭為らぬと云う事は、大きな忘れ物をしてしまった様な感じがして、気持ちの据わりの悪い物である。
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