旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート やっかみの寸評
                やっかみの寸評(7/31)
 パソコンで印刷をしていると、誰かが台所に動く気配がする。体重の有る動きである。弟でも来たのかと思いながら、その儘続けていると、部屋に入って来て、黙ってドッカリと隣の席に座る。誰だと思って見ると、倅である。183cm、30を超えた男が座ると、部屋が一挙に狭くなってしまう。如何した?と聞くと、祖母ちゃんの顔、見に来たと言うから、ジャ、行くかと言うと、見て来たとの事である。倅は、ニヤニヤして私の顔を見ている。私より10円高い300円のタバコに、ジッポーのライターで火を付けている。ライターは、私が記念品で貰った物を6~7年前に、遣った物である。因みに私のライターは、カートン買いに付いて来る100円ライターである。

 近況を話して、ストレスが溜まり過ぎて、一回の電話でストレス解消と言うと、ニヤニヤして、<そうだってじゃん、お母んに聞いたよ。>と声を出して、笑っている。女房に様子を見て来いと言われたのか、自発的に来たのか、真相の程は定かでない。

 そろそろ帰ると言う倅と、母の部屋に行くと、偶に来たから、夕食を一緒に食べて行けとの事である。仕方が無いから、賄い夫で台所に立つ。丁度、すき焼きをしようとして、その食材が冷蔵庫にあった。初回自作の梅漬けを持たせようと、適当な入れ物の在り処を母に聞くと、小さな樽毎もたせて遣れとの事である。やれやれ、これで一つ整理が出来た。

「お父さんの料理は、美味しいよ。」
「うん、知ってるよ。祖母ちゃん。親父は、小さい時、時々作ってくれたから、料理旨いよ。」
「大学の時、自炊してたからね。もう、私が何も出来ないから、全部、遣って貰ってる。漬物も美味しいよ。上手なものだ。ただ生きてるだけで、私は情けないよ。」
「祖母ちゃん、いいだ、いいだ。胸を張っていれば、いいんだよ。親父は、何にも言わないよ。」

 あの野郎、生意気な事を抜かしてヤガル。まぁ、仕方があるまい。今日顔を出したのは、女房と倅の合作行為なのであろうから・・・ 賄い夫タヌキに徹して、倅に飯でも盛って遣るか。

 学校は、夏休みである。NHKの環境関連の企画物を見る。<風が吹けば、桶屋が儲かる。>
モンゴル高原・長江・シベリアヤルツーク・北極海と、映像は鮮明であるが、どうしようも無い現実に、気持ちが塞ぐばかりである。美人俳人を自負されている様子が、窺える女流俳人が居られる。
塞ぐ気分が、捌け口を求めて、ツイ画面に向かって、呟いてしまう。

<お前さん、少し黙っていろヨ。凡人・外野席の一視聴者であっても、当たり前の事を、そんなに冗長・饒舌に立て板に水の如く、捲くし立てられたら、そりぁ、丸で<自負心のひけらかし>にしか見えませんぞ。

 アナタ様の整顔・知性は、黙って顔を映されているだけで、十分伝わるわさ。この御仁、馬鹿なガリ勉優等生と一緒で、頭の中にある事を全部言わないと、気が済まない性質と見える。折角の天からの授かり物では無いか、5・7・5の小宇宙に、想い・風景・心情を構築するのが、俳人だろうが、言うならば<余韻の文学>が、俳句だろうが・・・ 

 だから、貴方の美顔の顔には、瞳の奥ゆかしさが、生まれて来ないのでありますぞえ。榎孝明との<奥の細道紀行>にしても、私の軍配は絵描きにして俳優の彼に挙がったし、時折、画家の神経を逆撫でしたであろう彼の気配にも、貴方は鈍感であった。
 
     今日も軍配は、デーモン閣下に挙がってしまいましたぞえ。
 これでは、NHK週末の天気予報士の<お着替え人形予報士>と、本質的にはイコールと為ってしまいまする。現時点では、お二方共に、同様の黒い瞳の色・動きでアラッシャイマスル。整顔も感性・才能も、少なからず天からの授かり物であろう。観察の目先は、上も下も無かろう、上下の隔てなく、全ての人間に装置せられた観察の眼でありますぞえ・・・ 

 天から授かし玉々をお持ちの方々の上に、奥深き瞳が現れん事を、切に希求して止みません。>

     行かん遺憾、返す返す、いかんいかん。
             あらぬ方向に、字面が発展してしまった物である。
                         攻撃されぬ内に、止めまする。

 熟した梅漬けを土用干ししている。順調に乾いているが、本日振りそうな曇天である。ロートル寄り合い所で、時間を潰している間に雨が降られたら、事である。洗濯物を中に掛け、干し笊を中に入れてから、出掛ける。雷・大雨以来、涼しく為ってしまった。その帰り、スーパーに寄る。地物野菜が、大積みされている。20本は、入っていそうなモロコシが、一袋500円の安さである。値段と本数は魅力であるが、これでは主食がモロコシに為ってしまう。已む無くパスして、割高な4本パックを買う。食欲の薄いロートル食卓には、あっさりしたキュウリ・ナスの漬物が欠かせない。せっせと漬けて、パクパク消費に限る。

 自転車を土手沿いに回すと、川原にコバルト・ブルーが飛んだ。カワセミが珍しく二羽、川に下りる内堤の階段の所に、止まっている。察する処、若鳥の兄弟なのだろう。散歩では確認出来なかった彼等の巣は、予想に反して、きっとこの近辺の、流れに侵食された断面なのであろう。来年の散歩時のチェック・ポイントに加える事にする。総体の地球温暖化による負の環境変化と、個別の自然環境の増加とも言える。個別の努力では、もう如何にも為らない総体変化の足音である。

 自分に出来る事をして、詮無き事には、流して、その日を待つ事しかあるまい。
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心何処ーショート 然りとて
                然りとて(7/30)
 いざと云う時のストック分として、ぶっ掛け屋 その2を打つ。打っている間に、その3が、序(ついで)に俺のも打てとのご催促である。男女の或る風景と云う輪郭のハッキリしない、少ない配色で濃淡を付けた日本画・・・ そんな読後感を残したいと考えて、打ち始めた<ぶっ掛け屋>である。
 振り返れば、小説読書は性に合わないから、殆ど読んで来なかった。従って、貧弱な活字読みにして、性根が物臭男に出来ている。興味のある事以外は、日陰で転寝に費やすだけである。ゴテゴテ重ね塗りを施す様な油絵絵画は、胃が凭れるだけである。

 考えて見れば、暇潰し・自問自答の脳味噌ブラッシングで始めた、自己満足のブログ日課である。ブッツケ本番の無垢のディスプレー画面に、言の葉のキーを打つのが、私のある種の快感であろうか・・・ 更々、神経質に為る程の物ではあるまい。

 然りとて、自己満足だけで、臆面も無く日々駄文の投稿を繰り返せば、奇特・希少の読み手さんに、遭遇するものである。そんな方々への感謝を忘れたら、<忘八者>の烙印を押されてしまう。然りとて、同じ物を打ち連ねると、幾ら風景画と雖も、固有名詞を配置して、人物の実写部分を付加して行かねば為らない。

 本格的な小説世界を描く人達は、物語の構成・登場人物の出自・風貌・性格・役割を、しっかり作り出すとの事である。物臭にして堪え性の無い私には、逆立ちをしても不可能の世界である。決して、踏み込んでは為らない葛藤の世界である。私の努力の中で、最低限の折り合いを付けての一進停滞の、その3の進行振りであった。
 
 昨夜、その3を打ち上げた。日課の真夜中散歩から戻って、布団を敷いて、四畳半窓辺のキリギリスの鳴き声を聞きながら、一服の後、眠りに入ると・・・ 玄関の鳥が、パニックを起こしている。暫く出なかったネズミの襲撃なのだろうか。慌てて明かりを付けて、下駄箱の下に箒で攻撃を続けるが、<大山鳴動して鼠一匹>も出ず、『音はすれども、姿は見えず。本にアナタは???』(by シェイドさん)の徒労に帰してしまった。大事を取って、四畳半に鳥篭二つを置いて、スモールランプを点す。こんな時の小鳥と云うものは、『狸の死んだ振り』(by ひまじん様)とは全く異なって、興奮冷めやらずの様(さま)である。何しろ、親鳥は抱卵中なのである。藁巣に戻ってくれないと、飼育管理者の職務が、全う出来ないのである。

 明けて、朦朧とする頭と体で、朝の賄い夫である。本日、寝不足に付き、昼飯後に睡眠調整の必要有りである。朝食後は母の部屋を早々に辞して、昨夜の<その3>の読み直し・校正をする。
1、2、3と読み進めて、私としては流れに違和感が、感じられなかったので、私の現在の技量としては、可も無く不可も無しと云った処であろう。これで、肩の荷も下りた。
 
 さてさて、頃合のお時間である。昼の賄い夫をして、睡眠調整の昼寝に凭(もた)れ込むと致しまする。

心何処ーショート 困ったものである
                困ったものである(7/29)
「もしもし、」
「ジジィ、元気? ジジィ、元気?」
「ああ、元気だいな。今日も、暑いじゃないか。生きてるか?」
「生きてる訳、無いじゃないか、孫無し、女房・子供無し、女無し、金無し、毛無し。それで如何遣って生きて行くんだ。生きてるのが、奇跡だぞ。冷たい男だな。」
「何、言ってるんだ。Rが一番じゃないか。悠々自適って奴だろうが、文句こくなんざぁ、太ぇ野郎だ。俺なんか、後半年、後半年って、念仏唱えてるぜ。お袋さん、元気か。」
「ああ、元気だわさ。」
「水分を十分とって、大事にしろよ。」
「おお、Tは、俺の大先生だからな。ギャオと思ったら、お前を思い出して、調整してるよ。」
「おお、そうか。俺は3年だったからな。疲れるわな。今畜生!!だモンナ。イッヒヒ。」
「そうそう、俺は、Tに一人っ子の処方箋を、学んだからな。」
「俺は一人っ子だから、文句を言いたくても、誰も居ない。お前の場合は、兄弟が居るからな。」
「居ると思えば、腹が立つ。一人っ子と思えば、余分なエネルギー消費は、しなくても良しだ。珍しく、先生が好かったからな。」
「そうずら、イッヒヒ。悟りを開いたか。盆休みになったら、ビアガーデン行くべ。」
「ビアガーデン行くんだったら、如何だ一緒にサイパン行くべ。考え直せ。」
「バカこくな、今年は、お袋の新盆やらなきぁ、回る銭は、ビアガーデンが、精々だよ。お互い根が好き者だから、品行方正の態度を身に付けにぁ、痛い目にあうぜ。Rの場合は、<操縦桿が捥げてるから、蟄居閉門の暮らしが、必要>だわさ。ガァハハハ。」
「バカ野郎、俺の前で俺の作品を、無断使用しやがって。ビアガーデン分、出せよ。」
「おう、好いよ。お安い御用だ。何時でも、どーぞ。」
「バカに素直じゃないか、お前、若しかしたら、使用頻度高いだろ。」
「イッヒヒ、ばれたか? 如何だ、俺に馴染んでるだろ。偶には、虫干しして遣らにぁ、言葉の似合う奴が、その都度、使って遣らなきぁ錆びるぜ。へへへ。」

 Tは、トンでも無い男である。これが、国と国との関係ならば、知的所有権の存在を巡って、国交断絶にまで、発展しかけない大問題である。顔付きは、ディック・ミネであるから、日本人そのものである。そう云えば、Tの第二外国語は、中国語であった筈である。

     門前の小僧、魂を奪われやがったな・・・・<困ったものである。>

心何処ーショート 不肖倅のコメント
                 不肖倅のコメント(7/28)
 何方か、雨乞いを為さったのだろうか・・・前々日の大雨洪水注意報は、掠りもせずに、夜中の散歩をこなした。その付けが、昨日に回って来た。ピカ・ピカ、ゴロゴロ、ドッシャーン、ピカ、ゴロゴロと、戦艦同士の一騎打ちの様な、凄まじいばかりの艦砲射撃戦であった。余りの音響と腹に響く雷神の撹乱振りに、肝が冷えて来た。その内に、叩き付けるような土砂降り攻撃に晒されて、庭は濁りの池と化してしまった。

 アリャリャ、猛暑が跡形も無く、木っ端微塵に壊滅されてしまった。流石にお天道様の<怒>の部分の一つを体現されている<雷神様>のお出ましであった。裸人間は、タダタダ小さくなって、早々に行儀好く、肌を覆う事に致した次第であった。
 
 夜は、余りの涼しさに、綿毛布・上掛け布団の就寝であった。未明に、左脹脛に痙攣を起こして、忍の一字を費やす。これは、中学時代の陸上競技選手以来の、持病の様な物である。窮すれば、工夫をするで、大事に至らぬ様に悲痛の短縮化を覚えている。
 然しながら、痛いものは痛いし、我慢にも限界がある。収まったものの、足を引き摺る無様さである。

 朝の賄い夫に母の部屋に行くと、北海道は旭川の放送との事である。母の生まれ故郷である。懐かしそうに、穏やかな顔でニコニコ、大きく頷きながらテレビ画面を見詰めている。母のルーツは、父親が富山の旧家の出身との事である。青雲の志を持って、屯田兵として海を渡った由。見渡すばかりの原野の開拓地を、祖父は狼・ヒグマを避けて木に登って寝たなどと云う話を聞かされていた。そして、母は祖父から、ヒグマが馬を担いで行くのを、見たと云う話も聞かせてくれた。働き者の祖母を迎えての開墾の様は、母とその姉達から、寝物語に聞かされていた。

 後年、私は、私の家族と共に、NHKのヒットドラマ・<大草原の小さな我が家>を母の語りに、重ね合わせて見ていた物である。
 尤も、私の視線の先には、名前は脳軟化症で忘れてしまったが・・・ドラマのお母さん役女優さんが居て、彼女の一挙手一動に、釘付けにされていたのであるが・・・ 余りの釘付け振りに、女房殿からは、時々頭に拳骨を頂戴し、それを見ている子供達からは、大した事の無い父親との、ニヤニヤ笑いを送られていたものである。女房も、同様の雰囲気を持った遜色の無い、良い女なのであるが、客観的許容度に於いては、少々・・の面があった。

 脱線は、この位にして、母の話に戻ると、旭川の農家時代が一番楽しかったらしい。働き者にして美形の祖母を失って、子沢山の祖父は農業を諦めて、名寄で後妻を迎えて風呂屋に転業したとの事である。継母に連れ子、新しい弟達の誕生で、祖父にも先妻の子供達にも、切ない日々が始まったらしい。その間の事情は、多分兄弟の内で、私が一番聞かされているのだと思う。そんな事で、すっかり小さく為ってしまった母ではあるが、穏やかな顔で、ニコニコ大きく頷く母の脳裏には、きっと楽しかったであろう母の<大草原の小さな我が家>が、脳裏に走馬灯の様に回っているのであろう。

 母親を前にして、不肖の倅如き私が、コメントを差し上げるのは、甚だ失礼の段ではあるが、人間の顔とは、好く出来ている物と感心してしまう。顔の表情はと云うものは、心・気分・体調を映す、正に内面を写す鏡である。どうせなら、汚い物よりも、美しいもの、好ましいもの・和むもの・拍手を送りたいものを、見たいものである。

  私の顔・表情も、斯く在りたいものであるが、修行が先か、寿命が先か、
                          中々にして、先の覚束なさである。

 本日、うらびれた秋を思わせる様な、一日と成りそうである。ラジオからは、<石川挽歌>の歌が流れている。さてさて、買出しに行った後は、寝不足の睡眠補給に時間を当てようか、それとも、久し振りにお気に入りのDVDをピック・アップして、好漢・美形の映画で目の保養と致しまするか? 

 おやおや、薄茶の小倅、今日はオスの囀りを披露為されている。成鳥の速き事・・・何とやらでありまする。午後六時にして、漸くの薄日が差して来た。鳴りを潜めていたキリギリスが、鳴き始めた。

困った2人
                  困った二人 
プレゼント1

 父親が我が子に最初にプレゼントするものが、名前である。そう思って、上の男子には毛沢東の言葉、『造反有理』から『有理』の文字を拝借して名付けた。高校・大学時代、左翼思想がある面、流行だった団塊世代の一員であったと云っても、私の本態には、右翼寄りの思想が強い。その傾向から、この四文字を私流解釈をして、<造反するには、それなりの理由が有る。>からして、ひとかどの人間として立とうとするならば、上辺の造反の形だけに目を捉われずに、その動機に目を向けるべきである。人間の動機は、一朝一夕に形成されて、行動に出る訳では無い。事の善悪に対する選球眼を、<理>に依って蓄えると同時に感性を磨いて、変化の芽に敏感に対処する能力を鍛え上げて行けば、人間関係の軋轢(あつれき)・造反の痛ましい物理的衝突は、回避出来るケースが大きく成ろう。声無き声の痛みを知って、私心の無い行動が採れる好漢(おとこ)の1人と成って欲しい。能力を持った、或いは持たされた人間が、体制に安易に阿(おもね)る事無く、声無き声の側に立って人生を歩む事は、世間の一般常識から観れば、自分に損な生き方を強いるケースが、大きく成るだろうが、利己では無く<理の有る>行動指針を我慢出来る所まで、我慢して歩んで欲しい。
<所詮この世は、有限の限られた人生である。> 有限成ればこその、押し通すことが出来る我慢もあると云うものである。葛藤して、利己を理に替える生き方も、好漢の美学の一つである。努力して、挫折するのも良かろう。その時に、親子の話をしよう。

 そんな気負った動機から、私が息子に最初にプレゼントしたのが、この人生のエールであった。
 私の中では、命名のスタートは上々の筈であったのだが・・・・ 意に為ら無いのが、人の世の奥深い処であろうか・・・
 
                 無垢の大発見
 或る朝、息子が目を輝かせて、然(さ)も得心した表情で、私に言ったものである。
「おとうさん、ボク、おとなが、なぜオネショしないか、わかったよ。」
「ほう、そうか。」
「だって、おとうさんは、ねるとき、これをチンコに、かぶせて、ねるんだもの。ずるいよ。」
あどけない倅は、握った掌を開けて、草臥れ果てたピンクの極薄、大人の夜尿防止物を見せてくれた。年端の行かぬ倅の<大発見>に、私は、ニヤニヤしながら・・・
「素晴らしい、お前、事に依ると俺より、頭良いかも知れんな。付けて見たか?」
「うん、大きかった。」
「実験したジュニアはデカかったか・・・ お前のは、まだ爪楊枝だから、ガバガバで、隙間だらけで、小便袋には成らなかったか・・・ 隙間を塞ぐにも、縛り方も分からんから、根元を縛る訳には行かんだろうしな・・・それに残念な事に、小児用は売ってないぞ。だから諦めて、無闇に小便はするなよ。俺も、チャンとズボンから出して、遣っているんだけど、その内、生温かい感じがして来て、<あ~、しまった>何て事は、良くあった。夢か現実か? その区別が着く様になれば、一人前だわさ。寝ション便位で、くよくよするな。誰もが、通る道だ。気にするな。俺なんか、4,5年生までした事があるぞ。俺と比べたら、ズーと良い。」
難しい事は、理解出来ない幼児の倅の頭脳である。彼は、母親からの躾の最中である。母親と云う生き物は、大半が自分の子供時代をすっかり忘れて、感情的に叱るのが関の山である。未知で一杯の小さな心には、感情的叱りは、子供の心を萎縮させるだけである。最大の関心事である寝小便回避に向けて、倅としては、ギリギリの努力と思考力、実験で導き出した<大人の秘密への大発見>にして、天晴れな推理だったのである。彼がその報告を、生真面目な女房にせずに、私に報告したのは、中々の眼力を備えつつあったのかも知れない。倅の人知れずの探究心の行動を想像すると、未知への足取りと彼の想像力は、傑作にして微笑ましい限りであった。

                自宅の庭での一幕、
「ねぇおとうさん、アリゴだって、いっしょうけんめい、いきているんだよね。だから、いじめちゃいけないんだよね。」
(倅は何時も祖母の背中である。多分祖母の口移しであろう・・・・)
(私は、ニヤニヤしながら)
「お前は、素晴らしいねぇ、ヤッパリ俺の子種の為せる業か? それとも、生きとし生けるもの、衆生に慈悲を以ってのお釈迦様の生まれ変わりか。やっぱり男は、侠気を持って、弱きを助け強気を挫(くじ)くの清水の次郎長に、為らなきぁ駄目だ。」
倅は父親にすっかり褒(ほ)められて、一時、馬鹿の一つ文句である。
「ねぇ、おとうさん、アリゴだって、いっしょうけんめい、いきているんだよね。」
コツン
「バカタレ、好い文句も、ワンパターンだと<馬鹿の一つ文句>って言うんだ。受けようとして、言葉を使ったら、折角の言葉も死んじぁうぞ。痛いか、<叱られて賢く成るんだよ。我慢して強く成るんだよ。>昔の人は、好い事を言ったもんだわさ。ハハハ。」

<我が家の台所に掛かっている日捲りカレンダーの一節である。>
何を隠そう・・・ 私も馬鹿の一つ覚えである。


                   血筋は繰り返す
 私は小さい時から、無類の動物・生き物好きである。私は小鳥類が好きで、雲雀(ひばり)・百舌(もず)・セキレイ・カワラヒワなどの巣を見付けて、雛を取って来て、母親に<如何してお前は、こんな惨(むご)い事をするのか!! 親鳥が、子供を探して鳴いているんだよ。親子の情愛に生き物の区別は無いんだよ。> その度に長々と、正座をさせられて、お説教を喰らったものである。血は争えないものらしい。倅は昆虫・爬虫類が好みであったらしく、幼稚園に通い始めた倅の後日譚である。私の母親が風呂を沸かそうと、湯船のカバーを開けた途端、浴槽は青蛙の山だったと言う。斯く言う私にも苦い経験があった。私は魚取りが大好きであったから、取って来た川魚を、せっせとタイルの浴槽に入れて飼っていたものである。週に1度の風呂焚き時には、魚をタライに移し変えて置くのであるが・・・ 相手は水中を自由自在に泳ぎ回る小魚達である。中には私の目を掻い潜って、浴槽と釜を繋ぐパイプから、炊き釜に隠れてしまうものも出て来るのである。男兄弟の縦の序列は、厳格の一語に尽きたから、兄達が入浴中にすっかり茹で上がった小魚達が、パイプの循環口からプカリプカリと姿を現そうものなら、<コラ!! R、遣りやがったな、汚ねぇ~、ちょっと来い!! > よく力任せにぶん殴られたものである。
        何しろ馬鹿は、懲りないものと、相場は決まっている様である。


                  確信犯
 子供達は、好く私の釣りのお供をさせられてものである。ある時、小学校の高学年に達した倅が、藪から棒に、私に言った。
「お父さん、街場の所には、こんな大きな鯉が、一杯泳いでいるよ。釣っちゃいけないんだろうね。でも、あれを釣ったら、さぞかし手応えがあって、凄いだろうね。」
「お前は釣りたいのか?」
「うん、釣りたい。良いの?」
「馬鹿こけ、悪いに決まってるだろ。どうしても遣って見たいなら、遣って見ろ。但し、捕まっても、俺の名前は出すな。悪いと知ってやるんだから、責任は全部、お前が取れ。刑法の専門用語では、<確信犯>と云うジャンルだ。刑務所に入れて教育しても直らない性質の悪い思想犯の一種だ。思想犯であるからには、お前も男だ。金玉に恥じぬ様に、覚悟して掛かれ。」
「お父さんも、一緒に行こうよ。」
「戯(たわ)け、俺はお前と違って、出来の良い法学部の出身だ。悪事に加担は出来ないだろ。」
「うん、分かった。お母さんには、内緒だよ。」
「あぁ、分かった。遣るからには、見付かるより、見付からない方が良い。目覚ましを掛けずに、朝早く行け。」
「うん、ありがとう。」

 翌朝、傍らの倅の頭をこずいて起こす。彼は足を忍ばせて、自転車で出掛けて行った。雨が降って来た。バイクで様子を見に行くと、街場の端の橋の下で倅は、不安気に釣り糸を垂らしている。街場のど真ん中で、堂々と遣られては、<出来心の許容範囲外>である。父親として、倅に軌道修正の必要が出て来てしまう。ホーンを鳴らしてやると、無言で、ニヤリと笑って手を振っている。困った倅である。

                  夏の思い出
 盆休は、キャンプ道具を一式買って、倅と娘を連れて、女鳥羽川の源流に2~3泊でキャンプをしに行っていた。5~6年続いた夏の恒例行事であった。女房はアウト・ドアが苦手であったから、不参加であった。それでも日中は食料を携えて、チョコチョコ顔を出していた。昼の乾麺の冷やしうどんは、定番の人気メニューの一つであった。ある時、倅とは3ツ違いの娘が炊事当番の時に、煮えたぎった飯盒のうどんを地面に、ひっくり返してしまった事があった。
「明香(さやか)何やってんだ。捨てるんじゃない。大事な食料だ。きれいに洗って来い。」
「お兄ちゃん汚いよ。家じぁ捨てるよ。汚いよ。」
「バカタレ!! 家じぁないんだ。ここはキャンプだ。人間は食べないと死ぬんだぞ。」
私は、木陰の涼しい場所に陣取って、兄妹の遣り取りを煙草を吹かしながら、観察を決め込んでいる。娘は、小学校前のコマシャクレ盛りである。
「はい、お父さん」「お兄ちゃん」「そして、ハヤカ」
「明香、お前の盛り付けは、いやに少ないじぁないか?」
「だって、うどん白くないもん。お父さん、おいしい?」
「うん、何時もと変らんよ。明香、眼を瞑って食べてみな。」
「うん、本当だ。お父さん、やっぱ頭が良いね。」
「馬鹿こけ、お前が、頭が悪いんだ。マジックと同じで、自分の目に騙されているだけさ。」

 翌日は、源流探検である。格好の小滝の溜りに倒木が斜めに掛かって、手頃な橋に成っている。子供達の性格を観察するには、格好のお膳立てである。私が、見本として渡る。倅も緊張した面持ちで、渡り終える。最後に娘が倒木の中間辺りで進退窮まって、しがみ付いたまま、見る見るうちに泣き出しそうに顔をクシャクシャにしたかと思うや、助けを求めて大声で泣き始めてしまった。
「明香、泣くんじぁない。頑張れば出来る。」兄は引き返して、泣きじゃくる妹のほっぺたを、<一発叱咤激励の態>である。私が、倅に良くした方法である。高さは1m程で、幸い底は浅い。
「有理、落とせ。」父親の驚愕の言葉に、泣くのも忘れて必死にしがみ付く娘・・・ 兄は、父親の意図が分かったらしく、倒木の橋からザブンと飛び降りて見せる。
「ほら、浅いんだよ。気持ちいいぞ。落ちるのなんか、恐くないぞ。サァ、来い。」
此処で、娘がザブンと飛び降りれば、『家族劇』としては、上出来の落ちであるが、娘は私に似て天邪鬼である。天邪鬼には、天邪鬼の気の済む逃げ道を、プレゼントして遣らずば成るまい。私の差し出した手を<救いの手>と反射した娘が、浅薄であった。その儘、ひっくり返る様に、騙され水に落とされて、3人で水遊びである。私はその最中、二の腕を幼い娘にシコタマ噛み付かれてしまった。娘にしてみれば、これで『おあいこ・ご破算』の意趣返しの心算なのであろう。

 何かの話で聞いた事であるが、<個性の違った子供に育てるのが、親の技量>との見方もあるらしい。
                 プレゼント2
 女房が第二子を宿した時も、私は男と思って、それを一切疑っていなかった。理由は、簡単・単純に、我が家の血筋は、男系と信じ切っていたからである。女房もすっかり私に洗脳されていた節があるから、出産準備の段階で、<凌駕(りょうが)>の刺繍をせっせとしていたものである。予想がすっかり外れて、病院の女房からは、<早く女の子の名前を考えて!!>の催促である。女気の一切無い環境で育った無骨一点張りの男の頭には、女児出産の報を聞いたとて、打ち出の小槌では有るまいし・・・ そう簡単には、出て来ない代物である。女の名前を彼是考えると、実存の女性達が動いてしまう。女児と雖も、自分の娘である。鼻の下を伸ばして、蘇った彼女達から名前を拝借するのは、女房、娘に対して<失礼の極み>と云うものである。
かと、云って<どうすりぁ~、好いのよ~。行きつ戻りつの思案橋>状態である。仕事中、ふと浮かんだのが、中学の音楽の教科書にあったシューベルトの旅人の一節、<月影さやか>の響きであった。音楽の成績は希少価値の1であったから、シューベルト、旅人の一節が出典であるかは、実に心もとない処である。私としては、出典元が正解・不正解であろうと、大した問題では無かった。さやかの語感が好きで、私の中では、使用頻度の高い言葉の一つであったから、思わず<これだ!!>と膝を叩いた閃(ひらめ)きの瞬間なのであった。

 国語辞典に依ると、さやかは、<明か、清か、雅>と云った漢字を用いると、明るくて、はっきりしている様子の意味であり、<亮か>を用いると声・音が澄んではっきり聞こえる様子を指すとの事であるが、明らかに大和言葉の趣の強い言葉である。<さやか>を平仮名とするか、漢字とするか迷った揚句、名前は一生ものであるから、平仮名を止めて漢字とする事に決めて、<明か>を選び<か>に<香>の字を充て、<明香(さやか)>に漸く辿り着いた得心の命名であったのである。

 父親・命名者としての私は、<有理・明香>の命名に際して、男女差・一子、二子の差を付ける事無く、命名し終えた事に満足の気持ちを持ったのである。子供達の命名のエピソードに関しては、良く話題に上がったから、子供達も良く自分達の名前の由来を、聞き知っていたのである。そんな訳で、甥子達が私と娘の顔を見て、<そっくり>と噴出してしまう位であったから、子供心にも娘には、自分が何時かは<黒いアヒルの子>が、成長して或る日、<白鳥の子>に変身する期待乃至は願望があったのかも知れない。

    娘は、女房の躾に関しては、驚くほどの優等生振りを示していた。

              まだ、はえてこないかなぁ~
 女房と娘は一緒の入浴である。一足先に出る娘は、兄妹の衣服の入った専用の箪笥の引き出しを持たされている。テレビの在る居間の箪笥であるから、私の膝の上には、兄が座っている。云わば、男の世界である。上気したスッポンポンの娘が女達の部屋を通過して、箪笥の前にぺタンと据わり、のっぺりした桃割れの箇所を押し広げて、
<あ~、ハヤカのチンチン、まだはえてこないかなぁ~・・・・ どうしてだろう?>
<さやかは、ばかだね。おんなにチンチンがはえるわけ、ねぇ~だろう。>と、兄の言葉である。
生物学を学んでいない娘には、<有るべき物が無い、無きべき物が有る!!>のであるから、男女の臍(へそ)下三寸に現われた一点の違いは、『世界七不思議』の一つだったのかも知れないし、母親には、絶対内緒の受けを狙ったワンパターン・パフォーマンスだったのであろう。

        開脚の受けの時間が長過ぎたのであろうか?
「明香、何をしてるの!! ハシタナイ!! 」 バシバシ
 哀れ!!幼子 突然の平手打ちにキョトンとしている。
 イヤハヤ、何ちゅう女じぁい。女と云う生き物は、現在の自分の視点でしか、物が見えないものと見受けられる。子供の視点、相手の視点で物を見る事が、出来ない生き物らしい。自動車のハンドルの遊びの喩えもある筈なのに、世の中、堅物過ぎる物は、実用に供しないものである。親父の社会的流儀を見せて、子供達に<硬軟の複眼>視点を与えて遣らずば為るまい。

                   不潔な関係
 人間の発想で一番面白い盛りが、幼時期なのであろう。女房の観察する私の頭の中は、<SEX菌>が充満しているとの事である。甚だ失礼の極みであるが、菌に侵されていると成れば、病人の意に為らぬ範疇にあるのであるから、反省しても仕方の無い徒労と云う事に為ろう。従って、本人は、更々気に病む必要の無い事柄であるからして、素地を押し通せば良い事に成る。女房は、頑張り屋の潔癖性の傾向が強い女である。夫婦の下種話では、私達は<水と油>の敵対照である。
<何を生意気な!! 無駄事を言うと、パンツ脱がして、穴(けつ)舐めちゃうぞ。>
<ちょっと、ヤダね。 お父さんとお母さんは、『不潔な関係』じゃん!!>
さては、不覚にも夫婦の褥を、娘に覗かれたか!! 狼狽する私達の眼に、娘は
<だって、オケツのアナは、ウンコするトコロじゃん。不潔にきまってるじゃん!!>

 二の句が継げない、ぐうの音も出ないとは、こんな時の形容である。そう云えば、大阪万博の太陽の塔で御馴染みの、岡本太郎画伯のテレビ・コマーシャルに<芸術は爆発だぁ!!>があった。爆発的芸術の感性は、幼時程、鋭いとのお説であった。・・・・黄色い脳細胞には、付いて行けない。意を好くした就学前の小娘が、追い討ちを掛けて・・・・

<シミズのおばぁちゃんが、言ってたよ。お母さんは、からだがよわいから、あまり、『オイタ』をしちゃ、いけませんって!! よ~く、お父さんに、いっておきなさいって!!>
<お前達、親・子・孫3代で、何て事を、くっちゃべっているんじぁい。穴が有ったら、入りたい。用意しとけ。バカタレ、今宵は夜を徹して、手篭めにしてくれるわ。クゥワッハハ>
<お母さん、テゴメってナァ~ニ??>
<水戸黄門の見過ぎよ。男はおバカさんなんだから、聞かなくても好いのよ。偉そうな事言っても、コンニチワ、オジサンよ。>
<あぁ、わかった。さいごに、きられちゃうワルイ人だね。>

                水は、低きに流れる
 夜中、異様な音に目が覚める。その内、生温かい液体に臀部を覆われ、吃驚(びっくり)して明かりを点ける。掛け布団を剥がされても、小娘はびくりともしない。娘のパジャマに手を伸ばして、愕然とする。私は、敷布団の下にマットを敷いて寝ているので、小娘の放尿は、全て体重の重い私の臀部に流れ集まったらしい。親父に放尿の全てを預けて、小娘は、甲賀くノ一忍法<必死の仮死>の術を使って、こそりとも動かない。女房に蒲団を替えて貰い、小娘を抱いて、朝を迎える。見上げた根性である。こんな時、怒るに怒れないのが、父親である。

             お母さん、僕達にも、もっと気を使ってよ。
 或る時、倅と娘が真顔で、女房に言った。
<お母さん、僕達にも、もっと気を使ってよ。>
<うん、そうだよ。お兄ちゃんのいうとおりだよ。お母さんは、お父さん、お父さんばっかりじゃん。> 
幼き兄妹の連携抗議である。奇妙な雲行きに成りそうな気配に、私は、???? である。
<何言ってるの、お前達。お母さんは、お前達よりも、お父さんが大事なの。生まれ変わっても、お父さんと一緒に成るわよ。>
<ヘヘヘ、ざま見やがれ、我鬼ども。愛し合う2人の勝利じゃい。参ったか。>  

 私の目からすると、呆気無いほどの幕切れであった。子供達は、彼等なりに『共闘』して立ち上がったのであろうが、『母親は、幼子の前に、1分の隙無く強かった。』のである。娘は、余程ショックだったのか・・・ 一時、口癖の様に、<ハヤカは、どうせ、はしのしたから、ひろってきたんだから、いいよ。かまわないで!!>の強行言動を取って見せた。娘は余程、私が憎かったらしく<お母さん、どうしてお父さんとなんかとケッコンしたの。ハヤカは女の子なのに、しらない人は、坊や、お父さんにそっくりで、ハンサムっていうんだよ。どうして、お母さんそっくりに生んでくれなかったの。うらんでやる。>中々にして強烈な事を、本人の父親の前で、しっかり言う娘である。少々軌道修正をして遣らずば為るまい・・・困ったものである。
              軌道修正の機会は、程無く訪れた。
<ああ、そうだよ。お前は、浅間橋の下から拾って来た。成長した男と女がセックスをすれば、卵子と精子が結合して子供が出来る。俺は好い加減だから、子供を作ろうと思って、裃(かみしも)に袴(はかま)を着込んで、お母さんの観音様をご開帳して、神妙に儀式に及んだ訳じゃない。お前も有理も、真実快楽の一滴だ。好きな女に子供が出来た以上、父親の責任だ。お前が生んでくれと頼まなかったと理屈を捏ねても、俺にしても、作ろうとして作った訳じゃない。子と親が勝手な事を言い始めたら、弱い赤ん坊は、皆、橋の下に捨てられてしまうぞ。どうする、生まれ故郷の『浅間橋の下』に帰るか?> 娘は真っ赤な顔をして、下を向いて黙っていた。
立派な娘である。橋の下の口癖は、ぴたりと止んだ。

                      親離れ
 息子は中学生である。彼から、夏休みの提案があった。中学生に成って、クラスの分かれた仲間達での単独キャンプをしたいとの事である。厳しい校則を列挙した生徒手帳なる物を持たされた中学生が、単独でキャンプなど許され様筈は無い。硬く読めば、校則は拘束規定の義務遵守事項の列記である。クラスが変ると、友人関係にも変化が生じて来る。私も新クラスの人間関係に馴染むのには、少々時間が掛かったし、長い休みには日時を示し合わせて、旧友と遊び回った記憶がある。物の不自由な私の学童時代と異なって、豊富にして両親共稼ぎ時代の学童達である。『トム・ソーヤ』の心情・行動は古今東西・時代を超えて、少年達の通る道すがらである。大いに結構な事である。
 彼の計画を聞かされる。数人の小学校時代の仲間と自転車にキャンプ道具一式を積み込んで、女鳥羽川源流を目指すと言う。我が家の方針は、前出の『確信犯』で披露した通りであるから、許可権は父親の私に委ねられている。私のOKが出ると、面倒見の良い女房は、彼等の最有力の協力者と成ってくれた。
 勤めを終えて帰宅した私は、女房と娘を乗せて、『トム・ソーヤ村』を見に行く。不測の増水に備えて、高台へのキャンプ設営を指示して置いた。背丈がすっかり伸びて165cmの女房を超す体格の持ち主と成った息子達確信犯の面々は、夕食の最中であった。我が身に覚えのある雰囲気に、私は何か妙に<こそばゆい>感傷に陥ってしまった。長居は、禁物にして彼等に失礼に当る。唯一の約束事、朝夕の各家庭への電話連絡を、確信犯の面々に再確認して家に戻る。

              直江津各駅停車の父娘旅
 そんな訳で、その年の私と娘の夏休みは、思い付きの各駅停車の旅と成った次第である。家庭での私生活は、全てに於いて、女房に<おんぶにだっこ>の物臭振りを発揮させて頂いていたから、女権の一段と強まった昨今の時代から見れば、私は、全くの<駄目親父>であった。
 その当時、テレビでは<初めてのお使い>なる番組が高視聴率を博して、シリーズ化されていた時代でもあった。娘の指南役は、独身時代、列車の旅を趣味としていた女房である。列車の時刻表を読み取るのは、お手の物である。計画・指導は、微に到っていた。私は性格上、大雑把に出来ているから、未知の事に関しては、知らなければ調べるものの、調べが完了すれば、過程での順不同には無頓着のタイプである。方角さえ決まれば、出た処勝負の連鎖に成ってしまうのが、落ちである。場数・経験を積み始めようとしている我が小娘は、その分几帳面に徹しざるを得ない処であるのは、見ての通りであろう。何分、女房を信望する余り、その口車に洗脳されている彼女には、余程私の能力は、甚だ弱くして低い様に映っているらしい。女房と娘の予習は、笑いの中で続けられている。彼女達の各駅停車の旅のテーマは、母親に代わっての<駄目親父引率>らしい。愛娘に対する動機付けとしては、正に敬服に値する取り計らいである。
 
 リュック・サックを背負って、財布を握った娘に引率されて、各駅停車の旅が始まった。
<さぁ、お父さん、〇時だよ。お母さんの作ってくれた朝ごはんの時間だよ。>
女房から預かった腕時計を見て、リュックを広げてくれるのであるから、実に頼もしい限りである。ゆったりした各駅停車の車両の揺れに、ウトウトする私の耳元で、娘が駅名を読んで聞かせてくれる。出来の悪い父親には、出来の良い娘を、天は授けてくれるのであろうか? この儘、すくすくと伸びてくれれば、早晩、私を追い越してくれるのも、時間の問題なのかも知れぬ。有り難い事である。直江津で下りて、歩く。日本海を抱いた港町は、湿度の所為か? ユラユラする程に暑い。見物を放棄して、海鮮食堂に入って<特上刺身定食>を食する。

 帰りの車上、特大任務を終えて小娘は、鼻の頭に汗を浮かべて、寝息を立てている。

                性に目覚める頃
 部屋で本を読んでいると、口の産毛が長く成った息子が、神妙な顔付きで私の前で正座する。
「お父さん、教えて貰いたい事がある。オナニーって、何?」
真剣な眼差しの少年の瞳には、行儀が悪いが、私は立派な駄目親父であるから、思わず口に咥えた煙草もろ共、吹き出してしまった。
「バカタレ!! お前は真顔で正座して、何んちゅう事を言い出だすんじゃい。」
吹き飛んだ煙草を私に差し出す息子に、受け取って、一服吸ってから、
「辞書を引いて見たか?」
「難しくて分からない・・・」
と息子は応じたが、どの分野に属する言葉かは、想像している様子である。
「そうか、オナニーとはドイツ語、英語ではマスターベーション、日本語では自慰と称して、自らを慰めると書く。その省略せられている目的語は、やり場・捌け口の無い性衝動を、己が手に依って<陰茎(ペニス・チンボ)>を扱いて、性的興奮の内にザーメン(精液)を放出させる行為の事を言うんだ。ボキャブラリーの乏しいお前には、用語の注釈が必要だから、好く覚えて置けよ。辞書には下世話な表現は使えないから、お前の大人に成った一物は、男性生殖器とか、陰茎と表記するしかない。ザーメンつまり男の精液は、精子・・・ 俗に言う処のオタマジャクシを、大量に含んだ白い粘着性のある数CCの栗の花の臭いを呈する、ペニスから発射される液体の事だ。性衝動・性行為を秘事・隠し事と位置付けた宗教観の下では、性を淫として淫らな行為と見做してタブー化して来た長い歴史があった。そんな時代背景の下では、オナニーの事を、<手淫>と表記もしたし、手で陰茎を扱く様子から、俗語としては<千摺り(せんずり)>つまり女体、好きな女を想像して自分の一物を1000回も擦っていれば、射精してしまう実態から、そう呼ばれる様になったのだろう。因みにお前が、大人のション便袋と推理したものは、ザーメン袋の体裁を取った避妊具だったと言う訳だ。参ったか!! お前も何時の日か、息子を持つ父親に成ったなら、この位の性知識を披瀝出来ん様じぁ、オットセイ・トドのハーレムの主として、メス共の上に君臨は出来んぞ。」
息子は、自分の想像が外れていなかったのであろう・・・ホッとした様な赤い顔付きで聞き終えると、暫し、逡巡(しゅんじゅん)した挙句に、ぼそりと、
「うん、やっぱり、有難うと言うべきかなぁ、もう一つ良いかなぁ?」
「何だ、言って見ろよ。纏めて質問に応えるぞ。」
「お父さんは、何時からオナニーしていた?」
「ザーメンには、苦い経験があってなぁ・・・ 親父は小学校に上がる前の年に亡くなって、男兄弟5人の4番目だった。俺達の時代は、遊びは男と女は別だったし、男が女に興味を持つのは感心されなかった時代だ。それに陸上競技に少々才能があって、運動場で毎日ヘトヘトに成るまで、学校の名誉の為に扱かれていたんだ。人間の体の仕組みは、精巧に出来ているから年頃に成ると、陰部には陰毛、顔には髭が生えて来るし、精嚢で作られた精子は、陰嚢(キンタマ)に蓄えられて、放出に備えられるって寸法に為ってるんだ。過剰備蓄は、新陳代謝機能上、芳しくないから、オナニー、夢精に依って体外に放出されて、新たな生産活動が始まる。女の月経の周期の様なものだわさ。俺は、不幸な事に、運動で扱かれ過ぎた。射精の快感を覚える前に、全くの無意識の内に、過剰備蓄を夢精で、放出と再生産のサイクルを廻していたんだよ。夢精によるパンツの汚れを見て、俺は青く成っていたもんだよ。
<扱かれ過ぎて、俺の身体から、水分が無くなってしまったんだ。ション便の源(もと)が出て来てしまった。嗚呼、どえらい病気に罹ってしまった。死ぬのか? どうしょう!!>
当時は、洗濯機なんか無かった時代だ。お袋が、手で一枚一枚洗っていたんだ。母親は一家のドクター何て言い方もあるからして、息子の下着に続く異変に、お袋も気が付いた。でも、お袋は女である。女の生理なら秘密にアドバイスしてくれる筈が、事は男の生理に関する事である。汚れの場所が場所であるから、親父が生きていれば、相談も出来様が・・・・ 病気なら、一大事である。思い余ったお袋は、俺の居る前で、兄達にその疑問を話してしまった。・・・・兄貴曰く、『バカタレ、千摺りは、ちゃんと出してから遣るもんだ。』ゴツンとゲンコツが落ちた。 『???』 分かるだろう、淡き思春期の恥ずかしさが・・・ 」
「お父さん、分かるよ、分かる分かる。」不肖の息子は、必死に堪えている。
「バカヤロウ、テメェ、笑ってるじゃないか!! <ゴツン> 授業料だ。」
 
この道は、何時か通った道。
朝、小学生の娘が愚図いている。女房のキツイ物言いが、聞こえる。娘は、本当に学校には行きたくないらしい。手荒く戸外に追い出されて、娘は顔をクチャクチャにしている。頭痛に腹痛が、1度に来ているとの事である。私の小学一年生の時が、正しくそうであった。S大の教育学部を卒業して、初めてクラスを担任した若い教師は、<厳しい>一点張りの男であった。私は字が汚いと言われ、何度も書き直しを命じられて、すっかり教師恐怖症に陥ってしまっていた。私の素地の神経は、繊細そのものであったから、登校時刻に成ると決まって、神経性の腹痛に見舞われていたものである。母親は<可哀想>と甘やかしては、母子家庭のハンディキャップに負けていては、将来ロクな男に成らぬと思って、愚図る私の手を引いて、学校に連れていってくれたものである。私のクラスには、私同様の登校拒否児が、少なくとも数人は居たのである。入学間も無い幼児には、嫌な教師は鬼の様な存在にして、絶対の存在でもあった。私の1年時の欠席日数は、軽く30日を超えていた始末である。<私は、立派な登校拒否児童の1人であったのである。>1年生の2学期の後半から、漸く学校に慣れたと云うテイタラク振りであった。私はそんな教師に依って、義務教育の洗礼を受けた苦い経験を持つ1人である。デリカシーを欠いた教条主義者の余りの厳しさに、父兄からの苦情は多かったらしいが、1、2年生の学童の私には、その具体的苦情内容の記憶は無い。学校に慣れた2年生の夏休みの宿題を溜め込んだ私は、開き直って、髪の毛を引っ張られる前に、坊ちゃん刈りの頭髪を<坊主頭>にして、2学期の始業式を迎えたものである。宿題はして行かなかったが、私の成績は音楽を除いては、教師の文句の付けれない点数を修めていたし、腕力もめっぽう強かった。教師に対する反発心は、グループが出来る程までに成長していたのである。

後年、私が高校・大学と進んで、S大教育学部の学力を客観視出来るに至った時の感想は、憎き若輩教師の<学業の出来の悪さ>あった。
<あの野郎、S大の教育学部を出た位で、偉そうに!! フザケンジャネェヤ、俺の通う高校じゃ、落ち零れの赤点組じゃないか。あんな低脳野郎に、罰点貰う筋合いは、無いってもんだ。尤もバカは、自分のバカさ加減が分からんらしい。てめぇの出来の悪さを棚に上げやがって、無垢の幼子に学校恐怖症を植え付けやがって、今思うと、太ぇ野郎だ。ありゃ、一種の性格異常者・サディスト野郎だったって訳だ。お袋が居なかったら、俺は登校拒否児の裏街道を歩いていたかも知れん。お袋様様だよ。直情型人間が、幸い刑務所にも入らず、今日あるのは、お袋の慈愛の賜物だわサ。でもなぁ、俺が、荒ぶれ狂う時期に、あの野郎が、中学・高校の担任だったら、殴り倒してやった物を、反対にあの野郎が、学校恐怖症に成れる処だったのに、幸運な野郎だ。>

私は、そんな1年時を過ごさざるを得なかった体験から、子供達の表情・態度には、細心の注意を払っていたのである。幼児の胸は、悲しい迄に狭く、脆(あやう)いものである。母親への恩返しである。娘が泣き泣き登校し始めた後を、私は後ろから、観察して歩く・・・・
父親の姿を横目の視野に入れて、歩く赤いランドセルばかりが大きい娘である。私は意識して、無表情に振舞う。立ち止まり、後ろを振り返り、哀願するかの様な幼娘(おさなご)・・・両の目を涙で一杯にして、多分、<お父さん>と言って抱き付きたい衝動を堪えているであろう胸の内・・・ あの時の私が居る・・・ あの時のお袋が居る・・・

<幼娘よ、頑張れ。俺も通った道だ。お前は、弱虫じゃないぞ。学校は、未だ先だ。今の内に、泣いとけ。学校に着いたら、涙は見せるな。泣き虫は、格好悪いぞ。バカに付け込まれるぞ。>
嘗ての私が、目の前に居るのである。挫けそうになる幼娘に、私は石を拾い、娘の横に石をビューと投げ付ける。私は、母親では無いのである。父親なのである。登校距離の半ばを過ぎた。
<頑張れ、頑張れ。> 後1/3、歩調もしっかりして来た。娘の頭をポンと叩いて、
「明香、大丈夫だ。お前は、俺より強い。お前は行ける。会社に遅れるから、帰るぞ。」

口を真一文字に結んで、頭で2度3度、頷く幼娘・・・・
私は振り返らずに、踵(きびす)を返す。
 
娘よ、真っ直ぐ伸びる必要なんか、これっぽっちも無いさ。人間は自分が経験・体験した事でしか、成長は出来ないものだ。世の中は、弱虫の方が圧倒的に多いんだ。弱者・弱虫の心を体験して見て、初めて人は優しく為れる者さ。弱虫、大いに結構。弱虫・泣き虫が努力して、努力の過程で自分の心と対話をして行くんだ。対話を積み重ねて、強虫に成長して行くんだ。弱虫を知らない強虫は、単なる<鈍感>にしか過ぎない。鈍感には、絶対に為るなよ。俺は手助けはしないけど、必ず見守ってやる。現在の原体験をしっかり胸に刻み込んで、お前の<心の引き出し>に収納して置くが良い。今日の体験を決して、胸の奥に封じ込めるなよ。何時でも引き出して、これから何度も訪れる<類体験>での<試薬>に供する事が出来る様に為るまで、何度も何度も使用する事だ。その中でお前は、俺同様の情と感性を磨いて行ってくれ。鋭敏な血を持たされた者には、感性を磨く義務が課せられているのだから・・・ 何時の日にか、お互いの存在が客観視出来る様な年頃に為ったら、人間として一対一の<血と感性>の話を交えたいものだ。逃げるなよ・・・ 仕方が無いだろう・・・俺とお袋は、余りにも似た性向の持ち主だから、表面上の衝突は繰り返すが、同類の血が流れている。お前はどんなに逃げたがろうが、紛れも無く俺の分身だ。俺は父親を離れて、お前に一番興味を持っている。どうなるか、じっくり見守る心算さ。泳げ泳げ、自分らしく・・・

                 子犬
「駄目なものは、駄目。絶対許さないからね!! 早く捨てといで!!」
帰宅早々の揉め事である。茶を貰いながら、話を聞くと、学校の帰り道、娘が目の開かぬ子犬を拾って来たとの事である。外は雨である。息子の四畳半に兄妹は、入った儘出て来ないとの事である。
「ヘヘヘ、2人は、篭城中であるか?」
 倅は既に中学生であるから、素直に母親の言う事を聞かない成長振りである。茶の間で女房の言い分をとっくりと聞かされていると、倅が入って来て、
「お父さん、ちょっと見て、意見を聞かせてよ。」母親を無視して言う。
雑然とした倅の部屋に、異臭が立ち込めている。2人の真ん中に、ダンボールの小箱が置かれている。未だ目も覚束ない黒い子犬が1匹、力無く小刻みに震えて、<クゥクゥ> か細い途切れがちな声を上げている。子犬の尻は、下痢で汚れている。異臭は、そこからである。今日は終日の秋雨であったから、雨に打たれて子犬の体温は、風前の灯状態と感じられた。小学生の娘は、下痢の異臭を放つ子犬の肛門を、ティシュで押さえる様にして拭いてやっている。倅は温めたミルクをスポイトで、口に注しているが、子犬は、もう既に飲む力さえも無く、口、鼻から噴出している。
「お父さん、どう思う。」
「ユウ、こりぁ駄目だ。手遅れだ。自分の力で、体温を上げる力も、残っていないよ。」
「お父さん、死んじゃうの・・・何かないの・・・してやれる事は、ないの。」
娘が哀願する様に、私の表情を見たきり、そのまま下を向いてしまった。
「90%は、駄目だろうけど、今出来る事は、体温を上げてやるしか方法は無い。ペット・ボトルにお湯を入れて、湯たんぽを作って、温めてやるしかない。」
「幾つ、あれば好い。」居た堪れない感情を行動に移すかの様に、台所に立つ娘・・・
殆ど動物に興味を見せなかった娘の行動に、私は興味をそそられた。ペット・ボトルを2本新聞紙に包んで、小箱の底に置いて子犬を乗せ、タオルをその上から幾重にも掛ける。額を寄せて子犬の一部始終を見守る兄妹・・・
夕飯も、そこそこに四畳半に詰める2人である。

「どうなの。」
「うん、時間の問題だろう。湯たんぽで体温が戻って、ミルクを飲む力が出て来れば、望み有りだけど、駄目だろう。」
「拾って来なければ、好いものを、可哀想に子供達・・・」
「仕方ないだろ。動物を飼うと云う事は、死を見つめる事でもあるからな。昆虫類は、見た目には物質的だから、その分、死の実感は乏しいけど、鳥、哺乳類の死は、ショックが、でかいからな。明香は、見て見ぬ振りが出来なかった。何とかしようとして、瀕死の子犬を拾って来たのだろうよ。掛け値無しで、打算が無かったんだ。大人の目からすれば、自分の見ている前で、敢えて生命が途絶える瞬間を見るんだから、その覚悟とショックは大きいだろうよ。あいつは、自分に気付けば、好い光を放つぞ。どうせ経験するんだ。経験は、間接より直接だよ。五感を通して臨場した体験に優る感性の芽生えは、無いだろう。自分の血で感じ自問自答を経て、自前で作り上げて行くしか無い・・・放って置けば、好いさ。あいつが感じ、考える事だ。有理も、いざと成ると、好い兄貴遣ってるじゃないか。まぁ、2人とも及第点だろう。」

              子犬は、朝を待たずに死んだ。

 時の経つのは振り返れば、実に速いものである。これ等の出来事は、私が子供達からプレゼントされた断片の一コマ、一コマである。

   デカンショ、デカンショと、半年暮らす。後の半年、寝て暮らす。ヨイヨイ
       大人大人と威張るな大人。大人、子供の成れの果て。
       子供子供と威張るな子供。子供、大人の一滴(ひとしずく)

 ★何十年も前の、困った2人の取り合わせの記である。私と女房、私と倅、倅と娘、女房と娘の困った2人のエピソードの抜粋風景である。人の心の在り様は、川面・海原に漂い、翻弄される小さな木の葉に似て、何ともか弱き心細いものである。我が心、人の心や、何処に在りやである。嫌なご時世にわらじを履いて、今日を流されるのが人の宿命である。10数年前の拙き綴りであります。


心何処ーショート 漸くの夕風
                 漸くの夕風(7/26 夕刻)
 いやはや、どうしようもない暑さである。昨夜は、夜寝付かれずに、テレビを付けると<思い切り討論?>の番組で、北朝鮮の拉致問題について、徹夜放送をしていた。若い時期この番組が気に入って、見ていたものである。ご存知田原総一郎氏の司会による徹夜討論会番組である。見るに付け、氏の余りのえげつなさに、嫌悪感が大きくなって何十年もご無沙汰の番組であった。番組は、延々と続いていたのである。驚いた次第である。

 きっと、私の脳味噌は、脳軟化症に向かっているのだろう。声と表情ばかりが目立つだけで、私の頭に残った物は、所要時間に比して極僅かしか無かった。先日、お会いした先輩のご子息が、精神科医であるから、一度診察して貰った方が好いのかも知れない。それにしても、自己顕示欲を売り物にする御仁達の繁盛振りには、<恐れ入り屋の鬼子母神>の感想であった。

 すっかり明けて来た朝に、小一時間の睡眠を貪っていると、耳に母の動きである。寝入ってしまっては、三度の薬を服用している母に相済まぬ・・・ 物臭・怠惰の虫を宥めて、四畳半に移動してパソコンをONにする。この処、贔屓にしているブログを開ける。やっとの事で、コメントを打つ。

 <ぶっ掛け屋・その2>は、三日前に打ち上げた。昨日、或るブログ記事に引かれて、その心情にエールを送る為に、拙い詩を整えた。そして、もう一つ、別ブログ記事に寄せて、コメントを書き込む事にした。寄せられるコメントには、本文に伍する内容がある事がある。是非とも意見を述べたかった。残念ながら、私のブログには意見交換のコメント広場が無いのである。好い意味でのブログ広場の意見交換には、生活目線の社会が存在する。そこには、考えさせられるブログ広場の空気であった。私の悪い癖で、硬く長い文を送ってしまう。

 何時か、子育て記の<困った2人>を、投稿したいと考えていた。今が、その時なのだろうか・・・などと、寝床で考えながら、儚き紫煙の呟きを漏らしていた次第である。

 そんな経緯の中にあっての今朝の<鬼の霍乱>為らぬ「鬼の眼にも涙」の椿事であった。涙三題として、指が快調に運んで<我が恥の告白>が、誕生した次第である。
 
 茹だる様な身の置き所の無い熱波を、2度の水シャワーで凌いで、漸くの夕風の涼しさである。

心何処ーショート 我が恥の告白
              我が恥の告白(7/26)
 還暦を10月に控えて、恥ずかしながら、泣いた。身体強靭にして、性質獰猛・直情にして、努力の沈着冷静の演技。加えて、物臭・直感一辺倒の生一本のへそ曲がり者・・・ 自画像を描けば、当たらずと言えども、遠からず・・・なのかも知れぬ。

 中学の時、低級・鈍感の担任教師に、放課後職員室に呼ばれた。母子家庭の男5人兄弟であった。長兄は、東京で大学生であった。次兄・参兄は、高校生であった。私はルーム長だった。高校進学について、奨学金の割り当てがあるから、是非とも申し込めとの担任教師の勧めであった。
私の心情としては、

<無礼者!! 一家のプライドを何と心得る。そんな事も、理解出来ずに、断りも無く、土足で一番触れられたくない家庭事情に、お為ごかしで教師のノルマを手中にしようとの魂胆、明々白々。貴様如きの下衆野郎は、教師、男じゃない。表に出ろ。俺が下衆の性根を叩きのめしてやらぁ!!>

 夜の帳の下りた職員室で、私と教師は、睨み合っていた。Rを怒らせたら、血の雨が降ると言われていた時期が、私には有った。成績の振るわない友を、授業中に苛める低脳教師に、筆箱をくら付けて、恫喝した事も何回かあった。出来る出来ないは、努力だけでは埋まらない側面もあるのである。出来る奴が、人一倍努力している訳でも無いし、出来の悪い奴が、ひたすら努力を怠っている訳でもあるまい。持って生まれた物に、人為的な努力をどの程度に遣っているかで、成績の順位とは別の属人的評価をしてやるのが、教師の人間教育であろう。私が直感力に多少優れているからと言っても、高々、中学三年生の餓鬼である。脳味噌の語彙も希薄にして貧弱この上も無く、直感サバンナの感情ばかりが先行してしまう直情凶暴振りであった。

 然も、親の後ろ姿に胸が熱くなるのが、片親の哀しい性でもある。身を粉にして、女優顔負けの美形の母が、泣き言・弱音を吐かずに、<腐っても、鯛は鯛。自尊心は、持ち続けよう。>の一言だけの無言実行型であった。此処で、俺が爆発したら、母の努力に泥を塗る。教師は、下衆の知恵を持っていた。いざと為ったら、聞く耳を持たぬ私のアキレス腱が、母の姿であった。戦法を変えられて、母の姿を堕しに使って来た。

<馬鹿ヤロー!! 俺の涙は、貴様の説得で零れる涙じゃ無い。母の姿を引き合いに出されても、素直に怒りを爆発出来ない自分自身の不甲斐無さに、震えている悔し涙、下衆野郎に自己満足を与えてしまった怒りの涙だ。下衆の低脳野郎には、逆立ちしたって理解出来ない、血の涙だ。これだけは言って置く。お前は、教師失格だ。>

         勿論、奨学金は断った。
         私は、私の意を汲んでくれた、気丈な母が誇らしかった。

 本格的な初恋の同級生が居た。暗い下駄箱の陰で、待っていてくれた。私の顔の涙を見て、弾かれた様に、下を向いた儘だった。暗い下校だった。私の数歩後ろに、彼女の息遣いを聞きながら、星を睨みながら・・・ 彼女の優しさに、有難うの涙が頬を伝わっていた。

 法学部の大学2年生の時、書店で目を惹いたのが、<学徒出陣。特攻隊員の遺書>であった。東京は中野のアパートで、ページを開いた。涙が、はらはらと落ちた。慟哭の涙では無かった。変な言い方であるが、気持ちの好い涙であった。それが、気に為った。その心の原因が知りたくて、授業を三日休んだ。生への未練を払拭した、彼らの淡々とした文章が、美しかったのである。

 大学3年の冬、母から手紙が届いた。私は胸が震えて、手紙が読めなかった。何度も、手紙に落ちる大粒の涙に、全身が震えた。母の手紙の行間に、慟哭したのである。母の手紙を、順接的に鵜呑みにしたら、お天道様の罰が下ると思った。私を、私の未来の為に手放したら、母の一生に報いる事が、出来ないと思った。母の苦労を考えたら、私の就職の未来など微々たる小事であった。<子供達が居たから、生きて来れた。子供達に感謝している。> この歳に為って、親父の無念の言葉を思う。<申し訳ない。お前なら、遣れる。お前なら、立派に子供達を育てられる。> 家庭を持って、女房・子供達・母に急かされての墓参りであった。何時の頃からか、気が向くと、親父と同目線で、男の馬鹿話を交える事が出来る様に成った。

  先日の女房の言葉では無いが、親父の奴は、相当優秀な狸の配慮である。

 そして、今朝、ある方のページを訪問した。珍しく国内編であった。そして、彼にしては、これまた、長い文章の様であった。音楽をクリックして、二行程進んだ処で、文字と音、写真が、胸を、感情を、一気に高ぶらせる。読み終わった時、音楽は無かった。慟哭と心身の震えが、止まらなかった。コメント欄を前に、恥ずかしながら、言葉は出て来なかった。

              貴方は凄い。
      音楽をクリックして、文章を読み出した途端、
      涙がこみ上げて来た。このページを全身に
          感じて、俺は何も打てない・・・
          
              お早う御座います。
        日本列島、今日も暑い暑いに成りますね。

 世の中、拗ねたら、勿体無い。雲を掴む様なブログ樹海であるが、日本の樹海は混生樹海である。仏教の廃れは、目を覆う物があろうが、<袖触れ合うも、他生の縁>である。足跡辿って知るも、このご時世・他生の縁である。拗ねて、泣いて、恨んで、殺生・刃傷に及んでいては、自分で自分の居所を、狭くするばかりである。正体不明・顔の見えぬブログ樹海、肩の力を抜いて歩けば、幾つかの出会いに恵まれるものである。善人・好人・優しき人・和み人・面白き人に出会える機会がある。日本人、まだまだ、捨てたものじぁござんせん。

心何処ーショート 四畳半観察日誌
               四畳半観察日誌(7/25)
 朝飯後のお茶を、母と飲んでいると、巣立ちの四十雀が親に引率されて、庭に顔を出している。引率遠足は、兎角、騒々しいが、幼さが微笑ましくもある。少なくとも、今年二回目の巣立ちである。

 飼い鳥の金華鳥も、4卵を抱き始めている。若鳥姉弟は、すっかり大きくなった。黒かった嘴は、今、肌色である。この嘴がメスの朱とオスの紅に、成長すれば完全な成鳥に為る。ぐぜり踊りの練習に忙しい弟には、脇腹の飾り模様の鹿の子斑が、薄ら覗き始めている。後頭部に極薄い灰色の羽毛が、認められるだけで、後は白一色の姉は、弟よりやや大き目である。オスメスの特徴が、日々濃くなっている。

 キリギリスのメスは、この数日、動きが悪かった。メスの動きが見えない、やはり死んでいた。胸部が、食われている。生と死、どちらが早かったのか? 知る由も無い。然し、オスのギース・ギースに<チョン>が、入っていた。暫くメスの効用を、見守るしかあるまい。

 発見・水槽を潜った魔王は、その日の内に、姿を眩ましてしまった。自分達だけが優秀と自惚れているのが、人間種族の浅はかさである。サワガニ・魔王は、玄関に下りずに、遠征をしていた。風呂場の、風呂椅子の下に居たのである。

<健気>である。人間の自惚れから推量すれば、今度も、短距離の玄関土間であろう。私は、自惚れの強い単純馬鹿である。見えぬ魔王を気遣って、土間の打ち水を、日に二回施していたのである。
シャワーで済ませる事が、日々である。『何やら動き』が、目の端に映ったのである。腹のミットは、細い二等辺三角形であるから、オスである。そして、魔王の彼であった。
・・・気取られずに、発見されずに、前回よりも5~6倍に達する遠征である。・・・

 これをして、<健気>と云わずして何とする。そして、知らぬ振りをするのが、私の<脱帽の証>である。最低限の配慮をして、一日一回のご対面が続いている。

 番組名の正確な名前は知らないが、この時期、何度か流れるラジオは、楽しい。<夏休み子供何でも相談・質問?> BGM代わりの聞き流しであるから、興味のある物、耳障りな物などと、神経を良くも悪くも刺激する物には、注意が向いてしまうものだ。毎年、恒例で続けられていると、これも風物詩の一つなのである。相も変わらぬ、紫煙に汗の四畳半空間である。

 さてさて、アブラ・ゼミ様のお出ましである。今日も夏の稼動開始である。

心何処ーショート 恐れ入りました
               恐れいりました(7/24)
 いかんいかん・・・どす黒い血が、吹き零れ様として居る。時として、忍耐心が揺らいで、もう一人の私が、爆発を欲している。若くないから、この数週間、自分の爆発衝動を、理性で紛らせているのであるが、これ以上の蓄積は宜しくない。賄い夫生活が、そろそろ一年に為る。不器用な男であるから、ここら辺が、一応の限度であろうか・・・ 必要以上の背伸びをして見ても、自分で自分の墓穴を掘るだけであろう。『くわばら、クワバラである。』
 長い道程が、先には続いているのである。引き出しに溜め込むだけでは、無芸の沙汰である。

   <切り札の我が観音様のお声に縋るのが、最良と云う物である。>

 女房殿に、久し振りに電話をする。聞かぬが花であるから、河川敷に降りての電話である。

「ハイハイ、どうした?」
「元気か? そりゃ好かった。俺の方は、黒い血が、ドクドクさ。これから、男の愚痴を零すから、付き合えよ。」
「ハハハ、好いわよ。聞いて上げるわよ。」

 久し振りに夫婦の会話をする。可笑しな感想であるが、お茶を飲みながら、普段通りの話をしている感じである。私も変わらないが、女房も変わらない女である。結婚前からも、同じ様な雰囲気の会話が、成り立っている。他人が想像すると、深刻な会話が成立するのであるが、お互い、笑い声を出し合って、30分以上話してしまった。如何やら、女房と話をしている内に、貯金が出来上がってしまったらしい。女房は、いざと為ったら、最高の精神安定剤である。

 女房の話に、面白い話があった。女房は、二階の階段から後ろ向きで、階下まで転げ落ちたそうである。その話は、前に聞いたのであるが。普通に行けば、大怪我必定のケースだったのであるが、ある人に言わせると、女房を護ってくれたのは、私の六歳の時に他界した親父なのだと云う。以前、このブログで触れた事であるが、<この子は色さえ白かったら、綺麗な女の子だ>と、五人の男兄弟の中で、一番の自慢の子であったらしい。五人の男兄弟の中で、一番の自慢の子であったらしい。豪勢な遊びをしていた親父は、芸者を呼ぶ宴会にも、年端の行かぬ私を、良く連れて行っていたらしい。仕込めば、こいつは、きっと好い土方に為ると目論んでいたらしい。その親父が、幼い子と美形の母を残して、他界したのである。四男棒の私が、今、母と生活をしている。母は、お前にだけ、申し訳が無いと涙を零す。

<仕方無いだろう。俺は、特別可愛がって貰った記憶は無いけど、親父は、お袋に俺をプレゼントしたんだろ。俺からしたら、好い迷惑だけど、親父のプレゼントは有難く貰って置くもんだぜ。そんなに好い思いをさせて貰ってるんだから、親父の先払いだった訳だよ。遠慮は、要らないだろ。>
 
 女房の話は、面白かった。母への蟠(わだかま)りはあるものの、一番多くのものを母から貰っているとの事であり、小さい頃、母に寄り付かなかった娘は、今や、立派な祖母の後継者であると、豪語しているとの事である。<人間の価値は、その人の奥深さに在る>と、述べ賜るとの事である。「何を生意気に、100%俺の盗作じゃないか。授業料と使用料払え!!」であったが、親子間の刑法適用では、『人的処罰阻却事由』の法理に依って、惜しい事に処罰不可なのである。

 そんな諸々の事で、親父は運命の私への気遣いで、女房・子供に、何かと気配り・目配りをしていてくれるのであろう。そう考えれば、人生にプラスもマイナスも無い。押並べて総決算すれば、<プラス・マイナス=0>の悟りの境地しか無さそうである。

 然も、それが私の好きな<お天道様の思し召し>ならば、従うしかあるまい。
     それも、親父の粋な計らいと為れば、黙って従うしかあるまい。
           何は無くとも、女房殿のご利益である。
                  恐れ入りました。

 

心何処ーショート 友の夢訪問
                友の夢訪問(7/23)
 パソコンを打っていると、またまた、いい加減殺人事件である。怒りも然る事ながら、祖国日本の行く末について、持って行き様の無い<遣る瀬無さ>を感じてしまう。虚無感と云ってしまえば、気が楽なのであるが、漢字三文字の感想では、漢語と云う機械的な響きと、冷たく距離を持った響きであるからして、これまた、『虚しく遣る瀬無い』事、夥しいのである。

 私は、祖国日本が好きなのである。何処が如何のと、生意気顔をされて、一々説明を求められても、それが、例え重要な宿題であったとしても、説明する気は起こらない。漠然と好きなのである。私が、機嫌が悪ければ、きっと、声を荒げて『そんな事すら、分からないのか、バカヤロー、それでも、貴様、日本人か!! とっとと、俺の前から、失せろ!!』と感情そのままを、ぶつけてしまう事であろう。

 それが気に入らないと為れば、識者・芸術家・著述家・小説家・ジャーナリスト・・・etcの言葉・活字を商売とする連中から、自分に合った物を、拾い出せば好かろう。
<漠然と好きだ>と、言われる程の賛辞は無い筈で・・・あろう。

           さて、詮無き事は、言わぬが花である。
 眠れぬ朝を迎えると、夢の痕跡が頭に擽(くすぶ)っていた。高校時代仲の好かったKが、登場する夢であった。彼は、懐の深い内向性を持った男であった。野球部の主将を務めていた。口数の少ないタイプの男であったが、真面目な観察眼のある男であったから、クラスは違ったが、気の通い合う仲だった。

 或る時、彼の話の中で、<八目ウナギ>が、話題に上った。当然、その後の授業をサボって、二人して自転車でフゥフゥ、ヒィヒィ、・・・耐えに耐えて、ペダルを漕ぎ捲くって、T川に行った事があった。成果は、ゼロであった。あれも、夏の盛りであった。

 彼は、薬学部に進学して製薬会社に勤めた。日本全国、営業所を転々とした後、独立して千葉で小さな会社を経営している。
 
 何年か前に、Tを誘って、弟の所有するクルーザーで、大島・式根島の三泊四日の恒例クルージングに行った折に、彼と再会した。皆、番カラ高出身者だったから、好い思い出に成った。
或る時、漢方薬について、簡単なダイジェスト版を作らされる羽目になって、SOSをKに発信すると、折り返し分厚い、書き込みのある専門書を郵送してくれた。

 そんな男が、同窓会の夢の中で、ガイガイ、ワイワイ、番カラ時代の旧交を温めているシーンの中で、<折角、出て来たんだ。Rの奴は、如何した。未だ、来ないのか。>と、携帯電話を掛けているのである。

      これもまた、私が好きな<漠然とした日本人の一風景>である。

心何処ーショート 友への暑中見舞い
                友への暑中見舞い
 
 お早う御座います。暑い夜、何処も、眠れぬ夜の様です。深夜の裸散歩でありますが、河川敷のベンチには、学生カップルが散見される処であります。実に羨ましい。

 私がデジャブワーズさんの内なるものに接したのは、美女紹介ページに在った、山小屋を訪れた時の記でありました。この人の内面には、真面目さ・優しさ・気概・観察眼があると拝察した次第でした。物を見る、感じる眼差しに、同世代の<時代の感性>の共有を直感し、注目の内に読み続けて居ります。ブログ参加をした最初のお天道様の贈り物が、貴殿でした。
 
 或る時、北海道旅行のスナップ写真で、姿を拝見しました。ああ、やはり同様な内面性(内向・自制心・内省)を持っている男の顔だと安堵し、体格もガッシリしている。内・外のバランスが保たれている。想像は、裏切らなかった・・・ そんな意を強くしました。そんな事で、東京と信州、ブログの先の貴殿に、親近感を増す様に為りました。
         <友を選ばは 書を読みて 六分の侠気 四分の熱>

 多分、同郷なら貴殿も、我が番カラ高に集いて、硬派の蛮勇を奮いゴタ話の仲間入りをして、『はしご横丁』で、癖の皺の中に、男の味を発揮していたと思われます。きっと、貴殿に似たタイプは、ブログには未登場の親友Sだと思われます。尤も、『俺 29 男だよ』の結びは、完全に読みが外れて、完敗の拍手頻りでしたが・・・

 本日の文章に接すると、興味・好みの傾向が、好く似ていると錯覚?して居ります。きっと、団体行動は傍目では、得意の風を装っているものの、ある種の侵しては為らない領域への距離間・距離感を確り踏まえて、土地・土地の息遣いを探訪して歩いている・・・ 

 そんな行動を取らせている貴殿の人生観の一つには、<旅は風の如く>の様な意思が働いている様に、感じられます。私には、貴殿の付かず離れずの同調者・観察者の目線が、垣間見られます。<何事も間合い>が肝心・肝要と心得ます。

 美女紹介の実に男にとって有り難いページに就いても、貴殿の鑑賞眼には、その基本的スタンスが現れている様に、拝察出来ます。その場で発揮されているのは、好きではあるが、必要以上に『敢えて踏み込まない』(自分の嗜好を押し付けない)と云う基本線が、感じられます。別な表現を採ると、それが貴殿の<男の嗜みの一つ>なのでありましょうか・・・

 私も、旅館派です。簡素にして空間の寛ぎを表した古い物の内に、身を置くとホッとする男です。

 何時も、何かと気を遣って頂いて、恐縮頻りにして、感謝の段であります。お互い団塊の世代・体力に嘗ての<蛮力無し>であります。然しながら、羽目を外した分も、経験の蓄積かも知れません。体力が涸れてきた分、蓄積の道具が愉しみの後押しをしてくれます。これからの何年かが、精神的に一番充実して来る時間帯なのでしょう。眠れぬ夜も、時には必要ですが、人間娑婆は昼行性であります。ロートルには、何かと身体の調整能力に翳りが来て居ります。眠れぬ夜の恒常化は、身体に毒でありますぞえ。

  いかんいかん、取り止めが無くなって来ました。これにて、失礼致しまする。

心何処ーショート 四畳半の独り言
<始めに、お断りとして、>
 仲間の付き合いとして、海外旅行をしていた期間が結構あった。写真だけの旅行スナップでは、詰まらないだろうと思った。其処で、仲間内回覧用にエロチィック・エッセイと称して、珍道中に終始した海外旅行記を纏まった休みの中で、打ち始めていた。文章を打つのは、何十年振りの事であった。旅行記を年に数編打っている間に、如何にか文章感が戻って来た。ある程度の習慣が身に付くと、人間、何故か文章が打ちたく為るものである。習慣作用とは、奇妙なものである。かと言って、打ちたい対象が、日常にゴロゴロしている訳ではない。紹介する文章は、彼是、8年程、昔の文章である。
 
 肩の力を抜いて、日常スケッチ風に目に付いた物、頭に浮かんだ儘を、打って見ようと始めたのが、心何処の世界であった。人間の心の有り様とは、雲を掴む様な覚束なさである。それで、心何処と銘打った次第である。
 その第一作が、この<四畳半の独り言>であった。従って、この一作が現在に通じているのである。現在の<賄い夫日記・心何処―ショート>と多少異なって、打ちたいものを打っていると云う意味での、好い意味の『硬さ』が随所に現れている感じがある。ブログ界の見えぬ、知らぬを味方に、心苦しいが、私としては自薦の一作である。

 私の文作の動機の一つに、現在と過去の自分の精神の軌跡を比較して見る事で、人間に明らかな変化(進歩・退歩、鋭敏さ・鈍感さ、・・・etc)が、あるのか無いのか? あるとしたら、どの程度、訪れるものかを知りたかったのである。

 相も変わらず、長いだけが取り得の駄文であります。読まれるお方は、忍耐が必要であります。それでは、ごゆっくり・・・・

                四畳半の独り言 その1

 四畳半は高校以来の私専用の部屋である。今は事務机が二つ並び、二つの本棚にはビデオ・ムービーがぎっしり詰まっている。座って右の机の上には、使い慣れたワープロが一台、左には新参者のパソコンがワンセット机を占領している。卓上蛍光灯の横に、目の保養用にプラスチィックの小さな容器が乗っかっている。容器の底に有明砂を敷いて、サイパンの白い珊瑚の欠片を四つ置き、夏にグッピーを買って来た。
 
 私が机に向かうのは、殆どが十時から十二時の時間帯である。右の中指一本で、タバコを燻らせ乍ら、思いつく儘、下書き無しの文作をするのが日課である。これが私のストレス解消法である。傍目からすると、実にケッタイなストレス解消法に映るだろう。文作がノルマでは無いから、中指が進む時もあれば、タバコの吸殻の山だけに終わる事もある。然し、私にはこの方法が、一番自分らしい時の過ごし方なのである。私は不器用であるから、音楽・ラジオ・テレビは付けない。文章の綴りの合間に、タバコを吸ったり、ウィスキーを飲んだりして次の文句を考えたりするのである。

 そんな時の目の保養と成るのが、小さな容器の中で色とりどりの小さな模様で泳ぎ回るグッピー達である。

 或る時、容器の隅を芥子粒の様なものが、動いたのである。目の錯覚であろうか?目を凝らして容器を覗いて見ると、グッピーの子供であった。その芥子粒の様な子供を、成魚達が捕食しようとして追いかけているのであった。他に芥子粒は居ないかと、探して見たがどうも、その一匹だけのようである。珊瑚の欠片の隅が、芥子粒の住処らしい。芥子粒は成魚の中に在って、唯一点である。二十四の瞳に対して、彼の目は二点である。その成長の確率は、殆どゼロに等しかろう。彼を手に掬う(救う)にしても、芥子粒は余りにも小さ過ぎる。

 帰ると、先ずその芥子粒の確認から、私の文作は開始される様になってしまった。容器にただエァーを送るだけの飼育である。

 夏も終わり何時の間にか、芥子粒の姿の失せてしまった。小さな容器の中のグッピー達の数も、すっかり少なくなってしまった。その中に、再び二個の芥子粒が動いていた。十月に入って、グッピーの補充にヒメダカを買って来た。芥子粒グッピーは、すっかり魚らしく成って来ている。どんな模様になるか? 一向に見当が付かないが、彼等の尾鰭には黒い斑点が付いている。

 私の四畳半のプラスチィック容器の住人は、夏のキリギリスとこの繊細な小魚達である。

 アリとキリギリスの童話では無いが、私は『勤勉さ』に於いて、『不評』を買っているキリギリスが好きなのである。夏に成ると決まって、釣りの序に草叢からキリギリスを捕まえて来るのである。
       「ギース・・・・・チョン・・・・ギース・・チョン・ギース」
 キリギリスのこの鳴き声は、じっとしているだけで汗の吹き出る昼下り・蒸し蒸しする熱帯夜には、中々のジャストマッチ振りを示すものである。鈴虫の澄んだ音色が、秋の静寂を感じさせるのとは、趣を別にするものである。私の様に地方で育ち、四季折々の風景と色・匂い・音の中で暮らす者にとっては、キリギリスの茶色の大きな腹部と緑の翅・頑丈な顎は太陽のバイタリティの反映である。そしてギース・チョンは盛夏の象徴音の一つなのである。私は貧乏人であるから、私の部屋にはクーラーも扇風機すらも置いて無い。置いてある物は、夏の匂い『キンチョーの蚊取り線香』だけである。

「暑いから夏なのである。」 家での私の姿は昔からパンツ一つに、首にタオルである。勿論、家中開放状態である。伸び放題の庭木に囲まれて、開放すれば良くしたもので『風の通り道』が生まれるものである。風の通り道を時間帯に合わせて、枕を持って移動すれば良いのである。休日の抗し難い暑さには、車で十五分程の距離の所に格好の避暑地がある。其処に行けば気分転換になるのである。其処は市内を流れる川の上流で、観光地では無いから普段は誰も来ない一帯である。展望の開けたロケーションを選んで、手頃な流れと深さの場所を見つけて露天風呂ならぬ『川浸かり』をするのである。ラジオは耳障りの民放を避けてNHK等を聞き乍ら、清流の冷たさ・瀬音・川の匂い・森の蝉時雨に包まれて、白く眩しい入道雲の雄姿を眺めるのである。体が冷えれば川から上がり大石に背中を預け、清流で冷やした缶ビールを飲み干すのである。

 快適さを家の中に求め過ぎると、人間は身近な自然に対して、近視眼的に成ってしまう傾向がある。そうなると人間は全く可笑しなもので、やたらと自然・リフレッシュ・リゾートだと云って『忙しげなミニ・ミニミニ旅行』を敢行してしまうのである。ミニ旅行と雖も、少なからぬ予算が必要である。出費の煩わしさに、つい決心が鈍る。ならば、毎日を過ごす家の中に快適さを求めよう!となるのであろう。然し、日常の近視眼への反動が、自然・非日常化を求めてうずうずしているのである。

 亦、自然との関係からすると、私の様な田舎育ちの者からして見れば、自然は如何しても遊びの対象の側面が確保されないと居心地が悪いのである。行儀良く、唯、自然の風景・眺めを見学・素通りするだけでは、どうにも物足りないのである。自然の中で何かを実際にして見ないと、面白くないのである。川があれば川に下りて、歩き・魚が居そうなら釣り糸を垂れ、泳げそうなら泳いで見る。山に行けば、道を外れて山に歩を進めて、山菜を取り・鳥の囀りに鳥を見つけ・岩清水を飲んで見る。街を見るなら本通りを外れて、横丁の小道を歩きながら、その街の息遣いを嗅ぎたいのである。

 経済効率を画一化する事が進歩である、と云ったマニュアル化が街を闊歩している時代である。形が深みを帯びる前に、流行の波が次の画一化を運んで来る時代である。形に深みが加わってこその『風情』であろうものを・・・・・・・・

      却って、何も置かない空間が、現代人には必要なのかも知れない。

 そう、独り言を言った処で、時が進めば進む程、そうは成ら無いであろう。何故ならば、人間の対象との関係は、過去次第であろう。過去・多くの場合、繊細にして多感なる幼児・思春期での実際の体験・経験に基づいて、その関係は形成されるからであろう。『百聞は一見に如かず』の例えの如く、全身五感を以ってした体験こそが、『知る事の核』となるのである。若者達が良く使うビジュアルだのマニュアックとやらの表現語には、団塊世代の色眼鏡的要素を割り引いても、実に怖いものを感じてしまうのである。彼等の金属音的な表現語には、「快適個室でのノッペリとした色の濃淡の無い画一画像の影響」が強く・深く作用している様に思えるのである。何事も『共有』する事に於いては、共通化・標準化と云う大きな意義があろうが、別の観点に立てばマイナス面も出て来よう。

 詰り、画一的類似体験を幾ら積み重ねた処で、豊かな創造的個性が育まれる筈は無いのである。私は、縦糸の体験を個人の感性と云う横糸で織って行くのが、経験・人生なのであろうと考えるのである。計数化を求める管理マニュアルが、計数化にそぐわない領域に迄、侵食の手を伸ばそうとしている。成熟期を迎えている日常生活のあちこちで、『個体差と個性の区別』すら曖昧・無関心とさせた『外観だけの偽個性の流行』が、ファションと表現方法迄をも伝染させて行く・・・・・・・・・・・

              げに、恐ろしきは、人の世の、流行か

心何処ーショート 小鳥とキリギリス
              小鳥とキリギリス(7/19)
 グッピィと比べると、金華鳥の成長振りや、大したものである。親鳥からの強制別居は、この数日で完全に独立状態である。数日前までの甘えの態度など、微塵も無い。今朝は、メス・シロの単発の声は、確りした大人の声である。薄茶のオスの囀りは、朝食の最中であるから、聞きようも無い。玄関に定置した番鳥からは、ブンチャカ・ブンチャカの囀りが、稀になった。目出度く三卵を産んで、オス主体の抱卵が始まっている。早くも二回目の巣篭もりであるが、平均の5~6卵と為れば、孵化後の子育てに親鳥は、テンヤワンヤの日々が暫く続きそうである。

 危機が危惧される昨今の世界食糧情勢であるが、瑣末な我が四畳半の観察からすると、これからの時代、動物蛋白質の供給は、益々、鶏肉にシフトされて行くのであろう。ブロイラー族には、大変に申し訳ない事であるが、生産効率の好さは、群を超えている。家禽の類が、一大養産ブームと為るやも知れぬし、森林伐採為らぬ渡り鳥の狩り取りが、世界のニュースに上るかも知れぬ。大型のカモ類の指導者達は、繁殖・越冬の国を選択する必要もあろう。人を恐れなくなった日本のカルガモ親子にも、ワーキング・プア、ホームレスが蔓延する兆し、ガソリン高騰の乱調世相の中に在って、迫り来る一大事、危険、存亡の危機である。

 友のブログで知った言葉であるが、<職住接近>為らぬ『食住接近』で、アウト・ドアのバーべキュウ食肉が、川・池のカルガモとなるやも知れぬ。そんな彼等の災難が訪れる日も、そう遠くない近未来かも知れない。

        此処で一服・・・ 嗚呼、ほっとする紫煙の儚き味である。
 <思い出した、思い出した。確かブロイラーの生産日数は40日であった筈である。>
 食糧危機に際して、40日工程は、更に更に、短縮化が進む事は必定の理である。人間の貪食の煽りを喰らって、ブロイラー受難の近未来である。枯渇する海に比べれば、避けて通れない人間の選択肢であろう。・・・恐縮、合掌するしか出来ない消費者の一人である。
 
 こんな人間勝手な文字数を打っていると、薄茶の奴は凄い勢いの羽ばたきアタックを私に挑んでいる。

『チィッ、如何やら、読心術もDNAの中に、組み込まれているらしい。』
<安心しろ、腹の足しにも為らぬ小鳥を喰らうほど、俺はさもしくは無い。海坊主の柄は悪いが、母上から、薫陶を受けている身である。武士は食わねど、高楊枝である。戯け者!!>

 メッセージに安心したらしく・・・ 小倅め、イッチョ前に囀る事も出来ないのに、実のお姉ちゃんの周りで、ラブ・ダンスの真似をし始めている。知らない者が彼らを見て、その誕生がツイ1ヵ月前などと聞いたら、目を真ん丸くする事必至である。
 
 何かと不平不満を挨拶代わりに使う我ら人間達であるが、冬に適した四畳半は、朝の太陽に眩しく暑い。水槽の水草アナカリスは、三弁の可憐な白花を浮かべている。僅か1日ほどのか弱き命であるが、蜉蝣(かげろう)以上の風情がある。昨日の<月見草>ほどの見栄えはしない物の、一点に集中すれば、立派な風情を漂わせて呉れている。

    太陽を遮断して、窓辺からキリギリスの声が、涼風を運んでくれる。

 昼夜を分けず、ギース・チョンを力で弾くキリギリスは、イソップ童話の悪しき汚名など何処吹く風である。童話では、勤勉実直型の蟻の引き立て役で、浪費家の不遇を託っているのであるが、その実態たるや、粗食にして丈夫で長持ちの<質実剛健>タイプなのである。尤も、人間界に在って、彼等の本態を有りの儘に、報告してくれる奇特な人間に巡り合えなかったのが、彼等の不遇たる所以であるが・・・
 斯く云うスポークスマンの私とて、不遇の代表格なのであるから、これまた、不遇の取り持つ縁(えにし)の一つなのであろう。キリギリス殿、クサル事勿れでありまする。
<ドッコイ、ロートル男の目には、無骨者のエールが宿って御座る。>

 アジャジャ、今朝スタートは好かった物の、本日土曜日・ご近所さんの増改築工事が再開された様である。バッター・ボックスを外して、朝の賄い夫にスウィッチ致しまする。


心何処ーショート 7/18午前中
7/18午前中
      
    嗚呼、タバコ吸いたいな。雨よ、降れ降れ、もっと降れ。
    面倒と思うほどに、降るべし。降れば、我慢の灯が点る。
          
          止めれぬ習慣 偶の休煙日
    
      雨さん、雨さん もう宜しかろう。何事も 匙加減

 あれまぁ、洗濯物が夜の雨と風に、地面に落ちて、べったり恨み節を唄っている。いかんいかん、忘れず取り込む積りが、(忘れ)てしまった。再び、洗濯機を回す私を、老母が笑っている。私としては、雨にポッカリ浮かんだ戯れ歌に、気を好くしていたのであるが・・・・ この頃の私の定期券乗車するケンボーシャは、各駅停車から快速にシフト換えの模様である。我ながら、困った物である。

 止んだ雨に気を好くして、ボッチラぼっちら、水槽と鳥篭の世話をしていると、雨さんの再々登場である。如何やら、買出しのタイミングを逸したらしい。
          <くぅ~、タバコ如き~、意地でも車には乗らんぞ。>


 老母の細い声がする。振り返ると、玄関土間に杖を指している。杖の先を見ると、<トレビアン・西>為らぬ『ボヘミアン・魔王』の横走りである。元気な姿に驚く。遠の日に、荒野を目指したボヘミアン・魔王様と思い込んで居たのであるが、玄関の下駄箱下に暮らしていたとは、驚き桃の木・山椒の実である。すぐさま、下駄箱下に逃げ込めば、好かったものを・・・私の下駄の下では、ついつい手が伸びてしまう。捕まえてしまえば、<双六>は始めに戻さざるを得まい。
 
    沢蟹・魔王を、水槽の水草の上に放して遣る。
             この家は、老母と私二人の人間暮らしである。
 
 悪ささえしなければ、勝手に使えば好かろうよ。居る・居ないは、魔王の勝手だわさ。渡る世間の、意外なる狭さを実感する事が有るが、サワガニと人の世界も、同様らしい。考えて見れば、当たり前である。命・生活の土俵は、全て、丸い地球様であった。

心何処ーショート 合理的思考
                   合理的思考(7/17)
 本当である。何もかも、ごっそり抜け落ちている。残念至極である。拍手コメントは、ある意味で、記事を読んだその時の感じを、即興的に記するものであるから、その間の感動・思いがストーレートに、短文の中に現れている物である。長いコメントの遣り取りは、お互いの性格が現れていて、何やら往復書簡の如き趣さえ漂って来るものである。記事本文が創る世界よりも、当人同士の中にあっては、他に替え難い重みを持っているものであると、少なくとも私は思っている。余所行きの顔と本人そのままの顔の違いであろうか・・・

 昨日は、些か無理をしてしまった。虫眼鏡老人、その2を何度も読み返して、愉しんでいると言うコメントを頂き、その1を載せた。手持ちは、その3のみと為ってしまった。ストック分を打とうと考えて、その4を打ち始めた。午後からのスタートであった。途中、気分転換のアブラハヤ釣りをしたり、休憩寝・賄い夫をしたりの続行であった。昨日の投稿分に当てようとしていたのであるが、時計の針は、お構い無しに進んで行く始末であった。ギリギリ昨日の日付で投稿に漕ぎ着けた次第であった。普段、物臭怠惰に過ごしているのであるが、偶には男の意地を確認する行為も必要なのである。然しながら、人間慣れぬ事は、しない方が良さそうである。

   今日にして思えば、背伸びをした付けが、回って来たものの様である。

 春の盛りに、つい気分に釣られて徒歩で、美鈴湖まで遠足をしてしまった。好い加減男であるから、何も持っていない。ポケットにあるものは、デジカメと財布だけであった。発汗した水分補給を、山肌の湧き水を飲み、帰りは缶ビールで帰って来たのであるが、小休止・中休止・大休止の連続にして、翌日・翌々日と筋肉痛に足を引き摺っていたのである。
★5/27 無鉄砲遠足の巻き、5/28 痛い・痛い を参照されたし。

 打ち終えた短編に満足して、眠りに落ちていると、玄関に置いた鳥のパニック音である。小鳥を狙って、ネズミでも出たのであろうか!! 起きて、鳥篭を四畳半に移す。何はともあれ、私は彼等の飼育管理者である。物音に注意を払いながらの、闇の中である。

                  ウギァーッ
 
 蛇か、ネズミか、猫か、何しろ、何かが足に触れたのである。反射的に両の足で、思い切り跳ね飛ばした。明かりを点けると、長押(なげし)に架かった額が落ちて来て、私の剥き出しの両の足を直撃したのである。<幽霊の正体見たり、枯れ小花> 安堵の気持ちと一緒に、羞恥の冷や汗が沸いてしまった。
<ウゥーッ、痛テテ、オゥ、痛い。困りましたなぁ、大丈夫かな?> 
それに追い討ちを掛けて、股関節のぎっくり腰同様の痛みと痺れである。嗚呼、ロートルの身体、反射行動に付いて行けぬ<体たらく>である。痛さ以上の醜態振りである。枕元のタバコに手を伸ばして、火を点ける。

 短編の中で、天才犬のダケンを扱き下ろして、小石を彼の額に『コツン』のシーンを、挿入したのであるが・・・ それが災いしたらしい。虫眼鏡老人記は、全くの絵空事の筈である。
 
 然しながら、落ちて来たのは、秋の宮島の海に浮かぶ鳥居を描いた水墨画である。建立者の平清盛と天皇家の関係を、縷々考えると些か意味深長の趣である。お宮には、狛犬が付き物である。こんな時の我が恩師は、シャーロック・ホームズ氏である。横額の吊り紐の経時変化に依る<朽ち落ちの偶然>と捉える考えを、俗に合理的思考と言うのであるが・・・ 偶然事象を超常現象として、神仏の意図・意思と受け止める思考もあるとの事である。

 熟睡の腰を折られてしまい、眠れぬ夜である。ダケン様も、これで四回まで続く主役様である。おいそれと、お犬様の出自の変更は、相適わぬ処であろう。打ち手としては、合理思考説を採用して、後顧に憂い無き様に、布団敷きの位置をずらせば良かろう。ボンクラ男ではあるが、私にもバンカラ男の意地がある。架空世界のダケン如きに、顎で使われたくは無い。

 さてさて、現実のペット金華鳥一家も落ち着いた様子である。朝の賄い夫に向けて、我、心安らかに眠るべしであった。

心何処ーショート 御天道様は居られる
                御天道様は居られる(7/15)
 先客が居られた。事務所から、深刻な愚痴話が筒抜けである。とんだ処に来てしまったものであると、後悔頻りである。老親を抱えた者の、心の鬱憤の吐露を、親身に為って聞くのもロートル寄り合い所の社会意義の一つなのであろう。前回の歎異抄講義に於ける善人・悪人、他力本願・自力本願の一断面を見る思いであった。主人の私への見立ては、善人の自力本願のタイプとの事であったから、ある意味に於いては、私は冷たい人間である。心の悩み・鬱憤の吐露シーンは、極力避けて通って行きたい物である。

 然し吐露して気が済むのが、人間の「心の治療法」の一つである。赤スペさんの昨日の記事<生きる、こと、伝えること><頑固な人の考察>を思い出しながら、待つ事にする。私は、この様なシーンを見聞するのは嫌いなのであるが、立場を共有する処である。私も加齢年齢である。聞く耳を持つ事も、人の嗜みの一つである。嗚咽調に我慢が仕切れず、外に出る。人は、こんなシーンを感動的と捉え、同情の錯覚的自己満足を得勝ちである。こう為ると、冷血漢たる私は、逃げるしか方途は、無くなってしまう。

 世に「同調の原理」なるものが、提示されている。疲れ果てた人間に、<頑張れ>の叱咤激励は、逆効果であるとの「経験則」である。ロートル寄り合い所の機能を、自分の目線だけで利用させて頂くのは、不遜の論理である。頃合を見計らって、辞する。

      夕食賄い夫前のブログ打ちをしていると、民生委員の姉御様の訪問である。
「私、お婆ちゃんに、<老醜は晒したくないから、来ちゃいけない。>と言われているんだけど、ノコノコ来ちゃった。お婆ちゃんが好きなのよ。好いかなぁ。」
「有難う御座います。さぁ、どうぞ。」
「婆さん、〇〇さんが、顔を見に来てくれたよ。」

 老母の部屋に〇〇さんを案内して、部屋に戻る。前回の遣り取りを見ていて、気が合う様子であった。野暮な男が同席するよりも、女同士で彼是、話をしていた方が、気が楽であろう。開放された前廊下から、女達の話声が伝わって来る。有り難い姉御様である。買い物の途中で、私の姿を見掛けると、気軽に声を掛けて下さる。<深刻に考えないのが、老人介護のコツよ。>と、弟扱いをして下さる。流石にルーム長タイプのHチャン高出身者である。出来の良い人には、甘えるのが<八方収め>の無骨男の処世術である。

「帰るよぉ~」
「はいはい、姉御様、本日のお手当てです。」
「ちゃんと、読んでるからね。一生懸命に、パソコン打つんだよ。」
「ヘヘヘ、エール、アリガトザンス。」

        捨てる神あれば、拾って下さる神様もいらしゃる。
                   髪は無くとも、御天道様は居られる。

心何処ーショート 脳霞に微風通る
                脳霞に微風通る(7/15)
 あれまぁ、卵が先に成ってしまった。これ以上の同居は、宜しくない。朝から逃げ惑う若鳥を捕まえて、別籠に移す。今日も、暑く為りそうである。親子名残の時間を取ってから、若鳥の籠を水槽の上に置く。私には、親の条件反射は出来ぬが、観察はして遣れる。昨日Tの帰りに、買って来た黄色の容器にボレー粉を入れて、適当な場所に掛けて遣る。親離れが遅かった所為か、形だけは親以上にして、依頼心旺盛な二羽である。嘴の黒は大分後退して、肌色が広がって来た。親子の鳴き交わす声も無く、彼等は思い思いの動きで、身を寄せ合ったり、止まり木を渡り、餌を啄ばんだりしている。これで如何やら、巣立ちが適った様子である。

 日差しの無い蒸し暑さであるが、微かな風の動きが、新しい空気を運んでくれる。窓辺のケースの中で、長い後ろ足を脚立の様に使って、キリギリスのオスが、移動しながらギースを弾いて回っている。尻に剣を持ったメスは、じっとして動かないで居る。

 どちらかと云うと、私は夜型人間である。午前中は、靄の掛かった様な重い脳味噌である。

 ブログのコメント欄は、隠れ味満載の小ブログ世界である。実に面白い物がある。<釣りじいさんのぼやき>のコメント往来世界に、軽妙洒脱な「にぁはん」節が、好く響いて居られる。<森に暮らすひまじん>ブログの夫婦日記など、世の中は広く淡々と流れている様である。同世代の古武士的側面が垣間見られた時などは、ついニンマリの笑みが零れる。気持ちの通い合う短信欄には、電話の肉声・現実の身体を交差させての意思・表情交換以上の味わいすら汲み取れる事がある。これまた、ニンマリの段である。

 世の中、千差万別にして、検索の虫眼鏡で娑婆の様相を眺めていると、退屈しない。ブログ世界は、焦点の当て方次第では、新聞・雑誌・テレビのマスメディア提供よりも、数段に有用にして面白く楽しい世界を、垣間見せて呉れるものである。賄い夫生活には、無くては為らない生活の一断面に為ってしまった。

 紫煙の燻りに、キリギリスが鳴く。親を忘れた若鳥姉弟の二羽であるが、薄茶の弟は、先程から何やら、オスの囀りの兆候か・・・ 愚図り鳴きを披露し始めた。背後の玄関に置かれた親鳥の籠からは、夫婦水入らずの落ち着いた調子の囀りが、聞こえている。水草に占拠された水槽は、鏡と為って、玄関横の紫陽花を映し出している。小生、視覚世界の活字変換をモットーに、駄文練習中なのであるが、ママ為らぬ毎日である。若鳥の奴、一向に捗らぬ駄文打ちのモデルに飽きて、風の通る一時を首を背に、お昼寝と来たもんだ。とほほの気分である。

    さてさて、靄掛りの足掻きを払拭する為に、
          私は、ロートル寄り合い所に、ご機嫌伺いと致しまするか。

心何処ーショート ボロは禁物
                ボロは禁物(7/14)
 Tの所にコピーを持って、顔を出す。ブログに無い追記分が、半ページ程ある。
        番カラの 癖を重ねて 歩んだ漢道(おとこみち)
          何時しか 癖の陰に 滲まん 男の味と味
 上掲の結びの一文は、久振りに浮かんだ硬派の心情が、すんなり益荒男(ますらお)言葉に為った旧友たちへの謝辞である。Tの感想を聞く魂胆が、話をしている間に霧散霧消してしまった。いかん遺憾、健忘症!!私より読書量の多い男であるが、感想の多くを語らない男である。プレゼント用に、四部コピーして貰った。じっくり精読して、自分の分を机の引き出しに、早々と仕舞ってしまったのであるから、まぁ、及第点だったのであろう。

 <水戸黄門>の後番組・『あん・どーなつ』が、素晴らしい。近年、職場から家庭への大移動が、始まった団塊世代である。映画で育った目の肥えた世代が、テレビの前に戻って来たのである。視聴率の分母と分子に、一大変化が起こっているのだろう。私の、このブログの中に繰り返し見え隠れする『日本及び日本人の筋目』の復活である。待ちに待った時代の<揺り戻し>傾向の強いドラマの運びである。西田敏行が演じた<はなまる旅館>シリーズの持っていた人情編から抜け出て、筋目編への移行を全面に押し出している。時代を作り上げて行く、作り上げている同時代人の精神的根っ子乃至は価値観の推移運動の繰り返しを、私は<時代の揺り戻し>と位置付けているのである。

 何年か前から、経済一辺倒に成り下がる日本の惨状に、『ヤジロベーの原理』から見て、きっと時代の揺り戻し現象が訪れる。その契機は、団塊世代の職場から家庭への大移動によって齎されると、豪語して来た経緯があった。然し、時代の鏡である処のテレビの芸NO人が、占拠するバラエティー番組の蔓延の牙城は、中々に崩れる気配を見せていなかった。予定では、去年辺りから我々世代が感じる処の『骨太ドラマ』の萌芽が、見えなければ為らなかったのであるが・・・
漸く待望の<べき姿>型ドラマの登場である。先ずは、目出度き事、拍手の段である。 

 <真似る→まねぶ→学ぶ→行う→知る>の一連の過程の中で、人は葛藤・挫折・光明を見出し、自己鍛錬の内に<自己実現の果実>を、自分の手で握るべきものなのである。『学ぶお手本』が、勝てば官軍の<現実世界>だけであったなら、<べき姿>を指標とする人間教育など不必要となる。それでは、テクニック教育だけで十分の形になってしまう。クローン人間、サイボーグ、マネキン人間が蔓延してしまう世界と化してしまう。

 若者の反抗心に焦点を当てた安易ドラマに特有な感情、心をダイレクトにぶつけるだけが、表現手段ではあるまい。<そんな物は、冗談抜かせ、陳腐丸出しの低級ドラマである。> 
 抑え堪えた感情、心を静かに行動表現する方法の方が、絵に為る事が多い筈である。単発の言葉表現を、実際の行動で見せてくれる人間は、何時の時代でも、少ない物である。本物の人間を知る為には、観客であっても<べき姿>の雛形を、何処かで確りとインプットする必要があるのである。活字で学ぶよりも、映像・ドラマで、好きな男優・女優が、行き届いた脚本・カメラ・監督に依って、加工されたドラマを、感情移入を知らず知らずの内に、操作されて感涙に咽ながら、素直に<洗脳>された方が、ずっと益しなのである。

    遺憾いかん、ボロが出ぬ内に、店終いを致しまする。おやすみなさい。

心何処ーショート 夜陰の散歩
                 夜陰の散歩(7/14)
 夜の十二時近くに、散歩をしている。一般人の就寝時であるから、車も殆ど通らないし、日中気温とは格段の差である。そんな事で、夜の散歩は、昼の散歩距離の五割増しから十割増しを、気分に応じて選択している次第である。

 S大球場近くの橋に差し掛かると、橋横の河川敷の芝生の上で、女子大生と思しき三人が、思い思いのポーズで語らっている。橋の外灯が物憂げに、闇に光を滲ませている。この場所は、大学構内の端の通用口に直結する。そんな事で、時間に囚われない学生達が、行き来する自転車橋である。比較的に新しい橋であるから、造りも垢抜けしている。早い時間帯は、ご近所さんの涼みの場所である。適度な明かりと人通り、川のせせらぎと葭原のシルエット、目を凝らせれば蛍。一人静かに耳を澄ませれば、蛙の声とは気付かぬカジカ蛙のメロディを知る事と為る。
何かと絵になるスポットである。

 日本の地方都市の、何処にもある、何の変哲も無い、ありふれた好スポットの一つである。火を付けずに咥えて来たタバコに、日本の恵まれた好さが、つくづくと感じられて来る。青春・大学時代の最大の宝は、友との語らいの時間であろう。話題に、その時、如何ズッコケ様が、時を経て脳裏・心の扉を開ければ、過ぎし日のエキスだけが、脳裏・心に舞い集うものである。心に灯を点す若い彼女等のワン・シーンである。

         気分が好いから、もう一つ上の橋まで足を伸ばす。

 夜気の涼しさと云えども、結構な運動量である。深夜を隠れ蓑にシャツを脱いで、上半身裸になる。直接肌で感じる夜気は、心地良い。

 海に浮かぶ我が身は、海坊主トドの一亜種の風体と冷やかされる。風呂に入れば見ず知らずのオッサンに、立派な身体に背中を洗わせてくれと言われる。老母に至っては、張りのある色艶に、我が身の老衰振りが、悲しくなると嘆かれる。

 些か宝の持ち腐れの感である。然りとて、三万・五万のマグロ男のお誘いではあるが、のこのこ・にやにやで、クリックして会員に為ろう物なら、墓入りを拒絶されて、無縁仏で、あの世でも爪弾き者にされ兼ねない。何しろ、長兄・三兄とも、一足先に、あの世に根を張って居られるのである。何かと、縦の序列意識の強い男だけの兄弟である。特に仲の好かった破天荒な側面のあった三兄ではあるが、長兄の手前、演技をせざるを得まい。あの世は、千里眼の世界と云う。

   我が家も近付いて来た。咥えたタバコに、パチリとライターを点けた。
  四畳半窓辺のキリギリス殿が、夜陰のギース、ギースのお出迎えである。

心何処ーショート ギブ・アンド・テイク
                 ギブ・アンド・テイク(7/13)
 暑いものである。気にしていた梅の熟実を、朝の内に採る。動き序であるから、川の水を汲んで来て、バケツ一杯の水の交換をする。この分だと、怠惰の身の置き所無しの午後に成る事であろう。これだけ夏日が続けば、キリギリスの成長も加速の筈である。休息ばかりを取っていると、昼と夜が逆転してしまう。そう為れば、賄い夫は失格である。

 午後、車で捕獲再々チャレンジに向かう。第一ポイント、鳴き声無し。第二ポイント、同じ。自転車で来ずに好かったと云う物である。車であるから、もう少し先に行く。車を止めて、耳を澄ませる。第三ポイントが駄目なら、残念ながら時期尚早の断を下さざるを得まい。

                 ギース

 確かに聞こえたが、その後が無い。時計は三時を回っているが、真夏の炎天下状態である。二度有る事は、三度有る。三度目の正直。いずれにしても、三度目は節目の時である。<正直>の方に賭けて、農業用水の周りに伸びた雑草の叢を、足で踏み倒す形でキリギリスを狩り出すしかあるまい。見た目には乱暴であるが、キリギリスの最大の武器は、異常な長さの後ろ足の跳躍力である。立体の叢に雲隠れされてしまえば、人間の負け。周囲の立体を薙ぎ倒して、平面の土俵に狩り出せば、キリギリスの二段跳び、三段跳びを封じ込めて、目出度くゲットの運びとなる。勿論、素手取りである。
 
 幅50cm・長さ5m程の叢を足で払う様にして、追い出される虫達の動きに目を配りながら、前に進む。中程まで来ると、重さの感じられる草の動きであった。緑の色から抜け出せない若キリギリスが、姿を現した。腹部の下に剣の産卵管を持っている。鳴けないメスである。すぐさまゲットして、虫篭に入れる。マダマダ、体が小さい。メスの側には、オスの居る可能性が高い。二歩程進むと、同様の草の揺れである。次の動きを待つと、居りました。オスでありました。マダマダ、少年の趣である。飼育しながら、キリギリスの第一声を待つのも、一興である。

 子供の頃は、夏の野生児と呼ばれた私であるが、ロートル肥満体の現状である。Tの助言に従って、<過去の栄光は、記憶の淵に沈めて、> 無理をしないのが初老の嗜みである。

 早速、飼育ケースを洗い、底に砂を敷いて、庭のミニトマトを二粒摘んでカットする。動物たんぱく質として、花かつおを一撮みして、パラパラ底砂に振り撒く。四畳半の出窓にセットする。

     ギース、ギース、    ギース、   ギース・ギー

 未だ、キリギリスよりもイナゴの様な形であるが、成長すれば、立派にギース・チョンの区切り鳴きを、披露してくれる事であろう。六本足・跳躍に長けたボヘミアン族には違いなかろうが、お前にはイモリ・沢蟹と違った適職がある。伴侶を与えて遣ったのであるから、四畳半今夏の住人として、夏の声を奏でるべしなのである。任務を終えた暁には、草深い庭を<終の住まい>として提供して遣ろう。外敵への憂いは無いし、新鮮な餌も提供しようぞ。

 世知辛い人間社会、諦めて・・・ギブ・アンド・テイクも、悪くは無い手打ちだぜ。

心何処ーショート さらば、ボヘミアン
               さらば、ボヘミアン(7/11)
 困りましたなぁ。親離れしない二羽である。形ばかりが、親同等若しくは以上である。上の止まり木では、ブンチャカ・ブンチャカ、ピーピーとばかりに交尾の連発である。何やら若い時分の我が身を、これでもかと見せ付けられている感じで、穴があったら入りたい心境である。★本音としたら、別穴を渇望する次第であるが・・ 下では覚束ない餌の啄ばみのママゴト遊びを、繰り返す若鳥二羽の姿である。幼い二羽は腹が空くと、形振り構わず凄まじいばかりの声を挙げて、大きく口を開けてのオネダリ・コールである。甲高い泣き声と大口に、親鳥達は悲しい条件反射のてんてこ舞いである。傍目には、立派な<強要行為>でしか無い。
     産卵が先か? 親離れ独立が先か? 困った金華鳥一家である。

 水槽の魔王の奴は、<仮称>が取れぬ内に、何処へと雲隠れしてしまった様である。

 二年ほど前に、今ではすっかり珍しく為ってしまったイモリを見付け、喜び勇んで捕獲して来た。今冬、一夜にして、食中りで全滅してしまった金魚との同棲生活であった。勤めから帰っての就寝時間前、二時間前後のパソコン打ちの目の保養であった。金魚(和金・流金・タンチョウ・出目金)との動きの妙が、実に弛緩して居て、名探偵のポワロ氏の名台詞<灰色の脳細胞>に連動して、好い保養であった。

 尤も、私の所有する脳細胞は、ポワロ氏の『冷徹な推理細胞』では無く、睡魔に抵抗する白とも黒とも区別の付かない<朦朧細胞>でしか無かったのであるが・・・

 イモリ殿は、吸盤を持った四ツ足であるから、彼等の逃走を計算に入れて水槽には、水位の隙間と蓋を被せていたのである。然しながら、彼等は何時しか<忽然>と行方を、晦ましてしまっていたのである。彼等は得難い雰囲気を持っていたから、飽き足らず、何度か休みの日に補充しに行って居たものである。そんな事が有って、私の中での彼等の行動は、長らく<逃走>として位置付けられていた。

 今回の魔王の雲隠れも、当初は逃走の感覚であったのだが、吸盤付き四本足、一対の鋏と四対の足、彼等の共通点は、水陸共にこなす両生類なのである。これを最大のキー・ワードとして推理を働かせる事にした。私はポワロ氏よりも、シャーロック・ホームズ氏が好きである。灰色の脳細胞よりも、虫眼鏡派である。

 イモリ殿にしろ、沢蟹殿にしろ、住環境としての水槽は、然程不便であった形跡は無かったと思われる。水陸両用の両生類にとってして見ても、水草のベットの上の陸地は、それなりの代用品と為った筈である。その証拠に、何週間かの間は、健康そのものの活動を見せていたのである。強いて、彼等の心境に擬人化を試みると、囚われの身に依る辱めなのであろうか・・・ 勿論、私は戦後生まれであるから、<センジンクン>為る物は、映画・ドラマの中でしかお目に掛かった事は無い。スチーブ・マックィーン、ジェームズ・ガーナー、チャールズ・ブロンソンを一躍スターダムに押し上げた<大脱走>なんて云うハリウッド映画では、捕虜の最大任務が、<脱走>との事であった。

 従って、その任務をイモリ・沢蟹の両捕囚に類推適用させようとしたのであるが、如何してもシックリ来ないのである。然らばと思い、彼等の生態に思いを馳せると、移動に便利な手足を持つ両生類に、その秘密を解く鍵が潜んでいる様に考えたのである。ホームズ氏には、パイプ。健忘症賄い夫には、CASTER ONE100‘sである。幸い昨日、買い置きが叶った次第である。

 彼等には、漂白の俳人芭蕉、漂白詩人の牧水、流浪の俳人山頭火の繊細なる歌心は期待出来ない処であるが、木枯らし門次郎、シェーン、フーテンの寅達同様の<渡り性>が、DNAに内臓されているのかも知れない。
 
 従って彼等の行動を<逃走>と即断・矮小化するのは、浅はかな看守根性から来る誤解なのであろう。そう云えば、私の好きなカシワギ・ユキ?の歌うボヘミアンと云う名曲があった。彼等は<ボヘミアン>の称号を贈られるべき自由・孤高の存在なのかも知れぬ。

     餞別を包む暇も無かった短い滞在期間であったが、達者で暮らせよ。

心何処ーショート ポロッと出ました、ヨサホイのヨイヨイ。
        ポロッと出ました、ヨサホイのホイホイ(7/10)
 ハハハハ、普段は静か過ぎるから、工事の音が、頭の中に入って来てしまう。
 世の中、お互い様であるから、仕方があるまい。タバコを買いに行った序に、自転車散歩と洒落込む。途中でパン屋でパンを買い、球場周辺に向かうと、大きな声援が聞こえて来る。そうであった・・・高校野球の県予選が、行われていたのである。
 伝統的に弱さを引き摺る我が母校は、事もあろうに、初回敗退の模様であった。近い試合場であるから、何時も通りに何回か勝ち進んで呉れたなら、物覚えの悪い私でも足は向くのである。初回敗退では、頭に残っていない訳である。とんでもない後輩達である。

 隣接するテニス場界隈は、ゆったりした芝生と桜の空間が広がっているから、時間を潰すには好い所である。球場内が所々見える。時間に余裕があると言っても、こんな中途半端なゲームの途中で、観戦する気も為れない。バック・グランドから、ヒョイと身を躍らせば、難無く『観戦スチール』が出来るのであるが、そうも行くまい。不正流行の昨今であるが、主催者が朝日新聞である。<ロートル親父・無銭侵入>などと、記事に書かれよう物なら、『末代までの恥』である。観戦は贔屓の対象が無ければ、然程面白い物ではない。高校・大学時代は、クラスに仲の好い選手が居たから、率先して授業をサボって応援に行った物である。

 ぐるりと一周して、外に出る。道端の立て札に、眼を留める。山の中腹に有った廃寺の謂れが書いてあった。由緒正しい立派な仏閣が有ったそうである。道理でお城の様な立派な石垣が、取り巻いてあった訳である。これも、車では知る事の出来ない、自転車散歩の付録である。
子供の頃、★★寺の池として、朝から夕方まで遊びに遊び捲くった場所である。子供の頃から、何処にも、★★寺の無い事が不思議に思っていたのであるが、何時も、その事には素通りして来た。石垣の上に築かれた広場は、見晴らしの利く別天地でもあった。その内に遊び場所は、小学生から中学生へと移ってしまい、長い忘却の底に没した儘であった。由緒正しい廃寺跡とは知らず、罰当たりな事をしていたものである。知った以上、反省を込めて合掌した次第である。

 夕方の「ニュースからの一言」では、大分県の教員採用・教頭・校長昇進試験のハチャメチャ振りが、白日の下に曝け出されてしまった。全くの部外者であるが、『然もありなむ』の意を強くした処であった。一般的に云えば、教育者・教育の牙城に在っては、有るまじき精神の荒廃と寸評すべきお粗末さが、表に出てしまったのである。食品の産地偽称・偽造の次元では無い。即刻逮捕・放逐の断を下して、被害者に名誉回復・損害賠償を支払うべしである。世が世なら、500%の村八分ものである。500%であるから五代迄、事ある毎に語り継がれてしまう程の『末法不祥事』であろう。

     残念ながら教師から、人間的魅力が無くなって久しい。
     子供が養育期の頃、女房が授業参観から早く帰って来る。

「如何した?」と訊くと、
<馬鹿らしくて、聴いていられない。担任教師は若い女教師で、まだ娘だから、仕方が無いけど、何が、あれで教頭・校長なの? 冗談じゃないわよ。単なる事無かれ主義じゃないの。私の亭主の方が、見栄えもするし、数段マシな話をするわよ。時間の無駄よ。教師の質が変わって来たわね。碌な時代が来ないわよ。> 

女は男と違って、密室だと「そこまで言うかいな」を平気で口走る生き物である。
            私は、気の弱い常識人であるから、女房を窘めると
<何言ってるのよ、あなたが行ったら、真ん前でゴーゴー鼾を掻くか、腕組みをして睨み付けるか、異議ありで自説を展開しちゃうでしょう。そんな事されたら、恥ずかしくて、外歩け無いもの。家の子達は、出来が悪いから教師の報復受けちゃうのが、関の山でしょう。学校は私が行くから、家で好きな事して居れば好いわよ。何かあった時の亭主頼みで、十分だから。>
褒められたのか、貶されたのかは、取り様一つであるが・・・ 日本教育の衰退は、大分前から深厚(進行)していたのは、確かな現象だった筈である。

 何れにしても、官民上から下まで、元から終わりまで、何処を切っても、日本特有の<金太郎飴>の体たらく振りに、成り下がってしまった物である。一生の糧を得る袖の下の金子が、100万~200万との事である。素人筋の目からすると、出資金と利益金のアンバランスが、多いに気に為る処である。袖の下以上に蔓延る<コネ社会の蔓延>に、注意を傾ける必要があろう。コネの蔓延は、一朝一夕では構築出来ない<エコヒイキの輪>なのである。エコヒイキに収斂される教員・学校世界にあって、元気にスクスクの学童生活は、多難な日常かも知れぬ。

心何処ーショート ゴロゴロ、ドッシャーン
                バシャバシャ、ゴロゴロ、ドッシャーン(7/9)
 この前、弟分に電話をした時に、居酒屋へ行く時に素通りした事を、指摘されてしまった。そんな事もあったから電話をすると、家に居るとの事。出掛ける。打ち進んでいる分を渡すと、電話日に行って、店に有った分も読んで来たとの事であった。そんな訳で、残りの数編分を早速、読み始めている。現役の彼は、途中からお疲れモードに達してしまった。無職の身には、些か話足りない気分であったが、日陰の身である故に、週末居酒屋に誘う事を約して辞する。

 ご近所さんでは、朝から工事が始まっている。昨日の午後から切れている、タバコの買い置きである。寝起きの一服習慣であるが、グゥ~ッと我慢して、ノースモーク・デイとしようかなどと、端から出来もしない事を思ったりする。何時まで持つ物やら、・・・・ 朝の賄をして、老母との朝の時間を過ごす。

 定位置にて、ブログ画面を開く。連絡欄を読んだらしく、早速の一報である。個人情報故、電話番号を記録して、関連コメントを消去する。お互いの義理堅さに、思わず苦笑の段であった。  

 足跡欄を見ると、新顔さん登場であった。早速、そのブログにアクセスすると、写真あり、音楽あり、文章ありの大人のエレガントさが、漂う一級品のブログであった。何しろ、西洋の風が、味わえるのである。願ったり適ったりの好ブログ様のご訪問であった。カンシャカンシャ。
 
 一方、比較の対象にも為らぬ当ブログは、字数打ち一辺倒の立派なる低級品である。殆どの初回訪問者は、<こりぁ、堪らん>とばかりに、塩も撒かずに一目散に退散して行かれるのが、一般的なのである。古色蒼然とした蜘蛛の糸は、所々大穴が開いている。然しながら、巣に住まうロートル蜘蛛は、無頓着な物臭男である。前後左右の丸々太る女郎蜘蛛の手入れの行き届いた蜘蛛の巣を尻目に、彼等の閉店or移転勧告を無視して、通り縋りの珍客をゴロリと待っているだけである。
親切心にマイクを向ければ、<蓼食う虫も好き好き>などと、ケロリとしている始末である。この頃では、団塊世代の家庭進出に伴っての、懐古趣味がジワリ・ジワリと色を出し始めている様子である。従って、それも好しとする処であろうか? 

 昼食後の昼寝をしていると、工事の音が耳に付く。自室でブログ散策をしていると、突然の集中豪雨の様である。本日、痩せ我慢の無煙進行中である。天空の虎皮パンツの野郎も、タバコが切れての苛苛か? 腹に響く御柱をお立てに為っている。これじゃ、外へ行く気も為らぬ。無煙更新しか無いか?
 
      ピカ、ゴロゴロ、ドッシャーン。雷神ヤロウ、真昼間から、遣るじゃねぇか。
 
 三時過ぎ、松本・諏訪地方に、大雨・洪水警報が発せられたとの事。50mm/1Hを超える雨量との由。成る程、半端な降りじぁないワ。如何するんじゃい、俺のタバコは・・・

心何処ーショート 堪忍抄
                  堪忍抄(7/8)
 ありゃ、まぁ、出掛け様としたら、ご親切に雨が降って来た。お陰さんで、濡れずに済んだ。斯く為る上は、洗い物をして、米でも研いで置くべしである。カップで米を取っていると、もう一日分だけである。雨が止んだら、買いに行かねば為るまい。
 
 薄日が差して来たから、さて出動である。何時もの席に、会長様が居られた。本日の議題は、宗教であった。生憎、その分野は疎いと云うよりも、体質的に拒絶感が活発に為ってしまう。ご両者の仏教への豊富な知識に、内心、イライラが高じて来る。講義内容は、歎異抄の善人・悪人思想並びに、自力本願・他力本願についてであった。
 仏教用語とお経が交差する有り難い講義であった。先輩方が、人生行路の終盤で納得する人生の境地に、若輩者の私が、無神論者の感想を述べたのでは、ご両者の勤勉意欲に水を指す不躾さである。

 仏教は古インテリ層の一大総合学問であるから、専門用語には事欠かない。その難解な専門用語には、必然的に注釈・解釈学が、辞典として必要に為って来る運びなのである。人間には知識欲があるから、勿体振った言い回しを経典から引っ張り出して、古人(いにしえびと)の注釈・解釈から一々理解して行かなければ為らない過程が、実態語・経験語の蓄積を積んだ年齢層には、酷く奥深く感じられてしまう側面があるのだろう。人間は、抽象語で構成される抽象の世界を、自分自身が体験した実体語に翻訳して、抽象の世界に足を踏み入れ、理解する過程を取るのである。そんな処に、市井の凡人達は古人の偉業を、称え・理解するのに時間を費やした分、自己満足の度合いの深さに自分自身が、大きく納得・得心するのであろう。

 へそ曲り・天邪鬼の私の本音からすると、コレマタ、インテリ層のマジックの一つなのであろう。出典を明かして、自説を紛れ込ませれば、素人に対しては箔が付くと云う類であろう。一般の日本人には、博識・謙遜の態度は、敬いの対象となる。瞑想するが如きの歎異抄講義に、豊富な人生経験・観察力・蓄積知識があったなら、自前の宗教観・人生観を講義為される事を、望む次第なのであるが・・・・ ロートル世代の説得・納得手法には、謙遜・謙虚さが尾を引いているのである。若ロートル世代には、謙遜・謙虚の慇懃無礼さよりも、自己勝手流加工術の<当たらずとも、遠からじ>の風通しの好さの方に、軍配を上げたい気分に為ってしまうものである。

 やっぱり、おい等には、物言わぬ<お天道様の思し召し・お零れ>を頂戴している辺りが、丁度好い。言葉・解釈に囚われちゃ、貧民下衆の遠吠えが、湿ってしまうばかりである。

 こんな深層心理を門外漢の若輩者が、不用意に口に出してしまったら、折角入手した『会員資格』を剥奪されてしまうのが、落ちである。本日中盤より、自説を展開するなり。
 
 週一度の参内が、単なる金子と米の交換だけに終わってしまっては、日々の潤いが、干上がってしまうばかりである。小生、歎異抄は、無理で御座ります。堪忍して抄でありました。

心何処ーショート イッヒッヒ
                 イッヒッヒ。(7/8)
 一雨降った様である。蚊取り線香があった事を思い出して、足元に置く。懐かしい季節の臭いが立ち昇って、鼻腔を擽る。涼しくなると体が楽であるから、手持ち無沙汰の我が身は、外に出たくなる物である。下駄を突っ掛けて、眠る葭原のシルエットに蛍を探しに河川敷に降りる。雨に塗れた河川敷の草のカーペットは、少々足元が覚束ない。然しながら、視線が平行であるから、余り蛍の数が見付からない。為らばと思い、高い土手道を少し歩く。視線が高くなった分、蛍の微かな遊泳光が見えて来た。流れに大きく被さる様に、枝葉をこんもりと伸ばした水柳の樹陰には、幾つかの蛍がポゥ~、ポゥ~、と見え隠れしている。   

 雨に冷やされた外気は、光の濃淡のシルエットの中に沈んで、居心地の好い独りを実感させてくれる。街のビルの光のしじまが、曇天の闇の中で静かに瞬きをしている。キューン、キューンと川筋で花火上げをしている。川を挟んだ住宅の並びであるから、季節になると、花火の音が其処彼処で鳴り響く。背後から、ランニングの足音が、近付いて来る。

 さてさて、夜気も大分涼しくなって来た。部屋に帰るべしである。

 部屋に戻って、タバコを燻らせる。魔王の居る水槽は、PCが戻ったからご無沙汰であった。NHKのラジオ深夜便・松平さんの時代劇の朗読を、聴きながら定位置で就寝前の時間を過ごす。ウィスキーから梅酒に変わったアルコールをグラスに注いで、俺も先日の末生り男の科白を遣って見ようかなと思ったのだが、<チクショー、バカヤローメ!!>の発声は、逆立ちしても出そうに無い科白である。如何やらストレス発散の仕方も、十人十色の様である。自分に似合わぬ物は、無理して真似る事もあるまい。あのバカヤロウは、女房殿の前で大人しくしているのだろうか?ニヤニヤしながら、末生り男の家庭の様子等を想像して、はしたなくも吹き出してしまった。

 いかんいかん、あの御仁にした処で、憂さを晴らす必要があったのだろう。若しかしたら、彼も私同様に、歌が歌えないからカラオケ発散が出来ずに、<チクショー、バカヤローメ。どうも、すいません。>節を歌っていたのかも知れん。あれが彼の十八番の<カラオケ・ソング>だったのだろうか? そう言えば、あの声量にして一定間隔のチクショー節の感がしなくも無い処であった。然しながら、賛成・容認の拍手は送れない末生り男であった。体躯が見劣りする男であったから、<煩い糞親父、静かにしろ!!>と、頭をくらし上げる挙にも出られず・・・ 若しかしたら、弱点を逆手に取ったアノ野郎は、中々の『頭脳犯』なのかも知れん。今度、会った時は、絶対に席に入れない事にしよう。正統派が、肩身の狭くする必要は、殊更無かろう・・・

 いやいや・・・あの野郎の顔の造りは、明らかに役者顔だった。富岳三十六系、逃げるに如かずとばかりに、お守りを後輩殿に押し付けて来たのであるが、首尾の程は、如何だったのだろうか・・・ さぁさぁ、この辺りで思考停止とすべしである。イッヒッヒ。寝るべし。

  ★★私的通信欄
 お早うございます。ミズ。後輩氏の会社訪問の模様を聞いて、安心したよ。変わらぬミズの根っこの部分を、<二本線>に重ね合わせた処だった。相変わらず好い漢(おとこ)遣ってるじゃないか。

 俺の方は、暇に任せて、硬軟支離滅裂・馬鹿丸出しの字面を織っている毎日だ。鶴の恩返しの昔話では、羽を織物に転換していたらしいが、現代の俺様は、頭髪を文字に字面織りで、見事な『鶴禿』でありんすよ。嘗てのコウガン(紅顔・厚顔・睾丸)の好男子が、頭髪を失ってまで後世に伝えたい脳内空間であるからして、心して読むべしでありんすヨ。嘲笑為らぬ『嘲読』は、罷り為らぬ故、精読すべしヨ。
 読み進む内に、二本線時代のエピソードが、幾つか登場する事だろう。イニシャルを辿って、<過去に遊ぶも、亦、楽しからずや>かも知れぬ。今度、会った時に、それを肴に酔えば好かろうと思う。それでは、何れ近い内に。

 ※アレだね、ママさんに携帯番号置いて来たんだけど、肉声の連絡よりも文字連絡の方が、時間は掛かるけど、味があるね。イッヒッヒ。


心何処ーショート オリエンタル・カレー
                   オリエンタル・カレー(7/7)
 台所で、音がしている。睡眠不足であるが、賄い夫が仕事である。ぼやいても仕方あるまい。正直言って、疲れて来た。朝食を済ませて、早々に洗い物をして自室に移動する。体調の悪い老母の姿を見ていると、親子であるから感情を出してしまう。口に出してしまったら、空気が淀む。相手は老母であるから、心臓と血圧に負担を掛けるべきではない。タバコを吹かしながら、本日も蒸暑く成りそうな空を見上げる。部屋で、如何にも為らぬ事にエネルギーを消費して見ても、一向に埒が行かぬ事である。小動物達の世話をして、虫篭を自転車のバスケットに入れる。昨日、中断したキリギリス探索の仕切り直しである。

 自宅から先は、上り勾配が少々きつい。肉体がきつい分、人間の心身はきつい<身>の方に、引っ張られるから、心身のバランスが保たれるのであろう。拷問には、至って<耐性>の無い男であるから、何は無くとも、江戸ムラサキならぬ、『自虐運動』である。きつい箇所は、道幅一杯に使った蛇行走法を採る。視界が拡がれば、気分は、風景の爽快さに和むものである。山には、セミの声が響き渡っている、英語ブログの写真に有った様に、白と黄色の蝶のランデブーが、農道の端に幾つも展開している。未だ形の小さなシオカラトンボが、水田に飛んでいる。畑では、腰の曲がった老夫婦が、キュウリ・ナス・ササゲの収穫をしている。

 幾つかのキリギリス生息地で、耳を済ませるが、彼等の夏は、未だ始まっていない様子である。心身のバランス調整のサイクリングであるから、思い切って遠出を敢行する。山際の道を上り切った所に、戦国時代の砦跡が小さな神社に為っている。橋の袂で迫り出した小山の杉木立が、影を落としている場所である。十字路に為った道は、山の集落に続いている。日陰にして、風の好く通う場所である。休憩方々、一服の雰囲気であるが、外に出掛ける時は、節煙の為に意識的にタバコを置いて来ている。有れば有るで好し、無ければ無くて好しである。

 汗の退いた一時を過ごして、リターンである。帰りに個人スーパーに立ち寄る。実に珍しい物を見付けた。<オリエンタル 即席カレー>である。私がこのカレー・ルーに出会ったのは、子供達が小学生・幼稚園生の頃、盆休みに川の源流でキャンプをする時に、買い求めたのが最初であった。薄い黄色のカレーの味が、私の味覚郷愁を誘ったのである。子供達にも好評であったから、それから何年か続いた源流キャンプの必需品の一つと為ったのである。それが何時しか時代遅れの味と為ったのだろうか? スーパーの食品コーナーから、パッタリと姿を消してしまってから、久しかったのである。
 
 すっかり嬉しくなって、勿論、昼はカレーを作る事にした。仕込み終えて、パッケージを読むと、愛知県の会社で製造されている由である。成る程、愛知県は味噌カツ為るローカル味覚を発信する土地柄である。メジャー味覚が占拠するカレー・ルーのコーナーであるが、郷愁そそるローカル・カレー・ルーのファンは、健在だった様子である。何かと元気でユニークさが、健在な愛知県である。コレマタ、本日分のスペースが埋まった。<有り難きかな>である。 

心何処ーショート 親愛なるブログ友へ
                  親愛なるブログ友へ
                
             二題とも、難しい問題提起ですね。
何時か、自薦の子育て記『困った二人』を、恥ずかしながら掲載する心算です。

 本を読まなかった人間ですから、考えて見ると、私の先生は、映画のヒーロー達でした。それもアウト・ロー的な主人公に、何故か心が惹かれてました。性格が捻くれていたのでしょうか・・・単純なヒーローは、嫌いでした。
 小さい頃より、人間には色んな側面がある事を、自問自答の中で見付けて来た感じがします。人は、外観で人を第一印象で決め込んでしまう帰来が、多々あります。そんな他人の判断?判定?思い込み?に、私は、如何にも付いて行けずに、そんな類の人間とは反りが合いませんでした。知り合いは、私が本気を出すと、直ぐに及び腰に為ってしまいました。私に言わせれば、観察眼の鈍い低脳の沙汰なのですが・・・ 感性と観察眼があれば、物事に対する自問自答で、大体の結論は出る筈なのですが、それが出来ない人間が多いのでしょうね。私の場合は、私の外観と内観の落差に、戸惑う輩が多かったですよ。へへへ。そんな事は好く有りましたから、私の方としては、外観でしか解らない他者を、自分の生半可な基準で即断しようとする相手の好い加減さが、如何しても解らなかったものです。

 感性と観察眼を持たされて生まれて来た者は、数が少ないものです。貴方には、それが備わって居られる。それが有れば、人は反面教師からも、多くを学び取る事が出来ます。理屈に強く・弱い人間になる事が、私の修行時代の造語でした。理屈に強いと云うのは、自分が精度の高い理屈を作る事を指し、弱いと云うのは、相手がどんな人間だろうと、自分の理屈より高次元・筋が通っていれば、素直に従うと云う意味です。

 私の師と仰ぐ大俳優のバート・ランカスター氏の映画から、多くの物を学ばせて頂いたものです。アパッチ、旅路、地上より永遠に、深く静かに潜行せよ、OK牧場の決闘、ニュールンベルク裁判、大列車作戦、山猫、ベラクルス、許されざる者、愛しのシバよ我が胸に帰れ、深紅の盗賊、甘き報酬、終身犯、大空港、空中ブランコ、エルマー・ガントリー、ドクター・モローの島、追跡者、戦場、大反撃、家族の肖像、泳ぐ人、ワイルド・アパッチ、・・・etc
 我が人生の師は、陰影に富んだ色んなタイプの男像を、体現して下さったものです。

 忍び寄る夜風に、取り留めの無い字面を広げてしまいました。何時も、グサリと核心を抉り出している貴方に、在り来たりのコメントは出来ませんでした。
                              益々のご健闘を、願いつつ

心何処ーショート 盛夏の足音
                   盛夏の足音(7/6)
 凄い蒸し暑さだと思っていたら、夜から雨に成った。日が落ちてから散歩もしたし、昨夜は飲みに行った。好い運びである。<蒸暑さ 蹴散らして雨 涼奏でる> さすがに雨が来ると、涼しい。
丁度、ウィスキーも切れたから、早いには違い無かろうが、梅酒の大瓶から失敬して来る。焼酎が、飲酒対象の中に定着して久しい。氷砂糖と梅のエキスが充満しているから、口当たりは、昨日の芋焼酎より数段まろやかである。

 使い慣れたPCは、やはり勝手が好い。一日親鳥から離した雛を、観察の結果、自分での餌取りは未だ早いと判断して、昨日親元に帰して遣った。余程ひもじかったのであろう、餌強請りの泣き声が煩い限りである。それも、一日だけの事であった。
 薄茶の子はオスであるから、親オスの虐めが凄まじい。執拗な追い捲くりに、オス子は狭い鳥篭の中を、バサバサと逃げ惑うばかりである。つい先日まで、せっせと餌を口移しに与えていた親子関係にも拘らずである。白い子は、メスである。オスとメスの違いは、頬に現れる金の刺繍の様な色である。きっとオス親は、そのマークに反応して、自分の君臨するエリアから、オスを追い出す行動を取っているのであろう。熾烈な『オスの座』争奪戦が本格化しない内に、子供達が自分で餌鉢から餌を食べれる様に為る事を、確認したいものである。オス親の凄まじさは、DNAにインプットされた、オスの遺伝子本能に違いあるまい。こればかりは、飼育管理者が調教出来ない領域である。

 何やかやとPC入院の後遺症に、マイ・ペースが狂ってしまった。考えて見ると、帰還初日は、真っ更のPCにソフトを読み込ませて、立ち上げるのに、午前四時まで掛かってしまった。その翌日も、午前二時であった。ペース崩れの乗っかって、<夜の街へ>であったから、生活の時間帯が狂う訳である。それに加え、夏日の到来であった。

 日曜日の午後、ラジオの<のど自慢>を聞きながら、水槽の上に置いた鳥篭の様子を見ていると、何やら、下手なセミの声が、庭からして来る。本日は、曇天の夏日である。家に居るのが嫌に為ったら、車に乗ってキリギリスでも探しに出掛け様かと考えている次第である。小鳥の成長は、実に早い。白と薄茶の姉と弟は、一緒に成って餌鉢に首を突っ込んで、啄ばんだ餌の粒を嘴の中間で、コリコリ転がしている。鳥篭の上の止まり木では、子を尻目に親達は、ブンチャカ・ブンチャカ踊りの後の交尾行動を始めている。餌の供給の大半は、マダマダ親からの口移しに頼っている有様である。飼育管理者としては、もう何日か見守るしか無さそうである。
 見切りスタートであった籠移しの時に、藁巣の中の汚れを取り除いて置いた。夜は全員、巣の中で寝るのであるが、昼の子供達の侵入には、親からの追い出し行動が始まっている。

    のど自慢、本日の参加者は筋が好いらしく、合格の鐘が続いている。

 金華鳥夫婦・親子を眺めていると、彼等の間には、幾つかの行為・行動類型がある様子である。きっと幾つかの基本類型が有って、そのポーズが眼前に繰り広げられると、相手は<お返し>の行為・行動をしているのが、見て取れる。学者・識者は、それらの一連の物を、「本能」と訳しているのであるが、私の目からは、<ハブロフの犬>で解明された『条件反射』行為・行動と言った方が、的を得ている感じがする。
 人間の擬人化と云う小動物に対する色眼鏡からすると、藁巣近くの上の止まり木で憩う番鳥は、出卵・抱卵・育雛を成功させて、顔付きも引き締まって来た。不必要な動きを抑えた寛ぎの所作には、貫禄さえ感じてしまう。<体験は、貫禄を生む。>と云った処だろうか・・・
 さてさて、貴重な体験をこなした番鳥の繁殖第2ステージは、何匹の子供達を巣立ちさせるものであろうか? スンナリ事が運べば、5~6羽の出現である。どんな羽色が出現するかで、親鳥のルーツが辿れる。そうそう、エンドー豆の雑種交配には、<メンデルの法則>なんて物があった筈である。小学生の頃は、理科が得意科目の一つであった。セッカチ性分が、早くも想像を駆り立てる。いかんいかん。

 キリギリス探しに行こうとしていると、電話である。M氏からである。仕事が終わったから、顔を出すとの事である。アイスクリームと缶コーヒーの差し入れを携えてであった。弟の用意してくれた旅行パンフレットを下に、日程の調整をした後、二人でHISに赴く。途中、氏推奨のPC部品を買って行く。直接出向くと時間は掛かるが、対面だと此方の要望に沿った日程が、その場で作って貰えるから有り難い。私とTの旅行となると、ズッコケ道中に終始してしまうが、氏は無言の気遣いをしてくれるから、口数は少なくても事はスイスイと運ぶ。私の極親しい間柄の者には、仕切り屋が居ないから、お互いがマイ・ペースを保つ事が出来る。一体どんな息抜きに為るかは知らぬが、日々の流れは、待った無しである。これまた、楽しみの一つである。
 
 そんな事で、久し振りに市の中心街を歩いた。駐車場のエレベーターに乗ると、若い男女のぺったり振りには呆れ返るばかりである。別に羨ましい気分は沸いて来ないが、隔世の感頻りである。

 ロートル二人組は、
<バカヤロウが、此処でイチャイチャしてたって、何時まで続く関係やら、お前等、ウスラカゲロウ知ってるかい? 薄ら馬鹿野郎メ。>
 
 私の、こんな内心の感想をM氏が共有するか? どうかは別として、蒸し暑い空気の淀むエレベーター内であった。HISの事務所が、駐車場から結構離れていたので、一寸した散策が出来た。手塩に掛けた市ご自慢にして、一番の賑わいのある一角である。昔から<賑わいの街角には、若者来る>である。目抜き通りの歩道は広く、人口のせせらぎも演出してある。ベンチには灰皿が設置してあるから、若者達が屯して、中年観光客も憩いの時を持っている。白人種も結構目に付くから、街の雰囲気としては、垢抜けした空間である。夏本番には、山岳都市の顔として、一層の賑わいを見せる場所である。

心何処ーショート サイクリング運動・仮称魔王・入会合格
 梅雨の晴れ間にサイクリング運動(6/30)
 朝から、太陽の暑さである。2日間の雨に、川の増水も勢いが好い。半信半疑の梅漬け経験である。重石を取って、水揚げの様子を見る。上に被さった紫蘇の葉の上から、力任せに掌で圧して見ると、赤紫の水が昇って来た。<やれやれ>の安堵である。老母の為に、風呂を沸かす。風呂から上がって、パンツ一枚の姿で汗の引きを待つ。外には、今年一番の入道雲が、ムラムラと緑濃い山上に迫り出している。夏の風景が、盆地全体に拡がっている。廊下の埃を被った虫篭を取り出して、川の上流を自転車で目指す。首にタオルを引っ掛けて来たのであるが、夏本番の暑さである。家から2km程上流の場所が、キリギリス捕獲場所の最短距離である。自転車から降りると、間も無く会社から電話である。行くと答えてから、川原に下りて耳を澄ませるが、まだキリギリスの鳴き声は、無かった。さてさて、家に引き返して、会社に行くとするか・・・

 暑い昼下がりである。出た序の寄り道を彼是考えて、入浴中の老母に、昼はあり合せのもので済ませてくれと、言って出掛ける。途中、修理に出してある家電量販店に寄る。やはり、未だであった。次に100円ショップに寄って、文房具と機械油を買って、ペダルを漕ぐ。暗色系統の半袖シャツと短パンの出で立ちなのであるが、背中が炙られて暑い限りである。用事を済ませて、コピーを取って帰る。時計は、2時を回っている。ペダルを漕がねば、先に進めない上り勾配が、延々と続くのである。腹が減っては、戦が出来ぬ。牛丼屋に入って、牛・玉・豚汁セツトを注文する。仕事をしないロートル賄い夫の胃袋は、何時の間にか、小袋に縮んでしまっている。並み盛りが、胃袋の負担度からすると、特盛りのボリュームに感じられてしまった。

日陰日陰を選んでの帰り道である。途中からは、向かい風と来たものである。ローギアで、フゥー、フゥーの連続に、大きな亀の甲羅は、太陽に焼かれ放しである。『やいやい、こりぁ、堪らん。カチカチ山の狸の背中である。』サイクリング運動と、洒落ている場合では無い。無理は禁物。弟分の自宅近くのお宮さんの境内に、自転車を乗り入れて、暫しの涼みタイムを取る。清めの水場で顔を洗い、タオルで汗を拭う。神のおわす鬱蒼と茂る欅の大樹の杜は、街にあっては別天地である。奥まった本殿の御影石の石段に、ドッカリと腰を下ろして、樹間を渡る風の涼に、全身を満たす。この静かなる涼感の気分を、何に例えるべきか・・・ などと、胸のタバコを1本口に咥える。西洋人なら、<ケルトの風に吹かれて>であろうが、私は倭人の末裔である。此処は、やはり<縄文の風に吹かれて>と、樹間の苔むした緑に素足を乗せて、涼感を愉しむのが好かろうと云った雰囲気であった。

さてさて、ペダルを漕がねば、家への距離は不動の侭である。ヨッコラショと、肥満体を小さなサドルに載せる。足掻きのオイッチ、ニィー、オイッチ、ニィーの果てに、我が家である。
土手に老母の腰の曲がった姿。次兄が来て、梅の実を脚立を掛けて取っている最中であった。汗だく、息切れの態であるが、それなりの<シナ>を作る必要がある。大休止は、彼が帰った後に回すしか無かろう。大儀な物である。まぁ、これで老母も、親としての顔が立つのであろう。

仮称・魔王(7/1)
 どっこい沢蟹は、生きていた。テレビを見終えて部屋の明かりを付けると、水草の茂みの上部に、横にぶら下がる形で、足を閉じてじっとしている。<私の眼前に>である。何日振りかで、姿を見せた沢蟹君である。然し、動いてくれないと、一向に面白くない。机の上の割り箸で突付いて遣ると、サァッと水草の茂みの暗闇の中に消えた侭、姿を見せない。夜の水槽世界は、動きが鈍い。仄暗い水草の合間に、グッピィの成魚達が、緩やかな動きを見せている。上部の隙間には、生まれたばかりの芥子粒稚魚達が、何匹か動いている。

 雨の無い夜である。ラジオを聞きながら、ペン書きをする。本日は、久し振りに運動量の多い一日であった。小1時間の睡眠を取ると、何やら運動後の気持ちの好さが残っている。寝るには、まだまだ時間があるから、沢蟹の姿をもう一度見てみたいものである。何処に雲隠れした物やら、水草ジャングルに目を凝らすが、一向に、その気配すら伝わって来ない。ラジオの内容も芳しく無い・・・ ラジオからCDに切り替える。

 書いても書かなくても好い、私の字面綴りである。こんな夜は、一日を振り返るのも好い事なのであるが、凡人の単調その物の毎日である。振り返るほどの内容の濃さが、あろう筈も無い。

 沢蟹の奴は、何を食料としているのかは定かでは無いが、捕まえて来た時よりも大きく見えた。奴は、立派な夜行性甲殻類である。食するに適当な大きさのグッピィ達は、暗くなると底に沈んで、じっとしている。頑丈な鋏で捕獲が叶えば、新鮮な食に有り付ける。小世界では、人知れず生と死が交替で訪れる。グッピィの死肉に有り付ける事もあるだろうし、水草の葉を食しても好し、底部に溜まった活性汚泥を食しても好しである。生きて成長している以上、私がとやかく気を揉む問題ではあるまい。何しろ、確りした万力の様な両の鋏を持っているのである。子タニシの薄い殻など、簡単にクシャリの筈である。
 
甲羅で覆われた沢蟹は、考えて見ると、水槽小世界の食物連鎖の頂点に有り付けるかも知れぬ。相も変らぬ好い加減飼育管理者の、勝手な感想であるが、幸い奴は一匹だけである。子孫繁栄の沢蟹王国は、私としては100%願い下げの<グロテスク世界>である。連鎖の頂点を極める両鋏の使い手にして魔王の投入は、水槽世界に格好のバランスを作るのかも知れぬ。水草が所狭しと、のたくり廻る化け物屋敷の様な世界であるが、その作り出す酸素量は大変な物である。水棲世界にとっては、絶対に無くては為らない酸素溶存量である。奴の隠れ家が何処か?は、視界が遮られて一切不明である。

仮称・魔王としては、川の中で運悪く、私の目に止まって<無理矢理>ポケットに捻じ入れられ、無造作に水槽にポイであった。魔王にして見れば、<青天の霹靂>にして、狭い水槽が<終の棲家>の結果であろう。ご愁傷様かも知れぬが、環境に適合さえ出来れば、生き長らえる事が適う。物は考え様とも云う。意外や意外で、最高の移住先を得た事に為るやも知れぬ。尤も、こんな私流の屁理屈を叩かれては、魔王からは心外とばかりに、<伴侶の居ない天涯孤独の侘しさを、お前は、何と心得るか!! たわけ者!!>と、逆襲を頂戴するかも知れぬ。生憎、蟹語と人間語の翻訳には、成功の話は聞いた事が無いから、お互いの言い分も、折り合いの付け様も無い。
従って<見解の相違>と、開き直っていれば好いのである。

 こんなノーテンキを書き連ねていると、水槽に微かな動きを見付けた。目を凝らして見ていると、珊瑚の欠片の端に、魔王の足の動きである。再び割り箸を突っ込んで、ソロリソロリと、珊瑚の欠片を動かして遣ると、驚いた魔王がスイスイ動いて、再び背後の闇の中へと消えて行った。中々に大した忍者走りであった。
 
何はともあれ、自然界に在っては、弱肉強食の生存競争の世界である。天下泰平の平和呆けであっては、精神と肉体が萎える一方である。多少の緊張感があった方が、生物は逞しい生存と為れるのかも知れぬ。世界が私の手から離れて、立派に機能しているのである。
 さてさて、深夜のお時間も頃合である。我が身を隣部屋に移動させて、適当なDVDをチョイスして、明日に備えるべしである。

 本日は、この文章を打ち上げて、少々手持ち無沙汰である。釣り竿を持って川に降りる。流れの速さと濁りに、毛ばりは不向きの結果であった。庭の落ち葉の下を穿ると、大きなドバミミズが、クネクネしている。何匹か捕まえて、餌釣りをする。丸々太ったアブラハヤが、続け様に釣れる。コンクリートの内堤に伸ばした素足の肌を、太陽が焼き立てる。この熱さは、サイパンのマニャガハ島の砂浜に匹敵する。昨夜のDVDは、モノクロ映画『パリの屋根の下』であった。サイレントとトーキーの混成映画の趣のある名作の一つである。古典映画であるから、実に単純明快なストーリー運びであるが、味わい深い逸品である。年に1・2度は、ご厄介に成っている。

 19:30からの「クローズアップ現代」では、日本近海の<枯れる藻場>を報告していた。次々と映し出される海の砂漠化の現実は、目を覆うばかりの惨状である。地球温暖化の影響の凄さに、陸からも海からも、食料が枯渇して行く一方である。21Cの近未来は、家庭菜園では追い付かない。家庭魚栽培が本格化するかも知れない。
 家庭水槽で、シジミ・タニシ・サワガニ・ヌマエビを飼い、ドジョウ・フナ・コイを養殖する。川に水がある時は、生簀にニジマスを養殖しなければ為らない時代が、そこまで来ているのかも知れない。物は序にして工夫であるから、美味の水草の開発に、水耕栽培種の野菜類の研究も、早急の問題である。地球への加害結果の逆襲が、音を立てて襲って来たのである。
事、此処に至っては、知らぬ存ぜぬの一点張りで、白を押し通すしか方途が無かろうと言う物である。小学生の頃、アメリカ映画を見て、自分には一生掛かってもマイカーが持てるなどと言う夢すら、抱かなかった。海外旅行も、そうであった。然し、緑の地球は、永遠のものと考えていた。私は、何千年も何百年も生きてしまった様である。気が重く、残念至極である。

入会合格(7/2)
 洞爺湖サミット絡みで、地球温暖化関連のテレビ番組が続く。魚淡白質の家庭栽培も視野に入れて、餌入れを奮発する。餌が水中にハラハラと沈下して行く。珊瑚の欠片が動いて、魔王が姿を現した。グッピィの餌は、魔王の食欲をそそるらしい。水草の切れ端を鋏で摘んで、器用に口に運んでいる。堂々白昼に姿を現した魔王は、水槽を半周すると、自分の体の3~4倍の大きさの珊瑚を欠片を、重機の様な動きで移動させてしまう。見た目以上の浮力が、働いているのであろうが、平気の平左の動きである。棲家となる場所への拘りも、半端では無いらしい。鋏を入れて、左右5対の足を器用に使って、小石を掘ったり出したりの作業を、スムーズにこなしてしまう。環境に模して、体色の明暗も変えられる様であるから、動かない限りは、存在が一向に見えない処である。野生は環境の変化には石の様に慎重であるが、慣れて来ると、生活の必要上から探検・見回り行動が、活発になって行くのだろう。
 
珊瑚の欠片の隅に目を凝らせると、足が見える。如何やら魔王の棲家は、珊瑚の欠片の下に落ち着いた様子である。目の保養対象が、また一つ増えた様である。好し好しの段である。
 
ラジオビタミンからは、村上アナウンサーと神埼さんの、息の合った和やかなお喋りが届く。お二人のお顔を存じ上げているから、そのお喋りは、空気の様な感じでBGMと成っている。日光浴をさせている鳥篭からは、時折餌強請りの喧しい声がするものの、変らぬ四畳半の空気である。表の通りには、ロートル婦人がお三方、立ち話をされている。時間に縛られない婦人方の立ち話は、長閑そのものである。私も同類なのであるが、普段その分野の話には慣れていない。偶には加わりたいのであるが、そうも行かぬ。傍らの漫画本を手に取って、ページを捲る。負担度ゼロであるから、スイスイ、ページが進んでしまう。雑木の葉の茂りが、風通しの好い静けさを作ってくれている。親鳥の動きと離れて、腹の膨れた若鳥達は身体を寄せ合って、暫しのまどろみ中である。

 午後に成っても、遣る気が起こらない。ショートを持って行くと口に出した事を思い出して、町内の同窓生の所に届けた序に、ロートル寄り合い処に時間調整に行く。三時の休憩時間であるから、一緒にコーヒーを入れて貰う。例に依って、大きな顔をしてロートル談義に花を咲かせていると、寄り合い処・近所のご老人が遣って来られた。現役時代は、営業一筋で活躍された77歳のご隠居さんであると云う。品のある御仁で、駄洒落の巧いお方である。次から次へと、打出の小槌の様に話が弾んで、本日の議題は戦国時代の佐々氏の針の木岳の埋蔵金・徳川家の埋蔵金・山下閣下の埋蔵金であった。

何しろ、雲を掴む様な聞き齧り談義である。出任せ放題を口にした処で、言質を取られる類の話では決して無い。浮世離れしたロートル談義である。話に尾鰭・背鰭が幾つも付いて、碌でも無い男達の創作に発展してしまった。ご老人は、常連客のお一人であるから、私とは二度目の顔合わせとの事である。お時間と成って、目出度く寄り合い処の閉店時間である。駄洒落の達人であるが、飄々としてニコヤカに硬軟使い分けて、話を持って行く実力たるや、一角の人物であろう。寄り合い処の新規メンバーとして、参加申し込みをすると<合格>との即断であった。大いに気を好くして、買い物をして帰る。

心何処ーショート 脳内散歩・怪気炎・巣立ち1号・奇遇なり
                  我が脳内散歩(6/23)
 未だ雨は降って来ないが、何時降り出して来ても可笑しくない空模様である。家に閉じ篭りだけでは、如何も落ち着かない。朝、庭の草取りをする。次いでイチゴを取る。ミニトマトも、三つ色付いている。初物を口に入れるが、降り続く雨に、水ぽいだけで、甘味も酸味も今一である。今年の梅の実は、小粒である。もう暫く待つ事にする。冷蔵庫が空であるから、払込に寄ってから買出しに行く。野菜類を体内に補給する為に、野菜の煮付けをしようと考える。机に向かうのも気乗りしないから、午前中に料理に取り掛かる。

 仕込を終えて、部屋で一服しながらペンを進めていると、突然、脇の鳥篭が転げ落ちた。何事か!! と身構えると、網戸越しに猫の猛タックルを、受けてしまったのである。巣の中の巣立ち前の白い雛が、巣から飛び出してパニック状態である。この何日か、羽ばたきの練習をしていた雛は、翼を羽ばたいて籠の縁にぶち当たっている。パニックの雛を捕まえて、巣の中に戻して遣る。籠を元の場所から、安全な水槽の上に置いて遣る。如何やら、小鳥達のパニックは、収まった様子である。猫の直撃を受けた網戸は、前足の掛かった2個所が破れていた。

 大事に至らなくてホッとすると同時に、人間様が直ぐ隣に居るのに、とんでもない事をする馬鹿猫である。漫画のサザエさんには、家に上がり込んで魚を咥えて行く野良猫が、再三登場した物である。私の小さい頃は、日本の家は開放的であったから、台所でガサリ。近所の猫がおかずを咥えて逃走などと云う光景は、有り触れた物であった。私は小さい頃から、小鳥を飼うのが好きであった。小鳥と猫の関係は敵対関係であったから、私にとって猫族は害獣であった。ある時、天井裏のネズミの大運動会に音を上げた母が、真っ黒な子猫を貰って来た。思い出すと、母は黒猫が好きな様子である。我が家の歴代3匹の猫の内、2匹までが見事な黒猫であった。ミャーミャーと泣く子猫であったから、つい可愛さが先行して抱いて遣ったり、餌を遣ったりして、それなりに可愛がって遣った物である。
 
 そのヨチヨチとした子猫が、ある時、私の可愛がっていた鳥篭の小鳥に対して、目の色を変えて飛び掛ったのである。何やら子猫とも思えない凄まじい声を上げて、鳥篭にしがみ付いているのであった。首根っこを掴んで、<コンバカヤロウ、なんて事しやがる!!>で、小さな頭目掛けて、ゲンコツをコツンコツンとお見舞いして遣ったのだが、子猫はその都度痛いとばかりに、顔を顰めているだけで、放して遣ると又、同じ事をした。母は横で、<こんなに小さくても、猫は猫、本能だね。>と、寧ろ感心している様子であった。私の度重なるゲンコツ調教が功を奏したのだろうか、子猫は長じると鳥篭の見張り番を勤める様に為った。そんな一件から、子猫を見ても、自分からは猫を飼いたいと云う気持ちは、一切起こらなかった。
 
 然し、兄弟が多かったから、猫が我が家の住人に成った事は、何回か有った。高校時代は、縁の下で生まれた野良猫の中に、飛び切りの毛色のトラ猫が生まれた。縁側で餌を遣る母を慕って、そのトラ猫が何時しか我が家の住人に為ってしまった事が有った。解放された広い家であるから、猫も居心地が良かったのであろう。庭と部屋を渡り歩いて、淋しくなると私の勉強部屋の四畳半に音も無く遣って来て、机の下の足を舐めたりしていた物である。寝ていて胸が重苦しく思い、目を開けると、猫がチャカリ私の胸の上で、丸く成っている事は良くあったし、寒く成ると音も無く布団の中に潜り込んで来て、私の身体を舐めている事もしばしばであった。そんな事を学校で話題にしていると、

「一物に、バター、蜂蜜、ジャムを塗って、猫に舐めさせると凄い事に成るから、試して見ろ。」と言われた。何しろ番カラ男子高の色気付いた男達である。柄は悪いが、医者の息子だから、嘘は言わないだろうと思い、早速、その夜に猫の首根っこを捕まえて、布団の中に入れて試して見た。擦り傷には、家庭常備薬にして「万能薬メンタム」であったが、敏感肌には、馴染まない。
「バカヤロウ、適当な事、言いやがって、好い処じゃねぇ、ザラザラして痛いだけじゃ無いか。お陰で亀の頭が、赤剥(あかむ)れちまったよ。如何してくれるんだよ。それじゃ、医学部なんか、絶対に受からぞ、馬鹿タレが!!」
「R、そんな柔な亀頭じぁ、土手溢しが関の山だ。女を満足させられんぞ。あそこの皮は、鍛え上げなくちゃ、一人前の男には為れんぞ!! ガハハ、俺なんか、毎晩、猫三匹相手にしてるぞ。」
「何~、俺の知らない単語使いやがって、その<ドテコボシ>ってヤツを、説明しろ。」
「土手は堤防の事だろうが、黒毛生い茂る恥ずかしの丘から、秘密の湿地帯に続く堤防の事だよ。堤防での茂みで、敢え無く発射したんじゃ、男として、形無しだろうが。ソウロー者が!!」
「分かった、分かった、先生。別の方法考える。もう二度と、猫の世話には、為らん。」

 振り返ると、私の周りには、碌な奴が居なかった。環境が悪過ぎたのであろう。これでは、逆立ちをしても大成しない筈である。昔の番カラ高とは、土台そんな所であった。雨に打たれる紫陽花の葉に、馬鹿猫の不意打ちを食らって、遠の昔に忘れ去られてしまった馬鹿話まで蘇ってしまった物である。
アジャジャ、大降りに成って来てしまった。
 気が滅入るから、昨夜、子守唄代わりに見ていたDVD映画の続きを、布団の中で見る事にする。最後まで見て、気が楽に為った。其の侭、寝てしまった。

 散らかり放題の四畳半の模様替えを終えて、音楽を聞いていると、若い頃の甥子達が集って来て、騒々しく成って来た。これは堪らんと思って、一人散歩に出掛ける。歩いていると、遠の昔に店終いをした角の雑貨店が、開いている。懐かしい気分が働いて、中に入る。店では人の良さそうな小母さんが、甲斐甲斐しく働いている。此処には、私より二つ位年上の背の高い美人の娘さんが居た筈である。懐かしい面影に小母さんに声を掛けると、丁度本人が帰って来ているから、呼んで来ようかと気軽に応じてくれた。何十年も前の事だから、彼女は私の事を覚えていてくれるだろうか?などと、苦笑しながら、小母さんに付いて行くと、母屋から彼女が姿を現した。彼女は、直ぐに私が分かった様子で、表情をパッと明るくさせてくれた。中年同士の若い頃を話していると、店に女房が買い物に遣って来た。何故か女房は、彼女と親しいらしい。

「何が食べたい?」と言うから、2人で魚のショーケースを見て回る。兄達家族がお盆の帰省中であるから、何やかやで、女房も疲れてしまっている様子であった。少々立ち眩みがすると言う事で、店の奥で一休みさせて貰うと言う。彼女が女房を連れて奥に消えた。女房は出来の良い頑張り屋であるから、無理も無かろうと、女房の代わりに買い物の続きをしている私であった。中々、姿を現さない女房が心配に為って、私も店の奥に行くと、薄暗い処に土間を掘った様な一角があった。掘り下げられた中心には、四角い掘り炬燵の様な石組みが設えてあった。中から滾々(こんこん)と、湧き水が溢れ出ている。石組みを囲む様に、どっしりした年季の入った石組みが段を作っている。女房は、その石段に何故か裸で腰掛けて気持ち良さそうに、身を委ねている。静かで、ヒンヤリとした空気が流れていた。

 初めて見る光景であった。世の中に、こんな涼み方があるものなのか・・・何時頃から始まった風習なのか・・・理に適った風習である・・・ と、私は痛く感心してしまった。
然し、こんな涼み方を知っている女房は、一体何者か? 私の知らない女房の姿に疑問が湧いて来て、私は女房の手を引いて、彼女にあなた達は、一体何者かと聞きに行った。そこで、私の目が覚めた。

 夢とは、か様に摩訶不思議な場面を写し出してくれる物である。<夢は、過去のモザイク模様が、綾なす疑問の世界である。>・・・それが、私の夢への解釈である。節煙中のタバコを火を付けずに咥えながら、彼是と朧気なる世界を反芻しながら、夢の<出典>を探る。小さい時から、夢想癖のある私には、これから始まる幾ばくかのショート・タイムが、楽しい謎解きのお時間なのである。
裸身の女房の涼みスタイルは、きっとロシアのスチーム風呂、『バーニャ』の焼き写し作用に違いなかろう。為るほど、バーニャを彷彿とさせる雰囲気であった。そう為ると、何やら女房の姿までもが、酷くシングル・ママさんの雰囲気に、近付いて来てしまう。か様にして、夢の実態とは、儚い蜃気楼の様な代物である。序に見ていたDVD映画は洋画であったから、美形女優のイメージが、少なからず女房の姿態に投影されていても、可笑しくは無い処である。女房をとっ捕まえて、<お前さん、俺と付き合う前に、一体何をしていたんだ。>とは、シラフでは、発想自体が湧いて来ない代物である。正に夢は、モザイク模様の世界である。

 こんな夢の話を女房にしようものなら、間髪を入れずにプラスチック製のモノサシが、私の禿頭にバシリと打ち据えられる事、必定である。私の頭は、緩衝材の毛髪が無い。打撃は、もろに頭部を直撃するのである。考えて見ると、猫の一撃に始まって、隠して置きたかった猫舌の紙やすりの呆け話に及び、挙句の果ては、女房殿の痛いお仕置きに発展してしまった。雨に祟られた運動不足の妄想とは、真に以って碌な結果を齎さない物の様である。困った脳内散歩である。

後期高齢者の怪気炎(6/24)
 朝飯の用意の為、台所に居ると玄関が開いた。客人かなと思い、出ようとすると弟が入って来た。用立てた物を返しに、来てくれたのである。老母も起きていたので、その侭、3人でお茶を飲む。ストレス発散の為の愚痴を聞いて貰うのに、彼はチョコチョコ顔を出す様に成った。老母も弟の顔が見れるから、親孝行の一環である。打ち合わせ時間まで一杯有るとの事で、ゲラゲラ笑いながら、お互い兄弟が居て良かったと、愚痴歓談をして帰っていった。そんな事で、昼に近い朝食と為ってしまった。

 快晴の夏日、洗濯物を干す。2時を回って、パソコンから離れると、老母が昼は無しにしようと言う。願ったり適ったりである。取って置いたイチゴを分けて、老母の処に持って行ってやる。シャワーを浴びて、ロートル寄り合い所に赴く。先客が1人居られた。75歳の元バスの運転手だと言う。現在は趣味の詩吟で、先生と呼ばれる御仁との事である。ご主人に、これから歯医者に行くから、相手を頼むと言われてしまった。一方的に喋り放す怪気炎の毒気に当てられてしまい、ウンザリ、この上ないタイプの御仁である。

 ご本人様は、決して自慢話では無いと仰せであるが、相手の私からすれば、120%の自画自賛・自慢話オンパレードである。私もその手の口であるが、全く次元が違う。呆れ返って、しわがれスイカ頭を勝ち割ってくれっかの態である。他人との間合い、会話のキャチボールの妙技を理解出来ない様な、この手の御仁への対処方は、<笑顔の無視>しか無い。下手に異論など唱え様ものなら、聞くに堪えない<粗暴・粗悪屁理屈>を振り回されるばかりである。こんな御仁の前にあっては、ひたすらに<脳ある豚は、臍を隠す>に徹するべきである。努々(ゆめゆめ)、<脳ある鷹は、爪を隠す>であっては為らないのである。こんな輩に限って、自分に向けられる悪意を嗅ぎ分ける嗅覚は、至って利くのであるから。
 
 ご主人が帰って来ると、詩吟の大朗詠会と為ってしまった。いやはや、とんだ相手にショ捕まったと言うべきである。ロートル寄り合い所1年生である。高齢化ニッポン、ロートルの世界は、多種多様の人間模様と言うべきであろう。タバコを意識的に家に置いて来たから、得意の<煙に巻く>ポーズも最後まで取れず終いであった。

 本日分のこの稿を打っていると、全国一の桃産地、山梨の農園から、桃5000個・100万円相当が盗まれたとの事である。軽トラにして、2~3台との事。収穫前の稲が刈り取られて盗まれたり、袋詰された籾米が盗まれる。スイカ・リンゴ・梨の果実も同様に、窃盗の対象と為っている昨今である。昔なら、想像すらも出来なかった大々的な農産物の窃盗団が、暗躍している。農作物の窃盗が子供の手から離れて、大人の窃盗団の手に渡っているのである。流通ルートの多様化・産地直送の道端販売の浸透に、窃盗団は<濡れ手に粟>の儲けを、手にしているのであろう。只単に、畑ドロボーと嘆くには、余りに痛手の大きい窃盗団の仕業である。農作物の裏には、作り手の心が宿っているのである。物以上に、心の窃盗は、人の心を傷付ける物である。

                    巣立ち1号(6/25)
 朝、鳥篭を見ると白い雛が、外に出ている。巣立ち1号と云った処であろうか。記念すべき日であるから、鳥篭を部屋に置いて観察の対象とする積りである。白一色の頭部には、うっすらと灰色が覗いている。嘴の上部は黒、下部は白の幼児色である。嘴の色が、赤くなれば一人前である。大きさは、親鳥より一回り小さい位である。親鳥は、餌を与えない突き放し態度である。諦めざるを得ない雛は、蹲って親の冷たさを見ている。時折、止まり木に止まるのであるが、勝手が悪いのであろう。暫くすると下に下りてしまう。小鳥飼育で、何度も見ている巣立ちの様子である。藁巣から兄弟を失った薄茶の雛は、引っ込み思案のタイプである。一度、巣の縁に顔を覗かせたのであるが、すぐさま巣の中へ後戻りをしてしまう。この雛も一両日中には、巣から出て来るのであろう。

 朝のラジオからは、ロシア情報が流れている。急速な物価上昇で、この2年間で食品の物価は、2倍に跳ね上がっているそうである。庶民の物価対策は、自家菜園でのジャガイモ栽培で凌ぐそうである。多くの庶民は、別荘風の小屋付き畑を持っているそうである。陽気の好くなった郊外の大地で、ビキニ・スタイルで鍬・鋤を振るう光景が、思い出される。土臭さを失わない人間には、何処か普段着の魅力が漂うものである。次いで後1ヶ月半と成ったオリンピック開催国・中国の情報紹介があった。中国も物価高騰で大変らしい。全てはオリンピック後に先送りされているとの報告であった。中国の、中国人の実態を知ってしまってからの、この6~7年は、好意の気持ちが薄らいで、ただ冷視と批判の態度を送っているだけである。宜しくない態度である。

 老母は昨日動き過ぎた様子で、まだ起きて来ない。きっと、昼近くからの動きに成るのであろう。時間があるから、散歩に出掛ける。流れの様子を見る為に、河川敷の内堤防のコンクリート縁を歩いていると、アオダイショウが、長々と日光浴をしている。辺りを見回すと、竹の棒があったから、突付いて川の流れに落とす。巧い蛇行泳ぎで、クネクネと岸に辿り着いた。これ程、頻繁に蛇と遭遇するのであるから、土手のアスファルト道に、蛇の轢死体がチョクチョクあるのも、当然の成り行きなのである。然しながら、一切可愛げの無い不気味さだけの蛇との遭遇は、<御免蒙りたい物>である。散歩の帰り道、買い物をして帰る。重い物に成ってしまったが、これも運動と<無理矢理>自分を納得させて、手を持ち替え、持ち替えての帰宅であった。

 さてさて、残り飯で具沢山のチャーハンを作る。これが、意外や意外、老母に好評なのである。食事後は洗物を片付けて、ヤマブキを大鍋で茹で上げてから、キャラ蕗の大量仕込みに掛かる。好物の食材を見掛けると、ついつい作って食したく為るものである。現在、専属賄い夫であるから、時間は充分ある。手間暇掛ければ、それなりの味に仕上がるのが、煮物・佃煮の類である。先日作ったワカサギの佃煮も、捨てられず食卓に上っているのであるから、先ずは成功の口である。台所に居ると、NHKの集金さんである。長らく貸し出していた海外旅行編<心何処―1>が、帰って来た。本日は忙しいとの事で、立ち話だけで帰って行った。

 小鳥のカルシウム補給食・ボレー粉の消費量が、殊の外多い。無くなる前に、買って置いた方が好かろう。画用紙代わりのお絵描き帳も、有った方が好い。煮付け用の日本酒も、欲しい処である。部屋に居ると手持ち無沙汰で、ついタバコに手が行ってしまう。現在、本数制限をしているのであるが、中々に止まらない我が悪癖の一つである。大分我慢出来る様に為って来たので、このペースを維持して行きたいと考えて居る次第である。我慢出来ない時は、タバコから遠ざかるに限る。タバコを持たずに、自転車でボレー粉を買いに行く。
 
平日なのに、いやに客が多い。ペット・コーナーでボレー粉を探していると、珍しい人と会った。赤提灯の居酒屋を遣っていたマスターである。S大の学生達で結構商売に為っていた店であるが、高血圧・糖尿病を患って、店を畳んでしまった人であった。商売から離れて、大分健康そうに見える。少々、立ち話をして分かれる。文房具コーナーを回って、消えてしまった酒コーナーを探す。
客の多いのが、直ぐ納得出来た。買い置きの食品コーナーが、新設されたのである。食品コーナーをお目当てに、買い物客が繰り出している。外国人も結構見られるから、驚きである。私は新聞購読を止めてしまったから、売り出し情報には、まるで疎い。私の前には、30前後の白人大男が、一生懸命に品選びをしている。食文化の違いである。ビスケット、ジャム、ハム・ソーセージ類が多い。
多分、日本のチラシ広告は、彼等外国人には、一目瞭然の、一級生活物資情報なのであろう。テレビを見ていると、生活情報としての身の回り品の値上げ攻勢を見せ付けられる。斯く云う私も、今まで無かったコーナーが新設されると、衝動買いに走ってしまうものである。隣には大手スーパーがあるのだが、他店より安い商品に敏感と為るのが、大衆心理と云う物である。

 北の大国・ロシアの食料急騰を、ジャガイモ作りで凌ぐ訳にも行かぬ。生活防衛策としては、安い食材を選んで、せっせと手料理で出費の穴を埋めるしかあるまい。料理には、調味料の類が欠かせない。買い置き食品・調味料と為れば、買って置いた方が得策である。予期せぬ買い物に、自転車の前籠はズッシリと重く成ってしまった。これより、自宅までは上り勾配、ローギアで漕ぐが、本日夏日の温度である。

                     奇遇なり(6/26)
 電話をすると、帰っているとの事。偶には、外で飲むのも好かろうと思い、財布に補充する。弟分の所から『はしご横丁』は近い。今月分のファイルに約束の下手絵ファイルを加える。

 食事中の彼が、新聞の切抜きを二つ取って置いてくれたと言うから、その間、それらに目を通す。
「さぁ、久し振りに行って見るかいね。」とズボンを履き替えている。
「老眼鏡を持ってけよ。」
「どうするだい、店で読むだかい。」
「当たり前よ。奢るのは居酒屋だ。ネェチャンの居る店じぁないから、明るさは充分だ。」
先に出て自転車に乗っていると、彼は、夜空を見上げて、両の掌を開いている。
「大丈夫そうだね、降らないでしょう。昼仕事先で、土砂降り・雷の直撃に会って、凄かった。」
と言い、下駄履きで歩き始めている。近いから、飲みに行く時は、何時も歩きだよと言う。自転車と歩きだと、圧倒的に自転車の方が速い。おまけに下り勾配である。ブレーキを掛けながら、速度調整をして歓楽街に向かう。

 はしご横丁の門を潜り、中に入ると本日は半分位の開店率である。一回りして、前回の店に入る。テーブルは、二つとも先客が居る。左側のテーブルには、私と同年輩のサラリーマン風の男が、静かに飲んでいる。その隣の席には、連れの空席があった。右側のテーブルには、男女の客である。選択肢としては、左テーブルに同席するしかあるまい。<いいですか?>と声を掛けると、<どうぞどうぞ。>と気軽に応じてくれて、テーブルに広げた範囲を狭めてくれた。温厚な常識人の典型の様な男客である。前回は、まともにママさんの顔を見る事が出来なかったが、男好きする容姿のおっとりした人である。目元と声の調子が、彼女の優しさ・柔らかさを内面からも、滲ませている感じである。生憎、下手絵ファイルの約束相手の若い彼女の姿は無かった。私は、元来、運が薄い様であるから、大体がこんな処である。私としては、口に出した事を実行した痕跡を残して置けば、それで気が晴れるのである。
 
 珍しいと言われる地元の芋焼酎を、ママさんから入れて貰う。言葉を交わすのは、今回が初めてであるから、差障りの無い話の序に、<斯く斯くしかじかで>と前口上を述べた上で、証拠の下手絵ファイルをママさんに渡し、我が相棒殿には今月分のファイルを渡す。月例の読書会が、場所を移しただけの事であるから、彼は一通り読み終えるまでは、黙々と読み進める。その間、私は読書の邪魔をしない様に、趣味の観察をしていると云った按配である。同年輩・同様な体格の男は、店の常連客らしく、ママさんのファイルを次に回してと、目で合図をしている。丁度、読んでいるファイルの閉じ袋に、下手絵付きの「虫眼鏡老人1・2」のコピーが入っていたから、それを取り出して彼に渡す。

 活字を読む目の配り・スピード・現れる表情で、読み手の頭脳程度の凡そが分かる。外観同様、彼が中々の人物である事が、伝わって来る。好い話が、開きそうな感じである。1ページを速読して、ママさんからファイルを受け取って、パラパラとページを見て行く。そして、彼は焼酎のグラスを一口飲んで、
「初めての人に失礼ですが、絵の方は3~4。文章は8~9です。お見受けする処、あなた、只者じぁ無いですね。」
と恰幅の好い眼鏡の御仁は、ニコニコしてくれるので、私はすかさず握手の手を伸ばした。すると、彼は嬉しそうに大きな手で、握手を受けてくれた。
「仰る通り。的を得ていますよ。過分な評価有り難い限りです。」
「えっ、怒らないんですか? 初めての人に、私は、大変失礼な事を申し上げたんですよ。」
「如何して? 自己評価と同じ評価をしてくれたんですよ。同類の人に出会えたのだから、サンキュウ、ダンケシェーンでしょうが、違いますか?」 
「いや~、体格も顔も立派、貫禄充分。それにも増して、心が開放的で大らか。気に入りました。」

 そんな話をしていると、連れの男が入って来た。薄い青緑の作業服の上下に、磨きの入った黒い靴。白髪が僅かに入った長い髪は少々乱れてはいるが、立派な体格の好い男である。好男子の部類に充分入るのだが、実にアクの強い面構えである。それが<玉に疵>の風貌である。その彼が、何と驚いた事に、我が相棒殿の知り合いであった。そんな事で話が進むにつれ、彼は高校の後輩であった。今度はその高校の延長線で、眼鏡の御仁の後任社長をしていた〇〇を知っているかと聞いてくるから、ああ、良く知ってるよ。と応えると、一気に話が進展してしまった。眼鏡の社長殿は、東京生まれの東京育ちにして、全くの同年。私より1ヶ月の先生まれとの事である。あれよあれよと云う間に、二組の「同期トーク」と相為ってしまった。共通の知り合いを持つ間柄は、忽ちにして他人の垣根を解消してしまう効果がある。「友達の友達は、友達の輪」に発展して、談論風発の焼酎の交換会と為ってしまった。眼鏡社長殿に、〇〇の奴に是非とも教えて遣りたいから名前をと、何度も聞かれるが、逆らって名前を明かさず、ペンネームで押し通す。

 奇遇と云うのは、正しく、こんな出会いを指すのだろう。何時の間にか、隣テーブルの男女客は帰り、店には我々だけに為ってしまった。店のママさんは、彼等とはゴルフ仲間でもあると云う。眼鏡社長殿は、仕事柄活字との付き合いが長いとの事で、文章眼については、些か自負を持っているとの事である。「読み手の技量からすると、大学の1・2年生では先ず無理、マスタークラスと云った処でしょう。3/100クラスの読者だと思います。」などと、盛んに、私の読書量・見識・知識の源を聞いて来る。それに対して、映画オンリーのノー読書・好い加減男だと、正直に応えるのであるが、一向に納得が行かないらしい。18の時から私を観察している相棒は、隣でクスクス笑っている。眼鏡社長殿は、コピーを親友の〇〇に読ませて、書き手が誰であるかを話の種にして、<是非とも3人で、じっくり飲むのが楽しみだ。>と、上機嫌で帰って行った。

 家業を継いでいる後輩社長は、何かと悩みが尽きないと言う。今度、会社の経営の事で、相談に乗って欲しいとの事である。又、此処で会いましょうと言われるから、
「今は老母の賄い夫に徹しているから、極力外に出ない事にしている。根が女好きのスケベに出来ているから、楽しい世界に戻ってしまったら、現在の耐久生活を維持出来ない。それで、世捨て人を修行しているんだ。誰だって、老母との皺い話より、娑婆の空気の方が、新鮮で楽しいものだよ。後輩だったら、寝た子を起こす様な事は、後生だから勘弁してくれよ。」と応える。こんな時は、話題の転換策に限る。お世辞抜きに、好男子の集いである。ママの目を見て、

「ママさん、此処に、これだけ男が居る。どれが好いかね?」
「皆さん、それぞれ好い男で、味も濃い人達だから。皆さん持てますよ。私も絵を描いてましたから、今度、じっくり読ませてもらって、本を出版する時に、私が絵を描かして貰いますよ。」
「ほぉ、じぁ俺も満更じゃ無いって訳だ。それって、営業トークでしょう。」
「いいえ、その頭、何とも言えず、セクシーですよ。オーラが、立ってますよ。」
「ママさん、これはオーラじゃ無くて、頭脂のテカリで反射してるだけだよ。」
「やや違うよ。今日、見た時、顔が活き活きしてたよ。何か色気を掴んだかなって、思ったもの。」
「巧い事、言うじぁないか? 俺ぁ馬鹿だから、まともに口説いたちゃうよ。俺の自慢は、こっちの方だよ。何しろロシア発行の国際級認可証を持ってるもの。」
「私、もう歳だから、体力無いですよ。体力に自信があれば・・・」
「やいやい、行けねぇや、ママさん、相手してると、本当に出しちゃうよ。素面でも、恥ずかしいなんて、羞恥心の無い人だから。知性以上の痴性・精力の持ち主だよ。無視しなくちゃ駄目。」
「紛れも無く、母校の大先輩です。<質実剛健・弱音を吐くな・大道を闊歩せよ>ですなぁ。俺ぁ、ビックラこいたわ。やっぱり、お前が、先生と仰ぐ人だわ。規制の概念から、食み出しちゃう人だ。俺も、尊敬しちゃう。弟子入りするかなぁ~ ママさん、今日の分は、俺が持つ。おあいそして。」
カウンターに置かれた伝表を、打ち込むママさんに、
「やあやあ、ママさん、こっちの方は俺が出すから。」
「いいじぁ、無いですか先輩、一緒で。」
「駄目駄目、俺、現在節煙中の身だよ。こんな好い気持ちに為ったら、又来たく為ってしまう。世捨て人、ロートル賄い夫の修行が、一瞬の内にパァになっちゃう。俺は真面目に、分相応の生活を維持しなくちゃ。ママさん、忘れた頃に来ますから。」
そこへカウンターの奥から、
「読みました。僕の事、こんな風に良く書いてくれて、有難う御座います。」
アルバイト学生君が、頭を下げて恐縮している。中年・ロートル世代が、遠に失った若さで、
「でも、僕、もう友達が居ますよ。」
「お兄さん、顔見知りと友達とは、違うぞ。やっぱり眼鏡社長殿の言う通りで、俺の文章は、まだ早いな。」
「△△クン、そうだってさ。まぁ、めげずに頑張れや。じぁ帰りますか。」
「えっ、そう云う物ですか・・・」△△クン、周囲を見るが、多勢に無勢であった。
 
 アジャジャ、時計を見ると一時半を回っている。久し振りに時間の経つのも忘れて、楽しい馬鹿話<全開>をしてしまったものである。自転車を押して、一緒に帰ろうとすると、通りの角の所で我が相棒殿は、馴染みの女の顔を見て帰るとの事である。『じぁな』と手を振って、自転車に乗る。初対面の人達と、こんな楽しく長い時間を過ごせたのは、本当に稀有な事であった。殺伐と変わりつつある御時世・世相に、一矢報いる事が出来た様で、帰りの上り勾配も鼻歌交じりで、難なく深夜のご帰宅であった。これも、有り難い<お天道様のお導き>であろうか。

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