旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心何処ーショート 気晴らし色々

 朝、太陽があると、ホッとする。グッピィの水槽前面の覆いを、半分開けて遣る。魚達の腹具合を見て、餌を与える。グッピィ槽は、増えるばかりである。北海道並みの寒国・信濃の国の冬は、長く厳しい。環境に恵まれて、種の栄華に精を出す彼等に、避妊教育を施す術も無い。過密水槽の先が、思い遣られる。・・・困った物である。

 一枚残らず葉を落とした雑木の枝に、ジョウビタキが止まり、尾でタクトを振ると、すぐさま飛んで行く。庭の方からは、四十雀の声が聞こえて来る。小草は、買って来た時の可憐花は、悉(ことご)く寒さで、萎み落ちてしまった。そんな小草から、新しい花茎が顔を覗かせ、先端に小赤の蕾を付けている。環境を受け入れて咲く生命の強さに、期待したい処である。

 チチッ、チチッ、ジュジュ、顔を上げると、四十雀がフェンスに止まる。おやおや、又、一羽。今年生まれた若鳥だろうか、二羽とも若い固体である。暫く見ていると、ジョウギタキのメスも顔を覗かせた。30~40cmの距離で、お互い視線を交わしている。種類が違っても、オスとメスである。目には、硬軟の違いが見て取れる。四十雀は留鳥であり、ジョウビタキは冬の渡り鳥である。擬人化すれば、四十雀は私であり、ジョウビタキはロシアン・ウーマンと云った処であろう。昨日は、観音様のBの写真立てのガラスの汚れを拭いて、1日机に置いていたのである。慈愛に満ちた観音様のBの事であるから、ジョウビタキのメスの姿を借りて、挨拶に来てくれたのかも知れぬ。

 気分転換に朝からホット・プラザで、1日を温泉に浸かって・・・ などと考えていたのだが、 好いものを見せて頂いて、お天道様の思し召しに、感謝するのみである。

 さてさて、思い立ったが吉日である。温泉に浸かりに行くとしますか、我輩も磨けば、マダマ ダ、フェロモンが漂おうと云う物である。書き留める対象物求めて、外気を吸うとしよう。

 平日は、ご老人衆のオンパレードである。露天風呂でゆっくり浸かっていると、会釈が会話に発展してしまう。75以上の老人の市民には、無料優待券制度があると云う。御2人は、トンネルを越えて来たと言う。マメに通えば、月3回入れるらしい。本日は、奥さんを亡くして出不精に成った知り合いの尻を叩いての、入湯との事である。温泉気分に包まれて、休憩場の2階大広間に行くが、この御時世、何処も彼処も公共の場では、タバコ吸いは、締め出しを喰らってしまう。中から吹き零れる汗を冷やしに、タバコを持って外に出る。

 そう云えば、直ぐ近くに、小中時代の同級生の姉と妹が、遣っている美容院がある。姉は1級上、妹達は3級下である。顔を出しに行く。お茶を飲みながら、1時間ほど話をして来る。韓流ブームの御時世に乗って、四姉妹、年に何回か3泊4日の韓国旅行をこなしているとの事である。3人とも若い頃は、騒がれた4美人姉妹である。昔から、嫌味の無い婦人達である。

 戻って、コンビニで買った焼きそば・ソーセージ・ワンカップ大関で、昼食とする。持参したラジオを座卓に置いて、数行書くが、ご老人衆の交差する大きな声が、耳に付く。甘口清酒が、酔いを運ぶ。知らぬ者同士が、1日を掛けて温泉での気晴らしである。部外者とて、顔を顰めるのは、無粋と云うものである。

 私も先ほどから、『ほんのり、ほかほか、』温泉気分である。畳に並べた座布団を寝床に、  仰向けに身を伸ばせば、何時の間にかの『高鼾』である。

 お隣座卓の婆2人の声に起こされれば、婆達はノンストップのお話中の模様である。途中、二度目の風呂から上がった爺2人、婆にとっ捕まり『松茸談義』の再演である。爺・婆の話題の対象物・松茸が、時々、標準語と『隠語』で、あらぬ方向を指す。至近距離の会話であるから、笑いを抑える訳にも行かず、噴出せば、お若いの<お主、好き者と見た。>と言わんばかりの爺の愛想目である。     
      <類は友を呼ぶ>の仕業であろうか・・・困ったものである。

 日の傾いた大広間に、白く輝いていた雲も、灰色を増して行く。夕暮れ時を見計らって、気晴らし終えた爺・婆達は、其々の帰宅所要時間を加えて、三々五々姿を消して行く。かき消されていた持参ラジオが、四畳半と同じボリュームで、日常を進めている。

 ペチャクチャ、話し立てるのも、気晴らし。付かず退かずで、飛び交う人声を聞き流し、時折  の面白き話に、ニヤニヤ且つ、一緒に笑い合うのも、公共の場の雰囲気と云うものである。

 さてさて、我輩も努め持つ炊事番の身、帳下りぬ内に、買い物済ませて、帰るべしである。
                        11/30 嗚呼、明日からは12月がスタートする。
スポンサーサイト

心何処ーショート 疲れ身に 祟り目
 さてさて、何を打ちますか? 昨晩は、友人の所にノコノコ出掛けて、難しい話をしてしまった。脳味噌が無いから、草臥れてしまった。朝食を食べた後、さすがに寝足らず蒲団に戻り、昼迄、ラジオを聞く。勿論、<一過性音>であるから、内容を覚えている訳が無い。昼飯を食べて、一編に着手したまでは、好かったのであるが、一向に文章が進まない。『止めた!!』 こんな時の決断だけは、速いから始末が悪い。マンガ本を手に取るが、コレマタ、気が乗らない。面倒臭いからと言って、蒲団の中に引き返せば、夜が眠られなくなる。そうなれば、老母を残して、悪循環に染まりかねない。ビスケットを齧りながら、コーヒーを飲む。

 遣る事が見付からぬ時は、お絵描きタイムで、時間を遣り過ごすしか方法が無い。先日打った『女語録』に、挿絵を入れるべしと思い立った次第である。『女の唇モデル』を求めて、部屋を見渡す。赤いセーターの首から、ケイタイ電話を垂らした金髪観音様が、にこやかに、お笑いに成っている。             
    <ウワ~、チクショウ、奮い付きたくなる程、好い女だ!!>
 グリーンの瞳の柔らかさに、思わず合掌の態でありまする。さてさて、如何、お絵描きを致しましょうか? 小生、基よりマトモな絵が、描ける筈も無い。それを承知のマイ・タイムである。『写実的旨い絵だけが、絵では無い。顰め面を投げ捨てて、陽気、気軽に参りましょう』である。授業中の悪戯描きの気分である。尤も、教師の目が無いから、緊張感ゼロである。鉛筆で大雑把な下絵を描いて、駄目線を消しゴムで、消したり直したりの連続である。如何やら形に成ったから、色鉛筆、絵の具で色付けに進む。

  <如何すりゃ~、好~いのよ。思案~橋~、
   どの色、この色、考えて~、益々、決まらぬ~、この世界。如何しよう。
       ああ~ァァ、私、ブスじぁないわと、唇~、怒ってる。
            あなた、下手ね~と、あざ笑ってる~
       ウルセ~エ、バカヤロ、ナニョ、コクダ~、オレ、オレ
    オ~レは、ピカソだ。ゴ~ギャンだ。文句が言いたきぁ、電話ヨコセ!!>

 出来た、出来た。それにしても、相も変わらずに、拙い出来である。評価点としては、幼稚園乃至小学低学年児画である。絵の具引き伸ばし画であるから、水を含んだ用紙は、フニャフニャ、ヨレヨレ状態である。この儘では、スキャナーに馴染まない。人為乾燥の為、ヒーターで乾かす。
 何とも形容のしようも無い馬鹿絵であるが、稚拙・退屈な私のブログを訪れてくれる人達の中には、羨ましい限りの絵上手の面々がいらしゃる。ジェラシーに駆られて、諸氏面々を藁人形に模して、老木に括って五寸釘を打ち込んだとて、如何にも為らぬ現実である。人眠り木眠る・月眠り寒風吹き渡る、丑三つ時の呪詛に出掛けられる程、夜陰は、優しくは無い。凍える手で、五寸釘など打とうものなら、手元を誤って、我が手に五寸釘が関の山である・・・・・トホホ

心何処ーショート 掛け替えの無いもの
             掛け替えの無いもの
電話を掛ける。
「どうした? 」
「おぅ、居たか。情け無い話だけど、愚痴に付き合えよ。」
「お母さんの話、アハハ、そんな事、分かってて始めた事でしょ。私も、大変だったんだから。親子なんだから、いいじゃないの。今になって始まった事じゃないでしょ。オホホ。」
「ウゥ~、痛い事言うじゃないか。そりぁ、そうだ。アハハハハ、実はさ、こうこう、しかじかで、気分がムシャクシャして、しようがないから、映画見て来た。話題の『続・夕日の三丁目』」
「好かったでしょ。ユウがDVD借りて来てくれて、一作目を見たわよ。スクーターとかミゼット、東京タワーなんか、懐かしい物が、一杯あったでしょ。あなたには、ちょっと軽めだけど、目の掃除になったでしょ。」
「ああ、その通り。時間があったら、映画館で見ると好いよ。平日の映画館だったから、ロートル夫婦が結構居たぞ。静かで好かった。1000円だったよ。俺は、もっと高いと思っていたんだけど、たまには、映画館に行くのも好いものだ。」
「気持ちに余裕が無いから、テレビで済ませちゃう。ずーと、行ってないもの。この前、階段から後ろ向きで、下まで転げ落ちちゃって、危なかったのよ。」
「そうか、歳を取ると、痛いのは、骨身に堪えるからな。やっぱり俺が居た方が、好いだろう。」
「まぁまぁ、そんな事は無いけど、痛かったわよ。動けなかった。」
「ついこの前、風邪引いて、腹が差し込まれる様に痛くて、夜中、唸っていた。尿管結石やったろう。あの時の前触れみたいで、SOS出そうか、青く成ってたんだ。お互い元気な時は、冷淡で居られるけど、具合が悪いと、相手が恋しく成るもんだ。アハハハ、困ったもんだわサ。」

 こんな調子で、子供達の近況も加えて、女房と25分も話してしまった。普段は、月に一度の1分にも満たない電話である。愚痴溢しの電話が、ゲラゲラ、ケタケタのお喋りタイムと為ってしまう。電話を置けば、何の事は無い、お互い軽口の裏で、エールを交換し合っているのである。一緒に居ようが居まいが、伴侶は伴侶である。私には、有り難い伴侶である。
 
 人間、親子・兄弟・夫婦・友人と云っても、それぞれの柵の中で生きているものである。一皮剥けば、お互い醜い己が顔を覗かせる。言葉の角、諍いに気分、心が振れてしまう。敢えて踏み込まず、相手の自浄治癒能力を待つ。手の焼ける気分、言葉に係わる自己操縦方である。気遣い・言葉遣いの通じる相手方は、天からの授かりもの。

 日は改まり、老母様は、行く決心をしたらしい。10時半を目安に、私は定位置の四畳半である。起床時の曇り空は、太陽が顔を出して、部屋に日が入る。窓辺の水槽に、光が差して、金魚達の赤・朱色が、明るく映える。寒さに抗し切れずに、咲き切れぬ小紫の花房達であるが、茎・葉の柔緑は、掛け替えの無い柔らか味である。                 


心何処ーショート ヘヘヘ、困ったもんだわい


 好かれと、思ってした事が、とんだお笑い種である。予想に反して、素直過ぎるから、ああ、有り難い事と、安心していたのであるが、とんだ奇襲に遭ってしまった。気を荒立てて、説得・怒る訳にも行かず・・・ さりとて、部屋でポーカー・フェイスで、パソコンに向かえる程、私は、人間が完成されていないのである。<お人好し>を、加齢で演じているだけである。演技には、自ずと限界がある。こんなに気分を害してまで、家に居るのは、墓穴を掘るだけである。

自転車に乗る。得てして、こんな時に限って、お天気が悪いものと決まっている。私の心象風景を写した様に、寒風鉛色の冬風景である。おお、寒い!! 何処に顔を出そうかなどと、考えては見るが・・・ 私の仏頂面を見せ付けられても、私の愚痴を聞かされても、相手は困るだけである。

話題の映画『三丁目の夕日』を観る事にした。少なく見積もっても、この方15~6年映画館には、入っていない。上映の途中からの観賞である。平日の午後である。疎らな観客は、リタイヤ夫婦の姿が多い。ダンサー役を演じる小雪さんは、テレビで見るより、ずーと、韓国美形のS嬢に似ていた。この映画の鑑賞目的は、気晴らしに、彼女を見に来たのであるから、それで充分なのである。

『ソフトで、懐かしい、温かな気分に浸れる。』と云うのが、大方の感想らしい。その通りである。個人的な感想を述べると、女性には失礼だが、男の目線から捉えた人物描写は、心の内が通じて、実に慰められる。『情と理』の関係と云うものは、比較対照されて浮き立ち、対決する事で情を断ち切ろうとする<男の理に対する切なさ>が、際立つ。この映画の最大の引き立て役、社長の役柄・俳優の演技は、実に味があった。三浦友和の寡黙・静の演技には、味が漂って来た。彼の名前には <特別出演>とあった。

冬の翳りは、速い。めげる気分に、ネオンが手招きする。然し、始めた生活である。
上り勾配、エッコラサ、エッコラサ ペダルを扱ぐしか、あるまいに・・・

ヘヘヘ、困ったもんだ。



心何処ーショート <嗚呼、女語録>
 「あなたは、好い女いないかなと、お店の中を見ている。私が、いるでしょ。あなたは、子羊 を狙う狼。男と女、好きに成れば、何時かは、黙っていても、その時が来るのに・・・ あなた の口は、ヤラセロばかり。女はムードが大事なの。」
 「狼のあなたは、子羊を食べる。私の仕事は、男を騙すこと。騙される男が、アホなのよ。」
 「私が好きでしょ。男は、好きな女のことを聞くものよ。好きな男に、甘えるのが当然でし   ょ。」
 「今度、私をぶったら、永遠に絶交よ、1度だけなら、許してあげる。」
 「私にだけは、そんなこと、言わないで下さい。悲しくなる。」
 「無理と冷たくしたの、試してみたかったの。私がバカだった。」
 「どうして、そんな事を聞くの・・・ でも、好いわ、教えてあげる。」
 「髪を切ったの、顔を見に来て。」
 「努力しても、人間は変われない。」
 「もう、こんな仕事イヤ、私を連れて、逃げて。」
 「私の宝物は、あなたと知り合えたこと。結局、思い通りに成らなかったけど、忘れない    わ。」

 ★嗚呼、彼女は韓国美形、163cm。謎めいた黒く大きな瞳、嘘か真かの一過性に、純な  男心は、喜怒哀楽の大振幅。好いも悪いも、男と女の腐れ縁続いた3~4年。夢の中で、  悪びれずに微笑んでいる。天は二物を与えず、酒に溺れる、懲りない女。

 「あなた、好いよ。心広い、優しい。私、あなたに選んで欲しかった。あなた、目高い。私も目 高い。ウフフ、」
 「私とあなたの事、皆、知ってる。何、恥ずかしいよ。何処、恥ずかしいよ。」
 「なぜ、あなた、私のこと、冷たい言う。私、何時もあなたに、優しいでしょ。でも、分かった。 頭と反対のこと、口で言う。あなた、口だけ。心は別。日本人、可笑しいよ。」
 「私、あなたの為に、餃子一生懸命、作った。何故、他の人に食べさせる。関係無いでしょ  う。」
 「電話いらない。高いでしょ。お金は大事。手紙、ガンバって私書くよ。電話、その時、嬉しい よ。でも、残らないよ。手紙、何時もベットの下、あるよ。ウフフ、」
 「私、好いよ。あなたも好いよ。でも、私の娘、ダンナサンどうする。あなたの奥さん、子供ど うする。可愛そう。ここに居る時、全部大丈夫。あなた、ダンナサン。私、奥さん。」
 「あなた、1時間散歩、今、何時よ。2時間半よ。私、ずーと待っていた。あなた、ショートして 来た? アン、浮気、私、怒ると恐い女よ。さぁ、帰るよ。」
 「アノ女、色目使ってる。アノ女、悪い女よ。」
 「あなた、何淋しい。私がいるでしょう。私は、何時もあなたにオープンでしょ。」
 「あなたに、私をプレゼントします。他の男と、話しないよ。」
 「あなたとは5年、国を離れて5年、一生の夫婦の中で、5年何か、ショートよ。何時かは戻 るよ。人生は、ロングロングタイム。」
 「あなた・・・ばかり、・・・は、1日1回。夜だけで充分よ。私たち、・・・だけじゃないでしょ   う。・・・だけで、恥ずかしくないの!!」
 
 ★嗚呼、彼女は中国美形、165cm。口数少なく優しい女、居れば、以心伝心の別世界。  運命の悪戯か、果たせぬビザの壁なりしか・・・ 夢で彼女は、女房と同列。

 「オハヨウサン、フ~ン、そうかそうか、やっぱり、好きなのは、Aか。」
 「しょうがないでしょ。これ、ロシアンスタイル。あなたロシアの女、好きになった。」
 「分かりません。わたしロシア人、説明してください。お願いします。」
 「あなた、Aに言った。私、ナマイキ女、ウルサイ女、ツメタイ女、本当は、Aが好き。私、A  に、全部言わせた。」
 「モシモシ、私A、あなたN好きでしょ。パロパロ駄目でしょう。アハハ。」(本人)
 「な~によ。それ、駄目でしょう。私とあなた、グットカップル、私、男いらない。あなた、女い らないでしょ。私たち、一緒ハッピィでしょ。欲張りいらない。」
 「あなた、私に言った。好い女の三拍子、顔キレイ、頭イイ、心ショウジキ。私、顔No1、日  本語イチバン早くおぼえた。イエス、ノーはっきり言う。これ、正直でしょ。あなたのイチバ   ン、スケベでしょ。私、あなたのこと、全部知ってる。生意気女、本当は好きでしょう。アハ  ハ。」

 ★嗚呼、彼女は、ウクライナのライオン娘、160cm。漆黒のショート・カットにキラキラ光る  黒い瞳、染み一つ無い新雪の肌、黙って大人しく、微笑み浮かべれば、貴族令嬢。怒れ   ば、直情型ライオン娘。順を追って話せば、合理主義者の利発娘。一番のベッピンさん。小 悪魔気取って、生意気振る。光失せぬは、見事なり。

 「あなたは元気ですか? プライベート・デートは、シークレット。マネージャー、プロモータ  ー、とてもウルサイ。」
 「あなた、キス・タイムいつしますか。」
 「オウ、アナタ、クレィジー、私は、見た~、ビッグ・ブラウン~。私は、スモ~ル。」
 「バカヤロウは、悪い言葉。あなたの教えてくれたバカヤロウは、2人だけのI want you, I need you,I love you.あなたは、一番スケベ。アクター、コメディアン。大変面白  い。そして真面目。私は、何時もあなたのこと、考えている。でも、あなたは、パロパロ浮気 者。」
 「もっと、こっちにいらしゃい。キスして下さい。ロシアの恋人、何時もハッピィです。」
 「私は、あなたの事、忘れない。何時も一緒にいたいと思っています。この仕事(ホステス) は、悪い仕事です。」
 「私たちのケンカ、ハズバンドとワイフのケンカみたいです。なぜか、分かりますか? 好き  だから、真剣に怒る。私は泣きました。凄くあなたのこと、凄く恨んでいる。私の心、辞書、  ひきました。パンチ、キック、噛み付く、します。」

 ★嗚呼、彼女は、モスクワのふくよかにして優しき金髪美形、166cm。心純にして、大陸  的包容力と穏やかな語り、落ち着いた、女の気遣い仄かに香る。彼女は、お天道様がお遣 わし為った西洋の観音様。

 「あなたは、何したいですか? OK、分かりました。」
 「あなた、何々しましょう。」
 「何故、あなたは、何々しました。それは、駄目です。危険です。」
 「ア~、日本語、難しいです。私の日本語は、まだまだ半人前です。オゥ、マイ、ゴット・・」
 「何を考えていますか? 面白いですか?」
 「あなた、私を手伝ってください。一緒にやりましょう。私は、怠け者です。クッキング、嫌い  です。」
 「あなた、娘見ていて下さい。私、掃除します。私の娘、あなたのこと好きです。」
 「私は、眠い。あなたのスリープとても、短い。私のスリープは、とても長いです。私が起きる と、あなた居ません。私は心配します。あなた、何処? 探します。あなたは、1人で散歩、 読書しています。あなたは、クールです。」

 ★嗚呼、彼女は、ウラジオストク颯爽とした八頭身素顔美形、167cm。テキパキ短い言葉 で、事をこなす街の顔役。全て自分で算段する行動的女性。聞き上手、纏め上手の彼女   に、女も男も集まる。彼女を慕って、ボスと呼ぶ。

 嗚呼、良き時代に生を受けて、出会いの有り難さに、ただ、お天道様に感謝するのみ。男と女、溺れたら最後、流されるだけ。ひと時の狂おしさ越して、距離を保たれれば、最良の人間付き合いが叶う。
時を経れば過去の角取れて、厄介な男と女の異性の仲も、心に住まう良友となる。
 
 大学時代、恋をした。別れの時、彼女は終電車の中、『ユー・アー・マイ・サンシャイン』を、泣きそうな顔で歌ってくれた。頬を伝う涙の顔が、例え様もなく美しかった。そして、彼女は言った。『時が解決してくれる。』私は言った。『時の忘却と、解決とは違う。』彼女は、優しく言った。『忘れることも、解決の一つよ。でも、私は忘れない。』青春の苦い体験であった。
 
 あれから、何十年が経つのだろうか。文学を好んだ彼女の言葉が、何故か、馴染んで来る。時を、時として捉えるスパンに、男と女の長短の差を知ったのは、大分後の事であったが・・・
時の残り火、燻りをじっと心の中で見守り続ける女。消した火なら、水を掛けて消そうとする男。火の記憶が鮮やかなれば、記憶に残る。心は一つの宇宙である。彗星は光を曳いて、時折の胸に去来する。
 
 嗚呼、出会いの有り難さよ。心を飾った火花の数々は、時を経ても、時折に浮かび上がる微けき彗星の如・・・ 何時の世にあっても、現在は、生きるだけの刹那。人生は、歩いて来た分だけの過去の蓄積。過去と現在、現在は儚き一瞬、過去は自分の蓄積。未来は方向性、方向性は、欲張らなければ、過去の慣性。人は、過去・現在・未来の何処に、力点を置くかだけである。過去を穢したくなければ、現在を、未来を、自分の過去に輝きを維持する為に、精一杯努力すれば好い。

 過去・現在・未来。現在は、あっと云う間に過去となる。未来は気が付けば、現在と成っている。時を旅するのが、人の人生為らば、旅行鞄の中に、あなたは何を入れ、何を溜め込むのだろうか・・・・

    風邪引きの身体に、昼夜が逆転する。眠られず、寒部屋の蒲団から抜けた肩に、
       半纏着込んでペン走らせば、浮かんでは消える彼の女語録の数々、
                白味行く未明にペンを置くなり。
            吾、無骨・愚直の肉体派、凡そ、文学に当わず。


心何処ーショート 風邪と缶詰
 いやいや、参りました。風邪を呼び込んでしまい、昨夜は悪寒と腹痛で、ガタガタ震え、顔を顰めて唸っておりました。眠れたのは、午前4過ぎでありましょう。薬屋が開くのが10時、風邪薬を2種類買い込んで、早速服用して、寝床に伏す。薬効が現われて、気が付けば午後1時、昼を茶漬けで済ませて、薬を飲んで、再び安静時間である。老母が、何度か杖を付いて、枕元に顔を出す。普段は極力薬を避けているから、薬の効き目は、速い。咽喉が、いやに渇く。食欲は無いが、老母と自分の体にお付き合いする。大分、楽に成って来た。

 部屋に帰ろうとすると、『木曜時代劇・風やまず』『おいしいごはん』の日であるから、此処で見て行けとのお達しである。灯油ストーブの温もりを背に、何時もの時間を過ごす。

 小振りの蜜柑を、口に入れる。乾いた口に、蜜柑の果汁が一杯に広がる。懐かしい感触が口一杯に広がる。
「ばあさん、美味い。懐かしい味だよ。昔は、具合が悪い時は、缶詰の蜜柑・桃、林檎オロシだったものな~。」
「昔は、病気の時でなくては、美味しい物が口に入らなかったからね。うん、この蜜柑、美味いね。」

 コタツに当たって、蜜柑を剥く親子である。可笑しなもので健康だと、ありきたりの蜜柑の味が、現在は格別の味なのである。蜜柑・桃・林檎・パイナップルにしろ、甘味の中にある酸味が、病人の口には合うのだろう。冷蔵庫・通年栽培・物流・輸入と便利な時代となって、すっかり缶詰果物の有り難味が、薄くなってしまった御時世である。有り難味を知ったり、思い出す為には、たまには、病人になる必要があるのかも知れない。

 人間の体は、正直なものである。具合の悪さは、身の置き所の無い苦しさを伴うものである。私も過去に、肝炎・尿管結石を患った事がある。健康人と患者との間には、大きな乖離が横たわっている。病む肉体と観念を比較すれば、病む肉体の方が、その苦痛度は文句無く大きい。衆院・参院の捩れ国会で、重要法案が棚上げされている。健康人が握る組織運営が、この世の常である事には違いは無いが、国の加害行為・見過ごし行為に対する責任は、後回しには出来ない責任である。与党、野党の区別などあろう筈が無い。法案を待ち望む被害者・弱者の気持ちを思う時、申し訳ないと思うばかりである。

心何処ーショート ジェット274

       殆ど見る事無く、寝てしまったDVD『ジェット274』を見る。
<爆弾テロ発生 今世紀を暗示する衝撃のスカイ・パニック・サスペンス!!>のパッケージに釣られて、500円で買った2001年作品である。表紙を飾るジェット旅客機の炎上を、想定して見始めた。旅客機は、機長が持ち込んだ爆弾で、爆発炎上墜落したとの疑いを持たれる。航空安全局、FBI が捜査を進める。捜査を追ってマスコミが集まる。夫を愛し、信じる故に、妻が真相を求めて夫の足跡を辿る。心理サスペンスである。

 心理サスペンスを暗示・演出して、映像は暗く、重い。むしろ白黒に近いモノトーンである。舞台は、イギリスの海に面した、太陽の薄い寒村に建つ家族の家である。中年の『良妻賢母』役を演じ切るクリスティーン・ラーチは、化粧の薄い素顔の実在感で、ストーリーをグイグイ引っ張って行く。主要人物を絞り切った展開は、主人公の心理描写を丹念に追って行く。夫への愛・信頼、思春期の一人娘への母親としての愛、娘の反発、夫の二重生活を知った衝撃、夫への思いを独占しようとする女同士の鍔迫り合い(つばぜりあい)、葛藤、そして、明かされる真相、・・・etc ストーリーの展開は女達から、不必要な衣装・化粧の不純物を削ぎ取って、見応え充分のリアル感である。

   こんな秀作を前に、正体も無く、寝入ってしまった不甲斐無さは、不徳の極みで有る。
 堂々たる主演女優クリスティーン・ラーチは、何処と無くウラジオストクのシングル・ママの親友オルガに似ている。人は知り合いに似ている人には、親近感・好感を持つものである。原作者はアニータ・シュリーヴと云うから、女流作家であろう。
 私は男であるから、女性の感性とは明らかに異なる。女性の感性・常識で描かれる作品は、男の作るそれとは、色合いが違う。性が異なるのであるから、感じ方・考え方が違っても、傍観者的には当然である。映像に蔓延する女性の価値観・感じ方・表現の仕方には、思わず溜息の連続である。主要人物のロバート(事故調査官)は、主人公にとっては、飽く迄、従の設定・役柄である。

★彼の抑えた演技は、ストーリー全体の支え役として、光っている。彼に関する映画の構成上の扱いに、女流作家の男への目線が低いのが、同性として些か鼻に付くのであるが。然し、そんな事は些事である。女史の目線に立って、同性をみる目を養う事も、必要である。
 
 男からは、時として、感情の動物に映る女性心理・行動である。男の目からは、到底ストレートに描写する事が憚れるシーンであっても、実に直情的にして、ストレートに描き切ってしまう。
 観客として見る分には、好いのであるが、男女の感情の修羅場を多少なりとも経験した男には、顔を顰めて、腰を引いてしまう描写が幾つかある。女流作家の凄さであろうか? 演じる女優の凄さと云うべきだろうか? 多分原作者・主演女優の同性としての<以心伝心>とすべき女の凄さに違いなかろう。西洋の男女同権・平等・Sex観・レディファーストの男女の生活感と云ったものが、等身大でストレートに現われていて、興味深いと同時に重い内容である。これは、表のストーリー展開とは別の、興味深い側面である。
  ★この歳に成ると、変な処に興味の重点を置いてしまう。困った60男である。

 ひょんな切っ掛けで、ロシア人に知己を得た。街中でお目に掛かる白人美形達は、日本人男には、一見ツンとお高く留まっている風に見えてしまう。普段、彫りの深さとスタイルの良さが仇となって、バリアの掛かった冷静さにしか見えない彼女達が、感情に揺れる。疑問に向けて一直線に行動する。帰属する柵は、家族と家庭だけである。ジェット274は、女の正直な行動原理を解説してくれた映画レクチャーでもあった。この原作を日本人が撮ったら、情念に捉われて陰湿に流されるか、形だけの直訳映像に成ってしまうだろう。情念の葛藤を、精神の理と行動の理で、解決して行く西洋女性の気丈な行動原理のエネルギーは、さすがに、肉食主体のサバサバしたバイタリティーと、アイデンティティの個の強さであろう。菜食圏に暮らす没個の気弱な私には、ただ唸る事しか出来ない世界である。

 今夏、誘われてシングルママとオルガの両家族と共に、海辺のバンガローでロシア人の夏のバカンスを過ごした。短い夏を大家族でバカンスするロシア人の中に混じった経験は、人間ウォッチャーの私にとって、好い参考と成っている。
 見終えて、映画の出来栄えとは別に、主演のラーチとミセス・オルガは、実に良く似ているものである。二人とも落ち着いた、強い目の輝きを持った女性である。サバサバした男ぽい性格、容姿であるから、色気には薄い女性である。その分、異性を感じさせず、友達として話していて面白い女性であった。そんな思い出を運んでくれたDVDであった。

 つくづくと、映画は体調充分で、しっかりと対面しなければ為らない。映画は、観て見なければ、その良否が分からないものである。

         個をしっかり持った女性は、そのままでも魅力的で美しい。

 老母は体調が悪いらしく、床に伏せっている。朝食を割愛して、朝の文作に当てている次第である。ラジオからは、情念を唄う日本の演歌歌手小林幸子の唄声が、聞こえている。午前の部の文作も、此処まで来た。丁度、頃合の映画鑑賞文の仕上がりである。

     さてさて、腹の虫も鳴いている。お産土の支度に取り掛かると致しましょう。
                     煙篭る四畳半を出る。


心何処ーショート コングラチュレーション

 昨夜の寒さに、暖房を入れたのが利いた様子で、風邪を呼び込んでしまったらしい。何しろ体の造りが、原始的に出来ている。つまり、寒暖変化の対処能力が、低いのである。文作を打ち上げて、布団の中で明日は、こんな物を打って見ようと、思い付いた物があった。起きて、盛んに思い出そうとしているのだが、一向に、その片鱗さえも見せてくれない。歯痒いばかりである。枕元に、メモ帳を置く必要が出て来た。嗚呼、脳細胞の衰えは、淋しい限りである。

 突然であるが、『ちりとてちん』の8:29草若師匠の最後の台詞は、完全に裏をかかれた。
           渡瀬恒彦師匠は、好い味を出しておられる。
 だから、お母ちゃん、娘、師匠の織り成す『ちりとてちん』は、病み付きに成るのである。
 
 窓の前方には、雲の無い薄色の空がある。お向かいの柿簾が、大分黒ずんで来た。洗濯物が、風にタコの様に舞っている。土手の大木、欅の梢を鳴らす風の音が、ヒュウヒュウ、騒いでいる。締め切った部屋で、風を見て、音を、聞いている。これで、氷雨・雪が加わったら、完全に冬篭りの心境である。気分が乗らないから、ウィスキーを注いで、ラジオに耳を傾ける。
                 電話が鳴っている。
 ジャンバーを確り着込んで、自転車に乗る。強い向かい風に、ペダルが重い。用事の帰りに、久し振りにDVDを探して帰る。2本買う。1本目を見ている間に、寝てしまった。2本目を寝らずに、見終える。

 本日は火曜日、NHKの歌謡番組を、老母と見る。吉幾三の<歌は世界を繋ぐ>に拍手を送る。素晴らしいの一語に尽きる。『新境地開拓・開眼』コングラチュレーション、MR吉幾三であります。
<東京ラプソデー、東京音頭、皆の衆、上を向いて歩こう>単純明快・溌剌ソングは、何年・何十年サイクルで、世に出て、一世を風靡する。単純明快・溌剌ソングは、不純物が合っては、世代・年齢を超えて、人の心を掴む事が出来ない。歌詞の取捨選択に、きっと苦労した事であろう。彼の歌は、作詞・作曲・歌手の一人三役である。シンガーソングライターの多くが、独り三役の有限性故に、<マンネリメーセージソング>に、陥ってしまう。そんな人間の性向を考える時、彼の中の、何かが、吹っ切れて、この曲に到達したのであろう。

 『歌は世につれ、世は歌につれ』の社会観察方が、あると云う。彼の『歌は世界を繋ぐ』のソングは、正に時代を映している。そして、その時代は、グローバルな時代を指して、広がりの有る歌である。

             是非とも、彼の良歌が、先例を違わず、
          国民歌として歌われて行く事を、願うばかりであります。


心何処ーショート うっすら雪の等高線
 時折、窓の外を見る。「お~い、雲よ。」声を掛けたものの、後が続かない。無責任な日記と云えども、早々には、言葉が浮かんで来るものでは無い。気分転換に絵筆を手にして見たが、如何にも、手が運ばない。無理矢理描いて見るが、物には為りそうも無い。呆気無く断念する。幸い天気は好い。机上のウィスキーを、グィとばかりに口に含んで、ピーナツを口に放り込む。
 
 ジャンバーに、帽子・軍手をして靴を履く。外に出る。『うぉ~、』 耳を撫でる風は、予想外に冷たい。山を見ると、うっすら雪の等高線を描いている。西の中央アルプスの連山に、雪が現われたとしても、冬を実感しないのであるが、背後に美ヶ原を戴く東の山並みに、雪が現れると、ツイ身震いがしてしまう。
 東の山並は、身近な存在である。現在は、松の緑に広葉樹の赤・黄の彩が日に照って、鮮やかに染まっている。視界的には、申し分の無い山塊の眺望なのである。
然し、寒いのである。ジャンバーのファスナーを首一杯に閉じ、軍手の手をポケットに入れての散歩である。耳がジンジンして来る。そよ風が、頬に冷たく吹く。愈々以って、苦手な季節の到来と成ってしまった。
歩いていると、先ほどのウィスキーが、体内で活動している。河川敷に降りて、冬枯れの芝生の上を歩く。足裏から芝生・土・湿気の感触が、伝わって来る。

 葦原から、多分、ホオジロの地鳴きが聞こえる。立ち止まり葦原に目を凝らすが、動きが無い以上、双眼鏡を構えるチャンスは、無かった。勢いの無くなった川面には、人馴れしたカルガモが浮いている。2羽の大きさからして、番であろう。至近距離である。羽色の一つ一つがはっきり見えるのだが、カルガモは、雌雄同色の地味な鳥である。歩いていると、バサバサと目の前を、オスの雉が飛び立って行く。苦笑いが浮かぶ。昔なら、山野の雉に驚愕して、暫く行方を追ったものであるが、現在は、良く目にする光景である。大人しく行儀の良くなった人間に、野性は、年々その距離を狭めている。尤も、その直接の原因は、犬・猫達の攻撃・狩り本能の減退振りにあるのだが。

 散歩から帰って来ると、外は寒いだろうと、老母が熱い茶を入れてくれる。年寄りに風邪は、禁物と言う。老母の外への願望と迷惑を掛けれないとの思いが、滲む短い言葉である。陽射しには恵まれているものの、外気は殊の外、寒かった。珍しく部屋の障子戸が、閉められている。ストーブには、ちと早い。部屋から玩具のファン・ヒーターを持って来て付ける。

 12月も近付いて、年が明ければ、また一つ歳を取って、数えで93と寂しく言う老母である。
老け込んだ顔を見るのが嫌だから、何年も自分の顔を見ていないと言う。
バァさん、好い顔してるよ。美人は、死ぬまで美人だよ。遺伝子に感謝するんだな。

 整った造作を持つ者は、心身が捻じ曲がらない限り、その時々の表情を作り出す。例え、93に成ろうとも、その本質は変わらない。人間、素顔に優る自然の顔は無かろう。人為的化粧は均衡を欠けば、欠いた分だけ、粗が顕在化してしまう。老いたりと言えども、穏やかな綺麗な女である。

              部屋を辞し、日課の文作に付く。

 
 ★・・・<心何処・・・旅行編>は、Googleで、『心何処』で検索すれば読む事が出来ます。
                     コメントは、此方にお願いします。アガタ・リョウ・・・★

心何処ーショート 隠れサユリスト

 酒が切れた。買って来なければ、淋しいと思っているのであるが、酒を嗜まない性質なので、買い物に行っても、その前を素通りしてしまう。帰って来て、忘れた事に気付く。有れば飲み、無ければ飲まなくても、気に成らない。タバコも、斯く有りたい物であるが、意志薄弱のテイタラクである。切れれば時間を問わず、コンビニのご厄介に成ってしまう。
 
 風呂を沸かしていると、コタツの具合が悪いとの事である。本日は、昼寝をしていないから、風呂に入った後、好物の昼寝をしようと思っていたのである。風呂に入っていると、何やら雨音である。アリリャ、大根を取り込まなくては為らぬ。大根を廊下に入れて、本降りに成らない内に、遣るべき事は、遣るしかないと、観念して自転車に乗る。スイッチの単品を探している内に、スイッチ付きコードを見付けた。ラッキー!!である。ついでに隣のスパーで、買出しをして帰る。夜の帳が下りて、氷雨模様である。さぁ、上り勾配である。寒いと、途端に息切れがする。

 小蛇を発見した辺りで、アスファルト道に、大振りな青大将の轢死体が、ノシイカの状態で残されていた。11月中旬の蛇である。ジグザク気温の温暖化、冬眠に達しなければ、気温の上昇に蛇の体が、悲しく反応してしまった果ての事故死であろう。街場に住まいを得た不運である。青大将にして見れば、すんなり成仏出来兼ねる身の不運<不都合な不幸>の証左の一つである。
    
     息切れ、汗だくでは、ロートルの身は持たぬ。小休止である。自転車を降りる。
 
 電気ゴタツのコードの差込が合わない。我が家の物は、骨董の部類であるらしい。コードを切断して、繋ぐ。老体の凍死とあっては、世間から何と言われるか、堪った物ではない。玩具の様な電気ヒーターがあったから、一つ買って来た。どんな塩梅か? 四畳半で、試して見る。威力はあるのだが、何しろ小さ過ぎる。小温風に、部屋は対流の風を呼んでしまった。成る程、自然の理屈である。まぁ、時間は十二分にある。玩具には、玩具の使用法もあると云うものである。

 吉永小百合の番組があった。私の世代にはサユリストが、大勢いらしゃる。高校の時、松本城近くの神社でロケがあった。その神社横の市営プールで、授業をサボって泳いでいた時である。誘われて、野次馬で見に行った。スクリーン以上の別格の気品すら感じられた。『凄い!!』と思った。私は、サユリストでは無かったから、日活青春路線は、殆ど見なかった。然し、彼女の『別格』の印象は、ズーと尾を引いていた。彼女に注目し始めたのは、渡瀬恒彦との共演作「皇帝の居ない八月」高倉健との共演「動乱」からである。そして、数年前の新春スターインタビュー(NHKラジオ)での、人間吉永小百合を聞いた時に、私は完全にサユリストに加わったのである。彼女の全体から伝わる、人間の奥深さには、何か大きな挫折が、働いていると感じていたのであるが、今夜の放送で、その経緯の一端を語ってくれた。彼女からは、求めようとする真面目さと能力の高さが、静かに全身から発散されている。彼女は、気品と感受性、質の高さが、磨かれ溶け合った稀有な美人女優さんである。観客は、彼女を見ているだけで、充分堪能出来る。

心何処ーショート 海峡加わる
 寒波襲来で明日の予報では、雪マークである。暖冬に慣らされると、雪と聞いただけで、気弱に為る物である。11月中旬なのであるから、雪が降ったとしても、文句の言えない季節である。人間の感覚とは、変化に敏感な物である。タバコの煙のモンモンする四畳半から、老母の八畳に行くと、ゾクゾクするのであるが、コタツに当たっている老母からすると、火の気の無い四畳半で、1日の大半を過ごす私は、不思議に思うらしい。午後は些か寒く感じられたから、ファン・ヒーターを炊いたのであるが、狭い四畳半は、忽ちの温度上昇である。暖かい環境は、気分が弛んで、文作の邪魔となる。下半身をシュラフに入れ、半纏を羽織って、ウィスキーをチビリチビリしている方が、進みが好いのである。考えれば、我が原始的趣味である。

 NHK推奨の「海峡」を観る。原作ジェームス・三木、NHKの常連さんである。このドラマは、30~40代の視聴率を高める事だろう。ロートルに足を踏み入れる団塊世代には、ちと浅い感じであろうか・・・ 然し、駅・町などをセットを使わずに、現在の建物・風景に、セピア色の物語シーンを被せている手法には、コスト削減策をカバーして、<斬新感>と「流れた時」を並立させて、大いに感心させられた。その観点から言うと、劇中のアルバムのセピア色の写真が、稚拙であった。折角の時の流れに「整合性」を持たせるなら、黒々とした写真によって、過去・その時の現在の色付けを、鮮明にして貰いたかった。惜しいトチリ演出であった。
 主人公の男女が、嵌っている。個人的に言えば、配役としては、中井貴一が、ピッタリ来る感じであるが、チャンスは必要。今後の演技に期待する。きっと彼は、役柄を物にするだろう。
 「海峡」を得て、私の週間ドラマは、<はなまる旅館、相棒、木曜時代劇、おいしいごはん>と、5本に成った。そして、朝ドラ「ちりてとちん」である。特に相棒の水島豊と、ちりとてちんの渡瀬恒彦と和久井映見が、巧さを感じさせない自然体に見せる処が、素晴らしいのである。  
パルテノン神殿に続いて、好い物を見せて貰った余勢を駆って、部屋で名画を鑑賞しようと、映画コレクションを見渡すが、タイトルを眺めると、ストーリーが浮かんで来てしまう。名画に対してマンネリ感で、臨んでは失礼に当る。軽い物を選んで、眠気を待つ事にした。ボブ・ホープとビング・クロスビーのドタバタミュージカルに、落ち着いた。

 翌日曜日、<寒気団到来日>の予想であったから、布団の中でグズグズしている。几帳面な老母は、部屋でお待ちかねの様子である。幸い、日が差し込んでいる。庭の大根干しの覆いを外して、転がす。日の当らぬ裏側は、まだ張りがある。結構、水分抜きには、手間が掛かる様である。遅い朝食に取り掛かる。
お付き合いの報道番組を見る。代わり映えの無いお馴染みの面々が、相も変わらずに、自説とパフォーマンスで、力んで居られる。自分こそが、インテリ、実力者、世論、正論者とばかりに、口角泡を吹いて(本来は飛ばす)、凄んでいるばかりである。

映像に於ける説得力とは、見た目の自然体にこそ、潜んでいると思われるのだが・・・
諸氏を参考にして、判断・拍手を送るのは、聴衆でありますぞえ。チリテトチン。

心何処ーショート 小蜘蛛ガンバル

 好いお日和である。朝食後、老母と話し込んで四畳半に入るのが、すっかり遅くなってしまった。昨日は、今季最高の冷え込みで、早々に万年床に潜りこんでの、自作読書を決め込んでしまった。注意して仕上げている積もりなのであるが、2ヶ所の誤字脱字を見付けた。書き手と点検者が同一であるから、思い込みがあって、精読には至らないのである。精度を上げる為には、<時差精読>が好い手なのであるが、書き上げてしまえば、興味が無くなってしまう。困った性分である。

住人達の腹具合を見て、餌遣りは、お預けとする。インスタント・コーヒーに、珍しく砂糖を落として見たが、口内に甘味が残る。口直しに、熱い白湯を並々とコップに、注いで飲む。然し駄目である。斯く為る上は、取って置きの老母特製の梅漬けを、口に入れる。ぐしゃりと潰すと、<おぅ~>とばかりに、塩と酸味で体が震える。

トイレに立ち上がると、金髪美形のBの笑顔に、出っくわした。彼女は、モスクワ近郊の出である。顔も性格もソフトな女性であった。彼女とも、傑作なエピソードを貯めた物である。昨日Tに電話をすると、飲みに行った話しが出た。店には、S氏、Y氏の姿が、別々にあったそうである。皆さん、<懲りずに>お盛んのご様子である。本日は土曜日、休筆しても構わないから、椅子を回転させて、美形達のご機嫌伺いに当てるも好しであろう。脳裏の引き出しを開ければ、過去が形を持って動き始める。美形達との思い出も、実に楽しいものである。

タバコに火を付け様と、正面を向くと、フェンスの蜘蛛の巣に小虫が掛かった。スルスルと小蜘蛛が巣を伝う。小虫と小蜘蛛の攻防に、糸が陽射しに反射する。普段、主の見えぬ蜘蛛の糸である。てっきり私は、打ち捨てられた蜘蛛の巣の残滓、とばかり思っていたのである。然し、ドッコイ、現役であったのである。初雪の便りが届く日本列島であるが、陽射しを求めて小虫が舞う。十に一つ・百に一つで、巣掛かりを、じっと待つ蜘蛛の辛さは、人間の比では無かろう。彼等の身にすれば、冬一直線で早く冬眠した方が、生き永らえるには、好都合なのであろうが・・・身体に埋め込まれた温度センサーに、眠れずに反応する小蜘蛛が、哀れに見える。

タバコの紫煙に、気が付けば、傾く太陽は、昼の位置である。身を乗り出せば、種から自生した小木の楓、真っ赤に染まった紅葉葉(もみじば)が、風に揺れている。陰と陽の眺め、陽射しの失せた四畳半、金魚槽を見遣れば、既に陽射しの中の泳ぎは無く、橙色の魚体は、じっと浮き沈みをするだけの、小さな鰭使いである。餌を貰えぬグッピィ達は、セラミック・ヒーターの表面に付いた緑藻を、小さな口で啄ばんでいる。

さてさて、小草の鉢を廊下の陽射しに、当てて遣るとしようか、
早や、昼食のお時間である。

心何処ーショート 『ちりてとちん』と『親父バンド』
 眠りから目を開けると、障子戸のガラスを通して、庭が見える。部屋の明り取りである。個の数日、楓の染まり具合が、目に鮮やかである。百日紅の丸い黄葉は、殆どが落葉して、上に柿の大振りな落葉が敷き詰められている。見上げる空は、薄い灰色である。お隣との境のブロック塀の上を、冬鳥のツグミが一羽、トントンと伝い歩きをしている。今春、飛び立った固体だろうか? 冬鳥ツグミの滞在期間は、信州では長い。庭に並べた大根の覆いを外す。今朝は、大いに冷え込んだ。背を丸めて、寝床の中でニュースを見る。

 朝ドラのお時間である。渡瀬恒彦演じる師匠が、一門の落語口演会をすっぽかした真因が、明かされる。昨日のニュース・アップ現代では、地方に湧き上がる『親父バンド現象』を、取上げていた。

 世代交代の実が、漸く各方面から姿を現わしている。団塊世代としては、喜ばしい限りであると同時に、世代交代に要する時間の長さに、改めて溜息が出る。世代交代には、その長い熟成期間が、必要なのである。俗に云われる言葉であるが、『一世代30年』戦列を離れて、団塊世代数えてみれば、『やっと』と云う処であろうか・・・★私は若気の至りで、持つと早い時期の変化を、予想していたのであるが・・・

 私は昭和23年生まれである。団塊世代の真っ只中に位置する。戦後民主主義の第一期生との期待と自覚を持たされた世代とも言える。進学率が一気に高まり、進学高ではその倍率は1.5、大学の名門学部は、50倍をキープしていた。大学に入れば、大学解体をキャッチ・フレーズに、日本全国で、パリの学生運動の象徴、カルチュ・ラタンが繰り広げられていた。アメリカの対ベトナム戦争に抗議して、ベ平連運動があり、学生活動家は、世界同時革命を標榜して、革命運動の象徴としてキューバ革命の闘士チェ・ゲベラの生き方を崇拝した。ノンポリ学生からは、フォークソングが流行した。新宿駅では、シンナーを吸うフーテン族がたむろし、演劇界では、前衛芸術と冠されたアングラ劇場が、時代の寵児となった。学界、文学界では、行動する学者・文士が、声高に社会の矛盾・あるべき理想を語っていた。労働界は、闘う動労・国労が、公務員のスト権ストを奪取しようとして、日本の労働運動界をリードしていた。スポーツ界では、新人類なる形容が、紙面に踊っていた時代であった。新時代の幕開けが、目前に迫っている様な時代のウネリがあった。

 然し振り返ると、時代の熱気は、意外と短期間であった。就職・社会人の中で、挫折したエネルギーは、エコノミック・アニマルと揶揄された組織優先の体制に、呑み込まれていったのかも知れない。 

 私は終始硬派のノンポリ学生であったが、友の中には、何人ものスピン・アウト、ドロップ・アウトした者がいた。ペイペイ社員時には、企業内民主主義を標榜して、組合活動に学生時代の主張の整合性を求めるも、管理職に付けば、学んだ合理主義・効率主義を実践して、競争に邁進してしまう。豊かな物質経済の恩恵に浸りながら、何故か、心の空虚感を同時に持っている。それは、開き直って、企業戦士の仮面を付けている、自分自身を自覚しているからかも知れない。捨て切れぬ物に対して、それが人間としての価値がある事に、気付いているからであろう。そんな団塊世代が、柵(しがらみ)に流れ、流されて、2007年問題と云われる卒業式を迎えたのである。柵から開放された世代に、過去の生き方が、居所を探し出すには時間も勇気も、余り必要では無かろう。

 『芸人は、舞台が命と云われた』建前価値観の裏側本音を、個の確立面から眺める視点を持たされている世代である。女々しい、非常識と一刀両断していた建前価値観の欺瞞性を、充分知っているのである。ただ組織上、建前価値論の中に身を置かざるを得なかった、世代なのかも知れぬ。本日の一門会すっぽかしの真因を披露する「ちりとてちん」に、師匠の本音に根ざした行動に、建前価値観から本音価値観への移行が、現われていた。朝ドラ『ちりとてちん』は、軽いタッチを身上とする国民的心情ドラマの側面を担っている。視聴率は、その時の世相を切り取ってもいる筈である。本音価値論が、世相に合って軽いタッチの日常の中に、すーと組み込まれている。この違和感の無さに、世代の交代が見えたのである。
 『親父バンド』の誕生・盛況振りも、同じ方向性を持つ流れである。私の知り合いにも、親父バンドを数年前から結成している御仁が居る。気負った考えなど、彼等には、微塵も無い。子育て・教育の柵が一段落して、個に回帰する時期を迎えて、個には、好きな物への思いが甦る。青春の杵柄を手にする事に、決心・決断などは不要であろう。

 私の口癖の一つであるが、『時代には、時代の感性が存在する。』のであるから、自然発生的に、類は友を呼ぶのである。同類・同根世代には、外野の<世代の分析・解析>は、不要なのである。『国があって、個がある。いや、個があって、国がある。』嘗ての命題は、『会社があって、個がある。いや、個があって、会社がある。』に、差し掛かろうとしている。宗教の流行らぬ個の時代。『地球があって、個がある。』に到達するまでに、何世代を必要とするのか・・・


       いかんいかん・・・柄にも無い事を、考えようとしている。

心何処ーショート 目は対象を超えて
  机を変えてのキー打ちである。手元にCDラジカセがあるから、テープを掛ける。

 フェンスの南天の実が、赤い。南天は正月を連想させて、冬の到来を意識してしまう。廊下に移動して打つのも好いかなと思ったのであるが、雲に、すっかり日が翳ってしまった。日の無い廊下は、殺風景過ぎる。パソコンのディスプレイに、前方を塞がれて、水槽の端から肥満気味の和金が、黒い目で顔を覗かせている。彼等とて、視界は広い方が、好いに決まっている。続いて、鳥たちのハーモニーを掛ける。

 頬杖をかいてボケ~としているだけである。金魚の泳ぎを見ていると、上手く出来ているものである。胸・腹・尻・背・尾鰭と、用途に応じて連動させて、使い分けている。神が創りしものなどと、幼稚な事は考えないが、進化の蓄積の凄さには、恐れ入るより他は無い。特に胸鰭の器用さと言ったら、例え様の無い繊細さ・力強さ・滑稽さに溢れている。金魚を飼い始めて数年であるが、こんなにマジマジと、一つ一つの仕草を見るのは、初めてである。見ていると、実に彼等が可愛く見えて来るから、不思議なものである。金魚もグッピィも総体としてしか見ていなかったのであるが・・・・ 固体として、彼等の動きを見ていると、金魚が立派に、ペットとしての扱いを受けているのが理解出来る。(中には、別水槽で飼われている一匹5000~6000円の高級金魚も、堂々売られているのであるから。)
 
 生き物がペットとして扱われるのには、少なからず、固体への愛着を必要としている。水棲動物の水槽住人と空棲動物の私との遣り取りは、完全なるガラスで仕切られた別世界であるから、勿論、間接的でしか無い。肌こそ実際には触れ合わぬ関係であるが、毎日、お互いの存在の一部始終を見ている関係である。私が彼等を見て何かを感じている様に、彼らも私を見て何かを感じているのだろう。そんな風に考えて行くと、彼等の横目使い・じっと目・反らし目には、人間ぽい感情が込められている感じさえして来る。

 考えて見ると、それは至極当たり前の事である。哺乳類・霊長類・ホモサスペンスと人間が、幾ら踏ん反り返った処で、我々の遠いご先祖様は、水棲動物である。言葉・道具・文化を引き継いで、日常では、感情は言葉によって伝えられる。言葉が無ければ、意図は伝えられない。従って、意図は感情で伝えるしかあるまい。感情表現は大きく分類して、『喜怒哀楽』に集約される。男女の壁が高かった時代、男女の馴初め、言葉の侭為らぬ異人種間交流のスタート・・・etcを想起して見ると、生き物同士の感情交換器官の目の存在は、大きい。
 
 『目は口ほどに、物を言い』何て、有名な川柳があると聞くが、『目は対象を超えて、物を言う』と云った処であろうか、金魚に付き合って、目から鱗の午後であった。

心何処ーショート 上滑り

 喜ぶべきか、机の上の小草全体に、陽が当たっている。こんな現象に気付かなければ、日々傾く太陽の軌跡など、実感出来ないものである。然し、傾きの先には、冬が居るのである。
 私の朝は、写真の美形達とのご挨拶から始まる。晩秋の光の訪れは、窓辺の住人達の動きを、一時照らして短い。頭の活動を待って、インスタントのアメリカン・コーヒーを、タバコの燻りとラジオを耳に、住人達を眺める。動きのあるものを見ていると、退屈しないものである。他人は、淋しくないか等と、眉を顰(ひそ)めてくれるのであるが、私には孤独感情が、殊の外、乏しいらしい。

 為らば、『文明社会から遮断されて、独り、無人島で暮らせ。』などと、置き去りにされてしまったら、こんな悠長な状況は一変するのであろうが・・・ テレビ・ラジオ・DVD・CD・テープ・電話が、手元にある便利な時代である。分相応・マイ・ペースを踏み外さなければ、空気の様な日常が送れると云うものである。前に耳にした、ラジオの紹介本の一節ではないが、<求めない。そうすると、自由に為れる。>・・・果たして、こんな一節があるのか、ないのかは、一切不明であるが・・・
分相応・マイ・ペースの日常を送るとは、精神の根底に、<求めない。そうすると、> 〇〇〇の世界が見えて来る・・・と云ったスタンスが必要である。それらを綴った話題の本らしい。

人間の欲求は千差万別にして、その欲求の終着駅は、所詮、本人の充足感・満足感である。乱暴な言い方をすれば、客観的or主観的にしろ、自己満足に尽きる。千差万別の欲求所有者からなる人間社会の中でしか、生きられない個人である。弱肉強食を人為的に避けるなら、共通概念・価値が必要と為る。
狭隘・狭偏なる自己満足であっては、社会通用性は、無に等しくなる。自己満足に社会通用性を付加するには、社会が受容する客観的・常識的な価値観・説得力を持たねば為らない。それが、論理の帰結である。異端・異常因子を持たされた者は、葛藤の末に自己調整乃至は統制をする道を選ぶか、異端・異常の道を突っ走るかであろう。可哀想なものである。
幸い平凡な感性を持たされた者には、平凡と云う絶対多数の共通項が見える。共通項の多さに依って、その取得方・処方箋は、これまた、多種多様にして多数で溢れているから、手が届き易い。こんな図式で、杜撰な結論を繋げると、<幸福は、平凡な日常の中にこそ、存在する。> 詰まりは、童話青い鳥、小津安二郎、山田洋二、西岸良平の世界に繰り広げられる『人間の在り様』が、拍手喝さいを持って、歓迎される所以になる。

然し、異端・異常の感性を持たされた者は、本人も周りも、悲劇と言うより、他は無い。古来より、この難題・鬼門に言及した著作は、結構多いのだろう。(浅学非才の無手勝流一本の私見であるから、元より根拠は薄い。)儒者・宗教者に依れば、性善説・性悪説、神との契約説、労務管理に依れば、欲求五段階説、X・Y理論で述べられている通りである。日本の労務管理論を専門とする学者の出身学部には、文学部出が結構多いのは、充分頷ける側面がある。大衆を啓蒙する側面を、少なからず担った大衆小説の大家と言われた吉川英治の宮本武蔵・三国志などを読むと、求道精神とか、労務管理論に通じる作家の人間観・あるべき、到達すべき人間成長の軌跡が、創造されているのが、理解出来る事だろう。

やや、いかんいかん、とんでもない方向に、来てしまった。
活字は、災いの元である。止め止め!!
くれぐれも引用は、ご自身の信用失墜の元で、ありますぞえ。



心何処ーショート 言の葉、気紛れなるもの
 朝ドラ「ちりとてちん」で、母親が娘に毛糸のパンツを穿けと言っていた。痩せ我慢する歳でも無いから、早速、股引のご厄介に為る。何しろ、昨日は、終日、寒かった。ロートルの気紛れ文作であるから、書き足し片を整理して置かないと、霧散霧消の憂き目を見てしまう。思い付きの記憶力が、最近、富に薄く成って来ている。従って、面倒が祟って、失敗の連続である。小ズクの習慣を作り上げて行くより、手立ては無かろう。忘れぬ内に、パソコンを開いた次第である。

 小片を「ターニャ編」と「風のよもやま話編」に、纏めて編集する。それぞれ、12pと16pに為った。塵も積もれば、何とやらである。何事も、ある程度の分量が無いと、収まりの悪い物である。気長にゴソゴソ遣っていれば、その内、体裁も整う事であろう。

 太陽が輝いている。廊下の大根を、庭に広げる。これも、当分は続く日課の一つである。ついでに、柿の実を所望されて、高枝鋏で取らされる。本音を言えば、食いたいとは、思わないのであるが・・・ 庭に下りた時、積もる落ち葉の中に、雨を溜めた苔の緑色が、実に見事であった。水槽の住人達も、余程、光が嬉しいのだろう。ユラユラ、ヨチヨチ、スゥーと泳ぎ回っている。先日、小花の下手絵を描いたのであるが、小紫の花弁は、何故か躊躇した儘である。窓越しの外は、風の無い穏やかな日和である。

 蝋燭・線香・茶を頼まれた。タバコも尽き様としている。散歩がてらに、適当な時間を見計らって、行く心算である。老母も体調が良さそうで、小さな物音を立てている。微風に、蜘蛛の糸が光る。窓辺に、漸く昆虫達の動きが、見えて来た。

         さてさて、我輩も、外の空気を吸いに行くとするか・・・
 双眼鏡をポケットに忍ばせて、散歩コースを行く。結構、蝶が飛んでいるし、アキアカネも飛んでいる。緑を保った草叢からは、小さな虫の鳴き声がしている。11月も早や、半ばである。小サギが一羽、低空飛行で、川の小魚を漁りに来ている。黒い嘴・黒い脚、驚いた事に、彼の足裏は、黄色であった。川には、アブラハヤが、群れ泳いでいるのであるが、彼の繰り出す鋭利な嘴は、外れの連続である。折角の双眼鏡であるが、未だ出番には恵まれていない。散歩に出掛けた時は、日向を選択したのであるが、日陰の帰り道であった。

 風呂に浸かっている時に、一節が浮かんだ。 ヨシヨシ、イケル。「風のよもやま話」のAの会話に盛り込むには、格好の一節になる。言の葉の浮沈は、何時もの事ながら、気紛れである。出た処、勝負の言の葉の羅列であるが、打ち溜めて置けば、自然発酵して、頭を擡げる言の葉も、出て来るものである。

         苦も無く、非も無く、ただ、暮れ行く秋の1日である。

心何処ーショート ウィーク・エンド
 ウィーク・エンドである。今週は、日本政界の長~い長い三日間を持っている。格好の政局に、マスコミは、ルンルン気分である。視聴者も興味シンシンで、自分の感想・意見が、主流か、非主流か・・・自分の気持ちを代弁して下さるコメンターターや、如何にであろうか・・・
    高齢化社会、人間の生涯、学習あるのみである。お題提供に感謝すべきであります。 

        ある時、ハンドルを握る相方から、質問を受けた事がある。
「世に諺あり。<悪事に手を染める。悪事から足を洗う。> 手を染めて、手が汚れりぁ、手を洗えば、好いじぁねえか。どうして、足を洗わなきぁならねぇんだ。ここんとこ、ず~と、考えてるんだけど、学が無ねぇから、分らねぇ。是非、教えて貰いてぇ~。」

          お主、出し抜けに、何て事を言いやがる。俺より一つ上だろうが、
「悪事に手を染め、気が付きゃ悪所通い。改心して、すっぱり悪事から足を洗う。今じゃ、一念発起の世の為、人の為の毎日。言われてみりぁ、手が足に転嫁してる・・・ふぅ~ん、難題である。」
            タバコに火を付けて、暫し沈思黙考の態であった。

        結論出ぬ内に、退職してしまった。ふと、思い出した難問のお題である。

     本日、ウィーク・エンド。ブログ諸氏のご高説募集に、縋(すが)るより他なしである。
                宜しくお願い致しまする。アガタ リョウ

心何処ーショート 小草二鉢
 双眼鏡と小花の鉢植えを、二つ買った。耐寒性と書かれた、淡い赤紫の蕾を持った小草である。寒くなると、何故か部屋に彩が、欲しくなる物である。出窓に放置されていた、岩に見立てた石と、白砂をあしらった平鉢に、小草の緑と小紫をセットする。可笑しなもので、乱雑な男部屋でも、僅かばかりの緑が添えられると、雰囲気が変わって来る。これで暫くの間、目の保養が広がると云うものである。

 部屋を後に、双眼鏡をポケットに忍ばせて、散歩に出掛ける。公孫樹(いちょう)並木の黄金の黄葉に、目を奪われる。幼児を連れた母親が、銀杏(ぎんなん)を拾っている姿が幾つかあった。陽気に誘われて、昆虫が飛び回っている。
 生憎、バード・ウォッチングの対象には、恵まれなかったが、黄葉ウォッチングには事欠かなかった。落ち葉時雨の中、重なる落ち葉を鳴らして、林の中を独り散策するのも乙な物である。次いで、川沿いに足を伸ばす。透き通った水流に、泳ぐのはアブラハヤばかりである。猛暑の水涸れの後遺症である。釣の対象魚・山女の姿が、一匹も見れないのは、淋しい限りである。
 山火事のあったのは、何年前であろうか・・・緑の復活には、人間が考える以上の長い時間が、必要らしい。・・・恐い物である。

 部屋に戻り、1枚打つ。さてさて、夕食の支度である。台所には、野菜の煮付が置いてある。おかずに出すと、「失敗したから、止めておけ。」と、老母が笑っている。<失敗も、生活の内>と、頬張っていると、最後の最後で、自家製激辛唐辛子を口にしてしまった。思わず固くなっていると、すかさず茶を注いでくれる。本日のテレビは、「木曜時代劇」「おいしいごはん」の二本立てであるそうな。一時間後の開演であるから、老母の部屋で、コタツに足を伸ばして、食後の転寝をする。起きようとする矢先、足を突付かれる。

   思わず苦笑いをする。歳を取っても、親子の関係である。

 我が居住区、四畳半に入る。火の気の無い部屋であるから、ベストを脱ぎ、替わりに半纏を羽織る。ラジオを友に、マイ・タイムである。

       するも好し、しないも好しである。
 紫煙を燻らせて、ラジオに耳を傾ける。世の中、つくづくと悪い連中が、居るものである。人違いで、入院中のベットで、いきなり射殺されては堪った物ではない。100万ドルの横領事件は、防衛省トップ官僚の相棒だけあって、両人の帰属組織の私物化振りには、呆れ返るばかりである。概ね時代劇なら、「越後屋、そちも悪じゃのう~」「御前様も、うぉっほほ・・」であろう。昔の決済は、大判・小判であったから、持ち運びには、重量制限があったろうに・・・ 今は軽くなって、巨額の賂(まいない)が、電波に乗って宙を飛ぶ時代である。昔は、『破れ傘呑舟』と云った万屋錦之助が登場して、<手前~ら、人間じゃねぇ、叩き斬ってやらぁ~>と、胸のすくヒーローが、居たものである。
    さてさて、お時間でありまする。万年床に移動致しまする。 

心何処ーショート 秋天の立冬
 立冬との事である。然し、窓辺の二つ並んだ水槽は、素晴らしい光に満ちている。定着するまでは、苦労させられたグッピィ槽の浄化微生物群は、環境に適合して、今や、差し来る太陽光に、透明感で応えている。夜は蛍光灯の光の中で、然程では無いが、午前中の透明感は、ベテラン金魚槽の比ではない。

 何年か前に仕事絡みで、排水と微生物群の関係を調べた事があった。図書館に通って、何冊かの本を読み、実験を試みた時があった。その過程で、覗かせて貰った電子顕微鏡の世界は、まるでSFの映像世界であった。ハリウッドSF映画の怪物モデルは、以外や以外で、電子顕微鏡世界のモデル実写に、端を発しているのではないか・・・
 そんな連想を抱かせる世界であった。勿論、肉眼からは見えぬ、逆進させた何万・何億光年の異次元宇宙の光景と云って好い。従って、生身の人間が、微生物群世界に、積極的に関与は出来ない。ひたすら、環境要素の自然適合を、待つしか出来ない素人観察であったのだが。

 まぁ、そんな事はさて置き、二世一期生の中の1匹に、<トンビが鷹を産む>のハンサム・ボーイが、すくすく成長している。動物・植物を問わず、生命体を飼育する楽しみの中には、繁殖をさせて、その成長を観察して行く喜びがある。増え続ける稚魚の群れを従えて泳ぐグッピィの小世界に、キー打ちの手は鈍り勝ちであるが、心和む世界である。
 窓越しに、斜向かい2階ベランダの柿簾が、橙色の日光浴をしている。戸が開いて、ご主人が顔を覗かせる。パソコンのキー打ちをしている私と、目が合う。無言の会釈を交わす。ご主人は、亡兄の一つ上である。そして、我が文作のファンの一人でもある。老母がポツリ言った言葉であるが、ご近所さんは、ことごとく引退組である。皆、60代であるから、元気である。其々、思い思いのライフ・スタイルを持っている。義務から解放されて、静かな住宅街である。

 10時台の<ときめきインタビュー>からは、ゲストと女性アナとの遣り取りが、和やかな雰囲気で聞こえている。話題の『続・三丁目の夕日』の山崎監督との事である。雰囲気のある温かい感じの監督さんである。ラジオは、四畳半の微かなBGMである。ナガラ族をする関係上、ボリュームを絞って、普段は、言葉が不意に頭に入って来ない様にしている。感じの好いムードであるから、途中で手を休める。彼は、松本市の出身との事である。同郷の誼(よしみ)である。ついつい、嬉しくなって、拝聴させていただく。

 おやおや、久し振りに、四十雀のお出ましである。頭部の黒、頬の白、背色のオリーブに、羽の付け根のライト・ブルーの色合いが、鮮やかである。野性の輝きとは云え、上玉のハンサム振りである。

 午後の散歩は、手頃な双眼鏡でも買い求めて、護国神社を回って、季節の野鳥探しと、洒落て見るのも一興である。

心何処ーショート 昼下りの高鼾
 寝そびれて、蒲団の中に入ったのが、午前3時である。もう少し寝ようとしている処に、枕元の携帯電話が、鳴り続けている。電話に出るのが、やっとである。相談事で、お知恵拝借との事である。私には未明時であるが、世間様では朝一番時である。マイノリティの悲哀である。フラフラする頭で、シャワーを浴びる。お礼にと、新米と地物野菜をシコタマ頂戴して、昼食時に帰宅した次第である。

 見る事の出来なかったNHKの朝ドラ<ちりてとちん>を、見ながらの昼食である。小生、貫地谷しほり嬢に、只今ゾッコン中である。昔、劇画の中に、『恋の本意は、忍ぶ恋と見立て候。』なんて、ゾクゾクする一文があった。加えて、日本国憲法19条には、『思想と良心の自由』 つまり<内心の自由>が、保障されている。依って、彼女にストーカー行為をしない限り、私は常に、「塀の外の自由」を満喫出来るのである。師匠役の渡瀬恒彦・母親役の和久井映見?の人情味が光る、久々の好ドラマである。

 さてさて、折角の頂戴物を、粗末には出来ない。鮮度の落ちぬ内に、信州人、何は無くとも「漬物」である。その支度に取り掛からねば為らぬのであるが・・・ 実は、眠いのである。風呂を沸かして置いたから、入ってから、昼寝をするが好い。とのお達しである。シャワー時に、回して置いた洗濯物は、老母の手で既に、縁側の物干し竿に掛かっている。
       アリャリャ、老母が、台所に立っている。手伝わぬ訳には、行かぬ・・・
 仰せに従って、台所続きの物置の奥から、漬物桶を出して風呂場で洗い、白菜と菜っ葉を漬ける。その後、湯船にどっぷりと浸かる。
                <小原~庄助さん、なぜ何故、身上潰した~>
            <朝寝・朝酒・朝湯が~大好きで、そ~れ~で身上潰した。>
        物臭でなくても、庄助さんの気分は、解り過ぎるほど解る。見習うとしよう。

 秋晴れの快晴である。四畳半のグッピィの覆いを、捲って遣る。グラスにウィスキーを、トクトクと注ぎ、ほろ酔い気分で、蒲団に潜り込む。

            ラジオの音に気付けば、民主党・小沢代表の続投会見である。
 他人事となると、相変わらず記者諸氏の突っ込みは、国民感情をバックにしてか、手厳しく且つ激しい。私は公器マスコミとは違って、小沢親派の一人である。
 生きるとは、或る意味では<生き恥を晒す>事でもある。情報公開・説明責任の定着化に伴って、猫も杓子も、声高に騒ぎ立てる。「清濁、併せ呑む」「沈黙は金(or銀)」「言わずもがな」「阿吽の呼吸」なる情感・惻隠の情と云った世界が、後退する一方である。人間、地位・責任が、大きく重くなれば成る程、<言って善い事と悪い事>が、増すものである。加えて、指導者の役割としては、<言わなければ為らない嘘>も、<言っては為らない真>も出て来よう。その中で、一級品の証は、誠心誠意の努力と愚直さであろうか。
 昨今、<空気を読む>事が、処世の力量に数えられているらしいが、〇〇劇場なる一過性の類は、参考には為れど、人間の基針には遠かろうと、思われるのであるが・・・

           ブログ諸氏のご高説を承りたいものである。

心何処ーショート ナンジャラホイの続き
                 ナンジャラホイの続き

 <晩秋一題>に、1枚絵を描いた。秋に似合う絵をピック・アップしたら、4枚あった。訳の分からない詩の形を借りた「言の葉落とし」である。せめて絵を散らしたら、面白かろうと挑戦したのだが、徒労に終わってしまった。長い休みに、M氏のご出馬を願うより、他無さそうである。
                  本日の文作ノルマが、果たせない・・・いかんいかん。

 午後、時間短縮にペンを取ったまでは、好かったが・・・ 出るに出そうも無い言の葉である。タバコを吹かして、FC2の新着ブログを開いて見る。何しろ、小生は、団塊世代である。「驚き・桃の木・山椒の実」或いは「浦島太郎の玉手箱」の心境に為ってしまった。<今様若者文化>には、到底付いて行けず、思わず綴ったのが、上掲の『ナンジャラホイ節』である。

 西岸良平の「三丁目の夕日」が、漫画・映画ともに、指示されているのであるから、今様若者文化は、『公私・TPO・使い分け文化』?なのであろう。使い分けが、出来るのであるから、良しとすべきであろう。然程、悲観するほどの事でもあるまい。

 本日は、終日の曇天であったから、放射冷却の影響は無い。現在、午前一時に差し掛かろうとしている処である。ラジオから「深夜便の歌」が、しみじみと流れている。今夜の担当は、女性アナである。深夜の声の友に相応しく、実に穏やかなトーンとテンポの持ち主である。

                    ポッポッポー

 煙るタバコの先に、電信柱の街灯が、鈍い橙色を滲ませている。
                                           もう一息である。

心何処ーショート ナンジャラホイ
            ナンジャラホイ
       
        ブログ 読んだら ナンジャラホイ。
     
     踊る無句読点!! 今様文体!! ナンジャラホイ。
      
      ブログ短文 付き合うに ハイ・エネルギー。
   
  これ ナンジャラホイ。チカチカ疲れるなり ナンジャラホイ。
  
          氾濫する ビジュアル世界
       
       俺ぃらにぁ 解せぬワ ナンジャラホイ。
        
        ナンジャラホイホイ ナンジャラホイ。
     
      ア~ この世は 上も下も ナンジャラホイホイ。 

心何処ーショート 晩秋一題
            <昨日の詩の続き>
 
 コンチクショウ!!である。折角打った物が、如何した訳か? 指があらぬ所に触れて、全部パァ~となってしまった。下書き無しの<ぶっつけ本番>の文作であるから、正に意気消沈の態である。おまけに日曜日であるから、再挑戦などと云う気は、更々、湧いて来ない。仕方が無いから、訳の分からぬ『詩』の登場と為ってしまった。詩は、短句で綴る描写には違いなかろうが・・・
 腹癒せの不純なる動機では、<詩の扉>は、開きません。徒労でありました。

 それにしても、寒くなった物である。金魚達も、光の薄い片隅で、殆ど動かない。スタンドの光を受けて、ヒーター槽のグッピィ達だけが、昼と同じ泳ぎを見せている。背中が、ゾクゾクして来た。日曜日である。悪足掻きを止めて、駄目本を抱えて、寝床の読書に移行する。
                           11/4
 おはようさん。お天道さんは、実に有りがたい。部屋に光が差し込むと、ホッとする。生き物は動き回り、静物は明るく応える。ラジオの声さえ、柔らかく聞こえて来るから、不思議な物である。太陽は何時も身近にあるから、在るのが当たり前の感覚になってしまう。然し、2日も顔が見えないと、気が暗くなって来るものである。伊達に『天照大神』として、崇め奉られては居ないのである。

 昨日、小沢民主党・党首が、辞任表明をした。テレビを見ていたから、氏の『福田首相とのトップ会談での政治判断・辞任理由』には、大いに頷ける処があった。<小沢党首辞任!!>を、街の号外で見せ付けられる。いきなりマイクを突き付けられて、『街の声』などと取材される。『一般国民の反応や、如何に!!or??』
 私は、インテリ振ったジャーナル組織に尋ねたい。<あなたなら、如何する?>

 嘗て、石田あゆみのヒット曲のワン・フレーズに、そんな一節があった記憶がある。唐突に、カメラを回される中、印象・感想を聞かれても、ある程度の判断材料を持ち合わせていなければ、どうしょうも無かろうと思うのだが・・・ 咄嗟に質問されて、責任の持てる印象・感想を話すことが出来る人間が、一体何%期待出来るのだろうか・・・

 私事で恐縮であるが、こんな経験が有る。大学の3年か4年の時である。新宿歌舞伎町で、授業の帰り、寸劇付きエロ映画を見ていた時の事である。寸劇が中断されて、座長より「三島由紀夫先生が、自衛隊市谷駐屯地隊舎で、割腹自決をなされました。」 学生の多い映画館は、どよめいた。号外を求めて、新宿駅に走った。ゴミ箱を漁って、号外を漸く手にした。学友達は、皆ノンポリ学生であったが、殆ど喋らずに、号外に目を走らせていた。授業を休んで、中野のアパートで、独り考えた。そして、一文を書いた。翌々日、学友達が、それぞれの想いを持って、部屋に集まって来た。アパートの部屋に、電話も無かった時代である。

『街の声』は、『編集』と云う形で、あるイメージを演出して、マスコミの番組を作ってしまう傾向が、見受けられる。情報が氾濫するメディア世界にあって、異口同音・右倣え式の一過性のニュース・ショーが、細切れに流されて行くばかりである。咽喉もと過ぎれば、何とやらの蔓延である。

 しばしば第一印象為る物は、厄介な物である。若い頃、TQCの手法が、産業界に大流行した時期があった。現状認識・把握段階での『真因』発見技法として、<何故・WHY>を4~5回繰り返して、<何故>が消えれば、ほぼ問題の『真因』に、到達出来ると云われたものである。
 詰まり、人間の多くは、物事を『相反軸』で考えなければ、精度を持った考えは、導かれないと云う処であろう。それには、それなりの時間を必要とする。事件・出来事に関する分析・解説は、当日分のものよりも、翌日以降の物の方が、説得力は増すものである。観察に興味のある人は、キャスター・評論家・識者達の分析・批評を時間を追って見て行くと、面白い結果に遭遇出来るかも知れない。
 信用・信頼とは、過去の統計上の確率であるかも知れない。確率上の信用を得た御仁が、出現したら、その見解を参考・判断基準として、他の先生方の論法に耳を傾ければ、より対象は面白く為る・・・
くれぐれも、<一書ことごとく、信じるは、書無きが如し。>とか

 そして、人間の一番の難点は、効率・求心力を求めると、上位下達のカリスマ性を個人に求め・与えてしまう。下す者と従う者との感情の落とし穴は、何時の世にも口を開けて待ち構えている物である。「政治とは感情である。」などと云う名台詞もあったし、佐藤栄作先生の国会答弁の中に『民主主義とは、時間の掛かるもの。』の名台詞もあった。
 小沢一郎と云う政治家は、稀な政治家である。願うらくは、民主党が一丸と成って、慰留されん事を望む。

 日本の学童の考える力の衰えが、危惧されると言って、大人達は、<サァ、大変>とばかりに、各方面で口から泡を飛ばしている昨今である。『この子にして、この親有り。この親にして、この子有り。』考えて見れば、日本国民とは、子供も大人も老人も、全て内包した総称で御座りまする。

 折角のお天道様のお出ましである。日本国民の一員として、思考能力の衰弱振りを反省して、秋日を愛でながら、昼の散歩に出掛ける所存でありまする。
Copyright © 心何処(こころいずこ). all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。