旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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虫眼鏡老人・その10
                 その名は、キャロライン
                   その名は、キャロライン_001

                   虫眼鏡老人・その10
 <1>
 今年は振り返ると、天候不順の季節コースを行って居る。猫の目の様に、寒かったり、暑かったりのスパンがデコボコと続いている感じがする。此処は、虫眼鏡老人とダケンの暮らす地方都市の一隅で在る。

 高原に紅葉などの便りが映し出されて、秋が順調に進むと思いきや、一変して夏を思わせる暑い日が一週間も続く。丸で『台風増産年』の様である。雨の後はグンと気温が下がる。太陽の運行は間違いなく秋である。陽が落ちれば、途端に朝夕の寒さが身に沁みて来る10月なのである。

 こんなチグハグ気象を受けて老人の庭では、苺の狂い咲きが在り、小指にも満たない赤い実が付いたり、山ツツジが数個花開いたり、カワラナデシコが、夏を引きずって居たりである。それでも、向日性の小菊の花が、落ち葉の中、秋の風情で咲き始めている。

 老人はこの処の昼と夜の温度差に、身体が付いて行かないらしく、盛んに黄色のパブロンS錠を飲んで居る。

「クシュン」

 空気の入れ替えに廊下の戸を開けて、秋の日差しに後ろ手姿で庭、空を見上げて居る老人の横目が、ニヤリと笑う。

「クシュンだと、誰か風邪引きかの~。歳の所為で、俺の空耳かの~。」

                クシュン、グシュン。

「これは驚いた。駄犬でも風邪を引くのか? この頃は、人間が火病で野獣に、犬畜生が、人間気取りとは、全く以って崩壊して行く世の中じゃわな。」

<何を抜かすか、この糞オヤジが。余は江戸公方のオトシタネで在るぞよ。毒見役が居らんから、こんな性質の悪い『下衆の風邪』が移って仕舞うのじゃ。ウダウダ言わずに、余にも、その黄色い丸薬を与えよ。>

 老人は殊更に蔑んだ眼を、縁の下からノロノロと出て来たダケンに向けながらも、後ろ手の薬瓶をチラチラ見せ付けている意地の悪さである。

「これ、駄犬や。そちも飲んで見るかな?」

<当たり前じゃろう。余に風邪を移したのは、お前じゃろうが。昔の武士は、皆、薄着で、身体を鍛え、精神を鍛えて居た物じゃ。弛緩仕切って居るから、隙を付かれて風邪を引くのじゃ。この世に人間経由の風邪程、性質の悪い物は無い。四の五の言わずに風邪薬を飲ませろ。この戯けが・・・。」

 老人はやんごとなきダケンの潤んで弱々しい目を尻目に、胸のポケットから老眼鏡を取り出して、徐(おもむろ)に掛ける。

「何の役にも立たぬ駄犬じゃが、これも腐れ縁。生類憐みの喩えも在るからして、温情を掛けると致そうか。
 つい出来心の慈悲心が一生の不覚・・・お前は、只飯食いの拾われの身じゃが、今や、居なくては寂しいからな。用法・用量に粗相が在っては、飼い主の不徳でもある。お前は得難い人間に拾われたと云う物じゃい。努々(ゆめゆめ)、感謝と報恩の気持ち忘れるで無いぞ。分かったな。」

        老人は、物云わぬ番犬の頭をコツンコツンと叩いて言った。

<ク~、世が世なら、それは余の台詞で在るぞよ。血筋の水戸黄門にでも為った気で居遣がる。糞っ垂れが。
 おっ、今度は何を言う心算だ。何を細かい字を読んでいるんじゃい。ええい、爺や、薬は未だであるか。馬鹿に付ける薬無しじゃわい。・・・>

「何々、15歳以上3錠、11~14歳2錠、5~10歳1錠、5歳未満使用しないこと。1日3回とある。犬畜生への記述が無いではないか。如何した物やら、ニャハハ。」

          クシュン、グシュン・・・

<アア、意地の悪い下衆の「弱い物苛め」が始まって居るではないか。先ずは1錠で良いわ。早うせんかい。悪寒がして来たでは無いか。早うせい。この嫌われオヤジが。>

 ダケンは鼻水で詰まった鼻を、ダルそうにブルン、ブルンと数回頭を振って、鼻通りを確保しようとする。糸を引いた鼻水、涎が、老人に飛ぶ。

「おうおう、駄犬の癖に、一丁前に鼻水を垂らして居る。こりぁ、そんなに醜い顔を振るで無い。汚ない鼻水・涎が、掛るでは無いか。バッチィ奴じゃい。イッヒッヒ。」
 
 老人と犬が暮らす日々である。こんな遣り取りが無いと、全てが進まないのであるから面白い。それでも、人前でこんな事を始めないだけの『常識』を持って居るのであるから、良しとすべきであろう。

         総べからず、人の世は、多様性に満ち満ちている次第である。

 老人は1錠を掌に載せて駄犬に与える。駄犬は熱ぽい舌で一錠の黄色を口に入れ、水を飲む。老人は駄犬の頭を撫で、廊下にダケン用の毛布を置いて、蜂蜜を舐めさせて遣る。それから、背中に毛布を掛けて遣る。

<クシュン、最初からして呉れれば良い物を。下衆は、何処までも根性が螺子曲がって居る。お犬様の生類憐みの令のご時世が、懐かしい限りである。>

 老人はポカポカする廊下のリクライニングシートに座って、読書を始める。ダケンは少し離れた所で、掛けて貰った毛布から顔を出して目を摘むって居る。

    ★殊勝な心掛けじゃ。風邪には安静が一番じゃ。へへ、体質が軟であるぞよ。

 <2>
 秋晴れの太陽が、廊下に差し込んで居る。寝床から這い出した老人は、空気の総入れ替えに、家の戸、窓を開放して回る。廊下で大きく背伸びを二度三度して、外の空気を深呼吸する。これが、老人の朝の始動で在る。

 廊下下を根城とするダケンもノソリと出て来て、四肢を踏ん張って背筋を湾曲させグィ~と伸ばして、牙を剥き出しての大欠伸をする。

 老人と犬とは同等の関係を現わして、背筋伸ばしと大欠伸を掻いた後に、二拍を置いて犬は老人を見上げるのである。そして、朝の挨拶代りの尾を振ってから、ペロリと一度だけ、老人の足を舐める。

「やれやれ、今日も、一日が始まるな。」

 老人は庭サンダルを履いて、庭を一周りして家庭菜園のミツバを数本千切って来て、朝飯に取り掛かる。ダケンは、家に居る時は繋がれて居ない。敷地内は自由の身で在る。戸締りをして居ない家であるから、専ら家巡回はダケンの仕事である。

 この家は、老人一人と犬一匹が暮らす共同生活である。冬以外は、老人は廊下で食事をする。玄関上がりの大石の上が、ダケンの食事場所である。老人と犬は一緒に食事をする間柄である。食事が終われば、老人は廊下のリクライニングチェアで、お茶を飲みながら長い時間を掛けて新聞を読む。

 話し相手の居ない気儘な独り暮らしであるから、老人は独り語では無く、普通に人に話す程度の明瞭な言葉とボリュームで言葉を発する。こんな次第であるから、ご近所さんからは、変人扱いをされて<虫眼鏡老人>と呼ばれている。
 然しながら、彼はそんな『ご近所評』を物ともせずに、一人暮らしの気儘さを楽しんで居る様にも見える。

「馬鹿扱いちゃ行け無ぇぞや。お前さん、ちゃんと足で情報を得て、裏を取って来たのかい。そうじゃ在るめぃ。俺の目は誤魔化せ無ぇぞ。
 この若造、環境の好い机の上で、独りよがりな作文して遣がるな。横着な野郎だ。適当に文字を並べて、結論は結果待ちの尻切れトンボを遣りやがって。毒亜宗主国に<権謀術数>なんて言葉使い遣がって。それを言うなら『低民度国の見利忘義』って四文字熟語を使うんじゃい。馬鹿垂が。
 俺の知ら無ぇ、カタカナ文字ばかり使い腐って、丸で中身の無ぇ記事じゃい。フン、こんな物ぁ、<記憶に留める必要無し>だ。」

「次は何だ。またまた、娘っこのスカートの中を盗撮して、懲戒免職だと。全く、公務員の野郎共、良い給料貰って置いて、丸でケチケチしているな。
 世相を鏡に映せば、個権・個器・個利の何でも有りの有り難いご時世だ。そんな物ぁ、<有料の館>で思う存分、羽目を外せば好いだろうが。とっ捕まったら、首に為るのは当たり前の結果だぜや。
 退職金剥奪の給料無し、女房からは変態扱いされて、離婚、子供達には一生<人間失格の烙印>を押されて、その身はホームレスかいな。教員が終いの住まいを、橋の下じゃ示しが付かんだろうが。馬鹿垂が。」

<おぅおぅ、今日も、爺やの午前の部が始まったか。これもボケ防止の日課じゃろうて。下手に呆けられて、食事回数を抜かれたら、困るのは余で在るからして。良い心掛けじゃ、爺。頭のブラシアップと観て、煩いが励むべしで在ろうぞ。アハハ。>

 老人は新しい煙草を口に、100円ライターをカチッと鳴らして、一息深く吸って、苦がそうにフゥ~と吹き出す。冷めたコーヒーを喉潤しの様に、グィと飲んで、言葉を続ける。 

「<只ほど高い物は無し>って学習も人生観も無い者が、学校の先生遣ってるなんて凄い時代に成った物よな~。恥を知れ、恥を。喝!!」

 カァ~ツと叫んで、老人は虫叩きをビュッと鳴らして、廊下を叩き上げる。一々、大袈裟な行為を仕出かして居る。これは一人暮らしであるから、寂しさ故の『一人遊び』をして居る様な物なのである。如何やら、テレビで覚えた反応所作らしい。

<おぅおぅ、誰も居ないと思って、馬鹿デカイ声で『喝!!』と来たもんだ。お隣さん、引き付けを起こすだろうが、・・・ 垣根が在っても、空気は繋がって居ろうが。爺や、その歳に為ったら、少しは品を励行するものじゃ。下衆の性根は、独り身に為って振り返して居るわ。>

 其処は長い付き合いのやんごとなきダケンであるから、耳の方向を変えただけで、表情を変えない。駄犬は、並の犬では無い。老人は指にツバをつけて新聞を捲る。

「株、為替にぁ、金が無いから、興味無しじぁ。保険金目当ての殺しに、指導不足を以って、損害賠償請求だと。何々、相変わらずの毒亜国の火病シュピレヒコールかい。阿保臭。テレビは、如何じゃい。フン、碌なドラマの無しか。芸no人ばかりが旅行して、風呂入って、料理を食べて、<わぁ、美味い!!>だけで、何が面白いんじゃい、馬鹿馬鹿しい。」

「ほぅ、今日は国会中継があるのか。今時の政治家は多弁過ぎて、教師か、講師みたいなもんで、サラリーマン見たいな顔付ばかりじぁ。頭に響くだけで、胸、心にストンと落ちてうならせる国士が少なく成ったもんじゃい。それでも、まぁ、下らん芸NO人・仲間内番組より余程面白いわい。」

 お茶代わりの極薄インスタント・コーヒーを注ぎ足して、灰皿には数本の煙草が吸われて行く。そんな老人の朝の日課を、ダケンは半ば呆れた冷やかな目で見て居る。

<フン、困った爺だ。下衆と云った下々は、兎角、言葉を呑み込むと云う『所作』を心得ては居らん。何でもかんでも、思った事を、其の儘に口に出すと云うのは、見苦しき下衆の行いと云う事が、毛筋の程も分かっては居らん。丸で、躾けが為って居らん。
 そんな世間との向き合い方をして居るから、幾ら時間を掛けて新聞を見んでも、知性が備わらんのじゃ。まぁ、爺やも歳で在るから、余が鍛え直す訳にも行かぬわ。精々、言葉を忘れぬ様に『一人トレーニング』でもして居れ。余は犬で好かった。人間なら一蓮托生と見られて仕舞うわ。一切、無視無視・・・。>

 こんな調子で、長々と新聞と話している老人を尻目に、ダケンは糞尿を催せば庭の隅に与えられた一角に、前足でガリガリと穴を掘って用を足し、後足で始末をして来る。子犬(ダケン)を拾って来た老人は、庭を自由にさせる代わりに<下の後始末>だけは手厳しく躾けた。

 一応は主人と番犬の体裁が在るから、ダケンは廊下の主人との距離を1m保って、お坐りの首筋を立てて居るポーズを守って居る。ダケンは賢いこくも、番犬を演じ続けている。

「何々、ジュリアーノ・ジェマが亡くなったか、75歳か。未だ若いのにな。マカロニ・ウエスタンか・・・クリスト・イースウッドにリーバン・クリーフ、フランコ・ネロと一世を風靡したイタリア映画だったなぁ。
 あれだ・・・名前は覚えなかったが、黒髪イタリア女優さん達も、端正で綺麗な顔をして居たもんだ。左様で在るか・・・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。」

<くっくっく、爺やのヤツめ、体裁振り居って、名前は覚えなかっただと・・・ 好物白饅頭の名前が出て来ないでは無いか。ハハハ、歳じゃのぅ~。
 世を忍ぶ仮の姿が犬の身で在るからして、人間の何百倍もの臭覚じゃ。余も年寄りの加臭を身近で嗅いで居ると、脳軟化菌まで侵入を許して仕舞うわ。>

<さぁ~てと、地表の水分も蒸発したじゃろうから、場所変えを致そうぞ。>

 庭の隅には川砂を厚く敷いた砂場が作って在るから、砂が太陽に暖められると、ダケンは其処へ行ってゴロリと寝転ぶ。この場所だと、四方の内、三方までは視覚に入る。

 <3>
 それは、秋晴れのポカポカする温かい昼下がりで在った。玄関に人声である。ダケンは砂場の寝そべりから身を起こして、庭を回って玄関に回る。歳の頃、60代後半だろうか。オバサンが玄関の前に立って居る。ダケンは驚かさない様に、1mほどの距離を置いてお坐りの姿勢をとって、主人を待つ。廊下→畳間→玄関廊下に足音が伝わって来る。

「開いてますよ。どんなご用件?」

 玄関の引き戸が半分ほど開けられて、オバサンが顔を見せる。女はニコニコ顔をして、丸で自分の家に上がる様に、上がり廊下から勝手に上がって来る。

「何方かな。」と家の主の虫眼鏡老人は、身構える様に低い声で言った。

「あなた、何を他人行儀に。私を忘れたの。ちょいと留守してる間に、歳取ったわね。若い頃は、男前だったのにねぇ。そんな怖い顔してると、世間を狭くするわよ。おほほ。」

「あい~、???」 何じゃ。この女は、気は確かか? それとも堂々たる錯覚か?・・・ 待てよ、これが、流行りの認知症の徘徊か・・・

 あれあれ・・・女は勝手に上がり込んで、廊下をスタスタ通って居間に座って仕舞った。

 やんごとなきダケンは、早や足で庭に回まる。居間を真正面の位置に前足を揃えて、凝視の眼で耳をピンと立てて、ニヤリの段である。

★丸で自分の家に帰って来た様に、部屋を見回して居る。さてさて、顔付・態度を見ても、とても認知症の淀みなど、一切感じられ無い目の涼しさである。

            ほぉ~、世の中には、図々しい女も居る物だ。

★ダケンも警戒の唸り声も発しないし、未だ未だ女如き盗賊・ペテン師の餌食にも為るまい。さて、如何した物か・・・追い返すタイミングを逸らしてしまったし、此処でつっけんどんに追い返す訳にも行かぬ。言い争いに発展して仕舞ったら、お互い、世間体も悪いし・・・さてさて、困った。落ち付け落ち着け。

 女は、虫眼鏡老人の内面の呟きなど、一切気にも留めて居ない、リラックス・モードである。

「大分、歩いたから、私、喉が渇いたわ。お茶は何処なの? 他人じゃないんだから、お茶位、入れなさいよ。」

★アジャジァ、こりぁ、完全に錯覚・錯到の世界の住人らしい。どうせ、暇を持て余し居てる日々である。先頃、痴呆症の解説テレビも在った事でも在るし、些かお付き合いをして観察するのも<何かと向学の足し>にも為ろう。全く以って、困った侵入者である。

「歳の所為で、すっかりお名前を忘れてしもうた。何子さんでしたかの?」
「キャロラインよ。忘れたの。」

       ★何と、キャロラインとはデカク出たもんだ。こりぁ、太ぇ婆さんだ。

<クッ、純度100%の日本人顔して、好い歳かっぱらってキャロラインは無かろうよ。爺のヤツめ、如何捌くか、これは見物だ。アハハ!!>
 
 家の中では、虫眼鏡老人は嫌な顔もせずに、台所で笑いを必死に堪えて、自家製漬け物などを切り、菓子盆に駄菓子などを見繕って、お茶を入れている。女は何やら、懐かしそうに廊下から、秋の日差し溢れる庭を眺めて寛いで居る感じである。

「キャロライン、よく忘れないで、訪ねて来てくれたな。嬉しい限りじゃい。遠かっただろう。如何遣って来たんだい? 飛行機に乗って成田で、新幹線かい?」

「あら、あなた、歳でモウロクしたの? バスに乗って、歩いて来たのよ。今、世間では認知症が流行ってんのよ。心配ね。私が病院連れて行ってやろうか。未だ、呆ける歳じゃ無いのに。本当に、困った人ねぇ。先が思いやられるわね。アハハ。」

<クックック。爺め、猫撫で声の探りも、カウンターパンチか。豆鉄砲喰らった面して、余を見て居るわ。確りせんかい!! 幕は開いたばかりぞ。>

★ダケンの奴め、小馬鹿にしおって。涎を垂らして、こっちを繁々と見て居遣がる。この頃じゃ、下衆のお前なんぞの<心の内>など、手に取る様に読めるわ。
 フン、こっちは人間ぞい。こっちは、初対面と云えども、名前がキャロラインなんだから、異国人じゃろうが、粗相の無い様にレディファストで、飛行機と云ったまでの事じゃ。

★毎日新聞、テレビを読んで見て居れば、凡そ社会の在り様は見えて居るのじゃい。昔は、目から鼻に抜ける<頭脳の明晰性>を誇って居たのじゃい。駄犬如きに笑われたんじゃ、還暦半ばの男が廃ると云う物じゃて。まぁ、ゆっくりと見て居れや。事を急いては、怪我の基、<病人への包容力の欠如>と云う物じゃろう。老齢社会とは、その様な物じゃて。俺は、奥ゆかしい性質なのじゃ。ウヒヒヒ。

「キャロラインは、相変わらず美人だなぁ。よく訪ねて来て呉れた。若い頃が、重なり合う。歳を取っても、美人は美人じゃい。あの頃は、楽しかったなぁ。お互い、若さが溢れ返って居たもんじゃ。」

「あなたも、私が留守をして居る間に、大分まるく成ったものねぇ。塩っぱいけど、上手じゃないの。何でも、遣れば出来る物なのよ。喉が渇くから、もっと、お茶を入れてよ。お茶は、もうちょっと、高いお茶にしたら。安いお茶は、色も悪いし美味しく無いわよ。私が居ないと駄目な人ねぇ~。」

「そう注文を出すな。何しろ、今は落ち目の三度笠・年金だけで、犬と暮らす細々とした生活でな。刺激が無いから、すっかり気が利かなく為ってしもうて、済まんすまん。」

★何処のボケ女か知らんが、女と云う生き物は、生意気・減らず口が、さらりと出て来るもんじゃい。まぁ、お茶をたんと飲ませて置けば、その内にトイレに行くだろう。

「トイレは何処だったっけ?」

「あいよ。案内しようか。」

 トイレに案内して、老人は女のバックを開けて手早に調べて、ウンウンと大きく頷き、メモる。バックの中身を元に戻して、庭のダケンにウインクを送った。

                  女が戻って来た。
「キャロライン、ちょっと10分位、此処に居てよ。煙草が切れたんで、自動販売機で買って来るからさ。積もる話が一杯あるからな。ゆっくりして行けや。あっ、ダケン、留守を頼んだよ。」

「うん、そうするわ。あなた、ボケが来てるから、気を付けてゆっくり行っておいでよ。」
「分かった分かった。キャロラインは、優しいね。ありがとさんよ。」
        
            老人はニコニコして、そう言い残して外に出る。

「ああ、もしもし。☆☆さんのお宅ですか。私○○と云う者ですが、今、お宅のお母さんが、家に来てましてね。御心配でしょう。
 ◆○のスーパーマーケットの駐車場までお送りしますから、如何でしょうか? どの位、時間掛ります? はい、分かりました30分ですか。」

★良し好し、これで一件落着である。家での身内のゴタゴタは勘弁して貰いたいからな。家族もご近所さんの世間体も、悪くなる。娘さんの。応対も穏やかだったから、安心した。『何事も、知らぬが花よ』の喩えも在る。人には温情で接しないと、世の中は丸く収まらん。
 
       ★★此処が、駄犬には想像も出来無い俺様の凄い処だわさ。イッヒッヒ!!

「お待たせ、キャロライン。漬け物塩っぱかっただろう。如何だ、お口直しに、スーパーで、お前さんの好きなケーキでも買って来るかいな。一緒に行くか?」

「あら、嬉しい。あなた、私の好物を覚えて呉れたの。そうね、行きましょう。」

            老人二人は仲好く、軽自動車に乗った。
 
            一方、車を見送ったダケンは、首を捻る。
☆これは、奇妙な運びでは無いか・・・バックの中身は、きっと女の連絡先を示す物が在ったのだろう。外へ出て、携帯で連絡をしたのであろう。
☆戻って来た爺には、在り在りとゆとりが生じて居たからな。あれで、中々に配慮の利く男であるからのう。余の出番は無かろう。
☆吾が祖の東照宮大権現様も、偉大なタヌキ親父の世評も在った次第であるからのう。まぁ、果報は寝て待てとするしかあるまい。爺や、頑張るべしであろう。ワッハッハッ。>

 スーパーに着くと、二人はケーキコーナーに行って、彼女の指差すケーキを買って、外に出る。車に乗らず、外のベンチで話の続きをして居ると。

「すいません。母が、お手数掛けまして。恐縮です。」

        母親そっくりの40代後半の娘さんが、頭を下げ放しである。

「いえいえ、如何致しまして、お母さん美人ですから、楽しかったですよ。私は一切役に立たない駄犬との二人暮らしですから、偶にはご婦人の訪問は<百薬の長>ですからね。気兼ねは無用。次も、歓待しますよ。アハハ。」

「そんな温かいお言葉まで頂いて・・・。でも、こんな事って、奇蹟ですね。亡くなった父にそっくりです。母はきっと『思い出の中に居た』んでしょうね。」

「そうですか。それは光栄ですわ。ふ~む。為る程。お母さんは、<記憶の中に居た>んですか。これも何かのご縁でしょうから。お母さんを𠮟らないで下さいよ。リハビリだと思って、また寄って下さいよ。その時は、連絡しますよ。」

「キャロライン、また来てよ。待ってるからね。バイバイ。」
「うん。また、顔出してチェックして上げるからね。元気で居てよ。バイバイ。」
 
             虫眼鏡老人は、帰って来た。

「駄犬よ。今日は、奇想天外な好い日であった。如何だ。晩飯には未だ早いが、庭でバーベキューでもして、秋の夕暮れにゆったりと身を置きながら、酒でも飲もうか。」

<何が在ったか知らんが・・・ 爺やの奴、何か好い親切をして来た少年の様な清々しい顔をしているでは無いか・・・。これは愕いた。ハハハ。何かと世知辛い人の世では在るが、爺も偶には良い事をするものじゃ。良き行いじゃ。オッホン。>

 バーベキュー・コンロに炭火の煙が立ち上り、鉄板に肉の焼ける臭いが立ち込める。庭の柿の黄葉が、カサリ、カサリと落ちる。サツキの緑に小菊の花々が白・黄・小紫の点を添えて居る。ジュウジュウと肉が焼けて行く。

 トクトクと琥珀色のウィスキーがグラスに注がれ、肉を頬張る虫眼鏡老人とやんごとなきダケンの男コンビは、鱗雲の夕焼けの下でバーベキューを進めているの図で在った。

        虫眼鏡老人・その10・・・完 20013/10/22 by アガタ・リョウ
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虫眼鏡老人・・・その9
                 虫眼鏡老人・その9

 猛暑・長夏の後は短い秋にして、長く続いた酷寒の冬であった。ダケンと暮らす虫眼鏡老人にも散々な夏、冬であった。年末年始は、風邪をこじらせての寝込みであった。然しものマメ男も、熱と腹痛で布団の中でウウー唸って居た一週間で在った。寝床の周りは、ティシュに、カップラーメン、缶詰、ソーセージの散らかり放題の有様であった。

 健康だと独り身は自由の利く身軽な生活では在るが、事、健康を害すると独り身の辛さに、落涙するのみであった。頼りとするのは、ダケンの存在・・・

 そんな老人の周囲で、ダケンも風邪こそ貰わなかったが、ひもじさ、空腹から瘦せ衰えて終った次第であった。

 寄る歳波で体調の立て直しには1カ月を要したが、健康体に戻れば、相も変わらず老人とダケンの憎まれ口の交差する日常で、淡々と日々は流れて居た。二月の声を聞き三月も下旬と成ると、陽は高く草木には春が見えて来る。日課のダケンとの漫ろ歩きをする老人の散歩距離も伸びて来た。

 白銀を頂く山脈の山肌には青味を増した色、近望の里山には芽ぶきの時を待つ茜色の膨張色が一段と赤味を見せて居る。河川敷を歩けば、地面に空色を映したオオイヌノフグリの群生が、空にぽっかり浮いた白雲と空の青の下、春日のおおらかさを見せて居るし、首の短い早咲きのタンポポの黄色が鼻歌すら誘う。
地表近くには陽炎が揺れる日もあるし、越冬をしたタテハチョウ、シジミチョウなどが、まだまだ飛翔の力強さは無い物の、それらが揺れ動く様な光景は、春のうららかさと共に冬を脱した安堵感と相俟って、老人とダケンに気分の高揚すら齎す。

 四月の声を聞いて、この数日は日向ぼっこをして居るだけで汗ばむ程の陽気に恵まれて居る。朝食を終えて10時を回ると、老人は作業着に着替えて軍手に長靴でスコップとバケツを持って川原に出掛けての作業に取り掛かった。

         老人はフーフー、何往復かして川土、川砂を庭に運び終えた。

「おい、ダケンや。ワシはこれからホームセンターまで買い物に行って来るから、留守番して居てくれや。お駄賃は弾むよ。ワッハッハ。」

         そう笑って、老人は機嫌好く車で出掛けて行った。

 ダケンは、繋がれては居ない。ダケンは徳川公方のオトシダネの化身?仮の姿? であるから、人間語は話せないが人間語は全て分かっている『やんごとなき名犬』なのである。

<家庭菜園には未だ早かろうに・・・爺は、一体何をする心算じぁ。長過ぎた冬に、待ち切れずにクライングではあるまいに。鷹揚さの無い処が・・・まぁ、下々のする事を彼是と詮索するのは、不粋と云う物じゃて。今日も好い天気じゃて。
 年末年始には、余は爺に大きな貸しをして居るのじゃて、折角の川砂の馳走じゃろうて、砂浴びをして毛に巣作う虫払いでも致そうぞ。尤も、この位の気持ちが無ければ、日の元の日本人とは云えぬわ。わっはっは。>

 ダケンは、こんもりと積み上がったフカフカの川土・川砂の山を前足で掻き広げると、ゴロンと横に寝て、前足で土砂を全身に振り掛けて立ち上がり、ブルブルと全身を震わせて土砂を振り落とす。そんな事を何度か繰り返して、腹を下に長々と土砂のベットにうつらうつらを始めてしまった。土砂は太陽熱を吸収して、何とも言われる心地の好さであった。

    車が止まって、プラスチックの小池を抱えて戻って来た老人である。

「コラッ!! ダケン。なんて事をしてくれるんじゃい。馬鹿もんが~。」

 老人の平手打ちが、ダケンの尻に数発バシバシと炸裂して、ダケンはパッと走る。

<おっ、怖い。体罰の心算であるか。爺、何か、これは余への進物では無かったのか??  相変わらず、思慮に欠けた行いをする爺さんである。>

「この罰当たり、居候犬が。嗚呼、こんなに拡げ腐って、仕事を増やして呉れたもんじゃい。クワ~、留守番の褒美に鶏がらを買って来て遣ったのに、ご主人様の気持ちが一切通じない馬鹿犬じゃい、お前は。
 嗚呼、手の無い犬畜生に、当然の権利・原状回復もさせる事も出来ぬでは無いか。糞っ垂れ、役立たずの駄犬!! ワシも歳なんじゃい。若い頃の体力も無いのじゃからして、最小のエネルギーで最大効果を考えて遣って居るんじゃい。
 同じ屋根の下で暮らして何年に成ると思って居るんじゃい。少しは、以心伝心の嗅覚を利かせるのが、犬の仕事じゃろうて・・・駄犬は、どんなに愛情を注いで対したとしても、駄犬のままで停滞とは、先が思い遣られる物だ。この偽け犬めが。」

<アッジァ、余はやんごとなき身分にて、矢張り下々の考える事は、一向に理解出来ぬわ。世間から変人・奇人と陰口を叩かれて居るソチが不憫と思って、同居して遣って居るのであったが・・・変人・奇人にも五分の感謝心と思って、馳走に為って居たのだが・・・

 不断ご近所さんから、全く相手にされて居ないから、一端口を開いたと為ると、日頃の欲求不満の捌け口を、一気に捲くし立てる。いやはや、これが下々の『口煩いの図』なんじゃろう。爺は教養が無いから〔馬耳東風の喩え〕を知らんのじゃろうて・・・>

 ダケンは、のそりと松の木の根元に回って、前足をグイと前に伸ばして、背骨を弧の様に一伸ばしすると、デカイ口を開けて大欠伸を一つすると、お座りのポーズから前足をグイと伸ばして前足の上に、頭を乗せて尻尾をブラブラさせ始めた。

「この~、何だ、その人を食った態度は・・・遺憾いかん・・・ワシとした事が他愛も無い。駄犬に、高尚な趣味の道は分からなくても当然であったか。只飯喰らいの駄犬で在っても、心は通じるものと<買被りが過ぎた>様じゃ。
 入れ歯のワシが鶏ガラを喰らう訳にも行かん。これ、お前の好物の鳥ガラじゃ。これでも食って、ワシの邪魔をするで無いぞ。ほれ、此処へ来て、大人しく食べて居ろ。」

<おいおい、余を言うに事欠いて、『買被りが過ぎた』と言って退けるとは、世が世ならば『即座に、100%無礼打ち』ぞ。身分の上下が滅した平成の世とは、見下げ果てた末法の世ぞ。
 日本再構築の安部晋三守是由(アベシンザウのカミ・コレヨシ)に三本の矢に付け加えて、身分長幼の序の理を下知しなければ、美しき日本の再構築は叶うまい。平民の世は、ややもすると奥の薄き世の喩えじゃにして・・・ 困った世の風潮である事か。返す返すも、忌々しい爺である事か。
 まぁ、折角の爺の心遣いを無にする訳にも行かぬ。どれどれ、義理喰いでもして遣るべしである。>

 ダケンは、徐(おもむろ)に立ち上がると、鶏一羽分のガラを咥えて来て、再び松の木の下で、早速バリバリ、ガツガツと食べ始めた。

 太陽は中天に位置して、等しく庭の模様を見守る様に春日和を呈して居る。老人は竹箒を持って来ると、散らばった土砂を掃き溜めている。ダケンは、ガリガリバリバリと鳥ガラを噛み砕いて、尾を盛んに振って居る。

 老人は庭の隅に小池容器を宛がって、スコップで地面を掘りセットする。それを終えると、廊下に腰掛けて煙草の一服を付けた。インスタントコーヒーにポットの湯を注いで、熱物を啜りながら、爆音に空を見上げればヘリコプターである。白雲は広く広がって青空を動く。空には、トンビを追い回すカラスの二羽攻撃が繰り広げられて居る。

 老人は小池の周りを石囲いをして、その上に川土・砂を混合させて小池の周りに土手を作って行く。嗚呼、腰が痛いと、腰をポンポン叩いて、背中を大きく仰け反らせて、首のタオルで額の汗を拭う。

 再び廊下に腰を下して、コーヒーを入れ、煙草に火を点けて、工作物を眺める。

「さてさて、これからがセンスの見せ処じゃて・・・」

 庭からオモト、シバラン、シバサクラなどを移植して、自生した琵琶の子木などを植え込んで一人悦に入って居る。

「これこれ、ダケンよ。如何だ。これはドイツ語でビオトープと言ってな。<野性動物の住む場所>を意味する言葉だ。池には水を張って、カルキ分が抜けたら、メダカを入れて、沢ガニなんかも入れる。
 その内に、蛙なんかが住み付いて、アメンボ、水カマキリ、トンボのヤゴなんかも住み付く。庭に遣って来るキジバト、ヒヨドリ、スズメ、シジューカラも水浴び、水飲みに遣って来る。部屋に居ながらにして、小さき者達の観察が出来る装置では無いか。

 こんな愉しみを生活の一部として取り入れる事が出来るのは、これぞ正しく人間の特権と一つじゃぞ。哀しいかな、犬畜生のお前達には逆立ちしても、花鳥風月を愛でる感性など無かろうな。ギャハハ!!

 おっ、そうだアヤメも風情が在って好かろうな。アヤメはあそこに在ったな。思い立った内に、移植して置くか。この頃じぁ、ダケンとの暮らしで、すっかり健忘症の日々じゃからの~。ワッハッハ。

 済まん済まん・・・駄犬を相手に、言って見ても所詮、詮無き事であった。ワシは元来、心根が上等に出来て居るから、知らず知らずの内に駄犬如きものまで擬人化してしまう。つくづくと損な性分に生まれ付いた物よ。慈悲心が足元を見られて、駄犬のお前に付け入られる始末じゃ。

 然しながら、池の水を飲むのは一向に構わんが、トイレ場所と考えるなよ。そんな事をしたものなら、ワシとお前の縁もそれきりじゃ。分かって居るであろうな。飼い主無き駄犬の末路は、『保健所』だぞ。以上、硬く申し付ける為り。 」

<おいおい、聞いたかや。花鳥風月に擬人化の慈悲心。言うに事欠いて『保健所』とは、余に向かって非礼千万!! お犬様を、不浄の木っ端役人の堵殺場送りとは・・・捨て置けぬ罵詈雑言為り。
 年末年始の献身的看護で一命を取り留めた爺は、何処のどいつで在ったか。何がドイツ語でビオトープじゃい。この『奇人豆腐(キートトーフ)』頭の癖して、嗚呼、余も人が好過ぎて、こんな馬鹿爺の面倒を・・・何の因果か、大奥100人のあの時代が懐かしいばかりじゃて・・・ 
 これこれ、爺よ。歳を考えて今日の処は、それで良かろうぞ。う~む。大義で在った。頑張り過ぎると、余の食事が疎かに為るでの~。イヒヒ。>

 ビオトープに草木が馴染んで、所定の目論見が功を奏せば、虫眼鏡老人の書斎には、虫眼鏡と共に双眼鏡が常備されて、如何なる呟きが発られるのであろうか。これまた、老人とやんごとなきダケンの一日常が一コマが加えられて行くのであろう。
 
                   <老人と犬の暮らし一スケッチより。>
                     2013/2/10 アガタ・リョウ

 
 偶には、こんなお伽話も好かろうと、久し振りに短編を打って見ました。へへへ。

虫眼鏡老人・・・その8
                虫眼鏡老人・・・その8   

       内と外_001名コンビのサデ網漁_001天下太平

                 虫眼鏡老人・その8
 梅雨の合間の蒸し暑い日が、朝から始まって居る。昨夕から始まった雨に地面は、モヤッとした湿気に満ちている。

 ダケンは虫眼鏡老人から雨の止んだ朝には、早々に廊下から外に追い出されてしまった。

 ジメジメした地面は、如何にも気持ちが悪いから、彼は庭から廊下に上がる踏み台石にある老人の庭サンダルを、腹いせに前足でフンとばかりに落として遣った。平らな大石の上は、寝そべるにはひんやりとして気持ちが好い。
 それでも、目尻と濡れた鼻、口回りと云った皮膚の露出部分の粘膜を狙って、湿気満載で元気を得た藪蚊などの小虫達が、彼の体液を吸いに小煩い程に纏わり付いて来る。犬と云えども、蚊に喰われれば痒い。増してや、人間の様にムヒなど擦り込む事など出来ないのであるから、実際は痒くて堪らないのである。

<フン、相変わらず意地の悪い爺さんだ。余は、やんごとなき生まれ素性であるから、虫毒には抗体が無いのじゃぞ。無礼者めが・・・>

 雨後の七月の太陽は、湿気を増長させて、早くも暑く照り付け始めている。雨の肌寒さから、ジワジワと朝飯前から不快指数を高め始めている始末である。彼は長い舌を出しハアハアと涎を垂らしながら、涙腺に集る小虫達に目を閉じたり、首を振ったりして、・・・既に鬱陶しさの中に居る。

 庭にはユリに先駆けて一日だけの花・ニッコウキスゲの黄色の花が咲いて居る。背丈を1m以上も伸ばした鬼ユリ、カサブランカの蕾も顔を見せ始めて居る。手入れをしない老人の庭は、自然の態にして緑の濃い庭である。従って、小虫達にしてみたら、本日は格好の高温多湿のジャングル環境なのである。

 ダケンが不快の只中に居るのを知ってか知らずか・・・老人は急須にポットのお湯をグッグッと押し入れて、熱い日本茶を飲みながら、サッシの網戸の廊下で胡坐を掻いて、大きな天眼鏡で新聞を読んで居る。煙草を吹かしたり、新聞記事に明瞭な口調で批判では無く『悪態』を加えたりしている。
 老人は、一人暮らしであるから、何かと籠り勝ちに為る生活のアクセントとして、思った事、浮かんだ事は、そのままストレートに声を出して、喋る事を意識的に習慣付けて居るのである。従って、ダケンにとっては、彼もまた真に小煩い存在なのである。

 この家は老人と犬の生活ではあるが、彼等の関係は現代流行りの小さな玩具・座敷犬へのベタベタした関係では無い。此処に在るのは、冷めた関係の人間と犬の関係の様な物である。

<爺さん、一々文句を言って見た処で、詮無き事であるぞよ。所詮、お前さんは育ちが悪過ぎるから、下世話話に一々反応してしまうのだ。其処へ行けば、余は世が世なら、初い小町娘を10人、20人と侍(はべ)らかして、酒池肉林の高貴な身分よ。やんごとなき徳川公方様の落し胤故に、一々瓦版如き不浄の情報垂れ流しなどに聞く耳持たぬわ。阿保臭い。

 お江戸の時代も、平成の時代も、市井の下衆共と来たら、詮無き事に一々目くじら・青筋を立てて、カッカとばかりに喜んで居るばかりじゃて。封建教育時代も文明開化の西洋教育時代も、一切差異が無いではないか。これが日本人の変わらぬ気質よ。一族の慶喜如きが、はやまって大政奉還などするから、こう云う事に為るのじゃ。その煽りを喰らって、在ろう事か、余は犬の身に転落して終ったのじゃぞ。

 まぁ、身分制度の崩壊して終った日本国であるから、二食昼寝、散歩付きの犬の身分も悪くは無いが、犬の耳とは、聴覚が発達し過ぎて居るわ。フン、何かと小煩い爺さんである。瓦版も、文句の内容も、笑止千万。嗚呼、明晰為る余の頭脳が穢れるわ。

 それにしても、ブンブン、ネチネチと小煩い小虫共じゃわ。爺さん、俺も、中に入れて呉れんか。自分だけ網戸の蚊帳の中とは、『生類憐みの心も無い』と云う物。他愛も無い瓦版に人情を掛ける、そちの『神経の無駄使い』が在れば、何故に余の鬱陶しさが解らんのじゃ。これでは鈍感・薄情の典型では無いか・・・ウ~、ワンワン!!>

 彼等は基本的には、お互い人語と犬語を以ってする意識・思考の中の同居人と云えようか。従って、お互い目前の物に気を取られて居れば、相手への気入れなど不要の事でもある。

「う~む。相も変わらず、民主党の輩は、ダメな連中だ。国際協調の空念仏外交とは、情け無い屁っぴり腰、事無かれ主義外交だ。そもそもの元凶はだ・・・個室っ子、鍵っ子世代は、こまっしゃくれているばかり。丸で喧嘩の仕方も知らずに大人、親に為った連中である。
 生まれ付いての過保護と無関心、無責任教育の垂れ流し沙汰であるから、怒る事の実力行使が出来ない。仲間内、自国内だけで通用する言葉遊び、言葉逃げの似非自由の似非民主主義のいい加減国家じゃから、ロシア、中国、北朝鮮、韓国に舐められ呆けて居るんじゃい。

 盗人、何癖屋連中にぁ、言葉、援助は禁物。ガツンとゲンコツを喰らわせなきゃ駄目なんじゃい。昔から屁っ放り腰連中の口喧嘩にぁ、常識・良識は不要じゃがな。相手が相手なら、同じ土俵で相撲は取るもんじゃい。ッタク、だらしが無いにも、程があるわな。・・・」

<アハハ。爺よ。それが所詮民腹から生まれた民主主義の政治家共の狭量なる器よ。躾け・覚悟と帝王学で育てられた者達との違いよ。下らん私語は良いから、先を読め。>

 板の間廊下に広げた新聞のページを、親指をベロリと舐めて次のページを出して、新聞の見出しを、舐める様に目を動かす老人である。気に為る見出しが有ると、天眼鏡を構えて、本文の熟読に入る。ニヤニヤして相槌を打ったり、眉間に皺を寄せて、真面目顔のブツブツ読みを始める。新聞の長読みは、無職年金暮らし、話す相手も居ない老人には朝の時間割の大処を占めている。

 そんな虫眼鏡老人の日常を知り過ぎるほど知らされているのが、同居人のダケンである。彼の白けた冷視の眼差しが、そんな老人の横顔にチラッ、チラッと横眼を流して居る。

<ハハハ、爺さん、そんな端から遣る気の無い『サラリーマン記事』を相手にして居ても、始まらんであろうが。フン、埒も無い。そんなに一々些事末事に力み込むから、女房子供に『愛想尽かし』をされて、挙句の果てが、ご近所さんからの変人扱いの侘しき一人暮らしでは無いか。『侘しさの灰色の鳥が、己が偏狂為る拘泥気質に在る』事が、爺さんには丸で分かって居らん。

『生類憐みのやんごとなき情』で、余が拾われて来て遣った経緯があるのに、感謝のかの字も無いのであるから、その歳にしても人間としての『まろ味も枯れの味』も出て来んのじゃ。これ、爺、朝飯は未だか。余は腹が空いたぞよ。ワンワン、これ、早く用意をせぬか。>

 ダケンのワンワンの急かし声が、老人の耳に達したのだろう。新聞への特大天眼鏡を置いて、老人の眼が、ギョロリと飼い犬を見据えて、指差して言う。

「何・・・ おい、其処の役立たずの駄犬。お前さん、今何か、ワシの悪口を言わなかったか。何だ、その目付きは。『目は口ほどに物を言う』じゃ。ワンワンの声にも、蔑みと刺の心底が読み取れたぞ。人生を重ねれば、声のトーンだけでも、犬畜生の心底くらい分かるのじゃ。恐れ入ったか、身の程知らずの馬鹿犬が。ニャハハ~。」 

 世間体に従えば、此処は飼い主の御主人様と飼われ犬の身分差である。ダケンとて本音と建前の使用区別は十分承知の上であるから、演技犬を自負して止まない彼は、<二心ない忠犬の態>で、老人の目とバッティングしない様に老人の胸元に視線を置いた次第である。自惚れの強さにかけては人後に落ちない老人は、それを見てニタリと笑う。

「どれどれ、昨夜のたっぷり雨で、小さき者達も、勢いを増して居る事じゃろうて。さてさて、飯の前に、朝の見立てに行くとするか・・・お前は、来なくても良い!! 」

 老人は駄犬に人間の威厳を見せ付ける様に立ち上がって、煙草に火を点ける。そして、一呼吸を置いて、聞えよがしに独り言の態を取って、横眼でダケンの後頭部に向かって言い始めるのであった。
 
 ダケンは、全て老人の言葉は理解出来る名犬ではあったが、一宿一飯の恩義を心得て居るから、尖った両の耳をピクリと動かしただけのポーカーフェイスを保ったままであった。

<カァ~、また始まったか。何と、悪趣味の強い爺さんである事か。これじぁ~、女房子供に遺棄されるのが、『当然の成り行き』と云うものである。然もありなむ、むべなるかな・・・これが、孤独病と云う物であろう。ウワッハハ。>

「何じゃ、その飼い主様を見下した様な、その目付きは。孤児ダケンを我が家の住人として、教育を施して遣って居るのに、全く<見込みの欠片>も無い馬鹿犬である。
 こりゃ、素直な反省心を持ち合せて居ない物は、来世はユスリカに生まれ変わって諏訪湖のワカサギの餌に為るばかりじゃて。飯は食っても、お前の肉なんぞ誰の役にも立たぬわ。まぁ、人間語の伝わらぬ犬如きに、情を掛けたワシが浅慮だったわい。

 こんなタガが外れた映し鏡・新聞読んでると、血圧が上がる。庭の新鮮な空気を肺一杯に満たして来るとしようか。」

 老人は、ダケンの落した庭サンダルを手で引き寄せると、にやりと笑ってダケンの黒い尾を軽く踏んだ。

 キャンキャン、老人は、振り返りもせずに、庭の飛び石をスタスタと歩いて行った。

<おお痛い。オノレ~、糞爺~!! 犬の尾は、言って見れば武士の刀であるぞよ。それを小汚い庭サンダルで踏み居ってからに。其処に直れ。余の牙の餌食にしてくれる。ギャオ~め!!>

 敷地の西側は、小さな菜園と為ってる。老人は、ご近所さんに倣って家庭菜園を遣り始めて居た。その煽りで、ダケンのゴロリと寝そべっての砂浴び場所を取られてしまった。氏素性も<やんごとなきダケン>は、老人の耕した畝のベットで喜んで居たのだが、何度も戯け者と頭に、ゲンコツを数発喰らって痛い思いをさせられていたのである。

 虫眼鏡老人は、家族に遺棄された一人暮らしの身の上である。菜園には、季節折々の野菜が何種類か植えられている。成長すれば、勿論一人では始末に困るのではあるが、老人は農薬を一切使用せずに、庭の落ち葉、草、生ゴミなどを堆肥として土を作って居る。言うならば、野生状態での菜園である。
 従って、菜園には蝶、蜂、テントウ虫、蟻達が、飛び動き回っている。畝の雑草などを抜けば、土の中からミミズがニョロニョロと姿を現す。そんな小さな物達を老人は、大きな天眼鏡で眺めて居る時間を趣味として居る。そんな事で、彼の家庭菜園は、食材以外にも虫達を呼び寄せる為の装置なのである。

 ダケンは、勿論繋がれてはいない。ダケンの糞尿場所は前述の様に決められて居て、菜園の畝の凹みの堆肥拵えの上にする事を義務付けられている。ダケンにした処で、それさえ守って居れば、繋がれて不自由に為らずに済むから、お安い御用の聞き訳振りを守って居るのである。

 家の中の老人が、何部屋かを回し使いする様に、庭の中にも、ダケンが時間帯で過ごし易い<寝そべり箇所>が何箇所かある。老人もその個所には、手を加えずにダケンの占有権を認めて居る処でも在った。老人は、その場所をフルイに掛けて石を取り除き、不足の砂は、川原から砂を運んだ次第でもあった。

 老人は小松菜の葉裏のアブラムシと蟻の共生関係を見たり、アブラムシの天敵・テントウ虫の関係を、天眼鏡で覗き込んだり、山椒の木にヒラヒラと舞うアゲハ蝶を見付けると、小さな山椒の葉裏を丹念に調べて見たりもする。黒イトトンボは、老人の庭の古くからの住人でも在る。

 ダケンは、朝日の日蔭と為る洗面所の外水道の脇の菜園から取り除かれた小石の置き場所に伏せて、老人の朝の趣味タイムを眺めて居る。小石の上だから、鬱陶しい小虫達の付き纏いが無いから良い場所なのである。

<フン、下らない悪趣味など持ち居ってからに、・・・ 菜園場所に屈んで、虫眼鏡を覗いて独り悦に入って居やがる。菜っ葉の蝶ちょの卵、青虫がそんなに面白いものかね。下々の遣る事は、丸で訳の分からん事ばかりじゃて。
 余の広々とした砂浴び場所を返せ。余は、風呂の<洗濯石鹸洗い>よりも、ゴロゴロと転げ回れる熱い砂浴びの方が、健康には良いのである。嗚呼、腹が空いたわい。これ爺、朝飯は未だであるか。ワワオン。>

「フン、ワワオンと来たか。馬鹿め。お前如き駄犬の考える事など、先刻承知の上じゃい。全く、スローライフの心の余裕も無い捨て犬の意地汚さと云う物だ。食の本能だけで生きるとは、哀しいものよ。

 女房子供の鬱陶しさから、自主独立して余生を季節の花鳥風月を愛で、小さき者達の生活の営みを虫眼鏡で見る。これは、一方の老後生活と云う物じゃ。それが世間には理解出来ないとは、奥行きの無い娑婆の人生観と云うものよ。ウワッハッハ!!

 森羅万象のマクロ世界とてミクロの世界との対比を通してこそ、宇宙の神秘と生物の神秘も、仄見えて来る物なのに・・・ それが、全く理解出来ないのが、犬畜生の哀れと云う物じゃろう。<駄犬を人間扱いして居る吾が身が、恥ずかしい限り>じゃ。然りとて世の理も理解出来ない馬鹿犬にヒステリーを起こされて、後ろから脛を咬み付かれても、面白くは無い。さてと、飯でも食うか。」

<おいおい、今の爺さんの言い草を聞いたか。マクロとミクロじゃと。犬畜生の哀れに、吾が身が恥ずかしい限りだとよ。おのれ~、三つ葉葵の紋章に平伏せたろうか~、無礼者めが!!>
 
 そうは言いつつも、黒い太い尾を、ユラユラと揺らして、頭を垂れて老人の後に続くダケンである。老人は、台所からお盆に載せた自分の朝飯と、ダケン用のドッグフードと水を汲んで来て、ポンと彼の目の前に置く。

 老人は魚派であるから、食事には必ず味噌汁と魚が付く。味噌汁も魚の残りも、ダケンに回って来る。何日かに一遍は、老人とダケンは、同じ物を食べる。廊下を隔てての食事ではあるが、お互いの口裏とは違って良いコンビの朝の時間である。

 再び雨が降って来たから、老人はダケンを廊下に入れて遣る。老人は、部屋掃除をして自室に入る。部屋ではラジオを聞きながら、本を読んだり、クラシック映画を見たり、昼寝をしたりして時間を流して居る。
 
 家の中に居る時のダケンには、廊下の板の間が与えられてる。外に出たければ、自分の手でサッシの戸を開けて出入りして居る。散歩は日課ではあるが、季節によって、その時間帯は変わって来る。老人は夜更かしタイプであるから、夏に為ると専ら夜散歩と為る。老人と違って、ダケンに与えられているのは、廊下内だけであるから、外に出れないと退屈この上ない時間の運び具合なのである。前足に顔を乗せて、外の具合を見て、居眠りをするしか無いのである。

<雨よ、そろそろ止むが良いぞよ。雨が止めば、散歩に行けるじゃろうて・・・>

 春秋のシーズンには、散歩方々、半日ほどをのんびりと釣りに行く事が多い。梅雨の合間の太陽の照り付けは30℃を超す。七月も半ばを過ぎて、何時梅雨明け宣言が出ても良い。

「ふぅ~、暑い熱い。こう暑くては、昼寝をして居ても、一時間もすると汗びっしょりで眠れぬ。雨が止んだか。止めば、夏の太陽じゃて。夏の遊びでもして来るか・・・。おい、ダケンや居るか。川遊びに行くぞ。家にばかり居ると、気が滅入る。」

 老人は、物置小屋から虫籠とサデ網を出して、車に乗り込む。ダケンは助手席に座り、黒く太い尻尾を振って、ワンワンと応える、

 山の迫った川原の土手道に車を止めて、老人はエンジンを切って、耳を澄ませる。川原にはニセアカシア、水柳、葦、夏草が繁茂して中天の太陽に緑を濃くして居る。土手から老人はキリギリスの鳴き声がして居る個所を、確かめて居る。虫眼鏡老人の夏遊びはキリギリス取りとサデ網によるヤマメ捕りである。

 人間と犬コンビであるから、当然に勢子役は犬のダケンの役目である。嗅覚も聴覚も、人間の何十倍何百倍も優れた犬の本性であるから、ダケンのキリギリスの追い立ては、確実なのである。
 老人は、ダケンとはもう何年もコンビを組んで居るから、自分周りの雑草を長靴の足で薙ぎ倒して、『平場』としてキリギリスが追い立てられて、自分の目の前にソロリと出て来るのを待ち構えるのである。
 身の隠し場所の無い平場に追い出されて、キョトンとしてるキリギリスを、両の手で包み込む様にしてゲットして、虫籠に入れるだけの話なのである。虫眼鏡老人としたら、個人的な夏の恒例の風物詩としてのキリギリス取りであるから、数匹の捕獲で十分なのである。

 一方、川遊びのメインは、遊びと実益を兼ねたヤマメのサデ網漁なのである。塩ビパイプを半月状にした間口1mほどのサデ網を構えた老人に、ダケンが2~3mの上部から、バシャバシャと大袈裟に荒らし回って、サデ網に魚を追い込む寸法なのである。静かな環境に突然降って湧いた大異変に驚いたヤマメが、逃げ惑って水中の網目にドンとぶつかる。

 それをキャッチボールの捕球のタイミングで、両手で構えたサデ網で、間髪を置かずにソリァの掛け声と共に、間口を天に向けて掬い上げる。網に入った大ヤマメの太い魚体が、網の中で何匹かが踊って居るのであるから、老人にとっては堪えられない『有頂天の一瞬』なのである。

 こんな時の老人のスタイルは、スニーカーに軍手、長ズボンに長袖シャツである。全身びしょ濡れの川遊びこそが、夏の遊びなのである。

 長靴ブカブカ、素肌露出は葦被れ、擦り傷、虫刺されの元である。軍手は石の下に潜り込んだヤマメの滑り防止で、強引ににがみ取り、引っ張り出す為の装備である。小学生時分から、遊び呆けて居た成れの果てが、虫眼鏡老人その人であるから、ヤマメの潜むポイントに対する目利きは、大した物なのである。

 サデ網漁は、数が取れるから、川原で流木を拾い集めて、火を起こして獲れたヤマメを焼いて食べるのが、老人とダケンの常であった。割り箸に、紙皿、醤油に塩は、携行して居る処であった。

 カッターナイフでスイスイと腹を裂き、背骨の血筋を割いて、川の水で洗い腹の中、表面に塩をパラパラと塗して、竹ぐしでヤマメを刺し縫いして、焚き火の遠火で焼くのである。遠火にヤマメの目が白眼に為り、魚の焼ける臭いがして来て、焦げた皮からジュウジュウと魚の体液が煮えて噴き出して来る。そうなると、焼き魚の香ばしい臭いが、焚き火の青い煙の中に立ち上がって来る。

          ウウ、ワオ、ワオ~ン、ワンワン!!

 自称やんごとなき公方様の落し胤のダケンは、居ても立ても居られず、串刺しにされた焚き火の周りを目の色を変えて、狂おしく走り回るのであった。

「フン、何が公方様のやんごとなき落し胤か。やんごとなき御殿様には、お毒見役が控えて居るのじゃ。ワシとて義務教育は受けて居るのじゃ。その位の歴史知識は、持って居るのじゃい。この下衆犬が~。ハハハ。御殿様が聞いて呆れるわい。如何見ても、<尾殿>じゃぞ。完全に、捨て犬正体が露見して居るわな。
 お主、猫舌であったろうが~。冷めるまで待つが良い。ワシは人間じゃから、熱々ジュゥジュウの処を、お毒見をして遣ろうて。お先に~じゃい。ギャハハ!!」

 そんな老人のからかいに、ダケンがグィとばかりに耳を立てて、老人を睨み付ける。

<嗚呼、だから不浄の者は、有名な故事すら知らぬ戯け者じゃて。お主、<目黒のサンマ>を知らぬか。馬鹿者めが~。フン。>

「クックッ、何やら、ダケンの刺々しい目付きで在る。勢子の分際で、何か言いたい事でもあるのか? 獲物は、働きに応じて公平を旨として居るのじゃが・・・ これこれ、感謝のワンワンは如何がした。これ、ダケンよ。ほれ、ワンと吠えて見よ。イッヒッヒ~。」

<馬鹿抜かせ。勢子の腕が好いから、キリギリスも大ヤマメも、労せずゲット出来たのであろうが。虫眼鏡を覗き込んで居るばかりでは、獲物など取れる訳が無かろう。
嗚呼、己れの不出来を感知出来ないとは、全く以って、見込みの無い老人である。ワンなどと謝辞など与えられようか。>

 好い運動と童心返りを満喫して、家に帰る。青空に地上の水分を上昇させて、群立つ入道雲が夏の太陽に白く眩しく湧き立って居る。シャワーを浴びて、キリギリスをプラスチィックケースに分け入れて、台所で老人は、ヤマメの腹割きと塩振り、味噌塗りである。余禄として沢ガニも大分取って来たから、空揚げにして菜園のシシトウを毟って来て、晩飯はビールで良かろうと老人は、ニタリ顔である。

 廊下を開放して、背後に扇風機を掛けて、傍らには蚊取り線香を焚く。好きな長山洋子の演歌CDを流して、上半身裸の首タオル。ケースの中のキリギリス達は早くも夏の声・ギース・チョン・ギースを奏で始めて居る。老人の向かいには、ダケンがチキンの骨付き肉、氷の浮いた水が並べられている。老人は、赤く炒られた沢ガニ、シシトウ、エダマメを肴に、缶ビールを美味そうにゴクリ、ゴクリと飲んで居る。空いた手は、ダケンの頭を撫でて居る。

 ビールの次は、焼酎である。酔いに顔を赤らめた老人が、器に氷水を持って来て焼酎をトクトクと注いで、ダケンの前に出してニヤリ顔である。

 酔いが回れば、廊下に老人と犬の鼾である。首振り扇風機の弱風に、キリギリスの声、ユラユラと立ち上る蚊取り線香の煙・・・ 今年も遣って来た老人と犬の夏の一コマであった。

  虫眼鏡老人・その8・・・(老人と犬の或る生活より) 2012/7/23

※前編は、カテゴリー内・虫眼鏡老人に収録。自作小説は、カテゴリー内・短編にて収録してありますから、興味のある方は、遊んで行って下さい。へへへ。





心何処ーショート 虫眼鏡老人・その7
                虫眼鏡老人・その7

 雨が上ったから、虫眼鏡老人は、駄犬のケンを連れて、先程最寄りのスーパーに行ったのであるが、休店であった。そんな事で、する事が無く為ってしまった老人であった。
 
 老人は窓際の机で、パイプ煙草に火を付けて、モクモクと白い煙を吹き出しながら、刻み煙草に火を回らせている。彼の目の前には、然程大きくは無い水槽が陣取って居る。パイプ煙草を燻らせながらの、金魚達とのお付き合いである。目の保養に、何年か前に買って来た小さな金魚達であった。今では、大きい物と小さい物とでは、四倍の開きが出て来ている。これは、驚くと同時に、怖い事でもある。

 普段は、庭に面した廊下で、陽が有れば、座布団を胸枕に長々と体を伸ばして、本を読んだり、座布団を枕に喉濡らしの極薄いウィスキーの酔いに、昼寝をしたりの気楽な隠居三昧の態なのである。
 板の間の廊下までは、犬にも許されたスペースである。日向ぼっこには未だ早いが、何もする事もなければ、人間であっても犬であっても、自然と瞼が重く為るのが、生き物と云う物である。老人と犬の暮らす内部を覗き見れば、何の事は無い。これが、日常の素の姿である。

 老人と金魚達は、久し振りの正面対面である。金魚達は、餌を貰えるものと、屁し合う様な形で集まって来る。まん丸の目で、飼い主を見て居るのであるから、その目は16である。盛んに、白鰭、赤鰭を振っての注目引きなのであるから、彼で無くとも『言葉は交わせないが、愛い奴、可愛い者どもよ。』と感じて終う。・・・そんな顔付の、虫眼鏡老人の表情なのである。

 窓は開けてあるから、窓の下では、庭から回って来たケンが、前足を揃えて『外へ連れ出せ』とばかりに、ワンワンの催促吠えをしている。老人は、チラリと目を遣る物の、白髪の無精ひげの生えた頬には、駄犬へのこれ見よがしの冷笑を浮かべて居る処である。

「煩い、役に立たない駄犬の分際で、お前は、女房か相棒の心算で居遣がる。フン。
 おい、お前達には見えないだろうが、あれでも、焼餅を焼いて居る心算なんだわさ。見て遣れや、『文句を言わないお付き合い』が出来るお前達の方が、余程可愛い物よ。
 ほれほれ、餌を入れて遣るぞいな。好し好し。」

 ケンは雑木の下で、その幹に寄り掛る様な格好で、長い舌をへぇへえと出して、寝そべっている。雑木は通りからの眼隠しと夏の太陽の日除けとして、植えられた木である。下の60~70cmまでは、枝が無い。従って、風通しが好い。風通しが好いと云う事は、見通しが好い事に通じる。駄犬と老人から詰られても、ケンは番犬でもある。老人が書斎としている小部屋に居る時は、ケンは決まってこの位置を、所定の場所としている次第なのである。

 幅広の密集した青葉の中から、時に、ヒラリと薄黄色の病葉(わくらば)が落ちる。

<何を偉そうに。フンだ。お前さんは偶々、人間に生れて来ただけなのに、歳で若い女に相手にもされない物だから、金魚を相手に代物妄想をして居遣がる。鏡は、髭を剃る時だけの物じゃあるまいよ。
 俺が付いてて遣らなきゃ、単なる運動不足の物臭爺っさじゃないかえ。こっちゃ、拾われの身の雑種犬だから、仕方が無い。相棒のお付き合いをして遣って居るだけだって事が、丸きり自覚出来て居ないんだよ。
 それを何だ~。言うに事欠いて、焼餅だとよ。笑止千万じゃい。人間なんて厄介物は、自惚れの塊生物、丸で自分が見えない下等動物って事よ。
              クゥア~、阿保らしくて、欠伸しか出んわな。>

 久し振りの『虫眼鏡老人と駄犬・ケンの観察レポート』であるから、今一、調子が出ない。勿論、これは、人間語と犬語の感情表現を、作者の私が、拙い相互翻訳機を使用して、文章としているのである。
 多分に感情表現と言葉表現の間には、越えられない断層のある事は、真実の処である。まだまだ、データー・インプットの蓄積が低い現状に在っては、此処いらが、限界と云う物であろうか。誤訳を一々、取り上げられたら、文作が進まないから、文句を言っては為りませぬ。

「お前達見たかい。あれが犬畜生共の『不貞腐れ態度』というものじゃ。ワシは酸いも辛いも経験して、真理を弁えた苦労人だから、人間が出来ているんじゃい。ギャハハ!!
 生きとし生ける物に、平等の慈愛と公平の行いを向ける男じゃい。言われ無き犬畜生のジェラシィーで、後ろから音も無く、ガブリと噛み付かれた日にぁ、後が痛いから致し方無しじゃ。少しばかり、お相手をして来るわいな。
 ふ~む。慈悲深い人間には、兎角、この世は面倒臭いものじゃて・・・ この駄犬め、暫し、待て。戸締りをして来る。」

 老人は、開けたままに為って居る廊下の戸等を締めて来て、飲料水のペットボトル、双眼鏡・虫眼鏡の入った小さなショルダーバックを肩に掛けてゆっくりと用意をしている。歳の所為か、老人は、再び椅子に座って煙草に火を付けて、何やらぶつぶつと確認行為をしている様である。

「なぁ、物事には、全て順序と云う物がある。生まれの悪い物には、幾ら指導者が良くても、その効果が全く無いと云うのが、この世の厳粛なる通り相場なんじゃわ。
 嗚呼、振り返れば、無駄飯を食わせ続けたと云うものじゃて。おい、聞いとるか。お前の事を言って居るんじゃ。この戯け犬めが、いっひっひ!!」

 季節は、10月に入ったばかりである。今年は、つい2週間前までは、観測史上初めての猛暑猛暑の天変の真っ只中に居たのである。雑木の密度濃い緑の葉群なのであるが、その暑さに落伍した病葉達は付いて居るのが、精一杯なのであったのだろう。そんな中で、急激な朝夕の冷え込みの秋を迎えて終ったのである。
 一つ、また一つと、薄黄色の落葉が、駄犬の濡れた黒い鼻先を舐める様にして、ヒラリ、ヒラリと舞うのである。ケンは、その濡れた鼻先をヒクヒクさせながら、部屋の老人を上目遣いに見て居る。

<おいおい、皆の衆、聞いてくれたかや。一々、この通りで、何をするにも、勿体付け無きぁ、あの重い屁っぴリ腰が、持ち上がらんとよ。生き物は、歳は取りたくは無いものよ。
 出自と経緯を言われたんじゃ、犬族にも一宿一飯の犬義って物があらぁな。コゴトコーベェー、講釈爺には、ゴマスリのドッコッイショを演ずるしかあるめいよ。
ワン、ワンワン~、 ったく、これで好からずよ。人間なんて、チョロイものよ。>

「まぁ、駄犬の身ではあるが、尾を振る犬も、また、可愛い物じゃて。さて、ケン、行くとしようか。」

 ご近所さんでは、一風変わった『虫眼鏡老人』と云われている年金一人暮らしの男である。彼は、ポケットサイズの双眼鏡と虫眼鏡を携帯して、相棒のケンと一緒に時間を掛けて、散策徘徊を日課としているのである。まあ、ご近所さんでは知らない人が居ない程の知名度なのである。奇人変人の類としか、見るしか無いのである・・・

 老人と犬のコンビは、リード線を要しない田園風景の中を好しとして居る。老人の方は、自分のペースで歩き、目に止まった物を双眼鏡で覗いたり、虫眼鏡で覗いたりの全くのマイペース振りに徹して居るのである。
一方、ケンの方はと見れば、首輪だけの身軽さに開放されれば、鼻をピクピク利かせて周囲を嗅ぎ回り、猛ダツシュをして、草叢に飛び込んで、イナゴ、バッタと戯れたり、それらをグシャと噛み潰したりのオツマミ食としたりのお遊びタイムを楽しんで居るのである。

 そんな中で、蛇なんかが出ようものなら、犬の闘争心に火が燃え盛るのであろう。殺気立った犬と蛇の格闘シーンが見られる。

 そんな時、老人は煙草に火を付けて、嬉々として目を爛々と輝かせて、観戦をしているのである。未だ、駄犬が小さかった頃は、こんなシーンでは、彼は持ち歩いて居た杖代わりの棒で、蛇退治をしていたのであるが、成長してからのケンには、一切、手出しをしなく為ったのである。
 老人は、若い頃にはスポーツに汗を流して居た男である。それなりの敏捷性と闘争心の強い性格の持ち主なのであろう。総じて、スポーツをして居た男達には、本人の自主性に任せて、静かに事の一部始終を見守る態度をする者が、少なからず居るものである。多分、虫眼鏡老人の外観からも、そんな嘗ての雰囲気が伝わって来るのである。

 トグロを巻き、急に細く為った尻尾の先で、トグロの胴体をバチバチと鳴らして、威嚇音を発して、首を擡げ、カッと開いた口で、その擡げた首の長さで素早いジャブを繰り出して、自陣を防御するアオダイショウ。

 ウゥ~、と身を低く身構えて、牙を剥き出しにして、隙を窺がう。アオダイショウの繰り出すジャブ攻撃を、誘い跳んで交わす。ジャブ攻撃との間合いを詰めて、誘い、交わす。前足で払い、跳びのく。これは、間合いの勝負と云って良い。アオダイショウの背伸びジャブ攻撃は、牙に毒が無い分、威嚇攻撃でしか無い。背伸びジャブ攻撃をすればするだけ、体力の消耗は、敏捷さを劣化させて行く。

 殺気立った迫力満点の攻防は、意外と短時間で決着がつく物である。蛇がケンの前足パンチを喰らって、一瞬闘争心が萎えた瞬間を捉えて、頭をケンの前足が渾身の力が抑え込む。牙が、アオダイショウの頭部をグシャリと噛み砕く。絶命したアオダイショウの長い蛇体に衝撃の悶絶が走り、絶命の余波が、力無く蛇体の下の方に伝わって行く。

 狩りの興奮と勝利の実感が、心臓の鼓動から、ドックン・ドツクンと発し続ける。勝者ケンの全身から発せられる野生の凄みである。

 こんなシーンに、部外者の人間が、入るべきではない。老人は、そう思っている。

 蛇が蛙、鼠、鳥を呑み込む。蛇を上空の猛禽類が、襲い掛かる。獣が、蛇を仕留める。これは、人間の目には留まらない、ごく自然な野生の日常にしか過ぎない光景である。

 老人は、煙草を吸い終えると、吸い殻を携帯パックに入れて、再び、畔に咲く深紅の彼岸花の匂いを嗅いだり、虫眼鏡で覗き込んだりしている。獲物を咥えたケンは、誇らしげに稲刈りの終わった田んぼの中央に向かう。獲物を置いて、オオ~ン、ウォオ~ンの咆哮である。

 虫眼鏡老人は、そんなケンに向かって、
「やれやれ、すっかりケンの奴は、先祖返りをしおって、おお怖い。住む世界の違いじゃて。『親しき仲にも、礼儀あり。』じゃい。まぁ、ゆっくり、食べて来いや。
 ワシは、何時ものコースで、趣味の虫眼鏡と双眼鏡で散策じゃい。」
 と呟いて、広い田園の農道を進んで行く。

<爺さん、ゆっくり時間を掛けて行きなよ。俺は、久し振りの自前調達の生肉だから、格闘シーンを反芻しながら、お食事タイムをするわいな。これが、俺達犬族の血なのさ。生きている実感よ。オオ~ン、ウォオ~ン。アハハハ。>

 山の斜面には、誰が植えたか知らぬが、日本の柿の木が、大きな木を為して居る。今年も、青葉の中に色を付け始めている。午後の傾き始めた太陽に、秋の実りが映えて居る。山際の小道には、山栗・鬼胡桃の実が落ち始めている。
 
 猛暑続きで終わった夏に、山の実りには異変が起きているとのラジオの便りであった。

 老人の煙草の煙は、風吹かれて行方知らずである。空青く、雲白く、山々は緑に輝く。上空には、とんびの滑空である。ペットボトルの水をグイと飲み、山の匂いに、汗を拭う虫眼鏡老人であった。
 そして、食べ終えたケンが合流して、老人と相棒のケンは、折り返し点の橋を渡る。集落を抜けた後は、旧宿場の通りをリード線に繋がって、通常の帰り道であった。

                             <人と犬の点描>


心何処 虫眼鏡老人 その6
                   虫眼鏡老人 その6
 虫眼鏡老人とダケンの暮らす家の柿の実も、黄橙の色を見せ始めた。庭の中央に位置する白い大きな百日紅の木は、本の少し名残花を見せているだけである。小さな西の菜園では、小振りな秋茄子が顔を覗かせている。その脇には、花を終えた紫蘇の実が、小さく膨らみ始めている。<天高く、馬肥ゆる>の天空高く続く鱗雲は、天候に恵まれないだけで、未だ空に現れて来ないが、清々しい秋の気配は、其処彼処に出番を待っている。スコールはあるものの、台風の来ない田園風景は、殆どが稲刈りを終えている。

 世界の穀倉国では干ばつ騒ぎで、小麦・トウモロコシの価格急騰で食料・肥料を直撃し、そこへオイル価格の高騰状況である。大地と燃料の予想外の展開で、物価高が高止まりの日々である。そして此処に<盛って>来て、借金大国・米発の世界金融危機の報である。年金暮らしで細く長くを、生活モットーとしている虫眼鏡老人のボヤキが、日に日に高く為っている人間と犬の共同生活である。
質実剛健・節約を旨として育った虫眼鏡老人は、生活防衛の為に財布には、その日の買い物支出の金額しか入れて来なくなったのである。欲しくとも、財布に金子が無ければ、手の打ち様が無くなるのであるし、ヘンテリを自認する老人には、変な見栄を張る癖がある。変な見栄の為に電卓も叩けず、眉間に皺を寄せながらのブツブツ暗算を駆使するしかない。その姿は、しばしば滑稽にも映る。

 ★虫眼鏡老人の一身上のプライド擁護としては、大きな声では解説出来ない処であるが、工夫が、庶民生活の最小防衛とばかりに、これも知恵を絞った結果である。
 が、然しである。自分の姿が見えぬのが、人間社会である。ボケ防止の訓練にもなると、老人は自分の工夫にニンマリしている次第なのである。買い物にも、お伴を強要される名犬・ダケンである。老人の買い物中は、彼は大人しく最短のリード紐で、適当な場所に繋がれているのが、常である。ダケンは名犬であるから、そんな時は周囲に配慮して、決まって人畜無害のポーズとして、長々と寝そべって<駄犬の狸寝入り>の態で、老人を待つのである。自転車籠に載ったエコ袋の中身は、彼の嗅覚で簡単に嗅ぎ当てられるし、その量の増減では、手の掛かるものか否かの推量も容易に付いた。

 然しながら、エコ袋を下げて出て来る老人に対しては、嬉しそうに涎を垂らして、尾を振る知恵も見せるのである。
「オヤジのヤツ、今日も、物価高騰分を、手間で帳尻合わせの魂胆だな。善き事、精を出すべし。」
「おいおい、これしか買えんかったわい。春までは物を基準にして、買い物が出来たのに、今じゃ、落ち目の三度笠じゃわい。こうなったら、勝つまで、欲しがりません。省資源国民・一億二千万、総火の玉じゃわい。財布の、軍資金の範囲内の持久戦じゃわい。冬に備えて、燃料費の備えとはな・・・ 先が思い遣られるわいなぁ~」
 自転車の前輪横に、体を寄せて早足の歩調を合わせるダケンは、老人の先導役である。

 食料品を冷蔵庫に納めて来た老人は、縁側に腰掛けて、短いタバコのエコーに火を付ける。ズボンの後ろポケットの財布を取り出して、フ~ンと大きな溜息を付いている。その横で、ダケンは老人を慰める様な舌使いで、素足の老人の足を労わる仕草で舐めている。

「分かる分かる。そうなんだよな。ラジオ情報に勇んで、食糧確保に諏訪湖まで脚を伸ばしたまでは、好かったのに・・結果は、防波堤で、俺の背中を枕に不貞寝の一日。止せば好いのに、数日経ってスーパーで秋田産の小振りワカサギのパックを二つ買い込んで、得意の腕を奮って佃煮を作ったのにさぁ、これが意に反して、諏訪湖産とは雲泥の味と来たもんだ。食い意地1本の舌の肥えた主であるから、箸を付けただけで、<こりぁ、不味い。ワシの口には合わん!!>と、言ったきり、ゴッソリと残してしまった。それを<材料費と手間が掛かっている。勿体無いから、お前食え。>と、全部俺様に押し付けたんじゃ無いの。俺とアンタは、長い付き合いだぜ。下衆の人間舌に合わない物を、『公方犬の舌』に合う訳が無いだろう。好い迷惑だったぜ。俺様は、400年前まで遡れる程、出自が正しいから、文句も言わずに食った振りをしてさ。庭の隅に、穴掘ってゲェーだったんだぜ。」
 縁側に控える雑種にして大型犬は、これまた、名犬にして駄犬である。同情・愚痴・皮肉と腹の中は、思い付いたまま、浮んだままの主人に対しての蔑み感想の羅列である。尤も、彼は計算高い名犬であるから、同情した振りの慰めの舌使いだけは、堂に入った演技力なのである。

 一方、人と犬の関係で絶対の優位を過信する老人は、これまた、拾い主・飼い主の貫禄を、強調して、大分辛い味のショート・シガーの赤橙のエコーを、スパー、スパーと吸いながら、
「ああ、諏訪湖が不味かったなぁ、大分早過ぎた。あれが、ケチの付き始めじゃたわい。あの秋田産のワカサギ見たら、諏訪湖のワカサギを連想して、何時も通りに遣った筈なのに・・・結果論からすると、半日掛けて、ダケンのオカズを作ちまったよ。偽情報のとんだトバッチリだよ。斯く為る上は、NHKの糞たれ野郎、今月分の受信料は、絶対に払わ無ぇぞ。ワシの上等な口が、麻生太郎見てぇに、ひん曲がっちまったぜ。全く許せねえ<ガサネタ>じぁないか。集金のトッツァン捉まえて、部屋に呼び込んで、手製の梅酒は勿体無いから、砂糖抜きの安物コーヒー入れて、たんまり可愛がってくれるわ。イッヒヒヒ・・・ あっ、ワシとした事が、証拠物件に、冷凍保存して置くべきだった・・・ 迂闊だったわ!! それを、ダケンのヤツ、特上珍味だとばかりに、それをガツガツ食べるから、下賎の胃袋がびっくりして、庭にガサツな穴を掘りやがって、クワン、食わん、クワンだと。ワシが知らんと思ってるのか、この罰当たり犬が。」

「ああ、なんちゅう主だ。冗談じゃないぜ、全く。あんな物を体内で消化したら、俺の優良体内消化細菌が、全員消滅しちまうぜ。責任転嫁も大概にしろよ。<反省が、人間を磨く>なんて事を、人間様が日頃近付かないから、腹いせに、俺を練習代に言ってるくせして。この<すり替え老人!!> 世迷言も大概にしろよな。しっかり反省しなさんせ。先が思い遣られるぜ・・・呆ける前に、きっと脳軟化症で、クシャミと一緒に変色した脳味噌が、飛び散るぜ。ああ、想像しただけで、バッチイわさ。若しかしたら、安い中国産ばかりに手を出していたから、毒が回って来たんじゃないか? 急にパスしても、毒素は、体内蓄積するんだぜ。イッヒッヒ。俺なんざ味覚が肥えてるから、ヤバイと思えば、サッサと庭の片隅に穴掘って、ゲェーさ。人間ってヤツは、往生際が悪いから、症状を薬で誤魔化してしまう。悪い習慣だよ。云うに事欠いて、文明・文化の進歩だった言う始末だよ。お前さん達だけが、暮らす地球じゃないのにさ。過ぎたるは、及ばざるが如しが、丸で分かっちゃいねぇよ。<シンプル・イズ・ベスト>で、体内に優良細菌のセンサーを飼育しとけば、自動センサーが、俺様見たいに作動するんだよな。人間世界は、公方犬から見たら、ミイラがミイラの図式だよ。分からんのかね、学習効果の薄い種族ばかりが、蔓延っちゃってさ・・・・ 待て待て、親父に早死にされたら、こっちも困る事態発生じゃないか、いかんいかん、お互い、お互いが頼りじゃないか。此処は、一途に共存共栄が肝心。」

 ダケンは尾を振って、縁側の廊下の端に手を掛けて、愛嬌のワンワンを繰り返す。老人は、飲み頃となった梅酒を切子グラスに、トクトクと注いで空を見上げる。イチイの赤い小さな実が成っている。昆虫を探して、四十雀が庭木を渡っている。秋の小菊が、背丈を延ばし始めている。草臥れの目立つ蝶々が、風に吹かれて、庭を横切る。

「さてさて、天気は悪いが、散歩に行こうか。」
「あいよ。」

 リード紐を首輪に付けずに、手に持った老人と、先払い役をするダケンが、河川敷に降りるコンクリートの階段を静かに下りて行く。草刈の済んだ河川敷に、虫達の声は、静かに地を這って聞こえている。赤味を増して来た蜻蛉が飛び交い、川面を鬼ヤンマが、速いスピードで下って行く。雨の定期訪問を受ける今年の流れは、秋の澄みを湛え始めているし、目一杯に背丈を伸ばしたコスモスが、思い思いの顔と色で風に揺れている。人気の無い平日午後の風景である。

 夕刻から降り始めた雨は、終日の雨に成りそうである。ご近所では、改築が進んだのであろう。建築足場を解体するカンカン、コンコン、トントン、グゥインと金属音が、朝から聞こえている。車庫のシャッターが上げられ、エンジンが掛けられる。娑婆は朝に向かってスタートである。

「さてさて、起きるか、クァ~、朝であるか、ああ、寒くなったものである。年寄りにはキツクなり始める。冬の思いからすれば、上等上等、アアーと来たもんだ。」
と、老人は、足で上布団を蹴ると、何時もの通り寝た儘、伸ばした脚を上下させたり、体を左右に捻ったりの朝のウォーミングアップをするのである。
「おお、主殿のお目覚めであるか、今日は、雨だから、俺様の食事時間は、遅れそうだな。おぅ、ゴソゴソして、着替えをして、布団を上げたか・・・ オッ、来るな。朝のご挨拶に尾を振るか。」

 ダケンは廊下の下で、寝そべった儘、立った耳をピクリピクリと音・気配の方向に向けるだけで、上の老人の行動を追っている。
部屋の障子戸が開けられ、廊下の戸が開けられる。外にはダケンが雨に当たって、前足を揃えて座り、キリッとした耳立てのポーズで、主殿を待っている。
「お早う。雨じぁのう。濡れるから、縁の下に入って居ろ。飯は、暫し待て。」

 餃子騒動があったからは、老人はペット・フードをぴたりと止めてしまった。老人とダケンは、同じ物を食べる様になった。老人の食卓には、必ず魚が付いた。

 雨は、相変わらずシトシトと降り続けている。老人は、書斎で虫眼鏡を磨いている。窓辺に並んだ水槽には、昨日慌てて買って来た小さな流金がユルユルと泳いでいる。諏訪湖から持ち帰ったスズキ目ハゼ科のウキゴリは、デカイ態度とふてぶてしい面構えまでは許せるが、その悪食でグッピィ達を捕食していたらしい。数の目減りに、老人は水槽を分けたのである。グッピィ達を一匹づつ掬って移し替え、ヒーターを投入したのである。然りとて、移し替えた水槽にウキゴリ一匹だけでは、格好が付かない。食害に合わぬ金魚の投入と為った次第である。

 ユラユラ泳ぐ流金の柔らかな尾びれに向かって、水草の茂みからウキゴリが、ツゥーとばかりに攻撃を仕掛けている。空かさず、老人は虫眼鏡を取って、水槽の中を覗く。

「コリャ、乱暴狼藉、いい加減にしろい。その馬鹿デカイ口で、可愛いグッピィを何匹喰らった。ウウン、猪口才なぁ~ 今度は、底に沈んで音無し擬態の様か。お前さん、口を閉じて、石に為った積もりか? ぶ格好なデカイ面に、チョコンと小粒の眼を飛び出させて、知らん振りか・・・ 気付くのが遅かったら、危うく<玉砕の水槽>に変わる処じゃたわ。海のお前達の仲間は、何と呼ばれているか知ってるか? 何にでも喰らい付くダボハゼの『侮称』で呼ばれとんじゃ。お前達は、不味くて食用に供しないから、ダボハゼと罵られて居るのだぞ。同じ仲間のヨシノボリは、天ぷら、佃煮になるから、未だ好としてじゃ、お前のダボは、丸きりの<拿捕>じゃないか。良いか、姿形はカジカにも似るが、カジカはカサゴ目カジカ科にして、美味・高級魚の口じゃわ。醜女(しこめ)・醜男(ぶおとこ)が、金髪・赤毛の美女を襲って、如何する気じゃい。焼もち・チョッカイ・手篭めの気持ちも分からぬ訳ではないが、白昼・夜陰に乗じて問答無用のパクリは無ぇだろう。人間社会じゃ、<連続猟奇殺人鬼>って言うんだぞ、バカ野郎。逆恨みするんだったら、相手が違うだろ。う~ん、何々、体調10cmだと、え~と、今は精々、5cmだから倍のデカサに為る訳か、まぁ、流金と同程度だから、金魚が食われる心配は、無かろう。連れ帰ってしまった責任も否定出来ないから、暫く様子を見るとするか・・・」

 虫眼鏡老人は、卓上スタンドの明かりを近付けて、水草の中段に寝そべる青みを帯びた茶褐色の体色に、青みの斑点模様を浮かべるウキゴリを、黒い大きな天眼鏡で繁々と見詰めて、顔を顰めている。天眼鏡に映し出されるウキゴリは、ドッチ・ボールの玉を押し潰した様な偏円の下に、デカイ口を真一文字に閉じて、申し訳程度の小さな突起の、左右が大きく開いた眼で、老人の眼を確り見据えている。天眼鏡の老人の拡大された眼が、尚もウキゴリに近付いて行く。

「無礼者めが、益々以って、許し難き無反省の態である。この際、きつく申し渡して置くぞ。」

  一つ、獰猛なる食生活を改めて、金魚餌に馴染む事。
  一つ、身の丈を確り弁えて、流金達への卑猥なるスカート捲りは、厳禁の事。
  但し、水草の陰・水底に於いて、優美なるスカートを静かに愛でるは、この限りに非ず。
  一つ、改心の態度著しく認められる時は、褒美として生餌のサシを与える物とする。
  一つ、三条を破りし時は、即刻、ダケンの餌に供されるべし。
                                    奉行虫野眼鏡守。

「まぁ、顔付きを見ても、全く知能の感じられるぬ面構えじゃから、これ以上のご法度細目は、消化不良の段にて、申し渡すに能(あた)わず。ダボハゼこと、ウキゴリに堅く申し渡す。之を以って、本日雨天のお白洲、打ち切りと致す。ギァハハハ。ご先祖様、之で宜しかろうが。」

 縁の下のダケン用毛布を下に、惰眠を貪っている耳に、何やら、老人の書斎から、狂人の高笑いが聞こえて来る。ガバッと身を起こしたものの、外は侘しさ運ぶ、降り止まぬ雨である。少し、聞き耳を立てて見たが、続く気配の無い書斎方向であった。再び、ゴロリと身を横たえたダケン様の動きであった。
「如何した主殿、昼飯には早かろう。俺らは、未だ夢うつつの世界を、うろつきまする。」

          秋雨に沈む盆地は、秋の気配に満ちて来た。
外に出られぬ人も犬も、濡れた蜘蛛の巣が、重く見えるばかりに、時間を弄ぶばかりである。

                        <人と犬の点描> 2008/9/29
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