旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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私的歴史考2…遥か為る想い、繋がり。
        バイカルのマンモス_001縄文人参上_001ご挨拶_001

                私的歴史考2・・・遥かなる想い、繋がり
 <1>
 シベリアの真珠と云われるバイカル湖は、世界自然遺産の一つでもあり、東シベリアに位置するブリヤート共和国に在る。琵琶湖の46倍にして水深は1700mを越す世界一を誇り、透明度も摩周湖を越す世界一の透明度との由。湖には奄美大島に匹敵する島を始め、22の島を浮かべて居るそうな。
 淡水湖では北米大陸の五大湖の一つ、スペリオル湖に次いで世界第二位。その貯水量は世界最大にして、世界中の淡水の17~20%に及ぶと云う。これは、想像を絶する圧倒的存在である。

 このアジア最大湖の歴史は、3000万年前に遡り、元々は海溝で在ったとされる。印度亜大陸がユーラシア大陸に喰い込み、北東と南西を結ぶ線で引き裂くユーラシアプレートとアムールプレートの境界線に当たる地溝陥没部に当たる為に、現在も年に幅2mm深さ6mmずつ拡がって居るとの事である。

 人類誕生が500万年前、猿人、原人、旧人、新人、現代人と進み、現代人の直接の祖先ホモサピエンスが、アフリカ大地溝帯に誕生したのが20万年前であるそうな。人類は10万年前に大移動して、ヨーロッパ、東南アジアに。そしてマンモスを追ってシベリアに向かったグループも在ったそうな。

 日本人のルーツは、①シベリアルート、②南海ルート、③中国ルートの時代を隔てての渡来形態であるそうな。DNA鑑定に依ると、その中で一番数の多いのが、シベリア原住民・ブリアート人との由である。

 北部ユーラシア大陸を東西に横断する草原の繋がりの中、大シベリアに訪れる短い夏に人類の祖先達は、果敢に生きて居たのだろう。バイカル湖の近く、マンモス、大型草食獣を狩猟して居たブリアート人の2万3千年前のマルタ遺跡には、酷寒の地での創意工夫の生活の跡が記されているそうな。大型獣を狩る道具は、ガラス質石を鋭利に加工して木・骨に溝を彫り、其処に埋め込んだ<細石刃>の付いた狩猟石器である。彼等はそれに依って強力な槍、刀、ナイフを作ったそうな。

 地球環境は寒冷化が進んで、マンモスなどの大型草食獣は、南下を始める。それを追って凍った海を渡って、樺太→北海道に渡来した人達が焚火をした跡が、北海道千歳に在るそうな。その中に、渡来人の出自を示す<細石刃>が在った。それは、2万年前との事らしい。

 生きる事は、狩りをして食料を貯蔵・保存する事である。狩り道具の細石刃と貯蔵道具の器が、人間生活の基礎とも為る。

 土器のルーツは、1万3千年前にシベリアのアムール川流域で、川魚の脂を貯蔵する容器として使われて居たそうな。エジプト、メソポタミアの土器よりも数千年前の1万2千年前に日本の土器は存在して、煮炊き用に使用されて居たとの由。

 気象の大変化に依り、大型動物(草食獣・肉食獣)は環境の変化と共に死に絶え、日本列島は広葉樹林と変化した。当然に鬱蒼と茂る広葉樹林での狩猟は、対象動物の小型化、狩猟道具、狩猟方法の不適合等で食糧危機に見舞われる。

 日本列島先住民は深刻な食糧危機を迎えて、背に腹は代えられぬ飢餓の中での創意工夫が死活問題であったらしい。此処に、広葉樹からのふんだんの贈り物・ドングリを如何に食用に供するかの『食料革命』が生じたとの事である。

 原日本人の食料革命は、ドングリを煮て渋みを除去する方法に、工夫に工夫を凝らす事に為った。食料革命の道具が煮炊き出来る土器への改良で在った。

 劃してシベリアの土器は、日本で改良されて行く。貯蔵用土器と煮炊き用の土器で在り、それは形状と厚さである。シベリアの厚い貯蔵用の土器から、薄い煮炊き用の薄い土器に改良されて行った。熱効率を求められた土器は、より薄くに改良された。強度を有する粘土の繋ぎには、動物の毛の投入が工夫されたと云う。粘土の繋ぎは、混ぜる、捏(こ)ねるの工程に応用されて、現在の粉もの食品の蕎麦の繋ぎにも受け継がれて居るのかも知れぬ。

 発見・発明は、工夫・加工に於ける要素から成り立ち、其々の要素群は<汎用性の基礎>を築く。詰まり発見・発明は、周辺に応用の思考・技術を発展させて行く。

 そして、シベリア狩猟文化の担い手・細石刃は、黒曜石を使った鋭利な石器と動きの速い小動物狩猟の道具として、ヤジリに転化して、日本列島には<狩猟採取の縄文土器文明>が、穏やかで温暖な悠久の時の刻みの中に、豊かな1万数千年を刻み込んで、日本人の精神性の揺籃期としてDNAの中に確りと刻み込んで行ったのであろう。(※この辺りのファンタジーは、夢奇譚第16部・・・縄文にハングライダーに記した次第である。)

 こんな地球に刻まれた痕跡は今や、考古学・DNAに頼る<夢紀行の世界>でも在る。然しながら、そんな考古学的旅を現在に伝えて居る物が、『鳥達の渡り』なのでは無いだろうか。お役御免と成ったロートルの私としては、時の合間に時空を遡る夢想の一時を彼是と思い巡らせる時を得たと言う次第である。

 <その2>
 アジアモンスーンは、5月中旬にアフリカ東岸→印度洋→東アジア迄1万kmに渡る大気の運行との事である。日本では夏季に太平洋高気圧から吹き出す南東風、冬季にはシベリア高気圧からの北西風の季節風が吹く。

 この季節風の恩恵に逸早く乗ったのが、翼を持つ鳥達で在った事は、当然であろう。南風に乗って夏鳥達が群れを為して、日本列島を目指して繁殖に遣って来る。秋に為ると南に帰る夏鳥達に代わって、北から冬鳥達がやはり群れを作って越冬に遣って来る。

 翼を持たない島国の人間達は、そんな自然観望に想いを馳せつつ、工夫を巡らせる。人間の季節風利用は、遣隋使・遣唐使船にも利用されたし、室町・戦国時代の倭寇にも、秀吉・家康時代の40年前後と云われる日本に於ける大航海時代とも称される御朱印貿易で、千石船、中国のジャンク船、ポルトガルのガレオン船をモデルにした航海船、航海術で、ベトナム、タイ、フィリピンへと交易の時代を歴史に記している処でも在る。
 その担い手は、呂宋助左衛門、角蔵了以、天竺徳兵衛、角屋七郎兵衛、末次平蔵、浜田弥兵兵衛、山田長政・・・etcである。

 隋唐に倣った文化が第一回文明開化なら、絢爛豪華の安土桃山文化は、南蛮文化を採り入れた第二回の文明開化の時代でも在った。第三の文明開化は、ご存知・明治の文明開化である。

 日本は模倣の島国に非ず、立派な海洋国家で在ったのである。そして何よりも日本の凄い処が、開国→鎖国→開国→鎖国を繰り返す事で、開国の異国の文物を採り入れた後に、鎖国をして日本人の生態から行き過ぎた異物を、牛が反芻して体内で消化して日本風の加工をして来た国柄なのである。

 決して、是、猿真似に非ずして、得た文物に不断の工夫・応用・援用と称すべき加工に富んだ特異性を持つ民族で在り続けている。この特異性を称して『天晴』と云うより他無いのである。

 この縄文時代からの脈々と培われて来た日本人の一大特質は、戦前なら大いに持て囃(はや)された『良質の国民性』にも拘わらず、たかが一回の敗戦で、<戦前悉く悪の東京裁判史観>の下、占領国の米に勝手放題をさせられ続けているのが、戦後日本の姿である。
 然しながら一寸、考えて見るが良いでは無いか。米本国が斜陽と為ればTTPに依る米ブロック経済の傘下に国体=国柄さえも提供せよと云うのであるから、棒振りに大学時代を浪費した民主党・菅無理総理の開国論に国の進路を開いて仕舞った次第である。
 戦後は言って見れば、占領下限時憲法下の個利個権の自由と似非平和主義を内外の左巻き勢力に洗脳されて、今日にまで至って居る。米に依る思想統制で日本は精神的自立と云う面では、正に『米国の鎖国政策』に封じられて来たと言っても良かろう。
 
  ★戦勝国・東京裁判の押し付けられた自虐史観など、『笑止千万・噴飯物』である。
 世に歴史好き、大河ドラマ好きの輩が多かれど、戦国の大タヌキ・家康が、秀吉を相手に面従腹背の恭順振りを見せても、時を待って豊臣の世を一掃して、徳川300年の基礎を築いた史実との比較に於いて、『だらけ切った戦後70年』を考察しないと云う脳回路の幼稚さは、摩訶不思議と云わざるを得ない次第では無いか。

 冬鳥・ツグミはシベリアから千島列島、樺太の島伝いに渡来するグループと、大陸から日本海を渡って能登半島→南下するグループが在るとの由。これは、夏はシベリアでツグミと暮らすジョービタキの間柄でも在るからして、この二者は渡りのルートも近いのでは無かろうか。

 地球儀を持って来て眺めれば、バイカル湖を南下すれば、ゴビ砂漠・荒涼とした山岳の地である。大気の運行・北西風に乗って、東に進めばロシア沿海から海を越せば、能登、樺太、千島、北海道、本州と為る。因みに、新潟→ウラジオストクは、飛行機で一時間弱の距離である。

 翼を持つ渡り鳥は、翼を持たなかった人間達にとっては、長距離旅の先導者で在った筈である。詰まりは陸路を採れば、蒙古高原からヨーロッパのハンガリー迄の草原の道は、ジンギス・ハーンの破竹の走破路にして、海路を採ればアジアモンスーンが吹く渡りの回路と為って居るのである。

 差し詰め、大気の運行に従って、ユーラシア大陸を東進した方が、理に適っている。翼を持つ鳥の強みで、陸路で進み、適当な所で南下して、ウラジオストク辺りから日本海に飛び立てば、能登半島に到着する。能登半島から日本アルプスを跳び超えれば、冬の越冬地・信州は松本平に着く。そう推理すれば、真に直行率の好いシベリア⇔松本の渡りルートが出来上がる次第である。

 <その3>
 此処は、バイカル湖の西岸である。この時代、シベリアの乾燥した大地の植相は、柳に稲科の植物に覆われた草原の大地である。草食性のマンモス、トナカイ、オオツノヘラジカが悠々と群れを作り、草食獣を狩る肉食獣が寝そべる・・・そんな広大無辺の大地でも在った。

 シベリアの大地は長い冬を閉じて、足早の4か月の春夏秋を迎え、再び深い冬に閉じ込められる。内陸気候の特徴は熱し易く冷め易い。加えて高緯度であるから、太陽高度はかなり低いが、日照時間はかなり長くなる。夏至の時は北西に沈んだ太陽は、3時間もしたら北東から昇って来る。サンセットの夕焼けが、其の儘、サンライズの朝焼けと続く光景である。

 ブリアートの男達が10人、大声を発して巨大なマンモスを遠巻きにして騒いでいる。男達は手に手に、マンモスの牙に威力抜群の細石刃を施した長い槍を構えている。先頭の男は痩躯ながら精悍な筋肉と精悍な顔付、鋭い目付きと良く通る声で、集団を統率しながらマンモスとは一定の距離を保って<或る方向に>追い立てている様子である。

 冬の凍土は5月を迎えて、雪解けを促しザクザクしたシャーベットの地表である。その土目からは、春を待ち兼ねた<駄打っ子>の様に柔らかな緑が、随所に一斉の成長させている。芽吹き・成長・開花・結実の<四カ月の一生の時>を種子達は、丸で命を燃やす様に躍動を開始するのである。
 草食動物は群れを為して一斉に緑を追って、シベリア・タイガを北上して来る。冬の雪原は、雪解けに依って雑多な湖沼を作り出す。蚊などの小昆虫を大量に発生させる。それを追って、鳥達が繁殖の季節を過ごしに遣って来る。

 草食動物達は、皆、大型である。それはシベリアの寒さを体を大きくして体脂肪を巻き、長い毛で長い冬を生き抜いて来て居る動物達である。マンモスは春の草を食べに来ているのであった。

 開氷したバイカル湖は、増水した水を下流の平地の雪を溶かし、幾つもの池を生じさせている。リーダーの男は、マンモスをその一帯に追い立てている様子である。

 後世マンモスハンターなどと形容されているブリアート人では在るが、その狩りの対象は、1にトナカイ、2にオオツノヘラジカが圧倒的に多ったらしい。トナカイ、シカ20に対してマンモスは1の割合だったとも云われている。それは当然の結果であろう。幾ら、落とし穴を作ったり、水に溺れさせての狩りと云っても、人間の何十人にも当たる巨大マンモスに、例え集団で在っても生命を張ってまでの狩りが、日常的に行われると考えるのには無理がある。

(※余談では在るが、ゾウは大きく二つの系統で、アジアゾウとアフリカゾウで、マンモス、ナウマンゾウは、アジアゾウに分類されると云う。)

「お~い。マンモスの左右を絞って行け。そんなに開いたら、落とし穴から逸れるぞ~。」

 マンモスは、煩い人間共には構わず、長い毛で覆われた長い鼻を生き物の様に器用に動かして、草の芽を吸う様にして口に運んで居る。それは、悠然とした王者の態度である。マンモスとしたら、冬の間は分厚い体脂肪を消費しながら、積雪を牙で押し退けて枯れ草、苔で空腹を凌いで来ての漸くの新鮮な幼緑の味である。邪魔立てされて堪るかの思いである。

 自分の前をウロチョロする小さな人間など、自分が煩いと言って、少し威嚇の声を上げれば、逃げて仕舞うだけの生き物である。人間など、取るに足りないちっぽけな小動物である。

 ブリアート人からすれば、長い冬が明けて早秋の色が芽生える時、一年の狩りの吉凶を占う神事の様な物が、早春のマンモス狩りなのである。

 集落の者は、冬明けにマンモスを切り刻む象牙のナイフを作る。象牙を50~60cmの両刃状に設えて両側に溝を彫る。溝にガラス質の黒曜石を薄く鋭利に欠いて、埋め込む。それが出来ると、丹念に両刃刀の形状に丹念に磨き上げて『神刀』を作るのである。
 神刀が完成すると、トナカイの心臓を神とする太陽に捧げ、満月の夜に集落を挙げて空を司る太陽と月に、狩りの成功と一年の生活を祈り踊り明かすのである。

 冬明けのマンモス狩りは、一年の吉凶を占う集落を挙げての狩りである。全員で落とし穴を数個作り、狩り行には腕の秀でた男達が選ばれる。これは男の名誉と同時に、重い責任を負った使命団でもあった。

「3名、前に回って進路を阻め。後は左に回れ。怯むな、大声を出せ~!! 右へ行かせろ。動きを揃えろ。気合いを入れて行け~!! ソリァ~、ソ~レ、ソリァ、ソリァ!! 太鼓を鳴らせ!!」

 マンモスの前に、リーダーの男を先頭に3人の男達が、大声を張り上げて、長い石槍を繰り出して進路を阻む。マンモスがブオ~と威嚇の声を挙げて、丸太ん棒の様な鼻を擡げ、振り回す。パッと後退する勢子(せこ)の俊敏さである。
 
  狩りのリーダは綱引きチームを先導して、引きと待期・我慢を指揮する役割に似ている。

「下がれ~、下がれ。よ~し。そのまま、待つんだ。」
「マンモスが向きを変えた。さぁ、押し出せ~。」

 間髪を置かずに6人の男達が大声に呼応して、マンモスの左側から長槍を繰り出す。興奮したマンモスの耳が、バサッバサッと空気を打つ。

「ソウリャ、ソレソレ、構えて、押し出せ~!!」

     マンモスと人間達の至近距離での鞘当が何度も繰り返される。

 大地に四本の足で立つマンモスと人間では、石器の槍など、通用する物では無い。マンモスを怒らせたら、人間は散り散りに逃げるしか算段は無い。人間の戦法は、目に煩く集かる小虫の様に、追っても追っても、何処までも執拗に執拗に波状攻撃で苛立たせて、落とし穴に誘導して行く戦法しか無いのである。マンモスの巨体が、自ら落とし穴に落ちて、自由が利かなく為るのを待つ。マンモスの狩りは、正規では人間に分は無いのである。

 従って、ドラマの様には進まないのが、マンモスハンターの実態なのである。狩りは2~3日を要す事が殆どである。

 狩りは成功した様子である。落とし穴に依って狩り獲られたマンモスは、細石刃を施した神刀で、解体されて、集落の全員が肉を担いで集落を往復して居た。

 春のタイガの大地に、狐、タヌキも、ワシ、タカ、カラス、ツグミ、ジョウビタキも、マンモスの削ぎ落とされた肉の小片のお零れに浴して居る。

 <その4>
 氷河期は一段と進んで居た。気象変動を司るものは、海と大陸で生まれる気温と気圧に依って引き起こされる<地球規模の大気の運行>で在る。天空の大気移動さながらに、地表の動植物に生存・移動分布の変化は、云って見れば天空の大気移動を地表に写した図とも云えよう。
 
 植物、昆虫、動物も、生存環境、食料を求めて、南下して行った。翼を持つ鳥類は、その飛行距離の長さの故を持って、定地から定期的な冬と夏の移動を持ち始めて居た。その南下分布は、何千年にも及ぶ定住を求めての移動並びに適応の歴史を地球に刻んで来たのであろう。

 七万年前に北方からマンモス、ヘラジカ、トナカイ、ヒグマ、ナキウサギ、キタキツネが、南方からはナウマンゾウ、オオツノジカ、カモシカ、ニホンジカ、ツキノワグマ、ニホンザルが渡って来たと云われている。最後の氷河期が終わるのが一万三千年前~一万二千年前との事で在り、この時期に日本は完全に大陸から離れて、現在の姿と環境を整えたとされる。

 嘗ての北限の輝き・バイカル湖西岸のタイガステップは、一草一木も育たぬ大氷河の下に眠って居た。石器文明の雄・ブリアートの生活も氷河の侵攻に、南下する大型獣を追って広大なユーラシア大陸を、東南下をして行ったのであろう。大型獣は凍った日本海を渡り、樺太、北海道に渡り、北海道千歳では、2万年前の集団焚火跡から北方狩猟民族の証・細石刃を用いた石器が発掘されたと云う。

 北海道と本州を隔てて居た津軽海峡も氷結して、ユーラシア大陸の東端に達したと云う。海を臨む大陸の東端の気候は、氷河期の寒冷を和らげて踏み止まって居たに違いあるまい。マンモス、ナウマンゾウ、オオトナカイ、オオツノヘラジカなどを、先祖達がバイカル湖西岸での狩猟生活の再現して居たのかも知れぬ。

 南下分布・適応の中で、彼等はアムール川での素焼き土器を生活道具として物にして居たとの由でも在る。

 斯様に水の惑星・地球は、冷却と温暖を繰り返しながら、温暖期の雄・恐竜天国を発展させたり、寒冷に立ち向かう生物達の創意工夫を糧に、種を発展させ、首座を交替させながら、地球と共に生きて来たのであろう。

  現在冬鳥として渡って来る鳥達は、留鳥として一年の大半を日本列島で暮らして居た。

 <その5>
 此処は、ユーラシア大陸から再び切り離された縄文海進が進んだ日本列島で在る。氷河期に寒冷の大陸から南下して来たマンモス、ナウマンゾウ、オオトナカイ、オオツノヘラジカなどの大型獣も絶えて居た。

 植物達は根、風に飛ばされ、水に流される種子に依って移動を重ねる。昆虫達は、植物と共に移動する。昆虫を捕食する小動物、鳥達は、それに倣い、小動物を追って、肉食動物達も続く。魚は沢・川・湖沼・海を棲み分け、回遊・回帰をして生命を次に繋ぐ。

 動物は四足で移動し、人間は徒歩、舟に依って移動、定住を繰り返して来た。翼を持った鳥達は、水平の渡りとして、繁殖の夏鳥、越冬の冬鳥、上下の渡りとして高地・低地を往復する留鳥にと環境適応を果たして居た。

 氷河期の草原と針葉樹の植相は、がらりと変わって鬱蒼と重なり合う広葉樹の大地に様変わりして居た。温暖な気候の下、陸は緑に肥え、海は豊穣の輝きを以って、北方狩猟民族の末裔・縄文人達に、石器と土器の縄文文化を花開かせていた。
 バイカル湖西岸の大型草食獣の狩猟が主体であった北方狩猟民は、それ等が死に絶えて、ニホンジカ、カモシカなどの中型草食獣を狩りながら、広葉樹の森林に、たおやかな海で、食料革命に依って素朴では在るが、豊かな暮らしを開拓して居た。

 森林の狩猟は、弓矢に移行して木の実採取は、栗の栽培、野菜類、家畜までにも拡がり、海では貝・魚を常食にして農耕と同様に貝類の養殖も在ったと云う。当然に、山と海の交流も盛んで在ったらしい。着る衣服にも、デザインが施され、女達は装飾品を日常的に身に付ける様に為って居た。

 <その6>
 悠久の時は流れて、営まれて居た痕跡は、地中深く眠ったままで在る。時折、人類の発展の手で地中が工事で掘削される時、悠久の時の証左が発見される事が在る。考古学上の大発見、定説を覆す最大の発見などの活字が時々上がるが、それは埋もれた悠久の時の一断面にしか過ぎない。圧倒的な悠久の時の証左は、依然と土中深くに眠ったままである。

 例年通りに里で越冬した鶯が、お礼に庭でホーホケキョと鳴いて山に帰る。若葉茂る五月とも為れば、留鳥の雀、カワラヒワ、ヒヨドリ、キジバトが巣を作る。川原に葦が勢い良く緑のカーテンを伸ばす頃に為ると、オオヨシキリが卑猥な囀りでベベッチョ、カイカイと大声を発し、托卵のカッコォ鳥が、早朝に声を挙げる。夏の渡り鳥達が、山野に囀り繁殖をする。七月とも為れば川原に蛍が飛ぶ。

 秋に成れば南に帰る鷹類が、青空一杯の白樺峠の天空に二千羽を超す鷹柱を作る。落葉が寒く舞う頃に為ると、冬鳥の純白のコハクチョウを皮切りに、ジョービタキ、ツグミなどが遣って来る。アルプスが白い服装に覆われて、アルプス下ろしが肌を刺す頃には、マガモ、コガモが凍て付く流れに浮かぶ。

 今年も吾が家の庭に、ジョービタキのメス・バルディナが姿を見せに遣って来た。冬の渡り鳥ジョービタキに注目して数年で在る。私の想像では、三代目に当たるジョウビタキのメスで在る。

 老いて独り暮らしが危ぶまれて来た母の賄いを始めて、七年に為るだろうか・・・。介護と云う或る意味・閉じ籠り生活へのシフトであるから、自ずと目前の物への自然観望が、それなりに身に着く物である。

 まぁ、私は幼少の頃から出不精の内向性の性質である。従って、人生第二ステージとしては、良い頃合いと良い環境で在るかも知れないと思っている次第である。

 私の一つの性向として、人間を動物に喩(たと)えると云うか、動物を人間に喩えると云うか、そんな想像遊びが好きなタイプなのである。当然、私は好色戯け男であるから、女が大好きである。
 然しながら、天は吾を見捨てられ給うた。依って、毛無し・金無し・女無し、止めが甲斐性無しの四重苦に喘ぐ底辺貧民の暮らしにどっぷりと浸かって居る。従って、この世に生を受けて65年。一度も男子としての快感を味わった事の無い不幸な存在である。

 そんな不幸な男の習い性と云えば、決まり切った事である。俗に云う『開き直り』の捻くれ根性に骨の髄まで染まった次第である。後発的なふてぶてしい態度と減らず口だけは、大いに成長特化して来た様である。
 如何に足掻いても、モテないのは絶対にモテないのである。従って、それが振られ放しの人生荒路・既成路線ならば、望みだけは誇大妄想に極大化するのが、せめてもの悪足掻きと云う物である。そんな諸々の次第で、私は大の面喰い男を任じて居る次第である。

 然しながら、然しながらである。縷々(るる) 生半可な雑学を踏襲して臨めば、こんな風にも日本人のルーツ探しは侘びしき男の遊びの友とも為る。バイカル湖周辺に暮らして居たブリアート人が、日本人の祖先の多数を占めると云うのであるから、私の異常なまでのロシアン・ウーマンへの親和性は、DNAの為せる宿業と言っても良かろう。

 そんな次第で、彼女達から金髪福与(ふくや)か為る美人さん・バルディナに因んで、冬鳥ジョービタキのメスをそう名付けて、見守っている次第なのである。本篇も、そんな心優しきジョービタキの姿見せに端を発した一篇である。これまた、バルディナ様に感謝感謝の段である。

           私的歴史考2・・・遥かなる想いと繋がり。・・・完。

                     20013/11/15 by アガタ・リョウ。


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私的歴史考
                  夢想読書

                  趣味の歴史考
 お役御免に為って賄い夫の日々である。ボケ防止と時間潰しの為に、PC、インターネットを始めた。私は学童の時分から歴史が好きだった。私の中では歴史は昔話の様で、学校で習う歴史の断面・断面に、想像、妄想をしてボケーとして居た物である。
受験勉強の一環であったから、人並みに覚えた。それでもそれ等の年号などの棘々が無くって来ると、何とは無しにおぼろげながらも歴史が見えて来る。歴史は過去・現在・未来を感じ、見させて、考えさせてくれる。

 近年、つくづくと思う事は、日夜ニュースを彩る米・中・北鮮・韓の現在を見て、感じ思う事は、彼国の現在を過去=歴史に引き映す事に依って、益々、彼国の本性・本態の一端が見えて来ると云う事である。現在は過去・未来を映す鏡との感頻(しき)りの思いである。

 歴史は或る意味・人間学、国学でもあるから、折に触れて、歴史との反芻の中から見えて来る物・多である。日教組教育・戦後体制是認者の教え・自虐史観を教えられたからと云って、それらを金科玉条の儘に迎合すると云うので在っては、それこそ信教の自由を保障する基本的人権に反する行いでは無かろうか。個を確立すると云う基本的スタンスは、取りも直さず真偽を確かめようとする能動性にこそ存する物と考えている次第である。

 そんな次第で、今まで打って来た物が雨散霧消し無い程度に、吾が歴史考ダイジェスト版として残して置こうと考えた次第である。・・・7/27/13

              刺激と限界(2004年1月)

 体力の衰えに、とうとう休みを取った。小春日和の良い天気である。万年床で無駄に過ごすのが、何か恥ずかしい気分である。陽気に釣られて、本屋を覗いて見た。「本なら何でも揃う!」の看板通りの店内である。小説の類は、読まないから歴史物のコーナーに足が向く。世界史関係の本を手に取って、パラパラと捲って見る。四冊をピックアップして、内容を吟味する。

 何年かすれば、毎日が日曜日である。どうせ買うなら、本格的な内容が欲しいと思い、消化不良を承知で略(ほぼ)30年振りに「世界史の教科書」を購入した。私にとって、社会と理科は、小学校時分からの興味、且つ得意科目の一つであった。560Pに亘る「詳説世界史研究」と題された書物は、中々のボリューム感に満ちている。

 私の中にあっては、社会・理科共に物事を考える上で、判断材料を提示してくれる知識の基礎となるものである。学童・学生時代には、余り勉学には関心が無かった。その当時の一般的子供として、遊ぶのに夢中に為って居た。地理、政治経済の科目には余り興味は起こらなかったが、「一番」の得点を他人に譲るのが、癪だったから我慢して、覚えたものであった。

 少し大人に成って、新聞・テレビ報道を多少なりとも自分の目線で考えたり、政治経済に関心を寄せる様に成って漸く、地理・歴史の係わり合いに思いを馳せる様に為った。現代政治経済は、否応無く、国際経済・政治の中で考え理解するより仕方の無い時代と成ってしまった。「自問自答型」の自分に、現代ニュースをより納得させる為には、世界の地理・歴史は、欠かせない基礎要素である。「三つ子の魂、百まで」の喩えでは無いが、私は未だに「世界史」に親近感を感じている。そんな次第で、私は受験勉強に世界史を選択した恩恵に浴している一人である。

 後年、歳を経るに従って、私の記憶力の低下は、進む一方である。新聞・ラジオ・報道番組を見るに付けて、原因・背景・行動様式・結果等を『自問自答』する場合の参考知識として、世界史の辞典的な書物を傍らに置いておく必要性を、強く感じ始めていたのである。

 私は性格・性向上、単純明快な答えを欲する。そして、「観察」が趣味の人間である。観察の対象が人間の場合は、人間行動が観察対象であり、その観察予見の成否が「私の密やかなる愉しみ」と云った処であろうか・・・。 

                 <歴史総論>
 同じ人間が、住む土地・時代・思想が例え異なっていたとしても、皮膚の色が黒・褐・黄・白と外形的相違はあったとしても、人間の本質的な部分には、さして違いは無い筈である。在るとしたら、<状況下における選択行動の違い>だろうと考えるのである。

 そして、その状況下での人間行動の幅は、選択の幅にして『陰陽の範囲』であり、その範囲は一般人が十分に理解出来るパターンであると考える次第である。類似の歴史の反復が繰り返される以上、人間・集団・国家には、捉え様に依っては、<ある種の法則性>が潜んでいる如く観えるのである。

 つまり私は、「歴史を、人間が或る状況で積極的あるいは消極的で在っても、選択した必然の結果」と捉える。私は、そんな思考方法を採るタイプである。人間・集団・国家が、ある行動を選択するには、原因、背景(地理的・時代的・経済的・政治的)が、選択・決定要素として大きく作用していると、私には思われるのである。この様な思考方法では、人間・集団・国家の営みの記録の蓄積が、歴史を形成していると考えた方がしっくりするのである。
 
 つまり歴史とは集団・国家が、其々の地理的・時代的・経済的・政治的諸条件の中から選択した行動の記録であると云う位置付けである。尤も、国家による正史の類には、よそ行きの美辞麗句で脚色されていたとしても、それはそれで仕方の無い部分であろう。脚色部分を目くじら立てて、その成否を十人十色で一々論(あげつら)って見ても仕方が無い。<歴史には正史と稗史(はいし)在り>と云うのは、有名な形容である。

※稗史とは昔、中国で稗官が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。小説とある。詰まり、民間人個人が、目撃・伝聞で普通に感じ考え、歴史を考察する物で在ったり、見聞した記録である。

 歴史学者として身を立てる訳ではない一般人の歴史感覚を磨くには、歴史の流れを把握していれば可とすべき処であろう。従って、雑駁なる私見に立てば、行動選択を方向付け、決定した結果が、歴史と成るのであるから『社会科なる領域』は、歴史を中心に地理、政治経済を周辺領域として、ピラミッド的に構築した方が理解の充実に繋がると思うのである。

 そう考えれば、歴史教育はその意義に於いて、地理・政治経済の集積領域として教育した方が、トータル的な人間像・集団像・国家像を理解し易いのでは無いかと、考える次第である。

 然し義務教育・高校での教育カリキュラムでは、地理、歴史(世界史・日本史)、政治経済・社会は、ジャンルを異にしている。学童・学生の「勉強(押し込み、詰め込み)過程」にあっては、ジャンルに嵌り切った『壁』が『歴史(集団~国家の営みの記録)理解の一大阻害要因』として、<円らな瞳の視界を遮ってしまう>のである。
 
 少なくとも、私が学童・学生(高校)であった時分の教育は、その様に記憶している。若し教師の中に、この様な歴史認識を明確に持った教師が居たら、浪々たる人間達の営み=歴史授業に語る彼等教師達へのインパクトは、少年の心を熱く左右したであろう。
 30年の時を経て、私が手にした『詳説世界史研究』と銘打った書物は、そんな義務教育期への私の大いなる不満(過去に対する教育的方法論への反発~不満)を見事に払拭するに足る理念で、編纂されている。
もう一冊の「地図と地名で読む世界史」なる本と抱き合わせで目を走らせると、中々以って面白い。時代の進展が ジャンルの壁をこじ開けて、<原初的疑問符~知りたい核心>を明確に掴んでいる。冒頭の『地名は、歴史の化石』と云うフレーズが何んとも早や、興味をそそる次第でもある。

 アフリカ大地溝帯に500万年前に登場したと云う人類は、一万年前には南米の端にまで達したと云う。人間の文明はエジプト・メソポタミア・インダス・黄河に於いて、産声を発し長い時を刻んで古代の文明を発展させて来た。砂漠・海・山脈と云った自然環境が、文明の初期には外敵の侵入を拒む役割を果たして来た。
 然しメソポタミアの世界では、他の3文明と異なって遮る天然の境界に恵まれていなかったと云う<地勢の宿命>を背負って居た。人間が、豊かさを求めて肥沃なる平野に群がるのは、ある意味では自然の摂理である。そして、外敵の存在は、一方に於いては『刺激』である。

 刺激の中で、衝突・変化・交替が引き起こされ、(必要は発明の母であり、差し迫った必要は改善の鞭である。)新たなる方向性がもたされる。その方向性が知恵であり、技術なのであろう。人類は料理革命→食料生産革命に発展して、人間界と云う半自然空間を切り開いて行ったそうな。人間界の拡大プロセスが、沖積平野と云う新ステージと為り、人々の共同に依って、都市革命が起こり、文化は文明へと進んだそうな。
 
 面白い事に、統治の法とか死生観から発する処の宗教に、素人の自問自答を試みれば、・・・(メソポタミアにあっては、「目には目を」の復讐刑が発展し、海と砂漠に守られたナイルでは、死者の書の様な死後の世界までへの安定願望が、人心を掴んでいた。東洋人は衣食足りて礼節を知るなどの考えと突き合わせて見ると、思わず「さもありなん・・・」と深く納得してしまう処である。

 世界三大宗教と云われているキリスト教、イスラム教、仏教の内、前二教は、ゾロアスター教→ユダヤ教→キリスト教、イスラム教と枝別れはしたが、排他的一神教の御旗を押し立てて、剣を持って海・海洋を渡って世界宗教と為った。
 一方、ネパールの盆地の中に誕生した仏教は、閉ざされた地勢故に生きとし生けるもの=衆生の理を以って『輪廻転生の心の宗教』と為った。直進的攻撃的二宗教と回転的円を描く宗教とは、全く相違する世界である。一方は外在に答えを求め、一方は内在に答えを見付けようとする。

 私には、こんな処が歴史の面白い処なのである。其々の或る環境下・地勢下・状況下に置かれて、人間行動の違いが分化進展して行く様が興味深く、大いに人間行動の理解・把握に参考となる所以である。

 遠く紀元前5000~3000年の時代には、世界は4大文明の地が世界であった事であろうし、ギリシャ文明の華やかなりし時代には、地中海が世界であり、イタリア半島より西を西方と呼び、東をオリエントと呼んでいたらしい。(その範囲は精々メソポタミア文明の地である現在のイラク止まりであると言う。)現代人が、オリエント=東洋と認識する範囲とは、大きな断絶さえも感じるのである。
 
 進歩・発展とは、欲望の連鎖でもあろうが、刺激が限界を打ち破り、刺激と刺激がぶつかり合って、新たな時代のうねりを創り、新しいシステムが生まれて行く。世界の海は、地中海からインド洋、大西洋から太平洋と拡がり、陸路はローマ街道から砂漠のシルクロードへ、草原のシルクロード、海のシルクロードへと繋がり、遊牧の民が勢力を得れば、ジンギスハーンの草原の道(東西8000キロ、モンゴル高原~ハンガリー)が開かれる。

 徒歩から馬車、そして鉄道、車に替わり・・・手漕ぎ船から帆掛け舟・帆船・動力船に替わり、今や空の時代となった。燃料は木材から石炭、石油、ガス、電力そして原子力と成った。貨幣経済・産業経済が身分制度を廃し自由・能力主義を発展させ、科学が神秘のベールを剥がし、化学が唯物論を進め、科学も唯物論に進んでイデオロギー(資本自由主義、社会主義、共産主義、ボーダレスの経済偏重主義・・・etc)を産み出して、神を殺し、幽霊を殺し、畏れを殺して、一身的な欲望享楽主義と云った無宗教の時代を切り開いた。

「衣食住足りて、礼節を知る」の言葉を残したのは、2500年前の<孔子>である。火星探査機が地球に映像を送る時代「凡人、衣食住足りて、金を掴む。奢を知り、刺激に溺れて、傾き、<公私>の区別を忘れ、言を弄してユスリ、タカリのテクニックを覚える、」礼節・節操を忘れた人間の行動は、何時の時代にも見苦しきものである。

 世界史に名を刻んだ王朝・帝国数々有れど、1000年、(ヒッタイト・エジプト新王国・東ローマ帝国)500年、(ローマ帝国)400年、(漢・オスマントルコ)350年、(フランク王国)300年、(唐・イスラム帝国・清)250年、(アケメネス朝ペルシア・明)120年、(元モンゴル帝国) 隆盛を維持するのは、難しいものの様である。

 悠久の時の流れは一定なれど、悲しいかな時代の価値を構成する因子は、目まぐるしく国を替え、大国の王者のスパンを縮めつつ、水の惑星地球の海洋を潮流と成って、或る時は渦を巻き起こし、滔々と流れ去っている。

 緩やかなる刺激は、ある場合に依っては競争心を刺激させ、過度の競争は争いに発展し、争いは勝敗の決着を求める。勝敗の苦渋が、勝者に協調・懐柔の方途を選択する事もあろう。強者必滅・栄枯盛衰・・・・有限なる人間の志向・思想・経済力・政治力・統治力のスパンに対して、歴史のスパンは余りに長い。スパンの違いに評価が揺れるのも、これまた人間の常、時代の常であろう。

 歴史とは、大洋の大海原に流れる海流の如きものであろう。ただ海流と異なる点は、意思を持つ海流である点である。世界史は、大国の興亡史である。世界史を正史と観る為らば、正史の裏に存在する稗史は、大国に為れ無かった中小微国の国内史との位置付けも出来ようか・・・。正史の行間を読む物は、稗史とも云えよう。

 人生の峠を向かえ、人生の過ぎ去りし足跡を、世界史の大海原に投射して、読み進めるのも余暇の過ごし方の一つであろう。いつの世にも変わらぬ人間達の営みの「溜息」が、聞こえて来るやも知れぬ。団塊の世代のフン族・ゲルマン民族が子育てから開放されて、再び自由なる心に還るのである。

 大人の歴史読書は、行間に自分史を織り込めながら読み進める、自分だけの批評史でもある。覚える必要の無い大人のアラビアンナイトでもある。                                 

         <古代世界帝国ローマの一断面>・・・3/11/13
          さてさて、ページを捲ると致しまするかね。

 本日は、古代世界帝国のローマ軍の軍組織並びに軍人の年棒に就いての記述である。それに伴っての皇帝の支出、帝国の諸身分、属州の州議会・・・etcで読んで居るだけでも結構面白い。

 映画的には、クレオパトラ、ローマ帝国の滅亡、クオヴァデス、ベンハーなどのハリウッドのスペクタル史劇でお馴染みのローマ帝国の恋と戦闘の大活劇なのであるが、その実態の詳細エピソードの記述は、義務教育、高校の教科書には決して出て来ない内容である。

 ローマの軍隊は皇帝の私兵であったそうな。従って皇帝は軍隊の維持費を一人で背負わなければ為らなかったとの由。1C前半に於いて正規軍・近衛軍・帝都守備軍の給料・食費だけでも毎年56億526万円を要したと云う。

 当時の日雇い労働者の日給は90円、小麦は6升で120円。一般兵士の年棒は2万7千円(=日雇90×25日×12月=2万7千円)。正規軍の首席高級将校の年棒は、240万円との事である。

 ローマ帝国皇帝の依拠する処は、軍で在る。軍並びに軍人を個人が丸抱えをする私兵の頂点に立つので在るからして、大変なのである。尚且つ退役兵に年金を出す為に、相続税と売上税を振り向けた由。

 皇帝の収入は皇帝領の属州、皇帝所有の不動産。(帝国全土に分布する土地、鉱山、工場)加えて驚愕すべき圧巻は、エジプト全土が皇帝の私有地であったそうな。
 また相続に関しては、強制的に一部を皇帝に遺贈させ、死刑、追放者に処せられた者の財産は、悉く皇帝の没収する処であったと云う。

★ベベェ~ン、ベンベン・・・「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす…」で始まる<平家に在らざれば、人に非ず。>の平清盛の比では無いのである。

 ラスベガスの賭博場で大負けして、議員辞職を為さったハマコーさんなんて、実に可愛い物である。ローマ帝国皇帝閣下が賭けに負けて、手元に金が無く為れば、州の戸籍調査表を持って来させ<最も裕福な者を死刑にして、財産没収>をする。美しい妻を持って居れば亭主に死刑を科して、妻を没収してしまうと云うのであるから、暴君ネロだけが極悪人では無かったと云う。
 
 ヤオヨロズの神々が共存共栄で暮らすアキツシマの末裔からすれば、これは正に<天球反転驚愕動地>の暗黒世界ですがな。パックス・ロマーナ(ローマの平和)、パックス・アメリカーノなんて、政治屋、政治学者諸侯が、ノタマウほどの綺麗事じゃ語れない凄さなのである。

 ギャハハ、古代のローマ帝国という実態は、暗黒の恐怖大世界帝国だったのである。従って、パックス・アメリカーノのTPPの米国魂胆にぁ、そう易々と迎合しちゃ行けませんがね。

 斯様に、歴史と云うノック不要の<興味の部屋>に立ち至れば、面白き時間潰しも可能と為るのであるからして、ウタマロの大マラ&性技48手を持つ大和の民原なので在るからして、48手の何分かを使って、正義の探索をして見るのも、一興で在りまするぞえ。

 好いですかな。米さん、中狂さん、韓国さんが青筋立てて、東京裁判史観だとか、南京虐殺だとか、従軍慰安婦だの性奴隷だとか、在る事無い事、世界に喚き散らして居るとの事で在りまするが・・・

 大和の国・日本には、奴隷制度も奴隷観念も、見事に無いので在る。世界で奴隷制度の無かった類稀なる国家なのである。へへへ、『天皇の下、一君万民思想』が、神話と混在して皇紀2673年を紡いで来たのであるから、もう少し大人のニヤニヤ笑いをして居ても良いと思うのだが・・・如何で在りましょうや。

   1、<中国王朝、文明区分、混乱、乱>・・・5/5/2005
殷・周、計1200年                 ※黄河文明時代
春秋戦国時代 550年の混乱の時代    
秦を滅ぼした陳勝・呉広の乱(前209~208)   殷、周、春秋戦国、秦、前漢
新を滅ぼした赤眉の乱(18~27)

漢・後漢の時代 400年              ※インド文明時代
後漢を滅ぼした黄巾の乱(184)
隋・唐の時代 320年          後漢、三国、晋、南北朝、隋、唐
唐を滅ぼした黄巣の乱(875~884)

★精々、此処までの黄河文明、インド文明の時代までが、まともな時代である。以後はゲテモノ中華思想の大躍進時代を刻んで行くのである。然しながら、教条主義的な日本人は黄河・インド文明時の消滅した文明を恋する余り、1100年以上も前に綺麗さっぱりと失われた文明を現代中国にオーバーラップして仕舞う妄信振りである。歴史知識から俯瞰的に見えて来る<華禍の危険性が反映>出来て居ないのは、日本人の妄想癖の最たるものである。

五代十国時代 分裂・割拠の時代 50年       ※中華思想時代
元100年を滅ぼした紅巾の乱(1351~66)
明275年を滅ぼした李自成の乱(1631) 五代十国、遼、北宋、金、南宋、元、明、清
清260年時代に起こった白蓮教徒の乱(1796~1805)
            太平天国の乱(1851~64)

          2、<中国年表からの纏め…中国考。>
 さて、昨日の知恵熱の触りを認めて置きましょうかね。受験勉強では無いのだから、超特急お浚いである。これは、個人的に纏めた趣味の部分で有りまするから、興味の無い方は、読むと疲れるだけで有りまする。イッヒッヒ!!

 BC1600年頃、自前の殷の時代が500年。黄河の賜物にして、黄河を神聖視して黄帝、黄泉、黄瓦、黄袍。甲骨祭祀、甲骨文字、通貨はベトナムの子安貝。

 自前の周の時代が700年。内陸の渭水盆地から勢力を伸ばして殷に取って変わる。革命=天帝の意思が変わり、王の姓が変わる。易姓革命と云い殷から周の変わりを殷周革命と呼ぶ。方法としては、話し合いの『禅譲』と武力行使の放伐があるとの事。←毛沢東の革命思想・造反有理もこの延長線か。
 都市に親族・血縁を派遣して、極めて血縁の濃い中国型封建制度を誕生させる。給料は払わんが、任地で徴収して、中央に上納金を治めよ。地方官の栄華は、腕次第。←これが中国特有の賄賂社会と為る? 
 帝都の周り千里四方を王畿、一万里四方を中華の地と定め、東夷・西戎・南蛮・北狄の文明の届かない野蛮の地とした。所謂、中華思想である。タテ社会と中央の思想が確立したのが、この時代である。

 以上、自前の時代が、1200年続いた。この間で中国の国柄の骨子が作られて行った。

 春秋戦国時代は混乱の時代で550年。フイゴの発明により鉄器の量産→畑大開発→大諸侯の経済力増大で群雄割拠の時代。『尊王攘夷』が唱えられる。王=周である。
 戦国時代は戦国七雄に収斂されて、外交戦略の時代でもあった。

 以上、混乱の550年。この間で、中国の『古典思想の開花時』を迎える。孔子を始祖とする仁・礼の実践で思想社会と天下泰平を説く徳治主義の<儒家>、儒教から性善説・性悪説。兼愛・交利・非攻を説いた<墨家>。  仁・礼を人為的な物として、一切の人為を排して無為自然を説く老子・荘子の<老荘思想>。商鞅、韓非の<法家の法治主義>。兵法を論じた<兵家>など、550年に及んだ混乱の時代は、現代流に云えば、現実対応のケーススタディの実験場所だった筈である。正に諸氏百家の時代であったらしい。

 自前の秦~後漢の時代が、400年である。云う為らば、諸氏百家の思想から得たエキスを実効為らしめる時代への進展である。

 秦は騎馬軍団、法家思想による統治システム、灌漑事業による経済力を持って、混乱の時代を平定した。皇帝の意思=法=人治主義を正当化する為に、徹底的に焚書・坑儒を断行した。←殷周革命の好い処取りをした様な物である。これが、現在の中国共産党の人治主義を当然の事として居る『歴史遺伝子』なのだろう。
漢は漢字文化圏を構築した。朝鮮・ベトナム北部・日本。

 五胡十六国時代は、混乱の370年である。中央アジアの草原遊牧民の席捲である。匈奴の一派フン族が西に向かえば、ヨーロッパはゲルマン民族の大移動として大混乱に陥り、匈奴が南進・東進すれば、中国、朝鮮、日本へと波及した。日本では渡来系の古墳文化として、その名残を刻んで居る処である。この時代に中国に仏教が渡り、椅子の生活習慣が浸透した。北の稲作文化、南の小麦文化の混沌の中で、<中国文明は、大きく変質した>のである。

 隋・唐の時代は、自前の320年である。隋は中華帝国の再建を目指す農業帝国で、運河の開発をして、南船北馬の帝国の物流に精出した。
 唐は帝国大版図を懐柔政策で統治して、冊封体制(形式的な君臣関係)とした。100万都市の長安は国際都市であり、人口の1/20が外国人である。アジア各地からの留学生が一万人、ペルシャ人、ソグド人が四万人と云う途轍もない開放都市なのである。唐帝国は遊牧文化の影響が強く、女性の社会的地位も高かった。そんな事で、則天武后の登場が有ってもおかしくは無かったらしい。←中華思想の尊大さが現れ始めている。

 五代十国の時代は、混乱の50年である。

 自前の宋の時代は、300年である。羅針盤と外洋帆船ジャンクで、国家財政の20%が貿易収入だったとの事である。キャチフレーズとしたら、<海に乗り出した宋>なのだろう。←軍事・経済大国に為った現中共国と同様に、南シナ海、東シナ海を荒らし捲ったのだろう。

 金・元の時代は、征服の300年である。

 自前の明の時代が275年である。回復中華の時代である。イスラム教徒の宦官・鄭和に国営貿易(朝貢貿易)をしたり、80万の軍隊でベトナム征服をする。琉球に中国人を移住させて、琉球大交易時代を作るも、足利時代には後期倭寇が暗躍して、密貿易の頻発で頭を悩ます。16Cになると、モンゴル人の圧力が高まり、万里の長城を築く。秀吉の朝鮮出兵、東北では女真人(満州人)の台頭で、帝国財政が圧迫される。
再び内陸部に後退した明である。←現中共国が、この明帝国の轍を踏襲するのだろうか。願わくば、大いに時間を短縮して内陸部に撤退して貰いたい物である。

 清に征服された300年である。200万人の女真人が、数億人の中国人を飴と鞭で300年統治したのである。飴→中央官庁の要職を偶数として、同数配置する満・漢併用策。鞭→弁髪の強要、言論統制(文字の獄)本拠地の満州は、清の直轄地とした。日本関東軍の満州帝国の口実にも為った。
台湾の平定(1683年)台湾はマレー人の住む島だったとの事。
二重統治体制で、史上最大版図を支配する。朝鮮の李朝、ベトナム、シャム、ビルマ。
 阿片戦争、アロー号戦争の仲介で、ロシアに沿海州を割譲、日清戦争敗北で、列強国の中国分割が一気に進む。←一国二元統治の手法は、中国伝統のお家芸らしい。

 1912年辛亥革命で自前の中華民国、中華人民共和国。

          さてさて、中国の歴史を超特急で見てみました。
 自前1200年→混乱550年→自前400年→混乱370年→自前320年→混乱50年→自前300年→征服300年→自前275年→征服300年→自前と云うよりも呑み込み中共国66年の行進中。

 殷・周、秦~後漢、隋唐、宋、明、現共産王朝の自前王朝時代が、2561年
 春秋戦国、五胡十六国、五代十国の混乱の時代が、        970年
 金・元、清の征服王朝時代が、                 600年

 中国って凄いでしょう。普通の国家観だと掴み切れない。国、国民ですよ。紀元前から変わらぬ中華思想と易姓革命から来る天下を握ったら、施政者は何をしても許されると云う人治主義。散々に利用したら、諸氏百家は面倒臭いから、焚書坑儒。周時代から始まる血縁関係封建制度の賄賂政治は、共産党王朝で持続されている。

 春秋戦国の大混乱期で、思想哲学の大成熟を見せるも、その後の五胡十六国時代の古代中国大蹂躙・大混乱期には、中国文明が変質して仕舞ったにも拘らず、平和の江戸時代には、論語が武士の嗜みで仁と礼が重んじられ、明治にもそれが引き継がれた。
 日本の武士道を貫く大義の中には、仁と礼への志が色濃い処でもある。近現代史で、日本の中国に寄せる古典的な想いを一刀両断に切って見せたのが、福沢諭吉さんらしい。現実では、日本人の思い描く徳の高い東洋の大国中国に於いては、仁も礼も千何百年も前に潰えて居たのである。

 近年、富に経済界と政界の中国詣でと中狂の傲慢さが、鼻に付いて為らない処である。四千年を誇る大中国の歴史との事ではあるが、下衆の私には中狂人様が声高に吹聴する自国の歴史なのかと、首を傾げる処なのである。私は、思い込み先入観の強い男である。くれぐれも、受験勉強の参考とは致しまするな。へへへ。

       <日本に於ける開国と鎖国>・・・1/10/20013

   古代に於いては、朝鮮の一部に日本領・ミナマ府在り。ハクスキエの戦い。

   600〜894 ( 264年)開国 遣隋使、遣唐使
   894〜1100 (約100年)鎖国
   1100〜1185(約 85年)開国 平家全盛期
   1185〜1401( 216年)鎖国
   1401〜1557( 156年)開国 足利幕府
   1557〜1868( 311年)支那に対して鎖国
   1639~1868( 229年)鎖国 江戸幕府 
      ※オランダ・シナ→長崎出島、琉球→薩摩、朝鮮→対馬
   1868〜2012( 144年~)開国

         <遣隋使、遣唐使の三海路>

遣唐使の航路

 初期の遣唐使は朝鮮半島の西岸沿いを北上する北路をとっていました。
 しかし新羅との関係が悪化した8世紀からは東シナ海を横断する南路が取られるようになったようです。船は五島列島で良風を待ち、一気に長江河口を目指しました。このルートは朝鮮半島を北上する北路に比べ、外海を突っ切ることから遭難する事が多かったようです。
 復路は風向きから奄美などの南西諸島を目指す「南島路」をとることが多かったのですが、南路よりさらに危険なルートでした。

       <西洋世界史の真空地帯東南アジア歴史考>
    夢奇譚・第17部南海ハーレムにて4/28/13・・・より抜粋

①インド商人が交易拠点を造り海上貿易を支配した時代。13Cまで続く。
②8C以降のイスラム商人の進出期
③10C以降の中国商人の進出期
④16C以降のヨーロッパ人の進出期

※東南アジアで最も古い国家は、メコン川下流の1~2Cインド人移住者とクメール人(カンボジア人)が建てたプナム。メコン川は二つに分かれて、カンボジア、ベトナムに肥沃なデルタを形成して、東南アジアの国家形成が始まった。
 6Cにはクメール人が大農業国家(米)を樹立して、その最盛期は12Cでアンコール・ワットを造る。
19C前半の人口は1000万人以下。英、仏の植民地拡大に依って、労働力のとして多数のインド人、中国人が利用される様に為ってから爆発的に膨らんだ。

 南シナ海はモンスーンが、夏季と冬季では真逆に南北に吹く<風の航路>で在る。マレー半島とスマトラ島が造るマラッカ海峡とそれに続くジャワ島が、その中心地である。現在はマレーシヤ、インドネシアの地である。
 古来から、その風の航路はアラビア海、印度洋、南シナ海、太平洋を結ぶ海上交通の要衝であった。インドの辺境地・東南アジアは、インド商人、イスラム商人、中国商人、ヨーロッパ商人と世界中の商人が香辛料(熱帯産のスパイス・香木)、金を求め、現在は一日3000隻の大型タンカーが往来する<オイル・ロード>である。
 
 インドネシアは70の民族、1万8千を超す島嶼国で在り、人口2億3千万を要し世界最大のイスラム人口を抱える国である。

ボルネオ島(カリマンタン)東部には、5Cにクタイ王国建つ。
西部ジャワ島には、古マラタラム王国(8C~10C)、スンダ王国(7C~16C)が建つ。
スマトラ島南部には、シュリーヴィジャア王国(7C~13C)が建つ。
※セレベス島には、奇妙な事に記述は無い。

 インドネシア第四のK字形の島にして、セレベス海の先に位置するフィリピンの大島・ミンダナオ島への航路で在ったセレベス島に王朝の記述が無いのは、貿易ルート(地中海⇔トルコ⇔アラブ⇔インド⇔中国)から外れて、フィリピンは蚊帳の外で在ったのであろう。

 其々はインドからマラッカ海峡、フィリピン、中国に抜ける南海貿易ルートで、インドからの船が寄港して中継貿易で大いに栄えた。スマトラのシュリーヴィジャア王国、ジャワ島のスンダ王国は、海峡を通過する船への課税で栄えた。

 宗教はヒンドゥー化して、その後の仏教伝来で大乗仏教が繁栄してジャワ島にはボロブドォールが残っているが、ヒンドゥー教→仏教→イスラム教の変遷を見て、現在世界最大のイスラム教人口を持つ国である。

※第一回遣隋使600年、山田長政がシャムに渡ったのが1612年

<世界海流図>


         <好戦国・米国歴史考。>・・・(4/28/11)
 朝飯前に、支払いと煙草買いに行って来ると、言い残して朝散歩に行く。昨日の個人スーパーでの買い物時には、生憎グレードを落した煙草が無かった。元の煙草に復帰すれば良いのであるが、『その手は桑名の焼き蛤→意地でも抵抗するぞや!!』・・・そこが下衆貧民の居固辞さなのである。

 いやはや、無い物は、何処へ行っても無いのである。まぁ、これは予定内の諦めでもあるから、最後の一箱を貴重品として吸い、後は、キツイ刻み煙草のパイプ吸いで節煙するかあるまい。

 朝散歩の本当の目的は、只今の処の歴史本内容の反芻散歩なのである。人類も個人も、諸要件の中に在っては、然程変わった思考、行動を取る物では無い。国家だろうと個人だろうと、『突き進む方向は、大して変わらない。』と云った処が正直な感想である。

 或る時期、堺屋太一先生が、信長→秀吉→家康の時代を捉えて、経済官僚出身者らしく経済・経営者的観点から解説されて、拍手を持って厚遇されて居た事を思い出す。
 
 国内統一を果たした成長企業の豊臣産業は、パイ獲得を目論んで大陸目指してニューフロンティア政策を敢行して大きく躓き、豊臣産業を衰退の道へと加速して仕舞った。その跡目を注いだ徳川産業は鎖国と云う保護貿易の循環型封建体制を確立した。←そんな切り口だった様に記憶している。

 足利幕府が権威を失墜させて、群雄割拠の戦国時代の100年の終わりに、彗星の如く登場したのが、御存知、天才と崇められている信長様である。日本の信長ファンに依ると、彼はナポレオンすら凌駕する『近代的才の存在』との事である。←これだから、私は学童時代から、日本史ファンが好きには為れないのである。

 下剋上の世界から立ち上がって、天下取りを目前とした男が、幕僚の武将に寝首を掻かれるなど云った『大失態』を仕出かして、天才も屁ったくれもあるまい。歴史のIF的な格好の英雄虚像の典型にしか過ぎまい。両者に共通する物は、後世の期待を途中で潰えさせた事だろうか・・・ 片や、寝首を掻かれ、片や、セントヘレナでの幽囚の末の孤独死である。

 こんな事は、世界史、日本史の絵巻を紐解けば、随所に見られる行動の必然性と云った物なのである。比較的に新しくて、身近な国の例を上げれば、これは正しくアメリカ合衆国の姿と驚くほど合致していると云って好かろう。

★信長・秀吉の安土桃山時代、関ヶ原の戦いが1600年、江戸開幕が1603年。メイフラワー号のアメリカ入植が1620年である。

 ヨーロッパの※7年戦争に連動して勃発した『フレンチ・インディアン戦争』後の1763年の北米の勢力図は、フランス領が駆逐されて、スペイン領とイギリス領で二分された。
※1756~63年を7年戦争と云うそうな。戦争の発端は、オーストリアのパプスブル家皇女マリア・テレジアが、オーストリアを承継した事に異を唱えたフランス、プロイセン対オーストリアの戦争。途中からプロイセン+イギリス対オーストリア+フランス、スペイン、ロシアに発展。海外植民地での仏対英の戦いで、仏が敗戦して、七年戦争は、オーストリアが勝利した。

 謂わば新大陸発見の旧勢力と新勢力の色分けであった。←この戦争は、北米での米独立戦争・南北戦争に匹敵する。
 英仏は、北米・インドも含めて1689~1815までの126年間も対立し続けているのであるから、イングリット・バーグマンが演じたジャンヌ・ダルクで有名な英国王が、仏国王を要求して戦った百年戦争に因んで、『第二次百年戦争』と呼ぶ英歴史家も居るとの事である。←第一次百年戦争では、英国の敗北、第二次では、英国の勝利。

 その13年後の1776年が13植民地の独立宣言である。英国に製鉄を禁じられて居た植民地アメリカは、武器弾薬不足で『米仏同盟』を結ぶ。他のヨーロッパ諸国は、『武装中立同盟』を結んで対米貿易を継続して、<英国の覇権>を揺るがそうとした。

★産業革命が始まったのが1760年以降である。大航海時代の大規模貿易と商品市場の成長から生まれた。

 ヨークタウンの戦いで、英軍は米仏軍に敗れ去った。それを受けて1783年アメリカが独立国と為ったのである。フランス革命中に、中立を守った効に依り、1803年にナポレオンから、広大なルイジアナを1500万ドルで購入した後は、御存知の大西部開拓時代に突入するのである。←英国の敗北。アメリカは、この時期、英仏の代理戦争の時代か?

 1846~48の「米・メキシコ戦争」で米国は、カリフォルニア、ニューメキシコを獲得して、1846-1783=63で、高々63年の間に、北米を大西洋から太平洋へと突き進んで仕舞ったのである。←産業革命の拡がりで30年代から始まり、南北戦争後に本格化。

 南北戦争は1861~65年である。勝因は北軍の海軍力で海上封鎖して、南軍を圧倒したのである。西部開発での驚異的経済成長は、1890年に終わる。

★南北戦争の頃が、日本では丁度幕末期で、坂本龍馬さん達が、右往左往していた時代ですよ。映画では、ケビン・コスナーのダンス・ウイズウルブスの中のシーンで、草原で野糞を垂れている騎兵隊員が、聖書で尻を拭いて居る場面が印象的でしたね。ギャハハ!!
 大蛇足ながら、『黒人奴隷解放』が政治的スローガンでは在ったが、時の大統領リンカーン氏は、堂々と<インディアン掃討作戦を命令>し敢行して居る。へへへ。

※一書悉く信ずるは、書無きが如しの弊害を知るのが、大人の歴史考としたい物である。

 大陸内部での成長を終えた米国は、大西洋と太平洋の中間地と云う戦略的位置を活かして、英国を手本に『海洋帝国への変身』を図るのである。
 此処で再度邪魔と為るのが、カリブ海のスペインであった。斯くして1898年に「米西戦争」を仕掛けたのである。←4カ月の戦争で、カリブ海域、グアム、マニラ、ハワイを併合して、目指すは、アジアへの進出であった。

★成長企業社長の秀吉の大陸制覇の失敗と米国の成功。資源欠乏海洋国の日本と資源豊富海洋国米国は、太平洋の覇権を争って、第二次世界大戦を戦って、大東亜共栄圏の大日本帝国は、敗退したのである。

 古の昔には、世界の海=黒海・地中海の覇権を争って、ギリシャ、フェニキア、ローマが争い、イスラム教とキリスト教が争った。イスラムの世界では、紅海、ペルシャ湾からアラビア海、インド洋、シナ海を渡って、東西の交易が栄えて居た。
 ラクダでキャラバンを組めば、砂漠のシルクロード、海に乗り出せば海のシルクロード、草原に馬を駆ければ草原のシルクロードがユーラシア大陸を繋いで居たのである。

 私は、教師でも歴史家でも無いから、うだ話はこの位に致しまして、面白いでしょ。この悠久の歴史の流れを、ギュ~と凝縮したのが実質「フレンチ・インディアン戦争」から始まる高々250年のアメリカ史なのである。

 人工国・移民国米国の誕生とその凄まじいばかりの好戦的成長とヨーロッパの縮図とも云える『昨日の敵は、今日の友』『江戸の敵は、長崎で』を地で行く様な本国、植民地争い、骨肉の争いの<権謀術策の国是>←人権擁護、国益などと綺麗事を使用している実態の何とおぞましき事か。

 こんな面白い世界を、ただ単に、専門家、一部だけの抜粋知識で、自論の傍証として居る御仁達のご講演話として一方的に拝聴して仕舞っては、高学歴社会の『日本の名折れ』ではありますまいか。

 歴史を通読すれば、的外れな『自虐史観』など、生まれ様筈が無いのである。歴史の一点だけを取って強調すれば、其処には余りにご都合主義的に成り下がる『デフォルメ』が書き加えられるまでの事である。

 兎角、敗戦国日本は、上記好戦国の米国に『東京裁判』などと云う永遠の米属国化が、米国の置き土産=占領時限時不戦憲法の本質を糊塗した平和憲法を盲授して、自縄自縛の弊害すらも意識せずに、平和ボケをしている。戦勝国のプロタガンダ、見せしめ裁判の対極にある大東亜圏への検証記録でもある<パール判事の東京裁判無効論>を読んで見る事もしないのであるから、『戦後日本人は大人では無い』のである。

 黒人奴隷解放を掲げた彼のエイブラハム・リンカーンで在っても、その裏にはアメリカの先住民族インディアン達には、容赦の無い掃討作戦司令を命ずる指導者なのである。

 ブッシュ大統領に至っては、イラク壊滅指令を出して、核兵器も生物兵器も見付ける事が出来なかった。

 911同時多発飛行機テロに就いては、各種の検証が為されて、余りにも奇妙な事実が続出して来て???の感も否めないとの稗史も在るそうである。

 サウジアラビア沿岸戦争では、自前で戦費調達が出来ずに、日本から戦費調達をしたにも拘らず、戦功を独り占めする為に、日本は金を出しても、血を流して居ないでは無いかと大見えを切る国家である。
 
 正に、<一書悉く信ずるは、書無きが如し>である。こんな教育方法は、間違っている。

 デフォルメが掛れば、『奇妙奇天烈な形と色の出しゃばり』が昂じて、他国様に反省と歴史改造の罵詈雑言を頂戴してしまう。オタオタしてばかりして居ると、その異常さに気付かない『国内のヒステリックな輩を増殖して行く』ばかりの様であろう。

★暗記不要の一通り読んで見る作業の『通読の効用』こそが、何よりも肝要な態度なのでは無いだろうか。
 EUの仏独のドッキングと英の駄々っ子振り、米英の親密振りに仏・独の米との距離置きだけを見ても、歴史の遺伝子が何処となく匂って来るのは、強ち、私の『臍曲がり見』でも無いでしょうが・・・ケッケッケのケツの穴でヤンスよ。

 全く以って、慣れぬブログ打ちをして仕舞った物である。馬鹿が背伸びをすると、疲れるだけである。さてさて、雨を吸って、ニラも勢い良く伸びている処である。ニラの卵とじでもして、精力の挽回をして置きまするかいね。

<一縄文考・・・夢奇譚・第16部・・・縄文へハングライダーより抜粋>・・・4/8/13

 舞台は一万数千年を擁して<悠久の時代区分>である。約7000年前には『縄文海進』と云われている間氷期の温暖化現象で、気温・水温は今よりも数度高く、海面も2~3mも高かった時代を内包して居る。日本の沖積平野はその後の河川、海に依って運ばれた堆積物がその元に為って居るそうな。

 縄文推定人口26万人。希少の石器・黒曜石は、北海道白滝村、長野県霧ヶ峰高原・和田峠、伊豆諸島の神津島、島根県の隠岐島、大分県の姫島、佐賀県の伊万里、長崎県の佐世保で産出されるとの由。勾玉(マガタマ)のヒスイに至っては、糸井川産と云うのであるから、縄文時代の交易の範囲は、驚くべき程である。

 因みに日本の在来馬の経緯は、モンゴル馬で、モンゴル→朝鮮半島→九州で、それは弥生、古墳時代との事である。牛の登場も同様にとの由。

 南北に細長い日本列島には、西と東では気象差異が歴然としている。東日本大震災大津波が千年に一度の物なら、少なくとも10数回もそんな天変地異を内包しているのであるから、大変な事である。
 増してや、環境その物が自然物採取の狩猟・漁猟・極初歩的な自然農法で成り立っている時代区分である。自然環境は当然に、広葉樹、針葉樹、沿海・内陸山地の環境差異から、縄文人集落の生活様式も、多種多様の混在摸様で在った筈である。

 それに、何と云っても縄文人口26万人との事であるから、現在の都道府県数で、それを割り算すれば26万÷47=5千5百で在るからして、縄文ウォッチャーの私として見れば、自然界に棲息する希少の『人間群れ』を探す様な物である。
 赤道付近のニューギニア島パプアギニアのペニス・ケースを付けた族文化では、日本の縄文文化に当て嵌める訳には行かぬから、こんな自然の中での共生する文化生活と云えば、地域地域で族を構成するチェロキー、アパッチ、スーなどの族主体の『北米インディアンの生活実態、文化』を、映像的には想定するしか在るまい。

 縄文時代の女の衣服の文様を見れば、中々の大胆なデザインで、そのデザインは<続縄文>と命名される北海道のアイヌの民族衣装のデザインに継承されている感がする。

★蛇足ながら。私は『芸術は爆発だ~!!』の岡本太郎画伯の方が、世界の天才ピカソ様より上だと考えて居る。何しろ、画伯の絵には浮世絵の色彩を継承した<澄み具合>と縄文人の力強さの<直線のデフォルメ>が在るからである。

 従って、悠久の縄文時代に在っては、人々は竪穴住居に住み、徒歩で、丸木船で、日本列島の隅々までも交流・交易の旅をして居たのであろう。こんな風にイメージを重ねて行くと、馬こそ無かったものの・・・私には如何しても縄文人と西部劇で見る北米インディアンのイメージがチラッチラッと頭を過るのである。

 これは凄い事では在るが、その根底には縄文時代と云う一万数千年にも及ぶ『原日本文化圏の揺籃期』であったと云う平和な生活圏が、日本列島の中に長い長い悠久の時の中で、雨の枝葉の一滴が、ポツリ、ポツリと地面に落ちて、それが地下に浸透して地下水脈を形成して、湧水と為って日本列島の其処彼処に拡がって居た証左でもある。

★争わない、貴重な物はコツコツと実直に脚を伸ばして入手して来る。きっと<信じる事で始まる人の暮らし=万物との共生>が、この時計が止まった様な進歩の時代区分の中で育まれて来たに違いあるまい。
 それがヤオヨロズの神々、神話と天皇の融合、民のカマド、外来宗教の仏教と古来の神教との融合、君民一体思想・・・etcの『日本人の精神的紐帯』を発展させて来た根源では無かろうか。
 まぁ、この位の下知識が在れば、西洋哲学しか知らぬ生意気女にして、ライオン娘のナターシャのお守も出来よう。時よ、時代よ・・・如何様に変わろうとも、スットコドットイ・・・日本人の心底に流れている縄文人の血脈・気脈を粉塵に化しては為らないのである。日本に生れ、育った男の一人として、出生国の幸運さに感謝する処である。

「今考えてるのは、黒曜石って云う縄文時代の希少の刃物の産出地が極限られた場所しか無くてさ、それに霊験あらたかなにして、地位の象徴にも為るヒスイの原産地は日本では一か所しか存在し無いって話でさ。それが日本全国は元より、ヒスイに至っては朝鮮半島にまで拡がって居るって話なんだよ。
 馬も牛も未だ登場して居なかった時代だよ。縄文の時代だから、歩くしか手段が無いから、皆、今と違って健脚には違い無かろうけど、大変だよ。」

「お江戸の時代には、東海道五三次なんて立派な国道と宿泊施設の旅籠屋が在ったんだけどさ。東京・京都間が男10里/日=40kmで、女9里=36kmで一般的には14日行程だったって話だ。それが列島の北端の津軽、海峡を越した北海道だったら、1カ月、1・5カ月にも為っちゃうだろ。そんな事をしたら、大変だ。ルートに沿った中継点見たいな交易場もきっと、陸海共に何か所か在ったんだと思って居るんだ。丸木舟の沿岸航海見たいな物だって、知恵と経験の産物でさ、・・・当然あっただろうしさ。」

「世界史じゃ中国、ローマを結んだソグト商人、古代の世界の海を舞台に海の商人フェニキア人も栄華を極めて居たんだし、♪月の砂漠を~、遥々と~、何てマルコポーロ見たいなキャラバン隊も若しかしたら在ったかも知れんしさ。」

「発掘調査で浮かび上がった縄文時代の雄・津軽は青森の三内丸山遺跡なんて代物は、農耕の始まった縄文前期中葉から中期末葉の1000年前後は使われて居た大規模集落跡で、最盛期には500人規模の大集落だったってさ。縄文期人口が26万人の時代だよ。現在の都道府県で割り算すれば、一県当たりの人口が5000人規模だから、その10%だよ。大都市だろ。それも今から5~6000年前って云うんだから、驚愕の世界なんだわさ。」

「食料自給率で云ったら、完全に充足の自然環境と云っても良いだろうさ。生活に余裕が在ったから、用途に従って石を割って形を整え、精巧に研磨する。骨を削って釣り針も作る。
 縄文土器にしたって、粘土に細かい砂を入れて練り上げ、陰干しにして何日も掛けて、粘土の水分を抜いて、遠火で、徐々に焼いて、最後は火の中に入れて焼く。火入れだけでも3工程を要したって事らしいよ。」

「装飾品に麻布の衣服にはデザインがダイナミックに織られて居たと云うしさ・・・衣食足りて礼節を知るじゃないけどさ、<衣食足りて、芸術をこなす。>・・・これって、精神的にも充実して居たと見て良かろうよ。」

「分業・一工程の断片歯車でしかない、現代人如きのスカンポ脳達が、『不自由で貧しい過酷な太古の時代』なんて戯言で踏ん反り返っている時代認識じゃ無かんべさ。アハハ。」

「オゥ、素晴らしい!! 何時もながら、Rさんのヒストリー・レクチャーは、とても面白くて、為に成りますねぇ。あなた、とてもクレバー、頭良い!! これ、ゴマ摺~りで無くて、本当に惚れ直しちゃいますねぇ。ダーリン。チュ、チュッ。」

「大分、リサーチが進んでますねぇ。ジョーモンのイメージは、北米のインディアンの生活ですね。分かり易いですね。サンキュー。
 私も、それをベースに、色々考えて見ます。今度の歴史行は、働き掛けない<見学の旅>にするんですね。それで、ハンググライダーなんでしょ。ウ~ム、分かる、分かりま~す。」

 幾ら縄文時代の考古学的知識を摂取しても、その対象は誰も見た事も無い広大無辺にも等しい悠久の時代区分である。得てして教条的知識と妄想は、反比例の関係にも立つのであるからして、この程度の雑駁過ぎる縄文への知識漁りは止め置く事にする。

 縄文海進の言葉に象徴される様に、縄文期は温暖な時代であったそうな。縄文期推定人口26万人。縄文遺跡の雄・山内丸山遺跡は津軽青森、弥生遺跡の雄・吉野ヶ里遺跡は九州・佐賀県で在った。縄文時代と弥生時代の地球環境の違いは、狩猟と農耕の差以上に、気候差が顕著だったのであろう。眺望利くパラグライダーからの俯瞰図は、予備知識との対話でもある。

 狩猟・漁労・採取の広大無辺の大地に、ヤオヨロズの神々の下、自然の一員として悠久の時を刻む原日本人の大地を見る想いであった。

               <駆け足歴史考>
     夢奇譚・第6部・・・神域にて (1/7/12)・・・より抜粋

 中国黄河の故郷は、黄砂を運ぶ台地でもあるし、何しろ『人口最多』『資源最少』『欲望最大』『道徳最低』の<四強国>と揶揄されるお国振りなのであるから、それはパスする事にして・・・エジプトは、ナイルの賜物と賛美される青ナイルの源流エチオピア高原に、夢を馳せたい感頻(しき)りなのである。

 そんな折、先頃、NHKのワンダーワンダーで、レポーター榎木孝明を配して、青ナイル源流の紹介番組を放映して居た処でもあった。

 その大地は、天空の幻想的とも形容するしか無い緑の高原台地、走る哲学者と讃えられたマラソンのアジス・アベベを彷彿とさせる人々が、地球の奇跡・栄養満点の黒い粘土質の大地に、悠久の農作物を植え、育て、収穫して居る静かな時の流れの様は、厳かにして、正に感動の映像美であった。それにも増して、悠久の豊穣の緑に覆い尽くされた、天空の大地は、其処に存在して居るだけで、宗教以上の天空・光、霧、雨の下、緑為す荘厳の拡がりが続いて居た。

 エチオピアの語源は黒い人・混血の人との事らしい、そしてアフリカ最初のキリスト教徒の国との事ではあるが、雑学に依ると鼻の高さで、西洋人は<人種の等級>を決めて居たとの事でもある。色は黒いがアジス・アベベに代表されるが如く、彫りの深いエチオピア人の顔相は、哲人めいて見える。<進化論帝国主義を謳歌した西洋人の傲慢さ>の感想には、そんな浅さが在って、私の様な有色人種から言わせて貰うと、『馬鹿こいちゃ、行けねぇやね。白い土人だって居るんでありんすよ。』ってな物である。

 人類発祥の地・アフリカ大地溝帯の中、地球の内なる血液マグマの滾りの賜物・黒い玄武岩が悠久の地球の時の中で風化され、栄養豊富な黒い粘土質の土を作り出した。雨で浸食されたその土が、雨季の激流を下り、遠く河口のカイロに豊穣の実りを与え続けた。太陽の国・ナイルの恵みが、ピラミッドを現代に遺す世界の四大文明の一つエジプト文明の栄華を極めさせた原動力と為った<豊穣の土>であったのである。
 
 安物玩具の地球儀をソロソロと回し、悠久の奇跡の高原大地に夢を馳せながら、日本からのルートを夢想する。韓国・北朝鮮・中国には、触手が伸びないから、此処はウラジオストクに渡った後は、嘗ての草原のシルクロード東西8000kmのステップロードを蒙古馬の背に揺られながら、ウクライナまで行き、ギリシャ人が結び付けたと云うエーゲ海と黒海の交易ルートを、古代に倣って黒海から地中海を横断してナイル河口のカイロから青ナイルを帆船で遡上するのが良かろう。

 私の頭に中の、趣味の世界史の歩留まりが、一体どの位の物かは分からぬが、モンゴル高原、カザフスタン、ロシア、ウクライナ、ハンガリー平原と連なる高原、草原地帯の続きには、スキタイ、モンゴル系、チベット系、トルコ系の遊牧民の群雄割拠の時代、フン族の侵攻によるゲルマン民族の大移動の歴史も刻まれて居る処でもある。

※フン族→ゲルマン民族の大移動の影響は、中国に於いても五胡十六国時代の大混乱の時代を招致して居る次第である。

 世界史の第一ステージとしては、四大文明からのメソポタミア文明とエジプト文明とが地理的隣接と地中海と云う内海の海路交通によって、海洋文化と云う混合、合体化を推し進めて古代の<ローマの平和>を確立した歴史の一大舞台でもある。

 アレクサンダー大王の故郷マケドニアからの海路は、エーゲ文明の足跡を辿って、地中海の東岸を一日行程の港から港を辿って見よう。芳香を放つ銘木レバノン杉の交易で地中海の勇と為ったフェニキア人の活躍を回顧するのも、旅の友と云うものであろう。
(※フェニキアの植民地カルタゴとのローマのポエニ戦争は、ポエニ=フェニキア人との地中海の覇権を争った新旧勢力の興亡史でもある。)
 
「映画的に云うとさ、ユル・ブリナー主演の<隊長ブーリバ>なんて快作が在っただけどさ。コサックはモンゴルの<タタールのくびき>なんて、200年以上に及ぶモンゴルの影響下に在って、コサックは新興のロシア王朝にとっては、旧支配者の片割れだったらしいよ。それでロシア王朝は、内心の復讐心で、コサックの機動力を駆って『東征政策』の先頭に立たせて、東方を征服せよ=ウラジオストクの建設に利用したって事だよ。

 中国ではモンゴル=元、ロシアではモンゴル=タタール、インドではモンゴル=ムガールで、タージマハルの美廟で後世に、名を残して居るんだけどね。こんな世界史の大風呂敷を拡げて、歴史に妄想力を働かせる事が出来るのは、後世現代の俺達の特権さね。

 モンゴルのユーラシア的大規模版図を築いた<怒涛の大進撃の先導役>を務めたのが、イスラム商人団とそのネットワークだったと云うんだけどね。
 7Cのマホメットの作ったイスラム教団は商人のソグド商人、ラクダキャラバンのベトウィン族と協定を結んで、商人と軍団の上に、聖戦と聖戦の見返りの富を得て、西洋より早く世界に君臨した大帝国だったんだと云う話だしさ。学者の中には、モンゴル帝国もイスラム帝国の亜流と見て居るグループもあるって話だわさ。」

「さて、世界史のお浚いでもしますかね。古代には黒海から地中海が、世界最大の内海だった。エジプト文明、メソポタミア文明を海で繋ぐフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人がエジプト、メソポタミア=ペルシャ、を巻き込んで、西洋文明の基礎を築いて行った。黒海沿岸のルーマニアは、ローマ人の植民地として作られたから、それが語源のローマ人の国と云う意味だと云う。

 ついでにルーマニアと云えば、15Cに強国オスマントルコと戦った<串刺し王の異名>を取った英雄ドラキュラ公が居たわな。それが吸血鬼のドラキュラ伯爵のモデルに為ったとかの話もあるしね。

 まぁいずれにしても、ギリシャ、マケドニア、ローマ、フェニキア、エジプト、ペルシャと古代史の主役達の興亡の海としか、俺には分らんわね。

 そうだそうだ、北欧バイキングの時代には、海に乗り出したバイキングと、河川伝いに黒海に進出した勢力が、ロシアの基を作ったと云う事だわさ。」

「世界史を、大きく俯瞰的に見ると、西から、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明と有るんだけど、西の二文明は、地理上の近接と地中海と云う内海に依って、交易の発達により混交して統合への世界史の駆動力と云うか、エンジンの部分を負って居たんだろうしね。その対決の中には、十字軍の遠征て云う宗教的価値観・文明の対立もあった。

 その一方でインド、中国は、西洋からの地理的距離の壁によって、独自性を持ち続けながら伝統的な文化圏を維持して来たんだけど、世界経済の一体化のボーダレス、グローバル経済の一大潮流の中で、その伝統的独自性が、如何変わって行くかが、興味のある処なんだろうしね。」

「海から見ればエジプト、メソポタミア、クレタの<三大文明の交差点>に位置していたのが、此処シリアなんだってさ。地中海東岸のパレスチナ、シリアは、陸から見れば、エジプト、メソポタミア、アナトリアの三地域を結ぶ<陸の橋>とも呼ばれるし、これぞ古代の地政学上の要衝だったって訳だ。

 また、文明・文化の要衝としての一端には、エジプトの象形文字の影響を受けて、アルファベットのフェニキア文字を誕生させた。それが、陸を伝えばアラム文字、海路に伝われば、ギリシャ文字、ラテン文字、スラブ文字として現代に足跡を残して居る。

 まぁ、現代ではすっかり様相が違って、イスラエル、パレスチナ問題で、宗教的、政治的中東の火薬庫なんて定冠詞を頂戴しちゃってるけどね。

 いずれにしても、人間の歴史の歩みって潮流は、諸々の因果関係の<必要は発展の母>って事でさ。周辺に交通の不便な半砂漠地帯が拡がる地理的制約が在って、古代の中心海=地中海は、必然的に高度な海洋文明の方向に、一気に乗り出したって事だろうね。

 その地中海開発拠点が、地中海東岸のレバノンでさ。レバノンの特産品が、彼の有名な<レバノン杉>だったって事だよ。乾燥して森林資源の乏しかったエジプト、メソポタミアの神殿・宮殿建築材としては無くては為らない硬材質にして芳香材だったから、しこたま需要が在ったって話だ。こんな環境で頭角を現したのが、フェニキア人だったって事だわさ。

 古代の世界の海は、フェニキア、ギリシャ、ローマと彼等は、地中海の覇権を争って、覇者の興亡史を地中海に刻んだって事さ。以上、本日の講義終了。」

「エジプト最後の征服王朝の、マケドニアのアレキサンダー大王の将軍が興したプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラとシーザーの話とかアントニウスとの話は、余りに有名だしね。

 俺は、現代の下衆貧民男だからさ。幾ら女王の座と王家をローマ帝国から守る為と綺麗事を言ってもさ。余りに『女の武器』を駆使しての<権力者への籠落三昧>が、一人の女として許せなくてね。歴史はクレオパトラを政治的に美化し過ぎて居る感じで、好きには為れんのだよ。

 一人の女として見る時には、とてもじゃ無いけど、自己顕示欲の権化の象徴で・・・如何にも嫌でね。若しかしたら、300年に満たない日本で云えば徳川幕府の治世のスパンなんだけど、マケドニア貴族の血統を守る為に、兄と妹、姉と弟の近親婚を繰り返した後遺症で、とんでもない思考と行動が身に付いて居たのかも知れんしね。

 日本じゃ、その弊害を失くする為に、御三家、五卿の制度を以って、カバーしてたって話だけどね。それでも、歴代将軍には、暗愚の将軍様も居たって話だわね。へへへ。」

               <アメリカ大陸文明考>
   夢奇譚・第七部、ユカタン、マヤの地にて・・・より抜粋。(1/22/12)
 
 嘗てメキシコはユカタン半島には、古代インディオ文明が栄えて居たと云う。マヤ文明以前のオルメカ文明と云う事である。エジプトのピラミッド同様のピラミッドをジャングルの中に築いた一大文明であると云う。その文明の母とも云うべき巨大な人頭石像を残して居るのが、オルメカ文明と云われるメソアメリカ文明の一端との事である。そして、彼等は、如何見てもアフリカ系の人種だったらしい。

 熱帯ジャングルの中に、トウモロコシ栽培によって、巨石と天文観測から導き出した現代にも匹敵する精緻な暦を高度に発展させたその文明の構成員の中には、黒人、白人、インディオが混交していたとの記述から、話は大きく広がって、エジプトと中米ユカタン半島の共通文明部分の橋渡しが、かの有名な大西洋に没した<アトランティスの存在なのだ>と云う推論が、私としたら真に夢運ぶ処でもある。

 私は、こんな話が好きで好きで堪らない性質である。こんな想像を、幾度と無く受験勉強の終った寝床の中で、拡大させて居た事か・・・ これも受験勉強の御利益の一つだったと受懐して居る次第である。

 まぁ、私としては常識の囚われ人、無味乾燥な面倒にして没個性の時代に生まれてしまったから、ドンキ・ホーテに為る機会を失ってしまっただけの事である。そんな事も在って、私はお役御免と為ったこの段階で、妄想流・家元(これは、ブログ上、親しくさせて頂いているナニワのmaso♪様から頂戴した吾が定冠詞である。)に為らんとして、夢奇譚に<その活路>を見出しつつあるのかも知れぬ。イッヒッヒ~。

「うん、だから、言ってるだろう。この世界は、異次元世界で、俺達は時空の彼方から、ワープして来た生き物なんだよ。これから始まる体験その物が、或る意味では、絶対にあり得ない<時空のミスマッチ体験>なんだよ。

 まぁ、その間の納得には、少々の体験と頭の整理が必要なんだけど、それは省略してさ。現実の本題に入ると・・・本からの受け売りだけど、この時代のマヤの人達は、高度な暦文明を発展させて、全て暦の或る一定の期間を自分達の運命として、その予定の中で生きて居るらしいよ。

 焼畑農業で、何時ジャングルに火を付けて、何時トウモロコシの種を蒔くか。余りにも正確な暦を作り上げてしまったから、それが災いして、大きな運命の中に生きていたらしいよ。きっと、この都市の遺棄だって、当然の彼等としたら<運命に定められた不可避の予定行動>じゃないのかね。

 焼畑農業は、初年度の生産を100とすると、二年度が70、三年度が30で、生産性が激減するらしい。少しは<西洋の三ぽ農業方式>見たいな物を考案して、家畜、農作地、休耕地などを組み入れて、人糞、家畜糞、残飯、雑草、落ち葉などを発酵させて、堆肥肥料なんかを土に鋤き込んで、有限の土地のローテーションを考えれば、また違った文化・文明のスケールメリットが図られたのにね。

 地勢環境が熱帯のジャングルだった所為も在ってさ、大型の哺乳類の牛とか馬の類も居なかったから、農耕民でありながら、本当の意味での<集約的、本格的定地農業>が、発展する道具立てに恵まれなかった文明かも知れんわさ。

 へへへ、天体の運行ばかりに現を抜かさずに、少しは地道な土壌学に注目したら、無尽蔵の植物と人口数と云う人糞が大量に生産されるんだし、高温多湿の気候下では、微生物が活性化する条件が整って居るんだろうけどね。そんな土壌の再生産に知恵と工夫を凝らせば良かったのに、そちらの方には、王、学者・神官・農民も、一切関心が向かなかったらしい。

 全ては天体の運行による定められた運命の中で、生きて行くのが彼等の宗教観、人生観だったらしいよ。詰まりは、代替地と気候環境に<恵まれ過ぎて居た>と云う証左じゃないのかね。そんな恵まれた環境なのに、哀しいかな・・・天文学、運命学にばかり特化しちゃって、裾野を広げた森羅万象の理を目指すべく自然科学へのアプローチが、お座成りに為って居たんだろうね。こんな処が正に、旧大陸と新大陸の文明を分岐させちゃったんだろうかね。

 それに宗教を絶対視し過ぎて、凄さまじいまでの人間生贄の文化でもあったらしいから部族間の<人狩りが常態化>して居たらしいしさ。捕えられた者は、あのピラミッドの神殿で、生きたまま黒曜石のナイフで心臓を抉り取られて、死体はバラバラにされて、あの階段から下の群衆に向かって落とされ、群衆は争って、その御利益の在る肉片を食べたって事だ。或る意味では、身分と知識が先鋭特化し過ぎた文化・文明の有限性、報いだったんだろうね。

 環境に恵まれ過ぎて、学問・芸術に特化して仕舞うと、エーゲ海文明にしろ、イースター島にしろ、一端衰退すると消滅の憂き目を見るのが人間の性らしいよ。アハハ。

 その辺りの封建体制が災いして、喰い詰め野盗にしか過ぎないコルテスの小集団に、アステカ王国・マヤを引き継いだ文明さえも、短時間の内に壊滅されてしまったんだろうね。同じモンゴロイドの一員として、返す返すも、実に腹立たしくも嘆かわしい限りだわさ。」

「あなた、相変わらず物知りね。それにしても、熱いわね。こんな恰好してると、もう暑くて・・・」

「我慢、我慢。毒虫、変なバクテリアが、高温多湿のジャングルには一杯居るんだから、高温多湿の熱帯菌には、新参者は逆立ちしても敵わんものさね。抗体の無い俺達は、宇宙人と考えて、<防護服>だと思って我慢しろよ。
それに、双眼鏡で絶えず周囲を確認して行動するのが一番だぜ。こんな現代服を着て居る処を見付かったら、即捕虜に為って、神様に<初物を供える>のが、人間の頭脳回路の常って云うものだろう。そうなりゃ、文句無しに、黒曜石のナイフで心臓を抉り取られちゃうぜや。」

「もう、そんな危険で野蛮で生贄、人食い習慣の在るそんな怖い所は止めて、もっと安全な所へ行きましょうよ。身の毛が逆立つわよ。おお、怖い~。あなた、怖い所に連れて来たよ。私、怒るよ。」

「大丈夫だよ。宗教的に遺棄した都市だ。宗教の尊厳、神聖化を絶対の義務と考えて居る国体だから、論理的には、絶対に帰って来ないから大丈夫だし、俺達二人だけの食料調達なんだから、これだけの耕地面積が在れば、何も心配は要らないさ。日本流に云えばさ、此処は再び足を踏み入れる事を許さない<神聖なる巨大霊場>だろうよ。
 それに、これだけジャングルが開けて居るんだから、太陽光線燦々の大地には、毒虫、バクテリアも住み難いに決まって居るだろ。好い機会だから、しっかり異次元考古学を遣って行こうじゃないのさ。」

 遺棄されて、そんなに経過して居ない石造りの都市は、ゴーストタウンと云う感想では無かった。ジャングルの中に忽然と、且つ荘厳に満ちた広大な都市遺跡を見学に遣って来た・・・私には、そんな感想であった。
 多分、それは映画、テレビ映像で、世界の遺跡巡り番組を見続けて来た私の親近感による処が、大きいのであろう。そして、雰囲気を楽しむ為には、一人が良いとの私の性向に由来して居るからでもあるだろう。

 都市の最盛期には、何百人か、何千人かの人口を擁して居た都市の規模なのであろう。人口の増加と焼畑一辺倒のトウモロコシ農業が、土地の消耗によって持ち堪えられなくなっての・・・都市の遺棄行動を繰り返して行ったのが、マヤ文明の推移と云う。

 豊穣から見捨てられた耕地と云っても、私と洋々の二人が十分に生活出来るだけのトウモロコシの実りは、広い耕地に散在して居る。乾季の終わりに焼畑をして雨季にモロコシの成長と収穫をする。そんな農業形態がマヤの農法で在ったらしい。雨季と云っても、毎日一日中雨が降る訳では決してない。
 この遺棄された都市でも、最盛期の頃は、スコールの雨量と熱帯の太陽の下で、きっと都市を築くに足るトウモロコシの豊穣の耕地が、青々と拡がって居たに違いあるまい。

 日本では盛夏のモロコシ齧りではあるが、種まきから収穫までは、精ぜいが2~3か月とすれば、二毛作、三毛作をして収穫貯蔵をして暮らして居たのが、インディオの暮らしだった筈であろう。
 モロコシを彼等は、殆ど主食として、偏食傾向にあったとも云われて居る。動物性タンパク質は、殆ど採らずに居たとの事でもあるし、蜂蜜を好んだと云うからして、ミツバチに関しての一応の雑学もチェックして来た処でもある。

 ジャングルの石造り都市の伝播は、川に沿ってであったと云うから、当然に川が近くにあったし、川からの都市への用水路も整って居た。私達は中国人、日本人の違いはあっても、東アジアの住人であるからして、川魚でタンパク質を十分に採れる。

 毒虫、厄介なバクテリアに苛まれずに済めば、こんな素晴らしい環境に文句を言ったら、罰がたちどころに下ると云った処であろう。

「おい、洋々。本に依るとさ、マヤの国では、カカオが貨幣の替わりをしたんだってさ。バナナ、それにチューインガムの元に為るゴムの木も結構あるって話だ。きっと、それらも、周辺の耕地の中に果樹園として在るかも知れんぞ。探そうじゃないのさ。」

「カカオって、チョコレートの原料に為るんでしょ。私はチョコレート好きですよ。たっぷりの砂糖は、あなたどうしますか?」

「サトウキビが在れば、良いんだけどさ、無かったら蜂蜜を入れて、チョコレートにするしかあるまい。どうせ時間はタップリあるんだ。何事も実験だわさ。」

「私、刺されてブスに為るのは嫌い。だから、それはあなたの仕事にしましょうね。フフフ。」

 石造りのメインストレートには、石造りのこの都市のエリート達の居住区が在った。適当な部屋を物色して、初日は其処で生活する事にした。

 とは云うものの、全ては自己調達をしないと、生活の出来ない私達は、自給自足者でしかない、従って、仕事=生活動線を効率的に考える必要があった。ベットで寝るのは虫防止の点から、マヤの人達はハンモックで寝たとの事であったから、私達もその雑学に倣った。フィリピンの経験では、赤い小蟻の毒は、要注意との事であった。

 ハンモックを並べて吊り、ハンモックの上からユカタン半島のジャングルに沈む赤味がかった大きな太陽を眺めて、洋々と話を交わす。

 今回の異次元旅行にしても、私は、それなりに大凡の雑学を頭にインプットして来た処である。目の前に広がる、都市民が丸ごと一人残らず移動してしまった石造りの都市を、本の中に掲載されて居た写真の数々に準えて、私は一つ一つ大きく頷きながら・・・また、地上から見上げながら・・・どの位の滞在期間と為るかは不明のジャングル都市の概略を頭に入れる為に、歩き回った。

 階段状の壮大なマヤ式ピラミッド、天文台、神殿、コロシアムなどの威容を誇る建造物群は、その神格性、神聖性を殊更見せ付ける為なのだろう。熱帯ジャングルの巨大な生垣を従えた恰好で、広大な平地の中に屹立して居る。生垣のジャングルを挟んで、都市を支える耕地と住民達が住居群が整然と区画されている。

 それは、都市の支配者の王侯貴族の館、神官、軍人から為る支配者の屋敷が立ち並ぶ。都市の支配と行政の根源は、諸々の神への生贄信仰とトウモロコシ農業の豊穣さである。
 都市の経済基盤を支えるのが、広大なジャングルと焼畑農法であるが、焼畑農法の最大の欠点は、剥き出しの表土と化した土壌の荒廃である。耕地土壌の再生産に注目しなかったのが、マヤ文明の最大の特徴にして、最大の欠点。全てを運命と見做して生産性を亡くした都市を遺棄して、新たなスタートとする文明観であったのだろう。

 その文明観の論理的、宗教的後ろ盾が、高度に発展させた天体観測から導き出した精緻無比な暦学だったと云う。暦学による予定された運命を、すさまじくも狂喜の人間生贄の儀式によって、享受して体制・文化・文明を維持して行くマヤ文明の本幹が在ったのであろう。

 支配・管理体制側から見れば、農耕、建造に携わる都市の民は、殆ど農奴、奴隷、生贄予備軍と映って居たのかも知れぬ。そんな証左が、都市の片隅に密集するバラック小屋の一角に顕著に見受けられる処でもある。

「ほら、古の文明下にある庶民とは、最下層の虐げられのはっきりした見本だろ。

 こんな文明下で、俺達、服を着た異風の人間を見たら、それこそ、寄って集って追い回されて、あの神殿ピラミッドに担ぎ上げられちゃうわね。

 コカインの葉っぱを朦々と焚かれて、カカオの粉末を身体中、白く塗りたくってさ、幻覚に惑う、待ち兼ねる王侯貴族・神官ご列席の下、石の祭壇ベットに括られて、黒ジャガーの毛皮を被った神官の長老に、黒曜石ナイフで胸部をグサリと抉り取られて、まだピクピク痙攣する心臓をゲテモノ神に奉げられちゃうがな。おお、怖い。」

「あなた、私、もう、そんな話要らないよ。あなた、話、上手過ぎるよ。私、酷いのも、痛いの話、嫌いよ。もう、その話私に何度、話した。あなた、人が悪過ぎるよ。ああ、想像がまた浮かんで、私、気持ち悪く為った。オェッ、オエッ・・・」

「そうだろ。俺だって、マヤ・インディオにしょ捕まって、幾ら夢奇譚の添え物でも、生贄には為りたかぁ無えわさ。先ずは、用意周到に越した事は無いわさ。ギャハハ~のハァだ。」

 ユカタンの地を埋め尽くす熱帯ジャングルの樹海は、20m以上にも達する。それは私の様な井の中の蛙人間からすれば、圧倒されるばかりのグリーンの圧力の迫りと云って良い。地上からは、その圧倒的高さとボリーム感故に、外部への視界が、一切開けない処であった。

 外部との比較が出来ないと、如何しても思考回路が内向きに為って仕舞う。内向き志向が、好い事も悪い事もある。此処は何と云っても、時空を遙かに超越して降り立った異時代・異次元の世界である。こんな状況下に在って、私達が出来る事と云えば、それは如何しても内向きと為り勝ちな思考回路に、外の視界を入れて置く事である。

 そんな事で、私達は、午前と午後の二回を、神殿ピラミッドに上って、双眼鏡で周辺の異常の有無を確かめる時間に割いて居るのであった。

 本の活字と活字の隙間を、私流の妄想手順に沿って妄想の限りを尽くせば、諸々の神々に捧げる生贄ショーは、ローマの衰退期に於ける世相阿(おもね)りの市民サービスのコロシアム劇場に堕落しても、何の不思議は無かろう。そんな私の枝葉末節を広げて行けば、弱小集落の住民ほど<惨めな存在>は無かろう。
 こじんまりとした自給自足の小集落に、戦闘集団の都市軍人隊が、不埒乱暴の限りを尽くしての人狩りを仕掛けて来るのであるから、その小集落は、忽ちの内に阿鼻叫喚の地獄図と化すのは、至極当然の流れと見るのが妥当であろう。

 当然、その阿鼻叫喚の下で、惨殺されるもの、奴隷、生贄として曳かれて行く者、逃げてジャングルの流浪者と為る者・・・etc 全てを欝蒼たる熱帯ジャングルが、奥深く隠蔽して居るのが、言うまでも無く<昼なお暗いジャングルの実相>なのだろう。

 異次元世界への放り込まれ者が、此処に居る私と洋々でも在る事からして、・・・

 人狩りに向かう一団、戦いに敗れて曳かれ行く一団、ジャングルを流離う者・・・etcが、ジャングル樹海の中で、忽然と威容を誇るこの石造りの都市に遭遇する事は、十分な確率でもあろう。旅の一時の逗留場とする事もあろうし、流離い者の新天地と為る場面も在っても然るべきであろう。

 <その5>
 様子が分かって来ると、それなりの時間と気分の余裕が生まれて来る物である。この異次元の世界に、私と洋々が降り立って、何週間かが経った頃である。

 今では、神殿ピラミッドから天文観測所に移っての周辺に対する双眼鏡観察をしている次第である。ドーム型の天井を持った石造建築は、東西南北に、観測用の小窓を開けた、外からは中が見え難い構造に為って居るから、身を隠して周辺観察をするウォッチャーの私達にとっては、格好の建物である。

★マヤ文明の<生命の起源の書>と云われる『ポポル・ブー』に依ると、翼ある蛇ククルカン(ケツアルコアトル)信仰の記述が在った。伝説の王ククルカンは髭を生やした白人であったと云う。ククルカンは、マヤ族にとって創造神あるいは、その使者である翼のある蛇を指すと云われて居る。

 マヤ文明を継承するアステカ王国が、喰い詰め野盗如きコルテスの一団に、壊滅してしまった裏には、歴学に先鋭特化し過ぎて、全てを大宇宙を支配する運命の為す予定された世界観が在ったので、髭を生やして鉄の甲冑に身を固め、鉄砲を持つ、見た事も無い馬に乗ったコルテスの白人集団に、戦う前から伝説の神ケツアルコアトルが、予言通りに自分達の国を滅ぼしに来たと『観念』してしまった側面が在るとの事であった。

 以上、第一回私的歴史考で在りまする。何分、ド素人の趣味の歴史考の断片でありまする。偏向・脱線に次ぐ脱線の長駄文へのお時間の拝借の段、恐縮の極みで在りまする。
 
 それでも、歴史に興味を持たれれば戯けの本望。お読み頂いて、感謝感激で在りまする。

      20013年7月27日  定位置四畳半にて アガタ・リョウ


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