旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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夢奇譚・番外編2・・・衆生の交わり。
               バルディナのオネダリ_001ご挨拶_001夕食の時間よ~!!

           夢奇譚・番外編2衆生の交わり・・・ジョービタキ考(2/12/14)
 <その1>
 ジョービタキの故郷は、シベリアで在る。その小鳥は、雀位の大きさでスマートな体躯である。日本へは冬鳥として、全国に渡来する。平地から山地の林縁、農耕地、河原、市街地の庭、公園の少し開けた所に、単独で縄張りを持って越冬する。

 オスは見るからにシックで、ハンサムで在る。灰褐色の頭部に黒いマスク。腹部から背は橙色で、黒い翼には白い班を持つ。メスは全体にくすんだ鴬色で、背の下にはオス同様の橙色があり、翼に同様の白斑を持つ。
 止まって居る時は、尾羽を小刻みに震わす様に振る。声はヒッ、ヒッとか、クワッ、クワッの単声を上げる。好奇心旺盛と云うか人見知りをしない行動から、その気質には人懐こさが在る様にも見える。

 ジョービタキの尉(じょう)は、オスの頭部の色を銀髪に例えて、老人を意味するそうな。そしてヒタキはヒッ、ヒッorクワッ、クワッorカチ、カチとも聞こえる鳴き声が、火打石を鳴らす音と似ている処から、<火叩き>に由来して居るそうな。

 斯様にしてオスは非常に目立つハンサム振りで、日本全国に飛来して越冬する身近な野鳥であるから、きっと見掛けた事が在ると思う。私は幼少の頃より鳥が好きで、人一倍の関心を持ってバードウォッチングをして来た次第でも在る。

 <バルディナ1世>
 歩けなく成って独居生活が困難に為って来た実母の介護を始めて、最初の晩秋、私の定位置四畳半窓辺のコブシの枝に遣って来たのが、ジョービタキのメスであった。それは夏には四畳半の目隠しと為って居るコブシの葉群が、落葉して数枚の葉が残るだけの冬を迎える時期であった。

 雌ジョービタキは、雄と違って地味な羽色で動きも大人しい。そんな動きの穏やかさが、如何にも雌らしかった。彼女は、寒々としたコブシの細枝に止まって、部屋の私に尾羽を小刻みに震わせたり、タクトを振る様にして姿見せをする様に為った。
 そして、私の座る正面=東お向かいさんのブロック塀の上を、チョコンチョコンと歩いたりして、目の保養をさせて呉れた。まん丸の黒い目と緩やかな仕草が何とも言えず、私はその姿見せに、何時しか北国の使者、観音様と呼んだ。自己主張の薄い穏やかな仕草の姿見せに、ロシアの金髪福与か美形・バルディナの名前を取って、彼女の面影にオーバーラップさせて居た次第でも在った。ヘヘヘ為り。

 私は生き物に興味が在るから、自然と観察の目が向いて仕舞う。窓辺に訪れる野鳥達の比較、行動を目にして居ると、色んな事が解って来る物である。縄張りが在って、縄張りを一定の時間帯で、巡回しているらしい事が解って来ると、彼等にも日課と云う習慣の中で生活して居るのが見えて来る次第である。そんな彼等の眼の中には、人間と言う動物は狭い範囲(籠)の中に暮らしているとの生意気眼が在る事も解って来る。

 それは、彼等が空中を飛ぶ翼を持っている事から来る境の無さに由来する物なのだろうと、私は勝手に推測して居るのだが・・・

 幸い、彼女とは気心が通じたのだろうか・・・ 私が外に出ると、何処で見て居たのか、サッと姿を現す始末であった。散歩に出掛けると、河川敷を歩く私の前で、河原を小刻みに飛んで、尾を振って呉れる。散歩から帰って家に近付くと、お出迎えまでしてくれる『深情け』に、私はジョービタキにして置くのが、惜しい気持ちにまで為って来たものである。

 そんなジョービタキ・ウォッチングの過程で、ジョービタキ個体の縄張り範囲を知ったりもした。日課の散歩ウォッチングの中で知った事は、わが町内には雄、雌、雄の三個体が川を跨いで、東西に縄張りを持って越冬して居る様子が解って来た。縄張りは然程の広さが在る訳でも無く、縄張りの堺で縄張り争いが在る訳でも無く、至極平穏な関係の様にも見て取れた。

 勿論学問的な目的意識を持って、縄張りの観察をした訳は無いから、迂闊な事は言えないが・・・雄・雌・雄の整序的な位置関係が、功を奏して居るのかも知れないとも思ったりするのであるが。

 バルディナは、自分の縄張りをマイルドキープして、その範囲で<お見送り>と<お迎え>行動をしているとの『行動パターン』に気付いた次第でも在った。

 次に私が関心を向けたのが、縄張りの中心地であった。四畳半から玄関に向けて、手入れを一切して居ないアジサイ、ツツジ、ドウダン、ツゲなどの灌木が密集して居る。其処が、彼女の根城の様であった。
 玄関には金華鳥を置いて居るから、夜が明けると玄関鳥達が活動の声を上げる。それに呼応して、玄関周りでジョービタキの単発の声が聞こえて来る朝で在ったから、彼女のネグラ場所としては、<当たらずとも遠からじ>の推理だと思われる。

 春が訪れて、バルディナはシベリアに帰って行った。その年の晩秋、コブシの葉が落葉した頃、クワッ、クワッと声がして、鳥影が動いた。嬉しいバルディナの帰還で在った。

          <来たか来たか、帰って来たか。息災で何よりだ。>

 それは、同じ個体のバルディナの化身・ジョービタキのメス鳥であった。私を覚えて居て呉れた事に、嬉しくも思い、感謝の気分さえ湧いてしまった、本棚の柔和美形・バルディナの写真に投げキッスであった。正直、彼女の化身にも思えた。

 <バルディナ2世>
 4年目のジョービタキは、同じ雌でも別個体であった。野生の生命は短いものである。寂しい想いでは在ったが、渡りをしなければ為らない自然界は厳しい。代替わりをしても、それは致し方の無い次第でも在る。1世と違って若い個体で在った。時折、姿を見せるだけで、嘗ての様な濃密な関係には発展しなかった。これも、個体差の為せる処で在った。

 或る時、庭に居ると、雄ジョービタキがスモモの木の下のイチゴの地面に降りて、私を見ていた。<縄張りの主が変わったのかな・・・>と思いながら、見ていると雌ジョービタキが飛んで来て、雄を追い払ってしまった。

 そんな小さな追い立て行動が1、2度有った位で、我が家はバルディナ2世の物と為った。

 それはハイエナギャングのヒヨドリとは全く違う平和的縄張り成立の様でも在ったし、また考え様に依っては、約半年間に及ぶ越冬期間中の餌分けに於ける<紳士協定>の様にも見える次第でも在った。

 縄張りは、思うに餌の確保とネグラの確保であろう。餌の確保は、環境と広さに依って決まるのだろう。ネグラと為れば、それは家でも在るからして個体其々の好みと為ろうか。 
 従って個体差が歴然と現れると云った次第で在ろう。加えて、単独の縄張りを持つジョービタキに在っては、当然、縄張りの申し送り・引き継ぎ行為が為されない以上、ネグラ選択は個体嗜好の独壇場と云えよう。

 2世は西の家庭菜園に宛がわれて居る梅木の下の、南天の茂みをネグラとしている様子で在った。私の日常動線の死角に立つ位置関係で、私の定位置四畳半とは遠い位置で在ったから、余り顔合わせが出来なかったのであろう。
振り返って頭を整理して見れば、何事もお互いの認知度が進まない事には、警戒感が薄まらない。従って、親しくは為れないのは詮無き事でも在った。

      斯様にして、人畜無害のバードウォッチングとは距離間の維持でも在る。

 <バルディナ3世>
 今シーズンは、若い個体のメスの訪れで在った。それもコブシの木に大分葉群の在った頃の姿見せであった。猛暑の長夏を呈して、草臥れたし、例年に無くキリギリスの寿命が短かった事も在り、渡りの予想外の早さであった事からして、気象異変を兆向か?とも思った次第でも在った。

 今年は無果の結果と為って仕舞った渋柿の落葉が済むと、冬は一気に遣って来た。庭を見渡せる二畳小部屋に早々に炬燵をセットして、寒い時は炬燵で旧PC打ちをする事が多く為って居た。

 四畳半周りには、余り姿を見せなかったバルディナ3世は庭の地面とか、テレビのアンテナ、アンテナ線に止まって、庭を本拠地にして居る様子である。そして、廊下下の縁側地面にもよく姿を現して居た。
 また、然程寒く成らず羽虫が飛んで居る頃には、ミネゾの枝に虫柱が立って居ると、それを空中捕食して居るシーンを何度も見掛けた。それは、如何にも野性の動きであった。

   為るほどジョービタキは、この様にして虫を食べて居るのかと認識した次第で在った。

 春の訪れとともに北へ飛び立って、カップリング、営巣、抱卵、育雛をするシベリアの大地は、テレビのネィチャー番組が映し出す様に、至る処に虫柱が萌え立つ繁殖の大地なのだろう。そんな映像とのオーバーラップで、私はバルディナ3世の個体観察をしていた。

 そんな次第で頻繁に姿を見る内に、彼女のネグラが縁の下である事が解って来た。加えてバルディナ3世が、私を怖がっていない様子が解って来た。私は金華鳥の慈養餌用に残って居たミルワームを、廊下の上がり石の上にばら撒いたり、好く見かける百日紅の辺りの地面に、餌鉢を置いて入れて見たのだが、一向に見向きもせずに放置されて居た。

 へへへ、私としては、<以心伝心の術>を使った心算では在ったが、元来が女族には一切モテぬ事を、ついつい『忘却』して居たと云う事なのであろう。とほほ為り。

 その内、<効果無し>と私も諦めてしまって居たのだが、或る時、地面に捨て置かれたミルワームが無くなって居る事に気付いた。それからは、時々、上がり石の上に数匹を置いて見た次第で在った。そんな過程を経て、ミルワームは石の上から餌入れに変わって、それを食べている姿が見えて来た。

 そんな信頼感見たいな物が<学習効果>として定着して来ると、縁の下を定位置、ネグラとする彼女は、廊下の私の動きを読んで行動し、朝昼夕方の餌入れを要求するまでに為った。

 俗世間では、これを『餌付』と云うらしいが、私には餌付と云う<人間の上から目線>の気持ちは一切浮上しては来なかった。私の中では、飽く迄も、人間と野鳥との信頼関係の成立の形と位置付けている次第である。

 夏に中断した外壁工事が再開して庭に人の出入りが頻繁に為っても、彼女は一向に気にする風も無く、私の近くに煩い程に姿を見せ続けている始末である。工事に平行した形で、私が縁の下の整理、縁の下に潜ってのコンクリート補強作業をして居ても、平気で縁の下に覗きに来たり、禽舎の取り壊しをして居る時でも、近くに止まってクワッ、クワッと翼の脇を開閉して、尾羽を震わして私を見て居るのである。

 何時しか、私は私でバルディナを同居人と思い、彼女は彼女で私を、自分の縄張りの同居人と看做して居る感じを共有し始めたのかも知れない次第であった。

 一度目の大雪の後、土手の駐車スペース、材料、工作スペース、焚火スペースの雪掻きを完了させて、<本日は工事に来るかな>と思って、布団を上げ掃除をしてからの朝食で在った。玄関鳥を廊下に並べて、些かの魂胆が在ったから空気の総入れ替えの為に、廊下を開けて置いた。

 朝食を終えて、籠鳥達の餌吹き、水替えをして遣ろうと行くと、餌を待ち切れない彼女は何と、廊下に入って居た。私の姿を見て大慌てで、私の寝室の8畳の廊下から飛んで行った。

 習慣とは面白い物で、毎日、ミルワームのケースから摘んで、餌入れに落として居る姿を<待ち切れな~い!!>とばかりに至近距離で見ている。従って、ケースを狙って入って来たのである。

 雪に埋もれたひもじさで、本日は吹き零れの餌を求めて雀が四羽、楓の木に止まり軒下の零れ餌、雪解けの水を飲んだりして居る。そして、出っぷりしたイカルのメスが一羽来たり、今シーズン初めてのメジロが一羽、一カ月も前に吊るして乾涸びたミカンを啄みに来ている。

 さてさて、雪のすっぽり埋まった飢餓の日々である。折角、姿見せに遣って来たメジロ殿でもある。個人スーパーまでリンゴ、ミカンでも買いに行って来るべしである。

 そして、在ろう事か。二度目の大雪に、軽自動車は雪に埋まって仕舞った。2日に渡って降り頻った細雪に、バルディナは終日姿を見せなかった。雪が止んで、姿を見せて呉れた時は、安堵に頬が緩んだ物である。

 危ぶまれた南岸低気圧に伴う三度目の大雪は、幸い回避された。周囲は相変わらずの深い雪覆いでは在るが、進み行く陽の長さに玄関鳥達は、抱卵の兆しを見せている。去年は繁殖出来なかった吾が家の飼い鳥達では在るが、孵化ラッシュと為るやも知れぬ。

       <その2>・・・ジョービタキ・バルディナ3世の観察考(2/20/14)
 
 私は、ジョービタキのメスよ。シベリアで生まれて大人に為って、日本で越冬して再び繁殖の為にシベリアに帰るのよ。日本では冬の渡り鳥の仲間なんだけど、『渡り』と云うと、何か<住所不定の根無し草>見たいに聞こえるらしいけど、全然、そんな事は無いのよ。

 どちらかと云うとシベリアの夏と日本の冬を往復して、毎年決まった二か所での<定住暮らし>って具合かしら。

 私は今年初めて日本に来たんだけど、幸運を引き当てて『好い暮らし』を送って居るわ。冬は食べ物が少ないから、私達ジョービタキは、生活の知恵を踏襲して、それぞれが一羽、一羽の小さな縄張りを接する中で、越冬暮らしをするんだけどね。

 日本での小さな縄張りの区割りは、オス、メス、オスの順序を保って生活してるの。別に逸れての一羽鳥での『孤独な越冬生活』をしている訳じゃ無いのよ。アハハ。

 生まれ故郷のシベリアに帰って、夏の萌え立つシベリアの原生林で半年強を過ごすのよ。
言って見れば、生命を繋ぐ繁殖の季節だから、とても忙しい時期なのよ。シベリアの大地で番を組んで、子供達を育て上げる。
 当然、シベリアの大地では人間で言えば、血の繋がり、土地の繋がりの中から生まれる部族見たいな関係が在るのよ。渡りにも部族色があるから、決して知らない者同士でも無いしね。

 其処でカップリングをして営巣・抱卵・育雛をするから、オスとメスは決定的な縄張り争いをしないのよ。これって、当然の事でしょ。日本の生活は、生きる為の越冬生活だから、共存するのが大前提なのよ。分かるでしょ。

 渡りの季節に為ると、何んと無く仲間達が集まって来て、旅は道連れでそれなりの集団で渡るんだけどね。目的地に来ると、一羽一羽が縄張りを持つんだけどね。私達の寿命は、精々が3年前後なんだけどね。空きがあると、其処に入るって<決まり>なんだけどね。

 縄張りの条件としては、先ずは食糧なんだけど。私達は虫が食料だから、冬の虫と云うと、木の枝、木の葉の中で越冬して居る虫達なのよ。だから、木の多い場所が好条件なのよ。それから、雨、雪、風から、身を守るネグラが必要と為って来るのよ。そう為ると、如何しても人間の近くが好条件と為るのよ。

 良くチャカリして居るって、鳥仲間達からも言われて居るんだけど、最低限の食料入手だけで、細々と5カ月強の越冬生活をするには、人間の近くだと、何かと便利だし安心なのよね。要するに、<頭は使い様>と云う事なのよね。

 これって、凄い事でしょ。遠い昔の御先祖さん達の知恵の深さには、つくづくと感謝するだけ。そうでしょ。遠い昔、人間達と生活範囲が重複して居た狼の仲間が、犬と為ったりした訳だし、別に人間を恐れる必要も無いと思うんだけどね。アハハ。

 そんな事で、好条件の住処と縄張りを得るには、他よりも先駆けて渡るか、空きの出た縄張りに入れるかなんだけどね。これは、多分に運が在るわね。オホホ。

 そうそう、さっき言ったけど、渡りの季節に為ると仲間達が集まって、それなりの集団渡りをするって言ったでしょ。その渡りの中で、情報を得るのがコツなのよ。それで大体の情報をインプットして、次の渡りに活かすんだけどね。

<鶏は馬鹿だから、三歩も歩けば、前の事を忘れて仕舞う>なんて酷評が在るんだけど、それは嘘よ。人間達の話の通りだと、渡りと好条件の縄張り確保なんか、絶対に出来はしないわよ。自然界の生存競争は、大変なのよ。
 人間だけが、言葉を話す訳じゃないのよ。言葉の数は少ないけど、私達だって立派なコミニュケーション をしてるのよ。

 日本人には、縄文人の血脈が滔々と流れて居るから、良く云うでしょう。
 言葉は言霊(ことだま)って、それなのよね。生き物としての情感さえ在れば、言葉の多い少ないは、枝葉末節の事よ。アハハ。

         まぁ、前置きが長く為って仕舞ったけど。私は幸運を掴んだのよ。

 私の越冬場所は、信州の松本なんだけどさ。此処は寒いんだけど、雪は殆ど降らないのよ。考えてもご覧なさい。雪に埋もれてしまうと、食料探しが大変なのよ。
 私の引き継いだ住処は古い家だから、長い廊下の縁の下がネグラなんだけど。床が高いから、充分なスペースは飛び回る事も出来るし、雨風雪が当たらない縁の下は、虫達にとっても越冬の場所なのよ。そんな事で、この縁の下空間は、使い勝手が最高なのよ。

 それが、巧い事に工事の序でに、縁の下整理をして呉れた物だから、広々としてるのよ。人間の近くに居ると、本当にラッキーなのよ。ウフフ。

 庭には結構、木が在って。好い感じなのよ。私達は翼があるから、人間達の家と家の堺などお構いなしに自由に縄張りを飛び回れるから、関係が無いのよね。私達にとっては、縄張り内に如何に多くの食料調達が賄えるかが、最大の関心事なのよ。
 ここは住宅街なんだけど、庭木の多い一角だから、好条件と云った所ね。川を挟んで東西に縄張りを並べて居るから、食料調達には何かと立地条件が整っているのよね。

 でもさ、私達ジョービタキの種族からしたら、何も人間界にちゃっかり割り込んで越冬生活をしに来ている訳じゃないのよ。新参者じゃなくてさ、<先住権者>なのよ。

 大袈裟な言い方をすれば、私達は何千年もこの地に縄張りを保ち続けていると言っても過言じゃないのよ。言っちゃなんだけどさ、植物も昆虫も動物も、皆、其々の生き方で場所を共有しながら、棲み分けて居るって事なのよね。オホホ。
 
 まぁ、それが地球生命体の実態なんだけど、近頃の人間と来たら、そこいら辺の『地球の理』が解らずに、傍若無人な振舞いに明け暮れて居るんだから、迷惑して居るのは人間以外の生命体なんだけどさ。

 大きな声じゃ言えないけどさ、人間の質も落ちた物よ。何さ、地球は人間だけの物じゃ無いのにね。それが解って居る人間が少なく為って仕舞った物だわ。生物として頂点を極めて居るのに、『万物の長』としての自覚と躾けが為されて居ないんだから、馬鹿に付ける薬無しって物よね。困った生き物に成り下がった物よ。本当だよ。

           この家の住人は、中々、見処が在るんだよね。ウフフ。

 歳老いた母親と暮らすロートル息子でさ。二人だけの静かな暮らしなんだ。男は小鳥とか金魚を飼って居て、動植物には理解が在る様子なんだね。お婆さんは、一日中、部屋に居て、男は食事をお婆さんの部屋で食べて、1,2時間を其々部屋で一緒に過ごした後は、自分の部屋の四畳半とか二畳小部屋で過ごして居るんだけどね。

      見るからに、仲の好い親子だわね。生憎、人間の言葉は解らないけどさ。アハハ。

 散歩をしたり、買い物に行ったりで、マイペースの一日を過ごしている感じね。ご近所さんとの話しは在る物の、男はどちらかと云うと一人タイプの性格見たいね。

 私の縄張りの中心がこの家だから、必然的に私との接触が多く為るわよね。そんな事で、私の一日の行動パターンも、男の行動パターンも、日常の歯車の様に噛み合って動いて行って居ると言うのが、実態なのよ。アハハ。

 ちょっと男の話をするとさ。がっした体格でね。スキンヘッドにしてるから、歳より若く見えるのよ。精悍な顔立ちをしていて、中々のハンサムでさ。見るからに、インテリさんなのよね。ウフフ。

 きっと、若い頃は女にもてた口だと思うんだけどさ。真面目な顔をしてて、女の出入りは無いんだけど、相当な女好きでね。男の部屋には嬉しい事に、故郷のロシアの女達の三人の写真が並べて在るんだけど、その中の一人で、ふっくらした金髪美形のバルディナに因んで、私達冬鳥のジョービタキのメスを、バルディナと呼んで、優しくして呉れるのよね。フフフ。

 これも、女好きの御利益を頂戴して居るって事かしらね。まぁ、それ程までに、私に魅力が在るって事でしょうけどね。エッヘン。

 何でも、私は三代目なんだってさ。まぁ、私の好みのタイプだから、何とは無しに近距離で付き合って居るんだけどね。毎日、何回も恋人同士の様に、目を見詰合って居るから、解るんだけど、がっしりした体格と精悍な顔立ちとは裏腹に、相当な感性の持ち主だと思うわ。ウフフ。

 それが或る時、この時期、貴重な生き餌のミルワームをサービスして呉れる様に為ってさ・・・ それで、ついつい私も安易に流れちゃって・・・餌強請りの関係に為って仕舞ったんだけどね。

   でもさ、私は尻軽女じゃないから、<1m弱の操>だけは守って居るって処かな。オホホ。

 今日はさ、前々から興味の有った男の寝間に、思い切って観察に行ったのよ。人間って面白いのよね。布団と云う中に入って、顔だけ出して寝てるんだよね。暑く無いのかしらね。

 この前はさ、障子を開けたまま、私の夕食時まで寝て居るもんだから、男の部屋の中が丸見えの柊(ひいらぎ)の枝に止まって、<起きろ起きろ、私は腹ペコだよ!! 何時まで昼寝してるんだ。>って催促して遣ったんだけどさ。

 鳥も人間も、オスなんて物はメスが大人しくして居ると、直ぐズルを決め込む習性があるから、時々、お尻を叩いて遣るのがコツなのよね。アハハ。

 男は、私が図々しいのを知ってるから、<家を開放して遣るから勝手に使え>見たいにして呉れて居るのよね。それで、私もこの頃じぁ、開いている廊下サッシから、自由に出入りしてるんだけどね。

 だって、男が云う処に依ると、私達は遠い氷河期の時代には、ロシアのバイカル湖の湖畔辺りで、身近に生活して居たって言うじゃない。そんな遺伝子に刻み込まれた一種の親近感の様な物が流れて居るんだろうと思うんだけどね。
 翼を持たない人間達は、寒さに南下して日本に住み着いた。翼を持つ私達は、渡りをしてシベリアと日本を往復して生活する事を覚えたって事なんでしょうよ。

 だから、古の血が、お互いを求め合うなんて言ったら、ロマンチック過ぎるかしらね。アハハ!!

 そうそう、さっきは私、ちょっと図に乗り過ぎちゃって、外に出れなく為っちゃったのよ。それでも、男には悪意が無いからパニくる必要も無かったんだけどさ。私が外に出られずにバタ付いて居ると、寒いのに廊下の戸を全部開けて呉れるのよ。

             どう、これって渋い男の気配りでしょ。ウフフ。

 それでもさ、これも、好い機会だと思ってさ。お婆さんの部屋の廊下の鉢植えシクラメンの上に止まったりして、じっくりと部屋の中の様子を見て来たんだけどさ。男の母親だけあって、ニコニコと目を細めて、私を静かに見て居たわよ。

 男はさ、廊下の戸を開けて、サッサと自分の四畳半へ戻って行くのよ。私も今では至近距離の関係だから、小飛びをして、男の定位置四畳半の様子を八畳の隅から覗いて居たのよ。男は煙草を口に、コーヒーを飲みながら、打ち掛けのPC画面に向かって、キーを打って居るのよ。

 こんな処が、この男の並の人間じゃないのが解るのよね。きっと、私に心理的負担を掛けない様に、放って置いて呉れて居るんだから、大した男なのよ。

 人間の男にして置くのが、勿体無い位の<心読み>が出来る男だもの。そんな処が、バルディナとの仲を築いたのかな・・・とも思って、書架の赤いセーターのバルディナの写真を見るとさ、彼女、優しい頬笑みをして居るじゃ無いのさ。

       はいはい、遣られちゃったわね。私は静かに退散しますね。アハハ!!

 男が、この前、<ジョービタキ考>なんて打って居たから、それじゃ一つ、私も<ジョービタキから見た男考>って事で遣って見たんだけどさ。アハハ。

 序でが在ったら、二作を読み合わせて、皆さんも庭に訪れる小鳥達に想いを馳せて頂きたい物ですわ。オホホ。

             
                  私の観察考・・・by ジョービタキ・バルディナ3世


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夢奇譚第22部…ナターシャ作・フリーズバリア島にて
   笑うガイコツ夢か幻か_001フリーズバリア島_001異界の女・ナターシャ_001
   熱帯魚_001誘惑_001同心円母なる眼差し_002

            夢奇譚第22部・・・ナターシャ作・フリーズバリア島にて

 <その1>
 2013年も呆気無く、師走も半ばを通過して仕舞った。然しながら、マンネリにマンネリ日々を重ねる生活では在るが、『舌振り子の骸骨時計』の夢を見てからは、暇に任せて何やかやと妄想を膨らませて遊んで居るロートルである。これもお役御免の閉じ籠もり賄い夫のボケ防止の一環策と云った次第でもある。

 クリスマス・イブの本日は、風呂の残り湯で雑巾掛けをしたり、トイレ掃除をしたりで、何分割かの年末掃除の足しにして居る次第である。昼はショートケーキとヨーグルトにたっぷり缶詰ブドウで、妖怪様の口を喜ばせて見た。

 二畳小部屋から見る庭には、柔らかな日差しが在る。そんな私は、庭のアンテナの横棒に姿見せに遣って来たジョービタキのバルディナの愛くるしい姿を見て、口笛と尾羽のタクトエールの交換である。

 この処、日中は好天に恵まれて、セーターにベストで居られるが、夜に成るとその上から半纏を着込み、炬燵に胡坐を掻いて居る。後一週間もすれば、年末年始の買い出しである。この頃、賄い夫の蓄積でレパートリーを増やして来た台所仕事であるからして、あれこれ工夫するも楽しからずやの内でもある。

 まぁ、私は食いしん坊で在るから、暇に明かして料理を作る事は、苦に為らない処でも在るし、また愉しいくも在る。マンネリに胡坐を掻くとは、そう云った物であろう。

 其れなりの身内も来て、正月三カ日も過ぎた。普段は老母との二人暮らしであるから、リズムが狂うと、如何もイカン。些かの人間付き合いからの疲れも手伝って、手持無沙汰で日中から、残った日本酒をチビリチビリ遣っている内に、苦も無く酩酊して来た。子分無しの専業賄い夫の身であるが故に、気の緩みで風邪など引いて仕舞えば、後が大変である。面倒では在るが老母の部屋を辞して、自室八畳の炬燵で、枕と毛布を出して昼酔いの高鼾を始めると致そうか。

★ほろ酔い酩酊の四十万の中に、<舌振り子の骸骨時計>が、私の処に遣って来てチョッカイを仕掛けて来る。

「むにゃむにゃ・・・煩い、俺には、まだ正月じゃい。その内、小編にして遣るから、大人しく待機してろや。」

「ふん、骸骨じゃ表情も作れまい。ワンパターンが。アホクサ・・・そんなグロテスクな恰好してても、所詮は自分の骸骨なんだから、驚きもせんがな。」

「少しは、脳味噌を使い遣がれ。そうか、生物・脳味噌は溶けて流れて、ノーエだったわいな。往生際が肝心じゃい。静かに待って居れ。馬鹿もんが~!!」

 そんな夢現の中でお説教をして遣ると、骸骨時計の奴は、下して居た<舌振り子>をグィと90度上げすると、私の顔を左右に舐め始めた。丸で、乾涸びた数の子のザラザラした嫌がらせである。

「馬鹿め、夜じゃあるまいし、昼の骸骨時計如きで飛び起きるとでも、考えて居るのか。」

 骸骨時計の奴は、空洞の癖に目も耳も聞こえているらしい。頭骸骨の口をパッくりと開けて、聞き別けの無い座敷犬の様に、ジャレ掛かって来るでは無いか。

「コレ、聞き別けの無い。そんな煙草のヤニ臭い煮〆物を、コリァ、止めんかい。」

                  バシッ!!

 その乾涸びて反り返った<数の子舌振り子>を、手の甲でひっ叩いて遣ると、骸骨時計の奴はザラ付いた珍気な舌を口の中に引っ込めた。骸骨時計の奴は不意打ちを食らって、嘘けの仕返しで歯をカタカタと鳴らして居る。ザマァ見遣がれ。

「コリァ、馬鹿者が。静かにしておれ。このオタンコナスが。こっちゃ、日本酒の催眠導入剤で高鼾中なんじゃい。只で寝ている訳じゃ無い。酒代を払ってるんじゃい。邪魔をするで無いわ。勿体無いわ。」

 ハハハ。其れなりに、痛かったのだろう。差し詰め<驚き&反省時間>としたのだろうが、その内に、何やら、生暖かいチロチロした舌で、顔中を舐め回されて居る感じがして来た。

      ★何やら、妙鈴にして、艶めかしい『鼻息』までして来るでは無いか。

 へへへ、こりぁ、この先が、愉しみじゃわい・・・。おお、こりぁ、大した舌使いでは無いか、もそっと下へ、下へ。強弱を付けて・・・チロチロ、ズルズル、ペチャペチャとハシタナイ音などを立てられると、何やら官能の世界に落ちて行く様である。
 
 婆さんの部屋で、府抜けた醜態を晒す訳でも無し・・・正月の昼酒とは、好いもんだ。正月は、フリーの身じゃがね。夜を待たずに、昼夢とは縁起が良い。遠慮は不要じゃ・・・。

 <その2>
「コラァ~。何時まで、アナタ寝てますか。クリスマスはとっくに過ぎた~。女の私に、何処までサービスさせ続ける心算~。何よ、このヘタレ顔は、ふん、一番~のスケベ男。」

         いきなり、スキンヘッドを引っ叩かれた。「ウギァ、誰だ!!」

「忙しくて、ちょっとご無沙汰してると、この体たらく!! 本当に、アナタは駄目な人ですねぇ~。反省の出来ない男は、異界に連れて行って、たっぷり調教するわよ。アハハ。」
 
           此処は夢か幻か、はたまた現実か。
 スーパーコンピューターだって、立ち上がりには時間を要す。頭を振って、脳細胞血管に血を巡らせる。

 逸物をムンズと握り絞められて、何事かと脳細胞を稼働させれば、ストレートな黒髪にライオンの鼻を高々として、見下ろすは異界の美女ナターシャである。

「おお、吃驚した。おやまぁ、久し振り。そなたは、異界の女・ナターシャ様じぁゴザンせんか。」

「オゥ、ハッピィ・ニューイヤー、サンキュウ、ベ~ロベ~ロ、マッチね。」

「これはこれは、異界から遠路遥々、新年のご挨拶で御座るか。旧年中は、何度もの御加勢、かたじけのう御座った。旧年に変わらず、今年も御加勢の段、伏して、お頼み申しまする。」

★おお怖い。黒い瞳は、ライオンの怖い輝きである。

<急いては、事をし損じる>の喩えである。へへへ、此処は深呼吸一つ。行動パターンを知った相棒の気質である。白魚の手では在るが、いつ何時下方移動して、男族の絶対絶命箇所『玉捻り』に変身するとも限らぬ。兎角、男族の激痛を知らぬ女族の恐怖は、経験した者で無くては分らぬ鈍感さである。安全保障の要諦は、総べからず最悪の事態を想定するのが鉄則である。

 満面の笑みを浮かべつつ、再会のキスをしながら、白魚万力の手を払い、吾身を安全圏に移動させる。

「あなた、何を寝ぼけた振りして、股ぐらガードしてますか。私は異界の女よ。そんな見え透いたガードなんて、意味無いですね。アハハ。あなたは、相変わらず、お馬鹿ちゃんですねぇ~。」

★何を猪口才な。こっちがスケベなら、白人女はスケベのウワバミじゃろうが。異界の魔法使いを前に、油断は禁物ですがな。優秀な男は、学習効果の上に立つんですがな。

「私抜きで、大分あちこちウロ付いてたでしょ。私、物凄く怒ってる。夢奇譚の相棒は、私でしょ。あなた、何考えてますか。異界は薄闇くて、色の無い世界を彷徨う<蛍火の儚かさ>でしょ。それを知ってて、あなたの心は冷たいでしょ。思い遣りの無い男は、駄目ですねぇ~。」

★おうおう、一丁前に、雌ライオンが、吠え始めたぜや。シャラップじゃい。

「馬鹿言うな。俺は相棒様に敬意と畏敬の念を表して、女抜きの宗教観、バイカルのマンモス、鳥の渡り、生命体・地球の自浄作用と、言って見りゃ哲学編三連チャンで品行方正に心掛けて居るんじゃ御座んせんか。あい~。」

「またまた、巧い事いっちゃって。何時も、あなたは口だけは達者ですねぇ~。アハハ。ハッピィ・ニューイヤーだから、許して置きま~す。」
 
★へへへ、ナターシャの自己顕示欲にも困った物である。クールジャパンが世界的ブームと云うから、東京五輪招致成功談に因んで、此処は正月おもてなし手料理で異界の女・ナターシャを懐柔すると致そうか。はいはい、レディファーストの<おもてなし>でゴザンすわね。

「美味い処は、皆が来て食べて行った。余り物だけど、我慢しろや。」
「私、Rテイストのファンだから、全部持って来て下さ~い。」

 <○~○>の生意気に低音ボイスで伸ばす処が、何とも異界の女・ナターシャの面白い部分でもあり、彼女特有の甘えでもある。台所から、手料理を器に盛って来る。

 コタツに合い向かいして日本酒を冷でグラスに注いで遣ると、浮き浮きして箸を出す。へへへ、異界の女ながらも、何時見ても美人で可愛い女である。

「相変わらず、あなたはクッキングの才能が有りますね。どれも、日本の家庭料理。とても美味しいですね。これ、初めて食べます。何ですか?」

「それは、身欠きニシンの昆布巻きって、日本の伝統料理だ。家の婆さんが、ストーブの上で、コトコト煮付けて呉れたもんでさ。その時の味を再現って寸法さね。俺は手先が不器用だから、見て呉れは悪いが、味の方は自信作だ。」

「私は見た目より、内容派で~す。作るより、食べる事、大好~き。未来が楽し~み。フフフ。」

 意味有りげな薄笑いを浮かべる異界の女は、薄いピンクの唇をモグモグさせながら、日本酒のパックを振って、次には生意気な事を言う。

「お酒、これで終わりですか。これは、私が全部飲みますから、あなた、四畳半のウイスキーにしなさい。私、マイルドな日本酒大好きですから。アハハ。」

★ウォッカをガブ飲みするロシアンアマゾネスと違って、日本はクールジャパンの異文化ですがな。日本人は、もてなしが身に付いた国民性が在る。従って、客人を立てるのが礼儀である。然らば、折角、日本の正月に遣って来たのであるから、雑煮を食べさせて遣ると致そうか。

「ほら、我が家の伝統の味、特製・具沢山雑煮じゃい。とっくりと香、コクを味わって見ろや。このデリカシィ欠落の手抜き女め。」

「あなたは、何時も一言多いですね。でも、私はノンデリカシィ女。全然、効果な~い。私には、アイラブユーにしか聞こえませ~ん。
 あなた、ウクライナのライオン娘を好きに為った。それって、自己責~任。仕方無いですね。」

「どれどれ。おう、ジャパニーズ・グット・テイスト!! 熱々だけど、美味しい。これ、凄くディープなお味ですね~。マイ・ダーリン。お餅、伸び~る。アチチ。」

★何が、マイ・ダーリンだ。下唇に餅をくっ付けて、伸び~る。アチチじゃい。ゴマ擦りだけは、一丁前なんだから。ふん、こちとらは、昼も夜も、ライオン女のサーバントですかいね。ったく、こんな女と相棒組めるのは、世界広しと云えども、俺様くらいしか居らんわ。

★おうおう、すっかり白い肌がピンクに染まって、何処から見ても、異界の女には見えない色ぽさですがな。馬鹿垂れが、確りお股の開闊筋を鍛えとかなくちゃ、女は務まらんぜや。

「あなた今、どこ見た、何考えた。自分のピストン持続力の無さを棚に上げて、私の悪口は無いでしょ。」
 
 異界の女は炬燵の足を伸ばして、股間キックと来たもんだ。いやはや、美味い物に箸を伸ばして、大口で食べる様は、やはりロシアンアマゾネスさんである。腹が膨らんで来たのだろう。私の煙草を口に咥えて、ライターと生意気催促である。

「如何、夢奇譚第22部の構想は、進んでるの? 骸骨時計にヒントを得て、構想を広げているんでしょ。私は頭脳明晰なウクライナの女ですから、日本人のあなたの考えている頭の中は、全部知って~る。私のこの眼~は、千里眼ですからね。アハハ。」

★何を小生意気に・・・ 異界の魔法使いだったら、当たり前ですがな。何しろ、異界の女は、雪女より魔物ですがな。

「何、あなた、今、雪女、魔物って、何よ、ソレ。レディに向かって失礼でしょ。正月早々、<睾丸鞭>欲しいの? 私、物凄く勘が良~い、頭物凄~く良いの知ってるでしょ。」

★この馬鹿野郎が~!! 日本にぁ、<物言えば唇寒し>の諺もあるが、元共産国じゃ、物考えれば、即・強制労働、銃殺刑かよ。

「煩い。昼酒で酔っ払ったか。口直しに、大根のナマスでも食い遣がれ。第22部の舞台は、こうこうこうで、ストーリー展開は、こうこうこうだ。」

 腹が膨れて、日本酒のホンワカ気分に、雌ライオンは座椅子にもたれて横柄な態度で在る。

「あら、そう。」
「なるほど、そう進か。」
「うんうん。それで。」
「そうかそうか、好いじゃ無~い。」

★この~、ライオン女が可愛い顔して、何を偉そうに・・・俺様を過小評価してライオン鼻で頷き遣がってからに。いやはや、惚れた弱みとは、一生、祟ると云う事らしい。

「ここに、イラストして、説明して下さい。」
「うんうん、イメージ広がって来る~。」
「そうですねぇ、ここまでステージを広げると、あなただけの手では出来ませんね。凄く<優秀な相棒>が必要ですねぇ。好いですねぇ。合作しましょ。」

「おいおい、調子付いて、全部解った様な態度で大丈夫か? 夢加工には、日数が掛かってるんだぜ。」

「任せなさい。私は異界でも免許皆伝の魔法使い様よ。何も、心配要りませ~ん。漬物も出しなさい。ウクライナのクリスマス料理より美味しいから、全部、私のお土産として用意しときなさい。アハハ。」

 こんな遣り取りが出来るのも、歳の開きと相性の良さと異文化同士の距離感と云うのか??? 何を言っても、感情に火が付かないのであるから、名コンビと云うか相棒の間柄なのであろう。
 
         異界の美女・ナターシャは、上機嫌で異界に姿を消して行った。
 
 さてさて、果報は寝て待ての喩えもあるからして、異界の女・ナターシャとのコンビ話は、如何為ります事やら。

 今年は、寒冬である。一日が終わり、冷たい布団の中で湯たんぽに足を伸ばしても、体温が布団の中に回って来るのには時間が掛かる。何しろ火の気の無い部屋であるから、スキンヘッドの寒さを、半纏で覆って居る日々である。

 <その3>
 異界の女・ナターシャは夢奇譚相棒のRの描いたイラストを、ライオン鼻をピクピク動かして、イラストに自分のイメージを描き足して、ご満悦の様子である。

「そうかそうか、前回が滅び行く汚染の中国の中からの生命体地球の再生バリア・ドームの話だったし、この前の夢見が氷河期突入を暗示する中での水のなんとかだった。
えーと、その前が、ジャングルの仏教遺跡のオプショナル・ツアーだったから・・・ベクトルとしたら、断然バリア世界よね。」

「相棒復活の22部なんだから、バリアドームもグ~ンとスケールアップにして置かないと、私の威光と御利益が出て来ないし・・・ 確か・・・この前が、峡谷の隠れバリアドームだったわよね。」

「じゃ私は、海洋に浮かぶ島ごとバリアにしなくちゃ。面倒だから、浮島にして大洋を回遊させちゃおうかな。」

「え~と・・・今回は水がテーマだというから、雨を降らせる高い山並を造って置かなくちゃ・・・。これで良いかな。」

「海の水蒸気が此処に当たって上昇して、冷却されて降雨と為るでしょ。川と為って、海に注ぐ~・・・一直線だと面白味が無いな。如何する・・・ここに湖を造って、半分は海に繋げると、汽水湖に為って、淡水魚と海水魚の多様性が生まれるわね。嗚呼、相棒役の私も大変だ。」

「広い太平洋に浮かせて、勿論、気候は服の要らない亜熱帯が好いわね。山岳帯を造れば、熱帯、温帯のチョイスも出来るし、羽の有る鳥達も住み付く筈だし、魚達も集まって来る。やっぱり、私は頭が良くて、面倒見の好い女だねぇ~、あいつが惚れるのも、当然だわ。アハハ。」

「まぁ、あの人は、自給自足派だから、家畜のペアと犬、猫のペアも用意して上げようか。」

「あっそうだ。思い切って、此処を死後の安住の地にセットすると云うのも、一つの手だわ。自分ながら、これってグッドアイディア、一石三鳥よね。冴えてる~。」

「事の発端は、骸骨時計のコチコチ舌振り子の夢見なんだから、異界で待つ私としたら、あの人の自業自得の巻きなんだから。<私は、一切、悪くな~い。>だものね。アハハ。」

 <その4>
 一方、私の方は、未だ夢奇譚第22部の文字打ちには進んで無いが、何やら、意味深な夢のノックを頂戴して居る次第であった。

 それは21部では、夢見のサジェスチョンとは意識的に別建ての方向で打ち上げたのではあるが・・・ 21部誕生の切っ掛け夢の内容は、以下の通りで在った次第である。

 とある町興しセミナーに招かれて、スーツにネクタイ姿で、私は高い処から一席ぶち上げて居たのである。講演の後、名刺を貰って懇願されてしまった手前、後にも退けず、私は生来のお人好しが祟って、すっかり寂れ果てた山村の湯の町復活のコンサルティング活動を、手弁当で引き受けてしまったのである。現地を調査して、彼是と考え肉体労働をするのは性に合って居る。

 空っきし予算の無い湯の町復活作戦は、都会から観光を呼び込む発想から、住民が先祖返りして自給自足による立町である。町を一個の有機完結体と見立てて、その中で、互いが地産地消、共同普請で循環し合える場を構築する。
 外部からの観光収入は、飽く迄付録の収入の位置付けで、皆が協働し合って町の財政を潤わせれば良いの発想で在る。老も壮も若も小も、場の中で循環の一環を負担し続ける。

 他と比較するから、非力の身は他に呑み込まれて、過疎に悩み限界集落に転落して仕舞う。過疎に生きる者ならば、過疎に開き直れば、見えて来る物も遣らねば為らない事も見えて来る。

 言って見れば、その中で働き場所と協働協調の生活空間が、卒無く動き始める。それこそが、おらが町の復活作戦であった。

 60代半ばの私は、此処では若輩者でしか無い。何しろ、私には知恵が無いから、知恵の無い者は、ひたすら<汗を掻く>だけである。そんな毎日の中に、旅館の女将として遣って来た女性が居る。客観的に云えば、物好きな女性である。

     早速、エールを送りに行くと、何と何と・・・吾が初恋のKちゃ、その人で在った。

「如何したんだい?」

「クラスメートは、ルーム長を助けるものよ。ほら、覚えてる? 放課後の肥え桶担ぎ。もう第二の人生だもの、Rちゃ。ボランティアに<人生の恩返し>をしなくちゃね。
相変わらず、男遣ってるじゃ無いの。私、何か、嬉しくなっちゃってさ。知らん振りしてたら、女が廃るもの。ふふふ。」

「そうか。Kちゃは、全然変わらんねぇ。サンキューだよ。」

 Kちゃはローカルニュースで、私の姿を見たとの事である。世の中と云うのは、真に可笑しなものである。お互い、還暦を越して早や<中性域>である。
 老後は人の為、世の為が昭和世代の紐帯とでも云えようか・・・懐かしい友と再会した様で、その夜は彼女が女将をする旅館で、思い出話、その後の人生行路を、差しつ差されつで、語り明かした次第で在った。

 そして、今回の22部の発端と為った夢見にも、彼女が登場して、『為るほどの落ち』に為った次第である。

★まぁ、異界の魔法使いにして、ライオン女のナターシャには、未だ気取られては居ないと思っている次第なのでは在るが・・・相手は、異界の魔法使い様である。イッヒッヒ!!

 <その5>
 寒さは、小寒、大寒と進んではいるが、冬至を過ぎたのであるから、進み行く日の長さに春を待つしか無い。本日は無風の好天なので、久し振りに長散歩で身体解しに出掛ける。山際の小道を歩いて居ると、崩れ防止の蛇籠堤に腰掛けた異界の女・ナターシャが白い歯を見せて、カモンと手招きをして居る。異次元ステージが進行して居るのだろう。

「ちょっと、私に付き合って散歩の足を伸ばしましょう。待ってたま~した。」
「そうかい、じゃ、頼むよ。」

 異次元界へは、ワープの移動である。ナターシャは、島の遠望、眺望を見せる為に、二度三度、角度・高度を別にしてホバーリングして呉れる。青い大海原に外輪山を防波堤にして、忽然と浮かぶ緑織り成すカルディラ島、マングローブの河口、コバルトグリーンの光の四十万、白浜に椰子のそよぎ、・・・etc。

 熱い白浜にふわりと降り立った。バリア島のデザインは私の妄想なのだが、南洋バリア島のスケールは、私の妄想域を遙かに凌駕して感動的ですら在った。

「おいおい、こりぁ、大奮発じゃないか。何か、夢倒れしちゃう位のスケール感だ。圧倒されるよ。」
「まだま~だ。これからが二人の知恵の出し合い、工夫でしょ。これは、マダマダざっくりした器ですからね。アハハ。追いて来て下さい。マイ・ダーリン。」

★マイ・ダーリンの目付きが、尋常では無い。カランコロンの牡丹灯籠に閉じ込められる危険性が有りそうだ。くわばら、クワバラ・・・南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経を唱えて置こうか。

「あなた、何考えてますか。安心して下さい。異界と現実界を自由に往復出来る魔法力を持った私達は、ベストマッチの相棒でしょ。
 私も現実界にとっても未練が有りま~す。あなたは妄想界に興味深々でしょ。これって、お互いがお互いの隔絶界をノックして、行き来出来る大事な存在でしょ。持ちつ持たれつのギブ&テイク以上の仲で、言って見れば、私達は同心体、分身見たいな物でしょう。」

★おうおう、どっかで聞いた様な台詞ですがな。へへへ、チャッカリしてますがな。

「人間は何時かは、必ず死にます。それって、早いか遅いかだけの違いでしょ。私はウクライナの女だから、頭物凄く良い。何も心配要らないで~す。私を100%信用して下さい。フフフ。」

★じぇじぇじぇ~~。持つは三拍子、四拍子揃った好い女である。いやはや、ウクライナのライオン娘の成長度合いは、大した物である。へへへ、デカイ声じゃ言えませんが、R塾の優等生と云った成長振りで在る。

 雲たなびかせる山並、雄大に広がる山麗は、幾重もの緑が重なり合う熱帯樹海を伸ばして、海に繋がる。雲海が樹海に雨を降らせ、樹海を縫って川が緩やかに流れ、川は湖を造り、湖の端は海に繋がって居る。

 海洋の大海原はポツンとこの島を浮かばせて、スカイブルーとマリンブルーに分かち、空には安定した大気を示して、等間隔、等高度に純白のシュークリーム状の積乱雲を累々と描いて居る。

「如何? 今回のテーマ、水の循環の舞台には申し分の無い雄大なロケーションでしょ。持つべきものは、三拍子、四拍子揃った好い女でしょ。あなた、もう目が輝いてますねぇ~。アハハ。感謝しなさい。サービスして下さ~い。さぁ、島の中を案内しましょう。」

 白く細かな粒子のビーチは半月状に伸び、椰子の木と退いては返すエケラルドグリーンの海に、眩しく照り返して居る。既知感からすると、フィリピンはボラガイのホワイトビーチを連想させる眺望で在る。

 椰子浜の奥には、幅広、分厚い葉の熱帯常緑樹の広がり、南洋の色彩鮮やかな花々が思い思いの陣取りで群生を為している。花々の甘い臭いに、大きく、実にカラフルな蝶達が舞い、蜜を吸って居る。

 南国らしく、甲高い鳥達の声が良く響いているし、透き通った水量豊かな川には、大小様々な魚が群れ泳いで居る。

 手付かずの楽園が、茫洋と広がる亜熱帯の海洋に雄大なスケールを持って浮かんで居る。

 ピィーとナターシャが鋭く口笛を吹くと、栗毛の馬が二頭、首を振って走って来た。その後には、黒いシェパードが二匹尾を振って走って来る。

「好いでしょう。島は、大きくセットしました。歩くのは大変です。島にはガソリンの要らない乗り物が必要です。島のガイドは、シェパードにしました。ハウスは、和風、洋風のリトルハウスにしました。鶏、豚、羊、牛と家畜も用意してあります。

<天空の台地>よりも、現代的にアレンジして置きました。私達が居ない時は、この島全体がフリーズのバリアが掛かります。この島をフリーズから解いて動かせるのは、私達だけです。これ、私流のフリーズ・バリアでしょう。」

 ストレートな黒髪に、黒い瞳をキラキラさせ白い歯並びを見せて居る。高得点を望む生徒の期待感とも、ライオン娘の高得点を当然とも思って居る顔にも見える。

「遣ったねぇ。フリーズ・バリアとは、凄い発想だ。例え、誰かに発見されても化石の島って事だ。へへへ、流石に、<異界力>だ。群を抜いた発想力だ。ナターシャは大した女だ。」

「おぅ、嬉しいねぇ。もっともっと、褒め~て下さい。褒めて使うのが、あなた流儀でしたね。アハハ。今日は、時間が無いから、駆け足で、島周りです。」

 馬の腹を蹴って、早足行進で島を巡って来る。インディアン・カヌーが在ったり、簡単な造りの帆立舟が在ったり、水田、畑が在ったり、果樹園が在ったりのミニ世界で在る。今までの異次元世界の集大成の様な充実ぶりで在った。

「一応、取り揃えて置きました。ざっと見て、足りない所は、考えて置いて次に補充しましょう。そろそろ、帰らなくちゃ、困るでしょ。今度は、長逗留しましょ。ダーリン。」

「アイアイ・サー!!」

 <その6>
 異界の女・ナターシャが呼びに来たのは、2月に入ってからであった。私の部屋には、異次元旅行のそれなりの道具がザックの中に入れてあるから、旅慣れた物である。旅の基本は身一つであるから、パスポートも、財布も要らないから気楽なものである。
 妖怪様の体調も悪くない。私が異次元界に行っている間は、この世はフリーズ状態なのであるから、後顧に憂い無しで、妄想が現実と為る世界体験は、実に有難い次第なのである。

       私は異界の女に手を繋がれて、フリーズバリアの島に降り立った。

 ナターシャが指を鳴らすと、フリーズバリアは夢から解かれた様に、一斉に生命力を回復する。風が吹き、波は寄せては返し、全てが動き始める。口笛を吹けば栗毛の馬が現われ、ガイドの黒いシェパードが現れる。

 島の形状は洋上にそそり立つ様な外輪山らしく、中央にカルディラ状の平坦地を抱いて居る。外輪山の半周が吹き飛んで浜辺を為して居る。海の水蒸気は、外輪山に依って上昇して冷やされる。大気の冷却が雲を発生させて、島に降雨を齎せ、亜熱帯の気候が植物の繁茂に繋げている。水の循環がフラスコの内部で蒸発→冷→降雨→川→海の順路に従って、規則正しく循環して居るメカニズムに見える。

 平坦と云っても元々がすり鉢状の傾斜地で在るから、川の流れは中央に合流して、小さな湖を形成して居る。そして湖の端は海に接して居る。詰まりは汽水湖と成って居る。

 東部の汽水湖に流れ込む川の畔に在るのが、和風の家である。西部には幾筋かの小川が直接海に注いで居る。島の傾斜は、西部の方がきつい構造に為って居る。そんな地形であるから、海は深く天然の波消し岩礁が入り組んで居るから、カヌーの寄せ場としては格好の地形を提供して居る。西部の高台には石作りの洋風の家がセットされて居る。

 ナターシャの説明によると、台風の風向きによって東部と西部の家を避難場所とする考えと、海の漁と陸の栽培の区分けとして居るとの由で在った。島の東西は、海岸線を行けば然程の時間を要さないし、カヌーを漕いで行っても構わない距離である。此処では乗馬もカヌー漕ぎも、好い運動と云った処であろう。
 
 一切外敵の居ない自給自足の生活は、リズムとテンポを提供してくれる。言って見れば、日々にゆったりとした充足感を齎せてくれる。此処では、全てが太陽の運行に依って進められて行く。
 気の合った漫才の様な会話をしながらの協働生活は、寂しさなど無い。反対に簡単便利では在るが、細分化、特化されて物質化され過ぎた現代生活とは違って、人間の原初的な営みに先祖返りした様でもある。それは物質から精神に回帰する様な・・・地味ながら、地に足が着いた様な開放感が在る。精神の安定が、きっと安らぎを齎すのだろう。亜熱帯の南洋ロケーションは、半裸状態で健康的ですら在る。

 お互いに職業と云う社会の時間と物の柵から、脱した生活を日常として居る身である。環境と食料に恵まれた島での生活は、ノンビリしたものであり、過不足の無い生活のテンポとリズムが出来上がるにも、然程の日数は要しなかった。

「あなた、これ何ですか?」
「図鑑が無いから、知らんけどさ。マングローブの中で動いてるのを捉まえた。形から言って、シャコの仲間だろ。茹でても、焼いても塩付けて食べると美味い。」

「そうですねぇ。<ジョーモンにハングライダー>した時の事、思い出しますね。ウフフ。<ユカタン、マヤにて>では、コーンとイグアナビフテキには、閉口しましたね。私は、ダーリンテイストが口に合います。フフフ。
 味のバリエーションで、醤油、ソース作りにも挑戦して下さ~い。あなた、頭良いでしょ。お願いしま~す。アハハ。」

        ★ッタク、なんちゅう人使いの荒い女であることか・・・

 夢奇譚も、今回で22回目である。振り返れば、相棒のナターシャとは色んな回を重ねて来たものである。

 今年は数え方に依ると皇紀2674年とも云われて居る。125代を男系天皇で繋げ、天皇と神話が混交する日本人のDNAには、一万年以上にも及ぶ縄文人の精神文化の揺籃期を経て居る。

 狩猟・魚漁・採取・栽培の創意工夫で、日本人は、人類最古のたおやか為る土器文明を構築した民族である。信じる事から始まる協働・協調の人間関係にして、奴隷制度を持つ事無く独自の文明を大和の列島に連綿として築いて来た。

 自然からの恵みに感謝しつつ、『足るを知るの精神』を涵養する。森羅万象の八百万の神々の指し示す<有限の足るを知ればこそ、自然が見せ付ける様々な局面と恵みに畏敬の念を持ちつつ愛でる>・・・そんな自然観・人間観・人生観の下で、心の扉も開き、自給自足に、余暇を見出して生命の全うを目指す死生観に繋げて来た。 

 これがユーラシア大陸に海を隔てて弧を描く日本列島に、悠久の時を経て構築されて来た自然との共生文化の証なのであろう。考え様に依っては、<これは、僥倖の独自文化>とでも云える物かも知れぬ

 太陽が西の水平線に沈み、海を茜色に染めて行く。夜の帳が足元から滲んで椰子の葉が風に音を奏で、海が潮騒を運び、空に星達が輝き始める。夜が増せば、月が星雲を天のキャンパス一杯に描いて行く。自然の光、濃淡だけの世界に、風が通り抜け、潮が退いては寄せる。そして、夜の静寂の中に、小さき者達の音が聞こえて来る。

 月の欠け満ちを、星々を眺め、風、波、小さき者の音に耳を傾ければ、その神秘さに人間も何かを求めて語り始める。静寂と天空の広がりに心たおやかにすれば、自然の営みに同化出来る。自然に同化すれば、その悠久の営みに同化する事も出来る。その語りは、自分の心に広がる宇宙との語らいにも為る。

      宇宙とは悠久の時の中に浮かぶ<不変の理>にも通じる想いでも在ろうか・・・
        不変の理の中に在るからこそ、己の存在は塵芥の小ささなのである。

 科学と化学、貨幣経済を持った現地球は、不夜城にして騒々しいばかりである。物質の鎧を纏った論を声高に吹聴する者などの存在は、私にとっては見苦しき人間界の鍔迫り合いの小事にしか見えない。

 人工的物質を取り除いた空間に自然が宿り、自然界の一員である人間も、それに倣えば人間には動物としての肉体感覚と人間としての精神が復活する。安全、簡単便利、快適だけが、人間の住まい場所では無かろう。

「日本の天皇は、125代で世界最長の血統ですか。何か、エピソード聞かせて下さ~い。」

「世界中駆け巡った千年に一度の東日本大震災が在っただろう。その時に、市民活動家出身の菅直人なんて下衆男が、お座成りの被災地訪問をしたのさ。そしたら、仁王立ちした被災夫婦に<総理、もう帰るんですか!!>と強い口調で呼び止められたんだ。
 
 それに対して、天皇・皇后陛下は質素な身為りでスリッパも履かず、被災者の避難場所の体育館に静かにお越しに為って、膝をついて被災者の手をお取りに為って、目を見て下さる。皆、両陛下の前に正座をして、手を合わせて頷き、頬を濡らす。
 テレビで観る俺達母子だって、唯それだけで胸が熱くなって胸が震えて、勿体ないの涙が頬を伝わるものさ。それが日本の皇室・天皇の存在なんだよ。理屈は一切不要の日本人の精神の在り様なんだ。人は、一代では絶対に出来る物じゃ無い。先祖と繋がって生きて居るものさ。

 日本の天皇は125代の中に、御先祖達と現在の自分とを混交させて生きて居られるのさ。云わば日本の象徴として、天皇は神代の昔から日本の象徴としての道を、静かに『体現』されて来たんだろう。

 たかが学生運動家が市民運動家を経て、反自民の野党集合の末に与党と為り、総理の座を掴み得た男の一代の体現力と124代の歴代天皇を自然の形で背負って立つ体現力の違いは、別次元の違いだよ。片や、見苦しき程のパフォーマー。
態は心を映す。唯、お姿見せだけで、一君万民の私心無きお御心の体現者・天皇の存在は、政体とは別次元の権威体で、日本の国体そのものだからね。

 へへへ、西洋唯物論教育じゃ、中々見えて来ない日本人の精神模様・風景だとは思うんだけどね。日本の天皇は田植えを為され、皇后は蚕を育て為される。政治と云う政体は、貴族の平安、武士の鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸、平民の維新後と変わっても、権威体の天皇は存続し続けて居る。日本とは、昔からそう云う国柄なのさ。たかだか今を生きる人間達の傲慢さ、浅はかさで、日本の国柄を語れる筈も無かろうさね。

 俺も老母の介護暮らしで、朧げながらも血流の中に滔々と流れて居るDNAの存在に心が向いて来てさ、今まで親子の短スパンだけでしか見えて居なかった血の繋がりの奥深さに多少の目が向いてさ、そう考えれば、何万年、何千年のスパンで親子関係を見れば、97の母は、兄弟姉妹、夫婦、娘、孫にも見えて来る。

 其々が、云って見れば自分自身の分身達にも見えて来る。124代を継承する天皇の中身は、日本そのものの体現者じゃ無いのかな・・・と云う思いがして来ている次第ですがな。

 たかが一回位の敗戦で、唯々諾々と自らが自虐史観の捕囚に為り下がるなんて、俺に言わせたら、正気の沙汰じぁ無かんべよ。<睾丸鞭が怖くて、ライオン女の相手が出来るか!!>ってな物だろう。あい~。」

「キァア、出ましたねぇ~。アガタ節が。聞いて居ると何となく、分かる様な気がする~。何時も、一緒に居て、魅力たっぷりの人ですねぇ。日本人は、とても好い精神を持ってますね。」

 似た者同士の男と女は、肩を寄せ合って椰子の幹に背を持たれ掛けて、南洋の夜を語らいの中に過ごす。

 <その7>
 私もナターシャも、泳ぎは達者な口である。馬に乗って上流からシュノーケルを咥えて、川下りをしたり、カヌーを漕いだりして遊ぶのが、熱い日中の日課と為って居る。水中の世界は、別次元の興味津々の世界である。

 私が泳ぎを覚えたのは、川である。就学前では在ったが、上から見る世界と水中で見る世界との違いに、私は夢中に為って川の中の世界を覗いて居た物である。勿論、泳げる状態では無かったが、水中に顔を付けて、群れを作って泳ぎ回る魚の稚魚を眺めて居ると時間の経つのを忘れて居た物である。

 幼児体験として、自分の居る世界と同様に、別の世界が水中には在った。これは、大発見で在った。周りからは変わった奴だと思われて居たが、私としては、そんな時間を感受性の乏しい雑音で邪魔されるのは、心外で在った。

 近時、生物多様性と云う自然観が在るが、大別すれば陸と水中の世界が在る。陸上動物の普段の人間の目には、中々見えて来ない水棲生物の多様性の世界では在るが、水中は陸と同様に多様性に満ちた世界である。空中の世界は翼を持たない人間であるから、掴み難いが、高度に依る植物相・動物相を観察する愉しみもある。

 多様性の世界とは、私流に解釈すれば『棲み分けの世界』と同義である。分を弁えて棲み分けをきちんと守れば、いさかい、争い事は防げるが、我利・我欲の傍若無人の振る舞いをすれば、棲み分けの均衡は破綻を来すまでの事である。
動植物界には、棲み分けと云う多様性を高らかに謳うものの、人間社会と為ると、平気の平左で我利我欲、所属益、企業益、国益を振りかざして、各種の大義名分を持ち出して、角を突き合わせる<身勝手修羅の場>を演じるのは、笑止千万の思いすら生じて来る次第である。

 考えて見れば、三年三か月に亘った戦後民主主義の左巻き民主党政権の訳の分からぬ直訳イデオロギーの口だけ施政の酷さ、猪瀬都知事辞任劇の幼稚性と往生際の悪さは、目に余るものが在った。

      俗世では、これを総称して下心・偽善者の言、欺瞞の振舞いと云うらしい。

 その点、日本を取り戻すの現政権への親和性は、日本人が根底に持って居る日本為る物への回帰願望の現れにも通じる処なのだろう。

 世界遺産・屋久島が提供する島の自然界は、地球が創造した一大博物館島と云っても過言では在るまい。2000mを越す山容を持つ屋久島の見せるドラマは、・・・ 黒潮洗う亜熱帯の海は、熱帯魚の宝庫であり、海洋に大屏風をそそり立たせる島の内部は、等高線に描かれた亜熱帯、温帯、寒帯を同居させる<生きた博物館島の提示>と云って良かろう。

「如何? あなたのイラストを参考に、頭の中を形にして見ました。2000mの大屏風は私の魔法の力でも、絶対に無~理。それでも、5~600mあります。これで十分の水の再生産循環装置の機能を発揮します。今日は、馬に乗って、山に行って水の循環を楽しみましょうよ。そうそう、着る物を持って行きましょう。」

 日々の一仕事の手入れ、収穫を終えて、ナターシャは、口笛を吹く。馬とシェパードが、首を振り振り、尾を振り振り走って来た。

 カルディラ部分の平坦地は、亜熱帯植物が欝蒼と茂る蒸し暑さである。ゆったりとした流れに沿って進む。暑く成れば、馬から降りて川に浸かり、水を飲む。休憩の間に、馬は草葉を食べ、犬は蟹、魚を捕獲して食べる。馬上からは南国フルーツに容易に手が届く。

 外輪山に近付くと、噴火岩がボコボコと顔を出している。既に傾斜地に為って居るから、支流の早瀬と為って居る。平地を緩やかに流れる川と違って、早瀬に砕け散る水飛沫は、植層を変え始めて、常緑広葉樹の深い樹帯の中に在って神秘的な命の輝きの様にも見えて来る。

 先導役の二頭のシェパードは、馬が進み易い外輪山への登り口を見付けるかの様に、しばしば立ち止まったり、一頭が先行して斥候役をして来る感じで進んで行くのである。

 外輪山の中腹まで来ると、ガスが靄って来た。下から外輪山に掛かる雲を見ているので、海の水蒸気が冷やされつつある高度なのだろう。山の植相は、夏の信州の植相に似て来た。尚も馬を進めると、高原の樹海を呈して来た。大木の幹には苔が張り付き、高い梢には上昇気流の風に苔が揺れている。

 雲が見る見る内に黒雲と為り、稲妻が走り、雷鳴が轟くや、スコールが叩き付けて来た。馬を下りて、大木の下で雨宿りである。

「いや~、こりぁ凄いね。」
「おぅ、その通りですね。ストロングでワイルドで~す。あなた、逞しい縄文人。だから、エキサイトするでしょ。私も、あなたの相棒でしょ。何か、エキサイティングして来ま~す。アハハ。」
「これが、地球の水の循環の凝縮・ズームアップの光景なんだろうから、好い図だよ。」

 そんな余裕をかまして居る最中にも、スコールのスケール感をまざまざと味わった。バケツの水をバンバンと撒き散らす様な荒ぽっさは、雨宿りする直径2mの大木の幹を、水が滝の様に流れ落ちる状態に進んで居た。

「おいおい、こんなに凄いシーンは、生まれて初めて経験するよ。圧倒されるけど、こんなすさまじいエネルギーの炸裂を見て居ると、地球って一個の生命体だって事を実感するよ。」

「そうですねぇ~。おろおろして雨宿りだけじゃ、私達らしくないですね。原始の人間に戻って、生命の源泉・水に感謝して、思い切りダンスしましょ。
着てても、びしょ濡れなんだから、誰も見ている訳じゃないし、脱いで全裸で踊りましょうよ。こんな時こそ、ファイトでしょ。」

 ★ナターシャは、悪乗りする女である。サッサとびしょ濡れの衣服を脱いで、乳房と尻をブルンブルン震わせて、母国語の歌を我鳴り立てて始めている。濡れた黒髪を振りかざしたり、大地に足を打って太鼓のリズムを取ったりして、<野生の先祖返り>をして笑って居る。

 リズム、テンポに合わせて、乳房とヒップのワイルド過ぎるセクシーダイナマイト振りである。

 私は、常識の中に生息する奥ゆかしい男である。若しかしたら、太古のシャーマンの儀式と云うのは、こう云った神がかり的なダイナリズムが妖しく躍動して居たのかも知れぬと感じた。然しながら、生活を共にするシャーマンの妖し過ぎるほどの姿態演舞である。
 私の考古学・鑑賞学的視点をセクシーダイナマイトの姿態に追従させている内に、股間の如意棒がポパイの力瘤を漲らせて来た。

「ダーリン、我慢は、身体に毒でしょ。ハリアップ、カモン。私は、我慢出来な~い!!」

 ええい、私も男の片割れである。へばり付いた衣服を脱ぎ去って、差し出す異界女の双丘の割れ目目掛けてグィグイ、クネクネの縄文踊りに参戦して仕舞った。

 馬もシェパードも、雄雌の関係だったのだろう。いやはや、事もあろうに、稲妻走り、雷鳴轟き、叩き付けるスコールの中で、雷神への豊穣祈願の交尾踊りを献上し始めて居るでは無いか。興奮した馬に蹴り殺されては堪らないから、人間ペアは場所変えの<ツルミ逃げ>で在る。

★水の性質・作用としては、太古の古から、浸透力、溶解・分解力、共鳴による伝達力、浄化力が兼ね備わって居て、悪事を水に流す『禊(みそぎ)力』も在ると云われて居る次第でも在る。ニャハハ~!!

        アア、むべなるかな。始めたら、オーガムズに一直線しかあるまい。

「あなた、何ブツブツ考えてますか。確り私の動きに合わせて呉れないと、困りま~す。ウクライナ女は、スタミナ十分。相棒のご褒美が、それだけじゃ困りますね~。ファイト、ファイト。浅浅深、深深浅のバリエーションで行きましょう!!」

「何を猪口才な。そりぁ、バズガー砲の始まりじゃい。如何じゃい、如何じゃい!!」

「ワイルド、ストロング、ビッグ、ロングタイムで行きましょ。カモン、遠慮は無しでしょ。ダーリン。嗚呼~、ガンガン響く~、凄く気持ち好い~!!」

         ★何がワイルド、ストロング、ビックにロングタイムじゃい。

「こりぁ、開闊筋絞めて相手をせんかい。無駄事こいてると、白尻に平手打ち噛ますぞい。」

                バシッ、バシッ!! 
「オウ、エキサイティング!! プリーズ、モア。カモン、カモン、ダーリ~ン!!」

 いやはや、好き者同士とは、こんな具合である。帰りは馬の背で、すっかり眠って終った。精の取り戻しで、夕食には鶏を一羽捻って食すると致そうか。

 <その8>
 水の循環を司る神々への神事に張り切り過ぎて、虚脱してしまった二人で在る。本日は安静日方々、ソースの試作に取り掛かる。大豆醤油の代わりに、魚醤を調味料として居る次第である。然しながら温帯の日本人の味覚には、東南アジアの魚醤は合わない。
 漁醤の生臭さを改善しようと、果実との相性を工夫して見る。作業場は、海風が吹き抜ける椰子林の中の浜辺である。

 実質は縄文時代と遜色の無い日々であるが、現代人は人類の弛まない知的蓄積をプレゼントされた各種の雑学保持者で在る。何かと雑学の蓄積が、工夫工程を時間短縮させてくれるものである。加えて、野菜主体の日本食文化の縁の下の支え役が、発酵醸造の微生物作用の応用認識でもある。老母賄い夫生活で、私とてそれなりの観察と実績を積んで来たのである。

 日本酒のどぶろくも、初期の頃は飯を噛んで、吐き出して発酵させたのが始まりとも云われて居る。
 
 私が噛み吐いて作っては、色気も素っ気もない。そんな次第で、私は糖分の多いバナナをナターシャにモグモグさせて、バナナどぶろくを物にして居る次第でもある。バナナ特有の甘い香りがして、それなりに酔える。そんな次第で、ふんだんにある椰子の実も使用して居る。
 またココナッツの内部のゼラチン状の果肉も、同様に試して居る。フィリピンでは、その果肉は『精力剤』との事でも在ったから、試さざるをえまい。ギャハハ!!

 島での生活は、私の体細胞に実にフィットしている。その内、馬も牛も居る事でもあるからして、水田を広げて食糧のバリエーションを拡充して行こうと考えている次第でも在る。完成すれば、二毛作、三毛作も出来る。異次元滞在もお手の物と為って来ているから、アウトドア道具も大体の物が揃って居る。そして学習効果も随所に出て来ているから、時間配分も順調で在る。

 何よりも、この亜熱帯のロケーション下に在っては、着る物の心配がない処が、生活に余裕を与えている。

         まぁ、これとても妄想加工の産物の一つだろうか。ニャハハ。

「如何? これって、究極の縄文ライフでしょ。うふふ。」
「そうだな。これも、何から何まで、相棒様のプレゼントですがな。これは、如何考えても、相性だけの巡り合いじゃ無かろうよ。」
「勿論です。これって『奇跡の仲』でしょ。うふふ。」

★うふふの声に聞き覚えが在った。異界の女・ナターシャの顔をちらりと見ると、ナターシャの顔の下に、初恋のKちゃの顔が微笑んで居るでは無いか。

          そうか、そうか・・・。そう繋がったか。

 類は友を呼ぶの言葉の裏には、類を嗅ぎ分ける臭覚が備わって居て、類を種別する機能も備わって居るに違いあるまい。類を確り種別して友と為すには、其処に類別のバリアを掛けて居るに違いあるまい。類別のバリアのルーツを辿れば、其処には精神性を司るDNAが継承されて居るのだろう。

 外向性と云う類は、内なる問題を外に求めて解決と満足を得ようと作用する心の問題なのであろうし、内向性と云う類は内外の事象を観察して、それらの問題を内なるものとして捉え、自問自答の中で内面に蓄積させて行く。

 宇宙を外に持とうとする外向性と宇宙を内に持とうとする内向性とは、対照的なアプローチの違いでは在るが、方法論が違う言っても、全てが違った結論に達する訳でも無し、同じ結論に達する事もあろう。

 類は鏡の水面に投じられた一石の波紋が、同心円で波紋を伸ばして行く水の伝導性にも似て居る。同心円ならば、波頭は中心から外へ伝導して波を消す。
 一方、鏡の水面に、石が多投されれば異心円が出来る。異心円の波頭は、相互に波頭をぶつけ合わせる。

 異界の女・ナターシャは、正に『奇跡の仲』とは云う物の、水の循環をテーマとしたこのフリーズバリア島での思索行をしてみれば、これは『奇跡の仲』とは云い難い<必然の仲>だったのでは無かろうか。

「おう、あなた、何シンキングしてますか? この旅の位置付けしてますね。アハハ。私には、あなたの頭の中、全部解りま~す。」

「そりぁ、そうだろう。今回のテーマは、水の惑星・地球のフリーズバリア島での生命の源・水の循環話だからな。水の再生産の中で引き継がれて来た同心円の繋がりだわさ。其処に鎮座されて居るのが<純潔の水の伝導性>と来たら、奇跡の仲じゃなくて、必然の仲だったって事だわさ。」

「ノーノー、それ違いますね。私はギリシャ正教徒。やはり奇跡にロマンチィックを感じます。あなたは仏教以前の八百万の神・縄文人史観ですから、必然の仲をチョイスしました。でも、それはそれで何も問題ありません。私達、ピッタンコの同心円のベストマッチ・コンビでしょ。全然、神様・仏様要らないでしょ。うふふ。」

「凄いねぇ。ナターシャは優秀だね~。」
「当然でしょ。私はあなたの絶対無比の相棒ですよ。何しろレクチャしてくれる相棒に、恵まれてますからねぇ。ダーリン。」

 そんな話の序に、異界の女・ナターシャが打ち明けて呉れた処に依ると、このフリーズバリア島は、死後の私達が暮らす斎場として造られて居るとの事であった。斎場島の主が滞在する時にだけ、フリーズが解かれる仕組みに為って居るそうである。時折、ナターシャが島に滞在して動植物、家畜の成長を促して行くそうである。

 いやはや、異界の女・ナターシャは、抜け目の無い女である。ちゃっかりと計画の布石を打って行って居る。

 南洋バリア島での半裸の日々に、二人ともすっかり浅黒く為って終った。私は閉じ籠もりマンネリ日々からの解放、異界の女・ナターシャからすれば、侘しき蛍火の身から解放されて、散々のライオン女の日々を過ごさせて貰った。まだまだ、長居はして居たい物では在るが、吾が現界、彼女の異界に於いても、お努めが控えて居る次第でも在る。

 儘ならぬのが、人の宿命でも在る。お互いの帰還命令が、異次元管理者からナターシャに届いているらしい。本日は、ナターシャに手を引かれての空中からの南洋バリア島の遊覧飛行を頂戴して、吾が現界に送り届けて貰った次第である。へへへ。

      夢奇譚第22部・・・ナターシャ作・フリーズバリア島にて。・・・完
 
                          2014/1/7 by アガタ・リョウ










夢奇譚第21部…バリアドームにて。
                   夢奇譚第21部・・・バリア・ドームにて。
 <その1>
             天候不明、気温16℃、季節不明、視界度不良、生命感ゼロ。

 視界一杯に、無残な世界が広がって居る。テレビ、ネットで見る『中国、発展の光と影』の陰の部分。遺棄の世界で在る。如何云う訳か・・・私は其処に立って居る。

 向こうに赤、白、此処には青、黄色と毒々しいまでの原色ペンキを流した様な態である。流れを失った大河には水面を埋め尽くして、何でこんな物までもがと腹立たしい程の、家畜の死骸、有機物、無機物のあらゆる廃棄物が浮かんで居る。何処までも廃墟の様な灰色の世界が、漠として淀んで続き・・・視界全てが、沈んで居る。

 重なり合った夥(おびただ)しい廃棄物の山の間の、ペンキの河にしか見えない水中からは、至る所、沸々と不気味な泡が浮き上がり・・・それらがパチパチと音を立てて弾け続け・・・悪臭を大量に生産し続けて居る・・・その臭気の根源・水底のヘドロの堆積量たる如何ばかりか・・・

 そんな視界以上の異臭、空気の重苦しいどんより感は、呼吸も出来ないほど気持ちの悪さである。既に、嘔吐して仕舞った。嘔吐には胃の内容物と胃液の異臭が、鼻の粘膜にこびり付いて、再度の嘔吐を引き起こす。この場に在って、自分の異臭など小さな物でしか無かった。

 正にこれらは、惨たらしくも、おぞましい程の<強欲に走った人間達の恥部・暗部>を、微細にまで曝け出して居る光景で在る。
 
 何年か前に、YouTubeで海外ドキュメンタリーの長時間番組で、環境破壊進む中狂国の実態を観た事が在る。それは発展の光・現代高層ビルが建ち並ぶ大都市の表層が、超高層ビル群の表層が、唯長い影を地表に落とす様に、発展の影・闇の部分を映す様に、癌村、奇形児村、貧者村、遺棄村等の映像群の告発でも在った。

    日本人の私にとっては、それらは目を背けたく為る様な衝撃映像の連続で在った。

 口ではG2と世界二大強国を吹聴するも、世界の環境汚染&非常識人民輸出国の実態を曝け出して居るだけの『小笑千万国』でしか無い。誇大妄想・非常識の責任をと問われれば、厚顔無知にも『我が国は未だ発展途上国』と、自由先進国への累積責任を殊更問うだけで、自らの問題解決責任を回避し続ける浅ましき姿でしか無い次第である。
 斯様にして、その実態は物心双方に於いて、巨大環境汚染を排出し続ける<世界の嫌われ国家>の姿である。

 河川は廃棄物を浮かべた汚い貨車の残骸と化して、その水は上流では農民の農業用水の使用すら許されずに大都会に送られる。汚染物質は地表のみならず地中をも犯し続け、深く浸透して地下水脈までをも汚染し切って毒水と為し、遺棄された農地に砂塵吹き荒れ砂漠を増大させる。

<施政者に法在れば、民に対処在り>と如何に知恵者振って、中華四千年の歴史などと嘯き、恰も平然と懐の深さを強調して見た処で、裏に在る彼の国・人間心理は、上も下も共に強欲の鍔競り合い以下の『唾の吐き合い』でしか在るまい。

 国家経済の過半を占めると云われる不動産産業は、私有財産制禁止の共産国の国是の下、党国家のエゲツさの象徴にして、<濡れての粟・打ち出の小槌>として状態化して居る。土地・人民を外資に提供して、国家は恰も『経済歓楽地』を構築して、その揚がりだけに喰らい付くだけの<強欲の置き屋営業>で、暴利を貪り尽し、相互不信を以って<裸官>と称して海外に個人的不正蓄財を為す。
 
 世界の工場と豪語するも、企業城下町の自然的企業群の発展も不可能にして自国の世界ブランドも確立出来ぬ国柄である。例え不動産城下を建設したとしても、それは投資対象の張り子の街でしか無い。而(しこう)して、お家芸の張り子の虎ブランド・ゴーストタウンが建ち続けると云うのであるからして、おぞましき心の空虚さのお国柄を晒すだけで在る。

   ★既にPM2.5の大気汚染に晒された都市104、呼吸すら満足に出来ない人民8億人。

 足りぬ農業用水、重金属に汚染した土と水、真がい物の肥料・農薬の大量散布に依る安全安心度ゼロの農作物、畜産物。水・土・大気が汚染されて、遂に洗浄の雨すら汚してしまった自業自得の中狂国家の態で在る。内陸での農民の遺地、流民化して都市に流れ込む民原、貧富の極大化、絶対的貧民の経済的・精神的ストレスのマグマ溜まり・・・etc。

   ★此処は紛れも無く中国人にとっても、打ち捨てられた一帯である。私の他に二人が居る。

 彼等の性別すら、外観では分からない始末である。露出した皮膚は丸で爬虫類の様に硬い麟状に為って居る。映画、ドラマに出て来る様な爬虫類インベーダーの様な生き物にしか見えない。私はと見れば、既に手の半分が鶏の脚の様に、鱗皮膚が生じている。その手で、顔を触ると顎から頬にかけてザラ付きと硬直が進んで居た。

 これは、『無の阿鼻叫喚の光景』で在った。恐怖の悲鳴など出る状況では無かった。完全なる絶望の光景の中に在っては、人間の感情などは、完全に打ちのめされて終う物なのだろうか・・・。

 現実を前に、きっと正常な思考回路が、断絶されてしまっているのだろう。何故か感情、表情を伴わない涙が、体液が破壊される様に、はらはらと頬を流れるばかりであった。草木一本も無く、生命すら感じられない世界に、三人は無言のまま立たされていた。

 どんよりとして悪臭の再生産状態の、薄暗く灰色に霞むPM2.5の大気汚染に、私は時が朝なのか、昼なのか、夕刻なのか、丸で分からない感覚で在った。東西南北さえ分からない。

★遠く遠く朧気に・・・山々のシルエットの濃淡の中に、・・・曇りガラス越しに見る微かに・・・薄い光体が見えて居た。

 それは、奇妙な形で在った。山の重なり合う遥か彼方に、光体が薄い光のドームの様に被って居る光景で在った。私には、それが何故か<バリア>の様に見えた。

 古代中国文明が消滅して、幾多の異民族征服統治、或いは内乱の果てに公共心を灰塵と化した中国の大地に、強欲、個欲に走ったおぞましい人間達の無責任極まりない精神破壊、環境破滅の中で、その一個所だけが何故か・・・守られて居る世界の様に見えた。

 それは地球と云う一個の生命体が、周囲の癌細胞の侵攻を必死に食い止めて、自らがバリアを張り巡らせて、必至の抵抗を続けて居る様な<痛ましい姿>にも見えた。

               ★あの遥か彼方に、何かが残されて居る。

 私には、それが<最後に残された生存の場所>と思われた。行き着く事が出来るだろうか。そんな不安などは、この絶望の地では意味が無かった。また、こんな状況下での活字、映像に登場する『希望』の想いなど、私には全く浮かんでは来なかった。それでも、<生きて居る以上、行く>のが『生命体の宿業』と云う物だろうか・・・。

                誰言うまでも無く、私達は歩き始めた。

 ネイチャー番組などで、アフリカの大ステップで雨季と乾季に、営々と続けられて来た草食動物達の大移動を映像で見る様に、或る物に向かっての『本能の行進』とは、こんな物なのかも知れないと思った。彼等に希望と云う<宗教心>が在るから、行進する訳では無いと実感した。

★心臓が鼓動し、身体が動ける以上、動きを止める事は出来ない。行進を止めたら、其処が死で在る。生命とは動で在り、死とは止である。

 生命が在る以上、歩を進めるだけで在った。状態・情況が在って、其々に応じて五感が作用されて発揮されるまでである。五感を阻まれた中での、生命の仕組みとは、『こう云う物だろう』と知った。私達は、乾燥したアフリカの大ステップを行進するヌーの一頭で在った。

 三人の身体は、既にトカゲ化していた。人間がトカゲに為ったのであるから、醜かった。でも、何故か呼吸は楽に為って居た。これは、不思議な実感で在った。この状況の変化は、何に例えて伝えるべきか。
陸上動物が、水中でもがき苦しむ肺呼吸から、水中動物が鰓呼吸を持って水中に居ると云った感じなのである。呼吸の確保は、生命の根源である。

 呼吸の回復が、思考回路を次第に繋げて呉れる。そんな回路の回復が、感情を運んで来る。この醜い身体の変化は、若しかしたら『環境対応装置』かも知れない。こんな状況に置かれて、こんな事が脳裏に過る。これは、不思議な感覚、感想であった。

 これは、生物としての生命の最低限の確保だろうか、<これが宇宙飛行士の宇宙服と酸素ボンベに匹敵するものなら、脱着が可能なのに・・・。>と思った。
 然しながら、遥か遠くの小さな発光体目指して歩くには、考える事は不要の事でもある。脳裏を一瞬過ったテロップを打ち消して、私はトカゲの為り切った。

 <その2>
     私達は平地を横断して、既に何年も前に立ち枯れした無味乾燥の山麗に進んで居た。

 振り返ると、半日を要して横断して来た平原を、ヘリコプターが低く地上を点検しながら来る様に、爆音を響かせて居る。それは、陸上自衛隊駐屯地のグランドに置かれて居る<大型の兵員輸送ヘリコプター>の形で在った。

                 『嫌な予感がした。』

 現代はボーダレスにして、瞬間的な電波映像の時代である。尖閣の海での漁船体当たり、官制反日デモ、日本企業襲撃・略奪の暴徒化、ウイグル一家の天安門抗議死、抗議の焼身自殺が頻発するチベット、ウィグル弾圧、貧富拡大に依る各種の抗議デモの蔓延・・・etcの度に、暴徒と化した人民に容赦無く打ち振るわれる警棒、殴打、蹴りを入れる武装警察隊・公安警察隊の暴虐非道振り、そして外に向かって発せられる、高慢・不遜この上ない中狂国スポークスマンの報道姿勢などを、日常的に見ている時代である。

 加えてテレビでの討論番組などで、一応の言論人との肩書で登場する中狂国、半島国の所謂『火病国民の論』を聞いて居ると、ハチャメチャ論理、厚顔無知の多言様、高慢、傲慢の聞く耳持たぬの威気高な下品さの放列である。彼等低民度の異常脳の前に、此方の脳細胞が壊されてしまうの感しか出て来ない。

 日本人の常識から見ると、彼等の異常脳から発する言動は、私にとっては危険極まりない『毒亜への拒絶決意』でしか無いのであった。

    ★死の平原に、何かを見付けようとする軍用ヘリ。私は本能的に、危ないと思った。

         軍用ヘリは爆音を轟かせて、此方に向かって来て居る。
           私達は空中から見えない岩陰に、身を隠した。

 相手は、同国人民を同胞とも思わない<殺戮集団>だと直感した。自分に都合が悪いと、全てを闇から闇へと隠蔽して仕舞う共産国体制の野蛮性は、テレビ、活字で日常的に報道され、十二分に学習されて居る次第で在ったからである。

 この無の阿鼻叫喚の世界は、体制にとっては一切知られては為らない『封殺・封印の世界』と看做されて居る。増してや、化け物に変化しつつある<この世界の生き証人>の存在と為れば、結果は見え過ぎているので在った。

                息を詰めて、凝視し続ける。

 旋回、直進する軍用ヘリは確かに物体では在るが、人間が載り操縦する以上、意思を持った媒体存在である。形を大きくする空のヘリは、血塗られた凄みと殺気を発散させて居る。ヘリから白い煙が見え、地上に爆発の火が立つ。丸で『殲滅に証人無し』の非道の荒っぽさである。

★先日のニュースでは北朝鮮・三代目の若輩将軍様の身内後見人の国家No,2が、クーデター容疑で逮捕されるも、逮捕4日後には、罪状を認めたとの事で、即・機関銃処刑が断行されたとの事で在った。No.2は口汚く罵倒され、銃殺体は火炎放射機で焼かれたとの事である。

 私達の他に、未だ人間が居るのだろう。口封じの任務を負った猟犬ヘリである事は、これで証明された。私達に出来る事は、発見を免れ、猟犬ヘリが何処かに去る事で在った。目を閉じて、爆音が通過するのを唯、祈り続けるだけで在った。

 世界史を素人趣味とする私の雑駁な中国歴史観では、中国大陸の歴史は延々と繰り広げられて来た<征服王朝の歴史絵巻>である。

           新王朝は、億面も無く自分達の正当性を歴史とする。

 王朝が変われば、秦の始皇帝の焚書抗儒教の人・文物の大粛清が行われる。彼等にとっての歴史は事実の歴史では無く、現施政者だけの正当性を宣伝する為の唯我独尊的な改懺の『プロタガンダ』が、その骨子である。
 その過程の中で、殷・周・漢の古代中国思想、随・唐のインド仏教思想が死滅して、それ以後、断絶した思想の空洞を欲しい儘に埋めて来た<独善的中華思想>が極大化して行った。継続を断絶した思想無き功利主義の形態は、都合の良い<易姓革命思想>とやらで、皇帝の座に就く者は恰(あたか)も大人振って、孔子の儒教の建前を振るまい、人民を統治するには韓非子の容赦無き刑を以って臨み、中央集権の行政には、地方長官の裁量権を与える。多大な裁量権は、人治と云う縁故習慣で一族郎党が、美味い汁を分かち合う<私欲肥やしの饗宴舞台>を構築する。

 そして化け物の権化・共産思想と中華思想がドッキングを果たして仕舞った。これが、私の観る歴史俯瞰的に見えて来る。それが猟犬ヘリにオーバーラップする、現在の赤い王朝・中狂国の実態である。

 これは、上から、礼(孔子の儒教主義)、律(韓非子の法治主義)、令(有力者の縁故主義)の律令国家たる所以である。中国人の使う法治国家と近代法治国家の枠内に在る法治国家の概念は、全く『同音異義語の世界』なので在る。国家からの横暴を回避する為の民主主義から発する護民思想の有無を想起しないで使用する体制錯覚が、独り歩きして居る感が強い。

 旧態依然と云うよりも、<旧態不変の国家体制>は、現代の赤い征服王朝・中国共産党にも見事に踏襲されて居る。国家主席を現代の皇帝と看做す国家体制の証左は、嘗て故宮の大広場に柵封の属国を立たせ、巨大な舞台装置の中で権力者の威厳と威光を徹底して演出して見せる。
 これは、現代の全人民大の政治的ショーその物であるし、刑の執行には迅速裁判と迅速処刑を以ってする遣り方は、容赦無い法の実行・韓非子の刑罰を以って、人民に当たるを意味しているし、中央集権下に於ける地方行政の遣り方は、その裁量権の大きさ故に、賄賂の個利個略の私腹肥やしの温床として踏襲されて居る。

 旧態不変のこの遣り方は、ボーダレス拝金主義の中に在って、富の海外貯蓄と、亭主だけが本国に残って利権・賄賂を重ねる『裸官』の巣窟と為って居るのが共産党幹部の本姿と云うのであるから、どうしようもない国家体制と云うしかあるまい。

★中狂国を象徴する猟犬ヘリは踵(きびす)を返して、爆音と共にPM2.5の灰色の中に消えて行った。

 <その3>
 一切の生物を死滅させた枯れ木が累々と続く山容は、白骨を晒す<威容にして異界の様>で在った。想像して見るが良い。生命の営みさえ在れば、例え冬枯れの荒涼とした大地の中で在っても、其処には幾ばくかの小さな緑も痕跡も在れば、落葉して箒と化した樹林にも、凍て付く寒さの中での冬眠の佇まいを感じる事が出来る。

       ★見渡す限りの実在の無さが、死を屹立させて『荒涼と沈む遺棄の光景』である。

 痛ましくも、自然殲滅への罪深き人間の原罪、懺悔の祈りの衝動を掻き立たせる。そして、私は激しい義憤に身体が震えていた。

 然し、休む訳には行かなかった。見たい、知りたいの欲求が強く為って居た。山を登り、尾根を進み、下り、登り、尾根を進む。遠望・眺望を殺ぐ大気汚染には違いなかったが、濃淡が重なり合う山々の輪郭の中に<バリアのドーム>は近付いて来て居た。

  もう一つ、山を越えれば眼下にバリアの全容が見える筈である。『希望』が見えて来た。

 何度も休憩を取りながら、山越えを遣り遂げた。私達が眼下に見た物は、奇跡の光景で在った。それは深い峡谷の中に周囲の死界を割って、其処には燦然と輝く生界がドームの下に広がって居たのである。汚染大気を半円のドーム形状に区分けして居る外部と内部の仕切りは、明確な外界と内界を仕切る形で、明確なバリアを張って居る様相で在った。

 光、白雲、緑の森林、川、大地が、恰も<箱庭の世界>を見せる様に、バリアドームの中に存在して居たのである。地獄の中の浄土か、神・仏・自然の奥深さの奇跡か。熱い涙が流れ、暫し嗚咽し、ただただ合掌する時間で在った。

         私達は尾根に沿って進み、バリアドーム直近の山の斜面を直下した。

 転んだ、転がり落ちた。駆け降りた。擦り傷、打撲の出血、痛みに顔を顰める者など、誰一人居なかった。縛られて居た縄目がバッサリ切られて、弾む身体を、自由を、肉感の全てを力一杯炸裂させるかの様に、皆、ウァーとか、オーとか、声に為らない歓喜の声を挙げて、山を駈け下って行った。童心に帰った様な、躍動する体内のエネルギーの炸裂でも在った。

 深い峡谷の中程の斜面まで来ると、尾根から見た奇跡の光景は、峡谷全体に厚い天井を被せる様に雲海が覆っている。丸で空からの遮蔽蓋の様にも見え、そして思えた。私には、それが『地球生命体の明らかな一個の意思』の如くにも感じられた。その意思は、人間拒絶の<明らかな意志>にも感じられた。

 自然への畏怖と云った常套句を使用するべきでは無いと思った。直接的で明確な地球生命体への部外者の接近とでも言うべきか・・・それは、生物体としての未知なる存在への、胆力を抜いた途端、弾き飛ばされてしまう。それは、生物同士の緊張の漲った対峙であった。

 周囲を注意深く確認しながらの雲海行を、始めた三人で在った。雲海域を通過すると、尾根で見た光景が広がって居た。大げさな形容では在るが、その光景は正しく、漆黒の宇宙に浮かぶ宇宙船から見る『水の惑星のズームアップ図』であった。

 峡谷に下り立つと、完全に外界と内界の明確な遮断が創られて居た。両界を遮断するバリアが張られて居る以上、迂闊な行動は禁物である。此処では、上空からの猟犬ヘリの心配は無い。きっと探せば、ドーム内界に入る出入り口が見付かる筈であろう。二手に分かれて探索行動を開始する。

         手掛かりを探っての峡谷二回り目に、遂に出入り口を発見した。

 <その4>
 渓谷は緑と澄んだ空気、川底の見える清らかな川も流れていた。気温は24~5℃であろうか、身も心も、晴々として来る。鳥も動物、魚も、蝶も昆虫も、花も果実も溢れかえり、且つ広々して居た。

 私は渓谷を歩きながら、脳裏の中に去来する様々なシーンの一コマ一コマが浮かんでは消えて行く。

 それは、旧約聖書の天地創造を映画化したシーンの数々とか、ロマン溢れる千夜一夜物語のエピソードを彩る不思議の土地のイメージであったり、シルクロードの砂漠に現れるオアシス都市、西部劇に登場するニューフロンティアを目指して大幌馬車隊が見たであろう手付かずの豊穣の土地、アニメに現れる異星での人工都市の模様でもあったりした。

 せせらぎの水を飲み、果実を捥いで食べ、鳥達の囀りに耳を澄ませ、木々を走るリスの動き、木陰に寝そべる鹿の親子を見ながら、無の阿鼻叫喚の世界に突如として現れたエデンの園或いは極楽浄土の現出に、吾知れずの感謝の熱涙が溢れて来るのを実感して居た。

 峡谷の変色した岩盤の一部から、湯気が立った居る個所が在った。流れる温泉に手を入れて見ると、程好い温度で在った。幸いな事に、温泉溜まりが出来ている。日本人にとって、温泉はこの上ない癒しの場である。

 衣服を脱いで、湯溜まりに浸かり手足を存分に伸ばした。私を見て、二人も同じ事をする。身体内部から、じわ~と噴き出して来る汗の流れの気持ち好さは、何とも云えぬ気持の好さである。暑くなると出て、石の上に胡坐を掻いて汗を冷やす。汚れた衣服を揉み洗いして、互いに絞り合って、近くの木に掛ける。 

         衣服が乾くまでは、此処で湯溜まりに浸かって居るしか無い。 

 程良い温泉でふやけたトカゲの皮膚が、手を当てて擦るとボロボロと垢の様に剥がれ落ちて行く。その下から、人間の皮膚が現れる。お互い、指差して小躍りして抱き合った。一人は、おいおいと号泣し始めた。
 温泉にどんな成分が含まれて居るかは不明であったが、温泉の湯花の結晶の様な物であったが、掌に押し付けると容易に崩れ、粗塩の様な触感である。臭いを嗅いで見ると、硫黄分を含んだ臭気が在る。それを石鹸、砂代わりに手に取り合って、手の届かない互いの背中を擦り合った。温泉の温度とザラザラする摩擦感が、皮膚を通して何とも気持ち好い。

 面白い様にトカゲの皮膚は、剥けて行った。トカゲ人間がさなぎの殻を脱ぐ捨てる様に人間に、人間として現れた。

 相手のトカゲは、私と同じ男二人で在った。一人はチベット僧の趣で在り、一人はトルコ系のウィグル人の風体で在った。

      話す言葉は違っていたが、何故か言って居る事は、お互い全て分かった。 

「私は、日本人のR。」「私は、チベット僧P。」「私は、ウィグルジンのS。」

 歳は、私が最年長で在る。次いでウィグルのSが45歳、チベットのPが39歳との事である。共に、歴史ある祖国を中狂に蹂躙され、理不尽な人民浄化の名の下に残虐非道が跋扈して居るとの事である。平和ボケした日本人には、それらはニュースの断片でしか報じられて居ない。殆ど彼等が置かれた言語に尽くせないほどの現実を知らない次第であるが、近時の中狂国の日本への毒亜国振りは、漸く日本国民の知る処と為った。日々の痛ましい生活は、人の顔付、表情を現すものである。

★SもPも、脂気の無いカサカサした皮膚に、暗く老け込んだ顔を載せて居る。不条理の力に依る抑圧に対して、彼等の眼だけが暗闇で研がれた鋭利な刃物の様に、時々、凄みをもってグサリと胸を抉る様に光を放つ。

 平和ボケして、言葉だけを一人前に使って居るだけの私と、言葉を吟味して発し、その言葉の反応に、全神経を使って居る人間との明かなる違いに、私は余りにも違い過ぎる<生まれて来た環境の苛酷さ>を思い知らされるのみで在った。

 それでも、二人は私が日本人である事を知って、警戒感を薄めて行って呉れた。先ほど前までは、歳も国籍も顔も無く同じトカゲ人間で在り、無の阿鼻叫喚の地から、中狂の猟犬ヘリから逃れ、苦楽を共にして来た生き物としての『協働行動の共有』を持ち合って居るとの感情の故に起因するものだろう。

「Rさんは、中々の人物と思う。日本の素晴らしさはテレビでも、メードインジャパンの車、家電、電子機器でも知って居る。そして、高い教育水準、礼儀正しさの武士道精神も知って居る。中国の言葉に表せない圧政下に在る私達とRさんとは、中国に対する埋め様も無い温度差の違いも、十分に知って居る。
 私もRさんも仏教の国の男だ。それに、イスラムのSだ。全く宗教心の無い中国人とは、世界観も人生観も違う。中国人とは、私達は理解のしようも無い『水と油の民族』だ。残念ながら、私達は教育と言論を奪われて仕舞って居る。私は、<現在の生きた世界>が知りたい。」

「私も、そう思う。大きな視点での世界が知りたい。悲惨さを知らない日本人の目から見た中国が、知りたい。是非、聞かせて貰いたい。」

「そうです。中国一辺倒の身勝手な中国人の嘘では無く、教育程度の高い自由な日本人の考え方が知りたい。」

「そう言われても、私は極普通の日本人でしか無いよ。でも、二人は生まれ付いてからの反日教育の刷り込みを受けて居たんだろうから、カルチャーショックも思考・行動の資料にも為るかも知れんからね。一応のほほんながら、常識的に65年生きて来たからね。へへへ。」

 人種、年齢が違っても、向学心・向上心旺盛な人間は、目が違う。このバリアドームには、三人しか居ないのである。人間とは何かをして居なければ、落ち着いては居られないのも事実であった。差し当たり、この峡谷には、三人が生活して行けるに足りる自然の恵みが在る。一番の年長者が『及び腰』では、先に進まない次第であるから、私は役目を引き受ける事にした。

 衣服も大方、乾いて来た。私達は衣服を着て、塒(ねぐら)探しに出掛けた。峡谷であるから、格好の洞窟をチョイスするには、然程の時間を要しなかった。PもSも、実に手際良く洞窟内に居住空間を作って行った。私は経験の無い素人であるから、彼等の後ろに立って、そのお手伝いを務めた次第である。

 草が敷かれ、ベットに為った。未だな生の草であるから、しなやかさも何もあった物では無かったが、ゴツゴツした岩の緩衝剤と為って居る。草を敷き足して行けば、具合は程々に為るとの事であった。何も無い自然の中に居るのだから、現実の前に体内のDNAを遡上して、慣れるより他の無い事である。

 <その5>
 翌日からは、峡谷の探索が始まった。外敵の不安の無い探索は、好い物である。本より何も持って居ない人間達であるから、食糧の調達は、果実と川の魚を手掴みして捉える事が専らで在った。川原で適当な石を物色して、石器道具にする位で在った。暇が出来ると、温泉の溜まり場で、私の趣味とする人類の歴史講座などをしても質問に応える毎日である。

 少なからず生活のリズムが身に付き始めると、渓谷探索の結果分析も出来て来る。この渓谷一帯の水の循環は、渓谷上部で湧き出して沢として流れ、下部の落ち込みから噴水の原理で上部から湧水として、水の循環経路が巡って居るらしい。詰まりは、渓谷の底で水路が繋がって居るらしい。ドームのバリアの作用は、ドーム内の気圧と外界の気圧差で保たれて居ると考えた方が、理屈が保たれる感じである。従ってドーム内の気圧が高い構造と為っているらしい。

 この仕組み、作用の根源を夢想するに、一度テレビで見たシーンが脳裏に浮かんだ。それは空気の無かった原始の地球に、生物には有毒なガスを、水深の浅い所に発生した原始生物が、その有毒ガスを消化して酸素を排泄した事から始まったとの事である。その原始生物のコロニーがオーストラリアの浅い海には、丸で蟻塚の様に累々と化石の乱立を残して居る映像で在った。

 有毒を撒き散らす『無の阿鼻叫喚の世界』をまざまざと目撃して来たのであるから、原始の煮え滾る無の世界が発生した微生物群が、無の地球上に、生物の生命帯・酸素を創り出して行った事を考え合わせれば、それを類推解釈として採用する事も出来る筈である。

 私は、単純単細胞の男である。こんな妄想ファンタジーが芽生えると、尚一層の問題意識と観察に躍起と為る性分で在った。目には見えないが、こんな微生物・微生物群相が、共生し合ってコロニーを造り、コロニーとコロニーが合体し合って、雨の一滴が集合して一つのドーム状の巨大コロニー世界を構築して行く。その結果が、無の阿鼻叫喚の世界にも、このエデンの園、浄土の渓谷を作り上げて来た。或いは蘇生、或いは死滅を防御して来たと云う『仮説』が成り立つのでは無いか・・・

★人間が死滅させた大地に、再び人間を迎え入れる事は、不条理である。それ故に、自然の神秘さへの畏敬の気持ちより、拒絶を伴う地球生命の強い意思=拒絶のバリアを強く感じたのでは無いだろうか。

       その夜、私は頭が次から次へと巡り、眠れない一夜を過ごした。

 <その6>
 夜が明けるのも、もどかしく、S、Pを起こして、私の仮説を捲くし立てた。彼等は、私の言わんとする処を理解してくれた様であった。直ぐ様三方に分かれて、その論証を探すべく丹念にドームの外を探索して回った。

 私は、気短い性質である。ドームの縁に沿って注視居て行くと、草木悉く枯れ果て累々と砂礫を晒す死界の地表に、菌類を思わせる赤褐色、灰、黄、白、黒、緑の斑模様が、所々に散在して居る。色の違った、それらの菌床には形状の異なる何種類ものキノコが生えて居るでは無いか。

 キノコは菌床に繋がり、各種の菌床がバリアドームに繋がって居ると云うよりも、確り連結して地表を走って居る・・・そんな<明確な生物としての意思>を持って居るかの様な直感がした。

★若し、これらを直線の人工物に置き換えれば、さながら大都市(バリアドーム)と連結する幹線網(菌床)で連結される地方都市・町・村(キノコ群)との形態を現して居ると観て、差支えない。

 人工物と云う無機の直線構造と生命体としての有機体の曲線構造は、単なる目視の相違だけで要素分析を試みれば、一つの有機的機能態・機能体として、全く遜色の無い構造群と云って良かろう。

 現代科学・科学・技術の世界とても本を質せば、所詮は自然観望から発した森羅万象の理の世界への探求なのである。人間の途方も無く歩んで来た足跡とは、森羅万象の理を写し取る事で、それを真似、学んで来たに過ぎない。
 こう考えると、森羅万象の理を体現する生命体の作用の奥深さに、打ちのめされると同時に、深い感銘が胸に溢れて来る次第で在った。

 各種雑多な菌床、キノコ類は、さながら不毛の悪環境整備への適材適所の前処理を受け持って居るかの様に見えて来る。それらは毒素を解体して、マイナスの階段を一歩一歩上り、マイナスをゼロに繰り上げ、ゼロからプラスに一歩一歩前進させて行く様な<環境改善リレーのバトンタッチ>をして行くプロセスを構成して居る様にも見える。
 一つの環境因子がクリア出来ると、次なるステージには環境変化に即応した適材適所の微生物が増殖して、微生物群が共生と云う協調関係の相乗効果で、微生物群相を造り上げて行く。それによって有害物が分解されて浄化が一歩一歩進んで行く。

 これは人間が造れば莫大な資本投下の巨大装置と為るが、<無の阿鼻叫喚の世界>では、物云わぬ、そして肉眼では決して見えないミクロの世界下で微生物達が、黙々と毒素分解をして居る証左なのである。

     ★私の仮説は、多分、当たらずとも遠からじの『総論』では、妥当域であろう。
 然しながら、こんな理不尽な事を平気でして居る中狂国、並びにその人民には、改めて憎しみと強い義憤が沸々と湧き立って来るのを、血の実感として覚える次第でも在った。

          ★★S、P共に、私同様の外界模様を持って来た。★★

 <その7>
 これは過去に夢奇譚を連発して来た処の、異次元界に於ける一つのエピソードに進んで居る様であった。夢奇譚と云えば、私の相棒・異界のライオン女・ナターシャが登場しないのは、如何やらクリスマスなどの行事で多忙を極めて居るのかも知れぬ。

 まぁ、こんな世界に夢奇譚賛同者のロシアン・アマゾネス団に登場願っても、美形・美人さん達には失礼の段である。私は生まれ付きの欲の無い男であるから、全ては状況合わせの消去法の中で、動くだけの事である。

★今回も見えぬ大いなる力・異次元界の管理人が、何らかの使用価値を私に持たせて、この異次元に招聘(しょうへい)したに違いあるまい。

 チベットもウィグルも中狂国の名ばかりの自治区である。自治区と云えば、もう一つ内モンゴルが在った筈である。三国とも第二次大戦での戦後どさくさに紛れて、狂人・毛沢東に国を奪われた民原である。
世界に告げ口外交を性懲りも無く展開するパク・クネ大統領を頂く韓国と中狂・習近平、三代目将軍・金正恩の北朝鮮は、大中華・小中華の毒亜圏でしかないから、範囲の他である。反日・排日で、男も女も股間にエクスタシーを感じてしまう火病国家民とは同席するのも、汚らわしいだけである。

 私も一応の日本人であるから、大塩平八郎、松田松陰、福沢諭吉、山本五十六などの歴史的傑物達の話などは、頭に残っている次第でもあるし、夏目漱石、森鴎外の小説なども読んだ覚えもある。日本史には疎い男では在るが、世界史との絡みと日本人である事の存在としては、外国人に語る事も出来る。

『松下村塾』と云う訳には到底行かぬが、エロ牧師、ほら吹き男爵、落語長屋のご隠居さん位の<面白話>は出来るかも知れない。差し詰め、<湯浸かり庵>でも営もうと考えた次第である。

   案の定、翌日には内モンゴル人のトカゲ人間が、バリア・ドームに加わった。

 地球生命体の一部を現して居るのだろう、異次元管理者の大御心の中で、踊るのが吾が宿命の様でもある。内モンゴル人青年は29のYと云う男である。

 アルコールは無かったが、温泉杯で乾杯する。これも、こじんまりとした『東亜会議』の感がしないでも無かった。吾が現実界では、影響度ゼロの貧民好色ヤクザもどきのロートルでは在るが、へへへ、異次元界管理人様も、中々にして人使いが荒いご存在である。

 さてさて、生徒さん次第では異次元界での長逗留と為るのだろうか・・・、今夜は、<湯浸かり庵のカリキュラム>でも夢想して、眠りに落ちると致そうか。これとても、生きている事の証明にも為ろう。嗚呼、俺ぁ、女が好きなんですがね。

 遺憾いかん、『国家百年の大計は、教育・軍事力に在り』との大格言もある。アジアの先達・日本としては、東条英機首相に倣って大東亜共栄圏建設の為に、生徒の一人として中狂国に塗炭の苦しみの中で、虐げられた民原に自主独立の灯火の一助足らん事をするのが、日本人の努めでもある。

  ★夜に成れば、バリア・ドームは頭上の雲を払拭して、空に満点の星々を煌(きらめ)かせる。

      その夜、私は久し振りに夢の数々が、脳裏に去来して興奮した夜で在った。

「歴史に勝者、敗者の歴史あり。勝者の正史の裏に、敗者の稗史在り。一書、悉く信ずるは、書無きが如し。知るは、人の知の喜び・嗜みなり。知って苦難の中に行うは、勇者の喜び。善き者の下に、善行受けるは、民の喜び。民善ければ、国楽しからずや。」

 いやはや、豚も煽てれば、木に上るの例えである。<湯浸かり庵>で始まるロートル戯けの口演のお決まり口上も、何時しか、S、P、Yの軽く諳(そら)んじる次第でも在った。

 このバリアドームの湯浸かり庵も、同心円の様に勇者達を排出して行くのだろう。今回の異次元行は、徹頭徹尾、女運には恵まれなかった次第では在るが、是も吾が不徳の致す処でも在る。さてさて、異次元管理者からの現世招聘の思し召しである。

               さらば、アジアの友よ。後は皆に託す。


          夢奇譚第22部・・・バリア・ドームにて。・・・完

                      2013/12/14 by アガタ・リョウ

夢奇譚第20部・夢遊び
       初夜行_001ジャングル飛行_001寺院遺跡_001

                    夢奇譚20部 夢遊び

              ほぼ無風にして、空快晴為れど、空気思いの他、寒し。
いやはや、昨夜の冷え込みには往生した。深夜のPC徘徊を切り上げて、布団の中に入るが・・・ 冷え込みの不意打ちに、身を丸めて居た次第である。

 それでも、未だ九月である。朝方の暖かさに、久し振りに夢を見て居た。夢内容は、無尽での海外旅行で在った。この会は、全くの無礼講にして、不道徳・不謹慎を旨とする遊び旅行を楽しむ会で在る。アハハ。 

 <1>
 今回の旅は、流行りの東南アジア・・・ベトナム、カンボジア、ミャンマーの何れかだろうか? 一切国名が不明な処が、如何にも夢たる所以であった。

 海外に出れば、到底、堅気には見て呉れ無い風体の面々である。旅行それも海外旅行での羽根伸ばしと為れば、『旅の恥は掻き捨て、何事も経験をモットー』にしているのが、この不良中年共の集まりである。従って、世間様の顰蹙バッシングなど、<どこ吹く風の異国の空>と云った面々である。
 増してや、此処は未だ未だ観光後進国の様なお国柄でも在る。ナケ無しの金を叩いて異国の土、風、生業(なりわい)に全身を晒して、とくと『非日常』を体験しなければ為らないのである。救道の徒としては流行りの経済用語・費用対効果に則って、長く記憶に留めて、その引き出しから何回と無く出して使い回さないと、<貧民の算盤勘定>が合わないと云う物である。ウヒャヒャ。

 私流と云うか弟流と云うか・・・こんな思考回路を持つのが、私達兄弟である。加えてTも参加して居るから、これが『男子番から高の色』なのであろうか。弟の運営する無尽の会旅行では在るが、お役御免の私、T、M氏が抜けて、弟は様替わりした無尽旅行には、今一つの欲求不満を抱えているらしい。そんな次第で、お役御免と成ったM氏も駆り出されて居る。左様な次第で、今回は往年のメンバー復活組も加えての新開地旅行である。

           ★真に以って、付ける薬すら無い。困った男達である。

 <2>
 無尽旅行会の御一行様が、国際線から国内線で地方都市の空港に降りたのが、湿気ムンムンする熱帯の夜の帳が始まる頃であった。体重過多のメタボの吾が身は、流石のエコノミー症候群の長旅の疲れで在った。ホテルでチェックインして、部屋で軽くシャワー浴びて一服した後は、無尽旅行恒例のレストランでのビールで乾杯し、現地料理をたらふく食べる。

 例に依って、市街のレストランで夕食を済ませば、身体の自由とビールの酔いが夕食の消化を急かせ、『上下の頭』を刺激し始める次第である。宴の終盤とも為れば、無尽の会・会長の弟は現地ガイドにチップを弾んで、夜の街は<蛇の道は蛇の案内で>・・・バタバタタクシーをチャーターして、夜の集団行の一幕である。海外旅行では毎度のワンパターンなのでは在るが、高温多湿の熱帯夜は、気だるい倦怠感とほろ酔い加減のアルコールに、弛緩し放しの初夜行と云った次第である。

         ★気に入れば、男、女、店共にシェイクハンドで数日間を共にする。
 面喰い有り巨乳有り、デカイの小さいの有り、ロリコン有り、年増有りで、メンバー各人の好みは人其々である。不干渉が、不良中年男組の海外旅行の不文律である。

 不道徳と云えば、真に不道徳。不謹慎と云えば、真に不謹慎。日本人の面汚しと云えば、真に面汚しである。一切、開き直って自己弁護等する必要も無い。蓋(けだ)し、これは世間様の当然の評価である。

 然しながら、好色・好奇心の原点に立ち返れば、<世界最古の商売が売春>であるそうな。断じて言うが、吾が無尽会は祖父・父の血を引き継ぐ『真っ当人の集まり』である。今時流行りの火病韓国が連日、歴史捏造をして棺桶に下半身が入り掛けてる婆さん達が、ギャァギャアと騒ぎ立てる彼の<銃剣を突き付けての強制連行・無報酬の性奴隷狩り>をしている人非人の会では無い。
 魚心在れば、水心在りの・・・これは至ってシンプルな伝統遊事と言っても過言では在るまい。決して、悪徳女衒が横行する暗い世間では無い。曲がりなりにも、職業選択の自由が、一応成立して居る21Cの時代である。云って見れば、お天道様の下で繰り広げられている<明朗会計の風俗営業>でしかあるまい。

 お国柄の所為で何処にでも幾らかの例外はあるとしても、現代の観光地歓楽街の開けっ広げ感の中では、稼ぐ方からすれば『疲れない割りの良い稼ぎ頭商売』である。
 一方、顰蹙代名詞・買春ツアーなどと<知った被り>をして、非難轟々のマスコミ界、教育界、インテリ界が、餓鬼の様な論調から騒いで見ても、仕方の無い世界最古の商売の繁盛振りで在るだけである。

 買う方からしても、大抵の場合が、一時の快楽・異国経験故の<ボランティア・セックス>の面も多なのである。それが、男達の夜の実態でもある。

★水は高き所から低きに流れ、凹地を見付けて溜まる為り。劃して川に淀み生じて、池、湖を造りたり。水溜まれば、魚住み付き、其処に釣り人訪れる。・・・そんな類の理(ことわり)事である

 云って見れば、是、自然の大摂理にして、魚心在れば、水心在りの自然発生的な商い・性業が生じる。男と女の世界。こんな事は、太古の昔からの人の倣いでしか在るまいに。火病国の『朝鮮戦争時、日本軍』に銃剣で性奴隷にさせられたなんて、丸で歴史認識ゼロの無い言い掛り等、正に噴飯物にして、一々、尖ってて、咎を断ずるまでも無かろうに。

★尖るのは尖閣諸島に於ける日本固有の領土問題で然るべきであろうが。←デカイ声じゃ言えませんが、私は大学では『倫理学・優』を頂戴した経験も在るんですがな。イッヒッヒ~!!

 人間と云う生き物は、少なからず学習効果を積み上げて行くものである。店に入れば店の雰囲気で、其処が性奴隷の巣窟か否か位は、どんな馬鹿にも雰囲気で分かろうと云う物である。学習効果の蓄積が、体感すると云う『勘働き』を溜め込むのが人生の経験知・経験値と云っても差支えなかろう。へへへ、勘働きは、決して長谷川平蔵の一身専属の技では無かろうに。

 以上・・・ 長々と、こんな事を打って仕舞ったのは、日頃の毒亜国火病患者の日本叩きに、ウンザリとすると同時に、たかが売春婦遊び位に目くじらを立てるばかりで『脳の無い振りっ子報道』に、笑止千万の<男の常識の一撃>を打って置きたいと考えただけの事である。大人の度量として、許されよ。

 <3>
 初夜行の翌朝は、昨夜のお相手との相性の良し悪しがモロに出て来る。それが、テーブルでの二人の食事光景である。会の恒例として、大体の者は、<旅の楽しみは道連れ>で女とショートバカンスを共にする。そんな次第であるから、男達は店を何軒か回って、好みの吟味をして来るのである。私は生来の下衆根性で、そんな朝食でのカップル・ウォッチングをして、妄想力を鍛えて居るのである。

 へへへ、一緒のテーブルで、仲好く食べて居る。『これぞ、心優しき日本人の習性』であるから、戦中の兵隊さんと慰安婦の関係も、推して知るべしで在りましょうや。

 ロートル組は寄る歳波の体力・精力の萎みの所為か、女に対する関心が薄れ始めて居る様である。メス傷を持つTもM氏も、朝食後は女を帰すとの事である。弟は未だ若いから、若いメンバーと女達を連れて海のオプショナルに出向くと言う。別行動時には、責任上、兄弟は別グループに行く事に為っている。

 そんな次第で私も、胃無しT、肝硬変のM氏に同行する事にした。私のお相手は日本語が分かるから、通訳に為って貰う。異国に在っては、言葉不通の沙汰は、躓(つまず)きの元で在る。へへ、これもボランティアの一環である。
 そんな次第で女に掛ける費用をちょいと張り込んで、小型機をチャーターしての一泊二日の奥地オプショナル飛行と相為った次第である。ホテルから、東南アジア特有のバタバタタクシーに乗り込んだお役御免衆三人+一人で在る。

 街を抜けて走る事、一時間強。到着したのは、何とジャングルの中の個人滑走路である。

                 へへ、参りました。
 滑走路、唯一機の飛行機が奮っている。熱帯ジャングルを適当に伐採して整地しただけの土剥き出しの滑走路に、双発プロペラ機が一機置いて在る。
 機体には、きっと歴戦の銃創痕なのだろうが・・・それを隠して、ガムテープのバンソコーがペタペタ貼って在る代物である。見る処、これは軍の払い下げ機であろう。パイロット氏は、日本人の我々よりは小柄では在るが、精悍な顔付に背筋の伸びた屈強な身体の持ち主であった。

 この国にして個人パイロットと為れば、男も軍隊パイロットが前職なのだろう。差し詰め、パイロット&飛行機は、軍払い下げと云った処だろうか。<愛機と共に、第二の人生>に違い在るまい。為らば、愛機の癖も軍隊で鍛えた操縦の腕も確かであろう。

 簡単な書類にサインして、オプショナルツアー代金を、三人は其々の財布から出して支払う。財布の中身はツアー代金を払うと、帰りのバタバタタクシー代と飲食代しか残らない。それを大袈裟に見せながらの支払いである。これで、手続き終了である。

           ★おいおい、大丈夫かいな。ドアは閉まるんだろうな。

         そんな落胆を発しながら、草茫々の赤土滑走路に、私達は向かう。

 或る時、仲間と一緒にサイパン島からカジノの在るテニアン島へのローカル小型機に乗った事が在る。ペンキの見栄えは良かった物の・・・相当な年代物で在った。にやけた白人ベテランパイロット様は、念入りに体重バランスを採って何度か乗員の配置換えをした。
 そしてニヤニヤして、私を手招きして助手席に乗せて計器類を見せて、<如何だ。お前は、ラッキーだ。助手席は一等席だろう。>の胸張りで在った。

 まぁ、私の性格としては、『折角、この世に生を受けたのであるから、何事も経験。』の奥ゆかしい性質であるから、フムフムと頷いて居た次第であった。

 管制塔から、発進許可が下りたのだろう。小型機はプロペラを回転させ、ノロノロと滑走路に進んだ。それが何とした事か・・・ドアは開いたままだった。ドアを指差したが、オーライ、オーライの返答で在った。滑走路でエンジンを全開して居る間に、ドアは閉まるだろうと<高を括っていた>のだが・・・何と!! 飛行機は其の儘、滑走路を走り出した。

 冗談じゃ無ぇ、ドアが開いて居る。俺は高所恐怖症だ。相手は白人パイロットである。

           その内、フワリと飛行機は滑走路から離れた!!

★ノー、ノー、ストップ、ストップ、ルック・アット・ドア。ドア・オープン。デイイズ・ベリーデンジァラス。ストップ。
★ヘイ、ユー、ルック、ルック。ドアイズ、オープニング。ヘイ、アーユー、ノウアイズマン? ストップ、ユァバッドジョーク。
★ユー、アブノーマル。ヘルプ、ミィ。オオマイゴット。

           これが、私の知っている全ての英単語で在った。

 それに対して、白人パイロットの野郎は、ニヤニヤして、オーライ、オーライ、ノープレブレルム。ブリーブ・ミイ。と来たもんだ。この、糞っ垂れ毛唐が、笑って居遣がる・・・。

 よもや、手前の命も商売も懸かって居るんだから、飛行機諸共墜落はせんだろう。大事には至らんだろう・・・。この変態野郎が~、こう為ったら、こっちも大和男児の見栄じゃい。

★覚悟を決めて、三船敏郎の山本五十六長官のガダルカナル撃墜死を決めた一瞬で在った。

 目眩と脂汗・カラカラに為った喉の渇きに硬直した私を尻目に、オンボロ小型機はガンガン高度を上げて行く。おのれ~、この脳梅毛唐が・・・。

☆ヘイ、ユー。ルックアット、ドア。パーフェクト。ユー、サムラ~イ。アハハ。

 ドアは風圧でシャット・ドアと成ったのだが・・・ 何をこの糞野郎。高い銭取って、大事な客のキンタマ縮み上げらせ遣がってからに。何がシェイクハンドじゃい。飛んでも無ぇ野郎だ。           

 嗚呼、・・・ 戦争には負けたくは無いものだ。負けさえしなければ、此処は日本の南洋領土じゃい。こんな下衆野郎には、おちょくられずに済んだ物を!!

 その時の狼狽振りを何度、私は無尽の会の<酒の摘まみ>とされて居るか。世の中には、全く以って善人をからかうのを趣味として居る下衆人間の多い事か・・・私は、人間の『性悪説』をその時、つくづくと感じた次第であった。

 そんな大失態の出来事が、丸で条件反射の様に、記憶の堰を切って脳裏に再現したのだが、・・・。小型機はガタ付き、エンジン音こそ騒々しかったが、正に空を体感する様に鬱蒼たる熱帯ジャングルの上を飛行して行く。きっとジェット機がお目見えする前までのプロペラ機での空の状況とは、こんな物だったのだろう。戦闘機の乗員の様な気分に為って居た。

 <4>
    オプショナルツアーのパンフレットには、隠れた仏教遺跡巡りと在る。
 
 小一時間の低空飛行の後、薄い黄土色の川が蛇行する鬱蒼とした熱帯ジャングルの中に、その仏教寺院遺跡が見えて来た。日本に居ると、川は如何しても澄んだ色で無いとしっくり来ないのであるが、粒子の細かい赤土の大地を流れる川は、こんな色をせざるを得ないのだろう。<ビルマの竪琴>の一節には、ビルマは赤い血を吸った土との形容が在った事を思い出した。

 オンボロ小型機は、旋回して風向きを読む。ジャングルを伐採した剥き出しの赤い土の小さな滑走路に、エンジンはニュートラルでプスン、プスン、ルルルとプロペラを止めた形で下りて行く。推進力を止めた両の翼は、時々煽られる。然程の長い時間では無いが、緊張して体重移動も憚られる心持で、前方をじっと凝視する。小型機の着陸態勢は、何処と無くアオサギなどが降下して行く覚束なさを見る思いである。接輪着地の衝撃が、何故か嬉しい。

 オンボロ小型機は、スローにしたプロペラ回転で滑走路を移動して、機首を変えて止まった。狭い機体から身を屈めて滑走路に立って、グィっと背伸びをする。

                嗚呼、地上は熱い。

 滑走路は飛び立った滑走路以上に、粗末な道路の様で在った。それでも、飛行機は発着陸が出来るのである。愕きで在ると同時に、何も舗装滑走路だけが飛行機の飛べる滑走路では無い。・・・と確信した次第である。一応の整地された長さが有れば、推進力を持った飛行機は飛ぶのである。『それも、道理だ』と思った。滑走路脇には簡単な小屋が在って、燃料のドラム缶が数本置いて在る。

 滑走路を造った周辺は、ザックリとした耕地に為って居て、作物が植え付けられている。鶏も居れば、ヤギも居る。オプショナルツアーの足・馬が数頭放し飼いにされて居て、番犬らしい犬達と家番の中年女が居た。

 見た処、オプショナルツアーの一泊二日の商売は、そこそこの商いらしい。連絡が入っているらしく、滑走路の続きのジャングルの端には、壁の無い椰子、バナナの葉葺きの東屋風小屋が在る。その小屋の前で、中年女が手招きをしている。
 行くとテーブルの上に、串焼きの肉とハムエッグ、パンとバター、ミルク、バナナ、パイナップル、そして野菜サラダが用意されて居た。 

 空から見たジャングルは、降り立って見ると、意外に太陽光線の入る疎林の感じで在った。地面のシダ類、小木、灌木を刈った平らな空間は、見通しが利いて拡がりを持っている。

       パイロットと女は、夫婦なのだろう。連れの女に聞くと、そうだと言う。

 ジャングルの中と云えども、ジャングルを飛び越す足としての飛行機も在れば、連絡用のPCも携帯電話も在る。電池も在れば、発電機も在る現代社会で在る。為る程、差し詰め・・・時流に流される事無く、<時の中に個を活かして行く生き方>を選択して居ると云う事だろうか。何処と無くインテリぽい感じの夫婦である。

 私は人種、性別、年齢を問わず、こんな人間達が好きなのである。『個の質の高さ』が感じられる人間は、矢張り<静かなる個性>が滲んで居る物である。
 
 腹ごしらえが出来ると、食料・水を持って馬に乗る。案内人は女房殿である。パイロットの亭主は、残って飛行機の整備をしたり、力仕事の農作業をするとの事である。亭主とは、手を振って別れる。

 犬の一匹が、先頭を歩く。起伏の無いジャングルの中には、<ガイド用の細い道>が出来て居る。所々に馬糞が落ちて居る処が、何んとものんびり感を持って来る次第である。

       ★へへ、如何にも頭の好い男である。気に入ったねぇ。

 私達は山刀を持たされているから、時々、身体に掛る枝などを払いながら進むのであるが、それが何んとも、『先祖帰りをした様な気分』で悪い気はしなかった。

 まぁ、私達はひ弱な現代人であるから、ガイド役の女房殿から手渡された虫除けスプレーを満遍なく吹き付け、網の掛った虫除け帽を被っての乗馬である。

 ガイドの中年女も、通訳の店の女も色は浅黒く小柄では在るが、私達と同じ東洋人と云う事で在ろうか・・・何処と無く<親和性>を感じる処から、安心感が在る。女二人は現地語で話しながら馬を並べ、私達は私達で話をしながら女の後を付いて行く。

 我々団塊世代は、野山を散々に遊び捲って居た少年時代を共有して居る。余程の怖い物との遭遇さえなければ、愕きもしない次第である。

 小柄な女二人が、話を交わしながら前を行くし、危険探知機のベテラン犬も居るのであるからして、然程の事はあるまい。此処は日本で無いからと云って、ビクビクする必要も無かろう。

 それでも初めて踏み入る異国であるから、経験知としては、それなりの用心は身に付いている。飛行機に乗る時には、金目の物など無い事を充分に知らせてあるから、残ったパイロットが、凶悪犯に様変わりして<途中待ち伏せ>でドカンと撃ち殺されて、死体を置き去りにされる事も無かろう。

 人間、疑えば、全てを疑って掛り、品相が不味く為る。言葉は通じなくとも、顔付、目付き、話し方で、大凡の見当は付く。三人共、義務を果たしたロートルである。何か在れば、三人の経験値が文殊の知恵・対処方にも為ろう。

         ★先ずは馬の背に揺られて、非日常を愉しむべきである。

 然しながら、西部劇などでの乗馬シーンを普通に見て居た物だが、ケツが痛いし、疲れるものである。

 或る時、テレビで三船敏郎氏が、還暦に為っての馬駆けのシーンは、しんどいと言って居た事を思い出す。為る程、人生の師でも在るバート・ランカスー氏も、映画ズールーの戦闘シーンでは、疲労困憊の態が見て取れた。百聞は一見に如かず。両氏への御同情の感頻りで在る。

 それでも、飛行機のエコノミー症候群よりは、ズーとマシである。4時間ほどの行程で、仏教寺院跡に到着した。

 <5>
 それは、ジャングルに埋まった仏教寺院で在った。加工のし易い砂岩で建築された小じんまりとした仏教寺院で在る。二度、タイ旅行をした事が在る。石造りの仏教寺院の第一印象は、形も構造も写真だとか映像で見る御馴染みのアンコールワットとかアユタヤの仏塔とかの感じでは在ったが、・・・ 実際の印象は、その意外な程の構造の小ささであった。それは天井の高さ、回廊の幅の狭さから来る物で在ったのだが・・・。

 日本も仏教国であるから、寺院の造りは、木造・瓦では在るが、同じ出自の仏教建築であるから、ある種の共通な雰囲気を感じる。深々と合掌して仏教寺院へ向かう。参道だろうが・・・日本の杉木立の中に苔むす地像並びの趣と違って、参道には砂岩の威圧感すら在る仏頭が、古の化粧漆喰の跡を留めて、両側に並び立っている。

 これは神社仏閣を日常目線で見て居る日本人の感性からすると、違和感の在る威圧感と云った処であろうか。仏教に大乗仏教、小乗仏教在りと云う。大乗にしろ小乗にしろ、此処には『施政者の大きな力への寄らしめ』と、『特権たる庇護』が臭って来る。

 感じるに、日本の仏閣の佇まいは、雰囲気としての空間を配置している感じである。それは、仏教以前の神社の造りが醸し出すヤオヨロズの神々の息吹、木霊を配置する様な鎮守の森を備えている全体の構造が、日本人の宗教色を現わして、後続の仏教寺院もその並びで造られて来た事に起因している様に思えるのである。

 動植物の一毛一草にも、等しく魂が宿る。人間は生きる為に礼をして山の自然界に入り、最小限の狩猟をして、獲物への提供を自然界に感謝する。そんな自然との共生が、日本人の精神の揺籃期として縄文の一万数千年の内に、縦糸横糸の紡ぎ物として、精神文化が築かれて来た。それが、日本の精神性の生い立ちであろうか。
 森は永遠の時代を継承して、古色蒼然の原生林に悠久の姿を示し続ける。そして悠久の象徴・森が、ヤオヨロズの神々の御寝所と為る。

 神々を祀る神社仏閣も、古色蒼然の色合いに為ってこその<安らぎの場>と為る。日本人のDNAには、きっとそんな縄文からの心象風景の宗教観が横たわって居るのであろう。

 東南アジアの仏教寺院の造りは、こじんまりとした規模の中に手の込んだ彫刻が盛り沢山に入れて在る。新造当時には、これらに熱帯の眩しい太陽光線に伍して、まばゆい限りの<色彩浄土>が再現されて居たのだろう。

 何しろ金箔大仏を信仰する稲穂の民・クメール人が栄枯衰退を歴史に刻んだ王国なのであるから。

 日本人の感覚からすると、ケバケバしさ、まばゆい光彩よりも、自然の中で古色蒼然たる風情の方が、歴史探索には頃合いの感覚で在る。然しながら、アジアは一つに非ず、仏教も一つに非ず。文化を受け入れ、土着の文化と融合する処に、土地・民族・時代の中に存在としての『文化の多様性』が花開く物なのであろう。歴史建造物とは、それら諸々の足跡を映す物であるが故に、価値を保ち続けると云っても過言でも在るまい。

         私の異国見聞録とは、大体に於いてこう云う事に為る。

 <6>
 その日は、遺跡の開けた場所でテントを張った。近くには、小川が流れて居た。寺院建造の石材は、この周辺で採掘されたのであろう。岩石の多い地質に在って、川の水は土を通さずに、水は飲めるほどに透明で流れている。

 清い流れに熱帯の太陽が暑く反射して、蝶が水を飲みに群れとして羽根を開閉して居る様、大小の色彩豊かな鳥達が、人を恐れずに思い思いのポーズ、テンポで水浴びをしている。尾の長い猿の群れも、涼しい木陰で気持ち好さそうに寛いで居る。

 女房が手桶と石鹸を持って来て呉れる。ジャングル暑さに毛穴が閉塞して居る我々は、日本人である。早速、素っ裸に為って、手桶で水を掬って頭から水を被る。大石の上に胡坐を掻いて、タオルに石鹸をタップリ塗り込んで、前を洗い、タオルで背中をゴシゴシ洗う。ひんやりとした川の流れでは在るが、日本人の身体洗いは、こうで無くちゃ堪能し無い物である。剃刀が在れば、言う事が無いのであるが。
 
      女二人は、木立を置いて少し離れた所で、女らしく水浴をしている。

 不良男達も日本人の看板を背中に、還暦も半ばと為れば、行儀が好い物である。何百年も昔の寺院の往時を考えれば、住む人も人の往来も多かった事だろう。赤土の大地に、透明の清らかな川は珍しかったに違い在るまい。こんな所に寺院を造ったのは、聖為る流れに<煩悩の穢れを落とし清める>と云った気持ち・意図が、きっと働いて居たのかも知れぬ。

 へへ、女二人の全裸姿にも、邪な勃起も無い処を見ると、それも在りなむの得心でも在る。

 オプショナルツアーは、パイロット&ガイド夫婦の合作にして役割分担を巧く考案実行して居る。それは、こじんまりとした『現金商い』で在る。小型機の定員上、精々が5~6人の客数である。米、肉、調味料などの食料は、ツアー案内時の飛行機で持って呉れば好い。食事は滑走路の自宅でするから、滑走路周辺の耕地の野菜、果物、鶏の卵肉、ヤギの乳、肉で、それなりの自給自足が成り立つ。滑走路から遺蹟への乗馬行程は半日である。遺跡にはキャンピングの道具、食料の備えもして在る。

 夫婦の間では、商売を大きくさせる気持ちは無いとの事である。食べて、それなり現代生活と物質、贅沢を時に享受しても、決してそれに囚われない世界が出来れば、それで十分との由。私は大きく頷く次第で在った。

 これは、<現代に於ける晴耕雨読の生活>だと思った次第である。足らざる物だけを現代文明から調達して、基本部分は自然の中から額に汗して収穫する。正に両世界を行き来きする晴耕雨読の生活であり、小乗仏教徒の生活でもあろう。

 私は宗教には丸で疎いし、然程の興味も持って居ない。それでも須弥山(しゅみせん)の言葉位は知っている。古代印度の世界観の中で、中心に聳え立つ聖なる山が、須弥山である。この聖為る須弥山を取り囲んだ形で、宇宙観、人生観、死生観が語られて居るのが、東洋宗教の特徴・仏教との思いが在る。
 この世界軸としての聖山は、バラモン教、仏教、ヒンドゥー教にも共通していて、聖山の須弥山は、一神教のキリスト教、イスラム教の様な教祖信仰とは全く異なる宗教歴史を刻んで来た様に、私の世界史観の中にはインプットされている次第である。

 本家インドに地理的にも近い事などが起因して居るのだろうが、寺院の塔は須弥山を形取って、塔にはブッダの仏頭が祀られて居るのも、そんな表われ方の一つだろうか。仏教伝播の過程で、石造仏閣は木造の塔と為り、グロテスクな須弥山仏頭は消え、三層五層の優美な形で日本の仏閣構成を造り出したのだと感じる。
 須弥山思想は、日本の庭園にも自然と及んで、日本庭園の様式美を定着させても居る。日本庭園の構成は、宇宙を表現しているとも云われている。その庭園の中心は、紛れも無く須弥山を象徴する建て岩であろう。それは、須弥山を中心として拡がって居る形式を踏襲して居る。

 私は、所謂活字好きの人間では無い。日常的な常識、知識で日々を、感覚的、情緒的に生きて来ただけの人間である。活字中毒、知識中毒に陥って仕舞えば、その分、感覚、情緒が疎かに為って、美への己が感性が鈍化して来る。そんな思いを子供の頃から漠然と抱き続けて来た男である。
 感性の選択・指向基準には、それなりの素養・知性を持たないと、主観から客観への扉は開かれ無い事は、当然の道行きでは在る。

 然りとて、見て、感じて、思い、考えるの五感回路で、妄想の時と友達に為るには、五感バランスは理にばかり偏重して仕舞っては拙い事に為る。それでは、感の領域が狭まって仕舞うばかりである。

  此処でも、<晴耕雨読のバランスを保ちたいの願望>が、私の中には在る。

 晩飯は、飯を炊いてくれた。ジャングルに没する夕日を眺めての夕食であった。川で冷やした缶ビールが、美味かった。

 <7>
 熱帯雨林のジャングルの植相は、色濃く多種多様である。ジャングルに埋め尽くされた朝は、野生動物の目覚め、起き出しのウォーミングアップの喧騒に満ちている。遺跡は、猿達の住処とも為って居る。色とりどりの鳥が甲高い声で羽ばたき、極楽の色を映した大きな蝶が舞う。夜の石壁をチョロチョロ走り回って居たヤモリ達も、暗部への移動を始めた。寺院をネグラとする猿達はジャングルへ、夜明けのジャングルからは、コウモリ達が舞い戻る。

 ジャングルから放たれた曙光の中に、私は一瞬、白い漆喰の中にきらびやかな色彩を纏った往時の寺院の煌びやかさを見た。

 女房殿と女が、朝食の用意を始めて居た。カマドには火が焚かれ、鍋、釜が掛けられ、飯が炊かれ、鍋の油の中では現地料理がジュウジュウと炒められて行く。鶏肉、干し魚が焼かれ、汁物の鍋も白い湯気を立て始めている。

 食事が終わると、女二人は川へ洗いに出掛け、全てを片付けて、食料保管場所に鍵を掛ける。女房殿は、亭主に電話をする。昼食は、帰りの途中で食すバナナの皮に包んだ握り飯とオカズである。川で水筒に一杯に水を汲み入れて、乗馬してオプショナルツアーの帰路に立った。

 <8>
 今回の旅を団塊世代3人組は、其々に如何なる思い感想を抱いて、老後の思い出し反芻をして行くのだろうか。

 趣味の世界史の本などを読むと、その中には<イスタンブールは東西文化の十字路>で在り、<東洋の末端島国の日本は果て>との記載を見る事が在る。謙虚と云えば謙虚な日本の国民性は、戦後自虐史観の下で、変な刷り込みに追従して居る様に思えて為らない。

 たかが西洋被れの連中が知足り顔で云う<文化の果て思考>は、直進するだけの排他的一神教のベクトル思考でしかあるまい。ベクトルの先を持たない東海の島国構造は、観方を変えれば『文化の集積場所』でもある。集積場所で在るがこそ、集積場所で行われる思考は、加工と精度を高める事にも通じる。これは一方ベクトルの思考しか持たない者の<限界>と云う事にも通じよう。

 加えて云えば四方を山岳に囲まれたネパールの地で誕生したブッタの生きとし生ける衆生の<輪廻の思想>である。輪廻は循環を意味して、自然を司る。自然を司る神々は、日本語で言えばヤオヨロズの神々である。ヤオヨロズの神々を祀る神道と宇宙への覚醒を説く仏教思想とが、合体・混淆した物が日本人の宗教観なのであろう。

 やれ、漢字を教えた大中華圏、西洋合理主義を教えた白人西洋文化圏。彼等が等しく言うのは、<日本人の猿真似文化>と云う類である。物的資源こそ乏しい国では在ったが、日本はそのハンディを古の時代より人的資源に依って賄って来た。
 古くは鎖国に依る国風文化の醸成。世界一鋭利にして優美な日本刀。江戸の庶民文化。貯め置かれた民度で一気呵成に西洋技術を取り込んだ明治の躍動感。戦前の戦艦大和、ゼロ戦。戦後の新幹線、先頃のイプシロンと、その優美で精巧な造りを産み出す国家・国民が猿である訳が在るまい。元来の日本を取り戻さずして、何の日本人であるか。

             夢奇譚第20部・是、夢遊びなり。・・・完

                       2013/10/2 by アガタ・リョウ





夢奇譚第十九部・蛍火
  迷い蛍_001茄子マジック_001ジプシーダンス_001天空の台地を行く_001

                夢奇譚第19部 蛍火

 <その1>
 今日で六月も終わり、そして半年が終わる。昨夜のミッドナイト散歩は、雨上がりで始めた。そんな次第で、蛍が川原から河川敷、そして土手道にまで上がって来て、数多(あまた)の小さな光が点り、緩やかにフワリと浮いたり、ス~・・・スー・・・と引く様であった。

   夜散歩で蛍が湧き出して居る時は、部屋の明かりを消して見る事にして居る。

 本日もミッドナイト散歩から帰って照明を付けずに、外を窺がうと、前面の窓外には迷い蛍が一匹、神秘的な光の浮遊をしては過ぎ去り、また忘れた頃に、遊泳をしながら遣って来て消えて行く。そんな繰り返しを数度繰り返していた。

         今シーズンの吾が家への顔見せは、二度目である。

 迷い蛍の光は、きっと雨の滴を乗せた南天の葉群から、フワ~と一つ湧き上がる様にして、深夜の闇に光線を引く。その光の流れは、一切、質量を感じさせない。そして・・・そのかそけき遊泳の様は、地上数十センチの低さを彷徨う様に流れ行き、時にフゥと湧き立つ様に、目の高さに達したり、沈み込む様にして再び低きに流れる。それは上下左右に何秒間かの微光を放ちながら、闇から闇へ流離う。

 その小さな光の点滅は、闇の中で、時間を止めた様に、神秘さすら見せて一つ飛ぶ。

 私のイメージの中では、それは死後の霊魂の動き、世界を連想させる。闇は、肉体を失った無限界の世界にも見える。闇は無で在り、一様な闇の拡がりは、漠として拡がる広大無辺の<あの世の無限世界>の様にも見える。

 肉体を失った霊魂は、無重である。生命から分離された霊魂が、不滅と云うのなら、そのイメージは蛍火に重なり合う。そして、霊魂も地球生物の一員と為れば、重力を失った霊魂は、地球から放逐されない様に、地表近くを浮遊し流離い飛ぶのである。

 当然に霊魂と云えども、あの世と現世への感情も在れば・・・感懐も在ろう。従って、悔いの残る未練の想い、あの世から現世への見守りも在ろうと想像を繋げるのも、考え様では在るが、それが地球生物の一員と為れば、一人点滅を発する者も在れば、仲間の下へ飛ぶ者、覗きに行く者も在ろう。何故ならば、彼等霊魂も生き物なのであるからして・・・。

 蛍火の静かな点り火と一条の糸を引く、その幽夢にも見える飛翔の様は、小さき故に霊魂の集い・動きにも見て取れる。

 イメージを蛍火に重ね、蛍火にイメージを重ねる。蛍火がイメージを飛ばし、イメージが蛍火を飛ばせる。動かずイメージを重ね、イメージと共に時を過ごせば、是また、霊魂の在り様とも考えられ無くは無かろう。

             童歌に唄われる蛍は、

     ほぅほぅ蛍来い 飛んで来い うちわをあげたら 飛んで来い 
     笹を振ったら 飛んで来い 来たら だいじにしてあげよう

 と云う事ではあるが、私の小さい時からの蛍に対するイメージは、如何しても、その神秘さの故だろうか、一人で見るのが好きだった所為か・・・蛍火と霊魂と重ね合わせて、子供ながらにイメージを拡げて行くのが好きだった。

 <その2>
 本日はPCを早や目に切り上げて、明るい内に散歩に向かう。先ず下に向かい、橋を渡って川沿いに一路上流に向かう。今夜から雨のラジオではあった。梅雨の灰色雲は幾層にも重なり合って居るが、日没前の太陽が、雲間から光を下ろして居る。

 住宅地を抜けると、果樹園、水田が始まる。此処まで来たから、久し振りに1時間45分コースに進もうと考える。尚も歩き続ければ、東には山が迫って、ズーと青々した水田地帯が、盆地詰まりの北の山間まで続く。

 夕暮れ時期と梅雨空に、ツバメ達は時間の許す限りと高く低く飛び交い、羽虫を捕食する。山も空も川も人家も、色彩を収めて、緑のシルエットで夕暮れを迎え始めている。平地の蝉は未だであるが、山の蝉達は、落ちる帳(とばり)を限りとして重奏を奏でて居る。

 山際の道は車が通るだけで、人影も無く、木立の生い茂る山肌には、一足早い夜の帳が下りようとしている。折り返し点のH橋までは、傾斜の畑が続く。

 空には既にツバメの姿は消え、交代期の暫しの空きを終え、コウモリ達が飛び交い始めている。私は梅雨で増水した流れをH橋の上で眺め、未だ中途半端な松本盆地の光の四十万を眺めて、帰路に着く。

 200m程の緩い勾配を抜ければ、視界が開ける。帳の早さに、沈み込む街は放光の明るさを発散させて来て居る。早落ち城直下を回り切れば、水田の中の農道が一直線に伸びる。後は、下り勾配の流し歩きである。

 水田の蛙が鳴き始め、稲田に蛍火が点り始めた。動きのある物は、川を隔てた幹線道路の車光の流れだけである。蛍火が一つ、フゥ~と浮いて私の肩に止まった。

「おぅ、久し振りですねぇ。冷たいじゃないですか。私に黙って、二回も異次元して来て。駄目な男ですねぇ。パロパロは、治らないですね。」

「何言ってんだ。縄文界で長居をさせ過ぎたから、異界で楽させようとして、こっちは一宿一飯の渡世の義理に嵌り込んで、可哀想に独力で、世の為、人の為で、化け物ムカデを退治して来たんだぜ。」

「そうか、そうか、それで。」

        ★おぅおぅ、また始まったか・・・。困った奴だわさ。

「後遺症で、未だに化け物ムカデの夢を見て、魘(うな)されて居るんじゃい。それを何だ、四畳半前を恨めしそうに徘徊してるから、晩飯前にデートしに来て遣ったんだぜ。アハハ。」

「アラ、ソオ~。それは、どうも、サンキューでした。姿は隠して居ても、私が確りとガードして上げてるから、毎回生還出来てるのよ。それを、忘れちゃ駄目でしょ。」

「ああ、そうかい。日本の色男は、昔から<金と力は無かりけり>って云うんだ。ナターシャは日本の男・俺を好きに為った。これ日本スタイル。仕方無いですねぇ~。参ったか。」

「それ、私の十八番(おはこ)でしょ。あなたは、ナターシャ好きに為った。ナターシャ、ウクライナ女。これ、ウクライナスタイル。忘れたの? あなた頭悪いから、メモする。OKね。アハハ。」

   肩に止まった蛍火は、ナターシャに為って腕を組んで歩いて居る。

「あの位のムカデだったら、私達ロシアン・アマゾネスの必殺睾丸鞭の方が、威力抜群だったのにね。一々、檻を仕掛けて三人一組で、竹槍で仕留めなくても、ほら、天空の台地であなた、ヤナと取り替えの利くワンタッチ刃物作って呉れたでしょ。あれだったら、一発で首が飛ぶのにね。
 やっぱり、抜け駆けは苦労しますねぇ。私達、マヤでも天空の台地でも、無敵の赤柄の騎馬団だったでしょ。あなたは、何時もお馬鹿ちゃんですねぇ~。アハハ。」

「煩い。しょっちゅう、赤柄のロシア女ばかりに頼って居たら、大和男児の名が廃らぁな。俺は強調女のお前さんと違って、控え目の協調路線が好きなんじゃい。
 神道と仏教の国・日本にぁ、森羅万象の訓えって物も、因果応報、身から出た錆、宿業は宿業に沈むって達観も在るだわさ。ったく、縄文紀行が活かされて無いじゃないか。」

「オゥ、ワタシ、ウクライナ女デ~ス。日本語難しいですね。ジンジロゲ知ってますけど、森羅万象知らない。インキンタムシ知ってるけど、因果応報知らないですねぇ。私が好きな癖して、そんな訳の分からない言葉で、私を煙に巻こうなんて。アハハ。
 私は三拍子揃った異界の魔法使いよ。読心術なんて、屁の河童でチョチョイのチョイよ。」

「綺麗な顔、可愛い顔して、ジンジロ毛にインキンタムシだと!! お前さん、ナンチュ~事を言うんじゃい。黙って黒ヤギ遣ってれば、可愛い物なのに、根が好き者だから我慢出来ずに、ウメェ~、ウメェ~、ホシイ~なんて鳴くから、ボロが出るんじゃい。」

「シャラップ!! あなた、ヤギの私に何しましたか。このド助平。変態オヤ~ジ。一番の助~平。反省しなさい。」

★何を猪口才な。<一人で助平が出来るか!!> 男と女が助平なのは、神代の昔からの決め事じゃい。アホンダラ。

 誰も見て居ないから好い様な物ではあるが、如何云う訳か知らんが、二人で居ると毎度の事ながら・・・困った方向に話しが行ってしまう。

 まぁ、それでも、これが私とウクライナのライオン娘との相性&素地の姿なのであるから、軌道修正も出来無い沙汰である。

「あなた、今度は何処行きますか? 計画して、教えて下さい。同じ事を考えて、色々準備する事は、楽しいですからね。ウフフ。」

 華奢な白い手で、頬を下から撫で上げられる。強弱を付けられて仕舞っては、男など他愛も無い・・・。

「それなんだよなぁ・・・この処、ペースが速かったから、好いのが浮かばないんだよ。」

「そう、それは困りましたねぇ~。それだったら、今年はお花見のバカンスが無かったから、私達の天空の台地の様子を皆で見に行きましょうよ。皆、私達の血筋の者達よ。産みの親として、充分にその義務は在るでしょ。」

「お前さん、上手い事言いますなぁ~。いやはや、俺より上手(うわて)ですがな。」

「そう来なくちゃ。予備調査に行って、一番穏やかで、安定した時代を見て来るわ。」

 そうにこやかに笑うと、ナターシャも蛍火も消えて終った。さてさて、それでは、蛍を数えながら、夜を散策して帰るべしである。
 
 <その3> 
 今年は梅雨の入りが早かった分、明けるのも早かった。而も明けた途端の猛暑が連日である。地域に依っては、39・5℃を記録する猛暑に突入である。此処信州でも35℃、36℃を連続させている。柿の新芽が出た時に雪が降り、今年の柿は全滅、あれよあれよの間に梅雨入り宣言・・・いやはや、大変な気象状況である。梅雨明け早々に、キリギリスが鳴き始めたのは、異例の事である。

 朝のウォーミングアップ時に、家庭菜園の観察場所・二畳小部屋外のコンクリートに腰を下ろして、天空の台地を眺めれば、緑一色の山腹に真っ白な積乱雲が掛り、前方睾丸墳を置いた握り拳を空に挙げた様な美ケ原台地が、夏の青空に重量感を示している。

 私は夏の風物詩で、早々にキリギリス捕獲に入って来て、庭にもペアを放した次第でもあるし、長年の夢・川原への移住計画も成功して、クラクラする猛暑の中にも<盛夏の奏で>・・・・ギース、チョン、ギースを聴いて居る次第である。

 見事に伸ばして茎先の蕾を蓄えた鬼ユリの中で、鳴くキリギリスの暑い声を聞きながら、今しがたミニ家庭菜園から採った青々したキュウリを、齧っている。取り立てであるから、幾分の苦みと甘味、青臭さが混ざり合い、捥ぎ立ての新鮮さが口中一杯に拡がる。へへ、何も付け無くても、美味い物である。

 エッヘン。これは土の養分、水分、太陽光線の混合物の味にして、市販物では味合えぬ新鮮さである。

 そんな処に、Tシャツに短パン、スニーカー、ザックを肩に、下りて来たのが、私の大好物・アマゾネス団の面々である。へへへ、これだから、夢奇譚は止められないのである。

「ああ、いらしゃい。また、会えましたなぁ。サンキュー、サンキュー。元気だった?」
「ええ、勿論!! おお、あなた、好い物食べてますね。私達も良いですか?」

「どうぞ、どうぞ。其処にキュウリ、そっちに回れば、トマトも生ってるし、ナスも在るぞ。但し、インゲンは生じゃ食えんぞ。」

 一に素早いのが、ライオン娘のナターシャ。二に隙の無い整い顔のヤナは、表情も変えずにシラーとした素早さで、立派なヒップを見せてキュウリ、ミニトマトを採って居る。    

     ★遺憾いかん・・・豊穣ヒップに、透視が働いて仕舞う。

 何時もの事ながら、お人好しで柔らか腰のバルディナは、如何しても二人に遅れを取って終う。

「あなた、このナスどうしますか? 生じゃ駄目でしょ?」

 食の細い老母との食卓を飾る4本のキュウリ畝である。おっとり屋のバルディナが、ナスを三つ持って、手の早いナターシャ、ヤナを軽く睨んで居る。ナターシャとヤナの二人は、自由自在のルールの中で、実にテキパキとしている。キュウリ、ミニトマトを<美味しい美味しい、新鮮!!>とパク付いて居る。

 三人が、別に仲が悪い訳では決して無い。然しながら、嘗ての地上の楽園・共産圏なんて<真っ赤な嘘で、早い者勝ち>が常識と云った処で在ろうか。

★へへへ、ダーウィンの進化論信望種・プライドの強い白人種さんには聞き捨て為らぬに違い無かろうが、有色種の代表・黄禍(遅れて遣って来た東洋唯一の列強国・日本は、嘗て白人帝国主義国から、そんな形容詞を頂戴して居たそうな。)の感想からすると・・・有色人種だけに『土人』が居るのでは無く、<白い土人さん>達も居らっしゃるのが、アフリカ大地溝帯から発祥した人類の伝播状況なのである。

「コラッ、アナタ、何考えてますか!! 赤柄の睾丸鞭が必要ですね~。アハハ。ナターシャは三拍子+ワン、四拍子を持った異界の女よ~。」

「はいはい、<思索反芻は災いの元。> 中断しますがな。チョイと待ってな。」
「ダーリン、私も行きます。」

    行き掛ける私に、ジョウビタキの観音様・バルディナが呼応する。

『ナターシャは好い女なんだけど、兎に角、生意気な相棒さんでさ。東洋の諺には、<ガッ付く女は、損損。果報は寝て待て、余り物に得あり>だからな。アハハハの葉っぱさね。』

 と、バルディナに耳打ちをする。空かさず、ライオン娘のナターシャの声が飛んで来る。

「そこの二人、抜け駆けは駄目よ。私、異界の魔法使い。二人の頭の中、全~部、分か~る。」
「そう、私も女のアンテナ、抜群で~す。ハリアップでお願いします。うふふ。」

★ヤナも何が『女のアンテナ』じゃい。フンニャメロメ。<人の束の間の恋路の邪魔>をし腐ってからに。ウェッヘッヘッヘ。

  アマゾネス団は、其々に回転が速いから、何を言っても、即漫才ですがな。

 台所から、マヨネーズ、味噌、塩を小皿に取って来て、ナターシャ、ヤナに渡す。

「あいよ。何は無くとも、美人に、美形さん。」
「オゥ、アリガトさんね。私はマヨネーズ。ヤナはジャパニーズ・テイストで味~噌。」

 私はバルディナからナスを一つ受け取って、それを手でざっくりと二つに割って、割き口に塩をパラパラ、そして揉み揉みして見せる。彼女は素直な性格であるから、私に倣って手品に参加する様な崩れたニコニコ笑い、半信半疑の目を見せて、私に続く。

 それをナターシャとヤナは、ヒソヒソ耳打ちをして、私とバルディナの遣って居る事を『小馬鹿』にしている。まぁ、美形・美人さんの遣る事だから、一々反応しても仕方の無い処である。

「ほら、シナーとして来ただろう。OK、OK。それで、フィニュシュよ。騙されたと思って、ほら、食べて見な。」
 
 恐る恐る、薄いピンクの唇をおちょぼ口にして、ナスの先を齧ったバルディナが、グリーンの瞳を輝かせて。

「ワァオ。美味しい!! これダーリンのマジック!! サンキュー、チュッ。」

「オゥ、エコ贔屓はNO・GOOD!!」

 直ぐ様来て、私のナスを取り上げて、二つに分けて口に頬張るロシア女共である。

「どれどれ・・・ オゥ、シンプル・テイスト。これ行ける~。出来立てのお新香の味。」
     
   アハハ。私も、私もとトライ、アタックで、ナスを捥いで来る。

 私の目の前で一々白い手のツメを立てて、紫紺のナスをザックリ、塩パラパラ。

 ブラックアイ、ブルーアイの童心眼(どうしんまなこ)でモ~ミ、モミモミと悪乗りするのが、ロシア女気質なのである。他愛ないと云えば他愛無し。可愛いと思えば可愛いくも在り、面白いと云えば面白くも在る。

 金髪2 、黒髪1の美人・美形さん達は、何を遣らかしても様に為る物である。こんな事で始まったロシアン・アマゾネス団と私の再会シーンで在った。

「ちょっと、虫、鳴いてますね。ロシアにも居る虫ですね。如何しました?」

「おっ、流石、ヤナだね。日本じゃキリギリスって云うんだけどさ。ほら、ウースキー島で海のバカンスしてた時、一杯鳴いてたろう。」

「そうそう、あなた獲って、私の娘ターニャに見せてましたね。あれは、好い思い出・・・ 獲って来たんですか。あなたは何処に居ても同じですね。アハハ。
 親友のオルガも楽しかったって、良くあの時のバカンスを話し合ってますよ。<あなたに、宜しく>って言ってましたよ。オルガも、あなたの事、好きなんですよ。」

「そうかい。オルガも好い女だったからね。へへへ。」

「もう、やっぱり、あなたは一番の助平ちゃんねぇ~。女好きのパロパロは、駄目でしょ!!」
 
★何を扱きぁがる。美人・美形は、男族にとっては世界の共有物ですがな。こんな人畜無害な<美への探究者>に向かって、少しは言葉を選び遣がれ・・・イッヒッヒ。

 美人・美形のアマゾネス団に、多勢に無勢・・・はい、アッシャ、サーバント役でヤンスよ。私は小心者の奥ゆかしさで、氷を浮かべた香ばしい蕎麦茶でハリウッド女優顔負けのロシアン・アマゾネスの面々に、喉を潤して頂き、グラスを回収する。

「ダーリン、何時も優しい。アリガトさんね。さぁ、あそこで私達の可愛い子孫達が、お待ちかねで~す。河川敷で輪に為って、天空の台地に行きましょう。」

 異界の女・ナターシャに先導されて、異次元七つ道具の入ったザックを肩に背負って、河川敷に下りる。私はザックには、野菜種とトマトの脇芽と柿の接ぎ木用の枝が数本入って居る。例に依って、輪に為って手を繋ぎ合う。

「息を大きく吸って、目を閉じて。ちょっと苦しいけど我慢して、サァ、行くわよ。」

    人輪がフワリと宙に上がるや、東の美ケ原台地に一直線である。

 <その4>
 私達が降り立った場所は、美ケ原台地を背にした白樺の疎林の中、一筋の渓流が大地を削り流れる広大な傾斜地に、忽然と建つあの力作・前方睾丸墳の上で在った。

 どよめきに似た大歓呼が挙がった。軍事正装で整列した天空の台地の者達にとって、私達一行は、既に『伝説の国造主』なのである。

 あの時の若き天空の台地の後継者・アボカドが、親の私達を子等が騎馬姿で整列して見送って呉れたシーン、さながらに何十倍の勢力を拡大した血筋の者達が、勢揃いで出迎えて呉れて居たのである。

 玄武岩の茶褐色の自然石を睾丸の如く巨大積み上げた両丸の中央の階段を、ゆっくりと貫録十分の足取りで上って来たアボカドが、私達を順に握手をして言った。

「親父殿、母御殿、叔母御殿、ようこそ参いられた。吾等が天空の台地も、斯様に発展して居りまする。

 さぁ、皆の衆よ。天空の台地の産みの親、吾等の父御、母御に、男は黒柄、女は赤柄の鞭打ち鳴らして、迎えましょうぞ。」

 隆々とした睾丸を並べて建つ墳丘前の広場に、整然と隊列を組む騎馬団。束ねるアボガドの手が下りると、騎馬の群れが前足を挙げ、いななき、黒柄・赤柄の鞭が大地を打ち鳴らし、灰色狼が咆哮する。

 青天に拳を握り締め、捧げる形で屹立する美ケ原の台地に、積乱雲が白く輝き、鬱蒼と茂る緑の山並みの樹林に、上昇気流がザワザワと木々の葉白を鳴らして、天空に舞い上がる。大地を打ち鳴らす鞭音と狼達の咆哮が、山々に木霊して、緑の山腹に風が爽空に向かって、白龍の如く舞い上がる。

    天空の台地に、風が、空気が、太陽が、人が、夏に並び立つ。

「吾等が子達よ、お前達が生まれる前の父母、祖父母の、その前の時代、吾等が降り立ったこの天空の台地に、全ての種が蒔かれた。牛がヤギが、馬が灰色オオカミが、川、池の魚達が、吾等が血筋の者達が、額に汗して、営々と天空に豊穣の台地を拡げて来た。

 好んで争わず、然れど争いを挑まれれば、完膚無きまでに撃滅して、この雄大な山並が十重二十重に重なり合う山地に『吾等が結界』を設けて、天空の台地と共に生きて来た子等に、吾等はその労と凛とした孤高を愛でる。

 これからも、アボカドの統率の下、この掛け替えのない天空の台地に、子等の血の結束を願う。・・・以上である。」

 私の言葉に呼応して、馬上の黒柄、赤柄の鞭が空を鳴らし、馬がいななき、狼達が咆哮する。

「おお、吾等が父御、母御、叔母御、アボカドよ!! この天空の台地に栄え在れ~!!」

    湧き上がる歓呼の渦声に、私達は握り合った腕を高々と挙げて応える。

★いやはや・・・凄いシーンである。然しながら、私達の中に血統を誇れる者など、誰一人として居ない次第であるから、下に渦巻く歓呼の渦声には、こんな本音が囁かれた次第である。

「おいおい、ヤナ、バルディナ。お前さん達に、そっくりの男女達じぁ無いか。如何見ても、年長者さん達も多数居るから、面喰っちゃうだろ。」

「そうそう。女2に対して男1だから、みんなあなたの子種だから、ほらほら、あそこにも、あそこにもパパそっくりの子、少年、青年、オジサン、お爺さんが居る。何か、変な感じね。アハハ。」

「ナターシャの子は、アボカドだけで、子種は作れ無い代わりに、何百年かの生命を貰って居るんでしょ。それにしても、笑っちゃう位、ダーリンにそっくりねぇ~。あなた、照れ臭いでしょ。ウフフ。」

  ★オッホン、これを称して<優性遺伝の継承・発展>って云うんだわさ。

「まぁまぁ、どの子も種と畑が好いから、良い雰囲気を持っている。先ずは、目出度し目出度しで良いんじゃないですか。うふふ。」

「何か、私達の未来の顔が一杯居る。私まだ若いのに、何十年か後には、ああ云う体付きと顔に為ると思うと、寂しいものね。アハハ。」

        こんな事を囁き合っての歓迎レセプションで在った。

 我々が天空の台地を去った時は、出来立ての前方睾丸墳の威容が目立ち過ぎる格好で在ったが、数世代を経て周囲の白樺の疎林の中にマッチしている。アボカドに聞けば、此処は文物の殿堂にして、集会評定の場、祀り、祭りの場、そして一族の公園の場として位置付けられ、利用されているとの事である。

「母御、歓迎の宴には未だ時間が在りましょうから、オヤジ殿、叔母御殿にあの天空の台地を案内したいので、お力を。」

 異界の母親ナターシャは、何回とも無く息子アボカドを訪れて、母子関係を維持して居るらしい。彼女の魔法に乗って、瞬く間に天空に拳を掲げる美ケ原台地に、風の如く降り立った一行である。
 
 雲すら見下ろす天空の大草原に、牛、馬、ヤギが放牧されて居る。牧羊犬為らぬ灰色狼の一団が、其々の見守り範囲を決めて、ゆったりとした歩みで行き来をしている。360°遮る物の無い眺望は、雲の上にアルプスの峰々、周囲の山脈を重ね伸ばして、天空の文化を造り出している。

「歩くには、広過ぎる大地です。馬を用意してありまする。下界の暑さを忘れて、馬を走らせましょうぞ。」

 スポーツウーマンのヤナが長い金髪を振って、サッと馬上の人と為る。次から次と乗って、5騎が早や足でパカッ、パカッとヒズメを鳴らして、天空の放牧大草原を見て回る。熊笹と牧草・野草に覆われた草原は、のんびりと草を食み、子供に乳を飲ませる牛、羊達の重なり合いで在る。
 そして、前回の縄文へパラグライダーを発進させて、黒曜石採取の模様をナターシャと上空からウォッチングした天空の台地である。その台地は、アボカド達のたゆまない努力で、こうして私達を迎えて呉れている。

 騎馬の人と為ると、彼女達はロシアン・アマゾネスの威風堂々たるシーンである。遠くアジア・ヨーロッパの大草原を駆け廻った騎馬民族、海に河川に乗り出したバイキングの血を引く女達は、思い思いの方向へ、一陣の吹き渡る風と化し、奇声を発して疾走をして行く。それを、灰色狼達が嬉しそうに続く。

           一時間ほどの滞在で、歓迎の宴に戻る。

 花崗岩の沢回りには、木立の涼場が設えて在った。下草の刈られた地面に、毛皮の敷き物が並べられ、牛肉、羊肉がバーベキューの香ばしい匂いを立ち昇らせて、イワナ、ヤマメの串焼きも焼けて居る。パン、ハム、ウインナー、ミルク、バター、チーズ、葡萄酒と酪農の産物が並び、山菜も籠に盛られている。

 歓迎の宴は、血筋の者達の和気あいあいの内に進み、女達はベリーダンスと云うかジプシーダンスが、彼方此方で繰り広げられて行く。まぁ、これも致し方の無い次第でもある。稲作の古墳時代に先駆けて、天空の台地に西洋の酪農圏の種蒔きをした次第なのであるから。種は私と云えども、数はロシアン母子の絆が物を言う世界であろうから。

 楽しくも、山地の帳は速い物である。天空に星々が点り、都市の明かりの無い時代。天空には神秘的な大星雲が降り立つ。要所要所の焚火・かがり火の闇に、清流の瀬音が響く。灰色狼達は、星雲を照らす満月の月に、野性の咆哮を放つ。

        蛍火が沸いて、地上を流れる様に点滅して行く交う。

 <その5>
 翌朝、統率者アボカドを先頭に、騎馬軍団が前方睾丸墳を下りる。鬱蒼と茂る原始の広葉樹海の道は、舗装こそして無いが、立派な整備された幅を持って居た。この道は、夏の放牧地に繋がる幹線道との事である。そして、樹海に隠れた道でも在る。道路脇には石積みされた湧水の水飲み場が数か所作られて居る。

 こうした道が、天空の台地から幾本も出て、第二、第三の台地に通じて、現在は10の台地を構成しているとの事であった。

 真夏ではあるが、木漏れ日とヒンヤリとした山の空気の中に、寸断無く充満する蝉時雨、樹間に渡り囀る鳥達の声、オオムラサキ、コムラサキ、クジャクチョウなどのシックな蝶の舞、飛翔・・・etc 

 この数日の35℃、36℃の猛暑に痛め付けられている下界の暑さを忘れて、馬上でウトウトして来る清涼感であった。

 40分位で開拓の地に入った。この地は、私がグランドデザインを描いて、異界の女・ナターシャがデザインを具現化した台地である。その台地にヤナ、バルディナのロシア勢が加わって、天空の台地を造り上げて行ったのは、<夢奇譚第十二部・天空の台地にて>の子細で在る。

 夏の放牧地・美ケ原台地を得て、コアの天空の台地の様相は、嘗ての牧草の台地から、農業の台地へと様変わりして居た。計画的に設置された溜め池からは、横に水路が通り、等間隔の取水路が枝分かれして居る。溜め池に流れ込む水は、渓流魚のイワナ、ヤマメの養殖池として設計してあるから、其々が沢水である。流入する水で魚を飼い、オーバーフローの水を台地の灌漑用水としている。天空の台地の人口が増えて、時間と共にシステムが拡充されて行っている様が、在り在りと見て取れる。

        満足そうに馬を進める私に、傍らのアボカドが言う。

「オヤジ殿、評価は如何に・・・」

「うん、吾が倅じゃ。想像以上に、進歩が連続して居る様に見える。人が暮らす組織とは、一人の天才、勇者、世襲が造り出す物では無い。同心円の中に、協働して創り出して行く物よ。

 組織の力は、人為的な秀才を造り出す力ぞ。世に絶対為る者など、一人も居ない。絶対者を造れば、動かぬ偶像が思考・行動・努力を蔑(ないがしろ)にして、一部の特権階級を作る。それは瞬く間に停滞の時代に入る。<動きを亡くした水は、腐る。>の喩えにして、それが哀しいかな、人間の歴史ぞ。

 事実を怜利に許容するのも必要。そして、物事を分析して、中から要素を調べ、核心的要素を見出して、再構築して見る、応用して見る。知者は己一人の欲望の奉仕者に非ず、組織全体の奉仕者ぞ。

 人を束ね、統率する者は、人の心・技量を忖度して、より良い歯車同士を引き合わせる事じゃ。

 人は人に着く物よ。知・情・徳・態を良く鍛錬して、先頭に立ち続けろ。それが、人の何倍もの生命力を持たされて生まれて来た<お前の宿命の道>と心得よ。」

「オヤジ殿の肉声は、何よりもの吾が励まし。吾が母御は、吾が血の哀れさに、オヤジ殿には内緒で、幾度と無くあの館にて、私とオヤジ殿の脳回路を繋げて、私にインプットをされて下さる。今日、この天空の台地の繁栄は、これ全て、オヤジ殿の薫陶に在りまする。
 私にとっては、霊の存在の様なオヤジ殿が、こうして倅を伴なって肉声で語られる。アボカド、望外の喜びで在りまする。
 
 この天空の台地は、時空を超えて存在する領域為れば、天空の宝物館・前方睾丸墳の所蔵物には、オヤジ殿のブログコーナーも悉く完備して居る故に、吾等血筋の者達の必須科目と為って居りまする。」

「左様であるか・・・う~む。そちの母御・ナターシャは、異界の女故、私も手出しの出来無い次第である。私が死んでも、異界の魔法は授からないであろう。生身の父にとっては、厄介な女ではあるが、四拍子揃った好い女ぞ。口とは裏腹の母性の強いライオン母御じゃろうから、安心してあの世で見守る事も出来ようぞ。」

       私とアボカドの二人行は、こんな馬上での会話の連続である。
 
 一方、女達は母親であるから、血筋の者達との談笑が楽しいらしい。まぁ、これも男女の性差と云う物であろうから、意に介しても仕方の無い事である。思えば、人間と狼との共同体<ギュンとクンの伝説>をモチーフとして、夢奇譚の異次元行も回を重ねて、時空を超えて積み重ねて来た物である。

 その灰色狼達は、何時も以心伝心の仲間達でも在る。馬から降りれば直ぐ様近付いて来て、言葉が無いから体全体で感情・愛情表現を仕掛けて来る。後ろ足で立てば、人間と同等の大きさと体重であるから、野性の力には苦も無く組伏せられて仕舞う。
 何頭もが我も我もとばかりに圧し掛かり、狂おしいばかりに顔中を舐めくり回すから、私としては息も出来無い程の手荒い情交換の態なのである。家族集団と云う社会で生活する狼の情愛の強さは、言葉を介し無い分、体話に頼るしか無い。いやはや・・・人間以上である。

  私の血を引く天空の台地では、そんな人間と狼との共同体が維持されている。

 アボカドは、5頭の灰色狼を伴なって10の地を案内してくれた。10の天空の台地は大きさの別は在ったが、基本構造は同じであった。其々の台地を束ねるのは、ヤナ、バルディナの末裔達である。彼女達の性格・人柄が滲み出て居て、ピンと来る物が在った。

 彼女達も人の親であるから、私とは別行動で其々の台地を巡って楽しい時を過ごして居たとの事であった。

 <その6>
 本日は、天空の台地の合同軍事教練が開催されるとの事である。父御、母御の私達は、前方睾丸墳の上に招かれた。10の台地から騎馬軍団が招集されて、紅白戦が挙行された。

 鎧はローマ史劇などに登場する皮製の物である。兜も同様である。先ず鞭の錬度から始まった。台に載せた小石を鞭で弾き飛ばす事から始まって、乗馬での鞭落とし。次いで実践ステージの相手役は狼と為る。対峙する狼に鞭を振るうのであるが、間合い、鞭を失敗すれば、忽ちに狼に組伏せられて仕舞う。そして、錬度のお披露目は、弓、槍、木刀と続く。

 フィナーレは狼隊を伴なっての、紅白に分かれての実践フォーメーションである。

 一隊は攻撃、他隊は防御と別れて、また攻守を入れ替えての機動的攻撃、機動的防御の陣形を採り、攻防戦の錬度を披露して呉れるのである。その統率が取れて、実戦さながらのきびきびした動きに圧倒される。私は現代人であるから、スイスの国民皆兵制度の様な物で在り、アマゾネス団の血筋であるから、ロシア、インド、イスラエルの名高い女軍団も出来て居る。

 私の暮らす現世では、猛暑の中、参議院選が行われている。近隣毒亜の傍若無人の振舞いに対しても、野党の政治スローガンには、似非平和主義者達の絶対平和の憲法教条主義者達が、懲りずに全体の数%の大主張を連呼して居る次第である。

「良く訓練されているな。」
「オヤジ殿、当然の備え、好んで仕掛けず、仕掛けられれば、撃滅のみ。ご安心あれ。」

 合同訓練が終われば、宴が始まる。宴が終われば、還る時である。宴の中で、私達の姿は消えた。

 空には満天の星々が煌めき、星雲が夜空に浮かび上がる。清流の瀬音に蛍火が、点り、舞い始める。灰色狼達は、星雲に名残尽きない咆哮を繰り返す。

「オヤジ殿、母御、叔母御・・・ 見守り有難う御座います。吾等、この地で立派に生き抜きまする。ご照覧在れ。オヤジ殿、お土産の種、苗、育てて量産致しまする。」
 

              夢奇譚・第十九部蛍火・・・完
           2013/7/11 by アガタ・リョウ





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