旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 小部屋にて、
           小部屋にて、今を盛りの山ツツジを愛でる為り。(5/4/14)
 読書効果と云うのか、好い夢を見た。そんな次第で、朝の一服をする。夢効果か・・・庭の仕上げを遣って見る事にする。
 粗方、川原の利用出来る土・砂・小砂利を持って来て仕舞って居るから、後は役に立ちそうも無いとして、増水後の堆積を見てから持って来ようと考えていたのだが、篩を掛ければ粗砂が取れる。

 踏み石部分に粗砂を敷けば、縁の下から庭に掛けてが、石庭の風情に仕上がる次第である。是非とも遣って見たい<アットホーム的雰囲気作り>である。二畳小部屋からの眺めは、今を盛りの山ツツジの赤が小山の様に陽に映えて、石囲みと好いマッチングを呈して居る。縁側下のバラスとの通路が、黒い土の中の踏み石続きで在るから、風情が中断されてしまって居る次第である。

 此処に粗目の砂を敷けば、庭の半分が石庭の風情で繋がるのである。物は試しである。バケツで運んで来て、篩掛けをして見る。黒土が隠れて、一体感が出て来た。篩に掛けられたバラスは、駐車スペースの四畳半の前庭の横に開ける。これなら見栄えも好いし、車に乗る時の<雨泥濘の回避>にも為る。

 四季は、呆気無くも移ろい行く物である。それを切り取って、風情を凝らすのが、人の手で在る。日本人の生活には、里山が在り、里海が在る。里と云う人間界に接する山、海に手が加わって、自然が自然らしく、人間が人間らしく相互交歓して来たのが、日本人の自然観、生活観で在った。

 今を盛りの山ツツジの様を愛でるには、此処は四の五の言わずに、道産子農耕馬を全うするのが、吾が仕事で在ろう。アガタ・リョウは男で御座る。とほほ。

 遣り始めたら、途中では止めれない短絡的性格である。朝賄いそっちのけで、道産子農耕馬モードに転換して仕舞った。妖怪様は、<倅が仕事をして居るなら、私も>の思いからか、ヨロヨロと炬燵の片付けを始め出した。

  へへ、アリガトざんす。飯は後回し。切りの好い処まで、遣らさせて貰いまするがね。

 2の4の6、8杯は、運ばなければ為るまい。こりぁ、大事である。前半で水が入ったのでは、後が嫌に為って終う。5杯を運んで、休憩方々、飯とする。

 黙々と食べて片付けて、飯後はTシャツ一枚に為って、完成をさせる。丁寧に掃き清めて、想像以上の出来栄えに、自画自賛の一服の友に、妖怪様にお茶を所望して、出来栄えを愛でる。

 おやおや、妖怪様は『今度は、寝具干し』のヨロヨロりである。へへ、触発し合うのが人間同士の心意気と云う物であろう。頑張り為され。俺ぁ、婆さんの倅ですがね。

 大分、草臥れてしまったから、昼はスーパーで出来合い物を買って来て済ませれば良い。煙草も残り少ない次第であるから、買って来ると致そう。

 メダカに餌を振り撒いて、人間とはつくづくと<実際知の生活>を送らないと、西部先生の言う通り、碌でも無い人間に成り下がって終うのだろう。そう云えば、テレビコマーシャルに笹川良一先生の『一日一善』なんて物が在った。ギャハハ~!!

何時まで干すのかと尋ねると、3時半までと言う。然すれば、汚れ物を洗濯して、シャワーを浴びて、本日分ブログ日誌を打ち上げて、読書の続きをすると致そうか。

 石庭完成で、小畳小部屋でのPC打ちをしながら、洗濯干し、寝具の取り込みベットメーキングをして、マイタイムに移行する。

 何時の間にか、空は灰色曇天の様である。毎日の外仕事で、すっかり日焼けが進行して、今や完全にインド人の黒さである。作業中は身体はきついが、結果が立派に応えて呉れている。

 100%人力&自然物利用の原始的作業では在るが、考え方に依っては、これほど贅沢な日課は無かろう。自分で考え、工夫を凝らして、自画自賛の一服を味わい愛でる。人間の満足度の大方は、自力構成が齎す達成感と満足感に在るのでは無いだろうか。オッホン!!


 
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心何処ーショート 世の中、色々と在る物だ。
                 世の中、色々と在る物だ。(5/3/14)
 韓国さんも、大変である。海に地下鉄と続けば、陸上、空と人災連鎖が行って仕舞うのだろうか。そんな金曜スタバトークの話題の締め括りとしては、『何故、船長がパンツ姿だったのか!!』が、真剣に問われ無ければ為らない<火病国の深層解決の道>と云う事であった。

 御免なさいね。好色ヤクザもどきのロートルコンビの世事話と為ると、中々、上品さのブレーキが掛らない顛末と為って仕舞うのである。へへへ。

 季節の変わった昨日は、夜散歩をして来る。その途中で道路に動きを見て、思わず飛びのいて仕舞った。アッジャ~、蛇の幼生であった。きっと川に生息するアオダイショーの孵化が始まったと言う事である。直ぐ様、産卵数12が頭に過って、目の半分以上が足元に向いて仕舞った次第である。散歩に蛇は、無粋極まる。コンニャローメ!!

 朝、トイレに居ると、外で覚えのある声である。義理硬い弟は、昨秋の排水枡取り付け工事のお礼に、西向かいのオバさんに旅行土産を持って来たのである。

「裏から、御免ね。」とトイレから、からかって遣ると。
「おっ、何処に居るだ。姿が見え無ぇぞ。婆さん、元気かい。」
 
 フィリピン旅行のお土産と、朝釣りに入って来て、ヤマメが2匹釣れたから置いて行くとの事である。

 フィリピンも不景気で、日本人観光客が少なく為って、自己中のケチケチコリアンで商売は上がったりの状況で、ホテル代等の値段が跳ね上がって居るそうな。親派のJも、苦しいとの事。新スポットは、期待外れだった由。馴染みの日本人客には、好い所では無く為って来て居る由。

 そんな話を聞くと、台湾、サイパン、韓国、中国、ベトナムと観光客のブームと云うのは、<精々が10~15年が盛り>なのかも知れ無い。息の長い世界の観光地に為るには、点の散在を如何に線と面にして行くかなのだろうが、面とするには確りとした揺るぎない『文化力』が無ければ、ブームが去れば閑古鳥が鳴いて仕舞うのだろう。

 文化の厚みと云っても、その厚みは過去と現在が共存する厚みが醸し出す全体の雰囲気なのであるから、そう簡単に<箱物、スポット、点を結ぶだけの提示>だけで造られる物では無い。大々にして、訪ね人の習性には、常宿の様な物が在って、その常宿を起点に四方に足を伸ばすと云う行動を執る物の様である。登山で云えばベースキャンプを張って、徐々に頂上を目指すと云うのが、文化の訪ね人の王道なのだろう。

 まぁ、旅行者の大半は、時の散在者であるから、ブームの観光地旅行をするだけで充分な興味の捌け口には為るだろうから、受け入れる方もドライに考えて、儲かる時に儲けて、次の算盤勘定を弾いた方が、リスク軽減に為ろう。

 どんな生業(なりわい)にしても、栄枯盛衰は人の世の倣いで、避けては通れない娑婆の掟でもある。我慢と工夫で生業を守るか、ブームに沈んで生業を手放すか。へへへ、傍観者とは、気楽な物である。

 弟の生業は、胸突き八町から脱したと思いきや、事務所の要役だったベテラン事務員さんの入院で、弟が仕事と事務でテンテコ舞いに陥っているとの事である。一難去って、一難に晒される。人生とは、つくづくと手厳しい物である。

 私としては、何も出来ないから、話を聞いて遣るしか出来ない次第でもある。弟は番から高先輩さんの機械の溶接をした後に、美味い物を食べに行くとの事で、約束の時間だからと帰って行った。

 本日、妖怪様の体調は悪いらしい。三時過ぎからは、お天気さんも下り坂で、お天道さんは姿を隠して、風が出て来た。漸く読書の方も半ばを過ぎて、先が見えて来た。

 読書に飽きると、庭に出て気分の保養をして、睡蓮鉢のメダカを見たり、雑草の芽を除去したりで、<文化・伝統の厚み>には到底及ばない次第では在るが、小市民の『体裁の定着』を励行している次第である。

 庭隅の雑草生い茂る中に、長年月埋もれて顧みられなかったブドウに今年は、再生を目指そうと思って居る。芽の蕾が開いて、支柱を宛がわれた葉は陽の光を受けて、輝いている。そんな姿を見ると、植物の旺盛なる生命力に感心すると同時に、何十年も捨て置いて居た<吾が物臭根性>を恥じ入るばかりでも在る。

 この処の高温で、水の蒸発量が甚だしい。ジョロを持って川に下りて、水汲みをして庭の睡蓮鉢、四畳半同居人の水槽に補給水として満たす。へへ、これで遣れば、水溢しが解消されるでは無いか。いやはや、気付くのが余りにも遅きに失して仕舞った。へへへ。


心何処ーショート 今年も、家庭菜園のラインナップ完了為り。
             今年も、家庭菜園のラインナップ完了為り。(5/2/14)
        
 朝だ朝だ~。お天道さんの起床ラッパ、寝ちゃ居れんわね。さぁ~て、俺ぁ、男で御座る。一丁遣って見るか~!! 努力の後に、道が出来て来る。千里の道も一歩から。 

 お隣さんが、母の為に玄関に回らず庭からの回覧板で、境のブロック塀に回覧板用の郵便受けを取り付けて呉れた。その庭からの通路が、何十年かの内に雑草の溜まり場と為って居るし、途中辺りでの凹みの為に、雨が降ると泥濘と為る。庭の整理の最終段階として、遣らねば為らない宿題なのであった。ニャロメ!! 遣れば遣るほどに、粗の目立ちである事か・・・。

 本日は朝から暑い。長靴を履いて、先ず草の根を掘り起こして、雑草退治。次いで平らに均して、歩数を数えて踏み石用の平らな石を、川から物色して7個運び上げる。それを態好く並べ、底の部分の土を削り据わりを良くする。仕上げは例の如く、バケツにスコップを持って、小砂利掬いに川に下りる。

        都合四杯運び入れたのであるが、本日夏の暑さで顎が上がって仕舞った。

 軽い朝飯を食べて、妖怪様に目薬を落して遣り、金華鳥の世話をする。小砂利敷きの後をサンダルに履き替えて、人間転圧をして、庭箒で掃いて宿題完了である。二畳小部屋外のコンクリートに腰掛けて、煙草の一服を付けて居ると、土手に車が止まってホテルWの場所を教えて欲しいとの事である。

         口で説明するよりも、道に出て説明して遣った方が良く分かる。

 同年配の諏訪ナンバーの男である。へへ、お互い、ボランティア世代である。頸椎の手術でS大病院へ2カ月の入院との由。最寄りの宿泊場所を聞くと、民宿S荘とホテルWを紹介されたと云う。両宿泊施設共に、S大病院の入院患者家族の宿泊施設として、商売が成り立っているのだろう。大通りに面したビジネスホテルと土手道に面した民宿は、丁度同じ位置に在って背中合わせである。隣班である。

     道案内の後は、何だかんだと説明を求められ、松本ガイド役をする羽目に為って仕舞った。

「見るからに、好い環境ですね。こんな所に住みたい物ですわ。」
「あいあい、環境が好いから住んでると、俺見たいなお公家さん見たいな顔に為るんね。引っ越して来ましょや。」
「でも、この辺りは、土地が高いんでしょう。」
「いざと為りゃ、奥の手で、宝くじが在らぁね。」
「だんなさん、旨い事言うじぁ無いですか。」

「あれだよ。この町内にも、何軒か空き家が在るし、其処の家も空き家だよ。住宅地だけどさ、真ん中に川が在るから、ゆったり感が在る。夏に成れば、蛍も飛ぶし、カジカカエルも鳴く。此処でもヤマメが釣れるしさ。近くに高校が在るから、生足のペダル漕ぎで目の保養にも為らぁね。アハハ。」

      見ず知らずのロートルが、車を止めてゆっくり話すなんて図は、好い物である。

 さてさて、本日金曜スタバトークである。Tの為に家庭菜園のホウレンソウでも採って置くと致そうか。

 そんな事をして居ると、こんにちは~と言って、ヤクルトママさんが玄関から、回って来た。

「おやまぁ、勘が好いじゃ無いのさ。」
「好いお天気だから、きっと畑に居ると思って。そんな匂いがしました~。」
「臭いかい。一応、風呂には入って、小鳥寄せしてるんだけどな。へへへ。」

 Tのお迎えまでは、只今一日100頁のノルマが圧し掛って居る次第であるから、白湯を飲みながら、<内職の頁捲り>をする。

 スタバ二階席は、夏の気温である。連休の所為か、何時もよりも混んで居る。話題は如何しても、韓国の醜態に話題が言って仕舞う。韓国も、中狂国のウィグルテロで、大変な事に為りそうなキナ臭さである。

 外パッパの後は、ホームセンターへ行く。Tは孫に苺を食べさせたくて、苗を探しに行ったのだが、シーズン終了の釣れ無さで在ったと言う。

「一昨日、ナス、キュウリを買いに行った時に、ごっそり入荷して居たから、電話をしなくとも、金曜日まで持つと思ってさ。」

 Tは実の付いた奴を3本買い、園芸用の腐葉土を一袋買う。私はミニトマト3種類を買う。今日は土作りをして、来週にナス、キュウリを買うとの事である。

 それにしても、本日は夏日である。Tシャツ一枚に為って、トマト苗を植える。へへ、これで吾が家の家庭菜園もラインナップが揃った。今年は何十年も捨て置かれて居た葡萄の復活を試みる事にして居る。私が高校生の頃までは、黒い葡萄が生って居た。それが切られて、何時の間にか雑草に埋もれて、一切返り見られる事も無く、日蔭者扱いされて来た次第である。

 日当たりの関係上、葡萄棚を作る訳には行かないが、野菜の支柱を縦に組んで、西洋のワイン葡萄柵の感じで、葡萄再生を目論んで居る次第なのである。そんな庭遊びをして、一服は睡蓮鉢のメダカを見る。地黒のスキンヘッドであるから、Tには<あなた、何処の国の人在るか? あなた、インド人在るか。>などと言われて仕舞う程の日焼け状況である。黒く為れば為った分、日射効率が加速されて、いやはや、スキンヘッドのシャレコーベが、チンチンに焼ける沙汰である。

 然りとて、昼間から分厚い哲学の文字列には、飛び込めないのが番から男の習性と云う物である。へへへ。男の嗜みは、晴耕雨読の生活態度でも在ろうか。イッヒッヒ~!!

 四畳半定位置で、栄養補給のアーモンドチョコレートをポリポリ遣って居ると、川で遊んで来た鼻糞穿りの小学低学年生のジャリンコが、部屋の私に手を振って行く。

「如何した? 裸足じゃないか。」
「うん、川でおぼれたの。」
「おかしいじゃないか、服が濡れて無いじゃないか。」
「うん、きがえたから。」

 左様で在るか。今時の子供は、コマッシャクレて居る物である。汚れたら、濡れたら着替える。現代の躾け行と云う次第であるか。現代躾け行からすると、子細構わずの私なんぞは、『蛮行の極め付け』と云う事に為ろうか。ギャハハ!!


心何処ーショート さて、昼の用意をすべぇか。
                  さて、昼の用意でもすべぇか。(5/1/14)
 お天道さんは在る物の、空全体とすれば灰色雲の曇天である。それでも、日差しの明るさに、気分は好い。朝飯前の家周りをして、ミツバを摘んで朝のお浸しにすると致そう。日々、家庭菜園、植物の成長を眺めるのは、人畜無害の好人物に移行させるには大事な一時と云う物である。

 さて、掃き掃除に、小鳥達の世話に行こうとすると、お向かいさん夫婦に話し掛けられて、ついついロートルご近所話と為って仕舞った次第である。へへへ。

 遅い朝食後は、廊下の鉢植え物を外に出して、お天道さんに当てる。些か風が強いが、植物には、お天道さんの光合成が健常の大本である。

  とは云え、布袋草の水中根の繁茂は、直ぐ様にアオミドロに取り巻かれて仕舞う厄介ものである。
 
 その掃除屋が金魚であるから、睡蓮鉢の布袋草を半分づつアオミドロ退治の為に、金魚槽に入れている次第である。これも大きな観点から見れば、生物相に依る相互循環の一環でもあろう。従って、人間の知恵として、それを活用させて頂いて居る次第である。

 国民の道徳は、700頁弱のボリュームである。一日100頁を目標に、読み進めて行く予定では在るが、読書嫌いな吾が身にとっては・・・ 膨大な頁数である。

 お天気さんも予報通りに下り坂と為って、四畳半定位置は涼しい風の出入りである。ラジオをBGMに流して、出窓に鳥籠二つを置いて、金魚、小鳥達の動きを息継ぎとして、分厚い本の頁捲りを進める。

 私も還暦半ばを通過した身であるから、書かれて在る諸記述には体験知も在れば、既知感も湧いて来る次第なので、抽象語の羅列と云う感じは無く、或る意味では人生の経験値の観点から、人生を振り返る懐かしみすら覚えつつ、頁捲りをしていると云った具合なのである。

      まぁ、これも真面目に歳を重ねて来たご褒美かも知れぬでは無いか。ギャハハ!!

       活字に頭が疲れて来ると、老眼鏡を外して、同部屋住人達の動きを眺める。

 普通サイズの金華鳥と比べると、購入して来たジャンボ種は、裕に二回り以上の大きさである。番籠から外れた三羽の鳥籠は、オスは見る影も無い老齢の有り様にして、灰色が脱色してシナモンに近い色合いのメスは、近親繁殖の煽りで生まれながらの虚弱体質の様である。

 生き物を飼っている以上、世代交代、近親繁殖の弊害は避けて通れない次第でもある。そんな交々を考察すれば、ジャンボ種の買い入れは、悪くは無い選択肢であろう。

 本日、メーデーとは云う物の、すっかり時代は交替・後退して仕舞った。私権に公権、私益に公益、私利に公利を対比させると、人間の営みはすっかり個に移行して仕舞った観が在る。

 私と公を分断して仕舞ったのが、自由と云う個人主義の台頭である。自由が公の規制を払って個に傾注して終えば、其処には身勝手自由が蔓延して、家族・社会・国家と云う共存型公の部分が衰退して仕舞う危険域に入り込んで仕舞うだけの話である。

<人は道を求めて人生に齢を重ねる生き物>との人間哲学の歴史原点に立ち返れば、人は再び道徳と云う人間の常識に回帰せざるを得ないのだが、火病国病根の何たるかを、今回の韓国客船沈没事件報道を、人間が守るべき常識・道徳の瓦解の未来として、肝に銘じて道徳常識の道に回帰し無ければ為らない時期に達して居ると思われるのだが。

 真っ当なる日本の保守重鎮の西尾幹二先生の『国民の歴史』西部邁先生の『国民の道徳』が、日本人の家庭書籍として、日本人の紐帯為らん事を祈るばかりである。へへへ。

 教員・公務員の助平事件、無差別通り魔殺人、振り込め詐欺、ストーカー殺人、51歳女のエスカレート爆弾・・・etcと、いやはや、人もどきが増殖されている現実には、目を覆いたくなる心境に為るばかりである。

 さてさて、午前中のお勉強はこの位にして、昼の用意でも致しましょうかね。脳細胞が酸欠状態に近付いてまいりましたがね。へへへ。


心何処ーショート へへへ、毎日、遣る事が生まれて来る物だ。
           へへへ、毎日、遣る事が生まれて来る物である。(4/30/14)
 雨が強弱を変えて、降って居る。帽子を被って、食べ頃と為ったホウレンソウを扱いで来る。嬉しい程に、大きく育った。土を落とし、外水道でザッと汚れを落として茹でる。台所を始めると、出窓にぽつんと水が落ちて居る。何じゃらほいと、出窓の天井を見遣れば、雨漏れでは無いか。

 外に出て見遣れば、外壁工事時にチョイと直した所のコーキングが取れて、隙間が開いて居る。弟が置いて行ったコーキングが在るから、朝食後に補填して置くと致そう。

 いやはや、何だかんだと云っても、良くした物で<遣る事>が出て来る物である。まぁ、本日は終日の雨との事であるから、少しは遣る事が無いと読書のお時間と為って終う。

 読んでいる内は、ふむふむ、為るほど。左様であったかと、一々ご尤もの段では在るが、就寝時に、さてさて、大先生はどんな事を書かれて居たのかと、思い出そうとするのだが、さっぱり頭の歩留まりが退化して居て、たいてのこらさ状態なのである。

 全く、お恥ずかしい限りである。『頭の歩留まり』と比べれば、肉体労働は辛い面が多々あるが、確実にそれが残る次第であるから、私の様なボンクラ頭には頃合いと云う物である。

「如何だい? 採って直ぐの家庭菜園の味は、茹で過ぎの歯応えに難が有るけどさ。」
「年寄りの歯には、有難い柔らかさで、鮮やかな色と厚みがあって、新鮮そのもの。手入れが好いから、確り応えてくれるから、張り合いだろうねぇ。」
「そりぁ、そうだ。単細胞が遣って、単細胞が応えて呉れる。採ってから30分もしてない。これが文字通りの旬の味、単純明快の様ですがね。」

 さぁ~と、踏み台を出して、コーキング修理をして来るか。風呂の湯を張りながら、首筋に雨垂れを受けて雨漏り修理をする。見栄えは悪いが、これでオーライである。

 風呂から上がれば、何と雨は止んで一時の晴れ間では無いか。そう為れば、洗濯をして<灯台下、暗し>で、二畳小部屋の下の縁の下の小砂利敷きが『未了』で在った。加えて、妖怪様の部屋への廊下上がりの向きが気に食わないと思っていた次第であるから、それもバールを梃(てこ)に直して見ると致そうか。

 長靴・軍手で、川から三杯運び上げる。そんな事をして、目の保養に睡蓮鉢のメダカを見る。昨日は水面近くに居たが、お天気の悪さに布袋草の根の下に潜んで居る次第である。目に付く雑草を引き抜いたりして、二畳小部屋に入る。手入れの進んだ庭の眺めは、四畳半定位置と違って人の姿も無いから、ボケ~と眺めて居るだけでも良い具合である。

 束の間の薄日も灰色雲に覆われて、再びの雨かも知れぬ。お天道さんが無いから、雨に洗われた緑の映えとは為らないが、雨の力は偉大である。牡丹の蕾が、ぐっと、膨らんで来た。

 さぁ~てと、昼を食べて妖怪様の炬燵で昼寝をするべし。雨日はちょいと炬燵の温もりが恋しいばかりである。

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