旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート クロネコ
                    クロネコ
 朽ちた物置きから、生き物の気配がしている。戸を開けると、漸く目が開いたばかりの小猫が、ミヤーミヤーと動いていた。困ったものである。出産場所に利用されてしまった様子である。親猫に小猫が何匹か? 係り合いになるのは御免であるから、慌てて戸を閉めた。

 何日か過ぎても、相変わらずミヤーミヤー泣いている。親猫の姿も兄弟姉妹の姿も、一向に見えないのである。我が家は昔ながらの家屋であるから、軒下、床下、天井は小動物にとっては、出入り自由の造りになっている。御年83歳になる母御は、猫は嫌いだから内には入れないと、仰りながら軒下に餌を置いている。全身真っ黒な小猫は、斯くして生活の場を獲得しつつありそうである。
 
 ペットの代表格と云えば、犬と猫である。オヤジの存命中には『エス』と云うシェパード風の日本犬がいた。私の記憶は不思議なことに、青函連絡船の夜空から始まる。5歳からである。必死に生まれ故郷の北海道時代の記憶を辿ろうとするが、何も無いのである。従って、私の記憶は疑問と共に始まり、絶えず心の央に消化不良のような『冷め』が付き纏っているのである。
 遅れて、『エス』が来るというので、家族全員で松本駅まで迎えに行った。貨物車の扉が開いて、檻に入った背中の黒い野性味溢れる大きな犬がいた。私の彼女に対する第一印象は『恐い』であった。訓練の行き届いた『立派』な犬であった。飼い主以外の与える物は一切、口にしなかったし、主人の与える餌も『よし』の合図が出るまで食べなかった。

 行儀の悪い私達は、折に振れ『エス』を引き合いに、躾をさせられたものであった。子供の遊び場としては、我が家の庭は十分なスペースがあった。未就学児童の私と弟の遊び場は、専ら我が家の庭であった。彼女は前足を行儀良く揃え、他愛の無い幼児の戯れ事を、『母親』の如き眼差しで見守っていた。3人の兄達が学校から帰って来ると、前の道路でのキャッチボールの仲間入りをするのであった。鎖を解かれた彼女は、『静』から『動』へと一気に変身を遂げるのである。後逸したボールの球拾いは元より、飛球をジャンプ一発口で補球し、首の返しで投げ返す。屋根のトヨに引っ掛かったボールには、梯子まで器用に昇る始末である。
 私は彼女のモーレツ振りに唯々圧倒されるばかりで、兄達が決める我が家の序列が私の上に『エス』が座っている事に何ら異存はなかった。と云うよりも、人間と動物の『敷居』の存在などを感じ、考える余白の挿入など無かったのである。それ程、私と彼女との間の『差』は歴然としていたのである。可笑しな話であるが、私は彼女に、一種の『保護者』の威厳を感じていたのである。後年、世帯を持ち子供達に『犬』をせがまれても、一向に私がその気に成らなかったのは、『エス』の存在が大であったからだと思う。
 
『生き物』好きの私が、犬・猫に興味を抱かず、自分達の味方に成ってくれなかった父親を、子供達は不思議に思っていた。二人の子供にしてみれば、母親に頼めば『ダメ』の一言で一蹴されるが、動物好きの父親に頼みさえすれば、すんなり『OK』が出る筈であるが、こと『犬・猫』に限っては『お母さんに頼め』としか答えないのであったから、大いに困惑したことであろう。私は『エス』と云う存在に於ける外観、気性の激しさ、忠実性、『静』に於ける凄味、頭の良さに、付いて行けぬと同時に、時折垣間見せる私を子ども扱いするエスへの苦手意識も働いていた。……。彼女は『素質』と『訓練』の産物であったのだろうが、子供の私には、立派な大人であったのである。

  兄弟の3人は、犬を飼っていた。どれもこれも、悲しいかな駄犬である。
 
 私は、犬は好きではあるが『自信』が無いから、『エス』に敬意を払って犬を飼わないのである。 今や、犬、猫は歴とした『愛玩動物』に成り下がっている風潮である。嘗ては、『犬猿の仲』に次ぐと比喩された程、犬と猫の間柄は敵対関係にあった。或る時、猫とエスの凄い睨み合いがあった。中学生の長兄の「遣れ!!」の命令で、エスは、解放された猛獣と化して突進するや、荒々しく猫を噛み殺してしまった。凄まじいシーンであったが、凶暴性の血の宿る私には、何故か血が躍った。そして、隠して置きたい自分の中にある『血』を感じていたものである。
 我が家に侵入した不審者も何人か、被害に遭っている。子供心にも、彼女は人間には御し難い独立権を持った誇り高い生き物であった。不思議な事に、噛み殺された猫には、同情心が一切起こらなかった事を覚えている。
 
 そんな事も意識下に働いて、当初から、私の意識には『猫』は埒外の動物であり続けていたのである。私の範囲の『小鳥、魚、リス、キジ』にとっては、『猫』は彼らペットに対する『殺傷者』でしか無かったのである。

『刷り込み』と云う概念がある。動物の目が開いて、真っ先に目視された存在を、自分の『親』と思い込んでしまうと云う生存反応である。差し詰め、犬猫に関する限り私は、『エス』に『刷り込み』を施されてしまっている様である。
 
 私の帰りは遅い。よちよち歩きの黒猫は、台所から続く物置きの本棚最上段の本と、本棚天板の隙間を、居所としている。そして、風呂釜のあった一段下がった場所が、母からの食事場にあてがわれていた。
 この場所は、嘗てエスの出産、子育ての場所でもあった。小猫は、床上の私の移動に合わせて、床下をミャーゴミャーゴと泣きながら付いて回るのである。私はレスラーの様な体格にして、厳つい顔をしているが、根は差別も怒る気も薄い男である。
 仕方がないから台所の戸を開けてやると、尾をピンと立て、私の足に体を纏わり付かせて、ゴロゴロまで行かぬブーブーに近い音を発するのである。首をひょいと摘んで私の目の高さまで引き上げると、チビ助は、実に他愛の無い『だらり』とした形で、目を細めている次第である。
 『家には入れるな。』と云う母御のお達しであるからして、小猫をそのまま掴み上げて、私の専用居住区となっている8畳と4畳半に、無造作に放して遣るのである。

 私は就寝前の1~2時間を、ウィスキーを口に含みながら、人差指でワープロを打つ。纏わり付いて、気が散る時は仕方がないから、4畳半のドアを開けて万年床の8畳を、小猫に開放して遣る。暫くの間は、明かりの点いた4畳半と、暗がりの8畳を行き来しているのであるが、その内に姿を見せなくなるのである。部屋の隅に冬用の厚い毛布が畳んで置いてあるのだが、その上で小猫は熟睡しているのである。一緒に寝る訳にも行かないので、再び掴み上げて物置きに放して、素早く戸を閉めるのである。

 朝は、出社する物音を聞きつけて、玄関に黒い小さな姿を見せるので、私は恐る恐る車を出す羽目になってしまうのである。

 3泊4日のサイパン旅行である。些か気にはなったが、私には、積極的義務は無いのであるからして、母には黒猫の事は、一切言付けずに早朝のハンドルを握ったのである。

 グアム経由のサイパン着である。空港には『黒尽く目』の洋々が出迎えに来ていた。彼女は中国風の占星術で、服の色を決めるそうである。緑、白となり、今年の彼女の色は黒なんだろうと、私なりに考えた。ケンカ別れをして、再び姿を現わした時も上は、やはり黒であった。クラブ・ロシアンルーレットに行くと、これ又『黒尽く目』のマイヤ嬢に心奪われた結果となってしまった。

 帰りの車の中で考えた。『黒』は、単なる今年の流行色か? ハタマタ、脂肪の付き始めた水商売の女性達が、『異口同音』ならず『異形同考』の結果のカモフラージュ衣装なのか? それとも、何かを感じ取れと云う『有り難い天の啓示』であろうか?

 私は家に帰ると、纏わり付いて来たクロネコの首を摘み上げて、『雌雄』の別を確かめて見た。紛れもなくクロネコは、『雌』であった。天の『御託宣』が出現した以上、凡人の輩が異議を唱えることは、とても畏れ多い事である。さりとて、これはノスタルダムスの大予言の四行詩より難解である。

       大連 洋々、サハリン マイヤ、松本 黒猫、キーワード=雌・北

 こじ付け様が無いから、未だに『御託宣』の謎解きは、進展を視ないでいる。クロネコは、日増しに大きくなっている。廊下で靴下を履いていると、柊の葉が動いている。何かと思えば、黒猫である。姿を見せないので心配になって、物置きの戸を開けても音沙汰無しである。本棚の最上段を覗いても不在である。ゴソリと音がした。その方を視ると、食器棚の上の箱の上で目をらんらんと輝かせている。成長に合わせて寝床を変えていたのである。
 
 日曜日、溜まりに溜まった洗濯物を、午後から洗うことになった。軒下の物干し竿に掛けていると、庭で黒猫が、昆虫を相手に『狩り』の練習をしている。立てた尾を、ゆっくり回しながら歩いている様は小さいながらも、中々のものである。廊下で、御母堂様の独言が聞こえる。椅子の膝の上で黒猫がバァさんに抱かれて、仰向け姿でゴロゴロと喉を鳴らせている。
 何の事は無い。『クロチャン』なる名前まで授かっている。老婆と黒猫の取り合わせは、夜の遅い会話の少ない母子二人暮らしの私には、持っての幸いであった。

 感謝の証に、首を摘んで一緒に風呂に入って、シャンプーで洗って遣った。黒猫の奴は、不服そうに歯を剥き出して、ニァーゴと鳴くので『刷り込み上の親』としての、教育上のゲンコツを頭蓋骨に一発お見舞いして遣る。コツンと乾いた音をさせて、顰め面をした。
<ザマ見ろ、人間様の方が偉いのである。>押え付けて、上から湯を掛けて遣ると、細い体毛が全身にへばり付いて、無惨な体でもがいている。大げさなゼスチャーでゲンコツを振り上げて遣ると、情けない顔をしてちょこんと洗面器の外に、顔を出して私の表情を伺っている。神妙さが殊勝なので、タオルで拭いて洗面所に出して遣ったら、廊下を一目散に逃げて行った。それからは、クロネコの奴は、洗面、風呂場にいる私には、一定の距離と緊張感を崩さないでいる様子である。

 7月に入って早々に、千葉で長兄の3回忌があった。今年の梅雨は、どうも空梅雨の兆しである。直射日光は容赦なく、私の頭蓋骨を炙(あぶ)ってくれる。炙りついでに、翌週の日曜日には弟の誘いに乗って新潟で一日ジェット・スキーに興じた。二度、携帯が鳴ったので、帰りに女房の処に寄ると、北海道で葬式だと云う。女房に、赤銅色の国籍不明の顔をジロジロ視られて、唯『はい、はい』を連発して早速家に帰って、御母堂の代行電話をした。

 87歳になる次姉が亡くなったので、是非とも葬儀に出たいと云うのである。下二人に連絡が取れなかったので、次兄に頼んだと云う。母の心情は、云われ無くとも痛いほど響いて来る。
然し、私はジェット・スキーをバンバン乗り回して、疲労困憊の態であった。翌朝早起きをするから勘弁してくれと言って、墜落睡眠をさせて貰った。

 翌朝、部屋に行くと、母は未だ床に付いていた。
「冷静に考えて観ると、無理だと思う。」と寂しく言う。
「俺が負んぶって遣る。お迎えが来たら、それがばぁさんの天命さ。しっかり生まれ故郷と兄弟姉妹に『お別れ』をして来るサ」 
「そうか、お前の言う通りだ。お願いします。」
 私は、黒猫の世話を娘に頼んで、女房の用意してくれた旅行鞄を車に、母を乗せて空港に走らせた。   

  親子兄弟の結束は、固かった。その日の12時30分、4人は機上の人となっていた。 

 天寿を全うした者の葬式は、実に良いものである。『弔問外交』なる言葉が示す如く、日頃疎遠であった親族が一堂に会すのは、『吉事』である。90歳になる長姉が、松本から妹が老体を押して参列する以上、出ない訳には行かないと階段を背負われて姿を現わした。十数年振りで対面する老姉妹に会場は、暫し親族の嗚咽が支配する。
 翌日、一夜を共にした老姉妹は、杖と手摺で姉を先頭に一段一段階段を上って来た。
     私は胸の熱くなるのを覚え、照れ隠しに拍手で二人を迎えた。
 そこには、『明治、大正の女の気骨と老いさらばえた互いの労り』が、凛として息づいていた。私と弟にとっては、殆どの親族が初対面である。然し『血は水より濃し』とは、良く云ったものである。違和感を感じさせる事の無かった3日間であった。長姉の長男のOさんは、私の長兄の1歳下であるが、目元が実に良く似ていた。Oさんと私は、頭髪の有無を覗けば、兄弟そのものだと言われる。為るほど、歳の離れた従姉弟達は、松本に遊びに来ても、私を平然と呼び捨てにしていた訳である。因に老姉妹は、実に良く似ているのである。蛇足ではあるが、0さんの家には黒猫が飼われていた。

 クロネコは、我が家の庭と物置きを占有する独立した黒猫であるからして、少々生意気で気位の高い『雌』である。炎天下、日々の労働はきつい。長期予報に依ると9月迄残暑に支配される様である。『黒猫』の天の思し召しを考える余裕は、当分先の事に成りそうである。

                                  クロネコ・・・・・・・完

★猫に、とんと興味の無い私が、クロネコについて一編を打ってしまったのである。エスに敬意を表して、オオカミと人間の物語を創作しようとしているのであるが、何分、時間が無い。『ギュンとクンの伝説』は、脳裏の片隅にはあるものの、数ページを打った儘、埃を被っている。


          これは、7~8年前の文作である。
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